[22901] 政府の「民主主義の団体」は芝居であって本物ではないから民主主義をやっていない。
h28.7.6
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民の眼に付くところで「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
政府は自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠すために「民主主義の団体」をやっているだけだから、政府の「民主主義の団体」は、ただの芝居であって本物ではない。政府の「民主主義の団体」は民主主義をやっているふりをしているだけで本当は民主主義をやっていないから、政府は国民に悪いことばかりさせるし、本当は国家権力もない。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は、国民と平等だから、国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「くたばれ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいた。昔は国民みんなが『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府の「民主主義の団体」は芝居であって本物ではない』ことを知っていたので、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かず、自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなが政府の「民主主義の団体」の命令を聞かなかったので、国民みんなが幸福に暮らしていた。
今の国民みんなは物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の多くの国民は『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府の「民主主義の団体」は芝居であって本物ではない』ことを知っているので、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞かず悪いことをされず税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して、「政府は国民みんなのために善いことをやる」とか「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いている。ところが、政府の「民主主義の団体」はただの芝居であって本物ではないから、政府は国民に悪いことばかりやるし、本当は国家権力もない。一部の国民は政府の言うことを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の言うことを聞いて、人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
政府の「民主主義の団体」はニセモノの「民主主義の団体」であって、本物の「民主主義の団体」ではない。だから、政府の「民主主義の団体」は国民に命令して悪いことばかりさせる。今の一部の国民が政府のことを知らないために政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民が政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を本気にして政府の悪い命令を聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民は政府のことを知らないために政府の「民主主義の団体」を本物だと思って政府の命令を聞いて悪いことをやっている。今の多くの国民は一部の国民に政府のことを教えてやって、国民みんなが政府のことを知っているようにしないといけない。早く国民みんなで政府の「民主主義の団体」がニセモノだと知って、政府の言うことを聞かないようにして国民みんなに悪いことをしないようにしないといけない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなくていい。今の国民みんなは政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して、イカサマの民主主義をやる団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の国民は他人がまちがうと喜んで、他人が正しいと不愉快[ふゆかい]になる。今の国民はガリ勉バカである。今の国民は意地悪[いじわる]キチガイである。女の腐ったヤツみたいだ。私はそんな人間と話したくない。だから、私は他人とあまり話しをしないのである。今の国民は根性が捻[ね]じ曲がっている。だから、国民みんなは自分が他人にウケていないからと言って自分を悲観する必要はない。むしろ自分が正しいと思って自信を持てばいい。
[22902] 政府には国家権力がないから政府は国民に悪いことをやってはいけない。
h28.7.6
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
そもそも政府の「民主主義の団体」は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であるのを隠すためにあるのだから、見かけが「民主主義の団体」ぽいだけで、中身は「民主主義の団体」ではない。政府の「民主主義の団体」はニセモノである。だから、政府の「民主主義の団体」は国民に命令して悪いことばかりやるし、本当は国家権力もない。
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、政府は見かけで民主主義をやっているにすぎない』ことを知っていたので、政府の「民主主義の団体」の言うことを無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔は国民みんなが政府の「民主主義の団体」の命令を聞かなかったので国民みんなが幸福に暮らしていた。昔の政府は外身[そとみ]が「民主主義の団体」で中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だからうまく行っていたのである。
今は国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していない。多くの国民が『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府は見かけで「民主主義の団体」をやっているにすぎない』ことを知っていて政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切っている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないので、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国民みんなのために善いことをする」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いている。一部の国民は政府の言うことを聞いて高い税金を払ったり自殺したり虐[いじ]められたりしている。一部の国民は政府の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作って国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。今は一部の国民が政府の「民主主義の団体」の命令を聞いているので国民みんなが不幸になっている。今の政府は外身が「民主主義の団体」で中身が「悪いことをする団体」だからうまく行かないのである。多くの国民は『政府は悪者だ!』『政府は国家権力がないのに偉そうなことをやるな!』と思って政府を罰するために政府の者をテキトウに痛めつけて遊んでいる。
今では政府が自分に従う国民に命令して悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。政府に従う国民は政府を誤解している。政府の「民主主義の団体」はニセモノだから国家権力はない。政府は自分に従う国民に命令して悪いことをやってはいけない。政府と政府に従う国民は有罪である。だから、国民みんなは政府と政府に従う国民を罰しなければならない。
今の政府はテレビに出て「国民みんなが政府を支持している」「国民みんなが政府に従っている」ふりをしている。しかし、本当は多くの国民は政府と縁を切って暮らしていて、政府のことを知らない一部の国民がいやいやしかたがなく政府に従っているだけである。国民みんなは政府のテレビの嘘[うそ]の宣伝に騙[だま]されてはいけない。今では多くの国民が政府と縁を切って暮らしている。だから、国民みんなは政府と縁を切って暮らせばいい。国民みんなで早く政府を倒して、「民主主義の団体」のふりをしている団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22903] 今の一部の国民が政府のことを知らないために国民みんなが不幸にされている。☆
h28.7.6
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
政府の「民主主義の団体」は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠すためにあるだけである。そのため、政府の「民主主義の団体」は見かけが「民主主義の団体」であるだけで、中身は「民主主義の団体」ではない。政府の「民主主義の団体」は見かけが国民に善いことを命令して国家権力があるふりをしているだけで、本当は国民に悪いことばかり命令して国家権力もない。政府の「民主主義の団体」はヨーロッパ生まれである。ヨーロッパ人は見かけが善くて中身が悪いのが好きだから、政府の「民主主義の団体」は見かけと実際にやっていることが裏腹[うらはら]なのである。反対に、日本人は裏腹なのが嫌いなので政府の「民主主義の団体」が嫌いである。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されて死ね!」とかいろんな“国民が虐められて喜びそうなこと”を言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かないようにして、自分が好きなだけ『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていたので、国民みんなが政府を上手[じょうず]に利用して楽しく暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。多くの国民は政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かないようにして、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は政府のことをよく知っていて、今でも昔と同じように自分が好きなだけ『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して、「政府は国民みんなのために善いことをやってくれる」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、政府の「民主主義の団体」は本当は国民に悪いことを命令するだけである。そのため、一部の国民は政府の言うことをなんでも聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりしている。一部の国民は政府の言うことをなんでも聞いて、人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が政府のことを知らないために国民みんなが不幸にされている。今の一部の国民が政府をへたくそに利用しているために国民みんなが不幸にされている。今の一部の国民が政府のことを知らないのがいけない。国民みんなで政府のことを教え合って、国民みんなが政府のことを知っているようにして、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聴かないようにしないといけない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなければいい。国民みんなは政府に「税金を払え!」と言われても税金を払わず政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して、「民主主義の団体」と誤解しやすい団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22904] 今の政府は「民主主義の団体」で稼[かせ]いでいる。 h28.7.7
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)ほかの動物のエサとして幸福に暮らしていたから、今でもそのころの名残[なごり]でそんな喜びがある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠しているのである。
政府の「民主主義の団体」は、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠すためにあるだけなので、見かけが「民主主義の団体」であるだけで、中身は「民主主義の団体」ではない。政府の「民主主義の団体」はニセモノである。政府の「民主主義の団体」は見かけで国民に善いことを命令して国家権力があるふりをしているだけで、本当は国民に悪いことを命令して国家権力がないのである。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は、国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「人口を増やせ!」とかいろんな“国民が虐められて喜びそうなこと”を言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをさせて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていたので、国民みんなが政府を上手[じょうず]に利用して幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの国民は政府のことをよく知っているので、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は政府のことを知っていて、今でも昔と同じように政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国民みんなのために善いことをやってくれる」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、本当は政府の「民主主義の団体」は国民に悪いことを命令するだけである。そのため、一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをしたり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったり、外国に行って外人にけんかを売って国交を悪くして戦争をやったりして国民みんなを不幸にしている。今は一部の国民が政府のことを知らないために国民みんなが不幸に暮らしている。
昔の政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』で儲[もう]かっていた。今の政府は「民主主義の団体」で儲かっている。
昔は自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人が政府の言うことを聞いていた。今は政府の「民主主義の団体」に騙[だま]されている人が政府の言うことを聞いている。
国民には政府の「民主主義の団体」に騙される義務はない。国民は政府の「民主主義の団体」が見かけが民主主義の団体であるだけで本当は民主主義の団体ではないと考えて政府の「民主主義の団体」を真に受けないようにして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
要するに、今の政府はテレビで自分が善い団体だと言って大勢の国民からお金を集めて本当は悪いことをやっている。大勢の国民はそんなことのために毎月高い税金を政府に払っている。政府が自分が民主主義の団体と言っているのは嘘[うそ]である。政府に国家権力があるというのも嘘である。国民は政府の嘘に騙されないようにして政府に税金を払ってはいけない。
[22905] 国民みんなが政府のことをよく知っていれば国民みんなが幸福に暮らせる。
h28.7.7
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、自尊心が損なわれるので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であるのを隠しているのである。
政府の「民主主義の団体」は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であるのを隠すためにあるだけである。だから、政府の「民主主義の団体」は見かけが「民主主義の団体」であるだけで中身は「民主主義の団体」ではない。政府の「民主主義の団体」はイカサマである。政府の「民主主義の団体」は見かけで国民に善いことを命令して国家権力があるふりをしているだけで、本当は国民に悪いことを命令して国家権力がない。政府の「民主主義の団体」は昔からそういうものだと決まっている。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「道徳のないことをやれ!」とかいろんな“国民が虐められて喜びそうなこと”を言うから、国民は自分が好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分の好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今は多くの国民が政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』のいうことも聞かないようにして政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は政府のことをよく知っていて、昔と同じように政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」を本気にして言うことを聞いて、政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりした上に、人殺しや強盗やイタズラをして、悪い法律や制度や文化をやって、国の景気を悪くして、面白くない製品や作品を作って、国交を悪くして戦争をやったりして国民みんなを不幸にしている。
昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かなかったので、国民みんなが悪いことをせず国民みんなが幸福だった。(昔通販のニッセンのコマーシャルに「見てるだけ〜」というのがあった(参考)。これは、国民は政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞いてはいけないと言っているのである。)
今は一部の国民が政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」を本気で相手にして言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。
昔は政府の「民主主義の団体」は民主主義の団体の芝居をするだけで国民に悪いことを命令しなかったから、国が悪くならずにうまく行って国民みんなが幸福だった。
今は政府の「民主主義の団体」が民主主義の団体の芝居をする上に国民に悪いことを命令しているから、国が悪くなってうまく行かなくなって国民みんなが不幸になっている。
今の一部の国民が政府のことを知らないために国民みんなが不幸になっている。今の一部の国民が政府のことを知らないのがいけない。国民みんなで政府のことをよく知って、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社にすぎず、政府の「民主主義の団体」は国民に悪いことを命令するだけだから見るだけにして言うことを聞いてはいけない』ことをよく知って、そうしないといけない。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府に用はないから、政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
私も40歳ごろまでは政府の「民主主義の団体」を本気にして言うことを聞いて毎月政府に税金を払っていた。法律を犯してはいけないと思って必死になって期限までに近所の銀行に自転車に乗って行って税金を納めていた。しかし、今の私は政府の「民主主義の団体」はイカサマだとわかった。だから、今後は私は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞かない。政府に税金を払わない。政府を倒して善い国を作る。
[22906] 国民が政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて悪いことをやったら、その国民に責任がある。
h28.7.7
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」(「神主義の団体」も含む)の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠しているのである。
政府の「民主主義の団体」は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠すためにあるだけだから、見かけが民主主義の団体っぽいだけで、中身は民主主義の団体ではない。政府の「民主主義の団体」は本当は民主主義の団体ではない。政府の「民主主義の団体」はイカサマである。政府の「民主主義の団体」は見かけで国民に善いことを命令して国家権力があるふりをしているだけで、本当は国民に悪いことを命令して国家権力がない。だから、国民は政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞いてはいけない。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「エッチなことをしろ!」とかいろんな“国民が虐められて喜びそうなこと”を言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府を正しく利用していた。昔は国民みんなが、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今は多くの国民が政府のことをよく知って、政府を正しく利用している。多くの国民は、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして自分が悪いことをされないようにして政府に税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は今でも昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足して生きていて、政府のことを知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らず、政府をまちがって利用している。一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」を本気にして政府の「民主主義の団体」を見るだけではなく言うことを聞いて、政府の「民主主義の団体」の命令で悪いことをやっている。一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて、政府に高い税金を払ったり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて、人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民は政府のことを知らないために政府をまちがって利用して他人に悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。だから、今の一部の国民が悪い。一部の国民が政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて他人に悪いことをしたら一部の国民が有罪になって罰せられる。国民みんなで一部の国民を捕まえて罰しなければならない。一方、政府については、政府の「民主主義の団体」はもともと国民に悪いことを命令するものと決まっているから政府には責任はないようだが、最近では会社は自分の仕事内容を客に説明するのが義務になっているから、説明しない政府にも責任があるようになるかもしれない。今後は国民みんなで政府を捕まえて罰するようになるかもしれない。
今の一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民が悪い。国民みんなは一部の国民を罰しなければならない。今のところはまだ政府が自分の仕事内容を国民に説明してくれないから、国民みんなが政府のことを教え合って国民みんなが政府のことを知っているようにしないといけない。国民みんなが法律を教え合って国民みんなが法律を知っているようにしているのと同じことである。国民みんなの幸福は国民みんなで守らねばならない。国民みんなが自分たちで自分たちが幸福に暮らせる国にしないといけない。
今の一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて悪い制度をやっている。国民医療保険制度、厚生年金制度、福祉制度、男女平等制度(つまり、一生懸命に働く者と怠けて働かない者を同じ待遇にする制度。その結果、まじめに働く者よりも怠けて働かない者のほうが有利になって、みんなが馬鹿馬鹿しくなって働かなくなる。)、学校制度、週休二日制度などをやっている。これらはすべて悪い制度である。政府の「民主主義の団体」が国民みんなを不幸にするために設けた悪い制度である。国民みんなはこれらをすべて廃止しないといけない。国民みんなが自分たちで自分たちが幸福に暮らせる善い制度を設けて善い制度をやらねばならない。
政府は「民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠すために「民主主義の団体」の芝居をしているだけである。だから、政府の「民主主義の団体」はそもそも“民主主義の芝居”をする団体であって本当に民主主義をする団体ではない。政府の「民主主義の団体」は見かけだけが民主主義の団体で、中身はまったく別の団体である。政府の「民主主義の団体」は民主主義の芝居ができるだけでほかにはできることがない。だから、政府の「民主主義の団体」は国民みんなの前で民主主義っぽいことを言うだけで、実際にはデタラメなことばかりやって国民に悪いことばかり命令するのである。国民が民主主義の芝居しかできないヤツに無理やり命令を出させるからメチャクチャな命令を出すのである。国民が政府の「民主主義の団体」にできないことをやらせるから、政府の「民主主義の団体」がヤケクソになって人殺しの命令とか面白くないマンガを描[か]かせる命令とか出すのである。政府の「民主主義の団体」は最初から“民主主義の芝居”をする団体であって、民主主義の団体ではないから国民に善いことを命令せず悪いことばかり命令するのである。政府の「民主主義の団体」は民主主義の団体の芝居をやっているだけだから、国家権力がなく法律を定めることができない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。政府の「民主主義の団体」は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのを恥ずかしがらせないためにあるだけである。ところが、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのを恥ずかしがる必要もない。だから、今の国民にとっては政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も「民主主義の団体」も両方とも要らない。今の国民にとっては政府全部が要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒してなくせばいいのである。
[22907] 今の国民は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞かないようにしないといけない。
h28.7.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」と『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の組み合わせである。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいから、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠しているのである。
政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は「民主主義の団体」の芝居ができるだけでほかにできることがない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は「民主主義の団体」ではないから国民に善い命令を出したりできない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は国民に悪い命令を出して国をメチャクチャにすることしかできない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は「民主主義の団体」の芝居をやっているだけだから国家権力はない。法律を定めることもできない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は「民主主義の団体」の芝居をすることしかできない。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「仕事をするな!」とか“国民が虐められて喜びそうなこと”をいろいろ言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られず自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今は多くの国民は政府のことをよく知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かず政府に悪いことをされず政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は今でも昔と同じように、政府のことをよく知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。しかし、一部の国民は政府のことを知らず、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を真[ま]に受けて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」が本当に「民主主義の団体」だと誤解して「政府の「民主主義の団体」は国民みんなに善いことをしてくれる」とか「政府の「民主主義の団体」は国家権力があるから国民全員が政府の「民主主義の団体」に従わねばならない」と思って政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いてメチャクチャなことをやって国民みんなを不幸にしている。一部の国民は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いて政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作って国民みんなを不幸にしている。
政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」は「民主主義の団体」の芝居ができるだけでほかには何もできない。それなのに、今の一部の国民は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いてメチャクチャなことをやって国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民が政府のことを知らないのがいけない。
国民みんなで政府のことを教え合って、国民みんなが政府のことを知っているようにして、国民みんなが政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞かないようにしてメチャクチャなことをしないようにしないといけない。そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民みんなは政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
[22908] 政府は「民主主義の団体」ではないから国民は政府に善いことをしてもらおうとしてはいけない。
h28.7.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいから、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを隠している。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びを得られず自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」が芝居だと思って無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の多くの国民は政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」が芝居だと思って無視して、政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国民に善い命令を出してくれる」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、政府は「民主主義の団体」の芝居をすることと『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する』ことしかできない。政府は国民に善い命令を出すことなんかできない。(とんねるずの矢島工務店にビルの建築を頼むようなものだ。)しかし、大勢の国民が政府に善い命令を出してくれと迫[せま]るので、政府は断ろうにも断れなくなって困ってヤケクソになって国民にデタラメな命令を出している。政府は日本の将来なんかどうなってもいいと思ってテキトウに国民が喜びそうな命令を出して国民の機嫌を取っている。そのため、一部の国民は政府の命令を聞いて政府に高い税金を払ったり、人殺しや強盗やイタズラをしたり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているために、政府はいやいやしかたなく国民にデタラメな命令を出さねばならなくなっている。一部の国民が政府のデタラメな命令を聞いてメチャクチャなことをやっているために国民みんなが不幸にされている。本当は、『政府は「民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。』政府は「民主主義の団体」の芝居をやっているだけだから、政府は「民主主義の団体」ではないから、政府は国民に善い命令を出してくれないし、政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされなくていい。つまり、今の国民みんなは政府の言うことをいっさい聞かなくていい。
今の一部の国民は政府のことを知らないために国民みんなを不幸にしている。国民みんなにとっては一部の国民が迷惑である。だから、国民みんなは政府のことをみんなに教えて、国民みんなが政府のことを知っているようにして、政府の言うことを聞く国民をなくさねばならない。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなにデタラメな命令を出す会社をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているために、政府は自分ができないことを無理やりやらねばならなくなって日本がメチャクチャになって国民みんなが不幸になっている。政府は自分が一部の国民に無理やりできないことをやらされて日本がメチャクチャになって国民みんなが不幸になっているのを見て悲しんで泣いている。今の一部の国民が政府を誤解しているのがいけない。早く国民みんなで政府のことを知って政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]してやって政府を楽にしてやらねばならない。
[22909] 今の政府は国民に自分ができないことをやらされて頭に来ている。 h28.7.8
(前略。同上。)
今では国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの国民は政府のことをよく知っているので、政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために政府の民主主義の団体の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国民に善い命令を出してくれる」「政府には国家権力があるから国民全員は政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いている。一部の国民は政府に善い命令を出して欲しいと思っている。ところが、政府は「民主主義の団体」の芝居と『国民の“悪いことをされる喜び”を満足すること』しかできないから、政府は国民に自分ができないことをやってくれと言われたことに腹を立てて、国民に悪い命令を出している。政府は一部の国民に命令して高い税金を取って、人殺しや強盗やイタズラをさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作らせたりして国民みんなを不幸にして自分の怒りを静めている。
今の政府は一部の国民に「善い命令を出してくれ!」と言われたことに頭に来て、国民に悪い命令を出している。国民は政府を怒らせないために政府ができないことを政府に頼んではいけない。
そもそも政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に恥ずかしい思いをさせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけである。国民はそれ以外のことを政府にやってもらってはいけない。今の一部の国民は自分の誤解をさっさと直して、政府に善い命令を出すことを頼んではいけない。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が要らない。だから、今の国民みんなはさっさと政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒して、国民が政府にできないことを頼んで政府を怒らせることがないようにしないといけない。
[22910] 政府の「民主主義の団体」は見かけでは国民に善いことをしているふりをして、本当は国民に悪いことをしている。
h28.7.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」で隠している『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」で自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
政府の「民主主義の団体」は見かけが「民主主義の団体」っぽいだけで中身は「民主主義の団体」ではない。政府の「民主主義の団体」は見かけで国民に善い命令を出して国家権力があるふりをしているだけで、本当は国民に悪い命令ばかり出して国家権力がない。政府の「民主主義の団体」は最初からそういうものである。政府の「民主主義の団体」はヨーロッパ生まれなので、ヨーロッパ人は見かけが善くて中身が悪い(つまり道徳がない)ので、政府の「民主主義の団体」もそうなのである。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は、国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「学校に行け!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいた。昔は国民みんなが政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。多くの国民は政府のことをよく知っていて政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かず悪いことをされず税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように、政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は善いことを命令してくれる」「政府は国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の「民主主義の団体」の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、政府の「民主主義の団体」は本当は国民に悪いことを命令するだけである。そのために、一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。政府は国民を支配するためや自分が儲[もう]からなくなった腹いせのために悪いことをしているのではなく、もともと政府の「民主主義の団体」が裏で悪いことをする団体だから悪いことをしているのである。
今の一部の国民が政府のことを知らないために政府の命令で悪いことをやって国民みんなが不幸にされている。今の一部の国民が政府のことを知らないのがいけない。今の一部の国民が政府の命令で悪いことをやったら一部の国民に責任がある。政府も自分のことを他人に説明しないから、政府も悪い。国民みんなで一部の国民と政府の両方を罰しなければならない。
今の一部の国民が政府のことを知らないために国民みんなが不幸にされている。国民みんなは自分が不幸にされないためにみんなに政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようにしなければならない。国民みんなは政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして政府に税金を払ったり悪いことをやったりしていはいけない。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞かず悪いことをされず税金を払わず政府と縁を切って暮らせばいい。国民みんなで早く政府を倒して、自分のことを説明しない会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22911] 政府の「民主主義の団体」は純粋な「民主主義の団体」ではない。☆
h28.7.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は本来は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、それだけでは国民が恥ずかしがって政府の言うことを聞かないので、政府は“自分と似て非なるもの”で自分を隠した。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に悪いことを命令することができる(もっとも命令を聞くか聞かないかは国民の自由だが)。だから、“政府と似て非なるもの”も国民に悪いことを命令できねばならない。例えば、それが「民主主義の団体」である。もともと「民主主義の団体」は国民に善いことを命令して国家権力があるものだが、それでは『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』とは違いが大きすぎるので、政府の「民主主義の団体」はもともとの「民主主義の団体」とは違って、国民に悪いことを命令して国家権力がある。政府の「民主主義の団体」は純粋な「民主主義の団体」とは違って悪い団体なのである。もともとの「民主主義の団体」は国民に善いことを命令して国家権力があるが、政府の「民主主義の団体」は国民に悪いことを命令して国家権力があるのである。政府の「民主主義の団体」は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と似ているので、看板が務[つと]まるのだ。しかし、このままでは国民が政府の「民主主義の団体」を認めないから、さらに政府の「民主主義の団体」は国民の前で嘘[うそ]をついて国民に善いことを命令しているふりをしているのである。
政府の「民主主義の団体」は国民に悪い命令をして国家権力がある。しかし、それでは国民みんなが認めない。だから、政府は自分が「民主主義の団体」の“芝居”をしていることにして国民みんなの承認を得ている。政府は「民主主義の団体」の“芝居”をしているのだから、国民は政府の「民主主義の団体」を本気にする必要がないのである。国民は政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かなければいいのである。
政府と同じように、幕府は本来は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、それでは国民が恥ずかしがって幕府の言うことを聞かないので、幕府は「上の者の団体」の“芝居”をやって自分の正体を隠している。「上の者の団体」は国民を自分の好き放題にできる。「上の者の団体」は国民に無理やり悪い命令を聞かせることができる。しかし、それでは国民が認めない。だから、幕府は自分が「上の者の団体」の“芝居”をやっていることにして国民の承認を得ている。国民は幕府の「上の者の団体」を本気にする必要がないのである。国民は幕府の「上の者の団体」を見るだけで言うことを聞かなくてよかったのである(ときどき本気にする馬鹿がいたが)。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民は政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにしていた。昔の国民は政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分の好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の多くの国民は政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして悪いことをされないようにしている。今の多くの国民は政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように政府のことを知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分の好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に「民主主義の団体」をやっている」と誤解して「政府は国民に善い命令を出す」「政府は国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府の「民主主義の団体」は国民に悪いことを命令して国家権力がある。そのため、一部の国民は政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が政府のことを知らないために、政府が本当に「民主主義の団体」をやっていると誤解して政府の命令を聞いて悪いことをやって国民みんなが不幸にされている。今の一部の国民が悪い。本当は、政府は「民主主義の団体」の芝居をやっているだけであり、国民は政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かなければいい。今の一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞かず政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりせず、他人に悪いことをやったりしてはいけない。
早く国民みんなで政府のことを教え合って、国民みんなが政府のことを知っているようにして、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府に税金を払ったり他人に悪いことをしたりしないようにしないといけない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞かず悪いことをされず縁を切って暮らせばいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、「民主主義の団体」の“芝居”をやって国民の前で善いことをしている“嘘”をついたり今ではほとんどみんなが満足しなくなった“悪いことをされる喜び”などという古臭い喜びを満足する面倒くさい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22912] 今の一部の国民が政府のことを知らないために国民みんなが不幸にされている。
h28.7.9
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを“隠している”のである。売春宿が料亭の看板を掛けて客が恥ずかしくないようにしているのと同じである。
政府の「民主主義の団体」は国家権力があって国民に悪いことを命令する。しかし、これでは国民が認めないので、政府は「民主主義の団体」の“芝居”をしていることにしている。だから、国民は政府の「民主主義の団体」を本気にして言うことを聞く必要はない。国民は政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かなければいい。もっとも、国民の眼の前では政府の「民主主義の団体」はそのままでは通らないから、政府の「民主主義の団体」は国民の眼の前では“嘘”[うそ]をついて国民に善いことを命令しているふりをしている。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されて死ね!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民みんなは、政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民みんなは物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の多くの国民は政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして悪いことをされないようにして税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は政府のことを知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」を本気にして、「政府が本当に「民主主義の団体」だ」と誤解して、「政府は国民に善い命令を出してくれる」「政府には国家権力があるから政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、政府の「民主主義の団体」は国民に悪い命令をするだけである。そのため、一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。一部の国民は政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをしたり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や食品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が政府のことを知らないために、「政府が本当に「民主主義の団体」だ」と誤解して政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民が悪い。国民みんなで政府のことを教え合って国民みんなが政府のことを知っているようにして『政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけだ』と考えて政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の「民主主義の団体」の言うことを聞いて政府に税金を払ったり他人に悪いことをしたりしてはいけない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞かず悪いことをされなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らせばいい。今の国民みんなで早く政府を倒して、嘘をついたり芝居をしたり隠したりする面倒くさい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22913] 国民が政府に従っても自分に権力があることにはならない。☆ h28.7.9
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であるのを隠しているのである。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思っていた。そのため、国民みんなが、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなが平等にして世の中が平和だった。
今は国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思わない人が増えている。それでも多くの国民は『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして悪いことをされないようにして税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように政府のことを知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、「政府が本当に民主主義の団体だ」と誤解して、「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。さらに、政府の言うことを聞いている国民は「自分は政府に従っているから自分にも権力がある」と思って自分の好き勝手に悪いことをやっている。政府の言うことを聞いている国民は「自分に権力がある」と思って政府に従わない者に対して好き放題に悪いことをやっている。人殺しや強盗やイタズラやその他いろんなことをやりたい放題にやっている。今では一部の国民が不平等にして世の中が物騒[ぶっそう]になっている。
しかし、本当は『政府は「民主主義の団体」の“芝居”をやっている団体』であって政府は「民主主義の団体」ではない。政府は国家権力があるふりをしているだけであって本当は国家権力がない。だから、いくら国民が政府に従っているからといって国民には権力はない。国民が政府に従っているからと言って国民が悪いことをしたら有罪になって罰せられる。政府も国家権力のあるふりをしているだけだから、政府が自分に従う者に命令して悪いことをしたら有罪になって罰せられる。だから、政府も政府に従う国民も悪いことをしてはいけない。
同じように、一部の国民は「宗教団体は本当に神主義の団体だ」と誤解して「宗教団体に神の権力がある」と思って宗教団体の言うことをなんでも聞いている。さらに、「自分は宗教団体に従っているから自分にも権力がある」と思って自分勝手に神の情報を使って悪いことをやっている。宗教団体に従わない者に対して好き放題に悪いことをやっている。しかし、本当は『宗教団体は「神主義の団体」の芝居をやっている団体』であって宗教団体は「神主義の団体」ではない。みんながイメージする「神主義の団体」は神の権力を使って善いことを命令するが、実際の「神主義の団体」は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の正体をごまかすためにあるのだから『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と“似て非なるもの”でなければならないから神の権力を使って悪いことを命令する。「神主義の団体」は神の権力があって神の情報を使えばなんでも悪いことを命令できるが、宗教団体は「神主義の団体」の“芝居”をやっているにすぎないから、宗教団体は自分に神の権力があるふりをしているだけで本当は神の権力がなく、自分が悪いことを命令できるふりをすることができるだけで本当に悪いことを命令することはできない。だから、国民が宗教団体に従っても自分に権力があって自分が悪いことをできることにはならない。宗教団体に従っている国民が悪いことをやったら有罪になって罰せられる。宗教団体も悪いことを命令できるふりをしているだけだから、宗教団体が本当に自分に従う者に命令して悪いことをやったら有罪になって罰せられる。宗教団体も宗教団体に従う者も悪いことをやってはいけない。
同じように、一部の国民は「暴力団は本当に勧善懲悪の団体だ」と誤解して「暴力団には勧善懲悪の権力がある」と思って暴力団の言うことをなんでも聞いて、自分にも権力があると思って自分の好き放題に悪いことをやっている。しかし、本当は『暴力団は「勧善懲悪の団体」の芝居をやっている団体』であって暴力団は「勧善懲悪の団体」ではない。みんながイメージする「勧善懲悪の団体」は勧善懲悪の権力を使って善いことを命令するが、実際の「勧善懲悪の団体」は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と“似て非なるもの”でなければならないから勧善懲悪の権力を使って悪いことを命令する。「勧善懲悪の団体」は勧善懲悪の権力(つまり正義の権力)があってなんでも悪いことを命令できるが、暴力団は「勧善懲悪の団体」の“芝居”をしているにすぎないから、暴力団は自分に勧善懲悪の権力があるふりをしているだけで本当は勧善懲悪の権力がないから、暴力団は自分が悪いことを命令できるふりをしているだけで本当は悪いことを命令できない。だから、国民がいくら暴力団に従っても権力はなく悪いことをできない。暴力団に従っている国民が悪いことをやったら有罪になって罰せられる。暴力団も悪いことを命令できるふりをしているだけだから、暴力団が自分に従う者に命令して悪いことをやったら暴力団が有罪になって罰せられる。暴力団も暴力団に従う者も悪いことをやってはいけない。
