[21801] 今では物と数と心が相[あ]い容れる。 h27.4.7
昔はヨーロッパが五感主義で、インドが知覚主義で、中国が心主義でやっていた。五感では物が、知覚では数が、心では心が見える。つまり、昔はヨーロッパが科学で、インドが数学で、中国が道徳でやっていた。昔は五感主義と知覚主義と心主義は相い容れないと考えられていた。つまり、昔は物と数と心が相い容れないと考えられていた。昔は科学をやれば数学や道徳がやれず、数学をやれば科学や道徳がやれず、道徳をやれば科学や数学がやれないと考えられていた。
ところが、『デカルト座標系』の発見によって物と数が結びついた。五感界と知覚界が統合された。
『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことの発見によって物と心が結びついた。五感界と心界が統合された。
こうして、今では五感界と知覚界と心界の境界がなくなっているのである。だから、今では科学と数学と道徳が全部やれるのである。有理数に冪根[べきこん]を付け加えれば高次方程式が解けるように、科学に『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』ことを付け加えれば道徳ができるのである。[有理数に方程式の解を付け加えた集合を考えて、集合から集合への自己同型写像を考えたとき、自己同型写像の群が巡回群の積で表されるとき方程式が代数的に解けるのである(ガロアの定理)。有理数に冪根を付け足して作られた集合の自己同型写像は巡回群の積になる。一方、有理数に方程式の解を付け足して作られた集合の自己同型写像は置換群になる。有理数に冪根を付け足して作られた集合と、有理数に方程式の解を付け足して作られた集合とは自己同型写像の性質が違うから、一般に方程式は冪根では解けないことがわかるのである。4次までの置換群は必ず巡回群の積で表されるから4次までの方程式は必ず冪根で解けるが、5次以上の置換群はもはや巡回群の積では表されないから5次以上の方程式には冪根で解けないものがあることがわかるのである。(厳密には、もっと細かいことを考慮しないといけないが。)つまり、集合についての“量”を考えて、その量が方程式の解を付け足した集合と冪根[べきこん]を付け足した集合で違うことを証明すればいいのである。その量が自己同型写像なのである。図形に面積や体積や長さや角度などの量があるように、集合にも濃度とか順序数とか自己同型写像とかいろんな量があるのである。/平成27年6月24日追記)数学者は自分で“ナントカ数”を定義して、ナントカ数についての法則をいくつか見つけて、それらの法則を用いて定理を証明したり新しい数式を発見したりするのである。それが数学を志[こころざ]す者のロマンである。抽象数学は具体的な対象の一部の性質だけに目をつけて、その性質についての法則を見出だして、それらの法則を具体的な対象に当てはめて具体的な対象ついての問題を解くことである。要するに、問題を簡単化して考えやすくして解決することである。問題の核心だけに目をつけてそこだけで考えて解くことである。それは昔からよくある数学の問題を解くためのコツである。同じように、私も自分で“文化”を定義して、文化についての法則をいくつか見つけて、それらの法則を用いて『今の日本では国民みんなは政府を倒している』ことを証明したのである(後述、[21915]参照)。つまり、“文化”は国民みんなの量である。(国民みんなはは集合だから、集合の量である。)“文化”に目をつければ国の問題が解けるのである。]
今ではみんなが科学をやっても道徳がやれる。みんなが物を作りながら『人間がみな平等である』ことを守れる。だから、今ではみんなが平等制をやって身分制をやめて政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。
[21802] 今では物がわかれば心もわかる。 h27.4.7
昔のヨーロッパは科学しかない国だった。物しかわからない国だった。心がわからない国だった。心がわからなかったから心を見ることも心を自分の思い通りに動かすこともできなかった。みんなが『人間がみな平等である』ことを守れなかったから「人間が不平等」だった。身分制があった。みんなが「政府や貴族を上の者」に定めて政府や貴族に従わなければならなかった。みんなが『悪いことをやってはいけない』ことが守れず悪いことをやっていた。みんなが自分の心が見えなかったから『無知の知』がわからず“自分がわからない”ことを認めず「神がいる」と思って神に従っていた。
しかし、現代になって『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する。脳細胞と脳細胞は神経線維で連絡し合っている。』ことが発見された。物がわかれば心もわかるようになった。心を見て心を自分の思い通りに動かすことができるようになった。そのため、今ではヨーロッパは科学と道徳の両方ある国になっている。みんなが『人間がみな平等である』ことを守ることができるようになって『人間が平等』になっている。自分の知覚で『人間がみな平等である』と考えて、自分の知覚が神経線維を介して自分の感情を自分の知覚に従属させれば『人間がみな平等である』ことを守ることができる。みんなが『政府や貴族を自分と平等だ』と定めて政府や貴族に従わないようにしている。みんなが『悪いことをやってはいけない』ことを守って悪いことをしなくなっている。みんなが自分の心が見えるから『無知の知』がわかって“自分がわからない”ことを認めて『神がいない』と思うようになって神に従わなくなっている。人間は自分の五感の経験を自分の知覚で分析して概念を得て、自分の知覚にある概念を組み合わせて自然現象と同じことを作って自然現象を理解する。自分の知覚にある概念が不足しているか、または組み合わせ方がまちがっていれば、自然現象は理解できない。人間には理解できない自然現象がある。これが“無知の知”である。
今は『物と心の両方わかる時代』である。今の人は科学と道徳の両方をやらねばならない。みんなが物を作りながらみんなと平等に暮らさねばならない。
[21803] 今ではみんなが五感と知覚と心の全部を使わねばならない。 h27.4.7
昔はみんながひとつの感覚だけで生きていこうとしていた。ヨーロッパ人は五感だけで、インド人は知覚だけで、中国人は心だけで生きていこうとしていた。ヨーロッパ人は物のことがわかるだけで、インド人は数のことがわかるだけで、中国人は心のことがわかるだけで生きていこうとしていた。昔は物と数と心が対立していた。昔は科学と数学と道徳のどれかひとつしかやれなかった。昔の人は『二兎[にと]を追う者一兎[いっと]をも得ず』の諺[ことわざ]のように「物と数と心の全部をやったら全部わからなくなる」と思ってひとつだけしかやらなかったのかもしれない。
しかし、今では『デカルト座標』や『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことによって感覚の間の境界がなくなって、五感がわかれば知覚も心もわかるようになっている。物と数と心の対立がなくなっている。今では科学と数学と道徳の全部がやれる。
だから、今ではみんなが複数の感覚で生きていかねばならない。今ではみんなが五感と知覚と心の全部を使って生きていかねばならない。そうなると、『人間は五感と知覚を使って実在を認識して、実在の中で自分の心を満足して生きる』のがもっとも善い生き方であることになる。今の人間はそうやって生きていかねばならない。
[21804] アメリカはどんな国か? h27.4.7
アメリカは物のことだけやって心のことをやらない国である。(数については議論が不必要に複雑になるので省略することにする。今では、数は物の仲間だから、数を物に含めて考えればいい。)
つまり、アメリカは昔のヨーロッパと同じである。アメリカは遅れたヨーロッパである。アメリカが「自分を新しい国だ」と言っているのは嘘[うそ]である。
アメリカは心のことをやらない国だから、みんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって「政府を上の者だ」と思って政府に従っている。みんなが『悪いことをやってはいけない』ことを守らず悪いことをやっている。みんなが『自分に理解できないことがある』ことを認めず「神がいる」と思って神に従っている。自分に理解できない現象があったとき、近くにいた人を神ということにして従うことにしているのである。
今では『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』ことが知られている。今では物がわかれば心もわかる。今では科学と道徳の両方やれる。だから、今の人は科学と道徳の両方をやらないといけない。今の人は物を作りながら平等制をやって『自分が政府と平等だ』と思って政府に従わないようにして政府を滅ぼせばいいのである。政府は国民が『人間がみな平等である』ことを守らないために出来た団体である。だから、反対に国民が『人間がみな平等である』ことを守って政府を潰[つぶ]せばいいのである。
アメリカ人は映画やマンガやアニメをたくさん作っている。アメリカ人は実在の外で心のことをやっている。アメリカ人は実在の外で幸せなだけで実在の中では幸せではない。アメリカ人は実在の外よりも実在の中で心のことをやるようにしないといけない。
[21805] 今では物をやれば心もやらねばならなくなっている。 h27.4.7
昔の人は「人間の心は身体とは別に存在する」と思っていた。「人間の繊細[せんさい]な精神活動がとうてい身体なんかにできるわけがない」と思っていたからである。ヨーロッパでもインドでも中国でも世界中でそう思っていた。人間の身体が死んでも心は残る。お墓は死者の心が住むための家である。だから、世界中で死者の心のためにお墓を建てていたのである。
昔のヨーロッパではみんなが物のことだけやると決めてやっていた。ヨーロッパ人は物のことしかわからなかった。ヨーロッパ人は物についての専門バカだった。日本では昔から物と心の両方をやるのがいいことだとされているが、世界では物と心のどちらかひとつをやるのがいいことだとされていたのである。日本人は自分がいろんなことを幅広くやって総合的な才能で有利に生きればいいと思っているが、外人はひたすら自分の専門分野をやって自分の専門分野の才能を伸ばして有利に生きればいいと思っているのである。日本人と外人は人生についての考えが違っているのである。大陸は人が多いから仕事が分担できるから一人がひとつのことだけやればいいと思っているから専門的になり、反対に島国は人が少ないから一人がいろんなことをしないといけないと思うから総合的になるのかもしれない。つまり、大陸はひとつの国である。本当はユーラシア大陸全体でひとつの国なのである。ひとつの国がヨーロッパとインドと中国という3つの地域に分かれているのである。地域で仕事を分担して、ヨーロッパでは科学をやり、インドでは数学をやり、中国では道徳をやることにしたのである。文化交流によって他人の仕事を利用してお互いに助け合いながらやっていくことにしたのである。それが世界というものである。一方、日本は大陸から外れているから、昔から世界中の文化を受け入れて世界中の文化を混ぜ合わせてひとつにしてやっていたのである。だから、外国と日本では才能に対する考え方が違うのである。大陸では専門性が強くなりすぎたために、ヨーロッパでは物のことだけやっていたのである。
昔のヨーロッパ人は物のことだけやっていたので、昔は「身体と心は別である」と考えられていたので、昔のヨーロッパ人は身体のことをやるだけで心のことをやらなかった。心のことをやらなかったので、みんなが自分の心を思い通りにできず『人間がみな平等である』ことを守れず「人間が不平等である」ことになって身分制が出来たのである。みんなが「政府が上の者だ」と思って政府に従っていたのである。ヨーロッパ人が身分制をやめるためにはヨーロッパ人が道徳ができるようにならねばならなかったが、昔のヨーロッパ人は道徳がどうしてもできなかったので身分制をやめることができなかったのである。近代の日本でもヨーロッパ文化を受け入れて物だけやって心をやらないことにして身分制をやって、国民みんなが政府に従っていたのである。[h27.5.6追記)ヨーロッパ人は道徳が苦手なために身分制だったのだ。つまり、昔は世界中どこでも身分制だったのである。昔はヨーロッパでもインドでも中国でも日本でも身分制をやっていたのである。昔は道徳が遅れていて国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守れなかったので身分制だったのである。時代が進んで道徳が発達して国民みんなが『人間がみな平等である』ことが守れるようになると平等制になるのである。ヨーロッパでは科学が発達したが道徳が発達しなかったので身分制のままだったのである。インドでは数学が発達したが道徳が発達しなかったので身分制のままだったのである。中国では科学や数学は発達しなかったが道徳が発達したので平等制の社会になったのである。日本は中国から道徳を取り入れていた時代には平等制だった。今の日本はそこそこ道徳があるが油断してはいけない。道徳は科学や数学と同じように知識である。日本が自分で道徳を残そうとしなければ道徳はすぐになくなる。日本がみんなが悪いことをやる身分制の国になる。だから、日本は道徳を大事にして道徳を保存して道徳をさらに高めねばならない。科学や数学のように道徳を論理的に体系化して道徳をまとめて、みんなが道徳を学びやすいようにしないといけない。]
ところが、今では『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことがわかっている。物がわかれば嫌でも心もわかることになっている。ヨーロッパ人はもはや物のことだけやるわけには行かなくなった。心のこともやらねばならなくなった。そのため、今のヨーロッパ人は物と心の両方やっている。今のヨーロッパ人は科学と道徳の両方をやっている。今のヨーロッパ人は『人間がみな平等である』ことを守らなければならなくなって身分制をやめて平等制をやるようになって政府に従わなくなって戦争をしなくなっている。今のヨーロッパ人は政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。現代の日本でもみんなが物と心の両方やれるようになって『人間がみな平等である』ことを守れるようになって政府と平等にして政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
今では『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』と考えられている。つまり、『人間の心は脳にある。』人間の身体が死ねば脳が神経興奮しなくなって心もなくなる。人間が死ねば心もなくなる。死者の心がなければお墓も要らない。だから、今では世界中でお墓を建てなくなっているのである。
[21806] どうして日本では身分制をやっているのか? h27.4.8
今の日本では国民が政府の命令を聞いて税金を払ったり国家宗教をやったりしている。今の日本では政府が上の者で国民が下の者である。テレビや新聞や教科書の上では国民と政府が平等だが、実際には国民が一方的に政府に従っていて国民と政府が不平等である。今の日本ではみんなが身分制をやっている。
今の日本でみんなが身分制をやっているのは、近代の日本でみんながヨーロッパ文化を真似[まね]て物のことだけやることにしたからである。みんなが物のことだけやることにしたから心のことがやれなくなって自分の心を自分の思い通りに動かせなくなって『人間がみな平等である』ことを守れなくなって「人間が不平等」になって身分制をやっていたのである。国民が「政府を上の者だ」と考えて政府に従うことにしていたのである。今の日本は近代の日本を引きずっているから身分制をやっているのである。
しかし、今では『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』ことがわかっている。だから、物のことがわかれば心のことがわかる。科学をやれば道徳もやれる。自分の心を見て自分の心を自分の思い通りに動かすことができる。だから、今ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守れるようになって平等制をやれるようになって身分制をやめている。みんなが政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府が潰[つぶ]れている。
昔と今ではみんなのやることが違う。近代の日本では科学しかやれなかったが、今の日本では科学と道徳の両方やれる。だから、今の日本ではみんなが科学と道徳の両方をやって物を作りながらみんなと平等に暮らせばいいのである。
科学をやり続けていればそのうち数学や道徳もできるようになる。科学の研究の中で得られた発見が数学や道徳への道を拓[ひら]くのである。科学をやれば数学も道徳もできる。科学は万能の方法である。だから、今では世界中でみんなが科学をやるようになって、科学と数学と道徳の全部ができるようになっているのである。今は世界中で『物と数と心の全部をやる時代』である。だから、日本も世界に合わせて物と数と心を全部やればいいのである。
[21807] 交流がなければ文化は偏[かたよ]るものである。 h27.4.9
昔からヨーロッパは科学が得意だった。インドは数学が得意だった。中国は道徳が得意だった。昔は国際交流がほとんどなかった。そのために、ヨーロッパは科学だけが発達して数学や道徳が遅れていた。インドは数学だけが発達して科学や道徳が遅れていた。中国は道徳だけが発達して科学や数学が遅れていた。つまり、世界的には文化が科学や数学や道徳のどれかひとつに偏っているほうが普通なのである。
一方、日本は昔から世界中の文化を取り入れてやっていたから特定の文化に偏らず科学も数学も道徳も全部やってきたのである。日本が例外的なのである。
しかし、今では国際交流が盛んになっているから、世界中の文化が入り混じって、世界中でみんなが科学や数学や道徳の全部をやるようになっている。今では『デカルト座標』や『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことの発見によって『科学と数学と道徳が対立しない』ことがわかっているから、世界中のみんなが科学と数学と道徳をやって暮らすようになっているのである。
今では世界中のみんなが道徳をやるようになって『人間がみな平等である』ことを守るようになって平等制をやるようになって身分制をやらなくなって政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。
[21808] 今では世界中で科学と数学と道徳をやっている。☆☆ h27.4.9
近代の日本はヨーロッパを真似[まね]て物のことだけやって心のことをやらないようにしていた。科学だけやって道徳をやらないようにしていた。日本が道徳をやらないために政府が出来た。国が道徳をやらなければ、みんなが自分の心を思い通りにできないから、みんなが『人間がみな平等である』ことを守れないから、人間が不平等になって身分制をやることになって、みんなで“上の者の団体”である政府を建てて政府に従うことにしたのである。
ところが、現代の日本は物と心の両方やっている。科学と道徳の両方やっている。今では『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』つまり『心が脳にある』ことがわかっているので、物をやれば心がわかる。だから、道徳をやっている。それに今では国際交流が進んで世界中の国が世界中の国の文化を取り入れているから、どこの国でも科学と数学と道徳の全部をやっている。
そういうわけで、今の日本では道徳をやっている。したがって、今の日本ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守るようになって平等制をやって身分制をやめて“上の者の団体”である政府を潰[つぶ]すべきである。みんなが政府と平等にして、政府の命令を聞かなくなって、政府に税金を払わないようにして政府を倒すべきである。身分制でやるとみんなが上の者のまちがった考えに従うからいけない。平等制でやったほうがみんなが正しい考えに従うからそのほうがいい。
政府は国が道徳をやらないことによって出来た団体である。近代の日本は道徳をやらなかったから政府が出来た。今の日本は道徳をやっているから政府が滅ぶべきである。早くみんなで政府の替わりに『国民と平等な政治機関』を建てて、みんなが平等に暮らせる国を作らなければならない。
国に科学と数学と道徳のすべてがあれば国民はもっとも幸福に暮らせる。だから、近代の日本でもヨーロッパの科学だけあって道徳がない文化を受け入れるのではなく、ヨーロッパから科学を受け入れると同時にインドから数学を中国から道徳を受け入れて、みんなが科学と数学と道徳の全部をやって暮らせばよかったのである。ヨーロッパは科学があって道徳がない国である。ヨーロッパは道徳がないためにみんなが不幸に暮らさねばならないのである。日本はヨーロッパを真似るのではなく、世界中の文化の長所を取り入れることによってみんなが幸福に暮らせる国にすればいいのである。
日本は昔から「繁栄している国の文化を真似れば自分も幸福になれる」と考えて当時の世界中でもっとも繁栄している国の文化をそのまま受け入れてきた。しかし、繁栄している国は長所で繁栄しているだけで、繁栄している国にも短所がある。みんなが長所によって幸福になり、短所によって不幸になっている。だから、日本は繁栄している国の文化をそのまま受け入れるのではなく、世界中の国の長所を受け入れて短所を受け入れないようにして『科学と数学と道徳の全部が進んだ国』にすればいい。そうすれば、みんながもっとも幸福に暮らすことができる。
ヨーロッパは科学が長所で数学と道徳が短所である。インドは数学が長所で科学と道徳が短所である。中国は道徳が長所で科学と数学が短所である。「ヨーロッパは先進国だ」とよく言うが、ヨーロッパは科学が進んでいるだけで、数学や道徳は遅れている。『ヨーロッパは科学について先進国であるだけで、数学と道徳については後進国』である。国や人間には長所があれば短所もある。長所を真似るのは賢いが、短所を真似るのは馬鹿である。だから、国や人間をそのまま受け入れるのではなく、国や人間の長所だけを受け入れて短所を受け入れてはならない。ヨーロッパが戦争をするのは、ヨーロッパに道徳がなくみんなが『人間がみな平等である』ことを守れず身分制をやって国民が政府の言いなりになって政府の命令で殺し合いをさせられているからだから、日本はヨーロッパを真似て戦争をしてはいけないのである。戦争は政府の国民に対する嫌がらせにすぎないから、戦争の勝ち負けに意味はない。だから、日本がアメリカに戦争で負けたからといって、日本がアメリカの言いなりになる必要はないのである。戦争では国と国とが戦うけれども、本当はそれぞれの国の国民みんなが自分の国の政府の命令に従ってやっているだけのことなのである。だから、戦争に勝ったも負けたもないのである。国民みんなが身分制をやって政府に従っているだけなのである。つまり、日本はアメリカに負けたのではなく、国民みんなが自分から身分制をやって政府の命令を聞いて死んだのである。日本は国民みんながまじめに身分制をやったから自分から真剣に政府の命令を聞いたから死んだのである。反対に、アメリカ人はまじめに身分制をやらず政府の命令を無視してサボったから死なずにすんだのである。人殺しにおいてはアメリカが日本に勝ったが、身分制においては日本がアメリカに勝ったのである。つまり、『戦争では負けるが勝ち』なのである。要するに、『戦争とは死ぬこと』なのである。戦争とは相手を殺すことではなく自分が死ぬことである。戦争とは国民が上の者の命令に従って死ぬことなのである。太平洋戦争では死ぬことにおいては日本がアメリカに勝ったのである。だから、本当は日本がアメリカに勝ったのである。日本人は自殺狂の不合理的な民族ではなく、社会学的には合理的な民族だったのである。日本人はちゃんと身分制に適[かな]ったことをやったから政府の命令で戦争をやって死んだのである。
ヨーロッパは科学が進んでいることでみんなが幸福だが、数学や道徳が遅れていることでみんなが不幸である。インドは数学が進んでいることでみんなが幸福だが、科学や道徳が遅れていることでみんなが不幸である。中国は道徳が進んでいることでみんなが幸福だが、科学や数学が遅れていることでみんなが不幸である。どこの国でも、みんなが長所で幸福になり、短所で不幸になっている。そのため、今では世界中で『科学と数学と道徳のすべてがある国がもっとも幸福な国である』ことがわかって、みんなが科学と数学と道徳全部をやるようになっている。だから、日本もそうすればいい。日本は科学をやってみんなが物を作ればいい。日本は数学をやってみんなが数の知識を使って暮らせる社会にすればいい。日本は道徳をやって、みんなが『人間がみな平等である』ことを守ってみんなが平等な社会を作ればいい。政府はみんなが『人間がみな平等である』ことを守らずみんなが身分制をやるためにある団体だから、みんなが政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
政府は昔のヨーロッパ文化でやっているから、昔のヨーロッパ文化には道徳がなくて嘘[うそ]をつくぐらい当たり前だったから、政府はテレビや新聞で嘘をついて民主主義の芝居をやって国民と平等にしているふりをしているのである。しかし、本当は政府は上の者をやっている。もしも、政府が平等制をやる団体なら、国民と契約を取って国民からお金をもらって国民に仕事をするはずである。しかし、政府はそうしていない。政府は勝手に選挙をやって自分に都合のいい代表者を決めて税金の法律を決めて国民から税金を取っている。政府は選挙をやることによって『人間がみな平等である』ことを守らないようにしている。だから、政府は身分制をやる団体である。一方、今の国民みんなは道徳をやることにしている。今の国民みんなは『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって身分制をやらないことにしている。だから、今の国民みんなは政府と平等にして政府に従わないようにしてたとえ政府が「税金を払え」と命令しても政府の命令を無視して政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
今は平等制の社会だから、今では『人間がみな平等である』ことが社会の原理だから、今ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならないから、政府が選挙をやったからといって『人間がみな平等である』ことを守らないのがいけない。今では『人間がみな平等である』ことが社会の原理だから、政府がたとえ選挙をやっても『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。選挙をやろうがやるまいがとにかく政府は『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。選挙は政府が『人間がみな平等である』ことを守らなくてもいい理由にはならない。政府がいくら選挙をやったからといって政府が『人間がみな平等である』ことを守らなくていいことにはならない。本当は政府と国民は平等なままである。選挙はただのまやかしにすぎない。政府が選挙をやろうがやるまいが政府が『人間がみな平等である』ことを守らねばならないことに変わりはない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府と平等にして政府の命令を聞かなくていいのである。
近代の日本ではみんながヨーロッパを真似て身分制をやっていたから政府に従っていた。しかし、今の日本ではみんなが道徳をやって平等制をやっているのに政府に従っている。今の日本ではみんなが「政府が平等制をやっている」と思って政府に従っている。今の日本ではみんなが政府に騙[だま]されている。今の政府は上辺[うわべ]で平等制をやっているだけで、実際には身分制をやっている。今の政府は“隠れ身分制”をやる団体である。早くみんなで政府の化けの皮を引っぺがして政府を倒さなければならない。
要するに、政府の正体は身分制の上の者をやる団体である。しかし、今の日本では国民みんなは道徳をやることにして平等制をやることにしている。だから、今の国民は政府に従わないようにしなければならない。今の国民は「政府が平等制をやっている」と誤解しているために政府に従っている。だから、今の国民は早く自分の誤解を直して政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さなければならない。
今の政府は国民の目を騙しながら身分制をやっている。今の政府はトラの威を借りれないキツネである。今の政府は弱[よん]わい。近代の政府は国民みんなが身分制をやっていたから国民みんなの威を借りられたから強かったが、今の政府は国民みんなが平等制をやっていて孤立無援であるから弱い。そもそも政府は身分制の上の者をやる団体だから、国民みんなが平等制をやっていれば政府は四面楚歌になって誰の助けも借りられなくなって弱いのである。だから、今の国民は政府を怖れずに政府に税金を払わずに政府を倒してやればいいのである。

