[22101] 今の人間には死ぬ自由がある。 h27.8.25
今は実存主義の時代である。
実存主義とは人間が自分の心を満足するために生きることである。人間が幸福になるために生きることである。
だから、今の社会では幸福になれる人間だけが生きていればいい。幸福になれない人間は死ねばいい。
世の中には生きるよりも死んだほうが幸福な人間がいる。人間は幸福のために生きている。だから、そういう者は自分が幸福になるために死ねばいい。
そのためには、人間に生きる自由と死ぬ自由が与えられねばならない。
人間に死ぬ自由があるなら、人間を殺す仕事がなければならない。人間を自殺させる職業がなければならない。
早く人間を殺す仕事を設けて実存主義の社会にしないといけない。
例えば、カタワや年寄りや精神病者は自分が幸福になれないと思うなら死ねばいい。自分で幸福に生きていけない者は早く死んで楽になればいい。人間を殺す仕事をする者と契約してお金を払って自分を殺してもらえばいい。
今は実存主義の時代である。人間は自分の心を満足しないといけない。日本人は日本人の心を満足しないといけない。つまり、日本人は日本文化をやらねばならない。ところが、日本政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせている。日本政府は実存主義に反している。だから、日本政府は滅ばねばならない。国民みんなで日本文化をやって日本政府に税金を払わないようにして日本政府を倒さねばならない。
[22102] 社長は強盗犯である。 h27.8.25
今は実存主義の時代である。人間は自分の心を満足して生きねばならない。
それなら、悪いことをしたい者は悪いことをして生きればいいかというとそうではない。相手が悪いことをされたくなければ悪いことはできないからである。だから、けっきょく悪いことはできないのである。みんなが悪いことをしたり悪いことをされたりするのが好きでないかぎり、自由に悪いことはできないのである。ヨーロッパ社会でないかぎり、悪いことをしたい者が悪いことをやれないのである。
税金は強盗の言い換えである。税金は税金と言うから強盗と思えないのである。しかし、本当は税金は強盗である。今の日本政府は自分が強盗をしているのを隠すために強盗を税金と言い換えているのである。今の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化には強盗はない。だから、今の国民みんなは『日本政府が国民から強盗をしている』と考えて政府に税金を払ってはいけない。
それと同じように、社長は強盗犯の言い換えである。社長は社長と言うから強盗犯だと思えないのである。しかし、本当は社長は強盗犯である。社長に強盗してもいい特権があるわけではない。つまり、社長に会社の儲[もう]けを独り占めしてもいい特権があるわけではない。社長が偉いから強盗してもいいわけではない。ただたんに会社の中に強盗犯がいるだけのことである。強盗犯が自分を社長と名乗って正体を隠しているだけのことである。強盗犯が自分に社長という肩書きを付けて威張[いば]っているだけである。強盗犯がお上品ぶってみんなに自分を強盗犯だと思わせないようにしているだけである。今の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化には強盗犯はない。だから、今の国民みんなは『社長が強盗犯である』と考えて、社長の頭に石でもぶつけてやればいい。社長を会社から追放しなければならない。社長のいない会社にしなければならない。
日本政府や社長は国民みんなを騙[だま]して強盗しているが、これまで国民みんなは日本政府や社長に騙[だま]されて強盗されていたのではない。日本政府や社長が強気[つよき]だから国民みんなから強盗していたわけでもない。国民みんなが自分の考えに従っていただけである。近代の日本では国民みんなが「人間はみな同じである。今のヨーロッパ人が幸福に暮らしているから日本人が幸福になるためにはヨーロッパ文化をやればいい。」と考えてヨーロッパ文化をやっていたから、ヨーロッパ文化には強盗があるから、日本政府や社長が強盗できたのである。今の日本では国民みんなが『人間はみな違う。日本人が幸福になるためには日本文化をやらねばならない。』と考えて日本文化をやっているから、日本文化には強盗がないから、日本政府や社長が強盗できないのである。日本政府や社長は滅んでなくなるしかないのである。
[22103] 今の国民の多くは「自分が幸福だ」と誤解している。 h27.8.25
今の日本では国民みんなは『日本人は日本文化をやれば幸福になる。日本人はヨーロッパ文化をやれば不幸になる。』と考えて、日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民みんなは日本政府に従ってはいけない。日本政府は国民みんなを不幸にするから、国民みんなは日本政府を倒さねばならない。
ところが、今の国民の多くは「自分が日本政府に従って幸福に暮らしている」と思って、日本政府を支持している。「日本政府が自分を幸福にしてくれる」と思って喜んで日本政府に従っている。
今の国民の多くは自分が本当は不幸に暮らしているのに自分が幸福に暮らしていると思っている。今の国民の多くは眼で見えることがわかるだけで自分の心がわからないので自分の心が幸福か不幸かもわかっていないのである。
日本人は日本文化をやれば幸福になる。日本人はヨーロッパ文化をやれば不幸になる。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、日本人が日本政府に従えば不幸になる。自分が不幸になっていることがわからないのは自分の心がわかっていないからである。例えば、日本人は税金が嫌いである。政府に税金を払って幸福な日本人はいない。それなのに、国民がおとなしく政府に税金を払っているのは自分の心がわかっていないからである。
今は実存主義の時代である。人間は自分の心を満足しなければならない。人間は自分が幸福になることをやり不幸になることをやってはいけない。人間は自分が好きなことをやり嫌いなことをやってはいけない。日本人は自分が幸福になるために日本文化をやらねばならない。日本政府に従ってはいけない。日本文化には税金はない。日本人は日本文化をやって日本政府に税金を払わないようにして日本政府を倒さねばならない。
[22104] 今の日本には法律がない。 h27.8.26
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、日本政府の付属の法律会社はヨーロッパ文化の法律を定めている。ヨーロッパ文化では強盗や人殺しや虐待をやってもいいことになっている。だから、日本政府の付属の法律会社はみんなが強盗や人殺しや虐待を自由にやっていい法律を定めている。そのために、日本国憲法には国家宗教や戦争(自衛隊)や税金の法律が定められている。その他の法律はすべて建前[たてまえ]だけの嘘[うそ]である。日本政府の付属の法律会社は犯罪者を罰しているふりをして、本当はすぐに犯罪者を釈放して犯罪者を野放しにしているのである。日本政府の付属の学校会社はヨーロッパ文化の教育をやっている。ヨーロッパ文化では眼で見るだけで頭で考えない。ヨーロッパ文化では法律も道徳も守らない。だから、日本政府の付属の学校会社は子供に眼で見るだけで頭で考えない教育をしている。法律や道徳を守らない教育をしている。日本政府の付属の学校会社は国民を馬鹿の不良に変えている。一方、今の日本では国民みんなは自分で日本文化をやっている。日本文化では強盗や人殺しや虐待をやってはいけない。だから、今の日本の国民みんなは強盗や人殺しや虐待をやらずに暮らしている。日本文化では眼で見て頭で考える。だから、今の日本では国民みんなが実在について自分で考えたことをノートやメモ帳に書いて自分の頭で考える練習をしている。
日本政府の付属の法律会社は国民みんなにヨーロッパ文化を守らせるためにある。日本政府の付属の学校会社は国民みんなにヨーロッパ文化を教え込ませるためにある。しかし、今の日本では国民みんなは日本文化をやっているから、今の日本の国民みんなにとっては日本政府の付属の法律会社や学校会社は要らない。水道会社やゴミ会社や戸籍会社が要るだけである。今の日本では国民みんなは日本文化をやっているから、日本政府の付属会社の定めた法律を破って、日本政府の付属の学校会社の教育を受けないようにして、自分で日本文化の法律を守って日本文化の教育をやって暮らしている。
そもそも法律(成文法)があるかないかより、国民みんなが法律を守るか守らないかが大事である。
例えば、今のヨーロッパには法律があるが、国民みんなは法律を守っていない。ヨーロッパ人は悪いことが大好きだから、法律があると悪いことができないから、法律を守らないのである。ヨーロッパでは法律や道徳は建前であるだけで、実質的にはないのである。
反対に、今の日本には法律がないが、国民みんなは法律を守っている。日本人は善いことが大好きだから、法律や道徳があると善いことがしやすいから、日本人は自分で法律や道徳を考えて守っているのである。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府の付属の法律会社はヨーロッパ文化の法律を定めている。しかし、今の国民みんなは日本文化をやっているから、日本政府の付属の法律会社が定めた法律を守らず、日本文化の法律を守っている。今の日本にはまだ日本文化の法律を定める会社がないが、国民みんなが自分で日本文化の法律を考えて日本文化の法律を守って暮らしている。将来日本文化の法律をやる法律会社が建てば、国民は法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいが、それまでは国民が自分で日本文化の法律を守って暮らすしかない。
日本人は本来善いことが好きで悪いことが嫌いである。反対に、ヨーロッパ人は本来悪いことが好きで善いことが嫌いである。近代の日本では国民みんなが「自分が幸福になるためにはヨーロッパ文化をやらねばならない」と考えていやいやしかたなく強盗や人殺しや虐待などの悪いことをやっていた。そのため、近代の日本は物騒[ぶっそう]で日本人は不幸に暮らしていた。しかし、今の日本では国民みんなが『自分が幸福になるためには日本文化をやらねばならない』と考えて強盗や人殺しや虐待などをやめている。だから、今の日本は平和で日本人が幸福に暮らしているのである。日本人の一部のふざけたヤツが強盗や殺人や虐待などの悪いことをやって自分の本心に反することをやって自分で自分を不幸にしているのである。日本政府は国民みんなに強盗や人殺しや虐待などをやらせて国民みんなを不幸にする。例えば、会社の社長は日本政府の命令で強盗をやらされているのかもしれない。昔の学校に番長がいてみんなを虐[いじ]めていたように、今でも会社に社長がいてみんなの稼[かせ]ぎを奪っているのである。だから、国民みんなは日本政府に従わないようにしないといけない。国民みんなは日本政府に税金を払うのをやめて日本政府を倒さねばならないのである。
[22105] 日本政府は国民を不幸にするから、国民は日本政府に従わなければいい。
h27.8.26
国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民は自分が幸福になる政治団体に従い、自分が不幸になる政治団体に従わなければいい。国民が政治団体に従うから政治団体に権力(命令力)があって政治団体が上の者に思われるだけで、実際には国民が自分が幸福になるために政治団体に従っているにすぎないのである。そもそも権力も上の者もないのである。政治団体は偉そうにしているだけで、本当は国民が政治団体に従わなくていいのである。本当は国民が自由にやればいいのである。
今の日本では国民みんなは『日本人は日本文化をやれば幸福になりヨーロッパ文化をやれば不幸になる』と考えてヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本政府は国民を不幸にする団体である。国民が日本政府に従うと不幸になる。だから、国民は日本政府に従わなければいいのである。
今の日本では国民みんなは自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。税金はヨーロッパ文化であり、日本文化は契約である。だから、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。
今ではそう考えて日本政府に従うのをやめて、日本政府の付属会社と自分で契約してお金を払って仕事をやってもらっている国民が増えている。日本政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府の付属会社は国民と契約して国民からお金をもらって仕事をして生き残っている。
今の日本では国民はそのようにして日本文化をやって自分の心を満足して幸福に暮らしている。
政治団体はある国の文化をやらせる団体である。政治団体は国民を幸福にするために国民に命令してある国の文化をやらせる。近代の日本では国民みんなが「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と考えていたから、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民みんなは自分が幸福になるために自分から日本政府に従っていた。しかし、今の日本では国民みんなが『自分が日本文化をやれば幸福になれる』と考えているから、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民みんなは自分が幸福になるために日本政府に従うのをやめた。日本政府に税金を払うのをやめた。日本政府の法律を守るのをやめた。日本政府の教育を受けるのをやめた。今の国民みんなは自分で日本文化をやって自分で日本文化の法律を考えて守って自分で日本文化の勉強をやって自分の心を満足して幸福に暮らしている。
今では『文化人類学』が出来て『日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことがわかっているから、国民みんなは自分が幸福になるために日本文化をやってヨーロッパ文化をやらなければいいのである。税金はヨーロッパ文化であり、契約は日本文化である。つまり、ヨーロッパ人は政府に税金を取られるのが好きだが、日本人は政府に税金を取られるのが嫌である。(ただし、ヨーロッパ人でも政府に税金を取られすぎると嫌である。)日本人は契約が好きだが、ヨーロッパ人は契約が嫌いである。だから、日本では国民みんなは自分が幸福になるために政府の付属会社と契約をしてお金を払って仕事をやってもらって政府に税金を払わなければいいのである。国民みんなは自分が幸福になることをやって不幸になることをやってはいけない。国民みんなは自分が好きなことをやって嫌いなことをやってはいけない。国民みんなは自分で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。近代の日本人は自分が幸福になるために戦争をやった。今の日本人は自分が幸福になるために政府に税金を払ってはいけないのである。
自分で幸福になろうとする人間は幸福になれる。反対に、自分で幸福になろうとしない人間は幸福になれない。幸福になりたい人間は自分で自分を幸福にしないといけない。自分で自分を幸福にする練習をしなければならない。そのためには、まず手はじめに政府に税金を払うのをやめて、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらわねばならない。これは幸福入門にすぎない。自分でこれぐらいのことができなければ幸福に生きる資格がない。この試練に打ち勝てばより大きな幸福を目指すことができる。政府に税金を払わないのを恥ずかしがらずに堂々と政府に税金を払わなければいい。
今は実存主義の時代である。人間は自分の心を満足すればいい。人間は自分が好きなことだけやって嫌いなことをやらなければいい。日本人は日本人の心を満足すればいい。つまり、日本人は日本文化をやればいい。日本文化には契約があるが税金はない。つまり、日本人は契約は好きだが税金は嫌いである。だから、日本人は政府に税金を払わず、政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をしてもらえばいい。
[22106] 今の日本政府が国民から税金を取ろうとしても国民は日本政府に税金を払わない。
h27.8.27
近代の日本では国民みんなは「人間はみな同じだ。今のヨーロッパではみんなが幸福に暮らしているから、自分もヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と考えてヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は悪いことをしたり悪いことをされたりするのが好きで、善いことをしたり善いことをされたりするのが嫌いである。ヨーロッパ文化には強盗や人殺しや虐待などがあった。国民みんなが強盗や人殺しや虐待などをやって暮らしていた。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民みんなは自分が幸福になるために喜んで日本政府に従っていた。国民みんなは政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教などをやっていた。しかし、国民みんなが「人間はみな同じだ」と考えていたのがまちがっていたので、国民みんなは実際には自分の心にないことをして不幸になっていた。日本政府も国民みんなに悪いことをして自分の心にないことをして不幸になっていた。
今の日本では国民みんなは『人間はみな違う。日本人は日本文化をやらねば幸福になれない。日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる。』と考えて日本文化をやっている。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いである。日本人は善いことをしたり善いことをされたりするのが好きで、悪いことをしたり悪いことをされたりするのが嫌いである。そのため、日本文化には強盗や人殺しや虐待などがない。国民みんなが強盗や人殺しや虐待などをやめた。日本文化には仕事や勉強がある。国民みんなが仕事や勉強をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民みんなは自分が不幸にならないために日本政府に従わなくなった。国民みんなは政府の命令を聞かなくなって税金や戦争や国家宗教などをやらなくなった。日本文化には契約がある。国民みんなは自分で政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。
いつの時代にも国民みんなは“自分が幸福になるためには何をすればいいか”を考えてやってきた。近代の国民みんなは「自分が幸福になるためにはヨーロッパ文化をやればいい」と考えてヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では国民が政府に税金を払っていた。そのため、近代の国民みんなは「自分が政府に税金を払えば幸福になる」と思って喜んで政府に税金を払っていた。だから、政府は国民に命令して容易に税金を取ることができたのである。一方、今の国民みんなは『自分が幸福になるためには日本文化をやればいい』と考えて日本文化をやっている。日本文化には契約があるが税金はない。つまり、日本人は税金が嫌いで契約が好きである。だから、今の会社や団体が国民みんなからお金を取るためには国民みんなに従って契約制にしないといけない。今の国民みんなは『自分が会社や団体に税金を払えば不幸になる』と思って会社や団体に税金を払わない。だから、今の政府がいくら国民に命令しても国民は政府に税金を払ってくれないのである。今の会社や団体が国民からお金を取るためには国民に従って国民と契約を取ってお金をもらって仕事をするしかないのである。つまり、契約とは仕事とお金を交換することである。契約とは会社や団体が国民からお金をもらって国民のために仕事をすることである。反対に、税金とは強盗である。税金とは政府が国民からお金を奪って国民のために何もしないことである。国民が政府に取られた税金はすべて政府の遊び代になっていたのである。
そういうわけで、今では日本政府が国民みんなから税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。政府の付属会社が国民と契約してお金をもらって仕事をやっている。国民は政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。今の日本では日本政府が潰れてなくなって、国民と政府の付属会社が日本文化をやって幸福に暮らしている。
今は実存主義の時代である。人間は自分の心を満足して生きねばならない。人間は自分が好きなことだけやって、嫌いなことをやってはいけない。日本人は税金が嫌いだから、日本では国民みんなは政府に税金を払わなければいい。日本人は契約が好きだから、日本では国民みんなは政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。そうやって、日本では国民みんなが自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
[22107] 国民みんなは昔から自分が幸福になると思うことをやってきた。☆ h27.8.27
昔から人間は自分が幸福になりたかった。だから、昔から人間は自分が幸福になると思うことをやり、自分が不幸になると思うことをやらなかった。
近代の日本では国民みんなが「人間はみな同じだから、今のヨーロッパではみんなが幸福に暮らしているから、ヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と考えてヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ人は悪いことが好きだから、ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをやったり悪いことをやられたりする。そのために、近代の日本では国民みんなは自分で強盗や人殺しや虐待などの悪いことをやったり、日本政府の命令を聞いて日本政府に税金や戦争や国家宗教などの悪いことをされたりしていた。しかし、本当は『人間はみな違う』から、近代の日本では国民みんなが不幸に暮らしていた。
今の日本では国民みんなが『人間はみな違うから、日本人が幸福に暮らすためには日本文化をやらねばならない』と考えて日本文化をやっている。日本人は善いことが好きだから、日本文化ではみんなが善いことをやったり善いことをされたりする。日本人は悪いことが嫌いだから、日本文化ではみんなが悪いことをやったり悪いことをされたりしない。強盗や人殺しや虐待は悪いことであり、仕事や勉強や契約は善いことである。そのために、今の日本では国民みんなは自分で仕事や勉強などの善いことをやったり、日本政府の命令を聞かなくなって日本政府に税金や戦争や国家宗教などの悪いことをされなくなっている。国民みんなが日本政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。
近代の日本では国民みんなが幸福について誤解をしていたために不幸になっていた。今の日本ではようやく国民みんなが幸福について正しく考えられるようになって幸福になっている。人間は自分の心について理解して自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。今後は国民みんなは自分の心についての理解を深めてもっと自分が幸福になることをやって不幸になることをやらないようにしてますます幸福に暮らさねばならない。
そもそも日本政府は国民に悪いことをして国民を幸福にするためにある。日本政府は国民を虐[いじ]めて国民を幸福にする団体である。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるのが好きである。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になるから、ヨーロッパでは国民みんなが自分が幸福になるために政府を設けて政府に悪いことをされていたのである。しかし、日本人は他人に悪いことをされるのが好きではない。日本人は他人に悪いことをされると不幸になるから、日本では国民みんなが自分が幸福になるために政府を撤去して政府に悪いことをされなければいいのである。日本政府はテレビや新聞の上では国民みんなに善いことをするふりをしているが、本当は国民みんなに悪いことをする。日本政府は水道やゴミや戸籍などの仕事をやって善いことをするように見せかけているが、本当は悪いことをする。ヨーロッパでは政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを幸福にするが、日本では政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にする。ヨーロッパ人にとっては政府が必要だが、日本人にとっては政府が要らない。だから、ヨーロッパではそのまま政府があってもいいが、日本では国民みんなで早く政府に税金を払わなくなって政府を倒して政府をなくさねばならない。(日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、ヨーロッパ文化ではみんなが人眼につくところで善いことをやって人眼につかないところで悪いことをやるから、日本政府は人眼に付くところで善いことをやって人眼に付かないところで悪いことをやっている。日本政府は人眼に付くところで善いことをやるために法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などをやっている。だから、“天狗[てんぐ]の隠れ蓑[みの]”というのである。天狗とは偉そうにする人のことではなく、ヨーロッパ人つまり悪いことをする人のことである。ヨーロッパ人は鼻が高くて赤ら顔だから天狗なのである。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、自分でもヨーロッパ文化をやるから、政府は大きいヨーロッパ人だから天狗なのである。)
[22108] 今の国民みんなは何をやっているか? h27.8.27
昔から人間は自分が幸福になると思うことをやり、自分が不幸になると思うことをやらない。
近代の日本では国民みんなは「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えてヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化には税金があった。つまり、ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるのが好きだから、ヨーロッパでは国民みんなが政府にお金を強盗されて幸福になっていた。そのために、近代の国民みんなは自分が幸福になるために政府に税金を払っていた。
反対に、今の日本では国民みんなは『自分が日本文化をやれば幸福になる』と考えて日本文化をやっている。日本文化には税金がなくて契約がある。つまり、日本人は善いことが好きで他人に悪いことをされるのが嫌いだから、日本では国民みんなが政府にお金を強盗されると不幸になり、他人と平等にして他人と契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうと幸福なのである。そのために、今の国民みんなは自分が幸福になるために政府に税金を払わなくなって、政府の付属会社と自分で契約してお金をやって仕事をやってもらっている。
そういうわけで、今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって、政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。政府が国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れて、政府の付属会社が国民みんなからお金をもらって生き残っている。
今の日本では国民みんなが自分の心を知って自分の心を満足して幸福に暮らしているのである。
近代の日本では国民みんなは「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っていたから、自分がヨーロッパ文化をやって幸福になるために政府に税金を払っていた。今の日本では国民みんなは『自分が日本文化をやれば幸福になる』と思っているから、自分が日本文化をやって幸福になるために政府に税金を払わなくなっている。国民みんなは自分がやることは自分で決める。国民みんなは自分が幸福になると思うことをやり、不幸になると思うことはやらない。だから、今の日本では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいるのである。
今の日本では多くの国民が政府に税金を払っている。多くの国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されたり自分で社会のことを誤解したりして政府に税金を払っている。ところが、日本文化には多数決はない。つまり、日本人は多数の考えよりも正しい考えに従えばいい。だから、今の日本では国民は多くの国民が政府に税金を払っているのを無視して、正しい考えに従って政府に税金を払わなくなっている。今の日本では正しい考えがじょじょに広まって、政府に税金を払わない者が増えている。
[22109] 国によって国民みんなの心が違う。☆ h27.8.27
人間は自分が幸福になると思うことをやり、不幸になると思うことをやらない。
アメリカ人は自分が悪いことをやったり他人に悪いことをされるのが好きである。だから、アメリカでは国民みんなが政府に戦争や国家宗教で殺傷[さっしょう]される(つまり殺されたり傷つけられたりする)のが幸福なのである。政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなを殺傷しているのである。国民みんなは自分が幸福になるために政府を設けて政府に殺傷されているのである。アメリカではプラカードを持って政府に抗議している者がいけないのである。アメリカでは国民みんなが政府に抗議している者を煙[けむ]たい目で見ているのである。
反対に、日本人は自分が悪いことをやったり他人に悪いことをされたりするのが嫌いである。だから、日本では国民みんなが政府に殺傷されるのが不幸なのである。政府は国民みんなを殺傷して国民みんなを不幸にしている。国民みんなは自分が幸福になるために政府を倒して政府に殺傷されないようにしているのである。
『人間はみな違う。』国によって国民みんなの心が違う。そのために、国によって制度や社会の構造が違っている。しかし、どこの国でも国民みんなが自分が幸福に暮らせるようにしているのである。だから、他人の国のことを非難してはいけない。
どこの国の政治団体も国民みんなにとって幸福なことで固[かた]めている。どこの国の政治団体も国民みんなを幸福にすることばかりやっている。どこの国の政治団体も国民みんなを幸福にすることだけやって不幸にすることをやっていない。世界中のどこの国の政治団体も国民みんなを完全に幸福にしている。(昔の日本の学者は『国によって国民みんなの心が違う』ことがわかっていなかったので外国の政府が日本人にとって幸福なことと不幸なことの両方をやっていたから、「外国の政府が国民みんなを幸福にすることと不幸にすることを抱き合わせていわゆる“飴と鞭[あめとむち]”の政治をやっている」と誤解していた。しかし、本当は『外国の政府は外人にとって幸福なことばかりやっていた』のである。『外国の政府は外国の国民みんなを幸福にすることばかりやっていた』のである。)日本だけが例外である。日本では国民みんなが日本政府に不幸にされている。だから、今の日本では国民みんなは早く政府を倒して政治団体のない国にしないといけない。これまで日本は政治団体において世界中の国に遅れていたから、いっきょに政治団体のない国にして挽回[ばんかい]を図らなければならない。(法律会社の命令は法律だけに限られている。一方、政治団体の命令は国の文化に適[かな]っていさえすればなんでもありである。法律会社は法律の命令しか出さないが、政治団体は文化に関するありとあらゆる命令を出す。法律会社は法律を定めて国民に法律を教えて法律の違反者を取り締[し]まるだけだが、政治団体は国民を幸福にしようが不幸にしようがおかまいなしに一方的に国民に文化に関する命令をなんでもかんでも出す。(法律は国民みんなに対する決まりだから、法律会社は国民みんなに法律を教えるだけで特定の個人に対して命令を出すことができない(犯罪者を除く)。一方、政治団体は特定の個人に対してその文化に適[かな]った命令を出すことができる。例えば、日本政府はある一人の個人に対して国家宗教の命令を出すことができる。国家宗教の命令はメチャクチャたくさんある。)法律会社よりも政治団体のほうがはるかに国民みんなに対する命令が多い。国民みんなにとっては政治団体よりも法律会社のほうが自由が多い。それだけ国民みんなが自分で自分の心を適切に満足できて幸福になれる。だから、国民みんなにとっては政治団体よりも法律会社のほうがいい。今の日本では国民みんなはヨーロッパ文化をやらせる日本政府を倒して、日本文化をやらせる政治団体を建てず、日本文化の法律をやらせる法律会社を建てて日本の法律だけ守って暮らせばいい。/商人は客に物を売ることが仕事であって、客を幸福にすることが仕事ではない。だから、客は自分を幸福にするために自分で物を選んで買わねばならない。それと同じように、政治団体は国民にある国の文化をやらせることが仕事であって、国民を幸福にすることが仕事ではない。国民を幸福にするのは国民自身がやるべきことである。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民は自分で考えて判断して自分を幸福にする政治団体に従って自分を不幸にする政治団体に従わないようにしないといけない。例えば、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせることが仕事である。日本政府は国民を幸福にすることが仕事ではない。だから、国民が自分で考えて日本政府に従うか従わないかを決めねばならない。今では『文化人類学』が出来て『日本人は日本文化をやれば幸福になる。日本人はヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことがわかっている。だから、今の日本では国民は自分で考えて日本政府に従うのをやめねばならない。今の日本では国民は日本政府に従うのをやめて日本政府に税金を払うのをやめて日本政府を倒さねばならない。日本政府が国民みんなに「国民みんなは日本政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ文化には嘘があるから、日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために国民に嘘をつくのである。国民みんなは日本政府の嘘に騙[だま]されないようにして日本政府に従ってはいけない。)
[22110] 昔も今も国民みんなは自分の心を満足して暮らしている。☆ h27.8.28
人間は自分の心のために生きている。人間は自分が幸福になると思うことをやればいい。自分が不幸になると思うことをやらなければいい。
近代の日本では国民みんなは「人間はみな同じだから、今のヨーロッパではみんなが幸福に暮らしているから、自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思って、一生懸命ヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ人は悪いことが好きだから、ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になるから、税金は政府が国民からお金を強盗することで悪いことだから、ヨーロッパ人は税金が好きである。そのため、近代の日本では国民みんなは「自分が政府に税金を払えば幸福になる」と思って政府に税金を払っていた。しかし、本当は『人間はみな違う』から、国民みんなは不幸になっていた。
今の日本では国民みんなは『人間はみな違うから、日本人は日本文化をやらねば幸福にならない』と思って、必死に日本文化をやっている。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、人間が平等であることは善いことで他人からお金を強盗するのは悪いことだから、日本人は契約が好きで税金が嫌いである。そのため、今の日本では国民みんなは『自分が政府に税金を払うと不幸になる。自分が政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえば幸福になる』と思って、政府に税金を払うのをやめて政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。
今の日本では国民みんなはそのようにして暮らしている。そのため、政府が国民みんなから税金をもらえなくなって滅んでいる。政府の付属会社が国民みんなからお金をもらって仕事をして生き残っている。日本は政治団体のない国になっている。
日本政府が国民みんなに「国民みんなは日本政府に従わねばならない。日本政府に従わない国民は政府が罰する」と言っているが、それは政府の嘘[うそ]である。政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、嘘はヨーロッパ文化だから、政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために国民に嘘をつくのである。本当は『国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由だから、国民は日本政府に従わなくていいのである。国民は自分が不幸になるから日本政府に従わなければいいのである。』だから、今の日本では国民みんなが日本政府に従わなくなっているのである。国民みんなは政府の嘘に騙[だま]されず政府に従わないようにしないといけない。
そもそも日本政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを幸福にするためにある。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になるから、ヨーロッパでは国民みんなが自分が幸福になるために政府を設けて政府に悪いことをされているのである。今でもヨーロッパでは国民みんなが政府に高い税金を取られたり戦争をやらされて殺されたり国家宗教で虐待されたりして幸福に暮らしているのである。しかし、日本人は他人に悪いことをされると不幸になるから、日本では国民みんなは自分が幸福になるために政府を倒して政府に悪いことをされないようにしないといけない。
ヨーロッパ人は狩猟民族だから、狩猟民族が生き残るためには動物を殺すことつまり悪いことをするのが大事だから、ヨーロッパ人の心は悪いことで幸福になり善いことで不幸になるように出来ている。そのために、ヨーロッパ人は悪いことをやったり悪いことをされたりして自分の心を満足して生きている。反対に、日本人は農耕民族だから、農耕民族が生き残るためには作物を育てることつまり善いことをするのが大事だから、日本人の心は善いことで幸福になり悪いことで不幸になるように出来ている。そのために、日本人は善いことをやったり善いことをされたりして自分の心を満足して生きている。ヨーロッパ人と日本人では心が反対である。だから、日本人がヨーロッパ人の真似[まね]をしても不幸になるだけなのである。逆にヨーロッパ人が日本人の真似をしても不幸になるだけなのである。日本人が幸福になるためには日本人の心を満足しないといけないし、ヨーロッパ人が幸福になるためにはヨーロッパ人の心を満足しないといけないのである。
人間は自分と他人の優劣を比較するために生きているのではない。人間は自分が幸福になるために生きている。この世では自分が幸福になったほうが勝ちである。だから、日本人は自分と外人を比較して自分が外人に負けないようにするのではなく、自分の心を知って自分の心を満足して自分を幸福にしなければならない。
人間は本気で生きていかねば幸福になれない。人間は自分の心を満足すると幸福になる。人間は自分の心を満足しないと不幸になる。人間の心には冗談は通用しない。人間は自分の心をよく知って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いである。日本人は税金が嫌いで契約が好きである。今の日本では国民みんなは自分が幸福になるために政府に税金を払わず政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらって暮らさねばならない。
[22111] 今の日本政府は「悪いことをすると幸福になる」と誤解して自分で自分を苦しめている。
h27.8.28
人間は自分の心を満足して生きねばならない。しかも、人間の心はみな違う。日本人は日本人の心を満足して生きねばならない。
日本人は見かけや作り話が嫌いである。だから、見かけや作り話をやっている者は自分で自分を苦しめているのである。見かけや作り話をやる者は自分が苦しみながら見かけや作り話をやっているのである。見かけや作り話をやっている者は表面的に喜んでいるだけで心の底では嫌な思いをしているのである。だから、日本人は見かけや作り話をやってはいけない。
日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いである。だから、悪いことをやっている者は自分で自分を苦しめているのである。悪いことをやっている者は苦しみながら悪いことをやっているのである。悪いことをやっている者はうわべで喜んでいるだけで心の底では嫌な思いをしている。だから、日本人は悪いことをやってはいけない。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。しかし、日本政府はヨーロッパ文化をやらせている。ヨーロッパ文化をやらせるもヨーロッパ文化をやるも同じことだから、日本政府はヨーロッパ文化をやっている。今の日本では国民みんなは善いことをやって幸福に暮らしているのに、日本政府は悪いことをやって不幸に暮らしている。日本政府は不幸を我慢[がまん]しながら悪いことをやっているのである。
日本政府は「自分が悪いことをすると幸福になる」と誤解しているために悪いことをやっているのである。しかし、本当は『日本政府も日本人だから、日本人は悪いことをすると不幸になる』から、日本政府は悪いことをやって自分で自分を不幸にして苦しめているのである。日本政府は国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしているが、同時に自分自身も不幸にしているのである。
日本政府が幸福になるためには悪いことをやめればいい。ヨーロッパ文化をやらせるのをやめればいい。潰[つぶ]れてなくなればいい。国民みんなと同じように日本文化をやって暮らせばいい。そうすれば、日本政府は不幸にならずに幸福に暮らすことができる。
今の日本政府は「自分が悪いことをすると幸福になる」と誤解して悪いことをやって自分で自分を不幸にして苦しんでいる。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、つまり日本政府はヨーロッパ文化をやる団体だからヨーロッパ文化をやりすぎたためになかなかヨーロッパ文化から抜け出せないのである。国民みんなは日本政府を苦しみから救ってやらねばならない。国民みんなは自分で日本文化をやって日本政府に従わないようにして政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうようにして、日本政府に悪いことをさせないようにして日本政府に善いことをさせるようにして日本政府を幸福にしてやらねばならない。
見かけや作り話をやっている者は自分で自分の心がわかっていないために見かけや作り話をやって自分で自分を苦しめている。それと同じように、今の日本政府は自分で自分の心がわかっていないために悪いことをやって自分で自分を苦しめている。見かけや作り話をやっている者も日本政府も自分の心がわかっていない。見かけや作り話をやる者も日本政府も馬鹿だから自分の心が正しくわからず自分の心を満足できず自分で自分を不幸にしているのである。馬鹿は死ななきゃ直らない。だから、今の国民みんなで見かけや作り話をやる者や日本政府を倒して日本から心がわからない者をなくして自分で自分を不幸にする者をなくしてみんなが幸福に暮らす国にしないといけない。
日本人は五感や心よりも知覚が発達している。日本人は知覚で物や心を見る。日本人は眼で見たことや心で思ったことに対してもう一度頭で考える。日本人はまず言葉から入って物や心を見る。日本人は自分の言葉に基づいて物や心を見る。日本人は知覚で物や数や心を見るから、見かけや作り話がわからない。だから、日本人は見かけや作り話が嫌いなのである。日本人は見かけや作り話をやると不愉快[ふゆかい]になるのである。日本人は農耕民族だから、日本人の心は善いことで幸福になり悪いことで不幸になるように出来ている。だから、日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いなのである。日本人は善いことをやって悪いことをやらないようにして自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
日本に多数決がないことからわかるように、世の中には馬鹿が多くて利口が少ない。馬鹿は自分の心がわからないから自分で自分の心を不満にして自分を不幸にする。利口は自分の心がわかるから自分で自分の心を満足して自分を幸福にする。だから、世の中には不幸な者が多く、幸福な者が少ない。日本には多数決がないから、日本人は多数に従わず少数に従わねばならない。日本人はまちがいに従わず正しいことに従わねばならない。だから、馬鹿は利口に従って利口を見習って自分の心を正しくわかって自分の心を満足して自分を幸福にしないといけない。今では『日本人は日本文化をやれば幸福になる』ことがわかっている。日本文化は日本人の心である。だから、今の日本では利口は日本文化をやっている。つまり、利口は善いことだけやって悪いことをやっていない。他人が日本文化をやっているかどうかは眼で見えるから眼で見ればわかる。だから、今では馬鹿は利口を見習って日本文化をやっている。今の日本では利口も馬鹿もみんなが善いことをやって悪いことをやらなくなっている。今では『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことがわかっている。だから、今の日本では利口は政府に従っていない。しかし、他人が政府に従っているかどうかは眼で見えないから眼で見てもわからない。だから、今でも馬鹿は利口を見習えず政府に従っているのである。利口は『日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、契約してお金を払って仕事をやってもらうと幸福になり税金を払うと不幸になる』と考えて、政府に税金を払わず政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。だから、馬鹿も利口を見習って政府に税金を払わず政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。国民みんなでいっしょに政府に税金を払わず政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらうようにして、政府を倒して政府の付属会社だけ残さねばならない。
[22112] 国民は自分がやりたい文化をやらせる政治団体に従えばいい。 h27.8.28
政治団体とはある国の文化をやらせる団体のことである。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が幸福になる政治団体に従い、自分が不幸になる政治団体に従わなければいい。
例えば、国民がヨーロッパ文化をやりたくて、政治団体がヨーロッパ文化をやらせるなら、国民は政治団体に従えばいい。
国民が日本文化をやりたくて、政治団体がヨーロッパ文化をやらせるなら、国民は政治団体に従わなければいい。
国民がヨーロッパ文化をやりたくて、政治団体が日本文化をやらせるなら、国民は政治団体に従わなければいい。
国民が日本文化をやりたくて、政治団体が日本文化をやらせるなら、国民は政治団体に従えばいい。
今の日本では国民みんなが『日本人は日本文化をやれば幸福になれる』と考えて自分が幸福になるために日本文化をやっている。そのために、日本政府は自分に国民を従わせるために日本文化をやらせる団体のふりをしている。しかし、本当は日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民は日本政府に従わなければいい。実際に、今の日本政府は国民みんなに「自分が国民みんなの役に立つことをするために税金を取っている。自分が国民みんなを守るために自衛隊を置いている。自分が日本の象徴をやるために国家宗教をやらせている。」と言って国民みんなに命令して税金や戦争(自衛隊)や国家宗教をやらせている。しかし、それらは全部嘘[うそ]である。本当は『今の日本政府は国民みんなから強盗するために税金を取っている。政府は国民みんなを殺傷するために自衛隊をやらせている。政府は国民みんなを虐待するために国家宗教をやらせている。』のである。日本政府は国民から強盗したり国民を殺したり国民を虐待したりして国民に悪いことをするために国民に税金や戦争(自衛隊)や国家宗教をやらせている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなに悪いことをやっているのである。しかし、今の国民は日本文化をやっているから政府に悪いことをされても幸福にならないから政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやらなければいい。日本政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
政治団体はある国の文化をやらせる団体である。今では『日本人は日本文化をやれば幸福になる』ことがわかっているから、日本には日本文化をやらせる団体しか出来ない。日本文化には見かけや作り話がない。だから、日本文化をやらせる団体は国民みんなを幸福にするために国中からかっこいい服やマンガやアニメやドラマや映画などをなくすだろう。日本文化をやらせる団体は国中で汚いかっこ悪い服や学術書や専門書などを売らせるだろう。政治団体は国民みんなに国の文化を大げさにやらせてかえって国民みんなを不幸にする。今では国民が自分で自分の心について考えて自分の心を知って自分の心を満足して幸福に暮らしている。今の国民にとっては政治団体も宗教団体も要らない。今の国民は法律会社と契約してお金をやって仕事をやってもらって暮らせばいいだろう。
国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民が自分で考えて政治団体に従うか従わないかを決めねばならない。もしも、国民が政治団体に従って幸福になるなら、国民が政治団体に従わなければ国民が幸福になれなくて国民自身が損をするだけである。国民が自分を幸福にしようが不幸にしようが国民個人の自由だから、国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の勝手である。今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。もっとも、ヨーロッパ文化と日本文化には共通点があるから、日本政府もちょっとは日本人を幸福にすることをする。しかし、ヨーロッパ文化と日本文化には相違点もたくさんあるから、日本政府は日本人を不幸にすることもたくさんやる。日本政府の命令は国民を幸福にすることもあれば不幸にすることもある。博打[ばくち]と同じである。日本政府は胡散[うさん]臭いから、日本では国民は日本政府に従わなければいい。国民は日本政府に頼って自分を幸福にしてもらうのをやめて、自分で自分を幸福にして生きていけばいい。
近代の日本では「人間はみな同じである」ことが正しいと信じられていたから、馬鹿も利口もみんないっしょに「人間はみな同じである」ことが正しいと信じていたから、国民みんながヨーロッパ文化をやって、国民みんながヨーロッパ文化をやらせる日本政府に従っていたのである。昔は国民みんながまちがいを信じていたから、世の中が歪[ゆが]んでしまったのである。昔の日本では国民がみんな仲良く揃[そろ]って日本政府に従っていたのである。一方、今の日本政府は自分が日本文化をやらせる団体のふりをして国民を騙[だま]して生き残っている。今の日本では利口は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だ』と考えて政府に従っていない。馬鹿が「日本政府は日本文化をやらせる団体だ」と思って政府に従っているだけである。国には馬鹿が多くて利口が少ない。だから、今でも多くの国民が政府に従っているから、政府が多くの国民から税金を取って生き残っているのである。今の日本では利口は政府に従わず、馬鹿が政府に従っている。今の日本では国民はめいめいバラバラに政府に従ったり従わなかったりしている。今の日本では国民みんなが政府に従う者と政府に従わない者に別れている。そのため、政府の付属会社はどっちの者からもお金をもらって仕事をやるようになっている。国民は馬鹿よりも利口のほうがかっこいいから、政府に従うのをやめねばならない。
人間は自分の心を満足すればいい。人間は自分が幸福になると思うことをやり、不幸になると思うことをやらなければいい。近代の日本では国民みんなは「自分はヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えて、ヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ人は自分が悪いことをやったり他人に悪いことをされると幸福になる。ヨーロッパ人は自分が善いことをやったり他人に善いことをされると不幸になる。そのため、ヨーロッパ人は自分が幸福になるために自分で強盗や殺人や虐待などをやったり政府に税金や戦争や国家宗教をやらされたりしている。ヨーロッパ人は自分が不幸にならないために仕事や勉強をしない。だから、日本では国民みんながヨーロッパ人を真似[まね]て自分が幸福になるために強盗や殺人や虐待をやったり日本政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやらされていた。国民みんなが自分が不幸にならないために仕事や勉強をしなかった。しかし、今の日本では国民みんなは『自分は日本文化をやれば幸福になる』と考えて、日本文化をやっている。日本人は自分が善いことをやったり他人に善いことをされると幸福になる。日本人は自分が悪いことをやったり他人に悪いことをされると不幸になる。そのため、今の日本では国民みんなが自分が幸福になるために自分で仕事や勉強をやったり、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらっている。国民みんなは自分が不幸にならないために強盗や殺人や虐待などをやめて日本政府の命令を聞くのをやめて税金や戦争や国家宗教をやらなくなっている。ただし、日本政府の嘘に騙されて「政府が日本文化をやらせる団体だ」と思っている者は、今でも「自分が政府に従えば幸福になる」と思って政府に従っている。税金や戦争や国家宗教が日本文化だと思って政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやっている。国民みんなは早く政府の嘘に騙されなくなって、政府に悪いことをされなくなって幸福に暮らさねばならない。
