[22501] 今では国民みんなが心の世界で生きることから現実の世界で生きることに変わっている。
h28.1.25
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故と起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。
政府はテレビや新聞で民主主義の芝居をやっている。政府は国民が政府が国民を虐[いじ]めているのを見て「人間に身分がある」と思って国に身分制が出来ないようにするために、わざわざ民主主義の芝居をやって自分が国民を虐めているのを隠して国に身分制が出来ないようにしているのである。
昔の国民は現実を知らず自分の心のままに生きていた。昔の国民は政府に脅[おど]されて怖がらされておとなしくさせられて平和に生きていた。昔の国民は自分が政府に脅されて平和に暮らせるので政府に感謝していた。政府は国を平和にしてくれるので国民みんなの人気者だった。
反対に、今の国民は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今の国民は“現実の社会における人間が守らねばならない決まり”つまり法律を守って平和に生きている。今の国民は政府に脅されなくてもよくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府は国民を脅して国民を不幸にしているので国民みんなに嫌われて倒されている。
昔の国民は現実を知らなかった。今の国民は現実を知っている。昔の国民は心のことしかわからず心の世界で生きていた。今の国民は現実のことしかわからず現実の世界で生きている。昔の国民は心の世界で物を見ていた。今の国民は現実の世界で物を見ている。そのために、昔の国民にとっては政府が善い団体だったが、今の国民にとっては政府が悪い団体である。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが現実を知らず自分の心に従って生きていた。今では国の文明が進んで国民みんなが現実を知って現実に従って生きている。国民みんなが心の世界で生きることから現実の世界で生きることに変わっている。そのために、国民みんなが政府が要らなくなって政府を倒して、政府が滅んでいる。
文学部の連中は自分が心の世界で生きていることを理由にして他人の稼[かせ]ぎを奪って遊んで暮らしている。文学部の連中は自分が働きたくないので自分が働かず他人に働かせて暮らしている。しかし、今はみんなが現実の世界で生きている時代である。今はみんなが現実の世界で生きることが決まりである。現実の世界では他人の稼ぎは他人のものであって自分のものではない。だから、文学部の連中も理学部の人と同じように自分で働いて稼いで暮らさねばならない。
[22502] 神とは何か? h28.1.25
昔の人は現実を知らずに自分の心で物を見ていた。だから、昔の人にとっては自分の心で神だと思った者が神だった。例えば、神武天皇は戦いの最中に光の玉が出たから神であり、私は赤ちゃんのころに頭の上に吊ってあったガラガラが突然回ったから神なのである。
反対に、今の人は現実を知って頭で考えながら物を見ている。だから、今の人にとっては神はいない。例えば、神武天皇の戦いの最中に現れた光の玉はプラズマかなんかの自然現象であって、神武天皇とは関係ないから神武天皇は神ではない。(プラズマとは、上空の雲から発せられた電磁波で空気が加熱されて空気分子が溶け合って陽子と電子がドロドロに混じった塊[かたまり]である。それが空中を右に左に漂[ただよ]うのである。水中に入れた氷が右に左に漂うのと同じことである。)私が赤ちゃんのころに頭の上に吊ってあったガラガラが回ったのは、母親の見まちがいであって本当に回ったのではない。だから、私は神ではない。このように、科学的に見ればこの世に神なんかいないのである。
そもそも宗教団体は神に従う芝居をやる“国民を脅[おど]して国を平和にする団体”である。だから、神に関する話は嘘[うそ]である。でっち上げである。政府が国民みんなに従う芝居をやる“国民を脅して国を平和にする団体”であって、国民みんなの総意が政府のでっち上げであるのと同じことである。例えば、政府は「国民みんながマンガが好きで言葉の本が嫌いである」「国民みんなが勉強がしたくない」「国民みんなが働きたくない」「国民みんなが男女平等を望んでいる」「国民みんながルックスがよくなりたい」などと嘘の国民みんなの総意をでっち上げてくだらない政策をやっている。国民みんなは政府の民主主義の芝居を本気にして政府の政策をやってはいけない。だから、私の母がガラガラが回ったのを見たのは、政府が作り話を作って私の母に言わせたのかもしれない。キリストに関する話だって、中世のころはキリストがいろんな超能力を使えたのに、今ではキリストが普通の人になっている。時代に応じてキリストに関する話が変わっている。だから、キリストに関する話は作り話なのである。(しかし、私は本当は私の母が作り話をしゃべったのではなく、私が赤ちゃんのころに夜中にガラガラが回る夢を見て、それがテレパシーで母親に伝わって母親がガラガラが回る幻視[げんし]を見たのだと思う。女は五感で物を見て知覚で物を見ないから、幻覚があったときにそれが幻覚であることがわからず事実だと思ってしまうのである。私も今から約15年前に母が私のところに遊びに来ていたときに“母親が急に30年ぐらい若返った幻覚”を見たことがある。起きたまま夢を見ているような感じだった。じつに不思議な感じだった。政府は私が頭の中で思ったことをテレパシーで聞いて事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅している。政府はテレパシーの存在を認めている。私の母がガラガラが回ったのを見たことはテレパシーで説明がつく。だから、今の政府が私を神とすることはできない。)
とにかく、今は科学の時代である。人間の才能は親から子供に引き継がれる。人間にできることは人間の身体の構造で決まっている。だから、人間がそれほど異様なことができるわけがない。人間が念力で空中から光の玉を出したり物を動かしたりできるわけがない。だから、今の日本では国民みんなが神がいないと思って国家宗教をやっていないのである。政府も科学の時代に合わせて神がいないと思って国家宗教をやっていない。今の政府は天皇や私を神にしていない。政府はただ天皇や私の情報を使って国民を脅しているだけである。
今は科学の時代である。今では国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して暮らしている。今では国民みんなが法律を守って暮らしている。今の国民は政府に脅されておとなしくさせられる必要がない。今の国民にとって政府は要らない。今の国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒している。政府も今の国民にとって自分が要らないことを知っている。だから、政府はおとなしく引かねばならない。政府は自分で自分を倒してなくならねばならない。
神はヨーロッパ人の心の中にある概念である。ヨーロッパ人は生まれつき五感が発達しているので、心の中に神がいるのである。(ここでの心とは人間が生まれつき持っている認識のことである。)アジア人の心の中には神の概念はない。現実の世界には神がいない。昔のヨーロッパ人は心で物を見ていたので、いろんなことを神と関係付けて説明していた。今では世界中でみんなが現実を知って現実の世界で物を見るようになっているので世界中で神がいなくなっている。
昔の人は現実を知らずに自分の心の中だけで幸福に暮らしていた。昔の人は心で物を見ていたので、政府や暴力団や宗教団体が国を平和にして国民みんなを幸福にしてくれる善い人に見えて、政府や暴力団や宗教団体の言うことをなんでも聞いていた。今の人は現実を知って現実の中で幸福に暮らしている。今の人は現実で物を見ているので、政府や暴力団や宗教団体が法律を破る悪い人に見えて、政府や暴力団や宗教団体の言うことを聞かなくなって政府や暴力団や宗教団体を倒している。昔の人は心の世界の中で幸福に暮らしていた。今の人は現実の世界の中で幸福に暮らせばいいのである。昭和40年ごろにいろんな便利な発明品が出来てみんなが心の世界から現実の世界に出て行ってしまったから、今の人は現実の世界の中で暮らしているのである。今は科学の時代である。国民みんなは喜んで現実の中で暮らしている。それなのに、政府は自分独[ひと]りで科学に逆らっていまだに心の世界で国を平和にするために国民みんなを脅している。政府にとっては最初から勝てる戦いではない。政府は潔[いさぎよ]く負けを認めて自[みずか]ら滅ぶべきである。
[22503] 昔と今では国民みんなの物の見方が違う。☆☆ h28.1.25
政府は国を平和にするために国民を脅[おど]す団体である。
昔の人は心で物を見ていたから、昔の人は目的で物を見ていたから、政府が国民を平和にする団体にすぎなかった。昔の人にとっては政府が善い団体だったので、昔の人は政府を好きで政府にたくさんお金をやっていた。
今の人は現実で物を見ているから、今の人は結果(つまり現実の中でやっていること)で物を見ているから、政府が国民を脅す団体にすぎない。今の人にとっては政府が悪い団体なので、今の人は政府が嫌いで政府にお金をやらず政府を倒している。
昔と今では国民みんなの物の見方が違う。そのために、昔の国民みんなにとっては政府が善い人だったので国民みんなは政府を守っていた。反対に、今の国民みんなは政府が悪い人なので国民みんなは政府を倒している。昭和40年(1965年)ごろに国民みんなが変わったから、政府が国民みんなに倒されているのである。
[22504] 今の人は自分が幸福になるために現実主義をやっている。 h28.1.26
たとえ人間が心で思っていても、実際には人間は現実の中で生きている。
人間の心は人間が生まれつき持っている現実についての認識である。人間の心は現実をあまり知らない。人間の心にはまちがいがいっぱいある。そのため、人間が心で動くと現実の中でいっぱいまちがいを犯して不幸になる。
反対に、人間が現実を知り現実に従って動けば、人間は現実の中でまちがいを犯さずにすみ幸福に暮らすことができる。
だから、今の人は現実主義である。今の人は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して幸福に生きている。
心主義の人間は不幸である。現実主義の人間は幸福である。人間は心主義よりも現実主義のほうが幸福に暮らせる。昔の人は心主義だったので不幸だった。今の人は現実主義なので幸福である。
政府は国を平和にするために国民を脅[おど]す団体である。昔の人は心主義だったので目的で物を見ていたので、昔の人にとっては政府が国を平和にしてくれる善い団体だったので、政府の言うことをなんでも聞いて政府に税金を払って政府を養[やしな]っていた。反対に、今の人は現実主義なので結果(つまり現実の中でやること)で物を見ているので、今の人にとっては政府は国民を脅す悪い団体だから、今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
昔の人は現実を知らなかったために自分の心しか知らなかった。そのために、昔の人にとっては国を平和にするためには政府に脅してもらって心を怖気[おじけ]づかせてもらっておとなしくさせてもらうしかなかった。昔はみんなが心のことしか知らなかったので、国を平和にするためにはほかに方法がなかった。昔の人にとっては政府は国を平和にして国民みんなを幸福にしてくれる善い団体だった。だから、昔の人は政府が善い団体だと思って政府に感謝して政府の言うことをなんでも聞いていた。(政府は政府自身を脅さないから、政府はおとなしくせず国民みんなを脅して暴れまわっていた。)
反対に、今の人は現実を知っているので自分の心も知っている。今の人は『心は脳細胞の神経興奮で発生する感覚である』と考えている。今の人は自分の心を自分の思い通りにすることができる。そのために、今の人にとっては国を平和にするためには自分で法律(人間が現実の社会の中で守るべき決まり)を知って法律を守っておとなしく暮らせばいい。政府は今でも昔と同じように国を平和にするために国民を脅している。今の人にとっては政府は国民を脅して不幸にする団体にすぎない。だから、今の人は政府が悪い団体だと思って政府を嫌って政府の言うことを聞かなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒している。
政府は昔の人にとっての国を平和にする団体にすぎない。今の人は現実を知っているので政府が要らない。だから、今の人は早く政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらえばいいのである。
人間が幸福に暮らすためには心主義よりも現実主義のほうがいい。しかし、昔の人は現実を知らなかった。昔の人にとっては現実を知る方法すらなかった。そのため、昔の人は現実を知らず、自分の心しかわからなかった。昔の人はいくら現実主義で生きたくても心主義で生きるしかなかった。しかし、今から400年ぐらい前にガリレオ・ガリレイが科学つまり現実を知る方法を見つけた。その後、人間は現実についての知識を増やして行った。今の人は現実についての知識をたくさん持っている。そのため、今の人は現実主義で生きていけるのである。今の人は幸福に生きていけるのである。
[22505] 今の人は現実を知ることができるから政府が要らない。 h28.1.26
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。
昔の人は現実を知らなかったので心のことしかわからなかった。そのために、昔の人が平和に暮らすためには政府に脅[おど]されて怖がらされておとなしくさせられるしかなかった。昔の人にとっては政府が必要だったので、政府の脅しを聞いて政府に税金を払って政府を養[やしな]っていた。
今の人は現実を知っていて、現実に従いながら自分の心を満足することができる。そのために、今の人が平和に暮らすためには自分で法律を知って法律を守って暮らせばいい。法律とは人間が現実の社会の中で平和に暮らすために守らねばならない決まりである。(法律とは、いわば人間の運動方程式ではなく、人間の境界条件である。人間は法律を満足しながらなるべく自分が幸福になるように運動すればいいのである。)今の人は法律を守って平和に暮らすことができるので政府が要らない。だから、今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の人にとっては法律が必要である。だから、今の人は法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。
昔の人は現実を知ることができず心のことしかわからなかった。そのために、昔の人は政府に脅されて暮らさなければならなかった。今の人は現実を知って現実に従うことができる。そのために、今の人は法律を知って法律を守って暮らせばいいのだ。
人間は現実を知らずに暮らすよりも現実を知って暮らしたほうが幸福に暮らせる。だから、人間は現実を知ればいい。人間が予防注射をしないよりもしたほうが幸福に暮らせるから予防注射をしたほうがいいのと同じである。今後は現実を知ることができる人間が生き残り、現実を知ることができない人間が滅んで、現実を知ることができる人間だけから成る社会になるだろう。
[22506] 今では国民みんなが現実がわかるようになっているので政府が要らなくなっている。☆
h28.1.27
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
ヨーロッパ人は心で身分があると思っているので、政府は国に身分制が出来ないようにするために、国民の前で民主主義の芝居をやって自分が国民みんなを脅しているのを隠して自分が国民みんなの役に立つことをしているふりをしている。
昔の人は現実がわからず心しかわからなかった。だから、昔の人は平和に暮らすために政府に脅されて怖がらされておとなしくさせられるしかなかった。昔の人にとっては政府は国を平和にしてくれる善い団体だったので、国民みんなが政府を支持して政府の言うことをなんでも聞いた。
しかし、今の人は現実を知って、現実に従いながら自分の心を満足している。だから、今の人は平和に暮らすために自分で法律を知って法律を守っている。今の人にとっては政府は国民を脅して不幸にする団体にすぎないので、国民みんなが政府に反対して政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
今では国の文明が進んで、国民みんなが心しかわからないことから現実を知って現実に従いながら自分の心を満足することに変わっている。そのために、国民みんなが政府が要らなくなっている。政府は国民みんなに捨てられて滅んでいる。
[22507] 今の国民は多数決で国のことを決めない。 h28.1.27
昔の人は心しかわからなかった。そのため、昔の人は多数決で国のことを決めていた。昔の人のほとんどは政府に脅されていた。だから、昔の人はみんな政府に脅されねばならなかった。そのために、昔の人はみんな政府に税金を払わなければならなかった。
しかし、今の人は現実がわかる。そのため、今の人は現実についての知識で国のことを決めている。今の人は自分で法律を守って平和に暮らすことができるから、政府に脅されなくていい。だから、今の人はみんな政府に脅されなくていい。そのために、今の人はみんな政府に税金を払わなくていい。
だから、今の政府は民主主義の芝居の上で「国民みんなが政府に税金を払わねばならない」という架空の法律を定めているにすぎない。国民は政府の架空の法律を守らなくていい。国民は政府に税金を払わなくていいのである。
国民みんなで早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらわねばならない。
今でも学校の学芸会の出し物は多数決で決めている。学芸会は芝居であって現実ではない。芝居は現実から離れていて、心で決まる。だから、今でも学校の学芸会の出し物は多数決で決めるのである。しかし、反対に現実のことは現実についての知識で決まる。現実の国のことは現実についての知識で決めねばならないのである。
[22508] 昔は現実についての知識がなかったのでみんなは現実を知らなかった。☆
h28.1.27
法律とは国民が平和に暮らすための決まりである。国民が平和に暮らすためには『人間がみな平等である』ことを守らねばならない。国民が何について平等であるかは国によって違う。国によって国民が生きるための条件が違うから何について平等であるかが違う。人間は自由が好きだから余計な決まりを作ってはいけない。
法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。
一方、政府は国民を脅[おど]して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。
昔の国民みんなは現実を知らず自分の心しかわからなかった。そのため、昔の国民みんなは政府に脅してもらって平和に暮らさねばならなかった。
今の国民みんなは現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。そのため、今の国民みんなは法律を守って平和に暮らすことができる。今の国民は政府に脅される必要がなくなって、政府の脅しを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が遅れていたから、昔の国には現実についての知識がなかったから、昔の国民みんなは現実を知らなかった。今は国の文明が進んでいるから、今の国には現実についての知識がたくさんあるから、今の国民みんなは現実を知っているのである。例えば、昔は法律の知識がなかったから、昔の人は法律を守らず自分の心だけで動いていた。今は法律の知識があるから、今の人は法律を知って法律を守っている。
政府は法律会社の中に隠れている。政府は法律会社が国民に法律を守らせて国を平和にしていることに紛[まぎ]れて国民を脅す命令を出している。国民は法律会社に平和にしてもらいながら、政府に脅されて不幸にされている。これでは国民にとって面倒臭い。だから、早く国民みんなで政府の脅しを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。政府に医療保険費や消費税を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなが法律会社に法律を守らせてもらうだけにしなければならない。
法律会社は政府からお金をもらって経営している。一般に、政府の付属会社(つまり法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社など)は政府から税金の残りをもらっている。足りない分は国民からお金を取っている。それ以外は普通の民間会社と同じである。昔は国民みんなが心のことしかわからなかったから、政府に脅されて平和にしていたから、国民はみんな政府の脅しを聞いていた。民間会社も政府の付属会社も政府の脅しを聞いていた。民間会社も政府の付属会社も政府の命令で税金を払ったり国民の嫌がらせをやったり国民を殺したりしていた。政府の付属会社は政府から税金の残りをもらっている以外は民間会社と同じである。しかし、今では国民が現実を知るようになって自分で法律を知って法律を守っている。そのため、今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府はお金がたりなくなって潰[つぶ]れている。政府はお金が足りなくなって付属会社にお金をやれなくなっている。だから、政府の付属会社は政府から独立して国民と契約して国民からお金をもらって経営しないといけない。政府の付属会社は政府の脅しを聞くのをやめて、政府に税金を払うのをやめて、政府の命令で国民を嫌がらせたり国民を殺したりするのをやめねばならない。
[22509] 国民みんなが現実に従うと政府や暴力団や宗教団体が滅ぶ。 h28.1.28
国民みんなが現実を知らずに心だけで生きていると、政府や暴力団や宗教団体が国を平和にするために国民みんなを脅すことができる。政府や暴力団や宗教団体が国民みんなに命令して高いお金を取ったり国民みんなを嫌がらせたり国民みんなを殺したり痛めつけたりすることができる。
反対に、国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きていると、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らすことができるので、政府や暴力団や宗教団体が国民みんなを脅す名目[めいもく]が立たず国民みんなを脅せない。政府や暴力団や宗教団体は国民に命令して高いお金を取ったり国民を嫌がらせたり国民を殺したり痛めつけたりできない。
昔は国民みんなが現実を知らずに心で生きていたので、政府や暴力団や宗教団体が国を平和にするために国民を脅していた。今は国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足しているので、政府や暴力団や宗教団体が国民みんなを脅せなくなった。
昭和40年=1965年ごろに国民みんなが現実を知らずに心で生きることから現実を知って現実に従って自分の心を満足することに変わった。そのために、政府や暴力団や宗教団体が国民を脅せなくなって国民からお金を取れなくなって滅んでいる。
今の政府は自分が国民を脅せるふりをして国民に命令してお金を取っている。しかし、本当は今の政府は国民を脅せない。だから、国民は政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。暴力団や宗教団体も同様である。今の政府や暴力団や宗教団体は国民が馬鹿かどうか試[ため]すために国民を脅しているのである。だから、国民は自分が馬鹿でなければ政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かなければいいのである。
同じように、昔は会社では社員が現実を知らずに自分の心で生きていたから、社長や幹部が社員を脅して会社を平和にしていた。社長や幹部はみんなの前で立派な演説をして自分が会社の役に立つことをしているふりをして、本当は社員を脅して会社を平和にしているだけだった。しかし、今では社員が現実を知って現実に従いながら自分の心を満足しているから、社員が自分で会社の決まりを守っておとなしくできるようになっているから、社員が社長や幹部に脅してもらう必要がなくなっている。今では社長や幹部が社員を脅せるふりをして社員を脅している。しかし、本当は今では社長や幹部は社員を脅せない。だから、社員は社長や幹部の脅しを聞かないようにして社長や幹部に自分の稼[かせ]ぎをやらないようにして社長や幹部を倒せばいい。
昔はみんなが現実を知らずに心だけで生きていたから、あらゆる集団に“脅し屋”がいてみんなを脅して集団を平和にしていた。しかし、今ではみんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きているから、今ではみんながいろんな集団の決まりを守っておとなしく平和にしている。そのため、今ではみんなが脅し屋が要らなくなって、脅し屋の脅しを聞かなくなって脅し屋を倒して脅し屋をなくしている。
今の政府は国民に「国民の役に立つことをするために税金を取っている」と言っている。しかし、それは人間の平等性に反するからいけない。そんな理屈が通用するなら、誰でも「みんなの役に立つことをするためにお金が要る」と言ってみんなからお金を取れるはずである。しかし、実際にはそうは行かない。だから、政府は国民から強制的に税金を取れない。国民は政府にお金をやりたければやればよく、やりたくなければやらなければいい。そもそも政府の民主主義は芝居である。国民は政府の芝居を本気にしてはいけない。政府は本当は国民を脅すために税金を取っているだけである。今では国民は自分で法律を守って平和に暮らせるので、政府に脅してもらって平和に暮らさなくていいので、政府の脅しを聞かず政府に税金を払わなくていい。
今では国民みんなが現実を知らずに心で生きることから現実を知って現実に従って自分の心を満足することに変わっている。国民みんなの生き方が変わっている。国民みんなの行動パターンが変わっている。普通の仕事は国民みんなが心主義から現実主義に変わっても同じだが、政府や暴力団や宗教団体はなくなる。普通の役職は社員みんなが心主義から現実主義に変わっても同じだが、社長や幹部はなくなる。今は国民みんなが変わっているから、社会や会社もいろいろ変わっているのだ。
[22510] 今の国民は現実のことを知って幸福に暮らしている。 h28.1.28
昔は国民みんなが現実を知らず自分の心だけで生きていた。そんな社会だったから、政府や暴力団や宗教団体が国を平和にするために国民を脅[おど]すことができた。国民みんなは政府や暴力団や宗教団体が国民みんなを脅して国を平和にしてくれるので政府や暴力団や宗教団体に感謝してお金をたくさんやって待遇をよくしていた。
今は国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きている。そんな社会だから、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。国民みんなが政府や暴力団や宗教団体に脅してもらわなくてもよくなって、政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒している。
昔は国の文明が低くて現実についての知識がなくて国民みんなが現実のことを知らなかったので、国民みんなが心だけで生きるしかなかった。ところが、人間の心は現実のことをよく知らないので、国民みんなは現実の中でまちがいを犯して不幸になっていた。例えば、昔のヨーロッパ人は自分が戦争がやりたいので戦争をやってその結果不幸になっていた。例えば、昔の人は他人が自分の気に入らないことをしているのを見て怒って精神分裂病に罹[かか]ったり、自分が嫌なことや落ち込むことを無理に我慢[がまん]してやって神経症や鬱病[うつびょう]に罹っていた。
今は国の文明が高くなって現実についての知識がたくさんあって国民みんなが現実のことをよく知っているので、国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今の国民は現実のことをよく知っているので現実の中でまちがいを犯さなくなって幸福に暮らしている。例えば、今のヨーロッパ人は『戦争をやるとみんなが不幸になる』ことを知っているから自分の“戦争をやりたい気持ち”を抑[おさ]えて戦争をやらなくなっている。(h28.2.8追記:ヨーロッパ人は狩猟民族だから、狩猟民族には“動物を殺したい欲望”があるから、文明が進むとヨーロッパには動物がいなくなったから、ヨーロッパ人は動物の代わりに人間を殺して自分の“動物を殺したい欲望”つまり“戦争をやりたい気持ち”を満足していたのである。狩猟民族の本能を満足していたのである。一方、日本では、昔は国民みんなが“先進国を真似[まね]たい気持ち”を満足するためにヨーロッパ人が戦争をするのを真似て自分も戦争をやっていた。しかし、今では国民みんなが『いくら自分が先進国を真似たくても戦争までもやってはいけない。戦争はお互いに人殺しをし合うだけで人もお金も物もなくなっていいことが何もない。』と考えて自分の“先進国を真似たい気持ち”を抑えて戦争をするのをやめている。日本では国民みんながむやみやたらにヨーロッパを真似るのをやめている。ヨーロッパの良[い]い所(つまり日本人の心を満足するところ)だけを真似るようにしている。)例えば、今の人は『人間の心はみな違うから、人間は自分の心を満足して生きているから、他人が自分の気に入らないことをしているのを見ても自分が腹を立ててはいけない』ことを知っているから、自分の“支配欲”を抑えて精神分裂病に罹らなくなっている。今の人は『人間の脳にはテレパシー器官がある』ことを知っているから、自分の“テレパシーを使いたい気持ち”を抑えてテレパシーを使わなくなって精神分裂病に罹らなくなっている。今の人は『人間は自分が嫌なことや落ち込むことをやってはいけない』ことを知っているから、自分の“見栄欲[みえよく]”を抑えて素直[すなお]に自分が好きなことをやって嫌いなことをやらないようにして神経症や鬱病に罹らなくなっている。
人間は現実のことを知れば現実の中でまちがいを犯さなくなって幸福になれる。今の人は現実のことをよく知って幸福に暮らしている。今の人は『政府や暴力団や宗教団体が国民を脅して国を平和にする団体である』ことを知って、政府や宗教団体の芝居に惑[まど]わされず、政府や暴力団や宗教団体を怖がらず、『今では国民みんなが法律を守って平和に暮らしているから今の国民みんなには政府や暴力団や宗教団体が要らない』と考えて、政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かなくなって早く政府や暴力団や宗教団体を倒して幸福に暮らさねばならない。
[22511] 今の人は法律を知っているので政府が要らなくなっている。 h28.1.28
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は民主主義の芝居をやって国民みんなの役に立つことをやっているふりをしているが、現実には政府は国民を脅して国を平和にしているだけである。
昔は文明が遅れていて現実についての知識がなかった。そのため、昔の人は現実を知ることができず自分の心で生きるしかなかった。昔の人は平和に暮らすために政府に脅されて怖がらされておとなしくさせてもらうしかなかった。昔の人にとっては政府は国を平和にする善い団体だったので、昔の人は政府をありがたがっていた。
今は文明が進んで現実についての知識がいっぱいある。今の人は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今の人は法律(つまり人間が社会の中で平和に暮らすための決まり)を知って法律を守って平和に暮らせるようになっている。そのために、今の人にとっては政府が要らなくなって、今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。今の人にとっては法律が要るから、今の人は法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。(国民の中に政策をやりたい者がいれば、自分で政策会社を建てて政策をやればいい。しかし、自分で儲[もう]かる政策を考えることができるなら、自分で政策をやって自分が儲ければいいから、わざわざ他人を儲からせる者なんかいないから、政策会社なんか出来ないだろう。だから、今の政府がやっている政策はみんな国民に対する虐[いじ]めなのである。)
昔の人は心で生きていた。だから、国のことは国民みんなの多数決で決めていた。昔は国民のほとんどが政府の脅しを聞いていたから、国民みんなが政府の脅しを聞かねばならなかった。今の人は現実を知って現実に従って生きている。だから、国のことは現実についての正しい認識で決めればいい。今ではすでに国民みんなが法律を守って平和に暮らしているから、国民みんなは政府の脅しを聞かなくていい。だから、今の人は政府の脅しを聞かなければいい。たとえ周[まわ]りのみんなが政府の脅しを聞いていても、自分ひとりで政府の脅しを聞かなければいい。今の人は自分ひとりで政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。いまだに政府が残っているのは、国民の多くが政府などのことについて正しいことがわかっていないからである。しかし、それは国民の多くが正しいことがわかっていないのが悪い。今はみんなが現実に従う時代だから、正しい者がまちがった者に従う必要はない。だから、正しい者はまちがった者に従わず、政府を倒せばいいのである。(昔は多数決があった。日本ではいつの時代でも国民が世界中の文化をやっていた。国民がおもにヨーロッパ文化をやるかおもにアジア文化をやるかは国民個人の自由だった。だから、平賀源内が江戸中期にヨーロッパ文化をやってもかまわなかった。国民みんなの多数決で政府か幕府かが決まった。国民の過半数がおもにヨーロッパ文化をやるときは政府になり、国民の過半数がおもにアジア文化をやるときは幕府になった。だから、先進国が替わってからしばらく時間が経[た]って政府と幕府が替わった。昔はみんなが自分の心に従っていたから、政府や幕府は自分があまり替わりたくなかったから、自分が粘[ねば]れるだけ粘ってから国民みんなに倒されてしかたなく替わったのである。)
近代科学が始まってから約400年が経っている。今では人間が現実についていろんなことを知っている。そのために、人間の生き方が変わって暮らしが変わっている。
[22512] 今は現実についての知識があるから世の中が変わっている。☆ h28.1.29
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
政府は民主主義の芝居をやって自分が国民に隠しながら国民を脅して国に身分制が出来ないように工夫している。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が低くて現実についての知識がなかったので、国民みんなが現実のことを知らなかったので心(人間が生まれつき持っている現実についての認識)で生きていた。昔はまだ法律(人間が平和に暮らすための決まり)がわかっていなくて、国民みんなが法律を知らなかったので、平和に暮らすために政府に脅してもらって政府を怖いと思わされておとなしくさせてもらっていた。国民みんなは政府のおかげで平和に暮らせていたので、政府をありがたく思っていた。
今は国の文明が高くて現実についての知識があるので、国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今は法律がわかっているので、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今では国民みんなが政府に脅してもらって平和にしてもらわなくてもよくなったので、国民みんなにとって政府が要らなくなったので、国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。国民みんなで政府の替わりに法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
昔は国民みんなが自分の心で生きていた。今は国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。国民みんなの生き方が変わっている。そのために、世の中が変わっているのだ。
[22513] 今は心の時代から現実の時代に変わっている。 h28.1.30
政府が国民の役に立つことをやっているかやっていないかはわからない。例えば、政府が国民を儲[もう]からせているかどうかはわからない。しかし、政府が自分が国民の役に立つことをすることを理由にして国民に命令して国民からお金を取って国民を脅[おど]していることは確かな事実である。だから、それが政府の仕事である。どうでもいい理由をつけて国民を脅すことが政府の仕事なのである。国民から見てはっきりとやっているのがわかることが政府の仕事である。国民は政府が仕事(つまり国民を脅すこと)をやっているから政府にお金を払うのである。やっているかやっていないかわからないことでは仕事にはならない。はっきりやっているとわかることでないと仕事にはならない。政府がはっきりとやっているのは国民を脅すことだけである。だから、政府は国民を脅すことが仕事である。政府は中ではなんの仕事もやっていなくて、外で国民に対してやっていること(つまり国民を脅すこと)が仕事のすべてである。政府は民主主義をやる団体ではなく、国民を脅して国を平和にする団体なのである。政府が国民みんなの役に立つことをやっているとか国民を儲からせるために経済政策をやっているとか言っているのはすべて政府のでっち上げである。政府が国民を脅すために作り出した嘘[うそ]の理由である。政府は自分が国民を脅す口実を作るために民主主義の芝居をやっているのである。自分が仕事を休みたいときに体調が悪いとか親の葬式に出るとか言うのと同じことである。相手が眼で見てわからない理由をテキトウにつければいいのである。政府は自分が国民を脅しているのを隠して国に身分制が出来ないようにするためと同時に自分が国民を脅す口実を作るために民主主義の芝居をやっているのである。(同じように、宗教団体がやっていることも脅しである。宗教団体は国民を脅して国を平和にする団体である。例えば、国民が神社やお寺でお参りをしたりお賽銭[さいせん]をあげたりおみくじを引いたりするのも宗教団体の国民に対する脅しである。表面的にはわからないが、心の奥では脅しなのである。今では国民みんなが法律を守って平和に暮らしているので、もはや宗教団体に脅されて平和にしてもらわなくてもいい。神社やお寺にお参りをしなくてもいいのである。今では時代の流れだから、政府や宗教団体や暴力団が滅ぶのはしかたがない。)
政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったりわざとに経済恐慌や不景気にして国民を貧乏にして国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を不幸にして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は現実についての知識がなかった。法律(人間が平和に暮らすための決まり)がなかった。だから、国民みんなは法律を守って平和に暮らすことができず、政府に脅されて怖がらされておとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。国民は政府のおかげで平和に暮らせるので政府に感謝していた。
今は現実についての知識がたくさんある。法律がある。だから、国民みんなは自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしているので、政府に脅されておとなしくさせられて平和に暮らす必要がない。だから、今の国民みんなは政府の脅しを聞かなくなって政府にお金(税金や医療保険費や消費税など)をやらなくなって政府を倒しているのである。今の国民みんなは法律を守って平和に暮らしているから、国民みんなで法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらえばいいのである。
昔は法律がなかったので、国を平和にするためには政府が国民を脅して国民を不幸にしないといけなかった。昔は政府が国民を脅すことは必要悪だった。しかし、今は法律があるので、国を平和にするためには国民が自分で法律を守ればよく、政府が国民を脅さなくてもかまわない。だから、今は政府が国民を脅して国民を不幸にする必要がない。今では政府が国民を脅すのは“不要悪”である。
今は心の時代から現実の時代に変わっている。国民みんなの生き方が変わっている。国民が心だけで生きることから現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きることに変わっている。そのために世の中が変わっている。政府が潰[つぶ]れて法律会社が建っているのだ。
国民にとっては政府が法律会社に替わってもそれほどうれしくはない。人間の心はそんなに正しくないからだ。人間の心は正しいことで面白いと思うようには出来ていない。人間の心は当てにはならない。人間の心がうれしく思わないからといってやらなくていいわけではない。正しいことならやらねばならない。心で見てはいけない。頭で見ないといけない。それが現代というものだ。だから、今の国民みんなで早く政府を倒して法律会社に替えねばならない。近代までは人間は現実を知らずに自分の心で動いていたから、自分が面白いと思うことをやり面白いと思わないことをやらなかった。しかし、現代では人間は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して動いているから、たとえ自分が面白いと思わないことでも正しいことをやらねばならない。たとえ自分が面白いと思ってもまちがったことをやってはいけない。昔と今では人間の行動原理が違うのだ。今では国民みんなが法律を守って平和に暮らしているから、国民みんなが政府の脅しを聞かないのが正しいことである。だから、国民みんなはそうしないといけない。いくら国民が政府に潜在意識的(サブリミナル)に脅されているために政府が怖くて政府の脅しを聞いたほうが安心できるからといって政府の脅しを聞いてはいけない。脅しには相手の恐怖心を刺激して相手を言いなりにする作用があるから、国民は政府に脅されて政府の言いなりになっているのである。人間の心は現実を知らないから、人間は心のまま動いてはいけない。頭で考えて動かねばならない。国民みんなは“自分が政府の言いなりになりたい気持ち”を抑えて政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒さねばならない。
[22514] 国の文明が進むと政府が滅ぶ。 h28.1.30
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府はテレビや新聞で民主主義の芝居をやって国民を脅すための口実を作っているのである。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が遅れていて、現実についての知識がなかった。法律(人間が平和に暮らすための決まり)がなかった。そのために、国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らすことができず、政府の脅しを聞いて怖がらされておとなしくさせられて平和に暮らしていた。
今は国の文明が進んで、現実についての知識がいっぱいある。法律がある。そのために、国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らすことができるので、政府に脅される必要がなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。国民みんなで政府の替わりに法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。今はまだ政府の法律会社が政府からお金をもらって経営しているので、国民は政府の法律会社を無料で利用すればいい。そのうち政府が潰[つぶ]れたら、国民は法律会社にお金を払って仕事をしてもらえばいい。
つまり、国民が政府の脅しを聞くか聞かないか(つまり政府に権力があるかないか)は、国の文明が進んでいるか遅れているかだけで決まる。国民の性格や国民が現実が好きか嫌いかによっては決まらない。
今の日本は文明が進んでいるから、国民みんなが法律を守って政府の脅しを聞かなくなって政府が潰[つぶ]れている。政府が潰れるか生き残るかは、国の文明が進んでいるか遅れているかで客観的に決まることである。国の文明が進んでいるか遅れているかは政府にとっても国民みんなにとってもどうしようもないことである。国の文明が進んでいることは国中のみんなにとって名誉[めいよ]である。政府にとっても国民みんなにとってもうれしいことである。だから、政府は喜んで胸を張って滅べばいいのである。
[22515] 国の文明が進むと国民みんなが現実主義になって政府が滅ぶ。☆ h28.1.31
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国が儲[もう]かってきたらわざとに経済恐慌や不景気にして国民を貧乏にして国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を不幸にして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を脅しているのだから、政府と国民は平等である。政府はテレビや新聞で民主主義の芝居をやって国民みんなに自分が国民を脅しているのを隠して、潜在意識的(サブリミナル)に国民を脅している。そのようにして、政府は眼で見ることしかわからない馬鹿にとっても政府と国民が平等に見えるように配慮して国に身分制が出来ないようにしているのである。政府は眼で見ることしかわからない頭で考えて物を見ることができない馬鹿のためにわざわざ民主主義の芝居をやっているのである。政府は国に身分制が出来ないようにするために民主主義の芝居をやっているだけだから、現実には民主主義をやっていない。政府は芝居で民主主義をやっているだけで、現実には民主主義をやっていない。政府は国民みんなの役に立つことをする芝居をしているだけで、現実には国民みんなの役に立つことをしていない。政府は現実には国民を脅して国を平和にしているだけである。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が遅れていて国に現実についての知識がなかった。法律(人間が平和に暮らすための決まり)がなかった。そのために、国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らすことができず、政府に脅されて政府を怖がらされておとなしくされて平和に暮らしていた。国民みんなは政府のおかげで平和に暮らせるので政府を善い団体だと思って政府に感謝していた。
今は国の文明が進んでいて国に現実についての知識がいっぱいある。法律がある。そのために、国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らすことができるので、政府に脅されて平和に暮らさなくてもよくなっている。国民みんなは政府が要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金(税金や厚生年金や医療保険費や消費税)をやらなくなって政府を倒している。国民みんなは政府の替わりに法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
国の文明が進むと国に現実についての知識がたくさんあるようになって、国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きるようになる。国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らすようになって、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒すようになる。国の文明が進むと政府が倒れるのは歴史の必然である。そのために、今の政府は倒れているのである。今では国の文明が進んでいるから、国民みんなは遠慮せずに政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
今の国民は自分で法律を守って平和に暮らしている上に政府に脅されて政府に怖がらされておとなしくされて平和に暮らしている。今の国民は政府の付属の法律会社と政府の両方にお金を払っている。お金が2倍かかっている。今の国民が政府にお金を払うのはお金の無駄[むだ]である。だから、国民みんなで早く政府を倒して法律会社だけにして法律会社にだけお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
[22516] 今の政府は情報操作をやって自分が国民みんなに倒されないようにしている。
h28.1.31
政府は国民を不幸にすることをやって国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。昔は国の文明が遅れていて国民みんなが法律を知らず法律を守って平和に暮らすことができなかったから、国民みんなは政府に脅してもらって平和に暮らさねばならなかった。だから、昔の国民みんなは政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府を食わせていた。しかし、今では国の文明が進んで国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らしているから、国民みんなは政府に脅してもらって平和に暮らす必要がない。だから、今の国民みんなは政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい。
それなのに、今の国民の多くは昔と同じように政府の脅しを聞いて政府に税金を払っている。今の国民の多くが政府を倒そうとしないのは、今の国民の多くが正しいことを知らないからである。
人間は正しいことを知らないと自分ができることをできないと思ったり、自分ができないことをできると思ったりする。自分がやっていいことをやってはいけないと思ったり、自分がやってはいけないことをやっていいと思ったりする。
今では国民みんなが政府を倒していいから、政府は一生懸命に情報操作をやって自分が国民に倒されないようにしている。政府はあからさまに国民みんなに「政府を倒してはいけない」とは言わないが、テレビドラマや子供番組などで「政府を倒してはいけない」と思わせるようなことを流して国民みんなに政府を倒してはいけないと思わせている。そのために、政府はテレビ局やマンガ家にたくさんお金をやってテレビ局やマンガ家をいい待遇にしているのである。
