[22801] 今では変態や馬鹿が減って政府が潰[つぶ]れている。 h28.6.7
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、人間の心には“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「難しい本を読め!」とか「マンガやアニメを買え!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。人間が“悪いことをされる喜び”を満足するのは下劣[げれつ]なことなので、政府は国民が恥ずかしがらずに政府を利用できるようにするために、民主主義の芝居をやって国民が政府に悪いことをされるのを隠している。政府は看板が「民主主義の団体」で、中身は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。(大昔にはみんなが公衆の面前で堂々と豪族の言うことを聞いて豪族に悪いことをされて喜んでいたが、農耕生活が始まって文明が高くなるとみんなが自分が豪族に悪いことをされるのを他人に見られるのが恥ずかしくなって豪族の言うことを聞かなくなって豪族に悪いことをされなくなって豪族が滅んだ。そこで、政府は民主主義の芝居をやってみんなが政府に悪いことをされるのを隠すことによってみんなが恥ずかしい思いをせずに政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされることができるようにして、再びみんなが政府に悪いことをされて喜ぶことができるようにしたのである。そうして政府は客を獲得して儲[もう]けることができたのである。)
昔の国民は物が貧しくて喜びが少なかったから“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。
今の国民は物が豊かで喜びがたくさんあるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民はテレビを見たりゲームをやったり本を読んだりして喜んでいるから“悪いことをされる喜び”が要らなくなった。今の国民は政府の言うことをまったく聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府に不幸にされないようにして暮らしている。
しかし、今でもまだ“悪いことをされる喜び”を満足している変態やテレビや新聞でやっている政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体で政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思っている馬鹿がいる(私も以前は馬鹿だったが)。変態は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいる。馬鹿は「自分が政府に従わないと罰せられる」と思って必死で政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしている。今の政府は変態と馬鹿で持っている。しかし、今では物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるから変態が減っている。今では国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って馬鹿が減っている。政府の言うことを聞く国民がだんだん減って政府が国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
テレビや新聞が『今の国民が政府の言うことを聞かなくなって政府が潰れている』ことを流さないのは政府からお金をもらっているからである。政府は変態や馬鹿からたくさんお金を取ってテレビ局や新聞社にお金をやって口止めさせているのである。宗教団体や暴力団が雑誌社にお金をやって「今の宗教団体や暴力団が景気がいい」というガセネタを流しているのと同じことである。テレビや新聞は当てにはならない。国民は現実を自分の眼で見て自分の頭で考えて行動しなければならない。

[22802] 今の人は政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされるよりもテレビを見たりゲームをやったりするほうがいい。 h28.6.7
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「自分が嫌な科目を勉強しろ!」とか「自分が嫌な仕事をしろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民はその中から自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいい。国民は自分が最も多くの喜びが得られるように自分で政府の言うことの中から自分の好きなことだけ選んで政府の言うことを聞けばいい。
昔はみんなが物が貧しかった。だから、昔はみんなが政府に悪いことをされて喜べばよかった。昔はみんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜べばよかった。
しかし、今ではみんなが物が豊かになっている。テレビを見たりゲームをやったりするほうが政府に悪いことをされるよりも楽しい。だから、今ではみんなが政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされるのをやめてテレビを見たりゲームをやったりすればいい。今ではみんなが政府に税金を払うのをやめてテレビを見たりゲームをやったりするためにお金をかけたほうがいい。
しかし、日本人は大脳の新皮質が古皮質よりも発達している。日本人は“頭で考える喜び”のほうが“眼で見る喜び”よりも多い。だから、お金や時間に余裕のある人はテレビを見たりゲームをやったりするよりも自分で考えごとをして楽しんだほうがいい。本を読んで他人の考えを知ったり自分で考えたことを言葉に書き表したりすればいい。コンピューターを使えば自分が書いたものを他人にも見てもらえるからますます楽しい。
とにかく人間は自分が本当に楽しいことをすればいい。今ではテレビやゲームが出来て、今の人にとってはテレビやゲームのほうが政府よりも面白くなっている。今ではテレビやゲームが出来たために政府がつまらなくなっている。今の人は自分が政府に悪いことをされるのが楽しくなければ勇気を出して政府の言うことを聞くのを断ればいい。そのようにして、今の人は自分が好きなことだけやって嫌なことをやらないようにして幸福に暮らさねばならない。また、いくらテレビが面白いからといってダラダラといいかげんにテレビを見てはいけない。それでは逆効果になる。自分が本当に面白いと思ったテレビ番組だけを選んでじっくりと見ないといけない。まず自分でテレビ番組をよく選んでからテレビを見なければならない。あまり広げるよりも同じ物を繰り返し見たほうがいい。ゲームについても同じである。

[22803] 政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。 h28.6.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民はその中から自分がいいだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。自分の“悪いことをされる喜び”をたくさん満足したい人は政府の言うことを全部聞けばよく、自分の“悪いことをされる喜び”をまったく満足したくない人は政府の言うことをぜんぜん聞かなければいい。国民が自分で考えて自分がいいだけ自由に政府の言うことを聞けばいいのである。人間にとって自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥ずかしいことである。政府が民主主義の芝居をやっているのはそのためである。政府は民主主義の芝居(つまり国民みんなに従う芝居)をやることによって自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社でないふりをして、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしているのである。宗教団体が神に従う芝居をやって自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社でないふりをして、国民が恥ずかしがらずに宗教団体の言うことを聞けるようにしているのと同じことである。
昔の人は物が貧しくて喜びが少なかったので、政府を使って自分がいいだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の人は物が豊かなのでテレビを見たりゲームをやったり本を読んだりして喜びが十分あるので、政府を使わず政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいい。
今は物が豊かである。物を使っていくらでも自分の喜びを満足できる。今日日[きょうび]自分の“悪いことをされる喜び”を満足したいのは変態である。昔の人でさえ自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしくていやいやしかたなく満足していた。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめねばならない。政府の言うことを聞くのをやめねばならない。政府にお金を取らせるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
暴力団や宗教団体や政府は同じ国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。暴力団と宗教団体と政府は見掛けが違うだけで中身は同じである。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから暴力団や宗教団体の言うことを聞かなくなって暴力団や宗教団体が潰れている。だから、政府も潰れているのである。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから政府の言うことを聞かなくなって政府が潰れているのである。

[22804] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。 h28.6.8
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないから“悪いことをされる喜び”が退化して“悪いことをされる喜び”があるのがわからないが、たしかに“悪いことをされる喜び”はある。今の人がテレパシー器官を使わないからテレパシーがあるのがわからないが、たしかにテレパシーがあるのと同じことである。
国民にとって政府は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。政府は国民に「税金を払え!」とか「マンションから飛び降りて死ね!」とか「人前でズボンの中に手を突っ込んでオナニーの真似[まね]をしろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分がいいだけ政府の言うことを聞いて自分がちょうどいいだけ自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。けっして政府の言うことを聞きすぎて政府に悪いことをされすぎて自分を不幸にしてはいけない(笑い)。
昔(1965年ごろ以前)の国民は物が貧しくて喜びが少なかったから自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の国民は自分がいいだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
今(1965年ごろ以後)の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して十分喜びがある。今の国民はテレビを見たりゲームをやったり本を読んだりして喜んでいる。そのために、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいい。
昔と今では国民の喜びが違う。昔と今では国民の生活が違う。昔の国民は政府を使って幸福に暮らしていた。今の国民は政府を使わずテレビやゲームや本を使って幸福に暮らせばいい。今の国民は政府が要らないから政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]して、テレビやゲームや本を買って暮らせばいい。
政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することである。本来は政府は国民の了承を取ってから国民に悪いことをしなければならない。ところが、今の政府は自分の言うことを聞かない国民も巻き添えにして殺している。今の政府は正当なやり方で悪いことをやっていると思えない。今の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社として失格である。そういう意味でも今の国民は政府の言うことを聞かず政府にお金を取らさず政府を倒さねばならない。(政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することである。だから、政府は必ず国民の承認を得てから国民に悪いことをしないといけない。それなのに、今の政府はそうしていない。例えば、政府は私の了承を得ずに私の情報を使ってアニメやマンガやその他の作品を作っている。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社に反することをやっている。だから、国民みんなは政府に言われて私の情報を使った作品を作ってはいけない。/h28.6.10追記:もしかしたら、政府はちゃんと国民の承認を得てから国民を殺しているのかもしれない。飛行機事故なら特定の客だけ乗せられるので可能である。列車事故だってあらかじめ死んでもいい承認を得た国民だけで特定の車両を満員にしてほかの車両をガラ空きにしておけば可能である。ビルの事故だってあらかじめ死んでもいい承認を得た国民だけをビルに入れておけば可能である。自動車で人をひき殺す事故だって、あらかじめ死んでもいい承認を得た国民を歩かせておけば可能である。今の政府は案外まじめに決まりを守って国民に悪いことをしているのかもしれない。)
人間は現実の中に生きている。人間は正しいことに従わざるを得ない。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことは真実である。だから、国民も政府もみんながこの真実に従わねばならない。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞かねばならない。国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが嫌なら自分が政府に悪いことをされるのが嫌なら政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにしなければならない。一方、政府は必ず国民の承認を得てから国民に悪いことをしなければならない。そうしなければ政府がみんなに罰せられる。国民も政府もみんなが現実の中では現実のルールを守って正しく暮らさねばならない。
マンガを読むのは悪いことである。しかし、それなら政府に悪いことをされるのも悪いことである。これまで国民みんなが自分が喜びを得るために政府に悪いことをされてきた。だから、今の国民みんなが自分が喜びを得るためにマンガを読んでもいい。そういうのを必要悪と言う。とにかく人間は自分が楽しいことをすればいい。人間はその喜びにどんな悪いことがあるかをよく知った上で適切に喜びを満足して楽しまねばならない。政府に悪いことをされすぎてはいけないように、マンガを読みすぎてはいけない。

[22805] 昭和40年ごろにどうして誰も『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをみんなに言わなかったのか? h28.6.8
昭和40年=1965年ごろに国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのころに国民みんながすぐに政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らせなくなって政府を倒せばよかった。
しかし、実際には国民の多くが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなかったために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸にされることになった。
昭和40年ごろにもすでにそこそこの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていた。しかし、その人たちはみんなにそのことを教えようとはしなかった。
それは、『政府が国民の”悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人がみんなにそのことを話すと、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている人が恥ずかしい思いをしなければならないからである。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人がみんなにそのことを話すと、みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている人を変態だと思って軽蔑して差別するようになるので、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人がかわいそうだと思ってみんなにそのことを話さなかったのである。
しかし、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人がみんなにそのことを話さないために、大勢の人が政府のことを誤解して「政府が民主主義の団体だ」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸になっている。これではかえって被害が大きくなる。
だから、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人はみんなにそのことを教えてやればいい。そうすれば、大勢の人の政府に対する誤解が解けて大勢の人が政府の言うことを聞くのをやめて不幸にならずにすむ。
したがって、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている人はみんなにナイショで政府の言うことを聞くようにしないといけない。そうすれば、たとえみんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って『政府の言うことを聞いている者が自分が幸福になるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足している変態である』ことが知られても誰が変態かがわからないので恥ずかしい思いをしなくてもすむ。政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったりマンションから飛び降りたりする人は他人に知られないように密[ひそ]かにそうしなければならない。けっしてみんなの前で「自分は政府に税金を払っている」とか「自分が政府に言われてマンジョンから飛び降りた」などと言ってはいけない。
今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府がだんだん潰[つぶ]れていっているから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人はそのうち政府から宗教団体や暴力団に乗り換えなければならない。
今は物が豊かな時代である。今の時代に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるのは道徳的にまちがっている。今では国民みんなが物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのは、そうしたほうが多くの喜びが得られるからである。いまだに“悪いことをされる喜び”を満足している人は損である。やせ我慢[がまん]である。だから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人は早くみんなと同じように“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて、物を使っていろんな喜びを満足して明るく楽しく健康的に暮らさねばならない。もっとも、『蓼[たで]食う虫も好き好き』と言うから自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが絶対にいけないとは言わないが。

[22806] どうして私は以前政府の言うことを聞いていたのか? h28.6.9
私は以前政府が「税金を払え!」と言うのを聞いて毎月政府に税金を払っていた。国税と県民税と市民税の3つを払ったこともある。
私が政府の言うことを聞いていたのは、私がテレビや新聞や社会科の教科書を見て「政府が民主主義の団体だ」と思っていたからである。私は「政府に国家権力がある」というよりも「政府が国民のために善いことをしている」と思っていたので政府に善いことをしてもらうために税金を払っていた。それと「政府が国の法律を定めることができる」と思っていたので自分が政府の法律を犯して罰せられるのが怖かったので必死に期限を守って税金を払っていた。
これまで私には政府は「税金を払え!」と言っただけでほかのことは何も言わなかった。
以前の私は政府について真剣に考えたことがなかったので「政府が民主主義の団体だ」と漠然[ばくぜん]と思っていたのである。
しかし、このたび私が本格的に政府について考えてみると『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかった。政府は本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府の民主主義が芝居であることがわかった。政府の民主主義が芝居だから、政府には国家権力がなく、政府は国の法律を定められないことがわかった。国民は政府が定めた“納税の義務の法律”を守らなくていいことがわかった。政府が定めた法律は本当は全部白紙なのである。日本国憲法には本当は何も書いていないのである。
本当は、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民と政府は平等なので、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。国民は自分が好きなだけ政府に税金を払えばいい。しかし、今の私は文明的な暮らしをしていて物を使っていろんな喜びを満足していて“悪いことをされる喜び”を満足していないので、政府の言うことを聞かなくていい。だから、最近の私は政府の言うことをいっさい聞いていない。市民税も払っていない。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は悪いことばっかりやって善いことはやらない。善いことは国民みんながやって政府はやっていない。善いことは国民みんなだけで間に合っている。道路や橋は建設省が作るのではなく道路公団と土木建設業者が作るのだ。政府の省庁はただの飾りだ。奈良の大仏は政府が作ったのではなく大工さんが作ったのだ。
私は子供のころから社会科が苦手だった。だから、社会科をいいかげんに勉強してほたくっていた。小学生のときは社会科はまあまあの成績だったが、中学高校生のころは社会科は平均40点ぐらいだった。政府についてもちゃんと理解していなかった。そのために、私は自分が“悪いことをされる喜び”を満足するつもりがないのに政府に毎月せっせと税金を払って損をしていた。人間にとって真の敵は自分の無知である。無知ほど怖いものはない。私が高校1年生のときに精神分裂病に罹[かか]ったのも精神病について知らなかったからだ。私が大人になって政府の言うことを聞いて政府に毎月税金を払っていたのも政府について知らなかったからだ。自分が無知だと自分が損をして不幸になる。だから、人間は子供のころから一生懸命に勉強していろんなことを知らないといけないのだ。

[22807] 人間はどうして精神病に罹[かか]るのか? h28.6.9
@精神分裂病について
人間の大脳には古皮質と新皮質がある。
大脳の古皮質には五感や“怒[いか]りの感情”や性欲やテレパシー器官などの中枢がある。
大脳の新皮質には知覚や“考える喜び”などがある。
人間がオナニーやセックスなどをして性欲を満足すると古皮質の活動が高まる。そのために、五感や“怒りの感情”やテレパシー器官などが興奮しやすくなる。たまたま自分の近くにいる他人が自分の気に入らないことをしていると、五感が興奮しやすくなっているためにそれがすごく目障[めざわ]りになって怒りの感情が興奮しやすくなっているためにすごく腹が立ってテレパシー器官が興奮しやすくなっているためにテレパシーを使って他人に訴えて自分の気に入らないことをやめさせようとする。すると、テレパシー器官が働くようになってテレパシーがよく聞こえるようになってテレパシーの悪口が聞こえるとすごく腹が立って暴れまわるようになる。それが精神分裂病である。性欲を満足すると精神分裂病に罹[かか]りやすい。だから、精神分裂病に罹らないためには性欲を満足してはいけない。人間は性欲を満足するよりも“考える喜び”を満足して生きていけばいい。しかし、世の中には性欲を生き甲斐[がい]にしている者が大勢いて性欲を守っている。そのために、精神分裂病の発症機序(発症メカニズム)が不明にされているのである。
A神経症と鬱病[うつびょう]について
人間の心には矛盾[むじゅん]した感情がある。たとえば、“勉強が嫌いな感情”と“大学に受かりたい感情”がある。自分が“大学に受かりたい感情”を満足すると自分が勉強しなければならなくなって“勉強が嫌いな感情”を興奮させて嫌な感情が発生して自分が苦しまねばならない。それが受験ノイローゼである。多かれ少なかれ誰にも“勉強が嫌いな感情”があるが、あまりにも“勉強が嫌いな感情”が強くて受験ノイローゼがひどいときには“大学に受かりたい感情”を満足するのをやめて大学に行くのをあきらめたほうがいい。ほかの出世コースを探[さが]したほうがいい。このようにノイローゼつまり神経症は、人間があるひとつの感情を満足したためにほかの感情が満足されなくなって嫌な感情が発生して苦しむことである。あんまり症状がひどいときには原因になっているあるひとつの感情を満足するのをやめねばならない。そうすれば神経症は治る。神経症が重症化したのが鬱病[うつびょう]である。人間があるひとつの感情を満足したために自分が嫌な環境で暮らさねばならなくなって慢性的[まんせいてき]に不快感で苦しんでいるのが鬱病である。例えば、“自分が出世したい感情”を満足するために自分が嫌な勉強や仕事をしなければならなくなってずっと苦しんでいるのが鬱病である。そういう場合には、病気の原因となっているあるひとつの感情を満足するのをやめて自分の身を自分が好きな環境に置けばいい。そうすれば鬱病は治る。そのための努力をすれば鬱病は治る。例えば、自分が出世したいために自分が嫌な勉強や仕事をしなければならなくなって自分の気持ちが落ち込んで鬱病になっているなら、自分の出世をあきらめて自分で自分の環境を変えて自分が好きな勉強や仕事をすればいいのである。人間にとっては見栄[みえ]よりも自分の本心のほうが大事である。鬱病に罹るのを防ぐためには、人間がつねに自分の心をよく理解して自分の心を満足して生きるように心がければいいのである。しかし、世の中には“見栄の喜び”を生き甲斐にしている者が大勢いて“見栄の喜び”を守っている。そのために、神経症や鬱病の発症機序が不明にされているのである。
B今では多くの人が性欲や“見栄の喜び”や“悪いことをされる喜び”を守らなくなっている。
大勢の人が自分の性欲を守るために精神分裂病の発症機序(発症メカニズム)が不明にされているように、大勢の人が自分の“見栄の喜び”を守るために神経症や鬱病の発症機序が不明にされているように、大勢の人が“悪いことをされる喜び”を守るために政府の正体が不明にされている。たしかに、これまではそうだった。しかし、今ではテレビやゲームが発明されてテレビを見たりゲームをやったりするほうが性欲や“見栄の喜び”や“悪いことをされる喜び”を満足するよりも多くの喜びが得られるようになっている。そのため、今では多くの人が性欲や“見栄の喜び”や悪いことをされる喜び”が要らなくなって性欲や“見栄の喜び”や“悪いことをされる喜び”を守らなくなっている。そのため、今では多くの人が精神病(精神分裂病や神経症や鬱病)の発症機序を明らかにしたり政府の正体を明らかにしたりしている。精神病や政府の歴史が終わろうとしている。今の国民は性欲や見栄を満足していない。今の国民は自分で精神病を理解して自分が精神病に罹らないようにして幸福に暮らさねばならない。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は自分で政府を理解して自分で政府の言うことを聞かないようにして幸福に暮らさねばならない。
政府はたかが国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社にすぎない。今の国民のほとんどは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民のほとんどは“悪いことをされる喜び”を守らなくなって政府を守らなくなっている。今の政府には自分に逆らう者を片っ端[かたっぱし]から殺すほどの権限はない。国民は政府を恐れずに政府の言うことを聞かずに政府に税金を取らさずに政府を倒せばいい。政府はおとなしく国民に倒されるしかない。
自分の心をどのように満足しようが人の勝手である。自分がどんな喜びを満足しようが人の勝手である。“悪いことをされる喜び”を満足しないのが勝手なら“悪いことをされる喜び”を満足するのも勝手である。しかし、今では国民のほとんどが“悪いことをされる喜び”を満足していない。政府は国家的な“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。だから、今では国民みんなにとっては政府が要らない。今後は国民みんなで政府を倒して、“悪いことをされる喜び”を満足したい人は自分で宗教団体や暴力団に頼んで宗教団体や暴力団に悪いことをされればいい。そうすれば国民みんなが幸福に暮らすことができる。
今では“悪いことをされる喜び”を満足している人と“悪いことをされる喜び”を満足していない人の両方がいるからいっしょにしてはいけない。今では“悪いことをされる喜び”を満足していない人のほうが多い。今の国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と誤解していることが、今の国民の多くが“悪いことをされる喜び”を満足していない証拠である。『裸の王様』のおとぎ話がその証拠である。だから、“悪いことをされる喜び”を満足していない人を中心にして国を作らねばならない。今では政府のような国営の“悪いことをされる喜び”を満足する会社は要らない。だから、国民みんなで政府を潰[つぶ]さねばならない。“悪いことをされる喜び”を満足したい人は宗教団体や暴力団に頼んで満足してもらえばいい。

[22808] “悪いことをされる喜び”を満足する会社がなければ国は統一される。☆ h28.6.10
大昔の日本はもともと統一されていた。ひとつの国だった。みんなが平和に暮らしていた。それが“悪いことをされる喜び”を満足する会社(つまり豪族)によって小さな縄張り(会社が客を獲得している範囲、例えば、電力会社が電気を供給できる範囲みたいなもの)に分かれた。豪族が自分の客を増やすために縄張り争いのために戦争をしあうようになった。昔は戦いを仕事にする軍人がいたから、豪族が軍人を雇って戦わせたのである。
しかし、文明が進んでみんなが農耕生活をしはじめて物が少し豊かになって物を使って文明的な生活をするようになったために自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしくなった。そのために、豪族が滅んだ。そのために、日本が統一されたのである。つまり、日本は“悪いことをされる喜び”を満足する会社がなければ統一されるのである。“悪いことをされる喜び”を満足する会社があるために小さな縄張りに分かれて縄張り争いのために戦争をしなければならなくなっているのである。“悪いことをされる喜び”を満足する会社が戦争の原因である。
しかし、そのあとで各地の豪族が民主主義の芝居をして“悪いことをされる喜び”を満足するようになった。再び日本が民主主義の芝居をする“悪いことをされる喜び”を満足する会社によって小さな縄張りに分かれた。会社同士が客を取り合うために戦争をするようになった。そんな中で国家宗教の神の駄洒落[だじゃれ]で“悪いことをされる喜び”を満足する会社が宮崎県に現れてみんなの人気を取って国中のみんなを客にする大きな会社に成長した。それが日本政府である。そのために、日本が統一されて平和になった。
中世になって世界の先進国がヨーロッパからアジアに変わった。そのために、政府が滅んだ。そのあとで再びアジア風の“悪いことをされる喜び”を満足する会社によって小さな縄張り分かれるようになった。はじめのころはアジア風の“悪いことをされる喜び”を満足する会社(鎌倉幕府や室町幕府)が以前の政府とコネて(つまり関係をつけて)国民みんなを客にしようとした。(今のテレビ局や新聞社や出版社が政府と組むのも、以前に政府が国民みんなを客にしていたことを利用して自分の客を増やすためである。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が嫌いになっているから逆効果だろう。今のテレビ局や新聞社や出版社は自分で自分を潰[つぶ]しているだけだ(笑い)。幕府と政府は見かけが違うだけで中身が同じ“悪いことをされる喜び”を満足する会社だったのでみんながアジア文化に変わった後でもみんなが政府が好きだったが、今のみんなは“悪いことをされる喜び”を満足していなくて昔のみんなと反対だから今のみんなは政府が嫌いなのである。だから、会社は政府と組まないほうがみんなの人気が取れて客が増えて儲[もう]かるのだ。)しかし、そのうち政府の影が薄くなってそういうやり方が効かなくなって、日本を統一できなくなって本格的な戦国時代になったのである。日本が再びアジア風の“悪いことをされる喜び”を満足する会社によって小さな縄張りに分かれた。会社同士が縄張り争いのために戦争をするようになった。そんな中で昔の政府と同じように“国家宗教の神がいなくなった駄洒落”で“悪いことをされる喜び”を満足する会社(江戸幕府)が現れて国民みんなの人気を取って日本を統一した。江戸幕府は昔の日本政府と同じように長く続くはずだった。(江戸幕府は“国家宗教の神がいなくなった駄洒落”で“悪いことをされる喜び”を満足した。例えば、水戸光圀[みとみつくに]は水団[すいとん](小麦粉を水で練[ね]った団子のこと)が神武天皇の光る玉に似ていることから「水団を食べてはいけない」掟[おきて]を定めてみんなを虐[いじ]めた。しかし、水団は美味[おい]しかったので、みんなは自分が好きなだけ幕府の言うことを聞けばよかったので、みんなは水戸光圀の言うことを素直[すなお]に聞かず味噌汁[みそしる]の具に隠して水団を食べた。それが法度汁[はっとじる]である。/今のテレビ局や新聞社や出版社は自分が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているのに黙っている。そのために政府によって大勢の国民が殺されている。たとえ殺されなくても大勢の人が政府によって不幸に暮らさねばならなくなっている。今のテレビ局や新聞社や出版社は人殺しである。犯罪者である。テレビ局や新聞社や出版社は社会的責任を取って潰れねばならない。/今のテレビ局は「政府と組めば人気が出る」と思って政府と組んで政府の言うことを聞いて面白くない番組ばっかり作っている。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、テレビ局に言って国民みんなが面白くないと思う番組ばかり作らせるのである。しかし、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないからテレビ局が政府と組んで作った面白くない番組を見せられて虐[いじ]められても幸福ではない。そのために、今の国民はテレビを見なくなっている。テレビ局の人気が下がっている。今のテレビ局は『今の国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していない』と考えて『今の政府は国民みんなの嫌われ者であり、政府と組んだら自分の人気がなくなる』と考えて政府と組んではいけない。テレビ局は単純に今の国民みんなが好きな番組を作って放送しないといけない。)
しかし、近代になって世界の先進国がアジアからヨーロッパに変わった。そのために幕府が滅んだ。そのあとで再びヨーロッパ風の“悪いことをされる喜び”を満足する会社(つまり日本政府)が国民みんなを客にして日本を統一した。日本政府は外国の政府と戦争をして縄張りを広げていたが、世界大戦に敗れてもとの木阿弥[もくあみ]となった。
ところが、現代になって急に文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して”悪いことをされる喜び”がつまらなくなって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために世界中の政府が滅んでいる。そのために世界が統一されている。もともとこの世は“悪いことをされる喜び”を満足する会社がなければひとつに統一されるのである。これまでは“悪いことをされる喜び”を満足する会社があったために世界が小さい縄張りに分かれて各国の政府が縄張り争いのために戦争をしあっていたのである。“悪いことをされる喜び”を満足する会社がなければ世界がひとつになって平和になるのである。今では世界中の政府がみんなの人気がなくなって滅んでいる。世界がひとつになって平和になっている。もっとも、今でも国によって文化や法律が違うから、外国に行くときにはその国の文化や法律を守らねばならない。
今の日本がうまく行かなくなっているおおもとの原因は、今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れて政府が何のためにある会社なのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国民みんなのために善いことをする会社だ」と思っていることにある。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』国民は早く自分の政府に対する誤解を直して政府を正しく理解して『今の政府は国民を不幸にする嫌な会社だ』と思って政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金を取らすのをやめて政府を倒さねばならない。そうやって国を正常化して国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22809] どうして昭和40年ごろにみんなに『政府が“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教える人がいなかったのか? h28.6.10
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使って幸福に暮らせるようになって“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなくなった。だから、国民みんなが政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされるのをやめて政府に税金を取らせるのをやめて政府を倒せばよかった。
しかし、実際には国民の多くが“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなくなったために『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れてしまって政府が何のためにある会社なのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府は国民みんなのために善いことをする団体だ」と思って政府の言うことを聞き続けた。国民の多くが政府が悪いことを言うのをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸になっている。
昭和40年ごろに国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをみんなに教える人がいればよかった。そうすれば、そのころに政府が滅んで、国民みんなが政府に悪いことをされずに幸福に暮らすことができたはずである。
昭和40年ごろに国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをみんなに教える人がいなかったのは、“悪いことをされる喜び”を満足している変態や「政府が民主主義の団体だ」と思っている馬鹿を皆殺しにするためである。変態や馬鹿は政府の言うことを聞くから政府に殺されたり政府に虐[いじ]められたり政府にお金を取られたりする。変態や馬鹿は不利になって生き残れなくなる。だから、政府があったほうが自分の“悪いことをされる喜び”を満足している変態や「政府が民主主義の団体だ」と思っている馬鹿が減る。だから、あえて政府を残して政府に変態や馬鹿を駆除[くじょ]させているのである。
テレビ局や新聞社や出版社などが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを伏せているのも、しばらく政府を残して政府に変態や馬鹿を駆除させるためである。
つまり、政府は賢明な人と変態や馬鹿とを見分ける篩[ふるい]である。変態や馬鹿は政府の言うことを聞いて政府に殺されて死に、賢明な人は政府の言うことを聞かず政府に殺されずに生き残る。そうやって、変態や馬鹿がいなくなって、賢明な人だけが生き残る。
自分の“悪いことをされる喜び”を満足せずに『政府が悪いことをされる喜びを満足する会社である』ことを知っている人は政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らさねばならない。政府が「死ね!」と言うのを聞かないようにして政府に殺されないようにして生き残らねばならない。そうやって賢明な人だけからなる国にして賢明な人だけで幸福に暮らさねばならない。人間が生き残るのは大変なことである。世の中は厳しいのだ。国民みんなは変態や馬鹿には容赦[ようしゃ]なく厳しいのだ。

[22810] 今の国民はもはや政府に用がない。 h28.6.11
要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。政府に税金を払わなければいい。そうすることができてはじめて一人前の大人だ。人間の心の奥には“悪いことをされる喜び”がある。喜びの足りない人がなんとなくフラフラと自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞くのだ。今の人は自分に十分喜びがあれば政府の言うことを聞かなければいいのだ。人間の中には生まれつき“悪いことをされる喜び”の強い人がいる。“悪いことをされる喜び”しかない人がいる。そういう人は政府の言うことを聞けばいいのだ。自分がそういう人間でなければ政府の言うことを聞かなければいいのだ。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。だから、政府の民主主義は芝居である。政府の民主主義の芝居は客寄せではない。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて政府を利用できるようにするために民主主義の芝居をやっているのである。国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解しないように注意しないといけない。
人間の心に“悪いことをされる喜び”があるのは、ずっと昔(数千万年前、人間がまだサルだったころ、参考)人間が弱い動物だったからである。人間はずっと昔ほかの動物に殺されたり虐[いじ]められたり食べられたりして幸福に生きていたから“悪いことをされる喜び”があるのである。人間にずっと昔の名残[なごり]で尾てい骨や盲腸があるのと同じように人間の心には“悪いことをされる喜び”があるのである。これまで人間は自分の心に“悪いことをされる喜び”があることを利用して政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に生きてきた。しかし、今では文明が高くなって人間が物を使って多くの喜びが得られるようになったからもはや“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得なくてもよくなったのである。だから、今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされるのをやめて政府に税金を払うのをやめて幸福に暮らせばいいのである。