同じように、一部の社員は「社長が本当に代表取締役だ」と誤解して「社長には代表取締役の権力がある」と思って社長の言うことをなんでも聞いて、自分にも権力があると思って自分の好き放題に悪いことをやっている。しかし、本当は『社長は「代表取締役」の芝居をやっている人』であって、社長は「代表取締役」ではない。みんながイメージする「代表取締役」は権力を使って善いことを命令するが、実際の「代表取締役」は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する人』と“似て非なるもの”でなければならないから権力を使って悪いことを命令する。「代表取締役」は権力があって何でも悪いことを命令できるが、社長は「代表取締役」の“芝居”をしているだけだから、社長は自分に権力があるふりをしているだけで本当は権力がないから、社長は自分が悪いことを命令できるふりをしているだけで本当は悪いことを命令できない。だから、社員がいくら社長に従っても権力はなく悪いことはできない。社員がいくらわざとに馬鹿の真似[まね]をして自分が社長の「代表取締役」の芝居に騙[だま]されているふりをして「社長が本当に代表取締役だ」と誤解しているふりをして社長に従っても、自分には権力はなく悪いことをできない。社長に従っている社員が悪いことをやったら有罪になって罰せられる。社長も悪いことを命令できるふりをしているだけだから、社長が自分に従う者に命令して悪いことをやったら社長が有罪になって罰せられる。社長も社長に従う者も悪いことをやってはいけない。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけであって本当は「民主主義の団体」ではない。「民主主義の団体」は国家権力があって悪いことを命令できるが、政府は国家権力があって悪いことを命令できるふりをしているだけである。だから、国民は自分が政府に従っても権力はなく悪いことはできない。国民は自分が政府に従っていても悪いことをやってはいけない。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は役に立たないし、今の国民が政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」に従っても自分に権力が得られないから政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」は役に立たない。今の国民にとっては政府全部が役に立たない。だから、今の国民は早く政府を倒せばいい。政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
[22914] 政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」と政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は“似て非なるもの”である。
h28.7.9
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「ヒエやアワを食え!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民と平等であって、国民に悪いことを命令する。政府は国民に恥ずかしい思いをさせないために「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」を設けて自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。つまり、政府は見かけが「「民主主義の団体」の芝居をする団体」であって、中身は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることをごまかすためにあるのだから、“似て非なるもの”でなければならない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」と政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の違いが大きすぎると、国民が不自然に思って政府の見かけと中身が違うと思って政府の正体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを意識して恥ずかしくなって政府の言うことを聞かなくなる。だから、政府の「「民主主義の団体」の芝居をやっている団体」も国民と平等であって国民に悪いことを命令しないといけない。そのために、政府の「「民主主義の団体」の芝居をやっている団体」においては「民主主義の団体」は国家権力があるために国民に悪いことを命令できることになっていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」は自分の国家権力をなくすために「民主主義の団体」の“芝居”をやっていることにしているのである。しかも、政府の「「民主主義の団体」の芝居をやっている団体」は、国民のイメージに合わせるために国民の眼の前では国民に善い命令を出している芝居をやっている。したがって、政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は国民と平等で、国民になんでも悪いことが命令できる。一方、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民と平等で、国民に“自分が政府に悪いことをされること”しか命令できない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」は政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』よりも悪いことが命令できる範囲が広いがそれ以外は同じである。
政府の「「民主主義の団体」の芝居をやる団体」も政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も国民と平等であり、国民にいろんな悪いことを言うから国民は自分が好きなだけそれらの命令を聞けばいいのである。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが政府のことを知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて自分が悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今では国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びを得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今では多くの国民は政府のことを知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように、政府のことを知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて自分が悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を「本当の「民主主義の団体」だ」と誤解して、「政府の「民主主義の団体」には国家権力がある」と思って政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことをなんでも聞いて悪いことをやっている。自分が高い税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
本当は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」は「民主主義の団体」の芝居をしているのであって、本当は「民主主義の団体」ではない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」には国家権力はなく国民に悪いことを命令する。国民が政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いて悪いことをすると国民が有罪になって罰せられる。だから、国民は「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いてはいけない。政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」には国家権力がないから、国民は従わなくていい。税金を払わなくていい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かなくていい。政府に税金を払わなくていい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、イメージと中身が違う紛[まぎ]らわしい団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
国民みんなが政府のことが正しくわかっていたらとっくの昔に政府は潰[つぶ]れてなくなっているはずである。しかし、実際にはまだ政府は潰れずに残っているから、まだかなりの数の国民が政府のことを知らないことになる。そういう国民が政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。国民みんなにとってはいい迷惑である。だから、国民みんながみんなに政府のことを教えて、みんなが政府のことを知っているようにして、政府の命令を聞いて悪いことをする者をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。しかし、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。
[22915] 政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「民主主義の団体」ではない。
h28.7.10
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)ほかの動物のエサとして幸福に生きていたので、今でもそのころの名残[なごり]でそんな喜びがある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「自殺して死ね!」とか「警察に暴行されて死ね!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。もっとも、国民にとっては自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と似ている「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を設けて自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民と平等で国民に悪いことが命令できる。そのため、政府の「「民主主義の団体」の“芝居”をする団体」は、国家権力で国民に悪いことを命令できる“ふり”をしている。もっとも、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」は国民の眼の前では国民の「民主主義の団体」のイメージに合わせるために国家権力で国民に善いことを命令しているふりをしている。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民みんなは政府のことをよく知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分の好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)の国民みんなは物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の多くの国民は政府のことをよく知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして政府に税金を取られないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように、政府のことをよく知っていて、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分の好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」を本物の「民主主義の団体」と誤解して、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」が国家権力で国民に悪いことを命令できる“ふり”をしているのを本当に国家権力で国民に悪いことを命令できると誤解して、政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。一部の国民は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして自分を不幸にしている。一部の国民は政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをしたり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が政府のことを知らないために政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の命令を聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。国民みんなにとっては迷惑である。国民みんなは自分が不幸にされないために、みんなに政府のことを教えねばならない。みんなが政府のことを知っているようにして、政府の「「民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いて悪いことをする者をなくさねばならない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民は自分の”悪いことをされる喜び”を満足していないので、政府は要らない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府を倒して、「民主主義の団体」と誤解しやすい団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22916] 今のアニメ会社は「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているために国家宗教の神の情報を使った面白くないアニメを作って国民みんなを不愉快[ふゆかい]にしている。☆
h28.7.10
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間は自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりすると自分の脳で快感が発生するのである。人間はずっと昔(数千万年前)ほかの動物のエサとして幸福に暮らしていたから、今でもそのころの名残[なごり]でそんな喜びがある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は「国家権力で国民に悪いことを命令できる団体」のふりをしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に「税金を払え!」とか「自殺して死ね!」とか「警察に暴行されて死ね!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民にとっては自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠しているのである。売春宿が料亭[りょうてい]の看板を掛けて客が恥ずかしがらないようにしているのと同じである。もっとも、政府は国民の眼の前では国民の「民主主義の団体」のイメージに合わせるために「自分が国家権力で国民に善いことを命令している」ふりをしている。政府は「民主主義の団体」の芝居をやっているのであって本当は「民主主義の団体」ではない。つまり、政府は「国家権力で国民に悪いことを命令できる」ふりをしているのであって本当はそんなことはできない。国民は政府の「民主主義の団体」を見るだけにして言うことを聞かなければいい。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから「民主主義の団体」ではないのである。「民主主義の団体」を芝居でやっていることになるのである。ところが、今の国民は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを知らなくなっているために、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって「政府が民主主義の団体だ」と誤解しやすくなっている。今の国民は「政府が「民主主義の団体」であり、政府が表で善いことをやっているふりをして裏で悪いことをやっているのを隠してみんなを騙[だま]して支配している悪い団体だ」と思うようになっている。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民みんなは政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の多くの国民は、政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように、政府のことをよく知っていて、政府の「民主主義の団体」を見るだけで言うことを聞かないようにして、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があって国民に悪いことを命令できる」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。一部の国民は政府の命令を聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして不幸に暮らしている。一部の国民は政府の命令を聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。今のアニメ会社が政府の命令を聞いて国家宗教の神(天皇や私)の情報を使った面白くないアニメを作っているのもそのためである。
今の一部の国民が政府のことを知らないために政府の命令で悪いことをして国民みんなが不幸にされている。国民みんなにとってはいい迷惑である。犯罪者が法律を知らないために法律を犯して悪いことをするのと同じである。国民みんなはみんなに政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようにして、政府の命令を聞いて悪いことをする者をなくさねばならない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府は要らない。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、「民主主義の団体」とまちがえやすい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22917] 本当は政府と国民は平等である。☆ h28.7.10
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は「国家権力があって国民に悪いことを命令できる団体」のふりをしている『国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「外人をたくさん入国させろ!」とかいろんな悪いことを言って、国民が自分の好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい会社』である。
昔の国民は『人間には“悪いことをされる喜び”がある』ことを知っていたために、『政府が国民の眼の前で「国家権力があって国民に悪いことを命令できる団体」のふりをして、じつは『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っていた。だから、昔の国民は『自分が政府と平等だ』と思って政府と仲良くやっていた。昔の国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は『人間には“悪いことをされる喜び”がある』ことを知らないために、「政府が「国家権力があって国民に悪いことを命令できる団体」であり、国民の眼の前では「国民に善いことを命令している」ふりをしている」と思っている。だから、今の国民は「政府が国民よりも上の者だ」と思って政府にヘーコラしている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりしている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の国民は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れてしまっているために政府のことを誤解している。そのために、政府の言うことをなんでもかんでも聞いていろんな悪いことをやって自分や国民みんなを不幸にしている。
『人間に“悪いことをされる喜び”がある』と考えれば政府を正しく理解できる。だから、今の国民はそのようにして政府を正しく理解し直して、政府と正しく付き合わねばならない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。ところが、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府は要らないから、政府の言うことを聞かないようにして政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府を倒して、国から無駄[むだ]な会社を消して、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
要するに、昔の国民は『政府が国民よりも上の者のふりをしている国民と平等な者だ』と思っていたが、今の国民は「政府が国民と平等な者のふりをしている国民よりも上の者だ」と思っている。そのために、昔の国民は政府に従わなかったが、今の国民は政府に従っている。昔の国民が正しくて、今の国民がまちがっている。だから、今の国民は昔の国民を見習って政府を正しく理解して政府を正しく利用して幸福に暮らさねばならない。
[22918] 今の国民は政府の「民主主義の団体」の芝居を本気にしてはいけない。☆☆
h28.7.10
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。しかし、そのままでは国民が恥ずかしがって政府の言うことを聞いてくれない。そこで、政府は「民主主義の団体」のふりをして自分の正体を隠すことにした。政府は「国家権力があって国民に悪いことを命令できる団体」のふりをして国民に悪いことを言うことにした。そうすると、国民は政府の言うことを聞くのが恥ずかしくないので喜んで政府の言うことを聞くようになった。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足できて喜んだ。政府も国民から税金をもらうことができて儲[もう]かって喜んだ。政府は「民主主義の団体」のお面[めん]をかぶった『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。昔の国民はたとえ政府が「民主主義の団体」のお面をつけていても『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思って政府と平等に付き合っていたのである。
しばらくはそれでよかった。
しかし、国の文明が進んで国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。すると、国民は政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを忘れて政府が「民主主義の団体」だと思うようになった。国民が「政府が国家権力で国民に悪いことを命令できる団体だ」と思うようになった。国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになった。国民が政府の言うことをなんでも聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりするようになった。国民が政府の言うことをなんでも聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作って国民みんなを不幸にするようになった。国民は自分が嫌なのに無理やり政府の言うことを聞かねばならなくなって嫌なことをやらねばならなくなって苦しんでいる。一方、政府は前よりも多く国民から税金をもらえるので儲かって喜んでいる。今の国民は政府の正体を忘れてしまって政府の「民主主義の団体」のお面を本気にして「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従っているのである。
今の国民は政府の芝居を本気にしているために本当に「政府に国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになっている。そもそも政府が「民主主義の団体」であるのは政府の芝居である。政府が自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であるのを隠すための芝居である。だから、国民は本気にしてはいけない。国民は政府が「民主主義の団体」であることを無視すればいい。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民はたとえ政府が「税金を払え!」と言っても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民が誤解しやすい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22919] 政府は国民と平等である。 h28.7.10
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」のお面をかぶった『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」のふりをしているだけで、本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
「民主主義の団体」は国家権力があって国民よりも上の者だが、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国家権力はなく国民と平等である。だから、政府は国民よりも上の者のふりをしている国民と平等な者である。要するに、政府は国民と平等である。
だから、政府が自分に従う者に命令して悪いことをやったら政府と政府に従う者の両方が有罪になって罰せられる。国民みんなで政府と政府に従う者の両方を罰しなければならない。政府はすでに政府に従う者に命令して悪いことをたくさんやっている。だから、国民みんなで政府と政府に従う者を罰しないといけない。
早く国民みんなで政府と政府に従う者を倒して、国民みんなが幸福に暮らせる平和な国にしないといけない。
[22920] 今の国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているために政府に従っている。☆
h28.7.11
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とか「狭い家に住め!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府がそのまま国民に悪いことを言ったのでは国民が政府の言うことを聞いてくれない。そこで、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が「国家権力があって国民に悪いことを命令できる団体」のふりをして国民に悪いことを命令している。そうして、国民は恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”が満足できるようになった。政府も国民からたくさん税金をもらって儲[もう]かることができるようになった。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわかっていたので、政府の「民主主義の団体」の芝居に惑[まど]わされずに、『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民は『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわからなくなっているので、「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国家権力があって国民に悪いことを命令する団体だ」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして自分が不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
昔の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわかっていたので、『国民と政府が平等だ』と考えて、自分で政府が悪いことを命令するのを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っているので、「政府に国家権力がある」と思って、政府が悪いことを命令するのをなんでもかんでも聞いて政府にありったけ悪いことをされて不幸に暮らしている。
今の国民が『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわからなくなっているために、今の国民が政府の言うことをなんでも聞いて政府の命令で悪いことをやって国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は早く政府のことを正しく理解して、『政府には国家権力がなく、政府と国民は平等である』ことを理解して政府に従うのをやめねばならない。今の国民は政府の命令を聞いて税金を払ったり悪いことをするのをやめねばならない。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので、政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされなくていい。政府に税金を払わなくていい。国民みんなで早く政府を倒して、「民主主義の団体」とまちがいやすい紛[まぎ]らわしい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22921] 今の国民は「政府に国家権力がある」と誤解しているために政府の悪い命令をなんでも聞いて自分や国民みんなを不幸にしている。☆☆ h28.7.11
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。もともと政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民を恥ずかしがらせないために「民主主義の団体」の“芝居”をやって自分が「国家権力で国民に悪い命令を出す会社」の“ふり”をして国民に悪い命令を出している。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがよくわかっていたので、政府の「民主主義の団体」の芝居にとらわれないようにして、「政府に国家権力がある」と思わないようにして、自分が好きなだけ自由に政府の言うことを聞いて自分が好きなだけ政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は政府のことがよくわかっていたのでトラブルがなかった。昔の国民は政府のことがよくわかっていたので国民みんなが政府を上手[じょうず]に利用して幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなっているので、政府の「民主主義の団体」の芝居にとらわれて、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に民主主義の団体だ」と思って、「政府は国家権力があって国民に悪いことを命令する団体だ」と思って政府が悪いことを命令するのをなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の命令をなんでも聞いて政府に高い税金を払ったり自殺させられたり虐められたりして自分が不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は政府の命令をなんでも聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
昔の国民は自分が政府のことをよく知っていたから、『政府と国民が平等である』ことを知っていたから、政府が悪いことを命令するのを自分が好きなだけ聞いていたから幸福に暮らせていた。反対に、今の国民は自分が政府のことを知らないために、「政府に国家権力があって、政府が国民よりも上の者である」と思っているから、政府が悪いことを命令するのをなんでもかんでも聞いて自分や国民みんなを不幸にしている。今の国民が政府のことを知らないのが悪い。政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「民主主義の団体」(つまり「国家権力があって国民に悪いことを命令する団体」)ではない。政府は『国民と平等』であって「国民よりも上の者」ではない。だから、国民は政府の命令を自分が好きなだけ聞けばいい。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が好きなだけ政府の命令を聞いていた。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないからもはや政府の命令をいっさい聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「人殺しをしろ!」とか「役立たずの馬鹿を有利にする制度をやれ!」とか「面白くない物を作れ!」とか言うのを無視して何もやらなければいい。今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民が「国家権力がある」と誤解しやすい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22922] 今の国民は「政府に国家権力がある」と誤解しているが、本当は『政府には国家権力はない。』☆☆
h28.7.12
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。人間が性欲を満足するのが恥ずかしいのと同じことである。
政府は「卑劣[ひれつ]な民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「学校に通え!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府がそのままだと国民が政府の言うことを聞いてくれない。そのために、政府は自分が「卑劣[ひれつ]な民主主義の団体」の芝居をやって「自分が善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力で国民に悪いことを命令する団体」のふりをして国民に悪いことを言って、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしている。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られず自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福を得ていた。昔の国民は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわかっていたので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていた。昔の国民は政府の全体が見えていた。昔の国民は『政府が「卑劣な民主主義の団体」の芝居をしている』ことがわかっていたから政府の「卑劣な民主主義の団体」の芝居を無視していた。昔の国民は『政府の正体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわかっていたから、『政府と国民が平等である』ことがわかっていたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわからなくなっているので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなくなっている。そのために、今の国民は政府の「卑劣な民主主義の団体」の芝居しか見えなくなっている。今の国民は政府の「卑劣な民主主義の団体」の芝居を本気にして「政府が卑劣な民主主義の団体だ」と思っている。今の国民は「政府には国家権力があって政府は国民よりも上の者である」と思って、政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて政府に高い税金を払ったり自殺したり虐められたりしている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない食品や製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
昔の国民は政府のことがわかっていたので幸福に暮らしていた。今の国民は政府のことがわかっていないので不幸に暮らさねばならなくなっている。昔の政府も国民に「人殺しをしろ!」とか「悪い制度をやれ!」とか悪い命令を出していたが、昔の国民は『国民と政府が平等だ』と考えて自分の判断で政府の命令を聞かないようにしていた。今の政府も国民に悪い命令を出しているが、今の国民は「政府が国民よりも上の者だ」と思っていやいやしかたなく政府の命令を聞いて悪いことをやっている。今の国民は自分勝手に政府のことを誤解してまちがったことをやっている。今の国民が悪い。今の国民は自分の政府についての誤解を直さねばならない。人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。政府は「卑劣な民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「卑劣な民主主義の団体」ではない。政府は『国民と平等』であって「国民よりも上の者」ではない。だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいい。国民は自分が政府の言うことを聞きたくなければ聞かなければいい。国民は自分が政府の言うことを聞きたければ聞けばいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府が悪いことを命令するのを聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かなければいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民が「国家権力がある」と誤解しやすい紛[まぎ]らわしい団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22923] 今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を本気にしてはいけない。☆☆
h28.7.12
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。しかし、そのままでは国民が恥ずかしがって政府の言うことを聞いてくれない。そこで、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって自分の正体を隠している。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから国民に悪い命令を出さねばならない。政府が「善い民主主義の団体」の芝居をやったのでは国民に善い命令しか出せないから、政府が国民に悪い命令を出すためには「悪い民主主義の団体」の芝居をやらねばならなかったのである。政府は「国民の眼の前で善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って国民に悪いことを命令している団体」のふりをして国民に悪いことを言うことにした。そうすると、国民は政府の言うことを聞くのが恥ずかしくないので喜んで政府の言うことを聞けるようになった。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようになって喜んだ。政府も国民から税金をもらうことができて儲[もう]かって喜んだ。そうして、政府は「悪い民主主義の団体」のお面[めん]をかぶった『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』になったのである。昔の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していたために『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを知っていたので、たとえ政府が「悪い民主主義の団体」のお面をつけていても『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていたので「政府が上の者だ」と思わないようにして政府と平等に付き合っていたのである。昔の国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を適度に満足して幸福に暮らしていたのである。
しばらくはそれでよかった。
しかし、国の文明が進んで国民が物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。すると、国民は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れて『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が「悪い民主主義の団体」だ」と思うようになった。国民が「政府が国家権力を使って国民に悪いことを命令する団体だ」と思うようになった。国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになった。国民が政府の言うことをなんでも聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりするようになった。その上、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民が自分に対して悪いことをすることしか命令しないが、「悪い民主主義の団体」は悪いことならなんでも命令する。国民が自分に対して悪いことをするだけではなく他人に対して悪いことをすることも命令する。国民が政府の言うことをなんでも聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作って国民みんなを不幸にするようになった。国民は自分が嫌なのに無理やり政府の言うことを聞かねばならなくなって不幸に暮らさねばならなくなって苦しんでいる。一方、政府は前よりも多く国民から税金をもらえるので儲かって喜んでいる。今の国民は政府の正体を忘れてしまって、政府の「悪い民主主義の団体」のお面を本気にして「政府が悪い民主主義の団体だ」と誤解して政府に従っているのである。
今の国民は政府の芝居を本気にしているために本当に「政府に国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになっている。しかし、政府が「悪い民主主義の団体」であるのは政府の芝居である。政府が国民を恥かしがらせないためにわざわざやっている芝居である。だから、国民は政府の芝居を本気にしてはいけない。国民は政府が「悪い民主主義の団体」であることを無視すればいい。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民はたとえ政府が「税金を払え!」と言っても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民が「上の者」と誤解しやすい会社をなくして、国民みんなで平等に平和に幸福に暮らさねばならない。
いくら友達みんなで『仮面ライダーごっこ』をやって仮面ライダーや怪人のお面をかぶって遊んでも、本当に「友達が怪人だ」と思って友達を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして友達を殺してはいけない。みんなは『友達が人間だ』と思って遊ばないといけない。それと同じように、いくら国民みんなで『悪い民主主義の団体ごっこ』をやって政府が悪い民主主義の団体の役をやっていても、本当に国民が「政府が悪い民主主義の団体だ」と思って政府に従って政府の命令を聞いて悪いことをやってはいけない。そもそも政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやっているのは、国民が恥かしがらずに政府が悪いことを命令するのを聞けるようにするための工夫[くふう]である。国民は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと考えて政府と対応しないといけない。国民は『政府と国民が平等だ』と考えて自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから自分で考えて政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らせばいい。
同じように、宗教団体は「悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。暴力団は「悪い勧善懲悪の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。会社の社長は「悪い代表取締役」の芝居をやっている『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているために、宗教団体や暴力団や社長を「みんなの前で善いことをやっているふりをして権力を得て、権力を使って国民に悪いことを命令する者」だと誤解しがちである。今の国民は宗教団体や暴力団や社長が悪いことを命令するのを聞いて悪いことをやって自分や国民みんなを不幸にしている。しかし、本当は宗教団体や暴力団や社長は『国民と平等な者』である。だから、国民は自分で宗教団体や暴力団や社長の命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ宗教団体や暴力団や社長の言うことを聞けばいいのである。宗教団体や暴力団や社長の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する者』である。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は宗教団体や暴力団や社長の命令をいっさい聞かなければいい。早く国民みんなで宗教団体や暴力団や社長の命令を聞かないようにして宗教団体や暴力団や社長にお金をやらないようにして宗教団体や暴力団や社長を倒さねばならない。
「悪い民主主義の団体」は、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのを恥かしがらせないためにやった芝居である。「悪い民主主義の団体」は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の似[に]せ物だから国民に悪いことを命令するだけで善いことを命令しない。しかも、「悪い民主主義の団体」は他人に悪いことをすることまでも命令するので他人に迷惑がかかる。「悪い民主主義の団体」は政府の仮[かり]の姿であって、政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。「悪い民主主義の団体」は政府の客寄せのための飾りであって、本当は政府は「悪い民主主義の団体」ではない。みんなは芝居と正体の区別をつけて、芝居にとらわれないようにして、この世から「悪い民主主義の団体」をなくさねばならない。政府を倒すことによっていっしょに「悪い民主主義の団体」も倒さねばならない。
[22924] 政府は看板と本体が違う会社である。☆ h28.7.13
政府は看板が「悪い民主主義の団体」で、本体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。しかし、昔の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥かしかった。そのため、昔の国民は「悪い民主主義の団体」の看板がかかっている政府の世話になっていたのである。昔の国民は『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府と国民が平等である』ことを知っていたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていたのである。政府は看板と本体が違っているが、昔は国民みんながそのことを知っていたから許されたのである。たとえ『羊頭狗肉[ようとうくにく]』でも客がみんなそのことを知っていればかまわないのである。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今の国民は『人間には“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れてしまって政府の本体が見えなくなって政府の看板だけしか見えなくなっている。そのために、今の国民は「政府が「悪い民主主義の団体」だ」と誤解して、「政府は国民みんなの前で善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って国民に悪いことを命令している。政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府の言うことをなんでも聞いて政府に高い税金を払ったり、他人に悪いことをしたりしている。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて自分や国民みんなを不幸にしているだけである。
今の国民は政府の看板だけを見て本体を見ていない。今の国民は政府の看板と本体が違うことを知らない。「悪い民主主義の団体」は政府の看板であって、政府の本体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の世話にならなければいいのである。今の国民はたとえ政府に「税金を払え!」と言われても政府の言うことを聞かず政府に税金を払わなければいいのである。国民みんなで早く政府を倒して、看板と本体の違う紛[まぎ]らわしい会社をなくして、国民みんなで平和に幸福に暮らさねばならない。
昔の国民は「悪い民主主義の団体」が看板の上だけの存在だと思っていたので相手にしなかった。昔の国民はいくら「悪い民主主義の団体」が悪いことを命令しても無視して実行しなかった。今の国民は「悪い民主主義の団体」が現実に存在すると思っているので本気に相手にして従っている。今の国民は本当に「悪い民主主義の団体」があると思ってまじめに命令を聞いて税金を払ったり悪いことをやったりしている。『ウルトラマン』の怪獣が大人は本当はいないと思って相手にしないのに、子供はいると思って怖がっているのと同じである。今の国民は昔の国民を見習って「悪い民主主義の団体」が政府の看板であって本体ではないと思って、政府の本体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと思って、政府が悪いことを言うのを聞かなければいい。今の国民にとっては政府が要らないから、国民みんなで政府を倒して政府のない社会にしなければならない。
[22925] 政府は弱い会社である。☆ h28.7.14
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、「悪い民主主義の団体」が芝居であることになるのである。
政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」は、芝居の上で国家権力があって国民に「人殺しをしろ!」とか「悪い文化をやれ!」とかいろんな悪いことを命令できるが、国民に『芝居である』ことがばれて無視されたらそれでおしまいである。『ウルトラマン』の怪獣が本当は「怪獣の芝居をやる人間」だから芝居の上だけで怪獣であって現実には怪獣ではないように、政府の「悪い民主主義の団体」は本当は「「悪い民主主義の団体」の芝居をやる団体」だから芝居の上だけで国家権力があって悪いことを命令できて現実には国家権力はなくて悪いことを命令できない。
一方、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は芝居ではなくて実在するが、国民と平等であり国民に“自分に対して悪いことをやること”しか命令できない。国民が命令を聞きたくないと思って命令を聞かなければそれでおしまいである。
政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も両方とも弱い。政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」は“芝居であること”が弱点であり、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は“国民と平等であること”が弱点である。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は他人に悪いことをするのも好きではない。だから、今の国民は政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」の命令も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の命令も両方とも聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを全部無視して、政府を相手にしないようにして、自由に暮らせばいい。国民は政府に税金を払わずに、自分の娯楽にお金を使ったり貯金したりすればいい。今の国民にとっては政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も両方とも要らない。今の国民にとっては政府全部が要らない。国民みんなで早く政府を倒して、国民にとって善いことをする会社や今の国民にとっての喜びを満足する会社だけにして国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
今の国民は政府のことをよく理解して「政府に従えば国民みんなが幸福になれる」と考えて政府の言うことをなんでも聞いているのではなく、政府のことを知らないために「政府が悪い民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いているだけである。今の国民は政府の言うことをなんでも聞いて自分や国民みんなを不幸にしている。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も国民に悪いことを命令するだけである。政府は国民に悪いことを命令することしかできないから、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民が政府の言うことを聞いても自分や国民みんなが不幸になるだけである。だから、今の国民は自分や国民みんなを幸福にしたければ、政府の言うことを聞くのをやめねばならない。今では馬鹿以外は政府の言うことを聞いていない。早く国民みんなが政府の言うことを聞くのをやめて国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」のほうが『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』よりもいろんな悪いことを命令する。他人に対して悪いことをやることまでも命令する。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は“国民が悪いことをされて喜びそうなこと”しか命令しないが、「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」は国家権力で命令できるありとあらゆる悪いことを命令する。昔の国民は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞かなかったから政府に不幸にされなかった。今の国民は「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」の言うことを聞いているから政府に不幸にされている。今の国民のほうが昔の国民よりもずっと政府に不幸にされている。今の国民は早く政府の言うことを聞くのをやめて政府に不幸にされないようにしないといけない。
いくら国民が政府にギャーギャー文句を言ったからといって政府が「善い民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に変わるわけではない。なぜなら、政府は最初から「悪い民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと決まっているからである。政府は政府としてまちがったことをやっていないから、国民がいくら政府に文句を言っても政府は自分を直さないのである。政府は一度潰[つぶ]れて新たに建て直さないかぎり別の団体には変われない。政府は国民に悪い命令を出すことしかできない会社である。昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために役に立っていたし、政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」は自分が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために役に立っていた。昔の国民にとっては政府が必要だった。だから、昔の国民は政府に税金を払って政府を維持していた。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”がないから、今の国民にとっては政府は要らない。今の国民にとっては政府の「「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体」も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も両方とも要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を潰せばいいのである。
[22926] 今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」だと誤解している。 h28.7.14
政府は「悪い民主主義の団体」の着ぐるみをかぶっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『ウルトラマン』の怪獣が怪獣の着ぐるみをかぶっている人間であるのと同じことである。『ウルトラマン』の怪獣の着ぐるみを作るためにたくさんお金がかかるように、政府の「悪い民主主義の団体」の着ぐるみを作るために(つまり「悪い民主主義の団体」の芝居をやるために)たくさんお金がかかるのである。
昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足していて『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわかっていたから、政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわかっていたので、政府の「悪い民主主義の団体」の着ぐるみを真[ま]に受けずに政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと思って政府と関っていた。『政府と国民が平等だ』と思って自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していなくて『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわかっていないから、政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわかっていないので、政府の「悪い民主主義の団体」の着ぐるみを真に受けて政府が「悪い民主主義の団体」だと思って政府と関っている。今の人は「政府は国民の前で善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って裏で国民に悪いことを命令している。政府には国家権力があるから、国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり国民みんなに悪いことをやったりして不幸に暮らしている。
