[22301] 今の国民は今の国をやって昔の国をやめている。 h27.11.24
昔の国では政府が上の者をやって、国民が政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げて政府に虐待されていた。
今の国では国民が法律を守って暮らしている。国民で将来法律会社を建てて、国民が法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をさせようと計画している。
今の国民は今の国をやって昔の国をやめている。つまり、今の国民は“国民みんなが社会の中で幸福に暮らせる決まり”を考え出して決まりを守って暮らして、政府に税金を払うのをやめて、政府の嫌がらせの法律を守ったり嫌がらせの政策をしたり嫌がらせの命令を聞いたりするのをやめて、政府に国家宗教で殺されたりするのをやめている。
国民がどんな国をやるかは国民の自由である。国民が自由に国を選ぶことができる。今の国民にとっては昔の国よりも今の国のほうがいい。だから、今の国民は今の国をやって昔の国をやめている。
今の日本では昔の国と今の国が混じっている。昔の国と今の国が重なっている。国民は混乱しないようにして、昔の国をやめて今の国をやらねばならない。
つまり、昔の“国を平和にする方法”は、国民が政府を上の者にして、国民が政府に貢物を捧げたり、政府に嫌なことをやらされたり、政府に虐待されたりすることだった。今の国を平和にする方法は、国民が“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って暮らすことである。昔と今では“国を平和にする方法”が変わった。だから、今の国民は昔の国を平和にする方法をやめて今の国を平和にする方法をやっているのである。今の国を平和にする方法では国民は政府が要らないから、今の国民は政府を無視して政府を拝[おが]まないようにして政府に税金を捧げないようにしているのである。そのために、今の政府は滅んでいるのである。
[22302] 政[まつりごと]とは国民が政府を上の者にすることである。☆ h27.11.24
昔の国民は“政府を上の者にする”ことによって国を平和にしていた。昔の国民は国を平和にするために政府を上の者にして、政府の前でひれ伏したり、政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり、政府に嫌なことをやらされたり、政府に暴力をふられたりしていた。(国民が政府を上の者とするといっても、国民が政府の正しい命令を聞くことではない。国民が政府を拝[おが]むことである。)
今の国民は“法律を守る”ことによって国を平和にしている。今の国民は国を平和にするために、“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考え出して決まりを守っている。将来は、国民で法律会社を建てて、国民が法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせようと計画している。それまでは法律会社がないが、これまで日本では国民が何度か政治団体を建て直してきて、国民が政治団体がない時代を無事乗り越えられたから、法律会社がない時代も無事乗り越えられるだろう。国民が国を改善するためには多少の不便は我慢[がまん]しなければならない。道路を新しくする工事をするために一時的に道路が不便になるのと同じことである。長い目で見て国民が幸福になるなら少しの間の不便なんかどうでもいいことである。
今の国民は法律を守ることによって国が平和にできるようになったので、政府を上の者にするのをやめている。今の国民は政府に税金を払ったり、政府の嫌がらせの法律を守ったり嫌がらせの政策をやったり嫌がらせの命令を聞いたり、政府の国家宗教で殺されたりするのをやめている。今の政府は国民から税金をもらえなくて滅んでいる。
政府は上の者をやる団体である。政[まつりごと]とは国民が国を平和にするために政府を上の者にすることである。政は昔の国民が国を平和にするための方法である。昔は法律がまだなかったので、国民は政府を上の者にすることによって国を平和にしなければならなかったのである。昔の国民は国を平和にするために政府に高い税金を取られたり政府に虐待されたりしなければならなかったのである。昔の国民は過酷なやり方で国を平和にしていたのである。今でもインドは身分制をやって政府を上の者にして国を平和にしているが、昔の日本はインドと同じことをやっていたのである。今の日本でもインドと同じことをやっているのである。
今の国民は法律を守って国を平和にできるようになっている。今の国民は楽なやり方で国を平和にできるようになっている。今の国民は幸せだ。だから、今の国民は法律を守って国を平和にしなければならない。今の国民は政府を上の者にするのをやめて、政府に税金を捧げるのをやめて、政府を倒して政府をなくさなければならない。
国民がどんなやり方で国を平和にするかは国民の自由である。国民は自分にとっていいやり方で国を平和にすればいい。国民は法律を守って、政府を上の者にしなければいい。だから、今の国民は政府に税金を払ったり、政府の言うことを聞いたり、政府に暴力をふられたりしなければいいのである。
これまで国民は国を平和にするために政府を上の者にしていた。政府が上の者であるのは国民が政府を上の者にしているからであって、政府が自分自身を上の者にしているからではない。この世では『少数が多数を支配することはできず多数が少数を支配するだけ』だから、国民が政府を上の者にしないかぎり政府は上の者ではない。だから、国民が政府を上の者にするかしないかは国民が決めることであって、政府自身が決めることではない。国民が政府を上の者にするかしないかは国民の自由である。昔の国民は国を平和にするためにいやいやしかたなく政府を上の者にしていたのである。国民が政府を上の者にしているから政府が上の者なのである。国民自身が政府を上の者にしているのである。今では国民にとって国を平和にするためには法律を守るほうが政府を上の者にするよりもいい方法である。国民が政府を上の者にするよりも法律を守ったほうが国民が幸福になれる。だから、今の国民は法律を守って政府を上の者にしなければいい。だから、今の国民は法律を守って政府を上の者にせず、政府に税金を払わず政府の言うことを聞かず政府に虐待されなければいいのである。(国民が政府を上の者にするかしないかは国民の自由である。だから、先進国が替わったときには、国民にとっては国の平和よりも国の進歩のほうが大事だから、国民は政府を上の者にするのをやめて政府を倒して、国民で新しい政府を建てて、国民が新しい政府を上の者にして再び国を平和にしたのである。政府は国を平和にするためにある団体なのである。)
今では法律が社会に浸透している。教育が社会に浸透しているのと同じである。今では法律で国を平和にすることが常識である。近代の日本ではまだ政府を上の者とすることで国を平和にしていたが、今の日本では法律で国を平和にすることがむしろ当然である。昔の国民は政府を上の者にして不合理的なやり方で国を平和にしていた。そのため、実際にはあまり国は平和にならず、むしろ国民が政府に虐待されて不幸になるだけだった。昔の国民は自分で自分を不幸にしていた。今の国民は法律を守って合理的なやり方で国を平和にしている。そのため、実際に国がよく平和になって、国民は幸福になるだけで不幸になることがない。今の国民は自分で自分を幸福にしている。今の国民は国を平和にするために法律を守って政府を上の者にするのをやめている。一般に、今では文明が進んで国民が合理的になって、国民がなんでもかんでも合理的なことをするようになってなんでもかんでも不合理的なことをやめているのである。(合理的とは人間が現実を知り現実の中で幸福になることである。反対に、不合理的とは人間が現実を知らず空想を現実の中でやることである。今は合理の時代である。マンガやテレビゲームは不合理的である。今の人間は合理的なことが好きで不合理的なことが嫌いである。今の人間は合理的なことをするといい気持ちになり、不合理的なことをすると嫌な気持ちになる。今の人間はマンガやテレビゲームをやると嫌な気分になる。だから、今の人間はマンガやテレビゲームをやってはいけない。)
江戸時代は法律が厳しかった。しかし、江戸時代の法律は幕府(つまり江戸時代の政府)の命令だった。江戸時代には国民がまだ幕府を上の者にしていたから、幕府の法律は幕府の命令だったのである。そのため、幕府は国民を嫌がらせるための法律や政策や命令をたくさん出して国民は幕府にさんざん不幸にされていた。(江戸幕府は国民を嫌がらせるために思いっきり厳しい法律を定めていた。例えば、国民が無断で他人の家に足を踏み入れると死刑にしていた。しかし、実際には国民は自分で考えてそんな厳しい法律を守らず、国民同士が内々[ないない]で済ませていた。時代が進むにつれて、国民がだんだん政治団体を上の者にしなくなっていって、自分で考えて法律を作って守るようになっていったのである。)今の日本政府の法律も同じことである。日本政府の法律は政府の命令である。今はまだ国民が政府を上の者にしているから、政府の法律は政府の命令なのである。そのため、政府は国民を嫌がらせるための法律や政策や命令をたくさん出して国民が政府にさんざん不幸にされている。政府の付属の法律会社は年がら年中国民を虐[いじ]めるために嫌な法律を定めたり嫌な政策をやらせたり嫌な命令を出したりしているのである。(政府の法律は政府の国民に対する命令である。国民は政府を上の者とするために政府の命令を聞かねばならない。だから、国民は政府の法律を守らなければならない。しかし、政府の法律は政府の国民に対する命令であって政府自身に対する命令ではないから、政府自身は政府の法律を守らなくてもいい。だから、政府は政府の法律を犯して国民を虐めるために悪いことをやっているのである。)国民はおとなしく政府の言いなりになっていてはいけない。国民は自分が幸福に暮らすために、法律(政治団体の命令でない法律)を守って政府を上の者にしないようにしなければならない。国民は政府に税金を払ったり政府の法律や政策や命令を守らないようにしなければならない。早く日本を政府(政治団体)のない法律会社のある国にしないといけない。
この世では正しいことならなんでもやっていい。正しいことをやるためなら誰の許可も要らない。正しいことには誰も逆らえないから、自分が正しいことをやるかぎり誰も自分には逆らえない。総理大臣も大統領も法律も国民みんなも全人類も相対性原理も全宇宙も自分自身も自分に逆らえない。自分は無敵だ。自分が正しいことを知っていながら正しいことをやらないのは卑怯者[ひきょうもの]だ。臆病者[おくびょうもの]だ。国民が政府を上の者とすることよりも国民が法律を守ることのほうが国を平和にするためのいい方法である。だから、国民は政府を上の者とせず法律を守ればいい。国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。自分が正しいと思うことを自分がやれる。それが大人だ。
昔の国民は国を平和にするために政府を上の者にして政府を拝[おが]んでいた。政府は国民が国を平和にするためにでっち上げた“仮[かり]の上の者”である。政府は本物の上の者ではない。だから、政府が上の者であるかないかは国民が自由に決められるのである。国民が自由に政府を上の者にしたりしなかったりできるのである。先進国が替わったり、国を平和にするためのもっといい方法が見つかったら、国民は政府を上の者にするのをやめて、政府に税金を貢[みつ]ぐのをやめて政府を倒せばいいのである。今では国民が政府を上の者にするよりも国民が法律を守るほうが国を平和にするためのいい方法だから、国民は政府を上の者にするのをやめればいいのである。(今では国民が法律を守って国を平和にしている。今どき政府に税金を払っている者は馬鹿である。だから、そういう者を“貢ぐクン”と呼んで軽蔑[けいべつ]しているのである。つまり、今では国民は政府に税金を払わないのが正しいのである。政府に税金を払っているのがまちがいなのである。/インドは仮と本当の区別がない国である。インド人は作りごとを認めないから仮に決めたことが本当に決めたことになる。インド人は「認識を実在と考えて、実在の存在を認めない」からそういうことになるのである。そのために、インド人は正直だが融通[ゆうずう]が利[き]かない。だから、インドでは政府が本当の上の者になって、国民みんなで本気で政府を上の者だと考えて身分制をやっているのである。一方、日本は仮と本当の区別がある国である。日本人は作りごとを認めるから仮に決めたことは仮に決めたままなのである。日本人は『認識と実在が別だと考えて、実在の存在を認める』からそうなのである。そのために、日本人は嘘[うそ]つきだが融通が利く。日本では“嘘も方便”と言う。日本人が嘘をつくのは中国人の影響だろう。日本人は嘘をつくけれども、真実も大事にするのである。昔の国民は国を平和にするためにやむをえず実在しない“上の者”をでっち上げていたのである。昔の国民は自分がそうしているのを知ってやっていたのである。昔の国民は『政府が本当は上の者ではない』ことをよく知っていたのである。だから、政府が上の者である必要がなくなると、すぐに政府を上の者にするのをやめて政府を倒していたのである。本当は政府と国民は平等であり、国民は国を平和にするために嘘で政府を上の者にしているだけなのである。だから、政府の政をまつり“ごと”と言うのである。つまり、政府が上の者であるのは“作りごと”であって本当ではないのである。日本人は作りごとと現実の区別ができる民族である。だから、日本では昔から政府(政治団体)は脆弱[ぜいじゃく]なのである。日本では政府はあくまでも仮の上の者であって、国民が政府を上の者とする必要がなくなれば、国民が政府を上の者とするのをやめて、政府と平等にして、政府の命令を聞かなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を倒すのである。実際に、日本ではこれまでずっとそうやって来た。だから、今でもそうやっているのである。今の国民は政府を上の者としなくなって政府を倒しているのである。)
[22303] 今の国民は国を平和にする方法を変えている。☆ h27.11.24
昔の国民は不合理的だったので国を平和にするために政府を上の者にしていた。昔の国民は経験(観察と実験)によらずに想像で国を平和にする方法をあてずっぽうに考えて実行していた。国民は政府を上の者にして、政府にひれ伏したり、政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり、政府に虐[いじ]められたりして国を平和にしていた。実際には、政府を上の者としてもあまり国は平和にならず、むしろ国民が政府に虐められて不幸になっていた。想像で勝手に作ったやり方だからうまく行かないのは当然である。それにもかかわらず、国民は政府を上の者とすることを変えずにそのままずっと続けていた。政府を上の者にして国を平和にするやり方は科学が出来る以前に出来たやり方なので、結果が出なくてもいっこうにかまわずそのままやり続けるのである。
今の国民は合理的なので国を平和にするために法律を守っている。今の国民は経験によって国を平和にする方法を考えて実行している。国民は“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を立てて実際にやってみて結果を見て決まりの良し悪しを判定して、国民が幸福に暮らせる決まりの体系(つまり法律)を作って決まりを守って暮らしている。今では法律が十分発達して法律が実用的になって、実際に国民が法律を守って平和に幸福に暮らせるようになっている。
今では国を平和にする方法が進歩している。今の国民は法律を守って政府を上の者にするのをやめている。政府は国民から税金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。将来は国民で法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をさせるつもりである。
つまり、“科学の方法”が出来たために世の中が変わっているのである。ガリレオ(1564〜1642、科学の方法が出来たのは1592年ごろだと思われる(Wikipedia参照))が科学の方法を発明したために世の中が合理的になっている。そのために、国を平和にする方法が変わっている。国民が政府を上の者にするのをやめて、法律を守って暮らすようになっているのである。
今は合理の時代である。今は科学の時代である。今の国民は合理的なことをやって不合理的なことをやってはいけない。今の国民は法律を守って暮らして、政府を上の者にしてはいけない。今の国民は政府の好き放題にさせてはいけない。今の国民は政府の命令に従わず政府に税金を払わず政府を倒さなければならないのである。
政府がいろんな理屈をつけて国民を従わせようとしても国民は絶対に政府に唆[そそのか]されて政府に従ってはいけない。政府は自分が生き残るために国民に嘘[うそ]をついているだけである。政府は上の者だから本当は国民を自分の好き放題にするだけである。政府は国民を殺したり国民の物を取ったり国民を虐[いじ]めたりするだけである。政府は国民と平等ではないから政府が国民の役に立つわけがない。政府が国民の役に立つと政府と国民が平等になって政府が上の者ではなくなるから、政府は国民の役に立たないのである。政府はたまに国民の役に立つことをするだけでふだんは国民の役に立たないことばかりやっている。政府は上の者だから国民と平等にしないから国民に嘘をつくのである。国民が政府を倒してから、自分たちで国民の役に立つことをするいろんな会社を建てていろんな会社と自由に契約してお金をやって仕事をさせて、自分たちにとっていい国にすればいいのである。
[22304] 昔の国民は国を平和にするために政府の好き放題にさせていた。 h27.11.26
昔の国民は不合理的だったから国を平和にするために政府を上の者にしていた。国民は上の者である政府を建てて政府の好き放題にさせていた。そのため、政府は国民に命令してお金を取ったり国民を殺したり国民を虐[いじ]めたりしていた。政府は国民を自分の好き放題にして国民を物同然に扱ってなんでもかんでもやっていた。国民は国を平和にするために政府がやっていることを我慢[がまん]していた。政府を上の者にすることは昔の国民が国を平和にするための方法だったのである。昔は科学がなかったので、昔の国民はそんなやり方でしか国を平和にすることができなかったのである。
今の国民は合理的だから国を平和にするために法律を守っている。国民は自分で“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って暮らしている。国民は平和に幸福に暮らしている。今は科学があるので、今の国民はうまいやり方で国を平和にできるようになっている。
今は合理の時代である。今の国民は合理的なことをやって不合理的なことをやってはいけない。今の国民は法律を守って政府を上の者にしてはいけない。今の国民は政府の好き放題にさせず、政府に税金を払わず、政府を倒さなければならない。国民で法律を考えて法律を守って、それでも足りなければ国民で法律会社を建てて法律会社と自由に契約してお金をやって法律の仕事をさせねばならない。
今の政府は法律会社のふりをした上の者(権力団体ともいう)である。今の政府は表では法律会社をやって、裏では上の者をやっている。政府は国民の眼で見えるところではおとなしくいい子にして、国民の眼で見えないところでは暴れまわって国民を好き放題にしている。政府は国民と平等なふりをして、本当は不平等にしている。国民は政府の猫かぶりの芝居に騙[だま]されてはいけない。国民は『政府が上の者をやっている』と考えて、政府を倒さねばならない。政府は“法律がない世界”で上の者でいられるだけである。政府は“法律がある世界”では上の者ではない。今の国民は法律を守っているから、“法律のある世界”では人間はみな平等だから政府は上の者ではないから、今の国民は政府を上の者だと思わず、政府に従わず政府の命令で政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。今はまだ“政府が上の者である世界”と“法律がある世界”が重なっていて、“政府が上の者である世界”が残っているから、政府が上の者をやっていられるのである。国民は“政府が上の者である世界”の外に出て“法律がある世界”の中に入って、政府と平等にして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。そもそも政府が上の者なのは昔の国民が「政府が上の者だ」と思っていたからである。国民の考えが世界を作るから、国民が「政府が上の者だ」と思っているから政府が上の者をやれるのである。政府は国民が「政府を上の者だ」と思っているから上の者がやれるのだから、今の国民は「政府を上の者だ」と思わないようにして『政府と平等だ』と考えて政府に従わないようにして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。要するに、昔の国民は政府を上の者にしていたから、その名残[なご]りで今でも政府は上の者をやっているが、今の国民は法律を守っているから、今の国民にとってはもはや政府は上の者ではないから、今の国民は政府の好き放題にさせず政府の命令に従わず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。国民の考えが世界を作る。今は国民の考えが「政府が上の者である」ことから『政府が上の者でない』ことに変わっている。そのために、今の政府は透明度50%で半分消えながら国民を好き放題にしている。国民はもっと『政府が上の者ではない』と考えて世界を進ませて、政府を完全にこの世から消し去ればいいのである。要するに、今の国民は国を平和にするために法律を守って政府を上の者にするのをやめて、政府の好き放題にさせるのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。今の国民はこの世から国民を不幸にする昔の不合理な習慣をなくして、国民が幸福に暮らせる国にすればいいのである。
政府は昔の国民の“国を平和にしたい気持ち”が作り出した怪物である。国民を襲って国民を不幸にしまくる怪物である。昔の国民は自分の“国を平和にしたい気持ち”のために自分が苦しめられていたのである。しかし、今では国民は法律を守って国を平和にできるようになっている。法律は今の国民の“国を平和にしたい気持ち”が作り出した発明である。昔も今も国民の“国を平和にしたい気持ち”は同じだが、国を平和にするやり方が違うのである。昔の国民は現実を知らなかったので下手[へた]にしかやれなかったが、今の国民は現実を知っているのでうまくできるようになった。今の国民は法律があるので政府が要らなくなった。そのため、今の国民は政府に税金を取らせるのをやめて政府を倒しているのである。
[22305] 今の国民は国を平和にするやり方を変えている。☆ h27.11.26
昔の国民は不合理的だったので国を平和にするために政府を上の者にしていた。国民は上の者である政府を建てて、政府の好き放題にさせて、政府に国民から好きなだけ税金を取らせたり国民を殺させたり国民を虐[いじ]めさせたりしていた。国民は国を平和にするためにどんなに政府に不幸にされても歯を食いしばって我慢[がまん]していた。
今の国民は国を平和にするために法律を守っている。国民は“社会の中で国民が幸福に暮らす決まり”を考えて決まりを守って暮らしている。国民は法律を守れば守るほど幸福になるので、必死になって法律を守っている。国民は自分が幸福になるためにもっと法律をやるために法律会社を建てて、法律会社に自分のあり金全部やってもっといい法律を買おうとしている。
今では国民が国を平和にするために政府を上の者にするのをやめて法律を守るようになっている。国民が政府の好き放題にさせなくなって政府に税金を取らさなくなって政府を倒している。国民が法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせようとしている。
この世では少数は多数に従わねばならない。国民は多数である。政府(政治団体)は少数である。だから、政府は国民に従わねばならない。国は国民のものである。国民が国を作る。国民が自分の好きなように国を作る。昔の国民は国を平和にするために政府を上の者にして政府の好き放題にさせて政府に不幸にされていた。昔の国民は国を平和にするやり方が下手[へた]だったので不幸になっていた。今の国民は国を平和にするために法律を作って法律を守って法律に幸福にしてもらっている。今の国民は国を平和にするやり方がうまいので幸福になっている。今の国民にとっては国を平和にするためには政府を上の者にするよりも法律を守るほうがいい。そのため、今の国民は政府を倒して法律会社を建てているのである。
[22306] 今の国民は政府を設[もう]けるのをやめている。 h27.11.26
昔も今の国民の“国を平和にしたい気持ち”は同じである。
しかし、昔と今では国民の“国を平和にするやり方”が違う。
昔の国民は国を平和にするために“上の者を設けていた”。昔の国民は上の者である政府を建てて、政府の好き放題にさせていた。国民は政府に好き放題に税金を取らせたり国民を殺させたり国民を虐待させたりメチャクチャな景気対策をやって国民を貧乏にさせたり国民の面白いものをなくして国民を欲求不満にさせたり国民が嫌なものを作って国民を不愉快[ふゆかい]にさせたりしていた。国民は政府に不幸にされていた。国民は国を平和にするためだと思って、政府に不幸にされるのをじっと我慢[がまん]していた。(「ラブ&ピース」のピースとは国を平和にすることであり、ラブとは国民をいたぶることである。ラブとは少年マンガでのかわいがることつまり相手を暴力でいたぶることである。政府は国を平和にするために国民をいたぶるのである。「権力より愛だね」の愛も国民をいたぶることである。今では国民が法律を守るようになって政府を上の者にしなくなって政府に従わなくなっているから、政府は国民に命令できなくなって政府に権力(つまり命令力)がなくなって、政府は国民をいたぶることしかできないのである。)
今の国民は国を平和にするために“法律を守っている”。今の国民は“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って幸福に暮らしている。今の国民は法律を守って明るく楽しく元気に暮らしている。国民は自分がもっと法律をよく守って幸福になりたいので、国民で法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせようとしている。
昔の国民は国を平和にするために上の者に不幸にされていた。今の国民は国を平和にするために法律に幸福にされている。国民にとっては自分が不幸になるよりも幸福になるほうがいい。そのため、今の国民は国を平和にするために法律を守って上の者を設けるのをやめている。今の国民は法律を守って、政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]している。時代が進むと文明が高くなって国を平和にする方法が改良されたので、国民は古いやり方をやめて新しいやり方をやっている。そのために、今の国民は法律を守って、政府を潰しているのである。
[22307] これまでずっと国民が自分で国を作ってきた。☆☆ h27.11.26
昔は文明が低くて国民が不合理的だったので、国民は国を平和にするために“上の者を設けていた”。国民が上の者である政府を建てて、政府の好き放題にさせていた。国民は政府に高い税金を取らせたり国民を殺させたり国民を虐待させたりしていた。国民は政府に不幸にされたが、国を平和にするためだと思って我慢[がまん]していた。
今は文明が高くなって国民が合理的になったので、国民は国を平和にするために“法律を守っている”。国民が“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って暮らしている。国民は法律を守って明るく楽しく元気に暮らしている。
国を平和にすることは国民自身の問題である。国民がどうやって国を平和にするかは国民の勝手である。時代が進むと文明が高くなって国を平和にするやり方が改良されたので、国民は古いやり方をやめて新しいやり方をやっている。そのため、今の国民は法律を守って、政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。
これまでも国民が国を作ってきた。いつの時代でも国民が自分で国を作ってきた。古代には国民が「日本はヨーロッパに従わねばならない」「国を平和にするためには上の者を設けねばならない」と思っていたので、国民はヨーロッパ文化をやって政府を建てて政府を上の者にしていた。中世には国民が「日本はアジアに従わねばならない」「国を平和にするためには上の者を設けねばならない」と思っていたので、国民はアジア文化をやって政府を上の者とするのをやめて政府に税金を取らせるのをやめて政府を倒して幕府を建てて幕府を上の者にしていた。近代には国民が「日本はヨーロッパに従わねばならない」「国を平和にするためには上の者を設けねばならない」と思っていたので、国民はヨーロッパ文化をやって幕府を上の者とするのをやめて幕府に年貢[ねんぐ]を取らせるのをやめて幕府を倒して政府を建てて政府を上の者にしていた。(h27.11.29追記:時代の変わり目には政治団体のない時期があった。その時期には国民を脅して国民をおとなしくさせる団体(政治団体のこと)がいなかったから国民はやりたい放題だった。国民は日頃の自分の心を開放して“ええじゃないか踊[おど]り”をやったりしていた。)そして、現代では国民が「日本は日本自身に従わねばならない」「国を平和にするためには国民が法律を守らねばならない」と考えているので、国民は日本文化をやって法律を守っている。今の国民は法律を守って上の者を設けなくなっている。今の国民は政府の好き放題にさせなくなって政府に税金を取らさなくなって政府を倒している。今の国民は将来法律会社を建てて法律会社と自由に契約してお金をやって法律の仕事をさせるつもりである。
国を動かすのは国民である。国民が自分で考えて正しい国を作るのである。国を動かすのは政治団体ではない。政治団体は国を平和にするために国民を好き放題にしているだけである。政治団体にとっては国民を自分の好き放題にすることが仕事なのである。国民が正しい国を作るために政治団体を建てたり潰したりするのであって、政治団体が自分にとって都合[つごう]のいい国を作るために国民を生かしたり殺したりするのではない。政治団体が自分にとって都合のいい国民を生かして自分にとって都合の悪い国民を殺すのではない。この世では『多数が少数を支配しているのであって、少数が多数を支配しているのではない』から、国民が多数で政治団体が少数だから、国民が政治団体を支配しているのであって、政治団体が国民を支配しているのではない。(私は『多数が少数を支配する』原理を復活させるのに約8年もかかった。)国民が政治団体を支配しているから、国の支配者は国民であって政治団体ではないから、国を動かすのは国民であって政治団体ではない。国の頭脳は国民であって政治団体ではない。政治団体は自分の好き放題に国民を虐[いじ]めているだけであって、自分で考えて国を動かしたりしない。政治団体は国民を虐めるだけの馬鹿である(ただし、職務上の馬鹿であって、個人的には馬鹿ではないかもしれないが)。だから、国民は政治団体任[まか]せにせず、自分で考えて国を動かさねばならない。今では国民が法律を守ることが正しい国の平和の仕方である。今では国民が上の者を設けることが正しい国の平和の仕方ではない。だから、国民は法律を守って政治団体を設けてはいけない。国民は政府に税金を払わず政府を潰さねばならない。国民はそのうち法律会社を建てねばならない。
この世では『多数が少数を支配しているのであり、少数が多数を支配しているのではない』から、国民が政治団体を支配しているのであって、政治団体が国民を支配しているのではない。政治団体は国を平和にするために国民を自分の好き放題にしているだけである。政治団体は国民を自分の好き放題にしているだけであって、国民を支配しているのではない。好き放題にするのと支配するのは別ごとである。国民が政治団体を支配しているから、国民が政治団体を残すか潰すかを決める。政治団体は国民に支配されているから 自分で建ったり潰れたりできず、国民に建ててもらったり潰してもらったりしないといけない。だから、先進国が替わっても政治団体は自分で滅ばず、国民に滅ぼしてもらうをじっと待っているのである。今の政府が建っているのは、今の国民が政府を倒さないからである。今では国を平和にするためには国民が上の者を設けるのではなく国民が法律を守ればいいことがわかっているのに、政治団体が自分で滅ばないのもそのためである。政治団体は国民に滅ばされないかぎり残り続けるのである。だから、今の国民が政治団体を倒さなければならないのである。今の国民は政治団体にビビらずに勇気を出して政治団体を倒さねばならないのである。国民は自分で『今の日本は日本文化をやらねばならない』『今では国を平和にするためには国民は上の者を設けるのではなく法律を守らねばならない』ことが正しいと考えて、正しい国を作るために政府を倒さねばならない。(同じように、会社は小さい国である。この世は『多数が少数を支配している』から、社員が社長を支配しているのであって、社長が社員を支配しているのではない。昔の社員が会社を平和にするために上の者(つまり社長)を設けて、社長に社員を好き放題に虐[いじ]めさせたのである。社長に会社の儲[もう]けを独り占めさせたり社員の嫌がらせをさせたり社員に暴力をふらせたり会社を不景気にして社員を貧乏にさせたりしたのである。社長は社員を好き放題にしているだけで、社員を支配しているのではない。社員が社長を支配しているから、会社の支配者は社員であって社長ではない。会社のことを考えて会社を動かしているのは社員であって社長ではない。会社の頭脳は社員であって社長ではない。社長は会社を平和にするために社員を虐めるだけである。社長は社員を虐めるために、会社の儲けを独り占めしたり、社員の嫌がらせをしたり、社員に暴力をふったりする。社長はいくら社員の前で善い人ぶっていても、本当はそういう者である。社長は社員を虐めるだけの馬鹿である。だから、社員は社長任せにせず、自分で考えて会社を動かさねばならない。今では『会社を平和にするためには上の者(つまり社長)を設けるのではなく、社員が社則を守る』ことが正しいから、社員は社則を守って社長にお金をやらず社長を潰さねばならない。社長を会社からなくさねばならない。)
[22308] 国の主役は国民である。☆ h27.11.26
政府(政治団体)は上の者である。政府の仕事は国を平和にするために国民を好き放題にして虐[いじ]めることである。政府は国民からお金を取ったり国民を殺したり国民を虐待したり国民を貧乏にしたり国民を飢えさせたり国民を病気にしたり国民の気を狂わせたり国民にまちがったことを教えて馬鹿に変えたり国民の面白いものをなくしたり国民の嫌がるものを作ったりする。けっして、政府は国民を指導して善い国を作ってくれる団体ではない。政府は国のリーダーではない。合理の時代になって国民が上の者を合理的に見るようになったために、「国民みんなが政府に従うのは、政府が国民を指導して国民を幸福にしてくれるからだ」と思って、政府が“国民みんなを指導して善い国を作る団体(いわゆる行政機関)”みたいに見えるのである。そのために、政府はわざわざ国民の誤解に合わせて行政機関の芝居をしなければならなくなっているのである。実際には、国民が自分で国を善くしているのであって、政府は国を善くするためには何もしていないのである。政府は表で行政機関の芝居をやって、裏では本職の上の者をやって国民を好き放題にして虐めて不幸にしているのである。(政府は科学が出来る以前の古臭いやり方で国を平和にする不合理団体である。昔の物を今の目で見るから誤解が生まれる。不合理な物を合理的に見るから誤解する。昔の物は昔の目で見ないといけない。昔の物は昔の目で見ないと正しい意味がわからない。私が政府について考え始めてから政府のことがわかるまでに約8年もかかった。私が「今の世の中はすべて合理的に出来ている」と思っていたからなかなか政府がわからなかったのである。『今の世の中にはまだ不合理な物が残っている。合理的にはわからない物がある。』と考えれば政府がわかる。“国を平和にするため”という目的から逆に考えれば政府がわかる。つまり、『政府は国を平和にするために国民を好き放題にして虐める団体なのである。昔の人は科学がなくて不合理的だったから、そんな方法で国が平和になると思っていたのである。』(社会科の得意な人なら最初っからわかっていることかもしれないが(笑い)。)それと同じように、私が認識について考え始めてから認識がわかるまでに約8年かかった。「人間が眼で物を見る」ことが認識だと思っていたから、なかなか認識がわからなかった。“感覚”(感じること)の概念がわかってやっと認識がわかった。『脳細胞の神経興奮で感覚(感じること)が発する』ことが認識なのである。人間が認識するためには対象は要らないのである。人間の認識と対象は分かれているのである。したがって、人間は自分の経験を分析することによって概念を作って、自分の持っている概念を組み合わせて実在する対象と同じことを作ることによって実在する対象が理解できるのである。この辺[へん]までは“感覚”の概念がわかったときにわりとすぐに(数週間で)わかった。しかし、そこから先、鬱病[うつびょう]や精神分裂病などのことがわかるにはさらに約15年間試行錯誤して考えなければならなかったのである。)
この世では『多数が少数を支配する。』国民が多数で政府が少数である。だから、国民が政府を支配している。国の支配者は国民であって政府ではない。国のことを考えて国を動かすのは国民であって政府ではない。国の頭脳は国民であって政府ではない。だから、国民は政府に頼らずに、自分で国のことを考えて国を動かさねばならない。(今の政府が自分で潰[つぶ]れないのは、国民が国の支配者だからである。国のことを決めるのは国民であって政府ではないから、政府のことを決めるのは国民だから、政府は自分の考えで勝手に潰れることができないのである。政府は国民が自分を滅ぼすまで滅べないのである。政府は国民によって滅ぼされるまでずっと上の者をやって国民を好き放題にして虐め続けるしかないのである。政府は「早く国民が自分を倒してくれないかなあ」と思いながら国民を虐めているのである。つまり、政府は正しいことをやっているのである。いまだに頭の中でまちがったことばかり考えていて政府を倒そうとしない国民が悪いのである。)
この世を支配しているのは実在である。実在が人間を支配しているのであって、人間が実在を支配しているのではない。だから、人間は真実に従わねばならない。人間は正しいことには逆らえない。だから、正しい者が国を支配する。正しい者が国の支配者である。人間は正しいことを知り正しいことをやらねばならない。今では『日本は日本自身に従わねばならない』『国を平和にするためには国民が法律を守って上の者を設けてはいけない』ことが正しい。だから、国民は自分で日本文化をやって法律を守って政府を潰[つぶ]さねばならない。日本人は眼で見るよりも心で思うよりも頭で考えるから、今の国民は頭で実在について考えねばならない。頭で実在のことを考えて楽しむようにして、眼で見ることや心で思うことで楽しんではいけない。国民は自分で法律を勉強して法律を守って、政府を上の者にせず政府の好き放題にさせず政府に税金を取らさず政府を倒さねばならない。
人間は最初はまちがっていても、考え続けていればだんだん正しくなる。正しいことがわかってくる。だから、考え続けねばならない。考えればわかる。考えなければわからない。だから、考えねばならない。
正しいことはわかれば簡単だが、わかるまでに時間がかかる。例えば、私が政府について考え始めてから『政府が国を平和にするために上の者をやって国民を好き放題にして虐めている』ことがわかるまでに約8年かかった。他人に自分と同じ時間をかけて考えさせるわけには行かない。そんなことをしていたらいくら時間があっても足りない。そのために、教育があるのである。他人に要領[ようりょう]よく正しいことを教えるのが教育である。人間は自分が正しいことを知っていたら、他人に教えねばならない。今ではインターネットやスマホがあるから、他人に情報を伝えることが簡単にできるから、人間は正しいことを他人に教えねばならない。
[22309] 政府は平和を売る会社である。 h27.11.27
この世では『人間はみな平等である。』だから、国民と会社や政府は平等である。国民と会社や政府は平等だから、国民は会社や政府と契約して報酬を払って仕事をやってもらっている。
普通の会社は国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に物をやったりサービスをしたりする。
政府は国民と自由に契約して国民を好き放題に虐[いじ]めて国民が平和に暮らせるようにする(ただし不合理的にだが)。
普通の会社も政府もやっていることは同じである。普通の会社は国民と契約して国民とお金と物やサービスを交換するが、政府は国民と契約して国民を好き放題にして虐めることと国民が平和に暮らせることを交換する。つまり、政府の商品は国民が平和に暮らせることであり、その報酬は国民を好き放題に虐めることである。政府は国民から幸福をもらって、平和を売る会社である。国民は政府に自分の幸福を払って、政府から平和を買うのである。
昔は国民が平和に暮らすためには政府に頼むしかなかったから、国民みんなが政府と契約して政府に好き放題にされて虐められていた。政府は国民から好き放題に税金を取って儲[もう]かっていた。昔は法律がなかったために、平和の値段がバカ高かったのである。しかし、今では法律が出来て、国民が法律を守って平和に暮らせるようになったから、国民は政府に平和にしてもらわなくてもよくなった。
そのため、今では国民が政府と契約しなくなって政府に好き放題に虐められなくなっている。国民は政府に税金を取らせなくなって政府が儲からなくなって滅んでいる。
[22310] 時代が進むと国民が国を平和にする方法が変わる。 h27.11.27
国民は国の最高権力者である。国は国民が自分の好きなようにすればいい。
昔の国民は国を平和にするために上の者を設けていた。昔の国民は国を平和にするために政府を上の者にして、政府の好き放題にさせていた。昔の国民は国を平和にするために政府に上の者をやらせていた。国民が政府に好き放題に国民からお金を取らせたり国民を嫌がらさせたり国民を殺させたりしていた。昔は文明が遅れていて昔の国民は不合理的だったのでそんなヘンテコなやり方で国を平和にしていたのである。実際には、ほとんど国が平和にならず、国民が政府に不幸にされていただけだった。しかし、国民にとってはほかに国を平和にする方法がなかったので政府に虐[いじ]められるのを我慢[がまん]していた。政府も自分の仕事だと思って国を平和にするためにいやいやしかたなく国民を虐めていた(映画“男はつらいよ”)。昔は世の中全体が不合理的だったので、そういうやり方で国を平和にするのが似合っていたのである。
今の国民は国を平和にするために法律を守っている。今の国民は“社会の中で国民が幸福に暮らす決まり”を考えて決まりを守って暮らしている。今は文明が進んで今の国民は合理的なのでそんなエレガントなやり方で国を平和にしている。今では世の中が全体的に合理的になっているので、法律で国を平和にするのが似合っているのである。
今では文明が進んだので国民が国を平和にする方法が変わっている。そのため、国民は法律を守るようになって、上の者を設けるのをやめている。今の国民は法律を勉強して法律を守って、政府を上の者にしなくなって政府の好き放題にさせなくなって政府に国民から税金を取らさなくなって政府を倒している。
人間は正しいことに従わねばならない。人間は正しいことには逆らえない。人間は正しいことを知って正しいことをしないといけない。たとえ周[まわ]りのみんながまちがったことをしていても自分は正しいことをしないといけない。正しいことがわかった者から先に正しいことをしないといけない。政治団体が倒れるには、国民みんなの考えが変らなければならない。国民みんなの考えが「政治団体を上の者にする」ことから「政治団体を上の者にしない」ことに変わらねばならない。国民みんなの考えが変わるには時間がかかる。100年ぐらいかかる。だから、政治団体が倒れるためには100年ぐらい時間がかかる。政治団体は100年ぐらい時間をかけてゆっくりと倒れる。(フランス革命のように急に政治団体が倒れるほうが例外的である。)政治団体が倒れるのがあまりにも遅いので、眼では政治団体が倒れていないように見える。しかし、時間を早送りにすると政府は倒れている。タイムラプス撮影と同じことである。政治団体を倒すのは国民みんながいっせいに揃[そろ]ってやることではなく、めいめいが個人でバラバラにやることである。だから、国民は周りのみんなにかまわずに「政治団体を上の者にしない」ことが正しいことがわかった者から先に政府を上の者にするのをやめて政府に好き放題にさせるのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。国民は自分が正しいことをすればそれだけ税金が儲[もう]かる。だから、『善は急げ』というのである。
[22311] どうして安藤昌益[あんどうしょうえき]は幕府に殺されなかったのか?