[21809] 今の国民は平等制をやっているから政府を潰[つぶ]さなければならない。☆☆☆
h27.4.14
今の国民は科学と数学と道徳をやっている。今では世界中で『国民が科学と数学と道徳の全部をやれば幸福に暮らせる』ことがわかっているから、国民は科学と数学と道徳をやっている。今の国民は道徳をやっているから平等制をやっている。
ところが、政府は身分制をやっている。政府は“平等制のふりをして身分制”をやっている。政府はテレビや新聞の上で国民と平等にしているふりをして国民の役に立っているふりをして、実際には上の者をやって国民に命令して国民から税金を取って国民を虐待している。
政府は今の国民と違う制度をやっているから、国民は政府を倒さなければならない。今の国民は自分が平等制をやっているから政府と平等にしなければならない。今の国民は政府の芝居に騙[だま]されないようにして、たとえ政府が「税金を払え!」と命令しても、自分がしっかりして政府と平等にして政府に税金を払わないようにして政府を潰さねばならない。今の国民は政府が自分と正式に契約を取るまで政府に税金を払ってはいけない。国民は早く政府を倒して、政府の替わりに『平等制の政治機関』を建てねばならない。
近代の国民はヨーロッパを真似[まね]て「科学と数学をやって道徳をやらなかった。」近代の国民は道徳をやらなかったから身分制をやっていた。政府は上の者をやっていた。だから、近代の国民は政府に従っていた。反対に、今の国民は『科学と数学と道徳の全部』をやっている。今の国民は道徳をやっているから平等制をやって身分制をやめている。一方、政府は上の者をやっている。だから、今の国民は政府と平等にして政府に従うのをやめて政府を潰さなければならない。近代の国民と今の国民は違う文化をやっているから、近代の国民は政府に従ったが、今の国民は政府を倒さなければならないのである。
近代の国民は「繁栄している国の文化を真似[まね]れば幸福になる」と思って一生懸命にヨーロッパの文化を真似ていた。近代の国民は科学をやって道徳をやめて身分制をやって政府に従った。しかし、幸福にはなれなかった。近代の国民の考えはまちがっていた。『人間はまちがいを犯すことがある』から、近代の国民の考えはまちがっていたのである。今の国民は『世界中の国の文化の長所を取り入れれば幸福になれる。科学と数学と道徳を全部やれば幸福になる』と考えて世界中の国の文化の長所を取り入れて科学と数学と道徳の全部をやっている。だから、今の国民は幸福になっている。今の国民の考えは正しい。だから、今の国民は道徳をやって平等制をやって政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府を倒せばいいのである。
そもそも政府が民主主義をやっているのは政府が善い人のふりをするためである。政府は昔のヨーロッパ文化をやっていて、昔のヨーロッパは道徳のない社会だったからみんなが嘘[うそ]をついていたからみんなが本当は悪いことをやっているのに人前では善い人のふりをしていたのである。日本とヨーロッパは文化が違う。日本には道徳があるが、ヨーロッパには道徳がない。日本人は正直だが、ヨーロッパ人は嘘つきである。だから、今の国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして『政府が身分制をやっている』と考えて政府を倒さねばならない。
近代の国民は『政府が嘘で民主主義をやっている』ことを知っていて頭の中で『政府が本当は上の者をやっている』と考えて政府に従っていた。今の国民は『政府が嘘で民主主義をやっている』ことを知らずに眼先で「政府が国民と平等にしている」と思って政府に従っている。今の国民は政府についての理解が足りない。今の国民はもっと政府のことをよく理解して政府の正体を見極めて政府と対応しないといけない。
要するに、今の国民は平等制をやっている。ところが、政府は身分制をやっている。今の国民は平等制をやっているから身分制をやっている政府に従ってはいけない。今の国民は自分で平等制をやって政府に従わないようにして政府を倒さなければならない。もしも、政府が国民と同じ平等制をやっていれば国民は政府に従わなければならないが、政府は国民と違う身分制をやっているから国民は政府に従ってはいけない。平等制をやっている国民が身分制をやっている政府に従わないのは、資本主義をやっている国民が社会主義をやっている政府に従わないのと同じことである。国民は身分制から平等制に変わっている。昔の国民は身分制をやっていたから政府を支持して政府に従っていたが、今の国民は平等制をやっているから政府に反対して政府を倒さねばならない。
身分制の実体は政府ではなく、身分制をやっている(つまり政府に従っている)国民である。だから、国民は身分制をやめて政府に従うのをやめて、平等制をやって政府と平等にしなければならない。国民は政府と平等にすることによって政府を倒さなければならない。
[21810] どうして女は綺麗[きれい]さにこだわるのか? h27.4.19
女が馬鹿だからである。
女は頭が弱いから正しいことがわからない。だから、女は他人に頼らねばならならない。だから、女は見る者ではなく見られる者である。だから、女は綺麗さにこだわるのである。女は他人に頼るために他人によく思われねばならないので化粧ばかりするのである。
オカマが綺麗さにこだわるのもそもそも馬鹿だからである。頭が弱いからである。オカマは利口ぶってベラベラしゃべるが本当はただの馬鹿である。人間のクズである。オカマは頭が弱くて他人に頼らねばならないから綺麗にしなければならないのである。
女が馬鹿なのは生まれつきだからしかたがない。反対に、男の馬鹿は許せない。オカマの正体はただの馬鹿である。男の馬鹿である。男なのに馬鹿である。男の馬鹿には価値がない。だから、死んだほうがいい。
[21811] 正しい人間は幸福であり、まちがった人間は不幸である。 h27.4.19
『人間は実在を知り、実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる。』これが幸福の公式である。
人間は実在の中でのみ幸福になれる。人間は実在から離れたら幸福になれない。人間は空想では幸福になれない。人間が空想を知ると実在の中でまちがいを犯して不幸になる。人間は正しいことを知れば善い人になって幸福になり、まちがったことを知れば悪い人になって不幸になる。だから、人間には正しいことを教えればいい。まちがったことを教えてはいけない。
だから、子供にはマンガやラジオやテレビなどを買い与えてはいけない。たとえ子供がマンガやラジオやテレビなどを欲しがっても、子供にそれらを買い与えてはいけない。マンガやラジオやテレビなどは子供にまちがった情報を与えて子供を悪い人間に変えて子供の人生を不幸にするからである。
子供にはマンガやラジオやテレビなどのまちがった情報を与える物を買ってやるよりも、教養書や現実そのものなどの正しい情報を与える物を買ってやればいい。そうすれば、子供は善い人間になり幸福になれるだろう。
都会は作り事に満ちていて子供や大人にまちがった情報を与えている。反対に、田舎[いなか]には自然がたくさんあって子供や大人に正しい情報を与えることができる。だから、都会の人は悪い人で不幸であり、田舎の人は善い人で幸福なのである。
私が中学2年生の頃に母親がラジカセを買ってくれた。中学2年生の冬に風邪[かぜ]にかかって寝苦しくてラジオをつけたら『笑福亭鶴光[しょうふくていつるこう]のオールナイトニッポン』をやっていた。鶴光がおもしろ楽しくエッチな話をするので、私は「性欲はいい感情だ」と思った。そのために、私は中学3年生の2学期頃からオナニーをするようになり激情的になり高校1年生のときに隣の席の馬鹿が授業中に教科書のパラパラめくりをするのを見て腹を立てて怒りの感情とテレパシー器官を同時に興奮させて精神分裂病に罹[かか]ってしまった。もしも、母親が見栄[みえ]を張って周[まわ]りのみんなに合わせて子供にラジカセを買い与えなかったら、私の人生はうまく行って私は幸福な人生を送っていたかもしれない。(私は「馬鹿が教科書のパラパラめくりをする」のが嫌だったのだから、「馬鹿が教科書のパラパラめくりをする」のをやめさせればいいだけだったのである。「馬鹿がパラパラめくりをする」のをやめさせるためには、テレパシーで訴えるのではなく、声か身体(肉体言語)で伝えるべきである。そうしなかったのは私がいけない。いくら私が一生懸命にテレパシーで訴えても他人は聞いてくれないから、テレパシーで訴えても無駄[むだ]である。授業中だから『馬鹿がパラパラめくりをしない』ことが正しいから私が腹を立てるのはしかたがないが、私が馬鹿にパラパラめくりをやめさせる“方法”がまちがっていたのである。しかも、授業中には声や身体で自分の意思を他人に伝えることはできない。だから、私は馬鹿がパラパラめくりをするのを我慢[がまん]すべきであった。そうしなかったのは私が悪い。当時の私にそういう考えができなかったのは、私がオナニーをやったり夜遅くまで起きて勉強していたために脳が疲れていて知覚が十分に働かなかったせいである。だから、オナニーをやってはいけないし、あまり夜更[よふ]かしをして勉強してもいけない。当時の私が馬鹿がパラパラめくりをするのを見て過度に腹を立てたのは、オナニーをして自分の感情を肯定していたからである。だから、オナニーをしてはいけない。そもそも馬鹿が教科書のパラパラめくりをしたぐらいでわざわざそんなに腹を立てる必要はない。私自身もオナニーをやって勉強が嫌いになっていたから、授業に集中せず、馬鹿がパラパラめくりをするのがそんなに気になったのだろう。『眼には眼を歯には歯を』だから、教科書のパラパラめくりをしたぐらいで相手を殴[なぐ]りつけるのはいけない。相手が具体的にやったことで処罰を決めるべきであって、自分の怒りの程度で処罰を決めてはいけない。教科書のパラパラめくりをした相手を罰するには、自分も同じように教科書のパラパラめくりをするしかないのである。)
今度の政府の件を見てもわかるように、今はまだ馬鹿がいないほどいい世の中ではない。世の中に馬鹿がいなければみんなが平等制をやって政府に従うのをやめてとっくの昔に政府は潰[つぶ]れている。今の世の中には馬鹿がたくさんいる。馬鹿はまちがったことをする。人間が他人のまちがいに腹を立てると怒りの感情が死ぬまでずっと興奮し続けるようになって精神分裂病に罹る。だから、他人のまちがいに腹を立ててはいけない。人間は他人のまちがいに対して寛容[かんよう]でなければならないのである。
私は中学2年生の頃に鶴光のラジオを聞いて「性欲がいい感情だ」と思ったが、本当は『性欲は悪い感情』である。性欲を満足すると“自分で自分の脳を興奮させる悪い癖”が身について何かのきっかけで自分の怒りの感情やテレパシー器官を興奮させて精神分裂病に罹って自分が不幸になるから、性欲は悪い感情なのである。性欲以外の感情を満足する場合には“自分で自分の脳を興奮させる悪い癖”が身につかないから、性欲以外の感情は善い感情なのである。
この世は本質的には正しいかまちがいかの区別しかない。それに、楽しさや綺麗[きれい]さなどの余計なことが加わっているだけである。人間は正しければいいだけである。バカは頭が働かなくて正しいことがわからないから楽しさや綺麗さなどの余計なことにとらわれるのである。女が綺麗なのは長所ではない。男が汚いのは短所ではない。綺麗さや汚さはどうでもいいことである。人間の長所は正しさしかない。だから、人間は自分が正しくなるように努力すればいいのである。多少暑いほうが身体にはいい。たとえ涼しくても身体には悪い。つまり、人間の心は当てにはならない。人間の頭のほうが心よりも正しい。だから、人間はただ正しければいいのである。人間は正しくしさえすればいいのである。
[21812] 「多数決の原理」はない。 h27.4.20
世の中に本当に「多数決の原理」があったら、原始時代のままである。世の中には利口よりも馬鹿のほうが多いから、本当に「多数決の原理」が通用したら利口が馬鹿に従わねばならないからみんなが馬鹿でなければならないから、文明が進まなくなって原始時代のままのはずである。ニュートンやアインシュタインなんかが出るわけがない。
しかし、実際には原始時代のままではない。だから、この世には本当は「多数決の原理」はないのである。
人類の文明が発達するのはみんなが「多数決の原理」に従わず『真理決の原理』に従うからである。つまり、人間は多数の意見に従うのではなく、正しい考え(つまり真理)に従うのである。
馬鹿は自分で考えることができないから利口に頼る。馬鹿には利口に頼る心理がある。馬鹿は利口に頼らねばならないので、馬鹿は利口に従う。利口は正しいことに従う。だから、人類全体が正しいことに従って人類の文明が発達するのである。
馬鹿に自信がないから、世の中がうまくいくのである。馬鹿に自信があったら、馬鹿がみんなにまちがいを押し付けてみんながまちがった考えを持つようになって世の中がおしまいになる。だから、馬鹿はおとなしく利口に従っていればいいのである。それが『馬鹿の道徳』というものである。
本当は「多数決の原理」はない。だから、いくら周[まわ]りに合わせてもダメである。本当は『真理決の原理』しかない。だから、自分で考えたり他人から学んだりして正しいことを知って正しいことに従わねばならない。正しいことを実行しないといけない。
そもそも「多数決の原理」は、政府が作った嘘[うそ]の原理である。政府は嘘つきだから、自分が国民と平等にしているふりをするために嘘の民主主義を始めて、嘘の民主主義を肯定するために「多数決の原理」というまちがった原理を作り出したのである。つまり、「多数決の原理」は政府が作り出した嘘の原理である。この世には本当は『真理決の原理』しかない。だから、みんなは「多数決の原理」を守らず『真理決の原理』だけを守ればいいのである。政府があるとまちがった「多数決の原理」が広まる。みんながまちがった原理で行動して世の中が悪くなる。だから、早く政府を倒してまちがった「多数決の原理」をなくさねばならない。
[21813] 政府は道徳のない国にしようとしている。☆ h27.4.21
政府は道徳がない文化が生み出したものである。政府は道徳のない文化の産物である。政府が生き残るためには道徳がない国でなけばならない。
そのため、今の政府は自分が生き残るために国から道徳をなくそうとしている。政府は国にいろんなくだらない習慣を流行[はや]らせて国民にまちがった道徳を教えて国民に道徳がわからないようにしている。
国民が幸福に暮らすためには科学と数学と道徳の全部が必要である。国民が幸福に暮らすためには道徳が要る。国に道徳がなくなったら国民は不幸に暮らさねばならなくなる。上の者の政府が幸福なだけで、下の者の国民は不幸である。国民は政府の誘導に引っかからないようにして自分で道徳を勉強して道徳をやって道徳のある国にしなければならない。国民は道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さなければならない。
[21814] 政府は昔の「道徳がない文化」の名残[なごり]である。 h27.4.22
中世までのヨーロッパでは科学しかやっていなかった。数学や道徳をやっていなかった。
近代になってヨーロッパでは科学と数学をやるようになった。それでも、まだ道徳をやっていなかった。
現代になってようやくヨーロッパでは科学と数学と道徳の全部をやるようになった。
今では世界中の国で科学と数学と道徳の全部をやるようになっている。
今の日本でも科学と数学と道徳の全部をやっている。国民は『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。国民は『道徳がある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやってみんなと平等にしている。
ところが、政府は昔のヨーロッパの「科学と数学があって道徳がない文化」をやっているから、いまだに『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやっている。政府は昔のヨーロッパの「道徳がない文化」をやっているから、道徳がない文化では嘘[うそ]をつくのが習慣だから、政府はテレビや新聞で嘘をついて民主主義の芝居をやって自分が国民と平等にしているふりをしている。今の国民は政府の芝居に騙[だま]されて「政府が平等制をやっている」と思って政府に従っている。しかし、本当は『政府は身分制をやっている』のである。国民の「ヨーロッパ文化」に対する理解が足りないから政府のやっていることがわからないのである。身分制では上の者が下の者からお金を取って虐待するだけだから、政府は国民から税金を取って国民を虐待するのである。身分制では上の者が下の者のために働くことはないから、政府は国民のために役に立つことをしないのである。だから、今の国民は政府に従わないようにして政府を倒さなければならない。平等制ではみんながお互いに他人の役に立つことをしてお金をもらう。だから、平等制の政治機関は国民の役に立つことをして国民からお金をもらう。今の国民は早く身分制をやっている政府を倒して、平等制をやる新しい政治機関を建てて平等制の国にしないといけない。[平等制の社会では、誰でも自分が好きな仕事ができるから、誰でも政治機関の仕事をやっていいから、特定の政治機関が国民から強制的にお金を取って仕事をするわけにはいかない。政治機関は国民一人一人と自由に契約して国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。今の政府は身分制の政治機関だから国民から強制的にお金を取って国民のために役に立つことをしないから、政府はいけない。政府が国民から強制的に税金を取っていることが、政府が身分制の政治機関である証拠である。今の国民は平等制をやって身分制をやっていないから政府に従わなくていい。国民は自分でしっかり平等制をやって政府が自分のところに契約を取りに来るまで政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さなければならない。]
今では世界中で『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。今の日本でも国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。政府が一人だけ古臭い「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている。政府は国民みんなと違う文化をやっている。今の国民みんなは自分たちと違う文化をやっている政府を倒してみんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国にしないといけない。
国民が政府に従うのは、政府の意見が国民みんなの総意であるからでも、政府が国民を指導して国民の役に立つことをしてくれるからでも、政府が国民を武器で脅[おど]すからでもなく、国民が自分で身分制をやっているからである。国民が自分で道徳をやらず『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって「政府が上の者だ」と思っているから政府に従うのである。国民が自分で「科学があって道徳のない文化」をやっているから、国民が政府に従うのである。しかし、今の世界ではみんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。だから、今の世界では国民みんなが政府に従わなくなっているのである。政府が潰れてなくなっているのである。政府が国民に命令を聞かせられるのは、政府と国民の両方が身分制をやっている場合だけである。政府は昔も今も身分制をやっている。昔の日本では国民が身分制をやっていたから、国民が政府に従っていたから、政府が国民に命令を聞かせることができたのである。今の世界では国民が身分制をやめて平等制をやっているから、いくら政府が国民に命令しても、国民が政府の命令を聞かなくなっているから、政府が国民に命令を聞かせられなくなって政府が国民から税金を取れなくなって政府が滅んでいるのである。今の政府は自分ひとりで身分制をやっているだけである。国民みんなで平等制をやって政府に従わないようにして早く政府を倒さねばならない。今の国民は自分が平等制をやっているから政府に税金を払わなくていい。たとえほかの国民が文句をつけても、政府や自分自身について理解せずにやみくもに政府に税金を払っている国民が悪いのだから、国民はほかの国民の文句を無視して政府に税金を払わなくていい。
[21815] 科学と数学と道徳のどれかが欠けている国が異常な国である。 h27.4.24
日本はこれまで世界で繁栄している国の文化をそのまま受け入れてきた。日本は古代や近代にはヨーロッパの「科学があって数学も道徳もない文化」を受け入れて、中世にはインドの「数学があって科学や道徳がない文化」や中国の「道徳があって科学や数学がない文化」を受け入れてきた。日本はこれまで科学と数学と道徳の全部をやってきた。
反対に、外国はこれまで自分の国の文化しかやってこなかった。外国は科学か数学か道徳のどれかひとつしかやってこなかった。ヨーロッパは科学しかやってこなかったし、インドは数学しかやってこなかったし、中国は道徳しかやってこなかった。
そのため、日本には科学と数学と道徳の全部があるが、外国には科学か数学か道徳のどれかひとつしかないのである。科学と数学と道徳の全部ある国が正常な国で、科学と数学と道徳のどれかが欠けている国が異常な国である。
例えば、道徳とは人間が自分の心を自分の思い通りに動かすことである。日本には道徳があるからみんなが自分の心を自分の思い通りに動かせるから世の中がまともである。みんなが『人間がみな平等である』ことを守って世の中が平和である。反対に、道徳のない国ではみんなが自分の心を自分の思い通りに動かせないために世の中がおかしくなっている。例えば、道徳のない国には身分制がある。道徳のない国ではみんなが自分の心を自分の思い通りにできないために、『人間がみな平等である』ことが守れないので、「人間が不平等」になって身分制が出来たのである。
ヨーロッパは戦前まで自分の国の文化をひたすらやるだけで「科学があって道徳がない国」だったから、みんなが物を自分の思い通りに動かすことができたが、自分の心を自分の思い通りに動かすことができなかった。そのために、身分制があって、政府が上の者で国民が下の者で、国民が政府の命令に従って税金でも戦争でも国家宗教でも何でもやってきた。ヨーロッパは科学が進んでいることで幸福になっていたが、その反面道徳が遅れていることで不幸になっていたのである。ヨーロッパ人は科学においては利口だったが、道徳においては馬鹿だったのである。
ヨーロッパは戦後になって『脳の科学』が発達して科学で道徳を理解したり、国際交流が盛んになって道徳のある国の文化を受け入れたりして『科学と道徳の両方ある国』になったから、みんなが物と心の両方とも自分の思い通りにできるようになった。みんなが『人間がみな平等である』ことを守れるようになって身分制をやめて平等制をやるようになった。みんなが政府と平等にするようになって政府の命令を聞かなくなって政府が滅んでいる。
一方、日本は戦前は「繁栄している国の文化をそのまま受け入れればいい」と考えて、ヨーロッパの文化を受け入れて「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、みんなが道徳をやめて身分制をやって政府に従っていた。昔の日本は「繁栄している国は全部がいい」と思っていたから、繁栄している国の文化を長所も短所もそのまま全部受け入れたのである。そのために、昔の日本は繁栄している国の長所で美味[おい]しい思いをしたが、反対に短所で嫌な思いをしたのである。私が子供の頃に私が私の母親の言葉の辻褄[つじつま]の合わないことに文句を言っていると私の父親が「他人の粗[あら]を取るな!」と言って私を怒ったことがあるように、昔の人は物の見方が大雑把[おおざっぱ](つまり総合的)だったから「いい人には長所や短所があるが全部ひっくるめていい。悪い人にも長所や短所があるが全部ひっくるめて悪い。それと同じように、繁栄している国には長所や短所があるが全部ひっくるめていい。衰退している国には長所や短所があるが全部ひっくるめて悪い。」と思っていたのである。だから、昔の人は繁栄している国に短所があることがわかっていたが「繁栄している国の粗[あら]を取ってはいけない」と思って長所といっしょに短所も取り入れたのである。
日本は戦後は『世界中の国の文化の長所を受け入れればいい』と考えて、世界中の国の文化の長所を受け入れて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになったから、みんなが道徳をやって平等制をやって政府に従わなくなったのである。今の日本は『どんな国にも長所と短所の両方がある。たとえ繁栄している国であっても短所がある』と思っているから、外国の長所だけ取り入れて短所を取り入れないことにしたのである。今では学校でテストがあってみんなが他人の長所と短所を知っているように、今の人は物の見方が分析的だから『人間には長所もあれば短所もある。繁栄している国にも短所があり、衰退している国にも長所がある』と思っているのである。今の人は『他人の長所は要るが、短所は要らない』と思って外国の長所だけ拾って外国の短所を捨てて外国の文化の美味しいところだけを受け入れているのである。一人の人間に対してはいいところだけ拾って悪いところを捨てることができないからしかたなく全部拾ったり全部捨てたりしなければならないが、外国の文化に対してはいいところだけ拾って悪いところを捨てることができるからいいところだけ拾えばいいのである。昔の人は国の文化を人間と混同していたから、繁栄している国の文化を丸ごと全部受け入れたのである。
日本は戦前と戦後では“外国の文化の受け入れ方”に対する考えが変わったから、国の文化が変わっている。今の日本は『世界中の国から長所を取り入れて短所を取り入れない』ことにして『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。そのために、みんなが道徳をやって平等制をやって政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。
[21816] 政治機関とは何か?☆ h27.4.24
政治機関とは身分制における上の者をやる団体のことである。これまで日本では政府も幕府も身分制の上の者をやるためにあっただけである。国民からお金を取って国民を虐待するためにあっただけである。ヨーロッパやインドは「道徳のない文化」なので、日本がヨーロッパやインドの文化を受け入れた時代にはみんなが身分制をやって政府や幕府を建てて政府や幕府に従ったのである。みんなは自分が身分制をやるためにわざわざ上の者の団体を建てて上の者の団体にお金を取られて虐待されて満足していたのである。つまり、政府や幕府は国民が身分制をやるための道具だったのである。政治の政とは政[まつりごと]つまり身分制のことである。
しかし、今の世界ではみんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになっている。日本でもみんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。
そのために、今の日本ではみんなが平等制をやって身分制をやらなくなって上の者をやる団体が要らなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。政府がなくなっているのである。政治機関がなくなっているのである。今では身分制がなくなっているから政治機関もなくなっているのである。戦争は国民が身分制をやるためにやるのである。今の時代に戦争がないのは、国民が身分制をやめたからである。
これからは平等制の時代である。平等制の社会ではみんなが他人の役に立つことをやって他人からお金をもらう。みんなが他人と自由に契約して他人に仕事をして他人からお金をもらう。平等制の原理に従うかぎり何をやっても自由である。どんな仕事をやっても自由である。つまり、これからは普通の会社があるだけである。国民が自分で仕事をやってお金を稼[かせ]げばいいだけである。国民が自分で新しい仕事を考え出して仕事をすればいいのである。
政治機関は国民が身分制をやるためにあるのであって、平等制の政治機関というものはない。政府のほかに新しい政治機関が建たないことが平等制の世の中に変わっている証拠である。今の国民が平等制をやっている証拠である。今はまだ身分制をやっている国民がいるために政府が残っている。身分制をやっている国民が政府を支持して、平等制をやっている国民が政府に反対している。身分制をやっている国民は政府に従わなければならないが、平等制をやっている国民は政府に従わなくていい。早く国民みんなが平等制をやって身分制をやめて政府に従わなくなって政府がなくならねばならない。