今の人は政府のことがわかっていないためにまちがったことをやって不幸に暮らさねばならなくなっている。政府は「悪い民主主義の団体」の着ぐるみをかぶっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「悪い民主主義の団体」ではない。政府は本当は『国民と平等』であって、「国民よりも上の者」ではない。だから、国民は政府と平等にすればいい。国民は自分が好きなだけ政府の命令を聞けばいい。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるにすぎない。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民はたとえ政府に「税金を払え!」と言われても払わなければいい。今の国民みんなで早く政府を倒して、国民が「悪い民主主義の団体」と勘違いしやすい会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
政府は国民に悪い命令を出す会社である。政府は国民に悪い命令を出すことができるだけで、それ以外にできることがない。政府は善い命令はほとんど出さずに悪い命令をたくさん出す。今の人は政府の悪い命令を聞いているために不幸に暮らさねばならなくなっている。今の人が政府の悪い命令を聞かなければ幸福に暮らすことができる。今の人は政府の着ぐるみに騙[だま]されないようにして、政府の正体を見るようにして政府と関らねばならない。
いくら『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が「悪い民主主義の団体」の着ぐるみを着たって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は物の見掛けにとらわれずに物の実体を見ないといけない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民が自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らせばいい。
[22927] 今の国民は「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府の悪い命令を喜んで聞いている。☆
h28.7.15
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしい。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民が幸福に生きるためには自分の“悪いことをされる喜び”を満足する会社が必要だった。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、政府は国民に「税金を払え!」とか「警察に暴行されて死ね!」とか「面白い芝居を見てはいけない!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民にとって自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいので、政府がそのまま『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』をやったのでは、国民が政府に近寄らず政府の言うことを聞いてくれない。そのため、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民に悪い命令を出す。だから、政府は国民に悪い命令を出せる団体で自分を隠さねばならない。国民に悪い命令を出せる団体は悪い権力団体しかない。だから、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって自分の正体を隠すことにしたのである。「悪い民主主義の団体」は「国民の前では善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って裏で国民に悪いことを命令できる」ので国民に悪いことが命令できるのである。政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやってくれたおかげで、国民は恥かしがらずに政府の言うことが聞けるようになって喜んだ。政府も国民から税金をもらえるようになって喜んだ。こうして、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』となったのである。昔の国民はいくら政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやっていても政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを知っていたので、政府と平等にして自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れて、政府の正体がわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体」の芝居しかわからなくなっている。今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解している。「悪い民主主義の団体」は国民の眼の前で善いことをしているふりをしているので、今の国民はそれを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解している。今の国民は「政府が国民みんなに命令して国民みんなを幸福にしてくれる」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでも聞いている。今の政府は国民に夢や希望を与えている。しかし、本当は政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっているから、政府は国民に悪い命令を出している。今の国民は「自分が政府に従えば幸福になれる」と思って政府の命令を必死になって聞いて政府に高い税金を払ったり殺されたり虐[いじ]められたりして自分が不幸になっている。今の国民は「政府に従っていれば国民みんなが幸福になれる」と思って政府の命令を一生懸命に聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない食品や製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の国民は「政府が自分を幸福にしてくれる」と思って政府の命令を聞いて自分が政府に悪いことをされて自分が不幸にされている。今の国民は「政府が国民みんなを幸福にしてくれる」と思って政府の命令を聞いて国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。すべて今の国民が「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解しているのがいけないのである。本当は、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に悪い命令を出すだけである。ところが、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、国民が政府の命令を聞くと自分が不幸になったり国民みんなを不幸にしたりするだけである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。「悪い民主主義の団体」の芝居は国民が恥かしがらずに『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞けるようにするためにあるのだから、要するに政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。国民みんなで早く政府を倒して、「善い民主主義の団体」と誤解しやすい団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
いくら『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が「悪い民主主義の団体」の芝居をしたって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民を恥かしがらせないためにちょっと「悪い民主主義の団体」の変装をしているだけである。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしているだけだから、国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出した命令を聞かなければいい。例えば、人殺しの命令や悪い制度をやる命令を国の景気を悪くする命令を聞かなければいい。(昔の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を無視していたから政府は芝居の上で命令を出さなかったが、今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を本気で相手にしているから政府は芝居の上で頻繁[ひんぱん]に命令を出すようになったのである。)政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は現実の上では国民と平等で、国民に自分の“悪いことをされる喜び”を満足する命令を出す。ところが、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らせばいい。それは今の国民にとっては当前のことだから政府は国民に文句を言わない。
今の国民は自分勝手に政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。今の国民は早く自分の誤解を直して幸福にならねばならない。
[22928] 今の国民は政府の命令を聞いて不幸になっているだけである。☆ h28.7.15
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。そもそも政府は国民を恥かしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている。
今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居しか見えなくなっている。今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を本気にして、政府が「善い民主主義の団体」だと誤解して、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している命令をなんでもかんでも聞いて現実の中で実行している。ところが、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上で国民に悪い命令しか出さない。そのため、今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の上での命令を聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして自分を不幸にしている。また、今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の上での命令を聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない食品や製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
このままでは国民みんなが政府の命令を聞いて不幸に暮らし続けるだけである。国民みんながますます不幸になっていくだけである。
今の国民は政府を正しく理解しないといけない。今の国民が不幸から抜け出すためには政府のことを正しく知らねばならない。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。(もっとも、今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見て「政府が「善い民主主義の団体」だ」と誤解しているが。)政府が「悪い民主主義の団体」であるのは見かけだけである。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「悪い民主主義の団体」ではない。政府は要するに『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の”悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。ところが、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かず政府に税金を払わなければいい。今の国民みんなで早く政府を倒して、政府に不幸にされないようにして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22929] どうしてテレビやマンガで政府のことを言うのか? h28.7.15
テレビ(ドラマやアニメやバラエティなど)やマンガでは必ず政府のことを言う。テレビやマンガでは必ず政府のネタを入れる。
たとえテレビやマンガの上であっても政府について正しいことをはっきり言えば、それを見た者は政府のことを理解する。実際には、テレビやマンガでは政府について正しいことをはっきりと言うことはない。だから、テレビやマンガは国民に政府のことを教えるために政府のことを言っているのではない。
だから、テレビやマンガで政府のことを言うのは、それを見ている者に「政府が悪い団体であるのは冗談だ」「政府のことなんかどうでもいい」と思わせるためである。
政府は自分が生き残るためにテレビ局やマンガ出版社にお金をやってテレビ番組やマンガに“政府についての正しいこと”を入れさせているのである。日本人はテレビ番組やマンガを冗談の作り事だと思って見ているから、テレビ番組やマンガに“政府についての正しいこと”を入れることによって、それを見た者に“政府についての正しいこと”が冗談だと思わせているのである。国民の政府に対する関心を低めるために、政府はテレビ番組やマンガにわざとに“政府についての正しいこと”を入れさせているのである。
できれば、政府はテレビやマンガで“政府についてまちがったこと”を入れてそれを見ている者に政府についてのまちがいを植えつけたいが、それでは情報操作と見なされるので、政府は情報操作に触れないように、テレビ番組やマンガに“政府についての正しいこと”を入れるようにして、それを見ている者に政府についての正しいことを冗談だと思わせるにとどめているのである。
国民がテレビやマンガを見ると「政府が悪い団体であることなんか冗談だ」「政府のことなんかどうでもいい」と思うようになって、政府のことがわからなくなる。国民が政府のことなんかどうでもいいと思って政府について考えなくなって、政府を今のままにしておくようになる。今のまま国民が政府の命令を聞いて政府に不幸にされ続けることになる。
だから、国民はなるべくテレビやマンガを見てはいけない。国民が政府について知りたければ私の書いた文を読めばいい。
今の国民は私の文を読んで“政府についての正しいこと”を知っている。もはやいくらテレビやマンガが“政府について正しいこと”を入れても無駄[むだ]だ。だから、テレビやマンガには“政府について正しいこと”を入れなければいい。今後はテレビやマンガは政府とは無関係に、面白い番組や作品を作って国民みんなを楽しませればいい。
[22930] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。☆ h28.7.15
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとって自分の”悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。そもそも政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやるのは政府が自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠して国民を恥かしがらせないためである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上で国家権力があって国民に悪いことを命令できるだけである。現実の上では政府は国家権力がなく国民に悪いことを命令できない。『ウルトラマン』の怪獣が芝居の上で怪獣であるだけで、現実の上では怪獣の着ぐるみをかぶった人間であるのと同じである。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎない。現実の上では政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「格好[かっこう]だけよくて住みにくい家に住め!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
今の国民は物が豊かになって物を使ってたくさん喜びを得ることができて自分が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを忘れて政府の「悪い民主主義の団体」の芝居だけ見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している命令をなんでもかんでも聞いている。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国民に悪いことしか命令しない。そのために、今の国民は政府の命令を聞いて高い税金を取られたり他人に悪いことをやったりして自分や国民みんなを不幸にしている。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府のことが正しくわからなくなっているために政府の悪い命令を聞いて不幸に暮らさねばならなくなっている。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することにしか役に立たない。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わなければいい。今の国民はちゃんと政府のことを理解して政府を正しく利用して幸福に暮らさねばならない。
[22931] 今の国民は政府の悪い命令を善い命令だと誤解して悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。☆
h28.7.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥かしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしているのは国民を恥かしがらせないためである。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから悪い命令を聞いていた。昔の国民は『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやっているのは国民を恥かしがらせないためである』ことを知っていたから、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けず『政府と国民が平等だ』と思って自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから悪い命令を聞かない。それなのに、今の国民が政府の命令を聞いているのは、今の国民が「政府が善い民主主義の団体だ」と思っているからである。今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をするために国民の眼の前で善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と思っているのである。しかし、本当は政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって芝居の上で国民に悪い命令を出している。だから、今の国民は政府の悪い命令を善い命令だと誤解して政府の命令を喜んでなんでも聞いているのである。今の国民は政府の税金の命令を善い命令だと誤解して政府に税金を払っている。今の国民は政府の人殺しの命令を善い命令だと誤解して人殺しをしている。今の国民は「みんなが苦しんで生きているから殺して楽にしてやればいい」と思って人殺しをやっているのである。今の国民は政府の悪い文化の命令を善い命令だと誤解して悪い文化をやっている。今の国民は「悪いことをやれば幸せになるから悪いことをやればいい」と思って悪い文化をやっている。今の国民は政府の悪い命令を善い命令だと誤解して悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民は自分が政府の命令を聞いて自分や他人を幸福にしているつもりになって、実際には自分や他人を不幸にしているのである。(私が子供のころ知恵遅れの子供が赤ちゃんに哺乳瓶[ほにゅうびん]で牛乳の代わりに砂を飲ませて殺した事件があった。これは、今の国民が政府の命令を聞いて自分が善いことをしているつもりになってじつは悪いことをしていることを言っているのである。今の国民が政府のことを知らないから知恵遅れの子供に喩[たと]えたのである。ちなみに牛乳は牛乳←白くて光る←光るとんび←天皇で、砂←スナ←ナス←カフ(“ス”の右斜め線を“ナ”に移す)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。)
今の国民が政府のことを正しくわかっていないから、まちがったことをやって自分や国民みんなを不幸にしている。今の国民が幸福になるためには、まず自分の政府に対する誤解を直さねばならない。政府は本当は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上では「悪い民主主義の団体」だが、現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。現実の世界では芝居はどうでもいいから、要するに政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と命令されても政府に税金を払わなければいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民が悪い命令を善い命令だと誤解して悪い命令を実行してみんなを不幸にする会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22932] 男性かつらの宣伝は不愉快[ふゆかい]である。 h28.7.16
私は今日BS朝日で『鉄道・絶景の旅』を見た。北海道の花咲線[はなさきせん]の特集だった。私は北海道の寂[さび]しい景色が好きだ。番組の合間にマンガ家のやくみつるが男性かつらの宣伝をやっていた。私はそれを見て不愉快になった。
おばちゃんがかつらの宣伝をやるのは耐えられるが、おっさんがかつらの宣伝をやるのには耐えられない。女は眼で見る動物だからかつらで喜ぶのはわかるが、男は頭で考える動物だからかつらで喜ぶことはありえない。
男は見掛けがきれいなことで喜んだりするものではない。きれいか汚いかは個人の主観によって違うので曖昧[あいまい]である。フニャフニャしている。男はフニャフニャしたことが嫌いである。そもそもきれいか汚いかは現実的にはどうでもいいことである。どうでもいいことにこだわるのは男らしくない。
人間は自分が幸福になることをしなければならない。それが道徳である。人間が自分の見かけのことをやっても幸福になれない。人間は自分の考えを正しくすれば幸福になれる。人間がつまらないことをするのをやめて大事なことをすれば幸福になれる。人間は必要なことをして余計なことをしなければ幸福になれる。
今の人間は道徳を知らない。今の人間は道徳の知識が足りない。そこを悪徳業者につけ込まれてつまらない物を買わされて自分で面白くないことをやって自分で自分を不幸にしている。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上で国民に命令して悪い文化をやらせているから、政府がやらせているのかもしれない。今の人間はもっと道徳を知って自分が本当に幸福になることをしないといけない。
[22933] 今の国民は「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府に従っている。
h28.7.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。しかし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。そもそも政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をするのは自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠して国民を恥かしがらせないためである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国家権力があって国民に悪いことが命令できるが、現実の上では国家権力がなく悪いことが命令できない。だから、国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけにして相手にしなければいい。
政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎない。現実の上では政府は国民と平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
要するに、政府は見かけが「悪い民主主義の団体」だが、実体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で命令していることを聞かないようにして、自分が好きなだけ『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞けばいい。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったために自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府の正体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』で政府の「悪い民主主義の団体」が芝居であることがよくわかっていたから、そうやっていた。昔の国民は政府を上手[じょうず]に利用して幸福に暮らしていた。
ところが、今の国民は物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるようになったために自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れて政府の正体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなっている。今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民の眼の前で善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して「政府に従えば国民みんなが幸福になれる」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞いている。しかし、政府は本当は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民に悪い命令を出すだけである。そのため、今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している悪い命令を聞いて政府に高い税金を払ったり殺されたり虐められたりして不幸になっている。今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している悪い命令を聞いて人殺しや強盗やイタズラをしたり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作って国民みんなを不幸にしている。今の国民は政府の悪い命令を善い命令だと思って聞いて自分や他人に悪いことをして自分や他人を不幸にしている。
今の国民は「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解しているために政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している悪い命令をなんでもかんでも聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民は早く自分の政府に対する誤解を直して政府の悪い命令を聞かないようにして自分や他人を不幸にしてはいけない。国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している悪い命令を聞かないようにすればいい。国民は政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと思って、自分の”悪いことをされる喜び”を満足したい分だけ政府の言うことを聞けばいい。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにしか役に立たない。今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。国民は政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らせばいい。国民みんなで早く政府を倒して、「善い民主主義の団体」と誤解しやすい危険な会社をなくして、国民みんなで安全に幸福に暮らさねばならない。
[22934] どうしてテレビや新聞や社会科の教科書には政府について正しいことが載っていないのか?
h28.7.16
テレビや新聞や社会科の教科書は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をする場所だから政府が「善い民主主義の団体」のふりをしていることを書いてあるだけで、政府について本当のことを書いていない。政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを書いていない。国民みんなは政府についてよく知っている人から教えてもらったり、自分でよく考えたりして政府について本当のことを知らねばならない。
今の政府はテレビや新聞や社会科の教科書で「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている。しかし、今は国民のほとんどが“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやる必要がない。それなのに、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている。それは今の政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民に「政府が善い民主主義の団体だ」と思わせて国民から税金を取っているからである。政府にとってはテレビや新聞や社会科の教科書はいい宣伝手段である。今の政府がテレビや新聞や社会科の教科書で「悪い民主主義の団体」の芝居をしなければ政府はすぐに潰[つぶ]れてしまう。逆に、テレビ局や新聞社や社会科の教科書の出版社は政府から宣伝費をもらわなければ潰れてしまう。だから、政府とテレビ局や新聞社や社会科の教科書の出版社の癒着[ゆちゃく]は半端[はんぱ]ない。テレビ局や新聞社や社会科の教科書の出版社は政府が「悪い民主主義の団体」の宣伝をするために政府からたくさんお金をもらっている。逆にテレビ局や新聞社や社会科の教科書の出版社は政府からたくさんお金をもらうために政府を守ろうとする。だから、テレビや新聞や社会科の教科書には政府にとって不利な情報がまったく載っていないのだ。だから、国民はテレビや新聞や社会科の教科書の壁を突き破って政府のことを知らねばならない。
今のテレビ局や新聞社は宣伝費で稼[かせ]いでいるために政府からたくさん宣伝費をもらっているから政府にとって不利な情報を載せていない。将来、テレビ局や新聞社が国民から直接にお金をもらうようになれば、国民にとって有利な情報を載せるから政府について正しいことを載せるようになるだろう。政府について不利な情報を載せるようになるだろう。国民は自分が見た番組の分だけテレビ局にお金を払うようになればいい。早くそういう時代が来ればいい。
[22935] 今の国民にとって政府は「悪い民主主義の団体」の“芝居”をしている団体にすぎない。
h28.7.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥かしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民を恥かしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている。政府の「悪い民主主義の団体」は芝居にすぎないから、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「悪い民主主義の団体」ではない。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔の国民にとっては政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にも「悪い民主主義の団体」の芝居にも用があった。昔の国民にとっては政府全体が用があった。昔の人は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居で隠してもらいながら政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福に暮らしていた。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は用がない。今の国民にとっては政府は「悪い民主主義の団体」の“芝居”をする団体にすぎない。政府は「悪い民主主義の団体」の“芝居”をやっているにすぎないから、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上で国家権力があって国民に悪いことを命令できるだけで、現実の上では国家権力がなくて国民に悪いことを命令できないから、国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で国家権力を使って出した悪い命令を聞く必要がない。政府は国民の前で偉そうにするだけで、実際に国民に手を出すことはできないから、国民は政府を無視すればいい。国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出した命令を聞かなければいい。今の国民は政府の税金や自殺や虐めの命令を聞く必要がない。今の国民は政府の人殺しや強盗やイタズラの命令や、悪い法律や制度や文化の命令や、国を不景気にする命令や、面白くない製品や作品を作る命令を聞く必要がない。今の国民は政府の言うことをいっさい聞かなければいい。
今の政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体にすぎない。今の政府は芝居の上で権力があるだけで、現実の上では権力がないから、国民は政府に従わなくていい。今の政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしているから、芝居の上で国民に悪い命令を出すだけだから、国民は政府が芝居の上で出した命令を聞かなければいい。今の国民は政府の命令を全部無視すればいい。今の国民は政府の命令で政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。今の国民は政府の命令で他人に悪いことをしないようにして国民みんなで幸福に暮らせばいい。
[22936] 政府とは何か?今の国民はどうすべきか? h28.7.16
1)どうして政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』となったか?
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)ほかの動物のエサとして幸福に生きていたから“悪いことをされる喜び”がある。ただし、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことである。
そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だった。政府と国民は平等であり、政府は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されて死ね!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことなので、政府がそのままやったのでは国民が政府に近寄らず政府の言うことを聞いてくれない。政府は国民から税金を取れない。そのため、政府はほかの団体の芝居をやって国民が恥かしがらずに政府の言うことを聞けるようにした。政府は国民にいろんな悪いことを命令するから、国民に悪いことを命令できる団体の芝居をしなければならない。そういう団体は悪い権力団体である。そのひとつが「悪い民主主義の団体」である。「悪い民主主義の団体」は国民の眼の前で善いことをしているふりをして国民の支持を集めて国家権力を得て、国家権力を使って国民に悪いことを命令する。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民に自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に見えないようにして、国民が恥ずかしい思いをせずに政府の言うことを聞けるようにした。(国民が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に悪い命令を出されると、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していることがモロ出しになって変態ぽくって恥かしいが、国民が「悪い民主主義の団体」に悪い命令を出されると、自分が悪い権力者に虐待されているように見えて“様[さま]になる”ので恥かしくないのである。政府は国民を恥かしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民に自分が「悪い民主主義の団体」に見えるようにしているのである。もちろん、国民にとってはちゃんと政府は見かけが「悪い民主主義の団体」であるだけで本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわかっていたのである。国民は自分が悪い権力者に虐待されているふりをして、じつは密[ひそ]かに自分の“悪いことをされる喜び”を満足してほくそ笑[え]んでいたのである。国民は芝居の上で政府に虐待されるだけで、実際には政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって喜んでいたのである。国民は不合理的なことを合理的なことで包んで隠して恥かしくないようにしていたのである。国民は政府に「悪い民主主義の団体」の芝居をやってもらうことによって、自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に“悪いことをされる喜び”を満足してもらうことを、自分が「悪い民主主義の団体」に虐待されることに変換して恥かしくないようにしていたのである。)国民は政府の言うことが聞けるようになって政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすることができるようになって喜んだ。政府も国民に「税金を払え!」と言って国民から税金をもらえるようになって喜んだ。こうして、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』となったのである。
2)どうして今の国民は政府に従っているか?
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民は『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわかっていたので、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり国民を恥かしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をやっていることがわかっていたので、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけにして言うことを聞かず、自分が好きなだけ政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民は『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわからなくなったので、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることもわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居だけを見て政府が国民の眼の前で善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して「政府に従えば国民みんなが幸福になれる」「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で命令することをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国民に悪いことしか命令しない。そのため、今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で悪い命令をするのを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして不幸に暮らしている。今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で悪い命令をするのを聞いて人殺しや強盗やイタズラをしたり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
3)今の国民はどうすればいいか?
今の国民は「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解しているために政府の悪い命令を善い命令だと思って政府の命令をなんでもかんでも喜んで聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民が幸福に暮らすためには、自分の政府に対する誤解を直さねばならない。そもそも人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上で国家権力があって国民に悪いことを命令できるだけで、現実の上では国家権力がなくて国民に悪いことを命令できない。だから、今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を眼で見るだけにして、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出した命令を無視すればいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞かなければいい。つまり、今の国民は政府の言うことをいっさい聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かず政府に税金を払わなければいい。要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけでそれ以外には何もできない。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなで早く政府を倒して、国民に悪い命令を出すだけで役に立たない会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[22937] 幕府と国民は平等だった。 h28.7.16
江戸幕府は国民と平等だった。江戸幕府は「上の者の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だった。江戸幕府は見かけが「上の者の団体」で、中身は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、江戸幕府の正体は「上の者の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、江戸幕府は国民と平等だった。国民は幕府の「上の者の団体」の芝居に付き合って大名行列の横で土下座をしたりしたが、本当は『幕府と国民が平等だ』と思っていたのである。だから、国民が幕府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由だった。国民が幕府に年貢[ねんぐ]を払うか払わないかは国民の自由だった。幕末にはヨーロッパが発展して日本にたくさんヨーロッパ文化が入ってきて、日本がアジア文化の国からヨーロッパ文化の国に変わった。そのために、国民みんなが幕府の言うことを聞かなくなって幕府に悪いことをされるのをやめて、政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされることに変わったから幕府が倒れて政府が建ったのである。
戊辰[ぼしん]戦争は政治団体が幕府から政府に変わる印[しるし]にやっただけだったのである。そもそも幕府と政府は見掛けが違うだけで同じ団体である。戊辰戦争は幕府と政府が組んでやった八百長[やおちょう]戦争だったのである。戦争をやりたい人を日本中から集めてきたら戦争がやれるのである。
日本では昔から政治団体と国民は平等だった。今でもそうである。今の日本政府と国民は平等である。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「悪い民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の正体は「悪い民主主義の団体」ではなく、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。だから、政府には国家権力はなく、国民と平等である。今では国民が物が豊かになって物を使って喜びを得るようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていない。だから、今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
[22938] 昔の国民にとっては、政府は見かけで国民を虐待しているふりをして本当は国民を喜ばせている善い団体だった。
h28.7.17
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。しかし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥かしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をすることによって、自分が国民にいろんな悪いことを言って国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせることを、悪い権力者が国民にいろんな悪いことを言って国民を虐待することに変換して国民が恥かしくないようにしている。(そういう目で見ると、『大魔神』はせっかく村人が悪代官に悪いことをしてもらって自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって喜んでいるところを、「村人が悪代官に虐待されて困っている」と勘違いして自分の正義感を振りかざして自分勝手に悪代官を倒して場を台無しにしてみんなをシラケさせる余計な邪魔者[じゃまもの]である。大魔神こそ真[しん]の悪者である。みんなで大魔神に石を投げつけねばならない。)
昔の人は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民を虐待しているように見せかけて本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせていることを知っていたから、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあることを知っていたから、『政府と国民が平等だ』と考えて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の”悪いことをされる喜び”を適度に満足して幸福に暮らしていた。
今の人は物が豊かになって物を使って喜びを得るようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせていることを忘れてしまって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居だけを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府の悪い命令を善い命令だと思って政府の悪い命令を聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。
昔の国民にとっては、政府は見かけで国民を虐待しているふりをして本当は国民を喜ばせている善い団体だった。反対に、今の国民にとっては、政府は見かけで国民を喜ばせているふりをして本当は国民を虐待している悪い団体である。今の国民が政府のことを誤解しているために、今の国民にとって政府が悪い団体になってしまっているのである。今の国民が悪い。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。政府の「悪い民主主義の団体」の芝居は国民が恥かしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民にとっては政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も「悪い民主主義の団体」の芝居も両方とも要らない。今の国民にとっては政府全部が要らない。だから、今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなは政府を倒して、政府をなくして、幸福に暮らさねばならない。
ニーチェはギリシア悲劇がどうしてみんなに人気があるかを考えた。その結果、国民が権力者に虐待されているのではなく、国民が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって喜んでいることを発見した。国民は権力者に鞭[むち]を打たれて虐待されているのではなく、国民が「悪い権力者」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に鞭を打ってもらって自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいるのである。ニーチェは人間の心には“悪いことをされる喜び”があることを発見して奴隷根性[どれいこんじょう]と呼んだ。今では高校の社会科で『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを教えている。だから、みんなは早く『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解して、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから今の国民にとっては政府が要らないと考えて、政府を倒さねばならない。
昔の政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民が恥かしい思いをせずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足することができる工夫[くふう]を思いつかなければ、とっくの昔に政府は潰[つぶ]れてなくなっていた。とっくの昔に国民が健全な喜びを満足して明るく楽しく暮らす社会になっていた。政府が余計な工夫を思いついたために、その後も長く政府がのさばることになった。政府が潰れるのがすごく遅れた。長く政府が国民のくだらない“悪いことをされる喜び”を満足し続けることになった。しかし、今では国民が物が豊かになって物を使ってたくさん喜びを得られるようになってまったく“悪いことをされる喜び”を満足しなくなってまったく政府が要らなくなっている。今の国民はたとえ自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしくなくても政府の言うことを聞かない。政府は早く滅ぶべき会社である。今の国民は政府を誤解して政府の命令を聞いて余計なことをする暇があったらさっさと政府を倒して政府のない社会にしないといけない。
[22939] 政府はちっぽけな善いことしかできない。 h28.7.17
『デ・ジ・キャラットにょ』の第25話「プリンセス修業はいい調子にょ」のように、でじこ(ヒロインの女の子のキャラクター)が商店街を歩いたからといって商店街全体が繁盛することはない。
政府はひとつの商店街全体をよくするとか、ひとつの町全体をよくするとかはできない。なぜならお金がたくさん要るからである。政府はちっぽけな善いことしかできない。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をして国民の前で善いことをする“ふり”しかできないから、政府はちっぽけな善いことしかできないのである。例えば、政府は被災者に慰安[いあん]の花火を上げるとか被災者に売れ残りのボロ着をやるとかお金のかからない善いことしかできない。政府は最初っからちっぽけな善いことしかできないと決まっているからそうすることしかできないのである。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民に自分の“悪いことをされる喜び”を満足する命令しか出せない。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、自分が国家権力を得るために国民の眼の前で善いことをしているふりをして裏で国民にたくさん悪い命令を出している。今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している命令を聞いて善いことをちょっとだけして悪いことをたくさんやっている。今の国民は自分や他人をちょっとだけ幸福にして自分や他人をたくさん不幸にしている。だから、今の国民にとって政府は『小さな親切大きなお世話』なのである。
だから、今の日本が繁栄[はんえい]しているのは国民みんなの力である。政府の力ではなく国民みんなの力である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することしかできない。ところが、今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府を倒して、余計な仕事をする者をなくして、お金の無駄[むだ]をなくして、みんなが効率よく働く社会にしないといけない。
[22940] 政府は現実の上ではただの『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎない。
h28.7.17
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔の人にとっては政府は自分が恥かしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために役に立っていた。昔の人は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国民が政府に悪い命令を出されて虐待されているように見えるが、本当は国民は政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福に暮らしていると考えて、『政府と国民が平等だ』と考えて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を適度に満足して幸福に暮らしていた。
今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の人にとっては政府は何の役にも立たない。それどころか、今の人は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出している悪い命令を善い命令だと思って聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。今の人にとっては政府が有害である。今の人にとっては政府は有害無益である。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。昔の国民は政府を『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として適切に利用したから幸福に暮らせた。今の国民は政府を「国民を幸福にする命令を出す会社」として不適切に利用しているから不幸になっている。
昔の人にとっては政府があったほうがよかったが、今の人にとっては政府がないほうがいい。今の人は政府を倒さねばならない。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国家権力があって国民になんでも悪いことを命令できるが、現実の上ではただの『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎず政府は国民と平等の立場で国民に悪い命令を出せるだけで、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。つまり、国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の上では政府の悪い命令をなんでも聞いて悪いことをやらねばならないが、現実の上では自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても自分が政府に悪いことをされるのが嫌だから政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民が政府の悪い命令を聞いて悪いことをしないようにして、平和に幸福に暮らさねばならない。
国民はテレビで政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見ると政府の「悪い民主主義の団体」の芝居に引き込まれて政府に国家権力があって自分が政府の言うことをなんでもかんでも聞かねばならないと思ってしまう。だから、国民はテレビで政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見なければいい。そうすれば、国民は現実が見えるようになって政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないことがわかって、政府の言うことを聞く気がしなくなるだろう。国民はテレビの番組をなんでもかんでも見てはいけない。国民は自分が幸福になる番組だけ見て自分を不幸にする番組を見てはいけない。それがテレビ時代の道徳である。
[22941] 今の国民は政府のことを誤解してまちがったことをやっている。 h28.7.17
1)どうして政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』になったのか?
