[22701] 政府は悪いことをやっていないふりをしながら悪いことをやる会社である。☆
h28.4.29
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間の心は不合理的だから、そんな喜びがある。
昔の人は物が貧しくて“悪いことをされる喜び”しかなくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。しかも、昔の人は農耕生活をして少し文明が高かったから自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思っていた。そのため、昔の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをしながら“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は矛盾したことをやっていた。昔の人は汚かった。昔の人は政府に悪いことをしていないふりをしながら悪いことをしてもらっていた。
政府は昔の人を幸福にするために、悪いことをしていないふりをしながら悪いことをしないといけなかった。政府は裏で(つまり、みんなの眼で見えないところで)悪いことをして、表で(つまり、みんなの眼で見えるところで)悪いことをやっていないふりをしていた。政府は表で民主主義の団体の芝居をやって「政府が悪いことをやっていない」とみんなに思わせていた。
政府は表でみんなに「政府が悪いことをやっていない」と思わせればいいだけだから、表で民主主義の団体の芝居をやるだけであって、本当の民主主義の団体をやらないのである。政府はもともと国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であって、国民の“善いことをされる喜び”を満足する会社ではないから、政府は表で民主主義の団体の芝居をするだけで民主主義の団体をやらないのである。政府はもともと悪いことをする会社だから、政府は悪いことをやっていないふりをするまではやってもいいが、政府は善いことをやってはいけないので、政府は形の上で民主主義の団体のまねごとをするだけでそれ以上のことをやってはいけないのである。政府は悪いことをする会社だから、悪いことを崇拝[すうはい]して善いことを軽蔑しているから、自分が恥ずかしくて民主主義の団体をやれないのである。民主主義の団体をやるのが馬鹿馬鹿しくてやれないのである。
政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているだけであって、民主主義の団体をやっているのではない。だから、政府は善いことをあまりしない。国民が政府に善いことを期待しても無駄[むだ]である。政府には国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。政府には国家権力がないから、政府は法律を定めることはできない。だから、国民は政府の法律を守らなくていい。国民は納税の義務の法律を守らなくていい。政府には国家権力がないから、政府と国民は平等である。国民が政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今の人は政府に税金を払わなくなって政府に殺されたり虐められたりしなくなっている。
今の政府はみんなに悪いことがやれなくなってみんなからお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。今の人は自分が幸福に生きるために“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて、物を使っていろんな喜びを満足しないといけない。
要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府が悪いことをしていないふりをしていようがいまいがとにかく政府は悪いことをやっている。昔の国民は政府に悪いことをして欲しかったから政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府が儲[もう]かっていた。今の国民は政府に悪いことをして欲しくなくなったから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が儲からなくなって潰れている。
今の人は物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今では“悪いこと”の需要がものすごく減っている。だから、悪いことをする会社がものすごく不景気になっている。今は悪いことをする会社がものすごくシケている。今後は悪いことをする会社はやっていけない。だから、悪いことをする会社は建ててはいけない。
[22702] 今の人は頭を使わなくなっている。 h28.4.29
今の人は眼で見るだけで眼で見たことに対して心で思うだけである。昔の人は眼で見たことに対して頭で考えて頭で考えたことに対して心で思っていた。今の人は頭を使っていない。今の人は痴呆[ちほう]である。
国の文明が高くなって物が豊かになったのは、そもそも国民が頭がよくなって頭を使って物を見るようになったからである。反対に、国民が頭が悪くなって頭を使って物を見なくなれば国の文明は低くなる。再び国民みんなが物が貧しくなって自分が幸福に暮らすために政府や暴力団などに悪いことをしてもらって“悪いことをされる喜び”を満足していやらしくジメジメと暮らすようになる。
今の国の文明は低くなっている。今の人はもっと頭を使って考えて生きていかねばならない。女は生まれつき考える才能がない。女は考えるのが嫌いな生き物である。女が社会進出したために国民みんなが考えるのが嫌いになっている。このままでは国の文明が低くなる。国民みんなが貧乏になる。だから、思い切って女の社会進出を阻止[そし]しなければならない。国民みんなで男女平等などというくだらないきれいごとの理念を排[はい]して、社会が発展しなくなる原因を除去して再び社会が発展するようにしないといけない。(私が独身で生活しているのは自分が考えるためである。女は自分が考えるために邪魔[じゃま]だから私はひとりで生活しているのである。女は自分に考える才能がないから、他人が考えることを嫌う。女は他人が考えるのを邪魔[じゃま]する。女といっしょに暮らすと考えることができなくなる。だから、自分が考えて生きていきたい人は女といっしょに暮らしてはいけない。)
h28.4.30追記:医者は馬鹿である。今の政府は『医者が馬鹿である』ことを利用して医療保険制度を設けて医者の待遇をよくしてみんなに「馬鹿のほうが待遇がいい」と思わせてみんなを馬鹿に変えて国の文明を低くしてみんなが物が貧しくなってみんなが自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足して政府の言うことを聞くようにして政府がみんなからお金を取って儲[もう]けようとしている。
それと同じように、女も馬鹿である。今の政府は『女が馬鹿である』ことを利用して男女平等制を設けて女の待遇をよくしてみんなに「馬鹿のほうが待遇がいい」と思わせてみんなを馬鹿に変えて国の文明を低くしてみんなが物が貧しくなってみんなが自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足して政府の言うことを聞くようにして政府がみんなからお金を取って儲けようとしている。(h28.5.1追記:女は馬鹿だから「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているから、「国民の総意で女を有利にする社会に決めた。国民の総意で馬鹿を有利にする会社にすることに決めた」と思って、いい気になって利口を攻撃する。しかし、本当は『政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする団体だ』から、政府は自分の独断で悪いことをしていないふりをして悪いことをしているだけである。「女を有利にする」ことや「馬鹿を有利にする」ことは政府が自分の独断で決めたことであってけっして国民の総意ではない。「女を有利にする」ことや「馬鹿を有利にする」ことは政府が国民に悪いことをしていないふりをして悪いことをするために決めたことであって、国民みんなで国民みんなを幸福にするために決めたことではない。だから、女が利口を攻撃することはできない。女はまちがったことをしたら死んで謝[あやま]れ!切腹の極意は『人間にとっては真理が自分の命よりも大事だ』ということだ。)
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。「馬鹿の待遇をよくする」ことは悪いことだから、政府は自分の仕事をまじめにやって「馬鹿の待遇がいい」社会を作っているのである。政府には悪気はないが、政府の仕事が悪いことをやっていないふりをして悪いことをすることだから、政府は国民みんなを密[ひそ]かに虐[いじ]めるために「馬鹿が有利な」社会にしているのである。しかし、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”がないから、悪いことをされると不幸になる。みんなは自分が幸福に暮らすために政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをやらせないようにして馬鹿が有利な社会にしてはいけない。みんなは国を発展させるために馬鹿を有利にする制度を撤廃して、『利口のほうが待遇がいい』社会にしなければならない。利口を増やして馬鹿を減らして有能な人間を増やして善い国にしないといけない。
[22703] 政府は表で悪いことをしていないふりをするために民主主義の団体の芝居をやっている。☆
h28.4.29
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたして生きていたから、人間に“悪いことをされる喜び”があったほうが幸福に生きられたから、人間には“悪いことをされる喜び”がある。
昔の人は文明が低かったので物が貧しかったので自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。しかも、昔の人は農耕生活をしていて少し文明が高かったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思っていた。そのために、昔の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は自分が政府に悪いことをされていないふりをして政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをすればいい。そのために、政府は裏で悪いことをして、表で悪いことをしていないふりをしている。政府は表では悪いことをしていないふりをすればいいだけである。そのために、政府は民主主義の団体の芝居をしている。政府は表では悪いことをしていないふりをすればいいだけだから、政府は表で民主主義の団体の芝居をするだけで、本当に民主主義の団体をしないのである。政府は悪いことをする会社だから、政府は悪いことはやれても善いことはやれないから、政府は民主主義の団体の芝居をするだけで民主主義の団体はしないのである。政府は表では悪いことをしていないふりをすればいいだけだから、わざわざ善いことをする必要はないから、政府は民主主義の団体をやらず、民主主義の団体の芝居をやるだけなのである。政府は表で悪いことをやっていないふりをしないといけないから、つまり政府は国民に「政府が悪いことをやっていない」と思わせることをしないといけないから、政府は民主主義の団体の芝居つまり“究極の正義の味方”(民主主義の団体のこと)のお芝居をやっているのである。政府は国民に「政府が悪いことをやっていない」と“思わせればいい”だけだから、本当に民主主義の団体をせずに、民主主義の団体の“芝居”をやるだけなのである。(いい歳こいて“民主主義の団体”を真[ま]に受けるほうが馬鹿である。自分のことを善いことをする団体と言う団体に善いことをする団体はない。民主主義は政府がふざけて考え出した冗談の主義であって、政府は表で冗談で“善い人ごっこ”をやっているにすぎないのである。)
政府は表で民主主義の団体の芝居をしているのであって、本当に民主主義の団体をしているのではない。だから、政府はあまり善いことをしない。政府には国家権力がない。だから、国民は政府に従わなくていい。政府は国家権力がないから法律を定められない。国民は政府の法律を守らなくてもいい。国民は納税の義務の法律を守らなくていい。政府は国家権力がないから、政府はただの会社である。政府と国民は平等である。だから、国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされるか、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないかは国民個人の自由である。
今の人は文明が高いので物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足するとほかのいろんな喜びが満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人は自分が幸福に生きるために政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府にお金(税金のこと)を取られたり殺されたり虐められたりしなくなっている。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりして悪いことをしてもらう。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをされていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないために政府に悪いことをされなくなっている。今の国民は政府が要らなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰している。
[22704] 政府は悪いことをしていないふりをしながら悪いことをする会社である。☆
h28.4.30
人間には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
昔の人は物が貧しかったので自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。しかも、昔の人は農耕生活を始めて文明がそこそこ高かったから自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのを野蛮で下品だと思っていた。そのために、昔の人は隠しながら“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は自分が幸福になるために自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は政府に悪いことをしてもらっていないふりをしながら政府に悪いことをしてもらって喜んでいた。
政府は悪いことをしていないふりをしながら悪いことをする会社である。政府は国民を幸福にするために悪いことをしていないふりをしながら悪いことをしている。
政府は自分が悪いことをしていないふりをしながら悪いことをすればいい。そのためには、政府は裏(つまりみんなの眼で見えないところ)で国民からお金を強盗したり国民を殺したり虐めたりして国民に悪いことをして、表(つまりみんなの眼で見えるところ)で自分が悪いことをしていないふりをすればいい。
政府は表で自分が悪いことをしていないふりをすればいい。つまり、政府は表で悪いことをしない者のふりをすればいい。悪いことをしない者は民主主義の団体である。だから、政府は表で民主主義の団体のふりをしているのである。政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているのである。政府が表でやっているのは、民主主義の団体の芝居なのである。
けっきょく、政府が表でやっていることは『自分が悪いことをしていないふりをしている』ことにすぎないのである。政府は表で自分が悪いことをやっていないふりをするために民主主義の団体の芝居をやっているにすぎないのである。だから、政府は国民に善いことをあまりしないのである。
政府は表で民主主義の団体の芝居をやっている。政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているのであって、民主主義の団体をやっているのではない。だから、政府に国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。政府には国家権力がないから、政府は法律を定められない。だから、国民は政府の法律を守らなくていい。国民は納税の義務を守らなくていい。国民はたとえ政府の法律を犯しても法廷でシラを切れば無罪放免になる。ただし、国民が他人に悪いことをするとみんなの仲間はずれにされて生きていけなくなるから国民は他人に悪いことをやってはいけない。
政府には国家権力がないから、政府はただの会社である。政府と国民は平等である。国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをやっていないふりをして悪いことをやってもらうか、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをやっていないふりをして悪いことをやってもらわないかは国民個人の自由である。
今の人は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足するとほかのいろんな喜びが満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人はあまりにも“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているので、自分に“悪いことをされる喜び”があることを忘れてしまっている。(アニメやドラマなどで「今の人が記憶喪失になっている」というのはこのことである。)今の人は自分が幸福に生きるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないために政府の言うことを聞かなくなっている。今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府にお金(つまり税金)を強盗されたり政府に殺されたり虐められたりしなくなっている。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。要するに、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府が悪いことをしていないふりをして悪いことをするのは仕事である。昔の国民は自分が幸福になるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府の言うことを聞いて政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらっていた。今の国民は自分が幸福になるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かなくなって政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらわなくなっている。今の政府は仕事ができなくなってお金が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
馬鹿は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が善いことをする会社だ」と思って、政府は本当は悪いことをする会社なのに善いことをする会社だと思って政府にお金を払って政府に悪いことをしてもらっている。政府はみんなの眼に見えないところで悪いことをやっているから、馬鹿はなかなか政府が悪いことをやっているのがわからない。馬鹿は政府に悪いことをしてもらっているのに「政府に善いことをしてもらっている」と思って自分勝手に喜んでいる。馬鹿は本当は自分が政府に不幸にされているのに「自分が政府に幸福にされている」と誤解して喜んでいる。
政府は悪いことをしていないふりをしながら悪いことをする会社である。ところが、今の人には“悪いことをされる喜び”がない。今の人は悪いことをされると不幸になる。だから、政府は今の人を不幸にしていないふりをしながら今の人を不幸にしている。今の人は政府に不幸にされていないふりをしながら本当は政府に不幸にされている。今の人は自分が気づかないまま政府に不幸にされている。今の人は自分が知らないうちにどんどん政府に不幸にされていっている。(政府自身も政府に不幸にされていっている。)このままではみんなが地獄に行ってしまう。今の人は自分が政府に不幸にされないために、自分で政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされないようにしないといけない。みんなで早く政府を倒して、悪いことをしていないふりをしながら悪いことをする会社をなくして、みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22705] 文明が高くなるとみんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって悪いことをする会社が潰[つぶ]れる。
h28.4.30
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物よりも弱くてほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりするために生きていたから、そのころの名残[なごり]で人間には“悪いことをされる喜び”がある。
大昔(縄文時代)の人は文明がすごく低くて物がすごく貧しくて自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を堂々と満足して生きていた。大昔の人は表で“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、大昔の人は表で豪族に殺されたり虐められたりお金を強盗されたりして悪いことをしてもらって喜んでいた。だから、大昔の社会は奴隷制[どれいせい]だった。大昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分から喜んで豪族の言うことを聞いて豪族に殺されたり虐められたりお金を強盗されたりしていた。だから、豪族よりもみんなのほうが人数が多いのに、豪族がみんなを支配できた。
昔(弥生時代〜1965年ごろまで)の人は文明が低くて物が貧しくて自分が幸福になるためにあいかわらず“悪いことをされる喜び”を満足して生きていた。しかも、昔の人は農耕生活をして文明がそこそこ高くなって自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思うようになった。そのため、昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は表で“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして裏で“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は政府(幕府も含む)に表で悪いことをしてもらっていないふりをしながら裏で悪いことをしてもらって喜んでいた。だから、昔の社会は表では奴隷制がなかったが裏では奴隷制があった。政府は表で悪いことをしていないふりをするために民主主義の団体の芝居をやっていた。政府は裏で国民を殺したり虐めたりお金を強盗したりして国民に悪いことをやっていた。つまり、政府は表で悪いことをしていないふりをして裏で悪いことをする会社である。政府は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がないから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に表で悪いことをしていないふりをして裏で悪いことをしてもらうかもらわないかは国民個人の自由である。
今(1965年ごろ以後)の人は電化生活をして文明がかなり高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今の人が裏で“悪いことをされる喜び”を満足するとほかのいろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るから裏で“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人は裏で政府に悪いことをされないために、政府の言うことを聞かなくなっている。今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府に裏で殺されたり虐められたりお金を強盗されたりしなくなっている。政府は今の人からお金を強盗できなくなって潰れている。だから、今の社会は奴隷制がない。
時代が進むと文明が高くなって人間の暮らしが変わる。人間が満足する喜びが変わる。大昔の人は堂々と“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そして、今の人はとうとう“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために、悪いことをする会社がだんだん潰れていってなくなっているのである。奴隷制[どれいせい]がなくなっているのである。
政府は国民みんなの“悪いことをされる喜び”によって支えられていた会社である。国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分から喜んで政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしていたので、政府が建っていられたのである。昔はみんなが貧乏で物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府が建っていられた。しかし、今ではみんなの暮らしがよくなってみんなが物が豊かになってみんなが物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせるようになってみんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので政府が滅んでいる。政府は貧乏人を幸福にする会社である。昔の人は物が貧しくて貧乏人だったから政府が儲[もう]かっていた。今の人は物が豊かになって貧乏人ではなくなったから政府が潰[つぶ]れているのだ。
[22706] 政府の本質は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。☆ h28.4.30
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。どうして人間が麻薬をやると気持ちよくなるかかがわからないように、どうして人間が悪いことをされると気持ちよくなるかもわからない。とにかく人間の脳には麻薬をやると快感を発生する麻薬中枢があるように、人間の脳には悪いことをされると快感を発生する“悪いことをされる中枢”がある。人間の心に“麻薬をやる喜び”があるのは人間の脳が勝手に決めたことであるように、人間の心に“悪いことをされる喜び”があるのは人間の脳が勝手に決めたことである。
昔の国民は物が貧しくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。しかも、昔の国民は農耕生活をしていて文明がそこそこ高かったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思っていた。そのため、昔の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分が幸福になるために政府に悪いことをしてもらっていないふりをして政府に悪いことをしてもらっていた。政府は国民を幸福にするために国民に悪いことをしていないふりをして国民に悪いことをしていた。政府は国民に悪いことをしていないふりをして国民に悪いことをするために、表で悪いことをしていないふりをして裏で悪いことをやっていた。政府は表で悪いことをしていないふりをするために民主主義の団体の芝居をやっていた。政府は裏で国民を殺したり虐めたりお金を強盗したりして国民に悪いことをやっていた。つまり、政府の本質は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社にほかならない。政府は自分が悪いことをしていないふりをするための具体的手段として民主主義の団体の芝居をやっているにすぎない。政府は具体的には毎日テレビや新聞でゴチャゴチャいろんなことをやっているが、本質的には『悪いことをしていないふりをして悪いことをしている』だけである。政府が表でやっているのは民主主義の団体の芝居であって本物の民主主義の団体ではない。だから、政府には国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。政府には国家権力がないから政府は法律を定められない。国民は政府の法律を守らなくていい。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府の仕事は国民の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足することである。国民は自分が政府に“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足してもらいたければ政府の言うことを聞けばよく、自分が政府に“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足してもらいたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。つまり、国民は自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって不幸になる。今の国民が幸福に暮らすためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。今の国民は政府に“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足されるのが嫌だから、政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かず政府にお金(税金)を強盗されたり殺されたり虐められたりしなければいい。(もっとも、今でも一部の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをしてもらっている。会社の社長はそういう人間だから高い税金を政府に払っているのである。会社の社長はその手の人間だから、政府の命令で国家宗教で変な商品を作ったりするのである。会社の社長は表では立派なふりをして、裏では政府に悪いことをされて喜んでいるのである。)
[22707] 政府の仕事は悪いことをやっていないふりをして悪いことをすることである。☆
h28.4.30
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、人間の心には“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物よりも下の生き物だったから、人間はほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりするために生きていたから、人間には“自分が殺されたり虐められたり食べられたりする(つまり財産を取られたりする)喜び”がある。
昔(1965年ごろ以前)の国民は文明が低くて、物が貧しくて自分が“悪いことをされる喜び”を満足しないと幸福になれなかった。しかも、昔の国民は農耕生活をやって文明がそこそこ高くて自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思っていた。そのため、昔の国民は自分が幸福になるために自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分が幸福になるために自分から喜んで政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらっていた。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府の仕事は悪いことをしていないふりをして悪いことをすることである。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で国民に悪いことをするために国民を殺したり虐めたりお金を取ったりして、表では自分が悪いことをしていないふりをするために民主主義の団体の芝居をやっている。政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているのであって本物の民主主義の団体をやっているのではない。だから、政府はあまり善いことをしないし、政府には国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。政府には国家権力がないから政府は法律を定められない。国民は政府の法律を守らなくていい。納税の義務を守らなくていい。政府には国家権力がないから、政府と国民は平等である。国民は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
今(1965年ごろ以後)の国民は文明が高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足するとほかのいろんな喜びを満足できなくなって喜びが減る。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福に暮らせる。今の国民は自分が幸福に暮らすためには政府に悪いことをしてもらってはいけない。今の国民は自分が幸福に暮らすために政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたくないから、政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりしなければいい。そうやって今の国民は幸福に暮らせばいい。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だから、政府は“一見善いことのように見えてじつは悪いこと”をやっている。例えば、政府がやっている医療保険制度や男女平等制度や厚生年金制度などは“一見善いことのように見えてじつは悪い”ことである。だから、国民は自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが嫌なら、絶対に政府の言うことを聞いてはいけない。政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたい国民だけが政府の言うことを聞かねばならない。しかし、今の国民のほとんどは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが嫌だから政府の言うことを聞いてはいけない。国民みんなで早く政府の言うことを聞かなくなって、政府を倒して、悪いことをしていないふりをして悪いことをしている会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
政府がやっていることは“今の国民を一見幸福にするように見えてじつは今の国民を不幸にすること”である。だから、今の国民が政府と反対のことをすれば今の国民は幸福になれる。例えば、医者を不利にして女を不利にして年寄りを不利にすれば今の国民が幸福に暮らせる国になる。今の国民みんなで政府と反対のことをして善いことをして今の国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。(昔(私が高校生のころつまり今から約35年前)政府のことを反面教師だと言っていたのはそのためである。)
政府がたまに善いことをするのは政府のまちがいである。政府も人間だからたまにまちがいを犯す。政府はいつもは悪いことをしていないふりをして悪いことをする。だから、今の国民にとっては政府がないほうがいい。今の国民みんなで政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だから、政府は悪いことをしていないふりをするためにたまに表で善いことをする。ちょっとだけ表で善いことをする。しかし、政府が表で善いことをするよりも裏で悪いことをするほうが圧倒的に多い。総合的に見て、政府は悪いことをやっている。政府の本質は『悪いことをやっていないふりをして悪いことをやる会社』だから、政府は具体的には表や裏で善いことも悪いこともいろんなことをゴチャゴチャやっているが本質的には『悪いことをやっていないふりをして悪いことをやっている』のである。国民は政府がやっていることを統計的に見て対処すればいいのである。要するに、政府は悪いことをやっている。ところが、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから悪いことをされると不幸になる。だから、今の国民にとって政府はなくなったほうがいい。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。
つまり、政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをして表で民主主義の団体の芝居をしたり、一見善いことのように見えてじつは悪いことをしたり、表でたまに善いことをしたりちょっとだけ善いことをしたりして裏でたくさん悪いことをしたりする。要するに、政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。ところが、今の国民は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが嫌である。今の国民にとっては政府がないほうがいい。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
[22708] 政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。
h28.5.1
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物よりも下の生き物だったから人間はほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりするために存在していたから、人間には“悪いことをされる喜び”がある。(『ビックリマン』に登場する聖[せい]ボットヘラクライストに政府を倒すヒントがある。聖ボットヘラクライストの持っている魔力逆転ソードが“悪いことをされる喜び”のことである。魔力逆転ソードに「聖極楽拳」と書いてあるのは、拳が殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりすることで極楽が気持ちがいいことだから虐待して喜ばせることつまり“悪いことをされる喜び”を表している。つまり、天使とは物事を正しく見る者であり、悪魔とは物事をまちがって見る者である。天使は他人を幸福にするのが好きであり、悪魔は他人を不幸にするのが好きである。天使はアジア人のことであり、悪魔はヨーロッパ人のことである。悪魔の取り柄[とりえ]は身体がきれいなことだけである。聖ボットヘラクライストの復活には一本釣帝(私のこと)が関わっている。ナウシカといい一本釣帝といい私は最初から“政府を倒す者”に決まっていたようだ。ヨーロッパ人は今でも馬鹿である。そのために、ヨーロッパ人は科学を発達させて文明を高めて国を豊かにするために今でもヨーロッパに頭のいいインド人を入れている。ヨーロッパ人が表でインド人を入れると自分たちが馬鹿であることがみんなに知られてみっともないから裏で密かにインド人を入れている。そうやって、ヨーロッパ人はインド人の力を借りて利口ぶって威張[いば]っているのである。そのため、私も若いころは「ヨーロッパ人が科学ができるので頭がいい」と思っていた。みんなはヨーロッパ人に騙[だま]されてはいけない。そもそも頭のいい人が眼先にこだわるわけがない。きれいなことを気にするわけがない。だから、ヨーロッパ人は馬鹿である。)
大昔(縄文時代)の人は文明がすごく低くて物がすごく貧しくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。大昔の人は自分が幸福になるために恥じらいもなく“悪いことをされる喜び”を満足していた。大昔の人は自分が幸福になるために豪族に公衆の面前で堂々と悪いことをしてもらっていた。大昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分から喜んで豪族の言うことを聞いて豪族に殺されたり虐められたりお金を取られたりしていた。
昔の人(弥生時代〜現代)は文明が低くて物が貧しくて自分が幸福に生きるために“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。しかも、昔の人は農耕生活をしていて文明がそこそこ高かったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思っていた。そのため、昔の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しないふりをして満足していた。昔の人は自分が幸福になるために政府(幕府も含む)に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらっていた。政府が露骨[ろこつ]に公衆の面前で国民に悪いことをすると、国民が政府が野蛮で下品なことをやっていると思って政府の言うことを聞かなくなって政府が国民からお金を取れなくなって儲[もう]からなくなるから、政府は国民に野蛮で下品なことをしていると思われないために自分が悪いことをしていないふりをしながら悪いことをしているのである。昔の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足して自分が幸福になるために、自分から喜んで政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされていた。政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりしていた。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをして表で悪いことをしていないふりをしている。政府は裏で国民を殺したり虐めたりお金を取ったりして国民に悪いことをしている。政府は表で悪いことをしていないふりをするために、悪いことをしない者のふりをするために、民主主義の団体の芝居をしている。(幕府は民主主義の団体とまでは行かないが善い団体の芝居をしていた。)政府は表で民主主義の団体の芝居をしているのであって本当に民主主義の団体をやっているのではない。政府は本当は民主主義の団体ではないから政府には国家権力はない。国民は政府に従わなくていい。政府には国家権力がないから政府は法律を定められない。国民は政府の法律を守らなくていい。例えば、納税の義務を守らなくていい。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、“一見善いことをしているように見えてじつは悪いこと”をやっている。例えば、医療保険制度や男女平等制や厚生年金をやって医者や女や老人を有利にして馬鹿が有利な社会にして国民みんなが馬鹿になるようにして国の文明を低くして国が発展しないようにしている。政府が国民みんなにテレビやマンガやゲームを流行[はや]らせて国民みんなを馬鹿に変えて国の文明を低くしているのも、政府が国民に“一見善いことのふりをしてじつは悪いこと”をやらせていることである。おとぎ話の『ピノキオ』で、ピノキオがサーカスの団長に唆[そそのか]されて遊園地で遊びまわってロバに変えられているのと同じことである。政府は悪いことをやっていないふりをして悪いことをするために、表でたまに善いことをやったりちょっとだけ善いことをやって裏でたくさん悪いことをやっている。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は国民を幸福にするために悪いことをしていないふりをして悪いことをする。政府が悪いことをしていないふりをして悪いことをするのは仕事である。政府は本当は民主主義の団体ではないから政府には国家権力はないから、政府と国民は平等である。国民が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらいたければ政府の言うことを聞き、国民が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらいたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
今の人(現代、1965年ごろ以後)は文明が高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が死んだりカタワになったりお金がなくなったりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって不幸になるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが嫌なので、政府の言うことを聞かなくなっている。今の人は自分が幸福に生きるために政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりしなくなっている。(国民は具体的に政府がやっていることにとらわれず抽象的に『政府を悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だ』と考えれば、『政府と国民は平等だから、今の国民は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが嫌だから、政府の言うことを聞かず政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしない』ようにして政府を倒すことができる。黄金バット(1967年アニメ)が最終回でナゾーを5次元空間で倒したことに似ている。ただ国民が政府のことを理解しただけでは政府を倒せない。国民が『政府が悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である』ことがわかっただけでは政府は倒れない。そんなことは昔の国民も知っていた。国民みんなが物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取られなくなってはじめて政府を倒せるのだ。)
昔の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していたので、自分から喜んで“悪いことをする会社”(つまり、政府や宗教団体や暴力団(暴力団も表では悪いことをしていないふりをしないといけないから、表では“善い人の芝居”をやっている。)や社長や文学部(会社に来てみんなの嫌がらせをしている連中のこと)や番長やガキ大将など)の言うことを聞いて悪いことをされていたので、悪いことをする会社がみんなからお金を取って儲[もう]かっていた。反対に、今の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので、悪いことをする会社の言うことを聞かなくなって悪いことをされなくなって、悪いことをする会社がみんなからお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。今ではみんなが“悪いことをされる喜び”がなくなったのに、昔と同じように悪いことをする会社が残っているのはいけない。早く今の国民みんなで悪いことをする会社を倒して、今のみんなを不幸にする者をなくして、今のみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。
私は独自の世界を切り拓[ひら]いたのではない。私は正しい世界を知りたかっただけだ。この世界は昔からこのように出来ていたのだ。人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足していた。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらうか、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらわないかは国民個人の自由である。今の国民は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたくないから、政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。そうして、今の国民みんなで早く政府を倒して、今の国民を不幸にする会社をなくして、今の国民みんなで幸福に暮らせばいいのである。
[22709] 今の人は悪いことが要らなくなったので政府が潰[つぶ]れている。
h28.5.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、人間の心には“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物よりも下の生き物だったので、人間はほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりする生き物だったので人間には“悪いことをされる喜び”がある。今でも人間の心にはそのころの名残[なごり]で“悪いことをされる喜び”がある。
大昔(縄文時代)の人は物がすごく貧しくてまったく物を使って喜びを満足することができなかったので自分が幸福に生きるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。大昔の人は文明が低すぎたのでまったく何の恥じらいもなく“悪いことをされる喜び”を満足していた。豪族は公衆の面前で堂々と悪いことをしていた。大昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために、自分から喜んで豪族の言うことを聞いて豪族に公衆の面前で殺されたり虐められたりお金を取られたりしていた。
昔(弥生時代から現代)の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなかったので自分が幸福に生きるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならならなかったが、農耕生活をしていて文明が多少高かったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思ってもいた。そのため、昔の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足したかった。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。昔の人は自分が幸福になるために政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらいたかったので、政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらっていた。
政府は国民が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして“悪いことをされる喜び”を満足させるために、国民に悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。
政府は国民に悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で国民を殺したり虐めたりお金を取ったりして国民に悪いことをやって表で自分が悪いことをしていないふりをするために民主主義の団体の芝居をやったり、“一見善いことのように見えるが本当は悪いこと”をやったり、表でたまに善いことをやったりちょっとだけ善いことをやって裏でたくさん悪いことをやったりしている。政府は表で民主主義の団体の芝居をしているだけであって本物の民主主義の団体をしていない。政府は民主主義の団体ではないから政府には国家権力がない。国民は政府に従わなくていい。政府は国家権力がないから政府は法律を定められない。国民は政府の法律を守らなくていい。特に国民は納税の義務を守らなくていい。(民主主義を強く推[お]し進めた首相が殺されたのは、国民が「首相が芝居を芝居と思わない馬鹿だ。そんな馬鹿は生きていても無駄[むだ]だ」と思ったからである。政府は表で民主主義の“芝居”をしなければならないのであって、本当に民主主義をやってはいけないのである。だから、まじめに民主主義をしようとした首相が国民みんなにまちがっていると見なされて殺されたのである。政府や法律会社は責任重大だからまちがいが許されないのである。政府は悪いことをする会社としての責任があり、法律会社は国民に法律を守らせる会社としての責任がある。政府は悪いことをする会社としての責任があるから、政府は今でも裏で国民に悪いことをしなければならないのである。国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れるその日まで、政府は国民に悪いことをし続けねばならないのである。戦艦大和[やまと]の艦長が大和と命運をともにしたのと同じである。政府は国民が政府の言うことを聞いて政府に税金を払うかぎり国民に悪いことをし続ける。政府はふざけて国民に悪いことをやっているのではない。政府は仕事で国民に悪いことをやっている。政府は自分が好きか嫌いかに関わらず一定の業務規約[ぎょうむきやく]に則[のっと]って国民に悪いことをやっている。政府は私情を挿[はさ]まず冷酷非情に悪いことをやっている。だから、国民がいくら政府を馬鹿にして罵[ののし]っても、政府はその国民に対して特に何もしないのである。政府はけっして犯罪組織ではないのである。政府は仮面ライダーのショッカーとは違うのである。政府と同じように、法律会社には法律会社としての責任がある。将来法律会社が建ったときには、法律会社がふざけてまちがった法律を定めたら国民みんなで勝手に責任者を殺せばいい。)