[22113] 国民みんなは自分の心を満足して生きればいい。☆ h27.8.28
人間は自分の心を満足して生きている。人間は自分が幸福になると思うことをやって、自分が不幸になると思うことをやらなければいい。
近代の日本では国民みんなは「人間はみな同じだから、今のヨーロッパ人は幸福だから、自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と考えてヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ人は悪いことをやったりやられたりすると幸福になり、善いことをやったりやられたりすると不幸になる。そのため、国民みんなは自分が幸福になるためにヨーロッパ人を真似[まね]て自分が強盗や殺人や虐待をやって、日本政府に税金や戦争や国家宗教(つまり強盗や殺人や虐待)をされていた。国民みんなは自分が不幸にならないために自分が仕事や勉強をせず、他人に仕事や勉強をしてもらわなかった。
今の日本では国民みんなは『人間はみな違うから、ヨーロッパ人と日本人は違うから、自分が日本文化をやれば幸福になれる』と考えて日本文化をやっている。日本人は善いことをやったりやられたりすると幸福になり、悪いことをやったりやられたりすると不幸になる。そのため、国民みんなは自分が幸福になるために自分が仕事や勉強をやったり、政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。国民みんなは自分が不幸にならないために自分が強盗や殺人や虐待をやらなくなって、政府の命令を聞かなくなって税金や戦争や国家宗教をされなくなっている。
今の日本では国民みんなは自分が幸福になるために日本文化をやっている。今の日本では国民みんなは自分の心について考えて自分の心を知って自分の心を満足して幸福に生きている。ただし、いまだに馬鹿は日本政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて「日本政府が日本文化をやらせる団体だ」と思って政府に従って税金や戦争や国家宗教をされて不幸になっている。早く国民みんなが政府の嘘に騙されなくなって『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体だ』と思って政府に従わなくなって税金や戦争や国家宗教をされなくなって幸福にならねばならない。
今では国民が自分で自分の心について考えて自分の心を知って自分の心を満足して幸福に生きている。今は国民が政治団体や宗教団体に従って政治団体や宗教団体に自分の心を満足してもらって幸福に生きる時代ではない。将来日本に日本文化をやらせる団体を建ててはいけない。ひとたび日本文化をやらせる団体が建ったら、たとえ日本文化をやらせる団体がかなり国民みんなを不幸にすることをしても、日本文化をやらせる団体が日本文化に適[かな]っているために日本文化をやらせる団体を倒すための議論が微妙になって、日本文化をやらせる団体は国民みんなの気に入らないことをしているというだけで論理的にはまちがったことを何もしていないので日本文化をやらせる団体を倒すために論理的な議論を立てることができず、国民が日本文化をやらせる団体を倒すのが非常に難しくなる。今の日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから倒しやすいのであって、もしも日本政府が日本文化をやらせる団体だったらまず倒せない。これまでも日本ではアジア文化とヨーロッパ文化の違いを使って政府や幕府を倒してきたので、同じ日本文化の中で日本文化をやらせる団体を倒すのは難しい。(おそらく中世の日本政府も今と同じようにアジア文化をやらせる団体のふりをして国民みんなを騙して従わせていたのだろう。中世の日本政府は自分がやることに対してアジア文化風の理由を付けて自分がアジア文化をやらせる団体であるふりをしていたのである([22092]参照)。しかし、最後には国民みんなに日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体であることが知られて国民みんなが日本政府に従わなくなって倒されたのである。/幕府はアジア文化をやらせる団体だから、アジア人は正直だから、幕府は正直である(完全には正直ではないが)。だから、国民みんなの文化が変わると国民みんながすぐに幕府が国民みんなと違う文化をやらせていることがわかって幕府に従わなくなって幕府が倒れるのである。反対に、政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ人は嘘つきだから、政府は嘘つきである。政府は嘘をつくから、国民みんなの文化が変わったあとでもしばらく嘘をついて自分が国民みんなと同じ文化をやらせる団体のふりをして国民みんなを騙して生き残っているのである。)だから、最初から日本文化をやらせる団体を建てなければいいのである。今の外国で政治団体を倒しにくくなっているのもそのせい(つまり政治団体がその国の文化をやらせているせい)だから、日本でも今後てんでやすく政治団体を建ててはいけないのである。
[22114] この世は国民のためにある。 h27.8.29
日本政府は国民を幸福にするために国民にヨーロッパ文化をやらせているのである。ヨーロッパではみんなが政府に虐待されて幸福だから、日本政府は国民を幸福にするために国民を虐待しているのである。
日本政府は国民のためにある。日本政府にとっては国民はお客様である。
一般に、会社は国民のためにある。会社にとっては国民はお客様である。
そもそも国民が日本政府に従うか従わないかは国民の自由である。国民は自分が幸福になるために自分自身を幸福にするために日本政府に従っているのである。たまたま近代の日本では国民みんなが「人間はみな同じだから、今の世界ではヨーロッパ人が一番幸福に暮らしているから、自分もヨーロッパ文化をやれば幸福になる」という考えに取り付かれていたために、国民みんながヨーロッパ文化をやって国民みんなが日本政府に従っていただけである。本来は日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由であり、国民はめいめいバラバラに日本政府に従ったり従わなかったりすればいいのである。日本政府はテレビや新聞で偉そうにしているが、本当は国民のほうが政府よりも偉いのである。国民が自分で考えて日本政府に従うか従わないか自由に決めることができるのである。
しかし、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本人にとっては日本文化は幸福であり、ヨーロッパ文化は不幸である。今の日本では国民みんなは日本文化をやってヨーロッパ文化をやってはいけない。だから、今の日本では国民みんなは日本政府に従ってはいけない。仏教徒がキリスト教会に従わないように、今の日本では国民みんなは自分が日本文化をやっているからヨーロッパ文化をやらせる日本政府に従ってはいけない。
日本政府が国民のためにあるように、日本政府の付属会社も国民のためにある。だから、国民が政府に従わなくなれば、政府の付属会社もそれに対応して、国民から直接にお金を取って経営するようにしないといけない。今の国民みんなは日本文化をやっているから、日本文化には契約があって税金はないから、政府の付属会社は国民と契約してお金を取って仕事をしないといけない。
そういうわけで、今の日本では政府に従う者は政府に税金を払って政府にヨーロッパ文化をやらせてもらい、政府の付属会社にその都度[つど]料金を払って利用している。政府に従わない者は政府に税金を払わず政府にヨーロッパ文化をやらせてもらわず、政府の付属会社にその都度料金を払って利用している。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由だから、どっちでもいいのである。
[22115] 世界中のどこの国でも国民は容易に政治団体を倒すことができる。 h27.8.30
今の世界では人間が自分で自分の心について考えて自分の心を満足して幸福に暮らしている。今は人間が政治団体や宗教団体に従って自分の心を満足して幸福に暮らす時代ではない。政治団体や宗教団体は古臭い。人間は他人の心がよくわからない。だから、政治団体や宗教団体はいいかげんに国民に命令を出すだけである。国民が政治団体や宗教団体に従ってもあまり幸福にならない。人間は自分の心はよくわかる。だから、国民が自分で自分の心を満足すればかなり幸福に暮らせる。だから、国民は思い切って政治団体や宗教団体と縁を切って自分で自分の心を満足すればいいのである。
今の世界では国民みんなにとって政治団体や宗教団体が要らなくなっている。
そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。政治団体は国民を幸福にするために国民に命令を出している。国民は自分が幸福になるために政治団体に従っている。だから、国民は自分が政治団体に幸福にしてもらわなくてもよければ、政治団体に従わなければいいのである。
だから、今の世界では国民が政治団体に頼らず自分の力で幸福に生きていくなら、国民は政治団体に従うのをやめて自分で自分の心を満足して自分を幸福にして暮らせばいいのである。国民は自分で政治団体の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
日本以外の国ではたいてい国民が悪いことが好きで善いことが嫌いである。国民が悪いことをしたり悪いことをされたりすると幸福になり、善いことをしたり善いことをされたりすると不幸になる。今の世界では政治団体は国民から税金を取って国民を幸福にするだけだから、政治団体はほとんど国民を幸福にしてくれないから政治団体はあっても無駄[むだ]だから、国民は政治団体に従わず国民同士で強盗や殺人や虐待などをやって自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。
反対に、日本では国民が善いことが好きで悪いことが嫌いである。国民が善いことをしたり善いことをされたりすると幸福になり、悪いことをしたり悪いことをされたりすると不幸になる。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる政治団体だから、日本政府は国民に悪いことをやって善いことをしない。今の日本では政府が国民に悪いことをして国民を不幸にするだけだから、国民が政府に従わないほうが幸福に暮らせるから、国民は政府に従うのをやめて国民同士で仕事や勉強などの善いことをしあって自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。私は自分が政府に虐[いじ]められて幸せになる性格ではないから、政府に従うのをやめる。政府に命令されても税金を払わない。何にもやらない。
今の国民の多くは自分を幸福にすることを自分を不幸にすることだと思って自分を不幸にすることを自分を幸福にすることだと思って、自分で自分の心を不満にして不幸に暮らしている。つまり、日本人にとっては見かけや作り話は不幸なのに、「見かけや作り話をやると幸福になる」と思って見かけや作り話をやっている。きれいなかっこいい服を着たりマンガやアニメを見たりゲームをやったりしている。国民の多くは商人の嘘[うそ]の宣伝に踊らされて自分を不幸にする物を買わされて不幸に暮らしている。私が小学高学年のころ私の父親は『商人は汚い』と言っていた。テレビや新聞は嘘ばっかり言っている。テレビや新聞はくだらない感情を満足することばかりやっている。国民は毎日テレビや新聞を見ているから心がフニャフニャして馬鹿になっているのである。国民が毎日テレビや新聞を見なければ勉強しなくても東大に行けるぐらい頭がよくなる。今の国民みんなは他人の嘘に惑[まど]わされないようにして、自分で自分の心を正しく知って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
[22116] この世ではもともと『国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。』
h27.8.30
『国民が政府に従わなくてもいい』と言うのは易しいが、『国民が政府に従わなくていい』ことを証明するのは難しい。数学と同じである。
今の国民の多くが政府に従っているのは『国民が政府に従わなくていい』ことがわかっていないからである。今の国民の多くは『国民が政府に従わなくていい』ことの証明がわかっていないから『国民が政府に従わなくていい』ことが正しいことがわかっていないから「国民が政府に従わねばならない」と思っているから政府に従っているのである。人間は証明がわからないと正しいと思えないのである。国民の多くはテレビや新聞や社会科の教科書などで日本政府に「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]を教えられて政府に従わされているのである。
地動説と同じことである。いくら『地球が回っている』と言っても『地球が回っている』ことの証明がわからなければ『地球が回っている』ことが正しいとは思えない。今ではニュートン力学の原理が正しいから、太陽は地球よりもずっと重いから、地球が太陽の周[まわ]りを回らなければならないことになっている。
『国民が政府に従わなくていい』のは、政府がヨーロッパ文化をやらせる団体であり、政府は国民を幸福にするために国民に命令してヨーロッパ文化をやらせるからである。そもそも政府にとって国民は客である。国民のために政府があるのであって、政府のために国民があるのではない。だから、国民は自分が幸福になるなら政府に従えばいいが、自分が不幸になるなら政府に従わなければいいのである。したがって、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が自分で考えて自分が政府に従うか従わないかを決めればいいのである。日本人は善いことをしたりされたりすると幸福になり悪いことをしたりされたりすると不幸になり、ヨーロッパ人は悪いことをしたりされたりすると幸福になり善いことをしたりされたりすると不幸になり、日本人とヨーロッパ人は幸福と不幸が反対だから、日本人が幸福になるためには日本文化をやってヨーロッパ文化をやってはいけない。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になるから、日本人は日本政府に従わなければいい。今の日本では国民は政府に従わなければいい。
この世ではもともと『国民が政府に従わなくていい』のである。『国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。』特に今の日本では『国民は政府に従ってはいけない』のである。
今の日本では国民みんなが早く『国民が政府に従ってはいけない』ことを理解して政府に従うのをやめて、政府に税金を払うのをやめて、政府を倒さねばならない。日本を政治団体や宗教団体のない国にしないといけない。
[22117] 中国の戦争とヨーロッパの戦争は違う。 h27.8.30
ヨーロッパは昔からよく戦争をしたが、中国もよく戦争をした。ヨーロッパでも中国でも戦争の原理は同じである。ヨーロッパでも中国でも国民みんなが自分が幸福になるために戦争をしたのである。しかし、ヨーロッパ人と中国人は心が違う。だから、ヨーロッパと中国では戦争の目的が違うのである。
ヨーロッパ人は自分が悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると幸福になる。ヨーロッパでは国民みんなが政府に殺傷[さっしょう]されて幸福になるために戦争をやったのである。
一方、中国人は自分が他人の物を奪って自分が裕福になると幸福になる。中国では国民みんなが他人の財産や土地を奪って裕福になるために戦争をやったのである。
日本でも中世の戦国時代にはアジア文化をやって中国を真似[まね]て国内戦争をやっていた。戦争に勝った藩が負けた藩を支配して裕福に暮らしていた。国盗[くにと]りの時代だったのである。最終的に徳川家が勝って徳川家が日本を支配するようになった。明治維新のときに幕府と政府の間で戦争をやったのは中国文化の名残[なごり]である。中国文化では政治団体が戦争をして勝った政治団体が負けた政治団体と交替[こうたい]すると決まっているので、中国文化に則[のっと]って幕府と政府の間で形式的な戦争をやったのである。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本人は自分が善いことをしたり他人に善いことをされたりすると幸福になる。日本人はお互いに仕事をしあって暮らすのが幸福である。日本人は他人と契約してお金をやって仕事をしてもらうのが幸福である。日本は戦争のない国である。日本は平和な国である。
税金についても同じことがいえる。
ヨーロッパ人は自分が悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると幸福になるから、国民みんなが自分が幸福になるために政府に税金を盗[と]られている。
中国人はルール無用で自分の心を満足するのが幸福だから、自分の好き勝手なことをしたり他人の好き勝手なことをされたりするのが幸福だから、自分が他人の物を奪ったり他人に自分の物を奪われたりされると幸福になるから、国民みんなが自分が幸福になるために政府に税金を取らせている。
日本人はちゃんと決まりを守って自分の心を満足するのが幸福である。日本人はみんなと平等にして、自分が善いことをしたり他人に善いことをされたりすると幸福である。日本人はお互いに仕事をし合って平等に暮らすのが幸福である。だから、日本には税金はない。日本には契約しかない。今の日本では国民みんなが自分が幸福になるために政府に税金を払わず、政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。
国によって国民みんなの心が違う。ヨーロッパ人にとっては悪いことが幸福である。中国人にとっては善いことのために悪いことをするのが幸福である。日本人にとっては善いことが幸福である。国民みんなの心によって国の習慣や制度が決まっている。国民は自分の心を満足するために自分の国の習慣や制度を守らなければならない。
アジア人は農耕民族だから心が善くて頭もいい。人類はそもそも頭がいい。考えるのが好きである。アジア人は大昔の人類の特徴がよく残っている。しかし、ヨーロッパでは寒くて作物が育たず人間が狩りをしないと生き残れなかったから、人間が頭よりも眼がよくなければならなかったから、ヨーロッパ人は眼だけがよくなって頭が悪くなったのである。ヨーロッパ人は動物を殺して生きていたから心が悪くなったのである。アジア人は心が善くて頭がいい。しかし、その後アジアはインドと中国の2つに分かれた。インド人は頭がいい方向にだけ発達したから、心をほったらかしにしたから悪いことをするようになった。中国人は心が善い方向にだけ発達したから、頭をほったらかしにしたからルールを守らず自分の好き勝手なことをするようになった。一方、日本では大昔のアジアの心と頭が一体化していた文化が今でも残っている。だから、日本人は心と頭の両方が発達したから、日本人はちゃんとルールを守って善いことをするのである。日本はマダガスカル島のように大陸から孤立しているので大昔のアジア文化が残っているのである。
江戸時代の日本ではみんながアジア文化をやっていた。インド文化と中国文化を足し合わせた文化をやっていた。中国文化では人間が決まりを守らずに自分の好き放題にやっていい。だから、悪徳商人が悪代官と組んで悪いことをやってぼろ儲[もう]けをしていたのである。悪徳商人も悪代官もちゃんとアジア文化を守って悪いことをやっていたのである。だから、国民みんなも許していたのである。(むしろ悪徳商人や悪代官を成敗[せいばい]した水戸黄門のほうが悪い。水戸黄門は国民みんなに殺されたかもしれない。だから、時代劇は嘘[うそ]なのである。)一方、日本文化はアジア文化ではない。日本文化はインド文化と中国文化を掛け合わせた独自の文化である。日本文化では人間がちゃんと決まりを守って善いことをしないといけない。だから、今では江戸時代のように悪徳商人と悪代官が組んで悪いことをやって儲けることはできないのである。
[22118] 今の国民にとって政治団体は要らない。 h27.8.30
今では『文化人類学』が出来て、国民は自分の国の文化をやれば幸福になることがわかっている。だから、政治団体は自分の国の文化をやらせることになっている。
政治団体は国民を幸福にするために国民に命令を出す。国民は自分が幸福になるために政治団体に従う。
馬鹿は自分の心がわからないから、政治団体に従わなければ幸福になれない。
しかし、利口は自分の心がわかるから、わざわざ政治団体に従わなくても自分で自分の心を満足して幸福になれる。
昔は文明が低かったから、国民みんなが頭が悪かったから、国民みんなが自分で自分の心のことがわからなかったから、国民みんなにとって自分を幸福にする国の文化をやらせてくれる政治団体が必要だった。国民みんなが政治団体に従っていた。
しかし、今は文明が高くなって国民が頭がよくなって国民が自分で自分の心のことがわかるから、多くの国民にとって政治団体は要らない。多くの国民は政治団体に従わない。
だから、今では国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が自分の心がわからなければ政治団体に従えばよく、自分の心がわかれば政治団体に従わなくていい。今では政治団体に従う国民と政治団体に従わない国民の両方がいる。
政治団体の付属会社は、政治団体に従う国民と政治団体に従わない国民の両方に対応しなければならない。国民が政治団体に従っても従わなくても、国民が政治団体の付属会社を利用できるようにしないといけない。政治団体に従わない者でも政治団体の付属会社を利用できるように戸口を広げねばならない。
そういうわけで、今の日本では日本政府に従う者と従わない者の両方が混じって暮らしている。日本政府に従う者は政府に税金を払って、政府の付属会社にその都度[つど]料金を払って利用している。日本政府に従わない者は政府に税金を払わず、政府の付属会社にその都度料金を払って利用している。
今の日本政府は嘘[うそ]をついて日本文化をやらせる団体のふりをしているが、本当はヨーロッパ文化をやらせる団体である。馬鹿は政府の嘘に騙[だま]されて政府が日本文化をやらせる団体だと思って、日本政府に従っている。日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になる。だから、日本政府は日本人を不幸にする。日本政府に従っている国民は日本政府に不幸にされている。そもそも政治団体や宗教団体はインチキ稼業[かぎょう]である。政治団体や宗教団体は人間の心が眼で見えないのをいいことにして国民を騙[だま]していいかげんな仕事をしているのである。政治団体はインチキ稼業だから、今の日本政府は嘘をついて自分が別の団体のふりをして生き残っているのである。そもそも今どき政治団体や宗教団体に従っている者がおかしいのである。今の日本政府は『今どき政治団体に従う者は時代遅れの馬鹿だ』と思って、自分が日本文化をやらせる団体のふりをして政治団体に従う者をからかっているのである。他人に頼るから他人に騙されるのである。他人に従うから他人に裏切られるのである。国民みんなは早く政治団体や宗教団体に従うのをやめて、一生懸命に自分で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
[22119] 政治団体も宗教団体もまともな団体ではない。☆ h27.8.31
国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が宗教団体に従うか従わないかが国民個人の自由なのと同じである。例えば、国民から消費税を取らない店は、自分も政府に消費税を払っていない。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
利口は『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことを見抜いて、『自分が日本政府に従えば不幸になる』と思って、日本政府に従うのをやめている。日本政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやめている。日本政府の付属会社にその都度[つど]お金を払って利用するだけである。
馬鹿は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて「日本政府が日本文化をやらせる団体だ」と思って、「自分が日本政府に従えば幸福になる」と思って、日本政府に従っている。日本政府の嘘に騙されて「税金や戦争や国家宗教が日本文化だ」と思って、日本政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやっている。日本政府の付属会社にもその都度お金を払って利用している。
今の日本では利口と馬鹿の両方がいる。利口は馬鹿に『政府に従ってはいけない』ことを教えてやるが、馬鹿は物分りが悪いので馬鹿は「政府に従わねばならない」と思い込んでいるので、馬鹿に正しいことを教えても無駄[むだ]なのであまりしつこく教えない。だから、みんなが自分で考えて『政府に従ってはいけない』ことをわかるしかない。国民みんなの中には利口から馬鹿まで、社会科の強い人から弱い人までいろんな人がいるから、国民みんながいっせいに揃[そろ]って政府に従わなくなるのではなく、国民一人一人がめいめいテンデンバラバラに政府に従ったり従わなかったりするのである。だから、今の日本には政府に従っていない人と政府に従っている人の両方がいるのである。
政治団体も宗教団体もまともな団体ではない。今の日本政府が国民みんなに嘘をついて日本文化をやらせる団体のふりをしているのがいい例[れい]である。政治団体や宗教団体は最初からまともな団体ではないから国民みんなに従わず正しいことに従わず平気で嘘をついて生き残っているのである。政治団体も宗教団体もテレビや新聞の上でまともな団体のふりをしているだけで、本当は自分がお金を儲[もう]けるためなら手段や方法を問わない卑怯[ひきょう]な汚い団体である。政治団体も宗教団体も最初は国民に「自分に従えば幸福になる」と思わせて国民を従わせて、しだいに国民に「自分に権力がある」「自分が上の者だ」と思わせて国民を自分の言いなりにして、最後に国民に命令して国民から有り金全部盗る。国民にとって政治団体も宗教団体も危険な団体である。国民は最初から政治団体や宗教団体に関わらないのが無難[ぶなん]である。そもそも国民は自分が幸福になるために政治団体や宗教団体に従う。つまり、政治団体や宗教団体は国民を幸福にするために国民に命令する。政治団体や宗教団体は国民のためにある。政治団体や宗教団体は国民に従わねばならない。だから、国民が政治団体や宗教団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。したがって、国民は自分がまちがって政治団体や宗教団体に従ってしまったら、なるべく早く思い切って従うのをやめればいい。国民が政治団体や宗教団体に従って不幸にされるのも、国民が政治団体や宗教団体に従うのをやめたために政治団体や宗教団体に攻撃されて不幸にされるのも同じ不幸にされることだから、国民は思い切って政治団体や宗教団体に従うのをやめればいいのである。
人間は自分で自分の心について考えて自分の心を満足して幸福に生きるべきである。人間は他人に頼って他人に従って他人に自分を幸福にしてもらって生きるべきではない。国民を幸福にする団体の化けの皮をはげば国民を不幸にする団体にすぎない。今の国民は政治団体や宗教団体に頼らず自分で自分を幸福にして生きていかねばならない。
要するに、人間は自分が幸福になることをすればいいだけである。不幸になることをしなければいいだけである。日本人は自分が強盗したり他人に強盗されると不幸になり、他人と契約してお金をやって仕事をやってもらうと幸福になる。だから、今の日本では国民は政府に税金を払わず、政府の付属会社にただで仕事をさせず、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。政治団体も政治団体の付属会社も国民のためにある。政治団体も政治団体の付属会社も国民に従わねばならない。だから、国民は自分が政府に税金を払わないようにして、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらうようにして、政治団体を倒して、政治団体の付属会社だけにしないといけない。これまで日本では国民みんなはそうやって中世に政府を倒して、近代に幕府を倒した。だから、現代の今も国民みんなは政府を倒せばいいのである。中世の日本では国民みんなは自分がアジア文化をやれば幸福になりヨーロッパ文化をやれば不幸になると思っていたから、ヨーロッパ文化をやらせる政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒した。その後アジア文化をやらせる幕府が建ったので、国民みんなは幕府に従うようになって幕府に年貢[ねんぐ]を払った。近代の日本では国民みんなが自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になりアジア文化をやれば不幸になると思っていたから、アジア文化をやらせる幕府に従わなくなって幕府に年貢を払わなくなって幕府を倒した。その後ヨーロッパ文化をやらせる政府が建ったので、国民みんなは政府に従うようになって政府に税金を払った。今の日本では国民みんなが自分が日本文化をやれば幸福になりヨーロッパ文化をやれば不幸になると思っているから、ヨーロッパ文化をやらせる政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒せばいいのである。その後日本文化をやらせる政治団体が建っても、今の国民みんなは自分で自分の心を満足するようになっているので、国民みんなは政治団体に従わず政治団体にお金をやらない。国民みんなの心が国を造[つく]る。未来の日本は政治団体がなくなって、政治団体の付属会社だけになる。それが、日本人にとっての幸福な国なのである。
[22120] どうして昔の日本ではみんなが外国の文化を真似[まね]ていたのか?
h27.8.31
昔の世界ではみんなが「人間はみな同じである。世界で一番幸福に暮らしている国を真似[まね]れば幸福に暮らせる。」と考えていた。
そのために、昔の日本ではみんなが当時の世界で一番幸福に暮らしている国の文化を真似てやっていた。
しかし、ヨーロッパやインドや中国のような大国では国民みんなが『世界で一番幸福に暮らしているのは自分だ』と思っていたので外国の文化を真似たりはしなかった。
反対に、日本のような小国では国民みんなが『外国のほうが自分よりも幸福に暮らしている』と思って一生懸命に外国を真似ていた。それだからこそ、日本では国民みんなが不幸に暮らしていたのである。今では『文化人類学』が出来て、『人間は自分の心を満足すれば幸福になる』ことがわかっている。昔の日本人は外国の真似ばかりして他人の心を満足することばかりして自分の心を満足することをしなかったから不幸に暮らしていたのである。昔の日本人は自分で自分を不幸にしていたから不幸に暮らしていたのである。日本人から見れば自分の心を満足している大国の人が幸福に見えたので、日本人は自分が幸福になるために大国の文化を真似ていたのである。つまり、昔の日本ではみんなが「人間はみな同じだから、世界で一番幸福に暮らしている国を真似れば自分も幸福になれる」という考えに取り付かれていたために、外国の真似ばかりして自分の心を満足しなくなって自分が不幸に暮らしていたから、自分よりも大国の人のほうが幸福に暮らしていることになって日本人は大国の文化を真似ていたのである。昔の日本人は自分が「人間はみな同じである」と考えていたために自分で自分を不幸にしていたのである。泥沼[どろぬま]とはこのことである。
今では『文化人類学』が出来て、『人間はみな違う。人間の心はみな違う。人間は自分の心を満足すれば幸福になる。』ことがわかって、世界中のみんなが自分の心を満足するようになっている。世界中の国でみんなが自分の国の文化をやるようになっている。ようやく日本人は泥沼から抜け出して自分で自分の心を満足して幸福に暮らせるようになっている。他人の心を満足して喜んでいる者は腰抜けである。他人の顔色ばかり窺[うかが]って他人が自分を喜んでいるのを見て安心している者は臆病者[おくびょうもの]である。そんな生き方では人間は幸福になれない。人間は自分の心を知って自分の心を満足しなければ幸福になれない。いくら他人が自分を気に入らなくても自分が満足すればいい。そういうつもりで生きていけば幸福になれる。例えば、「勉強が大事だ」と思っている人から見れば東大生は偉いが、『勉強なんかどうでもいい』と思っている人から見れば東大生はただのカスである。世の中に普遍的な価値なんかない。だから、人間は自分の心を満足して生きるしかないのである。
[22121] 日本政府は下の者である。 h27.8.31
今の日本政府は隠れて国民を国家宗教で虐待している。日本政府は国家宗教でいろんな列車事故や飛行機事故や自動車事故を起こして国民を殺害している。(日本政府は私を国家宗教の神にしている。私は高知学芸高校の出身で毎週土曜日の夜に「ねるとん紅鯨団」の前番組の『上海紅鯨団』を見ていた。そのために、日本政府は高知学芸高校上海列車事故を起こした。私は学生のころ教養部で2単位取り損ねたために進級はできたが週に1回地下鉄に乗って教養部に通って講義を受けていた。そのために、日本政府はオウム真理教地下鉄サリン事故を起こした。私は兵庫県豊岡市に住んでいたころ大阪にアニメのLDーBOXを買いに行ったときに福知山線に乗った。そのために、日本政府は福知山線列車事故を起こした。)
そのために、国民の多くは「政府が上の者だ」と思って政府に従っている。
しかし、それはまちがいである。本当は、今の日本政府は戦後に国民みんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになったために国民みんなに合わせて国民みんなに嘘[うそ]をついて日本文化をやらせる団体のふりをしている。日本政府は本当は昔と同じヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になるので、政府は国民を幸福にするために国民を国家宗教で虐待するのである。ヨーロッパ人は他人に強盗されたり殺されたり虐待されたりすると幸福になるから、政府は国民を幸福にするために国民から税金を取ったり国民に戦争をさせたり国民を国家宗教で虐待したりするのである。政府は国民を幸福にするために国民に命令して国民に税金や戦争や国家宗教をやらせる。国民は自分が幸福になるために政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやっている。つまり、国民は自分が幸福になるために政府に従う。政府は国民を幸福にするために国民に命令する。政府は国民のためにある。政府は国民に従わねばならない。国民にとっては『政府は下の者である。』だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。日本人は日本文化をやると幸福になり、ヨーロッパ文化をやると不幸になる。そのため、今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本人が日本政府に従うとヨーロッパ文化をやることになって不幸になる。だから、今の日本では国民は日本政府に従わなければいい。国民は政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。
国民の多くは馬鹿だが、利口も少しはいる。利口な人はそう考えてすでに日本政府に従わなくなっている。国には利口から馬鹿までいろんな人がいる。だから、今の日本では国民一人一人がテンデンバラバラに政府に従ったり従わなかったりしている。正しい考えは自然に広まっていく。だから、今後はしだいに政府に従わない人が増えて、政府に従う人が減っていくだろう。政府は倒れてなくなっていくだろう。
[22122] 日本政府は付属会社を置いて自分の正体を隠している。 h27.9.1
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本政府は政治団体である。政治団体とはある国の文化をやらせる団体である。
日本政府は法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などの付属会社を国民の眼に付くところに置くことによって、国民に直接自分が見えないようにして自分の正体を隠して、日本政府が政治団体であることがわからないようにしているのである([22087]の図を参照)。
国民の多くは「日本政府は法律会社だ」と誤解して日本政府に従っている。国民の多くは「法律は国民みんなが守らなければならないから、自分が日本政府に従わねばならない」と思って日本政府に従っているのである。
しかし、『日本政府の正体はヨーロッパ文化をやらせる団体である。』そのために、日本政府の付属の法律会社はヨーロッパ文化の法律を定めている。ヨーロッパ人は政府に悪いことをされるのが好きである。だから、法律会社の法律には国家宗教や戦争(自衛隊)や税金などの法律が定められているのである。日本政府の付属の学校会社はヨーロッパ文化の教育をしている。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いで、眼がいいだけで頭が悪い。だから、教育会社は科学だけ教えて道徳を教えないし、眼で見るだけの教育をして頭で考える教育をしないのである。そのために、国民は年々不良の馬鹿になっているのである。
日本政府の正体はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ところが、日本人は日本文化をやると幸福になり、ヨーロッパ文化をやると不幸になる。だから、今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。『国民が日本政府に従うとヨーロッパ文化をやることになって不幸になる。だから、国民は日本政府に従ってはいけない。』そもそも日本政府は政治団体であり、政治団体は国民を幸福にするために国民に命令するから、政治団体は国民のためにあるから、政治団体は国民に従わねばならない。日本政府は国民に従わねばならない。だから、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の勝手である。日本人は日本政府に従うと不幸になるから、日本では国民は日本政府に従ってはいけない。日本では国民は日本政府に従わず税金や戦争や国家宗教などをやらず、日本政府の付属会社と自分で契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
国民みんなには利口から馬鹿まで、社会科の強い人から弱い人までいろんな人がいる。利口は政府に従わないが、馬鹿は政府に従っている。今の日本には国民がテンデンバラバラに政府に従ったり従わなかったりしている。今はまだ政府に従わない人が少ないから政府が残っているが、そのうち正しい考えが国民みんなに広まれば、政府に従わない人が増えて政府が国民みんなから税金をもらえなくなって倒れるだろう。(日本人は『正しい者が幸福になってまちがった者が不幸になる』のが好きである。それが日本人の性格である。今の日本では利口が政府に従わず日本文化をやって幸福になって、馬鹿が政府に従ってヨーロッパ文化をやって不幸になっているからそうなっている。日本人は今の日本の状態に満足している。だから、利口があまり馬鹿に正しいことを教えないのかもしれない。馬鹿は毎日遊びまくって頭でなんにも考えていないから他人に騙[だま]されて損をするのである。ざまあみろ。)
[22123] 日本政府は詐欺[さぎ]団体である。☆☆ h27.9.1
日本政府は法律会社を国民の眼に付くところに置いて国民に「日本政府は法律会社だ」と思わせて、国民を日本政府に従わせている。しかし、本当は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である』から、今の国民みんなは日本文化をやっているから、国民は日本政府に従わなければいいのである。
日本政府は最初に国民に善いことをして国民に「政府が国民を幸福にしてくれる」と思わせて国民を自分に従わせて、ひとたび国民が日本政府に従うと国民が「日本政府に権力がある」「日本政府が上の者だ」と思うことを利用して、ますます国民を日本政府に従わせている。しかし、本当は、政府は国民を幸福にするために国民に命令する団体だから、政府は国民のためにあるから、政府は国民に従わねばならないから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に従いたくなければ政府に従わなくていいのである。
日本政府は「多数決の原理」を定めて、多数の国民が政府に従っていることを利用して、国民に政府に従わねばならないと思わせている。しかし、本当は「多数決の原理」はないのであり、国民は多数でなく正しいことに従えばいいのである。国民はたった一人でも正しいことをすればいいのである。国民が政府に従わないことが正しければ、国民はたとえ自分ひとりだけでも政府に従わなければいいのである。
日本政府は国民に「自分が国民を儲[もう]からせて楽な暮らしをさせている」と思わせて国民を従わせている。しかし、実際には、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府は国民に悪いことをして国民を幸福にするために、国民から高い税金を取ったり物価を高くしたりして国の経済をメチャクチャにして国民が儲からないようにして国民の暮らしを苦しくしている。ヨーロッパ人は物やお金が豊かなことよりも悪いことのほうが好きだから、ヨーロッパ人は悪いことのためなら物やお金がなくなってもいいから、日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるためにわざとに国民の仕事を邪魔[じゃま]して国民がお金が儲[もう]からないようにして国民を貧乏にするのである。ヨーロッパ人を儲からせてくれるのはヨーロッパに帰化[きか]した頭がよくて科学や工学が得意なインド人であって、ヨーロッパ人はインド人の指導で肉体労働をして物を作ってお金を儲けているのであって、ヨーロッパ政府は反対に国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐待したり貧乏にしたりしているだけなのである。ヨーロッパ政府は国民を虐[いじ]めるためのひとつの手段として国民を貧乏にする。だから、日本政府もヨーロッパ政府を真似[まね]て国民を虐めるために国民を貧乏にするのである。ヨーロッパが物やお金が豊かなのはヨーロッパに帰化したインド人のおかげである。日本が物やお金が豊かなのは国民自身の成果であって、日本政府はそれを妨害しているだけなのである。(奴隷制とは外人を捕まえてきて自分の召使いとしてこき使うことである。反対に、貴族制とは外人を招待して自分が外人の指導でつらいきびしい肉体労働をすることである。ヨーロッパは貴族制の社会なのである。ヨーロッパの黒魔術で悪魔の力を借りると言っているのは、ヨーロッパ人がインド人の頭の才能を借りて科学や産業をやって物やお金が豊かになることである。ヨーロッパの白魔術で天使の力を借りると言っているのは、ヨーロッパ人が中国人の心の才能を借りて善いことをやって道徳を守って平和に暮らすことである。ヨーロッパ人にとってインド人は悪魔であり、中国人は天使なのである。ゲーテの文学「ファウスト」に出て来るメフィストはインド人のことである。グレートヘンが中国人のことである。ファウストはヨーロッパ人のことである。ヨーロッパ人は自分だけでは何もできない無能な民族なのである。)(この段落の終りまで平成27年9月5日追記→)ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になるから、ヨーロッパでは国民みんなが自分が悪いことをされて幸福になるために国民みんなに悪いことをする団体を設けているのである。それが政府である。ヨーロッパ人は自分が貧乏にされると幸福になる。ヨーロッパ人は自分の眼で見る喜びを満足するために物やお金が豊かであるのが好きだが、その一方で他人に貧乏にされるのも好きなのである。だから、だから、ヨーロッパ人は自分で死に物狂いで働いて物やお金を豊かにして、その一方で政府に貧乏にされているのである。ヨーロッパ政府は国民みんなから高い税金を取ったり国の科学や産業を衰退させたり経済を混乱に陥[おとしい]れたりして国民みんなを貧乏にして国民みんなを幸福にしているのである。日本政府もヨーロッパ政府と同じことをして国民みんなを幸福にするために国民みんなを貧乏にしているのである。日本人は頭がいいから矛盾したことが嫌いだから自分が裕福なことが好きなら当然他人に貧乏にされるのは嫌いだと思うが、ヨーロッパ人は頭が悪いから矛盾したことが平気だから、自分が裕福なことが好きな一方で他人に貧乏にされるのも好きなのである。女が頭が悪いから汚い表裏[おもてうら]が平気でやれるのと同じことである。日本人が論理的に考えるから、ヨーロッパ人のやることが理解できないのである。日本政府のやることが理解できないのである。女のやることが理解できないのである。日本人はもっとヨーロッパ文化に対する理解を深めて、日本政府のことをよく理解して、日本政府が日本人を幸福にしないことを理解して日本政府に従うのをやめねばならない。ヨーロッパ人は頭が悪くて矛盾したことが平気だから表裏が好きである。つまり、ヨーロッパ人は他人の眼に付くところでは善いことをして、他人の眼に付かないところでは悪いことをする。だから、ヨーロッパ政府もそうするのである。ヨーロッパ政府は国民みんなの眼に付くところでは法律や学校や水道やゴミや戸籍などの善いことをして、国民みんなの眼に付かないところでは悪いことをやって国民みんなを幸福にしているのである。日本政府もヨーロッパ政府と同じことをして表では善いことをして裏では悪いことをしている。しかし、日本人はヨーロッパ人と反対に悪いことが嫌いである。日本政府は裏では国民みんなを不幸にしている。だから、日本では国民みんなは日本政府に従わないようにして日本政府を倒さねばならない。
日本政府はサクラを使って「日本政府反対!」などと書いたプラカードを持たせて政府に抗議をさせて、国民が日本政府の許可を得なければ日本政府に逆らってはいけないと思わせている。政府が国民みんなに「政府に逆らってはいけない」と思わせるための手である。しかし、本当は国民が政府に従うか従わないかは国民の自由であり、国民は政府の許可を得なくても自分で勝手に政府に従わなければいいのである。
日本政府はいろんな手を使って国民に「政府に従わねばならない」と思わせて国民を政府に従わせている。しかし、本当は国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政治団体も宗教団体も詐欺団体である。政治団体や宗教団体はいろんな手を使って国民を騙[だま]して国民を「自分に従わねばならない」と思わせて国民を自分に逆らえないようにさせて国民に命令して国民からお金を取って儲ける詐欺団体である。
これまでは国の文明が遅れていて国民みんなの頭が悪かったから、国民みんなは政治団体や宗教団体に騙されてお金を取られていたのである。しかし、今では国の文明が高くなって国民みんなが頭がよくなっているから、国民みんなはもはや政治団体や宗教団体に騙されてお金を取られなくてもいいのである。
今は国民が自分で自分の心について考えて自分の心を満足して幸福に暮らす時代である。今は国民が政治団体や宗教団体に従って自分の心を満足してもらって幸福に暮らす時代ではない。今の国民みんなは政治団体や宗教団体に従わないようにして、政治団体や宗教団体に騙されないようにして政治団体や宗教団体にお金を取られないようにして幸福に暮らさねばならない。今の国民みんなは日本政府に従わないようにして日本政府に税金を払わないようにして日本政府を倒さねばならない。国民みんなで日本を詐欺団体のない国にしないといけない。
[22124] どうして日本政府は国民に国家宗教をやらせるのか? h27.9.1
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。
ヨーロッパ人は心の中に神がいて神に従うと幸福になる。だから、ヨーロッパ人は自分が幸福になるために神に従う。ヨーロッパ人は悪いことが好きだから、自分が神に従いながら悪いことをするから、国家宗教で(つまり神に関する情報を用いて)悪いことをする習慣が出来たのである。本来は神に従うことと悪いことをするのは別のことだから、ヨーロッパ人は悪いことをせずに神に従うこともある。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は国家宗教をやったり国家宗教で悪いことをすると幸福になる。だから、日本政府は国民みんなに国家宗教をやらせたり国家宗教で悪いことをやらせたりするのである。日本政府は国家宗教の神に関する情報を用いた命令を出して国民に悪いことをやらせるのである。
しかし、今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本人は心の中に神がいなくて神に従っても何にもならない。だから、今の日本では国民みんなは自分では国家宗教をやっていないのである。今の日本では国民みんなは自分の心を肯定して、たとえ日本政府に命令されても国家宗教をやらなければいいのである。
そもそも日本人はヨーロッパ文化の一環[いっかん]として国家宗教をやっていただけである。近代の日本では国民みんなが「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っていたから、自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやって国家宗教をやっていたのである。国民みんなが政府の命令や自分の意思で国家宗教で悪いことをやっていたのである。今の日本では国民みんなが『自分が日本文化をやれば幸福になる』と思っているから、自分が幸福になるために日本文化をやってヨーロッパ文化をやめたから国家宗教をやめたのである。国民みんなが政府の命令を聞かず自分の意思で国家宗教で悪いことをするのをやめたのである。
[22125] 日本政府は国民を自分の言いなりにして儲[もう]ける団体である。
h27.9.1
政治団体や宗教団体は国民を自分の言いなりにして国民に命令してお金を取って儲[もう]ける団体である。政治団体や宗教団体は国民を自分に従わせるためにどこかの国の文化や誰かの教えを利用しているだけである。
日本政府が法律会社をやっているのは、国民が自分が法律を守らねばならないと思っていることを利用して国民を政府に従わせるためである。
日本政府が学校会社をやっているのは、国民が自分が先生に従わねばならないと思っていることを利用して国民を政府に従わせるためである。
日本政府が水道会社をやっているのは、国民に政府が善いことをやっていると思わせて国民を政府に従わせるためである。日本政府は国民が政府に従う“きっかけ”を作るために水道会社をやっているのである。アコムが初回利用者に限って金利0円なのと同じことである。
日本政府がゴミ会社をやっているのは、国民に政府が善いことをやっていると思わせて国民を政府に従わせるためである。
日本政府が戸籍会社をやっているのは、国民が自分が政府に管理されていると思わせて政府に従わせるためである。
日本政府が近代にヨーロッパ文化をやらせていたのは、近代の日本では国民みんながヨーロッパに従っていたからである。近代の日本では国民みんなが「自分が幸福になるためにはヨーロッパ文化をやればいい」と思って、ヨーロッパの真似[まね]をして、ヨーロッパに従っていた。日本政府は国民を自分に従わせるために国民にヨーロッパ文化をやらせていたのである。日本政府は国民に「政府が国民を幸福にしてくれる」と思わせるために必死になってヨーロッパ文化をやらせていたのである。
今の日本政府が日本文化をやらせているふりをしているのは、今の日本では国民みんなが日本文化をやっているからである。今の日本では国民みんなが『自分が幸福になるためには日本文化をやればいい』と思って、日本文化をやっている。日本政府は国民を自分に従わせるために、日本文化をやらせているふりをしているのである。
このように、日本政府は国民を自分に従わせるために法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社やヨーロッパ文化や日本文化を利用しているのである。日本政府の正体は人間の心理を利用して国民に「自分が政府に従わねばならない」と思わせて国民を自分の言いなりにして国民を自分に逆らえないようにして国民に命令して国民からお金を取って儲[もう]ける団体である。
しかし、本当は日本政府は国民のためにあるのであり、日本政府は国民に従わねばならず、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由なのである。国民は自分が日本政府に従うのが嫌なら日本政府に従わなければいいのである。国民が日本政府に従っても善いことは何もない。だから、国民は日本政府に従わなければいいのである。
幸い、今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせている。国民は日本政府に従うと不幸になる。だから、国民は自分が幸福になるために日本政府に従わなければいいのである。国民は『今の日本政府が国民を不幸にする文化をやらせている』ことを理由にして日本政府に従うのをやめればいいのである。日本ではときどき国民みんなが自分の文化を変えるから、そのことを利用して政府を倒せばいいのである。
今の国民は日本政府に従わず日本政府の命令を聞かず日本政府に税金を払わず、日本政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
今は国民が自分で自分の心を考えて自分で自分の心を満足して幸福に生きる時代である。今は国民が政治団体や宗教団体に従って自分の心を満足してもらって幸福に生きる時代ではない。今の日本では国民みんなは政治団体や宗教団体に従わず、自分で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。国民がどんな生き方をするかは国民の勝手である。国民は自分が幸福になる生き方をしなければならない。政治団体や宗教団体はいろんな方法を使って国民を自分の言いなりにして国民に命令して国民から有り金全部取ったり国民を殺したり国民を虐待したりして国民を不幸にする団体である。国民は政府に従わず政府に税金を払わず、政府の付属会社にその都度[つど]お金を払って利用しないといけない。