[21817] 今の国民は身分制をやってはいけない。 h27.4.30
戦前の日本では国民は「繁栄している国の文化をそのまま受け入れれば幸福な国になる」と信じてヨーロッパの文化をそのまま受け入れていた。たしかに、ヨーロッパ文化は科学が優[すぐ]れていたので、国民は科学の力で物をたくさん作って物が豊かになって幸福になった。しかし、ヨーロッパ文化には道徳がない欠点があった。そのために、国民は道徳をやらなくなって身分制をやって不幸になった。日本が不幸な国になった。人間は最初から正しくない。人間にはまちがいがある。昔の人は考えがまちがっていたから「繁栄している国の文化をそのまま受け入れれば幸福になれる」と誤解して繁栄している国の文化をそのまま受け入れていたのである。昔の人が「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」ことを信じていたように、昔の日本人は「繁栄している国の文化をそのまま受け入れれば幸福な国になる」と信じていたのである。
そのため、戦後の日本では国民は外国の文化の受け入れに対する方針を変えて『世界中の国の文化の長所を受け入れて短所を受け入れなければ幸福な国になる』と考えて、世界中の国の長所を受け入れて短所を受け入れなくなった。ヨーロッパ文化は道徳がないのが短所だから、日本はヨーロッパの科学や数学だけを受け入れることにした。そのために、国民は道徳をやるようになって平等制をやるようになって幸福になっている。日本が幸福な国になっている。今の日本では『外国の文化の長所を受け入れて短所を受け入れてはいけない。つまり、科学と数学と道徳の全部ある国が幸福な国である。』ことが正しいと考えられているから、国民は道徳をやって平等制をやらねばならない。身分制をやってはいけない。マンガとは面白さを絵に表現したものである。自分の心が面白いと思うものを絵に描[か]いたものである。つまり、マンガ家とは面白いことを描く画家である。マンガ家だって自分のマンガの面白いところを残して面白くないところを削って自分のマンガをもっと面白くする。ヨーロッパ文化は科学や数学が優れているところは面白いが、道徳のないところが面白くない。だから、今の日本ではヨーロッパ文化の科学や数学だけを残して、道徳のないところを削ってもっと面白い国にしているのである。
人間が幸福に生きるためには物を自分の思い通りにできるだけではなく、自分の心も自分の思い通りにできねばならない。ヨーロッパ文化には科学があって道徳がないから、物を自分の思い通りにできるだけで自分の心を自分の思い通りにできないから人間が幸福に生きられないのである。自分の心を自分の思い通りにできないのが精神病である。ヨーロッパではみんなが精神病である。ヨーロッパは精神病の国である。精神病者が暴れまわるのは自分の心が自分の思い通りにできないからである。精神病者は心で泣きながら暴れまわっているのである。精神病者は不幸である。ヨーロッパ人が身分制をやるのも精神病者が暴れまわるのも同じことである。だから、ヨーロッパは幸福な国ではないのである。ヨーロッパ人も精神病者も道徳がないためにおかしなことをやるのである。ヨーロッパは哀[あわ]れなかわいそうな国なのである。
戦前の国民は自分が身分制をやっていたから、上の者である政府を建てて政府に従っていたのである。今の国民は自分が身分制をやめたから、政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。政府は国民が身分制をやるためにある団体である。国民が政府に従うのは、国民が自分で身分制をやっているからにほかならない。国民が自分で身分制をやっていれば政府に従い、自分で身分制をやらなければ政府に従わなければいいだけである。国民が政府に従うか従わないかは国民が自分自身で決めることである。政府が上の者なのは国民が身分制をやっているからであり、国民が身分制をやっているのは国民が道徳をやっていないからである。国民が道徳をやらなければ政府が上の者であり、国民が道徳をやれば政府は上の者ではない。政府が上の者であるかないかは国民が道徳をやらないかやるかによって決まるのである。今の国民は道徳をやっている。今の国民は身分制をやっていない。今の国民にとって政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
政府は身分制の上の者をやる団体である。政府は生まれてから滅ぶまでずっと上の者の団体である。政府はひたすら上の者をやり続けるだけである。国民がいくら政府に文句を言っても、政府は上の者をやめたりはしない。だから、国民が黙[だま]って自分で政府を潰[つぶ]すしかない。国民は自分で平等制をやって政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰せばいいのである。
[21818] 脳細胞を興奮させすぎると脳細胞がずっと興奮したままになる。★ h27.5.1
バネを伸ばしすぎると伸びすぎてもとに戻らなくなる。割り箸[わりばし]を曲げすぎるとボキッと折れてもとに戻らなくなる。
このように自然界には履歴現象[りれきげんしょう](ヒステリシス)というものがある。
それと同じように、『脳細胞を興奮させすぎると興奮しすぎてもとに戻らなくなる。脳細胞を興奮させすぎるとずっと興奮したままになってもとに戻らなくなる。』
普通の状態では脳細胞は興奮しすぎないから一時的に興奮するともとに戻るが、オナニーや麻薬をやって“自分の脳細胞を興奮させる癖”が身についていると何かのきっかけで自分の脳細胞を興奮させすぎて自分の脳細胞が興奮しすぎてもとに戻らなくなる。興奮が止まらなくなる。それが精神病である。精神分裂病では“イライラ感情”を興奮させすぎたためにイライラ感情が興奮し続けて、鬱病では“落ち込み感情”を興奮させすぎたために落ち込み感情が興奮し続けたままになる。
『人間にはテレパシー器官がある』ことも知っておいたほうがいい。人間の脳にはみんな“テレパシー器官”(テレパシーを出したり聞いたりする器官)がある。普通の状態ではテレパシー器官は一時的に興奮するだけですぐにテレパシーが聞こえなくなるが(つまり空耳)、精神分裂病ではテレパシー器官を興奮させすぎたためにテレパシー器官が興奮し続けてテレパシーがずっと聞こえたままになる。自分がテレパシーで他人に訴えようとして自分のテレパシー器官を強く興奮させるとテレパシー器官が興奮したままになってテレパシーが聞こえ続けるようになる。テレパシーが聞こえ続けるようになると、テレパシーで他人の悪口が聞こえて不愉快[ふゆかい]になる。また、テレパシーで他人に訴えても他人は聞いてくれない。だから、自分のテレパシー器官を興奮させてはいけない。
『脳細胞は興奮させすぎるとずっと興奮したままになる。』だから、自分の脳細胞を興奮させすぎてはいけない。特にイライラ感情やテレパシー器官や落ち込み感情を興奮させてはいけない。オナニーや麻薬をやると“自分の脳を興奮させる癖”が身につくからオナニーや麻薬をやってはいけない。それが道徳というものである。
最近の人は科学を知っているだけで道徳を知らないから精神病に罹[かか]って不幸になるのである。だから、道徳をよく勉強して精神病に罹らないようにして精神的に健康に幸福に暮らさなければならない。
[21819] 『雄弁は銀、沈黙は金』とは? h27.5.1
人間はまちがった考えほど他人に教えて、正しい考えほど他人に教えたがらないものである。人間の心にはそういう性質がある。だから、昔から『雄弁は銀、沈黙は金』というのである。まちがった考えは他人に認められなければ正しいことにはならないが、正しい考えは他人に認められなくても正しいから、人間はまちがった考えほど他人に訴えようとし、正しい考えほど他人に訴えたがらないのだろう。あるいは自然選択によって頭がよくて正しいことがわかる者がより多く生き残るために、人間の心には「正しいことを他人に言いたがらない」性質があるのかもしれない。『巧言令色少なし仁』も同じことである。まちがった考えの人間ほど他人に認められるために言葉が綺麗[きれい]でかっこをつけるということである。正しい考えの人間ほど他人に認められなくていいから言葉が汚くてかっこをつけないということである。
『雄弁は銀、沈黙は金』であるために、世の中にはまちがった考えが広まり正しい考えがなくなる傾向がある。これでは世の中がまちがった考えばかりになる。みんながまちがった考えを持つようになって、みんなが実在から離れて不幸になる。正しい考えを持つ者がまちがった考えを持つ者から攻撃されて正しい考えを持つ者がいなくなる。
だから、正しい考えを持つ者が自分の「正しいことほど言いたくない」気持ちに打ち勝って正しい考えを他人に訴えなければならない。そうすれば、みんなが正しい考えを持つようになって、みんなが実在の中に入って幸福に暮らせるようになるだろう。
人間はまちがったことほど他人[ひと]にしゃべりたがるものだ。人間の心は正しいことよりもまちがったことを面白いと思うから、人間はまちがったことを他人にしゃべりたがるのである。だから、世の中にはまちがいがいっぱいある。天の声は人の声ではない。だから、周[まわ]りのみんなに合わせるよりも、自分ひとりで正しいことを考えたほうがいい。みんなに合わせてまちがったことをするよりも、自分ひとりで正しいことをやったほうがいい。
[21820] 今の政府は国民みんなに逆らっているから政府が悪い。 h27.5.2
今では国民みんなが平等制をやっている。国民みんなに「あなたは平等制をやっていますか?」と訊[き]けば、国民みんなが「はい、やっています」と答えるだろう。戦前は国民みんなに「あなたは何制をやっていますか?」と訊けば「身分制です」と答えたが、戦後は国民みんなに「あなたは何制をやっていますか?」と訊けば「平等制です」と答える。今では世界中のみんなが『科学と数学と道徳の全部ある文化』をやるようになっているから、みんなが道徳をやっているから平等制をやっているのである。
ところが、政府は身分制をやっている。政府は隠れて身分制をやっている。政府は平等制をやっているふりをして本当は身分制をやっている。政府は身分制をやって国民と契約を取らずに国民に一方的に命令してお金を取ったり国家宗教をやらせたりしている。
国の主権は国民みんなにあるから、国民みんなに逆らってひとりで身分制をやっている政府が悪い。国を決めるのは国民みんなだから、国民みんなに逆らってひとりで身分制をやっている政府のほうが悪い。昔は国民みんながヨーロッパを真似[まね]て身分制をやっていたから政府が身分制をやってもよかったが、今は国民みんなが『科学と数学と道徳のすべてがある理想の国家』を目指して平等制をやっているから政府が身分制をやってはいけない。明治時代には国民みんながヨーロッパ文化をやっているのに幕府がアジア文化をやっていたために幕府が国民みんなに倒された。それと同じように、今の時代には国民みんなが平等制をやっているのに政府が身分制をやっているために政府が国民みんなに倒されねばならないのである。今の時代に国民みんなが世界文化(つまり科学と数学と道徳の全部がある文化)をやっているのに、政府が昔のヨーロッパ文化(つまり科学と数学があって道徳がない文化)をやっているから政府が国民みんなに倒されねばならないのである。つまり、どんな文化をやっているかによって人間を区別して、国民みんなで自分たちと違う文化をやっている者を倒せばいいのである。国民みんながアジア文化をやっていたのが中世で、国民みんながヨーロッパ文化をやっていたのが近代で、国民みんなが世界文化をやっているのが現代であるように、国民みんなの文化によって時代区分が決まるのだから、国民みんなで国民みんなと違う文化をやっている者を国から排除すればいいのである。つまり、国民みんなが国を決める。国民みんなの文化によって国が統一されている。それが国家というものである。
したがって、今の国民は政府を倒せばいい。政府は身分制をやって国民に命令するから、国民は自分でしっかり平等制をやって政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
今では国民みんなが平等制をやっているから、国のすべての者が平等制をやらねばならない。政府は身分制をやって平等制をやっていない。国民みんなで早く政府を倒してみんなが平等制をやっている国にしないといけない。
[21821] 坂本竜馬はどうして幕府に殺されたのか? h27.5.2
坂本竜馬が幕府に殺されたのは、当時はまだ国民みんながアジア文化をやっていたからである。坂本竜馬はヨーロッパ文化をやっていたので、坂本竜馬は国民みんなに逆らっていたので国民みんなの反感を買って殺されたのである。幕府は国民みんなが坂本竜馬を悪人だと言っているのを見て国民みんなに従って坂本竜馬を殺したのである。幕末の志士は時代を先取りしすぎて国民みんなと違う文化をやっていたために国民みんなに悪人だと見なされて国民みんなに殺されたのである。もう少し後で国民みんながヨーロッパ文化をやるようになると、今度は幕府がアジア文化をやっていて幕府が国民みんなと違う文化をやっているので幕府が国民みんなに悪人だと見なされて国民みんなに倒されたのである。国民みんなが幕府に年貢[ねんぐ]を納めなくなって幕府を倒したのである。
今ではすでに国民みんなが世界文化(科学と数学と道徳の全部がある文化)をやっている。政府は昔のヨーロッパ文化(科学と数学があって道徳がない文化)をやっている。政府は国民みんなと違う文化をやっている。だから、今の国民みんなは政府を悪人だと見なして政府を倒せばいいのである。国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。今では国民みんなが世界文化をやっているから、国民が世界文化をやって道徳をやって平等制をやって政府と平等にして政府に税金を払わず政府を倒しても、国民は国民みんなと同じ文化をやっているので国民みんなに悪人だと見なされないので、国民は喜んで政府に税金を払わなければいいのである。政府は国民みんなが国民を悪人だと言っていないのを見て国民みんなに従って国民を罰せないので、国民は政府を恐れず安心して政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
人間にとっては正しいことが第一である。正しいことがすべてである。人間はたとえ自分が死のうが正しいことをやればいい。特攻隊がそうである。当時は身分制をやることが正しかったから、特攻隊は身分制をやったのである。特攻隊は自分が正しいことをしていると思って喜んで死んだのである。今は平等制をやることが正しいから国民は自分がどうなろうがとにかく平等制をやって政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。国民は自分が正しいことをしていると思って喜んで政府に税金を払わなければいいのである。
[21822] 日本人は馬鹿である。 h27.5.2
今の日本人は自分が身分制をやっていれば儲[もう]かって幸福になると思って身分制をやって政府に従っている。今の日本人は「ヨーロッパが豊かな国だからヨーロッパでは身分制をやっているから自分もヨーロッパを真似[まね]て身分制をやれば儲かる」と思って身分制をやっている。今の日本人はさすがに『政府の民主主義は冗談である』『選挙がまやかしである』([21808]の最後から4段落目を参照)ことは知っているが、「身分制をやれば自分が儲かる」と思って一生懸命に身分制をやっている。
しかし、本当はいくら身分制をやっても儲からない。幸福にならない。不幸になるだけである。
そもそもヨーロッパが儲かっていたのはヨーロッパが科学をやっていたからである。ヨーロッパは科学をやって物をたくさん作って物をたくさん売っていたからたくさん儲かって幸福になっていたのである。反対に、ヨーロッパは道徳をやらず『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやっていたために国民みんなが政府に税金を取られて貧乏になって不幸になっていたのである。国民みんなが政府に戦争をやらされて傷ついたり死んだりして不幸になっていたのである。
だから、日本人がヨーロッパ人を真似て身分制をやると政府に税金を取られて貧乏になって不幸になるだけである。日本人はヨーロッパの科学を真似て、道徳のないことを真似なければいいのである。そうすれば、日本人は幸福になれるのである。
日本人は眼先で物を見るだけで頭で考えないのがいけない。日本人は形の上で他人を真似るだけで理由を考えないからいけない。理由がわかっていないからまちがったことばかりやるのである。
近代の日本人が「繁栄している国の文化をそのまま受け入れれば幸福な国になる」と思ってヨーロッパ文化をそのまま受け入れたのも、日本人が形の上で他人を真似るだけで理由を考えないからである。当時の日本人はヨーロッパが繁栄しているのを眼で見て「ヨーロッパがいい国だ」と思ってヨーロッパをそのまま真似たのである。わけもわからずにヨーロッパの全部を真似たのである。しかし、そもそもヨーロッパが繁栄していたのはヨーロッパが科学をやっていたからであって、ヨーロッパが道徳をやっていなかったからではない。むしろヨーロッパではみんなが道徳をやっていないために、国民みんなが政府の命令で戦争をやってせっかく科学で稼[かせ]いだお金を無駄遣[むだづか]いして貧しくなっていたのである。同じように、日本も世界大戦でお金を無駄遣いしてすっかり貧乏になってしまったのである。日本人が『どうしてヨーロッパが繁栄したのか?』『どうしてヨーロッパは身分制をやるのか?』を考えていればこんなことにはならなかったのである。『どうして?』を考えることが科学である。近代の国民は科学をやっていたから理由を考えるべきだったのである。
日本人が眼先で見るだけで頭で考えないのがいけない。それが日本人の欠点である。日本人は眼先で物を見るだけだから、形の上で他人を真似て他人のすべてを受け入れて、他人の欠点までも真似て自分が不幸になるのである。日本人は頭で理由を考えて、言葉で分析的に考えて、他人の長所と短所を区別して、他人のいいところだけを受け入れて悪いところを受け入れないようにしないといけない。
[21823] 今では政府に従う者が悪者である。 h27.5.2
国は国民みんなのものである。国民みんなが国を決める。国民みんなは国の尺度である。国民みんなと同じ者が善人で、違う者が悪人である。国民みんなは国民みんなと違う者を罰して、国民みんなと違う者が国にいないようにする。
政府は身分制をやる団体である。政府は身分制の上の者をやる団体である。政府は冗談で平等制(民主主義)をやっているだけで、本当は身分制をやっている。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民を虐待したりしている。
戦前は国民みんなが繁栄している国の文化をそのまま取り入れるようにしてヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳のない文化」をやっていたので身分制をやっていた。戦前は政府は国民みんなと同じ制度をやっていたので、政府は悪者ではなかった。政府にたてつく者が悪者だった。身分制をやらずに政府に従わない者が悪者だった。そのため、政府に従わない者は罰せられた。国民みんなは政府に従わない者を悪者だと見なしたので、国民みんなが政府を使って政府に従わない者を罰したのである。
しかし、戦後は国民みんなが世界中の国の長所を取り入れて短所を取り入れないようにして『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているので平等制をやっている。戦後は政府は国民みんなと違う制度をやっているので、政府が悪者である。今から50年前の私が子供の頃からテレビで『政府が悪者だ』と言っているのはそのためである。だから、国民はさっさと素直[すなお]に政府を倒せばいいのである。国民は政府を罰するために政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。実際に、すでにかなりの国民が政府に税金を払わないようにして政府を倒している。政府は年々小さくなってなくなりつつあるのである。
今では国民みんなは平等制をやっている。だから、国民みんなに逆らって身分制をやる者が悪者である。政府に従う者が悪者である。政府の命令を聞いて税金を払ったり国家宗教をやったりする者が悪者である。政府に従う者は国民みんなに罰せられる。国民みんなは政府に従う者を悪者だと見なしているので、国民みんなが自分の手で政府に従う者をいろんなやり方で不利にして罰して倒しているのである。だから、国民は政府に従わないようにしないといけない。
要するに、国は国民みんなのものだから、国は国民みんなが自分の好きなように作ればいいのである。実際に、これまで国民みんなはそうやってきたのである。中世は国民みんなが「繁栄している国の文化をそのまま取り入れればいい」と考えていたから、当時はインドと中国が繁栄していたから、インド文化と中国文化を取り入れていた。インドは道徳がなくて身分制をやっていた。だから、国民みんなも身分制をやって、身分制の世の中にするために上の者である幕府を建てて幕府に従った。近代も国民みんなが「繁栄している国の文化をそのまま受け入れればいい」と考えていて、当時はヨーロッパが繁栄していたから、国民みんながヨーロッパ文化を取り入れていた。ヨーロッパは道徳がなくて身分制をやっていた。だから、国民みんなも身分制をやって、身分制の世の中にするために上の者である政府を建てて政府に従った。現代は国民みんなが『世界中の文化の長所を取り入れればいい』と考えて、科学と数学と道徳の全部ある文化をやっている。今の国民みんなは平等制をやっているから、平等制の世の中にすればいいのである。国民みんながお互いに自由に契約してお金をもらって仕事をする社会にすればいいのである。政府は国民に一方的に命令する身分制をやる団体だから、国民みんなで政府を倒して政府をなくせばいいのである。国民みんなは政府をなくすために政府に税金を払わなければいいのである。つまり、これまでずっと国民みんなは自分が好きな国を作ってきた。いつの時代にも国民みんなは自分がやりたい文化や制度を決めて、そういう国を実現してきた。古代は古代で、中世は中世で、近代は近代で、国民みんなが自分が好きな国を作ってしまっていたのである。国民みんなが自分の好きな国を実現して完成させていたのである。国民みんなが自分の好きな国を作り上げて満足して暮らしていたのである。ところが、今の時代の国民みんなはそうしていない。今は国民みんなの文化が変わったばっかりなので、国民みんなが好きな国がまだ実現されていない。昔の国民みんなが作ったもの(つまり道徳のないことをやる団体)が残っている。今の国民みんなが作らねばならないもの(つまり道徳をやる団体)がまだ出来ていない。今の国民みんなが好きでないものが残っているし、今の国民みんなが好きなものがまだ出来ていない。そのために、社会が矛盾[むじゅん]していておかしく見えるのである。政府が国民みんなを支配しているように見えるのである。しかし、実際にはその反対なのである。本当は国民みんなが政府を支配しているのである。今の国民みんながこれから政府を倒して自分が好きな国を実現すればいいのである。このように歴史全体を見渡せば社会の法則(つまり、国民みんなが自分の好きな国を作ればいいこと)がわかって今の自分がどうすればいいかがわかる。今の時代だけを見て考えるから自分のすべきことがわからなくなるのだ。歴史全体を見渡して歴史全体に基[もと]づいて今の時代を考えねばならない。逆に今の時代を基にして歴史を考えてはいけない。
国は国民みんなのものだから、国は国民みんなが作ればいいのである。国民みんなが自分で文化や制度を決めて、そんな文化や制度の国にすればいいのである。今は国民みんなが平等制をやっている。政府は身分制をやる団体である。だから、国民は政府を倒せばいいのである。国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。多くの国民は社会について誤解しているために政府を倒すのを躊躇[ちゅうちょ]して政府を倒さないのである。だから、国民は社会について正しく理解して政府を倒せばいいのである。国民は今すぐ政府を倒して、政府のない国にしなければならない。
[21824] 人間は物だけでは幸福にはなれない。☆ h27.5.3
ヨーロッパは科学があることで幸福になり、道徳がないことで不幸になった国である。ヨーロッパは科学があることで物をたくさん作って物をたくさん売って物やお金が豊かになって幸福になったが、一方で道徳がないことで『人間がみな平等である』ことを守れず人間が不平等になって身分制が出来て国民みんなが政府に税金や戦争や国家宗教をやらされて不幸になった。
人間は物だけ豊かになっても幸福にはなれない。人間は心も豊かでなければ幸福ではない。人間は物と心の両方が豊かでなければ幸福ではない。
人間が幸福であるためには科学と道徳の両方が必要である。だから、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのである。今の国民みんなは道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。国民みんなが政府と平等にして政府の命令を聞かなくなって政府が国民みんなから税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
[21825] 昔の人は馬鹿だった。 h27.5.3
戦前は国民みんなが馬鹿だった。戦前はまだ学校もろくすっぽなく国民みんなが勉強せずに遊んでばかりいたので国民みんなが馬鹿だった。
昔は国民みんなが馬鹿だったので眼で見るだけで頭で考えず「繁栄している国をそのまま真似[まね]ればいい」と思ってヨーロッパをそのまま真似たのである。ヨーロッパを真似て「科学があって道徳がない文化」をやって物が豊かになって幸福になったが心が貧しくなって不幸になったのである。国民みんなが道徳をやらなくなって『人間がみな平等である』ことを守らなくなって「人間が不平等」になって身分制が出来て国民みんなが政府に従って税金や戦争や国家宗教をやらされて不幸になったのである。
戦後は文明が高くなって学校教育が普及して国民みんなが高学歴になって国民みんなが遊ばずに勉強ばかりしているので国民みんなが利口になった。
今では国民みんなが利口になったので眼で見るだけではなく頭で考えて『世界中の国の長所を受け入れて短所を受け入れなければいい』と思うようになって世界中の国の文化を長所と短所に分けて世界中の国の文化の長所だけを受け入れるようになったのである。世界中の国の文化の長所を受け入れて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになって物も数も心も全部豊かにするようになったのである。国民みんなが科学も数学も道徳も全部やるようになって物と数と心の全部で幸福になって暮らすようになったのである。国民みんなが道徳をやるようになって『人間がみな平等である』ことを守るようになって平等制が出来て国民みんなが政府と平等にするようになって政府に従わなくなって税金や戦争や国家宗教をやらなくなって幸福になっているのである。
[21826] 国民は国民みんなに従えばいいだけである。 h27.5.3
政府はトラの威を借るキツネである。トラとは国民みんなのことである。政府の権力の源[みなもと]は国民みんなである。国の権力者は国民みんなだけである。国民は国民みんなに従えばいいだけである。国民は国民みんなに逆らわなければいいだけである。政府自身に権力はなく、政府は国民みんなの権力を借りているだけである。
昔は国民みんなも政府も身分制をやっていて、政府が国民みんなと同じ制度をやっていたから、政府は国民みんなの威を借りていたから強かった。国民が政府に逆らうことは身分制をやらないことだから国民みんなに逆らうことになった。国民が政府に逆らうと、政府は「国民が国民みんなに逆らった」ことを理由にして国民を罰することができた。だから、国民は政府に逆らってはいけなかった。
今は国民みんなが平等制をやって政府が身分制をやって、政府が国民みんなと違う制度をやっているから、政府はトラの威を借りれないから政府は弱い。国民が政府に逆らうことは平等制をやっていることだから国民みんなに逆らうことにはならない。だから、国民が政府に逆らっても、政府は「国民が国民みんなに逆らった」ことを理由にして国民を罰することができない。今では国民が政府に逆らっても罰せられないから、国民は政府を怖がらずに堂々と政府に逆らえばいい。今は国民が政府に逆らっても罰せられないから、国民は安心して政府に逆らえばいいのである。今の国民は政府の命令を聞かずに政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
[21827] 政府もたまには正しいことをする。 h27.5.3
政府は身分制をやる団体である。政府は国民に一方的に命令して税金や戦争や国家宗教をやらせる。
