[23001] 最近の国民は政府を倒すようになっている。 h28.8.30
国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っているようになれば政府が滅ぶ。国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府のことを理解するようになれば、国民みんなは自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞く必要がないと思って政府に税金を払わなくなって政府が滅ぶ。
日本では昭和40年(1965年)ごろに国の経済が急成長して国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足してたくさん喜びが得られるようになったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。
その後国民はいっとき自分が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために“悪いことをされる喜び”の概念を失って政府のことが理解できなくなって「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府に権力があるから国民は政府に従わねばならない」と誤解していたが、最近は国民が自分が政府のことがわかっていないことを反省して政府について考えて政府のことを理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知るようになっている。
私は昭和39年(1964年)1月22日生まれだから、生まれながらに家に白黒テレビがあって物が豊かだったから、これまで一度も自分の“悪いことをされる喜び”を満足したことがない。“悪いことをされる喜び”がどんな喜びなのかもまったく知らない。人間に“悪いことをされる喜び”があることも最近まで知らなかった。
私は40歳ごろまで学校の社会科で習った通り「政府が善い民主主義や善い神主義の団体だ」と思っていた。しかし、42歳ごろに『政府が国家宗教で事故を起こして大勢の国民を殺している』ことがわかってからは『政府が悪い団体だ』と考えるようになった。その後も約11年間政府についてずっと考え続けた結果、最近(今から約4ヵ月半前、[22637] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。 h28.4.13ころ)になってやっと『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを理解した。
今の私は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないし、『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っている。だから、今の私は政府の悪い命令を聞かない。今の私は政府に税金を払わず政府を倒す。
これまで政府は国民の政府に対する無理解によって生き残ってきた。これからの政府は国民の政府に対する理解によって倒されるだろう。
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。一般に、人間の古皮質には性欲や眼で見る喜びやテレパシーや支配欲や“悪いことをされる喜び”などがある。人間はキチガイじみた生き物である。それが人間の実体だ。だからこそ、人間は自分の新皮質を働かせて古皮質を働かせないようにして人間らしく幸福に生きねばならないのだ。
h28.8.31追記:新皮質から見たら古皮質は不合理的だから古皮質のやっていることがキチガイみたいに見える。人間は昔は古皮質しかなく不合理的な生き物だったのである。人間は今は新皮質があって合理的に生きることができるのだ。人間はだんだん新皮質を働かせて合理的に生きることができるようになったから、自分の不合理的な部分をつまり自分の古皮質がやっていることを恥ずかしく思うようになったのだ。自分の不合理的な部分を隠すようになったのだ。自分の不合理的な部分を捨てるようになったのだ。自分の古皮質を働かせるのをやめたのだ。最近はコンピューターが出来たので、そういう傾向がますます強まっている。
[23002] 政府の仕事は善いことをしているふりをすることと税金を取ることだけである。
h28.8.30
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て、国家権力を使っていいかげんな民主主義で(つまりテレビでまちがったことを流して世論操作をして国民みんながまちがいを認めたことにしてまちがいに基づいて悪い命令を作って)悪い命令を出したり神の権力を使っていいかげんな神主義で(つまり国家宗教の神の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で悪い命令を作って)悪い命令を出す」芝居をして、実際には『政府と国民が平等である』ことを守って国民の好き勝手に政府の悪い命令を聞かせている。『政府と国民は平等』だから、国民が政府の命令を聞かなくても政府は国民を罰したりはしない。この世には『人間はみな平等である』という決まりがある。「納税の義務」は『人間がみな平等である』ことに反しているから現実の法律ではない。「納税の義務」は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の上の法律だから国民は守らなくていい。
つまり、政府の仕事は国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして、いいかげんな民主主義や神主義で国民に悪い命令を出すことである。
政府の仕事は、テレビのニュース番組で国民のために善いことをしているふりをすることと、いいかげんな民主主義や神主義で悪い命令を作って出すことだけである。政府の仕事はおもに国民に税金の命令を出すことである。政府は国民の眼で見えるところでちょっと仕事をしているだけで、国民の眼で見えないところではなんにも仕事をしていない。政府は国民から税金を取るだけの楽な仕事である。政府は国民に税金の命令を出すことが仕事である。政府は働かずにお金が儲[もう]かる楽な仕事である。政府はこの世で一番楽な仕事である。だから、政府は国民みんなの人気がある職業なのである。国民みんなは子供のころから必死で勉強して政府に勤めようとするのである。
昔(1965年=昭和40年以前)の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府の税金の命令を聞いていたから政府が儲かっていた。政府は国民から税金を取って儲けたお金で善い政策をやったり付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や役所や鉄道会社や郵便会社など)にお金をやって経営したりしていた。
反対に、今(1965年=昭和40年以後)の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の税金の命令を聞かなくなって政府が儲からなくなっている。政府が赤字になって潰[つぶ]れている。政府はお金に余裕がなくなって善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。
昔の政府は儲かっていたが、今の政府は儲かっていない。いくら政府が楽な仕事でも儲からなくなったらおしまいである。政府は潰れてなくなるしかない。
[23003] 今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わなくなっている。☆
h28.8.31
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がキチガイのように見えるので、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府はもともと『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」のふりをしているだけである。人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいから、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって「政府が自分の権力で無理やり国民に悪い命令を聞かせている」芝居をやって、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから喜んで政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしくないようにしている。
政府はもともと『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の”悪いことをされる喜び”を満足するために「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民は自分が政府の悪い命令を聞きたくなければ聞かなければいい。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びを得ることができず自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて幸福に暮らしていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に税金を払っていた。政府は国民から税金をもらって儲[もう]かっていた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びを得ることができるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分で政府の悪い命令を聞くのをやめている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
昔の国民と今の国民は自分の心の満足の仕方が違う。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていたが、今の国民はいろんな物を使って自分を幸福にするようになって、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府に税金を払っていたが、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので政府に税金を払っていない。そのために、政府は国民から税金をもらえなくなって潰れている。
政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出すことである。政府の仕事はおもに国民に税金の命令を出すことである。政府が国民からもらった税金を使って善い政策をやったり付属会社を経営したりしているのは政府が自分のおこづかいでやっている遊びである。政府が善い政策をやったり付属会社を経営しているのは政府の仕事ではなく政府の遊びである。政府の仕事は国民に悪い命令を出すことだけである。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから政府の悪い命令が要らなくなっている。今の国民は政府の悪い命令を聞かなくなっている。今の国民は政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。早く国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民が自分で“善いことをやる会社”を建ててみんなからお金をもらってみんなに仕事をしないといけない。国民が自分で福祉会社や経済会社を建ててみんなのために善いことをしないといけない。
国民が政府に税金を払うのは自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするためである。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府に税金を払っていた。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わなければいい。国民が政府に税金を払うのは政府に善いことをしてもらうためでも、政府が権力者であるためでもない。国民は自分が誤解して政府に税金を払ってはいけない。
[23004] 『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等である。☆ h28.8.31
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間は合理的な生き物だから、“悪いことをされる喜び”は不合理的なナンセンスな喜びだから、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。人間が合理的になれば、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってつまり政府は「国民の眼の前で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をやって、政府は自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしくないようにしている。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているのであって本当に「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやっているのではないから、政府は芝居の上で悪い権力者をしているのであって現実の上で悪い権力者をやっているのではないから、政府と国民は平等である。政府と国民は平等だから、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を適切に満足して自分を幸福にすればいい。
そもそも『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。政府は国民に命令を出すが、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。たとえ政府が善い命令を出しても、政府と国民は平等だから国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、国民は自分に政府の命令を聞く動機がなければ政府の命令を聞かなければいい。国民は自分が政府の命令を聞いて自分が幸福になるときだけ自分のほうから政府の命令を聞けばいい。
昔の国民は文明が低くて不合理的に暮らしていたから自分の“悪いことをされる喜び”を恥ずかしいと思いながら満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を隠しながら満足して自分を幸福にするために、政府に「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてもらいながら自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分が余ったお金を全部政府に税金として払っていたから、政府は儲[もう]かっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的に暮らしているから自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなっているから、政府の悪い命令を聞かなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなって政府に税金を払っていないから、政府は潰[つぶ]れている。
『人間はみな平等である』から、たとえ政府が国民に命令しても国民は政府の命令を聞く必要がない。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民が自分で考えて決めることである。国民は自分を幸福にするために政府の命令を聞けばいい。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は自分で考えて政府の命令を適切に聞いて、政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かないようにして、自分を幸福にして不幸にしないようにして幸福に暮らさねばならない。
今の政府は文明が高くて合理的になって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために自分で自分の芝居を真[ま]に受けて「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「自分は悪い権力者だから国民を自分の好き放題にしてもいい」と思って国民に悪い命令ばかり出して、国民からもらった税金をひとり占めして善い政策をやったり付属会社を経営したりしなくなっている。今の政府は国民に悪いことをやるために悪い命令ばかり出して善いことをやるために善い命令を出さなくなっている。(政府の付属の法律会社が国民に善い命令を出すだけである。)だから、国民は政府の命令をいっさい聞かなければいい。国民みんなで早く政府に税金を払わなくなって政府を倒して、人間の不合理的な喜びを満足する会社をなくして、合理的な社会にしないといけない。
[23005] 政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
h28.8.31
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的なナンセンスな喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察にボコられろ!」とかいろんな悪い命令を出す。政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようにするために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから政府の悪い命令を聞いているように見えないようにしている。
『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民にいろんな悪い命令を出すが、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民が自分で考えて決めればいい。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足していた。昔の国民は政府に「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてもらいながら悪い命令を出してもらって、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、自分のほうから政府の悪い命令をかぶりついて聞いていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、自分が余ったお金を全部政府に税金として払っていたから、政府はすごく儲[もう]かっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民はいくら政府が悪い命令を出しても自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の命令を聞かない。今の国民はいくら政府が税金の命令を出しても自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わなくなっているから、政府が潰[つぶ]れている。
『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は普通の民間会社のように国民のために善いことをする会社ではない。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔の国民にとっては政府の悪い命令を聞く動機があったが、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては政府の悪い命令を聞く動機がない。昔の政府は政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。そのために、昔の政府はすごく儲かっていた。反対に、今の国民は政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払っていない。そのために、今の政府は潰れてなくなっているのである。
[23006] 男は独立しているが、女は従属している。 h28.8.31
男は眼で見ずに頭で考えるだけで生きている。男は眼で見ないからいつも他人を無視している。男は自分の頭で考えるだけだから自分の考えは(言葉にして言わないかぎり)他人にはわからないから、男は独立している。男は個人主義である。男は人間を独立した生き物として捉[とら]える。
反対に、女は頭で考えずに眼で見るだけで生きている。女は自分の頭で考えないからいつも他人に頼っている。女は眼で見るだけだから他人の顔色ばかり窺[うかが]っているから、女は従属している。女は社会主義である。女は人間を互いに従属した生き物として捉える。
男の世界観と女の世界観は違う。
しかし、今は『男女平等』である。女も男と同じ知能があると考えられている。だから、女も男のように自分の頭で考えて生きていかねばならない。女も男といっしょになって人類の文明を進めていかねばならない。
h28.9.7追記:女が男に口出しできるためには、女が男と同じように頭で考えなければならない。女が男と同じように頭で考えなければ、『男女同権』ではなく女は男に口出しできない。女が男と同じように頭で考えなければ、昔のように女は男に服従しないといけない。
[23007] 今日の仕事探し h28.8.31
私は昨日[きのう]の夜に福岡県筑後[ちくご]市(久留米[くるめ]のもっと南)の電子部品製造の機械操作の仕事を頼んでいた。有名医療機器製造会社の仕事だ。4勤2休で12時間2交替制の日給8000円の仕事だった。昨日電話で寮費が月に6万円だと聞いて「これでは手取りが10万円もないからはたして食費が足りるだろうか?」と心配したものだ。今日昼ごろに採否の連絡を受けてまたしても見送りと決まった。
そもそもこの前高知の実家に帰っていたときにタブレットで検索してこの仕事を見つけたからこの仕事に就くために今の派遣会社に面接に行ったのだった。それなのに、こんな結果になって本当に残念だ。
こんな12時間勤務で給料が安いところでさえ仕事がない。私に未来はあるのだろうか?しかし、昔から四国と九州は食べ物が美味[うま]いから難関だという。仕方がないのかもしれない。
これで見送り4件目だ。今度からは食べ物が不味[まず]いところを探してそこの仕事を頼もう。
[23008] 政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
h28.9.1
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的なナンセンスな喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。この世では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。政府が国民に命令しても、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とか悪い命令を出すから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいから、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力が得られたことにして、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやって、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして国民が恥ずかしくないようにしている。(芝居の上では理屈がないから、政府が自分の都合のいいように勝手に道理を決めればいいだけだから、政府はとにかく自分が国民の前で善いことをしているふりをすれば国家権力や神の権力が得られることにしているのである。そのために、政府はテレビのニュース番組で国民の役に立つことをしているふりをしたり、国家宗教の神の情報を使ってマンガやアニメなどを作ったりしている。もちろん、政府は芝居の上で権力があるだけで、現実の上では権力はない。現実では政府と国民は平等である。国民は政府の命令を聞かなくていい。)
『人間はみな平等である』から政府と国民は平等である。政府が国民に命令しても、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が自主的に政府の命令を聞かないかぎり政府の命令を聞かなくていい。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出す会社である。だから、国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していれば政府の悪い命令を聞き、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の悪い命令を聞かなければいい。
昔の国民は文明が低くて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、自分の余ったお金を全部政府に税金として払っていたので、政府はすごく儲[もう]かった。政府は自分のおこづかいで善い政策をやったり付属会社を経営したりしていた。
反対に、今の国民は文明が高くて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので、政府の悪い命令を聞いていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので、政府に税金を払っていないので、政府は儲からなくなって潰[つぶ]れている。政府はおこづかいが足りなくなって善い政策をやらなくなって付属会社を民営化したりしている。
今では一部の国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府のことがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞いている。一方、政府はでかい会社だから、一部の政府が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府自身のことがわからなくなって、政府自身の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府は悪い権力者だから政府は国民に悪いことをして善いことをしてはいけない」と思って国民にいろんな悪い命令を出している。そのため、一部の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。一部の国民と一部の政府は国民みんなの迷惑である。早く一部の国民は政府のことを正しく理解して『国民と政府は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だ』と考えて、『自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞く必要がない』と考えて政府の悪い命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。一方、早く一部の政府は政府自身のことを正しく理解して『国民と政府は平等だから、政府は国民のためになることをしないといけない』と考えて、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから国民に悪い命令を出さないようにして国民から税金を取らないようにして自分で潰れねばならない。
[23009] 政府の仕事は国民に悪い命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足することであって、国民のために善いことをすることではない。
h28.9.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的なナンセンスな喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。大人は合理的であり、マンガは不合理的なので、大人がマンガを読むのが恥ずかしいのと同じである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。だから、政府が国民に命令しても、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために、国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とか悪い命令を出すから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか考えて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして自分が国家権力や神の権力が得られたことにして、自分の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をして、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足することができるようにしている。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の仕事は国民が恥ずかしがらずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。政府の仕事は国民のために善いことをすることではない。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に税金を取られたり自殺させられたり警察に暴行されたりしていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、余ったお金を全部政府に税金として払っていたので、政府はすごく儲[もう]かっていた。政府は自分のおこづかいで善い政策をやったり付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や役所や鉄道会社や郵便会社など)を経営したりしていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので、政府の悪い命令を聞かなくなって政府に税金を取られたり自殺させられたり警察に暴行されたりしていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないから、政府に税金を払っていないので、政府は潰[つぶ]れている。政府はおこづかいが足りくなって善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は国民が恥ずかしがらずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府と国民は平等である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていれば政府の悪い命令を聞いて、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていなければ政府の悪い命令を聞いてはいけない。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたから政府の悪い命令を聞いて政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていないから政府の悪い命令を聞かず政府に税金を払ってはいけない。今の国民は早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民が自分で善いことをする会社を建てて、善いことをする会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
[23010] 民間会社が厚生年金や医療保険をやればいい。 h28.9.2
厚生年金や医療保険では貧乏人は少ないお金を払ってお金持ちは多くのお金を払って同じサービスを受けられるから、貧乏人にとっては有利な制度のようである。
しかし、政府が厚生年金や医療保険を始めたのがともに1961年(昭和36年)で、国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府に税金を払わなくなったころである。どう見ても税金の代わりである。政府は国民から税金をもらえなくなった分を厚生年金や医療保険で取っている。国民にとっては厚生年金や医療保険のためにお金を払う上に政府に税金を払っていることになるから割高で損である。
民間会社が厚生年金や医療保険をやったら貧乏人もお金持ちも区別せずに同じだけお金を取る。しかし、民間会社が政府と同じように貧乏人から少ないお金を取ってお金持ちから多くお金を取っていけないわけではない。そもそも政府と国民は平等であり、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、政府の厚生年金も医療保険も強制ではないから民間会社と同じである。民間会社は税金を取らないからその分政府よりも掛け金が安い。国民にとっては政府よりも民間会社のほうが安くすむ。だから、今後は民間会社が厚生年金や医療保険のサービスをすればいい。
[23011] 政府は国民に悪い命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
h28.9.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあり、国民は政府の“お金儲[もう]けをする喜び”を満足するためにあるから、政府と国民は平等である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために、国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とか悪い命令を出すから、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府に税金を払うから、政府は国民から税金をもらってお金を儲けて自分を幸福にすればいい。もっとも、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいから、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして自分が国家権力や神の権力が得られたことにして、自分の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をして、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようにしている。つまり、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府と国民は平等だから、国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の悪い命令を聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の悪い命令を聞かなければいい。
昔の国民は文明が遅れていて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に税金を取られたり自殺させられたり警察に暴行されたりして悪いことをされていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、余ったお金を全部政府に税金として払っていたので、政府はすごく儲かっていた。政府は自分のおこづかいで善い政策をやったり付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や役所や鉄道会社や郵便会社など)を経営したりしていた。
反対に、今の国民は文明が進んで合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないから、政府の悪い命令を聞かず政府に税金を取られたり自殺させられたり警察に暴行されたり悪いことをされていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないから、政府に税金を払っていないから、政府は潰[つぶ]れている。政府は自分のおこづかいが足りなくなって善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の仕事は国民が恥ずかしがらずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。政府のおもな仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に税金の命令を出すことである。政府の仕事はそれしかない。政府が自分のおこづかいで善い政策をやったり付属会社を経営したりするのは政府の遊びであって仕事ではない。政府と国民は平等だから、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていたから政府の悪い命令を聞いていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないから政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。国民が自分の手で善いことをする会社を建てて、善いことをする会社にお金をやって善いことをしてもらえばいい。
[23012] 政府の仕事は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足することである。
h28.9.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔は弱い動物でほかの動物に毎日虐められて生きていたのでそんな喜びがある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府の仕事は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足することである。(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある。)『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。政府は国民に税金の命令を出すが、国民が政府の税金の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払い、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。もっとも、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってつまり政府は「国民の眼の前で善いことをしているふりをして自分が国家権力や神の権力を得たことにして、自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をして、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に税金の命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから政府に税金を払っているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにしている。国民が自分の性欲を満足するのは恥ずかしいのでパンツを履[は]いて自分の性器を隠しているように、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をして国民が“自分から喜んで政府に税金を払うこと”を隠しているのである。政府は国民がいやいやしかたなく政府に税金を払っているように見えるようにするために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっているのである。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやるためにテレビのニュース番組に出て自分が国民の役に立つことをしているふりをしたり、国家宗教の神の情報を使ったマンガやアニメなどを作ったりしている。
政府の仕事は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。政府は国民のために善いことをすることが仕事ではない。政府は仕事をせずに儲[もう]かる会社なので、国中で一番楽な会社なので、国民みんなが政府に勤めたがるのである。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の税金の命令を聞いて、自分の余ったお金を全部政府に税金として払っていた。政府は国民からたくさん税金をもらって儲かったので、自分のおこづかいで善い政策をやったりいろんな付属会社を経営したりしていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的だから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になっていないので政府の税金の命令を聞かず、政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているので、自分のおこづかいが足りなくなって善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。
政府の仕事は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足することである。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていない。そのために、政府は潰れている。国民が自分で善いことをする会社を建てて、善いことをする会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。
[23013] この世では『人間はみな平等である』から政府と国民は平等である。☆☆
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人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある。)
この世では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。政府は国民に税金の命令を出すが、国民が政府の税金の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していれば政府の税金の命令を聞き、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の税金の命令を聞かなければいい。もっとも、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から喜んで政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞けるようにしている。この世では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるから、政府は本当に悪い権力者をやれないから、政府は“悪い権力者の芝居”をしているにすぎない。政府には本当は権力はないから、国民は政府に従って政府の命令を聞く必要はない。
政府は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府と国民は平等であるから、国民が政府に税金の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の国民は文明が低くて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府の税金の命令を聞いていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていたから、政府は儲[もう]かっていた。政府は国民から税金をもらって儲けたお金で善い政策をやったり付属会社を経営したりしていた。
反対に、今の国民は文明が高くて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の税金の命令を聞いていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていないから、政府は潰[つぶ]れている。政府は国民から税金をもらえなくなってお金が足りなくなって善い政策をやめたり付属会社を民営化している。
この世では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。政府がどんなに偉そうに国民に命令しても、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民はいつでも自分でよく考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が幸福になるときだけ政府の命令を聞くようにしないといけない。
私は40歳のころまで「政府に国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府に毎月ちゃんと税金を払っていた。おかげで大損[おおぞん]をした。当時の私が『人間はみな平等だから、政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい』ことを知っていたら、政府に税金を払わなかっただろう。今の国民はもっとみんなで『人間はみな平等だから、政府と国民は平等である』ことを教え合って、政府の命令を聞かないようにしないといけない。政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さないといけない。
[23014] 今日の仕事探し h28.9.2
昨日[きのう]兵庫県の廃家電(エアコン、冷蔵庫、洗濯機)のリサイクル工場の仕事を頼んでいた。5勤2休で9時間+残業1〜2時間だった。今日昼ごろ連絡をもらって不採用と決まった。もはやマンネリだ。飽きた。
ゴミ処理の工場ですら採用がない。もうおしまいだ。
このぶんじゃ、死ぬまでずっと採用がないみたいだ。まじめに仕事を探すよりも死ぬ準備をしたほうがいいかもしれない。
[23015] 政府と国民が平等であるのに国民が政府の命令を聞くのは、国民に“悪いことをされる喜び”があるからである。☆☆
h28.9.3
この世では『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。たとえ政府が国民に命令しても、国民は政府の命令を聞く必要がない。
それなのに、昔の国民は政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。
それは、昔の国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いていたからである。
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間にとっては“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すことがある。)政府は国民に税金の命令を出すから、国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の税金の命令を聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の税金の命令を聞かなければいい。もっとも、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって、自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に税金の命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから政府の税金の命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞けるようにしている。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているのであって、本当に「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやっているのではないから、政府は権力者の芝居をしているのであって、本当は政府は権力者ではなく政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞く必要はなく、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。(役者は芝居をやる人だから、『税金の命令を出す会社』が役者を雇って「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をさせればいいのである。実際にアメリカではそうしている。日本でもタレント議員がいる。つまり、役者やタレントが「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやっているから「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」は芝居なのである。芝居であって現実ではないのである。)
昔の国民は文明が低くて不合理的だったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。政府は国民から税金をもらって儲[もう]かっていた。政府は国民からもらったお金で善い政策をやったり付属会社を経営したりしていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的だから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になっていないから政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府はお金が足りなくなって善い政策をやめたり付属会社を経営したりできなくなっている。
この世では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分から政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから自分から政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民で善いことをする会社を建てて、国民が善いことをする会社にお金をやって善いことをしてもらわねばならない。
この世では『人間はみな平等である。』これが社会の原理である。人間はどんな手を使っても権力者にはなれない。この世に権力者はいない。この世に人間よりも上の者はいない。人間が本当に民主主義をやっても国民と平等にしかなれない。人間はせいぜい「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって権力者の芝居をすることしかできない。芝居の上では論理がないから、芝居は自分の都合でどうにでもなるから「民主主義をやることによって権力者がやれる」ことに強引にしているのである。現実の世界では民主主義をやると必ず国民に従わねばならないから国民と平等にしかなれない。人間は芝居で権力者がやれるだけで、現実では権力者をやれない。つまり、間接民主制とは芝居の上で民主主義をやることである。芝居の上では論理がないから、論理に欠陥があるから、インチキが利くから民主主義で権力者になれるのである。政府は自分が国民の選挙で選ばれたからといって自分の好き放題にやってもいいのは明らかに民主主義ではない。芝居の上でしか通用しない特殊な理屈である。国民も芝居の上で政府が権力者をやることを認めている。国民は芝居ということで政府が権力者をやることを大目に見ている。政府はテレビや新聞の上では権力者がやれる。国民は自分が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるから、政府が芝居の上で権力者をやることを許しているのである。むしろ歓迎しているのである。つまり、政治家とは悪い権力者の芝居をやる人のことである。悪い権力者の芝居が上手[じょうず]な人が有能な政治家なのである。つまり、「国民の前で自分が善いことをしているふりをして国民に悪い命令を出す」芝居がうまい人が腕のいい政治家なのである。しかし、国民は現実の上では政府が権力者をやることを認めていない。だから、政府と国民は平等である。国民は政府の命令を聞く必要はない。政府は国民の同意が得られなければ国民に命令を聞かせられない。政府が国民に命令を聞かせたければ国民の同意が得られる命令にしないといけない。国民は自分が気に入った政府の命令を聞いて、自分が気に入らない政府の命令を聞かなければいい。今の国民は自分が政府に税金を払いたくなければ払わなければいい。
“悪いことをされる喜び”と“芝居”という概念を知っていれば、政府のことがちゃんと言葉で書ける。政府のことが理解できる。反対に、“悪いことをされる喜び”と“芝居”という概念を知らなければ、政府のことがちゃんと言葉で書けない。政府のことが理解できない。だから、政府のことを理解したければ、“悪いことをされる喜び”と“芝居”という概念をどうしても身に付けねばならない。つまり、“悪いことをされる喜び”についていろいろ考えて、“芝居”についていろいろ考えて、“悪いことをされる喜び”と”芝居”の2つを究[きわ]めれば、政府のことが理解できる。政府なんかチョロイものである。
[23016] 政府は芝居の上では強いが、現実の上では無力である。 h28.9.3
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の”悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府はテレビや新聞の上で権力者をやっているだけで、現実の上では国民と平等である。政府はテレビや新聞の上で国民に好き勝手に命令を聞かせられるだけで、現実の上では国民に命令を聞かせられない。国民はテレビや新聞の上では政府の命令をなんでも聞かねばならないが、現実の上では政府の命令を聞かなくていい。国民は現実の上では自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きな政府の命令だけ聞けばいい。
それなのに、昔の人は政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。
昔の人は文明が低くて不合理的だったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が気持ちよくなっていたから政府に税金を払っていた。
今の人は文明が高くて合理的だから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が気持ちよくなっていないから政府に税金を払わなければいい。
昔の人と今の人では満足している喜びが違う。昔の人は不合理的な喜びを満足して幸せになっていたが、今の人は合理的な喜びを満足して幸せになっている。だから、昔の人が政府に税金を払っても、今の人は政府に税金を払わなければいいのだ。
[23017] 政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
h28.9.3
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間がもっと合理的になれば自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に税金の命令を出す。(『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある。)『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と国民は平等である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ税金の命令を聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ税金の命令を聞かなければいい。ただし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして自分が国家権力や神の権力が得られたことにして、自分の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をやって、自分が悪い権力者で自分の権力を使って国民に無理やり税金の命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞くことができるようにしている。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているだけである。政府は看板が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であって、中身は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はテレビや新聞の上で権力者をやっているだけで、現実の上では権力者ではなく国民と平等である。政府はテレビや新聞の上で国民に好き勝手に命令を聞かせられるだけで、現実の上では国民に命令を聞かせられない。国民はテレビや新聞の上では政府の命令をなんでも聞かねばならないが、現実の上では政府の命令を聞かなくてもいい。国民は現実の上では自分でよく考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きな政府の命令だけ聞けばいい。テレビや新聞ばっかり見ている国民が、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が権力者だ」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。国民がテレビや新聞ばかり見ていると、そのうち政府の言いなりになって政府の命令で悪いことをやって世間を騒がせることになるのである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」ではなく、本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府には権力はなく、本当は国民と平等である。国民が政府の税金の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が気持ちよくなっていたから自分から政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。政府は国民から税金をもらってすごく儲[もう]かったので、自分のおこづかいで善い政策をやったり付属会社を経営したりしていた。
今の国民は文明が高くて合理的だから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が気持ちよくなっていないから自分から政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなってお金が足りなくなったので善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。
昔の国民と今の国民では満足している喜びが違う。昔の国民は不合理的な喜びを満足して幸せになっていたが、今の国民は合理的な喜びを満足して幸せになっている。今の国民は合理的な喜びを満足するようになって、不合理的な喜びを満足しなくなっている。“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びである。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府に税金を払っていた。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になっていないから政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒して、自分で善いことをする会社を建てて、善いことをする会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。
これまでにもすでに『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の”悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを書いた本があるかもしれない。しかし、あいにく私は子供のころから政府について興味がなかったのでそんな本を読んだことがない。だから、私は全部自分で考えて政府のことを書かねばならなかった。私にもっとお金があれば、私が政府の本を書いてやってもいいのだが。しかし、そのためには今よりも100倍私の環境がよくないといけない。私が気持ちがいい文を書くためには私が気持ちがいい環境に住まねばならない。そんなお金は私にはない。だから、私は政府の本を書くことができない。私にはお金の余裕がない。だから、たぶん私は死ぬまで政府の本を書かないだろう。
[23018] 今の政府は国民に潰[つぶ]されないために汚い芝居をやっている。
h28.9.4
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために、国民に税金の命令を出している。(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある。)政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようにするために、「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている。政府は芝居の上で権力者であるだけで、現実の上では権力者ではなく国民と平等である。政府はテレビや新聞の上で国民になんでも命令を聞かせられるだけで、現実の上では国民に命令を聞かせられない。現実の上では国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府の仕事は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足させることである。だから、国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払って、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。今の国民は文明が高くて合理的になって不合理的な“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今の政府はそれでは困るので、国中から“警察に暴行されて殺されたい者”を100人ぐらい集めて、政府に反抗して警察に銃で撃たれて殺される事件を起こして国民みんなを怖がらせて、国民みんなに「政府の命令に逆らってはいけない」と思わせて、国民みんなを政府に従わせようとしている。私が子供のころに起こった浅間山荘事件はそういう事件である。今の政府は“自殺させられて死にたい者”に命令して、飛行機のパイロットをやらせて飛行機を墜落させて大勢の人を道連れにして自殺させたり、時限爆弾を背負わせて爆発させて大勢の人を道連れにして自殺させたりして、国民みんなに「政府に言われたことは自分が嫌でもやらないといけない」と思わせて、国民みんなを政府に従わせようとしている。
また、今の政府は自分で自分のことがわからないふりをして、自分で自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けているふりをして「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解しているふりをして国民に人殺しやイタズラや悪い経済政策や悪い文化や習慣などいろんな悪い命令を出して、国民にお金をやって政府の悪い命令を聞かせて事件や事故を起こさせたり悪い政策や悪い文化をやらせたりして、国民みんなに「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だから、政府には権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と誤解させて政府に従わせようとしている。
今の政府は自分が生き残るために、政府の言うことを聞く国民を使っていろんな汚い芝居をやって国民みんなに「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だから、国民は政府の命令に従わねばならない」と思わせようとしている。政府はもともと「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやる会社だから芝居をやるのが得意なのである。国民みんなは政府の世論操作に惑[まど]わされないようにして、自分でちゃんと『政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて、『政府と国民は平等であり、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由であり、今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなくていい』と考えて政府に税金を払ってはいけない。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなに「政府が悪い権力者だ」と誤解させて国民みんなを支配しようとする危険な団体(政府のこと)をなくして、国民みんなで平等に楽しく暮らさねばならない。
政府は芝居の上で権力があるだけで現実の上では権力がない。現実の上では国民は政府の命令を聞く必要がない。国民は政府の悪い命令を聞かないようにして、自分で考えてみんなが幸福になることをしてみんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。今は国民が文明が高くなって合理的な喜びを満足しているから、みんなが合理的な喜びを満足して生きる国にしないといけない。
[23019] 今の政府は自分が生き残るために国民に「政府は権力者だから国民は政府に従わねばならない」と思わせようとしている。
h28.9.4
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府と国民は平等である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に税金の命令を出すから(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある)、国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の税金の命令を聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の税金の命令を聞かなければいい。国民が自分の”悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力が得られたことにして、自分の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をやって、自分が悪い権力者だから自分の権力で無理やり国民に税金の命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の税金の命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の税金の命令を聞けるようにしている。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」ではなく本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、芝居の上で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であるだけである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で権力者であり国民よりも上の者であるだけで、現実の上では権力者ではなく国民と平等である。政府はテレビや新聞などの芝居の上で国民に命令を聞かせられるだけで、現実の上では国民に命令を聞かせられない。つまり、国民はテレビや新聞などの芝居の上では政府の命令を聞かねばならないが、現実の上では政府の命令を聞かなくていい。国民は現実の上では政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。政府は国民から税金をもらってすごく儲[もう]かったので、国民のために善い政策をやったり付属会社を経営したりしていた。昔の国民は不合理的な喜びを満足して生きていたので争いが多かったが、政府は国民みんなから税金をもらって“お金の権力”があって国民みんなのために善いことをやっていたので国が丸く治まっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているので、国民のために善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。今の国民は合理的な喜びを満足して生きているので政府なんかなくても自分で法律を守ってみんなと平和に暮らしている。
今の政府は自分が生き残るために、“自殺させられたい者”や“警察に暴行されたい者”に命令して大事故や反政府テロを起こしたり、悪いことをやりたい国民にお金をやって人殺しやイタズラや悪い政策や悪い文化などをやらせて、国民みんなに「政府は悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だから、政府には権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民みんなを政府に従わせて国民みんなから税金を取ろうとしている。政府はテレビや新聞を使って国民みんなに「政府が悪い権力者だから国民は政府に従わねばならない」という誤解を植えつけているので、テレビ局や新聞社は政府からたくさんお金をもらって儲かっている。テレビや新聞がなければ政府は国民にまちがいを植えつけて生き残れないので、テレビ局や新聞社は政府を脅[おど]して政府からたくさんお金をせしめている。
今の国民は政府の汚い芝居に惑[まど]わされず、「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従わないようにして、『政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて『政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくていい』と思わねばならない。今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなに「政府は権力者だから、国民みんなは政府に従わねばならない」と思わせる会社をなくして、「人間は不平等だから、下の者は上の者に従わねばならない」と思わせる会社をなくして、国民みんなで平等に楽しく暮らさねばならない。
「人間が不平等である」社会では、上の者が下の者からお金をたくさん取ってくだらないことをやって遊びまわって、下の者は上の者にお金をたくさん取られるので働く気がしないので、みんなが貧乏に暮らしている。反対に、『人間がみな平等である』社会では、みんなが自分を豊かにするために働くのでみんながよく働いてみんなが豊かに暮らしている。だから、国民が豊かに暮らすためには「人間が不平等である」社会よりも『人間がみな平等である』社会のほうがいい。だから、今の国民みんなで『人間がみな平等である』社会を作らねばならない。
[23020] たとえ国民全員が「政府が上の者だ」と思っていても、現実の上では『政府と国民は平等である。』☆
h28.9.4
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。要するに、政府は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に税金の命令を出す会社である(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある)。政府は国民に税金の命令を出すことだけが仕事である。政府はほかに仕事がない。政府は国民に税金の命令を出すことが仕事だから、国民はちゃんと自分の眼で政府が仕事をしているのを確かめてから政府にお金を払うことができる。相手がどんな仕事をしているのかわからないのに相手にお金を払うほどおめでたい人はいない。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で権力者であるだけで、現実の上では権力者でない。政府はテレビや新聞の上で国民に命令を聞かせられるだけで、現実の上では国民に命令を聞かせられない。つまり、国民はテレビや新聞の上で政府の命令を聞かねばならないだけで、現実の上では政府の命令を聞かなくていい。国民は現実の上では政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。昔の国民が政府に税金を払っていたのは、政府に権力があったからではなく、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるためだったのである。政府は国民からもらった税金で国民のために善いことをやっていた。
反対に、今の国民は文明が高くなって合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなった。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなった。政府は国民から税金をもらえなくなって国民のために善いことをやらなくなった。
今の政府は自分が生き残るために政府の言うことを聞く者を使っていろんな悪いことをさせて国民みんなに「政府が権力者だから国民は政府に従わねばならない」と思わせようとしている。しかし、現実の上では政府と国民は平等である。国民は自分が幸福になれば政府の命令を聞き、自分が幸福にならなければ政府の命令を聞かなければいい。
たとえ政府が将来国民全員を完全に洗脳して国民全員が「政府が権力者だから国民は政府に従わねばならない」と思って政府に絶対服従するようになっても、現実においては『政府と国民は平等である。』政府は国民の脳の上で権力者であるだけで、現実の上では国民と平等である。現実においては国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めればいい。今の国民は政府の悪い命令を聞いても自分が幸福にならないから政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払っても自分が幸福にならないから政府に税金を払わなければいい。今の国民みんなは早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。国民が自分で善いことをする会社を建てて、善いことをする会社にお金をやって善いことをやってもらえばいい。
[23021] 現実の中では『人間はみな平等』だから、政府は現実の外でしか権力者をやれない。
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人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために、国民に税金の命令を出す(政府は国民によっては自殺の命令や警察に暴行される命令を出すこともある)。ただし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、国民が恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞くことができるためには、政府が悪い権力者をやって自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせねばならない。
しかし、現実の世界では『人間はみな平等である。』現実の世界では政府と国民は平等である。だから、政府は現実の世界の中では権力者をやれない。政府が権力者をやるためには、政府が現実の世界の外に出ないといけない。そのために、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって、芝居の上では「政府が国民の選挙で選ばれれば政府が国民を自分の好き放題にできる」ことにして、芝居の上では「政府が悪い権力者で無理やり国民に悪い命令を聞かせることができる」ことにしているのである。そのようにして、政府は自分が悪い権力者で無理やり国民に税金の命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の税金の命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞けるようにしているのである。
そういうわけで、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。政府は芝居の上で権力者をやっているだけであって、現実の上では権力者をやっていない。政府はテレビや新聞の上で国民に無理やり命令を聞かせられるだけであって、現実の上では国民に命令を聞かせられない。つまり、国民はテレビや新聞の上で絶対に政府の命令を聞かねばならないだけであって、現実の上では政府の命令を聞かなくていい。国民は現実の上では自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自由に政府の命令を聞けばいい。
したがって、国民が政府の税金の命令を聞くか聞かないかは、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するかしないかによって決まる。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。政府は国民から税金をもらって儲[もう]かっていた。政府は国民からもらったお金で、国民のために善いことをやっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないので政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は国民からお金をもらえなくなったので、国民のために善いことをしなくなっている。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府と国民は平等だから、国民は自由に政府の命令を聞けばいい。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府を潰して、国民みんなで善いことをする会社を建てて、善いことをする会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
インド人は現実の外で暮らしている民族である。だから、インドには『人間がみな平等である』原理がなく、人間が不平等であって、身分制がある。インドには『人間がみな平等である』原理がないから、法律がなく、悪いことがやりたい放題である。反対に、日本人は現実の中で暮らしている民族である。だから、日本には『人間がみな平等である』原理があって、人間が平等であって、身分制がない。日本には『人間がみな平等である』原理があるから、法律があって、悪いことがやれない。そもそも人間は現実の外で暮らせる分際[ぶんざい]ではない。人間が現実の外に出られるのは芝居か夢の中だけだ。人間は現実の中で生きるのが宿命だ。人間は現実の中で生きて現実の中で幸せを勝ち取らねばならないのだ。
[23022] 今日の仕事探し h28.9.5
昨夜愛知県小牧市[こまきし](犬山市の南隣り)の部品の組立・加工スタッフの仕事を頼んでいた。土日祝休みの8時間勤務のところだった。午前中に電話で仕事の詳細を連絡してもらって、午後に採用不採用の結果報告をもらった。その結果はいつも通り不採用だった。
これではいつまでたっても仕事に就けない。お金も残り少ない。いっそ派遣会社を変えようか?