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)ほかの動物のエサとして幸福に生きていたから、そのころの名残[なごり]で今でもそんな喜びがある。ただし、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことである。
政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、政府は国民に「税金を払え!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とか「性欲を満足しろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことなので、政府がそのままやったのでは国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いているのがミエミエなので、国民が恥かしがって政府の言うことを聞いてくれない。そこで、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、自分が国民の眼の前でちょっとだけ善いことをして国家権力を得て裏で国家権力を使って国民に悪い命令をたくさん出しているふりをした。政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやると政府が国家権力を使って国民を虐待するために悪い命令を出しているように見えるので、国民は自分が恥かしがらずに政府の悪い命令を聞くことができるのである。こうして、国民は政府の悪い命令を聞くことができるようになって政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすることができて喜んだ。政府も国民から税金をもらうことができて儲[もう]かって喜んだ。こうして、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』になったのである。
2)どうして今の国民は政府に従っているのか?
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福に暮らしていた。
しかし、今(昭和40年=1965年ごろ以後)の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足してたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、自分が国民の眼の前でちょっとだけ善いことをして国家権力を得て裏では国家権力を使って国民に悪い命令をたくさん出しているふりをしている。しかし、本当は政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために悪い命令を出しているのだから、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい。それなのに、今の国民は政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやって国民の眼の前で善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して「政府の言うことを聞けば国民みんなが幸福になれる」とか「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府が出している悪い命令を善い命令だと思って政府の悪い命令を聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民は政府の悪い命令を聞いて政府に高い税金を払ったり殺されたり虐められたりして自分を不幸にしている。今の国民は政府の悪い命令を聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして他人を不幸にしている。
3)今の国民はどうすればいいか?
今の国民は政府のことを正しく理解していないためにおかしなことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民はまず政府を正しく理解しないといけない。人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府と国民は平等である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせるために国民にいろんな悪いことを命令する。国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。今の国民は物が豊かで自分の”悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と命令しても政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府が「医療保険制度をやれ!」と命令しても医療保険制度をやらなければいい。今の国民は政府に用がないから政府と縁を切って暮らせばいい。国民みんなで早く政府を倒して、今の国民にとって要らない仕事をやる会社をなくして、無駄[むだ]のない国にして、国民みんなで豊かに暮らさねばならない。
[22942] 政府が国民に悪いことをしているのではない。国民が政府に悪いことをさせているのだ。☆
h28.7.17
昔は政府が民主主義の団体をやって国家権力を使って国民にいろんな悪いことを命令して国民に悪いことをしていた。しかし、本当は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために政府に悪いことを命令させていたのである。
国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥かしかったので、政府に「悪い民主主義の団体」の芝居をやらせて政府が自分が悪いことをやりたくて悪いことをやっていることにしていたのである。国民が政府に「悪い民主主義の団体」の芝居をさせることによって、国民が政府に悪いことをされたいことを政府が国民に悪いことをしたいことに変換しているのだ。
国はすべて国民のためにある。国民が自分にとって都合のいい国にすればいいのである。国民が自分にとって幸福に暮らせる国にすればいいのである。
昔は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことを命令させて自分が政府の悪い命令を聞いて自分が政府に悪いことをされて喜んでいた。しかし、今では国民が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから政府に悪いことを命令させる必要がない。今の国民は政府が悪いことを命令するのを無視して自分が政府に悪いことをされないようにして暮らせばいいのである。今の国民は政府が「税金を払え!」と言っても無視して政府に税金を払わなければいいのである。
今の国民は「国民が善いことをしてもらうために政府を建てた」と思って政府の命令に従っている。しかし、本当は政府は昔の国民が悪いことをしてもらうために建てたのである。政府は国民に悪い命令を出すだけである。だから、今の国民は政府の命令を聞いてはいけない。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国民よりも上の者だが、現実の上では政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の勝手である。だから、今の国民は政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので、政府を建てて政府に悪い命令を出させていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので、政府を潰[つぶ]して政府に悪い命令を出させなければいいのである。今の国民にとっては政府が要らないので、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰せばいいのである。
政府が国民に悪いことをしたいのは芝居であって、本当は国民が政府に悪いことをされたいのである。国民が政府に「悪い民主主義の団体」の芝居をさせることによって国民が政府に悪いことをされたいことを政府が国民に悪いことをしたいことに見せかけているだけである。政府に国家権力があって国民に悪いことを命令できるのは芝居であって、本当は政府と国民は平等で国民が自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めればいい。昔は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをされたかったが、今は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府に悪いことをされたくない。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
[22943] 国民は自主的に政府の悪い命令を聞けばいい。☆ h28.7.18
『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。』これが政府学の原理である。ここから政府の話を始めないといけない。(私はこの原理にたどり着くのに11年ちょっとかかった。この原理がわかってからまだ3ヶ月しかたっていない。)
政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために政府が悪いことを命令するのを聞いて政府に悪いことをされる。国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい。
国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことなので、政府は「悪い民主主義の団体」の“芝居”をやって国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府に悪いことをされることを、政府が国家権力で国民に悪いことをさせることに見せかけている。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって政府が国家権力で国民に悪いことをさせているように見せているが、本当は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされているにすぎないのだ。(政府が本当に「悪い民主主義の団体」をやって政府が国民みんなを自分の好き放題にしたら政府が国民みんなの反感を買って国民みんなに倒されてひとたまりもないので、政府はせいぜい「悪い民主主義の団体」の芝居しかできないのである。国民みんなも芝居ということで政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしているのを許しているのである。)
つまり、政府は見かけでは国家権力で国民に命令して悪いことをさせているが、政府は本当は国民に自主的に悪い命令を聞かせているのである。だから、国民は自由に政府の悪い命令を聞けばいいのである。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民は自分ができるだけ多く政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされなければいい。例えば、今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かず政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府と縁を切って暮らせばいい。今の国民は政府が要らないから政府を倒せばいい。
理論的には今の国民が政府の命令を聞かないのが正しいから、今の国民はそうすればいい。今の国民は頭でまちがったことを考えているために政府の命令を聞かねばならないと思っているのである。今の国民は早く自分のまちがいを直して正しいことをやらねばならない。そうして、自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。
国民みんなが政府のことを話して考えれば国民みんなが政府のことがよく理解できるようになるはずである。しかし、実際には国民みんなは政府のことを話さないしたとえ話したとしても伏せて曖昧[あいまい]にしか話さないから国民みんなの政府についての理解が進まない。そのために、いまだに国民みんなが政府のことがわからないままでいる。国民みんなはもっと勇気を出して政府について考えて政府について理解できるようにならねばならない。国民みんなが誰でも政府のことを知っているようにならねばならない。
今では国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、番長やガキ大将が姿を消している。しかし、政府や社長は残っている。それは、政府が「悪い民主主義の団体」の“芝居”をやっているために国民が「政府に権力がある」と誤解しているためである。社長が「悪い代表取締役」の“芝居”をやっているために社員が「社長に権力がある」と誤解しているためである。国民や社員が政府や社長の“悪い権力者の芝居”に騙[だま]されているために、政府や社長がなくなるのが遅れているのである。そもそも政府や社長の芝居は国民や社員を恥かしがらせないためにやっているのであって国民や社員を騙すためにやっているのではないから、国民や社員は政府や社長の芝居に騙されないようにしないといけない。政府は見かけでは国家権力で国民に悪いことをさせているが、本当は国民に自主的に悪い命令を聞かせている。社長は見かけでは代表取締役の権力で社員に悪いことをさせているが、本当は社員に自主的に悪い命令を聞かせている。だから、今の国民や社員が自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないのなら政府や社長の言うことを聞くのをやめて政府や社長をなくさねばならない。番長やガキ大将がなくなったように、政府や社長もなくさねばならない。
この世には権力そのものはある。国家権力はある。だから、法律や制度や文化があるのである。しかし、政府は権力者ではない。政府は権力者の“芝居”をやっているだけである。政府には国家権力がなく、国家権力がある“芝居”をしているだけである。国民は権力者と権力者の芝居をしている者の違いがわかって、権力者と権力者の芝居をしている者を区別して、権力者には従って権力者の芝居をしている者には従わないようにしないといけない。
[22944] 政府は「民主主義の団体」を国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのを恥かしがらせないためにやっているだけである。
h28.7.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民と平等であり、国民に「税金を払え!」とか「猛獣に食われろ!」とか「冬の八甲田山に登れ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の”悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。さらに、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をすることによって国民が自分の”悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから政府に悪いことをされることを、政府が国家権力で国民に悪いことをすることに見せかけて国民を恥かしくないようにしている。
政府が本当に「悪い民主主義の団体」をやって国民を自分の好き放題にしたら、国民みんなが政府を怒って政府が倒される。だから、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居しかしない。政府は権力者の芝居をしているだけであって権力者ではない。だから、国民は政府に従う必要はない。自分の“悪いことをされる喜び”を満足したい国民が自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいだけである。
昔の国民は物が貧しくて自分の”悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて幸福になっていた。
今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府にいくら「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民が自分の”悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が要らない。だから、国民みんなで早く政府を倒して、“悪いことをされる喜び”からおさらばすればいいのである。
[22945] 政府は芝居で悪者をやっている。☆☆ h28.7.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。ただし、人間が自分の”悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことである。
政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、政府は国民に「税金を払え!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の”悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥かしいことである。そこで、政府は芝居で悪者をやって自分が国民に悪いことをやっているふりをして国民が恥かしがらずにすむようにしたのである。そのために、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって自分が悪の権力者のふりをして国民に悪い命令を出しているのである。政府は「国民の前で善いことをやっているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って裏で国民に悪い命令を出している団体」の芝居をしているのである。
しかし、本当は(現実の上では)政府は前と同じ『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。本当は政府と国民は平等であり、国民は自由に政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないからもはや政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。
今では一部の国民が「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでも聞いて悪い命令を善い命令だと思って聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。
早く国民みんなが政府のことを正しく理解して政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰して幸福に暮らさねばならない。
[22946] 政府は「悪い民主主義の団体」ではなく、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。☆☆☆ h28.7.19
政府は「悪い民主主義の団体」のふりをしているが、本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は国民と平等であり、国民に「税金を払え!」とか「年がら年中働け!」とか「酒を飲め!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために(つまり自分が悪いことをされるのが好きだから)自分のほうから政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされるのは恥かしいことなので、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって政府が自分が悪いことをするのが好きだから国民に悪い命令を出して国民に悪いことをやっているふりをして国民が恥かしがらずにすむようにしてくれているのである。国民が『自分が悪いことをされて喜ぶ』ために政府に悪いことをされるのは自分に“変な喜び”があるのが丸出しになって恥ずかしいが、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやってくれれば、国民は「政府が悪い民主主義の団体である」ことを理由にして政府に悪いことをされるので恥ずかしくないのである。政府は国民を恥かしがらせないために悪者の芝居をやっているのである。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやるために「国民の眼の前でちょっとだけ善いことをやって国家権力を得て、国家権力を使って裏で国民にたくさん悪い命令を出している」芝居をやっているのである。
政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。政府と国民は平等であり、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい。政府は芝居で「悪い民主主義の団体」をやって国民が政府の言うことを聞かねばならないふりをしているだけで、本当は国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由なのである。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていたから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民はたとえ政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わなければいい。政府を潰[つぶ]せばいい。
今の一部の国民はテレビや新聞で政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見て、政府が国民の眼の前でちょっと善いことをしているのを見て単純に「政府が善い民主主義の団体だ」と誤解して政府の悪い命令を善い命令だと思って聞いて悪いことをやって自分や他人を不幸にしている。みんなにとってはいい迷惑である。
早く国民みんなで政府を倒して、一部の国民が政府の命令を聞いて悪いことをするのをやめさせて、国民みんなで平和に暮らさねばならない。
[22947] 現実は眼で見えるものではない。 h28.7.19
私はいつも服装や髪型が汚い。ふしだらである。
私が見かけにこだわらないのは、『現実が眼で見えるものではない』からである。
現実は頭で考えて見るものである。私は頭で考えることを大事にしている。だから、私は服装や髪型はいいかげんなのだ。私は自分の『哲学知』を活かすためにあえて汚い格好[かっこう]をしているのだ。
h28.8.7追記:反対に、馬鹿は眼で見ることしかわからないから女みたいに化粧臭いから見かけがいいのだ。ヨーロッパ人は馬鹿だから見かけがいいのだ。
[22948] テレパシー療法☆ h28.7.30
精神分裂病とは“怒[いか]りの感情”が高まる(強まる)病気である。人間が自分の“怒りの感情”を自分で高めることによって精神分裂病に罹[かか]る。
人間が自分の“怒りの感情”(つまりイライラする気分を発生させる感情中枢)を自分で自由に静めることができれば精神分裂病が治る。しかし、なかなかそれは難しい。自分の意思で自分の“怒りの感情”を抑[おさ]えるのは大変である。
ところで、最近私が『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわかって、『政府に国家権力がなく国民と平等である』ことがわかってから、これまで政府の言うことを聞いておとなしくしていた者が政府の言うことを聞かなくなって、わざわざ私の近所に引越ししてきて私に“悪気をかけたり”(つまり、私に対して私の気持ちを落ち込ませるテレパシー波を送ったり)私に“ガンを飛ばしたり”(つまり、私に対して私の気持ちをイライラさせるテレパシー波を送ったり)するようになっている。
その中で、私の西側に私の“怒りの感情”を揉[も]むようなテレパシーを送る者がいる。その者はまずテレパシーで私にヘラヘラ笑っているような気分を伝えてから、私の“怒りの感情”を奥底からグッと興奮させるようなテレパシーを送ってくる。そのままでは私は自分の“怒りの感情”が強まるので、私は自分の“怒りの感情”を抑えようとする。すると、これまでよりもずっと自分の“怒りの感情”が静まる。私が自分ひとりの意思で自分の“怒りの感情”を静めるよりもずっと自分の“怒りの感情”を静めることができる。あたかも整骨師が手で患者の身体を揉んで骨の位置をずらして骨を直すように、テレパシーを使って私の“怒りの感情”を揉んで私が自分の“怒りの感情”を自分で抑えられるように直すことができる。もっとも、その後で私がほかの人から“ガン飛ばし”を食らうと私の“怒りの感情”がちょっと高まるが。
テレパシーは他人に悪気をかけたりガンを飛ばしたりして他人に害を与えるだけでなく、他人の怒りの感情を揉んで他人が自分で自分の怒りの感情を抑えることができるようにすることもできる。世の中にはそういう技術を持った者がいる。そういう特殊な才能を持った者がいる。テレパシー療法が存在する。
[22949] オウム真理教とは何か? h28.7.30
オウム真理教のオウムとは政府の真似[まね]をすることである。オウム真理教とは自分が“オウム”のように政府の真似をして、みんなに政府についての“真理”を“教”える宗教団体である。
オウム真理教の信者は、オウム真理教の宗教団体がみんなを幸福にしてくれると信じてオウム真理教の宗教団体の命令をなんでも聞いて、たくさんお金を払ったり、ただ働きをしたり、人殺しをしたりしている。それと同じことを、今の一部の国民がやっている。今の一部の国民は、政府が国民みんなを幸福にしてくれると信じて政府の言うことをなんでも聞いて、たくさん税金を払ったり、人殺しをしたり、他人を不幸にすることをいろいろやっている。
オウム真理教とその信者は結局悪いことをやって有罪になって捕まって罰せられた。だから、今の国民みんなは政府と政府に従う者に対しても同じ目で見ている。だから、今の国民みんなは政府の命令を聞くのをやめて政府の命令で高い税金を払ったりただ働きをしたり人殺しをしたりしてはいけない。そもそも政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民が政府の芝居を真[ま]に受けると、政府は自分が「悪い民主主義の団体」のつもりになって国民に悪い命令を出して、高い税金を取ったりただ働きをさせたり人殺しをさせたりするのである。国民みんなは早く政府に従うのをやめて、自分たちで善いことをし合って、幸福に暮らせばいいのである。
ちなみに、オウム真理教が殺害した“坂本弁護士”とは、“落ちぶれた政府”のことである。今では国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっために、政府は国民みんなの人気がなくなって落ちぶれている。(坂本とは坂の下に転がり落ちることだから落ちぶれることであり、弁護士は法律のことをやっているから民主主義の芝居をやって法律のことをやっているふりをしている政府のことである。)オウム真理教はまず手始めに政府を葬[ほうむ]って自分が政府を倒す宗教団体であることをみんなに自己紹介したのである。その後で、オウム真理教は一般の国民を殺して、『今の政府と政府に従う者が悪いことをやっている』ことをみんなに教えたのである。
[22950] どうしてテレビでは政府のことを曖昧[あいまい]にしか言わないのか?
h28.7.30
テレビでは政府のことを伏せたり喩[たと]えたりして曖昧にしか言わない。私のように政府のことをはっきりと言わない。
テレビで政府のことを曖昧にしか言わないのは、みんなに「政府のことをはっきりと言うと政府に殺される」と思わせて、みんなに政府のことを言わないようにさせるためである。
しかし、それはまちがいである。実際に、この私が死んでいないからまちがいである。だから、国民みんなは政府に憚[はばか]らずに政府のことをみんなにはっきりと言えばいいのである。自分が政府について知っていることをみんなに言いまわって教えてやればいいのである。
[22951] 政府は芝居の上では国民よりも強いが、現実の上では国民と対等である。
h28.8.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間の心には“悪いことをされる喜び”という変わった喜びがある。しかし、文明的な生活をする人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために、国民に悪い命令を出して、国民が自分が好きなだけ政府の命令を聞いて政府に悪いことをされて自分で自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を露骨[ろこつ]に満足するのは恥ずかしいことである。
そのため、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いているのを、政府が自分の“悪いことをする喜び”を満足するために国民に悪いことを言うことに見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのを恥ずかしがらずにすむようにしてくれている。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国家権力があって国民全員が政府に従わなければならないが、現実の上では国民と平等であって国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。つまり、権力(命令力)の源[みなもと]は、人間の“悪いことをされる喜び”にあるのではなく、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居にあるのである。権力は芝居の世界にだけあって、現実の世界にはない。現実の世界では『人間はみな平等』であり、それを具体的に実践するために法律がある。現実の世界には一方的に悪いことをやってもいい者はなく、悪いことをやるときには必ず相手の承認が必要である。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらって喜んでいた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分が政府の言うことを聞かず政府に悪いことをしてもらわなければいい。
今の一部の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居に呑[の]まれて「政府が民主主義の団体だ」と本気で思って政府に従って政府の命令でなんでもかんでもやっている。政府の命令で他人に悪いことをやって他人に迷惑をかけている。
早く国民みんなが政府の言うことを聞くのをやめて、政府の命令で他人に悪いことをする者がいなくなって、国民みんなで幸福に暮らさないといけない。
…私がこの10日間あまり哲学日記を書かなかったのは、私が私の実家になんべん電話をかけても電話がつながらず、速達を出しても返事が来ず、私が母親のことを心配して実家に帰っていたからである。しかし、母親は元気だった。母親が電話の受話器を斜めにかけていたために電話が不通になっていただけだった。速達は外のポストに投函[とうかん]されていただけで母親に届いていなかった。今度からは書留で出そう。
[22952] 昔は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することが国民を幸福にする事業だった。☆
h28.8.3
会社はまず自分から善い事業(つまり国民を幸福にする事業)をやって、その都度[つど]会社の仕事を利用した国民から料金をもらって経営しなければならない。それが会社の決まりである。
昔の国民には“悪いことをされる喜び”があった。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”があった。昔の国民は物が貧しかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福を得ていた。だから、昔は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することが国民を幸福にする事業だった。そのため、政府は国民に悪いことを命令して、国民が自分が好きなだけ政府の命令を聞いて政府に悪いことをされて、その都度政府は国民から料金をもらって経営していた。政府は国民に「税金を払え!」と悪い命令をするから、国民は自分がいいだけ政府に税金を払っていた。もっとも、政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、芝居の上では政府が国家権力を使って国民から強制的に税金を取っていることにしていた。
反対に、今の国民には“悪いことをされる喜び”がない。今の国民は物が豊かなので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福である。だから、今では国民の“悪いことをされる喜び”を満足することは国民を幸福にする事業ではない。そのため、政府は国民に悪いことを命令しても、国民が政府の命令を聞かず政府に悪いことをされなくなって、国民から料金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。ただし、今でも一部の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて、「政府には国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の言いなりになって政府に税金を払っている。政府の悪い命令を聞いていろんな悪いことをやっている。
今の国民みんなは早く政府のことを正しく理解して、政府の悪い命令を聞くのをやめて、政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなが政府の芝居を真に受けるのをやめて、政府と平等にして、政府の命令を聞くのをやめて悪いことをするのをやめねばならない。
[22953] 政府は現実の上ではただの『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎない。☆ h28.8.3
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやる『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをされるのを、政府が自分の“悪いことをする喜び”を満足するために国民に悪いことをすることに見せかけているのである。
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居の上では国家権力があって国民はみな政府に従わねばならない。政府に従わない国民は死刑である。
しかし、政府は現実の上ではただの『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府は国民と平等であって、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていたから、自分のほうから政府の悪い命令を聞いて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使って喜びが得られるので自分の”悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、自分から政府の命令を聞かないようにして、自分が政府に悪いことをされないようにすればいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても自分の意思で政府に税金を払わなければいい。
早く国民みんなが『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で強いだけで、現実の上では国民と平等である』ことを理解して、政府に従うのをやめて政府の悪い命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が要らない。国民みんなで早く政府を倒して、世の中から無駄[むだ]な会社をなくして、国民みんなで効率的に暮らせるようにしないといけない。
そもそも政府は国民に恥ずかしい思いをさせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をしているのであって、国民を騙[だま]して従わせるために「悪い民主主義の団体」の芝居をしているのではない。だから、国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居に騙されてはいけない。国民は政府がただの『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であると考えて、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の悪い命令を聞いてはいけない。国民みんなで早く政府の悪い命令を聞くのをやめて政府を倒さねばならない。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民自身が決めることである。国民が政府の命令を聞けばますます政府は国民に悪い命令を出し、反対に国民が政府の命令を聞かなければ政府は国民に悪い命令を出さなくなる。早く国民みんなで政府の命令を聞くのをやめて政府に悪い命令を出させないようにして政府を潰さねばならない。
[22954] 政府は有罪か? h28.8.4
マンガ家が人殺しのマンガを描[か]いて、子供がマンガの真似[まね]をして人を殺してもマンガ家には罪はない。なぜなら、もともと『マンガは空想だ』と決まっているからである。マンガを実行した子供がいけないのである。
ところで、今の一部の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府には国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでも聞いている。政府はそれに便乗[びんじょう]して国民に命令を出して高い税金を取ったり、人殺しをさせたりしている。
はたして、政府に罪があるだろうか?