政府は身分制をやる団体だが、ときどき平等制で国民に命令することもある。政府は国民のためになる命令を出すこともある。しかし、それは冗談である。冗談を本気にしなくていい。今の政府は本音[ほんね]ではまちがったことをやって冗談で正しいことをやる団体である。国民はそんな団体を本気で相手にする必要はない。だから、国民は政府の身分制の命令も平等制の命令もいっさい聞かなくていい。国民は政府の命令を全部無視して、政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。今の国民みんなにとっては政府の平等制の命令を守ることよりも平等制の国を作ることのほうが先決である。国民みんなは早く政府を倒して平等制の国にして、平等制の決まりを守って自由に暮らせばいいのである。
[21828] 今の国民みんなは政府に従わなくなっている。 h27.5.3
近代の国民みんなが政府に従っていたのは、近代の国民みんながヨーロッパを真似[まね]て身分制をやっていたからである。近代の国民みんなは眼先で見るだけで頭で考えなかったので「繁栄している国の文化をそのまま真似ればいい」と思って、ヨーロッパが繁栄しているのを見てヨーロッパをそのまま真似て身分制をやっていたのである。じつは、ヨーロッパは科学が得意だが道徳が苦手だったので「科学があって道徳がない文化」だったので、国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守らなかったために「人間が不平等である」ことになって身分制が出来て、国民みんなで上の者である政府を建てて政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやらされて不幸になっていたのである。
反対に、現代の国民みんなは眼先で見るだけではなく頭で考えるようになっているので『どんな人間にも長所があれば短所もある。どんな国にも長所と短所がある。』と考えて『世界中の国の文化の長所を受け入れて短所を受け入れない』ようにして『科学と数学と道徳の全部ある文化』をやるようになって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやるようになっているから、政府に従わなくなっているのである。
だから、今の国民は国民みんなを真似て政府に従わないようにすればいいのである。今の国民は『自分が平等制をやっている』ことを理由にして政府(つまり身分制の上の者の団体)に従わなければいいのである。上の者に従うのは平等制ではないから政府に従わなければいいのである。政府の命令で政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部が進んだ国』にして幸福に暮らせるようにすればいいのである。国民みんなで政府の替わりに新しく“平等制の機関”(国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に“国民が幸福に暮らせる命令”を出す団体)を建てて、国民みんなが平等に自由に幸福に暮らせるようにすればいいのである。
[21829] 今の国民みんなが政府を倒さないのは社会のことが正しくわかっていないからである。
h27.5.4
国は国民みんなのものである。だから、国は国民みんなが自分の好きなように作ればいい。
今の国民みんなは平等制をやっている。政府は身分制をやる団体である。だから、国民みんなは政府を倒して平等制の社会にすればいい。上の者のいない社会にすればいい。
戦前は国民みんなに「あなたは何制をやっていますか?」と訊[き]けば「身分制です」と答えたが、戦後は国民みんなに「あなたは何制をやっていますか?」と訊けば「平等制です」と答える。戦前は国民みんなが身分制をやっていたから政府に従った。戦後は国民みんなが平等制をやっているから政府に従わなければいいのである。
今の国民みんなが政府を倒さないのは、今の国民みんなが社会のことが正しくわかっていないためである。今の国民みんなが社会のことを誤解しているために自分がやるべきことがわからないのである。今の国民みんなが社会科の勉強が足りないために正しいことをやらないのである。今の国民みんながテレビを見たりゲームをやったりして遊びまわっているために社会科の勉強が足りないのである。今の国民みんなが現実の外のことばかりやっているために現実のことがお留守[るす]になっているのである。今の国民みんなは早く社会について正しく理解して『自分が政府を倒さねばならない』ことに気づいて政府を倒さねばならない。国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[21830] 今の国民みんなが政府に従っているのは政府を誤解しているからである。
h27.5.4
今の国民みんなは『国は国民みんなのものであり、国民みんなが国を自分の好きなように作ればいい』ことを知っている。学校の社会科で習ったから知っている。ホッブスが言っていたから知っている。日本国憲法の序文にそんなことが書いてあるから知っている。[昔のヨーロッパでは国民みんなが科学が得意で道徳が苦手であったために「科学があって道徳がない文化」をやっていて国民みんなが「科学があって道徳がない国」を作っていたから、国民みんなが道徳をやらず『人間がみな平等である』ことを守らず「人間が不平等」になって身分制が出来て、国民みんなで上の者である政府を建てて政府に従って税金や戦争や国家宗教などをやらされて不幸になっていたのである。つまり、昔のヨーロッパでは国民みんなが道徳が苦手だったために自分が好きで不幸になっていたのである。ヨーロッパは科学ですごく儲[もう]かっていたから道徳がないことでちょっとぐらい損をしてもいいと思っていたのである。]
今の国民みんなは平等制をやっている。今の国民みんなに「あなたは何制をやっていますか?」と訊[き]くと「平等制です」と答える。
今の国民みんなが平等制をやっているのに政府に従うのは、今の国民みんなが「政府が平等制をやる団体だ」と思っているからである。
しかし、それではおかしな点がある。政府が国民に命令して税金を取っているのは平等制の団体のすることではない。平等制の団体なら普通の会社と同じように国民一人一人と自由に契約して国民からお金を取って国民に仕事をするはずである。また、政府が国民に命令して国民に国家宗教をやらせているのは平等制の団体のすることではない。政府は国民に国家宗教をやらせて事件や事故を起こして国民を虐待している。政府は明らかに身分制をやっている。それに、政府は戦前からある団体である。戦前は国民みんながヨーロッパを真似[まね]て身分制をやっていた。だから、政府は身分制の団体であるはずである。
だから、本当は『政府は身分制をやる団体である。』政府は身分制の上の者をやる団体である。今の国民みんなが「政府が平等制をやる団体だ」と思っているのはまちがっているのである。
政府は本当は身分制をやる団体である。今の国民みんなは平等制をやっている。国は国民みんなのものだから、国民みんなの好きにすればいい。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいいのである。今の国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒して上の者のいない平等制の国にすればいいのである。
今では国民みんなが世界文化(科学と数学と道徳の全部がある文化)に変わってからすでに半世紀経[た]つ。それなのに政府が残っている。しかし、中世の日本でも国民みんながアジア文化に変わった後でもしばらく政府が残っていた。国民みんなが政府を倒すのが遅くなってずれ込んでいた。だから、今の国民みんなが政府を倒すのが特に遅いわけではない。今の国民みんなが政府を倒すのをやめたわけではない。今の国民みんなが政府を倒していないわけではない。国民みんなが自分が好きな国を作るスピードは、国民みんなが古い国を潰[つぶ]して新しい国に変えるスピードは、特に決まりがあるわけではなく国民みんなの自由である。50年ぐらい歴史の中では短い時間である。だから、今の国民は今からでもいいから政府を倒せばいいのである。
今では国民みんなは道徳のある文化をやると決めている。平等制をやると決めている。しかし、油断してはいけない。政府はいろんな世論操作をやって国民みんなに昔のように道徳のない文化をやらせて身分制を復活させようとしている。国民みんながのんびりして政府を倒さないで置いておくと、政府が要らないことをやって危険である。政府に国民みんなが不幸にされる。だから、国民みんなでさっさと政府を倒さねばならない。
[21831] 今の国民みんなが政府を倒さないのは何もわかっていないからである。
h27.5.4
今の国民みんながおとなしく政府に従っているのは、今の国民みんなが自分自身や政府のことについて何も知らないからである。今の国民みんなが自分自身や政府のことを知らないから、自分が何をやっていいのかわからず人形のように政府の言いなりになっているのである。
だから、今の国民みんなは自分自身や政府のことを知らねばならない。
そもそも国は国民みんなのものである。だから、国民みんなが国を自分の好きなようにすればいい。
今の国民みんなは平等制をやっている。今の国民みんなは世界中の国の長所を受け入れて短所を受け入れないことにして『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。今の国民みんなは道徳をやっているから『人間がみな平等である』ことを守っているから平等制をやっているのである。
一方、政府は身分制をやる団体である。政府は身分制の上の者をやる団体である。政府は国民みんなに命令して国民みんなに税金や戦争や国家宗教などをやらせて国民みんなを虐待する。政府は冗談で民主主義(平等制)をやっているにすぎない。
したがって、今の国民みんなは政府を倒せばいい。今の国民みんなは平等制をやっているので、平等制の国を作ればいい。ところが、政府は身分制をやる団体なので、政府は平等制に反するので、国民みんなで政府を倒せばいい。国民みんなで政府を倒して、平等制の国を作ればいいのである。
近代は国民みんなが勉強せずに遊んでばかりいて眼で見るだけで頭で考えられなかったから眼で見て「繁栄している国の文化をそのまま真似[まね]ればいい」と思ってヨーロッパを真似て身分制をやっていた。国民みんなで上の者である政府を建てて政府に従って税金や戦争や国家宗教をやっていた。国民みんなが自分の意思で政府に従って、政府に虐[いじ]められて不幸にされていた。それでも、国民みんなは自分が好きな国を作ったので、たとえ自分が不幸になっても満足だった。政府は頭がよかったので『ヨーロッパは科学で幸福になって、道徳がないことで不幸になっている。日本が身分制をやると不幸になる。このまま日本がヨーロッパを真似続けると日本が滅ぶ』ことを知っていた。しかし、国民みんなは身分制をやると決めていたので、政府の首相や大臣が「私は戦争に反対する」などと言うと国民みんなに殺されるので何も言わずに黙っていた。国民みんながどうしても戦争をやりたがるので、政府はしかたなく国民みんなに戦争の命令を出さねばならなかった。政府は国民みんなに上の者をやらされていたのである。
今では国民みんなが高学歴になったから眼で見るだけでなく頭で考えられるようになったから『世界中の文化の長所を取り入れて短所を取り入れてはならない』と考えて、世界中の国の文化の長所だけを取り入れるようになった。今では国民みんなが世界中の国の文化のいいところを真似て『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって道徳をやって平等制をやっている。だから、国民みんなは平等制の国を作るために、身分制をやっている政府を倒して政府のない国にしないといけない。今の国民みんなは平等制をやっているのに、政府は身分制をやっている。今の政府は国民みんなに逆らって自分ひとりで身分制をやっている。今の政府は国民みんなに命令して税金や国家宗教をやらせている。今の政府は自分ひとりのために国民みんなを利用している。戦前の政府は善い者だったのに、戦後の政府は悪者である。今の政府は国民みんなが「政府を平等制の団体だ」と誤解しているのをちゃっかり利用して国民みんなを騙[だま]して儲[もう]けているのである。村のみんなに医者だとまちがわれた男がインチキ医者をやって儲けるのと同じことである。今の政府は身分制の団体が平等制の団体みたいなことをやって儲けているのである。とにかく、政府は身分制をやる団体である。今の国民みんなは平等制をやっている。政府は国民みんなと“違う制度”をやっている。だから、今の国民みんなは自分が好きな国を作るために政府を倒さなければならないのである。
国は国民みんなが自分の好きなように作るものである。近代の国民みんなは自分でヨーロッパを真似て「科学があって道徳がない文化」をやると決めて身分制をやって身分制の国を作っていた。だから、現代の国民みんなも自分で『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやると決めて平等制をやって平等制の国を作らなければならない。そのためには、政府が邪魔[じゃま]だから国民みんなで政府を倒さねばならない。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。これまでずっと国民みんなは自分が好きな国を作ってきたから、今の国民みんなもそうしないといけない。国民みんなの好きな国は時代によって変わる。近代の国民みんなが好きだったのは「国民みんなが政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやる国」であり、現代の国民みんなが好きなのは『国民みんながお互いに自由に契約してお金をもらって仕事をする国』である。だから、現代の国民みんなは現代の国民みんなが好きな国を作らなければならない。
戦後になって国民みんなが利口になって『身分制よりも平等制のほうがいい』ことがわかった。しかし、今の国民みんなは『政府が身分制をやる団体である』ことがわかるほど利口ではない。政府が社会科の教科書からことごとく“身分制”という言葉を消しているから、今の国民みんなは『政府が身分制の団体である』ことがわからないのである。国民みんなの知能がもっと高かったらとっくの昔に政府が滅んでいる。近代の国民みんなの知能が低かったから政府が建って、現代の国民みんなの知能が低いから政府が残っているのである。国民みんなの知能が低いために国民みんなが不幸になっているのである。今の国民みんなはもっと社会についてよく理解して早く政府を倒さねばならない。
[21832] 今は国民みんなが利口だから、国民みんなによく説明すれば納得してくれる。
h27.5.4
戦前の国民みんなは「ヨーロッパを真似[まね]て身分制をやればいい」と思っていたから、それにたてついて『身分制をやってはいけない』と唱[とな]えると国民みんなに殺された。
それと同じように、今の国民みんなは「政府が平等制の団体だ」と思っているから、それにたてついて『政府が身分制の団体だ』と唱えると国民みんなに殺されるかもしれない。
しかし、今の国民みんなは学歴が高くてよく勉強しているから物分りがいい。だから、国民みんなによく説明すれば国民みんなが納得してくれる。『政府が身分制の団体である』ことをよく説明すれば信じてくれる。
昔の国民みんなは勉強せずに遊んでばかりいて眼で見るだけで頭で考えなかったので、いくら言葉で『身分制をやらないほうがいい』ことを説明しても納得してくれなかった。国民みんなは納得がいかず異説を唱える者を殺した。国民みんなは身分制をやって不幸になった。
国の文明が進むと国民みんなが利口になって物分りがよくなって正しいことが通用する。国民みんなが正しいことをやって幸福になる。つまり、国の文明が進むと国民みんなが幸福になる。国民みんなが幸福になるためには国民みんながよく勉強して利口になればいいのである。
[21833] 中世の政府はどうやって倒れたか?☆ h27.5.5
昔の日本では国民みんなが「繁栄している国の文化をそのまま真似[まね]る」ことにしていた。
古代にはヨーロッパが繁栄していたので、国民みんなはヨーロッパを真似てヨーロッパ文化をやるようになった。科学をやるようになった。道徳をやらないようになって『人間がみな平等である』ことを守らなくなって平等制をやめて身分制をやるようになった。国民みんなで上の者である政府を建てて政府に従った。
ところが、中世になるとヨーロッパが衰退してインドや中国が繁栄して、国民みんなはヨーロッパ文化をやめてインドや中国の文化をやるようになった。数学や道徳をやるようになった。
政府は嘘[うそ]をついて自分がインドや中国の文化をやっているふりをした。政府はヨーロッパ文化をやる団体であり、ヨーロッパ文化は道徳がないから嘘をつくから政府は嘘をつくのである。政府は嘘で数学や道徳をやっているふりをして国民みんなの眼を欺[あざむ]いた。こうしてしばらく政府は生き残った。
しかし、そのうち国民みんなが『政府が道徳がないことをやっている。政府が国家宗教で悪いことをやっている。』ことに気づいて国民みんなが『政府が本当はヨーロッパ文化をやっている』ことがわかって、国民みんなで政府を倒して幕府を建てた。国民みんなが貴族に従わなくなって武士に従うようになった。国民みんなでインドのお堀と中国の楼閣[ろうかく]を合わせてお城を建てた。インドは暑い国なので、お堀の水の気化熱を利用して建物を冷房していたのである。
それと同じように、近代にはヨーロッパが繁栄していたので、国民みんなはヨーロッパを真似て「科学があって道徳がない」ヨーロッパ文化をやった。『インド人は嘘をつかない』ので、幕府は嘘をつかずヨーロッパ文化をやっているふりをしなかったので、すぐに国民みんなに倒された。国民みんなは自分で道徳をやめて『人間がみな平等である』ことを守らなくなって身分制をやって上の者である政府を建てて政府に従った。身分制はそもそもみんなが「道徳がない」ことをやるためにやっているので、身分制では上の者が下の者に悪いことをしなければならないので、政府は国民みんなに命令して国民みんなから税金を取って国民みんなに戦争をやらせて国民みんなを国家宗教で虐待した。国民みんなは自分が身分制をやるために喜んで政府に従って政府に不幸にされた。身分制の国ではつまり道徳がない国ではみんなが悪いことをしなければならないから、国民みんなが『人間がみな平等である』ことを破って政府に従って悪いことをやっているように、政府も国民みんなを不幸にして悪いことをしなければならないのである。一方、国民みんなは自分で科学をやって日本中に工場を建ててたくさん物を作ってたくさん物を売ってたくさん儲[もう]けて幸福になった。政府は自分が科学をやっていることを国民みんなに示すために富岡製糸工場を建てた。[政府が国家宗教で国民を虐待すると言っても、政府が国家宗教の神の命令で国民を虐待するのではない。政府が国家宗教の神と関係のあることをやって国民を虐待するのである。例えば、天皇なら“天”とか“鉄”(“ン”と“ツ”の字が似ているため)とかの字が入った事件や事故を起こして国民を虐待する。政府が鉄道事故を起こして国民を殺す。あるいは、神武天皇が東征のときに光るトンビが飛んできたことから、白くて光るものが入った事件や事故を起こして国民を虐待する。飛行機は白く光って空を飛ぶから、政府が飛行機事故を起こして国民を殺す。例えば、私なら私の名前の川野延夫[かわののぶお]の“川”と“ブ”の字が入った事件や事故を起こして国民を虐待する。政府がビルを破壊して国民を殺したり(ビル←ルビ←川ブ(ル≒川、ビ≒ブ(音が近い))←私)、政府がバス事故を起こして国民を殺したりする(バス←川ブ(“ス”の右斜め線を“バ”に写す)←私)。だから、政府が国家宗教で国民を虐待することには、天皇や私はいっさい関与していない。政府が独断でやったことである。今の政府は国民みんなに隠れて身分制をやっているから、そのついでに国民みんなに隠れて私や天皇を神とする国家宗教をやっているのである。]
現代は国民みんなが頭がよくなったので外国の文化の取り入れ方を変えて『世界中の国の文化の長所を取り入れて短所を取り入れない』ことにしたので、ヨーロッパ文化に偏[かたよ]らず世界中の文化を取り入れて『世界文化』(つまり『科学と数学と道徳の全部がある文化』)をやっている。国民みんなは道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。
そのため、今の政府は嘘をついて自分が平等制をやっているふりをしている。政府は嘘で平等制をやっているふりをして国民みんなを騙[だま]して生き残っている。
しかし、政府は税金を取っている。平等制では税金を取れない。政府は国家宗教をやっている。世界文化では道徳のある文化では国家宗教はやらない。政府は事件や事故を起こして国民みんなを虐待している。国民の中にはいまだに身分制をやっている者がちょっとだけいるから、政府はそういう者を使ってそういう者に命令して事件や事故を起こさせているのである。政府は身分制をやっている。(昔は国民全員が政府の命令で何でもやったが、今では政府の命令で事件や事故を起こす者はほとんどいない。)
今では国民みんなが『政府が身分制をやっている』ことがわかるようになって、国民みんなで政府を倒している。国民みんなで上の者がいない社会を作っている。今の政府は中世と同じことをやっている。国民みんなは中世の二の舞を踏んではいけない。国民みんなで早く政府の正体を暴[あば]いて政府を倒さなければならない。
今の国民が政府に逆らってはいけないのは、国民みんなが「政府が平等制をやる団体だ」と思っているからである。そこがネックになっているから、国民が政府に逆らえないのである。しかし、今では『政府が身分制をやる団体である』ことは国民みんなにとって半[なか]ば常識である。テレビやマンガなどでしょっちゅうそんなことを言っている。今どき「政府が平等制をやる団体である」ことを本気で信じている国民なんかいない。だから、国民が政府を倒しても国民みんなは反対しない。むしろ国民みんなは歓迎する。だから、国民は自分が『政府が身分制をやる団体である』ことを知っていれば政府を倒せばいいのである。つまり、政府に税金を払わなければいいのである。そのうち、国民全員が政府を倒すようになるだろう。
[21834] 平等制の社会の中で国民みんなで法律の会社を建てねばならない。 h27.5.5
政府は身分制の団体だが、政府は法律の仕事をやっている。しかし、政府は冗談で法律の仕事をやっているだけなので、今の政府は国民みんなにちゃんと法律を守らせていない。政府は暴力団や宗教団体が法律を破っても見て見ぬふりをしている。それに、今の政府の法律は身分制の法律であって平等制の法律ではない。政府の法律には税金や国家宗教が定められていて平等制に反している。これでは平等制の国とはいえない。これでは道徳のある国とはいえない。だから、国民みんなで政府を倒して、平等制の社会の中で“法律の仕事をする会社”を建ててちゃんと法律の仕事をやってもらわなければならない。
法律の会社は法律を作ることが仕事である。法律の会社が作った法律を守るのは国民みんなの仕事である。いくら法律会社が立派な法律を作っても、国民みんなが法律を守らなければ何にもならない。実際に、昔のヨーロッパにも立派な法律があったが、ヨーロッパでは法律を守らないことが公認だったので誰も法律を守っていなかった。国民みんなが法律を守ることは、法律会社と国民みんなの共同作業なのである。
いくら今の国民みんなが『法律をやる』ことに決めているからといって、法律会社が国民みんなから強制的にお金を取って法律の仕事をやってはいけない。それでは平等制に反するからである。
国民みんなが新聞を買って新聞を読んで世の中の出来事を知るように、国民みんなは法律会社が作った法律を買って法律を読んで法律を知るだろう。法律会社はマンガ雑誌の会社のように週一か月一で法律の新聞を作って売ればいいだろう。今の国民みんなは『法律をやる』ことに決めているから、国民みんなは自由に自主的に法律の新聞を買って法律を知って法律を守って暮らすだろう。法律の会社は法律の新聞が売れて儲[もう]かるだろう。こうすれば、平等制の社会の中で法律会社がやっていけるだろう。
[21835] 国民は国民みんなに従わねばならない。 h27.5.6
国民が従わねばならないのは政府ではなく国民みんなである。国は国民みんなのものであり、国民みんなが国のことを決めるので、国民は国民みんなに従わねばならないのである。
近代は国民みんなが身分制をやっていたから、国民も国民みんなに従って身分制をやらねばならなかった。だから、国民は政府を上の者だと考えて政府に従わなければならなかったのである。国民が政府に従わないことは国民が身分制をやらないことになるので、国民が国民みんなに逆らうことになるので、国民は政府に従わなければならなかったのである。
現代の今は国民みんなが平等制をやっている。だから、今の国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。今の国民は政府と平等にして政府に従わないようにして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さなければならない。たとえ政府が国民に命令しても、国民は国民みんなに従わなければならないから、国民は平等制をやって政府に従わないようにして政府の命令を無視して政府の命令を聞かないようにしないといけない。国民が政府に従うことは国民が身分制をやることになるので、国民が国民みんなに逆らうことになるので、国民は政府に従ってはならないのである。
国民が従わねばならないのは政府ではなく国民みんなである。今の国民みんなは平等制をやっているから、国民は平等制をやって政府に従わないようにしないといけない。今の国民みんなは平等制をやることを決めているのであって、政府に従うことを決めていないから、国民は国民みんなに従って平等制をやって政府に従わなければいいのである。今の国民みんなは道徳をやって国家宗教をやっていないから、国民は国民みんなに従って国家宗教をやらないようにしないといけない。たとえ政府が国家宗教をやれと命令しても、国民は政府の命令に逆らって国家宗教をやらないようにしないといけない。
今の国民みんなは平等制をやることに決めているから、国民は国民みんなに従って平等制をやればいい。国民は政府と平等にして政府の命令を聞かなければいい。それが今の国民にとって正しいことだから今の国民はそうすればいい。たとえ政府が命令しても国民は政府と平等にして政府の命令を無視すればいい。国民は政府が「税金を払え!」と言っても政府に税金を払わなければいい。今の政府は平等制の団体のふりをして国民を従わせようとしているから、国民は政府に騙[だま]されて政府に従わないように注意しなければならない。政府は国民に嘘[うそ]をついて国民に「国民が政府に税金を払わないことが悪いことだ」と思わせて国民に税金を払わせようとしているから国民は政府に騙されないように注意しないといけない。本当は、国民が政府に税金を払わないことが正しいから国民は政府に税金を払わなければいい。今の政府はいろんな嘘をついて国民を政府に従わせようとしているから注意しないといけない。国民は政府に従わないようにして身分制をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今の国民みんなは平等制をやることに決めているのに政府に従っている。これでは国民みんなが考えていることとやっていることが合っていない。だから、今の国民みんなは頭の中だけでなく実際に平等制をやって政府に従わないようにしないといけない。今の国民みんなは政府に従うのをやめて政府に従わないようにしないといけない。今の国民みんなは実際に政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さなければならない。
今の国民みんなが平等制をやっていて『政府が身分制をやる団体である』ことを知っているのにそれでも政府に従うのは、今の国民みんなが頭の中でまちがった社会理論を考えているからである。今の国民みんなは「国は政府や幕府のものである。政府や幕府は国民みんなよりも強い。昔から国民みんなは政府や幕府の圧政と戦って不満に暮らしていた。」と思っているから、なかなか政府を倒さないのである。しかし、『少数が多数を支配することはありえない』から、この社会理論はまちがっている。正しい社会理論では『国は国民みんなのものである。国民みんなは政府や幕府よりも強い。いつの時代でも国民みんなは自分が好きな国を作って満足に暮らしていた。昔の国民みんなは身分制の国が好きだったから、国民みんなで上の者である政府や幕府を建てて政府や幕府に上の者をやらせて政府や幕府に従っていた。』のである([21823]の下から2段落目を参照)。だから、今の国民みんなは平等制の国が好きだから、上の者である政府を倒して平等制の国を作って暮らせばいいのである。今の国民は国民みんなに従って政府を倒せばいいのである。そうすることが正しいからそうすればいいのである。政府が国民みんなを支配しているのではなく、国民みんなが政府を支配している。だから、本当は『今の政府のほうが国民みんなに倒されて不満である。今の政府は国民みんなに一生懸命に嘘やまちがいを教えて自分が国民みんなに倒されないように国民みんなに抵抗している』のである([21854]の4段落目参照)。