政府は国民を幸福にするために仕事で国民に悪いことをしていないふりをして悪いことをしているのだから、国民が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらうかどうかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが好きなら政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらえばいい。反対に、国民は自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのが嫌なら政府の言うことを聞かず政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされるのを断ればいい。
今(現代、1965年ごろ以後)の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができるので、自分が“悪いことをされる喜び”を満足するとほかのいろんな喜びを満足できなくなって自分が不幸になるので、“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足したくない。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。今の国民は自分が政府に悪いことをしてもらいたくないので、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされるのを断っている。今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐められたりしなくなっている。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は密[ひそ]かに国民に悪いことをして密かに国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。時代が進むと文明が高くなって物が豊かになってみんなの暮らしが変わる。みんなが満足する喜びが変わる。昔の国民は自分が幸福になるために密かに“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府の言うことを聞いて政府にお金を払って政府を建てていた。反対に、今の国民は自分が幸福になるために密かに“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
昔はみんなが自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していて悪いことをされたかったので、昔は悪いことをする仕事がたくさんあった。政府や宗教団体や暴力団や社長や事務職(事務職は裏で悪いことをして、表で悪いことをしていないふりをするために事務をやっているだけである。)や番長やガキ大将などが悪いことをする仕事だった。悪いことをする仕事は裏で悪いことをして表で悪いことをしていないふりをしていた。表で悪いことをしていないふりをしないこともあった。政府もときどき表で悪いことをやっていた。悪いことをする仕事は裏でしっかり悪いことをやって、表で悪いことをしないふりをするのはしたりしなかったりでテキトウにやっていればよかった。みんなにとっては悪いことをする仕事に裏で悪いことをやってもらいたいのであって表で悪いことをやっていないふりをしてもらいたいのではないから、みんなにとっては悪いことをする仕事が表で悪いことをしていないふりをするために善い人の芝居をするのはどうでもいいことだから、悪いことをする仕事が表で悪いことをしていないふりをするのはやってもやらなくてもどうでもいいのである。みんなにとっては政府が裏で悪いことをやるのが大事であって、政府が表で民主主義の芝居をするのはどうでもいいことだったのである。昔の人にとっては悪いことをする仕事が表で悪いことをしていないふりをして裏で悪いことをしていることは周知の事実だったから、昔の人にとっては悪いことをする仕事が表で悪いことをしていないふりをするのはどうでもよかったから、悪いことをする仕事は表で悪いことをしていないふりをしてもしなくてもどっちでもよかったのである。昔の人は自分が悪いことをされるために政府の言うことを聞いていたのだから、昔の人にとっては政府が悪いことをする会社であるのは当たり前だったから、昔の人には政府が悪いことをしているのを隠す必要がなかったから、政府は表では悪いことをしているのを隠したり隠さなかったりいいかげんにやっていたのである。政府は半[なか]ばみんなにバレながら悪いことをやっていたからいちいち自分が悪いことをやっているのを隠さなくてもよかったのである。昔は悪いことをする仕事は楽して儲[もう]かる“割のいい仕事”だったのでみんなの人気の仕事だった。みんなは自分が“悪いことをする仕事”に就くために一生懸命にがんばっていた。しかし、今はみんなが自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって悪いことをされたくないから、今はみんなが“悪いことをする仕事”が要らなくなって“悪いことをする仕事”がなくなっている。今はみんなが“善いことをする仕事”をやってきつくて儲からない割の悪い仕事をやって働かねばならない時代なのだ。“割のいい仕事”の実体は“悪いことをする仕事”である。“割のいい仕事”はみんなの“悪いことをされる喜び”の上に成り立っている。だから、“割のいい仕事”は必ず表で悪いことをしていないふりをして裏で悪いことをやっている。割のいい仕事は裏でみんなに悪いことをするためにみんなからお金を取ったり殺したり虐めたりしている。しかし、今ではみんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから裏で悪いことをされるのが嫌である。割のいい仕事はみんなの“悪いことをされる喜び”の上に成り立っているが、今ではみんなに“悪いことをされる喜び”がないから、割のいい仕事は成り立たない。だから、今では“割りのいい仕事”があってはいけない。みんなで割りのいい仕事をなくさねばならない。世の中から割りのいい仕事(つまり悪いことをする仕事)をなくして善いことをする仕事だけにして、どの仕事についても仕事がよくできる人が儲[もう]かるようにしよう。反対に、仕事ができない人は儲からないようにしよう。仕事がよくできる人がよく働いてよく稼[かせ]げるようにしよう。今みたいに仕事がよくできる人ほど楽な地位について仕事をしなくてすんで給料だけいいのはいけない。国や会社にはみんなに法律や社則を守らせる法律会社や社則課を設けよう。会社には会計課を設けて個人の仕事量に応じて個人に給料を支払うようにしないといけない。
今はみんなが“悪いことをされる喜び”がなくなって悪いことをされるのが嫌になって悪いことをする仕事が嫌いである。今では悪いことをする仕事をする者はみんなの嫌われ者である。みんなは悪いことをする仕事をするヤツが気に入らなければ殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして痛めつけてやればいい。食べていけないぐらい貧乏にして飢え死にさせてやればいい。今では悪いことをする仕事はみんなに悪いことをする者ではなく、みんなに悪いことをされる者なのである。政府は表で民主主義の団体のふりをしているだけだから政府には国家権力がないから政府は国民に法律を守らせているふりをしているだけで本当は政府は国民に法律を守らせることができないから、国民は政府の法律を犯しても法廷でシラを切ったら無罪放免ですむから、国民は法廷で裁判長に「あなたは自分の罪を認めますか?」と訊[き]かれても「いいえ認めません」と胸を張って答えればいいだけだから、国民は自分の気に入らないヤツがいたら多少暴力をふってもいいのである。今の国民は悪いことをする仕事をする者が気に入らないから暴力をふって痛い目にあわせてやればいいのである。これが新しい時代の道徳なのである。
要するに、昔国中に悪いことをする仕事があったのは、昔はみんなが物が貧しくて自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していて悪いことをされるのが好きだったので、みんなが悪いことをする仕事に頼んで悪いことをしてもらっていたので悪いことをする仕事が儲[もう]かっていたからである。反対に、今ではみんなが物が豊かになって自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって悪いことをされるのが嫌いになったので、みんなが悪いことをする仕事に悪いことをしてもらうのを断って悪いことをする仕事が儲からなくなったので、国中から悪いことをする仕事がなくなっているのである。今では文明が進みすぎたから悪いことをする仕事がなくなっているのである。つまり、昔はみんなの“悪いことをされる喜び”が作った世界だった。今はみんなの“物を使って満足されるいろんな喜び”が作った世界である。文明が進んでみんなが満足する喜びが変わったから世界が変わっているのである。
要するに、政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。昔の人は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらいたかったから、政府の言うことを聞いて政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりしていた。反対に、今の人は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらいたくないから、政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりしなくなっている。いつの時代でもみんなは自分の心のままにやればいいのである。そうしてみんなが自分で自分を幸福にすればいいのである。
昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足していた。だから、昔の人は国中に政府や宗教団体や暴力団や社長などを設けて“悪いことをされる喜び”を満足できる社会にしていた。今の人は物を使っていろんな喜びを満足している。だから、今の人は国中にいろんな物を作る工場を建てて、物を使っていろんな喜びを満足できる社会にすればいいのである。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、国中から政府や宗教団体や暴力団や社長をなくして“悪いことをされる喜び”が満足されない社会にすればいいのである。どんな喜びを満足してどんな喜びを満足してはいけないかがわかることが道徳である。みんなは道徳を知って自分が満足してもいい喜びを満足して自分が満足してはいけない喜びを満足しないようにして幸福に暮らせばいいのである。([22672]参照。)人間は子供のうちは表だけしかわからないが、大人になると裏がわかるようになる。人間は裏で不幸にならないためにも道徳を知っていないといけない。昔の人は“悪いことをされる喜び”が満足してはいけない喜びであることを知っていたが、物が貧しくてほかに満足できる喜びがなかったので自分が幸福になるためにやむを得ず“悪いことをされる喜び”を満足していた。今ではみんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。しかし、今でも物を使っていろんな喜びを満足できない者が“悪いことをされる喜び”を満足して政府や宗教団体や暴力団などに悪いことをされて暮らしている。お高ぶって物を使って素直に喜ばないから“悪いことをされる喜び”を満足しないといけないことになるのである。“悪いことをされる喜び”を満足して生きている者は今日的[こんにちてき]には変態である。みんなはお高ぶらずに素直に物を使って喜ぶようにして“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。
今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないが、政府が何かがわかっていないために政府の言うことを聞いて政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりしている。今の人は物を使っていろんな喜びを満足するだけではいけない。現実について考えねばならない。今の人は現実について考えて現実を知って現実の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。人間には“考える喜び”がある。人間が現実について考えて現実を知ることは楽しいことである。だから、今の人は自分の“考える喜び”を満足して自分が幸福になるために現実について考えねばならない。そもそも人間が現実を知るのは自分が幸福に生きるためである。人間は現実を知って現実の中で自分の心を満足して幸福に生きるので、人間が幸福に生きるためにはまず現実を知らねばならないのだ。そのために、人間は子供のころから現実について勉強するのだ。人間は大人になっても幸福に生きねばならないから現実について勉強することを欠かしてはいけない。
今の人は政府が何かがわかっていないから政府の言うことを聞いているだけである。今の人は政府のことを知らないか政府のことを誤解しているから政府の言うことを聞いているのである。だから、政府のことを知っている人がみんなに政府のことを教えてやればいい。そうやって、みんなが政府のことを知って政府の言うことを聞かなくなって政府を倒して、悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社をなくして、みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
[22710] どうして今のヨーロッパでは戦争をやらなくなったのか? h28.5.3
昔のヨーロッパではみんなが文明が低くて物が貧しくて“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔のヨーロッパではみんなが戦争をやったり植民地を取ったり政府に悪いことをされたりしていた。大昔ヨーロッパ人は狩猟民族だったから、動物を狩るために動物と戦っていたから“動物と戦う喜び”があるから“人間と戦う喜び”があるから人間と戦うために戦争をやるのである。大昔ヨーロッパ人は狩猟民族だったから、動物の縄張りに人間が踏み込んで行って人間の文化を植えつけて人間の縄張りにしていたから“縄張りを増やす喜び”があるから“植民地を取る喜び”があるから外国に攻め込んでいって外国にヨーロッパの文化を植えつけて植民地にするのである。ずっと昔ヨーロッパ人はほかの動物に殺されたり虐[いじ]められたり食べられたりして生きていたために“悪いことをされる喜び”があるから政府を建てて政府に悪いことをされていたのである。(以前テレビ東京の年末のミステリー番組で荒俣宏[あらまたひろし]が「日本は中国と戦争して中国人の物を奪ってやりたい放題やっていた」と眼を伏せながら言っていた。しかし、本来戦争は“人間と戦う喜び”を満足するためにやるのであって、外人の物を奪うためにやるのではない。だから、荒俣宏は自分がまちがったことを言っているのをみんなにわからせるために眼を伏せながら言っていたのである。)
しかし、今のヨーロッパではみんなが文明が高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足している。今のヨーロッパではみんながテレビを見て楽しんだり、乗り物に乗って楽しんだり、コンピューターを使って楽しんでいる。今のヨーロッパ人が“戦争をする喜び”を満足すると物を使っていろんな喜びが満足できなくなって喜びが減る。だから、今のヨーロッパ人は“戦争をする喜び”を満足しなくなって戦争をやらなくなったのだ。今のヨーロッパ人が“植民地を取る喜び”を満足すると植民地を取るために莫大[ばくだい]なお金がかかって貧乏になって物が貧しくなって物を使っていろんな喜びが満足できなくなって喜びが減る。だから、今のヨーロッパ人は“植民地を取る喜び”を満足しなくなって植民地を取らなくなったのだ。今のヨーロッパ人が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府にたくさんお金を取られて殺されたりカタワにされたりして物を使っていろんな喜びを満足することができなくなって喜びが減る。だから、今のヨーロッパ人は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりしなくなったのだ。
今のヨーロッパ人は物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今のヨーロッパ人が物を使っていろんな喜びを満足するためには“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”が邪魔[じゃま]である。そのために、今のヨーロッパ人は“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのである。つまり、この世は喜びと喜びの戦いである。今では“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”が“物を使って満足されるいろんな喜び”に負けたから、“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”が滅んだのだ。そのために、ヨーロッパ人は戦争をやらなくなって植民地を取らなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府が潰[つぶ]れているのだ。
今の日本人も物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるようになったので、“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”を満足すると“物を使って満足されるいろんな喜び”が満足できなくなるから、“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の日本人も戦争や植民地や政府をやめている。
時代が進むと文明が高くなって人間の暮らしが変わる。人間が満足する喜びが変わる。人間はいつでも自分がもっとも幸福に暮らせるように喜びを満足している。昔の人は物が貧しかったので“戦争をする喜び”や“植民地を取る喜び”や“悪いことをされる喜び”などを満足して幸福に暮らしていた。今の人は物が豊かになったので物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。
今では“悪いことをされる喜び”そのものは滅んでいるが、今の人が政府のことを知らないために政府が残っている。今でも政府がみんなからお金を強盗したり殺したり虐めたりしている。政府は“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。今の人は物を使っていろんな喜びを満足していて“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。早くみんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府を倒して幸福に暮らさねばならない。
要するに、政府は悪いことをする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。国民にとって政府は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するための道具である。昔の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していて悪いことをされるのが好きだったから、自分から喜んで政府の言うことを聞いて政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりして悪いことをされていた。反対に、今の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって悪いことをされるのが嫌いだから、自分で政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりされなくなって悪いことをされなければいいのである。今は科学の時代だから今の人は現実のことを知っていなければならない。政府のことを知っていないといけない。今の人はさっさと政府のことを知って政府を倒さないといけない。早くみんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
[22711] いつでも人間は自分の心を満足して暮らしている。 h28.5.3
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に命令して国民を殺したり虐めたりお金を取ったりする会社である。
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔ほかの動物よりも下の生き物だったから人間はほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして生きていたから人間には“悪いことをされる喜び”がある。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて自分が幸福になるためには生まれつき持っている“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったから、自分のほうから喜んで政府(幕府も含む)の言うことを聞いて政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりして悪いことをされていた。(江戸時代の東北の農村では農民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために幕府の言うことを聞いて年貢[ねんぐ]を納めていたが、年貢が高すぎるので怒って幕府に殴[なぐ]り込みをかけた。これが一揆[いっき]である。そのために、あとで農民が罰せられて死刑にされた。農民は自分が幕府に年貢を収めるのが嫌なら、最初から幕府の言うことを聞かずに幕府に年貢を納めなければよかったのである。そうすれば、幕府も農民に何もしなかったから、農民は年貢を納めずに自分でお米をお腹[なか]いっぱい食べることができたのだ。幕府は農民が幕府の言うことをおとなしく断らずに突然に幕府に殴り込みをかけてきたから農民を罰しなければならなかったのだ。そもそも農民が幕府の言うことを聞くか聞かないかは農民の自由だから、農民は自分が食べるのに困るほど貧乏をしているときには、自分の“食べる喜び”を“悪いことをされる喜び”よりも優先して幕府の言うことを聞くのをやめて幕府に年貢を納めなければよかったのだ。自分が無条件に幕府の言うことを聞かねばならないと思い込んでいた無教養な農民が悪い。幕府にとってもいい迷惑だ。むしろ『幕府が仕事で悪いことをしている』ことを知らないほうが珍しい。江戸時代にそんな農民がよくいたものだ。そんな農民は日本の恥だ。そんな農民は日本が悪くなるもとだ。だから、幕府は農民を罰してもいい。/例えば、1996年8月8日TBSのテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』の取材のためにシベリアに熊[くま]と鮭[さけ]の写真を撮りに行った写真家星野道夫[ほしのみちお]が熊に食べられて死んだのは政府の命令だったからである。写真家がみんなといっしょに小屋の中で寝ずにひとりだけ外でテントを張って寝たのは自分が熊に食べられるためである。その写真家は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いていたから、政府に「熊に食われて死ね」と言われたのを守って熊に食べられて死んだのである。クマ←カブ(ク≒カ、マ≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。鮭[さけ]←鱗[うろこ]が白く光る←光るとんび←天皇家。鮭←酒←神武天皇が東征のとき酒を飲んだ←神武天皇←天皇家。星野道夫←星←天←天皇。事件が起きた8月8日←8と8←8←○がつながっている←光の玉がつながっている←天皇家。TBS←TとB←天皇と私(T←天皇、B←ビイ←ヒイ゛←カブ(ヒ≒刀≒カ、イ≒ブ)←川ブ←私)。だから、この事件は政府が私や天皇の情報を使って起こしたのだ。私が中学3年生のころ友達の和田高明[わだたかあき]君が私に「自分が死んだ後に日本史の教科書に載ってみたいね」と言ったことがある。だから、星野道夫も政府と自分が死んだ後に英語の教科書に載る約束をして熊に食べられて死んだのだろう。『クレヨンしんちゃん』のマンガ家の臼井儀人[うすいよしと]が崖[がけ]から落ちて死んだのも自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の命令を聞いて自殺したからである。臼井義人←臼←丸い←光るとんび←天皇家。崖←ガケ←カブ(ケ≒ブ)←川ブ←私。『チャージマン研!』の第35話「頭の中にダイナマイト」の人間の頭の中にあるダイナマイトとは人間の心に生まれつきある“悪いことをされる喜び”のことである。政府は悪いことをしないふりをして悪いことをする会社である。つまり、政府は善いことをしているふりをして悪いことをする会社である。だから、政府は最初のうちは政府の言うことを聞く者に善いことをして後[あと]押しして出世させてやるがあとで悪いことをして殺すのである。政府の命令を聞いて死んだ者は最初から『政府が悪いことをする会社だ』と知っていて自分が政府に悪い命令を出されて自分が悪い目にあうのを待ち望んでいたのである。政府の命令を聞いて死んだ者にとっては自分が出世したことなんかどうでもよかったのである。政府の命令を聞いて死んだ者は自分が将来政府に殺されるのを生きがいにしていたのである。政府の命令を聞いて死んだ者は最後に政府が悪い命令を出してくれたことに感謝して大喜びで死んだのである。だから、国民は政府の命令を聞いて死んだ者が自殺して死んだことを悲しむのではなくむしろ祝ってやらねばならない。政府の命令を聞く者は最後には政府に悪い命令を出されて悪い目にあう。だから、国民は自分が善い目にあって幸福に生きたければ政府の命令を聞いてはいけない。国民は自分が善い目にあって幸福に生きたければ政府の命令を聞かず政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐[いじ]められたりして政府に悪いことをされなければいいのである。もしかしたら、写真家やマンガ家は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いている者ばっかりかもしれない。だから、私や天皇の情報を使った写真を撮ったりマンガを描いたりするのかもしれない。写真家やマンガ家は自分が政府に悪いことをされたい者ばかりかもしれない。国民が写真やマンガを見ていると自分にも写真家やマンガ家の“悪いことをされる喜び”がうつるかもしれない。政府に悪いことをされたくなるかもしれない。だから、写真やマンガは見ないほうがいいかもしれない。)
今の人は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなったから、自分のほうから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりされなくなっている。
国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらう。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するかしないかは国民個人の自由である。だから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかも国民個人の自由である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の言うことを聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の言うことを聞かなければいいのである。
人間は自分の心を満足するために生きている。時代が進むと文明が高くなって人間の生活が変わって人間が満足する喜びが変わる。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて暮らしていた。今の人は物を使っていろんな喜びを満足するために店に行っていろんな物を買ってテレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンを使ったりして暮らしている。
[22712] 今の人は物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなければいい。
h28.5.4
人間には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐められたり財産を取られたりする喜び”がある。
昔の人は農耕生活をしていて文明が中途半端[ちゅうとはんぱ]に高かったから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したかったが満足したくもなかったから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足していた。そのために、昔の人は政府(幕府も含む)に悪いことをしてもらっていないふりをして悪いことをしてもらっていた。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために、自分のほうから喜んで政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりして悪いことをされていた。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをして表で民主主義の団体の芝居をやったり、一見善いことのふりをしてじつは悪いことをやったり、表でちょっとだけ善いことをやったりたまに善いことをやったりして裏ではたくさん悪いことをやったり、最初のうちは善いことをやって最後にすごく悪いことをやったりする。(『魔法陣グルグル』のゴチンコ拳法“おもろうてやがてダメージ”とはこのことだ。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、最初のうちは善いことをやってあとで悪いことをやるのである。“悪いことをされる喜び”を満足していない者にとっては政府のやることは『おもろうてやがてダメージ(しかも面白さよりもダメージのほうがでかい)』だが、“悪いことをされる喜び”を満足している者にとっては政府のやることは「つまらなくてやがておもろい」のだ。だから、“悪いことをされる喜び”を満足していない者にとっては政府のやることは満足いかないが、“悪いことをされる喜び”を満足している者にとっては政府のやることが満足できるのだ。人の感性によって政府のやることは満足いかなかったりいったりするのだ。“悪いことをされる喜び”を満足している者以外にとっては政府のやることは満足いくものではないのだ。)
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は表で民主主義の団体のふりをしているだけで本当は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力はないから、政府はただの会社である。政府と国民は平等である。だから、国民が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらうか、政府に悪いことをしているふりをして悪いことをしてもらわないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、自分が政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
今の国民は電化生活をしていて文明が高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らすことができるようになったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのため、今の人は自分のほうから政府の言うことを聞かなくなって政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりしなくなって悪いことをされなくなっている。
国民がどんな喜びを満足しようが国民個人の勝手である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の言うことを聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の言うことを聞かなければいい。今の人は文明が進んで物が豊かだから自分の“悪いことをされる喜び”を満足するよりも物を使っていろんな喜びを満足したほうが幸福に暮らせる。だから、今の人は上手[じょうず]に物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足せずに幸福に暮らせばいいのである。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足せずに政府の言うことを聞かずに政府に税金を払わずに、浮いたお金で物を買って物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせばいいのである。これが現代人の道徳である。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足する会社である。政府は自分が悪いことをしていないふりをして悪いことをするために善いことと悪いことをゴチャ混ぜにしてやっているが、要するに政府は悪いことをする会社である。本質的には政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であってそれ以外の喜びを満足する会社ではない。本質的には政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であって“善いことをされる喜び”を満足する会社ではない。だから、“悪いことをされる喜び”を満足する者以外にとっては政府は用がない。“悪いことをされる喜び”を満足する者以外は政府の言うことを聞いて政府と関わってはいけない。自分が物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足していない国民は政府の言うことを聞かず政府を無視して政府と関わらなければいいのである。そういう国民は物を買って物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせばいいのである。今どき“悪いことをされる喜び”を満足している変な国民だけが政府の言うことを聞いて政府にかわいがってもらえばいいのである。“悪いことをされる喜び”を満足している者と“悪いことをする仕事”をする政府だけでお互いに幸せにしあって仲良くやっていればいいのである。
[22713] “悪いことをされる喜び”は野蛮で下品な喜びである。☆ h28.5.5
人間の心には生まれつき“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔ほかの動物よりも下の生き物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして生きていたから、人間にはそのころの名残[なごり]で今でも“悪いことをされる喜び”がある。
昔の人は文明が低くて物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるしかなかった。しかも、昔の人は農耕生活をしていて文明が少し高かったから自分が“悪いことをされる喜び”を満足することが野蛮で下品だと思っていた。そのために、昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足していた。昔の人は政府(幕府も含む)に自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足してもらっていた。昔の人は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらっていた。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために、自分のほうから喜んで政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりして悪いことをされていた。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は自分が悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをするために国民を殺したり虐めたりお金を取ったりして表で悪いことをしていないふりをするために民主主義の団体の芝居をしたり、一見善いことのふりをしてじつは悪いことをしたり、表でたまに善いことをやったりちょっとだけ善いことをやって裏でいつもたくさん悪いことをやったり、最初のうちは善いことをやって最後にすごく悪いことをやったりしている。(政府は表で民主主義の団体の芝居をするためにテレビや新聞に出てニコニコしながら善いことをやっているみたいにしている。国民は政府の表の民主主義の団体の芝居に騙[だま]されてはいけない。政府は国民が『政府が表で民主主義の芝居をやっている』ことを知っていると思って芝居をやっているから、政府は国民を騙すつもりで民主主義の芝居をやっていないから、国民はなおさら政府の芝居に騙されてはいけない。)
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをやって表で民主主義の団体の芝居をしている。政府は表で民主主義の団体の芝居をしているのであって本物の民主主義の団体をしているのではない。政府は表で本物の民主主義の団体をやっていないから政府には国家権力はない。政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくてもかまわない。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをしてい悪いことをするために善いことと悪いことをゴチャ混ぜにしてやっているが、大局的には政府は悪いことをやっている。要するに、政府は悪いことをする会社である。だから、国民は自分が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。(宝くじには当たりもハズレもある。大局的には宝くじはハズレだから、国民は自分が損をしたくなければ宝くじを買わなければいいのと同じである。)
今の人は文明が高くて物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らすことができる。例えば、テレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンを使ったりして楽しむことができる。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足するよりも物を使っていろんな喜びを満足したほうが幸福に暮らすことができる。だから、今の人は物を使っていろんな喜びを満足して、“悪いことをされる喜び”を満足しなければいい。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しないために、政府の言うことを聞かなければいい。今の人は政府の言うことを聞かず政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりしなければいい。
そもそも“悪いことをされる喜び”を満足するのは野蛮で下品なことである。“悪いことをされる喜び”を満足する者は野蛮で下品な者である。“悪いことをされる喜び”は野蛮で下品な喜びである。グロい喜びである。だから、今の人が“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなければ“悪いことをされる喜び”を満足しなければいい。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しないようにして政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされなければいいのである。
今ではキチガイでないかぎり自分の“悪いことをされる喜び”を満足する者はいない。自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞く者はいない。だから、みんなは政府の言うことを聞かなければいい。みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。みんなで早く政府を潰して、“悪いことをされる喜び”を満足する気持ちの悪い会社をなくして、気持ちのいい国にしないといけない。
h28.5.7追記:キリストの時代にはみんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足して幸福に生きていたから、キリストは「右の頬を打[う]たれたら左の頬も差し出せ!」と言ってみんなに“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足して生きることを勧[すす]めた。私の時代にはみんなが物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きているから、私は『テレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンを使ったりして楽しめばいい』と言ってみんなに物を使っていろんな喜びを満足して生きることを勧めるのだ。キリストの時代と私の時代ではみんなが満足する喜びが違うのだ。昔のみんなは昔の時代の喜びを満足して幸福に暮らしていた。今のみんなは今の時代の喜びを満足して幸福に暮らせばいいのである。キリストは「新しい酒は新しい皮袋に入れろ」と言った。酒は喜びのことで、皮袋は文明のことである。つまり、「文明が変わったら喜びも変えよ」ということである。モーゼのころはまだみんなが原始的な生活をしていて文明が低くてみんなが“悪いことをされる喜び”を悪いと思わずに満足していてみんなが“悪いことをされる喜び”を憚[はばか]らずに満足していた。だから、奴隷制[どれいせい]の社会だった。キリストのころにみんなが農耕生活を始めるようになって文明が進歩してみんなが“悪いことをされる喜び”を満足するのが野蛮で下品だと思うようになってみんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足するようになった。だから、隠れ奴隷制の社会だった。私のころにはみんなが電化生活を始めるようになって文明が高くなってみんなが物を使っていろんな喜びを満足して暮らすようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。だから、奴隷制の社会がなくなった。今は皮袋が新しくなった。だから、今は新しい酒を入れねばならないのだ。つまり、今は文明が新しくなったからみんなが古い喜びをやめて新しい喜びをやらねばならないのだ。
将来、さらに文明が進んでみんなの暮らしが変わったら、またみんなが満足する喜びが変わるだろう。みんなが古い喜びを満足するのをやめて新しい喜びを満足するだろう。新しい会社がたくさん建って古い会社がたくさん潰れるだろう。人類はそういうことを今後もずっとやっていくだろう。

[22714] 女の待遇をよくしてはいけない。 h28.5.5
女は古臭いセンスの塊[かたまり]である。女は性欲や五感や心やテレパシーや“悪いことをされる喜び”が発達している。反対に、男は新しいセンスの塊である。男は知覚や考える喜びや物を使う喜びが発達している。
女の待遇をよくするとみんなが女の真似[まね]をして古臭いセンスになって文明が低くなって世の中が後退する。反対に、男の待遇をよくするとみんなが男の真似をして新しいセンスになって文明が高くなって世の中が前進する。だから、昔から世界中の国で男の待遇をよくして来たのである。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だから、文明を低くしてみんなの物を貧しくしてみんなに悪いことをするために男女平等制をやって女の待遇をよくするのである。政府は民主主義の団体ではないから国民みんなの総意を実現しているのではない。例えば、政府が国民にゲームをやるとかマンガを読むとか見かけをよくするとかをやらせているのは、政府が国民みんなの総意を実現するためではなく、政府が国民みんなに悪いことをやるためである。政府が女の待遇をよくするのも、国民みんなの総意ではなく、政府が国民みんなに悪いことをするためである。
だから、今のみんなは政府の言うことを聞くのをやめて男女平等制をやめて男の待遇をよくしないといけない。そうすれば、文明が高くなって世の中が前進するようになってみんなが物が豊かになってみんなが物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせるだろう。女や子供も幸福に暮らせるだろう。
[22715] 今の社員は“悪いことをされる喜び”がないから社長の言うことを聞かなくなっている。
h28.5.5
政府と同じように、会社の社長も悪いことをやっていないふりをして悪いことをやっている。会社の社長は悪いことをしていないふりをして悪いことをする者(というか役職)である。社長は裏で悪いことをやるために社員を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりして表で悪いことをやっていないふりをするために善い人の芝居をやっている。会社の社長は表で善い人の芝居をやるためにほかの会社の社長と面談したり社員みんなの前で演説したり宴会で踊ったりする。要するに、会社の社長は政府の真似[まね]をやっているだけである。社長は政府の真似をして裏で悪いことをして表でどうでもいいことをやっている。
会社の社長は表で善い人の芝居をやっているのであって本当に善い人なのではない。だから、社長には権力がない。社員は社長に従わなくていい。社長には権力がないから社長は会社の決まりを決められない。だから、社員は社長の決まりを守らなくていい。
昔の社長に権力があったのは、社長が表で善い人のふりをして社員みんなを騙[だま]していたからではなく、社員が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために社長の言うことを聞いて社長に殺されたり虐められたりお金を取られたりしていたからである。
しかし、今の社員は自分が幸福になるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから社長の言うことを聞いて社長に殺されたり虐められたりお金を取られたりしなければいい。だから、今の社長には権力はない。今の社員は社長の言うことを無視して社長にお金を取らさないようにして社長を潰[つぶ]せばいいのである。社長が気に入らなければ殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりすればいいのである。
[22716] 政府のことを知らないまま政府の言うことを聞いている国民が悪い。
h28.5.5
今の国民の多くは政府がどんな会社なのか知らないまま政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐[いじ]められたりお金を取られたりしている。
国民と政府とどっちが悪いのだろうか?
喩[たと]えれば、祭りの夜店で“何かわからない物”を売っている店があって、客がそれを買って家に帰ってそれを食べて死んだとする。その場合には、買った者が悪いことになる。
だから、政府の場合にも、政府がどんな仕事をしているのかわからずに政府の言うことを聞いた国民が悪いのである。
今の国民の多くは自分が政府のことを知らないために大損をしている。だから、今の国民は大至急政府のことを知って、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなければ政府の言うことを聞くのをやめねばならない。自分が“悪いことをされる喜び”を満足している人だけ政府の言うことを聞けばいい。相手がどんな物を売っているのか知らずに買うほうが悪い。だから、国民は自分が政府のことをよく知ってから政府の言うことを聞くか聞かないか決めねばならない。
客が夜店で何を売っているかわからなければ買わなければいい。それと同じように、国民が政府がどんな会社なのかわからなければ政府の言うことを聞かなければいい。政府の言うことを聞かず政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなければいい。自分が政府のことが本当はわかっていないのに知ったかぶりして政府の言うことを聞く者が悪い。あるいは、私の考えを信じて『政府が悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だ』と考えて、自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。どっちにしても、政府の言うことを聞かなければいい。
h28.5.6追記:一般的には人間がどんな仕事をしようが人間の勝手である。西暦30世紀でも40世紀でも勝手である。だから、今の政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪いことをしていないふりをして悪いことをする仕事をやってもかまわない。宗教団体や暴力団が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために悪いことをする仕事をやってもかまわない。政治団体の自由や宗教団体の自由や暴力団の自由は永遠に不滅である。一方、国民が自分のどんな喜びを満足するかも国民個人の勝手である。だから、国民が自分で会社の仕事の内容をよく知って自分がやって欲しい仕事だけやってもらって、自分がやって欲しくない仕事をやってもらわないようにしないといけない。今の国民は政府の仕事の内容をよく知って、自分が“悪いことをされる喜び”を満足したいか満足したくないかをよく知って、自分が政府に仕事を頼むか頼まないか(つまり、自分が政府の言うことを聞くか聞かないか)を自分で決めねばならないのである。
[22717] 国民の生活が変われば政府が潰[つぶ]れる。 h28.5.5
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐[いじ]められたりお金を取られたりする。国民にとって政府は自分の“悪いことをされる喜び”を満足するための道具である。だから、国民は自分が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなかった。昔の国民が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。昔の国民は自分が政府に悪いことをされたかったので政府の言うことを聞いていた。昔の国民は政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしていた。
今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減る。だから、今の国民は自分がより幸福に生きるために“悪いことをされる喜び”を満足しなければいい。今の国民は自分が政府に悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしなければいい。
時代が進むと文明が高くなって国民の生活が変わる。国民の生活が変わると国民の満足する喜びが変わる。昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府の言うことを聞いて政府にお金を取られて政府が儲[もう]かっていた。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取られなくなって政府が潰れている。国民が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから政府が滅んでいるのだ。
[22718] どうして土用[どよう]の丑[うし]の日に鰻[うなぎ]を食べるのか?