そもそも政治団体はある国の文化をやらせる団体である。そもそも宗教団体はある人の教えをやらせる団体である。政治団体や宗教団体は“人間が自分が従う相手を上の者だと思ってますます相手に従う習性”があることを利用して、国民を自分の言いなりにして国民に命令してお金を取って儲[もう]けているのである。政治団体や宗教団体が儲かるのはそのためである。政治団体や宗教団体が美味[おい]しい仕事なのはそのためである。人間が麻薬をやると麻薬がだんだん効かなくなって麻薬が切れると苦しくなってますます麻薬をたくさん欲しがるのと同じことである。麻薬を売る会社が儲かるのはそのためである。政治団体や宗教団体は“人間がどんどん他人の言いなりになる習性”を利用して儲けるために、法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを併[あわ]せて経営しているのである。だから、日本政府の正体はやはりヨーロッパ文化をやらせる団体である。国民みんながヨーロッパ文化から日本文化に変えても、日本政府がヨーロッパ文化をやらせることから変わらないのはそのためである。今でも政府の法律会社がヨーロッパ文化の法律を定めたり、政府の学校会社がヨーロッパ文化の教育をしているのはそのためである。今の国民を従わせるためには日本文化をやらせたほうが有利なはずである。日本政府がそうしないのは日本政府がもともとヨーロッパ文化をやらせる団体だからである。日本政府は自分が潰[つぶ]れてなくなるまでずっとヨーロッパ文化をやらせなければならないのである。政治団体は自分が滅んでなくなるまでずっと同じ国の文化をやらせなければならないのである。それが政治団体の決まりなのである。政治団体は建つときは自分で建つが、倒すときは国民が倒さねばならないのである。ヤクザにも決まりがあるのと同じことである。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になる。日本政府は日本人を不幸にする団体である。もともと日本政府は国民を幸福にするために国民に命令を出す団体だから、日本政府は国民のためにあるから、国民のほうが日本政府よりも上の者だから、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、今の日本では国民は日本政府に従わないようにして日本政府に税金を払わないようにして日本政府を倒せばいい。(外国では国民みんなが自分が幸福になるために麻薬をやっている。もちろん日本人も自分が幸福になるために生きている。日本人も外人と同じように自分の心を満足するために生きている。ただし、日本人はきちんとしていることが好きである。日本人はダラダラしていることが嫌いである。麻薬をやると幸せになるがダラダラする。だから、日本人は麻薬が嫌いである。だから、日本人は麻薬をやらないのである。日本の法律には麻薬をやってはいけないことが定められているのである。日本人は五感よりも知覚が発達している。だから、日本人は自分の考えが正しければ自分の見かけはどうでもいいのである。日本人は見かけが汚くて考えがきちんとしていることが好きなのである。女がおしゃべりなのは女が眼で見ることと耳で聞くことしかわからないからである。日本人は五感よりも知覚のほうがいい。だから、日本人は他人に自分の考えをベラベラしゃべらずに黙って自分で正しいことを考えて正しいことをやればいいのである。)
[22126] 日本政府はやっぱりヨーロッパ文化をやらせる団体である。 h27.9.1
日本政府の正体はヨーロッパ文化をやらせる団体である。
日本政府は今の日本国民みんなが日本文化をやっているために、法律会社を国民みんなの眼に付くところに置いて自分が法律会社であるふりをしたり、自分がやっていることに対して日本文化風の理由をつけたりして自分が日本文化をやらせる団体のふりをしたりして、自分の正体をごまかしている。
今の日本政府は自分が法律会社のふりをしたり自分が日本文化をやらせる団体のふりをして国民を従わせている。日本政府は“人間が相手に従えば従うほど相手によく従うようになる習性”を利用して、国民を自分に従わせて国民を自分の言いなりにして国民を自分に逆らえないようにして国民に命令して強盗や人殺しや虐待などをやっている。
しかし、日本政府は本当はヨーロッパ文化をやらせる団体である。たしかに国民が政府に従えば従うほど政府によく従うようになるけれども、そもそも政府は国民に命令してヨーロッパ文化をやらせる団体にすぎないのであり、国民が政府に従えば従うほど政府によく従うようになるのは政府にとってのうれしいオマケにすぎないのである。国民みんなは“人間には他人に従えば従うほど他人によく従う習性がある”ことを知って、他人にむやみに従わないようにしないといけない。自分が幸福になる場合にだけ他人に従うようにしないといけない。自分が幸福にならない場合には他人に従わないようにしないといけない。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ところが、今の日本国民みんなは日本文化をやっている。日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になる。日本政府は国民を不幸にする団体である。もともと日本政府は国民を幸福にするために国民に命令して国民にヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府は国民のためにあるから、国民のほうが日本政府よりも上の者だから、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民は日本政府に従わなければいいのである。国民は日本政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
そういうわけで、今の日本では利口は日本政府に従わず、馬鹿が日本政府に従っている。馬鹿はくだらない喜びにふけっているために自分が考えるのが面倒臭くて嫌いだから、政府のことなんかどうでもいいと思って政府に言われるがままに政府に従っているのである。国には利口から馬鹿までいろんな人間がいるから、政府に従う者と従わない者がいるのである。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の勝手だから、国民は他人が政府に従っていようがいまいが自分が政府に従わなければいいから、利口はあまり馬鹿に政府に従うなと言わないのである。今はまだ日本政府に従わない者が少ないから日本政府が残っているが、正しい考えが国民みんなに広まれば、国民みんなが日本政府に従わなくなって日本政府が国民からお金をもらえなくなって日本政府が潰[つぶ]れるだろう。これまで日本では国民みんなが自分の文化を変えるたびに政治団体を潰してきたから、今度もそうなるだろう。
(この段落の終りまで平成27年9月7日追記→)国民が宗教団体や政治団体に従うと、「自分が幸福であるのがすべて宗教団体や政治団体のおかげだ」と思ってますます宗教団体や政治団体に従うようになる。しかし、本当は宗教団体はなんの役にもたたないし、政治団体(政府や幕府)はむしろ国民を不幸にしているのである。本当は、国民が自分で自分を幸福にしているだけなのである。宗教団体や政治団体は自分が国民を幸福にしているふりをして国民に偉そうにしているだけなのである。宗教団体や政治団体は国民の手柄[てがら]を自分の手柄にして国民に恩を着せて国民からお金を取っているだけである。国民は宗教団体や政治団体に騙[だま]されてはいけない。今は国民が自分で自分の心を理解して自分の心を満足して自分を幸福にする時代である。実際に、これまで国民はずっとそうして来たのである。国民にとっては宗教団体も政治団体も要らない。だから、国民は宗教団体や政治団体に従わず、自分の力で生きていけばいいのである。
[22127] どうして日本政府は悪いことばかりして善いことをしないのか? h27.9.2
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は日本人と反対に悪いことをすると幸福になり、善いことをすると不幸になる。だから、日本政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなに悪いことばかりして善いことをしないのである。
今の日本政府は実際に具体的に国民みんなに悪いことばかりして善いことをしないから、今の日本では国民みんなは政府を支持していない。テレビや新聞で「国民みんなが政府を支持している」と言っているのは嘘[うそ]である。国民みんなにはテレビや新聞が嘘をついているのがお見通しである。
今の日本では日本政府に人気がない。だから、私がさんざん日本政府について悪いことを書いても誰も私を非難しないのである。
昔の日本では利口な人は「人間はみな同じだから、今の世界ではヨーロッパ人が最も幸福に暮らしているから、自分がヨーロッパ文化をやると幸福になる。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府は国民みんなを幸福にする」と信じていた。馬鹿は理屈がわからないが、利口な人に従ってわけがわからないまま「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる。日本政府は国民みんなを幸福にする」と信じていた。昔の日本では利口も馬鹿もみんなが「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる。日本政府は国民みんなを幸福にする」と信じてヨーロッパ文化をやって日本政府に従っていた。だから、政府を非難する者はみんなにボコボコにされた。反対に、今の日本では利口な人は『人間はみな違う。日本人とヨーロッパ人は心が違う。自分が日本文化をやると幸福になる。自分がヨーロッパ文化をやると不幸になる。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府は国民みんなを不幸にする』と思っている。馬鹿はそんな理屈をまったく知らないが、実際に日本政府が悪いことばかりして善いことをしないのを眼で見て日本政府を嫌って支持していない。今では利口も馬鹿もみんなが『日本政府は国民みんなを不幸にする』と思って日本政府を支持していない。だから、政府を非難する者がみんなに正しい人だと思われるのである。(もっとも、正しいことを言っているだけだから、特に人気が得られるわけではないが。国民みんなを幸せにするところまで行ったら人気が出るのだろうが。)利口は『政府が国民に悪いことをして善いことをしないのは、政府がヨーロッパ文化をやらせる団体だからである。ヨーロッパ人は悪いことをされると幸福になり、善いことをされると不幸になる。政府は国民を幸福にするために悪いことをやって善いことをやらないのである。政府はそもそも国民を幸福にするためにある団体だから、政府は国民のためにあるから、国民のほうが政府よりも上の者だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。今の政府は国民を不幸にするから、今の国民は政府に従わなければいい』と思って政府に従っていない。利口は『今の国民は日本文化をやっているから、日本人は契約すると幸福になるから、国民はすべての会社と契約すればいい』と思って、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらっている。馬鹿は「政府は国民に悪いことをして国民を不幸にしているから、政府が上の者だ」と思っていやいや政府に従っている。(昔に比べて今のほうが理屈が若干[じゃっかん]難しくてわかりにくい。だから、今は馬鹿は利口な人に従って『国民は政府に従わなければいい』ことがわからないのである。しかし、馬鹿でも時間をかけて考えれば『国民が政府に従わなくていい』ことがわかるから、馬鹿な人もがんばって考えねばならない。)
今では国民みんなが『日本政府が国民みんなを不幸にする』と思っている。今では国民が政府を非難してもみんなに攻撃されないから怖くない。だから、国民は自分でどんどん政府について悪いことを言えばいいのである。政府について本当のことを言えばいいのである。国民みんなで早く政府を倒して自分たちが幸福に暮らせる国にすればいいのである。
今では『日本人が善いことをされると幸福になり、悪いことをされると不幸になる』ことがわかっているのに、日本政府がいまだに国民に悪いことをして善いことをしないのをやめないのは、日本政府がもともとヨーロッパ文化をやらせる団体だからである。日本政府は建ってから潰[つぶ]れるまでずっとヨーロッパ文化をやらせる団体なのである。日本政府はヨーロッパ文化をやらせることしかできないのである。だから、戦後に国民みんなが自分の文化を変えたのなら、国民が自分で考えて日本政府に従うのをやめねばならないのである。そのために、『国民にはあらかじめ政府に従うか従わないかを自由に決める権利が与えられている』のだから、国民は自分で考えて政府に従うか従わないか決めねばならないのである。今の国民の多くは自分勝手に世の中のことを誤解して「国民は政府に従わねばならない」とか「国民が政府に逆らうと政府に殺される」とか思って、自分が政府に従うのをやめようとしないのである。本当は、『国民は政府に従わなくていい』から、国民は自分が政府に不幸にされないために自分で政府に従うのをやめればいいのである。そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民の自由だから、国民が政府に従わなくても政府は国民に何もしない。今の国民は自分で政府に従うのをやめて、政府の命令で政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。今の国民みんなにとってはヨーロッパ文化をやらせる政府が要らないから、国民みんなで政府を潰してなくせばいいのである。
[22128] 今の日本では国民はどうすればいいか?☆ h27.9.2
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。近代の日本では国民みんなが「人間はみな同じだから、今ではヨーロッパ人が世界で一番幸福だから、自分もヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思って、自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていたから、日本政府は国民みんなを幸福にするためにヨーロッパ文化をやらせていたのである。日本政府は今でもずっと国民にヨーロッパ文化をやらせているのである。
ところが、日本人とヨーロッパ人は生まれつき性格が反対である。日本人は自分が善いことをしたり他人に善いことをされたりすると幸福になり自分が悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると不幸になるが、反対にヨーロッパ人は自分が悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると幸福になり自分が善いことをしたり他人に善いことをされたりすると不幸になる。
そのため、今の日本では国民みんなは自分が幸福になるために日本文化をやっている。つまり、みんなでお互いに善いことをやって悪いことをやらないようにしている。
しかし、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府は国民を幸福にするために国民に悪いことをやって善いことをやらない。そのために、日本では国民が日本政府に不幸にされている。
日本政府はそもそも国民を幸福にするために国民にヨーロッパ文化をやらせている。日本政府は国民のためにある団体である。だから、国民は日本政府よりも上の者である。だから、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。日本政府は国民を不幸にするから、国民は日本政府に従わなければいい。
今の国民は自分が幸福になるために日本文化をやっている。日本人は善いことをすると幸福になるから、日本人は契約すると幸福になる。だから、今の国民は日本政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。今の国民はその都度[つど]政府の付属会社にお金を払って利用すればいい。
つまり、今の日本では国民は政府に従わず、政府の命令で税金や戦争や国家宗教などをやらず、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。
利口な人はすでにそう考えてそうしている。しかし、世の中には馬鹿が多くて利口が少ない。だから、今の日本では政府に従わない者が少なく、政府に従う者が多い。そのうち正しい考えが世の中に広まれば、政府に従わない者が増えて、政府が国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。国に政治団体がなくなって、国民みんながそれぞれの会社(法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社など)と契約してお金をやって仕事をやってもらうようになるだろう。
普通の人ならこれぐらいのこと自分で考えてすぐにわかりそうである。しかし、馬鹿は正しいことを考え付かないために変なことばかり考えているからなかなかわからないのである。世の中には馬鹿が多くて普通の人は少ない。だから、普通の人ががんばって世の中に正しい考えを広めて、みんなが正しく考えられるようにしないといけない。
今の人はテレビを見すぎて自分で考える能力が低下している。昔はテレビがなかったから、昔の人は暇なときに自分で考えてばかりいたから自分で考える能力が高かった。今の人はテレビを見すぎて自分で考える能力が低下しているために、政府が何かがわからず自分が何をしていいかがわからず政府に従い続けているのである。しかも、テレビ番組は視聴率が命なので、視聴率を上げるために視聴者の幸福観に合わせて番組を放送するので、視聴者が番組を見て幸せに感じるように番組を作るので、平気で嘘[うそ]を放送しているのである。ニュース番組でも嘘の作りごとを放送しているのである。今の人はテレビを見ないようにしてもっと自分で考えて自分の考える能力を鍛[きた]えねばならない。
[22129] 「引導[いんどう]渡したろか」☆ h27.9.3
今から約10年前私が兵庫県朝来市和田山町[あさごしわだやまちょう]に住んで養父市[やぶし]にある近畿ネオマックスで働いていたころ、通勤のバスの中で同じ派遣会社で働いている2人が「おじいさんが山の中に入って行方不明になった」「引導[いんどう]渡したろか」と言って大声で笑っていた。
「引導を渡す」とは絞首刑にされて死にかかっている者の足を引っ張って早く殺して楽にしてやることである。今の政府が死にかけているから、私に「政府の足を引っ張って早く政府を楽にしてくれ」と言いたかったのだろう。「山の中に入って行方不明になったおじいさん」とは日本政府のことである。もちろん、当時の私にはそんなことはまったくわからなかった。
そのころに葦[あし]プロダクションのアニメーション『アイドル天使ようこそようこ』の放送があった。『ようこそようこ』には特別に私の情報がたくさん入っている。私が『ようこそようこ』の放送を見れば、私が日本政府が私を神とする国家宗教をやっていることがわかるから、私に日本政府のことを考えさせて日本政府を倒してもらうために日本政府がAT−X(アニメシアターエックス)に命令してそんな放送をやらせたのだろう。
そのころには、日本ではすでに多くの国民が日本政府に従わなくなって日本政府が滅ぶことに決まっていたから、日本政府は私に自分を滅ぼしてもらいたくて私がアニメ好きなことを利用してアニメをきっかけにして私を日本政府について考えさせたのだろう。
それから約10年たった。ようやく私はなんとか日本政府を倒すことができた。社会科は私の子供のころからの苦手科目なので時間がかかったのだ。私は自分の使命を果たしたのだ。
そもそも日本政府は国民が自分が幸福になるために従うものである。近代の国民は「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っていたから、日本政府はヨーロッパ文化をやらせていたから、国民は自分が幸福になるために日本政府に従っていた。しかし、戦後になって『文化人類学』が出来て、『日本人は日本文化をやらねば幸福になれない。日本人がヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことがわかって、国民は『自分が日本政府に従うと自分が不幸になる』ことがわかって日本政府に従わなくなった。そのために、戦後は日本政府が潰[つぶ]れているのである。今では馬鹿が日本政府に従っているだけである。そのうち正しい考えが国民みんなに広まれば、国民みんなが日本政府に従わなくなって日本政府が潰れてなくなるだろう。
日本政府の付属の法律会社の法律は日本政府に従っている者が守らねばならないのであって、日本政府に従っていない者は守らなくてもいいのである。戦後の国民は日本政府に従わなくなったから、日本政府の付属の法律会社の法律を守らなくていいのである。納税の義務を守らなくていいのである。日本政府に税金を払わなくていいのである。日本政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやらせればいいのである。そうやって今の国民は暮らしているのである。もっとも、馬鹿はいまだに政府に従って政府の付属会社の法律を守って政府に税金を払っているが。
[22130] 今の日本人は日本を自分にとって幸福な国にしないといけない。 h27.9.4
今は国際化の時代である。国境を越えてたくさんの人や物や情報が行き来している。国境を越えて異なる文化が行き来している。
しかし、人間の心が変わるわけではない。そこに住んでいる人間の心はいくらたくさんの文化が行き来しても変わらない。
人間は幸福のために生きている。人間は自分の心を満足するために生きている。人間は自分が幸福になることをやり自分が不幸になることをやってはいけない。
今は国際化の時代である。人間は自分の心を満足するために外国の文化の好きなところを取り入れればいい。人間は自分の心を満足するために外国の文化の嫌いなところを捨てればいい。そうやって人間はよりいっそう自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は自分が悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると幸福になる。ヨーロッパ人は悪いことをすること自体が目的のユカイ魔なのである。だから、今後もみんなが悪いことをやって道徳を取り入れなければいい。法律を守らなければいい。ヨーロッパ人は眼で見ることが好きで、頭で考えることや心で思うことが嫌いである。だから、ヨーロッパ人は科学や数学や道徳をヨーロッパに帰化[きか]した外人に任[まか]せて、自分は不良の馬鹿をやって暮らせばいい。
中国人は善いことが好きだが自分の心を満足するためには手段を問わない。自分の心を満足するためならいくらでも悪いことをする。科学は生活を便利で快適にして娯楽をもたらす。だから、中国人は科学を取り入れて幸福に暮らせばいい。中国人は心で思うことが好きだが、眼で見ることや頭で考えることが嫌いである。だから、中国人は科学や数学や道徳を中国に帰化した外人に任せて、自分は極悪非道の阿呆[あほう]で暮らせばいい。
インド人は頭で考えることが好きで眼で見ることも心で思うことも嫌いである。だから、インド人は今でも数学だけやって科学や道徳をやらない。しかし、近代以降の科学は論理的である。近代以降の科学は頭で理解できる。近代以降の科学はまず頭から入る。だから、インド人でも近代以降の科学はわかるはずである。頭でわかったことは眼でもわかる。だから、インド人も科学がやれるはずである。近代以降の道徳も論理的だから、インド人でも道徳がわかって道徳がやれるはずである。頭でわかったことは心でもわかるから道徳もやれるはずである。もともとヨーロッパの科学や中国の道徳はヨーロッパや中国に出て行ったインド人が考え出したものである。インド人は外人に頼らなくても自分だけで数学も科学も道徳も全部やれる。将来のインドは日本のように数学も科学も道徳も全部がある国になるかもしれない。
日本人は頭で考えることが好きで眼で見ることも心で思うことも嫌いである。インド人と同じである。日本人は科学や数学や道徳が好きだが、見かけや作り話が嫌いである。ところが、今の日本は国民の多くが国際化の意味を誤解して外国の文化をそのままなんでもかんでも受け入れているために日本人の嫌いな見かけや作り話に満ちている。そのために、今の日本は日本人にとって自分の心を不満にして不愉快にする不幸な国になっている。日本人はもっと自分の心を満足することをやって不満にすることをやらないようにして日本を自分にとって気持ちのいい国にしないといけない。日本人は『外人と日本人では心がまったく違う』ことを理解して、外国の文化をそのまま取り入れてはいけない。外国は外人の好き勝手にすればいい。だから、日本は日本人の好き勝手にしなければならない。(日本政府は国民みんなにヨーロッパの文化を受け入れることを推奨しているが、日本政府はもともとヨーロッパ文化をやらせる団体だからそうしているのだから、国民は日本政府の言うことを聞いてはいけない。)
外国から取り入れた物は外国の文化がすべて混じっている。例えば、ヨーロッパから取り入れた物は科学が優れていることと見かけがいいのが好きなことと悪いことが好きなことが全部混じっている。だから、日本人は外国から取り入れた物をすべて自分好みに作り直さねばならない。例えば、日本人はヨーロッパから取り入れた物を科学が優れていることだけを残して見かけにとらわれないことと善いことが好きなことに改めて作り変えねばならない。日本人はそうやって外国の文化を部分的に取り入れて自分の幸福に役立てねばならない。
日本人はインド人の頭のよさと中国人の心のよさとヨーロッパ人の眼のよさをすべてあわせ持った人種である。だから、日本人は自分の文化を『真善美』と言うのである。日本人は人類最高の人種である。日本人の心は世界で一番出来がいい。この世は日本人のためにある。だから、日本人は自分を幸福にするために外国の文化を利用してやればいいのである。
[22131] 人間はなんのために生きているか? h27.9.5
人間は自分の心のために生きている。人間は自分の心を満足するために生きている。ただし、人間の心は人によって違う。だから、自分にとって他人のやることは気に食わない。だから、自分の“支配欲”を抑[おさ]えて、他人のやることに口出ししてはいけないのである。人間は自分の心を満足せずには生きていられない。だから、人間は子供のころから自分の心をよく知って自分の好きなことだけやって嫌いなことをやらないようにして生きていかねばならないのである。人間は“見栄欲”[みえよく]にとらわれて、他人の心を満足するために自分の心を不満にしてはいけない。他人から見て自分をよくするために自分の“本心”を否定してはいけない。人間は自分の羞恥心[しゅうちしん]を捨てて自分の心のために生きねばならない。人間は自分が他人に嫌われるのを恐れずに他人に軽蔑されるのをかまわずに自分の心で生きていかねばならない。人間が自分の支配欲を満足するために他人のことにテレパシーで口出しすると精神分裂病に罹[かか]る。人間が自分の見栄欲を満足するために自分が他人によく思われようとして自分の本心を満足することを守らないと鬱病[うつびょう]や神経症に罹る。神経症は自分の嫌なことが特定の物事に限局[げんきょく]している。鬱病は自分の嫌なことが自分の環境全体に広がっている。(私は日本政府に密[ひそ]かに国家宗教の神にされている。日本政府は国民みんなにも私にも私の家族にもないしょで勝手に私を国家宗教の神にして国家宗教をやっている。私が兵庫県豊岡市に住んで出石市[いずしし]の但馬[たじま]松下で派遣社員として働いていたころ、私が仕事中に自分ひとりで昔読んだ「魔太郎が来る!」か「恐怖新聞」かなんかのマンガを思い出して自分の頭の中で「旅客機が東京都庁に衝突するシーン」を想像して喜んでいた。その約1週間後にアメリカでニューヨーク貿易センタービル事件が起こった。同じころ、私が大阪のヤマギワソフトにアニメのレーザーディスクを買いに行っていたとき、福知山線の東海道本線を跨[また]ぐ鉄橋のカーブで「落っこちそうだ」と思ったことがある。それからしばらくして福知山線列車事故が起きた。私はそのことを誰にも話したことがない。それなのに、政府が私を神とする国家宗教で事件を起こしたのは『テレパシーが実在する』ことの動かぬ証拠である。(私が飛行機がビルに突っ込むのを想像した後で、アメリカ政府が貿易センタービル事件を起こしたのだから、テレパシーも因果律に従うのであり、テレパシーも時空間の中で起こる現象であることがわかる。テレパシーも音波や電磁波と同じように時空間の中を伝わる波動なのである。感覚の発生もテレパシー(感覚波の伝播[でんぱ])も時空間の中における現象である。)政府の中に私のテレパシーを専門に聞く者がいるのだろう。『テレパシーは実在する』のである。昔から空耳があるといわれてきたが、今ではテレパシーがあることは科学的事実であり、みんなの常識となっているのである。ついでに、テレパシーとは関係ないが、私が九州大学理学部学生のころ、教養部で2単位取り損ねてなんとか進学はできたものの教養部の講義を受けるために毎週1回地下鉄で箱崎から大濠[おおほり]公園まで通っていたが、ある日私がウンコの臭いがする緑色のスラックスを履[は]いて地下鉄に乗っていたら、近くの座席に外人の女性が乗っていてさも私のスラックスが臭いとでも言うかのようにわざとらしくゴホゴホと激しく咳[せき]をしていた。それからほどなくして霞ヶ関でオウム真理教地下鉄サリン事件が起きた。ウンコ←クソ←ソク←川フ(“ク”の左斜め線を“ソ”に移す)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、緑←ミドリ←川ブ(ミ≒川、ド≒ブ)←私、サリン←ンリサ(私が小学4〜5年生のころ私の住宅の近所に住んでいた私よりも1年年上の浅野耕太[あさのこうた]君に「テブクロの反対な〜んだ?」と訊[き]かれて「ロクブテ」と答えたら殴[なぐ]られたことがある。)←川ブ(ンリ≒川、サ≒ブ)←私だから、日本政府が国家宗教で起こした事件である。)
人間は自分の心のために生きている。人間は自分の身体のために生きていない。人間は自分の身体を生かすために生きているのではなく、自分の心を満足するために生きている。だから、人間は自分がどうしても幸福に生きられなくなったら死ねばいい。人間が自分の身体を生かすために不幸に耐えるのが我慢[がまん]であり、人間が自分の不幸を終わらせるために自分の身体を殺すのが自殺である。我慢と自殺は反対である。今は実存主義の時代だから、人間が自分の心のために生きる時代だから、人間が自分の身体のために生きる時代ではないから、自殺してもいいのである。今では自殺は悪くない。だから、今の国民みんなで自殺させる職業や自殺させる施設を設けねばならない。
人間はただ生きているだけではいけない。人間は善く生きねばならない。つまり、たとえ自分の心がどうであれ、自分の心が善かれ悪しかれ、人間は自分の心を満足して生きねばならない。そのためには、常日頃[つねひごろ]自分で自分の心について考えて自分の心をよく理解して自分で自分の心を満足して生きねばならない。
[22132] あとは会社の上の者が邪魔[じゃま]なだけである。☆ h27.9.6
日本政府が国民みんなのために何の役にも立っていないことがわかってみると([22123]の中ほどを参照)、日本政府はもはや国民みんなの敵ではない。あとは、国民みんなが政府に従わなくなって政府が滅んでなくなるのを待てばいいだけである。政府に従わない者が増えていって政府が傾いて倒れて潰[つぶ]れるのを見ていればいいだけである。今となっては日本政府が悪いことをやっていたころが懐[なつ]かしい。
そうなると、邪魔[じゃま]なのは会社の上の者たちである。
会社の上の者も日本政府と同じように、ヨーロッパ文化をやって自分が社員みんなの稼[かせ]ぎを強盗したり社員みんなを国家宗教で虐待したりして、社員みんなの前で集会で演説をやったり宴会で芸をやったりして善い人のふりをしたり、自分が会社を儲[もう]からせているふりをしたりして会社に残っている。しかし、本当は会社の上の者は会社の役に立つことをまったく何もやっていないのである。会社の上の者は社員みんなからお金を奪って社員みんなを嫌がらせているだけである。(トヨタの自動車の宣伝で「マキで、もう一回」というのが会社の上の者による社員みんなに対する国家宗教による虐待である。会社の上の者が社員みんなにやらなくてもいい仕事をさせて社員みんなを虐[いじ]めているのである。マキ←薪[まき]←長い木の棒←円柱←丸が長くつながっている←光るトンビがつながっている←天皇家、マキ←キマ←カブ(キ≒カ(50音表で“キ”と“カ”が近いから)、マ≒ブ(字の形が似ているから))←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。土方[どかた]がなんにもならないのに材木や鉄骨[てっこつ]をあちこち運ばされるのも国家宗教による虐待である。材木←木←円柱←天皇。鉄骨←鉄←テツ←テン(ツ≒ン)←天←天皇。/政府は国家宗教で国民に戦争をやらせる。例えば、真珠湾攻撃とか硫黄島の戦いとかは日本政府が国家宗教で国民にやらせた戦いである。真珠湾←真珠←光る玉←光るトンビ←神武天皇。硫黄島←硫黄←燃える石←光るトンビ←神武天皇。だから、戦争も政府の国民に対する虐待なのである。)
←トヨタのコマーシャル「マキで、もう一回。」動画はコチラ。
ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるのが好きだから、会社にわざわざ上の者を置いて悪いことをやらせて幸福に暮らしているのである。しかし、反対に日本人は他人に悪いことをされるのが嫌いだから、日本では会社に上の者を置いて悪いことをやらせてはいけないのである。日本政府が国民にヨーロッパ文化をやらせる団体であるように、会社の上の者は社員にヨーロッパ文化をやらせる人である。社員は自分がヨーロッパ文化をやるために会社の上の者に従っているのである。そもそも会社の上の者は社員を幸福にするために社員に悪いことをしているのである。会社の上の者は社員のためにある。だから、社員のほうが会社の上の者よりも上なのである。社員が会社の上の者に従うか従わないかは社員個人の自由である。ところが、今の日本では社員みんなは日本文化をやっているから、日本人は他人に悪いことをされると不幸になるから、社員が会社の上の者に従うと不幸になる。だから、社員は会社の上の者に従わないようにして会社の上の者にお金をやらないようにして会社の上の者を倒して会社の上の者をなくせばいいのである。会社の上の者の集会の演説や宴会の芸なんか社員にとっては要らないから、社員は会社の上の者と契約してお金をやって演説や芸なんかさせなくていい。
会社には上の者は要らない。会社には自分で働く者しか要らない。そうすれば、社員みんなが裕福に暮らすことができる。だから、日本中の会社で社員みんなが会社から上の者を追い出せばいい。日本中の会社を上の者のいない会社にすればいい。
会社の経理部の者が“会社の上の者が社員みんなの儲けを奪う理屈”がわかっていないから会社の上の者に会社の儲けのほとんどを取られるのである。会社の経理部の者がちゃんと理屈がわかる人だったら会社の上の者にお金を取らさないから社員みんなが儲かるのである。要するに、会社の経理部の者が馬鹿だから社員みんなが損をしているのである。だから、会社の経理部にはもっと頭のいい者を雇わねばならない。そもそも社員が会社の上の者に従うか従わないかは社員個人の自由である。だから、今度から会社の経理の人は社員一人一人に会社の上の者に従うか従わないかを訊[き]いて、従う場合にだけ会社の上の者にその社員が稼いだ分からお金をやるようにしないといけない。
[22133] 会社に女を入れると会社が儲[もう]からなくなる。 h27.9.6
ヨーロッパ人は悪いことをされると幸福になリ、善いことをされると不幸になる。そのために、ヨーロッパでは国民みんなが政府を設けて、政府に悪いことをさせて自分たちを幸福にしている。ヨーロッパでは政府が国民を幸福にするために国民に悪いことをやっている。日本政府はヨーロッパ政府の真似[まね]である。だから、日本政府は国民に悪いことをやって善いことをやらない。
昔から『女は役立たずだ』と決まっている。女は仕事をやる気がなく頭が馬鹿で体力がないから役立たずなのである。ヨーロッパ人が眼で見る才能しかないように、女は子供を産む才能しかない。ヨーロッパ人がひとりで何もできないように、女だけでは何もできない。ヨーロッパ人は身体が大きくて体力があるから肉体労働をさせられるが、女は体力がないからなんの使い道もない。だから、女を会社に雇[やと]ってはいけない。
日本政府が男女雇用機会均等法を定めたのは、役立たずの女を会社に入れることによって会社を儲からなくして日本の景気を悪くして国民を貧乏にするためである。会社が日本政府の命令で会社に女を入れたために、女の仕事をやる気がないのが男にうつって社員みんなの仕事をする気がなくなって会社の儲けが減っている。そのうえ、女が仕事をせずにお金だけ取るから男の儲けがますます減っている。女だって、自分が本当は働きたくもないのに会社で働かなければならなくなって面白くないはずである。キュリー夫人も本当は物理学の研究なんかしたくもないのに政府の命令でいやいやさせられただけである。コワレフスカヤもネーターも政府の命令でいやいやしかたなく数学の研究をさせられただけである。キュリー夫人は政府に「自分の言う通りにすれば有名にしてノーベル賞をやる」と言われたので物理学の研究をやったにすぎないのである。ヨーロッパは近代以降景気がよくなったので、政府が国の景気を悪くするために会社に女を入れさせるためにキュリー夫人やコワレフスカヤやネーターを使って芝居を打たせてみんなに「女も男と同じ才能がある」とまちがっていることを信じさせたのである。
日本政府は国民に悪いことをするだけである。しかし、日本人はヨーロッパ人と反対に善いことが好きで悪いことが嫌いである。日本人は善いことをされると幸福になり、悪いことをされると不幸になる。だから、日本政府は日本人を不幸にするだけである。国民みんなは日本政府に従ってはいけない。日本政府の命令を聞いてこれまでの社会制度を変えてはいけない。国民みんなはこれまで日本政府の命令でやったことをすべてもとに戻してなかったことにしなければならない。国民みんなで日本政府に税金を払わないようにして日本政府を早く倒さねばならない。
今は実存主義の時代である。みんなが自分の心を満足すればいい。みんなが自分の幸福のために生きればいい。人間の心はみな違うから、みんなが他人の眼を気にせずに自分の幸福だけを目指して生きればいい。自分が他人によく思われるためにやりたくもないことをやるのは馬鹿の見本である。国民みんなが本当に自分がやりたいことをやってみんなで自分の本心を満足してみんなが幸福に暮らさねばならない。
たしかにヨーロッパ人は自分が悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると幸福になるが、悪ければなんでもいいわけではない。悪いことにも制限がある。ヨーロッパ人は強盗や人殺しや虐待をされると幸福になるが、男が女のことをやったり女が男のことをやったりしても幸福にならない。だから、ヨーロッパ政府が勝手にヨーロッパ文化を変えてはいけない。ヨーロッパ政府はヨーロッパ文化に則[のっと]って悪いことをしないといけない。日本政府もヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ政府がやったことをそのままやってはいけない。ヨーロッパ政府がヨーロッパ文化に反することをやったら、日本政府は国民にやらせてはいけない。
[22134] どうして日本政府は自分で潰[つぶ]れないのか? h27.9.6
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。だから、日本政府は国民に悪いことをして善いことをしない。
そもそも日本政府は国民を幸福にするためにヨーロッパ文化をやらせているのである。日本政府は国民のためにある。だから、国民のほうが日本政府よりも上である。だから、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。ところが、今の国民は日本文化をやっているから、日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、日本政府は国民を不幸にする。国民が日本政府に従うと自分が不幸になる。だから、国民は日本政府に従わなければいいのである。
つまり、そもそも国民のほうが日本政府よりも上の者である。国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。つまり、国民が日本政府を倒すか倒さないかは国民個人の自由である。日本政府は自分が生き残るか潰[つぶ]れるかを国民に決めてもらっているのである。だから、日本政府は自分で潰れないのである。
日本政府が自分で潰れないのは、国民に自分を潰してもらうためである。日本政府は自分で潰れないから、国民が日本政府を潰さないかぎり日本政府は潰れないから、国民が自分の手で日本政府を潰してやらねばならない。国民が日本政府に従わないようにして日本政府にお金をやらないようにして日本政府を潰せばいいのである。今はまだ少数の国民が政府に従わないだけだから日本政府が建って残っているが、そのうち大勢の国民が日本政府に従わなくなれば日本政府は潰れてなくなるだろう。
[22135] 日本政府は悪いことをして善いことをしない団体である。☆ h27.9.6
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。
日本政府は国民みんなの眼につかないところで悪いことばかりやっている。悪いことだけやって善いことをやっていない。日本政府は国民みんなの眼のつくところに法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを置いて自分が善い団体のふりをしている。日本政府はテレビや新聞の上で景気対策をやって自分が国民みんなを儲[もう]からせているふりをしている。
ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は自分が悪いことをやったり他人に悪いことをされたりすると幸福になり、自分が善いことをやったり他人に善いことをされたりすると不幸になる。ヨーロッパ人は頭が悪くて論理がわからず矛盾したことがやれるから表裏がある。ヨーロッパ人はみんなの眼に付くところでは善いことをして、みんなの眼に付かないところでは悪いことをする。ヨーロッパ人は頭が悪いから矛盾していることをする。ヨーロッパ人は眼で見る喜びを満足するためにお金や物が好きだが、その一方で他人に悪いことをされるのも好きなので、他人に貧乏にされて喜んでいる。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、日本政府は国民みんなを幸福にするために国民みんなに悪いことをやって善いことをしない。日本政府は国民から税金を取って強盗したり、国民に戦争(自衛隊)をやらせて人殺しをしたり、国民を国家宗教をやらせて虐待したりする。日本政府は自分でヨーロッパ文化をやって(つまり自分自身にヨーロッパ文化をやらせて)表では善いことをやって自分が善い団体のふりをして、裏では悪いことをやっている。日本政府は本当は物価を上げたり外国から資源を輸入しないようにして国民みんなを貧乏にしているのに、国民みんなの眼の前では深刻な顔をして景気対策や経済対策をやって自分が国民みんなを裕福にしているふりをしている。もっとも、政府もたまには国民みんなを儲からせることもあるが、それは国民みんなに自分を善い団体だと思わせるための芝居であって、本当は政府は国民みんなを貧乏にして国民みんなに悪いことをする団体なのである。
今の国民の多くは政府が表裏をやっていることに騙[だま]されて「政府が善い団体だ」と思って政府に従ったり、政府が裏で悪いことばかりやっているのを知って「政府が犯罪組織だ」と思って政府を怖がって政府におとなしく従ったりしている。日本人は表裏がないから政府の表裏に騙されやすい。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、政府が国民を不幸にするために悪いことをやる団体だと思って政府を恐れるのである。
しかし、政府は本当はヨーロッパ文化をやらせる団体なのである。政府は国民を幸福にするためにヨーロッパ文化をやらせている。政府は国民のためにある。だから、国民のほうが政府よりも上である。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が政府に従うとヨーロッパ文化をやらされて政府に悪いことをされて不幸になる。だから、国民は政府に従わなければいい。国民は政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやらなければいい。今の国民が政府に税金を払わないためには、政府にはっきり「自分は政府に従わない」と言えばいいのである。政府も政府の付属会社も国民のためにあるから、国民が政府や政府の付属会社よりも上の者だから、今の国民は日本文化をやっているから、日本人は契約が好きだから、国民が政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をさせればいい。日本では中世の国民みんながヨーロッパ文化と日本文化の違いがわかって、ヨーロッパ人が表裏があって矛盾があって悪いことが好きで善いことが嫌いなことを理解して、日本政府を片付[かたづ]けることができたのだから、今の現代の国民みんなも日本政府を片付けられるはずである。だから、今の国民みんなはまじめに政府をやっつけねばならない。
今では日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になることがわかっている。だから、今の日本ではみんなが日本文化をやればいい。政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、みんなは政府に従わなければいい。国民みんなが政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をさせて暮らせばいい。
今は国際化の時代である。毎年日本に大勢のヨーロッパ人が来ている。毎年大勢の日本人がヨーロッパに行く。みんなは『日本人とヨーロッパ人は違う』ことを考えながら『ヨーロッパ人がどんな人間なのか』を考えながらヨーロッパ人と付き合わねばならない。そもそも日本人同士でも心が違う。日本人の間でも、他人が自分の気に入らないことをしているからといっていちいち他人に怒ってはいけない。他人にとってもそうである。今はみんなが『人間の心がみな違う』ことを認めて、他人に口出ししないようにして、自分の心を肯定して自分を幸福にして生きていかねばならない。
[22136] 日本とアメリカは違う。 h27.9.8
今の日本では利口は『政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、政府は国民を幸福にするために悪いことをやっている。ところが、日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、政府は国民を不幸にする。政府は国民を幸福にするためにある団体だから、国民が政府よりも上である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が政府に従うと不幸になる。だから、国民は政府に従わなければいい』と思って政府に従っていない。一方、馬鹿は自分で勝手にまちがって「政府が国民みんなを幸福にする善い団体だ」と思ったり「政府が国民みんなを不幸にするために悪いことをやる犯罪組織だ」と思ったりして政府に従っている。国には馬鹿が多くて利口が少ない。今の日本では少数の利口が政府に従わず、多数の馬鹿が政府に従っている。しかし、馬鹿でも時間をかければ正しいことがわかる。そのために、国民みんなにしだいに正しい考えが広まってみんなが政府に従わなくなりつつある。
アメリカでは国民みんなが口先で「政府が嫌いだ」と言いながら、じつは『政府が好きで』政府に従っている。アメリカでは国民みんなが道徳教育を受けているために国民みんなが形の上では善いことが好きで悪いことが嫌いだが、本心では悪いことが好きで善いことが嫌いなのである。アメリカでは政府が悪いことをやっていて、国民みんなが建前では悪いことが嫌いなふりをしているから政府が嫌いなふりをしているが、本音[ほんね]では悪いことが好きだから政府が好きなのである。アメリカではマンガやドラマの上では国民みんなが政府が嫌いだが、実生活の上では国民みんなが政府が好きなのである。だから、ときどきマンガやドラマを見すぎてマンガやドラマを本気にした者が猟銃で大統領の頭を吹っ飛ばして殺してみんなの顰蹙[ひんしゅく]を買うのである。「ピノキオ」や「オズの魔法使い」では、「国民みんなが政府に従うのをやめよう」と言っているが、本当は『国民みんなは政府に従っていたい』のである。ヨーロッパもアメリカと同じようなものである。
日本人とアメリカ人は違う。日本人とヨーロッパ人も違う。だから、日本人はアメリカ人やヨーロッパ人と同じことをやっても幸福にはなれない。日本人が幸福になるためにはアメリカ人やヨーロッパ人と反対のことをやらねばならないのである。
昔は世界中のみんなが「人間はみな同じだ」と考えていたから、ヨーロッパ人やアメリカ人は自分の国が景気のいいときは「自分が世界で一番幸福な人間だ」と思って、世界中のみんなを幸福にするために外国の国民に自分の文化や主義や宗教などを押し付けていた。しかし、今では世界中のみんなが『人間はみな違う』と考えているから、ヨーロッパ人やアメリカ人はいくら自分の国が景気がよくても外国の国民に自分の文化や主義や宗教を押し付けなくなった。今では世界中の国で国民みんなが自分の心を理解して自分の心にとって幸福な国を作っている。日本でも国民みんながそうしなければならない。
昔のアメリカは「雨だれ小僧さん」や「クワイ河マーチ」の歌のようにさわやかな正義感のあるかっこいい国だったが、今のアメリカはダークな汚らしい不気味[ぶきみ]な国になっている。昔は「人間がみな同じである」ことが正しいと考えられていたから、アメリカはアジアを見習って道徳のある国にしていたのである。昔のアメリカは世界中の国のいいところを集めた国にしようとしていたのである。今では『人間がみな違う』ことが正しいと考えられているから、アメリカ人が自分の心を満足する国にしているためにそんな変な国になっているのである。日本人から見たら昔のアメリカのほうがいい国だが、アメリカ人自身にとっては今のアメリカのほうがいい国なのである。日本人もアメリカ人を見習ってもっと自分の国を自分の心を満足する国にしないといけない。今の日本人は自分では日本文化をやっているが、政府について誤解している人が多いために政府が残っている。政府が国民の多くにヨーロッパ文化をやらせて国民の多くを不幸にしている。国民みんなが日本文化をやるためには日本政府が邪魔[じゃま]である。だから、国民みんなで早く政府について正しく理解して、国民みんなで政府を倒さねばならない。
[22137] どうして利口な人はみんなに『政府に従ってはいけない』ことを教えてくれないのか?☆
h27.9.9
今の日本では国民みんなが『日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になる』と考えて日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。そもそも国民は自分が政府に従って幸福になる場合にだけ政府に従えばいいのである。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由だから、国民が自分が政府に従って幸福になれば政府に従い、自分が政府に従って不幸になれば政府に従わなければいいのである。国民が日本政府に従うとヨーロッパ文化をやらされて不幸になるから、国民は日本政府に従わなければいい。国民は日本政府の命令を聞かず政府に税金を払わず、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。
利口な人はそう考えて政府に従っていない。一方、馬鹿はヨーロッパ文化についての理解がないために、政府に裏表があることがわからず「政府が国民を幸福にするために善いことをする団体だ」と思ったり、政府が国民を幸福にするために悪いことをやっていることがわからず「政府が国民を不幸にするために悪いことをやる犯罪組織だ」と思って政府を怖がったりして、政府に従っている。世の中には馬鹿が多くて利口が少ないから、一見[いっけん]国民みんなが政府に従っているように見えるのである。日本政府自身には国民を騙[だま]すつもりはないかもしれないが、日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体であるために結果的には多くの国民が日本政府に騙されているのだ。(だから、「騙されるほうが悪いんだ」と言うわけだ。)例えば、日本国憲法には納税の義務が定められている。しかし、本当は国民が政府に従わなければ政府に税金を払わなくていい。ところが、政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化では悪いことをやっていいから嘘[うそ]をついていい。だから、政府は国民みんなに嘘をついて納税の義務を定めているのである。日本人は善いことが好きで嘘をつかないから、日本政府の嘘を真[ま]に受けて日本政府の嘘に騙されやすい。国民みんなは『政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である』と考えて『政府が嘘をつく』ことを考えに入れて、政府に騙されないようにしないといけない。人間はみんな自分が幸福になることをすればいい。しかし、ヨーロッパ人と日本人は心が反対である。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になるから、ヨーロッパ人は自分が幸福になるために政府に税金を取られているのである。反対に、日本人は他人に悪いことをされると不幸になるから、日本人は自分が不幸にならないために政府に税金を払わなければいいのである。