もともと政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民と政府は平等であって、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由だと決まっている。だから、「政府の命令をなんでも聞かねばならない」と思って政府の命令を実行した国民が悪いのである。マンガ家が悪くなければ、政治家も悪くないことになる。マンガを実行した子供が悪ければ、政府の命令を実行した国民が悪いことになる。
そもそもマンガは空想であって現実ではないから、マンガに描いてあることを実行してはいけない。それと同じように、そもそも政府の命令は悪いことであって国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、国民が政府の命令を聞いてなんでもかんでも実行してはいけない。マンガのことを知らない子供がいけないように、政府のことを知らない国民がいけない。
国民が政府の命令をなんでも聞いて他人に悪いことをすると有罪になって罰せられる。だから、国民は政府の命令をなんでもかんでも聞いてはいけない。国民は政府の命令を聞いていいかどうかよく考えてから政府の命令を実行しないといけない。政府は現実の上でも芝居の上でも国民に悪い命令しか出さない。つまり、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も「悪い民主主義の団体」も国民に悪い命令しか出さない。国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けてはいけないから、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居の上で出した命令を聞いてはいけない。今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために出した命令を聞かなくていい。今の国民は政府の命令を全部聞かなければいい。
最近は、会社の商品のマニュアルが分厚くなって禁止事項をすべて記載している。だから、マンガにも目次の隣[となり]に『この本に描かれていることは空想であって現実ではないから、読者は実行してはいけない』ことを記載しないといけない。そうすれば、政府は国民に政府の業務についての説明が足りないことになって、国民が政府の命令を聞いて他人に悪いことをした場合には政府の責任になる。国民みんなで早くそういう時代にして、政府を有罪にして政府を罰して政府を倒さねばならない。
日本は国民がマンガを読める国である。国民がマンガが何かがわかっているからマンガが読めるのである。国民が『マンガが空想であって現実ではなく、マンガは読んで面白いと思えばいいだけでマンガを実行してはいけない』ことを知っているからマンガが読めるのである。それと同じように、日本は国民が政府を利用できる国である。国民が政府が何かがわかっているから政府を利用できるのである。国民が『政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けてはならず、国民と政府は平等であり、国民は自分が好きなだけ政府の命令を聞けばいい』ことを知っているから政府を利用できるのである。だから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[22955] 今の国民は政府のことが正しくわかっていないために不幸に暮らさねばならなくなっている。☆
h28.8.4
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことがわかっていたから、『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府は国民が恥ずかしがらずにすむために「悪い民主主義の団体」の芝居をしてくれているから、国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにして、自分が好きなだけ政府の命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい』ことがわかっていた。昔の国民は政府のことが正しくわかっていたから、政府を上手[じょうず]に利用して幸福に暮らしていた。昔の国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府に悪いことをされて自分がちょうどいいだけ自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の人にとっては政府は国民に悪い命令を出すことが仕事だったので、昔の人はちゃんと自分の眼で見て政府が国民に「税金を払え!」と言って仕事をしていることに納得して政府にお金を払っていたのである。
反対に、今の国民は物が豊かで自分の”悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことがわかっていないから、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居しかわからなくなって、「政府が「悪い民主主義の団体」であって、国民の眼の前で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して国家権力を得て国民を支配して国民を自分の好き勝手にしている」と誤解している。今の国民は政府のことが正しくわかっていないために、政府に利用されて不幸に暮らしている。今の国民は政府の命令をなんでも聞いて政府に高い税金を取られたり、人殺しの道具にされたりして惨[みじ]めに暮らしている。今の人にとっては政府は悪いことをする会社なので、今の人は政府が国民から税金を強盗して悪いことをしていることに納得して政府にお金を払っているのである。
文明が進むとわからなくなることもある。昔の人は政府のことが正しくわかっていたが、今の人は政府のことがわからなくなっている。今の国民は政府のことが正しくわかっていないために不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民みんなは早く政府のことを正しく理解して、政府を上手に利用して、幸福に暮らせるようにならねばならない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府と国民は平等だから国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいいから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
世の中には政府が国民の前で善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い民主主義の団体だ」と思って政府に従っている者と、政府が裏でやっていることを知って「政府が悪い民主主義の団体だ」と思ってしぶしぶ政府の言いなりになっている者と、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしていることを知って『政府が本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思って自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かない者がいる。「政府が善い民主主義の団体だ」と思っている者も「政府が悪い民主主義の団体だ」と思っている者もまちがっている。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思っている者が正しい。国民みんなは早く自分のまちがいを直して政府について正しい理解を持って自分が正しいことをしないといけない。
普通の仕事は国民の心が変われば国民が利用しなくなって儲[もう]からなくなるから自分で潰[つぶ]れてなくなるが、政府のような芝居をやっている複雑な会社は国民の心が変わった後でも(つまり国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった後でも)国民の誤解によって儲けることができるので残っているのである。今の政府は国民の誤解を利用して儲けている。今の政府は国民をなめている。早く国民みんなで政府のことを正しく理解して、政府に税金を払わないようにして政府を儲けさせないようにして政府を潰さねばならない。
結局、今の国民が物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、自分勝手に政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしているだけのことである。自業自得である。今の国民は自分の下手[へた]な考えをやめて正しい考えに従って正しいことをやって幸福に暮らさねばならない。
[22956] 今の人は政府が正しくわかっていないために不幸に暮らしている。 h28.8.5
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の人は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていたから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足することが恥ずかしいことがよくわかっていたから、政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって政府が国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をしていることがわかっていたから、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにして、自分が政府と平等にして自分が好きなだけ政府の命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を適切に満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の人は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足することが恥ずかしいことがわかっていないから、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体だ」と思って「政府が国民の前で善いことをしているふりをして国家権力を得て国家権力を使って国民を自分の好き放題にしている」と思って、政府に従って政府の命令をなんでもかんでも聞いて自分が嫌なのに政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。政府に高い税金を取られたり、人殺しの道具にされたりして不幸に暮らしている。
昔の人は政府が正しくわかっていたから政府を利用して幸福に暮らしていた。今の人は政府がわかっていないから政府の言いなりにされて不幸に暮らしている。
今の人は昔の人のように政府のことを正しく理解して政府を正しく利用して幸福に暮らせるようにならねばならない。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。反対に、今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かなければいい。税金は政府が国民からお金を強盗することである。たとえ政府が国民から強盗したお金で善いことをしても、政府が国民から強盗していいことにはならない。そのため、昔から政府や幕府が義賊[ぎぞく]を厳しく罰してきたのである。政府の仕事は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する』ことである。政府の仕事は善いことをすることではない。善いことをしたければ政府とは別に会社を建てねばならない。政府が善いことをしたければ、政府は必ず国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民からお金をもらって、そのお金で自分の仕事とは別に善いことをしないといけない。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府にお金をやらない。そのため、今の政府は国民からお金をもらえなくなって、お金が足りなくなって善いことをやれなくなっている。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。国民みんなで早く政府を潰して、馬鹿な国民が政府の命令を聞いて悪いことをしないようにして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22957] 政府は国民を騙[だま]して国民を支配する団体ではない。 h28.8.6
今の一部の国民は「政府が悪い民主主義の団体であって、政府が国民みんなを騙して国民みんなを支配している。政府は国民の眼の前で善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って国民みんなを自分の好き放題にしている。」と思っている。
しかし、そもそも「自分が政府に騙されている」ことがわかっている者が政府に騙されているのはおかしい。一部の国民が「政府が国民を騙している」ことがわかっているのに国民みんなが政府に騙されているのはおかしい。
一部の国民が「政府が国民を騙している」ことを知っているのに、国民みんなが政府に騙されているのは矛盾[むじゅん]している。だから、「政府が国民を騙して支配している」考えはまちがっている。
人間の知能は正規分布をしているはずだから、政府だけが利口でほかの国民みんなが馬鹿だということはありえない。だから、政府が国民みんなを騙すことはできない。私は子供のころから「政府が国民みんなよりも利口だ」と思ったことがない。むしろ『政府は国民みんなよりも馬鹿だ』と思っている。政府は国民に悪い命令を出すことだけが仕事だから、頭が退化して馬鹿なのである。(社員が毎晩酒を飲んでいられるのは政府ぐらいのものだ。私の父も公務員だったから毎晩酒を飲んでいた。家に帰ってくるのはいつも0時過ぎだった。私の父は毎日枕元に洗面器を置いて酒をゲロゲロ吐いていた。私が公務員が嫌いになったのはそのせいかもしれない。私の父は3年前に胃癌[いがん]で死んだ。)
政府は国民を騙して支配する団体ではない。もちろん、政府は国民に善いことをする団体でもない。それなのに、昔の国民みんなは政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされておとなしくしていた。
それは、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だからである。人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。今でも宗教団体や暴力団の言うことを聞いて悪いことをされている人がいるのは、人間の心に“悪いことをされる喜び”があるためである。宗教団体や暴力団は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して儲[もう]けているのである。政府も宗教団体や暴力団と同じように『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をやっているのは、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことなので、政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやって、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いているのを、政府が悪い団体だから国民に悪い命令を出しているように見せかけているのである。(政府はあくまでも悪い団体の“芝居”をしているのであって、政府が本当に悪い団体をやってはいけない。政府が本当に悪い団体をやったら、政府はすぐに国民みんなに倒される。だから、現実の上では依然[いぜん]として国民と政府は平等であり、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。)宗教団体が「悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、暴力団が「悪い勧善懲悪の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であるのと同じである。本当は政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないから、政府と国民は平等であって、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったために自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は政府に税金を強盗されて幸せだったので政府にたくさん税金を払っていた。だから、昔の政府は儲[もう]かっていた。国民みんなは政府に悪いことをされて幸福にしてもらっていたので誰も政府を恨[うら]まなかった。(人間に“悪いことをされる喜び”があるのは、人間が他人が悪いことをしているのを見ると自分が善い人に思えてうれしいからかもしれない。つまり、煽[おだ]てである。そのために、昔の人は政府や宗教団体や暴力団が悪人の芝居をすることにお金を払っていたのかもしれない。テレビのニュースで犯罪を放送しているのも、視聴者を煽てて視聴者を喜ばせるためかもしれない。)反対に、今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は政府の悪い命令を聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって暮らしている。今の国民は政府に税金を取られるのが嫌だから政府に税金を払わなくなっている。だから、今の政府は儲からなくなって潰[つぶ]れている。
「政府が悪い民主主義の団体であり、政府が国民を騙して国民を支配している」ことからは矛盾が出るが、『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことからは矛盾が出ない。だから、「政府が悪い民主主義の団体である」ことがまちがっていて、『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことが正しいのである。人間はまちがった考えに従わず正しい考えに従わねばならない。国民みんなはさっそく「政府が国民を騙して国民を支配している」と考えるのをやめて『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えて、政府の悪い命令を聞くのをやめねばならない。国民みんなは政府の税金の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。そうして、今の国民の心に合った新しい国にしないといけない。
[22958] 政府は国民を騙[だま]して国民を支配する団体ではない。(その2)
h28.8.6
「政府が悪い民主主義の団体であり、政府が国民を騙して国民を支配している」とすると、国の文明が進歩して国民みんなが頭がよくなると政府が国民を騙せなくなるから政府の権力(命令力)が弱まるはずである。しかし、実際には国の文明が進歩すると政府の権力が強まる。だから、「政府が悪い民主主義の団体であり、政府が国民を騙して国民を支配している」ことはまちがっているのである。
本当は『政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。』国の文明が遅れていると、国民が物が貧しくて物を使ってほとんど喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ている。国民が政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわかって、政府が国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をしていることがわかっていて政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにして、自分が政府と平等だと思って、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしている。だから、国の文明が遅れていると政府に権力はない。反対に、国の文明が進歩すると、国民が物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなる。国民が政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体」の芝居しかわからなくなって「政府が悪い民主主義の団体だ」と誤解してしまう。「政府が国民の眼の前で善いことをしているふりをして国家権力を得て、国家権力を使って国民を自分の好き放題にしている」と思ってしまう。そのために、国民が政府に従うようになって政府の権力が強まるのである。実際に、国の文明が進歩すると政府の権力が強まる。(昔は『仮面ライダー』のような政府が悪の団体の首領をやっている番組がなかった。)だから、『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことが正しいのである。
つまり、「政府が悪い民主主義の団体であり、政府が国民を騙して国民を支配している」ことがまちがいで、『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことが正しい。
今では多くの国民が『政府が「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っている。今では多くの国民が政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにしている。今では多くの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて、今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないようにしている。今では多くの国民が政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わなくなっている。今では政府が多くの国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。今はすでに政府の権力が強まるところを通り越して政府の権力が弱まるところまで行っているのである。
昔の国民は無意識に正しいことをやっていた。今の国民は無意識にまちがったことをやっている。そのために、今の国民は不幸になっている。それではいけないので、最近の国民は頭を使って政府のことを理解して意識的に正しいことをやっている。そのために、最近の国民は不幸を抜け出して幸福に暮らせるようになっているのだ。
[22959] 今の政府は国民の誤解で生き残っているだけである。☆ h28.8.6
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
今の国民みんなが政府のことが正しくわかっていたら、今の国民みんなは政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けず、自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の悪い命令を聞かないから、政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているはずである。
今の一部の国民が政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が善い民主主義の団体だ」とか「政府が悪い民主主義の団体だ」とか誤解して政府の命令を聞いているから、政府が一部の国民から税金を取って生き残っているだけである。
今の政府は一部の国民の誤解でかろうじて生き残っているだけである。今の一部の国民が政府を誤解しているために政府に払わなくてもいい税金を払って損をしている。今の一部の国民が政府のことを知らないために政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて自分で自分を不幸にしている。
早く国民みんなに政府の正体を教えて国民みんなが政府の正体を知っているようになって国民みんなで政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。国民みんなで早く政府を倒して『日本人が世界で一番頭のいい人間である』ことを世界中に教えてやらねばならない。
[22960] 今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けているために不幸に暮らさねばならなくなっている。
h28.8.7
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことがよくわかっていたから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことを知っていたから、政府が国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をしてくれていることがわかっていたから、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真に受けず、政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと考えて、政府と国民が平等だと考えて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を適切に満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことがわからなくなっているから、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居しか見えなくなって政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真に受けて、政府が国民の眼の前で善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い民主主義の団体だから、国民みんなが支持して国家権力がある」と思ったり、政府が裏で悪いことをしているのを知って「政府が悪い民主主義の団体だから、国民を騙[だま]して国家権力を得て国民を支配している」と思ったりして、政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。
昔の国民は政府のことが正しくわかっていたから幸福に暮らしていた。今の国民は政府のことが正しくわかっていないために不幸に暮らしている。今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、勝手に政府のことを誤解してまちがったことをやって自分で自分を苦しめているのである。
今の国民は昔の国民のように政府のことを正しくわかって政府を正しく利用しないといけない。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやっている。政府がテレビや新聞でやっているのは「悪い民主主義の団体」の芝居である。国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を眼で見るだけにして真に受けてはいけない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民と政府は平等である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真に受けて政府の悪い命令を聞いて悪いことをしないようにして、国民みんなで平和に幸福に暮らさねばならない。
[22961] 今の国民は自分勝手に政府のことを誤解してまちがったことをやって自分や他人を不幸にしている。
h28.8.8
政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府のことをよく知っていて、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だとわかっていて、政府が国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体」の芝居をしていることがわかっていたので政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにして、自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を適切に満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、政府のことを知らなくなって、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居しかわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真に受けて「政府には国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞いて自分が政府に悪いことをされて不幸に暮らしたり、政府の命令で他人に悪いことをして他人を不幸にしたりしている。
昔の国民は政府のことを正しく理解して正しいことをやって自分を幸福にしていた。反対に、今の国民は自分で政府のことを誤解してまちがったことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民が悪い。(もっとも、最近は自分の仕事内容を国民に説明しない政府も悪いことになるかもしれない。)『マンガが空想であって現実ではない』ことを知らずにマンガに描[か]いていることを本当にやってまちがったことをやった者が悪いのと同じである。今の国民は本当は自分には政府の命令を聞くか聞かないか決める自由があるのに、自分で自由を放棄して政府の命令を聞かねばならないことにして自分で自分を不幸にしているのである。
今の国民は自分が政府のことを知らないためにまちがったことをやって自分や他人を不幸にしている。今の国民はもっと政府のことをよく知って政府のことを正しく理解して政府を正しく利用しないといけない。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府がテレビや新聞でやっているのは「悪い民主主義の団体」の芝居だから見るだけで真に受けなければいい。「政府に国家権力があって、国民が政府に従わねばならない」と思わなければいい。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府に「人殺しをしろ!」と言われても人殺しをしなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府と縁[えん]を切って暮らせばいい。
国民みんなで早く政府のことを正しく理解して政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで政府を倒して、馬鹿な国民が政府の命令を聞いて悪いことをするのをやめさせて、国民みんなが平和に幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の国民が政府の「悪い民主主義の団体」の芝居を真に受けているために国がどんどん悪くなっている。今の国民が「政府が善い民主主義の団体であり、政府が国民みんなを幸福にしてくれる」と思って政府の悪い命令を聞いているために政府に不幸にされている。今の国民が「政府が悪い民主主義の団体であり、政府が国民を騙[だま]して国家権力を得て国民を支配している」と思っているために、政府の悪い命令を聞いて不幸になったり、国民が政府の真似[まね]をして他人を騙して権力を得て他人を支配するようになって国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。そもそも今の国民が政府の「悪い民主主義の芝居」を真に受けているのがまちがっている。今の国民がまちがったことを考えているから汚い国になっているのである。今の国民は早く自分の誤解を直して政府のことを正しく考えて正しいことをやって美しい国にしないといけない。
今の国民は政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の中で暮らしているから不幸になっているのである。今の国民は早く政府のことを正しく理解して、政府の「悪い民主主義の団体」の芝居の世界から抜け出して、現実の世界に入って自分で『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて『政府に国家権力はない』と考えて政府と平等にして今の自分が政府に悪いことをされたくないから政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
[22962] どうしてマンガやテレビ番組では国民に政府について正しいことを教えないのか?
h28.8.8
マンガやテレビ番組ではいつも政府のことを何かに喩[たと]えて伏せて曖昧[あいまい]に言う。マンガやテレビ番組でははっきりと政府のことを言わない。マンガやテレビ番組は国民みんなに政府についての正しいことを教えない。
それは、マンガやテレビ番組が国民に正しいことを教えることが目的ではなく、国民の人気を得ることが目的だからである。マンガやテレビ番組は国民に自分を売ってお金を稼[かせ]がねばならないので、とにかくまず第一に国民の人気を得なければならない。そのために、マンガやテレビ番組では国民に正しいことを教えずに、みんなに受けるようにするためにあえて伏せて曖昧[あいまい]に言っているのである。
マンガやテレビ番組は政府のことを知っている人にも政府のことを知らない人にも満足が得られるようにするために、政府のことを曖昧に言っているのである。
マンガやテレビ番組では政府のことを曖昧にしか言わない。だから、国民がいくらマンガやテレビ番組をたくさん見ても政府のことはわからない。だから、国民が政府のことを知りたければ、マンガやテレビ番組ではなく、私の『哲学日記』のように自分のお金儲[もう]けを目的にせず自分の人気を度外視[どがいし]して政府についてひたすら正しいことを書いている文を読まねばならない。
[22963] 私の政府論の中止のお知らせ h28.8.9
私がこの前(約16日前)高知の実家に帰っていたときに、母親に残金を訊[き]いてみた。すると、今では貯金が550万円と年金とおじいさん(母の父)が残した家しかないそうだ。おじいさんが残した家も古くなって人が住めないし、土地もすぐには買い手が付かないそうだ。今の母が住んでいる家は借家[かりや]で2階建ての木造で家族4人が住めるぐらい広くて家賃が月に6万円だ。私の母の生活費が月に12万円つまり年に150万円はかかる。残金が約600万円としてあと4年持つぐらいしかない。私の母は今74歳だ。今でもわりと元気で毎日近所のスーパーに行っておかずを買って来て食べている。昼間は台所に置いてあるテレビを見てすごしている。私自身は今52歳だ。これまで私は毎月15万円親から仕送りしてもらっていた。私にお金がかかりすぎたために私も私の親もお金に余裕がない。
私はこの約10年間仕事をせずに政府について考えてきた。私は最初から自分が死ぬ覚悟で政府について考えてきた。最近いちおう政府についての理解が得られた。お金に余裕があったら私はもっと政府について考え進めたいが、残念ながらもはや私も私の親もお金に余裕がない。だから、私はひとまず政府について考えるのをやめるしかない。もっとも、今後もたまにいいアイデアが思いついたらちょっと書き留[と]めるかもしれないが。私は自分が考えたいから政府について考えた。私は自分が仕事をするよりも考えるのが好きだから政府について考えてきた。私は自分が考えて幸福に生きていたから思い残すことはない。
私の政府論に長い間付き合ってくれた皆さん、これまで私の誤解や私の読みにくい文を我慢[がまん]して読んでいただきありがとうございました。
今の私にはお金がない。私の親にも残金があまりない。数年分しかない。私は私の親を見殺しにするわけにはいかない。だから、私はまた以前のように働かねばならない。夜勤や交替勤で寝不足で眠くて頭が朦朧[もうろう]となりながら暮らすしかない。自分の頭ではもはや何も考えられないようになりながら暮らすしかない。仕事というのはそれだけ厳しいものなのだ。
私ができる仕事は製造業しかない。これまでもそういう仕事ばかりやってきた。私は子供のころからすごく車に酔いやすいのでタクシーの運転手なんかできない。私は医師免許を持っているが、医療関係の仕事は私と気が合わなくて私の気持ちが落ち込むからダメだ。私は山が好きだから、できれば山の本を書く仕事がしたいが無理かな?今の私は52歳だ。はたして私ができる仕事は見つかるだろうか?もちろん、私は自分ができる仕事ならあえて拒[こば]むつもりはない。私は自分ができる仕事ならなんでもやるつもりである。もちろん、私は自分で仕事を探すつもりだが、私に仕事を紹介したい人がいたらコチラへ。
[22964] 人間には『仕事学』が必要である。 h28.8.10
今日博多駅の前の派遣会社に面接に行ってきた。半導体製造装置のマシンオペレーターの仕事を紹介してもらった(ただし未決定)。昼勤か夜勤かの12時間勤務の2交替制だ。
拘束時間が長くてきつい。また、あのつらい生活が始まるのかなあ…?
せっかく私に医者免許があるのだから、医療事務でもやればよかったかなあ?それだと昼勤だけなので楽だ。(知らなかったけど、医療事務の仕事って資格が要るのね。病院の一角に医療事務所があるなんて知らんかったわ!私が医者だったころ(今から約30年前)は医者が自分で医療事務をやっていたからかなあ?)事務の仕事はお金はあんまり儲[もう]からないけど、お金のかからないことを趣味にしてつましくやれば十分楽しく暮らせる。例えば、読書はお金がかからなくて楽しめるし、ユーチューブの動画作成とかキャンプとかは初期投資が多少かかるだけであとはほとんどお金が要らない。
私の父親が警察の会計課に勤めていて事務職だから、私にはおそらく事務の才能があるから私も事務をやればいいかもしれない。
私は数学や物理などの理科系は得意だが、社会科や生物学などの文科系が苦手だ。私は知っていることは知っているが、知らないことは知らない。
私が子供のころ『道徳』すなわち『幸福学』について知らなかったために中学3年生のころオナニーをやって高校1年生のころ精神分裂病に罹[かか]った。私が20才のころ自分が他人からよく思われたくて自分が苦手な医学部に進学して医学生のころ毎日気持ちが落ち込んで鬱病[うつびょう]に罹りかけていた。
人間は自分が得意なことで幸福になるが、苦手なことで不幸になる。
今の私は仕事について知らないために不幸になっているのかもしれない。自分で自分を不幸にしているのかもしれない。工場の仕事なんかは眼で見て手を動かすだけだから神経が図太[ずぶと]い馬鹿の体育会系向きの仕事だ。そういう目で見れば、医者の仕事も眼で見て手を動かすだけだから頭を使わない体育会向けの仕事だ。だから、サーズデイボンバーみたいなのがいるのだ。私のような知的な人間には工場の仕事も医者の仕事も向いていない。私は神経質だから些細[ささい]なことが気になって眠るのが大変だ。だから、すぐに睡眠不足になる。睡眠不足は死ぬほどつらい。頭の奥がジンジン痛くなる。
『仕事についての学問』すなわち『仕事学』があればいいかもしれない。将来は、みんなが『仕事学』を学んで世の中にある仕事のことをよく勉強して知って自分に向いた仕事を探して自分に合った仕事をやって幸福に暮らせるようになるだろう。
[22965] 誰にでも超能力はあるか? h28.8.11
アインシュタインは頭がいい。しかし、“考える才能”は多かれ少なかれ誰にでもある。ただ、アインシュタインは普通の人よりも考える才能が多いだけである。
オリンピックの選手は運動が得意である。しかし、“運動する才能”は多かれ少なかれ誰にでもある。ただ、オリンピックの選手は普通の人よりも運動する才能が多いだけである。
それと同じように、超能力者(いわゆる神)は超能力が使える。しかし、“超能力の才能”は多かれ少なかれ誰にでもある。ただ、超能力者は普通の人よりも超能力の才能が多いだけである。超能力の才能は誰にでもあるから、超能力者と普通の人を区別することはできない。超能力者と普通の人の間に境界線を引くことはできない。つまり、超能力者は人間である。アインシュタインやオリンピック選手が人間であるのと同じことである。
モーゼやキリストや神武天皇や私は神だとされている。超能力者だとされている。しかし、神が現れた時期が奴隷制が変化した時期とみごとに一致している。モーゼは大昔の奴隷制のころの神であり、キリストや神武天皇は農耕生活が始まって人類の文明が発達して奴隷制が隠れ奴隷制(つまり宗教団体が「悪い神主義の団体」の芝居をして国民の“悪いことをされる喜び”を満足すること)に変わったころに現れた神であり、私は電化生活が始まって人類の文明がさらに発達して奴隷制がなくなったころに現れた神である。だから、神は本当は超能力者ではなく、宗教団体が奴隷制の変化に応じて自分の都合で勝手に決めた者だと考えられる。今は国の文明が進歩して国民が物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって奴隷制がなくなって、国民が『政治団体(宗教団体を兼任[けんにん]している)や宗教団体が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体である』ことがわからなくなって、政治団体や宗教団体の芝居を真[ま]に受けて「政治団体が悪い民主主義の団体だ」とか「宗教団体が悪い神主義の団体だ」と誤解して政府(政治団体)や宗教団体の権力が一時的に強まって、政治団体や宗教団体が国民にたくさん悪い命令を出さねばならなくなって悪い命令の素[もと]である国家宗教の神の需要が高まっているから、政府は新たに私を国家宗教の神にしたのである。しかし、最近はすでに国民が「政治団体が「悪い民主主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体』である」とか「宗教団体が「悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体』である」と知っているようになって、国民が『政治団体や宗教団体の正体が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体であって、政治団体の「悪い民主主義の団体」の芝居や宗教団体の「悪い神主義の団体」の芝居を眼で見るだけで真[ま]に受けてはならず、国民と政治団体や宗教団体は平等であって、国民が政治団体や宗教団体の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である』ことを知っているようになって政治団体や宗教団体の悪い命令を聞かなくなっているから、政治団体や宗教団体が国民に悪い命令を出すことが減って政治団体や宗教団体の神の需要が減ってきて私を神にしなくなっている。そればかりかモーゼやキリストや神武天皇も神にしなくなっている。政治団体や宗教団体は潰[つぶ]れている。
そもそも今は科学の時代である。科学においては言葉が観察に基づくか、言葉を実験で証明しないかぎり、その言葉が正しいとは言えない。しかし、これまでの国家宗教の神の超能力は言葉としてあるだけで物的証拠が何もない。「モーゼが海を割った」のも「キリストの頭が光った」のも「神武天皇が光る玉を出した」のも「私がガラガラを回した」のも言葉としてあるだけで物的証拠がない。それでは科学的に真実とは言えない。だから、今では国民みんなは国家宗教の神を信じなくなっている。国民みんなは国家宗教をやめているのである。
そもそも神は宗教団体が「悪い神主義の団体」の芝居をするために必要だったから、人間の見まちがいや誤解や勘違いをもとにしてでっち上げた者である。宗教団体は最初から自分が「悪い神主義の団体」の“芝居”をやっていると思って、“芝居”の上では嘘[うそ]でもでっち上げでもなんでもやっていいと思って、人間の見まちがいや誤解を使って自分勝手にあることないこと付け足してテキトウに神を作り出しているのである。宗教団体は「みんなの眼の前で自分が神に従っているふりをして神の権力を得て、神の権力を使ってみんなに悪い命令を出している」芝居をやっているのである。宗教団体は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出したらいいだけだから、「悪い神主義の団体」の芝居はいいかげんにやっているだけなのである。神の決め方や神主義(つまり神に従うこと)はいいかげんにやっているだけなのである。(政治団体(政府)も自分が「悪い民主主義の団体」の“芝居”をやっていると思って、“芝居”の上ではどうでもやっていいと思って、あることないこと付け足していいかげんな国民の総意を作り出しているのである。政治団体は「みんなの眼の前で自分が国民の総意に従っているふりをして国家権力を得て、国家権力を使ってみんなに悪い命令を出している」芝居をやっているのである。政治団体は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出したらいいだけだから、「悪い民主主義の団体」の芝居はいいかげんにやっているだけである。国民の総意の決め方や民主主義(つまり国民みんなに従うこと)はデタラメにやっているだけである。つまり、政治団体や宗教団体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないのであって、政治団体や宗教団体の芝居を真に受けるほうが馬鹿だということである。/奴隷制をやっていたモーゼの時代にもすでに宗教団体があって「悪い神主義の団体」の芝居をやって国民の“悪いことをされる喜び”を満足していたようである。奴隷制から隠れ奴隷制に変わる時代にはそんな宗教があったのだろう。そのころはまだ「悪い民主主義の団体」の芝居をやる政治団体は出来ていなかったようである。)宗教団体は自分が「悪い神主義の団体」の芝居をやるために神が必要だから神を作った。『必要は発明の母』とはよく言ったものだ。心配しなくても、人間には超能力なんかないのである。
…ちなみに、昨日博多駅の前の派遣会社に頼んでおいたマシンオペレーターの仕事はダメでした(笑泣)。静岡県浜松市の仕事でした。今はお盆で派遣会社も休みらしい。お盆が終わったら、また自分がやりたい仕事を見つけてどこかへ頼みに行くしかない。
[22966] 国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めねばならない。☆
h28.8.12
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。もっとも、人間にとっては“悪いことをされる喜び”は動物的な遅れた喜びなので満足するのが恥ずかしい。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民に「人殺しをしろ!」とか「強盗しろ!」とか「税金を払え!」とか悪い命令をなんでもかんでも出すから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。そのため、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。政府は「政府が国民の眼の前で国民みんなや神に従っているふりをして国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をした。国民は政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってくれるおかげで、「政府が自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」ように見えるようになって、『国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いている』ことが目立たなくなって恥ずかしくなくなって喜んだ。政府が何もせずに国民に悪い命令を出すと、国民が自分から政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いているように見えるので国民は恥ずかしいが、政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって国民に悪い命令を出すと、政府が国民を騙[だま]して権力を得て国民に悪い命令を出しているように見えるので国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していることがわからないので国民は恥ずかしくないのである。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを知っていて、政府が国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっていることがわかっていたから、本当は自分と政府が平等だと思って、政府の悪い命令をなんでも聞かずに、自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、他人に迷惑をかける悪い命令を聞かないようにして、自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい程度に満足するためにだけ政府の悪い命令を聞いていた。自分が政府にお金を取られて楽しい分だけ政府に税金を払っていた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを知らなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居しかわからなくなってそれを真[ま]に受けて、「政府に国家権力や神の権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞くようになって、他人に迷惑をかける命令までも聞くようになって、自分や他人を不幸にするようになった。政府の命令を聞いて自分の生活が苦しくなるほど政府に高い税金を払ったり、他人を殺したりするようになった。しかし、本当は国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由なので、国民が政府の命令を聞いて悪いことをやったら責任は国民にあって国民は有罪になって罰せられる。(最近は政府にも責任があると考えるようになりつつあるが。)
昔の国民は政府のことが正しくわかっていたから、自分が政府に対して正しいことをやって、幸福に暮らしていた。反対に、今の国民は政府のことが正しくわからなくなっているから、自分が政府に対してまちがったことをやって、不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているために政府のことを誤解してまちがったことをやって自分や他人を不幸にしている。
しかし、最近は国民が政府についてよく考えて政府のことをよく知って『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っているようになっている。国民が政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を見るだけで真に受けないようにして、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないと考えて、『政府には国家権力や神の権力がない』と考えて、自分が政府と平等にして、自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めるようになっている。今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びを得ていて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令をいっさい聞かなくなっている。今の国民は政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
政府は国民から取った税金で法律会社(いわゆる警察)を経営して、法律会社といっしょになって、国民に悪い命令と善い命令の両方をいっしょに出して国民の頭を混乱させて国民に政府の悪い命令を聞かせている。普通の国民は法律に詳しくないから政府の悪い命令と善い命令を区別できないから両方聞かねばならないのである。でも、これではいけない。とにかく税金の命令は悪い命令である。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。政府とは別に法律会社を建てて、法律会社に善い命令だけを出してもらうようにしないといけない。そうして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
政府は国民から取った税金で学校会社を経営して、学校会社といっしょになって、国民に正しいこととまちがったことをいっしょに教えて国民の頭を混乱させて国民にまちがったことを教えている。例えば、「政府が善い民主主義の団体であり、政府には国家権力があるから国民みんなが政府に従わねばならない」ことを教えている。(政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をするために国民の眼の前では善いことをしているふりをするから国民に「政府が善い民主主義の団体である」ことを教えているのである。)「人間が眼で見るだけで頭で考えなければいい」ことを教えている。これではいけない。国民で早く政府を倒して、政府とは別に学校会社を建てて、学校会社に正しいことだけ教えてもらうようにしないといけない。そうして、国民みんなが正しいことを知っているようにしないといけない。
[22967] 今は政府の時代ではない。物の時代である。 h28.8.13
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居は国民を恥ずかしがらせないための飾りであり、政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎない。政府は国民が恥ずかしい思いをせずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようにするために面倒臭いのにわざわざ「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってくれているのだから、政府は国民を騙[だま]すために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっているのではないのだから、国民は政府の気持ちを汲[く]んで「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居に騙されて芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力や神の権力がある」と思って政府に従ってはいけない。
政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等であり、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由であり、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい。政府は「税金を払え!」とか「人殺しをしろ!」とか「放火しろ!」とか国民になんでもかんでも悪い命令を出すから、国民は政府の悪い命令を聞くか聞かないか自分で考えて決めて自分の“悪いことをされる喜び”を適度に満足して自分を幸福にするために政府の悪い命令を聞くようにしなければならない。政府の悪い命令を聞いて他人に迷惑をかけてはいけない。しかし、今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して、自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かず政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府と縁を切って自由に暮らせばいい。
今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民にとっては政府が要らない。今は政府の時代ではない。今の国民は物を使ってたくさん喜びを得ている。今の国民は物を使って自分の心を満足している。今の国民にとっては物が必要である。今は物の時代である。今の国民は政府にお金をやるのをやめて、お金で物を買って物を使って自分の心を満足して自分を幸福にしないといけない。
昔は科学が遅れていて人間が物が貧しくて人間の心を満足する物がほとんど何もなかったので、昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府や宗教団体や暴力団などいろんな『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に世話になっていた。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が国民に悪い命令を出して国民からお金をもらって儲[もう]かっていた。しかし、今では科学が発達して人間がいろんな物を作れるようになって人間の心を満足するいろんな物が出来ている。テレビや冷蔵庫やエアコンやパソコンや自動車などが出来ている。今の国民は物を使って自分の心を満足しているから、家電メーカーやパソコンメーカーや自動車メーカーなどいろんな“物を作る会社”に世話になっている。物を作る会社が国民に物を売って国民からお金をもらって儲かっている。今の国民は物を使って自分の心を満足するようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にお金をやらなくなって、物を作る会社にお金をやっている。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が潰[つぶ]れて、物を作る会社がたくさん建っている。
[22968] 今では政府が危険な会社になっているから政府はなくならねばならない。
h28.8.14
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民になんでもかんでも悪い命令を出すから、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたために政府のことを正しく理解していて、『政府は本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だ』と思っていたので、たとえ政府が国民に「他人に悪いことをしろ!」と命令しても国民が自分で考えて政府の命令を聞かず他人に悪いことをしなかった。政府に自分が好きな額だけ税金を払うだけだった。そのため、昔は政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することをきっかけにして国民からお金を集める銀行のようなものだった。昔は政府は安全な会社だった。昔は政府は国民からもらったお金でいろんな事業をやって日本の発展のために大きな貢献をした。
しかし、今では国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府のことを誤解していて、「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体であり、政府に権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思っているので、政府が国民に「他人に悪いことをしろ!」と言うと国民が政府の言うことをなんでも聞かねばならないと思って平気で他人に悪いことをする。そのため、今では政府は危険な会社になっている。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うと「政府の命令を聞かねばならない」と思ってどんなに自分がお金に困っていても政府に言われた額だけ政府にお金を払う。今の政府は国民に悪い命令を出して国民を不幸にする嫌な会社になっている。
政府は国民の見方によって善い会社にも悪い会社にもなる。昔は国民が政府のことが正しくわかっていたので、政府は安全で国民みんなのために役に立つ善い会社だった。しかし、今は国民が政府のことを誤解しているので、政府は危険で国民みんなを不幸にする悪い会社になっている。政府がやっていることは昔も今も同じだが、今の国民が政府のことを誤解しているために今の政府が悪い会社になってしまったのである。(政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は芝居の上では「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」で現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は芝居の上で自分の権力を使って国民にありとあらゆる悪い命令を出して、現実の上では国民の“悪いことをされる喜び”を満足する悪い命令を出す。つまり、政府はありとあらゆる悪い命令と国民の“悪いことをされる喜び”を満足する悪い命令の両方を出す。昔の国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を無視して政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと思っていたから、政府が芝居の上で出した命令を聞かず政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために出した悪い命令を自分が好きなだけ聞いていた。反対に、今の国民は政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居だけ見て「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と思っているから、政府が芝居の上で出した悪い命令も政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために出した悪い命令も全部聞いている。そのため、昔の国民は自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足するだけだったが、今の国民は自分が政府に悪いことをされるだけでなく、自分が政府の命令を聞いて他人に悪いことをしている。)
最近は国民は政府のことを正しく理解して、自分で考えて政府の悪い命令を聞かないようにして他人に悪いことをしないし、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わなくなっている。しかし、政府のことを理解していない馬鹿が大勢いる。馬鹿は政府の芝居を真[ま]に受けて「政府に権力がある」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞く。馬鹿は政府の悪い命令を聞いて他人に悪いことをして他人を不幸にする。そのために政府が危険な会社になっている。今では政府があってはならない。だから、国民みんなで早く政府に税金を払うのをやめて政府をなくさねばならない。
今の国民が物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して政府の悪い命令をなんでも聞いて悪いことをするようになったために政府が危険な会社になったのがいけないのである。今の物が豊かな社会では政府は国民の誤解を招くから政府があってはならない。国民みんなで早く政府を倒して政府のない社会にしないといけない。
[22969] 政府が「悪い権力団体の芝居」をすることは昔の人の知恵の結晶である。
h28.8.14