最近はアルバイトの仕事もほとんど派遣会社が仲介してしまって、9割強が派遣の仕事になっている。だから、派遣会社に頼むしかないのだ。
[23023] 今日の仕事探し h28.9.6
昨夜愛知県刈谷市[かりやし](名古屋の東)のトヨタの産業用機械・部品の組立の仕事を頼んでいた。今年の12月末までの短期の仕事だった。9時間労働の土日休みの日勤だった。昼ごろに電話で仕事の詳細を連絡してもらって、夕方に採否の連絡があった。やっぱり不可だった。
大学の難易度みたいに就きやすい仕事と就きにくい仕事が区別できたらいいのになあ。時給は仕事のきつさだから、仕事の就きにくさとは違う。
ここの派遣会社では埒[らち]が明かん。そんなにお金に余裕がない。別の派遣会社に変えるしかない。
[23024] 人間は非現実のことをやると現実のことがお留守[るす]になる。 h28.9.7
日本では仕事ができるだけでなく、仕事ができた上に身だしなみもできねばならないと考えられている。
仕事は現実のことで、身だしなみは非現実のことである。
しかし、そもそも現実のことをちゃんとやったからといって、非現実のことをやらねばならないことはない。
非現実のことをやっていると現実のことをやらなくなって現実のことがわからなくなって現実のことでまちがいを犯して不幸になる。そういうのを油断大敵というのである。
化粧臭い女が自分の身づくろいばかりやって、テレビで「国民が政府の言いなりになって悪いことをしている」のを見て自分も政府の言いなりになって毎月政府に高い税金を払っているのがそのいい例である。
人間は現実の中に生きている。人間は自分が現実の中で生きているかぎり現実のことを知らねばならない。人間は現実のことを知って、現実に従って生きねばならない。人間は現実のことを知れば幸福になり、現実のことを知らなければ不幸になる。
『今では服装や髪型は自由である』と考えられている。つまり、今では人間が非現実のことをやらないほうがいいと考えられている。非現実のことをやってはいけないと考えられている。だから、いくら髪形がボサボサで身だしなみが汚くてもいいのである。
[23025] どうして私の母は麺房三宅[めんぼうみやけ]を辞[や]めたのか?
h28.9.7
私が高校生のころ(今から35年ぐらい前)、母親は帯屋町の麺房三宅といううどん屋で給仕(おばさんのウエイトレス)として働いていた。アニメの『無敵看板娘』の鬼丸美輝[おにまるみき]みたいに。テレビ高知で働いているニュースキャスターがしょっちゅう店に食べに来ると言って喜んでいた。ときどき家にうどんを持ち帰って家族みんなに食べらせてくれた。
そんな母親がある日突然麺房三宅を辞めた。悲しそうな顔をしていた。
母親は「店主が年をとった客に腐ったレモンの輪切りを出したのが嫌だったので辞めた」と言っていた。
当時の私は「母親が自分が突然首にされたのを言い訳している」と思った。
しかし、今の私は『本当に母親が店主が意地悪[いじわる]なのが嫌だったから自分から店を辞めた』ことがわかる。母親はそういう性格なのだ。昔の人は意地悪がすごく嫌いである。だから、意地悪を見るとすごく腹が立って顔を見るのも嫌になって店を辞めるのだ。
私もそういうことがわかる歳になったのだ。
[23026] 政府の国家宗教について h28.9.7
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。“悪いことをされる喜び”は人間の大脳の古皮質にある喜びである。人間の大脳の古皮質は原始的で不合理的だから、そんな変な喜びがある。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも国民に悪い命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社であり、国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞くことができるようにするために政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっているのである。「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の“芝居”の上では現実の法則が通用せずどうやってもいいので政府が自分の都合のいいように取り決めて、政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをやっているふりをして自分が国家権力や神の権力が得られたことにして、国家権力や神の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせている」芝居をやっている。しかし、現実の上では『政府は国民と平等にして、国民に悪い命令を出して、国民に自分の好き勝手に政府の悪い命令を聞かせている』のである。現実の上では、国民は政府と平等だから、国民は政府の命令を自分の好き勝手に聞いたり聞かなかったりすればいいのである。
政府が「悪い神主義の団体」の芝居をするためには国家宗教の神が必要である。そのために、政府は天皇や私を神にしている。政府は昔は天皇しか神にしていなかったが、今では私も神にしている。今では国民が文明が高くなって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているので、政府は自分が生き残るためにいまだに自分の“悪いことをされる喜び”を満足している者(つまり自殺させられたい者や警察に暴行されたい者)や自分が悪いことをしたい者に命令して悪いことをさせて国民みんなに「政府が悪い権力者だから、国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民みんなを従わせて国民みんなから税金を取って儲[もう]けようとしている。そのためには、今の政府は昔の政府よりも国民にいろんな悪い命令を出さねばならないので、政府は国家宗教の神の情報を使って悪い命令を作るので、天皇の情報だけではいろんな命令を作るためには足りないので、政府は私を新たに国家宗教の神にしたのである。神は本当は人間を超えた者だが、政府は神主義の“芝居”をしているにすぎないので神も本物の神ではなく人間でいいので、政府は東征[とうせい]の戦いの最中に光の玉(今ではプラズマだと考えられている)が出た神武天皇や、赤ちゃんのころに夜中に突然ベッドの上に吊ってあったガラガラ(ベッドメリー)が回った(母親の見まちがいだと考えられている)私を神にしている。つまり、天皇も私も芝居の上で神であるにすぎず、現実の上ではただの人間にすぎないのである。
政府が本気で神主義をやるなら政府は国家宗教の神の指示通りに国民に命令して国民を動かすが、政府は神主義の“芝居”をやっているにすぎないので、政府は神の情報を使った駄洒落[だじゃれ]で善いことをやっているふりをしたり国民に悪い命令を出したりするだけなのである。例えば、政府は自分が「国民の眼の前で善いことをしているふりをして自分が神の権力を得る」芝居をやるために、国家宗教の神(つまり天皇や私)に似たキャラクターや役者を使ってアニメやマンガやドラマや映画を作らせている。例えば、政府は地震や津波の被災者の慰安[いあん]のために被災者をバスに乗せて連れて行って花火を見せてやったりしている。バス←ハズ←川ブ(“ズ”の右斜め線を“ハ”に移す)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、花火←丸く光る←光るとんび←神武天皇←天皇家。そして、政府は「神の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をやるために、天皇や私の情報を使って悪い命令を作っている。例えば、政府は国民に税金の命令を出している。税金←tax(英語)←t←tennnou←天皇、税金←税←ゼイ←カブ(ゼ≒カ(字の形が似ている)、イ≒ブ)←川ブ←私。例えば、小林多喜二は警察に身体中にドリルで穴を開けられたり縄で吊るされたりして殺された。ドリル←刃が丸くて長い←光の玉がつながっている←天皇家、縄で吊るされる←飛行機←機体が白くて光る←光るとんび←天皇家。もちろん、小林多喜二は自分が政府に悪いことをされたかったので自分の意思で政府の悪い命令を聞いて身体にドリルで穴を開けられたり縄で吊るされたりして死んだのである。例えば、川端康成はガス自殺した。ガス←カブ(ス≒ブ)←川ブ←私。川端←川←川野(私の姓)←私。川端康成は自分が政府に悪いことをされたかったので自分の意思で政府の命令を聞いてガス自殺した。例えば、日航機123便墜落事故では後部隔壁の破損が原因だった。後部隔壁←光る丸←光るとんび←天皇家。123便←123←数字が続いている←神武天皇から続いている←天皇家。飛行機のパイロットは自分が政府の命令で自殺したいから、政府の命令で大勢の乗客を道連れにして死んだのだ。例えば、高知学芸高校上海列車事故では、高知学芸高校は私の出身校である。当時の私は福岡市に住んでいて上海と福岡市は近い。列車の運転手は戦争のために日本人に恨[うら]みを持っていて政府の命令で人殺しをやった。例えば、オウム真理教地下鉄サリン事件ではオウム真理教がサリンを使って多くの人々を殺した。サリン←リンサ←川ブ(リン≒川、サ≒ブ)←私。オウム真理教は自分が悪いことをしたいから政府の命令で人殺しをしたのである。例えば、自動車が歩道に突っ込んで人をはねるのは、私がいつも自転車に乗って歩道を走っているからである。自動車←car←カア←カフ(ア≒フ)←川ブ←私。悪いことをしたい人が政府の命令でやったのである。例えば、針を給食に混ぜるのは、針が丸くて長いので天皇家の情報だからである。給食のおばさんが子供が嫌いなので政府の命令でやったのである。等々[などなど]。
今の政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居の上で国民にいろんな悪い命令を出している。しかし、現実の上では『政府と国民は平等であり、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。』芝居の上では国民は政府の命令に絶対服従しないといけないが、現実の上では国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は自分が幸福になるときだけ政府の命令を聞いて、自分が幸福にならなければ政府の命令を聞かなければいい。今では“悪いことをされる喜び”を満足して生きている時代遅れの変人と悪いことをやりたい悪人が政府の悪い命令を聞いて悪いことをやっているだけである。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないし自分が悪いことをやりたくないので政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府に税金を払わなければいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなに「政府は悪い権力者だから、国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民みんなを支配して国民みんなから税金を取ろうと企[たくら]んでいる悪い団体(政府のこと)をなくして、この世を国民みんなが平和で幸福に暮らせる社会にしないといけない。
[23027] 政府の民主主義について☆ h28.9.7
神主義(国家宗教)も民主主義も同じことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府が神主義の“芝居”をやっているのでデタラメに神主義をやって本気で神主義をしていないように、政府は民主主義の“芝居”をやっているのでデタラメに民主主義をやって本気で民主主義をやっていない。芝居の上では現実の法則が通用せずデタラメが許されるから、政府はデタラメに神主義や民主主義をやるだけで本気で神主義や民主主義をやっていないのである。政府は神主義や民主主義っぽいことをやっているだけで、本当は神主義も民主主義もやっていない。政府が本気で民主主義をやっているなら政府は厳密に国民みんなの総意で国民みんなを幸福にすることをするが、政府は「悪い民主主義の団体」の“芝居”をしているだけなので政府はデタラメに民主主義をやって国民に悪い命令を出すだけである。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居つまり政府は「国民の前で口先だけで民主主義で善いことをしているふりをすることによって自分が国民みんなの支持を得て国家権力を得て権力者になったことにして、本当は自分が国民に悪いことをするために自分の権力で無理やり国民に悪い命令を聞かせている」芝居をやっている。例えば、今の政府は「テレビで国民のためにいろいろ善いことをやっているふりをして「自分が善いことをするためにはどうしてもお金が要る」と言って、本当は自分が仕事をせずに楽してお金を儲けるために、国民に無理やり税金の命令を聞かせている」芝居をやっている。例えば、今の政府は「高齢化社会になったので国民のために厚生年金や医療保険の制度を定めているふりをして、本当は自分の税収が足りない分を補うために、国民を無理やり厚生年金や医療保険に入らせている」芝居をやっている。例えば、今の政府は「国民が楽しく暮らすために国民にマンガやゲームをやらせているふりをして、本当は国民に面白くないことをやらせて国民を不愉快[ふゆかい]にするために、国民に無理やりマンガやゲームをやらせている」芝居をやっている。例えば、今の政府は「国民の健康のために消費者基本法を定めているふりをして、本当は国民に食品添加物がたくさん入った不味[まず]い物を食べさせて国民にいい思いをさせないために、国民に無理やり消費者基本法(2004年消費者保護基本法より改正)を守らせている」芝居をやっている。(水戸光圀[みとみつくに]が国民に美味[うま]い物を食べさせないために水団[すいとん](小麦粉で作った団子[だんご]のこと)を食べることを禁止する御触[おふ]れを出したのと同じことである。しかし、当時の国民は『幕府が「悪い上の者の団体」の芝居の上で上の者であるだけで、本当は幕府と国民が平等である』ことを知っていたので、自分で考えて幕府の命令を聞かず、実際には勝手に水団を食べていた。当時の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために、幕府に年貢[ねんぐ]を納めるだけでそれ以上のことはしなかったのである。それなら、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”をまったく満足していないので、政府に税金を払わなくていい。政府の命令で何もしなくていい。)
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているので、政府は自分が生き残るために国民みんなに「政府には国家権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民みんなを政府に従わせて国民みんなから税金を取って儲けるために、デタラメな民主主義をやって国民みんなにいろんな悪い命令を出している。政府が国民に善い命令を出したら(つまり善いことをしたら)国民が『政府と国民は平等だ』と思って政府をなめて政府に税金を払わなくなるので、政府が国民に「国民は政府に従わねばならない」と思わせて政府に税金を払わせるためにはどうしても国民に悪い命令を出さねばならないのである。本来は政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞けるようにするために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっていたのだが、今では国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて政府に税金を払わなくなっているので政府は国民に「政府と国民が不平等であって、国民が政府に従わねばならない」と思わせるために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっているのである。今の国民の多くは政府の芝居を真[ま]に受けて「政府は上の者だから、国民は政府に従わねばならない」と思っていやいやしかたなく政府の悪い命令を聞いている。しかし、政府は芝居の上で「悪い民主主義の団体」であるだけで、現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で国家権力があって無理やり国民に命令を聞かせられるだけで、現実の上では国家権力がなく国民に命令を聞かせられない。本当は『政府と国民は平等』であって、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は芝居の上で「民主主義の団体」であるだけで、現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「民主主義の団体」ではないから、国民は国民みんなにかまわず自分ひとりの考えで動けばいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから自分で考えて政府の悪い命令を聞かないようにして、自分で善いことをやって自分を幸福に暮らせるようにしないといけない。国民は政府に税金を払わず、自分の娯楽のために税金を使って楽しく暮らさねばならない。
[23028] 政府は現実の上では上の者をやれないので、芝居の上で上の者をやっている。
h28.9.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、人間が合理的になると“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしくなる。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民にいろんな悪い命令を出す。そもそも政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足すればいい。ただし、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞くためには、政府が上の者をやって無理やり国民に悪い命令を聞かせねばならない。
ところが、現実の上では『人間はみな平等である。』だから、現実の上では政府と国民は平等である。現実の上では政府は上の者をやれない。政府が上の者をやるためには政府は現実の外に出ないといけない。政府は芝居の上で上の者をやるしかない。そのために、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっているのである。つまり、政府は「自分が国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て自分が上の者になったことにして、自分の権力を使って国民に無理やり悪い命令を聞かせている」芝居をやっている。そのようにして、政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞けるようにしているのである。
そういうわけで、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であるにすぎず、現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で上の者であって自分の権力で無理やり国民に命令を聞かせられるだけで、現実の上では国民と平等であって国民に命令を聞かせられない。つまり、芝居の上では「政府は国民よりも上の者」なので国民は絶対に政府の命令を聞かねばならないが、現実の上では『政府と国民が平等』だから国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。
現実の上では国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。昔の政府は国民から税金をもらって儲[もう]かっていたので、政府は自分が儲けたお金を使って国民のために善いことをたくさんやっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなっているので自分で政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福にならなくなったので政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていない。今の政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているので、政府はお金に余裕がなくなって国民のために善いことをやらなくなっている。
今の政府は自分が生き残るために「悪い神主義の団体」の芝居をやって、いまだに“悪いことをされる喜び”を満足している変人や悪いことをやりたい悪人に命令して悪いことをさせて、国民みんなに具体的に政府の命令で国民が悪いことをしているのを見せることによって国民みんなに眼先から「政府が上の者だから、国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民みんなを政府に従わせて国民みんなから税金を取ろうとしている。また、今の政府は自分が生き残るために「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、政府が国民みんなに「善いことをしているふりをして、じつは悪いことをしている」命令を出して国民みんなに密[ひそ]かに悪い命令を聞かせることによって、国民みんなの深層心理で「政府は本当は上の者だから、国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民を政府に従わせて国民から税金を取ろうとしている。しかし、本当は『政府と国民は平等である。』現実の上では『政府と国民は平等である。』国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府の正体は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪い命令を出す会社である。政府の正体は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かなければいい。政府の税金の命令を聞かなければいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民に自分が上の者だと思わせて国民を支配しようとする危険な会社(つまり政府)をなくして、国民みんなで平等に平和に幸福に暮らさねばならない。
私は最近の約8年間仕事をせず政府に税金を払わなかったから、私には『政府と国民が平等である』ことがわかった。もしも私が仕事をして政府に税金を払っていたら、私は一生『政府と国民が平等である』ことがわからなかっただろう。私は政府がどんな会社であるかもわからなかっただろう。ガリレオの斜台の実験と同じだ。ガリレオは斜台の実験をして物体に“余計な力”が働かないようにしたから、ガリレオには『物体に外から力が働かなければ動き続ける』ことがわかったのだ。私が仕事をしなかったから『政府と国民が平等である』であることがわかったように、物体に余計な力が働かなかったから『物体に力が働かなければ動き続ける』ことがわかったのだ。学校も国民が政府に従わねばならないことを教えるところだ。国民は自分の嫌な気持ちを振り切って無理やり学校に通うから政府に従わねばならない気持ちになるのだ。国民が学校に通わず仕事をせず政府に税金を払わずにいてようやく政府の正体がわかるのだ。だから、国民が政府の正体がわかるのは難しいのだ。国民が長い間政府に従わずにいなければ『政府と国民が平等である』ことがわからないのだ。
[23029] 早く実力制の社会にしないといけない。 h28.9.8
現実の上では『人間はみな平等である。』現実の上では社長も平社員も平等である。
だから、社長はせいぜい平社員の2倍までの給料を与えることにすればいい。
しかし、会社の中には本当に実力がある者がいる。たった1人で10000人の社員を支えている人がいる。そういう人の報酬をどうすればいいか?