今では利口な人は政府に従っていない。政府に税金を払っていない。しかし、利口な人はみんなに『今の国民は政府に従ってはいけない』とギャーギャー言って教えてくれない。それは、利口な人は『そもそも政府に従うか従わないかは国民個人の自由だし、馬鹿に説明しても馬鹿は物分りが悪いから無駄[むだ]だ』と思っているからである。世の中にはくだらない物(人間を不幸にする物)をたくさん売っていて、くだらない物を買う人がたくさんいる。馬鹿は自分の心に対する理解がないから、自分を不幸にする物を自分を幸福にする物だと誤解して自分を不幸にする物を買うのである。馬鹿は自分を不幸にする物を自分を幸福にする物だと思い込んでいるので、利口な人が馬鹿に『そんな不吉[ふきつ]な物を買ってはいけない』とせっかく教えてやっても馬鹿は聞いてくれない。だから、いちいち他人に『くだらない物を買ってはいけない』ことを教えてくれる者はいないのである。幸い、この世には多数決はない。だから、たくさんの人がくだらない物を買っているからといって、自分がたくさんの人に従っていっしょにくだらない物を買わねばならないことはない。自分がくだらない物を買いたくなければ、自分がたくさんの人に逆らって自分で買わなければいいだけである。世の中に政府に従う者がたくさんいるのも同じことである。
日本は個人主義の国である。日本は多数決がないだけでなく、自分のことは自分でしなければならない。日本には助け合いの精神はない。日本では国民が自分で考えて自分のまちがいを直して自分が正しいことをやって自分で自分を幸福にしなければならない。そのために、利口な人はすでに自分が政府に従っていないにもかかわらず、馬鹿に『政府に従ってはいけない』ことを教えてくれない。だから、馬鹿は自分で考えて『政府に従ってはいけない』ことを理解して自分で政府に従うのをやめねばならない。馬鹿はテレビやマンガを見てゲームをやって気分がダラダラしているから正しいことがわからないのである。馬鹿でも時間をかけて考えれば正しいことがわかる。だから、馬鹿はテレビやマンガを見るのをやめてゲームをやるのをやめて、必死に政府について考えねばならない。今では国民みんながテレビやマンガを見なくなってゲームをしなくなりつつある。国民みんなで早く政府に従うのをやめて政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
日本人が個人主義で助け合いの精神がないのは、それが日本人の心だからである。日本人は頭がいいので、日本人には性欲も愛情もないので、日本人は他人のことはほったらかしなので、日本人は自分のことは自分でやらねばならないのである。日本人は頭がいいので考えることが好きである。考える者は論理的にはっきりしたことや割り切ったことが好きで曖昧模糊[あいまいもこ]なことが嫌いなので、性欲のヌラヌラした感じや愛情のフニャフニャした感じが嫌いである。だから、日本人には性欲も愛情もないのである。将来、“他人に正しいことを教える職業”が出来て他人に正しいことを教えてお金が儲[もう]かるようになれば、みんなが他人に正しいことを教えるようになるだろう。それまでは、みんながそれぞれ自分で考えて自分で正しいことをわかって自分で正しいことをやらねばならない。
日本人は性欲も愛情もない。それが日本人の心である。今は『人間が自分の心を満足して幸福に生きる』ことが正しいことになっている。だから、日本人はたとえ国が滅亡しても世界が滅亡しても自分の心を貫[つらぬ]かねばならない。(今の日本ではみんなが自分の心を満足して生きている。そのために、今の日本では男は女と結婚しなくなって、女が男に頼って暮らせなくなっている。女が自分で稼[かせ]いで生きていかねばならなくなっている。だから、男女雇用機会均等法が出来たのかもしれない。)
私は他人に正しいことを教えるために書いているのではなく、自分が正しいことを理解して自分が正しいことをするために自分で考えながら書いているだけである。自分が考えたことを字にして本当に正しいかどうか確かめているのである。他人がそれを読むか読まないかは他人の自由である。私は自分が考えたついでに他人に教えているだけである。
[22138] 身分なんかない。 h27.9.9
国民が自分が幸福になるためにある団体に従っている場合、「その団体は国民よりも身分が高い」と言うのである。国民が自分が幸福になるために団体に従っているのだから、本当は国民と団体は平等なのである。だから、「身分が高い」と言うのはただの冗談である。そもそも『身分なんかない』のである。つまり、ある団体が国民よりも身分が高いというのは、国民がある団体に従っていることの言い換えにすぎないのである。国民は自分が幸福になるために団体に従っているのだから、国民と団体は平等である。だから、国民が団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が幸福になれば団体に従い、自分が不幸になれば(あるいは自分が幸福にならなければ)団体に従わなければいいのである。国民が団体に従うか従わないかは国民個人の自由だから、たとえ国民が団体に従って幸福になったとしても団体に従わなくてもいいのである。反対に、たとえ国民が団体に従って不幸になったとしても団体に従ってもいいのである。(今の国民の多くはこの状態である。今の日本国民の多くは日本政府に従って不幸になっている。)だから、国民は自分で慎重に考えて自分が団体に従うか従わないかを決めねばならないのである。
今でもインドに身分制があるのは、インド政府が優秀だからである。インドでは政府が国民の心を満足していることをしているために、国民が政府によく従っているから、政府が国民よりも身分が高いである。
同じように、江戸幕府が国民よりも身分が高かったのは、江戸幕府が優秀だったからである。当時の日本では国民みんながアジア文化をやっていて、江戸幕府がうまくアジア文化をやらせていたから、国民みんなが江戸幕府に従っていたから、江戸幕府が国民よりも身分が高かったのである。(安藤昌益[あんどうしょうえき]は江戸時代に身分制に反対して日本中を演説して回った。それなのに、幕府に咎[とが]められなかった。それは、幕府が安藤昌益に身分制を反対させることによって身分制を国民みんなに定着させるためだったからである。身分制なんかもともとない。幕府はもともと存在しない身分制に対して安藤昌益に反対させることによって国民みんなに「身分制が本当にある」と思わせようとしたのである。しかし、国民みんなは『自分たちがアジア文化をやって幸福になるために幕府に従っている』と思っていたので、身分制なんかどうでもよかった。だから、国民の誰も安藤昌益を相手にしなかったのである。ちなみに、坂本龍馬が幕府に殺されたのは、幕府が自分が国民みんなにもうすぐ倒されることがわかってダメモトでやった八百長[やおちょう]である。幕府は国民みんなが自分を倒さないようにするために、坂本龍馬を殺して国民みんなを脅[おど]したのである。しかし、それがかえって裏目に出て国民みんなはますます幕府に腹を立てて予定よりも3年早く幕府を倒したのである。実際には、国民の間でわざわざ反政治団体組織を作って政治団体に抵抗しなくても、個人がめいめいで勝手に政治団体に従うのをやめればいいだけである。幕府は国民をからかうために暇な下級武士を使って反幕府組織を作らせて、国民に「個人が勝手に幕府に従うのをやめてはいけない」と思わせて国民が幕府に従わなくなるのを止[と]めようとしたのである。しかし、当時の日本では国民みんなが政治団体のことがよくわかっていたから幕府の工作は無駄[むだ]だったのである。国民みんなは幕府の茶番[ちゃばん]を無視してその後も幕府に従うのをやめ続けて幕府を倒したのである。坂本龍馬は幕府を守るために自分の命を張った男だったのである。坂本龍馬は維新を進めて政府を建てた男ではなく幕府を守った男だったのである。)
近代の日本では国民が政府に従っていた。つまり、政府が国民よりも身分が高かった。近代の日本で国民が政府に従っていたのは、国民が自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていたからである。日本政府は“ヨーロッパ文化をやらせる団体”なので、国民は自分が幸福になるために日本政府に従っていたのである。今の日本では国民が日本文化をやっているから、国民は自分が不幸にならないために政府に従わなくなっている。つまり、今の日本では政府が国民よりも身分が高くなくなっているのである。それと同じように、近代の日本では社員が社長(一般に会社の上の者)に従っていた。つまり、社長は社員よりも身分が高かった。近代の日本で社員が社長に従っていたのは、社員が自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていたからである。社長は“ヨーロッパ文化をやらせる人”なので、社員は自分が幸福になるために社長に従っていたのである。(社長が社員の稼[かせ]ぎを奪うことは、社長が社員にヨーロッパ文化をやらせることと同じなので、社長はヨーロッパ文化をやらせる人なのである。)今の日本では社員は日本文化をやっているから、社員は自分が不幸にならないために社長に従わなくなっている。つまり、今の日本では社長が社員よりも身分が高くなくなっているのである。
今は人間が自分の心を理解して自分で自分の心を満足して生きる時代である。今は人間が政治団体や宗教団体に従って幸福に生きる時代ではない。今は人間が他人に従わずに自立して生きる時代である。政治団体も宗教団体も自分にとっては他人である。他人は自分の心を知らない。だから、他人が自分を幸福にすることはできない。だから、今の人は政治団体や宗教団体に頼らず、自分で自分を幸福にしているのである。今では国民は政治団体や宗教団体に従わずに暮らしている。つまり、今では政治団体や宗教団体は国民よりも身分が高くないのである。そのため、政治団体や宗教団体は国民を従わせる仕事がなくなって潰[つぶ]れているのである。同じように、今は社員が自分で自分の心を満足して幸福に生きる時代である。今は社員が社長に従って幸福に生きる時代ではない。今では社員は社長に従わずに暮らしている。つまり、今では社長は社員よりも身分が高くないのである。そのため、社長も社員を従わせる仕事がなくなって滅んでいるのである。
会社の上の者が自分がクビにされるのが嫌なら社員と同じように働けばいい。一日の半分は会社の上の者が働かずに社員が働いて、残りの半分は会社の上の者と社員が入れ替わって、社員が働かずに会社の上の者が働けばいい。そうすれば、みんなが平等に働いてみんなが楽に仕事をすることができる。
[22139] 日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。☆ h27.9.9
今の国民の多くが日本政府に従っているのは、日本政府が何なのかわかっていないからである。今の国民の多くは日本政府がどんな団体なのかわからないまま政府に従っているのである。
日本政府の正体は『ヨーロッパ文化をやらせる団体』である。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本文化とヨーロッパ文化は違う。だから、今の国民は日本政府に従わなければいいのである。仏教をやっている人がキリスト教会に従わないのと同じことである。
国民は日本政府に従わなければいい。日本政府の命令を聞くのをやめて税金や戦争(自衛隊)や国家宗教をやらなければいい。自分で日本政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をさせればいい。
キリスト教をやっている人が仏教に変えたらキリスト教会に従うのをやめる。日本では戦後に国民がヨーロッパ文化をやめて日本文化に変えたから日本政府に従うのをやめればいい。今の国民の多くは日本政府についての理解が足りないために日本政府に従っている。国民みんなは早く政府を理解して政府に従うのをやめねばならない。
[22140] どうして平賀源内[ひらがげんない]は科学がやれたのか?☆ h27.9.10
平賀源内は江戸中期(1728年〜1780年)の人である。香川県の人でなんでもかんでもやった。エレキテルの複製もやった。つまり、平賀源内はヨーロッパ文化をやっていた。一方、当時の日本では国民みんなはアジア文化をやっていた。それでも、平賀源内は国民みんなに罰せられなかった。
平賀源内が科学がやれたのは、個人的にはどんな文化をやってもいいからである。国民は自分が好きな文化をやればいいのである。ただし、それは個人的であって、他人に対してむやみに自分の文化をやってはいけない。他人が自分と同じ文化をやっている場合には他人に対しても自分の文化をやっていいが、他人が自分と違う文化をやっている場合には他人に対して自分の文化をやってはいけない。
江戸時代の日本では国民の多くが自分が幸福になるためにアジア文化をやっていた。江戸幕府はアジア文化をやらせる団体だった。そのため、国民の多くが江戸幕府に従っていた。しかし、国民の中には平賀源内のようにヨーロッパ文化をやる者もいた。ヨーロッパ文化をやっている者は江戸幕府には従わなかった。自分独[ひと]りでヨーロッパ文化をやっていた。江戸幕府もヨーロッパ文化をやっている者には手を出さなかった。
今の日本では国民みんなが自分が幸福になるために日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民みんなが日本政府に従わなければいい。今の国民の多くは日本政府がなんなのかわからないために日本政府に従っている。国民みんなは早く日本政府について理解して日本政府に従うのをやめねばならない。
国民がどんな文化をやろうが国民個人の自由である。今の日本では国民みんなが日本文化をやっているが、自分が日本文化が嫌なら違う文化をやればいい。自分がヨーロッパ文化が好きなら、ヨーロッパ文化をやって日本政府に従えばいい。ただし、相手が日本文化をやっていれば、相手に対してヨーロッパ文化をやってはいけない。ヨーロッパ文化は個人的にやらねばならない。今の日本では国民のほとんどが日本文化をやっている。そんな中で自分ひとりだけヨーロッパ文化をやるとみんなの仲間はずれにされて生きていけなくなる。ヨーロッパ文化をやっている者は日本文化をやっている者にヨーロッパ文化をやれないし、逆に日本文化をやっている者はヨーロッパ文化をやっている者に日本文化をやれない。これでは、ヨーロッパ文化をやっている者と日本文化をやっている者が絶交するしかない。仏教徒とキリスト教徒が仲が悪いのと同じことである。今の日本では国民みんなが日本文化をやっているから、日本で生きていくためにはみんなと同じように日本文化をやるしかない。自分がどうしてもヨーロッパ文化がやりたければ、ヨーロッパに引越しして暮らさねばならない。
今の日本では国民のほとんどが『日本人は日本文化をやれば幸福になる。日本人が日本文化以外の文化をやれば不幸になる』と考えて日本文化をやっているが、国民がどんな文化をやるかは根本的[こんぽんてき]には国民個人の自由だから違う文化をやってもいい。だから、国民がヨーロッパ文化をやってもいい。国民が自分が不幸になる覚悟でヨーロッパ文化をやってもいい。だから、ヨーロッパ文化をやりたい者のためにヨーロッパ文化をやらせる団体があってもいい。つまり、日本政府があってもいい。そういうわけで、今では『日本人は日本文化をやらねば幸福になれない』ことがわかっているにもかかわらず日本政府が残っているのである。今の日本に日本政府があること自体は悪くない。今の日本にヨーロッパ文化をやっている者がいてもいい。日本政府はヨーロッパ文化をやっている者に対してヨーロッパ文化をやらせていい。ただし、日本政府は日本文化をやっている者に対してはヨーロッパ文化をやらせてはいけない。日本政府はヨーロッパ文化をやっている者に対してヨーロッパ文化をやらせられるだけである。日本政府は国民が自分に従っているかいないかで国民がヨーロッパ文化をやっているかいないかを判断している。国民が日本政府に従っていると、日本政府は「その国民がヨーロッパ文化をやっている」とみなして、その国民に対してヨーロッパ文化をやらせてその国民を不幸にする。国民が政府に不幸にされないためには政府に従うのをやめるしかない。だから、今の国民は日本政府に従わないようにして、政府に「自分がヨーロッパ文化をやっている」と思われないようにして、政府にヨーロッパ文化をやらせられないようにしないといけない。
文化によって法律が決まる。今の日本では国民のほとんどは日本文化をやっている。だから、国民のほとんどが日本文化の法律を守っている。今はまだ日本文化の法律は定められていないが、国民のほとんどは日本文化の法律を守って暮らしている。つまり、日本人は自分が善いことをやったり他人に善いことをやられたりすると幸福になり、自分が悪いことをやったり他人に悪いことをやられたりすると不幸になる。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いである。だから、日本文化の法律ではみんなが善いことをやって悪いことをやってはいけない。悪いことをやった者は罰せられるのである。一方、日本政府の法律はヨーロッパ文化の法律であって日本文化の法律ではない。ヨーロッパ人は自分が悪いことをやったり他人に悪いことをやられたりすると幸福になり、自分が善いことをやったり他人に善いことをやられたりすると不幸になる。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。だから、政府の法律ではみんなが悪いことをやって善いことをやってはいけないのである(ただし、嘘[うそ]で善いことをやるのはいい。嘘が悪いことだからいいのである。だから、悪い者は悪いことと善いことの両方やれる。反対に、善い者は嘘がつけないから善いことしかやれない)。善いことをやった者は罰せられるのである。政府自身も悪いことをやって国民から税金を取っているのである。(ヨーロッパ政府はヨーロッパ人にヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化では悪いことをやって善いことをやってはいけないから、ヨーロッパ政府はヨーロッパ人にヨーロッパ文化をやらせるためにヨーロッパ人から税金でお金を取ったりヨーロッパ人を戦争で殺したりヨーロッパ人を国家宗教で虐待したりするのである。/ヨーロッパ文化では悪いことだけやって善いことをやってはいけない。日本政府が本気で景気対策をやると政府が善いことをやることになって、日本政府がヨーロッパ文化をやらせていることに反する。だから、日本政府はちょっとだけしか景気対策をやらないのである。日本政府は嘘[うそ]で景気対策をやっているふりをするだけなのである。日本政府がヤクザを取り締[し]まらないのも、政府が法律をやっているふりをしているためである。政府は嘘で法律をやっているふりをするだけなので、ほんのちょっとだけしか法律をやらないのである。)今の日本では国民のほとんどは日本文化をやっているから、日本政府の法律を守らなくていい。政府に税金を払わなくていい。国民の中のヨーロッパ文化をやっている者は日本政府に従って日本政府の法律を守って暮らせばいい。政府に税金を払えばいい。もっとも、ヨーロッパ文化をやっている者でも『日本政府のヨーロッパ文化のやらせ方が下手[へた]だ』と思う者は日本政府に従わず政府の法律を守らず政府に税金を払わなくていい。(例えば、日本政府は国民に戦争をやらさないとちゃんとヨーロッパ文化をやらせていることにはならない。日本政府が国民に戦争をさせないと国民は「政府がちゃんとヨーロッパ文化をやらせていない」と思って政府に従わなくなって政府が潰[つぶ]れる。そのために、近代の日本政府は必死になって国家予算を全部使って外国に借金までして国民に戦争をやらせたのである。日本政府は自分の経営のために国民に戦争をやらせたのである。)
今では『日本人は日本文化をやれば幸福になる。それ以外の文化をやれば不幸になる』ことが正しいと考えられている。そのために、今の日本では国民みんなが日本文化をやっている。今の日本で生きていくためには誰もが日本文化をやらねばならない。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、日本政府は自分に従う者がいなくなって税金を取れなくなって潰[つぶ]れるしかない。今では『自分の心は自分にしかわからない。他人には自分の心がわからない』ことが正しいと考えられている。だから、今は国民が自分で自分の心を満足して生きねばならない。国民が政治団体や宗教団体に従ってはいけない。だから、将来の日本では政治団体や宗教団体がなくなって、国民が法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などと契約してお金をやって仕事をやってもらうようになるだろう。つまり、国民が法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などにその都度[つど]お金を払って仕事をやってもらうようになるだろう。
[22141] どうして学校で嘘[うそ]を教えているのか? h27.9.11
今の学校では国民に『政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことを教えていない。今の学校では国民に「政府が民主主義の政治団体である」ことを教えている。
それは、日本の学校が日本政府の付属会社だからである。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化では悪いことをやって善いことをやってはいけない。嘘は悪いことである。だから、ヨーロッパ文化では嘘をついていい。だから、政府は学校で国民に「政府が民主主義の政治団体である」という嘘を教えているのである。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化では悪いことをやって善いことをやってはいけない。ただし、嘘でちょっとだけ善いことをやるのはいい。嘘で善い者のふりをするのはいい。だから、日本政府は嘘でちょっとだけ善いことをやるために民主主義の政治団体を設けているのである。日本政府は国民に嘘をついて自分が国民に善いことをする民主主義の政治団体であるふりをしているのである。(政府が民主主義の政治団体だとすると、今の日本では国民みんなが日本文化をやっているから、政府は日本文化をやらせる政治団体でなければならない。しかし、実際には政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、「政府が民主主義の政治団体である」というのは嘘なのである。「政府が民主主義の政治団体である」というのは政府が善い団体のふりをするための見え透[す]いた嘘なのである。)つまり、“民主主義の政治団体”とは善いことをする団体のことである。ヨーロッパでも日本でもそうである。政府は自分が民主主義の政治団体のふりをするために、大勢の国会議員を選挙で決めて、国会議員に高い給料を払っているのである。本当は、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから国民に悪いことをやって善いことをやらないのである。実際には、政府の民主主義の団体は国民にほんのちょっとだけ善いことをするだけで、政府は裏で国民にいっぱい悪いことをやっているのである。つまり、政府の民主主義の団体は政府の本体ではなく、政府の本体は毎日朝から晩まで国民に悪いことばかりやっているのである。政府の民主主義の団体はたしかに善いことをするけれども(ただし、ちょっとだけ)、政府の本体は悪いことをするのである。政府は国民の眼に付くところではちょっとだけ善いことをやって、国民の眼に付かないところではたくさん悪いことをやっているのである。政府はいざとなれば民主主義の団体を差し置いて国民に悪いことをやるのである。要するに、政府は国民に悪いことばかりやって善いことはちょっとだけしかやらない。パンドラの箱のようなものである。政府は本当は悪いことをする団体であって、国民の前で善い団体のふりをするために民主主義の団体をやっているにすぎない。
今の日本では国民みんなは『日本人は日本文化をやれば幸福になり、ヨーロッパ文化をやれば不幸になる』と考えて、日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民は自分が幸福になりたければ日本政府に従わず、自分が不幸になりたければ日本政府に従えばいい。例えば、私は不幸になりたくないから日本政府に従わない。日本文化には契約しかない。私は日本政府に従わず、政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらう。
ヨーロッパが裕福なのはヨーロッパが何千年も前から科学ばかりやってきたからである。ヨーロッパは国民みんなの力で裕福なのである。しかし、その一方で、ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるのが好きだから、自分に悪いことをしてもらうために政府を設けているのである。政府は国民に悪いことをするために国民に科学を教えなかったり科学者を皆殺しにしたり戦争などで工場を爆破したり経済恐慌を起こしたりして国民を貧乏にしている。国民は政府に貧乏にされるだけであって、政府は国民の前で善いふりをするために国民を裕福にするふりをしているにすぎない。日本政府もヨーロッパ政府と同じである。日本政府は国民を裕福にしているふりをして本当は貧乏にしている。田中角栄の所得倍増計画がそのいい例である。政府があっても国民は貧乏にされるだけである。日本人はヨーロッパ人と反対に他人に悪いことをされるのが嫌だから他人に貧乏にされるのが嫌だから、国民みんなで政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
[22142] 日本政府は国民を幸福にするために悪いことをやる団体である。 h27.9.11
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。キリスト教会がキリストの教えをやらせるのと同じである。日本政府自身もヨーロッパ文化をやる。キリスト教の神父が他人にキリスト教をやらせると同時に自分自身もキリスト教をやるのと同じである。
ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。だから、日本政府は国民に悪いことをやって善いことをやらないのである。政府は国民からお金を強盗したり(つまり税金を取ったり)、国民に戦争をやらせて殺したり、国民を国家宗教で虐待したり、物価を値上げしたり景気を悪くして雇用を減らして失業者を増やしたりして国民を貧乏にしたりする。(反対に、江戸幕府は国民に善いことをする団体だったから、当時の日本社会は完全終身雇用制だったのである。)
ヨーロッパ人は人前では善い人のふりをしている。嘘[うそ]は悪いことだから、ヨーロッパ人は嘘をついて善い人のふりをするのが好きなのである。ヨーロッパ文化では人前では善い人のふりをしなければならない。だから、政府は国民の前では善い団体のふりをして、法律や学校や水道やゴミや戸籍などの善い仕事をやっている。政府は国民の眼に付くところでちょっとだけ善いことをやって、国民の眼の付かないところではいっぱい悪いことをやっている。要するに、政府の仕事は国民に悪いことをすることである。政府は国民に悪いことをする仕事をするために税金を取っているのである。税金は政府が国民に悪いことをやって国民を虐[いじ]めるための仕事代である。
そもそも政府は国民を幸福にするためにある。国民は自分が幸福になるために政府に従っている。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が幸福になれば政府に従い、自分が幸福にならなければ政府に従わなければいい。国民は自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならない。政府は自分に従う者にヨーロッパ文化をやらせるだけなので、国民が自分で考えて自分を幸福にするために政府に従うか従わないかを決めねばならないのである。
ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いだから、自分が幸福になるために政府に従っている。しかし、日本人は反対に善いことが好きで悪いことが嫌いだから、自分が幸福に暮らすためには政府に従ってはいけない。(ヨーロッパ人は狩猟民族であり、狩猟民族は動物に悪いことをしたり動物に悪いことをされたりして生き残らねばならないので、悪いことが好きな性格になってしまったのである。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをやって善いことをやらない。反対に、日本人は農耕民族であり、農耕民族は作物を育てて生き残らねばならないので、善いことが好きな性格になってしまったのである。日本文化ではみんなが善いことをやって悪いことをやってはいけない。/平成27年9月17日追記)狩猟民族は獣[けもの]と戦うのが好きだから、国民が政府と戦うのが好きなので、政府が国民に悪いことをするのである。狩猟民族は戦いが好きだから、言葉も対立構造なのである。一方、農耕民族は作物を育てるのが好きだから、国民が政治団体と仲良くするのが好きだから、政治団体が国民に善いことをするのである。農耕民族は作物を育てるのが好きだから、言葉が枠[わく]構造なのである。枠構造の枠とは田んぼの畦[あぜ]のことである。/平成27年10月26日追記)ヨーロッパ人は狩猟民族である。狩猟民族は獲物と戦って獲物を征服して生きてきた。そのために、ヨーロッパ人は獲物を一般化して自然を人間が征服するものだと思っている。反対に、アジア人は農耕民族である。農耕民族は作物の個性を尊重して作物を育てて生きてきた。そのために、アジア人は作物を一般化して自然を人間が従わねばならないものだと思っている。ヨーロッパ人が自然に人間の手を加えたがるのに対し、アジア人が自然に人間の手を加えたがらないのはそのためである。)
そういうわけで、今の日本では国民が政府に従わなくなっている。国民が政府に従わなくなって、政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。(政府には“国民が政府に従うのをやめる申し出をする窓口”がない。だから、国民が無言で勝手に政府に従うのをやめればいいのである。)馬鹿が政府の見かけに騙[だま]されて「政府が善い団体だ」と思って政府に従っている。日本には嘘をつく習慣がないから、馬鹿は政府が嘘をついて人前で善い人のふりをしていることがわからないのである。しかし、馬鹿もしだいに政府のことがわかって政府に従わなくなりつつある。政府は国民みんなから税金を取れなくなって滅びつつある。
[22143] どうして巨人が風車になったのか? h27.9.13
ドンキホーテ第1部のラストはドンキホーテが風車に突撃するシーンである。ドンキホーテは風車に跳ね飛ばされて「巨人が風車に化けたのだな」と捨てゼリフを言った。
巨人とは政府のことである。つまり、ヨーロッパ文化をやらせる団体である。国民がヨーロッパ文化をやるように政府もヨーロッパ文化をやっていて政府は大きな人だからである。政府は国民がやっていることをそのまま大きくしたことをやっているから巨人なのである。
風車とはキリスト教会のことである。つまり、キリストの教えをやらせる団体である。風車が十字架の形に似ているからである。
中世のヨーロッパでは政府がワルノリして国民にヨーロッパ文化をやらせすぎたためにヨーロッパが滅びかけていた。国民みんなが死にかけていた。そのために、国民が政府に従うのをやめてキリスト教会に従うようになった。政府が滅んでキリスト教会が儲[もう]かるようになった。だから、「巨人が風車に変わった」のである。
政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされると幸福になる。だから、政府は国民から高い税金を取ったり、国民に戦争させて殺したり、国民を国家宗教で虐待したり、科学者を殺したり科学の本を焼き捨てたり国民に科学を教えなかったり工場を破壊したりわざとに不良品を作ったり国の経済をメチャクチャにしたりして国民を貧乏にしたりする。
ヨーロッパ人は政府にある程度悪いことをされると幸福になるが、政府に悪いことをされすぎると不幸になる。中世の政府は国民に悪いことをしすぎたから、国民が政府に従わなくなって、キリスト教会に従うように変わったのである。キリストの教えは国民にあまり悪いことをしないので、中世の国民は自分が悪いことをされないために政府に従うのをやめてキリスト教会に従うようになったのである。国民は自分が幸福になるために自分で政府に従うのをやめてキリスト教会に従うようになったのである。
ヨーロッパでは近代になって産業革命が起こって国民みんなの暮らしが楽になったから、みんなが再び悪を欲しがるようになったから、国民はキリスト教会に従うのをやめて、政府に従うようになったのである。今でも政府に従ったままである。(フランスはヨーロッパの中心なので、フランス人はなにがなんでもヨーロッパ文化をやらねばならないので、フランスでは国民が政府に従うのをやめてキリスト教会に従ったりせずに、革命を起こして政府を入れ替えるのである。)
一方、日本では近代には「人間はみな同じである。今のヨーロッパ人が幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福になる」ことが正しいと考えられていたので、国民みんなはヨーロッパ文化をやって、政府に従っていた。しかし、現代では『人間はみな違う。ヨーロッパ人と日本人は心が違う。日本人は日本文化をやらねば幸福になれない』ことが正しいと考えられているので、国民みんなは日本文化をやってヨーロッパ文化をやめて政府に従うのをやめている。日本文化には契約しかない。国民みんなは政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらっている。
そもそも国民と政治団体や宗教団体は平等である。国民は自分が幸福になるために政治団体や宗教団体に従っているのである。国民が政治団体や宗教団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が幸福になれば政治団体や宗教団体に従い、自分が幸福にならなければ政治団体や宗教団体に従わなければいいのである。国民は自分が幸福になるために自分で考えて自分が政治団体や宗教団体に従うか従わないか決めねばならない。そもそも政治団体や宗教団体は国民の心なんか知らない。政治団体や宗教団体は国民が幸福になろうが不幸になろうがおかまいなしにめくらめっぽうに国民にある国の文化やある人の教えをやらせるだけである。そんなことで国民が幸福になれるわけがない。人間は自分の心しか知らない。他人の心を知らない。今は国民が自分で自分の心を満足して幸福に生きる時代である。今は国民が政治団体や宗教団体に従って幸福に生きる時代ではない。だから、国民は政治団体や宗教団体に従うのをやめて、自分で自分の心を満足して幸福に生きればいいのである。
将来、日本に日本文化をやらせる政治団体が建つかもしれない。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いである。だから、日本文化をやらせる政治団体は国民に善いことをやらせて悪いことをやらせない。日本人も日本文化をやらせる団体にある程度善いことをやらされると幸福になるが、善いことをやらされすぎると不幸になる。いくら日本人が善いことが好きで悪いことが嫌いといっても、日本人もそこそこ悪いことが好きだからである。日本文化をやらせる政治団体は国民にやみくもにめったやたらに善いことをやらせるだけである。日本文化をやらせる団体は“ちょっとでも悪いことをやったら死刑にする法律”を定めて、国民に善いことしかやらさないようにして国民を苦しめる。日本文化をやらせる政治団体は国民が幸福になろうが不幸になろうがとにかく国民に善いことだけをやらせる。国民が幸福に暮らすためには政治団体に従わずに、自分で自分の心を満足して暮らしたほうがいい。
そもそも善いこととは農耕民族が幸福になることであり、悪いこととは狩猟民族が幸福になることである。つまり、善とはアジア人が幸福になることであり、悪とはヨーロッパ人が幸福になることである。善悪の定義はあまり明確ではない。だから、善と悪に割り切って人間に善いことだけやらせたり悪いことだけやらせたりしても人間は幸福になれない。人間の心には善と悪の両方がある。善の心だけの人間はいないし、悪の心だけの人間もいない。政治団体や宗教団体は国民に善いことだけやらせたり悪いことだけやらせたりする。だから、国民が幸福になるためには政治団体や宗教団体に従わずに、自分で自分の心を知って自分の心を満足したほうがいい。人間は法律(国民みんなの心)と道徳だけ守って自由に暮らしたほうが幸福になれる。
[22144] どうすれば自分だけの理論が作れるか? h27.9.13
@他人の本を読まない。自分で考える。自分で考えたことをノートやメモ帳に書く。自分の眼よりも自分の頭を使うようにする。自分の考える喜びを強めて頭がよく働くようにする。(ただし、子供のころは知らないことが多いから広くいろんな本を読んで勉強したほうがいい。大人は自分で考える喜びを満足するために考えるので結果はどうでもいい。)
Aテレビや新聞をなるべく見ない。余計なことや無駄[むだ]なことを知らないようにする。世の中には馬鹿が多くて利口が少ない。テレビ番組や新聞は視聴率を得るために馬鹿に合わせて作られているから、自分が馬鹿にならないためには見ないほうがいい。マンガを読まない。アニメを見ない。アニソンも聞かない。ゲームをしない。マンガやゲームは馬鹿向けに作られているので、マンガやゲームをやると気分がだらけて馬鹿がうつるのでやってはいけない。
B夜中に考える。まわりが寝静まっていると、自分で考える気持ちが強まって、自分で考えやすくなる。
C野菜や魚を多く食べる。肉はあまり食べない。肉を食べると脂[あぶら]で頭がネトネトして頭が回らないからである。自分が食べる物を選んで自分の脳の調子を整えて自分の脳がよく働くようにしないといけない。
D自分が考えるための暇を作る。人間が本格的に考えるためには途切れていない時間が要る。そのためには、仕事を辞[や]めてもいい。仕事をすると自分の思考が中断されて自分の考えがはかどらない。ただし、自分が生きるためのお金を持っていないといけない。
以上のことを守れば、君たちも私のように頭がよく考えることができる。
[22145] 国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。 h27.9.13
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる政治団体である。
国民は自分が幸福になるために政治団体に従う。政治団体は国民が幸福になるために従うものである。だから、国民は自分が政治団体に従って幸福になれば政治団体に従い、自分が政治団体に従っても幸福にならなければ政治団体に従わなければいい。もともと国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ文化では嘘[うそ]をついていいから、政府は「国民全員が政府に従わねばならない。国民は政府に従うのをやめてはいけない。」と嘘をつくのである。
近代の日本では「人間はみな同じである。人間の心もみな同じである。今のヨーロッパ人は幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と信じられていた。だから、近代の国民は自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていた。日本政府はヨーロッパ文化に詳しくて国民にヨーロッパ文化をやらせてくれるから、国民みんなは「自分が政府に従うと幸福になる」と思って日本政府の指示を聞いてヨーロッパ文化をやっていた。しかし、本当は『日本人とヨーロッパ人は心が違う』から、国民は幸福にならなかった。(そもそも国民がどんな文化をやるかは国民個人の自由である。周[まわ]りのみんながヨーロッパ文化をやっていても自分ひとりだけアジア文化をやってもいい。しかし、自分ひとりだけアジア文化をやっていると周りのみんなと付き合えないから自分も周りのみんなに合わせてヨーロッパ文化をやるしかない。『日本政府は国民にちゃんとヨーロッパ文化をやらせてくれる』と評判がよかったので、国民みんなは日本政府を信用して日本政府に従ったのである。)
今では文化人類学が出来て『人間はみな違う。人間の心はみな違う。日本人は日本文化をやらねば幸福になれない。日本人がヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことがわかっている。だから、今の国民はヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民が政府に従うと不幸になる。だから、国民は政府に従うのをやめている。国民は政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。日本には法律や学校や水道やゴミや戸籍の仕事をやる会社は政府の付属会社しかないから、国民は政府の付属会社を使って暮らせばいいのである。国民が幸福に暮らすためにはそうするしかないから、そうすればいいのである。
今の国民は法律や道徳だけ守ってあとは自由に暮らせばいい。それで国民がどうしても幸福に暮らせなければ、“日本文化をやらせる団体”を建てて日本文化をやらせる団体に従えばいい。日本文化をやらせる団体と契約してお金を払って日本文化をやらせる団体に指示を出してもらって日本文化をやらせてもらえばいい。自分で自分の心がわかる者は政治団体に従わず、自分で自分の心を満足して暮らせばいい。そのかわり、自分が不幸になっても自分の責任である。国民は気休めで政治団体に従っているだけである。国民は見栄[みえ]で政治団体に従っているだけである。実際には、国民が政治団体に従っても幸福になれない。お金の無駄[むだ]である。国民が政治団体にやるお金があったら自分の趣味に使ったほうがよっぽど幸福になる。国民みんなはがんばって自分で自分を幸福にして、国民みんなが日本文化をやらせる団体に従わないようにして日本文化をやらせる団体を潰[つぶ]してやればいい。
今の日本では政府や暴力団や宗教団体は自分たちだけでヨーロッパ文化をやっている。国民みんなは日本文化をやっている。ヨーロッパ文化をやる者は同じヨーロッパ文化をやる者の間でヨーロッパ文化をやればいい(つまり悪いことをやればいい)。ヨーロッパ文化をやる者は日本文化をやる者に対してヨーロッパ文化をやってはいけない。日本文化をやる者は同じ日本文化をやる者の間で日本文化をやればいい(つまり善いことをやればいい)。日本文化をやる者はヨーロッパ文化をやる者に対して日本文化をやってはいけない。だから、ヨーロッパ文化をやっている者と日本文化をやっている者は付き合えない。絶交するしかない。だから、国民みんなは政府や暴力団や宗教団体を仲間はずれにして潰せばいいのである。同じように、会社の上の者も自分たちだけでヨーロッパ文化をやっている。一方、社員は日本文化をやっている。違う文化をやる者は付き合えない。絶交するしかない。だから、社員は会社の上の者を仲間はずれにして葬[ほうむ]ればいいのである。
最近の人間は真剣に自分が幸福になろうとしていない。最近の人間は眼先で幸福ぽかったらいいと思っている。最近の人間は自分が不幸になることをやって幸福になることをやらない。人間は幸福なうちは生きていけるが、人間が幸福を失ったら苦しくて生きていけない。人間はもっと自分の幸福を大事にしないといけない。人間は自分の本心を満足しないといけない。人間は自分の本心や世の中のことをよく知って自分が幸福になることをやり不幸になることをやってはいけない。日本人は見かけや作り話が嫌いだから、汚い身なりをしなければならずマンガや文学を読んではいけない。日本人は実在について考えることが好きだから、酒やタバコをやらず仕事をしているときも遊んでいるときも起きているときも寝ているときも考えなければならない。日本政府は眼先では善いことをしているが本当は悪いことをする団体だから、日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、国民は政府に従ってはいけない。
[22146] 日本人は政府に従うと不幸になるから政府に従ってはいけない。 h27.9.13
政府は巨人である。政府はヨーロッパ人が大きくなったものである。
ヨーロッパ人は日本人と反対に悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は人前では善い人のふりをするのが好きである。だから、政府は悪いことばかりして善いことをせず、国民の前では善い団体のふりをするのである。政府は善い団体のふりをするために法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などをやって、国会をやって民主主義の政治団体をやっているのである。政府は表では善いことをちょっとだけやって、裏では悪いことをたくさんやっている。
ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるのが好きだから、政府に悪いことをされて幸福に暮らしている。ヨーロッパ人は政府に税金で強盗されたり戦争で殺されたり国家宗教で虐待されたり景気を悪くされて貧乏にされたりして喜んでいる。ヨーロッパ人は政府に従うと幸福になる。だから、ヨーロッパでは国民みんなが政府に従っている。
しかし、日本人はヨーロッパ人と性格が反対である。日本人はヨーロッパ人と反対に善いことが好きで悪いことが嫌いである。日本人は人前では悪い人のふりをして善いことをするのが好きである。日本政府は善い団体のふりをして悪いことをするから、国民は日本政府が嫌いである。日本人は他人に悪いことをされるのが嫌いだから、政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。日本人は政府に従うと不幸になる。だから、日本では国民みんなが政府に従わなくなっている。
日本人は日本文化をやらねば幸福になれない。日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福になれない。それが日本人の心である。国民みんなは日本人とヨーロッパ人の心の違いを理解して日本文化をやらねばならない。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民が政府に従うと不幸になるから、国民は政府に従わないようにしないといけない。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由だから、国民は自分が日本政府に従って不幸になるなら、政府に従うのをやめねばならない。政府に税金を払えと言われても払ってはいけない。国民は政府が善い団体のふりをするために設けた会社にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
[22147] どうしてアニメやマンガのキャラクターが国家宗教の神なのか?! h27.9.13
日本政府はヨーロッパ文化をやる団体である。日本政府はヨーロッパ人が大きくなったものである。
ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は人前で善い人のふりをするのが好きである。だから、日本政府は国民に悪いことだけやって善いことをせず、国民の前では善い団体のふりをしているのである。政府は税金で国民から強盗したり戦争で国民を殺したり国家宗教で国民を虐待したり景気を悪くして国民を貧乏にしたりして悪いことをやっている。政府は善い団体のふりをするために法律や学校や水道やゴミや戸籍などの仕事をやって、国会をやって民主主義の政治団体をやっている。
ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるのが好きだから、政府に悪いことをされて幸福に暮らしている。ヨーロッパ人は政府に従うと幸福になる。だから、ヨーロッパでは国民みんなが政府に従っている。
しかし、日本人はヨーロッパ人と反対に善いことが好きで悪いことが嫌いだから、他人に悪いことをされるのが嫌いだから、政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。日本人は政府に従うと不幸になる。だから、日本では国民みんなが政府に従わなくなっている。
しかし、馬鹿は『日本政府が人前で善い団体のふりをしている』ことを知らないから「政府が善い団体だ」と思って政府に従っている。アニメ会社やマンガ会社は馬鹿だからいまだに政府に従って政府の命令で国家宗教でアニメやマンガを作っている。だから、アニメやマンガのキャラクターが国家宗教の神なのである。
[22148] この世は人間の自由である。 h27.9.13
この世に多数決はない。国民は多数に従うのではなく自分が正しいと考えることに従えばいい。
国民が自分が幸福になるか不幸になるかは国民個人の自由である。国民は普通は自分が幸福になることをやって不幸になることをやらない。
国民が自分がどんな文化をやるかどんな政治団体に従うかも国民個人の自由である。ただし、国民がひとりだけでみんなと違う文化をやると、みんなの仲間はずれにされて生きていけなくなるから、実際にはみんなと同じ文化をやらねばならない。一方、国民がひとりだけ政治団体に従わなくても、自分が政治団体に幸福にされないだけだから、そうしてもいい。国民は自分が文化をやって幸福になるだけでは物足りなくて、自分の幸福を増すために政治団体に従うのだから、政治団体に従わなくていい者は従わなくていい。例えば、貧乏でお金がなくて政治団体にお金を払えない者は政治団体に従わなければいい。
近代の日本では「人間はみな同じだ。今のヨーロッパ人は幸福だから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福になれる。」ことが正しいと信じられていた。だから、国民みんなは自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていた。日本政府は国民にちゃんとヨーロッパ文化をやらせてくれたので、国民みんなは自分が幸福になるために日本政府に従っていた。しかし、本当は『日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる』から、国民みんなは不幸になっていた。
現代の日本では『人間はみな違う。日本人とヨーロッパ人は心が違う。日本人は日本文化をやれば幸福になる。日本人はヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことが正しいと考えられている。だから、国民みんなは自分が幸福になるために日本文化をやっている。国民には利口もいれば馬鹿もいる。『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことがわかっている国民は、自分が不幸にならないために政府に従うのをやめている。「日本政府が民主主義の政治団体だ」と思っている国民は、自分が幸福になるために政府に従っている。しかし、本当は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だ』から、「日本政府が民主主義の政治団体だ」と思っている国民は政府に従って不幸になっている。
この世は人間の自由である。人間は自分の好き勝手に生きればいい。それだからこそ、人間が幸福になるためには自分の心や世の中のことを正しく知っていないといけない。日本では国民は『人間はみな違う』ことや『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことを知って、自分が幸福になるために日本文化をやって日本政府に従わないようにしないといけない。日本文化では国民はすべての会社と契約してお金を払って仕事をやってもらう。国民は自分が幸福に生きるために政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらわねばならない。
[22149] 国民が政府に従うのは自分が幸福になるためである。 h27.9.15
そもそも『人間はみな平等である。』大昔から世界中でそうである。
だから、国民が政治団体に従わねばならない理由はない。国民が政治団体に従うか従わないかは国民の自由である。国民は自分が幸福になれば政治団体に従い、幸福にならなければ政治団体に従わなければいい。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、政府自身もヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では悪いことをやっていいから嘘[うそ]をついていいから、政府は国民に嘘をついて「国民と政府は不平等である。国民は政府に従わねばならない」と言っているのである。本当は『国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である』から、国民が自分で考えて決めればいいのである。
近代の日本では「国民がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」ことが正しいと信じられていたから、日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民みんなが自分が幸福になるために自分から望んで日本政府に従っていた。国民みんなが「日本政府に従わない者は自分が幸福になりたくない馬鹿だ」と考えていたので、国民は日本政府に従うしかなかった。
反対に、今の日本では『国民がヨーロッパ文化をやれば不幸になる』ことが正しいと信じられているから、日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民みんなが自分が幸福になるために自分から望んで日本政府に従わなくなっている。国民みんなが『日本政府に従う者は自分が不幸になりたい馬鹿だ』と考えているので、国民はどんどん日本政府に従わなくなっている。
今では国民がどんどん政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっているから、政府の付属会社もいつまでも政府の税金を当てにせずに、自分が食べていくために自分で考えて自分で直接に国民と契約してお金を取って仕事をするようにしなければならない。国鉄や郵便局も政府から離れて独立したから、ほかの政府の付属会社も早く政府から離れて独立しなければならない。
[22150] 日本政府は国民に嘘[うそ]をついてもいいか?☆ h27.9.15
選挙の公約なんか嘘ばっかりである。候補者[こうほしゃ]は選挙の公約のときは「国民みんなを幸福にする」と言っても、当選して政府に入ったら国民を不幸にすることばかりする。しかし、それはかまわない。なぜなら、日本政府はヨーロッパ文化をやる団体であり、ヨーロッパ文化では嘘をついていいから、候補者が選挙に当選して日本政府に入ってしまえばいくらでも嘘をついてもいいから公約を破ってもいいからである。反対に、候補者が選挙に当選しなければ、いくら選挙の公約のときに「当選したら国民みんなを幸福にする」と言っても、当選しなかったのだから何もできないから嘘をついたことにはならないからである。だから、選挙の公約では候補者は嘘をついてもいいのである。
しかし、日本政府が社会科の教科書などで国民みんなに対して「日本政府は民主主義の政治団体だから、日本政府は国民みんなを幸福にする」と言ってもいいのだろうか?本当は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから国民みんなを不幸にする』のに、国民みんなに対して「日本政府は国民みんなを幸福にする」と言ってもいいのだろうか?