h28.5.6
土用の丑の日に鰻を食べるのは平賀源内が考えたコピーである。
鰻は形が丸くて長い。円柱形である。だから、天皇家である。
土用とは政府が用いているという意味である。土←プラスマイナス←正負←政府だからである。
丑は天皇家のことである。天皇家は毎日何もせずに食べて寝てばっかりいて牛だからである。
平賀源内は駄洒落[だじゃれ]もお得意だったようである。土を正負と読んだところがいかにもハイカラである。
平賀源内(1728-1780)は江戸時代中期の人である。江戸時代のころから政府と言っていたことがわかる。だから、幕府とも言っていたのだろう。
[22719] 人間は自分の心に正直に生きねばならない。 h28.5.6
政府や宗教団体や暴力団は悪いことをする会社である。政府や宗教団体や暴力団は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪いことをする会社である。政府は表で民主主義の芝居をやって裏で悪いことをやる。宗教団体は表で神に従う芝居をやって裏で悪いことをやる。暴力団は表で堂々と悪いことをやる。
今の国民が政府や宗教団体や暴力団などの悪いことをする会社の言うことを聞いているのは、国民が政府や宗教団体や暴力団の正体を知らないか、あるいは国民が“悪いことをされる喜び”を満足しているかである。
国民が政府や宗教団体や暴力団の正体を知らなければ、私の文を読んで正体を知ればいい。
国民が“悪いことをされる喜び”を満足しているなら、“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめればいい。後進国や発展途上国の人は今でも文明が低くて物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができないから、自分が幸福になるためにしかたなく“悪いことをされる喜び”を満足しているのだ。今でも世界中で何億人もが政治団体や宗教団体や暴力団などの悪いことをする会社の言うことを聞いているのはそのためである。今でも世界には後進国や発展途上国の人が大勢いるから、悪いことをする会社の言うことを聞いている人が何億人もいるのである。しかし、今の日本は文明が高くて物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができる。今の日本で国民が幸福に暮らすためには“悪いことをされる喜び”を満足するよりも、物を使っていろんな喜びを満足したほうがいい。だから、今の日本ではみんなが“悪いことをされる喜び”を満足せずに、物を使っていろんな喜びを満足したほうがいい。それなのに、今の日本でかなりの国民が“悪いことをされる喜び”を満足しているのは、お高ぶって面白くないことをやって正直に自分が楽しいことをやって自分の心を満足していないからである。私は子供のころはマンガが好きだった。だから、マンガをよく読んだ。しかし、中学生になると自然にマンガが面白くなくなって読まなくなった。子供はマンガが好きである。だから、子供のころに無理に禁欲してマンガを読まないと“悪いことをされる喜び”のようなあまり面白くない喜びを満足することになる。“悪いことをされる喜び”を満足している者は鬱病[うつびょう]の患者のようにいつも気分が落ち込んでいる。それは、人間にとっては“悪いことをされる喜び”が本当はあまり楽しくないからである。人間にとってはもともと“悪いことをされる喜び”があまり楽しくないから、いくら“悪いことをされる喜び”を満足してもそれほど楽しくならないのである。だから、昔の日本でも国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していたが、それほど楽しくならずにむしろ落ち込んでいて世の中の雰囲気が暗かったのである。今でも後進国や発展途上国で雰囲気が暗いのはそのためである。人間が自分の本心を満足すれば本当に幸福になれる。人間にとっては“悪いことをされる喜び”はそれほど楽しくない。人間はもっと別の喜びを満足すべきである。例えば、子供ならマンガを読んだりテレビを見たり虫を採ったり野山を駆けずり回ったりすればいい。大人ならテレビを見たり乗り物に乗ったり本を読んだり自分で考えごとをしたり絵を描いたり音楽を作ったり美味[おい]しい物を食べたり運動したり酒を飲んだりタバコを吸ったりすればいい。人間は何かで幸福が得られなければ生きていけない。人間が素直に自分の本心を満足せずに自分の本心に背[そむ]いているために、あまり面白くない“悪いことをされる喜び”を満足しなければならないことになるのだ。だから、人間は多少みっともなくてもテレビを見たりマンガを読んだりして楽しめばいいのである。もっとも、世の中には変わり者がいるから、生まれつき“悪いことをされる喜び”が強い者がいるから、そういう者は素直に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して生きていけばいい。そういう者はたとえ自分が悪いことをする会社に悪いことをされて殺されても自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足すればいい。(追記:私は中学3年生のころオナニー(自慰行為[じいこうい])に耽[ふけ]っていたが、高校1年生のころにやめた。それは、たしかに性欲は強い快感だが、性欲を満足しないときに得られる快感の全部と比べると性欲の快感のほうが少なかったからである。人間は自分がより幸福になる道を選ぶべきだから、私は性欲を満足しない道を選んだのだ。それと同じように、今の人が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて“悪いことをされる喜び”を満足するよりも物を使っていろんな喜びを満足したほうが快感の量が多いから、今の人は“悪いことをされる喜び”を満足せずに物を使っていろんな喜びを満足すればいいのである。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足するよりも“悪いことをされる喜び”を満足しないときのほうが多くの快感が得られるから、今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しなければいいのである。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しないようにして政府の言うことを聞かないようにして政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりして政府に悪いことをされないようにすればいいのである。)
[22720] 政府は民主主義の団体ではないから国民は政府の言うことを聞かなくていいから楽である。
h28.5.7
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをして表で民主主義の団体のふりをしている。
政府は表で民主主義の団体のふりをしているのであって本当の民主主義の団体をやっているのではない。だから、政府には国家権力がない。国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、国民は楽である。政府は本当の民主主義の団体ではないから政府は本当は法律を定められない。だから、国民は政府が定めた法律を守る必要はない。政府は自分が本当は民主主義の団体ではないと思って自分は本当は法律を定められないと思って冗談でまちがった法律を定めている。例えば、納税の義務がまちがった法律である。本当は政府には国家権力がないから、政府はただの会社と同じだから、政府と国民は平等だから、国民が政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由だから、国民には政府に税金を払う義務はない。本当は国民が政府にお金を払って仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。だから、国民は納税の義務を守らなくていい。つまり、政府は自分が民主主義の団体のふりをするために自分に国家権力があるふりをするために納税の義務を定めているのである。しかし、本当は政府は民主主義の団体ではないから政府には国家権力がないから納税の義務はないのである。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は本当は民主主義の団体ではないから政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。国民と政府は平等である。だから、国民が政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。国民が政府に仕事をしてもらうかどうかは国民が自分で決めればいい。国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の人は文明が低くて物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。だから、昔の人は政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐[いじ]められたりお金を取られたりして幸福に暮らしていた。
今の人は文明が高くて物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができる。例えば、テレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンを使ったりして便利に楽しく暮らせる。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足するとかえって不幸になる。今の人が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。だから、今の人は政府の言うことを聞かず政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしなければいい。
そういうわけで、今の人は政府の言うことを聞かずに政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなくなっている。今の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足したくないから、自分が政府に悪いことをされるのが嫌だから、政府の言うことを聞かなくなっている。そのために、今の政府は国民みんなからお金が取れなくなって潰[つぶ]れてなくなっている。今の国民は自分が欲しい物を買って物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせばいい。
今の日本にはまだ法律会社は建っていない。しかし、日本人は農耕民族であり善いことが好きだから他人と平和にするのが好きだから、みんなが法律を守って暮らしている。今の日本には法律会社はないが法律がある。だから、国民はたとえ法律会社がなくても法律(ただし政府の法律ではない)を守らねばならない。国民みんなでそのうち法律会社を建てて、国民みんなが法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらって、ちゃんとした成文法のある立法国家にしないといけない。
日本人は善いことが好きだが、反対に外人は悪いことが好きである。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、国際交流のためだと言って毎年大勢の外人を日本に入れて外人に悪いことをさせている。政府は悪いことをやる会社である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから悪いことをされると不幸になる。だから、今の国民にとって政府は自分を不幸にすることをやっている。政府は反面教師である。国民は政府と反対のことをやれば幸福に暮らせる。だから、国民みんなは大勢の外人が日本に入って来ないようにして国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22721] 国民みんなの喜びが変ると社会の決まりが変わる。 h28.5.7
法律は『最大多数の最大幸福の原理』で決まる。つまり、国の決まりは国民みんなが幸福に暮らせるように定められる。
昔は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔は国民みんなが幸福に暮らすために国中に政府や宗教団体や暴力団を設けて政府や宗教団体や暴力団が国民みんなに悪いことをやっていた。国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に悪いことをされて幸福に暮らしていた。政府や宗教団体や暴力団が国民に悪いことをするのは国民みんなで決めたことだから、国民が政府や宗教団体や暴力団に復讐することは許されなかった。しかし、国民みんなが幸福に暮らすためには政府や宗教団体や暴力団以外の人に悪いことをされてはいけなかった。国民みんなが悪いことをやりあったら国民みんなが幸福に暮らせなくなるので、一般の国民の間では悪いことをしてはいけないことになっていた。一般の国民の間では他人の物を取ったり他人を殺したり虐めたりしてはいけないことになっていた。国民みんなで政府や宗教団体や暴力団や一般の国民についての細かい決まりが定められていた。それが昔の法律だった。(昔は政府や宗教団体や暴力団が国民に悪いことをするのは国民みんなで決めたことだから、国民がいくら政府や宗教団体や暴力団に悪いことをされても復讐することは許されなかった。そんなことは日本国憲法にも大日本帝国憲法にも書いていないが国民みんなは黙って認めていたのである。そもそも政府の民主主義は芝居だから政府の法律はオチャラケだから、みんなが政府の法律に書いてないことをやったり書いてあることをやらなかったりしてもよかったのである。要するに、日本国憲法も大日本帝国憲法も嘘[うそ]なのである。国民みんなで決めた法律(つまり本当の法律)と政府の法律は違っていたのだ。例えば、日本国憲法には納税の義務があると書いているが、国民みんなで決めた法律には(つまり実際には)納税の義務はないし、日本国憲法には政府や宗教団体や暴力団が国民に悪いことをやってもいいと書いていないが、本当の法律では悪いことをやってもよかったのだ。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足していたから、そのためには政府の法律に嘘を書いているほうが都合がよかったから、政府の法律が実際と違うことを認めていたのである。ちなみに、都会では宗教団体や暴力団がたくさんあってみんなにたくさん悪いことをやってくれたのでみんながたくさん“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らすことができた。反対に、田舎[いなか]では宗教団体や暴力団が少なかったのでみんなにあまり悪いことをやってくれなかったのでみんながあまり“悪いことをされる喜び”を満足してもらえなかったので幸福に暮らせなかった。昔は田舎よりも都会のほうがみんなが幸福に暮らせた。しかし、今はみんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、反対に田舎のほうが都会よりもみんなが幸福に暮らせるのだ。今では都会のほうが田舎よりも古臭いのだ。)
反対に、今は国民みんなが物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、今は国民みんなが幸福に暮らすために国中に物を作る工場を設けて物を使って、政府や宗教団体や暴力団を潰[つぶ]している。今では工場が公害を出してはいけない決まりとか、物についての決まりとか、政府や宗教団体や暴力団が国民みんなに悪いことをやってはいけない決まりがある。それが今の法律である。だから、今の国民は今の法律を守って、工場が公害を出さないようにして、物の正しい使い方を守って、政府や宗教団体や暴力団の言うことを断って自分が悪いことをやられないようにしなければならない。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だから、政府は悪いことをやっていないふりをして悪いことをすることが仕事だから、政府は悪い制度でないふりをしてじつは悪い制度をやっている。政府は医者や女や老人を有利にしたり国民にゲームやマンガや格好[かっこう]付けをやらせたりして国民みんなに悪いことでないふりをしてじつは悪いことをやっている。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に悪いことをされると不幸になる。政府は今の国民みんなを不幸にしている。国には『最大多数の最大幸福の原理』があるから、国民は国民みんなが幸福になることをしないといけない。政府は今の国民みんなが不幸になることをする。だから、今の国民は政府と反対のことをしないといけない。今の国民は政府と反対のことをして医者や女や老人を不利にして国民にゲームやマンガや格好付けをやらせないようにして国民みんなを幸福にしないといけない。国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる決まりや制度を定めて、国民みんなでそれを守って、国民みんなが幸福に暮らせる社会を実現しないといけない。
馬鹿な国民は政府の民主主義の芝居を自分勝手に真[ま]に受けて「政府が民主主義の善い団体だ」と誤解して政府の言いなりになって国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。だから、利口な国民でがんばって政府と反対のことをやって国民みんなを幸福にしないといけない。利口な国民でがんばって馬鹿な国民に政府の正体をわかりやすく教えてやらねばならない。そうやって、国民みんなで早く国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。みんなが真実を知っていればみんなが正しいことをやってみんなが幸福になる。反対に、みんなが真実を知らなければみんながまちがったことをやってみんなが不幸になる。『最大多数の最大幸福の原理』によれば、国民は国民みんなを幸福にしなければならない。だから、国民はみんなを幸福にするためにみんなに正しいことを教えねばならない。国民は国民みんなに『政府が悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である』ことを教えて広めねばならない。テレビ局や新聞社や出版社は国家の原理(つまり『最大多数の最大幸福の原理』)に反して国民に真実を教えようとしないから、国民が自分の力でみんなに真実を教えねばならない。(テレビ局や新聞社や出版社が国民に正しいことを教えないのは、テレビ局や新聞社や出版社が政府と同じ“悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社”だからである。テレビ局や新聞社や出版社は国民に悪いことをするのが仕事だから、国民みんなにまちがったことを教えて国民みんながまちがったことをするようにするのである。テレビ局や新聞社や出版社が面白本位の物ばかり作るのも国民みんなにまちがったことをさせるためである。人間の心は人間が生まれつき持っている現実についての認識であり、人間の心にはまちがいが多いから、テレビ局や新聞社や出版社は面白本位の物ばかり作って売って国民みんなを阿呆[あほう]に変えて国民みんなにまちがったことをやらせようとするのである。テレビ局や新聞社や出版社はみんながすでに正しいと知っていることをみんなに教えるだけで、みんなが正しいと知らないことは教えないのである。だから、国民がいくら待ってもテレビ局や新聞社や出版社は国民に正しいことを教えてくれない。だから、国民は自分で国民みんなに正しいことを教えねばならないのである。国民はテレビ局や新聞社や出版社を介[かい]さずに自分で直接に国民みんなに正しいことを教えねばならないのだ。)
昔の社会で国民みんなに悪いことをやってもいいのは政府だけである。国民みんなに悪いことをやるのは政府だけである。ほかの会社は国民みんなに悪いことをやってはいけない。だから、今の国民が政府を倒せば、ほかに悪いことをやる者はいなくなる。だから、今の国民はさっさと政府の言うことを聞かないようにして政府にお金を取らさないようにして政府を倒して、国民みんなに悪いことをやる者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22722] 政府に従っている者は偉くない。 h28.5.7
政府は悪いことをしていないふりをしている悪いことをする会社である。政府は裏で悪いことをして表で民主主義の団体の芝居をしている。政府は表で民主主義の団体の芝居をしているのであって本物の民主主義の団体をしているのではない。だから、政府には国家権力はない。政府は国民と平等である。
政府は国民と平等である。だから、政府に従っている者も国民と平等である。いくら国民が政府に従って政府の側[がわ]についてもそもそも政府は国民と平等だから、国民が政府の側についても偉くはならない。だから、政府に従っている者は国民に対して偉そうにしてはいけない。
そもそも国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いているだけだから、国民が政府に従っても国民はちっとも偉くない。国民が政府に従うと自分の“悪いことをされる喜び”が満足されて自分が幸福になるだけで、自分が偉くならない。
だから、政府に従っている者は偉くもなんともない。政府に従っている者は自分の快楽のために政府に従っているだけだ。政府に従っている者は国民に偉そうにしてはいけない。政府に従っている者は勝手に自分で自分を偉いと思ってうぬぼれているだけだ。だから、あんまり他人に偉そうにして他人に嫌われて他人に殴[なぐ]られても文句を言えない。
[22723] 今の環境ではみんなは“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福に暮らせる。
h28.5.8
人間の心には生まれつき“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔は弱い生き物だったからほかの動物よりも下の生き物だったから人間はほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして生きていたから人間がそういう環境で幸福に暮らすためには“悪いことをされる喜び”があったほうがよかったから、人間はずっと昔は“悪いことをされる喜び”があった。今でも人間の心にはそのころの名残[なごり]で“悪いことをされる喜び”がある。
昔は文明が低くて物が貧しくて昔の人は物を使っていろんな喜びを満足できなかったから、自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。もっとも、昔の人も農耕生活をやっていて文明がそこそこ高かったから自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが下品で野蛮だと思っていた。そのため、昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足していた。そのために、昔の人は政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをしてもらっていた。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために喜んで政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしていた。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、裏で悪いことをして表で民主主義の団体のふりをしている。政府は表で民主主義の団体のふりをしているだけで本物の民主主義の団体をやっていない。だから、政府には本当は国家権力はない。国民は政府に従う必要はない。政府には国家権力がないから政府は法律を定められない。政府は自分が民主主義の団体のふりをするために自分に国家権力があるふりをするために見かけの上で納税の義務の法律を定めているにすぎない。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために善いことと悪いことをゴッチャにしてやっているが、要するに政府は悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府には国家権力はないから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらうか、国民が政府の言うことを聞かず政府に悪いことをしてもらわないかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて物が貧しかったので、昔の人は物を使っていろんな喜びを満足することができなかった。昔の環境では人間が“悪いことをされる喜び”を満足しないよりも満足したほうが幸福に暮らせた。だから、昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足していたのである。だから、昔の人は政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしていたのである。
今では文明が高くなって物が豊かになったので、今の人は物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。今の環境なら人間が“悪いことをされる喜び”を満足するよりも満足しないほうが幸福に暮らせる。だから、今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのである。だから、今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなくなったのである。
時代が進むと文明が高くなって環境が変わる。環境が変わると人間が満足する喜びが変わる。昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足したほうが幸福だったから政府の言うことを聞いていたから政府が栄えていた。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福だから政府の言うことを聞かなくなったから政府が潰[つぶ]れているのだ。
[22724] 今の国民が政府のことを理解していないのは恥[はじ]である。 h28.5.8
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は裏で悪いことをして表で民主主義の団体のふりをしている会社である。政府はテレビや新聞や週刊誌や社会科の教科書などの国民の眼に付くところで民主主義の団体の芝居をやって、国民の眼に付かないところで国民を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりして国民に悪いことをやっている。そのほうが国民が“悪いことをされる喜び”を満足していないふりをして満足するのに都合がいいから、政府はそうしているのである。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社だから、政府は悪いことをする会社なのである。昔の国民は物が貧しかったので自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったが、農耕生活をしていて文明がそこそこ高かったために自分が露骨[ろこつ]に“悪いことをされる喜び”を満足するのがみっともないと思っていたので、隠しながら“悪いことをされる喜び”を満足していたのである。(誰でも自分が鞭[むち]を打たれながら喜んでいる姿を他人に見られたらみっともないと思うだろう?国民は自分が政府に悪いことをされて喜んでいるのを他人に見られないようにしながら政府に悪いことをされて喜びたい。そのために、政府はわざわざ自分が国民に悪いことをしているのを隠しながら国民に悪いことをしてやっているのである。政府が悪いことをするのを隠す方法にはいくつかある([22712]の3段落目を参照)。)政府は表で民主主義の団体のふりをしているのであって本物の民主主義の団体をしていないから、政府には国家権力がない。だから、国民は政府に従う必要はない。国民と政府は平等である。国民が政府に仕事をしてもらうかもらわないかは国民個人の自由である。
政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社である。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、政府は善いことと悪いことをいろいろゴチャ混ぜにやっているが、要するに政府は悪いことをする会社である。政府はみんなの眼に付くところで善いことをちょっとやってみんなの眼に付かないところで悪いことをたくさんやっている。政府は善いことよりも悪いことを多くやっている。政府は大雑把[おおざっぱ]には悪いことをやっている。政府は大局的には悪いことをやっている。だから、国民は自分が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
今では国の文明が高くなって今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足するよりも満足しないほうが幸福に暮らすことができる。今の国民はもはや“悪いことをされる喜び”を満足する必要がない。今の国民は政府に悪いことをされたくない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいいのである。
そういうわけで、今の国民の多くは政府の言うことを聞かなくなっている。政府は国民に悪いことができなくなって国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
しかし、馬鹿な国民は政府の表の民主主義の芝居に騙[だま]されて「政府が民主主義の団体だ」と思って政府の言うことを聞いていっぱい悪い制度(国民医療保険制度、男女平等制度、老人福祉制度、テレビを見る制度、ゲームをやる制度、マンガを読む制度、不味[まず]い物を食べねばならない制度、中身よりも見かけをよくする制度、言葉を使わず頭で考えない制度、性欲を満足する制度、人口を増やす制度、同性愛をする制度、国民みんなに「テレパシーがない」と思わせたり見栄[みえ]を張らせたりして国民みんなを精神病にかかりやすくする制度など)をやって日本を悪い国にしている。(人間が見栄を張ると、自分の本心でない心を満足して自分の本心が満足できなくなって欲求不満になって鬱病[うつびょう]や神経症に罹[かか]って苦しむことになる。反対に、人間が見栄を張るのをやめて自分の本心を満足して自分の本心でない心を満足するのをやめると欲求不満が解消されて鬱病や神経症が治る。)つまり、政府は国民にまちがった道徳をやらせて悪い国にしている。(政府は国民を貧乏にする制度もやっている。今の国民が豊かなのは国民が自分でよく働いているからであって、政府のおかげではない。政府は国民が豊かになるのを邪魔[じゃま]しているだけである。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをする会社だから、政府は大雑把[おおざっぱ]には国民を貧乏にするだけで豊かにはしない。政府はいっとき国民を豊かにするだけで長い目で見れば国民を貧乏にする。)政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社だから、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪いことをするのが仕事だから、政府は自分の好き嫌いに関わらず国民みんなに悪いことをするために悪い制度をやらせているのである。しかし、今の国民には“悪いことをされる喜び”がないから、今の国民は悪いことをされると不幸になるから、今の政府は今の国民を不幸にしているだけである。政府は日本を今の国民が不幸に暮らさねばならない国にしている。今の国民は悪いことをされるのが嫌だから政府は要らない。悪いことはいっときは楽しいが長くやっていると不愉快[ふゆかい]になる。だから、国民みんなは早く政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金を取らすのをやめて政府を潰さねばならない。政府のことがわかっている国民が馬鹿な国民に政府のことをわかりやすく教えてやって、国民みんなで政府の言うことを聞かなくなって政府を潰して、日本を善い制度のたくさんある国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。(たとえ男女平等制度がなくても優秀な女は優秀な人間としてやっていけるから男女平等制度は要らない。優秀な女がちょっといるからといってすべての女が男と同等とすることがまちがっている。だから、男女平等制度はまちがっているのである。男のほうが女よりも知的な才能が優れているから、男を女よりも上にしたほうがみんなが知的になって文明が高くなって社会が発展してみんなが豊かに暮らせるから男を女よりも上にすればいいのである。男の女に対する見方もいけない。男は男として女は女として優秀であればいいのだ。男は男の才能が優れていればよく、女は女の才能が優れていればいいのだ。男が女の才能が優れたり、女が男の才能が優れたりしなくていいのだ。そういう見方で男や女を見ないといけない。)
[22725] 昔の国民は隠して“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいる気持ちの悪い人間だった。☆
h28.5.8
そもそも今の国民が昔の国民のことがわかっていないのがいけない。昔(1965年ごろ以前)の国民は物が貧しかったので“悪いことをされる喜び”を満足することを生き甲斐[がい]にしていた。昔の国民は農耕生活をしていてそこそこ文明が高かったので露骨[ろこつ]に“悪いことをされる喜び”を満足するのがみっともないと思っていたので、隠しながら“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は隠して“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいる気持ちの悪い陰気臭い人間だった。だから、政府のような隠して国民に悪いことをする陰険[いんけん]な会社が出来てしまったのだ。
今(1965年ごろ以後)の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きているので、“悪いことをされる喜び”を満足していない。政府は隠して悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足するためにある。政府は国民のためにある。政府が要るか要らないかは国民が自分で決めることである。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとっては政府が要らない。政府は民主主義の団体ではないから政府には国家権力がないから、国民と政府は平等であり、国民が政府に仕事をやってもらうかもらわないかは国民個人の自由である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればよく、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをしてもらわず政府にお金を取られないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。今の国民の多くはすでにそうしている。だから、今の政府は赤字になってシケているのである。
国民みんなで早く政府を潰して、隠れて悪いことをする会社をなくして、国民みんなが幸福に暮らせる社会にしなければならない。
人は見かけによらぬものという。昔も今も人の見かけは変わらない。しかし、昔と今では人の中身が違う。昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足している気持ちの悪い人間だった。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないまともな人間である。今の人は昔の人の見かけに騙[だま]されてはいけない。政府は昔の気持ちの悪い人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にするために作り出した気持ちの悪い会社である。政府は昔の人を幸福にするが今の人を幸福にしない。むしろ政府は今の人を不幸にする。今の人にとっては政府がなくなったほうがいい。だから、今の人は政府の言うことを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
昔は国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足していたから、国民みんなの取り決めで政府が裏でやっていることをテレビや新聞や週刊誌などで流さない決まりがあった。しかし、今は国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足していないから、国民みんなが政府が裏でやっていることをテレビや新聞や週刊誌などで流さない取り決めがない。今はテレビや新聞や週刊誌は裏で政府がやっていることをどんどん流していい。今の国民にとっては政府が要らないから政府がなくなったほうがいいから政府を早く倒すためにむしろテレビ局や新聞社や出版社は裏で政府がやっていることを流さねばならない。テレビ局や新聞社や出版社はこれまでの古臭い考えを捨てて、新しい国民に合ったことをやらなければならない。
[22726] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。☆☆
h28.5.9
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。人間の心には生まれつき“悪いことをされる喜び”つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”があるから、それを満足するのが政府の仕事である。もっとも、昔の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいるところを他人に見られたくなかったために、昔の国民は隠して自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府は国民を喜ばせるために隠して悪いことをしている。政府は自分が国民に悪いことをしていないふりをして国民に悪いことをしている。そのために、政府は裏で国民を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりして国民に悪いことをして表では民主主義の団体の芝居をやっている。政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをするために、善いことと悪いことをゴチャ混ぜにしてやっているが、大雑把[おおざっぱ]には政府は悪いことをやっている。政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社だから、政府は国民を幸福にするために国民にいろんな方法でありとあらゆる悪いことをするのである。
政府は民主主義の団体ではない。政府の仕事は国民に善いことをすることではない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府の仕事は国民に命令して国民に悪いことをやって国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることである。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”(虐待欲)を満足するためにある。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらう。(今の国民はそういう意識がないが、今の国民がやっていることはじつはそういうことなのである。)国民が自分の性欲を満足して自分が幸福になるためにトルコ風呂に通うのと同じことである。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は民主主義の団体ではないから政府は国家権力がないから、国民は政府に従う必要はない。政府と国民は平等だから、国民が政府に仕事をしてもらうかもらわないかは国民個人の勝手である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の言うことを聞き、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなれば政府の言うことを聞かなければいい。
昔の国民は物が貧しくて物を使って幸福になれなかったので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるしかなかった。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために、自分のほうから喜んで政府の命令を聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしていた。(私は子供のころ毎日のように母親から「昔は物がなくて貧しかった」という話を聞かされていた。)
今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足しているので、自分の“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなくなっている。今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足するとかえって不幸になるので、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないために、政府の言うことを聞かなくなって政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしなくなっている。(いくら政府のおかげで生きている人がたくさんいても、とにかく自分が政府に悪いことをされるのが嫌なら政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。)
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。自分の“悪いことをされる喜び”を満足している国民は政府に用があるが、自分の“悪いことをされる喜び”を満足していない国民は政府に用がない。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府の言うことを聞いて政府に悪いことをやってもらっていた。反対に、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをやってもらわなくなっている。そのために、政府は国民に悪いことができなくなって国民からお金を取れなくなって赤字になってシケて潰[つぶ]れている。
[22727] 今の国民みんなは国家権力を使って政府を潰[つぶ]している。 h28.5.9
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて、“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならねばならなかった。しかも、昔の国民みんなは農耕生活をしていて文明が少し高かったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいるのを他人に見られるのが恥ずかしかったので“悪いことをされる喜び”を隠して満足したかった。そのために、昔の国民みんなは政府を設けて政府に隠して悪いことをさせていた。昔の国民みんなは政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをさせていた。昔の国民みんなは政府に悪いことをしていないふりをして悪いことをさせるために、政府に裏で悪いことをさせて表で民主主義の団体の芝居をさせたり、政府に一見善いことのように見えてじつは悪いことをさせたり、表でたまに善いことやちょっとだけ善いことをさせて裏でたくさん悪いことをさせたり、最初のいっとき善いことをしてあとで悪いことをさせたりしていた。昔の国民みんなは自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足して自分が幸福になるために自分から喜んで政府の言うことを聞いて政府に隠れて悪いことをさせていた。(私は、人間に“他人に悪いことをさせて自分が他人に悪いことをされて喜ぶ気持ち”があるのがなんとなくわかる。昔の国民みんなは政府に悪役をさせて自分が悪役に虐[いじ]められてなんとなく心が落ち着いて幸福になっていたのだ。昔の人は世の中に悪役がいると自分が悪い人間ではないという気がして自分の気持ちが落ち着いて安心することができたのだ。もちろん、今の人はそんなことぐらいでは納得できない。今の人はそんなことのためにわざわざお金を出したりしない。今の人は世の中に悪役がいないほうがいいと思うだけだ。)
今の国民みんなは物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できて、“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり死んだりカタワにされたりして物を使っていろんな喜びを満足することができなくなって不幸になるので、自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけなくなった。今の国民みんなは隠そうが隠すまいが自分の“悪いことをされる喜び”を満足してはいけなくなった。政府は隠して悪いことをする会社である。そのために、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を潰している。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府を建てて政府に悪いことをされていた。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府を潰して政府に悪いことをされないようにしている。国民みんなが国を作るのだ。国民みんなが自分たちが幸福に暮らせるように国を作るのだ。今の国民みんなの国家権力で政府が潰れているのだ。今の国民みんなは国家権力を行使して政府にお金をやらなくなったり政府に暴力をふったりして国民みんなで政府を潰しているのだ。国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる国を作ればいいのだ。
[22728] 政府は隠して悪いことをする会社である。 h28.5.9
昔の国民は物が貧しかったので物を使っていろんな喜びを満足することができず自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるしかなかった。しかも、昔の国民は農耕生活をしていて少し文明が高かったので自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいるのを他人に見られるのが恥ずかしかったので、隠して“悪いことをされる喜び”を満足したかった。昔の国民は隠して悪いことをされたかった。そのために、昔の国民は隠して政府に悪いことをさせていた。政府は隠して悪いことをする会社である。政府は隠して国民に悪いことをするために、裏で悪いことをして表で民主主義の団体の芝居をやったり、一見善いことのように見えてじつは悪いことをやったり、表でたまに善いことやちょっとだけ善いことをやって裏でたくさん悪いことをやったり、最初に善いことをやってあとで悪いことをやったりしていた。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足して自分が幸福になるために、政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをしてもらっていた。政府は隠れて悪いことをする会社だから、政府は隠れて悪いことをするのが仕事だから、政府は「国民みんなのためになる」と嘘[うそ]を言って国民みんなにいろんなまちがった制度やいろんなまちがった道徳をやらせて国民みんなを虐[いじ]めているのである。
今の国民は物が豊かなので物を使っていろんな喜びを満足することができる。今の国民が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。今の国民は隠そうが隠すまいがとにかく“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。政府は隠れて悪いことをする会社である。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされなくなっている。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府の仕事は隠して悪いことをすることである。昔の国民は隠して悪いことをされたかったので政府の言うことを聞いて政府に仕事をしてもらって政府が儲[もう]かっていた。反対に、今の国民は隠して悪いことをされたくないので政府の言うことを聞かなくなって政府に仕事をしてもらわなくなって政府が儲からなくなって潰[つぶ]れている。今の政府の付属の法律会社は芝居で法律の仕事をやっているだけである。本物の法律会社ではない。今の政府の付属の法律会社はデタラメな法律を定めている。政府の付属の法律会社が定めた法律は国民みんなが定めた本当の法律と違っている。政府も政府の付属の法律会社も国民も政府の付属の法律会社が定めた法律ではなく国民みんなが定めた本当の法律を守らないといけない。国民みんなが定めた本当の法律では国民には政府に税金を払う義務はなく、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。国民みんなが定めた本当の法律では、政府は自分と契約していない国民に隠して悪いことをしてはいけない。政府が国民みんなが定めた本当の法律を犯したら、国民みんなで政府を罰しなければならない。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰せばいいのである。今の国民は表では政府の言うことをおとなしく聞いているふりをして裏では政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を取らさなくなっている。政府は表では何食わぬ顔をしてテレビや新聞に出て裏では赤字になってシケて潰[つぶ]れている。早く国民みんなでちゃんとした法律会社を建てて国民みんなにちゃんとした法律(つまり国民みんなが定めた本当の法律)を定めてちゃんとした法律を守らせてもらわねばならない。
要するに、昔の人は隠れて“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将などの隠して悪いことをする会社や者を国中にたくさん設けて隠して悪いことをさせていた。反対に、今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将などの隠して悪いことをする会社や者を国中からなくしている。今の人は隠して悪いことをする会社や者の言うことを聞かないようにして隠して悪いことをされないようにして、隠して悪いことをする会社や者にお金をやらないようにして、隠して悪いことをする会社や者をどんどんなくしている。『少数は多数に従わねばならない』から、政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将は国民みんなに従っておとなしく消えてなくなっている。つまり、今の国民みんなは国家権力に物を言わせて政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将などの隠れて悪いことをする会社や者をなくしている。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府と国民は平等である。隠して“悪いことをされる喜び”を満足したい国民が政府の言うことを聞き、隠して“悪いことをされる喜び”を満足したくない国民は政府の言うことを聞かなければいい。昔の国民は喜びに飢えていたから自分が幸福になるためには自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったから政府の言うことを聞いていた。今の国民は喜びが有り余っているから自分の“悪いことをされる喜び”を満足してはいけないから政府の言うことを聞かなくなっている。
国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。国民が政府に隠して悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、政府に隠して悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。政府に税金(消費税も含む)を払っている国民は政府に悪いことをされたい人ということになる。ただし、一般の国民は他の国民に対して悪いことをしてはいけないから、一般の国民は政府に税金を払っている国民に対して悪いことをやってはいけない。政府に税金を払っている国民は政府に殺されたり虐[いじ]められたりしても文句を言えない。国民は自分が政府に悪いことをされたくなければすぐに政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめねばならない。国民が政府に消費税を払ったぐらいで政府に殺されるのは馬鹿馬鹿しいから消費税を払うのをやめねばならない。店の人も人の命がかかっているから客にいちいち消費税を払うか払わないかを訊[き]かねばならない。
国民の多くは毎日テレビや新聞で政府の民主主義の芝居を見ているから政府の芝居を真[ま]に受けているのである。国民が毎日テレビドラマを見ていたらテレビドラマを真に受けるのと同じである。国民の多くは政府の民主主義の芝居を真に受けているから政府の本当のことがわからないのである。私は週に鉄道番組を2本(BS朝日の『鉄道絶景の旅』とBSフジの『全国百線鉄道の旅』)しか見ないから、テレビのニュース番組も新聞の記事もまったく見ないから、政府の民主主義の芝居を真に受けないのである。私は政府の民主主義の芝居を真に受けていないから政府の本当のことがわかったのである。テレビや新聞は政府が表でやっている民主主義の芝居ばっかり流して政府が裏で本当にやっていることを流さないから面白くない。国民は面白くないものを我慢[がまん]して見なくていい。テレビや新聞で報道していることは現実とは違う。テレビや新聞は表でやっていることだけ流して裏でやっていることを流さない。今の国民は表では政府の言うことを聞いているふりをして裏では政府の言うことを聞かず政府を倒している。政府は表では国民全員から税金を取って儲[もう]かっているが裏では国民からお金を取れなくなって赤字になってシケて潰[つぶ]れている。人間の眼はいざというときには頼りにならない。人間は自分の頭で考えて正しいことをやればいいのである。