国民みんなは政府の情報操作に騙[だま]されないようにして、自分で正しいことを知って正しいことを考えて政府を倒さねばならない。国民みんなで早く政府を倒して政府を楽にしてやらねばならない。国民みんなで早く政府を倒して心主義の世界を終わらせて現実主義の世界にしないといけない。
[22517] 日本人は政府や幕府が国民を脅[おど]して国を平和にする団体であることを知っている。
h28.2.1
日本で江戸時代に身分制が出来なかったのは、国民みんなが『幕府が国民を脅[おど]して国を平和にする団体である』ことを知っていたからである。国民みんなが自分の頭で『幕府が国を平和にして国民を幸福にするために国民を脅している』と考えながら幕府が国民を脅しているのを見ていたから、日本に身分制が出来なかったのである。
それなら、歴史の伝統で今の国民みんなも『政府も幕府と同じように国民を脅して国を平和にする団体である』ことを知っているはずである。
今の国民みんなは『今では国の文明が進んで国に現実についての知識や法律があるから、今の国民みんなは自分が法律を知って法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅してもらって平和にしてもらわなくてもいい』ことがわかるはずである。
だから、今の日本では国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。今の日本では国民が政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒すのは正しいことだからそうすればいいのである。
今は科学の時代である。国に現実についての知識がたくさんあって、国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して暮らす時代である。だから、今の国には政府についての知識や国民みんなについての知識があるのである。『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことや『今の国民みんなは法律を守って平和に暮らしていて政府が要らないから、政府の脅しを聞かなければいい』ことなどの知識があるのである。だから、国民はそれらの知識を使って政府の脅しを聞くのをやめて政府を倒せばいいのである。国民みんなで早く心主義の時代を終わらせて現実主義の時代にして幸福に暮らさないといけない。
人間の心は人間が生まれつき持っている現実についての認識である。人間の心はあまり現実を知らない。だから、人間が自分の心のままに生きていると現実の中でまちがいを犯して不幸になる。人間が現実を知って現実に従って自分の心を満足すれば、現実の中でまちがいを犯さず不幸にならずにすむから幸福に生きて行ける。昔は現実についての知識がなかったから、いくら人間が現実を知りたくても知ることができなかった。人間は現実を知らないまま生きて現実の中でまちがいを犯して不幸にならねばならなかった。今は現実についての知識がたくさんあるから、人間が現実を知りたければすぐに知ることができる。人間は現実を知りながら生きて現実の中でまちがいを犯さず不幸にならずにすんで幸福に生きて行ける。だから、今の国民は一生懸命に現実を知って現実に従って生きていけばいいのである。
[22518] どうして政府は女やカタワにモテるのか? h28.2.1
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。
政府は国民を不幸にして国民を脅すために、弱者である女やカタワを有利にする政策をやる。政府は女やカタワを有利にする政策をやって国民の経済負担を増やして国民を貧乏にして国民を苦しめて国民を脅して国を平和にするのである。
政府は女やカタワを国民を脅すための道具にする。政府は国民を脅すために、女やカタワを有利にする。だから、政府は女やカタワにモテるのである。女やカタワは政府を激しく支持するのである。
しかし、今は国の文明が進んで国に現実についての知識があって法律があって、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今では国民みんなにとって政府が要らなくなっている。今の国民みんなは政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
今では国民みんなが政府の脅しを聞くのをやめている。そのために、女やカタワを有利にする政策がなくなって社会が正常に戻っている。実力のある者が有利になり、実力のない者が不利になっている。国民みんなが幸福に暮らせる社会になっている。
一般に、政府が福祉をやるのは、政府が身体障害者を有利にするために国民を不利にして国民を不幸にして国民を脅して国を平和にするためである。つまり、政府が福祉をするのは、政府が身体障害者を使って国民に嫌がらせをするためである。今では国民みんなが自分で法律を守って平和に暮らせるから、国民みんなは政府の脅しを聞くのをやめて政府の福祉政策をやめねばならない。そうすれば、身体障害者は早く死んで楽になって、ほかの国民も厄介者[やっかいもの]がいなくなって幸福になってみんなが幸福になる。身体障害者はもともと幸福に生きることができないから、いくら身体障害者を有利にしても無駄[むだ]である。身体障害者にとっては生きていることが不幸である。身体障害者は生きているかぎり苦しまねばならない。身体障害者にとっては生きているよりも死んだほうが幸福である。だから、国民みんなで身体障害者を殺してやって楽にしてやらねばならない。
今の日本では政府が国民みんなを脅す政策をいっぱいやっているから、国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっているのである。国民みんなは政府を倒して法律会社を建ててみんなで法律を守ってみんなと平和にやるだけでいい。あとは国民みんなが自分の心で好き放題に生きていけばいい。そうすれば、国民みんなにとって幸福な国になるだろう。
政府が国民に省エネ省資源をやらせるのも国民に対する嫌がらせである。政府は国民を脅すために国民に省エネ省資源をやらせるのである。しかし、今では国民は法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅してもらわなくていい。国民は政府の脅しを聞かず自分の好き放題にエネルギーや資源を使って楽しく暮らせばいい。
[22519] どうして政府や幕府についての知識がなかったのか? h28.2.2
昭和40年=1965年ごろまでは心の時代だった。現実についての知識がなかった。みんなが現実について考えようとせずに現実を知らずに自分の心のままに動いていた。
だから、政府や幕府についての知識がなかったのである。
しかし、昭和40年から後は現実の時代になった。現実についての知識があるようになった。みんなが現実について考えて現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きるようになった。
だから、今は政府や幕府についての知識があるのである。国民の有志[ゆうし]が政府や幕府について考えて政府や幕府について知って政府や幕府についての知識を言葉や文字にしてみんなに広めているのである。
だから、最近は政府や幕府についてみんなが知っているようになっている。みんなが政府や幕府についての知識に基づいて考えたり行動したりするようになっている。だから、今ではみんなが政府を倒して政府が滅んでいるのである。政府の替わりに法律会社が建って、みんなが法律会社と契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらおうとしているのである。
私は28歳のころ(1992年ごろ)に『知るとは何か?』について考えた。私は『現実を知るとは、自分が知覚に持っている概念を組み合わせて現実と同じことを作ることだ』とした。だから、私は現実を知ることができるのである。みんなも現実について知りたければまず知ることについて理解しないといけない。
政府は悪いことをやっているが、悪い団体ではない。私は政府について考え出した最初のころから政府が悪いことをやっていることを知っていたけれども政府が悪い団体だという気がしなかった。それをどう理解するかに時間がかかった。10年もかかった。政府についてよく知っている人はすぐにわかったかもしれないが、私はそれまで全然政府のことを知らなかったのでずいぶん時間がかかった。最近(約3ヶ月前)になってようやく私は政府のことが理解できた。みんなは私ほど考える時間がないから、みんなは私が考えたことを学んで身に付ければいい。そのうち私か誰かが考えたことがいろんな本に載るようになってみんなが知っているようになるだろう。みんなで政府を倒して法律会社を建てて幸福に暮らすようになるだろう。
[22520] 今は現実主義の時代だから国民は正しいことをやればいい。 h28.2.3
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が遅れていたので現実についての知識がなく、国民みんなが現実を知らず自分の心のままに生きていた。人間の心は現実をあまり知らないので、国民みんなが現実の中でまちがいを犯して不幸になっていた。
今は国の文明が進んでいるので現実についての知識があって、国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今の国民みんなは現実をよく知っているので、現実の中でまちがいを犯さなくなって不幸にならなくなって幸福に暮らしている。
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国が儲[もう]かるようになると不景気にして国民を嫌がらせたり国民が嫌いなことを流行[はや]らせて国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は民主主義の芝居をやって国民に「政府が国民よりも身分が高い」と思わせないようにして国に身分制が出来ないようにしている。
法律会社は国民に法律(人間が平和に暮らすための決まり)を守らせて国を平和にする団体である。法律会社は法律を定めて国民に法律を教えて法律の違反者を取り締[し]まって国民みんなに法律を守らせる。法律会社はまちがった法律を定めて国民に迷惑をかけたら責任を取って弁償したり罰せられたりしないといけない。
昔は心主義の時代だったから、国民は多数決で決めたことをやらねばならなった。昔は国民の多くが法律を知らず法律を守らず政府に脅されて平和に暮らしていたので、国民みんながそうしなければならなかった。だから、昔の国民は政府の脅しを聞かねばならず政府に税金を払って政府を養[やしな]わねばならなかった。
今は現実主義の時代だから、国民は正しいことをやればいい。今では国民みんなが法律を守って平和に暮らしているから政府の脅しを聞かなくていい。だから、今の国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。今の国民は政府を倒して法律会社に替えて、法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらえばいい。
どうせマンガ家は政府に頼まれて「税金を払わない者が警察に捕まって牢屋に入れられて泣くマンガ」を描いたりするだろう。マンガは現実でないことを描くからそんなことを描けるのである。国民みんなはマンガやテレビドラマなどを真[ま]に受けず正しいことをしないといけない。
[22521] どうして政府は悪いことをやっているのか?☆ h28.2.4
政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったりわざとに下手[へた]な経済政策をやって国を不景気にして国民を貧乏にしたり国民が嫌なことを流行[はや]らせて国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして悪いことをやっている。
政府が悪いことをやっているのは国を平和にするためである。
昔は国の文明が遅れていて現実についての知識がなくて、国民みんなが現実を無視して自分の心で生きていた。昔は国に法律(人間が平和に暮らすための知識)がなかったので、国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らすことができなかったので、国民みんなが政府に悪いことをされて政府に脅[おど]されて政府を怖いと思わされておとなしくさせられて平和に暮らさねばならなかった。国民みんなは政府が国を平和にしてくれるので政府に感謝していた。政府は国民みんなの人気者だった。
今では国の文明が進んで現実についての知識がたくさんあって、国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きている。今は国に法律があるので、国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らすことができるので、国民みんなが政府に脅される必要がなくなって政府にお金(税金や厚生年金や医療保険費や消費税など)をやらなくなって政府を倒している。(h28.2.5追記:道路公団が道路を作るためにお金が必要なら、国民から直接にお金を取って作ればいい。道路公団が政府から税金の残りをもらって道路を作らなければいい。道路公団が政府を介してお金をもらっているために、政府が生き残って政府が国民みんなを脅して国民みんなが不幸にされるのである。道路公団は高速道路の通行料を取ったり道路代(一般道路の基本使用料)を取ったりして政府を介さずに自分で直接国民からお金を取って道路を作ればいいのである。自動車は道路とセットになってはじめて自動車が道路の上を走れるのだから、道路公団が道路の利用者から道路代を取ればいいのである。コンピューターとインターネットがセットになってはじめてインターネットができるから、プロバイダーがインターネットの利用者からインターネット代を取っているのと同じことである。)
今は科学の時代である。科学ではたんに事実を知るだけではなく、その理由を考えねばならない。理由を考えることによって、事態が改善される道が開ける。今の国民は法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅してもらって平和に暮らさなくていいから、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
[22522] 先進国とは何か?☆ h28.2.5
昔は世界中の国で現実についての知識がなかったので国民みんなが現実を無視して自分の心で生きていた。
今は世界中の国で現実についての知識があるので国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きている。
だから、先進国とは現実についての知識がたくさんあって国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足している国である。
以前に私は「今では世界中の国が等しく先進国だ。ヨーロッパもインドも中国もアフリカも同じ先進国だ。」と言ったが、それはまちがいである。本当は、『先進国とは文明国のことであり、ヨーロッパがもっとも先進国であり、次が中国で次がインドで最後がアフリカである。』私の以前の図([22206] 先進国も後進国もない。 h27.10.23の図)はそこがまちがっている。昔の世界観と今の世界観がひっくり返っている。
先進国は文明国である。だから、日本が先進国になりたければ国に現実についての知識を増やして国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足する国にならねばならない。国民みんなが現実の中で幸福に暮らす国にならねばならない。
昔は世界中の国で国民みんなが現実を知らず現実を無視して自分の心で生きていた。今では世界中の国で国民みんなが現実を知って現実の中で自分の心を満足して生きている。そのために、今では昔ほど国による文化の違いがなくなっている。世界中の国が同じような文化になっている。それでも国によって国民みんなの心が違うから、今でも国による文化の違いはある。
たとえ人間が頭で何を感じていても、実際には人間は現実の中で生きている。それなのに、人間の心は現実をあまり知らない。だから、人間が自分の心だけで生きていると現実の中でまちがいを犯して不幸になる。人間が現実を知って現実の中で自分の心を満足すれば、現実の中でまちがいを犯さず不幸にならず幸福に暮らせる。だから、今では世界中の国で国民みんなが現実を知って現実に従って暮らすようになっているのである。世界中のどこの国でも人間はみな幸福になりたい。不幸になりたくない。だから、今では世界中の国で国民みんなが現実を知って暮らすようになっているのである。
今の政府は国民みんなを現実嫌いにして心主義にするために、国民みんなに「今では世界中の人類が自分の心のままに生きている。今では世界中の国が等しく先進国である」というまちがった世界観を教えている。国際会議のときに世界中の国の政府の代表者が輪になって座って「世界中の国が等しく先進国である」とみんなに思わせている。今の政府は「国民みんなが心主義になれば、国民みんなが昔のように法律を知らず法律を守らなくなって政府に脅[おど]されて平和に暮らすようになる」と思って、国民みんなにまちがった世界観を教えているのである。国民みんなは政府のまちがった教えを学ばないようにして、自分で正しいことを考えて生きていかねばならない。
国際連合は世界における政府である。国際連合は世界中のみんなを脅して世界を平和にする団体である。国際連合は世界中のみんなに命令して高い税金を取ってみんなに嫌がらせをして事件や事故を起こしてみんなを殺したり痛めつけたりしてみんなを脅しておとなしくさせて世界を平和にする団体である。国際連合は世界に身分制が出来ないようにするために政府と同じように民主主義の芝居をやっている。昔は世界中の国の文明が低くて世界中のみんなが国際連合に脅されて平和に暮らしていた。そのため、昔は世界中のみんなが国際連合の脅しをよく聞いていた。しかし、今では世界中の国の文明が高くなって世界中のみんなが法律(国家間の法律)を知って法律を守って平和に暮らしている。今では世界中のみんなにとって国際連合は要らない。世界中のみんなで国際連合の脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって国際連合を倒さねばならない。世界中のみんなで国際連合の替わりに国際法律会社を建てて、国際法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。ついでに、社長は社員みんなを脅して会社を平和にする者である。社長は社員に命令して社員の稼[かせ]ぎを奪ったり社員の嫌がらせをしたり社員に暴力をふって社員を殺したり痛めつけたりして社員を脅しておとなしくさせて会社を平和にする。社長は政府と同じように民主主義の芝居をやって社員旅行の宴会で芸をやったり朝礼で自分が会社のために役に立っているウザい演説をしたりしている。昔は社員が会社の決まりを守らず社長に脅されておとなしくして平和にしていた。しかし、今では社員は会社の決まりを守っておとなしく平和にしている。今の社員にとっては社長は要らない。だから、社員は社長の脅しを聞かず社長にお金をやらず社長を倒せばいいのである。社長の替わりに会社の中に法律課を設けて会社の決まりで社員を取り締[し]まって会社を平和にしてもらえばいいのである。
文化人類学によれば『世界中の人種にはそれぞれ長所と短所の両方がある』ことがわかっている。だから、世界中のみんなが自分の長所を活かして短所を克服して幸福に暮らすことが大事である。例えば、『日本人は知覚と心が発達して五感が弱い』から、日本人は頭(ここでは知覚のこと)から現実に近づかねばならない。つまり、日本人は“考える喜び”を満足するために知覚で現実についてよく考えて、正しい知識に基づいて眼で物を見て現実の中でまちがいを犯さないようにして不幸にならないようにして幸福に生きていかねばならない。
人間は自分の知覚にある概念を組み合わせて現実の対象と同じことを作ることによって現実の対象を理解することができる。知覚における概念は五感における経験を分析することによって得られる。人間は子供のころは五感的である。子供は知覚よりも五感のほうがよく働く。だから、日本人は子供の頃はよく自分の眼で現実を観察して具体的な経験を得なければならない。自分の経験を素[もと]にして、知覚において経験が分析されて概念が得られるのである。
昔も今もヨーロッパは先進国のままである。昔の人はヨーロッパの真似[まね]をしていたが、今の人はヨーロッパの真似をしていない。それは、昔の人が現実を知らず自分の心のままに生きていたのに対し、今の人は現実を知って現実に従って自分の心を満足しているからである。昔の人は現実を知らずに自分の心のままに生きていたから、自分の“先進国を真似たい気持ち”を満足してヨーロッパの善いところも悪いところも丸ごと全部真似ていた。そのために、下手[へた]な戦争もやった。日本人は戦争の才能がないのにそれでも国民みんなで一生懸命戦争をやった。昔の国民が“自分が平和に暮らしたい”ために政府の脅しを聞いていたのと同じである。昔の人は自分の心を満足するためには嫌なことも我慢[がまん]していたのである。昔の人は戦争をしたくない気持ちよりも先進国を真似たい気持ちのほうが強かったから戦争をやったのである。昔の人は政府に脅されたくない気持ちよりも平和に暮らしたい気持ちのほうが強かったから政府の脅しを聞いていたのである。昔の人は兵器を使う知識はあったが、ヨーロッパ文化や戦争についての知識がなかった。昔の人は生活や仕事についての知識はあったが、法律についての知識がなかった。反対に、今の人は現実を知って現実に従って自分の心を満足しているから、『ヨーロッパ人と日本人は心が違うからヨーロッパ文化には日本人の心を満足するところと満足しないところがある』ことを認めてヨーロッパ文化の中の日本人の心を満足することだけを真似るようになったのである。ヨーロッパの科学が進んでいるところだけを真似て、戦争をやったり身分制をやったり国家宗教をやったり悪いことをやったり見かけに凝[こ]ったりするのを真似なくなったのである。今の人は『政府は国民を脅して国を平和にする団体であり、今の国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅されなくていい』と考えて、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。つまり、日本も先進国の一員になったのである。
[22523] 税金はどうして収入によって変わるのか? h28.2.6
政府は国民から税金を取っている。税金は収入が多い人から多く、収入が少ない人から少なく取っている。
それは、政府が国民を脅[おど]して国を平和にするために国民から税金を取っているからである。政府が国民みんなから同じ金額の税金を取ると、お金持ちからちょっとだけお金を取ることになってお金持ちが脅せなくなる。政府はお金持ちを脅すために収入に応じた税率で税金を取っているのである。
しかし、今では国の文明が高くなって国に現実についての知識がたくさんある。法律がある。国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らしている。国民みんなが政府に脅されなくてもよくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。国民みんなで政府の替わりに法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
法律会社は国民を脅さない。法律会社は国民みんなに対して同じサービスをするから国民みんなから同じ金額のお金をもらう。お金持ちが有利になる。お金持ちにとってはうれしいことである。お金持ちは有能な人が多いから、お金持ちが有利になると有能な人が多く生き残るから世の中がよくなる。だから、それでいいのである。
[22524] 今の日本は文明が高くなっているから国民みんなが政府を倒している。
h28.2.7
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったりわざとにまちがった経済政策をやって不景気にして国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を不幸にすることをやって国民を脅して国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は馬鹿な国民が政府が国民を脅しているのを見て「政府が国民よりも身分が上だ」と思って国に身分制が出来ないようにするために、民主主義の芝居をやって自分が国民みんなのためになることをやっているふりをして自分が国民みんなを脅しているのを隠している。要するに、現実には政府は国民を脅して国を平和にすることしかやっていないのである。
国の文明が遅れていると、国に現実についての知識がなくて、法律(人間が社会の中で平和に暮らすための決まり)がなくて、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らすことができず、政府に脅してもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らさねばならない。国民みんなが政府の脅しを聞いて政府に税金を払って政府を養[やしな]っている。
国の文明が進むと、国に現実についての知識がたくさんあるようになって、法律があるようになって、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らすようになる。国民みんなが政府に脅してもらって平和に暮らさなくてもよくなる。国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒すようになる。
今(昭和40年=1965年ごろから後)の日本は文明が高くなっている。そのために、国民みんなが自分で法律を守って平和に暮らすようになって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。時代が進むと国の文明が高くなるのは歴史の必然である。だから、今の国民みんなは自信を持って政府を倒せばいいのである。
今でも国民の多くが政府の脅しを聞いているのは、国民の多くが政府について正しいことを知らないからである。馬鹿は今でも現実を知らず自分の心だけで生きているから政府が必要なのである。馬鹿は現実を知らないから政府のことを知らないし、法律を知らないから自分で法律を守って平和に暮らすことができないから政府に脅してもらって平和に暮らさねばならないのである。国民みんなは馬鹿をほっといて、自分は現実を知って生きるようにして、政府のことを知って法律を知って法律を守って暮らすようにして、政府が要らないと考えて政府を倒せばいいのである。
ようやく国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きるようになった。世の中に現実についての正しい知識が浸透すれば、国民みんなが自然に正しいことを知って正しいことをやってまちがいを犯さなくなって不幸にならなくなって幸福に暮らせるようになるだろう。そうなるように、国民みんなで現実について考えて現実についての知識を増やしていかねばならない。国民みんなで正しい知識を教え合って正しい知識を広めていかねばならない。
今は現実主義の時代である。今の時代には人間は「自分が何のために生きているか?」つまり「自分が何の感情を満たすために生きているか?」ではなく、『自分がどうすれば現実の中でより幸福に生きていけるか?』を考えねばならない。人間が現実の中で幸福に生きるためには、現実をよく知り現実に従って生きるしかない。
[22525] 今では店が客に消費税を払うか払わないかいちいち訊[き]けばいい。
h28.2.9
昔は国の文明が遅れていて国に現実についての知識がなくて国民みんなが現実を知って現実に従うことができなくて国民みんなが自分の心で生きていた。そのために、昔は国のことを多数決で決めていたから、国民の過半数が政府に脅[おど]されていたから、国民みんなが政府の脅しを聞かねばならなかった。
しかし、今は国の文明が進んで国に現実についての知識がたくさんあって国民みんなが現実を知って現実に従うことができて国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きていて、国民みんなが現実において正しいことをやっていればめいめい自分の心を満足して自由に生きればいい。『今では国民みんなが法律を守って平和に暮らしていて政府に脅されなくていい』ことが正しいから、国民みんなが政府の脅しを聞かなければいい。
今は国民みんなが自分の心に従うことから現実に従うことに変わっていて、国民が政府の脅しを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。国民が消費税を払うか払わないかは国民個人の自由である。だから、店が客に消費税を払うか払わないかいちいち訊[き]くようにすればいい。あるいは、客が店に自分が消費税を払うか払わないかを告[つ]げればいい。
客と店がいっしょになって国民みんなで政府に消費税を払わないようにして心主義の国から現実主義の国に変えていかねばならない。国民みんなの生き方を変えていかねばならない。
[22526] 日本人は自分の不細工[ぶさいく]さに誇[ほこ]りを持たねばならない。
h28.2.10
インド人は奇形に寛大である。だから、インド人は頭がいいのである。インド人は先天異常を大事にする習慣があるから、知覚が発達した者が多く生き残って頭がいいのである。
日本人もちょっと奇形には寛大である。
日本で科学が始まってまだ50年しかたっていない。日本ではまだまだ科学が始まったばかりである。たった50年で科学が終わるわけがない。日本ではようやく国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きることが始まったばかりである。これまでは国民みんなが自分の心のままに生きていたから、国民みんなにとって心の善さが大事だった。これからは国民みんなが現実について考えて現実を知ることが大事になる。国民みんなにとって知覚のよさが大事になる。だから、国民みんなは奇形を大事にしないといけない。
日本人は不細工なので外人から奇形児と言われている。それは日本の誇りである。不細工上等。だから、日本人は自分の不細工さに自信を持って自分の不細工さを大切にしないといけない。
見かけに凝[こ]ること自体がすでに考えて生きていく気がないことを表している。見かけに凝ることは自分が眼で見る喜びを満足して生きていて頭で考える喜びを満足して生きていないことを表している。そんな者は人間ではない。動物だ。動物は無視すべきだ。
[22527] 三芝[さんし]ホテルはどうして廃墟[はいきょ]になったのか? h28.2.10
三芝ホテルとは、台湾にあるホテルである。リンク。しかし、建設途中で中止になって、廃墟と化して、今では取り壊されている。
三芝ホテルは政府が建てたホテルである。三芝←三し←川フ(三≒川、し≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で、またホテルの外観が丸いから天皇家の情報も使っている。
政府が三芝ホテルを建てたのは、政府が税金の無駄遣[むだづか]いをするためである。ヨーロッパの政府や貴族が国民の税金を無駄遣いするためにバカでかい御殿を建てたのと同じことである。政府は国民みんなを脅[おど]すためにどうでもいい建物を建てて国民みんなの税金を無駄遣いするのである。
しかし、三芝ホテルは途中で建設中止になった。三芝ホテルが建設中止になったのは、台湾政府が国民みんなを脅すことができなくなったからである。今では台湾でも国の文明が高くなって現実についてのいろんな知識があって法律があって国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らすようになっているので、国民みんなが政府に脅して平和にしてもらわなくてもよくなっているので、国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。国民みんなが政府に税金を払わなくなったから、政府がお金が足りなくなって三芝ホテルの建設を途中で中止せざるを得なくなったのである。(私が高校2〜3年生のとき、柴田直彦[しばたなおひこ]という名前の同級生がいた。みんなから「柴[しば]さん」というあだ名で呼ばれていた。柴さん←さん柴←三しバ←川ブ(三≒川、し≒フ、バ≒゛)←私。柴田直彦君は私が高校2年生のとき「川原の大きい岩の上で仁王立ちしている写真」を私に見せたことがある。柴田直彦君は若干アムロ・嶺[レイ]に似ている。私はガンダムに似ている。岩←いワ←川フ(“ワ”の左縦線を“い”に移す)←川ブ←私。だから、アムロがガンダムに乗っているのである。アニメではアムロも私である。柴田君が私の代理である。)
今の日本では政府は税金の無駄遣いをするためにアニメやマンガやテレビ番組にお金を使っている。三芝ホテルが私と天皇の情報で作られているように、アニメやマンガやドラマなども私と天皇の情報で作られているのである。つまり、私と天皇の情報を使って作られている物はすべて政府が税金を無駄遣いするために作ったものである。政府は国民を脅して国を平和にするために国民の税金を無駄遣いしているのである。そのうち、日本でも台湾と同じように国民みんなが自分で法律を守って平和に暮らすようになって、国民みんなが政府に脅してもらって平和に暮らさなくてもよくなって、国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒すだろう。政府はお金が足りなくなって、アニメやマンガやドラマにお金をまわせなくなってアニメやマンガやドラマが作れなくなるだろう。政府はお金が足りなくなって、テレビ局にお金をやれなくなってテレビ局が潰[つぶ]れてテレビ番組を作れなくなるだろう。国民みんなはテレビ番組を見なくなって、自分で現実のことを考えるようになって現実の中で自分の心を満足して幸福に暮らすようになるだろう。
[22528] どうして最近のアメリカ人はかわい気[げ]がないのか? h28.2.10
1960年代以前のアメリカ人は純情でかわい気があった。しかし、今のアメリカ人は不良臭くてかわい気がない。
それは、アメリカ人がテレビの見すぎだからである。
今の日本人がかわい気がないのも、日本人がテレビの見すぎだからである。
昭和30〜40年代にアメリカや日本でテレビが普及したために、国民みんながテレビを見るようになって国民みんなの性格が変わってかわい気がなくなってしまったのである。
今のテレビ番組は政府がテレビ局にお金を出して作っている。政府は国民の税金を無駄遣[むだづか]いして国民を脅[おど]すためにテレビ局にお金をやってテレビ番組を作っているのである。政府はテレビ局のスポンサーである。だから、政府はテレビ局に顔が利[き]く。政府は国民を脅して国を平和にする団体だから、政府は国民を脅すために国民にとって面白くない番組を作っている。政府は最初のいっとき面白い番組を作って国民みんなを寄せておいて(つまり国民みんながテレビを見るようにさせておいて)、あとで面白くない番組を作って国民みんなを不幸にして脅すのである。だから、「おもろうてやがてダメージ」(マンガ『魔法陣グルグル』より。『魔法陣グルグル』も「おもろうてやがてダメージ」でしたね)と言うのである。日本政府が近代の最初の頃に国民みんなに命令して善いことをして国民みんなが政府の命令を聞くようにしておいて、今では国民みんなに命令して悪いことばかりするのも同じことである。昔の国民は現実を知らずに自分の心だけで動いていたから、政府が国民を“寄せて脅す”やり方が通用したのである。(h28.2.18追記:最近の米は不味[まず]い。スーパーのもコンビニのも米屋のも全部不味い。それは政府の国民に対する嫌がらせだからである。最近の国民が政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払っていないこととは無関係に、政府はもともと最初から国民を嫌がらせるために国民に不味い米を食わせる計画だったのである。しかし、今から約20年前までは国民みんなは政府のおかげで美味[おい]しいお米を食べることができた。昔の政府は『客寄せ』のために国民に美味しいお米を食べらせていたのである。政府の正体は国民に悪いことをして国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民に悪いことをして国民を不幸にするだけである。国に政府があるかぎり、国民は政府に不幸にされる。だから、国民は早く政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。政府が潰[つぶ]れた後は、国民みんなでお金を出して昔の政府のように“美味しいお米を国民に供給する生産・流通”を確保して美味しいお米が食べられるようにすればいい。美味しいお米を食べたい国民が年会費を払って指定のお米屋さんから美味しいお米を手に入れられるようにすればいい。)政府は国民に面白くないことをして国民の気持ちを落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にするのである。政府は民主主義の芝居をするから、政府は眼先では面白いことをして現実には面白くないことをする。政府はうわべでは面白いことをして中身は面白くないことをする。政府はそういうやり方で国を平和にする団体なのである。今の国民が毎日朝から晩までうわべで面白いだけで中身が面白くない番組ばかり見ているために、今の国民はうわべで面白いふりをするだけで心の中では面白くない気持ちでいるから心がひねくれてかわい気がないのである。国民みんなはテレビの見すぎだ。テレビがうつるほどテレビを見てはいけない。そんなにテレビにかぶれてはいけない。政府はテレビ局のスポンサーでありテレビ局に顔が利[き]くから、政府はテレビ局に命令して『今の国民が政府の脅しを聞いていない』ことをいっさい放送させないようにしているのである。そのために、テレビの上ではいまだに国民みんなが政府の脅しを聞いていることになっているのである。
しかし、今では世界中のどこの国でも文明が高くなって現実についての知識がたくさんあって法律があって国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らしていて、国民みんなが政府に脅して平和にしてもらわなくてもよくなって、国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府はお金が足りなくなってテレビ局にお金をやれなくなっている。テレビ局は潰[つぶ]れて番組を作れなくなっている。政府はテレビ局にお金をやれなくなってテレビ局に顔が利かなくなってテレビ局に命令できなくなったので、テレビ局は『今の国民みんなが政府の脅しを聞かなくなっている』ことを放送するようになっている。
今ではテレビ番組が面白くないので、国民みんなはテレビ番組を見なくなっている。国民みんなは現実について考えて現実を知って現実の中で幸福に生きるようになっている。人間はいくらテレビを見ても、実際には現実の中で暮らしている。だから、人間は現実で幸福に暮らすことを第一に考えたほうがいい。今の国民みんなはテレビを見ないほうがいい。そのためにも、政府に税金を払わないほうがいい。
昔は国民みんなが平和に暮らすために“政府の脅し”が必要だったから政府の脅しを聞いていたのである。国民みんなが政府の脅しを聞いて政府を怖いと思わされておとなしくなるために政府の脅しを聞いていたのである。けっして政府が国民を幸福にしてくれるから政府の命令を聞いていたのではない。今は国民みんなが平和に暮らすためには法律を守ればいいから政府の脅しが要らないから政府の脅しを聞かなければいい。国民みんなで早く政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒さねばならない。つまり、国民みんなが政府の脅しを聞くのは、法律がなかった時代つまり国民みんなが現実に従わず自分の心のままに生きていた時代の奇習[きしゅう](奇妙な習慣)なのだ。法律のなかった時代には国民みんなが政府の脅しを聞いて政府に高い税金を取られたり政府に嫌なことをやられたり殺されたり痛めつけられたりして不幸な思いをしておとなしくして平和に暮らしていたのだ。しかし、今では法律があるから、国民みんなはもはや政府の脅しを聞かなくていいのである。国民みんなで早く政府を倒して政府に不幸にされないようにして幸福に暮らせばいいのである。人間が現実を知れば不幸にならなくてすむとはこういうことである。
昔の人は現実を知ることがなかったから、政府や幕府が何なのかわからないまま心で見て政府や幕府に満足していたから政府や幕府の言うことを聞いていた。昔の人は政府や幕府が国民を脅して国を平和にしていたから、たとえ政府や幕府が国民みんなを不幸にしても政府や幕府に満足していたのである。人間の心は総合的に物を見るから、多少悪いことをやっても国を平和にしてくれれば善い人だと思うのである。今の人は現実を知るようになっているから、政府や幕府について考えて『政府や幕府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことを知っている。だから、今の人は『今の国民みんなは法律を守って平和に暮らしているから政府や幕府が要らない』と考えて政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
理解力そのものは昔の人も今の人も変わらない。ただ、昔の人は理解力そのものはあったが、現実についての知識を得る方法や現実についての知識がなかった。今では現実についての知識を得る方法も現実についての知識もある。今の人は現実についての知識を学べばいいだけである。例えば、今では政府のついての知識があるから、今の人は学ぶ気さえあれば政府のことについて知ることができる。今では国の文明が進んで国民みんなが法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅されて平和にする必要がないから、政府の脅しを聞かなければいいことがわかる。だから、今の国民みんなは政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
昔の人と今の人は生き方が違う。昔の人は現実を知らずに自分の心のままに生きていた。だから、政府が何かがわからないまま政府に脅されておとなしくして平和に暮らさねばならなかった。今の人は現実を知って現実の中で自分の心を満足して生きている。だから、今の人は『政府は国民を脅して国を平和にする団体だが、今の国民みんなは法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅されなくていいから、政府の脅しを聞かなければいい』と考えて、政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。国民が政府に脅されて平和に暮らすのは古臭い野蛮な習慣である。だから、今の国民は政府に脅されるのをやめて政府の脅しを聞くのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなの生き方で社会が決まる。今の国民みんなで新しい社会を作って国民みんなが新しい社会の中で幸福に暮らせばいいのである。
昔の人は自分の心に従って生きていたが、今の人は現実に従って生きている。『脅されるとおとなしくなる』のが人間の心である。だから、昔の国民みんなは政府に脅されておとなしくなって平和に暮らしていたのである。一方、『政府は国民を脅して国を平和にする団体であり、今の国民みんなは法律を守って平和に暮らしているから、今の国民みんなにとっては政府が要らないから、政府の脅しを聞かずに政府を倒せばいい』のが現実である。だから、今の国民みんなは現実に従って政府の脅しを聞くのをやめて政府を倒せばいいのである。
[22529] どうして政府はみんなから馬鹿だと言われるのか? h28.2.12
政府はみんなからアホとかクソバカとか言われている。知恵遅れとかサルとか言われている。
それは、政府が国民を脅[おど]して国を平和にすることしかできないからである。政府は国民を脅すために国民を不幸にすることばかりやるので、国民みんなからアホとかバカとか言われて嫌われているのである。
もっとも、昔は国の文明が遅れていて現実についての知識がなくて法律がなくて、国民みんなが法律を守って平和に暮らさず、政府に脅されて平和に暮らしていたので、国民みんなにとっては自分が平和に暮らすために政府が必要だったので、政府をありがたがって政府に人気があった。昔の国民は喜んで政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府を大切にしていた。“バカとハサミは使いよう”のバカとは政府や幕府のことである。バカは国民を不幸にすることが得意なので国民を脅して国を平和にするために役に立っていたのである。政府や幕府は国民を脅すために偉そうにしているだけであって、本当は偉くないのである。本当はただのバカなのである。国民を脅すことはバカでもできるので、政府や幕府や暴力団や宗教団体はバカがやる仕事なのである。
しかし、今は国の文明が進んで現実についての知識があって法律があって、国民みんなが自分で法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅されて平和に暮らさなくてもよくなったので、国民みんなにとっては自分が平和に暮らすために政府が要らなくなったので、政府を邪魔[じゃま]だと思って政府を嫌っている。今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
[22530] 北朝鮮はどうして水爆実験をやったのか? h28.2.13
2016年(今年)1月10日のニュースによると北朝鮮は水爆実験に成功したそうである。私は今日テレビ番組の録画を見ていてはじめて知った。
北朝鮮が水爆実験をやったのは世界中の国民みんなを脅[おど]すためである。政府は国民を脅して国を平和にする団体だから、北朝鮮の政府は自分の国や外国の国民を脅すために水爆実験をやったのである。
それに応じてアメリカ政府が朝鮮半島へ軍事力を配備したのは、これまたアメリカ政府が世界中の国民みんなを脅すためである。北朝鮮の政府とアメリカ政府が組んでやっている茶番[ちゃばん](見え透[す]いた芝居)である。暴力団の闘争と同じことである。
今では世界中の政府が協力して戦争まがいのことをやって世界中の国民みんなを脅している。“ゴリラ団極東[きょくとう]支部”とはよく言ったものである。
しかし、今では世界中の国が文明が高くなって現実についての知識がたくさんあって法律があって国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らすようになっている。国民みんなが政府に脅されておとなしくして平和に暮らさなくてもよくなっている。世界中の国で国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
一方、いまだに文明が遅れている国では国民みんなが法律を守って平和に暮らさず政府の脅しを聞いて平和に暮らして政府が幅を利かせている。北朝鮮やアメリカでは政府の権力(命令力)が強くて、政府がいまだに戦争まがいのことを国民みんなにやらせているのである。
日本では国民みんなはアホな国をほっといて、国民みんなで政府を倒して、脅しのない国にしないといけない。国民みんなで法律を守って平和に暮らす国にしないといけない。
日本に自衛隊があるのも、日本政府が国民みんなに戦争の脅威[きょうい]を与えて国民みんなを脅すためである。国民みんなで早く政府を倒して、戦争の脅威のない明るい世界にしないといけない。
戦争は本来ヨーロッパ人が自分の狩猟民族の本能を満足するためにやるお祭りである。しかし、今ではヨーロッパ人が戦争の悲惨さを理解して自分の“戦争をやりたい気持ち”を抑えて戦争をしなくなっている。今では戦争は政府が国民みんなを脅すためにあるにすぎない。だから、政府がやっているのは戦争まがいのことなのである。
国民が何も考えずに政府が戦争まがいのことをやっているのを見ると政府の脅しが利[き]くが、国民が『政府が国民を脅して国を平和にするために戦争まがいのことをやっている』と考えながら政府がやっていることを見ると政府の脅しが利[き]かない。政府が独[ひと]りでアホなことをやっているにすぎない。政府は国民みんなの笑い者である。国民が意識しながら頭で『政府が国民を脅して国を平和する団体である』と考えて政府がやっていることを見ると政府の脅しが利かず、政府が独りでバカなことをやっているようにしか見えない。国民みんなで早くバカなことをやっている政府を倒して、脅しのない明るい世界にしないといけない。
要するに、北朝鮮とアメリカが文明が遅れているために、国民みんなが政府の脅しを聞いて暮らしているので政府が国民みんなに戦争まがいのことをやらせているだけのことである。一方、日本は文明が進んでいるので、国民みんなが政府の脅しを聞いていないのでそんなことはやらない。日本は北朝鮮とアメリカが変なことをしているのを傍[はた]から眺[なが]めて面白がっている。これが文明の差というものだ。アメリカは物については知識があるが、社会についての知識がない。アメリカ人は自然科学は強いが、社会科学が弱い。そのために、アメリカでは宇宙開発が進んでいるのにいまだに国民みんなが政府の脅しを聞いて暮らしている。アメリカでは国民みんなで社会についての知識を広めて早く国民みんなが法律を守って平和に暮らすようにならねばならない。北朝鮮もそうしなければならない。一方、日本人は自然科学よりも社会科学が強いので、すでに国民みんなが法律を守って平和に暮らすようになっていて政府が要らなくなって政府を倒している。私は例外的に社会科が弱かったので、政府のことを理解するのに骨が折れた。早く日本では国民みんなで余計な政府を追っ払って、政府のない国にしないといけない。
インターネットの世界でウイルスを生み出しているのも政府である。政府は国民みんなを脅すためにセキュリティソフトの会社にウイルスを作らせてインターネットの世界にばら撒[ま]いているのである。例えば、Norton←ノートン←ノント←川ブ(ノン≒川、ト≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、シマンティック←シマン←川ブ(シ≒川、マ≒フ、ン≒゛)←私だから、シマンティックは政府の命令でウイルスを作っている。セキュリティソフトの会社は政府の命令でウイルスを作ってそれと同時にアンチウイルスソフトを作って売っているのである。自分が不良と組んで、女の子が不良に虐[いじ]められているところを自分が助けて自分が女の子に好かれようとするのと同じことである。政府とセキュリティソフトの会社は共生関係にある。早く国民みんなで政府を倒してセキュリティソフトの会社も倒して無駄[むだ]な出費を抑えねばならない。
[22531] どうして今の社会ではマンガやゲームやエステが流行[はや]っているのか?