[22811] どうして昭和40年ごろに誰もみんなに『今の国民が政府の言うことを聞かなくてもいい』ことを教えなかったのか?☆ h28.6.11
昭和40年=1965年ごろに国民みんなが物が豊かになってかなりの国民が“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて政府の言うことを聞かなくなった。政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らすようになった。
しかし、その後も一部の国民は政府の言うことを聞き続けている。あいかわらず自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている変態や、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んでいる馬鹿が政府の言うことを聞いている。
それなのに、政府の言うことを聞かない人は“政府の言うことを聞いている人”に政府のことを教えなかった。それは、自分が変態や馬鹿に攻撃されて不愉快[ふゆかい]な目にあうのが嫌だったからである。
しかし、それは政府の言うことを聞かない人の説明のしかたが悪いせいである。口下手[くちべた]なのがいけないのである。

人間が自分の心をどのように満足しようが人間の勝手である。人間が自分のどんな喜びを満足するかは人間の勝手である。自分の“悪いことをされる喜び”を満足するか満足しないかは個人の勝手である。今では国民みんなが物が豊かになって十分な喜びがあるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなっている。だから、国民のほとんどが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。自分の“悪いことをされる喜び”を満足したい人は個人的に宗教団体や暴力団に頼んで悪いことをしてもらえばいい。…このように説明すれば、変態も納得してくれる。
今では国民みんなが物が豊かになって国民のほとんどが物を使って喜ぶようになって十分な喜びが得られているために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている(ただし変態を除く)。国民のほとんどが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているために『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れてわからなくなっている。そのために、国民のほとんどが政府が何のためにある会社なのかわからなくなって、政府の民主主義の芝居だけを見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。つまり、今の国民みんなが物が豊かになって”悪いことをされる喜び”を満足していないために、今の国民のほとんどは「人間には“悪いことをされる喜び”がない」と思っている。人間が地球の上に乗って地球といっしょに動いているために、人間には「地球が止まっている」ように見えるのと同じことである。人間が地球から離れて宇宙に止まって見れば、『地球が回っている』ように見えるのと同じように、国民みんなが物が貧しくなって物を使って喜びが得られなくなって喜びに飢えて“悪いことをされる喜び”を満足するようになると『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことがわかるようになる。政府が国民に対して悪いことをやっているのが『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』ことの証拠である。今でも宗教団体や暴力団の言うことを聞いている人に宗教団体や暴力団に何をされているのか訊[き]いて『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』かどうか確かめればいい。あるいは自分を犠牲[ぎせい]にして宗教団体や暴力団の客になって宗教団体や暴力団の実態を調べてみてもいい。『地球が動いている』証拠を見つけるのが難しいように、『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』証拠を見つけるのは難しい。『人間の心に“悪いことをされる喜び”がある』とすれば、『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、国民は自分がいいだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい』から、国民が自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。国民が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府に税金を払わなくてもいいことになる。反対に、「政府が民主主義の団体だ」とすれば「政府には国家権力があって、国民全員は政府に従わねばならない」から、国民が政府に従わなければ罰せられることになる。国民が政府に税金を払わなければ罰せられることになる。だから、国民がひとつ試[ため]しに政府に税金を払わないようにして様子を見てみればいい。それで何事もなければ『人間の心に“悪いことをされる喜び”があって、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しいことになり、反対に国民が政府に捕まって罰せられれば「政府が民主主義の団体である」ことが正しいことになる。実際に、私は以前仕事をしていたときに市民税を3カ月分払っていないが、そのあと何事もない。私が印鑑登録のために市役所に行ったときにも市役所の人から何も言われなかった。だから、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しいと考えられる。…このように説明すれば馬鹿でも納得してくれる。(仮に「政府が民主主義の団体だ」として、政府が民主主義の一環として国民の“悪いことをされる喜び”を満足していたとすると、今の国民のほとんどは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、今の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する仕事をしないはずである。今でも政府が少数の“悪いことをされる喜び”を満足する者に悪いことをしているのは国家機関らしくない。だから、政府は民主主義の団体ではないのである。政府は民主主義の芝居をやっている国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社なのである。/h28.6.12追記:私は子供のころからこれまで一度も「政府が民主主義の団体だ」と本気で思ったことがない。政府には「民主主義の団体」という言葉がきれいに当てはまらない。だから、政府は「民主主義の団体」ではない。政府が「民主主義の団体」であるのはハズレである。「政府が民主主義の団体だ」と思っているのはチンプンカンプンである。政府はほかの“何か”である。(私が子供のころは“何か”が何かはわからなかった。今では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だとわかっている。))
他人に話をするときは他人にわかりやすく丁寧[ていねい]に話さねばならない。これまでは政府の言うことを聞いていない人がみんなに簡単に手抜きにしか話さなかったから、みんなが『今の国民が政府の言うことを聞かなくてもいい』ことがわからなかった。このたび私が丁寧に話したから、今後はみんなが『今の国民が政府の言うことを聞かなくてもいい』ことをわかってくれて、多くの国民が政府の言うことを聞かなくなるだろう。多くの国民が政府に税金を払わなくなって政府が儲からなくなって潰れるだろう。“悪いことをされる喜び”を満足したい人は宗教団体や暴力団に頼んで“悪いことをされる喜び”を満足してもらうだろう。(今の私の部屋は気温32.2℃、湿度63%もある。今の私は汗ビチャである。こんなに暑くて上手[うま]く書けるか!)

[22812] 昭和40年ごろにどうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h28.6.11
昭和40年=1965年ごろになると国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになった。かなりの国民が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなった。
かなりの国民が政府の言うことを聞かなくなったことにつられて、自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人もいっしょに政府の言うことを聞かなくなりそうだった。政府は潰[つぶ]れそうだった。
そのため、政府は“悪いことをされる喜び”を満足している人の人気を得るために昭和39年1月22日(水曜日)生まれの私を新しく国家宗教の神にした。天皇家を神とする国家宗教では国民が政府に同じ悪いことばっかりされていて、国民が政府に悪いことをされることに飽きていたので、政府は私を新しい国家宗教の神にして国民が政府にこれまでとは違う悪いことをされることができるようにしてマンネリを抜け出したのである。政府はそうやって“悪いことをされる喜び”を満足している人の政府離れを防ごうとしたのである。政府は私を新しい国家宗教の神にすることで悪いことができる幅を広げて、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している人に対しても“民主主義だと思わせて悪いことをする”ことをしやすくしたのである。
政府は私を国家宗教の神にしているが、勝手に私の情報を使っているだけである。私は政府に自分が神であることを承認したことがない。私は天皇と違って公務員ではないし、私は政府から給料を1円ももらっていない。
今でも自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人は政府の言うことを聞いて政府に私や天皇の情報を使った悪いことをされて幸福になっている。私はうれしくない。私がそんなことを想像すると気分が悪くなる。政治家が勝手に私の情報を使ってはいけない。政治家が自分の情報を使って国家宗教をやればいい。

[22813] 今の政府は汚い。 h28.6.11
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。当時かなりの国民が政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らすようになった。社会科の得意な人は前もってちゃんと言葉で『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているから、たとえ自分が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっても政府のことがちゃんと正しくわかっているのである。しかし、少数の者はあいかわらず自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞き続けた。国民の多くは政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしている。変態はしかたがないとして大勢の馬鹿を何とかしないといけない。
今の政府は国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と誤解していることを利用してちゃっかり生き残っている。本来は政府が自分でみんなに『政府は民主主義の団体ではありません。国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社です』と説明して国民の多くの誤解を解いて自分で潰[つぶ]れねばならないはずである。政府も会社の端[はし]くれだから、国民と公正に契約を取るためにいつでも国民みんなに自分の業務内容について正しく説明しなければならない。昔は国民みんなが政府のことを正しくわかっていたから政府はいちいち国民みんなに自分の仕事について説明する必要がなかったが、今は国民の多くが政府のことを誤解しているから政府は国民みんなに自分の仕事について説明する必要がある。
今の政府が国民の多くの誤解を利用して生き残っているのは汚い。今の政府が国民の多くの誤解を見て見ぬふりをしているのは政府が悪い。政府は詐欺[さぎ]会社ではないが、今の政府は詐欺行為である。だから、国民の誰かが政府に代わってみんなに『政府が民主主義の団体ではなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをわからせてやらねばならない。
私の説得は大勢の馬鹿に効くだろうか?もしもダメなら、私以外の誰かが馬鹿に説得して『政府が民主主義の団体ではない』ことをわからせてやらねばならない。政府はいったいいつになったら潰れるのだろうか?

[22814] どうして昭和40年ごろに誰もみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えなかったのか? h28.6.12
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになった。ほとんどの国民が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。かなりの賢明な国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい』ことを知っていたので政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らすようになった。多くの馬鹿な国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなかったために政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体であり、政府には国家権力があり、国民全員は政府に従わねばならない」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府になんでもかんでも悪いことをされて不幸に暮らさねばならなくなった。少数の変態な国民は物が豊かになっても昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分がちょうどいいだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
だから、そのときに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている賢明な国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない馬鹿な国民に『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてあげればよかった。
しかし、実際にはそうしなかった。それは、賢明な国民が「自分が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていることによって、自分がほかの者よりも幸福に有利に暮らすべきである」と思っていたからである。そのために、賢明な国民は自分が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているのに、そのことを誰にも教えなかったのである。そのために、大勢の馬鹿な国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らさねばならなくなったのである。
賢明な国民は自分が他人よりも有利に暮らすために政府のことを秘密にしている。だから、政府のことをみんなに教える国民がいると、賢明な国民が怒ってその国民を攻撃して不愉快[ふゆかい]な目にあわせるのである。だから、政府のことを知っている国民は自分が賢明な国民に攻撃されないためにみんなに曖昧[あいまい]に政府のことを教えるだけではっきりとは教えないのである。
国民は自分をかわいがってはいけない。国民が他人に真実を教えようが教えまいが国民の自由である。国民は自分が政府のことを知っていたら、どんどんみんなに教えてやればいい。
この世は社会科の知識がすべてではない。理科は得意だが社会科が苦手な人もいる。自分が社会科が得意だからといってそれだけですべての他人を見下[みくだ]すのはまちがっている。自分がいろんな物を使って幸福に暮らしているのなら、そのお礼に他人に政府のことを教えてやればいい。
国民みんなが正しいことを知って正しいことをやっているのが善い国である。国民は自分が正しいことを知っていたらみんなに教えてやらねばならない。そうやって自分の国を善い国にしないといけない。

[22815] 今の国民にとっては政府は何の役にも立たないクズ会社である。 h28.6.12
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「靴[くつ]の底を舐[な]めろ!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。
昔の国民は文明が低くて物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分が幸福に暮らすためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔の国民にとっては政府は役に立つありがたい会社だった。昔の国民は大喜びで政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。
今の国民は文明が高くて物が豊かで物を使っていろんな喜びが得られるので自分が幸福に暮らすために“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなった。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては政府は何の役にも立たないクズ会社である。今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。
時代が変われば国民の心も変わる。昔の国民にとっては政府は自分を幸福にしてくれる善い会社だった。だから、昔の国民は政府の言うことを聞いて政府に多めに税金を上げていた。今の国民にとっては政府は何の役にも立たないクズ会社である。だから、今の国民はさっさと政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[22816] 人間は眼と頭と心の全部を使わねばならない。 h28.6.12
インドは昔は科学が得意だったが途中でまちがった思想のために現実離れになって科学が苦手になった。日本はまちがった思想がなかったために現実離れしなかったので科学が得意なままだった。
人間は現実を眼で見て頭で考えて心で思って行動して生きている。ヨーロッパ文化は眼で見ることに優[すぐ]れていて、インド文化は頭で考えることに優れていて、中国文化は心で思うことに優れている。
人間は眼と頭と心の全部を使ってこそ幸福に生きられる。人間は世界中の文化があってこそ幸福に生きられる。昔の日本人はそのことがわかっていた。そのために、日本人は昔から世界中の文化を取り入れてきた。日本は中世にもヨーロッパ文化を入れてきたし、古代や近代にもアジア文化を入れてきた。日本はいつの時代にも世界中の文化を入れてきた。中世にはヨーロッパが衰退したためにヨーロッパ文化がほとんど入ってこなくなったのでアジア文化が多めになり、古代や近代にはヨーロッパが繁栄したためにヨーロッパ文化がたくさん入ってきたのでヨーロッパ文化が多めになっただけである。
しかし、最近の日本はヨーロッパ文化に傾いている。最近の日本人は眼で見る喜びや性欲ばかり満足しようとしている。そのために、最近の日本人は幸福に生きられなくなっている。
人間にとっては眼で見ることと頭で考えることと心で思うことのバランスが大事である。どれかに傾くと傾きがどんどん大きくなってそればっかりになって上手[うま]くいかない。人間は眼や頭や心のどれかに傾くと現実の中で幸福に生きられない。人間は自分の脳を全体的に使わねばならない。そうすれば人間はもっとも幸福に生きられる。
今の日本人はテレビやゲームのやりすぎで眼ばかり使って頭を使わないので眼に傾いている。そのために不幸に暮らさねばならなくなっている。今の日本人はもっと本を読んだり自分で考えたことを書いたりして頭を使って、眼と頭と心のバランスを保って自分が幸福に暮らせるようにしなければならない。今では物が豊かになってテレビやゲームがあるからこそ、今の人間はもっと自分の頭を使って眼と頭と心のバランスを保たねばならないのだ。

[22817] 今の国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と思っているのはまちがっている。☆ h28.6.12
今の国民の多くは「政府が民主主義の団体だ」と思っている。「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思っている。そのために、国民の多くは政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。
しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「不味[まず]い物を食え!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい。人間にとって“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて政府を利用できるようにするために民主主義の芝居をやって国民が政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらっていることを隠してくれている』のである。
昔の国民は物が貧しかったので物を使って喜びを得ることができなかった。そのために、昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいた。
ところが、今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して喜びがたくさんある。そのために、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。
今の国民の多くは自分の政府に対する誤解のために自分で自分を不幸にして苦しめている。今の国民の多くは早く自分の誤解を直して自分で自分を幸福にして楽しく暮らさねばならない。
h28.6.18追記:昔の人は「宇宙の中心が地球である」と思っていた。「夜空の星は宇宙のドームに張り付いた絵だ」と思っていた。しかし、夜空の星をよく観察すると、中には逆行する星があることがわかった。満ち欠けがある星があることがわかった。そのために「宇宙の中心が地球である」ことがまちがっていて『宇宙の中心が太陽である』ことが正しいことがわかった。それと同じように、今の一部の人は「政府が民主主義の団体だ」と思っている。「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞かねばならなくなっている。しかし、政府のやっていることをよく観察すると、政府がときどき国家宗教で人殺しをしていることがわかる。民主主義の団体は国民と平等なはずなのに、政府と国民が不平等な“納税の義務”の法律を政府が定めているのはおかしい。そのために「政府が民主主義の団体である」ことがまちがっていて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しいことがわかる。昔の人はみんな『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていたのに、今の人の中にはそのことがわかっていない人がいるのは恥[はじ]である。今の人はみんな政府のことを正しく理解して政府と正しく付き合わねばならない。人間は正しいことをやれば幸福になる。そうやって、国民みんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。

[22818] 最近になってようやく日本がまともな国になっている。 h28.6.12
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。最近は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている国民がみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えるようになって、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようになっている。
最近は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようになって、国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府にお金を取らさなくなって政府が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
政府が国民みんなのためにあるのであって、国民みんなが政府のためにあるのではない。政府が自分が儲[もう]かりたいという理由で国民みんなに“悪いことをされる喜び”を満足させたり国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないようにさせたりすることはできない。政府が国民みんなを自分の都合[つごう]のいいようにすることはできない。そのために、最近では政府が儲からなくなって潰れる一方である。
これまで政府は国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と誤解していることによってかろうじてなんとか持っていただけである。しかし、最近は国民の多くが自分の誤解を直して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金を取らせるのをやめて政府を潰している。ようやく日本がまともな国になっている。

[22819] どうして昭和40年ごろに誰もみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えなかったのか? h28.6.13
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して十分な喜びが得られて“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。かなりの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたので、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなった。政府に税金を払わなくなった。多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなかったので、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府になんでもかんでも悪いことをされるようになった。一部の国民はあいかわらず“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞き続けた。
そのころに、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやればよかった。
しかし、実際にはそうしなかった。
それは、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えると、政府が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れるので、政府に恨[うら]まれて攻撃されて不愉快[ふゆかい]な目にあわされるからである。
「政府が民主主義の団体だ」と誤解している人にとっては政府のことを教えてくれて自分の誤解を直してくれることは歓迎である。自分が政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸になるのをやめさせてくれるのでありがたいことである。
国民がみんなに政府のことを教えるか教えないかは国民の自由である。この世には「他人に正しいことを教えてはいけない」という法律はない。国民がみんなに正しいことを教えるのを政府に止[と]める資格はない。だから、国民はみんなに政府のことを教えてやればいい。国民はみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてやればいい。(政府は民主主義の芝居をするためにちょっとだけ本当に善いことをやっている。政府は民主主義の芝居をしているためにいやいやしかたなくちょっとだけ本当に善いことをやらねばならなくなっているのである。そういうのを『嘘[うそ]から出た真[まこと]』と言うのである。政府が善いことをやっているのは、政府が民主主義の団体だからではなく、政府が民主主義の芝居をやっているためである。国民は政府が善いことをやっているからといって政府のことを誤解してはいけない。)
幸い、社会科は簡単なので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解するのは容易なので、誰でも教わればすぐに理解できる。国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と思っているのは政府のことをよく知らないためであって、けっして政府のことが難しいからではない。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことをどんどん教えてやればいいのである。
ついでに、今でも“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている人がいる。しかし、今では物が豊かになって人間が物を使っていろんな喜びを満足したほうが“悪いことをされる喜び”を満足するよりも幸福に生きることができる。今でも“悪いことをされる喜び”を満足することは道徳的にまちがっている。だから、今では“悪いことをされる喜び”を満足しないほうがいい。もっとも、人間が自分の心をどのように満足するかは個人の勝手である。人間が自分のどんな喜びを満足するかは個人の勝手である。だから、どうしても“悪いことをされる喜び”を満足したい人はそうすればいい。ただし、個人的に楽しむだけにしてけっして他人に迷惑をかけてはいけない。

[22820] 今の国民が幸福に暮らすためには政府がないほうがいい。☆ h28.6.13
人間にとっては自分が幸福に生きることが最大の問題である。人間は自分で自分の心を適切に満足して自分を幸福にすればいい。
今の時代は国民みんなが物が豊かだから自分の“悪いことをされる喜び”を満足するよりも物を使っていろんな喜びを満足して暮らしたほうが幸福になれる。だから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足せずに物を使っていろんな喜びを満足したほうがいい。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。今の国民は政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に生きるのをやめて、テレビを見たりゲームをやったり本を読んだりして楽しんだほうがいい。
国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて暮らすよりも『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と正しく理解して政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして暮らしたほうが自分が幸福になれる。だから、国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞くのをやめて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と正しく理解して政府の言うことを聞かずに暮らせばいい。
それに、今の政府は“「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞く者”を使って国中に悪いことを増やして善いことを減らして国民みんなが幸福に暮らせない国にしている。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために“「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞く者”(つまり政府の民主主義の芝居にかぶれた人)がいる。昔はそんな者はいなかったが、今ではそういう“新しい人種”がいる。今の政府は“自分の言うことをなんでもかんでも聞く者”がいると思って調子に乗ってそういう者に命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなが幸福に暮らせないようにしている。(近代のイギリスは大英帝国と名乗ってすごく景気がよかったから今の日本みたいにみんなが物を使って喜んで“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっていた。そのために、「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞く者が現れた。だから、タイタニック号事件のような多くの国民を巻き添[ぞ]えにする事件が起きたのである。)“「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞く者”がいるために、国民みんなの生活に対する政府の影響が大きくなっている。政府と「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民の両方が悪い。(オウム真理教の地下鉄サリン事件のときも命令した司教と実行した信者の両方が悪いとされた。オウム真理教は、オウムが人の言葉を真似[まね]るように、政府がやっていることの真似をして国民みんなに政府についての真理を教える団体だったのである。)今の国民にとっては政府がないほうが幸福に暮らせるから、国民は政府を潰[つぶ]すために政府の言うことを聞かず政府にお金を取らさなければいい。また、国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者をなくすためにみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてやればいい。
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪いことを言うだけである。政府は国民に悪いことを言うだけで善いことを言わない。政府は国民になんでもかんでも命令できるわけではない。政府は国民に悪いことをさせることができるだけで善いことをさせることができない。政府は国を悪くすることができるだけで善くすることができない。国民にとって政府は使いようがない。このまま政府を置いておくとどんどん国民みんなが不幸に暮らさねばならない国になる。だから、国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22821] 今の国民の多くは政府に悪いことをさせられている。 h28.6.13
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから、国民みんなが自分の好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。
しかし、今は国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らさねばならなくなっている。その上、政府は自分の言うことをなんでもかんでも聞く者がいると思って調子に乗って自分の言うことを聞く者に命令して他人に悪いことをさせて国民みんなが幸福に暮らせない国にしている。政府は自分の言うことをなんでもかんでも聞く者に命令して国民みんなが喜ぶことをなくさせて国民みんなが苦しむことを増やして国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に悪いことを言って、国民が自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。今の国民の多くは「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになっているから、政府は自分の言うことを何でも聞く馬鹿がいると思ってワルノリして「他人に悪いことをしろ!」と言って他人に悪いことをさせているのである。今の政府は自分の言うことをなんでもかんでも聞く者に命令して国中に悪いことを増やして善いことを減らして国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。昔の国民は個人的に政府に悪いことをされて喜ぶだけでたとえ政府に「他人に悪いことをしろ!」と言われても自分の判断で政府の言うことを聞かないようにしてけっして他人に迷惑をかけることはしなかったが、今の国民の多くは政府に「他人に悪いことをしろ!」と言われるとそのまま素直[すなお]に政府の言うことを聞いて平気で他人に悪いことをする。今の国民の多くは政府に「他人を殺せ!」と言われたらロボットのようにそれをそのまま聞いて他人を殺す。(芥川龍之介の『杜子春[とししゅん]』は、昔の国民が自分の判断で政府の言うことを聞いていたことを表している。杜子春が昔の国民で、仙人が政府のことである。反対に、鳥山明の『ドラゴンボール』では悟空がわけがわからずに亀仙人の言うことを聞かねばならなかった。やはりマンガは正しいことを言わないのでよくない。マンガはまちがいを教えるのでよくない。そこが芸術とマンガの違いだ。)
そもそも政府は民主主義の団体ではない。政府は本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜べばいい。今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされたり悪いことをさせられたりしなければいい。早く国民みんなが政府のことを正しく理解して、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされたり政府に悪いことをさせられたりしなくなって国民みんなが幸福に暮らせるようにならねばならない。

[22822] 今では国民みんなが政府に不幸にされている。☆ h28.6.14
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされてちょうどいい具合に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんながたとえ物が貧しくても幸福に暮らせるいい時代だった。
今では国民みんなが物が豊かになって国民のほとんどが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。かなりの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて政府の言うことを聞くのをやめて幸福に暮らした。少数の国民はあいかわらず自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞き続けて幸福に暮らした。しかし、多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があり国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らさねばならなくなった。しかも、政府は「政府が民主主義の団体だ」と誤解した国民が自分の言うことをなんでもかんでも聞くことにいい気になって、政府はつい自分の本音[ほんね]を出して自分が国民みんなに意地悪[いじわる]をしたくなって自分の言うことを何でも聞く国民を使って国民みんなに悪いことをさせるようになった。「政府が民主主義の団体だ」と誤解した国民は政府が「他人に悪いことをしろ!」と言うのを聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にするようになった。政府はいつの間にか『国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足する会社』から「多くの国民を従える悪の組織のボス」に変わったのである。国民みんなにとってはいい迷惑である。(もともと国民の“悪いことをされる喜び”を満足する仕事をする者はいい性格ではないから、いつもは我慢[がまん]しておとなしく自分の仕事をしているが、自分の本音を出せるチャンスが与えられるとすぐにみんなに悪いことをやりたがるのである。ヒトラーのユダヤ人虐待と同じである。“車のハンドルを握[にぎ]ると性格が変わる”とはこのことである。)「政府が民主主義の団体だ」と誤解した国民は政府の言うことを聞いて国中に悪いことを増やして善いことを減らして国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にするようになった。今は国民みんながせっかく物が豊かなのに不幸に暮らさねばならない悪い時代である。(『五所川原の落書』に記されているように建武の新政のとき世の中が乱れていたのは、鎌倉幕府が倒れて国を統一する団体がなくなって各地の大名が縄張り争いために戦争をして国民みんなが戦争にお金が要ったり戦争で田畑が荒れて食べ物が手に入らなくなったりして暮らしがすごく貧しくなって法律を守ることすらできなくなっていたからである。けっして今のように国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになって政府の命令で他人に悪いことをやっていたからではない。『五所川原の落書』は早く誰かが幕府や政府を建てて国を統一して国を平和にして欲しいという国民みんなの願いを書いたものである。しかし、政府は建たなかった。当時の日本ではヨーロッパ文化は流行遅れだったので国民みんなが政府を支持しなかったからである。)
今では「政府が民主主義の団体だ」と誤解した国民が政府の言うことを聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今では政府に従う一部の国民(『仮面ライダー』のショッカーの戦闘員みたいなもの)が政府の命令で悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、国民に悪いことを言うことしかできないから、政府は国民に悪いことをしたり悪いことをさせたりすることしかできない。政府は国を悪くすることしかできない。国民が政府の言うことを聞くかぎり自分が悪いことをされたり他人に悪いことをしたりすることになる。悪い国になる。だから、そもそも「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞く国民がいるのがいけないのである。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていれば「政府が民主主義の団体だ」と誤解した国民が現れず政府の言うことを聞いて国民みんなに悪いことをすることもなかったのである。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなかったのがいけない。だから、これから国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民をなくして、政府の言うことを聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にする者をなくさねばならない。そうして、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
国民みんなが正しいことを知って正しいことをやっているのが善い国である。今の日本は多くの国民が正しいことを知らずまちがったことをやっているから善い国ではない。国民みんなで早く多くの国民に正しいことを教えて国民みんなが正しいことを知って正しいことをやるようにして日本を善い国にしないといけない。

[22823] 今の政府は自分に従う国民に命令して国民みんなを不幸にしている。 h28.6.14
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間ははるか昔(数千万年前)弱い動物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、今でもそのころの名残[なごり]でそんな喜びがある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「足の裏をなめろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされてちょうどいい具合に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。もっとも、“悪いことをされる喜び”は下卑[げび]た喜びだから、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。そのために、政府は民主主義の芝居をやって自分が民主主義の団体であるふりをして、自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足しているのを隠してくれて、国民が政府の言うことを聞きやすくして政府を利用しやすくしてくれている。それは政府が自分の儲[もう]けを増やすためでもある。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びがほとんど得られなくて“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。国民みんながめいめい自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”をほどよく満足して幸福に暮らしていた。政府は国民みんなの人気者だった。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)では国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。かなりの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたので政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府と縁を切った。政府に税金を払わなくなった。少数の国民はあいかわらず自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなかったので、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があり国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになった。政府は多くの国民が自分に従っていることにいい気になってワルノリして多くの国民に命令して他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にするようになった。政府は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民に命令して人殺しをさせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くないマンガやテレビ番組を作らせたり国民みんなが美味[おい]しい物を食べられなくしたりして国民みんなが不幸に暮らさねばならなくした。政府は国民みんなの嫌われ者である。
今では「政府が民主主義の団体だ」と誤解している多くの国民が政府の言うことを聞いて国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。国民みんなにとってはいい迷惑である。国民は国民みんなに『政府が国民の悪いことをされる喜びを満足する会社である』ことを教えて、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民をなくして、国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞くようにしなければならない。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして政府に税金を取らせないようにして政府を倒さねばならない。“悪いことをされる喜び”を満足している国民は宗教団体や暴力団に頼んで悪いことをしてもらえばいい。そうやって国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22824] どうして今の世の中には政府の言うことを聞いて悪いことをする者がいるのか?☆☆ h28.6.14
今の世の中には政府の命令を聞いて悪いことをする者がいる。政府の命令を聞いて人殺しをしたり他人からお金を奪ったり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない作品や番組を作ったり不味[まず]い食べ物を作ったりする者がいる。
政府の命令を聞いて悪いことをする者がいるのは「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者がいるからである。「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者は「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府を怖がって政府の言うことをなんでもかんでも聞いているから政府に悪いことをやれと言われて悪いことをやっているのである。
しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。政府は国民に「税金を払え!」とか「崖[がけ]から飛び降りて死ね!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とかいろいろ悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸せになればいいのである。昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びが得られなかったから“悪いことをされる喜び”を満足しないといけなかった。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。昔の国民は政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるだけで他人に悪いことをして他人に迷惑をかけたりしなかった。今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びが得られるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『人間に“悪いことをされる喜び”がある』のを忘れてしまったために、政府が何の会社なのかわからなくなっている。ところが、政府は民主主義の芝居をやっている。“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びであり、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は民主主義の芝居をやって自分が“悪いことをされる喜び”を満足する団体でないふりをして、国民が恥ずかしい思いをせずに政府の言うことを聞いて政府を利用することができるようにしてくれているのである。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が何の会社なのかわからなくなっているために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解してしまっているのである。そもそも『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいい。国民は自分が政府の言うことを聞きたければ政府の言うことを聞いて、自分が政府の言うことを聞きたくなければ聞かなければいい。今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び“を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞かず政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府が「他人に悪いことをしろ!」と言うのを聞かずに他人に悪いことをしなければいい。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていた。今の国民の中には自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府に対する見方が変わったために「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者がいる。今の国民の中には『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を「民主主義の団体」だと誤解している者がいる。今の世の中に政府の言うことを聞いて悪いことをする者がいるのは「政府が民主主義の団体だ」と思っている者がいるからである。だから、国民が国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体だ」と思う者がいなくなれば、政府の言うことを聞いて悪いことをする者がいなくなる。だから、国民は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えねばならない。
早く国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようになって、世の中に政府の言うことを聞いて悪いことをする者がいなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようにしなければならない。

[22825] 今の政府は国民みんなを不幸にする嫌な団体である。 h28.6.15
昔の政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だった。昔の国民は自分の好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔の国民は政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて喜ぶだけで、けっして他人に悪いことをしなかった。昔の政府は国民に悪いことを言って国民本人に悪いことをするだけで、けっして国民に命令して他人に悪いことをさせなかった。
今の政府は政府の言うことを何でも聞く国民に悪いことを命令して国民みんなに悪いことをする団体である。今の政府は政府の言うことを何でも聞く国民に命令して人殺しをさせたりお金を強盗させたり悪い制度をやらせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くないマンガやテレビ番組を作らせたり不愉快[ふゆかい]な製品を作らせたりして国民みんなを不幸にしている。
昔の政府は国民みんなを幸福にするいい会社だった。今の政府は国民みんなを不幸にする嫌な団体である。今の国民みんなは政府を倒さねばならない。
そもそも今の政府が国民みんなに悪いことをするのは、政府の言うことを何でも聞く国民がいるからである。政府の言うことを何でも聞く国民がいるのは、「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているからである。「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民がいるのは、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないからである。本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』だから、国民は国民みんなに『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、「政府が民主主義の団体だ」と思っている人がいないようにして政府の言うことを何でも聞く人がいないようにして、今の政府が国民みんなに悪いことをできないようにしなければならない。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取らさないようにして政府を倒さねばならない。
今では勇気ある国民が国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民が減って政府の言うことを聞く国民が減って政府が滅んでいる。今では客から消費税を取らない店も増えている。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』から「国民みんなに悪いことをする団体」に変わって、最後には滅ぶのである。