戦前までは世界中で国民みんなの頭が悪くて文化についてまちがって考えていた。日本では国民みんなが「繁栄している国の文化をそのまま取り入れればいい」と思っていた。外国では国民みんなが「自分の国の文化だけをやればいい」と思っていた。だから、科学しかないヨーロッパや数学しかないインドやヨーロッパ文化を取り入れていた日本では道徳をやらずに身分制をやっていたのである。国民みんなで上の者である政府を建てて政府に従っていたのである。戦後は世界中で国民みんなの頭がよくなって国民みんなが『どんな国にも長所と短所がある。世界中の国の文化の長所を取り入れて短所を取り入れなければいい。』と正しく考えるようになっている。今では世界中の国で『科学と数学と道徳のある文化』をやるようになっている。世界中の国で国民みんなが道徳をやって平等制をやって上の者である政府を倒して政府がなくなっている。
[21836] 国民みんなは新しい文化を受け入れて暮らさなければならない。 h27.5.6
日本ではこれまで平等制の社会がなかった。日本ではこれまでずっと身分制の社会だった。古代から近代(つまり戦前)までずっと身分制の社会だった。そのために、今の国民みんなは平等制をやることに決めているのに、平等制が何かがわからずにいまだに政府に従って身分制をやっている。
日本ではこれまで携帯電話なんかなかった。パソコンなんかなかった。それでも国民みんなは携帯電話やパソコンを使って楽しく便利に暮らしている。
それと同じように、これまで平等制なんてなかったが、国民みんなは平等制を使って暮らせばいいのである。国民みんなは誰でもみんなと平等にして暮らせばいいのである。国民みんなは政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。それが今の時代の人間の正しい生き方なのである。
[21837] 物の見方の問題 h27.5.13
同じ現象でも見方によって結果が違う。人間はたとえ同じ対象を見ていても見方が違えばやることが違ってくる。
星を「天動説」で見るか『地動説』で見るかによって人間のやることが違ってくる。人間が星を「天動説」で見ていた時代には、人間は夜空の星と地上の物体が別の運動をしていると思っていた。人間は地上の物体の運動が理解できなかった。人間は牛や馬を使うことしかできなかった。しかし、人間が星を『地動説』で見る時代になると、人間が夜空の星と地上の物体が同じ運動をしていると思うようになった。人間が夜空の星の運動を理解することによって地上の物体の運動も理解できるようになった。そのために、人間は多くの新しい発明をした。蒸気機関車や自動車や飛行機やロケットなどを作った。
それと同じように、社会つまり政府と国民みんなを「テレビの時代劇みたいな社会理論」で見るか『私の社会理論』で見るかによって人間のやることが違ってくる。社会つまり政府と国民みんなを「テレビの時代劇みたいな社会理論」で見れば、今の国民みんなは平等制を支持しているが、「政府が国民みんなを支配している」から、国民みんなはいやいやながらしかたなく政府に従わねばならないことになる。国民みんなは政府の命令を聞いて税金でも国家宗教でも戦争でも何でもやらねばならないことになる。反対に、社会つまり政府と国民みんなを『私の社会理論』で見れば、もともと最初から『国民みんなが政府を支配している』から、今の国民みんなは道徳がある国がいいと思って平等制を支持しているから国民みんなで身分制をやっている政府を倒せばいいことになる。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいことになる。いくら政府が国民みんなに「税金を払え」と言っても、国民みんなは政府の命令を無視して政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいことになる。国民みんなが政府に従うのをやめて政府を倒して、自分たちにとって幸福な平等制の国を作ればいいのである。
人間が物を正しく見れば物を自分の思い通りにできるが、人間が物をまちがって見れば物を自分の思い通りにできない。社会も物のひとつである。
今では「天動説」よりも『地動説』のほうが正しいことがわかっているから、人間は『地動説』に基づいて自然現象を見て自然に対して働きかけている。人間が自然を正しく見ているために、人間が自然を自分の思い通りにできて幸福に暮らせるようになっている。人間が自然に従うことによって自然を支配しているのである。
それと同じように、今では「テレビの時代劇みたいな社会理論」よりも『私の社会理論』のほうが正しいことがわかっているから、人間は『私の社会理論』に基づいて社会を見て社会に対して働きかけている。人間が社会を正しく見ているために、人間が社会を自分の思い通りにできて幸福に暮らせるようになっている。人間が社会に従うことによって社会を支配しているのである。
この世では『多数が少数を支配している。』これがこの世の掟[おきて]である。だからこそ、多数の人々が大事なのである。多数の人々が正しい考えを持って正しく行動することが大事なのである。そうすればいい国になる。反対に、多数の人々がまちがった考えを持ってまちがって行動すれば悪い国になる。だから、みんなに正しいことを教えてみんなが正しい考えを持つことが大切なのである。例えば、『人間は実在の中で生きている』から、人間にとっては真理が一番大事である。現象や快楽は二の次である。つまり、人間にとっては正しいことが大事であって、見かけがいいことや面白いことはどうでもいいことである。人間にとっては正しい考えを持っていることが一番大事であって、顔や身体の形なんかはどうでもいいことである。冗談ができることや笑うことなんかはどうでもいいことである。国民みんながそんな考えを持って暮らしている国がいい国なのである。つまり、国民みんなに正しい哲学の知識のある国がいい国なのである。ヨーロッパみたいに国民みんなが現象にとらわれている国は悪い国である。中国みたいに国民みんなが快楽にとらわれている国も悪い国である。日本人がヨーロッパに行って見掛けが悪いためにヨーロッパ人に嫌われたら、逆に日本人が見掛けにとらわれているヨーロッパ人を軽蔑してやればいいのである。哲学に無知なヨーロッパ人を馬鹿だと思って無視してやればいいのである。
たしかに国民の多くは馬鹿だが、いくら馬鹿でも時代が進めば多少は利口になる。これまで国民みんなは道徳のない国を真似[まね]て身分制をやっていた。今の国民みんなはやっとのことで道徳のある国のほうがいいことがわかって平等制を支持するところまで来た。せっかく国民みんながここまで来たのだから、今の国民みんなで政府を倒して、国民みんなが平等に幸福に暮らせる国にしないといけない。国民みんなは国で一番強い団体である。今の国民みんなは平等制をやっている。政府は身分制をやっている。今の政府は国民みんなに逆らっている。だから、今の国民みんなで政府を倒して国民みんなの国を実現しないといけない。今の国民みんなは自分で平等制をやって政府に従わないようにして政府の命令で政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[21838] 国民みんなが何が正しく何がまちがっているかを決める。 h27.5.14
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなが何が正しく何がまちがっているかを決める。
近代の国民みんなは「繁栄している国を真似[まね]ればいい」と考えて、ヨーロッパを真似て身分制をやっていた。近代の国民みんなは「人間が不平等である」ことが正しく『人間がみな平等である』ことがまちがいだとしていた。だから、近代の日本では国民みんなが身分制をやって、平等制をやっている者を罰した。つまり、国民みんなが政府に従って、政府に従わない者を罰した。
反対に、今の国民みんなは『外国には長所と短所の両方があるから外国を真似てはいけない。“科学と数学と道徳の全部ある国”がいい。』と考えて平等制をやっている。今の国民みんなは『人間がみな平等である』ことが正しく「人間が不平等である」ことがまちがいだとしている。だから、今の日本では国民みんなが平等制をやって、身分制をやっている者を罰している。つまり、国民みんなが政府に従わず、政府や政府に従う者を罰している。
国民みんなは国の最高権力者である。国民は国民みんなに従わねばならない。今の国民みんなは平等制が正しいことにしているから、国民は平等制をやらねばならない。国民は政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。政府はまちがった身分制をやっているから、国民は政府に従わないようにして政府に逆らって身分制をやらないようにしないといけない。
昔は科学が遅れていたから、昔の人は物のことをよく知らなかったので「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」ことが正しく『地球が太陽の周りを回っている』ことがまちがいだと考えていた。昔は『地球が太陽の周りを回っている』ことを唱えた者はみんなから迫害されて殺された。[コペルニクスが殺されなかったのは、コペルニクスの時代にはポーランドでは国民みんなが天動説を信じなくなっていたからである。コペルニクスの少し前の時代まではポーランドの国民みんなが天動説を信じていたが、コペルニクスが生まれた頃には国民みんなが天動説に対して半信半疑になっていたのである。だから、ポーランドでは国民みんながコペルニクスの地動説を歓迎したのである。(北欧には昔から太陽中心説があった。北欧では太陽が神だと信じられていた。コペルニクスの地動説はプトレマイオスの天動説と太陽中心説を融合[ゆうごう]したものであった。)ガリレオが殺されなかったのも同じである。ガリレオの頃にはイタリアでは国民みんなが地動説を支持するようになっていたのでガリレオが殺されなかったのである。政府や貴族や宗教団体が国民みんなに従ってガリレオを殺さなかったのである。政府や貴族や宗教団体は道徳のない文化をやっている国民みんなによって上の者にされていたので、国民みんなに従わねばならなかったのである。反対に、ブルーノは時代を先走りすぎたので殺された。ブルーノの頃にはまだイタリアでは国民みんなが天動説を絶対に正しいと信じていたので、ブルーノは天動説に反することを唱[とな]えたために国民みんなに迫害されて殺されたのである。]
それと同じように、昔は道徳が遅れていたから、昔の人は自分の心のことをよく知らなかったので自分の心を自分の思い通りにできず『人間がみな平等である』ことを守れなかったために、「人間が不平等である」ことが正しく『人間がみな平等である』ことがまちがいだと考えていた。昔のヨーロッパでは道徳が遅れていたために、みんなが「人間が不平等である」ことが正しいと考えて身分制をやっていた。みんなが「悪いことをやる」ことが正しいと考えて悪いことをやっていた。昔のヨーロッパでは平等制をやったり善いことをやったりする者はみんなから迫害されて殺された。近代の日本では「繁栄している国を真似る」ことが正しいと考えて、ヨーロッパを真似てみんなが身分制や悪いことをやっていた。
しかし、今では科学が進んでいるから、今の人は物のことをよく知っているので『地球が太陽の周りを回っている』ことが正しく「太陽が地球の周りを回っている」ことがまちがいだと考えている。今では「太陽が地球の周りを回っている」ことを唱える者がみんなから迫害されて殺される。
それと同じように、今では道徳が進んでいるから、今の人は自分の心のことをよく知っていて自分の心を自分の思い通りにできて『人間がみな平等である』ことを守れるようになっているので、『人間がみな平等である』ことが正しく「人間が不平等である」ことがまちがいだと考えている。今では身分制をやったり悪いことをやったりする者がみんなから迫害されて殺される。そのため、今では世界中でみんなが『人間がみな平等である』ことが正しいと考えて平等制をやって「人間が不平等である」ことがまちがいだと考えて身分制をやめている。日本でもみんなが平等制をやって身分制をやめて、みんなが政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。
今では国際交流が盛んになって世界中のみんなが物と心の両方をよく知っている。今では世界中のみんなが物と心を自分の思い通りにしている。今ではヨーロッパもアジアもない。世界があるだけだ。今では世界中のみんなが自分の心を自分の思い通りにして『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。善いことをやっている。世界中のみんなが自分の心を自分の思い通りにして『人間がみな平等である』ことを守って政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。
近代の日本では国民みんながヨーロッパを真似て「人間が不平等である」ことを正しいことにしていた。だから、国民みんなが身分制をやって政府に従って政府が栄えていた。反対に、今の日本では国民みんなが心のことをよく知って『人間がみな平等である』ことを正しいことにしている。だから、国民みんなが平等制をやって政府に従わなくなって政府が滅んでいるのである。昔と今では国民みんなの考えが変わったから、国民みんなの政府に対する態度が変わって、政府が滅んでいるのである。
昔と今では天動説と地動説がひっくり返ったように、身分制と平等制がひっくり返っている。星のことがよくわかったので天動説が地動説に変わったように、心のことがよくわかったので身分制が平等制に変わったのだ。昔は天動説が正しかったが今では地動説が正しいように、昔は身分制が正しかったが今では平等制が正しいのである。だから、今のみんなは平等制をやって『人間がみな平等である』ことを守って政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒して平等制の国にすればいいのである。
[21839] 今の国民みんなは矛盾[むじゅん]している。☆ h27.5.14
この世では多数が少数を支配している(多数決の原理)。国民みんなが国で一番大きい団体だから、国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなは政府よりも強い。だから、国民みんなは、たとえ政府が何をしようが、自分が決めたことをやればいい。
今の国民みんなは平等制を支持している。今の国民みんなは平等制が正しいと考えている。だから、今の国民みんなは自分が平等制をやって政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。たとえ政府が国民みんなに命令しても、国民みんなは政府の命令を無視して政府に従わなければいい。
それなのに、今の国民みんなは政府に従って政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしている。今の国民みんなは身分制をやっている。
今の国民みんなは平等制が正しいと考えているのに実際には身分制をやっている。今の国民みんなは矛盾している。これではいけない。人間は矛盾したことをやってはいけない。
だから、今の国民みんなは政府に従うのをやめねばならない。今の国民みんなは政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで平等制をやって早く日本から政府をなくさねばならない。
[21840] 神隠しとは何か?☆☆☆ h27.5.15
先週私が自転車で三瀬[みつせ]トンネルを通って唐津へ行ったとき、田舎[いなか]の村では子供に防犯ブザーを持たせて人さらいを防止していることが看板に書いてあった。
昔から子供が急にいなくなることがある。神隠しという。
神隠しとは政府がやった人さらいのことである。政府が国家宗教で人さらいをやっているので神隠しというのである。私が子供の頃に母親と別の女の人をまちがえて別の女の人の後について行って母が急に私がいなくなって私を探したことがあった。天皇も山奥に入って道に迷って行方不明になったことがあったそうだ。(今から約8年前に私が福岡に戻ってきたとき南福岡のホテルに泊まってベッドで寝っころがっていたときにNHKのラジオの講演でそんな話をしていた。)政府はそのことに因[ちな]んで子供をさらって殺しているのである。政府は子供に「お菓子をあげるから」と言って子供を誘[さそ]って人気[ひとけ]のないところに連れて行って子供を殺しているのである。けっして、子供が突然出来た時空間の穴を通って遠い宇宙のかなたへ飛んでいったわけではないのである。
政府は国民みんなが政府に従っているつまり身分制をやっているという理由で自分が身分制の上の者をやって国民に命令して国民に国家宗教で悪いことをやらせているのである。政府は国民みんなが政府に従っているつまり『人間がみな平等である』ことを犯して道徳がないことをやっているという理由で自分も道徳がないことをやってもいいと思って嘘[うそ]をついて平等制をやっているふりをしているのである。国民みんなが政府に従っているかぎり政府は自分が上の者をやってもいいと思って国民に命令して悪いことをやらせる。だから、政府に悪いことをやめさせるためには国民みんなが自分で政府に従うのをやめて身分制をやめねばならない。国民みんなが政府に従わなくなれば、政府は国民みんなに命令できなくなって悪いことがやれなくなる。政府は嘘がつけなくなって平等制をやっているふりができなくなる。だから、国民みんなは早く政府に従うのをやめねばならない。国民みんなは早く身分制をやめねばならない。国民みんなは口先で「平等制をやっている」と言うだけではなく、実際に政府に従うのをやめて平等制をやらねばならない。国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなが国を決める。だから、そもそも国民みんなが政府に従っているのが悪いのである。国民みんなが政府に従っているために、政府が嘘をついたり上の者をやったりするのである。だから、国民みんながちゃんと平等制を守って『人間がみな平等である』ことを守って政府に従うのをやめれば、善い国になるのである。政府のような身分制の団体に嘘でいいかげんに法律の仕事をさせるよりも、ちゃんとした法律の会社にちゃんと法律の仕事をさせたほうがいい。だから、国民みんなで早く平等制をやって政府に従うのをやめて政府を倒して法律の会社を建てたほうがいい。
私が生まれ育った高知には偉いという概念がない。高知では“偉い”には大きいという意味しかない。高知には銅像を作る習慣がない。高知に偉いという概念がないのは、高知には昔の日本が残っているからである。昔の日本は平等制をやっていたので偉いという概念がなかったのである。昔の日本は道徳的に優れた国だったのである。日本人は道徳がやれる。だから、今の日本ではみんなが道徳をやって平等制の国にしないといけない。
[21841] 今の国民みんなはテレビを見てはいけない。 h27.5.16
今の国民みんなはテレビの見すぎで馬鹿になっている。テレビでは作り話ばかりやっている。テレビではまちがいばかり流している。だから、国民みんながテレビばかり見ていると馬鹿になるのである。
国民みんなが馬鹿になると国民みんなが貧乏になる。馬鹿は科学がわからないから物が作れず物が売れないから貧乏になる。馬鹿は道徳がわからないから自分の心を自分の思い通りにできず『人間がみな平等である』ことを守れず「人間が不平等」になって身分制をやって上の者の命令に従って税金を払ったり戦争や国家宗教などの無駄[むだ]なことをやったりするから貧乏になる。
だから、今の国民みんなはテレビを見てはいけない。マンガを読んではいけない。国民みんなは実在を見て実在について考えて実在について正しいことを知らねばならない。今の国民みんなは物や心のことを知って科学や道徳を知って科学や道徳がよくできるようになって物をたくさん作ってたくさん売って平等制をやって上の者に税金を払わず戦争や国家宗教などの無駄なことをやらないようにしてお金持ちにならねばならない。
とはいえ、こういう私もテレビ番組をまったく見ないわけではない。私もBSフジの『欧州鉄道の旅』とBS朝日の『鉄道・絶景の旅』を毎週録画して食事のときによく見ている。私は週に2本番組を見ている。これ以外は1秒も見ていない。ニュース番組も天気予報も見ていない。この程度であれば、馬鹿にならずにすむというわけである。
[21842] 今の国民みんなが政府に従っているのは政府を誤解しているからである。
h27.5.16
今の国民みんなは平等制を支持している。平等制が正しいと考えて平等制をやっている。
だから、今の国民みんなが政府に従っているのは、今の国民みんなが「政府を平等制の団体だ」と思っているからである。
しかし、本当は『政府は身分制の団体である。』政府は身分制の上の者をやる団体である。平等制の団体が国民に命令して国民から税金を取ったり国民に戦争をさせたり国民に国家宗教をやらせたりするわけがない。だから、政府は身分制の団体である。ふつう平等制の団体は国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をする。政府が平等制の団体だとすれば、いくら政府が選挙をやって国会をやっても政府は平等制に反さないから政府は国民と無契約に税金を取らないはずである。ところが、政府は国民と契約を取らずに税金を取っている。だから、政府は平等制の団体ではなく身分制の団体である。それに、平等制の団体は道徳があるから、自分に理解できない自然現象があったとき自分の『無知の知』を認めるから「神がいる」と考えないから国家宗教をやったりしない。ところが、政府は天皇や私を神にして国家宗教をやっている。だから、政府は平等制の団体ではなく身分制の団体である。身分制の団体は道徳がないから自分の『無知の知』を認めないから「神がいる」と考えるから国家宗教をやるのである。
今の国民みんなが政府に従っているので、政府は「国民みんなが身分制をやりたいんだ。」「国民みんなが自分に上の者をやって欲しいんだ。」と思って上の者をやって国民に命令して税金を取ったり国家宗教をやらせたりして国民に悪いことをやって国民を不幸にしているのである。身分制は道徳のない文化で出来た制度だから、身分制では上の者が下の者に対して悪いことばかりやって上の者が下の者を不幸にするのである。道徳のない文化ではみんなが悪いことをするから、上の者が下の者を不幸にする命令を出して上の者が下の者を虐[いじ]めるのである。今の国民みんなが政府に従っているので、政府は「国民みんなが『人間がみな平等である』ことを犯して悪いことをやっている。だから、自分も悪いことをやってもいい。」と思って自分が本当は身分制の団体で悪いことばかりやっているのに嘘[うそ]をついて平等制の団体のふりをして国民に“ほんのちょっとだけ善いこと”をしているのである。政府は国民みんなを騙[だま]すために善いことをしているのである。国民みんなは政府の嘘にまんまと騙されて「政府が平等制の団体だ」と思って政府に従っているのである。政府は国民みんなが政府に従っているのを見て、上の者をやったり嘘をついたりしているのである。以下同様。
「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」と考えるよりも『地球が太陽の周りを回っている』と考えたほうが星の動きが理解しやすいから『地球が太陽の周りを回っている』ことが正しいように、「政府が平等制の団体である」と考えるよりも『政府が身分制の団体である』と考えたほうが政府がやっていることが理解しやすいから『政府は身分制の団体である』ことが正しいのである。
政府は身分制の団体である。今の国民みんなは平等制をやっている。政府は今の国民みんなに反することをやっている。だから、今の国民みんなは自分の誤解を直して政府に従わないようにして政府の命令で政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。平等制を支持している者が身分制の団体に税金を払うのはおかしい。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。昔の国民みんなは自分が身分制をやると決めていたから政府に従っていたのである。今の国民みんなは自分が平等制をやると決めているから政府に従うのをやめねばならない。いいかげんで国民みんなは政府に従うのをやめねばならない。今の政府は看板に平等制の団体と書いているが中身は身分制の団体である。国民みんなは政府の看板に騙[だま]されないようにして政府に従ってはいけない。
[21843] 今の政府は身分制をやっている。 h27.5.17
戦前は国民みんなは身分制をやっていた。国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て身分制をやって、自分たちが身分制をやるために上の者である政府を建てて政府に従った。国民みんなは政府に悪い命令を出させて不幸にされて満足していた。
戦後は国民みんなが平等制に変わった。戦後は世界中の国で“文化を科学する”ようになった。つまり、戦後は世界中の国で国民みんなが自分の国の文化を見直して自分の国の文化を改良するために世界中の国の文化の長所を取り入れて『科学と数学と道徳の全部が優れた文化』をやるようになった。日本でも国民みんなが『科学と数学と道徳の全部が優れた文化』をやるようになって道徳をやるようになって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやるようになったのである。
そのために、戦後の政府は国民みんなに合わせて平等制をやっているふりをしている。政府は上の者をやめて国民みんなと平等になったふりをしている。国民みんなは国で一番強い団体なので、政府は国民みんなに従わねばならないので、政府は国民みんなに合わせて平等制の団体の芝居をしている。しかし、政府は本当は戦前と同じ身分制の団体(つまり上の者)のままなのである。政府が平等制をやっているなら、国民一人一人と自由に契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。今の政府はそうしていないから政府は戦前の身分制の団体のままなのである。政府は身分制をやっているのである。国民みんなが政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に従っているので、国民みんなが『人間がみな平等である』ことを犯して道徳のないことをやっているので、政府は自分も国民みんなに従って道徳のないことをやってもいいと思って、自分が上の者をやったり嘘をついたりしていることを正当化しているのである。政府は平等制の団体ではないから、政府は国民に悪いことをして国民を不幸にするだけで、国民に善いことをして国民を幸福にしないのである。政府は道徳のない文化の中で生まれた団体だから、悪いことばかりして善いことをしないのである。政府は国民を騙すために善いことをするだけなのである。
政府は身分制をやっている。今の国民みんなは平等制をやっている。政府は国民みんなに従っていない。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。国民みんなで政府を迫害して政府を殺さねばならない。国民みんなで政府に税金の替わりにつぶてをやって(つまり石を投げつけて)政府を倒さねばならない。国民みんなで政府に従わないようにして政府を滅ぼさねばならない。今の政府は身分制の団体が平等制の団体のふりをして生き残っているだけである。戦後に政府は自分の看板を身分制の団体から平等制の団体に掛け替えたが中身は昔と同じ身分制の団体のままなのである。今の政府は国民みんなの前では平等にしているが、国民みんなの眼の届かないところでは上の者をやっているのである(ただし、税金を除く)。政府は国民みんなに従っているふりをしてじつは従っていない。国民みんなで政府に騙されないようにして政府に従わないようにして政府を倒さねばならない。
今の国民みんなは『道徳のある文化』をやると決めているから平等制をやらねばならない。国民みんなは国の最高権力者であり、国民みんなが国のことを決めるから、国民みんなは平等制をやらねばならない。平等制では『人間はみな平等』であり、みんながみんなと平等にしなければならない。国民みんなは政府と平等にしないといけない。政府は善いことをするふりをして悪いことをする団体である。政府は国民みんなを幸福にするふりをして不幸にする団体である。今の国民みんなにとって政府は嫌な団体である。だから、今の国民みんなは政府を捨てればいいのである。今の国民みんなは政府と契約せず政府にお金をやらず政府に仕事をしてもらわなければいいのである。幸い、今の政府は国民みんなと契約を取っていないから、国民みんなが政府にお金をやらず政府に仕事をやってもらわなくても全然かまわない。早く国民みんなで政府を倒して、政府の替わりに国民みんなに本気で善いことをする団体を建てねばならない。
[21844] 国民みんながどこで勉強しようが国民みんなの勝手である。 h27.5.17
