[22401] 国民みんなにとって平和はすごく大事である。 h27.12.25
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
政府はそもそも国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国民を虐めて国を平和にするために民主主義の芝居をやっている。政府にとって民主主義の芝居は国民に対するサービスである。政府が民主主義の芝居をやれば、政府が国民を虐めるための命令に嘘[うそ]の理由をつけて国民を幸福にするための命令だと思わせてくれるので国民は政府の虐めの命令を聞きやすくなる。政府が民主主義の芝居をやれば、国民には政府が国民を虐めているところが見えないので国民はあまり不愉快[ふゆかい]にならずにすむ。政府は国民の気分を害さないためにわざわざ民主主義の芝居をやってくれているのである。
政府は国民の気分を害さないために民主主義の芝居をやっているにすぎない。政府は現実の上では民主主義をやっていない。政府は芝居の上で国民みんなの役に立つことをやっているだけである。政府の民主主義は芝居だから、政府は口先で大きいことを言うだけで実際にはやらない。だから、国民は政府の芝居を真[ま]に受けて喜んではいけない。(『アイドル天使ようこそようこ』第30話「歌声でタイホして」“内容はないよう”。政府の民主主義は形だけの芝居であって実際にはやっていない。だから、政府の民主主義は内容がないのである。)政府は現実には国を平和にする以外に国民の役に立つことをやっていない。政府は現実には国民を虐めて国を平和にするだけである。
国民みんなが生活したり仕事したり遊んだりできるためにはまず国が平和でなければならない。国民みんなにとっては平和がすごく大事なので、国民は政府に多少不幸にされても政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのである。国民みんなにとっては平和がすごく大事である。だから、政府は国を平和にするだけで十分国民みんなからお金をもらって食っていけるのである。だから、政府はほかの仕事はやらなくていいのである。平和は国民みんなに高い値段でよく売れるから、政府は国中で一番大きい会社なのである。
要するに、政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府にとっては国民を虐めて国を平和にすることが仕事である。民主主義の芝居は政府が国民の気持ちをなるべく傷つけないためにやっている気配りである。だから、政府は国民によく売れるのである。(そのかわり、政府は国民の娯楽を規制して国民が楽しめないようにするが。)
昔は国の文明が低くて国民は頭が悪くて感情的で、政府が国民を虐めて国民を落ち込ませて国民に心で言うことを聞かせて国を平和にしていた。
しかし、今は国の文明が高くて国民は頭がよくて知的になって自分で法律を知って法律を守るようになったので、政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
政府は国民から税金をもらえなくなっている。
今では医者や商人が国民から税金を取っている。人間にとって平和の次に大事なものは衣食住と自分の身体だから政府の代わりに商人と医者が威張[いば]って税金を取れるのである。今では医者や商人が国民から税金を取って、余ったお金を政府に恵んで政府を経営している。今では政府は医者や商人の付属会社である。政府は医者や商人の言いなりである。医者は政府に命令して事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして病院送りにして儲[もう]けている。商人は政府に命令して国民に高い物や要らない物を買わせるようにさせて儲けている。
今では国民みんなは政府や医者や商人の3人組に不幸にされている。国民と政府や医者や商人は平等だから、国民が政府や医者や商人にお金をやるかやらないかは国民個人の自由である。国民みんなで政府や医者や商人にお金をやらないようにして政府や医者や商人を倒して幸福にならねばならない。政府は国民を虐めて国民を不幸にする仕事である。医者は他人の弱みに付け込んで儲ける仕事である。商人は生産者と消費者の間に無理やり割り込んで余計な手間賃[てまちん]を取って儲ける仕事である。政府も医者も商人も汚い仕事である。だから、国民みんなで政府や医者や商人を倒してきれいな社会にすればいいのである。
[22402] 日本が貧乏な国から抜け出す方法 h27.12.26
ヨーロッパ人は五感が心よりも発達している。ヨーロッパ人は心よりも物を見る。ヨーロッパ人は芝居を真[ま]に受けにくい。そのため、ヨーロッパでは実際に働いたことで人間を評価する。そのために、ヨーロッパでは本当に有能な者が生き残って、無能な者が死ぬ。ヨーロッパでは本当に有能でよく働く者が生き残って増えていくから、ヨーロッパは儲[もう]かるのである。
反対に、日本人(アジア人)は心が五感よりも発達している。日本人は物よりも心を見る。日本人は芝居を真に受けやすい。そのため、日本では芝居で人間を評価する。日本では立派なふりをしている人が社長や上役になって、人前で手足をピコピコさせて一生懸命に働いているふりをしている人がよく働いていることになる。日本では口先で立派なことを言う者が偉いことになり、学歴がいい者が有能なことになる。そのために、日本では本当に有能な者が死んで、有能なふりをしているニセモノが生き残る。日本では有能でよく働くふりをして本当は無能で働かない者が生き残るから、日本は無能で働かない者が増えていってどんどん貧乏になっていくのである。
日本人は芝居に弱い。日本では芝居の才能のある者が日本人の弱点を突いて有利に生きている。政府が芝居の上では自分が民主主義の団体であることにして自分に国家権力があって自分が国民みんなを自分の好き放題にすることができることにして自分にとって都合のいい世界を作っているように、芝居の上手な者は芝居の上で自分が有能でよく働いていることにして自分が他人よりもいい給料を取れることにして自分のほうが身分が上で他人を自分の好き放題にできることにして自分にとって都合のいい世界を作っている。しかし、現実においては政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体であって国民と政府は平等で国民が政府に税金を払って国民を虐めて国を平和にするかどうかは国民個人の自由であって今の国民が法律を守って国を平和にしていて政府に用がないから政府に税金を払わずに潰[つぶ]せばいいように、現実においては芝居をやる者は無能で働いていなくて給料をもらう資格がなくて社員と平等で社員が強気[つよき]になって芝居をやる者をさっさと会社から追い出せばいいのである。日本人はもっと頭でよく考えて物事を実在的に見るようにして、他人の芝居に騙[だま]されないようにして、実際に働いたことで人間を客観的に評価するようにして、有能な人間を有利にして有能な人間を生き残らせて有能な人間を増やして儲かる国にしないといけない。社員は芝居の上手な人を会社から追い出してどこかの劇団で働いてもらうようにしないといけない。現実と芝居を混同してはいけない。
日本人は作り話や芝居で喜ばないようにして現実や物で喜ぶようにすればいい。日本人は作り話や芝居を見る目を潰して現実や物を見る目を養えばいい。そうすれば日本人は作り話や芝居がわからなくなって現実や物がよくわかるようになって、人間を芝居ではなく実際に働いたことで見れるようになって、本当に有能な人間が有利に生き残れるようになって儲かる国になる。
戦前は日本人がヨーロッパ人を見習って一生懸命に科学や産業をやっていたから日本が儲かっていた。戦後は日本人が日本文化をやるようになってヨーロッパ文化をやめてテレビやマンガばかり見て科学や産業をやらなくなったから日本が儲からなくなった。日本人が作り話や芝居ばかり見て現実や物を見なくなったから儲からなくなった。今の日本には工場がたくさん建っているが、日本人が科学や産業をやらなくなったために儲からなくなっている。いくら日本人が日本文化をやるようになったからといって日本人が自分の欠点までも肯定してもいいわけではない。日本人は外人の長所を見習って自分の短所を直さねばならない。日本人は自分の長所を伸ばして外人の短所を真似[まね]てはいけない。ヨーロッパ人は科学が得意である。ヨーロッパ人は現実的だから科学や産業が得意だから儲かるのである。日本人はヨーロッパ人を見習うべきである。日本人は自分の頭で現実や物についてよく考えて現実や物をよく見れるようにしないといけない。日本人は科学や産業が得意になって儲からねばならない。ヨーロッパ人は生まれつき五感が発達していて現実がよく見えるから科学や産業の才能がある。しかし、日本人は生まれつき五感が発達していないから現実がよく見えないから科学や産業の才能がない。だから、日本人は自分の努力で補わねばならない。日本人は知覚がいいから知覚で現実や物について考えて現実や物が見えるようにならねばならない。日本人は作り話や芝居に目を向けないようにして現実や物に目を向けて現実や物について考えて科学や産業が得意にならねばならない。
国民が子供のころから現実や物について考えていればいい暮らしができる。反対に、国民が子供のころからテレビやマンガばかり見ているとしょうもない暮らししかできない。だから、国民は自分がいい暮らしをするために子供のころから現実や物について考えねばならない。親は子供にいい暮らしをさせるために子供に現実や物について考えさせねばならない。
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐めて国を平和にする団体”である。政府は民主主義の芝居をやっているだけであって民主主義をやっていない。政府は現実には国民を幸福にすることはやっていない。政府は国民みんなを導いて国民みんなが儲かるようにはしない。むしろ、政府はその反対に国民みんなを虐めて国民みんなを貧乏にするだけである。政府は民主主義の芝居をする“国民を虐めて国を平和にする団体”だから、政府は口先で「国民みんなを儲からせる」と言うだけで本当は国民を虐めるために国民みんなを貧乏にするのである。政府は言うことと反対のことをする天邪鬼[あまのじゃく]なのである。政府は国民みんなにとって国を平和にすることにしか役に立たない。政府は国民みんなを儲からせてくれない。だから、国民みんなは自分で国を儲からせねばならないのである。国民みんなは自分で自分の性格を変えて国を儲からせねばならない。
[22403] どうしてドイツ人に音楽の才能があるか? h27.12.26
イソップ物語の『アリとキリギリス』のアリはヨーロッパ人でキリギリスがアジア人である。ヨーロッパ人は五感が発達していて現実がよく見えるから現実の中でよく働いて現実の世界で楽しむ。ヨーロッパ人は現実の世界の中でよく働くから実際に仕事が得意なのである。ヨーロッパ人は本当に仕事が上手[じょうず]なのである。反対に、アジア人は心が発達していて心がよく見えるから心の世界の中でよく働いて心の世界で楽しむ。アジア人は心の世界の中でよく働くから芝居が得意なのである。アジア人は仕事の芝居が上手なだけで実際の仕事が下手[へた]である。アジア人は芝居の世界で働いているだけで現実の世界で働いていないから現実の世界で儲[もう]からないのである。アジア人は空想の世界で自分がお金持ちだと思っているだけで現実の世界では貧乏なのである。アジア人は空想の世界で自分が有能な働き者だと思っているだけで現実の世界では無能な怠け者なのである。ヨーロッパ人は現実の世界(五感の世界)の中で生きているが、アジア人は心の世界の中で生きている。(h28.1.10追記:同じように、イソップ物語『ウサギとカメ』のウサギはアジア人でカメはヨーロッパ人である。アジア人は山勘[やまかん]で一挙[いっきょ]に正しいことがわかるが、ヨーロッパ人はいちいち言葉に書いて確かめながらでしか正しいことがわからない。しかし、最後にはヨーロッパ人のほうが先まで進めるのである。)
ドイツ人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子である。ドイツはヨーロッパとアジアの中間にある国だからドイツ人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子なのである。ドイツ人は音楽が得意である。ドイツ人はヨーロッパ人だから眼や耳がいい。ドイツ人はアジア人だから現実から浮いている。だから、ドイツ人は耳がよくて現実から浮いているから音楽が得意なのである。ドイツ人の音楽の技術的な面はヨーロッパ人によるが、現実から浮いている面はアジア人によるのである。ヨーロッパ人は性格が暗い。アジア人は性格が明るい。ドイツ人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子である。だから、ベートーベンは“暗くて明るい曲”が得意なのである。(h28.1.27追記:私はベートーベンの曲を聞いていると“考えたい気持ち”になる。私はそうやって哲学日記を書いている。ベートーベンの音楽には不思議な効果がある。)科学はヨーロッパ文化である。宗教はアジア文化である(ヨーロッパ人にとって宗教は異文化つまりアジア文化を取り込むためにやっているから、宗教はアジア文化である)。ドイツ人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子だから、科学と宗教の両方とも好きである。ドイツ人はヨーロッパ文化とアジア文化の両方ができる。ドイツ人は現実と架空の両方ができる。ドイツ人は作りごとの理念で現実の世界の中で科学を使って暴れまわる危ない国でもある。ドイツ人にはヨーロッパ人とアジア人の2つの頭がある。だから、ハプスブルク家の紋章が双頭の鷲[わし]なのである。双頭の鷲が剣[けん]や盾[たて]を踏みつけているのはハプスブルク家が権力団体つまり国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にする団体だからである。
反対に、日本人はインド人と中国人の合いの子なので知覚と心が発達しているが、五感が発達していない。日本人は知覚と心の才能はあるが五感の才能がない。日本人は現実から浮いているが耳の才能がない。だから、日本人は音痴[おんち]なのである。日本人は頭で考えて実在を理解することは得意だが、眼や耳を使うことは苦手なのである。
[22404] どうしてテレビや新聞では政府について本当のことを言わないのか?☆
h27.12.26
テレビや新聞では『政府が民主主義の芝居をしている“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である』ことを言わない。
それは、テレビ局や新聞社が政府から“口止め料”を取っているからである。
政府にとっては自分の正体を国民に知られることが弱点である。今の国民に政府の正体が知られると、国民は『今では国民みんなが法律を守って国が平和になっているから政府が要らない』と思って政府に税金を払わなくなる。政府の虐めの命令を聞かなくなる。そうなると政府が困る。そのために、政府はテレビ局や新聞社に「お前の正体を国民みんなにバラすぞ」と脅[おど]されて口止め料を取られているのである。テレビ局や新聞社が政府からお金を取っていい思いをして、政府はテレビ局や新聞社にお金を取られて苦[にが]い思いをしているのである。テレビ局や新聞社は政府よりも悪いヤツである。
政府はテレビ局や新聞社に自分の弱みを握[にぎ]られて肩身の狭い思いをして暮らしている。
しかし、今では国民が自分で考えたり他人に教えてもらったりして政府の正体を知っている。今の国民はテレビや新聞によらずに政府の正体を知っている。今では国民みんなが『政府が民主主義の芝居をしている“国民を虐めて国を平和にする団体”である』ことを知っている。だから、今では政府がテレビ局や新聞社に口止め料を払わなければいいのである。テレビ局や新聞社が政府について本当のことを言えばいいのである。みんなで正しいことを教え合って善い社会にすればいいのである。
[22405] 個人情報カード h27.12.26
この前昼間に寝ていたらドアのベルが鳴った。あとで市役所から簡易書留が来ていることを知ったが、医療保険関係のことだと思って無視していた。今の私は医療保険費を払っていないので市役所からしょっちゅう催促の封筒が来るのである。
しかし、本当は個人情報カードのことだった。私も個人情報カードというものが新しく出来ることを聞いたことがあったが、テレビや新聞を見ないのですっかり忘れていた。
来年の1月下旬にもう一度郵送されるようである。今度はちゃんと受け取ることにしよう。
個人情報カードとは、国民の個人情報が記憶されたカードのことである。国民が個人情報カードを持っていればいちいち役所に行って証明書を作ってもらわなくてもいいので国民にとっては便利である。
個人情報カードの発行は国民にとって役に立つことである。政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にするだけで、それ以外には国民の役に立つことはしない。だから、個人情報カードの発行は政府の付属会社がやったことである。法律会社か戸籍会社(いわゆる役所)がやったことである。政府の付属会社は半官半民で本来民営だから国民からお金を取って仕事をする。個人情報カードは只[ただ]で国民みんなに配られているから只のサービスである。国民みんなはお金を払わずに個人情報カードを受け取ればいい。
今の国民は医者に医療保険費や商人に消費税を払っている。医者や商人は余ったお金を政府にやっている。政府が法律会社や役所にお金をやって個人情報カードを作らせたのである。国民は自分のお金で個人情報カードを作らせたのである。だから、国民が個人情報カードを只でもらってもちっともかまわない。まったく割高[わりだか]な個人情報カードである。
早く国民みんなで政府を潰[つぶ]して、国民が自分で法律会社や役所にお金を出して個人情報カードを買って利用するようにならねばならない。そうすればずっと安いお金ですむ。
将来は、個人情報カードに太陽電池を組み込んで、国民がまったく役所に行かなくても自分で電波をやり取りして個人情報を書き換えられるようにしてますます便利にして欲しいものである。
[22406] 政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にするだけである。 h27.12.27
政府はもともと国民を虐めて国を平和にする団体である。
政府は国民を虐めるやり方を改良にするために民主主義の芝居をやっている。政府は民主主義の芝居を加えることによって国民に政府が国民を虐めているのが直接に見えないようにして、国民を虐めることに国民を幸福にするための嘘[うそ]の理由をつけて国民に命令して国民を虐めている。そのため、国民はあまり不愉快[ふゆかい]にならずに快適に政府に虐められておとなしくなって平和に暮らすことができる。政府は国を平和にするのが目的だから、政府は国民を虐めることに民主主義の芝居を加えることによってなるべく国民を不幸にしないようにしながら国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。
要するに、政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国を平和にすることで国民の役に立つだけである。政府は国を平和にするために国民を虐めるためにありとあらゆることをする。政府は国を平和にするためにさんざん国民を虐めて国民を不幸にするのである。
政府は国民を虐めて国を平和にするだけで、それ以外のことはやっていない。昔から国民はそのことを知っている。(あいにく私は知らなかったが、それは例外である。私は小さいころから社会科が嫌いだったので知らなかったのである。/マンガ『嗚呼[ああ]花の応援団』政府は国民みんなの役に立つことをしているふりをして実際には何もやっていない。応援団もプレーヤーの役に立つことをしているふりをしてじつは何もやっていない。私が中学1年生のとき友達の家に遊びに行ったとき友達にどおくまんの『嗚呼花の応援団』のマンガを読ませてもらったことがある。)
昔は国の文明が遅れていて国民が感情的で馬鹿だったので自分で法律を知って法律を守ることができなかったので、国民は政府に頼んで国を平和にしてもらっていた。国民は政府に税金を払って政府の虐めの命令を聞いて虐められていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が知的になって自分で法律を知って法律を守ることができるようになったので、国民は政府に頼んで国を平和にしてもらわなくなった。国民は政府に税金を払わなくなって政府の虐めの命令を聞かなくなって政府に虐められなくなった。
今では政府にかわって医者や商人が国民から税金を取っている。政府は医者や商人からお金をもらって国民を虐めている。政府は医者や商人からお金をもらうかわりに、医者や商人のために国会で多数決で「国民全員が医療保険に入らねばならない架空の法律」や「国民全員が消費税を払わねばならない架空の法律」を定めている。馬鹿な国民は架空の法律を現実の法律だと思って真[ま]に受けて真剣に医療保険に入ったり消費税を払ったりしている。
しかし、もともと『人間はみな平等である。』国民と医者や商人や政府は平等である。国民が医者や商人や政府にお金を払うか払わないかは国民個人の自由である。国民は医療保険に入らないようにして、商人が売っている物を必要最小限にしか買わないようにして、医者や商人に極力お金をやらないようにして、政府にお金をまわさないようにして政府に国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にするのをやめさせねばならない。
国民みんなは自分で考えて自分を幸福にすることをして幸福に暮らさねばならない。
政府は政治団体である。政治の“政”とは奉[まつ]り“ごと”すなわち国民みんなを幸福にする“ふりをして国民みんなを不幸にすること”である。政治の“冶”とは国を平和にすることである。だから、政府は国民みんなを幸福にするふりをして国民みんなを不幸にして国民みんなの気分を落ち込ませて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする団体である。政府は国民みんなを幸福にするふりをして本当は国民みんなを不幸にする。政府はそれしかしない。政府は国を平和にすることしか取り柄[とりえ]がない。しかし、今では国民みんなが自分で法律を知って法律を守って国を平和にしているから、今の国民にとってはもはや政府は要らない。だから、今の国民はさっさと政府を倒して、国民を不幸にする者をなくして幸福に暮らせばいいのである。
[22407] 人間にとっては身体や衣食住よりも法律や教育や研究のほうが大事である。☆
h27.12.27
人間にとっては平和が一番大事である。人間が生活し仕事をし遊ぶためにはまず国が平和でなければならないからである。
そのために、昔の国民は政府に高い税金を取らせて政府に国民みんなを虐めさせて国を平和にしていたのである。国民にとっては平和が一番大事なので、国民みんなに平和が高い値段でよく売れたので、政府は日本で一番大きい会社になったのである。
しかし、今では国の文明が発達して国民みんなが法律を守るようになって国が平和になっているので、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなったので、政府が滅んで潰[つぶ]れている。
今では政府のかわりに医者や商人が威張[いば]って国民から税金を取っている。医者や商人は「人間にとっては自分の身体や衣食住が大事である」と言って威張って国民から税金を取っているのである。
しかし、国が平和であるためには法律が大事である。国の文明を発達させるためには教育が大事である。国の文明を進めるためには研究が大事である。医者や商人よりも法律会社や学校会社や研究会社のほうが大事である。法律会社や学校会社や研究会社があれば、自[おの]ずから医学や商業が発達するので、医学や商業よりもまず法律や学校や研究のほうが大事なはずである。
国民は医者や商人の見え透いた理屈に騙[だま]されてはいけない。人間にとって本当に大事なのは身体や衣食住などの眼に見えることではなく、法律や教育や研究などの眼に見えないことである。だから、国民は医者や商人にお金をやるのではなく、法律会社や学校会社や研究会社にお金をやらねばならない。
今の国民は人間が幸福に暮らすためには本当に何が必要かをよく考えて、必要なことにお金をかけねばならない。要らないことにお金をかけてはいけない。明日の国を作るのは君だ!
政府の民主主義の芝居には多数決があるが、現実の世界には多数決はない。現実の世界では正しい原理に基づいて論理的に物事を決めねばならない。医者や商人が国民から税金を取るのはまちがっている。国民にとっては医学や商業よりも法律や教育や研究のほうが大事である。だから、国民みんなが国民みんなに公平にお金を与えるべきである。国民みんなが自由に会社と契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。医者や商人が政府と組んで税金まがいのことをやるのはまちがっている。国民は医者や商人の独断を許さず、国民みんなで医療保険に入らないようにして国民みんなから高いお金を取る店で物を買わないようにして医療保険制度や消費税を撤廃しないといけない。
[22408] 人間が幸福に生きる方法 h27.12.27
人間がいくらマンガを見てもテレビを見ても芝居を見てもゲームをやっても現実の世界から抜け出すことはできない。人間がいくら頭の中でマンガを見てテレビを見て芝居を見てゲームをやっていても、実際には現実の中にいる。人間がいくらマンガやテレビや芝居やゲームで喜んでいても、本当は現実の中にいる。人間がいくら芝居を見たからといって芝居の世界が実体化して自分がその中で暮らせるわけではない。
人間は生まれてから死ぬまでずっと現実の中で暮らしている。
人間はマンガやテレビや芝居やゲームの中ではなく、本当は現実の中で生きている。
だから、人間は現実を知って現実の中で行動して現実のことで喜んで暮らせばいい。そうすれば人間は一番幸せに暮らせる。
人間はマンガやテレビや芝居やゲームのことで喜ぶのではなく現実のことで喜べばいい。喜びの量ではなく質が大事だ。喜びが強いよりも喜びの味が大事なのだ。つまり、人間は手当たりしだいになんでもかんでもやって喜べばいいのではなく、まず自分が何で喜ぶかを決めてから喜ばねばならない。人間は自分で考えて自分の喜びを選んでから喜ばねばならない。
そういうことをやり込めば、誰でも一流大学に入って一流会社に入って生涯幸福に暮らせるだろう。
[22409] どうして宗教団体にとって科学が敵なのか? h27.12.27
宗教団体とは国民を立派な人(つまり神)に従わせている芝居をやる“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
宗教団体は国民を立派な人に従わせる芝居をやって国民に直接に宗教団体が国民を虐めているところが見えないようにして、国民を虐めることに国民みんなを立派な人に従わせる嘘[うそ]の理由をつけて国民を立派な人に従わせることに見せかけて国民に命令して国民を虐めている。そうやって、宗教団体はなるべく国民が不愉快[ふゆかい]にならないように国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。政府が民主主義の芝居(つまり国民みんなを幸福にしている芝居)をやってなるべく国民が不愉快にならないようにして国民を虐めているのと同じことである。
国の文明が低いと国民が感情的で馬鹿で、国民が法律を知らず法律を守らず国が物騒[ぶっそう]になる。国が物騒だと国民が宗教団体に国を平和にしてもらうことになる。国民が宗教団体にお布施[ふせ]をやって宗教団体の虐めの命令を聞く。宗教団体に権力(命令力)がある。
国の文明が高いと国民が知的で科学をやって、国民が法律を知って法律を守って国が平和になる。国が平和になると国民が宗教団体に国を平和にしてもらわなくなる。国民が宗教団体にお布施をやらなくなって宗教団体の虐めの命令を聞かなくなる。宗教団体の権力がなくなる。だから、宗教団体にとっては科学つまり文明が敵なのである。
昔の日本は国の文明が低かったので国民が宗教団体にお布施をやって宗教団体の命令を聞いていた。
しかし、今の日本は国の文明が高くなったので国民が宗教団体にお布施をやらず宗教団体の命令を聞かなくなった。
そのために、今では宗教団体が滅んでいる。宗教団体がなくなっている。そもそも日本文化では神がいないので、日本では昔から宗教団体が流行[はや]らないが今ではますます宗教団体が流行らなくなって宗教団体がなくなっている。政府や暴力団も滅んでいる。政府や暴力団にとっても科学が敵なのである。
[22410] 日本人にとっては政府の民主主義の芝居はどうでもいい。 h27.12.27
政府はもともと国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。幕府や暴力団と同じである。
政府は民主主義の芝居もやっている。政府が民主主義の芝居をやっているのは、近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっていたからである。ヨーロッパ人は五感が発達していて眼先に敏感なので、政府が国民を虐めているのを見るのに耐えられないので、政府が民主主義の芝居で覆[おお]って国民に見えなくしているのである。反対に、日本人は五感が弱くて五感が鈍[にぶ]いので、政府が民主主義の芝居をやってもやらなくてもどうでもいいのである。むしろ、政府が民主主義の芝居をやらないほうが、国民にとって政府が実際にやっていることがよくわかるからいい。国民の役に立つことをしているふりをして本当はしていないヤツがいなくなるからいい。政府が民主主義の芝居をやっているために、日本中の会社でそれを真似[まね]て有能ぶりした役立たずが大勢のさばっているのである。政府が国民を虐めているために、日本中の会社でそれを真似て仕事をしていない者が仕事をしている者を虐めているのである。仕事をしない者が仕事をする者からお金を取って日本が貧乏な国になっているのである。江戸時代に日本が儲[もう]かっていたのは、幕府が民主主義の芝居をしていなかったために、国民みんなが働いていたからである。仕事をしているふりをして仕事をしていない者がいなかったからである。(江戸時代はみんながアジア文化をやって心と頭で物を見て眼先で物を見ないようにして眼先にこだわらないようにしていたから日本人に合っていたからみんなが幸福に暮らすことができたのである。もともと日本人は中国人とインド人の合いの子だから、江戸時代は中国文化とインド文化を混ぜこぜにしてやっていたからちょうど日本人に合っていたのである。みんなが法律を守って国を平和にして幕府がなかったら最高だっただろうが。ただし、アジア文化は科学に弱い。だから、ヨーロッパ文化の科学のところだけ切り取って受け入れればいい。平賀源内もそうした。江戸時代には国民みんなはアジア文化をメインでやっていたが、ヨーロッパ文化をやってはいけないわけではなかった。近代には国民みんなはメインでヨーロッパ文化をやっていたが、サブでアジア文化もやっていた。いつの時代でも国民みんなは多かれ少なかれ世界中の文化をやっていた。国民みんなは自分が幸福に暮らすために世界中の文化の長所を取り入れていた。そうすれば、日本人は最も幸福に暮らせるだろう。)
とにかく政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。
昔は国の文明が遅れていたために、国民が頭が悪くて馬鹿だったので、たとえ法律があっても国民が法律を無視して法律を守っていなかったので国が物騒[ぶっそう]だった。そのため、国民は政府に国民を虐めて国民に心で言うことを聞かせてもらって国を平和にしてもらっていた。国民は政府に政府に税金を払って政府の虐めの命令を聞いていた。税金が安いと政府が国民を虐めることにならないから、政府は国民から高い税金を取らねばならなかった。そのために、政府は国民から税金を取りすぎてお金が余って国民に税金を還元するために付属会社にお金をやって経営していた。
しかし、今は国の文明が進んでいるので、国民が頭がよくて利口になったので、国民が自分から法律を知って法律を守って国が平和になっている。そのため、国民は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなって、政府に税金を払わなくなって政府の虐めの命令を聞かなくなっている。
昔は国の文明が遅れていて国民が頭よりも心で物を見ていたので親や先生が子供に暴力をふって子供を痛めつけて教育していたが、今では国の文明が進んで国民が心よりも頭で物を見るようになって親や先生が子供に言葉で言うことを聞かせて教育するようになったのと同じことである。
つまり、国の文明が低いと国民が頭よりも心で物を見るので国民に心で教えるしかない。だから、昔は政府が国民におとなしくすることを心で教えるために国民を虐めていたのである。いわば、政府は国民みんなに心で平和を教える学校なのである。政府は言葉を使わず心を使うだけだから国民を虐めて国民の心をめげさせて国民をゲンナリさせておとなしくさせて国を平和にするのである。反対に、国の文明が高いと国民が心よりも頭で物を見るので国民に頭で教えればいい。だから、今では国民がテレビや新聞のニュースを見て頭で法律を知って法律を守っておとなしくするようになったのである。国民が政府が要らなくなって、政府に税金を払わなくなって政府の命令を聞かなくなっているのである。
今では政府のかわりに医者や商人が国民から税金を取っている。医者は「国民全員の身体は自分の物だから、自分が国民全員を人質にとっている」と思って自分勝手に国民全員が医療保険に入らねばならないことにしている。商人は「自分が国民全員に商品を売らなければ国民全員が死ぬ」と思って自分勝手に消費税を取っている(つまりすべての商品を8%値上げして売っている)。政府は医者や商人からお金を恵んでもらってなんとか生き残っている。政府はもはや国民が自分に税金をくれないと思って昔よりも景気よく国民を虐めている。医者や商人は政府を暴れさせて政府に国民を虐めさせて喜んでいる。今では2人のお金持ち(医者と商人のこと)が狂犬(政府のこと)に人を襲わせて人を殺させて遊んでいる。あるいは、お金持ち(医者や商人のこと)のバカ息子(政府のこと)が人殺しをして遊びまわっている(昔(私が小学生のころ、今から約40年前)そういうマンガがよくあった)。医者も商人も偉そうである。本当は、国民と医者や商人は平等である。だから、国民は医療保険に入らないようにしてなるべく医者にお金をやってはいけない。国民は高い商品を買わないようにして商人になるべくお金をやってはいけない。国民は政府にお金をまわさないようにして、国民みんなを不幸にする政府を倒さねばならない。医者や商人は性格が悪いから、国民みんなは医者や商人にお仕置きするために永遠に医者や商人にできるだけお金をやらないようにして医者や商人を貧乏にしないといけない。
そもそも政府が国民を虐めて国民から税金を取っていたのは、昔はそうするしか国を平和にする方法がなかったからである。国民にとって平和が一番大事だからではない。昔の国民は平和が大事だから政府に税金を取られて政府に虐められても我慢[がまん]していたのではなく、昔は国民が馬鹿で言葉がわからず心でわかるしかなかったので政府に税金を取られて虐められて心を落ち込まされておとなしくさせられて国を平和にするしかなかったのである。だから、今の時代に医者や商人が国民にとって身体や衣食住が大事だからといって国民から税金を取るのはまちがっている。医者はおとなしく病人の面倒をみるべきであり、商人はおとなしく客に物を売るべきである。医者や商人が国民から税金を取る必要はない。だから、国民は医者や商人に税金を払わないようにしないといけない。今の医者や商人は余分にお金を取りすぎている。国民は医療保険に入らないようにして医者にその都度[つど]診療代を払うようにして店で高い商品を買わないようにして医者や商人になるべくお金をやらないようにしないといけない。国民は医者や商人に余計なお金をやらないようにして、政府にお金をまわさないようにして政府を倒さねばならない。
[22411] どうして最近の日本は不景気なのか? h27.12.28
日本人は生まれつき知覚と心が発達していて五感が弱い。
近代は日本人がヨーロッパ人に従おうとして、自分の頭で一生懸命に現実について考えていた。そのために、国民みんなが科学や産業に強くなって国が発展して儲[もう]かっていた。
しかし、最近になってテレビやコンピューターが出来た。そのために、国民みんなが空想ばかり見て現実を見なくなった。国民みんなが一生懸命に現実について考えなくなった。そのために、国民みんなが科学や産業に弱くなって国が衰退して貧乏になっているのである。
今ではテレビやコンピューターが出来たために国民みんなの環境が変わっている。国民みんなが現実の外に出て現実を見なくなっている。現実を考えなくなっている。現実を知らなくなっている。今の国民は現実の中で行動して自分の心を満足して現実の中で幸福にならなくなっている。そのため、今の国民は真[しん]の幸福が得られなくなっている。
人間はいつも現実の中で生きている。人間は本当は現実の中にいる。だから、人間にとっては現実の幸福が真の幸福である。だから、人間は現実を知り現実の中で行動し現実の中で幸福にならねばならない。人間は現実についての知識に基づいて自分の心を満足することをやって現実の中で幸福にならねばならない。特に、日本人は知覚と心が発達して五感が弱いから、国民みんなは自分の頭で一生懸命に現実について考えて現実を知って現実の中で自分の心を満足して現実の中で幸福にならねばならない。
人間は空想や現象で喜ばず現実で喜ぶようにすれば真の幸福が得られる。つまり、人間は作り話や見かけで喜ばず実話や物で喜ぶようにすれば本当に幸福になれる。だから、みんなはテレビやコンピューターを現実で喜ぶために利用すればいい。みんなはテレビやコンピューターで手当たりしだいになんでもかんでもやって喜ぶのではなく、現実で喜ぶために使わねばならない。みんなはテレビで現実的な番組を見て喜ぶようにして、コンピューターを現実について考えたり現実について知るために使うようにして、現実で喜ぶようにして真の幸福を得なければならない。
ヨーロッパ人は豪華に飾られているところに美しさを感じるが、日本人は無駄[むだ]がなくて洗練されているところに美しさを感じる。その点では、ヨーロッパ人よりも日本人のほうが現実的(実在的)である。人間は自分の身体に刺青[いれずみ]を彫ったり自分の身体を整形することに明け暮れても幸福にはなれない。しかし、ヨーロッパ人は作り話や芝居で喜ばないが、日本人は作り話や芝居で喜ぶ。その点では、ヨーロッパ人のほうが日本人よりも現実的である。人間は小説やマンガを読んだりゲームをやって空想に耽[ふけ]っても幸福にはなれない。ヨーロッパ人は現実的で現象的であり、日本人は実在的で空想的である。人間は現実的であるほど幸福である。だから、ヨーロッパ人は頭で現実を考えるようにすれば幸福になれる。日本人も頭で現実について考えるようにすれば幸福になれる。幸福になる方法は人類共通なのかもしれない。
[22412] どうして人間にとって性欲はいけないのか? h27.12.28
人間の心には性欲がある。性欲は性交に関する感情であり現象的な喜びである。ヨーロッパ文化は現象的だから、ヨーロッパ文化は性欲が強いのである。性欲が強いことを色キチガイと言うのもそのためである。
人間が眼で見て美しさを感じるように、人間は性器で見て性欲を感じるのである。いわば、性欲は性器で見た美しさである。
人間は現象(眼や性器で見えること)にとらわれて現実を見失うと不幸になる。人間は現実的であればあるほど幸福である。だから、人間が現象にとらわれて現実の外に出ることは不幸なのである。人間が空想にとらわれて現実の外に出ることも不幸である。
人間はいくら五感(性器の感覚も含む)や心で見ていても、実際には現実の中にいる。人間は生まれてから死ぬまでずっと現実の中にいる。だから、現実における幸福が真[しん]の幸福なのである。人間は知覚で現実を認識できる。だから、知覚で現実を認識して、現実で自分の心を満足して幸福にならねばならない。([22408]参照。)例えば、いくら国民の多くがテレビや新聞で政府の民主主義の芝居を眼で見て「政府が民主主義の団体だ」と思っていても、現実には『政府は国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にする団体なの』である。いくら国民の多くが「政府に国家権力があって、国民みんなが政府に従わねばならない」と思っていても、現実には『政府は国民と平等で、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由なの』である。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒して政府に虐められないようにして幸福にならねばならない。
人間は思春期には性欲が高まってオナニーやセックスをやって性欲を満足させがちになって不幸になりやすいから注意しないといけない。特に、性欲を満足させると感情全般の興奮性が高まって支配欲が高まって支配欲が満足されないために怒[いか]り狂ってテレパシーを使って訴えようとして精神分裂病に罹[かか]りやすいから注意しないといけない。(今から約1ト月前、誰かが私にガンを飛ばしたときに同時にWimaxルーターの接続が切れてルーターを再起動して接続し直さねばならなかった。だから、テレパシーの実体は電波なのかもしれない。)人間の心は一人一人違うから、人間は自分の心を満足して生きているものだから、他人が自分の気に入らないことをしているために自分の支配欲が満足されないからといって他人に怒ってはいけない。そんなことをしたら社会の中で生きていけなくなる。人間が社会の中で生きるためには自分の支配欲を抑えねばならない。
人間は現実の中でしっかり生きて真[しん]に幸福にならねばならない。人間は現実を知り現実の中で自分の心を満足して現実の中で幸福にならねばならない。人間は見かけや性器やマンガや芝居やゲームなどに目を向けず見かけや性器やマンガや芝居やゲームなどで喜ばないようにして、現実に目を向けて現実で喜ぶようにしなければならない。
[22413] 今の政府が医者や商人からお金をもらっているのは一時[いちじ]しのぎである。
h27.12.28
昭和30年から40年頃に、国の文明が遅れていて国民が馬鹿で感情的で法律を守らず政府に虐[いじ]めて国を平和にしてもらうことから、国の文明が進んで国民が利口で知的で法律を守って政府に虐めて国を平和にしてもらわないことに急激に変わった。
そのため、国民にとって政府が要らなくなって、政府が全員クビになった。国民は政府に税金を払わなくなって、政府は収入がなくなった。
しかし、政府は大きい会社だから急には滅べない。そのため、今の政府はやむを得ず自分の代わりに医者や商人に税金を取らせて医者や商人からお金をもらって一時しのぎにしている。今の政府は国民にとって要らなくなっているから、政府は自分でだんだん小さくなって潰[つぶ]れてなくなっている。今の政府は政府がある時代から政府がない時代への“つなぎ”なのである。
それなら政府は国民を虐めたりしてのんびり遊んでいないで、まじめにさっさと滅ばねばならない。
国民は医者や商人になるべくお金をやらないようにして、政府にお金をまわさないようにして早く政府を倒さねばならない。将来、政府が潰れてなくなったら、医療保険や消費税も用がなくなって消えてなくなるだろう。
[22414] 義務教育は義務か? h27.12.28
義務教育は学校会社が国民に教育を押し売りすることである。
『人間はみな平等である』から、学校会社と国民は平等であるから、国民が学校会社と契約して学校会社にお金を払って教育を受けるかどうかは国民個人の自由である。