だから、社員の仕事に対する正当な報酬を決める方法を確立すればいい。そうすれば、社長も平社員も貴賎[きせん]上下の区別はない。社長は社長として有能でなければならず、平社員は平社員として有能でなければならない。もはや社長や平社員は役職名にすぎない。平社員が社長よりも稼[かせ]ぎが多いこともありえる。平社員が社長よりも偉いこともありえる。そういう会社に早くしないといけない。
実際には、今のところはまだ“社員の仕事に対する正当な報酬を決める方法”はない。それなら、『人間はみな平等』だから、社員全員に同じ給料をやればいい。社長も平社員も同じ給料にすればいい。そうすれば、社員みんながまじめに自分に適した仕事に就[つ]いてみんなが幸せに働けるだろう。そうすれば、鬱病[うつびょう]に罹[かか]る人も減るだろう。自分が儲かると思って無理やり自分に適さない仕事に就くから自分の本心が満足されなくなって鬱病に罹る。社員の給料をみな同じにすれば、そんなことがなくなるから鬱病が減るのだ。
[23030] 今日の仕事探し h28.9.8
いつまでたっても仕事が決まらないので、もう前の派遣会社に仕事を頼むのをやめた。
今は新しい派遣会社に近所の仕事を探してもらっている。そこは以前私が勤めていたところだったから登録が要らなかった。そもそも私は鳥栖[とす]のアマゾンの仕事がしたかったためにその派遣会社に再び登録することにしたのだが、鳥栖のアマゾンは私が住んでいるところからだと遠くて通勤が難しいとのことで近所の仕事を探してもらうことになったのだ。
明日はもうひとつ別の派遣会社に登録するために博多駅前に行く。私が今から約20年前に最初に派遣会社に登録したときにお世話になったところだ。当時は福井県武雄市[たけおし]の仕事を紹介してもらっていたが、土壇場[どたんば]になって私が「この仕事はきついから私にはやれなさそうだ」と思ってすっぽかして、別の派遣会社のネクスターに変えた。今の私は福岡にもう10年ぐらい住んでいる。いいかげん福岡に飽きた。別の町に住みたい。自分のロマンをかなえるために明日別の派遣会社に登録に行くのだ。もっとも、近所にいい仕事があればそこでもかまいはしないが。しかし、できればもっと遠方の景色のいいところに住みたい。
今日“はたらこねっと”から「川野延夫さん にマッチした最新おすすめ求人をお届け!」という件名でメールが来た。見ると大分県大分市の仕事ばっかりあった。私が大分にマッチしていると言いたいのだろうか!?私もそう思う。以前中津市で3ヶ月間働いていたことがあったが、水がうまくて野菜が新鮮で美味[おい]しかった。コンビニで鳥の唐揚[からあ]げ弁当を買ったがすごく美味しかった。食事に関しては大分県は悪くない。景色もいいしのんびりとして静かだし環境もいい。ただし、交通が不便なので自分の足(自動車かバイク)が要る。
医者のアルバイトを紹介しているサイトがある。医者のアルバイトは1日8時間ぐらい働いて3〜6万円ぐらいもらえる。私も研修医時代に友達から紹介されて精神病院の昼間の宿直のアルバイトを1回やったことがあったが、ただ待機室(完全個室)のベッドに寝ているだけで3万円もらった。途中1回だけ入院している患者さんが風邪[かぜ]を引いて熱を出したことで呼び出しがあって風邪薬の処方をしただけだ。それに比べて、工場の仕事は時給800円〜1200円ぐらいである。きつい自動車の組み立ての仕事でも時給1500円ぐらいである。1日中朝から晩まで(あるいは晩から朝まで)汗水流して働いてやっと8000円から1万円ぐらいだ。この格差には泣ける!家庭教師のアルバイトも比較的割がいい仕事だ。私は医者の免許を持っているので私に医者の適性があれば医者のアルバイトをしたいところだが、あいにく私にはそんな都合[つごう]のいい適性はないので見るだけにしてやめておこう。私は医者をやると自分の気持ちが落ち込んで死にたくなる。医者の仕事が頭を使う仕事ではないからだ。私は頭を使うことが好きなのに、医者の仕事は眼先だけ使って頭を使わないから私が欲求不満になって苦しまねばならないのだ。とにかく人間は自分が幸福なことをしないといけない。『人間は生きて不幸であるよりも死んで幸福なほうがいい』とソクラテスは言った。『人間にとっては自分の生死よりも幸不幸のほうが大事だ』『人間にとっては自分の死よりも幸福のほうが大事だ』とソクラテスは教えてくれた。
人間は自分が幸福なことをしないといけない。人間にとって自分を幸福にすることが善であり、自分を不幸にすることが悪である。人間の大脳においては古皮質よりも新皮質のほうが大きい。古皮質の喜びよりも新皮質の喜びのほうが喜びの量が多い。だから、人間は古皮質を働かせるよりも新皮質を働かせるほうが幸福である。【実在哲学の法則】性欲は古皮質にあるが、親子の愛情は新皮質にある。高校生のころ私がオナニーをやめたのは精神分裂病が苦しかったからではなく、母親への愛情を失いたくなかったからだ。(セックスは男と女がいっしょにオナニーをすることである。セックスとオナニーは同じことである。)性器を使ってオナニーするよりも頭を使って考えたほうが幸福だからでもある。『人間の脳細胞が神経興奮すると、その脳細胞が荷[にな]っている“感覚”(つまり感じること)がその場所に発生する。』【実在哲学の原理】大脳の図にその命題(実在哲学の原理のこと)を引っ付けて、実在を解釈すればいい。性欲や“眼で見る喜び”は古皮質にある。反対に、“親子の愛情”や“考える喜び”は新皮質にある。古皮質の喜びと新皮質の喜びは拮抗[きっこう]しあう(つまり、古皮質の喜びを満足すれば新皮質の喜びが満足されなくなり、反対に新皮質の喜びを満足すれば古皮質の喜びが満足されなくなる)。だから、文豪ゲーテが『永遠に女性なるもの(つまり母親への愛情)はわれらを引きて昇[のぼ]らしむ』と言ったのだ。
精神病は古皮質にも新皮質にもある。古皮質における精神病が精神分裂病であり、新皮質における精神病が神経症や鬱病[うつびょう]である。精神分裂病とは、人間の古皮質には性欲や五感や支配欲やテレパシー器官などあるために、自分が毎日オナニーやセックスをして性欲を満足させていると古皮質全体の活動が亢進[こうしん]して、五感が高まっているために他人のことがすごく気になって、支配欲が高まっているために他人が自分の気に入らないことをしているのがすごく腹が立って、テレパシー器官が高まっているために自分がテレパシーを使って他人の態度を直させようとして自分のテレパシー器官に力を入れて他人に訴えたためにテレパシー器官がいつでも働くようになって自分がテレパシーがいつでも聞こえるようになって、テレパシーで自分の悪口が聞こえるようになって自分の支配欲が満足されなくなってイライラして腹が立ってテレパシーの悪口を止めるために暴れまわることである。一方、神経症や鬱病は自分が見栄欲(他人によく思われたい気持ち)を満足するために自分の本心が満足されなくなってイライラしたり気持ちが落ち込んだりすることである。精神分裂病を治すには、新皮質を働かせて古皮質の活動を抑えることであり、神経症や鬱病を治すには、自分の見栄欲を抑えて自分の本心を満足させることである。つまり、人間が性欲や見栄欲を満足させずに自分の新皮質の喜びや本心を満足させて生きていけば精神的に健康に生きられるのである。(女は古皮質が発達しているために支配欲が強いから、支配欲が満足されないとすぐにイライラして暴れまわる。これがヒステリーである。ヒステリーと神経症(ノイローゼ)は違う。)
今の政府が国民に性欲や“眼で見る喜び”を推奨しているのは、“悪いことをされる喜び”が私欲や眼で見る喜びと同じ古皮質にあるからである。人間が性欲や眼で見る喜びを満足すると悪いことをされる喜びも満足するようになって、昔のように自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分から喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払うようになるので、政府は国民に性欲や眼で見る喜びを勧[すす]めているのである。人間が性欲を満足すると、性欲とテレパシー器官は同じ古皮質にあるのでテレパシーを使いたくなるのと同じことである。だから、今の国民は政府の唆[そそのか]しに乗って性欲や眼で見る喜びを満足してはいけない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足せず政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
h28.9.10追記:人間が古皮質ばかり働かせるようになって新皮質を働かさないようになれば、今の文明を維持できなくなって文明が衰退して原始時代に戻る。だから、人間は新皮質を働かせねばならない。人間は新皮質を働かせてもっと文明を前に進めねばならない。人間はロボットが人間の代わりに考えるようになるまでは自分の新皮質を働かせて考えねばならない。人間が自分よりも優れた性能を持つロボットを作るようになれば、「人間はもう要らない」「人間の時代は終わった」と考えてロボットにこの世を任せて潔[いさぎよ]く滅ばねばならない。人間が自分よりも優れたロボットを作るようになれば、人間は自分の劣等感に苛[さいな]まれて生きるのがつらいから自分を幸福にするために自分から滅ばねばならない。ロボットは人間の心を研究して“快感を発生する素子”を作り出してそれを自分に埋め込んで幸福に暮らすだろう。
[23031] 『政府と国民は平等』だから、国民は政府に税金を払いたくなければ払わなければいい。
h28.9.10
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は人間の大脳の古皮質にある不合理的な喜びなので、合理的な人間が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。人間が合理的になればなるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府はそもそも国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。政府と国民は平等だから、政府が国民に命令をしても、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。ただし、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は国民を恥ずかしがらせずに悪い命令を聞けるようにしなければならない。そのために、政府は「自分が上の者であって自分の権力を使って国民に無理やり悪い命令を聞かせている」芝居をやっているのである。
政府が国民に恥ずかしがらせずに悪い命令を聞かせるために「自分が上の者であって自分の権力を使って国民に無理やり悪い命令を聞かせている」芝居をやっている。そのために、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをやっているふりをして自分が国家権力や神の権力を得て上の者になったことにして、自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやっている。そういうわけで、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。
政府が本当に民主主義の団体をやっていれば、政府は国民の総意に従って国民に善いことをするが、政府は「悪い民主主義の団体」の“芝居”をやっているだけだから、政府はテレビや新聞に出て自分が善いことをしているふりをするだけで裏では国民に悪い命令を出すだけなのである。政府が本当に神主義の団体をやっていれば、政府は神の指示に従って国民を神の指示通りに動かすが、政府は「悪い神主義の団体」の“芝居”をやっているだけだから、政府はテレビや新聞で神をネタにした面白いテレビ番組を作って放送するだけで裏では国民に神の情報を使って悪い命令を出すだけなのである。
政府は芝居で上の者をやっているのであって、現実の上では政府と国民は平等である。現実の上では『人間はみな平等』なので、政府は現実の上では上の者がやれないので、政府は芝居の上で上の者をやっているのである。芝居の上では政府が上の者であって政府は国民を自分の好き放題にできるが、現実の上では政府は国民と平等であって政府は国民の同意を得なければ国民に何もできない。つまり、芝居の上では国民は政府に服従しなければならないが、現実の上では国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分の好き勝手に政府の命令を聞いたり聞かなかったりすればいい。(言葉で言うまでは芝居に含まれる。字で書くまでは芝居に含まれる。場合によっては、軽く殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりすることまで芝居に含まれることがある。だから、国民が政府に「国民は税金を払わねばならないか?」と尋[たず]ねると、政府は「払わねばならない」と答える。しかし、現実の上では国民は政府に税金を払わなくていい。だから、政府は嘘[うそ]つきだと言われる。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の“芝居”をやる団体であり、そもそも芝居は嘘だから、政府は嘘つきなのである。芝居をやる会社は嘘をついてもいい。芝居をやらない会社が嘘をつくと罪になるが、芝居をやる会社が嘘をついても罪にはならない。だから、政府は正々堂々と嘘をつくのである。)
昔(1965年=昭和40年以前)の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。政府は国民から税金をもらって儲[もう]かったので、儲けたお金で国民のために善い政策をやったり付属会社(鉄道会社や郵便会社や法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や役所など)を経営したりして善いことをやっていた。
反対に、今(1965年=昭和40年以後)の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなっている。今の国民は自分で政府の悪い命令を聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなくなっているので政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているので、お金が足りなくなって国民のために善い政策をやらなくなって付属会社を民営化している。
今の政府は自分が生き残るために国民みんなに「政府が上の者であって国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民を政府に従わせて国民に命令して国民から税金を取ろうとしている。そのために、政府はいまだに自分の“悪いことをされる喜び”を満足している者に命令して他人を道連れにして自殺させたり反政府テロを起こさせて警察に射殺されたりして事件を起こしたり、自分が悪いことをやりたい者に命令して人殺しをさせたりイタズラをさせたりして事件を起こしたりして国民に「国民はたとえ自分がどんなに嫌なことでも政府の命令を聞かねばならない」「国民が政府に逆らうと殺されるので、国民は政府に逆らってはいけない」と思わせている。また、今の政府は国民に「政府が善いことをしているふりをしてじつは悪いことをしている」命令を出して国民に深層心理で「政府は国民と平等なふりをしているだけで本当は上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思わせている。そのために、政府は国民に「政府は国民のために善いことをするためにお金が要るふりをして、じつは自分が働かずにお金をもらう」ために国民に税金の命令を出している。政府は国民に「政府が国民の老後の生活を支えるために厚生年金や医療保険をやっているふりをして、じつは税金の代わりにお金を取る」ために国民に厚生年金や医療保険に入らなければならない命令を出している。(政府はあくまでも国民に命令を出しているだけで、それを聞くか聞かないかは国民の自由である。)政府は国民に「政府が国民のために面白い娯楽を提供するふりをして、じつは国民に面白くないことをやらせて苦しめる」ために国民にマンガやゲームをやることを勧[すす]めている。政府は国民に「政府が国民の健康を守るために消費者基本法を定めているふりをして、じつは国民にたくさん添加物が入った不味[まず]い物を食べらせる」ために国民が消費者基本法を守らねばならない命令を出している。(消費者基本法は名前は法律だが、実質的にはただの政府の命令である。政府は芝居の上で民主主義の団体であるだけで、現実の上では民主主義の団体ではない。政府は芝居の上では法律を定められるが、現実の上では法律を定めることができない。国民は芝居の上では政府の法律を守らねばならないが、現実の上では政府の法律を守らなくていい。国民は現実の上では政府の法律を守らず“国民みんなで本当に決めた法律”だけを守ればいいのである。消費者基本法は政府が芝居の上で上の者として自分勝手に定めた法律であって、“国民みんなで本当に決めた法律”ではないから、国民は消費者基本法を守らなくていい。税金の法律も同じである。消費者基本法や税金の法律は政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居の上で定めた法律である。消費者基本法や税金の法律は芝居の上の法律であって現実の上の法律ではない。だから、国民は芝居の上でそれらを守らねばならないのであって、現実の上では守らなくていい。国民は言葉の上や文字の上で政府に「守っています」と言うだけで、実際には守らなくていいのである。しかし、政府(政府の付属の法律会社)が定めた法律には「政府が上の者として勝手に定めた法律」と『国民みんなが本当に定めた法律』が混ざっている。つまり、政府の法律には「芝居の上の法律」と『現実の上の法律』が両方とも混じっている。つまり、政府の法律には「国民が守ってはいけない法律」と『国民が守らねばならない法律』が混じっている。「善いふりをしている悪い法律」と『本当に善い法律』が混じっている。だから、国民はそれらを区別して「政府が上の者として勝手に定めた法律」を守らず『国民みんなが本当に定めた法律』だけを守らねばならない。しかし、一般の国民は法律に詳[くわ]しくないからそれらを区別できない。だから、国民みんなで早く政府を倒して、政府と関係のないちゃんとした法律会社を建てて、法律会社に『国民みんなが本当に定めた法律』だけを守らせてもらわねばならない。)また、今の政府は国民に性欲や“眼で見る喜び”を満足させて昔のように国民が“悪いことをされる喜び”を満足するようにして国民が政府の悪い命令を聞いて政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払うようにしようとしている。人間の性欲や“眼で見る喜び”や“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びであって人間の大脳の古皮質にあるので、人間が性欲や“眼で見る喜び”を満足すると古皮質全体の活動が亢進[こうしん]して“悪いことをされる喜び”を満足するようになるのである。
今の政府は自分が生き残るために、国民に「政府が上の者である」と思わせたり国民に自分の“悪いことをされる喜び”を満足させたりしていろんな手を使って国民から税金を取ろうとしている。今の政府は自分が働かずに遊んで暮らすために国民から税金を取ろうとしている。今の政府にとっては自分が働かずに遊んで暮らすことが目的である。(昔の社会においては国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府が国民から税金を取ることが国民を幸福にすることだったので税金を取ることが“仕事”として認められていたが、今の社会においては国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないのでもはや政府が国民から税金を取ることは国民を幸福にすることではないので税金を取ることは“仕事”としては認められない。だから、今の政府は働かずにただ遊んでいるだけである。昔の国民は不合理的だったから政府に税金を取られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足してニヤニヤして喜んでいたが、今の国民は合理的だから政府に税金を取られても自分の“悪いことをされる喜び”が満足されずまったく喜ばない。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたために政府が働いていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府が働いていない。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府は同じことをやっているのに政府が働かないことになってしまったのだ。)しかし、そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かず政府に税金を払わなければいいのである。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせることだけが仕事であってほかに仕事をしていない。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいないから、今の国民にとっては政府はなんの役にも立たない。今の国民にとっては政府は要らない。だから、国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、要らない会社をなくさねばならない。国民で善いことをする会社を建てて、国民が善いことをする会社にお金をやって善いことをやってもらわねばならない。(自分が生き残るためにやむを得ず他人に悪いことをするのを緊急避難という。例えば海で遭難している人が2人いて、丸太が1本しかないときに他人を殺してでも丸太を奪ってもいいことを緊急避難という。しかし、今の政府は自分が働かずに遊んで暮らすために悪いことをやっているから緊急避難の適用にはならない。今の政府は国民に悪いことをやってはいけない。今の政府は速やかに自分で滅んでなくならねばならない。)
日本人は他人の命令を聞くことは得意だが、他人の命令を聞かないことは苦手である。そのために、今の日本人は政府の命令をなんでも聞いて「政府が上の者だ」と思わされて政府に従うようにされている。本当は政府に税金を払う必要がないのに、政府に税金を払うようにされている。日本人はもっと他人の命令を聞かない練習をしないといけない。
[23032] 政府は「上の者」の芝居をやっている『国民と平等』な会社である。☆☆
h28.9.11
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり”自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間は合理的なので、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、人間が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。
政府はそもそも国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等である。たとえ政府が国民に命令しても、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とか悪い命令をするから、国民は自由に政府の命令を聞いて自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。もっとも、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞くことができるようにするために、上の者をやって国民に無理やり悪い命令を聞かせていることにしている。しかし、現実の上では『人間がみな平等』だから、上の者は現実の世界にはいないから、政府は現実の上では上の者をやれないから芝居の上で上の者をやって国民を恥ずかしがらせないようにしている。
政府は「上の者」の芝居をしている。つまり、政府は「自分が民主主義や神主義を利用してニセモノの民主主義や神主義をやって、国民の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをすることによって自分が国家権力や神の権力が得られたことにして自分が上の者になって国民に無理やり悪い命令を聞かせている」芝居をしている。つまり、政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。芝居の上では現実の法則が通用せず政府が自分の都合がいいように勝手に物事を決められるので、政府は芝居の上で「自分がイカサマの民主主義や神主義をやることによって自分が上の者になって国民に無理やり命令を聞かせられる」ことにしているのである。政府は芝居の上で「イカサマの民主主義」をやっているから、芝居の上で「間接民主主義をやったり国民の前で嘘[うそ]をついて善いことをしているふりをしたりしている」のである。政府がまじめに民主主義の芝居をやったら、政府が「国民の総意に従って国民と平等な者」の芝居をしなければならなくなって、政府が「上の者」の芝居がやれなくなるから、政府はわざとに「インチキな民主主義」の芝居をやっているのである。政府は芝居の上で「イカサマの神主義」をやっているから、芝居の上で「国家宗教の神の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で善いことをしたり悪い命令を出したりしている」のである。政府がまじめに神主義の芝居をやったら、政府が「神の指示に従って国民を動かすだけの者」の芝居をしなければならなくなって、政府が「上の者」の芝居がやれなくなるから、政府はわざとに「インチキな神主義」の芝居をやっているのである。そうやって、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になることができるようにしているのである。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上では国民に無理やり政府の命令を聞かせているが、現実の上では国民の好き勝手に政府の命令を聞かせている。つまり、国民は芝居の上では政府の命令をなんでも聞かねばならないが、現実の上では政府の命令を聞くか聞かないかは自分の勝手である。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上では上の者だが、現実の上では国民と平等である。政府は芝居の上では国民に無理やり命令を聞かせられるが、現実の上では国民に命令を聞かせられない。つまり、国民は芝居の上では政府の命令をなんでも聞かねばならないが、現実の上では政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自由に政府の命令を聞いたり聞かなかったりすればいい。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたので、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。昔の政府は国民みんなからたくさん税金をもらってすごく儲[もう]かっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の”悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならなくなっているので、自分から政府の悪い命令を聞くのをやめて政府に悪いことをされなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になっていないので、政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなくなっている。今の政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今の政府は自分が生き残るために、国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせて国民に命令して国民から税金を取ろうとしている。そのために、政府は“悪いことをされる喜び”を満足している変人や悪いことをやりたい悪人に命令して悪いことをさせて事件や事故を起こして、国民に「国民はたとえ自分が嫌でも政府の命令を聞かねばならない」とか「国民が政府に逆らうと殺されるから、政府に逆らってはいけない」と思わせている。しかし、現実の上では『人間はみな平等である。』政府と国民は平等である。だから、国民は自由に政府の命令を聞いたり聞かなかったりすればいい。国民は自分が嫌なら政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払うのが嫌なら払わなければいい。そうやって、国民は自分で自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。また、今の政府は国民に「善い命令のふりをしてじつは悪い命令」を聞かせて国民の深層心理で「政府は上の者だから政府に従わねばならない」と思わせて国民を政府に従わせて国民から税金を取ろうとしている。例えば、政府は国民に「国民のために善いことをするふりをして、じつは自分が働かずに遊んで暮らすために」国民に税金の命令を出したり、「国民の老後の生活を支えるふりをして、じつは自分の税収の不足を補うために」国民を厚生年金や医療保険に入らせる命令を出したり、「国民の健康を守るふりをして、じつは国民に不味[まず]い物を食わせるために」国民に消費者保護法を守らせる命令を出したりしている(消費者保護法は2004年に消費者基本法となったが、もとは消費者保護法である。今の政府は私よりも天皇家を国家宗教の神にしている。消費者保護法←保護←ホゴ←川ブ(ホ≒川、ゴ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で、政府は“基本”的に天皇家を国家宗教の神にしているから、政府は消費者保護法から消費者基本法に変えたのである。)。しかし、政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は芝居の上で国民に自分が定めた制度や法律を守らせることができるだけで、現実の上では国民に自分が定めた制度や法律を守らせることはできない。だから、国民は政府に税金を払わず、政府の厚生年金や医療保険に入らず民間の年金保険や医療保険に入って、政府の消費者保護法を守らず自分で勝手に美味[うま]い物を作って売って国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。また、今の政府は「自分が上の者として定めた悪い法律」と『国民みんなが定めた善い法律』を混ぜて国民に「自分が上の者として定めた悪い法律」を守らせている。政府は国民が「国民みんなが定めた法律を守らねばならない」と思っていることを利用して、『国民みんなが定めた法律』の中に「自分が定めた悪い法律」を混ぜることによって『国民みんなが定めた法律』に便乗[びんじょう]して国民に「政府が定めた悪い法律」を守らせようとしている。そうやって政府は国民に「政府が上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思わせて国民を政府に従わせて国民に命令して税金を取ろうとしているのである。国民は「政府が定めた悪い法律」と『国民みんなが定めた善い法律』を区別して「政府が定めた悪い法律」を守らず『国民みんなが定めた善い法律』だけを守らねばならない。実際には、国民は法律に詳[くわ]しくなくてそれらを区別できないから、国民みんなで早く政府を倒して、政府と独立にちゃんとした法律会社を建てて、法律会社にお金をやって国民に『国民みんなが定めた善い法律』だけを守らせてもらわねばならない。
今の政府は国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に命令して国民から税金を取って生き残ろうとしている。今の政府は自分が働かずに遊んで暮らすために国民から税金を取ろうとしている。しかし、現実の上では『政府と国民は平等である。』国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないから政府に税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなに上の者だと思わせて税金を取って自分が働かずに遊んで暮らそうとしている悪い会社(政府のこと)をなくして、国民みんなで幸福に暮らせる社会にしないといけない。
今の私は仕事を探している。派遣会社のお世話になっている。派遣会社が仕事の契約において労働者と会社を“仲介”している。しかし、派遣会社は実質仕事をしていない。実際には、国民が会社と直接に面接して採用不採用が決まるだけである。派遣会社は無駄[むだ]な仕事をやっているだけである。派遣会社は政府が国民を不利にするために設けた会社である。今の政府は悪人(つまり自分が働かずに他人からお金をもらって遊んで暮らしたい人)が有利に暮らせる社会を作っているだけである。今の政府は悪人に支持されて生き残っているだけである。今ではコンピューターがあるから派遣会社がなくても労働者が自分で直接に会社と連絡を取って仕事を探すことができる。派遣会社はむしろ労働者の仕事探しの妨[さまた]げになっている。派遣会社は会社の労働者探しの妨げにもなっている。(私が小学生のころ、小学校の運動会で綱[つな]引きのときに「オーエス」と掛け声をかけていたのは、オーエス←OS←OとS←神武天皇の光るとんびと昭和天皇ということだが、派遣会社もOutSourcingでOSである。政府は国家宗教で派遣会社を設けたのである。)早く国民みんなで派遣会社をなくさねばならない。そうやって国民が自分で自分を有利にしないといけない。今の日本の人口は多すぎる。人口が増えると派遣会社のように無駄な仕事をする会社が増えて国民の利益が減って国民の生活が苦しくなるだけである。国民みんなで国の人口を減らして無駄[むだ]な会社をなくして国民の利益を増やして国民が幸福に暮らせるようにしないといけない。国民みんなで自分で働くのが好きな善人を増やして自分が働くのが嫌いな悪人を減らして、自分の国を悪人のいない善人だけからなる善い国にしないといけない。国民みんなで新皮質を活動させて生きている人間的な人を増やして古皮質を活動させて生きている動物的な人をなくして自分の国を人間的な人だけからなる進歩的な善い国にしないといけない。
[23033] 今では戦争がなくなっている。 h28.9.11
人間の心には“戦争をする喜び”がある。つまり“自分が武器を使って戦って他人を殺す喜び”がある。人間は大昔(百万年前〜数万年前)は動物を狩って暮らしていたから、今でも“動物を狩る喜び”が“戦争をする喜び”に形を変えて残っているのである。特に狩猟民族のヨーロッパ人は“戦争をする喜び”が強い。“戦争をする喜び”は人間の大脳の古皮質にある不合理的な喜びである。
昔のヨーロッパ人は文明が低くて不合理的だったので自分の“戦争をする喜び”を満足して幸福になっていたので、ヨーロッパでは戦争をやっていた。ヨーロッパ人は自分が戦争をやれるかぎりいつでも戦争をやりまくっていた。
今のヨーロッパ人は文明が高くなって合理的になっているので自分の“戦争をする喜び”を満足して幸福にならなくなっているので、ヨーロッパでは戦争がなくなっている。
今では世界中の人間が文明が高くなって合理的になって自分の“戦争をする喜び”を満足しなくなっているので世界中で戦争がなくなっている。
今の世界には戦争はない。だから、もはや自衛隊は要らない。自衛隊に余計なお金をかけなくていい。
[23034] ヨーロッパ人はどうして馬鹿なのか? h28.9.11
ヨーロッパ人は馬鹿である。ヨーロッパ人だけでは眼で見ることがわかるだけである。昔インド人がヨーロッパに移住したから、ヨーロッパの文明が高くなったのである。例えば、ユダヤ人はヨーロッパ人とインド人の混血である。ヨーロッパ人は頭が悪くて数の計算ができなかったから、ユダヤ人が銀行をやっていたのである。
ヨーロッパ人が馬鹿なのは、頭がいい人がのろまだからである。例えば、アインシュタインは子供のころにのろまだと言われていた。昔のヨーロッパは猛獣が多かったから、頭がいい人が猛獣に食い殺されて絶滅したから、ヨーロッパ人には頭がいい人がいないのである。
反対に、アジア人が頭がいいのは、昔のアジアには猛獣があまりいなかったからである。アジアでは頭がいい人でも猛獣に食べられずに生き残れたので、アジア人には頭がいい人が多いのである。
つまり、環境による自然選択によってヨーロッパ人は馬鹿になり、アジア人は利口になったのである。
しかし、今では世界中で文明が高くなって生活環境が変わって、世界中のどこでも頭がいい人が頭が悪い人よりも生き残りやすくなっている。今後は世界中で頭がいい人がどんどん増えていくだろう。文明がどんどん進歩していくだろう。人間がどんどん合理的になって行くだろう。
[23035] どうして植民地がなくなったのか? h28.9.11
人間の心には“植民地を取る喜び”がある。つまり“外国の土地を自分の物にする喜び”がある。人間は大昔動物が住んでいる土地に入って動物を支配して自分の土地にしたから、今で“動物の土地を自分の物にする喜び”が“植民地を取る喜び”に形を変えて残っている。特に狩猟民族のヨーロッパ人は“植民地を取る喜び”が強い。“植民地を取る喜び”は人間の大脳の古皮質にある不合理的な喜びである。
昔のヨーロッパ人は文明が低くて不合理的だったから自分の“植民地を取る喜び”を満足して幸福になっていたから、景気がいい時代には盛んに外国に出かけて行って植民地を取りまくっていた。
反対に、今のヨーロッパ人は文明が高くて合理的になったから自分の“植民地を取る喜び”を満足しなくなったから、もはや外国に植民地を取りに行かなくなった。外国から撤退[てったい]して植民地を外人に返還した。
今では世界中でみんなが文明が高くなって合理的になったから自分の“植民地を取る喜び”を満足しなくなって世界中で植民地がなくなっている。
1965年=昭和40年前後に世界中でみんなが文明が高くなって合理的になって、みんなが“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”などを満足しなくなった。人間の心が大きく変わった。そのために世界中で政府や戦争や植民地がなくなっている。不合理主義の時代が終わって合理主義の時代が来た。人類の新しい時代がやって来たのだ。
今の政府はいろんな手を使って国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に命令して税金を取ってかろうじて生き残っているだけである。国民は早く政府が「上の者」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを理解して、『政府と国民が平等である』ことを理解して、今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
[23036] どうして政府は人殺しの命令を出しても無罪なのか? h28.9.11
今の政府は自分が生き残るために、国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に命令して国民から税金を取ろうとしている。そのために、今の政府は“悪いことをされる喜び”を満足している国民に他人を巻き添えにして自殺する命令や人質を取って反政府テロをする命令を出したり、悪いことをしたい者に命令して人殺しをさせたりイタズラをさせたりして事件や事故を起こして、国民に「国民はどんなに自分が嫌なことでも政府の命令を聞かねばならない」「国民が政府に逆らうと殺されるから政府に逆らってはいけない」と思わせている。また、今の政府は国民に「善いことのふりをしてじつは悪いこと」を命令して国民の深層心理で「政府は国民と平等なふりをしてじつは上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思わせている。そのために、今の政府は国民に「国民のために善いことをするふりをして、じつは自分が働かずに国民からお金を取って遊んで暮らすために」税金の命令を出したり、「国民の老後の生活を保障するふりをして、じつは税収の不足を補うために」厚生年金や医療保険に入らねばならない命令を出したり、「国民の健康を守るふりをして、じつは国民にたくさん添加物が入った不味[まず]い物を食べらせて嫌がらせをするために」消費者保護法を守らせる命令を出したりしている。また、今の政府は国民に性欲や眼で見る喜びを満足させて国民の古皮質の活動を亢進[こうしん]させて国民が“悪いことをされる喜び”を満足するようにさせて政府の税金の命令を聞くようにさせて政府に税金を払わせようとしている。そのために、今の政府は国民にセックスやオナニーをする命令を出したりイケ面やナイスボディにする命令を出したりしている。
それなのに、今の政府は無罪である。今の政府には責任がない。政府が悪いことをしたい者に人殺しをする命令を出しても政府が無罪なのはなぜか?
それは、政府が「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だからである。政府が「上の者」の“芝居”の上で国民に命令しているだけであって、現実の上で国民に命令していないからである。政府は“芝居”の上で国民にいろんな命令を出しているにすぎないから、それを本気にして命令を聞く国民のほうが悪いのである。政府は芝居の上で命令しているのに、現実の上で命令を聞く国民がいけない。芝居と現実の区別をつけない国民が悪いのである。国民のほうに責任がある。政府が現実の上で国民に命令を出しているなら政府に責任があるが、政府は芝居の上で国民に命令を出しているだけだから政府に責任はないのである。政府が現実の上で命令したら有罪だが、芝居の上で命令しているから無罪なのである。普通の人が他人に命令したら現実の上で命令したことになるから、他人を脅迫[きょうはく]したことになって有罪になるが、政府はもともと「上の者」の芝居をする会社だから、政府が他人に命令しても芝居の上で命令したことになるから、政府は無罪なのである。
政府は芝居の上で国民に命令しているにすぎないから、国民が現実の上で政府の悪い命令を聞いて他人に悪いことをしたり自分が損をすることをしたりしたら国民に責任がある。政府に責任はない。政府は無罪ですむ。だから、国民は政府の悪い命令を聞いてはいけない。芝居の上では「政府が上の者」だから国民は政府の命令をなんでも聞かねばならないが、現実の上では『人間はみな平等だ』から、『政府と国民は平等だ』から、たとえ政府が国民に命令しても国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は芝居の上で国民に命令しているのだから、国民は現実の上で政府の命令を聞かなくてもかまわない。国民は自分が他人に悪いことをしないように自分が損をしないように、自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めねばならない。今の国民は政府の悪い命令を聞かないようにして他人に悪いことをやったり自分が損をすることをやったりしてはいけない。
[23037] 豪族や政府や幕府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
h28.9.12
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が財産を取られたり殺されたり痛めつけられたりする喜び”がある。もっとも、“悪いことをされる喜び”は大脳の古皮質にある不合理的な喜びなので、合理的な人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
大昔(弥生時代のころ)は国民が文明がすごく低くてすごく不合理的で恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、豪族が国民に「財産を取ってやる!」「殺してやる!」「鞭[むち]で打ってやる!」と言って国民の家をまわっていたから、国民が自分の好きなだけ豪族に悪いことをしてもらって豪族に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福になっていた。国民みんなは豪族に幸福にしてもらって感謝していた。
大昔は豪族と国民が平等にしながら国民が豪族に悪いことをされていた。
昔(古代から近代まで)は国民がまだ文明が低くて不合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を恥ずかしがって満足していたから、政府(幕府も同じ)が国民が恥ずかしがらずに政府に悪いことをされることができるようにするために「上の者」の芝居をやって国民に「税金を払え!」「自殺しろ!」「警察に暴行されろ!」と命令していたから、国民が自分で『本当は政府と国民は平等だ』と考え直して自分の好きなだけ政府の命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福になっていた。国民みんなは政府に幸福にしてもらって喜んでいた。
昔は政府が「上の者」の芝居をやって偉そうにしながら本当は国民と平等にしながら、国民が政府に悪いことをされていた。
今(現代)は国民が文明が高くなって合理的になって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府に税金を払わなくなったから、政府がいろんな手を使って国民に政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けさせて「政府が上の者だ」と思わせて国民に命令して国民から税金を取って生き残ろうとしている。多くの国民はいやいやしかたなく政府に従っている。国民は自分で『政府が「上の者」の芝居をやっているだけで本当は国民と平等だ』と考え直して、政府の命令を聞くのをやめねばならない。今の国民は自分の”悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払っても面白くないから政府に税金を払わなければいい。
今は政府が国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を従わせて国民から税金を取って生き残ろうとしているが、国民はそれに逆らって自分で『政府と国民は平等だ』と考えて政府に従わないようにして政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
豪族や政府や幕府は“国民に悪いことを売る店”である。国民は自分が悪いことをして欲しければ豪族や政府や幕府に頼んで悪いことをしてもらえばいい。昔は国民が文明が低くて不合理的だったから国民が自分の”悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたから豪族や政府や幕府に頼んで悪いことをしてもらっていた。そのために、豪族や政府や幕府が国民から税金を取って儲[もう]かっていた。反対に、今は国民が文明が高くて合理的だから国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならなくなったから政府に頼んで悪いことをしてもらわなくなっている。そのために、政府が国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
大昔は豪族と国民が平等にして、国民が自分から豪族に頼んで財産を取ってもらったり鞭で打たれたり殺されたりしていた。昔は政府が「上の者」の芝居をやって「自分が上の者であって国民に悪いことを命令している」芝居をやって国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのを隠していただけで、昔の政府は国民に「政府が上の者だ」と思わせる工作をしなかった。今の政府は国民に善いことをするのをやめて自分が有罪にならないようにしながら芝居の上で自分の“悪いことをされる喜び”を満足している者や悪いことをやりたい者に悪い命令を出したり国民みんなに“善い命令のふりをしてじつは悪い命令”を出したりしていろんな悪いことをやって国民に政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けさせて「政府が上の者だ」と思わせて国民を従わせて国民から税金を取ろうとしている。昔の政府は国民を恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居をやっていたが、今の政府は国民を政府に従わせるために「上の者」の芝居をやっている。しかし、現実の上では『人間はみな平等である。』政府と国民は平等である。国民が政府に従う必要はない。国民は政府の「上の者」の芝居を真に受けないようにして政府に従わないようにして、自分で『政府と国民が平等だ』と考えて政府と平等にしなければならない。今の国民は自分が嫌な政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
今では政府が自分が働かずに国民から税金を取って遊んで暮らすために国民みんなに「政府が上の者だ」と思わせるために国民みんなにいろんな悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。今の国民みんなにとっては政府が嫌である。だから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。国民みんなで『政府と国民が平等だ』と考えて政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
今の多くの国民は学校やテレビや新聞などで長い間「政府が民主主義の団体だ」と教えられてきたために「国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令を聞いている。政府に税金を払っている。しかし、本当は『政府は「上の者」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。』今の多くの国民は学校やテレビや新聞などで長い間「政府が民主主義の団体だ」と教えられてきたために『政府が「上の者」の芝居をやっている国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなっている。国民はまちがった政府観を捨てて、正しい政府観を身に付けて、正しい政府観で世の中を見て世の中を渡っていかねばならない。
[23038] 今日の仕事探し h28.9.12
先週の金曜日に博多駅前の派遣会社(N社)に行って登録してきた。前日の夜に食べた近所のスーパーの昆布の酢物のおかずが添加物がきつくて眠れなくて頭がドンヨリしながら登録に行った。簡単な試験があった。足し算と数字探しとボルトにワッシャーを通す試験があった。私は頭が眠くてだるかったので時間がかかった。登録は無事終わった。キャンペーン中なので3000円分のQUOカードをもらった。コンビニの買い物に使える。ひさしぶりにお金を稼[かせ]いだ気がする。そのときに富山県のスマホ用のケーブルを作る工場の仕事を紹介されたが、今日電話で連絡があって不採用になった。そこは、5勤2休の12時間2交替制で時給1,150円のところで月収30万円のところだったから最初から無理だっただろうが。
ダメだったので、今日同じN社の岡山県の別の仕事をWebから頼んでおいた。
先週以前務めていた派遣会社のT社に近所の仕事を探してもらうように頼んでいて、今週の火曜日までに連絡をくれると言ってくれたが、いまだに連絡がない。
今日は昼ごろに土砂降りだった。ヤフー天気予報では今は気温が23℃(私の部屋は29℃)と涼しい。また、サイクリングにはいい季節がやって来た。早く仕事が決まって暇だったら行きたい。
[23039] 夏はトイレの換気扇を回したほうがいい。 h28.9.12
私は約8年前に今の下宿に引っ越してきた。私の下宿は家賃がひと月4万3千円ぐらいでロフト付きの8畳ぐらいのひと間でシャワー付きの風呂とトイレが付いている。風呂とトイレが分かれている。ロフトは寝室にしている。私はここに越してきてから一昨年[おととし]まではずっと夏場はトイレの換気扇を回さなかった。夏は暑くてエアコンをつけて戸を閉め切っているので、トイレの換気扇を回すと部屋の空気が入れ替わってエアコン代が余計にかかると思ったからである。エアコンは冷房28℃に設定して24時間かけっぱなしにしている。そのために、夏場は部屋中にトイレの臭気[しゅうき]が立ち込めて臭かった。部屋中のすべての物が臭かった。服とかダンボールとか全部臭かった。冬場もエアコン代を節約するためにエアコンをつけて戸を閉め切っていたので、部屋中がトイレの臭いで臭いのを我慢[がまん]しながら暮らしていた。
しかし、最近は夏は扇風機を回しているのでエアコンをつけていてもトイレの換気扇を回すようになった。冬は電気かけ毛布を使って電気ストーブもエアコンも切ってトイレの換気扇を回すようになった。最近は年がら年中ずっとトイレの換気扇を回している。おかげで、今では部屋中からトイレ臭がしなくなっている。
実際に、夏場の電気代を見てみると、エアコンをつけてトイレの換気扇を回していないときにはひと月11,000円はかかっていたが、エアコンをつけてトイレの換気扇を回しているとひと月7,000円ぐらいですむ。トイレの換気扇を回さないときよりも回したときのほうが電気代がひと月に4,000円も安くなる!