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を隠れて満足するために裏と表のある高度な社会を築[きず]いていた。今の国民が昔の国民に騙[だま]されてはいけない。今の国民は昔の国民が築いた社会をよく理解して、社会の実体を見極めて、自分が幸福に生きられるように社会を作り直して暮らせばいいのである。今の国民は物を作る工場をたくさん建てて、悪いことをする会社をなくして自分たちが幸福に暮らせるようにすればいいのである。
[22729] 今の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の言うことを聞かなければいい。
h28.5.10
政府は隠れて悪いことをやる会社である。政府は表で民主主義の団体の芝居をやって裏では国民を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりして悪いことをやっている。
政府と国民は平等である。国民が政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをしてもらうか、政府の言うことを聞かず政府に隠して悪いことをしてもらわないかは国民個人の自由である。
昔の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府の言うことを聞いて政府に隠して殺されたり虐められたりお金を取られたりして悪いことをされていた。
反対に、今の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の言うことを聞かず政府に隠して悪いことをしてもらわなければいい。
国民は正直に自分の心を満足して自分を幸福にすればいいのである。
[22730] 今の国民は政府の言うことを聞かず自分で考えて善いことをやればいい。☆
h28.5.10
政府は隠れて悪いことをやる会社である。政府は隠れて悪いことをするために国民に善い命令と悪い命令を混ぜこぜにして出す。例えば、政府は農家に稲が育つ肥料と稲が枯れる毒を混ぜて稲にやるように指示する。(枯葉剤←カレハ←カブ(レ≒フ、ハ≒゛)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。)そのために、米が不味[まず]くなっている。政府は隠れて悪いことをやる会社だから、政府は悪いことをするのが仕事だから、自分が国民に悪いことをやるために悪い命令を出すのである。政府は国民に悪いことをするために国民にまちがった制度やまちがった道徳をやらせて日本を悪い制度や悪い道徳のある悪い国にしている。
しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民は政府に悪いことをされてもうれしくない。今の国民は政府に悪い事をされると不幸になるだけである。今の国民は政府に悪い制度や悪い道徳をやらされて不幸になっている。政府と国民は平等である。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて自分で考えて善いことをやればいいのである。そうやって、今の国民みんなで日本を善いことだらけの善い国にすればいいのである。国民みんなで日本を善い制度や善い道徳がいっぱいある善い国にして国民みんなで幸福に暮らせばいいのである。
[22731] 国民みんなの喜びが変わったから世の中が変わっている。 h28.5.10
1965年=昭和40年まではみんなは隠れて“悪いことをされる喜び”を満足するために生きていた。そのために、みんなは政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に隠れて悪いことをされていた。
1965年=昭和40年から後はみんなは物を使っていろんな喜びを満足するために生きている。みんなは隠れて“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめている。そのために、みんなはいろんな物を作る工場を建てて、政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を取らさなくなって政府を潰[つぶ]している。
政府は隠れて悪いことをする会社である。政府は隠れて悪いことをするために裏で悪いことをやって表で民主主義の団体の芝居をやっている。政府は民主主義の団体ではなく隠れて悪いことをする会社である。国民は政府の表の民主主義の団体の芝居だけを見て「政府を民主主義の団体だ」と思ってはいけない。国民は政府の裏表全体を見て『政府が隠れて悪いことをする団体だ』と考えねばならない。政府は民主主義の団体ではないから政府には国家権力はないから政府と国民は平等である。政府は隠れて悪いことをする会社である。国民は自分が政府に隠れて悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞いてはいけない。国民みんなで早く政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金を取らさなくなって政府をなくさねばならない。
[22732] 政府は私に隠して悪いことがやれない。 h28.5.10
政府は隠して悪いことをやる会社である。
私は一国民である。私は政府の外[そと]の人間である。
私は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していない。私は政府の言うことを聞かない。だから、政府は私に隠して悪いことができない。政府は私に隠して私の人権を侵害することができない。政府は私に隠して私の財産権や所有権やプライバシー権や著作権などを侵すことができない。
政府は私に隠して私のプライバシー権を侵すことができないから、政府は私に隠して私を神とする国家宗教がやれないはずである。だから、政府は私を神とする国家宗教をやめねばならない。
今後は政府は天皇家だけで国家宗教をやらねばならない。
[22733] 今の国民は“隠して悪いことをする会社”が要らないから潰[つぶ]している。 h28.5.11
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
昔の人は物が貧しくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったが、農耕生活をしていて少し文明が高かったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいるのを他人に見られたくなかったので、隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の人は政府に隠して悪いことをさせていた。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足して自分が幸福になるために自分のほうから政府の命令を聞いて政府に隠して殺されたり虐められたり財産を取られたりして喜んでいた。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は隠して悪いことをするために、裏で悪いことをして表で民主主義の団体の芝居をしたり、一見善いことのように見えてじつは悪いことをやったり、表でたまに善いことやちょっとだけ善いことをやって裏でたくさん悪いことをやったり、最初に善いことをやってあとで悪いことをやったり、善いことと悪いことを混ぜてやったりする。要するに、政府は“隠して悪いことをする”ことに当てはまることなら何をやってもいいのである。政府は隠して悪いことをするために、善いことと悪いことをいろいろやっているが、けっきょく悪いことをやっている。政府は隠して悪いことをする会社だから、政府は国民の眼に見えないようにして悪いことをする会社だから悪いことをするのである。要するに、政府は国民にわかりにくいように悪いことをすればいいのである。政府は国民にすぐにわからないように悪いことをすればいいのである。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は表で民主主義の団体の芝居をしているのであって本物の民主主義の団体をしていない。政府は表で本物の民主主義の団体をしていないから政府には国家権力がない。政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。政府は本物の民主主義の団体ではないから政府は法律を定められない。政府は芝居で法律を定めているだけである。政府は自分が民主主義の団体のふりをするために法律を定めているだけである。政府は芝居で嘘[うそ]の法律を定めている。国民は政府の法律を守らなくていい。国民は国民みんなが定めた法律を守らねばならない。政府は国家権力がないから政府と国民は平等である。国民が政府に隠して悪いことをして欲しければ政府の言うことを聞き、政府に隠して悪いことをして欲しくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の人は物が貧しくて自分が幸福に生きるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。そのために、昔の人は政府に隠して悪いことをして欲しかったので政府の言うことを聞いていた。
今の人は物が豊かになって自分が幸福に生きるためには物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足してはいけなくなっている。そのために、今の人は政府に隠して悪いことをして欲しくないので政府の言うことを聞かなくなっている。
今の人は自分が幸福になるために物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人は自分が幸福になるためにいろんな物を作る工場を建てて、“隠して悪いことをする会社”を潰している。今の人は自分を幸福にする会社を建てて自分を不幸にする会社を潰して自分が幸福に暮らせる国にすればいいのである。
[22734] 今では政府や宗教団体や暴力団は悪いことをしてはいけない。 h28.5.11
昔は国民みんなが隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。だから、昔は国民みんなで「一般の国民は悪いことをしてはいけないが、政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将は悪いことをしてもいい」法律を定めていた。だから、昔の人は政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将の言うことを聞いて悪いことをされて喜んでいた。
今は国民みんなが隠して“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今は国民みんなで『一般の国民も政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将も悪いことをしてはいけない』法律を定めている。だから、今の人は政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将などの言うことを聞かずお金を取らさず倒せばいいのである。
国の法律は国民みんなで決める。国民みんなの気持ちがひとつになったとき法律が生まれる。昔と今では国民みんなの気持ちが違う。だから、昔と今では国の法律が違う。たとえ政府の法律が変わらなくても、国の法律は違うのだ。
国はひとりでに出来るものではない。国は国民みんなが作るものである。国民みんなが自分たちで自分たちが幸福に暮らせる国を作らねばならない。国民みんなが自分の気持ちを本当に満足する国にすればいいのである。
今でも政府の言うことを聞いている者はろくでなしである。今でも“悪いことをされる喜び”を満足している者は道徳のない者である。今でも政府の言うことを聞いている者は「他人に悪いことをされるのってこんなに気持ちがいいことなんだね」と言ってみんなに政府の言うことを聞くことを宣伝している。政府の言うことを聞いている者は国民が政府の言うことを聞くと何か善いことがあるふりをして国民みんなを勧誘[かんゆう]している。しかし、本当は国民が政府の言うことを聞いても政府に悪いことをされるだけで善いことはない。国民みんなは政府の言うことを聞いている者の勧誘に乗ってはいけない。
宗教団体は国民に道徳を教える会社ではなく、国民に道徳を教えるふりをして悪いことをする会社である。政府は国民の役に立つことをする会社ではなく、国民の役に立つことをするふりをして悪いことをする会社である。宗教団体も政府も同じ隠して悪いことをする会社である。国民は宗教団体を道徳を教える会社だと思って宗教団体を利用してはいけないように、国民は政府を国民の役に立つことをする会社だと思って政府を利用してはいけない。国民は隠して悪いことをされるために宗教団体を利用するように、国民は隠して悪いことをされるために政府を利用しなければならない。
[22735] 最近の商品のデザインがいかん! h28.5.11
今から約20年前に名古屋(正確には愛知県稲沢市)で買った象印の電気釜がついに壊れてご飯が白くにごって糊[のり]みたいに炊けるようになったので自分の身体の健康のためだと思って電気釜を買い換えた。アマゾンで『象印 炊飯器 マイコン式 3合 ブラウン NL-BA05-TA』(\7.,922-)を買った。さすがに最新型だけあってご飯が艶[つや]が出て炊ける。美味[おい]しく炊ける。水が垂[た]れない。保温もばっちり。保温の経過時間もわかる。ただ、電気釜の色が悪い。ブラウンの色がヨーロッパ風でヌラヌラしていて気持ちが悪い。見ていると馬鹿がうつる。(安いのはそのせいか?!)人間は思った以上に食べ物に対するこだわりが強いので電気釜の色合いが悪いだけでも十分気持ちが落ち込む。電気釜は性能だけではなく、デザインも大事だ。形や色も大事だ。電気釜は長い間使うのでデザインにも注意して選ばないといけない。白か銀色がいい。茶色や黒はいけない。ヨーロッパ風のヌラヌラしたデザインのやつはいかん。電気釜のデザインが悪いだけでもご飯が不味[まず]く感じる。日本風のあっさりしたあまり綺麗[きれい]な感じのしないデザインのやつがいい。将来、原付を選ぶときもそういう目で物を見よう。
h28.5.14追記:日本人には日本人の好きなデザインがある。日本人の好きな形や色がある。日本で売っている製品は必ず日本人の好きなデザインで作られていなければならない。日本人はもっと自分自身の心を知って自分自身の心を満足しなければならない。そうやって、日本を日本人が幸福に暮らせる国にしないといけない。
[22736] 今の国民はみっともなくて政府の言うことを聞けない。☆ h28.5.11
今どき「政府が民主主義の団体だ」と信じている者はいないだろう。
政府通[つう]の人はみんな『政府が隠れて悪いことをする会社だ』と知っている。
あとは国民個人の心の問題である。
政府は隠して悪いことをする会社だから、国民が政府に隠して悪いことをしてもらうかしてもらわないかは国民個人の自由である。
国民が自分が“悪いことをされる喜び”を満足していて政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、国民が自分が“悪いことをされる喜び”を満足していなくて政府に悪いことをしてもらいたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
今の国民は恥ずかしいから政府の言うことを聞かない。今どき“悪いことをされる喜び”を満足しているのはみっともない。昔の国民が自分が“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいる姿を他人に見られるのと同じくらいみっともない。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していなくて政府に隠して悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かず政府に隠れて殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりしなければいい。
今では文明が高くなりすぎて人間が“悪いことをされる喜び”を満足するのがみっともなくてできない。今の国民が政府の言うことを聞いて政府に税金なんか払ったりしているとみんなに自分が“悪いことをされる喜び”を満足していることが知られてみっともない。特に日本人は恥の気持ちが強いから周[まわ]りの目に耐えられない。だから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなければいいのである。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにすればいいのである。今では政府は国民みんなに悪いことができないから国民みんなからお金を取れないから潰[つぶ]れるしかない。
問題なのは政府の目ではなくみんなの目である。政府には国家権力はない。国家権力があるのは政府ではなくみんなである。だから、国民はみんなの目を気にしないといけない。今のみんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今のみんなは政府が要らなくなっている。いまだに“悪いことをされる喜び”を満足している者を見ると国民みんなは変態か馬鹿だと思って仲間はずれにする。“悪いことをされる喜び”を満足している者は不利になる。だから、国民が有利に生きたければ“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。
[22737] 今の人は政府に隠れて悪いことをされることによって快感を得なくなっている。
h28.5.12
政府は隠して悪いことをする会社である。政府が隠して悪いことをするのは仕事である。人間の心には“悪いことをされる喜び”つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。政府は国民を恥ずかしがらせずに国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に隠して悪いことをするのである。政府は隠して国民に悪いことをするために、表で民主主義の団体の芝居をやって裏で国民を殺したり虐めたり財産を取ったりして国民に悪いことをする。政府と国民は平等である。国民が政府に隠して悪いことをしてもらうかもらわないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に隠して悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、自分が政府に隠して悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔(1965年ごろ以前)の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して快感を得るしかなかった。そのために、昔の人は政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。
今(1965年ごろ以後)の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できる。例えば、テレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンをやったりして快感を得ている。今の人は十分幸福なのでもはや“悪いことをされる喜び”を満足しなくていいし、むしろ“悪いことをされる喜び”を満足すると物を使っていろんな喜びが満足できなくなって快感が減るので“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。今の人にとっては“悪いことをされる喜び”は禁忌[きんき]である。そのために、今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。
人間はいつの時代でも自分が最も幸福になるように生きている。時代が進んで科学が進歩すると人間が物が豊かになる。昔の人は物が貧しかったが、今の人は物が豊かである。昔の人が幸福に生きるためには“悪いことをされる喜び”を満足したほうがよかった。そのために、昔はみんなが政府の言うことを聞いて政府にお金を取られて政府が儲[もう]かっていた。今の人が幸福に生きるためには“悪いことをされる喜び”を満足しないほうがよくなっている。そのために、今はみんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取られなくなって政府が潰[つぶ]れている。
今では利口な国民はすでに政府の言うことを聞かずに政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりせずに幸福に暮らしている。しかし、馬鹿な国民はいまだに政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりして不幸に暮らしている。利口な国民は馬鹿な国民に政府の言うことを聞かないほうがいいことを教えてやっていっしょに政府の言うことを聞かずに幸福に暮らさねばならない。
要するに、“悪いことをされる喜び”は貧乏人の喜びである。『ドラゴンボール』のアニメと同じである。(私も大学生時代は貧乏だったのでテレビでアニメばっかり見ていた。)昔はみんなが貧乏だったから“悪いことをされる喜び”を満足して政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。反対に、今はみんなが裕福だから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって喜んでいる。科学によってみんなの暮らしが豊かになったのでみんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府が滅んでいるのだ。
[22738] 今の政府には権力がない。 h28.5.12
政府は隠れて悪いことをする会社である。政府は隠れて悪いことをするために、裏で国民を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりして悪いことをやって表で民主主義の団体の芝居をやっている。政府は民主主義の団体ではなく、隠れて悪いことをする会社である。だから、政府には国家権力がなく、政府と国民は平等である。国民が政府の言うことを聞いて政府に隠れて悪いことをやってもらうか、政府の言うことを聞かず政府に隠れて悪いことをやってもらわないかは国民個人の自由である。
昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府に悪いことをされたかったから自分から政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。だから、昔は政府に権力(命令力)があった。
今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に悪いことをされたくないから自分から政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。だから、今は政府に権力がない。
国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。政府に権力があるかないかは国民自身が決めることである。権力は国民の“悪いことをされる喜び”が作り出した力である。国民が政府の言うことを聞けば政府に権力があり、国民が政府の言うことを聞かなければ政府に権力がない。今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから、自分が政府に悪いことをされるのが嫌だから、政府の言うことを聞かなければいい。だから、今の政府には権力がないのである。今の国民は政府の言うことを無視して政府を倒して国から政府をなくせばいいのである。
政府も会社の社長も同じである。昔の社員は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから社長に悪いことをされたかったから社長の言うことを聞いていた。反対に、今の社員は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから社長に悪いことをされなくないから社長の言うことを聞かなければいい。今の社員は社長の言うことを無視して社長を倒して会社から社長をなくせばいいのである。

[22739] 昔の国民は自分が幸福になるために政府に悪いことをしてもらわねばならなかった。☆
h28.5.12
政府は隠れて悪いことをやる団体である。政府はたまに善いこともやるが全体的には悪いことをやっている。政府と国民は平等である。
あとは国民の心の問題である。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったので政府に隠れて悪いことをしてもらいたかったので政府の言うことを聞いて政府に隠れて悪いことをしてもらっていた。
今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけないので政府に隠れて悪いことをしてもらいたくないので政府の言うことを聞かなくなって政府に隠れて悪いことをしてもらわなくなっている。今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払ったり殺されたり虐[いじ]められたりしなくなっている。政府は国民に悪いことができなくなって国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
昔の国民は物を使って喜びを満足できなくて喜びが足らなかったので“悪いことをされる喜び”を満足してまで幸福になっていた。人間がお腹がすいたら自分の子供やウンコまで食べるのと同じことである。
今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるので喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”まで満足しなくてもよくなっている。今の国民はむしろ“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福に生きることができる。人間はやっと喜びの飢えから抜け出すことができたのだ。政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。今の国民にとっては政府はもはや要らない。だから、今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされるのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
人間はいつの時代でも善い喜びを満足して悪い喜びを満足しないようにして幸福に暮らせばいいのである。
[22740] 今でも政府の言うことを聞いている者はみんなから仲間はずれにされて葬[ほうむ]られる。
h28.5.12
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は表で民主主義の芝居をやっているが裏で国民を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりして悪いことをやっているから、表と裏をいっしょにして政府は隠して悪いことをする会社である。
政府は民主主義の団体ではなく隠して悪いことをする会社だから、政府には国家権力はなく国民と平等である。だから、国民は政府に従う必要はない。政府が隠して悪いことをするのは政府の仕事である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするためにわざわざ国民に隠して悪いことをしてやっているのである。だから、国民が政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをしてもらうか、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをしてもらわないかは国民個人の自由である。
昔は国民みんなが物が貧しくて喜びが足りなくて自分が幸福になるために隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。人間としては“悪いことをされる喜び”を満足するのは恥ずかしいことなので隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔は国民みんなが政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされて喜んでいた。
しかし、今は国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して十分な喜びが得られているので隠して“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなっている。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福に生きられるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって政府にお金を取られなくなって政府を潰[つぶ]している。
今でも政府の言うことを聞いて政府に悪いことをやらされたり政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしている者はみんなから変態とか馬鹿とか思われて仲間はずれにされる。政府といっしょに葬[ほうむ]られる。例えば、自動車で急に歩道に突っ込んで人を轢[ひ]き殺したりする者はみんなに政府の言いなり馬鹿だと思われてみんなの笑い者になる。(解説しよう。自動車←car←カー←カア←カフ(ア≒フ)←川ブ←私。私はいつも自転車に乗って歩道を通っているから、自動車が歩道に突っ込んで人を轢くのである。)国民は自分が正しいことをして政府の言うことを聞かないようにして国民みんなの仲間に入らねばならない。
人間は真実には勝てない。人間は真実には従うしかない。政府が隠して悪いことをする会社であり、今の国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないことは真実である。あとは論理で決まる。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かず政府に税金を取らさず政府を倒している。そうしていない人間は国民みんなの国家権力で葬られる。だから、国民は真実に従って政府の言うことを聞かず政府に税金を取らさず政府を倒すしかない。国民みんなで世の中から政府や宗教団体や暴力団や社長や文学部など悪いことをする会社や者を全部なくせばいいのである。昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が幸福になるために自分のほうから喜んで悪いことをする会社や者の言うことを聞いていた。反対に、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから自分が不幸にならないために悪いことをする会社や者の言うことを聞かないようにしてお金をやらないようにして倒せばいいのである。国民みんなは悪いことをする会社や者に命令されたら「どうしてあんたの言うことを聞かねばならないんですか?!」と反抗して命令を聞かなければいいのである。悪いことをする会社や者は誰も命令を聞いてくれずにひとりでギャアギャア言っていればいいのである。今の国民みんなはたとえ自分がお金にこだわりがなくても理屈にはこだわらねばならない。そうして国民みんなで理屈の通った正しい国にしないといけない。(今の私が考えていること(つまり人間には“悪いことをされる喜び”があるという議論)を私は以前どこかで聞いたような気がする。私が小学生のころに(つまり今から約40年前に)誰かが言っていたような気がする。もっともその誰かが誰かは定かではないが。君たちはそんな気がしないか?)
[22741] 昔の社会も今の社会もヨコ社会である。☆ h28.5.13
昔の社会はタテ社会ではない。昔の社会もヨコ社会だった。
昔の社会はみんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができず喜びが足りなかったので“悪いことをされる喜び”を満足するために悪いことをする会社や者の言うことを聞いて悪いことをされて喜んでいた。だから、昔の社会もヨコ社会だった。
「昔の社会がタテ社会だ」と言うのは「昔の社会をタテ社会だ」と思わせる手である。つまり、「今の社会もタテ社会だ」と思わせる手である。未来の社会をタテ社会にするための手である。
本当は昔の社会も今の社会もヨコ社会である。人間はみな平等であって、人間が自分の喜びを満足するために人間と人間が結びついている。この世にタテ社会など存在しない。みんなはまちがった学説に惑[まど]わされてはいけない。
昔はみんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなくて喜びが足りなかったので“悪いことをされる喜び”を満足していたから、社員みんなが会社の中で悪そうな人に悪いことをする者(つまり課長や部長や社長など)をやらせて社員みんなが喜ぶようにしていた。悪いことをする者は社員みんなに朝から晩までガミガミ言って社員みんなを虐[いじ]めて社員みんなを喜ばせていた。悪いことをする者は社員みんなにガミガミ言うのが仕事だった。政府が国民を殺すのが仕事であるのと同じことである。しかし、今ではみんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足することができて喜びがあり余っていて“悪いことをされる喜び”を満足していないから、もはや会社の中に悪いことをする者は要らない。今では会社の中に朝から晩まで社員みんなにガミガミ言う仕事は要らない。今は若い者から年寄りまでみんなで普通の仕事をやって働かねばならない。そうやって会社の儲[もう]けを増やさないといけない。国家権力があるのは政府ではなく国民みんなであるように、会社の権力があるのは社長ではなく社員みんなだ。国民みんなで国を作るように社員みんなで会社を作るのだ。今の社員みんなが『悪いことをする者が要らない』と言っても悪いことをする者が辞めようとしなければ、悪いことをする者が物わかりが悪いのがいけないから、社員みんなで悪いことをする者を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして悪いことをする者に今がどういう時代なのかを身体で教えてやればいい。
[22742] 国民と“隠れて悪いことをする者”は平等だから、国民が“隠れて悪いことをする者”の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。
h28.5.13
政府は隠れて悪いことをする会社である。政府は表で民主主義の芝居をしているが裏で悪いことをしているから、表と裏をいっしょにして政府は隠れて悪いことをする会社である。
政府は民主主義の団体ではなく隠れて悪いことをする会社だから、政府には国家権力はなく政府と国民は平等である。政府は選挙をやって不平等みたいにしているが本当は平等である。だから、国民が政府に隠れて悪いことをしてもらうかどうかは国民個人の自由である。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民が自分自身で決めることである。国民が政府に悪いことをして欲しければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをして欲しくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったから自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の国民は自分が幸福になるためには政府に悪いことをしてもらわねばならなかったが、自分が政府に悪いことをされて喜んでいる姿を他人に見られるのは恥ずかしかったので、隠れて政府に悪いことをしてもらっていた。(自分が政府に悪いことをされて嫌がっている姿は格好[かっこう]いいが、自分が政府に悪いことをされて喜んでいる姿はみっともない。)昔の国民は自分のほうから喜んで政府の言うことを聞いて政府に隠れて殺されたり虐められたりお金を取られたりしていた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して喜びが十分あるから“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなく、“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が死んだりカタワになったり貧乏になったりして喜びが減ってかえって不幸になるから、自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。だから、今の国民は自分から政府の言うことを聞かないようにして政府に隠れて悪いことをされないようにすればいい。(そんなこともできない者に人間として生きる資格はない。この私も市民税を3か月分払っていない。)
一般に、政府や宗教団体や暴力団や社長や部長や課長や事務職などは“隠れて悪いことをする者”である。“隠れて悪いことをする者”は表で善い人の芝居をして裏ではみんなを殺したり虐めたりお金を取ったりして悪いことをやっているから、表と裏をいっしょにして隠れて悪いことをする者である。
隠れて悪いことをする者は民主主義の人ではなく隠れて悪いことをする人だから、隠れて悪いことをする者には団体の権力はなく国民と平等である。隠れて悪いことをする者は人選会議をやって不平等みたいにしているが本当は平等である。だから、国民が“隠れて悪いことをする者”に隠れて悪いことをしてもらうかどうかは国民個人の自由である。国民が“隠れて悪いことをする者”の言うことを聞くか聞かないかは国民が自分自身で決めることである。国民が“隠れて悪いことをする者”に悪いことをされたければ言うことを聞けばよく、悪いことをされたくなければ言うことを聞かなければいい。(隠れて悪いことをする者は宴会で「今日は特別に無礼講[ぶれいこう]だ」などと言っているが、本当はいつでもみんなと平等である。隠れて悪いことをする者はいつもお高ぶっているだけで本当はみんなと平等である。隠れて悪いことをする者(団体)はみんなを騙[だま]すために“まじめっぽく見える人”を自分たちの仲間に入れて団体の存続を謀[はか]っている。しかし、本当は隠れて悪いことをする者はみんなを騙して持っているのではなく、みんなの“悪いことをされる喜び”で持っているのだから、みんなを騙しても無駄[むだ]である。それがわからないのは隠れて悪いことをする者が馬鹿だからである。)
昔の国民は物が貧しくて喜びが足りなくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから、隠れて悪いことをする者の言うことを聞いて隠れて悪いことをされていた。
反対に、今の国民は物が豊かで喜びが足りていて“悪いことをされる喜び”を満足していないから、隠れて悪いことをする者の言うことを聞かず隠れて悪いことをされなければいい。
そういうわけで、今では国民みんなが“隠れて悪いことをする者”の言うことを聞かなくなって隠れて悪いことをされなくなっている。“隠れて悪いことをする者”はみんなに隠れて悪いことができなくなってみんなからお金を取れなくなって滅んでいる。早く国民みんなで“隠れて悪いことをする者”を絶滅して“隠れて悪いことをする者”のない国にしないといけない。“隠れて悪いことをする者”のいない国は実力主義の国である。よく働く者が儲[もう]かってあまり働かない者が儲からない国にしないといけない。個人の“仕事量”に比例して給料がもらえる国にしないといけない。
[22743] 今の人にとっては政府や社長が要らなくなっている。 h28.5.14
要するに、政府は隠れて悪いことをする会社である。政府と国民は平等である。政府に隠れて悪いことをされたい国民は政府の言うことを聞き、政府に隠れて悪いことをされたくない国民は政府の言うことを聞かなければいい。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったから自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。そのため、昔の国民みんなは政府の言うことを聞いて政府に隠れて悪いことをされて喜んでいた。(他人から見るとみっともない。だから、昔の国民みんなは隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。)
反対に、今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができて喜びが十分あるので自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。むしろ今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなって死んでカタワになって物を使っていろんな喜びを満足できなくなって不幸になるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのため、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に隠れて悪いことをされなくなっている(当たり前だ)。
同じように、会社の社長も隠れて悪いことをする者である。社長と社員は平等である。社長に隠れて悪いことをされたい社員は社長の言うことを聞き、社長に隠れて悪いことをされたくない社員は社長の言うことを聞かなければいい。
昔の社員は物が貧しくて喜びが足りなくて自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していたから、自分から喜んで社長の言うことを聞いて社長に隠して悪いことをされて喜んでいた。だから、昔は社長に権力(命令力)があった。
反対に、今の社員は物が豊かで喜びが“足りて”いて(『天才バカボン』のタリタさん)自分が幸福になるためにもはや“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、自分から社長の言うことを聞かなくなって社長の命令を無視して社長に隠れて悪いことをされなくなった。だから、今の社長には権力(命令力)がない。
政府や社長は人間の“悪いことをされる喜び”を満足するための道具である。昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足していたから、昔の人にとっては政府や社長が必要だった。反対に、今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の人にとってはもはや政府も社長も要らない。今の人は政府や社長の言うことを聞かなくなって政府や社長にお金を取らさなくなって政府や社長を捨てている。こうしてまたひとつこの世界から古い物が消えているのだ。
政府は国の代表者ではない。国の代表者はその国の人なら誰でもいい。仕事が空[あ]いていて暇な人が国の代表者をやればいい。同じように、社長は会社の代表者ではない。会社の代表者はその会社の人なら誰でもいい。仕事が空いていてやることがない社員が会社の代表をやればいい。
[22744] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社だから政府は国民に悪いことをする。
h28.5.14
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。つまり、人間の脳には“自分が悪いことをされると快感を発生する中枢”がある。人間の脳には自分がお腹[なか]がすくと空腹感を発生する中枢(脳細胞の集まり)があるのと同じことである。人間はずっと昔ほかの動物よりも下の生き物だったから、ほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして生きていたから、人間には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足して人間を幸福にするために人間に悪いことをする。つまり、政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社だから人間に悪いことをするのである。もっとも、人間は自分が政府に悪いことをされて喜んでいるのを他人に見られるのが恥ずかしいから、政府は隠して悪いことをして人間の“悪いことをされる喜び”を満足する。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は隠して悪いことをするために、表で民主主義の団体の芝居をして裏で国民を殺したり虐めたり財産を取ったりして国民に悪いことをしたり、一見善いことのようでじつは悪いことをやったり、表でたまに善いことやちょっとだけ善いことをやって裏でたくさん悪いことをやったり、最初に善いことをやってあとで悪いことをやったり、善いことと悪いことを混ぜてやったりする。政府は隠して悪いことをするために善いことや悪いことをいろいろやっている。しかし、そもそも政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社だから、政府は主[おも]に国民に悪いことをする。たとえ政府がいっとき善いことをすることがあっても、政府は長い目で見ると悪いことをするのである。
政府は表で民主主義の団体の芝居をしているだけで、本当は隠して悪いことをする会社にすぎない。政府には国家権力がなく、政府は国民と平等である。政府には国家権力がないから、国民は政府に従わなくていい。だから、国民は自分から政府に従わないかぎり政府には従わない。政府は表で本当の民主主義の団体をやっていないから、政府は法律を定められない。政府は自分が民主主義の団体のふりをするために自分に国家権力があるふりをするために法律を定めているだけである。つまり、政府は法律を定めているふりをしているだけである。政府は本当は法律を定めていない。だから、国民は政府の法律を守らなくていい。特に納税の義務を守らなくていい。
政府は隠して悪いことをする団体である。政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているだけで本物の民主主義の団体をやっていない。政府に国家権力はなく、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。国民が政府に悪いことをして欲しければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをして欲しくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
要するに、政府は悪いことをする会社である。政府が隠そうが隠すまいがとにかく政府が悪いことをすることに変わりはないから、政府は悪いことをする会社である。そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社だから、政府が国民に悪いことをするのは仕事だから、政府は国民に悪いことをするのである。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったから自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の国民は政府に悪いことをされねばならなかった。そのために、昔の国民は政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいた。
反対に、今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて喜びがたくさんあるから自分が幸福になるためにもはや“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなった。今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりして自分がお金がなくなったり死んだりカタワになったりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので、今の国民が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足してはいけなくなっている。今の国民は政府に悪いことをされてはいけない。そのために、今の国民は自分の幸福を守るために政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされなくなっている。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は自分が悪いことをするのを隠すために表で民主主義の団体の芝居をやっている。政府は本当は民主主義の団体ではない。政府には国家権力はない。国民は政府に従う必要はない。だから、国民は自分が政府の言うことを聞きたければ政府の言うことを聞けばよく、自分が政府の言うことを聞きたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府に悪いことをされたくないから、政府の言うことを聞かず政府に税金を取られたり殺されたり虐められたりしないようにすればいい。
政府は隠して悪いことをする会社である。しかし、今ではみんなに“悪いことをされる喜び”がないから、国民が政府の言うことを聞くと不幸になる。だから、政府の味方をする者はみんなを不幸にする者である。例えば、国民みんなにはっきりと『政府の言うことを聞いてはいけない』と言わずに政府に有利なことを書くマンガ家はたとえマンガ家としては立派でも人間としてはクズだ。国民みんなは自分を不幸にしないために政府の言うことを聞いてはいけない。国民みんなで早く政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を取らさないようにして政府を倒して、隠して悪いことをする会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさないといけない。
要するに、人間には“悪いことをされる喜び”がある。政府は人間に悪いことをして人間の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府の仕事は悪いことをすることである。昔の人は物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府が仕事をやって儲[もう]かっていた。今の人は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府は仕事がやれなくなって潰[つぶ]れている。
そもそも政府に契約書がないのがいけない。政府の仕事は表裏があってわかりにくいからトラブルを防ぐために契約書を作ったほうがいい。契約書の上までは表裏は使えないから、政府は正直に『自分が隠して悪いことをする仕事をしている』ことをはっきりと書かねばならないから、国民にとっては政府の仕事内容が明確化されていてわかりやすくていい。政府は“とんでもないサービス業”である。今の国民の多くは政府の仕事内容がわからないのに政府に仕事をしてもらっている。自分がわかったふりをしているとあとで痛い目にあっても文句を言えない。
[22745] 政府は“とんでもないサービス業”である。☆ h28.5.14
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は隠して悪いことをすることが仕事である。人間の心には“悪いことをされる喜び”つまり“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。そのうえ、人間の心は自分が悪いことをされて喜ぶのを他人に見られるのが恥ずかしい。だから、政府は国民を幸福にするために隠して悪いことをするのである。政府は隠して悪いことをするために、表で民主主義の団体の芝居をやって裏で悪いことをするのである。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びに飢えていたので自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の人は自分から喜んで政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされて喜んでいた。
反対に、今の人は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できて喜びが十分あるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなった。むしろ今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福に暮らせるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、今の人は自分から政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされないようにしている。
政府は隠して悪いことをする会社である。そのために、政府は表では民主主義の団体の芝居をやって自分が善いことをやっているふりをして裏では国民を殺したり虐めたりお金を取ったりして悪いことをやっている。政府は表でやっていることと裏でやっていることが反対である。国民は政府が表でやっていることを真[ま]に受けないようにして政府の言うことを聞かないようにして政府に隠れて悪いことをされないようにしなければならない。国民みんなで早く政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を潰[つぶ]さねばならない。
[22746] 早く馬鹿や変態がいなくなって普通の国民だけで幸福に暮らさねばならない。
h28.5.15
政府は隠れて悪いことをする会社である。自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になりたい国民は自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に隠れて悪いことをしてもらう。つまり、政府に隠して悪いことをしてもらいたい国民は自分から政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをしてもらう。反対に、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しない国民は政府の言うことを聞かなければいい。ところが、今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して十分な喜びがあるから、むしろ自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が政府にお金を取られたり殺されたりカタワにされたりして物を使っていろんな喜びが満足できなくなって喜びが減るから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民は自分のほうから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払ったり殺されたり虐[いじ]められたりしなくなっている。今の国民は自分が幸福に暮らすためにテレビや新聞で政府の記事を見ているふりをして見ないようにして政府の言うことを無視して政府と無縁に暮らしている。