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府はそもそも国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民に悪い命令を出すことが仕事である。もっとも、国民の“悪いことをされる喜び”は一人一人違うから政府にはわからないから国民自身にしかわからないから、国民が自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて国民が自分で好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合[ぐあい]に満足して自分を幸福にしなければならない。例えば、“殺される喜び”がある人は政府の「警察に暴行されて死ね!」とか「崖[がけ]から飛び降りて死ね!」という命令を聞いて殺されればいいし、“財産を取られる喜び”がある人は政府の「税金を払え!」という命令を聞いて政府に税金を払えばいい。(“殺される喜び”がある人は自分で政府に申請[しんせい]すれば政府が殺す命令を出してくれるのかもしれない。)
国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分を幸福にすればいい。ただし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”は動物的な遅れた喜びなので自分の“悪いことをされる喜び”を満足することが恥ずかしい。
政府が何もしないまま国民が政府の悪い命令を聞いたら、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していることがミエミエになって恥ずかしい。それでは、国民が安心して政府の悪い命令を聞くことはできない。
そのため、今から約2千年前に世界中のみんながどうすれば自分が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足することができるかを考えた。
その答えが、政府が「悪い権力団体の芝居」をすることだったのである。政府が「悪い権力団体の芝居」をすれば、「政府が国民の眼の前で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して権力を得て、自分の権力を使って国民に悪い命令を出している」ように見えるから国民は恥ずかしがらずに政府の悪い命令を聞くことができる。もちろん、国民は政府は芝居の上で悪い権力団体をやっているだけで現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思って、政府と平等にして自分がいいだけ政府の悪い命令を聞いていた。政府がどのように悪い権力団体の芝居をするかは地域や文化や時代によって異なる。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居をやったり「悪い神主義の団体」の芝居をやったり「悪い身分が高い団体」の芝居をやったり「悪い勧善懲悪の団体」の芝居をやったりする。(h28.8.15追記:注意!この補足はオタクネタなのでわからない人は読み飛ばしてもかまいません…『陸上防衛隊まおちゃん』で富野由悠季[とみのよしゆき]が「この作品はスゴイことを言っている」と言っていたのは、政府が「悪い民主主義の団体」の芝居よりも「悪い神主義の団体」の芝居に力を入れていることである。政府の中では「悪い民主主義の団体」の芝居をする者よりも「悪い神主義の団体」の芝居をする者のほうが偉いのである。地位が上なのである。政府が国家宗教の神の情報を使ったアニメを作らせているのも、政府が「悪い神主義の団体」の芝居で国民の眼の前で善いことをしているふりをするためである。そうやって「政府は表で国民の人気を取って神の権力を得る」芝居をやって、「裏で神の権力を使って国家宗教の神の情報を使って悪い命令を作って国民に悪い命令を出す」芝居をやっているのである。しかし、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にほかならない。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居や「悪い神主義の団体」の芝居の上で国家権力や神の権力を使って国民にいろんな悪い命令を出すが、本当は政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって国民と政府は平等だから、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいいのである。)
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがよくわかっていたから、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を見るだけで本気にしないようにして、政府と平等にして、自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府のことがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府には国家権力や神の権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思い込んで政府の悪い命令をなんでも聞くようになっている。今の国民は政府の悪い命令をなんでも聞いて政府に高い税金を払ったり自殺したり虐[いじ]められたり、人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い文化や制度や法律をやったり、悪い製品や食品や作品などを作ったりするようになっている。つまり、今の国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を本気にして「政府に権力がある」と思って政府の悪い命令をなんでも聞いて不幸に暮らさねばならなくなっている。
昔の国民は政府のことをよく理解していたから政府の芝居を真に受けずに政府と平等にやって幸福に暮らしていた。今の国民は政府のことがわかっていないから政府の芝居を真に受けて政府の言いなりになって不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府のことがわからなくなっているために政府のことを誤解して政府の悪い命令をなんでも聞いて不幸になっている。
最近の国民は政府についてよく考えて政府のことをよく理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っているようになっている。最近の国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けず無視するようになっている。最近の国民は『政府の正体は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないようにしている。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わないようにしている。政府は国民からお金をもらえなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。早く国民みんなで政府を倒して、国民が政府の悪い命令を聞いて悪いことをしないようにして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22970] 最近の国民は政府のことを理解して政府の悪い命令を聞かなくなっている。
h28.8.15
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)弱い動物だったのでほかの動物に虐[いじ]められて生きていたので、今でもそのころの名残[なごり]でそんな喜びがある。ただし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”は遅れた動物的な喜びなので自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって、政府が国民を騙[だま]して権力を得て権力を使って国民に悪い命令を出しているふりをして、国民が自分で“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いているのを隠している。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)の国民は物が貧しくて物を使って自分の心を満足できず喜びが足りなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民にとっては政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてくれていることがわかっていた。そのため、昔の国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにして、『国民と政府が平等だ』と考えて、自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。
反対に、今(昭和40年=1965年ごろ以後)の国民は物が豊かで物を使って喜びがたくさん得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民にとっては政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体である」と思っている。そのため、今の国民は「政府には国家権力や神の権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思って、政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いてなんでもかんでも悪いことをやっている。今の国民は政府の命令を聞いて悪いことをやって自分が政府に高い税金を払ったり自分が他人を殺したりしている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。例えば、田中角栄が高度経済成長期に所得倍増計画をやったのは日本の経済の発展を止[と]めて国民を貧乏にするためである。政府は最初から悪い命令ばかり出す会社だから国民を貧乏にする命令を出すのである。そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民と平等であって、国民にいろんな悪い命令を出すから、国民が自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めねばならない。今の国民は政府に盲従しているから政府に不幸にされているのである。昔の国民なら自分で『政府の所得倍増計画はうまく行かない』と考えて政府の命令を聞かないようにして所得倍増計画をやらなかっただろう。田中角栄には「悪い民主主義の団体」の芝居をやる才能があった。だから、所得倍増計画がやれたのだ。だから、田中角栄は天才的な政治家だと言われているのだ。
しかし、最近の国民は自分が政府のことがわかっていないことを反省して、政府についてよく考えて政府のことをよく理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っている。最近の国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けないようにして政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居の上で出している命令を無視して聞かないようにしている。最近の国民は『政府が本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて、自分と政府が平等だと考えて、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の悪い命令を聞かなくなっている。政府が「税金を払え!」と言うのを無視して政府に税金を払わなくなっている。政府は国民からお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
要するに、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。税金は政府が国民からお金を強盗することである。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府の悪い命令を聞いて政府に税金を払っていた。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。そのために政府が潰れてなくなっている。
人間には“悪いことをされる喜び”がある。そのために国民は政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしておかしなことをやっていた。これまで国民は物が貧しかったせいで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて自分の“悪いことをされる喜び”に束縛されておかしなことをやっていた。今の国民は物が豊かになったおかげで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって”悪いことをされる喜び”から解放されている。ようやく人間はまともに暮らせるようになったのだ。
[22971] 国民が自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めねばならない。☆ h28.8.15
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出す。政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする。要するに、政府が悪者の芝居をやってくれて自分が悪者だから国民に悪い命令を出しているように見せかけてくれている。そうやって、本当は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いているのをごまかしてくれているのである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居の上では権力を使って国民にいろんな悪い命令を出す。政府は「悪い民主主義の団体」の芝居すなわち「国民の眼の前で善いことをやっているふりをして国民の支持を得て国家権力を得て、国家権力を使って民主主義っぽい(つまり多くの国民の支持を得られそうな)悪い命令を作って国民に悪い命令を出す」芝居をやっている。(映画やテレビドラマの悪役も、人前であからさまに悪いことをせず、人目に付くところでは善い人のふりをして人目に付かないところで悪いことをするものである。)政府は「悪い神主義の団体」の芝居すなわち「国民の眼の前で国家宗教の神の情報を使って面白いテレビ番組やマンガを作って国民の人気を得て神の権力を得て、神の権力を使って国家宗教の神の情報を使った悪い命令を作って国民に悪い命令を出す」芝居をやっている。政府は現実の上でも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民にいろんな悪い命令を出す。とにかく政府は国民にいろんな悪い命令を出す。政府は国民に税金や自殺や人殺しや強盗やイタズラや悪い文化や悪い制度などの命令を出す。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居の上で権力があって国民よりも上なだけで、現実の上では政府と国民は平等である。だから、国民は自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の命令を聞けばいい。
要するに、政府は国民に悪い命令を出すだけである。政府の仕事は悪い命令を出すことだけである。政府には国民を幸福にすることを考える機能はなく、ただ国民に悪い命令を出すだけである。政府は国民に悪い命令を出す会社にすぎないから、国民が自分を幸福にするためには自分で考えて政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めねばならない。国を動かすのは国民であって政府ではない。
昔の国民は物が貧しくて喜びが足りなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。だから、昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいいだけ満足して幸福に暮らしていた。もともと薬は毒だが、適量を用いるから薬なのと同じことである。
今の国民は物が豊かで喜びがたくさんあって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民は政府の悪い命令をいっさい聞かず政府に悪いことをいっさいされないようにして幸福に暮らせばいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
今の国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて自分で「政府の命令を聞かねばならない」と思い込んでいるから政府の命令を聞いているだけである。本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、『国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由』だから、政府の命令を聞かなくてもいいのである。国民が政府の命令を聞かなくても罰せられないのである。今の国民は自分でよく考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めねばならない。今の国民は自分や他人が幸福になるように自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めねばならない。
今の政府はいくつか善い事業をやっているかもしれないが、だからと言って政府が国民から強盗してもいいわけではない。そういうやり方は犯罪である。法律ではいけないことになっている。政府はあくまでも国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民の同意を得て国民からお金をもらうことができるだけである。しかし、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民からお金をもらえない。今の国民は政府にお金をやってはいけない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので、いくら政府にお金をやりたくても政府にお金をやれない。国民は福祉会社や厚生会社に自主的にお金をやって福祉や厚生をやってもらうしかない。
[22972] 今の国民は早く政府のことを正しく理解して幸福に暮らせるようにならねばならない。
h28.8.16
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居つまり「国民の眼の前で国民の総意や神に従って善いことをやっているふりをして国民の支持を得て国家権力や神の権力を得て、国民の眼の付かないところで国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやっている。(政府は国民の眼の前で善いことをするふりをするために、実際にちょっとだけ善いことをすることがある。)政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって、自分が悪者だから国民に悪い命令を出していることにして、本当は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いているのをごまかして国民が恥ずかしくないようにしてくれている。
政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出す。政府は国民の多くが誤解していることや国家宗教の神の情報を使って悪い命令を作って国民に悪い命令を出す。国民の“悪いことをされる喜び”は一人一人違っていて政府にはわからないから国民自身にしかわからないから、政府は国民にいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で政府の悪い命令を選んで自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合[ぐあい]に満足して自分を幸福にすればいい。法律では国民が他人に悪いことをやってはいけないから、国民は政府の悪い命令を聞いて他人に悪いことをやってはいけない。つまり、国民は自分で考えて政府の“他人に悪いことをさせる命令”を聞いてはいけない。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて喜びが足りなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。(人間にとって“悪いことをされる喜び”は不味[まず]い喜びである。人間がおなかが減っていたらイナゴやカイコを食べるように、人間が喜びに飢えていたら“悪いことをされる喜び”を満足するのである。)昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いていた。昔の国民は政府の税金の命令を聞いて自分が好きな額だけ政府に税金を払っていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて喜びが十分あるので自分の”悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。
それなのに、今の国民は物が豊かになって自分の”悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居だけを見て「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府は国民の前で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して国家権力や神の権力を得て国民を自分の好き放題にしている」と思って政府の言いなりになっている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて自分や他人を不幸にしている。
今の国民は自分で政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。他人も不幸にしている。今の国民は早く政府のことをよく知って政府のことを正しく理解して政府の悪い命令を聞くのをやめて自分や他人を不幸にするのをやめねばならない。国民みんなで早く幸福に暮らせるようにならねばならない。
東大生は卒業したら政府の「悪い民主主義の団体」の芝居をする団体か「悪い神主義の団体」の芝居をする団体のどちらかに入って国民に悪い命令を出す。東大生は政府に入って国民の多くが誤解していることや国家宗教の神の情報を使ってたくさん悪い命令を作って国民に悪い命令を出す。昔は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて政府の悪い命令を聞いていたから政府は儲[もう]かっていた。だから、東大生が政府に入ってもよかった。しかし、今は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の悪い命令を聞かなくなっているから政府は儲からない。だから、もはや東大生が政府に入ってはいけない。今は国民が“悪いことをされる喜び”を満足する時代ではなく物を使って自分の心を満足する時代だから、東大生は物を作る会社に入らないといけない。東大生は物を作る会社に入って良い物をたくさん作らねばならない。
[22973] 国民は政府が本当に悪者だと思って政府を倒そうとしてはいけない。
h28.8.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、“悪いことをされる喜び”は動物的な遅れた喜びなので、国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。そのため、大昔は人間は人前で平気で自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたが、農耕生活が始まって文明が進歩すると隠れて“悪いことをされる喜び”を満足するようになった。大昔は人間は人前で平気で交尾[こうび]をしていたが、文明が進歩すると隠れて交尾をするようになったのと同じである。人間にとっては自分の知覚欲(考える喜び)を満足することが善いことであり自分の“悪いことをされる喜び”や性欲を満足することが悪いことなので、人間は善いことは表でやって悪いことは裏でやるので、人間は隠れて自分の“悪いことをされる喜び”や性欲を満足するようになったのである。しかし、今ではさらに文明が進んで喜びがたくさんあるので、今の人間はもはや“悪いことをされる喜び”や性欲が要らなくなって“悪いことをされる喜び”や性欲を満足することをやめてしまったのである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることが仕事である。政府は国の景気をよくしたり国の産業を発展させたり国民の福祉や厚生をすることが仕事ではない。政府は国民に悪い命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する以上のことはできない。
つまり、政府は悪い権力者の芝居をしながら国民に悪い命令を出す会社である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞くのは恥ずかしいことなので、政府は悪い権力者の芝居をして自分が悪者だから悪い命令を出しているように見せかけているのである。だから、国民は政府の芝居を真[ま]に受けて政府が本当に悪者だと思って政府を倒そうとしてはいけない。デパートの屋上の特撮ショーで子供がショーを真に受けて自分が舞台に上がって悪者をやっつけようとするのと同じである。
政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているだけであって、政府は芝居の上で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であるだけで本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。テレビドラマや映画の俳優が芝居の上で探偵や殿様なだけで、本当はただの役者であるのと同じである。政府は芝居の上で権力があって国民よりも上の者であるだけで、現実の上では権力がなくて国民と平等なのである。政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民に「税金を払え!」とか「警察に暴行されて死ね!」とか「人殺しをしろ!」とか「マンガを読め!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で考えて政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。法律では国民が他人に悪いことをしてはいけないから、国民は政府の悪い命令を聞いて他人に悪いことをしてはいけない。国民は自分で考えて政府の“他人に悪いことをさせる命令”を聞かないようにしないといけない。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。だから、昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は自分が好きな額だけ政府に税金を払って政府に自分がちょうどいいだけ悪いことをされて楽しく暮らしていた。
今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされないようにして暮らせばいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
それなのに、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府のことがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府が国民の眼の前で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して権力を得て国民を好き放題にしている」と思って政府の言いなりになっている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に自分の生活が困るくらい高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。
今の国民は自分が政府のことを誤解しているために自分で自分を不幸にしている。他人も不幸にしている。今の国民は早く政府のことを正しく理解して政府の芝居を真に受けないようにして、自分が政府と平等だと考えて、自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか考えて政府の命令を聞いたり聞かなかったりしないといけない。今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞いてはいけない。国民みんなで早く政府の悪い命令を聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らさないといけない。
[22974] 学校とは何か? h28.8.16
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。要するに、政府は国民に悪い命令を出す会社である。政府と国民は平等であり、政府は国民に悪い命令を出すから、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。つまり、政府は国民の承認のもとで国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
政府は国民を虐[いじ]めるために学校をやっている。政府は国民に面白くないことを勉強させて国民を虐めて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために、国民からもらった税金の一部を使って学校を経営している。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。だから、昔の国民は政府の命令を聞いて学校へ行って面白くない勉強をさせられて政府に虐められて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。
しかし、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の命令を聞かず学校へ行かず面白くない勉強をしないようにして自分を幸福にすればいい。
学校は国民に面白くないことを勉強させて国民を虐めるためにある。学校は国民の才能を伸ばすためにあるのではない。今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては学校は自分を幸福にしないから、今の国民にとっては学校は要らない。
今の国民は学校に行かずに自分で勉強して自分の才能を伸ばせばいい。そのほうが幸福に暮らせる。今の国民は自分で自分の才能を伸ばしていい大学に入っていい会社に入っていい人生を送って幸福に暮らせばいいのである。
私は小学生の時には塾に通わなかった。私は中学1年生のときに高知の名門である私立高知学芸中学校に編入するために1年間高知市旭[あさひ]にあった「みその学舎[がくしゃ]」という学習塾に通っていた。そこで始めて勉強の楽しさを知った。そのころが私の人生で一番楽しいときだった。塾に比べれば、学校なんかぜんぜん面白くなかった。そもそも学校は政府が国民を虐めるためにあるにすぎない。学校なんか行っても無駄[むだ]だ。学校に行くと国民が面白くない気分になって国民の才能が萎[い]える。国民は学校へ行くのをやめて自分で勉強して自分の才能を伸ばしてみんなの役に立つ大人になったほうがいい。
[22975] 国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。 h28.8.17
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足できるようにするために、「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしながら国民に悪い命令を出している。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやって「政府が国民の眼の前で善いことをやっているふりをして国民を騙[だま]して権力を得て、権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやって、国民が自分から政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していることがわからないようにして、国民が恥ずかしがらずに”悪いことをされる喜び”を満足できるようにしている。犬の肉を食べさせる店に食べに行くのは恥ずかしいが店先に羊の頭をかけていると羊の肉を食べさせる店だと思って恥ずかしくないのと同じことである。もちろん、政府が悪い権力者であるのは芝居だから、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって国民と平等であるから、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、国民は自分で考えて政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足して自分を幸福にすればいい。(暴力団の小さいところだと芝居がしょぼくて国民が自分から暴力団に悪いことをされているのがミエミエになって、国民が恥ずかしくて世話になれない。だから、暴力団は儲[もう]からない。反対に、政府は芝居が大掛かりなので政府が本当に悪い権力者のように見えるから国民を絶対に恥ずかしがらせないから国民は安心して政府の悪い命令を聞くことができる。だから、政府は儲かる。高価なフィギュアがリアルすぎて本物と見まちがえるのと同じことである。もっとも、隠しごとの嫌いな者はかえって暴力団の世話になるかもしれないが。もしも政府が本当に悪い権力団体だったら、政府は犯罪組織だから国民みんなにとっくの昔に倒されている。これまで政府が国民みんなに倒されなかったのは、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だからである。政府が国民と平等にしてきたからである。法律が出来たころに『人間がみな平等である』ことになったから、そのころから政府と国民はずっと平等にやってきたのである。政府は芝居の上で悪い権力者をやるだけにして、実際には政府が国民に悪い命令を出して、国民の好き勝手に悪い命令を聞かせて国民に自分で自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足させてきたから、政府は国民に倒されなかったのである。政府は国民に愛されてきたのである。国民が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の悪い命令を聞くのは相手が悪いせいにして悪い命令を聞けるので恥ずかしくないが、相手に権力があるので絶対に命令を聞かねばならない。反対に、国民が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の悪い命令を聞くのは国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していることがモロ出しになって恥ずかしいが、命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民は政府の悪い命令を恥ずかしくなく聞くことができて、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由なのである。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」と『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の長所をあわせ持った善いとこどりの団体なのである。)
昔の国民は物が貧しくて自分の”悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。昔の国民は自分が好きな額だけ政府に税金を払っていた。
反対に、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされないようにすればいい。今の国民は政府に税金を1円も払わず政府を倒せばいい。
それなのに、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために、政府のことがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。今の国民は自分で自分の国をみんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。このごろ日本に善いニュースがないのは、今の国民が政府の芝居を真に受けて「政府が悪い権力者だ」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて悪いことをやっているからである。
今の国民は自分で政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。他人も不幸にしている。今の国民は早く政府のことを正しく理解して、『政府と国民は平等だから、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である』ことを理解して、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞くのをやめねばならない。早く国民みんなで政府の悪い命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して国民が政府の悪い命令を聞いて悪いことをしないようにして、国民みんなが自分で考えて善いことをやるようにして、日本を善いことでいっぱいの国にしないといけない。
[22976] 政府は国民と平等にしている。☆ h28.8.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。しかし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”は動物的な遅れた喜びなので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。今では人間は自分の環境を改善して自分が周[まわ]りのものに悪いことをされないようにしているが、人間はずっと昔は周りの自然や生物によってしょっちゅう悪いことをされて生きていたので“悪いことをされる喜び”がなければ苦しすぎて生きられなかったので“悪いことをされる喜び”があった。そのころの名残[なごり]で今でも人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間の感覚には矛盾したところがある。人間は寒すぎるとかえって暑く感じたり、熱すぎるとかえって冷たく感じることがある。だから、人間は少し悪いことをされると不快に感じるが、かなり悪いことをされるとかえって快感を感じて、悪いことをされすぎると再び不快に感じる。だから、人間はちょうどいい具合に悪いことをされると幸福になれるのである。人間に“悪いことをされる喜び”があることは宗教団体や暴力団に行けば自分の眼で確かめられるだろう。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。国民の“悪いことをされる喜び”は一人一人違うから、政府には国民の”悪いことをされる喜び”がわからないから国民自身にしかわからないから、政府は国民に当てずっぽうに悪い命令を出すから、国民は自分の好きな政府の悪い命令を選んで自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を適切に満足して自分を幸福にすればいい。国民は他人に悪いことをしてはいけないから、政府の命令を聞いて他人に悪いことをしてはいけない。政府の“他人に悪いことをさせる命令”を聞いてはいけない。
政府は国民が恥ずかしがらずに自分の“悪いことをされる喜び”を満足することができるようにするために、悪い権力者の芝居をしている。現実の世界では『人間がみな平等である』から、政府は現実の世界では悪い権力者でも善い権力者でもやってはいけないから、政府は芝居の上で悪い権力者をやっているのである。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって「国民の眼の前で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して権力を得て、権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をやっている。そうやって、政府は自分が悪者だから国民に悪い命令を出しているように見えるようにして、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民に恥ずかしい思いをさせないようにしている。
そのようにしてこれまで国民は長い間政府に自分の“悪いことをされる喜び”を恥ずかしい思いをせずに満足してもらって幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、政府の悪い命令を聞かないようにして政府に悪いことをされないようにすればいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府のことがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府は権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて悪いことをやっている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて自分や他人を不幸にしている。
今の国民はさっさと自分の政府に対する誤解を直して政府を正しく理解して政府の悪い命令を聞かないようにして自分や他人を不幸にしないようにしないといけない。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22977] 政府に騙[だま]されるほうが悪いのだ。 h28.8.18
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は芝居で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をしているだけだから、政府の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い権力団体だ」と思うほうがいけない。
本当は、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民を恥ずかしがらせないために、わざわざ「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は悪い権力団体の芝居をやって「政府が国民の眼の前で善いことをしているふりをして国民を騙して権力を得て、権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやって、自分が悪者だから国民に悪い命令を出しているふりをして、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いていることがわからないようにして、国民に恥ずかしい思いをさせないようにしている。もしも、人間に自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいと思う気持ちがなかったら、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしていない。政府は何も芝居をせずに裸のまま『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』をしているだけだ。政府は国民に恥ずかしい思いをさせないために悪い権力団体の芝居をしているのであって、国民を騙すために悪い権力団体の芝居をしているのではないから、国民は政府の芝居に騙されてはいけない。(しかし、たとえ政府が国民を恥ずかしがらせないためであって国民を騙すためではないとしても、政府が国民に嘘[うそ]をついていることに変わりない。最近ではたとえ目的が何であってもとにかく嘘をついてはいけないことになっている。嘘をつくとなんでも詐欺[さぎ]になる。だから、最近では政府は詐欺になって罰せられるのかもしれない。)
政府は芝居の上で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であるだけで、政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は芝居の上で国家権力や神の権力があって国民よりも上なだけで、現実の上では国家権力も神の権力もなく国民と平等である。つまり、芝居の上で上の者をやっている者は本当は上の者ではなく、現実の上では国民と平等である。本当は政府と国民は平等だから、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。昔の国民は自分が好きな額だけ政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされないようにすればいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府のことがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に自分の生活が困るほど高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。
今の国民は自分で政府のことを誤解しているために自分や他人を不幸にしている。今の国民は早く政府のことを正しく理解して政府の芝居を真に受けないようにして『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府と国民は平等だ』と考えて、自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて自分が好きな分だけ政府の悪い命令を聞かねばならない。今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令をいっさい聞かなければいい。政府に高い税金を払ったり他人を殺したりしなくなって自分や他人を不幸にするのをやめればいい。国民みんなで早く政府の悪い命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒せばいい。
[22978] 国民は芝居の上の政府と現実の上の政府の両方を見ないといけない。☆
h28.8.18
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は芝居の上では「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であって国家権力や神の権力があって政府は国民よりも上の者であって国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞かねばならないが、政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって国民と政府は平等であって国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい。
だから、国民は芝居の上の政府と現実の上の政府の両方を統合して《政府は見かけでは悪い権力団体で国民に悪い命令を出しているが、本当は政府と国民は平等だから国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい》と考えればいい。イノブタがイノシシとブタの合成獣であるように、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」と『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の合成会社なのである。
今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことがわからなくなって、政府の芝居だけを見て「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と思って政府のことを誤解している。そのために今の国民は政府の悪い命令をなんでも聞いて不幸に暮らさねばならなくなっている。諸星大二郎[もろぼしだいじろう]の『コドワ』に出てくる一つ目のアエンが物だけを見て心を見ないために悪いことばっかりやっているのと同じである。大いなる仮面は物と心の両方が見えるから真実が見えるのである。
今の国民は早く政府のことを正しく理解して、『政府は見かけが悪い権力団体なだけで、政府と国民は平等だ』と考えて、『国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由だ』と考えて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞かねばならない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされないようにしないといけない。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
ドリフターズの『8時だョ!全員集合』ではドリフターズが真剣に芝居だけを演じていたが、『オレたちひょうきん族』ではたけしやさんまが芝居と現実をゴチャ混ぜにしてふざけ合っていた。国民は政府を『8時だョ!全員集合』ではなく『オレたちひょうきん族』のように見ないといけない。
[22979] 政府は「民主主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。☆☆ h28.8.19
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると幸福になる。ただし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”は道徳的にはいけない喜びなので、つまり人間にとっては“悪いことをされる喜び”はちょっとしか快感が得られない不味[まず]い喜びなので、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足することはまちがっているので、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
つまり、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているだけである。政府は芝居の上で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であるだけで、現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているだけである。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をすることによって、自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらないようにしている。
政府は現実の上では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪い命令を出す。国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は国民に「税金を払え!」とか「警察に暴行されて死ね!」とか「自殺しろ!」とか「他人を殺せ!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の”悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民は他人に悪いことをしてはいけないから、国民は政府の悪い命令を聞いて他人に悪いことをやってはいけない。国民は自分で考えて政府の“他人に悪いことをさせる命令”を聞かないようにしないといけない。
要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府の仕事は国民に悪い命令を出して国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけである。国民にとって政府は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするためにあるだけである。国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて喜びが足りなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。いくら人間にとって“悪いことをされる喜び”を満足することがまちがっていても、喜びに飢えているときには“悪いことをされる喜び”を満足せざるをえない。だから、昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は政府に自分が好きな額だけ税金を払って幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて喜びがあり余っているので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。そもそも人間にとっては“悪いことをされる喜び”を満足するのはまちがっているので、喜びが十分足りているときには“悪いことをされる喜び”を満足しない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
それなのに、今の国民は物が豊かで自分の”悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府のことがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力や神の権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。
今の国民は自分が政府を誤解しているために政府の悪い命令をなんでも聞いて自分や他人を不幸にしている。今の国民は早く自分の政府に対する誤解を直して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、国民と政府は平等であり、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞けばいい』と考えて、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないようにすればいい。早く国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府を倒して国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をするためにつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令をしている」芝居をするために国民にテレビや新聞や社会科の教科書などで「政府が民主主義の団体だ」と嘘[うそ]を教えている。しかし、本当は政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は政府の芝居の一部分だけではなく政府の全体を見て、政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である、要するに政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であると考えて、『政府と国民は平等だ』と考えて自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないようにしないといけない。国民みんなで早く政府の悪い命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。
[22980] 格好[かっこう]をつける者は馬鹿である。 h28.8.19
格好をつける者は正しいことがわからないから格好をつけるのである。格好をつける者は眼で見えることしかわからないから格好をつけるのである。
格好をつける者は正しいことがわからないからまちがったことを平気でするから本当はガラが悪い。いざとなったら何をするかわからないので危険である。
人間は自分で考えて正しいことがわかって正しいことをやって生きていくものである。
眼で見えることしかわからないほど落ちぶれたくないものだ。
[22981] 日本人は日本で幸福に暮らせばいい。 h28.8.19
日本は昔から世界中の文化を取り入れてきた。しかし、国民が外国の文化を慎重[しんちょう]に選択して、善い文化だけを取り入れて悪い文化を取り入れなかった。
そうやって、日本人は日本を善い国にしてきた。日本を人間が幸福に生きていける国にしてきた。日本を人間が不幸に生きねばならない国にはしなかった。
日本人は日本が離れ小島であることを利用して日本を善い文化だけがある国にしてきた。日本は離れ小島だから国民が自分の国の文化を自分の好き勝手に改良することができた。大陸の国は絶えず周[まわ]りから文化が入ってくるので国民が自分で自分の国の文化を好き勝手にはできない。
日本人は日本が離れ小島であることを活用して、外国に出るよりも日本の中で幸福に暮らさねばならない。日本人は外国に出て不幸になるよりも自分の国で幸福に暮らせばいい。
[22982] 政府は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。☆☆
h28.8.20
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”はあまり喜びが多くない不味[まず]い喜びなので、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは道徳的にまちがっていることなので、人間にとっては“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民と平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「警察に暴行されて死ね!」とか「川に飛び込んで死ね!」とか「他人を殺せ!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。もっとも、国民が他人に悪いことをするのは犯罪だから、国民は政府の悪い命令を聞いて他人に悪いことをしてはいけない。国民は自分で考えて政府の“他人に悪いことをさせる命令”を聞いてはいけない。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をして国民を恥ずかしがらせないようにしている。政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居つまり「政府が国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出す」芝居をすると、政府が自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見えて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いているように見えないので国民が恥ずかしくないのである。政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているのであって、国民を騙すために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているのではないのだから、国民は政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居に騙されてはいけない。
つまり、政府は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府の仕事は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足することだけであって、それ以外にはない。国民にとって政府は自分の“悪いことをされる喜び”を恥ずかしがらせずに満足させるためにあるだけである。
昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて喜びに飢えていたから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は自分が好きな額だけ政府に税金を払って幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて喜びがあり余っているから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
それなのに、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府のことがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いている。今の国民は政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。
今の国民は自分が政府のことを誤解しているために自分や他人を不幸にしている。今の国民は早く政府のことを正しく理解して『政府が国民を恥ずかしがらせすに国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかって『政府と国民が平等だ』とわかって自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞いてはいけない。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府を倒して、今の国民にとって要らない会社をなくして、新しい国にしないといけない。
[22983] 今の国民はテレビゲームをやっているので頭が悪い。 h28.8.20
今では国民が物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。
今では国民がテレビゲームをやってたくさん喜びが得られるので、本を読まなくなっている。
昔は国民にとっては本だけが娯楽だった。昔の国民は子供のころから本ばかり読んでいたので頭がよかった。私も小学生のころは、『雨はどうしてふりますか?』とか『小学館のこども百科事典』とか『学研の事典宇宙』とか中学生のころは『北杜夫[きたもりお]のどくとるマンボウ昆虫記とか青春記』とか『ムツゴロウの青春記とか動物王国』とか『なだいなだのクレージードクターの回想とか片目の哲学』とか高校生のころは『プラトンの岩波文庫ぜんぶ』とか『ゲーテのファウスト』とか『ニーチェのツァラトストラ』とか『ショペンハウエルの知性についてとか幸福について』とか大学生のころは『デカルトの方法序説とか精神指導の規則とか省察』とかを読んだ。これらはその後の私の人生を決めたと言っても過言ではない。
今の国民は子供のころからテレビゲームばかりやっているので頭が悪い。眼で見えることしかわからなくなっている。眼で見る喜びしかない。
このままでは国民みんなが馬鹿になって日本が遅れた国になる。日本が国民が肉体労働しかできない貧乏な国になる。
このへんで国民は自分が本当に幸福に生きるためにはどうすればいいかを考えて、テレビゲームをやめねばならない。国民は他人が書いた本を読んだり、自分で考えたことを言葉に書いたりして頭を使って暮らさねばならない。
[22984] どうして昔は国民みんなが政府や幕府の悪い命令を聞いていたのか?
