[22201] どうして近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやったのか?☆ h27.10.22
政府は自分が利口なふりをして自分が正しいふりをして国民を従わせる団体である。
近代の日本では国民みんなは自分が幸福になるためにはどうすればいいのかわからなかった。
ところが、日本政府は「日本人もヨーロッパ人も心は同じだ。今のヨーロッパ人が幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福に暮らせる」と言って、国民みんなを従わせて国民みんなに命令してヨーロッパ文化をやらせた。
しかし、戦後は心を科学するようになって、『日本人とヨーロッパ人は心が違う。いくらヨーロッパ人がヨーロッパ文化をやって幸福に暮らしていても、日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる』と考えられるようになって、国民みんなはヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになって日本政府に従うのをやめた。
今の日本では国民みんなは日本政府に従わなくなって自分で日本文化をやって暮らしている。日本政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
国民みんなは『自分がわからない』ことを知っている。だから、国民みんなは『自分がわからない』ことはやらない。国民みんなは自分がわかることだけやって幸福に暮らしている。国民みんなは自分がわかることの中で幸福に暮らしている。一方、政府(一般に政治団体)は『自分がわからない』ことを認めず「知ったかぶり」をしていいかげんなことを言って国民を従わせる。政府はデタラメなことを言って国民にまちがったことをやらせて国民を不幸にする。そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が政府に従うと不幸になる。だから、国民は政府に従わなければいい。政府に税金を払うのはお金の無駄[むだ]である。国民は自分でよく考えて自分が幸福になることにお金を使えばいい。
政府は知ったかぶり馬鹿である。政府は利口ぶり馬鹿である。政府は『科学の方法』に則[のっと]らずにいいかげんな考え方をしてまちがったことを考えて国民を従わせる団体である。政府は科学に逆らう団体である。政府はあとで自分がまちがっていることがわかってもまったく責任をとろうとしない(だから、“無責任男”と言うのである/平成27年11月18日訂正:政府は国を平和にするために国民を虐[いじ]めて従わせるためにわざとにまちがったことをやって国民を不幸にする。だから、政府は自分がまちがったことをやった責任を取らないのである。だから、政府は“脳天気な無責任男”なのである。)。まったく自分を直そうとしない。だから、今でも日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせ続けているのである。人間は物や心について正しいことを知って物や心を使って心を満足することによって幸福になれる。政府は物や心について正しいことを知らない。国民が政府に従うと幸福になれない。だから、国民は政府に従わなければいい。そうして、はじめて国民は幸福になれるのである。
政府は「正しいみたいでまちがったこと」を国民にやらせて国民を不幸にする。政府は最初から国民みんなを不幸にする団体なのかもしれない。政府は国民みんなを不幸にするのを仕事にしている団体かもしれない。不幸になりたい国民が政府に従って不幸になって喜んでいるのかもしれない。

[22202] 政府は国民からお金をもらって国民に正しいことをやらせることを仕事にしている団体である。 h27.10.22
政府は自分が国民よりも正しいふりをして国民を従わせる団体である。政府は国民からお金をもらって国民に正しいことをやらせることを仕事にしている団体である。
昔は学問も学校もなくて国民みんなが馬鹿だったから、国民みんなが政府が利口ぶっているのを見て「政府が国民みんなよりも正しい」と思って政府に従っていた。国民みんなは政府にお金を払って政府に命令を出してもらって政府の命令を聞いて暮らしていた。
しかし、今では学問や学校が出来て国民みんなが利口になったから、国民みんなが『政府は国民みんなよりも正しくない』ことがわかって政府に従わなくなっている。国民みんなが政府にお金を払わなくなって政府に命令を出してもらわなくなって政府の命令を聞かずに暮らしている。
要するに、政府は国民に正しいことをやらせる団体である。政府は国民からお金をもらって国民に正しい命令を売る会社である。人間は物や心のことを知り、物や心を使って心を満足して幸福になる。昔は文明が低くて国民みんなが物や心のことを知らなかったから、国民みんなが自分で考えられなかったから政府の指示で動いていた。政府に指示を出してもらうために政府にお金を払っていた。今は文明が高くなって国民みんなが自分で物や心のことを知って自分で自分の心を満足しているから、国民みんなが自分で考えられるようになったから政府の指示が要らなくなった。政府に指示を出してもらわなくてもよくなったから政府にお金を払わなくなった。政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。

[22203] 昔は学問が政府の独占だった。☆ h27.10.22
昔は文明が低くて国民みんなが貧しかったから、国民みんなが勉強することができなかった。政府(政治団体)の人だけが勉強することができた。そのために、政府と国民みんなが分かれていた。政府は正しいことを考えて(マルちゃんのインスタントラーメン“正麺”)、国民みんなは政府の命令を聞いて動いていた。政府はヨーロッパの学問を勉強してヨーロッパの正しい知識を身につけて国民みんなにヨーロッパの正しい知識に基づいて命令を出した。国民みんなは政府の命令を聞いて幸福に暮らすことができた。国民みんなは政府に命令を出してもらうために政府に高いお金を払っていた。政府は国民みんなからお金をもらってすごく儲[もう]かっていた。
しかし、今では文明が高くなって国民みんなが豊かになっているから、国民みんなが勉強することができる。国民みんなが政府の人と同じように勉強することができる。そのために、国民みんなと政府がいっしょになっている。国民みんなが自分で正しいことを考えて政府の命令を聞かなくなっている。国民みんなが自分で学問を勉強して正しい知識を身につけて自分で考えて自分で自分の心を満足して幸福に生きている。国民みんなは政府に命令を出してもらわなくてもよくなったので政府にお金を払わなくなっている。政府が国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
昔は政府(政治団体)が国民みんなから頭がいいと思われていた。そのために、政府は面子[めんつ]があったので、たとえ後で自分がまちがっていることがわかっても自分のまちがいを認めようとせず自分のまちがいを直さなかった。自分が責任を取ろうともしなかった。政府はふんぞり返って偉そうにしているだけだった。そのために、国民みんなは政府に従わなくなって政府が倒れたのである。今の政府も「日本人がヨーロッパ文化をやると幸福になる」ことがまちがっていることがわかっているのに直そうとしない。そのために、国民みんなが政府に従わなくなって政府が倒れているのである。政府は自分のまちがいを直さないから、国民が政府にまちがった命令を出させないためには政府を倒すしかないから、国民は政府を倒しているのである。本当に頭がいい人は自分のまちがいを認めるものである。だから、進歩するのである。政府はエセ利口である。政府は自分のまちがいを認めないから進歩しない。政府はダテで利口なだけである。政府も国民みんなと同じようにまちがいを犯す。政府は当てにならない。だから、国民は政府を信用せず政府に従わなければいいのである。
国民みんなにとっては政府は自分の代わりに考えさせる道具である。国民みんなは自分が幸福になるために政府にお金をやって政府に考えさせて政府の命令で動けばいいだけである。昔は政府が国民みんなよりも頭がよかったので政府が国民みんなに正しい命令を出していたので政府は国民みんなの役に立った。だから、国民みんなは政府にお金を払った。しかし、今では政府が国民みんなよりも頭が悪くなって政府が国民みんなにまちがった命令を出しているので政府が国民みんなの役に立たない。だから、国民みんなは政府にお金を払わなくなって政府が潰れているのである。

[22204] 今では国民みんなが利口になったので政府が潰[つぶ]れている。 h27.10.22
昔(古代)は文明が低くて政府(政治団体)の人しか勉強することができなかったから、国民みんなが馬鹿で政府が利口だった。国民みんながわからないことでも政府はわかった。政府が国の頭脳だった。政府が国民みんなを指揮[しき]して国民みんなが幸福に暮らせるようにしてくれた。だから、国民みんなは政府に従った。国民みんなは政府を養うために政府にお金を出した。政府はすごく儲[もう]かっていた。
たとえ政府が国民みんなに悪いことをしても(つまり政府が特定の国民に命令して国民みんなに悪いことをさせても)、それは政府が「日本人もヨーロッパ人も心は同じだ。ヨーロッパ人はヨーロッパ文化をやって幸福に暮らしているから、国民みんなにヨーロッパ文化をやらせれば国民みんなも幸福になる」と思ったからであって、政府に悪意(国民を不幸にする意思)はなかったのである。国民みんなは政府にほかのことで幸福にしてもらっていたので、政府の多少のまちがいは大目に見て許してやっていたのである。
中世になるとヨーロッパ文化が衰退してしまったために、政府は国民みんなを指揮することができなくなったので、政府は幕府に変わって国民みんなにアジア文化をやらせて再び国民みんなを指揮して国民みんなを幸福にすることになったのである。国民みんなの中にも利口な人がいる。利口な人は「今ではヨーロッパは落ちぶれてもはや先進国ではない([22206]の図を参照)。アジアのほうが先進国だ。日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福になれない。日本人はアジア文化をやらねばならない。」ことがわかって、そのことをみんなに教えた。政府は国民みんなが自分に従わなくなってきたのを見てこれではいけないと思ってアジア文化をやらせる幕府に変わったのである。すると国民みんなが幕府に従うようになったのである。
近代になってヨーロッパ文化が復興したために、再び幕府が政府に変わって国民みんなにヨーロッパ文化をやらせて国民みんなを指揮して国民みんなを幸福にすることになった。(人間は生きていれば幸福になれるが、死んだら何もできない。人間にとっては心よりも物が優先するから、日本人にとってはアジア文化よりもヨーロッパ文化のほうが大事だったので、ヨーロッパ文化が復興するとすぐに日本はヨーロッパ文化をやったのである。とくに明治時代のころはまだ日本には物質的な余裕がなかったので、物に強いヨーロッパ文化が尊[たっと]ばれたのである。日本人はヨーロッパ文化に飛びついてやったのである。)
しかし、今では文明が高くなってみんなが勉強することができるようになって、国民みんなと政府が同じ知的レベルである。国民みんながわかることは政府もわかり、国民みんながわからないことは政府もわからない。政府はテレビや新聞に出て利口ぶっているだけである。今の政府の才能はテレビや新聞に出て利口ぶる芝居ができることだけである。だから、国民みんなは政府に従わなくなった。今では政府にわかって国民みんなにわからないことなんかないから、国民みんなにとっては政府が要らない。国民みんなは政府が要らないから政府にお金を出さなくなった。そのために、政府が潰れている。
今では『日本人とヨーロッパ人は心が違うから、たとえヨーロッパ人がヨーロッパ文化をやって幸福に暮らしていても、日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる』ことがわかっているのに、政府は今でも国民みんなにヨーロッパ文化をやらせている。政府は自分のまちがいを直そうとしない。政府にとっては実質よりも自分の面子[めんつ]のほうが大事なのである。そんな団体は役に立たない。今では国民みんなが政府に幸福にしてもらっていないので、政府に恩はない。だから、今では国民みんなが政府に税金をやらなくなって政府を葬[ほうむ]っているのである。今では政府がなくなっても国民みんなでいくらでも政府の代わりが利くから、国民みんなにとっては政府が特に要らないから、政府はただの飾りだから、国民みんなは遠慮なく政府を消し去っているのである。
政府は国の頭脳である。政府は歩くコンピューターである。昔は国民みんなが馬鹿だったから、国民みんなは自分で考えずに政府にお金を出して政府に考えてもらって政府の指示で生きていた。今は国民みんなが利口になったから、国民みんなが自分で考えて生きるようになって政府の指示を聞かなくなって、政府に考えてもらう必要がなくなって政府にお金を出さなくなって政府が滅んでいる。(スタートレックヴォイジャー第132話「Blink of an Eye;超進化惑星の煌[きらめ]き」を思い出す。時間の流れが速い異星の住人(国民みんなのこと)がどんどん進歩して最後にはボイジャー(政府のこと)を追い越してしまう話である。それと、同じくスタートレックヴォイジャーの第114話「Think Tank;頭脳集団クロスの陰謀」も思い出した。話はあまり憶えていない。さっきインターネットで調べてみたら、馬鹿高い報酬を取る頭脳集団がいて、みんなの嫌われ者になっているという話だった。頭脳集団が政府のことである。さすがのシンクタンクも艦長の策略に敗れてみんなに実体を晒[さら]してみんなに攻撃されて倒されることになったのである。スタートレックファーストの「自分は完全だ」と言っていたノーマッドのことも思い出した(第37話「The Changeling;超小型宇宙船ノーマッドの謎」)。政府とは「自分は正しい。自分は完全だ」という意味である。ノーマッドは政府のことである。ノーマッドは最後にカークに自分のまちがいを指摘されて自爆してしまった。「自分が正しい」という者にかぎって、実際にはまちがいが多いものである。『今では国民みんなが利口になって自分で考えて自分のことをやっているために、国民みんなが政府に命令を出してもらわなくてもよくなっているので政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている』ことは、テレビ番組のネタになるぐらいだから、すでに多くの国民がそう考えて実行しているはずである。だから、国民が政府の命令を聞かずに政府に税金を払わなくてもいいはずである。)
国民みんなが利口であれば法律会社しか要らない。ところが、昔は国民みんなが馬鹿だったので世界が歪[ゆが]んでいた。昔は国民みんなが馬鹿だったために、政治団体や宗教団体という余計な団体が出来てしまったのである。昔は国民みんなが自分で考えられなかったので、自分の代わりに政治団体や宗教団体に考えてもらって政治団体や宗教団体に従って暮らしていたのである。今では国民みんなが利口になっているから、余計な団体がなくなっているのである。今では国民みんなが自分で考えられるので、自分の代わりに政治団体や宗教団体に考えてもらわなくてもよくなったので政治団体や宗教団体が要らなくなって政治団体や宗教団体にお金をやらなくなって政治団体や宗教団体が滅んでいるのである。
今では国民みんなが利口になって国民みんなが自分のことは自分でやっている。政府は国民に悪いことをやらせたり国民から税金を取ったり承認のハンコをついたりしているだけである。今では国民みんなが利口になって自分で自分のことをするようになって、政府が国民を指揮しなくなって政府のやることがなくなって政府が馬鹿になっている。国民みんなにとってはもはや政府は要らない。だから、今では国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府をなくしているのである。
今では『日本人は日本文化をやれば幸福になる』ことがわかっている。そのために、今の日本では国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。だから、将来、日本人に日本文化をやらせる政治団体が建つかもしれない。今の日本政府が“日本文化をやらせる政治団体”に変わって再び国民みんなを指揮するようになるかもしれない。しかし、今では『人間はみな心が違う』ことがわかっている。政治団体は国民一人一人の心までは知らない。政治団体は国民の個性を無視した命令を出して国民の心に反することをやらせて国民を不幸にするだけである。国民の心を知っているのは国民自身だけである。国民の心を満足して国民を幸福にできるのは国民自身だけである。だから、今では国民はもはや政治団体に頼らず自分で自分の心を知って自分で自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。国民は法律会社の法律(日本人共通の心)だけ守って、あとは自由に自分で自分の心を満足して暮らせばいいのである。政治団体は国民の自由を侵[おか]して国民の心に反することをして国民を不幸にするからいけないのである。たとえ将来科学が進んで政治団体が国民一人一人の心までわかって国民一人一人の心を満足する指示を出せるようになったとしても、国民が政治団体に従うと政治団体に高いお金を払わねばならない。しかも、政治団体はたとえ自分の指示がまちがっていても責任を取らない。自分のまちがいを直そうともしない。それでは仕事にはならない。一方、国民が自分で考えればお金は要らない。今では国民の頭がよくなって、政治団体がわかることなら国民でもわかる。政治団体が国民の心がわかるなら、国民も国民の心がわかる。自分でわかることをわざわざ他人に訊[き]く馬鹿はいない。だから、国民は政治団体に従わず、自分で自分の心について考えて自分の心を知って自分の心を満足すればいいのである。政治団体は儲からなくなって滅ぶのである。
将来、コンピューターが発達してコンピューターが見て考えてコンピューターがこの世のすべてのことを知って地球上のすべての物や人間一人一人の心のことを知って、人間みんながコンピューターの指示に従って幸福に暮らすようになるかもしれない。人間の眼や頭が退化して人間がめくらの馬鹿になってしまうだろう。人間が心だけになってしまうだろう。そのうち、心についての研究が進んで、コンピューターが自分で心を作って心で思うようになるかもしれない。コンピューターのほうが人間よりももっと幸福な気持ちになれるかもしれない。ロボットの親子が動物園の檻[おり]の中に入っている人間を見て喜ぶようになるかもしれない。それでは人間が何のために生きているのかわからない。人間が存在している意義がわからない。それは未来の人の問題である。未来の人間はそれらの問題を克服して自分が生きる意義を取り戻してさらに生きて行かねばならないのである。

[22205] 今では国民みんなにとって政府が要らなくなっている。☆ h27.10.23
そもそも政府(一般に政治団体)は国民に正しいことをやらせる団体である。だから、政府は正しいことを取り締[し]まる(攵)ところ(府)というのである。
昔は文明が低くて国民みんなが勉強することができなくて国民みんなが正しいことがわからなかったから、国民みんなが政府にお金をやって政府に正しいことを考えてもらって国民みんなが政府の指示を聞いて正しいことをやって幸福に暮らしていた。
しかし、今では文明が高くなって国民みんなが勉強することができるようになって国民みんなが利口になって国民みんなが正しいことがわかるようになって、国民みんなが自分で考えて自分のことをやっている。今では政府の出番はない。政府はいまだに「日本人もヨーロッパ人も心は同じだ。日本人はヨーロッパ文化をやれば幸福になる」とまちがったことを考えて国民にまちがった指示を出して国民にまちがったことをやらせて国民を不幸にしている。政府は自分の面子[めんつ]のために自分のまちがいを直そうとしない。今の政府は馬鹿の見本である。今の政府はまちがったことを取り締まるところである。政府に従っている国民も馬鹿である。そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。そのため、今では国民みんなが政府に従わなくなって政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいるのである。(日本政府は国民みんなにヨーロッパの文化をやらせて国民みんなにまちがったことをやらせているから、国民みんなにとっては政府は自分たちの幸福の邪魔[じゃま]だから、国民みんなにとっては明らかに政府が要らない。一方、外国の政府は国民みんなに自分の国の文化をやらせているから国民にまちがったことをやらせてはいないが、政府が国民みんながわからないことがわかるわけではないから、国民みんなにとって政府は特に要らない。政府は国民にわかりきったことをやらせるだけだから、国民みんなが政府にお金をやってもお金の無駄[むだ]である。今では世界中で国民みんなにとって政府が要らなくなっている。そのため、世界中で国民みんなが政府に従わなくなって、政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいるのである。)
将来の日本は政治団体のない国になる。法律会社だけの国になる。それが本来の国の姿である。

[22206] 先進国も後進国もない。 h27.10.23
昔は人間の心のことがわかっていなかったから、みんなが「人間の心はみな同じだ。人間は文化によって幸福か不幸かが決まるだけである。国は一直線上に並んでいる。先進国は文明が進んでいるからみんなが幸福だ。後進国は文明が遅れているからみんなが不幸だ。ヨーロッパが先進国でアフリカが後進国でその中間に中国やインドがある。」と考えていた。「ヨーロッパが先進国だから、世界中の国がヨーロッパに従うべきだ。」と思っていた。
しかし、今では人間の心のことがわかっている。みんなが『人間の心はみな違う。人間は自分の心を満足すれば幸福になる。国はそれぞれ違う道を進んでいる。ヨーロッパはヨーロッパとして、アフリカはアフリカとして、インドはインドとして、中国は中国として進歩している。ヨーロッパもアフリカもインドも中国も同じように進歩している。先進国も後進国もない。』と考えている。『世界中の国が自分の文化をやって幸福になればいい』と思っている。
昔はヨーロッパが上の国だったが、今では世界中の国が平等になっている。今では世界中の国で国民みんなが自分の国の文化をやって自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。


[22207] 政府はなぜ責任を取らないのか? h27.10.23
近代の日本政府は「日本人とヨーロッパ人は心が同じだ。ヨーロッパ人がヨーロッパ文化で幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福になる。」と考えて、国民にヨーロッパ文化をやらせる命令を出した。しかし、戦後に文化人類学が出来て、『日本人とヨーロッパ人は心が違う。いくらヨーロッパ人がヨーロッパ文化をやって幸福に暮らしても、日本人がヨーロッパ文化をやれば不幸になる』と考えられるようになった。日本政府の考えがまちがっていることがわかった。しかし、政府はまったく責任を取らないどころか、その後も戦前と同じように「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えて国民にヨーロッパ文化をやらせ続けている。
政府がまったく責任を取らないのは、『国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である』からである。国民が自分の意思で政府に従っているのだから、いくら政府がまちがっていても政府に責任はないのである。責任があるのは政府ではなく国民のほうである。政府に従っている国民自身が悪いのである。それが嫌なら、国民が自分で政府に従うのをやめればいいのである。
そういうわけで、今の日本では国民みんなが政府に従うのをやめている。(もっとも、馬鹿は頭で何も考えていないので(“筋肉脳”)、おとなしく政府に従い続けている。)国民みんなが政府に従うのをやめて、政府の指示を出してもらわなくてもよくなって政府にお金をやらなくなっている。そのために、政府が滅んでいる。今では文明が高くなって国民みんなが利口になって自分で考えるようになって政府が要らなくなっているからちょうどおあつらえ向きである。
日本政府は名前は「正しい団体(つまり“政府”)」だけれども、本当に正しいかどうかはわからない。だから、国民が政府が正しいかどうか自分が政府に従うかどうかを自分で考えて決めねばならない。政府は「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えて国民に指示して国民にヨーロッパ文化をやらせているからまちがっている。今は国民が利口になって自分で考えるようになって政府の指示を聞かなくていいから政府は要らない。だから、国民は政府に従わないことにすればいい。国民は政府が要らないから政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。
そもそも政府は国民を幸福にするために国民に正しい命令を出す団体である。だから、政府は悪い団体ではない。政府は国民が政府に従ってくれるためになるべく国民に正しい命令を出そうとしている。しかし、今では文明が進んで国民みんなが勉強することができるようになって政府と国民みんなの頭の程度が同じである。今では国民が自分で考えて幸福に暮らしている。今の国民は政府の指示を聞く必要がない。そのうえ、政府は国民にまちがった命令を出すことがある。今でも政府は「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えて国民にヨーロッパ文化をやらせる命令を出している。政府は国民に命令して税金を払わせたり国民に国家宗教で人殺しをさせたり国民みんなを貧乏にすることをさせたりしている。政府は仕事人気質[かたぎ]なので、一度自分が考えたことは途中で変えたりしないのである。仕事人気質では、最初にがんばって精一杯正しいことをやっておいてあとは同じことをやり続けるだけである。(私は最初はテキトウにやって改良し続けたほうがいいと思うが。)政府は最初に「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えたから、自分が滅ぶまでずっとそう考えて国民にヨーロッパ文化をやらせる命令を出し続けるのである。そもそも国民が政治団体に従わねばならない理由はない。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分の幸福のために政治団体に従うのである。だから、国民が政府がまちがった命令を出して国民を幸福にしないと思ったら、国民が自分で政府に従うのをやめればいいのである。そのために、今の国民みんなは政府に従わなくなって、政府に命令を出してもらわなくてもよくなって政府にお金をやらなくなっている。政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰れている。
今の政府は悪意(国民を不幸にする意思)があるから国民にヨーロッパ文化をやらせているのではない。政府は仕事人気質で最初に「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と決めてそのままずっとやり続けているから、今でもそうしているのである。政府にとっては国民の幸福も大事だが、自分の仕事人気質も大事である。どっちも大事である。政府は自分の方針を変えることができない。だから、国民が自分で考えて自分を幸福にすればいいのである。今では『日本人は日本文化をやれば幸福になる。日本人がヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことがわかっているから、国民が自分で政府に従うのをやめればいいのである。国民が自分を幸福にするために政府の指示を聞くのをやめればいいのである。国民が政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。そうすれば国民が幸福になり、政府の仕事人気質も守られるから、政府はきっと喜ぶだろう。
要するに、今では文明が進歩して国民みんなが政府と同じぐらい利口になった。国民みんなが自分で考えて暮らすことができるようになった。国民みんなが政府の指示が要らなくなった。そのために、国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰れているのである。

[22208] どうして一揆[いっき]が起きたのか? h27.10.23
江戸幕府も政治団体だから、国民を幸福にするために国民に正しい命令を出す団体である。
江戸幕府は「日本人もインド人も心は同じである。インド人はインド文化をやって幸福に暮らしているから、日本人もインド文化をやれば幸福になる。インドでは政治団体が国民を幸福にするために国民から高い税を取っている。だから、日本でも幕府が国民を幸福にするために国民から高い税を取ればいい。」と考えて、国民に指示して国民から高い年貢[ねんぐ]を取っていた。
ところが、それは理屈の上で、実際には日本人とインド人は心が違っていた。インド人は政治団体に高い年貢を取られると幸福になるが、日本人は政治団体に高い税を取られると不幸になる。インド人は政治団体に高い税を取られると幸福になるから喜んで飢えて死ぬが、日本人は政治団体に高い税金を取られると怒って政治団体を倒そうとする。それが一揆である。
幕府は「日本人もインド人も心は同じだ」という自分の理屈に安心していたので、国民が怒って自分を倒そうとすると思わなかったので、国民に命令して国民から高い年貢を取ったのである。しかし、実際には『日本人とインド人は心が違う』ので、国民が怒って幕府を倒そうとして幕府を襲ったのである。
つまり、理論と真実が違うために一揆が起きたのである。つまり、幕府に悪意(国民を不幸にする意思)はなかったが、まちがったことを考えていたために国民に襲われたのである。
今では『人間はみな心が違う』と考えられている。今なら幕府は自分が国民に倒されないようにするために、国民から高い税を取ろうとはしないだろう。
今の日本では政府がますます国民から高い税金を取ろうとしている。しかし、それは国民の多くが政府に税金を払わなくなっているためである。政府は税収が減ったのを補[おぎな]うために、税金を値上げして政府に税金を払っている国民からますます税金を取ろうとしているのである。だから、すでに政府に税金を払っていない国民にとっては政府の税金の値上げなんかどうでもいいことである。いまだに政府に税金を払っている国民が困るだけである。今後もますます政府は税金を値上げするだろう。早く国民みんなが政府に税金を払わなくてもいいことがわかって、政府に税金を払わなくなって政府がなくなればいい。

[22209] 今の国民みんなは自分で正しいことがわかるようになったので政府が要らなくなった。☆ h27.10.24
政府は正しいことをやらせる団体である。
昔は文明が低くて国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だったから、国民みんなが正しいことがわからなかったから、政府にお金を払って政府の命令を聞いていた。国民みんなは政府に正しい命令を出してもらうために政府にお金を払っていた。
しかし、今は文明が高くなって国民みんなが勉強することができて利口になったから、国民みんなが正しいことがわかるようになったから、政府にお金を払わなくなって政府の命令を聞くのをやめた。国民みんなは政府に正しい命令を出してもらわなくてもよくなったので政府にお金を払わなくなった。しかも、政府は「日本人はヨーロッパ文化をやれば幸福になる」とまちがったことを考えて国民にまちがった命令を出して国民を不幸にしている。国民みんなは『日本人は日本文化をやれば幸福になる』と考えて自分で日本文化をやって幸福に暮らしている。今では国民みんなのほうが政府よりも正しい。そのため、国民みんなは政府の命令を聞かなくなって、政府にお金を払わなくなって政府を潰[つぶ]して政府に命令を出させないようにしているのである。
今では国民みんなが自分で勉強して利口になっている。国民みんなが自分で勉強して利口になれば、国民みんなが自分で考えて正しいことがわかるから、国民みんなは政治団体や宗教団体に従わなくていい。国民みんなは政治団体も宗教団体も要らない。そのため、今では政治団体も宗教団体も国民みんなに命令を出す仕事がなくなって国民みんなからお金がもらえなくなって潰れてなくなっているのである。
政府は正しいことをやらせる団体である。つまり、政府は正しい命令を売る会社である。国民が政府の命令を買うか買わないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府の命令を欲しければ政府にお金(税金のこと)を払って政府の命令を買えばよく、自分が政府の命令が欲しくなければ政府にお金を払わず政府の命令を買わなければいいのである。今では国民みんなが政府の命令が要らなくなったから政府の命令を買うのをやめて政府にお金をやらなくなったのである。政府は国民みんなに命令が売れなくなってお金が儲[もう]からなくなって潰れているのである。

[22210] どうして政府はテレビを推[お]すのか? h27.10.24
政府は正しいことをやらせる団体である。
国民みんなが馬鹿だと政府によく従い、国民みんなが利口だと政府に従わない。
国民みんながテレビを見ると国民みんなは馬鹿になる。人間がテレビを見るときは眼だけ使って頭を使わないので、テレビを見ると馬鹿になるのである。
だから、政府はテレビ局にお金をやって面白い番組を作らせて、国民みんなにテレビを見させて国民みんなを馬鹿に変えて、国民みんなを政府に従わせているのである。
しかし、今では国民の多くが政府に従わなくなって、政府にお金を払わなくなって、政府がシケている。そのため、政府がテレビ局にお金をやれなくなっている。テレビ局が面白い番組を作れなくなっている。国民みんながテレビがつまらなくなってテレビを見なくなっているのである。

[22211] 日本政府は政府失格である。☆ h27.10.24
戦前は世界中で「人間の心はみな同じ」と考えられていたが、戦後は『人間の心はみな違う』と考えられるようになった。
ヨーロッパ政府は戦前は「人間の心がみな同じ」ことに基[もと]づいて外国の人々を幸福にするために植民地政策をやって外国の人々にヨーロッパ文化をやらせていた。しかし、戦後は『人間の心がみな違う』ことに基づいて植民地政策をやめて外国の人々にヨーロッパ文化をやらせるのをやめて、自分の国の人々にヨーロッパ文化をやらせるだけになった。(h27.12.12追記:昔は世界中の国で国民みんなが自分たちが幸福に暮らすために先進国の文化を受け入れていた。昔は世界中の国で国民みんなが先進国の文化を受け入れるためにヨーロッパ人を呼んでヨーロッパ人に来てもらってヨーロッパ人の指導のもとで国の開発を行った。それを“植民地政策”と言うのである。ただ、ヨーロッパ人は柄[がら]が悪いから行った先の植民地でも悪いことをやって植民地の住民を虐めていた。植民地政策は先進国がお金が儲かる政策ではない。先進国が大赤字になる政策である。近代のヨーロッパでは産業革命によって大儲けしたからそのお金を使って植民地政策がやれたのである。もしも産業革命がなかったらお金が足りなくて植民地政策がやれなかったのである。植民地政策は先進国が自分が稼[かせ]いだお金を使ってやった政策であって、先進国が植民地からお金を奪って儲けることではない。植民地政策は後進国が先進国を煽[おだ]てるためにやった政策であって、そのために先進国は無駄[むだ]なお金を使って大赤字になっていたのである。)
一方、日本政府は戦前は「人間の心がみな同じ」ことに基づいて自分の国の人々を幸福にするために自分の国の人々にヨーロッパ文化をやらせていた。しかし、戦後は『人間の心がみな違う』ことを無視して自分の国の人々にヨーロッパ文化をやらせ続けて自分の国の人々を不幸にしている。
ヨーロッパ政府は学問の成果を取り入れるが、日本政府は学問の成果を無視する。ヨーロッパ政府と日本政府は違う。ヨーロッパ政府は時代に合わせてどんどん新しくしているのに、日本政府はいつまでも古臭いままでやっている。
そもそも政府は国民に正しいことをやらせて国民を幸福にする団体である。ヨーロッパ政府はそうしている。しかし、日本政府はそうしていない。日本政府は政府失格である。
日本政府は自分の仕事が何なのかわかっていない。日本政府は馬鹿である。日本政府は役立たずである。国民が政府にお金をやってもお金の無駄[むだ]である。だから、今の国民は日本政府に見切りをつけて政府を無視して政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。
政府は国民に正しいことをやらせる団体である。政府の仕事は国民に命令して国民に正しいことをやらせて国民を幸福にすることである。しかし、今では世界中の国で政府は国民に命令して文化や経済などをやらせているだけである。ほかのことは全部国民がやっている。それなら、文化や経済などのことも国民が自分でやればいい。わざわざ政府の命令でやらなくていい。実際には、今では世界中の国で国民にとって政府が要らなくなっているのである。政府はなくてもいい団体なのである。そのため、今では世界中の国で国民みんなが政府の仕事を奪って政府の仕事がなくなって政府が滅んでいるのである。
今の政府は利口ぶることを仕事にしている会社である。政府は国民に命令もせずにただテレビや新聞に出て利口ぶっているだけである。今の政府は利口ぶる芝居を国民に見せて国民からお金を取る団体である。国民みんなにとってはそんなくだらない会社は要らない。だから、国民みんなでさっさと政府を潰せばいいのである。
政府は国民に正しいことをやらせる団体である。政府は国民に正しい命令を売って国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。しかし、今では国民みんなが利口になって自分で考えることができるようになって政府に命令を出してもらわなくてもやっていける。だから、国民みんなは政府の命令を買わず政府に税金(つまり命令代)を払わなければいいのである。そうすれば、政府は自分の付属会社が経営できなくなって自分の付属会社を独立させて民営化させる。国民は政府の付属会社にその都度[つど]お金を払って利用すればいい。そのほうが国民みんなにとっては経済的でいい。だから、国民みんなは政府に税金を払わなければいいのである。

[22212] 今ではみんなが自分の心を満足して幸福に暮らしている。 h27.10.24
昔は通信や交通が遅れていたから情報や物や人々が世界中を行き来できなかった。情報や物や人は国の中で閉じこもっていた。しかし、今では通信や交通が発達して情報や物や人々が世界中を行き来できるようになっている。
中国人は心が発達していて楽しいことが好きである。科学は人間が楽しむために役に立つ。科学でマンガやテレビやゲームや自動車や電化製品を作れば人間が楽しく暮らせる。だから、今では中国人は科学を取り入れて自分で科学をやるようになっているのである。
インド人は知覚が発達していて正しいことが好きである。科学は人間が正しいためには役に立たない。科学は知識があればいいだけで具体的な物はどうでもいい。だから、今でもインド人は科学を取り入れず自分で科学をやらないのである。ただ、インド人はコンピューター産業だけは乗り気である。
ヨーロッパ人は五感が発達していて美しいことが好きである。科学は美しい物を作るために役に立つ。だから、ずっと昔からヨーロッパ人は科学をやってきたのである。
日本人は五感と知覚と心が均等[きんとう]に発達していて実在の中で楽しむことが好きである。科学は人間が実在の中で楽しく暮らすために役に立つ。科学で便利な電化製品や自動車を作れば人間が実在の中で楽しく暮らせる。だから、今では日本人は科学を取り入れて科学をやっているのである。
今では世界中の国で国際化が進んで情報や物や人が自由に行き来している。しかし、人間の心は変わらない。文化は変わらない。今では世界中の国で人々が自分の文化を守って自分の心を守って、自分の心を満足するために外国の文化の一部を利用して幸福に暮らすようになっている。
 
[22213] 今では国民みんなが自分で考えて正しいことがわかるので政府の命令を買わなくなっている。☆ h27.10.24
政府は国民に正しい命令を売る会社である。政府は国民から税金をもらって国民に正しい命令を売って儲[もう]ける会社である。
国民が政府に税金を出して政府の命令を買わねばならない理由はない。国民が政府の命令を買うか買わないかは国民個人の自由である。国民は自分が幸福になるために政府に税金を出して政府の命令を買うのである。
昔は文明が低くて国民みんなが自分で勉強できなかったために馬鹿で正しいことがわからなかったので、国民みんなが政府に税金を払って政府の命令を買っていた。国民みんなが政府の命令を聞いて正しいことをやって幸福に暮らしていた。国民みんなは自分が幸福になるために政府に税金を払って政府の命令を買っていた。たとえ政府がまちがった命令を出しても、国民みんなが馬鹿すぎたので政府の命令がまちがっていることがわからず政府の命令が正しいと思って政府に税金を払って政府の命令を聞いていた。政府はすごく儲かっていたので、余ったお金で法律会社や学校会社や鉄道会社などのいろんな会社を経営していた。
しかし、今は文明が高くなって国民みんなが自分で勉強して利口になって自分で考えて正しいことがわかるようになっている。今では国民みんなが自分で考えて産業から土木工事から文化から経済から国際交流まで何から何までやっている。ところが、政府は古臭いまちがった命令を売っている。例えば、政府はいまだに「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えて国民にヨーロッパ文化をやらせる命令を出している。今では国民みんなが政府よりも利口になったので『政府の命令がまちがっている』ことがわかるようになったのである。国民みんなが『自分が政府の命令を買っても幸福にならない』ことがわかったのである。だから、今では国民みんなが政府の命令を買わなくなっている。国民みんなが政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくなっている。そのために、政府が滅んでいる。政府は自分の付属会社を独立民営化させて、政府の本部もなくなっている。
要するに、政府は考える会社である。昔は国民みんなが自分で考えることができなかったので、国民みんなにとっては政府のような考える会社が必要だった。昔は国民みんなが政府の命令を聞いて暮らしていた。今では国民みんなが自分で考えることができるようになっているので、国民みんなにとっては考える会社なんか要らない。今では国民みんなが政府の命令を聞かなくなって、政府にお金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
戦前までは政治機関が自分で政府や幕府に変わっていた。ヨーロッパ文化が盛んな時代には国民みんなにヨーロッパ文化をやらせる政府になり、ヨーロッパ文化が衰退した時代には国民みんなにアジア文化をやらせる幕府になっていた。戊辰[ぼしん]戦争は政治機関による自作自演の狂言である。戦前までは国民みんなよりも政治機関のほうが利口だったので、国民みんなが政治機関に考えてもらって政治機関の命令で動いていた。しかし、戦後は違う。戦後は国民みんなが政治機関よりも利口になった。国民みんなが自分で考えるようになって政治機関の命令を聞かなくなった。政治機関は国民みんなに命令を出せなくなった。政治機関は国民みんなに命令を売って国民みんなからお金をもらって儲けることができなくなった。そのために、今では政府が潰れているのである。中世と現代は違う。中世は政府が幕府に変わるために自分で滅んだが、現代は国民みんなが政府に従わなくなっているために政府が滅んでいるのである。つまり、昔は馬鹿が大勢で利口がちょっとしかいなかったからタテ社会だった。今はみんなが利口になったからヨコ社会になったのだ。つまり、大勢が少数に従うのは、大勢が馬鹿で少数が利口だからである。大勢が少数に従うのは、少数が大勢を暴力で脅[おど]すからではなく、少数が大勢を麻薬で操[あやつ]っているからでもない。馬鹿は自分で考えることができなくて正しいことがわからなくて自分で自分を幸福にできないから利口に従うのである。昔は文明が低くてほんのひとにぎりの人しか勉強することができなかったから大勢が馬鹿だったのである。(インドは文明が遅れているために国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だから、インドではいまだに大勢の馬鹿が少数の利口に従っているから身分制があるのである。昔は世界中の国がインドみたいだった。つまり、インドでは昔の社会の姿が今でも残っているのである。/『大勢が少数に従うのは大勢が馬鹿で少数が利口だからである。』私はこの理由を思いつかなかったために10年ぐらい無駄[むだ]にしてしまった!今ではみんなが同じように利口になっているから、私は今のことを昔に持ち込んで誤解をしてしまったのだ。)
一般の国民に対しては政府は税金の命令しか出していない。政府は国民みんなに対してはいろんな命令を出している。だから、国民は“政府が国民みんなに対して命令を出しているイメージ”を持てばいい(下図参照)。しかし、政府に国民みんなに対して命令を出してもらうために政府に税金を払うかあるいは政府に国民みんなに対して命令を出してもらわなくてもいいから政府に税金を払わないかは国民個人の自由である。国民が自分で考えて政府に税金を払うか払わないかを決めてそうすればいいのである。昔は国民みんなよりも政府のほうが利口だった。国民みんなが政府に何から何まで考えてもらって政府の命令で動いていた。反対に、今では国民みんなのほうが政府よりも利口である。国民みんなが自分で何から何まで考えて自分で動いている。政府は国民みんなに余計な要らないまちがった命令を出して国民みんなを不幸にしているだけである。今では国民みんなが自分で考えて全部やっているから、政府は余計なまちがった命令しか出せないのである。だから、今は国民みんなが政府の命令を聞かなくていい。政府は国民みんなに命令を出さなくていい。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。


[22214] 今では国民みんなが利口になったので政府が要らなくなった。 h27.10.25
古代以前の昔にも各地の豪族が人々を支配していた。だから、古代以前の昔にも頭のいい人と頭の悪い人がいた。
古代に日本が統一されると、日本中の頭のいい人が集まって“国民みんなに正しいことをやらせる政府(政治団体)”を建てた。国民みんなは自分で正しいことがわからなかったので、喜んで政府に従って暮らすことにした。国民みんなは政府にお金を払って政府に命令してもらって正しいことをやらせてもらうことにした。
政府のおかげで国民みんなが正しいことができるようになって幸福に暮らせるようになった。政府は国の発展に大いに貢献した。
しかし、時代が進むと教育が国民みんなに普及して、国民みんなが勉強するようになって、国民みんなと政府の知的レベルの差がなくなった。むしろ国民みんなのほうが政府よりも利口になった。国民みんなのほうが政府よりも正しくなった。
そのため、今では国民みんなが自分で考えて自分のことをするようになって、政府に従わなくなったのである。国民みんなにとって政府が要らなくなったのである。国民みんなが政府にお金(税金)をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。

[22215] 今でも政治団体はやっていけるか? h27.10.25
政治団体は正しいことを研究して、正しいことを国民みんなにやらせることが仕事である。
国民は政治団体に正しいことをやらせてもらって自分が幸福になるために政治団体にお金をやるのである。
しかし、今では国民みんなが正しいことを研究して国民みんなが正しいことを教え合って国民みんなが正しいことをやっている。特定の団体が正しいことを研究してみんなに正しいことをやらせているわけではない。
だから、今では政治団体はやっていけないのである。政治団体は解消して国中に散らばって個々の会社になっているのである。
昔は頭のいい人が少数しかいなかったから政治団体が出来たのである。今では国中のみんなが等しく頭がよくなっているから、頭のいい人がたくさんいすぎるから、政治団体が出来ないのである。今では国中のみんなが政治団体になっているのである。国中の会社全部が政治団体になっているのである。
今ではすでに国民みんなにとって政治団体が役に立たなくなって政治団体が要らなくなっている。(“お前はすでに死んでいる。”『北斗の拳』)国民の多くが日本政府に従わなくなって日本政府にお金を払わなくなって日本政府を倒している。そのために、日本政府は怒ってヤケクソになってわざとに古臭いまちがった「日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」考えに基づいて国民みんなにまちがった命令を出して国民みんなを不幸にして虐[いじ]めて遊んでいるのである。今では政治団体が犯罪組織と化して暴れまくっているのである。(“うらみはらさでおくべきか!!”『魔太郎がくる!!』魔太郎がメガネをかけているのは政府であることを表している。)だから、国民みんなで早く政府を倒してちゃんと政府をかたづけなければならないのである。

[22216] 今では国民みんなが自分で考えるようになっているので、政府は国民みんなに命令できなくなって儲[もう]からなくなっている。 h27.10.26
政府は国民みんなに正しいことをやらせる団体である。政府は国民みんなから税金をもらって国民みんなに正しいことをやらせる命令を出すことが仕事である。つまり、税金は政府の命令代である。
昔は国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だったので正しいことがわからなかったので、政府に税金を払って政府に正しい命令を出してもらって暮らしていた。政府は国民みんなから税金をもらってすごく儲かっていたので、いろんな付属会社を経営していた。
しかし、今では国民みんなが勉強することができるようになって利口になって正しいことがわかるようになったので、自分で考えて正しいことをやって政府に正しい命令を出してもらわなくてもよくなっている。そのため、今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府に命令を出してもらわなくなっている。
今の政府は国民みんなから税金をもらえなくなって儲からなくなって、付属会社を経営できなくなって付属会社を独立民営化させて、自分も潰[つぶ]れてなくなっている。
政府は自分が儲からなくなった腹いせに国民みんなに復讐するために、今でも政府の命令を聞いている国民にヨーロッパ文化をやらせる命令を出して悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。そもそも国民が政府に税金を払って政府に命令を出してもらうかどうかは国民個人の自由である。今では国民みんなは自分で考えることができるので、国民みんなは政府に命令を出してもらう必要がない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。国民みんなで早く政府を倒して平和な世の中にしないといけない。

[22217] 政府は正しいことをやらせる団体である。☆ h27.10.26
政府は正しいことをやらせる団体である。政府は国民から税金をもらって国民に命令して正しいことをやらせる団体である。国民は政府に税金を払って政府に命令を出してもらうのである。
昔は国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だったので自分で考えることができなかった。昔の国民みんなは自分で考えて自分のことができなかったので、政府の命令が必要だった。そのため、昔の国民みんなは政府に税金を払っていた。
今は国民みんなが勉強することができるようになって利口になって自分で考えることができる。今の国民みんなは自分で考えて自分のことができるので、政府の命令が要らなくなった。そのため、今の国民みんなは政府に税金を払わなくなっているのである。
今の政府は国民に命令して悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。今では『日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる』ことがわかっているのに、政府は今でも戦前と同じように「日本人がヨーロッパ文化をやると幸福になる」ことに基づいて国民にヨーロッパ文化をやらせる命令を出して国民に悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしている。政府はまちがったことをやっている。それは、政府が自分の正体(つまり政府が国民に命令して正しいことをやらせる団体であること)を隠すためである。政府が国民みんなに自分の正体をわからないようにするためにわざとにまちがったことをやっているのである。政府はフェイントをかけるために国民にヨーロッパ文化をやらせて悪いことをやらせているのである。政府は国民の目を欺[あざむ]くために、本当は善い団体なのに芝居で悪い団体のふりをしているのである。政府は自分が国民に倒されないようにするために、わざとに悪いことをやって国民に自分の正体がわからないようにしているのである。
とにかく、今では国民みんなが利口になって自分のことを自分でするようになって政府の命令が要らなくなっている。国民が政府に税金を払って政府に命令を出してもらうか政府に税金を払わず政府に命令を出してもらわないかは国民個人の自由である。(政府の憲法には「国民はみな政府に税金を払わねばならない」と書いている。それは、政府の憲法が嘘[うそ]だからである。本当は、政府に命令を出してもらいたい者だけが政府に税金を払えばいいのである。)そのために、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。政府は国民みんなから税金がもらえなくなって、お金が足りなくなって付属会社を経営できなくなって付属会社を民営化させて、政府自身も潰[つぶ]れている。
昔は「国民みんなが政府の命令を聞けば幸福に暮らせる」ことが正しかったから、国民みんなが政府に税金を払わなければならなかった。しかし、今は「国民みんなが政府の命令を聞けば幸福に暮らせる」ことがまちがっているから、国民みんなが政府に税金を払わなくていいのである。