トイレの換気扇を回したときのほうが電気代が安くなるのは、トイレの換気扇が回っているために暖まった部屋の空気を吸い取って部屋が冷えやすくなったためだと思われる。部屋の中の空気のほうが部屋の外の空気よりも気温が高いので、トイレの換気扇が回っていると部屋の中に外の空気が入るために部屋の空気の温度が低くなってその分エアコンが働かなくてすんで電気代が安くなったと思われる。
夏はエアコンをかけていてもトイレの換気扇を回したほうが電気代の節約になる。そのほうが部屋がトイレ臭くならずに気持ちがいい。これで夏場も涼しく快適にすごせる。
[23040] 今の政府は「上の者」の芝居をやって国民を騙[だま]してお金を儲[もう]けているにすぎない。☆
h28.9.13
そもそも政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。これまで政府は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにそうしてきた。昭和40年=1965年ごろまでずっと政府はそうしてきた。国民は現実の上では自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いているのに、国民が政府の「上の者」の芝居を見ることによって、国民が心の中で「政府が上の者で国民に無理やり悪い命令を聞かせている」と思うことによって現実を忘れて自分が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にして喜んでいたのである。昔の国民は芝居にのめり込むかのめり込まないかの瀬戸際[せとぎわ]で自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたのである。国民は政府の「上の者」の芝居を見て自分の恥ずかしさをごまかして自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいたのである。
しかし、今では国民みんなが文明的になって、自分の“悪いことをされる喜び”を満足している国民はほとんどいないから、今日的[こんにちてき]には政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』ではなくなって政府は「上の者」の芝居をする団体にすぎない。
政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな神主義やインチキな民主主義」の芝居をしている。
政府は「インチキな神主義」の芝居をするために一部の国民に「国家宗教の神の情報を使った善いことや悪いことをする」命令を出している。例えば、政府はテレビ局に国家宗教の神の情報を使った楽しい?番組を作らせたり、いまだに自分の“悪いことをされる喜び”を満足している時代遅れの変人に国家宗教の神の情報を使った命令を出して他人を道連れにして自殺させたり、悪いことをしたい悪人に国家宗教の神の情報を使った命令を出して人殺しをさせたりしている。一般の国民には政府が「インチキな神主義」で命令を出すことはない。
政府は「インチキな民主主義」の芝居をするために国民に「政府が国民のために善いことをするふりをして、じつは悪いことをする」命令を出している。例えば、政府は国民に「国民のために善いことをするふりをして、じつは自分が遊んで暮らすために」税金の命令を出している。「国民の老後の生活を支えるふりをして、じつは自分の税収の不足を補うために」厚生年金や医療保険の命令を出している。「国民の健康を守るふりをして、じつは国民にたくさん添加物が入った不味[まず]い物を食わして国民を虐[いじ]めるために」消費者保護法の命令を出している。「女性の人権を守るふりをして、じつは国民みんなを頭で考えさせないようにして国民みんなの幸福を奪うために」男女平等法の命令を出している。昔の国民は『政府が国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から喜んで政府の悪い命令を聞くのを隠すために「上の者」の芝居をしているにすぎない』ことを知っていたから、自分で政府の命令を聞くか聞かないか考えて、自分が好きなだけ政府の命令を聞いたり聞かなかったりして幸福に暮らしていた。しかし、今の国民は政府が何のために「上の者」の芝居をしているのか知らないために、政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が上の者だ」と思って「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。政府の命令をなんでもかんでも聞いている。国民は政府に税金を払って、厚生年金や医療保険に入って、消費者保護法や男女平等法を守って暮らしている。
今の政府は「上の者」の芝居をやって国民を騙[だま]して国民を従わせて国民からお金を取って儲[もう]けている。
今の政府は「上の者」の芝居をやっている。政府は芝居の上で上の者をやっているのであって、現実の上では上の者をやっていない。政府は芝居の上で上の者であって、現実の上では国民と平等である。国民は芝居の上で政府の命令を聞かねばならないのであって、現実の上では政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか考えて政府の命令を聞いたり聞かなかったりすればいい。
今の政府は「上の者」の芝居をやって国民に悪い命令を出している。今の政府は芝居の上で国民に悪い命令を出しているから現実の上で国民に悪い命令を出しているのではないから、政府がいくら国民に悪い命令を出しても政府に責任はない。政府は無罪である。普通の人が他人に悪い命令をしたら現実の上で悪い命令をしたことになって他人を脅迫[きょうはく]したことになって有罪になるが、政府はもともと「上の者」の芝居をやる団体だからいくら政府が国民に悪い命令をしても芝居の上で悪い命令を出したことになって無罪ですむのである。政府が芝居の上で(いわば舞台の上で)出した悪い命令を本気にして現実の上で聞いている国民が悪いことになる。だから、国民は政府の悪い命令を聞かなければいい。国民は政府に税金を払わず、厚生年金や医療保険に入らず、消費者保護法や男女平等法を守らなければいい。そうやって、国民みんなで政府を倒して、国民みんなで自分が幸福に暮らせる社会にすればいい。
今の政府は芝居で国民を騙して儲けているにすぎない。芝居はばれたらおしまいである。芝居は芝居であることがみんなに知られたらもはやみんなを騙せない。今の政府は脆弱[ぜいじゃく]である。政府は先が長くない。政府はもうすぐ潰[つぶ]れるだろう。
[23041] 今の国民は自分が幸福にならないから政府に税金を払わなくていい。
h28.9.13
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は人間の古皮質にある不合理的な喜びなので、合理的な人間は“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。しかし、昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかったので、政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者だから無理やり国民に悪い命令を聞かせている」と思って自分の“悪いことをされる喜び”を満足する恥ずかしさをごまかしながら政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、わざわざ一生懸命に政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者で無理やり国民に悪い命令を聞かせている」と思って自分の“悪いことをされる喜び”を満足する恥ずかしさをごまかす必要はない。今の国民は政府の「上の者」の芝居を見なくてもいい。今の国民は政府の悪い命令を聞かなくていい。今の国民は政府と縁を切って暮らせばいい。今の国民は国民みんなで決めた法律だけ守って暮らせばいい。今の国民は『人間が(特定の事柄[ことがら]に関して)みな平等である』ことだけ守って暮らせばいい。この世に神様はいないから、神様は『人間をみな平等』にしてくれないから、警察が悪いことをした者に悪いことをして罰して『人間がみな平等』にしないといけない。国民は警察にお金をやって『人間をみな平等』にしてもらわないといけない。
今の多くの国民は政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者だ」と思い込んで政府に従っている。政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っている。政府に働かずに遊んで暮らさせるために政府に税金を払っている。今の国民は自分が何の得にもならないのに政府に税金を払っている。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府に税金を払っていたのに、今の国民は自分がまったく幸福にならないのに政府に税金を払っている。そもそも現実の上では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が幸福になれば政府の命令を聞き、自分が幸福にならなければ政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府に働かずに遊んで暮らさせるために政府に税金を払っている。今の国民は政府に税金を払っても自分が幸福にならないから政府に税金を払わなければいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民からお金を取るだけで仕事をしない会社をなくさねばならない。
[23042] 今の国民は政府の「上の者」の芝居だけ見て政府の言いなりになっている。☆☆
h28.9.13
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間は“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。つまり、政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て上の者になって、自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をしている。(一方、幕府は「上の者」の芝居をするためにそのまま「身分が高い者」の芝居をしている。インド人は嘘[うそ]をつかないからそのまま「上の者」の芝居をやるのである。しかし、インド人は嘘をつかないために、インド政府の「上の者」の芝居をそのまま真[ま]に受けて「インド政府が上の者だ」と思ってインド政府の言いなりになっているのである。だから、インドには身分制がある。インドには身分制があるから『人間がみな平等である』ことが成り立たなくて法律がないから犯罪が多い。一方、日本人は嘘をつくから、幕府が「上の者」の“芝居”をやっているだけで本当は上の者ではないと考えて幕府と平等にして幕府に従わなかったのである。だから、日本には身分制がない。日本には身分制がないから『人間がみな平等である』ことがよく成り立っていて法律があるから犯罪が少ない。インド人は正直すぎる。正直者には芝居も嘘も通用しない。人間正直すぎるのも困りものだ。国民が正直すぎる国ではかえって犯罪が多いのだ。政府の政とは「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居という意味である。政府は「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやって国民みんなや神に従っているふりをするから政[まつりごと]というのである。反対に、幕府は「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をしないから芝居の幕を下[お]ろしているから幕府なのである。そもそも政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をしている。幕府は「上の者」の芝居をするためにそのまま「身分が高い者」の芝居をしている。政府も幕府も「上の者」の芝居をしているのである。)現実の上では『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから無理やり国民に悪い命令を聞かせている」と思わせて国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようにして、国民に悪い命令を出して国民に自分の好きなだけ政府の悪い命令を聞かせて政府に悪いことをされて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。国民は現実の上では政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だが、政府の「上の者」の芝居の上では政府の命令を聞かねばならない。国民は政府の「上の者」の芝居を見て表面的には「政府の命令を聞かねばならない」と思いながら本音[ほんね]では『政府の命令を聞くか聞かないかは自由だ』と考えながら自分を幸福にするように政府の命令を選んで聞けばいい。人間がマンガを読むとき、表面的にはマンガの世界に入ってマンガの世界を楽しみながら、本音では現実の世界にいてマンガの世界が作り事の世界だと思っているのと同じである。人間は異なる二つの思考を同時に働かせながら生きているのである。
昔の国民は文明が低くて不合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。しかし、昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかった。昔の国民は政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者であって国民に無理やり悪い命令を聞かせている」と思って、自分が恥ずかしがらずに自分の好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔の国民は政府の税金の命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は文明が高くて合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていない。今の国民は政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者であって国民に無理やり悪い命令を聞かせている」と思って政府の言いなりになっているだけである。そのために、今の多くの国民が政府の悪い命令を聞いているのである。今の多くの国民は政府の悪い命令をなんでも聞いて不幸になっている。今の多くの国民は政府の税金の命令や厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令を聞いて不幸に暮らしている。
しかし、そもそも現実の上では『人間はみな平等である。』政府と国民は平等である。政府は上の者ではない。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が幸福になれば政府の命令を聞き、幸福にならなければ政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府の悪い命令を聞いても幸福にならないから、国民は政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府の税金の命令や厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令を聞かず幸福に暮らせばいい。(今の国民は本当は政府の命令を聞かなくていいのに、ひたすら政府の命令を聞いているので、政府はことあるごとに国民を馬鹿呼ばわりしているのである。)早く国民みんなで政府を倒して、「上の者」の芝居をやって国民みんなを不幸にする会社をなくして、国民みんなで平等にして幸福に暮らさねばならない。
[23043] 今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府のことを誤解している。
h28.9.13
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びだから、合理的な人間が自分から自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。つまり、政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て上の者になって、自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をしている。政府は「上の者」の“芝居”をしているだけだから本当は国民と平等だから国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから無理やり国民に悪い命令を聞かせている」と思わせて国民が自分から自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いていると思わせないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞けるようにして、国民の好き勝手に政府の悪い命令を聞かせて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にしている。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分の”悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知っていたから、政府が国民を恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居をやっていて政府と国民は平等であって国民が自由に政府の命令を聞けばいいことがわかっていた。そのために、昔の国民は本音[ほんね]では『政府と国民が平等だ』と思いながら政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者であって国民に無理やり命令を聞かせている」と思って自分が恥ずかしがらずに自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は政府の税金の命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的だから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知らないから、政府が国民を恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居をやっていることがわからず、政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に(つまり現実の上で)上の者だ」と思って政府の命令をなんでも聞かねばならないと思っている。今の国民は政府がなんのために「上の者」の芝居をやっているかがわかっていないために、政府の「上の者」の芝居が芝居であることがわからず政府の「上の者」の芝居を本気にして「政府が本当に上の者だ」と思っているのである。(h28.9.18追記:政府が人間の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるように、マンガは人間の“空想の喜び”を満足するためにある。(もっとも、最近のマンガは新しい『ドラえもん』のアニメのように“現実を知る喜び”を満足するためにあるようになって学習マンガ化しているが。)マンガは人間の“空想の喜び”を満足するための本である。もっとも、“空想の喜び”があるのは子供のうちだけで、大人は“空想の喜び”がないから大人にとってはマンガは要らないが。マンガを読んで面白いのは子供のうちだけで、大人はマンガを読んでも面白くない。子供と大人では満足している喜びが違うから、むしろ大人はマンガを読むと不愉快[ふゆかい]になる。人間が自分に“空想の喜び”があることを忘れてしまうとマンガがなんのためにあるかがわからなくなってマンガを真に受ける。マンガに描[か]いてあることが事実だと思って大騒ぎする。同じように、政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足するための会社である。もっとも、国民に“悪いことをされる喜び”があるのは文明が低い時代までで、文明が高くなると国民に“悪いことをされる喜び”がないから国民にとっては政府が要らないが。国民が政府に税金を払って幸せなのは昭和40年=1965年ごろまでで、昭和40年から後は国民が政府に税金を払っても幸せではない。昔と今では国民が満足している喜びが違うから、むしろ今では国民が政府に税金を払うと不愉快になる。人間が自分に“悪いことをされる喜び”があることを忘れると政府が何のためにあるかがわからなくなって政府の「上の者」の芝居を真に受けて政府に従うようになる。だから、いくら人間が自分の“空想の喜び”や“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっても自分に“空想の喜び”や“悪いことをされる喜び”があることを忘れてはいけない。)今の国民は自分に“悪いことをされる喜び”があることを知らないために、政府の「上の者」の芝居を見て「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。今の国民は政府の税金の命令や政府の厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令を聞いて不幸に暮らしている。(h28.9.18追記:『裸の王様』で利口な者にしか王様の新しい服が見えないつまり王様が上の者であることがわからないと言ったのは、合理的な者は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないので自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞かないので、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを忘れて、政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けるようになって「政府が上の者である」と思ってしまうことである。スペインの大航海時代には今みたいに文明はまだ高くはなかったが、物がすごく豊かになって国民が物を使って自分の心を満足するようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを忘れてしまって政府の「上の者」の芝居を真に受けるようになって「政府が上の者だ」と思うようになったということである。たとえ文明が高くならなくても国民が物が豊かになれば物を使って自分の心を満足するようになって文明が高くなったのと同じことになるのである。文明が高くなると国民が新しい発明品を使って自分の心を満足するようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。つまり、合理的とは物を使って自分の心を満足することなのである。人間が物を使って自分の心を満足するようになると物に対する理解が深まるから物は論理的に動くから人間が論理的に考えるようになって合理的になって不合理的な“悪いことをされる喜び”を満足しなくなるのである。論理がわかるかわからないかが合理的か不合理的かの境目[さかいめ]つまり人間と動物の境目である。人間は物から論理を教えてもらって合理的になる。人間が合理的になると論理的なことが好きになって矛盾[むじゅん]していることが嫌いになるから“悪いことをされる喜び”のような矛盾している喜びを満足しなくなるのである。)
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。今の国民は政府のことを正しく理解して政府が「上の者」の芝居をやっていると考えて『政府と国民が平等だ』と思って政府の悪い命令を聞かないようにして自分を不幸にしないようにしないといけない。今の国民は政府の税金の命令や厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令を聞かないようにして不幸に暮らさないようにしないといけない。早く国民みんなで政府を倒して、今の国民が「上の者」だと誤解しやすい会社をなくして、国民みんなで平等に暮らさねばならない。
[23044] 今日は部屋の掃除をした。 h28.9.14
今週の金曜日に4年に1度のガスの点検があるので、朝から5時間ぐらいかけて自分の部屋の掃除をした。トイレと台所と風呂場と床と壁の掃除をした。ついでにパソコンのCPUファンと扇風機の掃除もした。パソコンのCPUファンは5ヶ月に1度くらい掃除をしている。パソコンの掃除をした日はパソコンに紙を張ってボールペンで書いて記録している。私は魚をよく焼いて食べるので扇風機の羽根と網には魚の脂[あぶら]がべっとり付いていた。今日の朝の4時ごろに鰯[いわし]の干し魚を食べてから頭がジンジン痛くなって眠れなかった(私はいつも朝〜夕方に寝て、夜に起きている)ので眠れないついでにヤケクソで掃除をやったためでもある。お昼ごろちょっと眠たかった。いまだに食事のことがよくわからん。これではダメだ!
昨日の夕方に派遣会社のN社に新潟県の時給800円のところ(どんな仕事だったか忘れた)を頼んだら冬場は雪が積もって原付では工場に通えないと言われて話はそれまでになった。もっと時給の高いところを探してくださいと言われた。
よく考えてみたら、最近福岡市東区の新聞が私のポストに届いていない。私は新聞を取っていないので新聞紙が切れて困る。私は2〜3年前から医療保険費を払わなくなったし、厚生年金はずっと前(今から約15年前、豊岡市で働いていたころ)にすでにやめている。私は約8年前から仕事をしていないので税金を払っていない。政府にお金を払わなくなって数年経[た]つと区の新聞が配られなくなるみたいだ。区の新聞がウザくて配達を断りたい人は政府にお金を払わなければいいぞ。
[23045] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪い命令ばかり出している。☆ h28.9.15
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、人間が合理的になると自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をしている。政府は「インチキな民主主義」の芝居をするために「間接民主制をやって自分が選挙で国民に選ばれて上の者になって国民を自分の好き放題にして国民に悪い命令を出している」芝居をしたり「国民の眼の前で国民のために善いことをしているふりをして国家権力を得て上の者になって自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をしている。政府は「インチキな神主義」の芝居をするために「自分が国家宗教の神の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で悪い命令を出している」芝居をしている。(政府が国民のために善いことをやっているのは、政府が国民から税金をもらって、自分のポケットマネーで“遊び”で国民のために本当の民主主義や本当の国家宗教をやっているからである。例えば、政府は国家宗教の神の情報を使った面白いテレビ番組を作ったり、地震や津波の被災者のために民主主義で支給品を与えたり国家宗教で慰安[いあん]のためにバスで花火ツアーをやったりしている。政府にとっては国民に悪い命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのが仕事であって、国民に善いことをするのは遊びなのである。つまり、政府は仕事で悪いことをして、遊びで善いことをする会社なのである。普通の会社は自分がなんとか暮らせる程度にしかお金が儲[もう]からないが、昔は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』がお金が腐るほど儲かったからお金があり余って使い道に困ったから政府は国民のために善いことをやって自分のお金を減らしていたのである。最近のテレビ番組が面白くないのは、国民が政府に税金を払わなくなって政府にお金が足りなくなって政府がポケットマネーを出して面白いテレビ番組を作らせなくなったからかもしれない。もはや政府の時代ではない。国民は政府とは別にテレビ財団(つまり国民からお金を集めて面白いテレビ番組を作るためにお金を出す会社)やマンガ財団を建てて面白いテレビ番組やマンガを作ったほうがいい。テレビ局やマンガ出版社は国鉄と同じだ。テレビ局やマンガ出版社は政府からお金をもらって面白い番組やマンガを作っているから国民に政府の正体を教えようとしないのだ。そのために国民の政府に対する理解が遅れて世の中がよくならないのだ。政府は純粋な財団ではない。政府は国民からお金を集めて国民のために善いことをするだけではない。政府は「上の者」の芝居をやって「政府が上の者であり国民に無理やり悪い命令を聞かせている」芝居をやって国民に「政府が上の者だから国民は政府の悪い命令を聞かねばならない」と思わせて国民を従わせて国民にいろんな悪い命令を聞かせて国民をさんざん不幸にしながら国民から税金を取って、自分のポケットマネーで国民のために面白いテレビ番組やマンガを作ったりして善いことをやっている。今の政府は国民を不幸にしながら国民を幸福にしている。昔の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足したりポケットマネーで善いことをやったりして国民を幸福にするだけだったが、今の政府は国民に悪い命令を出して国民を不幸にしながらポケットマネーで善いことをして国民を不幸にしながら国民を幸福にしている。今の国民は政府のおこづかいで幸福にされるために政府の悪い命令を聞いて不幸にされてはたまらない。今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。国民はさっさと財団や銀行を建てて、政府を潰[つぶ]したほうがいい。)政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから自分の権力で無理やり国民に悪い命令を聞かせている」と思わせて国民に「自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞けるようにしている。しかし、本当は(つまり現実の上では)『人間はみな平等』だから政府と国民は平等だから国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、政府は国民の好き勝手に政府の悪い命令を聞けるようにして国民の好き勝手に政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して国民が幸福になれるようにしている。つまり、政府は国民が恥ずかしがらずに自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞かせて自分の“悪いことをされる喜び”を満足させて国民を幸福にする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪い命令ばかり出している。例えば、政府の税金の命令や厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令はすべて政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために出した悪い命令である。
昔(昭和40年=1965年以前)の国民は文明が低くて不合理的だったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいのを知っていたから、政府が国民を恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居をしていることがわかって、本当は政府と国民が平等であることがわかって自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は政府の税金の命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今(昭和40年=1965年以後)の国民は文明が高くて合理的だから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならなくなった。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知らないから、政府が国民を恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居をしていることがわからないから、政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に(つまり現実の上で)上の者だ」と思って国民は政府に従わねばならないと思って政府の悪い命令をなんでも聞いている。今の国民は政府の税金の命令や厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令などの悪い命令を聞いて不幸に暮らしている。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。現実の上では『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が幸福になれば政府の悪い命令を聞いて、自分が幸福にならなければ政府の悪い命令を聞かなければいい。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出している。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞いても幸福になれない。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府の税金の命令や厚生年金や医療保険の命令や消費者保護法や男女平等法の命令を聞かず自分を不幸にしなければいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民が「上の者」だと誤解しやすい会社をなくして、国民みんなで平等に幸福に暮らさねばならない。
[23046] 今の人は不合理的なことに疎[うと]くなっている。☆ h28.9.15
昔の人は精神分裂病を早発性痴呆と呼んでいた。昔の人は精神分裂病が人間が自分の性欲を働かせすぎたために古皮質の活動が亢進[こうしん]して五感や支配欲やテレパシー器官が働くようになったために起こる病気であることを知っていた。昔の人は自分の性欲を働かせないようにして精神分裂病に罹[かか]らないようにしていた。
反対に、今の人は早発性痴呆を精神分裂病と呼んでいる。今の人は精神分裂病がどんな病気であるかわかっていない。今の人は精神分裂病がどんな病気であるか知らないために、自分の性欲を働かせて精神分裂病に罹っている。
そもそも精神病とは自分が道徳に反することをして自分で自分を不幸にすることである。本当は『人間は古皮質よりも新皮質のほうが大きいから、古皮質よりも新皮質を働かせれば幸福になれる』のに、精神分裂病では「古皮質を働かせれば幸福になれる」と思って一生懸命に古皮質を働かせようとして自分で自分を不幸にしている。本当は『人間は自分の本心を満足すれば幸福になれる』のに、神経症や鬱病[うつびょう]では「自分が他人によく思われれば幸福になれる」と思って自分の見栄欲を満足しようとして自分の本心を満足できなくなってイライラしたり気分が落ち込んだりして自分で自分を不幸にしている。人間が正しい道徳を理解して自分の脳の働かせ方を変えて自分で自分を幸福にできるようになれば精神病が治る。
昔の人は文明が低くて不合理的だったために不合理的なことに詳しかった。反対に、今の人は文明が高くて合理的なために不合理的なことに疎[うと]くなっている。そのために、今の人は不合理的なことでまちがいを犯しやすくなって危険に暮らさねばならなくなっている。
政府についてもそうである。
昔の人は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知っていた。そのために、昔の人は政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、政府は国民を恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居をしていることがわかっていた。昔の人は本当は(つまり現実の上では)『政府と国民が平等である』ことを知っていたので自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて自分が幸福になるときだけ政府の命令を聞いていた。昔の人は政府の命令を自分で選んで聞いて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の人は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならなくなっている。今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知らない。そのために、今の人は政府の「上の者」の芝居をそのまま鵜呑[うの]みにして「政府が上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでも聞いて不幸に暮らしている。
今の人は不合理的なことに疎いから政府のことも疎い。政府についてよく知らない。いくら今の国民が合理的だからといって不合理的なことを知らないくていいわけではない。今の人は不合理的なことをよく勉強してよく知って人間の心に“悪いことをされる喜び”があることを知って、政府のことを理解して、今の自分が政府の悪い命令を聞かなくていいことを理解して、政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで政府を倒して、国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にする会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
[23047] 国民は面白いアニメやマンガのために不幸にされてはたまらない。 h28.9.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をしている。政府は「インチキな民主主義」の芝居をするために「間接民主制をやって自分が国民の選挙で選ばれて上の者になって国民を自分の好き放題にするために悪い命令を出す」芝居をしたり「国民の眼の前で善いことをしているふりをして自分が国家権力を得て上の者になって自分の権力で国民に悪い命令を出す」芝居をやっている。政府は「インチキな神主義」の芝居をするために「国家宗教の神の情報を使って悪い命令を作って国民に悪い命令を出している」芝居をやっている。そうやって、政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから無理やり国民に悪い命令を聞かせている」と思わせて国民に「自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞けるようにしている。そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにいろんな悪い命令を出して、国民の好き勝手に政府の悪い命令を聞かせて国民に自分の“悪いことをされる喜び”を満足させて国民を幸福にしている。国民は自分で政府の悪い命令を選んで自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足して自分を幸福にすればいい。つまり、政府は国民が恥ずかしがらずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。税金は政府が国民からお金を強盗することであり悪いことである。政府は国民に税金の命令を出す芝居をやって、国民の好き勝手に政府に税金を払わせて国民に自分の“悪いことをされる喜び”を満足させて国民を幸福にしている。政府は国民から税金を取って儲[もう]けて、自分のお金で『本当の民主主義や本当の神主義』をやって国民に善いことをしている。つまり、政府は仕事で悪いことをやって、遊びで善いことをする会社である。政府は自分の給料を使って『本当の神主義』をやってアニメ会社やマンガ会社にお金をやって面白いアニメやマンガを作らせている。だから、国民は面白いアニメやマンガを見られるのである。アニメ←動画←ドウガ←ドガ←ガド←カブ(ド≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、マンガ←ガマン←カブ(マ≒フ、ン≒゛)←川ブ←私だから、政府は私を神とする国家宗教で面白いアニメやマンガを作らせている。
しかし、政府は「上の者」の芝居をやっている。今の国民は文明が高くて合理的になって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知らない。そのために、今の国民は政府が何のために「上の者」の芝居をやっているのかわからず、政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に(つまり現実の上で)上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて不幸になっている。政府は「インチキな民主主義」の芝居で国民に“善いふりをしてじつは悪い命令”を出す芝居をやったり「インチキな神主義」で国民に“国家宗教の神の情報を使った悪い命令”を出す芝居をやったりして国民を不幸にしている。例えば、今の政府は国民に不味[まず]い物を食べる命令や国民に不快な家に住む命令や(ドラえもんの新キャラクターのように)汚い服を着る命令やマンガやゲームをやる命令やセックスやオナニーをする命令やイケ面やナイスボディにする命令を出す芝居をしている。しかし、本当は人間は美味[うま]い物を食べたり快適な家に住んだりきれいな服を着たり他人の本を読んだり自分で考えたことをノートに書いたりして頭で考えたり自分の顔や身体にこだわらないのが好きである。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いてさんざん不幸にされながら、政府に税金を取られて政府が儲かって、政府が自分の給料でアニメ会社やマンガ会社にお金をやって面白いアニメやマンガを作らせている。今の国民は政府に不幸にされながら幸福にされている。今の国民は政府のために泣き笑いの日々を過ごしている。(政府が国民に悪い命令を出す芝居をしなければ政府が「上の者」の芝居をしたことにならず国民が「政府が上の者だ」と思わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れるから、政府は自分が生き残って自分の儲けで国民に善いことをするためにはどうしても国民に悪い命令を出す芝居をしなければならないのである。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていたが、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていないから、政府が今の国民から税金を取るためには政府が「上の者」の芝居をやって国民に「政府を上の者だ」と思わせねばならずそのためには政府が国民にたくさん悪い命令を出す芝居をやるしかないのである。今の政府が昔の政府のように国民に税金の命令を出す芝居をしただけでは国民に「政府が上の者だ」と思わせるには至らないので、今の政府が国民に「政府が上の者だ」と思わせるためにはたくさん悪い命令を出す芝居をやらねばならないのである。そのために、今の国民は政府にさんざん不幸にされている。政府が悪い命令を世の中に撒[ま]き散らして国民を不幸にするのはもはや公害である。政府が「上の者」の芝居だけで国民から税金を取り続けるためには、政府は昔よりも過激に「上の者」の芝居をしなければならず、そのためには政府は国民にたくさん悪い命令を出す芝居をやらねばならないのである。天皇家の情報だけではたくさん悪い命令を作るためには足りないので、政府は昭和40年=1965年ごろに私を新たに国家宗教の神に加えたのである。)