だから、学校会社が無理やり国民からお金を取って国民に教育を受けさせることはできない。義務教育はない。義務教育は義務ではない。義務教育制度は政府が民主主義の芝居の上で国会の多数決で決めた架空の制度である。現実にはない制度である。納税の義務が政府が民主主義の芝居の上で国会の多数決で決めた架空の法律であるのと同じことである。(戦前に政府が税金を払わない者を罰するために税金を払わない者の持ち物に赤紙を張って差し押さえにしたのは、納税の義務が芝居の上で定めた架空の法律にすぎないからである。政府は現実の世界では国民が税金を払わなくても国民を罰せないので赤紙を張ることしかできなかったのである。たとえ政府の法律に税金を払わない者に対する罰則が定められていても、それは架空の罰則だから現実には政府は国民を罰せないから国民は政府に罰せられるのを恐れなくてもいいのである。そもそも国民と政府は平等だから、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由だから、国民は自分が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのが嫌なら政府に税金を払わず政府の虐めの命令を聞かなければいいのである。戦前の政府は民主主義の芝居の上で国家総動員法も定めていた。しかし、それも政府が民主主義の芝居の上で定めた架空の法律である。現実にはそんな法律はない。だから、国民は自分が戦争に行きたくなければ行かなければよかったのである。しかし、近代の日本では国民みんなが「ヨーロッパ文化をやれば日本が進歩する」と信じていたから、国民みんなは日本を進歩させるために自分から進んで戦争に行って死んだのである。しかし、そもそも戦争はヨーロッパ人の狩りの祭りが発展したものである。ヨーロッパ人は狩猟民族だから狩りが好きだから狩猟民族の本能を満足するために遊びで人間同士が戦っていたのである。反対に、日本人は農耕民族だから、日本人が戦争をやっても心が満足されないから日本人は戦争をやってはいけない。日本人は戦争に勝つことが喜びだが、ヨーロッパ人は戦争をすること自体が喜びなのである。そもそも戦争は勝つことに意義があるのではなく、やること自体に意義があるのである。要するに、戦争はみんなが楽しむためのお祭りなのである。ヨーロッパ文化の長所は科学が強いことだけである。だから、日本人はヨーロッパの科学だけを受け入れてその他のことは受け入れてはいけない。)
本当は国民が学校で教育を受けるかどうかは国民個人の自由だから、国民は自分で考えて学校で教育を受けるかどうか決めねばならない。自分にとって学校で教育を受けたほうがいい場合には学校に通えばよく、自分にとって学校で教育を受けないほうがいい場合には学校に通わなければいい。国民にとって学校よりも塾のほうがよければ、塾にだけ通って学校に通わなければいい。国民にとって学校や塾よりも自分の家のほうがよければ、学校にも塾にも通わず自分の家にこもって勉強すればいい。
とにかく国民は自分が大人になるまでに何かの職業で働ける才能を身につければいい。学校はそのためのひとつの手段にすぎない。
国民が自分で自分に合った教育施設を選んで自由に勉強していい大人になればいい。
昔は国の文明が遅れていて国民が馬鹿で感情的で政府に国民を虐[いじ]めて国を平和にしてもらわねばならなかったから、国民みんなは政府に税金を払って政府の虐めの命令を聞いていた。政府は国民(子供=小国民)に命令して国民を学校に通わせて勉強させていた。政府は国民に無理やり嫌な科目を勉強させて国民を虐めて落ち込ませておとなしくさせて国を平和にしていた。しかし、今は国の文明が進んで国民が利口で知的で自分で法律を守って国を平和にしているから、国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府の虐めの命令を聞いていない。政府は国民に命令できなくなって国民を学校に通わせて勉強させることができなくなっている。国民は自分が好きな科目だけ勉強すればよくなった。国民は毎日自分が好きなことだけ勉強できて幸せである。国民は将来自分が好きな分野に進んで好きな仕事をやって一生幸せに暮らすことができる。今の人はそういうふうに生きていけばいいのである。
[22415] 政府の民主主義はテレビドラマである。 h27.12.29
そもそも政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。人間の心は他人に虐められると気分が沈んでおとなしくなる性質があるので、政府は国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。
その上、政府は民主主義の芝居をやっている。近代の日本ではヨーロッパ文化をやっていて、ヨーロッパでは国民みんなが眼先に敏感なために政府が民主主義の芝居をやっているから、その名残[なご]りで政府は今でも民主主義の芝居をやり続けているのである。日本文化でも芝居はやってもいいから、国民みんなも政府の民主主義の芝居を許容しているのである。テレビや新聞で政府が国民みんなのためになることをやっているみたいにしているのが、政府の民主主義の芝居である。例えば、政府が外国の政府と外交なんかやっても何にもならないのにやっている。政府は眼先や口先で国民みんなの役に立つことをやっているみたいにしているだけで、実際には何にもやっていないのである。テレビドラマの役者が芝居をやっているだけで、現実には何にもやっていないのと同じことである。馬鹿は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が善い団体だ」と思って政府に善いことをやってもらうために高い税金を払っているのである。利口は「芝居を真に受けるほうが悪いんだ」と思って、馬鹿が政府の芝居を真に受けていても黙[だま]っているのである。そもそも政府は最初から芝居をやっているのだから、芝居を芝居として冷静に見れないほうが悪いのである。
政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体である。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿で頭を使わず心だけで動いていたから、政府が国民みんなを虐めて心で言うことを聞かせておとなしくさせて国を平和にしていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民みんなが利口で頭を使って動いているから、国民みんながテレビや新聞を見て法律を知って法律を守って暮らして国が平和になっているから、政府が国民みんなを虐めておとなしくさせる必要がなくなっている。国民みんなは政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府の虐めの命令を聞かなくなっている。
今の政府は国民みんなからお金をもらえなくなって、医者や商人にたかって暮らしている。今の政府にとって医者や商人は国民から税金を取るための道具である。今の政府は国民から税金が入りにくくなったので、医者や商人を使って税金の入口を広げてカバーしているのである。政府は民主主義の芝居の上で「医者や商人が国民から税金を取る架空の法律」を定めて医者や商人に国民から税金を取らせるかわりに医者や商人からお金をもらって経営している。政府の芝居を真に受けている国民は政府に税金を払った上に医者や商人にも税金を払って3重に税金を取られている。(私は今から約20年前に“三重”県の伊賀上野市にあるキャノンの工場で2週間ぐらい働いていたことがある。国民の33%が馬鹿だとすると、政府がこれまでの3倍税金を取ればやっていけることになる。)そのために、今でも政府は自分が国を平和にする必要がないのに国民みんなを虐め続けている。国民みんなにとっては迷惑である。国民みんなは医療保険に入らないようにして医者にその都度[つど]診療費を払うようにして、店で高い商品を買わないようにして、医者や商人になるべくお金をやらないようにして、政府にお金をまわさないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなで国民みんなを虐める政府を倒して幸福に暮らせるようにしないといけない。
利口が黙っているのでは教育の意義がない。利口は自分が知っていることを馬鹿に教えてみんなが正しいことを知っているようにしてみんなが正しいことをするようにして善い社会にしなければならない。
[22416] 昔の国民は言葉で言ってもわからないほど馬鹿だった。☆ h27.12.29
政府は国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は国民みんなに命令して高い税金を取ったり嫌がらせをしたり国民みんなを殺したり痛めつけたりして国民みんなを虐めて国民みんなの気分を沈めて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする。政府は国民みんなの眼先を不愉快[ふゆかい]にしないために、民主主義の芝居をやって自分が国民みんなを虐めていることを隠している。
昔(昭和40年=1965年よりも前)は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だった。昔の国民は言葉で言ってもわからず心でわからせるしかなかった。そのため、政府は国を平和にするために国民みんなを虐めて国民みんなの気分を沈めておとなしくさせて国を平和にしていた。
今は国の文明が進んで国民みんなが利口である。今の国民は言葉で言えばわかる。そのため、今の国民はテレビや新聞を見て法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今の国民は政府が要らなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
昔は国民みんなが馬鹿だったから、昔は国民みんなが言葉で言ってもわからず心でわからせるしかなかったから、政府のような国民みんなを虐めて国を平和にする団体が必要だったのである。国民みんなが馬鹿だったために政府のような国民みんなを虐めて国を平和にする団体が出来てしまったのである。今では国の文明が進んで国民みんなが利口になっている。今の国民は心でわからせなくても言葉でわかるようになっている。そのために、政府がお払い箱になって捨てられている。
そのため、今では政府は医者や商人に縋[すが]って生き延びている。今では国民みんなが政府に税金を払わなくなったために医者に医療保険費を払わなくなったために商人に払う消費税が値上がりしているのである。国民みんなは医者や商人になるべくお金をやらないようにして政府にお金をまわさないようにして政府を倒さねばならない。
今の国民は頭がよくて言葉がわかるのだから、私が書いた“政府の理論”もわかるはずである。だから、今の国民みんなが私が書いた“政府の理論”を見る機会があれば、国民みんなが政府について正しいことがわかるはずである。早く国民みんなが政府について正しく理解して政府に対して正しいことをやって幸福に暮らせるようにならねばならない。
[22417] 政府が国民を虐[いじ]めるのは国を平和にするためである。 h27.12.30
政府は民主主義の芝居をする国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。
政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民を嫌がらせたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民の気分を沈めて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
政府が民主主義の芝居をするのはヨーロッパ文化を真似[まね]て自分が国民を虐めているのを隠して国民の眼先を不愉快[ふゆかい]にしないためである。
政府が国民みんなをいろいろ虐めるのはただたんに国を平和にするだけのためである。
そもそも『人間はみな平等である。』だから、国民と政府も平等である。国民は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。政府は民主主義の芝居の上で政府に国家権力があって国民みんなが政府に従わなければならないだけで、現実の上では政府に国家権力なんかなく国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が遅れていて国民が馬鹿で国民が言葉がわからず心でわからせるしかなかったので、国民みんなが政府に自分を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今では国の文明が進んで国民が利口で言葉がわかるので、国民が自分で法律を知って法律を守って国を平和にしている。国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。国民は政府の虐めの命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。
そのために、今の政府は滅んでいる。
今の政府は医療保険や消費税を使って国民からお金を取ろうとしている。政府は国民からお金を取って生き残って、国民にとっては要りもしないのに国民を虐めて国を平和にしている。国民にとっては政府が残っているのは迷惑である。国民は医療保険に入らずその都度[つど]医者に診療費を払うようにして、店でなるべく物を買わないようにして政府にお金をまわさないようにして政府を倒さねばならない。
考えてみると、高齢化社会になるのなら、医者は必然的に高齢者からお金をもらって儲[もう]かるはずである。わざわざ医療保険なんか要らない。医者は年寄りから直接に現金をもらって治療して儲ければいいのである。今の国民は若いときから医療保険費を払いすぎである。医者が国民から医療保険費を取りたければ医者だけで保険制度を設ければいい。医者がわざわざ政府と組む理由はない。医者が医療保険費を取るために政府と組むのはおかしい。医者が国民から医療保険費を取るために政府と組むのは、医療保険がそもそも政府のためにあるからである。政府は国民から税金の代わりにお金を取るために医療保険をやっているのである。また、政府が消費税を取らねばならないのなら、明治時代から取っているはずである。政府が今頃になって消費税を取るのは、今頃になって政府に消費税を取らねばならない理由が出来たからである。今では国民みんなが政府に税金を払わなくなったから、政府が国民から消費税を取らねばならなくなったのである。
大人は正しいことを知っていなければならない。自分が馬鹿であることは自分が正しいことを知らない理由にはならない。国民みんなは政府のことを正しく知って政府と正しく対応しなければならない。国民みんなは自分たちが幸福に暮らすために早く自分たちを虐める政府を倒さねばならない。
社会科の得意な人は『今の国民みんなで政府を倒せばいい』と考えて政府に税金を払わず医療保険に入らず店で高い物を買わず政府を倒している。反対に、社会科の苦手な人は頭の中がこんがらがってわけがわからず眼先でテレビや新聞や社会科の教科書を見て「政府は民主主義の善い団体だから、政府に従っていればいい」と思って政府に税金を払って医者に医療保険費を払って商人に消費税を払って三重に税金を払って貧乏暮らしをしている。要するに、社会科が得意か不得意かの違いである。国民みんなは社会のことをもっとよく考えて社会のことをよく知って自分が幸福に暮らせるように社会を作らねばならない。国民みんなが楽しく暮らせる国にしないといけない。(私が大学生のとき文系の講義で中根千枝[なかねちえ]著『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)を読んだ。400字詰め原稿用紙10枚のレポートを書けば単位がもらえるのだったが、私は面倒臭くて本を軽くさっと読んだだけでレポートを書かずに単位をもらわなかった。この本に書いているのは嘘[うそ]っぱちのきれいごとだ。タテ社会を美化しすぎている。タテ社会は上の者が下の者に適切な命令を出して集団をうまく動かすことではない。タテ社会では権力者がそれ以外の者を虐めているだけだ。政府が国民を虐めて国を平和にしているのを国中の会社が真似て社長や上役が社員を虐めて苦しめているのだ。会社の中で能なしの役立たずが空威張[からいば]りして社員みんなに迷惑をかけているだけだ。今では国民みんなが法律を守っているから、政府も権力者もタテ社会も要らない。)
[22418] 身分制とは何か? h27.12.30
政治団体(政府や幕府のこと)が民主主義の芝居をやらない国では、政治団体があけっぴろげに国民みんなを虐めて国を平和にするので、あたかも人間に“身分”というものがあって政治団体が身分が高く国民みんなが身分が低いように見える。そのために、国民みんなが「人間には身分があって、身分の低い者が身分の高い者に従わねばならない」と思っている。国民みんなが政治団体が国民みんなを虐めているのを真似[まね]て、国中のあらゆる集団に身分制を広げてあらゆる集団に身分制がある。それぞれの集団に身分の高い者と低い者があって、身分の高い者が自分で働かずに身分の低い者からお金を奪っている。そのために、国民みんなが貧乏に暮らさねばならなくなっている。反対に、政治団体が民主主義の芝居をやる国では、政治団体が民主主義の芝居で隠しながら国民みんなを虐めて国を平和にするので、政治団体と国民が平等に見える。そのために、国民みんなが「人間はみな平等だ」と思っている。みんなが平等によく働いて国民みんなが裕福になる。インドでは国民みんなが知覚が発達していて五感が弱くて眼先に鈍感[どんかん]なので政治団体が国民を虐めているのを眼で見ても耐えられるので、政治団体が民主主義の芝居をやらずに自分が国民みんなを虐めているのを隠さないので身分制がある。インド人は頭がいいと言われているが、さすがのインド人も昔は国の文明が低くて国民みんなが馬鹿だったので、国民みんなが眼で見たことをそのまま鵜呑[うの]みにして「人間に身分がある」と思って身分制をやっていたのである。インド人は知覚が強いが五感が弱いので科学や産業が弱い上に、身分制があって身分の上の者が自分で働かずに身分の下の者からお金を奪って暮らしているので、国民みんなが極貧[ごくひん]である。(『国の生産力=Σ国民iの生産力』だから、国民一人一人がよく働かなければ国の生産力が増えず国が儲からない。)反対に、ヨーロッパでは国民みんなが五感が発達していて眼先に敏感なので政治団体が国民を虐めているのを眼で見るのに耐えられないので、政治団体が民主主義の芝居をやって自分が国民みんなを虐めているのを隠しているので身分制がない。ヨーロッパ人は知覚が弱いが五感が強いので科学や産業が強い上に、身分制がなくて国民みんなが平等によく働くので、国民みんながお金持ちである。身分制は政治団体が民主主義の芝居をしないために出来てしまった制度である。民主主義の芝居は身分制が出来るのを防ぐ効果がある。民主主義の芝居の長所は国民みんなに『政治団体と国民が平等である』ことを教えることである。インドでは政治団体が民主主義の芝居をしないので身分制がある。ヨーロッパでは政治団体が民主主義の芝居をするので身分制がない。しかし、実際にやっていることはインドでもヨーロッパでも同じである。一方、江戸時代の日本では政治団体が民主主義の芝居をしなかったので身分制が出来かけていたが、国民みんなが『幕府が国民みんなを虐めるのは国を平和にするためだ』と考えて身分制に反対して身分制が出来なかったのである。国民みんなが生類憐みの令[しょうるいあわれみのれい]に反対して生類憐みの令が出来なかったのと同じである。幸いにも、日本では古代にヨーロッパ文化をやっていて、政治団体が民主主義の芝居をやっていたために国民みんなが「人間がみな平等だ」と思っていたので、その後でインド文化をやっても「人間に身分がある」とは思えなかったのである。国民みんなで『幕府が国民みんなを虐めるのは国を平和にして国民みんなを幸福にするためだ』と考えて『幕府と国民は平等だ』と考えて身分制が出来ないようにしたのである。そもそも国民みんなは国を平和にするために政治団体に国民みんなを虐めてもらっているのだから、政治団体が国民みんなを虐めるのは国を平和にして国民みんなを幸福にするための仕事だから、政治団体も国民みんなも平等である。根本的には世界中の国で『人間はみな平等』なのである。政治団体が国民みんなを虐めるのは国を平和にするための“必要悪”なのである。昔は国の文明が低くて国民みんなが馬鹿だったので言葉がわからなくて心でわからなければならなかったから、政治団体が国民みんなを虐めて国を平和にするしかなかった。しかし、今では国の文明が高くなって国民みんなが利口になって言葉がわかるようになっているから、国民みんなが法律を知って法律を守って国が平和になっているから、政治団体が国民みんなを虐めて国を平和にしなくてもよくなっている。国民みんなで政治団体を倒して国民みんなを虐める団体をなくして国民みんなで幸福に暮らせばいいのである。
民主主義の芝居は身分制が出来るのを防いでくれるが、悪い面もある。政治団体の民主主義の芝居では、政治団体が国民みんなの役に立つことをしているふりをして本当はしていない。それを真似[まね]て、国中の会社の中で仕事をしているふりをして仕事をしていない者がたくさんいる。日本人は眼よりも心が発達していて芝居を真[ま]に受けやすいので、会社の中で役立たずが有能ぶってのさばっている。働かない者が働く者から稼[かせ]ぎを奪ってのうのうと遊んで暮らしているために、みんなが貧乏に暮らさねばならなくなっている。一方、ヨーロッパ人は眼が心よりも発達していて芝居を真に受けないので、会社の中で仕事をしているふりをして仕事をしてない者がいない。ヨーロッパ人は、たとえ政治団体が民主主義の芝居をしていても、芝居を真に受けず芝居を芝居としてクールに見ているから、政治団体の芝居を真似て仕事をしているふりをしたりしない。政治団体の民主主義の芝居はヨーロッパ人にとっては無害だが、日本人にとっては有害である。日本では政治団体が民主主義の芝居をしないほうが国民みんながよく働いて国が儲[もう]かるのでそのほうがいい。江戸時代の日本では政治団体が民主主義の芝居をしなかったし、身分制も出来なかったので、国民みんなが平等によく働いて儲かっていた。今は法律の時代なので、国民みんなにとって政治団体は要らない。国民みんなで早く政府を倒して、民主主義の芝居をやる者をなくして、国民みんなで平等に働いて日本を儲かる国にしないといけない。
国に身分制が出来るのも、国中に仕事をしているふりをして仕事をしていない者が増えて国が貧乏になるのも、国民みんなが政治団体が国を平和にするために虐められて不幸になるのも、すべて政治団体のせいである。政治団体が国が悪くなる原因である。昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だったために言葉がわからず心でわからねばならなかったので、国を平和にするためには政治団体がなければならなかった。そのために、国に身分制が出来てみんなが不平等になったり、国民みんなが仕事をしているふりをして仕事をしなくて国が貧乏になったり、国民みんなが政治団体に虐められて不幸にされたりしていた。しかし、今では国の文明が進んで国民みんなが利口になって言葉がわかるようになって、自分で法律を知って法律を守って国が平和になっている。今の国民みんなにとっては政治団体が要らなくなっている。国民みんなで早く政治団体にお金をやらなくなって政治団体を倒して、国から身分制をなくしてみんなを平等にして、国民みんながよく仕事をするようにして国を豊かにして、国民みんなが政治団体に虐められないようにして国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。“親亀コケたらみなコケた”と言うから、国民みんなはまず政府から倒さねばならない。上の者をやっている者や働いているふりをして働いていない者やみんなを虐める者は政府を見て真似てやっているのだから、政府が倒れれば国中から上の者をやっている者や、働いているふりをして働いていない者や、国民みんなを虐める者がいなくなるだろう。上の者をやっている者や働いているふりをして働いていない者やみんなを虐める者は国民みんなの半分以上いるかもしれない。そういう者は自分がいい暮らしをしたいから日本政府を支持するだろう。しかし、今の日本はシケている。このままでは日本人全員が貧乏になって死んでしまう。今は自分のことよりも国のことのほうが大事だ。だから、国民みんなは自分が生き残りたければ日本政府を倒さねばならない。
今の日本では馬鹿な思想家がヨーロッパ人を真似てイケメンとかエステなどを国民みんなに流行[はや]らせて国民みんなに格好[かっこう]つけばかりやらせている。しかし、しょうもない格好つけがやれるぐらいで国が儲かるわけがない。日本人が五感が弱いのは生まれつきだ。幸い、日本人はインド人と中国人の合いの子だから、知覚が良くて心が善い。だから、日本人は正義の心を働かせて頭で現実について考えて科学や産業が得意になって、善良な心を働かせてみんなの心を満足する善い物をたくさん作って善い物をたくさん売って儲ければいい。
昔の日本では『政治団体は国民を虐めて国を平和にするためにある。政治団体は国民を虐めて国を平和にするだけである。政府は民主主義の芝居をするが、幕府は芝居をしない』のが常識だった。いちいち言わなくてもみんなが知っていた。今のテレビ番組がそんなことをネタにしてやっているのが情けない。私がみんなにそんなことを言っているのも情けない。国民みんなは当然そういうことを知っていてそういうことに適[かな]ったことをやっていなければならない。今の日本には教育が足りない。今の日本では核家族化が進んで、家族がめいめい好き勝手にテレビを見たりゲームをやったりして家庭内のコミュニケーションも少なくなって、国民の知識が共有できていない。国民みんなで正しいことを教え合って国民みんなが正しいことを知っているようにしなければならない。正しいことはマンガやテレビやゲームなどでどんどんみんなに言うようにしなければならない。今の人間はいそがしくて自分で考える暇がないから、正しいことを伏せたり喩[たと]えたりせずにそのまま言わなければならない。今の人はのんびりなぞなぞやクイズをやって楽しんでいる暇がないから、いきなり正解を言わねばならない。
h27.1.1追記:今の政府は民主主義の芝居で隠しながら国民を虐めて国を平和にしている。だから、今の国民の眼には政府が国民を虐めて国を平和にしているところが見えない。だから、マンガやテレビ番組で政府が国民を虐めているところをみんなの眼で見えるようにしてやればいい。マンガやテレビで国民みんなが見ることができない政府の姿を描いて政府の本当の姿をみんなに見せてやればいい。つまり、私が言葉で書いているようなことをマンガやテレビでやって国民みんなに見せてやればいい。そうすれば、国民みんながすぐに政府を倒すようになるだろう。例えば、『進撃の巨人』がそういうマンガである。巨人は政府である。政府はふだんは民主主義の団体の皮をかぶっておとなしくしている。だから、マンガでは政府の皮をはいで中身の“国民を虐めて国を平和にする団体”をさらけ出して国民みんなを襲って不幸にする巨人にしたのである。h28.1.4追記:そもそも巨人とは国民みんなのことである。政府は民主主義の芝居をやって芝居の上で国民みんなに従っていて国家権力がある。しかし、現実の上では政府はただの国民を虐めて国を平和にする団体にすぎない。だから、政府は芝居の上では善い巨人だが、現実の上では小さいヤクザ(暴力団)にすぎない。しかし、『進撃の巨人』では政府は悪い巨人である。本当は、政府が皮をはいだら悪い小人[こびと]のはずである。マンガでは芝居と現実がゴチャ混ぜになっている。マンガだから多少のまちがいはあってもしかたがない。そもそもマンガとは“現実にないこと”を現実に付け足して作った世界だから、現実と違っているところがあってもいいのである。
[22419] 国民自身が善くなれば世の中も善くなる。 h27.12.31
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だったので言葉がわからず心でしかわからなかったので、政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にしていた。国中に政府を真似[まね]て“善いことをしているふりをしてじつは悪いことをしている者”がいた。国中の会社に“働いているふりをしてみんなを虐めている者”がいた。例えば、学校の番長とかクラスのいじめっ子とか近所のガキ大将とか会社の社長とか幹部とか上役[うわやく]とかがいた。
しかし、今では国の文明が進んで国民みんなが利口になって言葉がわかるようになったので、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って国を平和にしている。国民みんなが政府が要らなくなって政府に税金を払わなくなって倒している。国中から政府を真似て“善いことをしているふりをして悪いことをしている者”がいなくなっている。国中の会社から“働いているふりをしてみんなを虐めている者”がいなくなっている。番長とかいじめっ子とか社長とか上役とかがいなくなっている。
昔は国の文明が遅れていたために、政府が国民みんなを虐めて国を平和にしていたので、国中に“善いことをしているふりをしてじつは悪いことをしている人”がいた。国中に“善いことをしているふりをしてじつは悪いことをしている人”がいたのは、国の文明が遅れていたからである。今では国の文明が進んでいるために、そういう者がいなくなっている。国民みんなが利口になって言葉がわかるようになったために世の中が変わっている。国民自身が変わっているために世の中も変わっている。国民自身が善くなれば社会も善くなる。他人を善くするためにはまず自分から善くしないといけない。要するに、国民みんなが勉強して頭がよくなって言葉がわかるようになればいいのである。
[22420] 今の政府は自分が国民から税金を取るために国民を虐[いじ]めて国を平和にしている。☆
h27.12.31
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。しかし、今では国の文明が進んで国民が利口になって国民が言葉がわかるようになって自分で法律を知って法律を守って国が平和になっている。今の国民にとっては政府は要らない。しかし、政府にとっては税金暮らしで残っていたい。政府は自分が国民から税金を取って暮らすのが楽だから幸福だから国民から税金を取ろうとするのである。今の政府は自分が国民から税金を取るだけのために“国民を虐めて国を平和にする仕事”をやって国民に嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりしているのである。今の政府にとっては“国民を虐めて国を平和にする”のは国民から税金を取るための言い訳[いいわけ]にすぎない。(今では国民みんなが法律を守って国が平和になっている。だから、私が小学生のころ、テレビドラマで暴力団が「近所の平和のため」と言って近所の住民を虐めているのを見て「暴力団の言い訳だ」と思ったのである。そういう状況では誰でも言い訳だと思ってしまう。しかし、本当は暴力団は近所を平和にするために近所の住民を虐めているのである。昔の社会はそういうものだった。昔は国の文明が遅れていて国民が馬鹿だったので言葉がわからず心でわかるだけだったので、暴力団が近所のみんなを虐めて気分を落ち込ませて気分を暗くさせておとなしくさせて平和にしていたのである。その名残[なご]りで暴力団は今でも近所の住民を虐めているのである。政府や宗教団体についても同様である。今では暴力団が「近所の平和のため」と言ってみんなを虐めていると誰でも暴力団の言い訳だと思う。だから、今では国民みんなが法律を守って国が平和になっているのである。今では暴力団や宗教団体や政府が国民を虐めて国を平和にする必要がなくなっているのである。)国民が政府の言いなりになっていると、何にも自分のためにならないのに政府に税金を取られたり嫌がらされたり殺されたりするだけである。そもそも国民と政府は平等である。国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかもらわないかは国民個人の自由である。国民は自分を幸福にするために政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国民は政府の言いなりになって自分を不幸にせず、自分で自分を幸福にするために政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。国民は政府に税金を払わず、医者に医療保険費を払わず、商人に消費税を払わないようにして、政府を倒さねばならない。
政府は国民を虐めて国を平和にすることが本業であって、民主主義はオマケでやっている遊びにすぎない。そもそも政府の民主主義は芝居であって現実ではないから、政府は架空の法律を定めることができるだけで現実の法律を定められないから、消費税の法律は架空の法律であって現実の法律ではないから、国民は消費税の法律を守らなくていい。店は政府に消費税を払わず、客から消費税を取らなければいい。国民は商品を買うときに消費税を払わなくていい。消費税抜きの代金だけ払えばいい。頭のいい店は政府に消費税を払わず客から消費税を取っていない。頭の悪い店は政府に消費税を払って客から消費税を取っている。客はなるべく頭のいい店で買って頭の悪い店で買ってはいけない。
政府の民主主義は芝居であって現実ではない。政府が定めた法律は政府が民主主義の芝居の上で定めた架空の法律であって、現実の法律ではない。政府は本当は法律を定められないから、国民が自分で法律を定めればいい。国民で『国民は政府に税金や医療保険費や消費税を払わなくていい法律』を定めて、その法律を守って、政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。商人は政府の架空の法律を本気にしてはいけない。商人は政府に消費税を払う義務はない。商人は政府に消費税を払わないようにして客から消費税を取らないようにして政府を倒さねばならない。
政府は国を平和にすることでしか国民みんなの役に立たない。今では国民が利口になって自分で法律を守って国を平和にしている。今の国民にとって政府はなんの役にもたたないクズ会社である。だから、国民は早く政府を潰[つぶ]さねばならない。国民も医者も商人もみんなが協力して政府を倒さねばならない。
政府の付属会社は本来は民間会社である。政府から税金の分け前をもらっているために政府の付属会社をやっているだけである。しかし、今では国民みんなにとって政府が要らなくなっている。国民みんなが政府にお金をやらなくなっている。だから、政府の付属会社は政府から税金の分け前をもらうのをやめて、国民からお金をもらえばいいのである。政府の付属会社は政府からお金をもらうのをやめて、料金を値上げして国民からお金を取ればいいのである。そうすれば、政府の付属会社にとっては政府が要らなくなるから、政府の付属会社をやめて自立して経営できる。
この世界は人間の考えで出来ている。この世界は人間の考えで動いている。人間が自分で考えなければこの世界は動かない。人間が正しい考えで動けば人間にとって幸福な善い世界になり、人間がまちがった考えで動けば人間にとって不幸な悪い世界になる。だから、みんなが正しいことを考えて正しいことをやってみんなが幸福に暮らせる善い世界にしないといけない。
もっとも、いくら人間の考えが世界を作るといっても、人間の思い通りに世界がなるわけではない。人間の考えが正しいかまちがっているかを決めるのは実在である。人間自身ではない。だから、人間は実在について考えて実在を知らねばならないのである。作り話や芝居に現[うつつ]を抜かして空想に耽[ふけ]っていてはいけないのである。(人間は物や心について知り、物を使って心を満足すればいいのである。脳細胞には物と心の両面がある。人間の心は物である脳細胞が荷っているから、人間は自分で脳細胞の神経興奮を調節することによって自分の心が適切に働くようにすればいいのである。/人間の心は人によって違う。人間は自分の心を満足して生きている。だから、人によってやることが違う。人間は他人が自分の気に入らないことをしているのを見ると自分の“支配欲”が満足されなくなってイライラする。しかし、自分の支配欲を満足するために他人に文句をつけてはいけない。自分の支配欲を抑えねばならない。そうしないと社会の中で暮らせなくなる。/政府は自分の支配欲を満足するために国民みんなを虐めているのではない。政府は国を平和にするために国民みんなを虐めて国民みんなの気分を沈めておとなしくさせているのである。政府にとっては国民みんなを虐めるのは国民みんなのためにやっている仕事なのである。)
[22421] どうして暴力団が都会にあるか? h27.12.31
暴力団は都会にあって田舎[いなか]にはない。私が生まれた四国にはない。暴力団は都会の象徴である。
暴力団が都会にあるのは、都会が物騒[ぶっそう]だからである。
日本では政府が国中のみんなを虐めて国全体を平和にしている。しかし、田舎では政府があまり国民を虐めないので国民がおとなしくせず物騒である。そのため、田舎では宗教団体がみんなを虐めて平和にしている。一方、都会では娯楽がたくさんあってみんなが好き放題に暴れまわって物騒である。そのため、都会では暴力団がみんなを虐めて平和にしているのである。政府で足りない分を宗教団体や暴力団が補って平和にしているのである。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だったので国民みんなが法律を守らず自分の好き放題にやっていたので、政府や宗教団体や暴力団が国民みんなを虐めて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にしていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民みんなが利口になって法律を守りながら自分の心を満足して平和に幸福に暮らしている。今の国民みんなにとっては政府や宗教団体や暴力団が要らなくなっている。もっとも、国民の中には法律を守らない者もいる。そういう者は法律会社が取り締[し]まらねばならない。法律を守らない者がちょっといるために国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に虐められる必要はない。
都会に暴力団があるのは、政府が国民を虐めてもあまり国が平和にならないからである。政府や宗教団体や暴力団が国民を虐める方法では国があまり平和にならない。特に、今では科学が発達していろんな娯楽が増えて国民が自分の心を満足して楽しく生きているので、政府や宗教団体や暴力団がいくら国民を虐めても国民の気分が沈まず国民がおとなしくしないので平和にならなくなっている。(女は男に比べておとなしい。それは女が生まれつきずっと気分が沈んでいるからである。女は男よりも感情の興奮性が低いのでおとなしい。女は生まれつきおとなしい。女は虐めておとなしくさせる必要がない。だから、昔から政府や宗教団体や暴力団は男を虐めるだけで女を虐めなかったのである。/暴力団が国民に麻薬を売るのは国民を虐めるためである。国民が麻薬をやるといっときは楽しいがあとで薬の反動でかえって気持ちが落ち込む。だから、暴力団は国民を虐めるために国民に麻薬を売るのである。もともと暴力団は国民を虐めて国を平和にする団体だから、暴力団は国民を虐めるために麻薬を売るのである。今の政府は民主主義の芝居をやっていて国民を幸福にするふりをして不幸にしているから、暴力団も政府を真似[まね]て国民に麻薬を売って国民を幸福にするふりをして不幸にしているのである。)
今では国民の娯楽がたくさんあって国民が年がら年中幸福に暮らしていて国民の気分が沈まないので、政府や宗教団体や暴力団が国を平和にするために国民を虐めることが効かなくなっている。今では政府や宗教団体や暴力団があっても無駄[むだ]である。だから、今では国民が自分で一生懸命に勉強して頭を鍛[きた]えて法律を知って法律を守って平和に暮らさねばならない。国民みんなで政府や宗教団体や暴力団を倒して法律会社を建てて、法律会社に法律の違反者を取り締まってもらわねばならない。
つまり、国の文明が高くなると国民が利口になって頭がよくなって自分で法律を知って法律を守って国を平和にするようになって、政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくてもよくなる。国の文明が高くなると国民の娯楽が増えて国民が幸福に暮らせるようになって国民の気分が沈まなくなって、政府が国民を虐めて国を平和にすることができなくなるので、国民が自分で法律を守って国を平和にしなければならない。とにかく、国の文明が高くなると国民が法律を守って国民にとって政府が要らなくなる。今の日本では文明が高くなっているから、国民が自分で法律を守るようになって、国民が政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
[22422] どうしてインドに身分制があるか? h27.12.31
インドに身分制があるのはヒンズー教と関係があるからだとされている。参考。
しかし、ヒンズー教はしょせん宗教である。
宗教団体は宗教上の屁理屈[へりくつ]をつけて国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。
宗教は神(立派な人)の教えであり、宗教団体は神の教えを利用して国民を虐めて国を平和にする団体である。宗教と宗教団体は別物なのである。
ヒンズー教はインド人に人気がある宗教である。しかし、ヒンズー教の宗教団体はヒンズー教を利用して屁理屈をつけて国民を虐めて国を平和にする団体である。国民みんなは国を平和にするためにいやいやしかたなくヒンズー教の宗教団体に国民を虐めさせているのである。
インド政府はインド人に人気のあるヒンズー教を利用して国民を虐めて国を平和にしている。だから、インド政府は倒れにくいのである。日本政府が神武天皇の国家宗教をやっているのと似ている。ただし、日本では国民みんなに神武天皇の国家宗教は人気がない。神武天皇の宗教は日本人にとって異文化であるヨーロッパ人の思想の紹介でもなく、日本人の思想でもなく、国民みんなにとってはなんの教えにもならないくだらないつまらない作り話だから国民みんなにまったく人気がないのである。神武天皇の国家宗教は、実話であるはずの物語の中におとぎ話の浦島太郎が出てきたり、兄宇迦斯[えうかし]が自分が作った罠[わな]に自分が引っかかって死んだり、日本人にとって面白いパターンをいくつか入れて作られているだけである。一方、キリスト教はヨーロッパ人にとって異文化であるアジア人の思想とヨーロッパ人の思想を混ぜて出来ているから、ヨーロッパ人に人気がある。昔のヨーロッパでは政府がキリスト教を利用して国民を虐めて国を平和にしていた。
インド人にヒンズー教が人気があるのは、ヒンズー教がインド人の思想だからである。ヒンズー教がインド人の心をよく表しているからである。
しかし、今ではインドでも国の文明が高くなって国民みんなが利口になって頭がよくなって法律を知って法律を守って国を平和にするようになって、国民みんなが政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくてもよくなっている。今のインドでは科学が進んで娯楽が増えて国民みんなの気分が落ち込まなくなって、政府が国民みんなを虐めて国を平和にできなくなっている。そのため、今のインドでも国民みんなが政府が要らなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
インド人は早く政府を倒して、ヒンズー教だけ信じてヒンズー教をやって自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。
身分制とは政治団体が国を平和にするために国民を虐めることである。そういう意味では今の日本にも身分制がある。今の日本では政府が民主主義の芝居で隠しながら国民を虐めて国を平和にしているから、今の日本には潜在的な身分制がある。日本でもインドでも実際にやっていることは同じである。日本はインドを笑えない。早く日本でも国民みんなが法律を守って政府を倒して、政府が国民を虐めないようにして、日本を身分制のない国にしないといけない。