[22826] 昔の国民は政府の言うことをなんでもかんでも聞かなかった。 h28.6.15
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので『政府(幕府も含む)が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをよく知っていた。昔の国民みんなはめいめい自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいたので、国民は政府に従っていなかった。国民と政府は平等だった。昔の国民みんなは『政府の民主主義が芝居にすぎない』ことをよくわかっていて、自分の“悪いことをされる喜び”を個人的に満足する場合以外には政府の言うことをまったく聞かなかった。だから、昔の政府には権力(命令力)がなかった。昔の政府は国民に命令することができなかった。昔の政府は法律や制度を定めることができなかった。いつでも国民みんなで法律や制度を定めていた。例えば、江戸時代には幕府は生類憐[しょうるいあわれ]みの令や身分制を定めたが、国民みんなが反対したのでどちらも実際にはやらなかった。国民みんなは幕府のお触[ふ]れを無視して平気で動物を殺したりみんなと平等に暮らしていた。国民は幕府と平等に暮らしていた。昔の国民みんなは自分たちで自分たちを幸福にする法律や制度や文化を定めて幸福に暮らしていた。昔の国民みんなは自分たちで自分たちを楽しませる作品や愉快[ゆかい]にする製品を作って幸福に暮らしていた。
反対に、今(昭和40年=1965年ごろ以後)の国民の多くは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなっている。そのため、今の国民の多くは「政府が民主主義の団体だ」と誤解して、「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府はもともと国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府は国民に悪いことをする性分[しょうぶん]だから、政府は調子に乗って政府の言うことを何でも聞く国民に命令して他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。今の政府には政府に従う多くの国民がいる。今の政府には権力(命令力)がある。人間は権力を与えられると必ず悪いことをする。だから、今の政府は多くの国民に命令して悪いことをさせて国民みんなを不幸にしているのである。今では多くの国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞くので、政府は多くの国民に命令して法律や制度を定めることもできる。今の政府は多くの国民に命令して人殺しをさせたりお金を強盗させたり悪い法律を定めさせたり悪い制度をやらせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない製品や作品を作らせたりして国民みんなを不幸にしている。(国民みんなの中には馬鹿が多い。国民みんなには利口よりも馬鹿が多い。しかし、馬鹿は黙っている。馬鹿は頭が悪いからみんなに自分の意見を述べたりしない。反対に、利口は自分の意見を述べる。だから、国民みんなは利口に従うことになる。馬鹿も利口に従うことになる。国民みんなが正しい考えに従うことになる。だから、国民みんなが幸福になる。政府に権力がなければ国がうまく行く。しかし、今は政府が権力を持っていて、政府が国民の多くに悪いことを命令しているために国民みんながまちがったことをやって不幸になっている。国民みんなが幸福になるためには政府の権力をなくさねばならない。/今の政府には政府に従う多くの国民がいるので政府に権力がある。しかし、“多く”の国民と言ってもせいぜい日本中で100万人(推定)ぐらいである。「政府が民主主義の団体だ」と思っている国民はたくさんいるが、たいてい政府に税金を払うだけで、政府の命令をなんでもかんでも聞く国民は少ししかいない。だから、本当は今の政府はあまり権力がないのかもしれない。しかも、今の政府の権力は国民の政府に対する誤解によるものにすぎない。馬鹿馬鹿しすぎる。ふつう権力というものはリーダーの思想や主義に感銘[かんめい]した人々によって発生するものだが、今の政府の権力は政府を誤解した人々によって発生しているからくだらなさすぎる。情けなくてまともに相手にする気にもなれない。国民の政府に対する誤解は国民に正しいことを教えることによって容易に直すことができる。だから、今の国民は大げさに政府を恐れる必要はない。今の国民は政府を気にせずに自由にやればいいのである。)
そもそも今の国民の多くが政府の言うことをなんでもかんでも聞いているのは、国民の多くが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないからである。そのために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているのである。国民の多くが政府の言うことを聞かなければ、政府は国民の多くに悪いことを命令して国民みんなに悪いことをすることができない。だから、国民が政府に国民みんなに悪いことをさせないようにするためには、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えればいいのである。そうすれば、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民がいなくなって政府の言うことをなんでもかんでも聞く国民がいなくなって、政府が国民みんなに悪いことをできなくなる。
今の政府は政府の言うことを聞く国民に命令して国民みんなを不幸にしている。今の国民みんなが政府の言うことを聞かなければ国民みんなは今よりもずっと幸福に暮らせる。だから、今の国民は国民みんなに一生懸命に『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足すいる会社である』ことを教えて国民みんなにわからせて国民みんなが政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取らさないようにして政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
昔の国民は物は貧しかったが自分たちで善い法律や制度や文化を定めて幸福に暮らしていた。今の国民は物は豊かだが政府に悪い法律や制度や文化を定められて不幸に暮らしている。今の国民は物が豊かなだけではいけない。今の国民は頭もよくなければならない。今の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解して、自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を取らさないようにして政府を倒さねばならない。国民一人一人が自分の力で自分が幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22827] 政府は曖昧[あいまい]な団体である。 h28.6.15
政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にも「民主主義の団体」にも見える団体である。国民の見方によってどちらにも見える曖昧[あいまい]な団体である。([22602] カモウサギ h28.3.26 を参照。)
“悪いことをされる喜び”を満足している国民には政府が『国民の悪いことをされる喜びを満足する会社』に見え、“悪いことをされる喜び”を満足していない国民には政府が「民主主義の団体」に見える。
しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』“悪いことをされる喜び”を満足している国民の見方が正しい。
だから、今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足しているつもりになって政府を見て『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と思って、『国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいい』と思って、『今の自分は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい』と思って政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かず政府と関らず自由に生きていけばいいのである。今の国民は政府の言うことを聞く暇があったらほかのことをやればいいのである。

[22828] 今の政府は自分の言うことを何でも聞く国民を使って国民みんなを不幸にしている。 h28.6.15
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)弱い動物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に暮らしていたから、今でもそのころの名残[なごり]で人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「アパートの屋上から飛び降りて死ね!」とか「満員電車の中でウンコを漏らせ!」とか悪いことを言うから、国民は自分が政府に悪いことをされたい分だけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。国民が政府の言うことをどれだけ聞くかは国民が自分で決めればいい。“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びであり、国民が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は民主主義の芝居をやって自分が“悪いことをされる喜び”を満足する会社ではないふりをして、国民が政府の言うことを聞きやすくして政府を利用しやすくしてくれている。そうやって政府は客を増やして自分が儲[もう]かるようにしているのである。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたので、国民みんながめいめい自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。かなりの国民は『政府が“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞くのをやめた。政府に税金を払うのをやめた。しかし、多くの国民は『政府が“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府はもともと国民に悪いことをする性分[しょうぶん]だから、多くの国民が政府に従っているのにいい気になって、多くの国民に悪いことを命令して人殺しをさせたり強盗をさせたり悪い法律や制度を定めさせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作らせたりして国民みんなを不幸にしている。少数の国民は今でも昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて幸福に暮らしている。
今では政府が政府の言うことを何でも聞く国民を使って国民みんなを不幸にしている。「政府が民主主義の団体だ」と思っている国民がいるから政府の言うことを何でも聞くのである。だから、国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っている国民に政府の正体を教えてやればいい。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、政府は国民にいろんな悪いことを言うから国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばよく、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。』ことを教えてやればいい。そうすれば、「政府が民主主義の団体だ」と思っていた国民がいなくなって政府の言うことを何でも聞く国民がいなくなって政府が国民みんなを不幸にできなくなるだろう。
早く国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようになって、政府の言うことを聞いて他人に悪いことをする国民がいなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22829] 今の国民は政府の言うことを聞いて他人に悪いことをしてはいけない。☆ h28.6.15
今の国民の多くは「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府に国家権力があって国民全員が政府の言うことを聞かねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。国民の多くは政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐[いじ]められたりしている。その上、国民の多くは政府の言うことを聞いて人殺しをやったり強盗をやったり悪い法律や制度を定めたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組を作ったりして国民みんなを不幸にしている。そのため、今の日本は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国になっている。国民の多くは悪いことをやっているのに、「自分が偉い人に言われて善いことをやっている」と思って胸を張っているのである。自分が悪いことをやっているのに嬉[うれ]しそうに笑っているのである。
しかし、政府は本当は民主主義の団体ではない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民はその中から自分が好きな悪いことを選んで自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜べばいいのである。“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びなので、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやって自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社でないふりをして国民が政府に悪いことをされているのをわからなくしているのである。国民は政府の民主主義の芝居だけを見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解しないように注意しないといけない。昔の国民は物が貧しかったために“悪いことをされる喜び”を満足していたから、めいめい自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいた。昔の国民は政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされるだけで、けっして他人に悪いことをせず他人に迷惑をかけなかった。反対に、今の国民は物が豊かだから“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことをいっさい聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて自分が政府に悪いことをされないようにして自分が幸福に暮らせばいい。今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて他人に悪いことをしないようにして国民みんなを不幸にしてはいけない。今の政府は多くの国民が自分に従っていると思っていい気になって羽目[はめ]をはずして悪いことを命令している。国民が政府の言うことを聞いて悪いことをすると国民と政府の両方が悪いことになる。国民と政府の両方が罰せられる。だから、国民はけっして政府の言うことを聞いて悪いことをやってはいけない。国民がいくら自分が「政府が民主主義の団体だ」と思っていても、実際には『政府はただの国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社にすぎない』から、政府には国家権力はなくただの会社だから、国民が政府の命令で悪いことをすると国民と政府の両方とも有罪になって罰せられるから、国民は政府に言われて悪いことをやってはいけない。国民が「政府が民主主義の団体だ」と思っているのは国民の誤解だから、国民が政府に言われて悪いことをやってもいい理由にはならないから、国民は絶対に政府に言われて悪いことをやってはいけない。実際に、政府に言われて悪いことをやった国民が有罪になってテレビのニュースで放送されている。だから、政府は「民主主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。いくらオウム真理教の信者が「司教は神だから司教の命令で何をやってもいい」と思っていても、実際には『司教はただの人間だ』から、司教の命令で悪いことをやると有罪になって罰せられるのと同じことである。政府と宗教団体は見かけが違うだけで、中身は同じ国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社なのである。
今はまだすべての国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていないから、多くの国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて他人に悪いことをやっている。だから、国民みんなで『政府が国民の悪いことをされる喜びを満足する会社である』ことを教え合って「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者をなくして政府の言うことを聞いて他人に悪いことをする者をなくして国民みんなが不幸にされないようにしないといけない。早く国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして政府の言うことを聞いて他人に悪いことをしないようにして国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。自分の“悪いことをされる喜び”を満足したい者だけが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされるようにしないといけない。

[22830] 今の国民の多くは「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているために自分や他人を不幸にしている。 h28.6.16
今では国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。国民の多くが政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐[いじ]められたりして政府に悪いことをされて自分が不幸になっている。国民の多くが政府の言うことを聞いて人殺しをしたり他人のお金を奪ったり悪い法律や制度を定めたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作ったりして政府に悪いことをさせられて他人を不幸にしている。今では国民みんなが政府や政府に従う国民によって不幸にされている。国民みんなにとってはとんだ迷惑である。国民が政府の言うことを聞いて自分を不幸にするのはかまわないが、他人を不幸にするのはいけない。国民みんなにとっては政府も政府に従う国民も嫌いである。
政府は本当は民主主義の団体ではない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜ぶためにある。けっして国民は政府の言うことを聞いて他人に悪いことをしてはいけない。だから、実際に、国民が政府の言うことを聞いて他人に悪いことをすると有罪になって罰せられてテレビや新聞のニュースに顔や名前が出るのである。
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。しかし、“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びであり、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民が政府の暖簾[のれん]をくぐりやすくするために民主主義の芝居をやって店の看板を『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』から「民主主義の団体」に付け替えている。(徳川幕府も自分を“道徳をやる団体”みたいに言って自分が「善いことをする団体」のふりをして自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠して、国民みんなが幕府の言うことを聞きやすくして利用客を増やした。)昔の国民は物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しくわかっていて、自分の好きなだけ政府の言うことを聞いて政府を上手[じょうず]に利用して幸福に暮らしていた。反対に、今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞かねばならなくなって不幸に暮らさねばならなくなっている。
今の国民みんなは政府のことを正しく理解して自分の政府に対する誤解を直して、政府と正しく付き合えるようにならねばならない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。昔の国民は物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の税金を払って政府に悪いことをされて喜んでいた。一方、今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず自分が政府に悪いことをされたり自分が他人に悪いことをしたりせずに、自分や他人を不幸にせずに幸福に暮らせばいい。今の国民にとって政府は要らない。今の国民は政府と縁を切って自分の好きなように暮らせばいい。
人間は現実を正しく理解すると幸福に暮らせるが、まちがって理解すると不幸に暮らさねばならなくなる。人間は正しいことを知って正しいことをやると幸福になれる。だから、今の国民みんなは早く政府を正しく理解して正しいことをやって幸福に暮らさねばならない。

[22831] 国民みんなにとっては『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が迷惑である。 h28.6.16
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足すればいい。今ではかなりの国民が物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなくなっている。今ではかなりの国民が政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐[いじ]められたりしなくなって幸福に暮らしている。もっとも、今でも自分の“悪いことをされる喜び”を満足している少数の国民は、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしている。
しかし、多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府にたくさん税金を取られたり殺されたり虐められたりして政府に悪いことをされて不幸に暮らさねばならなくなっている。その上、今の政府は多くの国民が自分に従っていることにいい気になって、多くの国民に命令して他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。政府は多くの国民に命令して人殺しをさせたりお金を奪わせたり悪い法律や制度を定めさせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組を作らせたりして国民みんなを不幸にしている。もちろん、国民みんなは自分が政府に悪いことをされるのを承認していない。国民みんなにとっては政府や政府に従う国民はいい迷惑である。だから、国民みんながテレビの『仮面ライダー』で政府や政府に従う国民を悪の組織ショッカーに喩[たと]えて仮面ライダーにやっつけさせて喜んでいるのである。政府がショッカーの首領で、政府の言うことをなんでも聞く国民がショッカーの幹部で、政府の言うことを聞いて悪いことをやる国民がショッカーの怪人で、政府に税金を払うだけの国民がショッカーの戦闘員である。(h28.6.22追記:少し前に藤岡弘、[ふじおかひろし]が出演しているJAROの宣伝でJAROをそば屋とまちがえて電話がかかってくる宣伝があった。これは、今の一部の国民が政府を「民主主義の団体」とまちがえていることを表している。本当は、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。おまちがいなく。)
国民みんなにとっては『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が迷惑である。嫌である。だから、国民みんなで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民をなくさねばならない。そうして国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22832] 今の政府は「政府に従う国民に命令して国民みんなに悪いことをする悪の団体」として生き残っている。 h28.6.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びなので、国民が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、政府は民主主義の芝居をやって自分が民主主義の団体のふりをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社でないふりをして、国民が政府の言うことを聞きやすくして政府を利用しやすくしてくれている。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に生きていた。国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足している人はほとんどいない。かなりの国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らしている。少数の国民はいまだに自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしている。多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府にたくさん税金を取られたり殺されたり虐められたりして悪いことをされて不幸に暮らしている。その上、今の政府は多くの国民が自分の言うことをなんでもかんでも聞いていることにいい気になって、多くの国民に命令して他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。政府は多くの国民に命令して人殺しをさせたりお金を奪わせたり悪い法律や制度を定めさせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組を作らせたりして国民みんなを不幸にしている。
最近(平成12年=2000年ごろ以後)は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って、政府に従う国民が減って、政府が国民に命令して悪いことをさせて国民みんなを不幸にすることができなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようになっている。
要するに、昭和40年=1965年ごろに『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』としての政府は滅んだ(『ビックリマン』天聖界編)。その後の政府は「政府に従う国民に命令して国民みんなに悪いことをする悪の団体」として生き残っている(『ビックリマン』次動ネブラ編)。しかし、今では国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って政府に従う者をなくして政府を倒している(『ビックリマン』次界編、実際にはそんな編はなかったが)。(天聖界を出てから次動ネブラに行くまでの無縁[むえん]ゾーンや螺[ら]エリアとかなんとかエリアとかが、『国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらって自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた社会』から「国民の一部が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の命令をなんでも聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にしている社会」に変わるまでの各課程を表している。『ビックリマン』に興味のある人は詳しく調べてみればいい。)最後に、政府と政府の言うことをなんでも聞く国民が汚い山荘(山荘←サンソウ←三ウソ←川ブ(三≒川、ウ≒フ、ソ≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)に篭[こも]って「日本政府万歳!」と叫びながら自爆して死ぬ。(『スペクトルマン』のゴリが政府でラーが政府の言うことをなんでも聞く国民だ。スペクトルマンは私だ。ゴリはラーがスペクトルマンにやられたあとラーの後を追って崖[がけ]から飛び降りて死んだ。)

[22833] 今の国民にとって政府軍は恐れるに足[た]りない。 h28.6.16
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”をちょうどいい具合に満足して幸福に暮らしていた。昔は政府の言うことを聞いて他人に悪いことをする者がいなかった。国民みんなが平和に幸福に暮らしていた。
今では国民みんなが物が豊かで物を使って多くの喜びが得られるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。かなりの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって暮らすようになった。少数の国民はあいかわらず自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて幸福に暮らしている。しかし、多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになった。政府は自分の言うことをなんでも聞く国民を使って人殺しや強盗をやらせたり悪い法律や制度を定めたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組を作らせたりして国民みんなを不幸にしている。
しかし、政府の言うことをなんでもかんでも聞く国民はせいぜい数百万人である。国民みんなから見たら小さい軍団である。取るに足りない軍団である。国民は政府軍を恐れるに足りない。そんなものを恐れていたら人間は何もやれない。
だから、今の国民は政府軍を倒せばいい。そもそも政府の言うことをなんでも聞く国民がいるのは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているためである。国民が政府を誤解しているために政府に従っているのは愚[おろ]かなことである。だから、国民は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてやればいいのである。国民は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて政府軍を倒せばいいのである。こういうのを『ペンは剣より強し』と言うのである。
早く国民みんなで政府軍をチャチャッと倒して、国民みんなで人殺しや強盗をなくして善い法律や制度を定めて善い文化を流行[はや]らせて面白い食品や製品や作品や番組をたくさん作って国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22834] 政府は「民主主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。 h28.6.16
今の国民の多くが「政府が民主主義の団体だ」と思っているのはまちがいである。今の国民の多くが「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」「政府は国家権力があるから国の法律や制度を定めることができる」と思っているのはまちがいである。
本当は、『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』『人間の心には“悪いことをされる喜び”つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。』『政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。けっして政府の言うことを聞きすぎて不幸になってはいけない。』『“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びだから、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。そのために、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをして、国民が政府の言うことを聞きやすくして国民が政府を利用しやすくしている。つまり、政府の民主主義の芝居は宣伝である。普通の宣伝は会社の仕事をみんなに知らせるためにやるが、政府の宣伝は会社の仕事をみんなに隠すためにやる。いわば“負の宣伝”である。“イケナイ物”を売っている会社は“負の宣伝”をして客を増やすのである。』『昔の国民は物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったから“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得なければならなかった。昔の国民はたくさん政府の言うことを聞いてたくさん政府に悪いことをしてもらって喜んでいた。反対に、今の国民は物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいい。』
今の国民の多くは自分が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないから、テレビや新聞で政府を見て政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞かねばならなくなっているのである。政府に言われて自分が政府に悪いことをされるだけでなく、他人に悪いことをして他人に迷惑をかけねばならなくなっているのである。他人を殺したり他人の財産を奪ったり悪い法律や制度を定めたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組を作ったりして国民みんなが不幸に暮らさねばならない国になっているのである。国民は頭で『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えて政府を見ないといけない。国民は今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かないようにしないといけない。国民は政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされないようにしないといけない。自分が政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐められたりしないようにしないといけない。国民は政府の言うことを聞いて自分が他人に悪いことをしないようにしないといけない。自分が他人を殺したり他人のお金を奪ったり悪い法律や制度や文化を定めたり面白くない物を作ったりしないようにしないといけない。
今の国民は自分の頭で『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えて、自分で政府の言うことを聞かないようにして自分が政府に悪いことをされたり他人に悪いことをしたりしないようにしないといけない。今の国民は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして、国民みんなが政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなが政府の言うことを聞かないようにして他人に悪いことをしたりしないようにして国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22835] 「政府が民主主義の団体だ」と思っている人は政府を高く買いすぎている。 h28.6.16
『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人は『政府は国民と平等であり、政府はただの会社にすぎない』と思っている。『国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいのであり、政府は自分に悪いことをされたい者に対して悪いことができるだけである』と思っている。
しかし、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず「政府が民主主義の団体だ」と思っている人は「政府は国民みんなが絶対服従しないといけない偉い人である」と思っている。「政府は国民みんなを自分の好き放題にできる」と思っている。「自分が政府に気に入られたら大出世できる」と思っている。
国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているか知っていないかによって政府の強さが変わる。国民の政府に対する態度が変わる。
本当は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』政府はそこらへんの会社と同じである。だから、国民は政府を特別視せずに政府と対等に付き合えばいいのである。

[22836] 今では政府と「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民は国民みんなの敵である。 h28.6.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜べばいいのである。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が低くて国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。国民みんながめいめい自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)では国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。国民の多くは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞かなくなっている。政府に税金を払わなくなっている。政府の言うことを無視して自由にやっている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいる。国民の一部は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があり国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。国民の一部は政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分が不幸になっている。国民の一部は政府の言うことを聞いて他人に悪いことをして他人を不幸にしている。今では国民みんなが政府や「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民に不幸にされている。
今では政府と「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民は国民みんなの敵である。国民みんなは彼らを倒さねばならない。
国民みんなは政府を倒すために政府の言うことを聞いて政府にお金をやってはいけない。税金や国民健康保険費や厚生年金や消費税や法人税などをやってはいけない。国民みんなは「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民を倒すために、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えねばならない。
国民みんなで早く政府や「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民を倒して、国民みんなを不幸にする者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。


[22837] 今の政府は国民みんなの嫌われ者である。h28.6.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。もっとも、“悪いことをされる喜び”はヘンテコな喜びなので、人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしい。そのために政府は民主主義の芝居をやって店の看板を付け替えて自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをして、国民が抵抗なく政府の言うことを聞いて政府を利用できるようにしてくれている。そういうのを『嘘も方便[うそもほうべん]』というのである。つまり、政府は看板が「民主主義の団体」で中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。同じように、幕府は看板が「身分が高い団体」で中身は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。政府も幕府も見かけが偉いだけで中身は国民と同じなのである。(インド人は嘘[うそ]が通じないので幕府の看板をそのまま鵜呑[うの]みにして本当に「幕府が身分が高い」と思っているのである(笑い)。インド人は嘘をつかないが、日本人は嘘をつく。そこがインド人と日本人の大きな違いである。日本人は嘘[うそ]と本当の区別が得意だから、マンガを読んだりゲームをやったりして楽しめるのである。ところが、私は嘘と本当の区別が得意ではない。だから、私は本当っぽいマンガやゲームでしか楽しめないのである。私は“知的な味”がするマンガやゲームでしか楽しめないのである。パソコンゲームの『バトルフィールド』は“馬鹿ゲー”と言われているが内容はまじめである。“馬鹿ゲー”は宣伝文句であって本当は知的なゲームである。)
昭和40年=1965年ごろまでは政府は国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足して国民みんなを幸福にする善い会社だった。国民みんなはめいめい自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。政府は国民みんなの人気者ですごく儲[もう]かった。政府は国民みんなから取りすぎたお金で鉄道や水道や教育や役所などのいろんな事業をやっていた。
しかし、昭和40年=1965年ごろ以後は政府は政府の言うことをなんでも聞く国民を使って国民みんなを不幸にする悪の軍団と化した。国民の多くは自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府と縁を切った。自分の“悪いことをされる喜び”を満足する少数の国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らした。『政府が国民みんなの悪いことをされる喜びを満足する会社である』ことを知らない一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになった。政府は自分の言うことをなんでも聞く国民を使って他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にした。政府は国民みんなの嫌われ者になって儲からなくなった。政府はテレビや新聞ではニコニコして笑っているが、本当は国民みんなに嫌われている。政府はお金が足りなくなって鉄道や水道や教育や役所などの付属会社を民営化している。
今の国民みんなにとっては政府や「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民は邪魔[じゃま]なので倒している。国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒している。国民みんなは国民みんなに『政府が国民の”悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでも聞く国民をなくしている。国民みんなは政府や「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民をなくして、国民みんなが幸福に暮らせる国にしている。
『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて政府の言うことを聞いていない国民は、テレビや新聞で政府の記事を見て「政府はいつになったら滅ぶのかなあ?」と思っているが、「政府が民主主義の団体だ」と思って政府の言うことを聞いている国民は、テレビや新聞で政府の記事を見て「政府が決めたことには自分が従わねばならない」と思っている。見る人によってテレビや新聞の記事は違って見えるのだ。考えがあるとないとでは世の中が違って見えるのだ。

[22838] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足すること以外には何もできない。☆ h28.6.17
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は昔も今も将来も国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は看板が「民主主義の団体」というだけで本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。だから、政府は国の法律を定めることができない。国の制度を定めることができない。国の文化を定めることができない。政府は国の景気をよくしたり、産業や工業を発展させたりすることもできない。政府は外国との関係をよくしたり世界を平和にしたりすることもできない。政府は形の上でなんでもできるふりをしているだけで、本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足すること以外には何もできない。国の法律を定めたり制度を定めたり文化を定めたり国の景気をよくしたり国の産業や工業を発展させたり外国との関係をよくしたり世界を平和にしたりするのは全部国民みんながやっていることであって政府がやっていることではない。政府は国民に「税金を払え!」とか「列車に飛び込んで死ね!」とか「裸踊りをしろ!」とかいろんな悪いことを言って、国民が自分の好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にすることしかできないのである。政府はくだらないことしかできないのである。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなくて十分な喜びがなかったから“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが自分の好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福になっていた。
しかし、今では国民みんなは物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足してたくさん喜びが得られているから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民みんなにとっては政府はまったく何の役にも立たない。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府に税金を払わなくなっている。もっとも、少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福になっている。一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて、「民主主義の団体」の看板を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民みんなが政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府はなんでも政府の言うことを聞く国民に命令して税金を取ったり自殺させたり虐[いじ]めたりするだけでなく、政府はなんでも政府の言うことを聞く国民に命令して他人に悪いことをさせて人殺しや強盗やイタズラをさせたり悪い法律や制度や文化を定めさせたり国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせたり外国との関係を悪くしたり戦争を起こしたりさせて国民みんなを不幸にしている。
今の国民みんなにとって政府は役に立たないだけではない。今の国民みんなにとって政府と政府に従う国民は国民みんなの幸福を邪魔[じゃま]する悪の軍団である。今の国民みんなは政府と政府に従う国民をやっつけねばならない。今の国民みんなは政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を倒して、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の命令で他人に悪いことをする国民をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
政府に従っている国民は自分勝手に政府を誤解しているために政府に従わねばならなくなっているのである。政府に従っている国民は早く政府のことを正しく理解して政府に従うのをやめねばならない。

[22839] 今の政府は一部の国民が「民主主義の団体だ」と誤解しているだけである。 h28.6.18
政府は昔も今も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は民主主義の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、「民主主義の団体」であるのは嘘[うそ]である。もっとも、政府の嘘は国民を騙[だま]すための嘘ではなく、国民が政府を利用しやすくするための嘘である。いくら国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて政府を利用したくても、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思っていると国民が政府を利用しづらいので、政府は民主主義の芝居をやって国民に「政府が民主主義の団体だ」と思わせて国民が政府を利用しやすくしているのである。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり「民主主義の団体」であるのは嘘である。だから、「政府が法律を定めたり制度を定めたり文化を定めたり国の景気をよくしたり産業を発展させたり外国との関係をよくしたり世界を平和にしたりすることができる」のは全部嘘である。「政府に国家権力があって政府が国民に命令できる」のは嘘である。政府は本当は国民にいろんな悪いことを言って、国民が自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることができるだけである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかには何もできないのである。(会社の社長も同じである。)
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。昔は国民みんなが『政府の民主主義が芝居である』ことを知っていて、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受ける者はいなかった。
今は国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府に税金を払わなくなっている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいる。一部の国民は『政府が国民の悪いことをされる喜びを満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府は一部の国民が自分に従っていることにいい気になって一部の国民に命令して他人に悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。政府は一部の国民に命令して人殺しをさせたり強盗させたりイタズラをさせたり悪い法律や制度を定めさせたり悪い文化を流行[はや]らせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作らせて国民みんなを不幸にしている。
今の政府は一部の国民が「民主主義の団体だ」と誤解しているだけで、本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。政府は昔も今もまったく同じ『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』のままなのである。今の国民みんなは政府のことを正しく理解して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思っている。
今の政府は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している一部の国民に命令して他人に悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。国民みんなにとっては政府と「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民は邪魔[じゃま]である。国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取らさないようにして政府を倒して、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の命令で他人に悪いことをする国民をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の政府は潰[つぶ]れそこないのオンボロ会社である。政府が偉そうにしているのはハッタリである。政府に従っているのは馬鹿だけである。政府は馬鹿の集団の親分である。今の政府は馬鹿からお金を取って生き残っているだけである。今の政府は馬鹿を使って国民の嫌がらせができるだけである。馬鹿は頭が悪くて心が汚いから政府の命令で他人に嫌がらせをして喜んでいるのである。国民みんなにとっては政府も馬鹿も要らない。国民みんなはさっさと政府や馬鹿の集団を潰さねばならない。国民みんなは政府や馬鹿の集団を倒して自分の幸福を勝ち取らねばならない。

[22840] ヨコ社会からタテ社会へ h28.6.18
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて、国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民が政府と平等にやっていたので平和な社会だった。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなったが、一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになって政府の命令で他人を殺したり他人から強盗したり悪い法律や制度を定めたりして他人に悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今は一部の国民が政府に従っているために物騒[ぶっそう]な社会になっている。
昔は国民と政府は平等でヨコ社会だった。今は一部の国民が政府に従っていてタテ社会になっている。そのために国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。タテ社会になっている原因を調べて、その対策を立てねばならない。
そもそも一部の国民が政府に従うようになったのは、一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないためである。一部の国民が自分勝手に政府のことを誤解して「政府が民主主義の団体だ」と思っているために政府に従わねばならなくなっているのである。だから、タテ社会を直すためには国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』ことを教えてやればいい。
早く国民みんなで政府に従う者をなくして政府のような権力者をなくして、国民みんなが平等である社会にして、国民みんなが平和に幸福に暮らせる社会にしないといけない。