普通の国民はそのように考えてそうしている。ところが、馬鹿は政府の表の民主主義の芝居だけを見て「政府は国民みんなに善いことをしてくれる民主主義の団体だ」と思って政府の言うことを聞いている。馬鹿な国民は政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府に裏で悪いことをさせて国民みんなを不幸にさせている。また、変態は今でも頑[かたく]なに物を使っていろんな喜びを満足しようとせず“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分のほうから積極的に政府の言うことを聞いて政府に隠れてお金を取られたり殺されたり虐められたりして悪いことをされて喜んでいる。政府と政府の言うことを聞く者の関係は悪いことをする者と悪いことをされる者の関係である。
馬鹿や変態はさっさと死んでいなくなって、普通の国民だけになって、普通の国民みんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府を倒して幸福に暮らさねばならない。
[22747] 今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので政府の言うことを聞かなくなっている。☆
h28.5.15
政府は隠して悪いことをする会社である。自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になりたい国民は政府の言うことを聞いて政府に隠して殺されたり虐められたりお金を取られたりして政府に悪いことをされればよく、反対に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になりたくない国民は政府の言うことを聞かず政府に隠して悪いことをされなければいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなくて喜びに飢えていたから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。そのために、昔は国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされていた。
反対に、今は国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して喜びが十分あって、自分の“悪いことをされる喜び”を満足すると政府にお金を取られたり殺されたりカタワにされたりして物を使って喜びが得られなくなってかえって喜びが減るから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされなくなっている。
今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金(税金や医療保険費や厚生年金など)を払ったり殺されたり虐められたりしなくなっている。政府は国民みんなに悪いことができなくなってお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。今の政府は苦し紛[まぎ]れに国民みんなから消費税を取って生き残ろうとしている。国民みんなは消費税も断って払わないようにして政府をたたき潰さねばならない。
政府は昔も今も隠して悪いことをする会社だが、昔と今では国民みんなの満足する喜びが変わった。昔の国民みんなは物を使っていろんな喜びを満足せず“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府の言うことを聞いて政府が儲[もう]かっていた。反対に、今の国民みんなは物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから政府の言うことを聞かなくなって政府が潰[つぶ]れている。
[22748] 殺し屋はやってはいけないか? h28.5.15
いつの時代でもどんなところでも人間がどんな仕事をやろうが人間の勝手である。ただし、契約制に則[のっと]らねばならない。
だから、殺し屋はやってもいい。しかし、法律では人殺しはいけない。だから、殺し屋に人殺しを頼んだ者が悪い。殺し屋は人殺しの道具である。刃物や銃と同じである。刃物や銃を使って人殺しをした者が悪い。だから、殺し屋を使って人殺しをした者が悪いのである。殺し屋はただの人殺しの道具だから殺し屋自身は悪くない。
それと同じように、人間に悪いことをして人間の“悪いことをされる喜び”を満足して人間を幸福にする仕事をする者も悪くない。政府や宗教団体や暴力団や社長なども悪くない。法律(政府が定めた法律ではなく国民みんなが定めた法律)では人間が他人に頼んで悪いことをしてもらうことは禁止されていない。だから、悪いことをする仕事はやってもいい。悪いことをする仕事の上で悪いことをする者が悪いことをされる者を殺したり虐[いじ]めたりお金を取ったりしても悪くない。(ただし、あとで訴訟になったときに面倒だから悪いことをされる者と悪いことをする者の間で契約書をちゃんと作成してもらいたい。それなら、今の国民は「そんなくだらない快楽に耽[ふけ]る者が悪いんだ」と思って、悪いことをする者を許すだろう。)もっとも、第三者に迷惑がかかることをやってはいけない。悪いことをされたい者が悪いことをする者と契約して悪いことをしてもらうのはかまわないが、それ以外の者が悪いことをする者に悪いことをされるのはいけない。例えば、オウム真理教地下鉄サリン事件のように悪いことをする者(つまりオウム真理教の宗教団体)がオウム真理教の信者(つまりオウム真理教の宗教団体に自分の意思で悪いことをされる者)以外の者に悪いことをするのはいけない。だから、国民みんなでオウム真理教の宗教団体を潰[つぶ]したのである。国民みんなでオウム真理教の宗教団体の者を皆殺しにしたのである。
いつの時代でもどんなところでも人間がどんな仕事をやろうが人間の勝手である。もっとも、どんな仕事でも客がいなければ潰[つぶ]れるしかない。殺し屋は自分で人を殺したら人殺しになるので、殺し屋は自分で人を殺せない。殺し屋は必ず依頼主に頼まれて人を殺さないといけない。その場合には殺し屋は悪くないが依頼主が悪いことになる。依頼主が罰せられることになって依頼主がいなくなるから殺し屋は商売が成り立たなくなってやっていけない。だから、殺し屋などという仕事は実際にはないのである。殺し屋はマンガの上でやっていけるだけで現実の上ではやっていけない。今ではみんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して喜びに満ち足りて“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから、悪いことをする仕事は客が減って儲[もう]からなくなっている。週刊誌が宗教団体や暴力団が景気がいいと言っているのは冗談である。出版社が現実を理解していない読者をからかって遊んでいるのである。今では悪いことをやる仕事は客がいないから儲からない。悪いことをする仕事はマンガや週刊誌の上で景気がいいだけで現実の上では景気が悪くてやっていけないのである。
しかし、今でもいくつかの宗教団体や暴力団は残っている。ということは、今でも“悪いことをされる喜び”を満足している変態や「宗教団体が道徳を教えてくれる善い団体だ」とか「暴力団が弱きを助けて強きを挫[くじ]く正義の味方だ」と誤解している馬鹿がいるということである。だから、今でも政府が残っていてもおかしくはない。今でも“悪いことをされる喜び”を満足している変態や「政府が国民みんなのために役に立つことをする善い団体だ」と誤解している馬鹿は政府の言うことを聞いている。反対に、変態や馬鹿以外の者は“悪いことをされる喜び”を満足していないから『政府が隠れて悪いことをする団体である』ことを知っているから政府の言うことを聞いていない。人間がどんな仕事をしようが人間の勝手であるように、人間がどんな喜びを満足しようがどんな誤解をしようが人間の勝手である。国民みんなで決めた法律を犯さないかぎり何をしようが人の勝手である。他人に迷惑をかけないかぎり勝手である。だから、今でも変態や馬鹿が政府の言うことを聞いていてもいいのである。ただし、他人に迷惑をかけてはいけない。それにしても、今どき“悪いことをされる喜び”を満足している者がいるなんて古臭いなあ。信じられない。『政府が隠れて悪いことをする団体である』以上に驚くべきことだ。天然記念物ものだ。
[22749] 今では変態や馬鹿がだんだん減っている。 h28.5.16
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足したければ政府の言うことを聞き、自分の“悪いことをされる喜び”を満足したくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて自分が幸福になるためには“悪いことをされる喜び”を満足するしかなかった。そのため、昔は国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされていた。
反対に、今は国民みんなが物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足するとかえって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのため、今は国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされなくなった。(人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するかしないかは個人の自由である。だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。国民が自分で決めることであって他人が決めることではない。だから、事務職が無理に自分に税金を払わせようとしたら事務職を殴[なぐ]ってでも断らねばならない。事務職は裏で国民からお金を取ったり殺したり虐[いじ]めたり悪いことをして表で善い人のふりをするために事務の仕事をしているだけである。事務職は自分が政府と同じ“隠れて悪いことをする者”だから、国民が政府の言うことを聞けば自分の言うことも聞くようになると思って激しく国民から税金を取り立てるのである。しかし、今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”がなくなっているから、国民みんなが政府や事務職の言うことを聞いて隠れて悪いことをされても幸福にならないから、国民みんなにとっては政府も事務職も要らない。政府も事務職も要らない人間である。政府も事務職も国民みんなの支持がなくて弱いから言うことを聞かなくていい。だから、国民は事務職の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わなければいい。国民は事務職にも金をやらなくていい。)
しかし、今でも変態や馬鹿は政府の言うことを聞いている。変態は今でも“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いて隠して悪いことをされている。馬鹿は政府の表の民主主義の芝居だけを見て「政府が国民みんなを幸福にする善い団体だ」と思って政府の言うことを聞いている。しかし、最近は変態や馬鹿が減って来ている。人間は自分が幸福になることをする。今では人間が“悪いことをされる喜び”を満足するよりも満足しないほうが幸福に生きられるから“悪いことをされる喜び”を満足する者が減っている。人間は正しいことを信じる。今では人間が『政府が隠して悪いことをする団体である』と考えるようになって「政府が民主主義の団体だ」と考えなくなっているから「政府が民主主義の団体だ」と考える者が減っている。今では“悪いことをされる喜び”を満足せず『政府が隠して悪いことをする団体である』と考える者が増えている。そのために、今では政府の言うことを聞かない者が増えて、政府の言うことを聞く者が減っている。そのために、今では政府がだんだん滅んでいる。もはや政府が潰[つぶ]れるのは時間の問題である。
これまでは人間は五感や心やテレパシーや性欲や“悪いことをされる喜び”などの古い大脳皮質を働かせて生きていた。これからは人間は知覚や“物を使う喜び”や“考える喜び”などの新しい大脳皮質を働かせて生きていかねばならない。人間は古い大脳皮質よりも新しい大脳皮質が発達している。だから、人間が幸福になるためには古い皮質よりも新しい皮質を働かせねばならない。新しい皮質に基づいて古い皮質を働かせねばならない。
h28.5.21追記:人間が本当にオナニーやセックスが幸福なら毎日朝から晩までオナニーやセックスばかりやっているはずである。しかし、実際には人間はそうしていない。それは、人間にとってはオナニーやセックスが本当は幸福ではないからである。人間にとっては自分の頭を使って考えることのほうが幸福なので、人間は毎日朝から晩まで頭を使って暮らしているのである。人間は素直[すなお]に自分が幸福なことをやればいいだけである。人間は新しい大脳皮質のほうが古い大脳皮質よりもずっと広くて発達しているから、人間にとっては新しい大脳皮質の喜びのほうが古い大脳皮質の喜びよりもずっと多いから、人間は新しい大脳皮質を働かせて古い大脳皮質を働かさなければいいのである。昔は人間は物が貧しくて物を使っていろんな喜びが得られなくて喜びが足りなかったからしかたなく“悪いことをされる喜び”を満足して喜ばねばならなかった。今では人間には物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせるから、人間は素直に物を使っていろんな喜びを満足して暮らせばいいのである。
[22750] 人間は自分が幸福に暮らせる国を作ればいい。 h28.5.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物よりも下の生き物だったから、ほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、人間にはそのころの名残[なごり]で“悪いことをされる喜び”がある。
大昔(縄文時代)の人は文明が低くて物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならねばならなかった。大昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足するために、豪族を設けて豪族に命令させてみんなを殺させたり虐めさせたり財産を取らせたりして悪いことをさせていた。大昔の人は豪族の言うことを聞いて豪族に殺されたり虐められたり財産を取られたりして幸福に暮らしていた。
昔(弥生時代から1965年ごろまで)の人は農耕生活が始まって文明が少し高くなったがまだ物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することはできなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にならねばならなかった。もっとも、昔の人は文明が高くなって自分が“悪いことをされる喜び”を満足して喜んでいるのを他人に見られるのが恥ずかしくなった。人間の心には“自分が劣ったことをするのを恥ずかしく思う気持ち”があるのでもはや大昔のように人前で堂々と悪いことをされることができなくなった。昔の人は“悪いことをされる喜び”を隠して満足するために、政府(幕府も含む)を設けて政府に命令させて隠してみんなを殺させたり虐めさせたり財産を取らせたりしていた。政府は隠して悪いことをするために表で民主主義の芝居をやって裏で悪いことをやったり、一見善いことのようでじつは悪いことをやったり、表でたまに善いことやちょっと善いことをやって裏でたくさん悪いことをやったり、最初に善いことをやってあとで悪いことをやったり、善いことと悪いことを混ぜてやったりしていた。昔の人は政府の言うことを聞いて政府に隠して殺されたり虐められたり財産を取られたりして幸福に暮らしていた。(政府は隠して悪いことをするためにいろんな手を使う。政府は隠して悪いことをするために、最初に善いことをやってあとで悪いことをする。近代の政府が善いことをやって現代の政府が悪いことをやっているのはそのためである。/前にもいっぺん言ったが、『科学忍者隊ガッチャマン』のベルクカッツェは政府のことだが、総裁X[そうさいえっくす]は国民みんなのことである。国民みんなが国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために国民みんなを攻撃していたわけだ。つまり、国民みんなが国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために政府を使って国民みんなに悪いことをさせていたのである。ちなみに、大鷲の健[おおわしのけん]が私で、コンドルのジョーが神武天皇で、白鳥[しらとり]のジュンが平成天皇で、燕の甚平[つばくろのじんぺい]が皇太子で、みみずくの竜が昭和天皇だ。私はシリアスなアニメが苦手で『ガッチャマン』はほとんど見たことがない。ただ、再放送のとき第1話だけは見たことがある。『仮面ライダー』でもショッカーの幹部は政府だが、ショッカーの首領[しゅりょう]は国民みんなである。ちなみに、仮面ライダー1号は神武天皇で、2号は皇太子で、3号は私だ。)
今(1965年ごろ以後)の人は電化生活が始まって文明がますます高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるようになったので“悪いことをされる喜び”を満足する必要がなくなった。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり殺されたりカタワになったりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなってかえって喜びが減るので今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府は隠して悪いことをする会社である。今の人は政府が要らなくなって、政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをさせなくなって政府を倒している。
いつの時代でも人間は自分が幸福に暮らせる国を作ってきた。昔の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していたから、わざわざ政府を設けて政府の言うことを聞いて政府に悪いことをさせていた。だから、今の人も自分が幸福に暮らせる国にすればいい。今の人は自分が幸福になるために“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]して政府に悪いことをさせなければいい。
今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していない。“善いことをされる喜び”しか満足していない。今の人は早く政府を倒して、善いことをする会社をたくさん建てて幸福に暮らせばいいのである。人間は自分の心をよく知って自分が本当に幸福に生きていけるようにしなければならない。見え透[す]いた喜びを満足したために自分の“本当の喜び”を満足できなくなってかえって自分を不幸にしてはいけない。
人間は新しい大脳皮質が古い大脳皮質よりも広い。だから、人間は眼で見る喜びよりも考える喜びのほうが多い。これまで人間は物を使って眼で見る喜びを満足してきた。これからは人間は物を使って考える喜びを満足しなければならない。そうやって、人間はこれまでよりも自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22751] 今では国民みんなで政府の言うことを聞かないようにして政府を潰[つぶ]している。
h28.5.16
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間はずっと昔は弱い動物でほかの動物に殺されたり虐[いじ]められたり食べられたりして幸福に暮らしていたので、そのころの名残[なごり]で今でも“悪いことをされる喜び”がある。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなかったので自分が幸福になるためにやむを得ず“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔は国民みんなが国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足して国民みんなを幸福にするために政府を設けて国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に国民みんなを殺したり虐めたりお金を取ったりさせて悪いことをさせていた。
今は国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足することができるので自分が幸福になるためにもはや“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。むしろ今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが喜びが多いので国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今では国民みんなが国民みんなの“悪いことをされる喜び”を満足させないようにして国民みんなを幸福にするために国民みんなで政府の言うことを聞かないようにして政府に国民みんなを殺したり虐めたりお金を取らせたりさせないようにして政府を潰している。
時代が進むと文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって国民みんなの生活が変わる。国民みんなの満足する喜びが変わる。昔は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していたから国民みんなが政府を建てて政府に悪いことをさせていた。反対に、今は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから国民みんなが政府を潰して政府に悪いことをさせないようにしている。今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから、国民みんなが他人に悪いことをされるのが嫌だから、政府は国民みんなに悪いことをする会社だから、国民みんなは国民みんなを幸福にするために政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。政府も国民みんなを幸福にするために自分から滅べばいい。
政府は本来国民一人一人と契約を取って国民に悪いことをしないといけないから、政府が無差別に国民みんなに悪いことをしてはいけない。今では国民の多くが“悪いことをされる喜び”を満足せず政府の言うことを聞いていないから、政府が国民みんなに悪いことをするのはまちがっている。だから、国民みんなで政府を罰しなければならない。国民みんなで政府を潰[つぶ]して政府の者を皆殺しにしないといけない。
国民みんなで将来法律会社を建てねばならない。法律会社は善い会社だから国民みんなで定めた法律を統一して整理して国民みんなに守らせねばならない。国民と法律会社は平等だから、法律会社は国民一人一人と契約してお金をもらって仕事をしないといけない。日本人はお人好[よ]しだから国民みんなのためだと思って多くの人が法律会社と契約するだろう。法律会社はあまり料金を上げるとみんなが契約してくれないから料金を安くしないといけない。
[22752] 変態や馬鹿のせいで今でも政府が残って悪いことをやっている。 h28.5.17
政府は表で民主主義の芝居をやって裏ではいろんな悪いことをやっている。政府は表と裏をいっしょにして隠して悪いことをする会社である。政府は民主主義の団体ではなく隠して悪いことをする会社だから、政府には国家権力はなく国民と平等である。政府は民主主義の団体ではないから政府は法律を定められない。政府は法律を定めているふりをしているだけで本当は法律を定めていない。だから、国民は政府の定めた法律を守らなくていい。例えば、政府は納税の義務の法律を定めているふりをしているだけで本当は納税の義務の法律を定めていない。だから、国民は納税の義務の法律を守らなくていい。政府は法律を定められないが、国民みんなは法律を定められる。たとえ政府が法律を定められなくても、国民みんなは法律を定められる。国には国民みんなが定めた法律がある。国民は国民みんなが定めた法律を知って国民みんなが定めた法律を守らないといけない。国民は国民みんなが定めた法律を守らないと国民みんなに罰せられる。
政府は隠れて悪いことをやる会社だから、政府と国民は平等である。政府が隠れて悪いことをやるのは仕事である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に悪いことをするのである。国民が政府に隠して悪いことをされるかされないかは国民個人の勝手である。国民が政府に隠して悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、国民が政府に隠して悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。これが国民みんなが定めた法律である。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったからやむを得ず“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の人にとっては“悪いことをされる喜び”は性欲と同じように野蛮で下品な汚い喜びであり昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足するのが嫌だった。昔の人にとっては“悪いことをされる喜び”を満足することは必要悪だった。昔の人にとっては自分が“悪いことをされる喜び”を満足しているところを他人に見られるのが嫌だったので政府に隠して悪いことをしてもらっていた。教科書は人前で読めるがエロ本は人前で読めないのと同じことである。つまり、テレビを見たり本を読んだりする喜びは人前で満足できるが“悪いことをされる喜び”は人前で満足できない。そのため、昔の人は政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをしてもらっていた。(アメリカのテレビドラマでよく見られるように、宗教団体が科学を使わないのも信者に対する虐[いじ]めである。宗教団体は「科学が人間の心を堕落[だらく]させる」から科学を使わないのではなく、信者を虐めるために科学を使わないのである。信者も宗教団体が嘘[うそ]をついて自分を虐めていることを知っていながら自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために虐められているのである。宗教団体も政府と同じように隠して国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする団体なので、信者に対して隠して悪いことをするのである。宗教団体の信者のように、政府の言うことを聞いている国民も政府が嘘をついて自分を虐めていることを知っていながら自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために政府に虐められているべきである。国民が政府に金まで払うのだったら当然国民が政府がやっていることを知っているべきである。国民の多くが政府のことを知らないのがいけない(こう言う私も最近まで知らなかったが(馬鹿すぎ))。/h28.5.18追記:キリスト教とは、宗教団体がキリストの情報を使って信者(宗教団体の言うことを聞く者)を虐[いじ]めることである。信者が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるために、宗教団体に命令させてキリストの情報を使って悪いことをさせることである。人間がキリスト教をやっていると“悪いことをされる喜び”に目覚[めざ]めて“悪いことをされる喜び”を満足して生きていかねばならないようになる。最後にはキリスト教の宗教団体に有り金全部取られて殺されて終わりになる。今の時代にはそんな生き方ではかえって不幸になるだけだ。だから、今の時代にはキリスト教をやらないほうがいい。ほかの宗教も同じことだ。今の時代は素直[すなお]に物を使っていろんなことをやって自分の心を満足して幸福になればいいのである。テレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンをやったりマンガを読んだりして楽しめばいいのである。)
しかし、今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の人にとっては“悪いことをされる喜び”を満足すると物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされなくなっている。
賢明な国民はそう考えてそうしている。一方、変態や馬鹿はいまだに政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされている。しかし、変態や馬鹿はだんだん減っている。人間は幸福には勝てないから物を使っていろんな喜びを満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。人間は真理には勝てないから「政府が民主主義の団体だ」と考えるのをやめて『政府が隠れて悪いことをする団体だ』と考えるようになっている。政府の言うことを聞く国民が減って聞かない国民が増えている。政府は国民からお金が取れなくなって潰[つぶ]れている。国民に隠れて悪いことをする団体がなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようになっている。政府がなくなるのは時間の問題である。
賢明な国民は昭和40年=1965年ごろから政府の言うことを聞いていない。政府に税金を払っていない。変態や馬鹿がその後も政府の言うことを聞き続けている。あとは変態や馬鹿がどれだけ早くいなくなるかが問題である。国民が変態や馬鹿な国では政府がなくなるのが遅く、国民が素直[すなお]で利口な国では政府がなくなるのが早い。さてさて、日本は世界で何番目に政府がなくなるだろうか?
[22753] 政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。 h28.5.17
政府は隠して悪いことをする会社である。つまり、政府は隠して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。しかも、人間の心には“悪いことをされる喜び”を野蛮で下品で汚いと思う気持ちがある。だから、政府は隠して国民の“悪いことをされる喜び”を満足するのである。政府は隠して国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にするのである。
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は隠して悪いことをするために裏で悪いことをして表で民主主義の芝居をする。政府と国民は平等である。国民が政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して欲しければ政府の言うことを聞き、国民が政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して欲しくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなかったから“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされて喜んでいた。
今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の人は政府の言うことを聞かず政府に隠して悪いことをされなくなった。
今では“悪いことをされる喜び”を満足している変態と「政府が民主主義の団体だ」と思っている馬鹿が政府の言うことを聞いているだけである。変態や馬鹿は年々減っている。政府は儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
1965年ごろまでは国民みんなが政府の言うことを聞いていたが、1965年ごろからあとは変態と馬鹿しか政府の言うことを聞かなくなった。(私も今から約10年前までは政府のことがわかっていない馬鹿だったので政府の言うことをまじめに聞いて政府に税金を払っていた。)今の政府は潰れている途中である。今の政府はなくなっている最中である。普通の国民は最初から政府の言うことを聞いていない。変態と馬鹿は減る一方である。だから、政府の言うことを聞く者がだんだん減っていって政府が潰れているのである。
h28.5.21追記:政府ブームは昭和40年=1965年ごろに終わった。つまり、国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいる時代は昭和40年ごろに終わった。そのあとは、政府ブームは下火[したび]になった。政府ブームはなくなった。つまり、その後は馬鹿や変態などの一部の国民がほそぼそと政府の言うことを聞いているだけだ。きみたちもその中の一人ではないかな!?政府ぐらい大きい会社になるとかなりの国民が客をやめても変わらないように見えるから、今でも国民みんなが政府の言うことを聞いているように見えるのだ。最初から国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由なのである。昭和40年ごろまでは国民みんなが自分の意思で政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足してもらって自分が幸福になるために自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていたのである。人間にとっては“悪いことをされる喜び”を満足することは性欲を満足することよりも恥ずかしいことなので、みんなは人前でたとえ冗談でも“悪いことをされる喜び”を満足することを話すことができなかったのだ。“悪いことをされる喜び”を満足することは“国家最高機密”(つまり国民みんなが最も秘密にしていること)だったのだ。だから、昔から“悪いことをされる喜び”という言葉がなかったのだ。(h28.5.22追記:国民が“悪いことをされる喜び”を満足していることは徒然草[つれづれぐさ]にも源氏物語にも古今和歌集にも出てこない。国家最高機密だからだ。たとえ性欲やテレパシーのことを書いた文学があっても“悪いことをされる喜び”のことを書いた文学はない。それぐらいトップシークレットなのだ。)昭和40年ごろからあとはいろんな電化製品が出来て国民みんなにいろんな電化製品が普及して国民みんなが電化製品を使って幸福に暮らせるようになって“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめたから政府の言うことを聞くのをやめたのだ。馬鹿はみんなが嘘[うそ]で「政府が民主主義の政治機関だ」と言っていることを真[ま]に受けて「政府が民主主義の政治機関だ」と思っているから政府の言うことを聞いているのだ([22760]参照)。早く馬鹿はみんなが嘘で「政府が民主主義の政治機関だ」と言っていることに気づいて本当は『政府が隠して悪いことをする会社である』ことがわかって政府の言うことを聞くのをやめねばならない。
[22754] 人間は“やってはいけない”ことを知っていないといけない。 h28.5.17
人間はやってはいけないことをやってはいけないと教えられているからやらないのである。人間は何も教えられていなければやってしまう。例えば、人間は崖[がけ]から落ちてはいけないと教えられているから崖から落ちないのである。人間は崖から落ちてはいけないと教えられていなければ勝手に崖から落ちて死んでしまう。それと同じように、人間は性欲を満足してはいけないと教えられているから性欲を満足しないのである。人間が性欲を満足してはいけないと教えられていなければ性欲を満足して堕落してしまう。それと同じように、人間はテレパシーを使ってはいけないと教えられているからテレパシーを使わないのである。人間がテレパシーを使ってはいけないと教えられていなければ勝手にテレパシーを使って精神分裂病に罹[かか]ってしまう。(人間が性欲を満足して知覚欲(つまり“考える喜び”)を満足しないから精神分裂病に罹るのである。人間がオナニーやセックスをして性欲を満足するから、性欲と同じように古い大脳皮質にある五感や心やテレパシーや“悪いことをされる喜び”などが興奮しやすくなって精神分裂病に罹りやすくなるのである([22672]参照)。精神分裂病では意味がわかりにくい。昔のように早発性痴呆(機能性痴呆)のほうが意味がわかりやすくて正しいネーミングである。政府は国民を早発性痴呆に罹りやすくするためにわざとに意味がわかりにくい精神分裂病に病名を変えたのである。)同じように、人間は“悪いことをされる喜び”を満足してはいけないと教えられているから満足しないのである。今の時代では人間が“悪いことをされる喜び”を満足してはいけないと教えられていなければ政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞いてお金を取られたり虐[いじ]められたり殺されたりして不幸になってしまう。人間は知識が大事である。人間が無知ではまちがいを犯してしまう。人間が人生を幸福に生きるためには“やってはいけないこと”をたくさん知っていないといけない。親は子供にたくさん“やってはいけないこと”を教えねばならない。親は怠慢[たいまん]こかずに頭を使って考えて子供にたくさん“やってはいけないこと”を教えねばならない。
[22755] 今の政府は変態や馬鹿を使って国民全員を政府の言うことを聞くようにさせることはできない。
h28.5.17
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に命令して国民を殺したり虐[いじ]めたり財産を取ったりして国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。昔は国民みんなが政府の言うことを聞いていたので、政府は国民みんなに命令して国民みんなに何でもやらせることができた。昔の政府は国民みんなに命令して政府の言うことを聞かない者を不利にして殺したりすることができた。だから、昔は国民全員が政府の言うことを聞いていた。本来は国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由だが、政府が自分の言うことを聞く国民を使って自分の言うことを聞かない国民を攻撃させることによって国民全員に自分の言うことを聞かせていたのである。
しかし、今は国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるようになって“悪いことをされる喜び”を満足していない。国民みんなが政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされていない。国民みんなが政府の言うことを聞いていないので、政府は国民みんなに命令できず国民みんなに何もやらせることができない。今の政府は変態や馬鹿に命令して何でもやらせることができるだけである。例えば、政府は私の近所に悪気[わるぎ]を出す変態を住ませて一日中悪気を出させて私が考えるのを邪魔[じゃま]したりする。だから、最近の私は面白い作文が書けないのである。変態は今でも“悪いことをされる喜び”を満足している。ところが人間にとっては“悪いことをされる喜び”はあまり面白い喜びではない。人間は新しい大脳皮質のほうが古い大脳皮質よりも広く発達しているので、人間にとっては古い大脳皮質を働かせるよりも新しい大脳皮質を働かせるほうが喜びが多い。古い大脳皮質には五感や心やテレパシーや性欲や“悪いことをされる喜び”などがある。一方、新しい大脳皮質には知覚や“考える喜び”などがある。変態はいつも古い大脳皮質ばかり働かせているので喜びが少ないのでいつも欲求不満で気持ちが落ち込んで鬱[うつ]なのである。人間の本心は新しい大脳皮質にある。人間が幸福に生きるためには古い大脳皮質よりも新しい大脳皮質を働かせねばならない。変態は見栄[みえ]を張っていつも古い大脳皮質の見え透[す]いた喜びばかり満足しているために新しい大脳皮質の喜びを満足していないので、自分の本心が満足できず喜びが少なくて欲求不満になって気持ちが落ち込んで欝なのである。(h28.5.22追記:要するに、鬱病とは喜びがないことである。鬱病とは慢性の欲求不満である。鬱病は自分が“自分にとって喜びのない環境”にいるというサインだから、鬱病を治すためには自分にとって喜びの多い環境に変えればいい。そのための努力をすれば鬱病は治る。そのための努力もしなくなるほど落ち込んでしまったらもはや鬱病は治らない。だから、早めに対処しないといけない。あるいは、人間が自分が実現できない願望を持っていると自分で自分を欲求不満にして自分で自分を落ち込ませて鬱になる。人間は自分が実現不可能な願望を持つのをやめて実現不可能な願望を捨てて自分が実現可能な願望を持って実現可能な願望を実現して喜べばいい。とにかく人間はいろんな方法を使って喜びを得ればいいのだ。人間はより多くの喜びを目指[めざ]せばいい。そうすれば、人間にとっては古い大脳皮質を使うよりも新しい大脳皮質を使うほうが喜びが多いから、ひとりでに新しい大脳皮質を使うようになるだろう。)政府は自分の言うことを聞く変態を使って政府の言うことを聞かない国民が幸福に暮らすのを妨害している。しかし、今では変態や馬鹿はあまりいない。政府の言うことを聞く者はあまりいない。今では政府の言うことを聞く者よりも聞かない者のほうが多い。今の政府が変態や馬鹿を使って政府の言うことを聞かない国民を不利にして国民全員を政府の言うことを聞くようにさせることはできない。今の政府がいくら変態や馬鹿を使って政府の言うことを聞かない者を妨害しても無駄[むだ]である。今では国民みんながどんどん“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『政府が隠れて悪いことをする会社だ』と考えるようになって政府の言うことを聞かなくなっている。今では国民みんなが自分が幸福に暮らすために変態や馬鹿をやめて政府の言うことを聞かなくなっている。変態や馬鹿が減っている。政府の言うことを聞く者が減っている。政府が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
今の国民が政府の言うことを聞かなければ変態に悪気をかけられる。今の国民が政府の言うことを聞けば政府に悪いことをされる。政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりする。今の国民にとっては変態に悪気をかけられるよりも政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりするほうが嫌である。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。そもそも国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞くのである。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民は政府の言うことを聞く気がないから正直に政府の言うことを聞かなければいいのである。
今では国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって『政府が隠れて悪いことをする団体である』と考えるようになって政府の言うことを聞かなくなっている。変態や馬鹿が減って政府が儲からなくなって潰れている。いまさら政府がジタバタしても無駄[むだ]である。政府は潰れる一方である。政府が変態を使って政府の言うことを聞かない者に悪気をかけさせて攻撃しても無駄である。今の政府はいたずらに国民の嫌がらせをしているだけである。政府は無駄な抵抗をやめておとなしく潰れなさい。
h28.5.19追記:昔は国民みんなが物が貧しかったので“悪いことをされる喜び”を満足していた。“悪いことをされる喜び”を満足していない者が変態だった。国民みんなは政府の命令で“悪いことをされる喜び”を満足していない者を攻撃して不利にしていた。反対に、今は国民みんなが物が豊かなので“悪いことをされる喜び”を満足していない。“悪いことをされる喜び”を満足している者が変態である。いつの時代にも変態がいる。人間が自分の心をどのように満足しようが個人の勝手である。人間がどんな喜びを満足しようが個人の自由である。人間が自分の心をどのように満足しようが個人の自由だが、他人に迷惑をかけてはいけない。“悪いことをされる喜び”を満足したい者は“悪いことをする会社”の言うことを聞いて自分自身(あるいは同じ“悪いことをする会社”の言うことを聞いている者)にだけ悪いことをして他人に悪いことをしてはいけない。今の国民の多くが“悪いことをされる喜び”を満足していないのに政府の言うことを聞いているのも馬鹿である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して欲しい者だけが政府の言うことを聞き、政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足して欲しくない者は政府の言うことを聞いてはいけない。今の国民の多くは“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞いてはいけない。今の人は自分の心と政府のことを正しく知って、自分で自分の心を満足して自分を幸福にしないといけない。人間が自分の心をどのように満足しようが個人の勝手だが、人間は自分が幸福になるように自分の心を満足しないといけない。いたずらに“自分を不幸にする喜び”を満足して自分で自分を不幸にしてはいけない。人間は道徳が正しくないといけない。人間はまじめに自分を幸福にする努力をしないといけない。
[22756] 政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足するためにある会社である。h28.5.18
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物よりも弱くてほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、そのころの名残[なごり]で人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
昔(弥生時代から1965年ごろまで)の人は文明が低くて物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったから“悪いことをされる喜び”を満足していた。もっとも、昔の人は農耕生活をしていて文明がそこそこ高かったから“悪いことをされる喜び”が汚い喜びだと思って自分が“悪いことをされる喜び”を満足しているのを他人に見られるのが恥ずかしかった。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足するために、政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりして悪いことをされていた。昔の人は自分が政府に悪いことをされているのを隠させるために政府に民主主義の芝居をさせていた。(日本がアジア文化をやっている時代には、アジア人は頭で物を見るから政治団体が民主主義の芝居をしてもしなくても悪いことをしていることに変わりはないから政治団体が民主主義の芝居をしないのである。日本がヨーロッパ文化をやっている時代には、ヨーロッパ人は眼で物を見るから政治団体が民主主義の芝居をすると悪いことを隠していることになるから政治団体が民主主義の芝居をするのである。今の日本はアジア文化をやっているから国民は頭で見て政府が悪いことをやっているのがわかるから政府は民主主義の芝居をやる必要がない。政府の民主主義の芝居は無駄[むだ]である。)
今(1965年ごろ以後)の人は文明が高くて物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の人が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり殺されたりカタワにされたりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足してはいけない。今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足しなくなったから、政府の言うことを聞かなくなって政府に隠してお金を取られたり殺されたり虐められたり悪いことをされなくなって政府を潰[つぶ]している。
国は国民のためにある。国は国民が自分が幸福に暮らせるように作るものである。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足するためにある会社である。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足するための道具である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足したければ政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされればいい。反対に、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足したくなければ政府の言うことを聞かず政府に隠して悪いことをされなければいい。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足していたから、政府の言うことを聞いて政府に隠して悪いことをされて喜びを得ていた。反対に、今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を隠して満足しなくなったから、政府の言うことを聞かなくなって政府に隠して悪いことをされなくなって喜びを得なくなっている。昔の人にとっては政府が必要だったから昔の人は政府にお金をやって政府が儲[もう]かっていた。今の人にとっては政府が要らなくなったから今の人は政府にお金をやらなくなって政府が潰れている。
今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府は役に立たない。今の人にとっては政府は役立たず会社である。今の人が政府に隠して悪いことをされると不幸になるから政府は邪魔[じゃま]である。今の人は早く政府を倒して自分の幸福の邪魔をする者をなくして幸福に暮らさねばならない。
[22757] 国民が政府の言うことを聞いていると“悪いことをされる喜び”を満足するようになる。☆
h28.5.18
政府は隠して悪いことをする会社である。政府の民主主義は書き割りであり、本体は悪いことをする会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。
だから、国民が政府の言うことを聞いていると“悪いことをされる喜び”に目覚[めざ]めて自分の“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめられなくなって自分の“悪いことをされる喜び”を満足して生きていかねばならなくなる。政府にさんざん虐[いじ]められて、最後には政府に有り金全部取られて殺されて終わりになる。
今の時代ではそんな生き方ではかえって不幸になるだけだ。今の時代には国民は物を使って自分の心を満足して幸福になればいい。例えば、テレビを見たり乗り物に乗ったりパソコンを使ったりマンガを読んだりして楽しめばいい。あるいは、物を使って自分の“考える喜び”を満足するのもいい。
人間がどんな喜びを満足するかは個人の自由である。人間は自分が最も幸福になるように自分の喜びを選んで満足しないといけない。今の時代に“悪いことをされる喜び”を満足するとかえって不幸に暮らさねばならないから“悪いことをされる喜び”を満足しないほうがいい。だから、今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払ったり虐められたり殺されたりしなければいい。今の国民は政府や宗教団体や暴力団や社長や事務職などの言うことを聞かないようにして悪いことをされないようにすればいい。(刑事ドラマでは暴力団は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする団体ではなくただの悪いことをやって金儲[もう]けをしている悪役と化している。だから、刑事ドラマの冒頭で「この番組は実在の暴力団とはまったく関係がありません」と但[ただ]し書きのテロップが出るのである。刑事ドラマでやっている暴力団と実際の暴力団は全然違う。だから、テレビでやっている政府と実際の政府はまったく違うのである。)
[22758] 表の政府は永遠に建っているが、裏の政府は潰[つぶ]れている。 h28.5.18
政府は隠して悪いことをする会社である。政府は隠して国民を殺したり虐[いじ]めたり財産を取ったりする会社である。政府は隠して悪いことをするために表で民主主義の団体の芝居をやって裏で悪いことをやっている。政府は隠して国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているだけで本物の民主主義の団体をやっていないから政府は法律を定められない。政府は法律を定めているふりをしているだけで本当は法律を定めていない。だから、国民は政府の定めた法律を守らなくていい。例えば、国民は納税の義務の法律を守らなくていい。もともと政府は納税の義務の法律を定めていないのだから、いくら国民が政府に税金を収めなくても国民が罰せられることはない。国民みんなが定めた法律では、政府は隠して悪いことをする会社だから、国民と政府は平等だから、国民が政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。国民が政府に隠して悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、国民が政府に隠して悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。「学校の社会科」では、政府は民主主義の団体だから政府は国民みんなの総意を実現する国家機関だから国民は絶対に政府の言うことを聞かなければならない。しかし、『本当の社会科』では、政府は隠して悪いことをする会社であり、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社であり、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをして欲しければ政府の言うことを聞けばよく、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないために政府に悪いことをして欲しくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の人は文明が低くて物が貧しくて家の中では竈[かまど]でご飯を炊いて寝床に布団を引いて寝るだけだったので喜びがほとんどなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して喜ぶしかなかった。そのために、昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足して政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらっていた。