インド人は知覚が発達しているが、五感が弱く、心が善くない。インド人は五感が弱いために、物の喜びがない。インド人には考える喜びしかない。インド人は物は貧しいが知識が豊かで心が幸福である。インド人はこれまでずっと知覚で考えることによって自分の心を満足してきた。しかし、それでは限界がある。人間は頭の中で何を感じていようが、実際には現実の中にいる。人間にとっては現実における幸福が真[しん]の幸福である。人間には欠点がある。人間は自分の欠点までも肯定してはいけない。そのため、今のインドでは近代の日本と同じようにみんなが自分が科学が苦手なことを克服するために、知覚で現実について考えて科学や産業を得意にして国を発展させている。反対に、今の日本ではみんなが日本文化をやりすぎてマンガやゲームをやりすぎて現実を見失ってみんなが科学や産業が苦手になって国が衰退している。日本ではみんなは眼先の喜びや空想の喜びに耽[ふけ]っていないで、まじめに現実について考えて科学や産業が得意になって国を発展させねばならない。人間にとって真の喜びは現実にある。現実の喜びが真の喜びである。だから、みんなに“現実の喜び”を満足させる仕事をやってみんなを幸福にすればいいのである。日本ではみんながマンガやゲームの仕事をするのをやめて、みんなが現実の喜びを満足させる仕事をやってみんなを真に幸福にすればいいのである。人間にとっての真の幸福は現実にある。しかし、日本人はインド人と中国人の合いの子なので、知覚と心が発達しているが、五感が弱い。日本人は空想が好きで現実が嫌いである。日本人は日本人のままでは幸福にはなれない。日本人は日本人を超えることによって真に幸福になれる。サイヤ人が自分を超えることによってスーパーサイヤ人になれるのと同じことである。日本人は空想に目を向けず現実に目を向けるようにして現実について考えて現実がよく見えるようにならねばならない。
(h28.1.2追記:インドのヒンズー教には輪廻転生[りんねてんせい]という考えがある。輪廻転生では地球上のすべての生物の数がつねに一定であるはずである。しかし、今では46億年前の大昔の地球には生物がいなかったとされている。だから、輪廻転生はまちがっている。輪廻転生とは人間と動物やその他の生物がみんな平等だということである。インドでは人間と動物が平等なのに、どうして人間と人間が平等ではないのか!?輪廻転生も身分制もおかしな考えである。おかしな考えは捨ててやめるべきである。)
[22423] 戦後の国民は政府を潰[つぶ]しにかかっている。 h28.1.1
政府は民主主義の芝居をやっている“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
政府が民主主義の芝居をやっているのは、ヨーロッパ政府を真似[まね]て国民の眼先を不愉快[ふゆかい]にしないためである。
国民の多くは『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを知っている。国民の多くは『国民と政府が平等であり、国民が政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である』ことを知っている。
そのため、戦後になって国の文明が高くなって国民が利口になって法律を知って法律を守って国を平和にするようになると、国民の多くが政府が要らないと考えて、政府に税金を払うのをやめた。
そのため、政府は医者を利用して医療保険費を国民から取るようになった。そうすることで、政府は国民から税金がもらえなくなったのを補おうとした。
しかし、最近はますます多くの国民が税金や医療保険費を払わなくなった。国民は自分が病気になって医者に診てもらったときに現金で医者にお金を払うようになった。
そのため、政府は商人を利用して消費税を国民から取るようになった。そうすることで、政府は国民から税金や医療保険費がもらえなくなったのを補おうとした。
今の国民は店で高い物や余計な物を買わないようにしてなるべく消費税を払わないようにしている。
そのため、今の政府は消費税をさらに値上げしようとしている。
国民は怒って店で店員に断って消費税を払わないつもりである。
国民はみんなに『政府に税金や医療保険費や消費税を払わなくてもいい』ことを教えて、国民みんなで政府にお金をやらないようにして早く政府を倒さねばならない。
今の政府は国民にとってなんの役にも立たない。政府自身にとっても面白くないだろう。政府はいいかげんで自分が生き残るのをあきらめて潔[いさぎよ]く滅ばねばならない。
[22424] 今では国中から“虐[いじ]め役”がいなくなっている。 h28.1.1
昔は国の文明が遅れていて国民が馬鹿だったので国民が言葉がわからず心でわかるだけだったので、集団を平和にするためには集団に“虐め役”がいてみんなを虐めてみんなの気持ちを落ち込ませてみんなをおとなしくさせるしかなかった。
政府は国を平和にするために国民みんなを虐めて国民みんなを怖がらせて国民みんなをおとなしくさせていた。
社長は会社を平和にするために社員みんなを虐めて社員みんなを怖がらせて社員みんなをおとなしくさせていた。
番長は学校を平和にするために生徒みんなを虐めて生徒みんなを怖がらせて生徒みんなをおとなしくさせていた。
ガキ大将は地区を平和にするために子供みんなを虐めて子供みんなを怖がらせて子供みんなをおとなしくさせていた。
家長[かちょう]は家族を平和にするために家族みんなを虐めて家族みんなを怖がらせて家族みんなをおとなしくさせていた。
(ちょっと前に私は「政府が善い人のふりをして悪いことをしているために、国中で政府を真似[まね]て善いことをしているふりをして悪いことをする者がたくさん現れた」と書いたが、“国民が政府を真似てもいい理由”がない。だから、そういう考えはまちがっている。正しくは、昔の日本ではあらゆる集団を平和にするためにあらゆる集団で“虐め制”をやっていたから、会社や学校や地区などに“虐める者”がいたのである。虐める者がヨーロッパ文化をやって、あるいは政府を真似[まね]て善い人の芝居をやっていただけである。その程度の真似なら、国民が政府を真似てもいいからやってもいい。)
しかし、今では国の文明が進んで国民が利口になったので国民が言葉がわかるようになったので、集団を平和にするためにみんなが自分で決まりを知って決まりを守るようにしている。
国民みんなは国を平和にするために法律を知って法律を守るようになっている。
社員みんなは会社を平和にするために社則を知って社則を守るようになっている。
生徒みんなは学校を平和にするために校則を知って校則を守るようになっている。
子供みんなは地区を平和にするために地区則[ちくそく]を知って地区則を守るようになっている。
家族みんなは家庭を平和にするために家則[かそく]を知って家則を守るようになっている。
今では国民みんなは政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
今では社員みんなは社長が要らなくなって社長にお金をやらなくなって社長を倒している。
今では生徒みんなは番長が要らなくなって番長がいなくなっている。
今では子供みんなはガキ大将が要らなくなってガキ大将がいなくなっている。
今では家族みんなは家長が要らなくなって家長がいなくなっている。
(こうしてみると、子供のほうが大人よりも虐め制をやめるのが早いことがわかる。本来は子供も大人も同時に虐め制をやめられるはずである。大人が遅れるのは大人には昔の時代の記憶があるからである。大人は昔の記憶の中で生きているから、時代が変わっても昔と同じことをやっているのである。)
今では国の文明が高くなってみんなが利口になって自分で社会の決まりを知って決まりを守って暮らすようになっている。そのために、みんなが“虐め役”が要らなくなっている。みんなで“虐め役”のない社会にしている。
今では進んでいる国では国民みんなで法律を守って政府がいないが、遅れている国では政府がいて国民みんなを虐めている。みんなは進んでいる国を選んで暮らさねばならない。それができない人は自分の国を進んでいる国にしないといけない。
今では進んでいる会社では社員みんなで社則を守って社長がいないが、遅れている会社では社長がいて社員みんなを虐めている。みんなは進んでいる会社を選んで働かねばならない。それができない人は自分の会社を進んでいる会社にしないといけない。
法律(成文法や不文法)は大昔からあるのではない。実際にみんなが法律を守るようになったのは戦後からである。今からたったの約60〜50年前である。それ以前はみんなは“虐め役”に虐められて気分を落ち込まされておとなしくしていた。国の文明が遅れていると国民みんなは頭を使わず心で物を見る。国の文明が進むと国民みんなは頭を使って頭で物を見るようになる。国を進ませるのは国民みんなである。国民みんなで法律を守って“虐め役”をなくさねばならない。
文明の利器というものは自然の法則を守って人間の心を満足して人間が幸福に暮らせるように作られている。昔の国民は文明の利器がなかったから、自分の心のままに好き放題に生きていた。だから、集団を平和にするためには“虐め役”がいてみんなを虐めてみんなを怖がらせておとなしくさせねばならなかった。今の国民は文明の利器に囲まれて暮らしている。だから、今の国民は文明の利器の影響を受けて、自分で社会の決まりを守って自分の心を満足して平和に幸福に暮らしているのである。
昔の社会ではあらゆる集団に“虐め役”がいてみんなを虐めて集団を平和にしていた。虐め役はみんなのために集団を平和にするためにみんなを虐めていたのである。虐め役は自分が遊びたいのを我慢[がまん]してみんなのためにみんなを虐めていたのである。虐め役は顔で笑って心で泣きながらみんなのためにみんなを虐めていたのである。だから、虐め役とみんなは平等である。虐め役はみんなよりも上の者とされていたが、本当はみんなと平等なのである。ヨーロッパ人は見かけに敏感なのでみんなを虐めていると上の者だと思うが、アジア人は見かけに鈍感なのでみんなを虐めていても上の者だと思わないのである。インドではヨーロッパ人系のアーリア人が攻めて来る以前の大昔にはたとえみんなが“虐め役”(政府のこと)に虐められていてもみんなが平等だったが、アーリア人が攻めて来てからは眼先に敏感なのがうつって虐め役を上の者だと思うようになって身分制が出来たのである。インドではヨーロッパ文化とアジア文化が混じったから余計な制度が出来たのである。眼先に敏感な文化と眼先に鈍感な文化が混じったために身分制が出来たのである。(インドにヨーロッパ人が攻めて来ると悪いことが起こるが、ヨーロッパにインド人が攻めて来ると善いことが起こる。ヨーロッパでは大昔にインド人が攻めて来てから文明が高くなって国が発展した。利口が馬鹿を支配すると利口が馬鹿に正しいことをやらせて文明が上がって国が発展する。逆に、インドにヨーロッパ人が攻めて来ると文明が低くなって国が衰退した。馬鹿が利口を支配すると馬鹿が利口にまちがったこと(つまり身分制)をやらせて文明が下がって国が発展しなくなる。一方、日本には身分制がない。中世の日本に、日本がアジア文化をやっている時代にヨーロッパ人が日本に攻めて来なかったから日本に身分制が出来なかったのだ。ヨーロッパでもギリシアで政治団体が民主主義の芝居をやり始める前は、ヨーロッパ中に身分制があって政治団体が身分が上の者で国民が身分が下の者で、政治団体が国民から稼[かせ]ぎを奪って遊びまわって国が貧乏になって国が発展しなくなっていた。ギリシアで政治団体が民主主義の芝居をやりだしてから、ヨーロッパ中に政治団体の民主主義の芝居が広まって身分制が弱まってみんなが働くようになって国が豊かになってヨーロッパが発展するようになった。)日本人は眼先に敏感ではないから、日本では虐め役とみんなは平等である。(日本でも眼先に敏感な理系の人はみんなを虐める者を上の者だと思うが、一般的には日本人は眼先に鈍感だからみんなを虐める者を上の者と思わない。)虐め役とみんなは平等だから、みんなが虐め役に虐めて平和にしてもらうかどうかは個人の自由である。今ではみんなが社会の決まりを守って集団を平和にしているから、みんなにとって虐め役は要らない。だから、今では虐め役が自分で消え失せたり、みんなが虐め役を倒したりして、虐め役がいなくなっている。
日本には身分制はないが、“虐め制”がある。今でもいくつかの虐め役が残ってみんなを虐めている。政府が国民みんなを虐めたり、社長が社員みんなを虐めたりしている。しかし、今では国民みんなが自分で決まりを守って平和に暮らすようになって、虐める者が要らなくなっている。国民みんなは早く古臭い制度をやるのをやめて、新しい制度に移行しないといけない。国民みんなで政府に虐められるのをやめて、政府に税金を取られるのをやめて政府を倒して、自分で法律を守って平和に幸福に暮らさねばならない。
昔は国を平和にするためには政府が国民を虐めなければならなかったから、虐め制が必要悪だったから、政府が国民を虐めても政府は無罪ですんだ。しかし、今は国を平和にするためには政府が国民を虐めなくてもいいから、虐め制が必要悪ではないから、政府が国民を虐めると政府は有罪になって罰せられる。政府が国民に命令して国民から税金を取ったり国民を嫌がらせたり国民を事件や事故で殺したり痛めつけたりすると政府は有罪になって罰せられる。今の国民は政府が悪いことをすると『人間がみな平等である』ために国民と政府を平等にするために政府を罰することができる。政府の法律会社は半官半民だから、政府の法律会社は本来は国民のものだから、国民が政府の法律会社に政府を訴えれば罰してもらえる。それでも罰してくれなければ、国民が自分の手で政府を罰すればいい。政府は自分が国民に罰せられないために国民を虐めるのをやめたほうがいい。政府は国民に罰せられる前にさっさと自分で滅んだほうがいい。
[22425] 日本人は知覚から現実に入らねばならない。☆ h28.1.1
近代の日本では国民みんなが先進国のヨーロッパに従うために一生懸命に科学や産業をやって科学や産業が得意だったので日本が儲[もう]かっていた。日本が豊かだった。日本が金持ちだった。
ところが、現代の日本では国民みんなが自分が幸福になるために自分の日本文化をやるようになって、日本文化は現実が嫌いで空想が好きなので、国民みんなが科学や産業をやめてマンガやゲームに耽[ふけ]って科学や産業が苦手になって日本が儲からなくなっている。日本が貧しくなっている。日本が乞食[こじき]になっている。(今の多くの国民は自分がマンガを読んだりゲームをしたりして遊ぶためのお金を稼[かせ]ぐために現実で仕事をしている。私も働いていたときにはまさにそうしていた。しかし、そういう人は仕事に強くない。頭の中で空想と現実の両方やっている人は相殺[そうさい]されて両方とも楽しくない。両方とも大[たい]してやれない。どちらか一方だけにすべきである。人間は空想だけでは生きていけない。だから、人間は現実だけやればいいのである。現実の中で楽しいことを見つけて喜べばいいのである。そのほうが仕事と遊びが同じ世界で統一されていて人生が楽しい。)
人間は現実の中にいる。人間はいくら頭の中で眼先の世界や空想の世界を認識していても、実際には現実の中にいる。人間にとっては現実における幸福が真[しん]の幸福である。人間の生まれつきの感覚には偏[かたよ]りがあるから、人間の生まれつきの感覚では現実が認識できないから、人間が生まれつきの感覚をそのまま用いるだけでは幸福になれない。人間には欠点がある。人間は自分の欠点を改めなければ幸福になれない。人間は自分の欠点を改めなければ不幸になる。日本人は中国人とインド人の合いの子だから、知覚と心は発達しているが、五感が弱い([22371]の図を参照)。日本人は現実を認識すれば幸福になれるが、日本人はヨーロッパ人のように五感から現実の世界に入れない。そこが日本人の難しいところである。日本人は知覚から現実に入るしかない。日本人は自分の知覚で“自分の五感から得られた自分の知覚に持っている概念”を組み合わせて現実と同じことを作って現実を知らねばならない。日本人は現実に対する興味を持って現実について考えて現実を知ることによって、現実に入らなければならない。ヨーロッパ人も現実に入るために自分の五感に基づいて考える努力をしているのだから、日本人も現実に入るために自分の知的好奇心に基づいて考える努力をしないといけない。日本人は知覚から現実に入って、現実の中で自分の喜びを見つけて幸福になればいい。日本人は一生懸命に自分で考えたり他人から学んだりして現実を知って、自分の頭の中にある現実の中で楽しいことを発見して幸福にならねばならない。
今の日本人はマンガやゲームなどの空想の娯楽に耽るのをやめて、自分で意識して空想に目を向けず現実に目を向けるようにして、知覚で現実について考えて科学や産業が得意になって日本を再び儲かるようにしないといけない。
h28.1.3追記:政府は民主主義の芝居をする“国民を虐めて国を平和にする団体”だから、政府は民主主義の芝居をやるだけで、国民を儲からせてくれない。むしろ、政府は国を平和にするために国民を虐めるために国民を貧乏にするだけである。政府はもともと国民を儲からせてくれる団体ではないから、国民がいくら政府に頼っても政府は国民を儲からせてはくれない。政府は国を平和にするために役に立つだけで国を儲からせるためにはなんの役にも立たない。昔から国民は自分で自分を儲からせてきた。政府は国民が働いているのを見ているだけだった。政府は芝居の上で国民の役に立つことをしているだけで、現実の上では国民の役に立つことをやっていない。政府は芝居の上で国民を儲からせているだけで、現実の上では国民を儲からせていない。国民は政府に頼ってはいけない。国民は自分で自分を儲からせるしかない。国民は自分で空想に目を向けないようにして現実に目を向けて現実について考えて自分が科学や産業が強くなって国を儲からせねばならない。
[22426] どうして政府のことを知っている人は他人にしゃべらないのか?☆ h28.1.2
今では多くの国民が政府を倒している。多くの国民が『政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体だが、今の国民は自分で法律を守っているので、政府が要らなくなっている』と考えて、政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
それなのに、誰もみんなに『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを教えない。
それはマンガやテレビ番組でしょちゅう伏せたり喩[たと]えたりしてそんなことを言っているからである。
マンガやテレビ番組でしょっちゅうそれっぽいことを言っているのは、マンガやテレビ番組を見ている者に「みんながすでに『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを知っている」と思わせて他人に言う気力をなくさせるためである。
そのために、今でも『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを知っている人が他人にそのことをしゃべらないので、そのことを知らない人はまったく知らないのである。
この世では他人に正しいことを言ってはいけない決まりはない。自分が正しいことを知っていたらどんどん他人にしゃべって他人に正しいことを教えればいい。そうやってみんなが正しいことを知っているようにすればいい。みんなが正しいことを知って正しいことをやるようにすればいい。人間は正しいことをやると幸福になり、まちがったことをやると不幸になる。だから、みんなを幸福にするためにみんなに正しいことを教えてやればいいのである。
そもそも政府が民主主義の芝居をやっているのは身分制が出来ないようにするためである。眼先に敏感な人が政府が国民を虐めているのを直視したら「人間には身分があって、政府が上の者で国民が下の者だ。一般に、人間にはみなそれぞれの身分があって、身分が下の者は身分が上の者に従わねばならない」と思ってしまうので、政府は身分制が出来ないようにするために民主主義の芝居で自分が国民を虐めているのを隠しているのである。(ヨーロッパ人は眼先に敏感だから、政府が国民を虐めているのを見るとすぐに「政府が上の者で、国民が下の者だ。国民にはそれぞれ身分があって、身分が下の者が身分が上の者に従わねばならない」と思って身分制が出来る。国に身分制が出来ると、身分が上の者が仕事をせずに身分が下の者の稼[かせ]ぎを奪って遊びまわってみんなが貧乏になって国が発展しなくなる。ヨーロッパ人は眼先に敏感なことが弱点だから(長所でもあり弱点でもあるから)、ヨーロッパの政府はヨーロッパ人の弱点を補うために民主主義の芝居をやっているのである。近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやって眼先に敏感だったから、政府は日本に身分制が出来ないようにするために民主主義の芝居をやっていたのである。近代の日本でも貴族や華族は身分が高かったが、それはヨーロッパ文化を真似ていたからで、ヨーロッパ文化ではみんなが眼先に敏感だからたとえ政府が民主主義の芝居をやっていても政府ゆかりの者は身分が高いのである。政府が民主主義の芝居をやっただけではヨーロッパ人が眼先に敏感なことを誤魔化[ごまか]しきれなかったのである。現代の日本ではみんなが日本文化をやっていて眼先に鈍感だから、政府がいくら国民を虐めていても身分があると思わないから政府は民主主義の芝居をやらなくていいはずだが、今の政府は国民を虐めて国を平和にする仕事がなくなっているから民主主義の芝居で食っているようなものだから民主主義の芝居をやめずに続けているのである。)国に身分制が出来ると身分の上の者が働かなくなって国が貧乏になって国が発展しなくなる。だから、『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを知っている国民は、国に身分制が出来ないようにするためにみんなにそのことを教えないのである。テレビや新聞で『政府が国民みんなを虐めて国を平和にする団体である』ことを言わず、学校の社会科の教科書に『政府が国民みんなを虐めて国を平和にする団体である』ことを書いていないのもそのためである。大人が子供に『テレパシーが実在する』ことを教えたら、子供が自分が思っていることを他人に訴えるために必死でテレパシーを使おうとして精神分裂病に罹[かか]りやすくなるので、大人が子供に『テレパシーが実在する』ことを教えないのと同じである。しかし、今では国民みんなが法律を守って国が平和になっている。だから、政府が国を平和にするために国民を虐める意義がない。政府は国民を虐める必要がない。国民は政府が要らないから政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。そんなときには、むしろ国民みんなに『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを教えたほうがいい。だから、そのことを知っている人はみんなにそのことを教えてみんなで政府を倒せばいいのである。(国に身分制が出来ると貧乏になるが、国に共産制が出来るとこれまた国が貧乏になる。共産制では、働かない者が働く者の稼[かせ]ぎを奪って遊んで楽に暮らせる。共産制では働かない者が増えるから国が貧乏になる。だから、日本人は共産制が嫌いである。共産制はみんなが働く制度ではなく、働くのが嫌いな者が働くのが好きな者の稼ぎを奪って遊んで暮らす制度である。働く者よりも働かない者のほうが有利になって、みんなが働くのが嫌になる制度である。国が貧乏になる制度である。日本人は物に興味がなく科学が苦手な上に日本には物作りのもとになる資源がないので、日本は貧乏な国である。日本はもともと貧乏な国なので、みんながまじめに一生懸命に働いてもそれでも貧乏な国なので、日本人は国が貧乏になることに敏感なので、身分制や共産制がすごく嫌いなのである。モンゴル軍が日本征服をあきらめたのも、日本が思ったよりも貧乏な国で奪う物がないと思ったからである。江戸時代に身分制が出来なかったのも、日本人が貧乏が嫌いだからである。)
実際には、『テレパシーが実在する』ことを知らない者が、「テレパシーが実在しない」と思っている者が、冗談で自分が思っていることを他人に訴えるためにテレパシーを使おうとして本当にテレパシーが聞こえるようになってテレパシーで悪口が聞こえるようになって支配欲が不満になって不愉快[ふゆかい]になって暴れるようになって精神分裂病に罹るのである。だから、精神分裂病に罹らないためにはむしろ子供に『テレパシーが実在する』ことを教えたほうがいい。そのために、『ドラゴンボールZ』でも悟空がみんなにテレパシーを使って指示を出していたのである(きれいごとである)。子供は『テレパシーが実在するから、他人にテレパシーを使って訴えるとテレパシーが聞こえるようになってテレパシーで悪口が聞こえて不愉快になって暴れるようになって精神分裂病に罹るから、テレパシーを使ってはいけない』と考えて、テレパシーを使わないようにして精神分裂病に罹らなくなるのである。だから、大人は子供に『テレパシーが実在するから、テレパシーを使おうとするとテレパシーが聞こえるようになってテレパシーで悪口が聞こえるようになって不愉快になって暴れるようになって精神分裂病に罹るからテレパシーを使ってはいけない』ことを教えてやればいいのである。(大人は子供に『テレパシーが実在する』ことだけを教えてはいけない。『テレパシーが実在するから、…テレパシーを使ってはいけない』の全部を教えないといけない。)そうすれば、子供は死ぬまでずっと精神分裂病に罹らずにすんで幸せに暮らすことができる。
[22427] お酒を飲むとはどういうことか?☆ h28.1.2
お酒を飲むと知覚や五感の活動が低下して心の活動が上昇する。お酒を飲むと心の活動が高まって楽しくなったり悲しくなったりする。
だから、お酒を飲むことは空想することと同じである。日本人がお酒を好きなのはそのためである。日本人は空想が好きだからお酒が好きなのである。反対に、ヨーロッパ人は現象(眼先のこと)が好きだから、お酒を飲むと五感の活動が低下して眼先の喜びが減るから、ヨーロッパ人はお酒が嫌いなのである。
人間は実在の中にいると幸福になる。人間は眼先や心にとらわれると不幸になる。人間がお酒を飲むと心の活動が高まって知覚の活動が低下して、実在の外に出るから不幸になる。人間はお酒を飲むと不幸になる。だから、人間にとってはお酒を飲んではいけないのである。
同様に、人間が麻薬をやると心の活動が上昇する。麻薬は空想と同じである。人間は実在の外に出ると不幸になる。人間は麻薬をやると不幸になる。だから、人間は麻薬をやってはいけないのである。
人間にとっては性欲やお酒や麻薬は不幸の原因である。人間はまじめに実在を知って実在の中で暮らすべきである。人間は実在の中にあることで喜べばいいのである。
現実は考えないと見えてこない。だから、考えて行かねばならない。人間は現実に目を向けて現実について考えて現実を知って現実で行動して現実で幸福にならねばならない。そうすれば、真[しん]に幸福になれる。
[22428] 昔は国民みんなが自分の心のままに好き放題に生きていた。 h28.1.2
政府は国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にする団体である。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だったので自分の心のままに好き放題にやっていた。国を平和にするためには政府が国民みんなを虐めて国民みんなに政府を怖がらせて国民みんなをおとなしくさせるしかなかった。国民みんなは平和に暮らすために政府に税金を払って虐めてもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民みんなが利口になって自分で決まりを守って平和に暮らして自分の心を満足している。国民みんなにとって政府が要らなくなっている。国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
国の文明が進むと国民みんなが決まりを守って暮らすようになる。昭和40年頃に(1965年頃に)国の文明が急激に進歩して、国民みんなが突然決まりを守って暮らすようになった。国民みんなにとって政府が突然要らなくなって政府が倒れている。
国民みんなにとって政府のことなんか大[たい]した問題じゃない。日本を儲[もう]からせるほうが問題だ。日本人は生まれつき空想が好きで現実が嫌いである。これでは日本が儲からない。国民みんなは一生懸命に空想に目を向けず現実に目を向けて現実について考えて科学や産業が得意になって国を儲からせねばならない。
[22429] 国の文明が進むと“虐[いじ]め制”がなくなる。☆ h28.1.2
昭和40年(1965年)ごろまでは国民みんなが原始時代と同じ暮らしをしていたが、昭和40年以降になると国民みんなが文明的な暮らしをするようになった。昭和40年ごろに国民みんなの暮らし方がドッと変わった。
昔(昭和40年以前=1965年以前)の日本は文明が遅れていて国民みんなが馬鹿で頭で考えずに自分の心のままに好き放題に生きていた。そのため、あらゆる集団に“虐め制”があった。あらゆる集団に集団を平和にするために“虐[いじ]め役”がいてみんなを虐めてみんなを嫌がらせてみんなを怖がらせてみんなをおとなしくさせていた。みんなは虐め役にお金を取られて虐められておとなしくしていた。例えば、国には政府がいて国民みんなを虐めておとなしくさせていた。会社には社長や幹部や上役[うわやく]がいて社員みんなを虐めておとなしくさせていた。
しかし、今の日本は文明が進んで国民みんなが利口で頭で考えながら自分の心を満足させて生きている。みんなが集団の決まりを守って集団を平和にして暮らしている。みんなが“虐め制”をやらなくなって“虐め役”が要らなくなって虐め役をなくしている。みんなが虐め役にお金を取らさなくなって虐め役を倒している。国では国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府がいなくなっている。会社では社員みんなが社長や幹部や上役にお金をやらなくなって社長や幹部や上役がいなくなっている。(h28.1.3追記:社長が人前で威張[いば]るのは、本来は社員を怖がらせて会社を平和にするためである。社長が社員みんなに自分を偉いと思わせるためではない。社長がみんなの前で善い人のふりをするのは、会社の中に身分制が出来ないようにするためである。会社の中に身分制が出来ると、上の者が働かなくなって下の者の稼[かせ]ぎを奪って遊びまわって会社が儲からなくなるから、社長は会社が儲かるようにするために、みんなの前で善い人のふりをして自分が社員みんなを虐めているのを隠しているのである。しかし、今は国の文明が高くなって国民みんなが利口になって国民みんなが自分で決まりを守っておとなしくするようになっているから、社長は社員を虐めなくていい。会社にとって社長は要らない。社長が社員を虐める暇があったら、社長が自分で働けばいい。働かない社長はクビだ。)
国の文明が進むと国民みんなが利口になって国民みんなが自分の頭を使って考えることができるようになって、国民みんなが実在の決まりを知って実在の決まりを守って暮らすようになる。今では国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守って『国民性』を知って法律(法律=平等性×国民性)を守って自分の心を自分で抑えながらおとなしくして生きている。今では国民みんなが自分で自分をおとなしくさせることができるから、みんなを虐めておとなしくさせる虐め役が要らなくなって虐め役がなくなっているのである。
[22430] 法律会社は半官半民から民間会社になっている。 h28.1.2
今の法律会社は半官半民である。法律会社は政府の命令で国民みんなを虐める法律や政策や命令を出している。その一方で、法律会社は国民みんなに正しい法律を守らせて国を平和にしている。
法律会社が政府の命令を聞くのは政府からお金をもらっているからではない。昔は国を平和にするために“虐め制”があって、国民みんなが国を平和にするために政府に虐められねばならなかったので、法律会社は国を平和にするために政府の命令で国民みんなを虐めていたのである。政府は国民を虐めるために国民に命令して国民から高い税金を取っていてお金が余っていたので、余ったお金を法律会社などにやって国民みんなに余分に取ったお金を還元していたのである。そのために、法律会社は国民からお金を取らなくても経営できるのである。
しかし、今では国を平和にするために国民みんなが自分で法律を守るようになって“虐め制”がなくなっている。だから、今では法律会社も政府の命令を聞かなくてよくなっている。法律会社は政府の命令を聞くのをやめて国民を虐める法律や政策や命令を出すのをやめて、国民みんなに正しい法律を守らせて国を平和にすればいいのである。
今の国民は“虐め制”をやらなくなって政府に税金を払って政府に虐められないようにしている。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は法律会社にお金をやれなくなっている。だから、法律会社は国民みんなからお金を取って経営すればいい。そうしないと、法律会社は潰れる。たとえ政府の法律会社が潰れても、国民はそれとは別に法律会社を建ててお金をやって法律の仕事をやってもらうだろう。だから、国民は全然困らない。
法律会社と同じように、今の学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社なども、政府の命令で国民みんなを虐めて、一方で国民みんなのために仕事をしている。今の学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などは政府からお金をもらって経営している。しかし、今では国民みんなが“虐め制”をやらなくなって政府に税金を払わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府を倒しているから、学校会社なども政府の国民を虐めるための命令を聞くのをやめて、国民だけからお金をもらって経営するようになっている。
馬鹿な子供にとっては義務教育はためになるが、頭のいい子供にとっては義務教育は足を引っ張る。頭のいい子供は学校に通わず自分ひとりで勉強したほうが才能が伸びる。だから、義務教育制度は廃止しないといけない。国民みんなが自由に自分で勉強して、自分の好きなことだけ勉強して嫌いなことを勉強しなくなって幸せに暮らせる社会にしないといけない。
[22431] どうしてインドでは国民みんながカースト廃止令を守っていないのか?☆ h28.1.2
インドでは政府が憲法でカースト廃止令(つまり身分制廃止令)を定めている。しかし、国民みんなはそれを守らず身分制をやり続けている。
それは、政府の民主主義が芝居にすぎないからである。政府は芝居で民主主義をしているだけなので、政府は芝居の上で法律を定められるだけなので、政府は現実には法律を定めることができないので、国民みんなは政府が定めた法律を無視して守らないのである。国民みんなは正しい法律しか守らないのである。そのために、インドでは国民みんなが政府が定めたカースト廃止令を守らず身分制をやり続けているのである。インド人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子だから、眼先に敏感であり眼先に鈍感だから、身分制が好きなのである。インド人は身分制が好きだから身分制をやっているのである。今から約3500年前にアーリア人がインドに攻めて来たときに、インド人本来の血とアーリア人の血が混じってしまったためにインド人はアジア人とヨーロッパ人の合いの子になってしまったのである。今のインドでは政府が民主主義の芝居をやっている。参考。インドでも政府は民主主義の芝居をやる“国民を虐めて国を平和にする団体”である。(江戸時代のころはまだインドでは政治団体が民主主義の芝居をやっていなかったのだろう。しかし、今ではヨーロッパ文化の影響を受けてインドの政治団体も民主主義の芝居をやっている。そのために、インドでは身分制が弱まっているのかもしれない。そもそもインドの身分制のもとは虐め制にある。身分制は虐め制を眼先だけで見ることによって作り出された制度である。虐め制がなければ身分制も生まれなかったのだ。だから、将来インドの文明が進んで国民みんなが法律を守って平和に暮らすようになって虐め制がなくなれば身分制もなくなるだろう。ヨーロッパ人は眼先だけで物を見て頭で考えて物を見ないから、政府が国民を虐めていると眼で見たことだけで考えて「政府が上の者で国民が下の者である」ように見える。アジア人は頭で考えて物を見るから、政府が国民を虐めていても『政府が国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民を虐めている』と考えて政府と国民が平等に見える。インド人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子だから、ヨーロッパ人の血のために政府が国民を虐めているのを見て政府と国民が不平等だと思ってそれを国民全体に広げて身分制を生み出したが、一方でアジア人の血のために政府が国民を虐めていても政府と国民が平等だと思うので、政府が国民を虐めているのをわざわざ民主主義の芝居で覆[おお]わなかったのである。つまり、インドの身分制とは人間が不平等であり平等であることなのである。ヨーロッパの身分制は人間が不平等だが、インドの身分制は人間が不平等であることと人間が平等であることの両方が混じっているのである。)今では世界中の国で“国民を虐めて国を平和にする団体”が民主主義の芝居をやっている。インドでは身分制があり、インド以外の国では身分制がないにすぎない。
同じように、中国では政府が麻薬禁止令を定めている。政府が麻薬をやった者は死刑にすると言っている。しかし、国民みんなはそれを守らず平気で麻薬をやっている。
今では世界中の国で国民みんなが『政府が民主主義の芝居をやっているにすぎない』『国民は政府が芝居で定めた法律を破っても罰せられない』ことを知っているので、国民みんなは政府の芝居を無視して政府が定めた法律を守らないのである。中国人は心が発達している。中国人は心の喜びが好きである。中国人は空想が好きである。中国人はお酒や麻薬が大好きである。だから、中国ではみんなが麻薬をやっているのである。国民は政府が定めた法律を破っても罰せられないので、国民みんなが好き放題に麻薬をやっているのである。
一方、日本人はインド人と中国人の合いの子で、知覚と心が発達していて、考える喜びが強いので、麻薬は知覚の働きが悪くなって考える喜びが減るので麻薬をやらないのである。酒は麻薬ほどは作用が強くないので、酒を飲んだぐらいでは考える喜びがあまり減らないので、日本人は酒は飲むのである。(そもそも法律は、人間の平等性(つまり人間がみな平等であること)と国民性(つまりどこまで人権を認めるか、国によって人権が違う)から決まることである。国民が麻薬をやることは人間の平等性に反しない。だから、「国民が麻薬をやってはいけない」という法律はない。政府が芝居の上で架空の法律を定めているだけである。暴力団が麻薬を売っているのも、そもそも「国民が麻薬をやってはいけない」という法律がないからである。国民が麻薬をやっても罰せられないし、国民が暴力団から麻薬を買っても罰せられない。ただし、国民が麻薬をやって他人に危害を与えると犯罪になるから、国民は注意しないといけない。)
ヨーロッパ人は五感が発達していて五感の喜びが強くて、麻薬をやると五感が鈍[にぶ]って五感の喜びが減るので麻薬をやらない。弱い酒を飲むだけである。一方、アメリカ人は世界中の人種の血が混じっていて中国文化をやっているので酒や麻薬をやる。
政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府の定めた法律は国民みんなを虐めて不幸にするためにある。だから、国民みんなは政府が定めた法律を守らないようにして幸福に暮らさねばならない。政府の法律会社は政府が定めた法律と正しい法律の両方を定めているから、国民は政府が定めた法律と正しい法律を区別して政府が定めた法律を守らず正しい法律だけ守らねばならない。
[22432] 今の日本人は自分の目で物を見ないといけない。 h28.1.3
ヨーロッパ人は眼先だけで物を見て頭で考えて物を見ないから、政府が民主主義の芝居をやっているのを見て、そのまま「政府が民主主義の団体だ」と思う。ヨーロッパ人はただ物を眼で見てきれいとか汚いとか思うだけだから、政府が民主主義の芝居をやっているのを見てそれをそのまま鵜呑[うの]みにして「政府は民主主義の善い団体だ」と思うのである。
一方、アジア人は頭で考えて物を見るから、政府が民主主義の芝居をやっているのを見て、『政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体だが、眼先のことしかわからない者が誤解して身分制が出来ないようにするために民主主義の芝居をやっている』と思う。
だから、今の日本で多くの国民が政府の民主主義の芝居を見て「政府が民主主義の団体だ」と思っているのは、ヨーロッパ人の見方である。馬鹿の物の見方である。日本人ならそんな見方をしてはいけない。日本人はそんな下品な野蛮な見方をしてはいけない。
今の日本人は政府の民主主義の芝居を見て『政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体だが、今では国の文明が高くなって国民が自分で法律を守って平和に暮らしているから、国民にとって政府は要らない』と考えて、政府に税金を払わないようにして政府に虐められないようにして政府を倒さねばならない。
今の日本人の多くは日本人にふさわしい物の見方を忘れている。今の日本人はもっと頭を使って物を見ないといけない。ヨーロッパ人みたいに眼先で物を見てはいけない。
[22433] インド人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子である。 h28.1.3
ヨーロッパではみんなが眼だけで物を見るので、政府が民主主義の芝居をしながら国民を虐めている。国民みんなは政府の民主主義の芝居を見て「政府と国民は平等だ」と思っているので、身分制がない。政府が身分が高いだけで、ほかのみんなは平等である。
アジアではみんなが頭で考えて物を見るので、政府が国民の眼の前で堂々と国民を虐めている。国民みんなは『政府が国を平和にするために国民みんなを虐めている』と考えているので、政府と国民は平等である。身分制がない。
インドではみんなが眼で物を見ることと頭で物を見ることが混ざっているので、政府が開けっぴろげに国民を虐めている。国民みんなは政府が国民を虐めているのを見て「政府が国民よりも身分が高い」と思って、それを国民みんなに広げて身分制がある。国民みんなにそれぞれの身分があって、身分が下の者は上の者に従わねばならない。ただし、身分が下の者にいくつかの特典を認めて上の者よりも有利に暮らせるようにしている。インド人はアジア人とヨーロッパ人の合いの子だから、アジア文化で政府が民主主義の芝居をしないし、たとえヨーロッパ文化で身分制が出来てもアジア文化で身分制を修正して若干[じゃっかん]平等制にしているのである。不平等と平等の中間ぐらいにしているのである。インド人は物が嫌いで貧乏が好きだから、わざとに身分制をやって国を貧乏にしているのである。とにかく、文化が混ざると面倒くさいことになる。インドはアジア文化とヨーロッパ文化が入り混じった混沌[こんとん]とした国なのである。インドはアジアとヨーロッパの中間の国ではなく、アジアの部分とヨーロッパの部分が混在した国なのである。
今の日本では政府が近代の日本がヨーロッパ文化をやっていた名残[なご]りで民主主義の芝居をやっている。ヨーロッパ人にとっては民主主義の芝居は身分制が出来るのを防ぐためにある。日本人にとっては民主主義の芝居は無用である。日本人はみんなに『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを教えたほうがいい。政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体である。昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だったので自分の心のままに好き放題にやっていたので、政府に虐めてもらっておとなしくしてもらって平和に暮らしていた。今は国の文明が進んで国民みんなが利口になったので自分で法律を守っておとなしくしながら平和に暮らしているので、政府に虐めておとなしくしなくてもよくなっているので、政府に税金を払わなくなって政府に虐めてもらわないようにして政府を倒している。