[22841] 国民みんなは自分のことは自分でしないといけない。☆ h28.6.18
昔は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのため、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをよく知っていて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。昔は国民みんなが『政府が民主主義の団体ではない』ことがよくわかっていた。『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけでほかには何もやれない』ことがよくわかっていた。そのために、国民みんなは自分のことは自分でしていた。国民みんなは自分で国民みんなが幸福に暮らせる善い法律や制度や文化を決めていた。自分で経済や産業や工業を発達させていた。自分で面白い食品や製品や作品や番組を作っていた。そのために、国がうまく行っていた。国民みんなが幸福に暮らせる国になっていた。
しかし、今では国民みんなが物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいる。しかし、一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国のことをなにからなにまでやってくれる」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府になんでもかんでもやってもらっている。しかし、そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府は国民に悪いことをさせるだけである。そのために、一部の国民は政府の言うことを聞いて悪い法律や制度や文化を定めたり、国の景気を悪くしたり産業や工業を遅れさせることをやったり、面白くない食品や製品や作品や番組を作ったりしている。そのために、国がうまく行かなくなっている。国民みんなが不幸に暮らさねばならない国になっている。今の一部の国民は政府に甘えてなにからなにまで政府の言うことを聞いて政府にやってもらっている。そのために、国民みんなが不幸に暮らさなければならなくなっている。だから、『甘えの構造』なんていう本があったのだ。日本人は特に“甘えの気持ち”が強い。そのために政府による被害が大きくなっている。政府によって国がメチャクチャになっている。国民みんなが不幸に暮らさなければならなくなっている。反対に、ヨーロッパ人やアメリカ人は“甘えの気持ち”が弱い。ヨーロッパ人やアメリカ人は自分のことは自分でやる習慣が強い。そのために政府による被害が抑えられて国がうまく行くのである。国民みんなが幸福に暮らせるのである。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社にすぎない。政府は民主主義の団体ではない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかには何もできない。だから、国民みんなは自分のことは自分でやって、政府に余計なことをやらせてはいけない。国民みんなは自分で国の法律や制度や文化を決めて、国の景気をよくして産業や工業を発達させて、面白い食品や製品や作品や番組を作らねばならない。国民みんなはけっして政府の言うことを聞いて政府に国の法律や制度や文化を定めさせたり、国の経済や産業や工業に手出しをさせたり、食品や製品や作品や番組を作らせたりしてはいけない。
国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解してはいけない。国民は政府の中身を見て政府の看板に惑[まど]わされてはいけない。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して政府に自分を幸福にしてもらうだけにして、国民は政府の言うことを聞いて政府にそれ以外のことをやってもらってはいけない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを全部聞いてはいけない。国民みんなは自分のことは自分でしないといけない。そうやって、国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
今では「政府が民主主義の団体だ」と思っている一部の国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞いて国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。国民みんなは自分が幸福に暮らすために「政府が民主主義の団体だ」と思っている一部の国民や政府を倒さねばならない。国民みんなで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者をなくして、国民みんなで政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。

[22842] 今の国民は自分のことは自分でやって、政府に言われてやってはいけない。 h28.6.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。もっとも、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥ずかしいことなので、そのままでは国民が政府の言うことを聞きづらい。そのために、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをして、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにして自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になりやすいようにしてくれている。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。ところが、今の国民は物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民は政府の言うことをいっさい聞かずに政府の言うことを全部無視して政府に言われても何もせずに暮らせばいい。政府に「税金を払え!」と言われても、政府の言うことを聞かず政府に税金を払わずに暮らせばいい。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかのことは何もできない。だから、国民は政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらうこと以外は、すべて自分でやらねばならない。国民は政府の言うことを聞かずに自分のことは自分でやらねばならない。
ところが、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府は本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府は国民に悪いことを言うだけだから、国民は政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりしてたくさん悪いことをされて政府に不幸にされている。しかも、政府は一部の国民が自分の言うことをなんでもかんでも聞くことにいい気になって、一部の国民に命令して他人に悪いことをさせて人殺しをさせたり強盗させたり、悪い法律や制度や文化を定めさせたり、面白くない食品や製品や作品や番組などを作らせたりして国民みんなを不幸にしている。さらに、今の国民の一部は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府は国中のなにからなにまでやってくれる」と思って本来自分がやるべきことを政府に任[まか]せて政府の言うことを聞いてやっている。ところが、政府は本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけだから、政府は悪いことを言うだけだから、国民は政府の言うことを聞いて悪いことばかりやって国民みんなを不幸にすることばかりやって国中をメチャクチャにしている。
そもそも今の国民の一部が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らずに「政府が民主主義の団体だ」と誤解していることがいけないのである。政府は国民の誤解に追従[ついじゅう]してくるから、国民は自分が正しくすればいい。今の政府は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない馬鹿をカモにして儲[もう]ける会社なのである。国民みんなは政府のことをよく知って、政府の言うことを聞かないようにして自分が政府に悪いことをされたり他人に悪いことをしたりしないようにしなければならない。国民みんなは自分のことは自分でするようにして、政府に言われてやってはいけない。
人間は誤解に基づいても幸せにはなれない。人間は真実に基づけば幸せになれる。国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っていても幸せになれない。国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えると幸福になれる。早く国民みんなが真実を知って、国民みんなが真実に基づいて正しいことがやれるようになって、国民みんなが幸福に暮らせるようにならねばならない。

[22843] 政府は「民主主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。☆ h28.6.19
今の一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っている。「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪いことを言う。』そのために、一部の国民は政府の言うことを聞いて政府に税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりして悪いことをされて不幸になっている。その上、今の政府は一部の国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞くと思っていい気になって、一部の国民に命令して他人に悪いことをさせて人殺しをさせたり強盗させたりイタズラをさせたり悪い法律や制度を定めさせたり悪い文化を流行[はや]らせたり国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作らせたりして国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っている。「政府は国中のなにからなにまでやってくれている」と思って自分で自分のことをやるのをやめて政府の言うことを聞いて政府にやってもらっている。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪いことを言う。』そのために、一部の国民は政府の言うことを聞いて政府に自分のことをやってもらって政府に悪いことをされて国民みんなを不幸にしている。
しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』『政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。』今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなければいい。政府の言うことを聞かず他人に悪いことをしなければいい。他人を殺したり強盗したり悪い法律や制度を定めたり悪い文化を流行らせたり国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作ったりしなければいい。『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するだけで、ほかのことは何もできない。』だから、国民は政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらうだけにして、ほかのことは自分でしないといけない。国民は自分で善い法律や制度を定めたり善い文化を流行らせたり国の景気をよくしたり産業や工業を発展させたり面白い食品や製品や作品や番組などを作らねばならない。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。しかし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことである。そのために、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』ではないふりをして、国民が政府の言うことを恥ずかしがらずに聞くことができるようにしているのである。だから、国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解をしてはいけない。国民は政府の中身を見て『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えなければならない。
今の一部の国民は政府のことが正しくわかっていない。そのために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞かねばならなくなって自分が政府に悪いことをされて自分を不幸にしたり、他人に悪いことをして他人を不幸にしたりして国民みんなを不幸にしている。「政府が国中のなにからなにまでやっている」と思って自分で自分のことをやらなくなって政府に自分のことをやってもらって政府に悪いことをしてもらって国民みんなを不幸にしている。
要するに、今の一部の国民が政府を誤解しているのがいけないのである。そのために、国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっているのである。早く国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが政府のことを正しくわかるようになって、政府の言うことを聞かなくなって自分が政府に悪いことをされたり他人に悪いことをしたりしなくなって国民みんなを幸福にしないといけない。国民みんなが政府に自分のことをやってもらわないようにして、自分で自分のことをして国民みんなを幸福にしなければならない。

[22844] 今の一部の国民は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を「民主主義の団体」と思って仕事をしてもらっている。☆ h28.6.19
『羊頭狗肉[ようとうくにく]』とは、客が店の看板に羊の肉を出す店と書いているために本当は店は犬の肉を出しているのに羊の肉だと思っておいしそうに食べていることである。
それと同じように、今の一部の国民は政府の看板に「民主主義の団体」と書いているために本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのに「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に仕事をしてもらっている。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は国民にいろんな悪いことを言って、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の”悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのに、今の一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っているために「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払ったり政府に殺されたり虐[いじ]められたりして政府にたくさん悪いことをされてたくさん不幸になっている。その上、今の政府は一部の国民が自分の言うことをなんでも聞くことにいい気になって、一部の国民に命令して他人に悪いことをさせて人殺しをさせたり強盗をさせたりイタズラをさせたり悪い法律や制度や文化を定めさせたり国の景気を悪くしたり産業や工業の発達を妨害させたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作らせたりして国民みんなを不幸にしている。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民にいろんな悪いことを言うだけでそれ以外のことは何もできないのに、今の一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と思っているために「政府は国中のなにからなにまでやってくれるから自分は何もせずに政府の言いなりになっていればいい」と思って自分で自分のことをするのをやめて政府の言うことを聞いて政府に自分のことをしてもらって政府に悪いことをしてもらって国民みんなを不幸にしている。
今では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを忘れて、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解している。今の一部の国民は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を「民主主義の団体」と思って仕事をしてもらっている。そのために、国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。
そもそも政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」ではない。だから、国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思って政府に仕事をしてもらわなければならない。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「美味[おい]しい物を食べるな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをして、国民が政府の言うことを聞きやすくして自分の“悪いことをされる喜び”を満足しやすくしてくれているのである。政府が民主主義の芝居をしているのは国民を騙[だま]すためではなく、国民が政府を利用しやすくするためである。だから、国民は政府の民主主義の芝居に騙されてはいけない。国民は政府の民主主義の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思っていはいけない。国民は政府がやっていることを見て『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えねばならない。今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足してたくさん喜びがあるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくていいから、政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされてはいけない。政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしてはいけない。政府の言うことを聞くのをやめて他人に悪いことをしてはいけない。人殺しをしたり強盗をしたりイタズラをしたり悪い法律や制度や文化を定めたり国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作ってはいけない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府は国民に悪いことを言うだけでほかには何もできないから、国民は自分のことは自分でして、政府の言うことを聞いて政府にやってもらってはいけない。国民は自分で善い法律や制度や文化を定めて国の景気をよくしたり産業や工業を発展させたり面白い食品や製品や作品や番組を作って国民みんなを幸福にしないといけない。
今では一部の国民が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を「民主主義の団体」だと思っているために国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。早く国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして、「政府が民主主義の団体だ」と思っている者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22845] 国民が政府の命令で人殺しをしたときには政府が責任を取らねばならない。 h28.6.19
『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。ところが、今の国民は物が豊かだから“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐[いじ]められたりしなければいい。それが、今の国民にとっての正しい暮らし振[ぶ]りである。それが今の国民にとっての正しい態度なのだから、誰にも咎[とが]める資格はない。
ところが、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて不幸になっている。そればかりか、政府の言うことを聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府が国中のなにからなにまでやっている」と思って自分で自分のことをせずに政府の言うことを聞いて政府に自分のことをやってもらって政府に悪いことをしてもらって国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民は政府の言うことを聞いて人殺しをしている。今の一部の国民が政府の言うことを聞くのは学校で「政府が民主主義の団体だ」と習[なら]ったからである。政府が国民に「政府が民主主義の団体だ」というまちがったことを教えたから一部の国民は「政府が民主主義の団体だ」と思うようになって政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになって政府の命令で人殺しをしたのである。だから、政府が悪い。その他の国民はあらかじめ他人から教えられたり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたから、学校で「政府が民主主義の団体だ」と教えられても「政府が国民に恥をかかさないようにしてくれている」と思って政府に感謝していた。政府が学校で国民にまちがったことを教えて国民を政府の言いなりにして国民に悪いことを命令して実行させるのはいけないことである。だから、政府が悪い。昔は国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を政府に満足してもらっていたので、国民みんながあらかじめ他人から教わったり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたから、学校で「政府が民主主義の団体だ」と教えられても『国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいい』と思っていたので、たとえ政府に「他人に悪いことをしろ!」と命令されても自分の判断で政府の命令を聞かず他人に悪いことをしなかった。今は国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を政府に満足してもらわなくなったので、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が増えているから、学校で「政府が民主主義の団体だ」と教えられるとそれを本気にして信じて、政府に「他人に悪いことをしろ!」と言われるとそれを実行してしまうのである。そもそも国民に「政府が民主主義の団体だ」と教えたのは政府だから政府が悪い。国民が人を殺した責任は政府にある。政府が国民が人殺しをした責任を取らねばならない。国民みんなで政府を罰しなければならない。国民に「政府が民主主義の団体だ」と教えた者と国民に「人殺しをしろ!」と命令した者の両方を罰しなければならない。
政府は学校で国民に『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてくれない。だから、国民が他人から学んだり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らねばならない。昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を政府に満足してもらっていたから、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたから、学校でわざわざ国民に『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えなくてもよかった。しかし、今では国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び“を政府に満足してもらわなくなって、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が増えているから、学校で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教える必要がある。学校は国民に正しいことを教えねばならない。学校が国民に正しいことを教えないのはいけない。国民みんなに正しいことを教えない政府が悪い。政府に責任がある。学校の社会科で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えない者が悪い。教えない者に責任がある。国民みんなで学校の社会科で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えない者を罰しなければならない。

[22846] 今の政府は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えないことによって生き残っている。 h28.6.19
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民は個人的に政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して楽しめばいい。けっして他人に迷惑をかけてはいけない。
今の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている。他人から学んだり自分で考えたりして知っている。今の国民みんなは物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなくなっている。もちろん、政府の言うことを聞いて他人に悪いことをしたりせず他人にも迷惑をかけていない。
しかし、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて自分が政府に悪いことをされて不幸になったり、他人に悪いことをして他人を不幸にしたりしている。「政府は国のことをなにからなにまでやっている」と思って自分で自分のことをするのをやめて政府に自分のことをやってもらって政府に悪いことをしてもらってみんなを不幸にしている。
今の一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。
今の一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないのは、政府が学校で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えていないからである。政府が悪い。政府が学校で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えていないために、一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にしている。
今の政府は学校で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えないことによって、一部の国民を自分の言いなりにして一部の国民に命令してお金を取って生き残っているだけである。おまけに、政府は一部の国民を使って他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にして楽しんでいる。今の政府は潰[つぶ]れぞこないのくせに贅沢[ぜいたく]である。
国民みんなにとっては政府と政府に従う国民が邪魔[じゃま]である。政府の資金源は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民である。だから、国民みんなで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従う国民をなくして、政府を潰さねばならない。そうやって、国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22847] 今の国民みんなは政府から離れて自由に暮らすようになっている。 h28.6.20
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。政府は国民みんなが客だったので景気がよかった。国民みんなは政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて幸福に暮らすだけで、他人に悪いことをしなかったので世の中が平和だった。国民みんなは自分のことは自分でやって、政府の言うことを聞いて余計なことをしなかったので国民みんなが幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府から離れて自由に暮らすようになっている。政府は客が減って貧しくなった。今の政府は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している一部の国民からお金を取ってかろうじて生き残っているだけである。
今の政府は学校で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えないことによって、国民に「政府が民主主義の団体だ」と誤解させて国民に政府の言うことをなんでも聞くようにさせて国民に命令してお金を取って生き残っている。おまけに、政府は自分に従う国民に命令して他人に悪いことをさせて国民みんなを不幸にして楽しんでいる。政府は潰[つぶ]れぞこないの会社の割にはたいした余裕である。政府は自分に従う国民に命令して悪いことをさせて、国民が自分で自分のことをやって善いことをできないようにして国民みんなが幸福に暮らせないようにしている。
今の国民みんなは政府と政府に従う国民によって不幸にされている。今の国民みんなにとっては政府と政府に従う国民は邪魔[じゃま]である。今の国民みんなは政府と政府に従う国民を倒さねばならない。今の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをみんなに教えて、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民をなくして、政府に従う国民をなくして幸福に暮らさねばならない。早く国民みんなで政府や政府に従う国民をなくして国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22848] 今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなを不幸にしている。 h28.6.20
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「身体に5寸釘[ごすんくぎ](長さ150mm太さ5.2mの太い釘)を打つぞ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかも、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は民主主義の芝居をやって国民に政府が「民主主義の団体」に見えるようにして政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』に見えないようにして、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしてくれて政府を利用しやすいようにしてくれている。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていた。国民みんなが『自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足すればいい』ことを知っていたので、国民みんながそうしていた。そのため国民みんなは幸福に暮らしていた。昔の国民みんなは『自分が政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分が幸福になるだけにして、他人に迷惑をかけてはいけない』ことを知っていたので、たとえ政府に「他人に悪いことをしろ!」と言われても自分の判断で政府の言うことを聞かず他人に悪いことをしなかった。そのため昔の世の中は平和だった。昔は国民みんなが『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかのことは何もできない』ことを知っていたので、自分のことは全部自分でやっていた。自分が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞くだけにして、ほかのことは全部自分でやっていた。そのために昔の世の中はみんなが自分や他人のために善いことをやってみんなが幸福に暮らしていた。つまり、昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたので、国民みんなが幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していない。そのために、今では『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が増えている。しかし、今の国民みんなは他人から学んだり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている。そのため、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今の国民みんなは政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐められたりしなくなっている。今の国民みんなは政府に言われて他人に悪いことをやったりしないし、自分のことは自分でやって自分や他人のために善いことをしてみんなが幸福に暮らせるようにしている。
しかし、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず、政府がテレビや新聞や社会科の教科書の上でやっている民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力があって国民全員が政府に従わなければならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて自分が政府に高い税金を取られたり政府に殺されたり虐められたりして政府に悪いことをされて不幸になっている。しかも、今の政府は一部の国民が自分の言うことを何でも聞くことに調子に乗って、一部の国民に命令して他人に悪いことをやらせている。一部の国民は政府の言うことをなんでも聞いて他人を殺したり他人のお金を奪ったり他人にイタズラしたり悪い法律や制度や文化をやったり国の景気や産業や工業を悪くしたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作ったりして他人に悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民は「政府はなんでもできるから政府がなにからなにまでやってくれる」と思って自分で自分のことをしなくなって自分や他人のために善いことをしなくなって国民みんなを幸福にしなくなって、政府の言うことを聞いて悪いことをして国民みんなを不幸にしている。つまり、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。今の政府は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民に命令してお金を取って生き残るのに必死だから、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてくれない。だから、国民みんなが自分で国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてやって、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして、「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて国民みんなを不幸にする者をなくさねばならない。そうやって、国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22849] 「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民がいなくなれば国民みんなが幸福に暮らすことができる。 h28.6.20
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は民主主義の芝居をして自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』ではないふりをして、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしてくれて政府を利用しやすくしてくれているのである。(同じように、幕府は自分の身分が高い芝居をして自分が「身分の高い団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』ではないふりをして国民が恥ずかしがらずに幕府の言うことを聞けるようにしてくれていたのである。ところが、馬鹿は幕府の芝居を真[ま]に受けて「幕府が本当に身分が高い団体だ」と思って「幕府は身分が高いから幕府に逆らってはいけない」と思って必死になって幕府の言うことを聞いていた。そのため、幕府が「年貢[ねんぐ]を払え!」と言うのを聞けなくなると、一揆[いっき]を起こして自分が殺されるのを覚悟で幕府に殴[なぐ]り込みをかけたりしたのである。本当は、国民が幕府に年貢を払えなければ払わなければいいだけなのである。馬鹿が見かけを真に受けるのがいけないのである。見かけが立派な者ほど中身は下品なのである。/h28.8.22追記:江戸時代に東北地方の人が一揆をしたのは、東北地方の人がヨーロッパ人系であって眼先のことしかわからず芝居を真[ま]に受けやすかったか、あるいはメチャクチャ凶作で幕府も国民も両方とも心底[しんそこ]食べていくのに困って幕府が自分がまちがったことをしているのを覚悟[かくご]で無理やり国民から年貢を取ったことによると思われる。)
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って十分な喜びが得られなかったために自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しくわかっていた。そのため、国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。国民みんなは「自分が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされやすくなる」と思って政府が民主主義の芝居をやっていることに感謝していた。例えば、政府が民主主義の芝居をやって「国民みんなに善いことをするために国民みんなから税金を取っている」と言ってくれるので、国民は政府に税金を取られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になりやすくて助かったのである。国民みんなが『国民は政府に悪いことをされて自分が喜ぶだけにして、他人に迷惑をかけてはいけない』ことがわかっていたので、たとえ政府が「他人に悪いことをしろ!」と言っても自分の判断で政府の言うことを聞かないようにして他人に悪いことをしなかったので、国民みんなが平和に暮らしていた。国民みんなが『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせることができるだけで、ほかのことはできない』ことがわかっていたので、国民は自分のことは自分でして政府に余計なことをやらせなかったので、国民みんなが善いことをやって幸福に暮らしていた。つまり、昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたので、国民みんなが幸福に暮らすことができた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使って十分な喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が増えている。それでも、国民みんなは他人から聞いたり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなくなっている。今の国民みんなは政府に言われて他人に悪いことをしたりしないし、自分のことは自分でやって政府に余計なことをやらせず国民みんなが善いことをやって幸福に暮らしている。つまり、今でも国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているために、国民みんなが幸福に暮らすことができるのである。
しかし、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解している。一部の国民は「政府は民主主義の団体だから、政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なので政府は国民に悪いことを言うだけなので、一部の国民は政府の言うことをなんでも聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして政府に悪いことをされて不幸になっている。今の政府は一部の国民が自分の言うことをなんでも聞くことにいい気になって一部の国民に命令して他人に悪いことをさせている。一部の国民は政府の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをやって他人を不幸にしている。一部の国民は「政府が民主主義の団体だから、政府は国民みんなの総意を実現している」と思って政府の言うことをなんでも聞いて悪い法律や制度や文化をやったり国の景気を悪くしたり産業や工業を遅れさせたり面白くない食品や製品や作品や番組などを作ったりして国民みんなを不幸にしている。一部の国民は「政府が民主主義の団体だから、政府はなんでもよくできるから政府は国中のなにからなにまでやっている」と思って政府の言うことをなんでも聞いて自分で自分のことをやらずに政府に余計なことをやらせて政府に悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。つまり、今の一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。
今では一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。今の一部の国民は自分勝手に政府のことを誤解して変なことをやっている。今の一部の国民がテレビを見たりマンガを読んだりゲームをやったりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないのが悪い。だから、国民みんなは国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22850] 今は文明社会だから、国民みんなが政府のことを知っていないといけない。 h28.6.21
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民が自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。おまけに、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをして国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしてくれるので国民にとってはありがたい。
今の国民みんなは文明が高くなって物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民みんなは政府の言うことをいっさい聞かず政府に何を言われても何もしなければいい。政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐められたりしなければいい。今の国民みんなは政府と縁を切って暮らせばいい。
ところが、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居だけを見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解している。そのために、政府の言うことをなんでもかんでも聞いて自分が政府に悪いことをされて不幸になったり他人に悪いことをして他人を不幸にしたり、自分で自分のことをしなくなって政府の言うことを聞いて政府に余計なことをさせて政府に悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。
そもそも今の一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないのは、国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったからである。今は文明社会である。だから、今の国民は世の中のことを知っていないといけない。今の国民は政府のことを知っていないといけない。だから、今の国民みんなはもっと政府のことに興味を持って政府のことを勉強して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らねばならない。いくら今の国民が物が豊かだとはいっても、現実のことがわからなくなるほどテレビを見たりマンガを読んだりゲームをやったりしてはいけない。

[22851] 今では一部の国民が『政府は自分の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。 h28.6.21
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。世界中の人間の心に生まれつき“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。おまけに、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』ではないふりをして、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて政府を利用できるようにしてくれている。例えば、政府が無言で国民から税金を取ったら、国民は政府が国民に悪いことをするために国民から税金を取っているのがミエミエで国民にとっては恥ずかしくて嫌だから政府の言うことを聞きたくないが、政府が民主主義の芝居をやって「国民みんなのために善いことをするためにお金が要る」と言いながら国民から税金を取ったら、国民は政府が国民に悪いことをするために国民から税金を取っているのがわかりにくいから国民は恥ずかしがらずに政府に税金を取られて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすることができるので助かる。
昔は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていた。国民みんなは自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。国民みんなは『政府は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけで、他人に迷惑をかけてはいけない』ことを知っていたので、たとえ政府に「他人に悪いことをしろ!」と言われても政府の言うことを無視して他人に悪いことをしなかった。国民みんなは『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかには何もできない』ことを知っていたので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞くだけにして、ほかのことは全部自分でやっていたので、政府の言うことを聞いて政府に悪いことをさせなかったので国民みんなが政府に不幸にされなかった。つまり、昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたので世の中がうまく行って国民みんなが幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が増えている。しかし、多くの国民は他人から聞いたり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている。多くの国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないので、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。多くの国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払うのをやめて政府に殺されたり虐められたりしなくなっている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分を幸福にしている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことを片っ端[かたっぱし]からなんでもかんでも聞いている。今でも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社のままである。そのため、一部の国民は政府の言うことを聞いて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐められたりして不幸に暮らしている。一部の国民は政府に命令されて人殺しをしたり強盗したりイタズラしたりして国民みんなを不幸にしている。一部の国民は政府の言うことを聞いて自分で自分のことをやらなくなって、政府に悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。例えば、農家の人は自分で考えて稲作[いなさく]をやればいいのに、わざわざ政府の言うことを聞いて稲作をやって農薬を多く使って稲を枯らしたり不味[まず]いお米を作ったりして国民みんなを不幸にしている。例えば、国民が自分で考えて国の制度をやればいいのに、わざわざ政府の言うことを聞いて制度をやって老人や女や医者が有利な社会にして早く死んだほうがいい人間や役立たずの人間や病気の人間が有利な社会にして国民みんなを不幸にしている。例えば、テレビ局が自分で考えて面白い番組を作ればいいのに、わざわざ政府の言うことを聞いて面白くない番組を作って国民みんなを不幸にしている。つまり、今は一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために世の中がうまく行かなくなって国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。
今では一部の国民が政府の言うことをなんでも聞くために国民みんなが不幸にされている。一部の国民が政府の言うことをなんでも聞くのは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないからである。だから、国民みんなは自分が幸福に暮らすために国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えねばならない。口コミやビラやインターネットやテレビや新聞などで教えねばならない。そうやって、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒して、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[22852] どうして国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教える人がいないのか?☆ h28.6.21
今では多くの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。しかし、一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでも聞いて自分が政府に悪いことをされて不幸になったり、他人に悪いことをして他人を不幸にしたり、自分で自分のことをしなくなって政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしたりしている。今では一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。
それなのに、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教える人がいない。
それは、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えると自分が「政府が民主主義の団体だ」と思っている者に攻撃されて嫌な目にあわされると思っているからである。
中世のヨーロッパでは『地球が動いている』ことを唱[とな]えた学者が「地球が止まっている」ことを信じていた大勢の者たちに「まちがったことを言う者だ」と見なされて嫌われて捕[つか]まって殺された。その二の舞を踏まないために、今の『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている者はみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えようとしないのである。
しかし、初期の地動説を唱えた者は学説が弱かった。わからないことや誤解していることが多かった。そのために、天動説を信じている者につっこまれたり反論されたりして答えられずに殺されたのである。しかし、ガリレオやニュートンが出てきてからは地動説のほうが天動説よりも学説が強くなって、地動説のほうが天動説よりも宇宙のことを正しく説明できるようになったので、みんなも天動説よりも地動説のほうを信じて地動説を支持するようになったのである。そうして国民みんなは物のことを正しく理解することができるようになってますます幸福に暮らせるようになったのである。
だから、今の『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている者は自分の説をみんなに詳[くわ]しく述べたらいい。そうすれば、みんなは「政府が民主主義の団体である」ことよりも『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことのほうが正しいと思って『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを信じるだろう。みんなは政府の言うことを聞かなくなって自分が政府に悪いことをされて不幸になったり他人に悪いことをして他人を不幸にしたりしなくなって、自分で自分のことをことをやって政府の言うことを聞いて悪いことをしなくなって国民みんなが幸福に暮らせるようになるだろう。みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒すだろう。
本当は、今の「政府が民主主義の団体だ」と信じている者はテキトウに信じているだけである。絶対に正しいと信じているわけではない。だから、国民がちょっと正しく『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを説明するとすぐに信じる。今の国民はみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えることを恐れる必要はない。だから、国民は口コミやビラやインターネットやテレビや新聞でみんなにどんどん『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えていけばいい。そうやって、国民みんなが政府のことを正しく理解できるようになってますます幸福に暮らせるようになればいい。
テレビドラマやアニメで出てくるのは必ず「政府が民主主義の団体である」ほうではなく『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ほうである。必ず私の考えのほうである。だから、テレビファンやテレビマニアなら「政府が民主主義の団体である」ほうではなく私の考えのほうを支持するだろう。もっとも、テレビのニュースでは政府の民主主義の芝居をやっている。しかし、それは政府の民主主義の芝居の部分だけを放送しているからである。政府はテレビのニュース番組で民主主義の芝居を放送して、『自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをしっかり隠していることを国民に教えて国民が安心して政府の言うことを聞けるようにして、国民にいろんな悪いことを言っている。だから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の言うことを聞かなければいいのである。これまでテレビ局はおとなしく政府の民主主義の芝居を放送してきただけで、「政府が民主主義の団体だ」とは一度も言ったことがない。だから、国民が勝手に「政府が民主主義の団体だ」と誤解してはいけない。

[22853] どうしてテレビは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』とはっきりと言わないのか?☆ h28.6.22
テレビ番組は視聴率が一番大事である。テレビ局は少しでも視聴率が高い番組を作りたがっている。
テレビ局が視聴率の高い番組を作るためには国民みんなに合った番組を作ればいい。
今の国民みんなは、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている国民と、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らずに「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民と、昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足している国民の3つのグループに分かれている。
テレビ局は3つのグループに合った番組を作っている。だから、テレビ番組ははっきりと『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と言わないのである。テレビ番組は3つのグループの誰から見ても納得行くように作られているのである。テレビ番組は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人にとっても知らない人にとっても面白く見れるように作られている。
社会科の論文や教科書は正しいことだけ書かねばならないが、テレビ番組は論文や教科書ではないから正しいこともまちがったことも両方いっしょに書いている。テレビは視聴率優先だから、みんなにとって正しいことを言うよりもみんなにとって面白いことを言わねばならない。テレビはみんなにウケることを言わねばならない。だから、いつもテレビ番組では何を言っているのかわからない曖昧[あいまい]なことばかり言っているのである。テレビがはっきりと『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と言うと、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者が怒ってテレビを見なくなるので、テレビははっきりと『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と言わないのである。
テレビ番組は視聴率優先つまり人気優先であるために、テレビ局は国民みんなを指導する者ではなく国民みんなに従う者にすぎない。テレビは国民みんなに正しいことを教える道具ではなく、国民みんなを楽しませる道具にすぎない。反対に、私は人気優先ではないから正しいことを言うだけなのである。人間が自分の気持ちを現実よりも優先させると現実に入れなくなって不幸になる。人間は正しいことを知ることが大事である。人間にとっては面白さよりも正しさのほうが大事である。人間は正しいことを知って自分の誤解を直すことが大事である。
今はまだ『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民がそこそこいるから、テレビは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』とはっきりと言わないが、将来『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている国民が増えれば、テレビは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』とはっきりと言うようになるだろう。