国民がヨーロッパ文化をやっている場合には、ヨーロッパ文化では嘘をついてもいいから、ヨーロッパ文化では嘘が公認だから、日本政府が国民に対して嘘をつくのはかまわない。一方、国民が日本文化をやっている場合にも、政府は嘘をついてもいい。それは、どんな文化をやるかは個人の自由だからである。日本政府はヨーロッパ文化をやる団体だから、ヨーロッパ文化では嘘をついてもいいから、日本政府は嘘をつくのである。一方、日本文化では嘘をついてはいけないから、日本文化をやっている国民は嘘をついてはいけない。日本文化の中では嘘をつくのはいけないことだが、日本文化の外では嘘を付くのはいいことである。日本文化をやっている者同士の間では嘘をつくのはいけないが、ヨーロッパ文化をやっている者が日本文化をやっている者に対して嘘をつくのはいいのである。今の日本には日本文化をやっている者と、ヨーロッパ文化をやっている者が混在している。日本政府はヨーロッパ文化をやっている団体だから日本文化をやっている国民に対して嘘をついてもいいのである。だから、日本文化をやっている国民は自分で『日本政府はヨーロッパ文化をやっているから嘘をつく』と考えて日本政府の嘘に騙[だま]されないようにしなければならないのである。日本文化をやっている国民は日本文化で物事を考えて日本文化に適[かな]っていることをやればいいのである。同じ文化をやっている者同士では自分の文化を他人にやらせることができるが、違う文化をやっている者同士では自分の文化を他人にやらせることができない。だから、同じ文化をやっている者同士は付き合えるが、違う文化をやっている者は付き合えない。絶交しないといけない。だから、日本文化をやっている国民はヨーロッパ文化をやっている者を相手にしてはいけない。日本文化をやっている国民は嘘つきの政府と付き合わず、政府と絶交しないといけない。政府の付属会社は本来はヨーロッパ文化をやっているから、日本文化をやっている国民は政府の付属会社と絶交しなければならないが、それでは日本文化をやっている国民が生きていけないから、“緊急避難”(人間の生命の危険が及ぶような重大な場合には、規定の決まりを破ってもいいという便利な決まりのこと)が適用[てきよう]されるから、国民は“絶交ルール”を破って日本政府の付属会社と付き合えばいいのである。法律や学校や水道やゴミや戸籍の会社は政府の付属会社しかないので、国民が生き残るためにはどうしても政府の付属会社を利用するしかないので、国民は“絶交ルール”を破って政府の付属会社にお金を払って利用すればいいのである。“緊急避難”に関する法律なんかないから、国民はどうやってもいいから政府の付属会社と付き合えばいいのである。国民は自分で日本文化をやって政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。政府の付属会社はお金が欲しいだけだから、たぶん国民の申し出を快[こころよ]く受け入れてくれるだろう。
人間がどんな文化をやるかは個人の自由である。日本政府はヨーロッパ文化をやる団体である。ヨーロッパ文化では強盗も殺人も虐待もなんでもやっていい。だから、たとえ今の国民みんなが日本文化をやっていても、日本政府は自分ひとりでヨーロッパ文化をやって国民みんなから税金を強盗したり、国民みんなに戦争をさせて殺したり、国民みんなを国家宗教で虐待したり、景気を悪くして国民みんなを貧乏にしたりするのである。日本政府は国民がヨーロッパ文化をやっていようが日本文化をやっていようがおかまいなしに一方的に国民みんなに対してヨーロッパ文化をやって国民みんなを不幸にするのである。国民が日本政府に不幸にされないためには日本政府を倒すしかない。日本文化には税金はない。日本文化には契約しかない。国民は自分でしっかりと考えて日本文化をやって日本政府に税金を払わないようにして日本政府を倒さねばならない。国民は政府の嘘につられて政府といっしょにヨーロッパ文化をやって政府に税金を払ってはいけない。国民みんなで自分たちと違う文化をやっている日本政府を仲間はずれにして日本政府の言うことを無視して日本政府を倒さねばならない。国民は自分で日本文化をやって政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
日本政府はヨーロッパ文化をやっているから、ヨーロッパ文化では悪いことをやっていいから、日本政府は国民に対して悪いことをする。しかし、日本国民は日本文化をやっているから、日本文化では悪いことをやってはいけないから、日本国民は日本政府が悪いことをすることに対して抵抗して悪いことをされないようにしなければならない。国民は政府の命令に逆らって政府に税金を払ったり、政府に戦争で殺されたり、政府に国家宗教で虐待されたり、政府に不景気にされて貧乏にされたりしてはいけない。国民は日本文化をやっているから、日本文化では契約しないといけないから、国民は政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
[22151] みんなと違う文化をやっている者はみんなから仲間はずれにされて生きていけない。
h27.9.16
人間がどんな文化をやるかは個人の勝手である。
今の日本政府はヨーロッパ文化をやっている。ヨーロッパ文化では悪いことをやっていい。嘘[うそ]でちょっとだけ善いことをやってもいい。嘘で善い人のふりをするのはいい。だから、今の日本政府は表では善い団体のふりをしてちょっとだけ善いことをやって、裏ではいっぱい悪いことをやって国民に命令して国民から税金を取ったり国民に戦争(自衛隊)をさせたり国民を国家宗教で虐待したり不景気にして国民を貧乏にしたりしている。
一方、今の日本国民は日本文化をやっている。日本文化では善いことだけやって悪いことをやってはいけない。だから、今の日本国民は日本政府の命令に逆らって日本政府に悪いことをやらせず国民から税金を取らせたり国民に戦争をやらせたり国民を国家宗教で虐待させたり不景気にして国民を貧乏にさせたりしなければいい。
今の日本国民は日本文化をやっているから自分で日本文化をやればいい。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本政府の命令は国民にヨーロッパ文化をやらせるための命令だから、日本国民は自分が日本文化をやるために日本政府の命令を聞かなければいい。日本文化には税金がなくて契約がある。だから、今の日本国民は政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。
人間がどんな文化をやるかは個人の勝手だが、みんなと違う文化をやっている者はみんなに仲間はずれにされてみんなに無視されてみんなが関わらなくなって社会では生きていけない。
今の日本では国民みんなは『日本人は日本文化をやらなければ幸福になれない』と考えて自分が幸福になるために日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやっているが、周[まわ]りのみんなが日本文化をやっているので政府はみんなに仲間はずれにされて生きていけない。そのために日本政府は滅んでいる。
人間はひとりでは生きていけない。人間はみんなと関わらなければ生きられない。みんなと違う文化をやっている者はみんなに仲間はずれにされてみんなと関われなくなって生きていけない。今の日本政府は国民みんなと違う文化をやっている。だから、日本政府は国民みんなに仲間はずれにされて国民みんなが関わらなくなって日本政府が滅んでいるのである。
[22152] 日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせることはできない。 h27.9.16
人間はどんな文化をやろうが個人の自由である。ただし、個人的にはどんな文化をやってもいいが、自分と違う文化をやっている者に対しては自分と同じ文化をやらせるわけにはいかない。
今の日本政府はヨーロッパ文化をやっている。だから、日本政府が個人的にヨーロッパ文化をやるのはいい。しかし、今の日本国民は日本文化をやっている。だから、政府が国民に命令して国民にヨーロッパ文化をやらせることはできない。政府が国民に命令して国民に税金を払わせたり、国民に戦争(自衛隊)をやらせたり、国民に国家宗教で虐待させたり、不景気にして国民を貧乏にさせたりすることはできない。国民は政府の命令を断って、政府に税金を払ったり、戦争をやったり、国家宗教で虐待したり、不景気にして貧乏にしたりしなければいい。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやっている。国民は自分と違う文化をやっている者には関われない。国民は自分と違う文化をやっている者とは関わることができない。日本政府は国民みんなに仲間はずれにされて国民みんなが自分の言うことを聞いてくれなくなって滅ぶしかない。日本政府は国民みんなに税金をもらえなくなって滅ぶしかない。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本政府の付属会社はヨーロッパ文化をやっている。一般に、違う文化をやっている者は絶交するしかない。しかし、“村八分”[むらはちぶ]と言うことがある。国民と政府の付属会社はなにからなにまで絶交するわけではない。国民と政府の付属会社は契約してお金と仕事を交換することに限っては付き合ってもいいことになっている。だから、国民は政府の付属会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。
人間がどんな文化をやろうが個人の自由である。しかし、他人に自分と同じ文化をやらせることはできない。今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやっている。国民と日本政府は違う文化をやっているから、日本政府が国民にヨーロッパ文化をやらせることはできない。日本政府が国民に命令して国民から税金を強盗したり、国民に戦争をさせたり、国民を国家宗教で虐待したり、不景気にして国民を貧乏にしたりすることはできない。国民は自分で日本文化をやって政府の命令を断ればいい。人間は自分と同じ文化をやっている者としか付き合えない。自分と違う文化をやっている者とは付き合えない。人間は自分と同じ文化をやっている者としかいっしょに暮らせない。人間は自分と違う文化をやっている者といっしょに暮らすことはできない。だから、日本政府は日本政府の中だけでヨーロッパ文化をやればいい。しかし、それでは日本政府は生きていけないから日本政府は滅ぶしかない。国民みんなは日本文化をやって国民同士で仲良く付き合って暮らせばいい。
近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっていた。国民みんなも日本政府もヨーロッパ文化をやっていた。そのため、日本政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせることができた。日本政府が国民みんなに命令して税金を取ったり、戦争で殺したり、国家宗教で虐待したり、不景気にして貧乏にしたりすることができた。しかし、戦後の今の日本ではみんなが違う文化をやっている。国民みんなは日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやっている。そのため、日本政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせられなくなっている。日本政府が国民みんなに命令して税金を取ったり、戦争で殺したり、国家宗教で虐待したり、不景気にして貧乏にしたりできなくなっている。国民は政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払ったり、戦争で殺されたり、国家宗教で虐待されたり、不景気にされて貧乏にされたりしなくなっている。日本政府は国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。つまり、戦前の日本は文化的に統一された国家だったから、国民みんなと政府が同じ文化をやっていたから、政府が国民みんなとイチャイチャ関わることができたので、政府が国民から税金を奪って儲[もう]かっていた。反対に、戦後の日本は文化的に分裂した国家になったから、国民みんなと政府が違う文化をやっているから、政府と国民みんなの間に“見えない壁”が出来て政府が国民みんなと関われなくなって政府が国民みんなに何も命令できなくなったので、政府が国民みんなから税金を奪えなくなって滅んでいるのである。
[22153] 政府は国民に悪いことをして国民を幸福にする団体である。☆ h27.9.16
戦前の日本では国民みんなと政府が同じ文化をやっていた。国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。政府はヨーロッパ文化をやらせていた。国民みんなは自分がヨーロッパ文化をやるために日本政府に従った。日本政府は国民みんなに命令して国民みんなにヨーロッパ文化をやらせていた。
戦後の日本では国民みんなと政府が違う文化をやっている。国民みんなは日本文化をやっている。政府はヨーロッパ文化をやらせている。国民は自分が日本文化をやるために日本政府に従わなくなった。日本政府は国民みんなに命令できなくなって国民みんなにヨーロッパ文化をやらせられなくなった。
ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は悪いことをやったりやられたりすると幸福になり、善いことをやったりやられたりすると不幸になる。ヨーロッパでは国民みんなが仕事でいそがしくて他人に悪いことをする暇がないから、政府にお金を払って悪いことをやってもらって幸福に暮らしているのである。反対に、日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いである。日本人は善いことをやったりやられたりすると幸福になり、悪いことをやったりやられたりすると不幸になる。日本政府はヨーロッパ政府と同じように悪いことをする団体である。日本では国民みんなが仕事でいそがしくて他人に悪いことをする暇がないが、政府に悪いことをされても幸福にならないから政府が要らないのである。日本では国民みんなは政府に悪いことをやってもらわなくていいから政府にお金を払わない。日本では国民みんなは政府が人前で善い格好[かっこう]するために設けている政府の付属会社しか要らない。だから、国民は政府に付属会社にだけお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
ヨーロッパ人は悪いことが好きだから、他人に悪いことをされると幸福になるから、政府が必要である。政府はヨーロッパ特有の団体である。反対に、日本人は悪いことが嫌いだから、他人に悪いことをされると不幸になるから、政府が要らない。日本人は善いことが好きだから、他人に善いことをされると幸福になるから、政府のような悪いことをする団体ではなく、国民に善いことをしてくれる団体が欲しい。(インドでも政府が悪いことをやっている。インドでは国民みんなが「数学さえあれば科学や道徳なんかなくてもいい」と思っているので、国民みんなが政府にお金を払って悪いことをさせているのである。インド政府は国民みんなの思想を具現化して国民みんなの心を満足させて国民みんなを喜ばせているのである。)
政治団体は国民を幸福にするために国民に命令を出す団体である。国民にとって政治団体は自分を幸福にするためにある。国民は自分を幸福にするために政治団体を利用したりしなかったりすればいい。そもそも国民と政治団体は平等である。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民は自分で考えて自分自身や政府のことをよく知って自分が政府に従うか従わないかを決めねばならない。
[22154] 日本人はヨーロッパみたいな国が嫌いである。 h27.9.16
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。しかし、日本人とヨーロッパ人は心が違う。だから、たとえこの先国民みんなが日本政府に従って日本がヨーロッパとそっくり同じ国になったとしても、日本人にとってはうれしくないのである。日本人は“眼で見る喜び”がないからいくら町がきれいでも全然うれしくないし、日本人は“悪いことをされる喜び”がないから政府に悪いことをされても全然うれしくない。日本人にとっては汚い町や善いことをしてくれる団体のほうがいい。
日本人にとっては日本政府は要らない。日本人にとっては「日本人の心を満足する団体」が必要である。将来、本当に「日本人の心を満足する団体」が出来れば、多くの国民がその団体に従うようになるかもしれない。しかし、今は国民が自分で自分の心を知り自分で自分の心を満足して幸福に暮らす時代である。人間は他人の心がわからないから、いくら「日本人の心を満足する団体」が出来ても国民の心を完全に満足することはできない。国民は法律会社の法律だけを守って、あとは自由にして、自分の心を自分で満足したほうがいい。そのほうが、国民は「日本人の心を満足する団体」に払うお金で自分の趣味にお金がかけられるからもっと幸福に暮らせるだろう。国民は「日本人の心を満足する団体」の命令を聞く時間のかわりに自分の好きなことに時間がかけられるからもっと幸福に暮らせるだろう。「日本人の心を満足する団体」は人前で仕事をしているふりをして本当は何もやっていないから、国民はそんな団体にお金を払っても無駄[むだ]だから、自分で自分の心を満足したほうがいい。
今の人は政府を肯定して自分の心を否定している。今の人は自分が嫌なのを我慢[がまん]しながら政府に従って暮らしている。しかし、今は実存主義の時代である。人間は自分の心を肯定して生きねばならない。今の人は自分の心を肯定して政府を否定しなければならない。今の人は自分で日本文化をやって、国民にヨーロッパ文化をやらせる政府に従わないようにしないといけない。今の人は政府の命令を聞かず政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が政府に従いたければ従い、従いたくなければ従わなければいいだけである。だから、いくら他人が政府に従っていても、自分が政府に従いたくなければ従わなければいい。いくら政府がピンピン建っていても、自分が政府に従わなければいいだけである。自分がマンガが嫌いなら、いくら他人がマンガを読んでいても、自分がマンガを読まなければいいだけである。いくらマンガ出版社がピンピン建っていても、自分がマンガを読むのが嫌なら自分がマンガを読まなければいいのと同じことである。国民は周[まわ]りの他人にかまわず自分で正しく考えて自分が幸福になるようにすればいいだけである。それができない者は不幸に暮らさねばならないのである。
戦前は国民の多くが「日本人はヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と思っていて自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていた。国民は国民の多くの仲間はずれにされると生きていけないので、国民全員がヨーロッパ文化をやらねばならなかった。「日本政府はちゃんとまじめに国民にヨーロッパ文化をやらせてくれる」と評判だったので、国民全員が自分がもっと幸福になるために日本政府に従っていた。しかし、戦後は国民の多くが『日本人は日本文化をやれば幸福になる』と思っていて自分が幸福になるため日本文化をやるようになった。国民は国民の多くの仲間はずれにされると生きていけないので、国民全員が日本文化をやらねばならなくなった。ところが、国民は日本政府に従わなくても生きていける。国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。たとえ国民が政府に従わなくても、日本文化をやっていさえすれば国民みんなの仲間はずれにされないので社会の中で生きていける。国民が政治団体に従えば、政治団体のやっているサービスが受けられるだけのことである。国民が政治団体に従えば、それだけある国の文化がよくやれるだけのことである。つまり、国民がどんな文化をやるかは多数決で決まるが、国民がどんな政治団体に従うかは国民個人の自由なのである。そのため、利口は『政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民を不幸にする』と考えて政府に従っていない。一方、馬鹿は「政府は民主主義の政治団体だから、国民を幸福にしてくれる」と思って政府に従っている。政府に従っていない国民と政府に従っている国民の両方がいる。しかし、馬鹿でも時間をかけて考えれば正しいことがわかるから、最近は馬鹿でも『政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民が政府に従うと不幸になる』と考えて政府に従わなくなっている。そのために、最近では政府に従う国民が減って政府が潰[つぶ]れている。そのうち、政府はなくなるだろう。
将来、「日本文化をやらせる政治団体」が建つかもしれない。「日本文化をやらせる政治団体」を建てるよりも、『日本文化学』という学問を作って学校で国民に日本文化について教えればいい。そうすれば、国民みんなが他人の命令ではなく自分で考えて日本文化をやって幸福に暮らせる。政治団体も宗教団体も実際には大したことをやっていないのに、ある国の文化やある人の教えを利用して国民を自分に従わせて国民に自分を上の者だと思わせて国民を自分の言いなりにするのが目的である。そんなくだらない団体は早くこの世からなくなったほうがいい。
[22155] 政治団体や宗教団体とは何か?☆ h27.9.17
人間には「優[すぐ]れた者に従う心理」や「相手に従えば従うほど相手によく従う心理」がある。政治団体や宗教団体は人間の心理を利用して国民を自分の言いなりにして国民を支配する団体である。
近代の日本では国民みんなが「ヨーロッパは科学が進んだ先進国なので、ヨーロッパが優れた国だ」と思ってヨーロッパに従っていた。自分から進んでヨーロッパに従ってヨーロッパ文化をやっていた。そこで、日本政府は国民みんなが「ヨーロッパが優れた国だ」と思っていることを利用して、国民みんなにヨーロッパ文化をやらせて国民みんなを自分に従わせて国民みんなを自分の言いなりにして国民みんなを支配していた。日本政府は国民みんなを自分の好き放題にして弄[もてあそ]んでいた。
しかし、現代の日本では国民みんなが『日本は科学ではヨーロッパに追いついたので、もはやヨーロッパは先進国ではない』と思ってヨーロッパに従わなくなっている。自分から進んでヨーロッパに従わなくなってヨーロッパ文化をやらなくなっている。今では国民みんなが『ヨーロッパが優れた国ではない』と思っているので、国民みんなが政府に従わなくなって政府が滅んでいる。
昔の日本では国民みんなが「ブッダは優れた思想家だ」と思ってブッダに従っていた。そこで、仏教団体は国民みんなが「ブッダが優れた人だ」と思っていることを利用して、国民みんなにブッダの教えをやらせて国民みんなを自分に従わせて国民みんなを自分の言いなりにして国民みんなを支配していた。仏教団体は国民みんなを自分の好き放題にして弄んでいた。
しかし、今の日本では国民みんなが『馬鹿でも金さえあれば幸福に暮らせる』と思ってブッダに従わなくなっている。今では科学が発達して物が豊かになっている。娯楽道具がたくさんある。お金で幸せが買える。さすがのブッダもお金にはかなわない。そのため、国民みんなが仏教団体に従わなくなって仏教団体が滅んでいる。
政治団体や宗教団体は国民みんなが「ある国やある人を優れている」と思っていることを利用して国民みんなにある国の文化やある人の教えをやらせることによって国民みんなを自分に従わせて国民みんなを自分の言いなりにして国民みんなを支配する団体である。しかし、今は国民が優れた国や優れた人に従って幸福に暮らす時代ではない。今は国民が自分で自分の心を知って自分の心を満足して幸福に暮らす時代である。それでは政治団体や宗教団体は仕事のしようがない。そのために政治団体や宗教団体が滅んでなくなっているのである。
これまで日本では国民みんなが「外国が優れている」と思って外国に従ってきた。日本の政治団体は国民みんなに外国の文化をやらせることによって国民みんなを支配していた。一方、大国では国民みんなが「自分の国が優れている」と思って自分の国に従ってきた。大国の政治団体は国民みんなに自分の国の文化をやらせることによって国民みんなを支配していた。そのため、日本では国民みんなが不幸に暮らしていた。大国では国民みんなが幸福に暮らしていた。これまで日本では国民みんながずっと不幸に暮らさなければならなかった。今では『人間の心はみな違っていて、人間が自分の心を満足すれば幸福になれる』ことがわかっている。これからの日本では国民みんなが外人の真似[まね]をするのではなく、自分の心を知って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
[22156] どうしていまだに日本政府が残っているのか? h27.9.17
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民は政府に従わなければいい。国民は政府に税金を払わず、政府の付属会社と契約してお金をやって仕事をやってもらって暮らせばいい。
今では利口な人は自分でそう考えてそうやって暮らしている。しかし、馬鹿は政府の見かけに騙[だま]されて「政府が民主主義の政治団体だ」と思って政府に従っている。馬鹿は政府の命令で政府に税金を払ったり、国家宗教で人殺しをしたり、国の経済をメチャクチャにして国民みんなを貧乏にしたりしている。それなのに、利口な人はみんなに正しいことを教えてくれない。
それは、そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由だからである。人間は他人の自由なことに口出ししないものである。それに、日本は個人主義の国なので、自分のことは自分でしなければならないからである。国民が政治団体に従うか従わないかは国民が自分でよく考えて自分で決めねばならないからである。日本は自分で考える者が有利に生き残れる国だから、正しいことを知っている者がみんなに正しいことを教えず、自分で考えない者を地獄に落とすのである。
日本人は助け合いの精神が薄い。日本人は他人のことはほったらかしにする。日本では利口な人が孤立していて、みんなに正しいことを教えてくれない。そのために、政治団体や宗教団体にとって日本は馬鹿を騙[だま]して生き残りやすい環境になっている。日本は政治団体や宗教団体がはびこる温床[おんしょう]なのである。
そういうわけで、今でも日本政府が馬鹿を騙して生き残っているのである。国民みんなが日本文化に変えてから半世紀以上経[た]っているのに、いまだに大勢の国民が「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従っているのである。馬鹿は自分で考えないから、何年たっても同じことを繰り返すだけでちっとも進歩がないのである。
浦島太郎が自分で玉手箱を開けたように、日本政府もいずれは馬鹿が自分の見かけに騙されているのにいいかげん見飽きて自分からみんなに本当のことを教えるのだろうか?
昔は国民みんながヨーロッパ文化をやっていたからヨーロッパ文化では悪いことをやってもいいから、政府や宗教団体や暴力団は正々堂々と国民みんなに悪いことをやっていっぱい儲[もう]けていた。今では国民みんなが日本文化をやっていて日本文化では悪いことをやってはいけないから、政府や宗教団体や暴力団は正々堂々と悪いことがやれなくなって、社会科に疎[うと]い世の中のことを知らない馬鹿を騙してほそぼそと儲けている。利口な人は自分で考えて政府や宗教団体や暴力団に従わないようにしている。自分で考えない馬鹿が政府や宗教団体や暴力団の見かけに騙されて従わされて彼らの懐[ふところ]を潤[うるお]しているのである。馬鹿はマンガやテレビばっかり見ているから、マンガやテレビを真[ま]に受けて「政府は国民みんなを幸福にする善い団体だ」とか「宗教団体は弱い人に優しい善い団体だ」とか「暴力団は国民に暴力をふる怖い団体だ」とか思って従うのである。馬鹿は自分で考えずに楽をするぶん、他人にお金を取られて損をするのである。人間は考える生き物である。それが人間の決まりである。馬鹿は人間の決まりを犯しているから罰[ばつ]を受けるのである。自業自得である。天罰である。
[22157] 国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。☆ h27.9.17
国民と政治団体は平等である。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。
近代の日本では国民全員がヨーロッパ文化をやっていた。日本政府は最初のころにがんばってヨーロッパ文化をやらせる仕事をやったので「日本政府はきちんと国民にヨーロッパ文化をやらせてくれる」と評判が良かったから、国民全員が日本政府に従っていた。そのために、日本政府はたまたま国民全員を対象にしてヨーロッパ文化をやらせる仕事をすることができるようになったのである。しかし、たとえ日本政府が国民全員を対象にしてヨーロッパ文化をやらせる仕事をするようになっても、依然[いぜん]として国民と日本政府は平等なのである。国民と日本政府が平等であることに変わりはない。だから、国民は自分が政府に従うのが嫌なら勝手に自分が日本政府に従うのをやめればいいのである。
現代の日本では国民全員が日本文化をやっている。『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる政治団体だから国民を不幸にする』ことがわかっている者は、政府に従うのが嫌だから政府に従うのをやめている。反対に、「日本政府が民主主義の政治団体だから国民を幸福にする」とまちがって思っている者は、政府に従うのが好きだから政府に従っている。
今では国民全員が日本政府に従っているわけではない。日本政府に従っている国民と従っていない国民の両方がいる。そのために、日本政府は国民全員を対象にしてヨーロッパ文化をやらせることができなくなっている。日本政府は自分に従う者に対してだけヨーロッパ文化をやらせなければならなくなっている。
昔は国民全員が日本政府に従っていたから、日本政府が国民全員に命令できた。つまり、日本政府に国家権力があった。今は国民の一部が日本政府に従っているだけだから、日本政府が国民みんなに命令できない。つまり、日本政府には国家権力がない。昔も今も日本政府は自分に従う国民に命令していただけである。国民が政府に従っていたから、政府が国民に命令できただけである。国民は自分が政府に従わなければ政府の命令を聞かなくてもかまわないのである。
人間は自分と同じ文化をやる者とは付き合えるが、自分と違う文化をやる者とは付き合えない。だから、国民は国民みんなと同じ文化をやらねばならない。さらに、人間は自分と同じ政治団体に従っている者とは付き合えるが、自分と違う政治団体に従っている者や政治団体に従っていない者とは付き合えない。仏教団体が細かい宗派に分かれていて、違う宗派の間では仲が悪いのと同じことである。国民と政治団体は平等だから、国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由だが、違う政治団体に従う者同士は付き合えないから、自分が“少数の者しか従わない政治団体”に従うと生きていけないから、国民は国民みんなが従っている政治団体に従わねばならない。これでは、今の日本では国民みんなが日本政府に従っているから国民は日本政府に従わねばならないことになる。しかし、人間は正しくなければならない。人間は正しいことに従わねばならない。今の国民の多くは自分がまちがって「日本政府が民主主義の団体だから国民を幸福にする」と考えて政府に従っているだけである。本来は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから国民を不幸にする』と考えて政府に従ってはいけないはずである。日本文化をやらせる政治団体が細かく政治方針の違いで分かれていて違う政治団体に従う者同士が対立するならわかるが、国民がまちがってヨーロッパ文化をやらせる政治団体に従っているのは問題外である。まちがって日本政府に従っている国民が悪い。だから、今の日本では国民は自分が日本文化をやっているなら国民みんなと付き合えばよく、日本政府に従っているか従っていないかはどうでもいいのである。日本政府に従っている者が日本政府に従わない者と付き合ってくれなければ、日本政府に従わない者は日本政府に従っている者に『日本政府が本当はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本政府は国民を不幸にする』ことを説明して日本政府に従う者に自分が日本政府に従うことがまちがっていることを教えていっしょに日本政府に従わないようにして仲良く付き合えばいいのである。
昔は国民みんなが天動説を信じていて、地動説を信じる者が仲間はずれにされて殺された。しかし、そのうち地動説が正しいことが証明されるようになると、今度は反対に国民みんなが地動説を信じるようになって、天動説を信じる者が仲間はずれにされて殺されるようになった。それと同じように、昔は国民みんなが「国民は日本政府に従わねばならない」ことを信じていて、『国民が日本政府に従ってはいけない』ことを信じる者が仲間はずれにされて殺された。しかし、『国民が日本政府に従ってはいけない』ことが正しいことが証明されるようになると、今度は反対に国民みんなが『国民が日本政府に従ってはいけない』ことを信じるようになって、「国民は日本政府に従わねばならない」ことを信じる者が仲間はずれにされて殺されるようになった。私が『国民が日本政府に従ってはいけない』ことを証明した。『今の日本では国民みんなが日本文化をやっていて、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民は日本政府に従ってはいけない』のである。だから、今では『国民が日本政府に従ってはいけない』ことのほうが通る。だから、今では国民は日本政府に従わなければいいのである。国民は日本政府に税金を払わないようにして日本政府を倒せばいいのである。
[22158] 日本では国民みんなは日本文化をやらねばならない。 h27.9.17
世界は文化の違いによって国に分かれている。ひとつの国では国民みんなが同じ文化をやっている。
外国に行く者はやはり外国の文化に従わねばならない。外国に行く者は頭がいいから教養があるから外国の文化を理解して外国の文化を守れるはずである。外国の文化がわからない者に外国に行く資格はない。自分の国の文化のまま外国に行ったら殺される。
日本では国民みんなが日本文化をやらねばならない。日本では国民みんなが自分が幸福に暮らすために日本文化を理解して日本文化を守らねばならない。外国に行った者が外国の文化にかぶれて外国の文化を日本に持ち込んではいけない。
人間は自分の心を知って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。国民は自分の心を大事にして自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。国民は外国の文化をやって自分の心を踏みにじって自分の心を不満にして不幸に暮らしてはいけない。
今は国際化の時代である。たくさんの人や物が国境を越えて行き来している。しかし、だからといって世界中の国が同じ文化をやっているわけではない。国によってそれぞれ文化が違う。だから、国際人は国による文化の違いを守って行った先の国の文化を守って暮らさねばならない。
[22159] 日本政府と組む者に学問をやる資格はない。☆ h27.9.17
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、国民は日本政府に従わなければいい。国民は政府の付属会社と契約してお金を払って仕事をやって暮らせばいい。
ただし、国には馬鹿が多くて利口が少ない。だから、今でも多くの国民が「政府は民主主義の団体だから国民みんなを幸福にする」と思って政府に従って政府に税金を払っている。
世の中には馬鹿が多いことを利用して、自分が政府とくっ付いて政府にお金をもらって生活している者がいる。自分が『政府がヨーロッパ文化をやらせる団体だから国民は政府に従ってはいけない』ことを知っているのに、みんなにナイショにして政府と組んで政府からお金をもらってノウノウと暮らしている者がいる。そういうやつが学者に多い。
そんなやつに学問をやる資格はない。真理のために尽くすのが学問の世界である。学問の世界では自分が真理を知っていたらたとえ自分が死んでも真理を守ってみんなに真理を教えねばならない。
学問の世界に生きていない者は学者ではない。自分の生活のために自分がお金を得るために真理を裏切る者に学問をやる資格はない。さっさと学者を辞[や]めて死ね!