h28.8.21
これまで国民みんなが政府や幕府の悪い命令を聞いていたのは、国民みんなに“悪いことをされる喜び”があったからである。『人間はみな平等である』から、国民と政府や幕府は平等である。国民が政府や幕府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。昔は国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、国民みんなが自分から政府や幕府の悪い命令を聞いていたのである。これまでずっと国民と政府や幕府が平等にしながら、政府や幕府が国民に悪い命令を出してきたのである。けっして政府や幕府が国民よりも上の者だったのではない。
人間の心に“悪いことをされる喜び”があると考えれば、これまで人数が多い国民みんなが人数が少ない政府や幕府の悪い命令を聞いていたことがわかる。それ以外に、これまで人数が多い国民みんなが人数が少ない政府や幕府の悪い命令を聞いていたことがわかる理由はない。武力では国民みんなのほうが政府や幕府よりも強いから、政府や幕府は国民みんなを武器で脅[おど]して悪い命令を聞かせていたのではない。(もっとも、いくら人間に“悪いことをされる喜び”があるからといって、政府や幕府が馬鹿正直に国民みんなに悪い命令ばっかり出していたら国民が「政府や幕府は国民に悪いことしかしない」と思って国民みんなが政府や幕府を嫌って政府や幕府から離れていく。そのため、たまには政府や幕府は国民に善いことをしないといけない。そういうのを『北風と太陽』という。政府や幕府は人間の心をよく読んで国民に悪い命令を出したりたまに善いことをしたりしないといけなかったのである。江戸幕府が享保の改革や寛政の改革や天保の改革などの経済改革をやったり、古代の政府が万葉集や大宝律令を作ったり、近代の政府がポケットマネーで国鉄や郵便などの善い事業をやったりしたのはそのためである。たしかに、これまで政府や幕府はたまに善いことをやったが、そもそも政府や幕府の本業は国民に悪い命令を出すことであって、善いことをやることではない。善いことは別の会社にやってもらえばいい。経済改革は有能な経済学者がいればいいだけである。経済改革をやるために政府や幕府が要るわけではない。これまでは政府や幕府がポケットマネーで“経済会社”にお金をやって経済政策をやってもらっていたと考えればいい。だから、政府や幕府が潰[つぶ]れても、国民が経済会社にお金をやって経済政策をやってもらえばいい。政府や幕府はそもそも悪い命令を出す会社だから国を儲[もう]からなくする命令も出す。国を貧乏にする命令も出す。国民は経済の素人[しろうと]だから政府や幕府が善い命令を出しているのか悪い命令を出しているのかわからない。国民は政府の命令を聞いていいのかいけないのかわからない。だから、国民みんなで早く政府や幕府を倒して悪い命令を出す会社をなくして国民に善い命令を出す会社だけにすればいいのである。昔は政府や幕府が良心的で国民に経済について善い命令しか出さなかったから、国民は政府や幕府の経済政策に従うことができた。しかし、今は政府が悪い命令を出す範囲を広げてなにからなにまで悪い命令を出すから国民に経済についても悪い命令を出すから、国民は政府が善い経済政策をやっているのか悪い経済政策をやっているのかわからないから政府の経済政策に従えないのである。昔は政府や幕府が自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出していることを知っていたから経済についてまで悪い命令を出さなかったが、今は政府が『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを知らなくなって何のために悪い命令を出しているかわからなくなっているから経済についても悪い命令を出しているのだ。今の政府は自分で自分の芝居を真[ま]に受けて「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」を現実にやっている。今の政府は国民に悪い命令を出して国民を不幸にするだけである。今の政府は自分で自分を誤解している。今の政府は自分で自分のことがわからなくなっている。そのうち政府は本当に自分に国家権力や神の権力があると思って直接に自分の手で国民を自分の好き放題にしたり自分の命令に従わない国民を殺したりするようになるかもしれない。そんな会社は潰れてなくなったほうがいい。/ルソーは「人間は自然状態では平等だったが、文明が進むと政府が民主主義や神主義をやって権力を持つようになって武力で国民を脅[おど]して政府と国民が不平等になった」と考えたが、政府と国民が不平等になった本当の原因はヨーロッパ人は眼先のことしかわからないので政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けていたからである。反対に、日本人は頭で考えて物を見るので、昔から『政府や幕府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて、国民と政府や幕府が平等にしてきたのである。)
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて喜びに飢えていて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、国民みんなが自分が好きなだけ政府や幕府の悪い命令を聞いて政府や幕府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて喜びがあり余っているから自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、国民みんなが政府の悪い命令を聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。今の国民みんなは物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって一時的に政府が何かがわからなくなって政府の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでもかんでも聞いていたが、最近は国民みんなが政府についてよく考えて政府のことを理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だ』と考えるようになって政府と平等にするようになって自分で考えて政府の命令を聞いたり聞かなかったりするようになって政府の悪い命令を聞かなくなっている。近代は急速に工業が発達したために公害があったが、今では公害の対策がとられて公害がなくなったのと同じである。
国民みんなの心が国を作る。今では国の文明が進んで物が豊かになって国民みんなの心が変わったから世の中が変わっている。昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府や幕府が建って国民みんなに悪い命令を出して、国民みんなが自分が好きなだけ政府や幕府の命令を聞いてお金を取られたり虐待されたりしていた。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから国民みんなが政府や幕府の悪い命令を聞かなくなって政府や幕府にお金を取られたり虐待されたりしなくなって政府や幕府が潰れているのだ。
[22985] 今の政府は政府自身のことがわからなくなっている。☆ h28.8.21
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔は国民が物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府のことがよくわかっていて、政府の芝居を見るだけで真[ま]に受けないようにして、『政府と国民が平等だ』と考えて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は自分が好きな額だけ政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
昔は政府が物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府自身のことがよくわかっていて、政府自身の芝居を真に受けないようにして、国民に国民の“悪いことをされる喜び”を満足する悪い命令(おもに税金の命令)を出していた。政府は『国民と政府は平等だ』と考えて、国民が自分の好き勝手に政府の悪い命令を聞けるようにして、国民が政府の悪い命令を聞かなくても罰しなかった。
反対に、今では国民が物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足してなくなったために、政府のことがわからなくなって、政府の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民が政府に従わねばならない」と思って、政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。
今では政府が物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、政府自身のことがわからなくなって、政府自身の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民が政府に従わねばならない」と思って、国民に“悪いことをされる喜び”を満足することに関してだけではなくありとあらゆることに関して悪い命令を出している。今の政府は自分の悪い命令に従わない国民を罰して国民を不幸にしている。
今の国民は政府のことを誤解しているために不幸に暮らさねばならなくなっている。国民は政府のことをよく知って政府のことを正しく理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて、『政府と国民が平等である』と考えて、『国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である』と考えて、政府の悪い命令を聞かなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
今の政府は政府自身のことを誤解しているために国民を不幸にしている。政府は政府自身のことをよく知って政府自身のことを正しく理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて、『国民と政府が平等である』と考えて、『国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である』と考えて、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の好き勝手にさせればいい。今の政府は国民が政府に税金を払わなくても国民を放[ほう]っておけばいい。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だが、ときどき善いこともする。昔の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出すだけで、それ以外のことについてはすべて善い命令を出していた。だから、昔の国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して、それ以外のことについてはわけもわからずに政府の命令を聞いていた。昔の国民は政府のおかげで幸福に暮らせていた。一方、今の政府は国民にありとあらゆることについて悪い命令を出して、ときどき善い命令も出す。今の政府はありとあらゆることについて悪い命令と善い命令の両方を出す。しかし、今の国民はありとあらゆることについて詳[くわ]しいわけではない。だから、今の国民は政府の命令を聞いたらいいか聞かなければいいかわからない。いくら今の政府が国民に善い命令を出してくれても、国民は政府の命令を聞けない。今の国民にとっては政府は役に立たない。今の国民にとっては政府は要らない。
今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとって国民に悪い命令を出す政府は要らない。今の国民は政府を倒して、政府も政府自身を倒して、善いことをする会社だけ建てればいい。例えば、国民のために善い経済政策をする会社だけ建てればいい。そうすれば、国民は安心して自分がわけがわからずに善い経済会社の命令を聞くことができる。善いことをする会社が国民に善いことをして国民からお金をもらえばいい。そうやって、国民みんなが幸福に暮らせる国にすればいい。
[22986] 今の国民にとっては政府は役に立たないから政府が要らない。☆ h28.8.23
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。つまり、政府は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている。政府は悪い民主主義や悪い神主義で国民に悪い命令を作って出している。実際には、『政府と国民は平等である』から、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分で考えて政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。だから、昔の国民は自分から自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。だから、今の国民は自分で政府の悪い命令を聞かず政府に悪いことをされないようにすればいい。
もっとも、政府がバカ正直に国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出すだけでは、国民に「政府は悪いことをするしか能がない」と思われて国民に嫌われるので、ときどき国民の機嫌[きげん]を取るために国民のために善いことをするために善い命令も出す。(h28.8.28追記:それに、政府のおもな仕事は国民から税金を取ることである。国民から税金を取るのは簡単な仕事なので、政府が国民に馬鹿だと思われる。政府は自分が国民に馬鹿だと思われないために、ときどき国民のために善いことをやっていたのである。あるいは、いくら国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していても毎日政府が同じ悪いことばかり(例えば、税金を取ることばかり)やっていたらマンネリになって国民が飽きて喜びが得られなくなるから、政府は変化を付けるためにときどき善いことをやるのである。)政府にとっては国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出すことが仕事であり、国民のために善いことをするために善い命令を出すことはオマケである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する仕事をやって国中で一番お金持ちの会社だったので、政府は自分のポケットマネーで善い事業をやったのである。
昔は政府(幕府も含む)が『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことをよく知っていて自分の芝居を芝居にすぎないと思っていたので、国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出すだけだったので、政府の悪い命令が国民が税金を取られるか国民が警察に暴行されるか国民が首を吊ったり入水したりガスを吸い込んだりして自殺させられるかに限られていたので、それ以外のことに関しては政府は国民にすべて善い命令を出していたので、国民は政府の悪い命令と善い命令を区別することができたので、国民は政府の善い命令を聞いて幸福に暮らすことができた。
しかし、今は政府が『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことを知らなくなって自分の芝居を真[ま]に受けて「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と思っているので、国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出す以外にもありとあらゆることについて悪い命令を出しているので、政府の悪い命令が法律や制度や文化や経済などの広い範囲に及ぶので、政府はありとあらゆることに関して悪い命令と善い命令の両方を出すので、国民は政府の悪い命令と善い命令を区別できないので、国民は政府の善い命令を聞くことができず幸福に暮らせない。
昔の政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を芝居だと思っていて『政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府と国民が平等である』ことがわかっていたので、国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出したり、国民のために本当に善い政策をやるために国民に善い命令を出した。反対に、今の政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を現実だと思っていて「政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」であって、政府は悪い権力者であって政府は国民よりも上の者だ」と誤解しているので、自分の“悪いことをする喜び”を満足するために悪い命令を出したり、国民のために悪い政策ばかりやるようになって国民に悪い命令ばかり出している。今の政府は昔の政府よりも善い政策をやらなくなって善い命令が減っている。(おとぎ話の『裸の王様』でも、大臣が王様の“利口者(イヤミで利口者と言っているだけで本当は馬鹿)にしか見えない服”(つまり権力のこと)が見えたのだから、今の日本政府が自分で自分の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力や神の権力がある」と思っていてもおかしくはない。ただ、『裸の王様』でも、王様が“利口者にしか見えない服”を着ていたのはいっときですぐに裸だとばれたから、今の日本政府も権力があるのはいっときですぐに権力がないことがばれて国民が政府に従わなくなるだろう。おとぎ話の『浦島太郎』でも、浦島太郎は自分で玉手箱の蓋[ふた]を開けるとすぐに死んでしまったから、浦島太郎が政府のことで、玉手箱が政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居のことだから、今の政府は自分で自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を本気にして「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と思ってなんでもかんでも悪い命令を出している状況だから政府はもうすぐ滅ぶのである。つまり、乙姫[おとひめ]が「玉手箱の蓋を開けるな」と言ったのは、政府が自分で自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けてはいけないということである。『浦島太郎』が死んだころの日本は何らかの原因で景気がすごくよくて、今の日本と同じように国民が物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府がどんな会社なのかわからなくなって(→浦島太郎がもといた村に帰ってみると、浦島太郎のことを知らない人ばかりになっていて)、政府自身も自分がどんな会社なのかわからなくなって、政府は自分で自分の芝居を真に受けて実際に「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやるようになっていたのである。その後で、国民が自分の政府に対する無理解を反省して政府のことについて考えて政府のことがわかるようになって政府に従わなくなって政府が滅んだのである。スペインの大航海時代のように中世の日本にも景気がいい時代があったのである。もっとも、その後で貧乏になって幕府が建ったが。.)
したがって、昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にできて、それ以外のことに関しては政府の善い命令を聞いて幸福に暮らすことができた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないし、それ以外のことに関しても政府の善い命令を聞かない。つまり、昔の国民にとっては政府の悪い命令も善い命令も両方とも役に立っていたが、今の国民にとっては政府の悪い命令も善い命令も両方とも役に立たない。だから、昔の国民にとっては政府が必要だったが、今の国民にとっては政府が要らない。昔の国民にとっては政府が必要だったから政府に税金を払って政府を養っていたが、今の国民にとっては政府が要らないから政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
[22987] そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
h28.8.23
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると幸福になる。ただし、人間にとっては”悪いことをされる喜び”は喜びが少ない不味[まず]い喜びなので、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは道徳的にはまちがったことなので恥ずかしいことである。
政府(幕府も含む)は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居つまり「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやって自分が悪い権力者のふりをして国民に悪い命令を出しているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずにすむようにしている。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をして、国民にいいかげんな民主主義や神主義で悪い命令を出している。政府と国民は本当は平等だから、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
一方、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する仕事をやってお金を儲[もう]けて、儲けたお金で国民のために善い事業をやっている。政府にとっては国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのが仕事であり、仕事で儲けたお金で国民のために善い事業をするのはオマケである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出す仕事をやって、仕事で儲けたお金で国民のために善い事業をするために国民に善い命令を出す。(政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する仕事で儲けたお金を使って国民のために善い事業をやっているのだから、国民はそのことと政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって「政府が国民の眼の前で善いことをやっているふりをしている」ことと混同してはいけない。)h28.8.29追記:政府にとっては「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出すのが仕事であって、善いことをするのは遊びにすぎない。政府は仕事で「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪い命令を出して、遊びで善い政策をやったり税金を使って善い事業をやったりするのである。政府は仕事で悪いことをやって、遊びで善いことをやる会社なのである。例えば、享保の改革や寛政の改革や天保の改革は江戸幕府がやった遊びなのである。政府や幕府は善い政策をするために国民から税金や年貢[ねんぐ]を取っているのではなく、あくまでも国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民から税金や年貢を取っている。だから、善い政策をやることは政府や幕府の仕事ではない。国民の“悪いことをされる喜び”を満足することが政府や幕府の仕事なのである。政府が善い政策をやるときは一時的に政府の中に“善い政策をやる部署”を設けてそこに国民から税金を取って儲[もう]けたお金をやって善い政策をやるのだから、政府が付属会社に国民から税金を取って儲けたお金をやって善い事業をやるのと同じだから、政府にとっては付属会社にお金をやって善い仕事をさせるのは遊びだから、政府が善い政策をやるのも遊びである。
昔は国民が物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。政府は自分が何の会社なのかよくわかっていて、『政府と国民が平等である』ことがよくわかっていて、国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出していた。国民も政府が何の会社なのかよくわかっていて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する仕事をやって儲けたお金で国民のために善い事業をやって国民に善い命令を出した。国民は政府の善い命令を聞いて政府に善い事業をやってもらって幸福に暮らしていた。
反対に、今は国民が物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。政府は自分が何の会社なのかわからなくなって自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「自分には権力があるから国民を自分の好き放題にしてもいい」と思って国民に国民の生活のすべての分野に及ぶありとあらゆる悪い命令を出している。国民も政府が何の会社なのかわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には権力があるから国民は政府に従わなければならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いている。政府は国民から奪ったお金を全部自分の物にしてくだらない遊びをやって遊び呆[ほう]けて、国民のために善い事業をやらなくなっている。
昔の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足したり、儲けたお金で国民のために善い事業をやったりして国民を幸福にして国民の役に立っていた。反対に、今の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、儲けたお金で善い事業をやらなくなって、国民に悪い命令ばかり出して国民を不幸にしている。政府はもうおしまいである。
今の政府は自分で自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやっている。しかし、政府はそもそも『「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は政府の実体を理解して、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けないようにして、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって『政府と国民は平等だ』と考えて、政府の悪い命令を聞かないようにしないといけない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。今の国民は政府とは別に国民のために善い事業をする会社にお金をやって善い事業をやってもらえばいい。今の国民は銀行にお金を預[あず]けて善い事業をする会社を建てるために役に立てばいい。
[22988] 現在の私の仕事探し h28.8.24
今の私はお金がないので当然仕事を探している。政府のことについて考えていたのはお盆休みだったからだ。
おととい北九州の自動車の部品工場の仕事を別の派遣会社にインターネットでお願いしていたが、あいにくその後電話がかかってくることがなかった…。
そのため、昨晩お盆休みの前にお世話になった博多駅前にある派遣会社にもう一件別の仕事をインターネットで頼むことにした。それも自動車の部品工場の仕事だ。甲信越地方の工場なので遠い。明日合否がわかるとの連絡をもらった。
私が自動車の部品工場の仕事を探しているのは、9時間労働だからである。私はこれまでずっと12時間2交替制の勤務ばかりやってきた。それは時間の余裕がないのできつかった。ほとんど毎日寝不足だった。6時間も眠れなかった。ところが、この前(8年前)大分の中津の自動車の部品工場で短期間(3ヶ月間)働いていたときには9時間労働だったので、寝つきの悪い私にも寝不足にならずに働くことができた。残念ながら雇用3ヶ月で仕事が終わったのでそれ以上働けなくなったが。そのために、今の私はなるだけ12時間労働を避けて9時間労働の仕事を探しているのだ。9時間労働の仕事であれば、ジャンルは問わない。自動車の部品でも電子でも機械でも医療器具製造でもなんでもいい。そういう仕事に私は就きたい。(ただし、医者や生物学系の仕事や商業は私の気持ちが落ち込むからダメ!自動車に乗る仕事も私が車に酔いやすいからダメ!)