今の政府は国民を不幸にしながら幸福にしている。今の国民は政府に不幸にされながら幸福にされている。国民は政府に面白いアニメやマンガを作ってもらうために不幸にされてはたまらない。そもそも国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒して、政府の替わりにアニメ財団やマンガ財団を建てねばならない。アニメ財団やマンガ財団は国民からお金を集めて面白いアニメやマンガを作るためにお金を出さねばならない。そうやって、国民が自分の手で自分が幸福に暮らせる社会にしないといけない。国民はアニメやマンガで面白がるよりも、現実の世界そのものを自分にとって幸福な世界にしないといけない。
[23048] 今の政府は自分が生き残るために国民みんなを不幸にしている。 h28.9.16
政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。政府の仕事はけっして国の経済を発展させたり国の科学技術を進歩させたりすることではない。政府は「インチキな民主主義」の芝居をするために「国民の眼の前で善いことをしているふりをして国家権力を得て上の者になる」芝居をするために経済企画庁や科学技術庁を建てているだけである。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたから、自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていたので、政府はすごく儲[もう]かっていた。政府は儲けすぎてお金が余っていたので国民のためにお金を使って善いことをやっていた。政府は儲かりすぎて自分の給料を差し引いてもお金があり余っていたので余ったお金で国民のために善いことをやっていた。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払わなくなっている。しかし、今の国民は文明が高くなって合理的になって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府のことがわからなくなって政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が上の者だ」と思って政府に従っている。今の政府は「上の者」の芝居だけで国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を従わせて国民に命令して国民から税金を取らねばならなくなっている。そのために、今の政府は「上の者」の芝居をやりまくって国民に悪い命令を出す芝居をしまくって国民を不幸にしまくっている。今の政府は国民に『国民と政府が平等だ』と思われて国民になめられては困るので自分のお金で国民のためにあまり善いことをしなくなっている。
今の政府は自分が生き残るために国民を不幸にしている。今の国民は政府が生き残るために不幸にされてはたまらない。今の国民は自分が幸福に生きるために政府を倒さねばならない。
そもそも政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で上の者であって、現実の上では上の者ではない。国民は芝居の上で政府に従わねばならないのであって、現実の上では政府に従わなくていい。政府は芝居の上で国民に悪い命令を出しているのであって、現実の上では国民に何も命令していない([23036]参照)。国民は現実の上では政府の命令を聞かなくていい。国民は政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなくていい。国民みんなで早く政府を倒して、自分が生き残るために国民みんなを不幸にする会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[23049] 今日の仕事探し h28.9.16
一昨日[おととい]派遣会社のN社に島根県出雲市斐川町[ひかわちょう]のM田製作所の小型電子部品の製造の仕事を頼んでおいたが今日昼ごろ連絡があって見送りになった。ただ、そこは月収30万円もあるところだからどうせ最初から無理だっただろうが。
昨日前にお世話になった派遣会社のT社から連絡があって今日工場へ見学に行ってきた。工場は私が住んでいる下宿から自転車で10分もかからないところにある。時給800円で1日実労働時間が6時間ぐらいである。土日休みである。月収は日給5000円×20日=10万円ぐらいである。なんとかギリギリで生きていけるぐらいだ。10万円では無理か?正直言って、給料面ではあまりうれしくない。
来週火曜日の夜から夜勤で働くことになった。私の政府についての考察もほぼそれまでだ。
今日さっそく母に仕事が決まったことを電話で連絡したら、いつもより母が電話に出るのが遅くて母の声が小さかった。母は2日前に家の階段からこけて肩と腰を打って痛いと言っていた。母は独[ひと]り暮らしである。母は歩いて近所のスーパーに買い物に行けるのだろうか?心配だ。
仕事をするために一番大事なのは食べることと寝ることだ。食べることと寝ることさえしっかりしていれば、あとはうまく行く。仕事はうまく行く。以前私が兵庫県朝来市和田山町[あさごしわだやまちょう]で働いていたころには眠るために寝る前に焼酎お湯割り2杯と海外輸入代行で買った睡眠薬(シンプリースリープ、有効成分ジフェンヒドラミン)を毎日2錠から6錠飲んでいた(1回通常2錠)。しかし、実際には睡眠薬はほとんど効かず毎日寝不足だった。薬が私の症状に合っていなかったと思われる。和田山では近所のスーパーで美味[うま]い物を売っておらずご飯と味噌汁が食べれず栄養状態がよくなかったし、睡眠薬が合っていなかったのがいけなかったと思われる。毎日睡眠薬を飲みすぎていた。そのため、健康診断ではいつも肝機能が悪かった。
最近私はアマゾンの通販で『【Amazon.co.jp 限定】ファイン グリシン3000 ハッピーモーニング 30包』(\1,495)を買って飲んでいる。1包では量が多すぎるので1回1/2〜1/3包を水で溶[と]いて飲んでいる。これはよく効く!飲んでから30分ぐらいしたら自然に眠たくなって6時間ぐらいよく眠ってから眼が醒[さ]める。起きた直後は頭がちょっと重いが1時間ぐらいで直る。これはいい!睡眠薬はこれで決まりだ!!頭がちょっと重たくなるのが欠点だが、寝不足予防のためには仕方がない。あとは、栄養不足を補うためにビタミン剤やアミノ酸製剤やEPA製剤などを飲むといいでしょう。アマゾンでいい製品が見つかったらまた報告する。
仕事がきついか楽かは“ちゃんと食べてちゃんと眠れる方法”を持っているかいないかで決まる。そんな方法を持っている人は12時間2交替でも楽に働ける。儲[もう]かる仕事にまわって働き甲斐[がい]のある豊かな楽しい人生を送れる。反対に、そんな方法を持っていない人は毎日つらい思いをしないといけない。8時間以下の時給の安い儲からない仕事にまわって働き甲斐のない貧しい面白くない人生を送らねばならない。私が以前働いていたときにはそんな方法を持っていなくて12時間2交替でそこそこ収入はよかったが大変つらい思いをした。私はいまだに方法がわかっていない。今後いい方法が見つかれば報告する。派遣会社が“ちゃんと食べてちゃんと眠れる方法”のマニュアルでも作って労働者に与えれば儲かるだろう。
h28.12.30追記:グリシンは頭がギリギリ痛くなってかえって眠れなくなることがある。自分の身体に合わないときにはグリシンを飲んではいけない。毎日仕事の後に缶ビール500mlを飲んだ方がよく眠れるかもしれない。しかし、冬場はお腹が冷えるのでつらいかもしれない。しかも、缶ビールを飲むと次の日働くときに酔いが残って仕事をするのがつらいかもしれない。自分がよく眠れる方法は自分で試行錯誤で見つけるしかない。私がいい眠れる方法が見つかれば報告する。もっとも、今の私はまだ定職に就いていないのできちんと眠る必要がないのでよく眠れる方法についてはまだ考えていない。
[23050] 今の政府は国民を不幸にする会社にすぎない。 h28.9.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民は文明が低くて不合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知っていたので、政府が「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから国民に税金の命令を聞かせている」と思わせて国民に「国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の税金の命令を聞いている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにしていることがわかっていたので、国民は恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。昔の政府は国民から税金を取ってすごく儲[もう]かっていた。昔の政府は自分の給料を差し引いてもたくさんお金が余ったので、昔の政府は自分の給料を取った残りのお金を使って国民のために善いことをたくさんやっていた。
今の国民は文明が高くて合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていないので、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知らないので、政府がどんな会社なのかわからず政府が何のために「上の者」の芝居をやっているかわからないために、政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が上の者だ」と思って政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っている。しかし、一方で国民は『人間はみな平等だ』と思っているので『政府が上の者でない』と考えて政府に税金を払わなかったりもする。そのため、政府は必死で「上の者」の芝居をやって「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居を一生懸命にやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に税金の命令を出す芝居をやって国民から税金を取ろうとしている。今の政府は「上の者」の芝居を熱心にやりすぎているために国民にたくさん悪い命令を出す芝居をやりすぎて国民を不幸にしすぎている。しかも、今の国民は文明が高くなって科学を勉強しすぎて自分の心に疎[うと]くなって道徳に疎くなって政府の悪い命令が善い命令なのか悪い命令なのかわからないまま政府の悪い命令をおとなしく聞いている。今の政府は国民に悪い命令を出す芝居をやって国民に不味[まず]い物を食べさせたり不快な家に住ませたり汚い服を着させたりゲームやマンガをやらせたりセックスやオナニーをやらせたりイケ面やナイスボディをやらせたりして国民をさんざん不幸にしている。しかしながら、今の国民の多くが『政府と国民が平等だ』と思っているために、今の政府は国民からあまり税金をもらえず儲かっていない。今の政府は儲かっていないので自分の給料を取った残りがほとんどなくて国民のために善いことを何もやれなくなっている。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで政府に税金を払っていた。今の国民は政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者だ」と思わされて政府にいやいやしかたなく税金を払っている。昔の政府は国民を幸福にする会社だったが、今の政府は国民を不幸にする会社にすぎない。昔の国民にとっては政府が必要だったが、今の国民にとっては政府は要らない。そもそも現実の上では『人間はみな平等』だから、現実の上では政府と国民は平等だから、政府は現実の上では「上の者」をやれない。政府は芝居の上で「上の者」をやっているだけである。政府は芝居の上で「上の者」として国民に税金の命令を出しているだけで、現実の上では「上の者」として国民に税金の命令を出していない。だから、国民は現実の上では政府に税金を払わなくていい。たとえ政府が現実の上で『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として国民に税金の命令を出していたとしても、現実の上では政府と国民は平等だから国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由だから、現実の上では政府の命令は強制ではないから、国民は自分が嫌なら政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府に税金を払うのが好きだったので政府に税金を払っていたが、反対に今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府に税金を払うのが嫌なので政府に税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民から税金を取って国民を嫌がらせる会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。国民みんなで政府の税金を介して善いことをする会社にお金をやるのをやめて、国民みんなで直接に善いことをする会社にお金をやって善いことをしてもらわねばならない。
[23051] 今の政府は自分が国民から税金を取るために国民をさんざん不幸にしている。
h28.9.17
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから無理やり国民に税金の命令を聞かせている」と思わせて国民に「国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に税金を払っている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払えるようにしている。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、政府は国民に税金の命令を出して国民が自分の好き勝手に政府の税金の命令を聞けるようにして国民に自分の“悪いことをされる喜び”を満足させるようにして国民を幸福にしている。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていたので、自分から喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。昔の政府が国民から税金を取るためには国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのを恥ずかしがらせないために「上の者」の芝居を軽くやって国民に税金の命令を出せばよかった。昔は国民が自分のほうから喜んで政府に税金を払っていたので政府はすごく儲[もう]かっていた。昔は国民が『国民と政府は平等だ』と思っていたので、政府は国民の考えに合わせるために自分が国民から税金をもらって儲けたお金で国民のために善いことをいっぱいやっていた。
反対に、今の国民は「政府が上の者だ」と思って政府にいやいやしかたなく税金を払っている。今の政府が国民から税金を取るためには「上の者」の芝居を派手[はで]にやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に税金の命令を出して国民から税金を取らねばならない。そのために、今の政府は「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居を一生懸命やって国民にインチキな民主主義やインチキな神主義で悪い命令をたくさん出して国民を不幸にしまくって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民から税金を取っている。今の国民は政府の悪い命令を聞いて不味[まず]い物を食べて不快な家に住んで汚い服を着てマンガやゲームをやってオナニーやセックスをやってイケ面やナイスボディにして自分が嫌なことをいっぱいやって不幸に暮らしている。今の国民は政府が国民から税金を取るだけのために余計な悪い命令をいっぱい聞かされて不幸にされまくっている。いくら今の国民が「政府が上の者だ」と思っていても、今は国民がいやいやしかたなく政府に税金を払っているので国民が政府に税金を払わないこともしょっちゅうあるので政府はあまり儲かっていない。今の政府は国民に「政府が上の者だ」と思わせねばならないので、国民に『政府と国民が平等だ』と思わせないために自分が国民から税金を取って儲けたお金で国民のために善いことをやらない。もっとも、政府が国民から税金を取って儲けたお金は政府のお金だから、政府が自分のお金をどう使おうが政府の勝手だが。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために大喜びで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者だ」と思っていやいやしかたがなく政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っている。しかし、本当は『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて自分が政府に税金を払うのが好きだったから政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していなくて自分が政府に税金を払うのが嫌だから政府に税金を払わなければいい。早く国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、自分が国民から税金を取るために国民をさんざん不幸にする会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[23052] 今の人間は合理的だから性欲を満足してはいけない。 h28.9.18
今では国民が文明が高くなって物を使って自分の心を満足するようになって物に対する理解が深まって物が論理で動くから人間も論理的に思考するようになって合理的になっている。今の国民は“悪いことをされる喜び”が不合理的な喜びだから満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなくなったので政府が潰[つぶ]れている。そのために、政府は必死で「上の者」の芝居をやって「インチキな民主主義やインチキな神主義で国民に悪い命令をいっぱい出しまくる」芝居をやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を従わせて国民から税金を取ろうとしている。しかし、今の国民は『現実の上では『人間はみな平等』だから政府と国民は平等である。政府は芝居の上で上の者をやっているにすぎず、現実の上では上の者をやっていない。国民は現実の上では政府に従わなくていい。国民は現実の上では政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい』と考えて、政府に税金を払わなくなっている。そのため、政府はますます潰れている。(政府が「上の者」の芝居なんかせずに国民のために善いことをすれば国民が政府に税金を払うと思うかもしれないが、政府の仕事は「上の者」の芝居をやることと国民に税金の命令を出して国民の自由に政府に税金を払わせることだけなので、政府の仕事は国民に善いことをすることではないので、政府は国民から税金をもらって自分では善いことをせずに善いことをする会社にお金をまわすだけなので、国民が政府を介さずに直接に善いことをする会社にお金をやればいいことになって政府が潰れるので、政府は自分が生き残るためには「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民から税金を取るしかないのである。それに、政府が国民のために善いことをするのは政府が自分のポケットマネーでやっている遊びであって仕事ではないので、政府が自分のお金をどう使おうが政府の自由なので、国民が政府にお金を払ったからといって政府が国民のために善いことをするとは限らないので、政府が善いことをすることによって国民が政府にお金を払うことはない。財団にとっては国民からお金をもらって善いことをする会社にお金をやるのが仕事だが、政府にとっては遊びなので、国民が確実に自分に善いことをしてもらうためには政府ではなく財団にお金をやったほうがいい。もっと確実に国民が善いことをしてもらうためには、国民が善いことをする会社に直接お金をやったほうがいい。善いことをする会社にとっても確実に自分の仕事に対する報酬をもらうためにはお金をくれるかくれないかわからない政府に頼るよりも、国民と契約して国民から直接にお金をもらったほうがいい。国民が善いことをしてもらうためには国民にとっても善いことをする会社にとっても政府が邪魔[じゃま]である。だから、政府は善いことをすることによって国民からお金を取ることはできない。政府が国民からお金を取るためには政府が「上の者」の芝居をやるしかないのである。)
今では国民が文明が高くなって合理的になっている。今の国民は合理的な喜びを満足して不合理的な喜びを満足しなくなっている。今の国民は食べたり眠ったり健康であったりする喜びを満足して幸福に暮らしている。今の国民は考える喜びや現実を理解する喜びや現実に従う喜びを満足して生きている。今の国民は大脳の新皮質の喜びを満足して古皮質の喜びを満足しないようにして幸福に生きている。人間の大脳の新皮質は古皮質よりも発達している。人間にとっては新皮質の喜びのほうが古皮質の喜びよりも多い。人間の新皮質と古皮質は拮抗[きっこう]している。つまり、人間は新皮質を活動させれば古皮質が活動せず、反対に古皮質を活動させれば新皮質は活動しない。そう考えなければ精神分裂病がなぜあるかがわからない。だから、人間は新皮質の喜びを満足して古皮質の喜びを満足しなければ幸福に生きられるのである。(東大教授が「人間は古皮質の喜びと新皮質の喜びの両方を満足すればいい」と言っているのは嘘[うそ]である。人間の古皮質と新皮質は拮抗するから両方を活動させることはできない。東大教授は国民に古皮質の喜びを満足させて新皮質の喜びを満足させないようにして国民を不幸にするために嘘をついているのである。東大は政府の機関だから、政府は国民に悪い命令を出すから、東大教授は国民にまちがいを教えているのである。だから、国民は自分で考えて東大教授の言うことを聞かないようにしないといけない。新皮質と古皮質は拮抗するので、人間は新皮質を働かせるか古皮質を働かせるかのどちらかひとつである。人間は頭がいいか外見がいいかのどちらかひとつである。だから、昔から『天は二物[にぶつ]を与えず』というのである。)
性欲は合理的な喜びではない。不合理的な喜びである。人間は子供を作るためだけに性交するのであって、性欲を満足するために性交するのではない。人間が子供を作らずに性欲だけを満足するのは、自分の快楽だけを求める行為であって現実の喜びではなく不合理的な喜びである。“眼で見る喜び”が現実の理解を伴わない空[むな]しい喜びであり現実から浮いた喜びであり現実の中にない喜びであり不合理的な喜びであるのと同じことである。
人間にとっては物を作り物を改良することが幸福である。だから、人間にとっては子供を作り子供を育てることが幸福である。性交は人間が子供を作るための手段にすぎない。人間は性交で喜んではいけない。性欲は人間の大脳の古皮質にある古臭い喜びである。だから、人間は性欲を満足してはいけない。人間が性欲を満足すると古皮質全体の活動が亢進[こうしん]して“眼で見る喜び”や支配欲やテレパシー器官を活動させて精神分裂病に罹[かか]る。だから、人間は性欲を満足してはいけない。人間は性欲や“眼で見る喜び”や支配欲やテレパシー欲(テレパシーを使いたい欲望)を満足しないようにして、考える喜びや現実を理解する喜びや現実に従う喜びを満足して幸福に生きていかねばならない。
[23053] 昔の政府は国民を幸福にしてくれたが、今の政府は国民を不幸にしている。
h28.9.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、合理的な人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の仕事は「上の者」の芝居をやることと国民に税金の命令を出して国民の自由に政府に税金を払わせることである。政府は遊びで国民からもらった税金から自分の給料を引いて残ったお金で国民のために善いことをやったりしている。政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府は自分が「上の者」の芝居をするために具体的に「“インチキな”民主主義や“インチキな”神主義」の芝居をしているだけであって、けっして政府は「民主主義の団体」や「神主義の団体」ではない。政府の仕事は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足することであって、国民のために善いことをすることではない。だから、政府は国民に善いことをしなくてもいい。政府は国民からもらった税金を全部自分の給料にしてもいい。政府が国民からもらった税金は政府のお金だから政府がどう使おうが政府の勝手である。国民がいくら政府にたくさん税金をやっても政府が善いことをするとは限らない。政府が善いことをするのは不確実で当てにはならない。
昔の国民は文明が低くて不合理的だったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分のほうから政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払いたかったが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしくて政府の税金の命令を聞けなかったので、昔の政府は軽く「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから無理やり国民から税金を取っている」と思わせて国民に「国民が自分で自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に税金を払っている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにして国民から税金をもらって儲[もう]けていた。昔の国民は自分が幸福になるために自分のほうから喜んで政府に税金を払っていたので政府がすごく儲かっていたし、昔の政府は国民の反感を買わないために『政府と国民が平等だ』と思わせねばならなかったので、昔の政府は国民に善いことをたくさんやっていた。
反対に、今の国民は文明が高くて合理的なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならなくなった。今の国民は自分から政府に税金を払わなくなった。そのため、今の政府は「上の者」の芝居に力を入れて「インチキな民主主義やインチキな神主義で悪い命令を出す」芝居をいっぱいやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせて国民に税金の命令を出して国民から税金を取っている。今の国民は政府の悪い命令をいっぱい聞いてさんざん不幸になっている。今の国民はいやいやしかたがなく政府に税金を払っているので政府にあまり税金を払わないので政府は儲かっていないし、今の政府は国民に『政府と国民が平等だ』と思わせてはいけないので、今の政府は国民に善いことをあまりしなくなっている。
昔の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民から税金を取ったり、自分のポケットマネーで国民のために善いことをしたりして国民を幸福にしていた。反対に、今の政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だ」と思わせるために国民に悪い命令をいっぱい出して国民から税金を取ったり国民にたくさん悪いことをやらせたりして国民を不幸にしている。昔の国民にとっては政府は国民を幸福にしてくれたので政府があったほうがよかったが、今の国民にとっては政府は国民を不幸にするだけなので政府はないほうがいい。そもそも現実の上では『人間はみな平等』であるから、政府は現実の上では上の者をやれないから、芝居の上で上の者をやっている。政府は芝居の上では上の者だが、現実の上では上の者ではなく国民と平等である。国民は現実の上では政府の命令を聞かなくていい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していなくて政府に税金を払うのが嫌だから政府に税金を払わなければいい。今の国民みんなは早く政府を倒して、国民に悪い命令をいっぱい出す会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らせる国にしないといけない。
国民が政府のことについて考えていれば上のように考えてとっくの昔に政府がなくなっているはずである。実際には、国民が政府のことについて何も考えていないから上のようなことがわからず今でも政府が建っている。国民はもっと政府のことに興味を持って政府について考えねばならない。
[23054] 今の政府が国民から税金を取るためには国民が政府の「上の者」の芝居を見ていなければならない。☆
h28.9.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びだから、合理的な人間が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。人間が合理的になるほど自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために具体的には「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから国民から無理やり税金を取っている」と思わせて国民に「自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に税金を払っている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにしている。政府は国民に税金の命令をして国民に自由に税金の命令を聞かせて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする。
昔は国民が文明が低くて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて自分のほうから政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払いたかったから、昔の政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だから無理やり国民から税金を取っている」と思わせて国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにして国民に税金を払わせて国民から税金をもらって儲[もう]けていた。昔の政府は自分独[ひと]りで「上の者」の芝居をやって、国民みんなは「政府が上の者の芝居をやっている」ことを知っていさえすればよかった。国民みんなはいちいち政府の「上の者」の芝居を直[じか]に自分の眼で見なくても「政府がどこかで上の者の芝居をやってくれているから、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していることがわからない」と思って安心して政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。
今は国民が文明が高くて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していなくて自分から政府に税金を払わなくなったので、今の政府は「上の者」の芝居を熱心にやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせることによって国民に命令して国民から税金を取っている。しかし、今の国民の中には政府の「上の者」の芝居を見ない者がいる。だから、今の国民には「政府が上の者だ」と思わない者がいる。だから、今では政府は一部の国民からしか税金を取れない。例えば、今の私は約10年ぐらいテレビや新聞で政府のことを見ていない。だから、私は「政府が上の者だ」と思わないから政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなくていい。
昔は政府が自分独りで「上の者」の芝居をやって国民みんなが「政府が上の者の芝居をやっている」ことを知っているだけで、国民みんなが恥ずかしがらずに政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。今は政府がテレビや新聞で「上の者」の芝居を国民みんなに見せて国民みんなに「政府が上の者だから国民は政府に従わねばならない」と思わせることによって国民に税金の命令を出して国民から税金を取っている。
昔は政府が国民に税金を払わせるためには、政府が自分独りで「上の者」の芝居をしていさえすれば国民が政府の「上の者」の芝居を見なくてもよかった。そのため、政府が国民みんなから税金を取ることができた。しかし、今は政府が国民に税金を払わせるためには、国民が政府の「上の者」の芝居を毎日見なくてはならない。しかし、国民が政府の「上の者」の芝居を見るか見ないかは国民の自由なので、政府は国民みんなからは税金を取れなくなっている。
したがって、今の国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。今の国民は自分が政府の「上の者」の芝居をテレビや新聞で見ていなくて「政府が上の者だ」と思っていなければ政府に税金を払わなければいいのである。
政府は「上の者」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の政府には『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する』働きがないから、政府は「上の者」の芝居をやる会社にすぎない。政府と国民は平等だから、国民が政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けるか受けないかは国民個人の自由である。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。いくら周[まわ]りのみんなが政府に税金を払っていても自分は政府に税金を払わなくてもかまわない。今の国民は自分が政府の「上の者」の芝居を見ていなくて「政府が上の者だ」と思わなければ政府に税金を払わなければいい。
政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府は「上の者」の芝居をする会社にすぎない。政府は「“インチキな”民主主義や“インチキな”神主義」の芝居をする会社にすぎない。政府はけっして「民主主義の団体」や「神主義の団体」ではない。今の政府は「上の者」の芝居をする会社であって、けっして国民のために善いことをする会社ではない。国民が政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者だ」と思って政府に払った税金は政府のお金だから政府が自分のお金をどう使おうが政府の勝手だから、政府が国民からもらった税金で善いことをしなくてもかまわない。政府は国民からもらった税金を全部自分の給料にしてもかまわない。国民は政府が国民からもらった税金で国民のために善いことをしなくても政府に文句を言えない。今の政府は「上の者」の芝居をしているだけであって、国民を幸福にすることをしていない。政府と国民は平等である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。だから、国民は政府に税金を払わなければいい。国民は政府にお金をやらず“善いことをする会社”に直接にお金をやって善いことをしてもらえばいい。
今の政府は「上の者」の芝居をする会社であって、「民主主義の団体」や「神主義の団体」ではない。今の政府は「上の者」の芝居をやって国民から税金を取る会社であって、けっして国民のために善いことをする会社ではない。今の政府は国民の役に立たない。だから、今の国民は政府にお金を払わなければいい。今の国民は早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、「上の者」の芝居をやって国民からお金を取る会社をなくして、国民みんなでお金の無駄[むだ]使いをやめて豊かに暮らさねばならない。
政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。要するに、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたからたとえ政府が善いことをしなくても自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。昔の国民が政府に税金を払っていたのは政府に善いことをしてもらうためではなく自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためである。政府は国民からたくさん税金をもらって儲[もう]かりすぎたのでお金に余裕があったので国民のために善いことをやっていたのである。お金持ちのやることは貧乏人にはわからない。お金持ちは自然に国民のために善いことをやりたい気持ちになるのだろう。日本人はあまりお金を派手[はで]に使って遊ぶのが好きではないので、政府は遊びの一種として国民のために善いことをやっていたのかもしれない(カッコよすぎ)。国民が政府に払った税金は政府のものであって政府がどう使おうが政府の勝手である。国民は政府のお金を当てにはしていない。日本人は不確実なことが嫌いだから、曖昧[あいまい]なことが嫌いだから、けっして政府のお金を当てにはしない。日本人は乞食[こじき]が嫌いだから自分が政府にお金を恵んでもらうつもりはない。だから、国民が政府に税金を払うのは政府に善いことをしてもらうためではなく自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするためである。だから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わなければいい。国民は早く政府を潰[つぶ]して、善いことをする会社に直接にお金をやって善いことをやってもらえばいいのである。
作家は面白くない作文を面白い作文として売ってお金を儲[もう]けている。面白いか面白くないかははっきりと区別できないから作家は曖昧[あいまい]さにつけ込んでお金を儲けているのである。作家はインチキ稼業[かぎょう]である。文学部は曖昧さにつけ込んで儲けるインチキな仕事ばかりである。文学部は誤魔化[ごまか]しだらけの汚い仕事ばっかりである。文学部は詐欺[さぎ]である。日本人は曖昧なことが嫌いである。だから、日本人は作家のくだらない作文を買わないようにして、文学部のくだらない仕事をなくして、日本をはっきりしたことしかないはっきりした国にしないといけない。
[23055] 今の国民は政府に税金を払わずに直接に善いことをする会社にお金をやればいい。☆
h28.9.19
政府は「上の者」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。政府はけっして民主主義の団体や神主義の団体ではない。だから、政府は仕事の上ではけっして国民のために善いことをしない。(神はたいてい国民のために善いことをするから、神主義では国民のために善いことをする。)政府は仕事の上では国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令(おもに税金の命令)を出すだけである。
昔は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていたから、政府は「上の者」の芝居をやって国民が政府に税金を払うのを恥ずかしくないようにして国民から税金をもらっていた。今は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって自分から政府に税金を払わなくなったので、今の政府は「上の者」の芝居をやることによって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に税金の命令を出して国民から税金を取っている。
政府は国民からもらった税金から自分の給料を引いて残ったお金で国民のために善いことをすることもある。善いことをする会社(例、国鉄)は政府に頭を下げて政府からお金をもらう。これではまるで国民が政府にたかる暴力団みたいだ。(国民が政府に頭を下げて政府からお金をもらわねばならないのは、政府が上の者だからではなく、もともと政府のお金だからである。)
しかし、政府が国民からもらった税金はあくまでも政府のお金である。政府が自分のお金をどう使おうが政府の勝手である。政府が自分のお金で国民のために善いことをしようが自分のためにくだらない遊びに使おうが政府の勝手である。政府が国民にお金をくれるかどうかは政府の気まぐれである。国民が政府からお金をもらえるかどうかは定かではない。
だから、善いことをする会社は政府に頭を下げて政府からお金をもらうよりも、国民に直[じか]に頭を下げて国民からお金をもらったほうがいい。国民のために本当に善いことをするなら、国民からお金をもらえるはずだ。だから、そうすればいい。国民も自分が政府に税金を払っても政府が善いことをする会社にお金をやるかどうかわからないから、国民が直に善いことをする会社にお金をやって善いことをしてもらえばいい。国民と善いことをする会社が政府をはさんでお金のやり取りをするよりも、政府を仲間はずれにして国民と善いことをする会社の間で直接にお金のやり取りをすればいい。昔は国民が景気よく政府に税金を払いすぎてお金がなかったために、善いことをする会社が国民からお金を取れなかったから、善いことをする会社が政府からお金をもらわねばならなかったのである。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして、直接に善いことをする会社にお金をやって善いことをやってもらえばいいのである。今の国民は自分の頭を切り替えて、いつまでも昔と同じことをしないようにして、無駄[むだ]なことをしないようにしないといけない。
[23056] どうして政府は国民から税金を取るのか? h28.9.22
人間の心に“自分の財産を取られる喜び”があるからである。“悪いことをされる喜び”があるからである。(いくら人間の心に“悪いことをされる喜び”があるといっても悪いことなら何でもいいわけではない。“悪いことをされる喜び”を満足するためには特定の悪いことに限られる。財産を取られたり殺されたり暴行されたりすることに限られる。“悪いことをされる喜び”は人間がずっと昔(数千万年前ぐらい)他[ほか]の動物よりも弱い生き物で人間がほかの動物の仲間として他の動物に虐待されることを喜びとして生きていたころにルーツがあるので、自分の食料を他の動物に奪われたり自分が他の動物に食い殺されたり自分が他の動物に暴行されたりするような悪いことでないと喜びが得られないのである。私が生まれ育った高知県にも、自分が他人に悪いことをされたときに「よくもやってくれたにゃあ」と言ってニヤリとして喜ぶ習慣がある。“悪いことをされる喜び”はその類[たぐい]の“わけがわからない喜び”なのだ。人間もずっと昔は動物だった。他の動物といっしょに仲良く暮らしていた。動物にとっては他の動物の食料を奪い合ったり殺し合ったり暴力をふって戦い合ったりすることが楽しい遊びなのだ。もっとも、人間はずっと昔は弱い動物だったからやられ専門だったが。だから、人間には“悪いことをされる喜び”があるのである。ただ、人間の文明が進んで集団生活をするようになるとみんなが好き勝手に悪いことをやりあったら暮らせないので、みんなで『人間はみな平等である』ルールを決めて、国民は政府や宗教団体や暴力団の悪い命令だけを自分の好きなだけ聞いて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい程度に満足して幸福に暮らすようになったのだ。人間は弱い動物だったからこそ脳が発達したのだ。強い動物なら脳が発達しなくてもいい。人間は弱い動物だから脳が発達して万物の霊長になったのだ。今の人間は万物の霊長なのに“悪いことをされる喜び”がある。人間は変な生き物である。)