h28.2.13
国の文明が進むと政府が滅ぶ。国の文明が進むと、国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足するようになって、国民みんなが法律を守って平和に暮らすようになって政府に脅されて平和に暮らす必要がなくなって、国民みんなが政府の脅[おど]しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府が倒れるからである。
国の文明が進むと政府が滅ぶ。文明が政府の天敵である。だから、今の政府は自分が生き残るために国の文明を遅らせようとしている。政府は国民みんなに「眼先で見る文化」や「心で思う文化」を流行らせて『現実について知る文化』をやらさないようにして国の文明を遅らせて国の文明を衰退させて国民みんなが現実を知らないようにさせて自分の心のままに生きるようにさせて法律を守らないようにさせて政府の脅しを聞いて平和に暮らすようにさせようとしている。例えば、今の政府はマンガやアニメやテレビゲームやエステやオカマなどを流行らせている。国民みんなは政府の誘[さそ]いに乗らないようにして現実を知って現実に従って暮らさねばならない。たとえ人間が頭の中で現実でないことを思っていても、実際には人間は現実の中で生きている。人間は現実の外には出られない。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが『現実について知る文化』をやるようにして国民みんなが正しいことを知って現実の中でまちがいを犯して不幸にならないようにして幸福に暮らすようにしないといけない。自分の心は抑えたり働かせたりできるが、真理は抑えることができない。だから、人間は自分の心を真理に従わせなければならない。そうすることによって、人間は現実の中でまちがいを犯さないようにして不幸にならないようにして幸福に生きることができるのである。
政府は“国民みんなが現実を知らずに自分の心のままに生きている社会”の中でしか生きられない。今の日本のように“国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きている社会”の中では政府は滅ぶ。だから、今の政府は自分が生き残るために国民みんなの生き方を変えようとしているのである。しかし、それは無理な相談である。国民みんなにとっては自分の心のままに生きるよりも現実に従って生きたほうが幸福だから生き方を変えるわけにはいかない。国民みんなはこのまま現実に従って生きていって政府をなくせばいいのである。
もともと人間は現実が好きな生き物である。人間は現実について考えて現実を知るのが好きである。だから、脳が大きいのである。しかし、政府にとっては国民みんなに現実を知られるのは都合[つごう]が悪い。国民みんなが現実を知るようになると、国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らすようになって政府に脅されておとなしくして平和に暮らさなくてもよくなって政府が要らなくなるからである。そのため、今の政府は国民みんなに学校で無理やりガリ勉をさせて勉強を嫌いにさせて現実を嫌いにさせて現実を知らずに自分の心のままに生きさせようとしている。たかが政府に国民みんなの生き方を決める資格はない。だから、国民みんなは子供のころから学校の言うことを聞かずマイペースで勉強するようにして現実を知る喜びを持ち続けるようにして現実を知って現実に従いながら自分の心を満足しないといけない。国民みんなは自分が幸福に生きるために政府の言いなりになってはいけない。国民みんなは自分で自分を幸福に生きられるようにしなければならない。
[22532] どうして政府にはいろんな省庁があるのか? h28.2.14
政府にいろんな省庁があるのは全部国民を脅[おど]すためである。国民が嫌がることをして国民を不幸にして国民を虐[いじ]めるためである。政府は国民を脅して国を平和にする団体だから、政府の各省庁はそれぞれの分野で国民を脅しているのである。政府は民主主義の芝居をするから、政府の各省庁も国民みんなの役に立っているふりをしているのである。しかし、本当は国民を不幸にすることをして国民を脅しているのである。政府はテレビや新聞の上では国民を幸福にすること(芝居)をして、現実の上では国民を不幸にすることをして国民を脅しているのである。政府は国に身分制が出来ないようにするために民主主義の芝居をやっているのであって、政府は本当は国民を脅して国を平和にする団体なのである。(暴力団は時々人を殺す。それはみんなを脅してご町内を平和にするためである。暴力団に殺された人はご町内を平和にするための犠牲者[ぎせいしゃ]なのである。それと同じように、政府も時々事件や事故を起こして国民を殺す。それは国民みんなを脅して国を平和にするためである。政府に殺された人は国を平和にするための犠牲者である。人身御供[ひとみごくう]である。政府は国民を脅すために税務署が国民から税金を取ったり経済庁が国民を貧乏にする政策をやったり厚生省が国民を病気にする添加剤を食品に入れさせたり文化庁が国民が嫌いな文化を流行[はや]らせたり文部省が国民を馬鹿に変える勉強をさせたり環境庁が景色のいいところにゴミ捨て場を作ったりするのである。)
昔の国民みんなは法律を知らなかったから政府に脅されておとなしくして平和に暮らさねばならなかった。国民みんなにとっては政府が必要だったから、政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に食わせてやっていた。人間の心には『脅されるとおとなしくなる』という法則があるから、昔の国民みんなは政府に脅してもらっておとなしくして平和に暮らしていたのである。昔の国民みんなにとっては自分が平和に暮らすためには政府の脅しが必要だったから、自分で政府の脅しを聞いて政府に脅してもらっておとなしくしていたのである。つまり、政府は国民に“脅し”を売って儲[もう]ける会社なのである。心主義の社会では国民みんなが平和に暮らすために脅しが必要だから、政府が国民みんなに脅しを売って儲けることができるのである。
しかし、今の国民みんなは法律を知って法律を守って平和に暮らしているから政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。今の国民みんなにとっては政府の脅しが要らないから、自分で政府の脅しを聞かないようにして政府を倒せばいいのである。
今の国民は政府に脅されて不幸に暮らしている。政府の各省庁にいろんな分野で脅されてたくさん不幸になっている。国民みんなで早く政府を倒して法律会社を建てて法律を守ってみんなと平和に暮らして、あとはめいめいが自分の好きなことをやって幸福に暮らせばいい。
[22533] どうして今は酒が売れないのか? h28.2.14
昔は国民みんなが現実を知らずに心だけで生きていたから、頭で何も考えなくてよかったからいくらでも酒が飲めた。
今は国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きているから、頭で考えなければならないから酒を飲まなくなった。
そのために、今では酒が売れないのである。宴会もやらないのである。
今の国の景気が悪いのも国民みんなが酒をやらなくなった一因だが、そもそも今が現実主義の時代であるのが国民みんなが酒をやらなくなった本当の理由である。今が現実主義の時代であって、酒が今の時代の雰囲気に合わないから国民みんなが酒を飲まなくなったのである。
今は酒を飲んで酔っ払っていられる時代ではない。国民みんなはお酒を飲んで幸福になるのではなく、自分の頭を使ってまじめに考えて現実の中で幸福になるべきである。
今は現実についての知識がたくさんあるから、それを活かすためにも酒を飲んではいけない。頭を使って現実について知って現実についてよく考えて現実の中で自分が幸福になることをすべきである。
政府が建っているのが現実ではない。国民みんなにとって政府が要らないのが現実である。国民みんなは現実を知って現実に従って行動しないといけない。国民みんなで政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
今は現実についての知識がたくさんある。今の人は現実についての知識を活かすために酒を飲んではいけない。今の人は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して、現実の中でまちがいを犯して不幸にならないようにしながら自分の心を満足して幸福に暮らさなければならない。
[22534] どうして私は昼間は頭が働かないのか? h28.2.14
今は夜の11時30分である。このころになるとようやく私は頭が働いて考えやすくなる。私が昼間頭が働かないのは、博多(福岡県福岡市のこと)の人間が考えるのが嫌いだからである。テレパシーで嫌気[いやけ]が伝わって私の頭がよく働かないのである。だから、私はふだんは夜中に起きて考えるようにして昼間は寝ている。
博多の人間が考えるのが嫌いなのは、博多の人間が中国人とヨーロッパ人の合いの子だからである。(大昔にヨーロッパ人が船に乗って北極海からベーリング海峡を通って裏日本に移住してきたから、博多や長崎の人間はヨーロッパ人の血が濃いのである。博多は地理的に中国に近いから中国人の血が濃いのである。)ヨーロッパ人も中国人も考えるのが嫌いだから博多の人間は考えるのが嫌いなのである。おまけに、中国人は格好[かっこう]をつけないが、ヨーロッパ人は格好をつけるので、博多の人間は格好をつける。博多の人間は眼で見えることにうるさくて頭で考えることが嫌いで格好ばかりつけてフニャフニャしている。女みたいにフニャフニャしている。博多の人間が心が豊かなのは頭が馬鹿だからである。馬鹿な人間ほど心が豊かだからである。博多の人間は眼と心だけ使って頭を使わない。博多の人間はガミガミ馬鹿である。博多の人間は私と気が合わない。私にとっては迷惑である。邪魔[じゃま]である。(一般に、日本人つまり表日本の人間はインド人と中国人の合いの子である。反対に、裏日本の人間はヨーロッパ人と中国人の合いの子である。表日本の人間と裏日本の人間は性格が違う。表日本の人間と裏日本の人間は気が合わない。/ヨーロッパ人は五感が発達している。ヨーロッパ人は狩猟民族で、狩りでは眼や耳のいいことが大事だから、五感がいいのである。インド人は知覚が発達している。インド人は“奇形を大事にする習慣”を設けて、眼で見ることしかわからない馬鹿を不利にしてきたから頭の良[い]い人間が残ったのである。五感も知覚も後天知である。数学だってそもそもは後天知である。現実を分析することによって数の概念が得られる。中国人が心が発達した(つまり心が現実的である)のは後天知がなかったからかもしれない。自然選択によって心が現実的な者が多く生き残ったから、中国人は比較的心が現実的で、他の人種に比べて現実で喜ぶことができるのである。つまり、中国人は心が善いのである。)
今は科学の時代である。今は現実主義の時代である。今では人間は現実を知り現実に従って自分の心を満足して生きねばならない。ところが、博多の人間はそもそも考えるのが嫌いだから現実を知ることができない。現実主義の時代には博多の人間は要らない。博多の人間は滅ぶしかない。
[22535] 今の人にとっては政府は要らない。☆ h28.2.15
昔の人と今の人は生き方が違う。
昔の人は現実に従わずに自分の心で生きていた。昔はまだ現実についての知識がなかったので、昔の人は現実を知らず現実に従わず自分の心のままに生きていた。そのため、昔の人が平和に暮らすためには政府(国を平和にするために国民を脅[おど]す団体)に脅してもらっておとなしくしてもらわねばならなかった。
今の人は現実に従って自分の心を満足して生きている。今はもう現実についての知識がたくさんあるので、今の人は現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きている。今の人が平和に暮らすためには、自分で法律(人間が社会で平和に暮らすための決まり)を知って法律を守って暮らせばいいので政府が要らない。今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。(『もりもりぼっくん』(東映不思議コメディシリーズ第6作目)のぼっくんが理想郷[りそうきょう]とした“ロボットと動物が仲良く暮らす国”とは、人間が現実を知って現実の中で自分の心を満足して生きることである。ロボットが知覚で、動物が心のことである。理想郷は個人の頭の中にあるのである。ぼっくん←ぼくん←ボくン←川ブ(ボ≒川、く≒フ、ン≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。“ぼっくん”には“僕”[ぼく]つまり今のみんなにとって“自分”という意味もあるのだろう。“もりもり”というのは、今では現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している人が“増えている”という意味なのだろう。ぼっくんが頭をフードで覆[おお]うことができるのは、今の人が知覚を大事にして生きていることを表している。今では原付にヘルメットの着用義務があるのもそのためである。)
国の文明が進むと国民みんなの生き方が変わる。国民みんなの生き方で国が決まる。昔の日本ではみんなが法律を守らずに自分の心で暮らしていたから政府が必要だったから政府の脅しを聞いて政府に税金をやって政府に食わせてやっていた。今の日本ではみんなが法律を守って平和に暮らしているので政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府は国民みんなが法律を守って暮らすようになるまでの“つなぎ”なのである。今の人は自分が法律を守って暮らしているなら、政府が要らないと考えて政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。早く国民みんなで政府を倒して法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
パソコンのOSが変わると、使えるデバイスと使えなくなるデバイスがある。使えるパソコンと使えなくなるパソコンがある。それと同じように、国民みんなの主義が変わると、使える会社と使えなくなる会社がある。国民みんなが心主義から現実主義に変わると、普通の会社は使えるが、政府は使えなくなる。国民みんなが使えなくなったデバイスを捨てねばならないように、使えなくなった会社を捨てねばならない。だから、今の国民みんなは政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。国民みんなの主義が変わると、使える人間と使えなくなる人間がある。国民みんなが心主義から現実主義に変わると、現実に従う人間は使えるが、現実に従わない人間は使えなくなる。国民みんなは使えなくなった人間を捨てねばならない。だから、今の国民は国民みんなに捨てられないために現実を知って現実に従って生きて行かねばならない。
今は現実主義の時代だから政府や宗教団体や暴力団や社長などの“みんなを脅す仕事”は要らない。現実を知ることができず現実に従うことができない頭の悪い人間も要らない。みんなは自分が現実主義に捨てられないために“みんなを脅す仕事”をやってはいけない。みんなは子供のころからよく勉強して、現実を知って現実に従って生きることができるようにならねばならない。
今は国民みんなが心主義から現実主義に変わっている。そのために、心主義に乗っかって動いていた政府や宗教団体や暴力団や社長などが滅んでいる。国民みんなは政府や宗教団体や暴力団や社長などの脅しを聞かないようにしてお金をやらないようにして倒せばいい。今は国民みんなが心主義から現実主義に変わっている。そのために、心主義をやっている国民が滅んでいる。現実主義がやれない国民が滅んでいる。国民みんなは自分でよく勉強して自分の頭がよく働くようにして、現実を知って現実に従って自分の心を満足して暮らす習慣を身に付けねばならない。国民みんなで現実主義の社会にしないといけない。
今は現実主義の時代である。だから、今の国民みんなは現実を知り現実の中で自分が幸福になることをしないといけない。歌は心主義の時代の遊びである。政府がカラオケボックスを流行[はや]らせていたのがその証拠である。歌は自分の心の世界を音階を帯びた言葉として表現することである。要するに、歌は現実の世界なんか糞[くそ]食らえという気持ちの表れである。今の国民は歌なんか歌わずに、黙[だま]って無言で現実の世界で自分を幸福にすることをしないといけない。例えば、自分の興味のあることについて学んだり考えたりして正しい知識を得たり、いい食べ物を食べたり運動をしたりして健康な身体作りをしたり、自然の中でキャンプして自然を観察したり、日曜大工で自分の好きな物を作ったりしないといけない。それこそが現実主義の時代の遊びなのである。
[22536] 世の中にはテレビをほとんど見ない人がいる。 h28.2.16
テレビ番組には私や天皇家の情報が必ず入っている。
それは、政府がテレビ局にお金を出して番組を作らせている証拠である。
政府はテレビ局にかなりのお金を出している。だから、政府はテレビ局に命令できる。
政府はテレビ局に命令して政府にとって都合[つごう]のいいことしか放送させていない。
だから、テレビを見ている人は「政府が国民みんなの役に立つことをする団体であり、国民みんなが政府に従っている」と思うのである。([22527]参照。)
しかし、世の中にはテレビをほとんど見ない人がいる。私も20〜40歳ごろは独[ひと]り暮らしでテレビ番組はほとんどアニメしか見なかったし、40歳ごろからあとは週に2〜3本の鉄道ドキュメンタリー番組しか見ていない。そういう人は政府による情報操作が効[き]かない。そういう人は自分で考えて『政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体であり、今の国民は法律を守って平和に暮らしているから、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい』ことがわかる。
今では国の文明が高くなって国民みんなが現実を知って現実に従って暮らしている。だから、国民が『政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体であり、今の国民は法律を守って平和に暮らしているから、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい』ことを知れば実行する。
国民みんなで早く政府を倒して法律会社を建てて法律会社にお金をやって仕事をやってもらって現実主義の国にしないといけない。
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民を脅すために悪いことをして国民を不幸にするだけである。政府は民主主義の芝居をやってテレビや新聞の上でだけ善いことをして国民の役に立つことをしているにすぎない。国に政府があると政府が悪いことをして国民みんなが不幸にされる。国民みんなは自分が政府に不幸にされないために早く政府を倒さねばならない。
現実主義の時代になってからまだ50年ぐらいしかたっていない。だから、まだ現実についての知識があまりない。政府についての知識もない。巷[ちまた]には政府の民主主義の芝居があふれているだけである。だから、まだみんなが政府のことを知らずに政府の民主主義の芝居に騙[だま]されて動いているのである。しかし、このたび私が政府について考えて政府のことを明らかにした。今後はみんなが政府についての知識に従って考えて動けばいい。今後は国民みんなが幸福に暮らせる社会になるだろう。
テレビ局は作りごとの番組ばかり作っている。テレビ局は国民に眼で見る喜びや心で思う喜びを与えるだけである。国民みんなが現実主義になると国民みんなが現実の中で遊ぶようになってテレビを見なくなる。だから、テレビ局は政府の味方なのである。テレビ局は現実主義が嫌いなので心主義なので、政府は心主義の時代のヒーローなのでテレビ局は政府に味方して政府にとって都合のいいことばかり流しているのである。しかし、今は現実主義の時代である。国民みんなが現実を知って現実の中で楽しむようになっている。現実主義にはみんなが逆らえない。国民も政府もテレビ局も逆らえない。だから、テレビ局も現実主義の番組を作らねばならない。今は国民みんなが現実的な番組を見るようになっているから、テレビ局も国民みんなに合わせて現実的な番組を作らねばならない。テレビ局は国民に現実についての知識や現実の喜びを与える番組を作らなければならない。テレビ局は政府の味方をやめて正しいことを放送して政府の正体をみんなにバラして政府を倒さねばならない。
[22537] 政府の商品は“脅[おど]し”である。 h28.2.17
政府は脅しを売って儲[もう]ける会社である。政府は国民に悪いことをして国民を脅して国民をおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。
昔の人は現実を知らずに心だけで生きていたので、昔の人が平和に暮らすためには政府に脅してもらっておとなしくしなければならなかったので、政府の脅しが必要だったので、政府の脅しを買って政府にお金を払っていた。
今の人は現実を知って現実に従って心を満足して生きているので、今の人が平和に暮らすためには自分で法律を知って法律を守ればいいので、政府の脅しが要らなくなって、政府の脅しを買わなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。今の人は法律を守って平和に暮らしているから、今の人は法律が必要だから、法律会社が法律を作って国民に法律を売って儲ければいい。
昔と今ではみんなの生き方が違う。昔と今ではみんなが要るものが違う。昔の人が平和に暮らすためには“政府の脅し”が必要だったが、今の人が平和に暮らすためには“法律会社の法律”が必要である。だから、今では政府が潰れて法律会社が建っているのである。
[22538] 世の中には正しいことがわかる者がいる。 h28.2.18
私の経験によれば、正しいことほど売れない。反対に、面白いことやきれいなことはよく売れる。
しかし、世の中には正しいことがわかる者がいる。
馬鹿でも人がやっていることを眼で見て真似[まね]ることはできる。
だから、正しいことがわかった人が正しいことがわかる人に正しいことを言って正しいことがわかった人を増やして、正しいことがわかった人が正しいことをやれば、馬鹿はそれを眼で見て真似て正しいことをするようになる。正しいことをする人が増えてくれば、国民みんなが正しいことをするようになる。
だから、まず正しいことがわかった者がいればいい。正しいことがわかった者が正しいことを言えばいい。そうすれば、しだいに国民みんなが正しいことをやるようになる。
今では『政府が国民を脅[おど]して国を平和にする団体であり、今の国民みんなは法律を守って平和に暮らしているから、今の国民みんなは政府に脅してもらって平和に暮らさなくてもいいから、今の国民みんなは政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい』ことがわかっている。だから、今の国民みんなはそうすればいい。今は科学の時代だから、みんなは正しいことをすればいい。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は文学の時代だったから、国民みんなは現実を知ろうとせず現実を知らず自分の心のままに好き放題にやっていた。そのために、国民みんなは政府の脅しを聞いておとなしくして平和に暮らしていた。今は科学の時代だから、国民みんなは現実を知って現実に従って自分の心を満足して暮らさねばならない。そのために、国民みんなは自分で法律を知って法律を守って平和に暮らして、政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
馬鹿は眼で見ることしかわからない。眼で見ることしかわからない者に一生懸命に言葉で言う者も馬鹿だ。正しいことがわかる人はめったにいない。しかし、いないわけでもない。たまにはいる。そこらへんの連中はかっこいいとかかっこ悪いとか面白いとか面白くないとかがわかるだけである。顔を見ればわかる。そんな連中を相手にしても無駄[むだ]である。そんな連中を相手にすると自分にも馬鹿がうつる。自分も馬鹿になる。だから、そんな連中をまともに相手にしてはいけない。私は子供のころから父親からそんな話をしょっちゅう聞かされていた。
馬鹿は眼で見たことしかわからないし、テレビばっかり見ているから、テレビで「政府が国民みんなのためになることをする善い団体であり、今の国民みんなが政府に従っている」映像を流せば馬鹿は本気にして政府を善い団体だと思って政府に従う。今でも国民の多くが政府に従っているのはそのためである。しかし、世の中には正しいことがわかる人もいるから、テレビをあまり見ない人もいるから、『政府が国民を脅して国を平和にする団体であり、今の国民は自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしているから政府の脅しを聞かず政府にお金を払わず政府を倒せばいい』こともじょじょに広がっている。それに、テレビ局がいくら政府からお金をもらっていても、そもそも政府が面白くない世の中にしていればテレビ局が生きていても幸福ではないから、テレビ局も政府の言うことを聞かないほうがいい。テレビ局は嘘[うそ]を流さずに本当のことを流したほうがいい。テレビ局は『今では政府に従っていない人も大勢いる』ことを流したほうがいい。今は現実主義の時代だから、国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが政府に脅されずに不幸にされずに幸福に暮らせる社会にしたほうがいい。
[22539] どうして村井秀夫[むらいひでお]は山口組の組員に殺されたのか?
h28.2.19
1995年4月23日に東京都港区南青山でオウム真理教の村井秀夫が山口組の組員に刺されて死んだ。参考(YouTube)。参考(Wikipedia)。
それは、政府がオウム真理教や山口組に命令してやらせたからである。政府がオウム真理教の村井秀夫や山口組の組員に命令して、村井秀夫が山口組の組員に殺されて死ぬように仕向けたのである。私や天皇のことと関係があるのかもしれない。1995年といえば、私が九州大学理学部物理学科4回生のときである。おそらく、村井秀夫が私のことで、村井秀夫を殺した山口組の組員の徐裕行[じょゆうこう]が天皇のことである。村井秀夫は科学が得意で私は理学部物理学科だったから、村井秀夫が私である。徐裕行は徐←じょ←ジョー←神武天皇(ジョーはアメリカでの神武天皇のあだ名)だから、徐裕行は天皇である。当時の政府がそろそろ天皇を私よりも上に置こうとしていたので、徐裕行に村井秀夫を殺させたのである。
政府は日本中の暴力団や宗教団体を管理している。日本政府は日本中の権力団体の親分である。だから、日本政府は日本中の暴力団や宗教団体に命令できる。日本政府は日本中の暴力団や宗教団体に命令して暴力団や宗教団体を自分の好き放題にできるのである。政府は日本中の暴力団員や宗教団体の信者に命令して死なせたり殺させたりできるのである。
しかし、今は科学の時代である。現実主義の時代である。今の国民は自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今の国民は政府や暴力団や宗教団体などの権力団体の脅[おど]しを聞いておとなしくして平和に暮らす必要がない。そのために、今の国民は政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒している。今の国民は政府の脅しを聞かないから、政府は国民に何も命令できない。たとえ今の政府が暴力団や宗教団体に命令できても、今の政府は国民には命令できない。やっぱり国民が一番強い。国民が政府よりも暴力団よりも宗教団体よりも強い。国民が国の中で一番強いのだ。
[22540] 政府は国民のためにある。 h28.2.19
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民にいろんな悪いことをして国民を脅して国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり、わざとに下手[へた]な経済政策をやって国民を貧乏にして嫌がらせたり、病気になる物や不味[まず]い物を国民に食わせて嫌がらせたり、事件や事故で国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
昔は国の文明が遅れていたから、昔の国民は自分が平和に暮らすために政府の脅しを聞いて政府を怖がっておとなしくしていたのである。国民にとって政府は自分が平和に暮らすための道具にすぎないのである。
今は国の文明が進んでいるから、今の国民は自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今の国民は政府に脅されて平和に暮らす必要がない。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい。
国民は国の主[あるじ]である。国民は自分の国を自分で作ればいい。国民は自分で自分が幸福に暮らせる国にすればいい。
今の政府の人間は「自分が政府に入ったから悪いことをやってもいい」と思って悪いことをやっている。政府の人間は甘えるな!今はそんな時代ではない。今はみんなが現実を知って現実に従って生きる時代である。今の世の中ではみんなが悪いことをやってはいけない。みんなが法律を守って平和に暮らさねばならない。政府の人間は政府を自分が悪いことをするための言い訳[いいわけ]に使うな!国民みんなで早く政府を倒して政府をなくして悪いことをする人間が言い訳できないようにして悪いことができないようにしないといけない。
[22541] 政府とは何か?☆ h28.2.20
政府は民主主義の芝居をする、国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。
政府はテレビや新聞の上で国民の役に立つことをしているだけで、現実には何もしていない。映画の上でスーパーマンが宇宙人の侵略者から地球人類を守っても、現実には何もしていないのと同じことである。つまり、政府は毎日朝から晩までテレビの上で国民の役に立つことをするテレビドラマをやっているのである。政府は国民に芝居の上で頭を下げることによって、身分制が出来ないようにしている。
政府は国民にいろんな悪いことをして国民を不幸にして国民を脅して国民を怖がらせておとなしくさせて国を平和にする。政府は国民に命令して高い税金を取ったり、わざとにまちがった経済政策をやって国民を貧乏にしたり、国民に病気になる物や不味[まず]い物を食べらせて国民を嫌がらせたり、国民を畳ではなく板張りの部屋に住ませて不快な思いをさせたり、国民に余計な格好[かっこう]を付けさせて気分を悪くさせたり、事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
昔は国の文明が遅れていて、国民は現実について何も知らなくて現実を無視して自分の心だけで生きていた。そのために、国民は政府の脅しを聞いて政府を怖いと思っておとなしくして平和に暮らしていた。国民は自分が平和に暮らすために政府の脅しを聞いていた。国民にとって政府は自分が平和に暮らすための道具だった。
今は国の文明が進んで、国民は現実についていろんなことを知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。そのために、今の国民は法律を守って平和に暮らしているので、政府の脅しが要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昔と今では国民の生き方が違う。そのために、今の国民にとっては政府が要らなくなって法律会社が必要になっている。今の国民は政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。今の国民にとっては法律が必要になって、国民で法律会社を建てて法律会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならなくなっている。
政府は国民から取ったお金の残りで法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などいくつかの会社にお金をやって仕事をさせている。しかし、今の国民は政府を倒している。政府はお金が足りなくなって会社にお金をやれなくなっている。国民の役に立つことをする会社は自分で直接国民と契約して国民からお金をもらって仕事をすればいい。国民の役に立たない会社は国民と契約できず国民からお金をもらえず潰[つぶ]れればいい。そうやって、国民の役に立つことをする会社だけが残ればいい。
[22542] 精神病とは何か?★ h28.2.21
この世には“感覚”がある。感覚とは感じることである。人間の脳では『脳細胞の神経興奮によってその脳細胞が荷っている感覚が発生している。』だから、『神経線維を介して脳細胞の神経興奮を高めたり抑[おさ]えたりすれば、感覚の発生を強めたり弱めたりすることができる。』
精神分裂病は自分の“支配欲”(他人を自分の思い通りにしたい気持ち)を満足しようとしてテレパシーを使って他人の意識に介入しようとして起こる。テレパシーを使って他人に自分の気に入らないことをやめさせようとして起こる。『テレパシーがある』のは仕方がないから、自分の支配欲を抑えることが大事である。『自分の心と他人の心は違うから他人は自分の気に入らないことをする』と考えて自分の支配欲を抑える練習をすべきである。そうすれば道が開ける。(平成28年2月27日追記:テレパシーは電波であるかもしれないし、電波でないかもしれない。とにかく、テレパシーは電波みたいなものである。他人が頭の中で感じていることが他人のテレパシー器官を介してテレパシーになって自分のところに伝わって自分のテレパシー器官を介して自分の頭の中で感じていることになるのである。)
神経症と鬱病[うつびょう]は、自分の“見栄欲”[みえよく](他人から見て自分が善い人だと思われたい気持ち)を満足しようとして自分がやりたくないことを無理やりすることによって起こる。神経症は特定のひとつのことが嫌なことで、鬱病は自分の生活環境全体が嫌なことである。『人間に好き嫌いがあるのは仕方がない』から、自分の見栄欲を抑えることが大事である。『自分で自分が嫌なことをやって自分をいじめて自分を苦しめてはいけない』と考えて自分の見栄欲を抑える練習をすべきである。自分は自分が好きなことをすべきである。そうすれば道が開ける。
精神病は人間が自分の心を不適切に働かせることによって起こる。人間の心は複雑で難しい。人間の感情はこちらが立てばあちらが立たず、あちらが立てばそちらが立たない。自分の感情を何から何まで働かせるわけには行かない。自分の感情は働かせたり抑えたりしないといけない。人間は自分が活動させるべき感情を活動させて、自分が抑えるべき感情を抑えねばならない。そのようにして多少の我慢をしながら自分の心を適切に働かせて自分が総合的に幸福に生きられるようにしないといけない。
[22543] 人間は幸福のために生きている。 h28.2.22
人間は年をとると楽しいことがなくなる。幸福がなくなる。感情鈍麻[どんま]だ。身体が死なないから生きているだけだ。
しかし、人間は幸福のために生きるべきである。だから、年をとって幸福に生きることができなくなった者はさっさと死ぬべきである。
人間50歳以上になったら、『自由に死ねる権利』を認めるべきだ。そうすれば高齢者問題も一挙に解決するだろう。高齢者にお金をかける必要がなくなって、ほかの事にお金をかけられるようになって、若者が充実して暮らせるようになるだろう。
人間は生きている間がすべてである。死後の世界なんかない。いまどき葬式なんかやらなくていい。お墓も建てなくていい。遺骨はゴミといっしょに捨てればいい。
昔の人は現実を知らなかったから、「たとえ人間の身体が死んでも、人間の心は永遠に生き残る」と思っていたからお墓を建てて葬式をやったのである。今の人は現実を知っているから、『人間の感覚は死ぬとなくなる』ことを知っているからお墓を建てたり葬式をやる意義がないからお墓や葬式をやらなくなったのである。
いくら国にお金があっても、国民みんなが政府の民主主義の芝居を見て政府の脅[おど]しを聞いているかぎり国民みんなは幸福に暮らせない。政府は国民を脅して国を平和にする団体だから、政府は国民みんなが不幸に暮らす国を作っている。政府は国民を脅して国を平和にするために国民みんなが不幸に暮らす国を作っている。政府も巻き添えを食っていっしょに不幸になっている。自分がオナラをすると自分も臭いのと同じことである。政府自身も自分が幸福に暮らすためには政府がないほうがいいと思っている。政府自身も政府があるのが嫌だと思っている。しかし、政府は仕事だから、国民みんなが政府の脅しを聞く以上政府をやめるわけにはいかないのである。今は現実主義の時代だから、今では国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしているから、今の国民みんなにとっては政府の脅しが要らないから、今の国民がおとなしく政府の脅しを聞いているのがそもそもまちがっているのである。国民みんなで早く政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒して、国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。国民みんなは芝居や作り話の上ではなく、現実の上で幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22544] 仕事を知らないほうが仕事をやる気になる。 h28.2.22
私が30歳のころはまだ仕事が何なのか知らなかった。
だから、私は仕事をする気になった。
しかし、今の私は52歳だ。今では私は仕事が何なのかよく知っている。
仕事はお金が得られるだけだ。私が欲しいのは「お金」ではなく、『考える時間』だ。だから、私が仕事をしても私は幸福にはなれない。
そのため、今の私はなかなか仕事をする気になれないのだ。約8年前からずっと親からお金をもらっている。私はふた月に30万円もらっているから、これまでに約1500万円ももらったことになる。
その上、人間は年をとると喜びが減る。生きていても不幸があるだけで幸福がない。これでは生きる意義がない。年をとると身体を動かすのが億劫[おっくう]になる。仕事のために引越ししようにも、部屋の中にこれまでに買い込んだ荷物が多すぎて荷造りが面倒くさくて引越しする気にもなれない。
人間はいい年をとったら、早く死んだほうがいいのかもしれない。
今の私はリクルートに「山の本が書きたい」と申し込んでいるのに、出版社からは一件も引き合いがない。本人がやりたいって言ってんだからやらしゃあいいじゃないか!それが男ってもんだろ?今の私は哲学や政府のことに考え飽きたから、山の本が書きたいのだ。それなのに、私の職歴を見て技術系の仕事(いわゆる工場の仕事)が来るだけだ。私は技術系の仕事は嫌いではないが、肉体労働は得意でないし、若い人のほうが向いていると思う。特に私は寝るのが得意ではないから睡眠が十分取れないのがメチャメチャきつい。
本当に、こんな人生に生きる意義があるのだろうか?