[22160] 今の国民は日本文化をやって日本政府に従わなければいい。☆☆ h27.9.17
国民がどんな文化をやるかは国民個人の自由である。国民がどんな政治団体に従うかも国民個人の自由である。ただし、国民が少数派にまわるとみんなと付き合えなくなって生きていけないから、国民は多数派に合わせざるを得ない。
今では国民みんなが『日本人は日本文化をやらねば幸福になれない』と考えて日本文化をやっている。だから、国民は国民みんなに合わせて日本文化をやるしかない。
今でも国民の多くが「日本政府は民主主義の政治団体だから、国民が政府に従うと幸福になるから、国民は日本政府に従わねばならない」と思って日本政府に従っている。しかし、それはまちがいである。本当は『日本政府はヨーロッパ文化をやる団体だから、国民が政府に従うと不幸になるから、国民は日本政府に従ってはいけない』のだから、国民は日本政府に従わなければいい。つまり、いまだに国民の多くは日本政府に従っているが、それは本来まちがっていて、政府に従わない国民が政府に従う国民に説明すれば容易に『国民が政府に従ってはいけない』ことを納得してもらえるから、国民は政府に従わなければいいのである。(今では政府に従わない者が利口で、政府に従う者が馬鹿である。馬鹿は頭が悪くて自分の信念がなくて他人の言いなりなので、他人がちょっと丁寧[ていねい]に説明すればすぐに正しいと思って他人に従う。馬鹿はいつも自分で考えずに他人に考えてもらうだけなので、自分で考えることができないので他人の言いなりなのである。だから、政府に従わない者が政府に従う者に政府に従わないことが正しいことを説明すれば、政府に従う者はすぐに納得して政府に従わなくなるのである。)今のところはまだ国民の多くがまちがって「日本政府に従わねばならない」と思って日本政府に従っているが、いずれは正しいことがわかって『日本政府に従ってはいけない』と思って日本政府に従わなくなるから、国民は将来を見越して政府に従わなければいいのである。
したがって、今の国民は日本文化をやって、日本政府に従わなければいいのである。本来、国民がどんな文化をやるかどんな政治団体に従うかは国民個人の自由だから、国民は自分が幸福になるために日本文化をやって日本政府に従わなければいいのである。法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などは政府の付属会社だが、日本にはそれらの会社は政府の付属会社しかなく、国民がそれらの会社を利用しないと生きていけないから、国民はそれらの会社が政府の付属会社であることを無視して、それらの会社と契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。つまり、政府の付属会社は政府と国民の両方のものだが、国民は政府の付属会社がなければ生きていけないから、国民は強引に政府の付属会社を政府から奪って、政府の付属会社にお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。本来は、国民が勝手に政府の付属会社と契約してはいけないが、国民の命がかかっているために“緊急避難”が適用されるので、国民は本来やってはいけないことが許されるのである。政府の付属会社は政府からでも国民からでもとにかくお金がもらえればいいだけだから、国民がお金を払えば大喜びで仕事をやってくれるだろう。そもそも政府の付属会社は政府が善い団体のふりをするために経営しているだけだから、国民は政府に従っていなくても政府の付属会社を利用していいのである。暴力団が善い団体のふりをするためにスーパーを経営している場合、国民が暴力団に従っていなくても暴力団が経営しているスーパーを利用してもいいのと同じことである。今では法律会社も学校会社も国民から直接にお金を取って経営するようになっているから、国民は法律会社や学校会社にお金を払って利用すればいいのである。(暴力団はヤクザ(薬座)というように麻薬を売って儲[もう]けている団体である。国民が政治団体や宗教団体に従うように、国民は暴力団に従う。国民は自分が幸福になるために暴力団に従う。国民は自分が麻薬をやるために暴力団に従う。国民が麻薬をやると麻薬欲しさのために暴力団の言いなりになるから、国民が暴力団に従うのである。政府が国民を幸福にするために国民にヨーロッパ文化をやらせるように、暴力団は国民を幸福にするために国民に麻薬をやらせるのである。ヨーロッパ文化ではみんなが麻薬をやっているので、暴力団は国民みんなに麻薬を売っているのである。暴力団は麻薬を売る以外にもいろんな悪いことをやって儲けている。日本文化では麻薬をやってはいけないから、日本文化をやっている人は麻薬をやってはいけない。日本人は眼で見て頭で考えて実在を知るので、日本人は実在が好きなので、日本人は実在の中で喜ばねばならない。麻薬は快感そのものが目的なので、麻薬は実在の中で喜ぶことではないので、日本人は麻薬が嫌いである。だから、日本文化では麻薬をやってはいけないのである。反対に、外人は眼で見て喜んだり心で思って喜んだり頭で考えて喜んだりするだけなので、外人は実在の外で喜ぶので、麻薬は実在の外で喜ぶことなので、外国の文化では麻薬をやってもいいのである。今は文明が発達して娯楽道具がいっぱいある。今は国民が自分で遊んで自分の心を満足して幸福に暮らす時代である。今は国民が麻薬をやって自分の心を満足して幸福に暮らす時代ではない。今の国民にとっては麻薬は要らない。今の国民にとっては暴力団は要らない。そのために、暴力団が滅んでなくなっているのである。日本人は頭がいいから、日本人には“頭で考える喜び”がある。日本人は麻薬をやるよりも自分の頭で考えて幸せになればいいのである。)
[22161] どうして日本政府は国民に嘘[うそ]がつけるのか?☆ h27.9.18
人間はどんなことをしようが個人の自由である。人間がどんな文化をやるかは個人の自由である。ただし、他人が自分と違う文化をやっているとき、自分が他人に対して自分の文化をやってはいけない。今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本文化では嘘をついてはいけない。だから、日本政府は国民に嘘をついてはいけないはずである。
今の日本政府は国民みんなに「日本政府は民主主義の政治団体だ」と言っている。つまり、政府は国民みんなに「自分が国民みんなに善いことをする団体だ」と言っている。
政府が「自分が民主主義の政治団体だ」と言うのは、政府がヨーロッパ文化をやらせる政治団体だからである。ヨーロッパ文化ではみんなが嘘をつくので、日本政府も国民みんなに嘘をつくのである。
つまり、政府は自分が正直にヨーロッパ文化をやらせる団体をやっているから、国民みんなの前で正々堂々と嘘をつくのである。嘘つきは嘘をつくから、嘘つきが正直にすると、みんなに嘘をつくことになるのである。
だから、政府は本当は正直なのである。政府は嘘をついていないのである。だから、政府は悪くないのである。だから、政府は社会科の教科書にデカデカと「政府は民主主義の政治団体である」と書いているのである。政府は国民みんなの前で胸を張って「政府は民主主義の政治団体である」と大声で言えるのである。
国民みんなは『政府はヨーロッパ文化をやらせる政治団体である。ヨーロッパ文化では嘘をつくから、政府は嘘つきである』と考えて、政府に騙[だま]されないようにしないといけない。
[22162] 人間が幸福になるためには正しいことがわかっていなければならない。☆
h27.9.20
人間は自由である。人間は自分が何をやってもかまわない。
戦後になって文化人類学が出来て、『人間はみな違う。人間は他人を真似[まね]ても幸福になれない。人間は自分の心を満足しなければ幸福になれない。日本人は善いことをしたりされたりすると幸福になり悪いことをしたりされたりすると不幸になるが、ヨーロッパ人は悪いことをしたりされたりすると幸福になり善いことをしたりされたりすると不幸になる。日本人とヨーロッパ人は心が反対である。日本人は日本人の心を満足しないと幸福になれない。日本人は日本文化をやらないと幸福になれない。』ことがわかったので、戦後の日本人は自分が幸福になるために日本文化をやるようになった。日本人は自分が幸福になるために善いことだけやって悪いことをやらなくなった。人間は自分が不幸になるよりも幸福になるほうがいいから、日本人は日本文化をやるようになったのである。例えば、日本人は実在が好きで見かけや作り話が嫌いだから、日本人は実在の中で楽しむのが好きでいい格好[かっこう]をしたりマンガを読んだりゲームをしたりするのが嫌いなのである。いい格好をしたりマンガを読んだりゲームをしたりする日本人は楽しいふりをしているだけで本心では楽しくないのである。
『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は悪いことをしたりされたりすると幸福になるから、ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをしたりされたりしているから、日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために国民に悪いことをしたりさせたりするのである。日本政府は国民から高い税金を奪ったり、国民に戦争をやらせて殺したり、国民を国家宗教で虐待したり、国の景気を悪くして国民を貧乏にしたりして国民に悪いことをするのである。ヨーロッパ文化ではみんなが人前で善い人のふりをするから、日本政府は国民の前では善いことをやっているふりをするのである。日本政府は善い団体のふりをするために国民に「日本政府は国民みんなに善いことをする民主主義の団体だ」と言ったり、法律や学校や水道やゴミや戸籍などの仕事をやったり、ときどきちょっとだけ善い政策をやったりするのである。日本人とヨーロッパ人は心が反対なので、日本人が日本政府に従うとヨーロッパ文化をやらされて不幸になるので、日本人は日本政府に従ってはいけない。』ことがわかったので、今の日本人は自分が不幸にならないために日本政府に従わなくなっている。今の日本人は政府の付属会社だけを利用して暮らすようになっている。
社会科の苦手な人はいまだに「人間はみな同じである。人間は自分よりも幸福な人を真似れば幸福になれる。日本人よりもヨーロッパ人が幸福だから、日本人はヨーロッパ人を真似れば幸福になれる。」と思ってヨーロッパ文化をやったり、「日本政府は民主主義の政治団体だから、日本政府は日本人のためにあるから、日本政府は日本人を幸福にするから、日本人は日本政府に従えば幸福になれる。」と思って日本政府に従ったりしている。
人間は何をやろうが自由である。だからこそ、人間が幸福になるためには正しいことがわかっていないといけない。人間が幸福になるためには自分の心や世の中のことが正しくわかっていないといけない。人間が幸福になるためには、まず自分の心や世の中について正しいことを理解して、その上で自分が幸福になることをしないといけないのである。人間が何をやろうが個人の自由である。他人がどうしようが、自分は自分が幸福になることをすればいい。ただし、人間はみんなと違う文化をやったりみんなと違う政治団体に従ったりすると、みんなから仲間はずれにされて社会の中では生きていけなくなる。だから、人間は自分が生きていけるかぎり、自分が幸福になることをすればいいのである。つまり、人間は国の法律(つまり国民みんながやっている文化)だけちゃんと守ってあとは自分の好き勝手にやればいいのである。法律会社は国民に法律を守らせるだけだからいい。政治団体は文化に適[かな]っているというだけで国民に好き勝手な命令を出して国民の自由を奪うからいけない。(国民が自分が政治団体に従うと言った以上は政治団体に従わねばならないので、国民は政治団体の命令をなんでも聞かねばならないのである。それが嫌なら、国民は自分が政治団体に従うのをやめねばならない。)今の日本では国民みんなは日本文化をやっているから、自分も日本文化をやればいい。今の日本では国民の多くが日本政府に従っているが、それは国民の多くが日本政府について知らないためであり日本政府について説明すればすぐに日本政府に従わなくなるから、自分は日本政府に従わなければいいのである。つまり、今の日本人は日本文化をやって日本政府に従わずに生きていけばいいのである。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていたのに、今の国民みんなは日本文化をやっている。国民みんなはヨーロッパ文化から日本文化に変われたのだから、国民みんなは日本政府に従うことから日本政府に従わないことに変われるはずである。日本政府は滅んでなくなるはずである。早く国民みんなで政府に従わなくなって政府を倒して、国民みんながヨーロッパ文化をやらなくなって日本文化をやって幸福に暮らさねばならない。
[22163] どうして国鉄が民営化されたか? h27.9.23
昔は国民みんながヨーロッパ文化をやって日本政府に従っていた。日本政府が国民みんなに命令していくらでも税金を取れた。日本政府は税金を使って国鉄や郵便局や法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを経営していた。
ところが、戦後から国民みんなが日本文化をやりだして日本政府に従わなくなった。日本政府が国民みんなに命令しても税金を払わない国民が増えた。日本政府は多くの国民から税金が取れなくなったので国鉄が経営できなくなって国鉄を独立させて民営化させたのである。最近はますます多くの国民が政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなったので政府は郵便局も経営できなくなって郵便局も独立民営化させたのである。
つまり、国民が日本政府に従わなくなればなるほど政府は付属会社を経営できなくなって付属会社を独立させて民営化させるのである。日本政府に従わない国民が増えれば増えるほど政府は付属会社を独立民営化させるのである。
今度もますます国民が日本政府に従わなくなる。日本政府は法律会社や学校会社なども民営化させるだろう。日本政府の付属会社が政府から独立民営化することは、国民が政府に従わなくなっていることの証拠である。今では日本政府に従っていない国民が大勢いる。だから、国民は国民みんなに遠慮せずに政府に従わなければいいのである。
日本政府が付属会社を独立民営化させるのは日本政府がシケているからである。日本政府がシケているのは多くの国民が日本政府に従わなくなって日本政府に税金を払わなくなったからである。今は国民みんなが日本政府に従わなくなっている時代である。今の日本は不景気なので国民みんなが貧乏になって政府に税金を払えなくなったので政府に従わなくなったのである。日本政府の税金は宗教団体のお布施[ふせ]と同じものだから、国が不景気になって国民が貧乏になれば国民が宗教団体に払うお布施がないために宗教団体に従うのをやめるように、国民が日本政府に払う税金がないために日本政府に従うのをやめるのである。(本当は日本政府は国民みんなを裕福にする団体ではないから、日本政府がなくなったほうがいいが。)だから、国民は貧乏な国民みんなといっしょに政府に従うのをやめて政府に税金を払わなければいいのである。
国民みんなが自動車を運転するようになったためにローカル線を廃止させたのなら、日本政府は自分が鉄道会社を経営したままでローカル線を廃止させればいいはずである。そうしたほうが日本政府の体面が保てるはずである。それなのに、日本政府が鉄道会社を民営化させたのは、すでに大勢の国民が政府に従わなくなって日本政府の面目[めんぼく]が潰[つぶ]れていたからである。(つまり、国民が自動車に乗って鉄道を利用しなくなったことと国民が日本政府に従わなくなって日本政府に税金を払わなくなったことが重なっているためにわかりにくくなっているが、国民が自動車に乗らなくなって鉄道を利用しなくなっただけなら政府は鉄道会社を経営したままでローカル線を廃止すればいいはずである。それなのに、政府が鉄道会社を民営化したのは、国民が日本政府に従わなくなって日本政府に税金を払わなくなったからである。たとえ国民が自動車に乗らず鉄道を利用したままであっても、国民が日本政府に従わなくなって日本政府に税金を払わなくなれば、日本政府は鉄道会社を民営化させる。反対に、たとえ国民が自動車に乗って鉄道を利用しなくなっても、国民が日本政府に従って日本政府に税金を払っていれば、日本政府は鉄道会社を民営化させない。国民が自動車に乗って鉄道を利用するかしないかは、政府が鉄道会社を民営化させるかさせないかとは関係ないのである。政府が鉄道会社を民営化させるかさせないかは、国民が政府に従うか従わないかと関係があるだけなのである。今の日本政府は鉄道会社を民営化させているから、国民が日本政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっているのである。当時の国民が鉄道会社の民営化で日本政府に文句を言っていたのは、鉄道の利用者がたくさんいるにもかかわらず政府が鉄道会社を民営化したためだから、国民が鉄道を利用しなくなったために政府が鉄道会社を民営化したのではないと考えられる。政府が鉄道会社を民営化したのは、国民が政府に従わなくなったからである。)日本政府は自分がシケていることをなるべく国民に知られたくなかったが、「こんなに大勢の国民が政府に従わなくなってしまってはいまさら手遅れだ」と思って「自分がシケていることが国民みんなに知られてもいいや」と思って「どうせ自分は遅かれ早かれ潰れるから、いっそのこと鉄道会社を民営化させればいい」と思ったので、思い切って鉄道会社を民営化させたのである。今の政府が国家宗教で事件や事故を起こして国民を虐待するのも、人気[にんき]がなくなって落ちぶれた宗教団体がヤケになって殺人事件を起こして暴れるのと同じことである。浦島太郎が自分で玉手箱を開けたように、今の日本政府は自分で国民みんなに『国民みんなが日本政府に従わなくなっている』ことを教えるためにわざわざ付属会社を民営化させているのである。せっかく政府が国民みんなに『今では多くの国民が日本政府に従わなくなっている』ことを教えてくれているのだから、国民は政府の教えを無駄[むだ]にせずに早く政府に従うのをやめねばならない。
そもそも日本政府は自分が善い団体のふりをするために鉄道会社を経営しているのであって、自分が鉄道会社で儲[もう]けるために鉄道会社を経営しているのではない。そのため、昔のローカルではガラガラの列車を走らせていた。昔のローカルでは乗客のいない無人列車を走らせていた。反対に、今のローカルでは必要十分な列車を走らせている。今のローカルでは都会並みに客をギュウギュウ詰めにして列車を走らせている。(今から約30年前、私が医学生のころに夏休みに高知の実家に帰るために予土線[よどせん]の急行に乗ったことがあったが、冷房をガンガンきかせた列車に私を含めて3人しか乗っていなかった。その数年後に鉄道会社が民営化されてからは5両編成の急行がなくなってワンマンの1両編成の普通だけになって座る席がないほど満員で乗らねばならなかった。)昔の日本では国民みんなが政府に従って政府がすごく儲かっていたから余ったお金で無人列車を走らせていたのである。今の日本では国民みんなが政府に従わなくなって政府が貧乏になったから、政府が鉄道会社にお金をやる余裕がなくなって鉄道会社を民営化したのである。つまり、昔の政府は自分が善い団体のふりをするためにローカルでは最初から経営できないところに鉄道を走らせていたわけで、今の日本の鉄道が本来の状態なのである。今では国民が日本政府に従わなくなって日本政府が潰れているから日本政府が善い団体のふりをすることができなくなって無駄[むだ]が省[はぶ]かれているのである。日本人みんなにとってはローカル線よりも自分が日本文化をやって日本政府に従わないことのほうが大事だから、日本政府に従わずにローカル線を潰しているのである。ローカルの人にとっては不便だけれども、それが本来の日本の姿なのだから辛抱[しんぼう]しないといけない。それが嫌なら自分で自動車を運転するか、都会に引越しして住まねばならない。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は善いことが嫌いで悪いことが好きだから、日本政府は国民に悪いことをする。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、日本政府は日本人を不幸にする。日本人が日本政府に従うと不幸になる。そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、幸福になりたい日本人は日本政府に従わないはずである。不幸になりたい日本人が日本政府に従うだけである。普通の日本人は自分が幸福になりたいから日本政府に従わないはずである。そのために、今の日本では国民が日本政府に従わなくなっている。政府に税金を払わなくなっている。政府がシケている。だから、日本政府が付属会社を経営できなくなって、日本政府の付属会社がどんどん独立民営化しているのである。
[22164] 政府が自分の付属会社を民営化しているのは国民が政府に従わなくなっているからである。
h27.9.24
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをするから、政府は国民に命令して悪いことをやらせたり政府自身も悪いことをする。政府は国民からお金を強盗したり(税金のこと)、国民に戦争をやらせて殺したり、国民を国家宗教で虐待したり、国の景気を悪くして国民を貧乏にしたりする。ヨーロッパ文化ではみんなが人前で善い人のふりをするから、政府は自分が善い団体のふりをするために国民から取った税金の一部を使って法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを経営している。政府は自分が善い団体のふりをするためにテレビや新聞でちょっとだけ善い政策をやっている。
政府は以前は鉄道会社や郵便会社も経営していた。昔の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやって政府に従って政府に税金を払っていた。政府は税金で儲[もう]かりすぎたので、自分が善い団体のふりをするために鉄道会社や郵便会社を経営していた。しかし、今の日本では国民みんなが日本文化をやってヨーロッパ文化をやめて政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなった。政府は税金で儲からなくなったので、自分が善い団体のふりをすることができなくなって鉄道会社や郵便会社を独立民営化させたのである。
昔は国民みんなが自動車を持っていなくて列車を利用していたので、鉄道会社がすごく儲かっていた。政府は税金を使わなくても鉄道会社を経営できた。しかし、戦後からは国民みんなが自動車を持つようになって列車を利用しなくなって、鉄道会社が儲からなくなった。しかし、政府はしばらくの間自分が善い団体のふりをするために国民から取った税金を使って鉄道会社を経営していた。しかし、その後国民の多くが政府に従わなくなったために、政府は国民から税金を取れなくなって税金を使って鉄道会社が経営できなくなったので、鉄道会社を民営化させたのである。つまり、国民みんなが鉄道を利用しなくなるのが政府に従わなくなるよりも早かったために、政府はしばらくの間国民から取った税金で赤字の鉄道会社を経営していたのである。郵便会社についても同じである。国民みんながコンピューターを持つようになったために、葉書や手紙を利用しなくなったので、郵便会社が以前ほど儲からなくなったので、政府は郵便会社を民営化したのである。今後ますます国民が政府に従わなくなれば、政府は法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社なども独立民営化させるだろう。昔はゴミの回収は無料だった。今はゴミ袋代が要る。国民の多くが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が国民から税金を取れなくなってゴミ会社を経営できなくなっているからである。
今の国民は日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。今の国民が日本政府に従うのはまちがっている。だから、国民は日本政府に従わなくなっているのである。国民は政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって儲からなくなって、国民みんなが利用しなくなった時代遅れの付属会社を独立民営化させているのである。実質、今でもすでに水道会社やゴミ会社や戸籍会社などは民営化している。法律会社や学校会社は政府が経営している。今後ますます国民が政府に従わなくなれば、つまり政府に従わない国民が増えれば、政府は法律会社や学校会社も民営化させるだろう。最後には政府自身も滅んでなくなるだろう。
[22165] どうして多数決があるか? h27.9.24
ヨーロッパや中国のように国民みんなが頭で考えて正しいことがわからない国では、国民みんなの多数決で物事を決めることになっている。ヨーロッパや中国のように国民みんなが頭で考えて正しいことがわからない国では、国民みんながみんなと同じことをするのが好きだから国民みんながみんなと同じことをすると幸福になるから多数決で物事を決めるのである。ヨーロッパや中国は集団主義の国である。
反対に、インドや日本のように国民みんなが頭で考えて正しいことがわかる国では、国民みんなが自分で正しいことを考えて正しいことをやって暮らすことになっている。インドや日本のように国民みんなが頭で考えて正しいことがわかる国では、国民みんながみんなと同じことをするのが嫌いだから国民みんながみんなと同じことをすると不幸になるから自分ひとりで考えて物事を決めるのである。インドや日本は個人主義の国である。
国によって多数決があったりなかったりする。馬鹿は集団主義で、利口は個人主義である。国民みんなが馬鹿な国は集団主義で多数決があり、国民みんなが利口な国は個人主義で多数決がない。日本は個人主義の国で多数決がない。日本人にとっては多数決はなんだかわからないことである。だから、日本では国民は周[まわ]りのみんなに頼らず、自分ひとりで正しいことを考えて正しいことをすればいいのである。ただし、自分がまちがっていたときには自分が責任を取らねばならない。
[22166] 日本は昔からずっと日本文化の国である。 h27.9.24
日本は日本文化の国である。日本文化ではみんなが自分の頭で考えて正しいことがわかるから正しいことに従わねばならないことになっている。
昔は世界中で「人間はみな同じである。だから、世界で一番幸福に暮らしている国の文化をやれば幸福になれる。」ことが正しいと考えられていた。だから、日本でもそうしていた。古代や近代の世界ではヨーロッパが一番幸福に暮らしていたから、日本はヨーロッパ文化をやっていた。中世の世界ではアジアが一番幸福に暮らしていたから、日本はアジア文化をやっていた。
つまり、日本はこれまでずっと日本文化に乗っかってヨーロッパ文化やアジア文化をやっていたのである。日本は表面的には時代に応じてヨーロッパ文化やアジア文化をやっていたが、根本的には昔からずっと日本文化をやり続けていたのである。
しかし、今では世界中で『人間はみな違う。だから、自分の国の文化をやれば幸福になる。』ことが正しいと考えられている。そのために、今の日本では国民みんなが日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民みんなが日本政府に従わなくなっている。国民みんなが日本政府の命令で税金を払わなくなって政府が滅んでいる。
[22167] どうして日本政府は鉄道会社を民営化させたのか? h27.9.24
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをやって、みんなが人前では善い人のふりをしている。だから、政府は国民から税金を取ったり、国民に戦争させて殺したり、国民を国家宗教で虐待したり、国を不景気にして国民を貧乏にしたりして悪いことをやっている。政府は国民の前で善い団体のふりをするために、ちょっとだけ善い政策をやったり、法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを経営している。政府は国民の前で善い団体のふりをするために社会科の教科書に「政府は善いことをする団体だ。」と書いているのである。ヨーロッパ文化ではみんなが嘘[うそ]をつくから、日本政府も国民に嘘をつくのである。政府は嘘つきだから「国民みんなは政府に従わねばならない。」と言っているが、本当は国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府は嘘つきだから「国民みんなは政府に税金を払わねばならない。」と言っているが、本当は国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。
日本政府は昔は鉄道会社や郵便会社も経営していた。しかし、国民が自動車に乗って列車を利用しなくなって鉄道会社が赤字になって、さらに国民が日本政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が鉄道会社の赤字を税金で補えなくなったので、政府は鉄道会社を民営化させた。郵便会社についても同様である。つまり、国民がコンピューターを使って電子メールをやるようになって葉書や手紙を利用しなくなって郵便会社が赤字になって、そのうえ国民が日本政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなったので、政府が郵便会社の赤字を税金で補えなくなったので、政府は郵便会社を民営化させたのである。
今では国民が日本文化をやるようになっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体なので、国民が日本政府に従わなくなっている。国民が政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金を取れなくなって付属会社を経営できなくなっている。そのうち、政府は自分の付属会社を独立させて民営化させるだろう。法律会社や学校会社を民営化させるだろう。政府自身も滅んでなくなるだろう。
国民が政府に従わなくなって政府に税金を払うのをやめれば、政府はそれに応じて付属会社の料金を変えたり付属会社を民営化したりするから、国民は政府の付属会社のことを気にせずに政府に従わなくなって政府に税金を払うのをやめればいいのである。
未来の日本では国民が法律会社の法律(つまり、国民共通の日本文化)だけを守って、あとは自由に暮らすだろう。国民は政治団体にも宗教団体にも従わなくなって、自分で自分の心を知って自分の心を満足して幸福に暮らすだろう。そもそも政治団体も宗教団体も国民が善いことがあったときそれを全部自分のおかげだと思わせて国民に自分をありがたがらせて儲[もう]ける団体である。政治団体や宗教団体は国民が相手に従えば従うほどよく従うようになることを利用して国民を自分の言いなりにして儲ける団体である。要するに、政治団体も宗教団体もインチキ団体である。政治団体も宗教団体も本当は何もしていないのに国民からお金だけ取って儲ける団体である。だから、国民は政治団体や宗教団体に従わず、自分で自分の心を満足して暮らせばいいのである。国民は政治団体や宗教団体に払うお金があったら、自分の趣味に使って楽しめばいいのである。
人間が幸福に生きるためには、まず自分の心や世の中のことについて正しいことを知らねばならない。人間が正しければ幸福になり、まちがっていれば不幸になる。だから、国民は自分が幸福になるために自分でよく考えて正しいことをしないといけない。今の国民は自分が幸福になるために日本文化をやって日本政府に従ってはいけない。
[22168] 今の日本国民は日本文化をやって日本政府に従わないようにしないといけない。
h27.9.25
人間がどんな文化をやるかどんな団体に従うかは個人の自由である。ただし、違う文化をやる者同士や違う団体に従う者同士は関われないから、みんなと違う文化をやったりみんなと違う団体に従ったりするとみんなに仲間はずれにされて生きていけなくなるから、みんなと同じ文化をやったりみんなと同じ団体に従ったりしなければならない。
今の日本ではみんなが日本文化をやっているから、国民はみんなに合わせて日本文化をやらねばならない。
今の日本では多くの国民が日本政府に従っているが、それは多くの国民が「日本政府が日本文化をやらせる団体だ」と勘違いして従っているのだから、その場合には多くの国民に従わなくていい。自分は正しく『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だ』と考えて日本政府に従わなければいい。
戦後の日本で最初に日本文化をやった人も、周[まわ]りのみんなが「ヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と勘違いしてヨーロッパ文化をやっていたが、自分は正しく『日本人は日本文化をやれば幸福になる』と考えて日本文化をやったのだから、今の国民もたとえ周りのみんなが「日本政府は日本文化をやらせる団体だから日本政府に従えば幸福になる」と思って政府に従っていても、自分は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから日本政府に従えば不幸になる』と考えて政府に従わなければいいのである。人間が正しいことをやる場合には仲間はずれにされない。人間が正しいことをやる場合にはみんなが正しいことに従うのである。
みんなが正しいことをやればみんなが幸福に暮らす国になり、みんながまちがったことをやればみんなが不幸に暮らす国になる。それは、人間が自分の心や世の中のことを正しく知って、自分の心を正しく満足することによってはじめて幸福になるからである。人間が自分の心や世の中のことを誤解していて、自分の心を正しく満足することができなければ幸福にはなれない。だから、今の国民みんなは自分の心や日本政府のことを正しく理解して、日本文化をやって日本政府に従わないようにしないといけない。たとえみんながまちがったことをやっていても、自分は正しいことをやればいい。
人間はなにをやろうが自由である。人間がどうしようが個人の勝手である。多くの国民が自分が馬鹿をやりたくて馬鹿をやっているのなら、多くの国民が自分が考えることが嫌いなので考えないというのなら、政府のことがわからなくて政府に従って政府に不幸にされてもしかたがない。多くの国民にとっては自分が政府に不幸にされることよりも自分が考えることのほうが嫌なので、政府に不幸にされて喜んでいるのである。多くの国民は自分が好きなことをやっているのだから、他人が多くの国民に口出しすることはできない。正しいことを考えたい国民が自分で政府について考えて政府のことを理解して政府に従わなければいいのである。今の日本には考えない国民と考える国民の両方がいる。考えない国民が政府に従って、考える国民が政府に従っていない。人間には考えるのが好きな人間と考えるのが嫌いな人間がいるから、自分が考えようが考えまいが個人の自由である。だから、国民が政府に従うか従わないかも個人の自由なのである。
国民が何をやろうが国民個人の自由である。ただし、みんなと違うことをやるとみんなに仲間はずれにされて生きていけない。国民は自分が社会の中で生きていけさえすれば何をやっても自由である。だから、今の国民はいっちょ日本政府に従わずに生きてみればいいのである。
[22169] 国民が政府に従わなくてもみんなの仲間はずれにされない。 h27.9.25
国民は自分から日本政府に従っているから、日本政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり、戦争に行って殺されたり、国家宗教で人殺しをやらされたり、国の景気を悪くして国民みんなを貧乏にさせられたりするのである。
そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。日本政府は嘘[うそ]つきだから「政府に従わない国民は政府が罰する」と言うのであって、本当は国民が政府に従わなくてもいいのである。国民が宗教団体に従うか従わないかが国民個人の自由であるように、国民が政治団体に従うか従わないかも国民個人の自由である。国民がみんなでそろって宗教団体に従うのをやめたりせずめいめいバラバラに宗教団体に従うのをやめるように、国民がみんなでそろって政治団体に従うのをやめるのではなくめいめいバラバラに政治団体に従うのをやめればいいのである。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。だから、頭のいい人は政府に従うのをやめて政府に税金を払ったり戦争に行かされたり国家宗教で人殺しをさせられたり国の景気を悪くしたりするのをやめている。頭の悪い人は今でも政府の言うことを聞いて政府に税金を払ったり戦争に行かされたり国家宗教で人殺しをさせられたり国の景気を悪くしたりしている。国民が日本文化をやっているかぎり政府に従うのをやめてもみんなの仲間はずれにされず国の中で暮らせるから、今では政府に従わない人が政府に従う人と混じってみんなで仲良く暮らしている。なぜなら、国民が日本文化をやっていれば、政府以外の人と関わってもまったく相手にとっては迷惑ではないからである。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由だから、政府は国民が政府に従わなくても国民に文句が言えない。だから、国民が政府に従わなくても社会の中で平気で生きていけるのである。(ヨーロッパで政府に従わないといったら、国民がヨーロッパ文化以外の文化をやることになるから仲間はずれにされる。だから、ヨーロッパではみんなが政府に従わねばならない。しかし、今の日本で政府に従わないといっても、国民が日本文化をやるだけだから仲間はずれにされないから社会で生きていける。だから、日本では政府に従わなくてもいい。)
正しい人は信念があるから周[まわ]りの人がまちがっていても周りの人に合わせてまちがったことをやったりしない。反対に、まちがっている人は信念がないから周りの人が正しければ周りの人に合わせて正しいことをやる。だから、正しいことがしだいに世の中に広まって行くのである。今では政府に従わないことが正しく、政府に従うことがまちがいだから、しだいに政府に従わないことが世の中に広まっている。政府に従わない人はたとえ周りのみんなが政府に従っていても自分は政府に従わない。政府に従っている人は周りに政府に従っていない人がいれば自分も政府に従わなくなる。そうやって、政府に従わない人が増えている。政府に従う人がだんだん減っていって、政府が滅んでいる。
[22170] どうして政府は鉄道会社を民営化したのか?☆ h27.9.25
政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ文化ではみんなが善い人のふりをするから、政府も善い団体のふりをしている。昔の政府は自分が善い団体のふりをするために鉄道会社を経営していた。
しかし、国民みんなが自動車を運転するようになって鉄道を利用しなくなって鉄道会社が赤字になった。政府は鉄道会社のために自分がお金を出して貧乏になるのが嫌なので、鉄道会社を政府から切り離して民営化させたのである。
政府が鉄道会社を民営化したからといって、国民が政府に従わなくなったかどうかはわからない。たとえ国民みんなが政府に従っていても、鉄道会社の赤字が大きければ政府は鉄道会社を独立民営化させるからである。そもそも政府は自分が善い団体のふりをするために鉄道会社を経営しているにすぎないから、政府にとっては鉄道会社なんかどうでもいいから、政府は貧乏神の鉄道会社と縁を切ったのである。
だから、政府の付属会社は自分が政府の一部だからと思っていい気になって怠けていてはいけない。いくら政府の付属会社であっても、儲からなくなって赤字が出るようになったら、すぐに政府に民営化させられて政府に捨てられるからである。政府の付属会社は政府が自分が人前で善い団体のふりをするために経営しているだけだから、政府は付属会社で国民を騙[だま]して国民を従わせているのではなく、政府は悪いことをやって国民を喜ばせて国民を従わせているのだから、政府にとっては付属会社なんかただの飾りにすぎないのであって付属会社なんかなくてもいいから、政府が付属会社を経営しているといっても付属会社と軽く組んでいるだけだから、政府の付属会社は政府と組んでもらいたければちゃんと自分で稼[かせ]がねばならない。当時の鉄道会社が自分で経営を合理化すればよかったのだ。そうすれば政府も鉄道会社を民営化させなかっただろう。鉄道会社が政府の税金を当てにしてまじめに仕事をしなかったから政府に捨てられたのだ。(国民を幸せにするために悪いことをするのが政府である。昔は「日本人もヨーロッパ人も同じだ」と考えられていたので、ヨーロッパ人は悪いことをされると幸せになるので、日本政府は悪いことをやって国民を幸せにすると考えられていた。しかし、今では『日本人とヨーロッパ人は違う』と考えられているので、日本人は悪いことをされると不幸せになるので、日本政府は悪いことをやって国民を不幸にすると考えられるようになったのである。)
今の政府は法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社や戸籍会社などを経営している。ゴミ代は昔(今から20年ぐらい前)は無料だったが、今ではゴミ袋代を取るようになっている。つまり、ゴミ会社は民営化されている。私が九州大学理学部物理学科の学生のころに英語の講義のときに先生から「今では学校会社も民営化されている」という話を聞いた。「学校会社が民間企業からお金をもらって経営している」そうである。
今の政府は自分の付属会社をどんどん民営化している。それは、政府に従う国民が減っているからではないだろうか?国民みんなが政府に従わなくなって、つまり政府に従わない国民が増えて、政府が国民に命令しても税金を取れなくなって、政府が付属会社を経営できなくなって民営化させているのだろう。今の政府は自分の付属会社を独立民営化させている。そのうち、政府は政府自身だけになるだろう。国民みんなは政府が悪いことをやっているのを知って政府に従わなくなって政府が滅ぶだろう。浦島太郎が自分で玉手箱を開けて滅んだように、今の政府は自分で自分の正体を国民みんなに晒[さら]して滅んでいるのである。
そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。近代の国民みんなは「人間はみな同じだから、今のヨーロッパ人は幸福だから、ヨーロッパ文化をやれば自分も幸福になれる」と考えて、自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやっていた。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、自分が日本政府に従うとますますヨーロッパ文化をやれるから、自分がもっと幸福になるために政府に従っていた。しかし、今の国民みんなは『人間はみな違うから、日本人は日本文化をやらなければ幸福にはなれない。』と考えて、自分が幸福になるために日本文化をやっている。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、自分が日本政府に従うと不幸になるから、自分が幸福になるために日本政府に従うのをやめている。今の国民みんなが日本政府に従わないのは当然である。馬鹿が政府に無関心だからわけもわからずに政府に従っているだけである。早く国民みんなが政府に従うのをやめて政府を倒してしまえばいい。
今は利口な人が頭で考えて『政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから政府に従わなければいい』と考えて政府に従わなくなっている。しかし、馬鹿は眼で見たことしかわからないから、政府は国民の前では善い団体のふりをしているから、馬鹿は政府が善い団体だと思って政府に従っている。利口な人が政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっているために、政府は付属会社を独立民営化させている。政府は善い政策がやれなくなっている。政府が政府自身だけになって、悪いことだけするようになっている。そうなると、さすがの馬鹿も政府が悪い団体だとわかって政府に従うのをやめて政府が滅ぶ。政府はそういうふうに滅ぶのである。浦島太郎のおとぎ話の通りである。
[22171] 仲間はずれの原理 h27.9.26
多数決は民族の心が表現されたものである。ヨーロッパ人や中国人は頭で考えないから正しいことがわからないから多数決で物事を決めるのである。反対に、インド人や日本人は頭で考えるから正しいことがわかるから自分で考えて物事を決めるのであって多数決で物事を決めないのである。だから、ヨーロッパや中国には多数決があるが、インドや日本には多数決がないのである。ヨーロッパ人や中国人はみんなに従うが、インド人や日本人は正しいことに従うのである。
日本には多数決がない。しかし、少数派はみんなに仲間はずれにされるから、少数派は社会の中で生きていけないから、けっきょくみんなが多数派にまわらねばならない。だから、日本にも多数決の原理みたいなものはある。日本には多数決はないが、『仲間はずれの原理』があるために、実質的には多数決がある。『仲間はずれの原理』は実際に少数の集団では生きていけないことによる自然の制約によって出来る法則である。
この世には『仲間はずれの原理』があるために、みんなが多数派にまわらねばならない。10人や100人程度の小さい集団では暮らせない。もっとも、たとえ少数派であっても何万人かの集団になって社会的に暮らせるぐらいの大きな集団になれば、安定に存在することができる。しかし、実際にはそういうことはめったにない。日本人は自分の主義を貫くことよりも社会的に暮らしやすいことを優先するので、あまり少数派の集団は形成されないのである。
今では国民みんなが日本文化をやっている。だから、ヨーロッパ文化をやる人はみんなに仲間はずれにされて社会の中では生きていけない。だから、日本ではみんなが日本文化をやらねばならない。今の日本で国民が政府に従わなくても、日本文化をやっていさえすれば、みんなに仲間はずれにされないから社会の中でも生きていける。だから、今の日本では国民が政府に従わなくても従ってもどちらでもいいのである。日本人は日本文化をやらねば幸福になれず、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、日本人は自分が幸福になりたければ日本政府に従ってはいけない。だから、日本人は日本政府に従わなければいいのである。日本人は日本政府の命令を聞かず日本政府に税金を払ったりしなければいいのである。
そういうわけで、今の日本ではわかっている人は政府に従わず政府に税金を払わなくなっている。わかっていない人は政府が善い団体のふりをしているのに騙[だま]されて政府を善い団体だと思って政府に従って政府に税金を払っている。わかっている人が政府に税金を払わないために、政府は付属会社を独立民営化させたり善い政策をやらなくなっている。政府は政府自身だけになって悪いことだけするようになっている。さすがのものわかりが悪い人も政府が悪い団体だとわかって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっている。そのうち政府は滅ぶだろう。
原理的には人間は自分の自由にやればいい。根本的には人間は自分がやりたいことをやればいい。原則的には人間はなんでも自分の好き放題にやればいい。しかし、実際には人間には自然による制約があったり、自分の心による制約があったり、社会による制約(例えば、仲間はずれの原理)があったりして自由にやれない。だから、実際には人間にはあまり自由はないのである。人間は自然や自分の心や社会のことについて正しいことを知って、自分で自分の心を満足して幸福に生きればいいのである。
[22172] 今では政治団体や宗教団体の役目はない。 h27.9.26
政治団体はある国の文化をやらせる団体である。宗教団体はある人の教えをやらせる団体である。
政治団体も宗教団体も、国民がお金を払って命令を出してもらって、国民がその命令を聞くと幸福に暮らせる団体である。そんな便利な団体がこの世にあるわけがない。たとえドラえもんでもそんなことはできない。人間はお金で幸福を買うことはできないのである。
人間の心は一人一人みな違う。だから、人間は自分の心について考えて自分の心を知って自分で自分の心を満足しないといけない。政治団体や宗教団体は自分にとって他人だから自分の心を知っているわけがない。だから、政治団体や宗教団体は国民を幸福にできないのである。
政治団体も宗教団体も昔の人が「人間はみな同じだ」と考えていたために出来た団体である。外人が幸福に暮らしているから、政治団体は自分の国の国民を幸福にするために国民に外人の文化をやらせたのである。キリストやブッダが幸福に暮らしたから、宗教団体は自分の国の国民を幸福にするために国民にキリストやブッダの教えをやらせたのである。しかし、今の人は『人間はみな違う』と考えている。人間はみな違うから、外人が幸福に暮らしているからといって、外人の心と自分の国の人の心は違うから、自分の国の国民が外人の文化をやっても幸福には暮らせない。例えば、政府が国民から高い税金を取っているのは、ヨーロッパ人が税金を取られるのが好きだからである。政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、政府は国民を幸福にするために税金を取っているのである。しかし、日本人は税金を取られるのが嫌である。だから、日本では国民は政府に従わなければいいのである。国民が政府に従わなければ政府に税金を払わなくてもいいのである。政府が国民に戦争をやらせたのも、ヨーロッパ人が戦争に行かされて殺されるのが好きだからである。政府は国民を幸せにするために国民に戦争をさせたのである。日本人は戦争に行かされて殺されるのが嫌だから、日本人は政府に従わなければいいのである。政府が国民を国家宗教で虐待する(つまり、事件や事故を起こして殺す)のも、ヨーロッパ人が国家宗教で虐待されるのが好きだからである。政府は国民を幸せにするために国民を国家宗教で虐待するのである。しかし、日本人は虐待されるのが嫌だから、政府に従わなければいいのである。外人と日本人は心が違うから、日本人は外国の文化をやらせる政治団体には従わないほうがいい。たとえ政治団体が自分の国の文化を国民にやらせたとしても、国民の心は一人一人みな違うので、国民は政治団体の命令を聞いても自分の心が満足されず幸福にはなれない。政治団体はその国の文化に適[かな]っていさえすえばなんでもかんでも命令を出すから、国民が政治団体の命令を聞いても自分の心が十分に満足されず自分が幸福になれないのである。政府が被災地の住民に支給した救援物資の衣服が被災地の住民の気に入らないのと同じことである。キリストやブッダが幸福に暮らしたからといって、キリストやブッダの心とほかの人の心は違うから、ほかの人がキリストやブッダの教えをやっても幸福に暮らせない。だから、今では政治団体や宗教団体の役目はない。政治団体や宗教団体の出番はない。今の人は『人間はみな違う』と考えているから、政治団体や宗教団体は仕事ができなくなっているのである。今では『人間はみな違う』から、人間は他人に頼らずに自分で自分の心を知って自分で自分の心を満足して生きねばならないのである。国にはせいぜい法律会社があればよく、政治団体や宗教団体は要らないのである。
[22173] 今の日本では利口は政府に従っていないが馬鹿は政府に従っている。
h27.9.27
昔から国には少数の利口と多数の馬鹿がいる。利口は頭で考えるが、馬鹿は眼で見るだけである。
近代の日本では利口は「人間はみな同じだから、人間が幸福かどうかは文化だけによって決まる。今のヨーロッパ人が幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福に暮らせる。」と考えて、ヨーロッパ文化をやっていた。利口は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民が日本政府に従えば幸福になる。人間の心はみな同じだから、日本政府がヨーロッパ文化に適[かな]った命令を出しさえすれば、どんな命令であっても国民は幸福になれる。』と考えて、日本政府に従っていた。一方、馬鹿は「人間はみな同じだから、ヨーロッパ人が幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福に暮らせる」と考えて、ヨーロッパ文化をやっていたのは利口と同じだが、日本政府が人前で善い団体のふりをしているのを見て「日本政府は国民を幸福にしてくれる善い団体だ」と思って日本政府に従っていた。だから、近代の日本では国民みんなが利口も馬鹿もみんないっしょにヨーロッパ文化をやって日本政府に従っていた。
現代の日本では利口は『人間はみな違うから、人間が幸福であるかどうかは心と文化の両方で決まる。ヨーロッパ人と日本人は心が違う。ヨーロッパ人はヨーロッパ文化で幸福になるが、日本人は日本文化をやらねば幸福になれない』と考えて、日本文化をやっている。利口は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、今の国民は日本文化をやっているから、国民は日本政府に従ってはいけない』と考えて、日本政府に従うのをやめている。利口は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ文化では嘘[うそ]をついていいから、日本政府は嘘つきだから、日本政府は国民みんなに「国民全員は政府に従わねばならない。国民全員は政府に税金を払わねばならない。政府に従わない国民は政府が罰する。」と言っているが、本当は『国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の勝手である。国民が政府に従わなくても政府は何もしない。』』と考えて、政府に従っていない。一方、馬鹿は『人間はみな違うから、日本人は日本文化をやらねばならない』ことは知っていて日本文化をやっているが、あいかわらず政府が人前で善い団体のふりをしているのを見て「政府が善い団体だ」と思って政府に従っている。だから、現代の日本では国民みんなが利口も馬鹿もいっしょに日本文化をやっているが、利口は政府に従わないのに馬鹿は政府に従っている。しかし、利口が政府に従わず政府に税金を払わないために、政府が年々付属会社を独立民営化させたり善いことをやらなくなったりして、政府が政府自身だけになって悪いことをするだけになって、馬鹿も『政府が悪い団体だ』と思って政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっている。利口も馬鹿も国民みんなが政府に従わなくなって、政府は国民みんなから税金をもらえなくなって滅んでいる。
将来、日本に“日本文化をやらせる政治団体”が建ったら、利口は『人間の心はみな違う。政治団体は国民一人一人の心までは知らない。政治団体は国民一人一人の心を満足できないから、政治団体は国民一人一人を幸福にできない。今は国民が自分で自分の心を知って自分で自分の心を満足して幸福に生きるべきであって、国民が政治団体に従うべきではない。国民が政治団体に払うお金があったら、自分の趣味にお金を使ってもっと幸福になればいい。』と考えて、日本文化をやらせる政治団体に従わないだろう。しかし、馬鹿は日本文化をやらせる政治団体が人前でニコニコ笑って楽しそうにして善い団体のふりをしているのを見て「日本文化をやらせる政治団体は国民みんなを幸福にしてくれる善い団体だ」と思って日本文化をやらせる政治団体に従うだろう。だから、将来の日本では、利口が日本文化をやらせる政治団体に従わず、馬鹿が日本文化をやらせる政治団体に従うことになるだろう。日本文化をやらせる政治団体は馬鹿を相手にするだけで国民みんなを相手にすることはできないだろう。
[22174] どうして日本政府は国民みんなが日本文化をやっていても自分から滅ばないのか?