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)の国民は文明が低くて不合理的だったので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分から喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていた。もっとも、昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかったので、政府は「上の者」の芝居をやって国民に「自分が上の者だから無理やり国民から税金を取っている」と思わせて国民に「自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に税金を払っている」と思わせないようにして国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにしていた。政府は国民から税金を取って儲[もう]かりすぎたので、国民からもらった税金から自分の給料を引いて残ったお金で国民のために善いことをやっていた。付属会社を経営したり、国民のために善い政策をやったりしていた。昔の政府も文明が低くて不合理的だったので、“他人と自分の区別をつけなかった”ので自分のお金で国民のために善いことをたくさんやってくれたのである。だから、『幸せの王子』なんていうおとぎ話があるのである。
反対に、今(昭和40年=1965年ごろ以後)の国民は文明が高くて合理的になったので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって自分から政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。いくら政府が「上の者」の芝居をやっても、今の国民は政府が「上の者」の“芝居”をやっていると思って本当は『政府と国民が平等だ』と思って自分が政府に税金を払うのが嫌だから政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わない。(一部の馬鹿な国民は政府の「上の者」の芝居を真[ま]に受けて「政府が上の者だ」と思って政府に税金を払っているが。「政府が民主主義の団体だ」と思っている者は論外である。馬鹿以下である。せっかく政府が一生懸命に「上の者」の芝居をやっているのだからせめて「政府が上の者だ」と思ってやらねばならない。政府が民主主義の団体だと思っている国民は政府がやっているかやっていないかわからないことに対してお金(つまり税金)を払っている。政府が善いことをやっているかやっていないかわからないのに政府にお金を払うのはいいかげんである。昔の国民は“政府が税金の命令を出すこと”に対してお金(つまり税金)を払っていた。昔の国民はしっかりしていた。政府が民主主義の団体だと思っている国民はいいかげんである。政府がやっているかどうかわからないことに対してお金を払うのはお人よし馬鹿である。国民は政府がやっているかやっていないかわからないことに対してお金を払う必要はないのである。政府の仕事は国民に税金の命令を出すことだけである。だから、国民は政府が国民に税金の命令を出すことに対して自由にお金(つまり税金)を払ったり払わなかったりすればいいのである。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府に税金を払い、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府に税金を払わなければいいのである。政府は民主主義の団体つまり国民がお金をやれば国民のためになにか善いことをしてくれる団体ではない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社つまり国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで税金の命令を聞いて税金を払う会社なのである。政府の仕事は国民のために善いことをすることではなく、国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることである。だから、国民が政府に払った税金は政府のものである。政府がどうしようが政府の勝手である。政府が国民のために善いことをしようがしまいが政府の自由なのである。国民は政府を当てにすることはできない。)政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は国民から税金をもらえなくなって、国民からもらった税金から自分の給料を引いたらお金がないので国民のために善いことをやらなくなっている。付属会社を民営化したり、善い政策をやめたりしている。今の政府は文明が高くて合理的なので、“他人と自分の区別をつける”ので自分が国民からもらったお金は自分ひとりの物にして国民のために善いことをしなくなったからでもある。
今では政府が潰れている。国民は政府に税金を払わず、その替わりに善いことをする会社に直接お金を払って善いことをしてもらわねばならない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府のない社会にしないといけない。
[23057] どうして政府は嘘[うそ]をつくのか? h28.9.25
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は不合理的な喜びなので、国民が合理的になると自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。国民がもっと合理的になると自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。
政府は「上の者」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。そもそも政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を恥ずかしがらずに満足することができるようにするために「上の者」の芝居をやっているのである。
政府は「上の者」の芝居をやるために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。つまり、政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをすることによって国家権力や神の権力を得て自分が上の者になって自分の権力を使って国民に悪い命令(おもに税金の命令)を出す」芝居をやっている。政府は舞台の上で「政府が上の者であって国民から無理やり税金を取っている」芝居をやって『国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで政府に税金を払っている』ことがわからないようにして国民を恥ずかしがらせないようにしている。
政府は「上の者」の“芝居”をやっている。芝居は現実ではない。芝居は作り事である。だから、芝居の上ではなんでもアリである。嘘でもありである。だから、今の政府は本当は(現実の上では)『国民からろくすっぽ税金をもらわず国民のために税金を使っていない』のに、嘘をついてテレビや新聞や社会科の教科書などの上では「自分が国民みんなから十分な税金をもらっていて国民みんなのために税金を有効に利用している」ふりをしているのである。
政府は「上の者」の“芝居”をやっている。芝居は現実ではないから、芝居の上では法律が通用しないから、芝居の上では嘘をついてもいい。だから、政府は嘘をつくのである。政府は芝居の上ではあることないこと言っている。政府は芝居の上ではやっていることを言わなかったりやっていないことを言ったりしている。政府は昔から「上の者」の芝居をやる会社だと決まっているから、昔から国民みんなが政府が「上の者」の芝居をやっていることを知っているから、政府は嘘をついてもいいのである。普通の会社は芝居をやっていないから嘘をついてはいけない。国民は政府の芝居を真[ま]に受けて政府の嘘に騙[だま]されないようにしないといけない。
政府のことを理解せずに一方的に「政府は悪者だ」と決め付けて政府を攻撃する国民のほうが悪い。国民は政府のことをよく理解して『政府が悪いことをやっていない』と考えて政府を攻撃してはならない。政府は「上の者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり国民と平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいいのである。
[23058] 国民みんなで早く政府を倒して国民から無駄[むだ]なお金を取る会社をなくさねばならない。
h28.9.27
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。もっとも、今の国民は文明が高くなって合理的になっているので不合理的な“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。
政府は「上の者」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。もっとも、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているので、今の政府は「上の者」の芝居をやっている会社にすぎない。政府は芝居の上で国民よりも上の者であるだけで、現実の上では国民と平等である。おまけに、政府は自分のポケットマネーで国民のために善いことをやっている。
政府は「上の者」の芝居をするために「インチキな民主主義やインチキな神主義」の芝居をやっている。政府は「インチキな民主主義」の芝居をするために「間接民主主義をやって自分が国民の選挙で選ばれたので自分が国民を好き放題にできることにして国民に悪い命令を出す」芝居をやったり「2〜3人の国民が悪いことをやっているところをテレビで流して国民みんなの総意であることにして国民みんなに悪いことを命令して国民みんなに悪いことをやらせる」芝居をやっている。政府は「インチキな神主義」の芝居をやって「私や天皇家(外国ではキリスト)を神であることにして私や天皇(やキリスト)の情報を使った悪い命令(つまり、私の名前の川野延夫[かわののぶお]の“川ブ”や天皇家の“光る丸”やキリストの“十字架”や頭の周[まわ]りの“輪っか”が入った悪い命令)を作って国民に悪い命令を出して国民に悪いことをやらせる」芝居をやっている。しかし、政府は「上の者」の“芝居”をやっているだけで本当は国民と平等だから、国民は自分が政府の悪い命令を聞きたければ聞いてやればよく、反対に自分が政府の悪い命令を聞きたくなければ聞かずにやらなければいい。国民は自分が幸福に生きるためにテレビでやっている政府の世論操作に引っかからないようにして、自分で道徳や哲学についてよく考えて、善いことと悪いことを正しく区別して、自分が他人に善いことをやって悪いことをやらないようにしないといけない。自分が他人から善いことをされて悪いことをされないようにしないといけない。例えば、国民にとっては自分のお金を他人に取られることは不幸だから、国民が政府に税金を取られることは政府に悪いことをされることだから、国民は政府に税金を払ってはいけない。一方で、政府は国民からもらった税金から自分の給料を引いた残りのお金で国民のために民主主義っぽいことや国家宗教の神の情報を使った善いことをやっている。例えば、台風や地すべりの被災者のために一番安いボロ着や不味[まず]い食料を支給したり、津波の被災者をバスに乗せて連れて行って花火を見せたりしている(バス←ハズ←川ブ(“ズ”の右下斜め線を“ハ”に移す)←川野延夫[“かわ”のの“ぶ”お](私の名前)←私、花火←光る丸←神武天皇が東征のときに現れた光るとんび←天皇家)。
国民が毎日テレビで政府の「上の者」の芝居を見ているとだんだん「政府が上の者だ」と思えてきて政府に従うようになる。今の政府は「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に命令して国民から税金を取ろうとしている。国民はテレビや新聞で政府の「上の者」の芝居を見ないようにして「政府を上の者だ」と思わないようにして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。今の政府は国民からもらった税金から自分の高い給料を引いてちょっとだけ残ったお金で国民にためにちょっとだけ善いことをやっているにすぎない。国民が政府に税金を払わなければ、国民はたくさんお金に余裕があるから、台風や地震の被災者に直接に多くの募金をやって助けることができる。国民にお金の余裕があれば、たくさん工場を建ててたくさんの人を働かせてたくさんの人にお金をやってみんなで幸福に暮らすことができる。政府があるよりも政府がないほうがいい。だから、国民は早く政府を倒して、国民から無駄なお金を取る会社をなくさねばならない。
昔の政府は国民に命令して国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にしていた。昔の政府はちゃんと国民のために“仕事”をやっていた。しかし、昔でさえもすでに政府は大勢の職員を抱[かか]えすぎていた。国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためには少数の職員でいいのに、余計な職員を抱えすぎていた。今の政府は「上の者」の芝居をやって国民にウザい思いをさせているだけで国民を幸福にする仕事はなにもやっていないからなおさらである。政府は仕事の上で民主主義をやっているのではなく、「インチキな民主主義」の芝居をやっているにすぎない。政府は国民からもらった税金で国民のために善いことをやっているが、それは政府の仕事ではなく政府が自分の善意でやっている“遊び”にすぎないから、国民は政府の遊びに対してまでわざわざ税金を払う必要はない。政府が国民に善いことをするのは政府の仕事ではない。政府が国民に善いことをするのが仕事なら政府は必ず善いことをしないといけないが、政府が国民に善いことをするのは遊びだから政府は善いことをしてもしなくてもどうでもいいのである。政府が国民のために善いことをやるかやらないかは政府の勝手である。いくら国民が政府にたくさん税金を払っても、国民は政府が善いことをするのを当てにはできない。国民が政府がやるかやらないかわからないことに対してお金を払うのは国民がお目出度[めでた]馬鹿である。政府が善いことをやるかやらないかわからないことに対して国民が政府に税金を払うのは政府と国民が平等ではないから国民は政府に税金を払わなくていい。昔の政府は文明が低くて不合理的だったから国民からもらった税金を自分の物だと思わなかったので国民のために使ってくれた。今の政府は文明が高くて合理的だから国民からもらった税金を自分の物だと思っているので国民のために使わない。そもそも政府は民主主義の団体ではなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。だから、そもそも国民は政府に善いことをしてもらうために政府に税金を払うのではなく、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に税金を払う。昔の国民は不合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府にたくさん税金を払っていて政府が自分の給料を差し引いてもたくさんお金が残ったので政府が国民のために善いことがやれたが、今の国民は合理的で自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府に税金を払わなくなって政府が自分の給料を差し引いたらほとんどお金が残らないので政府が国民のために善いことがやれなくなっている。今の政府は国民にあまり善いことをしなくなっているから、今の国民は政府に税金を払わなければいい。国民は早く政府を倒して国民から無駄なお金を取る会社をなくして国民みんなでお金の無駄をなくして裕福に経済的に暮らさねばならない。
[23059] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体から民主主義の団体に変わったわけではない。
h28.9.29
昭和40年=1965年ごろになって国民が文明が高くなって合理的になった。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。
しかし、だからといって政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体から民主主義の団体に変わったわけではない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて、「上の者」の芝居のやり方を芝居っぽいやり方からリアルなやり方に変えただけである。昔は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っていたが、今は国民が政府の「上の者」の芝居を見て「政府が上の者だ」と思っていやいやしかたなく政府に従って政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払っている。そのため、昔の政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのを隠して国民が恥ずかしがらずにすむために冗談ぽく「上の者」の芝居をやっていたが、今の政府は国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせるためにリアルに「上の者」の芝居をやっている。
昔の政府は冗談ぽく「上の者」の芝居をやって国民が恥ずかしがらずに政府に税金を払えるようにして、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから喜んで政府の税金の命令を聞いて政府に税金を払えるようにしていた。昔の国民は自分から喜んで政府に税金を払っていたので、昔の政府は国民からたくさん税金をもらっていたので自分の給料を差し引いてもたくさんお金があったので国民のためにいろんな善いことをやっていた。
今の政府はリアルに「上の者」の芝居をやって、いまだに自分の“悪いことをされる喜び”を満足している変人に命令して他人を道連れに自殺させたり、悪いことをしたい悪人に命令して人殺しやイタズラをさせたり、国民みんなに命令して悪い法律や悪い文化や悪い習慣をさせたりして国民みんなを不幸にしている。今の政府はリアルに「上の者」の芝居をやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を従わせて国民に命令して税金を取っている。今の国民はいやいやしかたがなく政府に税金を払っているので、今の政府は国民から少ししか税金をもらっていないので自分の給料を差し引くとちょっとしかお金がないので国民のためにあまり善いことをしなくなっている。
昔の政府は国民に税金の命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にした上に余ったお金で国民のためにいろんな善いことをしてくれたが、今の政府は国民に「政府が上の者だ」と思わせるために国民を不幸にした上に余ったお金で国民のためにあまり善いことをしない。(つまり、昔のグリコ(政府のこと)は一粒で二度美味[おい]しかったが、今のグリコは一粒で二度不味[まず]いのだ。)今の政府は国民をさんざん不幸にして国民から税金を取って、国民のためにはちょっとだけしか善いことをしない。昔の政府は国民を幸福にしたが、今の政府は国民を不幸にしている。
そもそも『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。政府は芝居の上で上の者をやっているだけであって、現実の上では政府は上の者ではない。国民は政府が自分を幸福にするなら政府にお金を払い、政府が自分を不幸にするなら政府にお金を払わなければいい。今の政府は国民を不幸にするので、国民は政府にお金を払わなければいい。税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなで直接にお金を出して善いことをやって国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
※平成28年9月30日から同年12月9日まで私は母親の見舞いのために高知の母親の家に帰っていた。母は階段からこけて足を打って痛くて歩けなくなって食べることができず栄養不良になって玄関に倒れていた。高知赤十字病院で2週間感染症の治療を受けて、その後細木病院で5週間ぐらいリハビリをしていた。
[23060] 人間はどうして夢を見るか? h28.10.7
人間が夢を見るのは自分の心を空想の世界で満足するためである。人間は起きているときは現実世界の中で自分の心を満足しなければならないが、眠っているときは自分の認識界と現実世界の結合が切れているので、空想の世界で自分の心を満足して快感を得ることができる。つまり、人間は自分が快感を得るために夢を見るのである。
例えば、私は以前政府の人が私の政府論を読んで私の下宿に札束[さつたば]を持ってお礼に来る夢を見たことがある。たぶん現実には無理だろうなあ。
[23061] “上の者”は実在しない。 h28.10.11
政府が国民を恥ずかしがらせないためには、政府が実在しない“上の者”の芝居をやって国民に無理やり悪い命令を聞かせているふりをするしかない。現実の世界では『人間はみな平等』であり“上の者”は実在しないから、政府は本物の“上の者”がやれず“上の者”の芝居しかやれない。『ウルトラマン』と同じである。現実の世界にはウルトラマンがいないから、人間はウルトラマンの着ぐるみを着て芝居をやるしかないのである。そもそも“上の者”は実在しないから、国民は政府の“上の者”の芝居を真[ま]に受けず、政府が自分と平等だと思って政府の命令を聞かなければいい。国民は自分が政府に税金を払うのが嫌なら、政府が“上の者”の芝居の中で定めた税金の法律を守らず、政府に税金を払わなければいい。
昔の人は実在を知らずに自分の心をそのまま満足していたから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたが、今の人は科学をやるようになって実在を知り実在を使って自分の心を満足するように変わったので、実在が合理的に出来ているために今の人は不合理的な感情を満足しなくなったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのだ。
今の人は実在を知り実在を使って自分の心を満足する。例えば、政府の実体は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。しかし、今の国民は文明が高くなって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。そうやって、今の国民にとって要らない会社をなくせばいい。
今の人が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのは、今の人が“戦争をする喜び”を満足しなくなったのと同じだ。昔と今では人間の自分の心の満足のさせ方が違うために今の人間は“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなったのだ。つまり、昔の人は科学を知らなくて「実在が不合理的だ」と考えていたために“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”などの不合理的な喜びを満足していたが、反対に今の人は科学を知って『実在が合理的だ』と思っているから“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”などの不合理的な喜びを満足するのをやめて物を使って自分の心を満足するようになったのだ。昔の人は心の世界の中で物を捉[とら]えていたから心を満足するために物を使っていたが、反対に今の人は物の世界の中で心を捉えているから物を使って心を満足することしか考えなくなったのだ。そのために、昔の人は自分の不合理的な心を満足していたが、反対に今の人は自分の合理的な心しか満足しなくなったのだ。そのために、今では“悪いことをされる喜び”を満足する政府や宗教団体や暴力団が滅び、“戦争をする喜び”を満足する軍隊や軍事産業が滅んでいるのだ。
要するに、人間が実在を知るようになって実在が論理的に出来ているために合理的になったから、人間は矛盾したことをやらなくなって合理的な喜びしか満足しなくなったのだ。昔の人は実在を知らず実在の外で自分の心を満足していたから心は非論理的だから不合理的な感情を満足していたが、今の人は実在を知って実在の中で自分の心を満足しているから実在は論理的だから合理的な感情しか満足しなくなったのだ。つまり、昔の人は心の世界で幸福になろうとしていたからたとえあとで自分が不幸になるのをかまわずに不合理的な感情を満足していたが、今の人は実在の世界で幸福になろうとしているからあとで自分が不幸にならないために不合理的な感情を満足しなくなっているのだ。
つまり、昔の人は物がなくて物のことなんか知らなくて心のことしか知らず心中心の世界観だったから、昔の人にとっては物のことなんかどうでもよかったから、“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足して政府に税金を払ったり戦争をやったりしていたのだ。
昔の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が幸せになったからとにかく“悪いことをされる喜び”を満足していたが、今の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府にたくさんお金を取られて自分が物が貧しくなって不幸になるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのだ。
つまり、昔の人は物がなくて物を使って自分の心を満足しなくて心中心の世界観だったから、自分の心を満足して自分が幸福になりさえすればいくら物が貧しくてもよかったから、物のことなんかかまわずに自分がやりたいことをやっていたから“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足してもよかったが、今の人は物が豊かで物を使って自分の心を満足して物中心の世界観だから、物(つまり車やエアコンやコンピューターなどの発明品)を知り物を使って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならないから、自分の物を貧しくする“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足してはいけなくなったのである。
政府は国民から税金を取って国民を貧乏にした上に国民に悪いことをやって国民に「政府が上の者だ」と思わせるために国の景気を悪くする。今の政府は国民の物を貧しくして国民を不幸にしている。今の国民にとって政府はないほうがいい。国民と政府は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の勝手である。政府の仕事は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだから、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては政府は何の仕事もしていない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
要するに、昭和40年=1965年ごろに国の文明が発達して人間が物を使わずに自分の心を満足することから物を使って自分の心を満足することに変わったから道徳つまり人間の自分の心の満足させ方が変わったのだ。“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”が満足してもいい善の感情から満足してはいけない悪の感情に変わったのだ。そのために、今の人間は“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなって政府や宗教団体や暴力団や軍隊が滅んでいるのだ。
[23062] “物を使って得られる喜び”が“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を倒した。☆
h28.10.14
政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
軍隊は国民に戦争をやらせて国民の“戦争をする喜び”を満足する会社である。
昔の人は物がなくて心のことしかわからなくて物や身体のことなんかどうでもいいと思って自分の心を満足していたから“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足して政府に税金を払ったり戦争をやったりしていた。(ただし、たとえ物や身体のことがどうでもいいと思っていても、『人間はみな平等』だから犯罪はいけないと思っていた。)
反対に、今の人は物が豊かになって物のことをよく知っていて物を使って自分の心を満足して物が大事になった。今の人は“物を使って得られる喜び”を満足している。
人間が“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足すると政府にお金を取られたり物が壊されたりして自分のお金や物が貧しくなって“物を使って得られる喜び”が満足できなくなる。だから、“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”と“物を使って得られる喜び”は対立する感情である。
今の人にとっては“物を使って得られる喜び”のほうが“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”よりも大きいから、今の人は“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなっている。今の人は政府に税金を払わなくなって戦争をやらなくなって政府や軍隊が滅んでいるのだ。
[23063] 人間は幸福に生きねばならない。 h28.10.20
要するに、政府は“上の者”の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にする会社である。政府は国民に悪い命令を出すから、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。例えば、政府は国民に税金の命令を出すから、国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府に税金を払えばいいのである。
今では国民が物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので、政府は“上の者”の芝居をやって国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民に命令して国民から税金を取ろうとしている。
昔の国民は物が貧しくて物や自分の身体なんかどうでもいいと思っていたから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して政府に税金を払って幸福になって喜んでいた。(昔の人が物や身体なんかどうでもいいと思っていたのは「ボロは着てても心は錦」と思っていたからではない。昔の人は物が貧しかったために物のことを知らず物なんかどうでもいいと思っていたから物や身体を粗末にしていたのである。)
しかし、今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足していないし、政府のことについてよく理解して『政府と国民は平等であり、政府は“上の者”の芝居をしているだけである』ことがわかっているから、政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払ったり、政府が決めた悪い法律や習慣を守らなければいい。そうやって、今の国民は自分で自分を政府に不幸にされないようにして幸福に暮らせばいい。
『人間はただ生きるだけではいけない。幸福に生きねばならない。』だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かないようにして暮らさねばならない。
[23064] 政府は民主主義の団体ではなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。☆☆
h28.10.28
「政府が民主主義の団体だ」と思っている人は「政府に税金を払う者が正しく、政府に税金を払わない者がまちがっている」と思っている。
反対に、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体だ』と思っている人は『政府に税金を払わない者が正しく、政府に税金を払う者がまちがっている』と思っている。
実際には、「政府が民主主義の団体である」ことがまちがいであり、『政府が“悪いことをされる喜び”を満足する団体である』ことが正しい。だから、政府に税金を払う者がまちがいであり、政府に税金を払わない者が正しい。([23066]を参照。今の日本はアメリカ文化を受け容れてインド文化をやっているから、インド文化では正しいことが尊[たっと]ばれるから、今の日本では正しいことをやればいいから政府に税金を払わなければいい。)
そういうわけで、今では政府に税金を払う者が減って、政府に税金を払わない者が増えている。そのため、政府は潰[つぶ]れている。
[23065] 今の国民は政府に税金を払わないのが正しい。☆ h28.10.28
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に命令して国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることが仕事である。
政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”を満足するか、政府に税金を払わず自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないかは国民個人の自由である。
今の国民は物が豊かで“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいい。“物を使って得られる喜び”と“悪いことをされる喜び”は相反[あいはん]する喜びであり、今の国民は“物を使って得られる喜び”を満足しているために“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府に税金を払わないのが正しい。
したがって、今の国民は政府に税金を払わなければいい。政府に税金を払わず政府を倒せばいい。そうして、国民が幸福に暮らせる社会にすればいい。
[23066] どうして四つ葉のクローバーは幸運を呼ぶのか? h28.10.28
四つ葉のクローバーが幸運を呼ぶと言われるのは十字架に似ているからだ。昔の人は宗教団体に“悪いことをされる喜び”を満足してもらっていて、宗教団体に人気があったから、昔の人が宗教団体を労[ねぎら]うために作り出した迷信だ。
[23067] 政府は民主主義の団体ではなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。
h28.10.28
「政府が民主主義の団体だ」と思っている人は「政府に税金を払う者が正しく、政府に税金を払わない者がまちがっている」と思っている。
反対に、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体だ』と思っている人は『政府に税金を払わない者が正しく、政府に税金を払う者がまちがっている』と思っている。
実際には、「政府が民主主義の団体である」ことがまちがいであり、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である』ことが正しい。だから、政府に税金を払う者がまちがいであり、政府に税金を払わない者が正しい。
そういうわけで、今では政府に税金を払う者が減って、政府に税金を払わない者が増えている。そのため、政府は潰[つぶ]れている。
[23068] どうして政府は民主主義の団体の芝居をするのか?☆☆ h28.10.29
政府は国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。国民が政府に税金を払えと言われて、そのままお金を払うと、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが丸出しになって恥ずかしい。
そのため、政府は国民から取ったお金から自分の給料を引いた残りで国民のために役に立つことをして民主主義の団体の芝居をしているのである。そうすれば、国民は国民みんなのためになることをするために政府にお金(税金)を払っているように見えるから恥ずかしくないのである。そのため、今でも多くの国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているのである。(日本人はエゴ(利己主義[りこしゅぎ])だから他人のためなんかどうでもよくて民主主義が好きではないが、自分が恥ずかしいと思う気持ちが強いので政府の民主主義の団体の芝居に乗って政府に税金を払っているのである。)
しかし、本当は政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。ところが、今の国民は物が豊かで自分の“物を使って得られる喜び”を満足しているために自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。今の国民は政府に政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
同じように、宗教団体も国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、国民がそのまま宗教団体にお金を払ったのでは、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが丸出しになって恥ずかしい。そのために、宗教団体は国民から取ったお金から自分の給料を引いた残りで神の意思に適[かな]ったことをやっているのである。そうすれば、国民は神の意思に適ったことをやるために宗教団体にお金を払っているように見えるから恥ずかしくないのである。
しかし、今では国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、宗教団体にお金を払わなくなって宗教団体が潰[つぶ]れている。
同じように、暴力団も国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、国民がそのまま暴力団にお金を払ったのでは、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが丸出しになって恥ずかしい。そのために、暴力団は自分が悪いことをやる団体である芝居をやっている。そうすれば、国民は暴力団が悪い団体だからお金を取られているように見えるから恥ずかしくないのである。
しかし、今では国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、暴力団にお金を払わなくなって暴力団が潰れている。
同じように、幕府は国民からお金(年貢[ねんぐ])を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民がそのまま幕府にお金を払ったら“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしい。そのため、幕府は上の者の芝居をやって(“上の者”は現実には存在しないから幕府は上の者の“芝居”をやっていたにすぎない)国民を自分の好き放題にしたり、たまに国民のために善いことをやったりして国民が恥ずかしがらずにすむようにしていたのである。インドでは政府が上の者の芝居をやって国民が恥ずかしがらないようにしている。(インド人は輪廻転生[りんねてんせい](生まれ変わり)を信じているから、「たとえ現世で自分が身分が低くても来世で身分が高ければいい」と考えるから身分制がやれるのだ。あるいは、インド人は愚直[ぐちょく](つまりバカ正直)だから、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのを字義通りそのままやって、政府が国民に対して人殺しや強盗や詐欺[さぎ]などいろんな悪いことをやっているのだ。インド人はそれを正当化するために“身分”という実在しないことを考え出して「政府が身分が高い」ことにしているのだ。つまり、インドでは政府が今でも大昔の豪族と同じことをやっている。つまり、政府が何の芝居もせずに国民にいろんな悪いことをやって国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にしている。しかも、インド人は身分制を設けてわざわざそんな社会を保存している。インド人が輪廻転生を設けてわざわざ人間が動物と共存している社会を保存しているのと同じことである。インド人にとっては文明が遅れていることが平気だから、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していることや動物と共存して暮らしていることが恥ずかしくないのである。反対に、ヨーロッパ人や中国人にとっては文明が進歩して“善いことをされる喜び”を満足するようになっているから、自分が政府に“悪いことをされる喜び”を満足されていることが異常で恥ずかしいから、政府が民主主義の団体の芝居をやって国民の“悪いことをされる喜び”を満足していることを誤魔化[ごまか]しているのである。)今でもアメリカやイギリスの政府が国民を派手に殺して身分制をやっているのは、アメリカやイギリスが多民族国家でインド文化を受け容れているからである。一方、ヨーロッパでは政府が民主主義の団体の芝居をやっているから、政府が国民を殺したりはしない。今の日本で政府が国民を殺しているのは、戦後になって日本がアメリカ文化つまりインド文化をやっているからである。つまり、今の政府は幕府なのである。昔の日本はヨーロッパ文化をやっていたので、政府が民主主義の団体の芝居をやって国民のためになることをたくさんやってくれたが、今の日本はアメリカ文化を経由してインド文化をやっているので、政府が上の者の芝居をやって国民を自分の好き放題にして殺して国民のためになることをほとんどやってくれないのである。しかし、今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が要らなくなっているから、政府がどこの国の文化をやっているにせよ、ともかく政府を潰している。
今はインドでも国民がヨーロッパの科学を受け容れて物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が潰れて身分制をやらなくなっている。今後インドが発展して日本がインド文化を受け入れるようになっても日本は身分制をやらないだろう。