h27.11.28
昔の国民は国を平和にするために上の者を設けていた。国民は政府(政治団体、幕府も含む)を上の者にして、政府の好き放題にやらせていた。国民は政府に国民から高い税金を取らせたり政府に国民を嫌がらさせたり政府に国民を殺させたりしていた。
幕府は上の者であって、悪の犯罪組織ではない。幕府は上の者であって国の支配者ではない。上の者は国民を決まったやり方で好き放題にするだけで、それ以外のことはやらない。国民は上の者に決まったやり方で好き放題にさせるだけで、それ以外のことはやらさない。
安藤昌益は身分制反対を訴えたが、幕府(上の者)は思想の取締[しま]りをすることは仕事ではなかったから、当時の幕府の法律では思想の自由を認めていたから、幕府は安藤昌益を処罰せず放任したのである。
問題は国民みんなである。当時の国民みんなは国を平和にするために上の者を設けて、幕府を上の者にしていたが、日本流のやり方で上の者にしていた。日本では上の者は国民みんなが国を平和にするためにやむを得ずでっち上げたものであって実在するものではなかった。日本では国民と上の者は本当は平等であり、国民は上の者と契約して上の者に好き放題にされるかわりに平和に暮らせるようにしてもらっていた。一方、インドの身分制では、上の者は実在するものである。インドでは嘘[うそ]を認めないので、でっち上げが利かないので、たとえ嘘でも上の者にした以上は本当に上の者なのである。インドでは国民と上の者は本当に不平等であって、国民は上の者が上の者だから上の者に従うだけなのである。日本では上の者は嘘であって、国民は国を平和にするために上の者に好き放題にさせるだけだが、インドでは上の者が本当であって、国民が身分のために上の者に好き放題にさせるのである。江戸時代の日本では国民みんなが身分のために上の者に従うのが嫌だったから、インドの身分制に反対だった。日本では国民みんなが身分制に反対だった。だから、安藤昌益が身分制反対を訴えても、国民みんなは安藤昌益を支持して安藤昌益に人気があったのである。日本中に安藤昌益の弟子がいたのである。結局、江戸幕府は国民みんなにインドの身分制をやらせることができなかった。インドの生類憐みの令[しょうるいあわれみのれい]をやらせることができなかったのと同じことである。日本では上の者は嘘のでっち上げにすぎず、本当ではないのである。日本では上の者は本当は国民と平等なのである。日本では上の者は建前[たてまえ]にすぎず、本当は国民が自分が平和に暮らすために上の者という名前の団体に好き放題にさせているだけである。インド人と日本人はやはり違うのである。インド人と日本人は同じ知覚主義だが、インド人は嘘をつかないが、日本人は嘘をつくのである。インド文化と日本文化は違うのである。
江戸幕府は国民に身分制や生類憐みの令をやらせようとしたが国民が反対したのでやらせられなかった。政治団体は国民が認めたやり方でしか国民を好き放題にできない。国民が政治団体を支配している。国の支配者は国民である。国民が国を決める。今では『日本人は日本文化をやる』『国を平和にするためには国民は法律を守って上の者を設けない』ことが正しい。だから、国民は日本文化をやって、法律を守って、政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民は政府に上の者をやらさず政府の好き放題にさせず政府に国民から税金を取らさず政府を潰せばいいのである。
今の日本では国民みんなは政府を上の者にしなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰している。しかし、医者と商人は馬鹿なので、いまだに政府を上の者にして政府の好き放題にやらせている。医者と商人は馬鹿なので政府が本当に上の者だと思ってなんでも政府の言いなりになっている。だから、医者は政府の命令で医療保険制度をやって、商人は政府の命令で消費税を取っているのである。国民みんなはとっくの昔に政府を上の者にしなくなって政府の言うことを無視して聞かなくなっているのに、医者と商人だけが今でも本当に政府が上の者だと思って政府の言うことを聞いている。医者や商人が馬鹿だからいけないのである。医者と商人は馬鹿の双璧[そうへき]である。職務上で馬鹿だけでなく本当に馬鹿である。馬鹿は眼で見ることしかわからないから医者や商人しかやれないのである。普通の人は頭で考えることがわかるので医者や商人をやるのが嫌だから医者や商人をやらないのである。医者は馬鹿だから陰気臭いのである。医者や商人は馬鹿なので眼で見ることしかわからないから政府が本当に上の者だと思って政府に従っているのである。医者や商人は馬鹿だから眼で見ることしかわからないからお金を欲しがるのである。医者や商人が金で喜ぶのが馬鹿の証拠である。本当は自分にとって損なのに、政府に唆[そそのか]されて自分が儲[もう]かると思って医療保険費や消費税を取っているのである。(政府は最初のいっとき医療保険制度や消費税で医者や商人が儲かるようにして医者や商人に医療保険制度や消費税を受け入れさせて、あとで制度を細かく変えてだんだん医者や商人が儲からないようにする。政府は上の者だから、政府は国民を虐めるだけだから、そうするのである。政府は馬鹿をからかうのが好きだから、医者や商人をからかって遊んでいるのである。)医者や商人の馬鹿のせいで世の中が進歩しない。国民みんなにとって医者や商人は迷惑である。国民みんなにとって馬鹿は邪魔[じゃま]である。国民みんなは医療保険制度をやらず消費税を払ってはいけない(今の私は医療保険費は払っていないが、消費税は払っている。そのうち消費税も払わなくなるかもしれない)。
今では国民みんなが政府を上の者にしなくなって政府の命令を聞かなくなっている。そのため、政府は自分に従う国民を利用して国民みんなを従わせているのである。政府は自分と国民みんなの間に自分の命令を聞く国民を挟[はさ]むことによって国民同士の仲間意識を利用して国民みんなを自分に従わせているのである。今の国民みんなは政府の命令を聞かなくなって政府の命令で税金を払わなくなったから、政府は自分の命令をよく聞く医者や商人を使って国民みんなから税金を取らせることによって国民みんなから税金を取っているのである。今の国民みんなは政府の命令を聞かなくなって政府の命令で死なないから、政府が今でも自分の命令を聞く国民を使って事件や事故を起こさせて大勢の国民を殺しているのと同じことである。医者や商人は政府の子分[こぶん]である。政府のまわし者である。国民は医者や商人の言うことを聞いてはいけない。国民は医者や商人に税金を払わないようにして、早く政府を倒さねばならない。
今では国を平和にするためには国民が法律を守って上の者を設けないことが正しい。今では法律だけあればよく、上の者は要らない。それなのに、政府は自分で滅ばない。国の支配者が国民だから政府は自分で滅ばないのである。国の支配者が国民だから、政府は自分が残るか滅ぶかを国民に決めてもらっているから、政府は自分が国民に滅ぼされるのをおとなしく待っているだけで自分から滅ばないのである。これまで政治団体は国民に自分が残るか滅ぶかを決めてもらっていたから、今でもそうしているのである。政府が残っているかぎり政府は国民を自分の好き放題にして国民を虐めまわって国民を不幸にする。だから、国民は自分が幸福になるために自分で政府を倒さねばならない。国民が国の支配者だから、国民が政府の支配者だから、国民が政府を自分の好き放題にしていい。国民が政府を上の者にするのをやめて政府の好き放題にさせるのをやめて政府に税金を取らせるのをやめて政府を倒せばいいのである。そもそも政府は昔の国民が国を平和にするために建てたものだから、政府は国民のものである。だから、国民が政府を自由にしていい。今の国民は法律で国を平和にできるから政府は要らない。だから、今の国民は自分たちが政府に好き放題に虐められないために政府を倒せばいいのである。昔の国民は国を平和にするために政府を上の者にして政府の好き放題にやらせていただけである。国民が政府の支配者である。国民が国の真の支配者である(ギャラクター(ガッチャマンの敵の組織)やショッカー(仮面ライダーの敵の組織)の謎の総統の正体は国民だったのである)。反対に、今の国民は国を平和にするために政府が余計な邪魔者[じゃまもの]になったから、政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
[22312] 昔の人は国を平和にするつもりでかえって国を物騒[ぶっそう]にしていた。☆
h27.11.28
昔は文明が遅れていて昔の国民は不合理的だったので、国に“上の者”を置けば国が平和になると思っていた。そのため、国民は政府を上の者にして、政府の好き放題にさせていた。国民は政府に国民から高い税金を取らせたり国民を嫌がらせたり国民を殺させたりした。
今は文明が進んで今の国民は合理的なので、“法律”を守って法律を守って国を平和にしている。国民は“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って暮らしている。
今は文明が進んで世の中が合理的になっている。国に上の者を置いても国が平和になるわけがないのは明らかである。国民が上の者に虐められて不幸にされているだけである。国に上の者を置けば国が平和になるのは昔の人の迷信である。昔の人が馬鹿だったからこんなナンセンスなことをやり始めたのである。こんな馬鹿馬鹿しいことは早く終わらさねばならない。
この世では『人間はみな平等である。』国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府に好き放題に虐[いじ]められるかわりに国を平和にしてもらうか(実際には平和にならないが)どうかは国民の自由である。今では国民が法律を守れば国が平和になるから政府に虐められなくていい。国民がいくら政府に虐められても国が平和にならないから国民は政府に虐められなくていい。だから、今の国民は政府と契約せず政府に好き放題にさせず政府に税金を取らせず政府を倒せばいいのである。早く日本を法律だけあって上の者のいない国にしないといけない。
[22313] 今の国民は政府に“上の者の芝居”をやらせるのをやめている。☆☆
h27.11.28
昔は文明が低かったので昔の人は不合理的だった。昔の国民は政府に“上の者の芝居”をやらせれば国が平和になると信じていた。昔の国民は政府に“上の者の芝居”をさせると、国民みんなが「政府に従わねばならない」と思って国民みんながおとなしくなって国が平和になると思ったのである。【政治の原理】秋田のなまはげ祭りで、子供がなまはげの鬼に脅[おど]かされるといい子になるのと同じことである。政府は“上の者の芝居”(つまり政[まつりごと])をやって国民を脅しておとなしくさせて国を平和にする(つまり国を治める)団体である。昔の国民は国を平和にするために政府に“上の者の芝居”をやらせていた。つまり、昔の国民は政府の好き放題にさせて、政府に国民から高い税金を取らせたり国民の嫌がらせをさせたり国民を殺させたりしていた。しかし、昔の国民は不幸になって悲しむどころか、むしろ国が平和になると思って喜んでいた。政府に“上の者の芝居”をやってもらって感謝していた。昔の国民は不合理的な目で見ていたので、昔の国民の目には「自分たちが政府に幸せにしてもらっている」ように見えたのである。政府がやっていることに文句をつける者がいると、みんなは「政府の揚[あ]げ足を取るな!」と言って怒って袋叩[だた]きにしていた([22300]参照)。(昔の国民は戦争に対しても「日本がヨーロッパ文化をやれば国が進歩する」と思って喜んで戦争をやっていたのである。近代の政府は国民を喜ばせるために国民に戦争をやらせたのである。戦争に反対する者がいればみんなで袋叩きにしたのである。)
しかし、今は文明が高くなって今の人は合理的である。今の国民は自分が法律を守れば国が平和になると考えている。今の国民は国を平和にするために自分で法律を守っている。今の国民は“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って暮らしている。
時代が進むと文明が高くなって国民が国を平和にする方法が変わる。今の国民は新しいやり方で国を平和にするようになって、古いやり方をやめている。今の国民は法律を守るようになって、政府に“上の者の芝居”をやらせるのをやめている。今の国民は合理的な目で見ているので、今の国民の目には『自分たちが政府に不幸にされている』としか見えない。今の国民にとっては政府の“上の者の芝居”はただの邪魔[じゃま]にすぎない。
この世では『人間はみな平等である。』国民と政府は平等である。政府は“上の者の芝居”をやっているだけであって、政府は国民と平等である。芝居でウルトラマンの役をやる人が本当は人間であるのと同じことである。政府にとって“上の者の芝居”をやるのは仕事である。昔の国民は政府と契約して政府に“上の者の芝居”をやってもらって国を平和にしてもらって(実際には国が平和にならないが)、その換[か]わりに政府の“上の者の芝居”の中で政府に国民から税金を取らせて政府の報酬にしていたのである。政府が国民に命令して税金を取るのは政府にとって仕事でもあり報酬でもあったのである。一石二鳥だったのである。普通の会社は仕事と報酬が別だが、政府は仕事の中で報酬を取っているのである。仕事と報酬が一体化しているのである。しかし、今では法律が出来て国民が法律を守って国が平和になったので、今の国民は政府に“上の者の芝居”をやってもらわなくてもよくなっている。そのため、今の国民は政府と契約しなくなって政府に“上の者の芝居”をやってもらわなくなっている。今の国民は政府に“上の者の芝居”をやらさなくなって政府に国民から税金を取らさなくなって政府を潰[つぶ]している。政府も馬鹿馬鹿しいことをやらなくてすむので喜んでいる。
[22314] 政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。 h27.11.29
政府は国を平和にする団体である。ただし、その方法は国民からお金を強盗したり国民を嫌がらせたり国民を殺したりして国民を脅かすことである。【政治の原理】
昔は文明が低くて不合理的だったから、昔はまだ法律がなかったから、そんなやり方で国を平和にしていたのである。政府は人間の恐怖心を利用して国民を脅して国民をおとなしくさせることによって国を平和にしていたのである。国を平和にするために国が平和でなくなっていたのである。
しかし、今は文明が高くなって合理的になったから、国民は法律を守って国を平和にしている。これなら国の平和が損なわれることがない。
今では国民は法律で国の平和が手に入るから、国民にとって政府が要らない。そのため、今では国民は政府に国を平和にする仕事を頼まなくなって、政府に国民からお金を強盗させたり国民を嫌がらせたり国民を殺させたりしなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
そもそも政府は国を平和にする団体である。政府は国を平和にするための手段として国民に命令して国民からお金を取ったり国民に嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を脅すのである。政府は国を平和にする手段が変わっているだけで、国を平和にするためにあるのは法律会社と同じである。だから、政府と国民は平等である。「政府が上の者だ」というのは国民の政府に対する誤解である。昔の国民は政府と契約して政府に税金を払う換[か]わりに手荒[てあら]なやり方で国を平和にしてもらっていたのである。しかし、今は法律があるから、今の国民は法律を守って国を平和にすることができるから、国民は政府に国を平和にしてもらわなくてもよくなったから、国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払わなくなっているのである。
時代がたって、国が文明的になって国民が合理的になって、国民が法律(不文法も含む)を守って平和に暮らすようになって政府の役目がなくなったから、政府は“行政機関”を建てて自分が国民の役に立つことをしているふりをして国民から税金を取るようになったのである。政府は自分が国民のために働いているふりをして、じつは何にもやっていない。国民が自分で自分の役に立つことをやっているだけで、政府は国民の役に立つことは何もしてない。国民は政府が国民の役に立つことをしていないことを知っている。政府がいくら行政機関を建てても国民は騙[だま]されない。
今の政府は仕事のない会社である。政府の仕事は国を平和にすることだけでほかにはない。今の政府はもはや国を平和にしていないのに、昔と同じように国民からお金を強盗したり国民を嫌がらせたり国民を殺したりしている。今の国民にとっては政府は要らない。国民と政府は平等である。だから、今の国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に仕事をさせなくなっている。政府は仕事がない会社だから、政府は無駄[むだ]に国民を脅すだけだから、国民にとっては政府は邪魔[じゃま]だから、国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒して政府に無駄なことをさせないようにしているのである。
[22315] 今の国民は政府に国を平和にしてもらわなくなっている。 h27.11.29
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府や法律会社は平等である。
昔は法律がなかったので、国民で政府を建てて政府に国民を脅[おど]してもらって国を平和にしていた。政府は国民からお金を強盗したり国民に嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を脅すことによって国民をおとなしくさせて国を平和にしていた。人間が動物をおとなしくさせる方法を人間に使って人間をおとなしくさせていたのである。人間が動物をおとなしくさせる方法を人間に適用したのである。
昔の国民は平和が欲しかったので、政府と契約して政府に国民を脅して国を平和にしてもらって、その換[か]わりに政府が国民を脅すときに政府にお金を強盗させることで政府に報酬を払っていた。
しかし、今は法律があるので、国民が自分で法律を守って国を平和にできるようになっている。国民が自分で“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えて決まりを守って平和に暮らせるようになっている。
国民が法律を守って国を平和にしたほうが、政府に国民を脅して国を平和にしてもらうよりも国民が幸福に暮らせる。そのため、今の国民は政府と契約しなくなって、政府に国民を脅して国を平和にしてもらわなくなっている。国民は政府に国民からお金を強盗したり国民を嫌がらせたり国民に暴力をふったりさせなくなっている。国民は政府にお金を強盗させなくなっている。つまり、国民は政府に税金を払わなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府はお金が足りなくなって付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社など)を経営できなくなったので、付属会社を独立させて民営化している。行政機関は最初から何の仕事もしていないから潰れてもかまわない。
国民だけでは十分に法律がやれないので、国民で将来法律会社を建てて、法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせるつもりである。法律会社は“国民が幸福に暮らせる決まり”を作って国民に守らせて国民を幸福にすることによって、国民と契約を取ってお金を儲[もう]けねばならない。
[22316] 政府は国民を怖がらせて国を平和にする団体である。 h27.11.29
昔は法律がなかったので、昔の国民は政府を建てて政府に国民を脅[おど]してもらって国を平和にしていた。政府は国民からお金を強盗したり国民に嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしていた。国民は政府に不幸にされたが国を平和にするためだと思って我慢[がまん]していた。国民にとって政府は“嫌だけれども必要な団体”だったのである。人間にとって注射は痛いけれども病気を治すために必要なのと同じことである。人間は注射は痛いが病気を治すためだと思って我慢する。昔の“国を平和にする方法”もそこそこは効くのである。
今は法律があるので、今の国民は法律を守って国を平和にしている。今の国民は自分で“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えてみんなに決まりを教えてみんなで決まりを守って平和に暮らしている。
国民が法律を守って国を平和にするほうが、国民が政府に国民を脅してもらって国を平和にするよりも国民にとって幸福である。今では国民が法律を守って平和に暮らせるようになったので、国民が政府に国民を脅してもらって国を平和にしてもらうのをやめている。今では国を平和にするためのもっといい方法が出来たので、昔の方法が要らなくなった。そのため、今の国民は政府に国民からお金を強盗させたり国民を嫌がらせたり国民に暴力をふったりさせなくなっている。今の国民は政府に税金を取らせなくなって政府を潰[つぶ]している。将来、国民で政府の替わりに法律会社を建てて、法律会社にお金をやって法律の仕事をさせるつもりである。今では国民が国を平和にする方法が替わっているから、政府が滅んで法律会社が建っているのである。
法律会社は法律のことしかやらないから料金が安い。法律会社は国民が幸福に暮らせるために法律を作るから料金が安い。一方、政府は国民を脅すためにいろんなことをやるために人がたくさん要るからお金がかかる。政府は国民を脅すために国民からたくさんお金を取らねばならない。政府よりも法律会社のほうが国民の財布に優しい。
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府は平等である。国民は政府と自由に契約して政府に仕事をやってもらって政府に報酬を払えばいい。つまり、国民が政府と契約して政府に仕事をやってもらって報酬を払うか、政府と契約せず政府に仕事をやってもらわず政府に報酬を払わないかは国民個人の自由である。昔の国民は政府に国民を脅してもらって国を平和にするしかなかったから、国民みんなが政府と契約して政府に仕事をやってもらって政府に報酬を払っていた。つまり、国民みんなが政府に国民を脅して国を平和にしてもらって、政府に税金を払っていた。しかし、今の国民は法律を守って国を平和にすることができるから、国民みんなが法律を守って政府と契約せず政府に仕事をやってもらわず政府に報酬を払わなくなっている。つまり、国民みんなが政府に国民を脅して国を平和にしてもらわず、政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。新しい物が出来ると古い物が売れなくなるのは当然である。MP3プレーヤーが出来るとラジカセが売れなくなるのと同じことである。(オマケ「法律とは何か?」:法律の原理は『人間がみな平等である』ことにある。『人間がみな平等である』ことをいろんな具体的なことに当てはめて得られた法則が個々の法律である。つまり、法律は人間が守るべき法則である。人間が社会の中でとるべき行動である。)
[22317] 今の政府が国民を脅[おど]すことには意義がない。☆ h27.11.29
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民から税金を取ったり国民を嫌がらせたり国民に暴力をふったりして国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にするのである。だから、今の政府の政策はすべて国民に対する嫌がらせである。今の政府は税金を値上げしたり、わざとにまちがった景気対策をやって国民を貧乏にしたり、国民が好きな物をなくしたり、国民の嫌いな物を作ったりして国民を虐[いじ]めて脅している。今の政府は国家宗教で事件や事故を起こして国民を殺して国民を脅している。政府の付属会社が国民の役に立つことをするだけで、政府自体は国民を脅して国を平和にするだけである。政府は国民を脅して国を平和にして国民の役に立っている。昔はそんな方法でしか国を平和にできなかったので、政府は我慢[がまん]しながら泣く泣く国民のために国民を脅していたのである。政府は手段はともかく国を平和にする団体である。政府は本来国民の役に立つことをして国民を幸福にする団体である。だから、政府は国民から奪った税金の余りでいろんな付属会社を建てて国民の役に立つことをやっていたのである。
昔は政府が国民を脅すことには意義があった。昔は政府が国民を脅すことによって国が平和になったから、昔の政府は国民を多少不幸にしてでも国民を脅す価値があった。昔の政府は国民を脅して国を平和にしていたから、結果的には国民を幸福にしていた。昔の政府は国民のためになることをやっていた。だから、国民みんなも「政府が国民のためにある」と思って政府に感謝していた。昔は政府が国民みんなの人気者だった。先進国が替わったときには、国民みんなは政府を倒すのが嫌だったので、泣く泣く政府を倒していた。政府は「国民が国の最高権力者であり、国民が国を決める」と思っているので、先進国が替わっても自分で倒れて新しい政治団体に替わらず、国民に自分を倒してもらってから新しい政治団体に替わることにしていたのである。
しかし、今は政府が国民を脅すことに意義がない。今は国民が自分で法律を守ってすでに国が平和になっているから、政府がわざわざ国民を脅して国を平和にする必要はない。今は国民が法律を守ったり、テレビを見たりゲームをやったりして平和に楽しんだり、生活が豊かになって他人を殺して他人の物を奪ったりしなくてもよくなって国が平和になっているから、政府が国民を脅さなくてもいい。それなのに、今でも政府は国民を脅している。政府は「国民を脅して国を平和にすることが自分の仕事だ」と思って国民を脅している。政府は「自分が滅ぶまではずっと自分の仕事を続けねばならない」と思って国民を脅している(お役所気質[かたぎ])。今の政府は無駄[むだ]なことをやっているだけである。今の政府は国民を脅して国の平和を乱して、国民を不幸にしているにすぎない。今の政府は国民のためになることをやっていない。だから、国民みんなも『政府には悪気はないが、政府は国民の幸福の邪魔[じゃま]になる』と思っている。今では政府は国民みんなにとって迷惑になっている。そのため、今の国民はやむを得ず政府を倒している。政府は今でも「国民が国の最高権力者であり、国民が国を決める」と思っているので、おとなしく国民に倒されている。今ではもう国民にとって政治団体は要らないので、政府は新しい政治団体に替わらずおとなしく滅んでなくなるだけである。国民で新しく法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせるつもりである。
政府は「人間はみな平等であり、多数決によって少数は多数に従わねばならない」と思っているので、国民に従う。政府は国民に従うので、先進国が替わったときや国を平和にする方法が替わったとき(つまり法律で国が平和にできるようになったとき)にも、自分から倒れず国民に倒されるのをおとなしく待っているのである。しかし、本来は『人間はみな平等である。政府と国民は平等である。“政府が残るか滅ぶかについて政府が国民に従わねばならない決まり”はないから、政府は国民に従わず自分の意志で動いてもいい』はずである。これまで先進国が替わったときには政府が自分の判断で新しい政治団体に替わったり、国を平和にする方法が替わったときには自分で滅んだりしてもよかったのである。とにかく、『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等である。国民は政府と自由に契約すればいい。今の政府は国民を不幸にしているにすぎないから、今の国民にとって政府はなくなったほうがいいから、今の国民は政府と契約しなくなって政府に国民を脅させなくなって、政府に国民からお金を強盗させなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。いくら政府に悪気はなくても、今では国民にとって政府が余計な邪魔になったから、国民は政府を倒しているのである。
政府は国民を脅して国を平和にする団体である。つまり、政府は国を平和にするために国民を脅す団体である。政府の仕事は国民を脅すことである。政府は国民を脅すためにいろんなやり方でありとあらゆるやり方で国民を不幸にする。政府は国を平和にするために国民をおとなしくさせるために国民をありったけ嫌な目にあわせて国民の気持ちを落ち込ませる。政府にはどれだけ国民を脅すかについての規定がないから、政府はありったけ国民を脅すのである。このまま日本に政府を置いておくと日本は笑いのない国になる。喜びのない国になる。今の国民にとって平和は間に合っているから政府はありがた迷惑である。今の国民にとっては政府がなくなったほうがいい。そのため、今の国民は政府と契約せず政府に仕事をさせず政府に報酬を取らさないようにして政府を倒している。国民が自分が幸福に暮らせる国にしている。
要するに、昔は国を平和にするいい方法がなかったから、国民が政府に変なやり方で国を平和にさせていたのである。今では国を平和にするいい方法があるから、もはや国民が政府に変なやり方で国を平和にさせなくていい。国民みんなで早く政府を倒して、法律を守って、国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
[22318] 政治団体は自分が生まれてから滅ぶまでずっと同じことをやり続ける。
h27.11.29
日本政府はヨーロッパ文化で国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。いくら周[まわ]りの国民みんなが変わっても、政府は自分が滅ぶまでずっとヨーロッパ文化で国民を脅して国を平和にし続けるのである。政治団体というものは最初と同じことを自分が滅ぶまでずっと続けるものなのである。普通会社というものは何でもそういうものだから、政府が特別なわけではない。会社が勝手に中身の仕事を変えてしまったら客が混乱して迷惑するので、普通会社は途中で仕事を変えたりしないのである。だから、政府がむしろ普通なのである。
そういうわけで、今の日本では国民が日本文化をやって法律を守って国を平和にしているのに、政府は独[ひと]りだけでヨーロッパ文化をやって国民を脅して国を平和にしているのである。政府は一人だけ浮いているのである。
そもそも国民と政府は平等である。政府は国民を脅して国を平和にする団体にほかならず、政府は国民のために国を平和にするのだから、政府と国民は平等である。国民も政府もお互いに相手が自分と平等だと思っているのである。だから、国民は政府と自由に契約している。国民が政府に仕事を頼んで報酬をやるか、国民が政府に仕事を頼まず政府に報酬をやらないかは国民個人の自由である。今では国民みんなが日本文化をやって法律を守って国を平和にしている。政府はヨーロッパ文化をやって国民を脅して国を平和にしている。今の国民にとって政府は用がない。だから、今の国民は政府と契約しなければいいのである。今の国民は政府に仕事を頼まず政府に報酬を払わなければいいのである。今の国民は政府に国民を脅して国を平和にしてもらわず、政府に税金を払わなければいいのである。
正しいことがわかる早さは人によって違う。遅かれ早かれいづれはみんなが正しいことがわかる。だから、正しいことがわかった者から先に正しいことをすればいい。他人のことはどうでもいいから正しいことがわかった者から先に政府と契約するのをやめればいいのである。
正しいことを知っている者が他人に正しいことを教えないのは、教えて儲[もう]かるものではないからである。正しいことを他人に教えて儲かるなら、正しいことを知っている者が喜んで他人に正しいことを教える。しかし、実際には今の日本には正しいことを教えて儲かる制度がないから、誰も他人に正しいことを教えないのである。私はそんなにお金にこだわらないから、知りたい者には無料で教える。正しいことを知りたい者は私の作文を読めばいい。ただし、今の私は仕事をしていなくて収入がないから、お金に余裕のある人はできれば私にお金を恵んでいただきたい。自分が面白かったぶんだけ払ってくれればいい。お振込先:ジャパンネットバンク 本店営業部 普通口座 1790529 名義 カワノ ノブオ。
他人に正しいことを教えても収入が得られないから仕事にならない。他人に正しいことを教える仕事は日本にはない。他人に正しいことを教える仕事が日本にないからみんなが正しいことを知らない。みんなが正しいことをやらない。そこが日本の弱点である。その弱点を補う工夫をしなければ日本は発展しないだろう。発展が遅れるだろう。
h27.12.7追記:たしかに今の日本には“正しいことをみんなに教えてお金が儲かる制度”はない。しかし、正しいことをみんなに教えれば国民みんなが幸福になる。自分も幸福になる。国民みんなを幸福にすることは自分を幸福にすることでもある。だから、正しいことを知っている人は国民みんなを幸福にするために自分自身を幸福にするためにみんなに正しいことを教えればいい。お金は幸福を得るための手段である。お金があっても必ずしも幸福は買えない。人間は幸福のために生きているのであって、お金のために生きているのではない。だから、正しいことを知っている人はみんなに正しいことを教えてやればいいのである。正しいことを知っている人は自分がお金がなくなって死んでもいいと思って正しいことを教えてやればいいのである。
[22319] 安藤昌益[あんどうしょうえき]はどうして殺されなかったか? h27.11.30
インドでは政治団体は上の者である。インドには身分制がある。
日本では政治団体は国民と平等である。日本には身分制がない。日本では政治団体は国民を脅[おど]して国を平和にする団体にすぎない。
安藤昌益は江戸時代の日本で身分制に反対した。当時は江戸幕府は身分制をやろうとしていた。国民みんなは身分制に反対だった。安藤昌益は国民みんなの支持があったので、さすがの江戸幕府も安藤昌益に手を出せなかったので安藤昌益は殺されなかったのである。結局、江戸幕府は日本で身分制をやろうとしたが、国民みんなが反対したのでやれなかったのである。日本では『人間がみな平等』なので、幕府が少数で国民が多数で、国民が身分制に反対で幕府が身分制に賛成で、多数決で身分制に反対に決まったので、身分制がやれなかったのである。日本では『人間がみな平等である』ことが絶対的な決まりなのである。江戸幕府は国を平和にするために「国民を生かさぬように殺さぬように」してさんざん国民から高い年貢を取ったり国民に「3べん回ってワンと言え」と言って嫌なことを命令してやらせたり大勢の国民を裏で殺して国民を虐待して脅[おど]しまくっていたが、さすがの江戸幕府でも『人間がみな平等である』ことだけは崩[くず]せなかったのである。しかし、江戸幕府が国民を「生かさず殺さず」虐めまくって国民の気分を落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にしてくれたおかげで、江戸時代の日本は最初から最後までずっと「天下泰平[てんかたいへい]」だったのである。
日本では『人間がみな平等である。』だから、今の国民と政府も平等である。政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府の仕事は国民を脅して国を平和にすることである。しかし、今の国民は法律を守って国を平和にしているから、政府に国を平和にしてもらわなくてもいい。そのため、今の国民は政府に仕事を頼まなくなって、政府に報酬を払わなくなっている。今の国民は政府に国民を脅して国を平和にしてもらわない代わりに、政府に税金を払わなくなっている。そのため、政府は収入がなくなって滅んでいる。政府はお金がなくなって付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社など)を経営できなくなって、付属会社を独立民営化させている。
日本は『人間がみな平等である』ことが取り柄[とりえ]のいい国である。便利な国である。
(h27.12.1追記:日本では『人間はみな平等である。』国民と政治団体は平等である。だから、江戸時代には身分制はなかった。国民は幕府と平等だった。時代劇みたいに、商人が幕府と組んで利益をむさぼることもなかった。そんなことをしたら幕府は自分が商人に利用されていると思って商人を斬[き]り殺しただろう。そんなことをしたら国民が幕府が職権を乱用したと思って幕府を倒すだろう。そんなことをしたら幕府は職権を乱用した役人を罰するだろう。政治団体は国民を脅して国を平和にする団体であって、それ以外の何者でもない。政治団体は自分が国民に何でも命令できる特権を使って一部の国民と組んでお金儲[もう]けをしてはいけない。だから、今でも国民が政治団体と組んで利益をむさぼることはない。バレたら国民も役人も両方とも罰せられる。国民にとって政治団体は国を平和にするためにあるだけであって、それ以外の目的はない。/政府は国民を脅して国を平和にする団体である。政府は国民を不幸にすることをやって国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は国民を脅すために国民から高い税金を取ったり国民を嫌がらせる政策をやったり国家宗教で国民を殺したりして国民を不幸にする。政府の行政機関は国民を不幸にする命令を出す。政府が国を平和にするために国民を脅すために国民が不幸にされる。政府は国を平和にすることで国民を幸福にするだけであって、政府は国を平和にするためにことごとく国民を不幸にする。政府は国を平和にするだけのために無数に悪いことをやる(“パンドラの箱”または“小さな親切大きなお世話”)。政府が「国民を幸福にするために全力を尽くす」と言っているのは「国を平和にするために一生懸命に国民を嫌がらせて国民を不幸にする」ことを言っているのである。国民は政府にそんなことをされてはたまらない。今では国民は法律で国を平和にできるようになっている。今の政府は国民を不幸にしているだけである。今の国民にとっては政府は要らない。政府と国民は平等である。だから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に報酬(つまり税金)を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。)
[22320] 行政機関とは何か?☆☆ h27.11.30
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府は国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にするのである。【政治の原理】政府は国を平和にするために国民を脅す団体である。政府は国民を脅すために、国民に命令して国民から税金を取ったり国民に嫌なことをやらせたり下手[へた]な経済政策をやらせて国民を貧乏にしたり国民が好きなことをなくしたり国民が嫌なことを作ったりする。政府は国民を脅すために、国家宗教で事件や事故を起こして国民を殺したり虐待したりする。政府はたまに善い政策をやることもあるが、政府が善い政策をやると国民が幸福になって国民が喜んでおとなしくしなくなって国民が好き放題にするようになって国が乱れて国が平和にならないので、政府はめったに善い政策をやらないのである。政府は国を平和にすることが仕事だから、政府は国を平和にするためにわざとに悪い政策をやって国民を脅して国民を不幸にして国民の気持ちを落ち込ませて国民をおとなしくさせるのである。政府がたまに善い政策をやるのは、政府があまり悪い政策ばかりやっていると国民が政府の命令を聞くのが嫌になって政府に従わなくなって国民が自分の好き勝手にするようになって国が乱れて国が平和にならないからである。政府は国を平和にすることが仕事だから、政府はたまに善い政策をやって国民を喜ばせて国民を政府の命令を聞くようにしなければならないのである。こういうのを飴[あめ]と鞭[むち]の使い分けと言うのである。政府は飴と鞭を使い分けることによって国民を政府の命令を聞くようにしながら国民を適度に不幸にして国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしなければならないのである。それが政府の仕事なのである。つまり、政[まつりごと]とは心理操作(マインドコントロール)のことである。そもそも祭りは人間の心を操[あやつ]るためにやることだから政は祭りであって心理操作なのである。昔の国民は国を平和にするために政府が心理操作によって国民を脅して国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国民の心を操って国を平和にすることを許していたのである。
政府が国を平和にするために国民を脅すことを行政と言う。行政とは政[まつりごと]を行うことである。政とは国民を脅すことである。政府の行政機関が国民を脅しているのである。政府とは政つまり国民を脅すところ(つまり府)であり、政治とは国民を脅して国を治める(つまり平和にする)ことである。
立法・司法・行政を三権分立[さんけんぶんりつ]と言うが、法律の仕事をやっているのは立法と司法で、国民を脅す仕事をやっているのが行政である。行政と立法司法とは違うのである。政府の本体は行政機関であり、立法と司法は法律会社であり政府の付属会社である。行政機関が国民に命令して税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国家宗教で国民を殺したり国民の嫌がらせをしたりするのである。行政機関が政府の本部である。行政機関は法律会社の中に隠れている。行政機関は立法機関の下についているふりをしているが、本当は立法機関の上なのである。行政機関が国民を嫌がらせる法律を作って立法機関に定めさせているのである。
今の国民は法律を守って国を平和にしている。今の国民は政府に用はない。今の国民は政府に国民を脅して国を平和にしてもらう必要はない。国民と政府は平等である。国民が政府に仕事を頼むか頼まないかは国民の自由である。国民個人の自由である。今の国民は政府に仕事を頼まない。今の国民は政府に国民を脅して国を平和にしてもらわない。今の国民は政府の命令を聞かない。今の国民は政府に税金を払わない。今の国民は政府が要らないから政府を倒している。
今の国民は法律を守って国を平和にしている。今の国民は法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやらせるつもりである。
日本では『人間はみな平等である。』だから、国民と政府は平等である。国民は多数で政府は少数である。国民は政府に反対で、政府は政府に賛成である。つまり、国民にとっては政府がないほうがいいが、政府にとっては政府があるほうがいい。したがって、多数決で政府がないことに決まる。だから、日本では政府がなくなるのである。
[22321] 政府は国民と平等な権力者である。 h27.12.1
政府は国民を脅[おど]して国を平和にする団体である。政府の仕事は国民に嫌なことをして国民を不幸にして国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることである。政府が国民が喜ぶことをすると国民が政府を怖がらなくなって国民がおとなしくしなくなって国が平和でなくなるから、政府は国を平和にするために国民が嫌がることをやって国民に政府を怖がらせておとなしくさせるのである。国民は国を平和にするために政府が国民を嫌がらせることを認めているのである。
国民は政府が国を平和にするために国民を脅すことを許している。国民は政府が国民に命令して国民が不幸になることをやらせることを認めている。そのために、政府には権力(命令力)がある。政府は権力者である。しかし、政府と国民は平等である。政府は権力を持った“国民と平等な者”なのである。権力者と上の者は違う。権力者は上の者とはかぎらない。政府は国民に嫌なことを命令したり国民に暴力をふったりして国民を好き放題にできるけれども、国民と平等なのである。政府は国民と平等な権力者である。つまり、政府は国民に命令するけれども、政府は国民と平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。(政府の法律は政府の命令である。なぜなら、政府は間接民主制をやっていて、政府は国民みんなに従っているふりをして本当は国民みんなに従っていないから、政府は自分の独断で国民に命令しているにすぎない。つまり、政府の法律は政府の命令にすぎない。国民と政府は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由だから、国民が政府の法律を守るか守らないかは国民の自由である。例えば、国民が納税の義務を守るか守らないかは国民個人の自由である。つまり、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由なのである。)
昔の国民は政府を使って国を平和にしていた。そのために、国民が政府に不幸にされねばならなかった。しかし、国民は国を平和にするためだと思って政府の非行や暴行を我慢[がまん]していた。
今の国民は法律を使って国を平和にしている。そのために、国民が法律に幸福にされている。国民は法律を守れば守るほど幸福に暮らせるから、国民は法律に幸福にされているのである。国民は自分がもっとよく法律を守りたいので、将来は法律会社を建てて本格的に法律を守りたいと思っている。
今の国民は法律を使って国を平和にすることができるようになって、政府を使って国を平和にする必要がなくなったので、政府を潰[つぶ]している。国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府に仕事をやってもらうかもらわないかは国民個人の自由である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は政府に国を平和にする仕事を頼まなくなって、政府に報酬をやらなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰している。国民は政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなって政府に国民を虐めさせなくなっている。
要するに、昔は法律がなかったために世の中が歪[ゆが]んでいたのである。昔は法律がなかったために国民が政府に虐[いじ]められて不幸にされてつらい思いをしなければならなかったのである。今は法律があるから国民はもはやそんな思いをしなくてもよくなったのである。
古代の日本では国民は政治だけで国を平和にしていた。国民は政府に頼んで国民を脅してもらって国を平和にしていた。当時はまだ法律がなかったから国民は自由になんでもやってよかった。国民は他人を殺したり他人の物を奪ったりしても無罪だった。しかし、時代が進むとだんだん法律が出来ていった。国民が自分で“社会の中で国民が幸福に暮らせる決まり”を考えてみんなに教えてみんなで守るようになった。現代の今では国民は政治で国を平和にしながら法律を守って国を平和にしている。今の国民は政治と法律の両方をやって二重に国を平和にしている。今の国民は国を平和にしすぎている。今の国民にとって政治は無駄[むだ]である。だから、今の国民は政治をやめている。今の国民は政府と契約しなくなって政府に仕事をさせなくなって政府に報酬を払わなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。
このまま日本に政府を置いておくと日本がインドみたいな身分制の社会になる。今では国民が法律を守って国を平和にするようになっているので、今の政府には国を平和にする役目がないから、政府を置いておくと国民が何の目的もないのに政府に従うようになって、そのうち政府が上の者になって身分制が出来る。日本がインドのような身分制のある国になる。身分制の社会では上の者が下の者を不幸にして上の者だけが幸福で下の者が不幸である。将来の日本では大勢の国民が不幸に暮らさねばならなくなる。だから、今の国民は早く政府を倒して政府のない国にしないといけない。政府の替わりに法律会社を建てて、国民みんなで法律を守って平和な国にしないといけない。(インドに身分制があるのは、インドが超先進国で大昔から法律があって長い間政府を置いておいたために身分制が出来たからではなく、インドの文化のためである。インド文化では恐怖の感情を認めないので国民が政府を怖がっておとなしくすることが面白くないので、インドでは国民みんなが政府を上の者と考えて政府に従うことによって国を平和にすることにしたのである(?)。h27.12.3追記:インド人は嘘をつかない。それなら、本当は『政府は国民と平等』だから、インドでも政府は国民と平等でなければならないはずである。しかし、実際にはインドでは「政府が上の者である。」たぶんもっとほかの事情で、インドでは政府が上の者になったのだろう。たぶんインド人は頭がいいので頭で物を見て心で物を見ないので、いくら政府に虐められても政府を怖がらずおとなしくしないので、インドでは国民みんなが無理やり政府を上の者にして政府に従うことによって国を平和にしているのだろう。しかし、今は法律の時代である。インドにも法律がある。インドでは国民みんなが法律を守って国を平和にすればいい。今はまだインドの文明が低くて国民みんなが法律を守って国を平和にできないかもしれないが、将来インドの文明が高くなれば国民みんなが法律を守って国を平和にできるようになる。そうなれば、もはやインド人は身分制をやる必要はない。早くそうなって欲しいものである。インド人が科学をやらないのも頭がいいからである。インド人は頭がいいから眼で見ることはどうでもいいから科学をやらないのである。インド人は頭で考えることだけで生きているのである。しかし、近代科学が出来てからは人間が頭で考えて物を見ることができるようになったので、今ではインド人も科学をやるようになっている。文明が高くなってみんなが法律を守るようになって身分制がなくなっている。)
今の日本ではまだ『人間がみな平等』だから、今はまだ政府と国民が平等だから、国民が自由に政府と契約できるから、国民が政府と契約しないようにして政府に報酬を払わないようにして政府を潰すことができる。しかし、このまま政府を置いておいたら、そのうち日本に身分制が出来て「人間が不平等」になって国民が下の者になって政府が上の者になって国民が政府に逆らえなくなって、国民が政府を倒せなくなる。そうなったらおしまいである。日本は未来永劫[えいごう]に身分制をやり続けねばならない。日本は国が滅ぶまでずっと政府が上で国民が下のままである。だから、国民はなるべく早めに政府と契約するのをやめて政府を潰さねばならない。
[22322] 政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。☆ h27.12.1
政府は政治団体である。政治団体は政治をする団体である。政治とは政[まつりごと]で国を治めることである。政とは政治団体が国民を虐めて国民に政治団体を怖がらせて国民をおとなしくさせることである。つまり、政治団体とは国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。
政府の仕事は国を平和にするために国民を虐めることである。政府は国民を虐めるために国民に命令して高い税金を取ったり国民に下手[へた]な経済政策をやらせて国を不景気にして国民を貧乏にしたり国民が好きなことをやめさせたり国民が嫌がることをやらせたり国民に面白いことをやめさせたり国民につまらないことをやらせたり国家宗教で事件や事故を起こして国民を殺したりする。本来、政とは民主主義つまり政府が国民を上の者として祀[まつ]って国民に従うことである。しかし、本当は政は政府が国民を虐めることにすぎない。政府は“間接”民主制をやっているから、政府は国民に従っているふりをして本当は国民に従っていないから、政府は国民を虐めて国民を不幸にすることができるのである。政府は国民を騙[だま]してからかうために政と言っているだけである。つまり、政[まつりごと]の“ごと”が政府が建前で国民を上の者にしているだけで本当は上の者にしていないことを表しているのである。政府は国民に頭を下げながら、心の中では国民に舌を出して「バーカ」と言っているのである。政の実態は、政府が国民を虐めることにほかならないのである。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。国民が政府の命令を聞いても国が平和になるだけで、それ以外に善いことはない。政府は国を平和にすることで国民を幸福にするだけで、政府は国を平和にするためにありとあらゆる方法で国民を虐めて国民を不幸にする。
昔は法律がなかったので、国民が国を平和にするためには、国民が政治団体を建てて政治団体に国民を虐めさせるしかなかった。国民は政治団体に虐められて不幸にされたが「国を平和にするためだ」と思って我慢[がまん]していた。
しかし、今では国民が法律を守って国が平和になっているので、国民がわざわざ政府に頼んで国を平和にしてもらわなくてもいい。
国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府に仕事をしてもらって政府に報酬を払うかどうかは国民個人の自由である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
だから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に仕事をさせず政府に報酬を払わなければいい。今の国民は政府と契約するのをやめて、政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめて、政府の国民を虐めるための命令を聞くのをやめればいいのである。もともと政府と国民は平等だから、政府は上の者ではないから、国民は自分が政府の命令を聞きたくなければ聞かなければいいのである。今の国民は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめて、その代わり政府に税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府を倒して、日本を国民にとって幸福な国にしないといけない。
今の政府は政で国を治める団体である。政とは政府が国民に従っているふりをすることである。つまり、今の政府は嘘[うそ]で国を治めているだけである。政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体である。しかし、今の国民は法律で国を平和にしているから、わざわざ政府に国を平和にしてもらわなくていい。今の政府は嘘をついているが、国民は政府の嘘に騙されない。今の政府は嘘で国を治めることはできない。だから、今の国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。そもそも国民は政府に騙されるほど馬鹿ではない。近代のはじめから国民は政府に騙されていなかったのである。近代はまだ文明が低くて国民が法律を守れなかったから国民がしかたなく政府を置いていたのである。しかし、現代の今では文明が高くなって国民が法律を守れるようになったから国民が政府が要らなくなって政府を倒しているのである。つまり、政治の政は政府が国民に「政府が嘘で国民を騙して支配している」と思わせるためのからかいなのである。国民はとっくの昔から『政府が国民を虐めて国を平和にする団体だ』とわかっている。今では国民が法律を守って国を平和にできるようになったので、政府が要らなくなった。今の国民は政府に虐められるのが嫌なので政府を倒しているのである。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国を平和にすることで国民を幸福にするだけで、政府は国を平和にするために国民を虐めて国民を不幸にする。政府の行政機関は国民を虐める命令を出している。それなのに、国民の多くは「政府が国民を幸福にしてくれる団体だ」と思って政府の行政機関の命令をわけがわからないまま聞いている。国民の多くが政府に甘えているのがいけないのである。国民の多くが政府に甘えているために「政府が国民を幸福にする団体である」かのように見えるのである。しかし、本当は、政府は国を平和にするために国民を虐めて国民を不幸にしているだけである。国民が政府の命令を聞くと不幸になるだけである。だから、国民は政府に自分を幸福にしてもらおうとしないようにして政府の命令を聞いてはいけない。国民は政府の命令を聞くのをやめて自分で幸福にならねばならない。国民は自分で考えて自分を幸福にしないといけない。政府は国を平和にする以外には国民を虐めて不幸にするだけだから、今の国民は法律を守って国を平和にできるから、今の国民にとっては政府が要らないから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に仕事をしてもらうのをやめて政府に報酬(つまり税金)を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。政府は国民を虐めるために国民を貧乏にする命令を出すだけである。国民がお金持ちになりたければ国民が自分でやらねばならない。国民みんなが話し合って国が儲かる計画を建てて国民みんなで実行しなければならない。
『秋深し隣りは何をする人ぞ』と言うように、国民は隣りの人が何をやっているのか知らない。ましてや国民は国民みんながやっていることは眼で見えないからまったくわからない。国民は国民みんなが政府と契約しているか契約していないかわからない。人間は正しいことには逆らえない。国民みんなも正しいことには逆らえない。だから、国民は正しいことをすればいい。政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。(アニメ映画『風の谷のナウシカ』のように世界の表層で騒がしいことをやっている(つまり政府が国民を虐めている)のは世界の奥底を平和にするためなのである。)今では国民が法律を守って国を平和にしているから政府は要らない。だから、国民は政府と契約するのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめて政府に報酬を払わなければいいのである。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。今の国民は政府と契約を取っていないから、国民は政府に無断で勝手に政府に税金を払うのをやめればいいのである。国民は政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめてもらえばいいのである。
国民の多くは「政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ文化ではみんながお金持ちだから、政府が国民にヨーロッパ文化をやらせて国民をお金持ちにしてくれる」と思っている。そんなことはない。政府は国民を虐めて国を平和にするだけだから、政府はヨーロッパ文化で国民を虐めるだけである。近代の日本では国民みんなが「日本がヨーロッパに従わねばならない」と思ってヨーロッパ文化をやっていたから、「政治団体に国民を虐めさせて国を平和にしなければならない」と思って政治団体に税金をやって虐めてもらっていたから、国民みんなで“ヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする日本政府”を建てて日本政府と契約して仕事をやってもらっていたのである。ヨーロッパ文化では国家宗教をやるから、政府は国家宗教で国民を虐める。政府は国家宗教で国民から税金(tax←T←天皇)を取ったり国家宗教で国民にまちがった経済政策をやらせて国民を貧乏にしたりして国民を虐める(例えば、オイルショック←オイル←油←脂←洋食←天皇、所得倍増計画←倍増←ダブル←ブル←ルブ←川ブ(ル≒川、字の形が似ている)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、バブル景気←バブル←泡←光る玉←天皇、バブル景気←バブル←ブル←ルブ←川ブ←私など)。(h27.12.3追記:昔の政府は国家宗教で国民の嫌がらせをするのが国民にウケて日本一大きな権力団体になったのである。だから、おとぎ話の『浦島太郎』でも浦島太郎(政府のこと)がカメ(カメ←神←国家宗教のこと)に乗って竜宮城に行くことができたのである。昔の国民には政府が国家宗教で駄洒落[だじゃれ]をやって国民を虐めるのが面白かったので、国民みんなが政府と契約して政府が日本を代表する権力団体になったのである。落語が面白いのと同じことである。政府は落語の創始者だったのである。一方、宗教団体が神の教えで国民を虐めたり、暴力団が暴力で国民を虐めたりするのは芸がないので日本人にウケなかったので、日本では宗教団体や暴力団は大きな権力団体になれなかったのである。ちなみに、『浦島太郎』の玉手箱は民主主義の芝居のことである。(幕府も政府と同じように法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などの付属会社を経営していたから、玉手箱は付属会社のことではない。)古代の政府も今の政府の民主主義の芝居みたいなことをやっていたのである。(h27.12.19追記:そもそも民主主義はギリシア時代に始まった。つまり、権力団体が民主主義の芝居をすることはギリシア時代(紀元前4世紀ごろ)に始まった。だから、古代の日本でもすでに政府が民主主義の芝居をやっていたのである。h27.12.27追記:ギリシア時代には直接民主制をやっていた。しかし、当時の直接民主制は貴族だけでやっていた。当時の直接民主制は今の国会みたいなものだった。つまり、ギリシア時代の直接民主制は今の国会の多数決にほかならない。だから、ギリシアの直接民主制でも政府が芝居の上で多数決でなんでも政府の好き放題に決められるだけで、現実の上では何も決められなかったのである。今の時代に本当に国民みんなの直接民主制で物事を決めるのも危険である。国民には馬鹿が多いから、他人からお金をもらって手を上げるから正しいことが決まらない。そもそも現実の世界には多数決の原理なんかない。現実にない原理で物事を決めてはいけない。多数決ではなく、正しい原理に従って論理的に物事を決めねばならない。)乙姫はヨーロッパ人のことである。タイやヒラメの舞踊りとは政府が国民から税金を取って儲[もう]かったことである(タイやヒラメは平たいから紙幣のことである。当時はまだ紙幣がなかったかもしれないが)。玉手箱の中に入っていた煙は幕府のことである。幕府は政府のように民主主義の芝居をしないから、玉手箱の中身の煙は幕府である。浦島太郎が玉手箱を開けて死んでしまったのは、政府が幕府に変わって政府が滅んだことである。白髪[しらが](←白い玉←光るトンビ)のおじいさんが日本政府のことである。政府は死んで幕府に生まれ変わったのである。)ヨーロッパ人がお金持ちだからといって、政府が国民をお金持ちにしてくれるわけではない。政府は国民を虐めるために国民を貧乏にするだけである。だから、国民が裕福になるためには政府がなくなったほうがいい。江戸時代には国民みんながインド文化をやっていて、インド文化では貧乏が幸福で裕福が不幸だったから、江戸幕府は国民を虐めて不幸にするためにときどき気の利いた経済政策をやって国民を裕福にして国民を不幸にして苦しめたのである(落語の“饅頭[まんじゅう]怖い”)。だから、江戸時代の国民は裕福だったのである。反対に、ヨーロッパ文化では裕福が幸福で貧乏が不幸だから、政府は国民を虐めて不幸にするために国民を貧乏にするのである。ヨーロッパ文化でみんながお金持ちなのは、政府がお金持ちにしてくれたからではなく、国民が自分で働いて自分で稼[かせ]いだからである。ヨーロッパでも政府は国民を虐めて国民を不幸にするために国民を貧乏にする。ヨーロッパでは政府が国民から高い税金を取って自分だけ贅沢[ぜいたく]をして国民みんなは貧乏である。国民は政府が国民を貧乏にする以上にモーレツに働いて稼いだからお金持ちなのである。それから、ヨーロッパでは科学や産業の歴史が日本よりもずっと古いから、ヨーロッパでは古くから物を作ってきたから日本よりもお金持ちなのである。そもそもヨーロッパでは建物や服装の装飾が凝っているだけで、本当にお金持ちかどうかはわからない。ヨーロッパの建物や服装の装飾が凝っているのはヨーロッパ人の眼がいいからであって、ヨーロッパ人がお金持ちだからではない。ヨーロッパ人は本当はそれほどお金持ちでないのかもしれない。ヨーロッパ人は意外と貧乏なのかもしれない。たとえ政府とは別に国民がヨーロッパ文化をやったとしても、日本人が眼がよくなるわけではない。日本人が頭を使わなくなって日本人が頭が悪くなって日本人が眼も頭も両方とも悪くなって欠点の塊[かたまり]になるだけである。日本人は頭がいいことが取り柄[とりえ]だから、ヨーロッパ文化では頭を使わないから、日本人がヨーロッパ文化をやると頭を使わなくなって馬鹿になるのである。馬鹿では国が儲[もう]かるわけがない。ヨーロッパ人は自分の頭の悪さを眼のよさで補えるから、ヨーロッパ人は美的感性が優れているから、たとえ頭が悪くても美的に優れた商品が作れるから商品がよく売れて儲かるのである(例えば、扇風機や掃除機や、暖房器具や、自転車やバイクや自動車など)。日本人は眼がよくないから日本人は美的感性が劣っているから、美的に優れた商品が作れない。日本人は頭の良さを活かして実用的な商品を作らないかぎりいい商品は出来ない。日本人が頭と眼の両方が悪くなったら、もはやガラクタしか作れない。だから、日本人はヨーロッパ文化をやってはいけない。日本人は日本文化をやって頭を使って頭を鍛[きた]えて頭をよくして実用性の高い機能性の高い商品を作らねばならない。そうすれば、日本の商品が世界中に売れて日本が儲かる。だから、日本人は日本文化をやってヨーロッパ文化をやってはいけない。日本人は自分が幸福に暮らすためにも日本文化をやってヨーロッパ文化をやってはいけない。日本人は自分が幸福に暮らすためにも、自分の長所を活かして国際的に有利に暮らすためにも日本文化をやらねばならない。(日本人は頭がいいのが取り柄である。麻薬は頭の働きを悪くする。だから、日本では麻薬が禁止なのである。反対に、ヨーロッパ人やアメリカ人などの白人は眼がいいだけで頭が悪い。麻薬は眼の働きを悪くしない。だから、ヨーロッパやアメリカでは麻薬をやってもいいのである。同じように、性行為は頭の働きを悪くする。だから、日本では性行為が禁止なのである。性行為は眼の働きを悪くしない。だから、ヨーロッパやアメリカでは性行為をやってもいいのである。)