[22854] 『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民は国民みんなの迷惑である。 h28.6.22
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「美味[おい]しい物を食べるな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことだから、政府は民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをして、国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて政府を利用できるようにしてくれている。政府が自分の正体を隠すためには現実の自分と反対のことをやれば一番いいから、政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と正反対の「民主主義の団体」つまり「国民の“善いことをされる喜び”を満足する団体」の芝居をやっているのである。
今では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを得て“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの国民は他人から聞いたり自分で考えたりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされないようにしている。多くの国民は政府と縁を切って平和に幸福に暮らしている。多くの国民は自分に善いことをやって自分を幸福にして、他人に善いことをして他人を幸福にして、自分のことは自分でやって国民みんなを幸福にしている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて個人的に楽しんでいる。少数の国民は政府に悪いことをされてほそぼそと幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず、政府の民主主義の芝居だけを見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府の言うことを聞かねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかなんでも聞いて自分が政府に悪いことをされて自分が不幸になったり、政府の命令を聞いて他人に悪いことをして他人を不幸にしたり、自分のことを自分でしなくなって政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしたりしている。
今の多くの国民にとっては一部の国民が迷惑である。そもそも一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないのがいけない。国民は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない者をなくして「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者をなくして政府の言うことをなんでも聞く者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
テレビ局は自分の番組の視聴率のことばかり気にして国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えようとしない。だから、国民がテレビ局に頼らずに自分の手でみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えねばならない。

[22855] マンガは時代を映[うつ]す鑑[かがみ]である。 h28.6.22
『鉄人28号』は、鉄人が鉄人←鉄←テツ←テン(ツ≒ン)←天←天皇で天皇のことだから、つまり鉄人28号とは政府の民主主義の芝居のことである。『鉄人28号』のころは国民みんながまだ物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福になっていた。政府が民主主義の芝居をやってくれるおかげで国民みんなが恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。国民みんなにとっては政府の民主主義の芝居が人気があった。だから、政府の民主主義の芝居をロボットに喩[たと]えて国民みんなの幸福を守る巨大ロボット鉄人28号にしたのである。当時の子供たちはそういう目で鉄人28号を見ていたのである。けっして「政府が民主主義の団体だ」と思っていたのではない。(よく調べてみると、本来は鉄人28号を壊す話だったそうだ(Wikipedia参照)。『鉄人28号』のころは『鉄腕アトム』と同じころで、科学の時代になって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びが満足できるようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめていた。国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府が要らなくなっていた。だから、政府の民主主義の芝居も要らなくなっていた。だから、『鉄人28号』のもとの話では鉄人28号を壊す話だったのである。しかし、人気が出てしまったためにマンガが延期されて正義のロボットとして活躍することになったのである。)
『バビル2世』は、2世が2世←ツーせい(2≒ツー)←川ブ(ツ≒川、せ≒フ、い≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で私のことである。3つのしもべが天皇のことである。『バビル2世』のころは国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒すようになった。しかし、一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなかったために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでも聞くようになって自分が政府に悪いことをされたり他人に悪いことをしたり自分のことを自分でしなくなって政府の言うことを聞いて悪いことをして国民みんなを不幸にするようになった。だから、ヨミとヨミに従う部下が政府と政府の従う国民のことである。当時の子供たちは自分がバビル2世と一体になってヨミたちと戦っていたのである。今の国民は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて「政府が民主主義の団体である」と誤解している国民をなくしている。ヨミがまきちらした宇宙ウイルスは「民主主義の芝居」のことである。だから、反対にバビル2世が真実のウイルスをまきちらしてヨミの部下をやっつければよかった。
『鉄腕アトム』は、ロボットが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている国民のことで、人間が政府のことである。アトムは昭和天皇のことである。当時は科学の時代になって国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて政府の言うことを聞くのをやめて政府と縁を切って暮らそうとしていた。当時の子供たちは『鉄腕アトム』を読んでロボットが人間から必死に独立しようとしているのを見て「自分も政府の言うことを聞いていてはいけない」と思って政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らすようになったのである。

[22856] どうして誰もみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えないのか? h28.6.22
テレビ局は自分の番組の視聴率を上げるために、みんなにとって面白い番組を作らねばならないので、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをはっきりと言わない。
同じように、新聞社も自分の新聞の売り上げを伸ばすためには、みんなにとって面白い新聞でなければならないので、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをはっきりと言わない。
同じように、人間が社会の中でうまく生きていくためには、みんなに好かれねばならない。嫌われてはいけない。そのために、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをはっきりと言う人がいないのである。だから、誰もみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えないのである。今では多くの人が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているのに、そのことをみんなに教える人がいないのである。今では多くの人が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて自分が政府の言うことを聞かず政府に税金を払っていないのに、他人が政府の言うことを聞いているのを見て見ぬふりをして、他人には『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてくれないのである。
しかし、『人間は話せばわかる。』詳[くわ]しく説明すれば、たいてい誰でも正しいことをわかってくれる。相手がわかってくれないのは自分の説明が下手[へた]だからである。自分に納得がいく説明なら他人にも納得がいく。自分の考えが本当に正しければ、他人もそれを認めるしかない。人間はまちがっている者が嫌いであって、正しい者は好きである。相手が正しいことがわかれば相手を嫌ったりはしない。だから、人間は他人に嫌われるのを恐れずに、他人に正しいことを訴え続ければいい。そのうち、他人も正しいことがわかって、他人も正しい考えを持つようになって、みんなが正しい考えを持つようになるだろう。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えるようになって、政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府が潰[つぶ]れてなくなるだろう。
たとえはっきりとではないにせよ、テレビが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えることはしょっちゅうあるが「政府が民主主義の団体である」ことを教えることは一度もない。それは、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しくて「政府が民主主義の団体である」ことがまちがっているからである。テレビのニュースはただ政府の民主主義の芝居を放送しているだけであって、みんなに「政府が民主主義の団体である」ことを教えているのではない。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている人は政府の民主主義を芝居だと思って見ているし、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず「政府が民主主義の団体だ」と思っている人は政府の民主主義を本気にして見ている。見方によって政府の民主主義は違って見える。だから、テレビのニュースは国民みんなに「政府が民主主義の団体だ」と教えためにやっているのではない。だから、国民みんなは「政府が民主主義の団体だ」という誤解を捨てて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを信じればいい。今の国民みんなは自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞くのをやめて政府と縁を切って暮らせばいい。
『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことは簡単である。たいてい説明すれば、誰でもすぐに理解できる。みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解する能力がないのではなく、知る機会に恵まれていないだけである。だから、みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えることはけっして無駄[むだ]ではない。すごく有効なことである。だから、誰でもみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えればいい。そのうち、みんなに広まってみんなが知っているようになるだろう。みんなで政府を倒して、法律会社を建てて、みんなで幸福に暮らすようになるだろう。

[22857] 私は最近まで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなかった。 h28.6.23
私は昭和39年(西暦1964年、辰年[たつどし])1月22日生まれである。東京オリンピックの年の生まれである。東海道新幹線が出来た年の生まれである。
私は小学生のころは社会科がまあまあ得意だったが、中学生のころに急に不得意になった。いつも社会科の時間は寝ていた。社会科のテストはだいたいいつも40点台だった。私が中学高校生のころに教室で授業中に「長者」「蓮池[はすいけ]」とか「ゴリラ」「弱肩[じゃっけん]」とか言う者がいたが私には意味がわからなかった。
私は40歳ごろになるまでずっと「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って「政府に逆らうと警察に捕まって罰せられる」と思って必死で毎月政府に税金を払っていた。国税は天引[てんび]き(源泉徴収のこと)で払って、市民税は自分で自転車に乗って近所の銀行まで行って払っていた。もっとも、私は必死で政府に税金を払っていただけで、それ以外のことをしたことはない。
ところが、今から約11年前の私が42歳のころ私が趣味でアニメを見ていたら主役の女の子が私のことだと気がついた。それからちょっと考えて、『私が国家宗教の神である』ことや『政府が国家宗教で人殺しをしている』ことを知って「政府が民主主義の団体だ」と思わなくなった。その後も私はしばらく政府のことについて考えていたが、政府が何であるかはわからなかった。私は自分ひとりで考えるのが趣味なので他人からいっさい何も学ばずに自分だけで考え続けた。派遣会社を首になってから、福岡市に引っ越して別の派遣会社に変わって3ヶ月間大分県中津市にある自動車の部品工場で働いていた。仕事そのものよりも毎日自転車で片道7キロを40分ぐらいかけて通勤するのがきつかった。その後私はもう一度福岡市に帰ってきて、毎日仕事をせずに親の仕送りで生活して政府のことを考えて暮らしていた。私が3ヶ月間自動車の部品工場で働いていたころの市民税は政府に腹が立って払っていない。その後私の父親が死んで自分の印鑑を作って印鑑登録をしてもらうために市役所に行ったが市役所の人に咎[とが]められたりしなかった。
今年の4月中ごろについに私は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかった。ようやく謎が解けた。今の私は物が豊かで物を使って十分喜びが得られているので“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、私は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなくていい。政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わなくていいし、政府に「死ね!」と言われても死ななくていい。これまで私は政府に余計な税金を払って損をしてきた。しかし、一度払った物はしかたがない。今度から二度と払わなければいい。
今の私はみんなにインターネットを使ってヤフオクや自分のホームページなどで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えている。今のところ反響はない。永遠にないかもしれない。しかし、私はそれでもいい。とにかく自分が正しいことを知りえただけでも私は満足だ。
これまで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを伏せて言ったのは百も千もあるが、はっきりと言葉で表したのは私がはじめてである。たとえはじめてでなかったとしても極めて少ないはずである。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことはたぶんすでに多くの人が知っていることだから、すでに知っている人にとっては私は何も言ったことにならない。ただ、まだ知らない人にとっては私の言葉は大いに参考になるだろう。だから、まだ知らない人は私の言葉を活かして政府についての理解を深めて欲しい。そうして、世の中を善い方向に進めて欲しい。

[22858] 国民が政府の側[がわ]に付いても身分が高くなれない。 h28.6.23
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。政府は国民が政府の言うことを恥ずかしがらずに聞けるようにするために民主主義の芝居をやっている。
今では国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と正しいことがわかっているので政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府と縁を切って政府に税金を払わずに暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分を幸福にしている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を本気にして「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。一部の国民は「政府には国家権力があるから、政府は上の者だから、国民が政府の側[がわ]に付けば自分も上の者になれるから自分の好き放題にやることができる」と思って、自分が政府の言うことをちょっと聞いて政府の側に付いたことにして、あとは自分の好き放題に悪いことをやっている。一部の国民は自分が政府の側に付いていると思って、自分の好き放題に他人に悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。
本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいから、政府は国民に命令することができない。政府と国民は平等である。政府は「民主主義の団体」ではないから、政府には国家権力がないから、政府は上の者ではない。だから、国民がいくら政府の言うことを聞いて政府の側に付いても自分が上の者にはなれない。自分も上の者になって自分の好き放題にすることができない。実際には国民が政府の側に付いても上の者になれないから、国民が「自分が政府に付いている」と思って自分の好き放題に悪いことをすると有罪になって罰せられる。国民が政府の側に付いても無駄[むだ]である。だから、国民は政府の言うことを聞いて政府の側に付かなければいい。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。これが今の国民がもっとも幸福に生きる道である。国民は政府と縁を切って自分が政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。
同じように、宗教団体も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、「神に従う団体」ではない。宗教団体は自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのを隠すために神に従う芝居をやっているだけである。宗教団体は国民と平等であって上の者ではない。だから、国民がいくら宗教団体の言うことを聞いて宗教団体の側に付いても自分が上の者にはなれない。自分の好き放題にやれない。暴力団も国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であって上の者ではない。国民がいくら暴力団の言うことを聞いて甚振[いたぶ]られても自分が上の者にはなれない。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために宗教団体や暴力団の言うことを聞くようにして、それ以外のことをやってはいけない。

[22859] 今の国民みんなにとっては政府が要らないから国民みんなは政府に税金を払わなければいい。 h28.6.23
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びを得ることができなかったので自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の国民みんなが幸福に暮らすためには、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の国民みんなが幸福に暮らすためにはどうしても政府が必要だった。そのため、昔の国民みんなは政府に税金を払って政府に食わせて政府を守っていた。
しかし、今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びを得ることができるので自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなった。政府は国民にいろんな悪いことを言って国民が自分で政府の言うことを聞いて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることができるだけである。今の国民みんなが幸福に暮らすためには、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないほうがいい。今の国民みんなが幸福に暮らすためには政府は要らない。だから、今の多くの国民は政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
しかし、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解している。「政府が国民みんなのために善いことをする団体だ」と思っている。「政府がなければ国民みんなは生きられない」と思っている。そのために、一部の国民は自分の命や生活を守るために毎月必死で政府に高い税金を払っているのである。
今の一部の国民は政府の正体がわかっていない。今の一部の国民は政府を高く買いすぎている。政府の正体は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は民主主義の団体ではなく、国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやっているのである。しょせん政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることができるだけである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために存在しているだけである。ところが、今の国民みんなは物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくても幸福に暮らせるから、今の国民みんなにとっては政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰せばいいのである。
もっとも、今でも少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福になっている。そういう人は政府の言うことを聞いて政府に税金を払って自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいい。そのうち政府が潰れたら、政府の代わりに自分が好きなだけ宗教団体や暴力団の言うことを聞いて宗教団体や暴力団に悪いことをしてもらって幸福になればいい。

[22860] 今の一部の国民は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を「民主主義の団体」と勘違いしているためにおかしなことをやっている。☆ h28.6.23
人間の心には“悪いことをされる喜び”というヘンテコな喜びがある。人間には、他人に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするという変わった性質がある。人間はそういう変わった生き物である。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府はヘンテコな会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「アパートの屋上から飛び降りて死ね!」とか「狭[せま]い家に住め!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやって自分の正体をごまかしている。人間は自分が恥ずかしい物は買いにくいが恥ずかしくない物は買いやすい。政府の看板に堂々と『“悪いことをされる喜び”を満足する会社』と書いていたら、国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していることを他人に知られるのが恥ずかしくて政府の言うことを聞けない。そこで、政府は民主主義の芝居で自分の正体を隠すことによって国民が政府の言うことを聞くのが恥ずかしくないようにして国民が政府の言うことを聞きやすくして政府に税金を払いやすくして自分が儲[もう]かるようにしているのである。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔の国民みんなは自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。
今では国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今の人は単純に他人に悪いことをされたら怒[おこ]るだけである。今の多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って自分で政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされなくなっている。今の多くの国民は政府に「税金を払え!」と言われても払わず政府に「死ね!」と言われても死なないようにして幸福に暮らしている。今の多くの国民は正しいことをしているのだから、政府は多くの国民に文句が言えない。少数の国民は昔と同じように今でも“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福になっている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために政府の民主主義の芝居だけを見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解している。一部の国民は「政府は民主主義の団体だから、政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』から、政府は国民に悪いことを言うから、一部の国民は政府の言うことをなんでもかんでも聞いて自分が政府にありったけ悪いことをされて自分が政府に高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりして自分が不幸になっている。しかも、今の一部の国民は政府の言うことをなんでもかんでも聞くから、政府は調子に乗って一部の国民になんでもかんでも命令している。政府は一部の国民に命令して他人に悪いことをさせて他人を殺したり他人のお金を奪わせたりイタズラさせたりして他人を不幸にしている。一部の国民は「政府は民主主義の団体だから、政府が国民のことをなんでもやってくれる」と思って自分で考えて自分のことをするのをやめて政府の言われるがままにやっている。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』から、政府は国民に悪いことを言うから、一部の国民は政府の言うことを聞いて悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、国の産業や工業を遅らせて悪くしたり、不愉快[ふゆかい]な食品や製品や作品や番組などを作ったりして国民みんなを不幸にしている。
要するに、今の一部の国民は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を「民主主義の団体」と勘違いしているためにおかしなことをやっている。店の看板だけ見て中身を見ないからそうなるのである。だから、一部の国民は早く自分の誤解を直して「政府が民主主義の団体だ」と考えるのをやめて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えるようにして正しいことをやらねばならない。一部の国民は多くの国民と同じように政府の言うことを聞くのをやめて政府と縁を切って暮らさねばならない。自分が政府に悪いことをされたり他人に悪いことをしたりしてはいけない。一部の国民は政府が定めた悪い法律や制度や文化をやるのをやめて、国の景気を悪くしたり、産業や工業を遅らせたりするのをやめて、不愉快な物を作ったりするのをやめねばならない。国民みんなが自分のことは自分でやって自分で考えて善いことをやって国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
本当は、『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をしてくれているのである。ところが、今の一部の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているために、『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって「政府が民主主義の団体だ」と誤解して、「政府には国家権力があって、政府は国民に命令して悪いことをやっている」と思っているのである。今の一部の国民は政府の実体を見失って政府の芝居を実体だと思って政府のことを誤解している。今の一部の国民は頭ごなしに『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えて『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解しないといけない。早く国民みんなが政府のことを正しく理解できるようになって、国民みんなで政府を倒して、国民みんなが幸福に暮らせるようにならねばならない。

[22861] 『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が悪い。 h28.6.24
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民はその中から自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやって自分の正体をごまかしている。政府はもともとそういう会社である。政府は昔も今も将来もそういう会社である。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので、自分が幸福になるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがよくわかっていたので『政府が国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやってくれている』こともわかっていた。昔の国民みんなは自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。
しかし、今の国民みんなは物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために、多くの国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって、政府の民主主義の芝居を見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから政府は国民みんなに命令して悪いことをさせている」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。一部の国民は政府の言うことを聞いて人殺しや強盗やイタズラをやったり、悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせて悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今では一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなっているために国民みんなが不幸にされている。国民みんなにとっては『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない馬鹿な国民が迷惑である。だから、国民みんなでみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが政府の言うことを聞かないようにして、政府の言うことを聞いて他人に悪いことをしないようにして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなってから50年以上たつ。「政府が民主主義の団体だ」と誤解して国民みんなに悪いことをする者が現れてから半世紀たつ。『馬鹿は死ななきゃ直らない』と言うから、国民みんなはしびれを切らして馬鹿な国民を皆殺しにするかもしれない。国民みんなは日本を善い国にするために馬鹿を皆殺しにするかもしれない。中世のヨーロッパの“魔女狩り”みたいに、国民みんなで「政府が民主主義の団体だ」と誤解している馬鹿を狩るようになるかもしれない。だから、国民みんなは早く政府を正しく理解して自分の政府に対する誤解を直さねばならない。国民みんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府を倒さねばならない。

[22862] 『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民をなくさねばならない。 h28.6.24
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。(人間はホラー映画を見ると怖いけれども面白いと思う。人間には“怖い物を面白いと思う気持ち”がある。人間には“怖いもの見たさ”という変わった気持ちがある。それと同じように、人間には“悪いことをされる喜び”がある。人間は自分が悪いことをされると嫌だと思うけれども同時に楽しいと思う。人間には“嫌なものを楽しいと思う気持ち”がある。もっとも、私は昭和39年=1964年の生まれなので“怖いものを面白いと思う気持ち”は実感としてわかるが“悪いことをされる喜び”は実感としてはわからない。私よりも1〜2世代年上でないとわからないだろう。)
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「勉強するな!」とか「仕事するな!」とか「本を読むな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は民主主義の芝居をやって自分の正体を隠して国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足することができるようにしている。政府は芝居をやって自分の正体を隠している会社である。政府は普通の会社とは違う変わった会社である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていた。国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。(戦前の日本では国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて幸福に暮らしていた。国民みんなが『政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするためにあるだけだ』と知っていたので、国民みんなは本音[ほんね]では『政府はくだらない仕事をする下品な会社だ』と思って政府を軽蔑[けいべつ]していたので、政府の命令を聞いて他人に悪いことをする者は一人もいなかった。星一[ほしはじめ](作家の星新一の父親)が政府に自分の会社を潰[つぶ]されたのは、ヨーロッパのフォイエルバッハの工場が政府に潰されたことの真似[まね]である。当時の日本は国民みんながヨーロッパの真似をしていたので、星一が政府と組んでそんな芝居をしたのである。ヨーロッパ人は頭よりも眼先で物を見るので昔から政府の芝居を真[ま]に受けて「政府に国家権力がある」とか「政府が身分が高い」とか誤解している者が多いので、政府の命令で大勢の国民が動いて政府に逆らう者を攻撃したのである。それにしても、いくら日本がヨーロッパ文化を受け入れると言っても真似ていいことと悪いことがある。戦争は日本は真似ないほうがいい。ヨーロッパ人は狩猟民族だからヨーロッパ人は殺し合いが好きだからヨーロッパ人は戦争が楽しいが、日本人は農耕民族だから日本人は殺し合いが嫌いだから日本人が戦争をやっても楽しくない。今度から二度と日本は戦争をやってはいけない。)
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らすようになった。少数の国民は昔と同じように“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分を幸福にしている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居だけ見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があって政府は国民に命令して悪いことをやっている」と思って政府の言うことを聞いて高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりして自分を不幸にしている。他人を殺したりお金を奪ったりイタズラをして他人を不幸にしている。悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせたり、面白くない食品や製品や作品や番組などを作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今では一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して国民みんなが不幸にされている。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が悪い。国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして政府の言うことを聞かないようにして政府を倒さねばならない。
今では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民が増えている。そのために、一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。だから、国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教える必要がある。国民みんなが口コミやビラやインターネットやテレビや新聞や本などによってみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えねばならない。そうして、日本を「政府が民主主義の団体だ」と誤解して悪いことをする馬鹿がいない国にしないといけない。

[22863] 国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えねばならない。 h28.6.25
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とかいろんな悪いことを国民に言って、政府は国民が政府の言うことを聞いた分だけ国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする。政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやって自分が「民主主義の団体」であるふりをする。政府の仕事はたったのそれだけである。要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。人間の“悪いことをされる喜び”はくだらない喜びだから、それを満足する政府もくだらない会社である。政府はテレビや新聞に出て民主主義の芝居をやって、国民に「税金を払え!」とか「悪い制度をやれ!」とか言うことが仕事のすべてなのである。政府は国の景気をよくしたり国民を幸福にしたりすることをやっていない。政府は中でやっている仕事は何もないのである。政府は見掛けが立派なだけで中身は空[から]っぽの会社なのである。(だから、『ようこそようこ』第30話「歌声でタイホして」で「内容はないよう」と言っていたのである。/h28.6.26追記:おとぎ話の『浦島太郎』が竜宮城の乙姫様からもらった玉手箱は民主主義の芝居のことである。政府は見かけで国民みんなのために善いことをしているふりをして実際には何もやっていない。だから、玉手箱の中身は空っぽだったのである。政府は国民みんなに『政府が本当は善いことは何もしていない』ことがバレて滅んだのである。)
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られず自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔は国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしなければならなかった。昔は国民みんなにとって政府がどうしても必要だった。そのため、昔は国民みんなが政府に税金を払って政府を養[やしな]っていた。政府は国民から取りすぎたお金で鉄道や郵便や水道や学校や役所などの付属会社を経営していた。それは政府が自分のお小遣[こづか]いでやっている遊びであって政府の仕事ではなかった。
しかし、今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民みんなにとっては政府が要らなくなった。今の国民みんなはさっさと政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいい。国民みんなで政府の付属会社を民営化してその都度[つど]お金を払って仕事をやってもらえばいい。国民みんなで本物の法律会社を建ててちゃんと法律の仕事をやってもらえばいい。福祉なんかやめてしまえばいい。気の毒だが、しょせん生きていても幸福になれない老人や女や病人などにはさっさと死んでもらえばいい。そのほうが本人にとっても幸福である。そうやってはじめて国民みんなが幸福に暮らせる国になるのである。人間は自分の幸福のために生きている。人間にとっては自分の幸福が一番大事である。人間にとっては自分が幸福であることが自分が生きることよりも大事である。人間は自分が幸福になるためには死なねばならない場合もある。
今では一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから、政府は国民に命令して悪いことをやっている」と思って政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民をなくさねばならない。国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて“政府に従う病”に罹[かか]っているかわいそうな国民を救ってあげねばならない。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「嫌なことをやれ!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。政府は親切なことにわざわざ民主主義の芝居をやって国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしてくれている。しかし、今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”が要らなくなって“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを無視して政府に税金を払ったり死んだり嫌なことをしたりしなければいい。そうしてはじめて国民が政府を正しく利用していることになるのである。
本来『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことは国民みんなが知っていなければならないことである。国民みんなが知っていなければならないことを知らない者が悪い。だから、国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らずに政府に言われて他人に悪いことをした場合には、その国民が有罪になって罰せられる。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない国民に命令して悪いことをさせた政府も有罪になって罰せられる。『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言いなりになっている者は、政府にとっては道具のようなものだから、道具を使って悪いことをした政府にも責任がある。『鉄人28号』の鉄人は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言いなりになっている国民のことである。(鉄人は最初は政府の民主主義の芝居をする団体のことだったが、連載延期が決まった後では政府の言いなりになっている国民のことになったのである。)鉄人はリモコンを操作する者によって善にも悪にもなる。鉄人が悪いことをした場合にはリモコンを操作している者に責任がある。だから、政府の言いなりになっている国民が悪いことをした場合には政府に責任がある。つまり、政府が政府の言いなりになっている国民を使って悪いことをした場合には政府と国民の両方に責任がある。だから、国民みんなはたとえ学校や会社やテレビや新聞で教わらなくても『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを常識として知っていなければならない。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを守って暮らさなければならない。

[22864] 政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』か「民主主義の団体」か? h28.6.25
『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』のは頭で考えた理屈である。一方、「政府が民主主義の団体である」のはテレビで見た印象である。
実際には、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しく、「政府が民主主義の団体である」ことはまちがいである。
人間の頭で考えたことが正しく、人間の眼で見たことはまちがいである。『地球が回っている』ことが正しく、「地球が止まっている」ことがまちがいなのと同じである。正しいことは人間がパッと眼で見ただけではわからず、人間が頭でよく考えないとわからないものなのである。
そもそも“悪いことをされる喜び”が眼で見えないために、眼で見ただけでは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからないのである。今のところはまだ“悪いことをされる喜び”の中枢(脳細胞の群れ)が大脳のどこにあるのかわからない。将来、大脳の研究が進めば“悪いことをされる喜び”の中枢が大脳のどこにあるかがわかって眼で見えるようになるだろう。手で触[さわ]れるようになるだろう。おそらく、悪いことの刺激によってエンドルフィン(神経伝達物質の一種)が放出されて快感を荷[にな]う脳細胞が神経興奮して快感を発生するのだろう。人間が悪いことをされても過度に不快にならないために脳に備わっている仕組みなのかもしれない。

[22865] 政府は必ず国民の承認を得てから国民に悪いことをしないといけない。 h28.6.25
『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』人間にとっては他人に悪いことをするのは嫌である。だから、国民にとっては政府によって他人に悪いことをさせられることも政府に悪いことをされることである。しかし、だからといって政府は国民に言って他人に悪いことをさせることはできない。それは、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいために、政府は必ず国民の承認を得てから国民に悪いことをしないといけないからである。
昔の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていたから、『国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になればよく、自分が勝手に他人に悪いことをしてはいけない』ことを知っていたから、政府が「他人に悪いことをしろ!」と言うのを聞かなかった。政府も『国民の承認を得ずに国民に悪いことをしてはいけない』ことを知っていたから、国民に「他人に悪いことをしろ!」と言わなかった。そのため、昔の国民みんなはちゃんと自分が好きなだけ政府に悪いことをしてもらって自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
しかし、今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らなくなっているために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから、国民は政府の言うことをなんでも聞かねばならない」と思って政府の言うことを聞いてなんでもかんでもやっている。政府も一部の国民の誤解に便乗[びんじょう]して「政府には国家権力があるから、政府は自分勝手に国民に悪いことをしてもいい」と思って、一部の国民に命令して他人に悪いことをやらせている。国民みんなは政府に悪いことをされたくないのに勝手に政府に悪いことをされて不幸になっている。
今では一部の国民と政府によって国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。国民みんなにとっては一部の国民と政府は邪魔[じゃま]である。今の一部の国民と政府の両方が悪い。国民みんなで両方を罰しなければならない。国民みんなで一部の国民と政府が悪いことをしたら、その都度[つど]逮捕して処罰しないといけない。そうやって、国民みんなで一部の国民と政府に自分がまちがっていることをわからせて自分のまちがいを直させねばならない。
昭和40年=1965年ごろに国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らすようになった。そのころに、多くの政府の者が『もはや自分は国民みんなにとって要らなくなった』と思って自分から政府を辞[や]めた。今でも政府に残っている者は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している一部の国民に命令して国民みんなに悪いことをさせている者である。そのために、政府のやっていることが年々えげつなくなっている。今の政府は一部の国民を使って国民みんなからお金を奪わせて収入を得て生き残っている。盗賊団のようにして生き残っている。しかし、本当は、政府は昔も今も未来もいつでも『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。いくら一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と思っていても、それでも『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが政府のことを正しく理解して政府の言うことを聞かないようにして政府を倒さねばならない。
今の一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と思っているために国民みんなが不幸にされている。今の一部の国民の誤解のために世の中が汚くなっている。国民みんなは一部の国民に『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。国民みんなで一部の国民に正しいことを教えて一部の国民の誤解を直して世の中をきれいにしないといけない。

[22866] 今の政府は悪い団体である。 h28.6.25
今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居だけを見て「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府は一部の国民の誤解に便乗[びんじょう]して一部の国民に命令して他人に悪いことをさせている。
政府が一部の国民の誤解に便乗することは政府も一部の国民と同じ誤解をしていることになる。だから、政府も一部の国民と同等に悪いことになる。政府も一部の国民と同等に有罪になって罰せられる。
政府が本当に善い団体なら政府は一部の国民に『政府は本当は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするだけにして、政府の言うことをなんでもかんでも聞いてはいけない』と注意するはずである。しかし、実際には今の政府はそうしていない。今の政府は一部の国民の誤解を利用して他人に悪いことをさせている。だから、今の政府は善い団体ではない。
今の政府は悪い団体である。国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、みんなが政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。

[22867] 国民が伏せてみんなに政府のことを教えるとかえって政府に攻撃される。 h28.6.26
すべてのテレビ番組が裏で言ってきたことは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』の一語に尽きる。昭和40年=1965年ごろからこれまでずっとテレビ局や出版社は国民みんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを伏せて教え続けてきた。テレビドラマやアニメやマンガなどで何かに喩[たと]えて教えてきた。しかし、そのために一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからず「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでも聞いて他人に悪いことをして国民みんなを不幸にするようになった。テレビ局が「どうせ大した問題ではない」「日本人は頭がいいからすぐにわかる」と思ってなめてかかったのがいけなかったのかもしれない。
誰かが伏せずに言葉ではっきりとみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えると、それでおしまいである。誰かがはっきり言った後ではすでにみんなが知っていて手遅れだから、政府がその者を攻撃してももはや何にもならないから政府はその者を攻撃しないはずである。かえって安全である。テレビ局がみんなに正しいことを教えるとテレビ局の人気が出るからそうすればいいはずである。
反対に、国民が伏せて曖昧[あいまい]にみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えるとかえって危ない。政府に口封じのために攻撃される機会を増やすだけである。その上、伏せて言うとわかりにくいからみんなが理解するのが遅れるからますます自分の身が危[あや]うくなるだけである。
昭和40年=1965年ごろに誰かが伏せずに言葉ではっきりとみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えてくれればよかった。そうすれば、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って「政府が民主主義の団体だ」と誤解する者がいなくなって、国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなってすぐに政府が潰[つぶ]れてなくなっていただろう。国民みんなが政府や一部の国民に悪いことをされずに国民みんなが幸福に暮らしていただろう。国民みんなが自分で考えて善いことをして善い法律や制度や文化をやって面白い製品や作品を作って国民みんなが幸福に暮らせる国になっていただろう。
今からでも遅くない。早くこの馬鹿馬鹿しいことを終わらせねばならない。国民の誰かがはっきりと言葉でみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えて、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞かなくなって政府を倒すようにしないといけない。
ちょっと前に北野武がトヨタのコマーシャルで「権力よりも愛だね」と言っていた。少し昔は一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に権力があって一部の国民が政府の命令で他人に悪いことをして国民みんなが不幸に暮らしていたが、最近はそういう国民が減って国民みんなが他人のために善いことをしてお互いに幸福にし合って暮らすようになっていることを言っている。時代が変わると世の中が変わる。国民みんなの力で国民みんなが幸福に暮らせる善い世の中にして行かねばならない。