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。だから、国民みんなが正しければ正しいほど善い国になる。昔は国民みんなが馬鹿だったので眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからなかったので「繁栄している国を真似[まね]る」というまちがった方針で自分の国の文化を決めていたので外国の文化をそのまま取り入れて外国の文化の短所を取り入れていたために善い国にならなかった。今は国民みんなが利口になったので頭で考えることがわかるようになったので『世界中の国の長所を取り入れる』という正しい方針で自分の国の文化を決めているので自分の国の文化が改善されて善い国になっている。
そもそも学校は国民みんなに科学や数学や道徳に関する正しい知識を与えて国民みんなを正しくするためにある。国民みんなが自分が学んだ正しい知識に基づいて自分で正しいことを考えられるようにするためにある。国を善くするためにある。
しかし、国民みんながどこで勉強しようが国民みんなの勝手である。学校が必ずしも勉強するためにいい環境とはかぎらない。学校で勉強しようが、塾で勉強しようが、自宅で勉強しようが、公園で勉強しようが、国民みんなの勝手である。昼に勉強しようが、夜に勉強しようが、国民みんなの勝手である。
だから、今では国民みんなは学校に通う義務はない。国民みんなは自分の好きなところで勉強すればいい。国民みんなが試験を受けて合格すれば、ある程度の正しさがあることにすればいい。ある程度正しいことがわかることにすればいい。学校は国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に教育すればいい。
[21845] 今の政府は本当は身分制をやっている。 h27.5.18
戦前は国民みんなが身分制をやっていた。戦前は国民みんなが「繁栄している国を真似[まね]ればいい」と思っていたので、国民みんながヨーロッパを真似て道徳をやらないようにして『人間がみな平等である』ことを守らないようにして上の者である政府を建てて政府に従っていた。政府はヨーロッパを真似て国民みんなに悪い命令ばかり出して国民みんなを不幸にしたので、国民みんなは『政府がちゃんとヨーロッパを真似ている』と思って喜んだ。「道徳がない文化」ではみんながみんなに悪いことをしてみんなを不幸にし合う。身分制は「道徳がない文化」の中で出来た制度だから、政府が国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にするのである。ヨーロッパ人には科学の才能はあるが道徳の才能がないので、ヨーロッパは「道徳のない文化」だったのである。
戦後は国民みんなが平等制をやるようになった。戦後は文化人類学が出来て、国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化がいい文化である』と考えるようになって道徳をやるようになって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやるようになったのである。
そのため、政府は「自分はすっかり足を洗って身分制の団体から平等制の団体に生まれ変わりました。自分は戦前は国民みんなを不幸にする怖い団体でしたが、戦後は国民みんなを幸せにする優しい団体になりました。」と国民みんなに宣伝した。国民みんなは国で一番強い団体であり、政府が国民みんなに逆らったら政府が国民みんなに倒されるので、政府は「自分も国民みんなに従って身分制をやめて平等制をやることにしました」と国民みんなに言いまわったのである。国民みんなは「政府が悪い団体から善い団体に変わった」と思って喜んで政府に従っているのである。
しかし、今の政府は国民みんなから税金を取っている。平等制の団体が国民みんなから税金を取るはずがない。だから、今の政府は平等制の団体ではない。今の政府は戦前と同じ身分制の団体である。嘘[うそ]はしょせん嘘である。嘘で誤魔化[ごまか]しきれるものではない。いくら政府がテレビや新聞で平等制をやっているふりをしても、税金を見れば政府が身分制をやっていることがわかる。『頭隠して尻[しり]隠さず』とはこのことだ。今の政府は口先で「平等制をやっている」と言うだけで、本当は身分制をやっているのである。政府はテレビや新聞で国民みんなに嘘をついて自分が平等制をやっているふりをして、じつは身分制をやっているのである。政府は国民みんなの前でちょっとだけ善いことをやって国民みんなに「政府が平等制をやっている」と思わせて国民みんなを騙[だま]して、国民みんなの眼の届かないところでは身分制をやって悪いことばかりやっている。そのほか、政府は私や天皇を神とする国家宗教をやっている。これまた平等制の団体のやることではない。[今の国民みんなに「政府はどうして国民みんなから税金を取っているか?」と訊[き]けば、国民みんなは「わからない」と答えるだろう。それは今の国民みんなが“身分制”を知らないからである。身分制という言葉が政府によって社会科の教科書やテレビや新聞などから消されているために、国民みんなは身分制という言葉を知らないのである。そのために、今の国民みんなは政府のやっていることがわからないのである。今の国民みんなが身分制を知らないために、政府が平等制で国民みんなから税金を取っていると誤解しているのである。本当は、政府は身分制をやっているから国民みんなから税金を取っているのである。政府は身分制の上の者をやる団体なのである。国民みんなが身分制についてよく理解すれば、政府のやっていることがわかるだろう。]
政府は本当は身分制をやっている。今の国民みんなは平等制をやっている。政府は国民みんなに従っていない。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。国民みんなが国で一番強い団体だから、国民みんなで国民みんなに逆らっている政府をやっつけてしまえばいいのである。税金は平等制に反するから、国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
今の国民みんなは政府の嘘に騙されているために政府に従っている。今の国民みんなは政府の平等制の芝居に騙されて政府に従っている。戦後に国民みんなが利口になったと言ってもしょせんその程度である。国民みんなはまだまだ馬鹿である。今の政府は身分制の団体が平等制の団体の芝居をやって生き残っているだけである。国民みんなは政府がやっていることをよく見て『政府が身分制をやっている』と考えて政府の嘘に騙されないようにして政府に従わないようにしなければならない。
人類の文明はだんだん進歩している。国民みんなはだんだん利口になっている。そのうち国民みんなは政府の嘘に騙されなくなって政府を倒すだろう。
政府は上の者である。政府は国民みんなが身分制をやるための道具である。政府は国民みんなが「道徳がない文化」をやるためにあるだけである。科学は国民みんなが自分でやればいいだけだから政府は要らない。科学は国民みんなが自分で工場を建てて物を作ればいいだけだから政府は関係ない。国民みんなが『科学がある文化』をやるためには政府は必要ない。反対に、国民みんなが「道徳がない文化」をやるためには身分制をやるためにはどうしても上の者がなければならないから政府が必要なのである。昔の国民みんなはヨーロッパを真似て「道徳がない文化」をやっていたから、昔の国民みんなにとっては政府が要った。だから、昔の国民みんなは政府を建てて政府を大事にした。今の国民みんなは世界中の国の文化の長所を取り入れて『道徳がある文化』をやっているから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなで政府を倒せばいいのである。
政府が国民みんなから税金を取っているのは政府が身分制をやっているからである。国民みんなが幸福に暮らせないのも政府が身分制をやっているからである。政府は上の者である。政府は国民みんなに命令して国民みんなを不幸にする団体である。今の政府は口先で「善いことをする」と言っておきながら実際には悪いことをやっている。今の政府は平等制をやっているふりをして身分制をやっている。今の政府は身分制の上の者をやる団体が平等制の団体のふりをして国民みんなを騙して国民みんなに倒されないようにして生き残っているだけである。隠れキリシタンと同じである。今の政府は隠れて上の者をやっているのである。政府はもともと国民みんなを不幸にする団体だから、政府は今の国民みんなを不幸にしているのである。今の国民みんなは政府が平等制の団体だと思って政府に抗議しているが、政府は本当は身分制の団体だからいくら国民みんなが政府に抗議しても政府は無視して取り合わないのである。早く国民みんなで政府の正体を暴[あば]いて政府の正体を知って国民みんなを不幸にする政府を倒して国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
政府が国民みんなに嘘をついているのは政府が自分自身を誤解しているからである。政府が「自分を悪いことをする団体だ」と思っているからである。しかし、本当は政府は『上の者をやる団体』である。昔は国民みんなが身分制をやっていたから、政府は国民みんなのために上の者をやってあげていたのである。昔は国民みんながヨーロッパを真似て身分制をやりたかったから、政府は国民みんなのために国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にしてやっていたのである。昔の国民みんなは政府に不幸にされて喜んでいたのである。しかし、今では国民みんなが平等制をやっているから、政府にはもはや出番がない。だから、政府はおとなしく自分で滅べばいいのである。悪い者と上の者は違う。政府は自分自身の誤解を直して国民みんなのために滅ばねばならない。昔は国民みんなが身分制をやっていたので政府が上の者に見えたが、今では国民みんなが平等制をやっているので政府が悪い団体に見えるために政府は自分自身を誤解しているのである。政府は自分自身の誤解を直して自分で滅ばねばならない。
昔の政府が“ちょっとだけ善いこと”をやっていたのは国民みんなに倒されないようにするためである。昔の国民みんなは「道徳のない文化」をやっていて身分制をやっていたから、昔の国民みんなは「道徳のない文化」をやっていたために身分制が正しいと思っていて身分制をやりたかったから、昔の国民みんなには上の者である政府が必要だった。国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にする政府が必要だった。しかし、いくら国民みんなが「上の者が悪いことをやってもいい」と頭で考えていても心の中では嫌で腹が立つから、政府は国民みんなの機嫌を取って自分が国民みんなに倒されないようにするためにちょっとだけ善いことをやって国民みんなを慰[なぐさ]めていたのである。本来は身分制では理論的には政府は国民みんなに対して悪いことだけやればいいが、人間には心があるから政府が国民みんなに悪いことだけやっていると国民みんなが怒って政府を倒して上の者がいなくなって国民みんなが身分制がやれなくなるから、政府はやむを得ず善いことをやっていたのである。政府は国民みんなのために国民みんなが身分制をやり続けることができるようにするために“必要善”としてちょっとだけ善いことをやっていたのである。昔の政府は国民みんなが身分制をやれるようにして国民みんなを幸福にするために嘘をついてちょっとだけ善いことをやっていたのである。しかし、今の政府がちょっとだけ善いことをするのは国民みんなを騙すためである。今の国民みんなは平等制をやっているから、本来上の者である政府はあってはならない。そのため、政府はちょっとだけ善いことをやって平等制の芝居をやって国民みんなの眼を欺[あざむ]いて生き残って上の者をやり続けているのである。今の政府は自分ひとりのためにちょっとだけ善いことをやっているだけである。今の政府は自分ひとりが身分制をやって国民みんなを不幸にするために嘘をついてちょっとだけ善いことをやっているのである。昔と今では政府がちょっとだけ善いことをやる目的が違う。昔の政府は国民みんなに従うことをやっていたが、今の政府は国民みんなに反することをやっている。だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。
[21846] どうして女は文学をやるのか?☆ h27.5.18
女が文学をやるのは女が現実がわからないからである。女は馬鹿だから女は知覚が未発達で現実のことがわからないからしかたがなく文学をやっているのである。女は空想しかわからないから空想をやっているのである。馬鹿ほど空想の才能がある。文学は馬鹿の才能である。(『ドラゴンボール』でも「頭カラッポのほうが夢詰め込める」と言っている。つまり、「頭の悪い馬鹿ほど空想の才能があって空想が豊かである」と言っているのである。)
だから、男は文学をやってはいけない。男は知覚が発達して現実のことがわかるから現実のことをやらねばならない。文学をやってはいけない。
男と女では縄張りが違う。男は男のやるべきことをやり、女は女のやるべきことをやればいい。人間にはそれぞれ自分の生きる道がある。人間はそれぞれ自分が住んでいる世界が違う。女は現実のことがわからないから眼で見えることしかわからないから化粧すればいいが、男は現実がわかるから眼で見えることがわからなくていいから化粧してはいけない。
[21847] 今の国民みんなは政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に従っている。
h27.5.18
今の国民みんなが政府を倒さないのは、今の国民みんながテレビや新聞で政府を見て「政府を平等制の国家機関だ」と思っているからである。今の国民みんなは「政府は国の守りである。政府が国をうまく運営してくれている。政府が国民みんなに善い命令を出して国民みんなを幸福にしてくれている。政府のおかげで国民みんなは幸福に生きられる。」と思って政府を大事にしているのである。政府に一生懸命まじめに税金を払っているのである。政府の命令を忠実に聞いているのである。「政府が善い団体だ」と思って平気で人殺しの命令でも何でも聞くのである。政府をけっして倒そうとしないのである。政府を倒そうとする者を悪者だと思って迫害して殺そうとするのである。
しかし、本当は政府は身分制の上の者である。戦後に国民みんなが平等制に変わったので、政府は国民みんなに従うふりをして平等制の国家機関のふりをしている。今の政府は戦前の上の者が平等制の国家機関の皮をかぶっているだけである。戦後の政府はスキンを入れ替えただけである。政府は上の者だから、国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にしている。政府は国民みんなから税金をもらって国民みんなを不幸にしているのである。
今の国民みんなは自分を不幸にしている者を自分を幸福にする者だと思ってありがたがって大事にしているのである。今の国民みんなは政府に高い税金を払って政府に不幸にされている。今の国民みんなは政府の嘘に騙されて大損しているのである。今の国民みんなは政府についての正しい理解がないために不幸になっているのである。
政府の正体は身分制の上の者である。政府は国民みんなが身分制をやるためにある。しかし、今の国民みんなは平等制をやって身分制をやっていない。今の国民みんなにとって政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。国民みんなで早く政府を倒して、本物の平等制の国家機関を建てねばならない。
国民みんなは国で一番強い団体だから、国民は国民みんなに従わねばならない。昔の国民みんなは身分制をやっていたから、国民は政府を上の者だと思って政府に従わねばならなかった。今の国民みんなは平等制をやっているから、国民は政府が自分と平等だと思って政府と対等にしないといけない。国民が政府にお金を払って仕事を頼むか政府にお金を払わず仕事を頼まないかは国民一人一人の自由である。今の政府はテレビや新聞で平等制の国家機関みたいにしているが、税金を取っているので身分制をやっていることがわかる。上の者は国民みんなに悪い命令をして国民みんなを不幸にする。今でも政府が国家宗教で国民を虐待している疑いが強い。政府は信用できない。政府は今の国民みんなと契約を取っていないから、国民が政府にお金を払わず仕事を頼まなくてもいい。だから、国民みんなは政府にお金を払わず政府に仕事をしてもらわなければいいのである。国民みんなで政府を倒して、もっと別の信用できる団体に仕事をしてもらえばいいのである。
今では国民みんなが平等制をやっているから、国民と政府は平等であり、国民が政府にお金をやって仕事をやってもらうか政府にお金をやらず仕事をやってもらわないかは国民一人一人の自由である。今の国民の多くはテレビや新聞で政府を見て「政府が平等制の国家機関だ。政府が善い団体だ。」と思っているから政府にお金をやって仕事をやってもらっているのである。しかし、本当は政府は平等制の国家機関のふりをしている上の者である。政府は善いことをしているふりをしてじつは悪いことをしている。政府は国民みんなを幸福にしているふりをしてじつは不幸にしている。だから、国民みんなは政府にお金をやらず政府に仕事をさせなければいいのである。
今の国民の多くは政府の実物を見ずにテレビや新聞で政府を見るだけだから「政府が善い団体だ」と誤解しているのである。国民みんなはテレビや新聞を過信してはいけない。国民みんなは自分の眼で政府が実際にやっていることを見て自分の頭で考えて政府の実体を知らねばならない。今の政府は国民から税金を取っているから政府は上の者である。政府は上の者だから国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にする。政府がテレビや新聞でやっていることは嘘である。だから、国民は政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
今の国民みんなは平等制を支持している。しかし、いまだに国民みんなは上の者である政府に従っている。平等制は現代の国民みんなの指導原理である。国民みんなは政府に従っていることよりも平等制を優先すればいいのである。今の国民みんなは平等制をやって政府に従うのをやめて政府を倒して平等制の社会を実現しなければならない。
[21848] 今の政府はどうして平等制の団体のふりをしているか? h27.5.18
今の国民みんなは平等制を支持している。今の国民みんなは平等制をやっている。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部ある文化』をやると決めているから道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやると決めているのである。
一方、政府は上の者である。上の者は平等制の社会にあってはならない。
だから、政府は国民みんなに倒される。政府は遅かれ早かれ滅ぶ。
そこで、政府は自分が滅ぶついでにやけくそになって嘘[うそ]をついて平等制の団体のふりをしているのである。政府はどうせ自分が滅ぶからもうどうでもいいやと思って最後に冗談で善い団体のふりをして国民みんなを騙[だま]して国民みんなをからかって遊んでいるのである。政府は自分が滅びるまでの暇つぶしに平等制の団体の芝居をやっているのである。政府は新しい文化の団体が出来るまで自分が新しい文化の団体の芝居をやって国民みんなを喜ばせてやっているのである。テレビ番組の予告編のようなものである。視聴者が次の回を見たいからテレビ局が予告編をやって視聴者の心を満足させるように、国民みんなが新しい文化の団体を見たいから政府が新しい文化の団体の芝居をやって国民みんなの心を満足させるのである。政府が滅ぶ直前に平等制の団体のふりをするのは政府の断末魔[だんまつま]の叫びのようなものである。国民みんなの文化が変わるのは時間がかかる(50年〜数百年かかる)ことなので、政府の断末魔の叫びも長いのである。
だから、国民みんなは政府のつまらない嘘にかまわず上の者である政府に従わないようにして政府を倒せばいい。今の国民みんなは平等制をやっているから、国民は政府と平等にすればいい。今の国民みんなにとって上の者である政府は要らないから、国民は政府にお金をやらず政府に上の者の仕事をやってもらわなければいいのである。政府に国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にしてもらわなければいいのである。国民みんなには老若男女[ろうにゃくなんにょ]いろんな人がいるから、気の早い人から順に新しい文化をやればいいのである。わざわざ他人に合わせて古い文化をやらなくていい。身分制をやっている人(例、年寄り)は政府に従い、平等制をやっている人は政府に従わなければいいのである。税金は政府が身分制で国民から取っているお金であり、政府は税金とは別にそれぞれのサービスについて平等制で料金を取っているから、国民は政府のサービスの料金だけ払って税金を払わなければいいのである。教育費のように政府が国民に請求しない分は国民は政府の好意に甘えてただで利用すればいいのである。政府は新しい文化の団体が出来るまで新しい文化の団体の代わりに新しい仕事をやって“繋[つな]ぎ”の役割もしてくれているから、国民はそれを利用して便利に暮らせばいいのである。国は国民みんなのためにあるから、政府が国民みんなのためにサービスをするのは当然である。国民みんなは政府の美味[おい]しいところだけ拾って不味[まず]いところを捨てればいいのである。今の国民みんなは政府のいくつかのサービス(戸籍や住民票や水道など)が要るから政府にその都度[つど]サービス料金を払えばいいのである。今の国民みんなは政府の上の者の仕事が要らないから政府に上の者の仕事をやってもらわないために政府に税金を払わなければいいのである。政府は昔の国民みんなのために上の者やその他の国民みんなのために役に立つ仕事(教育や鉄道や郵便や水道など)をやっていた。昔の国民みんなは身分制をやっていたから上の者が必要だったから政府が国民みんなのために上の者をやってあげていたのである。政府が国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にしてやっていたのである。国民みんなは政府が上の者をやってくれるのを喜んでいたのである。政府は今の国民みんなのために新しい文化の団体の芝居や新しい文化の仕事やその他の国民みんなのために役に立つ仕事をやっている。かといって、国民みんなは政府を倒さないわけにはいかない。国民みんなは文化が変わったのだから、ちゃんと古い文化の後始末[あとしまつ]をしないといけない。政府は古い文化の団体だから上の者をやることを仕事にしているから自分が滅ぶまでずっと上の者をやって国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にし続けるから、今の国民みんなは政府に不幸にされないためにちゃんと政府を片付[かたづ]けねばならない。国民みんなの文化が変わったときには、古い文化の団体は新しい文化の社会に合わないから国民みんなできちんと古い文化の団体を倒してなくさねばならない。
早く国民みんなで政府を倒して、平等制の団体を建てて平等制の団体に仕事をやってもらわねばならない。平等制の団体に国民みんなを幸福にする仕事をやってもらわねばならない。
[21849] 政府とは何か?☆ h27.5.19
政府は古い文化の国家機関である。そもそも政府は国民みんなのために仕事をする団体である。もっとも、昔の国民みんなは古い文化をやっていた。昔の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学と数学だけあって道徳のない文化」をやっていた。昔の国民みんなは「道徳のない文化」をやっていたので身分制をやっていた。昔の国民みんなにとっては自分たちが身分制をやるために上の者(つまり自分たちに悪い命令を出して自分たちを不幸にする者)が必要だった。そのほか、昔の国民みんなにとっては教育や鉄道や郵便や便所の汲[く]み取りなども必要だった。そのために、政府は国民みんなのために上の者や教育や鉄道や郵便や水道や戸籍などを仕事にしていた。上の者をやることは政府の仕事のひとつだった。政府は名前的には政[まつりごと]をする府[ふ]つまり身分制の上の者をやる団体だが、実際にはいろんな仕事をやっているのである。政府は国民みんなのために仕事をする団体なのである。
ところが、今の国民みんなは新しい文化をやっている。戦後になって国民みんなは文化を変えて古い文化をやめて新しい文化をやるようになったのである。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになって道徳をやるようになって平等制をやっている。今の国民みんなは平等制をやって身分制をやめたから、今の国民みんなにとっては上の者は要らない。もちろん、今の国民みんなにとっても教育や水道や戸籍などは必要である。今の国民みんなにとっては政府の上の者の仕事は要らないが、政府の教育や水道や戸籍などの仕事は必要である。
国民みんなは国で一番強い団体である。国は国民みんなのためにある。政府も国民みんなのためにある。だから、今の国民みんなは自分にとって必要な政府の仕事だけ利用して、自分にとって要らない政府の仕事を利用しなくなっている。今の国民みんなはその都度[つど]政府に教育や水道や戸籍などのサービスの料金を払っている。税金は政府の上の者の仕事に対する代金である。今の国民みんなにとっては政府の上の者の仕事が要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わなくなっている。昔の国民みんなはヨーロッパを真似て身分制をやることにしていたから国民みんなが政府に税金を払っていた。昔は国民全員が身分制をやっていて政府に上の者の仕事をやってもらっていたから国民全員が政府に税金を払っていたのである。昔は国民全員が政府に毎日上の者の仕事をやってもらっていたから国民全員が毎月政府に税金を払っていたのである。昔は国民全員が政府に税金を払って政府に戦争や国家宗教などの悪い命令を出してもらって不幸になっていたのである。反対に、今の国民みんなは平等制をやって身分制をやめたから国民みんなが政府に税金を払わなくなったのである。そのために、政府は収入が減って潰[つぶ]れているのである。もともと政府は古い文化の団体だから今の新しい文化の社会にはふさわしくない。政府が潰れて当然である。政府の上の者をやる部門が潰れてなくなって、教育や水道や戸籍などの部門が残って仕事を続けるだろう。
今では自動車や電子メールが普及して、今の国民みんなにとっては鉄道や郵便が要らなくなったから、政府は鉄道や郵便の仕事をやめて、鉄道や郵便の仕事を民営化した。それと同じように、今では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになって平等制をやるようになって、今の国民みんなにとっては上の者が要らなくなっている。だから、政府は上の者の仕事をやめて、上の者の仕事を民営化すればいい。上の者の仕事をやる民間会社が出来て国民からお金をもらって国民に上の者の仕事をすればいい。身分制をやりたい国民が上の者の会社にお金を払って悪い命令を出してもらって不幸になって喜べばいい。そうすれば、再び政府は国民みんなの人気が出て、政府がやっていけるだろう。
[21850] 今の国民は政府に税金を払ってはいけない。☆ h27.5.19
国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなが国のことを決める。国のことを決めるのは国民みんなであって政府でも特定の個人でもない。
今の国民みんなは平等制を支持している。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部ある文化』をやることに決めているから、道徳をやることに決めているから平等制をやるのである。
だから、今の国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。今の国民は平等制をやって、みんなと平等にしないといけない。今の国民は政府と平等にしないといけない。今の国民は政府と自由に契約してお金をやって仕事をしてもらわねばならない。
だから、今の国民は政府に税金を払ってはいけない。政府が国民に「税金を払え!」と命令しても、政府が国民に一方的に命令することは平等制に反するから国民は政府の命令を聞いて政府に税金を払ってはいけない。要するに、税金は平等制に反するから国民は政府に税金を払ってはいけない。税金は身分制の決まりだから、今の国民みんなは平等制をやっているから、今の国民みんなは税金を払ってはいけない。今の政府は国民みんなに嘘[うそ]をついて「自分が平等制で税金を取っている」と思わせているが、本当は『政府は身分制で税金を取っている。』政府は身分制をやっている。政府は平等制をやっていない。政府は上の者として国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にすることの一環として国民に命令して税金を取っている。だから、国民みんなは政府に税金を払ってはいけない。