今では世界中で文明が高くなって国民みんなが文明的になって法律を守りながらおとなしく暮らすようになって国民みんなにとって政府が要らなくなって政府がなくなっている。国民みんなはようやく政府から抜け出して自由に幸福に暮らすことができるのだ。
[22434] 今の国民にとっては政府の民主主義の芝居は要らない。 h28.1.3
政府は民主主義の芝居をやる“国民を虐めて国を平和にする団体”である。
政府が民主主義の芝居をするのは、眼先のことしかわからない国民が“政府が国を平和にするために国民を虐めている”のを見て「人間に身分がある」と思って身分制が出来ないようにするためである。政府の民主主義の芝居をする団体は、国民に「政府と国民が平等だ」と思わせて身分制が出来ないようにするためにあるだけである。
しかし、今では国の文明が進んで国民が利口になって国民が自分で法律を守っておとなしく暮らしているから、政府が国民を虐めて国を平和にしなくてもよくなっているから、国民は政府に税金を払わず政府に虐められないようにして政府を倒している。今では国民が政府に虐められなくなっているから、たとえ眼先のことしかわからない国民いても「人間に身分がある」と思わず身分制が出来ないから、政府が民主主義の芝居をしなくてもいい。
今の国民は政府に国を平和にするために虐めてもらわなくていいし、政府に身分制が出来るのを防ぐために民主主義の芝居をしてもらわなくてもいい。今の国民にとっては政府にしてもらわなければならないことは何もない。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金を払わず政府を倒せばいいのである。
政府が潰[つぶ]れるときには、政府の中身のほうが外側よりも先に潰れる。つまり、政府の国民を虐めて国を平和にする団体のほうが政府の民主主義の芝居をする団体よりも先に潰れる。今では国民みんなが自分で法律を守っておとなしくして政府に虐められるのをやめて政府の国民を虐めて国を平和にする団体がかなり潰れている。今はまだ政府の民主主義の芝居をする団体が残っているからテレビや新聞では政府は昔と同じである。政府の中身がもっと潰れれば、そのうち政府の民主主義の芝居をする団体も今のままではいられなくなる。いずれは政府は消えてなくなるだろう。
[22435] 今の政府は国民みんなを怖がらせておとなしくさせて国を平和にしていない。
h28.1.3
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
政府は国を平和にするために国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくする。だから、政府は国民を怖がらせることをしないといけない。政府は国民から税金を脅[おど]し取ったり国民に嫌がらせをしたり国民に暴力をふって殺したり痛めつけたりして国民を怖がらせて国民をおとなしくしないといけない。人間には怖気[おじけ]づかせるとおとなしくなる性質があるから、政府は国民を怖がらせて国を平和にしているのである。
しかし、今の政府はそうしていない。今の政府は国民に眼先の喜びを満足させたり国民に空想の喜びを満足させたりして国民の現実の喜びを満足させないようにして、国民を幸福にしているふりをしてじつは不幸にしている。
今の政府は国民を不幸にしているだけで、国民を怖がらせていない。これでは国民はおとなしくならない。今の政府は国民をからかって不幸にして遊んでいるだけである。政府は国民に政府を怖いと思わせて国民をおとなしくさせて国を平和にしないといけない。政府は国民をただ不幸にするだけではいけない。今の政府の国民の虐め方は不適当である。
今では国の文明が高くなって国民が利口になって自分で法律を守っておとなしくして国を平和にしている。今の政府は自分が仕事をしなくてもいいと思って、いいかげんなことをやって国民を不幸にして遊んでいる。
今の政府はまじめに自分の仕事をせずに遊んでいる。今の国民にとって政府は要らない。国民みんなは早く政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今では国の文明が進んで世の中が明るくなりすぎたので、政府が国民を怖がらせても国民が政府を怖がらないので無駄[むだ]である。政府が国民を怖がらせても国民が政府を怖がらずおとなしくしないので政府は国を平和にできない。今ではオバケ屋敷をやっても国民みんなが怖がらないので、オバケ屋敷が流行[はや]らないのと同じである。今の世の中では政府は仕事がやれない。国民にとって政府は要らない。だから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。
[22436] 昔は世界中で政府が国を平和にするために国民みんなを虐[いじ]めていた。
h28.1.3
昔は世界中で文明が低くて国民みんなが馬鹿だったので国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、政府が国民みんなを虐めて国民みんなに政府を怖がらせて国民みんなをおとなしくして国を平和にしていた。
ヨーロッパ人は頭が悪くて考えながら物が見れないので、政府が国を平和にするために国民を虐めているのを見て「人間には身分がある。政府は国民よりも身分が上だ」と思って、それを国民みんなに広げて国民みんなにそれぞれ身分があると思って身分制が出来た。そのために、身分が上の者が働かなくなって身分の下の者から稼[かせ]ぎを奪って遊びまわるようになって、国中のみんなが貧乏になって国が衰退した。そのため、政府は民主主義の芝居をやって国民に自分が国民みんなを虐めているところが見えないようにした。すると、国民みんなは「政府と国民は平等だ」と思って、それを国民みんなに広げて「国民はみんな平等だ」と思って身分制がなくなった。ただし、それでも政府の要人だけは身分が高い者として残った。
アジア人は頭がよくて考えながら物が見れるので、政府が国を平和にするために国民を虐めているのを見て『政府は国民みんなのためによく働いてくれる。人間はみな平等だ』と思って、政府も国民もみんなでいっしょに仲良くやっていた。みんながよく働いてよく儲[もう]かってみんなが豊かになって国が発展した。国民が政府が国民みんなを虐めているのを見ても身分制が出来なかったので、政府はわざわざ民主主義の芝居なんかやらなかった。
インド人はヨーロッパ人とアジア人の合いの子なので、頭で考えながら見るところと見ないところが混じっているので、インド人は頭で考えずに政府が国を平和にするために国民を虐めているのを見て「人間には身分がある」と思って、それを国民みんなに広げて国民みんなにそれぞれ身分があると思って身分制が出来た。身分が上の者が下の者の稼ぎを奪って働かなくなって国が貧乏になった。しかし、インド人は貧乏が好きなので、むしろ身分制を歓迎した。インド人は頭で考えながら見れるので、政府が国を平和にするために国民を虐めているのを見て『政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなを虐めてくれている。政府と国民は平等だ』と思って、それを国民みんなに広げて国民みんなが平等だと思って、身分の低い者にいくつかの特権を与えて身分が高い者よりもいい待遇にしている。インドの身分制では、人間が不平等であり人間が平等でもある。インドは物事を割り切らない国である。インドでは人間が不平等とも平等ともいえない状態なので、身分制によって国がそれほど貧しくなることはないと思って、政府が民主主義の芝居をやっていない。(しかし、近代になってからは政府が民主主義の芝居をやるようになっている。)インドが貧しいのは、おもにインド人が現実が嫌いで科学が苦手なことによるのであって、身分制による影響はあまりない。
しかし、今では世界中の国で文明が急激に進歩して国民みんなが利口になって自分で法律を守っておとなしくなって平和に暮らしている。今では国民みんなにとって政府が要らなくなっている。そのために、政府が自分でいなくなったり、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府に虐められないようにして政府を倒したりして、政府がなくなっている。ヨーロッパでもアジアでもインドでも政府がなくなっている。世界中の国で国民みんなを虐める者がなくなって国民みんなは昔よりも幸福に暮らしている。
[22437] ボーナスとは何か? h28.1.3
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが馬鹿だったので国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、国を平和にするためには政府が国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなに政府を怖がらせて国民みんなをおとなしくさせねばならなかった。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなから高い税金を取っていた。政府は国民から税金を取りすぎたので、あとで余ったお金を法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などの付属会社にやって付属会社を経営していた。そのぶん国民は安い料金で付属会社を利用することができた。
同じように、昔は社員みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、会社を平和にするために社長が社員みんなを虐めて社員みんなに社長を恐れさせて社員みんなをおとなしくさせていた。社長は社員みんなを虐めるために社員みんなから稼[かせ]ぎをたくさん奪っていた。社長は社員から稼ぎを取りすぎたので、あとで余ったお金を社員みんなに返していた。それがボーナスである。
しかし、今では国の文明が進んで国民みんなが利口になったので国民みんなが自分で決まりを守っておとなしくして国を平和にしている。国民みんなにとって政府が要らなくなったので、国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府に虐められないようにして政府を倒している。政府が政府の付属会社に余ったお金をくれなくなったので、政府の付属会社は政府から独立して国民だけからお金を取って経営するようになっている。
同じように、今では社員みんなが会社の決まりを守っておとなしくしている。社員みんなにとって社長が要らなくなっている。社員みんなは社長に稼ぎをやらなくなって社長に虐められないようにして社長を倒している。
社員がボーナスをもらえるのは、会社が今でも“虐め制”をやっているからである。社長が社員みんなを虐めているからである。社員がボーナスをもらって喜んでいてはいけない。
[22438] 社員が馬鹿で社長が利口な会社には身分制がある。 h28.1.4
昔は国の文明が遅れていてみんなが馬鹿だったのでみんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、あらゆる集団を平和にするためにあらゆる集団に“虐[いじ]め制”があった。あらゆる集団に“虐め役”がいて、みんなに命令して高いお金を取ったりみんなに嫌がらせをしたりみんなに暴力をふって殺したり痛めつけたりしてみんなを怖がらせてみんなをおとなしくさせて集団を平和にしていた。
昔は会社の中に社長がいて社員みんなを虐めて会社を平和にしていた。社長が会社の虐め役だった。善い人のふりをしない社長は社員みんなの眼の前で堂々と社員を虐めていた。社員が頭で考えて物を見る会社では社員が『社長は会社を平和にしてくれている』と思って社員みんなが平等でみんながよく働いて会社が儲かっていた。反対に、社員が眼先だけで物を見る会社では社員が「社長は身分が高い」と思って身分制が出来て社員それぞれに身分があって上の者が下の者の稼[かせ]ぎを奪って遊んでみんなが貧乏になって会社が儲からなくなっていた。例えば、社員に女が多く社長が男の会社には身分制があって、男子社員が女子社員を毎日虐めていた。(女はまともなふりをしているが、頭の中ではいつも身分制があって神様がいる。女は偉そうにしている者を見るとすぐに身分が高いと思ってその者に取り入ろうとする。女はすぐに政府と組んで出世しようとする。)一方、善い人のふりをする社長は社員に自分が社員を虐めているのを隠しながら社員を虐めていた。社員が頭で考えて物を見る会社でも社員が眼先で物を見る会社でも『社長と社員は平等だ』と思って社員みんなが平等でみんながよく働いて会社が儲かっていた。
しかし、今では国の文明が進んでみんなが利口になってみんなが自分で社会の決まりを守りながら自分の心を抑えながらおとなしく平和に暮らしている。そのため、今ではあらゆる集団に虐め制がなくなっている。みんなが虐め役に虐められないために虐め役にお金をやらないようにして虐め役をなくしている。
今では会社の中に社長がいなくなっている。社員みんなが平等になって社員みんながよく働いて会社が儲かっている。
虐め制と身分制は違う。身分制は虐め制の誤解から生まれた制度である。身分制は虐め制から派生した別の制度である。昔はすべての集団に虐め制があったから、集団によっては身分制があった。今ではすべての集団に虐め制がなくなっているから、身分制もなくなっている。今ではすべての集団でみんなを虐める者がいなくなってみんなが平等になってみんなが幸福に暮らせるようになっている。
日本は昔からずっと身分制のない国である。日本が古代と近代にヨーロッパ文化をやっていたときに貴族と華族が身分が高かっただけである。ほかの国民はみんな平等である。江戸時代には幕府の中で身分制をやっていただけで、国家的には身分制をやっていなかった。江戸時代には幕府と国民は平等だった。下級武士は町人よりも苦しい生活をしていたと言うから、幕府の中では身分制があったのだろう。日本はこれまで虐め制があっただけで身分制はなかった。政府や社長は虐める者であって上の者ではない。日本人は頭で考えながら物を見るので眼先で物を見ないので身分制がないのである。今の日本にはまだ昔の虐め制がちょっと残っている。今の日本ではまだ国では政府が国民を虐めているし、会社では社長が社員を虐めている。しかし、今では国民みんなが自分で社会の決まりを守っておとなしくするようになって虐め役に虐めてもらっておとなしくするのをやめてどんどん虐め制がなくなっている。政府や社長が消えている。国民みんなは自分で虐め制をやめて自分が政府や社長に虐められないようにして政府や社長にお金を取らさないようにして政府や社長を消さねばならない。
政府は税金暮らしが楽だから“虐め制”をやろうとする。国民は政府に虐められて不幸にされるのが嫌だから虐め制をやめようとする。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等である。国民が政府に虐められるかどうかは国民個人の自由である。だから、国民は自分が幸福になるために政府に虐められなければいい。国民は自分が政府に虐められないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。政府は民主主義の芝居をしているから、「国民みんなに善いことをするために税金を取っている」と言って国民から税金を取っている。国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けないようにして『政府は本当は国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にするために税金を取っている』と考えて政府に税金を払ってはいけない。
社長についても同じである。社長は社員の稼ぎを奪って暮らすほうが楽だから“虐め制”をやろうとする。反対に、社員は社長に虐められて不幸にされるのが嫌だから“虐め制”をやめようとする。社長と社員は平等だから、社員が社長に虐められるかどうかは社員個人の自由である。だから、社員は自分が幸福になるために社長に虐められないようにして社長に自分の稼ぎを取らさないようにして社長を倒せばいい。社長は会社の中に身分制が出来ないようにするために善い人のふりをしているから「会社の発展のためにはお金が要る」などと言って社員の稼ぎを取っている。社員は社長の善い人の芝居を真に受けないようにして『社長は本当は社員を虐めて会社を平和にするためにお金を取っている』と考えて社長にお金をやってはいけない。
早く国民みんなで政府や社長を消して、国民みんなを虐める者をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
h28.1.6追記:ヨーロッパに身分制がないのは、政府も国民みんなも両方とも馬鹿だからである。政府が馬鹿だから、政府が民主主義の芝居をやって自分が国民を虐めているのを隠すから国民みんなが眼で見ることしかわからない馬鹿でも身分制が出来ないのである。アジアに身分制がないのは、政府も国民みんなも両方とも利口だからである。国民みんなが利口だから、政府が国民みんなを虐めているのを見ても『政府は国を平和にして国民みんなを幸せにするために国民みんなを虐めている。政府と国民が平等だ』と思うから身分制が出来ないのである。インドに身分制があるのは、政府が利口で国民みんなが馬鹿だからである。政府が利口だから、政府が正々堂々と国民みんなの眼の前で国民みんなを虐める。国民みんなが馬鹿だから、国民みんなは政府がやっているのを眼先で見て「政府が国民よりも身分が上だ」と思ってそれを国民みんなに広げて身分制が出来る。インドは馬鹿と利口が混じっているから悪い国なのである。インドは政府が利口だから悪い国なのである。インドでは今から3500年前にヨーロッパ人系のアーリア人が攻めて来たときにはアーリア人がインド人を支配していたが、その後インド人がアーリア人を支配するようになった。そのために、インドでは身分が上の者が利口で下の者が馬鹿になって身分制が出来てしまったのである。インドでは政府が国民みんなのために馬鹿になって民主主義の芝居をやって国から身分制をなくして善い国にならねばならない。
[22439] ヨーロッパ人にはどうして神が見えるか? h28.1.4
ヨーロッパ人は眼先で物を見る。
ヨーロッパ人が眼先で世界を見ると「世界を作った者がいる」ように見える。その“世界を作った者”が神なのである。
眼で見る世界には見る者と見られる者がいる。やる者とやられる者がいる。世界があれば、世界を作った者がいる。世界を作った者が世界を作ったように見える。世界を作った者が神である。
フォイエルバッハは『神が人間を作ったのではない。人間が神を作ったのだ』と言った。神は人間の五感が作り出したのである。
ヨーロッパ人は五感で物を見るから、政府が国を平和にするために国民を虐めているのを見ると「人間には身分がある」ように見える。それと同じように、ヨーロッパ人は五感で物を見るから、世界が存在しているのを見ると「世界を作った者(つまり神)がいる」ように見える。そのために、ヨーロッパには身分制や宗教があるのである。ヨーロッパ人は“実在しない物”を作り出しながら物を見ているのである。子供が怖い怖いと思っているからオバケが見えるのと同じである。子供が心で物を見るから、子供が怖いと思っているとオバケが自分を襲ってくるように見えるのである。昔の人は感情的だったから、いろんな物を心で見ていたから、オバケがたくさん見えたのである。人間に霊魂があって死んだ後でも霊魂が生き残るのは、昔の人が心で物を見ていて恐怖心が強くてオバケが見えていたせいである。
反対に、アジア人は知覚で物を見るから、政府が国を平和にするために国民を虐めているのを見ても『人間が平等である』ように見える。だから、アジアには身分制がない。アジア人は知覚で物を見るから、世界が存在していても『世界は自分で存在している』ように見える。だから、アジアには神がいない。もっとも、アジア人も心で物を見るから、アジアにもオバケがいる。
今では科学が出来て、世界中の人が知覚で現実を見るようになっている。現実の世界には身分も神もオバケもない。今の人間は現実の世界に暮らすようになっている。今の人間にとっては身分も神もオバケもない。今の人間は身分も神もオバケもない世界に暮らしている。今の人間は現実の中で生きている。しかし、人間は現実だけでは生きられない。人間には心が要る。人間は現実で喜びながら生きて行かねばならない。
[22440] 精神分裂病ではどうして幻聴が聞こえるか? h28.1.4
人間にはみな生まれつきテレパシー器官がある。テレパシーは実在する。今の政府は私(神ではない)の情報を使って国民を虐[いじ]めていて、私が頭の中で思ったことを使って政府が事件や事故を起こして国民を殺しているから、テレパシーは実在すると考えられる。
精神分裂病者では、“支配欲”が高まっているから、他人が自分の気に入らないことをするとすぐに怒るから、普通の人よりもテレパシーの悪口に対する感受性が高まっているからテレパシー(幻聴)がよく聞こえるのである。テレパシーの悪口が聞こえると支配欲が不満になってイライラして暴れまわるのである。
反対に、普通の人は“支配欲”が抑えられているから、他人が自分の気に入らないことをしていても怒らないから、たとえテレパシーの悪口が聞こえても何とも思わないからおとなしくしているのである。人間には『集中力』があるから、多少テレパシーが聞こえても集中力で無視してテレパシーに惑[まど]わされずテレパシーをカットしてテレパシーと無縁に暮らすことができるのである。
精神分裂病者では“支配欲”が高まっているから、自分と他人の境界が弱まっているから、自分と他人の区別がないのである。他人が自分の気に入らないことをしているとすぐに他人に手をふったり足をふったりするのである。私は長男なので子供のころから親に甘やかされて弟に比べて優遇されたので、支配欲が強くて自分と他人の区別がない性格だった。そういうのを分裂気質[きしつ]と言うのである。分裂気質の者は“支配欲”が強いから、他人が自分の気に入らないことをしているのを見てすぐに怒って自分で自分の“支配欲”中枢やテレパシー器官を興奮させて精神分裂病に罹[かか]りやすいから注意しないといけない。
精神分裂病者ではテレパシー器官の興奮性が高まっていてテレパシーがよく聞こえる。そのために、いつも自分が頭の中で思っていることが他人に聞かれているような気がしている。だから、自分がいつも他人に見られているような気がしている。それを被視感[ひしかん]と言う。被視感があるから盗聴器が仕掛けられていると思って屋根裏を調べたり床下を調べたりする。
つまり、精神分裂病者には精神分裂病者特有の世界がある。それを理解して精神分裂病者と付き合っていくのが精神科医の務[つと]めである。(私は自分の性格が医者に向いていないからすぐに医者を辞[や]めたが。)
人間が自分の“支配欲”を満足しようとしてテレパシー器官を使って他人に訴えようとしてテレパシーが聞こえるようになってテレパシーで自分の悪口が聞こえるようになって自分の支配欲が不満になってイライラして暴れまわるのが精神分裂病である。人間はいったん精神分裂病に罹[かか]ると数年は直らない。入院する場合もある。自分の人生がメチャクチャになる。だから、人間は自分の支配欲を満足してはいけない。人間の心は一人一人違うから、人間は自分の心を満足して生きているものだから、他人は自分の気に入らないことをするものである。人間はたとえ他人が自分の気に入らないことをしていてもそれに腹を立てて他人の態度を直そうとしてはいけない。自分の支配欲を抑えなければならない。
[22441] 国民が悪くなると面白くない国になる。 h28.1.4
政府は民主主義の芝居をしている“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
国民の中にはそれを見て「善いことをしているふりをすれば悪いことをやってもいい」と思って、善い人のふりをして悪いことをする者がいる。「悪いことをしたほうが有利だ」と思って、自分が有利になるために悪いことをする者がいる。今では国の文明が高くなって国民が利口になって自分で社会の決まりを守っておとなしく暮らすようになって、政府に虐めてもらっておとなしく暮らさなくてもよくなって政府の役目がなくなっているから、国民の多くは政府のことを誤解して「政府が善いことをしているふりをして本当は悪いことをする会社だ」と思っているのである。(今は国民みんなが自分で法律を守っておとなしくして平和に暮らしている。政府が国民みんなを虐めて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にしなくてもよくなっている。だから、今の国民が政府がやっていることを見て『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことがわかるのは大変難しくなっている。この私も政府が私や天皇の情報を使って国民を事件や事故で殺したり痛めつけたりしていることを知ってから『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことがわかるまでに約10年もかかった。)
今では国に善いことをするふりをして悪いことをする者が増えているために、今の日本はだんだん面白くない国になっている。貧乏な国になっている。
国に悪いことをする者が増えるとみんながお互いに悪いことをしあって他人を不幸にしあって面白くない国になる。みんながインチキをしてまじめに働かなくなって貧乏な国になる。
だから、国民みんなは悪いことをしてはいけない。善いことをしないといけない。世の中に悪い考えを広めてはいけない。世の中に善い考えを広めて、みんながお互いに善いことをしあって他人を幸福にしあって面白い国にしないといけない。みんながまじめに働いて豊かな国にしないといけない。政府はみんなの誤解のもとになるから、早く政府を倒して政府をなくさねばならない。
今の日本が面白くないもうひとつの原因は、国民の多くが現実逃避して眼先や空想の世界に入っているからである。国民の多くが科学を悪用してファッションやエステやマンガやゲームで喜んでいるからである。人間にとって真[しん]の喜びは実在にある。見かけや空想の喜びは面白くない。国民の多くは面白いことをやっているつもりで本当は面白くないことをやっている。国民の多くが面白くないことをやっているから国が面白くないのである。国民みんなは見かけや空想の世界で喜ぶのをやめて、現実の世界で喜ばねばならない。今は科学の時代だから、国民みんなは現実で喜ばねばならない。国民みんなは“まじめで面白いこと”をやって喜ばないといけない。
[22442] 国民が文学を読むと政府を支持するようになる。 h28.1.5
星新一の短編『鏡』では、ある日夫婦が悪魔を捕まえて悪魔を虐[いじ]めて楽しく暮らしていた。悪魔がいるときは夫婦は悪魔を虐めて自分の欲求不満を晴らして調子よく行っているが、悪魔がいなくなると夫婦が欲求不満になって殺しあって死ぬという話である。悪魔は政府のことで、夫婦は国民のことである。当時は国民みんなが政府が要らなくなって政府を倒し始めたから、夫婦が悪魔を虐[いじ]める話になっている。(私が中学3年生のころ、友人の和田高明[わだたかあき]君に勧められて星新一の作品を文庫本で読んだことがある。『鏡』も読んだことがある。一生トラウマになる。私にとっては星新一の作品を代表する名作だ。ちなみに、私が子供のころ西新屋敷[にししんやしき](高知市の地名)のおじいさんの家に遊びに行ったとき“合わせ鏡”で遊んだことがある。“合わせ鏡”とは、天皇家と私のことである。一方の鏡は光る丸だから天皇家のことであり、もう一方の鏡は鏡←ミラー←川ブ(ミ≒川、ラー≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。政府が国家宗教の神(現実には当時の政府は国家宗教をやっていないが)を天皇家から私に替えるときに一瞬隙[すき]が出来るので、政府が何も神にしていない時が出来るので、そのときなら政府が弱いので国民が政府を捕まえられる(なんのコッチャ?!)のである。)
私が高知学芸中学校3年生のとき、国語の時間に担任の島田[しまだ]先生が「ネコが車に轢[ひ]かれてペシャンコになって、ネコの死体の上を車が通るたびにネコの死体がちぎれて行って、最後に跡形もなく消えてしまって、それを見ていた書生が涙を流す」話(作者も作品名もわからない)をした。ネコとは政府のことである。車は国民のことである。昭和40年(1965年)頃から後は、国民みんなが政府を倒すようになったから、そんな話が出来たのである。
文学者には政府の支持者が多い。
昔の人は自分の心のままに好き放題にやっていたから、政府が国を平和にするために国民みんなを虐めて国民みんなを怖がらせて国民みんなをおとなしくさせていた。
文学者は自分の心のままに好き放題にやりたいから、国民みんなが自分の心のままに生きていた昔の時代に憧[あこが]れて政府を支持しているのである。
しかし、文学者は現実の外で自分の心のままにしたいと思っている。文学者はいつでも現実の外に出たいと思っている。だから、文学者には自殺する者が多いのである。
一方、昔の人は現実の中で自分の心のままにやっていた。昔の人は現実の世界の中で政府に虐められて政府を怖いと思っておとなしくしていた。
文学者の世界と普通の人の世界は違う。文学者は現実の外で生きている。普通の人は現実の中で生きている。政府も現実の中で生きている。昔から文学者と政府は生きている世界が違う。
文学者は政府の仲間ではない。だから、文学者が政府を支持するのはまちがっている。文学者は政府を支持するのをやめて、国民みんなのために政府を倒す話を書かねばならない。
文学は現実の外の世界だから、文学ではいくらでもまちがったことを書いてもいい。そのため、政府は文学を利用して、国民みんなに政府に対する誤解を植えつけて国民みんなに政府を支持させようとしている。政府が民主主義の芝居をやって自分に国家権力があるふりをして国民みんなを従わせるのと同じである。政府は文学者にお金をやって、国民みんなに政府を支持させる作品を書かせている。文学の世界は無法地帯だから、政府や文学者が何をやっても違法にならないから、政府は文学者にお金をやって自分にとって都合のいい作品を文学者に作らせているのである。文学者は政府からお金をもらって政府にとって都合のいい作品を書いているのである。
国民が文学を読むと心理操作されて政府を支持するように変わってしまう。だから、国民は文学を本気にして読んではいけない。国民が政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けてはいけないのと同じである。今は科学の時代だから、国民は現実に目を向けて現実で喜べばいい。国民はつまらない文学なんか読まないようにして、現実で楽しく遊べばいい。
日本人は文学が嫌いである。日本人は小説やマンガが嫌いである。日本人は昔から自分の“現実が嫌いで空想が好きな欠点”を直すために空想を避けて現実に目を向けてきたので文学が嫌いなのである。だから、日本では文学者は食べていけない。そのために、文学者は政府からお金をもらって食べねばならない。文学者が政府からお金をもらうためには、政府を有利にする作品を書かねばならない。そのために、文学者は政府の注文で国民みんなに政府を支持するようにさせる作品を書いているのである。文学者は自分が好きな仕事をするために平気で国民みんなを犠牲[ぎせい]にしているのである。(私はたとえ国民みんなを犠牲にしても自分のやりたい仕事をする者が好きだが、それならもっと価値のあることをやらねばならない。自分が好きなことをやるために国民みんなを犠牲にするのなら、それだけ価値のあることをしないといけない。小説やマンガは価値がないからいけない。小説は絵のないマンガだ。そんなやつは生きる価値のないクズだ。)
文学者は政府からお金をもらって国民みんなを不利にする汚い話を書くな!文学者は自分の作品を悪用するな!文学者は実力で面白い話を書いて国民みんなに売ってお金を稼[かせ]いで儲[もう]けねばならない。
政府は国民みんなを虐めて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする団体である。ところが、今では国民が自分で社会の決まりを守っておとなしくして国が平和になっている。今では国民みんなにとって政府が要らなくなっている。今では政府は要らない団体である。今では国民にとっても政府にとっても政府を支持しようがない。だから、みんなで政府を倒さねばならない。みんなで政府に税金を払わないようにして政府に虐められないようにして政府を倒さねばならない。
星新一は『人民は弱し 官吏[かんり]は強し』という小説を書いた。戦前に星新一の父親である星一[ほしはじめ]が政府と組んで自分が政府にやられる芝居をやって国民みんなに政府が強いと思わせたのである。政府は国民を虐めて国を平和にする団体だから、政府は国民を不特定にランダムに虐めるだけであり、政府は自分の利益のために特定の個人を虐めることはない。だから、いくら星製薬会社が政府にたてついたからといって政府が星製薬会社を攻撃したりしない。だから、政府が星製薬会社を攻撃したのは芝居なのである。星一は政治家だったから、政府と組んで「政府にたてついた国民が政府に攻撃される芝居」をやったのである。国民は政府のくだらない芝居に騙[だま]されないようにしないといけない。現実においては政府と国民は平等だから、国民が政府に虐められるかどうかは国民個人の自由である。今では国民みんなにとって政府が要らなくなっているから、国民みんなで早く政府に税金を払わないようにして政府に虐められないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
人間は自分の頭の中でどんなことを感じていても、実際には現実の中にいる。人間にとっては現実における幸福が真[しん]の幸福である。人間は現実の中で暮らすことが幸福であることの必要条件である。日本人は知覚と心が発達して五感が弱い。そのために、日本人は現実が嫌いで空想が好きである。日本人は現実が嫌いで空想が好きであるために不幸になっている。日本人は昔から自分の“現実が嫌いで空想が好きな欠点”を直すために空想から眼を背[そむ]けて現実に目を向けるようにしてきた。日本人は作りごとを考えないようにして本当のことを考えるようにしてきた。日本人は作りごとよりも正しいことを大事にするために、作りごとの面白いことを言う者よりも正しいことを言う者を有利にしないといけない。日本人は作りごとの面白いことを言う者にお金をやらないようにして殺して、正しいことをいう者にお金をやって生き残らせないといけない。そうやって日本人は世の中に作りごとを減らして正しいことを増やして現実の中で暮らせるようにして幸福にならねばならない。
[22443] 今の政府は表では国民みんなを支配しているが、裏では国民みんなに倒されている。
h28.1.5
政府は民主主義の芝居をやる“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。政府の民主主義は芝居だから政府は芝居の上で国民の役に立つことをやっているふりをしているだけで、現実には政府は国民の役に立つことをやっていない。政府は現実の上では国民を虐めて国を平和にしているだけである。
現実の上では『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等である。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが自分の心のままに好き放題にやって自分で自分をおとなしくできなかったから、政府に虐めてもらって政府を怖いと思っておとなしくしていた。
今は国の文明が進んで国民みんなが自分で法律を守っておとなしくできるようになっているから、政府が要らなくなっている。
今では国民みんなが政府に虐めてもらわないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒している。政府は芝居の上では今でも国民みんなを支配しているが、現実の上では国民みんなに倒されているのである。
[22444] どうして政府は法人税(会社税)を取るのか? h28.1.5
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが自分の心のままに好き放題にやって暴れまわっていたので、国中の集団に“虐[いじ]め制”があって“虐め役”がみんなを虐めてみんなを怖がらせておとなしくさせて集団を平和にしていた。
政府は国民みんなを虐めて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。
会社が儲[もう]かって強くなると、会社が自分の好き放題にやって暴れまわる。そのため、政府は会社を虐めておとなしくさせるために法人税(会社税)を取っているのである。
つまり、政府は国民を虐めておとなしくさせるのと同じように、会社を虐めておとなしくさせるのである。政府は会社に命令して高い法人税を取ったり会社に嫌がらせをしたり会社に暴力をふって会社を壊したり痛めつけたりして会社を虐めておとなしくさせて国を平和にしているのである。
しかし、今では国の文明が進んで国民みんなが自分で社会の決まりを守っておとなしくしているので、虐め制をやらなくなって虐め役がいなくなっている。
今では会社が儲かって強くなっても、会社が社会の決まり(会社と会社の間の決まり)を守っておとなしくして、会社が自分の好き放題に暴れてほかの会社に迷惑をかけたりしない。だから、会社は政府に法人税(会社税)を払わなくていい。
政府の民主主義は芝居だから政府は芝居の上で法律を作ることができるだけで、現実には政府は法律を作ることができない。政府は国民や会社が現実に守らねばならない法律や政策や命令を出すことができない。現実の上では政府が定めた憲法や法律は存在していない。国民や会社が自分で正しい法律を守っているだけである。政府は国民や会社と契約して国民や会社を虐めておとなしくさせて国を平和にするにすぎない。だから、会社は政府が作った「国内のすべての会社は政府に法人税を払わねばならない法律」を守らなくていい。政府に虐めておとなしくさせて欲しい会社だけ政府に法人税を払って虐めてもらえばいいのである。
会社は政府に法人税を払ってお金の無駄遣[むだづか]いをせずに、自分の儲けを自分のために有効利用すればいいのである。
[22445] 今では政府の法律会社は政府に従わなくなりつつある。 h28.1.5
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。政府の民主主義は芝居だから政府は国民の役に立つことをしているふりをしているだけで、現実には国民の役に立つことをしていない。政府はテレビや新聞の上で景気対策を一生懸命やっているだけで現実には何もやっていない。テレビドラマの上でいくら必死で人命救助をやっても実際にはやっていないのと同じである。そもそも政府の民主主義の芝居は国民に「政府と国民が平等だ」と思わせて身分制が出来ないようにするためにあるだけだから、政府は国民の役に立つことをしないのである。実際には、政府は国を平和にするために国民を虐めるために国民を虐める命令を国民に出しているだけである。政府は国民を虐めるために国民に命令して高い税金を取ったり国民が嫌がることをやらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を不幸にする。
政府の法律会社はみんなに正しい法律を守らせている。(正しい法律=平等性×国民性で決まる。)政府の法律会社は政府からお金をもらって経営しているので国民から料金を取っていない。国民は無料で政府の法律会社を利用することができる。
政府の法律会社は今でも政府の言うことを聞いている。政府の法律会社の警官がときどき変態みたいなことをしているのはそのためである。だから、政府の法律会社は、たとえ政府や宗教団体や暴力団が法律に反することをしていても政府の命令で政府や宗教団体や暴力団を取り締[し]まらないのである。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、国民みんなが政府に虐めてもらって政府を怖いと思っておとなしくしていた。政府の法律会社も国民なので、政府の法律会社も政府に虐めてもらうために政府の虐めの命令を聞いていた。
今は国の文明が進んで国民みんなが自分で法律を守っておとなしく平和に暮らしているので、国民みんなが政府に虐めてもらわなくなっている。国民みんなが政府の虐めの命令を聞かなくなっている。政府の法律会社も国民なので、政府の虐めの命令を聞かなくなっている。政府の法律会社は政府や宗教団体や暴力団が法律に反することをしていたら政府や宗教団体や暴力団を逮捕して罰するようになっている。
今では国民みんなが政府の虐めの命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなっている。政府は法律会社にお金をやれなくなっている。政府の法律会社は政府から独立して国民みんなからお金をもらうようになろうとしている。
これまで政府は国民を虐めるために国民から高い税金を取っていた。法律会社は国民を虐める必要がない。だから、法律会社は国民からリーズナブルな料金しか取らない。国民は法律会社に安いお金を払って利用できる。
[22446] 今では国民みんなが自分で自分をおとなしくさせることができるようになっている。☆
h28.1.5
昔(昭和40年=1965年頃まで)は国の文明が遅れていて国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、国民みんなは自分でおとなしくすることができなかったので、国民みんなは国を平和にするために国民みんなで国民みんなを虐める政府を設けて政府に虐められて政府を怖いと思っておとなしくなっていた。
今は国の文明が進んで国民みんなが自分で社会の決まりを守っておとなしく平和に暮らしているので、国民みんなは他人に自分をおとなしくさせてもらわなくてもよくなったので、国民みんなは国民みんなを虐める政府が要らなくなって国民みんなで政府に虐められるのをやめて政府に税金を取られるのをやめて政府を倒している。
一般に、昔は国の文明が遅れていて国民みんなが自分の好き放題にやって自分で自分をおとなしくさせることができなかったので、いろんな集団で“虐め制”をやって“虐め役”を設けて虐め役に虐められておとなしくさせられて集団を平和にしていた。
今は国の文明が進んで国民みんなが自分で社会の決まりを守って自分で自分をおとなしくさせることができるので、いろんな集団で虐め制をやめて虐め役を除[の]けて虐め役に虐められないようにしている。
つまり、昔の人は自分で自分をおとなしくさせることができなかったので、“自分を虐める者”を設けて自分を虐める者に虐められておとなしくして平和に暮らしていた。今の人は自分で自分をおとなしくさせて平和に暮らすことができるので、自分を虐める者が要らなくなったので自分を虐める者をなくしている。
今では国民みんなが自分で社会の決まりを守っておとなしくするようになって、政府に自分を虐めてもらっておとなしくしなくなって、政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。政府は国民みんなから税金をもらえなくなって付属会社にお金をやれなくなって付属会社を独立民営化させている。一般に、今では国民みんなが自分で自分をおとなしくさせて平和に暮らすようになったので、他人に虐められておとなしくしなくてもよくなったので、国民みんなが自分で虐め制をやめて虐め役に虐められないようにして虐め役にお金をやらないようにして虐め役を倒している。そのために、世の中が変わっている。