[22868] 政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。 h28.6.26
もしも政府が「民主主義の団体」なら、政府には国家権力があって政府は国民みんなを自分の好き放題にできるから、政府が国民に命令して自由に他人を殺すことができるはずである。国民が政府の命令で他人を殺しても無罪ですむはずである。
しかし、実際には、政府の命令で他人を殺した者は警察に捕まって罰せられている。それは、政府が本当は「民主主義の団体」ではないからである。政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だからである。
政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民はその中から自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいのだから、政府は国民に命令できない。政府は国民の承認を得て国民に悪いことができるだけである。国民と政府は平等である。政府には国家権力はない。政府はそこらへんの会社と同じである。だから、国民が政府の命令で他人を殺したら国民が悪いことになるのである。国民が有罪になって罰せられるのである。政府も悪いことになる。政府も有罪になって罰せられる。だから、国民の誰かが政府を罰するために勝手に政府の者を殺したり痛めつけたりしている(親父[おやじ]狩り)。
『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足すればいい。』『政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやって自分の正体をごまかしている。』これが政府のすべてである。ところが今の国民は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。政府と縁を切って暮らせばいい。今の国民にとっては政府は要らないから政府を潰[つぶ]せばいい。
いくら今の国民が「政府が民主主義の団体だ」と思っていても、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』国民が政府の言うことを聞いて悪いことをしたら有罪になって罰せられる。国民は自分が政府を誤解して悪いことをしないようにしないといけない。

[22869] 政府はどうして民主主義の団体の芝居をやっているか?☆☆ h28.6.26
政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために「民主主義の団体」の芝居をやっている。(同じように、幕府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。幕府は国民が恥ずかしがらずに幕府の言うことを聞けるようにするために「上の者の団体」の芝居をやっている。)
もしも政府が百貨店の芝居をやっていたら、政府は本来国民に悪いことを言って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから国民に悪いことを言わねばならないのに、百貨店は国民に商品を売るだけで国民に言うことがないから、政府が芝居をやっていることがミエミエになって政府の正体がすぐにばれてしまう。
政府が民主主義の団体の芝居をやっていたら、民主主義の団体は国家権力があって国民に善いことも悪いこともなんでも命令できるから、政府が芝居をやっていることがばれにくく政府の正体を隠すのに都合[つごう]がいい。(幕府が上の者の団体の芝居をやっているのも同じである。上の者は権力があって国民に何でも命令できるから、幕府が芝居をやっていることがばれにくく幕府の正体を隠すのに都合がいい。)
だから、政府は民主主義の団体の芝居をやっているのである。
政府の正体は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府が民主主義の団体であるのは作り事である。政府は「民主主義の団体」ではないから政府には国家権力はなく国民は政府の言うことを聞く必要はなく、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいい。国民は政府の作り事に騙[だま]されないようにして、政府の正体を見極[みきわ]めて、政府を適切に利用しないといけない。「民主主義の団体」も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も国民になんでも言うことができるが、「民主主義の団体」には権力(つまり命令力)があるが、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』には権力がない。国民は政府が「民主主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だと考えて政府には権力がないと考えて自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めねばならない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することにしか役に立たない。しかし、今の国民は物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないようにして自分が幸福に暮らせばいい。
政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の団体の芝居をやっている。そのために、国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解しやすい。国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解しないようにして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしないといけない。今では国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかりにくくなって、ますます国民が政府を誤解しやすくなっている。だから、国民はなおさら政府を誤解しないように注意しないといけない。国民みんなで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って政府のことを誤解する者をなくさねばならない。

[22870] どうして今でもみんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを伏せるのか? h28.6.26
昔は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。ところが、人間にとっては“悪いことをされる喜び”が遅れた野蛮な喜びなので国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかった。だから、みんなは“悪いことをされる喜び”のことをみんなの前ではっきりと話さなかった。『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことや『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを伏せていた。国民みんなは政府に民主主義の団体の芝居をしてもらって隠してもらいながら自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福に暮らしていた。
しかし、今は国民みんなが物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今では国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめている。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないので、今の国民みんなにとっては“悪いことをされる喜び”が他人事[ひとごと]になってしまっているので、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を話しても全然恥ずかしくない。エッチなことをしている者は他人にエッチなことを話すのが恥ずかしいが、エッチなことをしていない者は他人にエッチなことを話しても恥ずかしくないのと同じである。だから、今では国民みんなは“悪いことをされる喜び”を伏せなくていい。国民みんなは“悪いことをされる喜び”のことを話せばいい。国民みんなが『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことや『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをみんなに言いまわればいい。国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを言いまわりながら、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かないようにして幸福に暮らせばいい。
今でもテレビや新聞や本などでは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを伏せている。しかし、本当は伏せるのはまちがっている。自分が恥ずかしくもないのに不必要に伏せるのはまちがっている。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから、国民みんなにとっては“悪いことをされる喜び”が恥ずかしくないから、みんなに平気で話せばいいのである。無知は人間に不幸をもたらす。知識は人間に幸福をもたらす。国民みんなが口コミやビラやインターネットやテレビや新聞や本などで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教え合って、国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようにして、国民みんなで政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取らさないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなで早く国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22871] 教科書に載っていない真実もある。 h28.6.26
今の一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わなければならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いて政府に命令されて他人を殺している。
しかし、その結果警察に捕まって罰せられている。それは、政府が本当は「民主主義の団体」ではなく『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だからである。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府と国民は平等であり、政府には国家権力がないから、政府の命令で人殺しをした者は有罪になって罰せられるのである。政府も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』にあるまじきことをやったので有罪になって罰せられる。国民の誰かが政府の者をテキトウに選んで制裁[せいさい]している(『必殺仕事人』では、国民の秘密組織が幕府の悪人を罰している)。
政府の言うことを聞いて他人に悪いことをした者は罰せられる。政府の言うことを聞く者を使って他人に悪いことをさせた政府も罰せられる。
テレビや新聞や社会科の教科書は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と一言も言わないが、実際にはそうなのである。多くの国民はそのことを知っているのに黙っている。『人間にとっては性欲よりも知覚欲(つまり考える喜び)のほうが喜びが多い』ことを知らない者は「性欲が最高の喜びだ」と誤解して性欲ばかり満足して喜びの少ない生き方をして不幸な人生を送ることになる。それと同じように、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない者は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言いなりになって不幸な人生を送ることになる。『人間にとっては性欲よりも知覚欲のほうが喜びが多い』ことを他人に教えてくれる人はいない。それと同じように『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを他人に教えてくれる人もいない。大事なことほど他人に教えてくれないものである。教科書やテレビや新聞が教えてくれない知識もある。教科書に載っていない真実もたくさんある。みんなは教科書やテレビや新聞を過信して、それ以外の真実を知ることを忘れてはいけない。みんなは自分の眼と頭と心を使って自分の力で現実そのものから真実を知らねばならない。
教科書でしか勉強しないガリ勉馬鹿が大人になって「政府が民主主義の団体だ」と思うようになって政府の言いなりになって不幸に暮らさねばならないことになる。ざまあみろ!
社会科の教科書には「政府が民主主義の団体だ」と書いてあるけれども、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。』今の政府は「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民に命令して税金を取って生き残っているだけなので、政府の社会科の教科書には「政府が民主主義の団体だ」というまちがいを書いているのである。国民が政府に税金を払うとそのうち政府の言うことをなんでも聞くようになって政府の命令で人殺しをするようになる。『税金は人殺しのはじまり。』だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことが正しい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わなければいい。みんなは社会科の教科書に書いていることを忘れて、正しいことをやればいいのである。

[22872] 国民みんなが民主主義の団体である。☆ h28.6.27
民主主義の団体はある。国民みんなが民主主義の団体である。法律は国民みんなの総意によって定められている。だから、法律には国家権力がある。法律に反した者は国家権力によって罰せられる。法律会社は国民みんなが定めた法律に基づいて法律に反した者を罰することを仕事とする会社である。だから、法律会社は国民みんなが定めた法律を正確に定めて、法律に基づいて国民みんなを取り締[し]まることが仕事である。『人間はみな平等である』から、国民と法律会社は平等だから、法律会社は国民一人一人と契約を取って国民に仕事をしないといけない。法律会社がまじめに仕事をしないと国民が契約してくれないから、法律会社はまじめに仕事をしないといけない。
法律会社は法律の仕事だけをしないといけない。政府みたいに民主主義の団体の芝居をやってはいけない。国民みんなは政府の民主主義の団体の芝居を真[ま]に受けないようにして「政府に国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」とか「政府は国民みんなのために善いことをやってくれる」とか思って政府の言うことを聞かないようにしないといけない。そもそも民主主義の団体とは国民みんなのことである。国民みんなが自分で考えて善い法律や制度や文化をやって、国の景気をよくしたり産業や工業を発達させたり、面白い製品や作品を作ったり、外国と国交を深めて世界を平和にしたりして国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするためにやむを得ず民主主義の団体の芝居をやっているのである。政府は国民を騙[だま]して政府の言いなりにするために民主主義の団体の芝居をやっているのではない。いくら国民が「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府は国民みんなのために善いことをやってくれている」と思って政府を頼って政府の言うことを聞いても、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は国民に悪いことしかさせられない。政府は国民に悪いことを言って国民から高い税金を取ったり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くしたり、産業や工業を遅らせたり、面白くない製品や作品を作らせたりして国民みんなを不幸にすることしかできない。だから、国民は自分で『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えて「政府が民主主義の団体だ」と誤解しないようにして政府の言うことを聞かないようにしないといけない。今の国民は自分が政府の言うことを聞かないようにして国民みんなを不幸にしないようにしないといけない。今の国民は自分のことは自分でやって国民みんなを幸福にしないといけない。
政府は昔の会社だから、昔は客の了解を得ていれば店の看板を架け替えてもよかったから、政府は民主主義の芝居をやって自分の正体を隠しているのである。しかし、今はそんなことをやってはいけない。今では会社は正直に自分がやっていることを看板にしないといけない。そうしなければ客が誤解して利用しにくい。(とんねるずの“矢島工務店”のように建築業者とまちがわれてしまう。だから、“矢島工務店(ミュージシャン)”と明記しないといけない。ちなみに“矢島”の矢は神武天皇が矢を持っていたから神武天皇のことであり、“矢島”の島は島←シマ←川ブ(シ≒川、マ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私のことである。そもそもとんねるずの『みなさんのおかげです』の“みなさん”とは国民みんなのことではなく、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している一部の国民のことである。政府が一部の国民に命令して税金を取って食べていたから『みなさんのおかげです』と言うのである。今は一部の国民もいなくなっているから『みなさんのおかげでした』に変わったのである。)国民みんなでさっさと政府のような古臭い会社を潰[つぶ]して、新しい社会にしないといけない。

[22873] 政府は紛[まぎ]らわしい会社だから、国民は政府を誤解しないように注意しないといけない。☆ h28.6.27
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間は自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると幸福になれる。
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。しかし、人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために民主主義の芝居をやっている。そのため、国民みんなは昔から政府を「民主主義の団体」と誤解しないように気をつけていた。
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と思って『政府には国家権力がない』と思って、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
今では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。国民の多くは『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と思って政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。しかし、一部の国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになっている。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』から、政府は自分の言うことをなんでも聞く国民に悪いことを言って悪いことをさせている。人殺しや強盗やイタズラをさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くさせたり、産業や工業を妨害して遅らせたり、面白くない製品や作品を作らせたりしている。そのために、今の日本はみんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。このままでは国民みんながどんどん不幸になって行って日本が地獄になる。
そもそも今の一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているのが悪い。一部の国民は教養が足りない。一部の国民はもっと政府のことをよく勉強して『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞くのをやめねばならない。政府の言うことを聞いて他人に悪いことをするのをやめねばならない。国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22874] 政府の民主主義は芝居だから政府には国家権力はない。 h28.6.27
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥ずかしいことなので、政府は民主主義の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを隠して国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにしている。売春宿が料亭と偽[いつわ]って国民が恥ずかしがらずに性欲を満足できるようにしているのと同じことである。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔の国民みんなは物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことや『政府の民主主義は芝居である』ことを知っていたから、『政府には国家権力がない』ことを知っていたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民みんなは物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことや『政府の民主主義は芝居だから、政府は本当は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がない』ことを知っているから、自分で政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って自由に幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の民主主義を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は国民に悪いことしか言わない。そのため、一部の国民は政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて政府に高い税金を取られたり殺されたり虐[いじ]められたりして自分が不幸になっている。その上、一部の国民は政府の言うことを聞いて国民みんなに悪いことをして人殺しや強盗やイタズラをしたり悪い法律や制度や文化をやったり国の景気を悪くしたり面白くない製品や作品を作ったりして国民みんなを不幸にしている。
今の一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことや『政府の民主主義は芝居だから、政府は本当は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がない』ことを知らないために国民みんなが不幸にされている。一部の国民の誤解のおかげで国民みんなが面白くない目にあっている。
今の国民みんなはみんなに『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことや『政府の民主主義は芝居だから、政府は本当は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がない』ことを教えて、国民が政府の言うことをなんでもかんでも聞かないようにしている。政府の言うことを聞いて国民みんなを不幸にしないようにしている。早く国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を倒して、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
h28.6.28追記:おとぎ話の『裸の王様』では最後に黒人が白人に説得してみんなが『政府に権力がない』ことがわかってみんなが政府に従わなくなって政府が滅んだ。今の日本でも誰かがみんなに説得してみんなが『政府に権力がない』ことがわかってみんなが政府に従わなくなって政府が滅べばいい。


[22875] どうして今でも『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをみんなにはっきりと言う人がいないのか? h28.6.28
これまでさんざん文学の上で政府のことを言ってきた。小説やテレビドラマやアニメやマンガの上で政府のことを言ってきた。しかし、文学では伏せて曖昧[あいまい]に政府のことを言うだけではっきりと言わない。文学の上では伏せて言うのが流儀だから、昔も今もはっきり言う人がいないのはしかたがない。文学では何かに喩[たと]えて言うものだからはっきり言う人がいないのはしかたがない。文学ははっきり言わないから娯楽のためにあるだけで、真実を他人に教えることはできない。あらかじめわかっている人が文学を読むと何の喩えであるかがわかるだけで、わかっていない人がいくら文学をたくさん読んでもわかることはない。そうでなかったら、とっくの昔に政府は潰[つぶ]れてなくなっている。とっくの昔に私が政府のことがわかっている。文学には政府のことを教える意義なんかない。だから、文学では政府のことを言わなくていい。
しかし、学問の上で政府のことをはっきり言う人がいないのはおかしい。
昔は国民みんなが自分が恥ずかしいと思いながら自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、学者(つまり学問をやる人)がはっきりと『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と言うとみんなが恥ずかしがって嫌がるから、学者はたとえ自分が政府のことを知っていても言えなかった。
しかし、今は国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、学者がはっきりと『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と言ってもみんなは恥ずかしくもなんともないから、学者は言ってもいいはずである。
だから、今は学問の上で政府のことをはっきり言ってもいいのである。みんなが黙っているのがまちがっているのである。
たしかに、今でも少数の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いている。その人たちにとっては、学者がはっきりと『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と言うと恥ずかしくて嫌である。しかし、今では国民みんなが物が豊かで自分の“悪いことをされる喜び”をわざわざ満足しなくても幸福になれるから、今でも自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人は道徳的にまちがっていると考えられる。だから、たとえその人たちが恥ずかしくて嫌がっても、政府のことをはっきりと言えばいいのである。
だから、今では誰かが政府のことをはっきりとみんなに言ってしまえばいいのである。
そういうわけで、この私がみんなにはっきりと政府のことを言っているのである。今では誰も政府のことを黙っている必要がないから、私が政府のことをみんなに言っているのである。だから、みんなが私が言うことを聞いて私の言うことを参考にして自分も政府のことを理解すればいい。そうすれば、みんなが楽に簡単に政府のことが理解できる。
国民みんなで早く政府のことを理解して、国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせるようにならねばならない。

[22876] 政府のことがわかっていない者は国民みんなの迷惑である。 h28.6.28
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の悪いことをされる喜びを満足する会社』である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが親や会社の社長や暴力団やガキ大将などに悪いことをされて喜んでいた。昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがよくわかっていたので、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。昔は国民みんなが『政府が民主主義の団体の芝居をやっている』ことがよくわかっていたので『政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくていい』と思って政府の命令を聞かなかった。昔は国民みんなが政府の命令で国民みんなに悪いことをしなかった。昔は国民みんなが『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかには何もできない』ことがよくわかっていたので、自分で考えて自分のことをやって国民みんなを幸福にしていた。そのために、昔は国民みんなが政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらうだけにして、国民みんなが幸福に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今は国民みんなが親や会社の社長や暴力団ヤガキ大将などに悪いことをされて喜ばなくなっている。今では多くの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、政府の民主主義は芝居であり、政府には国家権力がない』ことを知っていて、自分で政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされないようにして政府と縁を切って暮らしている。政府の命令で悪いことをして国民みんなを不幸にせず、自分のことは自分でやって国民みんなを幸福にしている。少数の国民は今でも昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分を幸福にして暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことに関心がないために『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らず、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民は政府に従わなければならない。政府は国民の総意を実現しているから、国民は自分の好き嫌いに関らず政府の言うことを聞かねばならない。政府には深い考えがあるから、たとえ国民は自分が納得がいかなくても政府の命令を聞かねばならない。」と思って政府の命令を聞いている。しかし、本当は『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なので、政府は国民に悪いことを言うだけである。そのために、今の一部の国民は政府の命令を聞いて悪いことをやって人殺しや強盗やイタズラをしたり悪い法律や制度や文化をやったり国の景気を悪くしたり産業や工業を遅らせたり面白くない製品や作品を作って国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民は「政府は民主主義の団体だから、政府は全知全能のスーパーマンだから国中のなにからなにまで全部できる。政府は国民みんなに命令して国民みんなを適切に動かして国民みんなを幸福にしている。」と思って、政府の言うことを聞いて悪いことをやって国民みんなを不幸にして、自分で考えて自分のことをするのをやめて国民みんなを幸福にするのをやめている。そのために、今では国民みんなが一部の国民に悪いことをされて不幸に暮らさねばならなくなっている。国民みんなが一部の国民に善いことをされなくなって幸福に暮らせなくなっている。
今の一部の国民は政府の命令で他人を殺している。その結果、警察に捕まって罰せられている。そのときはじめて自分の考えがまちがっていたことがわかるのである。『政府が民主主義の団体でない』ことがわかるのである。国民みんなが『政府が民主主義の団体ではない』と考えていることがわかるのである。この世では自分の誤解が通らないことがわかるのである。あとの祭りである。
今の一部の国民が政府のことを知らないのがいけない。今の一部の国民が政府のことをよくわかっていないのがいけない。政府のことをよく知らない者は一生懸命に政府のことを勉強して政府のことを正しく理解しないといけない。
今の政府は民主主義の芝居をやって国民を政府に従わせて、政府に従う国民に命令して悪いことをさせて国民みんなを不幸にするために建っているだけである。昔の政府は国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足して国民みんなを幸福にしたが、今の政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。政府は昭和40年=1965年ごろに国民みんなを幸福にする会社から国民みんなを不幸にする会社に変わったのである。今の国民みんなにとっては政府は迷惑である。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22877] 政府は自分に反することをやってはいけない。☆ h28.6.28
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」を芝居としてやらねばならない。それが政府の決まりである。戦前に民主主義を推[お]し進めた首相が国民に殺されたのは、政府にあるまじきことをやったからである。政府は民主主義を芝居としてやらねばならないのに本気で民主主義をやったから、国民がまちがったことをやった者を殺したのである。アメリカのリンカーン大統領が「人民の人民による人民のための政治」と言ったために殺されたのと同じである。政府は自分の芝居に自分が呑[の]まれてはいけない。政府は民主主義の芝居を軽くやるだけにしてあまり深くやってはいけない。
今の政府もまちがったことをやっている。政府は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、国民に命令して悪いことをさせる団体ではない。だから、政府が国民に命令して悪いことをさせると、政府にあるまじきことをやったとして、政府の者が国民に殺されて罰せられる。だから、いくら今の一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことをなんでも聞くからといって政府が調子に乗って一部の国民に命令して悪いことをやらせてはいけない。政府の者が国民に殺されても政府は文句を言えない。
政府は「民主主義の団体」を芝居としてやっているだけで本当に「民主主義の団体」をやっているのではない。政府は国家権力があるふりをしているだけであって本当は国家権力がない。だから、国民が政府の言うことを聞かなくてもかまわない。政府が政府の言うことを聞かない国民を罰したら政府がまちがっていることになる。そんなことをしたら政府が国民に殺されて罰せられる。だから、国民は政府を恐れずに政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないなら、自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
『税金は払うことに意義がある。』税金は払ったお金で何かをするために払うのではなく、国民が政府にお金を取られて政府に虐[いじ]められて嫌な思いをして自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために払うのである。一方、政府は国民に「税金を払え!」と言って国民から税金を取って国民を虐めて国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることが仕事である。つまり、政府は国民から税金を取ることが仕事なのである。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由であり、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいのだから、国民が政府に「税金を払え!」と言われて政府に税金を払うか払わないかは国民個人の勝手である。今の国民は物が豊かになって物を使って喜びがいっぱいあるから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足してまで喜ばなくてもいいから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。今の国民は“悪いことをされる喜び”などというくだらない喜びを満足せずに、もっとまともな喜びを満足して幸福に暮らせばいい。
政府は『国民にいろんな悪いことを言って国民が自分の好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせる』ことと『国民が政府の言うことを聞きやすくするために、「民主主義の芝居」をやって政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足していることを隠す』ことの2つが仕事であって、それ以外には何もしていない。政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけだから、「政府が善い法律や制度や文化を定めたり、国の景気をよくしたり、産業や工業を発達させたり、国交をよくして世界を平和にしたり、面白い製品や作品を作ったりしている」ふりをしているだけで実際には何もしていない。政府は国民のために善いことをしているふりをして本当は善いことは何もやっていない。実際には、政府はその反対に国民みんなに「政府に権力がある」と思わせるために自分に従う国民を使って悪いことばかりさせている。要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることができるだけで、ほかには何もできない。政府は善いことは何もできない。そもそも政府の民主主義は芝居だから、政府は善いことができないのである。ところが、今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民にとっては政府はまったく用がない。だから、今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らせばいいのである。

[22878] 政府は見かけと中身が一致しない特殊な会社である。 h28.6.28
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけと中身が一致しない特殊な会社である。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っていて『政府には国家権力がない』ことを知っていたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。政府も国民みんなから税金を取って儲[もう]かって喜んでいた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であり、民主主義の団体ではない』ことを知っていて政府の言うことを聞くのをやめている。多くの国民が政府に税金を払うのをやめて、政府が儲からなくなっている。(アニメ『デ・ジ・キャラットにょ』では、ブラックゲマゲマ団がいつも貧乏に暮らしている。それは今の政府が多くの国民から税金をもらえなくなって儲かっていないことを表している。)しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わなければならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を払って、政府の命令で国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。まるで、政府が自分の言うことを聞く国民を使って自分の言うことを聞かない国民に復讐しているかのようである。
政府が「民主主義の団体だ」と思って政府に従っている者がまちがっている。一部の国民が政府を誤解しているのがいけない。国民みんなに『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを教えて、国民みんなが政府のことを知って、『政府には国家権力がない』ことを理解して政府に従うのをやめねばならない。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らさねばならない。政府を赤字にして政府を倒さねばならない。そうすれば日本は国民みんなが幸福に暮らせる善い国になる。
政府は本当は『「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』であって、「民主主義の団体」ではない。「民主主義の団体」には国家権力があって国民が従わなければならないが、『「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』には国家権力がなく国民は従わなくていい。国民は『「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』と「民主主義の団体」を混同しないようにして、政府に国家権力がないことを理解して政府に従わないようにしないといけない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府が「税金を払え!」と言っても政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。

[22879] 『裸の王様』について h28.6.29
おとぎ話の『裸の王様』は、王様のところに“馬鹿には見えない服”を作る2人の仕立て屋が現れるところから話が始まる。これは、そもそも『政府は「民主主義の芝居」や「国家宗教の芝居」をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』であり、昔は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していて、政府の正体を知っていて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていたが、スペインが大航海時代に貿易で栄えて国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために、一部の国民が政府の正体がわからなくなって政府の民主主義の芝居や国家宗教の芝居を真[ま]に受けて政府が権力を持ち始めたことを表している。“馬鹿には見えない服”の馬鹿とは、自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人という意味であって、頭が悪いという意味ではない。自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人にとっては『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかるために『政府の民主主義や国家宗教がただの芝居だ』と思っていて、政府の民主主義や国家宗教を無視しているのである。
『裸の王様』の話では、大人はみんなそろって“馬鹿には見えない服”を褒[ほ]め称[たた]える。2人の仕立て屋は大儲[もう]けする。これは、一部の国民が政府が民主主義の芝居や国家宗教の芝居を真に受けて「政府は民主主義や国家宗教をやっていて、政府には国家権力や神の権力があるから、国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞くようになって政府に「税金を払え!」と言われて高い税金を払っていることを表している。
『裸の王様』では、最後に黒人が登場してみんなに「王様は裸だ!」と言ってみんなもいっしょに「王様は裸だ!」と言って終わる。これは、黒人は奴隷[どれい]なので自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたので、黒人の目には『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と見えていたために『政府の民主主義や国家宗教は、政府が国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために自分の正体を隠すためにやっている芝居であって、政府は民主主義の団体でも国家宗教の団体でもないから、政府には国家権力や神の権力がない』ことがわかって、みんなは黒人の話を聞いて『政府には国家権力や神の権力がない』ことがわかって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んだことを表している。
今の日本も同じ状況にある。今の日本では文明が高くなって産業や工業が発達して国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、今の一部の国民は政府の正体がわからなくなって、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞くようになっている。一部の国民は政府が「税金を払え!」と言うのを聞いて政府に高い税金を払ったり、政府が「人殺しをしろ!」と言うのを聞いて人殺しをしたりしている。しかし、そのうち、政府の正体を知っている人がみんなに『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって「民主主義の団体」ではないから、政府には国家権力はない』ことを教えて、みんなも『政府には国家権力がない』ことがわかって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅ぶことになるだろう。国には政府の正体を知っている人がいることが大事なのである。政府の正体を知っている人がみんなに政府の正体を教えるから国がうまく行くのである。みんなはもっと政府の正体を知っている人を大切にしないといけない。政府の正体を知っている人も自分が知っているだけで黙っていては役に立たない。みんなに教えないといけない。
国の文明が低いときは政府は権力がなくて怖くないが、国の文明が高くなると政府が権力を持って怖くなる。今の国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解しないように気をつけねばならない。今の国民は政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり他人を殺したりしてはいけない。
今の一部の国民は政府の命令を聞いて悪い文化をやっている。国の文化を悪くするのは簡単だが、善くするのは大変である。一度国の文化を悪くしたら二度ともとに戻らないかもしれない。一度国の文化が悪くなったらどんどん悪くなってどうしようもないことになるかもしれない。今の国民はてんでやすく政府の言うことを聞いてはいけない。今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて自分で善い文化を考えて善い文化をやらねばならない。

[22880] 今の政府は一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解していることを利用して楽に暮らしている。 h28.6.29
今の政府は一部の馬鹿な国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従っていることを利用して一部の国民に命令して税金を取ったり他人を殺させたり国の文化を悪くしたりしている。
私が今から約10年前に兵庫県の山奥で政府のことを考えながら工場で働いていたとき、政府が私にテレパシーで「今の一部の馬鹿な国民が政府に従っているから、お前も一部の国民が政府に従っていることを利用して楽に暮らせばいいじゃないか」と言っていたような気がする。しかし、当時の私は政府がテレパシーで言っている意味がわからなかった。それに、当時の私の仕事はけっして楽ではなかった。(このときにはテレパシーで言葉が聞こえるのではなく意味だけが伝わっていたような気がする。そもそもテレパシーは人間が言葉を使う前に使っていた意思伝達手段である。だから、本来テレパシーは意味を伝えるものであって言葉を伝えるものではないのである。)
しかし、政府には本当は権力はない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって、政府の民主主義は自分の正体を隠すための芝居にすぎず政府は「民主主義の団体」ではないから、政府には国家権力がない。だから、国民は政府に従わなくていい。
今の一部の国民が政府に従っているのはまちがっている。だから、一部の国民は政府に従うのをやめねばならない。
政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「自分が楽しいことをするな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
一部の国民は早く自分の誤解を直して、政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払ったり他人を殺したり国の文化を悪くしたりするのをやめねばならない。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が要らない。国民みんなで早く政府を倒して、「日本が馬鹿や変態のいない国である」ことを世界中のみんなに教えてやらねばならない。
今の政府は国民みんなに「政府に権力がある」と思わせるためにわざわざ政府に従う国民に命令して他人を殺させたり国の文化を悪くしたりしている。今の政府は自分が税金暮らしで楽をするために、国民みんなを不幸にしている。今の政府は自分が国民から税金を取るために国民みんなを犠牲[ぎせい]にしている。国民みんなにとっては政府が迷惑である。だから、国民みんなでみんなに政府の正体を教えて『政府に権力がない』ことを教えて国民みんなが政府に従うのをやめて政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22881] どうして今の政府は政府に従う国民に命令して悪いことをさせているのか?☆ h28.6.29
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔は国民みんながほかに娯楽がなかったので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために政府にたくさん税金を払っていた。政府はものすごく儲[もう]かっていた。昔の国民みんなは政府の言うことを聞いて自分が政府に悪いことをされて自分が喜ぶだけで、他人に悪いことをしなかった。政府も国民に言って他人に悪いことをさせなかった。昔は国民と政府が平等にして平和に仲良くやっていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今は多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって暮らしている。しかし、一部の国民は政府の正体を知らないために、政府の民主主義の芝居を見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いている。政府は政府に従う国民に命令して高い税金を取ったり殺したり虐[いじ]めたりしている。そればかりか、政府は政府に従う国民に命令して他人を殺させたり国の文化を悪くさせたり国の景気を悪くさせたりしている。
今の政府は国民みんなに「政府は民主主義の団体だから政府には国家権力がある」という誤解を植えつけるために、政府に従う国民に命令して人殺しをさせたり国の文化を悪くさせたり国の景気を悪くさせたりしているのである。今の政府は自分が権力者になるために、国民みんなに「政府と国民が不平等である」と思わせるために政府に従う国民に命令して悪いことをさせている。権力者は普通の国民よりも儲かるから、政府は自分が儲けるために権力者になろうとしているのである。
しかし、政府は本当は『「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』である。政府は昔も今も『「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』である。政府は本当は「民主主義の団体」ではないから、政府には権力はない。だから、国民は政府に従わなくていい。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい。今の国民は物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。
政府は「民主主義の団体」ではないから政府には国家権力がないから政府は国民を好き放題にしてはいけない。政府は勝手に国民に悪いことをしてはいけない。今の政府が国民の承認を得ずに国民に悪いことをしているのはまちがっている。だから、国民は政府を罰するために政府が勝手に国民に悪いことをした分だけ政府に悪いことをして政府に仕返しすればいい。そうやって、国民みんなで政府を痛い目にあわせて政府に悪いことをさせないようにしないといけない。
そもそも政府は『「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせることができるだけで、ほかには何もできない。政府は国の景気をよくしたり国の文化をよくしたりすることができない。政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が国の景気をよくしたり国の文化をよくしたりしているふりをしているだけで、実際には何もしていない。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府は国民みんなを喜ばせることができない。しかも、今の政府は自分が権力者になるために、政府に従う国民に命令して悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。それが今の社会である。今の政府は国民みんなを幸福にすることは何もできず、国民みんなを不幸にすることしかできない。今の政府は役立たず以下である。クズである。政府は今の国民みんなにとって邪魔[じゃま]なだけである。だから、今の国民みんなでさっさと政府を倒さねばならない。