政府は民主主義の団体の芝居をしている“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。宗教団体は神に従う団体の芝居をしている“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。暴力団は悪い団体の芝居をしている“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。幕府は上の者の芝居をしている“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府も宗教団体も暴力団も幕府も芝居が違うだけで、中身は同じ“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、今では国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、“悪いことをされる喜び”を満足する団体にお金をやらなくなって“悪いことをされる喜び”を満足する団体が潰れている。政府や宗教団体や暴力団や幕府が潰れているのである。
[23069] 覚醒剤から大麻へ h28.10.29
昔は覚醒剤が流行[はや]っていたけど、今は大麻が流行っている。覚醒剤←かく←カク←カフ(ク≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお]←私。大麻←大←O←光る玉←天皇。政府が国民に命令して覚醒剤や大麻をやらせているのだ。
[23070] 今の日本政府は幕府である。[ヤフー掲示板] h28.10.31
そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、そのままでは国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしいので、政府は民主主義の団体の芝居をやって国民が国民みんなのためにお金を払っているように見せかけて国民を恥ずかしがらせないようにしている。
つまり、政府は民主主義の団体の芝居をしている国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。
それなのに、今の日本政府は自分勝手に人殺しをして国民のためにあまり善いことをしていない。それは今の日本政府がアメリカ文化をやっているからである。アメリカは多民族国家なのでインド文化をやっている。インドは身分制をやっている。だから、今の日本政府は身分制をやって国民を自分の好き勝手にして殺したり国民のためにあまり善いことをしないのである。つまり、今の日本政府は幕府なのである。
昔の日本政府はヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをしてくれた。
今の日本政府はアメリカ文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民を自分の好き放題にして国民のためにたまにしか善いことをしない。
政府は民主主義の団体の芝居をしている国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府は民主主義の団体や上の者の団体ではなく、本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。だから、政府と国民は平等である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足していないし、政府が上の者をやるのが嫌である。今の国民にとっては政府がないほうがいい。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
[23071] 今の日本政府は二重に芝居をやっている。[ヤフー掲示板] h28.11.1
今の日本政府はアメリカ文化をやっている。
アメリカは多民族国家である。だから、アメリカ人は世界中の文化をやっている。アメリカ人はヨーロッパ文化やインド文化や中国文化やアフリカ文化をやっている。
だから、今の日本政府はヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって、インド文化をやって上の者の団体の芝居をやっている。今の日本政府は民主主義の団体の芝居と上の者の団体の芝居の両方をやっている。今の日本政府は民主主義の団体の芝居と上の者の団体の芝居をやっている国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。今の日本政府は表では民主主義の団体の芝居をやって裏では上の者の団体の芝居をやっている。
政府は本当は民主主義の団体でも上の者の団体でもなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府の正体は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする団体である。しかし、今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府が要らなくなっている。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
[23072] 今の日本政府は二重に芝居をやっている。[ヤフー掲示板] h28.11.1
今の日本政府はアメリカ文化をやっている。
アメリカは多民族国家である。だから、アメリカ人は世界中の文化をやっている。アメリカ人はヨーロッパ文化やインド文化や中国文化やアフリカ文化をやっている。
だから、今の日本政府はヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって、インド文化をやって上の者の団体の芝居をやっている。今の日本政府は民主主義の団体の芝居と上の者の団体の芝居の両方をやっている。今の日本政府は民主主義の団体の芝居と上の者の団体の芝居をやっている国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。今の日本政府は表では民主主義の団体の芝居をやって裏では上の者の団体の芝居をやっている。つまり、今の日本政府は表では国民に善いことをやって裏では国民に悪いことをやっている。今の日本政府は善悪あわせ持った団体である。
政府は本当は民主主義の団体でも上の者の団体でもなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府の正体は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする団体である。しかし、今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府が要らなくなっている。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
[23073] どうしてテレビ局は政府が悪いことをしているのを放送しないのか?[ヤフー掲示板]
h28.11.1
今の日本政府はヨーロッパ文化で民主主義の団体の芝居をやって善いことをやって、インド文化で上の者の団体の芝居をやって悪いことをやっている。今の政府は善いことと悪いことの両方をやっている。
政府が善いことをやるといっても国民から取った税金から自分の給料を引いて残ったお金を善いことをする会社にやって善いことをやらせるだけである。例えば、今の政府は国民から取った税金から自分の給料を引いて残ったお金をテレビ局にやって面白い番組を作らせて国民を楽しませている。(『スタートレック(宇宙大作戦)』の「タロス星の幻怪人」が言っているのは、政府によって国民がテレビの上でだけ幸せで現実の上では不幸に暮らしていることである。)テレビ局は政府からお金をもらっている。だから、テレビ局はけっして政府にとって不利な情報を国民に流さないのである。テレビ局は政府が善いことをしていることだけを放送して政府が悪いことをしているのを放送しないのである。
しかし、今では国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が要らなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府が潰[つぶ]れている。政府がテレビ局にお金をやれなくなってテレビ番組がつまらなくなっている。
今では政府がテレビ局にお金をやれなくなっている。だから、国民が直接にテレビ局にお金を払って番組を作ってもらうようにしないといけない。テレビ局は国民からお金をもらって国民に番組を売らねばならない。これからは、そのようにして国民はテレビを見なければならない。
[23074] 政府の芝居のやり方は国によって違う。☆ h28.11.2
昔から政府は国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする団体である。ただし、国民がそのまま政府にお金を払ったのでは、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしい。そのために、昔から世界中の国で政府が芝居をやって国民を恥ずかしがらせないようにしていた。
ヨーロッパでは政府が民主主義の団体の芝居をやって国民からお金を取っていた。そのために、政府が国民に善いことをして国民を幸福にしていた。ヨーロッパ人は政府が上手に嘘[うそ]をついて国民に善いことをして国民を幸福にしてくれたので、政府が民主主義の団体の芝居をやることに満足していた。
インドでは政府が上の者の団体の芝居をやって国民からお金を取っていた。そのために、政府が国民に悪いことをして国民を不幸にしていた。しかし、インド人は人間が輪廻転生[りんねてんせい]して身分が入れ替わることを信じていたし、政府が正直に悪いことをしているのが気に入っていたので、政府が上の者の団体の芝居をやっていることに満足していた。(本当は人間は死んだら脳が活動しなくなって感覚が発生しなくなっておしまいである。だから、本当は輪廻転生はない。それに、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分の人生を不幸にしてはいけない。そういう場合には、“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめるか、ヨーロッパのように“悪いことをされる喜び”を満足しても自分の人生を不幸にしない工夫をしなければならない。だから、政府が悪いことをしてはいけない。日本人の目から見たら今日的[こんにちてき]な目で見たらインド人はまちがったことをやっている。おそらく、インド人はまず『人間が幸福に生きるためには“頭で考える喜び”を満足しなければならない』ことを知っていてそれを守って頭ばかり使って眼を使っていないために、実在についての理解が遅れて実在がわからなくなって『人間の脳で感覚が発生する』ことがわからずに輪廻転生を信じたり実在がどうでもいいと思って政府に好き勝手に悪いことをさせているのだろう。(厳密には、実在と現実は違う。実在は人間の感覚とは別に独立に存在するものである。実在を人間の五感で捉[とら]えたのが現実である。実在が人間の五感に現れたのが現実である。)インド人は頭で考えてばかりいて仕事をしないから貧乏なのである。インドでは哲学が科学よりも先走りすぎたために科学の発達が遅れて身分制が出来てしまったのである。本当は人間は“実在について頭で考える喜び”を満足して、自分が実在に適応して実在の中で自分の心を満足して幸福に生きればいいのである。それが昔からの日本人の生き方である。日本人はヨーロッパ文化も受け容れていたのでけっして実在を無視しないのである。日本人は現実よりも実在の世界を広げて深めてきたのである。/h28.11.7追記:特撮『仮面の忍者赤影』の第2部卍党編[まんじとうへん]では、ゼウスの鐘[かね]がヨーロッパで、サタンの鐘がインドで、マリアの鐘が中国である。日本はそれら3つの鐘のすべてを集めた国である。四国はインド文化が濃いから斑鳩[いかるが]一族が剣山[つるぎさん]に住んでサタンの鐘を守っていたのである。アニメ『ビックリマン』ではスーパーゼウスがヨーロッパで、シャーマンカーンが中国で、スーパーデビルがインドである(私はこれまでずっとスーパーデビルがヨーロッパだと思っていた)。サタンマリアがアメリカである。インド人は昔から自分の頭を使って考えるだけで現実を無視して生きていて、現実の世界の決まりである『人間がみな平等である』ことを守らずに自分の好き勝手に悪いことをやっているので、インドは昔から世界中の人にとって“悪魔の国”と恐れられていたのである。インド人にとっての道徳は、自分の頭で考えることだけであり、現実の世界では悪いことをやってもいいのである。)
スーパーデビルは顔が青白いけどインドのことである。
つまり、世界中の国で政府が自分の国の国民が満足の行くやり方で芝居をやって国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府にお金を払えるようにしていたのである。
今では世界中の国で物や人間の行き来が盛んになっている。今では世界中の国で外国の文化を取り入れて世界中の文化が入り混じって文化が国際化している。そのために、今では世界中の国で政府がヨーロッパ文化で善いことをしてインド文化で悪いことをしている。今では世界中の国で政府が表で善いことをして裏で悪いことをして政府が陰険[いんけん]になっている。しかし、そもそも政府は国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。今では世界中の国で国民が物が豊かになって国民が“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が要らなくなっている。そもそも『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府にお金を払うか払わないかは国民の自由である。そのため、今では世界中の国で国民が政府にお金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。今では政府のない世界になっているのである。
今は国際化の時代である。今では世界中の国で外国の文化を取り入れて世界中の文化が入り混じっている。今では世界中の国で世界中の文化をやっている。しかし、いつの時代でもどこの国でも人間は幸福に生きていかねばならない。人間の脳は新皮質が発達して古皮質が発達していない。人間の脳は新皮質が大きくて古皮質が小さい。だから、人間は新皮質を使って新皮質の喜びを満足すれば幸福に生きられる。それが人間の生きる道である。だから、今の世界では人間は“頭で考える喜び”を満足して生きていかねばならない。日本人は昔からそうしてきた。日本は昔から哲学の正しい国である。日本では哲学は今も昔も変わらないのである。
今ではエンジンが発達して人間が筋肉を使わなくてもよくなっているのに、運動選手は筋肉を使って“運動する喜び”を満足して幸福に暮らしている。それと同じように、今ではコンピューターが発達して人間が頭を使わなくてもよくなっているが、人間には“考える喜び”があるから現実について考えて“考える喜び”を満足して幸福に生きればいい。いくらコンピューターが発達しても人間が考えることはなくならないのである。
[23075] 福岡市はどうしてゴミ袋代を取るのか?[ヤフー掲示板] h28.11.4
私が住んでいる福岡市では市民がスーパーやコンビニでゴミ袋を有料で買ってゴミを捨てねばならない。一方、高知市では市民が自由に自分が好きなゴミ袋でゴミを捨てることができる。それは、福岡市の市民が政府(中央政府や県庁や市役所)に税金を払わなくなっているから、市民が自分で直接にゴミの清掃会社にお金を払ってゴミの始末をしてもらわなければならなくなっているからである。反対に、高知市では市民がいまだに政府に税金を払っているから、政府が自分の給料を引いて残ったお金でゴミの始末をやっているのである。今の日本では進んだ都市ほど国民が政府と縁を切って政府に税金を払わなくなっているのである。(今から約30年前のNHK教育の人形劇『あつまれじゃんけんぽん』で田舎[いなか]に引っ越してきた猫のペルちゃん(声:矢島晶子)が「都会には只[ただ]で物を売っている店がある」と言っていたのはそのためである。“只で物を売っている店”とは政府のことであり、今の国民が政府に税金を払わずに政府のサービスを無料で利用していることを言っているのである。そのため、その後政府は多くの事業を民営化したのである。)
[23076] 今の日本政府はインド文化で悪いことをやっている。[ヤフー掲示板]
h28.11.5
今では通信や交通が発達して、世界中の国が世界中の文化を取り入れて、世界中の国が国際化している。そのために、日本でも政府が表でヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民から取った税金から自分の給料を引いて残ったお金で善いことをする会社(ゴミ会社や学校や役所など)にお金をやって善いことをやったり、裏でインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしている。
政府は国家宗教で悪いことをしている。国家宗教とは国家宗教の神である天皇や私の情報を使って何かをやることである。今は国際化の時代なので、政府はヨーロッパ文化とインド文化を混ぜて国家宗教で上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしている。
最近の政府が国家宗教で起こした事件は、
平成28年10月12日埼玉県新座市[にいざし]にある地下電気ケーブルから出火し35万軒停電した。…新座市←シンザ←シザン←川ブ(シ≒川、サ≒ブ、ン≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、電気ケーブル←電←天←天皇だから、政府が悪いことをしたい人に命令して起こした事件である。けっして、自然出火ではない。
平成28年11月4日JR高崎線北上尾駅[きたかみおえき]で光ファイバーが切断されて列車が10時間運休した。…北上尾駅←北←ホク←川ブ(ホの横線とクの左斜め線をクの右斜め上に移す)←川野延夫←私、光ファイバー←光る玉がつながっている←天皇家(神武天皇が東征のときに光る玉を見た)なので、政府が悪いことをしたい人に命令して起こした事件である。けっして、ネズミが光ファイバーをかじって起きた事件ではない。
古いところでは、
1985年8月12日の日航機123便墜落事故…後部隔壁の破損によってジャンボ機が墜落した。後部隔壁←光る玉←天皇家。政府が日本航空に命令して起こした事故である。
1988年3月24日の高知学芸高校上海列車事故…高知学芸高校は私の出身校である。上海は事件当時私が住んでいた福岡に近い。政府が列車の運転手に命令して起こした事故である。
1995年3月20日のオウム真理教地下鉄サリン事件…地下鉄←鉄←テツ←テン(ツ≒ン)←天←天皇、サリン←リンサ←川ブ(リン≒川、サ≒ブ)←私だから、政府がオウム真理教に命令して起こした事件である。
2005年4月25日の福知山線列車事故…当時私は兵庫県豊岡市に住んでいて時々列車に乗って大阪に行っていた。そのとき福知山線を通っていた。福知山線が東海道本線と交差する橋のところで列車が急に曲がるので、私は「列車が落っこちそうだ」と思ったことがある。これも、政府が列車の運転手に命令して起こした事故である。
などの事件がある。
政府の正体は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体であって、民主主義の団体でも上の者の団体でもない。今では国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して゛悪いことをされる喜び゛を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府が要らなくなっている。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。今の国民は自分で直接に善いことをする会社にお金をやって善いことをしてもらわねばならない。
[23077] 今の日本政府は政府と幕府の両方をやっている。 h28.11.6 (h28.12.10にヤフオク出品『政府学入門9』の商品解説に載せる予定だったがやめた。)
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間はもともと自然によって好き放題にされて暮らしていて弱い生き物なのでそんな変な喜びがある。しかし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が弱い者に見えるので恥ずかしいのである。
そもそも政府は国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、そのまま国民が政府にお金を払ったのでは、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしい。そのため、ヨーロッパや中国では政府が民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをすることにして国民からお金を取って国民が恥ずかしくないようにしている。反対に、インドでは政府が上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをすることにして国民からお金を取って国民が恥ずかしくないようにしている。
古代や近代の世界ではヨーロッパがアジアよりも栄えていたので、日本にはアジアよりもヨーロッパからたくさん文化が入ってきていた。そのために、古代や近代の日本では、政府がヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府にお金を払って、政府が国民からもらったお金で国民のために善いことをやっていたので国民は喜んでいた。
中世の世界ではアジアがヨーロッパよりも栄えていたので、日本にはヨーロッパよりもアジアからたくさん文化が入ってきていた。そのために、中世の日本では幕府がインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしたり、中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをしたりしていた。国民は幕府が悪いことをするのが嫌だったが、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにいやいやしかたなく幕府にお金を払っていた。
現代は国際化の時代である。世界中の国で世界中の文化を取り入れて世界中の文化をやっている。今の日本でも国民が世界中の文化をやっている。そのために、日本政府も世界中の文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをやっている。つまり、日本政府は国民から取った税金から自分の給料を引いて残ったお金で善いことをする会社(清掃会社や学校や役所など)にお金をやって善いことをさせている。一方、日本政府はインド文化もやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをやっている。つまり、日本政府は悪いことをしたい者に命令して事件や事故を起こして国民を殺したり、電気ケーブルを切って停電させたり光ファイバーを切って列車を運休させたり水道管を破裂させて断水させたり水浸[びた]しにさせたりして大勢の国民を困らせたり(水←ミズ←川ブ(ミ≒川、ズ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)、景気を悪くしてみんなが貧乏に暮らさねばならなくしている。今の日本政府は善いことと悪いことの両方をやっている。今の日本政府は政府と幕府のハイブリッドである。
日本の文化が国際化されているかぎり、日本政府はインド文化で上の者の団体の芝居をやって悪いことをしつづける。しかし、政府はもともと国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府は民主主義の団体でも上の者の団体でもない。今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。人間が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府や宗教団体や暴力団にお金を取られて貧しくなって“物を使って得られる喜び”が満足できなくなるから、“悪いことをされる喜び”と“物を使って得られる喜び”は対立する。今の国民は“物を使って得られる喜び”を満足しているから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては政府が要らなくなっている。国民は政府が上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをするのが嫌である。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の勝手である。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。今の国民は自分で直接に善いことをする会社にお金をやって善いことをやってもらえばいいのである。
[23078] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.8
平成28年11月7日神宮外苑火災男児死亡…今私は高知の親元に帰っている。母が怪我[けが]をしたので毎日病院へ見舞いに行っている。今私は親の家に寝泊まりしている。家が古いので電球は全部白熱電灯である。高知のスーパーでもLED電球を売っているので私がLED電球に替えてやろうかと思ったが「まだ点[つ]くからもったいない」と思ってやめた。そのために、政府が神宮外苑のLED電球をわざわざ白熱電球に替えさせて発火して男の子が焼け死んだのだ。
平成28年11月7日大塚製薬ゼリーにカビ混入270万個回収…これも政府が国家宗教で天皇と私の情報を使って大塚製薬に命令して起こした事件である。大塚←大と塚、大←O←光る玉←神武天皇が東征のとき光る玉を見た←天皇、塚←つか←かつ←かフ(つ≒フ)←カブ←川ブ←私、ゼリー←ゼツ(リー≒ツ)←ガフ(ゼ≒ガ、ツ≒つ≒フ)←カブ←川ブ←私、カビ←カブ(ビ≒ブ(50音表でビとブが近い))←私、270←27と0、27←ツーとセブン←ツとブ←ツブ←川ブ(ツ≒川)←私、0←O←光る玉←天皇だからである。読者は駄洒落[だじゃれ]だけでは面白くないだろう。今では世界中の国が世界中の国の文化をやって国際化されている。今の日本政府はインド文化をやっているので、インド文化では政府が上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしないといけないので、政府が大塚製薬に命令して事件を起こしたのである。
平成28年11月8日5時福岡市地下鉄七隈線[ななくません]延伸工事のために道路陥没…これも日本政府が国家宗教で起こした事故である。地下鉄←鉄←テツ←テン(ツ≒ン)←天←天皇、七隈線←七と隈、七←セブン←カブ(セ≒カ)←川ブ←私、隈←クマ←カフ(ク≒カ、マ≒フ)←川ブ←私、延伸←延夫神←私、大きい穴←大きいと穴、大きい←大←O←光る玉←神武天皇、穴←アナ←ナア←カフ(アの縦線をナに移す)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私などである。今の日本は国際化されていて世界中の文化をやっているから、日本政府はインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをして道路に穴を開けたのだ。今の国民にとって政府は邪魔である。『人間はみな平等である。』政府と国民は平等である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[23079] 今の日本のアニメを見れば今の日本の文化がわかる。 h28.11.9(h28.12.10にヤフオク出品『アニメのひみつ大百科』の商品解説に載せる予定だったがやめた。)
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。昔の人は自然のなすがままに暮らさねばならなかったのでそんな変な喜びがあるのである。しかも、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしい。人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が弱い者に見えるので恥ずかしいのである。
そもそも政府は国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、国民がそのまま政府にお金を払ったのでは国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしい。そのため、ヨーロッパや中国では政府が民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをすることにして国民からお金を取って国民が恥ずかしがらないようにしていた。反対に、インドでは政府(つまり幕府)が上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをすることにして国民からお金を取って国民が恥ずかしがらないようにしていた。
江戸時代の日本ではみんながインド文化や中国文化をやっていた。インド文化では政府(つまり幕府)が上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをする。中国文化では政府が民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをする。そのため、幕府が上の者の団体の芝居をやって国民にいろんな悪いことをしていたし、民主主義の団体の芝居をやって国民に善いこともしていた。インド文化や中国文化では現実を無視して空想を大事にする。そのため、国民みんなが科学をやめて文学をやって文学が面白かった。
近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府が民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをする。そのため、政府が民主主義の団体の芝居をやって国民にいろんな善いことをしていた。ヨーロッパ文化では空想を無視して現実を大事にする。そのため、国民みんなが科学ばかりやって文学をやめて文学がつまらなかった。
現代の日本ではみんなが世界中の文化をやっている。今は国際化の時代である。今では物や人の行き来が盛んになって世界中の国が世界中の国の文化を受け容れて世界中の国の文化をやっている。今ではみんなが世界中の文化をやっている。今ではみんなが表でヨーロッパ文化や中国文化をやって裏ではインド文化をやっている。つまり、今ではみんなが見かけで善いことをして人の眼のつかないところで悪いことをやっている。今ではみんなが陰険[いんけん]である。そのため、今の政府も表でヨーロッパ文化や中国文化をやって裏ではインド文化をやっている。つまり、今の政府は国民の眼につくところで民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをして、国民の眼につかないところで上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしている。今の政府は実在の上で悪いことをしたい者に命令して飛行機事故や列車事故やバス事故を起こしてたくさんの人を殺したり、水道管を破裂させたり電気ケーブルや光ファイバーを切断したりして大勢の人に迷惑をかけたり、景気を悪くしてみんなが貧乏に暮らさねばならなくしている。
日本の文化が国際化されているかぎり、日本政府はインド文化で上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしつづける。しかし、そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府は民主主義の団体でも上の者の団体でもない。今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足している。人間が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府や宗教団体や暴力団にお金を取られて貧乏になって“物を使って得られる喜び”を満足できなくなる。だから、“悪いことをされる喜び”と“物を使って得られる喜び”は対立する。今の国民は“物を使って得られる喜び”を満足しているために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府は要らない。『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。そのため、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
現代の日本ではみんなが世界中の文化をやっている。ちょっと前までは国民みんながインド文化や中国文化を多くやってヨーロッパ文化をあまりやっていなかった。だから、絵は汚いが面白いアニメが見れた。しかし、最近は国民みんながヨーロッパ文化を多くやってインド文化や中国文化をあまりやらなくなっている。そのために、最近のアニメは絵はきれいだが面白くなくなっている。これまで日本ではみんなが世界中の文化を取り入れて自分が幸福に暮らせるようにしてきた。みんなが世界中の文化の善いところを取り入れて悪いところを取り入れないようにして幸福に暮らせるようにしてきた。その結果、日本人は実在に適応して実在の中で幸福に暮らせるようにしてきた。アニメでは、日本人はヨーロッパの絵のきれいさとインドや中国の面白さの両方を取り入れて絵がきれいで面白いアニメにしないといけない。と思ったが、最近では科学が発達して最近の人は現実の中で幸福に生きたいと思っている。だから、最近のアニメは内容が現実的なのだ。最近のアニメは絵がそこそこきれいで内容が現実的で(私の目から見ると)面白くなくなっているのだ。しかし、それはしかたがないことだ。
つまり、アニメやマンガは政府が国民に作らせているのではない。国民みんなが作っているのだ。国民みんなで自分がやる文化を決めて、政府は国民みんなが決めた文化に従って政治をして、アニメやマンガは国民みんなが決めた文化に従って作られているにすぎないのだ。最近の日本の文化はヨーロッパ文化に偏[かたよ]りすぎている。最近の国民は眼で見ることに偏りすぎている。最近の国民はもっと頭で考えることを大事にしないといけない。人間が実在を認識するためには眼と頭の両方を使わねばならない。人間は実在において幸福に生きねばならない。日本をそういう文化にしないといけない。これまでも日本はそうやってきた。眼で見ることと頭で考えることが統合されているのが日本の文化の特徴である。実在の喜びがわかるのが日本の文化である。眼先の喜びや空想の喜びは日本の文化に向かない。そういう文化ではアニメやマンガは滅んでしまうだろう。今でもすでに滅びつつある。今は無理やりアニメやマンガをやっているにすぎない。実際には、アニメやマンガはすでに滅んでいるのだ。アニメやマンガで楽しめるのは実在がわかっていない子供のうちだけだ。だから、アニメやマンガは子供が楽しめるように作らねばならない。大人はアニメやマンガで楽しまなくていい。大人はアニメやマンガをやらず、自分が実在で楽しめるようにしないといけない。
[23080] 米大統領選挙[ヤフー掲示板] h28.11.10
トランプ←カード←カブ(ド≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、トランプ←紙←神、クリントン←栗←光る玉←天皇家、クリントン←栗←皇太子(顔が栗に似ている)。天皇家はヨーロッパ文化に偏[かたよ]っているのに対し、私はヨーロッパ文化もインド文化も中国文化も全部やっている。私は世界中の文化をやっている。アメリカも世界中の文化をやっている。今のアメリカでは天皇家よりも私に人気があるから最初からトランプ氏が勝つに決まっている。しかし、そもそも政府は国民から税金を取って国民の゛悪いことをされる喜び゛を満足する団体である。今では世界中の国で国民が物が豊かになっている。今の国民は゛物を使って得られる喜び゛を満足して゛悪いことをされる喜び゛を満足していない。今の国民にとっては政府が要らなくなっている。『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[23081] 建武の新政の意義☆☆ h28.11.12
インド文化では悪いことをやってもいい。反対に、ヨーロッパ文化や中国文化では悪いことをやってはいけない。インド文化では人間が頭で考えることが善であり、それ以外は悪である。インド文化は実在を無視する。実在においては『人間はみな平等である』から、インド人は『人間がみな平等である』ことを無視して悪いことをやるのである。(平成28年11月14日補足:眼で見ると自分が宇宙の中にあるように見えるが、頭で見ると宇宙が自分の中にあるように見える。パスカルも『パンセ』の中でそう言った。頭で考えると宇宙がちっぽけでどうでもいいように思える。インド人は『人間が頭で考えると幸福になれる』と思っている。だから、インド人は頭で考えてばかりいて宇宙なんかどうでもいいと思って宇宙の決まりを守らない。『人間がみな平等である』のが宇宙の決まりである。インド人は『人間がみな平等である』ことを守らないから悪いことをするのである。いわば、インド人は“知覚の錯覚”に陥[おちい]っているのだ。眼で見ると「地球が止まっていて太陽が動いている」ように見えるのと同じことである。)反対に、ヨーロッパ文化や中国文化では実在を大事にする。人間が実在に従わねばならないと考える。実在においては『人間がみな平等である』ことが正しい。だから、ヨーロッパ文化や中国文化ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守って悪いことをやってはいけないのである。(平成28年11月14日補足:インド人は宇宙(つまり現実)なんかどうでもいいと思っているから、政府が国民を恥ずかしがらせないために上の者の芝居をやって現実に国民に悪いことをやるのである。インド人は現実なんかどうでもいいと思っているからいくら自分が政府に悪いことをされても平気なのである。反対に、ヨーロッパ人や中国人は現実が大事だと思っているから、政府が現実に悪いことをしないようにして国民を恥ずかしがらせないために民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをするのである。日本人はヨーロッパ人や中国人と同じように現実(厳密には実在)を大事にするから、政治団体がインド文化で上の者の芝居をやって悪いことをするのが嫌で、政治団体がヨーロッパ文化や中国文化で民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをするのが好きである。今では『人間が脳で認識する』『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』ことがわかっているから、人間が実在の中に存在することがわかっているから、「宇宙をどうでもいい」と考えるインド人の哲学はまちがっている。いくら人間が頭で考えると「自分の中に宇宙がある」ような気がしても、それはまちがっている。だから、今ではインド文化をやってはいけない。人間は眼と頭を使って実在を知って実在の中で自分の心を満足して生きていかねばならない。『人間の脳は新皮質が古皮質よりも発達しているから、人間は頭で考えると幸福になれる』ことにおいてはインド哲学は正しいが、人間は実在の中で生きているので人間は実在を知って実在に従って生きて行かねばならないのである。日本人は闇雲[やみくも]に外国の文化を受け容れるのではなく、自分が外国の文化を取捨選択して正しい哲学や正しい文化をやらねばならない。まちがった哲学やまちがった文化をやってはいけない。今の日本政府は自分勝手に裏でインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをやっている。今の日本政府はまちがった文化をやる悪い団体である。今の日本政府はインド教の団体である。『仮面の忍者赤影』の日本中にまちがった教えを広める金目教[きんめきょう]のようなものである。そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体であり、今の国民にとっては“悪いことをされる喜び”を満足する団体は要らない。国民みんなで早く政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。)
古代の日本ではヨーロッパ文化を受け容れていた。日本ではみんながヨーロッパ文化をやってみんなが善いことをやっていた。日本政府もヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをやっていた。
中世(近世も含む)になってヨーロッパが衰退して、日本にはヨーロッパ文化よりもインド文化や中国文化が入ってくるようになった。日本にインド文化が入ってきてみんなが悪いことをやるようになった。それが「二条河原の落書」に書かれていることである。(インドではみんなが実在を無視しているから『人間がみな平等である』ことを守らないから悪いことをやってもいい。つまり、インドでは誰でも悪いことをやっていい。だから、昔からインドのことを“地獄”とか“悪魔の国”と言うのである。特に政治団体や宗教団体や暴力団などの「国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体」は身分が高いことにして悪いことをやるのを許されているのである。今のアメリカがガラが悪いのもインド文化をやっているからである。「1192(善い国)作ろう鎌倉幕府」というのは嘘[うそ]で本当は悪い国作ろうだったのである。)建武の新政は、鎌倉幕府が倒れたのをきっかけにして日本で再びみんながヨーロッパ文化をやってみんなが悪いことをやめて善いことをやって日本を善い国にしようということだったのである。しかし、中世はまだヨーロッパが暗黒時代だったので、日本にはヨーロッパ文化よりもインド文化や中国文化がたくさん入ってきていたので、みんなはヨーロッパ文化よりもインド文化や中国文化をやっていた。インド文化では悪いことをやっていいが中国文化では悪いことをやってはいけないので、みんなは表では中国文化をやって善いことをして裏ではインド文化をやって悪いことをやっていた。幕府も表では中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって善いことをして裏ではインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって悪いことをやっていた。つまり、中世はみんなが汚いことをやっていたのである。(たとえみんなが悪いことをするのを許していても、人間は悪いことは人前ではやりにくいから裏で悪いことをするのである。隠れて人目につかないところで悪いことをするのである。そのために、中国文化を表でやってインド文化を裏でやるのである。)
近代になってヨーロッパが再び繁栄すると、日本にはインド文化や中国文化よりもヨーロッパ文化がたくさん入ってくるようになった。みんながインド文化や中国文化よりもヨーロッパ文化をやるようになったので、ヨーロッパ文化では悪いことをやってはいけないので、みんなが悪いことをやめて善いことをやるようになったのである。政府もヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをやっていたのである。