h27.9.27
戦後の日本では国民みんなが『日本人は日本文化をやらねば幸福になれない』と考えて国民みんなが日本文化をやっている。
政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、国民みんなが日本文化をやっていれば国民みんなにとって政府は需要がないから、政府は自分で滅べばいいはずである。
それなのに、日本政府はそうしない。
それは、たとえ国民みんなが日本文化をやっていても、国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由だからである。人間はまちがったことがやれるから、人間は矛盾したことがやれるから、たとえ国民みんなが日本文化をやっていても、国民は自分が従いたかったらヨーロッパ文化をやらせる政府に従ってもいいのである。政府は自分に従う国民がいるかもしれないから残っているのである。政府は自分に従う国民に命令してヨーロッパ文化をやらせて、国民から高い税金を奪ったり、国民を戦争に行かせて殺したり、国民を国家宗教で虐待したり、国の景気を悪くして国民を貧乏にしたりしてもいいのである。
実際に、今でも多くの国民が政府に従っている。今でも政府に従う国民がたくさんいるから政府は残っているのである。政府は政府に従う国民に命令して国民から税金を取って生き残っているのである。いくら論理的に頭の中で考えて客が来ないはずだと思っても、実際に客が来れば店は閉店せずに営業する。だから、店はしばらく実際の様子を見てそれで店をやめるかやるかを決める。今の政府は実際にまだ政府に従う客がたくさんいるから店をやっているのである。
政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由だから、政府に従っていない人は政府に従っている人に政府に従ってはいけないことを教えないのである。政府に従わない人にとっては他人が日本文化をやっていさえすれば他人が政府に従っていても直接自分にとって迷惑にはならないから他人の自由にさせているのである。他人の自由なことには原則として口出ししてはいけないから黙っているのである。他人の自由であることに自分がちょっとでも口出ししたら他人の自由でなくなるから自分は口出ししてはいけないのである。他人の自由であることに自分が口出ししたら自分が他人の自由を損[そこ]ねることになって他人に殴[なぐ]られるから黙っているのである。自分が他人に親切のつもりで『政府に従ってはいけない』ことを教えてやっても、他人は「政府に従うか従わないかは俺[おれ]の勝手やろうが」と思って怒[おこ]るから、うかつに他人に政府のことを言えないのである。宗教団体に従っている人に『君のやっていることはまちがっている。宗教団体に従わないほうがいい』と言ったら怒るのと同じことである。そのため、政府に従っていない人は他人が政府に従っているのを黙って見ているだけで何もしない。だから、国民は自分で考えて政府に従ってはいけないことがわかって政府に従うのをやめねばならない。(しかし、正しいことなら教えてもいい。客観的に正しいことなら他人の自由を侵さないので他人に教えていい。『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことや『日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる』ことなどを教えてもいい。その上で、他人に日本政府に従うか従わないかを自分で判断させればいい。例えば、他人が不幸になりたければ日本政府に従ってもいい。だから、日本でみんなが政府について黙っているのはまちがっている。もっと、他人に政府について正しいことを教えてやればいい。しかし、日本人は他人に対する愛情がなく自分をかわいがるだけで他人はほったらかしだから、自分にとって他人が迷惑でないかぎり他人に正しいことを教えてやらないのである。だから、日本人は他人に政府のことについて教えてやらないのである。そのために、日本では政府が滅びるのが遅れている。)
しかし、今ではかなりの国民が政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が付属会社を民営化したり善いことをやらなくなっている。政府は政府自身だけになって悪いことをするだけになっている。国民みんなが政府が悪い団体だと思って政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は国民みんなから税金を取れなくなって滅んでいる。
政府が残るか滅ぶかを決めるのは国民みんなである。国民みんなが政府に従えば政府が生き残り、国民みんなが政府に従わなければ政府は滅ぶ。政府は自分に従う国民にヨーロッパ文化をやらせて不幸にする。だから、国民みんなで早く政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
国民がどんな文化をやるかどんな政治団体に従うかは国民個人の自由である。どんな政治団体をやろうが政治団体の自由である。ただし、政治団体が国民を無理やり従わせることはできないから、政治団体がやっていくためには、国民が従いたい政治団体でなければならない。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる政治団体である。日本政府は国民に悪いことばかりして、国民の前でちょっとだけ善いことをする団体である。(私は日本政府が悪いことを9割、善いことを1割やっていると思っている。いわば、政府は氷山であって、善いことは政府の一角[いっかく]であって、政府は水面下で悪いことをいっぱいやっている。)しかし、今の国民にとってはヨーロッパ文化は要らない。今の国民にとっては善いことだけ要って、悪いことは要らない。だから、国民が日本政府に従わなくなって、日本政府が滅んでいる。
[22175] どうして私の母親はガラガラが回っているのを見たのか?! h27.9.28
私の母親は私が赤ちゃんのころ私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラ(ベッドメリー)が夜中に突然回るのを見た。そのため、私の母親は最近死んだ近所のおじいさんの幽霊がいたずらをしているのだと思った。
そのために、政府が私を神だと思って私を神とする国家宗教をやることになった。政府が私に関する情報を使って国民に命令してたくさん悪いことをやらせたりちょっとだけ善いことをやらせたりした。
私の母親が見たのは、おそらく幻視[げんし]だろう。私は子供のころは物を回すのが好きだった。家の白黒テレビのUHFチャンネルを回しすぎて壊したり、おばあさんの腕時計のリュウズを回しすぎて壊したりした。だから、赤ちゃんのころの私は私の頭の上に吊ってあったガラガラが回るのが好きで、夜中に寝ているときに夢の中でガラガラが回るのを想像していたのだろう。それがテレパシーで母親に伝わって母親がガラガラが回る幻視を見たのだ。
私が今から約15年前兵庫県豊岡市に住んでいたとき母親がわたしの様子を見に来たことがあったが、最後に宝塚で別れたときに私は突然母親が30年ぐらい若返ったのを見た。それも幻視だろう。母親が頭の中で自分が若かったころの姿を想像して、それがテレパシーで私に伝わって私が若いころの母親の姿を見たのだろう。
タヌキやキツネが人を化かすのもそれだ。タヌキやキツネは人間に襲われそうになったとき、自分の頭で人間の姿を想像して、それをテレパシーで人間に伝えて人間に自分が人間になった姿を見せて難を逃れたのだ。タヌキやキツネは人間に幻視という現象があることを利用して生き延びてきたのだ。
日本人には幻視はまれだが、ヨーロッパ人には幻視はザラである。日本人は言葉で考える能力が発達しているから幻聴を聴き、ヨーロッパ人は眼で見る能力が発達しているから幻視を見るのだ。テレパシー能力が発達した人なら幻聴を聴いたり幻視を見たりしても不思議ではない。人間は生涯に何度か幻視を見ることがある。あらかじめ幻視ということを知っておけば、幻視を見てもあわてふためくことはない。
[22176] みんなと違う文化をやる者は社会の中では生きていけない。 h27.9.28
国民が江戸幕府に従いながら江戸幕府に逆らうのが一揆[いっき]である。
国民が日本文化に従いながら日本文化を犯すのが犯罪である。
人間はまちがいを犯すから、人間は矛盾したことがやれるから、一揆や犯罪があるのである。だから、一揆の首謀者[しゅぼうしゃ]はあとで自分のまちがいを認めて切腹して謝罪したのである。犯罪者はあとで自分のまちがいを認めて死刑になったり牢屋に入って反省したりするのである。
国民がはじめから日本文化に従わなければ日本文化を犯してもいい。そもそも国民が日本文化に従わなければ日本文化を犯しても犯罪にはならない。しかし、それでは国民が周[まわ]りのみんなから仲間はずれにされて社会的に孤立して社会の中では生きていけないから、国民は周りのみんなに合わせて同じ日本文化をやらねばならないのである。
今の日本では政府や暴力団や宗教団体や社長や会社の上の者などが人前で善い人のふりをして裏では悪いことをやってヨーロッパ文化をやってリッチに暮らしている。一方、周りの国民みんなは日本文化をやって善いことだけやってつましく暮らしている。日本政府や暴力団や宗教団体や社長や会社の上の者などは周りのみんなと違う文化をやっている。だから、国民みんなで日本政府や暴力団や宗教団体や社長や会社の上の者などを仲間はずれにして社会の中で生きていけなくして日本政府や暴力団や宗教団体や社長や会社の上の者などを滅ぼさねばならない。
[22177] この世では馬鹿が損をするのは当たり前である。 h27.9.29
もともと国民がどんな文化をやるかどんな政治団体に従うかは国民一人一人の自由である。つまり、国民は周[まわ]りのみんながどうしようが自分が好きな文化をやって自分が好きな政治団体に従えばいいのである。国民は自分がみんなの仲間はずれにされて生きていけなくならないかぎり、自分の好き勝手にすればいいのである。とくに、他人を不幸にする者はみんなから仲間はずれにされる。
今の日本では利口は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になるから、日本人は自分が幸福になりたければ日本政府に従ってはいけない』と考えて日本政府に従っていない。政府の命令を無視して政府に税金を払っていない。一方、馬鹿はテレビや新聞で政府が善い団体のふりをしているのを見て「政府が善い団体だ」と思って政府に従っている。政府の命令を聞いて政府に税金を払っている。
利口は愛情がないから、たとえ自分が『日本人が幸福になりたければ日本政府に従わなければいい』ことを知っていても他人に教えようとしない。一方、馬鹿は考えることが嫌いだから、自分で政府について考えず、社会科の教科書やテレビや新聞を鵜呑[うの]みにして「政府が国民みんなのためになることをする善い団体だ」と思って政府に従っている。そのために、日本政府が滅ぶのが遅れている。
馬鹿は自分が考えることが嫌いなために政府について考えず政府について何も知らないまま政府に従って政府にヨーロッパ文化をやらされて不幸になっている。政府に毎月高い税金を払って、政府の命令で自衛隊に入って死んで、政府の国家宗教の命令を聞いて事件や事故を起こして他人を巻き添えにして自分もいっしょに死んでいる。この世では馬鹿が損をするのは当たり前である。自業自得である。
利口はいつになれば馬鹿が『政府が悪いことをする団体である』ことに気づいて政府に従わなくなるのだろうかと思っている。利口は馬鹿がどうしようが自分は政府に従わず政府に税金を払っていない。政府はお金が足りなくなって付属会社を民営化しなければならなくなって善いことができなくなっている。そのため、さすがの馬鹿でも『政府は悪いことをする団体だ』とわかって政府に従わなくなっている。今では多くの国民が政府に従わなくなって政府が倒れつつある。
世の中の中心は利口である。世の中を動かしているのは利口である。馬鹿は利口の腰ぎんちゃくである。馬鹿はおとなしく利口に従って動いているだけである。馬鹿は自分が考えるのが嫌いだから自分が正しいことがわからないから利口を真似[まね]て自分が正しいことをすることによって実在に適応して生きているのである。そうしなければ、馬鹿は生きられない。今の日本では利口は政府に従っていない。だから、馬鹿が利口を真似ていっしょに政府に従わなくなっている。そのために、政府が滅んでいるのである。
[22178] 今では国民がヨーロッパ文化をやらないために日本政府に従わなくなっている。
h27.9.30
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ところが、ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は人前で善い人のふりをする。だから、日本政府は自分自身でもヨーロッパ文化をやって悪いことをいっぱいやって、人前で善い団体のふりをするのである。日本政府は悪いことをするために高い税金を取ったり国民に戦争をやらせたり国民を国家宗教で虐待したり国を不景気にして国民を貧乏にしたりする。政府は善い団体のふりをするために善いことをする付属会社を経営したり、ときどきちょっとだけ善いことをやったりする。
近代の日本ではみんなが「人間はみな同じだ」と考えていた。「日本人もヨーロッパ人と同じように悪いことが好きで善いことが嫌いだ」と考えていた。そのために、近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやって、つまり悪いことをいっぱいやって人前で善い人のふりをしていたのである。日本政府はヨーロッパ文化の専門家なので、国民みんなは自分がヨーロッパ文化を徹底的にやるためにヨーロッパ文化をより深くやるために日本政府に従っていたのである。
しかし、現代の日本ではみんなが『人間はみな違う』と考えている。『日本人はヨーロッパ人と反対に善いことが好きで悪いことが嫌いだ』と考えている。そのために、現代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやって、善いことだけするようになったのである。国民みんながヨーロッパ文化をやらないために日本政府に従わなくなったのである。
今の日本では利口はそうしている。利口は日本政府に従わず日本政府の命令を聞かず政府に税金を払っていない。しかし、馬鹿は考えることが嫌いだから、政府について考えず政府について何も知らずテレビや新聞や社会科の教科書を鵜呑[うの]みにして政府が人前で善い団体のふりをしているのを真[ま]に受けて「日本政府は国民みんなのためになることをする善い団体だ」と思って日本政府に従っている。馬鹿は日本政府に従って日本政府の命令を聞いて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしている。今の日本では利口が政府に税金を払っていないために、政府はお金が足りなくなって善いことをする付属会社を民営化したり、善い政策をやらなくなっている。今では馬鹿も『日本政府は悪いことをする団体だ』とわかって日本政府に従うのをやめている。国民みんなが日本政府に従わなくなって、日本政府が潰[つぶ]れている。政府の付属会社がつぎつぎに民営化している。
政治団体は「国民みんなは同じだ」と考えて国民の個性を無視している。政治団体は国民一人一人の心までは知らない。政治団体は国の文化に適[かな]っていさえすれば自分の好き放題になんでもかんでも命令を出す。政治団体は国民に国民の個性を無視した命令を出すだけで、国民個人の心を満足する命令を出さない。だから、国民が政治団体に従っても、国民は幸福になれない。今は国民が自分で自分の心を知って自分の心を満足する時代であって、政治団体に従って自分の心を満足する時代ではない。政治団体は時代遅れだ。そのため、将来の日本では日本文化をやらせる団体は建たないだろう。
一方、法律会社は『国民みんなは違う』と考えて国民の個性を考慮している。法律会社は国民一人一人の心が違うことを知っている。法律会社は法律つまり“国民共通の心”をやらせるだけである。法律会社は国民に法律の命令しか出さない。法律会社は法律の違反者しか取り締[し]まらない。国民の自由が保障される。法律会社はふざけてまちがって“国民共通の心”に反することをした者を死刑にしたり牢屋に入れて反省させたりする。法律会社だけがあればいい。そのために、将来の日本では法律会社が建つだろう。
道徳とは自分の本心を知って自分の本心を満足して幸福に生きることである。今の国民は物だけ知って自分の本心を知らない。そのために、今の国民は自分の本心を満足できずに不幸に暮らしている。今の国民はふざけてまちがって自分の本心に反することをしてわざわざ不幸に暮らしている。犯罪者と同じだ。人間は物だけあっても自分の心を知らなければ幸福に暮らせない。今の国民はもっと自分の心について知って自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。自分の心について知れば他人の心もわかるから社会でもうまく暮らせるだろう。
[22179] どうして利口は馬鹿に『政府に従ってはいけない』ことを教えないのか?
h27.9.30
騙[だま]されるほうが悪いからである。
普通の人なら『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、日本人はヨーロッパ文化をやると不幸になるから、日本人は自分が幸福になりたければ日本政府に従ってはいけない』ことがわかるはずである。
ところが、馬鹿は政府が人前で善い団体のふりをしているのを見て「日本政府は国民みんなを幸福にする善い団体だ」と思って日本政府に従っている。馬鹿は自分で考えるのが嫌いなので、眼で見たままを鵜呑[うの]みにするだけなので、政府の臭い芝居にまんまと騙されるのである。
そもそも政府が人前で善い団体のふりをしているのは、政府がヨーロッパ文化をやらせる団体であり自分自身でヨーロッパ文化をやっているためであって、国民を騙すためではない。日本政府はヨーロッパ人の習慣を真似[まね]て“本当は悪いことをやっているのに人前で善いふりをしている”だけなのである。それだからこそ、ますます政府に騙されるのがいけないのである。つまり、『騙されるほうが悪い』のである。ヨーロッパ人は狩猟民族だから、ヨーロッパ人にとっては善い人のふりをすることは獲物を捕らえるために獲物を騙すことだろう。しかし、日本政府は自分がヨーロッパ文化をやらせる団体だから、自分自身もヨーロッパ文化をやって善い人のふりをしているだけである。政府は国民を騙すつもりはない。それなのに、馬鹿な国民は政府に騙されている。だから、政府に“騙されている国民が悪い”のである。
利口は『馬鹿は救いようがない』と思って馬鹿をほったらかしにする。だから、利口は馬鹿に『国民が政府に従ってはいけない』ことを教えないのである。そのために、日本政府が滅ぶのが遅れているのである。
[22180] 国民が政治団体に従うか従わないかは国民自身が決めることである。
h27.10.1
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。今の国民みんなは日本文化をやっている。だから、今の国民みんなは日本政府に従わなければいい。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていたから日本政府に従っていた。
今の国民みんなは日本文化をやっているから日本政府に従わなければいい。日本政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。
そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民が政治団体に従うか従わないかは国民自身が決めることである。今の国民みんなは自分が日本文化をやっているから、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、今の国民みんなは日本政府に従わなければいいのである。政府の命令を聞かず政府に税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったり国を不景気にしたりしなければいいのである。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、政府自身もヨーロッパ文化をやるから、ヨーロッパ文化ではみんなが嘘[うそ]をつくから、政府は国民みんなに嘘をついて「国民は全員日本政府に従わなければならない」と言うのである。国民は政府の嘘に引っかからないようにして、政府に従わないようにしないといけない。
[22181] 政治の自由 h27.10.3
人間には思想の自由や宗教の自由だけでなく政治の自由もある。つまり、人間はどこの国の文化でもやってもいい。ただし、違う国の文化をやる者同士は関われないから、あまり少数の集団ではみんなから仲間はずれにされて生活できない。普通は、人間は自分の国の文化をやると幸福だから、自分の国の文化をやっている。
日本政府の憲法には政治の自由について書かれていないが、それは日本政府が嘘[うそ]つきだからである。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、日本政府は自分自身でもヨーロッパ文化をやり、ヨーロッパ文化ではみんなが嘘つきだから、日本政府は嘘をつくのである。日本政府は国民みんなに「政治の自由がない」と思わせることで、国民みんなに「自分が日本政府に従わねばならない」と思わせて、国民みんなを日本政府に従わせようとしているのである。しかし、本当は、人間にはみんな政治の自由があるのである。人間がどんな政治団体に従うかは個人の自由なのである。人間は自分が従いたい政治団体に従い、自分が従いたくない政治団体に従わなければいいのである。
人間には政治の自由がある。今の日本では国民みんなは自分が幸福になるため日本文化をやっている。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる。だから、今の日本では国民みんなは日本政府に従わなくなって、政府の命令を聞かなくなって、政府に税金を払わなくなって、政府が滅んでいるのである。たとえ、将来、“日本文化をやらせる政治団体”が建っても、今では『人間の心はみんな違う』と考えられているから、今は国民が自分で自分の心を知り自分で自分の心を満足して幸福に暮らすから、国民は日本文化をやらせる政治団体に従わないだろう。日本には日本文化をやらせる政治団体は建たないだろう。
(平成27年10月5日追記)ヨーロッパで中世に国民みんながキリスト教会に従い近代以降は政府に従っているのは、日本で中世に国民みんなが幕府に従い近代は政府に従い現代は何にも従っていない(法律会社に従っている)のと同じことである。ヨーロッパでも日本でも国民みんなが自分が従う団体を決めるのである。国民がめいめい自分で考えて自分が従う団体を決めるのである。そもそも国民には政治や宗教の自由があるからそうすればいいのは当然である。政治団体は国の文化ではみんなが嘘[うそ]をついているとか宗教団体は神が嘘をついた(例えば、キリストは「自分が復活する」と言って復活しなかったし、神武天皇は「東に攻めない」と言って裏から回って攻めた。)ことを利用して国民みんなに「国民は全員自分に従わねばならない」と嘘をついているから、国民は政治団体や宗教団体の嘘に騙[だま]されないようにしないといけない。もっとも、日本文化をやらせる団体は、日本文化ではみんなが嘘をつかないから、もはや嘘をつけないだろう。日本文化をやらせる団体は国民みんなに正直に『国民が自分に従うか従わないかは国民個人の自由である』と言うしかないだろう。
[22182] 馬鹿は矛盾したことをする。 h27.10.3
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。国民みんなは善いことをやって悪いことをやっていない。
一方、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる政治団体である。日本政府は自分に従う国民に命令して悪いことをやらせたり、自分自身でも悪いことをやったりする。日本政府は自分に従う国民に命令して、税金を取ったり、戦争(自衛隊)をやらせたり、国家宗教で事件や事故を起こして人殺しやイタズラをやらせたり、国の景気を悪くして国民を貧乏にしたりする。
国民には利口と馬鹿がいる。利口は頭がいいから矛盾したことをしないから、自分が日本文化をやっているので日本政府に従わずヨーロッパ文化をやっていない。利口は日本政府に従わず日本政府の命令を聞かず日本政府に税金を払っていない。もともと国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由だから、日本政府は国民が自分に従わなくても国民に何もしない。一方、馬鹿は頭が悪いから矛盾したことをするから、自分が日本文化をやっているのに日本政府に従ってヨーロッパ文化をやっている。馬鹿は日本政府に従って日本政府の命令を聞いて日本政府に税金を払ったり国家宗教で悪いことをやったりする。馬鹿はテレビや新聞で日本政府が善い団体のふりをしているのを見て「日本政府が善い団体だ」と思って、わけがわからずに日本政府に従って日本政府の言いなりになってなんでもかんでもする。
日本人には利口が多いから、日本政府は国民の多くから税金を取れなくなって、付属会社を民営化したり、善い政策をやらなくなっている。馬鹿は日本政府が善いことをだんだんやらなくなっているのを見て『日本政府は悪い団体だ』と思って政府に従わなくなっている。今では馬鹿でも政府の命令を聞かず政府に税金を払わなくなっている。今では国民みんなが日本政府に従わなくなって日本政府が倒れている。
[22183] ヨーロッパ文化をやりたい者は日本政府に従えばいい。 h27.10.6
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。
だから、ヨーロッパ文化をやりたい者が日本政府に従えばいいのである。日本政府の命令を聞いて、税金を払ったり、戦争をやったり、国家宗教でみんなを虐待したり、国の景気を悪くしてみんなを貧乏にしたりすればいいのである。
しかし、今の日本国民は日本文化をやっている。戦後に文化人類学が出来て、『日本人とヨーロッパ人は心が違う。日本人がヨーロッパ人の心を満足しても幸福になれない。日本人が幸福になるためには日本文化をやるつまり日本人自身の心を満足しなければならない。』ことがわかったからである。
だから、今の日本国民は日本政府に従ってはいけない。日本政府に従っている国民がまちがっている。
今の日本国民は日本文化をやって日本政府に従うのをやめて幸福に暮らせばいいのである。
[22184] 医療保険とは何か? h27.10.6
私は今医療保険に入っていない。私は今医療保険費を払っていない。だから、政府からしょっちゅう催促の封筒が来る。しかし、それでも私は医療保険費を払っていない。
医療保険とは税金のことである。医療保険は保険のふりをした税金である。政府は国民みんなに保険だと思わせて本当は税金を取っているのである。
今の国民みんなは日本文化をやってヨーロッパ文化をやっていない。税金はヨーロッパ文化であって日本文化ではない。医療保険の正体は税金である。だから、国民は医療保険に入ってはいけない。国民は医療保険費を払ってはいけない。
そういうわけで、今の私は医療保険に入らず、医療保険費を払っていないのである。私は正しいことをやっているから、それでいいのである。
[22185] 人間は自分の心を知って自分の心のままに生きればいい。 h27.10.6
日本人は善いことをすると幸福になり、悪いことをすると不幸になる。日本人は悪いことをするときに後ろめたい不愉快[ふゆかい]な気持ちになるので悪いことをしない。
だから、犯罪者というのはまちがって自分が面白くないことをやってしまった者のことである。馬鹿は頭が悪くてまちがったことをするので、犯罪者は頭が悪いので自分の本心について考えず自分の本心を知らず自分の本心を満足しないために自分で自分を不幸にすることをやってしまったのである。自分で自分の心に反することをやって自分で自分を不幸にした者は死刑にされたり牢屋に入れられたりして反省させられる。たとえ馬鹿でも時間をかけて考えれば正しいことがわかる。だから、たとえ犯罪者でも牢屋の中で自分の本心について考えて自分の本心を知れば、普通の人と同じように自分の本心を満足して幸福に生きるようになる。
犯罪者はうっかりまちがって自分の本心に反することをした者である。刑務所は高い塀[へい]で囲まれているが、みんなと同じ社会の中にあるのである。
日本人は性行為をすると不愉快になる。だから、日本人は性行為を必要最小限にしかしないのである。
人間はまじめに自分の本心を知って、自分の本心を満足すれば幸福になる。ふざけて自分の本心に反することをすると不幸になる。もっとも、人間の心は一人一人違うから、いくら自分の本心のままに生きればいいといっても、支配欲までも満足してはいけない。他人は他人の心を満足して幸福に生きているのだから、いくら自分が他人のしていることが自分の気に入らないからといって自分が他人がやることに不必要に口出ししてはいけない。支配欲は自分で抑えなければならない。人間が自分の本心を知らず自分の本心を満足しないと気持ちが落ち込んで苦しむことになる。人間は自分で自分の本心を知って自分の本心を満足して幸福に生きねばならない。人間は他人の言いなりにならず他人に逆らって自分の心を満足して自分を幸福にしなければならない。
人間は自分の本心に則[そく]したことをしないといけない。自分の本心に反することをした者は犯罪者と見なされて罰せられる。人間の心は国によって違う。日本人は善いことをすると幸福になり悪いことをすると不幸になるから、日本では悪いことをすると牢屋に入れられる。反対に、ヨーロッパ人は悪いことをすると幸福になり善いことをすると不幸になるから、ヨーロッパでは善いことをしすぎると牢屋に入れられる。人間はまちがいは許されない。人間は自分の心について誤解をして自分の心に反することをしてはいけない。そのためには、人間は自分の心について考えて自分の心について知って自分の心に適[かな]ったことをしないといけない。ヨーロッパ人は狩猟民族だから、狩猟民族は獲物を騙[だま]して捕らえて殺さねばならないから、狩猟民族は悪いことをやったほうが有利に生き残れるから、ヨーロッパ人は悪いことが好きなのである。ヨーロッパ人は悪いことをすると幸福に思うのである。悪いことをする者がいれば悪いことをされる者もいるから、ヨーロッパ人はいつの間にか悪いことをされるのも好きになったのである。反対に、日本人は農耕民族だから、農耕民族は作物を大事に育てねばならないから、農耕民族は善いことをやったほうが有利に生き残れるから、日本人は善いことが好きなのである。日本人は善いことをすると幸福に思うのである。善いことをする者がいれば善いことをされる者もいるから、日本人はいつの間にか善いことをされるのも好きになったのである。人間は自分の心を満足して幸福に生きればいい。だから、ヨーロッパ人は悪いことをやって、日本人は善いことをやってそれぞれ幸福に暮らせばいいのである。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。政府の法律会社はヨーロッパ文化の法律を守らせる団体である。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。だから、政府の法律会社が定めた法律には「国民は善いことをしてはいけない悪いことをしないといけない」と書いてある。政府の法律会社が定めた法律には嘘[うそ]で字面[じづら]の上で「国民は悪いことをしてはいけない善いことをしないといけない」と書いているのである。戦前の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていたから、国民みんなが日本政府に従って日本政府の法律会社が定めた法律を守っていた。国民みんなが悪いことをやって善いことをしなかった。戦後の日本では国民みんなが日本文化をやりだしたので、国民みんなが日本政府に従わなくなって、日本政府の法律会社が定めた法律を守らなくなっている。国民みんなが善いことをやって悪いことをやらなくなっているのである。
[22186] 自分が悪いことをやりたい者が日本政府に従っている。 h27.10.6
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は悪いことが好きで善いことが嫌いである。だから、日本政府は悪いことをやらせる団体である。
そのため、今の日本では自分が悪いことをやりたい者が日本政府に従っている。悪いことをやりたい者が日本政府に従うことによって自分が悪いことをやってもいいことにして、自分で好き勝手に他人からお金を奪ったり、他人を国家宗教で殺したり虐待したり、国の景気を悪くして国民みんなを貧乏にしたりしている。
日本政府はヨーロッパ人を神とする宗教団体のようなものである。ヨーロッパ人は悪いことをやって善いことをしない。だから、日本政府は悪魔を神とする宗教団体のようなものである。自分が悪いことをしたい者が日本政府に従うことによって自分が悪いことをやってもいいことにして自分が好き放題に悪いことをやっているのである。自分が悪いことをやりたい者が政府に税金を払うことによって自分がなんでも悪いことをやってもいいことにして自分勝手に悪いことをやっているのである。ただし、今の日本には自分が悪いことをやりたくない者がたくさんいるから、自分が悪いことをやりたくない者は他人に悪いことをされるのも嫌だから、自分が悪いことをやりたくない者に悪いことをやると抵抗されるから、悪いことをやりたい者は悪いことをやりたくない者に自分が悪いことをやっているのを知られないようにしながら密[ひそ]かに悪いことをやっているのである。
今の日本では悪いことをやりたい者が日本政府に従って、善いことをやりたい者が日本政府に従っていない。しかし、そもそも日本人は善いことをやると幸福になり、悪いことをやると不幸になるように出来ている。だから、日本政府に従う者は年々減っている。日本政府は国民からお金を取れなくなって滅んでいる。日本は政治団体のない国になっている。
今の日本には自分が悪いことをやるために日本政府に従っている者もいるが、やはりテレビや新聞で政府が善い団体のふりをしているのを見て「日本政府が善い団体だ」と思って政府に従っている者がほとんどである。しかし、今では『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体であり、日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる。』と考えて日本政府に従わない者もたくさんいるから、日本政府は国民から税金を取れなくなって善いことをやらなくなって悪いことだけやっているから、国民みんなが『政府が悪いことをする団体だ』と思って政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。自分が悪いことをやるために日本政府に従っている者も自分のほうが旗色が悪いと思って政府に従うのをやめて悪いことをやらなくなっている。
もともと日本人は悪いことが嫌いである。日本政府は悪いことをやらせる団体である。近代の日本人は「人間はみな同じである。ヨーロッパ人は幸福に暮らしているから日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と思って自分が幸福になるためにいやいや悪いことをやっていやいや日本政府に従っていた。現代の日本人は『人間はみな違う。日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福になれない。日本人は日本文化をやれば幸福になれる』と思って自分が幸福になるために悪いことをやめて善いことをやって日本政府に従わなくなったのである。日本人は日本政府が嫌いである。日本政府はテレビや新聞に出てニコニコ笑って善い人のふりをしているが、日本人は日本政府が嫌いである。だから、日本人は日本政府に従わなくなって日本政府が潰[つぶ]れているのである。
[22187] 日本人が幸福であるためには日本文化をやって日本政府に従ってはいけない。
h27.10.9
人間が幸福であるためには正しくなければならない。まちがっていてはいけない。心や物について正しいことがわかっていないといけない。心や物について誤解をしていてはいけない。
今の日本では国民みんなが『日本人には日本人の心があるから、日本人の心を満足しなければならない。』と考えて日本文化をやっている。それは正しい。しかし、国民の多くは「日本政府は国民みんなのためになることをする善い団体だ。」と思っている。それはまちがっている。本当は『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になるから、日本人は日本政府に従ってはいけない。ヨーロッパ文化ではみんなが人前で善い人のふりをするから日本政府はテレビや新聞やラジオなどで国民みんなの前で善い団体のふりをしているだけである。』
人間は正しいことをしないと幸福になれない。まちがったことをすると不幸になる。人間は心や物について正しいことを知り、正しいことをすることによって幸福になれる。人間は心や物について正しいことを知って、物を使って自分の心を満足することによって自分が幸福になれる。そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体であり、ヨーロッパ文化ではみんなが嘘[うそ]をついていいから、日本政府は国民みんなに嘘をついて「日本国民全員は日本政府に従わねばならない。」と言っているだけである。日本人が幸福になるためには日本文化をやって、日本政府に従ってはいけない。日本人は日本政府の命令を聞かないようにして、日本政府に税金を払わないようにして日本政府を潰[つぶ]して、幸福に暮らさねばならない。国民は政府の言うことを真[ま]に受けないようにして、政府の命令を無視して自分が幸福になることをすればいいのである。政府が国民に抵抗したら、政府をブチ殺せばいいのである。もともと政府と国民は平等であり、政府は国民に命令できないのだから、国民が政府に従うか従わないかは国民の自由だから、国民は自分が政府に従いたいときだけ政府に従えばいいのだから、政府が国民に自分の気に入らないこと(つまり自分を幸福にしないこと)を命令したら、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる団体であり、ヨーロッパ文化では国民みんなが悪いことが好きだから、国民みんなが政府に悪いこと(税金や戦争や虐待など)をされると幸福になるから、日本政府は国民を幸福にするために国民に悪いことをするのである。日本人はヨーロッパ人と反対に悪いことが嫌いだから、政府に悪いことをされると不幸になるから、日本政府の命令を聞かなければいいのである。日本人は自分が幸福になるために日本文化をやって、日本政府に従わなければいいのである。
[22188] 今の日本では利口は政府に従わず、馬鹿が政府に従っている。 h27.10.10
人間がなにをしようが人間の自由である。人間は自分が幸福になることをやって、不幸になることをやらないものである。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。ヨーロッパ人は悪いことが好きだから、日本政府は国民に命令して悪いことをやらせる。日本政府は国民に命令して税金や戦争や国家宗教による虐待や国を不景気にすることなどをやらせる。ヨーロッパ人は人前で善い人のふりをするから、日本政府は国民の前では善い団体のふりをしている。日本政府は法律会社や学校会社を経営したり、たまに善い政策をやったりする。
国民には馬鹿と利口がいる。馬鹿は日本政府が人前で善い団体のふりをしているのを見て「日本政府は善い団体だ」と思って、自分が幸福になるために日本政府に従っている。馬鹿は周[まわ]りのみんなに合わせてヨーロッパ文化や日本文化をやっている。近代の昔から馬鹿はずっとそうしている。一方、利口は『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことを知っている。近代の日本では「日本人もヨーロッパ人も同じだから、日本人はヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と考えられていたので、利口は自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやって日本政府に従っていた。現代の日本では『日本人とヨーロッパ人は違うから、日本人はヨーロッパ文化をやめて日本文化をやれば幸福になる』と考えられているので、利口は自分が幸福になるためにヨーロッパ文化をやめて日本文化をやって日本政府に従わなくなった。そのため、日本政府は税収が足らなくなって、善いふりをすることができなくなって悪いことばかりやるようになった。馬鹿は日本政府が善いことをやらず悪いことばかりやっているのを見て『日本政府は悪い団体だ』と思って、自分が幸福になるために日本政府に従わなくなっている。今の日本では利口も馬鹿も国民みんなが日本政府に従わなくなって日本政府が国民みんなから税金を取れなくなって日本政府が潰[つぶ]れている。
国民が日本政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。だから、利口は馬鹿に『国民は日本政府に従ってはいけない』と言わないのである。馬鹿は自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならない。馬鹿は政府が実際にやっていることを見て、政府が国民みんなを幸福にする善い団体か国民みんなを不幸にする悪い団体かを考えて、政府に従ったり政府に従うのをやめたりしないといけない。
今では『人間はみな違う』と考えられている。『人間の心はみな違う』と考えられている。だから、今の人間は自分で自分の心について考えて自分の心を知って自分の心を満足して幸福に生きている。一方、政治団体は「国民みんなが同じ人間だ」と考えて国民みんなに同じ命令を出している。政治団体は国民の個性を無視した命令を出している。国民が幸福になるためには政治団体に従うよりも自分で自分の心を満足したほうがいい。そのため、今の国民は政治団体に従わなくなっている。宗教団体についても同じである。『人間はみな違う』から、『自分とキリストやブッダは違う』から、人間がキリストやブッダと同じことをやっても幸福になれない。だから、今の国民はキリストやブッダの思想を学ぶのをやめてキリストやブッダと同じことをするのをやめてキリスト教会や仏教団体に従わなくなっている。今では国民みんなが政治団体や宗教団体に従わなくなって、政治団体や宗教団体が潰れている。
[22189] 今の日本国民は日本文化をやっているから日本政府に従わなければいい。
h27.10.11
そもそも国民と政治団体は平等である。だから、国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分で考えて政治団体に従うか従わないかを決めねばならない。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。つまり、日本政府は自分がヨーロッパ文化をやりたい国民が従う団体である。
ところが、今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをやって人前で善い人のふりをしている。日本文化ではみんなが善いことをやって人前で悪い人のふりをしている。今の日本では国民みんなが悪いことをやっていないから、国民みんなが日本文化をやっている。日本人は日本文化をやれば幸福だからヨーロッパ文化をやれば不幸だから、自分が幸福になるために日本文化をやっているのである。つまり、日本人は善いことをすると気分がいいから悪いことをすると気分が悪くなるから、自分が気持ちよくなるために善いことをやって悪いことをやらないのである。
だから、今の日本では国民みんなは日本政府に従わなければいいのである。国民みんなは政府の命令を無視して、自分で日本文化をやって暮らせばいいのである。国民みんなは政府の命令を無視して税金や戦争や虐待や不景気などの悪いことをやらないようにして、自分で善いことをやって他人と契約して他人と仕事とお金を交換して暮らせばいいのである。
日本人は他人に善いことをしたり他人に善いことをされたりすると気分がよくなるが、反対にヨーロッパ人は他人に悪いことをしたり他人に悪いことをされたりすると気分がよくなる。ヨーロッパ人は狩猟民族だから、ヨーロッパ人は昔から悪いことをして食ってきたから、ヨーロッパ社会ではみんなが悪いことをしあっているから、ヨーロッパ社会で生きていくためには他人に悪いことをされて幸せになるほうが有利だから、ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるといい気持ちになるのである。ヨーロッパ人は他人に悪いことをされるといい気分になるから、ヨーロッパでは政府が国民に悪いことをやって国民を幸福にしてやっているのである。しかし、今ではヨーロッパ人がだんだん悪いことをやったり悪いことをやられたりしなくなっている。それは、ヨーロッパ人がやせ我慢[がまん]しているからではなく、ヨーロッパ人が狩猟生活をやらなくなっているためである。今のヨーロッパでは悪いことをやる人よりも悪いことをやらない人のほうが有利に生きていけるから、自然選択(人為選択かも?)によってだんだん善い人が増えて悪い人が減っているのである。ヨーロッパでもだんだん国民が政府に従わなくなって政府が倒れているのである。
[22190] 近代のヨーロッパ人が外国を植民地にしたのは外国の人々を幸福にするためである。
h27.10.11
昔は世界中で「人間がみな同じだ」と信じられていた。「人間の心はみな同じだから、文化だけによって幸福か不幸かが決まる」と信じられていた。
近代の世界ではヨーロッパ人が世界で一番幸福に暮らしていたので、ヨーロッパ人は世界中のみんなを幸福にするために、わざわざ世界中に出かけて行ってヨーロッパ文化を広めた。ヨーロッパ人は人眼に付くところで善いことをして人眼に付かないところで悪いことをするのが好きだから、わざわざ外人を幸福にするために外国まで出かけて行ったのである。外人も「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と信じていたから、すんなりヨーロッパ文化を受け入れた。ヨーロッパ人は生まれつき悪いことが好きだから、外国に行って外人に対して悪いことをいっぱいやった。外人はヨーロッパ人を見習って自分も悪いことをやった。それが、植民地時代である。