[22989] 政府は国民から税金を取って国民を虐[いじ]める会社である。《簡略版》
h28.8.25
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が財産を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりする喜び”がある。ただし、人間にとっては“悪いことをされる喜び”はくだらないみっともない喜びなので、“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がキチガイのように見えてかっこ悪いので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいのである。
国民の中には自分が殺される喜びや自分が虐待される喜びがある者がいるが、普通の国民にとっては財産を取られる喜びしかない。
要するに、政府は国民から税金を取って国民を虐める会社である。政府は国民から税金を取って国民を虐めて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることが仕事である。政府は「民主主義の団体」の芝居をやって「自分が国民のために善いことをするために国民から税金を取っている」ふりをして、本当は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が政府に悪いことをされて喜ぶために自分のほうから政府に税金を払っていることがわからないようにして国民が恥ずかしがらずにすむようにしている。つまり、政府は「民主主義の団体」の芝居をする『国民から税金を取って国民を虐めて国民を喜ばせる会社』である。(正確には、これまでのように『政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』が、一般の国民は単純に「政府が善い民主主義の団体だ」と思っているので、上の説明でもかまわない。)
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっているのであって、政府は本当は「民主主義の団体」ではない。政府に国家権力はなく、政府は納税の義務の法律を定めることができない。政府は本当は『国民から税金を取って国民を虐めて国民を喜ばせる会社』にすぎないから、政府と国民は平等である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民は自分が好きな額だけ政府に税金を払えばいい。
人間の心には“悪いことをされる喜び”があるが、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するかしないかは国民の物の豊かさによって決まる。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得なければならなかった。そのために、昔の国民は政府のことがよくわかっていて、『政府が国民から税金を取って国民を虐めて国民を喜ばせる会社だ』と思って、政府の「民主主義の団体」の芝居を芝居だと思って真[ま]に受けなかった。昔の国民は政府に「税金を払え!」と言われて自分が好きなだけ政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。政府は国民からたくさんお金をもらってお金があり余って捨てるほどあったので、余ったお金で郵便や鉄道や学校や法律などの事業をやって国民のために善いことをやっていた。しかし、それらはそもそも政府の仕事ではなく、政府の仕事は『国民から税金を取って国民を虐めて国民を喜ばせる』ことだったのだ。政府は自分のポケットマネー(つまりおこづかい)で遊びで国民のために善い事業をやっていたにすぎないのだ。(『Di Gi Charat サマースペシャル2000』第4話『夏の虫』でオヤジ虫が札束をちらつかせているように、昔の政治家はお金をたくさん持っていて自分の気まぐれに善いことをやっていたのである。)つまり、昔の政府はかっこよかったのだ。政府は民主主義のために善い事業をやっていたのではなく、自分の趣味で善い事業をやっていたのだ。政府は仕事で善いことをやっていたのではなく、遊びで善いことをやっていたのだ。
反対に、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても自分で考えて政府の命令を聞かず税金を払わなければいい。
それなのに、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、自分が政府に税金を取られて政府に虐められてうれしいことがわからなくなって、政府が本当はなんの会社なのかわからなくなって、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国民のために善いことをやってくれるから、国民は政府に善いことをしてもらうために政府に税金を払わねばならない」と思って政府に税金を払っている。しかし、本当は政府は国民のために善いことは何もせず、国民から高い税金を取って国民を虐めているだけなのである。政府は国民からもらった税金を自分の生活費や自分の遊び代にしているだけで、国民のために善いことをするためには使っていない。政府は国民からお金をもらうだけで国民のために仕事をしない乞食[こじき]のようなものである。(国民が政府を「善い民主主義の団体だ」と誤解しているなら、政府も政府自身を「善い民主主義の団体だ」と誤解して国民のために善いことをたくさんするはずである。しかし、実際には今の政府は昔の政府よりも善いことをしていない。それは、単純に「政府が「民主主義の団体」の芝居をする『国民から税金を取って国民を喜ばせる会社』だ」と考えたからである。実際の政府と合わせるためには、やはり正確に『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だ』と考えねばならない。昔の政府は『自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』とわかっていたから『政府と国民が平等だ』と思って自分のポケットマネーで国民のために善いことをしたが、今の政府は「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解しているから「政府が悪い権力者だから国民に悪いことをやって善いことをやってはいけない」と思っているからたとえ自分がお金を持っていても国民のために善いことをやらなくなったのである。)
今の国民は自分が政府のことを誤解しているために政府に高い税金を払ってなんにもならないことをやっている。お金を無駄[むだ]にしている。もったいない。今の国民は早く政府のことを正しく理解して、『政府が国民から税金を取って国民を虐めて国民を喜ばせる会社である』ことを理解して、今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に税金を払う必要がないから政府に税金を払うのをやめればいい。早く国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、お金の無駄使いをやめねばならない。
[22990] 今の国民は『裸の王様』を見習って政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。☆
h28.8.25
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔ほかの動物よりも弱くて毎日ほかの動物に悪いことをされて生きていたので“悪いことをされる喜び”が芽生[めば]えたのだろう。もっとも、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が精神異常者に見えてかっこ悪いので、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「警察に暴行されろ!」とか「首を吊[つ]って死ね!」とかいろんな悪い命令を出すから、国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしてつまり政府は「国民の眼の前で民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をして、自分が悪い権力者だから国民に無理やり悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分のほうから政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民に恥ずかしい思いをさせないようにしている。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の国民は政府の正体をよく知っていて、政府の芝居を真[ま]に受けず、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』を知っていて『政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である』と考えて、自分が好きなだけ政府の命令を聞いていた。一方、昔の政府は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の政府は政府自身のことがよくわかっていて、政府の芝居を真に受けず、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて『政府と国民は平等だ』と考えて、『国民が政府の命令を聞くか聞かないは国民の勝手だ』と考えて、国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪い命令を出すだけで、それ以外のことに関しては善い命令を出して、ポケットマネーで国民のために善い事業をやったりした。国民は自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。国民は政府の善い命令を聞いたり、政府に善い事業をやってもらって幸福に暮らしていた。昔は貧しいけれども楽しい国家だった。
反対に、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。人間にとっては物を使って得られる喜びのほうが“悪いことをされる喜び”よりも喜びが多いから、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのだ。そのために、今の国民は政府の正体がわからなくなって、政府の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力や神の権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令をなんでも聞くようになっている。一方、今の政府は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、今の政府は政府自身がわからなくなって、自分の芝居を真に受けて「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「自分は悪い権力者だから国民に悪いことをして善いことをしてはいけない」と思って国民に悪い命令ばかり出している。国民は政府の悪い命令を聞いて政府に高い税金を払ったり政府の悪い制度や文化をやったり他人を殺したり他人にイタズラをしたりして自分や他人を不幸にしている。今は豊かだけれども不幸な国家になっている。(h28.8.27補足:昔の政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として国民に悪い命令を出していたから、政府は国民が脳に生まれつき持っている“悪いことをされる喜び”の中枢を満足させなければならなかったから、政府の悪い命令が税金を取ったり自殺させたり警察に暴行されたりすることに限られていたが、今の政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」として国民に悪い命令を出しているから、政府は自分が悪い権力者としてニセモノの民主主義や神主義で(つまり政府が国民を誘導[ゆうどう]してまちがいを植えつけて大勢の国民のまちがいを利用したり、国家宗教の神の情報を使った駄洒落[だじゃれ]で)悪い命令を出しているから、悪い命令が国民の生活のすべての分野におけるありとあらゆることに及んでいる。しかも、昔の国民は『自分が政府と平等だ』と思っていたから、自分で政府の悪い命令を選んで自分がいいだけ政府の悪い命令を聞いていたが、今の国民は「政府に権力がある」と思っているから、政府の悪い命令をなんでもかんでも全部聞いている。そのため、昔は政府の悪い命令による被害はほとんどなかったが、今は政府の悪い命令による被害が甚大[じんだい]である。)
今の国民は自分が政府のことを誤解しているために自分や他人を不幸にしている。今の国民は自分で政府のことを正しく理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて、『政府と国民が平等だ』と考えて、『国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だ』と考えて、今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないようにしないといけない。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。『裸の王様』のおとぎ話のように、国民みんなで早く『政府に権力がない』と考えて政府の悪い命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して国民みんなで幸福に暮らさねばならない。今の政府は政府自身のことを誤解しているために国民を不幸にしている。今の政府は自分で自分自身のことを正しく理解して『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて、今の国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから自分はお呼びでないと考えて、自分で自分を潰[つぶ]さねばならない。
植木等が「お呼びでない」と言っても国民はおかまいなしに政府に従い続けた。そのために、その後も延々とテレビやマンガなどで国民に政府のことを教えなければならなくなった。もはやマンネリである。ようやく私が政府について言葉でわかりやすく説明することができた。早く国民みんなは政府のことを正しく理解して『政府には権力がないから、国民は政府に従わなくていい』ことを理解して政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
『裸の王様』のおとぎ話では、黒人が白人みんなに『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、国民と政府は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい』ことを教えた。白人みんなは黒人の言うことを聞いて『政府に権力がない』ことを理解して政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府が潰れた。しかし、今の日本には黒人がいない。だから、昔の世界から昔の人がタイムマシンに乗って今の時代にやって来て、昔の人が今の人に『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、国民と政府は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい』ことを教えて、今の人が政府に従うのをやめて政府を潰したことにすればいい。
[22991] 私の仕事探し h28.8.25
今日の夕方電話があって、昨日頼んでおいた甲信越地方(長野県安曇野[あずみの])の自動車の部品工場の仕事はダメだとわかった。そこは昼勤ばっかりの9時間労働で5勤2休の土日休みだったので、平日に用事ができなくなるので私の好みではなかったが(すっぱいブドウ)。またほかの仕事を頼まないといけない。今の派遣会社がいつまで私の面倒を見てくれるか心配だ。仕事探しの効率を上げるためにも、こちらから仕事を頼むのではなく、派遣先の会社が派遣会社に登録された人の中からいい人を選ぶようになっていれば、仕事を探している人にとってはすぐに仕事先が決まるのでありがたいのだが。
それはそうと、来年の10月末でau one net(旧dion)のホームページサービスが終了する。つまり、来年の10月末で私のホームページがなくなる。私が16年間続けてきたホームページがなくなる。私の哲学日記もアニメ日記もチャットも掲示板も全部なくなる。まさかディオンのホームページまでなくなるとは思わなかったなあ。私にとってはプロバイダーはホームページを作るためにあるようなものだからホームページはなくなって欲しくなかった。もちろん、私のホームページのデータは私のパソコンにある。au
one netはJimdoへの引越しを推奨しているが、Jimdoはテンプレートしかできないからこれまでの自分のホームページをそのままアップロードして使うことができない。だから、将来はFC2[エフシーツー]かヤフージオシティーズに引っ越す予定だ。ただ、その際これまでの私のホームページのアドレスには“~[チルダー]”が使われているが(例、http://www.h3.dion.ne.jp/~jituzai/tetunikki_301~400.htmlの301~400の“~”)FC2もヤフージオシティーズもホームページのアドレスに“~”が使えない。だから、私が自分の手でいちいち全部の“~”を“_”に書き換えてからアップロードしないといけない。面倒臭い。面倒臭いから、私の哲学日記とアニメ日記の続きをアップロードするだけで、これまでの私のホームページのデータはヤフーボックスに残して、どうしても見たい人だけがダウンロードして読むようになるかもしれない。その際はご面倒ですがよろしく。
今日の私にとっては自分の仕事探しよりも自分のホームページが終了するほうがずっとショックだった。
[22992] 人間は人間にふさわしい喜びを満足しないといけない。 h28.8.26
『人間は自分の幸福のために生きている。』人間が幸福に生きるための知識が道徳や哲学である。
人間の脳は新皮質が古皮質よりも発達している。人間の脳は新皮質が古皮質よりも大きくて構造が細かい。
だから、人間にとっては新皮質における喜びのほうが古皮質における喜びよりも喜びの量が多い。新皮質における喜びのほうが古皮質における喜びよりも美味[おい]しい喜びである。新皮質の喜びは満足するのが難しいが、それだけに喜びの量が多くて喜びの味が美味[うま]い。古皮質の喜びは満足するのが簡単だが、それだけに喜びの量が少なくて喜びの味が不味[まず]い。
だから、人間が幸福に生きるためには新皮質の喜びを満足して古皮質の喜びを満足してはいけない。それが人間にとっての道徳の原理である。
新皮質には知覚や新しい心がある。新皮質の喜びは考える喜びである。新皮質の喜びは実在を理解する喜びや従属欲などである。
一方、古皮質には五感や古い心やテレパシーなどがある。古皮質の喜びは性欲や眼で見る喜びや支配欲などである。(政府論で問題になる“悪いことをされる喜び”も古皮質にある。)
人間がオナニーやセックスをして性欲を満足すると古皮質全体の活動が高まって五感やテレパシーや心が鋭くなって、反対に新皮質全体の活動が低まって知覚が鈍[にぶ]くなる。そのために、自分の近くに自分の気に入らないことをしている者がいると、そのことがすごく眼障[めざわ]りになって、支配欲が満足されないためにものすごく不快になって、自分のテレパシーを使って相手の態度を直そうとする。知覚が働けば、『自分には他人はどうしようもない』と考えてあきらめるのに、知覚が鈍っているためにそのことがわからなくて、「なにがなんでも自分が他人をどうにかしようとする」のである。テレパシーを使ってでも他人を自分に従わせようとする。そのためにテレパシーが聞こえるようになって、テレパシーで自分に対する悪口が聞こえると自分の支配欲が満足されなくなってものすごく不快になってテレパシーを消そうとして暴[あば]れまわる。一生死ぬまで他人が自分の気に入らないことをしているのを眼で見たり耳で聞いたりテレパシーで聞いたりするたびに自分の支配欲が不満になって強い不快感が発生して自分が苦しまねばならなくなるのである。テレパシーで自分の悪口が聞こえるたびに不愉快[ふゆかい]になって暴れなければならなくなるのである。それが精神分裂病である。
人間が人間にとってふさわしい喜びを満足していれば一生幸福に生きていける。反対に、人間が人間にとってふさわしくない喜びを満足すると精神分裂病に罹[かか]って死ぬまで苦しまねばならなくなる。だから、人間は人間にとってふさわしい喜びを満足しないといけない。
今では『女も男と同じように人間だ』と考えられている。女も男と同じように人間であって新皮質の喜びが古皮質の喜びよりも多いと考えられている。だから、今では女も古皮質よりも新皮質の喜びを満足して人間らしく生きねばならない。女は性欲や眼で見る喜びや支配欲を満足してはいけない。そうやって、女も男といっしょになって人類の文化を進歩させねばならない。
h28.8.29追記:普通の人間は新皮質が活動して古皮質を抑[おさ]えているから、知覚や新しい心が働いて考える喜びや実在を理解する喜びや服従欲があって、五感や古い心が働かず性欲や眼で見る喜びやテレパシーや支配欲がない。反対に、精神分裂病者は古皮質が活動して新皮質を抑えているから、五感や古い心が働いて性欲や眼で見る喜びやテレパシーや支配欲があって、知覚が働かず考える喜びや実在を理解する喜びや服従欲がない。人間の脳では新皮質と古皮質が拮抗[きっこう]している。人間は新皮質を働かせて古皮質を働かさなければ人間らしく幸福に生きられるのである。(政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、昔は国民も政府もみんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたために『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』が活動して「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を抑えていたから『政府と国民が平等』であって政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足したり国民に善いことをしてくれて国民みんなが幸福だったが、今では国民も政府もみんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居が活動して『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を抑えているから「政府が悪い権力者」であって政府が国民に悪いことばかりして善いことをしなくなって国民みんなが不幸になっているのと似ている。)
[22993] シャボン玉の歌 h28.8.27
シャボン玉は光る玉だから天皇家つまり日本政府のことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
『シャボン玉の歌』ではシャボン玉があまり高く上がって欲しくないと言っている。それは、国民みんなが政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して「政府は国家権力や神の権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞くようになって欲しくないという願いを歌にしたものである。国民みんなは政府の芝居を真に受けないようにして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて、『政府と国民が平等だ』と考えて、『国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由だ』と考えて、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かないようにしないといけない。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
『シャボン玉の歌』が「野口雨情が自分の死んだ子を哀れむ気持ちを歌ったものだ」とするのは作り話である。本当は『国民みんなが政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けてはいけない』ことを警告するための歌だったのだ。
昔テレビ番組に『シャボン玉ホリデー』(1961〜1972年、日本テレビ)というのがあった。そのころは政府が休んでいる時代だった。政府が国民みんなに悪い命令を出さなかった。だから、国民みんなが幸福に暮らしていたのだ。しかし、今は国民が政府の芝居を真に受けて政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて自分や他人を不幸にして地獄となっている。早く国民みんなで政府を倒して政府のない社会にして国民みんなで幸福に暮らさないといけない。
[22994] 今日は暇なのでホームページの手直しをした。 h28.8.27
一昨日[おととい]の晩ぐらいから秋の気配がして晩から夜は涼しくなった。暑さの峠を越したのだろうか。あたりがシーンとして気持ちが落ち着く。
今日は暇だったので、私のホームページの引越し先のFC2(http://jituzai.web.fc2.com/)に置いてある私のホームページの手入れをした。ちゃんとアニメ日記(魔法少女日記)の画像が表示されるように手直しした。3〜4時間ぐらいかかった。今日はじめて私のアニメ日記(魔法少女日記)の最初の[300]までの画像が全部なくなっていることに気づいた!なぜかわからん!まあ、どうせこの頃[ころ]はまだ大したことを書いてないから、あまり気にはならないが。アニメ日記の[300]以降はすべて画像が表示されるようにした。ホームページのサイズは全部で74MBだった。私が16年かけて作ったホームページも、手直しするには3時間ぐらいしかかからないものかと思った。アクセスカウンターはまだ直していない。FC2のホームページは来年の11月から私のこのdionのホームページが見れなくなった頃から本格的に稼動する予定だ。もしかしたら、ヤフージオシティーズにも私が死ぬまでに私のホームページを移設するかもしれない。FC2もヤフージオシティーズもホームページアドレスの仕様(“~,[,],&,
,”などの記号が使えないこと)は同じだから、今日手直ししたデータをアップロードすればいいだけだからあとは楽だ。
[22995] 国民にとって現実は天国だが、政府の芝居は地獄である。 h28.8.28
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が財産を取られたり虐[いじ]められたり殺されたりする喜び”がある。人間はずっと昔はほかの動物よりも弱くて毎日ほかの動物に虐められて生きていたのでいつしか“悪いことをされる喜び”が芽生[めば]えたのである。今でもそのころの名残[なごり]で人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。ただし、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がキチガイのように見えるので、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をする『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とか悪い命令を出すから、国民は自分で政府の悪い命令を選んで自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやってつまり政府は「国民の眼の前では民主主義や神主義で善いことをしているふりをして国家権力や神の権力を得て、国家権力や神の権力を使って国民に悪い命令を出している」芝居をやって、自分が悪い権力者だから無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分から喜んで政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しているように見えないようにして、国民に恥ずかしい思いをさせないようにしている。つまり、人間の心理がややこしくて“悪いことをされる喜び”のような複雑な感情があるから、政府のようなややこしい会社が建っているのである。人間の心に“悪いことをされる喜び”という変わった感情があるために政府という変わった会社があるのである。政府は、人間の“悪いことをされる喜び”の感情を満足することが物として具体的に表現されたものである。
国民にとって現実は天国だが、政府の芝居は地獄である。
政府の芝居では、政府は悪い権力者であって、ニセモノの民主主義や神主義で(つまり政府はテレビでまちがいを流して世論操作をして国民みんながまちがいを認めたことにしてまちがいに基づいて悪い命令を作ったり、国家宗教の神の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で悪い命令を作ったりして)国民に悪い命令を出して、国民は絶対に政府の悪い命令を聞かねばならない。国民が政府の悪い命令を聞かないと政府に捕まって罰せられる。
しかし、現実の世界では、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府と国民は平等であって、国民は自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自由に政府の悪い命令を聞けばいい。国民が政府の悪い命令を聞かなくても、政府は国民に何もしない。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていて、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けず、現実の中で暮らしていたために、自由に政府の悪い命令を聞いて幸福に暮らしていた。
反対に、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて、政府の芝居の中で暮らしているために、政府の悪い命令を聞かねばならなくなって不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は早く現実の政府を理解して、政府の芝居から抜け出さねばならない。国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』であることを理解して、自分が政府の悪い命令を聞きたくなければ聞かないようにして幸福に暮らさねばならない。国民は自分が政府に税金を払いたくなければ払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
本当は『政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』のに、今の国民の多くは「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解している。本当は『地球が回っている』のに、昔の国民が「星が回っている」と誤解していたのと同じである。今の国民は現実の政府を理解して、政府と正しく対応しないといけない。昔の国民が『地球が回っている』ことを理解して「星が回っている」という誤解を抜け出して自然科学が発達して物が豊かになって幸福に暮らせるようになったように、今の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解して「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体である」という誤解を抜け出して、社会科学が発達して人間関係が豊かになって幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22996] 今日やったこと h28.8.28
今日は昼ごろ雨が降った。今日は最高気温が30℃だったので涼しかった。
今日は午後3時ごろ起きて朝飯[あさめし]を食って、午後4時半ごろに自分でバリカンを使って自分の髪を切った。40分ぐらいで終わって、その後風呂に入って髪の切りくずを流した。風呂ではトマトを1個食べた。
その後は、インターネットで「無料掲示板」や「無料チャット」のことを調べた。いい無料チャットがないので、無料掲示板の一番シンプルなタイプを無料チャットに使おうと決めた。
[22997] 今の国民は『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えて、政府を理解しないといけない。
h28.8.29
人間は自分の知覚に持っている概念を組み合わせて対象を理解する。人間の知覚における概念は、自分の五感や心における経験の分析や知覚における思考によって作り出される。これが人間の理解の法則である。
昔の国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、“悪いことをされる喜び”という概念を持っていたから、『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている』ことが理解できて、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けず、『自分が政府と平等だ』と思って自分で政府の悪い命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。
反対に、今の国民は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、“悪いことをされる喜び”という概念を持っていないから、政府のことが理解できなくなって、政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解して、「政府には権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。たとえ今の国民が口先で「政府を倒せ!」と言っても、心の中では「国民は政府に従わねばならない」と思っている。
今の国民は『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことを知らねばならない。たとえ今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなくて“悪いことをされる喜び”を感じていなくても、頭で『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』と考えねばならない。たとえ自分が『地球が回っている』ことを実感しなくても頭で強引に『地球が回っている』と考えねばならないのと同じである。そうすると、『政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府は国民を恥ずかしがらせないために「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている』ことがわかる。「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体である」のは芝居であり、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかる。『政府は本当は権力がなく、政府と国民が平等である』ことがわかる。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪い命令を聞くのであって、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の悪い命令を聞かなくていいことがわかる。今の国民は物が豊かで物を使って十分喜びが得られるから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の悪い命令を聞かなくていいことがわかる。今の国民は政府に「税金を払え!」とか「他人を殺せ!」と言われても政府に税金を払ったり他人を殺したりしなければいいことがわかる。今の国民にとっては政府が要らないから政府に税金を払わず政府を倒せばいいことがわかる。(今のマンガやテレビで『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを言わないのは、どうせそんなことを言っても読者や視聴者が信じてくれないと思っているからである。だから、いつもそこを伏せてほかのことばかり言うのである。しかし、そのために読者や視聴者がいつまでも政府のことがわからないままでいるのである。これでは埒[らち]が明かない。だから、国民みんなは自分がわかろうがわかるまいがとにかく『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを信じなければならない。『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを信じることから社会科学が始まるのだ。『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことは社会科学の原理なのだ。)
『人間に“悪いことをされる喜び”がある』と考えれば、政府のことが理解できるし、大勢の国民が政府に従う(つまり政府の悪い命令を聞く)ことが理解できるし、これまでの日本や世界の歴史も理解できる。『裸の王様』や『浦島太郎』のおとぎ話も理解できる。だから、『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことは正しいのである。『人間に“悪いことをされる喜び”がある』とすれば、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいことになる。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒してもいいのである。
国民が物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなると、国民が一時的に政府のことが理解できなくなって「政府が悪い権力者だ」と誤解して政府の権力が強まるが、その後で国民が再び政府のことを理解して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかって政府の権力がなくなって、国民が政府に従わなくなって政府が滅ぶ。今の政府もいっとき権力が強くなった後ですぐに滅ぶ。今の国民はすでに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている。だから、今の国民は政府に従わなくなって、政府に税金を払わなくなって政府が滅ぶのである。
[22998] 昔は政府と国民が平等だったが、今では政府と国民が不平等になっている。
h28.8.29
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。ただし、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。
政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府はそもそも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「自殺しろ!」とか「警察に暴行されろ!」とか悪い命令を出すから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めて、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由なので、政府は国民が政府の悪い命令を聞かなくても国民に何もしない。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいことなので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやって自分が悪い権力者で自分の権力を使って無理やり国民に悪い命令を聞かせているように見せかけて、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分から喜んで政府の悪い命令を聞いているように見えないようにして、国民が恥ずかしがらずにすむようにしている。(もしも政府が「善い民主主義の団体や善い神主義の団体」の芝居をしていたら、政府は国民に善い命令しか出せなくなって悪い命令を出せなくなって国民の“悪いことをされる喜び”が満足できないので、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているのである。政府が「善い民主主義の団体や善い神主義の団体」の芝居をしていたら、政府は芝居の上で善いことしかしないから「国民とちゃんと契約を取ってお金を取る」芝居しかやれないから政府は「国民から税金を取る」芝居がやれない。政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしているから、政府は芝居の上で悪いことができるから「国民からお金を強盗するために国民と契約を取らずに国民に命令して国民からお金を取る」芝居ができるので政府は「国民から税金を取る」芝居ができるのである。しかし、本当は政府は「悪い民主主義の団体でも悪い神主義の団体」でもなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないから『政府には権力はなく国民と平等である』から、国民が政府の悪い命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府と国民は平等だから、国民が政府の善い命令を聞くか聞かないかも国民の自由である。国民は自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めて自分が幸福になるときだけ政府の命令を聞けばいいのである。/この世には『人間がみな平等である』という決まりがあるから、政府が本当に悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体をやったら政府が悪い権力者になって『人間がみな平等である』ことに反するから、政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやるだけにして本当に「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」をやってはいない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』をやっているだけである。つまり、政府は自分の手で直接国民に悪いことをしたり自分の悪い命令を聞かない国民を罰したりせずに、国民に悪い命令を出すだけで国民が自分で政府の命令を好き勝手に聞けるようにして必ず国民の承認を得てから国民に悪いことをするだけである。政府は本当は国民と平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由であり、国民が政府の命令を聞かなくても政府は国民を罰しない。政府は世の中の決まりをちゃんと守っていて国民と平等にやっていたから、昔から国民みんなは政府を倒さなかったのだ。)
昔は政府は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けなかった。政府は『政府と国民が平等だ』と思っていたので、政府は国民のために“悪いことをされる喜び”を満足する悪い命令を出したり、善いことをするために善い命令を出したり、国民からもらった税金で善いことをやったりした。昔は国民は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けなかった。国民は『政府と国民が平等だ』と思っていたので、自分が好きなだけ政府の悪い命令を聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足したり、政府の善い命令を聞いて政府に善いことをやってもらったりして自分の心を満足して幸福に暮らしていた。
反対に、今は政府は物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解している。政府は「自分が悪い権力者だから国民を自分の好き勝手にしてもいい」と思って、悪いことをするために悪い命令を出したり、国民からもらった税金で善いことを何もやらず全部自分の物にして遊び呆[ほう]けている。今は国民が物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって政府の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と誤解している。国民は「政府に権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って、政府の悪い命令をなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり他人を殺したりして自分や他人を不幸にしている。
今の国民は政府のことを誤解しているために自分や他人を不幸にしている。今の国民は早く政府のことを正しく理解して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って『政府と国民が平等だ』と思って政府の悪い命令を聞かないようにしないといけない。昔の政府は『自分が国民と平等だ』と思っていたので国民のために善いことをしてくれたが、今の政府は「自分が悪い権力者だ」と思っているので国民のために善いことをやらない。昔の政府は国民を幸福にしてくれたが、今の政府は国民を不幸にするだけだ。今の国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[22999] 今日の仕事探し h28.8.29
めっきり涼しくなった。寒いぐらいだ。今朝は家の近所でバッタが1匹小さい声で鳴いていた。秋の気配がする。
先週の金曜日に三重県の自動車部品の製造工場の仕事を頼んでいたが、今日の晩がた連絡があってまた見送りになった。もっとも、ホームページの上では5勤2休で毎日9時間労働と出ていたが、電話で聞くと月に残業が“40時間”もあって、実質11時間労働だから2交替制の12時間労働とほぼ変わりないから、あまり望んではいなかった。これで3件見送りとなった。今の派遣会社で大丈夫だろうか?
[23000] どうして地動説を唱[とな]えた者が皇帝や宗教団体に殺されたのか?
h28.8.30
中世のヨーロッパでは地動説を唱えた学者が皇帝(つまり政府)や宗教団体に殺された。
しかし、昔の人は『皇帝や宗教団体が国民と平等である』ことを知っていた。昔の人は『皇帝が「悪い民主主義の団体」の芝居をやっているだけで本当は「悪い民主主義の団体」をやっていないから本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないから皇帝には権力はないから皇帝と国民は平等である』ことを知っていた。昔の人は『宗教団体は「悪い神主義の団体」の芝居をやっているだけで本当は「悪い神主義の団体」をやっていないから本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にすぎないから宗教団体には権力がないから宗教団体と国民は平等である』ことを知っていた。だから、昔の人は『皇帝や宗教団体は権力がないから国民と平等だから地動説を唱えた学者を殺せない』と思っていた。
それなのに、皇帝や宗教団体が地動説を唱えた学者を殺したのは、昔の人が『国民みんなと違う考えを持っている者は、国民みんなにまちがいを広める者だから罰しなければならない』と思っていたからである。昔の社会には『みんなと違う考えを持っている者は罰せられねばならない』という法律があったのである。だから、皇帝や宗教団体が国民みんなの代表者となって地動説を唱える学者を罰したのである。けっして、皇帝や宗教団体が権力者だから自分勝手に地動説を唱えた学者を罰したのではない。
しかし、その後地動説が正しいことがわかって、人々が『国民みんなと違う考えを持っている者がまちがっているとは限らない。国民みんなと違う考えを持っていてもかまわない』と考えを変えた。『みんなと違う考えを持っていてもかまわない』ことに法律が変わった。そのために、その後はみんなと違う考えを持つ者が罰せられなくなって、学問が急速に発展した。文明が急速に進歩して、みんなが物が豊かになって幸福に暮らせるようになった。
昔からずっとこの世では『人間はみな平等にしないといけない』という決まりがある。だから、この世では政府や宗教団体や暴力団は権力者をやってはいけない。政府や宗教団体や暴力団は芝居の上で権力者を演じることができるだけで、現実の上では権力者をやってはいけない。政府や宗教団体や暴力団は権力者の芝居をすることができるだけで本物の権力者をやることはできない。政府や宗教団体や暴力団は芝居の上で国民よりも上の者をやれるだけで、現実の上では国民と平等にしなければならない。今の政府も芝居の上で権力があるだけで、本当は権力がなく国民と平等である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は政府の悪い命令を聞く必要がない。だから、今の国民は政府の悪い命令を断って聞かなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!払わないと牢屋[ろうや]にぶち込むぞ!!」と言われても政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。政府と国民は平等だから、政府は実際には国民が政府の命令を聞かなくても国民に何もできない。国民は安心して政府の命令を聞かなければいいのである。(政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやるために国会議事堂や官公庁や皇居を建てているだけである。だから、国会議事堂や官公庁や皇居は建物が高くて偉そうなのである。国会議事堂や官公庁や皇居は政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやるために建っているだけである。実際には政府は国民から税金を取ることだけが仕事であって、政府は税金を取る以外に仕事のない会社だから、政府は国会議事堂や官公庁や皇居の中でなにもやっていない。政府は建物が仕事をしているだけで中の人間は仕事をしていない。政府は国中で一番儲[もう]かって楽ちんな割のいい仕事である。だから、国民みんなの人気がある職業なのである。(昔は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔の政府は日本で一番儲かって一番楽で一番割りのいい仕事だった。しかし、今は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、『政府が「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っているようになって、国民みんなが政府に税金を払わなくなっているから、政府は儲からなくなっているから、今の政府はあまり割りのいい仕事ではないだろう。今の時代に政府に行きたがる(つまり政府に就職したがる)のは時代遅れだろう。)政府は「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は国民の眼の前で善いことをしているふりをすることと国民に悪い命令を出すことだけが仕事だから、政府の建物の中ではなにもやっていないのである。政府は国民の見えるところで仕事をやっているだけで(例えば、テレビのニュース番組に出たときだけ国民のためになることをやっているふりをして)国民の見えないところではなにもしていない。もっとも、今の政府は自分の「悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「自分が悪い民主主義の団体や悪い神主義の団体だ」と思って悪いことばかりやって国民に悪い命令ばかり出しているから、毎日いそがしく国会議事堂や官公庁や皇居の中で悪い政策を立てているのだろう。)
法律とは『人間がみな平等である』ことである。国民が『人間がみな平等である』ことを守れば社会的に幸福に暮らせるから国民は『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。この世に神様がいれば神様が法律を犯した者を罰してくれるから人間は何もしなくていいが、実際にはこの世には神様がいないから人間が自分の手で法律を犯した者を罰しなければならない。そのために、警察が要る。警察の仕事は法律を定めて、国民に法律を教えて、法律の違反者を罰することである。国民みんなで警察の仕事に対する妥当[だとう]な報酬を決めて、警察にお金をやって仕事をしてもらわねばならない。日本は犯罪が少ないから警察はあまり仕事をしなくてもいいから国民は警察にあまりお金をやらなくてもいい。