[22545] 神とは何か?☆ h28.2.22
神とは人間にできないことをする者である。
昔の人は現実を知らず科学や哲学を知らなかったので、自然現象や錯覚や幻覚があったときそれを神がやったと考えたのである。例えば、作物が育つのは、人間にはできないことだから、作物を育てる神がいて神がやったと考えた。そのために、五穀[ごこく]の神を祭った。ナイル川が氾濫[はんらん]するのは、人間にはできないことだから、ナイル川が神であって神がやったと考えた。そのために、ピラミッドを建ててナイル川の神を祭った。太陽が輝くのは、人間にはできないことだから、太陽が神であって太陽の神がやったと考えた。そのために、太陽の神を祭った。例えば、神武天皇が戦っている最中に光の玉が現れて敵軍を焼き払ったのは、人間にはできないことだから、神武天皇が神だと考えた。そのために、天皇家を祭った。キリストが生まれたときに頭が光っていたのは、人間にはできないことだから、キリストが神だと考えた。そのために、キリストを祭った。私が赤ちゃんのときに頭の上に吊ってあったガラガラが夜中に突然回ったのは、人間にはできないことだから、私が神だと考えた。昔は人間にできないことがたくさんあったから、いたるところに神がいたのである。昔の人はただの人間を誤解して神だと思っていたのである。
反対に、今の人は現実を知って科学や哲学を知っているので、自然現象や錯覚や幻覚があってもそれは物がやったことであり人間の見まちがいにすぎないと考える。例えば、作物が育つのは、作物が太陽の光のエネルギーで炭酸同化作用するからであると考える。そのために、作物に太陽の光や水や二酸化炭素を与えるようにしている。川が氾濫するのは、川の土手が低かったり川の水はけが悪いからだと考えて、堤防を築いたり川底を掘ったりする。太陽が輝くのは核融合によって質量エネルギーが放出されるからだと考えて、核融合炉を作ってエネルギーを得ようとしている。例えは、神武天皇が戦っている最中に光の玉が現れたのは、雲から放射された電磁波によって空気が熱せられてプラズマが出来たからであり、神武天皇はたまたま近くにいただけであると考える。自分が被害にあわなかっただけでも幸いだと言える。偶然に神武天皇が戦っている最中にプラズマが現れたから、神武天皇が光の玉を出したと思われたのである。キリストが生まれたときに頭が光ったのは、母親の見た幻覚だと考える。キリストはただの人間だったので自分が神だと言い張る必要はなかった。私が赤ちゃんのときに頭の上に吊ってあったガラガラが回ったのは私の母親が見た幻覚である。私の母は人間に幻覚があると知らなかったので、本当にガラガラが回ったと思ったのである。私の母は仏教を信じていたので、最近死んだ近所のおじいさんの幽霊がイタズラをしてガラガラを回したのだと考えたのである。今では人間が現実を理解して人間にできることがたくさんあるから、神がいなくなったのである。今の人はただの人間をただの人間だと考えるようになったので神がいなくなった。
神とは人間にできないことをする者である。昔は人間が現実を知らずに自分の心のままに生きていたから、人間はほとんど何もできなかったから、人間にできないことがたくさんあったから、たくさん神がいた。反対に、今は人間が現実を知って現実に従って自分の心を満足する時代だから、人間はいろんなことができるから、人間にできないことがあまりないから、神がいなくなった。人間が現実を知る方法を見つけて現実を知っていろんなことができるようになって神の縄張りを侵すようになったから、神がいなくなったのだ。人間が神を殺したのだ。神を作ったのは人間だが、神を滅ぼしたのもまた人間なのだ。
人間が現実を知るためには、自分の知覚に持っている概念を組み合わせて現実の対象と同じことを作ればいい。自分の考えと現実の対象を眼で見て比較して自分の考えが合わなければ、自分で考え直して合うまで考えればいい。
日本では科学は最近始まったばかりである。今から約50年前に始まったばかりである。これまでは文学の時代だった。みんなが現実を知らずに自分の心のままに好き放題にやって生きていた。みんなは現実の中でまちがいを犯して不幸に暮らさねばならなかった。みんなが平和に暮らすためには政府に脅[おど]されて不幸にされねばならなかった。これからは科学の時代である。みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足して生きている。みんなは現実の中でまちがいを犯さなくなって不幸にならなくなって幸福に暮らせるようになっている。みんなが平和に暮らすためには自分で法律を知って法律を守ればいいので政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
今ではみんなが現実主義になっている。そのために、神が滅んでいる。政府も滅んでいる。
[22546] 今の人は『現実に従う』ようになっている。 h28.2.22
国の文明が進むと現実についての知識が増えてくる。みんなが現実についての知識を持つようになる。
昔は現実についての知識がなかったから、みんなが『現実に従う』という考え方がなかった。そのために、みんなが自分の心のままに生きていた。昔はみんなが現実に従う習慣がなかったので、自分で法律を知って法律を守ることができなかった。そのために、国民みんなが平和に暮らすためには政府に脅[おど]されておとなしくするしかなかった。国民みんなは政府に脅されて不幸にされていた。
今は現実についての知識があるから、みんなが『現実に従う』という考え方がある。そのために、みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きている。国民みんなが平和に暮らすためには自分で法律を知って法律を守ればいいので、国民みんなが政府に脅されるのをやめて政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。国民みんなで政府を倒して法律会社を建てようとしている。
昔は心主義の時代だった。みんなが現実に従わず自分の心だけで生きていた。だから、心の善い者つまり心が現実と合っている者(つまり正しいことが好きでまちがったことが嫌いな者)が多く生き残った。そのために、心の善い者が多かった。今は現実主義の時代である。だから、今は現実を知って現実に従う者が多く生き残る。だから、これからは頭(知覚)の良い者が増えていく。未来社会は頭の良い者ばかりになるだろう。
[22547] どうして今の米は不味[まず]いのか? h28.2.23
私が高知学芸中学校に通っていたころ、お昼は毎日学校でパンを買って食べていた。一方、学校の寮[りょう]に住んでいる寮生は寮弁[りょうべん]を食べていた。しかし、寮弁のお米が不味くてほとんどの寮生がご飯を残して、パンを買って食べていた。寮生は寮弁を見るたびに「ブチ飯[めし]」「古古米」「臭い飯」「お米がすえちゅう(腐っている)」とか言って怒って食べ残していた。貧乏な寮生は不味いのを我慢[がまん]しながら泣く泣くご飯を食べていた。
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は天皇家や私の情報を使って国民を脅している。私が通っていた高知学芸中学校の寮弁が不味かったから、政府はそのことを使って日本中の米を不味くして国民みんなに米の代わりにパンを食べさせているのである。しかし、日本にはパン食の伝統がないから日本のパンは不味い。どちらにしろ国民は不味い思いをしなければならない。
農家は馬鹿だから「政府が国民を幸福にする団体だ」と思って政府の言うことを聞いている。あるいは、「国民みんなは政府の言うことを聞かねばならない」と思って政府の言うことを聞いている。政府は農家に命令して不味いお米を作らせている。だから、国民は不味いお米を食べねばならないのである。本当は『政府は国民を不幸にして国民を脅す団体である』し、『今では国民みんなは自分で法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅してもらって平和に暮らさなくていいから、政府の脅しを聞かなくていい』のである。農家は政府の脅しを聞かないようにして、美味しいお米を作って売ればいいのである。
今の日本では国民みんなが政府に不味いお米を食べさせられて怒っている。国民みんなで早く政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。そうして、国民みんなが美味[おい]しいお米を食べられるようにしないといけない。
[22548] 今の学校は民営化されている。 h28.2.23
今から約20年前、私が九州大学理学部物理学科の学生だったころ、英語の先生が「今では学校が政府からお金をもらえなくなっていろんな民間会社からお金をもらって経営している」と話していた。しかし、当時の私はどうしてかまではわからなかった。今の私はわかる。今では国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしているから、政府の脅しを聞いて政府を怖いと思っておとなしくして平和に暮らさなくていいから、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府がお金が足りなくなって学校会社にお金をやれなくなって学校会社が政府から独立して民営化しているのである。だから、今では国民は政府の脅しを聞かなくてもよくて政府にお金をやらなくていいのである。
法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などは政府の付属会社である。政府の付属会社は政府から税金の残りをもらって経営している。足りない分は国民からお金を取っている。しかし、今では国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府は付属会社にお金をやれなくなって、付属会社が政府から独立して民営化して国民と契約して国民から直接にお金を取って経営するようになっている。
今では政府が潰[つぶ]れている。国民みんなが政府に脅されなくなって政府に不幸にされなくなっている。国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に自由に暮らすようになっている。国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている。
政府は国民を脅して国民を怖がらせておとなしくさせて国を平和にする団体である。昔の国民は自分が平和に暮らすために政府に脅してもらいたかったから自分のほうから喜んで政府の脅しを聞いて政府に不幸にされて政府を怖いと思っておとなしくして平和に暮らしていた。ボクシングのクロスカウンターではボクサーが自分のほうがら進んで相手に殴[なぐ]られに行くように、昔の国民は自分のほうから進んで政府の脅しを聞いて不幸になっていたのである。今の国民は自分が平和に暮らすために自分で法律を知って法律を守ればいいから、自分が政府に脅されて不幸にされたくないから、政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやらなくなって政府を倒している。国民にとって政府は自分をおとなしくさせて自分が平和に暮らすための道具である。昔の国民にとっては政府が必要だったが、今の国民にとっては政府が要らない。時代が変われば国も変わる。
[22549] 今の国民は政府の脅[おど]しを聞くべきかそれとも法律を守るべきか?☆
h28.2.24
政府は国民に命令して国民が不幸になることをさせて国民を脅[おど]して国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。政府は国民を脅すために国民に命令して高い税金を取ったり、わざとにまちがった経済政策をやって国民を貧乏にしたり、国民に病気になる物や不味[まず]い物を食わせたり、事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりする。つまり、政府の仕事は国民を脅すことである。政府は民主主義の芝居をすることによって自分が国民みんなを脅していることを国民にわかりにくくして国に身分制が出来るのを防いでいる。
昔は国民みんなが現実に従う習慣がなかったので、法律を守る習慣がなかったので、国民みんなが自分で政府の脅しを聞いて政府を怖いと思っておとなしくして平和に暮らしていた。
今は国民みんなが現実に従う習慣があるので、今は国民みんなが自分で法律(人間が社会で平和に暮らすための決まり)を知って法律を守って平和に暮らしている。今は国民みんなが自分で政府の脅しを聞いておとなしくして平和に暮らす必要がない。だから、今は国民みんなが政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい。
今は国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今の国民にとっては法律が必要である。だから、今の国民は法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律会社に法律の仕事をやってもらえばいいのである。
[22550] 昔は国民みんなが政府に国民みんなを脅[おど]させていた。☆☆ h28.2.27
昔は心主義の時代だった。昔は文明が遅れていたので現実についての知識がなく、みんなが現実を知らず現実に従わず自分の心のままに好き放題にやっていた。そのため、昔は多数決で物事が決まっていた。つまり、昔は多数が少数を支配していた。
それなのに、昔の政府が国民みんなを脅すことができたのは、国民みんなが政府に国民みんなを脅させていたからである。国民みんなは政府よりも人数が多い。だから、国のことは国民みんなが決める。だから、国民みんなが政府に国民みんなを脅させることに決めていたのである。国民みんなは自分たちが平和に暮らすために政府を使って自分たちを脅させて自分たちを怖がらせて自分たちをおとなしくさせていたのである。政府は国民みんなを脅して国を平和にする団体である。昔は国民みんなが政府の脅しを聞いて政府を怖いと思っておとなしくして平和に暮らしていたのである。サル山のサルのように、人間の心には平和に暮らすためのプログラムが備わっているのである。人間の心は、みんなで“脅し屋”を決めて脅し屋に脅されておとなしくして平和に暮らすように出来ているのである。人間には生まれつきそういう本能が備わっているのである。昔の人はそれを実際にやっていたのである。
しかし、今は現実主義の時代である。今は文明が進んでいるので現実についての知識がたくさんあって、みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。そのため、今は現実で物事が決まる。つまり、今は現実がみんなを支配している。
今では国民みんなが法律(人間が社会の中で平和に暮らすために決まり)を知って法律を守って平和に暮らしている。だから、今の国民みんなは政府に脅されておとなしくする必要がない。今の国民みんなにとっては政府が要らない。今の国民みんなは政府の脅しを聞かず政府にお金を払わず政府を倒せばいい。それが、今の社会の現実である。だから、国民みんなはそうすればいい。今は現実主義の時代だから、政府も現実に従わねばならない。だから、政府も国民みんなが政府の脅しを聞かないことを認めておとなしく国民みんなに倒されねばならない。みんなで早く脅しのない社会にして、みんなが法律だけ守って平和に自由に暮らす社会にしないといけない。
税金は政府の制度だから廃止しないといけない。昔の国民みんなは心のままに生きていたから、人間の心には脅し屋に脅されて平和に暮らすプログラムがあるから、国民みんなが政府に国民みんなから税金を取らせて政府に国民みんなを脅させていたのである。今の国民みんなは現実に従って生きているから、現実には人間は法律を守って平和に暮らせばよく脅し屋に脅されなくていいから、国民みんなが政府に税金を取らせるのをやめればいい。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで政府の替わりに法律会社を建てて、法律会社と契約してお金を払って法律の仕事をやってもらうようにしないといけない。
今の法律は完全ではない。つまり、今の法律は人間が社会の中で平和に暮らす決まりを全部書ききれてはいない。しかし、今の法律には完全性はないが実用性はある。人間が今の法律を守ればほぼ平和に暮らすことができる。今後も人間は平和に暮らすためにいろんな法律を定めていかねばならない。今の物理学が完全ではないが、実用性があるのと同じことである。今の人間は自然を完全には知っていないが、自分の自然に関する知識を使ってある程度幸福に暮らすことはできる。人間は有限な存在であり、現実は無限の存在だから、人間は現実を完全には理解できないが、自分が幸福に暮らすために十分に理解することはできる。とにかく、人間は脅し屋に脅されるよりも法律を守ったほうが幸福に暮らせる。だから、人間は法律を守るのである。大昔人間は現実に向かって歩き始めた。人間は現実に従う定めである。だから、今の人間は法律を守って暮らさねばならないのである。
[22551] 今では国民も政府もみんなが法律を守らねばならない。 h28.2.29
昔は心主義の時代だった。昔は文明が遅れていて現実についての知識がなかったから、みんなが現実を知らずに現実に従わずに自分の心のままに生きていた。
昔はみんなが自分の心のままに暮らしていたから、人間の心には“脅[おど]し屋”に脅されておとなしくして平和に暮らす本能があるから、国民みんなが平和に暮らすために国民みんなで自分たちを脅す政府を設けて政府に脅してもらっていた。政府は国民みんなを脅すために国民みんなを不幸にすることをなんでもかんでもやっていた。国民みんなは心で納得していたから、誰も政府に文句を言わなかった。
今は現実主義の時代である。今は文明が進んで現実についての知識がたくさんあるから、みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。
今はみんなが現実に従って暮らしているから、現実においては人間は法律を守って平和に暮らせばいいから、みんなが法律を知って法律を守って平和に自由に暮らさねばならない。今は現実主義の時代だから、国民も政府もみんなが法律を守らなければならない。国民は政府に脅されてはいけない。国民は政府の脅しを聞いてはいけない。国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。政府も国民を脅してはいけない。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりしてはいけない。
法律のある社会では殺し屋をやってはいけない。いくら殺し屋が客のためにやっている仕事だからといって殺し屋をやってはいけない。法律のある社会ではみんなが法律を守らねばならないから、殺し屋はやってはいけない。それと同じように、法律のある社会では脅し屋をやってはいけない。いくら脅し屋が客のためにやっている仕事だからといって脅し屋をやってはいけない。法律のある社会ではみんなが法律を守らねばならないから、脅し屋はやってはいけない。今は現実主義の時代である。今の日本は法律のある社会である。今の日本ではみんなが法律を守らねばならない。だから、政府は脅し屋をやってはいけない。政府は国民を脅してはいけない。国民もおとなしく政府に脅されてはいけない。国民はたとえ政府に脅されても政府の脅しを聞いてはいけない。国民は政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒さねばならない。国民みんなで早く政府を倒して脅しのない明るく楽しい社会にしないといけない。
政府は脅し屋である。政府は民主主義の芝居をやって善い人のふりをしている脅し屋である。政府は国民から脅し取ったお金でいくつか善いことをやっているが、法律のある社会ではとにかく脅しはいけないから、いくら政府が国民を脅して取ったお金で善いことをやっても政府がいけない。石川五右衛門やねずみ小僧がいけないのと同じである。国民みんなで早く政府を倒して、国民が直接に善いことをする会社にお金をやって仕事をやってもらうようにしないといけない。無料のサービスは政府がお金を出しているのでいけない。例えば、テレビ番組は政府がテレビ局にお金を出して作らせているから、政府にとって都合[つごう]のいいことしか流さないのである。嘘[うそ]ばっかり流しているのである。政府はテレビ局にお金をやって眼で見る喜びや心で思う喜びしかないくだらない番組ばっかり作らせて国民を不良にして国民を現実離れにして国民に法律を守らせないようにしているのである。(おそらくインド人が現実離れしているのは、インド政府が国民みんなにまちがった哲学を流行[はや]らせたせいだろう。国民みんなが現実主義になると国民みんなが法律を守って平和に暮らすようになって政府が要らなくなって政府を倒すから、政府は自分の身を守るために国民みんなを現実離れにさせたのである。ヨーロッパでも中世に政府が学問を禁止したせいで暗黒時代に陥[おちい]っていた。しかし、近代に国民みんなが自由に学問をやるようになってこれまでの自分たちの哲学を反省して新しい哲学を作り出して暗黒時代から抜け出すことができた。そこにヨーロッパの強さがある。一方、インドでは国民みんなが政府によって暗黒時代にされたままだ。国民みんなは政府から離れて自分たちで哲学を反省しないといけない。今の日本でも国民みんなが政府によって現実離れにされて暗黒時代にされつつある。国民みんなは政府から離れて自分の哲学を反省して現実主義に戻らねばならない。インド人も日本人も生まれつき五感が弱くて眼で見ることが嫌いで現実離れしやすいから、そこを政府に利用されてマンガやゲームをやらされて現実離れにされているのだろう。だから、インド人や日本人は自分を反省して自分の現実離れしやすい欠点を克服する哲学を形成しなければならない。反対に、ヨーロッパ人は頭が弱くて考えることが嫌いだから、そこを政府に利用されて学問禁止令を出されて現実離れになって暗黒時代に陥ったのである。ガリレオが五感と知覚を統合してようやく現実がわかるようになったのである。今から約400年前の江戸時代のころに科学の方法が生まれて、現実についての知識が増えて、だんだんみんなが現実を知って現実に従うようになって行ったのである。こうして現在があるのである。)法律会社だって政府からお金をもらって政府にとって都合のいい法律しか作らないし、学校会社だって政府からお金をもらって政府にとって都合のいいことしか教えない。法律会社は嘘の法律を定めている。学校会社は嘘を教えている。これでは世の中が善くならない。今は有料化の時代である。今後は国民が政府にお金を払うのをやめて、自分で直接会社にお金を出して仕事をやってもらわねばならない。
昔の人は自分で法律を知ろうとせずに法律を知らずに政府(または幕府)に脅されておとなしくして法律を破らずに暮らさねばならなかった。政府に脅されてもおとなしくせずに法律を破った者は政府に捕まって罰せられた。今の人は自分で法律を勉強して法律を知って法律を守って暮らすことができる。今の人にとってはもはや政府は要らない。だから、今の人は政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒して政府をなくして、法律会社を建てて法律を守って平和に自由に暮らせばいい。
昔の人は政府の脅しと法律の二つで平和に暮らしていた。今の人は法律だけで平和に暮らせばいい。今の人にとっては政府の脅しは要らない。要らないものはなくなればいい。だから、今の人は政府を倒せばいいのである。政府に脅されておとなしくして平和に暮らすのがサルの暮らし方である。反対に、自分で法律を勉強して法律を守って平和に暮らすのがヒトの暮らし方である。人間はサルからヒトに進化しなければならない。だから、今の人は政府に脅されるのをやめて自分で法律を勉強して法律を守って平和に暮らさねばならない。
[22552] 政府の敵は文明である。☆ h28.2.29
政府は国民を脅[おど]して国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。政府は民主主義の芝居をやって自分の正体をごまかしているが、政府は国民を脅す団体である。
国の文明が遅れていると、国民みんなは自分の心のままに生きているから、人間の心には“脅[おど]し屋”に脅されておとなしくして平和に暮らす本能があるから、国民みんなは政府を設けて政府に脅されて平和に暮らしている。
国の文明が進むと、国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きているから、現実においては人間が法律を守って平和に暮らせばいいから、国民みんなは自分で法律を勉強して法律を守って平和に暮らして、政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒す。
このように、政府の敵は文明である。だから、政府は昔から自分が生き残るためにいろんな手を使って国の文明を遅らせてきた。ヨーロッパではみんなが眼がいいが頭が弱くて考えるのが嫌いだから、政府はそのことを利用して学問禁止令を設けて国中の学問を潰[つぶ]して国の文明を遅らせた。アジアではみんなが頭がいいが眼が弱くて現実を見るのが嫌だから、政府はそのことを利用してマンガやゲームを流行[はや]らせて国民みんなを現実逃避にさせて国の文明を遅らせた。
しかし、人間は現実を知らずに生きるよりも現実を知って生きるほうが自分が不幸にならずにすんで幸福である。人間が幸福に生きるためには現実を知って自分が現実の中でまちがいを犯さないようにしながら自分の心を満足して幸福に暮らせばいい。今では国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して暮らす習慣が出来ている。今の国民は政府のいろんな策略にもめげず自分で現実を知ってたくましく生きている。今の国民は法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今の国民は政府の脅しが要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
今の国民は『自分が幸福になるためには現実を知って現実に従いながら自分の心を満足すればいい』ことを知っている。今の国民は『政府が自分が生き残るために国民を現実に従わせないようにしている』ことを知っている。そのため、今の国民は政府の策略に惑[まど]わされなくなって、自分で考えて現実に従うようにしている。そのため、今の国民は政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
人間は現実が好きである。人間は現実を愛したサルである。人間にとっては現実が楽園である。人間は現実の中で真[しん]に幸福に暮らせる。人間は現実の中で幸福になれる。そのため、人間は大昔から現実を求めてさまよって来た。ところが人間は昔はサルだった。サルは政府に脅されておとなしくして平和に生きている。サルにとっては政府が要る。人間がヒトになって現実を知るようになると法律を守って平和に暮らすようになって政府が要らなくなる。そのため、政府は自分が生き残るために人間をサルのままにしようとしてきた。政府は人間が現実に行くのを妨害してきた。政府は国民みんなが現実に行って幸福に暮らすのを邪魔[じゃま]してきたのである。しかし、人間は政府の妨害に打ち勝って現実に向かって進んできた。今の人間には科学の方法がある。今の人間は現実を知る方法を持っている。今の人間は現実を理解できる。今の人間は法律(人間が社会の中で平和に暮らす決まり)を理解できる。今の人間は政府を理解できる。今の人間は法律を知って法律を守って平和に暮らせる。今の人間は『政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民を脅すために国民にありとあらゆる悪いことをして国民を不幸にする。政府は自分が生き残るために国民を現実嫌いにさせて国民が現実を知らないようにさせて国民が法律を守って平和に暮らさないようにしている。』ことを知っている。だから、今の人間は政府を無視して、自分で現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して暮らすようにして、自分で法律を知って法律を守って平和に暮らして、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。サルにはシッポがあるがヒトにはシッポがないように、サルは政府が必要だがヒトは政府が要らないのである。
人間は現実を知る生き物である。しかし、人類が存続するためには男と女が結婚して子供を作らねばならない。ところが、男は利口だが、女は馬鹿である。男がフニャフニャした女といっしょに暮らしても面白くない。だから、今では女が男と同じように勉強しないといけないのである。男女平等はそのためにある。女がいつまでも馬鹿のままだと、男が女を嫌いになって男が女といっしょに暮らさなくなって人類が滅亡するから、女も男といっしょに暮らせるぐらいに頭を鍛[きた]えねばならないのである。女は多少ブスくても頭がよければいい男と結婚して幸せになれるのである。
とにかく、今から約50年前までは心主義の時代だった。国民みんなが現実を知らずに心のままに動いていたから、国民みんなが政府を設けて政府に脅されて暮らすことになって、政府が国民みんなを現実主義にさせないためにさまざまな妨害を働いていたのだ。しかし、今は現実主義の時代である。国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。国民みんなが法律を知って法律を守って平和に自由に暮らしているから、国民みんなが政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]して、政府が国民みんなを現実主義にさせない妨害ができなくなっているのである。つまり、国のことは国民みんなが決めるのである。政府が決めるのではない。政府は国民みんなのオマケにすぎない。昔は国民みんなが心主義だったから政府が出来て政府が強くて政府が国民みんなを好き放題にしていた。今では国民みんなが現実主義になったから政府が倒れて政府が弱くなって政府が国民みんなに何もできなくなっているのである。つまり、政府が出来るか潰れるかは国民みんなの主義で決まる。国民みんなが心主義をやれば政府が出来、国民みんなが現実主義をやれば政府が潰れる。今の国民みんなは心主義をやめて現実主義をやっている。そのために、政府が潰れているのである。
[22553] 今は現実主義の時代である。☆☆ h28.3.1
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が低くて人間が現実を知らなかった。昔は心主義の時代だった。昔の国民は現実を知らずに自分の心のままに暮らさねばならなかった。人間の心には政府に脅[おど]してもらっておとなしくする本能がある。だから、昔の国民は自分たちで自分たちを脅す政府を建てて政府に脅されておとなしくして平和に暮らしていた。政府は人間の心が生み出した“国民みんなを脅して国を平和にする団体”である。
今は国の文明が高くなって人間が現実を知っている。今は現実主義の時代である。今の国民は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して暮らさねばならない。今は法律(人間が社会の中で平和に暮らすための決まり)がわかっている。だから、今の国民は法律を知って法律を守って平和に暮らさねばならない。今の国民にとっては政府の脅しが要らない。だから、今の国民は政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
時代が進むと国の文明が高くなる。国民みんなが自分の心のままに生きることから現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きることに変わる。そのために、国民みんなが政府に脅されておとなしくして暮らすことから自分で法律を知って法律を守って平和に暮らすことに変わる。国民みんなが政府の脅しを聞くことから政府の脅しを聞かないことに変わる。そのため、今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
昔は学校に番長や町内にガキ大将がいた。しかし、今はいない。子供が心主義から現実主義に変わったために、子供が法律を守るようになって番長やガキ大将の脅しを聞かなくなって番長やガキ大将がいなくなったのである。子供は正直である。大人も子供を見習って正直にしないといけない。昔は国に政府や会社に社長がいた。しかし、今はいない。大人も心主義から現実主義に変わって法律を守って暮らして政府や社長の脅しを聞くのをやめて政府や社長をなくさないといけない。
要するに、昔の人は心で見ていたから政府があった。今の人は頭で見ているから政府がなくなっている。昔の人と今の人では見方が違うから世の中が変わっているのである。昔の人は心主義だったから、自分の心のままに現実を無視して生きていたから、心の世界をそのまま実現していたから、心の世界では人間は政府に脅されて生きているから、自分の心の世界の中にいる政府を建てて政府に脅されていた。今の人は現実主義だから、現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きているから、現実に従わない心を抑えているから、現実においては人間が平和に暮らすためには法律を守らなければならず政府に脅されてはいけないから、今の人は法律を守って自分の心の世界の中にいる政府を建てなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。つまり、今の人は現実主義だから、心の世界においては人間は政府を建てて政府に脅されたいが、現実においては人間が政府を建てると政府に脅されて不幸になるから、政府を建てなくなったのである。現実においては人間の心は一人一人違うために他人は自分の気に入らないことをするから、いくら自分が他人に自分の気に入らないことをやめさせたくても自分は他人の好きにさせるしかないことや、現実においては戦争は結果が悲惨だからたとえ戦争がやりたくても戦争をやってはいけないのと同じことである。たとえ心では自分が相手が好きでも、現実に自分が相手と暮らして自分が幸福に暮らせなければ、自分が相手と結婚してはいけないのと同じである。
[22554] 昔の人は現実を見なかった。今の人は現実を見るようになっている。☆
h28.3.3
昔は文明が低くて昔の人は現実がわからなかった。昔の人は自分の心しかわからなかった。そのため、昔の人は現実を無視して自分の心だけで生きていた。ところが、人間は脅[おど]されるのが好きである。そのため、昔の人は自分を脅す政府を建てて政府に脅されて満足していた。政府は現実の世界ではみんなを不幸にしたが、昔の人は現実を無視していたので政府が現実の世界で国民を不幸にするのを大目に見て許していた。(人間が脅されるのが好きなのは、おそらくサル山のサルがボスザルに脅されて群れで平和に暮らしていたことの名残[なごり]だろう。)
反対に、今は文明が高くなって今の人は現実がわかる。今の人は現実と自分の心の両方がわかる。そのため、今の人は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。ところが、政府は現実の世界で国民を脅して国民を不幸にしている。そのため、今の人は自分を脅して自分を不幸にする政府が要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
政府は国民を脅す団体である。法律会社とは別である。今では文明が高くなって人間が現実のことがわかるようになっているから、法律(人間が社会で平和に暮らすための決まり)を知って法律を守って平和に暮らすようになっている。今の人には法律会社が必要になっている。今の人は現実がわかるようになって現実に対する心がよくわかるようになっている反面自分の心そのものがわからなくなっているから、政府のような心の世界だけで面白くて現実の世界で国民を脅して不幸にする団体が要らなくなっている。そのため、今の人は政府にお金をやらなくなって政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらおうとしている。
政府は心の世界では善い団体である。人間が現実を見ずに心だけで見ると、人間は脅されるのが好きだから、政府は人間を幸福にする善い団体である。反対に、政府は現実の世界では悪い団体である。人間が現実を見ると、政府は国民を脅すために国民を不幸にすることをしているから、政府は人間を不幸にする悪い団体である。昔の人と今の人は見方が違うから、昔の人にとっては政府が善い団体だったが、今の人にとっては政府が悪い団体なのである。昔の人は政府の味方だったが、今の人は政府の敵である。昔の人は政府を守っていたが、今の人は政府を倒しているのである。
[22555] 昔の人は心の世界で生きていた。今の人は現実の世界で生きている。☆ h28.3.3
昔(昭和40年=1965年ごろまで)は文明が遅れていて、昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の人は心の世界の中で幸福に生きていた。昔の人は心主義だった。ところが、人間は脅[おど]されるのが好きである。だから、昔の人は自分を脅す政府を建てて政府に脅されて喜んでいた。政府は現実の世界では人間を脅すために悪いことをやって人間を不幸にしたが、昔の人は現実を無視していたので政府が現実の世界で悪いことをやっても無視して許していた。
しかし、今は文明が進んで、今の人は現実がわかるので現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。今の人は現実の世界の中で幸福に生きている。今の人は現実主義である。ところが、現実の世界では政府は人間を脅すためにいろんな悪いことをして人間を不幸にしている。だから、今の人は自分を不幸にする政府を潰[つぶ]すために政府にお金をやらなくなっている。
昔の人と今の人は見方が違う。昔の人は心しかわからなかったので脅されるのが好きだったので政府が必要だった。今の人は現実がわかるので現実で自分が不幸にされるのが嫌なので政府が要らない。そのため、今の人は政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
[22556] 昔の人は自分の心しかわからなかった。今の人は現実がわかる。☆ h28.3.3