つまり、人間が自分で自分のことをやれば他人に自分のことをやってもらわなくてもいいのである。昔の人は自分で自分をおとなしくさせることができなかったので、他人に自分をおとなしくさせてもらっていた。今の人は自分で自分をおとなしくさせることができるので、他人に自分をおとなしくさせてもらわなくてもよくなったのだ。最近の人類は進化して自分で自分をおとなしくさせることができるようになったのだ。そういうのを新人類と言うのである。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが勉強する暇がなくて社会の決まりを知ることができなかったので、生まれつきの心を活かして自分が他人に虐められて他人を怖いと思っておとなしくしていた。
今では国の文明が進んで国民みんなが勉強する暇が増えて社会の決まりを知ることができるようになったので、自分で社会の決まりを守っておとなしくすることができるようになったのだ。今では国民みんなにとって“他人を虐める仕事”が要らなくなったので、他人を虐める会社が国民みんなからお金をもらえなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れているのである。
(私が小学1年生から小学3年生のころまでダイヤブロックで一生懸命に遊んでいた。ブロックを組み合わせて家や“ビー玉転がし”(ブロックで樋[とい]を作ってビー玉を高いところから転がす仕掛け)を作って遊んでいた。そのころに私の右脳が鍛[きた]えられた。人間は自分の知覚で自分が持っている概念を組み合わせて対象と同じものを作って対象を理解する。人間が物事を理解するのもダイヤブロックで遊ぶのも同じことだ。)
[22447] 日本は人口を減らさないといけない。 h28.1.5
日本は資源が乏しい。日本人は科学や産業が苦手だから生産力が低い。
だから、日本では物をたくさん作れない。日本では少ない物をみんなで分け合わねばならない。
昔は日本の人口が1億人で少なかった。だから、少数の国民みんなで少ない物を分け合って豊かに暮らしていた。
今は日本の人口が1億3千万人で多い。だから、大勢の国民みんなで少ない物を分け合って貧しく暮らさねばならない。
今の日本は人口が多すぎる。これでは日本人みんなが全滅する。日本はもっと人口を減らさねばならない。
[22448] ほとんどの国民にとっては政府がなくなったほうが得である。 h28.1.6
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。政府の民主主義は芝居だから、政府は国民の役に立つことをするふりをしているだけで本当は国民の役に立つことをしていない。政府は本当は国民を虐めて国を平和にしているだけである。
しかし、今では国の文明が高くなって国民が自分で法律を守っておとなしく暮らすようになって、政府に自分を虐めておとなしくしてもらわなくてもよくなっている。今の政府は国民を虐めて国民を不幸にしているだけである。
今の時代に政府を支持する者は政府自身か政府からお金をもらっている者しかいない。政府自身は自分が潰[つぶ]れたら生活に困るし国民から税金を取って暮らしたほうが楽だから政府を支持する。政府からお金をもらっている者も政府があったほうが自分の暮らしが楽になるから政府を支持する。テレビ局や新聞社は「政府の正体を国民みんなにばらすぞ」と言って政府を脅[おど]して政府からお金をもらっている。マンガ家や小説家は政府からお金をもらって読者を心理操作して読者が政府を支持するようになる作品を書いている。宗教団体や暴力団は、政府があれば政府が法律会社に命令して宗教団体や暴力団を取り締[し]まらないようにさせてくれるので都合[つごう]がいいが、宗教団体や暴力団はそもそも国民と平等なので国民に虐めるのを断られたらそれまでなので政府があってもそれほど有利ではない。医療保険は政府が税金の替わりに国民から取っているので、原則的には医者にお金がまわらないので医者は診療費の3割しか国民からお金をもらえずかえって損である。今の医者が昔よりも貧乏になっているのはそのためである。医者だけで医療保険をやったほうがはるかに得である。今の私は政府の医療保険に入っていないが、医者だけでやるなら入る。消費税も政府が税金の替わりに国民から取っているので、原則的には商人にお金がまわらないので、消費税があると消費者が買い控[びか]えて物が売れなくなってかえって損である。医者にとっても商人にとっても政府があると損である。
今の時代に政府を支持する者は政府自身かテレビ局や新聞社やマンガ家や小説家だけである。それ以外の者にとっては政府があったほうが損である。それ以外の者は政府に反対している。世の中には政府を支持する者よりも政府を支持しない者のほうが圧倒的に多い。こんな状況では政府を支持する者が勝てるわけがない。政府はどんどん国民みんなに倒されていくだけである。
そもそも国民と政府は平等だから、国民が政府に虐められるかどうかは国民個人の自由である。だから、国民みんなは政府に反対して、自分が政府に虐められないようにして政府に税金を取られないようにして政府を倒せばいい。国民みんなで国民みんなを虐める政府をなくして今よりも幸福に暮らせばいい。
[22449] どうして国の文明が進むとみんながおとなしくなるのか? h28.1.7
今は科学の時代である。今ではみんなが実在を知り、実在の中で自分の心を満足して生きている。
昔は科学のない時代だった。昔はみんなが実在を知らないまま自分の心を満足して生きていた。
今の人は『実在を知り実在の中で自分の心を満足する』生き方が身に付いている。今の人は自分で社会の決まりを知って決まりを守りながら自分の心を満足して生きている。今の人は法律を知って法律を守りながらおとなしく暮らしている。だから、国が平和なのである。
昔の人は何も知らないまま自分の心を満足して生きていた。昔の人は自分の心のままに生きていた。昔の人は社会の決まりを守らずに自分の好き放題に生きていた。昔の人は法律を守らず自分勝手に生きていた。だから、国が物騒[ぶっそう]だった。そのため、昔の人は政府に虐[いじ]めてもらって怖気[おじけ]づかされておとなしくしてもらって平和に暮らしていた。昔の人は政府に虐められて政府を怖いと思っておとなしくしたかったので政府に虐められていた。昔の人は政府に虐められるために政府の国民を虐めるための命令を聞いていた。だから、政府に権力(命令力)があった。
今の人は自分で法律を守っておとなしく暮らしているので、政府が要らなくなって政府に虐められるのをやめて政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
国の文明が遅れているとみんなが「自分の心のままに好き放題にする」生き方だった。国の文明が進むとみんなが『実在を知り実在の中で自分の心を満足する』生き方になる。昔と今では人間の生き方が違う。そのために、今では国民みんなが政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を捨てているのである。
みんなが「やりたいからやる」という理屈でやられたら世の中がメチャクチャになる。だから、みんなはちゃんと社会の決まりを知って決まりを守りながら自分がやりたいことをやらねばならない。そうすれば、社会を守りながら自分がやりたいことがやれて幸福になれる。
昭和40年(1965年)頃までは『科学の方法』(つまり、『人間が実在を知り、実在の中で自分の心を満足する』こと)が正しい証拠がなかった。そのために、みんなが昔ながらの「自分の心のままに好き放題にする」生き方で生きていた。ところが、昭和40年頃にたくさんの科学の発明品が出来て生活が便利になって、みんなが『科学の方法』の正しさを認めた。そのため、みんなが『実在を知って実在の中で自分の心を満足する』生き方に変わった。釜戸[かまど]や囲炉裏[いろり]や昔のボロっちい家ぐらいなら人間が頭を使わずに心のままでも作れるが、電化製品はもはや頭を使わずには作れないと思ったので、みんなは『実在を知り実在の中で心を満足する』方法に変えたのである。そのために、みんなが法律を守るようになって政府が要らなくなって、政府がなくなっているのである。実在の社会は『人間がみな平等であり、なにが平等であるかは国民性によって決まる』ように出来ているから、国民は法律を守って社会の中で自分の心を満足して生きなければならないのである。
「国民みんなが政府に税金を払わねばならない法律」は政府が民主主義の芝居の上で定めた架空の法律であって現実の法律ではない。子供銀行券が架空のお金であって現実のお金でないのと同じである。だから、国民はそんなくだらない法律を守らずに本物の現実の法律を守っておとなしく暮らさねばならない。そもそも政府の民主主義の芝居は政府が国民に「政府と国民が平等だ」と思わせて身分制が出来るのを防ぐためにある。政府が架空の法律を定めるためにあるのではない。政府は芝居の上ではなんでもやっていいと思って現実に存在しない法律を定めたのである。政府はつまらないイタズラをやってはいけない。国民は政府がふざけて作った法律を守ってはいけない。
今は科学の時代である。だから、国民は政府のことを知って、政府の知識に基づきながら自分の心を満足して幸福に生きねばならない。政府の正体は国民を虐めて国を平和にする団体である。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等である。国民が政府に虐められるか虐められないかは国民個人の自由である。政府に虐められておとなしくしたい国民だけが政府に虐められればいいのである。今では国民みんなが法律を守って国が平和になっているから、今の国民にとっては政府が要らない。国民は政府に虐められないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒してなくせばいい。今の国民は昔の人みたいに自分の頭で何も考えずに自分の心で思うままにやって「政府が民主主義の善い団体だ」「政府が国家権力のある団体だ」「この世には多数決があるからみんなが政府に従っているから自分も政府に従わねばならない」と思って政府に従ってはいけない。
同じように、昔は会社を平和にするために社長が必要だった。昔は社員が自分の心のままに好き放題にやって自分でおとなしくしなかったから、社長が社員みんなを虐めて社員みんなを怖気づかせておとなしくさせて会社を平和にしていた。今では会社にとって社長は要らない。今では社員みんなが自分で社会の決まりを守っておとなしくするようになっている。社長の正体は社員みんなを虐める者である。社長がいるために社員が会社で働くのが嫌になる。社員が会社に通うのが嫌になって出社拒否になる。今では会社にとって社長が要らないから、さっさと会社から社長を追い出せばいいのである。
[22450] 今は科学の時代だから国民は政府を倒している。 h28.1.7
今は科学の時代である。人間は実在を知り、実在の中で自分の心を満足しないといけない。
『政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。』
国民みんなはそういう目で政府がやっていることを見て政府と関わらないといけない。
政府がテレビや新聞でやっているのは民主主義の芝居である。政府はテレビや新聞の上で民主主義の芝居をして国民の役に立つことをしているふりをしているだけで、実際には政府は国民に国民を虐める命令を出しているだけである。政府がテレビや新聞でやっているのはお芝居にすぎず、現実には政府は国民を虐めているだけである。政府はテレビや新聞の上で「国民の役に立つことをするお芝居」をやっているだけで、実際には『国民を虐めている』だけである。政府は国民の役に立つことをやっているのではなく、「国民の役に立つことをする芝居」をやっているのである。だから、政府は現実には国民の役に立つことは何もやっていないのである。国会議員は国民みんなの役に立つ芝居をする役者である。「政府のおかげで国民みんなが裕福に幸福に暮らせる」と思っている者は政府の芝居に呑[の]まれている者である。
実在においては『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等である。国民が政府に虐められるか虐められないかは国民個人の自由である。
政府に虐められないとおとなしくできない国民は政府に虐められねばならない。反対に、政府に虐められなくても自分でおとなしくできる国民は政府に虐められなければいい。
昔は科学のない時代だったから、国民みんなは自分の心のままに好き放題に生きていたから、国民みんなは自分で自分をおとなしくできなかったから政府の国民を虐める命令を聞いて政府に虐められて怖気[おじけ]づいておとなしくしていた。
しかし、今は科学の時代だから、国民みんなは自分で社会の決まりを知って決まりを守りながら自分の心を満足して生きているから、国民みんなは社会の決まりを守って自分で自分をおとなしくさせることができるから、政府に虐めれられておとなしくする必要がなくなって、政府に虐められるのをやめて政府の国民を虐める命令を聞かなくなって政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
[22451] 政府は国民みんなを脅[おど]す会社である。 h28.1.7
政府は国民に命令して国民から高い税金を取って国民に嫌がらせをして事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりしている。
政府は国民よりも身分が高いのではない。この世に身分なんてものはない。政府と国民は平等である。
政府は国民を脅しているだけである。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが頭で考えずに自分の心のままに好き放題にやっていた。国民みんなが自分でおとなしくすることができなかった。そのために、国民みんなは政府に脅[おど]してもらって怖気[おじけ]づかせてもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。人間には怖気づくとおとなしくなる性質があるので、国民みんなはその性質を利用して政府に脅されておとなしくしていたのである。西部劇で人間が銃を突きつけられると怖くておとなしくするのと同じである。
しかし、今は国の文明が進んで国民みんなが頭で考えていろんな決まりを知っていろんな決まりを守って自分の心を満足している。国民みんなが自分で法律を知って法律を守っておとなしくして平和に暮らすことができるようになっている。そのために、国民みんなは政府に脅してもらって怖気づかせてもらっておとなしくさせてもらわなくてもよくなっている。今では国民みんなが政府が要らなくなっている。国民と政府は平等だから、国民が政府に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。そのため、今では国民みんなが政府に脅されなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
政府は文明が遅れている国では国を平和にするために必要である。しかし、政府は文明が進んでいる国では国を平和にするために不要である。今の日本では文明が進んで国民みんなが政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
[22452] 昔の国民にとって政府は平和の守り神だった。 h28.1.8
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、国民みんなが自分でおとなしくできなかった。そのため、国民みんなが政府に脅[おど]してもらって怖気[おじけ]づかされてもらっておとなしくさせてもらって国を平和にしていた。国民みんなにとって政府は平和の守り神だった。だから、政府に人気があった。
しかし、今は国の文明が進んで国民みんなが自分で頭を使って実在を知って実在の中で自分の心を満足しているので、国民みんなが社会の決まりを知って決まりを守っておとなしくしている。昔は国民みんなが「幸福は心にある」と思っていたので、自分の心のままに好き放題にやっていたが、今では国民みんなが『幸福は実在の中にある』と思っているので、国民みんなが実在の決まりを守るようになったのである。今では国民みんなが法律(実在の社会における国民の決まり)を知って法律を守って自分の心を満足するようになっている。今の国民みんなはおとなしくしながら幸福になっている。今の国民みんなは自分で自分をおとなしくさせることができるようになっている。今の国民みんなは自分で国を平和にすることができるようになっている。そのため、今の国民みんなは自分を脅しておとなしくする政府が要らなくなって政府を倒している。今の国民みんなは政府の脅しを聞かなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒している。
昔は国民は自分で自分をおとなしくさせることができなかったので、政府に頼んで政府に自分を脅してもらって自分を怖気づかしてもらっておとなしくしていた。今では国民は自分で自分をおとなしくさせることができるので、国民にとって政府が要らなくなっている。
昔の国民は自分の心の世界に生きていた。昔の国民にとって現実は自分の心を満足するための道具にすぎなかった。だから、昔の国民はおとなしくなかった。例えば、昔のヨーロッパで戦争をやっていたのがその証拠である。ヨーロッパ人は生まれつき戦争が好きだから自分の心のままに戦争をやっていたのである。(平成28年2月27日追記:政府は国民みんなを脅して平和にするためにある。つまり、昔の国民みんなは自分たちが平和に暮らすために政府に国民みんなを脅させていたのである。政府は国民みんなが平和に暮らすための道具である。政府は国民みんなが平和に暮らせる程度に国民みんなを脅さねばならない。政府は国民みんなを脅しすぎてはいけない。だから、フランス革命のときのように政府が国民みんなから重税を取って国民みんなを脅しすぎると、国民みんなが怒って政府が国民みんなに倒されるのである。昔のヨーロッパ人にとっては戦争は“自分の戦う気持ち”を満足するための娯楽だった。そのために、フランス革命の後でナポレオンは国民みんなに戦争ばっかりやらせて一生懸命国民みんなの機嫌を取っていたのである。)
反対に、今の国民は実在の世界に生きている。今の国民は頭で実在を知り実在の中で自分の心を満足している。だから、今の国民はおとなしいのである。例えば、今のヨーロッパで戦争をやっていないのがその証拠である。現実には戦争をやっても善いことが何もないから、今のヨーロッパ人は戦争をやめたのである。
昔の国民はおとなしくなかったから、自分をおとなしくさせるために政府が必要だった。そのため、昔の国民は政府にお金をやって政府を養っていた。今の国民はおとなしいから、政府が要らなくなった。そのため、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
実際に、人間は実在の中で生きている。人間は頭の中でどんなことを感じていても、実際には実在の中で生きている。だから、人間にとって真[しん]の幸福は実在における幸福である。人間が真に幸福になるためには眼先や空想に目を向けず実在に目を向けて、実在を知って実在の中で自分の心を満足すればいいのである。実際に、今の国民はそうしている。今の国民は実在の世界についていろんなことを勉強していろんなことを知っていろんな決まりを守って自分の心を満足して幸福に暮らしている。政府は昔の国民が心の世界の中で生きていたために出来た団体である。昔の国民は心の世界の中で生きていた。今の国民は実在の世界の中で生きている。今の国民は昔の国民と違う世界で生きている。今の国民にとって政府はお呼びでない。だから、今の国民は政府を倒しているのである。
政府は心で国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする団体である。政府は国民みんなの心に訴えて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする団体である。
法律会社は頭で国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする団体である。法律会社は国民みんなの頭に訴えて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にする団体である。
昔の国民は心の世界の中で生きていたから、政府に国を平和にしてもらっていた。
今の国民は頭の世界(つまり現実の世界)の中で生きているから、法律会社に国を平和にしてもらっている。
国民と政府は平等だから、国民が政府に脅してもらうか脅してもらわないかは国民個人の自由である。心の世界で生きたい国民は政府に脅してもらえばいい。頭の世界(つまり現実の世界)で生きたい国民は政府に脅してもらわなければいい。国民が心の世界で生きるか頭の世界で生きるかは国民が自分で決めることである。国民個人の自由である。
実際には、人間の心が実在を支配していない。人間の心は脳細胞の神経興奮で発生する感覚だから、実在が人間の心を支配している。人間は自分の心の世界で生きていない。人間は実在の世界で生きている。昔の人の世界観はまちがっている。今の人の世界観が正しい。だから、今の人は今の世界観で生きていけばいい。政府は昔の世界の中にある団体である。今の国民は今の世界の中で生きているから、今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
[22453] 今の国民みんなは自分で法律を守ることができるから政府を倒している。
h28.1.8
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。政府は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民を脅している。政府と国民は平等である。
昔の人は心中心だった。昔の人は現実を無視して自分の心のままに生きていた。昔の人は成功しようが失敗しようが自分がやりたいことをやっていた。昔の人は心本位でうるさかった。昔の人は自分で自分をおとなしくさせることができなかった。そのために、昔の国民みんなは政府に自分を脅してもらって自分を怖気づかせてもらって自分をおとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。昔の人は政府に感謝して政府に脅してもらって政府に税金を払っていた。
反対に、今の人は現実中心である。今の人は現実を知って現実の中で自分の心を満足している。今の人は成功することだけやって自分の心を満足している。今の人は現実本位でおとなしい。今の人は法律を知って法律を守って自分で自分をおとなしくさせて平和に暮らすことができる。そのために、今の国民みんなは政府に自分を脅してもらって自分をおとなしくしてもらう必要がなくなって政府が要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
今の人は国を平和にするために自分で法律を知って法律を守って自分で自分をおとなしくさせて暮らさねばならない。現実の社会では人間はみな平等であり、国民性によって規定された人権を守らねばならない。だから、今の人は人間が平等であることや、他人の人権を守らねばならない。今の人は人間が平等であることや他人の人権を守りながら自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。今の人は現実の中で自分の心を満足しないといけない。今の人は眼先や空想に目を向けず現実に目を向けて現実を知って現実の中で自分が楽しいことをやって幸福に暮らさねばならない。
人間は夢を叶[かな]えるために実在を支配しようとしても夢は叶わない。人間は実在に従うことによって夢を叶えることができる。人間が実在についてよく知れば自分にできることがわかって自分の心を満足させることができるだろう。例えば、いくら医者が「癌[がん]を治したい」と思って癌を研究しても癌は治らないだろう。癌についてよく研究した者が、自分が持っている癌についての知識に基づいて癌を治す方法を考え出して癌が治るようになるだろう。h28.1.10追記:「癌が病気である」「癌が悪い」と思っているから、癌が理解できず癌が治らないのである。『癌が健康である』『癌が善い』と思えば、癌が理解できて癌が治るかもしれない。私が「政府が悪い団体である」と思っているうちは政府が理解できず政府が倒すことができなかったが、『政府が善い団体である』と考えると政府が理解できて政府が倒すことができるようになったのと同じである。
[22454] 今の国民には政府の脅[おど]しは通用しない。 h28.1.8
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を脅しているのだから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に脅してもらうか脅してもらわないかは国民個人の自由である。
昔の人は心で生きていた。心で生きている者をおとなしくさせるためには脅して怖気づかせておとなしくさせるしかなかった。そのために、国民みんなは政府に脅してもらって怖気づかせてもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。
今の人は頭で生きている。頭で生きている者をおとなしくさせるためには正しいことを教えるしかない。そのために、国民みんなは法律会社に正しい法律を教えてもらって正しい法律を守ってに平和に暮らしている。
昔の人と今の人は生き方が違う。だから、昔と今では国民みんなが平和に暮らすための方法が違う。
今の人は正しいことを教えないかぎりおとなしくしない。いくら政府が脅してもおとなしくしない。今の国民にとっては政府は役に立たない。だから、今の国民は政府に脅してもらうのをやめて政府の脅しを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。国民で政府の替わりに法律会社を建てて、法律会社に正しい法律を教えてもらって法律を守って平和に暮らさねばならない。
[22455] 今の国民みんなは現実に従いながら生きている。 h28.1.9
昔の人は自分の心の世界に生きていた。現実は自分の心を満足するための道具だった。昔の人は自分の心のままに生きていてうるさかったから、国を平和にするために国民みんなで国民みんなを脅[おど]す政府を設けて、政府に脅してもらって怖気[おじけ]づかせてもらっておとなしくさせてもらっていた。
今の人は現実の世界に生きている。今の人は現実を知って現実の中で自分の心を満足して幸福に生きている。今の人は現実に従って生きている。今では『脳細胞の神経興奮により感覚が発生する』と考えられているから、今の人にとっては自分の心も物と同等だから、今の人にとっては自分の心も自分の自由にできる。今の人は現実の中で満足できる心だけを満足させて、現実の中で満足できない心を抑[おさ]えている。今の人は現実に従いながら生きていて法律を守って生きていておとなしくして国が平和になっているから、政府が要らなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒している。
昔の人と今の人は生き方が違う。昔の人は自分の心に従いながら生きていた。今の人は現実に従いながら生きている。昔の人は自分の心で現実を部分的に支配しながら生きていた。今の人は現実に従って現実の中で自分の心を部分的に満足しながら生きている。昔の人は心の世界に生きていたから、政府に脅してもらっておとなしくしてもらって平和に暮らしていた。今の人は現実の世界に生きているから、自分で自分の心を現実に従わせながら生きているから、自分で法律を守って自分をおとなしくさせることができるから、政府が要らなくなって政府を倒している。
昔の人は何も考えずに生きていた。昔の人は現実について何も知らずに生きていた。そのために、昔の人は自分の心のままに好き放題に生きていた。昔の人が平和に暮らすためには政府に脅してもらっておとなしくしてもらうしかなかった。
今の人はいろんなことを考えながら生きている。今の人は現実についていろんなことを知りながら生きている。今の人は心も物であることを知っている。そのために、今の人は自分の心を現実に従わせながら生きている。今の人が平和に暮らすためには自分で社会の決まりを知って決まりを守っておとなしくすればいいので、政府が要らなくなって政府を倒している。
昔の人は心で生きていたので、国を平和にするためには政府が国民みんなの心を脅して怖気づかせておとなしくさせるしかなかった。今の人は頭で生きているので、国を平和にするためには国民みんなが法律を知って法律を守っておとなしくするしかない。国民みんなで法律会社を建てて、法律会社が正しい法律を定めて国民みんなに正しい法律を教えて法律の違反者を取り締[し]まって国民みんなに正しい法律を守らせるしかない。
今の政府の法律会社は正しい法律と政府が国民みんなを虐めるために法律や政策や命令などの両方を国民に守らせているから、本当は法律会社ではない。国民は正しい法律だけ守って、政府の法律会社の定めた法律や政策や命令などを守ってはいけない。国民みんなで早く政府や政府の法律会社を倒して、本当の法律会社を建てて現実に適応して幸福に暮らさねばならない。
[22456] 昔の人は現実について何も知らなかったから政府に脅[おど]してもらっておとなしくしなければならなかった。
h28.1.9
昔の人は何も知らなかった。そのため、昔の人は自分の心のままに好き放題にやっていた。昔の人は自分の欲しい物があると、他人を殺してでも物を奪った。そのため、昔の人をおとなしくさせて国を平和にするためには、国民みんなで政府を建てて、政府に国民みんなを脅[おど]してもらって怖気[おじけ]づかせてもらっておとなしくするしかなかった。
反対に、今の人はいろんなことを知っている。そのため、今の人は自分の知識に従って心を満足させながら生きている。今の人は自分の欲しい物があると、自分にお金があればお金を払って買い、自分にお金がなければ我慢[がまん]する。そのため、今の人は自分で法律を守って自分をおとなしくさせて国を平和にしているので、政府が要らなくなって政府に脅してもらう必要がなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
昔は学校も本もなかったので、昔の人は現実について何も知らなかった。そのため、昔の人は自分の心のままにやっていた。昔の人が平和に暮らすためには、政府に脅されて怖気づかされるしかなかった。
今は学校や本やテレビやパソコンなどがあるので、今の人は現実についていろんなことを知っている。そのため、今の人は現実についての知識に従って自分の心を満足させたり抑[おさ]えたりして生きている。今の人が平和に暮らすためには、自分で法律を知って法律を守ればいい。今の人にとっては政府が要らないから政府を倒せばいい。法律会社を建てて、法律会社に正しい法律を教えてもらって正しい法律を守って暮らせばいい。
昔の人は現実について何も知らなかったから自分の心のままに生きていたから政府に脅してもらっておとなしくして国を平和にしないといけなかった。今の人は現実についていろんなことを知っているから現実の知識に従って自分の心を満足させているから自分で法律を守って国を平和にしているから政府が要らなくなって政府を倒している。
今の人でも子供のころはまだ現実を知らなくて自分の心のままにやっている。私も子供のころは法律を知らなくてよく放課後に友達といっしょに近所のスーパーで“万引き”をしたものだ。しかし、スーパーの店員に万引きを見つかって怒られてからは万引きをしなくなった。昔の人は今の子供のようなものだったのだろう。人間は現実のことを知りながら生きているので年を取るほど現実に適応して生きることができる。今の人は学校や本やテレビやパソコンなどがあって現実を知る機会に恵まれているから現実のことをよく知って法律をよく知って法律を守って生きている。今の人は自分で法律を守って平和に暮らすことができるから、政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
日本人は知覚と心が発達して五感が弱い。そのために、日本人は現実が嫌いで空想が好きである。日本人は空想ばっかり詳[くわ]しくて現実を知らない。日本人は現実を知らないために科学や産業が弱くて物が貧しくて不幸である。日本人は現実が嫌いで空想が好きなのが欠点である。日本人が現実が好きになれば科学や産業が得意になって物が豊かになって幸福になれる。そのためには、日本人は空想から目を背[そむ]けて現実に目を向けて現実について知らねばならない。日本人は現実を知って現実で喜ぶようにしないといけない。日本人はマンガやゲームをやめて現実のことで喜ぶようにして現実が好きにならねばならない。
今では国の文明が進んで国民みんなが現実のことを知って現実に従って自分の心を満足している。今では国民みんなが法律を知って法律を守って平和に暮らせるようになっている。だから、今の国民にとっては政府は要らない。法律会社があればいい。今の国民は法律を知って法律を守ることができるから、法律会社は国民に正しい法律を教えて正しい法律を守らせればいい。法律会社は政府に従うのをやめて政府の脅しの命令を聞かないようにして政府と縁を切って、政府からお金をもらうのをやめて国民と契約して国民からお金をもらって仕事をするようにしないといけない。早く国民みんなは政府の脅しを聞くのをやめて、法律会社に正しい法律を教えてもらって正しい法律を守って暮らさねばならない。(今の法律会社の中には政府が行政機関として入っているので、今の法律会社は国民に正しい法律と“政府が作った国民を脅すための法律や政策や命令”の両方を守らせている。国民は正しい法律を守らねばならないが、政府が作った国民を脅すための法律や政策や命令を守らなくていい。ところで、厳密にはすべての会社は国民に良品と不良品の両方を売っている。しかし、今では会社が国民に不良品を売ったときには会社が責任を持って弁償しないといけないことになっている。だから、法律会社も国民にまちがった法律や政策や命令を出したとき自分が責任を持たねばならない。法律会社は国民に「すいません」と言って頭を下げるだけではすまない。法律会社は自分が牢屋に入れられて罰せられたり国民みんなにお金を弁償したりしてちゃんと責任を取らねばならない。今の政府の付属の法律会社だけでなく、将来の政府と独立した法律会社もそうしなければならない。これでは今の政府の付属の法律会社はすぐに潰[つぶ]れる。だから、法律会社は政府の虐めの命令を聞かないようにして政府が作った国民を虐めるための法律や政策や命令を国民に守らせるのをやめねばならない。すると、政府は怒って法律会社にお金をくれなくなるから、法律会社は国民と契約して国民からお金をもらわねばならない。)
『人間はみな平等だ』から、政府と国民は平等だから、国民が政府に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。国民は弱気になると損をする。今の国民にとっては政府が要らないのに、政府の脅しを聞いて政府に税金を取られて政府に嫌がらされて殺されたり痛めつけられたりして不幸にされて損をする。国民は強気になって政府の脅しを聞かないようにして政府に税金や医療保険費や消費税を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[22457] 今の国民みんなは現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。☆
h28.1.9
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を脅しているから、政府と国民は平等である。国民が政府に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。
昔(昭和40年=1965年ごろ以前)は国民みんなは現実について何も知らずに自分の心のままに生きていた。そのために、国民みんなが平和に暮らすためには、国民みんなが政府に脅してもらって怖気づかせてもらっておとなしくさせてもらわねばならなかった。
今では国民みんなは現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きるようになった。そのために、国民みんなが平和に暮らすためには、国民みんなが自分で法律を知って法律を守って暮らせばよくなった。国民みんなが政府が要らなくなって政府に脅してもらわなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
昭和40年頃に国民みんなの家の中にテレビや電気炊飯器や冷蔵庫が入って来て、国民みんなが電気炊飯器や冷蔵庫を使って便利に生活できるようになって余暇が増えてテレビを見るようになった。国民みんなが現実についての情報をたくさん得るようになった。そのために、国民みんなが現実についていろんなことを知るようになって、現実に従いながら心を満足して暮らすようになった。国民みんながテレビのニュース番組を見て法律を知るようになって法律を守りながら暮らすようになった。そのために、国民みんなが政府が要らなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
[22458] 今では世界中でみんなが現実を知って自分を知って真[しん]に幸福になっている。
h28.1.9
昔は国の文明が遅れていて学校も本もなくて国民みんなが現実について何も知らなくて自分の心のままに好き放題にやっていた。昔の国民みんなは生まれつきの自分のままにやっていた。
今は国の文明が進んでテレビやパソコンなどが出来て国民みんなが現実についていろいろ知って現実に従いながら自分の心を満足して暮らしている。今の国民みんなは現実の中で自分の心を満足して現実の中で幸福に暮らしている。
現実について何も知らず自分の心のままに好き放題に生きる者を旧人類と言う。反対に、現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きる者を新人類と言う。
昔の日本人は現実について何も知らなかった。現実の自分について知らなかった。ただ、昔の日本人は「先進国に従えば幸福に暮らせる」と信じていたので、ヨーロッパを真似[まね]て科学をやったり、アジアを真似て道徳や数学をやったりしていた。そのために、日本は進歩することができた。
今の日本人は現実についていろんなことを知っている。現実の自分についても知っている。日本人は知覚と心が発達しているが五感が弱い。そのため、日本人は現実が嫌いで空想が好きである。そのため、日本人は科学や産業が弱くて、さらに日本が資源が乏しいことと相成[あいな]って、日本人は物が貧しくて不幸である。日本人が科学や産業が弱いのは日本人の欠点である。人間は自分の欠点を直さねばならない。だから、日本人は空想に目を向けず現実に目を向けて現実について考えて現実を知って科学や産業が得意になってたくさん物を作ってたくさん物を売って物やお金が豊かになって幸福にならねばならない。
昔のヨーロッパ人は現実について何も知らなかった。現実の自分について知らなかった。ただ、ヨーロッパ人は生まれつき眼がいいので科学や産業が得意なので、たくさん物を作ってたくさん物を売って物やお金が豊かになって国が発達していた。
今のヨーロッパ人は現実についていろんなことを知っている。現実の自分について知っている。ヨーロッパ人は五感が発達しているが、知覚と心が弱い。そのため、ヨーロッパ人は現実が嫌いで眼先が好きである。ヨーロッパ人が現実が嫌いなのはヨーロッパ人の欠点である。人間は自分の欠点を直さねばならない。だから、ヨーロッパ人は眼先に目を向けず現実に目を向けて現実について考えて現実を知って眼先で喜ばず現実で喜ぶようにして無駄[むだ]なことをやめて必要なことだけやって幸福に暮らさねばならない。今のヨーロッパで神や身分がなくなって宗教団体や貴族や政府が弱くなっているのは、ヨーロッパ人がだんだん現実について考えて現実がわかるようになっているためである。(アメリカは日本よりも科学が強いから、ヨーロッパと中国の中間的な国である。)
昔の中国人は現実について何も知らなかった。現実の自分について知らなかった。中国は大国なので大国気質[かたぎ]で先進国に従うこともしなかった。中国人は生まれつきの自分のままにやって文学ばっかりやって科学をやらなかったので心は豊かだが物が貧しくて不幸だった。
今の中国人は現実についていろんなことを知っている。現実の自分についても知っている。中国人は日本人と同じように知覚と心が発達しているが五感が弱い。中国人は日本人と同じように空想が好きで現実が嫌いである。中国人は文学が得意で科学が苦手である。中国人は科学や産業が苦手なので物が貧しくて不幸である。空想が好きで現実が嫌いなのは中国人の欠点である。人間は自分の欠点を直さねばならない。そのため、今の中国人は空想に目を向けないようにして現実に目を向けて現実について考えて現実を知って科学や産業が得意になって物をたくさん作ってたくさん売って物やお金が豊かになって幸福になっている。それが、文化大革命である。
昔のインド人は現実について何も知らなかった。現実の自分について知らなかった。インドは大国なので大国気質で先進国に従わなかった。インド人は生まれつきの自分のままにやって数学ばっかりやって科学をやらなかったので数学の知識は豊かだが物が貧しくて不幸だった。
今のインド人は現実についていろんなことを知っている。現実の自分について知っている。インド人は知覚が発達しているが、五感と心が弱い。インド人は数学が好きで現実が嫌いである。インド人は数学が得意で科学が苦手である。インド人は科学や産業が苦手なので物が貧しくて不幸である。数学が好きで現実が嫌いなのはインド人の欠点である。人間は自分の欠点を直さねばならない。そのため、今のインド人は数学に目を向けないようにして現実に目を向けて現実について考えて現実を知って科学や産業が得意になって物をたくさん作ってたくさん売って物やお金が豊かになって幸福になっている。
人間は現実の中に生きている。人間にとっては現実における幸福が真の幸福である。昔は世界中の国でみんなが現実を知らなくて、自分について知らなくて、自分の欠点を知らなくて生まれつきの自分のままでやっていた。そのために、世界中の国でみんなが現実において幸福になれなくて不幸に暮らしていた。しかし、今では世界中の国でみんなが現実について知って、自分について知って、自分の欠点を知って自分の欠点を直している。今では世界中でみんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して現実の中で自分の心を満足して真に幸福になっている。たとえ山の登り口は違っていても山の頂上は同じであるのと同じことである。
政府は“昔の国民みんなが現実を知らなくて自分の心のままにやっていた時代”の国を平和にする団体である。今では国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足しているから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。今の国民みんなと政府は違う時代に存在している。昭和40年頃(1965年頃)に時代の境界線がある。だから、今の国民みんなは政府を無視して政府の脅しを聞かないようにして政府に税金(医療保険費や消費税を含む)を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
[22459] どうして政府についてはっきりと言う者がいないのか? h28.1.10
これまでテレビや新聞や雑誌などで誰も政府についてはっきりと言わない。はっきりと言った者が一人もいない。
それはこれまで誰も政府についてはっきりとわかっていないからである。はっきりとわかっていればはっきりと言える。はっきりとわかっていなければはっきりと言えない。これまで政府についてはっきりとわかった者がいないからはっきりと言う者がいないのである。
テキトウにわかるのは易しいが、はっきりとわかるのは難しい。これまで政府についてはっきりとわかった者がいないから、公[おおやけ]にはっきりと言う者がいなかったのである。これまで政府についてはっきりとわかった者がいないから、テレビや新聞や雑誌などで政府についてはっきりと言った言葉がないのである。