日本はヨーロッパから見て地球の反対側にある国なので、ヨーロッパ人がなかなか日本に来てくれなかった。そのために、近代の日本は自分でヨーロッパ文化を受け入れなければならなかったのである。近代の日本では国民みんなが自分が幸福になるために自分で悪いことをやって、国民みんなが日本政府の命令を聞いて日本政府に悪いことをやられていた。それが明治維新である。文明開化である。
しかし、今では世界中で『人間はみな違う』と信じられている。『人間の心はみな違うから、人間は自分の心にあった文化をやることによって幸福になれる』と信じられている。
そのため、今ではわざわざ外国まで行って自分の文化を広める国がなくなったのである。植民地がなくなったのである。今の世界では、世界中の国で国民みんなが自分の国の文化をやるようになっている。国民みんなが外国の文化をやらなくなっている。日本でも国民みんなが日本文化をやってヨーロッパ文化をやめている。国民みんなが日本政府に従うのをやめて、日本政府の命令を聞かなくなって日本政府に悪いことをされなくなっている。国民みんなが政府の命令で税金や戦争や国家宗教による虐待や不景気などをやるのをやめて、自分たちで善いことをやってお互いに契約して仕事とお金を交換して自分たちの心を満足して幸福に暮らしている。
[22191] どうしてアフリカでは大勢の子供が飢えで死んでいるのか? h27.10.11
今では世界中の国で国民みんなが自分の国の文化をやっている。アフリカでも国民みんなはそうしている。
アフリカ人は愛情よりも性欲が強い。だから、アフリカでは毎年大勢の子供が飢えで死んでいるのである。アフリカ人にとっては子供は性欲の副産物にすぎないのである。アフリカ人にとっては自分の子供など物にすぎないのである。
アフリカで大勢の子供が飢えで死ぬのは、外人にとっては納得が行かないことだけれども、それがアフリカの文化なのである。アフリカ人は自分が好きなことをやって幸福に暮らしているのである。だから、本当は外人がアフリカ人に手出し口出ししてはいけないのである。
人間の心が国を作る。日本は日本人の心が作り出した国である。アフリカはアフリカ人の心が作り出した国である。人間の心が違えば国も違う。日本人とアフリカ人は心が違うから、日本とアフリカは違うのである。
つまり、人間は幸福のために生きている。人間が幸福であるためには、心や物について正しいことを知っていなければならない。人間が幸福であるためには、心や物について正しいことを知って、自分で物や心を使って自分の心を適切に満足しないといけない。だから、人間は頭がよくて心や物について正しいことを知っていないと幸福になれない。人間が馬鹿で心や物について誤解していると幸福にはなれない。だから、利口は幸福で、馬鹿は不幸である。考える者は幸福になり、考えない者は不幸になる。
人間は幸福のために生きている。人間は自分が幸福になるために生きている。だから、自分が幸福になれる人間は努力して自分を幸福にして生きればいい。自分が幸福になれない人間は生きる意義がないから死ねばいい。
[22192] 国民みんながヨーロッパ文化をやめたら国民みんなが日本政府に従わなくなるのは当然である。
h27.10.13
そもそも政治団体や宗教団体は国民に命令して国民を幸福にする団体である。政治団体や宗教団体は国民を幸福にするために国民に命令を出す団体である。だから、国民は自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になると思ったときだけ政治団体や宗教団体に従えばよく、自分が政治団体や宗教団体に従っても幸福にならないと思ったら政治団体や宗教団体に従うのをやめればいいのである。国民が政治団体や宗教団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分で考えて自分が政治団体や宗教団体に従うか従わないかを決めればいいのである。
日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。
いくら昔の国民みんながキリスト教を信じてキリスト教会に従っていても、国民みんながキリスト教から仏教に変わったら、国民みんなが仏教団体に従ってキリスト教会に従わなくなるように、いくら昔の国民みんながヨーロッパ文化を信じて日本政府に従っていても、国民みんながヨーロッパ文化から日本文化に変わったら、国民みんなが日本政府に従わなくなるのは当然である。
そういうわけで、今の日本では利口は日本政府に従わなくなっている。利口は政府の命令を聞くのをやめて、税金を払ったり戦争をやったり国家宗教で虐待をやったり国を不景気にしたりするのをやめている。わけのわかっていない馬鹿が日本政府に従っているだけである。馬鹿は今でも政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり戦争をやったり国家宗教で虐待をやったり国を不景気にしたりしている。しかし、今ではさすがの馬鹿も利口が日本政府に従わなくなっているのにウスウス気づいて自分も日本政府に従わなくなっている。今では国民みんなが日本政府に従わなくなっている。日本政府は国民みんなから税金を取れなくなってどんどん潰[つぶ]れている。
今では『人間の心はみな違う』ことがわかっている。しかし、宗教団体や政治団体は「人間の心がみな同じ」だと思って国民みんなに同じ命令しか出さない。そのため、今は国民が宗教団体に従って自分の心を満足せずに、道徳(人間の心の法則)を守って自分で自分の心を知って自分の心を満足して幸福に生きている。今は国民が“日本文化をやらせる団体”に従って自分の心を満足せずに、法律(国民みんなに共通の心)を守って自分で自分の心を知って自分の心を満足して幸福に生きている。だから、今では宗教団体が滅んで、日本政府が滅んで“日本文化をやらせる団体”が建たないのである。今では国民みんなが自分で道徳や法律を学んで、自分で自分を幸福にして生きているのである。今では国民みんなが他人に頼らずに自分で自分の面倒を見て暮らしているのである。今では国民みんなが自立しているのである。
人間は実在には逆らえない。だから、人間は真理に従うものである。昭和40年(1965年)ごろに『人間はみな違う。日本人は日本人の心を満足しなければ幸福になれない。』ことがわかったために、国民みんなはヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになった。今では『日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である』ことがわかっている。そのために、国民みんなは日本政府に従うのをやめて、自分で法律を守って自分で自分の心を満足するようになっているのである。
戦後の日本で最初に日本文化を始めた人はみんなに仲間はずれにされて死んだのではなく、みんながその人に従って日本文化をやるようになった。なぜなら、『日本人が日本文化をやれば幸福になる』ことが正しいからである。人間にとっては自分と違う者を仲間はずれにするよりも自分が実在に従う(つまり自分が正しいことをする)ほうが優先するので、国民みんなが正しいことをして自分が日本文化をやるようになったのである。それと同じように、今の日本で日本政府に従わない人はみんなに仲間はずれにされて死ぬのではなく、みんながその人を見習っていっしょに日本政府に従わなくなる。なぜなら、『日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体であり、日本人が日本政府に従ってヨーロッパ文化をやると不幸になるから、日本人が幸福に暮らすためには日本政府に従ってはいけない』ことが正しいからである。だから、今の日本では国民みんなが自分が幸福に暮らすために日本文化をやって、日本政府に従うのをやめればいいのである。
[22193] 政治家はテレビに出ない。 h27.10.13
首相や大臣は政治家ではない。首相や大臣は政府の付属の法律会社の人である。政治家とはヨーロッパ文化をやらせる団体の上の人である。首相や大臣が政治家に説明して政治家に頭を下げてはじめて政治家から税金の分け前として予算がもらえるのである。日本政府の中では法律会社よりもヨーロッパ文化をやらせる団体が上なのである。(アニメ『陸上防衛隊まおちゃん』で毎回首相が冷や汗を流しながらペコペコ頭を下げている人が政治家である。)
だから、首相や大臣クラスになると政治家の顔を知っている。政治家はテレビや新聞に顔が出ないから、一般の国民は政治家を知らないが、法律会社の上の人は知っている。私も政治家を知らない。私がテレビに出ないように、政治家もテレビに出ない。(そういえば昔「テレビに出る人よりもテレビに出ない人のほうが本当は偉い」と誰かが言っていたことがある。つまり、テレビに出る首相や大臣よりもテレビに出ない政治家のほうが本当は偉いのである。)
しかし、今では国民みんなが日本文化をやって、ヨーロッパ文化をやらせる日本政府に従わなくなっている。今では日本政府が国民みんなに命令できなくなっている。日本政府自体が偉くなくなっている。日本政府の政治家も日本政府の中で偉いだけで、日本人みんなの中では偉くなくなっている。
[22194] どうして政府に従わない人は政府に従っている人に政府に従ってはいけないことを教えないのか?☆
h27.10.14
政府に従わねばならないと思っている人に政府に従ってはいけないことを教えるのが難しいからである。
人間は自分が知っていることに基づいて他人が言っていることを解釈して、その解釈に基づいて考えて行動する。政府に従わねばならないと思っている人にとっては政府に従わない人は悪人に思えるので、悪人の言うことを聞こうとしないので、政府に従わない人が政府に従う人に政府に従ってはいけないことを説得することができないのである。そのため、政府に従わない人はいちいち政府に従う人に政府に従ってはいけないことを教えないのである。宗教団体に従っている人に他人が宗教団体に従わなくてもいいことを教えても聞こうとしないのと同じことである。宗教団体に従っている人にとっては宗教団体に従っていない人は悪人なので、悪人の言うことを聞こうとしないので、説得できないのである。そのため、宗教団体に従わない人は宗教団体に従う人に宗教団体に従ってはいけないことを教えないのである。
だから、政府に従っている人は自分で考えて政府に従わなくていいことを理解して政府に従わなくなるしかないのである。政府に従う人が自分で考え直して自分が政府に従ってはいけないことがわかるのを待つしかないのである。
しかしながら、そもそも政府に従っている人はテレビや新聞で政府が善いこと(国民を幸福にすること)をやっているのを見て「政府が国民を幸福にする善い団体だ」と思っているから、政府に従っているのである。政府の命令を聞いて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教で虐待をやったり国を不景気にすることをやったりするのである。馬鹿は雰囲気だけで動くから、一度[いちど]政府が善い団体だと思ったら、細かいことを考えずに政府の命令で人殺しでも強盗でもなんでもするのである。
しかし、今では頭のいい人ががんばって日本政府に従わないようにしているので、日本政府が税収が減って善いことがやれなくなって悪いことばかりやるようになっている。政府に従っている人が政府がやっていることを見てだんだん『政府は国民みんなを不幸にする悪い団体だ』と思うようになって政府に従わなくなっている。政府がだんだん国民みんなから税金を取れなくなって滅んでいる。幸いにも、世の中は便利に出来ていて、たとえ馬鹿が難しいことわからなくても政府が倒れるようになっているのである。馬鹿は頭が単純だから、馬鹿は善い人には従い悪い人には従わないだけだから、『政府が悪い団体である』ことがわかると、手のひらを返したように政府に従わなくなるのである。馬鹿は政府の正体なんかわからなくても理屈ぬきで政府を倒してくれるのである。利口も馬鹿も人それぞれの論理がある。(今から約20年前の「少女革命ウテナ」(テレビアニメ)のころに“論理”がどうのこうのと言っていた。)
[22195] 昔の人は「自分が幸福になれる」と思うことによって幸福になっていた。☆☆
h27.10.14
近代の人は「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になれる」と思ってヨーロッパ文化をやっていた。近代の人は「自分が日本政府に従えば幸福になれる」と思って日本政府に従っていた。しかし、実際には近代の人はヨーロッパ文化をやって不幸になっていた。日本政府に従って不幸になっていた。
昔の人は「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になれる」と思って政治団体や宗教団体に従っていた。しかし、実際には政治団体や宗教団体に従っても幸福にはなれなかった。
昔は科学が遅れていて昔の人は物がなかったので「自分が何かをやれば幸福になれる」と思って何かをやって想像の世界の中で幸福になって暮らしていたのである。自分を暗示にかけて幸せになっていたのである。実際には、幸福でもなんでもなかったのである。(昔誰かがテレビかなんかで「恋に恋する」と言っていた。昔はまだ科学が遅れていて人間が現実の中で幸福に暮らせなかったので、昔の人は「自分が何かをすれば幸福になれる」と思うことによって何かをやって幸福になっていた。「恋に恋する」とはこのことを喩[たと]えて言っているのである。)
反対に、今は科学が発達して今の人は物が豊かになったので、実際に現実の中でいろんな物を使って自分の心を満足して幸福に暮らしている。そのため、今の人にとっては政治団体や宗教団体が要らなくなったのである。今の人は政治団体や宗教団体に従うのをやめて、自分で自分の心を知って自分の心を満足して暮らすようになったのである。今では政治団体や宗教団体がみんなに捨てられて滅んでいるのである。
[22196] 政府は憲法に基づいて税金を取っていない。 h27.10.14
今の日本国憲法には納税の義務が定められている。
しかし、政府は日本国憲法を犯して毎日国家宗教で人殺しをやっている。つまり、政府は自分に従う国民に命令を出して人殺しをさせている。日本国憲法には天皇のことが出ているが、「神の情報を使えば犯罪を犯してもいい」ことが書かれていない。政府が国家宗教で悪いことがやりたければ、ちゃんと憲法に「神の情報を使えば悪いことをやってもいい」と書くべきである。
政府は毎日日本国憲法を犯して悪いことをやっている。政府は日本国憲法を守っていない。だから、政府は憲法に基づいて税金を取っていない。そもそも憲法は政府が自分が国民みんなの前で善い団体のふりをするために定めているだけであって、本当は政府は憲法を守っていない。政府は国民の眼に付かないところで悪いことをいっぱいやっている。本当は、政府は自分がヨーロッパ文化をやらせる団体であることによって国民から税金を取っているだけである。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをやっていいので、ヨーロッパでは政府が国民に命令して国民からお金を強盗している。それが税金である。日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体だから、ヨーロッパ政府と同じように国民に命令してお金を強盗しているだけである。(補足:日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる団体だが、日本政府が国民全員に強制的にヨーロッパ文化をやらせるのではなく、自分がヨーロッパ文化をやるために日本政府に従いたい者に日本政府が命令してヨーロッパ文化をやらせるだけである。“日本政府がヨーロッパ文化をやらせる団体である”とは、そういう意味である。だから、国民が自分がヨーロッパ文化をやりたくて日本政府に従いたければ日本政府に従えばよく、国民が自分がヨーロッパ文化をやりたくなくて日本政府に従いたくなければ日本政府に従わなければいいのである。政府には国民に強制的に命令を聞かせることはできない。国民が自主的に政府に従っているときに、政府が国民に命令できるだけである。国民が日本政府に従うか従わないかは国民個人の自由なのである。)
しかし、今の日本では国民みんなは日本文化をやってヨーロッパ文化をやっていない。そもそも国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。そのため、今の日本では国民みんなは日本政府に従っていない。だから、今の日本では国民みんなは政府の命令を聞かず政府に税金を払っていないのである。政府は税収が足りなくなって、善いことをやめて悪いことだけやるようになって、国民みんなの人気がなくなってますます国民みんなが政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。
今の日本では国民みんなは日本文化をやっている。日本文化ではみんなが善いことしかやってはいけないので、みんなが他人からお金を強盗せず、みんなが他人と契約してお金と仕事を交換するだけである。だから、日本文化には税金はない。日本文化には契約しかない。だから、将来、もし日本文化をやらせる政治団体が建っても、日本文化をやらせる政治団体は国民一人一人と契約してお金をもらって仕事をしないといけない。もちろん、法律会社もそうしないといけない。法律会社は国民一人一人と契約して国民からお金をもらって国民に法律を守らせる仕事をしないといけない。法律会社の料金が高ければ国民は馬鹿らしいと思って契約しない。だから、法律会社の料金は安くしなければならない。
今の日本にはまだ政府から独立した法律会社は建っていない。今の日本には成文法はない。しかし、だからといって国民がなんでもかんでもやっていいわけではない。今の日本では国民みんなが日本文化をやっている。だから、国民が日本文化に反することをやると犯罪になる。日本文化ではみんなが善いことをやって悪いことをやってはいけない。だから、『日本ではみんなが善いことをやって悪いことをやってはいけない。』それが今の日本の法律である。法律を破るとそれなりにみんなに復讐される。国民が日本文化に反することをすると日本社会では生きていけない。だから、今の日本ではみんなが善いことをやって悪いことをやってはいけないのである。
平成27年10月16日つけたし)国民が政府に税金を払うと、その国民が政府に「ヨーロッパ文化をやりたくて日本政府に従いたい」と見なされる。そのため、政府にヨーロッパ文化をやる命令を出されて税金や戦争や国家宗教で悪いことや国を不景気にすることなどをやらされたり、また政府に国家宗教で虐待されたり(つまり、政府が他人に命令して国家宗教で悪いことをさせて自分が他人に悪いことをされたり)、政府に国の景気を悪くされて貧乏にされたりする。国民が政府に税金を払うと国民が政府に不幸にされる。だから、国民は政府に税金を払ってはいけないのである。(昔テレビで「スーパーで客がお金を払うことは契約と見なされる」と言っていた。それは、国民が政府に税金を払うことが「その国民がヨーロッパ文化をやりたくて政府に従いたい意思がある」と見なされることを喩[たと]えているのである。)
政府に従う者は政府にヨーロッパ文化をやらされて政府に悪いことをやらされたり悪いことをされたりして不幸になる。反対に、政府に従わない者は政府が手出しができないから政府に不幸にされない。それなら、国民にとっては政府に従うよりも政府に従わないほうが得である。だから、今の日本では国民がどんどん政府に従わなくなっているのである。政府がどんどん滅んでいるのである。
[22197] 政府は犯罪組織ではなくヨーロッパ文化をやらせる政治団体である。☆
h27.10.14
昔の人は太陽が地球の周[まわ]りを回っていると考えていた。人間の眼では太陽が動いているように見えるから「太陽が動いている」と考えていたのである。しかし、本当は『地球が動いている』のである。人間が地球の上に乗って地球といっしょに動いているから、人間の眼には地球が止まっているように見えるのである。それと同じように、昔の人は政府が善い団体だと考えていた。人間の眼では政府が善い団体のように見えるから「政府が善い団体だ」と考えていたのである。しかし、本当は『政府は悪い団体』なのである。政府は国民の眼で見えないところで悪いことをやってテレビや新聞などの国民の眼で見えるところで善いことをやっているから、国民の眼には政府が善い団体のように見えるのである。
政府は悪い団体である。政府は悪いことをする団体である。しかし、政府は犯罪組織ではない。政府はヨーロッパ文化をやらせる政治団体である。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをするから、政府は国民に命令して国民に悪いことをやらせるのである。政府は国民に命令して国家宗教で人殺しやイタズラや国を不景気にすることなどをやらせるのである。政府自身もヨーロッパ文化をやって国民に命令して悪いことをするのである。政府は国民に命令して税金や戦争などをやらせるのである。
政府は犯罪組織ではなく政治団体である。政治団体は国民にある特定の国の文化をやらせる団体である。人間はみな平等である。だから、国民と政治団体は平等である。国民が政治団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、国民は自分が政治団体に従いたければ従えばよく、自分が政治団体に従いたくなければ従わなければいいのである。国民が政治団体に従うか従わないかは国民が自分で考えて決めればいいのである。
今の日本では国民みんなが日本文化をやっている。国民みんながヨーロッパ文化をやっていない。日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本政府は自分に従う者にヨーロッパ文化の命令を出してヨーロッパ文化をやらせるのである。だから、今の日本では国民みんなが日本政府に従うのをやめている。国民みんなが日本政府の命令を聞くのをやめている。国民みんなが政府の税金の命令を聞かないようにして政府に税金を払っていない。そのために、政府は滅んでいるのである。
政治団体や宗教団体は国民からお金をもらって国民に命令して国民を幸福にする団体である。いわば、政治団体や宗教団体は国民に“国民を幸福にする命令”を売る団体である。だから、もしも国民が政治団体や宗教団体の命令を聞いても幸福になれなかったら、裁判所に政治団体や宗教団体を訴えて弁償してもらわねばならない。裁判所に政治団体や宗教団体が売っている命令がインチキだと訴えて政治団体や宗教団体にお金で謝[あやま]ってもらわねばならない。それでは政治団体や宗教団体がやっていられない。政治団体や宗教団体は国民一人一人の心のことなんか知らないから、国民を幸福にする命令なんか出せるわけがない。昔の人は「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になれる」と思っていたから政治団体や宗教団体に従って幸福になっていたのである。今の人は「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になれる」と思っていないから、本当に政治団体や宗教団体が国民に国民を幸福にする命令を出さねばならないから、政治団体や宗教団体はもはやどうしようもない。だから、今日的[こんにちてき]にはもはや政治団体や宗教団体はやって行けないのである。いわば、政治団体や宗教団体は国民がお金を入れたら“自分を幸福にする命令”が出てくる自動販売機のようなものである。実際には、政治団体や宗教団体は国民を本当に幸福にする命令を出さないから壊れた自動販売機である。国民はそんな物は要らない。だから、国民は役立たずの自動販売機を蹴[け]っ飛ばしてぶっ壊すのである。
そもそも政治団体や宗教団体は国民を幸福にしているふりをして儲[もう]ける団体である。昔の人は自分の本当の心がわかっていなくて「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思っていたから、昔の人は政治団体や宗教団体に従って政治団体や宗教団体のどうでもいい命令や不幸にする命令を聞いて幸福になっていた。しかし、今の人は本当に自分の心を満足しないと喜ばないから、政治団体や宗教団体は本当に人の心を満足できないから、今の人にとっては政治団体や宗教団体が役に立たないから、今の人にとっては政治団体や宗教団体が要らなくなって政治団体や宗教団体にお金をやらなくなって、政治団体や宗教団体がみんなからお金をもらえなくなって滅んでいるのである。
昔の人にとっては「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思っていたことが政治団体や宗教団体に従っていた主な理由であって、その他のことは「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思わせるための動機作りにすぎなかったのである。例えば、「人間がみな同じであり、ヨーロッパ人が幸福に暮らしているから、日本人もヨーロッパ文化をやれば幸福になる」という考えや、政府が国民みんなの前で善いことをすることは、国民が自分自身に「自分が政府に従えば幸福になる」と思い込ませるためのきっかけにすぎなかったのである。それらは国民が頭の中で本気で「自分が政府に従えば幸福になれる」と思いこむための理由付けにほかならなかったのである。そもそも政府の実体はどうでもいいのである。自分が政府に従う理由はどうでもいいのである。自分が政府に従う理由はなくてもいいのである。とにかく政府という団体があって、国民が「自分が政府に従って幸福になる」と思い込んで政府に従って幸福になりさえすればいいだけである。昔の人は自分の頭の中で「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思い込んで実際に自分が政治団体や宗教団体に従うことによって空想の世界で幸福になっていたのである。現実の世界では幸福でもなんでもなかったのである。むしろ不幸だったのである。昔の人は物が貧しくてなかなか現実の世界では幸福になれなかったので、空想の世界で「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になれる」という決まりをでっち上げて実際に現実の世界で政治団体や宗教団体に従って空想の世界で幸福になっていたのである。政治団体や宗教団体は現実と空想の両方の世界に存在していたのである。人間は幸福になりたい生き物だし、人間は脳が発達して空想する能力があるので、昔の人はその能力を活かして幸福になっていたのである。昔の人にとっては政治団体や宗教団体は自分が幸福になるための道具だったのである。だから、昔の人は政治団体や宗教団体にたくさんお金をやって政治団体や宗教団体を大事にしたのである。昔の人は「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思って自分が幸福になるために政治団体や宗教団体に従っていたから、政治団体や宗教団体のいいなりだったのである。昔の人は政治団体や宗教団体の命令でなんでもやったのである。だから、政治団体や宗教団体が国民みんなを支配できたのである。しかし、今の人は科学の力で現実の世界で自分の本当の心が満足できるようになったので、わざわざ空想の世界で幸福にならなくてもよくなったので、「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思うのをやめて政治団体や宗教団体に従うのをやめたのである。そのため、政治団体や宗教団体は国民みんなに捨てられて滅んでいるのである。
しかし、やっぱり昔の人が「自分が政治団体や宗教団体に従えば幸福になる」と思っていたことはおかしい。人間は他人に従っても幸福になれない。人間は自分の心を満足しないと幸福になれない。昔の人は「人間の心はみな同じだ。人間は文化や思想によって幸福か不幸かが決まるだけだ。」と考えていたから、自分よりも幸福な外国の文化(大国では自分の国の文化)や自分よりも幸福な他人の思想をやっていた。政治団体は特定の国の文化をやらせる団体である。宗教団体は特定の人物の思想をやらせる団体である。昔の人は自分が幸福になるために、政治団体や宗教団体に従っていたのである。もっとも、国民みんなの中には“服従欲”の強い人がいるから、そういう人が政治団体や宗教団体に従って幸せになっていただけのことである。末っ子や背の低い人は服従欲が強い。反対に、長男や背の高い人は支配欲が強い。普通の人には服従欲なんかないから、やはり「幸福な国の文化や幸福な人の思想をやると自分も幸福になる」と思って、外国の文化や他人の思想をやって外国の文化をやらせる政治団体や他人の思想をやらせる宗教団体に従っていたのである。しかし、今の人は『人間の心はみな違う。自分は自分の心を満足しないと幸福になれない。』と考えているから、今の人は『外国の文化や他人の思想をやっても自分は幸福になれない』と考えているから、外国の文化や他人の思想をやるのをやめている。だから、今の人は政治団体や宗教団体に従うのをやめている。そのために、政治団体や宗教団体が滅んでいるのである。
昔の人は「人間の心はみな同じだ。人間は思想によって幸福か不幸かが決まるだけだ。自分よりも幸福な人の思想をやると自分も幸福になる」と思って自分よりも幸福な人の思想をやっていた。日本人にとっては磔[はりつけ]にされたキリストよりも安らかに息を引き取ったブッダのほうが幸せだと思えたから、日本人はキリスト教よりも仏教をやっていたのである。反対に、ヨーロッパ人にとっては安らかに死んだブッダよりも磔にされて死んだキリストのほうが幸せだと思えたから、ヨーロッパ人は仏教よりもキリスト教をやっていたのである。日本人とヨーロッパ人では幸福観が違うから、違う宗教をやっていたのである。「人間の心がみな同じ」なら、日本人とヨーロッパ人で違う宗教をやるはずがない。だから、やはり『人間の心はみな違う』のである。
日本政府は“国民にヨーロッパ文化をやらせる命令”を売る自動販売機である。国民が日本政府に税金を入れたら自分にヨーロッパ文化をやらせる命令が出てくるのである。国民が日本政府に税金を入れたら、国民に税金を払わせたり戦争をさせたり国家宗教で悪いことをさせたり国を不景気にすることをやらせたりする命令が出てくるのである。政府の正体は国民にヨーロッパ文化の命令を出す団体である。政府の付属会社や政府の善い政策は、政府が善い団体のふりをするための飾りである。昔の人は「自分がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っていたから、「自分が政府の命令を聞けば幸福になる」と思っていたから、政府の命令をなんでも聞いていた。たとえ政府の命令が自分を不幸にするものであっても「政府の命令を聞けば自分が幸福になれる」と考えて無理やり政府の命令を聞いていた。しかし、今の人は『自分が日本文化をやれば幸福になる。自分がヨーロッパ文化をやれば不幸になる』と思っているから、『自分が政府の命令を聞けば不幸になる』と思っているから、政府の命令をまったく聞かなくなった。たとえ政府の命令が自分を幸福にするものであったも『政府の命令を聞けは自分が不幸になる』と考えて強引に政府の命令を聞かなくなった。そのために、今では日本政府は潰[つぶ]れているのである。
宗教団体に従っている人は「宗教団体の神が悪いことをやったから自分も神に従って悪いことをやっていい」と思って悪いことをやっている。そんなことはそういう理屈が通用する者の間でだけやらねばならない。そんな理屈は一般人には通用しないから、一般人に対しては神に従って悪いことをやってはいけない。例えば、オウム真理教の信者が神の命令でサリンを撒[ま]き散らしたことは、「宗教団体に従っている者は宗教団体の神がやったことや神の命令ならなんでもやっていい」と思っている者の間でだけやらねばならず、一般人に対してはやってはいけない。だから、オウム真理教の信者も神も警察に捕まって罰せられたのである。(日本政府は国民みんなの前で善い団体のふりをするだけだから、本当は罰していないかもしれないが。)今の日本では国民みんなが日本文化をやっていて、日本文化では悪いことをやってはいけないし、日本文化には宗教がないから日本文化には「宗教団体に従っている者は宗教団体の神がやったことや神の命令ならなんでもやっていい」決まりがないから、今の日本では宗教団体に従っている者が宗教団体の神が悪いことをやったからといって悪いことをやったり神の命令で悪いことをやったりしてはいけないのである。
ヨーロッパの古代や中世では国民みんながヨーロッパ文化をやりすぎて悪いことをやって国が貧乏になって国が滅びかけていた。中世の終わりに国民みんながアジア文化を取り入れて善いことをやるようになって国が豊かになって国が復活した。近代には科学のために国が豊かになって国民みんなが再びヨーロッパ文化をやって悪いことをやるようになって国が貧乏になって国が滅んでいる。ヨーロッパ文化は国を貧しくする。アジア文化は国を豊かにする。だから、日本人は自分が豊かになりたければヨーロッパ文化をやめてアジア文化をやらねばならない。ヨーロッパが豊かなのは科学のためである。日本思想は真善美だから、日本人は五感と知覚と心のすべてを使うから日本文化では科学がやれる。だから、日本人は日本文化をやって科学をやって豊かに暮らせばいいのである。(反対に、インド人は知覚しか使わないから、インド人は知覚の世界に踏み込みすぎて実在から離れてしまったから、インド文化では科学がやれない。そのため、今のインドでは五感を使う取り組みがなされているようである。)
今の世の中はまだ国民みんなが酒を飲んで酔っ払ってニコニコしていられるほど善い世の中ではない。今の国民みんなは今の世の中について考えてまちがっていることを見つけてまちがっていることを正して自分たちが幸福に暮らせるようにしないといけない。それが終わるまでは誰も酒を飲んでいい気持ちになっている暇はないのである。
[22198] 人間はテレビを見ると馬鹿になる。☆ h27.10.14
人間がテレビを見ると自分の頭で考えなくなるし、眼で見たことしかわからなくなる。今の国民の多くが「政府が善い団体だ」と思って政府に従っているのはそのせいである。本当は政府は悪い団体なのにテレビや新聞では善い団体のふりをしているから、テレビを見ている国民は自然に「政府が善い団体だ」と思ってしまうのである。反対に、私は最近の約10年間はほとんどテレビを見ていない(見ているのは週に2本の鉄道番組だけだ)から、眼で見る情報に縛[しば]られずに自由に考えることができたので『政府がヨーロッパ文化をやらせる政治団体である』ことがわかったのである。
同じように、今の国民が「国民全員が政府に従っているから、自分も政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのもテレビを見ているせいである。本当は国民の中には政府に従っていない人がかなりいるのに、テレビでは政府に従って国家宗教をやっている人しか出てこないし、本当はこの世に多数決なんかないのに、テレビでは政府の付属の法律会社が多数決をやっているから、テレビを見ていると「国民みんなが政府に従っているから、自分も多数決でみんなといっしょに政府に従わねばならない」と思ってしまうのである。私はテレビを見ないから、『国民みんなの中には政府に従っている者と従っていない者の両方がいる。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。』ことがわかったのである。(ヨーロッパの政府は多数決をでっち上げて国民みんなを政府に従わせようとしている。インドの政府は身分制をでっち上げて国民みんなを政府に従わせようとしている。本当は、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由であり、国民は自分が幸福になるために政府に従っているのである。そもそもヨーロッパの政府やインドの政府は国民に自分の国の文化をやらせて国民を幸福にすることによって国民を従わせているのである。だから、大勢の国民が政府に従っているのである。ヨーロッパの政府は国民の過半数が政府に従っていることを利用して多数決を設けて多数決で国民全員を政府に従わせようとしている。インドの政府はそもそもは国民が自分が幸福になるために政府に従っているのに、身分制を設けて政府が身分が高いことにして国民全員が政府に従わねばならないことにしている。ヨーロッパ政府もインド政府も嘘[うそ]つきである。ヨーロッパでもインドでも悪いことをやっていいから、ヨーロッパの政府やインドの政府は嘘をついて国民を騙[だま]して国民全員を政府に従わせようとしているのである。国民の中には政府に従いたがらない者がいるから、政府は嘘をついて国民全員を政府に従わせようとしているのである。)
テレビは作りごとの世界であって、本当の世界ではない。テレビを見ていると作りごとしかわからなくなって本当のことがわからなくなる。テレビを見ると作りごとが正しいと思って、本当のことがまちがっていると思うようになる。テレビを見ると人間は馬鹿になる。だから、人間はテレビを見なければいいのである。
子供がテレビを見なければ、誰でも頭がよくなって勉強ができるようになっていい大学に入っていい会社に入って仕事ができて出世して幸福になれる。それなのに、世の中の親の多くは子供にテレビを見れるだけ見せてその後で「勉強しなさい」とガミガミ言う。親のやり方が下手[へた]である。反対に、親が子供にテレビを見せないようにして「勉強しなさい」とガミガミ言わなければいいのである。
同じように、テレビゲームも眼と手だけ使って頭を使わない。テレビゲームをやると馬鹿になる。私は最近の約5年間はテレビゲームを全然やっていない(YouTubeで他人がゲームをやっているのを見ることはあるが)。だから、子供のころから社会科の苦手な私でも政府のことがわかったのである。親が子供にゲームをやらせなければ、子供がいい大学に入っていい会社に入って幸福になれる。そのほうが長い目で見れば子供が幸福になれる。親はもっと頭を使って子供にやらせることを決めねばならない。
子供は幼いためにまだ自分の心についての正しい知識を持っていないから、自分で自分の心を不適切に満足して不幸になりやすい。だから、親が子供のやることを決めて、子供が自分の心を適切に満足するようにしてやらねばならないのである。
[22199] 政府は正しいことを取り締[し]まる団体である。☆ h27.10.20
人間は生まれつき実在を知らない。人間は生まれつき物や心のことを知らない。人間は放って置くとまちがいを犯す。だから、人間には自分に正しいことをさせる者が必要である。
それが政府である。政府とは“正しいことを取り締[し]まる(攵)ところ(府)”という意味である。
しかし、実際には、政府はある特定の国の文化を正しくやらせる団体である。ヨーロッパ政府は国民にヨーロッパ文化を正しくやらせる団体だし、アメリカ政府は国民にアメリカ文化を正しくやらせる団体だし、日本政府は国民にヨーロッパ文化を正しくやらせる団体である。
人間が幸福に生きるためには、物や心のことを正しく知り、自分の心を正しく満足させねばならない。そもそも政府は国民が幸福に生きるのを助けるためにある。ヨーロッパやアメリカなどの大国ではそうしている。
しかし、日本ではそうしていない。日本人には日本人の心がある。日本人は日本人の心を満足しないといけない。ところが、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。つまり、日本政府はヨーロッパ人の心を満足する団体である。日本人の心とヨーロッパ人の心は違う。日本人とヨーロッパ人は生まれつき心が違う。だから、日本人が日本政府に従っても自分の心が満足されず、自分が幸福になれないのである。
そのため、今の日本では国民がどんどん政府に従わなくなっている。国民が政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
そもそも政府は正しいことを取り締まる団体である。しかし、政府の人は学者ではない。政府は学問をするところではない。昔のヨーロッパ政府は天動説を正しいとしていたが、本当は地動説が正しかった。政府も人間だからまちがいを犯す。政府は科学に負けてわからないことに逃げまくっているから、国民に文化をやらせる(つまり国民の心を満足させる)だけになってしまったのである。今の政府は「人間の心はみな同じだ」という原理に基づいて国民に命令している。しかし、今では『人間の心はみな違う』と考えられている。だから、政府の命令は国民を幸福にしない。国民が政府に従っても幸福になれない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
実際には、政府は自分が正しい者のふりをして国民を従わせていただけである。宗教団体が人の心を知っているふりをして国民を従わせていたのと同じである。(例えば、仏教団体は人の心を知っているふりをしているから“シッタカブッダ”と言われるのである。)昔は学問や学校がなかったから、国民よりも政府のほうが利口だった。だから、国民は政府に従ったのである。今は学問や学校があるから、国民が政府と同じくらい利口になった。国民は『政府や宗教団体がインチキである』ことがわかった。国民は『政府や宗教団体が利口ぶり馬鹿である』ことがわかった。だから、国民が政府に従わなくなったのである。今では国民が十分利口になったから、今では国民が自分で考えて生きているから、今の国民にとっては自分が従う者が要らない。今の国民は政府(政治団体)も宗教団体も要らない。だから、今では政府や宗教団体が滅んでなくなっているのである。今では国民みんなが自分で物や心のことを勉強して物や心のことを知っているから、他人に頼らなくていい。今の国民にとっては政府も宗教団体も要らない。だから、今の国民みんなは政府や宗教団体に従わなくなって政府や宗教団体が滅んでいるのである。
昔は国民みんなが自分で自分の心のことがわからなかったから、自分の心を満足するために政府(政治団体)や宗教団体に従っていた。しかし、今では国民みんなが自分で自分の心について考えて自分の心を知って自分で自分の心を満足して幸福に生きている。今では国民みんなにとって政府や宗教団体が要らない。だから、今の国民みんなは政府や宗教団体に従わなくなって政府や宗教団体が滅んでいるのである。今の国民は自分で考えて自分で行動する。今の国民には法律会社しか要らない。法律会社は国民に法律つまり国民共通の心を守らせるだけである。それ以外は国民個人の自由である。国民は自分で自分の心を満足させればいい。そうすれば、国民はもっとも幸福に暮らせるのである。本来、国民にとっては法律会社しか要らないのである。あとは個人の自由である。しかし、昔は国民みんなが馬鹿だったために世界が歪[ゆが]んでいたのである。昔の国民は馬鹿だったから自分で考えることができなかった。そのために、国民みんなの代わりになって考える政府や宗教団体が出来て、国民みんなが自分で考える代わりに政府や宗教団体に考えてもらって政府や宗教団体に従って暮らしていたのである。(ショペンハウエルが『読書とは他人に考えてもらうことである』と言ったのと同じである。)政府や宗教団体は考えることを仕事にする職業である。しかし、今では国民が利口になって自分で世の中のことを知って自分で考えることができるようになったから、国民が政府や宗教団体に従わなくなって、国民が自分で法律を守って自由に暮らすようになっているのである。今の国民みんなは利口になって『政府や宗教団体が正しいふりをしているにすぎない』ことがわかったから、政府や宗教団体に従わなくなって、政府や宗教団体が滅んでいるのである。
要するに、日本政府はヨーロッパ文化をやらせる団体である。日本政府は「日本人もヨーロッパ人も心は同じだから、日本人がヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っているから、国民にヨーロッパ文化をやらせるのである。昔の日本では国民みんなが「日本人もヨーロッパ人も心は同じだから、日本人はヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っていたから、日本政府に従っていた。今の日本では国民みんなが『日本人とヨーロッパ人は心が違うから、日本人はヨーロッパ文化をやると不幸になる』と考えるようになっているから、日本政府に従わなくなっているのである。
[22200] 政府や文学者にとって科学は敵である。☆ h27.10.20
政府は利口なふりをして国民を従わせる団体である。政府(政治団体)は『人間が無知なこと』を利用して人間が無知な分野で知ったかぶりをして威張[いば]りまくって国民を従わせて国民からお金を取って儲[もう]ける団体である。宗教団体も同じである。
政府が利口なふりをできるためには国民が馬鹿でないといけない。
しかし、今では科学が出来て国民が科学を学んで利口になっている。そのために、政府は科学で開拓されていない分野に逃げ回って、そこで国民を支配しようとしている。人間の心や経済についてはまだ科学で十分よくわかっていないので、政府は心や経済の分野で国民を支配しようとしている。しかし、今では心や経済についても科学でかなり理解されつつある。国民が自分で心や経済について理解して、自分で心や経済のことをやって、政府に従わなくなっている。今の日本で国民みんなが日本文化をやってオープン価格で物を売り買いしているのはそのためである。(昔は政府がすべての物の値段を決めていた。今では民間会社が自分で勝手に自分の商品の値段を決めて売っている。)科学が進めば進むほど国民が自分で考えるようになって政府に従わなくなって政府が滅んでいる。
政府にとっては科学が敵である。科学があると政府が利口ぶれなくなって国民が政府に従わなくなるから、政府が利口ぶるためには科学が邪魔[じゃま]だから、科学は政府の敵である。文学者にとっても科学が敵である。科学があると人々の夢を奪って人々が文学を読まなくなるから、文学が売れるためには科学が邪魔だから、科学は文学の敵である。そのために、政府と文学者が組んで、文学者が政府からお金をもらって人々に政府を支持させるイカサマ文学を書いているのである。今では国民のおおかたは政府に従わなくなっているが、馬鹿はイカサマ文学を真[ま]に受けて政府を支持して政府に従っているのである。