[22218] 今の政府が最後の政治団体である。 h27.10.27
政治団体は国民に正しいことをやらせる団体である。政治団体は国民に正しい命令を出して国民からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ団体である。
昔は国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だったので自分で考えて自分のことができなかった。国民みんなは政治団体の命令を聞いて暮らしていた。国民みんなは自分が幸福に暮らしたくて必死になって政治団体にお金を払って政治団体の命令を一生懸命に聞いていた。
戦前は「人間の心はみな同じ」と考えられていたので、世界的に先進国に従わねばならない決まりがあった。世界中のすべての国が先進国に従うことが正しいこととされていた(ただし、大国を除く)。
古代はヨーロッパが先進国だった。そのため、政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせていた。
中世になるとヨーロッパが衰退してヨーロッパが先進国でなくなってアジアが先進国になった。しかし、政府は自分から幕府に変わって国民みんなにアジア文化をやらそうとしなかった。国民みんなが『今はアジアが先進国である』ことを知って政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなってから、政府はしぶしぶ幕府に変わって国民みんなにアジア文化をやらせていた。
近代になるとヨーロッパが復活して再びヨーロッパが先進国になった。しかし、幕府は自分から政府に変わって国民みんなにヨーロッパ文化をやらそうとしなった。国民みんなが『今はヨーロッパが先進国である』ことを知って幕府に従わなくなって幕府に年貢[ねんぐ]を払わなくなってから、幕府はしかたなく政府に変わって国民みんなにヨーロッパ文化をやらせた。
日本の政治団体は自分から違う文化をやらせる団体に変わるのが嫌であるらしい。日本の政治団体は怠慢なのでいちいち正直に先進国が変わったからといって自分から別の文化をやらせる団体に変わらないのである。日本の政治団体は別の団体に変わるのが面倒でお金もかかるのでなるべく変わりたくなかったのである。政治団体が国民にやらせる文化を変えるとほぼ政治団体全部が変わらねばならないので大変だったのである。政治団体は『国民みんなが馬鹿だ』と思って国民みんなをなめているので、国民みんなにバレないかぎり今の文化をやらせる団体をそのまま続けるのである。国民みんなが事実を知って政治団体に従わなくなってお金を払わなくなって自分が潰[つぶ]れそうになってから、やっと重たい腰を上げてやれやれと言って苦[にが]笑いしながら別の文化をやらせる政治団体に変わるのである。政治団体が急いで変わる意義もあまりなかったので、政治団体は国民みんなの後[あと]からのんびり変わっていたのである。
そして現代の今になると文化人類学が出来て世界中の国がみんな先進国になった。日本は日本自身に従えばいいことになった。日本人は日本文化をやればいいことになった。今の国民みんなは『日本人は日本文化をやればいい』ことを知って日本文化をやって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰れかけている。しかし、それでも政府は自分から“日本文化をやらせる政治団体”に変って国民みんなに日本文化をやらそうとしない。
それは、そもそも今がもはや政治団体の時代ではないからである。今では国民みんなが勉強することができるようになって利口になって自分で考えて自分のことができるようになっている。今では国民みんなは政治団体の命令を聞かなくていい。国民みんなは政治団体の命令が要らない。国民みんなは政治団体に税金を払って政治団体に命令を出してもらわなくていい。たとえ将来、政府が日本文化をやらせる団体に変わっても、国民みんなは誰もそんな団体に従わない。そのため、政府はいつまでたっても日本文化をやらせる団体に変わらず、ヨーロッパ文化をやらせる団体のままなのである。政府は自分が滅んでなくなるまでずっと国民にヨーロッパ文化をやらせ続けるつもりなのである。このまま政府が国民にヨーロッパ文化をやらせると国民みんなが不幸にされる。だから、国民みんなは早く政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。

[22219] 今では国民みんなが自分で考えて自分のことをするようになったので宗教団体や政治団体が滅んでいる。☆ h27.10.27
宗教団体や政治団体は国民からお金をもらって国民に命令して国民に正しいことをやらせる団体である。昔は「すべての人間やすべての国はひとつの直線の上に一列に並んでいる。」と考えられていた。「凡人はキリストやブッダのような立派な人に従わねばならない。後進国は先進国に従わねばならない。」と考えられていた。だから、宗教団体は国民にキリストやブッダの思想をやらせて、政治団体は国民に先進国の文化をやらせていたのである。宗教団体や政治団体はキリストやブッダの思想や先進国の文化だけではなくそれよりももっと広くいろんな正しいことを国民にやらせていたのである。
昔は国民みんなが勉強することができなくて何も知らなくて馬鹿だったので自分で考えて自分のことができなかった。そのために、国民みんなは宗教団体や政治団体に頼って宗教団体や政治団体に従っていた。国民みんなは宗教団体や政治団体にお金を払って宗教団体や政治団体に命令を出してもらって命令を聞いて正しいことをやって幸福に暮らしていた。
しかし、今では国民みんなが勉強することができるようになっていろんなことを知って利口になって自分で考えて自分のことをするようになっている。今では国民みんなは自分で考えて自分の生き方を決めている。今では国民みんなは宗教団体に従わない。国民みんなは宗教団体の命令に従わなくなって宗教団体にお金を払わなくなっている。そのために、宗教団体が滅んでいる。だから、“神は死んだ”と言うのである。
それと同じように、今では国民みんなが自分で考えて自分のことをするようになっている。今では国民みんなは自分で考えて生活している。今では国民みんなは政治団体に従わない。国民みんなは政治団体の命令に従わなくなって政治団体にお金を払わなくなっている。そのために、政治団体が滅んでいる。だから、“巨人が死んだ”と言うのである。(政府は、正確には巨人(つまり国家)の頭脳である。国民みんなは巨人の身体であり、政府は巨人の脳である。宗教団体が個人のことについて考えるのに対し、政治団体は国のことについて考える。)
これからの日本は宗教団体や政治団体のない国になる。法律会社だけの国になる。国民みんなは法律を守ってあとは自分で考えて自分の好き勝手にやればいいのである。これからの日本には宗教団体も政治団体もない。だから、国民みんなは自分で一生懸命に勉強して自分の面倒はぜんぶ自分で見なければならない。これからは子供も大人も勉強しないといけない。死ぬまで一生勉強しないといけないのだ。
つまり、昔の人と今の人では生き方が違う。昔の人は自分で考えずに他人に考えてもらっていた。今の人は自分で考えて他人に考えてもらわない。昔の人は自分が考えず自分の代わりに宗教団体や政治団体に考えてもらって宗教団体や政治団体にお金を払って宗教団体や政治団体の命令を聞いて生きていた。今の人は自分で勉強して自分で考えて自分のことは自分でやっている。今の人にとっては宗教団体や政治団体は要らない。今の人は宗教団体や政治団体の命令を聞かなくなって宗教団体や政治団体にお金を払わなくなって、宗教団体や政治団体はみんなからお金をもらえなくなって滅んでいる。
昔は国民みんなが自分で考えずに宗教団体や政治団体にお金を払って命令を出してもらっていたので、宗教団体や政治団体が儲[もう]かっていた。宗教団体や政治団体は機嫌[きげん]がよかった。宗教団体や政治団体は国民みんなに親切だった。反対に、今では国民みんなが自分で考えるようになって宗教団体や政治団体が国民みんなからお金をもらえなくなってシケて潰[つぶ]れかけている。宗教団体や政治団体は機嫌が悪い。そのために、宗教団体や政治団体が悪いことをして暴れている。それも、国民みんなにとってはいっときの辛抱[しんぼう]である。そのうち、宗教団体や政治団体がおとなしくなって滅んでなくなるだろう。

[22220] 今では国民みんなが自分で考えて自分のことをやっているために政府が要らなくなっている。 h27.10.27
昔は政府だけが勉強することができて、国民みんなは勉強することができなくて、政府だけが利口で国民みんなは馬鹿だった。政府だけが考えることができて、国民みんなは考えることができなかった。そのため、国民みんなは政府にお金を払って自分の代わりに政府に考えてもらって政府の命令で動いていた。
しかし、今ではみんなが勉強することができるようになって利口になって自分で考えて自分のことをやっている。今では国民みんなが等しく利口になって、自分で考えて仕事をやってお互いに助け合って暮らしている。
今では国民みんなは利口になって自分で考えて生きている。今では国民みんなは政府に命令を出してもらわなくてもよくなっている。そのため、今では国民みんなが政府にお金を払わなくなって政府の命令で動かなくなっている。政府は国民みんなからお金がもらえなくなって滅んでいる。
昔は国民みんなが自分で考えず政府に考えてもらっていたが、今では国民みんなが自分で考えて政府に考えてもらっていない。そのため、昔は政府が国民みんなから“考え代”(税金のこと)をもらって儲[もう]かっていたが、今は政府が国民みんなから考え代をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
つまり、政府は考えることを仕事にする会社である。昔は国民みんなが自分で考えず、政府にお金を払って政府に考えてもらって政府の命令で動いていたので、政府が儲かって栄えていた。今は国民みんなが自分で考えて、政府にお金を払わず政府に考えてもらわず政府の命令で動かなくなったので、政府が儲からなくなって潰れている。
昔は国民みんなが政府の操り人形だったが、今では自分の意志で動く人間である。政府は国民みんなを操る団体である。昔は国民みんなが自分を政府に正しく操[あやつ]ってもらうために政府に“操り代”(税金のこと)を払っていた。(もっとも、昔はまだ正しいことがよくわかっていなかったから、政府は国民みんなにまちがったことをやらせることもあったが。例えば、政府は日本をヨーロッパに従わせるために国民みんなにヨーロッパ文化をやらせて、国民みんなに税金や戦争や国家宗教で悪いことをやらせたりしていた。国民は自分で考えなかったので、政府に言われるままに動いていた。昔は国民が自分で考えてもヨーロッパに従って税金や戦争や国家宗教で悪いことをやっていた。だから、それはしかたがない。)今では国民みんなは自分の意思で正しく動いているので、政府に操ってもらわなくてもよくなって政府に操り代を払わなくなった。そのために、政府は潰れてなくなっている。
今ではすでに多くの国民が『政府は国民みんなに命令して正しいことをやらせる団体である。しかし、今の国民みんなは自分で正しく考えて動いている。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府に命令を出してもらわなくていい。』と考えてそうしている。しかし、そのことがまだわかっていない者もたくさんいる。だから、私のように言葉で説明してわかっていない者にわからせることも大事である。
人間には2つの道がある。ひとつは自分が遊びまわって政府の操り人形となることであり、もうひとつは自分で勉強して自分で考えて生きていくことである。そして、人類は後者の道を選んだのである。だから、今の人間は自分で勉強して、政府の命令を聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰しているのである。
今の人間はすでに自分で考えて生きているので、政府が要らなくなって、政府が何のためにあるのかわからなくなっている。政府も自分がやることがなくなって、国民みんなに自分が捨てられた腹いせに自分の命令を聞く国民にわざとにまちがった命令を出して悪いことをやらせて国民みんなを虐[いじ]めて不幸にしている。今の国民みんなにとって政府は要らない会社である。だから、国民みんなで政府にお金をやらないようにしてさっさと政府を倒せばいいのである。国民みんなは“何のためにあるのかわからない会社”にわざわざお金をやって残さなくてもいい。政府は役目の終わった会社である。政府は国民みんなに正しいことをやらせる団体である。昔は国民みんなが自分で考えることができなかったから、政府が国民みんなに正しい命令を出して国民みんなからお金をもらっていた。今では国民みんなが自分で考えることができるから、政府は国民みんなに正しい命令を出さなくてもよくなって国民みんなからお金をもらえなくなった。そのため、今の政府は儲からなくなって気が狂って国民からお金をもらって国民にまちがった命令を出している。だから、国民は政府にお金をやって政府に無駄[むだ]なまちがった命令を出させないようにして、政府にお金をやらないようにして政府を潰してなくさないといけない。
政府は国民みんなに正しいことをやらせる団体である。政府は国民みんなが馬鹿であることで持っている(成り立っている)会社である。そのため、政府は国民みんなを馬鹿だと思ってなめている。だから、政府はまじめに仕事をしない。政府は本当に正しい命令を国民みんなに出さない。政府は国民みんなにいいかげんな命令を出すだけである。先進国が変わっても政府(政治団体)が国民みんなにやらせる文化を変えないのはそのためである。いまだに政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせて国民みんなを不幸にしているのはそのためである。そんな会社は国民みんなの役に立たない。だから、国民みんなはさっさと政府を捨てて、自分で考えて生きていけばいいのである。昔は国民みんなが馬鹿だったから、政府がどんな団体なのかわからなかったから政府に従っていたのである。今は国民みんなが利口だから、政府がどんな団体なのかわかるようになったから政府に従うのをやめたのである。

[22221] 政府も時代の流れには勝てない。 h27.10.27
政府は国民みんなに命令して正しいことをやらせる団体である。政府は国民みんなから税金をもらって国民みんなに正しい命令を出す団体である。
戦前は文明が低くて国民みんなが勉強することができなかったので国民みんなが馬鹿で自分で考えることができなかったから、政府の命令を聞かねばならなかった。そのために、国民みんなは政府に税金を払って政府に命令を出してもらっていた。政府は国民みんなから税金をもらって儲[もう]かっていた。
戦後は文明が高くなって国民みんなが勉強することができるようになって国民みんなが利口になって自分で考えられるようになって、政府の命令を聞かなくてもよくなっている。そのために、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府に命令を出してもらわなくなっている。政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
文明が進歩すると国民みんなの生活に余裕が出来て国民みんなが勉強する暇が出来て勉強することができるようになる。国民みんなが勉強することができると国民みんなが利口になって自分で考えられるようになる。国民みんなが自分で考えられるようになると、他人の命令を聞く必要がなくなる。そのために、今では政府が国民みんなに命令を出せなくなって国民みんなから税金をもらえなくなって政府が潰れているのである。
政府の憲法には「国民はみな政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならない」と書いている。政府は国民みんなが馬鹿だと思って嘘[うそ]をついているのである。本当は、『国民が政府に税金を払うかどうか政府の命令を聞くかどうかは国民個人の自由である。』今では国民みんなが自分で考えられるようになっているので、政府の命令を聞かなくてもよくなっている。だから、国民は政府に税金を払わず政府の命令を聞かなければいいのである。国民は法律(国民共通の心)だけ守って、あとは自分で考えて好き勝手にすればいいのである。(テレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』第134話(最終話)に「やつらの足音が聞こえた!」という話がある。『はじめ人間ギャートルズ』は10年ぐらい前に衛星放送のアニマックスで再放送をやっていて、ときどき私も見ていた。ある日ゴンたちの住んでいるところに一人の頭のいい男とそれに従う大勢の人々の集団が来て勝手に田んぼを作って暮らし始める。途中までは順調に暮らしているが、最後にマンモスが襲ってきて田んぼを荒らして集団がどことなく去ってしまうという話である。しかし、それは本当の文明社会ではない。本当の文明社会ではみんなが自分で考えてお互いに助け合って暮らしていて、みんなが特定の人間に従ったりはしない。本当の文明社会はこれから国民みんなで作っていかねばならないのだ。)

[22222] 今の国民みんなは政府が要らなくなったので政府を捨てている。 h27.10.27
政府は国民に命令して正しいことをさせる会社である。政府は国民から税金をもらって国民に命令して正しいことをさせて国民を幸福に暮らせるようにする団体である。
昔の国民みんなは勉強することができなくて馬鹿だったので自分で考えて自分のことができなかったので、政府が必要だった。国民みんなは政府に税金を払って政府に命令を出してもらって政府の命令を聞いて暮らしていた。政府は国民みんなから税金をもらって儲[もう]かっていた。
今の国民みんなは勉強することができて利口になったので自分で考えて自分のことができるので、政府が要らなくなった。国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府に命令を出してもらわなくなって政府の命令を聞かずに暮らしている。政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
国民が政府に税金を払って政府に命令を出してもらうか、国民が政府に税金を払わず政府に命令を出してもらわないかは、国民個人の自由である。今の国民みんなは勉強して利口になって自分で考えて自分のことができるようになっている。今の国民みんなはわざわざ政府の命令を聞いて暮らす必要がない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わずに政府に命令を出してもらわなければいいのである。今の国民みんなは法律だけ守って、あとは自分の好き勝手にすればいいのである。
昔の国民は自分で道徳や哲学について勉強することができなかったので、宗教団体にお金を払って宗教団体の教えを聞いて宗教団体の教えを守って暮らしていた。宗教団体は国民みんなからお金をもらって儲かっていた。しかし、今の国民は自分で道徳や哲学について勉強することができるので自分で考えて自分の生き方を決めている。そのために、今の国民は宗教団体にお金を払わなくなって宗教団体に教えてもらわなくなっている。宗教団体は国民みんなからお金をもらえなくなって滅んでいる。それと同じように、昔の国民は自分で科学や技術について勉強することができなかったので、政治団体にお金を払って政治団体の教えを聞いて政治団体の教えを守って暮らしていた。政治団体は国民みんなからお金をもらって儲かっていた。しかし、今の国民は自分で科学や技術について勉強することができるので自分で考えて自分で仕事をして生活している。そのために、今の国民は政治団体にお金を払わなくなって政治団体に教えてもらわなくなっている。政治団体は国民からお金をもらえなくなって滅んでいる。つまり、昔は国民が自分で勉強して正しいことを知ることができなかったので、宗教団体や政治団体にお金を払って正しいことを教えてもらって暮らしていた。今は国民が自分で勉強して正しいことを知ることができるので、宗教団体や政治団体にお金を払って正しいことを教えてもらわなくてもよくなった。そのため、今の国民みんなにとって宗教団体や政治団体が要らなくなって、今の国民みんなは宗教団体や政治団体にお金をやらなくなって、宗教団体や政治団体が儲からなくなって潰れているのである。
今は『学問の自由』があって、国民みんなが政治団体や宗教団体と無関係に正しいことを知って正しいことをやっていいことになっている。そのため、今では国民みんなが政治団体や宗教団体と無関係に政治団体や宗教団体に従わずに、自分で勝手に考えて自分で正しいことを知って正しいことをやるようになっている。国民みんなが自分で考えて正しいことを知って正しいことをやるようになって、国民みんなが政治団体や宗教団体に正しいことを教えてもらわなくてもよくなって、国民みんなにとって政治団体や宗教団体が要らなくなっている。今では国民みんなのほうが政治団体や宗教団体よりもこの世のことをよく知っている。今では学問のすべての分野で国民みんなのほうが政治団体や宗教団体よりも上である。今では政治団体や宗教団体が国民みんなに訊[き]いて正しいことを教えてもらっている。今の政治団体や宗教団体は利口ぶっているだけの馬鹿である。今では政治団体や宗教団体は無用の長物にすぎない。だから、今の国民みんなは政治団体や宗教団体にお金をやらなくなって政治団体や宗教団体を倒しているのである。国民みんなは政治団体や宗教団体を社会から排除しているのである。
政府は国民みんなに正しいことを教えて国民みんなに正しいことをやらせる団体である。政府は国民からお金(税金)をもらって国民に正しいことを教える団体である。(私がこれまで“命令する”と書いていたのは教えるという意味である。例えば、今の政府が国民に命令して悪いことをやらせて国民みんなを不幸にさせているのは、政府が国民にヨーロッパ文化を教えてヨーロッパ文化をやらせているからである。昔は「日本がヨーロッパに従う」のが正しいことだったので、政府は国民に正しいことをやらせるために国民にヨーロッパ文化をやらせるのである。しかし、今では『日本は自分の道を進む』ことが正しく「日本がヨーロッパに従う」ことがまちがいだとされている。政府は国民を馬鹿だと思ってなめているから、国民に古臭いまちがったことをやらせているのである。政府が国民に正しいことを教えるといっても学校みたいに国民に勉強させるわけではない。政府は国民に正しいことを指示して正しいことをやらせるだけである。政府が国民に自分で正しいことを考えられるようにするのではない。つまり、政府は国民を教育するのではなく指導するのである。税金は政府の指導代である。国民は政府に指導してもらったお礼に税金を払うのである。)昔は政府の人しか勉強することができず自分で考えて正しいことがわからなかった。国民みんなは勉強することができず自分で考えることができず正しいことがわからなかった。昔の社会は正しいことがわかる者と正しいことがわからない者にはっきり分かれていた。そのために、国民みんなは政府に税金を払って政府に正しいことを教えてもらって正しいことをやって暮らしていた。しかし、今は政府の人も国民みんなも同じように勉強することできて自分で考えて正しいことがわかるようになっている。今の社会は自分で正しいことがわかる者ばかりになっている。そのために、国民みんなは政府に税金を払って政府に正しいことを教えてもらわなくてもよくなっている。今の国民みんなは政府に税金を払っていない。だから、政府が滅んでいるのである。

[22223] 政府は国民みんなをナメているからまじめに仕事をしない。☆ h27.10.28
政府は国民に命令して正しいことをさせる団体である。政府は国民みんなから税金をもらって国民みんなに命令して国民みんなに正しいことをさせて国民みんなを幸福にすることが仕事である。
しかし、今ではみんなが勉強することができるようになって、政府も国民みんなも同じことがわかるようになっている。
ところが、政府は国民みんなが馬鹿であることで持っている(成り立っている)会社だから、国民みんなが馬鹿だと思って国民みんなをナメてまじめに仕事をしない。今の政府が「ヨーロッパは先進国だから、日本はヨーロッパに従って、日本人はヨーロッパ文化をやらねばならない」という古臭いまちがった考えに基づいて国民にヨーロッパ文化をやらせて悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしているのが、そのいい例である。それに、政府は国民みんなを馬鹿だと思ってナメているので、自分がまちがっていても責任を取ろうとしない。政府は国民みんなにいいかげんな命令を出す上に、まちがった命令を出しても責任を取らない。政府はそういう会社である。
国民みんなにとって政府は役に立たない。国民みんなが自分で考えてやったほうがマシだ。
そのために、今では国民みんなが自分で考えて自分のことをするようになって、政府に命令を出してもらわなくなったのである。国民みんなにとって政府が要らなくなったから、政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
今では『会社は国民一人一人と契約を取って仕事をするのが正しい仕事のしかただ』とわかっているのに政府はそうしていない。政府は「自分が一方的に国民みんなからお金を取って仕事をすればいい」と思っている。政府は自分の命令の押し売りをしている。政府はまちがっている。今では国民みんなのほうが政府よりも正しい。今の政府は国民みんなにまちがった命令を出して国民みんなにまちがったことをやらせる会社である。だから、国民みんなは政府の命令に従わず、政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
政府は民主主義の芝居をやって国民みんなに従っているふりをして本当は従っていない。本当は、政府は国民みんなに対して独断で命令を出しているだけである。(政府は本気で国民みんなに従っているのではなく国民みんなに従っているふりをしているだけだから、政府は国民みんなに基づいているのではなく国民みんなを煽[おだ]てているだけだから、民本主義と言わずに民主主義と言うのである。)政府は国民みんなが馬鹿だと思って民主主義の芝居をやって国民みんなを騙[だま]しているのである。本当は、政府は国民みんなに従っていない。政府は自分勝手に国民みんなに命令しているだけである。間接民主制だから、実際には政府は国民みんなに従っていないのである。政府は民主主義の芝居をやって国民みんなで憲法の税金の法律を決めたふりをしているだけである。本当は何も決めていないのである。本当は、国民が政府に税金を払って政府に命令を出してもらうか政府に税金を払わず政府に命令を出してもらわないかは国民個人の自由である。今では文明が進んで国民みんなが政府と同じぐらい利口になっているから、国民は政府に命令を出してもらわなくてもいい。今では文明が進んでみんなが勉強するようになって国民みんなが政府と同じことがわかるから、国民みんなはわざわざ政府に従わなくていい。今では政府がわかることは国民みんなもわかり政府がわからないことでも国民みんながわかるようになっているから、国民みんなにとって政府は要らない。だから、国民みんなは政府の命令を聞かないようにして、政府に税金を払わなければいいのである。
今の国民の多くが政府に従っているのは、国民の多くが政府のことがわかっていないからである。『政府学』がないからである。それなら、『政府学』を作ればいい。私が『政府学』を作った。だから、国民みんなは私の『政府学』をよく勉強して、政府のことをよく理解して、政府に従うのをやめればいいのである。
『百の理屈よりも一つの実行が勝る。』だから、みんなは言葉の上で理屈を理解するだけではなく、実際に身体を動かして政府に従うのをやめねばならない。どんな馬鹿でも実行することはできる。だから、理屈がわかろうがわかるまいが、とにかく正しいことをやればいいのである。

[22224] 間接民主制では政府は国民みんなに従っていない。☆ h27.10.30
今の政府は間接民主制をやっている。
間接民主制は本当は民主制ではない。間接民主制では、政府は国民みんなに従っていない。政府は独断で国民みんなに命令を出せる。だからこそ、国民みんなは政府の独断の正しさに期待しているのである。(間接民主制では政府と国民みんなは切れている。間接民主制では政府は国民みんなに従っているみたいで、じつは国民みんなに従っていない。政府は国民みんなに従っていないのだから、国民が政府の命令に従わなくても“国民みんなの仲間はずれ”にならない。政府は国民みんなの威を借りれない。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。国民は自分が幸福になるときだけ政府の命令に従えばよく、自分が幸福にならなければ政府の命令に従わなければいい。しかし、今では国民が自分で考えて自分を幸福にできるから、国民はわざわざ政府の命令に従わなくていい。国民は政府の命令を無視して、自分の考えでやっていけばいい。国民は政府の命令が要らないから、政府に税金(命令代)を払わなければいい。今は国民が自分で考える時代である。そのためには、国民は既存[きぞん]の知識をよく学んで自分で考える練習をしないといけない。)
しかし、今ではみんなが平等に勉強することができるようになって、政府も国民も同じ利口になっている。政府がわかることは国民みんなもわかる(国民全員がわかるわけではないが、国民みんなの中にはわかる者がいる)。政府がわからないことでも国民みんながわかる。だから、国民みんなのほうが政府よりも正しい。今の国民みんなが日本文化をやっているのに、政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせる命令を出しているのが、そのいい例である。政府は国民みんなが馬鹿で持っている会社だから、国民みんなを正しいことがわからない馬鹿だと思ってナメているから、政府は国民みんなにデタラメな命令しか出さないのである。したがって、国民みんなは政府の独断の正しさに期待できない。
そのために、今の国民みんなは政府に従わなくなっている。国民みんなは政府の命令が要らなくなって、政府に税金(命令代)を払わなくなっている。だから、今では政府が滅んでいるのである。
政府は軽蔑馬鹿[けいべつばか]である。国民みんなの頼みの綱[つな]が軽蔑馬鹿では、国民みんなはやっていけない。だから、国民みんなは政府に従うのをやめて、政府から独立して自分で考えて自分のことをするようになったのである。
いわば、国民みんなは自動車で、政府は狂った信号機である。政府が狂っているためにしょっちゅう事故がおきる。国民みんなで政府の代わりをすれば事故がなくなって車が順調に走る。
昔は政府が国民みんなよりも本当に利口で正しいことがわかったから、政府は正直に国民みんなに正しい命令を出して国民みんなをできるかぎり幸福にした。ところが、時代が進むと、国民みんながだんだん利口になって、政府と国民みんなの頭の差が縮まってきた。国民みんなが政府から独立して自分で考えて自分のことをするようになった。それでは政府は商売上がったりである。そこで、政府は嘘[うそ]や芝居などいろんなインチキな手を使って国民を従わせるようになった。ガリ勉が他人に負けないためにカンニングするのと同じである。しかし、今では国民みんなが利口になって、政府のインチキな手に騙[だま]されなくなっている。そのため、今の国民みんなは政府から独立して政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめている。そのために、今では政府が滅んでいるのである。
要するに、文明が進んで国民みんなが利口になって、国民みんなにとって自分に命令を出す政府が要らなくなっただけのことである。政府の役目は終わったのである。人類は新たな一歩を踏み出したのだ。

[22225] 政府が潰[つぶ]れている。 h27.10.31
今では学校が民営化されつつある。
それは、政府が潰れているからである。
今では国民みんなが利口になって自分で考えて暮らせるようになったから、政府に従う必要がなくなったから、国民みんなが政府に従わなくなったから、国民みんなが政府に税金(命令代)を払わなくなったから、政府が潰れているのである。
政府は国民みんなに命令して正しいことをやらせる団体である。文明が遅れていると国民みんなが自分で正しいことを考えられないから政府が要る。文明が進むと国民みんなが自分で考えられるようになって政府が要らなくなって政府が潰れる。

[22226] 今の国民みんなは自分の力だけで生きようとしている。 h27.10.31
今の国民みんなは宗教団体に従うのをやめている。今の国民みんなは自分で自分の人生のことを考えて生きようとしている。今の国民みんなは宗教団体に従うのをやめることによって、自分で自分の人生を考えねばならないようにして、自分の力だけで生きることにチャレンジしているのである。
それと同じように、今の国民みんなは政府に従うのをやめている。今の国民みんなは自分で国のことを考えて生きようとしている。今の国民みんなは政府に従うのをやめることによって、自分で国のことを考えねばならないようにして、自分の力だけで生きることにチャレンジしているのである。もしかしたらできないかもしれないが、今の国民みんなは自分が死ぬ覚悟でそうしているのである。
今では政府がなくなりつつある。これまで政府がやっていたことを国民みんなでやらねばならない。国民みんなで国のことをよく勉強して自分たちで国のことを全部やらねばならない。
これまでは政府のある社会だった。これからは政府のない社会になる。これまでは国民みんなが他人に考えてもらって他人の命令で行動して暮らしていた。これからは国民みんなが自分で考えて自分で行動して暮らさねばならない。そのための準備を今の国民みんなはやっているのである。今の国民みんなで新しい社会を作っているのである。
昔はテレビや新聞がなかったので国民みんなは政府がどんな団体なのかわからなかった。そのために、昔は国民みんなが「政府は利口だから信用置ける」と信じて政府に従っていた。今ではテレビや新聞があるので国民みんなは政府がどんな団体なのかがよくわかる。今の国民みんなはテレビや新聞で政府を見て『政府は馬鹿だから信用置けない』ことがよくわかったので政府に従うのをやめている。今の国民みんなは『政府に従うよりも、自分で考えたほうがマシだ』と思って、自分で考えることにしたのである。政府はテレビや新聞によって自分の馬鹿さを国民みんなに曝[さら]け出してしまったのである。テレビや新聞は真実を映[うつ]し出すから、政府はもはや言い逃れようがない。政府はあきらめて滅ぶしかない。

[22227] 福祉政策はどうなるか? h27.11.1
今の日本では国民みんなが自分で考えるようにして政府の命令を聞かないようにして政府に税金(命令代)を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
政府がなくなると福祉政策がやれない。それでは、国際的に日本が非難される。
しかし、それが日本人の心だからそれでいいのである。今では文化人類学が出来て『人間はみんな心が違う。人間は自分の心を満足するために生きている』ことが指導原理だから、日本人は日本人の心を満足すればいいのである。日本人には福祉の心がないから、福祉政策をやめればいいのである。どうしても福祉をやりたい人がいれば、自分で福祉会社を建てて国民みんなから自由な募金を募[つの]って福祉をやればいいのである。政府は馬鹿のからかいのつもりでいいかげんな福祉をやっているだけだから、政府よりはマシな福祉がやれるだろう。しかし、日本人は福祉が嫌いだから、ろくに募金が集まらないだろう。募金が足りなければ、障害者を殺せばいいのである。これまで日本人はそうやって弱い人間を減らして強い人間を増やしてきた。(“当たり屋ケンちゃん”は福祉に対するイヤミである。日本人はもともと福祉が嫌いなのである。)
要するに、国民が福祉をやるかやらないかは国民個人の勝手である。国民は自分が好きなことをやり、嫌いなことをやらなければいいのである。日本人は福祉が嫌いだから、福祉をやらなければいいのである。日本人は医療が嫌いだから、医療をやらなければいいのである。日本人は強い者が好きで弱い者が嫌いだから福祉や医療が嫌なのである。それが日本人共通の心である。それが日本の法律なのである。

[22228] 政府は国民みんなに正しいことを教えて国民みんなからお金をもらって儲[もう]ける会社である。☆☆ h27.11.2
政府は国民みんなに正しいことを教えて(指導して)国民みんなを幸福にする団体である。政府は国民みんなに正しいことを教えて国民みんなから税金(命令代)をもらって儲ける会社である。(政府は学校ではないから、政府が国民みんなに正しいことを教えるといっても、政府が国民みんなが自分で正しいことが考えられるように国民みんなを教育するわけではない。政府は国民みんなに正しいことを指示して国民みんなが正しいことがやれるように国民みんなを指導するのである。)
国民は自分が幸福になれば政府に税金を払い、自分が幸福にならなければ政府に税金を払わなければいいのである。たとえ、政府が直接自分に正しいことを教えてくれなくても、政府が他人に正しいことを教えてそれで自分が幸福になっているなら、国民は政府に税金を払って政府に正しいことを教えさせればいいのである。つまり、国民は国民みんなにとって政府が役に立っていると思うなら政府に税金を払えばよく、国民みんなにとって政府が役に立っていないと思うなら政府に税金を払わなければいいのである。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由だから、国民は自分の好き勝手に政府に税金を払ったり払わなかったりすればいいから、国民は自分で考えて政府に税金を払うか払わないかを決めればいいのである。間接民主制では政府は国民みんなに従っていない。今の政府は自分ひとりで勝手に「国民はみな政府に税金を払わなければならない」と言っているだけだから、国民は政府の言うことを聞かなくていいから、国民は自分で今の政府が国民みんなの役に立つか立たないかをよく考えて政府に税金を払うか払わないかを決めればいいのである。
昔は国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だったから、国民みんなが自分で考えて正しいことがわからなかった。そのため、国民みんなは政府に税金を払って政府に正しいことを教えてもらって正しいことをやって幸福に暮らしていた。
しかし、今は国民みんなが勉強することができるようになって利口になっているから、国民みんなが自分で考えて正しいことがわかる。そのために、国民みんながわざわざ政府に税金を払って政府に正しいことを教えてもらって正しいことをやらなくてもよくなっている。だから、今では国民みんなが自分で考えて行動するようになって、政府に正しいことを教えてもらわなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
政府は国民みんなに正しいことを教えて国民みんなを幸福にして国民みんなからお金をもらって儲[もう]ける会社である。街頭芸人がみんなの前で芸をやってみんなを喜ばせてみんなからお金をもらって儲けるのと同じことである。昔は国民みんなが暇がなくて他人から学んだり自分で考えたりできなくて正しいことがわからなかったから、政府に正しいことを教えてもらわねばならなかったので政府が儲かっていた。昔はラジオもテレビもなかったので、みんなが街頭芸人の芸を見て大喜びをしたので街頭芸人が儲かっていたのと同じである。しかし、今では国民みんなが暇が出来て国民みんなが他人から学んだり自分で考えたりして正しいことがわかるようになって、政府にいいかげんなことを教えてもらわなくなって政府が儲からなくなっている。今ではラジオやテレビが出来て、みんなが街頭芸人の下手[へた]な芸を見ても喜ばなくなって街頭芸人が儲からなくなったのと同じことである。
今では国民みんなが自分で考えて行動するようになっている。だから、政府は国民みんなに正しいことを教えられなくなっている。政府はやることがなくなって退屈で困っている。だから、国民みんなで早く政府を潰して政府を助けてやればいいのである。
そもそも人間が何をしようが自由である。人間は自分の心や物に縛[しば]られているから決まりがあるのである。ところが、人間の心や物からは「国民が政府に正しいことを教えてもらって正しいことをやって政府に税金を払わねばならない」決まりは出てこない。だから、そんな決まりはない。だから、国民が政府の指導によって正しいことをやって政府に税金を払うか、国民が政府の指導によらず政府に税金を払わないかは国民個人の自由である。国民は自分で考えて正しいことをやればいいのである。今では国民みんなが自分で勉強して利口になって自分で正しいことがわかって政府に正しいことを指導してもらわなくてもよくなっているから、国民は政府の指導によらず政府の税金を払わなければいいのである。今の国民みんなが自分で正しいことがわかるようになっているからこそ、今の国民みんなは自分が政府の指導によらなくてもいいことがわかって政府に税金を払わなくなって政府が潰れているのである。昔は国民みんなが馬鹿だったので政府にいろんな正しいことを教えてもらわなければならなかったし、国民みんなが馬鹿すぎたので自分が政府の指導によらねばならないか指導によらなくてもいいかすらわからなかったので、国民みんなが政府に自分が政府の指導によらねばならず政府に税金を払わなければならないことを決めてもらっていたのである。だから、政府の憲法には「国民みんなには納税の義務があり、国民みんなは政府に従わねばならない」ことが定められていたのである。国民みんなはおとなしく政府の決定に従って政府に従っていたのである。しかし、今では国民みんなが利口になったから、政府に正しいことを教えてもらわなくてもよくなったし、政府に自分が政府に従って政府に税金を払わねばならないことを決めてもらわなくてもよくなったから、今の国民みんなは政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。つまり、昔は国民みんなが自分で考えて正しいことがわからなかったから、自分が政府に従うか従わないかを政府に決めてもらっていた。そのために、政府は「国民みんなが政府に従って、政府に税金を払わねばならない」ことに決めていた。国民みんなは政府が決めたことに従って、おとなしく政府に従っていた。反対に、今では国民みんなが自分で考えて正しいことがわかるようになったから、今の国民みんなは自分で考えて政府に従うか従わないかを決めているから、政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなったのである。今では国民みんなが政府に従わないことに決めているから、いくら政府が憲法で納税の義務の法律を定めても国民みんなは政府の法律を守らないから無駄[むだ]である。政府はおとなしく潰れるしかない。要するに、昔は押し売りしやすい状況だったのである。馬鹿は自分で考えられないから、他人の言いなりである。馬鹿は他人になんでも従う。昔は国民みんなが馬鹿だったので、国民みんなが政府の言いなりだった。だから、政府が自分で国のことをなんでもかんでも決められたのである。政府が国民みんなにとって本来自由なことまで決められたのである。そのため、政府が「国民みんなが政府に従って政府に税金を払わねばならない」ことに決めていたので、国民みんなが政府に従って「政府に従って政府に税金を払っていた」のである。しかし、反対に、今は国民みんなが利口になったので、国民みんなが政府の言いなりでなくなった。だから、国民みんなが自分で国のことをなんでもかんでも決めて、政府が国のことを何も決められなくなったのである。国民みんなが自分で自分のことを決めるようになって、自分が政府に従うか従わないかも決めるようになった。今では国民みんなが自分で考えて自分のことができるようになったので、今の国民みんなにとっては政府が要らなくなったから、国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を潰しているのである。

[22229] 国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。☆☆ h27.11.3
政府は国民に正しいことをさせる団体である。政府は国民から税金をもらって国民に指導して国民に正しいことをやらせて国民を幸福にする団体である。
政府は間接民主制をやっている。間接民主制では政府は国民みんなに従っていない。政府は自分の独断で国民を指導しているだけである。だから、国民は政府の指導に関しては国民みんなによる制約はない。つまり、国民が政府の指導に従わなくても国民みんなの意思に反したことにならず、国民が政府の指導に従っても国民みんなの意思に則したことにはならない。
政府は憲法で「国民は全員政府に税金を払って、政府の指導に従わねばならない」と定めている。しかし、それは政府が本来国民にとって自由であることを決めているからである。本当は『国民が政府に税金を払って政府の指導に従うか、政府に税金を払わず政府の指導に従わないかは国民個人の自由である』のである。
したがって、国民が政府に税金を払って政府の指導に従うか、政府に税金を払わず政府の指導に従わないかは国民個人の自由である。
政府は国民に指導して国民に正しいことをやらせて国民を幸福にする団体である。昔は国民みんなが暇がなくて勉強することができなくて自分で正しいことがわからなくて、政府の指導に従わねばならなかった。昔は国民みんなにとって政府が必要だった。だから、国民はみんな政府に税金を払って政府の指導に従わねばならなかった。しかし、今では国民みんなが暇があって勉強することができて自分で正しいことがわかるようになって、政府の指導に従わなくてもよくなっている。今では国民みんなにとっては政府は要らない。だから、国民はみんな政府に税金を払わず政府の指導に従わなければいいのである。
政府は国民みんなが馬鹿で持っている会社だから、政府は国民みんなが馬鹿だと思って国民みんなをナメていいかげんに指導するだけである。今の政府が国民にヨーロッパ文化をやらせて国民に悪いことをやらせて国民みんなを不幸にしているように、政府は国民みんなに平気でまちがった指導をして国民みんなを不幸にする。反対に、国民みんなはお互いにナメることがないから、国民みんなだけでやったほうが世の中がずっとうまくいく。
今ぐらい国民みんなに暇があるのに、国民みんなが勉強しなくて正しいことがわからないのは贅沢[ぜいたく]である。怠慢[たいまん]すぎる。だから、国民みんなは政府に税金を払わず政府に指導してもらわないようにして、自分で勉強して正しいことがわかるようにならねばならない。

[22230] 政府は利口ぶることを仕事にしている会社である。△ h27.11.3
今では国民みんなが暇が出来て勉強することができるようになって利口になって自分で正しいことがわかるようになっている。
今では国民みんなが政府よりも利口になっている。
そのため、政府は国民の専門家に正しいことを訊[き]いて、自分が考えたみたいにして偉そうにして、国民みんなを指導している。政府は正しい知識の卸屋[おろしや]である。政府は国民みんなの中間管理職である。今の政府は自分で考えずに正しい知識の卸[おろし]をやって儲[もう]けているだけである。
今では国民みんなが自分で正しいことを考えて自分で正しいことをやれる。政府は正しい知識の卸をやって余計な手間賃[てまちん]を取って儲けているだけである。
今では国民みんなにとって政府は余計である。国民みんなにとって政府は要らない。国民が政府に税金を払って政府に国民みんなを指導してもらうか、政府に税金を払わず政府に国民みんなを指導してもらわないかは国民個人の自由である。だから、今では多くの国民が政府に税金を払わなくなって政府に国民みんなを指導してもらわなくなっている。政府は税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
昔も政府(日本の政治団体)は外国から知識を仕入れて国民みんなに売っていただけである。それらの知識は外国の国民みんなが考え出したものである。だから、世界的に見れば、昔から政府は国民みんなの知識を仲介して儲けていただけである。政府自体は自分で正しいことがわからないただの馬鹿である。政府は国民みんなよりも馬鹿である。政府は国民みんなが考えたことを自分が考えたみたいにしていただけである。政府は空威張[からいば]り馬鹿である。政府は見かけが利口なだけで中身は馬鹿である。国民みんなにとっては政府は要らない。政府は余計な会社である。だから、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。
今では国民みんなにとって政府は要らない。国民の専門家が直接に国民みんなを指導すればいい。今ではコンピューターがあって情報のやり取りがしやすいからそういう仕事はやりやすいはずである。国民みんなでそういう仕事を設けてそういう社会にすればいい。
昔から政府は国民みんなが考えたことを自分が考えたみたいにして国民みんなを指導して国民みんなから税金を取って儲けている。政府は利口ぶり馬鹿の団体である。政府は利口ぶることで儲ける団体である。政府は利口ぶることを仕事にしている会社である。政府は利口ぶりで持っている会社である。だから、政府は自分が利口ぶるために国民みんなを馬鹿にした態度をとって国民みんなをナメた態度をとっていいかげんな指導しかしないのである。平気でまちがった指導をやって国民みんなを不幸にしたりするのである。国民みんなは政府の利口ぶりのために不幸にされているのである。国民みんなは政府の利口ぶりの犠牲になっているのである。政府は利口ぶっているだけで本当は利口ではない。政府はインチキ団体である。政府は利口ぶりのテクニックが長[た]けているだけである。政府が本当に利口でないために、政府が利口ぶらねばならないために、国民みんなは政府の利口ぶりの犠牲にされねばならないのである。国民みんなにとっては政府なんかないほうがいい。国民が政府に税金を払って政府に国民みんなを指導してもらうか、政府に税金を払わず政府に国民みんなを指導してもらわないかは国民個人の自由である。だから、今では国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府を潰しているのである。国民みんなで政府のない社会にして利口ぶり馬鹿のいない社会にして実力主義の社会にして正直に気持ちよく生きていこうとしているのである。
政府は利口ぶることでお金を稼[かせ]ぐ会社である。要するに、政府は大きい詐欺[さぎ]会社である。昔は国民みんなが暇がなくて勉強することができなくて自分で正しいことがわからなかったので、政府の正体がわからなかった。そのために、国民みんなは政府の利口ぶりにまんまと騙[だま]されて政府に従って政府に税金を払っていた。今では国民みんなが暇があって勉強することができて自分で正しいことがわかるようになって、政府の正体がわかっている。そのために、国民みんなが政府の利口ぶりに騙されなくなって政府が要らない会社であることがわかって政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。

[22231] どうして今の日本人は美形に憧[あこが]れているのか? h27.11.3
ヨーロッパ人は狩猟民族である。狩猟民族は獲物を狩って生きていかねばならないので眼がいい。しかし、そのぶん頭が悪い。ヨーロッパ人は眼がいいので眼で見たことしかわからないので眼で見る喜びしかないので美形である。反対に、インド人は頭がいい。だから、ヨーロッパ人はわざわざインド人に来てもらってインド人に考えてもらってインド人の指導によって国を発展させねばならなかったのである。
アジア人は農耕民族である。農耕民族は作物を育てて生きていかねばならないので頭がいい。しかし、そのぶん眼が悪い。アジア人は眼が悪いので眼で見たことにこだわらないので眼で見る喜びがあまりないので醜形[しゅうけい]である。だから、日本人はわざわざインド人に来てもらわなくても自分で考えて国を発展させることができたのである。
人間は眼がいいと頭が悪い。反対に、頭がいいと眼が悪い。人間は眼がよくなると頭が悪くなる。頭がよくなると眼が悪くなる。眼で見ることにこだわる者は頭で考えることはどうでもよく、反対に頭で考えることにこだわる者は眼で見ることはどうでもいい。日本人がヨーロッパ人の後[あと]を追ってもしかたがない。戦前は「ヨーロッパが先進国だから、世界中の国がヨーロッパに従わねばならない」と考えられていた。だから、日本人もヨーロッパ人を真似[まね]て美形にしていた。(戦前は世界中の国でヨーロッパに従わねばならないと考えられていた。ヨーロッパに従うことが正しいと信じられていた。ヨーロッパは戦争をやる国である。だから、日本はヨーロッパに従って戦争をやったのである。戦前は日本が戦争をやることが正しかったのである。国民みんながヨーロッパに従って戦争をやらねばならないと思っていたのである。たとえ政府がなくても、国民みんなが自分で戦争会社を建ててでも戦争をやったのである。だから、政府が国民みんなに戦争をやらせたことは当時としては正しかったのである。国民みんなは戦争については政府に文句が言えないのである。政府もたまには国民みんなに正しいことをやらせるのである。政府は最初のいっとき一生懸命国民みんなに正しいことをやらせてあとでだんだんやらせなくなるのである。)しかし、今では文化人類学が出来て『世界中の国が先進国である。世界中の国が自分自身に従って自分の道を進めばいい』と考えられている。だから、今では日本人は自分らしくして醜形にすればいいのである。ラジオやテレビで「日本人が美形にしないといけない」と言っているのはまちがいである。政府のまわし者である。政府は国民みんなを見かけにこだわるようにして国民みんなの眼をよくして頭を悪くして国民みんなが自分で正しいことがわからないようにして国民みんなを騙[だま]しやすくして国民みんなを政府に従わせようとしているのである。だから、日本人みんなはそんな戯[たわ]けた説に惑わされずに醜形にすればいいのである。
ヨーロッパ人は眼がよくて頭が悪いから、物を眼で見るだけで終わりである。日本人は眼と頭の両方がいいから、物を眼で見て頭で考える。ヨーロッパ人は実在がわからないが、日本人は実在がわかる。ヨーロッパ人は実在の外で暮らしているが、日本人は実在の中で暮らしている。だから、日本人のほうがいいのである。日本人のほうが幸福なのである。