私は政府についてはっきりとわかっているからはっきりと言えるのである。はっきりとした言葉で言えるのである。
はっきりとしたことは正しく、曖昧[あいまい]なことはまちがいである。私の言葉ははっきりしているから、私の考えは正しい。だから、みんなは私の考えを信用して私の考えに従って思考して行動すればいい。
これまでテレビや新聞や雑誌などでみんなが政府のことを伏[ふ]せて言ったり喩[たと]えて言ったりしてきたのはみんなが本当は政府のことがわかっていないからである。これまでみんなが政府についてはっきりと言わなかったのは、みんなが政府のことがちゃんとわかっていないからである。反対に、私が政府についてはっきりと言うのは私が政府についてはっきりとわかっているからである。私は政府のことがはっきりわかっているからはっきりと言えるのである。
これまでみんなが政府のことを伏せたり喩えたりして言ってきたのは、政府のことをはっきりと言ったことが政府に知られると自分が不利になるからではなく、もともと政府のことがはっきりとわかっていないからである。自分の考えがまちがっていた場合に責任回避をするためにはっきりと言わないのである。それでは、何も言ったことにはならない。
私はたとえ自分の考えがまちがっていてもはっきりと言う。そのほうが進歩があるからだ。人間は自分の考えを改良して正しいことがわかるものだ。人間は自分の考えを手入れして訂正して正しい考えを作るものだ。だから、たとえまちがっていてもはっきりと言えばいいのだ。
[22460] どうして日本は儲[もう]からないか? h28.1.10
政府は民主主義の芝居をやっている“国民を脅[おど]して国を平和にする団体”である。
昔は国民みんなが現実のことを何も知らずに自分の心のままに好き放題にやって心のことしかわからなかったので、国民みんなが政府に脅してもらって怖気[おじけ]づかしてもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。
しかし、今では国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足している。今では国民みんなが自分で法律を知って法律を守って自分の心を満足して平和に幸福に暮らしている。だから、今では国民みんなが政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
だから、東大生は将来政府に就職せずに、民間会社の待遇のいいところへ就職すればいい。
しかし、民間会社は世襲制[せしゅうせい]である。民間会社は社員の家族で固めている。たとえ東大生でも就職する余地はない。
日本の民間会社は社員の家族で固めている。たとえ仕事の才能がなくても親が会社に勤めていれば子供が会社に勤めることができる。そのために、日本の民間会社は仕事の才能がない馬鹿の溜[た]まり場になっている。日本の民間会社は仕事のやる気のないボンクラの遊び場と化している。だから、日本は儲からないのである。
このままでは日本が滅びる。たとえ滅ばなくても日本は永遠に貧乏な国のままである。だから、日本の民間会社は考えを変えて家族で固めるのをやめて実力のある者を採用しなければならない。親は自分の子供よりも国家のほうを大事にすべきである。自分の馬鹿息子よりも仕事の才能がある者に優先的に働かせねばならない。そうすれば、日本は貧乏国から抜け出してお金持ちの国になるだろう。
[22461] どうして大阪に暴力団が多いのか?☆ h28.1.10
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民を嫌がらせたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。暴力団や宗教団体もそういう団体である。政府は暴力団に民主主義の芝居のオマケが付いているだけである。宗教団体は暴力団に宗教(つまり神主義)の芝居のオマケが付いているだけである。政府や暴力団や宗教団体は国民をおとなしくさせて平和にして国民を幸福にするために国民を脅しているのだから、政府や暴力団や宗教団体と国民は平等である。国民が政府や暴力団や宗教団体に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。
昔(昭和40年=1965年以前)は国民みんなが現実を知らずに自分の心のままにやっていた。国民みんなが心のことしかわからなかった。そのために、国民みんなが政府に脅されて怖気づかされておとなしくして国を平和にしていた。
今は国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。国民みんなが法律を知って法律を守っておとなしく平和に暮らしている。今の国民は心のままに好き放題に生きていないので、政府の脅しは効[き]かなくなっている。だから、今の国民は政府の世話にならなければいい。今の国民は政府の脅しを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
今では国民みんなが現実を知り現実に従いながら自分の心を満足するようになっている。しかし、ところによってはまだ国民みんなが心のままに好き放題にやっている。
例えば、大阪では国民みんながいまだに現実を知らずに自分の心のままに好き放題にやっている。大阪では国民みんなが心のことしかわからない。そのために、大阪では暴力団がいて国民みんなを脅して怖気づかせておとなしくさせて平和にしているのである。
一般に、今でも国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっているところでは、暴力団がいて国民みんなを脅しておとなしくさせて平和にしている。そういうところでは、国民みんなが法律を知ろうとせず法律を守ろうとしないから法律会社があっても役に立たないから、暴力団が国民みんなを脅しておとなしくさせて治安を維持しているのである。宗教団体も暴力団と同じように、自分の心のままに好き放題にやっている国民みんなを脅しておとなしくさせて平和にしている。暴力団は都会に多い。宗教団体は田舎[いなか]に多い。いわば、宗教団体は田舎の暴力団である。政府だけでは平和にする威力[いりょく]が足りないので、その上に暴力団や宗教団体が国民みんなを脅して平和を強めているのである。
今の国民は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して幸福に暮らしている。今の国民は法律を知って法律を守りながら平和に幸福に暮らしている。今の国民は政府や暴力団や宗教団体のお世話になる必要がない。だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体の世話にならず、政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かず政府や暴力団や宗教団体にお金をやらず暮らせばいい。(“堅気[かたぎ]の者に手を出すな!”つまり、現実を知って生きている者は政府や暴力団や宗教団体などの権力団体が要らないから、たとえ政府や暴力団や宗教団体に脅されても脅しを聞かないようにして断ればいいのである。)
今の日本には自分の心のままに好き放題にやっている者と現実に従いながら自分の心を満足している者が混じっている。自分がどんな生き方をするかは国民個人の勝手である。現実を知らずに自分の心のままに好き放題に生きる者は政府や暴力団や宗教団体に脅されておとなしくすればいい。反対に、現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きる者は法律を知って法律を守っておとなしくすればいい。法律会社に正しい法律を教えてもらって正しい法律を守っておとなしく暮らせばいい。今では国民が自分の心のままに好き放題にやることから現実に従うことに変わっているので、国民が政府や暴力団や宗教団体に脅されるのをやめて法律を守るようになっている。法律会社に正しい法律を教えてもらって正しい法律を守るようになっている。国民が政府に税金を払うのをやめて政府が潰[つぶ]れている。政府の法律会社は政府からお金をもらって国民からお金を取らずに国民みんなに対して法律の仕事をやっている。民放のテレビ局が国民みんなに只[ただ]で放送してくれるのと同じことである。政府が潰れたら、政府の法律会社は政府から独立して国民と契約して国民からお金をもらって法律の仕事をするようになるだろう。
[22462] 今の日本には政府と法律会社の両方がある。 h28.1.11
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
一方、法律会社は国民に正しい法律を守らせて国を平和にする団体である。現実の社会においては人間はみな平等であり、国民みんなの心によって何において平等かが決まる(つまり国民性によって保障される人権が決まる)ので、法律会社は人間の平等性と国民性に基づいて正しい法律を定めて、テレビや新聞などで国民みんなに正しい法律を教えて、法律の違反者を取り締[し]まって、国民みんなに正しい法律を守らせて国を平和にする。
今の日本には政府と法律会社の両方がある。政府は国民を脅して、法律会社は国民に正しい法律を守らせている。政府は法律会社の中に行政機関として紛[まぎ]れ込んでいる。政府は法律会社の中に紛れ込むことによって法律会社のふりをしている。法律会社は政府からお金をもらって経営しているので国民からお金を取らず国民みんなに対して無料で法律の仕事をやっている。『人間はみな平等である』から、国民と政府や法律会社は平等である。国民が政府に脅してもらうか脅してもらわないかは国民個人の自由である。国民が法律会社に法律の仕事をしてもらうかもらわないかは国民個人の自由である。
昔(昭和40年=1965年ごろまで)は国の文明が低くてテレビやパソコンがなくて国民みんなが現実を知る機会がなかった。国民みんなは現実を知らずに自分の心のままに好き放題にやっていた。
今は国の文明が高くなってテレビやパソコンが出来て国民みんなが現実を知る機会が出来て国民みんなが現実を知っている。国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。
昔は国民みんなが現実を知らず自分の心のままに好き放題にやっていた。国民みんなが心のことしかわからなかった。国民みんなはたとえ法律があっても法律を知ろうとせず法律を守らなかった。国民みんなにとっては法律が役に立たなかった。国民みんなにとっては政府の脅ししか役に立たなかった。国民みんなにとっては法律会社は要らず政府しか要らなかった。国民みんなにとっては法律会社は飾りにすぎなかった。そのため、国民みんなは政府に脅されて怖気づかされておとなしくして平和にしていた。
今は国民みんなが現実を知って現実に従って自分の心を満足している。国民みんなが現実のことがわかるようになっている。国民みんなが頭で現実のことを知って現実の中で自分の心を満足している。国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和にしている。国民みんなにとっては法律しか役に立たなくなって、政府の脅しが役に立たなくなっている。国民みんなにとっては法律会社が要って政府が要らなくなっている。国民みんなにとっては政府は飾りにすぎなくなっている。そのため、国民みんなは政府の脅しを聞くのをやめて政府に税金(医療保険費や消費税を含む)をやるのをやめて政府を倒している。政府が潰[つぶ]れている。法律会社は政府からお金がもらえなくなって政府から独立民営化して国民と契約して国民からお金をもらって法律の仕事をするようになっている。
今では国の文明が進んでテレビやパソコンがある。国民みんなはテレビやパソコンをやっている。そのため、国民みんなは現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きるようになっている。今の国民は現実に従っているために、政府の脅しが効[き]かなくなって、法律しか要らなくなっている。今の国民にとっては法律会社だけがあればよく政府は要らない。国民みんなで早く政府を倒して法律会社だけにしなければならない。
[22463] 今の国民は現実がわかるので政府の脅[おど]しがわからなくなっている。
h28.1.11
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせておとなしくして国を平和にする。
法律会社は国民に正しい法律を守らせて国を平和にする団体である。法律会社は正しい法律を定めて、テレビや新聞などで国民みんなに正しい法律を教えて、法律の違反者を取り締[し]まって、国民みんなに正しい法律を守らせて国を平和にする。
昔はテレビやパソコンがなかったので、昔の国民みんなは現実を知らず自分の心のままに好き放題にやっていた。昔の国民みんなは心のことがわかるだけで現実のことがわからなかった。昔の国民にとっては政府の脅しがわかるだけで法律がわからなかったから、政府に脅されておとなしくしているだけで、法律会社がいくら国民に正しい法律を守らせようとしても国民は法律を無視して守らなかった。
今はテレビやパソコンがあるので、今の国民みんなは現実を知って現実に従って自分の心を満足している。今の国民は現実がわかるので、法律がわかる。今の国民みんなは現実がわかるので、政府の脅しがわからなくなっている。今の国民にとっては法律がわかるだけで政府の脅しがわからないから、法律を守りながら自分の心を満足して暮らしているだけで、政府がいくら国民を脅しても政府が何をやっているのかわからず政府の脅しを聞かなくなっている。
昔の国民は現実を知らず自分の心のままにやっていたので、昔の国民にとっては政府が役に立つだけで法律会社は役に立たなかった。昔の国民にとっては法律会社は飾りにすぎなかった。昔の国民は政府の脅しを聞いて政府に税金を払っておとなしくしていた。昔の国民は現実がわからなかったので法律を無視して守らなかった。
今の国民は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足しているので、今の国民にとっては政府が役に立たず法律会社が役に立つだけである。今の国民にとっては政府が飾りにすぎない。今の国民は法律会社に正しい法律を教えてもらって正しい法律を守って暮らしているだけである。今の国民にとっては政府の脅しが効かなくなっているので、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。法律会社は政府からお金がもらえなくなって国民と契約して国民からお金をもらって法律の仕事をするようになっている。
今の国民は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足しているので、今の国民には法律が効くだけで政府の脅しが効かないので、今の政府はインチキをして国民からお金を取っている。今の政府は“納税の義務”の法律を定めたり“医療保険制度や消費税”を定めたりして国民からお金を取っている。“納税の義務”は政府が民主主義の芝居の上で定めた架空の法律だから国民は守らなくていい。“医療保険や消費税”は政府が税金の代わりにとっているお金だから国民は医療保険に入らず消費税を払わなければいい。国民は政府のインチキに騙[だま]されないようにして、早く政府を倒して、法律会社に仕事をやってもらわねばならない。
今の国民が医療保険に入っているのは自分のためであって、政府が医療保険制度を定めたからではない。だから、医者は医療保険制度を政府と独立に設ければいい。消費税は政府が民主主義の芝居の上で定めた架空の法律であって本当は法律ではないから、国民が消費税を払うか払わないかは国民個人の自由である。国民は自分が消費税を払うのが嫌なら、店で断って払わなければいい。商人も消費税に対する理解を持って、国民が消費税を払わないのを認めねばならない。国民から消費税を取ると国民が物を買わなくなって商人が儲[もう]からなくなるから、商人は消費税に反対しないといけない。
[22464] 今の国民は法律がわかって政府の脅[おど]しがわからない。 h28.1.11
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。
法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。
昔はテレビやパソコンがなかったので、昔の国民は現実を知らず自分の心のままに好き放題にやっていた。昔の国民は現実がわからず心のことしかわからなかった。
今はテレビやパソコンがあるので、今の国民は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。今の国民は現実がわかるし心もわかる。
昔の国民と今の国民は認識のしかたが違う。生き方が違う。
昔の国民は心しかわからなかったので、法律がわからず政府の脅ししかわからなかった。昔の国民は法律会社が定めた法律を守らなかった。昔の国民は政府の脅しを聞いて政府に税金を払って平和に暮らしていた。政府は法律会社に税金の余りをやって経営していた。
今の国民は現実に従いながら自分の心を満足しているので、法律がわかって政府の脅しがわからない。今の国民は法律会社の法律を守って平和に暮らして、法律会社に只[ただ]で仕事をしてもらっている。今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金(医療保険費や消費税を含む)を払わなくなって政府を倒している。法律会社は政府からお金をもらえなくなって国民と契約して国民からお金をもらって法律の仕事をするようになるだろう。
[22465] どうして今の人は現実に従うようになったか? h28.1.11
昔の人は『人間が脳で認識する』ことを知らなかった。そのために、『人間が現実の中にいる』ことを知らなかった。「人間が自分の心の世界の中にいる」と思っていた。だから、昔の人は現実を知ろうとせず自分の心のままに好き放題にやっていたのである。昔の人は現実を知らず心のことしかわからなかったから政府に脅[おど]されておとなしくして国を平和にしなければならなかったのである。
しかし、今の人は『人間が脳で認識する』ことを知っている。『人間が現実の中にいる』ことを知っている。『いくら人間が心で思っていても、人間は脳で認識するから、脳が現実の中にあるから、本当は現実の中にいる』と思っている。『人間は現実の中に生きている』から、今の人は現実を知ろうとして現実に従いながら自分の心を満足して暮らすようになったのである。今の人は現実に従うようになったから、自分で法律を守って平和に暮らすようになって、政府の脅しを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
戦後になってみんなが『人間が脳で認識する』ことを知るようになったので、みんなが現実を知り現実の従いながら自分の心を満足するようになったのである。今でも『人間が脳で認識する』ことを知らない者が「人間は心の世界の中にいる」と思って、自分の心のままに好き放題にやっているのである。
今では国の文明が進んで学校や本やテレビやパソコンが出来てみんなが『人間が脳で認識する』ことを知る機会が増えたから、みんなが『人間が脳で認識する』ことを知るようになっているのである。みんなが現実を知り現実の中で自分の心を満足するようになっているのである。みんなが政府が要らなくなって法律が要るようになっているのである。
昔の人は現実を心を満足するための道具だと思っていた。昔の人はそういう目で現実を見て現実のことを知っていた。昔の人は自分の心を肯定して、現実を自分の心に従わせて生きていた。一方、今の人は現実を心が従うべきものだと思っている。今の人はそういう目で現実を見て現実のことを知っている。今の人は現実を肯定して、自分の心を現実に従わせながら生きている。昔の人と今の人では生きている世界が違うのだ。
[22466] 今の国民は現実に従わねばならないから法律を守って政府に脅[おど]されてはいけない。
h28.1.12
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。人間は脅されると怖気[おじけ]づいておとなしくなるので、政府は国民を脅して国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は国民を脅して国を平和にするために、国民に命令して高い税金を取ったり国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりする。
法律は社会における人間の決まりである。法律の原理は『人間が平等である』ことであり、国民性によって何について平等であるかが決まる。法律会社は国民に正しい法律を守らせて国を平和にする団体である。法律会社がまちがった法律を定めたら、法律会社が責任を取って牢屋に入ったり弁償したりしないといけない。
今では『人間が脳で認識する』ことが正しいことだとされている。
だから、人間は現実に従わねばならない。人間は現実を知り現実に従いながら自分の心を満足しないといけない。
だから、国民は法律を知って法律を守りながら自分の心を満足しないといけない。国民は法律会社に正しい法律を定めてもらって正しい法律を教えてもらって正しい法律を守って暮らさねばならない。国民は法律会社と契約して法律会社にお金を払って法律の仕事をしてもらわねばならない。国民は政府に脅されないようにして政府の脅しを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
そういうわけで、今では多くの国民が法律を守って政府に脅されないようにして政府を倒している。
『人間が脳で認識する』ことは戦後になってわかったことである。そのために、今でも『人間が脳で認識する』ことを知らない者がたくさんいる。そういう者は自分の心のままにやって政府に脅されておとなしくして平和に暮らしている。いずれはみんなが『人間が脳で認識する』ことを知って、みんなが現実に従うようになって、法律を守って政府に脅されなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府が潰[つぶ]れるだろう。みんなが法律会社と契約して法律会社にお金を払って法律の仕事をやってもらうだろう。
人間は“現実の中で満足できない感情”を満足しようとすると不幸になる。人間は“現実の中で満足できる感情”を満足すると幸福になる。人間は自分の心を現実に従わせると幸福になり、現実を自分の心に従わせようとすると不幸になる。人間は自分の心を現実に従わせねばならない。人間は現実の中で自分の心を満足しないといけない。そういう者にとっては政府は要らない。法律だけがあればいい。今では国民みんなが現実を知り現実の中で自分の心を満足するようになっている。だから、今の国民みんなは法律を守って政府の脅しを聞かなくなって政府を倒しているのである。
[22467] 昔の人は心で生きていた。今の人は現実で生きている。 h28.1.12
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民を脅して国民の心を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。
法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。法律会社は法律を定めて国民に法律を教えて法律の違反者を取り締[し]まって国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。
昔(昭和40年=1965年ごろよりも以前)の人は自分の心を肯定して、現実を心に従わせて生きていた。昔の人は心で生きていた。そのため、昔の人は平和に暮らすために政府に脅されておとなしくしなければならなかった。
今の人は現実を肯定して、心を現実に従わせて生きている。今の人は現実で生きている。そのため、今の人は平和に暮らすために法律を知って法律を守らなければならない。今の人は政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の人は法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
昔の人と今の人は世界観が違う。生き方が違う。例えば、私の親(戦前の昭和10年代生まれ)は心で生きている。私(戦後の昭和39年=1964年生まれ)は現実で生きている。私の親と私では世界観が違う。私の親と私の間で世界が変わったのだ。昔の人は心で生きていたから政府が必要で法律が要らなかったが、今の人は現実で生きているから法律が必要で政府が要らない。今では政府と法律が入れ替わっている。そのため、今の人は政府に脅されなくなって政府を潰[つぶ]して、法律を守って法律会社を建てている。
[22468] 昔の人は『人間が脳で認識する』ことを知らなかった。今の人は『人間が脳で認識する』ことを知っている。
h28.1.12
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。
法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。法律会社は法律を定めて国民に法律を教えて法律の違反者を取り締[し]まって国を平和にする団体である。
昔の人は『人間が脳で認識する』ことを知らなかった。そのために、昔の人は自分の心を肯定して、現実を心に従わせて生きていた。昔の人は現実に従わずに自分の心のままに好き放題に生きていた。昔の人が平和に暮らすためには法律は役に立たず、政府に脅してもらっておとなしくするしかなかった。そのため、昔の人は法律会社が定めた法律を無視して守らず、政府の脅しを聞いて政府におとなしくさせてもらっていた。法律会社は国民からお金をもらえなかったので、政府にお金をもらって食わせてもらっていた。
今の人は『人間が脳で認識する』ことを知っている。そのために、今の人は現実を肯定して、心を現実に従わせて生きている。今の人は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今の人が平和に暮らすためには政府の脅しは役に立たず、法律を知って法律を守らねばならない。そのため、今の人は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の人は法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金を払って法律の仕事をやってもらうつもりである。
昔の人は『人間が脳で認識する』ことを知らなかった。今の人は『人間が脳で認識する』ことを知っている。そのため、昔の人と今の人では世界観が違う。生き方が違う。昔の人は心が現実を支配していたが、今の人は心が現実に従っている。そのため、昔の人にとっては法律会社が要らず、政府が必要だった。反対に、今の人にとっては法律会社が必要で、政府が要らない。そのために、今では政府が滅んで、法律会社に替わっているのだ。
つまり、昔の日本は心主義の国だった。心主義の国では政府が国民みんなを脅しておとなしくさせて国を平和にしていた。反対に、今の日本は現実主義の国である。現実主義の国では法律会社が国民みんなに正しい法律を守らせておとなしくさせて国を平和にしている。今の日本は心主義から現実主義に変わっている途中なので、政府がだんだん潰[つぶ]れて法律会社に替わっているのである。
昔の人は自分の心で生きていたから、知識をどうでもいいと思っていた。人間は生まれつきの心で善人と悪人が決まっていると考えていた。哲学や道徳なんかどうでもいいと思っていた。親が子供をほったらかしにして子供の好き勝手にやらせて子供に自分で自分の人生を誤らせて子供を不幸にしていた。反対に、今の人は現実で生きているから、生まれつきの心なんかどうでもよく知識を大事だと考えている。人間は与える知識によって善人と悪人に分かれると考えている。親が子供に正しいことを教えて子供が正しいことをやるようにして子供に正しい人生を歩ませて子供を幸福にしている。親が子供に正しい知識を与えれば善人になって幸福になり、反対にまちがった知識を与えれば悪人になって不幸になる。人間は生まれつきの心のままでは進歩しない。人間は現実に従わなければ進歩しない。人間は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して幸福になればいいのである。
[22469] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。 h28.1.12
政府は民主主義の芝居をする“国民を脅[おど]して国を平和にする団体”である。【政府学の原理】
納税の義務は政府が民主主義の芝居の上で定めた架空の法律であり本当の法律ではないから、国民は守らなくていい。
政府の正体は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせておとなしくして国を平和にする。政府は国民を脅すために国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民を嫌がらせたり国民を殺したり痛めつけたりする。
ところが、今の国民は『人間は脳で認識するから、人間の心も脳における認識にすぎないから、人間の心は現実に従わねばならない』と考えている。今の国民は現実を知って現実に従って自分の心を満足しているから、今の国民は自分で法律を守って平和に暮らしているから、政府に脅してもらって平和に暮らしていないから、政府の脅しを聞かず政府に税金を払わなくていい。
したがって、今の国民は政府に税金を払わなくていい。(証明終わり)
[22470] 昔の人は心主義だった。今の人は現実主義である。☆ h28.1.12
フランシス・ベーコンは「自然に従えば自然を支配できる」と言った。ベーコンにとっては自然は心を満足するための道具にすぎなかった。
昔の人は心主義だった。昔の人は自分の心を肯定して、現実を心に従わせて生きていた。
しかし、そもそも心とは何か?人間が自分の心を肯定する理由があるのか?
今の人は『人間が脳でいろんなことを感じている』ことを知っている。『人間の心が脳でいろんな感情を感じることにすぎない』ことを知っている。今の人にとってはもはや自分の心を肯定する理由がない。今の人は現実に従うのみである。
今の人は現実主義である。今の人は現実を知り現実に従いながら自分の心を満足している。今の人は現実を知って現実の中で自分の心を満足して生きている。
昔の人は心主義だったので、昔の人は現実に従わず自分の心のままに好き放題にやっていたので、昔の人が平和に暮らすためには政府に脅[おど]されて怖気[おじけ]づかされておとなしくさせられるしかなかった。
今の人は現実主義なので、今の人は現実に従って自分の心を満足しているので、今の人が平和に暮らすためには法律を知って法律を守って自分の心を満足すればよくなったので、政府に脅される必要がなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
そのために、今では政府が潰[つぶ]れて法律会社に替わっている。将来、法律会社が建って法律会社が国民と契約を取って国民からお金をもらって法律の仕事をするようになるだろう。
[22471] 昔の人は心がわかっていないために不幸になっていた。 h28.1.13
心主義の者は心が何かがわかっていない。心主義の者は心に盲目である。心主義の者は心がわかっていないために自分の心をなんでもかんでも満足しようとして現実の中でまちがいを犯してかえって不幸になる。一方、現実主義の者は物も心も両方ともわかっている。現実主義の者はわからないことがないから現実の中でまちがいを犯さないから不幸にならない。
昔(昭和40年=1965年頃以前)は世界中のみんなが心主義だった。昔はみんなが現実のことを知らず自分の心のままに生きていた。昔はみんなが自分の心のままに好き放題にやって不幸になっていた。例えば、昔のヨーロッパ人は自分の“戦争をやりたい気持ち”を満足するためにむやみに戦争をやって不幸になっていた。今ではみんなが現実主義である。今ではみんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足している。今ではみんなが自分の心を客観的に見て自分の心を満足させたり抑[おさ]えたりして自分の心を適切に活動させている。今ではみんなが物でも心でもまちがいを犯さずに幸福に生きていくことができる。例えば、今のヨーロッパ人は自分の“戦争をやりたい気持ち”を満足しようとすると戦争をやって自分が不幸になることを知っているので、自分の“戦争をやりたい気持ち”を抑えて戦争をやらなくなって幸福に暮らしている。もっとも、今でも物や心を知ろうとしない者は物や心を知らずにまちがいを犯して不幸になる。物や心について知ろうとする者は物も心もよくわかってまちがいを犯さずに幸福に生きることができる。だから、幸福に生きたい者は物や心について知らねばならない。人間が勉強するのは自分を幸福にするためである。だから、幸福になりたい者は勉強しないといけない。
要するに、昔の人は無知だった。大昔の人は物も心も両方とも知らず、昔の人は物は知っていても心は知らなかった。昔の人は自分の知らないことでまちがいを犯して不幸になっていた。昔の人は心のことがわかっていなかったから自分で自分の心をどうすることもできず自分の心を現実に従わせることができず自分の心のままにやるしかなかった。今の人は無知ではない。今の人は物も心も知っている。今の人は心のことがわかっているから自分で自分の心をどうにでもできるから自分の心を現実に従わせることができるのだ。今の人は自分が知らないことがないからまちがいを犯さずに幸福に生きていけるのだ。今の人は現実を知って空想や眼先(神とか身分とか肩書きとか地位とか)を知らなければ現実においてまちがいを犯さずに幸福に生きていけるのだ。
人間の眼は自分が考えたことが正しいかまちがっているかを確認するための道具である。そうやって科学をやれば眼先を見ずに現実だけ見ることができる。ヨーロッパ人は五感から現実に入るが、アジア人は知覚から現実に入るのだ。
[22472] どうして人間は自分の感覚と他人の感覚が区別できるのか? h28.1.13
脳細胞の神経興奮によってその脳細胞が荷っている感覚が発生する。【感覚の原理】
したがって、人間の心は人間の脳の前頭葉の脳細胞の神経興奮によって発生する感覚にすぎない。人間は自分の脳細胞の神経興奮を神経線維を介して調節することによって強めたり弱めたりすることができる。感覚を強めたり弱めたりできる。人間は自分の心を自分の思い通りに操[あやつ]ることができる。つまり、人間には理性がある。そのために、今の人間は現実に従うことができるようになったのである。今の人間は現実を知って現実に従いながら自分の心を満足することができる。今の人間は法律を知って法律を守りながら自分の心を満足して平和に幸福に暮らすことができる。今の人間は政府に脅[おど]されて怖気[おじけ]づかされておとなしくされる必要がないから、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
自分の感覚は自分にしか感じられない。【感覚の局在性の原理】
『自分の感覚が自分にしか感じられない』のは、感覚の広がりが人間の頭の広がりぐらいしかないからである。自分の感覚は自分の脳全体をカバーできるから、自分の感覚は自分に感じられる。他人の感覚は自分のところまで達しないから、自分には感じられない。こうして、自分にとっては自分の感覚しか感じられず他人の感覚は感じられず、自分の感覚と他人の感覚が区別されるのである。
私は以前「感覚はそれを荷う脳細胞のところにしか存在しない」と考えていたから、自分の感覚がすべて自分のものとされることが理解できず、感覚が自分のものか他人のものか区別されることが理解できず、自分には自分の感覚だけが感じられ他人の感覚は感じられないことが理解できなかった。“感覚の広がり”を考えれば理解できる。『“感覚の広がり”が自分の脳の大きさぐらいある』とすれば、自分の感覚はすべて自分のものであり他人の感覚は他人のものであり、自分の感覚と他人の感覚が区別されることが理解できる。
[22473] 昔の人は現実に従うことができなかった。今の人は現実に従うことができる。☆☆
h28.1.13
昔の人は心のことがわかっていなかった。そのために、昔の人は自分の心のままに好き放題にやることしかできなかった。昔の人は自分で自分の心を働かせたり抑[おさ]えたりすることができなかった。そのために、昔の人は現実に従うことができなかった。昔の人は法律を守ることができなかった。そのために、昔の人が平和に暮らすためには法律は何の役にも立たず、政府に脅[おど]されて怖気[おじけ]づかされておとなしくさせられるしかなかった。政府が国民みんなを脅して国を平和にするために、国民みんなに命令して高い税金を取ったり国民みんなに嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民みんなを殺したり痛めつけたりしていた。
今の人は心のことがわかっている。今の人は『人間の心が脳細胞の神経興奮で発生する感覚である』ことがわかっている。今の人は『心は脳の前頭葉の脳細胞の神経興奮で発生する感覚にすぎない。人間は脳の前頭葉の脳細胞の神経興奮を神経線維を介して調節することによって自分の心を自分の思い通りにできる。』と思っている。そのために、今の人は自分の心を自分の思い通りにすることができる。今の人は自分で自分の心を働かせたり抑えたりすることができる。そのために、今の人は現実に従うことができる。今の人は法律を守ることができる。そのために、今の人が平和に暮らすためには政府の脅しは何の役にも立たず、法律を知って法律を守るしかない。法律会社に法律を守らせてもらうしかない。
そういうわけで、今では国民みんなが政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。(会社を建てた人は、法律会社に“会社に関する法律”を守らせてもらうために追加料金を払わねばならない。)今ではほとんどの事業を民間会社がやっているから、法律会社は法律の仕事だけをやって、それ以外のことは民間会社がやればいい。
[22474] 昔の人は自分の心を自分の思い通りにできなかったので政府に脅[おど]されなければならなかった。☆☆
h28.1.13
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。
法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。法律会社は法律を定めて国民みんなに法律を教えて法律の違反者を取り締[し]まって国民みんなに法律を守らせて国を平和にする団体である。
昔の人は心のことがわからなかったので、自分の心を自分の思い通りにできず、自分の心のままに好き放題にやることしかできず、現実に従うことができなかった。昔の人は法律があっても守ることができず、政府に脅してもらって怖気づかされておとなしくさせてもらって平和に暮らさねばならなかった。
今では脳の科学が出来て『人間の心は脳細胞の神経興奮で発生する感覚にすぎない。人間は脳細胞の神経興奮を神経線維を介して調節することによって、自分の心を自分の思い通りにできる』ことがわかっている。
今の人は心のことがわかっているので、自分の心を自分の思い通りにできるので、自分の心を現実に従わせることができるので、現実を知って現実に従いながら自分の心を満足することができる。今の人は法律を知って法律を守って平和に暮らすことができるので、政府に脅してもらっておとなしくさせてもらわなくてもよくなっている。
そのため、今の国民みんなは政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
つまり、『人間が脳で認識する』という知識が政府を倒しているのである。政府や暴力団や宗教団体などを倒しているのである。人間が『人間が脳で認識する』ことを知ったために、人間が自分の心を自分の思い通りにすることができるようになって、人間が法律を守っておとなしくできるようになって、政府や暴力団や宗教団体に脅してもらっておとなしくしなくてもよくなって政府や暴力団や宗教団体が要らなくなったのである。人間が政府や暴力団や宗教団体などの脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒しているのである。
[22475] 政府は理性がない人をおとなしくさせるためにある。 h28.1.14
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。
法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にする団体である。
昔の人は自分の心のことを知らなかったので、自分で自分の心をどうすることもできなかった。昔の人は自分の心のままに好き放題にやることしかできなかった。そのため、昔の人は政府に脅してもらって怖気[おじけ]づかせてもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らさなければならなかった。昔の人は政府に命令されて高い税金を払わされたり政府に嫌がらされたり政府に殺されたり痛めつけられたりして政府に脅されておとなしくさせられて平和に暮らさねばならなかった。
反対に、今の人は自分の心のことを知っているので、自分で自分の心を思い通りにすることができる。今の人は『人間の心が脳の前頭葉の脳細胞の神経興奮で発生する感覚であり、自分の脳で神経線維を介して自分の脳の前頭葉の脳細胞の神経興奮を調節することによって自分の心を思い通りにすることができる』ことを知っている。今の人は自分の心を現実に従わせることができる。今の人は自分で現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して暮らすことができる。そのため、今の人は自分で法律を知って法律を守りながら自分の心を満足して平和に幸福に暮らしている。今の人は政府に脅してもらう必要がなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の人は法律会社と契約して法律会社にお金を払って法律の仕事をやってもらうつもりである。
つまり、昔の人は理性がなかった。理性がない人のために政府があった。
今の人は理性がある。理性がある人にとっては政府は用がない。
だから、今では政府がどんどん潰[つぶ]れてなくなっているのである。
もともと『地球が太陽の周[まわ]りを回っている』が眼先で見るために「太陽が地球の周りを回っている」ように見える。もともと『幽霊はいない』が心(恐怖心)で見るために「幽霊がいる」ように見える。もともと『政府は国民を脅して国を平和にする団体である』のに、眼先や心で見るために「政府が上の者である」ように見えたり「政府が怖い者である」ように見えて政府に従うのである。もともと『政府と国民は平等である』から、国民が政府に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に脅されたければ脅されればよく、脅されたくなければ脅されなければいい。昔の国民は理性がなかったから、自分で自分の心をおとなしくさせて平和に暮らすことができなかったから、政府に脅してもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。今の国民は理性があるから、自分で自分の心をおとなしくさせて平和に暮らすことができるから、政府に脅してもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らさなくなった。今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