今の国民は政府のことを知っていたら政府のことをみんなに言えばいい。戦前は文明が低くて国民が法律を守って国を平和にできなかったから、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうしかなかったから、国民みんなが政府に虐められていた。国民みんなが政府の国民を虐めるための命令を聞いていた。政府の命令を聞かない者はみんなに国を平和にしたくない者と思われてみんなに嫌われていた。国民みんなが政府を善い団体だと思って政府の悪口を言わなかった。しかし、戦後は文明が高くなって国民が法律を守って国を平和にできるようになったから、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくてもよくなったから、国民が政府と契約するのをやめて政府に虐められなくなった。国民が政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなった。政府の命令を聞かない者は政府に国民を虐めさせない者としてみんなに好かれるようになった。国民みんなが政府を悪い団体だと思って政府の悪口を言うようになった。
今でも多くの国民が政府の命令を聞いているが、それは政府のことを知らないからである。政府のことを誤解しているからである。昔の国民はみんな『政府が国民を虐めて国を平和にする団体だ』と知っていた。今の国民は法律を守って国を平和にしているので、政府に国を平和にする役目がなくなっているので、多くの国民がそのことを知らなくなっている(私も知らなかった)。今の国民の多くは政府がどんな団体なのかわからないまま政府に従っているだけである。今の国民の多くは政府を支持も反対もしないままただなんとなく政府に従っているにすぎない。だから、国民が政府に反対しても、国民の多くはどうでもいいと思ってその国民を嫌わない。だから、政府のことを知っている者がみんなに政府のことを教えればいい。そうすれば、国民みんなが政府のことを知って政府と契約するのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなって政府の国民を虐める命令を聞かなくなって国民が政府に虐められなくなるだろう。国民みんなが政府と契約しなくなって政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”の報酬を払わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒すだろう。日本に政治団体がなくなって日本が新しい時代を迎えるだろう。
国民一人一人が国を作るのであって、国民の指導者が国民みんなを指導して国を作るのではない。日本には指導者なんていう職業はないから指導者はいない。現実の世界にはマンガや映画の世界みたいに指導者はいない。マンガや映画の世界では人間が食べなくても生きていけるから指導者なんていう職業があるのである。政治団体は指導者ではない。政治団体は国民を虐めて国を平和にする仕事をひたすらやり続けるだけである。政治団体はサービスがよくないから国民に合わせて自分で建ったり潰[つぶ]れたりしてくれない。国民が自分で政治団体と契約したり契約をやめたりして政治団体を建てたり潰したりしないといけない。国民一人一人が自分が正しいと思う考えに則[のっと]って国を作ればいいのである。今の国民は『日本人は日本文化をやらねばならない』『国民が法律を守って国を平和にしなければならない』ことが正しいと思っているから、国民が自分で日本文化をやって、政府と契約するのをやめて政府に仕事をしてもらうのをやめて政府に報酬を払うのをやめて政府を倒して、“日本文化の法律”を作る法律会社を建てて法律会社と契約してお金を払って仕事をやってもらわないといけない。
[22323] 今は国民が国を平和にする方法が変わったので政府が儲[もう]からなくなっている。☆
h27.12.2
『政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。』政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったりわざとに下手[へた]な経済政策をして国を不景気にして国民を貧乏にしたり国民の好きなことをやらせなかったり国民の嫌なことをやらせたり国民の好きな物をなくしたり国民の嫌な物を作ったり国民に暴力をふって国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。政府は国民を虐めて国を平和にすることが仕事である。国民は政府に税金を取らせて政府に報酬を払う。税金は仕事と報酬を兼[か]ねている。国民が政府と契約して政府に仕事をしてもらって政府に報酬を払うかどうかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民が法律を守って国を平和にすることができなかったから、国民で政府を建てて、政府と契約して政府に国民を虐めて国を平和にしてもらって政府に税金を払っていた。政府は国民みんなと契約を取って儲かっていた。
今は文明が高くて国民が法律を守って国を平和にすることができるようになったから、国民は政府と契約するのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなって政府に税金を払わなくなった。国民は政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなって政府に国民を虐めさせなくなった。政府は国民みんなと契約を取れなくなって潰[つぶ]れている。将来は国民で法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやらせるつもりである。
今でもまだ政府と契約している国民がいる。政府の命令を聞いて悪いことをやってテレビや新聞に出ている。国民みんなの笑い者になっている。恥さらしになっている。法律を守るのが嫌いなのかもしれない。つまり、法律を破って悪いことをやりたいやつが今でも政府と契約しているのである。昔は法律がなかったので国民が政府の命令で悪いことをやっても捕まらなかったが、今では法律があるので国民が政府の命令で悪いことをやると捕まる。今の国民は法律を守って、政府と契約せず政府に国を平和にしてもらわなければいい。国民みんなは政府と契約しないようにして政府の命令で悪いことをやってはいけない。
日本は『人間がみな平等である』ことが取り柄[とりえ]である。日本ではこれまでずっとこれからもずっと『人間がみな平等』なのである。国民はどんな団体とでも自由に契約することができる。国民は政治団体や宗教団体や暴力団や法律会社などと自由に契約することができる。国民は自分が団体と契約したければ契約して団体にお金を払って団体に国民を虐めたり国民に法律を守らせたりして国を平和にしてもらって、契約したくなければ契約せず団体にお金を払わず団体に国民を虐めたり国民に法律を守らせたりして国を平和にしてもらわなければいいのである。国民は『人間がみな平等である』ことを活かして、国民にとって善いことをする団体と契約して善いことをする団体を作って残して、悪いことをする団体と契約しないようにして悪いことをする団体を潰してなくして、国民にとって善い国にしないといけない。(h27.12.3追記:宗教団体も政府と同じように村民を虐めて村を平和にする団体である。宗教団体は村民に命令して村民からお金を取ったり村民の嫌がらせをしたり村民に暴力をふったりして村民を虐めて村民を怖がらせて村民をおとなしくさせて村を平和にする。宗教団体が村民にわけがわからない説法をするのも村民に対する嫌がらせである。宗教団体は村民から取ったお金の一部を使って寺の境内[けいだい]でお祭りをやって村民を喜ばせる。)
将来、日本で権力団体(つまり政治団体や宗教団体や暴力団)が滅んだ後で、国民が法律会社を建てず法律会社と契約しなければ国民が法律を守らなくなって国民が不幸に暮らさねばならなくなる。だから、国民は法律会社を建てて法律会社と契約して法律を守って幸福に暮らすだろう。権力団体は国を平和にするために国民を虐めねばならないから国民から高いお金を取るが、法律会社は国を平和にするために国民に法律を守らせるだけだから国民からリーズナブルなお金を取るだろう。
[22324] 政治とは国民を幸福にするふりをして本当は国民を虐[いじ]めて国を平和にすることである。
h27.12.2
政府は政治団体である。政[まつりごと]とは国民に従って国民を幸福にするふりをすることである。政府の実体は権力団体である。権力団体は国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。したがって、政治とは国民を幸福にしているふりをして本当は国民を虐めて国を平和にすることである。(アメリカ占領時代の少年マンガでは、各学校に番長がいて、番長が学校の平和のために生徒を虐めるのが約束だった。私が小学生のころ(1970年ごろ)読んだマンガには番長がよく出てきていた。番長が政府である。政府の実体があからさまに表現されている。しかし、最近のマンガは番長がいなくなっている。最近のマンガは国家宗教の神のネタを無難[ぶなん]にやっているだけである。アメリカ人は正直だが、ヨーロッパ人は嘘[うそ]つきである。アメリカ人には表裏[おもてうら]がないが、ヨーロッパ人には表裏がある。アメリカには先住民のインディアンがいてインディアンが嘘をつかないからアメリカ人は嘘をつかないのである。アメリカが撤退してからは日本政府はもとのヨーロッパ文化に戻ったのであからさまに自分のことを言うのをやめたのである。日本政府はヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体である。ヨーロッパ文化では嘘をつく。だから、政府は嘘をついて国民の役に立つことをするふりをして本当は国民を虐めているのである。/一方、幕府の“幕”とは芝居の幕のことであり政つまり国民の役に立つふりをすることをやめたという意味である。幕府はアジア文化で国民を虐めて国を平和にする団体であり、インド文化では嘘をつかないから、幕府は正直だから国民の役に立つことをして国民を幸福にするふりをせず、あからさまに国民の眼の前で国民を虐めて国を平和にするのである。つまり、政府は民主主義の芝居付きの幕府であり、政府も幕府も実際にやっていることは同じである。政府は国民の前で自分が国民の役に立つことをする団体のふりをしているだけで、裏では幕府と同じように国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。)
『政府は国民の役に立つことをして国民を幸福にするふりをして本当は国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。』政府は間接民主制をやって国民に従っているふりをしているが、本当は国民に従わず自分の独断で国民に命令を出して国民を虐めて国民を不幸にしている。政府は“国民を幸福にするふりをしてじつは国民を不幸にする政策”ばかりやっている。政府は国民を虐めるために国民から取った税金の一部を使って国民の役に立つことをする付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社など)を経営したりしている。(政府が国民に「付属会社を経営するために国民から税金を取っている」と言っているのは嘘[うそ]である。本当は、政府は国を平和にするために国民を虐めるために国民から税金を取って、その一部で付属会社を経営しているだけである。政府が付属会社を経営しているのは、政府が国民に『自分が本当は善い団体である』ことを教えるためである。政府は国民に「自分が悪い団体だ」と誤解されないために、自腹[じばら]を切って善いことをする付属会社を経営しているのである。幕府も今の政府と同じように法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを経営していたから、幕府は嘘をつかないから、政府は国民を騙[だま]すために付属会社を経営しているのではない。政府はヨーロッパ文化をやるために嘘をついて「自分が国民を喜ばせる団体である」ふりをしているが、本当は『政府は国民を虐める団体である。』しかし、政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めるのであって、政府は本当は善い団体なのである。だから、政府はわざわざ自分の給料の一部を使って国民のためになることをする付属会社を経営しているのである。政府の付属会社は政府の本心を表したものである。日本人の顔が悪いから政府が悪者に見えるが、政府は本当は善い団体なのである。つまり、政府が民主主義をしているのは嘘だが、政府が付属会社を経営しているのは嘘ではない。政府はヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体だから、ヨーロッパ文化は嘘つきだから、政府はいろんな嘘をつく。例えば、政府は「国民全員が政府に税金を払わねばならない」という嘘の法律を定めている。しかし、本当は、『国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由』なのである。政府は選挙の公約でも政策の発表でも嘘をつく。国民は政府の嘘に騙されてはいけない。今の政府は国民に嘘をついて悪の犯罪組織のふりをしているが、本当は国民を虐めて国を平和にする団体である。本当は、政府は国を平和にするために国民から税金を取っている。しかし、今では国民は法律を守って国を平和にしているから、わざわざ政府に国を平和にしてもらうために政府に虐められるために政府に税金を払う必要はない。今の国民は国を平和にするために政府に虐められるのが嫌である。そのため、今の国民は政府に税金を払っていない。政府は国民から税金をもらえなくなって、お金が足りなくなって付属会社を独立民営化している。そのうち政府自身も滅ぶだろう。)
要するに、今の政府は民主主義の芝居付きの権力団体である。今の政府は国民を幸福にするふりをしている“国民を虐めて国を平和にする団体”である。そのため、政府は“国民を喜ばせるふりをして本当は国民を虐める政策”ばかりやっている。政府は心の表層で国民を喜ばせて国民を幸福にして心の奥底では国民を虐めて不幸にして国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしている。例えば、今の政府は国民に眼で見る喜びや心で思う喜びをやらせている(強制ではないが、任意だが)。政府は国民にテレビを見せたりマンガを読ませたりテレビゲームをやらせたりエステをやらせたりイケメンをやらせたりしている。国民は心の表層では喜んでいる。しかし、日本人は頭で考えることが好きであって眼で見ることや心で思うことが嫌いだから、心の奥底では嫌だと思っている。政府は心の表層で国民を喜ばせて心の奥底では国民を虐めている。例えば、今の政府は国民に麻薬やオナニーやセックスなどをやらせている(強制ではない、任意だが)。国民は心の表層では喜んでいる。しかし、麻薬やオナニーやセックスは人間の支配欲を高ぶらせて精神分裂病に罹[かか]りやすくする([22289]参照)。国民が精神分裂病に罹ると不幸になる。国民が麻薬をやると犯罪が増えて国民みんなが不幸になる。政府は心の表層で国民を喜ばせて心の奥底では国民を虐めている。例えば、今の政府は国民に自分と他人の区別を付けず他人のことにガミガミ口出しさせたり他人に手出しさせたり、他人の眼を気にして自分がやりたいことをやらさなかったり自分がやりたくないことをやらせたりしている(これまた強制ではなく、任意だが)。国民は他人を自分の思い通りにできたり、自分が他人に嫌われなかったり、自分が他人に好かれたりして喜んでいる。しかし、人間が支配欲を満足して支配欲を助長[じょちょう]すると精神分裂病に罹りやすくなる。人間が自分が嫌いなことを我慢してやったり自分の好きなことを我慢してやらなかったりすると神経症や鬱病[うつびょう]に罹りやすくなる。政府は国民に心が病気になることをやらせている。政府は心の表層で国民を喜ばせるだけで、心の奥底では国民を虐めている。例えば、政府は国民に「テレパシーがない」と言って「テレパシーがない」と思わせている。国民は自分の考えを他人に聞かれないと思って喜んでいる。国民は自分のエッチな想像を他人に知られないと思って安心している。しかし、本当は『テレパシーはある。』国民が「テレパシーがない」と思って油断してふざけてテレパシーを使おうとするから本当にテレパシーが聞こえるようになってしまって、他人のテレパシーの悪口が聞こえて支配欲が不満になってイライラして暴れまわって精神分裂病に罹るのである。政府は心の表層で国民を喜ばせて心の奥では国民を虐めている。例えば、政府は福祉政策をやっている。日本人はカタワに優しくするのが嫌だから、政府の福祉政策が嫌いである。政府の福祉政策は国民を不幸にする。政府は国民を虐めるために自分の独断で福祉政策をやっている。政府は国を平和にするために国民を虐める団体だから、政府のやっていることは国を平和にすること以外はすべて国民に対する虐めである。(政府の付属会社は政府とはいちおう別である。本来政府の付属会社は政府とは別だから国民が喜ぶことをするのである。)だから、政府の福祉政策は国民に対する虐めであり、国民は福祉が嫌いなのである。(一方、ヨーロッパでは政府が付属会社として福祉会社を建てて福祉をやっている。ヨーロッパでは政府が自腹[じばら]を切って福祉事業をやっている。ヨーロッパ人は福祉が好きなのである。ヨーロッパ人は眼先で他人に優しいことが好きだから福祉が好きなのである。反対に、日本人はプライドが高いから他人に頼るのが嫌いだから福祉が嫌いなのである。日本人は他人のプライドを尊重するから福祉をやらないのである。)日本では琵琶法師[びわほうし]やアンマのようにどんなカタワでも自力で食べていかねばならない。それができない者は死なねばならない。カタワにもプライドがある。政府の福祉政策はカタワのプライドを台無しにする卑劣[ひれつ]な政策である。カタワにとっても政府の福祉政策は嫌である。日本では普通の国民もカタワも国民みんなが政府の福祉政策が嫌いである。政府は福祉政策においてはもろに国民を虐めている。政府が税制においてはあからさまに国民を虐めているのと同じことである。“頭隠して尻隠さず”と言うように、政府は何から何まで国民を幸福にするふりができるわけではない。政府は何から何まで民主主義の芝居で国民を虐めるのを隠せるわけではない。政府がやっていることの中には芝居抜きで国民を虐めることもあるのである。これまで国民は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわねばならなかったから、政府が福祉政策で国民を虐めるのを許していただけである。今では国民は法律を守って国を平和にできるから、政府が福祉政策をやるのを許さなくなっている。国民はカタワの幸福よりも自分の幸福を大事にして、福祉政策に反対して、たとえ政府が福祉政策をやると言っても政府に耳を貸さなければいい。もっとも、“蓼[たで]食う虫も好き好き”と言うから、どうしても福祉をやりたい国民がいれば、福祉をやりたい国民で福祉会社を建てて福祉の仕事をやればいい。(h27.12.6追記:政府は経済や文化や心理など国民があまり知らない分野でわざとに国民にまちがった命令を出して国民を虐めて苦しめる。国民がよく知っている分野だと政府が国民にまちがった命令を出しても国民が政府の命令がまちがっていると思って政府の命令を聞かないから、政府は国民があまり知らない分野で国民にまちがった命令を出して国民に命令を聞かせて国民を虐めるのである。)
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府も平等である。政府は国民の役に立つことをするふりをして本当は国民を虐めて国を平和にすることが仕事である。国民は政府に税金を取らせて政府に報酬を払う。国民が政府と契約して政府に報酬をやって政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民が法律を守って国を平和にすることができなかったから、国民は政府と契約して政府に仕事をしてもらって政府に報酬を払っていた。昔の国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めてもらって国を平和にしていた。
今は文明が高くなって国民が法律を守って国を平和にすることができるようになったから、国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払わなくなって政府に仕事をしてもらわなくなっている。今の国民は政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めてもらわなくなっている。
政府はお金が足りなくなって付属会社を経営できなくなって、付属会社を独立民営化している。国民は付属会社と自由に契約してお金を払って仕事をやらせている。
政府はお金が足りなくなって滅んでいる。
今の国民は法律を守って国を平和にしている。将来、国民で法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらうつもりである。国民は自分の仕事や遊びでいそがしくて法律のことをやる暇がないから、法律会社にやらせたいのである。
[22325] 原始時代はみんなが戦いに明け暮れていた。 h27.12.2
大昔の原始時代の社会は『万人[ばんじん]の万人に対する戦い』だった。みんなが顔を合わすたびに殺し合いをやっていた。
これではみんなが暮らしにくいので、みんなが政治団体を建てて、政治団体にみんなを虐[いじ]めてもらってみんなを怖がらせてみんなをおとなしくさせて国を平和にすることにした。政治団体はみんなに命令して高い税を取ったりみんなの嫌がらせをしたりみんなを殺したり痛めつけたりしてみんなを虐めて国を平和にした。なんとも荒っぽいやり方だが、しかたがなかった。
政治団体のおかげでみんなは平和に暮らすことができて喜んだ。みんなは暮らしやすくなって喜んだ。
そうしているうちに、みんなが“社会の中で人間が幸福に暮らす決まり”を考え出してみんなに決まりを教えてみんなで決まりを守って暮らすようになった。
そのうち“社会の中で人間が幸福に暮らす決まり”が発展して体系化されてちゃんとした法律になった。
今ではみんなが法律を守って平和に暮らすことができるようになった。
そのため、みんながわざわざ政治団体にみんなを虐めてもらって国を平和にしてもらわなくてもよくなった。しかも、今ではみんなが文明的になってみんなが心よりも頭で物を見るようになって、いくら政治団体がみんなを虐めてもみんなが怖がらなくなって政治団体が国を平和にできなくなったので、みんなが政治団体が要らなくなった。みんなは国を平和にするために政治団体に虐められるのが嫌だから、政治団体に報酬を払わなくなって政治団体にみんなを虐めてもらって国を平和にしてもらわなくなった。政治団体はみんなから報酬をもらえなくなって滅んでなくなっている。
今ではみんなが法律を守って平和に暮らしている。将来はみんなで法律会社を建てて、法律会社にお金をやって法律を守らせてもらう予定である。
[22326] どうして政府は自分から滅ばないのか?☆☆ h27.12.3
先進国が替わったり、国を平和にする方法が替わったりしても、政府は自分で滅ぼうとしない。政府はいつも国民に滅ぼしてもらう。
多数決で決めるのは心で決める場合である。例えば、文化祭のクラスの出し物のように、みんなの好き嫌いで決まることは多数決で決める。反対に、正しいことで決まることは多数決で決めない。正しいことで決まることはみんなが従うしかないからみんなが逆らえないから一意的に決まる。例えば、『1+1=2』であることは正しいから、みんながおとなしく認めるしかない。
今では国を平和にする方法は、国民が法律を守る方法と、政府が国民を虐[いじ]めて国民をおとなしくさせる方法の2つがある。どちらでも国が平和になるから、好きか嫌いかの問題である。だから、多数決で決めればいいのである。国民が法律を守る方法は国民は好きだが政府は嫌いである。政府が国民を虐める方法は政府は好きだが国民は嫌いである。国民のほうが政府よりも多い。だから、多数決で国民が法律を守る方法に決まるのである。『人間はみな平等である。』だから、国民と政府も平等である。国民も政府もみんなが自分にとって幸福になることをすればいい。国民は政府に国民を虐めてもらって国を平和にするのが嫌だからそうしなければいい。国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払わないようにして政府に国民を虐めて国を平和にするのをやめさせればいいのである。
これまで先進国が替わったときも、政府は自分から滅ばなかった。ということは、「日本が先進国に従わねばならない」ことが正しいことではなかったということである。「日本が先進国に従わねばならない」ことは昔の社会の法則ではなく、国民みんなが先進国に従いたかったから従っていただけなのである。つまり、政治団体にとっては別の政治団体に変わるのが面倒だから自分がこのままやり続けるのがいいが、国民にとっては先進国に従って国を進歩させたほうが物や心が豊かになって自分が幸福になるからいい。政治団体と国民は平等であり、国民のほうが政治団体よりも人数が多いから、多数決で先進国に従うことに決まったのである。そのために、国民は政治団体と契約するのをやめて政治団体にお金を払うのをやめて政治団体に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめて、政治団体を倒して、国民で新しい政治団体を建てて新しい政治団体と契約してお金を払って再び国民を虐めて国を平和にする仕事をしてもらったのである。
『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。政府も国民も自分が幸福になることをすればいい。今の政府は自分が滅ぶのが嫌である。今の政府はこのままずっと自分が国民を虐めて国を平和にしていたい。そうすれば、政府は自分が税金暮らしで楽ができる。一方、今の国民は国を平和にするために政府に虐められるのが嫌である。今では国民が法律を守って国を平和にすることができるので、国民がわざわざ政府に虐められて国を平和にしなくてもいい。政府と国民は平等であり、国民のほうが政府よりも人数が多いから、多数決で国民が法律を守って国を平和にすることに決まる。だから、今の国民は政府の言いなりになって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわず、自分で考えて自分を幸福にするために法律を守って国を平和にして政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわないようにしなければならない。
いわば、国民が法律を守って国を平和にするか、政府が国民を虐めて国を平和にするかは国民と政府の戦いなのである。だから、国民は自分を幸福にするために政府と戦わねばならない。国民と政府の戦いといっても映画『スターウォーズ』のように国民と政府が武器で殺しあうことではない。国民と政府が契約を取るか取らないかの戦いである。『人間はみな平等』だから、国民と政府は平等だから、国民は政府と自由に契約すればいいのである。国民が政府と契約するか契約しないかは国民個人の自由である。国民にとっては政府と契約しないほうが幸福だから、国民は自分の幸福のために政府と戦って政府と契約せず政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらわず政府を倒せばいいのである。国民みんなで早く政府を倒して虐めのない国にしなければならない。
政府はヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体である。ヨーロッパ文化では嘘[うそ]をつくから、政府は国民に嘘をつく。政府は国民にいろんな嘘をついて国民に契約を取らそうとする。政府はテレビや新聞や雑誌などで国民に嘘をついて国民に契約を取らそうとする。政府はテレビや新聞などで「自分が民主主義の団体であり国民みんなが幸福になることをする」ことを大々的[だいだいてき]に宣伝して、『自分が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことをひた隠しにしている。国民は政府の嘘の宣伝に騙[だま]されて政府と契約を取ってはいけない。政府の正体は『国民を虐めて国を平和にする団体』である。「政府が民主主義の団体であり国民みんなを幸福にする」のは政府の嘘である。今は国民と政府の戦いの時代である。国民にとっては国民が法律を守って国を平和にするほうが幸福である。政府にとっては政府が国民を虐めて国を平和にするほうが幸福である。国民にとっての幸福と政府にとっての幸福が対立している。国民は自分で考えて自分が幸福になることをして、政府が幸福になることをしてはいけない。
[22327] 政府は国を平和にするだけのために無数に悪いことをする。 h27.12.3
政府は政治団体である。政治団体とは政[まつりごと]で国を治める団体である。政とは国民が喜ぶことをするふりをして本当は国民が嫌がることをして国民を虐めることである。政府は国民が喜ぶことをするふりをして国民を嫌がらせて国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府はヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体である。ヨーロッパ文化では嘘[うそ]をついて国家宗教をやる。だから、政府は民主主義の芝居をやって国家宗教で国民を虐めるのである。(政府が社会科の教科書に「政府が民主主義の政治機関である」などという嘘[うそ]を書いているのは、政府がヨーロッパ文化をやっているからである。私みたいに社会科の苦手な人にとってはアジア文化のほうがよかったなあ(笑い)。政府はテレビや新聞や社会科の教科書などを使って嘘の宣伝をやっているのである。)ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政府は憲法で「納税の義務」を定めているのである。本当は政府と国民は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。
要するに、『政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。』芝居や国家宗教はどうでもいいから、政府は国民を虐めて国を平和にするだけである。政府は国民を虐めるために、国民からお金を強盗したり国民に嫌がらせをしたり国民に暴力をふって国民を殺したり痛めつけたりする。政府は国を平和にするだけのために無数に悪いことをして国民を不幸にする。政府は国を平和にするだけのためにありとあらゆる方法で国民を虐めて不幸にする。もっとも、いくら政府が国を平和にするためだといっても政府が国民を虐めてばかりいると国民が機嫌を壊して政府の命令を聞かなくなるので、政府はたまに国民を喜ばせることをやって国民の機嫌を取って国民に政府の命令を聞かせるようにさせて再び国民に国民を虐める命令を出す。
政府があっても国民にとっては嫌なことばかりで国を平和にすること以外に喜ぶことがない。政府があると国民は政府に嫌なことばかりやらされて好きなことをやめらされてどんどん不幸にされていく。政府があると政府が国民の嫌がる物を作って国民が好きな物をなくして面白くない国になっていく。政府があると笑いのない国になる。喜びのない国になる。
『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。政府の仕事は国民を虐めて国を平和にすることである。政府の報酬は国民を虐めるために国民から税金を取ることである。国民が政府と契約して政府に報酬をやって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は(つまり戦前は、近代までは、私(1964年生まれで、現在51才)の親の世代までは、いろんな便利な電化製品が出来る前は)文明が低くて国民が法律を守って国を平和にできなかったので、国民は政府と契約して政府に税金をやって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
今は(つまり戦後は、現代からは、私の世代から後は、コンピューターやスマホや電子書籍などが出来るようになってからは)文明が高くなって国民が法律を守って国を平和にできるので、国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。
政府は国民からお金をもらえなくなって滅んでいる。政府はお金が足りなくなって付属会社が経営できなくなって付属会社を独立民営化させている。政府の付属会社は“半官半民”だから、政府の付属会社は政府のものでも国民のものでもなくどっちつかずだから、政府がお金をくれなくなったら国民の側に付いて民営化するのである。多少値上げして(?)民営化するのである。
将来、国民は法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやらせる予定である。
[22328] これからの社会 h27.12.3
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府の行政機関は国民を虐めるためにわざとに下手[へた]な経済政策をやって国民を貧乏にして不幸にする。政府の行政機関はけっして国民を裕福にする機関ではない。国民にとっては早く政府がなくなったほうがいい。国民が自分で経済対策をやって国を豊かにすればいい。実際にこれまでも国民はそうしてきた。これまで国民は政府の妨害に打ち勝って自分で考えて国を豊かにしてきた。つまり、国民は政府の嫌がらせの命令を聞いて貧乏にされながら、それ以上に一生懸命に働いて稼[かせ]いで国を豊かにしてきた。だから、国が成長してきたのである。政府は国を平和にするために国民を虐めるのだから、政府の目的は国を平和にすることであって国民を虐めることではないから、政府は国が平和になる程度にしか国民を虐めないから、政府はやたらめったら国民を虐めるわけではないから、国民ががんばれば国を成長させることができるのである。政府がなかったらもっと国が成長しただろう。しかし、国民が働けるためには国が平和でなければならず、国が平和であるためには政府が国民を虐めなければならなかった。だから、国民は政府に虐められながら働くしかなかったのである。もっとも、それは昔の話であって、今では国民が法律を守って平和に暮らせるようになって国民にとって政府が要らなくなったから政府がなくなっても国民はちっとも困らない。国民は政府がなくなっても平和に元気に働くことができる。国民は政府がなくなったほうが余計な邪魔[じゃま]が入らないから気持ちよく働ける。政府は国民を虐めて国民を貧乏にするだけであって、国民を喜ばせるために国民を豊かにしてはくれない。だから、国民は政府に頼らず自分で自分を豊かにしなければらない。国民の代表者が集まって話し合って国が儲[もう]かるやり方を決めればいい。あるいは、国民で経済会社を建てて、経済会社と契約して経済会社にお金をやって経済の仕事をやってもらえばいい。国民は国が豊かになるなら自分が豊かになるなら喜んで経済会社と契約してお金を払って国を豊かにする仕事をやってもらうだろう。経済会社は国民に命令することができるが、国民と平等である。国民は経済会社に国民を裕福にしてもらうために命令を聞いているだけである。国民が政府に国を平和にしてもらうために政府の嫌がらせの命令を聞いているのと同じことである。政府が仕事の上で自分が国民に命令できることを悪用して私利私欲に走ってはいけないように、経済会社は仕事の上で国民に命令できることを悪用してはいけない。国民と経済会社は平等である。国民が経済会社の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。経済会社は自分が国民に命令できるので「自分が上の者だ」と誤解してふざけて国民を虐める命令を出してはいけない。(支配欲や服従欲が強い性格の者はすぐに上の者とか下の者とか思うから危ない。)そんなことをしたら国民はすぐに経済会社と契約するのをやめて経済会社の命令を聞かなくなって経済会社にお金を払わなくなって経済会社を潰[つぶ]すだろう。経済会社は自分が潰れた後で『自分と国民が平等である』ことがわかって後悔するだろう。
政府の行政機関はわざとに下手な経済政策をやって国民を貧乏にする。政府の行政機関は国民を裕福にするふりをして本当は国民を貧乏にするだけである。国民みんなで早く政府と契約するのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、政府に国民を貧乏にするのをやめさせねばならない。国民で“国民を裕福にする会社”を建てて、“国民を裕福にする会社”と契約してお金をやって国民を裕福にさせねばならない。早く日本に“国を裕福にする制度”を設けなければならない。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府の行政機関は国民を虐めるためにわざとに下手な教育をやって国民を馬鹿にして不幸にする。政府の行政機関は国民を利口にするふりをして本当は国民を馬鹿にするだけである。政府は国民に憶える勉強ばかりさせて考える勉強をさせず国民を馬鹿にするだけで利口にしない。政府は国民に眼で見る勉強ばかりさせて頭で考える勉強をさせず国民を馬鹿にするだけで利口にしない。政府は国民に苦手科目の勉強ばかりさせて得意科目の勉強をさせず国民を勉強嫌いにさせて馬鹿にするだけで利口にしない。政府の学校は子供を虐めて子供に政府を怖がらせて子供をおとなしくさせるためにあるだけである。これでは国民が無能になるだけである。国が儲からなくなって国民が貧乏になるだけである。国民みんなで早く政府を倒して、政府に国民を馬鹿にするのをやめさせねばならない。国民で“国民を有能にする会社”を建てて、“国民を有能にする会社”と契約してお金をやって国民を有能にさせねばならない。国民が有能になれば、国が儲かって国民が裕福になる。早く日本に“国民を有能にする制度”を設けねばならない。教育会社は国民に命令できるが、それは国民を有能にするかぎりである。国民と教育会社は平等である。国民が教育会社に従うか従わないかは国民個人の自由である。義務教育といっても本当は国民(子供も含む)が教育を受けるか受けないかは国民個人の自由である。教育会社は「自分が上の者だ」と誤解して図に乗って子供を虐めて遊んではいけない。
つまり、政府の経済企画庁は国民を貧乏にして虐めるために建っているのである。政府の文部省は国民を馬鹿に変えて虐めるために建っているのである。政府のその他の省庁も全部国民を虐めるために建っているのである。政府は外見は格好[かっこ]よくて国民の役に立つことをやって国民を幸福にしているみたいだが、中身は国民を虐めて不幸にしているのである。
政府は国民を虐めて平和にする団体である。一般に、政府の行政機関は国民を虐めるためにわざとに下手なことをやって国民を不幸にする。政府の行政機関は国民を幸福にするふりをして本当は国民を不幸にするだけである。国民で早く政府を倒して政府に国民を不幸にするのをやめさせねばならない。国民で“国民を喜ばせて国民を幸福にする会社”を建てて、“国民を喜ばせて国民を幸福にする会社”と契約して会社にお金をやって国民の役に立つ仕事をやってもらわねばならない。国民みんなで政府と反対の性格の“国民を喜ばせる団体”を建てて国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。国民みんなで“本物の民主主義の団体”を設けて国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。幸福会社(国民を幸福にする会社)は国民に命令できるが、国民と平等である。幸福会社は仕事の上で国民に命令できるだけで、国民が幸福会社の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。国民は幸福会社が自分を幸福にするから幸福会社と契約して幸福会社の命令を聞いてお金を払うだけであって、幸福会社が自分を不幸にすれば幸福会社と契約をやめて命令を聞かないしお金も払わない。幸福会社は自分が国民に命令できるので「自分が上の者だ」と誤解して思い上がって国民を虐めて国民を不幸にして自分で自分を潰さないようにしないといけない。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国民に命令できるが、国民と平等である。政府は仕事の上で国民に命令できるだけであって、それ以外の場合には国民に命令できない。政府は国を平和にするかぎり国民に命令できるのであって、政府が国を平和にしなければ国民に命令できない。政府が自分のお金儲[もう]けのために国民に命令したり、政府が国民を喜ばせるために国民に命令してはいけない。政府は必ず国民を虐めて国を平和にしなければならない。政府は国を平和にするために国民を嫌がらせる命令しかできない。それが政府の宿命である。政府はもともとそういう会社だから、そうするしかないのである。そのため、戦前の日本ではふざけて国民を喜ばせる政策をやった首相が職権乱用と見なされて国民に殺されたのである。国民と政府は平等である。国民が政府に仕事をさせてお金を払うか政府に仕事をさせず政府にお金を払わないかは国民個人の自由である。今では国民が法律を守ったり国民がテレビやゲームをやって楽しんだり国民が物が豊かになったために国が平和になったから、今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめて政府を倒せばいいのである。(h27.12.6追記:昔は文明が遅れていたのでみんなが「文明が進めば幸福に暮らせる」と思って文明を進めるために必死で勉強したり仕事したりしていた。政治団体を倒したりした。今は文明が進んでみんなが「少しぐらい文明が遅れても食べるには困らないとかテレビを見るには困らないとか車を運転するには困らない」と思って、テレビゲームをやったりマンガを見たりしてくだらない娯楽に耽[ふけ]っている。油断している。そのために、今の日本ではみんながくだらない気分になって陰気臭くなって汚い想像ばっかりやって正しいことがわからなくなってまちがったことばかりやっている。今の国民の多くが政府に従っているのがその一例である。「文明が進めば幸福に暮らせる」ことは今も昔も変わらない。みんなは今よりももっと文明を進めるために、一生懸命に勉強したり仕事したりしないといけない。みんなはもっと自分の頭を使って考えて、考える能力を鍛[きた]えて、物事を正しく見れるようになって正しいことがわかるようになって正しいことがやれるようにならねばならない。みんなはもっと自転車やバイクなどに乗って外に出て遊んで現実の自然や社会を見て心を清[きよ]めて明るい気分になって美しい想像をして正しいことがわかるようになって正しいことをやらねばならない。)
国民と政府は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が政府と契約しなければならない決まりはないから、国民は自分の気持ちで政府と契約するかしないかを決めればいい。国民は自分が好きなら政府と契約して、自分が嫌なら政府と契約しなければいい。国民が政府と契約すると政府に虐められるから、国民は政府に虐められるのが嫌だから、国民は政府と契約しなければいい。人間の考えは一人一人違うから、いくら他人が政府と契約していても、自分が政府と契約したくなければ自分は政府と契約しなければいい。いくら国民みんなが政府と契約していても、自分が政府と契約したくなければ自分は政府と契約しなければいい。国民は自分で考えて自分が幸福になる選択をすればいい。国民みんなが自分が幸福になるための正しい選択をして、日本を国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
[22329] 3人の国民 h27.12.4
政府は国民を幸福にしているふりをして、国民を虐[いじ]めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて、国を平和にする団体である。
「政府が国民を幸福にする団体だ」と思っている国民は、「政府が善い団体だ」と思って、政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐める仕事をしてもらう。
「政府が国民を幸福にしているふりをして、国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせる団体だ」と思っている国民は、「政府が悪の犯罪組織だ」とか「政府が上の者だ」と思って、政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐める仕事をしてもらう。
『政府が国民を幸福にしているふりをして、国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて、国を平和にする団体だ』と思っている国民は、『政府と国民は平等だ。今の国民は法律を守って国を平和にできるから、政府に用はない。』と思って、政府と契約せず政府に税金を払わず政府に国民を虐める仕事をしてもらわない。
最初の国民も次の国民も政府のことを誤解して政府と契約を取っている。最後の国民はようやく政府のことを正しく理解して政府と契約を取らない。最初の国民も次の国民も幸福に生きられない。最後の国民だけが幸福に生きることができる。人間の最大の敵は自分自身である。人間にとって最大の敵は自分の無知である。考えない者は幸福になれない。考える者は格好[かっこう]をつけたりマンガや小説を読んだりしない。そんな余計なことをすると“考える気持ち”がなくなって正しいことがわからなくなるからである。考える者は生きている間中考えることばっかりやらねばならないのである。
[22330] 法律とは何か?☆ h27.12.4
法律とは“国民が社会の中で幸福に暮らすための決まり”である。国民が何をしてもよく何をしてはいけないとか、何をしたらどれだけ罰せられるかという決まりである。
法律はすでにある。法律は客観的に決まっている。法律は法律会社が決める前からある。
法律会社はすでに存在している法律を文字にして表すだけである。
法律会社は社会の中にある法律を文字にして明確化して、みんなに公表してみんなに教えて、法律を犯した者を捕まえて罰することが仕事である。
法律会社の仕事は国を平和にすることである。政府と同じである。国の平和にするやり方が違うだけである。
国民が政府と契約するのは、国民が国を平和にしたいからである。それと同じように、国民が法律会社と契約するのは国を平和にしたいからである。
国民と政府は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。普通は国民は国を平和にしたいから政府と契約するのである。国民が政府と契約しなくてもいいが、国民はみんなのために自分のために国を平和にしたいからこれまで政府と契約してきたのである。つまり、国民は自分の“良心”によって政府と契約してきたのである。
それと同じように、国民と法律会社は平等だから、国民が法律会社と契約するかしないかは国民個人の自由である。普通は国民は国を平和にしたいから法律会社と契約する。国民が法律会社と契約しなくてもいいが、それでは国の平和が保てないから国民はみんなのために自分のために国を平和にするために法律会社と契約するのである。国民は自分の“良心”によって法律会社と契約するのである。
だから、国民はみんな法律会社と契約する。国民が法律会社と契約するのは義務ではないが、国民は国民みんなのために自分のために国を平和にしたいという“良心”によって法律会社と契約するのである。つまり、国民は自分の国家愛や自己愛を満足するために法律会社と契約するのである。
法律会社は建ちさえすれば、国民みんなが自分の良心によって自主的に契約するので契約を取るのが楽である。
政府も法律会社も国を平和にする団体である。政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にしなければならないので、国民を虐めるために高い税金を取らねばならない。反対に、法律会社は国民に“国民が社会の中で幸福に暮らせる決まり”を守らせて国を平和にしなければならないので、国民からリーズナブルな料金を取らねばならない。法律会社は自分の労働に見合う料金を国民から取らねばならない。経済学によって労働に見合う料金が客観的に算出される。国民は法律会社に“法律会社が仕事をやるために必要十分なお金”を払えばいい。(社長や管理職に対しても経済学で労働に見合う給料を決めればいい。もっとも、社長は会社を平和にするために社員を虐める者だから、今では社員が社則を守って会社を平和にしているから、今の会社には社長は要らない。だから、社長のない会社にすればいい。会社には社長という役職を設けなければいい。管理職には管理職が仕事をするために必要十分な給料を払えばいい。)
法律を作るのはNHKの番組を作るのと同じことである。NHKは毎月新しい番組をたくさん作らねばならない。しかし、法律会社はほとんどこれまでと同じ法律をやって毎月新しい法律を少し作ればいいだけである。だから、法律会社はNHKほどお金が要らない。法律会社の料金は1人1ト月1000円ぐらいだろう。特に日本は国民みんなが自主的に法律を守って治安がいいから、法律会社の料金は安くてすむだろう。国民は日本が法律がある国だという“印し代”[しるしだい]に法律会社に1000円払えばいい。
政府はヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体だから、国民の幸福になることをしているふりをして国民を虐めるために間接民主制をやらねばならなかった。政府は間接民主制をやるために国民みんなの選挙で大勢の議員を決めて大勢の議員を雇わねばならなかった。反対に、法律会社は“国民が社会の中で幸福に暮らすための決まり”を決めればいいだけである。すでに国民が作った法律を字にして表せばいいだけである。日本の法律は『人間がみな平等である』原理と『日本人の個性つまり日本人が知覚主義で利己[りこ]主義である』ことを具体的な事例に当てはめて作ればいいだけである。惑星の運動が『ニュートンの運動の3原理』と『惑星運動の特性つまり万有引力の法則』をそれぞれの具体的な惑星に当てはめて決めるのと同じことである。だから、法律会社は間接民主制をやってはいけない。間接民主制で法律(実際には独断で作った命令)を決めてはいけない。法律会社は法律の専門家が自分で正しく考えて法律を作らねばならない。法律会社がまちがった法律を作ると国民が契約しなくなるから、法律会社は国民と契約を取るために正しい法律を作らねばならない。法律会社は国民みんなが正しいと認める法律を作らねばならない。(国民みんなが正しいことがわかるなら直接民主制で法律を決めればいいが、実際には国民みんなの中には馬鹿が多くて利口が少ないから直接民主制で法律を決めるとまちがった法律ばかり出来る。国民みんなが自分で自分を不幸にしなければならなくなる。だから、直接民主制をやってはいけない。日本人の心について正しい理解のある法律会社の頭のいい人が正しい法律を作って国民みんなに守らせて国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。)
[22331] どうして政府は国民の“死ぬ権利”を認めないのか? h27.12.5
人間は年を取ると生きることが不幸になる。死ぬことが幸福になる。
人間の身体は自分の物だから、人間が生きるか死ぬかは個人の自由のはずである。自分が正しく判断して本当に自分が死んだほうが自分が幸福になれるなら、自分が死んだほうがいいはずである。
それなのに、政府は国民の“死ぬ自由”を認めない。国民の“死ぬ権利”を認めない。
それは、政府が国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体だからである。政府は国民を虐めるために国民に死ぬ権利を認めないのである。
しかし、今では国民が法律を守って国を平和にすることができるようになって、国民が政府に虐めてもらって国を平和にしなくてもよくなっている。今は政府の時代ではない。今では国民が政府が要らなくなって、政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。人間はみな平等である。国民と政府は平等である。国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。政府が国民と契約するかしないかも政府の自由である。昔は国民が幸福であるためには政府と契約すればよかった。政府が幸福であるためには国民と契約を取ればよかった。だから、昔は国民の利益と政府の利益が一致したから、国民と政府が契約した。しかし、今では国民が幸福であるためには国民が法律を守って政府と契約しなければいい。政府が幸福であるためには国民と契約を取ればいい。今では国民の利益と政府の利益が一致しないから、国民と政府が契約しない。今では国民が政府と契約しなくなって政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらわなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府が国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今の国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に虐めてもらわなくなって政府の嫌がらせの命令を聞かなくなっている。今の国民は政府が死ぬ権利を認めないことに従わなくなって自分で死ぬ権利を認めている。今の国民は自分で自由に死ぬ制度を設けている。今では国民が“自由に安楽死ができる施設”を設けて、自分で申請すれば“安楽死をさせる者”に安楽死をさせてもらえるようになっている。
人間はただ生きていればいいのではない。人間は自分が幸福になるために生きている。だから、自分が幸福に生きることができる者だけ生きていればいい。自分が幸福に生きることができない者は死ねばいい。人間にとっては自分が死ぬことも自分が幸福になるためのひとつの手段である。しかし、死の苦痛のために人間が死ぬことが妨げられている。今の医学では人間に安楽死をさせることなど簡単である。人間が何の苦痛もなく死ぬことができる。人間に“死ぬ権利”があればそれが実現できる。そうしてはじめて人間が“善く生きる”(つまり幸福に生きる)ことができるのである。地上が人間にとっての楽園になるのである。
[22332] 国民はみんなと同じことをしなくていい。☆ h27.12.5
『人間はみな平等である。』だから、国民と会社や政府は平等である。
国民と会社は平等である。会社の仕事は商品を作ることである。国民は会社にお金を払って会社の商品を買う。国民が会社の商品を買うか買わないかは国民個人の自由である。国民は自分が買いたければ買えばよく、買いたくなければ買わなければいい。たとえみんなが会社の商品を買っていても、自分が買いたくなければ買わなければいい。反対に、たとえみんなが会社の商品を買わなくても、自分が買いたければ買えばいい。
それと同じように、国民と政府は平等である。政府の仕事は国民を虐[いじ]めて国を平和にすることである。国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらう。国民が政府に仕事を頼むか頼まないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に仕事をしてもらいたければ政府に仕事をしてもらえばよく、自分が政府に仕事をしてもらいたくなければ仕事をしてもらわなければいい。たとえみんなが政府に仕事をしてもらっていても、自分が政府に仕事をしてもらいたくなければしてもらわなければいい。反対に、たとえみんなが政府に仕事をしてもらっていなくても、自分が政府に仕事をしてもらいたければしてもらえばいい。
国民が他人を殺してはいけないことや他人の物を取ったりしてはいけないことは法律だが、国民が政府に仕事をしてもらうことは法律ではない。国民が他人を殺してはいけないことや他人の物を取ったりしてはいけないことは国民みんなが必ず守らねばならないことだが、国民が政府に仕事をしてもらうかしてもらわないかは国民個人の自由である。国民がめいめい自分で考えて政府に仕事をしてもらうかもらわないかを決めればいい。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることが仕事である。今では国の文明が高くなって国民が法律を守って国を平和にできるようになっている。国民が国を平和にするためには、政府に国民を虐めてもらうよりも自分で法律を守ったほうがいい。だから、今の国民は自分で法律を守って、政府に仕事をしてもらわなければいいのである。今の国民は自分で法律を守って、政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなければいいのである。今の国民は政府に税金を払わず政府の嫌がらせの命令を聞かず政府に暴力をふられなければいいのである。
今では国民は自分で法律を守って国を平和にするようになって、政府に仕事を頼まなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。しかし、馬鹿はいまだに「政府が民主主義の団体だ」と思ったり「政府が悪の犯罪組織だ」と思って政府に従って政府に税金を払ったり政府の嫌がらせの命令を聞いて嫌な目に合わされたり政府の人殺しの命令を聞いて人殺しをしたりして世の中を騒がせている。馬鹿にはなりたくないものである。国民は馬鹿は無視してほったらかしにして、自分で早く政府を倒して政府のない社会にしなければならない。そうすれば、馬鹿も政府の命令でおかしなことをするのをやめて世の中が鎮[しず]まるだろう。
国民の中にはただたんに「自分が政府が嫌いだから」という理由で政府に従わず政府に税金を払わない者がいる。(かつては私もそうだった。)それはやっていることは正しいが理由が正しくない。法律は具体的な行為しか問題にしないから、法律的には正しいが、厳密にはいけない。人間にとっては正しい理由を理解してやったほうが気持ちがいい。国民はちゃんと正しい理由を理解して気持ちよく正しいことをしないといけない。
『人間はみな平等である。』だから、国民と法律会社は平等である。(もっとも、まだ法律会社は建っていないが。将来、国民みんなで建てる予定である。)法律会社の仕事は正しい法律を作って国民に法律を教えて法律を守らせて法律の違反者を取り締[し]まることである。国民は法律会社に料金を払って法律の仕事をしてもらう。国民が法律会社に仕事を頼むか頼まないかは国民個人の自由である。国民が法律会社に仕事を頼めば、みんなが法律を守って犯罪者がいなくなって自分が平和に暮らすことができる。反対に、国民が法律会社に仕事を頼まなければ、みんなが法律を守らなくなって犯罪者が増加して自分が平和に暮らすことができなくなる。やはり国民は自分のために法律会社と契約するのである。法律会社の商品は平和である。国民は法律会社に料金を払って平和を買うのである。(政府の商品も平和である。ただし、政府の場合は副作用が多い。政府は国を平和にするためにさんざん国民を虐めて国民を不幸にする。)国民は自分が平和に暮らしたければ、法律会社に料金を払って法律会社に仕事を頼まねばならない。国民は平和がないと生きていけない。空気がないと生きていけないのと同じことである。普通の国民は自分が平和に暮らしたいから、法律会社と契約する。法律会社は政府のような国民を虐める会社ではないから、国民から高い料金を取ってはいけない。(もっとも、政府は国民から高い税金を取って、あとで付属会社を経営したり善い政策をやったりして税金を取りすぎた分を多少国民に還元[かんげん]している。しかし、国民が政府に虐められて不幸にされたことはもとに戻せない。取り返しがつかない。だから、今の国民は自分が政府に虐められるのを許さなくなって、政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。)法律会社は国民から自分が法律の仕事をするために必要十分な料金を取らねばならない。そうすれば、国民みんなが幸福に暮らすことができる。