[22232] 今では文明が進歩したために政府が滅んでいる。 h27.11.3
政府は国民みんなを指導する団体である。政府は国民みんなから税金をもらって国民みんなに正しいことを教えて指導して国民みんなを幸福にする団体である。
昔は文明が低くて政府だけが勉強することができて利口で、国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だったから、国が頭のいい政府と馬鹿の国民みんなに分かれていたから、国民みんなが政府に指導してもらっていた。(昔は政府が利口で国民みんなが馬鹿だったと割り切って考えたほうがいい。そのほうが理屈がスッキリする。政府の中にも馬鹿はいたし、国民みんなの中にも頭のいい者がいたが、大勢[たいせい]には影響なかったのである。政府は利口ぶる団体ではなく、国民みんなを指導する団体だと考えたほうがいい。政府が国民みんなを馬鹿だと思っていいかげんに指導するのは、政府のおふざけである。)政府は国民みんなが馬鹿だと思ってナメていたから、国民みんなをいいかげんに指導していた。例えば、先進国が変わっても、政府はすっとぼけて国民みんなに古い文化をやらせ続けていた。いくら国民みんなが馬鹿でも先進国ぐらいのことはわかったので、国民みんなが怒って政府に税金を払わなくなると、政府はようやく重い腰を上げてしかたなく国民みんなに新しい文化をやらせることにした。(あるいは、日本の政治団体は先進国が確定するまで様子をじっと見ていたために、国民みんなよりも対応が遅れてしまったのかもしれないが。日本の政治団体はしょっちゅうコロコロと政府と幕府が入れ替わるわけにはいかないので、慎重に構えていたのである。そのために、国民みんなよりも百年ぐらい遅れてしまったのである。「先進国が替わった」と言えるのは後の時代になってわかることなので、当時の人にとってはよくわからないものなので、政治団体がすぐに対応することはできないのである。国民みんなは流行に敏感なので先進国が替わり始めたころを拾って「先進国が替わった」とするが、政治団体は先進国が替わった後のころを拾って「先進国が替わった」とするので、いつでも政治団体のほうが国民みんなよりも遅れるのである。だから、実際には国民みんなも政治団体もほぼ同時に先進国が替わったことに対応したと言えるのである。細かい目で見て国民みんなと政治団体が違うと言ってギャーギャー騒いでいるだけである。要するに、政治団体の対応が国民みんなよりも百年ぐらい遅れるのはどうでもいいことなのである。だから、今の国民がいくら『政府が国民にヨーロッパ文化をやらせている』と言って騒いでも、それでは政府は倒れないのである。国民が政府を倒すためには、もっと別の方向から政府を攻めないといけないのである。)政治団体にとっては国民みんなの自分に対する信頼を回復することのほうが重要な課題だった。日本の政治団体は国民みんなに「政府と幕府が別の団体だ」と思わせることによって「幕府が政府を倒し、政府が幕府を倒した」と思わせることによって国民みんなの信頼を失わないようにして国民みんなを従わせ続けたのである。しかし、本当は政府と幕府は同じ団体なのである。おとぎ話の『泣いた赤鬼』(浜田廣介[はまだひろすけ]作、昭和8年)で、赤鬼がみんなの人気を得るために赤鬼と青鬼で芝居を打って青鬼がわざとに悪役をやって赤鬼に倒されたのと同じである。近代では、赤鬼が政府で青鬼が幕府である。じつは、政府も幕府も同じ団体なのである。政治団体が自分の分身を作って自分の分身に自分が倒されたことにして生き残ったのである。
今は文明が高くなって国民みんなも勉強することができて利口になったから、国が頭のいい政府と馬鹿の国民みんなに分かれていないから、国民みんなが政府に指導してもらわなくてもよくなった。今でも政府は国民みんなが馬鹿だと思ってナメて、国民みんなをいいかげんに指導している。国民みんなにわざとにまちがった指導をして国民みんなを不幸にしている。それは昔の政府の習慣の名残[なごり]である。本当は、今では政府と国民みんなは頭の出来が同じだから、政府は国民みんなが馬鹿だと思ってナメてはいけないのである。人間はなかなか悪い癖は抜けないものである。
そういうわけで、今では国民みんなが政府が要らないと思って政府に税金を払わなくなって政府を倒している。文明が進歩したので、国民みんなが暇になって勉強することができるようになって利口になって、政府の指導が要らなくなって政府がなくなっているのである。時代が進むと文明が進歩するのはしかたのないことである。政府にも国民みんなにもどうしようもないことである。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいいのである。
今では文明が進歩したから、国民みんなが豊かに暮らせるようになっただけである。政府は何もしていない。今の国民みんなが豊かに暮らせるのは政府のおかげではなく文明のおかげである。今では文明が進歩したから、国民みんなが自分で正しいことがわかるようになったから、政府が要らなくなった。政府が役に立たなくなった。だから、今の国民みんなは政府を捨てればいいのである。政府は文明が遅れた社会で必要なだけで、文明が進んだ社会では要らない。文明が遅れた社会では国民みんなが政府に従って生きている。文明が進んだ社会では国民みんなが自分で考えて生きている。つまり、政府は国の文明が遅れていることの象徴である。今では文明が進んだから、政府がなくなっているのである。
今の国民みんなが幸福に暮らせるのは政府のおかげではなく文明のおかげである。だから、国民みんなは政府よりも文明を大事にしないといけない。今では文明が進んで、国民みんなが勉強する暇が出来て利口になって自分で正しいことがわかって正しいことがやれるようになって政府の指導が要らなくなっている。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいいのである。政府に税金を払うのをやめて政府に潰[つぶ]れてもらえばいいのである。反対に、国民みんなが政府を大事にすると、政府は国民みんなを自分に従わせるために国民みんなに馬鹿になることをやらせて国民みんなを馬鹿に変えて文明が遅れる。文明が遅れると国民みんなが貧乏になって不幸になる。だから、国民は政府よりも文明を大事にして、政府を倒せばいいのである。

[22233] メディアの発達が政府を倒した。 h27.11.4
昔は新聞もラジオもテレビもなかったので、国民みんなが政府が何をやっているのかわからなかった。国民みんなはイメージで「政府が国民みんなを指導して国民みんなに正しいことをやらせて国民みんなを幸福にしてくれるすばらしい団体だ」と思っていただけだった。国民みんなは自分が幸福に暮らせることを全部政府のおかげだと思って政府に感謝して喜んで政府に税金を払っていた。
今では新聞やラジオやテレビが発達して政府のことが毎日報道されるので、国民みんなが政府のやっていることがよくわかるようになっている。国民みんなが『政府はあっても役に立たない』と思っている。国民みんなは『政府が口先で国民みんなを幸福にすると言っているだけで、実際には幸福にしていない』ことを知っている。国民みんなは『政府はつまらない法律をときどき決めるだけだ』ということがわかった。今の国民みんなは自分が幸福に暮らせることを全部自分の手柄にして、自分が不幸に暮らさねばならないことを全部政府のせいにして政府を憎[にく]んでいる。そのため、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。
時代が進むと文明が発達する。文明が発達すると情報伝達手段が発達して国民みんなが相手のことがよくわかるようになる。今の国民みんなは政府のことがよくわかるようになっている。そのため、国民みんなは政府に失望して政府が要らないと思って政府を潰[つぶ]しているのである。
政治団体や宗教団体は国民みんなが何をやっているのか知らないことによって儲[もう]ける団体である。昔は文明が遅れていたために国民みんなが政治団体や宗教団体が何をやっているのかわからなかったから、国民みんながイメージで「政治団体や宗教団体のおかげで自分が幸福に暮らせる」と思っていたので、政治団体や宗教団体が儲かっていた。しかし、今では文明が発達して国民みんなが実際に政治団体や宗教団体がやっていることがわかるようになっているから、国民みんなに『政治団体や宗教団体が役立たずである』ことがバレてしまって、政治団体や宗教団体が儲からなくなって潰れているのである。つまり、昔は国民みんなが想像で「政治団体や宗教団体が自分を幸福にしてくれている」と思うことによって幸福になっていたのである。国民みんなが想像で政治団体や宗教団体が自分を幸福にしてくれたお礼に政治団体や宗教団体にお金をやっていたのである。今では国民みんなが現実的に考えるから『政治団体や宗教団体が役に立たない』ことを知って政治団体や宗教団体に失望して政治団体や宗教団体にお金をやらなくなって自分の娯楽にお金をかけて幸福に暮らすようになっているのである。つまり、昔は国民みんなが想像で政治団体や宗教団体を美化していたので政治団体や宗教団体に従っていた。今では国民みんなが政治団体や宗教団体を現実的に見るようになったので政治団体や宗教団体に従わなくなった。
時代が進むと文明が進む。文明が進んだために、国民みんなが暇が出来て勉強することができるようになって利口になって自分で正しいことがわかるようになって『政府が要らない』と思うようになって政府に従わなくなった。文明が進んだために、国民みんなが政府が実際にやっていることがわかるようになって『政府が役に立たない』と思うようになって政府に従わなくなった。国民みんなが政府に従わなくなって、政府に税金を払えと言われても払わなくなって政府が潰れている。政府は文明によって二重に攻撃されている。文明が進むと政府が滅ぶ。国民みんなは文明の進歩に乗っかって政府を倒せばいいのである。宗教団体についても同じことである。

[22234] 政府は曖昧模糊[あいまいもこ]なことをやる団体である。☆ h27.11.4
浦島太郎が玉手箱を開けると中から煙が出て来て浦島太郎は死んでしまった。
つまり、玉手箱の中に入っていたのは“煙”である。
つまり、政府の正体は“煙”なのである。つまり、政府の正体は“なんだかわからないことをやる団体”である。
中世になってローマ帝国が滅んで先進国がヨーロッパからアジアに替わって、国民みんながアジア文化をやるようになって日本政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって、政府がお金が足りなくなって付属会社を独立民営化させて政府の本体が姿を現したときそれは“なんだかわからない曖昧模糊なことをやる団体”だったのである。
今でも政府はわけがわからない経済政策をやって曖昧模糊なことをやっている。全部失敗している。
昔の人は政府が曖昧模糊なことをやっているのを見て面白いと思って政府に協力して政府に税金を払ったのである。
今の人は政府が曖昧模糊なことをやっているのを見て政府が面白くないと思って政府に協力しなくなって政府に税金を払わなくなったのである。
昔の人は政府が曖昧模糊なことをやっているのを見て「政府は頭がいいからわれわれ庶民にはわからないことをやっている」と思って政府を尊敬して政府に税金を払っていた。
今の人は政府が曖昧模糊なことをやっているのを見て『政府が知ったかぶり馬鹿だ』と思うから『政府が役立たずだ』と思うから『自分が馬鹿にされた』と思うから政府に税金を払わなくなったのである。
昔の人は曖昧模糊なことが好きだったから、政府が曖昧模糊なことをやる団体なので政府が好きだったから、政府に税金を払ったのである。そのために、政府が儲[もう]かっていたのである。
今の人は曖昧模糊なことが嫌いだから、政府が曖昧模糊なことをやる団体なので政府が嫌いだから、政府に税金を払わなくなったのである。そのために、政府が潰[つぶ]れているのである。
昔の人と今の人では好きなことが違うから、昔の人は政府が好きだったが、今の人は政府が嫌いだから、政府が滅んでいるのである。昔の人と今の人では頭がいい人のイメージが違うから、昔の人にとっては政府が頭がよく見えたが、今の人にとっては政府が馬鹿に見えるから、政府が滅んでいるのである。
昔は文明が低くて国民みんなが頭が悪かったし、新聞やラジオやテレビがなくて国民みんなが政府がやっていることがわからなかったから、国民みんなから見れば政府がわからないことをやっていたので、政府が「わけがわからないことをやる団体」だったのである。煙だったのである。
今は文明が高くなって国民みんなが頭がいいし、新聞やラジオやテレビが出来て国民みんなが政府がやっていることがわかるようになったから、国民みんなから見れば政府がまちがったことをやっているので、政府が『まちがったことをやる団体』なのである。役立たず馬鹿なのである。例えば、今の政府が国民に悪いことをやらせているのは政府が国民にヨーロッパ文化をやらせているからである。しかし、今では日本人がヨーロッパ文化をやることはまちがっている。だから、政府は国民にまちがったことをやらせている。政府がやっているほかのことも同様である。つまり、政府はまちがったことばかりやっているのである。実際に、これまで政府の政策でいい結果が出たためしがない。そのため、今の国民みんなは『政府が役立たずだ』と思って、『政府が要らない』と思って、政府の指示を聞かなくなって政府に税金を払わなくなったのである。
時代が進むと政府は「わけがわからないことをやる団体」から『まちがったことをやる団体』に変わったのである。そのために、国民みんなは政府を信用しなくなって政府の指示を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰れているのである。国民みんなは『政府ではダメだ』『もっといい政治団体でなければ役に立たない』と思っているから政府を潰しているのである。
そもそも政府はまちがったことばかりやる団体なのである。昔は国民みんなが馬鹿だったから、政府が「庶民にはわからない高級なことをやる団体」に見えたのである。そのために、昔は国民みんなが政府に税金を払って政府を応援したのである。今は国民みんなが利口になったから、政府が『ただの役立たず馬鹿』にしか見えない。そのために、今は国民みんなが政府に協力しなくなって政府に税金を払わなくなったのである。
昔は文明が低くて国民みんなが勉強することができなかったので、国民みんなが自分で考えるのが嫌だった。だから、国民みんなが政府に税金を払って自分の代わりに政府に考えてもらって泣いて喜んでいたのである。昔は国民みんなが『自分で考えて自分でやる』ことが嫌いだったから、「自分の代わりに政府に考えてもらう」のが好きだったから、政府に税金を払って政府の指示を聞いていたのである。
今は文明が高くなって国民みんなが勉強することができるようになったので、国民みんなが自分で考えるのが好きである。だから、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって自分の代わりに政府に考えてもらわなくなったのである。今では国民みんなは『自分で考えて自分でやる』ことが好きになったから、「自分の代わりに政府に考えてもらう」のが嫌になったから、政府の指示を聞かなくなって政府に税金を払わなくなったのである。
政府は考える会社である。そのため、政府は無理をしてまちがったことばかりやっている。政府は身の程を知って自分にわからないことをやめればいい。おとなしくはっきりわかることだけやればいい。おとなしく附属会社だけを経営すればいい。そうすれば、政府は国民みんなに自分が無能であることがバレず国民みんなから税金を取って経営できたかもしれない。しかし、すでに手遅れである。今の政府は一生懸命にテレビや新聞で国民みんなに『自分が役立たずである』ことを宣伝して自分で自分の首を絞[し]めている。そのため、今の国民みんなは『政府は馬鹿だ』『政府は役立たずだ』と思って政府の指示を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府が潰れて、政府が附属会社を独立民営化させている。

[22235] 政府は無責任である。☆ h27.11.4
戦前の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて戦争をやらせた。戦後になって文化人類学が出来て『世界中の国がみんな先進国である。世界中の国が自分の道を進めばいい。日本は日本文化をやればいい』ことがわかった。政府は国民みんなにまちがったことをやらせていたことがわかった。
しかし、政府は責任を取らなかった。それは当然である。戦前は世界中のみんなが「世界中の国は先進国に従わねばならない。ヨーロッパが先進国だから、世界中の国がヨーロッパに従わねばならない」と思っていた。国民みんなも政府もそう思っていた。それなら政府が責任を取る必要はない。自分がまちがっていることを知っているのに知らんぷりをしてまちがいを犯したのなら責任を取らねばならない。しかし、自分がまちがっていることをどんなにしても知ることができずにまちがいを犯したのなら責任を取らなくていい。戦前の政府に『世界中の国が自分の道を進めばいい』ことがわかるわけがないから、政府に責任はない。国民みんなは政府にツッコミを入れることができない。
それなのに、戦後政府は“無責任”呼ばわりされていた。政府は“無責任男”と呼ばれていた。それは、政府が国民みんなに「政府がまちがったことをやっても責任を取らなくてもいい」と思わせるためである。
そのために、戦後も政府は国民にヨーロッパ文化をやらせてまちがったことをやっている。そのうち、国民に戦争をやらせるかもしれない。
しかし、本当は政府は責任を取らねばならないのである。政府が故意にまちがったことをやった場合には、あるいは政府がうっかりしてまちがったことをやった場合には、政府に責任がある。政府は自分の責任を取って国民に謝[あやま]らなければならない。
政府は国民を指導して国民に正しいことをやらせる会社である。政府は国民から税金をもらって国民に正しいことをやらせて国民を幸福にすることが仕事である。つまり、政府はただの会社である。そこらへんの民間会社と同じである。国民が政府に税金を払って政府に指示を出してもらうか、政府に税金を払わず政府に指示を出してもらわないかは国民個人の自由である。ところが、今の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせてまちがったことをやっている。政府はほかにも国民にたくさんまちがったことをやらせてまちがったことをやっている。このままでは政府に日本が潰[つぶ]される。政府はそれらの責任を取らねばならない。しかし、政府は一向[いっこう]に自分のまちがいの責任を取ろうとしない。そんなの会社ではない。仕事ではない。この世に責任を取らなくていい会社なんかない。だから、今の国民みんなは『政府は要らない』と考えて、政府の指示を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。
今は数学のゲームの理論を応用して経済学が発展しているので、そのうち誰でも経済がわかるようになる。誰でも経済がやれるようになる。今の政府は経済学がまだ十分出来ていないのをいいことにして、デタラメなことをやって日本の経済をメチャクチャにして遊んでいる。このままでは政府に日本が潰される。だから、今の国民みんなは政府にデタラメなことをやらさないために、政府に税金を払わないようにして政府を潰しているのである。
今ではいろんな分野に学問が出来ているので、国民が自分で学問を勉強すれば誰でも学問ができるようになっている。国民がいちいち政府の指導に従わなくてもよくなっている。国民にとって政府が要らなくなっている。政府は利口ぶり馬鹿なので国民にデタラメなことをやらせるだけである。だから、今では国民みんなで政府の指導を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。

[22236] 国民みんなは政府に考えてもらうよりも自分で考えたほうがいい。 h27.11.4
政府は国民を指導して国民に正しいことをやらせる団体である。政府は国民から税金をもらって国民に正しいことをやらせて国民を幸福にすることが仕事である。
国民が政府に税金を払って国民みんなを指導してもらうか、政府に税金を払わず国民みんなを指導してもらわないかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民みんなが勉強することができなくて自分で正しいことがわからなかったし、新聞やテレビがなくて政府が実際にどんな団体なのがわからなかったから、国民みんなが政府に税金を払って政府に指導してもらっていた。政府は国民みんなからたくさんお金をもらって栄えていた。
今は文明が高くなって国民みんなが勉強することができて自分で正しいことがわかるようになったし、新聞やテレビが出来て『政府がまちがったことばっかりして役に立たない』ことや『政府が大したことがない』ことや『政府が国民みんなと同じことしかわからない』ことがわかったから、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府に指導してもらわなくなった。政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
昔は国民みんなが政府に考えてもらって生きる時代だった。今は国民みんなが自分で考えて生きる時代である。今では国民みんなが政府に考えてもらうよりも自分で考えたほうがいいことがわかっている。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今では国民みんなで政府を潰しているのである。
昔は国民みんなが下から政府を見上げていた。国民みんなが政府になんでも決めてもらっていた。国民みんなが自分が政府に従うか従わないかを政府に決めてもらっていた。国民みんなが政府に「国民みんなは政府に従わねばならない」ことを決めてもらったので、国民みんなは政府に従っていた。
今は国民みんなが上から政府を見下ろしている。国民みんなが自分でなんでも決めている。国民みんなが自分で政府に従うか従わないかを決めている。国民みんなが自分で「今では国民みんなのほうが政府よりも利口だから政府に従わない」ことに決めたので、国民みんなは政府を潰[つぶ]している。
政府は利口ぶっているだけで、本当は馬鹿である。政府は従う価値がない。だから、国民みんなは政府に従うのをやめて、自分で考えることにすればいいのである。
国民が他人に頼っても他人が正しいことを考えてくれるとはかぎらない。国民が自分で考えれば正しいことが考えられる。だから、国民は自分で考えて、他人に考えてもらわなければいいのである。
政府は本来国民に正しいことをやらせなければならないのに、今の政府は国民にいいかげんなことやまちがったことをやらせている。今の政府は自分の仕事をちゃんとやっていない。それなら、国民みんなは政府に税金を払わなければいい。『政府が国民にちゃんと正しいことをやらせて、自分のまちがいの責任を取る』ようになるまでは、国民みんなは政府に税金を払わず政府に従わないことにすればいい。しかし、そもそも今では国民みんなが自分で考えて生きている。政府に従って生きていない。今では国民みんなが自分で正しいことがわかっているので、政府が国民みんなに指示することがない。国民みんなにとって政府は要らない。だから、政府が正しかろうがまちがっていようが、とにかく国民みんなは政府の指示を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。

[22237] 政府は馬鹿を相手にして儲[もう]ける商売である。☆ h27.11.4
政府は国民に指導して正しいことをやらせる団体である。政府は国民から税金をもらって国民に正しいことをやらせて国民を幸福にする団体である。
そもそも国民が政府に税金を払って政府に国民を指導してもらうか、政府に税金を払わず政府に国民を指導してもらわないかは国民個人の自由である。
昔は文明が低くて国民みんなが馬鹿だったので自分で何もわからなかったので全部政府の言いなりだった。国民みんなは政府に言われた通りになんでもかんでもやった。国民みんなは政府に自分が政府の世話になるかならないかを決めてもらっていた。政府は国民みんなに「政府に税金を払って政府に国民を指導してもらう」ことに決めたので、国民みんなは政府に言われた通りに政府に税金を払って政府に国民を指導してもらっていた。
今は文明が高くなって国民みんなが利口になって自分でなんでもわかるようになった。今では国民みんなが自分で政府の世話になるかならないかを決めることができる。テレビで見ると政府は国民にいいかげんな指導ばかりしてあまり当てにならないようである。そのため、今の国民みんなは自分で考えることにして政府の世話にならないことに決めている。今の国民みんなは政府に指導してもらわないので政府に税金を払わなくなっている。
馬鹿は自分で何もわからないので全部他人の言いなりである。昔は国民みんなが馬鹿だったので、国民みんなが政府の言いなりだったので、政府は国民みんなにお金を払えと言って国民みんなからお金を取って楽に儲[もう]けることができた。しかし、今は国民みんなが馬鹿でなくなったので、国民みんなが政府の言いなりにならないので、政府が国民みんなにお金を払えと言っても国民みんなはすんなりと政府にお金を払わないので政府は国民みんなを相手にしてボロい商売ができなくなって潰[つぶ]れている。要するに、政府は馬鹿を相手にして儲ける商売である。馬鹿は利口に弱くて、すぐに利口の言いなりになる。政府は利口ぶって馬鹿を騙[だま]して馬鹿を信用させて馬鹿にいいかげんなことを教えて馬鹿をありがたがらせて馬鹿から“教え代”を取る商売である。昔は国民みんなが馬鹿だったので政府は儲かったが、今は国民みんなが利口なので政府が儲からなくなった。この世には“馬鹿”という特殊な生き物がいる。政府は馬鹿の習性を利用して儲ける会社である。政府は馬鹿がいなければ商売にならない。今では文明が高くなって、今の世の中では馬鹿が減っているから、政府は商売ができなくなって滅んでいるのである。

[22238] 政府は大[たい]して頭がよくない。 h27.11.4
政府は国民を指導して国民に正しいことをやらせる団体である。政府は国民から税金をもらって国民に正しいことをやらせて国民を幸福にする団体である。
しかし、政府は大して頭がよくない。
昔は文明が低くて国民みんなが勉強することができなくてすごく馬鹿だったから、国民みんなと比べると政府が頭がよかったから、国民みんなが政府に従っていた。国民みんなが政府に「国民みんなは政府に税金を払って政府に従わねばならない」と言われたから、政府に税金を払って政府に従っていた。
今は文明が高くなって国民みんなが勉強することができて利口になったから、国民みんなと比べると政府が頭が差がなくなったから、国民みんなが政府に従わなくなった。国民みんなが政府に「国民みんなは政府に税金を払って政府に従わねばならない」と言われても、政府に税金を払わず政府に従わなくなった。
国民みんなが政府に従うためには、国民みんなと政府の頭の差が大事である。昔は国民みんなよりも政府が頭がよかったから、国民みんなが政府に従っていた。今では国民みんなと政府の頭の差がなくなったから、国民みんなが政府に従わなくなった。国民みんなが政府に従わなくなって、政府に税金を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れている。今では国民みんなが自分で考えるようになって、自分のことは自分でするようになっている。
今の政府は国民みんなを従わせるためにテレビに出て一生懸命に利口ぶってわけがわからない政策をやっている。政府はみっともない。政府は哀[あわ]れである。国民みんながテレビを見ると、政府の利口ぶり馬鹿がうつる。だから、国民みんなで早く政府を潰して、見苦しい見世物を見ないですむようにしないといけない。

[22239] 国民が政府の憲法を守るか守らないかは国民個人の自由である。☆ h27.11.4
今の政府は間接民主制をやっている。だから、今の政府の憲法は国民みんなが決めたことではない。政府が自分の独断で決めたことである。つまり、政府の憲法はニセモノの法律である。だから、国民が政府の憲法を守るか守らないかは国民個人の自由である。例えば、国民が納税の義務を守るか守らないかは国民個人の自由である。つまり、税金は本来は国民が自由に払えばいいのである。
政府は国民に指導して正しいことをさせる団体である。税金は政府の“指導代”である。政府は国民から税金をもらって国民に正しいことをやらせて国民を幸福にすることが仕事である。
昔は国民みんなが馬鹿だったから自分で正しいことがわからず自分で自分を幸福にできなかったから、政府に指導してもらわねばならなかった。そのために、国民みんなは政府に税金を払っていた。
しかし、今は国民みんなが利口だから自分で正しいことがわかって自分で自分を幸福にできるから、政府に指導してもらわなくてもよくなった。そのために、国民みんなは政府に税金を払わなくなった。
昔は政府のほうが国民みんなよりも正しいことがわかった。国民みんなは自分で考えるよりも政府に従うほうが幸福になれた。だから、国民みんなは政府に従って政府に税金を払った。
しかし、今では国民みんなのほうが政府よりも正しいことがわかる。国民みんなは政府に従うよりも自分で考えたほうが幸福になれる。だから、国民みんなは政府に従わず政府に税金を払わず、自分で考えればいいのである。例えば、今の政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせているが、国民みんなは自分で日本文化をやっている。今の国民みんなはすでに政府に従っていない。今の国民みんなは政府よりも自分のほうが正しいと思っているから政府に従っていないのである。一般に、今では国民みんなのほうが政府よりも正しい。文化だけでなくすべてのことに関して国民みんなのほうが政府よりも正しい。例えば、今の政府は経済政策をやっているが、政府は経済の専門家ではない。政府はデタラメに経済政策をやって(国家宗教でダジャレでやっている可能性が高い)国の経済をメチャクチャにして国民みんなを貧乏にしているだけである。養護[ようご]の子がわけがわからないことをやって周[まわ]りに迷惑をかけて独[ひと]りで喜んでいるのと同じである。国民みんなで経済政策をやったほうが国民みんながずっと儲[もう]かる。政府は正しいふりをしているだけである。政府は国民みんなよりも利口なふりをしているだけである。本当は、政府はまちがっている。政府は国民みんなよりも馬鹿である。だから、国民みんなはもっと自分に自信を持って自分で考えて自分でやることにして、政府に従わなければいいのである。政府は要らないから、政府に税金を払わなければいいのである。
今の国民みんなが政府に従うことは、利口が馬鹿に従うことである。それはまちがっている。馬鹿が利口に従わねばならないのであって、利口が馬鹿に従ってはいけない。だから、国民みんなは政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて、自分で考えねばならない。今の国民みんなにとって政府は要らない。政府は国民みんなに従っておとなしく潰[つぶ]れねばならない。

[22240] 昔はそもそも正しいことがなかった。 h27.11.5
そもそも昔は正しいことがなかった。昔は科学がなかったから、みんなが当てずっぽうでいいかげんに考えていた。近代にヨーロッパで近代科学が始まってようやく正しいことがあるようになった。戦後になって日本に科学が入ってきて、日本にも正しいことがあるようになった。
しかも、昔は国民みんなが勉強することができなかったので、国民みんなが馬鹿だった。
昔は正しいことがなかった上に、国民みんなが馬鹿だったので、国民みんなは正しいことがまったくわからなかった。政府は勉強することができて国民みんなよりも多少頭がよかったから、政府はまあまあ正しいことがわかったので、国民みんなが政府に従っていた。
今では正しいことがある上に、国民みんなが利口なので、国民みんなは正しいことがわかるようになった。おとぎ話の『ウサギとカメ』のウサギのように、政府は自分が国民みんなよりも頭がいいと思って油断して遊びまわっているので、今では国民みんなのほうが政府よりも頭がよくなっている。そのために、今では国民みんなが自分で考えるようになって政府に従わなくなっている。国民みんなは政府が要らなくなったので、政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
政府は利口ぶるが、インチキだけで百年も千年もやっていけるわけではない。政府が利口ぶっているのはどうでもいいことである。昔の国民みんなが政府に従っていたのは、本当に政府が国民みんなよりも頭がよかったからである。政府は実力で持っていたのである。物事の奥には実在がある。しかし、実力であるからこそ、現代では政府は成り立たない。現代では、国民みんなのほうが政府よりも頭がよくなったから、今では国民みんなが政府に従う意義がない。だから、今では国民みんなが自分で考えるようになって、政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいるのである。

[22241] 今の社会ではみんなが平等に頭がいい。☆☆☆ h27.11.5
昔の社会では、政府だけが勉強することができて頭がよくて、国民みんなが勉強することができなくて馬鹿だった。だから、国民みんなが政府に従った。
今の社会では、みんなが勉強することができて頭がいい。政府も国民みんなも同じように頭がいい。だから、国民みんなは政府に従わなくなった。
今の社会では自分をシンクタンクと言える者はいない。そんな恥ずかしいことは誰も言えない。冗談で言えるだけで、本気では言えない。しかし、かつてはそんな集団がいた。それが政府である。昔の社会では頭がいい者と頭が悪い者に分かれていたからそんな恥ずかしいことが堂々と言えたのである。
そういうわけで、今の社会では誰もシンクタンクがやれない。アインシュタインでもやれない。今の社会ではみんなが平等に頭がいい。だから、今の社会では政府はやっていけないのである。
今ではみんなが自分の専門分野で頭がいいだけで、何から何まで頭がいい者はいない。政府は専門分野がない。政府はみんなよりも正しいことがわからない。だから、国民みんなは政府に従わなければいいのである。国民みんなは政府に税金(指導代)を払わなければいいのである。国民が政府に従って政府に指導代を払うか政府に従わず政府に指導代を払わないかは国民個人の自由だから、国民は政府に従わず政府に指導代を払わなければいいのである。
政府は専門家の集団ではなく、ただのオッサンの集まりにすぎない。今の政府が文化人類学に疎[うと]いように、政府は経済学にも疎い。政府は自分がわからないままデタラメに経済を弄[いじ]くっているだけである。政府は自分がわからないままテキトウに経済を弄くって国の経済を悪化させる。ヤブ医者が病気がわからないまま患者の身体を弄くって病気がますます悪化するのと同じである。政府は馬鹿の集まりである。政府は取り柄[え]のない専門分野のない正しいことがわからない馬鹿の集まりである。政府は“国民を従わせる技術”が発達しているだけで、ほかのことが遅れている。政府は“国民を従わせる技術”に詳[くわ]しいだけで、ほかのことは何も知らない。政府は“国民を従わせる技術”の専門家で、文化人類学や経済学やその他の専門家ではない。政府が正しいのは“国民を従わせる技術”だけで、ほかのことは全部まちがいである。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は自分で考えるようにして、絶対に政府に従ってはいけないのである。
政府が何もやらなければ(つまり国民みんなに何もやらせなければ)国民みんなはおとなしく政府に従っている。政府が利口ぶって何かやるから国民みんなに政府が正しくないことがわかって国民みんなが政府に従わなくなるのである。政府が国民みんなを従わせるだけでなく国民みんなに何かをやらせなければならないことが政府の弱点である。政府が国民みんなを従わせるだけでは仕事にならないので、政府はどうしても国民みんなに何かをやらさねばならないのである。そのため、今では国民みんなに政府が正しくないことがバレて国民みんなが政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。
要するに、政府の仕事は『国民を従わせること』であって、「国民に正しいことをさせること」ではない。政府はいろんな手段を使って国民を従わせて国民に命令して国民からお金を取って儲[もう]ける団体である。政府にとっては国民に正しいことをさせるのは国民を従わせるための手段にすぎない。例えば、政府が戦前に国民みんなに一生懸命にヨーロッパ文化をやらせていたのは、国民みんなに「政府が正しいことをさせる団体だ」と思わせて国民みんなを信用させて国民みんなを従わせるためである。しかし、今では政府は国民みんなにまちがったことばかりやらせている。今では国民みんなが政府に従うようになったので、政府は国民みんなに正しいことをさせるのをやめてまちがったことばかりさせているのである。しかし、今では国民みんなが『政府が国民を従わせる団体であって、国民に正しいことをさせる団体ではない』ことがわかるようになって、政府に従うのをやめている。政府に税金を払うのをやめている。そのために、政府は滅んでいるのである。
昔も『政府が国民を従わせる団体である』ことを知っている国民がいた。しかし、それで国が治まればいいと思ってみんなに黙っていた。だから、政府と言うのである。政府とは政[まつりごと]つまり国民みんなを従わせることによって国を治めて平和にする団体のことである。しかし、今は国民みんなは法律を守ることによって平和に暮らしているのであって、政府に従うことによって平和に暮らしているのではない。今では政府は国民みんなにまちがったことをやらせて国民みんなを不幸にしている。今の国民みんなにとっては政府は益よりも害のほうが多い。今の国民みんなにとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。『政府が国民を従わせる団体である』ことを知っている国民がみんなに教えて国民みんなで政府を倒しているのである。

[22242] 政府は国民を従わせる団体である。☆☆☆ h27.11.5
政府(政治団体)は国民を従わせる団体である。政府はいろんな手段を使って国民を従わせて国民に命令して国民から税金を取る団体である。
馬鹿は自分で正しいことがわからないので、他人に正しいことを教えてもらわねばならないので、他人の言いなりである。
反対に、利口は自分で正しいことがわかるので、他人に正しいことを教えてもらわなくてもいいので、他人の言いなりにならない。
昔は文明が低くて国民みんなが自分で勉強することができなくて馬鹿だったので、政府は容易に国民みんなを従わせることができた。昔は国民みんなが何も考えていなくて政府についても考えていなくて政府のことが何もわからないまま政府の言いなりになっていた。政府は最初のいっとき国民みんなに正しいことをやらせて国民みんなを信用させて国民みんなを従わせて、あとは国民みんなにいいかげんなことやまちがったことをやらせてテキトウに暇を潰[つぶ]して遊んでいた。だから、中世や近代に先進国が変わった後でも政治団体は国民みんなに古い文化をやらせていたし、現代に文化人類学が出来て日本が日本文化をやればいいことがわかった後でも政治団体は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせているのである。このまま国民みんなが政府に従っているかぎり、政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせたりほかのいろんなまちがったことをやらせたりして国民みんなを不幸にし続けるのである。
しかし、今は文明が高くなって国民みんなが自分で勉強することができて利口になったので、政府はなかなか国民みんなを従わせることができなくなった。今では国民みんなが政府について考えて政府のことを理解して『政府が国民を従わせる団体である』ことがわかっている。今では国民みんなが政府に従わなくなって、政府に税金を払えと言われても払わなくなって、政府が潰れている。
国民みんなはこれまでずっと政府(政治団体)に騙[だま]されてきた。国民みんなはいいかげんで政府のことがわかって政府に騙されないようにならねばならない。これからは国民みんなは政府に騙されないようにして政府に従わないようにして政府を建てさせてはいけない。
今の政府は間接民主制をやって国民みんなが法律を決めたふりをして、じつは自分の独断で法律を決めている。本来は国民が政府に税金を払って政府に従うか政府に税金を払わず政府に従わないかは国民個人の自由なのに、政府は自分の独断で「国民はみな政府に税金を払って政府に従わねばならない」法律を決めている。つまり、今の政府は嘘[うそ]をついて国民みんなに税金を払わせて国民みんなを従わせている。政府は詐欺[さぎ]会社である。本当は国民が政府に税金を払って政府に従うか政府に税金を払わず政府に従わないかは国民個人の自由である。国民みんなは政府に税金を払って政府に従う必要はない。今の政府は国民みんなにいいかげんなことやまちがったことをやらせて国民みんなを不幸にしているだけである。たまには政府も正しいことをやるが、それは国民みんなを従わせるためであってけっして国民みんなを幸福にするためではない。政府は普段は国民みんなを不幸にして、たまに国民みんなを幸福にするだけである。今の国民みんなにとっては政府がなくなったほうがいい。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府に従わなければいいのである。今の国民みんなは政府に税金を払わず政府をなくせばいいのである。国民みんなで政府を潰して、政府の附属会社を民営化して、国民みんなが自由に暮らせるようにすればいい。
今でもヨーロッパには政府があって国民みんなが政府に従っている。しかし、それはヨーロッパの政府が国民みんなを幸福にするからである。ヨーロッパ文化の中では政治団体は国民みんなに正しいことをさせるのである。反対に、日本文化の中では政治団体が国民みんなにまちがったことをさせるのである。日本の政治団体は国民みんなを不幸にするのである。ヨーロッパ文化では馬鹿に対して優しいが、日本文化では馬鹿に対して厳しいので、ヨーロッパ文化では馬鹿でも人と見てくれるが、日本文化では馬鹿はゴミとしか見なされないので、ヨーロッパ政府は自分に騙されている国民みんなに正しいことをさせて幸福にするが、日本政府は自分に騙されている国民みんなにまちがったことをさせて不幸にするのである。(インド文化でも政府が国民みんなにまちがったことをやらせて国民みんなを不幸にする。日本もインドも知覚主義の文化である。知覚主義の文化では馬鹿は要らないゴミにすぎないのである。だから、インドでは身分制の下のヤツなんかはゴミあさりばかりやっているのである。インド政府は毎日下のヤツを殺しまくって余計なゴミを始末しているのである。反対に、ヨーロッパは五感主義の国なので、ヨーロッパではみんなが馬鹿なので、ヨーロッパ文化では馬鹿に対して優しいのである。)ヨーロッパ政府は国民みんなに正しいことばかりやらせて国民みんなを幸福にするのに、日本政府は国民みんなにまちがったことばかりやらせて国民みんなを不幸にするのである。政治団体が国民みんなを幸福にするか不幸にするかは文化によって違うのである。国によって違うのである。だから、いくらヨーロッパで政府があって国民みんなが政府に従っているからといって、日本でも政府があって国民みんなが政府に従わねばならないことはない。日本には政府がなくて国民みんなが政府に従わないほうがいい。だから、日本では国民みんなが政府を倒せばいいのである。
政府(政治団体)は詐欺団体である。政治団体はいろんなことをやって国民みんなを騙して国民みんなを従わせて国民みんなに命令して国民みんなからお金を取って儲ける団体である。今の日本は文明が進んで文明が高くなっているのだから、国民みんながいつまでも政治団体に騙されているようではいけない。国民みんなはこのへんで政治団体に騙されるのをやめねばならない。今の国民みんなは政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで日本を政治団体のない国にしないといけない。
たとえ国民みんなが政府に騙されていても、自分は政府に騙されなければいい。たとえ国民みんなが政府に従っていても、自分は政府に従わなければいい。国民みんなが政府に税金を払っていても、自分は政府に税金を払わなければいい。自分が国民みんなに正しい人間のお手本を見せてやればいい。そうすれば、国民みんなも何が正しいかがわかって、政府に騙されなくなって政府に従うのをやめるだろう。
『政府が国民みんなを騙して従わせる団体である』ことだけわかっていてもダメである。『どうして日本が戦争をやったのか?』とか『ヨーロッパ文化とは何か?』とかがわかっていないと、せっかく『政府が国民みんなを騙して従わせる団体である』ことがわかっていてもわからないことにつられていっしょにわからなくなる。戦争のことがわかっていないためにヨーロッパ文化のことがわかっていないために理解全部がガタガタになるのである。どうして日本が戦争をやったのか?とかヨーロッパ文化とは何か?とかがわかってはじめて『政府が国民みんなを騙して従わせる団体である』ことがちゃんと理解できるのである。だから、『政府が国民みんなを騙して従わせる団体である』ことがわかるためには、私が半年ぐらい前から考えたこと([21800]ぐらいから後のこと)をちゃんと順番に理解しないといけない。
国民みんなの中には政府のことに詳[くわ]しい人がいて、『政府が国民に正しいことをやらせているうちは国民は政府に従えばいいが、政府が国民にまちがったことをやらせるようになったら国民は政府に従わなければいい』ことを知っている。今では政府が国民に正しいことをやらさなくなっているから、そういう人は自分で政府に従うのをやめている。すでにたくさんの人が政府に従わなくなっている。だから、最近の政府はシケているのである。国民みんなは(私も)流行に乗り遅れてはいけない。今では政府が国民に正しいことをやらさなくなってまちがったことばかりやらせているから、国民みんなは政府に従ってもいいことがないから、国民みんなはさっさと政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。それが国民と詐欺会社との正しい付き合いかたである。詐欺会社の正しい利用のしかたである。
戦前は国民がヨーロッパ文化をやるのが正しかった。戦争をやるのが正しかった。戦前の政府は国民を指導してヨーロッパ文化や戦争をやらせていた。戦前は税金は“国民がヨーロッパ文化をやるためのお金”だった。“正しいことをやるためのお金”だった。だから、国民みんなは喜んで政府に税金を払っていた。しかし、戦後は政府は正体を現して、国民が政府に従っているのをいいことにして国民にまちがったことをやらせるようになった。戦後は税金は”政府が国民から騙し取ったお金”になった。だから、国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。
今では日本は文明国になっている。国民は利口になっている。政府は昔と同じようにはいかない。政府は今の国民を騙せない。今の国民は自分が正しいことをやるために自分が幸福になるために政府を利用しているだけである。近代は政府が国民にまじめにヨーロッパ文化をやらせていたので、国民がヨーロッパ文化をやるために政府が必要だったから政府に従っていた。現代では政府が国民にまちがったことをやらせるようになって、国民にとって政府は役に立たないから政府が用済みだから、国民は政府が要らないと思って政府に従わなくなって政府に税金をやらなくなって政府を潰しているのである。
そもそも戦前までは日本は先進国に従わねばならなかった。戦前はそういう決まりがあった。先進国では政治団体があって国民みんなが政治団体に従っていた。だから、日本でも政治団体があって国民みんなが政治団体に従わねばならなかった。国民みんなは自分が正しいことをするために政治団体に従っていただけである。国民みんなは政治団体に騙されて政治団体に従っていたのではなく、先進国に従うために政治団体に従っていただけである。昔の国民みんなはそれほど馬鹿ではなかったのである。先進国では国民みんなが馬鹿なので政治団体に騙されていた。日本では国民みんなが先進国に従うために馬鹿の真似[まね]をして政治団体に騙されているふりをしていたのである。実際には昔の国民みんながそんなに利口だったとは思えないが、そういう理屈で政府に従っていた人もけっこういたのだろう。国民みんなには馬鹿から利口までいろいろいる。みんながそれぞれの理屈で政治団体に従っていたのである。馬鹿は政治団体に騙されて政治団体に従っていたし、利口は先進国に従うために政治団体に従っていたのである。利口は国を平和に治めるために政治団体が詐欺団体であることを黙っていたのである。政治団体は国を平和に治めるための必要悪だったのである。しかし、戦後は日本は先進国に従わなくてもよくなった。日本は自分の道を進めばいいことになった。戦後の政府は詐欺団体の本領を発揮して国民みんなにいいかげんなことやまちがったことをやらせるようになった。日本文化ではみんなが正しいことをしないといけないことになっている。そのため、国民みんなは政府が要らないと考えて、政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。詐欺団体がまともに仕事をやったら詐欺団体でなくなるので、詐欺団体はまともに仕事をしないのである。詐欺団体はわざとにまちがったり失敗ばっかりやっているのである。
政府は馬鹿を騙して従わせる団体である。利口な人には政府は利[き]かない。昔は先進国に従うためや国を平和にするために利口が政府を容認していた。しかし、今は政府の存在意義がなくなって利口が政府を容認しなくなった。利口が政府に従わなくなった。利口がみんなに『政府が馬鹿を騙して従わせる団体である』ことを教えるようになった。そのために、今では国民みんなが政府に従わなくなって、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が潰れているのである。

[22243] 政府は詐欺[さぎ]会社である。☆☆☆ h27.11.6
政府は最初のいっとき国民みんなに正しいことをやらせて国民みんなを信用させて国民みんなを従わせて、国民みんなが従うようになったら国民みんなにいいかげんなことやまちがったことばかりやらせている。今の政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせたりいいかげんな経済政策をやったりしているのはそのためである。
政府は詐欺会社である。詐欺会社がまともに仕事をやったら詐欺会社ではなくなるので、政府はまともに仕事をしないのである。政府は国民みんなに正しいことをやらせずいいかげんなことやまちがったことばかりやらせるのである。
このまま国民みんなが政府に従っていたら、国民みんなは政府に不幸にされるばかりである。
政府は間接民主制をやっている。つまり、政府は国民みんなに従っているふりをして、本当は国民みんなに従っていない。政府は国民みんなの威[い]を借っていない。政府は自分の独断で命令しているだけである。だから、国民は政府に従う必要はない。政府は自分の独断で「国民は政府に税金を払わねばならない」と言っているが、本当は国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。
だから、今の国民みんなは政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。早く国民みんなで政府を倒して詐欺団体のない清潔な国にしないといけない。
政府は最初のいっとき国民みんなにとって得になることをやって(つまり政府が国民みんなを正しく指導して国民みんなにとって得になることをやらせて)国民みんなの人気を取って、国民みんなが政府に従うようになったら今度は国民みんなにとって損になることばかりやる(つまり政府が国民みんなをまちがって指導して国民みんなにとって損になることばかりやらせる)。ヤフオクやニコニコ動画やアマゾンと同じである。そもそも国民みんなが政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府はゴキブリホイホイではないから国民は自由に政府に入ったり出たりできる。政府は国民に命令を売る会社である。つまり、政府は国民を指導して国民から指導代(つまり税金)をもらって儲[もう]ける会社である。今は国民にとっては政府に従うのは損である。だから、国民みんなは政府に従うのをやめて政府に税金(指導代)を払うのをやめればいいのである。政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[22244] 政府は国民を従わせる団体である。 h27.11.6
政府は国民を従わせる団体である。政府はいろんな手段を使って国民を従わせて国民に命令してお金を取って儲[もう]ける団体である。
近代の政府は国民みんなを指導して国民みんなに正しいことをやらせて国民みんなに信用させて国民みんなを従わせていた。
今の政府は間接民主制で国民みんなを騙[だま]して国民みんなを従わせているだけである。
本当は政府は間接民主制では国民を従わせることはできない。間接民主制では政府が国民みんなに従っているふりをして、本当は国民みんなに従っていない。政府は国民みんなの威[い]を借りれない。政府は自分の独断で命令しているだけである。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
今の政府は国民みんなにまちがったことやいいかげんなことをやらせて国民みんなを不幸にしているだけである。今の国民は政府に従わなければいい。今の国民は政府に従わず政府に税金を払わなければいい。
そういうわけで、今では多くの国民が政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
政府は国民を従わせる会社である。政府の目的は国民を従わせることであって、国民を幸せにすることではない。だから、政府は国民を幸せにしない。政府は最初のいっとき国民を幸福にして国民を従わせておいて、その後で国民を不幸にするだけである。今後ずっと政府が国民を幸福にすることはない。国民が政府に従ってもなんにもならない。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民は政府に従わなければいいのである。政府に税金を払わなければいいのである。政府を潰せばいいのである。
戦前は政府が国民に正しいことをやらせていて国民が政府に従ったほうが得だったから(つまり国民が政府の指示を聞いて政府に税金を払ったほうが総合的に得だったから)、国民みんなが政府に従っていた。戦後は政府が国民に正しいことをやらさなくなって国民が政府に従ったほうが損になったから、国民みんなが政府に従わなければいいのである。そのため、今では国民みんなが政府に従わなくなって、政府に税金を払わなくなって、政府が潰れている。
 