昔は文明が低くて昔の人は勉強することができなかった。そのため、昔の人は現実がわからずに自分の心だけで物を見ていた。ところが、人間の心は脅[おど]されるのが好きなので、昔の人はわざわざ自分から自分を脅す政府を建てて政府に脅されて幸せに暮らしていた。もっとも、政府が人間を脅しすぎると、昔の人は腹を立てて政府を皆殺しにしていた。脅しすぎると喜びが怒りに変わるのだ。
反対に、今では文明が高くなって今の人は勉強している。そのため、今の人は現実がわかるようになっている。今の人は現実に対して心で思うようになって、心そのものがわからなくなっている。政府は人間を脅すために悪いことをして人間を不幸にしているので、今の人は政府が嫌いになって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。今の人は自分が脅されるのが好きなことをすっかり忘れているので、政府が何のために建っているのかわからなくなっている。
昔も今も政府は国民を脅す団体である。しかし、昔と今では国民みんなが違う。昔の国民みんなは現実が見えずに心で思うだけだったが、今の国民みんなは現実が見えて現実に対して心で思うようになっている。そのために、昔の国民みんなは政府が好きだったが、今の国民みんなは政府が嫌いである。昔の国民みんなは政府を守ったが、今の国民みんなは政府を倒している。政府は今の国民みんなに倒されて滅んでなくなりつつあるのである。
人間は自分の知覚にある概念を組み合わせて対象を理解する。昔の人は勉強することができなくて知覚に現実的な概念を持っていなかったから、自分の心だけで物を見ていた。そのために、昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。人間は脅されるのが好きだから、昔の人は自分を脅す政府を建てて政府に脅されて喜んでいた。しかし、今の人は勉強することができて知覚に現実的な概念を持っているから、現実的な概念を組み合わせて物を見ることができるようになっている。そのために、今の人は現実がわかるようになって、現実に対して心で思うようになっている。政府は現実の世界では悪いことをやって国民を不幸にしているので、今の人は政府が嫌いになって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
[22557] 昔の人は脅[おど]されるのが好きだった。今の人は脅されるのが嫌である。☆ h28.3.4
昔(昭和40年=1965年ごろまで)は国の文明が低くて昔の人は勉強することができなかった。そのため、昔の人は現実がわからず自分の心のままに物を見ていた。ところが、人間の心は脅されるのが好きである。だから、昔の人は自分から政府を建てて政府に脅されて喜んでいた。政府は人間を脅す団体である。
しかし、今は国の文明が高くて今の人は勉強することができる。そのため、今の人は現実がわかって現実に対して心で思うようになっている。ところが、政府は現実において人間を脅すために人間に悪いことをして人間を不幸にしている。だから、今の人は政府が嫌になって自分で政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昔と今では国の文明が違うから、昔の人と今の人は物の見方が違う。人間の心は脅されるのが好きである。昔の人は自分の心で物を見ていたから、他人に脅されるのが好きだった。そのために、昔の人は国中のいたるところに自分を脅す者を置いて喜んでいた。国に政府を置いて、町に暴力団を置いて、村に宗教団体を置いて、会社に社長を置いて、学校に番長を置いて、町内にガキ大将を置いていた。政府や暴力団や宗教団体や社長や番長やガキ大将は脅す者だった。反対に、今の人は知覚で現実を知って知覚で物を見ているから、現実の世界で自分が不幸にされるのが嫌である。脅す者は現実には悪いことをして他人を不幸にする。そのために、今の人は国中から自分を脅す者を除[の]けている。国から政府を除けて、町から暴力団を除けて、村から宗教団体を除けて、会社から社長を除けて、学校から番長を除けて、町内からガキ大将を除けている。
要するに、昔と今では国の文明が違うために昔の人と今の人は性格が違う。昔の人は知覚で現実がわからず、心で物を見ていたから脅されるのが好きだった。今の人は知覚で現実がわかるようになって、現実で物を見ているから脅されるのが嫌いである。政府は国民を脅す団体である。そのために、今の人は政府が要らなくなって、政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
昔の人は脅されるのが好きだったから脅す者にお金をやって脅してもらって喜んでいた。今の人は脅されるのが嫌だから脅す者にお金をやらなくなって脅されなくなって喜んでいる。今の人は自分が脅されるのが嫌だと思うなら素直[すなお]に脅されるのをやめればいいのである。自分が政府に脅されるのが嫌なら政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。そうやって、国民みんなが自分にとって嫌なことのない好きなことがある国にすればいいのである。
[22558] 昔の人は現実を見なかった。今の人は現実を見ている。☆ h28.3.3
昔は文明が遅れていて昔の人は勉強しなかったから、昔の人は現実がわからず心のことしかわからなかった。昔の人は眼で見たことに対して知覚で意味付けをせず、眼で見たことに対して直接に心で思っていた。人間の心は脅されるのが好きなので、昔の人は政府に脅されて喜んでいた。昔の人は自分が政府に脅してもらうために政府にお金をやっていた。昔の人は現実がわからなかったので、政府がいくら現実の世界で人間を脅すために悪いことをしても無視していた。
今は文明が進んで今の人は勉強しているから、今の人は知覚で現実が見れるようになっている。今の人は眼で見たことに対して知覚で意味付けをして現実を認識して、さらに現実の認識に対して心で思うようになっている。今の人は現実がわかるので、政府は人間を脅すために現実において悪いことをしているので、今の人は現実において自分が政府に不幸な目に合わされるのが嫌なので、政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昔も今も政府は人間を脅す団体である。政府は人間を脅すために現実の世界でいろんな悪いことをする。しかし、昔と今では国の文明が違うために、昔の人と今の人では物の見方が違う。昔の人は現実を見ずに直接心で思っていた。人間の心は脅されるのが好きである。昔の人は現実が見えなかったから政府に脅されて喜んでいた。昔の人は政府に脅されるために政府にお金を払っていた。反対に、今の人は現実を見てから現実に対して心で思うようになっている。今の人は現実が見えるから政府に現実の世界で悪いことをされるのが嫌である。今の人は政府に脅されないために政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
[22559] 昔の人は現実的に物が見れなかった。今の人は現実的に物が見れる。
h28.3.4
昔は文明が低くて昔の人は勉強しなかったから現実的に物が見れなかった。昔の人は心で直接に物を見ていた。人間の心は脅[おど]されるのが好きである。だから、昔の人は自分が脅されるために政府を建てて政府に脅されて喜んでいた。政府に脅してもらうために政府にお金をやっていた。
しかし、今は文明が高くなって今の人は勉強しているから現実的に物が見れるようになっている。今の人は知覚で考えて現実的に物を見て、さらに現実的に物を見たことに対して心で思っている。政府は現実においては悪いことをしている。だから、今の人は現実において自分が不幸にされないために政府を倒している。政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
政府は昔も今も同じ国民を脅す団体である。しかし、国民みんなは昔と今では違う。昔の国民は知覚で考えずに直感的に物を見ていたが、今の国民は知覚で考えて現実的に物を見ている。そのために、昔の国民は政府に脅されて喜んでいたが、今の国民は政府に悪いことをされて嫌がっている。昔の国民は政府に脅してもらうために喜んで政府にお金を払っていたが、今の国民は政府に悪いことをされないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
[22560] 昔の人は現実がわからなかった。今の人は現実がわかるようになっている。
h28.3.4
昔は文明が低くて昔の人は勉強せずに現実がわからなかった。昔の人は自分の心しかわからなかった。そのため、昔の人は眼で見たことに対して自分の心だけで意味付けていた。人間の心は脅[おど]されるのが好きである。だから、昔の人は自分から自分を脅す政府を建てて政府に脅されて喜んでいた。昔の人は政府に脅されるために政府にお金を払っていた。政府は国民を脅すために現実においていろんな悪いことをやっていた。しかし、昔の人は現実がわからなかったので政府に不幸にされなかった。昔の人にとっては政府が自分を脅すことしかわからなかったので、政府に脅されて幸福になっていただけだった。そのため、昔の人は政府に幸福にしてもらうために政府にお金をやっていた。
反対に、今は文明が高くて今の人は勉強して現実がわかるようになっている。そのかわり、今の人は心そのものがわからなくなっている。そのため、今の人は眼で見たことに対して直接に自分の心で意味付けず、知覚で現実的に意味付けてから自分の心で思うようになっている。政府は国民を脅すために現実においていろんな悪いことをやっている。今の人は現実がわかるので政府に不幸にされるようになっている。そのため、今の人は政府に不幸にされないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。人間の心は本来脅されるのが好きだから、人間の心そのものにおいては政府は人間を幸福にする善い団体だが、今の人は心そのものがわからなくなっているので政府に幸福にされなくなっている。今の人にとっては政府が悪いことをしていることしかわからないので、政府に悪いことをされて不幸になっているだけである。そのため、今の人は政府に不幸にされないために政府にお金をやらず政府を倒している。
昔は文明が遅れていたので昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の人は自分の心で物を見るだけで頭で物を見なかった。昔の人にとっては政府が脅す団体にすぎず、昔の人の心にとっては脅されるのが好きだから、昔の人は政府に脅されて喜んでいた。昔の人にとっては政府が自分を幸福にしてくれる善い団体だったので、政府にお金をやって政府を大切に守っていた。しかし、今は文明が進んでいるので今の人は現実がわかる。今の人は頭で物を見てから心で見ている。今の人にとっては政府がいろんな悪いことをしている団体なので、今の人の心にとっては悪いことをされるのが嫌なので、今の人は政府に悪いことをされて嫌がっている。今の人にとっては政府は自分を不幸にする悪い団体なので、今の人は政府にお金をやらなくなって政府を倒している。要するに、文明が進むと人間が現実がわかるようになる。現実においては、政府はいろんな悪いことをやっている。今の人は現実がわかるから、政府が自分を不幸にする悪い団体であることがわかるから、政府にお金をやらず政府を倒しているのである。
人間の心には脅される欲望がある。人間は脅されるのが好きである。しかし、人間が脅されると現実においては人間が不幸になる。しかし、昔の人は現実がわからなかったから脅されて喜んでいた。今の人は現実がわかるから脅された結果不幸になるのが嫌だから脅されるのをやめている。そのため、今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。人間には戦争をやりたい欲望があるが、人間が戦争をやると現実には不幸になるので、今の人は現実がわかるので戦争をやめているのと同じことである。昔の人は現実がわからなかったから心主義だったから、たとえ現実において自分を不幸にすることでも心において幸福ならなんでもかんでもやっていた。反対に、今の人は現実がわかるから現実主義だから、たとえ心において幸福でも現実において自分を不幸にすることはやらなくなっているのである。昔の人は現実がわからなかったから政府や戦争で喜べた。今の人は現実がわかるからもはや政府や戦争では喜べなくなった。だから、昔の人は政府や戦争をやっていたが、今の人は政府や戦争をやめているのである。
[22561] 昔の人は心の世界で生きていた。今の人は現実の世界で生きている。
h28.3.4
昔は文明が低くて昔の人は勉強しなかったので、昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。人間の心は脅[おど]されるのが好きである。だから、昔の人は自分から自分を脅す政府を建てて政府に脅されて幸福に暮らしていた。政府は国民を脅すために現実に悪いことをしたが、昔の人は現実がわからなかったので政府が現実に悪いことをしても不幸にならなかった。
今は文明が高くて今の人は勉強しているので、今の人は現実がわかって現実に対して自分の心で思うようになっている。政府は国民を脅すために現実において悪いことをやっている。今の人は現実がわかるから政府に不幸にされるようになっている。だから、今の人は政府に不幸にされないために政府にお金をやるのをやめて政府を倒している。政府は国民を脅しているが、今の人は本来の心がわからないので政府に脅されても幸福にならないので、かまわずに政府を倒している。
昔の人は心だけで物を見ていたが、今の人は頭で物を見てから心で見る。昔の人は心の世界の中で生きていたが、今の人は現実の世界の中で生きている。昔の人は心の世界で幸福になることをやっていたが、今の人は現実の世界の中で幸福になることをやっている。政府や戦争は心の世界では人間を幸福にするが、現実の世界では人間を不幸にする。だから、昔の人は政府や戦争をやっていたが、今の人は政府や戦争をやめている。
[22562] 人間は自分がわかることをやって、自分がわからないことをやらない。
h28.3.4
昔は文明が低かったために昔の人は現実がわからず心しかわからなかった。そのため、昔の人は現実がどうなろうがとにかく心で幸福だと思ったことをやった。人間の心は脅されるのが好きだから、昔の人は自分を脅す政府を建てて政府に脅されて幸せに暮らしていた。人間の心は戦争が好きだから、昔の人は戦争をやって幸せに暮らしていた。
今は文明が高くなったために今の人は現実がわかって本来の心がわからなくなっている。そのため、今の人は本来の心がどうだろうがとにかく現実において幸福であることをやっている。政府は現実においては人間に悪いことをやって人間を不幸にするだけだから、今の人は自分の「脅されたい気持ち」を抑[おさ]えて政府をやらなくなっている。今の人は政府に脅されるのをやめて政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。戦争は現実においては悲惨な結果を生むから、今の人は自分の「戦争をやりたい気持ち」を抑えて戦争をやらなくなっている。
日本人は知覚や心が発達しているが五感が弱い。そのために、日本人は眼で見えることはどうでもよくて、知覚や心で幸福になることをやっている。反対に、ヨーロッパ人は五感が発達しているが知覚や心が弱い。そのために、ヨーロッパ人は頭で考えたり心で思ったりすることはどうでもよくて、五感で幸福になることばかりやっている。人間にとっては自分にわからないことはどうでもよく、自分にわかることが大事である。人間は自分がわからないことはやらず、自分がわかることをやる。昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかったから、昔の人は現実なんかどうでもよくてとにかく自分の心で幸福なことをやった。そのために、昔の人は政府や戦争をやった。反対に、今の人は現実がわかって自分の本来の心がよくわからなくなっているから、今の人は自分の本来の心なんかどうでもよくてとにかく現実において幸福なことをやっている。政府や戦争は本来の心においては幸福だが、現実においては不幸である。だから、今の人は政府や戦争をやりたい気持ちを抑えて、政府や戦争をやめたのである。
[22563] 昔の人は心の世界で幸福になりたかった。今の人は現実の世界で幸福になりたい。☆
h28.3.6
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民に命令して高いお金を取ったりわざとにまちがった経済政策をやって国民を貧乏にしたり国民に不味[まず]い物を食べらせて国民を苦しめたり事件や事故を起こして国民を殺したり自分が国民を殺すのをみんなに見せ付けたりしていろんな悪いことをやって国民を脅す。
昔は文明が低くて現実についての知識がなくて昔の人は現実を知らなかった。昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。そのため、昔の人は現実の世界で幸福になろうとせず心の世界だけで幸福になろうとしていた。人間の心は脅されるのが好きである。そのために、昔の国民は自分から自分を脅す政府を建てて政府に脅されて幸せに暮らしていた。昔の国民は自分が政府に脅されて幸福に暮らすために政府にお金をやっていた。(人間の心が脅されるのが好きなのは、大昔人間がまだサルだったころにボスザルに脅されておとなしくして群れで平和に暮らしていたことの名残[なごり]だろう。)
反対に、今は文明が高くて現実についての知識がたくさんあって今の人は現実を知っている。今の人は現実がわかって自分の本来の心がわからなくなっている。そのため、今の人は本来の心の世界で幸福になろうとせず現実の世界で幸福になろうとしている。政府は現実の世界ではいろんな悪いことをやって国民を不幸にしている。今の国民は現実の世界で生きているので政府に不幸にされている。今の国民は自分が政府に悪いことをされて不幸に暮らさないために政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらないようにしている。
政府は心の世界では国民を幸福にするが、現実の世界では国民を不幸にする。昔の国民は心の世界に生きていたから政府に幸福にされていた。昔の国民は政府に脅されるために政府にお金をやって政府を守っていた。反対に、今の国民は現実の世界に生きているから政府に不幸にされている。今の国民は政府に悪いことをされないために政府にお金をやらないようにして政府を倒している。
[22564] 昔の人は脅[おど]されるのが好きだった。今の人は脅されるのが嫌である。☆
h28.3.6
政府は国民を脅す団体である。政府は国民に命令して高いお金を取ったり不景気や恐慌にして国民を貧乏にしたり国民に不味[まず]い物を食わせたり国民を事故で殺したりしていろんな悪いことをやって国民を脅す。
昔は文明が低くて昔の人は現実を知らなかった。昔の人は頭を使わずに心だけで物を見ていた。昔の人は現実がわからないまま心で物を見ていた。人間の心は脅されるのが好きである。だから、昔の人は自分から自分を脅す政府を建てて政府に脅されて幸福に暮らしていた。昔の人は自分が政府に脅されて幸福に暮らすために政府にお金を払っていた。
しかし、今は文明が高くなって今の人は現実を知っている。今の人はテレビを見たり学校で勉強したりして現実を知っている。今の人は頭で物を見てから心で見る。今の人は現実を見て現実に対して心で思っている。今の人は現実がわかりながら心で物を見ている。政府は現実においては国民を不幸にしている。そのため、今の人は自分が政府に脅されるのが嫌になっている。今の人は自分が政府に脅されて不幸に暮らさないために政府にお金をやらなくなっている。
昔の人と今の人は物の見方が違うから好き嫌いが違う。昔の人は心で物を見ていたから脅されるのが好きだった。今の人は頭で物を見ているから脅されるのが嫌である。昔の人は政府に脅されるのが好きだったから政府にお金をやって脅してもらっていた。今の人は政府に脅されるのが嫌だから政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
[22565] 人間は現実を知らなければ現実が見えない。☆ h28.3.6
政府は国民を脅す団体である。政府は国民から高いお金を取ったり不景気にして国民を貧乏にしたり衣食住を不愉快[ふゆかい]にして国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したりして実際にいろんな悪いことをして国民を脅している。
昔は文明が遅れていて昔の人は勉強する暇がなくて現実を知ることができなかった。昔の人は現実を知らなかったので現実が見えなかった。昔の人は現実が見えないまま心で見ていた。人間の心は脅されるのが好きである。だから、昔の人は自分を脅してもらうために政府を建てて政府に脅されて喜んでいた。昔の人は政府に脅してもらうために政府にお金を払っていた。
反対に、今は文明が進んでいて今の人は勉強する暇があって現実を知ることができる。今の人は現実を知っているので現実が見える。今の人は現実を見てから心で見ている。政府は現実の世界では国民を不幸にしている。今の人は現実の世界で不幸になるのが嫌である。だから、今の人は自分が政府に脅されるのが嫌になって、政府に脅されないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
人間は現実を知らなければ現実が見えない。昔の人は現実を知らなかったから現実が見えなかった。今の人は現実を知っているから現実が見える。昔の人は現実を知らなかったから政府が善い団体だと思って政府が好きだった。今の人は現実を知ってしまったから政府が嫌いになって政府に背中を向けて政府を倒すようになったのである。
夜目遠目傘の内。昔の人は現実の政府を知らなかったから政府が善い団体だと思っていた。今の人は現実の政府を知ってしまったから政府が悪い団体だと思って政府を倒すようになったのである。
勉強は人間の性格を変える。昔の人は勉強しなかったから自分の心のままに物を見ていた。昔の人は自分の心の世界で生きていた。昔の人は自分の心の世界で自分を幸福にしていた。今の人は勉強するから頭で物を見ている。今の人は現実の世界で生きている。今の人は現実の世界で自分を幸福にしている。今の人は勉強して現実を知っているから、昔の人とは考えることや思うことややることが違うのである。
政府は人間の心が生み出した団体である。人間の心が脅されるのが好きだから、昔の人が自分の心を満足するために政府を建てたのである。人間の心が脅されるのが好きでなかったら政府は出来なかった。そもそも人間の心が脅されるのが好きなのが悪いのである。今の人は政府を恨[うら]まず自分の心がまちがっていると思って反省して、現実において自分が幸福に暮らすために政府を倒さねばならない。
人間は考えることで性格が変わる。昔の私は現実について考えなかったのでアニメやゲームが好きだった。しかし、私が40歳ごろになって政府のことに関して現実について考えるようになってからアニメやゲームが嫌になってアニメやゲームをやめた。人間が現実のことを考えると現実で幸福になりたいと思うようになる。私が現実について考えるようになったために私が現実で幸福になりたいと思うようになったから、アニメやゲームは現実で幸福になることではないから私がアニメやゲームが嫌いになったのである。今の人は現実について考えている。そのため、今の人は現実で幸福になりたくなって現実で政府に不幸にされるのが嫌になって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
[22566] 昔の人は心の世界で幸福になろうとしていた。今の人は現実の世界で幸福になろうとしている。☆
h28.3.6
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民に命令してお金を取ったりわざとにまちがった景気対策をやって国民を貧乏にしたり発癌性物質[はつがんせいぶっしつ]を国民に食べらせて国民を癌にしたり事件や事故を起こして国民を殺したりして国民を脅している。(政府が国民に発癌性物質を食べさせているのは、癌←ガン←がん←がフ(ん≒フ)←かブ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからかもしれない。食品は多少見た目が悪くても多少不味[まず]くても健康にいい物を食べたほうがいい。)
昔は文明が遅れていて昔の人は現実を知らなかったので現実がわからなかった。昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかったから心の世界で幸福になろうとしていた。人間の心は脅されるのが好きである。そのために、昔の人は自分で自分を脅す政府を建てて政府に脅されて幸福に暮らしていた。昔の人は政府に脅してもらうために政府の脅しを聞いて政府にお金をやっていた。昔の国民は現実がわからず心しかわからなかった。心で見ると政府が自分を幸福にしているように思えるので、自分が政府に幸福にされるために政府にお金をやって政府を建てていたのである。
今は文明が進んで今の人は現実を知っているので現実がわかる。今の人は現実がわかるので現実の世界で幸福になろうとしている。ところが、政府は現実の世界では国民が不幸になることをしている。そのために、今の人は政府に脅されるのが嫌になって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。今の国民は頭で現実がわかるようになった。頭で見ると政府が自分を不幸にしていると考えられるので、自分が政府に不幸にされないために政府を倒しているのである。
昔と今では文明の水準が違う。昔の人は現実がわからなかったから心の世界で幸福になろうとしていた。昔の人にとって政府は自分が幸福になるために必要だったから政府にお金をやって政府を食べさせていた。反対に、今の人は現実がわかるから現実の世界で幸福になろうとしている。今の人にとって政府は自分が幸福になるために邪魔[じゃま]だから政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
人間が心でどう思おうが、人間は現実の中で生きている。昔の人は心で思うだけだったから現実がわからなかった。そのために、政府が自分を幸福にする団体だと誤解して政府にお金をやって政府を生かしていた。今の人は現実を勉強して頭で現実がわかるようになっている。そのために、政府が自分を不幸にする団体だとわかって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。つまり、昔の人は馬鹿だったから、政府が本当は自分を不幸にしているのに政府が自分を幸福にしていると思ってせっせと政府にお金をやって食わせてやっていた。今の人は利口だから、本当は政府が自分を不幸にしていることがわかって政府にお金をやらなくなって政府に食わせてやらなくなったのである。つまり、昔の人は頭で物を見ず心で物を見ていたが、人間の心はまちがいがあるから、人間の心は脅されると幸福だと思うから、政府が本当は自分を不幸にしているのに政府が自分を幸福にしていると思ってお礼に政府にお金をやっていた。今の人は頭で物を見ているから、人間は頭で現実が見えるから、政府が本当は自分を不幸にしていることがわかったので、政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。人間の心には現実に対するまちがいが多いから、人間の心は本当は不幸なことを幸福だと思うことがよくあるから、人間が自分の心のままに生きていると現実には不幸になる。だから、人間は頭で現実を知って現実の中で自分が幸福になることをして現実に幸福にならねばならないのである。(例えば、本当はマンガやゲームは面白くないのに、馬鹿はマンガやゲームが面白いと思っているためにマンガやゲームをやって面白くない思いをしている。現実を知らない者ほど面白くないことにハマる。昔の人は現実を知らなかったから政府に脅されるのが面白いと思って政府に脅されることにハマっていた。今では国の文明が高くなって今の人は現実を知っているから政府に脅されるのが嫌なことだと思うようになっている。今の文明の水準は誰でも政府に脅されるのは嫌だが、誰でもマンガやゲームが面白くないと思うまでには至っていない程度である。今では政府に脅されるのが好きだと思う者はめったにいない。そのうち、もっと現実主義が進めば、誰でもマンガやゲームが面白くないと思う時代になるかもしれない。)
要するに、政府は民主主義の芝居をしているが、本当は国民を脅す団体である。昔の人は心で見ていたから現実がわからなかったから人間の心は脅されると幸福になるから「政府が国民を幸福にする団体だ」と思って政府にお金をやって政府を食べさせていた。今の人は頭で見ているから今の人は現実がわかるから現実には政府は国民を不幸にすることばかりやっているから『政府が国民を不幸にする団体だ』と考えて政府にお金をやらなくなって政府を倒している。(昔の人は脅されるのが好きだったから自分を脅す政府を建てて政府に脅してもらっていた。しかし、ヨーロッパ人は身分制が好きだから政府が国民を脅すと「政府が国民よりも身分が高い」と思って身分が国民みんなに広まって国に身分制が出来てしまう。国に身分制が出来ると身分の高い者が身分の低い者からお金を取って自分が働かなくなって国が貧乏になって発展しなくなる。そのため、ヨーロッパでは政府が民主主義の芝居をやって政府が国民に頭を下げて身分制が出来るのを防いでいたのである。近代の日本ではヨーロッパを真似[まね]ていたので、日本政府も民主主義の芝居をやっているのである。日本人は身分制が嫌いだからもともと政府は民主主義の芝居をする必要がないのである。今の人は政府の民主主義の芝居に騙[だま]されないようにして、『政府が国民を脅す団体だ』と考えて『政府が国民を不幸にする団体だ』と考えて政府を倒さねばならない。)
[22567] 文明が高くなると国民みんなが現実のことがわかるようになる。 h28.3.6
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民を脅すために国民に命令して国民から高いお金を取ったり国民にいろんな嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したりしている。
昔は文明が低くて昔の人は現実を知らなかったので現実がわからなかった。昔の人は政府が現実に何をしているのかわからず、ただ政府がやっていることを眼で見て心で思うだけだった。人間の心は脅されると幸福になるので、昔の人は「政府が自分を脅して自分を幸福にしてくれている」と思って喜んでいた。昔の人は自分が政府に脅されて幸福にしてもらうために政府にお金をやっていた。
今は文明が高くて今の人は現実を知っているので現実がわかる。今の人は政府がやっていることを眼で見て頭で考えて政府が現実に何をしているかがわかる。そのために、今の人は『政府がいろんな悪いことをやって国民を不幸にしている』と思うので、今の人は自分が政府に悪いことをされて不幸にされないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昔と今では文明が違うので、昔と今では人間が住んでいる世界が違う。昔は文明が低かったので昔の人は現実がわからず心しかわからなかった。昔の人は心の世界に住んでいた。人間の心には“脅される喜び”があるので、心の世界では人間は脅されると幸福になる。昔の人は脅されるのが好きだったので、政府に脅してもらって幸福になっていた。昔の人は政府に脅してもらうために喜んで政府の脅しを聞いて政府にお金をやっていた。反対に、今は文明が高いので今の人は現実がわかる。今の人は現実の世界に住んでいる。現実の世界には“人権”があって、現実の世界では人間は人権を侵されると不幸になる。今の人は政府に人権を侵されて不幸になっている。今の人は政府に人権を侵されないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府は昔も今も国民を脅している。政府は昔も今もやっていることが同じである。しかし、今では文明が高くなって、国民が心の世界に住むのをやめて現実の世界に住んでいる。そのために、政府が国民を幸福にすることから国民を不幸にすることに変わっている。そのために、昔の国民にとっては政府がなくてはならなかったので政府にお金をやって政府を守っていたが、今の国民にとっては政府が邪魔[じゃま]になって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
[22568] 昔は法律がなかった。 h28.3.6
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したりして国民を脅す。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は文明が低くて昔の人は現実がわからず心しかわからなかった。昔の人は心の世界で生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。昔の人は政府に脅されて幸福に暮らしていた。昔の人は政府の脅しを何でも聞いていた。(もっとも、政府が昔の人を脅しすぎると昔の人は怒って政府を倒していた。)政府はみんなが自分の言うことをなんでも聞くことを利用して掟[おきて]を定めてみんなに掟を守らせて国を平和にしていた。政府の掟に背[そむ]いた者は政府が捕らえて罰していた。
反対に、今は文明が高くて今の人は現実がわかる。今の人は現実の世界で生きている。現実の世界には“人権”がある。今の人はみんなの人権を守って幸福に暮らしている。政府は国民を脅すために国民の人権を侵して国民を不幸にしているので、今の人は政府に不幸にされないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昔の人は心の世界に生きていて脅されるのが好きだったから政府に脅されるために政府にお金をやっていた。今の人は現実の世界に生きていて脅されるのが嫌だから政府に脅されないために政府にお金をやらず政府を倒している。今ではみんなが自分で法律を知って法律を守っているから、政府の掟は要らない。国民みんなで法律会社を建てれば、政府は要らない。だから、みんなは安心して政府を倒せばいい。
[22569] どうして昔のヨーロッパは小さい国に分かれていたのか? h28.3.6
昔は文明が遅れていて昔の人は現実がわからず心しかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。ヨーロッパ人の心には“戦争する喜び”がある。そのため、昔のヨーロッパ人は戦争をやっていた。昔のヨーロッパ人は戦争をするために国を統一せず小さい国に分かれていた。反対に、インドや中国などアジアの国は戦争をする喜びがないから、戦争をする必要がないから国を統一して大きい国にしていた。
しかし、今は文明が進んで今の人は現実がわかる。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界には“人権”がある。そのため、今のヨーロッパ人はみんなの人権を守って戦争をやらなくなっている。今のヨーロッパ人は戦争をしなくなったので国を統一して大きい国になっている。
同じように、ヨーロッパ人の心には“支配する喜び”がある。そのため、昔のヨーロッパ人は景気がいいときには外国に出かけていって外国を支配していた。今はみんなの人権を守るために外国を支配しなくなった。
今では世界中で文明が進んでみんなが心の世界に住まなくなって現実の世界に住んでいる。今では世界中で戦争や植民地や政府がなくなっている。みんなが現実の世界で幸福に暮らすようになっている。
[22570] 今の国民は政府に脅[おど]されるのが嫌だから政府を倒している。《まとめ》☆☆
h28.3.7
政府は民主主義の芝居をやる“国民を脅す団体”である。政府は国民の眼の前で国民の役に立つことをしている芝居をしているだけで、じつは国民に命令して高いお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したりして国民を脅している。(政府が民主主義の芝居をするのはヨーロッパ文化である。政府が国民を脅すのは世界共通である。政府の英語のgovernment(ガバメント)は語感からして脅すという感じである。ヨーロッパ人は身分があるのが好きなので、政府が国民を脅しているのを見ると「政府が国民よりも身分が高い」と思って国民みんなに身分が広まって身分制が出来て身分が上の者が下の者からお金を取って働かなくなって国が発展しなくなるので、ヨーロッパ政府は国を発展させるために『自分が国民と平等である』ことをみんなに教えるために民主主義の芝居をやっているのである。政府は国民みんなの“脅される喜び”を満足するために国民みんなを脅しているのだから政府と国民は平等である。『政府が国民と平等である』ことは正しいことだから政府が国民に正しいことを教えるのは善いことだが、政府が民主主義をやっているのはただの芝居である。政府が国民のために役に立つことをやっているのはただのポーズであって実際にはほとんど何もやっていない。政府は国に身分制が出来るのを防ぐために国民に『政府と国民が平等である』ことを教えるために民主主義の芝居をやっているのだから、政府が本当に国民の役に立つことをする必要がないので、政府は国民の役に立つことをやっていないのである。国民が豊かに生きていけるのは国民が自分で働いて自分で自分を豊かにしているからであって、政府は国民を脅すために国民を貧乏にしているだけである。政府は民主主義の芝居をするために、自分が国民を豊かにしているふりをしているだけである。政府はもともと国民を脅す団体だから、政府は国民を脅すことが仕事であって国民の役に立つことをするのが仕事ではないから、政府は国民の役に立つことをしている芝居をするだけで実際には国民の役に立つことはしないのである。政府は人間の心に“脅される喜び”があるために出来た団体である。政府は国民の“脅される喜び”を満足することが仕事であって、それ以外は仕事ではない。政府は国に身分制が出来て国民みんなに迷惑をかけないために民主主義の芝居をするまでであって、それ以上のことはしない。ヨーロッパ人が身分が好きなのはヨーロッパ人は狩猟民族だからだろう。人間は動物を自分の好き勝手にできて動物よりも身分が高いから、ヨーロッパ人は身分が好きなのである。反対に、日本人は平等であるのが好きなので、政府が国民を脅しているのを見ても『政府と国民は平等だ』と思うので、日本では政府がわざわざ民主主義の芝居をやる必要がない。日本人が平等が好きなのは日本人が農耕民族だからである。人間が植物に対して威張[いば]ってもしかたがないから、日本人は平等が好きなのである。日本は温帯だから植物の実があるから日本人は植物の実を取って食べていける。反対に、ヨーロッパは寒帯だから植物の実がないからヨーロッパ人は動物を狩って動物を殺して食べるしかない。近代の日本ではみんながヨーロッパ文化を真似[まね]ていたので、日本政府もヨーロッパ政府を真似て民主主義の芝居をやっていただけである。今の日本政府は昔の日本政府を引きずっているから近代の日本政府と同じように民主主義の芝居をやっているだけである。)