法律会社は国民みんなに法律を守らせて国を平和にする団体である。法律会社は国民みんなに法律を守らせて国を平和にする換[か]わりに国民から料金をもらう。国民が法律会社に料金を払うと法律会社に国民みんなに法律を守らせることになる。法律会社の仕事の対象が最初から“国民みんな”なので、国民が法律会社に料金を払うと法律会社に“国民みんな”に法律を守らせることになるのである。(水道会社の仕事の対象は各個人なので、国民が水道会社に料金を払うと水道会社に自分だけに水を使わせることになるが、法律会社の仕事の対象は“国民みんな”なので、国民が法律会社に料金を払うと法律会社に“国民みんな”に少しずつ(1億分の1だけ、つまり国民の人数分の1だけ)法律を守らせることになるのである。)それと同じように、政府は国民みんなを虐めて国を平和にする団体である。政府は国民みんなを虐めて国を平和にする換わりに国民から税金をもらう。国民が政府に税金を払うと政府に国民みんなを虐めさせることになる。政府の仕事の対象が最初から“国民みんな”なので、国民が政府に税金を払うと政府が“国民みんな”を虐めることになるのである。国は平和になるが、国民みんなが政府に不幸にされる。たとえ自分が政府に不幸にされなかったとしても、他人が政府に不幸にされる。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。国民が政府に税金を払わなければ、政府に国民みんなを虐めさせることをほんのちょっとでも(1億分の1だけでも)減らすことができるから、国民は政府に税金を払ってはいけない。(“他人の不幸は蜜[みつ]の味”とは、わけもわからずに政府に税金を払っている国民に対するイヤミである。)
法律会社も政府も国を平和にする団体である。法律会社と政府とは国を平和にするやり方が違うだけで国を平和にするのは同じである。だから、国民は政府も法律会社も同じ団体だと考えて、政府と接しなければならない。政府は時代遅れの“国を平和にする団体”である。政府は古臭いやり方で国を平和にする団体である。法律会社は進歩した“国を平和にする団体”である。法律会社は新しいやり方で国を平和にする団体である。法律会社は政府のように国を平和にするために国民みんなを不幸にしない。国民は法律会社があれば政府は要らない。だから、国民みんなで早く法律会社を建てて政府を潰[つぶ]さねばならない。国民みんなで早く政府を潰して法律会社を建てねばならない。
国民と法律会社は平等である。国民が法律会社と契約して法律会社に料金を払って法律会社に国民みんなに法律を守らせて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。それと同じように、国民と政府は平等である。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めているのだから、政府は国民を幸福にして国民の役に立つためにあるから、政府と国民は平等である。国民と政府は平等だから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。つまり、平等とは自由に契約が取れることである。(国民が政府のことが正しくわかっていようがいまいが、とにかく政府と国民は平等だから国民は政府と自由に契約できる。つまり、国民が頭で考えていようがいまいが、とにかく国民が政府と契約したければすればよく契約したくなければしなければいい。)国民が国を平和にするためには、国民が法律会社と契約したほうが政府と契約するよりも国民みんなが虐められて不幸にされないからいい。だから、今の国民は政府と契約するのをやめている。今の国民は政府に税金を払わず政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。国民は政府の法律を守ったり政府の命令を聞いたりしなくなっている。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社に料金を払って国民みんなに法律を守らせて国を平和にするつもりである。
[22333] 今の日本政府がヨーロッパ文化をやっているのはまちがっている。 h27.12.6
昔はまだ文化人類学が出来ていなかったので、日本人はどこの国の文化をやってもよかった。日本人は自分の国の文化をやらなくてもよかった。国民はどこの国の文化をやってもよかった。政治団体もどこの文化をやってもよかった。国民も政治団体も自分の国の文化に縛[しば]られず自由に自分の気持ちを満足すればよかった。先進国が替わったときには、国民にとっては自分が幸福になるために国の平和よりも国の進歩のほうが大事だったから、国民は先進国の文化を受け入れるために古い政治団体と契約したくなかった。一方、政治団体にとっては別の政治団体に変わるのが面倒臭かったのでこのまま国民と契約を取っていたかった。国民は政治団体と契約したくなかった。政治団体は国民と契約したかった。国民と政治団体の利害が一致しなかったので、国民と政治団体が契約しなくなって政治団体が潰[つぶ]れた。その後で、政治団体が別の文化の権力団体(つまり国民を虐めて国を平和にする団体)に変わった。国民は平和に暮らすために政治団体と契約したかった。政治団体は自分が儲[もう]けるために国民と契約したかった。国民と政治団体の利害が一致したので、国民と政治団体が契約して、国民が平和に暮らして政治団体が儲かった。
しかし、今は文化人類学が出来ている。今は『日本人は日本文化をやらねばならない』ことがわかっている。文化人類学は科学だから、『日本人は日本文化をやらねばならない』ことは客観的真理である。人間は客観的真理には従わねばならない。人間は客観的真理には逆らえない。今の日本人が日本文化をやらねばならないのは『1+1=2』であるのと同じことである。だから、日本人はみな日本文化をやらねばならない。日本国民は日本文化をやらねばならない。日本政府も日本文化をやらねばならない。日本政府はヨーロッパ文化の権力団体(ヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体)だから、日本政府は自分で潰れなければならない。政府はたとえ自分がこのまま税金暮らしがしたくても、日本文化をやらねばならないから自分で潰れねばならない。それなのに、いまだに日本政府はヨーロッパ文化の権力団体をやっている。日本政府がまちがっている。日本政府が悪い。今の日本政府はやってはいけないことをやっている。今の日本政府にとっては自分が権力団体をやっていることよりもヨーロッパ文化をやっていることのほうが悪いのである。今の日本政府は日本人がヨーロッパ文化をやっているから自分で自分の心を満足していない。今の日本政府は欲求不満である。今の日本政府は自分で自分の本心を満足せずに鬱病[うつびょう]に罹[かか]っている。だから、今の日本政府はまちがっているのである。人間の心が眼に見えないからまちがいがわかりにくいが、日本政府はまちがっているのである。
今の日本ではみんなが日本文化をやらねばならないから、ヨーロッパ文化をやっている政府はまちがっているから政府と契約してはいけない。まちがったことをやるのは人間ではないから、国民は政府を無視して政府と契約してはいけない。国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にするのをやめさせねばならない。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民は政府の法律を守らず政府の命令を聞いてはいけない。
今では国民が法律を守って国を平和にしているので、たとえ政府が今後日本文化の政治団体(つまり日本文化で国民を虐めて国を平和にする団体)に変わっても国民にとってはそんな団体には用がない。(日本文化では原則として悪いことをやってはいけないが、国を平和にするために国民を虐めるのは“必要悪”だから、政治団体は国民の承認があれば特別に国を平和にするために国民を虐めることができるのである。もっとも、今は国民が法律を守って国を平和にできるので、そんなことをする必要はないが。)政府がいくら日本文化の政治団体に変わっても無駄[むだ]である。国民と政治団体は平等だから、国民が政治団体と契約するかしないかは国民個人の自由である。政治団体が国民と契約するかしないかも政治団体の自由である。国民も政治団体も自分が幸福になることをすればいい。国民は自分が政治団体に虐められて不幸にされるのが嫌だから、政治団体と契約したくない。政治団体は自分が儲けるために国民と契約したい。国民と政治団体の利害が一致しないから、国民と政治団体は契約しない。政治団体は儲からないからやっていけない。だから、今後日本には二度と政治団体は建たない。今後は権力の時代ではなく法律の時代である。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。
要するに、人間は正しいことには従わねばならない。人間は法律を守らねばならない。人間は自由なことでは自分の心を満足しなければならない。そうやって、人間は正しく楽しく生きていかねばならない。人間は実在の中で自分の心を満足して暮らさねばならない。人間は自由なことについては自分の好き放題にやっていい。だから、多数決は嘘[うそ]である。人間は自分にとって自由なことについてまでわざわざ多数決で決めたりはしない。そんなことをしたら自由がなくなって自分の心が満足できなくなって不幸になるだけである。ヨーロッパ文化では嘘をつくから、ヨーロッパの政府は嘘をついて国民みんなの多数決で法律や政策を決めたふりをして本当は自分の独断で法律や政策を決めているのである。つまり、ヨーロッパの政府は自分が民主主義の芝居をやるために、つまり自分が間接民主制をやるために、自分が国民みんなに従っているふりをして本当は自分の独断で国民に命令を出すために、「多数決の原理」をでっち上げたのである。本当は法律は『人間がみな平等である』原理と『日本人の国民性』を具体的事例に当てはめて論理的に決まるのである。この世に多数決なんかない。日本人は昔から『多数決がない』ことを見抜いている。だから、日本文化には多数決がないのである。人間は正しいことと自分の心の二つに従って暮らせばいいのである。だから、国民は他人のことを気にせずに自分の好きなことをやって自分の心を満足して幸福に生きていけばいいのである。
[22334] どうして政府は暴力団を取り締[し]まらないのか? h27.12.6
政府が権力団体だからである。政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は法律会社ではない。政府は法律で国民を取り締まって国を平和にする団体ではない。だから、政府は暴力団を取り締まらないのである。
政府は権力団体である。暴力団も権力団体である。政府や暴力団などの権力団体は国を平和にするために法律を犯して国民を虐める。政府も暴力団も国民を虐めるために法律を犯している。政府は政府自身を取り締まらないから暴力団も取り締まらないのである。
政府の付属の法律会社は半官半民である。だから、政府の付属の法律会社は法律で国民を取り締まらないから暴力団を野放[のばな]しにしているのである。もっとも、政府の付属の法律会社は国民のものでもあるから、国民の強い要望があれば暴力団を取り締まることもある。政府の付属の法律会社は暴力団を取り締まらないようにしながら取り締まっているのである。
政府の付属の法律会社は半官半民である。半分政府の物で半分国民の物である。政府の付属の法律会社は半分国民を虐めて国を平和にするし、半分国民に法律を守らせて国を平和にする。どっちつかずである。政府の付属の法律会社の法律は、政府の国民みんなを嫌がらせるための命令と国民みんなで決めた法律が混在している。政府が国民を虐めることと法律会社が国民に法律を守らせることの両方が混じっている。だから、たとえ国民が犯罪を犯しても「自分が政府に国民を虐めてもらって国を平和にする」ことを望んでいることにすれば法律を守らなくていいから、法廷でシラを切り通して無罪で済むのである。国民が『自分が法律を守って国を平和にする』ことを望んで自分の有罪を認めたときだけ有罪になるのである。ただし、今の国民のほとんどは法律を守って国を平和にするのが希望だから、みんなに顔が知られていれば、社会に出たときに仲間外れにされて生きていけなし被害者の親族や知り合いに復讐されるかもしれないから、一生刑務所の中で暮らさねばならない。たとえ命が助かっても自由はないのである。それに、政府に虐めて国を平和にしてもらうことを望んだ者は、政府の命令でなんでもしないといけないから一生死ぬまで政府の奴隷[どれい]である。もしかしたら、政府が自分が虐めてもおとなしくしていないという理由で犯罪者を拷問[ごうもん]にあわせて殺すかもしれない。素直に法律を守って自分の有罪を認めたほうが幸せかもしれない。政府は国を平和にするためにわざわざ国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせているのだから、国民はおとなしくして悪いことをやってはいけない。政府が国を治めても法律会社が国を治めても、国民は同じようにおとなしくして悪いことをやってはいけない。戦前はみんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では悪いことをやってもよかった。だから、みんなが多かれ少なかれ悪いことをやっていた。政府はヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体だから、政府は国民を虐めて国民をおとなしくさせて国民が悪いことをするのを防[ふせ]いでいた。本来政府は国民に悪いことをさせないためにある正義の団体なのである。要するに、政府は警察なのである。政府は国民に悪いことをさせないために自分が悪いことをするのである。つまり、政府や宗教団体や暴力団は昔の警察(国の治安を維持する団体)である。法律会社が新しい警察である。昔の警察は虐めで国を平和にした。今の警察は法律で国を平和にする。政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。一方、法律会社(法律会社がない場合は国民みんな)は国民に法律を教えて国民に法律を守らせて国を平和にする。虐めよりも法律のほうが国民に対する細かい制御が可能である。虐めよりも法律のほうが国民に適切な行動をとらせることができる。現代社会は複雑である。政府の国民を虐める方法ではもはや現代社会に対応できない。国民が現代社会に適応して暮らすためには法律によらねばならない。現代社会で国民が幸福に暮らすためには法律によるしかない。法律は道路法規と同じである。いくら警察が国民を虐めておとなしくさせても国民が道路法規を勉強して知らなければ安全に道路で自動車やバイクを運転できないように、いくら政府が国民を虐めておとなしくさせても国民が法律を勉強して知らなければ安全に現代社会の中で暮らせない。政府が国民を虐めるだけではもはや国民は現代社会の中で平和に暮らせない。国民が現代社会の中で平和に暮らすためには国民がどうしても法律を勉強しなければならない。それに、政府が国民を虐めると国民が不幸になって国民の気分が落ち込んで頭が働かなくなって法律がわからなくなって法律が守れなくなって平和が乱れる。政府が国民を虐めると国が平和でなくなる。政府は法律の邪魔[じゃま]である。法律にとって政府は邪魔な存在である。虐めよりも法律のほうが国を平和にするための優れた方法である。だから、今の国民は法律を守って政府に虐められてはいけない。国民を虐めて国を平和にする方法の優れた点は、国民が言葉がわからなくても国民をおとなしくさせることができることである。しかし、今では文明が高くなって国民が頭がよくなって国民が言葉の意味がわかる。だから、国民は法律を守って国を平和にしたほうがいい。今の国民は政府に虐められるのではなく、法律の意味を理解して法律を守って国を平和にしないといけない。
今では国民みんなが法律を守って国を平和にすることが希望である。政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は法律会社ではない。政府の付属の法律会社も純粋な法律会社ではない。今の国民みんなは政府や政府の付属の法律会社に用はない。だから、今の国民は政府と契約しなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にする仕事を頼まなければいい。今の国民は政府の法律を守ったり政府の命令を聞かなければいい。(ただし、今の国民は国民で決めた法律は守らねばならない。)国民みんなで早く政府を倒して、将来法律会社を建てて、法律会社に国民みんなを法律を取り締まってもらって、暴力団や宗教団体や日本政府などの権力団体(法律を犯して国民を虐める団体)を滅ぼしてもらわねばならない。『人間はみな平等である。』だから、国民と暴力団や宗教団体や政府は平等である。国民が暴力団や宗教団体や政府と契約してお金を払って国民を虐めて国(あるいは町内や村など)を平和にする仕事をやってもらうかもらわないかは国民個人の自由である。暴力団や宗教団体や政府は国民を虐めて国を平和にすることが仕事である。今の国民は法律を守って国を平和にしているので、暴力団や宗教団体や政府に用はない。だから、今の国民も自分で暴力団や宗教団体や日本政府などの権力団体と契約しないようにして権力団体にお金を払わないようにして権力団体に国民を虐めて国を平和にする仕事を頼まないようにしないといけない。
[22335] 虐[いじ]めから法律へ h27.12.7
『人間はみな平等である。』国民と政治団体は平等である。国民が政治団体と契約してお金を払って仕事をやってもらうかもらわないかは国民個人の自由である。政治団体は国民を虐めて国を平和にする団体である。政治団体の仕事は国民を虐めて国を平和にすることである。政治団体は国民に命令して国民からお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を虐めて国民に政治団体を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。国民は政治団体の命令でお金を払って政治団体に報酬を払う。
江戸時代にはまだ国民みんなが幕府に国民を虐めてもらって国を平和にしていた。国民みんなが幕府と契約して幕府に年貢[ねんぐ]を払って幕府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
近代になると国民が法律を守って国を平和にし始めた。しかし、まだ国民みんなは十分に法律を守って国を平和にできなかったので、政府に国民を虐めてもらって国を平和にしていた。国民みんなが政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
現代になると国民が法律を守って国を平和にすることができるようになった。国民みんなは政府に国民を虐めてもらって国を平和にしてもらう必要がなくなって、政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。国民みんなは政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなって政府の法律を守ったり政府の命令を聞かなくなっている。
時代が進むと国の文明が高くなって国民みんなが政治団体に虐められて国を平和にすることをやめて法律を守って国を平和にするようになった。国民みんなが政治団体が要らなくなって政治団体が滅んでいる。将来、国民みんなで法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律会社に国民みんなに法律を守らせて国を平和にする仕事をやってもらうつもりである。
[22336] 政府は善い人のふりをして悪いことをやっている善い団体である。 h27.12.7
要するに、政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は国民をマイルドに時には過激に虐めて国民に政府を怖いと思わせて国民をおとなしくさせて国を平和にするのである。政府は国民を虐めるために国民に命令して高い税金を取ったり国民に嫌なことをやらせたり国民に暴力をふったりする。国が平和でなければ国民が生活や仕事や遊びができないから、国民は政府に頼んで国を平和にしてもらっているのである。国を平和にすることは仕事の中でも一番大事な仕事である。仕事の王様である。国を平和にすることは国民を幸福にすることだから、政府は国民のために国民を虐めて国を平和にしているのである。政府が国民を虐めて国を平和にするのは国民のためにやっていることである。だから、政府と国民は平等である。政府は国民を虐めて不幸にするが根本的には国民を幸福にする団体だから、国民のために国を平和にする仕事をやっているのだから、国民みんなの中に入っていられるのである。もしも、政府が国民を虐めるだけなら、政府は国民みんなに嫌われて国民みんなの仲間外れにされて、国の中では生きていけない。国を平和にするのは国民みんなにとって重要な仕事だから、政府は日本の真ん中で仕事をやっているのである。政府は国民を虐めて国を平和にすることが仕事である。政府は国を平和にするために特別に国民を虐めることが国民みんなによって許されているのである。政府は仕事の上で特別に国民に悪いことをして国民を虐めることを国民みんなが許可しているのである。だから、一般の国民が政府を真似[まね]て悪いことをやってはいけない。一般の国民が政府を真似て悪いことをすると犯罪者になって罰せられるから注意しないといけない。
政府は国民の前では嘘[うそ]をついて「自分が国民の役に立つことをして国民を幸福にする」ふりをしているだけである。政府はヨーロッパ文化の権力団体(つまり国民を虐めて国を平和にする団体)だから、ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政府は嘘をつくのである。政府は本当は国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府がやっていることはすべて国民に対する虐めである。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めて国民を不幸にする。政府は国を平和にして国民を幸福にするだけで、それ以外のことではことごとく国民を不幸にする。政府の経済企画庁は国民を虐めるためにわざとに下手[へた]な経済政策をやって国民を貧乏にしている。政府の教育庁は国民を虐めるためにわざとに下手な教育をやって国民を馬鹿に変えている。政府の環境庁は国民を虐めるためにわざとに自然の美しいところに廃棄物処理場を設けて環境を破壊している。政府のその他の省庁も同様である。政府は年がら年中ありとあらゆる方法でいろんなことをやって国民を虐めている。政府はヨーロッパ文化の政治団体だから、政府は嘘つきである。政府は民主主義をやって自分が国民みんなに従っているふりをしているが、本当は従っていない。間接民主制では政府が国民みんなに従っているふりをして、本当は政府が自分の独断で法律を決めたり政策を決めたりすることができる。政府は間接民主制をやることによって自分が国民を虐めることを生業[なりわい]にする権力団体をやることができるようにしているのである。例えば、政府はそのようにして「国民全員が政府に税金を払わねばならない」法律を定めているのである。しかし、本当は『国民と政府は平等だから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由なのである。』
ヨーロッパ文化では国家宗教をやるから、政府は国家宗教で国民を虐める。政府は国家宗教の神に関する情報を使って国民からお金を強盗したり国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を嫌がらせる。
政府は国を平和にする団体である。政府は国を平和にする手段として国民を虐めているだけである。政府は本当は善い団体である。だから、政府は国民から奪った税金の一部を使って付属会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社など)を経営したり善い政策をやったりする。
人間は毎日悪いことをしていると心が腐[くさ]って性格が悪くなる。政府が国民を虐めるのは本来は国を平和にするためにやっている仕事だが、政府が毎日国民を虐めているために、政府の性格が悪くなっている。政府に入る前は善い人でも、政府に入って毎日国民を虐めていると悪い人になる。そのために、今の政府は不良化して正しいことに従わなくなって日本文化をやらずヨーロッパ文化をやり続けている。
『人間はみな平等である。』世界中で『人間はみな平等である。』『人間がみな平等である』ことは法律の原理である。(もっとも、インドでは身分制があって人間が不平等だが、身分制はインド人が頭がよすぎて政府に虐められても政府を怖がらずおとなしくしないためにやむをえず定めた制度である。政府が国民を虐めていることはどこの国でも同じである。インドもその他の国も同じである。つまり、インドでは国民みんなが国を平和にするために身分制を設けて上の者である政府に従っている。上の者は国民が平和に暮らすためにあるのだから、上の者は国民のために国民を虐めて国を平和にして国民の役に立つことをやっているのだから、本質的には国民と上の者は平等である。上の者は建前で国民よりも上であるだけで本音[ほんね]では国民と平等である。上の者は国民が国を平和にするための道具である。つまり、インドでも本当は『人間はみな平等である。』だから、インドでも国の文明が高くなって物が豊かになって国民みんなが法律を守って国を平和にできるようになれば、国民みんなが上の者が要らなくなって、身分制が要らなくなって、国民みんなが上の者や身分制をやめて、法律を守って暮らすようになるのである。インドと他の国との違いは政府が民主主義の芝居をやっていないかやっているかの違いにすぎない。政府が国民の眼の前で国民を虐めるか、国民の眼につかないところで国民を虐めるかの違いにすぎない。インド人は嘘をつかないから政府がわざわざ国民の役に立つことをする芝居なんかせず国民の眼の前で堂々と国民を虐めている。ほかの国では政府が国民みんなの役に立つことをする芝居をしながら陰[かげ]で国民を虐めている。インド文化では嘘をつかないから、インドでは政治団体が開けっぴろげに国民の眼の前で堂々と国民を虐めている。その他の国では政治団体がヨーロッパ文化をやっていて、ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政治団体が嘘をついて国民の前で善い団体のふりをしながら裏で国民を虐めている。つまり、インドでは政府が明るく陽気な虐めをやっているが、その他の国では政府が暗くて陰気な虐めをやっている。陰湿な虐めをやっている。)政府と国民は平等である。政府と国民は平等だから、国民は政府と自由に契約できる。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民が法律を守って国を平和にすることができなかったから、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらっていた。
しかし、今は文明が高くなって、国民が法律を守って国を平和にすることができるから、国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらわなくなった。国民は政府を潰[つぶ]して政府の付属会社を民営化させている。国民は政府の法律を守らなくなって政府の政策をやらなくなって政府の命令を聞かなくなった。政府は民主主義の団体のふりをして国民を虐めて国を平和にする団体である。しかし、今では国民は法律を守って国を平和にできるようになっている。今の政府は国民にとっていいところがない。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。
今の国民は法律を勉強して法律を守って国を平和にできるようになっている。今の国民は政府や宗教団体や暴力団などの権力団体が要らない。そのため、今の国民は政府や宗教団体や暴力団などの権力団体と契約しなくなって権力団体にお金をやらなくなって権力団体の命令を聞かなくなって権力団体を潰[つぶ]している。それと同じように、会社は小さい国である。会社の社長は権力者である。会社の社長は小さい権力団体である。会社の社長も会社を平和にするために社員を虐めている。会社の社長は会社の儲[もう]けを独り占めしてお金を湯水のように使って遊びまわって、社員にはスズメの涙ほどの給料しか与えず社員を虐めている。会社の社長は社員に命令して社員が嫌がることをやらせたり社員に暴力をふったりして社員を虐めている。会社の社長は日本政府がヨーロッパ文化をやって嘘をついて民主主義の芝居をやっているのを真似[まね]て社員の前で善い人のふりをして裏では社員を虐めている。社長はいい格好[かっこう]をして社員を虐めていればいいだけだから、社長は仕事の才能がなくていい(むしろ仕事の才能がないほうがいい)から、社長の後取りはたいてい社長のバカ息子である。しかし、今では社員みんなが社則を守って会社を平和にするようになって、社長が要らなくなって、会社から社長をなくして、社員みんなが会社の中で平和に幸福に暮らせるようにしている。社員みんなで社長の替わりに“治安係”(法律会社みたいな者)を設けて会社を平和にしている。
今はまだ国民にとって完全に善い世の中ではない。今の世の中には権力団体があって国民を虐めて国民を不幸にしている。国民は自分の努力でよりよい社会にしないといけない。国民は法律を守って、権力団体と契約しないようにして権力団体にお金をやらないようにして権力団体を潰さねばならない。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。国民が政府に税金を払うと政府に国民みんなを虐めさせて国民みんなを不幸にさせることになる。国民がヤクザにお金を払って他人の嫌がらせをしてもらうのと同じことである。政府もヤクザも虐めのプロである。だから、国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰さねばならない。国民みんなで早く政府をなくして国民を虐めて不幸にする者をなくして幸福に暮らさねばならない。
[22337] 政府の付属の法律会社は半官半民である。☆ h27.12.8
政府は権力団体である。政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は国民を虐めるために国民に命令して税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりする。ヤクザが「町内を平和にするため」と言って町内をブラブラ歩き回ってみんなからお金を取ったりみんなに嫌がらせをしたりみんなに暴力をふったりしているように、政府も国を平和にするために国民みんなからお金を取ったり国民みんなの嫌がらせをしたり国民みんなに暴力をふったりしているのである。(しかし、最近の国民はテレビやゲームやマンガを見すぎて心が陰気臭くなって心が穢[けが]れて汚い想像しかできなくなっているから、ヤクザが「町内を平和にするため」と言っているのをただの嘘[うそ]だと思っている。ヤクザの言い訳[いいわけ]だと思っている。ヤクザが悪いことをするだけだと思っている。そのために、今の国民は政府や宗教団体や暴力団(ヤクザ)や社長などのことがわからなくなっているのである。本当は、ヤクザは正直であって、ヤクザが「町内を平和にするため」と言っているのは本当のことなのである。ヤクザは町内のみんなを虐めてみんなを怖がらせておとなしくさせて町内を平和にしているのである。国民はヤクザの言っていることをそのまま受け入れればいいのである。国民が汚い想像をして勘[かん]ぐるからいけないのである。)
一方、今の国民は自分で法律を守って国を平和にしている。今はまだ法律会社が建っていないから、国民は自分で法律を決めて法律を守って国を平和にしている。
政府の付属の法律会社は半官半民である。つまり、政府の付属の法律会社は半分権力団体で半分法律会社である。政府の付属の法律会社は政府が国民を虐めることを認めているし、国民が法律を守ることも認めている。そのため、政府の付属の法律会社は政府の虐めを認めて国民から税金を取っている。国民は法律会社を経営するために政府の付属の法律会社に税金を払っている。
国民が政府の付属の法律会社に税金を払うと“権力制と法律制の両方が混じった社会”になる。国民が法律を守りながら、政府が国民を虐める社会になる。
そもそも『人間はみな平等である。』国民と法律会社は平等である。国民と政府も平等である。だから、政府の付属の法律会社が半官半民だとしても、政府の付属の法律会社も国民と平等である。だから、国民が政府の付属の法律会社と契約して政府の付属の法律会社に税金を払って“権力(つまり虐め)と法律の両方の仕事”をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
国民が政府の付属の法律会社に税金を払うと、政府の付属の法律会社に“権力と法律の両方ある社会”にさせることになる。国民は法律を守りながら政府に虐められて不幸に暮らすことになる。国民はそんな社会は嫌である。
だから、国民は政府の付属の法律会社と契約せず政府の付属の法律会社に税金を払わなければいい。政府もろとも政府の付属の法律会社を倒せばいい。政府と政府の付属の法律会社が倒れた後で、国民で“国民に法律を守らせることだけをやる純粋な法律会社”を建てて、純粋な法律会社と契約して純粋な法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらえばいい。
同じように、政府の付属の経済会社も政府の付属の学校会社も半官半民である。政府の付属の経済会社も政府の付属の学校会社も国民を虐めながら国民の役に立つことをやっている。一般に、政府の付属会社は半官半民だからすべて国民を虐めながら国民の役に立つことをやっている。国民は政府の付属会社に不幸にされながら幸福にされて悲しんだらいいか喜んだらいいかわからない複雑な気持ちになっている。国民はそんな会社は嫌である。だから、国民でそんな会社を全部潰[つぶ]して、国民で新しく“国民の役に立つことだけをする純粋な会社”を建てて、それらの会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。
国民は今の社会のままで立ち止まっていてはいけない。今の社会のままではマンネリになって国民が退屈になって嫌になる。だから、国民は自分が刺激的に面白く楽しく暮らすために社会をさらに進めなければならない。社会を変えねばならない。国民は社会から権力団体をなくして社会を変えて新しい社会生活を体験して気分を変えて面白く暮らさねばならない。
社会は変わるものである。いつの時代にも社会は変わっている。社会はゆっくりと時には急激に変わっている。だから、今でも社会は変わっている。国民が自分がもっと幸福になるために自分の力で社会を変えて、権力団体のある社会から権力団体のない社会に変わっているのである。中世までは権力制の社会だった。近代は権力制の社会と法律制の社会が混じっていた。現代は法律制の社会である。今の社会にはまだ近代が残っている。国民みんなで早く近代をなくして現代にしないといけない。昔は国民みんなが国を平和にするために権力団体を設けて権力団体に国民みんなを虐めさせて国民みんなを不幸にさせて国民みんなをおとなしくさせねばならなかった。そのため、今の社会にはまだ権力団体が国民みんなを虐めることがたくさん残っている。今の社会にはまだ昔の社会の「権力団体に国民みんなを虐めさせて国を平和にする原理」が残っている。そもそも権力団体に国民みんなを虐めさせることは昔の国民みんなが始めたことである。国民みんなで始めた制度は国民みんなでやめればいい。国民と権力団体は平等である。国民と国民を虐める者は平等である。国民が権力団体にお金をやって権力団体に国民を虐めさせるかどうかは国民個人の自由である。国民みんなで早く権力団体にお金をやるのをやめて権力団体に国民みんなを虐めさせることをやめて国民みんなが幸福に暮らせる明るく楽しい社会にしないといけない。(「権力団体が国民を虐めて集団を平和にする原理」は国だけではなく、会社や町内や村などいたるところにある。だから、具体的な団体ではなく、原理そのものが国民の敵だと言える。特定の団体ではなく、原理そのものを国中からなくさねばならない。)
国民と政府は平等である。国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が政府が悪いことをやっていると思ったら契約しなければよく、善いことをやっていると思ったら契約すればいい。昔の国民は「政府が国民を虐めて国を平和にしてくれている」と思っていたから「政府が善い団体だ」と思って政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をやってもらっていた。今の国民は「政府が国民を虐めて国民を不幸にするだけだ」と思っているから「政府が悪い団体だ」と思って政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に仕事をしてもらわなければいい。今では国民が自分で法律を守って国を平和にしているから、今の国民の目には「政府が国民を虐めることしか能がないただの役立たずだ」と見えるのである。今の国民みんなでさっさと政府を倒して国から虐めをなくせばいい。
私が『政府が国民を虐めて国を平和にする団体であり、国民と政府は平等だから、今の国民は自分で法律を守って国を平和にしていて政府が要らないから、今の国民は政府と契約せず政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなければいい。国民は政府の嫌がらせの命令を聞かなければいい。』ことを知ったのは今から約3週間前ぐらいである。しかし、それ以前にもこのことを知っている国民はたくさんいる。それらの国民はずっと前から政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。政府の命令を聞くのをやめている。そのため、近代の政府に比べたら、今の政府は儲からなくなって国民に命令ができなくなっている。今では一部の国民が政府に税金を払って政府の嫌がらせの命令をありがたく聞いているだけである。社会科が得意か不得意は人それぞれである。だから、正しいこと(つまりこの段落の最初の『…』)がわかるのに個人差があるのは当然である。遅かれ早かれとにかく正しいことがわかればいい。死ぬまでにわかればいい。正しいことがわかった者から正しいことを実行すればいい。頭がいい人は社会科が苦手だから、正しいことを知っている人は周[まわ]りの人に正しいことを教えてやればいい。そうやって国民一人一人の力で社会を善くしなければならない。
[22338] 昔はみんなが政府にみんなを虐[いじ]めさせて国を平和にしていた。
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大昔の国は“万人の万人に対する闘争”でみんなが四六時中殺し合いばっかりやっていたのでみんなが平和に暮らせなかった。
そこで、みんなで話し合って、みんなで政府を設けて政府にお金をやってみんなを虐めさせてみんなを怖がらせてみんなをおとなしくさせて国を平和にすることにした。
政府はみんなからお金をもらって一生懸命みんなを虐めてみんなを怖がらせてみんなをおとなしくさせたので国が平和になった。みんなは国が平和になったことに喜んでますます政府にお金をやってみんなを虐めてもらった。
しかし、みんなが集団生活をするようになると、みんなで“人間が社会の中で幸福に暮らせる決まり”を考えてみんなに決まりを教えてみんなで決まり守って平和に暮らすようになっていった。法律がだんだん出来ていった。
今ではみんなで話し合って、みんなで法律を守って平和に暮らすことにしている。みんなが政府が要らなくなったので、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒すことにしている。将来、みんなで法律会社を設けて法律会社にお金をやってみんなに法律を守らせて国を平和にすることにしている。
昔は法律がなかったので、みんなが政府にみんなを虐めさせて国を平和にしなければならなかった。今は法律があるので、みんなが法律を守って国を平和にすることができる。みんなは政府にみんなを虐めさせるのをやめて、法律を勉強して法律を守らねばならない。
[22339] 文学者は意地悪[いじわる]である。☆ h27.12.9
『泣いた赤鬼』のおとぎ話では赤鬼(政府)が青鬼(幕府)にみんなを虐[いじ]めてもらって青鬼を倒してみんなと仲良くすることになっている。
しかし、本当は赤鬼も青鬼もみんなを虐める。赤鬼は青鬼を倒した後、自分も青鬼と同じように毎日みんなを虐めている。つまり、政府も幕府も同じ権力団体だから、政府も幕府も国民を虐めて国を平和にする団体だから、政府も幕府も同じように国民を虐めて国民を不幸にする。本当は政府も幕府も同じ団体である。幕府が“国民みんなの役に立つことをする芝居”をやるようになったのが政府である。青鬼が赤鬼になったから青鬼はみんなの前に姿を見せなくなったのである。青鬼は本当は赤鬼の皮をかぶって今でもみんなの前にいるのである。
文学者は意地糞悪馬鹿[いじくそわるばか]である。文学者は昔のマンガ家である。文学者はマンガが出来る前のマンガ家である。文学者はみんなの頭にまちがいを植え付けてみんなにまちがったことをやらせてみんなを不幸にする。私も昔はマンガやアニメをよく見ていたのでまちがいを植え付けられて正しいことがわからなくなっていた。私は最近はマンガやアニメを見ないようにしているのでだんだん正しいことがわかるようになっている。
人間は正しいことを知り正しいことをやって幸福にならねばならない。人間は頭の中の想像だけでは幸福にはなれない。人間は実在の中で自分が幸福になることをやらないかぎり本当に幸福にはなれない。
今の国民は文学やマンガを読むのをやめて現実を知るようにしている。今の国民は『政府が国民みんなを虐めている』ことを知って政府を倒している。今の国民は文学やマンガで幸福になれない代わりに現実で幸福になっている。人間は頭で物を見るから、日本人は頭がいいから、眼で見る現実ではなく頭で見る現実で幸福にならねばならない。眼で見ることも作り話と同じである。眼で見る世界も心で思う世界と同じく現実ではない。こういうのを『色即是空』と言うのである。頭で考えたことで眼で見ることを見ると実在が理解できる。頭で考えたことで心で思うことを見ると心が理解できる。そうやって人間は実在や心を知って実在に心を従わせて心に実在を従わせて実在の中で心を満足して幸福に生きねばならない。
正しいことがわかるのは頭で考える人である。頭で考える人は内向的な人である。頭で考えたことがわかるためには自分の中に目を向けねばならないから内向的なのである。内向的な人は人前でしゃべらない。だから、正しいことを教える人がいないのである。反対に、外交的な人は他人の顔色を窺[うかが]うだけである。外交的な人は現実を見ない。外交的な人は他人が喜ぶことをするが正しいことをしない。外交的な人は他人の前でベラベラしゃべる。だから、まちがったことを教える人ばかりなのである。内向的な人は現実がわかるが、外交的な人は心で思うことや眼で見ることしかわからない。内向的な人は正しいことがわかるが人前でしゃべらない。外交的な人は人前でしゃべるが正しいことがわからない。これを直すためには、内向的な人と外交的な人が組むしかない。だから、内向的な人が正しいことを考えて、外交的な人が内向的な人から正しいことを教えてもらってみんなの前で正しいことをしゃべればいい。そうすれば、みんなが正しいことを知って正しいことをするようになってみんなが幸せになるだろう。
[22340] 政府が付属会社を経営しているのは付属会社を使って国民を虐[いじ]めるためである。
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政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府の本体は法律会社の中にある行政機関である。だから、政府の行政機関は国民を虐めることばかりやっている。政府の行政機関は国民を虐めるための政策を定めて国民を嫌がらせる命令を国民に出している。もっとも、今の政府はヨーロッパ文化をやっていて、ヨーロッパ文化は嘘[うそ]つきだから、政府は表では国民の役に立つことをしているふりをしている。テレビの記者会見のとき政府がもっともらしいことを言うのはそのためである。
政府は法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などのいくつかの付属会社を経営している。政府が付属会社を経営しているのは国民から強盗した税金を国民から取りすぎた税金を国民に還元するためであるが、政府が付属会社を使って国民を虐めるためでもある。政府は法律会社を使って国民を虐める法律(天皇を置くとか税金を取るとか)を定めたり、学校会社を使って国民を勉強嫌いにする現実嫌いにする教育をやったり、水道会社を使って上水道に毒物を混ぜて国民に飲まして国民を病気に罹[かか]らせたり上水道と下水道をつなげて国民に下水を飲ませたり、ゴミ会社を使って住宅地の真ん中にゴミの山を築いてゴミ臭で付近の住民を苦しませたり自然の美しいところにゴミの埋立地を設けて美しい景色を台無しにしたり、戸籍会社(役所のこと)を使ってわざとに職員をノロノロ働かせて国民を長く待たせて国民の休日を台無しにしたり国民をイライラさせたりする。昔、鉄道会社が政府の付属会社だったころは、政府は鉄道会社を使ってわざとに鉄道事故を起こさせて職員や乗員を殺したりした。郵便会社が政府の付属会社だったころは、政府は郵便会社を使って爆弾入りの小包や毒物(細菌兵器)入りの封筒を国民に配達して国民を殺したりしていた。(『ドラゴンボールZ』のセル編でセルが人造人間を吸収するのは、政府が付属会社を経営して付属会社を使って国民みんなを虐めることの喩[たと]えである。セルが政府で、人造人間が付属会社のことである。)
昔は国民が法律を守って国を平和にする習慣がなかったから、国民は政府に国民を虐めてもらって国を平和にしていた。国民は政府に国民を虐めてもらうために政府の嫌がらせの命令を聞いていた。国民は「国を平和にするためだ」「お国のためだ」「国民みんなのためだ」と思ってたとえ政府の嫌がらせだとわかっていても政府の命令を聞いていた。だから、政府に権力(命令力)があった。国民は政府に虐めてもらって国を平和にするために政府に高い税金を払っていた。(国民みんなが“国を平和にするために”政府に権力があっただけである。理屈がわかってみれば地味な権力である。)
しかし、今は国民が法律を守って国を平和にする習慣が出来ている。だから、国民は政府に国民を虐めてもらって国を平和にする必要がなくなっている。そのため、国民は政府に国民を虐めてもらわなくなって政府の嫌がらせの命令を聞かなくなっている。国民は「政府の命令を聞くと国民が不幸になる」と思ってたとえ政府がたまに国民を喜ばせることがあっても政府の命令を聞かなくなっている。国民は政府に虐めてもらって国を平和にしなくなって政府に税金を払わなくなっている。
政府は国民を虐めて国民を不幸にして国民の気持ちを落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。これまで政府は国を平和にするためにさんざん国民みんなを虐めて不幸にしていた。今では国民が法律を守って国を平和にするようになっている。国民は政府が要らなくなって、政府を潰[つぶ]している。政府の付属会社を独立民営化させて政府に国民を虐めさせなくなっている。
[22341] 今の国民にとっては政府が要らなくなっている。 h27.12.10
戦前の日本では国民みんなが「政府が善い団体だ」と言っていた。誰も政府の悪口を言う者がいなかった。
戦後の日本では国民みんなが「政府が悪い団体だ」と言うようになった。政府のことを褒[ほ]める者がいなくなった。
政府がやっていることは戦前も戦後も同じなのに、国民の政府に対する評価が戦前と戦後では違う。
それは、戦前は国民が政府に国民を虐[いじ]めてもらって国を平和にしてもらっていたのに、戦後は国民が自分で法律を守って国を平和にするようになったからである。今の政府には国を平和にする働きがなくなったので、今の政府は役立たずなので、今の国民は政府を悪く言うようになったのである。今の国民は政府が要らなくなったので、政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。
今では毎日テレビや新聞で事件や事故が報道されて、犯罪者が国民みんなに顔を晒[さら]している。重大な犯罪を犯した者が晒し首になっている。犯罪者がいるということは法律があるということである。今では国民みんなが「国に法律がある」と思っている。今では国民みんなが多かれ少なかれ法律を勉強して法律を守っている。今では国民みんなが法律を守って国を平和にしている。
国民は法律があれば政府は要らない。権力団体は要らない。今の国民にとって政府は無駄[むだ]である。そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民の自由である。政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では嘘[うそ]をつくから、政府は国民みんなに嘘をついて「国民みんなは政府に従わねばならない」と言っているのである。今の政府は嘘をついて一生懸命に自分が国民の役に立つことをしている芝居をしている。しかし、本当は政府は国民を虐めているだけである。間接民主制では国民が議員を選ぶことができるだけで政府が国民みんなに従わなくていいから、政府は自分の独断で国民を虐める計画を建てて国民を虐めているのである。だから、国民みんなは政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめてもらえばいいのである。国民は政府の命令を聞くのをやめて政府に虐められないようにすればいいのである。国民みんなで政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。
[22342] この世に多数決なんかない。 h27.12.10
法律は多数決では決まらない。この世に多数決で決めることなんかない。政府が「法律は多数決で決める」と言っているのは嘘[うそ]である。政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政府は嘘をついて「法律は多数決で決める」と言っているのである。
本当は、『法律は人間の平等性と国民性の二つで決まるだけである。』『人間がみな平等である』のは法律の原理である。その上に国民性によって国民にどれだけ人権が保障されるかが決まる。例えば、ヨーロッパでは悪いことをやってもいいから国民にあまり人権が保障されないし、反対に日本では悪いことをやってはいけないから国民にいろんな人権が保障される。ヨーロッパではみんなが自由に他人を殴[なぐ]ってもよく自分が他人に殴られたら『人間を平等にする』ために自分が他人を殴り返せばいいが、日本では最初からみんなが他人を殴ってはいけないのである。例えば、中東の国ではみんなが自由に人殺しをしてもいいから、みんなが好き放題に爆弾を投げて人を殺しているのである。そのかわり酒を飲んではいけないのである。例えば、日本人は考えることを大事にするから、日本では著作権が保障されている。著作とは書くことであり、書くことは考えることだから、日本では個人の著作権が守られているのである。反対に、カンボジアやミャンマーやベトナムなどの国では考えることを粗末にするから著作権がない。人間の心は違うから、国によって“国民みんなの心”も違うから、国によって法律が違うのである。国民が法律を犯せば犯罪者になる。犯罪者は悪いことをしたい者ではなく、自分の心がわかっていない者である。“国民みんなの心”がわかっていない者である。だから、刑務所の中で反省して自分の心を理解すればもとの社会に戻れるのである。
一般に、人間は正しいことと自分の心の二つに従えばいい。
政府は自分が国民の役に立つことをする芝居をしている、国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。これが政府についての真実である。ところが、今の国民は自分で法律を守って国を平和にしている。平和に暮らしている。これが国民についての真実である。そもそも『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等であるから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。今の国民は自分で法律を守って暮らせるようになっているから、今の国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府に虐められて不幸にされるのが嫌である。これが今の国民みんなの心である。したがって、今の国民みんなは政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなければいい。今の国民みんなは政府に虐められないようにして政府の法律を守ったり政府の政策をやったり政府の命令を聞いたりしなければいい。
この世に多数決なんかない。政府は自分が国民の役に立つことをしているふりをして国民を虐めることができるようにするために、ありもしない“多数決の原理”をでっち上げて間接民主制をやっているのである。政府は国民に投票で議員を選ばせるだけで、あとは自分の好き放題にして国民を虐めまくっているのである。つまり、“多数決の原理”は政府が民主主義の芝居をやるために考え出した嘘の原理である。本当は、“国民みんなの共通の心”があるから、つまり国民性があるから、“国民共通の心”によって法律や習慣や言語などが決まるのである。多数決によって国民個人の自由を侵害してまで無理やり法律を決めることはない。(h27.12.13追記:国民が場合によって多数決で物事を決めることはあるが、“多数決の原理”はない。“多数決の原理”が本当にあったら、国民は必ず自分が大勢がやることと同じことをしなければならないから国民個人の自由はまったくないことになる。しかし、実際にはそんなことはない。だから、“多数決の原理”はないのである。一生懸命大勢に合わせて生きている者は馬鹿である。自分が不幸になるだけである。自分が欠点の塊[かたまり]になって人間のクズになるだけである。そもそも多数決の原理も間接民主制も、政府が民主主義の芝居をやるためにテキトウに決めたことだから、理屈に合わないのは当然である。芝居はフィクションだから架空のことだから、多数決の原理や間接民主制が実在の世界に合っていなくてもいいのである。芝居は観客(国民)が見て面白ければいいだけだから、理屈に合っていなくてもどうでもいいのである。ドラマやマンガが現実の世界と合っていなくてもいいのと同じことである。国民は政府の芝居を見て「政府が一生懸命に国民の役に立つことをやってくれているんだなあ」と思って幸せになればいいだけである。政府が本当に現実の世界の中で国民の役に立つことをしなくてもいいのである。政府は口先でやっているかやっていないかわからないことを言って国民を喜ばせばいいだけである。)国によって国民みんなの共通の心が違うから、国によって法律が違うのである。そもそも政府は権力団体だから、つまり国民を虐めて国を平和にする団体だから、政府は国を平和にするために国民を虐めなければならない。政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では嘘をつかねばならないから、政府はわざわざ民主主義の芝居をやって間接民主制をやって国民の眼を欺[あざむ]きながら国民を虐めているのである。政府は自分がヨーロッパ文化をやっているためにいちいち面倒臭いのに民主主義の芝居をしなければならなくなっているのである。政府は民主主義の芝居をやるために余計なお金がかかって自分の給料が減っているのである。しかし、本当は今では文化人類学によって『日本は日本文化をやらねばならない』ことがわかっているから、『日本が日本文化をやらねばならない』ことは真理だから、政府も真理に従って日本文化をやらねばならないはずである。『日本文化では嘘をついてはいけない』から、政府は幕府のように民主主義の芝居をやめて正直に国民みんなが見ている前で堂々と国民を虐めねばならないはずである。政府はテレビや新聞で国民みんなに“国民を虐める計画”を公表して計画通りに国民を虐めなければならないはずである。ところが、今の政府は自分勝手にヨーロッパ文化をやって表で民主主義の芝居をやりながら裏で密[ひそ]かにジメジメと国民を虐めている。今の政府はまちがったことをやっている。政府は善い団体ではない。国民は政府を倒さねばならない。あるいは、日本文化でも“冗談”はあるから、今の日本政府は日本文化をやって“冗談”で民主主義の芝居をやっているのかもしれない。戦後になって政府の民主主義の芝居は嘘から冗談に変わったのである。もっとも、政府が嘘をつこうがつくまいが政府が冗談を言おうが言うまいが政府が民主主義の芝居をしようがすまいが、政府は国を平和にするために国民を虐める団体である。国民にとっては政府が国民を虐めていることがミエミエである。女・子供にはわからないかもしれないが、男にはわかっている。国民みんなは政府の民主主義の芝居を見飽きてウンザリしている。政府自身にとっても民主主義の芝居はどうでもいいことである。今の政府は近代の政府がヨーロッパ文化をやっていたために今でもしかたなく民主主義の芝居をやり続けているだけである。政府にとっては民主主義の芝居をやるのが面倒臭いだけである。そもそもヨーロッパ政府にとっても自分が母国のヨーロッパ文化をやるために民主主義の芝居をやっているだけである。ヨーロッパ政府は「自分が民主主義の芝居をやっても何にもならない」と思いながら「馬鹿馬鹿しい」と思いながらいやいやしかたなく民主主義の芝居をやっているのである。ヨーロッパ人は嘘が好きだから、ヨーロッパ政府は国民みんなを喜ばせるためにしかたがなく民主主義の芝居をやっているのである。反対に、日本人はあまり冗談が好きではないから、日本政府は民主主義の芝居をやらんでもいい。ヨーロッパ文化には男らしさがない。ヨーロッパ文化は日本人好みではない。日本政府はつまらない民主主義の芝居をやめて正々堂々と国民みんなの眼の前で国民を虐めるべきである。とにかく、今では国民が国を平和にするために政府に国民を虐めてもらわなくていいから、国民は政府と契約せず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
人間は正しいことと自分の心の二つに従えばいい。だから、今の国民は政府と契約しなければいい。今の日本の法律は『国民みんなが政府を倒す』ことである。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなが政府に虐められて不幸にされないようにして、法律を守って幸福に暮らさねばならない。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金を払って仕事をやってもらわねばならない。法律会社は国民に法律を守らせて国を平和にするのであって、政治団体みたいに国民を虐めて国を平和にしない。政府はヨーロッパ文化をやっていたから嘘をつかねばならなかったが、法律会社は日本文化をやらねばならないから嘘をついてはいけない。政府はヨーロッパ文化をやっていたから民主主義の芝居をしなければならなかったが、法律会社は日本文化をやらねばならないから民主主義の芝居をやってはいけない。『法律は人間の平等性と国民性の二つで決まる』から、法律会社は間接民主制や直接民主制をやらずに自分で考えて『人間の平等性と国民性を満足する法律』を決めればいい。国民と法律会社は平等だから、国民が法律会社と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が法律会社の法律が正しいと思えば契約し、法律会社の法律がまちがっていると思えば契約しない。だから、法律会社はがんばって正しい法律を定めて国民みんなと契約を取って儲[もう]けねばならない。
[22343] 今の日本政府は日本文化で国民を虐[いじ]めている。 h27.12.10
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国民を虐めるためにいろんな命令を出す。
政府の付属会社は国民の役に立つことをしながら国民に嫌がらせをする。政府の法律会社は国民を虐めるために余計な法律を定めるし、政府の学校会社は国民を虐めるために国民のためにならない教育をするし、政府の水道会社は国民を虐めるために上水道に毒を混ぜたり下水道を破裂させて下水で町を水浸[びた]しにするし、政府のゴミ会社は国民を虐めるために国民にゴミの臭いを嗅[かが]せたりゴミで景色を台無しにするし、政府の戸籍会社は国民を虐めるためにやたらと長く国民を待たせる。政府は自分が付属会社にお金を出していることをいいことにして付属会社に命令して虐めをやらせるのである。
要するに、政府は国民を虐める会社である。政府は国を平和にするために一生懸命に国民を虐めるのである。
今の政府は日本文化で国民を虐めている。政府は民主主義の芝居を“冗談”として、国家宗教を“駄洒落”[だじゃれ]として日本文化に則[のっと]って虐めをやっている。日本文化には“冗談”や“駄洒落”があるから、政府は日本文化で国民を虐めている。(天皇を神とする国家宗教は“光るトンビ”や“天”をいろんな物に言い換えてやっている。私を神とする国家宗教は私の名前の“川野延夫”[かわののぶお]特に“川ブ”をいろんな物に言い換えてやっている。だから、そもそも日本の国家宗教は駄洒落なのである。昔から日本の国家宗教は日本文化に則ってやっていたのである。だから、日本人みんなに政府の国家宗教が大ヒットして、政府が日本人全員と契約する大きな権力団体になったのである。)今の政府はただの駄洒落として私の情報を使って国民を虐めているにすぎない。今の政府が私を国家宗教の神として扱わないのは、政府が日本文化をやってヨーロッパ文化をやっていないためである。戦後の日本では日本文化をやらねばならないから、日本文化では宗教をやらないから、戦後の政府は国家宗教をやらなくなっているのである。そのために、政府は私を国家宗教の神として扱っていないのである。私は国家宗教の神ではない。私はただの“日本政府が国民を虐めるための命令を作るときの情報のもとになる人”にすぎないのである。私と同じように、天皇も今ではもはや国家宗教の神ではなく、“政府が国民を虐めるための命令を作るときの情報のもとになる人”にすぎないのである。今の天皇は国家宗教の神ではなく、ただの“天皇という役職に就いている人”にすぎないのである。(私や天皇が神であるかないかは文化によって決まる。今の日本では日本文化をやっているから、日本文化には宗教がないから、今の日本では私や天皇は神ではない。ただし、宗教をやる文化のある外国では、今でも私や天皇は神なのかもしれない。そもそも神は人間の五感界だけにいて知覚界や心界[こころかい]にはいない。ヨーロッパ人は五感が発達していて、他の人種は知覚や心が発達している。だから、神はヨーロッパだけにいて、他の国にはいないのである。要するに、神は眼の錯覚のようなものである。人間が眼で見る世界に長く住んでいると神がいるように思えるのである。日本人は昔から知覚界に住んでいたから神がいないのである。五感界の中に居る人間は見られる存在であって見る存在ではない。だから、五感界の中に居る人間はいつも“誰か”に見られている気がする。その“誰か”を神と呼んでいるのかもしれない。反対に、知覚界の中に居る人間は見る存在であって見られる存在ではない。だから、知覚界の中にいる人間はもはや誰にも見られていない。だから、神がいないのである。同じように、心界の中に居る人間も見る存在であって見られる存在ではない。だから、心界の中に居る人間も自分を見る者がなく神がいないのである。)