[22245] 今では国民みんなは法律を守るようになっているので政治団体が要らない。☆☆☆ h27.11.6
政治団体は国民を従わせる団体である。
昔は文明が低かったので国民みんなが「国を平和にするためには国民みんなが一人の者に従わねばならない」と思っていたので、国民みんなが政治団体が必要だと思って政治団体に従っていた。政治団体は国民みんなが自分に従っているのをいいことにして、国民みんなにいいかげんなことやまちがったことを命令していた。
今では文明が高くなったので国民みんなが『国を平和にするためには国民みんなが法律を守ればいい』と思っているので、国民みんなが政治団体が要らないと思って政治団体に従わなくなった。
今の国民みんなは『政治団体が要らず法律会社だけがあればいい』と思っている。そのために、今の国民みんなは政治団体に従わなくなって政治団体に税金を払わなくなって政治団体を潰[つぶ]している。政治団体に法律会社を民営化させて、国民みんなが法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうことにしている。
今では文明が高くなって国民みんなが法律を勉強して法律を守って暮らすようになっている。そのために、国が平和になっている。そのために、政治団体が要らなくなっている。だから、今の国民みんなは政治団体に従わなくなって税金を払わなくなって政治団体を倒しているのである。今では政治団体がなくなって、国民みんなが政治団体に従わなくてもよくなって、国民みんなが自由に生きることができるようになっているのである。
昔と今では国民みんなの国を平和にする仕方が違う。昔は国民みんなが政治団体に従うことによって国を平和にしていた。今では国民みんなが自分で法律を守ることによって国を平和にしている。そのため、昔は国民みんなにとって政治団体が必要だったが、今では政治団体が要らなくなっている。今では国民みんなが政治団体に税金をやらなくなって政治団体を潰しているのである。
昔も今も政治団体と国民みんなの頭の出来は違わないので、昔も今も政治団体は国民にろくな命令をしなかったので、国民みんなはわざわざ政治団体の命令を聞く必要はなかった。政治団体はけっして頭がいい団体ではなかった。むしろ馬鹿の代表だった。政治団体は国民に正しい命令をして国民を幸福にするためにあったのではなく、『君が代』の歌の通り国民みんなが政治団体に従うことによって国を統一して国を平和にするためにあったのである。しかし、政治団体が国民みんなに命令しなければ、国民みんなが政治団体に従わなくなるので、政治団体はどうしても国民みんなに命令しないといけなかったのである。そのために、政治団体は形の上で国民みんなにどうでもいい命令を出していたのである。政治団体は最初のいっときは国民みんなを従わせるために一生懸命国民みんなに正しい命令を出すが、普段は国民みんなにどうでもいい命令を出していたのである。今の政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせたりまちがった経済政策をやらせたりしているのはそのためである。しかし、今では文明が高くなって国民みんなが自分で法律を勉強して法律を守って平和に暮らすようになったので、国民みんなにとっては政治団体が要らなくなった。そのために、国民みんなは政治団体に従うのをやめて政治団体にお金をやるのをやめて政治団体を潰しているのである。(政府は普段の生活の上では馬鹿ではないが、仕事の上では馬鹿なのである。政府は仕事の上ではいいかげんな命令を国民に出してもいいのである。政府は国民みんなを従わせて国を平和にすればいいだけで、国民に対する命令はデタラメでいいのである。政府とはそういう仕事なのである。)
政府は馬鹿な団体であるが悪い団体ではない。今の政府が国民にヨーロッパ文化をやらせたりいいかげんな経済政策をやらせているのは、政府が馬鹿であるためであって、政府が悪いためではない。馬鹿と悪人は違う。しかし、今では国民みんなにとっては“国民みんなが従う者”が要らない。国民みんなにとっては馬鹿が迷惑である。だから、国民みんなで早く馬鹿の政治団体をなくさねばならない。
昔も今もいつの時代でも政治団体と国民みんなは頭の出来が同じである。昔は国を平和にするために国民みんなが形の上で政治団体に従っていただけである。国民みんなが形の上で政治団体に命令してもらって政治団体の命令に従っていただけである。今では国を平和にするためには政治団体が要らなくなっている。国民みんなと政治団体は頭の出来が同じなので、国民みんなが考えても政治団体が考えても同じである。政治団体は自分が馬鹿でもいいと思って国民みんなにいいかげんな命令を出すから、国民みんなが自分で考えたほうがいい。だから、今では国民みんなが自分で考えるようになって、政治団体の命令を聞かなくなっている。国民みんなは政治団体が要らないので、政治団体に税金を払わなくなって政治団体を潰している。
つまり、政府の仕事は国民みんなを従わせることによって国を平和にすることである。それ以外のことは政府の仕事ではない。だから、政府は国民みんなに命令していいかげんなことやまちがったことをやらせるのである。政府は国民を従わせるために命令を出しているだけであって、命令の内容はどうでもいいのである。しかし、今では国民みんなが法律を守って国を平和にしている。国民みんなは国を平和にするために政府が要らない。だから、今では国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。

[22246] 社長は何のためにいるか?☆☆ h27.11.7
社長は会社をまとめるためにいる。社長は社員みんなをまとめるためにいる。
昔の人は「社員みんなが社長に従うことによって会社がまとまる」と考えていたので、会社に必ず社長を置いて社員みんなが社長に従うことによって会社を統一して会社を平和にしていた。
しかし、そのために、社長に権力(命令力)が発生して、社長が社員みんなに好き勝手な命令をして社員みんなを不幸にしていた。社長が社員みんなにわがままな命令を出して社員みんなの迷惑になっていた。社長が自分の気に入らない社員に暴力をふったり、社長が会社の儲[もう]けを独り占めして社員みんなは飢え死にしない程度の給料をもらって貧しく暮らさねばならなかった。会社の中で社長が威張[いば]って社長が社員みんなに命令して社員みんなを不幸にするのは、社員みんなが社長に従うことによって会社が平和になることの副作用だったのである。
今の人は『社員みんなが社則を勉強して社則を守って会社がまとまる』と考えている。だから、今では会社に社長は要らない。
今では会社に社長を置かなくなっている。会社の中に上の者(社員みんなが従わねばならない者)がいなくなって、社員みんなに命令する者がいなくなって、会社の中が清々[すがすが]しくなっている。
つまり、昔と今では社員みんなの会社のまとめ方が違うのである。昔は社員みんなが社長に従うことによって会社をまとめていた。昔は文明が低くて社員みんなが社則を勉強しなくて社則を守ることができなかったから、会社に社長を置いていなければ社員みんながめいめい勝手に好き放題なことをやって会社がメチャクチャになっていたから、会社に社長を置くしかなかった。しかし、今では社員みんなが社則を守ることによって会社をまとめている。今では文明が高くなって社員みんなが社則を勉強して社則を守って自由に平和に暮らしているから、会社に社長がいなくていい。だから、今では会社に必ず社則を設けて社長をなくしているのである。

[22247] 今の国民みんなには政府に従う理由がないから国民みんなは政府に従わなければいい。 h27.11.8
これまで国民みんなが政府に従ってきたのは、日本が先進国に従わねばならなかったためと日本を平和にするためである。
しかし、今では文化人類学が出来て、世界中の国が自分の道を行けばよく、日本は先進国に従わず自分の文化をやればいいことがわかっている。今では外国は関係ない。今の日本では国民みんなが法律(ただし政府が作った法律ではない)を勉強して法律を守って国を平和にするようになっている。
だから、今では国民みんなが政府に従う理由がない。だから、国民みんなは政府に従わなければいい。
これまで政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にしてきただけである。政府がほかのことで国民みんなの役に立ったことがない。政府は国民みんなにまちがった命令やいいかげんな命令をしてさんざん国民みんなを不幸にして苦しめてきた。国民みんなは政府が国を統一して平和にしているから政府を倒すのを我慢[がまん]していただけである。
国民みんながわざわざ自分がわからない理由で政府に従う必要はない。国民みんなは自分に政府に従う理由がないなら政府に従わなければいい。今の国民みんなは政府に従わず政府の命令で税金を払わず政府を倒せばいいのである。

[22248] 国民みんなが政府に従っていたのは、国民みんなが国を統一して国を平和にするためである。☆ h27.11.8
国民みんなは多数である。政府は少数である。昔は国民みんなが政府に従っていた。多数が少数に従っていた。これはおかしい。これは変である。
国民みんなが政府に従っていたのは、国民みんなが国を統一して国を平和にするためである。国民みんなは国を統一して平和にするために、国民みんなで政府を建てて国民みんなで政府に従うことにしたのである。国民みんなは自分たちが国を統一して平和にするために、自分たちから進んで政府に従っていたのである。国民みんなが政府に従っていたのは、国民みんなが平和に暮らすためである。国民みんなは自分たちのために政府に従っていたのである。国民みんなは自分たちが幸福に暮らすために政府に従っていたのである。そのために、政府に権力(命令力)が発生して政府が国民みんなにまちがった命令やデタラメな命令をしたり国民みんなに暴力をふったりして国民みんなを不幸にしたが、国民みんなは国を統一して平和にするためにじっと我慢[がまん]していたのである。国民みんなが政府に従うことによって国を平和にするのは、国を平和にするためにはあまりいい方法ではなかったのである。(先進国が替わったときには、国民みんなが先進国に従うために政治団体を政府から幕府へ、幕府から政府へ替えさせたのである。国民みんなが政治団体に従いすぎたために政治団体がすっかりわがままになって、政治団体は自分が正しいことをやらなくてもいいと思ってなかなか自分から世界情勢に従わず別の団体に替わろうとしなかったので、国民みんなが一時的に国の平和を犠牲[ぎせい]にして政治団体に従うのをやめて税金を払うのをやめて古い政治団体を潰[つぶ]して、国民みんなで新しい政治団体を建てて再び政治団体に従ったのである。例えば、幕末にはヨーロッパが先進国になっていたが、国民みんなが幕府に従いすぎたために幕府はわがままになっていたので政府に替わろうとせず坂本龍馬などを使って幕府に逆らうと殺されることを国民みんなに教えたのである。しかし、国民みんなは幕府のヤラセに騙[だま]されず幕府に従うのをやめて幕府に税金を払わなくなって幕府を倒したのである。国民みんなにとっては国を統一して平和にするよりも先進国に従うほうが大事だったので、国民みんなは国の平和を捨ててでも先進国に従ったのである。国民みんなで先進国に従うために古い政治団体を潰したのである。政治団体が国民みんなを騙[だま]して国民みんなを従わせ続けたのではない。だから、『泣いた赤鬼』のおとぎ話は嘘[うそ]である。戦前は国民みんなが戦争をやるために国民みんながこれまで以上に政府に従わねばならなかったので、国民みんなが政府の支配体制を強めるために『泣いた赤鬼』のおとぎ話を作らせたのである。)
しかし、今では国民みんなは法律を勉強して法律を守ることによって国を統一して国を平和にしている。今の国民みんなは政府に従わなくていい。今の国民みんなは政府に従う必要はない。今の国民みんなは政府が要らない。
そのため、今の国民みんなは政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
今の国民みんなは法律を勉強して法律を守って、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらえばいいのである。
つまり、政府は国民みんなに従われる団体である。国民みんなが国を統一して平和にして自分が幸福に暮らすために政府に従っていたのである。政府は国民みんなに従われることによって国を統一して国を平和にするためにあるのである。政府は国民みんなが国を統一して平和にするための道具である。国民みんなが国を平和にして自分が幸福に暮らすために自分から政府に従っているのであって、政府が国民みんなを支配するために暴力を用いて強制的に国民みんなを従わせているのではない。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民が自分で決めるのであって、政府が決めるのではない。国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。昔の国民みんなは国を平和にするためには政府に従うしかなかったから、政府に従っていた。今の国民みんなは国を平和にするために法律を勉強して法律を守るようになったから、政府に従わなくなった。今の国民みんなは政府が要らなくなったから、政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。ようやく国民みんなが政府に従わなくてもよくなって自由に暮らせるようになったのである。

[22249] 政府は国民みんなが国を統一して国を平和にするためにある。 h27.11.8
昔は国民みんなが国を統一して国を平和にするために政府(政治団体)を建てて政府に従っていた。国民みんなが政府に従えば、国民同士が争わなくなり国が平和になるのである。しかし、そのために政府に権力(命令力)が発生して、政府は国民みんなに嫌がらせの命令をしたり国民みんなに暴力をふったりした。政府は国民みんなを物のようにオモチャのように扱った。しかし、国民みんなは国を統一して平和にするために政府のわがままを我慢[がまん]していた。
今では国民みんなが国を統一して平和にするために法律(国民が社会生活を円滑にするために守るべき決まり)を勉強して法律を守っている。そのために、国民みんなは政府が要らなくなっている。そのために、今の国民みんなは政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。(法律は人間が社会で暮らすために守らねばならない決まりである。交通法規が人間が道路で自動車を運転するために守らねばならない決まりであるのと同じである。法律を勉強するのも交通法規を勉強するのも同じである。)
昔と今では国民みんなが国を平和にする方法が違う。昔は国民みんなが政府に従っていた。今は国民みんなが法律を守っている。文明が進んで国民みんなが暇が出来て勉強することができるようになったから、国民みんなが法律を勉強して法律を守れるようになったのだ。そのために、国民みんなが政府が要らなくなって、政府を潰している。
国民みんなが政府に従うのは国民みんなが自分で決めてやったことである。だから、国民みんなが政府に従うか従わないかは国民みんなが自分で決めればいいのである。今では国民みんなが法律を守って国を平和にしているから国民みんなは政府に従わなくていい。だから、今では国民みんなが政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。国民みんなが政府に従わないことにすれば、政府が国民みんなに何を命令しても無駄[むだ]である。今の政府は国民みんなに何も命令できなくなって国民みんなから税金を取れなくなって潰れているのである。
今では法律があって国民みんなは法律を守って平和に暮らしている。そのために、政府の役目がなくなって国民みんなにとって政府が何のためにあるのかわからなくなっている。政府がただ国民の嫌がらせをしているだけである。そのために、国民みんなは政府についてさまざまな誤解をしている。本来政府は国民みんなが従って国を平和にする団体である。政府の仕事は国を平和にすることである。しかし、今では国民みんなが自分で法律を守って平和に暮らしているから、政府の用がなくなっている。国民みんなにとってはもはや政府は要らない。だから、国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府をなくせばいいのである。
そもそも国民みんなが政府に従うのは国を統一して国を平和にするためである。しかし、今では国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にしている。だから、今の国民みんなは政府に従う必要がない。今の国民みんなは政府に従わなくていい。今の国民みんなは政府の命令を聞かなくていい。国民みんなは政府の命令を聞かず政府に税金を払えと言われても政府に税金を払わず政府を潰せばいい。
大阪で勉強するといえば値切ることである。国民みんなが法律を勉強すれば法律を守れるようになる。国民みんなが政府に従わなくてもよくなって政府が要らなくなって政府がなくなる。政府がなくなると政府が国民みんなに命令しなくなって国民から税金を取らなくなる。国民は政府に余計なお金を取られず安く暮らせる。だから、勉強することが値切ることなのである。今では多くの国民が政府が要らないと考えて政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっている。だから、国民みんなが政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府をなくせばいいのである。
中世は法律がない時代だった。現代は法律がある時代である。近代は法律がない時代から法律がある時代への過渡期だった。近代の国民みんなは新しい時代が来るのを予感していた。今の国民みんなにとっては法律がある。だから、国民みんなは政府に従うのをやめて政府を倒せばいい。国民みんなは法律を勉強して法律を守って、法律会社と契約してお金をやって法律の仕事をやってもらえばいい。

[22250] 税金は政府が国民みんなのためになることをするためのお金ではない。☆ h27.11.9
昔は国民みんなが国を統一して平和にするために政府(政治団体)を建てて政府に従っていた。政府は国民みんなが自分に従っているのをいいことにして、国民みんなに好き放題に命令していた。国民みんなに暴力をふっていた。国民みんなが政府に従うために、政府は国民みんなに命令している。国民みんなが政府に従うためには、政府が国民みんなに命令しないといけない。だから、政府が国民みんなに命令するのは政府の仕事なのである。政府が国民みんなに好き放題に命令したり国民みんなに暴力をふったりするのは、政府の仕事なのである。
税金は政府が国民みんなが政府に従っているのをいいことにして国民みんなに命令して取っているお金である。税金は政府の小遣[こづか]いである。遊び代である。そもそも税金は政府が国民みんなのために使うお金ではない。政府は国民みんなが政府に従うことによって国を統一して国を平和にする団体であって、国民みんなからお金を取ってそのお金で国民みんなのためになることをする団体ではない。近代の政府は国民みんなに政府を信用させるために国民みんなから取った税金の一部を使って付属会社を経営していたけれども、もともと税金は政府にとっては自分のお金である。税金は政府が国を平和にしている報酬であって、政府が国民みんなのためになることをするためのお金ではない。そもそも税金は政府が国を平和にしている報酬だから、政府のお金だから、税金は政府が自分のために使うお金であって国民みんなのために使うお金ではない。政府は機嫌[きげん]がいいときは税金の一部を使って国民みんなのためになることをするが、機嫌が悪いときはしない。今では国民みんなが政府に従わなくなって政府が機嫌が悪いから、政府は税金を使って国民みんなのためになることをしないのである。(政府は自分のポケットマネーを使って国民みんなのためになることをする。政府は自分のお金(つまり給料)を国民みんなのために使っている。だから、政府は偉い。/『北風と太陽』のおとぎ話のように、政府が国民みんなを従わせるためには国民みんなを虐[いじ]めるだけではなく、ときには国民みんなを喜ばせることもしないといけない。だから、近代の政府は一生懸命に国民みんなが喜ぶことをしたのである。反対に、現代の政府は国民みんなが嫌がることをしている。政治団体は新しく出来たときにいっとき国民みんなが喜ぶことをして、ふだんは国民みんなが嫌がることをするだけである。政府は国民みんなが喜ぶことをやったり嫌がることをやったりして国民みんなを支配して(国民みんなを従わせて)国を統一して国を平和にして国民みんなを幸福にする団体である。政府の仕事は国を統一して国を平和にして国民みんなを幸福にするために、国民みんなを喜ばせたり嫌がらせたりして国民みんなを支配することである。昔の国民みんなは政府(政治団体)が国を統一して国を平和にして自分たちを幸福にしてくれるから、政府が国民みんなを喜ばせたり嫌がらせたりして国民みんなを支配するのを許していたのである。)
今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を統一して平和にしている。国民みんなは政府に従わなくなって、政府の命令を無視している。そのために、政府は国民みんなに命令して税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
今では政府が潰れているから、国民みんなは政府の税金を当てにできない。国民みんなは自分たちでお金を集めて事業をしないといけない。
要するに、政府は国民みんなが従って国を平和にする団体であって、それ以外に国民みんなの役に立つことをする団体ではない。税金は政府が国を平和にした報酬であって、政府が国民みんなの役に立つことをするためのお金ではない。しかし、今では国民みんなは法律を守って国を平和にしているのであって政府に従って国を平和にしているのではない。だから、今では国民みんなは政府に国を平和にした報酬を払う必要はない。だから、今では国民みんなは政府に税金を払わなくなって、政府が潰れているのである。
政府の仕事は国民みんなに命令して国民みんなを従わせて国を統一して平和にすることであって、国民みんなから税金を集めて国民みんなのために役に立つことをすることではない(だから、“ガキの使いやあらへんで”と言うのである。つまり、政府は国を平和にすること以外には国民みんなの役に立つことをする団体ではない)。政府が国民みんなにまちがったことやデタラメなことばかり命令するのはそのためである。政府は国民みんなに命令して国民みんなを従わせて国を平和にすればいいだけだから、命令の内容はデタラメなのである。政府は国を平和にして国民みんなを幸福にすればいいだけだから、政府はその他のことではさんざん国民みんなを不幸にするのである。しかし、今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を統一して平和にしているのであって、政府に従って平和にしているのではない。今の政府は仕事をしていない。今の政府は役立たずである。税金は“平和代”(政府が国を平和にする代金)である。つまり、税金は政府が国を平和にしたことに対する国民みんなが払う代金である。だから、国民みんなは政府に税金を払わず政府を潰せばいい。

[22251] 政府は国民みんなを支配して国を平和にする団体である。 h27.11.9
政府は国民みんなを支配して国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなを支配するために国民みんなに嫌なことを命令したり国民みんなに暴力をふったりする。国民みんなは国を平和にするために政府が嫌なことをするのを我慢[がまん]してきた。
しかし、今では文明が進んで国民みんなが法律を勉強することができるようになって法律を守っている。国民みんなが法律を守って国を平和にしている。国民みんなにとっては政府が要らなくなっている。そのため、今では国民みんなは政府が嫌なことをするのを我慢しなくなって政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
昔と今では国民みんなが国を平和にするやり方が違う。昔は国民みんなが政府に従うことによって国を平和にしていた。しかし、そのために政府が権力(命令力)を持ってしまって、政府が国民みんなを好き放題にしていた。政府が国民みんなに命令して重い税を取ったり国民みんなの嫌がらせをしたり国民みんなに暴力をふったりしていた。今は国民みんなが法律を守ることによって国を平和にしている。そのために、国民みんなが政府が要らなくなって政府を倒しているのである。
昔は国民みんなが国を平和にするために政府に従っていた。そのために、政府が国民がすることを全部決めていた。国民は自分で自分がすることを何も決められず全部政府に従っていた。国民は政府が命令を聞けと言ったので命令を聞いていた。国民は政府が税金を払えと言ったので税金を払っていた。反対に、今では国民みんなが国を平和にするために法律を守って政府に従っていない。そのために、政府は国民がすることを何も決められなくなった。今の国民は自分で自分がすることを全部決めればいい。だから、今の国民みんなは政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わなければいいである。

[22252] 社長は何のためにいるか? h27.11.9
社長の仕事は社員みんなを支配して社員みんなを従わせて会社を統一して会社を平和にすることである。
社長は社員みんなを支配するために社員みんなに嫌なことを命令したり社員みんなに暴力をふったりする。社員みんなは会社を統一して会社を平和にするために社長がどんなことをしても我慢[がまん]している。
これまでは社員みんなが会社を平和にするために社長にいやいや従ってきた。しかし、今では社員みんなは社則を勉強して社則を守ることによって会社を平和にしている。今の社員みんなにとっては社長が要らなくなっている。そのために、社員みんなは社長に従わなくなって社長の命令を聞かなくなって社長を会社から追い出している。今では社長は役に立たない。社長に用はない。だから、社員みんなで社長をなくしているのである。
昔は社員みんなは会社を平和にするために社長に従っていた。しかし、そのために、社長が権力(命令力)を持ってしまって、社長が社員を自分の好き放題にしていた。社長が会社の儲[もう]けを独り占めして社員みんなに飢え死にしない程度の給料しかくれなかった。社長が自分のウサ晴らしのために自分が気に入らない社員を虐[いじ]めて殺していた。今は社員みんなが会社を平和にするために社則を勉強して社則を守っている。そのために、社員みんなが社長に従わなくなって、社長が権力を失っている。社員みんなは社長が要らなくなって社長を会社から追い出している。
昔は社員みんなが会社を平和にするために社長に従っていたから、社長が必要だった。しかし、今では社員みんなは会社を平和にするために社則を守っているから社長に従わないから、社長が要らない。今の会社には社長は要らない。だから、社員みんなで社長を会社から追い出して社長をなくせばいいのである。

[22253] 国際連合は何のためにあるか? h27.11.9
国際連合は世界中のみんなを支配して世界中のみんなを従わせて世界を統一して世界を平和にするためにある。
しかし、国際連合は世界中のみんなを支配するために世界中のみんなに嫌なことをさせたり世界中のみんなに暴力をふったりする。国際連合は表では善い団体のふりをしているが、裏では世界中のみんなを支配するためにいろんな悪いことをやっているのである。
昔は世界中のみんなが世界を平和にするために国際連合に従っていた。しかし、そのために、国際連合が権力(命令力)を持ってしまって、世界中のみんなを自分の好き放題にしていた。世界中のみんなは国際連合に不幸にされていた。世界中のみんなは世界を平和にするために、どんなに国際連合に不幸にされても我慢[がまん]していた。
今では世界中のみんなが世界を平和にするために“世界法”を勉強して世界法を守っている。今では世界中のみんなが世界を平和にするために国際連合に従わなくなっている。今では世界中のみんなにとって国際連合が要らなくなっている。そのために、世界中のみんなは国際連合に従わなくなって国際連合にお金をやらなくなって国際連合を倒しているのである。

[22254] 宗教団体とは何か? h27.11.9
宗教団体は国民みんなを支配して国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。
宗教団体は国民みんなを支配するために国民みんなに嫌なことをさせたり国民みんなに暴力をふったりする。
宗教団体は国民みんなを支配するために国民みんなに“神(つまりキリストやブッダなどのある特定の人間)の思想”に則[のっと]ったことを命令して国民みんなを嫌がらせる。たまには国民みんなを喜ばせることもある。
政治団体は国民みんなを支配するために国民みんなに“ある特定の国の文化”に則ったことを命令して国民みんなを嫌がらせる。たまには国民みんなを喜ばせることもある。
昔は国民みんなが宗教団体に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。しかし、そのために宗教団体が権力(命令力)を持つことになって、宗教団体が国民みんなに好き放題に命令して国民みんなに嫌なことを命令して国民みんなが不幸にされていた。しかし、今は国民みんなが“倫理学(道徳や哲学)”を勉強することによって国を統一して国を平和にしている。国民みんなが宗教団体に従うことによって国を平和にしなくなっている。国民みんなが国を平和にするために宗教団体に従わなくなっている。そのために、宗教団体が権力を失って、宗教団体が国民みんなに命令できなくなって宗教団体が国民みんなからお金を取れなくなって滅んでいる。
つまり、宗教団体とは国民みんなに命令して国民みんなに“神の思想”をやらせて国民みんなを支配して国を統一して国を平和にする団体である。政治団体が国民みんなに命令して国民みんなに“国の文化”をやらせて国民みんなを支配して国を統一して国を平和にするのと同じである。今では国民みんなが自分で倫理学を勉強するようになったから、宗教団体に従わなくなったから、宗教団体が滅んだのである。神が死んだのである。
要するに、宗教団体も政治団体も国民みんなに命令して国民みんなを支配して国を統一して国を平和にする団体である。宗教団体は神の思想に因[ちな]んだ命令を出して、政治団体は国の文化に因んだ命令を出す。宗教団体と政治団体は国民みんなに出す命令の種類が少し違うだけである。宗教団体と政治団体は国民みんなを支配するための手段がちょっと違うだけで、国民みんなを支配して国を統一して国を平和にすることは同じなのである。しかし、今では文明が進んで国民みんなが法律や道徳を勉強するようになって法律や道徳を守って暮らすようになって、政治団体や宗教団体に従わなくなっている。そのために、政治団体や宗教団体が国民みんなに命令して国民みんなからお金を取れなくなって滅んでいるのである。

[22255] 暴力団とは何か? h27.11.9
暴力団は国民みんなに“暴力”をふって国民みんなを支配して国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。つまり、暴力団は軍事政権の団体である。暴力団は暴力で国民みんなを怖がらせて国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体なのである。つまり、暴力団は昔の時代の警察(法律会社)なのである。そもそも暴力団も警察も国を平和にするためにあるのである。宗教団体や政治団体が国民みんなに命令して国民みんなに神に因んだことや国の文化に因[ちな]んだことをやらせて国民みんなを支配して国を統一して国を平和にするのと同じである。だから、世界には暴力団が国を支配して国を治めている国もあるのである。(h27.11.20追加:暴力団はけっして悪の犯罪組織ではない。テレビの刑事ドラマでやっているのは嘘[うそ]である。政府は国民に自分を悪の犯罪組織だと思わせるために、テレビの刑事ドラマで嘘をやらせているのである。政府は国民に自分を権力団体だと思わせないために自分の正体を隠すために、刑事ドラマでまちがいを流させているのである。)
昔は国民みんなが国を統一して国を平和にするために暴力団に暴力をふられていた。国民みんなは国を平和にするためにいくら暴力団に暴力をふられても我慢[がまん]していた。
しかし、今では国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を平和にしている。今では国民みんなは暴力団に暴力をふられて国を平和にしていない。今の国民みんなにとっては暴力団が要らなくなっている。そのために、今では国民みんなは暴力団に暴力をふられなくなって、いくら暴力団に暴力をふられてもお金をやらなくなって、暴力団を倒して暴力団を社会から追放しているのである。
つまり、昔は国民みんなが国を統一して国を平和にするために特定の団体に従っていた。政治団体はある国の文化に因んだ命令を出して国民みんなを従わせていた。宗教団体はある特定の人物の思想に因んだ命令を出して国民みんなを従わせていた。暴力団は暴力で拳[こぶし]にものを言わせて国民みんなを従わせていた。政治団体や宗教団体や暴力団は国民みんなを従わせる手段が違うだけで、国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にするのは同じである。つまり、政治団体も宗教団体も暴力団もすべて国民みんなを従わせて国を平和にする団体である。政治団体と宗教団体と暴力団は国民みんなを従わせて国を平和にする手段が違うだけである。しかし、今では国民みんなは国を統一して国を平和にするために法律や道徳を勉強して法律や道徳を守っている。今では国民みんなは国を統一して国を平和にするために政治団体や宗教団体や暴力団に従わなくなっている。今の国民みんなにとっては政治団体や宗教団体や暴力団が要らなくなっている。そのために、今の国民みんなは政治団体や宗教団体や暴力団に従わなくなって政治団体や宗教団体や暴力団の命令を聞かなくなって政治団体や宗教団体や暴力団にお金をやらなくなって政治団体や宗教団体や暴力団を潰[つぶ]しているのである。いつの時代でもどこの国でも国を決めるのは国民みんなであって国民みんなの考え方であって政治団体や宗教団体や暴力団ではないのである。

[22256] “国民みんなを従わせて国を平和にする団体”にとっては国民みんなを従わせる方法が大事である。 h27.11.9
いつの時代でも国民みんなにとっては平和が大事である。
そのため、昔は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体がいくつかあった。
その中で、政府はヨーロッパ文化に因[ちな]んだ命令を国民みんなに出して国民みんなを従わせたので、政府は国民みんなに大ウケして日本を代表する“国民みんなを従わせて国を平和にする団体”になったのである。
宗教団体や暴力団は日本では国民みんなにあまりウケなかったので、政府ほど大きな団体にはなれなかったのである。
“国民みんなを従わせて国を平和にする団体”といっても国民みんなにとってはなんでもいいわけではない。“国民みんなを従わせて国を平和にする団体”が大きくなるためには、国民みんなを従わせる方法が国民みんなにウケることが大事なのである。“国民みんなを従わせて国を平和にする団体”の中でも、日本政府は国民みんなにヨーロッパ文化の命令を出して国民みんなにウケたから成功して国民全員が従う団体になったのである。だから、おとぎ話の『浦島太郎』の歌では、“浦島太郎が助けたカメに連れられて竜宮城に来てみたら、絵にも描けない美しさ♪”、つまり日本政府がヨーロッパ文化の国家宗教(神≒カメ)を国民みんなにやらせたのが国民みんなに大ヒットして日本政府が国民全員が従う大きな団体に成長したことになっているのである。(日本では国民みんなが先進国に従うのがすごく好きなので、先進国が替わると国民みんなで政治団体に従うのをやめて政治団体を倒して別の政治団体を建てさせてまで先進国に従おうとするのである。先進国が替わってしまうと、国民みんなにとっては政治団体はそこらへんの怪しい宗教団体や暴力団と変わらない。国民みんなは政治団体に従う気持ちがなくなって政治団体に従うのをやめる。だから、政治団体が潰[つぶ]れるのである。今では日本にとっては先進国がヨーロッパから日本自身に替わっている。それなのに、政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせている。そのため、今の日本では国民みんなが政府に従わなくなって政府を倒しているのである(今では国民みんなが特定の団体に従って国を平和にするのが古臭いからでもある)。ヨーロッパでは国民みんなはふだんは自分の国の文化をやらせる政府に従っているが、自分の文化をやりすぎて国がうまく行かなくなると異文化を取り入れるためにキリストの教えをやらせるキリスト教会に従う。)
昔は国民みんながある特定の団体に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。しかし、今では国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にしている。国民みんなが国を平和にするためにある特定の団体に従うと、その団体が権力(命令力)を持って国民みんなに好き勝手な命令をして国民みんなを不幸にするので、国民みんなは国を平和にするためにある特定の団体に従わないほうがいい。今の国民みんなにとっては“国民みんなを従わせて国を平和にする団体”は要らない。そのため、今では国民みんなが政府に従わなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。

[22257] 今の国民みんなにとっては政府に従う意義がない。 h27.11.10
政府は国民みんなに命令して国民みんなにヨーロッパ文化をやらせて国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせながら国民みんなを従わせて国を平和にする団体である。政府は一石二鳥である。
つまり、国民みんなが政府に従うのは、国を平和にするためとヨーロッパに従うためである。
しかし、今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にしている。今では文化人類学が出来て世界中の国が先進国であることになって、日本は日本自身に従わねばならないことになっている。
だから、国民みんなが政府に従う意義がない。今の政府は国民みんなに好き勝手な命令をして国民みんなを不幸にしているだけである。
したがって、国民みんなは政府に従わなければいい。
そういうわけで、今の日本では国民みんなが政府に従うのをやめている。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府が潰[つぶ]れてなくなっている。
今の政府は間接民主制をやっていて、国民みんなに従っているふりをしてじつは従っていない。だから、国民は政府に従う義務はない。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。もしも、国民がある宗教団体に従っていて、あとでその宗教団体に従っても自分が幸福になれないことがわかったら、国民はその宗教団体に従うのをやめる。今では国民が政府に従っても国民が幸福になれないことがわかっている。今の政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせているので国民みんなの心を満足していないし、国を平和にする機能が法律に奪われてなくなっているから、国民が政府に従っても国民は幸福になれない。だから、今では国民が政府に従うのをやめればいいのである。
政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせる団体だが、いいかげんに国民みんなにヨーロッパ文化をやらせているだけである。たいてい国家宗教のダジャレでどうでもいいことをやらせてお茶を濁[にご]しているだけである。だから、政府の主な働きは国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にすることである。ヨーロッパ文化をやらせることはオマケにすぎない。政府にとっても自分が国民みんなに命令を出して国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にすることが大事であって命令の細かい内容はどうでもいい命令が正しいかまちがっているかもどうでもいいと思っているから、ヨーロッパ文化をやらせることは政府にとってはどうでもいいことだから、政府はいいかげんに国民みんなにヨーロッパ文化をやらせているにすぎないのである。政府は国民みんなをからかうつもりで見え透いたことをやってテキトウに国民みんなにヨーロッパ文化をやらせているだけなのである。だから、たとえ先進国が替わっても政府にとっては先進国がどうなろうがどうでもいいことだから、政府は気にせずにそのまま国民みんなに古い文化をやらせ続けるのである。今の政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせ続けているのもそのためである。政府の仕事は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にすることであって、国民みんなに先進国の文化をやらせることはない。政府は国民みんなに先進国の文化をやらせることに乗り気でない。だから、先進国が替わっても政府はわざわざ別の団体に変わったりしないのである。政府は国民みんなに自分が潰されるのをじっと待っているのである。政府の本当の仕事は国民みんなを従わせて国を平和にすることである。しかし、今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を平和にしている。今では政府には働きはない。だから、国民みんなが政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。国民の多くはすでにそうしているから、政府がかなり潰[つぶ]れているのである。
『今では政府の機能がなくなっている(『北斗の拳』“お前はすでに死んでいる”)から、国民みんなは政府に従うのをやめて政府を倒す』のが正しい。しかし、国民の多くはまだそのことがわからず政府に従ったままである。だから、そのことを国民みんなにわからせればいい。そうすることができた者が国民みんなを正しく導いて日本を救ったことになるのである。

[22258] どうして政府は国民みんなが嫌がることをするのか?☆☆ h27.11.10
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌な命令を出す。政府が国民みんなを従わせるために国民みんなを喜ばせていると国民みんなが「政府と自分が平等だ」「政府は国民みんなに従って国民みんなが喜ぶことをする」と思って政府に従わなくなるから、政府は国民みんなを従わせるために国民みんなを嫌がらせるのである。政府が国民みんなが喜ぶことをするのは政治団体が新しく建ったいっときだけである。政治団体が最初から国民みんなが嫌がることをすると国民みんなが政府に寄ってこないから、政府が国民みんなを従わせられないから、政府は最初は国民みんなが喜ぶことをして国民みんなが政府に寄って来るようにするのである(童謡『ほたるこい♪』)。政府は国民みんなを寄って来させてから、だんだん国民みんなが嫌がることをやって国民みんなを政府に従わせるのである。そのため、近代の政府は一生懸命に国民みんなが喜ぶことをやっていたが、今の政府は国民みんなが嫌がることをやって国民みんなを不幸にしているのである。この先政府はずっと国民みんなが嫌がることをやって国民みんなを不幸にし続けるだけである。今では国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を平和にするようになっている。今の国民みんなにとっては政府が要らない。だから、国民みんなは政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
(私はこんなことがわかるのに約10年もかかった。理系は人の心に疎[うと]いなあ。だから、理系は文系に騙[だま]されて文系に従わされて文系にこき使われるのだ。理系が汗水流して働いて、文系が遊んで暮らしているのだ。これからの理系は人の心についても詳[くわ]しくないといけない。文系は他人を従わせることしか能がない役立たずだ。まさに文系は自分が他人の役に立たないことによって他人を従わせているのだ。文系は自分が他人の役に立つことをせず自分が他人に従わないことによって他人を従わせているのだ。文系は馬鹿だから他人を従わせられるのだ。文系は自分が他人の役に立つことをしないことによって食っているのだ。文系はそんな変な連中なのだ。文系は人間の心理を利用して食べているのだ。早く役立たずの文系を会社から追放して会社を明るくしないといけない。/国民みんなの中には文系の人もいっぱいいる。文系の人は人の心に詳[くわ]しいから政府は国民みんなを騙せない。だから、国民みんなは政府に騙されて政府に従わされているのではない。国民みんなは自分が平和に暮らしたいから政府に従っているのである。)

[22259] 政府は国民みんなを幸福にするためにある。 h27.11.10
政府(政治団体)は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にするのである。政府にとって“国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする”のは仕事である。政府にとっては国民みんなは客である。政府は国民みんなのためにある。政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にして国民みんなを幸福にする団体なのである。
政府は国民みんなを幸福にするために、国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にするために、国民みんなが嫌がることをやっているのである。そもそも政府は国民みんなを幸福にするためにあるのだから、政府は国民みんなの幸福を第一にしないといけない。
人間は正しいことに従わねばならない。政府も国民もみんなが正しいことに従わねばならない。
『今では国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にして幸福に暮らしている。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、国民みんなは政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。政府はおとなしく国民みんなに倒されねばならないのである。』『国民みんなが政府に従うことによって国を統一して国を平和にすると、政府が国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌がることをして国民みんなが不幸にされる。一方、国民みんなが法律を勉強して法律を守ることによって国を統一して国を平和にすると、国民みんなは不幸にされない。国民みんなが幸福であるためには政府に従うことによって国を統一して国を平和にするよりも、法律を勉強して法律を守ることによって国を統一して国を平和にしたほうがいい。だから、今の国民みんなはそうすればいい。政府もそれを認めておとなしく滅べばいい。』
だから、今の国民はそうすればいいのである。国民がそうするのが正しいから、政府は国民に文句が言えない。政府はおとなしく国民みんなに倒されるしかない。国民みんなも国民に文句が言えない。国民みんなはおとなしく国民が政府に従わないのを認めるしかない。

[22260] どうして政府は自分で別の団体に変わらないのか?☆ h27.11.10
政府(政治団体)は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。
人間は正しいことに従わねばならない。国民も政府も正しいことに従わねばならない。
昔は『世界中の国が先進国に従わねばならない』という決まりがあった。
古代はヨーロッパが先進国だったから、政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせるのが正しかった。
しかし、中世になってローマ帝国が滅亡して先進国がヨーロッパからアジアに替わった。それなのに、政府はすぐに先進国に従わすしばらくそのまま国民みんなにヨーロッパ文化をやらせ続けた。それは、政府が大きい団体であるためにすぐには変われないからである。国民個人は小さいからすぐに別の文化をやれるが、政府は大きい団体だからすぐに別の文化をやらせる団体に変われないから、しばらくの間古い文化をやらせていたのである。政治団体は計画を立てて百年ぐらい時間をかけてじょじょに別の団体に変わって行ったのである。政府が変わるのがあまりにも遅かったために、国民みんなの眼には「政府が自分で別の団体に変わらない」ように見えたのである。小国はすぐに先進国に従うが、大国は大きいためになかなか変われないから先進国に従うのが遅れるのと同じことである。(つまり、大国も先進国に従う。例えば、中世のヨーロッパはアジアに従っていた。今では中国やインドもヨーロッパに従っている。ただ、大国は図体が大きいから小国よりも先進国に従うまでに時間がかかるのである。)物理学の『慣性の法則』と同じである。図体[ずうたい]の大きい物は外から力が働いてもすぐには状態が変われないのである。政府が別の団体に変わるのがあまりにも遅いので、国民みんなは「政府が別の団体に変わる気がない」と思って政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府が滅んだ。(浦島太郎が玉手箱を開けて死んだ。つまり、政府が付属会社を民営化して滅んだ。)しばらくは日本に政治団体がなかった。その後でようやく幕府に変わって再び国民みんなが従うようになった。
近代になってヨーロッパが復活して先進国がアジアからヨーロッパに替わった。国民みんなはすぐにヨーロッパ文化に変わった。幕府は遅れてのろのろと政府に変わった。幕府が政府に変わるのがあまりにも遅いので、国民みんなは幕府に従わなくなって幕府がいったん滅んでしまった。その後で政府が建って国民みんなは政府に従うようになった。
現代になって文化人類学が出来て先進国がヨーロッパから世界中の国になった。国民みんなはすぐに日本文化に変わった。政府は遅れて日本文化をやらせる団体に変わっている。今の政府(政治団体)はゆっくりとヨーロッパ文化をやらせる団体から日本文化をやらせる団体に変わっているのである。眼で見てもほとんど変わっていないが、じつは変わっているのである。生物の進化や大陸の移動と同じことである。
しかし、今では国民みんなは政治団体に従うことによって国を統一して国を平和にしているのではなく、法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にしている。今の国民みんなにとってはもはや政治団体は要らない。今の国民みんなは政治団体に従わない。だから、たとえ政府が今後遅れて“日本文化をやらせる団体”に変わっても、国民みんなはそんな団体には従わない。今の政府はだんだんなくなっていくだけだ。政府は変わりながら滅んでいくだけだ。