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が低くて昔の国民は現実がわからず心しかわからなかった。昔の国民は心の世界で生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。昔の国民は政府に脅されて幸福だった。昔の国民は政府に脅してもらうために政府の脅しを聞いて政府に高い税金を払っていた。
しかし、今は国の文明が高くて今の国民は現実がわかる。今の国民は現実の世界で生きている。現実の世界には“人権”がある。今の国民は政府に脅されて人権を侵されて不幸である。今の国民は政府に脅されないために政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
昔も今も政府は民主主義の芝居をやって国民を脅している。昔も今も政府は同じことをやっている。しかし、昔と今では文明が違う。昔と今では国民が住んでいる世界が違う。昔の国民は心の世界にいた。今の国民は現実の世界にいる。昔の国民は政府に脅されて幸福だった。今の国民は政府に脅されて不幸である。昔の国民は政府に脅されるために政府にお金を払っていた。今の国民は政府に脅されないために政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
実際に、今の国民のほとんどは他人に脅されても幸せだと思わない。それは今の国民がすでに現実の世界にいる証拠である。今の国民が現実の世界で自分や他人の“人権”を守って暮らしているために自分の“脅される喜び”を抑えて暮らしているので“脅される喜び”がなくなっているのである。それなら、今の国民には政府に脅してもらう意義はない。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に脅してもらうのを断って政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。昔の国民は“脅される喜び”があったから、自分の“脅される喜び”を満足するために政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。今の国民は脅される喜びがないから、政府にお金をやらず政府に脅してもらわなければいい。今の国民は脅されるのが嫌だから、政府がなくなればいいから、政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
今では文明が進んでみんなが現実の世界で暮らしている。みんなが自分や他人の“人権”を守って暮らしている。それなのに、政府は国民を脅して国民の人権を侵している。政府が悪い。国民は政府の言うことを聞いてはいけない。政府は罰せられねばならない。国民みんなで政府を罰しなければならない。国民みんなで政府が国民みんなにしたことを政府にお返しすればいい。国民みんなは国家最強の団体である。たとえ政府でも国民みんなを敵に回したら勝てるわけがない。国民みんなで政府の脅しを聞くのをやめて政府を倒して政府のない社会にしなければならない。みんなの人権が守られている社会にしないといけない。
[22571] 政府は国民の“脅[おど]される喜び”を満足するためにある。☆ h28.3.8
昔は文明が遅れていて昔の国民は現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の国民は心の世界に住んでいた。人間の心には“脅される喜び”がある。人間は大昔サルだったから、サルはボスザルに脅されておとなしくして群れで平和に暮らしていたから、人間にはサルだったころの名残[なごり]で“脅される喜び”があるのである。そのために、政府が国民みんなを脅して国民みんなの“脅される喜び”を満足して国民みんなを幸福にしていた。政府は国民を脅す団体である。政府は国民に命令して高いお金を取ったり国民にいろんな嫌がらせをしたり国民を殺したりして国民を脅す。国民みんなは政府に脅してもらうために政府にお金をやっていた。日本人の心には“先進国を真似[まね]る喜び”がある。そのため、ヨーロッパが先進国の時代には国民みんながヨーロッパ文化をやって政府もヨーロッパ文化をやって民主主義の芝居をやっていた。日本人は身分が嫌いだから、日本人にとっては民主主義の芝居は無用だが、ヨーロッパ文化を真似るために政府が民主主義の芝居をやっていた。反対に、アジアが先進国の時代には国民みんながアジア文化をやって政府(幕府と同じ)もアジア文化をやって民主主義の芝居をやめていた。日本人は無駄[むだ]なことが嫌いだから、政府が民主主義の芝居をやめてせいせいした。幕府は国民みんなを脅して国民みんなを喜ばせるために重たい刀を差[さ]していた。日本人は身分制が嫌いなので、インドを真似ていちおう幕府を上にしていたがそれ以上身分制をやらなかった。日本には身分制がない。日本ではたくさん働いた者がたくさんお金をもらって、あまり働かない者はあまりお金をもらえない。物を作るのが仕事である。事務は椅子[いす]に座るだけだから仕事ではない。だから、作業員にだけお金をやって、事務員にはお金をやらなくていい。たとえ女性でもたくさん働く者はたくさんお金をやり、たとえ男性でもあまり働かない者はあまりお金をやらなければいい。みんなが自分の労働量に比例した収入が得られるようにしないといけない。
今は文明が進んで今の国民は現実がわかる。今の国民は現実の世界に住んでいる。現実の世界には“人権”がある。今の国民は毎日自分や他人の“人権”を守って暮らしているので毎日自分の“脅される喜び”を抑えて暮らしているので“脅される喜び”がなくなっている。政府は国民みんなを脅して国民みんなの人権を犯して国民みんなを不幸にしている。国民みんなは政府に脅されないために政府にお金をやらないようにして政府を倒している。
国の中心は国民みんなである。国民みんなが国を決める。政府は国民みんなのためにある。政府は国民みんなの“脅される喜び”を満足するためにある。昔の国民は“脅される喜び”があったから政府にお金をやって政府に脅してもらって喜んでいた。今の国民は“脅される喜び”がないから政府に脅されるのが嫌だから政府にお金をやらなくなって政府を倒している。国民みんなは国家最強の団体である。国民みんなが国を決める。国民みんなは自分が好きなことをやって嫌なことをしなければいい。昔の国民は政府に脅されるのが好きだったから政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。今の国民は政府に脅されるのが嫌だから政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
[22572] 今では国民みんなが政府に脅[おど]されるのが嫌だから政府を倒している。
h28.3.8
国民みんなは自分が好きなことをやって嫌いなことをやらない。国民みんなの心が社会を作る。国民みんなは自分の心を満足する社会を作る。
昔は文明が遅れていて国民みんなは現実がわからず自分の心しかわからなかった。国民みんなは心の世界に住んでいた。人間の心には“脅[おど]される喜び”がある。人間の心は脅されるのが好きである。そのため、昔は国民みんなが政府に脅されて幸福だった。国民みんなは政府に脅してもらうために政府にお金をやっていた。
今は文明が進んで国民みんなは現実がわかる。国民みんなは現実の世界に住んでいる。現実の世界には“人権”がある。現実の世界では人間はみんなの人権を守らねばならない。そのため、今は国民みんなが政府に脅されて人権を侵されて不幸である。国民みんなは政府に脅されないために政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
いつの時代でも国民みんなは自分の心を満足する社会を作っている。しかし、昔と今では国民みんなの住んでいる世界が違うために、国民みんなの心が変わって国民みんなが作る社会も変わっている。昔は国民みんなが心の世界に住んでいて政府に脅されるのが好きだったから政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。今は国民みんなが現実の世界に住んでいて政府に脅されるのが嫌だから政府にお金をやらなくなって政府を倒せばいいのである。
そういうわけで、今では政府がだんだんと潰[つぶ]れていっているのである。そのうち政府がなくなってみんなが政府のことを忘れてしまうだろう。政府に脅されることは昔の人の遊びだった。昔の人は心の世界にいて現実の世界にいなかったからそんなことで遊んでいた。今の人は現実の世界にいるためにそんな遊びをやってはいけなくなったから政府がなくなっているのだ。
同じように、昔は国民みんなが心の世界にいて脅されるのが好きだったから会社で社長に脅してもらって喜んでいた。今は国民みんなが現実の世界にいて脅されるのが嫌だから会社で社長に脅されないために会社から社長を追い出している。昔は国民みんなが心の世界にいたから会社で文学部が遊びまわっていた。今では国民みんなが現実の世界にいるから会社に文学部が要らなくなって会社から文学部を追い出している。
昔は国民みんなが心の世界にいて脅されるのが好きだったから、国中の会社が政府の命令を聞いて国民みんなを嫌がらせる物を作って売って国民みんなを脅して国民みんなを喜ばせていた。反対に、今は国民みんなが現実の世界にいて脅されるのが嫌いだから、国中の会社が政府の命令を聞くのをやめて国民みんなを嫌がらせる物を作って売るのをやめて国民みんなが好きな物を作って売って国民みんなを喜ばさないといけない。昔は国民みんなが心の世界にいて脅されるのが好きだったから、国民みんなが政府の命令を聞いて国民の嫌がらせをしたり国民を殺したりして国民を脅して国民を喜ばせていた。反対に、今は国民みんなが現実の世界にいて脅されるのが嫌いだから、国民みんなが政府の命令を聞くのをやめて国民の嫌がらせや国民を殺したりするのをやめて国民が好きなことをして国民を喜ばさないといけない。いつの時代でも国民みんなで国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。政府は国民に命令して税金を取る以外は国民に命令して国民を使って脅しているから、国民が政府の命令を聞かなければ政府は税金を取ることしかできない。今の国民は政府に脅されるのが嫌だから政府に税金を払わなければいい。もはや政府は何もできない。政府は滅ぶしかない。
[22573] 今の国民は脅されるのが嫌だから政府に脅してもらわなければいい。☆
h28.3.9
人間はみな平等である。人間は自由に他人と契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらえばいい。特に日本人は平等が好きだから、そうしなければならない。
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民を脅すことが仕事である。政府は国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民を脅す。政府は民主主義の芝居を利用して「国民全員が政府と契約して政府にお金を払って政府に仕事をやってもらわねばならない」という嘘[うそ]の法律を定めているのであって、本当は国民が政府と契約するかしないかは国民の自由である。
昔は文明が遅れていたので国民みんなが心の世界に住んでいた。人間の心には“脅される喜び”がある。昔は国民みんなが自分の“脅される喜び”を満足していた。だから、国民みんなが政府と契約して政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。国民みんなは政府に脅してもらって幸福に暮らしていた。
今は文明が進んでいるので国民みんなが現実の世界に住んでいる。現実の世界には“人権”がある。今は国民みんなが自分や他人の“人権”を守って暮らしている。政府は国民を脅すことを仕事にしている。政府は国民の人権を侵すことを仕事にしている。今の国民みんなは自分や他人の人権を侵されるのが嫌である。だから、国民みんなは政府と契約せず政府にお金をやらず政府に脅してもらわなければいい。国民みんなは政府を倒して政府に脅されないようにして幸福に暮らさねばならない。
昔と今では文明が違う。文明が違うと国民みんなの世界が違う。国民みんなの世界が違うと国民みんなの心が違う。時代によって国民みんなの心が変わる。昔の国民には“脅される喜び”があったから政府は仕事がやれた。今の国民は人権を守って暮らしているために“脅される喜び”がなくなっているから政府は仕事がやれない。人間はみな平等である。国民が政府に仕事をやってもらうかやってもらわないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府と契約せず政府にお金をやらず政府に仕事をやってもらわなければいいのである。
政府は国民を脅す仕事をやっているから上の者に見えるのである。しかし、本当は政府は国民の“脅される喜び”を満足しているのだから、政府は国民を喜ばせるために国民を脅しているのだから、政府と国民は平等である。それと同じように、会社の社長は社員を脅す仕事をやっているから上の者に見えるのである。しかし、本当は社長は社員の“脅される喜び”を満足するためにいるのだから社長は社員と平等である。今の社員は脅されるのが嫌だから社長なんか要らないから社長を会社から追い出せばいい。同じように、会社の文学部は自分の心のままに好き放題にやって自分が仕事をせずに他人の稼[かせ]ぎを奪って遊んでいるから上の者に見えるのである。しかし、本当は文学部は“心の世界にいる”だけだから文学部は理学部と平等である。昔は国民みんなが心の世界にいたから、昔は国民みんなが自分の心のままに生きるのを認めていたから、文学部が自分の好き勝手にするのを大目に見ていた。しかし、今では国民みんなは現実の世界にいて心の世界にいないから、いまだに心の世界にいて自分の好き放題にやって他人の人権を侵して他人の稼ぎで遊んで暮らしている文学部を許せないから文学部を会社から追い出せばいい。そうやって国民みんなで心の世界にいる者を始末[しまつ]してみんなで現実の世界で暮らすようにしなければならない。今では文明が高くなったからみんなが現実の世界で暮らさねばならない。自分だけ勝手に心の世界で暮らすわけにはいかない。自分だけ勝手に心の世界で暮らすのは犯罪者とみなされて罰せられるのである。
[22574] 政府は国民みんなを脅すために福祉をやっている。 h28.3.9
今の政府は国民を脅[おど]すために国民を嫌がらせるために障害者や老人を使って国民からお金を取っている。障害者や老人は政府のおかげで幸せに暮らしているようである。
しかし、今の国民は“脅される喜び”がなくなって政府と契約するのをやめて政府にお金をやらなくなって政府に脅してもらわなくなっている。政府は国民からお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は福祉がやれなくなっている。
政府が潰れたら、福祉会社を建てればいい。今でも震災があったら被災者に募金をやっているから、福祉会社は経営できるはずである。お金に余裕があってけちでない人が福祉会社にお金をやって福祉ができるはずである。
しかし、日本人はけちである。日本人は個人主義だから自分の心の満足を第一にするからけちである。福祉会社は政府ほど福祉がやれない。
そもそも障害者や老人は幸福ではない。自分で自分の身体をろくに動かせない者が幸福であるはずがない。障害者や老人はただ身体が生きているだけで幸福ではない。幸福でない者は生きる価値がない。だから、福祉会社がお金が足りなくて福祉がやれなければ障害者や老人を殺してやればいいのである。そのほうが障害者や老人も早く死んで幸福になれるので喜ぶだろう。そうすれば、国民みんなも自由に募金ができるし、障害者や老人も早く死んで幸福になれるので、国民みんなが幸福になれる。政府は国民みんなから高いお金を取るし、障害者や老人を無理やり生かして不幸にしている。政府は国民みんなを不幸にしている。だから、早く国民みんなで政府を倒して、福祉会社を建てればいいのである。
[22575] 今では国民が学校に行くか行かないかは国民の自由である。 h28.3.9
昔は国民みんなが心の世界にいて脅[おど]されるのが好きだったから政府に脅されて幸せに暮らしていた。国民みんなが政府の言いなりだった。だから、政府が国民に命令して国民みんなに教育を受けさせていた。昔は義務教育だった。
しかし、今は国民みんなが現実の世界にいて脅されるのが嫌いだから政府に脅されなくなった。今の国民みんなは政府の脅しを聞かなくなった。国民みんなが政府の言うことを聞かなくなった。だから、政府が国民に命令して国民みんなに教育を受けさせることができなくなった。だから、今は自由教育である。
そもそも国民が学校に行くか行かないかは国民の自由である。国民が勉強するかしないかは国民の自由である。
エジソンやニュートンは学校に行かないのに科学が得意だった。もともと人間は自分独[ひと]りでいたほうが自分の才能を磨[みが]くことができる。エジソンやニュートンは学校に行かなかったからこそ天才になれたのである。誰でも学校に行かなければ天才になれる。ただ学校に行っただけで才能のない者を雇っても会社は儲[もう]からない。会社は才能がない者よりも才能がある者を雇ったほうが儲かる。
国民がどのように勉強するかは国民の自由である。学校に行きたい者は行けばいいし、行きたくない者は行かなければいい。国民が学校に行こうが行くまいが、国民が今の社会の中で暮らしているかぎり現実を知ることになる。国民が今の社会で暮らしていれば、誰でも現実を知らねばならない気持ちになって現実を知る。国民が今の社会で暮らしていれば現実の世界で生きることになる。
会社は学歴で人を選ぶよりも才能で人を選ばないといけない。学歴が高いのは親が金持ちだからである。金持ちは馬鹿である。金持ちはくだらないことで遊びまわっているから馬鹿なのである。会社は無能の馬鹿を喜んで採用している。だから、日本の会社は役立たずばかりになって日本が儲からなくなって貧乏になっているのだ。日本の会社は学歴よりも才能で人を選ばねばならない。
[22576] 今の人は自分が政府に脅[おど]されるのが嫌なら政府に脅されるのを断らねばならない。
h28.3.9
政府は国民を脅す団体である。政府は国民を脅すことが仕事である。政府は国民と契約して国民からお金をもらって国民を脅す。
人間はみな平等である。だから、国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府にお金をやって政府に仕事をやってもらうかどうかは国民の自由である。国民は自分が幸福になれば政府と契約し、自分が不幸になれば政府と契約しなければいい。
昔は文明が後れていて昔の人は現実がわからず心しかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。だから、昔の人は自分の“脅される喜び”を満足するために政府と契約して政府にお金を払って政府に脅してもらっていた。
しかし、今は文明が進んで今の人は現実がわかる。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界には“人権”がある。今の人にとっては自分の人権が守られていることが幸福であり、自分の人権を侵されることが不幸である。政府は国民を脅すために国民の人権を侵している。政府は今の人を不幸にする。だから、今の人は自分の人権を守るために政府と契約せず政府にお金を払わず政府に脅されないようにすればいい。
昔も今も政府は国民を脅している。昔も今も政府は同じことをやっている。しかし、昔と今では国民の心が違う。昔の国民は脅されるのが好きだったから、政府と契約して政府にお金をやって脅してもらっていた。今の国民は脅されるのが嫌だから、政府と契約しなくなって政府にお金をやらなくなって脅してもらわなくなった。
人間は自分の心に正直でないといけない。そうしないと損をする。昔の人は自分が政府に脅されて喜ぶのが恥ずかしかったが、勇気を出して自分の心に正直にして政府に脅されて喜んでいた。ところが、今の人は自分が政府に脅されるのが嫌なのにおとなしく政府に脅されている。今の人が政府に脅されるのを我慢[がまん]しているのがいけない。国民と政府は平等だから、今の人は自分が政府に脅されるのが嫌なら正直に政府に脅されるのを断らねばならない。今の人は政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。今の国民みんなで国民みんなの人権を侵す政府を倒して国民みんなの人権が守られている社会にして国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
要するに、人間の心に“脅される喜び”という変な感情があるために、昔の世の中が変になっていたということである。昔の人は自分の“脅される喜び”を満足するために現実の世界において政府に不幸な目に合わされていたのである。今の人は“人権”の概念を使って現実の世界がわかるようになったから、自分の“脅される喜び”を抑えて現実の世界で不幸にならずに生きることができるようになったのである。
[22577] 今の国民はテレビ局にお金を払ってテレビ番組を見なければならない。
h28.3.9
今のテレビ番組が面白くないのは、政府がテレビ局にお金をやって番組を作らせているからである。テレビ局は民間会社からお金をもらっているほかに政府からもお金をもらって番組を作っているのである。国民みんなが只[ただ]でテレビ番組が見られるのは政府や民間会社がテレビ局にお金をやっているからである。私や天皇の情報を使ってテレビ番組が作られているのは政府がテレビ局にお金を出している証拠である。テレビ局が政府にとって都合[つごう]のいいことしか流さないのは、政府がテレビ局にお金をやっているからである。
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民に命令して高いお金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したりして国民を脅す。政府はテレビ局に命令して面白くない番組を作らせて国民を嫌がらせて脅しているのである。国民は毎日政府によって面白くない番組を見せられて気分が落ち込んでいるのである。
昔は文明が遅れていて国民みんなが現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の国民は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。そのため、昔の国民は政府に脅されて喜んでいた。昔の国民は政府にお金をやって政府に脅してもらって幸福になっていた。昔の国民は政府に脅されるのが好きだったから、テレビ局が政府の命令で面白くない番組を作って国民みんなは面白くない番組を見て喜んでいた。国民みんなは政府に脅されるために喜んで面白くない番組を見ていた。
しかし、今は文明が進んで国民みんなが現実がわかるようになっている。今の国民は現実の世界に生きている。現実の世界には“人権”がある。今の国民にとっては人権が守られるのが幸福であり、人権を侵されるのが不幸である。そのため、今の国民は政府に脅されて人権を侵されて不幸にされるのが嫌である。政府と国民は平等なので、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府に脅してもらわなくなっている。今の国民は政府に脅されるのが嫌だから、テレビ局が政府の命令で面白くない番組を作って国民を嫌がらせているのが嫌である。国民みんなは政府に嫌がらされるのが嫌なのでテレビ番組を見なくなっている。
今では国民みんなが政府に脅されるのが嫌になって政府にお金をやらなくなって政府に脅されなくなっている。政府はお金が足りなくなって国民を脅すことができなくなっている。テレビ局は政府からお金をもらえなくなって民間会社のお金だけではお金が足りないので番組が作れなくなっている。
そのため、今のテレビ局はNHKのように国民と契約して国民からお金をもらってテレビ番組を作ろうとしている。1世帯あたりひと月5000円で全部のチャンネルが見られるようにすればいい。ちょっとだけ見る人はひと月2000円ぐらいで見られるようにすればいい。まったく見ない人は払わなくていい。そうすれば、テレビ局は国民みんなのために番組を作るので国民みんなにとって面白い番組を作るだろう。国民みんなは面白い番組が見られるだろう。国民みんながテレビ局にお金を出せば、国民みんなにとって都合のいい情報が得られる。公明正大な情報が得られる。国民みんなが世の中について正しいことを知って正しく行動できるようになる。国民みんなが政府について正しいことを知って政府に対して正しいことをやるようになる。
只ほど怖いものはない。国民がテレビ番組を只で見られるのはほかのどこかからお金が出ているからである。そのために、テレビ番組がほかのどこかのために作られて国民は面白くない番組や宣伝を見せられて嫌な思いをさせられている。国民にとってはかえって損になっている。だから、国民は自分でお金を払ってテレビ番組を見なければならない。そうすれば面白い番組が見られる。国民にとってはお金を払わず面白くない番組を見せられるよりもお金を払って面白い番組が見られるほうがいい。だから、国民はテレビ局にお金を払ったほうがいいのである。
h28.3.11追記)今の国民みんなは現実的になっている。だから、テレビ局は今の国民みんなの感性に合わせて現実的な番組を作ればいい。そうすれば、国民みんなは番組を面白いと思って見てくれる。テレビ局が国民みんなを引っ張っていくのではなく、テレビ局が国民みんなに合わさないといけない。そうすれば、テレビ局は視聴率が上がって国民みんなと契約が取れて儲[もう]かるだろう。
[22578] 今の人は政府に脅[おど]されるのが嫌だから、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらなければいい。
h28.3.10
政府は国民からお金をもらって国民を脅す会社である。政府が国民を脅しているのは仕事である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取って国民にいろんな嫌がらせをして事件や事故を起こして国民を殺して国民を脅すことが仕事である。
人間はみな平等である。政府と国民は平等である。国民が政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅してもらうか、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府に脅してもらわないかは国民個人の自由である。
昔は文明が遅れていて昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。昔の人は政府に脅してもらうのが幸福だった。だから、昔の人は自分が政府に幸福にしてもらうために政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。政府は国民みんなを喜ばせるために国民みんなを脅していた。政府はみんなの人気者だった。(h28.3.11追記:昔の人は悪いことをされるのは嫌だった。だから、たとえ昔でも悪いことをするのはいけなかった。悪いことをする者はみんなに嫌われて罰せられた。しかし、昔の人は脅されるのは好きだった。だから、昔の人は政府に脅されて喜んでいた。政府が国民を脅すのはかまわなかった。脅す者はみんなに好かれて人気者だった。悪いことをされるのと脅されるのは微妙に違う。人間の心は微妙な違いを区別できるから悪いことをされるのはいけないが脅されるのはよかったのである。)
今は文明が進んでいて今の人は現実がわかっている。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界には“人権”がある。現実の社会で人間が幸福であるためにはみんなと平和にしなければならない。みんなと平和にするためにはみんなの“人権”を守らねばならない。だから、今の人にとっては自分や他人の人権を守ることが幸福なのである。今の人は自分の人権を守って幸福に生きている。今の人にとっては自分の人権が守られているのが幸福であり、自分の人権を侵されるのが不幸である。政府は国民を脅すために国民の人権を侵して国民を不幸にする。政府は国民みんなを不幸にするために国民みんなを脅している。政府は国民みんなの嫌われ者である。今の人は政府に脅されるのが不幸である。だから、今の人は自分が政府に不幸にされないために政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府に脅してもらわなくなっている。
国民と政府は平等である。昔の人は脅されるのが好きだったから、政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。今の人は脅されるのが嫌だから、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府に脅してもらわなければいい。早く国民みんなで政府にお金をやらなくなって政府を倒して、国民みんなの人権が守られている国にしないといけない。
昭和40年=1965年ごろに国の文明が高くなって、国民みんなが心の世界にいることから現実の世界にいることに変わった。国民みんなが政府に脅されて幸福なことから政府に脅されて不幸なことに変わった。政府が国民みんなからお金をもらって儲[もう]かっていることから国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れていることに変わった。文明が進歩したために国民みんなの心が変わったために政府が潰れているのである。今の政府は潰れている。そのうち政府がなくなるだろう。未来は今よりももっと文明が進歩して、未来の人は今の人よりももっと現実の世界で暮らしているだろう。未来の人は今の人と心が違うだろう。未来の世界には今の世界にある物がなくなって今の世界にない物が出来ているだろう。
今の人の多くは政府に脅されるのは嫌だが社会に対する理解が足りないためにいやいやながら政府の脅しを聞いている。今の人は社会をよく理解して自分が政府の脅しを聞く必要がないことを理解して政府の脅しを聞かないようにしないといけない。今の人は早く政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
[22579] 今のヨーロッパ人には“戦争をする喜び”がないから戦争をしなくなっている。
h28.3.10
昔は文明が遅れていたので昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。ヨーロッパ人の心には“戦争をする喜び”がある。ヨーロッパ人は狩猟民族なので、動物を殺すのが好きなので、人間を殺すのも好きなので戦争が好きなのである。だから、昔のヨーロッパ人は自分の“戦争をする喜び”を満足するために戦争をやっていた。だから、昔のヨーロッパでは戦争があったのである。
しかし、今は文明が進んで今の人は現実がわかるようになっている。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界には“人権”がある。現実の世界ではみんながみんなの“人権”を守らねばならない。だから、今のヨーロッパ人はみんなの人権を守って暮らすようになっている。そのために、今のヨーロッパ人は自分の“戦争をやる喜び”を抑[おさ]えて戦争をやめている。だから、今のヨーロッパでは戦争がないのである。
つまり、昔のヨーロッパ人の心に“戦争をする喜び”があったから昔のヨーロッパ人は戦争をやっていたのである。今のヨーロッパ人の心には“戦争をする喜び”がないから今のヨーロッパ人は戦争をやらないのである。
それと同じように、昔は文明が遅れていたので昔の人は現実がわからず自分の心しかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。世界中の人間にある。大昔人間はサルだったので、サルはボスザルに脅されて群れで平和に暮らしていたので人間には“脅される喜び”があるのである。だから、昔の人は自分の“脅される喜び”を満足するために政府に脅されていた。昔の人は政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅してもらって幸福に暮らしていたのである。
しかし、今は文明が進んで今の人は現実がわかるようになっている。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界には“人権”がある。現実の世界ではみんながみんなの“人権”を守らねばならない。だから、今の人はみんなの人権を守って暮らすようになっている。そのために、今の人は自分の“脅される喜び”を抑えて脅されるのをやめている。今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府に脅してもらわなくなっている。
つまり、政府は国民を脅す会社である。政府は国民を脅すことが仕事である。政府は国民からお金をもらって国民を脅す。国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって脅してもらうか、お金をやらず脅してもらわないかは国民個人の自由である。昔の人の心には“脅される喜び”があったから昔の人は政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅されていた。今の人の心には“脅される喜び”がないから今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府に脅されなくなっている。政府は今の人からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
昔の人は現実を知らずに心の世界で幸福に生きていた。今の人は現実を知って現実の世界で幸福に生きていこうとしている。これからも人間はますます現実を知り現実の世界で幸福に生きていくだろう。人間が現実を知って現実の世界で生きるのは、人間が現実の世界で生きたほうが人間が幸福だからである。人間の心は生まれつきの現実についての認識であり、まちがいが多い。人間は頭の中でどんなことを思っていても、実際には現実の中で生きている。人間が現実を知らずに自分の心のままに生きていると現実の中でまちがいを犯して不幸になる。人間が現実を知れば現実の中でまちがいを犯さずに不幸にならずにすむ。人間が現実を知って現実の中で自分の心を満足すれば不幸にならずに幸福になることができる。そういうわけで、人間は現実を知って現実の世界で生きることにしたのである。昔の人は“戦争をやる喜び”や“脅される喜び”を満足していたために現実の世界で不幸になっていた。今の人は『みんなの人権を守らねばならない』ことを知ってそれらの喜びを満足しなくなったから現実の世界で幸福になることができたのだ。今の人は昔の人よりも現実を知っているから昔の人よりも幸福に生きている。未来の人は今の人よりももっと現実を知っているから今の人よりも幸福に生きているだろう。
[22580] 今の国民は政府に脅[おど]されるのが嫌だから、政府に脅されるのを断らねばならない。
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政府は国民を脅す会社である。政府は国民からお金をもらって国民を脅すことを仕事にしている会社である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取って国民にいろんな嫌がらせをして事件や事故を起こして国民を殺して国民を脅す。
人間はみな平等である。国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって政府に脅してもらうか、政府にお金をやらず政府に脅されないかは国民個人の自由である。
昔は文明が遅れていて昔の人は現実を知らず自分の心のままにやっていた。ところが、人間の心には“脅される喜び”がある。人間の心は脅されるのが好きである。そのために、昔の人は政府に脅されるが好きだった。だから、昔の人は政府の脅しを聞いて政府にお金をやって脅してもらって喜んでいた。政府は“国民を脅す芸”をやって国民を喜ばせる芸能集団だった。昔の人は政府に脅されて政府に殺されて喜びながら死んでいったのである。
反対に、今は文明が進んで今の人は現実を知って自分の心のままにやっていない。今の人は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。現実の世界では“人権”があって、みんながみんなの人権を守って暮らさねばならない。今の人はみんなの人権を守って暮らしているので、自分の“脅される喜び”を抑えているので“脅される喜び”がなくなっている。今の人にとっては自分の人権が守られているのが幸福であり、自分の人権が侵されているのが不幸である。今の人は政府に脅されて政府に人権を侵されると不幸になる。今の人は政府に脅されるのが嫌である。だから、今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府に脅されなくなっている。今の日本は文明が進んでいるので国民のほとんどが“脅される喜び”がないので政府の命令で悪いことをしなくなっているが、今でも後進国では文明が遅れていて国民みんなが“脅される喜び”があって政府の命令を喜んで聞いて悪いことをするので、今の日本政府は後進国の人を日本に招待して後進国の人を使って命令して悪いことをさせて国民に嫌がらせをしている。(『愛の戦士レインボーマン』の「殺人プロフェッショナル編」みたいだ。)今の日本人には“脅される喜び”がないから政府に脅されても全然うれしくない。後進国の外人は日本に来て余計なことをするな!