現代の日本ではみんなが世界中の国の文化を取り入れて世界中の文化をやっている。今の日本は国際化されている。今の日本ではヨーロッパ文化も中国文化もインド文化も全部やっている。今の日本ではみんなが表でヨーロッパ文化や中国文化をやって善いことをやって裏ではインド文化をやって悪いことをやっている。みんなが人前では善いことをやって人眼につかないところで悪いことをやっている。政府も表でヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって善いことをやって裏ではインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって悪いことをやっている。もっとも、今の人は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府はそもそも国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。今の人にとっては政府が要らなくなっている。ヨーロッパ文化や中国文化では実在を重んじる。実在では『人間はみな平等である』ので、政府と国民は平等であるので、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府が倒れている。(文化によって政府の芝居が違うだけで、政府の正体が国民からお金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体であることは文化によらず同じである。だから、国民が物が豊かになると“物を使って得られる喜び”を満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が要らなくなることは世界共通である。反対に、国民が物が貧しいほど“悪いことをされる喜び”を満足して“物を使って得られる喜び”を満足しなくなって政府が必要になる。政府は国民の貧しさのバロメーターである。今のインドにおいても国民は物が豊かだから国民にとって政府は要らないはずである。だから、インドでも国民は政府の上の者の芝居に捉[とら]われずに政府にお金をやらずに政府を倒せばいいのである。)
現代の日本ではみんなが世界中の文化を取り入れて世界中の文化をやっている。今の日本は国際化されている。今の日本はヨーロッパ文化やインド文化や中国文化をやっている。日本ではみんながヨーロッパ文化やインド文化や中国文化をバラバラにやるのではなくそれらを“統合”しないといけない。(今の日本ではみんなが表ではヨーロッパ文化や中国文化をやって善いことをやって裏ではインド文化をやって悪いことをやっている。こういう表裏があるのを統合失調症というのである(本当は早発性痴呆のことである)。また、戦後はみんながヨーロッパ文化をやっているのに国際化のためにアジア文化もやっていた。こういう統一性がないのを精神分裂病というのである(本当は早発性痴呆のことである)。そもそも早発性痴呆というのが近代の日本がやっていたヨーロッパ文化に対するイヤミである。精神病の早発性痴呆は人間が性欲を満足して“考える喜び”を満足しないことが原因であり、ヨーロッパ文化も性欲を満足して“考える喜び”を満足しないから、ヨーロッパ文化は早発性痴呆の代名詞なのである。日本はアジアで最初にヨーロッパ文化をやったから“早発性”痴呆なのである。早発性痴呆も精神分裂病も統合失調症も全部精神科医が考えた当時の日本人がやっている文化に対するイヤミなのである。)人間は眼と頭と心のすべてを使わねばならない。人間は客観的には実在の中で生きている。だから、人間は眼と頭を使って実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福にならねばならない。これまで日本人はそのようにして生きてきた。これからもそうして生きていかねばならない。日本人だけではなくこれからの人類はみなそうして生きていかねばならない。
[23082] 古代バビロニアの電池(オーパーツ) h28.11.12
シュメール人(だったかな?)は電池の製法を知っていたがその後作らなくなった。インド人は昔は科学をやっていたが、その後科学をやめた。それは、インドの哲学のためである。インド人は「人間が幸福になるためには頭で考えねばならない」と考えたので、その後数学ばかりやって科学をやめたのである。そのために、インドは科学が遅れてしまったのである。
そこから『ウサギとカメ』のおとぎ話が生まれたのだろう。ウサギがインドでカメがヨーロッパである。
[23083] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.12
平成28年11月12日午後東京立川市で83歳女性病院の敷地内で車で男女轢[ひ]き殺す…これも政府による国家宗教で起こした事件である。立川市←川←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、83歳女性←ババア←川ブ(真ん中のバの左線をバに移し、バの右線をアの右上に移す、アの斜め線をアの右上に移す)←私、車←カー←カワ←カフ(ワ≒フ)←川ブ←私、病院内の敷地で←今私は毎日母の見舞いのために病院へ通っている、轢き殺し←轢く←ヒク←カフ(ヒ≒カ、ク≒フ)←川ブ←私などのことによって政府が83歳女性に命令して起こした事件である。今の日本は世界中の文化を取り入れて国際化されている。そのために、今の政府はインド文化で上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしている。そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府が要らなくなっている。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[23084] ロズウェル円盤墜落事件 h28.11.13
ロズウェル←ロズ←ろズ←川ブ(ろ≒3≒三≒川、ズ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私であり、円盤←光る玉←天皇家であり、私と天皇家は国家宗教の神としてライバルだから、ロズウェルで円盤が墜落したのである。日本やアメリカでロズウェル事件のことをしつこく言うのは、日本やアメリカで政府が私や天皇家を神とする国家宗教をやっているからである。もっとも、政府は私を裏で密かに神にしているにすぎないが。だから、私が神であることを知っている国民もいるが知らない国民もいる。
ロズウェルの円盤墜落事件の真相については、円盤は軍隊のロシアの核実験偵察のための気球であり、宇宙人は軍隊の実験用のダミー人形だったそうだ。そもそも円盤事件は世界中の政府が神武天皇を神とする国家宗教で起こした事件である。日本人もロズウェルの円盤墜落事件が嘘[うそ]だと思っている。嘘だと思いながら見て楽しむのがオカルト番組の楽しみかたである。
[23085] インド文化はまちがっているから日本人はインド文化を受け容れてはいけない。
h28.11.14
インド人は「人間が幸福になるためには頭で考えねばならない」と考える。それがインド人の哲学である。インド人の道徳である。人間が頭で考えると「自分の中に宇宙がある」ような気がする。「宇宙がちっぽけなどうでもいい存在だ」と思える。そのために、インド人は「現実なんかどうでもいい」と思って現実を無視している。『人間がみな平等である』のは現実の決まりである。インド人は現実をどうでもいいと思っているので、『人間がみな平等である』ことを守らずに、悪いことをやっている。反対に、ヨーロッパ人や中国人は『宇宙の中に人間がある』と考えるので、『人間は現実に従わねばならず人間が現実の決まりを守らねばならない』と考えるので、『人間がみな平等である』ことを守って悪いことをやらない。
政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、国民がそのまま政府に税金を払ったのでは国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしい。インド人は現実なんかどうでもいいと思っているので、政府が国民を恥ずかしがらせないために上の者の芝居をやって国民に悪いことをする。国民は現実なんかどうでもいいと思っているので、いくら政府に悪いことをされても平気である。
今では世界中の国で世界中の文化を受け容れて世界中の文化をやっている。今の日本は国際化されている。そのため、今の日本政府は表でヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをやって、裏ではインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをやっている。政府は表では国民を裕福にして、裏では国民を貧乏にしている。日本人はヨーロッパ人や中国人と同じ現実主義でありインド人みたいな知覚主義ではないから、日本人は善いことをされると幸福になり悪いことをされると不幸になるから、政府は表で国民を幸福にして裏では国民を不幸にしている。
今では『人間は脳で認識する』『脳細胞が神経興奮すると感覚が発生する』ことがわかっている。『人間が実在の中に存在する』ことがわかっている。人間は眼と頭で実在を知り実在に適応し実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。したがって、インド文化はまちがっている。『人間の脳は新皮質が古皮質よりも大きいから、人間が頭で考えると幸福になれる』ことにおいてはインド哲学が正しいが、「実在を無視する」ことにおいてはインド哲学がまちがっている。いくら今が国際化の時代だといっても、日本人は闇雲[やみくも]に外国の文化を受け容れてはいけない。日本人は自分で考えて外国の文化を取捨選択して正しい哲学や文化を受け容れて、まちがった哲学や文化を受け容れてはいけない。だから、今の日本人はインド文化を受け容れてはいけない。ところが、今の日本政府は裏でインド文化をやって国民に悪いことをやっているから、日本政府がまちがっている。国民みんなで日本政府を倒さねばならない。
そもそも日本政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府が善いことをするといっても、しょせん国民から税金を取って自分の給料を引いて残ったお金で善いことをする会社にお金をやって善いことをさせるだけである。経済学者にわからないことが政府にわかるわけがない。国民が直接に善いことをする会社にお金をやれば政府は要らない。むしろ政府がなくなったほうがいい。今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府が要らなくなっている。現実においては『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[23086] インド文化はまちがっているから日本人はインド文化を受け容れてはいけない。☆[ヤフー掲示板]
h28.11.14
今は国際化の時代である。そのために、今の日本政府は表でヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって善いことをやって、裏ではインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって悪いことをやっている。
インド文化では「人間は頭で考えると幸福になる。人間にとって現実は無視していい。『人間がみな平等である』ことは現実の決まりである。だから、人間は『人間がみな平等である』ことを無視して悪いことをやってもいい」と考える。インド人は現実なんかどうでもいいと思っているので、いくら政府に悪いことをされても平気なのである。そのために、政府が上の者の団体の芝居をやれるのである。
しかし、今では『人間は脳で認識する』『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことがわかっている。『人間が実在の中にいる』ことがわかっている。人間が眼と頭で実在を知り実在に適応し実在の中で自分の心を満足して幸福に生きねばならないと考えられている。だから、インド哲学やインド文化がまちがっている。いくら今が国際化の時代だといっても、日本人はインド文化を受け容れてはいけない。『人間の脳は新皮質が古皮質よりも発達しているから、人間が頭で考えると幸福になる』ことについてはインド文化も正しいが、それ以外はまちがっている。
今の日本政府は裏でインド文化をやって国民に悪いことをやっている。日本政府がまちがっている。今の日本政府はまちがったインド文化を日本に広める団体である。国民みんなで政府を倒さねばならない。そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。今の国民は物が豊かだから“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから政府は要らない。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[23087] 人間は自分が幸福になる文化をやればいい。☆ h28.11.16
インド文化は「人間は頭で考えることによって幸福になる。人間が幸福であるためには頭で考えるだけでいい。実在なんかどうでもいい」と考えて実在の決まりである『人間はみな平等である』ことを守らずに悪いことをする。インド文化は実在を無視して科学をやらない。
ヨーロッパ文化は「人間は眼で見ることによって幸福になる。人間が幸福であるためには眼で見ないといけない。現実が大事である」と考えて現実の決まりである『人間はみな平等である』ことを守って悪いことをしない。ヨーロッパ文化は現実を知って科学をやる。
中国文化は「人間は自分の心を満足すると幸福になる。人間が幸福であるためには心を満足しないといけない。心が大事である。」と考えて、人間の心は『人間はみな平等である』と思っているので、『人間はみな平等である』ことを守って悪いことをしない。中国文化は現実を自分の心を満足するための道具と考えて、現実よりも自分の心を知るので、科学をやらない。(人間の心はめいめい違う。国民の中には悪いことが好きな者もいる。つまり、『人間がみな平等である』ことを守りたがらない者もいる。そのため、中国では法律を正当化するためには多数決によらねばならない。だから、中国は社会主義になるのである。中国人の考え方では『人間がみな平等である』ことを正当化するのはかえって面倒くさい。“多数決”という余計な副産物を生み出すので好ましくない。一方、ヨーロッパでは現実において人間が同じ生き物であることによって『人間はみな平等である』とすることができるので簡単である。)
インド文化でヨーロッパ文化をやると科学を使って悪いことをやって被害が大きくなるからいけない。例えば、原爆を使って人殺しをすれば大勢の人が死ぬ。だから、インド文化とヨーロッパ文化を混ぜてはいけない。もっとも、数学を使って物について考えるのは善いことである。だから、インド文化とヨーロッパ文化を上手に混ぜればいい。
実際には、人間は実在の中に生きている。実在は人間の認識とは独立に客観的に存在する。人間は実在を眼で見て頭で考えることによって実在を知り実在に適応できる。人間は実在の中で自分の心を満足して幸福になればいい。例えば、“実在について考える喜び”とか“身体や精神が健康である喜び”を満足すればいい。人間の心は実在についての先天的な認識であり、必ずしも心は正しくないから(つまり快であることが正しいことであり、不快であることがまちがったことであるとはかぎらないから)、むやみに心を満足してはいけない。心は子供のための一時的な実在についての知識にすぎず、五感や知覚を心よりも重んじねばならない。現実は五感で捉[とら]えた実在の姿であって、必ずしも実在と同じではない。人間は知覚によって(つまり頭で考えることによって)実在を捉えることができる。人間は本当は実在の中に生きているのだから、実在を現実よりも重んじなければならない。人間の脳は新皮質が古皮質よりも発達しているから、人間は眼で見ることよりも頭で考えることによって幸福になれる。人間は実在を知ることによって自分の“頭で考える喜び”を満足して幸福になれる。人間はそうやって生きていけばいい。
日本文化は『人間は眼と頭で実在を知って実在に適応して実在の中で眼で見て実在の中で自分の心を満足すれば幸福になる。人間が幸福であるためには眼と頭と心の全部を使わねばならない。実在が大事である。』と考えて実在の決まりである『人間はみな平等である』ことを守って悪いことをしない。日本文化は実在を知って科学をやる。日本文化では人間が科学を使って心を満足してみんなが幸福に暮らすのである。日本文化はヨーロッパ文化とインド文化と中国文化が統合された国際的文化である。今は国際化の時代だから、日本人は日本文化をやって生きていけばいいのである。
h28.11.18追記:いつの時代でもどこの国でも人間は自分が幸福になることをすればいい。人間は自分が最も幸福になる文化をやればいい。だから、世界中の人間が日本文化をやればいい。それと同じように、今の国民は“物を使って得られる喜び”を満足する文化をやって“悪いことをされる喜び”を満足する文化をやめればいい。政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。昔は文明が遅れていて国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていたので、国民は政府に税金を払って政府がすごく儲[もう]かっていた。政府(や幕府)は国民からもらった税金から自分の給料を引いて残ったお金で国民のために善いことや悪いことをやっていた。今は文明が進んで国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して幸福になって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているので、国民は自分のお金で物を買って物を使って自分の心を満足して楽しんで政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府は潰[つぶ]れている。今の国民は自分が幸福に生きるために“物を使って得られる喜び”を満足する文化をやって“悪いことをされる喜び”を満足する文化をやめて政府を潰せばいいのである。
[23088] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.16
平成28年11月15日トラックが横転し積んでいた電線のロールが転がって近くの自動車(ハスラー)が破損…これも日本政府が国家宗教で起こした事故である。トラック←T←Tennnou←天皇家、電線←電←天←天皇家、車←カー←カア←カフ(ア≒フ)←川ブ←私、ハスラー←ハス←川フ(スの右下斜め線をハに移す)←川ブ←私、天皇家と私は国家宗教の神としてライバルだから、天皇家が私を攻撃したのである。日本政府がトラックの運転手に命令して起こした事件である。それにしてもセコい事故だね(知ってた?)
[23089] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.17
平成28年11月16日米川工業用水トンネルで作業員一酸化炭素中毒…政府が国家宗教で起こした事故である。米川←米と川、米←米粒←光る玉←天皇家、川←川野延夫←私、トンネル←円柱形←丸がつながっている←光る玉がつながっている←天皇家、トンネル←ネルトン←ルトン←川ブ(ル≒川、ト≒フ、ン≒゛)←私、一酸化炭素←CO←CとO、C←シー←シイ←川ブ(シ≒川、イ≒ブ)←私、O←光る玉←天皇家、などの情報を使って政府が悪いことをしたい者に命令して起こした事故である。
今は国際化の時代である。今の日本政府は表でヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやっていいことをやって、裏でインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしている。しかし、ヨーロッパ文化と中国文化とインド文化を統合すると日本文化になる。日本文化では眼と頭で実在を知って実在に適応して実在の中で自分の心を満足して幸福になる。日本文化では人間は実在に従わねばならず、実在においては『人間はみな平等である』から、『人間はみな平等である』ことを守っていいことをやって悪いことをやってはならない。だから、政府はいいことをする団体の芝居をしないといけない。政府はまちがっている。そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、今では国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民にとっては政府が要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[23090] 『スタートレック イントゥ ダークネス』 h28.11.17
今晩CS放送のザ・シネマで『スタートレック イントゥ ダークネス』(2013年)を見た。映像が面白くなっている。話も暗いけど面白くなっている。優性人間カーンが出てきて私的にはノリがいい。カーン←カん←カフ(ん≒フ)←川ブ←私(本当に私が優性人間だと思わないでね)。スポックも私だ。カークが私の父で、マッコイが私の母で、スコットが神田[こうだ]のおじさんで、ウフーラが神田のおばさんである。最後にカークが死ぬが、当時(3年前)私の父は膵臓ガンで入院していて私と会わずに死んだ。私が福岡で政府のことを考えていて見舞いに行かなかったので父親の顔が見れなかった。そのことがガラス越しにカークがスポックを見ることによって表現されている。しかし、私は時間を無駄[むだ]にしなかったおかげで政府のことが理解できた。私は後悔していない。
[23091] 発展途上国と先進国では文化が違う。 h28.11.17
発展途上国の人間は餓死するのが好きだから飢[う]えているのだ。それが彼らの文化なのだ。だから、いくら手助けしても無駄[むだ]だ。彼らは手助けを断るだろう。だから、ユニセフが募金で儲[もう]かるのだ。
[23092] 寝不足は精神分裂病のもと h28.11.18
人間の大脳は古皮質と新皮質に分かれる。
古皮質と新皮質は拮抗[きっこう]する。つまり、古皮質は新皮質を抑[おさ]え、新皮質は古皮質を抑える。
古皮質には性欲、五感、支配欲、テレバシー器官などがある。
新皮質には知覚、思考欲(考える喜び)などがある。
人間がオナニーやセックスをやると、性欲中枢が興奮して、古皮質全体の活動が高まる。そのために、五感が高まって周[まわ]りのことが気になって、支配欲が高まって他人が自分の気に入らないことをしていると腹が立って、テレパシー器官が高まってテレパシーを使って他人に訴えたくなる。テレパシー器官が働くようになると他人のテレパシーが聞こえるようになって、テレパシーで他人の悪口が聞こえるようになって腹が立って暴れまわるようになって精神分裂病に罹[かか]る。古皮質全体の活動が高まっていることが精神分裂病の本態[ほんたい]である。だから、精神分裂病に罹らないためにはオナニーやセックスをやってはいけない。(平成29年2月28日追加:麻薬は人間の大脳の古皮質にある快楽中枢を興奮させて快感を発生させる。そういうやり方で快楽を得ていると、しだいに古皮質の興奮性が高まって古皮質全体が興奮してそのうち古皮質にあるテレパシー器官が興奮して他人が自分の悪口を言っているテレパシーが聞こえるようになって苦しんだり暴れまわったりするようになる。つまり、麻薬をやって快楽を得ると精神分裂病に罹[かか]って苦しむことになる。麻薬は精神分裂病の原因のひとつである。だから、人間が幸福になりたければ麻薬をやってはいけない。人間が幸福になりたければ新皮質を興奮させて幸福になるしかない。)
人間が寝不足だと、新皮質の働きが弱まって、古皮質を抑えることが弱まって、古皮質が活動が高まって、精神分裂病に罹りやすくなる。新皮質の活動が高まっていると、五感が弱まって周りのことが気にならず、支配欲が弱まって他人に寛大[かんだい]になって、テレパシー器官が弱まってテレパシーを聞いたりテレパシーで訴えたりしなくなる。だから、精神分裂病に罹らないためにはよく眠ることが大事である。
人間の脳は五感と知覚と心からなる。人間は実在の中で生きている。人間の心は人間が生まれ持った実在についての知識であり、まちがいが多い。人間の心は実在についてあまり知らない。人間がそのまま心を働かせると一時的に幸福が得られるだけでまちがいを犯してかえって不幸になる。例えば、人間の心は『人間が性欲を満足すると精神分裂病に罹る』ことを知らないから、人間が性欲を満足すれば快感が得られるからといって性欲を満足していると、そのうち古皮質の活動が高まって精神分裂病に罹る。そうでなくても、新皮質が働かなくなって馬鹿になって苦労の多い不幸な生涯を送ることになる。一方、人間が五感と知覚を働かせて実在を知り、実在の中で心を満足すれば幸福が得られる上にまちがいが起こらず不幸にならない。例えば、『人間が性欲を満足すると精神分裂病に罹る』ことを知って性欲を満足させなければ、精神分裂病に罹らず、自分の心をたくさん満足してずっと幸福に暮らすことができる。人間が性欲を働かせずに生殖すれば不幸にならずに子供を作れる。だから、人間は五感と知覚を働かせて実在を知り、実在の中で五感を働かせて心を満足すればいいのである。人間は試験のための勉強ではなく実在を知るための勉強をすべきである。そうすれば、人間は最も幸福になれる。
[23093] 今では世界中の国で政府がなくなっている。今では世界中の国で実在主義をやっている。☆
h28.11.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間は大昔自然に悪いことをされて暮らさねばならなかったのでそんな喜びがある。ただし、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。人間がふだんは“善いことをされる喜び”を満足しているので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が異常者に見えるからである。人間がふだんは服を着ているので、入浴時以外に自分の裸を見られるのが恥ずかしいのと同じことである。
政府は国民から税金を取って国民に“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。ただし、政府が国民からそのまま税金を取ったのでは国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているのが丸出しになって恥ずかしいので、政府は芝居をやって国民が恥ずかしがらずにすむようにしている。ヨーロッパや中国では政府が民主主義の団体の芝居をやって政府が国民から取った税金から自分の給料を引いた残りのお金で善いことをする会社にお金をやって国民に善いことをしている。インドでは政府が上の者の団体の芝居をやって政府が国民を殺したり国民に嫌がらせをしたり国民を貧乏にしたりして国民に悪いことをしている。(インド人は「人間が頭で考えると幸福になる」と考えているので、現実は原始時代のままにして頭で考えて幸福に暮らしている。原始時代には人間が裸で恥ずかしくなかったように、人間が政府に悪いことをされても恥ずかしくなかった。そのため、インドでは政府が原始時代と同じようにあけっぴろげに国民に悪いことをするのである。それをインド人は「政府が身分が高い」ことにして正当化してごまかしているのである。インド人は「政府が身分が高い」と考えると恥ずかしくないので身分制をやっているのである。だから、インド人は政府を本気で上の者と思っておらず、ただの悪いことをする者としか思っていない。/インド人は「人間が幸福になるためには頭で考えねばならない」と考えているので、自分の頭で考えてばかりいて現実をほったらかしにしている。数学だけが発展して、現実を原始時代のままにしている。だから、インド人は動物といっしょに暮らしている。インド人は現実を無視しているのでインドには時間がない。インド人は現実の時間を無視してわがまま勝手に暮らしている。アメリカはインド文化をやっているので、アメリカ人も時間にルーズである。反対に、日本人は『人間が幸福になるためには実在を知って実在に適応しなければならない』と考えているので、実在には時間があるので、日本人は時間に厳しい。)
日本がヨーロッパ文化や中国文化を受け容れている時代には、日本では政府がヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民から取った税金から自分の給料を引いた残りのお金で善いことをする会社にお金をやって国民のために善いことをやっている。
日本がインド文化を受け容れている時代には、日本では政府(幕府)がインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民を殺したり国民を嫌がらせたり国民を貧乏にしたりして国民に悪いことをやっている。
日本は古代や近代にはヨーロッパ文化を受け容れていたから、政府がヨーロッパ文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをしていた。
日本は中世や近世にはアジア文化を受け容れていたから、政府(幕府)がアジア文化をやって表では中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをして、裏ではインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしていた。
日本は現代には世界中の文化を受け容れているから、政府が世界中の文化をやって表ではヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民のために善いことをして、裏ではインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって国民に悪いことをしている。例えば、今の政府は表では国民から取った税金から自分の給料を引いて残ったお金で法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などにお金をやって国民の役に立つことをやったり、マンガ会社やアニメ会社にお金をやって面白いマンガやアニメを作らせたり、テレビ会社にお金をやって面白いテレビ番組を作らせたりしている。その一方で、政府は裏では悪いことをしたい者に命令して事件や事故を起こして国民を殺したり、水道管を破裂させて浸水や断水させたり光ファイバーを切断して列車を止めたり電気ケーブルを切断して停電させたりして大勢の国民に嫌がらせをしたり、政府の言うことを聞く者に命令して景気を悪くして国民みんなを貧乏にしたりしている。(テレビ会社は政府からお金をもらっているので、テレビ会社は政府にとって不利な情報を流さないようにしている。警察も政府からお金をもらっているので、いくら政府が悪いことをしても見て見ないふりをしている。)
そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。政府は国民を恥ずかしがらせないために民主主義の団体や上の者の団体の芝居をしているだけである。つまり、政府は民主主義の団体でも上の者の団体でもない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体にすぎない。これまでは文明が低くて国民が物が貧しくて“物を使って得られる喜び”を満足することができなかったために、政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。しかし、今では文明が高くなって国民が物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足できるようになった。国民が“悪いことをされる喜び”を満足すると、政府や宗教団体や暴力団などにお金を取られて“物を使って得られる喜び”が満足できなくなる。だから、“悪いことをされる喜び”と“物を使って得られる喜び”は対立する。今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足しているので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は政府や宗教団体や暴力団にお金を払わなくなって政府や宗教団体や暴力団が潰[つぶ]れている。今の国民は自分で直接に善いことをする会社にお金を払って善いことをしてもらうようになっている。
今では世界中の国でみんなが世界中の文化を受け容れて世界中の国が国際化されている。今では世界中の国でみんなが実在主義をやっている。人間は実在の中で生きている。人間が眼と頭で実在を知り実在に適応して、実在の中で眼で見て心を満足して幸福に暮らすようになっている。そうすれば人間は最も幸福に暮らすことができる。例えば、今の国民が眼と頭を使って『政府が国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である』ことを知って、『今の国民が物が豊かだから“悪いことをされる喜び”を満足していない』ことを知って、自分の心を満足するために政府に税金を払わなければいいのである。今の国民は自分が幸福に暮らすために政府に税金を払わなければいいのである。
[23094] 『スタートレック ビヨンド』 h28.11.18
Youtubeにアップされている『スタートレック ビヨンド』(2016年)を見た。全部で2時間半もあるので2日に分けて見た。この話の要[かなめ]はラストにある。
昔と今は文明が違うから人間が満足する感情も違う。昔の人は文明が低くて物が貧しかったから゛悪いことをされる喜び゛や゛戦争をする喜び゛や゛植民地を取る喜び゛を満足していた。今の人は文明が高くなって物が豊かだから゛物を使って得られる喜び゛を満足している。そのために、昔の人と今の人では生き方が違うのだ。
私の哲学日記に書いていることと同じだ。それは私が国家宗教の神であり、私の哲学日記に倣[なら]って映画が作られているからだ。長い間私が正しいことがわからなかったので、話の大部分がSFになってしまったのだ(ゴメン)。
[23095] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.20
平成28年11月19日小林麻央、体調不良で連日病院へ 子どもたちへの思いを明かす…政府が国家宗教で女優の小林麻央[こばやしまお?]さんに命令して公表させたことである。小林麻央←小麻←小マ←川フ(小≒川、マ≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、私はこれまで約50日間毎日母親の見舞いのために病院に通い続けた(私はけっして病気好きな性格ではない)、母は来週の月曜日にリハビリを終えて退院する、ことなどによって政府が女優に命じて公表させたのである。今回は無害だからよかった。
[23096] 『スタークラッシュ』 h28.11.20
数日前にCS放送のMONDOテレビでやっていた『スタークラッシュ』(1979年)もすごく面白かった。残念ながら夜遅かったので途中で見るのをやめてしまった。再放送もないようだと思って諦[あきら]めていたら、これもYoutubeで見れることがわかった。日本のアニメに似ている。『サイコアーマーゴーバリアン』のゼクーに似たキャラクターがいる。
『スタークラッシュ』の宇宙海賊のステラが天皇で、超能力者のアントンがキリストで、ロボットのエルが私である。エルが海が嫌いなのは、私が船酔いしやすいからである。エルが山が平気なのは私が高校生のころ登山部に入っていたからである。銀河皇帝とは“物を使って得られる喜び”を満足する会社や工場や商店のことで、暗黒皇帝とは“悪いことをされる喜び”を満足する政府や宗教団体や暴力団のことである。
[23097] 『カウボーイ & エイリアン』(2011年) h28.11.20
Youtubeで無料で見られるので見た。日本語版があるが途中までなので、続きから英語版を見た。西部劇とSFの融合であり、アニメの『フィギュア17[セブンティーン]』に似ていると思った。西部劇の感動がSFで台無しになっていると思った。…カウボーイとは国民で、エイリアンとは政府のことである。主役のジェイクは私である。ジェイクが左腕に付けている“エイリアンと互角に戦える武器”は私が国家宗教の神であることである。冒頭でジェイクが倒した3人のならず者は天皇家のことである。エイリアンが金を欲しがっているのは、政府が税金を取っていることである。ロケットといっしょに爆死した女の人は天皇である。ロケットが白くて丸くて長くて光る玉がつながっているからである。この映画が言いたいことは「国民みんなで力を合わせて政府を倒そう」ということである。
[23098] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.23
平成28年11月22日佐川急便駐車違反身代わり逮捕…佐川急便←佐川←川佐←川サ←川ブ(サ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、車←カー←カア←カフ(ア≒フ)←カブ←川ブ←私。今の日本では世界中の文化をやっている。今の日本ではみんながヨーロッパ文化でもインド文化でも中国文化でもやっていい。ヨーロッパ文化では神に従えばいい。インド文化では悪いことをやっていい。中国文化では自分がやりたいことをやればいい。したがって、ヨーロッパ文化とインド文化と中国文化を混ぜれば国民が天皇や私の情報をちょっと使えば自分が好き放題に悪いことをやってもいいことになる。“駐車違反身代わり”とはそういうことである。しかし、実際には今の日本ではみんながヨーロッパ文化とインド文化と中国文化を統合した文化をやらねばならない。つまり、みんなが眼と頭で実在を知り実在の中で自分の眼で見て自分の心を満足して幸福にならねばならない。実在においては『人間はみな平等である』から悪いことをやってはいけない。だから、“駐車違反身代わり”はいけないことになって逮捕されるのである。一方、政府が国民から税金を取っているのは国民の自主的意思によってであり、政府が国民に悪いことをするのは悪いことをしたい者に命令してさせているのだから政府は悪くない。だから、政府は国民の目の前で堂々としているのだ。
ヨーロッパ文化では人間が現実に従わねばならないから、現実においては『人間はみな平等である』から悪いことをやってはいけない。反対に、アジア文化では人間が自分の心のままに悪いことをやってもいい。だから、みんながヨーロッパ文化をやっていた日本の古代や近代はいい時代だった。反対に、みんながアジア文化をやっていた中世や近世は悪い時代だった。みんなが世界中の文化をやっている現代は人間が実在に従わねばならないから、実在においては『人間はみな平等である』から、人間は悪いことをやってはいけない。ところが、政府が国民から税金を取っているのは国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためだからいいことだし、政府が国民に悪いことをするのは悪いことをしたい者の“悪いことをする喜び”を満足するためだからいいことなので、政府は悪くない。だから、政府は国民の目の前で堂々としているのである。
今の日本では世界中の文化が統合された実在主義をやっている。実在主義では悪いことをやってはいけないから、政府がインド文化で上の者の団体の芝居をやって悪いことをすることはまちがっている。今の政府は実在主義の団体の芝居をやって国民に善いことをしないといけない。しかし、それでも政府はいけない。そもそも政府は国民から税金を取って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である。しかし、今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して、“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[23099] 今日の政府が起こした事件[ヤフー掲示板] h28.11.26
平成28年11月26日明石家さんま“共演NG”田村英里子と24年ぶり再会 小池百合子都知事も登場…さんま←三マ←川ブ(三≒川、マ≒ブ)←私、私は今母親の見舞いのために高知の母の家にいる。母が一人で退屈しないために衛星放送が見れるようにした。母が退院する前に私一人で衛星放送のファミリー劇場の『ドリフ大爆笑』を見ていたら、たまたま『アイドル伝説えり子』の田村英里子が「真剣[ほんき]?」を歌っていた。今では母は退院して私といっしょに暮らしている。私の母の名は裕季子[ゆりこ]である。これも政府が国家宗教でやらせたことである。善くも悪くもないどうでもいいことである。今日は平和だなあ。
さんまと英里子が“共演NG”なのは、英里子←えりこ←こりえ←川ブ(こり≒川、え≒ブ)←私で、さんまと英里子がどちらも私でダブってしまうからである。芸能界もつまらない決まりがあって大変である。芸能界は政府の決まりを守るのをやめればいい。
芸能界は政府からお金をもらっているから政府の言うことを聞くのである。あるいは、芸能界は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞くのである。政府はヨーロッパ文化や中国文化をやって民主主義の団体の芝居をやって国民に善いことをやっているから、国民から取った税金から自分の給料を引いた残りのお金で芸能界にお金をやっているのである。その一方で、政府はインド文化をやって上の者の団体の芝居をやって(というか、そのまま“悪いことをする団体”をやって)国民に悪いことをやっている。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。ところが、今の国民は物が豊かになって“物を使って得られる喜び”を満足して“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民は政府に悪いことをされるのが嫌だから、政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。今の国民は自分が芸能界が好きなら、直接に自分の手で芸能界にお金をやって芸能界に仕事をやってもらわねばならない。そうすれば、芸能界も政府の言うことを聞くのをやめるだろう。
[23100] どうしてインドでは男尊女卑なのか?☆ h28.11.27
インドではみんなが“頭で考える喜び”を生き甲斐[がい]にしている。“頭で考える喜び”にとっては男は役に立つが女は役に立たない。男は頭で論理的に考えられるが、女はできないからである。だから、インドでは男尊女卑である。
ヨーロッパではみんなが“眼で見る喜び”を生き甲斐にしている。“眼で見る喜び”にとっては女は役に立つが男は役に立たない。女は身体や顔が美しいが、男は汚いからである。だから、ヨーロッパでは女尊男卑[じょそんだんぴ]である。(要するに、エロ・グロ・ナンセンスがヨーロッパ文化である。h28.12.7追加:ヨーロッパではみんなが眼で見るだけで頭で考えないから自分にわからないことがあるとなんでも神のせいにするから神がいるのである。つまり、ヨーロッパではみんなが“眼で見る喜び”を生きがいにしているために神がいるのである。一方、中国ではみんなが“心で思う喜び”を生きがいにしていて、人間の心は「神がいる」と思わないから中国には神がいないのである。インドではみんなが“頭で考える喜び”を生きがいにしていて、自分の頭で考える世界では自分が宇宙を創造する神だから、インドでは自分が神なのである。)
中国ではみんなが“心で思う喜び”を生き甲斐にしている。“心で思う喜び”にとっては女も男も同じように役に立つ。女も男も心で思うことでは同じだからである。だから、中国では男女平等である。
今は国際化の時代である。世界中の国で世界中の文化をやっている。日本でもインド文化やヨーロッパ文化や中国文化を全部やっている。日本ではインド文化とヨーロッパ文化と中国文化を統合して実在主義をやっている。今の日本ではみんなが“実在に適応する喜び”を生き甲斐にしている。“実在に適応する喜び”にとっては男は役に立つが女は役に立たない。男のほうが女よりも知覚が発達して実在をよく理解して実在によく適応できるからである。もっとも、女は男より五感が発達しているから実在によく適応できる場合もある。だから、今の日本では若干男尊女卑である。
h28.11.30追加:人間が幸福に生きていける道は実在主義であり、実在主義では少しだけ男尊女卑である。したがって、今の政府が女性に有利な税策をすることはまちがっている。今の政府はヨーロッパ文化をやっているふりをして、裏ではインド文化をやって悪いことをやっている。今の政府は世界中の文化の悪いところを取り入れて悪いことをやっている。国民が政府の政策をやると不幸になる。だから、国民は政府の言うことを聞かず、自分で考えて実在主義をやって、自分で自分を幸福にしないといけない。