[22261] 政府は国民から税金を取る会社である。☆ h27.11.10
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌がることをする。国民みんなが不幸になることをする。
世界中の政府がそういう団体である。
ヨーロッパでは政府はいろんな付属会社を経営して国民みんなの役に立つことをやって自分が国民みんなを嫌がらせることをしていることを隠している。政府はみんなの前では国民みんなと平等にして国民みんなが喜ぶことをする団体のふりをして、裏では国民みんなが嫌がることをやって国民みんなを従わせている。
インドでは政府は堂々と国民みんなの眼の前で国民みんなを嫌がらせている。政府は国民みんなが見ている前で国民みんなを虐待したり国民みんなを殺したりする。政府は身分制を設けて国民支配を強めている。
中国では政府はふだんは国民みんなが喜ぶことをするが、ときどき嫌がることをして国民みんなを従わせている。
昔は法律がなかったから、国民みんなは国を平和にするために政府に従っていた。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌がることをして国民みんなを不幸にしていた。(大昔の日本各地にいた豪族も政府みたいな人である。昔は県が国だった。昔は国と国の間でつまり県と県の間でしょっちゅう戦争をやっていた。豪族は国民(つまり県民)みんなを従わせて国を統一して国を平和にする人だったのである。豪族は根は善い人だったが、国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことを命令したり国民みんなに暴力をふったりして国民みんなを不幸にしていたのである。)
今は法律があるから、国民みんなは国を平和にするために法律を勉強して法律を守って政府に従わなくなった。国民みんなが政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいる。
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国を平和にすること以外にも国民みんなの役に立つことをする。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに命令して国民みんなから取った税金で民間会社ではできないことをやったりする。しかし、政府は国民みんなを従わせるために国民みんなを嫌がらせて国民みんなを不幸にする。
しかし、今では文化人類学が出来て世界中の国が自分の道を行けばいいことになっている。国民みんなは自分の国の文化をやればいいことになっている。国民みんなは自分の心を肯定すればいいことになっている。だから、国の事業は民間会社がすべてやればいい。国の事業は国民みんながやりたいことをやればよく、国民みんながやりたくないことをやらなければいい。政府が国民みんなから取った税金でわざわざ国民みんながやりたくないことをやらなくてもいい。
そういうわけで、今の国民みんなは『税金制がないほうがいい』と考えている。今の政府は取り柄[え]がなくなって国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。(民間会社がやれないことで国民みんなの役に立つことはない。国民みんなの役に立つことなら全部民間会社がやれる。国民みんなは国民みんなの役に立つことならなんでも民間会社にやってもらえばいい。国民みんなは民間会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。国民みんなは国民みんなの役に立つことをわざわざ政府に税金制を定めてもらってやってもらわなくてもいい。そんなことをしたら、政府は国民みんなからお金だけ取って何も仕事をせずに遊んで暮らすだけである。国民みんなで役立たずの会社を建てただけである。だから、政府が国民みんなから税金を取って国民みんなの役に立つことをする会社なら、国民みんなにとって政府は要らないのである。そもそも税金制は政府が国民みんなの役に立つことをするためにあるのではなく、政府が国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にするためにあるのである。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに命令して国民みんなが嫌がることをさせねばならないので、政府は国民みんなを嫌がらせるために国民みんなに命令して国民みんなから税金を取っているのである。政府は国民から税金を取ったついでに、国民の役に立つことや役に立たないことをテキトウにやっているのである。昔の国民みんなが国を平和にするために政治団体に従っていたために、税金などという余計なものが出来てしまったのである。余計な政治団体のせいで余計な税金制が出来たのだ。そもそも政府は国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌がることをしないといけないので、政府が国民みんなから取った税金であまり国民みんなの役に立つことをして国民みんなを喜ばせると国民みんなが「政府が国民みんなに従う団体だ」と思って政府が国民みんなにナメられて国民みんなが政府に従わなくなるので、政府は税金であまり国民みんなの役に立つことをしないのである。つまり、政府は国民みんなから税金を取って国民みんなの役に立つことをする団体ではないのである([22268]参照)。政府が国民みんなに「国民みんなのために何かいいことをやるからお金を出せ」と言っても国民みんなは政府にお金をやるわけがない。その程度のことでは国民みんなにとっては動機が弱いから、政府は国民みんなから税金を取れない。だから、政府は国民から税金を取っていいことをする団体ではないのである。昔は銀行がなくて国民がお金を借りられなかったので、政府しかお金を持っていなかったので、政府は国民みんなから取った税金が余っていたので、政府が全部の会社を建てていた。政府が全部の会社を経営していた。今は銀行があって国民がお金を借りられるので、国民が自分で会社を建てられるようになった。国民が会社を経営している。だから、今では民間会社が国民みんなの役に立つことをやればいいのである。国民みんなでお金を出し合って国民みんなの役に立つことをする会社を建てればいいのである。/政府は国民みんなを指導して国民みんなに正しいことをやらせて国民みんなを幸福にする団体ではない。政府も国民みんなも頭の出来は同じだから、国民みんなにわからなくて政府にわかることはないから、政府がわかることなら国民みんなもわかるから、政府が国民みんなを指導して国民みんなに正しいことをやらせることはできない。国民みんなが自分で考えて正しいことをやればいいだけである。そもそも政府は国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌がることを命令しているのだから、政府が国民みんなに正しいことを指導して国民みんなを幸福にするわけがない。政府があまり国民みんなを喜ばせると国民みんなが「国民みんなのほうが政府よりも偉い」と思って国民みんながつけあがって政府に従わなくなるので、政府はあまり国民みんなが喜ぶことをさせないのである。政府は国民みんなにまちがったことを指導して国民みんなを不幸にするだけである。例えば、政府の政策なんかは国民みんなにとって何の役にも立たない。国民みんなが自分で国策を考えてやったほうがマシである。政府は国の景気をよくすると国民みんなにナメられるので、国を不景気にしかしないのである。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなの幸福の邪魔[じゃま]をするだけである。(日本テレビの科学番組『特命リサーチ200X』で「飼い主がペットを甘やかしすぎるとペットが「自分が人間よりも偉い」と思うようになってわがままになるからいけない」という話があった。政府にとっては国民がペットである。政府は国民を飼い慣らして言いなりにする術[すべ]をよく知っているのである。)つまり、政府はもともと国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体にすぎないのである。政府は国民みんなから税金を取って国民みんなの役に立つことをする団体でないし、国民みんなを指導して国民みんなに正しいことをさせて国民みんなを幸福にする団体でもない。)
今の国民みんなは自分がやりたいことをやっていない。自分の本当の心を満足していない。科学技術で実現できることが実現される。例えば、今ではテレビやコンピューターが実現されている。そのために、国民みんなは流行を追うために科学技術で実現されたことをやって自分がやりたいことを正直にやっていない。国民みんなは眼先で新しいことをやって自分の心を満足することをやっていない。人間は自分の心を満足して幸福に生きるべきである。人間は科学技術で作られた物を使うために生きているのではない。科学は人間が欲しくない物を作る。科学は人間の心を満足しない物を作る。だから、国民みんなは科学に振り回されずに、自分の心をよく知って自分が幸福になることをしないといけない。

[22262] 今の政府は国民の誤解によって生き残っている。 h27.11.10
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに命令して取った税金で民間会社ができない事業をやっている。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことをやらせたり国民みんなに暴力をふったりして国民みんなを不幸にする。
しかし、今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にしている。今では国民みんなが自分の国の文化をやって自分の心を満足して、民間会社が国民みんながやりたいことをやってやりたくないことをやらなくなっている。
今では国民みんなにとって政府が要らなくなっている。政府は間接民主制をやっている。つまり、政府は国民みんなに従っているふりをして、じつは従っていない。政府は自分の独断で国民に命令しているだけである。政府は国民みんなの威を借りていない。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の勝手である。そのために、今では国民の多くが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
今の政府は国民が「悪い団体だ」と思っているから生き残っているだけである。「政府が悪い団体だ」と思っている国民が政府に従って政府の命令を聞いて税金を払ったり悪いことをやったりしている。
しかし、政府は本当は善い団体である。だからこそ、政府は国民みんなにとって要らなくなって滅んでいるのである。
今の政府は国民の誤解で生き残っている。国民の誤解が政府の支えである。国民みんなは早く政府を正しく理解して政府に従わなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒さねばならない。
人間は正しいことに従う。国民も政府もみんなが正しいことに従う。今では国民みんなが法律を勉強して法律を守ることによって国を統一して国を平和にするようになって、国民みんなが政治団体に従うことによって国を統一して国を平和にしなくなっている。今の国民みんなにとっては政府が要らなくなっている。今では国民みんなが自分の文化をやって自分の心を満足して、民間会社が国民みんながやりたいことをやってやりたくないことをやらなくなっている。政府は国民から取った税金で国民みんながやりたくないことをやっている。今の国民みんなにとっては政府が要らなくなっている。だから、今では政府は自分で滅んでいる。政府は図体[ずうたい]が大きいからすぐには変われないから正しいことに逆らってふてぶてしく生き残っているように見えるが、じつは正しいことに従って自分で滅んでいるのである。政府は眼に見えないぐらいのゆっくりのろのろとしたスピードで滅んでいるのである。しかし、今の国民みんなが政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒すほうが早い。そのため、今では政府が自分で倒れる前に国民みんなが政府を倒しているのである。政府が建ったまま国民みんなは政府を倒しているのである。
今の政府は『自分が国民みんなにとって要らない』と思って自分で滅んでいる。ゆっくり滅んでいる。だから、国民が政府を倒しても政府は国民に文句を言わない。だから、国民は政府を怖がらずに政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。

[22263] 昔は自分が平和に暮らしたい者が政府に従っていた。 h27.11.10
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。【政府学の原理】政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに命令して国民みんなが嫌がることをさせたり国民みんなに暴力をふったりして国民みんなを不幸にする。
そもそも国民と政治団体は平等である。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔は国民全員が自分が平和に暮らしたいから、国民全員が政府に従っていた。国民全員が政府に従って国を統一して国を平和にしていた。たとえ政府が国民を虐[いじ]めても、国民は『政府が国を平和にするためだ』と思って我慢[がまん]していた。
しかし、今は国民全員が法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にしている。だから、国民全員が政府に従う必要がなくなっている。政府は無用の長物になっている。
そのため、今では国民の多くが政府に従わなくなっている。
今では政府を誤解している者が政府に従っているだけである。早く国民みんなが政府を正しく理解して政府に従うのをやめねばならない。
政府は国民みんなを従わせて国を平和にする団体である。昔は国民みんなが国を平和にするために政府に従っていた。国民みんなが国を平和にするために政府の命令をなんでも聞いて政府に虐待されていた。国民みんなが政府の好き放題にされていた。政府が上の者で国民みんなが下の者だった。人間が不平等になった。国民みんなは平和のために平等を犠牲[ぎせい]にしていた。昔はそうでもしなければ平和にならなかった。昔は平等のために平和が犠牲になっていた。国民みんなが平等だと国民みんなが争って平和がなかった。国民みんなは平等と平和のどちらかを選ばなければならなかった。国民みんなは平和を選んで平等を捨てたのである。
しかし、今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を平和にしている。今は国民みんなが国を平和にするために政府に従わなくていい。国民みんなにとって政府が要らないから、国民みんなが政府を倒していい。国民みんなは平和のために平等を犠牲にしなくていい。今では平和と平等が共存できる。

[22264] 国民は政府に「自分が政府に従わねばならない」と思わされているだけである。 h27.11.10
宗教団体は最初は甘い言葉で国民を誘[さそ]って宗教団体に従わせて、ひとたび国民が宗教団体に従うようになると今度は国民に命令して嫌なことをやらせたり暴力をふったりしてますます宗教団体に従わせる。しかし、そもそもは国民と宗教団体は平等である。国民が宗教団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は宗教団体に虐[いじ]められて「自分が宗教団体に従わねばならない」と思わされているだけである。今では国民が法律を守って国を平和にするようになっているし、国民が道徳を勉強して幸福に暮らせるようになっているから、国民にとって宗教団体は要らない。だから、国民は宗教団体に従うのをやめて、宗教団体と関わらなければいいのである。それと同じように、政府は最初は国民みんなに甘いことばかりやって国民みんなに美味[おい]しい思いをさせて、ひとたび国民みんなが政府に従うようになると国民に命令して嫌なことをさせたり暴力をふったりしてますます政府に従わせる。しかし、そもそも国民と政府は平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は政府に虐められて「自分が政府に従わねばならない」と思わされているだけである。今では国民が法律を守って国を平和にしているし、国民が自分でいろんなことを勉強して正しいことがわかって国民みんなの役に立つことがやれるようになっているから、国民にとって政府は要らない。国民が宗教団体に従うか従わないかが国民個人の自由であるように、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。近代の日本では国民全員が平和に暮らしたかったから、国民全員が政府に従っただけである。本当は、国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。“全員”に意味はない。他人が政府に従っているからといって、自分も政府に従わねばならないことはない。大勢の国民が政府に従っているからといって、自分も政府に従わねばならないことはない。国民が政府に従うか従わないかは、国民が他人にかまわず自分ひとりで勝手に決めればいいのである。だから、国民は他人が政府に従っていようがいまいがおかまいなしに自分が政府に従うのをやめて、政府と縁を切ればいいのである。

[22265] 今では国民が政府に従おうが従うまいがどうでもよくなっている。 h27.11.10
政府は国民が従うことによって国を平和にする団体である。
昔は国民が政府に従うことによって国を平和にしていた。だから、国民は自分が平和が欲しければ政府に従わねばならなかった。国民みんなが平和が欲しかったから、国民みんながいっしょになかよく政府に従っていた。
今では国民みんなが法律を守って国を平和にしている。今では政府の役目はない。国民が政府に従おうが従うまいがどうでもいい。国民が政府に従うと政府に虐[いじ]められて不幸にされる。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
そういうわけで、今では多くの国民が政府に従わなくなっている。政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府のことがわかっていない国民が政府に従っているだけである。早く国民みんなが政府のことがわかって政府に従うのをやめねばならない。
今では政府のことがわかっている国民が政府のことがわかっていない国民に政府のことを教えている。そのため、国民みんなが政府のことがわかるようになって政府に従わなくなって政府を倒している。一方、政府は自分で滅んでいるが、図体[ずうたい]が大きいのでいまだに大部分が残っている。国民みんなは政府の倒し甲斐[がい]があるので喜んでいる。

[22266] 国民みんなが政府の命令を聞いても不幸になるだけである。 h27.11.11
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに命令して嫌なことをやらせたり国民みんなに暴力をふったりして国民みんなを不幸にする。
だから、今の政府が国民みんなに命令してやらせていることは政府が国民みんなを従わせるためであって、それ以上の意義はないのである。今の政府が国民みんなに嫌なことを命令しているのは政府が国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にするためであって、それ以外の目的がないのである。例えば、今の政府が国民みんなに命令して国民みんなから税金を取っているのは、国民みんなを政府に従わせて国を平和にするためであって、それだけなのである。
今の国民みんなが政府の命令を真[ま]に受けて聞いているのがおかしいのである。政府は国を統一して国を平和にするために国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことを命令しているだけだから([22258]参照)、国民みんながいくら一生懸命に政府の命令を聞いても国民みんなはちっとも幸福になれず不幸になるだけである。だから、国民みんなが政府の命令を聞いても国が平和になること以外には国民みんなは幸福になることがないのである。政府は国民みんなを従わせるために命令を出しているだけだから、国民みんなが政府の命令を聞いても国が平和になるだけで善いことが何もないのである。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌がる命令を出しているから、国民みんなが政府の命令を聞けば聞くほど国民みんなは不幸になるのである。政府は国民みんなに間接民主制やヨーロッパ文化の命令を出している。間接民主制では政府が国民みんなに従うふりをしてじつは従っていなくて政府は自分の独断で自分の好き放題に国民みんなに命令を出しているだけだから、政府は間接民主制で国民みんなが嫌がる命令を出せる。日本人とヨーロッパ人は心がだいぶ違うからヨーロッパ文化には日本人が嫌なことが多いから、政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせると政府が国民みんなを嫌がらせることになる。政府の命令は国民みんなを嫌がらせることばかりである。だから、国民みんなが政府の命令を聞くと国民みんなが不幸になるのである。
今では国民みんなは法律を勉強して法律を守ることによって国を統一して国を平和にしている。だから、国民みんなはわざわざ政府の命令を聞いて政府に従うことによって国を統一して国を平和にしなくてもいい。国民みんなは政府の命令を聞く必要がない。国民みんなは政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。

[22267] 今の国民みんなは政府が役に立たなくなったので政府を倒している。 h27.11.11
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府の仕事は国を平和にすることである。
政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに国民みんなが嫌がることをする。政府が国民みんなに国民みんなが喜ぶことをすると、国民みんなが「政府と国民みんなは平等だ」「政府は国民みんなに従って国民みんなが喜ぶことをする」「政府は国民みんなに従う団体だ」と思って国民みんなが政府に従わなくなるので、政府は国民みんなに国民みんなが嫌がることをするのである。政府は国民みんなに嫌なことを命令したり暴力をふったりするのである。(もっとも、政府が国民みんなが喜ぶことをすることもある。政府は国民みんなを勧誘[かんゆう]するために最初のいっときだけ国民みんなが喜ぶことをする。それからあとは政府は国民みんなが嫌がることをするだけである。近代の日本は政府の勧誘の時代だった。現代の日本は政府の虐待の時代である。つまり、政治団体は“飴[あめ]と鞭[むち]”を使って国民みんなを従わせて国を平和にする。飴が勧誘で鞭が虐待である。政治団体は最初に国民に飴をくれるだけで、その後は国民を鞭で打つだけである。)
政府は国民みんなに国民みんなが嫌がることを命令するので、国民みんなが政府の命令を聞くと不幸になる。政府は国民が嫌がることをして国民みんなを不幸にする団体である。
政府は国を平和にすることで国民みんなの役に立つだけで、それ以外には国民みんなの役に立たない。
国民みんなは政府に虐[いじ]められて「自分が政府に従わねばならない」と思わされて政府に従っていたのではない。国民みんなは国を平和にするために政府に従っていたのである。昔の国民みんなは政府に従う以外には国を平和にする方法がなかったし、国民みんなにとっては平和はすごく大事だったので、国民みんなはいくら政府に不幸にされても我慢[がまん]するしかなかったのである。
しかし、今では国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を平和にしている。(今ではテレビが出来て、国民みんながテレビを見るようになって、国民みんなはテレビのニュース番組や刑事ドラマを見て法意識が高くなって法律を守るようになっている。)今の国民は国を平和にするために政府に従わなくていい。今では政府は国民みんなの弱み(国の平和)を握[にぎ]っていない。国民みんなはいくらでも政府を倒せる。そのため、今の国民は政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。今では政府のことがわかっていない国民が政府に従っているだけである。そのため、政府のことがわかっている国民が政府のことがわかっていない国民に政府のことを教えている。今では国民みんなが政府のことがわかって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。

[22268] 今では法律があるので政府は要らない。☆ h27.11.11
国民みんなにとっては昔も今も平和が大事である。平和が命の次に大事である。
昔は法律がなかったので、国民みんなは政府(政治団体、幕府も含む)に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。国民みんなは政府の命令を何でも聞くことによって、政府に暴力をふられることによって国を平和にしていた。政府が国民みんなを自分の好き放題にして国民みんなを不幸にしていた。国民みんなは国を平和にするためにはしかたがないと思って政府の好き放題を我慢[がまん]していた。政府は国民みんなから取った税金でちょっとだけ国民みんなの役に立つことをやった。(政府があまり国民みんなの役に立つことをしすぎると、国民みんなが「政府は国民みんなに従う団体だ」と思って政府に従わなくなるので、政府はちょっとだけしか国民みんなの役に立つことをしなかったのである。)
しかし、今では法律があるので、国民みんなは法律を守って国を統一して国を平和にしている。今の国民みんなはわざわざ政府に従うことによって国を統一して国を平和にしなくていい。今の国民みんなにとっては政府は要らない。国民みんなはもはや政府の好き放題を我慢しなくていい。
そのため、今では国民みんなが政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
今では政府のことがわかっていない者が政府に従っているだけである。政府のことがわかっている者が政府のことがわかっていない者に政府のことを教えている。今では国民みんなが政府のことがわかるようになって政府に従わなくなって政府を倒している。

[22269] 政府は国民が平和に暮らすためにある。 h27.11.11
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国を平和にする団体である。
国民と政府は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔は国民みんなは平和が欲しかったから自分から政府に従っていた。国民みんなは平和に暮らしたかったから自分のほうから喜んで政府に従った。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことをしたが、国民みんなは自分が平和に暮らすために我慢[がまん]していた。
しかし、今は国民みんなは法律を勉強して法律を守って国を統一して国を平和にするようになった。国民みんなが政府に従って国を平和にしなくてもよくなった。国民みんなが政府が要らなくなった。
そのため、今では国民みんなは政府に従うのをやめている。国民みんなは政府の命令を無視して政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。

[22270] 神とは何か? h27.11.11
ニーチェは「神は死んだ」と言った。
神が死んだとは、国民みんなが宗教団体に従わなくなったことである。
国民みんなが宗教団体に従わなくなったのは、国民みんなが政治団体(政府)に従うようになったからである。
ニーチェは「やつらが神を殺したのだ」と言っているが、“やつら”とは政治団体のことなのである。けっしてユダヤ人や科学のことではない。
宗教団体や政治団体にとっては国民みんなは客なので、宗教団体と政治団体で客の取り合いをしているのである。
中世にはヨーロッパが衰退して国民みんながアジア文化をやるために国民みんなが宗教団体に従っていたが、近代になるとヨーロッパが復活して国民みんなが自分の文化をやるために政治団体に従うようになったので、国民みんなが宗教団体に従わなくなったのである。
つまり、ヨーロッパ人にとって神とはアジア文化のことなのである。キリストとはアジア文化の代名詞なのである。中世にはヨーロッパ人がヨーロッパ文化をやりすぎてヨーロッパが滅びかけていた。ヨーロッパ文化では悪いことをやってもいいので、ヨーロッパが滅びかけていたのである。そのために、ヨーロッパ人は積極的にアジア文化を受け入れていた。アジア文化では悪いことをやってはいけないので、ヨーロッパ人はアジア文化を受け入れることによって悪いことをやらなくなって国が甦[よみがえ]った。“困ったときの神頼み”とはよく言ったものである。キリストの前の神であるモーゼは奴隷[どれい]を解放したが、アジアには奴隷制がないから、やはりモーゼもアジア文化の象徴である。いくら神がアジア文化の象徴だと言っても、ヨーロッパ人にとっては中東人が耐えられる限界なので、キリストもモーゼも中東の人なのである。日本人にとっては神とはヨーロッパ文化のことだが、日本人がキリストの代わりに日本人の神武天皇を神にしているのと同じことである。
ニーチェは近代になって国民みんなが政治団体に従うようになって宗教団体に従わなくなって、神が死んだからキリストが死んだから、キリストに替わる新しい神つまりアジア文化の象徴としてツァラトストラを作ったのである。だから、『ツラトストラはかく語りき』にはアジア文化が述べられているのである。ツァラトストラがアジア文化を語っているのである。
ニーチェは若いころギリシアの古典文学を研究している最中に『神がアジア文化の象徴である』ことに気づいたのだろう。
反対に、日本では天皇が神とされている。天皇はヨーロッパ文化の象徴である。天皇はいつも脂[あぶら]っこいものを食べて眼で見るだけで頭で考えないようにして馬鹿をやっている。一般に、神とは異文化の象徴なのである。(ヨーロッパ人は日本人を醜[みにく]いと言っているが、日本人はヨーロッパ人を馬鹿だと言っている。馬鹿は眼で見えないから他人にバレにくいから、ヨーロッパ人はいい気になっているだけだ。欠点があるのはお互い様だ。実在に適応している点では日本人のほうが上だ。本当に幸福なのは日本人のほうだ。)
宗教団体や政治団体や暴力団は“権力団体”と呼ばれている。権力団体とは神の思想や国の文化に因[ちな]んだ命令を出したり暴力をふったりして国民みんなを従わせて国民みんなを統一して国民みんなの争いを鎮[しず]めて国を平和にする団体である。昔は国民みんなが権力団体に従うことによって国を平和にしていた。権力団体は国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことをした。しかし、今では国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を平和にしている。今では国民みんなにとって権力団体が要らなくなっている。そのため、今では国民みんなが権力団体に従わなくなって権力団体にお金をやらなくなって権力団体を潰[つぶ]している。
どの権力団体が人気が出るかは国によって違う。日本では先進国の文化に因[ちな]んだことを国民みんなにやらせる政治団体が人気が出て国民みんなが従う団体になった。まかりまちがえば暴力をふって国民みんなを従わせる暴力団に人気が出て国民みんなが従っていたかもしれない。人気が出るためにはただの権力団体ではダメでひと工夫が必要である。ただのソケットは売れないが二又ソケットなら売れるのと同じである。ただの鉛筆では売れないが消しゴム付き鉛筆なら売れるのと同じである。日本政府は権力団体に先進国の文化を咬[か]ませたから国民みんなに売れたのである。日本人は宗教よりも暴力よりも先進国の文化に興味があったから日本政府が売れたのである。国民みんなにとっては権力団体は国を平和にしてくれるのはありがたいがどれでも国民みんなを虐[いじ]めて嫌なものだから、ちょっとでも国民みんなにとって面白いものを選んだのである。日本人は先進国に従わねばならない意識が強いから権力団体もそういうものを選んだのだろう。宗教団体や暴力団は先進国によらずにやっていけるが、政治団体は先進国によらねばならない。日本人は先進国に従うのが好きだから、権力団体の中でも政治団体を選んだのだ。しかし、今では国民みんなには法律があるから国民みんなは権力団体は要らない。権力団体は古い。権力団体は国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことをして国民みんなを不幸にするから国民みんなにとって迷惑である。そのため、今では国民みんなが権力団体を社会からなくしているのである。(私が中学1年生のとき高知市旭[あさひ]にあった“みその学舎(別名、久武[ひさたけ]塾)”という学習塾に週に2回通っていた。そのおかげで私は中学2年生のとき私立高知学芸中学高等学校に編入することができた。塾の最後の日に塾長が友達を連れてきて「ムリムラムダの3ムの追放」という話をしてもらった。話は勉強のコツについての話だったが、政治団体と宗教団体と暴力団の3つの要らない団体を社会から追放しようという話なのは明らかである。そのときに塾長の友達がはっきりと『今では国民みんなが法律を守っているから権力団体が要らない』ことを話してくれたらこのように社会科の苦手な私がしょっちゅうまちがいをしながら長い時間をかけて考える必要はなかった。私はすぐに仕事に就いて働いて親に迷惑をかけることもなかった。“国民みんなが政府に従うことによって国を平和にする方法”が今日的[こんにちてき]には合理的な方法ではないのでなかなかわからなかったのである。世の中には政府のことがわかっている人はたくさんいるが、はっきり話す人はめったにいない。男なら言いたいことをはっきり言え!女みたいに隠しながら話すな!/私が高知学芸高校の2〜3年生のころ、同級生の男子2名が授業中にしょっちゅう「弱肩[じゃっけん]」「ゴリラ」と言い合っていた。2人は「野球の試合のとき、お前の肩の力が弱くて外野から投げたボールがホームに届かなかったために試合に負けた」「お前の顔がゴリラに似ている」ことを言い合っていると言っていたが、『今の政府が権力(命令力)が弱まっている』ことを言っているのは明らかである。『今では国民みんなが国を平和にするために法律を守るようになって政府に従わなくなっているから、政府が国民みんなに命令できなくなっている』から、今では政府(ゴリラ)の権力が弱くなっている(弱権)のである。事実よりも理由を説明して欲しかったなあ。そうしてくれたら私はそのときすぐに政府に権力がなくなっていることを理解できただろう。/塾長の友達や同級生の男子2人が隠しながら言っていたのは、みんなに「政府に権力がある」と思わせるためである。政府のヤラセである。政府のまわし者である。本気で『今の国民みんなは法律を守っているから権力団体が要らない』『政府に権力がない』ことを言いたければはっきり話せばいい。ちゃんと理由をつけてみんなにわかるように論理的に話せばいい。それをわざわざ隠しながら言ったり単語を並べて言ったりしてみんなにわからない言い方で言うのは「今の政府に権力がある」とみんなに思わせるためである。「国民が政府にとって都合の悪いことを言うと政府に殺される」とみんなに思わせるためである。そいつらは政府に反対しているふりをしてじつは賛成しているのである。今でも政府を支持する者がいる。国民みんなが政府に従っているほうが都合がいい者が政府を支持している。特殊な仕事に就いている人は国民みんなが政府に従う社会のほうが得になるから政府を支持している。自分が幸福になれなくて国民みんなを不幸にしたい者が政府を支持しているのである。政府が政府を支持する者に命令してみんなの前でいろんなことをしゃべらせてみんなを政府に従わせようとしているのである。(文学者には現実の中で幸福になれなくて自殺する者が多いから、マンガ家なんかは自分が幸福になれなくて国民みんなを不幸にしたくて政府を支持している者が多いのかもしれない。文学者は現実逃避しているから幸福になれないのである。人間は現実の中で生きている。文学者は現実を知ろうとせず現実の中で幸福になろうとしないから幸福になれないのだ。文学者は顔ではニコニコしているが、心の中では自分が幸福になれなくていつも泣いているのだ。他人を道連れにして地獄に行きたいと思っているのだ。文学者はくだらない馬鹿だ。)そういうふうに誤解されたくなければ、わざわざ隠しながら話すな!単語を並べて話すな!自分でもわかっていないことを他人に言うな!)
昔は政治団体も宗教団体も暴力団もすべて国を平和にするためにあった。国民みんなは国を平和にするために自分から進んで政治団体や宗教団体や暴力団に従った。だから、政治団体や宗教団体や暴力団が景気がよかった。しかし、今は国民みんなが自分で法律を守って国を平和にしている。今では国民みんなにとっては政治団体や宗教団体や暴力団が要らなくなった。そのために、今では政治団体や宗教団体や暴力団が景気が悪くなって潰れてなくなっているのである。
国民みんなが法律を守るようになったために国が平和になっただけではない。今ではテレビやゲームなどいろんな娯楽が出来て国民みんなが平和なことをして遊ぶようになったから悪いことをしなくなって他人と争わなくなって社会が平和になったのだ。今では悪いことをするよりもテレビを見たりゲームをしたりするほうが楽しいから、みんなが悪いことをするのをやめたのである。今ではテレビやゲームの世界で悪いことがやれるようになったから、現実の世界では悪いことをしなくなったのだ。今では国民みんなが悪いことをするのがつまらなくて馬鹿らしくなったから、国民みんなが悪いことをするのをやめて善いことをして平和に暮らすようになったのだ。
そもそも昔は文明が低くて生活が貧しくて食べていくのがやっとだったから、みんなが自分が生きていくために他人を殺して他人の物を奪ったりしなければならなかったから国が平和ではなかった。しかし、今は文明が高くなって生活が豊かになって食べ物を捨てるようになったから、みんなが自分が生きていくために他人を殺して他人の物を奪う必要がなくなったから国が平和になったのだ。今ではいろんなことで国が平和になっている。法律があれば十分だ。政治団体や宗教団体や暴力団の出番はない。

[22271] 国民みんなは政府に従うよりも法律を守るほうがいい。 h27.11.12
国民みんなが国を統一して国を平和にするためには、2つの方法がある。ひとつは政府に従うことであり、もうひとつは法律を勉強して法律を守ることである。
国民みんなが政府に従うか法律を勉強して法律を守るかは、国民みんなの自由である。
国民みんなが政府に従うと、政府が国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことをして国民みんなを不幸にする。政府に高い税金を取られる。
国民みんなが法律を勉強して法律を守ると、政府が要らないから政府に不幸にされない。国民みんなが法律を勉強するためにはテレビでニュース番組を見ていればいいだけである。テレビでニュース番組を見るのは只[ただ]である。
だから、国民みんなにとっては政府に従うよりも法律を守るほうがいい。
そのため、今では国民みんなが政府に従わなくなって法律を守るようになっている。政府は国民みんなに命令できなくなって国民みんなから税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
昔は国民みんなが国を平和にするためには政府に従う方法しかなかった。そのために、国民みんなが政府に不幸な目にあわされていた。今では国民みんなが国を平和にするために法律を守る方法がある。そのために、今では国民みんなが政府に不幸にされずに幸福に暮らしている。国民みんなでお金を出して法律会社を建てて(つまり、国民の有志[ゆうし]が銀行からお金を借りて法律会社を建てて)、国民みんなが法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って仕事をやってもらえばいい。
法律とは人間が円滑に社会生活をするための決まりである。国民みんなが政府に従って、政府が国民みんなを支配するために国民みんなが嫌がることをして国民みんなを不幸にすると社会生活がうまく行かなくなる。反対に、国民みんなが法律を勉強して法律を守ると、国民みんなが政府に従わなくなって政府がなくなって国民みんなが不幸にされなくなって社会生活がうまく行く。だから、今の時代の法律は『国民が法律を守って政府に従わない』ことである。『国民が政府の命令で政府に税金を払うのではなく、国民が法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらう』ことである。だから、今の国民みんなは今の時代の法律を守ってそうすればいいのである。政府の法律は「国民みんなが政府に従っている社会」における法律である。政府の法律は「昔の法律がない社会」における法律である。政府の法律は、法律がない時代から法律がある時代への過渡期の法律である。『国民みんなが政府に従っていない社会』における法律が“本当の法律”である。『今の法律がある社会』における法律が“本当の法律”である。これからの法律がある時代の法律が“本当の法律”である。国民みんなは政府の法律を守らず、“本当の法律”を守ればいいのである。(政府の法律は「昔の文化人類学がない時代」の法律である。政府の法律は「日本がヨーロッパに従わねばならなかった時代」の法律である。『今の文化人類学がある時代』の法律が“本当の法律”である。『日本が日本自身に従う時代』の法律が“本当の法律”である。今の国民みんなは政府の法律を守らず“本当の法律”を守ればいいのである。今の国民みんなは国家宗教をやらず、悪いことをやらず善いことをやって、眼で見て頭で考えて心で思えばいい。国民みんなは眼で見ることをする暇があったら頭で考えて正しいことをわからねばならない。人間は正しいことを理解して正しいことに従わねばならない。女は男ほど頭で考える才能がないから正しいことがわからない。だから、昔から女は男に従ったのである。子供は大人ほど経験や勉強がないから正しいことがわからない。だから、昔から子供は大人に従ったのである。今では人間がみな平等になっているが、まちがっている。最小限の人権を守るだけにとどめて、平等を広げすぎてはいけない。女は男に口出しできない。子供は大人に口出しできない。)
国民と政府(政治団体)の関係は不平等である。国民と法律会社の関係は平等である。国民は政府の命令を聞かねばならないが、国民は法律会社の命令を聞かなくてもいい。国民は政府に税金を払わねばならないが、国民は法律会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。だから、今度法律会社が建ったら、国民は法律会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
法律の原理は『人間がみな平等である』ことにある。『人間がみな平等である』から、人間は他人を殺したり他人の物を取ったりしてはいけないのである。『人間がみな平等である』から、人間は他人の命令を聞かず、自分が認めたときだけ他人の命令を聞けばいいのである。つまり、他人と契約すればいいのである。もともとは国民と政府(政治団体)も平等である。国民は自分の意思で政府に従っているのであり、もともとは国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由なのである。昔は法律がなかったから、国民は国を平和にするために政府に従うしかなかった。国民は自分が平和に暮らしたかったから政府に従った。今は法律があるから、国民は国を平和にするために法律を守ればいい。今では国民が法律を守れば国が平和になるから、国民は政府に従わなければいい。だから、今では国民みんなが政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。
政府は国民に従ってもらいたいが、国民は自分が幸福に暮らしたい。いくら今の政府が国民に従って欲しくても、国民みんなは政府に従うのが嫌である。双方の意思が一致しない。だから、政府は国民に従ってもらえない。国民は政府に従わない。今の国民は法律を守って暮らしたい。だから、今の国民は法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。国民は法律会社にお金を払って法律の仕事をして欲しい。法律会社は国民に法律の仕事をしてお金をもらいたい。双方の意思が一致している。だから、国民は法律会社と契約して法律会社にお金を払って仕事をやってもらえばいい。法律会社は国民と契約して国民に仕事をしてお金をもらえばいい。
もともと国民と法律会社は平等である。国民は自分が平和が欲しいから法律会社と契約するのである。国民は自分が平和に暮らしたいから法律会社にお金をやって法律の仕事をしてもらうのである。国民が法律会社と契約するかしないかは国民個人の自由である。法律会社が国民から税金を取ることは、法律会社が国民に契約を強要することになるからサービスを押し売りすることになるからやってはいけない。法律会社は必ず国民一人一人と契約を取って仕事をしてお金をもらわねばならない。法律会社が国民から税金を取ると、法律会社が国民よりも上であることになって『人間がみな平等である』ことに反するからいけないのである。法律会社はいろんな手を使っていろんな屁理屈をこねて国民みんなに税金を認めさせようとするかもしれない。国民みんなが税金を認めると、国民による法律会社に対する牽制[けんせい]が利かなくなって法律会社がわがままになって法律会社が自分の独断でいろんな好き勝手な法律を作って国民みんなを不幸にするからいけない。だから、国民みんなは絶対に税金を認めてはいけない。法律会社が国民みんなから税金を取るのを許してはいけない。国民は正しい法律を定める法律会社と契約して、まちがった法律を定める法律会社と契約しなければいいのである。将来、まちがった法律を定めるふざけた法律会社が出来たら、国民みんなはそんな法律会社と契約せず法律会社にお金をやらず法律会社を潰[つぶ]せばいいのである。
これからの国民は国を平和にするのを政府ではなく法律会社にやってもらえばいい。国民は法律会社に用があるのであって、政府に用はない。だから、国民みんなは政府に従わず政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。国民みんなで法律会社を建てて、国民みんなが自由に法律会社と契約して法律会社にお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。法律会社が出来るまでは、国民みんなが自分で法律を勉強して法律を守って暮らせばいい。国民みんなが自分で法律に反する者を罰すればいい。政府の付属の法律会社はニセモノの法律会社であって、本当の法律会社ではない。政府の付属の法律会社は「昔の法律がない社会の法律」を定めているのであって、『今の法律がある社会の法律』を定めていない。国民みんなにとっては政府の付属の法律会社は要らない。だから、国民みんなは政府の付属の法律会社の法律を守らず、政府の付属の法律会社にお金を払わず政府の付属の法律会社を倒せばいい。
国民が政府に従って国を平和にするのは原始時代のやり方である。文明社会に似合わない。だから、今では国民みんなはそんなことをやってはいけない。国民みんなは法律を守って平和に平等に暮らせばいいのである。
昔の国民は自分が平和が欲しかったから政府に従った。今の国民は自分が平和が欲しいから法律会社と契約する。昔の国民は自分が平和が欲しくなければ政府に従わなかった。今の国民は自分が平和が欲しくなければ法律会社と契約しなければいい。昔の国民は平和よりも先進国に従うほうが好きだったから、先進国が替わったときには平和を犠牲にして古い政治団体に従うのをやめた。今の国民は平和よりも平等であるほうが好きだから、法律会社が税金を定めたときには平和を犠牲にしても法律会社と契約しない。今では国民みんなが自分で法律を守って国を平和にするようになっているから、法律会社がなくてもある程度は国民みんなが平和に暮らせるから、人間の平等制に反する法律を定めるような法律会社はないほうがいいから、税金制を定めて人間の平等制を犯そうとする法律会社とは契約しないのである。今の国民は『平和で平等であること』を求めているから、今の国民は『平和と平等の両方』が欲しいから、税金を取らない法律会社でなければならないのである。法律会社が人間の平等制に反する法律を定めると、国民みんなが法律会社を真似[まね]して人間の平等制を犯すようになって国民みんなが悪いことをやって社会がメチャクチャになるので、国民みんなは絶対に平等制に反する法律を定める法律会社と契約してはいけない。法律会社が国民みんなと契約を取りたければ税金制を定めるよりもサービスの向上に努めるべきである。税金制を定める法律会社なんかは最初から国民みんなから税金を取って仕事をせずに遊んでいる気マンマンだから、国民みんなはそんなばかげた会社と契約せずに潰せばいいのである。そもそも国民と法律会社は平等である。国民と政治団体も平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が法律会社と契約するかしないかも国民個人の自由である。国民みんなにとっては、国民から税金を取る法律会社よりも国民から税金を取らない法律会社のほうがいい。国民みんなは税金を取らない法律会社と契約すればいい。国民みんなは税金を取る法律会社と契約せずに潰して、新たに税金を取らない法律会社を建てればいいのである。国民と不平等にする法律会社は政治団体と同じように国民に嫌なことをして国民を不幸にするから、国民みんなにとってはそんな法律会社はあるよりもないほうがいいから、契約せずに潰してしまえばいいのである。国民みんなが政府に従うことは政府がなければできないが、国民みんなが法律を守ることは法律会社がなくてもできる。法律は国民みんなが自分で守るものだから、国民みんなが法律を守ることは国民みんなだけでできる。国民みんなが自分たちで法律を考えて法律を勉強して法律を守ればできる。国民みんなにとっては法律会社はあってもなくてもどうでもいいから、国民みんなにとってよっぽどいい法律会社が建つまでは国民みんなは法律会社と契約しなければいいのである。法律会社がちょっとでも悪いことをしたら、国民みんなですぐに解約して潰せばいいのである。法律会社は間接民主制をやって国民みんなに従っているふりをしてじつは国民みんなに従わずに自分の独断でまちがった法律を定めたりせずに、ひたすら正しい法律を定めねばならない。今は国民みんなが自分たちで考えてなんでもかんでもやる時代である。文化も経済も法律も科学も全部国民みんなが自分たちで考えて自分たちでやる時代である。自分で正しいことを考えてみんなを説得できた者がみんなを従わせることができる(お金は儲[もう]からないかもしれないが)。地動説がいい例である。昔は国民みんなが国を平和にするために政府に従っていたので政府が正しいことを全部管理していたが、今では国民みんなが法律を守って国を平和にするようになって政府に従わなくなったので政府が正しいことを管理できなくなって国民みんなが勝手に自分で正しいことを考えて勝手に他人にしゃべっている。そのために、世の中にはまちがったことが氾濫[はんらん]している。だから、国民みんなは他人にまちがったことを教えられて他人に騙[だま]されないように注意しないといけない。国民みんなは自分で正しいことを勉強して正しいことを守って幸福に暮らさねばならない。今は国民みんなが政府に従って生きる時代ではない。今は国民みんなが自分で考えて生きる時代である。今では国民みんなは政府に頼れず、自分のことは自分でしないといけない。だから、国民みんなはテレビやゲームで遊んでいずに、もっと考えねばならないのである。
もしも『文化人類学』がもっと早く出来ていたら、戦前の日本はヨーロッパ文化をやらず戦争をしなかった。ヨーロッパも植民地政策をやらなかった。もしも、『法律』(つまり人間が社会の中で幸福に暮らすための決まり。一方、道徳は人間が個人で幸福に暮らすための決まり)がもっと早く出来ていたら、世界中のみんなが権力団体に従わず権力団体に不幸にされなかった。昔の人は正しいことを知らなかったためにまちがったことをやって不幸になっていた。今の人は正しいことを知っているために正しいことをやって幸福になった。今の人は古いまちがったことをやめて新しい正しいことをしないといけない。これからも人間は正しいことを知って正しいことを守って幸福に暮らしていけばいい。

[22272] どうして政府は替わるのが遅いのか? h27.11.13
先進国が変わっても政府(政治団体)はなかなか別の団体(政府←→幕府)に替わろうとしない。
それは、政府が国民みんなをじらせて嫌がらせて従わせるためである。政府があまり急いで国民みんなといっしょに別の団体に替わると、国民みんなは「政府が国民みんなと同じことをする」「政府が国民みんなに従う」と思って政府をナメて政府に従わなくなるので、政府は国民みんなを従わせるためにわざとに国民みんなよりも遅れて国民みんなをさんざんじらせてからゆっくり替わるのである。政府は自分が潰[つぶ]れてもいいから国民みんなに従わずに国民みんなよりも遅れて別の団体に替わるのである。政府は国民みんなを従わせることの専門家だから、国民みんなの心理をよく考えてそうしているのである。政府は国民みんなの役に立っているふりをして国民みんなを従わせたり、国民みんなが嫌がることをして国民を従わせたりしているのである。政府が本当に国民みんなの役に立つことをすると国民みんなが「政府は国民みんなの道具だ」「政府は国民みんなの家来[けらい]だ」「政府は国民みんなの召使いだ」と思って政府に従わなくなるので、政府は本当に国民みんなの役に立つことをしないのである。
政府は権力団体である。政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にするために、国民みんなが嫌がることをして国民みんなを不幸にする。国民みんなにとっては政府は国を平和にしてくれるのがありがたいだけでそれ以外は全部迷惑である。
今では文明が進んで国民みんなが物が豊かになって他人を殺して他人の物を取らなくなって国が平和になって、国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を平和にしている。今では国民みんなにとってはもはや政府は要らない。そのため、今では国民みんなが政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わなくなって政府を倒している。

[22273] 「国民全員が政府に従い政府に税金を払わねばならない」のは政府の嘘[うそ]である。 h27.11.13
政府は国民を従わせて国を統一して国を平和にする団体である。
そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民一人一人の自由である。国民は自分が平和が欲しければ政府に従い、平和が欲しくなければ政府に従わなければいいのである。昔はまだ法律がなくて文明が低くてみんなが物が貧しくて自分が生きるために他人を殺して他人の物を取っていたから、国民が平和に暮らすためには政府に従うしかなかったのである。
だから、政府が憲法で「国民全員が政府の決定に従い政府に税金を払う義務がある」と言っているのは嘘である。政府は間接民主制をやっているから、国民みんなに従っているふりをしてじつは従っていないから、自分の独断で命令しているだけだから、国民は政府の決定に従う義務はない。政府が税金を払えと言っても払う義務はない。だから、政府は嘘を言っているのである。政府は国民を従わせる団体だから、国民を従わせるために国民に嘘をついているのである。昔の国民は国を平和にするために、政府の嘘を大目に見ていたのである。昔の人は真実よりも目的を大事にしたので、政府の嘘を許していたのである。
本当は、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。「国民全員が政府に従い政府に税金を払わねばならない」のは政府の嘘だから、国民は守らなくていい。昔は文明が低くてみんなが食べ物がなくて他人を殺して他人の食べ物を奪って物騒[ぶっそう]に暮らしていたから、法律がなかったために国を平和にするためには国民みんなが政府に従うしかなかったから、国民は自分が平和に暮らしたかったから政府に従っていたのである。国民みんなが平和が欲しかったから国民みんながそうしていたのである。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなが嫌なことをやらせて国民みんなを不幸にしたが、国民みんなは自分が平和に暮らすために政府の嫌がらせを我慢[がまん]していたのである。しかし、今は文明が高くてみんなが食べ物が豊かになって他人を殺して他人の食べ物を取らなくなくなって平和に暮らしているから、法律があってみんなが法律を勉強して法律を守って平和に暮らすことができるから、国民は自分が平和に暮らすために政府に従わなくてもよくなったので、国民は政府に従わなくなったのである。今の国民は国を平和にするために政府の嘘を大目に見なくなったのである。今の人は目的よりも真実を大事にするので、政府の嘘を許さない。国民みんなが政府に従わなくてもよくなったので国民みんなが政府に従わなくなったのである。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。政府は自分に従う国民がいなくなったので国民に嫌なことをやらせて国民を不幸にすることができなくなっている。

[22274] 昔の国民は自分が平和に暮らしたいために政府や宗教団体や暴力団に従っていた。 h27.11.13
政府(政治団体)は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である。
昔は国民が国を平和にするためには政府に従うしかなかったから、国民は自分から進んで政府に従っていた。
政府は国民を従わせるために国民に嫌なことを命令していた。政府が国民に喜ぶことを命令すると、政府が国民のためにあることになって、政府が国民に従うことになって、国民が政府をナメて政府に従わなくなって、国民がめいめい自分の好き放題なことをやるようになって、国がバラバラになって国が平和にならないから、政府は国を統一して国を平和にするために国民に嫌なことを命令していたのである。国民は自分が平和に暮らすために政府の嫌がらせを我慢[がまん]していた。政府は国を統一して国を平和にして国民みんなを幸福にするために、国民みんなを従わせるために国民みんなに嫌なことをやらせて国民みんなを不幸にしていた。政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなを不幸にしていた。つまり、政府は善悪併[あわ]せ持った団体なのである。
政府はヨーロッパ文化に因[ちな]んだ嫌な命令を出して国民を従わせていた。国民は先進国に従うのが好きだったので、政府が人気が出て日本中の国民が従う大きな団体になった。
同じように、宗教団体は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である。国民は自分が平和に暮らすために自分から進んで宗教団体に従っていた。宗教団体は神(立派な人のこと)に因んだ嫌な命令を出して国民を従わせた。国民は自分が平和に暮らすために宗教団体の嫌がらせを我慢していた。政治団体だけでは国を平和にするには非力だったので、国民は政治団体だけでなく宗教団体にも従って国の平和を強めていたのである。
同じように、暴力団は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である。国民は自分が平和に暮らすために自分から進んで暴力団に従っていた。暴力団は国民に暴力をふって国民を嫌がらせて国民を従わせた。国民は自分が平和に暮らすために暴力団が暴力をふるのを我慢していた。政治団体や宗教団体だけでは国を平和にするには力不足だったので、国民は政治団体や宗教団体だけでなく暴力団に従って国の平和を強化していたのである。特に都会は人が集まって人が多くて物騒なので、都会の人は暴力団に従うことによって治安を高めていたのである。反対に、田舎は人が少なくてのどかなので田舎[いなか]には暴力団がないのである。
昔は政府や宗教団体や暴力団が国を平和にするシステムだったのである。
しかし、今では法律が出来て国民みんなが法律を勉強して法律を守って国を平和にするようになっている。今では文明が高くなって国民みんなが食べ物が豊かになって他人を殺して他人の食べ物を奪わなくてもよくなって平和に暮らしている。そのため、国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に従わなくなっている。政府や宗教団体や暴力団は国民を従わせるために国民を嫌がらせるから、国民にとっては政府や宗教団体や暴力団が嫌なので政府や宗教団体や暴力団に従わなくなったのである。国民みんなは政府や宗教団体や暴力団の命令を聞かなくなってお金をやらなくなって潰[つぶ]している。