政府は国民を脅す会社である。政府は昔も今も同じである。しかし、国民みんなは昔と今では違う。国民みんなの心は昔と今では反対である。昔の国民みんなは政府に脅されるのが好きだった。今の国民みんなは政府に脅されるのが嫌である。だから、昔の国民は政府にお金をやって政府に脅されていたが、今の国民は政府にお金をやらず政府に脅されなければいいのである。
国民は自分の心の正直にしないといけない。今の国民は政府に脅されるのが嫌だから、政府に脅されるのを断って政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。そうして、国民みんなで国民みんなの人権が守られている国にして国民みんなで幸福に暮らさないといけない。
“感覚”(感じること)の概念が欠けていると認識のことが理解できない。そのために、今の国民の多くは自分の認識のことを誤解して自分の認識に対してまちがったことをやっている。それと同じように、“脅される喜び”の概念が欠けていると政府のことが理解できない。そのために、今の国民の多くは政府のことを誤解して政府に対してまちがったことをやっている。今は現実主義の時代である。今の人は現実を正しく理解して現実に従いながら自分の心を満足しないといけない。今の人は現実の中でまちがいを犯して不幸にならないようにしながら自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。国民みんなは自分の足りない概念を補って対象を正しく理解して対象に対して正しいことをして自分が不幸にならないようにしながら幸福に暮らさねばならない。
人間は自分の知識を基[もと]にして物を見ないといけない。人間は頭で考えながら物を見ないといけない。テレビや新聞でやっているのは政府の民主主義の芝居であって、政府は本当は国民みんなの役に立つことをやっていない。映画のヒーローが映画の上で活躍しているだけで、実際には何もやっていないのと同じである。芝居は芝居と思って見ないといけない。政府は実際には国民みんなを脅している。ときどきそんなニュースもやっている。政府は国民を脅す団体である。昔の国民は政府の民主主義の芝居なんかどうでもよくて政府に脅されるのが好きだったので政府にお金をやって脅してもらっていた。昔の国民は政府の民主主義の芝居をつまらないと思いながら税金の無駄遣[むだづか]いだと思いながらしかたなく見ていた。政府は最初のいっとき(といっても150年間ぐらいだが)脅しだけでは弱いと思って客寄せのために国民にいろんな善いことをやっていた。たしかに昔の国民は脅されるのが好きだったが、脅しだけでは会社が建たなかったのである。しかし、今では政府は客寄せをやめて本業の脅しだけをやっている。今の国民は脅されるのが嫌だから政府は要らない。だから、今の国民は政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
十分時間をかけて考えれば人間は何だって理解できる。人間が理解できないのは考える時間が足りないからだ。世の中に政府のことがわかっていない人が多いのは、仕事や勉強でいそがしくて自分で考える時間がないからだ。私は政府について十分時間をかけて考えたから政府のことがわかった。他人がわかったことを学ぶのは簡単で時間がかからない。だから、みんなは私の考えを真似[まね]ればいい。みんなは自分の心に“脅される喜び”がないと思ったら、政府の脅しを聞かなければいい。政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。そのようにして、今の国民にとって幸福な社会にすればいい。
[22581] 今の国民は“脅[おど]される喜び”がないので、政府が潰[つぶ]れている。☆
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政府は国民を脅す会社である。政府は国民からお金をもらって国民を脅す仕事をしている会社である。政府は国民に命令して国民からお金をもらって国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したりして国民を脅している。
政府が国民を脅していると、身分制(つまり不平等)が好きな国民が「政府が国民よりも身分が高い」と思って自分も身分制をやりだすので、国に身分制が出来ると身分の高い者が身分の低い者からお金を取って働かなくなって国が発展しなくなるので、政府は民主主義の芝居をやって『政府が国民と平等である』ことを国民みんなにわからせて国に身分制が出来ないようにしている。政府は国民に『政府と国民が平等である』ことを教えるために民主主義の芝居をやっているだけだから、政府は国民の役に立つことをしている芝居をやっているだけで本当は国民の役に立つことをやっていない。(同じように、政府が国民を脅していると、自分勝手が好きな国民が「みんなが自分勝手にやっていい」と誤解して自分も自分勝手なことをやる。自分の好き勝手にやって他人が嫌なことをしたり他人の人権を侵したりする。例えば、商事会社が好き勝手に流通に割り込んでお金を取って儲[もう]けている。しかし、本当は政府は国民を脅す仕事をしているのであって、けっして自分勝手なことをやっているのではない。また、政府が民主主義の芝居をやって自分が国民を脅すのを隠していると、嘘[うそ]をつくのが好きな人が「みんなが嘘をついてもいい」と思って嘘をついて他人を騙[だま]して他人からお金を取っている。例えば、詐欺[さぎ]会社が他人に嘘をついて他人からお金を取って儲[もう]けている。しかし、本当は政府は国に身分制が出来ないようにするために民主主義の芝居をやっているのであって、自分が国民の役に立つことをやっているふりをして国民を騙して国民からお金を取るために民主主義の芝居をやっているのではない。国民は政府がやっていることを勝手に誤解して嘘をついてはいけない。国民が勝手に政府のことを誤解して「政府がやっているから自分もやっていい」と思ってまちがったことをやってはいけない。それに、政府がやっていることをよく見ると政府が自分勝手なことをやっているのではないことがわかる。政府が自分勝手なことをやっているとすると、政府はどうでもいいことをやりすぎる気がする。政府がなんの恨[うら]みもない国民を殺しすぎているような気がする。政府が国を不景気にしすぎているような気がする。他人を殺したり国を不景気にしてうれしい人間はいない。自分が遊びまわるのは楽しいけれども、他人を殺したり国を貧乏にするのが楽しいわけがない。だから、政府は国民を脅しているのであって、けっして自分勝手なことをしているのではないのである。躁鬱病[そううつびょう]の患者が気分が高揚したときに自分が人間を超えた者だと思って人を殺して暴れまわったりする。政府が精神異常者の集団だとすると、そんな人間が何万人もいて協力して会社を作ってやっていけるのがおかしい。だから、政府は精神異常者の集団でもない。政府は国民を脅す仕事をする会社なのである。話を先取りすることになるが、たしかに今は現実主義の時代であって心主義の時代ではないから政府が建っているのはおかしいが、現実主義の時代に変わったからといって心主義の時代にあった政府がパッと消えてなくなるわけではない。政府がなくなるまでには多少時間がかかる。実際には、今みたいなスピードで消えてなくなるのである。国民みんなが政府について正しい理解を持てば政府がなくなるのがもっと早くなるだろう。政府は大きい会社である。大きい会社はやることが違う。政府は客寄せに150年もかけるのだから1000年ぐらい視野に入れているのだろう。そこらへんのスーパーは客寄せに1日しかかけないからえらい違いだ。だから、現実主義の時代になって50年たって政府が今ぐらい残っていてもなんら不思議ではない。これから国民みんなで政府を潰[つぶ]していけばいいのである。今の国民には“脅される喜び”がないから、政府を潰せばいいのである。)
人間はみな平等である。だから、国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって脅してもらうか、政府にお金をやらず脅してもらわないかは国民個人の自由である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国の文明が低くて国民が現実を知らず現実がわからなかった。国民は自分の心しかわからなかった。人間の心には“脅される喜び”がある。そのため、昔の国民には“脅される喜び”があった。だから、政府が国民からお金をもらってやっていけた。
反対に、今は国の文明が高くて国民が現実を知って現実がわかっている。現実の世界には“人権”があって、人間はみなみんなの人権を守って暮らさねばならない。今の国民は自分や他人の人権を守って暮らしているので自分の“脅される喜び”を抑えているので“脅される喜び”がなくなっている。今の国民には“脅される喜び”がない。だから、政府が国民からお金をもらえなくなってやっていけなくなっている。
政府は国民を脅す会社である。政府は国民の“脅される喜び”を満足するためにある会社である。国民に“脅される喜び”があるかないかで政府が儲[もう]かるか潰れるかが決まる。昔の国民には“脅される喜び”があったから政府は仕事ができたので儲かっていた。今の国民には“脅される喜び”がないから政府は仕事ができなくなって儲からなくなって潰れている。
[22582] 現実の世界で人間が幸福に生きるためには世の中が平和でなければならない。
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政府は国民を脅[おど]す会社である。政府は国民を脅すことが仕事である。政府は国民からお金をもらって国民を脅す。政府は国民に命令して国民からお金をもらって国民に嫌がらせをして国民を殺して国民を脅す。
人間はみな平等である。国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって政府に脅されるか、政府にお金をやらず政府に脅されないかは国民個人の自由である。
昔は文明が遅れていたので、昔の人は現実を知らず自分の心しかわからなかった。昔の人は自分の心の世界で生きていた。人間の心にはサルの名残[なごり]で“脅される喜び”がある。だから、心の世界で人間が幸福に生きるためには政府に脅されなければならない。だから、昔の人は政府に脅されて暮らしていた。昔の人は政府に脅されるのが幸福だったので、政府の脅しを聞いて政府にお金を払って政府に脅されて暮らしていた。昔の人は“脅される喜び”が強かったので自分の“脅される喜び”を満足するためなら喜んで政府の命令でビルの屋上から飛び降りて自殺したり飛行機を墜落させて乗客全員を皆殺しにしたりしたのである。
今は文明が進んでいるので、今の人は現実を知って現実の世界で生きるようになっている。現実の世界で人間が幸福に生きるためには世の中が平和でなければならない。世の中が平和であるためにはみんながみんなの“人権”を守らねばならない。だから、今の人はみんなの人権を守って暮らすようになっている。今の人は自分や他人の人権を守って暮らしている。そのため、今の人は自分の“脅される喜び”を抑[おさ]えているので“脅される喜び”がなくなっている。今の人にとってはみんなの人権が守られるのが幸福であり、みんなの人権が侵されるのが不幸である。政府は国民を脅すために国民の人権を侵して国民を不幸にする。だから、今の国民にとっては政府がなくなったほうが幸福なので、今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
人間は自分が幸福なことをやって、不幸なことをやらなければいい。国民と政府は平等だから、国民は自分が幸福になれば政府にお金をやって政府に仕事をしてもらい、自分が不幸になれば政府にお金をやらず政府に仕事をしてもらわなければいい。昔の国民にとっては政府に脅されることが幸福だった。だから、昔の国民は政府にお金を払って政府に脅してもらっていた。反対に、今の国民にとっては政府に脅されることが不幸である。だから、今の国民は政府にお金を払わず政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなの人権が守られた国にしないといけない。
政府の民主主義は芝居である。芝居と現実は別である。芝居でやっていることを現実でやる必要はない。だから、政府は芝居の上で国の法律を決められるだけで、現実には法律を決められない。国民は政府が決めた法律を守らなくていい。国民は政府が定めた納税の義務の法律を守らなくていい。国民は芝居の上で政府に税金を払ったと口先で言うだけで、実際には政府に税金を払わなくていい。もともと政府の民主主義の芝居は政府が国民に『政府と国民が平等である』ことを教えるためにやっているのだから、政府はたとえ芝居の上であっても納税の義務のような「政府と国民が不平等である法律」を定めてはいけない。もっとも、昔の国民は“脅される喜び”があったから政府の脅しを聞いていたから政府の言いなりだったから政府の掟[おきて]を守っていた。政府は脅しに乗っけて掟を定めて国を平和にしていた。国民は政府の脅しで政府にお金を払っていた。昔の罪人は心に“政府に脅される喜び”があって政府の脅しを聞かねばならないと思って政府の掟を守らねばならないと思っていたが、一方で悪いことをしたい気持ちもあって掟に背いて悪いことをやってしまったのである。だから、捕まったら自分が悪いことを認めておとなしく罰せられたのである。日本人は“他人にかまわない心”があるから個人主義だから、日本には多数決はない。しかし、昔の国民はヨーロッパを真似[まね]ていた。国民みんながアジア文化をやめてヨーロッパ文化に変わったから、日本の政治団体は国民みんなからお金をもらうために国民みんなに合わせて幕府をやめて政府に変わったのである。年貢[ねんぐ]は実際には自由払いだったのだ。国民がアジア文化をやめてヨーロッパ文化に変わったら幕府に年貢を払わなくてもよかったのだ。国民と政治団体は平等だから、国民が政治団体にお金をやって脅してもらうか、政治団体にお金をやらず脅してもらわないかは国民個人の自由なのである。ヨーロッパには多数決があって多数決で納税の義務を決めていた。だから、昔の日本では国民みんながヨーロッパを真似て多数決をやって国民全員が政府の脅しを聞かねばならないことにして政府に税金を払わねばならないことにして納税の義務を守っていた。戦前はまだ国民みんなが心の世界にいて法律がなかったから、納税の義務は法律ではなく国民みんなで決めた約束にすぎなかった。昔の国民は政府の民主主義の芝居とは無関係に、自分たちでヨーロッパ文化をやって納税の義務を守っていたのである。昔の人は“脅される喜び”と“先進国を真似[まね]る喜び”の両方あった。先進国を真似る喜びそのものは変わらないが、ときどき先進国が変わったので政治団体も変わったのである。しかし、今の国民は現実主義をやっている。今の国民は現実を知って現実の中で自分の心を満足すればいい。今の日本ではみんながみんなの“人権”を守って暮らせばいい。政府は国民を脅す会社だから、今の国民は政府に脅されるのが不幸だから、今の国民は政府にお金をやらず政府を倒せばいい。今は現実主義の時代だから今ではみんながみんなの人権を守って暮らさねばならないから政府も国民みんなの人権を守らねばならないから、政府は国民みんなを脅してはいけない。それなのに、今でも政府は国民みんなを脅している。政府が悪い。だから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。今の国民はみんなの“人権”を守って暮らさねばならないから、法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらえばいい。法律会社が正しい法律を定めるためには国民と自由契約にすればいい。国民が自分でいい法律会社を選べるようにすればいい。だから、法律会社は国民と自由に契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。国民は法律を守って、あとは自由に個人の心を満足して暮らせばいい。(h28.3.16追記:政府の民主主義は芝居である。芝居では何をやってもいい。芝居は何でもありである。だから、政府は芝居で現実の世界にはない納税の義務の法律を定めているのである。正しくは国民と政府は平等だから国民が政府にお金をやって仕事をやってもらうか政府にお金をやらず仕事をやってもらわないかは国民個人の自由だが、芝居では何でもありだから芝居の上ではまちがったことでも許されるから政府は国民全員が必ず政府にお金をやって仕事をやってもらわねばならないことに定めているのである。芝居は芝居であって現実ではない。芝居を真[ま]に受けるほうが馬鹿である。だから、国民は政府の納税の義務の法律を真に受けず平気で破ればいいのである。要するに、政府はただの国民を脅す会社である。政府と国民は平等である。だから、政府に脅してもらいたい国民は政府にお金を払い、政府に脅してもらいたくない国民は政府にお金を払わなければいいのである。『宇宙大作戦(スタートレックファースト)』第31話「神との対決」は、政府が芝居の上で国家権力があるだけで本当は政府には国家権力がないことを言っている。(h28.3.19補足:現実の上では人間はみな平等だから政府と国民は平等だから国民の同意がなければ政府は国民に何も命令できないが、芝居の上では何でもありだから芝居の上では政府は自分にとって都合のいいことを勝手に何でも決めることができるから芝居の上で政府は自分が民主主義をやっていることにして自分に国家権力があることにして国民全員が政府の命令を聞かねばならないことにしているのである。現実の上では国民は法律(政府の定めた法律ではない)を守ればあとは個人の自由である。現実の上では国民は政府の命令を聞く必要はない。例えば、現実の世界では国民には財産権があるから、国民は政府に税金を払う義務はない。国民は政府が芝居の上で定めた納税の義務の法律を守る必要はない。政府は民主主義の芝居をやっている。つまり、政府は芝居で民主主義をやっている。政府は芝居の上で民主主義をやって国家権力があって納税の義務の法律を定められるだけであって、政府は現実の上では民主主義をやっていないから国家権力がないから納税の義務の法律を定められないから国民は現実の上では政府の命令を聞かず政府に税金を払わなくていいのである。政府に国家権力があるのは芝居の上での話であって現実の上の話ではない。しかし、国家権力というものはある。今の国民みんなが現実主義をやっているから国民が現実主義をやって法律を守らねばならないことは国家権力である。)カークたちがそれを見破ってみんなでアポロを馬鹿にしてアポロを小さくしてアポロを倒した。政府は本当は民間会社と同じであり、国民と平等なのである。政府はテレビや新聞の上では自分が国民の役に立つことをして国民を幸福にしているふりをしているが、本当は国民の役に立つことは何もせず国民を脅しているだけである。会社の社長が芝居で有能ぶっているだけで、本当は役立たず馬鹿なのと同じことである。社長が空威張[からいば]りだから、会社がシラケるのだ。会社を面白くするためには、もっと実力制にしないといけない。今は現実主義の時代だから、人間を実力で計らないといけないからそうしないといけない。政府が国民を脅す会社であるように、社長は社員を脅す者である。政府が国民を脅すことが仕事であるように、社長は社員を脅すことが仕事である。政府と国民が平等であるように、社長と社員は平等である。社長は芝居で社員みんなの役に立つことをやっているふりをしているだけで、本当は社員みんなのために役に立つことを何もせず社員を脅しているだけである。だから、社員が社長に脅されたければ社長にお金をやればよく、社長に脅されたくなければ社長にお金をやらなければいい。昔は心主義の時代だったので、みんなは“脅される喜び”があったから、社員みんなは社長の脅しを聞いて社長にお金をやって社長に脅してもらっていた。今は現実主義の時代なので、みんなは“脅される喜び”がないから、社員みんなは社長の脅しを聞かないようにして社長にお金をやらなければいい。したがって、社長は収入がない。社長は辞[や]めるしかない。)
今の政府の法律会社は政府の掟を国民に守らせる会社であって、法律を国民に守らせる会社ではない。今の国民は法律を守っているのであって、政府の掟を守っていない。だから、今の国民は政府も政府の法律会社も両方とも要らない。今の国民は政府も政府の法律会社も両方とも倒して、新しく法律会社を建てねばならない。法律会社が建つまでは、国民みんなが自分の力でみんなの人権を守らねばならない。私が腐るほどお金を持っていたら法律会社を建ててもいいが、あいにく私は貧乏なのでそんなお金がないので法律会社を建てられない。お金持ちの人が法律会社を建てるまで待つしかない。
私が小学4〜5年ごろ、「人間が現実に従うべきかそれとも心に従うべきか?」でちょっと悩んだことがある。私もまだ子供だったので「心に従うべきだ」と思ってしまった。それが、そもそもその後の私の人生のまちがいのきっかけだった。そのために、私は「自分が楽しければ何でもやっていい」と思って、中学3年生の2学期のころにオナニーにハマって毎日オナニーをやって高校1年生の4月に隣りの不良が英語の授業中にまじめに勉強せずに教科書のパラパラめくりをしているのを見て頭に来て頭の中で必死になってテレパシーを使って不良の態度を直させようとして精神分裂病に罹[かか]ってしまった。それ以来私はずっと頭に来ていて幸福な時がない。精神分裂病は治る病気ではない。一度不愉快[ふゆかい]になったら不愉快になったままだ。私は生きる価値がない。幸福でない人生に生きる価値はない。私は死んだほうがマシだ。このように、人間が自分の心に従うとろくなことがない。人間の心には快感があるが、人間の心は現実を知らないから心に従うと現実でまちがいを犯して不幸になる。昔の人も自分の“脅される喜び”を満足していたために現実の世界で政府や宗教団体や暴力団などに脅されて不幸になっていた。昔の人は“先進国を真似る喜び”を満足してヨーロッパを真似て戦争をやって現実の世界で不幸になった。人間の心には満足していい感情と満足してはいけない感情がある。人間は自分の心に従うべきではなく現実に従うべきである。人間は現実を知って現実の中で自分の心を満足して、現実の中でまちがいを犯して自分が不幸にならないようにしながら自分の心を満足して幸福にならねばならない。私はそうやって生きたかった。しかし、人間は過去には戻れないから、私は自分の人生をやり直せない。私は死ぬしかない。私は自分で自分を殺して自分が不幸にならないようにするしかない。それが人間としての正しい生き方である。私が自分の人生に真剣ならとっくの昔に私は自殺していた。これまで私が生きていたのは私が自分の人生に真剣ではなかったからだ。人間は真剣に生きねばならない。人間は幸福になれるなら生き、幸福になれなければ死ぬべきである。それなら、私は自殺すべきである。
[22583] 最近の女は偉そうである。 h28.3.15
女はすぐに「不細工[ぶさいく]」とか「美男[びなん]」とか言う。
人間に対してそんな見方をするのはよくない。
そんな見方で見て行ったら、世の中美男の役立たず馬鹿ばかりになる。
今は現実主義の時代である。現実主義では正しいかまちがいかで見ないといけない。汚いかきれいか、面白いかつまらないかで物事を見てはいけない。特に人間を見てはいけない。
人間はまず現実的に物を見て、その上に心で思って物事を味[あじ]わわねばならない。日本人は必要かつ十分であるのを美しいと思うのである。日本人は現実の中で自分が幸福に暮らせる物を優れている物だと思うのである。科学は顔や身体をきれいにするためやコンピューターでゲームをやって面白いことをするためにあるのではない。科学は現実の世界において人間が幸福に暮らすことができるようにするためにあるのである。科学は人間が現実を見れるようにするためにある。科学は人間を現実の世界に導くためにあるから、人間は現実の世界で幸福に暮らさねばならないのである。
女はきれいか汚いかだけで物を見て周[まわ]りのみんなをシラけさせる。女は不良のクズである。女に物を見させるな!女を社会から追い出せ!!
男にとって女はどうでもいい。どうでもいい物に良いも悪いもない。男にとって女は人類を維持するために子供を作るためにある物、簡単な家事をさせるためにある物にすぎないのである。
もっとも、今は現実主義の時代だから、みんながみんなの“人権”を守らねばならないから、もちろん女性にも人権はある。みんなが女性に対しても人権を守らねばならない。しかし、人権があることと平等であることは違う。女の見方を男の見方と同等に置くわけではない。今は現実主義の時代だから、現実がわかる者を上に置くべきである。一般に、女は男よりも現実が見えないから、女は男よりも下に置くべきである。女が男よりも上に立ちたければ、女は男よりも現実が見えるようにならねばならない。
[22584] 国民が政府に脅[おど]してもらうか脅してもらわないかは国民の自由である。
h28.3.15
政府は国民を脅す会社である。政府は国民を脅すことが仕事である。政府は国民からお金をもらって国民を脅す会社である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取って国民に嫌がらせをして事件や事故で国民を殺して痛めつけて国民を脅す。
人間はみな平等である。国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって政府に脅してもらうか、政府にお金をやらず政府に脅してもらわないかは国民個人の自由である。
昔は文明が遅れていて昔の人は現実を知らず心しかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。そのために、昔の人は政府にお金を払って政府に脅してもらっていた。昔の人にとっては政府に脅されるのが幸福だったので、昔の政府はみんなの人気者だった。
今は文明が進んでいて今の人は現実を知っている。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界で人間が幸福に暮らすためには世の中が平和でなければならない。世の中が平和であるためには、みんながみんなの“人権”を守らねばならない。今の人にとってはみんなの人権を守っているのが幸福であり、みんなの人権を守らないのが不幸である。今の人は自分や他人の人権を守っているので自分の“脅される喜び”を抑[おさ]えているので“脅される喜び”がなくなっている。今の人は政府がみんなを脅してみんなの人権を犯してみんなを不幸にするのが嫌である。そのために、今の人は政府にお金を払わなくなって政府に脅してもらわなくなっている。今の人にとっては政府に脅されるのが不幸なので、今の政府はみんなの嫌われ者である。
政府は国民を脅して国民の“脅される喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。国民が政府に脅してもらうかもらわないかは国民個人の自由である。国民は自分の心に“脅される喜び”があれば政府にお金を払って政府に脅してもらい、自分の心に“脅される喜び”がなければ政府にお金をやらず政府に脅してもらわなければいい。今の国民には“脅される喜び”がないから、国民みんなで政府にお金をやらず政府を倒せばいい。国民みんなで政府を倒してみんなの人権を侵す者をなくしてみんなで平和に幸福に暮らさねばならない。
要するに、政府は国民を脅すことを仕事にしている会社である。昔の人は“脅される喜び”があったから、そんな変な会社があったのである。変な仕事があったのである。今の人は“脅される喜び”がないから、政府が要らない。国民を脅す仕事が要らない。だから、今の人は政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
[22585] 今の国民には“脅[おど]される喜び”がないから政府に脅されなければいい。
h28.3.17
政府は国民を脅す会社である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取ったり国民にいろんな嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅す。
政府は国民みんなに『政府と国民が平等である』ことを教えるために民主主義の芝居をやっている。政府が国民の眼の前で国民を脅すと、身分制(不平等)が好きな者が「政府が国民よりも身分が高い」と思って「人間にはそれぞれ自分の身分がある」と思って国中でみんなが身分制をやるようになって身分の上の者が下の者からお金を取って働かなくなって国が貧乏になって国が発展しなくなるので、政府は国民みんなに「政府が国民よりも身分が高い」と思わせないために、国民の眼の前で民主主義の芝居をやっているのである。政府は国民みんなに『政府と国民が平等である』ことを教えるために民主主義の芝居をやっているだけだから、政府は国民の役に立つことをやっているふりをしているだけで本当は国民の役に立つことをやっていない。つまり、政府は国民の役に立つことをしているふりをして、本当は国民を脅すために国民が嫌がることをしている。例えば、政府は国の景気をよくするためだと言って、本当は国の景気を悪くすることをやっている。政府は食品の見栄[みば]えをよくするためだと言って、本当は国民を癌[がん]にするために食品に発癌物質を入れている。政府は国民が経済学や医学を知らないと思って、国民を不幸にすることに嘘[うそ]の理由をつけて国民を幸福にすることだと思わせて国民を騙[だま]して国民を脅しているのである。政府は国の景気をよくするふりをして本当は国の景気を悪くしている。だから、政府がなくなったほうが国の景気がよくなる。国民だけでやったほうが景気のいい国になるのである。政府はたまには本当に国民の役に立つことをすることがあるが、ふだんは国民を脅すために国民が嫌がることをやっている。政府は国民に『政府と国民が平等だ』と思わせるためにたまに善いことをするだけで、いつもは国民を脅すために悪いことばっかりやっているのである。(江戸時代の幕府も国民を脅すだけでは国が貧乏になりすぎるので、ときどき景気をよくする政策をやって国を豊かにしていた。そもそも日本では江戸時代には幕府が民主主義の芝居をやらずに国民を脅していたから、日本では国民にとっては民主主義の芝居はあってもなくてもどうでもいいのである。日本では国民にとっては政府の民主主義の芝居はどうでもいい飾りにすぎないのである。昔の国民が欲しかったのは政府や幕府の脅しであって、政府の民主主義の芝居ではない。国民にとっては政府の民主主義の芝居はつまらない見世物にすぎなかったのである。だから、政府の民主主義の芝居をやっている国会議員を大根役者などと言うのである。)
要するに、政府は国民を脅すことを仕事にしている会社であり、政府と国民は平等である。国民が政府にお金をやって政府に脅してもらうか、政府にお金をやらず政府に脅してもらわないかは国民個人の自由である。政府に脅してもらいたい国民は政府の脅しを聞いて政府にお金をやればよく、政府に脅してもらいたくない国民は政府の脅しを聞かず政府にお金をやらなければいい。政府は納税の義務の法律を定めているが、それは民主主義の芝居の上で定めた芝居の上の法律であって本当の法律ではないから、国民は納税の義務の法律を守らなくていい。芝居は芝居であって現実ではない。政府が芝居の上で定めた法律は現実には通用しない。子供銀行券が現実に使えないのと同じことである。
文明が進むと国民の心が変わる。昔と今では国民の心が違う。
昔は文明が遅れていて国民が現実を知らず自分の心しかわからなかった。昔の国民は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。人間は大昔サルだったので、サルはボスザルに脅されておとなしくして群れで平和に暮らしていたので、今でも人間の心には“脅される喜び”があるのである。そのために、昔の国民は政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。
今は文明が進んで国民は現実を知っている。今の国民は現実の世界に生きている。現実の世界で人間が幸福に暮らすためにはみんながみんなの“人権”を守って平和に暮らさねばならない。そのため、今の国民はみんなの人権を守っている。今の国民は自分や他人の人権を守っているので自分の“脅される喜び”を抑[おさ]えているので“脅される喜び”がない。今の国民にとってはみんなの人権が守られていることが幸福であり、みんなの人権が守られていないことが不幸である。政府は国民を脅すために国民の人権を侵して国民を不幸にする。そのため、今の国民は政府にお金をやらず政府に脅してもらわなくなっている。
そういうわけで、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を倒している。文明が進んで国民から“脅される喜び”がなくなったから政府が倒れているのである。今は現実主義の時代だから、国民みんなは政府に脅されるのをやめて政府の掟[おきて]を守るのをやめて、法律を守らねばならない。今後は国民みんなで法律会社を建てて、法律会社にお金をやって仕事をしてもらわねばならない。人間はみな平等だから、法律会社と国民は平等だから、法律会社は国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。
国民は自分が法律を守らなければならないから、法律会社が法律を定めているから、自分が法律会社に従わねばならないと思いがちだが、本当は人間はみな平等だから、国民と法律会社は平等である。たしかに今は現実主義の時代だから、国民みんながみんなの人権を守るために法律を守らなければならないが、法律と法律会社は別である。法律会社がまじめに国民みんなに正しい法律を守らせるかどうかは法律会社による。国民と法律会社は平等だから、国民が法律会社にお金をやって仕事をやってもらうか、法律会社にお金をやらず仕事をやってもらわないかは国民個人の自由である。だから、国民はまじめに仕事をする法律会社にお金をやって、まじめに仕事をしない法律会社にお金をやらなければいいのである。そうやって、国民みんなで悪い法律会社を潰[つぶ]して善い法律会社を残して自分が幸福に暮らせるようにすればいいのである。
[22586] 国民みんなの心が世界を創[つく]る。 h28.3.17
文明が進むと国民の心は変わる。昔と今では国民の心が違う。
昔は文明が低くて昔の人は現実を知らず自分の心のことしかわからなかった。昔の人は心の世界に生きていた。人間の心には“脅される喜び”がある。人間は大昔サルだったから、サルはボスザルに脅されておとなしくして群れでは平和に暮らしていたから、人間にはサルの名残[なごり]で“脅される喜び”があるのである。
そのために、昔は国民の誰かが政府(幕府も含む)を建てて、国民みんなが政府に脅されて幸福に暮らしていた。政府は国民を脅すことを仕事にしている会社である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取って国民にいろんな嫌がらせをして事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅す。昔は国民みんなに“脅される喜び”があったので、国民みんなが自分の“脅される喜び”を満足するために政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅してもらっていた。政府は国民みんなを幸福にするために一生懸命にいろんな嫌がらせをやって国民みんなを脅していた。政府は国民が政府が国民を脅しているのを見て「政府が国民よりも身分が高い」と誤解しないために民主主義の芝居をやって国民に『政府と国民が平等である』ことを教えていた。政府は国民みんなに『政府と国民が平等である』ことを教えるために国民の役に立つことをしている芝居をしているだけであって、本当は国民の役に立つことをしていない。政府は本当は国民を脅すために国民の嫌がらせをしているにすぎない。政府は税金の余ったお金で法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社(つまり役所)などいくつかの付属会社を経営していた。
今は文明が高くて今の人は現実を知っている。今の人は現実の世界に生きている。現実の世界で人間が幸福に暮らすためにはみんながみんなの“人権”を守って平和に暮らさねばならない。今の人は毎日自分や他人の人権を守って暮らしているために自分の“脅される喜び”を抑[おさ]えているので“脅される喜び”がなくなっている。政府は国民を脅すために国民の人権を侵すので、今の人にとっては政府は自分を不幸にしている。政府は国民を脅すことを仕事にしている会社である。人間はみな平等だから、国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって脅してもらうか、政府にお金をやらず脅してもらわないかは国民個人の自由である。今の人は政府に脅されたくないので、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府はお金が足りなくなって付属会社を経営できなくなって付属会社を独立民営化している。
政府の法律会社は政府の掟[おきて]を守らせる会社であって、法律を国民に守らせる会社ではない。掟とは国民が政府の脅しを聞くことに便乗[びんじょう]して、政府が脅しに混ぜて“国を平和にするための決まり”を国民に出して国民に“国を平和にするための決まり”を守らせて国を平和にすることである。しかし、今の国民は“脅される喜び”がなくなって政府の脅しを聞かなくなっているから、政府の掟を守らなくなっている。今の国民にとっては政府の掟は役に立たなくなっている。今の国民は政府の掟の替わりに法律を守るようになっている。今の国民の誰かが法律会社を建てて、法律会社が国民と契約を取って国民からお金をもらって国民に法律を守らせねばならない。
政府は国民を脅す会社である。昔の国民には“脅される喜び”があったから政府は国民の役に立っていた。政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなを脅して国民みんなから高いお金を取っていたので政府は大金持ちだった。そのため、政府を中核としていろんな会社が集まってコンツェルン(企業グループ)を作っていた。しかし、今の国民には“脅される喜び”がないから政府は国民の役に立たなくなった。政府は国民みんなを脅して幸福にすることができなくなって国民みんなからお金をもらえなくなって政府は貧乏になっている。そのため、これまで政府と組んでいた会社がどんどん政府から離れていって、自分で国民からお金をもらって経営するようになっているのである。
昔の政府は国民みんなからお金をもらって国民みんなに脅す仕事をしていた。だから、昔の政府は国営会社だった。国営会社とは国民みんなからお金をもらって経営している会社であって、民間会社の大きいものにすぎない。国営会社は本質的には民間会社と同じである。国民と民間会社が平等であるように、国民と国営会社は平等である。国民が国営会社にお金をやって仕事をやってもらうか、国営会社にお金をやらず仕事をやってもらわないかは国民個人の自由である。そのため、今の国民みんなは“脅される喜び”がなくなって政府に脅されるのが嫌になっているので、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府に脅してもらわなくなっている。今の政府は国営会社でなくなっている。今の政府は普通の民間会社よりも人気がない。今の政府は弱小会社である。今では民間会社が政府と組むと逆に政府にお金を取られる。だから、民間会社は政府と組まずに自分で国民からお金をもらって経営したほうがいいのである。
要するに、政府は国民を脅す会社である。昔の国民の心には“脅される喜び”があったから政府が建っていた。今の国民の心には“脅される喜び”がないから政府が潰[つぶ]れてなくなっている。国民の心が世界を創るのだ。国民の心が変わると世界も変わるのだ。最近(昭和40年=1965年ごろ)国民の心が変わったから、最近世界も変わっているのだ。(私の言う“脅される喜び”はニーチェの言う“奴隷根性[どれいこんじょう]”と同じ物である。ニーチェは宗教団体について考えたが、私は政府について考えた。ドイツでも日本でも今では文明が進歩してみんなが心の世界にいなくなって現実の世界で生きるようになってみんなの心が変わって社会や道徳が変わっているのである。)
[22587] どうして男は女と結婚するか? h28.3.18
男は自分が女と結婚すれば幸福になれると思って女と結婚する。しかし、必ずしもそうとはかぎらない。女と結婚しても幸福になれない男もいる。そんな男は後で泣く。女と結婚して幸福になれるのは“女好き”の男だけである。“女好き”でない男は女と結婚しても幸福になれない。男が女と結婚して幸福になれるかなれないかは男の心によるのである。
それと同じように、国民は自分が政府に従えば幸福になれると思って政府に従う。しかし、必ずしもそうとはかぎらない。政府に従っても幸福になれない国民がいる。そんな国民は後で泣く。政府に従って幸福になれるのは“脅[おど]される喜び”がある国民だけである。“脅される喜び”がない国民は政府に従っても幸福になれない。国民が政府に従って幸福になれるかなれないかは国民の心によるのである。
今でも多くの国民が政府に従っている。それは、今の国民の多くが自分の心に目を向けていないからである。国民の多くは「昔国民みんなが政府に従って幸福だった」のを眼先で真似[まね]て政府に従っているだけである。しかし、そもそも昔の国民が政府に従って幸福だったのは、昔の国民が“脅される喜び”があったからである。昔の国民は自分の“脅される喜び”を満足するために政府の脅しを聞いて政府にお金を払って政府に脅されていたのである。しかし、今の国民には“脅される喜び”がない。今の国民はみんなの“人権”を守って平和に暮らしているので、自分や他人の人権を守っているので、自分の“脅される喜び”を抑えているので“脅される喜び”がなくなっている。今の国民にとってはみんなの人権が守られることが幸福であり、みんなの人権が守られないことが不幸である。政府は国民を脅すために国民の人権を侵しているから、今の国民にとっては政府は国民みんなを不幸にしている。だから、今の国民は自分が政府に不幸にされないために政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
人間は自分の心を知って自分の心を満足することによって幸福になる。だから、人間が幸福になるためには自分の心を知らねばならない。政府は国民を脅すことを仕事にしている会社だから、政府に脅してもらいたい国民は政府にお金をやって政府に脅してもらい、政府に脅したもらいたくない国民は政府にお金をやらず政府に脅してもらわなければいい。今の国民は毎日みんなの人権を守って暮らしているために“脅される喜び”がなくなっているから、政府にお金をやらず政府に脅されなければいい。
人間は自分の心にないことをやって自分を不幸にしてはいけない。女好きでない男は女と結婚すると不幸になる。例えば、私は女好きではない。だから、私は女と結婚していない。私は自分で自分を不幸にしていない。私は“自分で考えることが好き”である。自分で考えごとをするためには女は邪魔[じゃま]である。私は毎日考えて暮らしているから、自分の“女好きの感情”を抑[おさ]えているから“女好きの感情”がないのである。女は知覚が小さいから、女には考える才能がない。女は自分で考えることが嫌いだから女といっしょに暮らしていると自分も考えるのが嫌になる。自分で考える者にとっては女は天敵である。人間は考えるのが好きである。たとえ人類が絶滅しても、人間は考えるのをやめないだろう。
[22588] 政府は法律会社を建ててくれない。 h28.3.18
鎌倉幕府を建てたのは政府(朝廷)である。鎌倉幕府を建てたのは源頼朝であり、“源頼朝”とは“根本的に朝廷に頼っている”という意味だから、鎌倉幕府は政府が建てたのである。後[のち]の室町幕府や江戸幕府を建てたのも政府だと言える。政府はローマ帝国が滅んで世界の先進国がヨーロッパからアジアに変わったために国民がヨーロッパ文化をやめてアジア文化をやるようになったことに合わせて幕府を建てて政府から幕府に変わったのである。国民がヨーロッパ文化からアジア文化に変わったために、国民が政府にお金を払わなくなって政府を倒すようになったので、政府は幕府を建てて幕府に変わって再び国民からお金をもらって国民を脅すようになったのである。鎌倉幕府のころにはまだ国民がアジア文化をあまりやっていなかったので国の端[はし]っこに幕府を建てたのである。室町幕府のころには国民がかなりアジア文化をやるようになったので国の真ん中に幕府を建てたのである。江戸幕府のころには東北地方まで日本に統合されたので国の真ん中である江戸に幕府を建てたのである。
だから、政府を建てたのも幕府である。江戸時代後期にはヨーロッパが再び世界の先進国となったので、国民がアジア文化をやめてヨーロッパ文化をやるようになったので、幕府も国民に合わせて政府を建てて幕府から政府に変わったのである。国民がアジア文化からヨーロッパ文化に変わったために国民が幕府にお金をやらなくなったので、幕府は政府を建てて政府に変わって再び国民からお金をもらって国民を脅すようになったのである。明治初期にはまだ国民の多くがアジア文化をやっていたので、アジア文化では政権が交代するときには戦争をやるしきたりがあるので、政府はしきたりに倣[なら]って戊辰[ぼしん]戦争をやったのである。
昔の国民は“脅される喜び”があった。政府や幕府は国民を脅すことを仕事にしている会社である。国民と政府や幕府は平等である。国民が政府や幕府にお金をやって脅してもらうか、お金をやらず脅してもらわないかは国民個人の自由である。昔の国民には“先進国を真似[まね]る喜び”もあった。そのために、先進国が変わったときには国民が文化を変えた。国民が古い文化の政治団体にお金をやらなくなったので、古い政治団体は国民に合わせて新しい文化の政治団体に変わったのである。政府と幕府は見かけ(スキン、外装)が違うだけで、中身(実際にやっていること)が同じなので、政府と幕府は容易に変身できるので、政治団体にとっては国民に合わせて文化を変えることなど造作[ぞうさ]もないことだったのである。
しかし、今の国民は心主義をやめて現実主義をやっているので“脅される喜び”がなくなっている。今の国民はみんなの“人権”を守って法律を守って暮らしているので“脅される喜び”がなくなっている。そのため、今の国民にとっては政府が要らなくなって法律会社が要るようになっている。ところが、政府と法律会社はだいぶ違う。政府は心主義の世界の会社であり、法律会社は現実主義の世界の会社である。心主義と現実主義は根本的に異なるので、もはや政府は法律会社に変わらない。これまでのように政府が法律会社を建てて法律会社に変わることはない。国民がいつまで待っても政府は法律会社を建てて法律会社に変わってくれない。だから、国民の誰かが政府とは別に自分で法律会社を建てるしかない。今の国民は現実主義をやるようになって“脅される喜び”がなくなって政府に脅されるのが嫌になったので政府にお金をやらなくなって政府が倒れている。今の国民はみんなの“人権”を守りたい法律を守りたいと思っている。だから、国民の誰かが法律会社を建てれば必ず売れる。私が腐るほどお金を持っていたら今の国民みんなのために法律会社を建てたいが、あいにく私は貧乏なので法律会社を建てることができない。国民の誰かが法律会社を建てたら、国民みんなからお金をもらって儲[もう]かるし、歴史の教科書に永遠に名前を残すことができる。誰か日本の新しい歴史を作ってみないか?