芝居はどうでもいい。冗談はどうでもいい。駄洒落もどうでもいい。とにかく政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。文化がどんなに変わっても、政治団体はいつでも国民を虐めて国を平和にする団体なのである。
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府は平等である。国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。つまり、国民が政府に税金をやって政府に国民みんなを虐めてもらうか、国民が政府に税金をやらず政府に国民みんなを虐めてもらわないかは国民個人の自由である。今の国民は法律を守って国を平和にすることができるから、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にする仕事をしてもらわなくていい。国民は政府の虐めの命令を聞かなくていい。今の政府は「国民全員が政府に従わねばならない」という冗談を言っている。今の政府は「国民全員が政府に税金を払わねばならない」という冗談を言っている。国民は政府の冗談を本気にしてはいけない。(嘘と冗談は違う。嘘は他人を騙[だま]すためにあるが、冗談は他人を騙すためにはない。冗談は他人を笑わせるためにある。冗談に騙されている者が悪い。政府の民主主義の芝居の冗談に騙されている国民が悪い。今の国民の多くが政府の冗談を本気にしているので、政府がイヤミで“本気”[マジ]と言っていたのである。)
今では国民みんなは法律を守って平和に暮らしている。国を平和にしている。そのため、今では国民の多くが政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらわなくなっている。今では国民の多くが政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れてだんだん小さくなっている。今では国民の多くが政府と契約しなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなって政府の命令を聞かなくなって、政府の権力(命令力)がだんだん弱くなっている。そのために、今の政府は近代の政府に比べて団体が小さくなって権力が弱くなっているのである。
国民みんなで早く政府を倒して、法律会社を建てて、法律会社に国民みんなに法律を守らせてもらって国を平和にしないといけない。国民みんなの力で国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
[22344] 政府は国民みんなと契約を取るために国民みんなを虐[いじ]めている。
h27.12.10
『人間はみな平等である。』だから、国民と普通の会社は平等である。国民と権力団体や法律会社も平等である。国民が普通の会社や権力団体や法律会社と契約するかしないかは国民個人の自由である。
普通の会社は国民一人一人と契約をする。普通の会社の仕事の対象は個人である。例えば、水道会社やガス会社は国民一人一人と契約してお金をもらって水やガスを売る。
ところが、権力団体や法律会社は最初から“国民全員”がサービスの対象である。権力団体や法律会社の仕事の対象は最初から“国民全員”である。しかし、それでも国民が権力団体や法律会社と契約するかしないかは国民個人の自由である。(国民と法律会社は平等だから、国民が法律会社と契約するかしないかは国民個人の自由である。だから、法律会社は国民に法律会社と契約を取るように命令することはできないのである。法律会社は国民に強制的に法律会社と契約を取らせることはできないのである。ただし、国民が法律を犯すと法律会社はその国民を本人の承認を得ずに強制的に罰することができる。権力団体や権力団体に付属の法律会社についても同様である。)
だから、国民は自分が権力団体や法律会社と契約しなくても他人のお金で自分もサービスを受けられる。さすがに自分が犯罪にあったときに権力団体や法律会社の世話になるのはずうずうしいが、自分が犯罪にあわないときには他人のお金で自分が平和に暮らせるので自分が得をしたことになる。
しかし、それでも国民は権力団体や法律会社と契約する。それはたとえ1億分の1(つまり国の人口分の1)でもちょっとだけでも自分が平和に暮らせるのなら自分がお金を出す価値があるからである。それに、もしも自分が犯罪にあったときに権力団体や法律会社に気兼[きが]ねなく世話になれるからでもある。
権力団体や法律会社は少しでも多くの国民と契約するためにまじめに仕事をしないといけない。
権力団体は国民みんなを虐めて国を平和にする団体である。権力団体の仕事は国民みんなを虐めることである。だから、権力団体がまじめに仕事をするとは権力団体が真剣に一生懸命に国民みんなを虐めることである。そのために、今の日本政府は年がら年中24時間国民みんなを虐めまくって国民みんなを不幸にしているのである。政府が一生懸命働くとは、政府が一生懸命国民みんなを虐めることである。政府が一生懸命働くほど多くの国民と契約が取れる。政府は国民みんなと契約を取るために死に物狂いに国民みんなを虐めているのである。だから、政府は美味[おい]しい仕事と言われているのである。みんなが政府に入るために子供のころから一生懸命勉強しているのである。
昔は国民が国を平和にするためには政府に頼むしかなかった。国民は政府が一生懸命に国民みんなを虐めているのを見て「政府が熱心に仕事をやっている」と思って喜んで政府と契約して政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めてもらっていた。国民は「国を平和にするためだ」と思って喜んで政府の命令を聞いて他人を虐めていた。国民は「国民みんなのためだ」と思って政府の命令で事件や事故を起こして他人を殺したり痛めつけたりして「自分が国の平和のために貢献した」と思って喜んでいた。
しかし、今は国民が国を平和にするためには自分が法律を守ればいい。国民は政府が一生懸命に国民みんなを虐めているのを見て「政府は国民を不幸にしているだけだ」と思って背筋が寒くなって政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民みんなを虐めさせなくなっている。国民は政府の命令を聞かなくなって自分が他人に迷惑をかけないようにしている。
今の国民は早く政府を潰[つぶ]して、法律会社を建てて、法律会社と契約してお金を払って国民みんなに法律を守らせてもらって国を平和にしたいと思っている。
[22345] 人間は実在に従わねばならない。 h27.12.11
人間は正しいことに従って、あとは自分の心を満足すればいい。人間は実在には逆らえないから、自分の心も実在には従わなければならない。今では『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことがわかっている。自分の心も実在する物だから、要するに人間は実在に従えばいいだけである。
戦後になって文化人類学が出来て『人間の心はみな違う。日本人の心と白人の心は違う。日本人は日本文化をやれば幸福になる』ことがわかった。そのため、戦後の日本ではみんなが日本文化をやるようになった。いくら自分がヨーロッパ文化をやりたくても、ヨーロッパ文化をやると自分が不幸になるから、みんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになった。
そのため、戦後は日本政府もヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになった。日本政府は嘘[うそ]や国家宗教をやめて、冗談や駄洒落[だじゃれ]をやるようになった。今の日本政府は日本文化で昔の政府と同じことをやっている。今の日本政府は昔の政府と同じことをやっているが、日本文化をやってヨーロッパ文化をやめている。そもそも政治団体は国民を虐めて国を平和にすればいいだけである。政治団体はどんな文化でもやっていける。いくら文化が変わっても政治団体は不滅である。これまでは政治団体は国民みんなに付き合って国民みんなと同じ文化をやっていただけである。ただし、『人間はみな平等』だから、政治団体と国民は平等だから、政治団体は国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけないから、国民が政治団体が要らなくなったら政治団体はおしまいである。今の国民は法律を守って国を平和にすることができるようになって、政治団体が要らないから、政治団体はおしまいである。
今の政府は冗談で“国民の役に立つことをする芝居”をしている。今の国民の多くはテレビや新聞で政府の芝居を見すぎているために「政府が本当に国民みんなの役に立つことをしている」と思っている。しかし、本当は政府は国民の役に立つことは何もしていない。政府は国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府は私や天皇の駄洒落で国民を虐めている。それが昔からの政府の仕事だから、政府はそうしているのである。今の国民はテレビや新聞を見すぎて政府の冗談を本気にしないようにして、『政府が国民を虐めて国を平和にする団体だ』と考えて、政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
人間の心には“支配欲”がある。しかし、実際には人間の心は個人個人でみな違う。だから、他人が自分の気に入らないことをしているからといって自分が他人に腹を立てて他人のことに口出しや手出しをしてはいけない。自分の支配欲を満足すると、他人が自分の気に入らなくなって自分が他人を嫌いになって自分が社会生活ができなくなって自分が生きていけなくなる。だから、人間は自分の支配欲を満足してはいけない。人間は他人を支配しようとしてはいけない。人間は自分を支配するだけにしなければならない。
人間の心には“本心”がある。自分の人生を支えている自分の生きがいになっている大事な感情がある。人間は自分の本心を満足しなくなると生きていけない。だから、人間は自分の本心を満足しなければならない。自分が浅はかな気持ちに駆[か]られて自分の本心を満足しなくなってはいけない。自分は自分の本心を満足するために自分の浅はかな気持ちに打ち勝たねばならない。自分は自分が他人からよく見られるために自分の“見栄欲”[みえよく]を満足するために自分の本心を満足しなくなってはいけない。他人は自分の本心を知らないから、自分が他人の言いなりになっているとそのうち自分の本心が満足できなくなって自分が生きていけなくなる。だから、自分は他人の言いなりになってはいけない。自分が嫌なことならきっぱり断らねばならない。
要するに、人間が幸福であるためには自分の心を満足しないといけない。人間は自分の心のことをよく知って自分の心を適切に満足して幸福に暮らさねばならない。
[22346] 江戸幕府はどうやって国民を虐[いじ]めていたか? h27.12.11
中世の日本では国民みんながアジア文化をやっていたから、江戸幕府はアジア文化で国民を虐めて国を平和にしていた。
江戸幕府は国民に命令して国民から年貢[ねんぐ]を取ったり国民の嫌がらせをしたり刀で国民を斬り殺したりして国民を虐めていた。
江戸幕府は「自分が政府を倒した」(実際には同じ政治団体が文化を変えただけだが)ことによって、水団[すいとん](小麦粉の団子[だんご]←光る玉←神武天皇、私も子供のころに母に教わって作ったことがある。みそ汁の具にして食べていた)を食べてはいけないことにしたり、家の戸口(←天皇“家”の始まり←神武天皇)を広くしてはいけないことにしたり、長い家(細くて長い“家”←天皇家)を建ててはいけないことにして国民を虐めていた。
政府も幕府も“駄洒落”[だじゃれ]で国民の嫌がらせをしていたのである。駄洒落は日本文化だから、江戸幕府は日本文化で国民を虐めていたのである。アジア文化では特定の人間を特別視して上の者にしないから、江戸幕府は自分をちょっとだけ上の者にして自分に因[ちな]んで「自分が政府を倒した」ことによって国民を虐めていたのである。
今の日本政府は日本文化で国民を虐めて平和にしている。日本文化には駄洒落があるから、日本政府は駄洒落で国民を虐めればいい。ヨーロッパ文化では超人的な活躍をした特定の人間を神と呼んで特別視して上の者にする習慣があった。しかし、日本文化では特定の人間を特別視して上の者にする習慣はないから、日本政府が特定の個人(私や天皇)の情報を使って国民を虐めてはいけない。それに、私の母親が私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが突然回ったのを見たことで私を特別視するのは宗教臭すぎて日本文化ではない。(私が子供のころはまだ不良が狭い裏路地で通せんぼして通行人からお金を巻き上げたりしていたから、みんながヨーロッパ文化をやっていたから、私が子供のころにはまだ政府がヨーロッパ文化をやってもよかった。しかし、今はそんな不良なんかいないから、今の政府がヨーロッパ文化をやるのはいけない。一方、学校に番長がいたり、学級に組長がいたりするのは権力制であってヨーロッパ文化ではない。私の父親の時代はまだ学校に番長がいたり学級に組長がいたりして、父親はいつもクラスで首席でクラスで一番後ろの席に座っていたが、自分の近くの席に座っている組長がすごく嫌だったそうだ。昔はすべての集団に権力制があった。学校に番長がいて番長が生徒を虐めるだけではなく、ご丁寧[ていねい]にそれぞれのクラスにも組長がいて組長がクラスのみんなを虐めていた。生徒は二重に虐められてよっぽどの熱意がなければ学校に通えなかった。しかし、私の時代にはもはや番長も組長もいなかった。私は番長にも組長にも虐められたことはない。私は体育が苦手だったので、体育が嫌だっただけだ。今の社会には権力制がなくなっている。今では国民みんなが法律を守って国を平和にしているので、国民みんなが権力者が要らなくなったので、権力制がなくなっているのだ。不良も番長も組長もやっていることは同じだが、基づいている制度が違う。不良はヨーロッパ制で、番長と組長は権力制で悪いことをやっている。)今の日本では日本文化をやらねばならないから、日本政府がヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にしてはいけない。日本政府が私や天皇の情報を使って国民を虐めてはいけない。(もっとも、私の情報は国民みんなに非公開だから、一般の国民の目から見れば政府がランダムに国民を虐めているように見えるので、政府が日本文化に適[かな]って国民を虐めているように見えるかもしれないが。しかし、本当はそんなインチキをやってはいけない。)今の日本政府は江戸幕府のように自分をちょっとだけ上の者にして自分に因んだことで国民を虐めればいい。だから、今の日本政府は「自分が日本文化に変わった」ことによって国民を虐めればいい。「自分がヨーロッパ文化をやめた」ことによって国民を虐めればいい。例えば、洋食を禁止したり、オシャレを禁止したり、高級品を買うのを禁止したりして国民を虐めればいい(私が即興[そっきょう]で考えたので、駄洒落にはなっていないが)。あるいは、ヨーロッパが四角い形をしているから、四角い物を禁止すればいいかもしれない。あるいは、今の日本政府は日本文化をやっているのだから、日の丸とか“ニポ”とかの駄洒落で政府が国民を虐めるといいかもしれない。あるいは、富士山や桜や海などの日本の象徴の駄洒落で政府が国民を虐めるといいかもしれない。(こういうことを考えるのが政府の仕事なんだろうが。)
もっとも、今は権力団体の時代ではない。法律の時代である。今の国民は法律を守って国を平和にできるようになっているので、権力団体が要らなくなっている。今の国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払わなくなって政府を倒している。日本の政治団体は自分の文化を変える暇もなく潰[つぶ]れている。
今の日本では日本文化をやっている。国民も政府もみんなが日本文化をやっている。日本人は頭が発達しているから、頭で考える喜びがあるから、頭で考えることを大事にするから、日本人は頭で考えて物を見ないといけない。日本人は眼先で物を見てはいけない。日本人は眼と頭の両方がいいから実在について考えねばならない。日本人は眼先で見る世界や心で思う世界に逃げてはいけない。日本人は日本人の世界に住んでいるのである。日本人は頭で考える世界に住んでいるときがもっとも幸せなのである。
[22347] 今の日本政府は日本文化をやっているか!? h27.12.11
今の日本政府は民主主義の芝居をやって、特定の人間(私や天皇)の情報を使って国民みんなを虐[いじ]めて、国を平和にしている。
民主主義の芝居は“冗談”と考えれば日本文化に適[かな]っている。それに、しょせん芝居は実際にはやっていないことだからどうでもいいことである。国民にとっても政府にとっても両方にとってどうでもいい馬鹿馬鹿しいことである。国民がテレビドラマを見ているのと同じことである。国民にとっては政府が国民を虐めているところを見たいのに、政府はつまらない芝居で隠して見せてくれない。それも政府の国民に対する虐めである。
今の政府は天皇や私を神としていない。私は神として扱われていないし、憲法上でも天皇は神ではない。それは日本文化に適っている。しかし、政府が私や天皇の情報を使って国民みんなを虐めているのは日本文化に適っていない。
今の日本政府は日本文化をやっていないしヨーロッパ文化もやっていない。今の日本政府は半分日本文化で半分ヨーロッパ文化をやっている。今の日本政府は“地球上に存在しない文化”をやって国民みんなを虐めている。
今は国際化の時代である。大勢の人々が国境を越えて移動している。しかし、だからといって文化を混ぜてはいけない。そんなことをしたら、国民が幸福に暮らせない。日本人には日本人の心があるから、“地球上に存在しない文化”をやって日本人の心を満足しなくなってはいけない。
今では文化人類学によって『日本人は日本文化をやれば幸福に暮らせる』ことがわかっているから、日本政府は日本文化をやらねばならない。日本政府はちゃんと日本文化をやって国民を虐めて国を平和にしなければならない。日本人は嘘はつかないし冗談もあまり言わないから、政府は民主主義の芝居をやめるべきである(『オレたちひょうきん族』西川のりお“冗談はよせ”)。日本人は無駄[むだ]が嫌いだから、政府は余計な民主主義の芝居をやめねばならない。日本人は特定の人間を特別視しないから、政府は特定の人間の情報を使って国民を虐めてはいけない。日本政府はつまらない民主主義の芝居なんかやめて、自分が国民を虐めているところを全国中にテレビで放送して、首相の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で国民を虐めねばならない。首相は任期があってしょっちゅうコロコロ変わるから、首相の情報を使えば特定の人間を特別視していることにならないからいい。
日本政府はもとはヨーロッパ文化で国民を虐めて国を平和にする団体である。日本政府が日本政府のままで日本文化をやるとしょせん無理がある。そのため、今の日本政府は“ヨーロッパ文化と日本文化が混じったわけがわからない文化”で国民を虐めているのである。中世の初めのころにも日本政府はそんなやり方で国民を誤魔化[ごまか]してしばらく残っていたのかもしれない。そのうち国民が本格的にアジア文化をやるようになって日本政府が気に入らなくなって日本政府と契約するのをやめて日本政府に税金を払うのをやめて日本政府を倒した。今の日本でも国民が本格的に日本文化をやるようになれば、日本政府の虐め方が気に入らなくなって日本政府と契約しなくなって日本政府に税金を払わなくなって日本政府を倒すだろう。もっとも、今は法律の時代であって権力団体の時代ではないから、国民が法律を守って政府が要らなくなって政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒すほうが早いだろう。
[22348] 日本人は駄洒落[だじゃれ]と正直が好きである。 h27.12.11
古代の日本では、国民みんなが国を進歩させて幸福に暮らすためにヨーロッパ文化を取り入れていた。一方、日本にはもとから日本文化があった。したがって、古代の日本では国民みんながヨーロッパ文化と日本文化の両方をやっていた。
そのために、政府は神武天皇や天皇家を神としながら“光るトンビ”の駄洒落で国民みんなを虐[いじ]めていた。日本人は駄洒落が大好きなので、日本政府の虐め方が大ウケして、日本政府が日本人全員と契約を取る大きい権力団体になった。一方、日本には嘘[うそ]をつく習慣がないので、国民みんなには政府の民主主義の芝居はまったくウケなかった。しかし、国民みんなは「日本を進歩させるためにはヨーロッパ文化をやらねばならない」と思って政府の民主主義の芝居を我慢[がまん]していた。国民みんなは政府の民主主義の芝居を見てお義理で笑っていた。
中世の日本では、国民みんなが国を進歩させて幸福に暮らすためにアジア文化を受け入れていた。日本にはもとから日本文化があったので、国民みんながアジア文化と日本文化の両方やっていた。
そのために、政府が幕府に変わって、幕府が同じように“幕府が政府を倒したこと”の駄洒落で国民みんなを虐めていた。日本人は隠しごとをしないのが好きなので、国民みんなは幕府が国民みんなの眼の前で堂々と国民みんなを虐めるのが好きだった。幕府は安定した人気を取っていた。
近代の日本では、国民みんなが国を進歩させて幸福に暮らすために再びヨーロッパ文化を受け入れた。日本はもとから日本文化があったので、国民みんなはヨーロッパ文化と日本文化の両方をやっていた。
そのために、幕府が政府に変わって、政府が再び“光るトンビ”の駄洒落で国民みんなを虐めるようになった。日本人には政府の駄洒落はウケたが、民主主義の芝居はウケなかった。国民みんなは「お国のため」につまらない政府の民主主義の芝居に耐えていた。
現代の日本では、国民みんなが自分が幸福に暮らすために日本文化をやるようになった。日本はもとから日本文化しかやっていないので、国民みんなが日本文化しかやらなくなった。今の日本では国民みんながこれまでに外国から取り入れてきたヨーロッパ文化やアジア文化を排除してもとの日本文化に戻している。
そのため、政府はヨーロッパ文化をやめて日本文化で国民みんなを虐めるようになった。政府は天皇や私を神とするのをやめて“光るトンビ”や私の名前の“川ブ”の駄洒落で国民みんなを虐めるようになった。政府の虐め方はいちおう日本文化に適[かな]っているが厳密には適っておらず微妙である。今の日本人には政府の民主主義の芝居も政府の駄洒落も両方ともウケていない。今ではテレビやゲームやマンガなどの娯楽がたくさんあるので、今の国民にとっては駄洒落なんか地味すぎてつまらないのである。今の国民にとっては政府の駄洒落は“えずい洒落”(下手[へた]な洒落、“えずい”は土佐弁で“まずい”の意味)にすぎないのである。
これまでは文明が低くて物が貧しくて国民みんなはろくに法律を守れず政治団体に国を平和にしてもらっていた。政治団体は国民みんなと契約を取って儲[もう]かっていた。政治団体は国民みんなのために国民みんなを虐めて国民みんなが平和に暮らせるようにしていた。
しかし、今では文明が高くなって物が豊かになって国民みんなはちゃんと法律を守って平和に暮らすことができるようになって政治団体に国を平和にしてもらわなくてもよくなった。政治団体は大勢の国民と契約が取れなくなって潰[つぶ]れている。政治団体は国民みんなのことなんかどうでもよくなって自分が潰れるついでに国民みんなを虐めまくって国民みんなとお別れしている。
[22349] 今の日本政府は日本文化をやっているふりをして本当はヨーロッパ文化をやっている。
h27.12.12
今の日本政府は民主主義の芝居をやっているし、私や天皇の情報を使って国民を虐[いじ]めている。
政府が民主主義の芝居をやって自分が国民を虐めているのを隠しているのは日本文化ではないし、私や天皇の情報を使うのも宗教臭すぎて日本文化ではない。
今の日本政府は日本文化をやっていない。
もともと日本政府はヨーロッパ文化をやる団体だから、日本政府が日本文化をやるのは無理なのである。
今の日本政府は日本文化をやっているふりをしているが、本当はヨーロッパ文化をやっているのである。
今の日本政府は民主主義の芝居を冗談でやっているのではなく嘘[うそ]でやっている。今の日本政府は私や天皇を神としていないのではなく神としている。
つまり、今の日本政府は日本文化をやっているふりをして本当はヨーロッパ文化をやっている権力団体(国民を虐めて国を平和にする団体)なのである。政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政府は日本文化をやっているふりをしているのである。政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政府は民主主義をやっているふりをしているのである。政府は嘘ばっかりである。「政府が間接民主制をやって国民みんなに従っているから、政府に国家権力があって、国民が政府に従わねばならない」のも嘘である。「政府が国民みんなの役に立つことをしているから、国民が政府に税金を払わねばならない」のも嘘である。政府が国民を虐めることだけは本当である。(政府は昭和39年(1964年、私が生まれた年)に密[ひそ]かに私を国家宗教の神に加えて私と天皇の両方を神とする国家宗教で国民を虐めることによって、国民に政府が神武天皇の国家宗教でないやり方で国民を虐めているように見せかけて、政府が日本文化で国民を虐めているように思わせているのである。つまり、政府は自分が日本文化をやるふりをするために、昭和39年に私を神にしたのである。昭和39年ごろにはすでに日本ではみんなが日本文化をやらねばならなくなっていたのである。民主主義の芝居については政府は強引に嘘ではなく冗談でやっていることにしたのである。日本文化にも“表と裏”とか“本音[ほんね]と建前”とかがあるから、政府は日本文化でも民主主義の芝居が行けると踏[ふ]んだのである。しかし、本当は日本政府は今でもヨーロッパ文化をやり続けているのである。今では世の中に法律が浸透して国民みんなが法律を守って国が平和になっているから、政府が国民を虐めて国を平和にする役目がないから、今の政府は民主主義の芝居で持っているだけだから、政府はなんとしても民主主義の芝居をやりたいから、政府は国民みんなに嘘をついてでもヨーロッパ文化をやり続けているのである。つまり、政治とは政府が民主主義の芝居をやって国民の役に立つことをやっているふりをして国民を騙[だま]してお金を稼[かせ]ぐことである。政治とは政府が国民の役に立つことをしているふりをして国民を喜ばせて国民の気持ちを和[なご]ませて穏[おだ]やかにして国を平和にすることである。つまり、政治とは政府が国民に頭を下げて国民を煽[おだ]てて国民をいい気にさせて国を平和にすることである。今の政府はテレビや新聞で民主主義の芝居をやって国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて国民を楽しませて国民からお金(税金)を取っているのである。今の政府は民主主義の芝居をする劇団なのである。政府は国民みんなの心理操作(マインドコントロール)をやって国を平和にする。昔の政府は国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしていたが、今の政府は国民を煽[おだ]てて国民を喜ばせて国民を殿様気分にさせて国を平和にしている。政府は国民を虐めるときは現実に国民を虐めるが、反対に国民の役に立つときは現実には国民の役に立つことをしない。だから、トヨタCMで北野武が“権力より愛だね”と苦笑[にがわら]いしながら言っているのである。
しかし、本当は今の国民は国の文明が高くなって物が豊かになったり、テレビやゲームなどをやって平和に遊んだり、法律を守ったりして平和に暮らしているのである。今の国民は政府の民主主義の芝居を見て喜んで平和に暮らせるのではない。政府はテレビの中で国民の役に立つことをやっているだけで、現実の中では国民の役に立つことをやっていないから、国民が政府の民主主義の芝居を見ても現実には幸福にはなれない。政府は国民の役に立つことは何もやっていない。その上、政府は裏では国民を虐めている。政府は昔は国を平和にするために権力団体をやっていたから、今でもその名残[なご]りで国民を虐めているのである。人間に尾蹄骨[びていこつ]や盲腸があるのと同じことである。今の政府は虐め付きの民主主義の劇団なのである。今の国民みんなは政府の民主主義の芝居をいいかげん見飽きている。今では国民みんなは政府の芝居を見ても“幸せに暮らしている気分”になれなくなっている。今の政府は国民にとって善いところが何もない。政府と契約している国民が馬鹿である。だから、国民はさっさと政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。国民がスーパーやコンビニのレジでお金を払うと契約が成立するように、国民が政府に税金を払うと契約が成立するのである。だから、国民は政府に税金を払わないようにして政府と契約をしないようにすればいいのである。国民が勇気を出して政府と契約するのをやめればいいのである。)
日本政府の仕事は国を平和にすることである。国を平和にするといっても外国の攻撃から国を守ることではなく、国内での争いを鎮[しず]めることである。政府が国を平和にするための手段は虐めである。政府は国民に命令してお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
昔の国民は政府に頼んで国を平和にしてもらっていた。国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国を平和にしてもらっていた。国民は国を平和にするために政府の国民を虐めるための命令を聞いていた。だから、政府に権力(命令力)があった。
しかし、今の国民は法律を守って国を平和にすることができるから、今の国民は政府に仕事を頼まなくていい。地下鉄が出来たらチンチン電車が要らないように、電子書籍が出来たら紙の本が要らないように、法律が出来たら政府が要らないのである。今の国民にとっては政府は無駄[むだ]だから、政府が要らないのである。『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国を平和にする仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。そのため、今の国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。今の国民は政府と契約しなくなって政府に国を平和にしてもらわなくなって政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなっている。そのため、政府に権力がなくなっている。
今では国を平和にするためには国民が法律を守ればいいのであって、政府が国民を虐めなくていい。今の国民は政府が要らなくなって政府を潰している。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。政府が自分ひとりでヨーロッパ文化をやって嘘をついたり国家宗教をやったりしている。政府は浮いている。
今の日本では国民みんなは国を平和にするために法律を守っている。政府が自分ひとりで国を平和にするために国民を虐めているだけである。政府は浮いている。(ほかに宗教団体や暴力団や社長なども国民を虐めているが。)
今の日本では国民みんなは日本文化をやって法律を守っている。一方、政府は自分ひとりでヨーロッパ文化をやって国民を虐めている。政府は浮きまくっている。政府が高いところにいるのは政府の身分が高いからではなく、政府が自分ひとりだけ国民みんなと違うことをやっていて浮きまくっているからである。今の政府がヨーロッパ文化をやっているのは文化人類学に反するからまちがっている。政府が国民を虐めているのは政府の仕事である。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めているのである。国民と政府は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して政府にヨーロッパ文化をやらせなければいいのである。政府に国民を虐めさせなければいいのである。
[22350] 今の政府は民主主義の芝居で食っている団体である。 h27.12.12
『政府は民主主義の芝居をやって、国民を虐めて、国を平和にする団体である。』
昔は国の文明が低くて国民が法律の意識が低くて国民が法律を守って国を平和にしていなかったので、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めてもらって国を平和にしていた。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律の意識が高くなって国民が法律を守って国を平和にするようになっている。今の国民にとっては政府の虐めはニーズがなくなっている。そのため、今の政府は民主主義の芝居に力を入れて国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて国民と契約を取っている。国民がテレビで政府の民主主義の芝居を見ると「自分が政府に幸せにしてもらっている」ような気持ちになって“幸せな気分”になれるので、国民は自分が“幸せな気分”になるために政府と契約して政府に税金を払って政府に民主主義の芝居をやってもらっているのである。しかし、今ではテレビブームが去っているので、国民はテレビを見飽きてあまりテレビを見なくなっているので、国民は政府の民主主義の芝居を見なくなっているので、政府に“幸せ気分”にしてもらわなくなっているので政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなっている。(今の日本政府は民主主義の芝居をやっているが、日本文化にも“芝居”はあるから、民主主義の芝居については日本政府は日本文化をやっていると言える。今の日本政府は天皇や私の情報を使って国民を虐めているが、天皇や私を神にしていないし、国民の眼の前で堂々と国民を虐めていないにせよ自分が国民を虐めたことはテレビや新聞で報道して国民に隠していないから、政府が天皇や私の情報を使って国民を虐めていることについてはいちおう日本文化でもOKである(?)。つまり、今の日本政府はきっちりと日本文化に適[かな]ってはいないが、だいたい日本文化に適っていると言える。今の日本政府は文化人類学的にはほぼ問題ないと言える。ただ、私はきっちりやるのが好きだから、私的[わたくしてき]には今の政府のやり方は満足いかない。私的には『政府は民主主義の芝居をやらずに、国民みんなが見ている前で堂々と、特定の人間の情報を使わずに、自分の気の向くままに明るく楽しく愉快に面白本位に国民みんなを虐めるべき』である。日本文化では実在しないことが嫌いだから、芝居は実在しないことだから、日本文化では芝居はやらない。政府の人も自分の好き放題に国民を虐められたら、政府に入った甲斐[かい]があったってもんだ。残念ながら、今の日本政府は近代の政府を流用して日本文化をやっているから、きちんと美しく日本文化をやることができない。ただ、虐めは今日的[こんにちてき]には意義がないから、虐めの細かいやり方にこだわってもしかたがないか。政府を倒して虐めそのものをなくせば、虐めのやり方は問題にならないだろう。)
今の国民は『現実の中で幸福に暮らすことにこそ価値がある』と考えるようになっているので、テレビの中だけの幸福は嫌なので、政府の民主主義の芝居を見なくなって、政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
今の政府は虐めでも民主主義の芝居でも国民と契約を取れなくなって国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。今の政府はニッチもサッチもいかなくなってどうしようもなくなって潰れているのである。
[22351] 今の日本政府はヨーロッパ文化をやっている。 h27.12.12
『日本政府は民主主義の芝居をやって、国民を虐めて国を平和にする団体である。』
今の日本政府は民主主義の芝居をやっている。日本文化では芝居をやらない。だから、今の政府はヨーロッパ文化をやっている。
今の日本政府は国民を虐めて国を平和にしている。日本文化では悪いことをやってはいけない。しかし、必要な場合には悪いことをやってもいい。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めるのだから、政府は国民を虐めていい。政府には“国民を虐める特権”が認められている。普通の国民は虐めをやってはいけないが、政府は虐めをやってもいいのである。国民みんなは政府が国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民みんなを虐めることを特別に許しているのである。
今の日本政府は天皇や私の情報を使って国民を虐めている。それは、今の政府がヨーロッパ文化をやっているからである。ヨーロッパ文化では宗教をやるから、今の日本政府は国家宗教をやって天皇や私を国家宗教の神にして、天皇や私の情報を使って国民を虐めているのである。
今の日本政府は表向きは天皇や私を神にしていないが、裏では密[ひそ]かに天皇や私を神にしているのである。もっとも、今の日本では国民みんなは日本文化をやっているから、日本文化では宗教をやらないから、国民みんなは天皇や私を神とせず天皇や私を神とする国家宗教をやっていない。今の日本では政府がひとりで天皇や私を神として天皇や私を神とする国家宗教をやっているだけである。
今の日本政府はヨーロッパ文化をやっている。しかし、今の日本では日本文化をやらねばならない。ヨーロッパ文化をやってはいけない。政府はまちがいを犯している。だから、国民は政府と契約をやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。戦後の日本が日本文化をやっていなかったら政府の民主主義の芝居は問題なかったが、戦後の日本が日本文化をやっているから政府は民主主義の芝居をやってはいけないのである。
今の日本政府は国を平和にするために国民を虐めている。しかし、今の日本では国民みんなは国を平和にするために法律を守っている。今の日本では国民みんなは政府に国を平和にするために国民を虐めてもらわなくてもいい。国民と政府は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。
今の日本では国民は2つの理由で政府と契約するのをやめて政府を倒している。政府はいつもの2倍の早さで倒れている(高見山“2倍2倍”)。早く国民みんなで政府を倒して、芝居や虐めのない社会にしないといけない。日本人が幸福に暮らせる日本文化の社会にしないといけない。
[22352] 政府の民主主義の芝居は国民を喜ばせるための飾りである。 h27.12.12
政府の本体は幕府と同じ『国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体』である。
政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では嘘[うそ]をつくから芝居をするから、政府は民主主義をやっているふりをして国民みんなの役に立つことをやっているふりをしているのである。また、ヨーロッパ文化では国家宗教をやるから、政府は国家宗教の神の情報を使って国民を虐めているのである。
ヨーロッパ文化ではみんなが嘘が好きだから、ヨーロッパでは国民みんなが政府が国民みんなの役に立つことをやっているふりをしているのを見て大喜びして笑い転げているのである。
一方、日本文化ではみんなが嘘をつかないから、日本では国民の多くが政府が国民みんなの役に立つことをやっているふりをしているのを真[ま]に受けて政府に感謝して涙を流して政府をありがたがっているのである。国民の多くは外国の文化がわかっていないためにまちがったことをやっているのである。人間を知らないペンギンが人間に近づいて人間に殺されるのと同じことである。『政府が国民みんなの役に立つことをしているふりをしている』ことを知っている人は、政府の芝居を見てつまらないと思ってシラケまくっているのである。
そもそも政府の民主主義の芝居は“国民を喜ばせるための飾り”だからどうでもいいのである。ヨーロッパ人は嘘が好きだから政府の嘘を喜ぶし、日本人は嘘をつかないから政府の嘘を真に受けて喜ぶ。『政府が嘘をつく』ことを知っている日本人は面白くない思いをしている。
政府が国民を虐めて国を平和にするのは国民にとって大事なことだけれども、殺風景で楽しくない。そのため、ヨーロッパでは政府が『国民を虐めて国を平和にする団体』を“国民の役に立つことをする芝居”で飾り付けて楽しくして国民を喜ばせているのである。ヨーロッパでは国民みんなが冷たい石の建物を美しい装飾で飾りつけて楽しくしているのと同じことである。
日本人は政府の民主主義の芝居に対して「政府が本当に国民の役に立つことをやっている」とか「政府が嘘で国民を騙[だま]している」と考えるが、ヨーロッパ人はアメリカ人は『政府が国民を幸せに暮らしている気分にさせてくれている』とか『政府が国民を喜ばせている』と考える。日本人とヨーロッパ人やアメリカ人では感性が違うので意味が違う。もともと政府はヨーロッパの政治団体である。だから、本当はヨーロッパ人やアメリカ人の考えが正しいのである。日本人は政府の民主主義の芝居の正しい意味がわかっていないのだ。(『スタートレック=宇宙大作戦』の「タロス星の幻怪人」の話でも、宇宙人が人間にテレパシーで楽しい夢を見せながら、実際には人間を捕らえて虐待している。政府が民主主義の芝居で国民を喜ばせながら、じつは国を平和にするために国民を虐めていることを喩[たと]えているのである。)
政府の本体は『国民を虐めて国を平和にする団体』である。
昔は国民が法律を守って国を平和にしていなかったから、国民が政府に国を平和にしてもらっていた。国民が政府に税金を払って政府に虐めてもらって国を平和にしていた。
しかし、今は国民が法律を守って国を平和にするようになったから、国民が政府に国民を虐めてもらって国を平和にしてもらわなくてもよくなった。国民が政府に税金を払わなくなって政府に虐めてもらわなくなった。国民は政府の虐めの命令を聞かなくなった。
今の日本では国民が“政府の本体”が要らなくなったから、政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。それに今の日本では国民みんなが日本文化をやっている。日本文化では嘘をつかない。だから、国民みんなが“政府の飾り”も要らなくなっている。国民みんなで政府に税金を払わなくなって政府の本体といっしょに政府の飾りも倒している。『政府が嘘をついている』ことを知らない国民が政府の嘘を真に受けて政府に感謝して政府に善いことをしてもらうために政府に税金を払っているだけである。政府は「国民が自分に虐めて欲しいのだ」と勘違いして国民を虐めている。国民も政府も互いに他のことをよく理解して余計なことをしないようにしないといけない。
一方、ヨーロッパでは国民みんなが政府の飾りが好きなので、国民みんなが毎日テレビや新聞で政府の芝居を見て喜んでいる。ヨーロッパでは国民みんなが政府にお金を払って政府に楽しい芝居をやってもらって喜んでいる。政府は国民を虐めるのをやめて芝居をやって国民を喜ばせているだけである。政府は国民からもらった税金で民主主義の芝居をして、余ったお金でいろんな付属会社を経営して国民の役に立つことをやっている。だから、“政府”つまり民主主義の芝居で国を治める団体と言うのである。
ヨーロッパでは政府が国民みんなのためを思って虐めをやめて民主主義の芝居で国民を喜ばせることだけをやっている。一方、日本では政府がいっこうに国民みんなのためを思わず今でも虐めをやり続けて民主主義の芝居で“国民みんなを眼先で喜ばせるだけで心の底では不愉快[ふゆかい]にする汚らしい政策”ばかりやっている。ヨーロッパやアメリカは流動的である。政府が自分のやることを時代に合わせて変えて時代に対応している。一方、日本は固定的である。政府が時代が変わっても昔と同じことを続けるだけである。そのために、ヨーロッパやアメリカでは、政府が国民が法律を守って国を平和にするようになったことに対応して虐めをやめて民主主義の芝居で国民を喜ばせるだけになっている。一方、日本では、政府が国民が法律を守って国を平和にするようになったことを無視して昔と同じように虐めを続けて民主主義の芝居で気味の悪い意地糞[いじくそ]悪い政策をやっている。(特に日本は犯罪の少ない国だから、日本では国民みんなが法律をよく守っているから、政府が国民を虐める必要がない。)ヨーロッパやアメリカでは政府が国民が喜ぶことをしてくれるので、国民が政府と契約して政府が儲[もう]かっている。一方、日本では政府が国民が嫌がることをしているので、国民が政府と契約するのをやめて政府が潰[つぶ]れている。ヨーロッパやアメリカでは政府が自分で自分を儲かるようにしているのに、日本では政府が自分で自分を潰している。人間は時間とともに成長するものである。社会は時代とともに発展するものである。だから、ヨーロッパやアメリカの政府のように時代とともに変わっていくのがいい。日本の政府のようにいつまでも昔と同じことをやるのはいけない。これからの日本の団体はヨーロッパやアメリカの団体を見習って流動的でなければならない。
[22353] 日本政府は国を治めるのが下手糞[へたくそ]である。☆ h27.12.13
政治とは政府が民主主義の芝居をやって国を平和にすることである。政府が民主主義の芝居をやって国民みんなの役に立つことをしているふりをして国民みんなを“幸せに暮らしている気分”にさせて国民みんなを喜ばせて国を平和にすることである。政府が国民みんなを空想の世界で幸福にして平和にすることである。
今のヨーロッパでは国民みんながよく法律を守って国を平和にしているので、政府が国民みんなを虐[いじ]めるのをやめて民主主義の芝居で喜ばせて国民みんなと契約を取って税金をもらって、余ったお金で付属会社を経営したりときどき実際に善い政策をやったりしている。
今のアメリカはまだ遅れていて国民みんながちゃんと法律を守って国を平和にしていないので、政府が国民みんなを虐めておとなしくさせて国を平和にしている。政府は民主主義の芝居で国民みんなを喜ばせて国民みんなを“幸せ気分”にさせている。政府は必要悪をきれいな飾りで覆[おお]って国民みんなになるべく不快感を与えないようにしている。
一方、今の日本では国民みんながちゃんと法律を守って国を平和にしているのに、政府が国民みんなを虐めている。政府は民主主義の芝居で自分が国民みんなを虐めていることを隠している。
日本で政府が国民を虐めるのは余計なことである。今の政府は無駄[むだ]なことをやっている。日本政府は国の治め方が下手糞である。そのために、今の日本では国民が政府と契約するのをやめて政府に税金を払わなくなって政府を倒している。国民みんなで政府を倒して、政府の付属会社を政府から独立させて民営化させて、付属会社に国民を虐めさせないようにして、“もと付属会社”と契約してお金をやって国民の役に立つ仕事をやってもらうつもりである。
ヨーロッパ人やアメリカ人は五感主義である。五感主義は現象的だが現実的である。一方、日本人は知覚主義である。知覚主義は実在的だが空想的である。五感主義にも知覚主義にも長所と短所の両方がある。ヨーロッパ人やアメリカ人は知覚が五感に偏[かたよ]っている。反対に、日本人は知覚が心に偏っている。そのために、日本では政府がふざけた汚い発想をして「民主主義の芝居が国民を騙[だま]すための手段だ」と思って「国民が生きる価値がない馬鹿だ」と思って国民を虐めているのである。政府は自分のことを「馬鹿な国民どもを騙して国民みんなを支配して国民みんなを自分の好き放題にする団体だ」と思ってうぬぼれて喜んでいるのである。日本人が知覚主義であるために空想的であるために、現実に即さないことをやって、まじめに現実を認識せず現実に適したことをやっていない。今の日本では国民みんなが法律を守って暮らしているのに、政府はそんなことを無視していまだに国民みんなを虐めている。一方、ヨーロッパ人やアメリカ人は五感主義であるために現実的であるために、現実に即したことを考えて、まじめに現実を認識して現実に適したことをやっているのである。ヨーロッパでは国民みんなが法律を守って暮らしているので、政府は国民を虐めるのをやめている。アメリカでは国民みんなが法律を守っていないので、政府が国民を虐めている。日本政府に科学の精神がないのがいけないのである。(h27.12.17追記:ヨーロッパ人やアメリカ人などの白人が悪いことをやっているのは、白人が狩猟民族で狩猟民族が自分が生きるために動物を殺して捕まえて動物に悪いことをしなければならないからである。けっして国が儲[もう]かるから悪いことをやっているのではない。ヨーロッパやアメリカが儲かるのは、ヨーロッパ人やアメリカ人が科学が強いからである。ヨーロッパ人やアメリカ人が現実的だから現実に関心があって現実をよく知って現実を上手[じょうず]に使うから国が儲かるのである。反対に、日本人が善いことをやっているのは、日本人が農耕民族で農耕民族が自分が生きるために作物に肥料をやったり日当たりをよくしたりして作物を育てて作物に善いことをしなければならないからである。日本が貧乏なのは、日本人が科学が弱いからである。日本人が空想的だから現実に関心がなく現実をよく知らず現実を上手に使えないから国が貧乏なのである。/ヨーロッパ人やアメリカ人は動物を殺すから性格が悪く、日本人(一般にアジア人)は作物を育てるから性格が善い。ヨーロッパ人やアメリカ人が心が冷たく、日本人(アジア人)が心が温かいのもそのためである。)
今の日本政府は現実を見ずにめくらめっぽうに国民みんなを虐めている。今の日本政府は国を治めるのが下手糞である。今の日本政府は無能である。『生きる価値のない馬鹿は政府のほうである。』だから、国民みんなで政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。そもそも日本人が現実を見ないのが悪い。政府も国民も両方とも悪い。日本人はもっと科学をよく勉強して現実をよく見るようにして現実に即したことをやるようにしないといけない。そうすれば善い国になる。
日本人が現実を見るようになれば日本は善い国になる。日本人に現実を見るようにさせるためには、日本人が心で面白いと思うことをなくしたり日本人を眼先にとらわれさせたりするよりも、ストレートに日本人に科学を教えて科学を好きにならせて現実に目を向けさせて現実について考えるようにさせればいいのである。日本人はもともと実在主義で実在が好きな民族だから、日本人に日本文化をやらせればいいのである。
[22354] 政府は国民を二重に心理操作している。 h27.12.13
『政府は民主主義の芝居をやって、国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。』
政府は国民に命令して高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。(政府は国を平和にするために国民を虐めるのだから、自分が気に入らない者を虐めたりしない。政府は国民をランダムに不特定に虐めるのである。国民が政府に「自分を虐めてくれ」と頼んでも政府は虐めてくれないのである。反対に、国民が政府に「自分を虐めないでくれ」と頼んでも政府は虐めるのである。だから、国民は自分が政府に恨[うら]まれることをしていないからといって安全だとはかぎらない。反対に、国民は自分が政府に恨まれることをしたからといって危険ともかぎらない。だから、国民は政府に恨みを買おうが買うまいがどうでもいいのである。国民が政府をけなそうがほめようがどうでもいいのである。国民が政府が見ている前で「バ〜カバ〜カ」と言ってからかってもいいのである。安藤昌益[あんどうしょうえき]が幕府をけなしても罰せられなかったのはそのためなのかもしれない。『トムソーヤの冒険』でトムがインデアンジョーの恨みを買っていたのに殺されなかったのもそのためなのだろう。)政府は民主主義の芝居をやって自分が国民の役に立つことをやっているふりをして国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて国民を喜ばせている。政府は民主主義の芝居をやって自分が国民を虐めていることを隠して国民を不愉快[ふゆかい]にさせないようにしている。政府は国民を心理操作(マインドコントロール)して心の底では国民を怖がらせておとなしくさせて国を平和にして、心の表[おもて]では国民を喜ばせて元気にさせて国を活発にしている。政治団体が国民を虐めて国を平和にするだけだと、国民が政治団体に虐められて不幸にされて国民が楽しく暮らせない。政府は国民を虐めて国を平和にすることに民主主義の芝居を加えることによって、“虐め制”の欠点を改良して、国民が平和にしかも楽しく暮らせるようにしているのである。バファリンが鎮痛剤(アスピリン)に胃薬を加えて鎮痛剤の胃への副作用を抑えているのと同じことである。グリコのキャラメルがキャラメル(グリコ←拳骨[げんこつ]←暴力←虐め)に楽しいオマケが付いているのと同じことである。そもそも政府は国を平和にするために国民を虐めているのであって、国民を不幸にするために国民を虐めているのではないから、政府が国民を虐めて不幸にしたことを政府が民主主義の芝居をやって国民を幸福にして直してもかまわないのである。
政府は民主主義の芝居をやりながら国民を虐めることによって、国民が平和に楽しく暮らせるようにすることが仕事である。国民は政府に税金を払って政府に報酬を払う。そもそも『人間はみな平等である。』だから、国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民が法律を守って国を平和にしていなかったから、国民が政府に国を平和にしてもらわねばならなかった。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は文明が高くなって国民が法律を守って国を平和にしているから、国民が政府に国を平和にしてもらわなくてもよくなった。国民が『政府が要らない』と思って政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。
そもそも政府が国民を虐めなければ、政府がわざわざ民主主義の芝居をやって国民を楽しませる必要もない。国民が政府を潰[つぶ]せば一石二鳥である。
国民みんなで早く政府を潰して、法律会社を建てて、法律を守って平和に暮らせばいいのである。
[22355] 今の政府は日本文化をやっているか!? h27.12.13
政府は民主主義の芝居をして国民を幸せな気分にしながら国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。
今の日本ではみんなが日本文化をやらねばならないことになっている。
今の政府は民主主義の芝居をしている。政府が民主主義の芝居をするのは、政府が国を平和にするために国民を虐めて国民が不幸になるのを補うためだから、国民を嘘[うそ]で騙[だま]すためではないから、日本文化ではOKである。昔の国民にとっては政府が権力団体なのはわかりきっていたから、政府が民主主義の芝居をやって国民を騙していたわけがない。今の国民も政府についての理解を深めれば、政府の民主主義の芝居が国民を騙すためではないことがわかるから、日本文化でも政府の民主主義の芝居が許される。
今の政府は天皇や私の情報を使って国民を虐めている。今の政府は天皇や私を神にしていない。天皇は日本の象徴とされているから、天皇の情報を使うのは日本文化でもかまわない。しかし、私は日本の象徴ではない。私は日本人A(無名)である。政府が天皇の情報に“日本人の誰か”の情報を加えて国民を虐めれば、政府が国家宗教で国民を虐めていないことになるから、政府がヨーロッパ文化をやっていないことになるから、政府が日本文化をやっていることになるからいいのである。政府が国民みんなの中から特定の個人を数名選んで、その人たちの情報を使って国民を虐めてはいけないという決まりはない。そのために、政府は私を“政府が国民を虐めるときの情報のもとになる人”に加えたのである。政府の国民の虐め方についても日本文化でOKである。
しかし、今の政府は憲法で「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない」ことにしている。本当は『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等だから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に“民主主義の芝居をやって、国民を虐めて国を平和にする仕事”をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。(たとえ政府の法律会社が半官半民であって政府の法律会社が政府の国民に対する虐めとして「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない」法律を定めたとしても、本当は『国民と政府や政府の法律会社は平等である』から、本当は『国民が政府や政府の法律会社と契約して税金を払って仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である』から、「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない」法律は嘘だからいけない。「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない」法律は嘘だから、国民はそんな法律を守らなくていい。国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由であり、政府と契約した国民が政府に税金を払って政府の虐めの命令を聞かねばならないだけである。政府と契約しない国民は政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくていいのである。)今の政府は嘘[うそ]をついている。日本文化では嘘をついてはいけない。だから、今の政府は日本文化をやっていない。やはり今の政府はヨーロッパ文化をやっているのである。頭隠して尻隠さずとはこのことだ。したがって、政府は本当は民主主義の芝居をヨーロッパ文化でやっているのであり、政府は本当は天皇や私を神にしているのである。民主主義の芝居はヨーロッパ文化と日本文化で共通であり、ヨーロッパ文化では嘘をついていいから、政府は嘘をついて天皇や私を神にしていないふりをしているのである。(ヨーロッパ文化では嘘をついてもいいから、政府が間接民主制(つまり民主主義の芝居)をやって憲法で「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない」という嘘の法律を定めてもいいが、日本文化では嘘をついてはいけないから、政府が間接民主制をやって憲法で「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない」という嘘の法律を定めてはいけない。ヨーロッパでも日本でも本当は『国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由なのである。』ヨーロッパでは政府が嘘をついてもいいが、国民は政府の嘘に騙される必要がないから、国民が政府に税金を払わず政府に従わなくてもいいのである。ヨーロッパ人は五感主義だから、五感の世界には眼で見えるか見えないかがあるだけで嘘も本当もないから、ヨーロッパ人は嘘をついてもいいのである。反対に、日本人は知覚主義だから、知覚の世界には嘘と本当の区別があるから、日本人は嘘をついてはいけないのである。)
今の日本政府はヨーロッパ文化をやっている。今の日本ではみんなが日本文化をやらねばならない。みんながヨーロッパ文化をやってはいけない。今の日本政府はまちがったことをやっている。今の日本政府はやってはいけないことをやっている。日本政府はもはや日本人の仲間ではない。だから、国民みんなで日本政府を倒さねばならない。国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
今の日本では嘘つきは日本文化に反しているとして殺される。だから、日本ではけっして嘘をついてはいけない。日本はそういう国なのだ。
[22356] 日本人は自分の欠点を克服する努力をしないといけない。 h27.12.14
日本人は知覚が心に偏[かたよ]っている。そのため、日本人は現実に即して考えるのが苦手である。日本人は科学が苦手である。
現実には『政府の民主主義の芝居は政府が国民を喜ばせるためである』のに、日本人の多くは「政府の民主主義の芝居は政府が国民を騙[だま]すためだ」と思っている。
現実には『政府が国民を虐[いじ]めているのは国を平和にするためである』のに、日本人の多くは「政府が国民を虐めているのは政府が悪い団体だからだ」と思っている。
現実には『政府と国民は平等である』のに、日本人の多くは「政府と国民は不平等だ」「政府が国民よりも上の者だ」と思っている。
たとえ国民の多くが「政府の民主主義の芝居は政府が国民を騙すためだ」「政府が国民を虐めるのは政府が悪い団体だからだ」と思っていても、現実には『政府の民主主義の芝居は政府が国民を喜ばせるためだ』し『政府が国民を虐めるのは政府が国を平和にするためである』のである。たとえ国民の多くが「政府と国民は不平等だ」「政府が国民よりも上の者だ」と思っていても、現実には『政府と国民が平等である』から、国民は政府と自由に契約すればいいのである。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にして民主主義の芝居をやる仕事”をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
日本人は知覚が心に偏っているけれども、現実を認識して現実に基づいて行動すればいいのである。日本人は知覚が心に偏っているが、知覚が心に偏ったままではいけないのである。日本人は現実に即して考える努力をしないといけないのである。
世界中のどこの民族でも自分の長所と短所を知って、自分の長所を活かして自分の短所を直すための努力をしている。ヨーロッパ人やアメリカ人は頭が悪いから、考える努力をしている。日本人は眼が悪いから、現実を見る努力をしている。中国人もインド人も日本人と同じように眼が悪いから、現実を見る努力をしている。
人間は自分が馬鹿だと思うから馬鹿を直すために努力する。人間は自分が馬鹿だと思わなければ馬鹿を直さず馬鹿のままである。人間は自分に欠点があると思うから自分の欠点を直すために努力をする。人間は自分に欠点があると思わなければ自分の欠点を直さずに欠点があるままである。
日本人がテレビやゲームをすることは自分の欠点を助長することである。だから、やめねばならない。