政府や暴力団や宗教団体が国民に命令して国民からお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりするのは国民を脅して国民を怖気づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にするためである。政府や暴力団や宗教団体が国民を脅すのは仕事である。政府や暴力団や宗教団体が国民を脅すのは国を平和にして国民を幸福にするためにやっている仕事である。政府や暴力団や宗教団体は善いことをやっているのである。けっしてテレビの刑事ドラマのように政府や暴力団や宗教団体は悪いことをしているのではない。(暴力団が国民に麻薬を売るのは、国民を麻薬の禁断症状で苦しませて国民を虐[いじ]めて国民をおとなしくさせて国を平和にするためである。政府が国民にマンガやゲームをやらせて国民を現実逃避にさせて苦しめて国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にするのと同じである。)『人間はみな平等である』から、国民と政府や暴力団や宗教団体は平等である。国民が政府や暴力団や宗教団体に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。昔の国民は理性がなかったから、自分で法律を守っておとなしく暮らすことができなかったので、政府や暴力団や宗教団体に脅してもらっておとなしくさせてもらって平和に暮らしていた。今の国民は理性があるから、自分で法律を守っておとなしく暮らすことができるので、政府や暴力団や宗教団体に脅してもらっておとなしくさせて平和に暮らさなくてもよくなった。そのため、今の国民は政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かなくなって政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくなって政府や暴力団や宗教団体を倒しているのである。(政府は今でこそ大きい団体だが、もともとは小さな団体だった。今の暴力団程度の小さい団体だった。それが、古代の日本で国家宗教の神の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で国民を虐めたりして人気が出て大きくなって国民みんなを虐める何百万人もの組員がいる大きな団体になったのだ。)
国民が宗教団体に従うのは宗教団体に脅してもらっておとなしくさせてもらうためである。自分で自分の心をどうしようもできなくなった者が宗教団体に従うのはそのためである。国民が宗教団体に従うのは宗教団体に正しい教えを教わるためではない。宗教団体には正しい教えはない。だから、国民はむやみに宗教団体に従ってはいけない。今の国民は『人間は脳で認識する』ことを知っていて理性があるから、自分で自分の心をおとなしくさせればいい。自分で自分の心をおとなしくさせることができない人は自分で政府や暴力団や宗教団体のところに行って脅してもらって心を落ち着かせてもらえばいい。
今では『政府は国民を脅して平和にする団体である。しかし、今の国民は理性がある。今の国民は自分の心を自分の思い通りにできる。だから、今の国民は政府に脅してもらわなくていいから、政府の脅しを聞かずに政府に税金を払わずに政府を倒せばいい』ことになっている。国民が考えれば、そのことがわかって、政府に税金を払わずに政府に脅されずに暮らす。反対に、国民が考えなければ、そのことがわからず、昔と同じように政府に税金を払って政府に脅されて暮らす。国民が考えるか考えないかの違いである。人間には考える才能がある。人間は自分の考える才能を活かして有利に生きていかねばならない。
[22476] どうして自分には他人の感覚が感じられないのか? h28.1.14
自分には自分の感覚しか感じられない。他人の感覚は感じられない。例えば、自分が他人が泣き叫ぶ声を聞いたり他人が手足をバタバタさせるのを見たりすることはできても、自分が他人の苦しみそのものを感じることはできない。例えば、自分が他人がテレパシーで悪口を言うのを聞いたり、他人が自分に悪気をかけて自分の気分を落ち込ませたり、他人が自分にテレパシーでガンを飛ばして自分が痛いと思うことがあっても、自分が他人の心そのものを感じることはできない。自分は自分の感覚器(眼や耳やテレパシー器官など)を通してしか他人のことがわからない。
自分に自分の感覚しか感じられず他人の感覚が感じられないのは、自分の感覚が自分の脳にしかないからである。自分の感覚は自分の脳細胞の神経興奮で発生し、感覚は“広がりがなく点のようなもの”だから、自分の感覚は自分の脳にしかないのである。
自分の感覚はすべて自分の脳で発生する。自分の感覚は自分の脳の上にある。つまり、自分の脳は自分の感覚があるところにしかない。自分の感覚があるところには自分の脳がある。もしも自分に他人の感覚が感じられたとすれば、それは自分の感覚だから他人がいるところに自分の脳がなければならない。しかし、実際には他人がいるところに自分の脳はない。だから、自分には他人の感覚が感じられないのである。
自分には他人の感覚が感じられないし、逆に他人には自分の感覚が感じられない。自分の感覚と他人の感覚は独立である。人間の感覚はすべて独立である。人間は感覚器で外[そと]のことがわかるだけである。
はじめに自分の身体がある。自分の脳がある。自分の脳細胞が神経興奮してその場所に感覚(感じること)を発生している。人間はそれを裏返しにして見ているだけである。だから、昔の人は「自分の精神が自分の脳に入って自分の脳を動かしている」と思ったのである。本当は『自分の脳で自分の脳が動いて(つまり脳細胞が神経興奮して)精神(つまり感覚)が発生している』のである。昔の人は「人間の心が脳と別のところにある」と思っていたから、自分の心を捉[とら]えることができなかった。自分の心を自分の思い通りにすることができなかった。いわゆる、瓢箪鯰[ひょうたんなまず]である。そのために、昔の人はわざわざ政府を設けて政府に脅[おど]してもらって自分の心を静めねばならなかった。しかし、そのために昔の人は幸せがかなり減っていた。今の人は『人間の心が脳と同じである』と考えているから、自分の心を捉えることができる。自分の心を自分の思い通りにすることができる。そのために、今の人は政府が要らなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒している。
[22477] どうして自分には他人の感覚が感じられないのか? h28.1.14
脳細胞の神経興奮によってその脳細胞が荷っている感覚が発生する。
感覚(感じること)は神経興奮した脳細胞がある場所にだけ生じる。
人間は自分の眼で見たことが視神経で自分の脳の視覚野に伝えられてそこで脳細胞の神経興奮を引き起こして視覚(見る感覚)を発生させてさらに神経で自分の脳の知覚野に伝えられて脳細胞の神経興奮を引き起こして知覚(考える感覚)を発生させてさらに神経で自分の脳の心野[こころや]に伝えられて脳細胞の神経興奮を引き起こして心覚[しんかく](思う感覚)を発生させる。人間は自分の感覚器と自分の脳の各部分が神経でつながって一連の反応を引き起こしている。たとえ人間が眼で見なくても自分の記憶を使って自分の脳の各部分の脳細胞を神経興奮させて見たり考えたり思ったりすることができる。人間は自分の五感の経験を知覚で分析して概念を作り出して、自分の知覚にある概念を組み合わせて実在の対象と同じことを作って実在の対象を理解する。
自分の脳の活動で自分の感覚が決まる。自分の脳が見たり考えたり思ったりすることしか自分には感じられない。自分に感じられるのは自分の脳が見たり考えたり思ったりすることだけである。自分が経験して思考したことしか自分には感じられない。
自分には他人の脳が見たり考えたり思ったりすることが感じられない。他人の脳が見たり考えたり思ったりすることは他人にしか感じられない。
だから、自分には他人の感覚が感じられない。他人には自分の感覚が感じられない。自分の感覚と他人の感覚は独立である。
自分には自分の感覚しか感じられない。自分は自分の感覚器を介して外[そと]のことがわかるだけである。
自分には自分の感覚しか感じられない。自分には他人の感覚が感じられない。自分が他人と会って話しても音や光が自分に伝わるだけで他人の考えそのものが自分に伝わるわけではない。(アホは眼で見ただけで終わりだから、自分が眼で見ることがすべてだから、しきりに他人と会おうとするのである。)自分には自分が考えたことしか感じられない。自分が考えたことだけしか自分にはわからない。自分が考えなければ自分がわからない。自分が考えなければ自分の考えは進歩しない。だから、人間は他人に頼らず自分独[ひと]りで考えねばならない。
喩[たと]えれば、脳細胞の神経興奮によって空間に波紋[はもん]が起こり波紋が起こっている所に感覚が発生していると考えればいい。自分の脳のあるところには自分のいろんな脳細胞の神経興奮によっていろんな波紋が起こっている。それが“自分”である。つまり自分の感覚である。自分とは自分の感覚のことである。(“自分”にはいろんな定義がある。自分が持っている物すべてが自分だとすることもあれば、自分の身体が自分だとすることもあり、自分の感覚が自分だとすることもある。昔の人は自分の感覚を精神とか魂[たましい]などと呼んでいて、自分の脳とは別にあるものと考えていた。今の人は自分の感覚が自分の脳と一体化していて、自分の脳と離れた精神なんかないと考えている。)自分の感覚は自分の脳で起こっている。つまり、自分の脳は自分の感覚があるところにある。それと同じように、他人の感覚は他人の脳で起こっている。他人の脳は他人の感覚があるところにある。自分の脳と他人の脳は離れている。だから、自分の感覚と他人の感覚は離れている。したがって、自分には他人の感覚が感じられない。他人にも自分の感覚が感じられない。自分の感覚と他人の感覚は独立である。自分には自分の感覚しか感じられない。他人には他人の感覚しか感じられない。人間は孤独な存在である。
人間にはいろんな定義がある。人間が持っている物すべてが人間だとすることもあれば、人間の身体が人間だとすることもあれば、人間の考えを人間だとすることもある。最近は文化が低俗化して人間を持ち物で見たり身体で見たりする者が多い。人間はその人間の考えで見ないといけない。最近の人間は頭で考えることがないから、眼で見ることしかわからないから、人間を持ち物で見たり身体で見たりするのである。人間の価値はその人間の考えにある。人間の才能は考えることにある。人間の優れた点は考えることにある。正しい考えを持っている人間が善い人間であり、まちがった考えを持っている人間が悪い人間である。考えを持っていない人間はカスである。人間は正しいことを知って善い人間にならねばならない。
人間が正しいことを知ることは人間が現実の中に入ることである。人間が正しいことを知れば正しいことに従いながら自分の心を満足して、現実の中で幸福に暮らすことができる。人間にとっては現実の中での幸福が真[しん]の幸福である。だから、人間は正しいことを知ればいいのである。人間にとっては正しいことを知ることが幸福への道である。
人間にとっては現実の中での幸福が本当の幸福である。眼先や空想の幸福は嘘[うそ]の幸福である。眼先や空想の幸福は本当は不幸である。今の人は余計な無駄[むだ]なことにこだわって本当の幸福がわかっていない。今の人は不幸なことで喜んで幸福なことで喜ばない。それでは真に幸福になれない。今の人は眼先や空想で幸福になるのをやめて現実で幸福にならねばならない。今の人は眼先や空想に目を向けるのをやめて現実に目を向けねばならない。
[22478] どうして自分には他人の感覚が感じられないのか? h28.1.15
自分に感じられることが自分の感覚である。『脳細胞の神経興奮によってその脳細胞が荷っている感覚が発生する』から、自分の感覚は自分の脳で発生する。自分の感覚は自分の脳の内にある(下図参照)。同じように、他人の感覚は他人の脳の内にある。自分の脳と他人の脳は離れている。だから、自分の感覚と他人の感覚は離れている。自分の感覚と他人の感覚は別である。他人の感覚は自分の感覚ではない。だから、他人の感覚は自分には感じられない。つまり、自分には他人に感覚が感じられないのである。
自分には他人の感覚が感じられない。逆に、他人には自分の感覚が感じられない。だから、人間が自分の意思を他人にわかってもらうためには、自分の意思を表現して他人の感覚器を通じて他人に伝えなければならない。人間が自分の意思を他人にわかってもらうためには、自分の意思を文字や音声やテレパシーなどに表現して他人の眼や耳やテレパシー器官を介して他人に伝えねばならない。(h28.1.16追記:テレパシーは存在する。私が九州大学医学部の教養部の学生のころ、高知の実家に帰ったとき、私の父親が私を高知学芸中学校に行かせて私が精神分裂病に罹[かか]ったことを後悔して「バッタリ行った」と言った。その後で高知学芸高校上海列車事故が起こった。私が九州大学理学部物理学科の学生のころ、地下鉄に乗っていたとき、私はウンコの臭いのする緑色のスラックス(薄手の長ズボン)をはいていたが向いの椅子に座っていた外人の女性がわざとらしく激しく何度もゲホゲホ咳[せき]をしていたので、私は「腹が立った」。その後でオウム真理教地下鉄サリン事件が起きた。私が兵庫県豊岡市で働いていたころ、ときどき大阪のヤマギワソフトにアニメのレーザーディスクボックスを列車に乗って買いに行っていたが、福知山線が東海道本線を跨[また]ぐ鉄橋のカーブで私が「列車が落っこちそうだ」と思った。その後で福知山線列車事故が起こった。これまた私が兵庫県豊岡市で働いていたころ、仕事の最中に「旅客機が東京都庁に突っ込むシーン」を独[ひと]りで想像して喜んでいた。その後で、アメリカでニューヨーク貿易センタービル事件が起きた。だから、テレパシーは存在するのだ。政府の者が私が頭の中で思っていることをテレパシーで読み取って事件や事故を起こして人々を殺しているのだ。今でも政府はそうやって国民を殺しているのだ。)
昔の戦前の哲学はヨーロッパ哲学が主流だったために、ヨーロッパ人が五感が発達しているために「見る者と見られる者からなる哲学」だった。戦後は『人間が脳で認識する』ことがわかって『自分が感じる哲学』になった。“主客未分”の西田哲学は昔の哲学と現代の哲学の橋渡し的なものだった。つまり、西田哲学はアジア哲学であり、アジア人は知覚や心が発達しているから『自分が感じる哲学』なのである。戦後は世界中でみんなが『人間が脳で認識する』と考えるようになって、自分で神経線維を介して自分の脳の前頭葉の脳細胞の神経興奮を高めたり抑[おさ]えたりすることによって自分で自分の心を思い通りにできるようになって、政府に自分を脅[おど]してもらっておとなしくさせてもらわなくてもよくなって政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
今はみんなが『人間は脳で認識する』と考えながら生きている時代である。そのために世の中が変わっている。そのためにみんなが幸せになっている。今後が楽しみである。
[22479] 精神病とは自分で自分を苦しめることである。★ h28.1.16
神経症(ノイローゼとも言う)とは、自分が嫌なことを無理やりやって自分で自分を嫌がらせて苦しめていることである。例えば、自分が嫌いな勉強を自分が無理やりやって自分で自分を嫌がらせて自分を苦しめているのが神経症である。
同じように、鬱病[うつびょう]とは、自分が落ち込むことを無理やりやって自分で自分を落ち込ませて苦しめていることである。例えば、自分が落ち込む仕事を自分が無理やりやって自分で自分を落ち込ませて自分を苦しめているのが鬱病である。
同じように、分裂病とは、自分が他人を嫌いすぎて自分が“他人を嫌う気持ち”を抑[おさ]えられなくなって“他人を嫌う気持ち”のために自分で自分を苦しませていることである。自分の他人を嫌う気持ちのために、自分が他人といっしょにいられなくなって自分が社会から“分裂”して孤立して社会の中で生きていけなくなって苦しむことが分裂病である。(自分の支配欲が満足されなくなった状態が“他人を嫌う気持ち”である。自分が他人がやっていることを見て自分の気に入らなくてイライラするのが自分の支配欲が満足されない状態である。“他人を嫌う気持ち”は支配欲が満足されないことである。)
だから、分裂病では、自分の“他人を嫌う気持ち”を抑えれば分裂病が治る。人間はみな心が違うのだから、自分が他人を嫌いなのは当然だと思って、自分の“他人を嫌う気持ち”を抑えれば分裂病が治る。要するに、分裂病とは自分が他人を嫌いすぎたために他人が好きになれないことである。だから、反対に、自分が他人を好きになって他人が嫌いにならなければ分裂病は治る。だから、例えば、分裂病の患者さんが主治医を好きになれば、患者さんの“他人を嫌う気持ち”が抑えられて分裂病が治る。
それと同じように、神経症では自分に自分が嫌なことを無理やりやらせる動機となる“もとになる感情”がある。その“もとになる感情”を抑えれば神経症が治る。つまり、自分で自分が嫌なことをやらせる“もとになる感情”を抑えて、自分が嫌なことを自分が素直[すなお]にやめれば神経症が治る。例えば、自分が嫌いな勉強を無理やりするのは、自分が大学に受かりたいためだから、自分が大学に受かりたい気持ちを抑えて自分が嫌いな勉強をやめれば神経症が治る。
同じように、鬱病では自分に自分が落ち込むことを無理やりやらせる動機となる“もとになる感情”がある。その“もとになる感情”を抑えれば鬱病が治る。つまり、自分で自分が落ち込むことをやらせる“もとになる感情”を抑えて、自分が落ち込むことを自分が素直にやめれば鬱病が治る。例えば、自分が落ち込む仕事を無理やりするのは、自分が他人から立派に見られたいためだから、自分が他人から立派に見られたい気持ちを抑えて自分が落ち込む仕事をしなければ鬱病は治る。
[22480] どうして自分には他人の感覚が感じられないのか? h28.1.16
自分とは自分の身体のことである。自分とは自分の脳のことである。自分の脳細胞が神経興奮すると自分の感覚が発生する。自分の感覚は自分の物だから自分に感じられる。
同じように、他人とは他人の身体のことである。他人とは他人の脳のことである。他人の脳細胞が神経興奮すると他人の感覚が発生する。他人の感覚は他人の物だから他人に感じられる。
他人の感覚は他人の物であり自分の物ではないから他人には感じられるが自分には感じられない。同じように、自分の感覚は自分の物であり他人の物ではないから自分には感じられるが他人には感じられない。
つまり、自分には他人の感覚は感じられない。他人には自分の感覚は感じられない。
つまり、この世はもともと自分には他人の感覚が感じられないように出来ている。自分には自分の脳で発生した感覚しか感じられないようになっている。
生まれたばかりの赤ん坊はまだ自分を知らない。自分と他人の区別がない。人間が年をとると自分が何であるかがわかるようになる。その“自分”の身体の脳で発生した感覚のすべてを自分は感じ、自分の身体の脳で発生した感覚しか自分は感じないのである。それが“自分”というものだ。人間の自己認識はそういうように出来ているのだ。自分が自分自身を認識したときに、自分が自分の脳で発生した感覚しか感じないように自分と他人の境界線が引かれているのだ。将来、頭のいい人が現れてもっと分析的に理解できるかもしれないが、今のところはそれでいい。
[22481] どうして自分には他人の感覚が感じられないのか? h28.1.16
脳細胞の神経興奮によってその脳細胞が荷っている感覚がその脳細胞と同じところに発生する。つまり、神経興奮している脳細胞は感覚を持っている。
だから、人間が自分が見たり考えたり思ったりすることはすべて自分の脳で起こっていることである。
他人が見たり考えたり思ったりすることはすべて他人の脳で起こっていることである。
自分には自分の脳で起こっていることしか感じられない。自分の脳と他人の脳は離れている。自分の脳と他人の脳は別である。だから、自分には他人の脳で起こっていることが感じられない。つまり、自分には他人の感覚が感じられないのである。
自分が見たり考えたり思ったりすることはすべて自分の脳で起こっていることである。だから、自分が神経線維を介して自分の脳の脳細胞の神経興奮を調節することができれば、自分が見たり考えたり思ったりすることを自分の思い通りにすることができる。テレビの音量のボリュームを調節すれば、音を大きくしたり小さくしたりできるのと同じことである。
今では世界中のみんなが『人間が脳で認識する』ことを知っているから、自分で自分が見たり考えたり思ったりすることを自分の思い通りにできるようになっている。そのために、今では世界中のみんなが自分で自分の心を自分の思い通りにすることができるようになっている。みんなが自分の心を現実に従わせることができるようになって、法律を知って法律を守りながら自分の心を満足して暮らすことができるようになっている。今では世界中のみんなが政府に脅[おど]してもらっておとなしくさせられなくてもよくなって、政府に税金をやらなくなって政府を倒している。将来、世界中のすべての国でみんなが法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
[22482] 自分の身体が自分の精神を動かしている。 h28.1.16
地球の周[まわ]りを太陽が回っているのではない。太陽の周りを地球が回っているのだ。
それと同じように、自分の精神が自分の身体を動かしているのではない。自分の身体が自分の精神を動かしているのだ。マジンガーZはパイルダーに乗った兜甲児[かぶとこうじ]が動かしているのではなく、兜甲児をマジンガーZが動かしているのだ。
精神とは感覚のことである。つまり、感じることである。人間の脳細胞の神経興奮で感覚が発生するから、人間の身体が精神を動かしているのである。
だから、人間は自分の神経線維を介して自分の脳細胞の神経興奮を調節すれば、自分の感覚を自分の思い通りにすることができる。人間は自分で自分の脳細胞の神経興奮を調節すれば、自分が見たり考えたり思ったりすることを自分の思い通りにできる。
今では世界中のみんなが『人間が脳で認識する』ことを知っている。『自分の身体が自分の精神を動かしている』ことを知っている。みんなが自分で自分の心を思い通りにできるようになって、自分で法律を知って法律を守って平和に暮らすことができるようになって、政府に自分を脅[おど]しておとなしくさせて平和に暮らさなくてもよくなって、政府が要らなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
人間の身体が人間の精神を動かしている。人間は自分の脳の性質をよく知って自分の脳を上手に使ってよく勉強してよく仕事して出世して幸福に暮らせばいいのだ。
昔はみんなが『人間が脳で認識する』ことを知らなかったために心が現実に従うことができず心が現実を一方的に支配していた。そのために、心が現実をメチャクチャに破壊していた。今ではみんなが『人間が脳で認識する』ことを知っている。そのために、心が現実に従うことができるようになって、心と現実が平等に暮らしている。人間の心が現実に従い、現実が人間の心に従って、人間の心と現実が平等になっている。
[22483] この世は自分には自分の脳細胞で発生する感覚しか感じないように出来ている。
h28.1.16
脳細胞の神経興奮で感覚が発生する。
しかも、自分には自分の脳細胞の神経興奮で発生する感覚しか感じられないように出来ている。なぜかはよくわからないが、とにかくこの世はそう出来ている。これが“原理”というものだ。原理は認めるしかない。原理は理由がわからなくても、認めればいいのだ。原理は理由を詮索[せんさく]するよりも、原理を使っていろんなことがわかればいいのだ。
例えば、視覚の場合、自分の網膜の細胞の神経興奮が視神経を介して自分の視覚野の脳細胞の神経興奮を引き起こして視覚の感覚を発生させて自分が物が見えるのである。(デカルトは人間の脳の後頭葉で視覚が発生すると考えた。それなら、心も視覚も同じ感覚だから、人間の脳の前頭葉で心が発生すると考えればいいはずである。しかし、デカルトは「心は脳とは別のところで感覚される」と考えてしまったのである。それはデカルトのまちがいである。デカルトは『われ思うゆえにわれあり』と言ったように、“思う自分”を自分とした。デカルト以前にはおとぎ話の登場人物のように“誰かに見られている自分”が自分だった。デカルトの自分の定義は今でも変わらない。ただ、デカルトは“自分”が自分の身体や自分の脳とは別のところにあるとした。今では“自分”は自分の脳にあるとされている。)
一般に、人間は自分の神経興奮を介して自分の脳細胞の興奮を調節することによって自分の感覚の発生を自分の思い通りにすることができるのである。
だから、人間は自分の神経線維を介して自分の前頭葉の脳細胞の神経興奮を調節することによって自分の心を荷う脳細胞の神経興奮を自分の思い通りにできる。
こうして、人間は自分の心を自分の思い通りにできる。自分の心を現実に従わせることができる。
今の世界ではみんなが『人間は脳で認識する』ことを知っているから、みんなが自分の心を現実に従わせて生きている。みんなが法律を知って法律を守りながら自分の心を満足して平和に幸福に暮らしている。
今ではみんなが政府に脅[おど]してもらっておとなしくしなくてもよくなっている。今ではみんなが政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
[22484] 今の人間には自分の心を自分の思い通りにできる自由がある。 h28.1.16
脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する。
感覚はその感覚がある場所にだけ生じる。
だから、自分に感じられることはすべて自分の脳細胞の神経興奮で発生している。人間は自分の脳の後頭葉で見て、頭頂葉で考えて、前頭葉で思って、側頭葉で憶える。だから、自分が自分の脳細胞の神経興奮を調節すれば、自分の脳細胞の神経興奮を自分の思い通りにすることができる。自分に感じられることを自分の思い通りにすることができる。
自分に感じられることはすべて自分の脳細胞の神経興奮で発生している。同じように、他人に感じられることはすべて他人の脳細胞の神経興奮で発生している。自分の脳と他人の脳は離れているから、自分の脳細胞と他人の脳細胞は別である。(自分の脳細胞と他人の脳細胞が離れていることは、視覚的に確認できるから正しい。)だから、自分には他人に感じられることが感じられない。他人には自分に感じられることが感じられない。もしも、自分の頭と他人の頭が引っ付いていたら、他人の感覚が自分にも感じられるが、実際には、自分の頭と他人の頭が離れているから、他人の感覚は自分には感じられない。だから、自分の意思を他人に伝えるためには、自分の意思を文字や音声に表現して他人の感覚器を介して他人の脳に伝えなければならない。同じように、他人の意思を自分に伝えるためには、他人の意思を文字や音声の表現して自分の感覚器を介して自分の脳に伝えなければならない。
昔の人は『人間が脳で認識している』ことを知らなかったために、「人間の心が脳とは別のところにある」と思っていたから、自分で自分の心を思い通りにできなかった。自分で自分の心をどうしようもなくて、自分の心のままに好き放題にやることしかできなかった。昔の人は自分の心のままに好き放題にやっていた。そのために結果的には自分で自分を不幸にしていた。自分が平和に暮らすためには、政府に脅[おど]されて怖気[おじけ]づかされておとなしくさせられなければならなかった。そのために、政府に不幸にされていた。
しかし、今の人は『人間が脳で認識している』ことを知っているために、『人間の心が脳にある』と思っているから、自分で自分の心を思い通りにすることができる。今の人には自分の心を自分の思い通りにできる自由がある。今の人は自分で自分の心を自由自在にできるので、自分が考えたことに自分の心を従わせることができる。自分が現実を知って、現実に自分の心を従わせることができる。今の人は自分の心を現実に従わせていて、自分の心のままに好き放題にやっていない。そのために、自分で自分を幸福にしている。自分が平和に暮らすためには、自分で法律を知って自分の心を法律に従わせて暮らせばいい。そのために、政府に脅される必要がなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことは国民みんなが裏で知っている。国民みんなの隠れた常識である。国民みんなは表ではしゃべらないが、裏では教えあっている。国民みんなは言葉では言わないが、態度で教えあっている。いわゆる“言わずもがな”である。(言葉にして言っているのは私ぐらいのものである。『デ・ジ・キャラットにょ』でもでじこが「世間には言わないほうがいい真実もあるらしいにょ」とかなんとか言っていた(だいぶ前なので、正確なことは忘れた)。日本人はグロいことや暴力的なことが嫌いなので、『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことを公言することを慎[つつし]む習慣があるのである。日本では“汚い物には蓋[ふた]をしろ”と言うから、『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことをみんなが言いたがらないのである。)表では国民みんなは『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことを言わないが、裏では国民みんながそのことを知っている。『人間が脳で認識する』ことや『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことは無言で人から人に広がっている。つまり、『自分で自分の心を思い通りにできる』ことや『政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払っていない』ことは無言で人から人に伝わっている。国民は他人を真似[まね]て知識を会得[えとく]している。そのために、今では国民みんなが自分で自分の心を思い通りにできるようになって、自分が政府に脅してもらう必要がないと思うようになって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約して法律が社にお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
人間には無言の教えがある。国民は国民みんなに言葉で教えなくても態度で教えればいい。国民は実際に自分が法律を守りながら自分の心を満足して平和に幸福に暮らして、『今では自分は政府に脅してもらわなくてもいい』と思いながら政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒すようにして、みんなに『人間は法律を守りながら自分の心を満足しなければならない』ことや『今の国民は自分でおとなしくできるから政府に脅してもらう必要はない』ことを教えねばならない。
[22485] どうして自分には他人の感覚が感じられないのか? h28.1.17
人間にとってはまず“自分が感じる”ことがある。つまり、自分の感覚がある。それが“自分”である。昔の人は「自分の感覚が物によらずに存在する」と考えていた。それはまちがいだった。今の人は『自分の感覚が自分の脳にある』と考えている。今の人は『自分の感覚が自分の脳細胞の神経興奮で発生する。』『自分の感覚が自分の神経興奮した脳細胞が荷っている。』と考えている。だから、自分の感覚は自分の脳にある。だから、自分に感じられることはすべて自分の脳で起きていることになるのである。自分の身体は自分の感覚を運ぶ物にすぎない。人間にとっての自動車と同じである。
自分に感じられることはすべて自分の脳で起きている。自分には自分の脳の中のことしか感じられない。自分には自分の脳の外にあることが感じられない。他人の感覚は他人の脳で起きている。他人の脳は自分の脳の外にある。だから、自分には他人の感覚が感じられないのである。逆に、他人にも自分の感覚が感じられない。自分の感覚と他人の感覚は独立である。人間は感覚器で自分の脳の外[そと]のことを知ることができる。だから、自分の意思を他人に伝えるためには、自分の意思を文字や音声に表現して他人の感覚器を通じて他人の脳で他人が感覚できるようにしないといけない。
自分が感じることはすべて自分の脳で起こっている。自分が感じることはすべて自分の脳細胞の神経興奮で発生している。だから、自分が自分の神経線維を介して自分の脳細胞の神経興奮を調節すれば自分の脳細胞の神経興奮を自分の思い通りにすることができる。つまり自分の感覚を自分の思い通りにすることができる。
今の人は『自分の感覚が自分の脳にある』と考えているから、自分で自分の神経線維を介して自分の脳細胞の神経興奮を調節することによって自分の感覚を自分の思い通りにすることができる。今の人は自分で自分の心を自分の思い通りにすることができる。今の人は物だけでなく自分の心も自分の思い通りにすることができる。今の人は現実を知って現実に自分の心を従わせることによって現実の中で自分の心を満足して幸福に暮らしている。今の人は法律を知って自分の心を法律に従わせて法律を守っておとなしく暮らすことができる。
政府は国民を脅[おど]して国民を怖気[おじけ]づかせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。昔の国民は「自分の感覚が物によらない」と考えていたから、自分の心を自分の思い通りにできなかったから、自分を政府に脅してもらっておとなしくさせてもらわねばならなかった。今の国民は『自分の感覚が自分の脳にある』と考えているから、自分の心を自分の思い通りにできるから、自分を政府に脅してもらっておとなしくさせてもらわなくてもよくなっている。今の国民は政府が要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の国民にとっては政府の脅しよりも法律が要る。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらいたいと思っている。
[22486] 今の国民みんなは人間が成長している。 h28.1.17
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。
だから、政府が国民を脅すために国民に命令して高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりするのは当然である。
政府は国に身分制が出来ないようにするために、国民みんなの眼の前では国民みんなに頭を下げて“国民みんなの役に立つことをする芝居”をして国民みんなに「政府が身分が高い」と思わせないようにしているのである。
昔の国民みんなは『人間が脳で認識する』ことを知らなかったから、自分の心を自分でどうにもできず、自分の心のままに好き放題にやっていた。昔の国民みんなは正しかろうがまちがっていようがおかまいなしにひたすら自分の心を貫いて生きていた。そのために、昔の国民みんなは平和に暮らすために、政府を設けて政府に脅されて政府に怖気[おじけ]づかされておとなしくさせてもらわねばならなかった。昔は国民みんなが自分で自分をおとなしくさせることができなかったから、政府に自分をおとなしくさせてもらわねばならなかった。
しかし、今の国民みんなは『人間が脳で認識する』ことを知っているから、自分の心を自分の思い通りにすることができるから、自分の心を現実に従わせることができる。今の国民みんなは現実を知って自分の心を現実に従わせて、現実の中で自分の心を満足して生きている。今の国民みんなは正しいことを守りながら自分の心を満足して楽しく暮らしている。今の国民みんなは平和に暮らすために、法律を知って法律を守りながら自分の心を満足して平和に幸福に暮らしている。今の国民みんなは政府に脅してもらわなくてもよくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今の国民みんなは自分で自分をおとなしくさせることができるから、政府に自分をおとなしくさせてもらわなくてもいいのである。
今の国民みんなは人間が成長している。だから、自分の心の面倒を自分で見ることができる。今の国民みんなは政府が要らなくなって政府を倒している。政府は残っているかぎり国民みんなを脅し続けるからさっさと国民みんなで政府を片付けねばならない。
社会には政府のほかにも暴力団や宗教団体などの“脅し屋”が残っている。会社には社長や幹部などの脅し屋が残っている。これらは昔の国民みんなが自分で自分の心を思い通りにできなかった時代の名残[なご]りである。今の国民みんなは自分で自分の心を思い通りにできるから、今の国民みんなにとってはこれらの脅し屋は要らない。早くみんなでこれらの脅し屋を世の中からなくしてみんなで幸福に暮らさねばならない。
今から約50年前(昭和40年=1965年ごろ)に世の中が変わった。国民みんなが自分で自分の心をどうにもできないことから自分で自分の心を思い通りにできることに変わった。国民みんなが理性がないことから理性があることに変わった。そのために、国民みんなにとって政府が必要なことから要らないことに変わった。昔は国民みんなにとっては政府が必要なことが当たり前だった。だから、昔は誰も政府のことを問題にしなかった。しかし、今では国民みんなにとっては政府が要らなくなっている。今では国民みんなが政府があることを問題にしている。政府の問題は今から約50年前に発生した新しい問題である。国民みんなが変わったから国民みんなにとって政府が要らなくなったのだ。国民みんなにとって要らない物は国民みんなでなくせばいい。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなを脅す者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせる社会にすればいい。
[22487] 今の人間は1人称視点で生きている。☆ h28.1.17
人間は身体[からだ]である。人間は脳である。自分の脳細胞が神経興奮すると自分の感覚が発生する。自分には自分の感覚が感じられる。同じように、他人の脳細胞が神経興奮すると他人の感覚が発生する。他人には他人の感覚が感じられる。しかし、他人の感覚は自分には感じられないのが、どうしてかわからない。それは、3人称的な視点と1人称的な視点をゴチャ混ぜにしているからである。つまり、人間が身体であるとすることと、人間が感じる者であるとすることが矛盾[むじゅん]しているからである。ユークリッド幾何学と射影幾何学をゴチャ混ぜにしたらわけがわからなくなるのと同じである。
人間は“自分が感じる”ことである。人間は“自分の感覚”である。自分の感覚は自分の脳細胞で発生している。自分が感じることはすべて自分の脳で起こっている。自分には自分の脳にあることが感じられるだけである。自分には自分の脳の外[そと]にあることが感じられない。他人の脳は自分の脳の外にある。他人の感覚は他人の脳で起こっている。だから、自分には他人の感覚が感じられない。1人称的な視点で貫けば他人の感覚が自分に感じられないことが理解できる。
3人称視点よりも1人称視点のほうがリアルである。実際にはこの世には3人称視点はなく1人称視点しかない。3人称視点は誰もいないところから自分を見ている。そんな認識は実在しない。実在しない認識を考えてはいけない。認識があるためには必ず認識する者が必要である。
そのため、今の人間は1人称視点で生きている。今の人間は自分の知覚にある概念を組み合わせて対象を理解している。人間は天涯[てんがい]孤独な存在である。人間は生まれてから死ぬまで自分の目で見て生きて行かねばならない。
自分には他人の感覚は感じられない。自分には自分の感覚しか感じられない。だから、自分には他人は当てにはできない。自分は自分しか頼れない。自分は自分ひとりで考えて行くしかない。
昔の人間は自分の心にある概念や自分の五感にある概念を組み合わせて対象を認識していた。そのために、昔の人間にはオバケや神や身分など実在しない物が見えていた。今の人間は自分の知覚にある概念を組み合わせて対象を理解している。そのために、今の人間には実在する物が見えている。もっとも、今の人間も昔の人間と同じように生きるためには心が要る。だから、今の人間は実在する物に対して心で思えばいいのである。今の人間は実在する物で喜べばいいのである。そうやって、実在する世界を人間にとって幸福な世界にすればいいのである。
[22488] 政府は法律会社の中に紛[まぎ]れ込んでいる。 h28.1.17
奉行所[ぶぎょうしょ]と幕府は違う。奉行所は国民に法律を守らせるためにある。今の法律会社の前身である。一方、幕府は国民を脅[おど]しておとなしくさせるためにある。
それと同じように、法律会社と政府は違う。政府は法律会社の中に行政機関として紛れ込んでいる。政府は法律会社の中に紛れ込んで法律会社のふりをしている。法律会社が国民に法律を守らせる傍[かたわ]ら、政府は国民を脅す命令を国民に出している。政府は法律会社に命令して架空の法律や国民を脅す法律を定めさせている。
昔の国民は『人間が脳で認識する』ことを知らなかったので、自分の心を自分でどうにもできず、自分の心のままに好き放題にやらねばならなかった。昔の国民は自分でおとなしくできなかった。そのために、昔の国民は幕府や政府に脅されておとなしくしなければならなかった。
今の国民は『人間が脳で認識する』ことを知っているので、自分で自分の心を思い通りにすることができて、現実を知って自分の心を現実に従わせながら現実の中で自分の心を満足して幸福に暮らしている。今の国民は自分の心を法律に従わせておとなしくすることができる。そのために、今の国民は政府に脅されておとなしくしなくてもよくなって、政府が要らなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
早く国民みんなで政府を倒して、法律会社に法律を守らせてもらって平和に暮らさねばならない。
[22489] 昔の国民にとっては政府や暴力団や宗教団体が憧[あこが]れだった。
h28.1.18
政府や暴力団や宗教団体は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府や暴力団や宗教団体は国民を脅して国を平和にすることが仕事である。
戦前は森の石松のようにヤクザが国民みんなのヒーローだった。政府も国民みんなの人気者だった。昔の人は政府や暴力団や宗教団体に脅されて平和に暮らすことができてみんなが政府や暴力団や宗教団体に感謝していたから、政府や暴力団や宗教団体が国民みんなの憧れの的[まと]だったのだ。しかし、今では刑事ドラマのようにヤクザはみんなの嫌われ者になっている。政府も国民みんなに総スカンを食っている。今の人は自分で法律を守って平和に暮らすことができるので、みんなが政府や暴力団や宗教団体が要らなくなっているから、政府や暴力団や宗教団体はみんなを脅して嫌がらせているだけだから、みんなに嫌がられてお金をもらえなくなって倒されているのである。
昔はみんなが『人間が脳で認識する』ことを知らなくて、みんなが自分の心をどうしようもなくて、みんなが自分の心のままに好き放題に生きていた。それが昔の人の人間観だった。昔はみんなが「人間が自分の心のままに好き放題に生きているものだ」と思っていた。昔はみんなが「人間が自分の心のままに好き放題にやっていい」ことを認め合っていて、実際にそうしていた。なかでも、政府や暴力団や宗教団体は国民みんなを脅して国を平和にする役割だったので、みんなよりも心のままにやっていることにおいては抜きん出ていたので、みんなの憧れだった。政府や暴力団や宗教団体が国民を脅すのは国を平和にするための仕事であり、政府や暴力団や宗教団体は国民と平等だったが、昔の人にとっては政府や暴力団や宗教団体が他人を脅しつけるのが特別なかっこいい仕事だと思えたので、みんなが憧れていた。しかし、今ではみんなが『人間が脳で認識する』ことを知っていて、みんなが自分の心を自分の思い通りにすることができて、みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きている。みんなが法律を守りながら自分の心を満足して暮らしている。今ではみんなが『人間は現実に従って法律を守って生きるものだ』と思っている。今ではみんなが『人間は現実に従いながら自分の心を満足しなければならない』と認め合って、実際にそうやっている。だから、今では国民みんなが政府や暴力団や宗教団体が現実に従わずに自分の心のままにやっているのがいけないと思って、みんなが政府や暴力団や宗教団体に脅されるのをやめて、脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒している。今の人にとっては政府や暴力団や宗教団体が今の人間の生き方に適[かな]っていないと思えるので、政府や暴力団や宗教団体を倒しているのである。たとえ政府や暴力団や宗教団体が国を平和にする仕事であっても、政府や暴力団や宗教団体は今の人間の生き方に反しているので、今では国民みんなが政府や暴力団や宗教団体を許さなくなって倒しているのである。今ではみんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きねばならない。みんなが現実に従いながら自分の心を満足して仕事をしなければならない。政府や暴力団や宗教団体はそうしていないから滅ばねばならないのである。