[22589] どうして鎌倉幕府や室町幕府が滅んだのか? h28.3.18
政府や幕府は国民を脅す会社である。昔の国民は“脅される喜び”があった。昔の国民は脅されるのが好きだった。だから、政府や幕府は国民を脅して国民を喜ばせて国民からお金をもらっていた。国民と政府や幕府は平等である。国民が政府や幕府にお金をやって脅してもらうか、お金をやらずに脅してもらわないかは国民個人の自由である。だから、政府や幕府が国民を客にするためには、国民を面白がらせることが大事である。
原始時代(古代の前)の日本はバラバラだった。各地の豪族が各地の国民を脅していた。小さい国同士が互いに争って戦争していた。そこに日本政府が現れて天皇家の駄洒落[だじゃれ]で国民を脅したので、国民は「これは面白い!」と思ってみんなが各地の豪族に脅されるのをやめて日本政府に脅されることにした。こうして日本が統一された。政府は脅しに乗っけて(つまり脅しに混ぜて、脅しに並べて)命令が出せるので国中のみんなに「戦争するな!」という命令を出して平和にすることができたのである。
古代の終わりにローマ帝国が滅んだために先進国がヨーロッパからアジアに変わった。そのために、昔の国民には“先進国を真似[まね]る喜び”があったから、国民みんなはヨーロッパ文化をやめてアジア文化をやるようになった。政府はヨーロッパ文化をやる国民を脅す団体だったから、国民は政府が嫌いになって政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなった。そのために、政府が滅んだ。
鎌倉幕府は政府が建てたが、鎌倉幕府はただアジア文化をやってまじめに国民を脅すだけで国民にウケることをしなかったのですぐに滅んだ。
それを継いだ室町幕府も、天皇を置いてただまじめに国民を脅すだけだったので国民にウケることをしなかったのですぐに滅んだ。
国民は目新しさのためにいっとき鎌倉幕府や室町幕府に脅されていただけで、すぐにつまらなくなって脅されるのをやめたので鎌倉幕府や室町幕府は滅んだのである。
こうして日本は古代には政府が統一していたが、政府が滅んだ後はしだいに統一が失われてもとのバラバラな状態に戻ってしまったのである。日本は再び原始時代に戻って各地の国民が各地の豪族に脅されて暮らすようになった。小さい国同士で互いに争って戦争するようになった。それが戦国時代である。
徳川幕府は『日本人が駄洒落が好きである』ことを突き止めて駄洒落で国民を脅した。天皇制をやめたことを駄洒落にして国民を脅した。それが国民みんなにウケてようやく日本を統一できた。こうして、政府が滅んでからようやく国が治まってみんなが平和に暮らすことができるようになったのである。徳川幕府は駄洒落で日本を永遠に統一できるはずだったが、19世紀になって先進国がヨーロッパになったために、国民みんなに倒された。
要するに、鎌倉幕府や室町幕府はただ国民を脅すだけで国民にウケることをしなかったので、国を統一できなかったのである。そのために、原始時代のように小さい国に分かれてバラバラになってしまったのである。徳川幕府は『駄洒落』で脅して国民を面白がらせて国民の心をつかんだので、国を統一できたのである。
昔の国民は心の世界で生きていたので、昔の国民にとって面白いことはただ心で面白いと思うことだった。だから、昔の国民は駄洒落で喜ぶことができたのである。
反対に、今の国民は現実の世界で生きているので、今の国民にとって面白いことは現実の中で幸福に暮らすことである。今の国民にとってはもはや駄洒落は面白くない。今の国民は駄洒落を古臭いと思って嫌がっている。今の国民が駄洒落が嫌なのは、国民が心の世界にいるのをやめて現実の世界で暮らすようになった証拠である。
政府や幕府と同じように、ラーメン屋でも寿司屋でも日本人にウケるシステムを考え出せば日本人みんなを客にできて日本中に店が建って儲[もう]かる。ラーメン屋でも寿司屋でもただまじめにラーメンや寿司を売ればいいだけではなく、一工夫[ひとくふう]が必要なのである。面白さが必要なのである。日本人の心を知って、日本人の心をつかむことをやれば日本が取れるのだ。
しょせん政府や幕府は国民を脅す会社である。政府や幕府は国民を脅しているだけである。政府や幕府は国民に命令して高いお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅すだけである。政府や幕府は国のことを決める会社ではない。国のことを決めるのは国民である。政府や幕府は国民が作ったのである。昔の国民は“脅される喜び”があったから、国民は自分の“脅される喜び”を満足して自分が幸福になるために豪族や政府や幕府を建てたのである。昔の国民は自分が“脅される快楽”を味わうために政府や幕府に脅されていたのであって、国を統一したり国を平和にするために政府や幕府に脅されていたのではない。歴史の主役は国民であって政府や幕府ではない。政府や幕府は脇役にすぎない。国は国民を中心にして政府や幕府が回っているのであって、政府や幕府を中心にして国民が回っているのではない。国民の心は時代によって変わる。国民の心が変われば社会も変わる。だから、歴史の教科書は国民を中心にして書かねばならない。政府や幕府は国民の文化の一部にすぎない。政府や幕府は国民の脅される文化にすぎない。政府や幕府だけではなく、国民の文化全体にもっと光を当てねばならない。
[22590] 癌[がん]の原因 h28.3.19
人間には“突然変異を引き起こす遺伝子”がある。すべての生物にそういう遺伝子がある。そのために生物が進化するのである。
癌は“突然変異を引き起こす遺伝子”のために起こる。いわば人間は自分で癌になるのである。
癌を止[と]めるには“突然変異を引き起こす遺伝子”の発現を止めればいい。遺伝子の発現を制御する物質を合成して人間に与えれば、癌の発生を防ぐことができる。
[22591] 政府は脅[おど]す会社だが、今では流行[はや]らなくなっている。
h28.3.19
昔の国民は“脅される喜び”があったので、脅す会社が繁盛[はんじょう]していた。脅す会社は国民に命令してお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したりして国民を脅して国民を喜ばせて国民からお金をもらっていた。なかでも政府は国中のみんなを脅す大きい会社だったのですごく儲[もう]かった。政府は脅しで儲けたお金で国民みんなのためにいろんな役に立つことをやってたくさんの会社を経営していた。つまり、政府は国民を脅しながら国民の役に立つことをする会社だった。昔の人にとっては脅されるのも幸せのうちだったので、政府はみんなを幸福にすることばっかりやっていたのである。政府は国民を脅して儲かったので、調子に乗ってほかにも国民を喜ばせることをいろいろやっていたのである。
しかし、今の国民はみんなの“人権”を守って暮らすようになって“脅される喜び”がなくなったので、脅す会社が繁盛しなくなった。脅す会社がいくら国民を脅しても国民は喜ばず国民からお金をもらえなくなった。政府は国中のみんなからお金をもらえなくなって赤字である。政府は儲からなくなって国民の役に立つことができなくなっていろんな会社を経営できなくなっている。政府からお金をもらっていた会社は政府から独立して自分で国民からお金をもらって仕事をするようになっている。
時代が変わると国民の心も変わる。昔の国民は脅されるのが好きだったが、今の国民は脅されるのが嫌である。昔の国民は脅されるのが好きだったので、政府が国民を脅して儲かって政府が儲けたお金で国民のためにいろんないいことをやってくれていた。しかし、今の国民は脅されるのが嫌なので、政府が国民を脅しても儲からなくなって政府が国民のためにいいことをやってくれなくなった。今では会社は政府に頼らず、自分で国民からお金をもらって国民に仕事をしないといけない。
[22592] 国民は政府の民主主義の芝居に騙[だま]されてはいけない。 h28.3.20
政府は国民を脅[おど]す団体である。政府は国民を脅して国民を喜ばせて国民からお金をもらう団体である。政府にとっては国民を脅すことは仕事である。政府と国民は平等であり、国民が政府にお金をやって脅してもらうか、政府にお金をやらず脅してもらわないかは国民個人の自由である。
政府は芝居で民主主義の団体の劇をやっている。国会議事堂や政府の各省庁は政府の民主主義の芝居の劇場である。芝居の世界では何でもありだから、政府は芝居の上で自分にとって都合のいいように決めて、政府は芝居の上で自分が民主主義の団体であることにして自分に国家権力があることにして自分が国民に何でも命令できることにしてそのように振舞[ふるま]っている。(政府はサクラを使って政府の命令を聞く芝居をさせることもある。)しかし、現実には政府は民主主義の団体をやっていない。政府は現実の世界では民主主義の団体ではないから、政府には国家権力がないから、政府は国民に何も命令できないのである。例えば、政府は芝居の上では納税の義務の法律を定めているが、現実の上では納税の義務の法律を定めていないから、国民は現実の上では政府の納税の義務の法律を守らず政府に税金を払わなくていいのである。(『魔法陣グルグル』コミック第8巻のバナナムーンが出るあたりがこのへんの話である(参考)。政府が民主主義の芝居をやって国民に「政府に国家権力がある」と思わせて国民を惑[まど]わせているように、ムンクが幻術の力でニケたち一行に幻影を見せて惑[まど]わせているのである。)そもそも政府は国に身分制が出来るのを防ぐために『国民と政府が平等である』ことを国民みんなに教えるために民主主義の芝居をやっているのであり、政府は『政府が民主主義の団体である』と国民みんなに思わせて国民を騙すために民主主義の芝居をやっているのではないから、国民は政府の民主主義の芝居に騙されてはいけない。
昔の国民は”脅される喜び”があったから、政府の脅しを聞いて幸福になって政府にお金を払っていた。昔の国民は脅されるのが好きだったから、政府の脅しを聞いて政府の命令でなんでもかんでもやった。けっして、昔の国民は政府の民主主義の芝居に騙されて政府を民主主義の団体だと思って政府の命令を聞いて政府にお金をやっていたのではない。
反対に、今の国民は“脅される喜び”がないから、政府の脅しを聞かなくなって政府にお金を払わなくなっている。今の国民は脅されるのが嫌だから、政府の脅しを聞かないから政府の命令も聞かない。けっして、今の国民は政府の民主主義の芝居に騙されて政府を民主主義の団体だと思って政府の命令を聞いて政府にお金をやったりしていない。
昔から政府の民主主義が芝居であることは有名である。国民みんなの常識である。現実には政府はけっして民主主義をやっていない。政府はせいぜい国民から取った税金の残りで国民の役に立つことをやったりいろんな会社にお金をやったりしているだけである。政府はあくまでも国民を脅す会社にすぎない。国民と政府は平等だから、政府に脅されたい国民は政府の脅しを聞いて政府にお金を払えばよく、政府に脅されたくない国民は政府の脅しを聞かず政府にお金を払わなければいいのである。今は現実主義の時代だから、国民みんなが法律を守って暮らさねばならないから、国民みんなは“脅される喜び”がなくなって政府に脅されて政府に自分の人権を侵されるのが嫌だから、国民みんなは政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなの人権が守られている国にして国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
要するに、政府は現実の中で民主主義の団体の芝居をやっているだけである。政府は選挙をやったり国会で話し合いをやったり記者会見をやったりして現実を舞台[ぶたい]にして国民みんなを巻き込んで民主主義の団体の芝居をやっている。一部の国民が政府の芝居に呑[の]まれて本気にしている。(日本人は個人主義であり社会主義ではないから、日本人は自分勝手が好きでみんなに合わせるのが嫌いだから、日本人は民主主義が嫌いだから、たとえ芝居の上であっても政府の民主主義の団体は日本人には人気がない。政府の民主主義の団体は日本人にケンカを売っているようなものだ。今の日本人は法律だけ守ってあとは個人の自由にやるのが好きである。しかし、社会は平和だけではいけない。社会は発展もなければならない。社会の発展のためなら国民は多少自分の自由を譲[ゆず]ってみんなのために協力するだろう。たぶん“社会を発展させる会社”があって、その会社が未来の社会を計画して国民に命令して社会を発展させているのだろう。政府は民主主義の芝居をして国民を脅すだけだから、“社会を発展させる会社”は政府とは別である。今では国民が政府が要らなくなって政府が潰[つぶ]れている。社会を発展させる会社は直接に国民からお金をもらって仕事をすればいい。)政府の民主主義の芝居をする団体は芝居の上で国家権力があって国民に何でも命令できるだけである。政府の民主主義の芝居をする団体は現実には国家権力がなく国民に何も命令できない。政府は現実の世界ではただの国民を脅す会社にすぎない。現実の上では政府は国民と平等であり、政府は政府に脅されたい国民に命令できるだけである。今の国民は脅されるのが嫌だから、政府に脅されるのを断って政府の脅しを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
[22593] 今の社会はどうして面白くないか? h28.3.20
人間は現実が好きである。人間は非現実が嫌いである。
それなのに、今の国民の多くはゲームやアニメやマンガをやっている。今の国民の多くは非現実をやっている。だから、今の社会が面白くないのである。
ゲームやアニメやマンガは眼先で面白いだけで中身が面白くない。だから、やめるべきである。
日本は昔から貧乏な国である。日本は昔から貧乏だったので現実のことだけやって幸福に暮らしてきたのである。日本は貧乏だったから現実だけやって余計な眼先や空想をやらなかった。だから、日本人は幸福に暮らせたのだ。ところが、最近の日本人は無駄[むだ]なことばかりやって面白くないことばかりやっている。テレビやマンガやゲームをやって面白くない思いをしている。自分で自分に面白くない思いをさせて不幸に暮らしている。最近の日本人は政府の脅し以上に自分で自分を不幸にしている。昭和40年=1965年までは国民にとって政府は好きだったし、国民は自分で自分を幸福にしていたので楽しかった。昭和40年=1965年から昭和60年=1985年ごろまでは国民にとって政府は嫌になったが、国民は自分で自分を幸福にしていたのでけっこう楽しかった。しかし、昭和60年から後は国民にとって政府が嫌な上に国民は自分で自分を不幸にするようになったので楽しいことがなんにもなくなった。今の国民は最高に不幸である。
国民みんなが現実に目を向けて、現実の中で面白いことをやれば本当に幸福になれる。だから、今の国民みんなは非現実をやめて現実のことをやるべきである。
政府の民主主義は芝居である。政府がいくら口先で「国民みんなを幸福にする」と言っても現実に幸福にしてくれなければ国民みんなはうれしくない。政府の民主主義の芝居をする団体は口先だけで実行しない。だから、政府の民主主義の芝居をする団体は人気がないのである。人間は芝居においては幸福になれない。人間は空想や見かけでは幸福になれない。人間は現実においてしか本当に幸福になれない。人間は現実を知って現実で自分を幸福にすれば本当に幸福になれる。今はそういう時代である。だから、今の人は現実を知って現実の中で考えて行動して自分を幸福にする努力をしないといけない。ゲームやアニメやマンガをやって現実の世界から外に出てはいけない。自分がやっていることを広げて面白くなくするのではなく、自分が狭いことを深めて行って面白くすればいいのである。
私の母は私が子供のころから『道具に振り回されてはいけない』とよく口にする。今の国民はテレビやゲームやマンガなどの道具に振り回されて幸福を失っている。今の人間はゲーム機に使われてゲームを遊ばされている。ゲーム機が人間を使って人間にゲームをやらせて人間を不幸にしている。今の人間はアニメやマンガに使われてアニメやマンガを見させられている。アニメやマンガが人間を使って人間にアニメやマンガを見させて人間を不幸にしている。人間が道具を使わねばならないのであって、人間が道具に使われてはいけない。人間は現実が好きで非現実が嫌いである。だから、人間はテレビやゲームやマンガを捨てねばならない。人間は現実のことをするためにテレビやコンピューターや本を使わねばならない。
[22594] 日本人は政府の民主主義の芝居が嫌いである。 h28.3.20
政府は国民を脅[おど]す団体である。
おまけに政府は民主主義の芝居もやっている。
芝居は何でもありだから、芝居では正しいこともまちがったことも何でもやれるから、芝居では論理的に矛盾したことでもやっていいから、民主主義では政府と国民が平等だから国民が政府にお金をやって仕事をやってもらうかお金をやらず仕事をしてもらわないかは国民個人の自由であるはずなのに、政府は国民みんなから強制的に税金が取れる不平等な法律を定めている。政府は国民と平等なのに不平等なことをやっている。政府は矛盾したことをやっている。それは、そもそも政府の民主主義が芝居だからである。政府が国民みんなから強制的に税金が取れるのは政府が芝居の上で定めた法律であって現実の上で定めた法律ではない。だから、国民はわざわざ政府の法律を守って政府に税金を払わなくていいのである。
政府は芝居の上で自分に国家権力があることにして自分が国民みんなに好き勝手に命令できることにしている。国民は政府の民主主義の芝居が政府が偉そうにして面白くないから見なくなっている。国民は政府の民主主義の芝居を相手にしなくなっている。今の国民は選挙も見ないし投票もしないしテレビや新聞で政府のニュースや記事を見なくなっている。今の国民は政治的無関心である。
日本人は昔から平等が好きで不平等が嫌いなので、いくら政府が国民を脅しても、国民みんなは『政府と国民が平等だ』と思って国民みんなは身分制をやらない。日本では『人間がみな平等である』のは国民みんなの常識である。日本では国民みんなが政府が民主主義の芝居をやって国民みんなに『人間がみな平等である』ことを教えてもありがたいと思わない。政府は国民みんなにとってわかりきったことをわざわざくどくど教えているだけである。日本では国民みんなにとって政府の民主主義の芝居は要らない。だから、日本では国民みんなが政府の民主主義の芝居が嫌いなのである。政府はつまらない芝居をする団体である。政府は日本人には民主主義の芝居が要らないと思って、民主主義の芝居を国民を脅すための道具にしているのである。だから、政府は民主主義の芝居で偉そうにして国民を嫌がらせているのである。一方、ヨーロッパでは、ヨーロッパ人は日本人と反対に不平等が好きで平等が嫌いだから、政府が民主主義の芝居をやって国民みんなに『政府と国民が平等である』ことを教えるのが大事だから、政府が一生懸命に腰を低くして民主主義の芝居をやっているのである。
政府の民主主義の芝居はオマケである。政府の本体は国民を脅す会社である。グリコのキャラメルと同じである。
政府は国民を脅す団体である。昔の人は脅されるのが好きだったから政府に脅してもらって喜んでいた。昔の人は政府に脅してもらうために政府にお金をやっていた。しかし、今の人は脅されるのが嫌だから政府に脅されてもうれしくない。今の人は政府に脅してもらわないために政府にお金をやらなくなっている。政府は潰[つぶ]れているのである。今では国民を脅す嫌な会社がなくなって国民みんなが幸福に暮らせるようになりつつある。
[22595] 政府は国民の役に立つことをしているふりをして国民を脅[おど]している。☆
h28.3.20
政府は国民を脅[おど]す会社である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取ったり国民にいろんな嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅すことを仕事にしている会社である。
政府はヨーロッパ文化の国民を脅す会社である。ヨーロッパ人は不平等が好きである。ヨーロッパ人が政府が国民を脅しているのを見ると「政府と国民が不平等である」と思って「人間はみな不平等である」と思って身分制をやる。国民みんなが身分制をやると身分が上の者が下の者からお金を取って働かなくなって国が貧乏になって発展しなくなる。そのために、政府は民主主義の芝居をやって国民に隠しながら国民を脅しているのである。政府は自分が国民のために役に立つことをやっているように見せかけて国民を脅しているのである。そうすることで、政府は国が貧乏になって発展しなくならないようにしながら国民を脅すことができるようにしているのである。もっとも、日本人はヨーロッパ人と反対に平等が好きだから、日本では政府はわざわざ民主主義の芝居をする必要がないが、近代の日本ではヨーロッパ文化をやっていたのでその名残[なごり]で今でも政府は民主主義の芝居をやっているのである。
そういうわけで、今でも政府は民主主義の芝居をやって国民みんなの役に立つことをやっているふりをしながら本当は国民みんなを脅しているのである。政府は国民みんなを脅すことに嘘[うそ]の理由をつけて国民みんなの役に立つことをしていると思わせながら国民みんなを脅しているのである。例えば、政府は国民みんなに「スタイルがよくなる」という嘘の理由をつけて本当は国民みんなを脅すために国民みんなに不味[まず]いパンを食べさせている。政府は国民みんなに「ゲームをやると頭がよくなる」という嘘の理由をつけて本当は国民を脅すために国民みんなに面白くないゲームをやらせている。政府は国民みんなに「国民みんなの役に立つことをするため」という嘘の理由をつけて本当は国民を脅すために国民から高い税金を取っている。政府は国民みんなに「国の景気をよくする」と嘘をついて本当は国民を脅すために国の景気を悪くしている。つまり、政府は民主主義の芝居をして国民みんなに自分が国民の役に立っていると思わせて、国民の役に立つことをしている嘘の理由をつけて本当は国民を脅しているだけである。
そもそも人間の心には“脅される喜び”がある。そのため、昔の人は自分の“脅される喜び”を満足して自分が幸福になるために、自分から政府を建てて政府に脅してもらって幸福に暮らしていたのである。しかし、今では文明が進んで今の人は法律を守って暮らすようになったために“脅される喜び”がなくなったので、政府に脅してもらわなくてもよくなったので、政府にお金をやらず政府に脅してもらわなければいいのである。
政府は納税の義務の法律を定めているが、それは政府が民主主義の芝居で作った嘘の法律だから、国民は守らなくてもいいのである。国民は納税の義務の法律を平気で破って政府に税金を払わなくていいのである。
政府は国民を脅す会社である。政府は国民を脅して国民を幸福にして国民からお金をもらう会社である。政府と国民は平等である。国民が政府に脅してもらってお金を払うか、政府に脅してもらわずお金を払わないかは国民個人の自由である。今の国民は政府に脅されるのが嫌である。だから、今の国民は政府に脅してもらわず政府にお金を払わなければいいのである。
[22596] カフカ作『変身』 h28.3.21
主人公のグレゴール=ザムザは政府のことである。ザムザの家族は国民みんなのことである。
ある日突然ザムザが芋虫[いもむし]に変わっていたとは、政府が国民みんなを脅[おど]して暴れるので精神病者に喩[たと]えて、さらに精神病者が拘束衣[こうそくい]を着せられて身動きが取れなくなっているのを芋虫に喩えているのである。昔は国民みんなが脅されるのが好きだったので、国民みんなが政府に脅されて幸福に暮らしていたので、国民みんなが政府の脅しを聞いて政府が国民を脅して暴れまわっていたが、今は国民みんなが脅されるのが嫌いになったので、国民みんなで政府に脅されないために政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているので、政府が国民を脅せなくなって身動きが取れなくなっている。
文明が進むと国民みんなの心が変わるので、政府に対する国民みんなの態度も変わるのである。昔は国民が政府に脅されると幸福だったので国民と政府が仲良く暮らしていたが、今は国民が政府に脅されると不幸になるので、国民が政府を嫌って迫害するようになっている。
ザムザは最後に家族に見捨てられて一人で寂しく死んでしまう。家族はザムザの死を悲しむどころか喜んでいる。家族はザムザが死んで自分たちにようやく春が来た(つまり自分たちがようやく幸福に生きられるようになった)ことを喜んでいる。
今の国民みんなにとって政府は国民を脅して国民の人権を侵して国民を不幸にする。政府は国民みんなの嫌われ者である。今の国民みんなは国民みんなを脅して不幸にする政府が倒れてなくなって自分たちが幸福に生きられるようになっているのを喜んでいる。
『変身』はチェコに住んでいたカフカが1912年に執筆した作品である。日本人の心が変わったのが1965年ごろである。日本はヨーロッパよりも約50年遅れている。こうして日本も文明国の仲間入りができたのだ。
[22597] 政府は国民に隠しながら国民を脅[おど]している。 h28.3.21
政府は国民を脅す会社である。政府は国民に命令して国民から高いお金を取ったり国民にいろんな嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅す会社である。
しかも、政府はヨーロッパ文化の国民を脅す会社である。ヨーロッパ人は不平等が好きである。ヨーロッパ人は狩猟民族で、狩猟民族は動物を捕まえて殺して動物を自分の好き放題にするから、人間も動物だから、ヨーロッパ人は人間を自分の好き放題にするのが好きだから不平等が好きなのである。政府が国民を脅しているところをヨーロッパ人に見せると、ヨーロッパ人はすぐに「政府と国民が不平等だ」「人間には身分があって身分が高い者が低い者を好き放題にできる」と思って国中で身分制をやるようになって、身分の高い者が身分の低い者からお金を取って遊びまわって働かなくなって国が貧乏になって国が発展しなくなる。そのために、政府は国民に見つからないようにしながら国民を脅さなければならない。政府は民主主義の芝居をやって自分が国民の役に立つことをしているふりをして、国民の役に立つ嘘[うそ]の理由を付けて国民を脅している。そのようにして、政府は密[ひそ]かに国民を脅している。政府は国民にわかりにくいように国民を脅している。国民にわかりやすかろうがにくかろうがとにかく政府が国民を脅していることに変わりはない。日本人はヨーロッパ人と反対に平等が好きだから、日本人はいくら政府が国民を脅しても『政府は国民を喜ばせるために国民を脅している』『国民は政府に脅してもらって喜んでいる』と思って身分制をやらないので、日本では政府がわざわざ国民の役に立つ嘘の理由を付けて国民を脅す必要がないが、近代の日本ではヨーロッパ文化をやっていたので、今の日本政府はその名残[なごり]で今でも民主主義の芝居をやっている。(h28.4.5追記:ヨーロッパ人は身分制が好きだが、アジア人は身分制が嫌いである。インドも大昔は身分制のないみんなが平等な国だったが、紀元前1500年ごろにアーリア人がインドに攻めてきてアーリア人が政府が国民を脅しているのを見て「人間が不平等だ」と思って身分制をやりだしてから国中に身分制が広がってしまった。当時はヨーロッパでも身分制があったが、紀元前500年ごろにギリシアで政府が民主主義の芝居をやりだしてからヨーロッパでは身分制がなくなった。一方、インドではその後も政府が民主主義の芝居をしなかったので身分制がそのまま残ってしまったのだ。国に身分制が出来ると身分の高い者が身分の低い者からお金を取って身分の高い者が身分の低い者を虐待して身分の高い者が遊んでばかりいて働かなくなって国が貧乏になって発展しなくなる。しかし、身分が低い者は身分が高い者に脅されて自分の“脅される喜び”を満足して幸福になれる。いわば、身分制とは国中のみんなで脅しあって“脅される喜び”を満足しあって幸福にしあうことである。奴隷[どれい]はみんなに脅されるから奴隷が一番幸福なのである。ヨーロッパ人にとっては貧乏の苦しみのほうが脅される喜びよりも強かったから、政府が国から身分制をなくすために民主主義の芝居をやった。反対に、インド人にとっては脅される喜びのほうが貧乏の苦しみよりも強かったから、政府が国から身分制をなくさないために民主主義の芝居をやらなかった。インド人は今でも貧乏の苦しみよりも脅される喜びのほうが強いから身分制をやり続けている。そのために、国が貧乏になって発展しなくなっている。そのために、国の文明が進まなくなってみんなが現実を知らずにいつまでも心のままに生きていて“脅される喜び”があって“脅される喜び”を満足するために身分制をやり続けて悪循環を繰り返しているのである。それでも、インドも少しは文明化されているから、そのうちみんなが現実の中で生きるようになって法律を守って暮らすようになって“脅される喜び”がなくなって自分の人権が侵されるのが嫌になって身分制をやらなくなるだろう。昔はみんなが脅されるのが好きだったから奴隷が一番幸福だったから奴隷は自分の待遇に満足していたが、今はみんなが脅されるのが嫌だから奴隷が一番不幸だから奴隷が自分の待遇に文句を言うようになっている。国の運命は国民の心が決めているのだ。国民が“脅される喜び”を満足すると身分制や奴隷制の社会になり、国民が“豊かさの喜び”を満足すると平等制の社会になる。インド人とヨーロッパ人では心が違うから国の運命が違うのだ。国はその国の国民が自分が幸福になるように作っているのだ。昔は文明が遅れていてみんなが“脅される喜び”を満足して生きていたから奴隷がみんなに脅されて一番幸福だったから奴隷制の社会だった。今は文明が進んでみんなが“現実の喜び”を満足して生きているから現実をよく知って現実の中で自分の心を満足している者が一番幸福だから知識人制の社会である。つまり、大昔はみんながあけっぴろげに脅し合って“脅される喜び”を満足して生きていたから奴隷制の社会だった。国民の多くが奴隷でみんなに脅されて幸福に暮らしていた。ところが、紀元0年ごろに文明が急激に進歩して、みんなが農耕生活ができるようになって現実の世界の中でかなり暮らせるようになって、みんなが“脅される喜び”を満足するのが恥ずかしくなって隠しながら“脅される喜び”を満足するようになった。みんながあけっぴろげに脅し合うのをやめて、政府や宗教団体や暴力団などの特定の団体だけが隠しながら国民みんなを脅すようになった。政府は国民みんなが“脅される喜び”を満足するのが恥ずかしくなったことに合わせて民主主義の芝居をやって自分が国民を脅しているのを隠しながら脅すようになった。脅し会社制の社会になった。そして現代ではさらに文明が進歩して、みんながいろんな科学の発明品を使った生活ができるようになっていっそう現実の世界の中で暮らせるようになって、ついにみんなが“脅される喜び”がなくなった。国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に脅されるのをやめて、みんなで法律を守って自由に暮らしている。政府は国民みんなが“脅される喜び”を満足しなくなったことに合わせて自分が国民を脅すのをやめて潰[つぶ]れた。法律制の社会になった。大昔からみんなは平等にやっていた。ただ、みんなが“脅される喜び”を満足して暮らしていたために脅す者と脅される者に分かれていただけだ。)
要するに、政府が民主主義の団体であるとは、政府が時代時代の国民みんなに合わせて国民みんなの心を満足する国にしてくれることではなく、政府が国民みんなの役に立つふりをしながら国民みんなを脅しているということである。政府の本体は国民を脅す団体であり、政府の民主主義をする団体は国民を脅すことを国民の役に立つことをすることに見せかけるためにあるのである。
もともと人間の心には“脅される喜び”がある。昔の国民は自分の“脅される喜び”を満足するために政府を建てて政府に脅されていた。昔の国民は政府に脅されるのが好きだったので政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅されていた。反対に、今の国民は法律を守って暮らしているので“脅される喜び”がなくなっているので政府に脅されて不幸になっている。今の国民は政府に脅されるのが嫌なので政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府に脅されなくなっている。
文明が進歩すると人間の心が変わる。昔の国民は脅されるのが好きだったが、今の国民は脅されるのが嫌である。そのために、今の国民は政府が要らなくなって政府を倒している。
[22598] 昔の人はみんなの心に従わねばならなかった。今の人は現実に従えばいい。☆
h28.3.22
昔の人は心主義だった。昔の人は自分の心に基づいて生きていた。そのために、昔の人は物事をすべてみんなの心で多数決をとって決めていた。昔の人はみんなが思うことに従わねばならなかった。例えば、近代の日本では国民の多くが戦争をしたかったから、多数決で国民みんなが戦争をやることになった。ただし、科学は昔(ガリレオのころ)から現実主義なので、科学のことはみんなの多数決で決めなかった。科学は例外だった。中世のころはまだ科学が定着していなかったから、現実主義がなかったから、みんなと違うことを唱[とな]えた学者が殺された。近代になって科学ではみんなと違うことを唱えてもいいことになった。
今の人は現実主義である。今の人は現実に基づいて生きている。そのために、今の人は物事を現実に基づいて決めている。今の人は科学で生きているのである。
人間には“脅[おど]される喜び”がある。政府は国民の“脅される喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。政府は国民を脅すことを仕事にしている会社である。政府と国民は平等だから、国民が政府にお金を払って脅してもらうか政府にお金を払わずに脅してもらわないかは国民個人の自由である。昔は国民みんなが心主義で生きていたから、政府に脅してもらって幸せにしてもらってお礼にお金を払っていた。昔は多数決で決まっていたから、国民の多くが政府に脅されたかったから国民みんなが政府に脅されていた。国民みんなが政府に脅されて政府に税金を払わねばならなかった。国民が政府に脅されるか脅されないかは原則的には個人の自由だが、昔は多数決があったから国民みんなが政府に脅されることに決まっていたのである。反対に、今では国民みんなは現実主義で生きているから法律を守って暮らしているから“脅される喜び”がないから、政府に脅されなければいい。今ではみんなが現実主義だから、今では多数決がないから、今の国民はみんなが思っていることよりも現実に従えばいい。『政府は国民を脅す会社であり、政府と国民は平等であり、今の国民は“脅される喜び”がない』ことは現実だから、今の国民は現実に従って政府の脅しを聞かず政府にお金を払わず政府を倒せばいい。人間は現実に従わねばならない。人間は現実の中で一意的に決まることには従わねばならないが、現実の中で自由なことに関しては自分の好き勝手にすればいい。人間の心はめいめい違うから、人間が自分の心を知って自分の心を満足することによって完全に現実の中で一意的に生きることができるのである。だから、今の国民は政府の脅しを聞かないようにして政府に脅されないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。このことに関しては一意的だから、国民みんながそうしなければならない。しかし、それ以外のことに関しては国民個人の自由だから国民は自分の好き勝手にすればいい。
今の人は現実主義だから、今の人は法律を守らねばならない。今の人は法律を守って、あとは個人の好き勝手にやればいいのである。みんなが国の発展のために多少協力すればますますいい。
[22599] 政府の法律会社は本当は法律会社ではなく掟[おきて]会社である。
h28.3.23
政府は国民を脅[おど]す会社である。だから、政府の法律は本当は法律ではなく脅しである。政府の法律は脅しに乗っけた掟である。政府の法律会社は国民に法律を守らせる会社ではなく、掟を守らせる会社である。
政府の法律会社は国民みんなに政府の掟を守らせているにすぎない。掟は脅しの一種だから、政府の法律会社は国民みんなに政府の脅しを守らせているにすぎない。ところが、国民と政府は平等だから、国民が政府の脅しを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。だから、国民が自分が政府の脅しを聞く気がなければ政府の掟を守らなくていい。たとえ国民が政府の掟に背[そむ]いて政府の法律会社(本当は掟会社)に捕まって法廷に出されても「自分は政府の脅しを聞く気がない」と言えば罰せられずにすむ。政府は掟に背いた者を釈放するしかない。ただし、今では国民みんなは現実主義をやって法律を守っているから、国民みんなの目があるから、あからさまに法律を犯せばもはや社会の中で暮らすことはできない。だから、密[ひそ]かに法律を犯せば、法律を犯しながら社会の中で暮らすことができる。『今の日本にはまだ法律会社が建っていない』ことを利用して儲[もう]けている会社がかなりあるのかもしれない。これでは世の中が悪くなっていくばかりだ。だから、早く国民みんなで政府の脅しを聞くのをやめて政府を倒して法律会社を建てねばならないのである。
昔の社会では、国民みんなが心主義だった。国民みんなが政府の脅しを聞くか聞かないかは国民個人の自由だが、昔の社会には多数決があったので、国民の多くが政府の脅しを聞いていたので、結局国民みんなが政府の脅しを聞かねばならなかった。政府の掟を守らねばならなかった。政府の掟に背いた者はみんな罰せられた。反対に、今の社会では国民みんなが現実主義である。国民みんなが法律を守らねばならない。ところが、政府の法律会社は本当は法律会社ではなく掟会社である。今の社会には多数決がないので、たとえ国民の多くが政府の脅しを聞いていても、自分が政府の脅しを聞きたくなければ聞かなければいい。たとえ国民の多くが政府の掟を守っていても、自分が政府の掟を守りたくなければ守らなくていい。今の国民は法律は守らなければならないが、掟は守らなくていい。例えば、納税の義務は法律ではなく掟である。だから、今の国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。国民みんなで政府に税金を納めるのをやめて政府を倒さねばならない。
政府の納税の義務の法律(本当は掟)には「“国民全員”が政府に税金を納めねばならない」と書いているが、しょせんは政府の掟だから、国民が政府の掟を守るか守らないかは国民の自由だから、国民は自分が政府の掟を守りたくなければ守らなくていいのである。いくら政府の法律(本当は掟)に「国民全員が…」と書いてあっても、国民がその法律(本当は掟)を守るか守らないかは“国民個人の自由”だから、国民は自分がその法律(本当は掟)を守りたくなければ守らなくていいのである。政府は国民を脅す会社である。今の国民にとっては自分の人権を侵されるのが嫌である。政府は国民を脅すために国民の人権を侵す。今の国民にとっては政府がないほうがいい。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
現実の社会でみんなが平和に暮らすためには『人間はみな平等』にすればいい。国民と会社は平等であり、国民は自由に会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。国民が特定の会社と強制的に契約してお金を払って仕事をやってもらわねばならないことはない。たとえ法律会社であっても、国民が特定の法律会社と強制的に契約しなければならないことはない。だから、政府の納税の義務の法律(本当は掟)は法律ではないのである。政府の納税の義務の法律(本当は掟)は政府の掟にほかならない。今の国民は脅されるのが嫌いだから、政府の掟を聞かず、政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。将来法律会社が建ったら、国民は自由に法律会社と契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。もっとも、今の国民は法律は守らねばならないから、国民が法律会社と契約しようがしまいが、とにかく法律は守らねばならない。
今は現実主義の時代である。今の国民が従わねばならないのは、国民みんなではなく現実である。利口は現実がわかるが、馬鹿は現実がわからない。だから、現実主義の社会では利口が馬鹿よりも上である。馬鹿が利口に従わねばならない。もっとも、社会が平和であるためには『人間がみな平等』でなければならないから、みんなの人権が守られるから、馬鹿も利口も人権がある。だから、みんなの人権を守りながら、馬鹿が利口に従えばいいのである。そういう社会体制を早く整えねばならない。
国の文明が進歩すると国民みんなが現実を知って現実に従うようになる。国民みんなが法律を守って“脅される喜び”がなくなって政府の脅しを聞かなくなる。国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府が滅ぶ。政府の天敵は文明である。そのために、政府は心のことしかわからない阿呆や眼で見ることしかわからない馬鹿を頭で考えて現実がわかる利口よりも上にしようとする。政府があると文明が進歩しなくなる。政府があると国民みんなが楽で楽しい生活ができなくなる。政府は文明の敵である。だから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。国民みんなで政府を倒して文明を進めて国民みんなが楽に楽しく暮らせる社会にしないといけない。国民みんなが仕事をせずに自由に自分の好きなことをやって暮らせる社会にしないといけない。
[22600] どうして今でも政府は国民を脅[おど]すのか? h28.3.23
政府は国民を脅す会社である。政府は民主主義の芝居をやって自分の脅しに民主主義の嘘[うそ]の理由をつけて自分が国民を脅しているのを国民に隠しながら国民を脅しているが、要するに政府は国民を脅す会社である。人間の心には“脅される喜び”がある。政府は国民の“脅される喜び”を満足して国民を幸福にするために国民からお金をもらって国民を脅すのである。政府が国民を脅すのは仕事なのである。
そもそも国民と政府は平等である。国民が政府にお金をやって政府に脅してもらうか、政府にお金をやらず政府に脅してもらわないかは国民個人の自由である。つまり、国民が政府の脅しを聞いて政府にお金をやって政府に脅してもらうか、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府に脅してもらわないかは国民個人の自由である。
昔は心主義の時代だった。国民みんなが現実を知らず自分の心のままに生きていた。国民みんなが心の世界に生きていた。国民みんなは“脅される喜び”を満足するために政府の脅しを聞いていた。心主義ではみんなが自分の心で生きているので、国民みんなの心で物事を決めるので、多数決があった。つまり、国民は国民みんなと同じことをしなければならなかった。そのため、国民は国民みんなに従って“脅される喜び”を満足して政府の脅しを聞かねばならなかった。
今は現実主義の時代である。国民はみんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。国民みんなが現実の世界に生きている。現実において人間が幸福に暮らすためには世の中が平和でなければならない。世の中が平和であるためにはみんながみんなの人権を守らねばならない。今の国民は自分や他人の人権を守って暮らしているので“脅される喜び”を抑えているので“脅される喜び”がなくなっている。今の国民は政府に脅されて政府に人権を侵されるのが不幸である。だから、今の国民は政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府に脅されなければいいのである。今は現実主義の時代だから、今の人は現実に従わねばならない。今の人は国民みんなではなく現実に従わねばならない。だから、今では多数決はない。つまり、国民は現実に従っていさえすれば国民みんなと違うことをやってもいい。今の人は法律を守りさえすれば、あとは自分の好き勝手にやればいい。今の国民はたとえ周[まわ]りの他人が政府の脅しを聞いていても、自分が政府の脅しを聞きたくなければ政府の脅しを聞かなければいいのである。
国民が心主義をやるか現実主義をやるかは根本的には国民個人の自由である。政府は今でも国民の多くが政府の脅しを聞いて政府にお金をくれるのを見て「国民みんなが今でも心主義をやっていて自分に脅して欲しいのだ」と思って国民みんなを脅しているのである。今でも国民の多くが政府の脅しを聞いて政府にお金をやっているから、政府は「今でも国民みんなが脅されるのが好きで、自分に脅してもらいたいのだ」と思って国民みんなを脅しているのである。政府は仕事で国民を脅しているから、政府は自分が国民みんなを脅すか脅さないかを国民みんなに決めてもらっているのである。政府は国民みんなのせいにして国民みんなを脅しているのである。今でも国民の多くが政府の脅しを聞いているために、政府が国民みんなを脅しているのである。国民の多くが政府に国民みんなを脅させているのである。今でも国民みんなが政府に脅されるのは政府の脅しを聞いている国民の多くのせいである。国民の多くが悪いのである。
国民が心主義をやるか現実主義をやるかは国民個人の自由である。つまり、国民が政府に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。人間は頭の中で何を思っていても実際には現実の中で生きている。人間の心は人間が生まれつき持っている現実についての認識である。人間の心は現実を知らない。人間の心にはまちがいがたくさんある。人間が心主義をやると現実の中でまちがいを犯して不幸になる。人間が現実主義をやると現実の中でまちがいを犯して不幸にならず、現実の中で自分の心を満足して幸福になれる。人間にとっては心主義よりも現実主義のほうが幸福に生きられる。だから、人間は現実主義をやらねばならない。今の国民は心主義をやめて現実主義をやって、法律を守って、政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめねばならない。そうすれば、政府は今の国民の多くが政府の脅しを聞かず政府にお金をくれないのを見て『今では国民みんなが現実主義をやって自分に脅して欲しくないのだ』と思って国民みんなを脅さなくなるだろう。国民みんなで早く政府の脅しを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒して国民みんなの人権を守って国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。