日本人はテレビやゲームをやめて、現実について考える努力をすればいい。そうすれば、やがて現実がわかる。現実の中で正しく行動できるようになる。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが物が貧しかったから、国民みんなが一生懸命に国を善くしようとしていた。国民みんなが自分の欠点を直すために現実に目を向けて現実について考えていた。しかし、今では国の文明が高くなって国民みんなが物が豊かになったから、国民の多くは「今のままで十分だ」「これ以上先に進まなくていい」と思って国を善くしようとしなくなった。国民の多くは自分の欠点を直そうとしなくなって現実について考えなくなってテレビやゲームばかりやって遊んでいる。今の日本は油断して遊びまわっているから、後進国の中国やインドやアジアの国に追い越されている。そのうち日本のほうが後進国になる。日本は泣かねばならなくなる。日本人はこのへんで自分をよく反省して、自分に欠点があることを認めて自分の欠点を直すことに努[つと]めねばならない。日本人はテレビやゲームをやめて、現実に目を向けて現実について考えて現実の中で正しく行動できるようにしなければならない。いくら今の日本人が日本文化をやっているからといって、日本人が自分の欠点までも肯定していいわけではない。そんなことをしたら国が滅びる。人間は自分の欠点を克服しなければならない。日本人は自分の欠点を知りそれを直す努力をし続けねばならない。日本人は五感よりも心が発達しているから心で物を見がちである。日本人は五感は悪いが知覚はいい。日本人は眼で物を見れないが頭で物を見れる。だから、日本人は昔から一生懸命に現実に目を向けて現実のことを頭で考えるようにして頭で物を見れるようにして自分の欠点を克服してきたのである。(h27.12.19追記:ただし、頭で考えて物を見る場合にはめくらめっぽうに考えて当てねばならないから時間がかかる。頭で考えて物を見る場合には、人間が自分が頭の中に持っている概念を組み合わせてこちらから物を見ていくのだからまったく眼で物を見ないからまぐれ当たりを待つしかないから正しいことがわかるまでには時間がかかる。根気を持って考え続けることが大事である。例えば、私の政府論のように(笑い)。政府の正体を当てるまでに約10年かかる。頭で考えて物を見る者にとっては可能性の追求こそが科学なのである。ちょっとでもそれらしいことはなんでもかんでも考えなければならない。そうやって真実に当てなければならない。『下手[へた]な鉄砲も数撃てば当たる』のが研究方法なのである。/頭で物を見る人はめくらめっぽうに思いつくままなんでもかんでも考えて最後に正しいことに当てる。それが『刑事コロンボ』(1968〜1978)のキャラクターである。コロンボはインドの隣のスリランカの都市なので、インド人は頭で物を見るので、刑事コロンボは最初は行き当たりばったりで的外れなことばかりやっているが最後には正しいことに当てるのである。コロンボは私の父親にかなり似ている。それを日本版にしたのが『古畑任三郎[ふるはたにんざぶろう]』である。古畑任三郎のキャラクターは私に似ている。連れの今泉[いまいずみ]くんが皇太子である。『ウゴウゴルーガ』のテレビ東京版である『ダンジョンV』で千葉繁[ちばしげる]と田中真弓[たなかまゆみ]が共演していたのと同じことである。)
h27.12.18追記:アジア人は五感よりも心が発達しているために、物よりも作り話が好きで科学が弱くて文明が遅れている。中国は文化大革命をやって、みんなで現実や物が嫌いな者を皆殺しにして、現実や物が好きな者だけにして科学をやって文明を発達させている。(当時の中国の首脳部は国を発展させるためとはいえ多くの国民を殺した責任を取って自決した。つまり、文化大革命とは中国人みんなが科学賛成軍と科学反対軍に分かれて戦った中国の内戦である。中国政府は科学賛成軍を指揮して戦った。科学賛成軍が勝って、その後中国は国民みんなが科学をやるようになった。)今のインドは自分が現実や物に興味がない欠点を改善するために、一生懸命にみんなで頭で現実について考えて現実や物に興味を持つようにして科学が得意になって文明を発達させている。だから、日本も中国やインドを見習ってみんなで現実について考えて現実に興味を持つようにして科学が得意になって文明を発達させねばならない。
[22357] 政治団体は国民よりも馬鹿である。☆ h27.12.14
日本では近代までは国民みんなが法律を守って国を平和にしていなかったから、政府が国民を虐めて国を平和にしていた。
しかし、現代の日本では国民みんなが法律を守って国を平和にしている。だから、政府が国民を虐めて国を平和にする必要はない。政府は民主主義の芝居だけやって国民を喜ばせて国民から芝居代を取って付属会社を経営したり善い政策をやったりすればいい。
それなのに、今の政府は国民を虐めている。今の政府は「自分が悪い団体だ」と思って国民を虐[いじ]めている。今の政府は「民主主義の芝居が国民を騙[だま]すためだ」と思って民主主義の芝居をやっている。
今の政府はふざけて心で物を見ているから「自分が悪い団体だ」と思って国民を虐めているのである。
これまでも先進国が替わったときには、いつも国民のほうが政治団体よりも早く先進国の文化を受け入れていた。政治団体は国民に潰[つぶ]されてからしかたなく新しい団体に変わっていた。
それは、政治団体のほうが国民よりも馬鹿だからである。政治団体は国民から税金を取って国民を虐めていればいいだけなので、仕事の上で頭を使う必要がないので馬鹿なのである。政治団体は馬鹿がやる仕事なのである。政治団体が馬鹿なのは職業病なのである。政治団体が意地糞悪[いじくそわる]くなるのも職業病である。政治団体は毎日国民を虐めてばかりいるから意地悪になるのである。
政治団体は国民よりも馬鹿である。そのために、いつの時代でも国民が政治団体を引っ張ってやらねばならなかったのである。国民が正しいことを考えて正しいことをやって政治団体のまちがいを直してやらねばならなかったのである。昔の政治団体は『先進国が替わった』ことがわからなかったから新しい団体に変わらなかったのである。昔の政治団体は『先進国の文化を受け入れれば国が進んで物や心が豊かになってみんなの暮らしが楽になる』ことがわからなかったから自[みずか]ら滅んで新しい団体に変わらなかったのである。だから、昔の国民がわざわざ政治団体を潰してやって新しい団体に変えさせたのである。
今の時代にも国民が政府を引っ張ってやらねばならない。国民が政府を粛正[しゅくせい]してやらねばならない。政府は国民よりも馬鹿だから政府は国民に甘えているから、国民が政府に正しいことを教えてやらねばならない。今の国民は法律を守って国を平和にしているから、政府は国民を虐める必要がないから、国民みんなで政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒してやらねばならない。今の日本では国民みんなが日本文化をやっているのに、日本文化では嘘[うそ]をついてはいけないのに、政府は嘘をついて憲法で「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない」法律を定めている。政府がまちがっている。だから、今の国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
政治団体は国民よりも馬鹿である。だから、国民が政府に従っていてはいけない。国民が政府を従わせねばならない。今の政府は自分で倒れないから、国民が政府と契約するのをやめて政府を倒さねばならない。そうして、国民の力で日本を善い国にしないといけない。
[22358] 今の国民にとっては政府は要らない。 h27.12.14
政府(一般に政治団体)は国民を虐[いじ]めて国を平和にして、民主主義の芝居をやって国民を喜ばせる団体である。
政府は国民に命令して税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民に暴力をふったりして国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。政府は民主主義の芝居をして国民の役に立つことをしているふりをして国民に「政府が一生懸命国民みんなの役に立つことをして国民みんなを幸福にしてくれている」と思わせて国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて国民を喜ばせる。政府は国民を虐めて国を平和にすることに民主主義の芝居を加えて国民が平和に楽しく暮らせるようにしている。(幕府のときは民主主義の芝居のサービスがなくなって、国民を虐めて国を平和にするだけである。国民は平和には暮らせるが、幕府に虐められて不幸な気分にされたままである。だから、幕府の時代は幕府が国民に娯楽を大幅[おおはば]に許可して、国民が自分で自分を楽しい気分にさせるようにしていたのである。反対に、政府の時代は政府が民主主義の芝居をやって国民を“楽しい気分”にさせているから、政府が国民の娯楽を大幅に禁止して、国民が自分で自分を楽しい気分にさせないようにしている。)政府は口先で国民みんなの役に立つことをやっていると言うだけで、実際には国民みんなの役に立つことをやっていない。政府は口先でやっているかやっていないかわからないことを言って国民を喜ばせればいいだけである。政府は最初から民主主義の芝居を芝居としてやっていて嘘[うそ]としてやっていないから詐欺[さぎ]にはならないのである。政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けたり邪推したりする国民のほうが悪いのである。国民が政府の芝居の意義がわからなければ正直に政府に手を上げて質問すればいいのである。知ったかぶりをしている国民のほうが悪いのである。
政府は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民みんなを虐めている。政府は自分のために国民みんなを虐めているのではない。(そうでなければ、国民みんなが政府の虐めを許すわけがない。政府はすぐに国民みんなに倒されるだろう。善い政治団体は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民みんなを虐めるが、悪い政治団体は自分の利益のために国民みんなを虐める。鎌倉幕府や室町幕府や善い政治団体ではなかったので、国民みんなに倒されたのだろう。国民みんなが幕府と契約するのをやめて幕府の命令に従うのをやめて年貢[ねんぐ]を払うのをやめて倒したのだろう。昔の国民はよく善い政治団体と悪い政治団体の区別がついたものだ。幕府が遊んでいる感じが出すぎると国民みんなに潰されるのだろう。幕府が生き残るためには熱心に国民を虐めなければならなかったのである。今の政府も自分が国民みんなに潰されるのが怖いので一生懸命に国民みんなを虐めているのだろう。暴力団にも善い暴力団と悪い暴力団がある。今の日本に残っているのは善い暴力団なのだろう。)政府が国民を虐めるのは国を平和にするためであり、それ以外のためではない。だから、政府は国を平和にするために国民をランダムに不特定に虐めるだけである。政府は悪の犯罪組織ではないから自分にとって不都合な者や嫌いな者を虐めたりはしない。だから、国民が政府の前で政府を馬鹿にしても大丈夫である。国民が政府の悪口を言ってもいいし、政府の真実を明らかにしてもかまわない。マンガや週刊誌などが政府のことを伏せながら喩[たと]えながら言っているのに理由はない。馬鹿な国民が「政府が悪の団体だ」と誤解して自分独[ひと]りで政府を怖がっているために政府のことを正直に言えないのである。本当は国民は自分が言いたいことをそのまま言えばいいのである。
政府は国民を虐めることによって国を平和にする会社である。政府は昔のやり方(つまり国民を虐めるやり方)で国を平和にする警察である。政府は国民のために国民を幸福にするために国を平和にするために国民を虐める。政府にとって国民を虐めることは仕事である。だから、政府と国民は平等である。国民は政府の仕事の報酬として政府に税金を払うのである。そもそも『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるのは当然である。大昔の原始時代からずっと政府と国民は平等だったのである。政府と国民は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にして民主主義の芝居をやって国民を喜ばせる仕事”をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民がろくすっぽ法律を守っていなくて世の中が物騒[ぶっそう]だったから、政府が国民を虐めて国を平和にしていた。国民みんなが政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は文明が高くなって国民が法律を守って暮らすようになって世の中が平和になっているから、政府が国民を虐めて国を平和にしなくてもいい。(しかし、政府は馬鹿だからそのことがわからず昔と同じように国民を虐めて国を平和にしている。)そのため、国民みんなが政府と契約せず政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府はお金が足りなくなって付属会社を経営できなくなって付属会社を独立民営化している。“もと付属会社”は国民と契約して国民からお金をもらって仕事をするようになっている。将来、国民は法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
[22359] 国民は政府の法律会社の嘘[うそ]の法律を守る必要はない。 h27.12.14
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府(権力団体)や法律会社は平等である。
政府は政府の法律会社に税金の一部をやって経営しているから、政府の法律会社は半官半民である。つまり、政府の法律会社は半分政府のもので半分国民のものである。政府の法律会社は国民に法律(人間の平等性と国民性で決まる法律)を守らせて国を平和にしているが、一方で政府の命令で国民を虐める法律(例えば、税金の法律)を定めたり国民を虐める政策をやったり国民を虐める命令を出したりしている。(本来法律会社は法律を定めるだけだから、政府の法律会社は国民を虐める法律を定めるだけである。国民を虐める政策をやったり国民を虐める命令を出すのは政府の仕事である。政府の本体である行政機関は法律会社に入っているから、政府の法律会社の中にある行政機関が国民を虐める政策をやったり国民を虐める命令を出したりしているのである。/政府は国民の虐めのほかにも民主主義の芝居もやっている。政府は民主主義の芝居をやるために間接民主制や多数決の原理を考え出したのである。間接民主制も多数決の原理も政府が民主主義の芝居をやるためにあるのである。政府の民主主義の芝居は国民を“幸せな気分”にするためにやっている。政府は民主主義の芝居をやることによって国民を虐めることの副作用(つまり国民が不幸になること)を抑えているのである。政府の権力(命令力)は間接民主制から生まれているのではなく、国を平和にすることから生まれている。間接民主制では、政府は国民みんなに従っているふりをしてじつは従っていないから、間接民主制では政府は国家権力が得られないから、政府は間接民主制によって権力を得ることはできないのである。政府は国民に命令して国民が嫌なことをやらせて国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。昔は国民が国を平和にして自分が幸福に暮らすために政府の命令を聞いていたから政府に権力があったのである。反対に、今は国民が法律を守って国を平和にしているので政府の命令を聞かなくなったので政府に権力がないのである。/民主主義の芝居は政府が国民みんなの役に立っているふりをして国民に「政府が一生懸命に国民みんなの役に立つことをやっている」と思わせて国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて喜ばせるためにあるだけである。政府は実際には国民の役に立つことを何もやっていない。実際には政府は国を平和にするために国民を虐めるだけである。つまり、間接民主制や多数決の原理は政府が民主主義の芝居をやるために考案した芝居の上の制度であり原理にすぎないのである。政府は民主主義の芝居をやるだけで現実には何もやっていないから、間接民主制や多数決の原理がいくら現実の世界でまちがっていてもかまわないのである。間接民主制や多数決の原理は政府の民主主義の芝居の上の制度であり原理である。政府は間接民主制や多数決の原理で民主主義の芝居をするだけであって、政府は間接民主制や多数決の原理で決めたことを現実の世界ではやらないから、間接民主制や多数決の原理が現実の世界でまちがっていてもいいのである。政府は間接民主制や多数決の原理を使って民主主義の“芝居”をやっているだけだから、間接民主制や多数決の原理は最初からどうでもいいことなのである。間接民主制や多数決の原理は政府の民主主義の芝居のやり方にすぎないから現実にはどうでもいいのである。政府は間接民主制や多数決の原理を使って民主主義の芝居をやるだけで現実には何もやらず、現実には自分の独断で国民を虐めているだけである。)
政府は国民と平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。つまり、国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。『国民が政府に税金を払って政府に従うかどうかは国民個人の自由である。』
それなのに、今の政府の法律会社は「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない」法律を定めている。
だから、今の政府の法律会社は嘘をついている。
昔の近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では嘘をついてもよかった。だから、政府の法律会社が嘘の法律を定めてもよかった。もっとも、国民は嘘に騙される必要はないから、政府の法律会社の嘘の法律を守らなくてもよかった。ただ、当時はまだ国民みんながろくに法律を守っていなくて世の中が物騒[ぶっそう]だったから、国民みんなが政府に国民みんなを虐めてもらって国を平和にしなければならなかったから、国民みんなが政府と契約して政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にする仕事をやってもらっていた。政府の法律会社がわざわざ嘘の法律を定めなくても政府は実力で国民みんなと契約が取れた。政府はわざとに政府の法律会社に嘘の法律を定めさせてヨーロッパ文化をやって遊んでいたのである。
しかし、今の現代の日本ではみんなが日本文化をやらねばならない。日本文化では嘘をついてはいけない。だから、今では政府の法律会社が嘘の法律を定めてはいけない。それなのに、今の政府の法律会社は嘘の法律を定めている。だから、今の政府の法律会社が悪い。もちろん、国民みんなは政府の法律会社の嘘の法律を守らなくていい。つまり、国民全員が政府に税金を払って政府に従わなくてもいい。つまり、国民が政府に税金を払って政府に従うかどうかは国民個人の自由である。
今の日本では国民みんながちゃんと法律を守って国を平和にしている。だから今の国民みんなは政府に国民みんなを虐めてもらって国を平和にしなくてもいい。だから、国民は政府と契約せず政府に税金を払わず政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくていい。国民は政府に従わなくていい。
国民みんなで早く政府に税金を払わなくなって政府を倒して、政府の付属会社を政府から独立させて民営化させて、“完全に民営の法律会社”を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律会社に法律の仕事をやってもらわねばならない。
今の社会には政府(権力団体)と法律会社の二つがあるから複雑で面倒臭い。(私はこの文を書きながら頭が混乱してわけがわからなくなりかけていた。)国民みんなで早く社会から政府をなくして法律会社だけにしてシンプルでわかりやすい社会にしないといけない。
[22360] 政府の福祉政策は国民に対する虐[いじ]めである。 h27.12.15
『政府は国を平和にするために国民を虐めて、民主主義の芝居をやって国民を喜ばせる団体である。』【政府の原理】
政府の福祉政策は国民に対する虐めである。政府は障害者を使って障害者にたくさんお金をかけることによってお金を無駄遣[むだづか]いして国民を虐めている。政府が障害者にいくらお金をかけても障害者が国民の役に立つことはないから福祉事業はお金の無駄遣いにすぎない。政府は国民から取った税金で障害者にたくさんお金をかけて国民からもらった税金を無駄遣いして国民を虐めているのである。政府が国民の役に立たない事業にたくさんお金をかけることは国民に対する虐めである。政府は国民を虐めるために福祉事業をやっているにすぎないのである。
今の国民は法律を守って国を平和にしているから、政府に頼んで国を平和にしてもらわなくていい。今の国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
福祉をやりたい国民なんか一人もいない。ヨーロッパでもいない。障害者は自分で生きていけなければ死ねばいい。どうせ障害者では幸福に生きられないから死んだほうがいいだろう。政府の福祉政策は障害者に対する虐めでもあるのである。
政府が国民から高額の医療保険費を取るのも、国民に対する虐めのひとつである。今の国民は自分が政府に国民を虐めて国を平和にして欲しくなければ、医療保険費を払ってはいけない。民間のどこかの医療保険に入ればいい。
[22361] 政府は民主主義の芝居をやっているだけで民主主義をやっていない。
h27.12.15
『政府は国を平和にするために国民を虐めて、民主主義の芝居で国民を喜ばせる団体である。』
政府は民主主義を芝居としてやっているだけで現実にはやっていない。だから、政府が民主主義の芝居の上であることないこと言ってもかまわないのである。マンガやテレビドラマの上で現実にはないことをやってもいいのと同じである。政府は民主主義の芝居を国民を喜ばせるためにやっているだけで実行するためにやっているのではないから、政府が民主主義の芝居で現実と合わないことをやったりつじつまが合わないことをやったりしてもいいのである。芝居の上では何をやろうが自由だから、芝居は客を楽しませればいいだけだから、芝居は正しくなくてもいいのである。だから、間接民主制や多数決の原理は現実的には国の政策を決めるために適切な方法ではないが、政府の民主主義の芝居では間接民主制や多数決の原理で国の政策を決めているのである。間接民主制や多数決のほうが国民みんなで選挙をやったり国会議員が起立したりして絵的に芝居的に盛り上がるので政府は民主主義の芝居でそれらを採用しているのである。政府は国民を民主主義の芝居の世界に参加させるために選挙をやっているのである。
政府の民主主義は芝居にすぎず、実際には政府は民主主義をやっていない。政府は国民みんなの役に立つふりをしているだけで、実際には国民みんなの役に立つことをやっていない。政府は実際には国を平和にするために国民みんなを虐めているだけである。
しかし、今では国民が自分で法律を守って国を平和にしているので、国民はもはや政府に用はない。今では国民は政府に国を平和にしてもらわなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
ヨーロッパでは国民のほとんどが政府に税金を払わなくなって政府が潰れかけているので、政府は国民を虐めることができなくなって民主主義の芝居をやるだけになっている。日本では国民の多くがいまだに政府に税金を払っているので今でも政府が国民を虐めて民主主義の芝居をやっている。日本は先進国のヨーロッパを見習って国民が政府に頼んで国を平和にしてもらうのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
[22362] 政府の法律会社は嘘の法律を定めて儲[もう]けている。☆ h27.12.15
『政府は国民を虐めて国を平和にして、民主主義の芝居をやって国民を喜ばせる団体である。』
政府の仕事の対象は国民全員である。政府は最初から国民みんなを対象にして国民みんなを虐めて、国民みんなに民主主義の芝居をやっている。
しかし、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に“国民みんなを虐めて国を平和にして民主主義の芝居をやって国民みんなを喜ばせる仕事”をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
それなのに、政府の法律会社は「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」を定めている。政府の法律会社は“政府の仕事の対象が国民全員であること”を使って、逆に国民全員が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をやってもらわねばならないことにしているのである。(国民が政府に税金を払うと政府と契約したことになるから、政府は国民を虐めるために国民に命令を出すから、国民は政府の命令を聞かねばならないことになるのである。政府に従わねばならないことになるのである。)それは政府の押し売りである。押し売りはいけない。だから、国民は政府に税金を払って政府に従わなくてもいい。本当は、国民が政府に税金を払って政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。政府の法律会社は嘘[うそ]の法律を定めている。政府の法律会社は「国民全員が法律を守らなければならない」ことを利用して自分がお金を儲[もう]けるために「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない」嘘の法律を定めているのである。政府の法律会社は近くに政府がいるために、政府が意地悪[いじわる]で馬鹿なのがうつって、自分も汚いことをやっているのである。政府の法律会社は政府が国民を虐めて悪いことをやっているのを見て「自分も悪いことをやってもいい」と思って嘘の法律を定めているのである。しかし、本当は政府は国を平和にするために国民みんなの許可をもらって特別に国民みんなを虐めて悪いことができるのであって、政府以外の者が悪いことをやってはいけない。政府の法律会社も悪いことをやってはいけない。政府の法律会社は嘘の法律を定めてはいけない。
政府の法律会社は半官半民であり、政府からお金をもらう代わりに政府の命令で国民を虐める法律を定める。だから、「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」は政府が法律会社に命令して定めさせた法律なのかもしれない。しかし、政府は国民を虐めることはできるが嘘をついてはいけない。国民みんなは政府が国民みんなを虐めることは許しているが、嘘をつくことは許していない。今の日本ではみんなが日本文化をやらねばならないから、日本文化では嘘をついてはいけないから、政府は嘘をついてはいけない。だから、政府は法律会社を使って嘘の法律を定めてはいけない。今では国民みんなが自分で法律を守って国を平和にするようになって政府に頼んで国を平和にしてもらわなくなっている。政府は国民と契約が取れなくなって儲からなくなっている。そのため、政府は一人でも多くの国民と契約を取るために法律会社を使って嘘の法律を定めさせているのである。
国民は政府や政府の法律会社に騙[だま]されてはいけない。国民はそんなふざけた政府や政府の法律会社は要らない。国民は政府に税金を払わないようにして政府もろとも政府の法律会社を倒さねばならない。
政府は間接民主制や多数決で「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」を決めている。(国民にとって楽しいことではないが。政府の民主主義の芝居は必ずしも国民にとって楽しいとは限らないのである。)しかし、間接民主制や多数決はお芝居である。現実ではない。つまり、政府は民主主義で「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」を定めているが、そもそも政府の民主主義は芝居であって現実ではない。だから「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」も芝居の上の法律であって現実の法律ではない。だから、国民は「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」を現実の上で守らなくてもいいのである。政府の法律会社は半官半民だから、「国民を虐めるための法律」と「民主主義の芝居で決めた法律」と『国民が社会の中で幸福に暮らすための法律』を混ぜこぜにしてやっている。政府が決めた法律は「国民を虐めるための法律」と「民主主義の芝居で決めた法律」で、国民が決めた法律は『国民が社会の中で幸福に暮らすための法律』である。政府と契約している国民は「政府が国民を虐めるための法律」と『国民が社会の中で幸福に暮らすための法律』の両方を守って、政府と契約していない国民は『国民が社会の中で幸福に暮らすための法律』だけ守ればいい。政府と契約している国民は「政府が国民を虐めるための法律」を『国民が社会の中で幸福に暮らすための法律』よりも優先的に守る。政府と契約している国民は政府の法律や政府の政策や政府の命令を『国民が社会の中で幸福に暮らすための法律』よりも優先する。政府と契約している国民も契約していない国民も「民主主義の芝居で決めた法律」は守らなくていい。「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」は「政府が民主主義の芝居で決めた“架空”の法律」なので、政府と契約している国民も政府と契約していない国民も両方とも守らなくていいのである。政府の民主主義は芝居であって現実ではない。政府は“架空の世界”で国民みんなの役に立っているのであって、現実の世界では国民みんなの役に立っていない。政府の民主主義の芝居をする団体は架空の世界の法律を決められるだけであって、現実の世界の法律を決められない。(単純な人が政府の芝居を真[ま]に受けて喜んでいる。“『スーパーマリオブラザース』のゲームのやりすぎで踏み切りを見ると飛び跳ねている。”都会っ子は生まれてからずっとテレビばっかり見ているので現実よりも架空を優先する。だから、政府の芝居を真に受けて喜んで「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」を守っているのである。政府は芝居の上では国民みんなに従っていて国家権力があるから、国民は芝居の上では政府に従わねばならない。しかし、現実の上では従わなくていい。政府の芝居にかぶれた人は必死に政府に従おうとするのである。/「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」は「政府が民主主義の芝居で決めた架空の法律」なので、架空と嘘は違うので、政府は嘘をついていないので日本文化に反しない。小説が架空であって嘘でないのと同じである。小説は嘘ではないから書いてもいいのである。今の政府は架空のことをやっているだけであって嘘をついていないから、今の政府は日本文化に反していないことになる([22355]を参照)。日本では小説は禁止していないから、日本文化では架空のことはやってもいいから、日本文化では政府は民主主義の芝居をやってもかまわない。だから、今の政府は文化的にはまちがっていない。しかし、今の政府が国民みんなが法律を守って国を平和にしている現状を無視して国民みんなを虐めまくっているのはまちがっている。)
政府の法律会社も政府も国民の多くが社会科が苦手なことを利用して国民の多くを騙して儲けている。社会科の教科書には具体的な事実が書かれているだけで理屈は何も書かれていない。そのため、国民が社会科の教科書を読んでも理解は何も得られない。国民は社会科がわからないままである。そのため、政府の法律会社が架空の法律を定めたり、政府が国民の眼に付かないところで国民を虐めたりして、国民を騙して国民からお金を取って儲けている。国民はもっと社会科を理解して、他人の架空の話に騙されないようにして、他人が陰[かげ]でやっていることに騙されないようにして、賢く暮らさねばならない。
[22363] 政府は架空の世界で国民を幸福にして、現実の世界では国民を不幸にする。
h27.12.15
『政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にして、民主主義の芝居をやって国民を幸福にする団体である。』
政府はテレビや新聞で民主主義の芝居をやって国民を喜ばせている。政府はテレビや新聞で自分が国民の役に立つことをしているふりをして国民を喜ばせている。政府の民主主義は芝居であって現実ではない。政府は架空の世界で国民の役に立っているだけで、現実の世界では国民の役に立っていない。「国民全員が政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」は架空の世界の法律であって、現実の世界の法律ではない。政府は架空の世界では国家権力があって国民全員が政府に従わねばならない。しかし、現実の世界では『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくてかまわない。
政府の民主主義の芝居には国民に「政府が国民の役に立つことをやってくれている」と思わせて国民を喜ばせる作用があるが、それと同時に国民に「政府に国家権力がある」と思わせて国民に政府に従わねばならないと思わせて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする作用もあるのである。今の政府は間接民主制をやって自分に国家権力があるふりをして国民を政府に従わせて国民をおとなしくさせて国を平和にしている。だから、“政治”と言うのである。つまり、政治とは、政府が民主主義をやっているふりをして自分に国家権力があるふりをして国民をおとなしくさせて国を平和にすることである。しかし、間接民主制は国民が議員を選ぶだけで、政府が国民みんなに従っているふりをして本当は国民みんなに従っていないから、本当は政府には国家権力がないから国民を政府に従わせることができず国民をおとなしくさせることができない。そもそも政府は自分が国を平和にするために国民を虐めて国民を不幸にしたのを慰[なぐさ]めるために民主主義の芝居をやっている。政府は民主主義の芝居をやるために自分が国民みんなに従っているふりをするために間接民主制をやっているだけだから、政府に国家権力がないのは当然である。『政府が権力団体である』ことを知らない国民が政府が間接民主制をやっているのを見て「政府に国家権力がある」と誤解しているだけである。けっきょく、政府の民主主義の芝居には国民に「政府が国民の役に立つことをやってくれている」と思わせて国民を喜ばせる作用しかないのである。国民は「政府が民主主義をやっているために政府に国家権力がある」と思っているから政府に従うのではなく、「国を平和にするためには政府に国民みんなを虐めてもらわねばならない」と思っているから政府の虐めの命令を聞いて政府に従っているのである。
政府は現実の世界では国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
政府が国を平和にするために国民を虐めるだけだと国民が不幸になるので、政府はそれを補うために民主主義の芝居をやって国民に「政府が一生懸命に国民みんなの役に立つことをやってくれている」と思わせて国民を喜ばせて国民が平和に幸福に暮らせるようにしているのである。国民が現実の世界ではつらい仕事や勉強をして、テレビやマンガを見て架空の世界で喜んでつらい気分を治しているのと同じである。政府は現実の世界では国を平和にするために国民を虐めて、架空の世界では民主主義の芝居を国民に見せることによって国民を喜ばせているのである。政府は国民を虐めて国を平和にすることに民主主義の芝居を加えることによって自分が国を平和にするために傷つけた国民の心を癒[いや]しているのである。政府は自分で国民を虐めて国民を傷つけながら自分で国民を癒しているのである。(『スタートレック=宇宙大作戦』の「恒星ミナラの生体実験」は、宇宙人が地球人を交互にいたぶったり癒したりしている話だった。政府が国を平和にするために国民を虐めて、民主主義の芝居で国民を癒していることの喩[たと]えである。)政府は架空の世界では国民みんなを幸福にしているが、政府は現実の世界では国民みんなを虐めて不幸にしているだけである。
架空の世界では政府が国家権力があって国民全員が政府に従わねばならないが、現実の世界では政府と国民が平等であって国民が政府に従わなくてもかまわない。政府が国民を虐めて国を平和にして民主主義の芝居をやって国民を喜ばせることは国民に対する仕事である。国民が政府に税金を払うことは政府に対する報酬である。国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。国民が自分で考えて決めればいいのである。国民が自分で考えずに決めてもいいのである。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に国を平和にしてもらわねばならなかった。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
今は国の文明が高くなって国民が法律を守って国が平和になっているから、国民が政府に国を平和にしてもらわなくてもよくなった。国民が政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。
政府が国民に対して大きい顔ができるのは、政府が国民と契約が取れるかぎりである。昔は国民みんなが政府と契約していたから政府が大きい顔ができた。今では国民のほとんどが政府と契約しなくなったから政府は大きい顔ができなくなっている。政府は今日的[こんにちてき]には存在意義がない団体である。そのために、政府は国民みんなに倒されている。政府はもうすぐ滅んでなくなるのだ。法律会社の時代がやって来るのだ。
[22364] 現実の世界では政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体にすぎない。☆
h27.12.15
『政府は国民みんなを虐めて国を平和にして、民主主義の芝居をやって国民を喜ばせる団体である。』
政府は自分が国を平和にするために国民を虐めることに民主主義の芝居を加えることによって国民の気分を害さないようにして国民が平和に幸福に暮らせるようにしているのである。
政府の民主主義は芝居であって現実ではない。政府は架空の世界で国民の役に立っているのであって、現実の世界では国民の役に立っていない。
架空の世界では政府は国民みんなの役に立つことをする団体である。架空の世界では政府は国民みんなに従っていて政府には国家権力があるので政府は「国民みんなが政府に税金を払って政府に従わねばならない法律」を定めている。架空の世界では政府は国民みんなになんでもかんでもありとあらゆる善いことをする便利な団体である。そのために、架空の世界では政府は国民みんなに絶大な人気があって国民みんなが従う絶対無敵の権力者である。
しかし、現実の世界では政府は国民みんなを虐めて国を平和にする団体である。現実の世界では『人間はみな平等』なので、政府と国民は平等なので、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。現実の世界では政府は“国民を虐めて国を平和にする仕事”をして国民からお金をもらう団体にすぎない。
政府は架空の世界では国民にいろんな善いことをして国民を幸福にしてくれるが、現実の世界では国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にしているにすぎない。
国民にとってはくだらない作り話なんかどうでもいい。国民にとっては現実だけが問題である。
昔は国の文明が遅れていて国民がろくに法律を守らず国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に国を平和にしてもらっていた。国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民がちゃんと法律を守って国が平和になっているから、国民は政府に国を平和にしてもらわなくてもよくなった。国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をしてもらわなくなっている。
今は科学の時代である。人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足して幸福になるべきである。人間は現実の世界で幸福になるべきであって、架空の世界で幸福になるべきではない。政府がテレビや新聞でやっている民主主義の芝居なんかどうでもいい。政府はテレビや新聞などの架空の世界では国民にいろんな善いことをして国民を幸福にしてくれているが、現実の世界では国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府は架空の世界では国民みんなの人気があって国民みんなに売れているが、現実の世界では国民みんなに嫌がられて国民みんなに捨てられている。国民は早く政府を倒して法律会社を建てて、現実の中で法律会社に法律を守らせてもらって幸福に暮らさねばならない。
[22365] 政府は架空の世界では国民みんなを指揮して国民みんなを幸福にしているが、現実の世界では国民みんなを虐めているにすぎない。☆ h27.12.15
架空の世界では政府は国民みんなに従っていて国家権力があって国民みんなの役に立つことをやって国民みんなを幸福にしている。政府は国家権力があるから国民みんなは政府に従わねばならず政府に税金を払わねばならない。政府は間接民主制(選挙や国会)をやることによって自分が国民みんなに従っている芝居をしている。国民はパッと見では政府が国民みんなに従っているように見える。
現実の世界では政府は国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にしている。政府は国民に命令して国民から税金を取って国民に嫌がらせをして国民を殺したり痛めつけたりして国民に政府を恐れさせて国民をおとなしくさせて国を平和にしている。政府は国民と平等であり、政府は国民と契約を取って仕事をしている。
政府は現実の世界で国を平和にするために国民を虐めて不幸にしているのを架空の世界で国民の役に立つことをして国民を幸福にすることによって打ち消しているのである。そうすることによって、政府は国民が平和に幸福に暮らせるようにしているのである。
政府は架空の世界では国民みんなにいろんな善いことをやって国民みんなを幸せにしているが、現実の世界では国を平和にするために国民みんなを虐めているにすぎない。政府はテレビや新聞の上では一生懸命に国民みんなが幸せに暮らせる命令を出して国民みんなを幸福にしているが、実際には国民みんなに嫌がらせの命令を出して国民みんなを虐めて不幸にしている。政府はテレビや新聞でやっていることと実際にやっていることが違う。国民みんなは政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうために政府がテレビや新聞の上で嘘[うそ]をつくことを特別に許している。
政府は架空の世界では国家権力があって国民みんなを支配しているが、現実の世界では国民と平等であり国民と契約して国民から税金をもらって仕事をしている。
国民にとっては架空の世界よりも現実の世界のほうが大事である。国民にとっては架空の世界はどうでもいい。現実の世界がよければいい。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったので、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらっていた。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律を守って国が平和になったので、国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
架空の世界では政府はあいかわらず国民全員と契約を取って儲[もう]かっているが、現実の世界では政府は国民と契約が取れなくなって潰[つぶ]れている。
将来、国民みんなで現実の世界で法律会社を建てて、法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうつもりである。
[22366] 架空の政府は強いが、現実の政府は弱い。☆ h27.12.16
『政府は国民を虐めて国を平和にして、民主主義の芝居をやって国民を喜ばせる団体である。』
政府は国を平和にするために国民を虐めることに民主主義の芝居を加えることによって国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて国民が平和に幸福に暮らせるようにしているのである。政府は間接民主制をやって国民みんなに従って国民みんなの役に立つことをしている芝居をしているのである。
現実の世界では政府は国民を虐めて国を平和にしている。政府と国民は平等で、国民と契約を取って国民から税金をもらって国民を虐めて国を平和にする仕事をしている。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
架空の世界では政府は国民みんなに従って国民みんなの役に立つことをしている。政府は国家権力を持っていて国民全員が従わねばならない。政府は「国民全員が政府に税金を払わねばならない法律」を定めている。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守らず国が物騒[ぶっそう]だったので、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。国民が政府と契約を取って政府に税金を払って政府に国民を虐めてもらっていた。
今は国の文明が進んで国民が法律を守って国が平和なので、国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくてもよくなっている。国民が政府と契約を取るのをやめて政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
架空の世界では政府は絶対無敵で国民を支配して国民に何でも命令できるが、現実の世界では政府は国民と契約を取らねば生きていけず国民の尻に敷かれている。国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けないようにして、芝居を芝居として見るようにして、現実の世界と架空の世界を区別して、政府と関わらねばならない。国民がマンガやドラマを真に受けて、現実でマンガやドラマと同じことをやってはいけないのと同じである。政府が国民みんなの役に立つことをしているのは芝居である。政府に国家権力があるのも芝居である。現実には政府は国民みんなの役に立つことをしていないし、国家権力もない。現実では政府が国民みんなを虐めて国を平和にしているだけである。国民は現実の政府を見失わないようにして、現実の世界で自分にとって政府が必要かそうでないかを考えて政府と契約するかしないかを決めねばならない。現実の世界では今の国民にとって政府は要らないから国民は政府と契約するのをやめて政府をなくさねばならない。
[22367] 今の国民は架空の政府よりも現実の政府を見なければならない。☆ h27.12.16
政府は本来国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民を嫌がらせたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にする。
政府は現実の世界で国民を虐めて国を平和にするために国民を不幸にしているのを直すために、架空の世界で国民の役に立つことをやって国民を“幸せに暮らしている気分”にさせて国民を喜ばせているのである。
政府は架空の世界では「政府が間接民主制をやって国民の総意に基づいて国民みんなを指揮して国民みんなが幸福に暮らせるようにしている。そのため、国民みんなが自分たちが幸福に暮らすために政府の命令に従っている。国民みんなが自分たちが幸福に暮らすために政府に税金を払わなければならない」ことにしているのである。なんとも政府にとって都合のいい“設定”である。政府は自分にとって都合のいい世界を国民みんなに押し付けているのである。
しかし、現実の世界では政府は国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府と国民は平等であり、政府は国民と契約して国民からお金をもらって“国民を虐めて国を平和にする仕事”をする。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らず国が物騒[ぶっそう]だったから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律を守って国が平和になっているから、国民が政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
今の国民は政府の芝居を真[ま]に受けず、現実の政府を見て、政府と契約しないようにして政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府のない国にして、自分が政府に虐められないようにして、幸福に暮らさねばならない。
政府が国民みんなを指揮して国民みんなが幸福に暮らせるようにしているなら、国民がとっくの昔に自分で自分が幸福に暮らせるようにしているはずである。人間は幸福になりたいから、いちいち他人に言われなくても自分で自分を幸福にするはずである。だから、政府が国民みんなを指揮することなんかない。政府は国民の役に立つ芝居をしているか、何もしていないか、国民を虐めているかである。だから、今の国民は政府には用はない。今の国民は自分で法律を守って国を平和にしているから、政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくていい。今の国民にとって政府は要らない。国民は思いっきり政府を倒せばいいのである。
[22368] もともと政府の民主主義は芝居である。☆ h27.12.16
政府はもともと国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故で国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしている。
しかし、それでは国民が不幸な気分になるので、政府は“民主主義の芝居”をやって国民の機嫌[きげん]を取っているのである。そうやって、政府は国民が平和に幸福に暮らせるようにしているのである。
だから、政府の民主主義はもともと架空の芝居なのである。政府は実際には国民を虐めて国を平和にしているのであって、政府は実際には民主主義をやっていないのである。政府の民主主義は政府が国民の機嫌を取るためにやっている芝居にすぎず、現実にやっているのではない。政府は実際には国民みんなの役に立つことをやったり、国家権力で国民みんなを自分の好き放題にしたりしていないのである。「国民全員が政府に税金を払わなければならない法律」は政府が民主主義の芝居でイタズラで作った架空の法律なのである。架空の法律を真[ま]に受けて守っている国民のほうが悪い。
政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体なのである。政府と国民は平等であって、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和する仕事”をしてもらうかどうかは国民個人の自由なのである。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
今は国の文明が高くなって国民が法律を守って国が平和になったから、国民が政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。
そのために、政府は年々儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。これまでは虐め(権力)の時代だった。これからは法律の時代になるのだ。
国民が政府についての理解があれば政府の民主主義が芝居であることがわかる。国民が政府についての理解がないから政府の民主主義が本当だと思っているのである。国民は政府について正しく理解して、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けないようにしないといけない。
今の国民の多くは政府の一部分しか見ていないから、政府の“民主主義の芝居をやる部署”しか見ていないから、政府を誤解して「政府が本当に民主主義の団体だ」と思って「政府に国家権力がある」と思って「政府に従わねばならない」と思っているのである。政府の全貌[ぜんぼう]を見なければ正しい意味がわからない。政府は“国民を虐めて国を平和にする部署”と“民主主義の芝居をやる部署”の2つから成る。政府は国民を虐めて国を平和にするが、政府が国民を虐めると国民が不幸になるのでそれを誤魔化[ごまか]すために政府は民主主義の芝居をやって国民の機嫌を取って国民を幸福にしている。母親が子供が怪我[けが]をして痛がっているのを誤魔化すために「痛いの痛いの飛んで行け」と言うのと同じことである。だから、政府の民主主義は芝居なのである。政府は芝居で民主主義をやっているにすぎないのである。政府は芝居の上で民主主義をやっているのであって、現実の上で民主主義をやっていない。現実の世界では政府は民主主義をやっていない。現実の世界では“政府の民主主義をやる部署”は存在していないのである。現実の世界では政府は国を平和にするために国民を虐めているだけである。政府の民主主義は芝居にすぎないから、国民は政府の民主主義を真に受けて政府に国家権力があると思って政府に従ってはいけない。芝居の上では嘘をついてもいいから、政府が民主主義の芝居の上で言うことは嘘だから、国民は政府が民主主義の芝居の上で言うことを信じてはいけない。私が子供のころ私の父親は私に「囲碁は将棋と違って大局観が大事だ」と言った。物事の正しい意味がわかるためには物事の全体を見ることが大事なのである。
[22369] 無駄[むだ]が無駄を生む。☆☆ h27.12.16
政府はもともと国民を虐めて国を平和にする団体である。
しかし、そのために国民が政府に虐められて不幸になっていた。政府はそれを直すために民主主義の芝居をやって国民の機嫌[きげん]を取った。
しかし、そのために政府が芝居の上で国家権力を持つことになって、政府の芝居を真[ま]に受けた国民が政府に従っている。(政府の芝居を真に受けた国民は政府の“国民を虐めて国を平和にする部署”が国民を虐めるために出した命令を、政府の“民主主義の芝居をする部署”が国家権力で出した命令と勘違いして聞いているのである。)政府は芝居の上で国家権力を使って「国民全員が政府に税金を払わねばならない」架空の法律を定めている。政府の芝居を真に受けた国民が必死に架空の法律を守って政府に税金を払っている。(政府の民主主義は芝居だから、芝居の上ではいくら嘘[うそ]をついてもいいから、政府は民主主義の芝居の上であることないことデタラメに言っているのである。政府は現実には政府は国民みんなの役に立つことは何もやっていないのに、民主主義の芝居の上では自分が一生懸命に国民みんなの役に立つことをやっていることにしているのである。マンガや特撮のヒーローが芝居の上では悪の手から地球を守っているのに、現実の上では何もやっていないのと同じことである。子供がマンガや特撮を見て喜ぶだけでマンガや特撮を本気にしないように、国民は政府の芝居を見て喜べばいいだけであって政府の芝居を本気にしてはいけない。いくら政府が背広を着ているからといって本気にしてはいけない。政府は背広を着た特撮ヒーローなのである。国民はどこかの芝居小屋の舞台の上で政府が民主主義をやっていると思えばいいのである。国会議事堂が芝居小屋に似ているのはそのためである。国会議事堂は民主主義の劇場である。国会議員は民主主義の芝居をやる人なのである。国会議員は自分が国民みんなの役に立つことをしている芝居をすればいいだけである。国民は政府の芝居があまりにもつまらないのでついつい本気にしてしまうのである。本当のことだと思ってしまうのである。現実の世界では嘘をついてはいけないが、芝居の世界では嘘をついてもいい。だから、政府は民主主義の芝居の上で嘘をたくさんついているのである。芝居の上では正しくなくてもいい。芝居の上ではまちがっていてもいい。芝居の上では何でもありである。芝居の世界は芝居を作る人が自分にとって都合のいいように作ればいい。そのため、政府は民主主義の芝居の上で自分の都合のいいように好き勝手に物事を決めている。マンガの世界がなんでもありだから、マンガ家が自分の都合のいいようにキャラクターや話を決めているのと同じことである。政府は民主主義の芝居の上で間接民主制で自分が国民みんなに従っている“ことにして”自分が国民みんなの役に立つことをしている“ことにして”自分に国家権力がある“ことにして”国民みんなが政府に従わねばならない“ことにして”、多数決の原理が成り立つ“ことにして”国会議員の多数決で法律や政策を決められる“ことにして”いるのである。しかし、現実の世界では間接民主制では政府は国民みんなに従っていることにならないから政府は国民の役に立つことをしていないし政府に国家権力はない。現実の世界では多数決の原理がないから国民は政府が多数決で決めた法律や政策を守らなくていいのである。芝居の上では政府は国家権力があるから国民は政府が決めた「国民全員が政府に税金を払わねばならない法律」を守らねばならないが、現実の上では政府は国家権力がないから国民は政府が決めた「国民全員が政府に税金を払わねばならない法律」を守らなくてもいい。政府が神妙な顔つきをして民主主義をやっているから国民は本気にしがちだが、本当はただの芝居にすぎないのである。政府は民主主義の芝居をやる役者だから、芝居を見る者に本当だと思わせるのが上手[うま]いのである。政府は顔では深刻ぶって、心の中では笑い転げているのである。政府の民主主義の芝居の上では多数決の原理があるから、国民は周[まわ]りのみんなが政府に従っていたら自分も政府に従わなければならないが、現実の上では多数決の原理がないから、国民は他人にかまわず自分が政府と契約したくなければ契約しなければいいのである。)
つまり、政府が国民を虐めて国を平和にするために、政府が民主主義の芝居をやることになって、政府が民主主義の芝居の上で国家権力を持つことになって政府の芝居を真に受けた国民が政府に従うことになっているのである。政府の民主主義の芝居は本来は国民の機嫌を取るためにあるのだが、その副作用で政府が芝居の上で国家権力を持って国民に好き放題に命令をすることになってしまったのである。政府が国を平和にするために国民を虐めることは国民にとって嫌なことであり、政府が民主主義の芝居で国民の役に立つふりをすることは国民にとって善いことであり、政府が民主主義の芝居で国家権力を持って国民を好き放題にできるふりをすることはこれまた国民にとって嫌なことである。“塞翁[さいおう]が馬”とはこのことである。
ひとつの無駄が別の無駄を生み出し、さらに別の無駄を生み出しているのである。今日的[こんにちてき]には政府は無駄である。今では国民が法律を守って国を平和にしているので、今では国民が法律を守って国を平和にしている上に政府に虐められて国を平和にしているので、政府が国民を虐めて国を平和にするのが無駄なのである。
要するに、政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。それ以外は無駄である。政府は現実の上では国を平和にするために国民を虐めているだけである。それ以外のことは架空の世界でやっているだけである。政府の本当の仕事は国民を虐めて国を平和にすることである。それ以外はどうでもいいことである。それ以外は実際には何もやっていないのである。政府は国民を幸福にするために国民を虐めて国を平和にしているのである。だから、国民と政府は平等である。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったので、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を守って国が平和になっているので、国民が政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。
今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府がなくなれば、政府が国民を虐めることがないし、政府が民主主義の芝居をやることもないし、政府が芝居の上で国家権力を持って政府の芝居を真に受けた国民が政府に従うこともない。国民は政府の芝居から解放されて現実がよく見えるようになる。国民が現実を知り現実の中で自分の心を満足して幸福に生きるようになる。国民が今よりももっと幸福に生きることができるようになる。
[22370] 政府は民主主義の芝居で国を平和にしているのではない。 h27.12.17
政府は民主主義の芝居をやって国民に「政府に国家権力がある」と思わせて「政府が国民を好き放題にできる」と思わせて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのかもしれない。それなら、政府は民主主義の芝居で国民に「政府が国民を幸せにしてくれている」と思わせて国民を喜ばせながら国を平和にできるので一石二鳥だ。
近代になって新聞やラジオやテレビやパソコンなどが出来てマスコミュニケーションができるようになったから、政府はそれらを用いて民主主義の芝居で国を平和にすることにしたのである。
しかし、それなら今の政府が現実の世界で国民を虐めていることが理解できない。もしも、政府が民主主義の芝居だけで国を平和にしているのなら、政府がわざわざ現実の世界で国民を虐めなくてもいいはずである。政府が現実の世界で国民を嫌がらせる政策をやったり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりしなくてもいいはずである。政府は芝居の世界で国民を虐めていることにして、現実には国民を虐めなければいいはずである。政府はテレビや新聞で「政府が国民に嫌なことをやらせたり国民を殺したり痛めつけたりしている記事」を報道するだけにして、現実には何もやらなければいいはずである。国民みんなは政府が国を平和にするためだと思って、政府が架空の記事をでっち上げて報道することを許して、架空の記事に突っ込んだりしないだろう。
しかし、実際には政府は現実の世界で国民を虐めている。だから、やっぱり政府は現実の世界で国民を虐めて国を平和にしているのである。民主主義の芝居は政府が国民を虐めて国民を不幸にするのを誤魔化[ごまか]して国民の機嫌を取るためにやっているのである。政府の民主主義の芝居は、幕府が国民を虐めて国を平和にすることの改良である。改良といっても、政府は国民を虐めるのをやめて民主主義の芝居だけやっているのではなく、政府は国民を虐めながら民主主義の芝居をやっているのである。