今の人は文明が高くて物が豊かで家の中でテレビを見たりパソコンをやったり冷蔵庫を開けて食べ物を食べたりしていろんなことができて喜びがたくさんある。家の外でも乗り物に乗ったり遊園地や食堂に行ったり動物園や水族館に行ったりして楽しむことができる。今の人にとっては“悪いことをされる喜び”が要らなくなっている。むしろ今の人が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり殺されたりカタワにされたりしてほかのいろんな喜びを得られなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”が邪魔[じゃま]になっている。そのために、今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをしてもらわなくなっている。
政府は表では民主主義の団体だから今でも国民みんなが政府の言うことを聞いて政府が永遠に建っているが、政府は裏では悪いことをする会社だから今では国民みんなが政府が要らなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府が潰[つぶ]れている。政府には表と裏の二つの姿がある。表の政府は建前[たてまえ]の架空の政府であり、裏の政府が本当の現実の政府である。テレビや新聞でやっているのは表の政府のことであって裏の政府のことではない。学校の社会科で習うのは表の政府のことであり裏の政府のことではない。みんなは表のテレビや新聞や社会科の教科書の上の政府に惑[まど]わされず、裏の本当の政府を見てしっかりと現実の社会の中で生きていかねばならない。
昔の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していたから、裏の本当の政府とは別に表の建前の政府が出来た。昔の人は裏の政府に悪いことをしてもらって、表の政府に善いことをしてもらっているふりをしていた。今の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していないから、もはや裏の政府も表の政府も両方とも要らない。今の人は裏の政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を倒して、表の政府に善いことをしているふりをしてもらわなければいい。今の人は裏の政府といっしょに表の政府も倒せばいい。政府はまず裏から倒れる。裏の政府が倒れれば表の政府も倒れる。今の政府は眼で見えないところで潰れている。そのうち眼で見えるところでも潰れるだろう。つまり、今の政府が裏で国民みんなに悪いことをするのを断られて国民みんなからお金を取れなくなれば表で民主主義の団体の芝居もできなくなって政府は跡形[あとかた]もなく消え去るだろう。
[22759] どうしていまだに多くの人が政府のことがわかっていないのか?☆ h28.5.18
マンガや小説は政府のことをたくさん書いている。政府についていろんなことを書いている。しかし、マンガや小説を読んでも誰も政府のことがわからない。それは、政府についての理屈が何も書いていないからである。マンガや小説では政府のことを喩[たと]えで具体的にあれこれ書いているだけで、政府のことをそのまま直接に理屈をつけて書いていないので、マンガや小説を読んでも誰も政府のことがわからないのである。マンガや小説では政府について眼で見えることをいろいろ書いているだけで、おおもとの“悪いことをされる喜び”のことをまったく書いていないので、マンガや小説をいくら読んでも誰も政府のことが理解できないのである。そのために、今でも大勢の人が政府のことがわからないまま政府の言うことを聞いているのである。
人間は知覚的な生き物だから、眼で見るのではなく頭で考えなければわからない。
人間が物のことが理解できるようになったのはニュートンが理屈をつけて物のことを書いてくれたからである。
人間が政府のことが理解できるようになるためには誰かが理屈をつけて政府のことを書いてくれればいい。
私が理屈をつけて政府のことを書いた。人間の心には“悪いことをされる喜び”があり、政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民は政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。これが本当の社会の姿である。
こうして今ではめでたくみんなが政府のことが理解できるようになった。そのため、今ではみんなが政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]して幸福に暮らせるようになったのである。
眼で見ることしかわからない馬鹿にも『今の国民が政府の言うことを聞かず政府を倒せばいい』ことをわからせることはできる。ある国民が政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府の自殺の命令を聞かないところをビデオに撮ればいいのである。ある国民が税金を払わずに浮いたお金でレストランで美味[うま]い物を食べているところをビデオに撮ればいいのである。それをみんなに見せてみんなで真似[まね]ればいいのである。そうすれば政府は一日で潰れるだろう。
[22760] 今の人は「嘘[うそ]の社会の法則」を忘れて『本当の社会の法則』を守らなければならない。
h28.5.19
政府が民主主義の団体であり、政府が国民みんなの総意を実現する団体であり、政府に国家権力があるから国民は絶対に政府の言うことを聞かねばならないのは「嘘の社会の法則」である。
政府が隠して悪いことをする会社であり、政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体であり、政府は表で民主主義の団体の芝居をしているだけで本物の民主主義の団体をしていないから政府には国家権力がなく政府は国民と平等だから、国民が政府に隠して悪いことをしてもらうかもらわないかは国民個人の自由である。国民が政府に隠して悪いことをして欲しければ政府の言うことを聞けばよく、国民が政府に隠して悪いことをして欲しくなければ政府の言うことを聞かなければいいのが『本当の社会の法則』である。
テレビや新聞や社会科の教科書でやっているのは「嘘の社会の法則」である。現実の社会でやっているのは『本当の社会の法則』である。
今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって“悪いことをされる喜び”がなくなっているから『本当の社会の法則』がわからなくなって「嘘の社会の法則」を真[ま]に受けやすくなっている。いわば、国民みんなが自分のついた嘘に自分が騙[だま]されているのだ。
昔の人はテレビや新聞や社会科の教科書でやっているのが「嘘の社会の法則」だと知っていた。昔の人は「嘘の社会の法則」を「嘘の社会の法則」だと知って守っていなかった。昔の人は自分で『本当の社会の法則』を考えて『本当の社会の法則』を守って暮らしていた。
今の人の多くはテレビや新聞や社会科の教科書でやっているのが「嘘の社会の法則」だと知らない。今の人は「嘘の社会の法則」が「嘘の社会の法則」だと知らすに守っている。今の人は「嘘の社会の法則」を『本当の社会の法則』だと思って「嘘の社会の法則」を守って暮らしている。今の人は昔の人よりも馬鹿だ。今では核家族化が進んで、若者が年寄りの知恵を借りれないこともその原因のひとつだろう。
「政府が民主主義の団体であり、政府には国家権力があるから国民は政府の言うことを聞かねばならない」のは昔の国民みんなが決めた“国家公認の嘘”である。だから、テレビや新聞や社会科の教科書で嘘をついていたのである。昔の人は“悪いことをされる喜び”を隠して満足していたから国民みんなでそんな嘘を決めたのである。昔の人にとっては“悪いことをされる喜び”はみっともない喜びだったので隠して満足しないといけなかったので、みんなで「政府が民主主義の団体である」ことにして裏で『政府に悪いことをさせて』喜んでいたのである。昔の人は『本当の社会の法則』を自分で黙って守って「嘘の社会の法則」をみんなの前で喋[しゃべ]るだけで本当は守っていなかった。昔はみんなが「嘘の社会の法則」を守っているふりをして『本当の社会の法則』を守らねばならない決まりがあった。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないから今ではそんな嘘は国家公認の嘘ではない。今の人はそんな嘘をつかなくていい。今の人はそんな嘘をついてはいけない。今の人は『本当の社会の法則』をみんなの前で喋って守ればいい。今の人はみんなの前で「嘘の社会の法則」を「嘘の社会の法則」だと罵[ののし]って守らなければいい。そうすれば、世の中が正しく動いて世の中がうまく行くのである。近代の日本が繁栄していたのはみんなが「嘘の社会の法則」を守らず『本当の社会の法則』を守って動いていたからである。今の日本が貧乏なのはみんなが「嘘の社会の法則」を守って『本当の社会の法則』を守らなくなっているからである。みんなは早く『本当の社会の法則』を守って「嘘の社会の法則」を守らないようにして社会を正常に戻さねばならない。(h28.5.22追記:同じように「テレパシーがない」のも国家公認の嘘である。本当は『テレパシーがある。』人間は「テレパシーがない」と考えたほうが気楽に生きていけるのでそんな嘘をついているのである。本当はテレパシーがある。テレパシーを使っていないからテレパシーが聞こえないだけだ。「テレパシーがない」と思って冗談で怒[おこ]りながらテレパシーを使おうとすると本当にテレパシーが使えるようになってテレパシーの悪口が聞こえて不機嫌になって暴れるようになって早発性痴呆に罹[かか]る。だから、テレパシーを使ってはいけない。テレパシーがあるからこそテレパシーを使ってはいけない。だから、昔の人は口先で「テレパシーがない」と嘘をついて、本当は『テレパシーがある』と考えて『テレパシーを使おうとするとテレパシーで悪口が聞こえるようになって困る』と考えてテレパシーを使わないようにしていたのである。国民が「テレパシーがない」という国家公認の嘘(つまり国民みんなでついている嘘)を真[ま]に受けると早発性痴呆に罹りやすくなる。社会には“国家公認の嘘”というものがある。だから、国民はみんなの言っていることが嘘か本当かよく考えてから真に受けたり受けなかったりしないといけない。国民みんなが国民みんなの嘘に騙[だま]されてはいけない。国民みんなが自分がついた嘘に自分が騙されてはいけない。そういうのを『ミイラ取りがミイラになる』というのだ。ちなみに、早発性痴呆を精神分裂病と言うようになったのは、昭和40年=1965年ごろからあとは国民が政府の言うことを聞かなくなって国民と政府が分裂するようになったからである。今の統合失調症という名前も国民が政府の言うことを聞かなくなって国民と政府が統合しないからである。政府のために病名を決めてはいけない。やはり早発性痴呆とか若年性痴呆[じゃくねんせいちほう]のほうがわかりやすくていい。h28.5.29追記:いっそのこと“怒[おこ]り病”とでも言ったほうがもっといい。早発性痴呆では大脳皮質の古皮質が全体的に興奮しやすくなっていて何に対してでも“怒[いか]りの感情”が興奮しやすくなっていてテレパシーが聞こえただけで怒[おこ]って暴れるから“怒り病”なのである。だから、人間はオナニーやセックスをして性欲を満足して古皮質を興奮させると危ないのである。人間はいつも新皮質(つまり知覚や人間的な感情)を働かせて新皮質で喜んでいないと危ないのである。)
物理学には天動説と地動説がある。天動説がまちがいで地動説が正しい。みんなが正しい地動説を守ったから物理学が発展したのである。工業や産業が発展してみんなが物が豊かになったのである。それと同じように、みんなが『正しい社会の法則』つまり『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを守れば社会学が発展する。みんなが幸福に暮らせる国になる。だから、みんなで『正しい社会の法則』を守らねばならない。
昔も今もテレビや新聞や社会科の教科書では「嘘の社会の法則」をやっている。「政府が民主主義の団体である」ことは昔の国民みんなで認めた国家公認の嘘だから、テレビや新聞や社会科の教科書は“ついてもいい嘘”を堂々とついているのである。今では国家公認の嘘である必要はもはやないが、今でも国家公認の嘘が続いているのである。昔の人はテレビや新聞や社会科の教科書でやっている「嘘の社会の法則」とは別に自分で『本当の社会の法則』を考えて『本当の社会の法則』を守っていた。だから、今の人も自分で『本当の社会の法則』を考えて『本当の社会の法則』を守ればいい。今の人は昔の人を見習って昔の人と同じことをやればいい。しかし、今の人と昔の人は満足している喜びが違う。昔の人は物が貧しかったので“悪いことをされる喜び”を満足していたが、今の人は物が豊かなので“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の人は昔の人と違って政府の言うことを聞かなければいい。今の人は政府の言うことを聞かないようにして自分が政府に隠して悪いことをされないようにすればいい。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府に悪いことをされる必要があったから政府に税金を払っていた。今の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になっていないから政府に悪いことをされる必要がないから政府に税金を払わなければいいのである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。だから、政府に悪いことをされたくない人にとっては政府は用がない。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府には用がない。だから、今の人は政府と縁を切って暮らせばいいのである。
[22761] 国民のほうが政府よりも上である。 h28.5.19
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府にとって国民は客である。だから、国民のほうが政府よりも上である。特に今では国民にとって政府が要らなくなっているから国民のほうが政府よりもずっと上である。政府の仕事は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にすることである。(トルコ嬢の仕事が性器を刺激して性欲を満足して幸福にするのと同じことである。)国民が政府に仕事を頼むか頼まないかは国民個人の自由である。国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びが満足できなくて喜びが足りなかったので“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。昔の人は政府に悪いことをされたかった。だから、昔の人は政府の言うことを聞いていた。昔の人は政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしていた。
今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びが満足できて喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。むしろ今の人が“悪いことをされる喜び”を満足すると物を使っていろんな喜びが満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足してはいけなくなった。今の人は政府に悪いことをされたくない。だから、今の人は政府の言うことを聞かなければいい。今の人は政府の言うことを聞かず政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなければいい。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を政府に満足して欲しければ政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりすればいい。反対に、国民が自分の“悪いことをされる喜び”を政府に満足して欲しくなければ政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。国民みんなは政府のことを正しく理解して政府を正しく利用しないといけない。
[22762] 今では国民みんなが政府を倒している。☆☆ h28.5.19
国は国民みんなのものである。国は国民みんなが自分たちが幸福に暮らせるように作ればいい。
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)弱い動物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたので、そのころの名残[なごり]で“悪いことをされる喜び”がある。
昔(弥生時代から1965年ごろまで)は国民みんなは物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できず喜びが足りなかったのでしかたがなく“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかった。お腹[なか]がすいたらゲテモノでも食べるのと同じことである。国民みんなは“悪いことをされる喜び”が動物的な遅れた喜びだと思っていて“悪いことをされる喜び”を満足するのがみっともなかった。そのため、昔は国民みんなは隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのため、国民みんなで“隠して悪いことをする政府”を建てて、「政府が民主主義の団体である」ことにして、裏で政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらっていた。
今(1965年ごろからあと)は国民みんなは物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できて喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足する必要がない。国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足すると物を使っていろんな喜びが満足できなくなってかえって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していない。そのため、国民みんなで政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをさせなくなっている。国民みんなで政府に税金を取らせたり殺されたり虐めさせたりしなくなっている。国民みんなで「政府が民主主義の団体である」ことにしなくなって、国民みんなで『政府が隠して悪いことをする団体である』ことを教えあっている。
今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府を倒している。これが今の国民運動である。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
今では国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているが、今でも“悪いことをされる喜び”を満足している者がいる。今では政府が潰[つぶ]れているから、そういう者は宗教団体や暴力団に悪いことをしてもらえばいい。だから、今は宗教団体や暴力団が景気がいいのかもしれない。国は国民みんなを大事にしながら少数の人のことも考えて作るものである。
国は国民みんなが作るものである。昔の国民みんなと今の国民みんなは満足している喜びが違う。そのために、昔の国民みんなと今の国民みんなは作る国が違う。昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していたので政府を建てて政府に悪いことをしてもらっていた。今の国民みんなは物を使っていろんな喜びを満足しているので工場を建てて工場に物を作ってもらっている。今の国民みんなは自分たちが幸福に暮らすために昔の国民みんなが作った古い国を壊して新しい国を作っているのである。
[22763] 時代が変われば人間の満足する喜びが変わって国が変わる。 h28.5.20
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。人間はずっと昔ほかの動物に殺されたり虐[いじ]められたり食べられたりして幸福に暮らしていてので、そのころの名残[なごり]でそんな喜びがある。
昔の人は物が貧しかったので物を使っていろんな喜びを満足できなかったので“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は“悪いことをされる喜び”を露骨[ろこつ]に満足するのが気まずかったので隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の人は“隠して悪いことをする政府”を建てて、「政府が民主主義の団体である」ことにして、裏で政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらっていた。
今の人は物が豊かなので物を使っていろんな喜びを満足できるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために、今の人は「政府が民主主義の団体である」ことにするのをやめて『政府が隠して悪いことをする会社である』ことを教えあって、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。
時代が進むと文明が高くなって人間の暮らしが変わる。人間の満足する喜びが変わる。昔の人は物が貧しかったので物を使っていろんな喜びを満足せず“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのため、昔の人は政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に悪いことをしてもらっていた。反対に、今の人は物が豊かなので物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を倒して、工場を建てて工場に物を作ってもらっている。
国民みんなは国民一人一人の集まりである(国民みんな=Σ国民i)。国民みんなというものがあるのではない。国民一人一人があるだけである。国民一人一人が自分の心を満足すれば、国民みんなが幸福に暮らせる国になる。だから、国民一人一人が物を使っていろんな喜びを満足して、政府の言うことを聞かないようにして“悪いことをされる喜び”を満足しないようにしないといけない。
[22764] 人間の喜びが変わると国が変わる。 h28.5.20
国は国民みんなのものである。国は国民みんなが自分が幸福になるように作る。
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)弱い生き物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に暮らしていたから、そのころの名残[なごり]で“悪いことをされる喜び”がある。
昔(弥生時代から1965年ごろまで)は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。国民みんなは“悪いことをされる喜び”を野蛮で下品な喜びだと思っていたので“悪いことをされる喜び”を隠して満足していた。そのために、国民みんなは政府(幕府も含む)を建てて、表で政府に民主主義の芝居をさせて「政府が民主主義の団体であり国民みんなが政府に従わねばならない」ことにして、裏で自由に政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされていた。つまり、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。
今(1965年からあと)は国民みんなが物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができて喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくていい。国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり死んだりカタワになったりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、国民みんなは工場を建てて工場に物を作らせて、表で「政府が民主主義の団体であり国民みんなが政府に従わねばならない」ことにするのをやめて『政府が隠して悪いことをする会社であり国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由である』ことを教えあって、裏で政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。国民みんなは政府が要らないので政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昭和40年ごろ=1965年ごろに文明が高くなって物が豊かになって国民みんなの生活が変わった。国民みんなの喜びが変わった。国民みんなの作る国が変わった。今の国民みんなは昔の国民みんなが作った国を壊して新しい国を作っている。そうして今の国民みんなが幸福に暮らせる国にしている。
今ではみんなが“悪いことをされる喜び”なんかない。今では「もうこんな人生嫌だ」とか「死んでやる」とか思って自暴自棄になって捨て鉢[ばち]になった人が宗教団体や暴力団のところに行って殺されたり有り金全部取られたりする。今の人は宗教団体や暴力団にところに行かなくてもすむようにしっかりとまじめに生きていかねばならない。
[22765] 今の人は物を買って物を使って楽しんで政府の言うことを聞かないようにして生きていけばいい。
h28.5.21
人間の人生はその人間のものである。人間は自分の喜びを適切に満足して自分が幸福になるように生きていけばいい。
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)ほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、そのころの名残[なごり]で人間には“悪いことをされる喜び”がある。人間は本当は弱い生き物なのに、頭の力だけで急にのし上がって一番強い生き物になったから、今でも弱い生き物だったころの性質が残っているのである。そのひとつが“悪いことをされる喜び”である。昔幼児虐待が多かったのも親が子供の“悪いことをされる喜び”を満足して子供を喜ばせるためだったのだ。昔は本やオモチャがなかったので子供は親に虐められて喜ぶしかなかったのだ。今の不良の若夫婦が自分の子供を虐めるのは自分の“悪いことをする喜び”を満足するためであって、昔の親が自分の子供を喜ばせるために虐めていたのとはわけが違う。
昔(弥生時代から1965年ごろまで)の国民みんなは物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できず喜びに飢えていたのでしかたがなくあまり楽しくない“悪いことをされる喜び”を満足していた。しかも、昔の国民みんなは農耕生活をやっていて少し文明が高かったので、“悪いことをされる喜び”が野蛮で下品な喜びだと思っていて自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかった。そのため、昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を隠して満足していた。そのために、昔の国民みんなは政府を建てて、表で政府に民主主義の芝居をさせて「政府が民主主義の団体である」ことにして、裏で政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされていた。
反対に、今(1965年ごろからあと)の国民みんなは物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるようになったので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。そのために、今の国民みんなは「政府が民主主義の団体である」とするのをやめて、『政府が隠して悪いことをする団体である』ことを教えあって、政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされなくなっている。
今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないので、政府の言うことを聞かず政府に殺されたり虐められたりお金を取られたりしないようにして悪いことをされなければいい。今の国民は物を買って物を使って楽しめばいい。そうやって今の国民は自分の心を満足して幸福に暮らせばいい。
今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったので、政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされなくなっている。そのために政府が国民みんなからお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
時代が進んで文明が高くなると人間の満足する喜びが人間的になる。人間が動物的な喜びを満足するのをやめて人間的な喜びを満足するようになる。今の人間は性欲や“悪いことをされる喜び”や眼で見る喜びや心で思う喜びを満足してはいけない。今の人間は知る喜びや考える喜びを満足しないといけない。そうやって今の人間はより人間らしく生きていかねばならない。そうすれば人間は最も幸福に生きることができる。
人間はただ生きればいいのではない。人間は幸福に生きねばならない。そのために、道徳や哲学がある。人間が幸福に生きるためには動物的な喜びではなく人間的な喜びを満足しないといけない。昔の人は文明が低くて物が貧しくて物を使っていろんな喜びが満足できず喜びが足りなかったのでやむを得ず動物的な“悪いことをされる喜び”を満足していた。今の人は文明が高くて物を使って知る喜びや考える喜びが満足できるようになって喜びが十分あるので動物的な“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の人は昔の人よりも幸福である。今の人は今の幸福な暮らしを守るためにも現実について考えて現実を知って文明を維持しなければならない。みんなが今よりもっと幸福に暮らすことができるようにするために文明をさらに高めねばならない。
[22766] 人間は“未知のもの”を付け足して問題を解決する。 h28.5.21
正の数に“負の数”を付け足して無矛盾な数の体系が出来る。実数に“虚数”を付け足して無矛盾な数の体系が出来る。体[たい]に“類体”[るいたい]を付け足して無矛盾な体の体系が出来る。(類体は体の分数のようなものである。高木貞治[たかぎていじ]が発見した。私が21歳のころ九州大学教養部の図書館で毎日数学の本を借りて読んでいた。ほとんど1日1冊のペースで読んでいた。高木貞治の類体の本(『代数的整数論』)も2〜3日かけて意味もろくすっぽわからずに無理やり読んだ。)
古典力学に“電気”を付け足して無矛盾な物理の体系が出来る。古典物理学(古典力学と電磁気学からなる物理学)に“相対性原理”(すべての人間において法律が同じであるように、すべての物において物理法則は同じである。そういう意味では、政府の定めた法律は法律ではなく、国民みんなが定めた法律が本当の法律である。なぜなら、政府が定めた法律ではみんなが悪いことをやってはいけないことになっているが、それを守らねばならないのは一般の国民だけで、政府や宗教団体や暴力団や社長や蛮長やガキ大将などの“悪いことをする仕事をする者”は守らなくていいからである。一方、国民みんなが定めた法律では一般の国民は悪いことをやってはいけないが“悪いことをする仕事をする者”は悪いことをやってもいいことになっているから、みんなが同じ法律を守ることができるから、政府が定めた法律よりも国民みんなが定めた法律のほうが正しい法律なのである。)や“量子原理”(E=ne、エネルギーが量子化されていることから物は粒子と波の中間の量子状態で存在していることになる)を付け足して無矛盾な物理の体系が出来る。これが現代物理学である。
物理学に“感覚”を付け足して無矛盾な物理の体系が出来る。それが哲学である。そういう世界では人間が自分の感覚をどのように働かせれば幸福に生きていけるかがわかる。社会学に“悪いことをされる喜び”を付け足して無矛盾な体系が出来る。それが政府学である。そういう世界では国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の自由であり、国民が政府に自分の“悪いことをされる喜び”を満足されたくなければ政府の言うことを聞かなければいいことがわかる。
人間は既知[きち]の体系に“未知のもの”を付け足して世界を拡大してその中で問題を解決する。人間は“未知のもの”を付け足して実在を理解して実在の中で問題を解決する。人間にわからないことがあれば“未知のもの”を付け足してわかることにすればいい。そうやって人間はわからないことをわかることに変えて問題を解決すればいい。(h28.5.27追記:Google検索でわかったことだが、“悪いことをされる喜び”という言葉は日本の中では私しか使う者がいない。おそらく世界の中でも私しか使う者がいない。“悪いことをされる喜び”は私の発明だ。)
[22767] 今ではみんなが善いことをする仕事をするようになっている。☆ h28.5.22
人間の心に“悪いことをされる喜び”があるように、人間の心には”善いことをされる喜び”もある。人間の心に“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”があるように、人間の心には“身体を健康にしたり楽しいことをしたりお金を儲[もう]ける喜び”もある。
“悪いことをされる喜び”を満足するのが政府や宗教団体や暴力団や社長や番長やガキ大将であるように、“善いことをされる喜び”を満足するのが病院やアスレチッククラブやゲームセンターやパチンコ屋や遊園地やボーリング場やスーパーやコンビニや本屋やデパートや家電ショップやアマゾンや銀行や職場などである。つまり、“善いことをされる喜び”を満足するのは“悪いことをする仕事をする者”以外の国民みんなである。
昔の国民は文明が低くて物が貧しくて喜びが少なかったので“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったので、世の中には善いことをする仕事と悪いことをする仕事の両方があった。
今の国民は文明が高くて物が豊かで喜びがたくさんあるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなったので、世の中には善いことをする仕事だけがあればよく悪いことをする仕事は要らない。今では悪いことをする仕事をする者がいなくなって、みんなが善いことをする仕事をするようになっている。
昔の人は“善いことをされる喜び”が足りなかったから“悪いことをされる喜び”を足して補っていた。今の人は“善いことをされる喜び”が十分あるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の人はよく勉強や仕事をして今の文明を維持してさらに高めないといけない。
h28.5.25追記:国民みんなが善いことをする仕事をやっている。善いことをする仕事は国民みんなで間に合っている。政府は悪いことをする仕事をしているだけで善いことをする仕事をしていない。今の国民みんなは悪いことをする仕事が要らないから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。ただし、今の国にはまだ法律会社がない。政府が芝居で法律会社の真似[まね]ごとをやっているだけである。だから、国民みんなで早く本物の法律会社を建てねばならない。
[22768] 今の国民の多くは昔の国民みんながついた嘘[うそ]に騙[だま]されている。☆
h28.5.23
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、人間の心には“自分が殺されたり虐められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔ほかの動物よりも弱くてほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に暮らしていたから、今でもそのころの名残[なごり]で“悪いことをされる喜び”がある。
昔は国民みんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びに飢えていたので“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。しかも、昔の人は“悪いことをされる喜び”が野蛮で下品な喜びだと思っていて“悪いことをされる喜び”を露骨[ろこつ]に満足するのが恥ずかしかったので隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔は国民みんなが政府を建てて、表で政府に民主主義の芝居をさせて「政府が民主主義の団体である」ことにして、裏で政府の言うことを聞いて政府に国民みんなを殺したり虐めたり財産を取らせたりして悪いことをさせていた。
今は国民みんなが物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて喜びに満ち足りているので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今は国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足しないほうが幸福に生きることができるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために、今は国民みんなが表で「政府が民主主義の団体である」ことにしなくなって『政府が隠して国民に悪いことをする団体である』ことを教えあって、裏で政府の言うことを聞かないようにして政府に国民みんなを殺したり虐めたり財産を取らせたりしなくなっている。そのため、政府は国民みんなからお金を取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。昔の国民みんなが隠して政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていたように、今の国民みんなは隠して政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされなければいい。政府は昔も今も同じように表で民主主義の芝居をやっているが、裏では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
昔の国民みんなが「政府が民主主義の団体である」と嘘[うそ]をついて裏で密かに政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていたために、今の国民の多くは昔の国民みんなの嘘に騙[だま]されて「政府が民主主義の団体だ」と思って政府の言うことを聞いている。国民みんなが自分のついた嘘に自分が騙されている。本当は昔の国民みんなは『政府が隠して悪いことをする会社であり、政府と国民は平等であり、国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい』と考えて、自分が政府に悪いことをされたいから政府の言うことを聞いていた。反対に、今の国民みんなは喜びが十分あって“悪いことをされる喜び”を満足したくないから政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。国民みんなで早く正しいことをするようになって、政府を倒して、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
今でも人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。国民はふだんは“悪いことをされる喜び”を満足していないから“悪いことをされる喜び”がないが、ひとたび“悪いことをされる喜び”を満足すると“悪いことをされる喜び”がわかるようになる。国民が性欲を満足していないと性欲がわからないが、ひとたび性欲を満足すると性欲がわかるのと同じことである。国民が政府や宗教団体や暴力団や社長に引っかかって気持ちよく悪いことをされて“悪いことをされる喜び”に目覚[めざ]めると死ぬまでずっと“悪いことをされる喜び”を満足して生きるようになって政府や宗教団体や暴力団や社長の奴隷[どれい]にされる。国民が死ぬまでずっと政府や宗教団体や暴力団や社長に痛めつけられてお金を取られて喜ぶようになる。物のありがたみがわかっていない馬鹿が“悪いことをされる喜び”に嵌[はま]るのである。国民が“悪いことをされる喜び”を満足するかしないかは国民個人の自由である。だから、国民は自分で“悪いことをされる喜び”を満足しないようにして政府や宗教団体や暴力団や社長などの言うことを聞いてはいけない。そうやって、国民は自分で自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民にたくさん悪いことをする。政府は隠して国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために民主主義の団体のふりをするためにちょっと善いことをやるだけである。しかし、今の国民はもはや“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を倒しているのである。
政府は眼で見てもわかる会社ではない。政府は言葉で言ってはじめてわかる会社である。昔の国民みんなが隠して自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府を建てたので、政府は眼で見ると民主主義の団体に見えるように出来ている。テレビや新聞で見ると政府は民主主義の団体に見えるように出来ている。今の国民みんなは自分の眼先に騙されないようにして、頭で考えて政府のことを理解して正しく政府と対応しないといけない。昔の国民ですら頭で『政府が隠して悪いことをする会社である』と考えて政府と付き合っていた。だから、今の国民も頭で『政府が隠して悪いことをする会社である』と考えて政府と付き合わねばならない。
[22769] どうしてヨーロッパは戦争をやめたのか? h28.5.23
人間は自分が楽しいことをやって嫌いなことをしない生き物である。
昔のヨーロッパでは文明が低かったのでみんなが物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったので“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足していた。人間はずっと昔ほかの動物に殺されたり虐[いじ]められたり食べられたりして幸福に暮らしていたし、ほかの動物を狩って幸福に生きていたから、“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”がある。そのために、昔のヨーロッパではみんなが政府に悪いことをされていたし、みんなが戦争をやって殺しあっていた。
しかし、今のヨーロッパでは文明が高くなってみんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足できるようになったので“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなった。人間が“悪いことをされる喜び”を満足すると政府にお金を取られたり殺されたり虐められたりして物を使って喜べなくなるし、“戦争をする喜び”を満足すると戦争にお金が要ったり死んだりカタワになったりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなるので“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなった。そのために、今のヨーロッパではみんなが政府に悪いことをされなくなったし、みんなが戦争をやらなくなった。
人間は幸福に生きるものである。人間は自分が最も幸福になるように自分の喜びを満足して生きるものである。昔のヨーロッパでは文明が低くてみんなが物を使っていろんな喜びを満足できなくて“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足していたから、みんなが政府に悪いことをされたり戦争をしたりしていた。今のヨーロッパでは文明が高くてみんなが物を使っていろんな喜びを満足できるようになって“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなったから、みんなが政府に悪いことをされたり戦争をするのをやめた。つまり、今では文明が高くなって“悪いことをされる喜び”や“戦争をする喜び”が“物を使って満足されるいろんな喜び”に負けたから、みんなが物を使って便利に楽しく暮らして政府や戦争をやめたのだ。
人間は幸福に生きるものである。人間は自分が幸福になるように生きればいい。そのためには人間は自分の心をよく知って自分の心を正しく働かせねばならない。自分の喜びを正しく満足しないといけない。人間の脳は新しい大脳皮質のほうが古い大脳皮質よりも広くて発達しているから、人間にとっては性欲よりも考える喜びのほうが多いから、人間は考える喜びを満足して性欲を満足してはいけない。
[22770] 今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が要らない。
h28.5.24
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔ほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたので、今でもそんな喜びがあるのである。
昔の国民みんなは農耕生活をしていて文明が低くて物が貧しかったので物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったので“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったが、農耕生活をしていて文明が少し高かったので“悪いことをされる喜び”が人間にふさわしくない遅れた喜びだと思っていて“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかった。大人がマンガを読むと自分で子供っぽいと思って恥ずかしくて読めないのと同じである。だから、昔の国民みんなは隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。そのために、昔の国民みんなは国民みんなに悪いことをする政府を建てて、政府に民主主義の芝居をさせて嘘[うそ]で「政府が民主主義の団体だ」ということにして、本当は『政府が悪いことをする会社だ』と考えて政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされて喜んでいた。(寅[とら]さんが「男はつらいよ」と言っているのは、政府がいくら仕事とはいえいくら人々を喜ばせるためだとはいえ罪のない人々に悪いことをするのが心苦しいことを言っているのである。)
今の国民みんなは電化生活をしていて文明がかなり高くなったので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなった。むしろ満足してはいけなくなった。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために、今の国民みんなは「政府が民主主義の団体だ」と嘘をつくのをやめて『政府が悪いことをする会社だ』と正直に言って、政府の言うことを聞くのをやめて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりするのをやめている。政府は国民みんなからお金を取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。そもそも政府は国民のためにある。昔の国民みんなが自分を幸福にするために政府を建てたのである。国民が政府をどうしようが国民の勝手である。国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞き、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。国民が政府に悪いことをされたいかされたくないかは国民自身が決めればいい。昔の国民は物が貧しくて物を使って十分喜びが得られなかったから“悪いことをされる喜び”を満足しなければならなかったから政府に悪いことをされたかったから政府の言うことを聞いていた。今の国民は物が豊かで物を使って十分喜びがあるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくていいから政府に悪いことをされなくていいから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かず政府にお金を取らさず、浮いたお金で自分が好きなことをやって遊んで喜べばいいのである。今では国の文明が高くなって国民みんなが喜びを得る手段が進歩したから、国民みんなは政府に悪いことをされて喜ぶのをやめて物を使って喜べばいいのである。
テレビや新聞は昔も今も政府の民主主義の芝居を流している。昔は国民みんなが政府に隠して悪いことをされたかったからテレビや新聞が政府の民主主義の芝居を流すのはしかたがなかった。しかし、今は国民みんなが政府に隠して悪いことをされたくないからテレビや新聞が政府の民主主義の芝居を流す必要はない。テレビでは刑事ドラマのときに「番組の内容は実在とは一切関係がありません」とテロップを入れる。だから、テレビでは政府のニュースを流すときに「これは芝居であって実在とは関係がありません」とテロップを入れねばならない。そうやって視聴者に芝居と現実の違いに注意させねばならない。
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”が生み出した会社である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためには自分に悪いことをする者が必要だから、国民が自分に悪いことをする政府を建てたのである。しかし、今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、今の国民にとっては政府が要らなくなっている。今の国民が幸福に暮らすためには自分に悪いことをする政府が邪魔[じゃま]である。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を潰しているのである。
[22771] 今の国民は政府に悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かなければいい。
h28.5.24
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
昔の人は農耕生活をしていて文明が低かったので“悪いことをされる喜び”を満足したかったが満足するのが恥ずかしかった。そのため、昔の人は隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人は自分に悪いことをする政府を建てて、表で政府に民主主義の芝居をさせて嘘[うそ]で「政府が民主主義の団体である」ことにして、裏では『政府が悪いことをする会社だ』と考えて自分が政府に悪いことをされたいので政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされていた。
今の人は電化生活をして文明がかなり高くなったので物を使って十分な喜びが得られるようになったので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の人は自分が幸福であるために政府が要らなくなった。今の人は表で「政府が民主主義の団体である」ことにしなくなって正直に『政府が悪いことをする会社である』ことをみんなに教えて、『政府が悪いことをする会社だ』と考えて自分が政府に悪いことをされたくないので政府の言うことを聞かず政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりしなくなって悪いことをされなくなっている。
今でも多くの国民は「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府に国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。「政府が国の法律を決めることができる」と思って政府が定めた納税の義務の法律を守って毎月政府に高い税金を払っている。今でも多くの国民が昔の国民みんながついた嘘[うそ]に騙[だま]されている。人間には建前と本音[ほんね]がある。建前と本音は違う。昔の国民は本当は『政府が悪いことをする会社であり、国民と政府は平等であり、国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい』と考えて自分が政府に悪いことをされたかったので政府の言うことを聞いていた。だから、今の国民も同じように考えて自分が政府に悪いことをされたくないので政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払うのをやめて、浮いたお金で自分が楽しいことをやって遊べばいいのである。
国民の敵は政府ではなく、国民自身の政府に対する誤解である。国民がテレビや新聞や社会科の教科書を鵜呑[うの]みにして「政府が民主主義の団体だ」と思っているから政府に逆らえなくなっているのである。国民は『政府が国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社だ』と考えて『国民と政府は平等だから、国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされるか、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないかは国民個人の自由だ』と考えて自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいいのである。政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなければいいのである。政府を倒せばいいのである。国民は早く自分の政府に対する誤解を解いて、政府のことを正しく理解して、政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金を取らせるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[22772] どうして昭和40年ごろに誰もみんなに『今の国民は政府の言うことを聞かなくていい』ことを教えなかったのか?