[22275] 今の法律会社は『みんなが平和で平等に暮らせる法律』を定めねばならない。 h27.11.13
大昔からずっと『人間はみな平等である。』
政府は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である。
政府と国民は平等である。
だから、昔は平和に暮らしたい国民が政府に従って、平和に暮らしたくない国民は政府に従わなかった。国民はみんな平和に暮らしたかったので政府に従っていた。政府の嫌な命令を聞いて政府に暴力をふられてもけっして抵抗しなかった。
しかし、今では文明が進歩して国民みんなが物が豊かになって他人を殺して他人の食べ物を取らなくてもよくなって国が平和になっているし、国民みんなが法律を勉強して法律を守って平和に暮らすことができるようになっているので、国民みんなが政府に従わなくなっている。政府が国民みんなに命令して国民みんなから税金を取れなくなって滅んでいる。
今では国民みんなが法律を守って暮らすようになっている。
法律会社は法律を定めて法律で国民を取り締[し]まる団体である。
法律会社と国民は平等である。
だから、国民が法律会社の法律を守りたければ法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばよく、国民が法律会社の法律を守りたくなければ法律会社と契約せずお金をやらず仕事をやってもらわなければいい。つまり、法律会社の法律は政府の命令のようなものである。ただし、法律会社は国民の人権を守る会社であって、法律会社は政府のように国民を従わせる団体ではないから、法律会社は政府のように国民を嫌がらせて従わせる法律を作ってはいけない。
国民は法律会社の法律が気に入れば法律会社と契約する。反対に、気に入らなければ契約しない。
法律会社がふざけてまちがった法律を定めると、国民みんなは法律会社の法律を無視して自分たちで正しい法律を定めて正しい法律を守って暮らすようになる。国民みんなは法律会社と契約せずお金をやらず法律会社を潰[つぶ]す。だから、法律会社は自分が国民みんなに潰されたくなければ、まじめに正しい法律を定めなければならない。法律会社がまじめに正しい法律を定めれば、国民みんなが法律会社の法律を守って法律会社と契約してお金を払ってくれるだろう。国民みんなの中には法律に詳[くわ]しい人がいるから、法律会社は国民みんなをナメてまちがった法律を定めてはいけない。
この世では『人間はみな平等である。』だから、国民と法律会社は平等である。国民が法律会社の法律を守るか守らないかは国民個人の自由である。国民は自分が平和に暮らしたいから、自分の人権を法律会社に守ってもらいたいから、法律会社と契約するのである。国民みんながちゃんと法律を守れば法律会社は要らない。国民みんなの中には犯罪者がいるから法律会社が要るのである。
たとえ法律会社が「国民全員が法律会社に従い、法律会社に税金を払わねばならない義務がある」法律を定めても、国民みんなは『本当は人間はみな平等である。国民と法律会社は平等である。だから、国民が法律会社に従うか従わないかは国民の自由である。国民が法律会社に税金を払うか払わないかは国民の自由である。』と考えて法律会社の法律を無視して守らない。だから、法律会社はまちがった法律を定めても無駄[むだ]である。法律会社が国民みんなに潰されるだけである。だから、法律会社は『国民が法律会社が定めた法律に従うか従わないかは国民の自由である。国民は法律会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい』法律を定めねばならない。
これまで国民は長い間政府に従って平和に不平等に暮らしてきた。不平等に耐えて暮らしてきた。今では法律が出来て、国民は平和に平等に暮らせるようになっている。今の国民は『平和に平等に』暮らしたい。法律会社が不平等な法律を定めては、今の国民の心を満足しない。今の国民は法律会社の不平等な法律を守らない。法律会社は国民と契約が取れず潰れる。だから、法律会社は絶対に平等な法律を定めなければならない。「法律会社が国民よりも一方的に有利な法律」を定めてはいけない。税金の法律を定めてはいけない。国民みんなは法律会社の法律が正しければ守り、正しくなければ守らない。国民みんなは多数だが、法律会社は少数である。だから、国民みんなのほうが法律会社よりも優位である。法律会社はそのことを忘れてはいけない。国民が法律会社と契約するのは自分が『平和に平等に』暮らしたいからである。だから、法律会社は国民が『平和に平等に』暮らせる法律を定めねばならないのである。国民と国民が不平等な法律を定めたり、法律会社と国民が不平等な法律を定めたりしてはいけないのである。法律会社が人間が不平等な法律を定めたら、国民はそんな法律を守らず、法律会社にお金をやらず法律会社を潰すだろう。
今の国民みんなは自分で法律を考えて法律を勉強して法律を守ることができるから、法律会社がなくてもある程度は平和に平等に暮らすことができる。国民みんなは法律会社がなくても大して困らない。法律会社は国民みんなの弱みを握れない。法律会社があるよりも法律会社がないほうが国民みんなが幸福に暮らせると思ったら、国民みんなは容赦[ようしゃ]なく法律会社を潰す。国民みんなが法律会社にお金をやらなくなって潰す。だから、法律会社は「自分が国民みんなを支配している」と思っていい気になってまちがった法律を定めてはいけない。人間が不平等な法律を定めてはいけない。国民みんなは法律会社の法律が正しいと思ったら従い、正しくないと思ったら従わない。だから、法律会社は国民みんなが正しいと思う法律を定めねばならない。法律会社はいつでも必ず国民みんなに従わねばならないのである。
この世では『人間はみな平等である。』たとえ法律会社が「人間は不平等である」法律を作っても、本当は『人間はみな平等である。』今の文明では、国民みんなは平和で平等に暮らせるようになっている。今では国民みんなは平和のために平等を犠牲にしなくてもよくなっている。今では国民みんなが『自分が平和に平等に暮らせるの当然だ』と思っている。だから、法律会社は絶対に人間が不平等である法律を定めてはいけない。そんな法律を定めたら、法律会社が国民みんなに無視されて潰されるだけである。
この世では『人間はみな平等である。』国民と政府は平等である。政府は国民と不平等なふりをしているが、本当は平等である。昔の国民は自分が平和が欲しければ政府に従い、平和が欲しくなければ政府に従わなければよかったのである。普通の人は平和が欲しいから、国民みんなが政府に従っていたのである。政府は「国民全員が政府に従い、政府に税金を払う義務がある」法律を定めているが、それは政府の嘘[うそ]である。昔から国民みんなは政府の嘘だとわかっていたので、政府の法律を守っていない。昔の国民みんなは『本当は国民が政府に従うか従わないか政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である』ことがわかっていた。昔の国民みんなは自分が平和に暮らしたかったから政府に従って政府に税金を払っていたのである。それと同じように、国民と法律会社も平等である。法律会社は国民と不平等なふりをしているが、本当は平等である。今の国民は自分が平和と平等が欲しければ法律会社と契約し、平和と平等が欲しくなければ法律会社と契約しなければいいのである。だから、法律会社が人間が不平等な法律を定めたら、今の国民は平等が得られないと思って法律会社と契約しない。法律会社が人間が平等な法律を定めたら、今の国民は平等が得られると思って法律会社と契約する。だから、法律会社は必ず人間が平等な法律を定めて、人間が不平等な法律を定めてはいけない。例えば、法律会社は「国民全員は法律会社に従い、税金を払う義務がある」法律を定めてはいけないのである。たとえ法律会社が「国民全員が法律会社に従い、法律会社に税金を払う義務がある」法律を定めても、それは嘘の法律である。まちがった法律である。国民みんなはそんな法律は馬鹿らしくて守らない。昔から国民みんなは『政府や法律会社が嘘をつく』ことをよく知っているので、国民みんなは自分で考えて正しくない命令や正しくない法律は守らないのである。だから、戦前に民主化を進めた総理大臣が国民みんなにまちがっていると見なされて暗殺されたのである。政府は国民みんなを従わせるために国民みんなと不平等にしなければならないので、政府を国民みんなと平等にしようとした犬養首相や原首相が国民みんなに『まちがった政策を進める馬鹿だ』と見なされて殺されたのである。(もっとも国民と政府は根本的には平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府は国民とうわべで不平等にしていただけである。国民は自分が平和に暮らすために政府が国民と不平等にするのを認めて政府に従っていたのである。昔は国民が平和に暮らすために政治団体に従っていたので、昔の社会にはそういう根本とうわべの二重構造があったのである。先進国が替わったとき、国民みんなが古い政治団体に従わなくなるのはそのためである。国民みんなはうわべで政治団体に従っていただけで根本的には国民が政治団体に従うか従わないかは国民の自由であることを知っていたので、先進国が替わると古い政治団体は不適切だと思って従うのをやめたのである。今でも国民みんなはうわべで政治団体に従っているだけで根本的には国民が政治団体に従うか従わないかは国民の自由であることを知っているので、今では国民が政府に従うよりも法律を守るのが正しいので、国民は政府に従うのをやめて法律を守って暮らすようになっているのである。今の国民は政府に従うのではなく法律を守って暮らすのが正しい。だから、政府に従う国民は国民みんなに殺される。法律会社は国民と平等にしなければならない。だから、国民と不平等な法律を定めた法律会社の代表者は国民みんなに暗殺されるのである。国民みんなは“法律会社と国民が不平等な法律”がまちがっていると考えて“法律会社と国民が不平等な法律”を守らないのである。法律会社はつねに国民みんなの目が光っていると思って注意しないといけない。国民も国民みんなの目に気をつけねばならない。(江戸時代に安藤昌益が「武士と庶民の平等」を説いても国民みんなに殺されなかったのは、国民みんなが『根本的には幕府と国民みんなが平等だ』と思っていたからである。国民みんなは『自分が平和に暮らすために幕府に従っている』ことをよく知っていて『本当は幕府と国民みんなが平等だ』と思っていたのである。だから、安藤昌益が「侍は田んぼに出て百姓といっしょに働け」と言っても国民みんなは安藤昌益が正しいことを言っていると思って安藤昌益を殺さなかったのである。安藤昌益は国民みんなの本音[ほんね]を言ったので安藤昌益が国民みんなの人気があったのである。当時の国民みんなはインド文化の“国民が幕府に従いすぎる身分制”が嫌いだったので、身分制に反対する安藤昌益の説を支持したのである。日本では国民みんなはあくまでも自分が平和に暮らすためにいやいやしかたなく政治団体に従っていただけなので、人間の平等制を根こそぎ否定する身分制が嫌いだったのである。国民は政治団体が上の者だから政治団体に従うのではなく、国を平和にするために政治団体に従っていたのだから、政治団体を上の者だとする身分制には猛反対だったのである。日本人は作りごとが嫌いなので、架空の“上の者”を作って政府を上の者にして政府に従うのが嫌だったのである。安藤昌益は国民みんなの人気があったので、幕府も手を出せなかったのである。安藤昌益は幕府を超えた男だったのである。一方、近代の政府が国民と平等にすると、国民みんなが政府に従わなくなって国の平和が失われるので、近代の政府はけっして国民と平等にしてはいけなかった。そのため、政府を国民と平等にしようとした首相が国民みんなに殺されたのである。)
日本は犯罪が少ない国だから、国民みんなだけで法律をやればいいかもしれない。国民みんなだけで法律を作って法律を勉強して法律を守って、国民みんなだけで犯罪者を捕まえて罰すればいい。田舎[いなか]の消防団と同じことである。しかし、国民みんなだけでは不十分かもしれない。法律会社があったほうが法律会社がないよりも国民みんなが幸福に暮らせるなら、国民みんなが法律会社に仕事をやってもらえばいい。国民みんなが法律会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。反対に、法律会社があったほうが法律会社がないよりも国民みんなが不幸に暮らさねばならないなら、国民みんなは法律会社をなくせばいい。法律会社がまちがった法律を定めて国民みんなを不幸にするなら、国民みんなは法律を守らずに法律会社と契約せずにお金をやらずに潰せばいい。将来、国民みんなが幸福に暮らせるような法律会社が建てばいい。それまでは国民みんなだけで法律をやればいい。
今の日本が犯罪が少ないのは、国民みんなが自分で法律を勉強して法律を守っているからである。法律会社が建つと、国民が法律会社任せになって自分で法律を勉強しなくなって法律を守らなくなって犯罪が増えるかもしれない。将来法律会社が建っても、国民は自分で法律を勉強して法律を守ることを怠[おこた]ってはいけない。
今の政府や宗教団体や暴力団は悪いことをやってるが、それは政府や宗教団体や暴力団の仕事だからである。政府や宗教団体や暴力団などの権力団体は国民を嫌がらせて国民を従わせて国を平和にすることが仕事だから、権力団体は国民を嫌がらせて従わせるために悪いことをやっているのである。今はまだ国民の多くが国を平和にするために法律を守らず権力団体に従っていて権力団体にお金をやって権力団体が残っているから権力団体が悪いことをやっているのである。早く国民みんなが国を平和にするために法律を守って権力団体に従うのをやめて権力団体にお金をやるのをやめて権力団体をなくして、法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律会社に国を平和にしてもらわねばならない。
そもそも法律は国民みんなが幸福に暮らすための決まりである。法律会社は国民みんなを幸福にするためにある。法律会社は国民を従わせるために国民を嫌がらせる法律を作ってはいけない。法律会社には権力団体のように国民を嫌がらせて不幸にする余地はない。法律会社はひたすら国民みんなの役に立たねばならない。法律会社は民間会社と同じである。法律会社は国民みんなに従わねばならない。国民みんなは法律会社を自分の道具だと思うだろう。だから、法律会社は国民みんなと契約を取ってもらうために必死で国民みんなのために働かねばならない。
法律は国民が幸福に暮らすための決まりである。電化製品が国民が幸福に暮らすための道具であるのと同じである。だから、法律会社は国民が幸福に暮らせるための決まりをたくさん作らねばならない。国民が電化製品を買うか買わないかは国民の自由である。つまり、国民が電化製品のメーカーにお金をやるかやらないかは国民の自由である。それと同じように、国民が法律のメーカーにお金をやるかやらないかは国民の自由である。法律会社は国民みんなからお金をもらうために国民みんなを幸福にする決まりを作らねばならない。法律会社は国民みんなの心をよく知り国民みんなを幸福にする決まりを作らねばならない。日本の法律会社は日本人の心を満足する法律を作らねばならない。
権力団体は国民みんなを嫌がらせて従わせて国を平和にする団体だったから、権力団体は国民みんなを嫌がらせてもよかった。権力団体は国民みんなに命令して嫌なことをさせたり国民みんなに暴力をふって殺したり痛めつけたりしてもよかった。国民は権力団体が国を平和にするかぎり(つまり国民みんなが争わないかぎり)どんなに自分が権力団体に不幸にされても権力団体に従った。権力団体は国を平和にするかぎり国民みんなに対して何をやってもよかった。国民みんなをどんなに不幸にしてもよかった。反対に、法律会社は国民みんなを幸福にする決まりを作って国民みんなを喜ばせる団体だから、法律会社はけっして国民みんなを嫌がらせてはいけない。法律会社は国民みんなを幸福にする決まりを作らねばならない。国民は法律会社が国民みんなを幸福にするかぎり法律会社と契約する。国民は法律会社がちょっとでも国民みんなを不幸にする決まりを作ったら法律会社と契約しない。国民みんなは法律会社にお金をやらず法律会社を潰す。だから、法律会社は一生懸命国民みんなを幸福にする決まりを作らねばならない。政治団体と法律会社は性格が反対である。政治団体は国民みんなを不幸にする団体だが、法律会社は国民みんなを幸福にする団体である。政治団体は国民みんなを幸福にするために国民みんなを不幸にするが、法律会社は国民みんなを幸福にするだけである。政治団体は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民みんなを嫌がらせて従わせて国民みんなを不幸にする。法律会社は国民みんなが幸福に暮らせる決まりを作って国民みんなを幸福にする。だから、国民みんなは安心して法律会社に仕事をやってもらえばいい。

[22276] 今の日本では国民は日本文化をやらねばならない。 h27.11.13
戦前は文化人類学がなかったから、「日本はヨーロッパに従わねばならない。日本人はヨーロッパ文化をやらねばならない」ことが正しいと考えられていた。だから、日本では国民みんながヨーロッパ文化をやらねばならなかった。国民みんなが悪いことをやらねばならなかった。国民みんなが眼で見るだけで頭で考えてはいけなかった。そうしない者は周[まわ]りのみんなにまちがっていると見なされて殴[なぐ]られたり蹴[け]られたりして罰せられた。
しかし、戦後は文化人類学があるから、『日本は日本自身に従わねばならない。日本人は日本文化をやらねばならない』ことが正しいと考えられている。だから、今の日本では国民みんなが日本文化をやらねばならない。国民みんなが悪いことをやってはいけない。国民みんなが眼で見て頭で考えて心で思わないといけない。そうしない者は周りのみんなにまちがっていると見なされて殴られたり蹴られたりして罰せられる。
いつの時代でも人間は正しいことを知り正しいことをやらねばならない。そうしない者はみんなに人間ではないと見なされてみんなに罰せられる。正しいことをやらない者はみんなに殴ったり蹴ったりせられる。
ヨーロッパ人は眼がよくて頭が悪いのでヨーロッパ文化では美しさが第一である。男よりも女がきれいである。だから、ヨーロッパ文化では女性優位なのである。反対に、日本人は眼が悪くて頭がいいので日本文化は正しさ第一である。男は女よりも頭がいい。だから、日本文化では男性優位なのである。もっとも、今では世界中でみんなの人権が保障されている。男も女も子供もみんな人権が保障されている。
日本人は日本人の心を満足すれば幸福になる。日本人は日本文化を守って幸福に生きていかねばならない。
今は国際化の時代である。大勢の人々が国境を越えて行き来している。しかし、国の文化は不変である。国民みんなは変わらない。ヨーロッパ人は今でも眼がいいだけで頭が悪い。ヨーロッパ人は今でも馬鹿のままである。それなら、日本人も今でも眼が悪くて頭がよければいい。日本人は今でも醜[みにく]いままでいい。国民みんなは国際化に惑[まど]わされずに、自分の国の文化をやって自分が幸福に暮らせばいいのである。
日本人は眼で見ることよりも頭で考えることが好きである。日本人はゲームショップよりも本屋のほうが好きである。だから、日本ではゲームショップを潰[つぶ]して本屋を建てねばならない。
『今では国民が政府に従うよりも法律を守るほうが幸福になる』ことは明らかである。『国民が外国の文化をやるよりも日本文化をやるほうが幸福になる』ことが正しいと考えられている。だから、国民はそうすればいい。国民は自分が幸福になることをやり不幸になることをやってはいけない。今の国民が自分が幸福になることをしないのは考えが足りないからである。自分が考えていないから自分がどうすれば幸福になるかがわかっていないのである。今の国民はテレビを見たりゲームをしたりするよりももっと頭を使って考えねばならない。せめて自分が幸福になることぐらいはわかっていないといけない。ニセモノの幸福をつかまされて本物の幸福を見失ってはいけない。

[22277] 国民はいつでもかつでも政府に従うわけではない。 h27.11.14
昔の国民は政府(政治団体)に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。それが昔の人の国を平和にする方法だった。政府は国民を従わせるために国民に命令して嫌なことをやらせたり国民に暴力をふったりする。国民は政府に従うために政府の命令をなんでも聞いたり、政府に暴力をふられても我慢[がまん]しなければならない。政府が国民に命令して好きなことをやらせると、国民が「政府は国民に従っている」と思って政府に従わなくなるから、政府は国民に命令して嫌なことをやらせるのである。(今の政府が国民の役に立たない政策や国民を不幸にする政策をするのも、政府が国民を従わせるために国民に命令して嫌なことをやらせているからである。今の政府が人眼に付かないところで国民に命令して国家宗教で悪いことをさせているのも、政府が国民を従わせるために国民に命令して嫌なことをやらせているからである。国民が政府に従うことによって国を平和にするために政府に不幸にされている。)
要するに、国民は自分が平和に暮らしたいから政府に従っているだけである。
国民にとって平和よりももっと大事なことがあったり、平和に暮らすためのもっといい方法があったりすれば、国民は政府に従うのをやめる。
だから、先進国が替わったときには、国民は先進国に従うのが好きなので、国民は平和よりも先進国に従うほうが大事なので、国民は政府に従うのをやめてでも先進国に従ったのである。そのために、政府は国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れてしまったのである。
だから、今のように国民が法律を勉強して法律を守って平和に暮らすようになったときには、国民が政府に従うよりも法律を守るほうが国民が政府に不幸にされないので国民にとっては快適なので、国民は政府に従うのをやめて法律を守るのである。そのために、政府は国民からお金を取れなくなって潰れているのである。

[22278] 今では無政府主義が正しい。 h27.11.14
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府は平等である。国民と法律会社は平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。国民が法律会社と契約するか契約しないかは国民の自由である。国民が法律会社の法律を守るか守らないかは国民の自由である。
昔は法律がなかったから、国民は国を平和にするために政府(政治団体)に従うしかなかった。政府は国民を従わせるために国民に命令して嫌なことをやらせたり国民に暴力をふったりして国民を不幸にした。今の政府が嫌な政策をやっているのはそのためである。
今は法律があるから、国民は国を平和にするために法律を勉強して法律を守ればいい。国民は国を平和にするために政府に従わなければいい。政府がなくなったほうが国民みんなが幸福に暮らせるから、国民みんなで政府に従うのをやめて政府を倒せばいい。
国民が政治団体に従うことは政治団体がなければできない。国民にとっては政治団体が必要である。しかし、国民が法律を守ることは法律会社がなくてもできる。国民が法律を守ることは国民だけでできる。国民が法律を作って法律を勉強して法律を守ればできる。しかし、法律会社があってもいい。どんな会社を建てるかは他人の勝手だから、法律会社を建てたい者が建てればいい。法律会社があったほうが国民が幸福に暮らせるなら、国民は法律会社にお金をやって仕事をしてもらう。反対に、法律会社があったほうが国民が不幸に暮らさねばならないなら、国民はお金をやらず法律会社を潰[つぶ]す。
政府は最初のいっとき国民が喜ぶことをして国民を従わせて、その後で国民が嫌がることをして国民を従わせる。それと同じように、法律会社も最初のいっとき国民が喜ぶ法律を作って国民に契約を取らせて、その後で国民が嫌がる法律を作るかもしれない。法律会社は最初のいっとき只[ただ]で、その後で高い料金を取るかもしれない。ヤフーオークションやニコニコ動画やYouTubeと同じやり方である。国民はしばらくの間は我慢[がまん]して嫌な法律を守るだろう。高い料金を払うだろう。そのうち、国民みんなが法律会社の世話になるのをやめて自分たちだけで法律をやるようになるだろう。国民みんなでそういう社会制度を整えるだろう。そのほうが国の治安がよくなるかもしれない(笑い)。国民みんなは法律会社がどれだけの仕事をしているかをよく調べて、それに見合った料金を払わねばならない。それがリーズナブルというものだ。
将来どんな法律会社が建つか今から楽しみである。そのためには、国民みんなで一刻も早く政府を倒さねばならない。

[22279] 政府の取り柄[とりえ]は国を平和にすることだけである。☆ h27.11.15
昔の国民みんなは国を平和にするために政府に従って国を統一して国を平和にした。それが昔の国民みんなが国を平和にする方法だった。
政府は国民みんなを従わせて国を統一して国を平和にする団体である。
政府は国民みんなを従わせるために国民みんなに命令して国民みんなを嫌がらせることばかりして国民みんなを不幸にする。
政府は国を平和にすることで国民みんなを幸福にして国民みんなの役に立つだけで、それ以外は国民みんなを不幸にすることばかりする。政府の政策はすべて国民みんなを虐[いじ]めて不幸にするためにある。政府の政策はすべて国民みんなを貧乏にしたり病気にしたり殺したり日本人の心を満足させなかったりするためにある。政府の各省庁は国民みんなを不幸にする政策をやっているだけである。要するに、政府の政策とは政府の国民に対する虐めである。政府は国民を嫌がらせる会社なのである。だから、国民みんなは政府のことを“小さな親切大きなお世話”というのである。“パンドラの箱”ともいうのである。パンドラの箱を開けると人間を不幸にするいろんな災[わざわ]いのもとが飛び出してきたが、パンドラの箱の中に最後に残っていたのは平和だったのである。政府は国民を虐めて従わせるためにわざとにうまく行かない政策をやって国民を貧乏にしている。だから、今の日本が豊かなのは国民自身の成果である。国民の努力が政府の妨害よりも勝っているから国が豊かなのである。政治団体は国民を嫌がらせて国民を従わせて国を平和にする団体である。政府はヨーロッパ文化で国民を嫌がらせる。幕府はアジア文化で国民を嫌がらせる。政府と幕府は国民の嫌がらせ方が違うだけで国民を嫌がらせることは同じである。
しかし、今では法律が出来て国民みんなが法律を作って法律を勉強して法律を守って国を平和にすることができる。今ではテレビやゲームなどの娯楽が出来てみんなが悪いことをせず平和に遊ぶようになっている。今では文明が高くなって国民みんなが物が豊かになって食べ物に不自由しなくなって他人を殺して他人の食べ物を奪う必要がなくなって平和になっている。今では精神医学が発達して国民みんなが心の病気に罹[かか]らなくなって気が狂って暴れまわらなくなって平和になっている。
そのため、今では国民みんなは国を平和にするために法律を守るようになって、政府に従うのをやめている。政府は国民みんなに命令できなくなって税金が取れなくなって滅んでいる。『人間はみな平等である』から、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由だから、国民は自分が政府に従いたくなければ政府に従わなければいいのである。昔の国民は自分が平和に暮らしたいから政府に従っていただけで、政府に騙[だま]されて政府に従っていたのではないのである。政府に脅[おど]されて政府に従っていたのではないのである。今の政府が「国民全員は政府に従い、政府に税金を払う義務がある」と言っているのは政府の嘘[うそ]だから、国民は真[ま]に受けず、政府に従わず政府に税金を払わなければいいのである。
早く国民みんなが国を平和にするために法律を守るようになって政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。法律会社が建ったら、国民みんなで法律会社を安月給にして法律会社を生かさず殺さないようにして法律会社をつけあがらせないようにして法律会社を国民みんなに従わせねばならない。国民みんなは法律会社がなくても自分たちだけで法律をやって暮らせるから、今の社会は十分平和になっているので国民みんなにとっては法律会社なんかなくてもいいから、国民みんなで法律会社に命令して嫌なことをやらせたり法律会社に暴力をふったりして法律会社を嫌がらせて法律会社を国民みんなの言いなりにすればいいのである。これまでに国民みんなが政府に虐められてきた恨[うら]みを法律会社で晴らせばいいのである。
政府は国民を虐めて国民を従わせて国を平和にする団体である。政府は国民を虐めることが仕事である。昔の国民みんなはそのことを知っていたから、政府が国民を虐めるのを大目に見ていた。国民は政府が国民から高い税金を取っても国民を不幸にする政策をやっても国民に暴力をふっても政府を許していた。反対に、法律会社は国民みんなが幸福に暮らせる決まりを作る団体である。法律会社は国民を幸福にすることが仕事である。今の国民みんなはそのことを知っているから、法律会社が国民みんなが幸福に暮らせない決まりを作るのを大目に見ない。法律会社はちょっとでも国民みんなが幸福に暮らせない決まりを作ってはいけない。国民は法律会社が国民から高い料金を取ったり日本人の心を満足しない決まりを作ったり汚職したりしたら、国民みんなで法律会社に殴[なぐ]り込みをかけて法律会社を皆殺しにして法律会社を潰す。だから、法律会社は国民みんなに平身低頭して国民みんなのために一生懸命に働かねばならない。

[22280] 法律会社は他社との競争に勝って国を治めねばならない。 h27.11.15
『人間はみな平等である。』だから、国民と政府は平等である。国民と法律会社は平等である。
政府は国民を従わせて国を統一して国を平和にする団体である。
だから、国民は自分が平和が欲しければ政府に従い、自分が平和が欲しくなければ政府に従わなければいいのである。昔は国民はみんな平和が欲しかったから、国民がみんな政府に従ったのである。政府が「国民全員が政府に従い政府に税金を払わねばならない」と言っているのは政府の嘘[うそ]である。本当は『政府は自分に従う国民に命令できて自分に従う国民から税金を取れるだけ』なのである。
それと同じように、法律会社は国民が幸福に暮らせる法律を作る団体である。法律会社は国民に法律を守らせて国民を幸福にする団体である。
だから、国民は自分が法律会社の法律を守りたければ法律会社と契約し、自分が法律会社の法律を守りたくなければ法律会社と契約しなければいい。法律会社が国民みんなが幸福に暮らせる法律を作っていれば国民みんなが法律会社と契約し法律会社が儲[もう]かるが、法律会社が国民みんなが幸福に暮らせない法律を作っていれば国民みんなが法律会社と契約せず法律会社は儲からない。法律会社が「国民全員が法律会社の法律を守って法律会社にお金を払わねばならない」と言っているのは法律会社の嘘である(法律会社はまだ建っていないが)。本当は『国民が法律会社の法律を守るか守らないかは国民の自由であり、国民は自分が幸福に暮らせるときだけ法律会社の法律を守ればいい』のである。法律会社は国にいくつあってもいい。最後に競争で勝った法律会社が国民みんなと契約し国を治めるのである。昔の日本には権力団体がたくさんあったが、最後に政府が競争に勝って国民みんなが従う団体になったのと同じことである。
法律会社が国民みんなと契約している状態を維持するためには、法律会社がいつでも国民みんなが最高に幸福に暮らせる法律を定めねばならない。法律会社はつねに自分の法律を改良して国民みんながもっとも幸福に暮らせる法律にしていなければならない。そうしなければ、国民みんながもっと幸福に暮らせる法律を作った法律会社と契約して客を取られてしまう。だから、国民みんなが幸福に暮らせる最善の法律を定めた法律会社が国民みんなと契約して国を治めることになる。国民みんなが幸福に暮らせる法律を定めた法律会社ほど多くの国民が契約しているから、国民はなるべく多くの国民が契約している法律会社と契約したほうが無難[ぶなん]である。電話会社と同じことである。
法律会社が法律を作るのは机の上でできるので楽である。国民みんなに法律を伝えることも簡単である。日本は犯罪者が少ないので取り締[し]まりも楽である。刑務所を建てるのも大してお金がかからない。法律会社は資本がなくてもやれる会社である。資本が要らないのは政治団体と同じである。やる気がある人はやってみればいい。
犯罪者は法律を破ってまちがいを犯した者である。犯罪者は自分のまちがいを直すために刑務所の中で反省する時間を与えられる。重罪を犯した犯罪者は自分で自分の罪を償[つぐな]うために死刑に処されることができる。『人間がみな平等である』ことを守るためには、他人を殺した者は他人に殺されねばならない。それが正義というものだ。法律会社と契約していれば、重罪を犯した者は“死刑サービス”を受けられるので幸せである。犯罪者は死ぬことによって自分の罪を償えるから幸せなのである。反対に、法律会社と契約していない者は犯罪を犯しても反省する時間を与えられず死刑にされないので、『人間がみな平等である』ことを守れず、人間として正しいことができないので、人間として苦しまねばならないことになる。だから、国民はみんな法律会社と契約すればいいのである。
国民が法律会社に管理されるのはブタ小屋の中のブタみたいで不愉快[ふゆかい]である。刑務所の中で暮らしているのと同じである。国全体がひとつの刑務所である。しかし、法律会社は国民を幸福にするためにある。法律会社は国民を幸福にするだけで不幸にしない。反対に、政治団体は国を平和にして国民を幸福にするために国民を虐[いじ]めて国民を従わせて不幸にする。それが法律会社と政治団体の違いである。(政府は政治団体(権力団体)であって法律会社ではない。今の政府は法律会社のふりをしている政治団体である。政府は法律会社ではない。だから、政府の付属の法律会社は法律で国民を取り締まっていない。政府の付属の法律会社は法律会社の格好[かっこう]をしてブラブラしているだけである。政府の付属の法律会社は国民みんなを虐めて従わせるためにある。暴力団と同じである。戦前は警官が国民に暴力をふっていたし、今は警官が国民の前でヘンタイをやっている。)国民は自分が幸福に生きていけるなら法律会社に管理されてもいいと思って我慢しないといけない。国民は自分のプライド(自尊心)を犠牲[ぎせい]にして法律会社に管理されて幸福を手に入れねばならない。それが法律会社の問題点である。昔の国民が平等を犠牲にして政治団体に従って平和に暮らさねばならなかったのと同じである。人間は自分が幸福に生きるためには何かを犠牲にして多少の不幸を我慢しないといけないのである。それが嫌なら自分が一生懸命に勉強して法律会社に入って働くしかない。

[22281] 政府は国民を不幸にして国を平和にする。法律会社は国民を幸福にして国を平和にする。 h27.11.15
政府(政治団体)は国民を虐[いじ]めて国民を従わせて国を平和にする団体である。政府は国民に嫌なことを命令したり国民に暴力をふったりして国民を従わせて国を平和にする。政府は国民と不平等にして国を平和にする団体である。政府は国民を不幸にして国を平和にする団体である。
反対に、法律会社は国民が幸福に暮らせる決まりを作って国民に決まりを守らせて国を平和にする団体である。(家電メーカーが国民が幸福に暮らせる電化製品を作って国民に電化製品を使わせて国民を幸福にするのと同じである。家電メーカーと国民は平等である。)法律会社は国民と平等にして国を平和にする団体である。法律会社は国民を幸福にして国を平和にする団体である。
政府も法律会社も国を平和にするのは同じである。そのために、政府は国民を不幸にする。法律会社は国民を幸福にする。国民にとっては政府に国を平和にしてもらうよりも法律会社に国を平和にしてもらうほうが得である。
そのため、今では国民みんなは政府に国を平和にしてもらうのをやめて法律会社に国を平和にしてもらうことにしている。国民は政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]している。今の国民みんなは自分たちで法律を作って法律を勉強して法律を守って暮らしている。将来法律会社が建ったら、国民は法律会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらうことにしている。国民はなるべくいい法律会社と契約したいと思っている。国民は国民がなるべく幸福に暮らせる決まりを定める法律会社と契約したいと思っている。
政府は国民を虐[いじ]めて国民を従わせて国を平和にする団体である。政府は多くの国民を従わせるためにちゃんと国民を虐めねばならない。政府はまじめに国民を虐めたから国民みんなが従う大きな団体になれたのである。怠[なま]けて国民を虐めなかった権力団体は潰[つぶ]れた。
法律会社は国民が幸福に暮らせる決まりを定めて国民に決まりを守らせて国を平和にする団体である。法律会社は多くの国民と契約を取るためにちゃんと国民が幸福に暮らせる決まりを定めて料金をリーズナブルにしなければならない。そうやってまじめにやった法律会社が国民みんなと契約を取って大きな会社になれるのだ。
世の中は国民一人一人が考えて作っていくものである。国民一人一人が自分が正しいと思うことをすればいいのである。そもそも『人間は自由』だから、誰も他人のことに口出しできないから、国民は他人にかまわず自分が正しいと思うことをすればいい。指導者なんかいなくても国民一人一人が自分が正しいと思うことをすればいいのである。指導者が正しいとはかぎらないから、指導者がどこかのまわし者であることもあるから、国民は指導者が正しいかどうかよく考えて従うか従わないかを決めればいい。今では国民が国を平和にするためには政府に従うよりも法律を守ったほうがいいから、国民一人一人が政府に従うのをやめて法律を守って生きていけばいいのである。国民一人一人が政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。国民一人一人が国を平和にする方法を変えねばならない。生物が進化するように、大陸が移動するように、社会も変わる。国民一人一人の力によって社会がゆっくり変っていくのである。
他人が自分に正しいことを教えてくれる場合もある。しかし、教えてくれないことが多い。だから、自分が勉強して自分で考えて正しいことをわからねばならない。
国民みんなが政府に従って国を平和にするのはサルの方法である。サル山のサルはボスに従うことによって社会を平和にしている。サル山のボスはサルを虐めてサルを従わせることによって群れを平和にしている。人間にはサルの名残[なご]りがあるので、これまでサルと同じやり方で国を平和にしてきたのである。有能な政治家がサル(ゴリラ)みたいなのはそのためである。ようやく今頃になって法律が出来て国民みんなが法律を守って国を平和にするようになって、サルと違うやり方で国を平和にすることができるようになったのである。映画『猿の惑星』では、今の社会には国を平和にするために政府に従っている者と法律を守っている者が混在していることを描[えが]いている。政府に従っている者がサルであり、法律を守っている者がヒトである。人間はサルからヒトに進化しないといけない。サルはボスに従うが、人は法律を守る。映画『2001年宇宙の旅』に登場するモノリスが法律のことである。モーゼの石板には十戒(法律)が刻まれていたからモノリスが法律である。人類は法律と出会って法律を守るようになって新たな時代を迎えたのだ。法律は宗教団体や政治団体などの権力団体にとっては自分たちを滅ぼす脅威[きょうい]だから、今から約2千年前に宗教団体や政治団体がモーゼを自分たちにとって無難[ぶなん]なキリストに替えて自分たちが滅ぶのを防いだのだろう。しかし、その後も国民で法律を改良し法律を発展させて、今では国民が法律を守って平和に幸福に暮らせるようになったのだ。
アフリカの土人一同が順番に村の酋長[しゅうちょう]に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げて酋長にひれ伏している。酋長が松明[たいまつ]に照らされて貢物の食べ物を美味[おい]しそうにムシャムシャ食べている。村の女が酋長の周[まわ]りで歌と踊りをやっている。それは村人一同が村の酋長に従うことによって村を平和にするためである。大昔の日本も同じことをやっていた。それを大きくしたのが政府である。国民みんなが政府に貢物を捧げてひれ伏している。そうやって国を平和にしているのである。税金は国民の政府に対する貢物なのである。幕府が年貢[ねんぐ]と言うのはそのためである。今の日本でもアフリカの土人と同じことをやっているのである。
現代社会は文明が進んで多くの物があって人間の生活が複雑化している。国民が政府に従う方法ではとうてい国民が幸福に暮らせない。国民が幸福に暮らすには法律を守る方法によるしかない。だから、今の国民は政府に従うのをやめて法律を守って暮らせばいいのである。国民だけでは法律がよくわからないから、法律に詳しい法律会社にお金をやって法律のことをやってもらえばいい。
国民だけではいつまでたっても法律のことをやらない。只[ただ]で法律のことをやってくれる国民が現れるのを待つのは虫がいい話である。国民みんながケチ臭いにもほどがある。法律会社は自分がお金を稼[かせ]ぐために嫌でも法律の仕事をやらねばならない。国民みんなで法律会社を建てておけば、法律会社はお金を稼ぐために泣きながらでも法律の仕事をする。そもそも法律会社は国民を幸福にする会社だから、国民のためにそこそこいい法律を定めてそこそこ安い料金でやってくれるはずである。政治団体は国を平和にするために国民を従わせるために国民を嫌がらせねばならなかったから国民が嫌がることをやったが、法律会社は国民が幸福に暮らす決まりを作る会社だから国民が喜ぶことをやってくれる。国民がお金で済むならしよいことだ。だから、国民みんなで法律会社を建てて法律会社にお金をやって法律の仕事をやってもらえばいい。
政治団体は国民を嫌がらせて国民を従わせて国を平和にする団体である。政府はヨーロッパ文化で国民を嫌がらせる。幕府はアジア文化で国民を嫌がらせる。政府と幕府は国民の嫌がらせ方が違うだけで国民を嫌がらせることは同じである。政府と幕府は原理が同じだから、同じ政治団体が政府と幕府をやっていたのである。しかし、政治団体と法律会社は原理が違う。政治団体は国を平和にするために国民を従わせるために国民に命令して嫌なことをやらせる。法律会社は国を平和にするために国民が幸福に暮らせる決まりを作って国民に決まりを守らせる。だから、政治団体が法律会社をやってはいけないし、法律会社が政治団体をやってはいけない。政治団体と法律会社を混ぜてはいけない。だから、今の政府が法律会社をやってはいけない。今の政府が法律会社をやって国民を従わせるために国民を嫌がらせる法律を決めてはいけない。国民を不幸にする法律を定めてはいけない。法律会社は国民を幸福にすることが仕事である。政府は国民を虐めて不幸にするのが好きだから、政府が法律会社をやってはいけない。政府がちゃんと潰れてから、政府とはまったく別に法律会社が建たねばならない。法律会社が権力団体をやって国民を従わせるために国民が嫌がる決まりを作ってもいけない。
昔は政府が国民を虐めて国民を従わせて国を平和にしていた。それと同じように、昔は親が子供を虐めて子供にしてはいけないことを教えて子供が幸福に暮らせるようにしていた。昔は文明が低くて国民みんなが勉強する暇がなくて勉強することができなかったから、国民は自分の心のままに生きていたので、政府や親は国民に心で教えて国民が幸福に生きられるようにしていたのである。しかし、今は法律会社が国民に法律を教えて国民が法律を勉強して国民が法律を守って国を平和にしている。今は親が子供にいろんな知識を与えて子供が自分でいろんな知識を勉強して幸福に生きることができるようになっている。今は文明が高くて国民みんなが勉強する暇があって勉強することができるから、国民はいろんな知識を勉強して幸福に生きることができるようになっているのである。法律会社や親は国民に正しい知識を教えて国民が幸福に生きられるようにしているのである。政府が国民を虐めて国民をおとなしくさせて国を平和にして国民を幸福にするやり方は昔の人から見れば当然だが、今の人から見ればキチガイじみている。政府の国民を幸福にするやり方は古臭すぎる。時代遅れである。だから、今の国民は政府に従うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒しているのである。

[22282] 「権力より愛だね」 h27.11.15
昔は社長が社員を虐[いじ]めていた。社長がいつもプンプンして怒って社員を虐めて従わせていた。社長は会社の儲[もう]けを独[ひと]り占めして社員に嫌がらせの命令をして社員に暴力をふっていた。
今は社長が善い人のふりをしていつもニコニコして温和で愛想[あいそう]よくしている。社長は代表取締役と名前を変えている。しかし、今でも社長は社員を従わせている。社長は社員に暴力をふらないものの昔と同じように会社の儲けを独り占めして社員に嫌がらせの命令をしている。
昔も今も社長は同じことをやっている。社長のやっていることは同じである。うわべが違うだけである。中身は同じである。昔の社長は正直だったが、今の社長は陰険[いんけん]である。
今の社長が善い人のふりをしているのは、政府がいろんな付属会社を経営して自分が善いことをする団体のふりをしているのと同じことである。政府は裏では国民みんなに命令して国民みんなが嫌がることをさせて国家宗教で事件や事故を起こして国民みんなを虐待している。
こういうのを朝三暮四というのである。見かけが違うだけで中身は同じである。
国民みんなは社長の善い人ぶりに騙[だま]されてはいけない。たとえ見掛けは違っていても、やっていることが同じなら同じである。社長は昔と同じように社員を虐めて従わせている。人間には『自分を虐める者に従う心理』があるので、社長が社員を虐めると社員は社長に従うのである。社員が社長に従っても善いことは何もない。社長は政府のように会社を平和にするために居[い]るのではない。社長には存在意義がない。社長は会社の儲けを独り占めして社員を虐めるだけの役立たずである。だから、社員みんなで社長を倒して社長のいない会社にすればいいのである。

[22283] 今の国民には政府に従う以外にも国を平和にする方法がある。 h27.11.16
政府は国民を従わせて国を統一して国を平和にする団体である。政府は国を平和にするために国民を従わせるために国民を嫌がらせる。政府が国民を喜ばせると国民は「政府が国民の道具だ」「政府は国民に従う」と思って政府に従わなくなるので、政府は国民を喜ばせないのである。政府は国民を嫌がらせるだけである。政府は国民を嫌がらせるために国民に命令して嫌なことをやらせたり国民に暴力をふったりする。政府は国を平和にするために国民を嫌がらせて国民を不幸にする。
そもそも国民と政府は平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
国民は自分が平和に暮らしたければ政府に従い、自分が平和に暮らしたくなければ政府に従わなければいい。
国民は自分が平和に暮らす別の方法があれば政府に従わなくてもいい。
今では国民が法律を守って平和に暮らすことができる。国民は法律を守ったほうが政府に従うよりも政府に不幸にされないぶん幸福に暮らすことができる。だから、国民は政府に従わなければいい。
そういうわけで、今の国民は政府に従うのをやめている。政府の命令を無視して政府に税金を払えと言われても払わなくなって政府を潰[つぶ]している。今の国民はテレビのニュース番組を見て法律を勉強して法律を守って暮らしている。国民だけでは法律のことが十分にやれないから、国民みんなで法律会社を建てて法律に詳[くわ]しい者に法律の仕事をさせようと計画している。
政府は国民を従わせて国を平和にする団体だから、政府は国民を従わせるために国民を嫌がらせるために国民にいろんな命令を出す。一方、法律会社は国民が幸福に暮らせる決まりを作って国民に決まりを守らせるだけである。法律会社は国民に法律を守らせるだけで、それ以外に命令しない。法律会社は国民の自由を尊重するので国民に余計な命令をしない。政府は権力団体であって法律会社ではないから国民にいろんな命令をする。法律と無関係に命令をたくさん出す。国民を嫌がらせる法律をたくさん作って国民を嫌がらせる政策をたくさんやる。もっとも、『北風と太陽』のおとぎ話ようにたまには国民を従わせるために国民が喜ぶこともする。しかし、政府があまり国民を喜ばせると政府が国民にナメられて国民が政府に従わなくなるので、政府はちょっとだけ国民を喜ばせるだけでいつもは国民が嫌がることをする。“飴[あめ]と鞭[むち]”の使い分けが政治(国民を従わせて国を平和にすること)の極意である。国民に甘くしたり厳しくしたりして国民の心を操作して国民をだんだん政府に従わせていくのが政府のやり方である。しかし、国民は政府に心理操作(マインドコントロール)されていたから政府に従っていたのではなく、国を平和にしたかったから政府に従っていただけである。政府も国を平和にしたいから国民を従わせていただけである。政府が国民を虐めるのは国を平和にするための必要悪だったのである。国民も政府も人間だから正しいことをやる。今では法律があるから国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令をいっさい無視して政府に税金をやらないようにして政府を潰している。今は法律があるから、政府は国民を従わせなくていい。政府は自分で国民を従わせるのをやめて潰れているのである。政府は大きい団体だから、眼で見てもわからないぐらいゆっくりと潰れているのである。政府は国民よりも遅れているが潰れることは潰れているのである。国民が政府を潰すほうが政府が自分で潰れるよりも早いから、マンガみたいに「政府が悪の組織で国民を虐めていて正義の国民が悪の政府を倒している」ように見えるのである。
アメリカは新しく出来た国だが、歴史を一から始めねばならないので未熟である。アメリカは科学技術は進んでいるけれども、社会制度が遅れている。アメリカはいまだに国民が政府に従うことによって国を平和にしている。国民が法律を守って国を平和にしていない。だから、アメリカではいまだに政府が国民を従わせるために国民を虐待しているのである。一方、日本は知覚主義の国なので物にこだわらないので科学技術は遅れているが、歴史の古い国なので社会制度が進んでいる。日本ではすでに国民が法律を守って国を平和にして、政府に従って国を平和にしていない。だから、日本では国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
ヨーロッパは五感主義の国だからヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪いからヨーロッパ人は法律がわからないから、ヨーロッパ人は狩猟民族で悪いことが好きで法律を守るのが嫌いだから、ヨーロッパ人はいまだに政府に従うことによって国を平和にしているのである。(ヨーロッパではたまに天才が現れるが、天才はヨーロッパ人ではなくヨーロッパに帰化したインド人である。)反対に、日本は知覚主義の国だから日本人は眼が悪いが頭がいいから日本人は法律がわかるから、日本人は今では法律を守って国を平和にするようになって政府に従わなくなっているのである。インドは知覚主義の国でインド人は頭がいいが昔政府にまじめに従いすぎたために身分制が出来てしまっていまだに身分制が濃く残っているために国民が政府に従うことによって国を平和にしている。中国は心主義の国で中国人は心が善いだけで頭が悪いから中国人は法律がわからないから、中国人は気分本位に動くのでまじめに法律を守らないから、中国人はいまだに政府に従うことによって国を平和にしている。世界中で法律をまともに守れる国は日本だけである。だから、社会的には日本が先進国である。日本が世界で一番最初に政府がなくなる国である。日本は早く政府を倒して自分が優れた国であることを世界中のみんなに示さねばならない。