政府は近代になっても戦後の今でも昔と同じように国民を虐めて国を平和にしているのである。
もっとも、政府が国民を虐めて国を平和にしているにせよ、政府が民主主義の芝居で国を平和にしているにせよ、今では国民が自分で法律を守って国を平和にしているから、国民が政府に頼んで国を平和にしてもらわなくてもいい。だから、今の国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
[22371] 国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けてはいけない。 h27.12.17
政府は架空の世界(芝居の世界)では国家権力があって国民よりも上の者で国民みんなの役に立つことをやって国民みんなを自分の好き放題にすることができるが、現実の世界では国民と平等であり国民みんなを虐めて国を平和にすることができるだけである。
国民にとっては架空の世界はどうでもいい。現実の世界だけが問題である。
現実の世界では、政府は国民と平等であり、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守らず国が物騒[ぶっそう]だったので、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を守って国が平和になったので、国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
そもそも政府の民主主義の芝居は国民の機嫌を取って国民を喜ばせるためにある。国民は政府の芝居を真に受けて本気にして「政府に国家権力がある」と思って政府に従ってはいけない。今の政府はテレビや新聞の上では国民のために一生懸命に仕事をしているが、現実にはやっていない。国民は政府が芝居でやっている仕事に対してわざわざ本物のお金を出す必要はない。子供銀行のお金でいい。国民は現実の世界で政府を見て『自分にとって政府が要らない』と思って政府を倒して現実の世界で幸福に暮らさねばならない。
日本人は知覚が心に偏[かたよ]っている。日本人は心で物を見る。だから、日本人は芝居に弱い。日本人は架空の世界に弱い。そのために、今の日本では国民の多くが政府の芝居を真に受けて「政府が国民のために善いことをしてくれている」と思って喜んで、「政府に国家権力がある」と思って政府に従っている。日本では国民の多くが政府が芝居で定めた「国民全員が政府に税金を払わねばならない法律」を守って政府に税金を払って政府を養[やしな]っている。反対に、ヨーロッパ人は知覚が五感に偏っている。ヨーロッパ人は眼で物を見る。だから、ヨーロッパ人は芝居に強い。ヨーロッパ人は架空の世界に強い。そのため、今のヨーロッパでは国民の多くが政府の芝居を無視して『政府が国民の役に立っていない』と思って、『政府と国民は平等だ』と思って政府に従わなくなっている。ヨーロッパでは国民が政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。日本人はヨーロッパ人を見習って、現実的に物を見て、政府の芝居を真に受けないようにして早く政府を倒さねばならない。
日本で会社の中に役立たずの上役[うわやく](芝居で上の者のふりをしているだけの馬鹿)がはびこるのも、日本人が芝居に弱いせいである。会社の上役はいつも社員の前で偉そうにしてお高ぶって「自分が社員みんなに食わせてやっている」みたいな顔をしている。社員は上役の芝居を真に受けて「上役が社員みんなのために役に立っている」と思って「上役に会社の権力がある」と思って上役に従って上役に自分の稼[かせ]ぎを取らせて上役を養っている。しかし、本当は『会社の上役はただの役立たずである。』上役は社員の稼[かせ]で食っているだけである。本当は『会社の上役は社員と平等である。』早く社員は上役の芝居を真に受けなくなって上役に従わなくなって上役にお金をやるのをやめて上役を会社から追い出さねばならない。社員は会社から役立たず馬鹿を追い出して自分の稼ぎを他人に取られないようにして裕福に暮らさねばならない。日本では会社の中に“役立たず馬鹿”がたくさんいるが、反対に、ヨーロッパでは会社の中に役立たずが一人もいない。ヨーロッパ人は芝居に強いから、ヨーロッパ人は他人の芝居を真に受けないから、役立たず馬鹿を会社から追い出して殺すから、国民みんなが儲[もう]かって豊かに暮らしているのである。日本人もヨーロッパ人を見習って、国中の会社から“役立たず馬鹿”を追い出して役立たず馬鹿を根絶して、みんなが豊かに暮らせる国にしないといけない。“役立たず馬鹿”は芝居で食っているだけである。しかし、芝居では儲からない。いくら働いている芝居をしても本当は働いていないから国が儲からない。役立たず馬鹿は国を貧しくするだけである。国民みんなが貧乏に暮らさねばならないのは役立たず馬鹿のせいである。だから、国民みんなで役立たず馬鹿を根絶[ねだ]やしにして国中から役立たず馬鹿をいないようにして、みんなが本当に働いてお金を稼ぐようにして、みんなが豊かに暮らせる国にしないといけない。日本の会社で“役立たず馬鹿”がはびこるのは、役立たず馬鹿が日本人が芝居に弱い弱点を利用して“会社のみんなのために役に立っている芝居”をやって生き残っているからである。役立たず馬鹿は芝居の上で会社の役に立っているだけで、現実の上では役に立っていない。役立たず馬鹿は芝居の上で偉いだけで、現実の上ではクズである。日本人は人間を芝居よりも実際にやっていることで見るようにして役立たず馬鹿をクビにして役立たず馬鹿を抹殺しないといけない。
日本人は芝居に弱いから雰囲気で物を見るから、雰囲気で社長ぽかったら社長と思うから、雰囲気で上役ぽかったら上役と思うから、雰囲気で仕事をしているぽかったら仕事をしていると思うから、役立たず馬鹿が会社の中に溜[た]まるのである。日本人が心で物を見るために、日本人が実際の才能よりもキャラクター(人柄、人の雰囲気)で人間を見るために、芝居だけできて仕事がやれない者が出世して、役立たず馬鹿に自分の稼ぎをふんだくられて貧乏暮らしをする羽目[はめ]になるのである。だから、日本人が豊かに暮らしたければ心で物を見ないようにして雰囲気で物を見ないようにして、眼や頭で物を見るようにしないといけない。現実的に物を見るようにしないといけない。
いくら芝居で有能ぶっている者がいても、みんなが芝居を真に受けなければ何にもならないから、芝居を真に受ける者がいけないのである。芝居をやっている者は他人を騙[だま]すために芝居をしているのではなく勝手にみんなが芝居を真に受けているだけだから、自分勝手に芝居を真に受ける者のほうが悪いのである。芝居をする者よりも芝居を真に受ける者のほうが悪いのである。芝居を真に受ける者がいるために芝居をする者がいるのである。そもそも心で物を見る者がいるのが悪いのである。
日本がヨーロッパに比べて儲からないのは、日本人がヨーロッパ人よりも科学が弱いからである。日本人は知覚が心に偏っている。日本人は心で物を見る。だから、日本人は科学が弱いのである。反対に、ヨーロッパ人は知覚が五感に偏っている。ヨーロッパ人は眼で物を見る。だから、ヨーロッパ人は科学が強いのである。日本人はヨーロッパ人を見習って、現実的に物を見るようにして、現実的に考えるようにして、科学が得意にならねばならない。日本人は心で喜んでもいいが、日本人は作り話や芝居で喜ばないようにして、実話や物で喜ぶようにしないといけない。快楽の量よりも質が大事だ。例えば、テレビを見るよりもキャンプをして楽しまねばならない。日本人は心で物を見るから他人に対するサービスが得意だが、サービスでは儲からないから、サービスをやってはいけない。安易なサービスに逃げてはいけない。日本人はヨーロッパ人と同じように真剣に物を作って儲けねばならない。日本人は心で物を見るのをやめて、眼と頭で物を見るようにしなければならない。日本人は眼が弱いが頭が強いから、日本人は一生懸命に頭で物について考えて頭で物を見るようにしないといけない。
つまり、日本が儲からないのは、日本人が生まれつき五感よりも心が発達して心で物を見るために、現実よりも作り話が好きで科学が弱くて物を作らなくて国が儲からない上に、芝居に弱くて有能ぶっている者を本当に有能だと思って役立たず馬鹿に稼ぎのほとんどを取られているからである。反対に、ヨーロッパが儲かるのは、ヨーロッパ人が生まれつき心よりも五感が発達して眼で物を見るために、作り話よりも現実が好きで科学が強くて物を作って国が儲かる上に、芝居に強くて本当に有能でなければ有能と認めず役立たず馬鹿がいなくて自分の稼ぎを役立たず馬鹿に取られないからである。
アメリカ占領下の日本では科学教育に力を入れていた。しかし、今の日本では科学教育に力を入れていない。そのために、今の日本はみんなが物作りが下手[へた]になって貧乏になっている。国民が物作りが上手[うま]いか下手かは科学教育で決まるのだから、科学教育が大事である。私が科学が好きなのも、私が子供のころはまだ日本がアメリカ占領下で科学教育が上手かったからである。当時の日本では「雨はどうしてふりますか?」(私の科学の出発点になった本)や「こども百科事典」(小学館、背中に小熊のマークが付いている本)のようないい科学の本がたくさんあった。私の父親が文学が好きなのは、私の父親のころはまだ日本がアメリカ占領下ではなくて科学教育が下手だったからである。日本人が知覚が心に偏っていて心で物を見るために科学が苦手なので科学も科学教育も下手なのである。私はたまたま運がよかったのである。私はアメリカ人から科学を教わったようなものである。日本人が物作りが上手いか下手かは科学教育が上手いか下手かで決まる。早く日本人みんなが上手な科学教育を受けて日本人みんなが科学が得意になって日本人みんながいい物をたくさん作って日本人みんなで儲けて日本人みんなが豊かに暮らせるようにならねばならない。
[22372] 日本人は現実的に物を見ないといけない。 h27.12.18
政府は芝居の上では国民みんなに従って国民みんなの役に立つことをいろいろやっていて国家権力があって国民みんなを自分の好き放題にすることができて国民みんなは政府に従わねばならないが、現実の上では国民を虐[いじ]めて国を平和にすることしかできなくて国民と平等で国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
ヨーロッパでは、ヨーロッパ人が五感が発達して心が弱くて眼で物を見るために、ヨーロッパ人が芝居に強く(つまり芝居が通用せず)ヨーロッパ人が政府の芝居を真[ま]に受けず政府が現実の上でやっていることしか見ないから「今では政府は要らない」と思って政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
一方、日本では、日本人が心が発達していて五感が弱くて心で物を見るために、日本人が芝居に弱く日本人が政府の芝居を真に受けて政府が芝居の上でやっていることばかり見るから「政府が国民みんなの役に立つことをしてくれている」と思って“幸せに暮らしている気分”になったり「政府が国家権力を持っているから怖い」と思っておとなしく政府に従って税金を払ったり政府の命令を聞いたりしている。
ヨーロッパ人は政府の民主主義の芝居を国民みんなを喜ばせるための冗談だと思っている。日本人は政府の民主主義の芝居を本当のことだと思っている。そのため、ヨーロッパでは政府が滅びかけているのに、日本では政府がいまだに健在である。
日本人はヨーロッパ人を見習って、もっと現実的に物を見ないといけない。
国民にとっては政府の芝居はどうでもいい。政府が現実にやっていることが問題だ。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民が自分が平和に暮らすために政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を守って国が平和になっているから、国民は自分が平和に暮らすために政府と契約する必要がなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
国はこうあるべきである。ところが、日本人が心で物を見るために、日本人が芝居に弱いために、政府の芝居を真に受けて「政府が国民みんなのために一生懸命やっている」とか「政府に国家権力がある」とか「多数決があるからみんなと同じことをしないといけない」とか思って政府に従っている。日本人は心で物を見ないようにして頭で物を見るようにしなければならない。日本人は眼で物を見ることができないから頭で物を見ないといけない。現実には、政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。税金は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうための代金である。政府は国民みんなのためにいろんな役に立つことをする団体ではない。税金は政府に国民みんなの役に立つことをいろいろやってもらうための代金ではない。日本人は政府の芝居を真に受けないようにして『この世には多数決がないから、自分は他人と同じことをしなくてもいい』と考えて『今では国民が法律を守って国を平和にするから、政府に頼んで国を平和にしてもらわなくていい』と考えて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
[22373] 政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。ゆえに政府の民主主義は芝居である。☆☆
h27.12.18
政府は本当は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。
だから、政府の民主主義は芝居なのである。政府は自分が国民を虐めて国民を不幸にするのを誤魔化[ごまか]して国民の機嫌を取るために民主主義の芝居をやっているのである。政府は国民のためを思って国民が平和に楽しく暮らせるために民主主義の芝居をやっているのであって、国民を騙[だま]すために民主主義の芝居をやっているのではないのである。
だから、政府が民主主義の芝居でやっていることはすべて架空のことなのである。「政府が国民みんなに従って国民みんなの役に立つことをいろいろやっている」ことも、「政府に国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならず政府が国民みんなを好き放題にできる」ことも、「政府が「国民全員が政府に税金を払わねばならない法律」を定めている」ことも、「多数決の原理があって国民は大勢の国民と同じことをしないといけない」ことも、ぜんぶ架空のことなのである。現実のことではないのである。現実の上では守らなくていいのである。現実にやらなくてもいいのである。
国民は『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』とだけ考えて、今の国民は法律を守って国を平和にしているから、国民は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくていいから、国民は政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなければいいのである。
今の国民の多くは『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを知らないために、政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けて「政府が民主主義の団体だ」と思っているのである。そのため、「政府が国民のために役に立つことをしている」「政府に国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」「政府が定めた「国民全員が政府に税金を払わねばならない法律」を守らなければならない」「多数決があるからみんなといっしょに政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのである。政府に税金を払っているのである。今の国民の多くが自分勝手に政府の芝居を真に受けているのが悪いのである。今の国民みんなは政府を正しく理解して、政府に税金を払うのをやめて、国民みんなを虐めて不幸にする政府を倒さねばならない。国民みんなで法律会社を建てて幸福に暮らさねばならない。
[22374] どうしてインドに身分制があるのか? h27.12.18
インドでは政府が民主主義の芝居をしないからである。
インドでは日本の江戸時代のように政治団体が国民を虐[いじ]めて国を平和にしているのがそのままむき出しなのである。だから、政治団体が国民に命令して高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民に政府を恐れさせて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。それを“身分制”と呼んでいるだけなのである。一見[いっけん]すると、政治団体が国民を自分の好き放題にしているように見えるから、政治団体が身分が高くて国民が身分が低いように見えるから、身分制と呼んでいるのである。しかし、本当は政治団体は国を平和にして国民みんなが幸福に暮らせるようにするために国民を虐めているのだから、政治団体は国民みんなの承認を得て国民みんなを虐めているのだから、政治団体と国民は平等なのである。国民が政治団体と契約して政治団体に税金を払って政治団体に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。国民は自分が平和に暮らしたいから政治団体にお金を払って政治団体に国民を虐めてもらっているのである。
文明が遅れている国ではどこでも貧乏人が廃品回収業(ゴミあさり)をやって苦しい生活をしているものである。インドに限らず世界中で見られることである。日本でも見られることである。
インド以外の国に身分制がないのは、インド以外の国では政府が民主主義の芝居で覆[おお]いながら国民を虐めて国を平和にしているからである。インドもインド以外の国も実際に政府がやっていることは同じなのである。もしも今の日本で政府が民主主義の芝居をするのをやめたらインドと同じことになるのである。“身分制”がある国になるのである。ただ、日本はインドよりも文明が進んでいるから、みんながインドほど貧しい生活をしていないだけである。インド人は日本人以上に心が五感よりも発達して心で物を見るから、みんなが作り話や芝居で喜んで、実話や物で喜ばないから、科学が苦手で文明が遅れているのである。日本人はインド人ほど五感が弱くないから、みんなが多少は実話や物で喜ぶから科学がちょっと得意で文明が進んでいるのである。要するに、文明が進むか遅れるかは、人間の脳の性質で決まるのである。
将来、インドで文明が進んで国民みんなが物が豊かになって暮らしが楽になって国民みんなが法律を守って平和に暮らすようになれば、国民みんなは政府が要らなくなって政府にお金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくなるだろう。政府がなくなって、法律会社が建つだろう。国民みんなが政府に虐められなくなって幸福に暮らすだろう。
江戸時代の日本ではインド文化をやっていたから、幕府が民主主義の芝居をやらず国民を虐めて国を平和にしていた。幕府が白昼堂々と大勢の国民を刀で斬[き]り殺して国民を虐待していた。つまり、“身分制”をやっていた。江戸時代の日本では身分制があった。幕府も国民みんなもいっしょに身分制をやっていた。安藤昌益は身分制に反対したが、幕府は国を平和にするために国民をランダムに不特定に虐めることが仕事であって、国民の言論や思想を取り締[し]まることが仕事ではなかったので、幕府は安藤昌益を放置していた。当時の国民みんなは国を平和にするためには幕府に国民みんなを虐めてもらうしかないと思っていた。安藤昌益のようなやり方ではうまくいかないと思っていた。江戸時代にはまだ国民みんなが法律を知らなくて法律を守っていなかったから、武士が田んぼに出て百姓といっしょに働いたら国民みんなが幕府を怖がらなくなって国民みんながおとなしくしなくなって国民みんなが自分の好き勝手に暴れまわるようになって国が平和でなくなる。国民みんなは安藤昌益の説を絵空事[えそらごと]として笑いものにしていたのである。
[22375] どうしてインドでは政府が民主主義の芝居をやらないのか?☆ h27.12.19
世界中の国では政府が民主主義の芝居をやって自分が国民を虐めて国を平和にしていることを隠しているのに、インドだけ政府が民主主義の芝居をやらず国民の眼の前で国民を虐めて国を平和にしている。
それはインド人が心で物を見ないからである。インド人は知覚が発達しているだけなので、頭で物を見るだけなので、芝居を真[ま]に受けないので、政府が民主主義の芝居をやっても無駄[むだ]なので、政府が大昔に民主主義の芝居をするのをやめてしまったのである。(『スタートレックボイジャー』に登場する“生命体8472”はインド人のことである。インド人には芝居が通用しないので、政府がインド人を支配できなかったのである。)インド人は日本人のように作り話や芝居で喜ぶこともなく、ヨーロッパ人のように実話や物で喜ぶこともなく、ただ数学で喜ぶだけである。
インドはヨーロッパ人に悪魔と呼ばれた国である。インド人はヨーロッパ人よりも頭がよくて科学や数学が強い。インド人はヨーロッパ人よりも冷酷非情である。中世のヨーロッパはインドにすがってなんとか立ち直ることができたのである。三蔵法師がありがたいお経をもらうために天竺に行ったように、中世のヨーロッパでも偉い立派な人がありがたい科学の教え(数で物を見ること)をもらうためにインドに行ったのである。今の日本でもみんながインドを見れば、政府が本当にやっていることがわかる。政府の正体がわかる。インドにはありがたい社会科学の教えがあるのである。世界中の国にとって国が危機に瀕[ひん]したときに頼りになるのがインドなのである。インドは世界中の国の命綱[いのちづな]なのである。
世界中の国で政府が民主主義の芝居をやっているのは、国民みんなが心で物を見ているために政府の芝居を真に受けているからである。政府は国民みんなが自分の芝居を真に受けているので芝居のやりがいがあるので芝居をやっているのである。
世界中のみんなは早くインド人を見習って、政府の芝居を真に受けるのをやめて、『政府が本当は国民を虐めて国を平和にする団体だ』と考えて、『今では国民みんなが法律を守って国を平和にしているから政府は要らない』と考えて、政府にお金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
h27.12.20追記:インド人は頭で物を見るだけだから、芝居が通用しないから、政府が民主主義の芝居をやらず、国民みんなの眼の前で国民みんなを虐めて国を平和にしている。しかし、インド人は頭で物を見るだけだから、政府に虐められても政府を恐れずおとなしくしないから政府が国民を虐めても無駄[むだ]である。そのために、インドでは国民みんなで政府が上の者である制度を設けて国民みんなが政府に従うことにしておとなしくして国を平和にしているのである。インド人は知覚だけで国を平和にしているのである。政府は国を平和にするために形式的に身分制をやって国民から税金を取ったり国民を嫌がらせたり国民を殺したりしているのである。一方、日本人はインド人と違って政府(政治団体のこと、幕府も含む)に虐められると政府を怖がっておとなしくするので、日本では身分制を定める必要がなかったのである。
[22376] 今の国が面白くないのはテレビのせいである。☆ h27.12.19
今の日本では国民の多くが頭で汚いことを考えて汚いことをやって国が暗くて面白くなくなっている。
今の国民の多くが汚いことばかり考えるのはテレビの見すぎである。
昔はテレビ番組で美しいことを放送していた。しかし、今ではテレビ番組がマンネリになって、テレビ番組が美しいことを放送しなくなって、テレビ番組が汚いことばかりを放送するようになっている。それを見た国民がテレビを真似[まね]て一生懸命に汚いことを考えて汚いことをやって汚い心で暮らしているのである。
テレビのために国民の現実の生活が不幸にされてはたまらない。今の国民はテレビを見てはいけない。只[ただ]ほど怖いことはない。国民みんなでテレビを見ないようにして、現実に目を向けるようにして、現実から美しいことを教わって、幸福に暮らさねばならない。
テレビ番組が只だから、番組の質が低下して、汚いことばかり放送するのである。今のテレビ番組がスポンサーからお金をもらって作っているので、スポンサーが自分の商品を国民に買わせるために国民を馬鹿で意地汚い性格に変えているので、国民が頭で汚いことばかり考える馬鹿になっているのである。商人のほうが権力団体よりもよっぽど怖い。国民はこの辺で只でテレビ番組を見るのをやめて、テレビ番組にお金を払って見るようにしなければならない。
[22377] 政府の民主主義の芝居は見かけだけで機能がない。 h27.12.19
政府は自分が国民を虐[いじ]めて国を平和にしていることを隠すために民主主義の芝居をやっている。
機械(例えば、コンピューター)がゴチャゴチャした汚い仕組みを隠すためにケースの中に入れているのと同じことである。
政府の民主主義の芝居は機械のケースと同じである。機械のケースが見かけだけで機能がないように、政府の民主主義の芝居も見かけだけで機能がないのである。
政府は本当は国民を虐めて国を平和にしているだけである。(政府は国民を騙[だま]すために民主主義の芝居をやっているのではない。機械が人間を騙すために中身をケースに入れているのではないのと同じことである。機械は人間が快適に機械を使えるようにするために中身をケースに入れているのである。それと同じように、政府は国民みんなが快適に暮らせるようにするために国民を虐めて国を平和にすることを民主主義の芝居の中に入れているのである。)
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らず国が物騒[ぶっそう]だったので、国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律を守って国が平和になっているので、国民が政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
政府は滅んでなくなっている。
[22378] 今の国民はテレビばかり見て現実がわかっていない。 h27.12.19
政府はテレビや新聞の上では国民みんなに従って国民みんなのためにいろんな役に立つことをやってくれて国家権力があって国民みんなが従わねばならないが、現実の上では国民から税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したり嫌がらせをしたりして国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にしているだけで政府と国民は平等で国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
今の国民はテレビや新聞ばかり見て現実を見ていないから「政府が国民みんなの役に立つことをする団体だ」と思っている。でも、現実ではそうではない(“ガキの使いやあらへんで”)。
政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体である。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律を守っていて国が平和になっているから、国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくていい。
政府は年々国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
テレビや新聞は国民にまちがいを教える教科書である。テレビ局や新聞社は政府からお金をもらって政府の芝居を流している。国民はテレビや新聞に頼らず自分の眼で直接に現実を見て現実から学ばねばならない。この世では自分が頼れるものは自分の眼と自分の頭だけである。『論理的なことは現実的であり、現実的なことは論理的である。』論理こそ現実である。だから、私は論理的に考えて『政府が国民を虐めて国を平和にしている』ことがわかったのである。現実的なことは論理的だから、人間は自分の頭で一生懸命論理的に考えていれば、そのうち現実がわかるのである。(昔のインドの学者は望遠鏡を使わずに自分の頭で考えるだけで『惑星が楕円軌道をしている』ことがわかった。人間の思考力はすばらしい。だから、人間は自分の“考える力”を活かして現実を理解すればいいのである。)
今の国民の多くはテレビや新聞で政府の芝居を見て「政府が一生懸命に国民みんなを幸福にしてくれている」と思って幸せになっているだけである。現実の上では国民みんなが政府に国を平和にするために虐められて不幸にされている。テレビや新聞を見ることは現実の外に出ることである。テレビや新聞は文学と同じである。いくら現実の外で幸福になっても現実の中で幸福にならなければしかたがない。国民は作り話や芝居で喜ばないようにして、現実に目を向けて現実を知って現実の中で行動して現実の中で幸福にならねばならない。
そもそも政府は自分が国民を虐めているのを隠すために民主主義の芝居をしているにすぎないのだから、国民は政府の芝居をちょっとだけ見て面白いと思えばいいだけで政府の芝居を真[ま]に受けてはいけない。国民がマンガを見て面白いと思えばいいだけでマンガを真に受けてはいけないのと同じことである。ヨーロッパ文化では殺風景な石の建物を美しい装飾で飾ることによって眼にとって快適にしている。ヨーロッパ人は五感が発達していて眼が敏感だから、政府が国民を虐めるのを見るのに耐えられないから、政府を美しい民主主義の芝居で覆[おお]って政府をなんとか見れるようにしているのである。日本政府がヨーロッパ政府に駄洒落[だじゃれ]を加えることによって国民みんなの人気が出て大きな団体になったように、ヨーロッパ政府は“国民みんなを虐めて国を平和にする団体”に民主主義の芝居を加えることによって国民みんなの人気が出て大きな団体になったのである。反対に、日本人は眼で見ることに鈍感だから、政府が自分の眼の前で国民を堂々と虐めていても平気である。日本人は政府が国を平和にするためにまじめに働いていると思って喜ぶだけである。日本人にとっては民主主義の芝居は要らない。だから、日本では国民は政府の余計な装飾に惑[まど]わされないようにして、政府が中でやっていることを見なければならないのである。
[22379] 政府は芝居で国民を虐[いじ]めて現実で民主主義をやればいい。 h27.12.20
政府は芝居の世界では民主主義をやって国民みんなの役に立つことをいろいろやって国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならないが、現実の世界では国民みんなを虐めて国を平和にしているだけで国民と平等で国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
国民は芝居ではなく現実を見るべきである。
現実には政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったので、国民は政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が高くて国民が法律を守って国が平和になっているので、国民は政府に税金を払わず政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくていい。
そのため、今では国民が政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府は潰[つぶ]れている。
今の政府は芝居で民主主義で国民の役に立つことをやって、現実では国民を虐めて国を平和にしている。逆に、政府が芝居で国民を虐めて国を平和にして、現実では民主主義をやって国民に役に立つことをやればよかった。芝居と現実がひっくり返っていればよかった。実際には、国民にはそこまで芝居が利[き]かないので、政府はしかたなく現実に国民を虐めるしかなかったのである。人間にとってはやはり芝居よりも現実が大事なのである。人間は芝居よりも現実に敏感なのである。国民にとっては芝居なんかどうでもいい。現実だけよければいい。芝居で喜ぶのは子供である。大人は現実で喜ぶものである。今では国民みんなが法律を守って国を平和にしているので、今の政府は芝居で国民の役に立つことをしているだけで、現実では役に立たない。だから、今の国民はさっさと政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、政府に虐められないようにして幸福に暮らせばいい。
現実には国民が自分で自分を幸福にしているから政府が国民を幸福にする余地がないので、政府は現実の世界では民主主義をやれない。だから、政府は芝居で民主主義をやるしかないのである。現実には国民が自分で自分を幸福にしているので、政府はそのことを利用して芝居で自分が国民みんなを指揮して国民みんなが幸福に暮らせるようにしているふりをしているのである。国民は自分で自分を幸福にしているのを「全部政府のおかげだ」と思って政府に感謝しているのである。国民は他人のことを知らないので、たとえ政府が自分に命令しなくても「きっと政府がほかの人に命令して善い国にしてくれているのだろう」と思って納得しているのである。実際には、政府は国民が自分でやっていることに対して承認のハンコをつくことしかできないのである。反対に、現実には国民が自分で自分を不幸にしないから政府が国民を不幸にする余地がたくさんあるので、政府は現実の世界で国民を虐めて国を平和にすることができるのである。現実には政府は国民を虐めて国を平和にすることでしか国民の役に立たないのである。政府は国民を虐めることしかできないから、昔から国民に馬鹿だと言われているのである。しかし、今では国民が法律を守って国を平和にすることができるから、国民は政府が要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
[22380] 今の日本では馬鹿が政府に従って、利口は政府に従っていない。 h27.12.20
芝居の世界では政府が民主主義をやって国民みんなの役に立つことをいろいろやって政府に国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならないが、現実の世界では政府が国民みんなの嫌なことをいろいろやって国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にするだけで国民と政府は平等で国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
国民には馬鹿と利口がいる。馬鹿は芝居を真[ま]に受けるが、利口は芝居を真に受けない。馬鹿は芝居を見て現実を見ないが、利口は現実を見て芝居を見ない。馬鹿はマンガを読むが利口はマンガを読まないのと同じことである。
だから、今では馬鹿が「政府が国民みんなの役に立つことをして政府に国家権力がある」と思って政府に税金を払って政府の命令をなんでも聞いているが、利口は『今の国民は法律を守って国を平和にしているから政府に国を平和にしてもらわなくていい』と考えて政府に税金を払わず政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわず政府の虐めの命令を聞いていない。
今の日本には政府に従っている者と従っていない者が混在している。馬鹿が政府に従って、利口は政府に従っていない。
この世には多数決の原理はない。芝居の世界には多数決の原理があるが、現実の世界には多数決の原理がない。だから、国民が芝居の世界で生きるか、現実の世界で生きるかは国民個人の自由である。たとえ周[まわ]りのみんなが政府の芝居を真に受けて政府に従っていても、自分は政府の芝居を真に受けず現実の政府を見て政府に従わなければいいのである。反対に、たとえ周りのみんなが政府の芝居を無視して政府に従っていなくても、自分が政府の芝居を真に受けて政府に従ってもいいのである。
たとえ国民が芝居の世界で生きていても現実の世界からは出られないから政府に虐められていることに変わりはない。反対に、国民が現実の世界で生きることにするとテレビや新聞で政府の芝居を見ないようにして芝居の世界から出ることができる。つまり、国民は現実の世界からは抜けられないが、芝居の世界からは抜けられる。したがって、実際には国民は芝居の世界と現実の世界の両方で生きるか、現実の世界だけで生きるかのどちらかである。
人間は現実の世界からは抜けられない。いくら人間が芝居の世界で生きていても、実際には現実の世界の中にいる。人間は芝居が面白くなくても死なないが、現実がうまく行かないと死ぬ。だから、人間にとっては現実の世界が大事である。人間にとっては芝居の世界よりも現実の世界のほうが大事である。人間にとっては現実の世界だけがよければよく、芝居の世界なんかどうでもいい。人間は現実の世界で幸福にならねばならない。人間は現実の世界で幸福に生きられるようになってから、芝居の世界で楽しめばいい。現実の世界では、今では国民が法律を守って国を平和にしているから、政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくていい。国民と政府は平等だから、国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。だから、国民は政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなければいいのである。
今の政府は税金の一部で法律会社を経営していて、法律会社が半官半民で国民のために正しい法律を定めているから、政府は国民に“国民を虐める命令”と“国民を幸福にする命令”の両方を出す。政府は国民を虐めて不幸にする一方で国民を幸福にしている。政府は国民を不幸と幸福の両方にしている。しかし、『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等であるから、たとえ政府が国民の役に立つことをしていても、国民が政府に税金を払って政府に仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。政府は国民を不幸にすることと幸福にすることの両方をやっているから面倒臭い。国民みんなで早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、政府を除去して、その後で国民みんなを幸福にする仕事だけをするいろんな会社を建ててそれらの会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。たとえいっとき政府の法律会社がなくて不便であっても、その後で政府とは別に法律会社を建てれば長期的には国民にとって有利である。だから、国民は政府もろとも政府の法律会社を倒して、あとで法律会社を立て直せばいいのである。
馬鹿は政府がやっていることを見て「政府が「国を平和にするためだ」と嘘[うそ]をついて本当は自分の好き放題に悪いことをやっている」とか「政府が民主主義をやっているふりをして裏では国民を虐めて悪いことをやっている」とか「政府が民主主義の芝居で自分に国家権力があることにして国民を騙[だま]して国民を自分の好き放題にしている」と思って喜んでいる。馬鹿は政府が国民を虐めるのは国を平和にするためではなく国民を支配するためだと思っているのである。馬鹿は汚いことが好きなので、自分で汚い解釈をして物事を歪[ゆが]めて見て喜んでいるのである。本当は、『政府は国を平和にするために国民を虐めて国民に政府を怖がらせて国民をおとなしくさせている』『政府は国民の気分を害さないために民主主義の芝居をやって自分が国民を虐めているのを隠している』『政府は民主主義の芝居をやっているために芝居の上で国家権力を持ってしまった』のである。そもそも人間は汚いことが好きではない。きれいなことが好きである。馬鹿は「人間が汚いことが好きだ」と誤解しているから、本当は自分が汚いことが嫌いなのに汚いことが好きなふりをして自分で自分を不愉快[ふゆかい]な気分にして苦しめているのである。国民みんなは正しく物事を見て正しいことをやって気持ちよく暮らさねばならない。
[22381] 社会学的特異点解消 h27.12.20
政府は国民を虐[いじ]めている。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり事件や事故で国民を殺したり痛めつけたりして国民を自分の好き放題にしている。政府だけ別格である。政府と国民は不平等である。政府が上の者である。
しかし、『政府が国を平和にするために国民を虐めている』と考えると、政府と国民が平等になる。人間(ただしインド人を除く)には「怖がらせるとおとなしくなる性質がある」から、政府はその性質を利用して国民を虐めて怖がらせることによって国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。西部劇で人間に銃を向けるとおとなしくなるのと同じことである。政府は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民を虐めているので、政府と国民は平等である。そもそも『人間はみな平等』なので、政府も国民も人間なので、政府と国民は平等なのは当然である。
つまり、政府(一般に政治団体、幕府も含む)は昔からずっと国民と平等なのである。政府は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民を虐めてきたのである。むしろ、最近は国民が法律を守って国が平和になっているために、『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことを知らない国民が増えているから、政府と国民が不平等になっているのである。
そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。国民が政府に税金を払って政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが法律を知らなくて法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民みんなが法律を知って法律を守って国が平和になっているから、国民は政府と契約しなくなって政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。
国民はこれまで自分が国を平和にするために政府の国民を虐める命令を聞いていたから、政府に権力(命令力)があったのである。今では国民は国を平和にするために政府に虐められなくてもいいから、政府の国民を虐める命令を聞かなくなって政府に権力がないのである。
今では政府が滅んでなくなっている。
将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金を払って仕事をやってもらうつもりである。国民が自分で法律を守れば法律会社は要らないから、国民にとって法律会社はそれほど要るものではないから、法律会社が国民みんなと契約を取るためには法律会社はインチキ臭いことをせずまじめに仕事をしないといけない。
[22382] 国民は作りごとに惑[まど]わされてはいけない。 h27.12.20
現実の上では政府は国を平和にするために国民みんなを虐[いじ]めている。
ところが、国民の多くはテレビや新聞を見て「政府が国民みんなの役に立つことをやってくれている」と思って喜んでいる。
テレビや新聞でやっているのは作りごとである。政府はテレビや新聞で民主主義の芝居をやっているのである。
『政府は民主主義の芝居をやる“国民を虐めて国を平和にする団体”である。』幕府は芝居をやらないが、政府は芝居をやるのである。政府は国民みんなに自分が国民みんなを虐めているところを見せて国民みんなの気分を害さないために民主主義の芝居をやって自分が国民みんなを虐めているのを隠しているのである。
政府が本当にやっているのは国民を虐めて国を平和にすることだけである。政府は国民みんなの役に立つことをテレビや新聞の上でやっているだけで現実の上ではやっていない。政府は口先で国民みんなの役に立つことをやっていると言うだけで、実際にはやっていない。マンガが絵の上であるだけで現実にはないのと同じことである。
現実の上では『人間はみな平等である』から、国民と政府は平等である。政府が国民を虐めて国を平和にするのは仕事である。国民が政府に税金を払って政府に仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
一方、テレビや新聞の上では「政府は国家権力があって国民みんなは政府に従わねばならない。政府が多数決で決めたことは国民みんなが守らなければならない」ことになっている。
テレビや新聞でやっているのは作りごとである。国民は現実と作りごとを区別しないといけない。国民がマンガと現実を区別しないといけないのと同じである。
作りごとの政府は国民みんなに従って国民みんなの役に立つことをいろいろやって、国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならない。
現実の政府は国民を虐めて国を平和にするだけで、国民と平等で国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
政府は国民がテレビや新聞でしか自分のことを知らないことを利用して、テレビや新聞で作りごとをやって国民に自分の正体を知られないようにしている。国民は作りごとの政府を無視して現実の政府だけを見ないといけない。国民が天動説(作りごとの天体理論)を無視して地動説(本当の天体理論)だけを信じなければならないのと同じである。
現実の上では政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。今では国民が法律を守って国が平和になっているので、国民は政府に税金を払って国を平和にしてもらわなければいい。国民みんなで早く政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
同じように、宗教団体は神の作り話で飾った“国民を虐めて国を平和にする団体”である。宗教団体は“国民を神(つまり国民みんなが見習わねばならない立派な人)に従わせている芝居”をしている“国民を虐めて国を平和にする団体”である。宗教団体は国民みんなを神に従わせる芝居をして、本当は国民に命令して国民からお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にしている。一方、政府(政治団体)は民主主義で飾った“国民を虐めて国を平和にする団体”である。政府は“国民みんなの役に立つことをする芝居”をして本当は国民を虐めて国を平和にしている。宗教団体と政治団体は芝居が違うだけで中身は同じである。宗教団体と政治団体は芝居をやる団体を取り替えるだけで国民を虐める団体は同じである。中世のヨーロッパでは国民みんなが異文化(アジア文化)を取り入れるために宗教団体に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。(ヨーロッパは自分の国の文化だけでは潰[つぶ]れる国である。だから、中世のヨーロッパはアジア文化を取り入れたのである。日本も自分の国の文化だけでは進歩しない国である。だから、日本は昔からずっと外国の文化を取り入れてきたのである。世界中の国が自分の国の文化だけでは進歩しない。だから、今では世界中の国が外国の文化を取り入れている。今でも日本は外国の文化を取り入れている。しかし、外国の文化には長所と短所がある。外国の文化には善いところと悪いところがある。日本は外国の文化の長所を取り入れて短所を取り入れてはいけない。そうしなければ自分が幸福に暮らせない。例えば、ヨーロッパ文化は現実的だが現象的である。つまり、ヨーロッパ文化は科学が得意だが眼先にとらわれている。ヨーロッパ人は科学で幸福になっているが、眼先にとらわれていることで不幸になっている。だから、日本人は自分が幸福になるためにヨーロッパの科学だけを取り入れて眼先にとらわれていることを取り入れてはいけない。例えば、日本文化は実在的だが空想的である。つまり、日本文化は科学が得意だが心にとらわれている。日本人は科学で幸福になっているが、心にとらわれていることで不幸になっている。だから、ヨーロッパ人は自分が幸福になるために日本の科学だけを取り入れて心にとらわれていることを取り入れていないのである。科学は世界中の文化で共通である。科学は世界共通の文化である。だから、科学はどこの国でも取り入れられるのである。つまり、この世では実在が尺度である。万物の尺度は実在である。実在に合っていることが善いことであり、実在に合っていないことが悪いことである。/h27.12.22追記:ヨーロッパでは神とはみんなが見習うべき立派な人である。神とはアジア文化をみんなに教える人である。異文化の代名詞である。ヨーロッパ人は現実的なので、神の定義も現実的なのである。反対に、日本では神とは人間にできないことをする者である。神とは超能力を持った人である。日本人は空想的なので、神の定義も空想的なのである。ヨーロッパ人と日本人では神の定義が違う。だから、第二次世界大戦のとき、日本が天皇を神としてもアメリカ(ヨーロッパ系の国)に勝てなかったのである。アメリカ人にとっては神とは立派な人にすぎないので、神は人間にほかならないので、日本人がいくら天皇を神としてもアメリカ人は天皇を恐れないので、日本はアメリカに負けたのである。)
同じように、暴力団は芝居をしない“国民を虐めて国を平和にする団体”である。つまり、暴力団は小さい幕府である。暴力団は芝居をしない政治団体や宗教団体である。政府や宗教団体の中身は暴力団なのである。政府と幕府は民主主義の芝居をする団体があるかないかの違いだけで国民を虐める団体は同じである。暴力団は余計な芝居をせず、そのまま国民に命令して国民からたくさんお金を取ったり国民の嫌がらせをしたり国民を殺したり痛めつけたりして国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にするのである。インドや南米のどこかの国(?)では国民みんなが暴力団に国民を虐めて国を平和にしてもらっている。つまり、インド政府は暴力団である。
今では国民みんなが法律を守って国が平和になっているから、国民みんなにとっては政治団体も宗教団体も暴力団も全部要らない。国民みんなは政治団体や宗教団体や暴力団にお金をやらないようにして政治団体や宗教団体や暴力団に国民を虐めて国を平和にしてもらわないようにして政治団体や宗教団体や暴力団を潰して政治団体や宗教団体や暴力団に虐められないようにして幸福に暮らさねばならない。早く国民みんなで法律会社を建てて、法律会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。国民みんなは自分や自分の子孫や他人が幸福に暮らすことができる国にするために自分の手で善い国を作らねばならない。
(国民みんなは馬鹿学者の化粧臭い利口ぶった文ばっかり読むから頭が潰れるのである。頭が悪くなって言葉の意味がわからなくなるのである。馬鹿学者の馬鹿がうつるのである。そうなったらおしまいである。眼で見ることしかわからない人間のクズになる。国民みんなは私の文のように飾りっ気のない“意味をそのまま書いた文”を読まないといけない。)
[22383] 政府は本当に国民を虐[いじ]めているか? h27.12.20
“ウナギの匂い代をお金の音で払う”落語のように、江戸幕府でさえも雰囲気[ふんいき]で仕事をしていただけなのである。江戸幕府は国民を虐めるふりをして国民をおとなしくさせて国を平和にしていたのである。(そんなことをいうヤツがいるから、幕府も躍起[やっき]になって国民を本当に虐めていたのである。)
政府は民主主義の芝居で隠しながら国民を虐めているから本当に政府が国民を虐めているかどうかわからない。政府が国民を虐めているのは雰囲気である。政府が国民を虐めて国を平和にするのも雰囲気だし、民主主義をやって国民を幸福にするのも雰囲気である。政府は雰囲気ばっかりである。政府は雰囲気芸ができるだけである。
政府は芝居しかできない。国民は政府がやっているかやっていないかわからない仕事に対して本物のお金を払う必要はない。国民は政府にお金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
[22384] 政府は口先では「国民を幸福にする」と言いながら本当は国民を不幸にしている。☆☆
h27.12.20
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
政府は民主主義の芝居をやって国民の役に立つふりをしている。
政府は国を平和にするために国民を虐めるために国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民の嫌がらせをしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりしている。
したがって、政府は「国民の役に立つことをするため」と言って国民から高い税金を取ったり、「国民が幸福に暮らすため」と言って国民を不幸にする政策をやったり、「天国で幸福に暮らさせるため」と言って事件や事故を起こして国民を殺している。
政府は口先で国民を幸福にするふりをして、本当は国民を虐めて国民を不幸にしている。
「民主主義の団体」は政府の芝居である。政府の正体は『国民を虐めて国を平和にする団体』である。
昔は国の文明が低くて国民が法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。国民は国を平和にするために政府の嫌がらせの命令を聞いていたから、政府に権力(命令力)があった。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律を守って国が平和になっているから、国民は政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。国民は国を平和にするために政府の嫌がらせの命令を聞かなくなっているから、政府に権力がなくなっている。
政府は国民から税金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
[22385] 国民みんなは民主主義の芝居から抜け出して現実の世界に入らなければならない。
h27.12.21
『政府は民主主義の芝居をやっている“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。』
政府は民主主義の芝居の上では国民みんなに従っていて国民みんなの役に立つことをいろいろやっていて国家権力があって国民みんなが従わねばならない。
政府は現実の上では国民を虐めて国を平和にしているだけで国民と平等で国民が政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
国民の多くはテレビや新聞を見て政府の民主主義の芝居の世界に入り込んでいるから「政府が国民みんなの役に立つことをする善い団体だ」と思って「政府に国家権力がある」と思って政府の命令をなんでも聞いたり政府に税金を払っているのである。
しかし、本当は『政府は国民を虐めて国を平和にしている』だけなのである。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を知らなくて法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民が政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をやってもらっていた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を知って法律を守って国が平和になっているから、国民が政府に税金を払わず政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をやってもらわなくなっている。
今の政府はテレビや新聞でやっている民主主義の芝居の上では国民みんなに人気があって国民みんなが政府に税金を払っていて政府が儲[もう]かっているが、現実の上では国民みんなに嫌われて国民みんなが政府に税金を払っていなくて政府が潰[つぶ]れている。国民みんなは民主主義の芝居から抜け出して現実の世界に入って現実を見て現実を知って現実に即して行動しないといけない。(『ミンキーモモ(2作目)』第58話「ふしぎなふしぎな映画館」に出てくる場末[ばすえ]の映画館が政府の国会議事堂のことである。映画が政府の民主主義の芝居のことである。)
(社会科の得意な人ならこれぐらいことはとっくの昔に知っているだろう。しかし、社会科の苦手な人は知らない。社会科の苦手な人にわかりやすく説明するのが大事なのである。)
[22386] 政府は善い人のふりをした悪い人のふりをした善い人である。 h27.12.21
人間はたとえ悪いことをしても上手[じょうす]に言い訳[いいわけ]すれば善いことをしているように見える。
そのことを利用して、政府は本当は国民を虐めているのに嘘[うそ]の理由を付けて国民に政府が善いことをやっているように思わせている。例えば、政府は本当は国民を虐[いじ]めるために国民から高い税金を取っているのに、政府は国民に「国民を幸福にすることをやるため」と嘘をついて国民に政府が善いことをやっていると思わせているのである。例えば、政府は本当は国民を虐めるために国民に不味[まず]いパンを食べらせているのに、政府は国民に「国民のスタイルをよくするため」と嘘をついて国民に政府が善いことをやっていると思わせているのである。例えば、政府は本当は国民を虐めるために国民に面白くないマンガやゲームをやらせているのに、政府は国民に「マンガは曖昧[あいまい]さがなくて具体的でわかりやすい。ゲームをやると頭がよくなる」と嘘をついて自分が国民を幸福にしていると思わせているのである。(『ピノキオ』のサーカスの団長と同じである。サーカスの団長は子供たちを虐めるために子供たちを好き放題に遊ばせてあとで子供たちを役立たずに変えて苦しませている。)例えば、政府は本当は国民を虐めるために国民に自分の外見を気にさせているのに、政府は国民に「海外旅行に行ったときに外人に馬鹿にされないため」と嘘をついて国民に政府が善いことをしていると思わせているのである。つまり、国民は政府の嘘によって「政府が国民に善いことをして国民を幸福にしてくれている」と思わされているだけで、本当は政府に虐められて不幸にされているのである。国民は政府に言葉の上で幸福にされているだけで、現実の上では不幸にされているのである。国民は政府に嘘の上で幸福にされているだけで、本当は不幸にされている。
政府はそもそも国民を虐めて国を平和にする団体である。昔は法律がなかったので、国を平和にするためには、政府が国民を虐めて国民に政府を恐れさせて国民の心を縮み上がらせて国民をおとなしくさせるしかなかったのである。人間には“深層心理”があるから、人間には表層心理と深層心理の二層の心理があるから、たとえ国民が政府の嘘で表面的に喜んでいても、国民の本心は政府に虐められて不幸にされておとなしくなるのである。政府は表層心理で国民を喜ばせて、深層心理で国民を虐めて嫌がらせているのである。政府にとっては国民を虐めることが仕事である。政府は自分が仕事をやるためにはどうしても国民を虐めなければならない。しかし、ヨーロッパ文化や日本文化ではみんなが政府が国民を虐めるのを見るのに耐えられないので、政府が露骨[ろこつ]に国民を虐めることができない。そのため、政府は国民に嘘をついて自分が善いことをやっているふりをして本当は悪いことをやっているのである。政府は自分が国民を虐めて国を平和にする仕事をやりやすくするために国民に嘘をついて国民に「政府が善いことをしている」と思わせて国民に国民を虐めるための命令を聞かせやすくしているのである。政府は国民を騙[だま]して自分の命令を聞かせている。しかし、政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めて悪いことをしているのだから、政府は本当は善い人なのである。政府は国を平和にして国民を幸福にするための“必要悪”として国民を虐めているのであり、政府は国民に国民を虐める命令を聞かすための“必要悪”として嘘をついているのである。政府は必要悪をよく使うが、本当は国民を幸福にするために国を平和にする善い団体なのである。政府がだいぶ前に「みんな善い人」と言っていたのは、政府自身も善い人だからである。政府は“善い人のふりをした悪い人のふりをした善い人”である。政府は面倒臭い性格である。政府は本当は国を平和にして国民みんなを幸福にする善い人だから、国民は政府を倒さないのである。政府は国民を幸福にするために国民に悪いことをしているのだから、政府がいくら悪いことをしても政府が国の中で生きていけるのである。(『デ・ジ・キャラットにょ』“善い人のふりをしてじつは悪い人、悪ですからなぁ”。政府は“善い人のふりをしている悪い人”だが、本当は悪い人ではない。だから、ゲマ団が「悪ですからなぁ」と言っているときの手足のフリが冗談ぽくて悪人らしくないのである。/昔タモリが「悪いほうが有利」と言ってニヤリと笑ったのも冗談だからである。本当のことを言うときにはまじめな顔をして笑わないから、ニヤリとするのは冗談なのである。政府は悪いことをしているが本当は悪い団体ではないから「悪いほうが有利」ではないのである。ところが、都会っ子は馬鹿だから冗談で言えば言うほど本気にしているのである。面白そうに言っていたらすぐに真[ま]に受けるのである。誰かが面白そうに言っていたら自分も幸福になれると思って言う通りにするのである。冗談と本当の区別をつけねばならない。冗談は冗談だと思わねばならない。冗談がわからない者に冗談を聞く資格はない。(h28.1.4追記:昔タモリが「ヅラ」と言っていたのは、ヅラとはカツラのことで髪がないことで神がないことだから、今の政府が国家宗教をやっていないことを言っている。今の政府は天皇や私の情報を使って国民を虐めているだけで、天皇や私を神にしていない。今の日本ではみんながヨーロッパ文化をやめていることを言っている。昔タモリが「包茎[ほうけい]」と言っていたのは、包茎とはチンポが皮をかぶっていることであり、政府が民主主義の芝居をやっていることを言っている。)北野武がトヨタのコマーシャルで「権力より愛だね」と言ってニヤリとしたのも冗談である。芸能界でニヤリと笑うのはすべて冗談である。権力とは政府が国民を虐めることである。愛とは政府が民主主義で国民の役に立つことをすることである。政府は実際には国民の役に立つことをやっていないから「政府が民主主義をやっている」のは冗談である。/池田満寿夫[いけだみすお]オセロゲームCM“裏の裏は表”。政府は表では善い人だが裏では悪い人でそのまた裏では善い人である。/法の隙間[すきま]とは“必要悪”のことである。必要悪とは善いことをするためには悪いことをやってもいいことである。だから、法律が破れるのである。例えば、政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めて悪いことをやってもいいのである。政府は国民に命令して高い税金を取ってもいいのである。政府は強盗と同じことをやっている。そのために、政府は法の隙間を利用して儲[もう]ける仕事と言われるのである。政府は国を平和にするために悪いことをやってもいい特権が国民みんなによって認められているのである(私はそんなことを知らなかったが(笑い))。だから、普通の国民が悪いことをやってはいけない。普通の国民が悪いことをやると警察に捕まって罰せられる。暴力団や宗教団体についても同じである。暴力団や宗教団体も政府と同じように国民みんなによって国を平和にするために悪いことをやってもいい団体だとされているのである。/宮沢賢治『注文の多い料理店』の猟師が国民で、ネコが政府(行政機関)で、二匹のイヌが国会(衆議院と貴族院、つまり法律会社)のことである。法律会社は本来は民間会社なので国民の味方なのである。国民は「政府が善いことをする団体だ」と思い込んでいるので、政府が本当は嫌がらせをしているのに、勝手に自分で政府の命令を解釈して「政府が国民を喜ばせている」と思い込んで政府の命令を聞いているのである。政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めているのだから、国民がある程度政府の嫌がらせの命令を聞くのはいいが、聞きすぎてはいけないということである。国民は国を平和にする程度に政府の命令を聞けばよく、それ以上聞かなくてもいいのである。政府もその点を考慮して、国民に過度に嫌がらせの命令を出さないようにしている。)