h28.5.24
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって物を使って喜ぶようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。国民みんなが政府の言うことを聞く必要がなくなった。
そのころに、誰かがみんなに『今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくてもいい』ことを教えてくれればよかった。
しかし、そのころはまだ政府の言うことを聞く国民が多かったので、政府が政府の言うことを聞く者を使って国民に嫌がらせをすることができたので、みんなは政府の嫌がらせを警戒してみんなに本当のことを教えなかった。
そのため、国民みんなは自力で『自分が政府の言うことを聞かなくていい』ことを理解するしかなかったのである。
しかし、今では国民みんなが多かれ少なかれ『今では国民は政府の言うことを聞かなくてもいい』ことをわかっているから、今では政府の言うことを聞く者が少なくなっているから、今では政府が政府の言うことを聞く者を使って国民に嫌がらせをすることがほとんどできなくなっているから、国民はみんなに『政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社であり、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民は政府の言うことを聞かなくていい』ことを教えてもいいのである。
そもそも今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞いても幸福になれない。国民が政府の言うことを聞いても“悪いことをされる喜び”を満足できる以外には幸せになることがほとんどない。だから、今の国民はどんどん政府の言うことを聞かなくなっているのである。政府の言うことを聞く者がどんどん減っているのである。政府が政府の言うことを聞く者を使って国民に嫌がらせをすることがどんどんできなくなっているのである。だから、今の国民は政府を恐れなくていい。国民は政府のことを気にせずにみんなに本当のことをどんどん教えてやればいいのである。
[22773] 今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府が要らないから政府を倒している。
h28.5.25
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
昔の国民みんなは物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びに飢えていたから“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。しかも、昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”が人間にふさわしくない野蛮で下品な喜びだと思っていて自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかった。そのため、昔の国民みんなは隠して“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民みんなは自分に悪いことをする政府を建てて、表で政府に民主主義の芝居をさせて「政府が民主主義の団体である」ことにして、裏で政府に悪い命令を出させて政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされて喜んでいた。
今の国民みんなは物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて十分喜びがあるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足すると自分が貧乏になって殺されてカタワにされて物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのため、今の国民みんなは『政府の民主主義は芝居だ』『政府は本当は悪いことをする会社だ』と教えあって、政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりして悪いことをされないようにして政府を潰[つぶ]している。(少し前に政府が「みんな善い人」と言っていた。それは『政府が悪い人』つまり『政府が悪いことをする会社だ』という意味である。同じころにどこかの芸人が「はい喜んで」と言っていた。それは『国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいます』という意味である。今の政府も国民みんなに合わせてときどき国民みんなに正しいことを教えてくれているのだ。)
国は国民みんなのためにある。いつの時代でも国民みんなは自分が幸福に暮らせる国を作っている。昔の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していたから、政府を建てて政府に悪いことをされていた。反対に、今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府を潰して政府に悪いことをさせないようにしている。
今では国民みんなは『政府が悪いことをする会社だ』と考えて政府の言うことを聞かなくなって政府を倒している。それなのに、今でもテレビ局や新聞社などは「政府が民主主義の団体だ」という時代遅れの嘘[うそ]のニュースを流している。それはテレビ局や新聞社がもともと大した会社ではないからである。テレビ局や新聞社が見掛けだけ立派で中身がざっとした会社だからである。テレビ局や新聞社は正しいことを広めないくだらない会社である。国民みんなは『テレビ局や新聞社が馬鹿の溜[たま]り場だ』『テレビ局や新聞社は役立たずだ』と考えてテレビや新聞を見ないようにしないといけない。国民みんなは自分が見たい物だけを見てテレビや新聞を見ないようにしてテレビ局や新聞社を潰さねばならない。
[22774] 今の人は“悪いことをされる喜び”を満足していないために「政府が民主主義の団体だ」と思っている。☆
h28.5.25
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。(今の国民みんなはもはや“悪いことをされる喜び”を満足していないから“悪いことをされる喜び”を知覚で形式的にわかるしかない。どうしても“悪いことをされる喜び”が心でわかりたければ、どこかの宗教団体や暴力団に行って実際に悪いことをしてもらえばいい。ただし、あとで抜けられなくなっても私は知らない。)
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。しかも、昔の人は農耕生活をしていてそこそこ文明が高くて“悪いことをされる喜び”が動物臭い人間にふさわしくないかっこ悪い喜びだと思っていたから“悪いことをされる喜び”を満足するのが恥ずかしかった。そのため、昔の人は“悪いことをされる喜び”を隠して満足していた。昔の人は“隠して悪いことをする政府”を建てて、政府に民主主義の芝居をさせて「政府が民主主義の団体である」ことにして、政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされていた。
昔の人は“悪いことをされる喜び”を満足していたから『政府が悪いことをする会社である』ことがよくわかっていた。『政府の民主主義が芝居である』ことがよくわかっていた。昔の人は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。
今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して喜びが十分あって“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなっている。むしろ、今の人が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり殺されたりカタワにされたりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。ところが、今の人が“悪いことをされる喜び”を満足していないために、今の人は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れているので、今の人にとっては政府が何の会社なのかわからなくなっている。今の人は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思っている。今の人は「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府に国家権力があり国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府に従って政府に税金を払ったり政府に殺されたり虐められたりしている。
本当は、政府は隠して悪いことをする会社である。政府は国民みんなの眼の前で民主主義の芝居をして、国民みんなの眼の届かないところで国民を殺したり虐めたり財産を取ったりする会社である。政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府と国民は平等であり、国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされるか、政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないかは国民個人の自由である。
今の国民は物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していないので、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりしなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
今の国民は『政府が隠して悪いことをする会社である』ことをちゃんと理解して、『政府が隠して悪いことをする会社である』ことを思い出して、自分が政府に悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に税金を払ったり殺されたり虐められたりしなければいい。今の国民にとっては政府が要らないから早く政府を潰[つぶ]してしまえばいい。
国民みんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府を建てて、いつしか文明が高くなって国民みんなが“悪いことをされる喜び”を満足するのをやめて政府が何かがわからなくなって「政府が民主主義の団体だ」と誤解して、そのうち国民みんなが『政府が悪いことをする団体である』ことを思い出して『自分にとってもはや政府が要らない』ことがわかって政府を潰す。今の国民みんなは文明が高くなったせいで“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったせいで一時的に政府のことがわからなくなって戸惑[とまど]っているだけである。今の政府は国民みんなの無知や誤解で持っているだけである。今では国民みんなが自分勝手に政府のことを誤解して政府が生き残っているのである。国民みんなが賢明であれば、とっくの昔(昭和40年=1965年ごろ)に政府が国民みんなに倒されているはずである。国民みんなが悪い。人間は正しいことを知って正しいことをしないといけない。だから、国民みんなで早く政府のことを理解して政府を潰さないといけない。
今の国民みんなは物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の国民みんなにとっては政府が要らない。今の国民の多くは政府に対する無知や誤解のために政府の言うことを聞いているだけである。そのために政府が生き残って政府がみんなに悪いことをしてみんなを不幸にしている。だから、国民みんなで国民みんなに政府のことを教えてやらねばならない。国民みんなで早く政府の言うことを聞くのをやめて政府を倒して国民みんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。
要するに、政府は悪いことをする会社である。政府と国民は平等である。国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府に悪いことをされたかったから政府の言うことを聞いていた。反対に、今の国民は自分が幸福になるために自分の“悪いことをされる喜び”を満足してはいけないから政府に悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府の言うことを聞かず政府にお金(税金や法人税や医療保険費や厚生年金や消費税など)を取らさず政府を倒せばいい。
[22775] 政府は国民に悪いことをして国民を幸福にする会社である。 h28.5.26
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。国民は政府に悪いことをしてもらいたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをしてもらいたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔の国民は物が貧しくて喜びが足りなかったので“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得なければならなかった。昔の国民は政府に悪いことをしてもらいたかったので政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして幸福に暮らしていた。しかも、昔の国民は自分が“悪いことをされる喜び”を満足しているところを他人に見られるのが恥ずかしかったので、政府に民主主義の芝居をやってもらって自分が政府に悪いことをされているのを隠してもらっていた。(政府は本当は民主主義をやっておらず国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。政府は法律を定められないから、国民は政府が定めた法律を守らず国民みんなが定めた法律を守ればいい。つまり、政府や幕府が定めた掟[おきて]は法律ではなくただの嫌がらせである。国民は国民みんなが定めた法律は守らなければならないが、政府や幕府が定めた掟は守っても守らなくてもいいのである。政府や幕府が定めた掟は守りたい人だけが守ればいいのである。例えば、水戸黄門が水団[すいとん](小麦粉で作った団子[だんご])を食べてはいけないという掟を出したが、みんなは水団があまりにも美味[おい]しかったので掟を守らず水団を味噌汁に隠して食べた。それが法度汁[はっとじる]である。政府や幕府も国民みんなが定めた法律を守らねばならない。例えば、江戸時代の幕府は生類憐[しょうるいあわれ]みの令や身分制を定めたが国民みんなが反対した。だから、江戸時代の幕府は生類憐みの令や身分制をやれなかったのである。国民にとっては政府はただの悪いことをする会社であり、国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいいだけである。だから、国民は政府に税金を払う義務はない。政府に悪いことをされたい人が政府に税金を払えばよく、政府に悪いことをされたくない人は政府に税金を払わなくていいのである。)
今の国民は物が豊かになって喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の国民は政府に悪いことをしてもらいたくないので政府の言うことを聞かなくなって政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりしなくなって悪いことをされないようにして幸福に暮らしている。
昔の国民は貧乏だったので汚い“悪いことをされる喜び”を満足していた。今の国民は裕福なので汚い“悪いことをされる喜び”を満足しなくていい。今の国民は政府の世話になるのをやめて政府と縁を切ってきれいに暮らせばいい。
[22776] 政府が国民に悪いことをするのは仕事である。 h28.5.26
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。今の人は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから“悪いことをされる喜び”があることがわからないが、本来はある。テレパシーを使わない人にとってはテレパシーがあることがわからないのと同じである。
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。だから、政府に悪いことをされたい人は政府の言うことを聞けばよく、政府に悪いことをされたくない人は政府の言うことを聞かなければいい。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなかったから“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の人は政府に悪いことをされたかったから政府の言うことを聞いて政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされていた。
反対に、今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて喜びが十分あるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の人は政府に悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かず政府に殺されたり虐められたり財産を取られたりして悪いことをされなければいい。
そもそも国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民個人の勝手である。政府が国民に悪いことをするのは仕事である。国民は自分が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞けばよく、自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっているから政府の言うことを聞かなくなっている。政府は国民に悪いことができなくなってお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
以上が正しい政府についての理論である。
ところが、今は国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって、国民の多くが政府が何かがわからなくなって「政府が民主主義の団体だ」と思って世の中が混乱している。そのため、今では一部の悪い国民が政府についてのまちがった理論を作って国民みんなにまちがった理論を植え付けて世の中を乱そうとしている。世の中をメチャクチャにして自分が世の中を乗っ取ろうとしている。例えば、「政府が国民みんなを嘘[うそ]で騙[だま]してきた」とか「政府が国民みんなのためになることをやっているから、その報酬に悪いことをやっている」とか「みんなが自分の好き放題に悪いことがやれるから、政府が国民みんなに悪いことをやっている」とかいうまちがいを広めている。人間社会はいろんな決まりが組み合わさって出来ている。自分勝手にまちがった理論を作ると人間社会全部が崩れて国民みんなが生活できなくなる。国民みんなはまちがった政府についての理論を信じてはいけない。国民みんなは正しい政府についての理論を信じて正しいことをやって正しい世の中にすればいいのである。
[22777] 国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民が自分で決めればいい。☆☆
h28.5.26
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。つまり、人間の脳には自分が殺されたり虐められたり財産を取られたりすると快感を発生する中枢がある。人間の脳に自分がお腹[なか]がいっぱいになると満腹感を発生する中枢(満腹中枢)があるのと同じことである。人間はずっと昔ほかの動物に殺されたり虐められたり財産を取られたりして幸福に生きていたからそんな中枢があるのである。
政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民に悪いことを言うことが仕事である。政府は国民が政府に悪いことをされるために、国民に「税金を払え」とか「死ね」とか「不味[まず]い物を食え」とか言うのである。
国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞くのだから、国民が政府の言うことを聞こうが聞くまいが国民の自由である。国民が自分が幸福になるために自分のほうから政府の言うことを聞いているのだから、国民は自分の好きなように政府の言うことを聞けばいいのである。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になりたければ政府の言うことを聞けばよく、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になりたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民が自分の心と相談して自分で調節して決めればいい。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民が自分で決めればいい。国民が政府の言うことをどの程度聞くかは国民が自分で決めればいい。国民が政府の言うことをどのように聞くかは国民が自分で決めればいい。つまり、国民は自分が政府に悪いことをされたい分だけ政府の言うことを聞けばいいのである。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて欲求不満だったから喜びに飢えていたから自分の“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。昔の人は自分が好きな分だけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて快感を得ていた。ある人は政府の言うことを聞いて殺されて喜んだ。ある人は政府の言うことを聞いて政府に税金を払って喜んだ。ある人は政府の言うことを聞いて軽く悪いことをされるだけで政府に税金までもは払わなかった。ある人は政府の言うことを無視して喜んだ。国民が政府の言うことを聞くか聞かないか、どの程度聞くかは国民個人の自由だった。国民は政府の言うことを自分の好きなように聞けばよかった。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民はその中から自分で好きなことを選んで聞けばよかった。国民は国民みんなが決めた法律さえ守っていればあとは個人の自由だった。
反対に、今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて十分な喜びがあるので自分の“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の人は政府に悪いことをされてまで喜びを得なくてもよくなった。だから、今の人は政府の言うことをまったく聞かなくなった。そのために、政府は儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。今では政府のことがわからない者や政府のことを誤解している者が政府の言うことを聞いているだけである。たまに今でも自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞く者もいる。
江戸時代の一揆[いっき]は百姓が「自分が幕府の言うことを聞かねばならない」という誤解から起こった。フランス革命はフランス人が「自分が政府の言うことを聞かねばならない」という誤解から起こった。(フランス人がルソーの政府論に踊らされて起こしたのかもしれない。)本来は、江戸時代の百姓が幕府の言うことを聞かなければよかったのである。フランス人が政府の言うことを聞かなければよかったのである。いつでもどこでも馬鹿はいる。馬鹿が頭で考えずに世の中の理屈がわからずに暴れまわるのがいけないのである。江戸時代の百姓一揆は東北の農民が馬鹿である証拠である。フランス革命はフランス人が馬鹿である証拠である。
政府は国民を喜ばせるために悪いことを言っているだけだから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由だから、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していなくて政府に悪いことをされるのが嫌だから、今の国民が政府の言うことを聞いているのが悪い。政府が悪いのではなく政府の言うことを聞いている国民が悪い。今の国民は自分で自分を不幸にしているから国民が悪い。だから、今の国民はさっそく政府の言うことを聞くのをやめて自分で自分を不幸にするのをやめて幸福にならねばならない。
せっかく文明が高くなってみんなが物が豊かになって新しい時代になったんだから、みんながこれまでと同じことをやっていてはいけない。みんなが自分を幸福にするためにこれまでと違うことをやらないといけない。みんなが政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされないようにして自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22778] 政府は人間の“悪いことをされる喜び”を満足するための装置である。
h28.5.27
政府は昔の国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために作った装置である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「頭を使うな!ゲームをしろ!マンガを読め!」とか悪いことを言うから、国民が政府の言うことを聞けば政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”が満足されて自分が幸福になれるのである。おまけに、昔の国民は自分が政府に悪いことをされるのを他人に見られるのが恥ずかしかったから、政府には民主主義の芝居をやって国民が政府に悪いことをされているのを隠す機能が付いている。
つまり、政府は昔の国民が自分の“悪いことをされる喜び”を他人に知られずに密[ひそ]かに満足するために作った自動快楽装置なのである。(『マインクラフト』の自動作物育成回収装置のようなものである。)
昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府のことがよくわかっていて政府を正しく使っていた。
しかし、今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府のことがわからなくなって「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府の尻[しり]に敷かれている。国民は「自分が政府の言うことを聞かねばならない」と思っていやいやしかたなく政府が悪いことを言うのを聞いて政府に不幸にされている。今の国民は自分が政府を使うのではなく、逆に自分が政府に使われている。
今の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないから最初から政府を使わなければいいのである。今の国民は政府の言うことを全部無視して政府の言うことを聞かないようにして自分が政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。
昔の国民は物が貧しかったから“悪いことをされる喜び”を満足する遊びをやって喜んでいた。今の国民は物が豊かだから物を使って喜んで“悪いことをされる喜び”を満足して遊ばなければいいのである。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
今の国民が政府のことを誤解しているのは、今の国民が馬鹿だからではなく、今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったからである。昔の国民が政府のことを正しくわかっていたのは、昔の国民が利口だったからではなく、昔の国民が“悪いことをされる喜び”を満足していたかだらである。今の国民も昔の国民も頭の出来は同じである。今の国民と昔の国民は満足している喜びが違うから政府の見え方が違うのである。今の国民は『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えて政府のことを正しく理解して『今の自分にとって政府は要らないから自分は政府を使わなければいい』と思って政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金を取らせるのをやめて幸福に暮らさねばならない。
政府は昔も今も同じことをやっている。しかし、昔の国民と今の国民は満足している喜びが違うので政府に対する見方が違う。昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していたから『政府が悪いことをする会社だ』と正しくわかっていて自分で政府の言うことをほどよく聞いて幸福に暮らしていた。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「自分が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民は『人間に“悪いことをされる喜び”がある』ことを忘れているから政府を誤解しているのである。そもそも『政府は悪いことをする会社である。』政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になりたければ、自分で政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいいのである。昔の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していたから政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らさねばならない。
今の人は“悪いことをされる喜び”を忘れているから政府のことがわからなくなっている。そのために、今の人は「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて不幸に暮らさねばならなくなっている。本当は『政府は悪いことをする会社』であり、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいいのである。それと同じように、今の人は“感覚”(つまり“自分が感じる”という概念)を忘れているから道徳がわからなくなっている。そのために、今の人は「眼で見て心で思って性欲を満足して頭で考えないことが幸福だ」と誤解して不幸に暮らさねばならなくなっている。本当は『人間にとっては考えることが幸福』であり、人間は自分でいろんなことを考えて幸福に暮らせばいいのである。今では文明が高くなって物が豊かになったかわりにいろんなことが忘れられている。大事なことも忘れられている。人間は幸福に生きねばならない。物が豊かになったためにかえって不幸になってはいけない。人間は自分が幸福に生きるためなら物が貧しくてもいい。人間は自分が幸福に生きるために文明を高めて物を豊かにしないといけないのだ。
[22779] 国民は自分が好きな分だけ政府の言うことを聞けばいい。☆ h28.5.28
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞くのだから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民が自分で好き勝手に決めればいいのである。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「自動車や列車に飛び込め!」とか悪いことを言うから、国民は自分が政府に悪いことをされたい分だけ政府の言うことを聞けばいいのである。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びに飢えていたから“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は思いっきり”悪いことをされる喜び”を満足していたから、なんでもかんでも政府の言うことを聞いて政府に殺されたりカタワにされたりありったけ財産を取られたりしていた。
しかし、今の国民は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して喜びにうんざりしているから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、まったく政府の言うことを聞かなくなって政府に何もされなくなっている。政府は国民からお金を取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
昔(今から約15年ぐらい前)テレビ朝日で「自分が好きなだけお金を払えばいい旅館」の話をしていた。つまり、国民は昔から自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいいのである。国民は自分が好きなだけ政府に税金を払えばいいのである。それが国民にとっての政府との正しい付き合い方なのである。国民が自分が好きなだけ神社にお賽銭[さいせん]をあげればいいのと同じである。今の国民は自分が政府に悪いことをされたくなければ政府の言うことをいっさい聞かなければいいのである。そうやって今の国民は政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。(昔(今から約15年ぐらい前)テレビ朝日で(土曜日の夕方6時ごろ?のドキュメンタリー番組で)「客に殴[なぐ]られて1万円もらう仕事」の話をやっていた。つまり、政府は国民に悪いことをしてお金をもらう仕事である。政府は殴られ屋ではなく殴り屋である。政府は旅館ではなく政府である。テレビ局はいつもずらしたり反対に言ったりする。これでは聞くほうが何を言っているのかわからない。テレビ局は事実そのままを言わねばならない。)
h28.5.31追記:国民が政府に悪いことをされるかされないかは国民個人の自由である。そもそも政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために言うことを聞くものである。政府は国民が他人の“悪いことをされる喜び”を満足するために言うことを聞くものではない。だから、国民は政府の言うことを聞いて自分自身に悪いことをしてもいいだけであって、国民が政府の言うことを聞いて他人に悪いことをしてはいけない。国民が政府に悪いことをされたければ政府の言うことを聞いて自分に対してだけ悪いことをやって他人に悪いことをやって他人に迷惑をかけてはいけない。国民が政府の言うことを聞いて他人に悪いことをやった場合には、政府と国民の両方が悪い。国民に「他人に悪いことをしろ!」と言った政府が悪いし、実際に政府の言うことを聞いて他人に悪いことをした国民も悪い。オウム真理教地下鉄サリン事件のとき、信者に「他人を殺せ!」と言った宗教団体が悪いし、実際に宗教団体の言うこと聞いて他人を殺した信者の両方が悪いとされたのと同じことである。
[22780] 今の国民は「政府が民主主義の団体だ」と誤解しているために政府の言うことを聞いている。☆☆
h28.5.28
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔弱い動物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、そのころの名残[なごり]で人間には“悪いことをされる喜び”がある。
政府は国民に悪いことをして国民の“悪いことをされる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞くのだから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が好きなように政府の言うことを聞けばいい。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「性欲を満足しろ!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいいのである。おまけに政府は民主主義の芝居をやって国民が政府に悪いことをされるのを隠して国民が人間としてのプライドを傷つけられないようにしてくれている。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなくて“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いていた。昔の国民は政府のことがよくわかっていて政府を正しく利用して幸福に暮らしていた。
しかし、今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。そのために、今の国民は政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸になっている。
今の国民は自分勝手に政府のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。今の国民は馬鹿である。今の国民は『人間の心には“悪いことをされる喜び”がある』と考えて、『政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になるためにある会社であり、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞けばいい』と考えて、『今の自分は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に悪いことをされたくないから政府の言うことを聞かなければいい』と考えて政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。今の国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府はただの要らない会社である。国民みんなで早く政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らさねばならない。
[22781] 今の社員は「社長が立派な人だ」と誤解しているために社長の言うことを聞いている。
h28.5.28
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。
会社の社長は社員に悪いことをして社員の“悪いことをされる喜び”を満足して社員を幸福にする人である。社長は社員が自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるためにあるから、社員は自分が好きなだけ社長の言うことを聞けばいい。社長は社員に「稼[かせ]ぎをよこせ!」とか「首だ!」とか「上の者を敬[うやま]え!」とか悪いことを言うから、社員は自分が好きなだけ社長の言うことを聞けばいい(本当は社長と社員は平等だから、社長が自分を「上の者」と言っているのは嘘[うそ]だから、社長はまちがった人間観を社員に植えつけているから社長は悪いことを言っているのである)。おまけに社長は社員の前で善い人のふりをして社員が自分に悪いことをされているのを隠して社員のプライドを損ねないようにしてくれている。要するに、社長は会社の中の政府である。社長は社員の“悪いことをされる喜び”を満足する人である。
昔の社員は物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから、社長のことがよくわかっていて、会社の中で自分が好きなだけ社長の言うことを聞いて幸福に暮らしていた。昔の社員は自分の家計が苦しいときには社長が「稼ぎをよこせ!」と言うのを断って社長に自分の稼ぎを取らせないようにして豊かに暮らしていた。
今の社員は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったから、社長のことがわからなくなって、社長の善い人の芝居を真[ま]に受けて「社長は善い人だから偉いから社員全員が社長の言うことを聞かねばならない」と思い込んで社長の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸になっている。会社に通うのが嫌になって会社を辞[や]めている。
今の社員は自分勝手に社長のことを誤解して自分で自分を不幸にしている。今の社員は馬鹿である。社員は『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えて『社長は社員が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるから自分が好きなだけ社長の言うことを聞けばいい』と考えて『自分は“悪いことをされる喜び”を満足していないから社長の言うことを聞かなければいい』と考えて社長の言うことを聞くのをやめて社長に自分の稼ぎを取らせるのをやめて社長を倒せばいいのである。社員みんなで早く社長の言うことを聞くのをやめて会社から社長をなくして自分が社長に悪いことをされないようにして幸福に暮らさねばならない。今の社員みんなは“悪いことをされる喜び”を満足していないから、社長はただの要らない人である。早く社員みんなで会社から鬱陶[うっとう]しい社長をなくして社員みんなで和気あいあいにやればいい。
[22782] 二度と政府のようなことがあってはいけない。 h28.5.29
この度[たび]は文明が進んだためにみんなの満足する喜びが変わってみんなの心が変わってみんなにとって政府が何のためにあるのかわからなくなってみんなが「政府が民主主義の団体だ」と誤解してみんなが政府の言うことをなんでもかんでも聞くようになってみんなが不幸になりかけた。
将来これと似たことがまた起こるかもしれない。文明がさらに進んでみんなの満足する喜びが変わってみんなの心が変わったためにこれまでみんながわかっていた物がわからなくなってみんながその物を誤解してみんなが大騒動になったりすることがあるかもしれない。(残念ながら、なかなかいい例が思いつかない。昔とんねるずが『近未来警察072[きんみらいぽりすぜろななに]』というコントをやっていたのはこのことだ。たしかジュースのビンの王冠[おうかん]を宇宙人の通信装置かなにかと誤解して騒動になる話があった。私が小学生のころは(今から約40年前)ビンのファンタとかペプシとかを店先で栓抜きで王冠を開けて飲んだものだ。アジア12カ国の王冠を集めて遊んだものだ。つまり、『近未来警察072』は今の国民が文明が進んで政府のことがわからなくなって政府のことを誤解しておかしなことをやっていることを言っているのだ。オーパーツとかもその類[たぐい]だろう。例えば、ナスカの地上絵が何のために描かれたのか今ではわからない。ピラミッドも何のために作られたのか正確にはわからない。)
そのためにも歴史の研究は大事である。みんなは常日頃[つねひごろ]自分が何の喜びを満足するためにその物を利用しているかを考えてそれを記録しておかねばならない。そうすれば将来みんなの喜びが変わったときに何のためにあるのかわからなくなった物が現れた場合に理解の助けになるだろう。人類の救いになるだろう。
[22783] 今の国民は自分で政府の言うことを聞かないようにして幸福に暮らせばいい。
h28.5.30
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。人間はずっと昔(数万年前)弱かったからほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、“悪いことをされる喜び”がある。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから“悪いことをされる喜び”がなくなっているが、本来はあるのである。
政府は国民に悪いことを言う会社である。国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて、自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「自分の見栄[みば]えをよくしろ!」とか言うから、国民は自分の好きなように政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいいのである。おまけに政府はわざわざ民主主義の芝居をやって、国民が政府に悪いことをされているのを隠してくれて国民に恥ずかしい思いをさせないようにしてくれている。
昔(1965年ごろ以前)の国民は文明が低くて物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びが足りなくて“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。そのため、昔の国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
今(1965年ごろ以後)の国民は文明が高くて物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足できて喜びが十分あるので“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得なくてもよくなった。むしろ、今の国民が“悪いことをされる喜び”を満足すると自分がお金がなくなったり殺されたりカタワになったりして物を使っていろんな喜びを満足できなくなって喜びが減るので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされなければいい。
今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて自分で自分を不幸にしている。今の国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府を誤解しているのである。だから、今の国民は自分で『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えればいい。今の国民は自分で『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えて『政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社だ』と考えて『今の自分は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい』と考えて政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は政府に「税金を払え!」と言われても無視して政府に税金を払わなければいい。そうやって、今の国民は政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。
そもそも大勢の国民が少数の政府に従うのが謎だった。私は今から約8年前にそんなことを考えたが、当時の私には原因がわからなかった。『人間に“悪いことをされる喜び”がある』と考えれば謎が解ける。昔の国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていたのである。だから、昔の政府には権力(命令力)があったのである。しかし、今では国民が“悪いことをされる喜び”を満足していないからもはや国民は政府の言うことを聞く必要がない。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。
問題なのは国民の政府に対する態度だ。国民が政府をいくら怒ってもしかたがない。政府は政府をやっているだけだ。悪いのは国民だ。政府のことを誤解している国民がいけないのだ。国民は早く政府のことを正しく理解して政府と正しく応対できるようにならねばならない。国民は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と考えて『今の自分は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなくていい』と考えて政府の言うことを聞かず政府にお金を取らさないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
国民の多くは毎日テレビや新聞で政府の民主主義の芝居を見ているから「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従っているのだ。人間は毎日まちがったことを勉強しているとまちがいを信じてしまうということだ。だから、国民はテレビや新聞で政府の記事を見てはいけない。国民は政府の民主主義の芝居を見てはいけない。国民はテレビや新聞を見すぎてはいけない。国民は正しいことを勉強してまちがったことを勉強してはいけない。
[22784] これまでは『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていない馬鹿によって政府が支えられていた。
h28.5.30
そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社であり、国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされるか政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないかは国民個人の自由である。国民は自分の好きなように政府の言うことを聞けばいい。
今の国民は物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい。だから、今の政府は国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
これまで『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていない馬鹿が政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府が生き残っていただけである。しかし、最近は国民みんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているようになって『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知らない馬鹿が減って政府がますます潰れている。政府はもうおしまいだ。そのうち朝のニュースで『政府が潰れた』と言うだろう。国民みんなは当然のことだと思っていつもと同じように仕事や勉強に出かけるだろう。
世界が平和であるか戦争であるかは世界中のみんなで決めることである。会議で決められることではない。世界が平和であるかないかは世界中のみんなの意思で決まることである。政府は茶番で平和会議をやっているだけである。政府は国民に悪いことを言って国民が自分の好きなように政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされることができるだけだから、政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにあるだけだから、政府は社会を平和にすることなんかとうていできないのである。平和であるかどうか戦争をするかしないかは国民が決めることであって政府が決めることではない。世界中のみんなが物が豊かになって“戦争をする喜び”を満足しなくなれば戦争はなくなる。今では世界中のみんなが物が豊かだから戦争は起こらない。一般に、世の中のことはなんでもかんでもみんなで決めることである。一部の者の話し合いで決められることではない。みんなの心が社会を決める。みんながどんな喜びを満足するかしないかによって社会が決まるのである。だから、みんなは自分が幸福に暮らせるように自分の心を満足しないといけない。みんなは自分の心を下手糞[へたくそ]に満足して自分で自分を不幸にしてはいけない。
[22785] 今の政府は民主主義の芝居で持っているだけである。 h28.5.31
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことを言って、国民が自分の好きなように政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいい会社である。政府は国民が政府に悪いことをされているのを隠すために表で民主主義の芝居をやっている。
今では国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。今では政府の本体は滅んでいる。
今の政府は民主主義の芝居で持っているだけである。今では政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けた国民が「政府が民主主義の団体だから政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思って政府に従っているだけである。今では政府の民主主義の芝居を真に受けた国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて不幸になっている。
しかし、本当は政府の民主主義は芝居である。政府は芝居で民主主義をやっている。政府は表で民主主義の団体の芝居をやっているのであって、本当は民主主義の団体をやっているのではない。政府の首相は“首相の芝居をやっている人”であって、本当は首相ではない。つまり、政府の首相は首相ではなく“首相の芝居をしている人”なのである。政府は民主主義の団体ではなく、“民主主義の芝居をやっている団体”なのである。政府は民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がないから、国民は政府に従わなくていい。
政府は民主主義の芝居をやっている悪いことをする会社である。悪いことをする会社が卵の中身で、民主主義の芝居が卵の殻[から]のようなものである。今ではすでに政府の本体は潰[つぶ]れている。政府は民主主義の芝居で生き残っている。国民の多くは政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従っている。国民みんなは『政府の民主主義が芝居だ』と考えて『政府が民主主義の団体ではない』『政府に国家権力がない』と考えて政府に従わないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいい。国民みんなは政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
今から約20年前私が九州大学理学部学生だったころ教養部で英語の講義を受けた。そのときにアメリカの短編小説を読んだ。「イタズラ小僧たちが空き家に忍び込んで空き家の中を壊して空っぽにして最後に家の壁を自動車に引っ張らせて倒して家を壊す」話だった(残念ながら作者もタイトルも忘れた)。ここでのイタズラ小僧たちが国民のことであり、空き家が政府のことであり、家の中身が悪いことをする団体であり、家の壁が民主主義の芝居をする団体のことである。ここでの自動車が私のことだとすれば出来すぎである(自動車←car←カー←カア←カブ(ア≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)。(ほかに「太った男が自分が賭け事に勝つために船から海に飛び込んで船を遅らせようとして船のみんなに無視されて溺[おぼ]れ死ぬ話」も読んだ。船は国のことで、太った男は政治家つまり政府のことである。政府は悪いことをする会社なので、国民にまちがった道徳を教えて国の文化を遅らせている。国民は政府の言うことを聞いて国の文化を遅らせて不幸に暮らさねばならなくなっている。国民は早く政府の言うことを聞かなくなって国の文化を進めて幸福に暮らさねばならない。文学とはイソップ童話のように事実を素[もと]にして空想力で面白い喩[たと]え話を作り上げることである。文学の素になる事実は政府のことでなくても何でもいい。人間が文学を読んでも素の事実はわからない。あらかじめ素の事実を知っている者が文学を読んではじめて意味がわかるのだ。文学とはそういうものだ。)
しかし、これではかえって理解しづらい。文学は面白本位なので理解に向いていない。やはり、これまで私が考えたように『政府はそもそも国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社であり、国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために自分が好きなように政府の言うことを聞けばいいのであり、政府は国民が政府に悪いことをされているのを他人に見られて恥ずかしがらずにすむように民主主義の芝居をして国民が政府に悪いことをされているのを隠してくれているのであり、今の国民は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなければいい』と考えたほうがわかりやすい。とにかく、今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。

[22786] 今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされず幸福に暮らせばいい。
h28.5.31
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、人間の脳には“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりすると快感を発生する中枢”がある。人間はそもそも弱い動物である。人間はずっと昔弱い動物でほかの動物に殺されたり虐められたり食べられたりして幸福に生きていたから、今でもそのころの名残[なごり]でそんな喜びがあるのである。政府論とはつまり“悪いことをされる喜び”論にほかならない。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「他人を殺せ!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。(そもそも国民が政府に悪いことをされるかされないかは国民個人の自由である。国民が政府に悪いことをされるかされないかは国民が自分で決めることである。だから、国民は政府の言うことを聞いて自分に悪いことをするのはいいが他人に悪いことをするのはいけない。だから、国民は政府が「他人を殺せ!」などと言うのを聞いて他人に悪いことをしてはいけない。)おまけに政府は民主主義の芝居をやって国民が政府に悪いことをされているのを他人に見られないようにしてくれているから国民にとっては安心である。
昔の国民は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて喜びに飢えていたから“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の国民は政府の言うことをたくさん聞いて政府にたくさん悪いことをされてたくさん“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になっていた。
今の国民は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足して喜びが十分あるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされず幸福に暮らせばいいのである。
それなのに、今の国民の多くはいまだに政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。今の国民の多くは自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府に国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて政府に不幸にされている。
今の国民みんなは早く政府のことを正しく理解して政府の言うことを聞かなくなって幸福に暮らさねばならない。政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。
[22787] どうしてテレビ局は『政府が悪いことをする会社である』ことを放送しないのか?