[22882] 今の国民はどのようにして幸福に暮らせばいいか?☆ h28.6.29
今は国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かである。今は物が豊かな時代である。今の時代の国民はどのようにして幸福に暮らせばいいだろうか?
今の国民は物が豊かだから、物を使って自分の喜びを満足して暮らせばいい。『人間は知覚欲(考える喜び)を満足するともっとも多くの喜びが得られる』から、人間は物を使って自分の知覚欲を満足して幸福に暮らせばいい。人間は本を読んで他人の考えを学んだり、自分が考えたことをメモ帳やノートに書いたり、自分が考えたことをコンピューターを使ってホームページや掲示板にアップロードしてみんなに発表したりして幸福に暮らせばいい。
今の国民は物が豊かだから物を使っていろんな喜びを満足して自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなければいい。今の国民は政府や宗教団体や暴力団や社長などの言うことを聞かず悪いことをされずに幸福に暮らせばいい。
今は物が豊かな時代である。だからといって国民は余計な物を使ってはいけない。私が中学2年生のころ(今から約40年前)に高知市立朝倉中学校から私立[わたくしりつ]高知学芸中学高等学校に編入[へんにゅう]して、母親が編入祝いに私にラジカセを買ってくれた。私が中学2年生の冬に風邪[かぜ]をひいて夜中に寝苦しかったときにラジオをつけたらたまたま『笑福亭鶴光[しょうふくていつるこう]のオールナイトニッポン』をやっていた。それから私は『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』にはまり毎週録音して勉強しながら何度も繰り返して聞くようになった。『鶴光のかやくごはん』も買って読んで、挿絵[さしえ]を真似[まね]て手淫[しゅいん]をやるようになった。中学3年生の2学期ごろから毎日風呂場で手淫をするようになって頭がボンヤリするようになった。高校1年生の4月に隣りの不良が英語の授業中に何分間も教科書のパラパラめくりをしているのに腹を立ててテレパシーで「パラパラめくりをするのをやめろ!」と訴えたら、その日の晩からテレパシーで近所の家から自分の悪口を言うのが聞こえてきて腹が立って暴れるようになった。近所の家の窓ガラスに単1の乾電池を投げて割ったりした。手淫は高校1年生の5月ごろにやめたが、高校2年生の終わりまでそんな状態だった。それからずっと私は気分が不愉快[ふゆかい]なままである。
人間は性欲を満足すると精神分裂病に罹[かか]って不幸になる。たとえ精神分裂病に罹らなくても、一生自分の性欲ばかり満足して自分の知覚欲を満足しなくなって、喜びが減って不幸に暮らさねばならなくなる。だから、人間は性欲を満足してはいけない。いくら今が物が豊かな時代といっても、人間は物を使って性欲を満足してはいけない。
人間は余計な情報を知ると性欲を満足する危険がある。だから、人間は自分に余計な情報を与える物を買ってはいけない。人間がラジオやテレビやコンピューターやスマホなどの情報機器を使うときには、自分にとって有益な情報だけ知って有害な情報を知らないようにしないといけない。なんでもかんでも知ってはいけない。人間は自分の知覚欲を満足することだけ知って性欲を満足することを知らないようにしないといけない。
今は物が豊かな時代である。だから、今の人間は“物を使うことに関する道徳(つまり人間が幸福に暮らすための知識)”を知っていないといけない。今の国民は休憩にちょっとテレビを見たりゲームをやったりマンガを読んだりするだけで、テレビを見たりゲームをやったりマンガを読んだりしすぎてはいけないのである。

[22883] 政府が権力者になると国民みんなが不幸になる。☆ h28.6.29
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っていて、政府の民主主義の芝居を無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなが『政府の民主主義は芝居であり、政府は「民主主義の団体」ではなく、政府には国家権力がなく、国民は政府に従わなくていい』ことを知っていて、政府と平等に付き合っていた。国民と政府がお互いに幸福にしあって平等に仲良く暮らしていた。国民と政府がいっしょに幸福に暮らしていた。
今では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っていて、政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にして暮らしている。しかし、今の一部の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府には国家権力があって、国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府は一部の国民に命令して高い税金を取ったり殺したり虐[いじ]めたりしている。その上、今の政府は自分が権力者になるために一部の国民に命令して人殺しや悪い文化をやらせて国民みんなに「政府が国民よりも上の者だ」と思わせようとしている。
政府が権力者(つまり身分が上の者)になると、政府が国民みんなを自分の好き放題にする。そもそも権力者は自分が国民に悪いことをしないと権力者でいられないから国民に悪いことをする。政府は「自分が権力者である」ためにつまり「政府が国民よりも上の者である」ために毎日国民みんなに悪いことをして国民みんなを殺したり貧乏にしたりして国民みんなを不幸にする。政府一人が幸福なだけで、ほかの国民みんなは不幸である。
政府が権力者になると国民みんなが不幸になる。だから、国民みんなは政府を権力者にしてはいけない。国民みんなは今の政府の権力者の芝居に騙[だま]されて「政府が権力者だ」と思って政府に従ってはいけない。政府は本当は『「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』である。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいのだから、国民と政府は平等である。だから、国民は政府に従わなくていい。今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなくていい。今の国民みんなは政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して政府が権力者になるのを阻止[そし]して権力者のいない国にしないといけない。国民みんなが平等に暮らす国にしないといけない。国民みんなで善いことをしあって国民みんなが幸福に暮らす国にしないといけない。『国民みんなが平等』であれば、自然に国民みんながお互いに善いことをしあって国民みんなが幸福に暮らせる国になる。だから、なにがなんでも国民みんなが平等な国にしないといけない。権力者のいない国にしないといけない。

[22884] 今の政府が権力者になるのは無理である。 h28.6.30
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかにはできることがない。政府は国民にいろんな悪いことを言って、国民に自分の好きなだけ政府の言うことを聞かせて国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることができるだけである。ところが今の国民みんなは物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の多くの国民にとっては政府に用はない。今の多くの国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の政府は税収もないのに職員に給料を払って借金が2000兆円もある。国民みんなの知ったことではない。政府は自分で自分の借金を返さねばならない。政府の民主主義は芝居だから、政府はテレビや新聞の上で自分が国の景気をよくしたり善い制度を定めたりしているふりをしているだけで、実際には政府は何もやっていない。多くの国民は『政府の民主主義が芝居だ』と思って、政府は国民に善いことは何もしてくれないと思って自分で善い政策や制度を考えてやっている。しかも、今の政府は自分が権力者になろうとして一部の国民に命令して悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。今では一部の国民が政府の正体を知らないために「政府は民主主義の団体であり、政府には国家権力がある」と誤解して政府に従っている。政府は自分が権力者になろうと思って自分に従う国民に命令して悪いことをさせて国民みんなに「政府が国民よりも上の者だ」と思わせようとしている。
今の政府は国民みんなを幸福にせず、国民みんなを不幸にするだけである。今の国民みんなにとっては政府が邪魔[じゃま]である。今の国民みんなで政府を倒さねばならない。
いくら今の政府が権力者になりたくても、多くの国民は『政府がただの国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社にすぎない』と思っているので、政府が悪いことをしているようにしか見えない。政府がやってはいけないことをやっているとしか見えない。今の政府は自分ができないことを望んでいたずらに国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしているだけである。国民みんなは政府が悪いと思って勝手に政府に仕返しして政府を罰している。
今では国民みんなでみんなに『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを教えている。「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従う国民が減っている。政府は何もできなくなっている。そのうち政府が滅ぶだろう。
今の政府が権力者になるためには、政府が国民みんなに「政府が民主主義の団体であり、政府には国家権力がある」と思わせねばならない。しかし、今ではすでに多くの国民が『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府は国民と平等である』ことを知っている。テレビドラマやマンガを見れば、かなりの数の国民がそのことを知っていることがわかる。政府は多くの国民の理解に打ち勝って国民みんなに誤解を植えつけねばならない。それは無理である。だから、政府はさっさとあきらめて自分で滅んだほうがいい。政府は国民みんなに罰せられて皆殺しにされる前におとなしく自[みずか]ら滅んだほうがいい。
今の政府が権力者になれないのはわかりきっている。人間は自分ができないことを望んだりしない。だから、今の政府はただの嫌がらせのために国民みんなに悪いことをしているのかもしれない。どちらにしてもいいことではない。だから、国民みんなはさっさと政府を倒さねばならない。
おとぎ話の『裸の王様』では最後に国民みんなに『政府に権力がない』ことがバレて国民みんなが政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れた。政府がいくら「民主主義の団体」の芝居をやっても権力者にはなれなかった。今の日本政府はどうせ自分も潰れてなくなると思ってついでに国民みんなの幸せを邪魔しているのかもしれない。政府は女の腐ったようなやつだ。政府は嫌なやつだ。国民みんなは政府にこれ以上悪いことをさせないために、なるべく早く政府を潰さないといけない。

[22885] 政府は見かけと中身が一致しない特殊な会社である。☆ h28.6.30
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけと中身が一致しない特殊な会社である。普通の会社は「○○製薬」と言えば『薬を作る会社』であり、「△△電器」と言えば『電化製品を作る会社』であり、「□□病院」と言えば『病気を治す会社』であって見かけと中身が一致している。しかし、政府は「民主主義の団体」と言っているのに『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であって見かけと中身が違っている。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったため“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことがわかっていた。そのため、昔は国民みんなが政府の中身が見えて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思っていた。政府の民主主義が見かけにすぎないと思っていた。そのため、昔は国民みんなが政府の民主主義を無視して、政府と国民が平等だと思って、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので“悪いことをされる喜び”を満足していない。そのため、今は一部の国民が『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れてしまって政府の中身が見えなくなって、政府の見かけだけを見て「政府が民主主義の団体だ」と誤解している。今の一部の国民は「政府には国家権力があって、国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。今の一部の国民は自分が嫌なのに政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。今の一部の国民は政府の言うことを聞いて他人に悪いことをやって他人を不幸にしている。
今の一部の国民は政府のことが正しくわかっていない。そのために、今の一部の国民はまちがったことをやっている。そのために、国民みんなが迷惑している。政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけであって「民主主義の団体」ではないから政府には国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。政府の中身は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「人間は中身よりも見かけが大事」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。ところが、今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らせばいい。今の国民は政府が要らないから政府を倒せばいい。
今では多くの国民が『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを理解して、政府に権力がないことがわかって、政府に従わなくなっている。早く国民みんなが政府のことを正しく理解して、政府に従わなくなって政府を倒さねばならない。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の承認を得て国民の“悪いことをされる喜び”を満足することしかやってはいけない。それなのに、今の政府は政府に従う国民に命令して悪いことをやらせている。人殺しや悪い制度や悪い文化をやらせて国民みんなを不幸にしている。今の政府は政府としてやってはいけないことをやっている。だから、国民みんなで政府を罰しなければならない。今の国民みんなが政府に税金を払わないのは政府を罰することにはならない。国民みんなで政府に仕返しするために政府を痛い目にあわさねばならない。
昔は国民みんなが物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足する遊びが流行[はや]っていた。そのために、政府が大儲[もう]けしていた。今では国民みんなが物が豊かになって物を使って遊んで自分の“悪いことをされる喜び”を満足する遊びをやらなくなっている。そのために、政府がシケて潰[つぶ]れている。政府が頭に来て国民みんなに悪いことをしている。国民みんなは政府が悪いと思って政府に仕返しするために政府の者を痛めつけている。国民みんなは早く政府を潰して、国民みんなで楽しく暮らせるようにしないといけない。

[22886] 今では国民みんなと政府がお互いに不幸にしあっている。 h28.6.30
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。人間にとっては“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は国民が恥ずかしがらないように「民主主義の団体」の芝居をやって店の看板をごまかしている。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「酒を飲め!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。政府は国民みんなから税金をもらってすごく儲[もう]かっていた。
今は国民みんなが物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していない。今では多くの国民が政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らしている。政府は多くの国民から税金をもらえなくなって儲からなくなっている。しかし、一部の国民は政府の正体を知らないために、「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府の言うことを聞いて政府に高い税金を払っている。今の政府は多くの国民が政府に税金を払っていないことに腹を立てて、政府に従う国民に命令して人殺しや悪い制度や悪い文化などをやらせて国民みんなを不幸にしている。国民みんなは「政府が悪いことをしている」「政府は一部の国民から税金を取っておとなしくしていろ!」と思って、政府を罰するために政府の者を痛めつけている。
このままでは国民みんなが政府と政府に従う一部の国民に不幸にされ続けるだけである。このままではいけない。
そもそも一部の国民が政府に従うのは政府の正体を知らないからである。政府の正体は『「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』』である。政府は本当は「民主主義の団体」ではなく、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府には権力はない。だから、国民は政府に従わなくていい。今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなければいい。政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり政府に自殺させられたり虐[いじ]められたりしなければいい。
早く国民みんなでみんなに『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを教えて、国民みんなが『政府に権力がない』ことがわかって政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民みんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。

[22887] 政府は国民から税金を取って国民を嫌がらせて喜ばせることが仕事である。 h28.7.1
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は見かけが「民主主義の団体」で、中身が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は一見[いっけん]「民主主義の団体」のように見えるが、じつは『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』なのである。物質が一見粒子のように見えるがじつは波であるのとちょっと似ている。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかにはできることがない。つまり、政府は国民から税金を取って国民を嫌がらせて国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を喜ばせることができるだけである。(たまに政府に殺されるのが好きな国民がいるから、政府は国民を殺して国民を喜ばせることがある。)国民にとっては自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』でないふりをするために、テレビや新聞で「民主主義の団体」の芝居(つまり国民の役に立つことをする芝居)をしている。しかも、今の政府は多くの国民が政府に税金を払わなくなったことに腹を立てて、政府に従う国民に命令して人殺しをさせたり悪い制度をやらせたり悪い文化をやらせたり国の景気を悪くしたり面白くない物を作らせたりして悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。国民みんなは「政府が悪いことをしている」と思って政府を罰するために政府の者を痛めつけている。国民みんなと政府は仲悪くけんかしているのである。(例えば、今の牛乳やコカコーラが美味[うま]くないのは、政府が国民みんなを不幸にするために政府に従う国民に命令してわざとに不味[まず]い牛乳やコカコーラを作らせているからである。昔の牛乳は甘かった。今の牛乳は味もなんにもない。今のインスタントラーメンが美味くないのも同じことである。国民みんなは政府に仕返しするために政府に美味い物を食わせてはいけない。)
今では国民みんなが物が豊かになって物を使って喜ぶことができて自分の“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなくなったから、多くの国民が政府に税金を払わなくなったのである。政府が儲[もう]からなくなったのである。そのために、政府が怒って政府に従う国民を使って国民みんなに嫌がらせをするようになったのである。普通の会社は自分に従う国民なんかいないが、政府には自分に従う国民がたくさんいるから、政府はそういう国民を利用して国民みんなに復讐しているのである。国民みんなにとってはいい迷惑である。
今では国民みんなが物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、一部の国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわからなくなって、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでも聞くようになったのである。政府の命令を聞いて国民みんなに悪いことをするようになったのである。
今の政府は政府に従う国民に命令して悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。今の国民みんなは政府と政府に従う国民によって不幸にされている。このままではいけない。政府に従う国民は、政府の正体がわかっていないから政府に従っているのである。だから、国民みんなで政府に従う国民に『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを教えて、政府は「民主主義の団体」ではないから政府には国家権力がないことを教えて、政府に従うのをやめさせて、政府の命令で悪いことをしないようにさせないといけない。早く国民みんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の一部の国民は“悪いことをされる喜び”のない世界で物事を見ているから世の中のことがわからないのである。だから、“悪いことをされる喜び”を加えた世界で物事を見ればいい。そうすれば、政府や社会のことがわかる。人間が物事がわからないのは自分が知らないことがあるからである。人間は他人の考えを学んだり自分で考えたりして自分が知らないことを知らねばならない。

[22888] 今の政府は自分が儲[もう]からなくなった腹いせに国民みんなを不幸にしている。 h28.7.1
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「タバコを吸え!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』ではないふりをするために「民主主義の団体」の芝居をやっているのである。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったから“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。政府は国民みんなから税金をもらってすごく儲[もう]かっていた。
今は国民みんなが物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られるようになったから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今では多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。政府は多くの国民から税金をもらえなくなって儲からなくなっている。しかし、一部の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。今の政府は多くの国民から税金をもらえなくなってお金が足りないので、政府は一部の国民に命令してそのぶん高い税金を取っている。今の政府は多くの国民が税金を払わなくなってはらわたが煮えくり返っているから、政府は一部の国民に命令して人殺しをさせたり悪い制度や悪い文化をやらせたり国の景気を悪くさせたり面白くない物を作らせたりして国民みんなを不幸にして国民みんなに復讐している。多くの国民は『政府は政府としてやってはいけないことをやっている』『たかが『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の分際[ぶんざい]で国民様に偉そうにするな!』と思って、政府が国民みんなに悪いことをした分だけ政府に仕返しして政府を罰している。今では国民みんなと政府が毎日仲悪くけんかしている。
今では政府が政府に従う国民に命令して国民みんなを不幸にしている。そもそも一部の国民が『政府が「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないのがいけない。最近は核家族化が進んだりテレビゲームが普及してオタク化が進んでいるために、みんなが人付き合いが悪くなってそういうことを知る機会が減っているためだろう。だから、国民みんながみんなに『政府が「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを教えて、国民みんなが知っているようにして、国民みんなが『政府に国家権力がない』ことをわかっているようにして、国民みんなが政府に従わないようにしないといけない。今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。早く国民みんなで政府を潰して政府が国民みんなに悪いことができないようにして国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[22889] どうして今では国家宗教をやっている人がいるのか? h28.7.1
今の一部の国民が政府の命令で人殺しをやっている(つまり他人の承認を得ずに勝手に他人を殺している)のは、一部の国民が政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思っているからである。
それと同じように、今の一部の国民が政府の命令で神の情報を使った作品を作っている(つまり神(政府が神にしている人)の承認を得ずに勝手に神の情報を使った作品を作っている)のは、一部の国民が政府の国家宗教の芝居を真に受けて「政府が国家宗教の団体だ」と誤解して「政府に神の権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思っているからである。(たとえ作品中で登場人物の誰が国家宗教の神の誰だと言わなくても、長年見ていたら誰が誰だかわかるから、神がやっていることがみんなに知られるからいけない。そもそも国民が「政府が国家宗教の団体だ」と誤解しているのがいけないから、政府の命令で神の情報を使った作品を作ってはいけない。)
今の一部の国民は『政府は「民主主義の団体」や「国家宗教の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないために、「政府が民主主義の団体だ」とか「政府が国家宗教の団体だ」と誤解して「政府に権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。本来は、『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいだけである。今の一部の国民は余計なことをやっている。
本当は政府の民主主義や国家宗教は、政府が『自分が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを隠すための芝居である。だから、政府は民主主義の団体でも国家宗教の団体でもない。政府には国家権力も神の権力もどっちもない。政府は権力が何もない。政府と国民は平等である。国民は政府の言うことを聞く必要はない。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。
国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて人殺しをやったら、「政府が民主主義の団体だ」と誤解している国民に責任がある。国民は有罪となって罰せられる。国民の誤解に便乗[びんじょう]して国民に命令した政府にも責任がある。政府も有罪となって罰せられる。
それと同じように、国民が「政府が国家宗教の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて神の情報を使った作品を作ったら、「政府が国家宗教の団体だ」と誤解している国民に責任がある。国民は有罪となって罰せられる。国民の誤解に便乗して国民に命令した政府にも責任がある。政府も有罪となって罰せられる。
昔は国民みんなが『政府は「民主主義の団体」や「国家宗教の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知っていたので、国民みんなが政府の「民主主義の団体」や「国家宗教の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするだけで、ほかには何もしなかった。昔は国民みんなが政府の命令で人殺しをしたり、神の情報を使った作品を作ったりしなかった。昔は国民みんなが自分のことは自分でして、自分で考えて自分のことをするだけだった。今の一部の国民は『政府は「民主主義の団体」や「国家宗教の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないためにまちがったことをやっている。今の一部の国民は早く自分のまちがいを直してまちがったことをしないようにしないといけない。

[22890] どうして今では宗教団体が権力団体と化しているのか? h28.7.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
宗教団体は「神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。宗教団体は国民に「お布施[ふせ]を払え!」とか「死ね!」とか「禁欲をしろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ宗教団体の言うことを聞いて宗教団体に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。人間にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいので、宗教団体は「神主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠しているのである。売春宿が料亭の看板をかけて客が恥ずかしくないようにしているのと同じである。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが宗教団体の「神主義の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ宗教団体の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。宗教団体はすごく儲[もう]かっていた。昔は国民みんなと宗教団体が平等にして仲良くやっていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使っていろんな喜びが得られるようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今は多くの国民が宗教団体の言うことを聞かなくなって宗教団体にお布施を払わなくなって宗教団体と縁を切って暮らしている。宗教団体は多くの国民からお布施がもらえなくなって儲からなくなっている。少数の国民は昔と同じように自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために自分が好きなだけ宗教団体の言うことを聞いて宗教団体に悪いことをされて幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は『宗教団体は「神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないために、宗教団体の「神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「宗教団体は神主義の団体である」と誤解して「宗教団体には神の権力があるから国民全員が宗教団体に従わねばならない」と思って宗教団体の言うことをなんでもかんでも聞いている。今では多くの国民が宗教団体にお布施を払わなくなって宗教団体が儲からなくなっているから、宗教団体は一部の国民に命令してあり金全部奪っている。今では多くの国民が宗教団体にお布施を払わなくなって宗教団体が儲からなくなって宗教団体が怒[いか]りまくっているから、宗教団体は一部の国民に命令して人殺しをさせたり強盗させたり悪い文化をやらせたりして国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にして復讐している。国民みんなは『宗教団体が悪いことをやっている』とか『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社のくせに偉そうにするな!』と思って、宗教団体を罰するために宗教団体を痛めつけている。今では国民みんなと宗教団体が毎日仲悪くけんかして不幸にし合っている。(マルチン・ルター(1483〜1546)がいたころのドイツも物が豊かになってみんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、一部の国民が宗教団体の「神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「宗教団体が神主義の団体だ」と誤解して「宗教団体には神の権力がある」と思って宗教団体に従うようになっていた。宗教団体が権力を持つようになっていた。宗教団体が自分に従う国民に命令して悪いことをやって国民みんなを不幸にするようになっていた。そこで、マルチン・ルターは『昔に帰れ!』と言って宗教団体の「神主義の団体」の芝居のやり方を変えて国民みんなに『宗教団体が「神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことをわからせるようにして、国民みんなに『宗教団体は「神主義の団体」の芝居をやっている団体であって、神主義の団体ではないから、宗教団体には神の権力はない』と思わせて宗教団体に従わないようにさせて宗教団体が権力を持たないようにしたのである。そうして、マルチン・ルターは再び国民みんなが宗教団体の「神主義の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ宗教団体の言うことを聞いて宗教団体に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らすようにして、国民みんなと宗教団体が平和に仲良く暮らせる社会にしたのである。)
今では宗教団体が宗教団体に従う者を使って国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。国民みんなは宗教団体や宗教団体に従う者を倒さねばならない。そもそも国民が宗教団体に従うのは、国民が『宗教団体は「神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないからである。だから、国民みんなはみんなにそのことを教えて、みんながそのことを知っているようにして、みんなが『宗教団体は「神主義の団体」の芝居をしている団体であって、神主義の団体ではないから、宗教団体には神の権力はない』と考えて、宗教団体に従わないようにしないといけない。宗教団体の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから、宗教団体の言うことを聞かないようにしてお布施を払わないようにして宗教団体と縁を切って暮らさねばならない。早く国民みんなで宗教団体を倒して、国民みんなを不幸にする者をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[22891] 今では科学の時代になってみんなが『頭で考えて生きている』ので神がいなくなっている。 h28.7.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」と「神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「人口を増やせ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「民主主義の団体」と「神主義の団体」の2つの芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを念入りに隠している。売春宿が料亭の看板を掛けて客が恥ずかしくないようにしているのと同じことである。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが政府の「民主主義の団体」や「神主義の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は政府が国民みんなから税金をもらってすごく儲[もう]かっていた。昔は国民みんなと政府が仲良く平和にやっていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今は多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。政府は多くの国民から税金をもらえなくなって儲からなくなっている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は『政府が「民主主義の団体」と「神主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らなくなっているために、政府の「民主主義の団体」や「神主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて、「政府が民主主義の団体だ」とか「政府が神主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力や神の権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。「政府は民主主義の団体だから、政府は国民みんなを幸福にしてくれるから、政府の言うことを聞けば自分が幸福になれる」と思って、政府の言うことをなんでも聞いている。今の政府は多くの国民が税金を払わなくなって儲からなくなっているので、一部の国民に命令してたくさん税金を取っている。今の政府は多くの国民が税金を払わなくなって頭に来ているので、一部の国民に命令して人殺しや強盗やイタズラをさせたり悪い制度や文化をやらせたり国の景気を悪くしたり面白くない物を作らせたりして国民みんなを不幸にして復讐している。国民みんなは『政府が政府としてやってはいけないことをやっている』とか『たかが国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社の分際[ぶんざい]で偉そうにするな!』と思って政府を罰するために政府を痛めつけている。今では国民みんなと政府が毎日仲悪くけんかしている。
そもそも神とは人間の“頭を使うのが嫌いな気持ち”が生み出した架空の生き物である。昔の人間は「神という人間よりも上の生き物がいる」ことにして、自分にわからないことがあったとき「神がやった」ことにして自分の頭を使って原因について考えないようにしていたのである。ヨーロッパ人は頭を使うのが嫌いなので「神がいる」と信じている。反対に、アジア人は頭を使うのが好きなので『神がいない』と信じている。今では科学の時代になって文明が高くなって世界中で国民みんなが『頭を使って生きていかねばならない』と思っているので神がいなくなっている。日本でも神がいなくなっている。そのために、日本では政府が「神主義の団体」の芝居をほとんどやらなくなっているし、国民も政府の「神主義の団体」の芝居に付き合わなくなって、みんなが神主義をやめている。今の日本では政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であると言ってもいい。
今では政府が政府に従う者を使って国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。国民みんなは政府や政府に従う者を倒さねばならない。そもそも国民が政府に従うのは『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないからである。だから、国民みんながみんなにそのことを教えて、みんながそのことを知っているようにして、みんなが『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっているのであって民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がない』ことを理解して、みんなが政府に従わないようにしないといけない。政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今では国民みんなが”悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされるのをやめて政府と縁を切って暮らせばいい。国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなに悪いことをする者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の一部の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないために「政府が民主主義の団体だ」と誤解して、「政府には国家権力があるから、政府と国民は不平等である」と思って政府の言うことをなんでも聞いて政府に高い税金を取られて自分を不幸にしたり国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしたりしている。誤解に基づいてうまく行くことはない。そもそも今の一部の国民が政府の正体をちゃんと知らないのが悪いのである。世の中に馬鹿がいるのがいけないのである。だから、一部の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知って自分の誤解を直して正しいことをやって、『政府に国家権力はなく、政府は国民と平等である』ことを知って政府に従うのをやめて政府に税金を払ったり国民みんなに悪いことをするのをやめねばならない。国民みんなで早く政府を倒さねばならない。そうすれば、世の中がうまく行くようになって国民みんなが幸福に暮らせるようになるのである。

[22892] どうして今の暴力団は国民に悪いことをしているのか?h28.7.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
暴力団は「勧善懲悪の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。暴力団は国民に「ミカジメ代を払え!」とか「死ね!」とか「麻薬をやれ!」とかいろんなことを言うから、国民は自分が好きなだけ暴力団の言うことを聞いて暴力団に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、暴力団は「勧善懲悪の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。売春宿が料亭の看板を掛けて客が恥ずかしくないようにしているのと同じことである。(今では科学の時代になって文明が高くなって国民みんなが頭で考えて生きていくようになって神がいないと考えている。国民みんなが神を閉めている。だから、神を閉める←神閉め←カミシメ←ミカジメ←ミカジメ代なのである。)
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の”悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが暴力団の「勧善懲悪の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ暴力団の言うことを聞いて暴力団に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。暴力団は国民みんなからお金をもらってすごく儲[もう]かっていた。昔は国民みんなと暴力団が仲良く平和にやっていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今は多くの国民が暴力団の言うことを聞かなくなって暴力団にお金を払わなくなって暴力団と縁を切って暮らしている。暴力団は多くの国民からお金をもらえなくなって儲からなくなっている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ暴力団の言うことを聞いて暴力団に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は『暴力団が「勧善懲悪の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないために、暴力団の「勧善懲悪の団体」の芝居を真[ま]に受けて「暴力団が勧善懲悪の団体だ」と誤解して「暴力団は正義の味方だから国民みんなは暴力団に従わねばならない」と思って暴力団の言うことをなんでも聞いている。暴力団は多くの国民がお金を払わなくなって儲からなくなっているので、一部の国民からたくさんお金を取っている。暴力団は多くの国民がお金を払わなくなって腹が立っているので、一部の国民に命令して人殺しや強盗(ぼったくりバー)やイタズラをさせたり悪い文化(例えば、麻薬や拳銃や風俗)をやらせたりして国民みんなを不幸にして復讐している。このへんはテレビの刑事ドラマと同じである。国民みんなは『暴力団が悪いことをやっている』とか『たかが国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社の分際[ぶんざい]で偉そうにするな!』と思って、暴力団を罰するために暴力団に暴力をふって痛めつけている。今では国民みんなと暴力団が毎日仲悪くけんかしている。
今では暴力団が暴力団に従う国民を使って国民みんなを不幸にしている。国民みんなは暴力団や暴力団に従う国民を倒さねばならない。そもそも国民が暴力団に従うのは『暴力団が「勧善懲悪の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知らないからである。だから、国民みんなはみんなにそのことを教えて、みんながそのことを知っているようにして、みんなが『暴力団は「勧善懲悪の団体」の芝居をしているのであって、勧善懲悪の団体ではないから、国民は暴力団に従わなくていい』ことを理解して、暴力団に従うのをやめねばならない。暴力団の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今では国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、暴力団の言うことを聞かないようにして暴力団にミカジメ代を払わないようにして暴力団と縁を切って暮らさねばならない。国民みんなが暴力団にお金をやらないようにして暴力団を倒さねばならない。国民みんなで早く暴力団を倒して、国民みんなを不幸にする者をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
政府も宗教団体も暴力団も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府や宗教団体や暴力団は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することができるだけで、ほかにできることがない(芝居や嫌がらせはできるが)。政府や宗教団体や暴力団は国民に善いことなんか何もしない。しかし、今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民みんなにとっては政府や宗教団体や暴力団は要らない。今の国民みんなは政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞かないようにしてお金を取らさないようにして政府や宗教団体や暴力団を倒さねばならない。今の政府や宗教団体や暴力団は多くの国民がお金をくれなくなって怒って、自分に従う者を使って国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。早く国民みんなは政府や宗教団体や暴力団を倒して国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
今では国民みんなは物が豊かになって物を使って喜ぶようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府や宗教団体や暴力団がいくら待っても国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するようにはならない。だから、政府や宗教団体や暴力団は自分が生き残るのをあきらめて、別の仕事をする会社に変わらねばならない。みんなが政府や宗教団体や暴力団などの『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』をやるのをやめて別の仕事をやって暮らさねばならない。