政府は本当は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国民みんなのために国民みんなを虐めているのだから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を知らなくて法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったので、国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。国民は国を平和にするために政府の国民を虐める命令を聞いていたので、政府に権力(命令力)があった。
しかし、今では国の文明が進んで国民が法律を知って法律を守って国が平和になっているので、国民は政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。国民は国を平和にするために政府の国民を虐める命令を聞かなくなったので、政府に権力がなくなった。
今の政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。今の国民みんなは国を平和にするために法律を使って虐めを使わなくなったので、政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
[22387] 昔のことがわかれば今のこともわかる。 h27.12.21
政府が出来る前にも“虐[いじ]め制”があった。つまり、権力者が国民を虐めて国を平和にしていた。
昔の日本では豪族が国民を虐めていた。
当時の日本では国民は食べるのがやっとで服や家のない者も多かった。多くの人は家を持たずに裸で暮らしていた。私有財産もなかった。
そんな時代にできる仕事と言えば、農業と“国を平和にする仕事”ぐらいしかない。
だから、豪族が国民を虐めるのは国を平和にするためなのである。
したがって、今の政府が国民を虐めるのも国を平和にするためなのである。政府は国を平和にするだけのためにいろんなことをやって国民を虐めているのである。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府が国民を虐めるのは国を平和にして国民を幸福にするための仕事である。国民が政府に税金を払うのは政府の“国民を虐めて国を平和にする仕事”に対する報酬である。国民と政府は平等である。国民が政府に税金を払って政府に“国民を虐めて国を平和にする仕事”をしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
国民が生活や仕事や遊びができるためにはまず国が平和でなければならない。だから、国民みんなにとって政府の仕事が必要である。だから、国民みんなはこれまでずっと政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていたのである。
昔は国の文明が遅れていて国民みんなが法律を知らなくて法律を守らなくて、テレビやゲームがなくて外で悪いことをして遊んでいて、物が貧しくて他人を殺して他人の物を奪って暮らして国が物騒[ぶっそう]だったので、国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今では国の文明が進んで国民みんなが法律を知って法律を守って、テレビやゲームがあって家の中でおとなしく遊んで、物が豊かで自分の食べ物や古くなった物を捨てて暮らして国が平和なので、国民は政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。政府は国民みんなから税金をもらえなくなって滅んでいる。
人間が昔のことを知れば今のこともわかる(“温故知新[おんこちしん]”)。社会科ではそういう考え方が有効であることが多い。
昔の時代は国民が政府に国民を虐めてもらって国を平和にしていたから、昔の国民は眼で見ることによって『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことがわかった。しかし、今の時代は国民が自分で法律を守って国を平和にしているから、今の国民が眼で見ることによって『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことをわかることはできない。国民が自分の眼に頼っているかぎり『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である』ことはわからない。国民が眼で見る世界を離れて自分の頭で考えてわかるしかない。国民が『政府が国民を虐めて国を平和にする団体である。政府の民主主義は芝居である。』という目で政府を見て政府のやることを理解して政府と関わらなければならないのである。『物体は力が働かなければ永遠に等速直線運動をする』という目で物体を見ないといけないのと同じことである。
[22388] 今の政府が残っているのは、国民が馬鹿だからである。 h27.12.21
政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府と国民は平等である。
今では国民が法律を守って国を平和にしているから、国民は政府が要らないから、国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
それなのに、今でも政府が健全に残っているのは今の国民が馬鹿だからである。
今の国民は馬鹿すぎる。今の国民は考えながら生きていない。今の国民はクズばっかりである。これでは人間愛が喪失する。とても今の国民のために働く気にはなれない。
そういうわけで、私は今の社会にウンザリして、今の人間に嫌気がさして、気分が落ち込んでとても仕事をする気になれないのである。そんなことだから、“政府の仲間”が年々増えていくのである。今の国民に絶望した者が“政府の仲間”になっているのである。テレビ局や出版社も政府の味方をしているのである。
国民みんなは私を仕事をする気にさせるためにも、私を“政府の仲間”にさせないためにも、早く政府を倒さねばならない。
政府について考えていくと、国民が人間に見えなくなっていく。それでもいい人だけ、政府について考えればいい。国民の“中身”(馬鹿だということ)がわかっていくからである。政府の中身がわかると国民の中身もわかる。国民が嫌いになる。そこが、政府について考えることの真[しん]の怖さである。
政府のことがわかると、それと同時に国民が馬鹿だということもわかって国民が嫌いになる。政府のことはそれほど難しくないのに、国民が政府のことがわからないのは、国民がよっぽど馬鹿だからである。国民は馬鹿だから、国民に政府のことを教えても国民が理解できないから無駄[むだ]である。それに、政府のことはそれほど難しくないから他人に教え甲斐[がい]がない。国民に政府のことを教える人がいないのはそのためである。だから、国民は自分の力で政府について考えて政府のことがわからねばならないのである。そのために、政府が倒れるのが遅れているのである。
日本人は五感よりも心が発達しているので架空が好きで現実が嫌いである。日本人は真実がわかればわかるほど気分が落ち込んで面白くなくなる。日本人はいやいや科学をやっているだけである。だから、政府について本当のことがわかっても面白くない。本当のことがわかった人も面白くないし、本当のことを教えられる人も面白くない。両方とも面白くない。日本人は嘘[うそ]の作り話なら喜んで他人に言うが、本当のことは他人に言わない。だから、日本では政府のことを教える人がいないのである。
戦前は日本人が先進国の文化を受け入れるためにヨーロッパ文化をやっていたから、国民みんなが一生懸命に現実のことについて考えて科学をやっていた。だから、戦前の日本は儲[もう]かっていた。しかし、戦後は日本人が日本文化をやってヨーロッパ文化をやめたから、誰も現実を考えなくなった。今の日本ではみんなが空想に耽[ふけ]って遊びまわっている。マンガやゲームばかりやっている。そのために、日本の産業水準が低下して儲からなくなっている。たしかに、日本人は空想が好きで現実が嫌いである。しかし、日本人はそれに打ち勝ってこそ真に幸福になれるのである。日本人は現実に興味を持って現実に目を向けて現実について考えて現実で行動して現実で幸福にならねばならない。ヨーロッパ人だって本当は頭で考えるのは嫌だがそれを我慢[がまん]して頭で現実について考えて科学をやって国を発展させてきたのである。だから、日本人もたとえ現実について考えるのが嫌でもそれをこらえて現実について考えて科学をやって国を発展させねばならない。
[22389] 政府は虐[いじ]めと嘘[うそ]で国を平和にする団体である。☆ h27.12.22
政府は国民を虐めて国を平和にして国民を幸福にする団体である。政府は国民を虐めるために民主主義の芝居をやって国民に国民を虐める命令を聞かせている。
政府が国民を虐めると国民が政府を恐れておとなしくなって国が平和になる。
政府が民主主義の芝居をやると“国民を虐めるための命令”に嘘の理由をつけて国民に聞かせることができるので国民が政府の“国民を虐めるための命令”を聞きやすくなって政府が国民を虐めやすくなってそれだけ国が平和になる。粉薬をカプセルに入れると薬が飲みやすくなるのと同じことである。錠剤を糖衣錠にすると飲みやすくなるのと同じである。
政府は「人間を怖がらせるとおとなしくなる」「国民を不幸にすることを嘘で国民を幸福にすることに思わせることができる」([22386]の例を参照)ことを利用して、虐めと嘘で国民の心を巧みに操[あやつ]ることによって国を平和にしているのである。
政府は国を平和にして国民を幸福にする。しかし、政府が国を平和にすると国民が政府に虐められて国民が不幸にされる。国民は政府に国を平和にして幸福にしてもらうために政府に虐められて不幸にされる。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を知らなくて法律を守らなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今では国の文明が進んで国民が法律を知って法律を守って国が平和になっているから、国民は政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。
今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。
「政府が国全部を管理している団体だ」と思っている国民がいる。「国がうまく行っているのはすべて政府のおかげだ」と思っている国民がいる。しかし、本当は『政府はときどき国民を虐める命令を出しているだけである。』『政府の仕事は国を平和にすることだけで、それ以外にはない』のである。国全部を政府ひとりで何から何まで管理できるわけがない。国民は政府を高く買いすぎである。国民は政府の民主主義の芝居を真[ま]に受けすぎである。政府の民主主義は芝居であって現実にはやっていないのである。政府が国民みんなを見て国民みんなが幸福になることを考えて国民みんなを動かすことなんかやっていない。実際に、国民に政府の命令が出ることがない。国民は自由に暮らしている。政府は国民を虐めて国を平和にしているだけである。今の国民は法律を守って平和が間に合っている。今の国民は政府に国を平和にしてもらわなくてもいい。今の国民は政府に税金を払わず政府に虐めと嘘で国を平和にしてもらわなければいいのである。
政府は民主主義の芝居をやっている。政府はテレビや新聞で国民みんなを幸福にするためにいろんな政策をやっている。しかし、国民は政府の芝居を真に受けてはいけない。国民は『政府が虐めと嘘で国を平和にする団体である』という目で政府を見ないといけない。政府は国民を幸福にするふりをして国民を不幸にする政策をやっているだけである。国民は政府に不幸にされていくだけである。実際に、昔(私が20代ごろ)の日本に比べて今の日本は面白くない。国民が政府の民主主義の政策(じつは国民を虐めるための政策)を真に受けて聞いているからどんどん不幸になっておとなしくなって国が平和になっているのである。今の国民は政府の嘘の世界で幸福になっているだけで、現実の世界では不幸になっている。政府は国を平和にするのが仕事なので、政府は国を平和にするためならいくらでも国民を虐めて不幸にしておとなしくさせる。このままでは国民が政府にどんどん不幸にされておとなしくなってお人形さんのようになってしまう。国民は自分の幸福を大事にしないといけない。幸せは眼では見えない。国民は自分の心の満足を大事にしないといけない。国民は自分が幸福に生きるために、国の平和のために自分を虐めて不幸にする政府を倒さねばならない。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
[22390] 政府は国を平和にするために国民を不幸にする。☆ h27.12.22
政府は国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。政府は民主主義の芝居をやって国民に嘘[うそ]をついて国民を不幸にする命令を国民を幸福にする命令だと思わせて国民に国民を不幸にする命令を聞かせて国民を不幸にして虐めている。
政府は国を平和にするために国民を虐めて国民を不幸にして国民の幸福を失わせている。
政府は国民の幸福を吸い取って国民の元気を失わせて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。(スタジオぴえろ『魔法の妖精ペルシャ』の第32話「冷いバレンタイン」に登場する妖精のボンボンに取り付かれた校長が政府である。)
国民が政府に国を平和にしてもらうと幸福に暮らせなくなる。国民が政府に国の平和を任[まか]せると国が平和になるかわりに国民が幸福でなくなってしまう。
今では国民は自分で法律を守って国を平和にしている。国民は政府に国を平和にしてもらわなくていい。政府と国民は平等である。国民が政府に仕事を頼むか頼まないかは国民個人の自由である。国民は政府に税金を払わず政府に国民を不幸にして国を平和にしてもらわなければいいのである。
[22391] 政府の民主主義とは政府が国民を嘘[うそ]で騙[だま]すことである。☆
h27.12.22
『政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。』これが政府の法則である。政府はこの法則通りに活動している。
政府はテレビや新聞でいろんな国民の役に立つことをやっているがじつは何もやっていない。政府の民主主義は芝居であって現実ではないから、政府はテレビや新聞の上で国民の役に立つことをしているふりをしているだけで、現実には国民の役に立つことは何もやっていない。政府が国を平和にするために国民を虐めるときに国民に嘘をついて国民に国民を不幸にする命令を国民を幸福にする命令だと思わせて国民に国民を不幸にする命令を聞かせて国民を虐めて不幸にしているだけである。それを民主主義と呼んでいるだけである。政府は嘘をつくときだけ民主主義なのである。つまり、政府の民主主義とは政府が「国民を幸せにするためだ」と言って嘘をついて国民を虐めることなのである。政府が民主主義の芝居をやると国民に国民を虐める命令を聞かせやすくなるので、政府は民主主義の芝居をやっているのである。国民は「政府が民主主義をやっている」と信じているので「理由はわからないがとにかく国民みんなのためだ」と思って政府の国民を虐める命令を聞くのである。(キン肉マンが「屁[へ]のつっぱりは要らんですよ」と言ったとき、与作さんが「言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ」と言うのと同じである。追記:キン肉マンの言葉の意味は屁のつっぱりは尻[しり]のことであり、尻は丸くて光る物←光るトンビ←天皇で尻←しり←りし←川フ(り≒川、し≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、キン肉マンは「自分は国家宗教が要らない」と言っているのである。キン肉マンは「自分が十分実力で戦えるので、国家宗教に頼って反則技を使わなくてもいい(戦前の日本ではヨーロッパ文化をやっていたので国民が国家宗教で悪いことをやってもよかった)」と言っているのである。)政治の“政”とは政府が自分が国民の役に立っているふりをすることであり、“治”とは国を平和にすることである。だから、政治とは政府が国民の役に立っているふりをして本当は国民を虐めて国を平和にすることなのである。(政府が国民のために役に立つことをするのは新しく出来たときと潰[つぶ]れかけたときだけである。)
政府の正体は国民を虐めて国を平和にする団体である。いわゆる権力団体である。
国民が政府に国を平和にしてもらうと国民が政府に虐められて不幸にされる。国民は政府の嘘に騙されて幸福に暮らしていると思わされているだけで、本当は不幸に暮らさせられている。
日本文化では他人を虐めたり他人を嘘で騙すのはいけないことだが、日本政府は『国を平和にするために』国民を虐めたり嘘をついたりしているので、政府が国民を虐めたり国民に嘘をついて騙すのは“必要悪”なので、日本でも特別に認められているのである。今の日本政府は私や天皇を神にしていないからヨーロッパ文化をやっていないからいちおう日本文化に適[かな]っている。日本政府は名前は昔と同じだがヨーロッパ文化をやめているのである。
政府は国を平和にするために国民を虐めて不幸にする。国民が政府の命令を聞いているとどんどん不幸にされる。
昔は文明が遅れていて国民が法律を知らなくて法律を守らなくて国民の力では国が平和にならなかった。そのために、国民は政府に頼んで国を平和にしてもらうしかなかった。たしかに国は平和になったが、その代わりに国民が政府に虐められて不幸に暮らさねばならなかった。
今は文明が進んで国民が法律を知っていて法律を守って国民の力で国が平和になっている。そのために、国民が政府に頼んで国を平和にしてもらわなくてもよくなっている。
このへんで国民は国を平和にするやり方を変えねばならない。国民は自分で法律を守って、政府に国を平和にするのをやめてもらわねばならない。国民は政府に税金を払うのをやめて政府に国民を不幸にして国を平和にするのをやめてもらわねばならない。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。将来、国民で法律会社を建てて、法律会社にお金を払って法律会社に国民みんなに法律を守らせる仕事をしてもらわねばならない。
国民は自分で考えて自分を幸福にしないといけない。国民が政府に国を平和にしてもらうと国民が政府に虐められて国民が不幸になる。国民が法律を守ると国民が社会の中で安全に暮らせて国民が幸福になる。だから、国民は法律を守って、政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にするのをやめてもらわねばならない。
[22392] 日本の権力団体の歴史 h27.12.22
大昔の“国民を虐めて国を平和にする団体(権力団体という)”は、国民みんなの眼の前で堂々と国民を虐[いじ]めて国を平和にしていた。権力団体は今の暴力団のように直接に国民に命令して国民からお金を脅[おど]し取ったり国民の嫌がらせをしたり国民に暴力をふって殺したり痛めつけたりして国民を虐めていた。国民にとっては権力団体が残酷なことをするので人気が出なかった。
そこで、ギリシアの権力団体は民主主義の芝居を付け足した。民主主義の芝居を付け足せば、国民からは直接権力団体が国民を虐めているところが見えないから国民に不快感を与えないし、国民を虐める命令に嘘[うそ]の民主主義の理由を付ければ国民が国民を虐める命令を喜んで聞く。
そのようにして、ギリシアの権力団体は国民みんなの人気を得て国民みんなが契約する大きい団体になった。すごく儲[もう]かった。つまり、ギリシア政府が巨人(つまり国民みんな)の肩に乗ることができたのである。
古代以前の日本ではみんながアジア文化をやっていたから、日本の権力団体(豪族)は今の暴力団のように国民の眼の前で国民を虐めていた。日本の権力団体は人気が出なかったので、日本は小さい国にバラバラに分かれていた。
古代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっていたから、日本の日向[ひゅうが]の国(つまり宮崎県)の権力団体もヨーロッパの権力団体を真似[まね]て民主主義の芝居を付け足した。さらに、国家宗教の神の情報を使って駄洒落[だじゃれ]で国民を虐めた。日本人に駄洒落が大ウケして日本の日向の国の権力団体は国民みんなが契約する大きい団体になった。(当時の国民にとっては権力団体が国民を虐めて国を平和にするのが当たり前だったので、権力団体が駄洒落で国民を虐めているのが新鮮で面白かったのである。)そのために、日本が統一された。つまり、日本が駄洒落で統一されたのである。
中世の日本ではみんながアジア文化をやっていたから、日本の権力団体もアジアの権力団体を真似て民主主義の芝居を除[の]けた。しかし、駄洒落で国民を虐めるのは残した。権力団体は“自分が政府を倒したこと”の駄洒落で国民みんなの人気を取って国民みんなと契約して儲かった。鎌倉幕府も室町幕府も国民みんなに天皇がウケたと思ってどうでもいい天皇を大事にしていたから国民みんなの人気が出ずに潰[つぶ]れたのである。国が分裂してバラバラになって古代以前の戦国時代に戻ったのである。徳川幕府がようやく駄洒落で国民を虐めるようになってようやく国民みんなの人気が出て国が平和になったのである。
近代の日本では再びみんながヨーロッパ文化をやるようになったから、日本の権力団体はまた民主主義の芝居を付け足して、国家宗教の神の駄洒落で国民を虐めるようになった。ヨーロッパの権力団体は日本の権力団体を真似て駄洒落で国民を虐めるようになった。しかし、ヨーロッパ文化には駄洒落がないので、ヨーロッパ人にとっては権力団体が何をやっているのかわからず面白くなかった。カミュは「ヨーロッパが悪い国になったのは“太陽”(←日の丸←日本)のせい」などと言って面白くない駄洒落をやったので自動車の“車輪”(←光るトンビ←神武天皇)に轢[ひ]かれて殺された。
現代の日本ではみんなが日本文化をやるようになったから、日本の権力団体は国家宗教をやめて天皇や私などの“特定の国民”の情報を使った駄洒落で国民を虐めるようになった。日本文化でも民主主義の芝居は“必要悪”として認められるから、日本の権力団体はあいかわらず民主主義の芝居をやっている。
こうして日本の権力団体は数々の変遷を経て現在に至るわけである。日本政府は民主主義の芝居が付いた権力団体である。日本政府は権力団体であって民主主義の団体ではない。日本政府は国民みんなを虐めて国を平和にするだけで、民主主義で国民の役に立つことはやっていない。国民みんなにとって日本政府は国を平和にするためにあるだけである。
日本政府は権力団体である。権力団体は国民みんなのために国を平和にするために国民みんなを虐めている。だから、政府と国民は平等である。国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が低くて国民が法律を知らなくて法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に国を平和にしてもらわねばならなかった。国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。
しかし、今は国の文明が高くなって国民が法律を知って法律を守って国が平和になっているから、国民は政府に国を平和にしてもらわなくていい。国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめている。
国民が権力団体に国を平和にしてもらうと国民が権力団体に虐められて不幸になる。国民が法律を守って国を平和にすると国民が幸福に暮らせるだけである。国民が平和に幸福に暮らすためには権力団体に虐められるよりも法律を守ったほうがいい。国民にとっては政治よりも法治のほうがいい。そのため、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を倒している。将来、国民みんなで法律会社を建てて法律会社にお金を払って法律の仕事をやってもらいたいと思っている。
[22393] 人間は眼よりも頭で見ないといけない。 h27.12.22
今の国民の多くは眼だけで政府を見ているから「政府が民主主義の団体で、国民みんなに従って国民みんなのために役に立つことをやって、国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならない」と思って、「国民みんなのためだ」と思って政府の命令を聞いたり政府に税金を払ったりしている。
しかし、本当は『政府は民主主義の芝居をやっている“国民みんなを虐[いじ]めて国を平和にする団体”であり、政府の仕事は嘘の民主主義の理由をつけて国民を虐めて国を平和にすることだけであり、政府は国民と平等で国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。』
政府について正しい知識を持っている国民は、『今では国民が自分で法律を守って国を平和にしているからわざわざ政府に国を平和にしてもらわなくていい』と思って、政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。政府の命令を聞かなくなっている。国民と政府の付属会社は平等だから、政府の付属会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらっている。(政府の付属会社は半官半民だから、政府と国民の両方からお金をもらっている。政府の付属会社は政府がお金をくれるときには国民からお金を取らないし、政府がお金をくれないときには国民からお金を取る。国民と政府は平等だから、国民が政府にお金を払うか払わないかは国民個人の自由である。昔は国民みんなが政府に国を平和にしてもらうために政府に税金を払っていたから、政府はお金が余っていたから、政府は付属会社にお金をやっていたから政府の付属会社は国民からお金を取らなかった。しかし、今は国民の多くが政府に国を平和にしてもらわなくなって政府に税金を払わなくなったから、政府はお金が足りなくなったから、政府は付属会社にお金をやらなくなっているから、政府の付属会社は国民からお金を取るようになっている。法律会社や学校会社のように政府の付属会社が国民からお金を取らない場合には、国民が無料で利用すればいい。今では国民が政府に税金を払わないのが正しいから、政府に税金を払っている国民が馬鹿だから、利口な国民が馬鹿な国民のお金を利用して得をしてもいいのである。/今の法律会社は政府の付属会社であるために、国民に国民を不幸にする命令(命令とは法律や政策やその他の命令などのこと)と国民を幸福にする命令の両方を出している。政府に国民みんなを虐めてもらって国を平和にしたい国民は国民を幸福にする命令と国民を不幸にする命令の両方を聞けばいい。国民みんなが法律を守って国を平和にしたい国民はそれらを区別して国民を不幸にする命令を聞かず国民を幸福にする命令だけ聞くようにしないといけない。今の学校会社は政府の付属会社であるために、国民にまちがっていることと正しいことの両方を教えている。政府に国民みんなを虐めてもらって国を平和にしたい国民は正しいこととまちがっていることの両方を習えばいい。国民みんなが法律を守って国を平和にしたい国民はそれらを区別してまちがっていることを習わず正しいことだけ習うようにしないといけない。水道会社やゴミ会社や戸籍会社などは問題ない。今の法律会社や学校会社は政府の付属会社であるために面倒臭い。権力制(つまり虐め制)と法律制が混ざっている社会は面倒臭い。早く国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民が何も考えずに素直に法律会社の法律を守ったり学校会社の教えることを習ったりできるようにしないといけない。国民みんなは早く権力制を突破して法律制に行かねばならない。国民みんなは早く「国民みんなが政府に虐められて不幸にされて幸福がなくなって機械のようになっておとなしく平和に暮らす社会」から抜け出して『国民みんなが法律を守って元気に楽しく平和に暮らす社会』の中で暮らさねばならない。モーゼがたくさんの奴隷をつれて奴隷制の社会を抜け出して平等制の社会に行って暮らしたように、国民みんなは権力制の社会を抜け出して法律制の社会に行って暮らさねばならない。)
眼だけで政府を見る者と頭で考えて政府を見る者では大違いである。
国民の多くは政府の芝居を政府の実体だと思ってチンプンカンプンなことをやっている。(『新世紀エヴァンゲリオン』のレリエル。つまり、使徒とは政府の喩[たと]えなのである。)
国民みんなは早く政府についての正しい知識を持って、政府を正しく見て政府と正しく対応できるようにならねばならない。架空の政府は国家権力があって国民みんなが従わねばならなくて国民みんなの役に立つことをやって国民みんなの支持があって強いが、現実の政府は国民と平等で今では国民みんなが法律を守って国を平和にしていて国民の役に立たなくなって国民みんなの支持がなくて弱い。法治国家では権力団体は無力である。国民みんなは架空の政府ではなく政府の実体を見て、政府が国民を虐めるために税金を取る命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。国民みんなは他人に政府を倒してもらうのではなく、自分で政府を倒さねばならない。自分の手で政府に税金を払うのをやめて政府と戦って政府を倒さねばならない。
[22394] 今の政府は国民を実在の世界から追い出して虐[いじ]めている。 h27.12.23
政府は民主主義の芝居をやって“国民みんなを虐めて国を平和にする団体”である。政府は嘘[うそ]の民主主義の理由をつけて国民に国民を虐める命令を聞かせて国民を不幸にして元気を失わせておとなしくさせて国を平和にする団体である。
今は科学の時代である。今の国民は実在の世界で幸福に暮らしている。実在の世界は人間にとっての楽園である。人間は実在の中で幸福になることによって真[しん]に幸福になることができる。
そのため、今の政府は国民に眼先のことをやらせたり空想のことをやらせたりして国民を不幸にしている。政府は国民を実在の世界から追い出してくだらない思いをさせて気分を悪くさせて不幸にしている。もちろん、政府は国民から高い税金を取ったり国を不況にして失業者を増やしたり事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民を不幸にしている。政府は事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりして国民本人を不幸にするだけでなく、それをテレビや新聞でニュースにして国民みんなに流すことによって国民みんなに面白くない思いをさせて国民みんなを不幸にしている。(政府は国民に面白くない思いをさせて国民の気分を落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にすればいいだけだから、政府は自分が国民を殺したり痛めつけたりしたことを国民みんなに伏せている。)
今では国民は法律を守って国を平和にしている。今の国民は政府に国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にして国民みんなの気分を落ち込ませて国民みんなを暗い気分にさせて国民みんなをおとなしくさせて国を平和にしてもらわなくていい。国民と政府は平等である。今の国民は政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。国民は政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわず政府の国民を虐める命令を聞かなければいい。
今の政府は国民にまちがった思想を広めて国民の人生を誤らせて国民を不幸にしている。国民は自分で正しい道徳や哲学を勉強して政府の妨害から自分を守らなければならない。国民みんなは早く政府を倒して自分の幸福を邪魔[じゃま]する者をなくして幸福に暮らさねばならない。
[22395] 国民は政府の民主主義の芝居に騙[だま]されるほど馬鹿ではない。
h27.12.23
政府は民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である。
政府はもともと国民の役に立つことをする会社ではない。政府はもともと国民を虐めて国民を不幸にして国民の気分を落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にする団体である。だから、政府は国民の役に立つことをしないのである。政府は国民の役に立つことをしているふりをしてじつは何もせず、国民を虐めるための命令を嘘[うそ]をついて国民に国民を幸福にするための命令だと思わせて国民に聞かせるだけである。
国民もそう馬鹿ではないから、これまで政府の民主主義の芝居に騙されてきたわけではない。国民は政府に国を平和にしてもらうために政府に税金を払って政府の国民を虐めるための命令を聞いてきたのである。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を知らず法律を守らず国が物騒[ぶっそう]だったので、国民は国を平和にするために政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。国民は国を平和にするために政府の国民を虐めるための命令を聞いていたので、政府に権力(命令力)があった。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を知って法律を守って国が平和になっているから、国民は国を平和にするために政府に税金を払わず政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなった。国民は法律を守って国の平和が間に合っているので政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなって、政府に権力がなくなった。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
国民が政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうと、国民が政府に虐められて不幸にされて気分が落ち込んで幸福になれない。国民が法律を守って国を平和にすると、国民が安全に暮らすことができて幸福になるだけである。国民にとっては政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうよりも、法律を守って国を平和にするほうがいい。そのため、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、将来法律会社を建てて法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらうつもりである。
テレビ番組やマンガなどで政府について正しいことを言わないのは、政府のことは言わずもがなだからである。国民みんなが政府のことを知っているのが当然だからあえて言わないのである。政府の文部省検定済みの社会科の教科書に政府について正しいことが書いていないのは国民みんなが政府の正体を知っているからである。みんなが知っていることは省略するのが常だから、わざわざ社会科の教科書に『政府が民主主義の芝居をする国民を虐めて国を平和にする団体だ』なんていちいち書いていないのである。社会科の教科書には政府の民主主義の芝居しか書いていないのである。私のようにわざわざみんなに政府の正体を教えるほうが馬鹿である。国民みんなは最初から政府の正体を知っている。今では国民みんなが自分で考えて政府を倒している。だから、国民は国民みんなに遅れないために政府を倒せばいいのである。
今のマンガやテレビが政府についてはっきり正しいことを言わないのは、国民みんなが政府のことを知っているからである。しかし、いくら国民みんなが正しいことを知っているからといって国民が国民みんなに正しいことを言っていけないわけではない。だから、みんなが政府について正しいことをみんなに言えばいいのである。みんなが正しいことを言って正しいことをやって正しい世の中にすればいいのである。
テレビ局や新聞社は考えてくれる会社ではない。そのまま情報を流すだけの会社である。テレビ局や新聞社は情報を流す管[くだ]にすぎない。水道管やガス管のようなものである。テレビ局や新聞社はただ眼で見たことや耳で聞いたことを国民に伝えるだけである。だから、テレビや新聞の前の国民一人一人が情報を見て考えねばならない。情報を鵜呑[うの]みにしてはいけない。今の国民の多くは自分の頭で考えず情報を眼で見るだけで終わりにして情報をそのまま鵜呑みにしているからいろんな誤解をしているのである。テレビや新聞は国民が自分で考えるためのもとになる情報を国民に提供するだけである。そこから先は国民一人一人が自分の頭で考えねばならない。テレビ局や新聞社が流している情報が芝居か現実かは冗談か本当かは正しいかまちがっているかは国民が自分で考えて判断しないといけないのである。例えば、国民がウルトラマンを見て本当に「怪獣が攻めてきた」と思って逃げ出してはいけないのである。国民が政府の民主主義の芝居を見て本気にして「政府が民主主義の団体だ」と思ってはいけないのである。社会科の教科書に書いてあることがそのまま正しいとはかぎらない。国民は自分で考えて正しいかそうでないかを判断しないといけない。
[22396] 今の国民は政府の付属会社を安い料金で利用するために政府に税金を払ってはいけない。
h27.12.23
今の国民の多くは眼先でテレビや新聞の上で政府を見ているだけだから「政府が民主主義の団体だ」と勘違いをするのである。そのため、「政府が国家権力のある善い団体だ」と思って政府の命令をわけがわからないまま聞いて飛行機や列車を事故らせて大勢の人を殺したりしているのである。
国民は『政府が民主主義の芝居をする“国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体”である』ことに基づいて政府がやっていることを見ないといけない。
政府がテレビや新聞で国民の役に立つことをやっているのは芝居である。現実には政府は国民の役に立つことをやっていない。政府が国民の役に立つことをやっているかやっていないかわからないから、わざわざ国民が政府に本物のお金を払う必要はない。
政府は国民みんなに命令して国民みんなを虐めて不幸にしておとなしくさせて国を平和にしているだけである。政府は国民を虐めるための命令に嘘[うそ]の理由をつけて国民に国民を幸福にする命令だと思わせて国民に聞かせている。政府は毎日すごい量の国民を虐める命令を出している。国民は政府の命令を聞いて不幸になっている。政府は国民を虐めて国を平和にするのが仕事だから、国を平和にするためにいくらでも国民を不幸にする。このままだと国民みんなが政府に不幸にされて死んでしまう。
政府は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐めている。政府が国民を虐めるのは国民のためにやっている仕事である。だから、政府と国民は平等である。したがって、国民が政府と契約して政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由である。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民は政府に税金を払って国を平和にしてもらっていた。昔は国を平和にするためには政府が国民みんなを虐める方法しかなかったから、国民は政府に頼んで国民みんなを虐めてもらっていたのである。そのため、政府が儲[もう]かって繁盛していた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を守って国が平和だから、国民は政府に税金を払わず国を平和にしてもらわなくなった。今は国を平和にするためには国民が法律を守ればよくなったから、国民は政府に国民を虐めて国を平和にするのを頼まなくなったのである。そのため、政府が儲からなくなって滅んでいる。
昔は国民みんなが政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらっていたから、国民みんなは政府に税金を払って政府の国民を虐めるための命令を聞いていた。政府の付属会社も只[ただ]で政府の虐めの命令を聞いていた。政府は国民みんなから取りすぎた税金を国民みんなに還元するために、政府の付属会社に税金の一部をやって経営していた。そのため、国民は政府の付属会社を安いお金で利用できた。会社によっては無料で利用できた。しかし、今では国民みんなが法律を守って国を平和にするようになって政府に国民みんなを虐めて国を平和にしてもらわなくなったから、国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府の国民を虐めるための命令を聞かなくなった。政府の付属会社も政府の虐めの命令を聞かなくなっている。政府は国民みんなから税金をもらえなくなってお金が足りなくなって、政府の付属会社に税金の一部をやらなくなって独立民営化させている。そのため、国民は政府の付属会社を高い料金で利用しなければならない。それでも、国民みんなは政府に虐められるよりはマシだと思って喜んで高い料金を払っている。世の中はお金ではない。お金なんかどうでもいい。とにかく国民みんなを虐める会社なんかないほうがいい。国民みんなはお金をケチりすぎて政府の付属会社を安い料金で利用するために政府があったほうがいいと思って政府に税金を払って政府を復活させて政府に虐められてはいけない。
政府の付属会社は本来民間会社である。昔の政府が国民を虐めるために調子に乗って国民から税金を取りすぎたためにあとで政府が国民に悪いと思って国民にお金を戻すために付属会社にお金をやって経営していただけである。政府の付属会社は本来は全部国民がお金を払って経営すべきものである。早く国民みんなで政府を倒して、国民が直接政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらうようにしないといけない。
今の法律会社(つまり政府の付属の法律会社)は政府がお金をくれているので政府に悪いと思って政府の命令を聞いて国民に国民を不幸にする命令(一般に法律や政策や命令など)を出している。しかし、本来は政府が法律会社にお金をくれるのは政府が国民に税金を還元するためである。だから、いくら政府が法律会社にお金をくれるからといって、法律会社が義理に思って政府の命令を聞く必要はない。今では国民みんなが自分で法律を守って国を平和にして政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっているから、今の法律会社も政府の国民を虐める命令を聞かなくていい。今の法律会社は政府からお金だけもらって政府の虐めの命令を聞かないようにして、お金の足りない分を国民からもらって経営すればいい。学校会社も同様である。今の学校会社(つまり政府の付属の学校会社)は政府がお金をくれるので政府に悪いと思って政府の命令を聞いて国民にまちがったことを教えている。子供にマンガやエッチなことを教えて子供にくだらない喜びを教えて子供の心を汚[よご]して子供を虐めている。しかし、本来は政府が学校会社にお金をくれるのは政府が国民に税金を還元するためである。だから、いくら政府が学校会社にお金をくれるからといって、学校会社が政府に悪いと思って政府の国民を虐めるための命令を聞く必要はない。今の学校会社は政府からお金だけもらって政府の国民を虐めるための命令を聞かないようにして、お金の足りない分を国民からもらって経営すればいい。早く国民みんなで政府を倒して、法律会社や学校会社を民営化して健全な国にしないといけない。法律会社が国民に国民を不幸にする命令を出したり学校会社が国民にまちがったことを教えたりしない国にしないといけない。国民みんなで権力制(虐め制)の国から法律制の国に変えねばならない。国民みんなで政府が国民みんなを虐めて国を平和にする国から国民みんなが法律を守って国を平和にする国に変えねばならない。
[22397] 今は国が権力制(虐め制)から法律制に変わっている途中である。 h27.12.24
政府は民主主義の芝居をやっている“国民を虐めて国を平和にする団体”である。政府は“国民を虐めて国を平和にする団体”に民主主義の芝居や駄洒落[だじゃれ]を付け加えて“国民を虐めて国を平和にする団体”を改良している。政府は民主主義の芝居を加えることによって国民に政府が国民を虐めているところが直接見えないようにして国民に不快感を与えないようにしている。政府は国民を虐めるための命令に嘘[うそ]の民主主義の理由を付け加えることによって国民に国民を幸福にする命令だと思わせて国民が命令を聞きやすくしている。例えば、政府が国民に正直に『政府が国民を虐めるために税金を取っている』と言うと国民は政府に税金を払う気にならないが、嘘をついて「政府が国民の役に立つことをするために税金を取っている」と言うと国民は政府に税金を払いやすくなる。「身内が死んだから葬式に出ないといけない」と嘘の理由を言って本当は自分が遊ぶために会社を休むのと同じことである。政府は建前では「国民を幸福にするため」と言って国民から税金を取っているが、本音[ほんね]では国民を虐めて国民を不幸にして国民の気分を落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にするために国民から税金を取っているのである。その上、政府は駄洒落を加えることによって国民を楽しませている。政府は特定の個人(私や天皇)の情報を捻[ひね]ったことをやって国民を虐めることによって政府に通[つう]な国民を満足させている。
政府は芝居の世界で間接民主制をやって自分が国民みんなに従って国民みんなのために役に立つことをやっていることにして、国家権力があって国民みんなが政府に従わねばならないことにして、“国民みんなが政府に税金を払わねばならない架空の法律”を定めて国民みんなが政府に税金を払わねばならないことにしている。
芝居の世界では政府が国家権力があって政府に国民みんなが従わねばならなくて、政府が国民みんなの役に立つことをやっていて政府に国民みんなの支持があって政府が強い。
しかし、現実の世界では政府は国民と平等であり、政府は国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府は国民を虐める命令に嘘の民主主義の理由を付けて国民に国民を幸福にする命令だと思わせて国民に聞かせている。
現実の世界では国民と政府が平等であり国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうかどうかは国民個人の自由であり、今の国民は法律を守って国を平和にしているから政府は国民みんなの役に立っていないから国民みんなが政府を支持していないから政府は弱い。
国民にとっては政府の芝居なんかどうでもいい。現実だけが大事である。つまり、国民にとっては政府は国民みんなを虐めて国を平和にする団体にほかならないのである。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守っていなくて国が物騒[ぶっそう]だったから、国民みんなが政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらっていた。昔は国を平和にするためには国民が政府に国民を虐めてもらうしかなかったから、国民は政府に税金を払って国を平和にしてもらっていたのである。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を守るようになって国が平和になっているから、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわなくなっている。国民にとっては政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうよりも、自分で法律を守って国を平和にしたほうが幸福に暮らせるから、今の国民は自分で法律を守って政府に国民を虐めて国を平和にしてもらわないことにしているのである。
今は国が権力制(虐め制)から法律制に変わっている途中である。政府が国民みんなを虐めて国を平和にすることから国民みんなが法律を守って国を平和にすることに変わる途中である。だから、国民は政府に税金を払って政府の虐めの命令を聞いて政府に国民を虐めて国を平和にしてもらうのをやめて、自分で法律を知って法律を守って国を平和にすればいいのである。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社にお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
[22398] どうして商人が消費税を取っているか? h27.12.24
今は法律の時代である。権力(国を平和にするために国民を虐[いじ]めること)の時代ではない。
そのために、国民みんなにとって政府が要らなくなって、政府が弱くなっている。(政府は国民から税金をもらって国民を虐めて国を平和にする仕事である。政府は売れてなんぼである。昔は文明が低くて国民が政府に国を平和にしてもらっていて国民に政府が売れていたから政府が強かった。今では文明が高くなって国民が自分で国を平和にしているから国民に政府が売れなくなったから政府が弱い。)
政府が弱くなったために、政府の代わりに商人や医者が強くなっている。人間にとっては衣食住が一番大事である。商人は国民に衣食住を売る。商人が衣食住を仕切っている。だから、商人が強いのである。人間にとっては自分の身体が一番大事である。医者は人間の身体で商売している。医者が人間の身体を仕切っている。医者の縄張りは人間の身体である。国民の身体は医者の持ち物である。だから、医者が強いのである。
世の中では政府の次に医者や商人が強いので、今では政府が国民から税金を取る代わりに医者や商人が国民から税金を取っているのである。医者や商人が国民から税金を取って、余ったお金を政府にやって政府に食わせてやっているのである。つまり、今では政府は医者や商人の付属会社なのである。政府は医者や商人からもらったお金で国民みんなを虐めて国を平和にしているのである。だから、医者や商人が死の商人だと言われるのである。商人が自分で消費税を値上げして政府を使って公表させて国民に政府が消費税を値上げしたと思わせているのである。
しかし、そもそも現実の世界では『人間はみな平等である。』国民と医者や商人は平等である。だから、医者が国民から無理やりお金を取ったり、商人が国民から無理やりお金を取ったりすることはできない。そのため、医療保険は国民が加入するかしないかは任意だし、消費税は全国の商人が打ち合わせていっせいに商品を8%値上げして売っているようなものなのである。国民が医療保険に入るか入らないかは国民個人の自由だし、国民が商人が8%値上げした高い商品を買うか買わないかは国民個人の自由である。消費税は名前は税金だが、実質的には商品の値上げにすぎない。この世では『人間はみな平等』だから、誰も『人間がみな平等である』ことを犯せないから、他人から強制的にお金を取ることはできない。だから、医者は国民全員が医療保険に入らねばならない“みたいにしている”だけだし、商人は国民みんなから強制的にお金を取っている“みたいにしている”にすぎないのである。現実には国民が医療保険に入るか入らないかは国民個人の自由だし、国民が商人が値上げした商品を買うか買わないかは国民個人の自由である。政府の税金だって“芝居の上で「国民全員が政府に税金を払わねばならない」架空の法律を定めている”だけであって、現実には国民が政府に税金を払って政府に国民を虐めて国を平和にする仕事をやってもらうかどうかは国民個人の自由である。
いくら今が法律の時代のために政府が弱くなったからといって、政府の代わりに医者や商人に威張[いば]られては国民が迷惑である。これでは世の中がよくなるたびに代わりに威張るヤツが出てきて国民みんなから税金を取って国民みんなの暮らしがいっこうによくならない。国民にとっては一難去ってまた一難である。
今では商人や医者が国民から税金を取っているので、国民は政府に税金を払わなくていい。国民はこの際余計な出費を1円でも抑えて倹約しないといけない。国民は医療保険に入らないようにして無駄[むだ]な物を買わないようにして節約しなければならない。将来、国民みんなで商人や医者の仕事をなくして商人や医者が国の中で働けないようにして商人や医者を倒して、国民から余計なお金を取る者をなくさねばならない。
[22399] 今の政府は医者や商人と共存共栄している。 h27.12.24
政府は民主主義の芝居をしながら国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体である。
政府はそもそも国民を虐めて国を平和にする団体である。それに民主主義の芝居が付いているだけである。
だから、政府は現実の世界では幕府と同じように国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府は国民を虐めて国民を不幸にして国民の気分を落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にしている。政府はテレビや新聞などの架空の世界で民主主義をやって国民みんなの役に立つことをやって国民みんなを幸福にしているだけである。政府は口先で「国民の役に立つことをしている」と言うだけで、実際には政府は国民の役に立つことをやっていない。だから、政府は国民に自分が芝居をしていることがばれないようにするためにいつも具体性のない曖昧[あいまい]な言葉で話すのである。政府は“国民を幸福にするふりをしてじつは国民を不幸にすること”を国民にやらせて国民を言葉の上で喜ばせるだけでじつは不幸にして国民の気分を落ち込ませて国民をおとなしくさせて国を平和にしているのである。
要するに、政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。政府は国を平和にするためにいくらでも国民を不幸にするのである。政府は国民が死ぬ寸前まで国民を不幸にするのである。(それを超えて政府が国民が死ぬほど国民を不幸にすると、一揆[いっき]や革命が起こる。国民は同じ死ぬなら政府に殴[なぐ]り込みをかけて死んだほうがいいと思ったので殴り込みをかけて死んだのである。反対に、政府が国民を虐めずに放置すると国民は幸福になるが、その代わり国民が自分の好き放題に暴れるようになって国が平和でなくなる。政府は国民に職務怠慢だと見なされて潰[つぶ]される。そのため、政府は国民の様子を見ながら国民が不幸になりすぎないように幸福になりすぎないようにちょうどいい具合に国民を虐めていたのである(“生かさず殺さず”が権力団体の極意[ごくい]である)。そこが政府の難しいところである。政府の腕の見せ所である。)政府は国民が喜ぶことをなくして国民が嫌がることを増やして国民を不幸にするのである。政府から民主主義の芝居を除[の]けたら暴力団(幕府)と同じである。(“赤とんぼ羽をとったらトンガラシ”の赤とんぼが政府のことで羽が民主主義の芝居(つまり国家権力)のことでトンガラシが暴力団のことだから、つまり政府から民主主義の芝居を除けたら暴力団と同じということである。)つまり、政府は現実の世界では暴力団と同じである。政府は国中を縄張りにしているバカでかい暴力団である。暴力団が善いことをやらずに悪いこと(つまり虐め)だけやっているように、政府も善いことをやらずに悪いことだけやっている。政府は民主主義の芝居をやっている。つまり、政府は架空の世界で民主主義(つまり国民の役に立つこと)をやっているだけで、現実の世界では民主主義をやっていない。政府は芝居で国民のために善いことをしているふりをして、現実では国民を虐めて国を平和にしているだけである。政府は善いことをする芝居をやる暴力団である。政府は現実には国を平和にすること以外には国民を幸福にすることはひとつもやらず国民を不幸にすることばかりやっている。政府はもともと国民を虐めて国を平和にする団体だから、政府にとっては国民を虐めることが仕事だから、政府は毎日自分の好き嫌いに関わらず国民を虐めているのである。政府の“国民を虐めて国を平和にする団体”はテレビや新聞に出ないからわからないが、国民みんなを虐める命令を毎日たくさん出して国民みんなを不幸にしているのである。テレビや新聞には国中の事件や事故が出るわけではないから、政府の“国民を虐めて国を平和にする団体”はテレビや新聞に出ないいろんな悪いことをたくさんやっているのである。例えば、政府が命令してやらせた学校や職場での小さい虐めなんかはテレビや新聞には出ないが実際には起こっているのである。
政府は国民を虐めて国を平和にする団体である。
昔は国の文明が遅れていて国民が法律を守って国を平和にできなかったから、国民は国を平和にするために政府に国民を虐めてもらわねばならなかった。国民は政府に不幸にされたが国が平和になって喜んでいた。
しかし、今は国の文明が進んで国民が法律を守って国を平和にできるようになったから、国民は国を平和にするために政府に国民を虐めてもらわなくてもよくなった。国民は国を平和にするために政府に不幸にされるのが嫌なので政府に国民を虐めて国を平和にする仕事を頼まなくなっている。
今では国民みんなが政府に税金を払わなくなっている。政府は国民みんなから税金をもらえなくなっている。
今の政府は医者や商人からお金をもらって食べている。今では医者や商人が政府を経営している。今では政府は医者や商人の付属会社である。今では医者や商人が国民から税金を取って余ったお金を政府にやって政府に国民を虐めて国を平和にさせている。政府は医者を儲[もう]からせるために、事件や事故を起こして国民を殺したり痛めつけたりしている。政府は商人を儲からせるために、国民に眼先のことや心のことをやらせて国民に要らない物をたくさん買わせている。(馬鹿はわけがわからずに政府の命令を聞くから、政府は馬鹿を使って馬鹿に国民を虐める命令を出して国民を不幸にすることをやらせている。)こうして、医者や商人と政府は共存共栄している。政府は医者や商人と組んで生き残っている。
今の国民は医者や商人や政府に不幸にされている。今の国民は医療保険に入らないようにして無駄[むだ]な買い物をしないようにして、医者や商人にできるだけお金をやらないようにして、政府にお金をまわさないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。国民は政府もろとも医者や商人を潰さねばならない。
[22400] どうして暴力団が残っているか? h27.12.25
政府や宗教団体が残っているのは政府や宗教団体の芝居を真[ま]に受けている者がいるからである。政府や宗教団体の芝居を真に受けている者は「政府が国民みんなに善いことをする団体だ」と思って「宗教団体が立派な人(つまり神)の教えに従う国を作る団体だ」と思って政府や宗教団体にお金を払っているのである。
しかし、暴力団は芝居をしない。それでも暴力団は残っている。
それは、「暴力団が悪いことをしているふりをしてじつは善いことをしている団体だ」と思っている人がいるからである。政府や宗教団体が芝居をしているので、暴力団も芝居をしていると思っているのである。暴力団が悪いことをしているのを芝居だと思っているのである。暴力団が本当は善いことをしていると思って暴力団に善いことをしてもらうためにお金を払っているのである。
しかし、本当は政府も宗教団体も暴力団も国民を虐[いじ]めて国を平和にする団体なのである。国民みんなが法律を守らない国では政府や宗教団体や暴力団などの権力団体が国民みんなを虐めて国民みんなを泣かせて悲しませて国民みんなの気分を落ち込ませておとなしくさせることによって国を平和にしているのである。
政府や宗教団体や暴力団について正しいことを知らない馬鹿が政府や宗教団体や暴力団を誤解して政府や宗教団体や暴力団に無駄[むだ]なお金を払っている。政府は国民みんなに善いことをする芝居をしているだけであって本当は国民みんなに善いことをする嘘[うそ]の理由をつけて国民みんなを虐めて国を平和にしているだけである。宗教団体は立派な人の教えに従う芝居をしているだけであって本当は立派な人の教えに従う嘘の理由をつけて国民みんなを虐めて国を平和にしているだけである。暴力団は芝居で悪いことをしているのではなく本当に悪いことをしているのである。暴力団は国民みんなを虐めて国を平和にしているのである。しかし、今では国民みんなが法律を守って国を平和にしているから、今では国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に仕事をしてもらわなくていいからお金をやらなくていいのである。
今では国の文明が進んで国民みんなが頭がよくなって知的になって自分で法律を知って法律を守って国を平和にしているから、政府や宗教団体や暴力団などの権力団体に虐められて国を平和にしてもらわなくていいのである。昔は国の文明が遅れていて国民みんなが頭が悪くて感情的だったので、政府や宗教団体や暴力団に虐められて泣かされておとなしくさせられて心で言うことを聞かされて国を平和にしてもらわなければならなかったのである。日本では三種の神器[じんぎ](カラーテレビ、クーラー、自動車)が普及する昭和40年(1965年)ごろまではまだ国民みんなが権力団体に虐められて平和に暮らしていたのである。人間は文明の利器に囲まれると知的になるので、国民みんなに文明の利器が普及すると国民みんなが法律を守るようになったのである。
国民みんなは政府や宗教団体や暴力団について正しく理解して正しく対応しないといけない。人間にとっては物事について正しい理解を持つことが一番大事なのである。