[22490] 今ではみんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きねばならない。
h28.1.18
昔はみんなが『人間が脳で認識する』ことを知らなかったので、「人間は自分の心のままに生きるものだ」と思って、みんながそうやって生きていた。みんながそうやって働いていた。政府や暴力団や宗教団体は自分の心のままに国民みんなを脅[おど]しておとなしくさせて国を平和にする仕事だった。みんなは政府や暴力団や宗教団体がかっこいい仕事だと思って憧[あこが]れていた。(もっとも、いくら政府や暴力団や宗教団体が心のままに国民を脅すと言っても、仕事でやっているのだから自分の都合のいいように国民を脅すわけにはいかなかった。政府や暴力団や宗教団体は国民をランダムに不特定に脅さねばならなかった。政府や暴力団や宗教団体は国民を不特定に脅しながら自分の心のままに仕事をしていた。政府や暴力団や宗教団体が国民を脅すのは仕事だから、仕事は自分の好き勝手にやれないから、政府や暴力団や宗教団体は仕事に縛られるから、政府や暴力団や宗教団体は自分の都合のいいように国民を脅すわけにはいかないのである。政府や暴力団や宗教団体は自分にとって気に入らない者を脅したり自分がお金を儲[もう]けるために脅したりしてはいけないのである。国民みんなが自分の心のままに好き放題にやる社会には、“国民みんなを脅して国を平和にする仕事”がある。(“国民みんなを脅して国を平和にする仕事”は、国民みんなが自分の心のままに好き放題にする社会にだけあって、国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して暮らす社会にはない。国民を脅して国を平和にする仕事は、国民みんなが自分の心のままにやる社会にしかない特別な仕事である。国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して暮らす社会には法律会社しかない。“国民を脅して国を平和にする団体”は国民みんなが自分の心のままに好き放題にやる社会では国民を脅して国を平和にする団体に見えるが、国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足する社会では一見すると犯罪組織のように見える。しかし、国民を脅して国を平和にする団体はけっして犯罪組織ではない。)“国民みんなを脅して国を平和にする仕事”をする人は仕事上の決まりをちゃんと守って仕事をしないといけない。“国民みんなを脅して国を平和にする団体”は犯罪組織ではないから、犯罪組織のように自由に悪いことをやれない。例えば、政府が国民を事故や事件で殺しても政府が国民からお金を奪って儲かるわけではないから政府は犯罪組織ではない。政府は愉快犯でもない。政府は“国民を脅して国を平和にする団体”である。しかし、今では社会が国民みんなが自分の心のままにやる社会から国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足する社会に変わっている。そのために、政府や暴力団や宗教団体は国民を脅して国を平和にする団体からただの犯罪組織に移行しようと計画している。しかし、国民みんなが犯罪組織を温存するのは納得がいかない。国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足する社会では“国民みんなを脅して国を平和にする団体”は存在できない。だから、政府や暴力団や宗教団体はおとなしく滅ばねばならない。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなが自分の心のままにやる社会がなくなるとともに滅ばねばならない。今では国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足する社会に変わっている。だから、今の国民は遠慮せずに政府や暴力団や宗教団体を倒せばいいのである。今の国民は政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かないようにして政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして政府や暴力団や宗教団体を倒せばいいのである。)
今はみんなが『人間が脳で認識する』ことを知っているので、『人間は現実を知り現実に従いながら自分の心を満足して生きるものだ』と思って、そうやって生きている。みんながそうやって働いている。ところが、政府や暴力団や宗教団体はそうやって仕事をしていない。政府や暴力団や宗教団体は昔ながらに自分の心のままに好き放題にやって仕事をしている。自分の心のままに好き放題にやるやり方で仕事をしている。政府や暴力団や宗教団体は今の人間の生き方に適[かな]っていないので、みんなが政府や暴力団や宗教団体が今の時代に反する者として倒している。
今の人間は現実を知り現実に従いながら自分の心を満足して生きねばならない。それが今の社会のルールである。それに反する者は生きられない。そのために、政府や暴力団や宗教団体が国民みんなに倒されて滅んでいるのである。
[22491] 戦後は政府や暴力団や宗教団体が正義の味方から悪の組織になった。☆
h28.1.19
戦前の昔は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知らず、自分で自分の心をどうにもできず、自分の心のままに好き放題に生きていた。そんな社会では政府や暴力団や宗教団体が自分の心のままに国民みんなを脅[おど]して平和にしていた。政府や暴力団や宗教団体は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して怖気[おじけ]づかせておとなしくさせて国や都会や村を平和にしていた。国民みんなは政府や暴力団や宗教団体が立派なかっこいい仕事だと思って憧[あこが]れていた。国民みんなは一生懸命に勉強して大人になったら政府や暴力団や宗教団体に勤めたいと思っていた。
しかし、戦後の今は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知っていて、自分で自分の心を思い通りにできて、現実を知って現実に従いながら自分の心を満足して生きている。法律を知って法律を守って平和に暮らしている。そんな社会では政府や暴力団や宗教団体は国民みんなを不幸にするだけの余計な邪魔者[じゃまもの]である。無用の長物である。国民みんなは政府や暴力団や宗教団体が要らない仕事だと思って脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒している。国民みんなは政府や暴力団や宗教団体を嫌って社会から追放している。
戦前と戦後では国民みんなの考えや態度が違う。戦後は国民みんながひっくり返った。戦前は国民みんなが自分の心のままに生きていた。戦後は国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きている。そのため、政府や暴力団や宗教団体が国民みんなの正義の味方から悪の組織になった。国民みんなは政府や暴力団や宗教団体が要らなくなって倒している。
昔も今も国民と政府や暴力団や宗教団体は平等である。だから、国民が政府や暴力団や宗教団体に脅されるか脅されないかは国民個人の自由である。国民が政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。昔は国民が自分が平和に暮らすために政府や暴力団や宗教団体が必要だったから政府や暴力団や宗教団体に脅されて脅しを聞いてお金をやって養っていた。しかし、今では国民が自分が平和に暮らすためには政府や暴力団や宗教団体が要らないから政府や暴力団や宗教団体に脅されなくなって脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒している。今の国民にとっては法律しか要らない。将来、国民みんなで法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうことにしている。政府の付属会社は全部民営化して国民と契約してお金をもらって仕事をしてもらう予定である。
戦後は国民みんなが自分の心のままにやることから現実に従いながら自分の心を満足することに変わった。国民みんながひっくり返った。しかし、国民みんなの仕事は国民みんながひっくり返っても不変なので国民みんなは昔と同じ仕事をやり続けた。ところが、政府や暴力団や宗教団体の仕事は国民ひっくり返るとなくならねばならない。国民みんながひっくり返ると国民みんなが自分で法律を守っておとなしく暮らしているから、政府や暴力団や宗教団体は国民みんなを脅しておとなしくさせる必要がないし、自分も現実に従わねばならないから自分が国民みんなにとって用がないから自分で自分を滅ぼさねばならない。そのため、今では政府や暴力団や宗教団体が自分で自分を潰[つぶ]してなくなっているのである。今では国中のみんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きているのである。
一般の国民は政府と組めない。政府と組めるのは政府自身かマスコミ業界かマンガ家ぐらいのものだ。テレビや新聞や雑誌などのマスコミ業界は「国民みんなに政府の正体をばらすぞ」と言って政府を脅して政府からお金を取っていい暮らしをしている。マスコミ業界は国民みんなを脅す者を脅して儲[もう]けている。マンガ家は国民みんなを洗脳して国民みんなに政府を支持させるマンガを描いて政府からお金をもらっていい暮らしをしている。しかし、その他の国民は政府からお金をもらっていない。その他の国民は政府に命令されて嫌なことをやらされているだけである。一般の国民は政府に反対したほうがいい。一般の国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[22492] この世に多数決はない。 h28.1.20
この世のことを決めるのは実在であって人間ではない。いくら人間が束[たば]になっても実在には敵[かな]わない。人間は実在(つまり真理)に従えばいいのであって、多数に従えばいいのではない。つまり、『この世には多数決はない』。たまに学校のクラスの学芸会の出し物を決めるときや町内会の行事を決めるときに多数決を使うだけで、普通は多数決で決めることはない。国の法律は『人間がみな平等である』ことと『人間が生き残る』ことと『人間が自由である』ことで決まるのであって、多数決で決めたりはしない。今の人間は現実に従いながら自分の心を満足して生きていかねばならないから、自分の心のままに好き放題に生きてはいけないから、法律は現実によって決めねばならないのであって心で決めてはいけない。そういう意味でも法律は多数決で決めてはいけない。法律は現実によって決めねばならない。
政府は民主主義の芝居をする“国民を脅[おど]して国を平和にする団体”である。政府の民主主義は自分が国民を脅しているのを隠して国民に頭を下げて「自分が上の者でない」と思わせて国に身分制が出来ないようにするためにある。政府は自分が国民みんなに従っているふりをするために多数決をやっているにすぎない。政府は国民に自分が国民みんなに従っていることを眼で見てわからせるために多数決をやっているにすぎない。政府の民主主義は形だけで中身がない。政府の多数決は芝居(パフォーマンス)である。政府は本当は多数決をやっていない。そもそも『この世には多数決がない』から、政府は多数決をやっていないのである。政府は本当は自分の独断で国民を虐[いじ]めて国民を脅しているだけである。政府は自分の独断で決めたことを多数決によって国民みんなで決めたことに見せかけているだけである。
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府が国民を脅すのは仕事である。だから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の脅しを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。
『この世に多数決はない』から、国民はみんなと違うことをやってもいい。たとえみんなが政府の脅[おど]しを聞いていても、自分が政府の脅しを聞く必要がなければ聞かなければいいのである。
昔の国民は自分で自分の心をどうにもできなかったから、自分が平和に暮らすためには政府の脅しを聞いて怖気[おじけ]づいておとなしくしなければならなかったから政府の脅しを聞いていた。
今の国民は自分で自分の心を思い通りにできるから、自分が法律を守って平和に暮らすことができるから、政府に脅してもらわなくてもいいから、政府の脅しを聞かなければいい。今の国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。今の政府は国民から税金を取れなくなって、税金の代わりに医療保険費や消費税を取っている。国民は医療保険費や消費税を払わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今では国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足することに決めている。今では国民みんなが現実の中で自分の心を満足することに決めている。だから、法律で眼先や空想を禁止して、現実だけしかやってはいけないことにすればいい。日本国内では、みんながゲームもマンガも小説もお酒も麻薬もエッチもやってはいかず、現実を知って現実の中で遊ぶことしかやってはいけないことにすればいい。そうすれば、国民みんなは幸福に暮らせる。日本は世界で一番幸福な国になる。現実の中で喜ぶようにすれば余計なことにお金が要らないからほとんどお金が要らないから社会主義でもやっていけるかもしれない(笑い)。
昔の人は自分の心のままに好き放題に生きていたから、国のことを決めるには国民みんなの多数決で決めていた。昔の人は正しかろうがまちがいだろうがとにかく多数決で国のことを決めていた。例えば、近代の国民のほとんどは戦争がやりたかったので多数決で国民みんなが戦争をやることに決めて国民みんなで戦争をやった。戦争をやってもいいことは何もないのに、国民の多くが戦争をやりたかったから戦争をやった。昔の人は国のことを多数決で決めていた。そのために政府は民主主義の芝居をやっていた。政府は間接民主制をやって国民みんなの多数決で国のことを決めているふりをして、本当は民主主義では何もやらず自分の独断で国民を虐めているだけだった。しかし、今の人は現実に従いながら自分の心を満足して生きているから、国のことを決めるには現実についての正しい認識に基づいて決めねばならない。国のことは国民の心によらず客観的に決めねばならない。国のことは国民が自分勝手に正しく考えて決めればいい。例えば、今では国民みんなが現実に従って生きているから、国民みんなが法律を守って平和に暮らしているから、国民みんなにとっては政府が要らないから、国民みんなが政府に脅されるのをやめて政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。今の国民は現実に従っているから正しいことならなんでもやっていい。今の国民は他人に頼らず多数決によらず自分独[ひと]りで正しいことをじゃんじゃんやっていけばいいのである。ただし、自分がまちがっていた場合には責任を取らねばならないから慎重にやらないといけない。
昔(昭和40年=1965年ごろまで)はみんなが自分の心のままに生きていたから、国のことは国民みんなの多数決で決めていて、国民のほとんどが政府に脅されておとなしくすることに賛成だったから、国民みんなが政府に脅されておとなしくすることに決まっていた。政府は間接民主制で自分が“政府が国民みんなを脅せる法律”を決めたふりをしていた。つまり、政府は国民みんなが決めた“国民みんなが政府に脅される法律”を自分が決めたふりをしていた。そのため、政府は納税の義務を決めていた。国民みんなは政府に税金を払わなければ罰せられていた。しかし、今ではみんなが現実に従いながら自分の心を満足しているから、国のことは現実についての正しい認識に基づいて決めている。今では国民が現実に従っているので、国民が自分で法律を守って平和に暮らすことができるので、政府に脅してもらって平和にしなくてもいいので、国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。今では納税の義務の法律はないので、国民が政府に税金を払わなくても罰せられない。国民は政府が民主主義の芝居で決めた架空の納税の義務の法律を守らなくていい。国民は政府を倒して、法律会社に法律のことをやってもらえばいいのである。
[22493] 人間は現実の中で暮らせば幸福になれる。 h28.1.20
今では国民みんなが現実を知り現実に従いながら自分の心を満足して暮らしている。
だから、“国民みんなが現実しかやってはいけない法律”を定めればいい。“国民みんなが現実だけやって眼先や空想をやってはいけない法律”を定めればいい。国民みんなが現実のことだけやって、エッチやかっこつけやマンガや文学やお酒や麻薬をやってはいけない社会にすればいい。
今では国民みんなが自分で法律を守っておとなしく平和に暮らすことができるから、国民みんなが政府に脅[おど]してもらっておとなしくさせてもらわなくていいから、国民みんなにとって政府が要らないから、政府の脅しを聞かず政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいい。
国民みんなで法律会社を建てて法律を守ればいい。
国民みんなで学校や図書館を建てて現実を知ればいい。国民みんなが現実を知って現実に従って暮らせばいい。
国民みんなで現実の中で遊ぶ施設を建てて現実の中で幸福に暮らせばいい。
同じように、今では社員みんなが自分で会社の決まりを守っておとなしく平和に働くことができるから、社員みんなが社長に脅してもらっておとなしくさせてもらわなくていいから、社員みんなにとって社長が要らないから、社長の脅しを聞かず社長にお金をやらず社長を潰せばいい。社員みんなで会社の決まりを作って会社の決まりを守ればいい。
人間にとって真[しん]の幸福は現実にある。人間にとっては現実における幸福が本当の幸福である。人間は現実の中で暮らせば幸福になれる。だから、人間は現実の中で暮らすようにすればいいのである。
[22494] 昭和40年ごろに国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知って社会が変わった。
h28.1.21
昭和40年=1965年ごろに社会が変わった。国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知って『心が物と同じである』ことがわかって『自分で自分の心を思い通りにできる』ことがわかって社会が変わった。国民みんなが自分の心のままに好き放題に生きる社会から、国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きる社会に変わった。
昭和40年ごろに社会が変わったために、国民みんなが政府や暴力団や宗教団体や社長(会社の中にある社長や幹部などからなる団体)などに脅[おど]されて怖気[おじけ]づかされておとなしくさせられて平和に暮らすことから、国民みんなが自分で法律を知って法律を守っておとなしく平和に暮らせるようになった。昔は国民みんなが社会の中では政府や暴力団や宗教団体に脅されて、会社の中では社長に脅されておとなしくさせられて平和に暮らしていた。今では国民みんなが政府や暴力団や宗教団体や社長などが要らなくなって、国民みんなが政府や暴力団や宗教団体や社長などの脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって潰[つぶ]している。国民が政府や暴力団や宗教団体や社長に脅されておとなしくしていたのは、秋田のナマハゲが子供を脅しておとなしくさせるのと同じことである。政府や暴力団や宗教団体や社長などが芝居をやっておとなしいふりをしている化けの皮を剥[は]いだからナマハゲと言うのである。昔は国民みんなが自分の心のままに純粋に子供のように生きていたので、秋田のナマハゲのように脅しておとなしくさせる方法が通用したのである。もっとも、大人には子供だましは通用しないから、ナマハゲでは鬼がオモチャの包丁で脅して家の主[あるじ]からご馳走[ちそう]でもてなされるだけだが、政府が国民を脅すときには政府が国民から現金を取って国民に嫌がらせをして本物の事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりする。(ついでに、二人羽織[ににんばおり]も政府のことである。二人羽織の顔を出しているほうが政府の民主主義の芝居をする団体である。二人羽織の黒子[くろこ]が政府の国民を脅して国を平和にする団体である。政府の民主主義の団体は民主主義の芝居をするだけで現実には何もせず、政府の国民を脅して国を平和にする団体が国民を嫌がらせているだけなので、二人羽織では顔を出しているほうが何もせず後ろの黒子が手を出していろんなことをやって国民みんなの嫌がらせをやって国民みんなを虐[いじ]めているのである。政府の民主主義の芝居をする団体は政府の付属の法律会社であり本来は国民なので、二人羽織では顔を出しているほうが民主主義の芝居をする団体と国民の両方を兼ねているので、後ろの黒子が顔を出しているほうを国民として虐めているのである。顔を出しているほうが政府の民主主義の団体の役と国民みんなの役の一人二役なのである。本来は二人羽織は政府の国民を脅す役の黒子と政府の民主主義の芝居をする役の顔を出している人と国民みんなの役をする人の3人でやったほうがわかりやすい。)
昭和40年ごろに社会が変わったために、国民自身も変わった。国民みんなが多数決で国のことを決めることから、現実に従って国のことを決めることに変わった。昔は国民のほとんどが政府や暴力団や宗教団体や社長などに脅されておとなしくしてもらっていたから多数決で国民全員が政府や暴力団や宗教団体や社長などに脅されておとなしくしてもらわなければならなかった。そうしない者は国民みんなから攻撃されて罰せられた。今では国民が多数決ではなく現実に従えばいい。今では国民は周[まわ]りのみんなではなく正しいことに従えばいい。今では国民が自分で法律を守っておとなしく平和に暮らせるので、政府や暴力団や宗教団体や社長は国民を脅しておとなしくさせるので、国民が政府や暴力団や宗教団体や社長が要らないので政府や暴力団や宗教団体や社長の脅しを聞かずお金をやらず潰せばいいことが正しいので、国民はそうすればいい。社長は『人間が平等である』ことがわかっていないから社員の稼[かせ]ぎをふんだくって社員を虐[いじ]めるのである。社員は『人間が平等である』ことがわからないバカ社長に『人間が平等である』ことを身体で教えるために社長を2〜3発殴[なぐ]りつければいい。それは正当な行為だから無罪だろう。
昭和40年ごろに社会が変わったために国民自身が変わった。国民みんなが自分の心のままに眼先や空想で喜ぶことから、現実で喜ぶことに変わった。国民みんながエッチやかっこつけやマンガや文学やゲームや酒や麻薬で喜ぶことから、現実を知って現実の中で遊んで喜ぶことに変わった。国民の遊びが変化している。(日本人はもともと知覚や心が発達して五感が弱いから眼先のことに興味がない。日本人は外見がいいことが嫌いである。日本人にとっては服や化粧品は要らないから、日本では服や化粧品が売れない。アパレル業界や化粧品業界が国民に要らない服や化粧品を売りつけるためにテレビでイケメンとかエステとか流行[はや]らせて国民みんなに要らない物を売ろうとしているのである。そのために、今の国民は眼先のことしかわからない馬鹿になっているのである。日本人が要らないことにお金を使って要ることにお金を使わなくなって現実のことがお留守[るす]になっている。日本が科学や産業が苦手になって貧乏な国になっているのである。)
昭和40年頃に社会が変わった。国民は昔の習慣を捨てて新しい習慣を始めればいい。国民は古臭い社会を壊して新しい社会を建てればいい。昔は『人間が脳で認識する』原理がなかった。今では『人間が脳で認識する』原理がある。そのために社会が変わっているのである。国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知っていることが表に出て来て社会の表層が変化しているのである。
昔は国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたから実存主義だった。今は国民みんなが現実を知って現実に従いながら自分の心を満足しているから合理主義である。実存主義は古い哲学であり、合理主義は新しい哲学である。昔は国民みんなが合理主義をやる方法(つまり『人間が脳で認識する』と考えること)がわからなかったから実存主義しかやることができなかった。今では国民みんなが合理主義をやる方法がわかっているから実存主義をやめて合理主義をやらねばならない。人類はこれまでずっと実存主義をやっていた。人類が実存主義から合理主義に変わったのは今から約50年前である。これからの人類はずっと合理主義で生きて行かねばならない。
[22495] 今の国民は『人間が脳で認識する』と考えているために世の中が変わっている。
h28.1.22
昔は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知らなかった。『心が人間の脳細胞の神経興奮で発生する感覚である』ことを知らなかった。『人間が“心を荷う脳細胞の神経興奮”を調節すれば心を働かせたり心を抑[おさ]えたりすることができる』ことを知らなかった。そのために、国民みんなが自分の心が自分の思い通りにならなくて自分の心のままに生きていた。そのままでは国民みんなが自分の好き放題にやって国が平和にならないので、国民みんなで国民みんなを脅すことを仕事にする政府を設けて政府に脅[おど]されて怖がらされておとなしくして平和に暮らしていた。
今は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知っている。『心が人間の脳細胞の神経興奮で発生する感覚である』ことや『人間が“心を荷う脳細胞の神経興奮”を調節すれば心を働かせたり心を抑えたりすることができる』ことを知っている。そのために、国民みんなが自分の心を自分の思い通りにできるようになって、自分の心を現実に従わせることができるようになって、国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きることができるようになっている。現実の世界では『人間がみな平等で自由に生きている』。そのために、国民みんなが“人間がみな平等で自由に生きていける決まり”つまり法律を守って生きている。今では国民みんなが法律を守って国が平和になっているので、国民みんなが政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。(昔は国のことは多数決で決めていた。多数決の原理が成り立つのは『人間の平等性』による。昔も『人間はみな平等』であり、政府も暴力団も宗教団体も国民もみんな平等だった。昔も今も『人間はみな平等』なのである。)
つまり、昔は国民みんなが心が何なのかがわからなかった。今では国民みんなが心が何かがわかっている。そのために、国民みんなの生活習慣が変わって、国民みんなが政府が要らなくなって、政府を倒しているのである。将来、国民みんなで法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
昔の国民は自分の心に従っていた。昔の国民が平和に暮らすためには自分を脅して自分をおとなしくしてくれる政府が必要だった。そのため、昔の国民は政府を建てて政府に脅してもらっていた。反対に、今の国民は現実に従っている。今の国民が平和に暮らすためには法律が必要である。そのため、今の国民は政府を倒して、法律会社を建てているのである。
今の国民は現実に従いながら自分の心を満足して生きている。今の国民は現実に従っている。そのために、マンガや小説の世界まで現実に従わねばならなくなっている。今ではマンガや小説にまで法律がある。だから、今の国民は現実に従っている。今の国民は政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
今はまだ国民みんなが『人間が脳で認識する』ことに慣れていないからまだ十分に自分の心を自分の思い通りにできなくて自分の心を現実に従わせることができなくてあまり幸福に暮らしていないが、将来国民みんなが新しい世界に慣れてくれば自分の心を自分の思い通りにできるようになって自分の心を現実に従わせることができるようになって今よりもっと幸福に暮らせるようになるだろう。国民みんなが“現実の喜び”がわかるようになって現実の中で幸福に暮らせるようになるだろう。
人間は自分が考えたぶんだけ現実が見える。現実は無限の深さと広さを湛[たた]えた世界である。これまで人間は現実について考えてきた。これからも人間は現実について考えて行かねばならない。現実についての理解を深めて現実を自分の思い通りにできることは人間にとって喜びである。現実の世界こそが人間の縄張りなのである。
人間の心は人間が生まれつき持っている現実についての認識である。いくら人間の文明が進歩しても、人間の心は原始時代から変わらない。人間の心は現実についてほとんど知らない。人間の心は現実について誤解がたくさんある。人間の心は快不快の感情を伴っているが、現実的には現実についてのまちがった認識にすぎない。つまり、快感だから正しいわけではなく不快だからまちがっているわけでもない。心でなにも思わなくても正しいことはいっぱいある。人間が自分の心のままに生きることは、現実について誤解を持ちながら現実の中で生きることである。それではまちがいばかり犯して幸福に生きられない。人間は物だけ知って心を知らないのではいけない。人間は自分で自分の心を修正しないといけない。人間が現実を知って自分の心を現実に従わせれば心が修正される。人間は物と心の両方を知って心を現実に従わせながら心を満足して現実の中で幸福に暮らさねばならない。
[22496] 今では政府や暴力団や宗教団体は客がいなくなって潰[つぶ]れている。
h28.1.22
政府や暴力団や宗教団体は国民を脅[おど]して平和にすることが仕事である。政府や暴力団や宗教団体の仕事は国民に命令して国民からたくさんお金を取って国民に嫌がらせをして国民に暴力をふって国民を殺したり痛めつけたりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国や都会や村を平和にすることである。
人間には“職業選択の自由”があるから、国民が政府や暴力団や宗教団体をやりたければやればいい。
ただし、客がいることが大事である。
昔は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知らず、自分の心のままにやっていたので、自分で自分をおとなしくさせることができず、他人に脅されておとなしくしていたから、政府や暴力団や宗教団体は客が大勢いたから仕事ができた。
今は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知っていて、自分で自分の心を自分の思い通りにできるので、自分で自分をおとなしくさせることができるから、他人に脅されておとなしくしないから、政府や暴力団や宗教団体は客がいないから仕事にならない。
そういうわけで、今では国民みんなが政府や暴力団や宗教団体の脅しを聞かなくなって政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくなって政府や暴力団や宗教団体が儲[もう]からなくなって潰れてなくなっているのである。
今の国民は法律を守って平和に暮らすようになっている。今の国民にとっては法律が要る。だから、誰かが法律会社をやれば大勢の国民と契約を取って儲かるだろう。
[22497] 昔の国民は心に従っていた。今の国民は現実に従っている。 h28.1.23
昔は国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知らず「心は物ではない」と思っていたので、自分の心に従って生きていた。そのため、昔は国民みんなが平和に暮らすために政府に脅[おど]されて怖がらされておとなしくさせられていた。
今では国民みんなが『人間が脳で認識する』ことを知っていて『心が脳細胞の神経興奮で発生する感覚にすぎない』と考えていて『心が物である』と思っているので、現実に従って生きている。現実の社会では人間はみな平等に自由に生きている。そのため、今では国民みんなが平和に暮らすために法律(人間がみな平等に自由に生きるための決まり)を守っている。
今では国民みんなが政府に脅されておとなしくする必要がなくなって、政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今では国民みんなが法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。(今の法律会社は政府からお金をもらって経営しているので、国民は無料で利用できる。そのうち政府が潰[つぶ]れたら、国民はお金を払って法律会社を利用しないといけない。そのほうがいい。)
要するに、昔は国民みんなが自分の心に従って生きていた。今は国民みんなが現実に従って生きている。昔と今では国民みんなが従うものが違う。そのために、国民みんなの考えや行動が変わって社会が変わっているのである。例えば、昔の人は政府が自分の気に入らないと思ったら自分ができようができまいがとにかく政府を倒そうとした。今の人は政府についてよく考えて政府のことをよく知ってから自分の心を満足するために自分ができることを考えて自分ができる範囲内で政府を倒す。そのため、昔の人は政府を倒せなかったが、今の人は政府を倒せるのである。また、例えば、昔の人は戦争が何なのか知らないまま自分が戦争をやりたいと思って戦争をやった。今の人は戦争についてよく知って自分が戦争が嫌だと思うから戦争をやらなくなった。それと同じように、昔の人は政府が何なのか知らないまま政府に脅されておとなしくされて平和に暮らして喜んでいた。今の人は政府についてよく知って自分が政府を残すか倒すか決めねばならない。政府は民主主義の芝居をする“国民を脅して国を平和にする団体”である。政府は芝居の上では国民みんなの役に立つことをやって国民みんなの支持があって国家権力があって国民が従わねばならないが、現実の上では国民を脅して国を平和にしているだけで国民と平等である。政府は芝居の上で強いだけで現実の上では弱い。政府は見掛け倒しである。だから、政府のことをトラ(国民みんなのこと)の皮を着たキツネ(暴力団のこと)と言うのである。今では国民みんなが自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしているので、政府に脅してもらわなくてもかまわない。だから、今の国民は政府の脅しを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。(政府は民主主義の芝居をするために社会科の教科書に「政府は民主主義の団体だ」と書いたり、テレビ局や新聞社や雑誌社などに命令して政府の民主主義の芝居ばっかり流させて『政府が国民を脅して国を平和にする団体である』ことを流させないようにしているのである。昔は国に身分制が出来てはいけないという理由でテレビ局や新聞社などが政府の正体を隠していた。今は国民みんなにとって政府そのものが要らないから、テレビ局や新聞社などは国民みんなに政府の正体を報道すればいいのである。)昔の人は心だけで動いていた。昔の人は心でいいと思うか悪いと思うかだけで動いていた。今の人は頭と心の両方で動いている。今の人は頭を使って相手のことをよく知って自分の心を満足するように相手に対して行動すればいいのである。昔の人は現実を知ろうとせず現実に従わず自分の心の中だけで幸福に暮らしていた。今の人は現実をよく知って現実に従いながら自分の心を満足して現実の中で幸福に暮らせばいいのである。
[22498] 今では国民みんなが現実を知って現実の中で正しく暮らしている。 h28.1.23
昔(昭和40年=1965年ごろより前)は科学がなかったので、国民みんなが現実についてなにも知らなかった。そのために、国民みんなが自分の心のままに好き放題に生きていた。国民みんなが自分の心に従って生きていた。国民みんなは自分の心については詳[くわ]しかったが、それ以外についてはなにも知らなかった。国民みんなが自分の好き放題に暮らすと世の中が物騒[ぶっそう]になるので、政府や暴力団や宗教団体などに脅[おど]されて怖がらされておとなしくさせられて平和に暮らしていた。
しかし、今は科学があるので、国民みんなが現実についていろんなことを知っている。そのために、国民みんなが現実に従いながら自分の心を満足して生きている。国民みんなが現実を知り現実に従いながら生きている。国民みんなは現実について詳しい。物と心の両方に詳しい。国民みんなが現実を知って現実の中で自分の心を満足して幸福に暮らしている。国民みんなが法律(人間が平等に自由に生きる決まり)を知って法律を守って平和に暮らせるようになっている。そのために、国民みんなが政府や暴力団や宗教団体が要らなくなって、政府や暴力団や宗教団体などの脅しを聞かなくなってお金をやらなくなって倒している。国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
要するに、昔の人は現実を知らなかった。今の人は現実を知っている。そのために、昔の人は心のままに暮らしていた。今の人は現実に従いながら自分の心を満足して暮らしている。人間の心は生まれつきの実在についての認識であり、実在についての誤解がたくさんある。そのため、昔の人はまちがいを犯して不幸になっていた。今の人は現実についてよく知って自分の心のまちがいを直して現実の中でまちがいを犯さないようにして自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。
[22499] 政府はバカの国を平和にする団体である。 h28.1.23
昔の国民みんなは心で思うだけだった。だから、政府に脅[おど]されておとなしくされて平和に暮らせて喜んでいた。自分が平和に暮らせるので政府に感謝していた。
今の国民みんなは頭で考えて心で思う。だから、今の国民は自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。政府が要らなくなって政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
昔の人は頭で考えずに暮らしていた。今の人は頭で考えながら暮らしている。国の文明が進むと国民が頭で考えて暮らすようになる。政府は頭で考えない国民がいる国を平和にする団体である。政府はバカの国を平和にする団体である。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。
[22500] 今の国民は現実に従えばいい。☆ h28.1.23
昔の国民は自分の心に従えばよかった。昔の国民は現実を知らなかったので自分の心しかわからなかったので自分の心に従えばよかった。自分の心のままにやればよかった。しかし、それでは国が治まらないので、国民は政府に脅[おど]されて怖[こわ]がらされておとなしくさせられていた。
今の国民は現実に従えばいい。今の国民は現実について考えて現実を知って現実に従えばいい。政府は民主主義の芝居をする“国民を脅して国を平和にする団体”である。政府は現実の上では国民を脅して国を平和にしているにすぎない。しかし、今の国民は現実を知ることができるので、自分で法律を知って法律を守って平和に暮らしている。今の国民にとっては政府が要らない。だから、今の国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わず政府を倒してなくせばいい。
今の国民は現実に従えばいい。今の国民は現実を知って現実に従って行動すればいい。今はそういう時代である。
昔の国民は心の世界で生きていたために目的で物を見ていたから、昔の国民は「政府が国を平和にしてくれる善い人だ」と思って政府をありがたがっていた。そのため、昔の国民は政府の脅しをなんでも聞いて政府に税金を払って政府を食べさせてやっていた。反対に、今の国民は現実の世界で生きているために結果で物を見るから、今の国民は『政府が国民を脅して国民を不幸にする悪い人だ』と思って政府を嫌がっている。そのため、今の国民は政府の脅しを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
昔と今では国民の生き方が違う。そのために、国民の政府に対する見方が違う。政府は昔も今も同じだが、国民が昔と今では変わった。そのために、昔の国民は政府を支持していたが、今の国民は政府に反対して政府を倒しているのである。
政府にとって国民は客だから、政府は国民に合わせて出方[でかた]を変えているのである。政府は国民のために国民を脅して国を平和にする仕事をやっているのだから、政府にとって国民は客である。ナマハゲが仕事なのと同じである。だから、国民は政府に合わさず自分自身に合わせて政府と接すればいいのである。そうやって、国民は自分の手で国を新しくしなければならない。
坂本龍馬は幕府を斬[き]り殺して国を変えようとしたから逆に幕府に斬り殺された。(坂本龍馬が国民みんなに暴力革命がいけないことを教えるためにやったパフォーマンスだったかもしれないが。)幕府にとっては正当防衛だから幕府は悪くなかった。国民が紳士的に政府を倒せば逆に政府も国民に紳士的に対応する。だから、国民は政府の脅しを聞かず政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。そもそも国民と政府は平等だから、国民が政府の脅しを聞くか聞かないかは国民個人の自由である。だから、国民は政府と平等にしながら政府を倒せばいいのである。
政府は心の世界の団体である。だから、たとえ政府が本当に民主主義をやっていたとしても、政府は心で国民みんなのためになることをやっているだけで、現実には国民みんなのためになることをやっていない。政府は心で国民みんなのためになることをしようと思っているだけで、現実にはわけがわからないまま国をオモチャにして弄[いじ]くりまわってメチャクチャにして国民みんなを不幸にしているだけである。ロボコンと同じことである。本当は政府の民主主義は芝居であって、現実には政府は民主主義をやっていない。政府の仕事は国民を脅して国民をおとなしくさせて国を平和にすることである。政府は国民を脅すためにわざとに国民を不幸にすることをやっている。政府は心の世界では国を平和にして国民の役に立っているが、現実の世界では国民を虐[いじ]めて国民を不幸にしている。政府は心の世界で仕事をする団体であって、現実の世界で仕事をする団体ではない。政府は現実の世界では国民みんなの役に立たない。国民みんなの邪魔[じゃま]である。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなで政府を倒せばいいのである。