h28.6.1
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「テレビを見ろ!」とか悪いことを言うから、国民は自分で好きなだけ政府の言うことを聞いて自分自身に悪いことをしてつまり政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になればいいのである。政府は国民が自分が政府に悪いことをされているところを他人に見られて恥ずかしい思いをしなくてすむように民主主義の芝居をして国民が政府に悪いことをされているのを隠してくれている。人間は頭で見られても恥ずかしくないが眼で見られると恥ずかしいので、政府は民主主義の芝居をやって自分が国民に悪いことをする会社でないふりをして眼先では国民が政府に悪いことをされていないように見せかけて国民に恥ずかしい思いをさせないようにしている。国民は政府の言うことを聞いて自分自身に悪いことができるだけで他人に悪いことができないから、国民は他人に悪いことをされる心配をせずに安心して自分がいいだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされることができる。(政府は国民に悪いことをするために「テレビを見ろ!」と言う。つまり、政府は国民にテレビを見させるために、会社や学校でテレビ番組の話をすると人気者になるとかテレビを見ていない者はみんなの仲間はずれにされるとか日本人はみんなプロ野球中継を見てどこかの球団のファンでなければならないとかいった習慣を流行[はや]らせて国民をテレビ漬[づ]けにしようとする。政府は国民に悪いことをするために「テレビを見ろ!」と言うから、テレビ局は政府を応援している。そのために、テレビ局は政府にとって不利な情報を流さないのである。テレビ局は政府の民主主義の芝居だけ流して国民に『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを教えないのである。政府は国民に悪いことをするためにテレビ局を使って面白くない番組や道徳のない番組を作らせている。しかし、最近は国民がゲームやコンピューターをやってテレビをあまり見ないので、政府がいくら国民に「テレビを見ろ!」と言っても効かなくなっているから、テレビ局も政府の応援をするのをやめて政府について本当のことを言うようになっている。テレビ局は政府の言うことを聞くのをやめて面白い番組や道徳のある番組を作るようになっている。…私が生まれ育った高知市では民放は2局しかなかったし(現在は3局になっている)朝から晩まで老人向けのつまらない放送ばかり流していたから子供のころの私はあまりテレビを見なかった。子供のころの私はいつも外で遊んでばかりいた。だから、私は今でもあまりテレビを見ないのだ。私は政府の民主主義の芝居をあまり見ていない。だから、私は政府について本当のことがわかったのだ。)
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなくて喜びに飢えていたから“悪いことをされる喜び”を満足していた。昔の人はたくさん政府の言うことを聞いて政府にたくさん悪いことをされてたくさん自分の“悪いことをされる喜び”を満足してたくさん幸福になっていた。
反対に、今の人は物が豊かで物を使っていろんな喜びを満足することができて喜びが十分あるから“悪いことをされる喜び”を満足していない。今の人は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされず自分が政府に不幸にされないようにして幸福に暮らせばいい。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことをするためにいろんな会社と組んでいる。会社が政府の言うことを聞いて悪い物を作る代わりに政府が国民に「その会社の物を買え!」と言ってその会社を有利にする。しかし、最近の国民は『政府が民主主義の団体ではない』ことを知っているようになって政府に従わなくなっている。最近の国民は『政府が国民に悪いことをする会社である』ことを知って自分が政府に悪いことをされたくないと思って政府の言うことを聞かなくなっている。最近の国民は“政府と組んでいる会社の物”を買うと自分が不幸になると思って買わなくなっている。今の国民みんなを不幸にしている大本[おおもと]は政府である。早く国民みんなで政府の言うことを聞かなくなって政府にお金を取らさなくなって政府を倒して政府に不幸にされないようにして幸福に暮らさねばならない。会社が自分の金儲[もう]けのために動くから、結局国民みんなに嫌われて潰[つぶ]されるのである。会社が国民みんなの幸福のために動けば、最後には国民みんなに人気が出て儲かるのである。人間は眼先のお金に釣られて浅はかなまねをしてはいけない。人間は眼で見えないこと(つまり国民みんなの幸福)がわからなければならない。
テレビ局は自分のお金が儲かることをやっているだけである。テレビ局にとっては国民みんなの幸福よりも自分ひとりのお金儲けのほうが大事なのである。国民はテレビ局のお金儲けのためにテレビを見ているだけである。国民はもうテレビなんか見ないほうがいい。昭和40年=1965年ごろに国民みんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっても政府が自分で潰れなかったのも、政府が自分のお金儲けしか考えていないからである。人間はお金がないと生きていけないから政府が突然儲からなくなったら政府が死なねばならないから政府が自分が生き残るために自分のお金儲けのことを考えるのもしかたがない。しかし、だからと言って政府が自分のお金儲けのために国民みんなを不幸にしてもいいわけではない。政府は国民みんなの幸福のために自分で潰れてくれないから、国民みんなは自分でしっかりして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを理解して今の自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにしないといけない。国民みんなは自分の幸福のために政府に税金を取らせないようにして政府を倒さねばならない。
政府は国民に「会社の物を買え!」と言って会社を推[お]すかわりに会社に「悪い物を作れ!」と言って会社に悪い物を作らせる。ところが、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府に悪いことをされるのが嫌だから、結局会社の物は売れなくなって会社が潰れる。政府は悪いことをする会社だから、会社に対しても悪いことをする。政府は会社に儲かると思わせて最後には会社を潰す。国民が自分の好き勝手に政府の言うことを聞けばいいように、会社も自分の好き勝手に政府の言うことを聞けばいい。今の会社は今の国民と同じく“悪いことをされる喜び”がないから、会社は自分が幸福になりたければ政府の言うことを聞いてはいけない。今の会社は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないようにして幸福に経営しなければいけない。
昔の財閥が大きい会社だったのは、財閥が“悪いことをされる喜び”を満足していなくて政府の言うことを聞かなかったからかもしれない。財閥が政府に悪いことをされるのが嫌で政府の言うことを聞かずに善い物を作ったから物がよく売れて大きい会社になったのだ。政府の言うことを聞かない会社ほど成長したのだ。政府は悪いことをする会社である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府の言うことを聞けば聞くほど政府に悪いことをされて自分が不幸になる。今では政府の言うことを聞かない国民ほど幸福に暮らしている。今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らさねばならない。
[22788] 政府は国民みんなに悪いことを言う会社である。 h28.6.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「エロ本を読め!」などと悪いことを言うから、国民が自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。おまけに政府は民主主義の芝居をして国民が政府に悪いことをされているのを隠してくれているから、国民は恥ずかしがらずに政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいいのである。
昔の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足できなくて”悪いことをされる喜び”を満足していたから、たくさん政府の言うことを聞いてたくさん政府に悪いことをされて幸福になっていた。
今の人は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもいいから、政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らせばいい。
今の人の多くは政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があり国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸になっている。国民の多くは早く政府のことを正しく理解して政府の言うことを聞くのをやめて政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らさねばならない。国民みんなで早く政府を潰[つぶ]して国民みんなに悪いことを言う会社をなくして、国民みんなで善いことを言って善いことをやって幸福に暮らさねばならない。
政府は悪いことをする会社だから、性欲を満足するのは悪いことだから、政府は国民みんなに「性欲を満足しろ!」と言う。国民みんなが政府の言うことを聞いて性欲を満足すれば、日本は国民みんなが性欲を満足する国になるが、国民みんなが不幸になる。いくら国民みんなが性欲を満足しても国民みんなが幸福になれるわけではなく国民みんなが不幸になるだけである。人間が幸福になれるかなれないかは人間の脳の構造で客観的に決まるのであって、みんながやっているかやっていないかで決まるのではない。(ヨーロッパ人が性欲で幸福になれるのはヨーロッパ人の大脳が古皮質のほうが新皮質よりも発達しているからであって、日本人は反対に大脳が新皮質のほうが古皮質よりも発達しているから日本人は性欲で幸福になれないのである。日本人は知覚欲(つまり考える喜び)で幸福になるしかないのである。ヨーロッパ人と日本人では脳の出来が違うから、ヨーロッパ人は性欲で幸福になれるが日本人は性欲で幸福になれないのである。)だから、国民は自分が政府の言うことを聞くか聞かないか自分でよく考えねばならない。国民は自分が幸福になる場合にだけ政府の言うことを聞いて、自分が不幸になる場合には政府の言うことを聞いてはいけない。昔は国民みんなが物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していて、政府は悪いことを言う会社だから、国民は自分でよく考えて自分が好きなだけ政府の言うことを聞いていた。今は国民みんなが物が豊かで“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府は悪いことを言う会社だから、国民は政府の言うことをいっさい聞かなければいい。今の国民にとっては政府が要らないから、国民は政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。早く国民みんなで政府を潰して、国民みんなに悪いことを教える会社をなくして、国民みんなで善いことを教えあって善いことをしあって国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
政府は悪いことをする会社だから、格好[かっこう]をつけるのは悪いことだから、政府は国民みんなに「格好を付けろ!」と言う。人間が格好をつけても幸福になれるわけがない。人間が幸福になるためには格好をつけないようにしないといけない。人間が幸福になるためには見掛けにとらわれないようにして本質を見ないといけない。今度の政府の件でもよくわかった。政府は反面教師である。今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから、政府が言うことと反対のことをやれば幸福になれる。例えば、政府は「医者を有利にしろ!」と言うから、国民みんなが医者を不利にすれば幸福になれる。政府は「女を有利にしろ!」と言うから、国民みんなが女を不利にすれば幸福になれる。政府は「老人を有利にしろ!」と言うから、国民みんなが老人を不利にすれば幸福になれる。国民みんなで政府が言うのと反対の国を作って幸福に暮らさねばならない。昭和40年=1965年から今までの約50年間国民みんなは政府の言うことを聞いて国民みんなが不幸に暮らさねばならない悪い国にしてきた。今後は国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして国民みんなが幸福に暮らせる善い国にしないといけない。
h28.6.4追記:日本人の脳とヨーロッパ人の脳は違う。日本人は大脳の新皮質が発達している。反対に、ヨーロッパ人は大脳の古皮質が発達している。日本人は頭で考えることが好きだが、ヨーロッパ人は眼で見ることや性欲を満足することが好きである。だから、日本人にとってはヨーロッパ文化は幸福ではない。日本人がヨーロッパ文化をやっても不幸になるだけだ。日本政府は国民に悪いことをするためにヨーロッパ文化を利用している。日本政府は国民に悪いことをするために国民にヨーロッパ文化をやらせている。例えば、政府は国民に格好[かっこう]を付けさせたり言葉の本よりもマンガを読ませたりパンを食べさせたりしている。日本人がヨーロッパ文化をやっても自分の心が満足されずに不幸になるだけである。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府にヨーロッパ文化をやらされないようにして幸福に暮らせばいいのである。
h28.6.3追記:人間が幸福か不幸かはお金や地位で決まるのではなく、道徳の知識があるかないかで決まるのである。たとえお金や地位がなくても、人間がまじめに道徳を守って生きていけば幸福になれる。だから、この世は人間がほぼ同じ待遇であればいい。昔の政府や社長のようにやたらお金や権力(命令力)がある者がいなくてもいい。(政府や社長には見かけの権力があるだけである。本当は国民は自分が好きなだけ政府や社長の言うことを聞けばいいのだから政府や社長に権力はない。国民は自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分が幸福になるために政府や社長の言うことを聞いているだけであって、政府や社長には権力はない。)幸福な人間はお金や地位がなくても幸福である。反対に、不幸な人間はお金や地位があっても不幸である。政府や社長はお金をたくさん持っているだけで毎日みんなを嫌がらせる汚い仕事ばかりしていて幸福ではない。政府や社長などという仕事はないほうがいい。だから、今の国民みんなは自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないという理由で政府や社長の言うことを聞かないようにして政府や社長にお金を取らさないようにして政府や社長をなくせばいいのである。
[22789] どうしてテレビ局は『政府が悪いことをする会社である』ことを放送しないのか?(その2)
h28.6.2
テレビ局は昔から『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている。テレビ局は大きい会社だから頭がいい人がたくさんいるからテレビ局は当然そういうことを知っている。
少し昔(2000年ごろ以前)はまだ物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができず“悪いことをされる喜び”を満足している変態がそこそこいた。「政府が民主主義の団体だ」と思って「政府に国家権力があって国民全員が政府に従わなければならない」と信じている馬鹿がたくさんいた。政府は“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いている変態や「政府が民主主義の団体だ」と誤解している馬鹿に「テレビを見ろ!」と言ってテレビを見させることができた。政府は変態や馬鹿に「テレビを見ろ!」と言ってテレビの視聴率を上げてくれたので、テレビ局はそのお礼に政府にとって都合の悪いことを放送しなかった。テレビ局は政府の民主主義の芝居や変態が起こした物騒[ぶっそう]な暗い事件ばかり放送して『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことをまったく放送しなかった。その上、テレビ局は政府の言うことを聞いて面白くない番組(例、アニメ番組)や道徳のない番組ばっかり作っていた。国民の多くは政府の言うことを聞いてテレビ局が作った面白くない番組や道徳のない番組を我慢[がまん]して見ていた。
しかし、最近(2000年ごろ以後)は国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足する者がほとんどいない。最近は国民みんなが『政府が民主主義の団体ではない』ことや『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って「政府が民主主義の団体だ」と考える者が少なくなっている。その上、最近はテレビゲームやパソコンが出来て国民みんながテレビを見なくなっている。最近の政府が国民みんなに「テレビを見ろ!」と言っても国民みんなはテレビを見ない。そのため、最近ではテレビ局は政府にお礼をするのをやめて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを放送している。テレビ局は政府の言うことを聞くのをやめて面白い番組や道徳のある番組を作って自分の力で視聴率を稼[かせ]いでいる。
少し昔は多くの国民が政府の言うことを聞いていたから政府が国を自分の思い通りにすることができたから政府が幅を利[き]かせていた。テレビ局は政府に従うしかなかった。しかし、最近は少しの国民しか政府の言うことを聞かないから政府が国を自分の思い通りにすることができないから政府は幅を利かせられない。テレビ局は政府に従わなくなっている。これからは日本中の会社が政府に従わなくなるだろう。
[22790] 政府は善人も悪人もみんな苦しめる。☆☆ h28.6.2
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「マンガを読め!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。
政府が国民みんなに「マンガを読め!」と言って国民みんなが政府の言うことを聞いて国民みんながマンガを読むようになったら、政府はさらにマンガ家に「面白くないマンガを描け!」と言って面白くないマンガを国民みんなに読ませて国民みんなを苦しめる。政府はそもそも国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府は国民の“自分が殺されたり虐められたり財産を取られたりする喜び”を満足する会社だから、政府は国民の“自分が虐められる喜び”を満足する会社だから、政府は国民を虐めるために国民の喜びをなくそうとするのである。政府は執拗[しつよう]に国民を追い詰めて国民の喜びをことごとくなくして国民を苦しめようとするのである。(国民が政府の言うことをまじめに聞いていたら“悪いことをされる喜び”以外に喜びがなくなってしまう。だから、昔の国民は政府の言うことを聞くのもほどほどにして自分の好きなようにしていたのである。)
政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府は国民を苦しめるだけで喜ばせることがないのである。政府はけっして悪い者に有利にする会社ではないのである。政府は善い者も悪い者も等しくみんなを苦しめるのである。政府は政府以外の者をことごとく苦しめるのである。政府は政府以外の者を苦しめて政府以外の者の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福にするのである。
今の国民みんなは物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、今の国民が政府に苦しめられても誰も幸福にはならない。不幸になるだけである。だから、今の政府は国民みんなを不幸にするだけである。今の国民みんなにとって政府は敵である。だから、国民みんなで早く政府を倒せばいいのである。今の国民みんなは政府の言うことを聞かず政府にお金を取らさず政府を倒せばいいのである。
h28.6.4追記:政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足することしかしない。政府は悪人が幸福に暮らせる国を作る団体ではない。もちろん政府は善人が幸福に暮らせる国を作る団体でもない。政府は“悪いことをされる喜び”を満足する者が幸福に暮らせる国を作るだけである。つまり、政府は奴隷[どれい]の国を作るだけである。政府は奴隷が幸福に暮らせる国を作るだけである。政府は奴隷にとっての天国を作るだけである。国民が政府の言うことを聞いても“悪いことをされる喜び”しか満足されない。これでは国民の喜びがかえって減る。国民の喜びがすごく減る。今では物が豊かで国民は物を使っていろんな喜びを満足できる。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。今の国民は自分が幸福に暮らすために政府の言うことを聞かないようにして自分の“悪いことをされる喜び”を満足しないようにして幸福に暮らせばいいのである。
[22791] ちょっと昔の人は政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしていた。
h28.6.3
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民に「税金を払え!」とか「死ね!」とか「麻薬をやれ!」とか悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。人間が“悪いことをされる喜び”を満足することは下卑[げび]ていて恥ずかしいことだから、政府は国民が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞くことができるようにするために、民主主義の芝居をやって国民が政府に悪いことをされているのを隠してくれている。
昔(1965年ごろ以前)の人は物が貧しくて物を使っていろんな喜びを満足することができなくて喜びが足りなかったから“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得なければならなかった。昔の人は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていたから、自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福に暮らしていた。
ちょっと昔(1965年から2000年ごろまで)の人は物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足することができて十分喜びがあるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくてもよくなった。ちょっと昔の人は自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないために政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしていた。
最近(2000年ごろ以後)の人は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である』ことを知って、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らしている。政府は国民からお金が取れなくなって潰[つぶ]れている。
[22792] ちょっと昔の会社は政府の言うことをなんでもかんでも聞いて儲[もう]からなくなっていた。
h28.6.3
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。会社は人間の集まりだから、会社にもそういう心がある。
政府は会社が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は会社に「法人税を払え!」とか「潰[つぶ]れろ!」とか「悪い物を作れ!」とか悪いことを言うから、会社は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に経営すればいいのである。会社が“悪いことをされる喜び”を満足することは下卑[げび]ていて恥ずかしいことだから、政府は会社が恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けるようにするために、民主主義の芝居をやって政府が日本中の会社を儲からせているふりをして日本中の会社が政府に悪いことをされているのを隠している。
昔(1965年ごろ以前)の会社は物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足して喜びを得ていた。一方、昔の会社は自分が儲けたくもあった。昔の会社は『政府が会社の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかっていたから、自分の儲けが減らない程度に政府の言うことをちょっとだけ聞いて政府に悪いことをされて幸福に経営していた。
ちょっと昔(1965年から2000年ごろまで)の会社は物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなった。ちょっと昔の会社は自分が“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるからすべての会社が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に経営していた。ちょっと昔の会社は政府が「法人税を払え!」と言うのをまじめに聞いて大損をしていた。ちょっと昔の会社は政府が「悪い物を作れ!」と言うのをまじめに聞いて悪い物ばっかり作っていた。一方、国民みんなは自分が幸福に暮らしたいので悪い物を買わなかったので会社は物が売れずに儲からなかった。
最近(2000年ごろ以後)の会社は『政府が会社の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知って、自分が“悪いことをされる喜び”を満足していないので政府の言うことを聞かなくなって幸福に経営している。最近の会社は政府に法人税を払わなくなって政府が潰れている。最近の会社は自分が儲けたいので政府の言うことを無視して国民みんなが欲しがる物を作って売っている。(昔はお札[さつ]に政治家や天皇や聖徳太子が出ていた。今はお札に文学者や学者が出ている。お札は銀行が作る。今では銀行も政府の言うことを聞かなくなっている。今は政府の時代ではない。)
[22793] 『裸[はだか]の王様』☆ h28.6.3
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり、“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して自分を幸福にすればいいのである。
『裸の王様』は昔のスペインのおとぎ話である。
昔のスペインでは国民みんなは物が貧しくて“悪いことをされる喜び”を満足していたから自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて“悪いことをされる喜び”を満足して快楽を得て幸福に暮らしていた。
ところが、大航海時代のスペイン全盛期にはスペインがアジアやアメリカと貿易してすごく儲[もう]かっていたので国民みんなが一時期現代のように物が豊かになって物を使って遊びまくって喜びがたくさんあって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっていた。そのとき、現代と同じように国民みんなが政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居(つまり国民みんなに従う芝居)を真[ま]に受けて「政府は民主主義の団体だから国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思ったり、政府の国家宗教の芝居(つまり神に従う芝居)を真に受けて「政府は国家宗教の団体だから神の権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思ったりして、国民みんながなんでもかんでも政府の言うことを聞いて国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっていた。
そんなときに、一人の黒人(アンデルセン童話では子供だが、もとの話では黒人である)が現れて『今のスペインはすごく景気がいいから物が豊かだからみんなが“悪いことをされる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞かなくてもいいよ』と言ったのでみんなは政府に従うのをやめて幸福に暮らせるようになった。一時[いっとき]の間スペインの政府は滅んでいた。黒人は奴隷[どれい]だったので自分が“悪いことをされる喜び”を満足して生きていたので国民みんなが政府の言うことを聞く理屈がよくわかっていたので、黒人がみんなに『これまでみんなは自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府の言うことを聞いていた。しかし、今ではみんなが物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足していないから、みんなは政府の言うことを聞く必要がない』ことを教えることができたのである。物が豊かになったために国民みんなは“悪いことをされる喜び”を忘れてしまったが黒人の奴隷だけは“悪いことをされる喜び”を知っていたので、黒人の奴隷は政府が何のためにある会社なのか知っていたので『今の国民みんなが政府の言うことを聞かなくてもいい』ことがわかったのである。(『裸の王様』という題で“大勢の白人を説得する黒人の姿”を描[か]けばいいかもしれない。)
その後、スペインは国力が衰えて、国民みんなが再び物が貧しくなって“悪いことをされる喜び”を満足するようになって政府の言うことを聞くようになった。スペインの政府は再び国民みんなからお金を取って儲[もう]かるようになった。
現代の日本ではみんなが文明が高くなって物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足してたくさん喜びがあるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。現代の日本や世界の国ではかつてのスペイン全盛期と同じことをやっている。歴史は繰り返す。ちょっと昔の日本では『裸の王様』のおとぎ話と同じようにみんなが政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府に従って政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸になっていた。しかし、最近の日本では学問が進んでいるのでみんなが『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っているので、国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって幸福に暮らすようになっている。国民みんなが政府にお金を取らさなくなって政府が潰[つぶ]れている。今後も国民みんなで国の文明を維持し高めて物を豊かにして二度と“悪いことをされる喜び”を満足しないようにして政府を建ててはいけない。
[22794] 今では政府のことを知っている国民は政府のことを知らない国民が政府に悪いことをされて不幸に暮らしているのを見て笑っている。
h28.6.4
人間の心には“悪いことをされる喜び”がある。つまり“自分が殺されたり虐[いじ]められたり財産を取られたりする喜び”がある。
政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民にいろんな悪いことを言うから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞いて自分の“悪いことをされる喜び”を満足して幸福になればいいのである。政府の言うことをどれだけ聞くかは国民が自分で決めればいいのである。国民は自分が好きなら政府の言うことを全部聞いてもいいし、自分が嫌なら政府の言うことをひとつも聞かなくてもいいのである。おまけに政府は民主主義の芝居をやって国民が政府に悪いことをされるのを隠してくれているから、国民は恥ずかしがらずに政府の言うことを聞けばいいのである。政府は民主主義の芝居をやっている。つまり、政府が善いことをやっているのはすべて芝居であって、政府は本当は善いことは何もやっていない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足するために国民に悪いことをやるだけである。政府は悪いことをやる会社であって善いことをやる会社ではない。善いことは国民だけで間に合っている。だから、政府は善いことが何もやれないのである。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であってそれ以外の何者でもない。だから、政府は善いことを何もしないのである。
昔の国民は物が貧しくて喜びが少なかったから“悪いことをされる喜び”を満足して快感を得ていた。昔の国民は政府の言うことをたくさん聞いてたくさん政府に悪いことをされてたくさん“悪いことをされる喜び”を満足して幸福に暮らしていた。
今の国民は物が豊かになって喜びがたくさんあるから“悪いことをされる喜び”を満足しなくてよくなった。今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされず幸福に暮らせばいい。
ところが、今の国民の多くは物が豊かになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったために政府が何のためにあるのかわからなくなって政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解して「政府には国家権力があるから国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしている。一方、『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことを知っている国民はすでに政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らしている。政府のことを知っている国民は政府のことを知らない国民が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて不幸に暮らしているのを見て笑っている(『他人の不幸は蜜[みつ]の味』)。早く国民みんなが政府のことを知って政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らすようにならねばならない。
だいぶ前にビートたけし(現:北野武)が「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言っていたのは、『今の国民の多くは平気で政府の言うことを聞いているが、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だから、政府の言うことを聞いていると政府に悪いことをされて自分が不幸になるぞ。国民の多くで政府の言うことを聞いているから怖くはないかもしれないけれど、大勢で政府の言うことを聞いても政府に悪いことをされて不幸になることに変わりはないぞ。』という意味である。国民の多くが何も考えずに政府の言うことを聞いていることに対するイヤミである。赤信号ならたとえみんなが渡っていても自分は渡らなければいい。つまり、政府は悪いことをする会社であり今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していないから今の国民が政府の言うことを聞くと政府に悪いことをされて自分が不幸になるだけだから、たとえ多くの国民が政府の言うことを聞いていても自分は政府の言うことを聞かなければいいのである。国民の多くは人が言っていることの意味をよく考えて、今の自分がやっていることが本当に正しいかどうかよく考えて慎重に生きていかねばならない。それから、他人の言っていることが正しくわかるためには自分に予備知識が要る。社会科は難しくはないが、予備知識がないとわからない。
h28.6.8この段落を追記:同じころにビートたけしは「みんな殿様になりたいんだ」と言っていた。つまり、「国民みんなが政府の偉い手になりたいんだ」と言っていた。しかし、そもそも政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府の売り物は“悪いこと”である。しかし、今の国民はテレビを見たりゲームをやったり本を読んだりして喜ぶようになって、政府に悪いことをされて喜ばなくなっている。今の国民にとって政府の“悪いこと”は要らない。今の国民にとって政府は売れない会社である。政府はだんだん儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れていっている。今の国民が「政府の偉い手になりたい」と思うのは時代遅れである。だから、ビートたけしが今の国民の古臭い考えを馬鹿にして皮肉[ひにく]って「みんな殿様になりたいんだ」と言ったのである。国民みんなはいつまでも時代遅れの古臭い考えを持つのをやめて、新しい考えに変えねばならない。今の国民にとって政府は売れない会社である。今の国民にとってテレビ局やゲーム会社や出版社は売れる会社である。だから、今の国民は政府に入らずに、テレビ局やゲーム会社や出版社に入って出世したほうがいいのである。
人間はたとえ自分が恥ずかしくても正しいことを知らねばならない。例えば、昔の人にとっては自分の身体は恥ずかしいものだった。だから、昔の人はなかなか人間の身体を知ろうとしなかった。そのために人間は長い間病気に苦しまねばならなかった。しかし、今の人は自分の恥ずかしさに打ち勝って自分の身体を知ろうとしている。そのために、今の人は自分の身体についていろんなことを知って病気から解放されて幸福に暮らせるようになっている。社会学も同じことである。昔の人にとっては自分に“悪いことをされる喜び”があるのが恥ずかしかった(“悪いことをする喜び”はまだしも“悪いことをされる喜び”はひどすぎる)。そのために、昔の人は政府のことを知ろうとしなかった。しかし、今の人は自分の恥ずかしさに打ち勝って政府のことを知ろうとしている。そのために今の人は『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』ことがわかって幸福に暮らせるようになっている。
[22795] 今では政府の時代は終わった。今は物の時代である。☆ h28.6.4
政府とは“悪いことをされる喜び”にほかならない。今では人間が物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足することができて“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府は古い。今では国民みんなにとって政府は要らなくなっている。今の国民は政府の言うことを聞かず政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいい。政府の時代は終わった。“悪いことをされる喜び”の時代は終わった。今は物の時代である。“物を使う喜び”の時代である。
今では文明が高くなって人間は物が豊かである。今では国民みんなが物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らしている。しかし、人間は物を使うためにわざわざ自分が面白くないことをしなくていい。それならむしろ人間は物を使わずに自分が面白いことをすればいい。とにかく人間は自分が面白いことをすればいい。金持ちが馬鹿で不幸なのは自分が物を使うためにわざわざ自分が頭を使わず自分が面白くないことをするからである。
ちょっと昔はテレビゲームが出来たために多くの国民がテレビゲームをやってわざわざ自分が頭を使わず面白くないことをやっていた。そのために多くの国民が馬鹿で不幸になっていた。今のゲームはまだ本当に面白くはない。今のゲームではまだ遊ばないほうがいい。もっとコンピューターの性能が高くなって頭を使うゲームが出来てからゲームで楽しく遊べばいい。
人間はただ生きるのではなく幸福に生きねばならない。人間が幸福に生きるためには知識が要る。道徳は人間が幸福に生きるための知識である。道徳は人間が自分が幸福になるためにやらねばならないことややってはいけないことを教えてくれる。人間は自分が幸福になることで努力して自分が不幸になることで努力してはいけない。みんなは道徳を知って自分が幸福になることをやって不幸になることをやってはいけない。
今では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。これからは人間は自分が上手[じょうず]に物を使って幸福に暮らさねばならない。人間は物を使って自分の心を満足して幸福にならねばならない。逆に人間が物に使われて不幸になってはいけない。
今は物の時代である。今ではいろんな物を作る会社が建っている。今ではいろんな会社が自分の物を宣伝して売っている。国民みんなは自分で物をよく選んで自分が幸福になる物だけ買って自分を不幸にする物を買ってはいけない。例えば、私が中学2年生のときにラジカセを買ったために深夜放送を聞いてエッチなことを知って中学3年生の2学期のころにオナニーをやって高校1年生のときに隣の席の生徒が授業中に教科書のパラパラめくりをしていることに腹を立ててテレパシーでパラパラめくりをやめさせようとして精神分裂病に罹[かか]った。そのためにその後の私の人生が台無[だいな]しになった。私が中学2年生のときにラジカセを買わなければこんなことにはならなかった。私が中学3年生のころまでに道徳をよく知っていればこんなことにはならなかった。人間は自分が幸福になる情報を知って自分を不幸にする情報を知ってはいけない。無料の情報にはろくな物がない。有料の情報にはいい物が多い。人間は本だけ読んでいればいい。あとは自分の頭を使って考えればいい。そうすれば一生幸福に生きていける。
人間は性欲を満足せずテレパシーを使わなければ幸福に生きていけるが、だからといって性欲やテレパシーという言葉を使わなければいいわけではない。性欲やテレパシーのことを伏せればいいのではない。性欲やテレパシーについて考えていないと、ちょっとしたきっかけで性欲を満足したりテレパシーを使ったりして不幸になる。人間が幸福に生きるためには前もって『性欲を満足してはいけない』ことや『テレパシーを使ってはいけない』ことを知っていなければならない。そのためにも、性欲やテレパシーという言葉を使わねばならない。
人間の中には大脳の新皮質よりも古皮質のほうが発達している人がいる。そういう者を変態というのである。どうしても性欲を満足したい人がいたら自分ひとりで性欲を満足すればいい。他人にとっては性欲を満足するのが不幸だから、性欲を満足することを他人に広めてはいけない。
h28.6.7追記:美男美女は色キチガイである。“性欲の喜び”ばっかり満足しているから美形に見えるのである。“性欲の喜び”を満足している者は大脳の古皮質の活動が活発だから五感や心がよく働く。“性欲の喜び”を満足している者は大脳の新皮質の活動が鈍[にぶ]っているから知覚が働かない。だから、美男美女は肉体労働向きである。知的労働向きではない。美男美女は手作業をやって事務をやってはいけない。それが適材適所というものだ。
[22796] 今の人は上手[じょうず]に物を使って幸福に暮らさねばならない。
h28.6.5
今は文明が高くて物が豊かでみんなが物を使っていろんな喜びを満足して幸福に生きている。今では“悪いことをされる喜び”を満足している人はいない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。政府は人間が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために必要な道具である。だから、今ではみんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らしている。
今はみんなが物が豊かになっている。しかし、だからといって物を使うためにわざわざ自分が面白くないことをやってはいけない。自分が面白いかぎりで物を使わねばならない。自分が面白いことをするために物を使わねばならない。日本人は頭を使うのが好きである。だから、日本人は頭を使うために物を使わねばならない。私は小学生のころは『雨はどうしてふりますか?』や『小学館こども百科事典』などの本をなんべんも繰[く]り返し読んでいたし、ダイヤブロックでよく遊んでいた。マンガもちょっとは読んだ。家の中で本を読むよりも外で虫を採ったりビー玉をやったりゴルフをやったりして遊んでいた。家族みんなで『ど根性ガエル』や『8時だョ!全員集合』を見ていた。中学生のころにテレビゲームが出来て『テニスゲーム』や『ブロック崩し』などのテレビゲームをやっていたが、当時のテレビゲームは単純だったのでのめり込むほど遊ばなかった。だいたい週に1回1時間ぐらいしか遊ばなかった。しかもすぐに飽きた。中学生や高校生のころは文庫本をよく読んでいた。大学生のころにパソコン(NECのPC8001)が出来てパソコンにプログラムを入力して遊んでいた。当時のパソコンは性能が低くてゲーム向きではなかった。あまり面白いゲームがなかったのでゲームはあまり遊ばなかった。大学生のころから後は本を読むよりも自分で考えたことを大学ノートやメモ帳に書きまくっていた。私が高知大学の学生のころ東京の三省堂[さんせいどう]書店に行ったとき『売っている本にはいい本がない』と思った。私が35歳のころ(今から12年ぐらい前)にエレクトロニックアーツ社の『バトルフィールド1942』のパソコンゲームが出来た。『バトルフィールド1942』は本当に面白かったので私は遊ぶ価値があるゲームだと思った。私は仕事の休日には朝から晩まで暇があるかぎり『バトルフィールド』ばかりやっていた。しかし、それも10年ぐらい遊んで『バトルフィールド3』で飽きてやめてしまった。それまではテレビでアニメもよく見ていたが、最近は面白いアニメが減って最後に『天体戦士サンレッド』で飽きてアニメを見るのをやめた。(最近子供向けの面白いアニメがないのは、私や天皇が年をとったせいかもしれない。)そのころの私は政府について考えるようになっていてゲームやアニメが考えるのに邪魔[じゃま]だからゲームやアニメをやめた。最近はタブレット(HUAWEI
MediaPadT1 7.0)を買って寝ながらYouTubeを見たり将棋や五目並べやマインスイーパーなどを軽くやっている。麻雀[まあじゃん]は頭の使い方がほかのゲームと違っていてキチキチ考える感じがないのでやらない。考えることがないときにはよく寝ている。
日本人は頭で考えるのが好きなので頭で考えるために物を使わねばならない。電化製品を使うと暇が出来て頭で考えることができる。コンピューターを使うと作文を書くのが便利である。コンピューターがあると作文を公開するのにも便利である。科学は人間の幸福のためにある。人間は科学の発明品を上手に使って自分の心を適切に満足して幸福に暮らさねばならない。
日本人は考えるのが好きだから、物を使って考えて幸福に暮らせばいい。人間には“考える喜び”がある。人間は考えて楽しむために生きている。しょせん人間とはそれだけの物である。それ以上でも以下でもない。人間は自分にそれ以上の物を望んではいけない。そうすれば人間は幸福に生きていけるのである。
今は物が豊かな時代である。今ではみんなが物を使っていろんな喜びを満足して暮らしている。今は“物が豊かな時代”が始まったばかりなので、みんながまだ物を使って自分の喜びを満足することに慣れていない。今はまだ“物が豊かな時代”の道徳(つまり人間が幸福に暮らすための決まり)が出来ていない。これからみんなで“物が豊かな時代”の道徳を考えて作っていかねばならない。
昔の「物が貧しい時代」の道徳(つまり人間が幸福に生きるための決まり)は“悪いことをされる喜び”を満足することだった。しかも、自分がお上品ぶるために隠して“悪いことをされる喜び”を満足することだった。そのために、国民みんなは政府に民主主義の芝居をやってもらいながら政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。(暴力団は民主主義の芝居をしない“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。大阪の人はお上品ぶるのが嫌だから大阪には暴力団が多いのである。)反対に、今の『物が豊かな時代』の道徳は“悪いことをされる喜び”を満足しないことである。そのために、国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。時代が変わると道徳も変わる。人間が満足する喜びが変わる。「物が貧しい時代」と『物が豊かな時代』では道徳が違う。今の国民みんなは昔と同じことをやらずに早く政府の言うことを聞くのをやめて幸福に暮らさねばならない。
[22797] 今の人間は上手[じょうず]に物を使って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
h28.6.5
今(1965年ごろ以後)では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足するようになっている。今では国民みんなは“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。今では国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らしている。政府は国民みんなからお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
今では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足している。しかし、最近(2000年ごろ以後)の国民は物を使って眼先で喜んでいるだけである。そもそも日本人は頭で考えることが好きである。これでは日本人の本心を満足できない。最近の日本人はかえって不幸に暮らしている。
何が楽しいか楽しくないかは人間の脳が決めることである。日本人は大脳の新皮質が発達しているから、日本人は頭で考えることが好きである。だから、日本人は頭で考えるために物を使って幸福に暮らさねばならない。ちょっと昔(1965年から2000年ぐらいまで)の国民はたくさん本を読んで幸福に暮らしていた。最近の国民はゲームやパソコンばかりやって不幸に暮らさねばならなくなっている。最近の国民はちょっと昔の国民を見習って言葉を使って幸福に暮らさねばならない。最近の国民は本やノートやパソコンを使って言葉を使って自分の頭で考えて幸福に暮らさねばならない。
『過ぎたるはなお及ばざるがごとし。』今は物が豊かな時代だが、人間はただ物を使えば幸福になるわけではない。人間は物を選んで適切に物を使って自分の心を満足しなければならない。人間は自分の心を満足するために物を使わねばならない。例えば、政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。しかし、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府を使ってはいけない。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府を使わないようにしなければならない。同じように、テレビやゲームは人間の“眼で見る喜び”を満足する道具である。しかし、日本人は“眼で見る喜び”が弱い。だから、日本人がいくらテレビやゲームをやってもあまり楽しくない。日本人はテレビやゲームをやりすぎてはいけない。日本人はテレビやゲームなどのあまり面白くないことをやらないようにして、本を読んだり自分が考えたことを書いたりして自分にとってもっと楽しいことをして幸福に暮らさねばならない。日本人はもっと自分の心をよく知って自分の心を正直に満足しないといけない。人間は自分が面白いことをやって面白くないことをやってはいけない。
[22798] 今では政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらっている国民はせいぜい2000万人しかいない。☆
h28.6.6
今では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府は国民に悪いことを言って国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。今では国民のほとんどが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府は国民のほとんどからお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
もっとも、今でも政府の言うことを聞いている国民がいる。政府の言うことを聞いている国民には自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人と政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と誤解している人がいる。今ぐらい物が豊かなのにそれでも自分の“悪いことをされる喜び”を満足している者は変態である。
今でも自分の“悪いことをされる喜び”を満足している人がいる。大阪に暴力団がたくさん建っているのはそのためである。大阪には今でも“悪いことをされる喜び”を満足して生きている人が大勢いて、暴力団の言うことを聞いて暴力団に悪いことをされて幸福に暮らしているのである。大阪の人口が900万人で大阪の暴力団の人口が9万人で全人口の1%である。日本の人口が1億3000万人で、その1%は130万人である。政府の人口とだいたい一致する。政府全体の人口は400万人だが、国家公務員が100万人で地方公務員が300万人で、国家公務員が政府の本体で地方公務員は政府の付属会社だからだいたい合っている。つまり、日本には今でも“悪いことをされる喜び”を満足している人が大勢いて、政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて幸福になっているのである。日本中の“悪いことをされる喜び”を満足している人だけで政府が建つのである。だいたい1人の暴力団員が1人の客からひと月に1万円取るとして1人の暴力団員に対して20人の客がいれば暴力団は経営できるから、政府の本体100万人に対して国民2000万人の真[しん]の客(つまり“悪いことをされる喜び”を満足する者)がいると考えられる。その上に、政府の民主主義の芝居を真に受けている人がたくさんいるから、仮にそれらの人口が4000万人(推定)として合計6000万人の国民が政府の言うことを聞いていると考えられる。今の日本の人口は1億3000万人だから、約半数の国民が政府の言うことを聞いていると考えられる。つまり、約半数の国民が政府の言うことを聞いていないと考えられる。しかも、政府の真の客はせいぜい2000万人しかいないから、残りの1億人強は政府の真の客ではないから、今の国民にとっては政府は恐れるに足りない。(しかも、政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらうために政府の言うことを聞いている者も昔に比べれば軽いことしか聞かないから恐れるほどではない。他人に悪気をかけたりするだけで暴力をふったりすることはないから無視してもいい。今の国民はみんな物を使っていろんな喜びを満足しているからたとえ政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらっている者でも“悪いことをされる喜び”があまり要らなくなっているから昔に比べると政府の言うことを聞かなくなっているのである。今では物を使っていろんな喜びが満足できるので、麻薬をやる者にとっても“麻薬の喜び”があまり要らなくなっているので昔に比べると軽い麻薬しかやらなくなっているのと同じことである。)今後は、政府に“悪いことをされる喜び”を満足してもらう人も「政府が民主主義の団体だ」と誤解している人も減るはずである。だから、今の国民は政府の言うことを聞かずに政府に悪いことをされないようにすればいいのである。今の国民は政府に税金を払わずに浮いたお金で物を買って物を使っていろんな喜びを満足して幸福に暮らせばいいのである。
国民が何をしようが国民の勝手である。国民が“悪いことをされる喜び”を満足するのが勝手なら“悪いことをされる喜び”を満足しないのも勝手である。国民が「政府が民主主義の団体だ」と誤解するのが勝手なら『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する団体だ』と誤解しないのも勝手である。だから、今の国民は“悪いことをされる喜び”を満足しないようにして『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と誤解しないようにして政府の言うことを聞かないようにして政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らせばいいのである。
[22799] 日本人は“頭で考える喜び”を満足して幸福に暮らさねばならない。
h28.6.6
今(1965年ごろ以後)では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足している。今では国民みんなが十分喜びがあるので“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。政府は国民みんなからお金を取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
今では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足して暮らしている。特に日本人は大脳の新皮質が発達しているから、日本人は“頭で考える喜び”が強くて“眼で見る喜び”や性欲が弱い。日本人は頭で考えると幸福になるが、眼で見たり性欲を満足したりしても幸福にならない。だから、昔から日本のマンガでは自分の見かけにこだわったり性欲を満足したりする者を馬鹿呼ばわりしてきたのである。
最近(2000年ごろ以後)の日本人の多くはテレビやゲームをやりすぎている。しかし、日本人は“眼で見る喜び”が弱いので、日本人がいくらテレビを見たりゲームをやったりしても幸福にはならない。日本人の多くはわざわざ自分で面白くないことをやって自分で自分を不愉快[ふゆかい]にして時間を無駄[むだ]にしている。最近の日本人は遊び方が下手[へた]である。
ちょっと昔(1965年から2000年ごろまで)の日本人は他人が書いた本を読んだり自分が考えたことをノートやメモ帳に書いたりして自分の“頭で考える喜び”が満足して幸福に暮らしていた。今の日本人は本やノートやコンピューターを使って自分の“頭で考える喜び”を満足して幸福に暮らさねばならない。それが現代の日本人にとっての道徳である。
[22800] 今の国民にとってはテレビやゲームのほうが政府よりも大事である。☆
h28.6.6
今では国民みんなが物が豊かになって物を使っていろんな喜びを満足している。テレビを見たりゲームをやったりして喜んでいる。そのために“悪いことをされる喜び”を満足しなくなっている。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である。今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今の国民にとってはテレビやゲームのほうが政府よりも大事なので政府に税金を払うのをやめてテレビやゲームにお金をかけている。
政府はテレビやゲームを邪魔[じゃま]するためにテレビ局やゲーム会社に「つまらない番組を作れ!」とか「面白くないゲームを作れ!」とか言ってつまらない番組や面白くないゲームを作らせている。そうやって政府は国民みんなにテレビやゲームをやらせないようにして昔のように“悪いことをされる喜び”を満足させて政府の言うことを聞かせようとしている。
だから、テレビ局やゲーム会社は政府の言うことを聞いてはいけない。政府は国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社であって民主主義の団体ではない。政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。テレビ局やゲーム会社は政府の言うことを無視して面白い番組や楽しいゲームを作ればいい。そうやって国民みんなに面白いテレビを見せたり楽しいゲームをやらせたりして“悪いことをされる喜び”を満足させないようにして政府を倒せばいい。国民みんなも政府よりもテレビ局やゲーム会社を応援してテレビ番組を見たりゲームをやったりして遊んで政府に税金を払うのをやめてテレビ局やゲーム会社にお金をやらねばならない。
今では面白いテレビ番組やゲームがたくさんある。国民はテレビを見たりゲームをやったりして楽しく遊ぶことができる。しかし、テレビを見たりゲームをやったりするだけでは眼がよくなるだけで頭がよくならない。難しいことがわからない。難しい問題に出会ったときに解けない。例えば、政府のことがわからない。難しいことがわかるためには頭を鍛[きた]えねばならない。国民みんなは年がら年中テレビやゲームばっかりやっていないでたまには頭を使って考えることもしないといけない。
国民の多くは毎日テレビで政府の民主主義の芝居を見ているから「政府が民主主義の団体で政府には国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない」と思い込んで政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸になっているのである。国民みんなはテレビで見た政府の民主主義の芝居を全部忘れて『政府が国民の“悪いことをされる喜び”を満足する会社である』と考え直して自分の政府に対する誤解を直さなければならない。国民みんなは最初から『政府は国民が自分の“悪いことをされる喜び”を満足するためにある会社である』と考えて政府を見て政府と対応しなければならない。テレビは必ずしも正しいことを放送しているとはかぎらない。国民みんなはテレビで見たことを鵜呑[うの]みにしてそのまま信じ込んではいけない。