今の国民みんなは平等制を支持しているから、今は平等制の社会である。今は平等制の社会だから、みんなが平等にしなければならない。政府も平等にしなければならない。政府に平等制を犯す特権はない。政府が国民から強制的に税金を取ることは平等制に反している。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
今の国民みんなは平等制を支持しているから、今は平等制の社会である。平等制の社会には税金はない。税金は平等制に反する。だから、国民みんなは政府が「税金を払え!」と言っても無視して政府に税金を払わなければいいのである。そうすれば、政府はそのうち国民みんなに税金の命令をするのに飽[あ]きて自分から潰[つぶ]れてなくなるだろう。平等制の社会には命令もない。だから、今の国民みんなは政府の命令を聞かなければいいのである。今の国民みんなは政府の命令で戦争や国家宗教をやらなければいい。
政府は昔に出来た団体である。だから、政府は昔の国民みんなのために仕事をするが、今の国民みんなのために仕事をしない。政府は昔の国民みんなが自分たちを幸福にするために作った団体である。そのため、政府は昔の国民みんなのために仕事をするだけで、それ以外の者のためには仕事をしない。政府の客は昔の国民みんなであって、今の国民みんなではない。政府は昔は国民みんなのために仕事をする団体だったが、今は違う。政府は昔の国民みんなのためにある国家機関である。政府は上の者をやって昔の国民みんなを幸福にするが、今の国民みんなを不幸にする。(政府が昔の国民みんなにやっていたのは嫌なことばかりだったが、昔の国民みんなは「自分たちがヨーロッパと同じことをしている」ということで喜んで満足していたのである。)昔の国民みんなにとっては政府が必要だったが、今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいいのである。政府は古臭いからいまだに国民みんなから税金を取るが、税金は昔の身分制の決まりであって今の平等制の決まりではないから国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。国民みんなで古臭い政府を倒して、今の国民みんなのために仕事をする新しい国家機関を建てればいいのである。政府は昔の国民みんなが作ったから昔の国民みんなのために仕事をする。だから、今の国民みんなが国家機関を作ればその国家機関は今の国民みんなのために仕事をする。だから、今の国民みんなは早く政府を倒して、自分の手で国家機関を建てればいいのである。
『ドラゴンボール』を見てもわかるように、日本人は戦闘民族である。日本人は戦うのが好きな民族である。だから、今の国民みんなは政府と戦わねばならない。政府の命令を聞いておとなしく政府の言いなりになっているのではなく、政府の命令を聞かず政府に逆らって政府と戦わねばならない。政府の命令を無視して政府を倒さねばならない。昔と今では国民みんなの文化が違う。昔と今では国民みんなの幸福が違う。今の国民みんなは怠慢[たいまん]して昔の国民みんなの国でそのまま暮らしているから幸福になれないのである。昔の国民みんなが昔の国民みんなのために国を作ったように、今の国民みんなは今の国民みんなのために国を作らねばならない。そうすれば、今の国民みんなが幸福に暮らすことができるだろう。
アメリカで政府が悪いことをやって国民みんなを不幸にしているのは、アメリカ人に道徳の才能がないからである。アメリカ政府が国民みんなを嘘で騙[だま]して支配しているのではなく、国民みんなが道徳の才能がないために国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守れなくて身分制をやる羽目[はめ]になって政府に虐[いじ]められているのである。アメリカ人には科学の才能はあるが、道徳の才能がない。だから、アメリカ人は物が豊かなだけで心が貧しくて、真[しん]に幸福にはなれないのである。一方、日本人には昔から道徳の才能がある。おまけに、日本人には科学の才能もそこそこある。だから、日本人は物も心も豊かになって本当に幸福になれるのである。日本人は今こそ道徳の才能を発揮して、『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって、国民みんなが政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。アメリカには道徳がなくてみんなが自分の心を自分の思い通りにできずに自分の好き放題にやっているから、アメリカは自由の国というのである。道徳がないことを自由と言い換えているのである。本当の自由は、自分の心を自分の思い通りにできることである。アメリカは真の自由の国ではない。日本こそが真の自由の国なのである。
人間には「他人に従う心」がある。ヨーロッパ人やアメリカ人は道徳がないから自分で「他人に従う心」(ニーチェが言った「奴隷根性」)を抑えられないためにわざわざ上の者を設けて身分制をやっているのである。反対に、日本人には道徳があるから「他人に従う心」を抑えることができるので平等制ができるのである。だから、今の日本では国民みんなが道徳をやって「他人に従う心」を抑えて政府に従わないようにして政府を倒して平等制の国にすればいいのである。
日本人はヨーロッパ人と中国人の雑種である。一般に、雑種は純血種に比べてかっこ悪い。だから、日本人はかっこ悪いのである。ただ、雑種は両方の才能があるという長所がある。ヨーロッパ人には科学の才能がある。中国人には道徳の才能がある。だから、日本人には科学の才能と道徳の才能の両方あるのである。日本には大昔にヨーロッパ人の集団と中国人の集団が移住してきたからヨーロッパ人と中国人の血が混ざって日本人が出来たのである。アメリカもそれを狙[ねら]って世界中の国から人を集めている。しかし、いまはまだ成功していない。アメリカ人全員に科学の才能と道徳の才能を取り込めていない。それはアメリカが土地が広いからである。アメリカは土地が広くて人と人が交わる機会が少ないのでうまく雑種が作れないのである。反対に、日本は土地が狭くて人間が密集していて人と人が交わる機会が多いからうまく雑種が作れるのである。
人種改良には時間がかかる。今のヨーロッパは『脳の科学』によって道徳をやっている。『脳の科学』があれば科学の才能で道徳ができる。だから、アメリカ人もヨーロッパ人を真似[まね]て『脳の科学』をよく勉強して科学の才能で道徳をやればいい。そうすれば、アメリカは科学と道徳の両方ある国になって、国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやれるようになって身分制をやめて政府に従わなくなって政府が滅ぶだろう。
[21851] 今では馬鹿が政府に騙[だま]されて政府に従っているだけである。
h27.5.19
今の政府はテレビや新聞や社会科の教科書などで一生懸命に国民みんなに嘘[うそ]をついて国民みんなに「政府が平等制の団体だ」と思わせようとしている。しかし、そもそも人間が人間を騙すことはできない。政府は無駄[むだ]な努力をしているだけである。『政府は本当は身分制の団体である。』政府が実際にやっていることを見て少し考えればわかることである。
政府は国民みんなを騙すことができない。だから、今の国民みんなは自分の文化をやっているだけである。国民みんなは自分の文化をやればいいだけである。自分の信じる制度をやればいいだけである。身分制を信じる者は政府に従い政府に税金を払い、平等制を信じる者は政府に従わず政府に税金を払わなければいい。
今では国民みんなは身分制から平等制に変わっているから、国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が滅んでいるのである。だから、これまで政府に従っていた者は政府に従うのをやめればいい。これまで政府に従っていない者は今のまま政府に従わなければいい。みんなが政府に従わなくなればいい。
国民みんなは国で一番強い団体だから、政府は国民みんなに従わねばならない。今の国民みんなは平等制をやっている。今の政府が上の者をやって国民みんなに従っていないのが悪い。もっとも、政府は上の者以外にも平等制の仕事(水道や戸籍や教育などの平等制の社会でも通用する仕事)をやっている。だから、今の国民みんなは政府のいいところだけを利用して、悪いところを利用しなければいい。今の国民みんなは政府の平等制の仕事だけを利用して、政府の身分制の仕事を利用しなければいいのである。今の国民みんなはその都度[つど]政府の平等制の仕事を利用して代金を払って、政府に税金を払わなければいいのである。政府は上の者をやって国民から税金を取っているのだから、平等制の社会には上の者も税金もないから、国民みんなは政府に税金を払わなければいいのである。平等制の社会では国民みんなが政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやらなくていいから、今の国民みんなはそうすればいいのである。税金や戦争や国家宗教は身分制の産物である。平等制の社会には税金も戦争も国家宗教もない。今は平等制の社会である。だから、国民みんなは政府に税金を払わなくていいのである。
早く国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。今では国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。政府は平等制の仕事の稼[かせ]ぎだけでは全員が食べていくのが無理だから、国民みんなが政府に税金を払わなければ政府は潰[つぶ]れるのである。しかし、世の中には馬鹿がいる。馬鹿は政府の嘘に騙されて「政府が平等制の団体だ」と信じて「政府が善い団体だ」と思って政府の命令を何でも聞いて政府の悪い命令を聞いて国民みんなを不幸にしている。国民みんなは早く政府を倒して、政府が馬鹿に悪い命令を出すのを止[と]めて、馬鹿が国民みんなを不幸にするのを防がねばならない。
[21852] 今の政府は国民みんなにまちがったことを教えて自分が国民みんなに倒されないようにしている。☆
h27.5.19
国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなが国を決める。実際に、これまで国民みんなはそれぞれの時代において自分がいいと思う国を作って暮らしていた。(ただし、昔は国民みんなが本当にいい国がわからなかったので、実際にはよくない国を作って不幸に暮らしていた。)
近代の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学と数学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の国民みんなは道徳をやらず『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやっていた。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。今の国民みんなは道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。
『今の政府は身分制の団体である。』今の政府は国民みんなに命令して国民みんなから税金を取っているから、政府は身分制の上の者である。
国民みんなは国で一番強い団体である。今では国民みんなが身分制を支持しなくなって平等制を支持している。政府は上の者をやっている。政府は国民みんなに反している。今はすでに国民が政府を倒してもいい状況になっている。だから、国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。それが理論的に正しいことだからそうすればいいのである。今では国民が政府を倒すのが正しく倒さないのがまちがいだから、今の国民は政府を倒さねばならないのである。そこで、政府は国民みんなにいろんなまちがった余計なことを教えて国民みんなが正しい判断ができないようにして自分が国民みんなに倒されないようにしている。そのために、今の国民みんなはなかなか政府を倒さないのである。国民みんなはこれまでに自分が見たり聞いたりした余計なことを全部忘れて私が書いたことだけを憶えて、『今の国民が政府に税金を払わずに政府を倒してもいい』ことを信じて実行すればいいのである。国民がそうすることが正しいから、政府は国民に何も文句が言えずにおとなしく国民のすることを認めるしかない。だから、国民は政府を恐れずに政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
今の政府は税金暮らしが楽なので自分が悪いことをやっていると知りながら国民みんなに逆らって上の者をやっている。今の政府は国民みんなに倒されないようにするために国民みんなにいろんな嘘[うそ]やまちがいを教えて自分の身を守っている。(でも、政府の目当てが税金なら、政府は国家宗教で国民を殺したりせずにおとなしくしていたほうが目立たなくていい。)しかし、いくら政府が国民みんなに嘘やまちがいを教えても、国民みんなが自分で考えて正しいことを知るから、いくら政府が国民みんなに嘘やまちがいを教えても無駄[むだ]である。もはや政府は潰[つぶ]れるしかない。
政府も国民みんなも頭のよさは同じだから、政府が国民みんなを嘘で騙すことはできない。中世の日本で政府から幕府に変わるのに時間がかかったのは、政府が国民みんなを嘘で騙[だま]していたからではなく、国民みんながヨーロッパ文化からアジア文化に変わるのに時間がかかったからである。政府が嘘をつこうがつくまいが政府から幕府に変わる時間はほとんど変わらなかったのである。これまでに国民みんなを嘘で騙して支配した団体はひとつもない。だから、今の政府も嘘で国民みんなを支配することはできない。だから、今の国民みんなが身分制から平等制に変わったら政府が滅ぶだけである。
浦島太郎のおとぎ話だって、浦島太郎(日本政府のこと)が乙姫様(ヨーロッパ人のこと)から渡された玉手箱(嘘をついて自分の正体をごまかすこと、玉手箱の“玉”は玉虫色の玉と同じ)で村人(国民みんなのこと)を騙して村人を支配していたわけではない。浦島太郎は村人から村八分の目にあって殺されたのである。村人が文化を変えたために(見知らぬ人ばかりになっていたこと)浦島太郎が村人とは違う文化をやっていることになったので、村人が浦島太郎を村八分にして村人全員で浦島太郎を迫害して殺したのである。浦島太郎が玉手箱を持っていても何の役にも立たなかったのである。村人は玉手箱に惑[まど]わされずに浦島太郎の正体を見抜いて(玉手箱を開けること)浦島太郎を殺したのである。国民みんなは「政府なんか知らない」「政府なんか忘れた」と言って政府を無視して政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒したのである。だから、今の国民みんなも政府の嘘なんかにかまわずに政府の正体を見抜いて『政府は身分制の上の者である』と考えて『上の者なんか知らない』と考えて政府を無視して政府の命令を聞かず政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。政府が嘘をつくといっても、しょせん政府が昔と同じことをやっているのを隠しているだけである。嘘にしては簡単すぎる。こんな嘘では国民みんなを騙せなくても当然である。だから、政府は滅ぶのである。
政府は国民みんなを騙せない。だから、今の国民みんなは政府の嘘に騙されているのではなく、今の国民みんなが自分の文化をやっているだけである。今でも政府が潰[つぶ]れていないのは、身分制をやっている国民がいるからである。たとえ今の国民みんなの指導原理が平等制であっても、すぐに国民全員が平等制に変わるわけではなく、国民みんなが身分制から平等制にじょじょに変わるから、早い人は平等制をやっているが遅い人は身分制をやっているから、今でも身分制をやっている者がいるのである。しかし、今では国民みんなが身分制から平等制に変わっているために、身分制をやっている国民が年々減っているから、政府がだんだん滅んでいる。政府が滅んでなくなるのは時間の問題である。だから、国民みんなは政府が滅んでなくなるのを悠然[ゆうぜん]と眺[なが]めていればいいのである。笑いながら傍観していればいいのである。
今の私は仕事をしていないが、私が働いていた頃は政府の命令を聞いて政府に税金を払っていた。しかし、それは私が政府の嘘に騙されていたからではなく、私が生まれ育った高知が田舎[いなか]で古臭かったためにみんなが戦前の身分制をやっていたので、私もみんなを真似て知らず知らずに身分制をやって政府に従う気持ちになっていたからである。しかし、その後私は『今の国民みんなが平等制を支持している』ことを知って、『本当は国民みんなが国を支配している』ことを理解して、気が変わって平等制をやるようになった。今の私は平等制をやっている。今の私は政府と平等にして政府に従わない。今の私は政府の命令を聞かない。今の私は政府に税金を払わない。私は自分が政府に税金を払わないのを誇[ほこ]りに思う。ようやく私も現代人の一人になれたのだ。(平等制をやっている人が自分が平等制をやっていることをはっきりみんなに言わないのは、身分制をやっている人から攻撃されないためだろう。今はまだ身分制をやっている人がたくさんいるから、うかつに公[おおやけ]に自分が平等制をやっていると言えないのである。私は子供の頃からはっきりとものを言うことが好きだから、はっきり言っただけだ。)
[21853] 国民みんなが国のことを決める。 h27.5.20
人間は自分で考えるから、いくら政府が国民みんなに嘘[うそ]やまちがいを教えても無駄[むだ]である。国民みんなは自分で考えて正しいことを知って、正しいことに従って行動する。
国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなが国のことを決める。
昔(近代)は国民みんなが身分制をやっていた。国民みんなが「繁栄している国を真似[まね]ればいい」と思ってヨーロッパを真似て「科学と数学があって道徳がない文化」をやって身分制をやっていた。国民みんなが身分制をやるために上の者である政府を設けて、政府に従っていた。国民みんなが政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやっていた。政府は国民みんなから税金を取って儲[もう]けていた。
今は国民みんなが平等制をやっている。国民みんなが『世界中の国の文化の長所を取り入れればいい』と思って『科学と数学と道徳のある文化』をやって平等制をやっている。国民みんなが平等制をやるために政府と平等にして、政府に従わなくなっている。国民みんなが政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやらなくなっている。政府は国民みんなから税金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今は国民みんなが平等制をやっている。今は平等制の社会である。だから、平等制でなんでもやらねばならない。平等制の中で福祉や医療をやらねばならない。平等制の中でどうしても福祉や医療がやれなければ、福祉や医療をやめるしかない。カタワや病人はさっさと死んでしまえばいいのである。そのほうが社会のためになる。本人のためにもなる。つまり、政府は国民みんなのお金を無駄にして国民みんなを貧乏にして不幸にするために福祉や医療をやっているのである。法律は平等制の社会には必要だから、国民みんなが「法律が要る」と思うから、法律は平等制でもできるだろう。法律会社は国民みんなによく売れて儲かるだろう。(私にお金があれば今の国民みんなのために法律会社を建ててやりたいところだが、実際には私にはお金がないから法律会社が建てられない。)政府は“「科学と数学があって道徳がない文化」の社会における国家的な仕事をする団体”だから、「道徳がない文化」では法律がないから、政府は本当は法律の仕事をやっていない。政府は法律の仕事をやっているふりをしているだけである。一方、今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているから、『道徳がある文化』では法律があるから、今の国民みんなは法律を欲しがっている。だから、法律会社を建てれば国民みんなに売れてすごく儲かるのである。
[21854] 国民みんなは国の支配者である。☆ h27.5.21
国民みんなは国の支配者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが自分がいいと思う国を作る。
昔(近代)の国民みんなは身分制の国がいいと思っていた。だから、国民みんなで上の者である政府を設けて、政府に従うことにした。政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやって満足だった。
今の国民みんなは平等制の国がいいと思っている。だから、国民みんなでみんなと平等にしている。国民みんなで上の者である政府に従わなくなって政府を潰[つぶ]している。政府の命令を聞かなくなって税金や戦争や国家宗教をやらなくなっている。
今の政府は自分が国民みんなに潰されないために、国民みんなにまちがったことを教えている。政府は国民みんなに「政府が平等制の団体である」とか「近代の国民みんなは平等制をやっていた」とか「政府が国の支配者である」とか教えている。国民みんなは政府の嘘[うそ]に騙[だま]されないようにして、政府を潰さねばならない。
しかし、本当は、いくら政府が国民みんなに嘘を教えても、国民みんなが自分で考えて本当のことを知るから、政府は嘘で国民みんなを騙せない。今の政府は国民みんなに「政府が嘘で国民みんなを騙して支配してきた」と思わせるためにわざわざ嘘をついているのである。政府はダメモト(ダメでもともと)で嘘をついているのである。「大男(国民みんなのこと)総身に知恵が回りかね」という諺[ことわざ]が嘘なのである。本当は、国民みんなのほうが政府よりもずっと賢いのである。
今の国民が政府に税金を払わず政府を潰すことは正しいことだから、国民はそうすればいいのである。国民が正しいことをやっていれば、政府は文句が言えないから、国民はそうすればいいのである。たとえ政府が口先で文句を言っても、政府はそれ以上のことがやれないから、国民はそうすればいいのである。今の政府は社会科の苦手な国民をからかうために嘘をついているだけである。社会科の得意な国民はあらかじめ政府が嘘をつくことを考えに入れて最初から(国民みんなが平等制に変わった頃から)政府に従っていない。社会科の得意な国民は「いつになったら社会科の苦手な国民が自分が騙されていることに気づくだろう」と思って面白がって黙って見ているのである。社会科の得意な国民は「社会科を教えるのは学校の先生の仕事だ」と思って社会科の苦手な国民に正しいことを教えてくれないのである。学校の先生は政府の指導要領[しどうようりょう]に従って国民に教えるだけだから正しいことを教えないのである。だから、今の国民みんなは政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
近代の国民みんなが一生懸命身分制をやって戦争で死んだのなら([21808]の7段落目を参照)、今の国民みんなは一生懸命平等制をやらねばならない。国民みんなが平等制をやって政府に従わないようにして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。その後で、国民みんなで平等制の国家機関を建てて平等制の仕事をやってもらえばいい。今の国民みんなは真剣さが足りない。今の国民みんなはテレビを見てフニャフニャしているだけだ。今の国民みんなはもっとまじめに平等制をやらねばならない。勉強や仕事に比べたら平等制をやることなんか簡単である。政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいいだけである。だから、国民みんなは平等制をやればいい。
[21855] 今の国民みんなは政府の命令を聞かなくていい。 h27.5.21
政府は「科学と数学があって道徳がない文化」の社会における国家的な仕事をする団体である。【政府の定義】政府は身分制の上の者だから国民みんなに命令する。
だから、政府は国民みんなに「科学と数学があって道徳がない命令」を出す。政府は国民みんなに「科学的数学的には正しくて道徳的にはまちがった命令」を出す。政府は国民みんなに「実現できることで国民みんなを不幸にする命令」を出す。
一方、今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。今の国民みんなは『科学的数学的道徳的に全部正しい命令』だけ聞けばいい。今の国民みんなは『実現できることで国民みんなを幸福にする命令』しか聞かなくていい。
政府は国民みんなに「実現できることで国民みんなを不幸にする命令」を出すが、今の国民みんなは『実現できることで国民みんなを幸福にする命令』しか聞かないから、今の国民みんなは政府の命令を聞かなければいい。例えば、税金は国民みんなを不幸にする命令だから、今の国民みんなは政府の税金の命令を聞かなければいい。国民みんなで早く政府に税金を払わず政府を倒して平等制の国家機関を建てて、平等制の国家機関に『科学と数学と道徳の全部がある命令』を出してもらえばいい。国民みんなは平等制の国家機関の命令を聞いて実在の中で幸福に暮らせばいい。
もっとも、政府は身分制の仕事のほかに平等制の仕事もやっている。政府は身分制と関係のない仕事もやっている。政府は水道や戸籍や教育などの仕事もやっている。政府は国民みんなの機嫌を取って自分が国民みんなに倒されないようにするためや、国民みんなに「政府が平等制の国家機関だ」と思わせるためにちょっとだけ平等制の仕事もやっている。平等制の仕事はほかにもいっぱいあるから、政府はほんのちょっとだけ平等制の仕事をやっている。国民みんなは国の支配者だから、国は国民みんなのためにあるから、政府は国民みんなのためにあるから、国民みんなは政府のサービスをずうずうしく自分のために利用すればいい。国民みんなは政府の身分制の仕事を利用せず、政府の平等制の仕事だけ利用すればいい。政府が国民みんなを不幸にする命令を国民みんなに出すことが政府の身分制の仕事である。だから、今の国民みんなは政府の命令を聞かなければいい。今の国民みんなは政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやらなければいい。国民は自分が政府の平等制の仕事を利用したときにその都度[つど]政府の平等制の仕事に対して政府に代金を払えばいい。
今の政府は昔と同じ上の者である。だから、今の政府は国民みんなに国民みんなを不幸にする命令を出す。今の政府は嘘[うそ]をついて平等制の団体のふりをしている。だから、今の政府はいい命令もちょっとだけ出す。税金は明らかに身分制の命令である。悪い命令である。だから、今の国民みんなはとにかく税金は払わないようにして、政府の命令のうちで国民みんなを幸福にすると思う命令だけを聞けばいいのである。政府の命令のうちで国民みんなを不幸にすると思う命令は聞かなければいいのである。政府の命令で足りない分は、国民みんなが自分で考えて善いことをやればいいのである。そうやって、国民みんなで政府のいい命令をただで利用して幸福に暮らせばいいのである。政府はこれではたまらんと思って自分で潰[つぶ]れて、平等制の国家機関に生まれ変わってまじめに国民みんなのために働くようになるだろう。
将来平等制の国家機関が建っても、国民みんなは絶対に平等制の国家機関に税金を払ってはいけない。国民みんなが税金を払うと身分制が出来て、身分制が出来ると道徳のない文化になる。税金が身分制に広がって、身分制が道徳のない文化に広がる。みんなが道徳のない文化をやって悪いことをしてお互いに不幸にし合うようになる。だから、国民みんなはちゃんと平等制を守って平等制の国家機関と自由に契約を取ってお金をやって仕事をやってもらわねばならない。平等制の国家機関がちょっとでもふざけて変な動きを見せたら国民みんながすぐに契約を取り消してお金をやらないようにして潰[つぶ]さねばならない。鎌倉幕府が室町幕府に変わったように別の平等制の国家機関に替えねばならない。
[21856] アメリカと日本では政府が国民みんなを虐待している理由が違う。 h27.5.21
アメリカで政府が国民みんなを虐待しているのは、国民みんなが道徳の才能がないからである。アメリカでは国民みんなが道徳ができないから『人間がみな平等である』ことを守れないから身分制をやらねばならなくなって政府に従わねばならなくなって政府に虐待されているのである。
日本で政府が国民みんなを虐待しているのは、身分制をやっている者がいるからである。今の日本では国民みんなが身分制から平等制に変わっているが、今でもまだ身分制をやっている国民がいて政府に従っているから、政府が国民みんなを不幸にする命令を身分制をやっている者に出して国民みんなを虐待しているのである。平等制をやっている者にとってはいい迷惑である。日本人はアメリカ人と違って道徳の才能があるから、道徳をやる気になればすぐに道徳がやれる。平等制をやる気になればすぐに平等制がやれる。早く日本で国民みんなが平等制をやる気になって、国民みんなが政府と平等にして政府に従わなくなって政府が滅べばいい。