[22284] 今では国民が政治団体を使わなくなって政治団体が滅んでいる。 h27.11.16
政治団体(政府)や法律は国民が国を平和にするための道具である。
昔は法律がなかったから、国民は国を平和にするために政治団体を使っていた。国民は国を平和にするために政治団体に従っていた。国民は政治団体に従うために政治団体の命令をなんでも聞いて政治団体に暴力をふられていた。政治団体は国民を従わせるために国民を嫌がらせて国民を不幸にした。国民は国を平和にするために我慢[がまん]していた。
今は法律があるから、国民は国を平和にするために法律を守っている。国民は国を平和にするために法律を作って法律を勉強して法律を守っている。法律は国民を嫌がらせたりしない。国民は政治団体が要らなくなっている。国民は政治団体に従わなくなっている。国民は政治団体に従わなくなって政治団体の命令を聞かなくなって政治団体にお金を払わなくなって政治団体を潰[つぶ]している。
昔はみんながラジカセで音楽を聞いていた。今ではMP3プレーヤーで聞いている。MP3プレーヤーのほうがラジカセよりも音質がいいから、みんながラジカセを使わなくなってMP3プレーヤーを使っている。ラジカセは売れなくなってなくなっている。それと同じように、昔は国民みんなが政治団体で国を平和にしていた。今では法律で国を平和にしている。法律のほうが政治団体よりも幸福だから、みんなが政治団体を使わなくなって法律を使っている。政治団体は売れなくなってなくなっている。

[22285] 政府は国を平和にするために我慢[がまん]しながら国民を虐[いじ]めている。☆ h27.11.16
昔は法律がなかったので、国民は政府(政治団体)に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。政府は国民を従わせることによって国を統一して国を平和にしていた。
政府は国民を従わせるために国民を虐めなければならなかった。政府は国民を従わせるために国民に命令して国民が嫌がることをやらせたり国民に暴力をふったりして国民を虐待していた。もしも政府が国民を喜ばせると、国民は「政府は国民の役に立つためにある」「政府は国民に従う団体だ」と思って政府をナメて政府に従わなくなるので、政府は心を鬼にして国民を虐めていたのである。政府が国民を従わせなくなると、国民が自分の好き放題にして、国がバラバラになって国民同士が争って国が平和でなくなるから、政府は国を平和にするために自分が国民を虐めるのを我慢して国民を虐めねばならなかったのである。政府が国民が喜ぶことをして政府と国民が平等になると国民が自分勝手なことをして国が乱れて国が平和でなくなるから、政府は国民と不平等にするために国民が嫌がることをして国民を虐待しなければならなかったのである。政府は顔で笑って心で泣きながら国民を虐めていたのである。そのため、昔は国民を虐めるのが嫌な者は政府に勤めることができず政府を首にされていたのである。(私の祖先も国民を虐めるのが嫌だったので幕府を首にされて武士から百姓にされた。)政府は国民を従わせることによって国を平和にする団体なので、政府は自分が国民と不平等にしなければならないので、政府は国民を虐めないといけなかったのである。政府はたとえ自分が嫌でも国民に命令して嫌なことをやらせたり国民に暴力をふったりして国民を虐待しないといけなかったのである。昔の政府は国を平和にして国民みんなを幸福にするために国民みんなを虐めて不幸にしなければならなかったのである。それに耐えられる者だけが政府をやれたのだ。外科医が患者の病気を治して幸福にするために手術するようなものである。
国民は政府が国民を虐めるのを我慢しなければならなかった。政府が国民を虐めないと、国民が「自分と政府は平等だ」「自分が政府に従わなくてもいい」と思うようになって、国民がめいめい好き勝手なことをして国民同士が争うようになって国が平和でなくなるから、国民は政府が国民を虐めるのを我慢するしかなかった。国民が政府に従わないと、国民がめいめい自分勝手なことをするようになって国民同士が争うようになって国が平和ではなくなるから、国民は国を平和にするために政府に従うしかなかった。そのため、国民は政府が国民を虐めるのを我慢しながら政府に従っていたのである。
昔は国民も政府も国を平和にするために政府が国民を虐めることを我慢しなければならなかった。政府は国を平和にするためにいやいや国民を虐めていた。国民も国を平和にするためにいやいや政府に従っていた。
しかし、今では法律がある。国民は法律会社が作った法律を守って幸福に平和に暮らしている。法律会社は国民からお金をもらうために国民が幸福に暮らせる法律を作って国民に守らせている。国民は法律のことをよく知らないから、自分が幸福に暮らすために法律会社が作った法律を守って暮らさねばならない。法律会社は国民からお金をもらうために国民を幸福にする法律を作って守らせねばならない。国民は法律会社にお金をやって法律会社を幸福にし、法律会社は国民が幸福に暮らせる法律を作って国民を幸福にしている。今では国民も法律会社もお互いに幸福にし合っている。
国民が政府に従っても、国民が法律会社の法律を守っても国が平和になるのは同じである。国民が政府に従うと、国民も政府も政府が国民を虐めるのを我慢しないといけない。政府も国民も双方がつらい思いをしないといけない。一方、国民が法律会社の法律を守ると、国民が法律会社にお金をやって法律会社を幸福にし、法律会社は国民が幸福に暮らせる法律を作って守らせて国民を幸福にしてお互いに幸福にし合うことができる。
そのため、今では国民が政府に従わなくなって政府を滅ぼしている。国民は政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府も国民を従わせなくなって自分で滅んでいる。政府は国民に命令して税金を取らなくなって滅んでいる。今の国民は自分で法律を勉強して法律を守って平和に暮らしている。しかし、国民だけでは十分に法律がやれない。そのため、将来は国民みんなで法律会社を建てて、法律会社に法律の仕事をしてもらうつもりである。
実際には、今の政府は国民に命令して国民から税金を取っている。だから、今の政府は本当の政府ではない。今の政府はニセモノの政府である。今の政府は国民が従うことによって国を平和にする団体ではない。今の政府はただの役立たずである。それなら、国民は今の政府に従う必要がない。今の国民は政府の命令を無視して政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。
ラジカセを作る会社はMP3プレーヤーが出来たら、ラジカセが売れないと思って自分で潰[つぶ]れる。国民みんながMP3プレーヤーを買ってラジカセを買わなくなってラジカセが売れなくなるからラジカセを作らなくなって潰れるのである。それと同じように、政府は法律が出来たら、国民が政府に従わなくなると思って自分で潰れるはずである。国民みんなが法律を守るようになって政府に従わなくなって政府が国民に命令できなくなって政府が国民から税金を取れなくなって政府が潰れるのである。それなのに、今の政府は国民から税金を取れなくなって潰れていない。今の政府が潰れていないのは、今の国民が政府に従っているからである。今の国民が政府に従っているから、政府が「自分が国民に命令して国民から税金を取ってもいい」と思って国民から税金を取って潰れないのである。今の国民が政府に従っているから、政府は「国民が法律を守るよりも政府に従いたい」「国民が法律を守るのが嫌だ」「国民が政府に命令して欲しい」と思って国民に命令しているのである。政府は国民が命令を聞くから命令を出しているのである。ラジカセを作る会社がラジカセが売れるからラジカセを作るのと同じことである。ラジカセを作る会社はたとえMP3プレーヤーがあっても実際にラジカセが売れればラジカセを作る。それと同じように、政府はたとえ法律があっても実際に国民が命令を聞けば国民に命令する。つまり、会社は自分が残るか潰れるかを自分で決めているのではなく、客に決めてもらっているのである。それなら、国民は自分で考えて政府に従うか従わないかを決めればいい。国民は政府に自分が政府に従うか従わないかを決めてもらうのではなく、自分自身で自分が政府に従うか従わないかを決めればいい。国民は政府が自分に命令しようがしまいが、国民は政府が自分に命令することを無視して、自分で考えて自分が政府に従うか従わないかを決めればいいのである。国民が「政府が自分に命令するから自分が政府に従わねばならない」と思うのがいけない。本当は国民と政府は平等である。政府は国民に命令を売る会社なので、政府の命令を買うか買わないかは国民が自分で決めればいいのである。国民は『いくら政府が偉そうに自分に命令しても、自分が政府の命令を聞くか聞かないかは自分の自由だ』と思って、自分で政府の命令を聞くか聞かないか決めればいいのである。今の政府は間接民主制をやっていて政府が国民みんなに従って命令しているのではなく自分の独断で勝手に命令しているだけだから、国民が政府の命令を聞く必要はないから、国民は自分で考えて政府の命令を聞くか聞かないか決めればいいのである。政府は自分が国民に嫌がらせの命令を出せるようにするためにあえて間接民主制を採[と]っているのである。今の政府は国民に自分が残るか潰れるかを決めてもらっているから、今の政府は国民の様子を見て自分が残るか潰れるかを決めているから、今の政府は国民が自分の命令を聞くか聞かないかによって自分が残るか潰れるかを決めているから、国民が自分でしっかり考えて政府に従うか従わないかを決めることが大事なのである。国民が自分で考えてラジカセを買うか買わないかを決めねばならないように、国民が自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならないのである。いくら店が客に「ラジカセを買え!」と言っても客が自分で考えてラジカセを買うか買わないかを決めねばならないように、いくら政府が国民に「政府の命令に従え!」と言っても国民が自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならないのである。インドでは今でも身分制が残っているから国民がなかなか『自分が政府と平等である』ことがわからず「自分が政府に従わなければならない」と思って政府に従っているが、日本では身分制がないから国民が『自分と政府と平等だ』と思っているから国民が『自分が政府に従うか従わないかは自分の自由である』ことがわかっているから国民は自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならない。国民は政府に従うよりも法律を守ったほうが幸福に暮らせる。そもそも国民と政府は平等だから、国民が政府に従うか法律を守るかは国民の自由である。国民は政府を幸福にするためにあるのではなく、自分自身を幸福にするためにある。だから、国民は政府に従うのをやめて法律を守ればいい。国民は政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。国民みんなはしばらくの間は自分たちで法律を守ればいい。そのうち国民みんなで法律会社を建てて、法律会社にお金をやって国民が幸福に暮らせる法律を作ってもらえばいい。
今の日本は犯罪が少なくて十分平和である。今の日本が平和なのは国民が自分で法律を守っているからであって、国民が政府に従っているからではない。今の日本では政府が国を平和にするために国民を虐めて犯罪を犯しているだけである。今日的[こんにちてき]には、政府が国を平和にするために国民を虐待することには何の意義もない。国民にとっては政府はただの迷惑である。だから、国民は政府に従うのをやめて政府を潰して、法律を守って暮らせばいい。将来、国民みんなで法律会社を建てて、法律会社にお金をやって法律の仕事をさせて、国民みんなが今よりもっと幸福に暮らせばいい。
そもそも今の国民が政府に従っているのは国民の政府に対するイメージがまちがっているからである。国民の政府に対するイメージがいけないのである。政府がテレビや新聞に出ていい格好[かっこう]をしているので、国民は「政府が国民が幸せになることをしてくれる善い団体だ」と思って政府に従っているのがいけないのである。一方、マンガやアニメや特撮番組では「政府が悪いことをする犯罪組織をやっている」ので、国民は「自分が政府に逆らったら殺される」と思って政府に従っているのがいけないのである。『政府は本当は権力団体であり、国民を虐めて国民を従わせて国を平和にする団体である。』([22279]を参照。)国民はもっと頭で考えて物を見て眼先で物を見てはいけない。今の国民は『政府が権力団体だ』と考えて、『今では法律があるので、国民が法律を守って国を平和にできるので、国民にとっては政府は要らない。』と考えて、政府に従うのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。昔の人は“権力団体”のことをよく知っていたから『政府が権力団体である』ことがわかっているが、今の若い人(私も含む)は“権力団体”のことを知らないから『政府が権力団体である』ことがわからない。今の若い人は権力団体のことをよく勉強しないといけない。
そもそも政治とは政[まつりごと]で治めることつまり国民が政府を上の者と考えて政府に従うことによって国を平和にすることである。政府は『国を平和にする』ことで国民の役に立つだけであって、それ以外には国民の役に立つことはない。政府は国民よりも頭がいいわけではないから、国を平和にすること以外なら政府がやれることは国民が全部やれる。政府がやれることなら民間会社が全部やれる。しかし、今では政府のたった一つの取り柄[とりえ]である『国を平和にする』ことさえも法律があればできる。つまり、今では政府がやることは全部国民がやれる。政府の取り柄は何もない。今の国民にとってはもはや政府は要らない。今の政府はいたずらに国民を虐めて国民を不幸にしているだけである。今の国民にとっては政府は邪魔[じゃま]なだけである。だから、国民は政府を倒せばいい。国民は政府に従うのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を倒せばいい。

[22286] 昔の国民は自分が『国を平和にするため』に政府に従っていた。☆ h27.11.17
政府は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である。政府は国を平和にするためにある団体である。
昔の国民は政府に従うことによって国を平和にしていたから、自分が『国を平和にするため』に政府の命令をなんでも聞いていた。国民は『国を平和にするためだ』と思って政府の命令で税金でも自殺でも人殺しでも強盗でも放火でもなんでもかんでもやっていた。
しかし、今では法律が出来て国民が法律を守ることによって国を平和にするようになった。今の国民は『国を平和にするため』に政府に従う必要がなくなったから政府の命令をなにも聞かなくなった。今の国民は政府に従う意義がなくなったから政府に従わなくなった。政府は国民に何も命令できなくなった。政府は国民に命令して税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
政府は昔の“国を平和にする団体”である。今の国民は法律を守って平和に暮らしている。今の“国を平和にする団体”は法律会社である。今の国民は法律会社を建てて、法律会社と自由に契約してお金をやって法律の仕事をやってもらわねばならない。

[22287] 今では法律が政治団体に勝[まさ]っている。 h27.11.17
昔は法律がボロかったので、法律はあってもないに等しかった。そのため、国民は法律を守らずに権力団体に従って平和に暮らしていた。政治団体は国民の役に立っていたので、政治団体は国民からお金をもらって儲[もう]かっていた。
しかし、時代が進むにつれて法律がどんどん改良されていって法律の質が高くなって実用に耐えるものになっていった。
今はいい法律があるので、国民は法律を守って平和に幸福に暮らせるようになっている。国民は政治団体に従う必要がなくなって政治団体に従わなくなっている。政治団体は国民の役に立たなくなったので、国民に捨てられて国民からお金をもらえなくなって滅んでいる。
今では法律が難しくなって素人[しろうと]の手に負えない。国民だけでは法律が十分にやれない。そのため、国民は法律会社を建てて、法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせるだろう。国民が法律会社と契約すれば、国民は法律会社に“国民が幸福に暮らせる法律”を守らせてもらって幸福に暮らすことができる。国民は自分がまちがって法律を犯して不幸になった場合には刑務所に入って正しい法律を勉強して正しい法律を守れるようになって再び社会に出て幸福に暮らせるようにしてもらえる。国民は自分が重大なまちがいを犯して不幸になりすぎた場合には死刑にされて自分の不幸を終わらせてもらえる。反対に、国民が法律会社と契約しなければ、国民は法律会社に“国民が幸福に暮らせる法律”を守らせてもらえず幸福に暮らせない。国民は自分がまちがって法律を犯して不幸になった場合にも正しい法律を勉強する機会が与えられず正しい法律が守れないまま不幸に暮らし続けねばならない。国民は自分が重大なまちがいを犯して不幸になりすぎた場合にも死刑にされず自分が死ぬまでずっと苦しみ続けねばならない。国民は法律会社に“国民が幸福に暮らせる法律”を守らせてもらって幸福に暮らすことができる。法律会社は国民からお金をもらって幸福に暮らすことができる。国民と法律会社はお互いに幸福にし合う。国民と法律会社は平等である。だから、国民は法律会社と契約してお金を払って仕事をしてもらうのである。法律は国民に守らせるものではない。国民が自分から進んで守るものである。法律会社は国民がお金を払ってでも守りたくなるような法律を作らねばならない。法律会社は国民が幸福に暮らせる法律を作らねばならない。法律会社は国民に売れる法律を作らねばならない。政府は国民を従わせるために国民に命令する団体だから、政府の法律は国民に対する命令だった。法律会社は国民を幸福にするために法律を作る会社だから、法律会社の法律は国民に対する商品なのである。国民が法律会社の法律を守るか守らないかは国民の自由である。だから、法律会社は国民が守りたくなるような法律を作らねばならない。法律会社は国民が守って幸福になる法律を作らねばならない。法律会社は国民が「守ってよかった」と思う法律を作らねばならない。
時代がたつほど法律の数が増えて人間の自由が減る。法律と自由は相反[あいはん]する。法律は人間の自由を保障するものではない。法律は人間の幸福を保証するものである。法律を守れば人間は自由ではなくなるが、そのぶん幸福になれる。人間は自由を犠牲にして幸福を得る。昔は人間は物体の運動がわからなかった。今では人間は物体の運動がわかって運動が一意的に求められる。それと同じように、昔は人間はどうすれば幸福に生きられるかがわからず自由だった。今では人間はどうすれば幸福に生きられるかがわかって自由が減った。人間にとっては幸福が目的であって自由が目的ではない。人間は自由を捨てて自分が幸福に生きる道を求めるべきである。それが法律である。人類は長年の経験により自分が幸福に生きる道がわかった。それが法律である。

[22288] 法律革命 h27.11.17
昔の国民は政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。
政府は国を平和にするために国民を従わせるために国民に嫌なことをして国民を虐[いじ]めていた。政府が国民を喜ばせると国民は「政府と国民が平等だ」と思って政府に従わなくなって自分勝手なことをやるようになって国民同士で争って国が平和ではなくなるから、政府はわざとに国民が嫌がることをしていたのである。政府は国民が嫌がることを命令したり国民に暴力をふったりして国民を虐めていた。政府も本当は国民を虐めるのが嫌だったが、国を平和にするために心を鬼にして国民を虐めていた。政府は顔で笑って心で泣きながら国民を虐めていたのである。
国民は国を平和にするために政府の虐めに耐えながら政府に従っていた。
政府も国民もともに虐めに耐えながら国を平和にしていた。
しかし、今では法律がある。今の国民は法律を守ることによって国を統一して国を平和にしている。
国民が法律を守って国を平和にするようになっているために、国民は政府に従って国を平和にしなくなっている。国民は政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。国民だけでは法律がよくやれないから、将来国民で法律会社を建てて法律会社に法律のことをやらせようと計画している。
今の日本で国民の多くが日本文化に反することをやって自分で自分の心を不満にして不幸に暮らしているのは、国民だけでは法律のことがよくわからないからである。国民だけでは日本人の心がよくわからないからである。国民が自分勝手なことをやっているために自分の心に反するまちがったことをやって自分で自分を不幸にしなければならなくなっているのである。早く国民みんなで法律会社を建てて法律会社に“日本人の心を満足する法律”を作ってもらって国民みんなに“日本人の心を満足する法律”を守らせてもらって国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていたために、今でもヨーロッパ文化が残っている。ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪い馬鹿である。ヨーロッパ文化は馬鹿のためにあるくだらない文化である。日本人は眼が悪いが頭がいい。ヨーロッパ文化は日本にふさわしくない。ヨーロッパ文化は日本人を不幸にする。だから、日本人は早くヨーロッパ文化をやめて日本文化をやらねばならない。日本人は頭で考えて貧乏にして幸福に暮らさねばならない。日本を日本人の心を満足する国にしないといけない。そうしなければ日本人が幸福に暮らせない。日本人が幸福に暮らすためには日本を日本人の心が満足できる国にしないといけない。早く国民みんなで日本をそういう国にしないといけない。
そもそもヨーロッパ文化と政府とは関係ない。政府は権力団体であってヨーロッパ文化とは別ごとである。権力団体もヨーロッパ文化も昔の国民が犯したまちがいである。今の国民は政府の問題もヨーロッパ文化の問題も両方とも解決しないといけない。国民が法律会社を建てれば一挙[いっきょ]に両方とも解決できるだろう。
政府は国を平和にする団体であって、国民を支配する団体ではない。今では国を平和にするためには法律といういい方法がある。今では国を平和にするためには国民が政府に従うよりも国民が法律を守ったほうがいい。だから、国民は法律を守って政府に従わなければいい。政府は国を平和にする団体であって国民を支配する団体ではないから、政府は国民が国を平和にするためなら国民が政府に従わないことを認めねばならない。政府が国を平和にするために国民を虐めるので国が平和でなくなっている。政府は国を平和にするために国の平和を乱している。今では国を平和にするためには政府が国民を虐めて従わせるよりも国民が法律を守って政府に従わなくなって政府が滅んでなくなったほうがいいから、政府は自分が法律に負けたことを認めておとなしく滅ばねばならない。(私が高知学芸中学校の3年生のとき物理学の担任の真島一[まじまかず]先生が「水道の栓は開けやすく閉めやすくなっている。相反[あいはん]することができるように作られている。うまく出来ているもんだ。」と話していた。もしかしたら、政府が国を平和にするために国の平和を乱していることを言っていたのかもしれない。)
これまで国民は『国を平和にする』ために政府に従ってきただけである。それ以外に国民が政府に従う目的はない。しかし、今では国民が法律(政府の法律ではない)を守って国が平和になっている。国民が国を平和にするためにわざわざ政府に従う必要はない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府の命令をいっさい無視して何もしなければいいのである。国民は政府の命令で税金も政府の法律も政策も国家宗教もそれ以外のことも全部しなければいいのである。国民は政府を無視して“本当の法律”(政府やその他の権力団体が存在しない法律)を守って平和に暮らせばいいのである。今の政府が国民に命令しているのは、今の国民が政府の命令を聞くからである。今の国民が政府の命令を聞くから、政府は国民に命令するのである。国民が政府の命令を聞くから、政府は「今でも国民が国を平和にするために政府に従っている」と思って国民に命令するのである。人の考えは眼で見えないから、政府は国民の態度を見て国民の考えを推測しているのである。だから、国民が政府に命令させないためには、国民が政府の命令を聞かなければいい。国民は『今では国を平和にするために国民が政府に従う必要はない』と考えて、政府の命令を無視すればいいのである。そうすれば、政府は『今の国民は国を平和にするために法律を守っているから政府に従わない』と思って、国民に命令しなくなっておとなしく潰れるだろう。政府は国民の出方に応じて自分の態度を決めている。つまり、政府は国民に従属している。政府は国民の言いなりである。だから、国民が自分にとって得になるように決めればいいのである。国民にとっては政府に従うよりも法律を守るほうが得だから、国民が法律を守って政府に従わないことにすればいいのである。国民が政府の命令をいっさい無視すればいいのである。人間は正しいことに従わねばならない。国民も政府も正しいことに従うしかない。国民の判断が正しければ政府は国民に文句が言えないから、国民は正しいことをやればいいのである。今では国民が政府に従うよりも国民が法律を守るほうが国が平和になるから、国民は法律を守って政府に従わなければいいのである。これまで政府は『国を平和にする』ために国民を虐めて国民を従わせてきただけである。しかし、今では国民が法律を守って平和に暮らしている。今では政府が何もしなくても国が平和になっている。政府がわざわざ『国を平和にする』ために国民を虐めて国民を従わせる必要はない。だから、政府は国民が政府に従わないことを認めておとなしく滅ばねばならない。(これまで国民は『国を平和にするため』に政府に従っていただけである。私が高校生のころ放課後に友達といっしょにしょっちゅう帯屋町[おびやまち]の真ん中にある金高堂[きんこうどう]書店に寄っていろんな参考書を立ち読みしていたが、ある日川本竜彦[かわもとたつひこ]君が高田瑞穂[たかだみずほ]著『新釈現代文』という国語の参考書がすごくいい本だと言っていた。私はその本を買って読んだことがないが、その本の序文には“たった一つのことだけわかればいい”とくどく書いてあった。もしかしたら、国民が政府に従うのは『国を平和にするため』しかないことを言っていたのかもしれない。政府は『国を平和にするため』にあるだけであることを言っていたのかもしれない。国民が現代文を読解して現代文の意味が正しくわからねばならないように、国民は政府を読解して政府の意味が正しくわからねばならないと言いたかったのかもしれない。ちなみに、私は小西甚一[こにしじんいち]著『古文の読解』が好きで買って持っていたが、なかなか厚くて読めなかった。“私はこの本を理系のために書いた”という言葉が印象的だった。)
政府は国を平和にするために国民を虐めて国の平和を乱している。政府は国を平和にするために国を平和でなくしている。政府は矛盾したことをやっている。インド人は頭がいいからインド人は矛盾したことが嫌いだから、インド人は自分が政府に従うためにわざわざ身分制を設けて政府が上の者であることにして政府に従っていたのである。政府が国を平和にするために国民を虐めて国の平和を乱していることをないことにして、政府が上の者だから国民を虐めているだけであることにしたのである。日本人は現実には矛盾したこともやむをえない場合があることを知っているから、日本人は矛盾したことも許すから、政府が国の平和を乱して国を平和にするのを認めていたのである。だから、日本には身分制がないのである。

[22289] 人間は概念を考え出して概念を組み合わせて物事を理解する。★ h27.11.18
“権力団体(人々を虐[いじ]めて従わせることによって人々をおとなしくさせて人々が争わないようにして平和にする団体)”という概念があれば政府がわかる。『政府が国民を虐めて従わせて国を平和にする権力団体である』ことがわかる。『宗教団体や暴力団や社長や国際連合などが人々を虐めて従わせて村やご町内や会社や世界を平和にする権力団体である』ことや『今では国民が法律を守るようになって世の中が平和になっているから、国民にとって権力団体が要らなくなって、国民が権力団体に従わなくなって権力団体が滅んでいる』ことや『国民だけでは法律がよくわからないから、国民で法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせればいい』ことがわかる。
“感覚(感じること)”という概念があれば人間の認識がわかる。『人間の認識が、脳細胞の神経興奮によって感覚が発生することである。つまり、人間の認識も自然現象である。物である』ことがわかる。『人間が自分の経験から概念を得て、自分の概念を組み合わせて対象と同じことを作ることによって物事を理解する』ことや『人間の心は人によってそれぞれ違う。テレパシーは実在する。(私は国家宗教の神なので、私が頭の中で思ったことを政府がテレパシーで聞いて国家宗教でやっているから、テレパシーは実在するのである。)昔の人間はテレパシーを使ってアイデアだけで意思伝達していた。今の人間は言葉や文字を使って意思伝達するようになったのでテレパシーを使わなくなっているが、本当はテレパシーが使える。人間が個人の心の違いを超えて自分の“支配欲”を満足しようとして(つまり人間が他人がやっていることに腹を立てて)他人がやっていることを直そうとして、「テレパシーがない」と思って冗談でテレパシーを使って他人に訴えたために本当にテレパシーが使えるようになって、自分の周[まわ]りにいる人がテレパシーで自分に対する悪口を言っているのが聞こえるようになって自分の支配欲が満足されなくなって欲求不快になって(つまり幻聴の悪口に腹を立てて)暴れまわるようになって精神分裂病に罹[かか]る』ことや『精神分裂病は思春期や中年期に多いから、精神分裂病とオナニーやセックスは関係がある。人間がオナニーやセックスをすると感情の興奮性が高まるから、自分の支配欲が高まって無理に自分の支配欲を満足しようとして他人のことにテレパシーで余計な口出しをして精神分裂病に罹る』ことや『思春期や中年期には性欲を満足させるために感情全般が興奮しやすくなっていて“支配欲”が敏感になっていて、支配欲が満足されないとすごく暴れる。他人が気に入らないことをしているのを見て頭の中で暴れてテレパシー器官を使って訴えたためにそれまで眠っていたテレパシー器官が活動するようになってテレパシーがよく聞こえるようになって、テレパシーで悪口が聞こえるようになって支配欲が満足されなくなってすごく暴れるのが精神分裂病である。時間がたって支配欲が落ち着くとテレパシーで悪口が聞こえても支配欲が不満にならなくなって精神分裂病が治る。つまり、精神分裂病は“支配欲”が興奮しやすくなっているために起こる病気である。抗精神病薬は支配欲を鎮静[ちんせい]させるためにある。』ことや『自分の支配欲を満足するために個人の自由を認めない人間は精神分裂病に罹[かか]って他人が自分の気に入らないことをするのに耐えられなくて社会の中で生きていけなくなって死ぬ。』ことや『人間が“自分の本心”を満足しないために自分の本心が欲求不満になって神経症や鬱病[うつびょう]に罹る。特定の事柄に対する欲求不満が神経症で、自分が置かれている環境全体に対する欲求不満が鬱病である。』ことや『人間が自分が嫌いなことを無理にしなくなったり自分が嫌いな環境を自分が好きな環境に替えたりして“自分の本心”を満足するようになると神経症や鬱病が治る。つまり、神経症や鬱病は自分で“自分の本心”を満足しないために起こる病気である。“人間の本心”は人によって違うから、他人の真似[まね]をせず、自分で考えて自分の本心をわかっていることが大切である。自分で自分の本心を満足させるためには薬では効かない。本人の努力で実際に満足するしかない。自分でいろんな理由をつけて自分の本心を満足しないのがいけない。下手[へた]に努力するから自分で自分の本心を押し殺して自分で自分の病気を悪化させているのであり、自分で自分の本心を満足するために努力すれば病気が治る。』ことや『人間が自分の心を満足するために自分が好きなことだけやって嫌いなことをやらずに生きていけばいい。試験の点数や他人の評判なんかどうでもいい。自分ができることよりも自分が好きなことを大事にしたほうがいい。』ことや『人間には五感と知覚と心の3種類の感覚がある。人種によって発達している感覚が違う。インド人は知覚が発達して、中国人は心が発達して、ヨーロッパ人は五感が発達している。日本人は五感と知覚と心が均等に発達している。』ことなどがわかる。(私は人間の認識について約8年間試行錯誤して考えて、人間の認識とは『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことであることがわかった。つまり、対象があろうがなかろうがとにかく脳細胞が神経興奮すればその脳細胞が荷っている感覚が発生するのである。『感覚が発生するためには脳細胞だけあればよく対象がなくてもいい』のである。「対象と脳細胞がつながっていないといけない」と思っているのがまちがいである。今度の場合も、私がいろいろ試行錯誤して、とにかく「政府が国民が従う団体である。」([22244])ことがわかったので、私は逆にそれでは何のために国民が政府に従うか?と考えて、『政府は国民が『国を統一して国を平和にするため』に従う団体である。』([22245])ことがわかったのである。私はさんざんまちがいを経てやっと正しいことがわかった。“嘘[うそ]から出た真[まこと]”とはこのことである。人間はまちがえることも大事なのである。人間はまちがいにめげずに考え続けることが大事である。人間は長いこと考えていれば、そのうち正しいことを考え付くことがあるから、けっして自分がわからないと思って途中であきらめてはいけない。)
人間は概念を考え出して、概念を組み合わせていろんなことを理解する。
私は公表はしていないが個人的には認識や政府がわかっている。私は自分が他人に認められることよりも、自分が物事を理解するほうが好きなので、私は自分ひとりで考えるだけで、他人には話さないのである。私は自分が他人に見られるよりも、自分が他人を見るほうが好きなので、自分が他人を認めるだけで自分が他人に認められたくないのである。私が20歳のころ人間の認識について考え始めてから約8年でやっと“感覚”の概念を考え出した。その後私は“感覚”の概念を使って考え続けていくつかのことがわかった。私が41歳のころ政府について考え始めてから約10年でようやく“権力団体”の概念を考え出した。その後私は“権力団体”の概念を使って考え続けていくつかのことがわかった(まだほんの1〜2週間ぐらいしか経[た]っていないが)。
人間はひとつのことについてずっと考えていれば、そのうち(約10年ぐらいすれば)“いい概念”を考え出してそのことが理解できるようになる。“いい概念”を用いて考えていろんな正しいことがわかるようになる。あとは自分で自分の身体を動かして正しいことを実行すればいいだけである。自分の考えが正しければうまくいくし、自分の考えがまちがっていればうまくいかない。

[22290] 今の国民は政府の法律とは別の法律を守って暮らしている。 h27.11.18
昔の国民は政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。昔の国民は政府に従うことによっておとなしくして互いに争わないようにして国を平和にしていた。政府は国を平和にするために国民を従わせなければならなかったのでいやいやしかたなく国民を虐[いじ]めていた。政府は国を平和にするために自分が国民と不平等にしなければならなかったので心を鬼にして国民を虐めていた。政府は国民から税金を取ってわざとに国民の役に立たないことをやったり国民が嫌がることをやったりした。政府は国民に暴力をふって虐めた。しかし、国民は自分が平和に暮らすために政府が国民と不平等にするのを我慢[がまん]していた。もしも、政府が国民と平等にして国民から税金を取って税金に見合った国民が喜ぶことをしたら、政府は国民の役に立つことにはなるが、肝心の政府が国を平和にすることができない。政府が国民が喜ぶことをしたら、『政府と国民が平等である』ことになって、国民が政府に従うのをやめる。国民が自分勝手なことをするようになって、国が統一できなくなって国が平和でなくなる。だから、政府は国を平和にするためにしかたなく国民と不平等にしていたのである。政府は自分が国民の役に立つことをしたい気持ちを抑えながら、いやいや国民の役に立たないことをやったり国民が嫌なことをやったりしていたのである。要するに、政府は『国を平和にする』ためにあるだけの団体なのである。政府は『国を平和にする』こと以外には国民の役に立つことがないのである。
しかし、今の国民は自分で法律を作って法律を守って国を平和にしている。政府の法律は「国民が政府に従いながら幸福に暮らすための決まり」なので、国民は政府の法律とは別に自分で『国民が政府に従わないようにしながら幸福に暮らすための決まり』を作って守って暮らしている。今の国民は政府に従う必要がなくなって政府に従うのをやめている。今の国民は政府の命令を聞かなくなって政府の法律を守らなくなって政府の政策をやらなくなっている。今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
今の国民は自分たちで法律を考えて法律を守って政府に従わなくなって平和に平等に幸福に暮らしている。今の国民は政府に税金を取られなくなって税金が儲[もう]かって喜んでいる。国民だけでは法律が十分にやれないから、国民で法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせようと計画している。
今の国民は政府に従うよりも法律を守るほうが幸福に暮らせる。だから、今の国民は法律を守って政府に従ってはいけない。今の国民はトロトロ政府に従っていてはいけない。今の国民は自分で考えて政府に従うのをやめて法律を守らねばならない。

[22291] 昔の国民は政府に従うために政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げて政府に虐待されていた。☆ h27.11.19
昔の国民は政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。昔の国民は政府に貢物を捧げたり政府に虐待されたりすることによって政府に従って国を統一して国を平和にしていた。政府は国民から貢物を取ったり国民を虐待したりして国民を従わせて国を統一して国を平和にしていた。アフリカの土人の酋長[しゅうちょう]が村人から貢物を取ったり村人の身体に火のついた棒を押し付けたりすることによって村人を従わせて村を平和にしていたのと同じことである。つまり、政[まつりごと]とは“みんなで村や国を平和にする祭り”をすることである。政府は国中の国民を従わせないといけないので、それだけスケールが大きいので、国民に対する虐[いじ]めも半端[はんぱ]ではない。政府は国民みんなから税金を取って、国民みんなを嫌がらせる法律を定めたり国民みんなを嫌がらせる政策をやって、国家宗教で事件や事故を起こしてたくさんの国民を殺している。
昔の国民は自分が平和に暮らすために政府に従っていた。昔の国民は政府に税金を払ったり政府に虐待されたりして政府に従っていた。政府は自分の機嫌[きげん]がいいときには国民から取った貢物(税金のこと)の一部を使って国民のためになることをやったりもした。
今の国民はみんなで共通の法律を守ることによって国を統一して国を平和にしている。今の国民は国民の役に立つことをする民間会社を建てて、民間会社と自由に契約して民間会社にお金をやって仕事をやらせている。今の国民は法律のおかげで平和に暮らせるようになって、政府に従わなくてもよくなっている。今の国民は自分で民間会社を建てて、政府に国営会社を建ててもらわなくてもよくなっている。そのため、今の国民は政府が要らなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。今の国民は法律会社を建てて、法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやらせようとしている。
『昔の日本人は自分が幸福になるためにヨーロッパに従えばいいと思ってヨーロッパ文化をやっていた。今の日本人は自分が幸福になるために自分の心を満足すればいいと思って日本文化をやっている。』のも文化人類学だし、『昔の国民が政府に従って国を統一して国を平和にしていた。今の国民は法律を守って平和に暮らせばいい。』のも文化人類学である。今では国民が文化人類学をやるようになって、昔のまちがった風習をなくして正しいことをやって幸福に暮らせるようになっている。文化人類学恐るべし。
国民と政府の関係は見かけは現代的だが、中身は大昔の原始時代のままである。国民の多くは政府に貢物を捧げたり政府に虐待されたりして政府に従うことによって国を平和にしているのである。現代的にはナンセンスである。野蛮な風習である。国民が政府に従う儀式の演出をやっているだけである。国民が政府に従うことを形でいろんなやり方で表現しているだけである。眼先で「おおっ」と来るだけで本当は何もない。眼先で国民が政府に従っているだけで中身がない。国民が形の上で政府に頭を下げているだけで本当は何もやっていない。国民と政府がいっしょにどうでもいいことをやっているだけである。昔の人は眼で見ることしかわからなかったから国民が眼先で政府に従えば国が治まったが、今の人は頭で考えることがわかるから国民が眼先で政府に従っても国は治まらない。今の人は法律を守らなければ国が治まらない。今の国民の多くは国民と政府の関係がわかっていないから政府に従っているだけである。今では国民が法律を守って平和に暮らすのが正しい。法律会社が出来たら、国民は法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやらせるのが正しい。今では国民が政府に従って平和に暮らすのはまちがっている。国民が法律を守って政府に従わなくなれば、政府は国民に命令できなくなって滅ぶしかない。国民と政府の関係は双方で決めるものである。片方がやめれば関係が崩れる。国民と政府の関係は国民が自分で変えればいい。国民が国を平和にするやり方は国民が自分で変えればいい。国民が政府に従って国を平和にするか法律を守って国を平和にするかは国民の勝手である。今の国民は自分にとっていいやり方で国を平和にすればいいのである。

[22292] 国民は自分が幸福に暮らすために政府に従うのをやめて法律を守らねばならない。☆ h27.11.19
私は約10年かけてやっとのことで「政府が国民にヨーロッパ文化をやらせる団体である」ことがわかった。
しかし、政府はそれ以外にも国民にいろんなことをやらせている。中世のヨーロッパでは政府が国民に天動説をやらせていた。日本でもたぶん同じことをやっていただろう。
だから、私は約3週間前に「政府が国民にヨーロッパ文化をやらせる団体である」ことを拡張して「政府は国民に正しいことをやらせる団体である」と考えた。近代の日本では「日本人がヨーロッパ文化をやる」ことが正しかったから、今でも政府はその名残[なご]りで国民にヨーロッパ文化をやらせ続けているのである。(近代の日本では国民が「ヨーロッパ文化をやることが正しい」と考えていたから、ヨーロッパ文化では戦争をやるから、国民は自分から喜んで戦争をやったのである。国民はたとえ政府がなくても、自分で戦争会社を建てて戦争会社と契約して戦争会社にお金をやって戦争をやらせてでも戦争をやったのである。だから、近代の日本で政府が国民に戦争をやらせたのは国民を嫌がらせるためではなく、国民を喜ばせるためだったのである。政府は国民に「政府が国民を喜ばせる善い団体だ」と思わせて国民を勧誘するために国民に戦争をやらせたのである。そもそもヨーロッパ文化で戦争をやるのは、ヨーロッパ人が戦争が好きだからである。ヨーロッパ人は狩猟民族なので動物を殺すのが好きなので、人間を動物に見立てて殺し合いをやるのである。ヨーロッパ人にとっては戦争は自分の本能を開放するための祭りなのである。)昔の日本ではみんなが生活が苦しくて勉強することができる人が少ししかいなかったから、政府だけが勉強することができて国民よりも頭がよくてもおかしくないと思っていた。
しかし、よく考えると「政府が国民よりも頭がいい」のはおかしいと思えてきた。政府と国民で頭の出来に有意差があるとは思えなくなってきた。日本では奈良時代(710〜794年、古代)に万葉集を作ったが、それには国民が詠[よ]んだ歌も多数収録されているから、政府と国民で頭に差があったとは思えない。政府が国民よりも頭がいい団体なら、先進国が替わったときに国民が自分の判断で政府に従うのをやめて政府を倒すのはおかしいと思われた。本当は、国民のほうが政府よりも頭がいいからだと思われた。
そのため、私は「政府が国民に正しいことをやらせて国民を従わせる団体である」ことから「政府が国民よりも正しい」ことを引いて「政府が国民を従わせる団体である」と考えた。
私は「政府が国民を従わせる団体である」ことから逆に国民が政府に従う目的を考えて『政府は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である』と考えた。これが約2週間前である。私の考えが偶然にうまい方向に流れて行って正しいことがわかったのだ。
その後、私は『政府は国民が従うことによって国を統一して国を平和にする団体である』ことから『政府が国民を従わせるためには国民と不平等にしなければならないので、政府は国民から税金を取ったり国民を虐[いじ]めたりする』ことや『政府は最初は国民を勧誘するために国民が喜ぶことをするが、その後は国民を虐めて国民を従わせるだけである』ことや『宗教団体や暴力団や社長や国際連合も政府と同じ権力団体(平和にするために国民を虐めて国民を従わせる団体)である』ことや『政府の仕事は国を平和にすることしかない』ことや『国民は政府には従わねばならないが、国民は法律会社とは平等にすればいい』ことや『今では国民が法律を守って国が平和になっているから、国民は政府に従う必要がない』ことなどを考えた。
そして今では『昔の国民は眼で見ることしかわからなかったので、政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり政府に虐待されたりして政府に従って国を平和にしていたが、今の国民は頭で考えることがわかるので、今の国民は法律を守って国を平和にしなければならない』ことがわかった。
今の国民はいつまでも昔と同じことをやり続けていてはいけない。今の国民はこのへんで新しいことをやらねばならない。今の国民は古いことから新しいことに変えねばならない。今の国民は政府に従うのをやめて、法律を守ることにしなければならない。文明が進歩すると、国民が頭がよくなって頭で考えられるようになるから、国民は政府に従うのをやめて法律を守らねばならない。要するに、文明が進むと政府は倒れる。時代が進むと文明が進歩するのはしかたがない。国民が頭がよくなって政府に従わなくなって政府を倒すのはしかたがない。政府はおとなしく自分が国民に倒されるのを見ているしかない。今の国民はいっさい政府に従うのをやめて、政府の法律を守るのをやめて政府の政策をやるのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府を無視しなければならない。日光東照宮の左甚五郎の彫り物のように“見ざる聞かざる言わざる”つまり政府がやっていることを見ない・政府の言うことを聞かない・政府に訴えないことが政府を倒す極意である。国民で政府の法律とは別に“国民が社会の中で幸福に暮らすための決まり”を考えて決まりを守って暮らさねばならない。国民だけで十分に法律のことができなければ、国民で法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をさせればいい。早く国民みんなでそういう国にしないといけない。

[22293] 今の国民は文明的なやり方で国を平和にしないといけない。 h27.11.20
国をどうやって平和にするかは国民の勝手である。国民が自分で決めることである。
昔の国民は眼で見ることしかわからなかったから、アフリカの土人のように政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり政府に虐待されたりして形の上で政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。昔の人間は眼で見ることしかわからなかったので、国を平和にするためには国民が眼で見える政府に従うやり方しかなかったし、国民が政府に従うことを眼で見るように形で表現しなければならなかったのである。そのために、国民が政府に貢物を捧げたり政府に虐待されたりしなければならなかったのである。そのため、これまで国民は政府に税金を払ったり、政府に国民を嫌がらせる政策をやられて不快にされたり国家宗教で事件や事故を起こされて殺されたりまちがった経済政策をやられて貧乏にされたりして政府に従うことによって国を平和にしていた。
今の国民は頭で考えることがわかるようになったから、頭で考えて法律の意味がわかるようになったから、自分で法律を守ることによって国を平和にしている。今の人間は頭で考えてわかるようになったから、昔の人間とは違うやり方で国を平和にすることができるようになったのである。
今の国民はもはや政府に従う必要はない。今の国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府に税金を捧げるのをやめて政府を捨てればいいのである。