[22893] 今の社長は権力者になっている。 h28.7.3
社長は「代表取締役[だいひょうとりしまりやく]」の芝居をしている『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』である。社長は社員に「稼[かせ]ぎをよこせ!」とか「殺すぞ!」とか「自分の面白くない長話[ながばなし]を聞け!」とかいろんな悪いことを言うから、社員は自分が好きなだけ社長の言うことを聞いて社長に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。社員にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいから、社長は「代表取締役」の芝居をやって自分が『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』であることを隠している。売春宿が料亭の看板を掛けて客が恥ずかしくないようにしているのと同じことである。つまり、社長は会社の中の政府である。
昔の社員は物が貧しくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、社長の「代表取締役」の芝居を無視して、自分が好きなだけ社長の言うことを聞いて社長に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔は社員みんなと社長が平等にして仲良く平和にやっていた。社長は社員みんなからたくさん稼[かせ]ぎをもらってすごく儲[もう]かっていた。社長は社員から取りすぎた分をボーナスにして返して社員みんなを喜ばせていた。
今の社員は物が豊かになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。多くの社員は社長の言うことを聞かなくなって社長に稼ぎをやらなくなって社長と縁を切って暮らしている。社長は多くの社員から稼ぎをもらえなくなって貧乏になっている。少数の社員は昔と同じように自分が好きなだけ社長の言うことを聞いて社長に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の社員は『社長が「代表取締役」の芝居をしている『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』である』ことを知らないために、社長の「代表取締役」の芝居を真[ま]に受けて「社長が代表取締役だ」と誤解して「社長には権力があるから、社員全員が社長に従わなければならない」と思って社長の言うことをなんでもかんでも聞いている。今では一部の社員と社長が不平等になって、社長が権力者になっている。今の社長は多くの社員が社長に稼[かせ]ぎをやらなくなって貧乏になったので、一部の社員に命令してたくさん稼ぎを取っている。今の社長は多くの社員が社長に稼ぎをやらなくなったことに腹を立てて、一部の社員に命令して人殺しや嫌がらせをさせたり、悪い制度や文化をやらせたり、会社を儲[もう]からなくさせたりして社員みんなを不幸にして復讐している。社員みんなは『社長は悪者だ』とか『社長は社員の“悪いことをされる喜び”を満足するしか能[のう]がないボンクラ馬鹿のくせに偉そうだ!』と思って社長を痛めつけて罰している。今では社員みんなと社長が不幸にし合って仲が悪くけんかしている(アメリカっぽい)。
今では社長が社長に従う社員を使って悪いことをさせて社員みんなを不幸にしている。社員みんなは社長や社長に従う社員を倒さねばならない。そもそも社員が社長に従うのは『社長が「代表取締役」の芝居をしている『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』である』ことを知らないからである。だから、社員みんながみんなにそのことを教えて、みんながそのことを知っているようにして、みんなが『社長は「代表取締役」の芝居をしているだけであって本当は代表取締役ではないから社長には権力がない』ことがわかって社長に従わないようにしないといけない。今では社員みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、社長の言うことを聞かないようにして社長に稼ぎをやらないようにして社長と縁を切って暮らさねばならない。社員みんなが社長に稼ぎをやらないようにして社長を倒さねばならない。早く社員みんなで社長を倒して、社員みんなを不幸にする者をなくして、社員みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
会社はいい物を開発していい物を作っていい物をみんなに売って儲[もう]ければいいだけである。会社はほかに仕事はない。社長がやることなんかない。会社にとって社長は要らない。だから、社員みんなで社長を倒して会社から社長をなくせばいいのである。ヨーロッパでは商品の開発者が社長(会社の代表者)を兼任している。だから、日本でもそうすればいい。
社長は自分の権限を使って「社長が社員全員から好き放題に稼ぎを取ることができる」社則を決めるかもしれない。しかし、そもそも社長は『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』であって「代表取締役」ではない。社長は「代表取締役」の芝居をやっているだけで、本当は「代表取締役」ではない。そんな者に権限はない。社長は本当は『社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人』であるが、今の社員は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、社長はただの役立たずである。社長は社員よりも役立たずである。社長はボンクラ馬鹿である。社長は役立たずの不良がやる仕事である。社員はそんなクズに従う必要はない。だから、社員は社長が決めた社則を守らずに社長に稼ぎをやらずに社長を倒せばいい。会社から役立たずを葬[ほうむ]って無駄[むだ]のない会社にしなければならない。

[22894] 政府が権力者になるかならないかは国民一人一人が決めることである。☆ h28.7.4
今では多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府と縁を切って暮らしていて、少数の国民が昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていて、一部の国民が政府の正体を知らないために政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を取られたり国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今の日本は混沌[こんとん]とした状態である。
この先、国民みんなが『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを理解して『政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけで本当は民主主義の団体ではないから政府には国家権力がない』ことがわかって政府に従わなくなって、今の自分は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府と縁を切って暮らすか、それとも国民みんなが政府の正体を知らなくなって政府の民主主義の団体の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に高い税金を取られたり国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にするかは、国民一人一人しだいである。国民一人一人にかかっている。国民一人一人の態度で決まることである。
この先、国民みんなが政府の正体を知らなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになると、政府が国民みんなを好き放題にする国になる。政府が国民みんなから一方的に高い税金を取ったり、国民みんなを遊び半分に殺したり、悪い法律や制度や文化を定めたり、国の景気を悪くする政策をやったり、面白くない製品や作品ばかり作らせて国民みんなが不幸に暮らさねばならない国になる。政府が身分が高くて国民が身分が低くて政府が国民を好き放題にしているインドみたいな国になる。
反対に、この先、国民みんなが政府の正体を知って『政府が「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知って『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっているのであって、本当は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がない』ことや『政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけで本当は民主主義の団体ではないから、政府は国民に善いことをするふりをしているだけで、本当は国民に善いことをしない』ことがわかって政府に従わなくなって、今の国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らすようになると、政府が倒れてなくなる。国民みんなを不幸にする者がなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようになる。国民みんなから高いお金を取ったり国民みんなを殺したりする者がいなくなって、国民みんなで善い法律や制度や文化を定めたり、国の景気がよくなることをやったり、面白い製品や作品を作って国民みんなが幸福に暮らせる国になる。
国民みんなの明日は国民みんなで作る。国民が政府の正体を知って政府を倒して幸福に暮らすか、政府の正体を知らず政府が権力者となって不幸に暮らすかは、国民自身が決めることである。国民一人一人が自分で自分の道を選ばねばならない。国民一人一人が自分が幸福になる道を選ばねばならない。
あの北野武も「赤信号みんなで渡れば怖くない」とか「みんな殿様になりたいんだ」とか言って「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従っている国民のイヤミを言ったり、最近では「権力よりも愛だね」と言って国民みんなが政府の正体を知って政府に従わなくなって政府を倒して国民同士で善いことをしあって幸福に暮らすことに賛成している。だから、今では多くの国民が政府の正体を知って政府を倒すことに賛成している。私もそれに賛成している。だから、国民みんなは政府の正体を知って政府を倒さねばならない。その方向に日本の未来がある。
ヨーロッパは昔から国民みんなが頭が悪くて眼で見ることしかわからなくて政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だから国家権力がある」と思って政府に従っていた。インドもヨーロッパ文化の影響を受けて、国民みんなが政府の「身分が上の者の団体」の芝居を真に受けて「政府が身分が上の者だから権力がある」と思って政府に従っていた。しかし、中国や日本では国民みんなが頭がよくて『政府が「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府には権力がない』ことを知っていて、政府の「民主主義の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。日本は昔から国民みんなが政府の芝居を真に受けないのが伝統だから、今でも国民みんなが『政府が「民主主義の団体」の芝居をしているだけで本当は民主主義の団体ではないから政府には権力がない』と考えて政府に従わないようにしなければならない。今の日本では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に用がないから国民みんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
政府がいくらテレビで民主主義をやっていても見ようによっては芝居にも本当にもなる。国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えていれば政府の民主主義が芝居に見えて、国民が「政府が民主主義の団体だ」と考えていれば政府の民主主義が本当に見える。政府の民主主義が芝居になるか本当になるかは国民の考えしだいで決まる。今の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考えて、『政府の民主主義が芝居だから政府に国家権力がない』と思って政府に従ってはいけない。国民は『政府と国民が平等だ』と考えて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞くようにして、政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。


[22895] どうして今の政府は国民みんなに悪いことをしているのか? h28.7.4
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけで民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がないから、政府と国民は平等である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「美味[うま]い物を食うな!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分で政府の言うことを聞くか聞かないか自由に決めて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られず自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなと政府が平等に仲良く平和にやっていた。昔は政府が国民みんなからたくさん税金をもらってすごく儲[もう]かっていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今では多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府と縁を切って暮らしている。政府は多くの国民から税金をもらえなくなってすっかり儲からなくなって貧乏になっている。少数の国民は今でも昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の民主主義の団体の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わなければならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府の言いなりになって政府の命令でなんでもやるようになっている。政府は多くの国民から税金をもらえなくなっているので、一部の国民に命令して高い税金を取っている。政府は多くの国民から税金をもらえなくなって儲からなくなって腹が立っているので、一部の国民に命令して悪いことをさせて、人殺しや強盗やイタズラをさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くする政策をやらせたり、面白くない製品や作品を作らせたりして多くの国民を不幸にして復讐している。多くの国民は『政府が悪いことをやっている』『国民の“悪いことをされる喜び”を満足するクズ会社の分際[ぶんざい]で偉そうにするな!』と思って政府を罰するために政府の者を痛めつけている。今では国民みんなと政府が仲悪くけんかしている。
今の多くの国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために、政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。多くの国民は自分が正しいことをやっているだけだから、多くの国民は悪くない。しかし、人間には“いくら相手が正しくても、自分を不幸にした相手を憎[にく]む心”があるから、政府は自分の言うことを聞かなくなって自分に税金を払わなくなって自分を儲からなくした多くの国民を憎んでいるので、自分に従う一部の国民を使って多くの国民に悪いことをさせて復讐しているのである(もちろん、そんなことはやってはいけないが)。(マンガ『魔太郎がくる!!』の「ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ〜」。魔太郎は眼鏡[めがね]を掛けているから政府である。今の多くの国民が政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]して政府を虐めているから、政府は自分の恨[うら]みを晴らすために多くの国民に悪いことをして復讐しているのである。/昭和40年ごろに政府が私を国家宗教の神にしたのは、政府が多くの国民に復讐する手を広げるためだったのだろう。政府は国家宗教の神の情報を使って国民に命令して悪いことをさせているので、国家宗教の神が多いほど政府が国民にいろんな悪いことをさせることができるのである。政府は多くの国民に復讐するために私を国家宗教の神にしたのだ。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなを不幸にする者をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。)
だから、今の政府が国民みんなに悪いことをしているのは、国民みんなが「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従うようになって、政府が国民みんなの権力者になったからではなく、ただ政府が自分の恨みを晴らすために一部の国民を使って多くの国民に復讐しているだけなのである。今の政府は国民みんなの権力者ではないから、国民みんなは政府に従わなくていいのである。
人間は正しいことを知って正しいことをやらねばならない。それが人間の生きる道である。今の国民は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』ことを知って『政府は民主主義の団体の芝居をしているだけで、本当は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がない』ことを理解して政府に従わないようにしなければならない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府と縁を切って暮らさねばならない。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府を倒して、多くの国民に復讐する者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[22896] 今の政府が悪いことをしているのは国民みんなに「政府に国家権力がある」と思わせて国民みんなを支配するためである。☆ h28.7.5
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は「民主主義の団体」の芝居をしているのであって本当は民主主義の団体ではないから政府には国家権力はない。政府と国民は平等である。だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいから、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民みんなは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて、政府の「民主主義の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にしていた。昔は国民みんなと政府が平等に仲良く平和にやっていた。政府は国民に命令して悪いことをさせたりしなかった。
今の国民みんなは物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の多くの国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は今でも自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府の正体を知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでも聞いている。今の政府は一部の国民が政府の言うことをなんでも聞くのを利用して、一部の国民に命令して高い税金を取っている。今の政府は一部の国民が政府の言うことをなんでも聞くのを利用して、一部の国民に命令して人殺しや強盗やイタズラをさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くさせたり、面白くない製品や作品を作らせたりして国民みんなを不幸にさせている。多くの国民は『政府は政府に反することをやっている』とか『政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社のくせに生意気[なまいき]だ』と思って政府を罰するために政府の者を痛めつけている。今は国民みんなと政府が仲悪くけんかしている。
今の政府は自分に従う国民を使って国民みんなに悪いことをさせて不幸にしている。それは、今の政府が国民みんなに「政府に国家権力がある」と思わせて国民みんなを政府に従わせるためである。今の政府は一部の国民が「政府に国家権力がある」と誤解していることを利用して、実際に政府が一部の国民に命令して国民みんなに悪いことをさせて「政府に国家権力がある」ことを実演[じつえん]して、国民みんなに「政府に国家権力がある」と思わせようとしているのである。政府は一部の国民の誤解を実現することによって、国民みんなに誤解が真実だと思わせて誤解を植え付けて、国民みんなを政府の言いなりにしようと企[たくら]んでいるのである。政府はたんなる腹いせや復讐のために国民みんなに悪いことをしているのではない。
今の日本は『政府が「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である』と考えて政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を倒している国民と、「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力がある」と思って政府に従っている国民の両方がいる。
しかし、本当は政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民みんなは政府の国家権力の芝居に騙[だま]されないようにして「政府に国家権力がある」と誤解してはいけない。本当は、政府の民主主義は芝居だから政府には国家権力はない。本当は、今の政府は自分に従う一部の国民を使って悪いことをしているだけである。だから、政府が一部の国民を使って悪いことをしたら、政府と政府に従う一部の国民が有罪になるから、国民みんなで政府と一部の国民の両方を罰しなければならない。今の国民みんなは『政府には国家権力はない』と考えて、政府に従うのをやめて政府に税金を払ったり国民みんなに悪いことをするのをやめねばならない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。ところが、今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなを支配しようとする者をなくして、国民みんなで平和に幸福に暮らさねばならない。国民みんなで善い法律や制度や文化をやって、国の景気をよくして、面白い製品や作品を作って国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
現実の世界には権力はない。現実の世界には権力者はなく、人間はみな平等である。『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する者』には権力はない。権力は現実の世界にはなく、空想の世界にある。「民主主義の団体」や「身分が上の者の団体」や「神主義の団体」や「勧善懲悪の団体」や「代表取締役」はみな空想の存在である。だから、それらには権力があるのである。政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解している者には「政府に権力がある」ように思える。幕府の「身分が上の者の団体」の芝居を真に受けて「幕府が上の者の団体だ」と誤解している者には「幕府に権力がある」ように思える。宗教団体の「神主義の団体」の芝居を真に受けて「宗教団体が神主義の団体だ」と誤解している者には「宗教団体に権力がある」ように思える。暴力団の「勧善懲悪の団体」の芝居を真に受けて「暴力団は勧善懲悪の団体だ」と誤解している者には「暴力団に権力がある」ように思える。社長の「代表取締役」の芝居を真に受けて「社長が代表取締役だ」と誤解している者には「社長に権力がある」ように思える。どれも国民が芝居を真に受けることによって発生した権力である。国民は芝居は芝居だと思って、芝居と現実の区別をつけて、政府や幕府や宗教団体や暴力団や社長は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する者』にすぎないと考えて、政府や幕府や宗教団体や暴力団や社長には権力はなく国民と平等だと思わねばならない。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民みんなにとって『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する者』は要らないから、今の国民みんなは政府や幕府や宗教団体や暴力団や社長を倒して消し去らねばならない。
政府が権力団体になったら、政府はずっと国民みんなを自分の好き放題にして国民みんなを殺したり高い税金を取ったり嫌がらせをしたり、国民みんなに悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作らせて国民みんなを不幸にする。国民みんなは幸福に暮らせなくなる。そんな国には誰も住みたくない。だから、国民みんなは政府を権力団体にしてはいけない。国民みんなは『『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』から、政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は自分の正体を隠すために「民主主義の団体」の芝居をしているのであって政府は本当は「民主主義の団体」ではないから、政府には国家権力はない』と考えて政府に従わないようにしないといけない。国民みんなはテレビで政府の民主主義の芝居を見すぎて真に受けないように注意しないといけない。

[22897] 今の政府は国民みんなを支配するために国民みんなに悪いことをやっている。 h28.7.5
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民みんなは自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなと政府が仲良く平等にやっていた。
今の国民みんなは物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるようになって自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民の多くは政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の民主主義の団体の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府は一部の国民に命令して高い税金を取っている。政府は一部の国民に命令して人殺しや強盗やイタズラをさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作らせたりして国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。
今の政府は一部の国民が政府に従うことを利用して一部の国民に命令して悪いことをさせて、国民みんなに「政府に国家権力がある」と思わせて国民みんなを政府に従わせようとしている。今の政府は国民みんなを支配するために国民みんなに悪いことをやっている。
しかし、本当は政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけであって本当は「民主主義の団体」ではないから、政府には国家権力がない。だから、本当は、今の政府が一部の国民に命令して悪いことをさせるのはやってはいけないことである。今の政府と一部の国民は有罪である。国民みんなで政府と一部の国民を罰しなければならない。
今の政府は本当は国家権力がないから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府の命令で政府に税金を払ったり悪いことをやったりしてはいけない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなを支配しようとしている団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[22898] 今の政府が国民みんなに悪いことをしているのは国民みんなに「政府が民主主義の団体だ」と思わせて国民みんなを自分の好き放題にするためである。 h28.7.5
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数千万年前)ほかの動物のエサとして幸福に生きていたので、そのころの名残[なごり]で今でも人間の心にはそんな喜びがある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は国民に「税金を払え!」とか「警察に暴行されて死ね!」とか「入水自殺しろ!」とか「ガス自殺しろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠している。売春宿が料亭の看板を掛けて客が恥ずかしくないようにしているのと同じことである。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて自分の“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていたので、政府の「民主主義の団体」の芝居を無視して、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなが自分が好きなだけ政府に税金を払って政府に嫌がらされて喜んでいた。昔は国民みんなと政府が平等に仲良く平和に暮らしていた。
今(昭和40年=1965年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今は多くの国民が『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて、政府の「民主主義の団体」の芝居を無視して、自分が政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府に税金を払わなくなって政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は昔と同じように『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っていて、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。心は人それぞれだから、人によっては物をいくら使っても喜びが得られない者がいるので、そういう者は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるしかない。しかし、一部の国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから、国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでもかんでも聞いている。政府は一部の国民に命令して高い税金を取ったり自殺させたり虐めたりしている。政府は一部の国民に命令して人殺しや強盗やイタズラをさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くさせたり、面白くない製品や作品を作らせたり、国交を悪くして戦争をやったりさせて国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。
今の政府が一部の国民に命令して悪いことをさせているのは、国民みんなに「政府は民主主義の団体だから政府には国家権力がある」と思わせて国民みんなを政府に従わせるためである。国民みんなを政府の好き放題にするためである。政府は国民みんなに「政府は民主主義の団体だから政府に国家権力がある」と思わせて国民みんなを政府に従わせて、国民みんなに命令して国民みんなから高い税金を取ったり国民みんなを殺したり虐めたり、悪い法律や制度や文化を定めたり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作らせたりして国民みんなを不幸にするのが夢なのである。政府にとっては自分ひとりだけが幸福でほかのみんなが不幸に暮らす国が望みなのである。
しかし、本当は『政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。』政府は昔も今も未来もそういうものである。政府は世界中の国でそういうものである。だから、政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけで本当は「民主主義の団体」ではないから政府には国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。だから、今の政府が一部の国民を使って国民みんなに悪いことをさせているのは政府と一部の国民の犯罪である。政府と一部の国民は有罪であり罰せられねばならない。国民みんなで政府と一部の国民を痛い目にあわせて罰しなければならない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされず政府と縁を切って暮らせばいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府に税金を払わず政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなを従わせようとする団体をなくして、国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の政府が一部の国民を使って国民みんなに悪いことをしているのは、一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているからである。今の一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているのは、国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしいために政府が「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠しているからである。人間の恥の気持ちがかえって事態を悪化させる。人間の恥の気持ちは危険である。これからの人間は恥ずかしがらないようにしないといけない。これからは店の看板を掛け替えることは禁止しないといけない。これからは国民みんなは自分が恥ずかしがらずにみんなが見ている前で正々堂々と自分がやりたいことをやるようにしないといけない。

[22899] 国民みんなは「政府が民主主義の団体だ」と誤解しないようにしないといけない。 h28.7.5
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。
「民主主義の団体」は国民の前で調子いいことを言うだけで、実際には国家権力を使って悪いことばかりする。「民主主義の団体」は国家権力があるから国民みんなを自分の好き放題にする。「民主主義の団体」は国民みんなに命令して高い税金を取ったり国民みんなを遊び半分に殺したり虐めたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くして国民みんなを貧乏にしたり、面白くない製品や作品ばかり作らせて国民みんなを不幸にして虐めて遊ぶ。「民主主義の団体」は大変悪質な団体である。
一方、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は、国民と平等であり、国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「マンガやアニメを見ろ!」とかいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にして喜べばいい。
国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので、政府は「民主主義の団体」の芝居をやって自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを隠している。政府には表と裏がある。政府は表では「民主主義の団体」の芝居をやって、裏では『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』をやっている。さらに、「民主主義の団体」にも表と裏があって、「民主主義の団体」は表では調子いいことを言って裏では国家権力を使って悪いことばかりやっているのである。ロシアのマトリョーシカのように入れ子になっている。政府は二重に表と裏がある。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られなかったので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して生きていた。昔の国民みんなは『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の「民主主義の団体」は芝居である』ことを知っていたので、政府が「民主主義の団体」として国民みんなに言うことは全部無視して、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として国民みんなに言うことは自分が好きなだけ言うことを聞いて自分が悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の多くの国民は『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の「民主主義の団体」は芝居である』ことを知っているので、政府が「民主主義の団体」として国民みんなに言うことを全部無視して、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として国民みんなに言うことは聞かないようにして自分が悪いことをされないようにして政府に税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。つまり、今の多くの国民は政府の言うことをいっさい聞かずに暮らしている。今の少数の国民は『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の「民主主義の団体」は芝居である』ことを知っていて、政府が「民主主義の団体」として言うことは無視して、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として言うことは自分が好きなだけ聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、今の一部の国民は『政府が本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の「民主主義の団体」は芝居である』ことを知らないので、政府の「民主主義の団体」の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府が「民主主義の団体」として言うことを聞いて、政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』として言うことを無視している。今の一部の国民は政府が「民主主義の団体」として言うことを真剣に聞いて政府に高い税金を払ったり政府に殺されたり虐められたりしている。悪い法律や制度や文化をやったり、国の景気を悪くしたり、面白くない製品や作品を作ったり、国交を悪くして戦争をやったりして、国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。
昔は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と思っていたので、国民みんなが政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって幸福に暮らしていた。しかし、今は一部の国民が「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従って政府の命令で国民みんなに悪いことをやっているので国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。
政府が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』になるか「民主主義の団体」になるかは国民みんなが決めることである。国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と思えば、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れる。国民みんなが善いことをしあって幸福になる。反対に、国民みんなが「政府が民主主義の団体だ」と思えば、国民みんなが政府に従って政府に悪いことをされて不幸になる。
今の一部の国民は政府のことを知らないために政府の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従って政府の命令で悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今の一部の国民が政府のことを知らないのが悪い。そもそも政府は「民主主義の団体」の芝居をしているだけだから、国民が芝居を真に受けて実行するのがいけない。今の一部の国民が勝手に政府を誤解して国民みんなに悪いことをしているのがいけないのである。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府の民主主義は芝居であり、政府の正体は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民みんなは早くそのことを知って、政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けないようにして政府に従わないようにしないといけない。政府は本当は『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』だから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないようにしないといけない。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても政府の言うことを聞かず政府に税金を払わないようにしないといけない。国民みんなで早く政府を倒して、「民主主義の団体」に誤解しやすい団体をなくして、国民みんなで平和に幸福に暮らさねばならない。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなだけにして、国民みんなが自分で考えて国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。国民みんなが自分で考えて善い法律や制度や文化を定めて、国の景気がよくなることをして、面白い製品や作品を作って国民みんなを幸福にしないといけない。
政府は「民主主義の団体」の芝居をやっている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。政府は本業とは別の芝居をやっている特殊な会社である。政府の「民主主義の団体」は芝居だから、政府は本当は「民主主義の団体」ではないから政府には国家権力はない([22874]の表を参照)。国民は政府に従わなくていい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなくていい。今の国民みんなは政府と縁を切って生きていかねばならない。「民主主義の団体」は政府が自分の正体を隠すための仮[かり]の姿である。「民主主義の団体」は上っ面[つら]がいいだけで悪いことばかりやっている。とんだ食わせ物である。政府はもうちょっと善い者で自分の正体を隠せ!『浦島太郎』の玉手箱は「民主主義の団体」のことである。玉手箱は見掛けがきれいなだけで、中には悪いことばかり入っていて汚い。だから、“ぼかし”(けむり)がかかっていたのだ。パンドラの箱といっしょだ。今の国民みんなは「民主主義の団体」は要らない。今の国民みんなにとっては政府の「民主主義の団体」も『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』も両方とも役に立たない。今の国民みんなは政府を倒して、国民みんなだけでやっていかねばならない。
中世の日本では今の日本と同じように物が豊かになって国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、多くの国民が政府の言うことを聞くのをやめて政府と縁を切って暮らすようになっていた。だから、浦島太郎がもといた村に来てみるとみんなが見知らぬ人になっていたのである。しかし、一部の国民が政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けて政府に従って政府の命令を聞いて国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしていた。だから、浦島太郎は玉手箱の蓋[ふた]を開けたのである。浦島太郎は玉手箱の蓋を開けてすぐに死んでしまった。つまり、中世の日本では国民みんなが政府の「民主主義の団体」が悪いことをするのがわかったので国民みんなでさっさと政府を倒した。日本はすでに政府の「民主主義の団体」を経験済みである。今の国民みんなは二の舞を踏んではいけない。だから、今の日本でも国民みんなで早く政府を倒して、国民だけの国にしないといけない。


[22900] 今の国民は政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて命令を実行してはいけない。 h28.7.6
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。国民にとっては自分の“悪いことをされる喜び”を満足することは恥ずかしいので、政府は自分が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であることを隠すために「民主主義の団体」の芝居をやっているのである。
「民主主義の団体」は表裏があるから、表では国民に善いことを言って、裏では悪いことをする。「民主主義の団体」は国家権力があるから国民に命令して悪いことをさせて国民を不幸にする。「民主主義の団体」は最初からそういうものと決まっているから、そうするしかないのである。
一方、『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』は権力がないから、国民と平等である。国民は自分が好きなだけ『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを聞いて悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使って喜びが得られず自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔は国民みんなが『政府の正体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の「民主主義の団体」は芝居である』ことを知っていたので、政府の「民主主義の団体」の言うことを無視して聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分の好きなだけ聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔は国民みんなと政府は仲良く平等にやっていた。昔は政府の「民主主義の団体」は政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』を隠すだけで、国民に命令しなかった。だから、国民みんなが政府に不幸にされず世の中がうまく行っていた、
今は国民みんなが物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られて自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今では多くの国民が『政府の正体が『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』であり、政府の「民主主義の団体」は芝居である』ことを知っているので、政府の「民主主義の団体」の言うことを無視して聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことも聞かず政府に悪いことをされないようにして政府に税金を払わないようにして政府と縁を切って暮らしている。少数の国民は政府のことを知っていて、政府の「民主主義の団体」の言うことを無視して聞かず、政府の『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』の言うことを自分が好きなだけ聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしている。しかし、一部の国民は政府のことを知らないために、政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力がある」と思って政府の「民主主義の団体」の言うことをなんでもかんでも聞いている。ところが、政府の「民主主義の団体」は国家権力があるから国民に命令して悪いことをさせて国民を不幸にする。政府の「民主主義の団体」は一部の国民に命令して高い税金を取ったり自殺させたり虐めたりしている。政府の「民主主義の団体」は一部の国民に命令して人殺しをさせたり強盗させたりイタズラさせたり、悪い法律や制度や文化をやらせたり、国の景気を悪くさせたり、面白くない製品や作品を作らせて国民みんなを不幸にしている。
今の政府が一部の国民に命令して悪いことをさせているのは、もともと政府の「民主主義の団体」が表裏があって表では善いことを言って裏では国民に命令して悪いことをさせるからである。今の一部の国民が政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けて政府の「民主主義の団体」の言うことを真剣に聞いているから国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にすることになっているのである。
今の国民みんなが政府に不幸にされているのは、今の一部の国民が政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従っているからである。今の一部の国民が政府の「民主主義の団体」の芝居を真に受けているのが悪い。
今の一部の国民が政府の正体を知らないのがいけない。『政府は「民主主義の団体」の芝居をしている『国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社』である。』国民は政府の「民主主義の団体」に芝居をさせるだけにして、実際に命令を聞いてはいけない。国民みんなは政府の「民主主義の団体」をテレビや新聞で見るだけにして、実際に政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて命令を実行してはいけない。そもそも政府の「民主主義の団体」は政府の正体を隠すためにあるだけだから、国民は政府の「民主主義の団体」にそれ以上のことをさせてはいけない。『魔法のエンジェルスイートミント』の第24話「ドラキュラ大パニック」のように、ドラキュラは絵本の上だけの存在にして、実在させてはいけないのである。それと同じように、政府の「民主主義の団体」もテレビや新聞の上だけの存在にして、実在させてはいけないのだ。つまり、国民は政府の「民主主義の団体」をテレビや新聞で見るだけにとどめて、国民が現実の世界で政府の「民主主義の団体」の命令を聞いて実行してはいけないのである。h28.7.16追記:政府の「(悪い)民主主義の団体」は芝居の上だけにしておくべきであって現実の上に出してはいけないのである。)
今の一部の国民は政府の使い方をまちがっている。政府の利用法をまちがっている。そもそも政府は国民にとって自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけであって、それ以外の使い道はない。ところが、今の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民みんなにとってはもはや政府は使い道がない。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなはさっさと政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。


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