[22294] どうしてフランス革命が起きたのか?☆ h27.11.20
昔の国民は自分たちで政府を建てて、政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり政府に嫌なことをされたり政府に暴力をふられたりして政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。
フランス政府は国民が政府に税金を捧げていることに調子こいて国民から重税を取った。そのために、国民みんなが怒ってフランス政府に殴[なぐ]り込みをかけてフランス政府を皆殺しにした。それがフランス革命である。その後で立ったナポレオン政権は国民に戦争ばっかりやらせて一生懸命に国民の機嫌を取った。(近代の日本でも国民がヨーロッパ文化を勉強して「戦争は政府が国民を喜ばせることだ」ということを知っていたので、喜んで戦争をやった。しかし、実際にやってみると嫌だったので後悔した。ヨーロッパ人は狩猟民族なので殺し合いが好きなので戦争が好きだが、日本人は農耕民族なので殺し合いが嫌なので戦争が嫌だったのだ。昔の人は「人間の心はみな同じだ」と考えていたので、ヨーロッパ人の心と日本人の心が違うことに気づかなかったのである。)
いくら国民が政府に従っているからといって、政府が調子に乗って国民を虐[いじ]めすぎると国民が怒って政府を皆殺しにする。国民は自分が平和に暮らすために政府に従っているだけであって、国民が政府に貢物を捧げたり政府に虐待されたりするのは形の上の儀式にすぎないから、政府が悪ノリして国民を虐めすぎると国民は怒って政府が要らないと思って政府を倒すのである。国民が自分たちが平和に暮らすために政府に従っているにすぎず、国民は自分が政府に従っていることを国民みんなに示すために政府に税金を払ったり政府に虐められたりしているにすぎず、けっして政府が国民を支配しているわけではないから、政府が国民が平和に暮らすのを妨害すると国民が政府を倒すのである。だから、政府が国民を虐めるのもほどほどにしないといけない。
日本でも江戸時代に幕府が生類憐[しょうるいあわれ]みの令を定めて国民を虐めていた。しかし、国民は自分が動物以下だとされたことに対して本気で怒った。そのために、江戸幕府はすぐに生類憐みの令を撤回した。政治団体が国民を本気で怒らせると国民に倒されるので、政治団体は国民を軽く虐める程度にしなければならないのである。
そもそも国民が政治団体にどのように従うかは国民が決めることである。政治団体が決めることではない。だから、政治団体が国民が自分に従っていることに調子に乗って自分の独断で国民の従い方を決めると国民が怒って国民に倒されるのである。国民が政府に従うのは国民がやっている“国を平和にするための儀式”だから、国民が儀式のやり方を決めればよく、政府が決めることではない。国民にとって政府はキリストの十字架像のように“上の者の人形”にすぎず、政府はおとなしく国民のやり方に従えばいいのであって、政府が国民に口出しする資格はない。そもそも国民が政府に従うのは“国民が国を平和にするための方法”だから、国民が国を平和にするやり方を決めればよく、政府が決めることではない。
昔は文明が遅れていて国民が頭が悪くて眼で見ることしかわからなかったので、昔の国民は自分で眼で見える政府を建てて、政府にひれ伏したり政府に貢物を捧げたり政府に虐[いじ]められたりして眼で見えるようにして政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていた。国民が眼で見えることしかわからなければ嫌でもそうするしかない。しかし、今では文明が進んで国民が頭がよくなって頭で考えることがわかるようになったので、今の国民は自分で法律を作って法律を守って国を統一して国を平和にしている。今の国民はもはや政府に従わなくてもかまわない。今の国民にとっては政府は要らない。今の国民にとっては政府は自分の幸福を邪魔[じゃま]するのでなくなったほうがいい。国民が政府に従うかどうかは国民が決めることである。政府が決めることではない。だから、国民が自分が政府に従う必要がなければ政府に従わなければいいのである。そのため、今では国民が政府に従わなくなって政府に税金を捧げなくなって政府を倒しているのである。昔の国民は眼で見えることしかわからなかったので、政府を倒すためには国民みんなで政府に殴りこんで政府の建物を破壊して政府の人間を皆殺しにしなければならなかった。今の国民は頭で考えることがわかるので、政府が要らなければ政府に税金を捧げるのをやめればいい。わざわざ国民みんなで政府に殴りこんで政府の建物を破壊したり政府の者を殺したりしなくていい。
要するに、国民が政府に従うのは昔の国民が考えた“国を平和にする方法”である。昔の国民は政府にひれ伏したり(例、大名行列の前で土下座したり)、政府に貢物(税金や年貢[ねんぐ])を捧げたり、政府の嫌がらせの法律を守ったり嫌がらせの政策をやったり嫌がらせの命令を守ったり、政府に暴力をふられて虐められたりして“政府に従う儀式”をやっていたのである。昔の国民は“政府に従う儀式”をやって心で政府に従うことによって国を統一して国を平和にしていたのである。昔の人がお墓参りをして家族の絆[きずな]を深めていたのと同じことである。自分が生きている実感が欲しいから自分で自分の身体を切り刻むのと同じことである。合理的には無意味である。合理的にはくだらないばかばかしいかぎりである。反対に、今の国民は法律を守って国を平和にするようになって昔の国民が考えた方法が要らなくなったから政府に従わなければいいのである。今の国民は“政府に従う儀式”をやらなくていいのである。今の国民は政府の法律を守らず政府の政策をやらず政府の命令を聞かなければいいのである。今の国民は政府に税金を捧げないようにして政府を倒せばいいのである。
昔は文明が遅れていて昔の人は不合理的だったから、国民が“政府に従う儀式”をやって不合理的に国を統一して国を平和にしていたのである。政治とは政[まつりごと]で国を治めることである。政とは“政府に従う儀式”のことである。昔の国民は“政府に従う儀式”をやって国を統一して国を平和にして国を治めていたのである。宗教団体も暴力団も似たものである。今は文明が進歩して今の人は合理的になったから、国民が『法律』を守って合理的に国を統一して国を平和にするようになったのである。今では国民にとっては政府が要らなくなったから、国民が政府に税金をやらなくなって政府を滅ぼしているのである。今では文明が進歩したから、国民が合理的になって国民が法律を守るようになって“政府に従う儀式”をやらなくなって政府が滅んでいるのである。
近代までは不合理の時代だったから、国民はみんな“政府に従う儀式”をやっていた。現代からは合理の時代だから、国民は法律を守るようになって“政府に従う儀式”をやめているのである。今では“政府に従う儀式”をやる国民がだんだん減っている。そのために、政府はだんだん滅んでいるのである。国民みんなが不合理から合理に変わるには数百年はかかるから、国民みんなはめいめいバラバラに不合理から合理に変わるから、国民は自分が不合理をやりたくなければ勝手にやめればいいのである。幕末なんかも明治維新の50年ぐらい前からヨーロッパが先進国だと思った者から勝手に幕府に従うのをやめていたから、今でも自分が合理をやりたい者が勝手に政府に従うのをやめればいいのである。/h27.11.22この段落に追記☆:『ローマは一日にして成らず』というように、倒幕も一日にして成らずである。国民は幕府が倒れる50年ぐらい前からちびちびと幕府を倒し続けていたのである。だから、今の国民も政をしない者から先に政府を倒せばいいのである。何にもないのに国民が勝手に幕府を倒そうとすると国民が幕府に殺されるが、ヨーロッパが先進国になっているなら国民には幕府を倒すちゃんとした理由があるから幕府を倒していいのである。幕府もそれを認めるしかない。だから、ヨーロッパが先進国になっていた頃からは国民は自由に政をやめて幕府に年貢[ねんぐ]を納めないようにして幕府を倒してもよかったのである。だから、実際に江戸幕府が倒れたのである。坂本龍馬は幕府の要人[ようじん]を殺して幕府を倒そうとしたから、それは正しい幕府の倒し方ではないから、幕府は坂本竜馬を殺して国民みんなが幕府の要人を殺して幕府を倒さないように警告したのである。h27.11.26次の14個の文を追記:幕府は国民が年貢を納めずに幕府を倒すのは許したが、幕府の者を殺して幕府を倒すのは許さなかったのである。本当は『国民が国の支配者』だから、国民が国を決めるのだから、幕府は自分が残るか潰れるかを国民に決めてもらっているのだから、国民はコソコソ幕府の者を暗殺したりして幕府に遠慮せずに正々堂々と幕府に年貢を納めないようにして幕府を倒せばいいのである。坂本龍馬のころにはすでに国民の大半が幕府を上の者としなくなって幕府に年貢を取らさなくなって幕府を倒すようになっていて、馬鹿が汚いことを考えて幕府を倒すために幕府の者を殺しかねなかったから、幕府にとっては迷惑だったから、幕府はそんなことをしないように国民に注意するために坂本龍馬などを使って芝居をやらせたのである。坂本龍馬は維新の立役者ではなく、本当は幕府の下っ端[したっぱ]の国民に対する宣伝係の人にすぎなかったのである。幕府と政府は敵対する団体ではなく本当は同じ団体だから、幕府が幕府を倒す者を敵視する必要はなかったから、坂本龍馬は国民に「刀で幕府を倒さないように」教える人だったのである。幕府が脚本を書いて坂本龍馬が演じていたのである。政治団体はそんなことをするのが好きなのである。政治団体は国民を騙[だま]して国民をからかって遊ぶのが好きなのである。今の政府がテレビや映画やマンガや社会科の教科書などで国民に嘘[うそ]をついているのも、政治団体が国民をからかうのが好きだからである。政府は国民に政府に対するまちがったイメージを植えつけて面白がっているのである。政府が国民に嘘をついて騙すのは、政府の遊びなのである。政治団体は国民を好き放題にして虐める一環[いっかん]として国民に嘘をついて国民をからかって遊んでいるのである。国の支配者は国民であって幕府ではないから、国のことを決めるのは国民であって幕府ではないから、幕府が残るか滅ぶかは国民が決めることだから、幕府は自分で滅ぶことができないから、幕府は国民に倒されるまでいやいやしかたがなくアジア文化を続けるしかなかったのである。幕府は国民に「早く自分を倒してくれ」と思いながら残り続けていたのである。昔は世界中の国が先進国に従わねばならないと考えられていた。国民が政治団体を上の者にして国を平和にするのは二の次だった。(h27.11.23追記:日本が先進国に従うことは現実の世界において日本を進歩させることだから国民にとって大事である。それに対し、政治団体を上の者として平和の祭り(政府に従う儀式のこと)をやることはただのおまじないにすぎないから国民にとってはそれほど大事なことではないから、国民は先進国に従うことを平和の祭りをすることよりも優先するのである。政府はテレビや新聞や社会科の教科書に出て騒いでいる割には、国民にとってはどうでもいい存在なのである。国民が平和の祭りをすることは、国民が政府を拝[おが]むことは、国民が心で国が平和になる気持ちがするだけで実際には国を平和にすることではない。だから、たんなるおまじないにすぎないのである。平和の祭りは国民が自分の“国を平和にしたい気持ち”を形に表しているだけで、実際に国が平和になるわけではない。国民は本当に国が平和になると思って平和の祭りをやっているのではない。国民が本当に自分の願いがかなうと思って神社で祈っているわけではないのと同じことである。国民は冗談で平和の祭りをやっているだけであり、本音[ほんね]ではしょせんそんなものどうでもいいと思っているのである。だから、国民はもっと大事なことがあるときには、どうでもいい平和の祭りをやめるのである。今の国民は国を平和にするために冗談で政府に税金を払って、政府に法律や政策で嫌なことをやらされて、政府に国家宗教で殺されているのである。国民が政府に税金を払うことは神社に賽銭[さいせん]を払うことと同じである。国民が国を平和にするために政府に税金を払うことは、自分の願いをかなえてもらうために神社に賽銭[さいせん]を払うことと同じである。国民が神社に賽銭を払うか払わないかが国民の自由であるように、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由なのである。政府が「国民のためになることをするにはお金が要る」と言って国民から税金を取っているのは嘘[うそ]である。本当は、国民は自分の国を平和にしたい気持ちを形に表すために政府に税金を払っているだけだから、国民が政府に税金を払うのはどうでもいいことだから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由なのである。だから、国民は自分にお金が要ることがあれば政府に税金なんか納めなくていいのである。江戸時代の農民も幕府を上の者とする平和の祭りがしょせん冗談だやってもしょうもないと思って自分が年貢[ねんぐ]を納めるために食べるのに困るほどだったら一揆[いっき]なんかせずにおとなしく年貢を納めなければよかったのである。一揆をしなければ死刑にされなかったのである。東北の農民が馬鹿だったから祭りを真[ま]に受けて一揆をやって殺されたのである。もともと昔から平和の祭りは国民にとってどうでもよかったのである。国民は国が平和であればいいと思って気休めのために政治団体を拝んでいただけである。平和の祭りを真剣にやるのは冗談がわからない馬鹿である。)だから、国民は幕府を上の者にすることよりも日本をヨーロッパに従わせることを優先してヨーロッパに従っていない幕府を倒したのである。それと同じように、今では国民が政で国を平和にするよりも法律を守って国を平和にするほうが正しいから国を平和にするためのよりよい方法だから、国民は政をやめて政府に税金を納めるのをやめて政府を倒せばいいのである。今では国民が政府を倒すちゃんとした理由があるから国民が政府を倒してもいいのである。政治団体は国民が国を平和にするために政をするためにある。政治団体は国民が政をするためにある。政治団体は国民に先進国の文化をやらせるためにあるのではない。だから、たとえ先進国が変わっても、政治団体は国民が自分を上の者として政をするかぎり残っているのである。国民が「今の政治団体が先進国に従っていない」ことがわかって政をやめたら政治団体は倒れる。その後、新しい政治団体が建って、国民が「新しい政治団体が先進国に従っている」と思って再び政をするようになる。たとえ先進国がアジアからヨーロッパに変わっても、和服を作る店が和服を買う客がいるかぎり和服を作り続けるのと同じことである。和服を作る店が客がいなくなったら、洋服を作る店に変わるのと同じである。国民がアジアに従うことからヨーロッパに従うことに変わるのはゆっくりとした変化なので、政治団体は国民の変化に合わせてゆっくりと別の政治団体に変わるのである。50年〜100年ぐらいかけて変わるのである。先進国が入れ替わるのもゆっくりだし、日本の国民が先進国に従って変わるのもゆっくりなので、政治団体が国民に合わせて別の政治団体に変わるのはさらにゆっくりなのである。100年かかっても不思議ではない。もっとも、人間には人情があるから人間は最初から自分を虐める者は嫌いだから、政治団体は最初は国民が喜ぶことをやって国民の機嫌を取って自分を上の者として政をやる気持ちにさせるのである。あるいは、ただの開店祝いのサービスなのかもしれない。(国民は国を治めるために政をしないといけないから、たとえ政府が最初から嫌なことをしても政府で政をしないといけないはずである。政府が最初に国民を喜ばせるのは不合理である。余計である。だから、たぶんそれは政府が国民の機嫌を取るためだろう。つまり、政府が最初に国民が喜ぶことをするのは本来やらなくてもいいことである。どうでもいいことなのである。)同じように、今では文化人類学が出来て国民はヨーロッパ文化をやるのではなく日本文化をやらねばならないことがわかっている。しかし、政府は国民に適した文化をやらせる団体ではないから、国民がやるべき文化が変わっても自分で潰れて新しい政治団体に変わったりしない。政府は国民が自分を上の者として政をするかぎり残る。しかも、今では国民が政をやるのではなく法律を守るのが正しいことがわかっている。それでも、政府は実際に国民が自分を上の者として政をするかぎり残る。政府は国民が政をするためにある団体であり、国民が政をするかぎり政府は残らねばならないのであり、政府は自分が残るか潰れるかを国民に決めてもらわねばならないから、いくら理論的に自分が潰れるのが正しくても自分で潰れず実際に国民が自分を上の者として政をやるかぎり残っているのである。政府は政をする団体であって、適切な方法で国を平和にする団体ではないから、たとえ今では国民が政をするよりも法律を守ったほうがいいことがわかっていても、政府は自分で潰れず国民が自分を上の者として政をやるかぎり残り続けるのである。政府は自分が残るか潰れるかを国民に決めてもらっているのである。政府は自分を上の者とする者がいて税金を取って儲[もう]かるかぎり残り続ける。政府は自分が残るか潰れるかを国民に決めてもらっている。だから、政府は無責任である。(政府を“無責任男”と言うのはそのためである。)政府は最初から自分が残るか潰れるかを国民に任[まか]せているから、政府が残っているのは国民が政府を潰さないのが悪いせいだから、政府はもともと国民を虐める団体だから政府が国民を虐めるのは国民が政府を残しているのが悪いのだから、政府がどんなに国民を虐[いじ]めても政府が責任を取らなくてもいいから、政府は気楽にいくらでも国民を虐めているのである。政府は国民がいつまで待っても自分から潰れてくれない。政府は国民が潰さないかぎり潰れない。そもそも政府は国民が国を平和にするために国民の手で建てたものだから、国民にとって政府が潰れたほうがよければ国民の手で政府を潰さねばならない。だから、今の国民は自分で考えて政府を上の者として政をするかしないかを決めて、法律を守って政府を上の者として政をしないようにして政府に税金を納めるのをやめて政府を潰せばいいのである。h27.11.25この段落に追記☆:政府は“法律がない世界”で国民を殺しているのだから、政府がいくら法律を犯しても無罪である。政府は“政府が上の者である世界”で国民を自分の好き放題にしているのだから政府は悪くない。政府は正しい。今の国民が“法律がない世界”=“政府が上の者である世界”の中で暮らしているから、政府が法律を犯して国民を自分の好き放題にして国民を殺しまわっているのである。国民が政府の人殺しをやめさせるためには、国民みんなが“法律のある世界”=“政府がいない世界”に行って法律を守って政府を無視して暮らすようにして、“政府を上の者とする世界”から外に出て政府に税金を捧げないようにして政府を潰すしかないのである。国民は“政府が上の者である世界”=“法律がない世界”から脱出して“法律がある世界”=“人間がみな平等である世界”=“政府が上の者でない世界”に行けばいいのである。国民は“政府が上の者である世界”の外に出て“法律がある世界”の中に入ればいいのだ。今の日本では“法律がある世界”と“政府が上の者である世界”が共存している。国民がどちらの世界を選択するかは国民の自由である。人間は正しいことには逆らえないから、『今では国民が国を平和にするためには政府を上の者とするよりも法律を守るほうが正しい』から、国民は周[まわ]りのみんなにかまわず自分が法律を守って政府を上の者としなければいいのである。
政府は国民が政をやるためにある団体である。政府は国民が“政府に従う儀式”をやるためにある団体である。今では国民がだんだん政をやめている。今では政をやる国民が減っている。だから、政府は年々小さくなって消えていっているのである。
政府はもともと国民が自分が政をするために自分で建てた団体である。政府は本当は国民のものである。国民が政府を建てようが潰[つぶ]そうが国民の勝手である。今の国民は合理的になって法律を守って政をしなくなって政府が要らなくなっている。政府は雛[ひな]祭りの雛人形のようなものである。国民が雛祭りをやらなくなれば雛人形は要らないのと同じことである。政府は生きていて動く雛人形である。政府は国民から貢物を取って国民を虐める恐い人形である。今の国民は政府を拝まなくなっている。そのため、今では国民が政府に税金を貢[みつ]がなくなって政府が食べていくことができなくなってなくなっているのである。(政府は国民のものである。だから、政府は国民に従わねばならない。政府は国民に直接に手出しができない。政府は国民の了承がなければ国民に手出しができない。だから、政府は自分に従う国民に命令して国民に手出しをさせて間接的に国民を虐めるのである。しかし、政府は本当は国民に手出しができない。政府は国民に従わねばならない。だから、国民が自分が政府に従うことを認めなければ政府に従わなくていいのである。政府は直接に国民に手出しはできないが、国民に嘘をつくぐらいはいいと思って国民に嘘をつく。政府は国民に「自分が国民を幸福にする民主主義の団体だ」と言ったり、「自分が国民を不幸にする悪の犯罪組織だ」と言ったりする。国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。)/h27.11.22この段落に追記:政府は国民のものである。国民が政府を残そうが潰そうが国民の勝手である。今の国民が政をして政府を残そうとしているから政府が残っているのである。今の国民は早く政をやめて政府を潰さねばならない。
今の政府は今でも政をする国民のためにあるのである。国民は自分が政をしなければ政府に従わなければいいのである。今は合理の時代である。年々政をする国民が減っている。そのため、政府は年々小さくなってなくなっているのである。(政府は国を統一して国を平和にする団体だから、国民みんなが政府を拝まないといけない。だから、政府は国営団体と言うのである。戦国時代は日本各地に政治団体がいっぱいあった時代である。政治団体と政治団体が争って戦争ばかりやっていて国が平和ではなかった。江戸時代になって政治団体が徳川幕府の一つになって国が統一されて国が平和になったのである。だから、国が平和であるためには国には政治団体が一つでなければならない。国民みんなが一つの政治団体を拝まねばならない。政治団体は本来は国民が平和に暮らすためにあるが、国民が政治団体を上の者にしたために政治団体が権力(命令力)を持つようになって国民に命令するようになって政治団体が自分の領土を広げるために互いに争うようになったのである。政治団体は戦争のもとでもあるのである。(一方、法律会社は国民と平等だから、法律会社には権力がないから、法律会社は民間会社と同じだから、法律会社は客の取り合いをするだけで国民に戦争をやらせないだろう。)しかし、今では国民みんなが法律を守って国を統一して国を平和にするようになって国民が政府を拝まなくてもよくなっている。国民が政府を拝もうが拝むまいが国民の自由である。政府は国営ではなくなっている。今では国民が合理的になって政府を拝まなくなっている。そのため、今では政府を拝む者がだんだん減って政府に税金を捧げる者がいなくなって政府が潰れているのである。)
政府は国民が政をする団体である。政とは国民が政府に上の者をやらせて国民が政府に虐められて国を平和にすることである。昔の国民は政府に税金を取られたり政府の嫌がらせの法律を守ったり政府の嫌がらせの政策をやったり政府の嫌がらせの命令を聞いたり政府に暴力をふられたりして政府に虐待されることによって国を統一して国を平和にしていたのである。昔の国民は「国を治めて平和にするには、国民みんなが一人の者に従わねばならない」と思っていたので、そんなことになったのである。しかし、今の国民は法律を守って国を統一して国を平和にしている。今の国民は『国を治めて平和にするには、国民みんなが法律を守って暮らせばいい』と思っているので、そうしているのである。昔と今では国民の考えが違う。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今では国民が政府に従わなくなって、政府に税金を払わなくなって、政府を潰しているのである。今の国民は自分が法律を守るようになって自分が政をやらなくなっているから政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府の嫌がらせの法律を守らなくなって政府の嫌がらせの政策をやらなくなって政府の嫌がらせの命令を聞かなくなって政府に暴力をふられなくなっている。将来、国民で法律会社を建てて、法律会社と契約して法律会社にお金をやって法律の仕事をやらせようとしているのである。昔の国民が自分たちが政をするために政府を建てて政府に上の者をやらせたように、今の国民は自分たちが法律をやるために法律会社を建てて法律会社に法律の仕事をやらせようとしているのである。
政府は上の者ではなく、国民が上の者にしているだけである。政府を上の者にするかしないかは国民の自由である。国民が政府を上の者にしなくなったら政府は上の者ではない。フランス革命のときのように政府が国民を怒らせて国民が政府を上の者にしなくなったら政府はおしまいである。今は国民が法律を守って平和に暮らせるようになったので、国民が政府に従って国を平和にしなくてもよくなったので、国民は政府を上の者にしなくなった。今の政府は国民と平等なので、国民は政府に従わなくなった。今の国民は政府の法律を守らなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府はおしまいである。
国は段階的に発展する。国は政治国家を経て法治国家になる。法治国家の前の段階が政治国家である。今は政治国家から法治国家に変わる途中である。今の国民はその時代を体験しているのである。今は政治国家と法治国家が混じっている。国民は自分が混乱しないようにして政治国家から法律国家に国を進ませねばならない。
早い話、国民が政府を上の者にすると国民が政府に高い税金を取られて政府に嫌なことをやらされて政府に暴力をふられて虐待されて不幸にされるだけである。国民にとって善いことは国が統一されて国内で戦争がないことだけである。一方、国民が法律を守って国を統一して国を平和にすると国民は幸福になるだけで不幸にされることがない。国民にとって嫌なことは、せいぜい法律会社にお金を払わねばならないことだけである。国民にとっては政府を上の者にするよりも法律を守ったほうが幸福である。だから、今の国民は政府を上の者にするのをやめて、法律を守ればいいのである。今の国民は政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。国民で法律会社を建てて法律会社と契約して(法律会社は上の者ではないから必ず国民と契約しないといけない)法律会社にお金をやって法律の仕事をさせればいいのである。法律は国民が幸福に暮らす決まりであり、国民の心で客観的に決まることである。法律会社が自分勝手に法律を決めるわけには行かない。国民は法律会社を上の者にしないから、国民と法律会社は平等である。国民は法律会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらう。だから、法律会社は多くの国民と契約を取るためにまちがった法律を決めて国民を不幸にしないように気をつけねばならない。法律会社は国民と平等だから、法律会社は法律以外の仕事をしないからあまりお金が要らないから、法律会社は国民みんなと自由に契約して、国民みんなから同じ安いリーズナブルな料金をもらって仕事をしないといけない。

[22295] どうして国民は政府に従うのか?☆ h27.11.21
国民が自分で政府を上の者にしているからである。国民が「政府が上の者だ」と思っているから、政府に従うのである。
昔は法律がなかったので、国民みんなが平和に暮らすために政府を上の者にして国民みんなで政府に従ったのである。国民は国を平和にするために政府に従って政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり政府に嫌なことをやらされたり政府に暴力をふられたりしていたのである。人間がサルだったころから100万年間ずっと人間はそうやって国を平和にしていたのである。
しかし、今は法律があるので、国民みんなは平和に暮らすために法律を守ればいい。今の国民みんなは平和に暮らすためにわざわざ政府を上の者にして政府に従わなくていい。
今では政府の役目はない。国民にとって政府は用なしだ。
だから、今では国民が法律を守って、政府を上の者にしなくなって政府に従わなくなって政府に税金を払ったり政府に嫌なことをやらされたり政府に暴力をふられたりしなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。
今の人間はやっと上の者を取っ払うことができた。ようやく人間は自分で自分を虐[いじ]めなくてすむようになったのだ。

[22296] 今の国民は政府を上の者にするのをやめればいい。☆☆ h27.11.22
昔の国民は「政府を上の者にする」ことによって国を統一して国を平和にしていた。つまり、昔の国民は政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり政府に嫌なことをやらされたり政府に暴力をふられたりすることによって国を統一して国を平和にしていた。昔の国民はサルの真似[まね]をして国を治めていたのである。現代的にはナンセンスなやり方で昔の国民は国を治めていたのである。
そのため、今でも国民は政府に税金を納めたり政府の嫌な法律を守ったり嫌な政策をやったり嫌な命令を聞いたり政府に国家宗教で事件や事故を起こされて殺されたりして国を統一して国を平和にしている。
しかし、今では法律が出来て、今の国民は『法律を守る』ことによって国を統一して国を平和にすることができるようになっている。
今では国民は政府を上の者にすることによって国を統一して国を平和にしなくてもよくなっている。
国民にとっては法律を守って国を平和にするほうが政府を上の者にして国を平和にするよりも効率的である。国を平和にするためのよりよい方法である。
だから、今の国民は政府を上の者にするのをやめて法律を守って国を平和にすればいい。今の国民は政府に税金を納めず政府の嫌な法律を守らず嫌な政策をやらず嫌な命令を聞かず政府に国家宗教で殺されないようにして、自分で法律を作って法律を守って国を統一して国を平和にすればいい。
国民が政府を上の者にすることも国民が法律を守ることも国民が自分でやることである。国民が自分でやることは国民の自由である。国民が自分でやることは国民が自分で決めればいい。だから、今の国民は政府を上の者にするのをやめて法律を守ればいいのである。
今でも世界中の国で国民が政府を上の者にしている。インドはそれをあからさまに表に出しているだけである。ほかの国は国民が政府を上の者にしていることを裏に隠している。インドは正直である。他の国は嘘[うそ]つきである。インドは偉大な国である。世界中の国の国民がやっていることはインドを見ればはっきりとわかる。つまり、今はまだ世界中の国で身分制をやっているのである。日本もヨーロッパも中国もインドを嘲[あざわら]うことはできないのである。日本は早いことが取り柄[とりえ]である。日本では国民みんなが早く政府を上の者にするのをやめて政府を倒して政府のない国にしないといけない。
昔の国民が政府を上の者にして国を平和にしていたことは、人間が馬鹿だと下手[へた]なことをやって痛い目にあういい例である。国民が政府を上の者にして国を平和にするかわりに政府に不幸にされるなんて馬鹿馬鹿しいことである。昔の国民は馬鹿だったから馬鹿馬鹿しいことをやっていたのである。今の国民がせっかく法律があるのにわざわざ政府を上の者にしているのも馬鹿だからである。そのために、今の国民も政府に不幸にされている。今の国民は政府を上の者にする必要がないのにそうしている。今の国民のほうが昔の国民よりも馬鹿である。人間は馬鹿だと損をする。利口だと得をする。人間は馬鹿だと不幸になる。利口だと幸福になる。だから、人間はがんばって勉強して利口にならねばならない。人間は利口になってうまいやり方を考え出して幸福に暮らさねばならない。

[22297] 今の国民は“平和の祭り”をしなくていい。☆☆ h27.11.22
アフリカの土人は村の酋長[しゅうちょう]に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり、村の酋長に自分の身体に火のついた棒を押し付けられたりして酋長に従うことによって村を統一して村を平和にする。([22291]参照。)
同じように、日本の国民は政府に税金を納めたり、政府に法律や政策などで嫌なことをやらされたり、政府に国家宗教の事件や事故で殺されたりして政府に従うことによって国を統一して国を平和にする。
つまり、日本では国民が政府を上の者とする政[まつりごと]をして国を平和にする。政とは“国民と政府がみんなでいっしょに国を平和にする祭り”をすることである。国民が政府に貢物を捧げたり、政府に虐められたりするのは“国を平和にするための祭り”なのである。戦争が“ヨーロッパ人が自分の狩猟民族の本能を満足するための祭り”であるのと同じことである。政つまり平和の祭りはナンセンスである。ギャグマンガのノリなのである。
政は平和の祭りである。政はお祭りにすぎないから、政府は祭りにおける“上の者の役”をやっているにすぎないから、本当は政府と国民は平等である。テレビドラマで大金持ちの役を演じる人が実際には貧乏人であるのと同じことである。政府は平和の祭りのときに国民よりも上の者であって国民に命令できるだけで、平和の祭り以外の時には国民と平等であって国民に命令できない。政府は国民に命令して国民を強制的に平和の祭りに参加させることはできない。だから、国民は自分が平和の祭りに出たくなければ出なくてもいいのである。しかし、普通は国民は自分が平和が欲しいから平和の祭りに参加するし、自分が平和の祭りに出ないと周[まわ]りのみんなが自分が平和が嫌なのかと思って嫌な顔をするからしかたなく参加する。しかし、今では国民が法律を守ればよくなっているので、国民が無理に平和の祭りに参加しなくてもいい。だから、国民は自分が平和の祭りに参加せず、政府に貢物を捧げす政府に火のついた棒を押し付けられなければいい。つまり、国民は政府に税金を払わず政府に嫌なことをやらされたり政府に暴力をふられたりしなければいいのである。今では文明が進んで国民が合理的になって国民がだんだん平和の祭りをしなくなっているから、国民にとって政府は要らなくなっているから、国民は政府に税金を払わず政府をなくせばいいのである。
今では文明が進んでヨーロッパ人が合理的になっている。ヨーロッパ人が“狩猟民族の本能を満足する祭り”をやらなくなっている。つまり、ヨーロッパ人が戦争をやらなくなっているのである。
今では世の中が合理的になって、世界中から不合理的な習慣がどんどんなくなっているのである。

[22298] 今の世の中は合理的になっている。☆ h27.11.22
昔の人は村を平和にするために“平和の祭り”をやっていた。村の酋長[しゅうちょう]が“上の者の役”をやって、村人が酋長にひれ伏したり、酋長に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり、酋長に火のついた棒を押し付けられたりして酋長に従うことによって村を統一して村を平和にしていた。
そのため、今の日本でもみんなが国を平和にするために平和の祭りをやって、政府が上の者の役をやって、国民が政府に税金を納めたり、国民が政府の嫌な法律を守ったり嫌な政策をやったり嫌な命令を聞いたり、国民が政府に国家宗教の事件や事故で殺されたりして政府に従うことによって国を統一して国を平和にしているのである。平和の祭りは国民と政府がいっしょになってみんなでやることである。政府は平和の祭りでの上の者の役を務[つと]める団体である。政府の政は“まつりごと”ではなく“平和の祭り”と読んだほうがいい。“国を平和にする祭りで上の者の役を務める”と読んだほうがもっといい。平和の祭りは見かけが現代的になっただけで、中身は原始時代と同じである。大昔の人が最初に平和の祭りのやり方を決めてしまって以来ずっと同じことをやっているのである。その後は見かけや手段が変わっただけで、やり方そのものは同じである。
しかし、今では国民が法律を守ることによって国を統一して国を平和にできるようになっている。
今では文明が発達して国民が合理的になって不合理的なことをやらなくなっている。今では国民が法律を守って国を平和にするようになって、国民が平和の祭りをやって国を平和にしなくなっている。今では国民は法律を守って暮らすようになって、政府に税金を払ったり政府に嫌なことをさせられたり政府に国家宗教で虐待されたりしなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。
人間はみな平等である。政府と国民は平等である。政府は平和の祭りの上で国民よりも上の者であるだけで、それ以外の時には国民と平等である。国民が平和の祭りに出れば、政府は国民よりも上の者だが、国民が平和の祭りに出なければ、政府と国民は平等である。会社の中では社長が社員よりも上だが、会社の外では社長と社員が平等であるのと同じである。だから、国民が平和の祭りに参加するかしないかは国民の自由である。国民が平和の祭りをやるか法律を守るかは国民の自由である。だから、今では国民が法律を守るようになって、平和の祭りをやらなくなって政府と平等にして政府の言うことを聞かなくなっているのである。今の国民は平和の祭りをしなくなって政府が要らなくなったから、政府に税金を払わなくなって政府をなくしているのである。そもそも政府は“平和の祭りでの上の者の役を演じる団体”であって、日本を支配した団体ではない。だから、国民が政府に従わなくてもいいのである。国民が平和の祭りをやりたくなければやらなければいいのである。国民もお祭りと現実を混同しないようにして、むやみに政府に従ってはいけない。現実においては国民と政府は平等だから、国民が平和の祭りをやめて平和の祭りの外に出れば国民は政府に従わなくていいのである。今の国民は法律を守れば平和に暮らせるので平和の祭りをしなくていいから、国民は法律を守って政府に従わなければいいのである。(日本人は祭りと現実の区別がある。日本人は作りごとと現実を区別する。日本では祭りは祭りにすぎない。そのため、日本ではときどき国民が平和の祭りをやめて政治団体を滅ぼす。だから、今でも国民が『法律があれば平和の祭りは要らない』とか『政府が日本に従っていない』という理由で政府を上の者とする平和の祭りをやめて政府に税金を捧げるのをやめて政府を倒しているのである。反対に、インド人は祭りと現実の区別がない。インド人は作りごとと現実を区別しない。そのために、インドでは祭りが現実になっている。インドでは国民みんなが政府を上の者とすることが現実になっている。それが身分制である。そのため、インドでは政治団体が滅ばない。日本人は祭りと現実を区別する。日本人は祭りと現実を区別しないのが嫌である。だから、江戸時代にも国民みんなが身分制に反対して、身分制が実現しなかったのである。安藤昌益が江戸幕府に逆らって平等制を説いても生き残れたのは国民みんなが身分制に反対していたからである。日本人にとっては政治はあくまでも祭りであって現実ではないのである。)
今の国民は法律を守って平和に暮らせるようになっているので、平和の祭りは余計である。平和の祭りのために国民は政府に不幸にされている。今の国民にとっては平和の祭りは自分の幸福を妨げる邪魔者[じゃまもの]である。そのため、今の国民は平和の祭りをするのをやめているのである。国民は政府に税金を捧げなくなって政府が滅んでいるのである。
同じように、今ではヨーロッパ人も“動物を狩る祭り”をしなくなっている。つまり、戦争をしなくなっている。今では日本人が“豊作を神に感謝する祭り”をやらなくなって、11月23日の新嘗祭[にいなめさい]が勤労感謝の日になっている。昔の人は神に祈って病気を治そうとしたが、今の人は医学で病気を治している。神に祈っても病気が治らないように、平和の祭りをやっても国が平和にはならない。みんなは最初からなんにもならないことをやっていただけなのである。病気を治すために神に祈ることが目的だけで実効性がないように、国を平和にするために国民みんなが上の者に従うこと(つまり平和の祭り)は目的だけで出来ている制度であって、実効性がないのである。(国民みんなが上の者に“従う”とは、国民みんなが上の者の命令を聞くことではなく、国民みんなが上の者を拝[おが]むことである。)平和の祭りは心の制度であって、現実の制度ではないのである。人間は自分の心を現実で表現することよりも現実の中で幸福になることのほうが大事である。平和の祭りは、昔の人が国を平和にしたい気持ちを現実の中で描[か]いた絵なのである。下手糞[へたくそ]な意味がわかりにくい絵なのである。みんなの誤解を招く史上最低の拙[まず]い絵なのである。昔の人の平和のイメージは、人間の心の中にある平和のイメージは、あまり平和ではないのである。物騒[ぶっそう]なのである。人間は平和が苦手な生き物なのである。人間の心には平和の才能がないのである。それが人間の欠点である。人間は争いが好きな生き物である。だから、人間は進化したのかもしれない。やはり動物が生き残るためには平和よりも戦いのほうが大事なのだ。人間は他の動物や他の人間と戦うことによって進化したのである。この世には“強者生存の原理”があるから人間は戦わざるを得ないのだ。人間は他者と戦いながら平和に暮らさねばならないのだ。そのためには、平和の祭りよりも法律のほうがいい。平和の祭りでは上の者が空威張[からいば]りなのがいけない。法律ならみんなが実力で勝負できる。そのほうが社会が発展していい世の中になる。
今では文明が進んで世の中が合理的になって、世界中から不合理的な習慣がなくなっている。みんなが自分の心を現実の中に表すのをやめて、現実の中で幸福に暮らすようになっている。みんなが自分の気持ちで生きるのをやめて、現実を知って現実の中で自分の心を満足して生きるようになっている。みんなが現実を自分の心に従わせるのではなく、自分の心を現実に従わせるようになっている。人間にとっては現象(眼先)も空想(作り話)もいけない。人間はひたすら実在だけを考えねばならない。人間は現象や空想で幸福になるのではなく、実在において幸福にならねばならない。それが人間にとっての幸福への道なのである。
(オマケ:今では世の中が合理的になっている。例えば、心霊写真では幽霊がカメラに写る。しかし、幽霊がカメラに写るのなら、幽霊は光を出していることになるから幽霊が人間の眼でも見えるはずである。しかし、実際には人間の眼には幽霊が見えない。だから、心霊写真はインチキなのである。そもそも心霊写真は昔のアナログカメラの時代の写真のエラーに対する仏教的な意味付けから生まれたものである。)

[22299] 昔から国民は平和の祭りがしょうもないと思っていた。 h27.11.24
昔の国民は自分が国を平和にしたいと思っていいかげんに平和の祭りをやっていた。昔の国民はどうせそんなことをやっても何にもならないと思いながらいやいやしかたなく平和の祭りをやっていた。昔の国民はしょうもないくだらないと思いながら政府に貢物[みつぎもの](税金のこと)を捧[ささ]げたり政府に嫌なことをやらされたり政府に暴力をふられたりしていた。昔の国民は豊かだったので、余ったお金を政府にやって国の平和を願っていた。政府は国民からお金をもらって儲[もう]かったので、余ったお金で法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社(役所のこと)などのいろんな付属会社を経営していた。余ったお金でいろんな事業をやっていた。
しかし、今では法律が出来て、今の国民は法律を守ることによって国を平和にできるようになっている。
そのため、今の国民は平和の祭りをやめたほうがいいと思って平和の祭りをやめている。今の国民は政府に貢物を捧げたり政府に嫌なことをやらされたり政府に暴力をふられたりするのをやめている。
今の政府は国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。今の政府はお金が足りなくなって付属会社を経営できなくなって民営化している。政府の付属会社は普通の民間会社と同じように国民と契約を取ってお金をもらって仕事をするようになっている。
政府は国を平和にする神社のようなものである。昔の国民は自分の“国を平和にしたい気持ち”を形に表すために、政府を上の者とする平和の祭りをやって政府を拝[おが]んでいたのである。政府は国民が自分を拝んでいることに便乗[びんじょう]して国民にいろんな嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民に「政府が本当に上の者だ」と思わせて国を乗っ取ろうとしたが、あいにく国民はそんなに馬鹿ではなかったので、国民は政府の嘘に騙されず政府は国を乗っ取ることができなかったのである。政府は最後まで“国を平和にする祭りでの上の者の役をやる団体”にすぎなかったのである。
昔は法律がなかったので昔の国民には国を平和にする方法がなかったので昔の国民は国を平和にすることができなかったので国民はどうしようもなくて自分の“国を平和にしたい気持ち”を表して平和の祭りをやって国の平和を祈るしかなかったのである。人間の心の中にある“平和な国のイメージ”を形にすると平和の祭りみたいになるのである。国民みんなが政府を拝んで政府に貢物を捧げたり政府に虐[いじ]められたりしているのが人間の心の中にある“平和な国のイメージ”なのである。人間の心は野蛮なのでそんなイメージしかないのである(笑い)。サルにとっての平和な国のイメージはそんなのである。昔の国民は国を平和にできなかったからこそ国を平和にする祭りをやらざるを得なかったのである。昔の国民は実際に平和な国が作れなかったので、人間の心の中にある平和な国の設計図を真似[まね]てサルにとっての平和な国を作ることしかできなかったのである。サルにとっての平和な国は人にとっては平和ではない。人にとっては快適ではない。昔の国民は馬鹿馬鹿しいと思いながらしかたなく平和の祭りをやっていたのである。政治団体は国民の機嫌を取って国民に平和の祭りをやらせるためにいろいろ国民が喜ぶことをやっていたのである。政治団体はつまらない平和の祭りに楽しいオマケをつけて国民に平和の祭りをやらせていたのである。しかし、今は法律があるので今の国民は実際に法律を守って国を平和にできるようになっている。今では国民が法律を守って国を平和にできるようになったので、国民は平和の祭りはもう要らないと思って、平和の祭りをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]しているのである。政府は自分が用済みだと思っておとなしく潰れているのである。
昔は文明が遅れていて国民が不合理的なことをやっていた。今は文明が進んで国民が合理的なことをやっている。今では文明が進んで国民が合理的になって不合理なことをやめている。そのために、世の中が変わっているのである。

[22300] 今の国民は新しい平和な国をやって古い平和な国をやめている。 h27.11.24
昔は法律がなかったので昔の国民は国を平和にするために“平和の祭り”をやっていた。祭りとは人間が自分の心を開放することである。人間が自分の心のままにやることである。昔の国民は自分の心の中にある平和な国と同じものを現実の中に作っていた。昔の国民は上の者である政府を建てて、政府に貢物[みつぎもの]を捧[ささ]げたり、政府に虐[いじ]められたりしていた。昔の国民はそんな平和な国しか作れなかった。昔の国民は嫌な平和な国だと思っていた。昔の国民はこんな方法では本当に国が平和になるわけがないと思いながらいやいやしかたなくこんな方法で国を平和にしていた。しかし、昔の国民はほかに国を平和にするいい方法が思いつかなかったので、しかたなくそんな平和な国をやっていた。昔の国民は政府を上の者とすることが国を本当に平和にする方法とは思っていなかった。国を平和にするためのまじないぐらいにしか思っていなかった。病気を治すためや自分の願いをかなえるために神に祈るのと同じことだと思っていた。そのため、先進国が替わったときには、国民はざっとした平和な国をやるよりも日本が先進国の文化を受け入れて日本を進歩させるほうがずっと大事だと思ったので、国民は平和な国をやるのをやめて政府を上の者とするのをやめて政府に貢物をやるのをやめて政府を倒していた。新しい政府(政治団体)が建つと、国民はしかたなく再び平和な国をやるようになった。昔は法律がなかったので、人間は過酷[かこく]なやり方で国を平和にしなければならなかった。昔はエンジンがなかったので、人間が自分の身体を使って重労働をしなければならなかったのと同じことである。(訂正:先進国に従うと国が進歩する。国を平和にしても国は進歩しない。国民にとっては国が進歩したほうが物や心が豊かになって幸福になるから、国民は国を平和にすることよりも先進国に従うことを優先する。そのために、先進国が替わったときには国民は国を平和にするよりも先進国に従うほうが大事だと思って、政治団体を上の者にするのをやめて政治団体を倒して新しい政治団体に変えて新しい政治団体を上の者にして再び国を平和にしたのである。つまり、国を平和にする方法がうまかろうがまずかろうが、たとえ国を平和にする方法が完全だったとしても、単純に平和よりも進歩のほうが大事だから、国民は先進国の文化を受け入れるために政治団体を上の者にするのをやめて政治団体を倒したのである。今では文化人類学が出来て、進歩よりも幸福が大事にされるようになったので、国民は先進国に従うのをやめて自分の国の文化をやるようになっている。)
しかし、今は法律があるので今の国民は国を平和にするために“法律を守っている”。今の国民は法律を守ることによって国を平和にできるようになっている。今の国民はそういう平和な国を作ることができる。今の国民はなかなかいい平和な国だと思って満足している。今の国民は平和な国とはこういうものだとわかったので、喜んで平和な国をやっている。
今の国民にとっては昔の平和な国が要らなくなっている。政府を上の者として、国民が政府に貢物を捧げたり、政府に虐められたりする平和な国が要らなくなっている。だから、今の国民は昔の平和な国をやめている。今の国民は政府を上の者とすることをやめて、政府に貢物を捧げたり政府に虐められたりすることをやめている。つまり、政府に税金を払ったり、政府の嫌がらせの法律を守ったり嫌がらせの政策をやったり嫌がらせの命令を聞いたり、政府に国家宗教で殺されたりするのをやめている。今の国民は法律を守って、平和の祭りをやめている。今の国民は新しい平和な国をやって、古い平和な国をやめている。
昔の国民は現実を知らずに心で思うことを現実の中でやっていた。今の国民は現実を知り現実の中で幸福に暮らすようになっている。昔の国民は「病気を治したい」と思って神に祈ったり、「国を平和にしたい」と思って政府を上の者にして政府を拝[おが]んだりしていた。今の国民は人間の身体のことをよく調べて医学で病気を治したり、社会をよく知り、物や心をよく知り、自分が社会の中で幸福に暮らせる決まりを考え出して決まりを守って暮らしている。今の国民は今の平和な国が気に入って、昔の平和な国が要らなくなって捨てている。
h27.11.27追記:昔の人は目的がよければ実際にやることはどうでもいいと思っていた。昔の人は心がよければ細かいことはどうでもよかった。私が小学生のころ、私の母親が私に注意しているときに、私が母親の言うことがおかしいと思って母親に文句を言ったら、私の父親は私に「人の揚[あ]げ足を取るな!」と言って怒ったものである。(つまり、母親は“私のためを思って”私に注意をしているのだから、私が母親の言葉尻[ことばじり]を取ってはいけないと言っているのである。当時の私には私の母親が私のことを誤解して一方的に私に注意しているとしか思えなかった。)反対に、今の人は実際にやることが正しければ目的はどうでもいいと思っている。本当は、人間にとっては目的がいいことと実際に正しいことをやることの両方が大事である。人間は目的がよくて実際に正しいことをやるのが大事である。例えば、人間は国を平和にするために法律を守ることが大事である。昔の人は国を平和にするために上の者を設けていた。政府は国を平和にするために上の者をやって国民を好き放題にして虐めていた。昔の人は目的だけ見て実際にやることは見なかったから、それでもいいと思っていたのである。昔の人は目的はよかったが、実際にやることがお粗末[そまつ]だった。反対に、人間が法律を守って悪いことをするのもいけない。未来の人がそうなってはいけない。


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