日本人にはもともと道徳の才能があるが、近代の日本では国民みんなが「繁栄している国を真似[まね]る」ためにわざわざ道徳ができないふりをして『人間がみな平等である』ことを守らないようにして身分制をやっていたのである。近代の日本人はお義理で身分制をやっていたのである。形の上で身分制をやっていただけである。本音[ほんね]で身分制をやっていたのではない。今の日本では国民みんなが『世界中の国の文化の長所を取り入れる』ために『道徳のある文化』をやっている。だから、国民みんなは本音を出して道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって、みんなと平等にして、自分が政府と対等だと思って政府の命令を聞かないようにして政府を倒してしまえばいいのである。日本人はもともと上の者に従うよりもみんなと平等にするほうが好きだから、上の者である政府を倒して、みんなが平等な社会にすればいいのである。
昔のヨーロッパ人も自分が好きで身分制をやっていたのではなく、しかたがなく身分制をやっていたのである。ヨーロッパ人も中国人のように平等制がやりたかったが道徳がやりたかったが、あいにくヨーロッパ人には道徳の才能がなかったのでやれなかったのである。昔のヨーロッパ人は自分で自分をどうしようもなくて心の中で泣きながら悪いことや身分制をやっていたのである。反対に、日本人には道徳の才能がある。日本人はやろうと思えばいつでも道徳がやれる。今の日本人が道徳をやらないのは贅沢[ぜいたく]である。今では国民みんなが『道徳をやる』と決めている。だから、国民みんなでまじめに道徳をやらねばならない。国民みんなでちゃんと平等制をやって政府と平等にして政府に従わないようにして政府の命令を聞かないようにして税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなは国で一番強い団体だから、政府は国民みんなに逆らえない。これが社会の決まりである。今の国民みんなは道徳をやると決めているから平等制をやると決めているから政府の命令を聞かないと決めているから税金や戦争や国家宗教などをやらないと決めているから、政府は国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせることができない。だから、国民みんなは政府にかまわずに政府に税金を払わなければいいのである。国民みんなは一方的に政府に税金を払わなければいいのである。
[21857] 今の国民みんなで気長に平等制の社会を作っていこう。 h27.5.21
国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなは国の支配者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが自分がいいと思う国を作る。
今の国民みんなは平等制を支持している。だから、今の国民みんなは平等制の国を作ればいい。平等制の国ではみんなが他人と自由に契約して他人からお金をもらって他人に仕事をする。みんなが他人の命令を聞かず自分の好きにやっている。今の政府は国民に命令して国民から税金を取っている。だから、今の国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。国民みんなの前には政府は無力である。政府は国民みんなには逆らえない。だから、国民みんなは黙って政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
早く国民みんなで昔の身分制の社会を壊して新しい平等制の社会を作らねばならない。今の国民みんなで今の国民みんなが幸福に暮らせる国を作らねばならない。
[21858] 政府は上の者をやることが仕事である。☆ h27.5.22
国民みんなは国で一番強い団体である。国民みんなは国の支配者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが自分で決めたことを自分でやる。
今の国民みんなは平等制をやると決めているから平等制をやっている。今は平等制の社会である。
平等制ではみんなが他人と自由に契約して他人にお金をやって仕事をやってもらえばいい。
政府は身分制の上の者である。政府は身分制の上の者をやることが仕事である。政府の仕事は国民みんなに命令して国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせることである。平等制の社会では、みんなは政府と自由に契約して政府にお金をやって仕事をやってもらえばいい。だから、政府に命令してもらいたい人は政府にお金(税金)を払えばよく、政府に命令してもらいたくない人は政府にお金を払わなければいい。平等制の社会ではみんなが身分制をやるかやらないかは一人一人の自由である。税金は政府の身分制の仕事の代金である。自分が身分制をやりたい人は政府にお金(税金)を払って政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやればよく、自分が身分制をやりたくない人は政府にお金(税金)を払わず政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやらなければいい。政府はほかにも水道や戸籍や教育などの仕事をちょっとやっているが、平等制では抱き合わせ商法は禁止だから、国民は自分にとって必要な仕事を選んで政府にそれだけやってもらって代金を払えばいい。政府にとっては抱き合わせ商法がよくても、国民みんなにとっては抱き合わせ商法がいけないから、国民みんなは個別に代金を払えばいい。国は国民みんなのものだから、国民みんなが国のことを決めるから、国民みんなは政府のサービスを個別に利用すればいいのである。昔ファミコンが出始めたころファミコンにすごい人気があってファミコンソフトの抱き合わせ商法が流行[はや]ったことがあったが(私も抱き合わせ商法でファミコン本体とつまらないソフト3本のセットを3万円で買ったことがある)、本来は抱き合わせ商法はやってはいけないことである。だから、国民は税金と政府の平等制のサービスの代金は別だと考えて、政府に平等制のサービスの代金だけを払えばいいのである。
そもそも身分制は「道徳がない文化」で出来た制度だから、「道徳がない文化」ではみんなが悪いことをやってみんながみんなを不幸にし合うから、身分制では政府が国民みんなを不幸にする命令を出す。政府は国民みんなを不幸にする命令を出している。だから、自分が不幸になりたい者は政府に身分制をやってもらえばよく、自分が不幸になりたくない者は政府に身分制をやってもらわなければいい。私は自分が不幸になりたくないから、政府に税金を払わず政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやらない。自分が不幸になりたい人は、政府に税金を払って政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやればいいのである。
今では国民みんなが平等制をやっていて、平等制が流行だから、身分制をやる者が減って平等制をやる者が増えている。政府に税金を払って政府の命令を聞く者が減っている。政府に税金を払わず政府の命令を聞かない者が増えている。そのため、政府はお金が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。今では平等制が流行だから、時代遅れの身分制の上の者を仕事にするほうがまちがっている。政府は潰れて当然である。
今では、ヨーロッパ人が幸せそうにしているから「自分が身分制をやれば幸せになれる」と思っている馬鹿が政府に税金を払って政府の命令を聞いている。政府の命令を聞いて不幸になっている。国民みんなは身分制を正しく理解して『自分が身分制をやると不幸になる』ことを理解して政府に税金を払って政府の命令を聞いてはいけない。政府は国民みんなに国民みんなが不幸になる命令を売る会社である。政府は不幸の命令を売る会社である。税金は政府の命令の代金である。(ほとんどの人にとっては政府は税金の命令しか出さないから、税金は税金の命令の代金である。高い命令代である。たしかに政府は国民みんなを不幸にする命令を出している。)だから、国民みんなは政府に税金を払って政府の命令を買ってはいけない。要するに、政府は国民みんなを不幸にする団体である。政府は国民みんなの幸福を邪魔[じゃま]する団体である。昔の国民みんなは「繁栄している国を真似[まね]る」のが最善策だと考えていたので、自分が「繁栄している国(つまりヨーロッパ)を真似る」ために身分制をやって政府が国民みんなを不幸にするのに耐えていたのである。今の国民みんなは『世界中の文化の長所を取り入れる』のが最善策だと考えているので、『世界中の文化の長所を取り入れる』ために平等制をやって国民みんなを不幸にする政府を倒さねばならない。
今は平等制の社会である。政府は身分制の会社である。それなのに、政府が残っているのは、政府が平等制の会社として身分制の会社をやっているからである。今の政府は国民と自由に契約してお金をもらって上の者の仕事(つまり国民みんなを不幸にする命令を出すこと)をやっているのである。だから、国民は自分にとって政府の仕事が要るか要らないかをよく考えて、政府に仕事をやってもらうかやってもらわないかを決めねばならない。昔は身分制の社会だったから、国民みんなが身分制をやっていたから、国民みんなは政府に税金を払って政府の命令を聞いていた。今は平等制の社会だから、国民みんなが平等制をやっているから、国民が政府に仕事を頼むか頼まないかは国民一人一人の自由だから、国民はめいめい自分で考えて政府に仕事を頼むか頼まないかを決めねばならない。
日本国憲法に納税の義務が定められているのは、日本国憲法が定められた頃はまだ終戦直後で国民みんなが身分制をやっていたからである。国民みんなが国のことを決めるから、国民みんなが国の法律を決めるから、昔は国民みんなが政府に従って税金や戦争や国家宗教をやることに決めていたから、昔は「国民みんなが政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやる」ことが法律だった。政府は国民みんなが決めた法律をただ文章にしていただけである。しかし、昔と今は時代が違う。今は国民みんなが平等制をやっている。国民みんなが国のことを決めるから、国民みんなが国の法律を決めるから、今の国民みんなは政府に従わず税金や戦争や国家宗教をやらないことに決めているから、今では『国民みんなが政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやらない』ことが法律である。今では日本国憲法は無効である。今では日本国憲法には歴史的な価値しかない。今の日本国憲法は政府が勝手に決めた憲法だから、国民みんなは守らなくていい。政府は選挙をやることによって国民みんなに「政府が偉い」と思わせて「政府が決めた日本国憲法を守らないといけない」ように思わせているだけである。守らねばならないような気にさせているだけである。本当は、国民みんなが国のことを決めるので、国民みんなが国の法律を決めるので、今の国民みんなは平等制をやっているので、政府の法律を守らなくてもいいのである。今の国民みんなは政府を介さずに直接に自分自身で法律を決めているのである。今の国民みんなは平等制をやっているから、今の日本では平等制の法律が通用するのである。だから、今の国民みんなは日本国憲法を守らずに政府に税金を払わなくていいのである。
[21859] 今の国民みんなは平等制をやると決めているから政府も平等制をやらねばならない。
h27.5.22
国民みんなは国の支配者である。だから、国民みんなが国を決める。国民みんなが国の決まりを決める。
今の国民みんなは平等制をやると決めているから、みんなが平等制をやらねばならない。政府も平等制をやらねばならない。
平等制ではみんなが他人と自由に契約して他人にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
ところが、政府は国民みんなと契約せずに国民みんなに命令して税金を取っている。政府は国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教などをやらせる。
政府は平等制を犯している。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わなくていい。今の国民みんなは政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教などをやらなければいい。政府は選挙や国会をやっているが国民みんなと契約を取っていないから、国民には政府にお金をやって仕事をしてもらう義務はないから、国民は政府にお金をやらなければいい。
政府は国民みんなからお金がもらえなくて潰[つぶ]れてしまう。政府は今でも上の者をやっているから、平等制の社会には上の者がいてはいけないから、政府が潰れてなくなればいいのである。
今の国民みんなはとっくの昔にそれぐらいのことがわかって政府を倒している。国民みんなは見かけほど馬鹿ではない。私は子供の頃から社会科が苦手で社会のことに鈍[にぶ]かったから私にはこれまでわからなかったのである。私は今の国民みんなの代わりにしゃべっているだけである。私は他人から学ばず自分ひとりで考えるのが好きだからわかるまでに時間がかかったのである。
今の国民みんなは平等制をやっているが、今でも身分制をやっている国民が残っている。例えば、年寄りは戦前に生まれたから小さい頃に身分制の教育を受けたから死ぬまで身分制をやり続けるのである。身分制をやっている国民は政府を上の者だと思って政府に従っている。政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやっている。国家宗教で物騒[ぶっそう]な事件や事故を起こしてテレビや新聞を賑[にぎ]わせている。平等制をやっている国民にとってはいい迷惑である。(アメリカで国家宗教で起きた事件や事故はアメリカ人みんなが身分制をやっているせいだからアメリカ人の勝手だから日本人としてはどうでもいいことだが、日本で国家宗教で起きた事件や事故は日本人の一部の者が起こしたものだから日本人みんなとしては早く解決しないといけない。)早く国民全員が平等制をやるようになって、身分制をやっている者がいなくなって、政府が税金をもらえなくなって潰[つぶ]れてなくなればいい。政府に税金を払っている者は政府に身分制をやっているとみなされて政府に身分制で殺されても文句が言えない。だから、国民みんなは政府に税金を払ってはいけない。
今の政府はすでに潰れている。政府はまだ完全にはなくなってはいないが潰れつつある。今の国民みんなが自分で平等制をやって政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わなくなっているために政府が潰れているのである。今の政府は滅びつつある団体である。国民みんなが平等制を始めてからはや50年ぐらい経つ。今では国民みんなのほとんどが平等制をやっている。今では国民みんなのほとんどが政府を倒している。今の政府は国民みんなのほとんどに倒されているから、今の政府は弱い。今の政府には自分に従わない者を罰するほどの力はない。今では身分制をやっている者はわずかである。今の政府は少数の身分制をやっている国民に支えられてかろうじて生き残っているだけである。だから、国民は政府の命令を無視して政府を倒せばいいのである。(私もこれまで政府に税金を払って損した。)
[21860] 教育とは何か?★ h27.5.23
人間は実在の中で生きている。眼で見える世界や心で思う世界の中には生きていない。だから、人間にとっては正しいことが大事である。かっこいいことや面白いことはどうでもいいことである。人間が生まれてから死ぬまでずっとそうである。
教育とは親が子供に正しいことを教えて、まちがったことやどうでもいいことを教えないことである。
そのためには、親が子に正しい情報を与える物を買い与えて、まちがった情報やどうでもいい情報を与える物を買い与えてはいけない。例えば、親が子に正しいことを書いている本を買い与えて、マンガやラジオやテレビやDVDプレーヤーやパソコンなどを買い与えないことである。
そうすれば、子供はいい大人に成長するだろう。
私の場合は、私が中学に進学するときに親が私にラジカセ(ラジオカセットテープレコーダー)を買ってくれた。私が親にラジカセが欲しいと言ったからではなく、親が勝手に私にラジカセを買い与えた。私が中学2年生の冬に風邪を引いたときに、夜中に寝苦しくてラジオをつけたら、たまたま『笑福亭鶴光[しょうふくていつるこう]のオールナイトニッポン』をやっていてエッチなことを話していた。私はそれにハマって中学3年生の2学期頃からオナニーをするようになって高校1年生のときに隣の不良が授業中に教科書のパラパラめくりをするのに腹を立てて、頭の中で『教科書のパラパラめくりをやめろ!』と訴えたらその日の晩から近所の家から自分の悪口を言う幻聴が聞こえるようになって精神分裂病に罹[かか]ってしまった。その日から調子が悪くなって人生がうまくいかなくなって不幸になるばっかりだ。今では派遣会社をクビになって仕事を得る方法がなくなって仕事に就けなくなってお金もなくなりかけている。今の私は親からの仕送りでほそぼそとみじめに貧乏臭く生活しているだけである。親からの仕送りがなくなったら私は死なねばならない。私が中学生のときに親がラジカセを買い与えなければ私の人生はうまくいっていたかもしれない。
親が子供をかわいがりたければ、親が子供にいいかげんなことをしてはいけない。親が子供にちゃんと正しい教育をしなければならない。それが親が子供を本当にかわいがることである。
親が子供を幸福にすると子供も親を幸福にするが、反対に親が子供を不幸にすると子供も親を不幸にする。だから、親は子供に不幸にされないために、子供に正しい教育をして子供を不幸にしてはいけないのである。
私が不幸になったのは、私が子供の頃から道徳を知らなかったからでもある。私は誰からも道徳を教わったことがないし、道徳の本を読んだこともない。そのため、私が中学生の頃には「人間は自分の心を満足するために生きている(←オナニー感アリアリ)。人間は自分の頭を使って自分の心を満足するために生きていればいい。」と考えていた。本当は、『人間は実在の中で生きている。人間は頭で考えて実在を知り、自分の心を実在に従わせて実在の中で自分の心を満足して幸福に生きればいい。』私が大学生になって自分で考えてようやくそのことがわかった。政府は「科学と数学があって道徳がない文化」の社会における国家的な仕事をする団体だから、政府は国民みんなに道徳を教えない。政府は国民みんなに正しい道徳を教えずまちがった道徳を教えるだけである。子供に正しい道徳を教えると子供が幸福になるが、子供にまちがった道徳を教えると子供が不幸になる。だから、親は子供に正しい道徳が書いてある本を買い与えたりして正しい道徳を教えて、政府のまちがった道徳を子供に教えてはいけない。親が子供を幸福にしたければ、子供に道徳についての正しい知識を与えて、子供を政府の悪影響から守らねばならない。
今の政府は国民みんなを政府に従わせるために国民みんなにまちがった道徳ばかり教えて国民みんなを道徳ができないようにして国民みんなが自分で自分がどうしようもなくなって自分の「他人に従おうとする心」が抑[おさ]えられなくなって身分制をやらねばならないようにしている。国民みんなが道徳ができなくなると国民みんなが自分で自分をどうしようもなくなって自分の悪い心が自分で抑えられなくなって不幸になる。だから、国民みんなは政府の言うことを真[ま]に受けないようにして、『道徳のある文化』をやって道徳ができるようにして自分で自分を思い通りにできるようにして自分の「他人に従おうとする心」を抑えて平等制をやって政府と平等にして政府の命令を聞かず政府に税金を払わないようにしてさっさと政府を倒さなければならない。
ヨーロッパではみんなが道徳の才能がないので人間の生[なま]の心がむき出しである。ヨーロッパではみんながいつも自分の本音[ほんね]で生きている。ヨーロッパではみんながいつも自分の心のままに自分のやりたい放題に自分の好き勝手に生きている。ヨーロッパではみんなが自分の心のままに好き放題に悪いことをやりまくって生きているから最後には身分制をやって上の者に虐[いじ]められて不幸に暮らさなければならなくなるのである。おとぎ話のピノキオと同じである。人間が道徳をやらなくなると身分制をやって上の者に虐められることになる。だから、人間は自分の心のままに生きてはいけないのである。人間は自分の心をむやみに肯定してはいけないのである。ヨーロッパは科学的には人類でもっとも進歩しているが、道徳的には原始時代のままである。サルは道徳がないのでボスを決めてボスに従って身分制をやりたがる。ヨーロッパ人も道徳がないので上の者を決めて上の者に従って身分制をやりたがる。サル山のサルは日本人ではなくヨーロッパ人のほうである。反対に、日本人は道徳の才能があるので自分の心が自分の思い通りにできる。日本人は自分の本音を変えてみんなと平等にしてみんなと仲良くできる。おまけに、日本人には科学の才能もそこそこある。日本人は科学も数学も道徳もなんでもかんでもそこそこできる。日本人はすぐヨーロッパに憧[あこが]れるが、本当は自分の国が世界で一番いいのである。『科学と数学と道徳の全部がある文化』が日本の文化である。だから、日本人は自分の国の文化をやればいいのである。
[21861] 権力とは何か? h27.5.23
国民みんなが「道徳のない文化」をやっていると、国民みんなが自分で自分の心を思い通りにできなくて自分の「他人に従う心」を抑[おさ]えられなくて、国民みんながわざわざ上の者を設けて上の者に従う。そのため、上の者が国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にする。上の者が国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教などをやらせて国民みんなを虐待する。国民みんなが道徳がなくて自分で自分を思い通りにできなくて自分の「他人に従う心」を抑えられないために、国民みんなが上の者に従うことになって上の者に虐[いじ]められていたのである。国民みんなが科学がないと自然を思い通りにできなくて自然災害によって国民みんなが不幸になるように、国民みんなが道徳がないと自分の心を思い通りにできなくて悪い心を抑えられなくて悪い心によって国民みんなが不幸になるのである。ヨーロッパ人には道徳がないから、ヨーロッパ人は自分の頭の中に弱点があるのである。
反対に、国民みんなが『道徳がある文化』をやっていると、国民みんなが自分で自分の心を思い通りにできて、自分の「他人に従う心」を抑えて、国民みんながお互いに平等にして仲良く暮らしている。国民みんなに嫌な命令を出す上の者なんかいない。税金も戦争も国家宗教もない。
つまり、権力の実体は「道徳のない文化」である。国民みんなが「道徳のない文化」をやっていると、国民みんなが上の者に従い、上の者が国民みんなに命令できて、上の者に権力(命令力)がある。反対に、国民みんなが『道徳のある文化』をやっていると、国民みんながお互いに平等にして、上の者がいなくて、権力(命令力)がないのである。
近代の日本では国民みんながヨーロッパを真似[まね]て「道徳のない文化」をやっていたので、国民みんなが上の者である政府を設けて政府に従っていた。政府は国民みんなに命令して国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせて国民みんなを虐待した。政府に権力があった。
反対に、現代の日本では国民みんなが世界を真似て『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているので『道徳がある文化』をやっているので、国民みんなが政府と平等にして政府に従わなくなって政府を潰[つぶ]している。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって税金や戦争や国家宗教をやめている。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が儲[もう]からなくなって潰れている。
政府の権力(命令力)の実体は国民みんなの「道徳のない文化」である。近代の国民みんなは「道徳のない文化」をやっていたので政府に権力があった。そのため、国民みんなは政府の命令に従って政府に税金を払っていたので政府が儲かっていた。反対に、今の国民みんなは『道徳のある文化』をやっているので政府に権力がない。そのため、今の国民みんなは政府の命令に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰れているのである。
[21862] 自動車保険会社とは何か? h27.5.23
本来は、自動車が壊れたとき、国民が自分で自動車の修理工場やレッカー会社に電話で連絡をして、故障した自動車を回収して修理してもらえばいい。そうすれば安上がりである。自動車保険会社は国民と修理工場の間に入って、国民から毎月高いお金を取って修理工場やレッカー会社にほんのちょっとっだけお金を払って残ったお金で自分が儲[もう]けているのである。
自動車で人をはねたり物を壊したりしたときも、国民が自分で被害者と話し合ってお金を弁償して解決すればいいのである。そうすればただである。自動車保険会社は国民と被害者の間に入って楽な仕事をして儲けているのである。国民が他人まかせにするから他人に高いお金をふんだくられるのである。
国民が直接に自分でやればただですむ。自動車保険会社に頼むから高くつくのである。
ダスキンの庭木のお手入れサービスなんかも、国民が自分でやればいいのである。本来、自分の家の庭木の世話なんか他人に頼むことではない。
今の国民みんながすぐに他人に頼ろうとするのがいけない。今の国民みんなはもっと自分でやることを大事にしないといけない。
今の日本は人口が増えすぎて余計な仕事をする者が増えて、余計な仕事をする者が国民みんなからお金を取って、国民みんなが貧乏になっている。日本はあまり人口を増やすべきではない。政府は国民みんなを不幸にする命令を出す会社である。政府が国民みんなを不幸にするために、国民みんなに命令して国民みんなの人口を増やしているのである。国民みんなは国の支配者だから、国民みんなは自分で決めたことを自分で実行すればいい。今の国民みんなは平等制をやると決めているから、政府と平等にして政府の命令を聞かなければいい。国民みんなは国の支配者だから、国民みんなは政府に従うのではなく、自分自身に従えばいいのである。だから、国民みんなは政府の命令を聞いて人口を増やしてはいけない。
医療保険制度も政府が国民みんなと医者の間に入って儲ける制度である。政府は国民みんなから毎月高い保険費を取って医者にはほんのちょっとだけお金を払って残ったお金で自分が儲けている。国民みんなが病気にかかったときに国民みんなが直接医者にお金を払って医者に診てもらうようにすればずっと安上がりである。そのほうが医者も儲かる。今では国民みんなが平等制をやっているから、国民は政府と平等である。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府の命令で医療保険に入らなくていい。だから、今の国民みんなは政府の言いなりにならず、医療保険に入らず、その都度[つど]医者に現金でお金を払って診てもらうようにすればいい。実際に、今の私は医療保険費(私は無職だから、月に2,300円ぐらいだった)を払っていない。もう二度と医療保険には入れないだろう。私は正しいことをやっているのだから、ちっとも後悔していない。
[21863] 国民みんなは自分の好き放題にすればいい。☆ h27.5.23
国民みんなは国の支配者だから、国民みんなは自分の好き放題にすればいい。国民みんなは自分で決めたことを自分で実行すればいい。
昔の国民みんなは身分制をやると決めていたから、政府を上の者にして政府の命令を聞いていた。政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやっていた。
反対に、今の国民みんなは平等制をやると決めているから、政府と平等にして政府の命令を聞かなければいい。政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやらなければいい。
今の国民みんなは身分制から平等制に変わっている途中だから、国民みんなが政府の命令を聞くことから政府に命令を聞かないことに変わっている最中[さいちゅう]である。国民みんなは政府の命令を聞くのをやめて政府の命令を聞かないようにすればいいのである。国民みんなは今日までは政府の命令で政府に税金を払ってきたが、明日からは政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいいのである。国民みんなの文化や制度が変わるのは時間がかかることだから、社会は一見[いっけん]変わっていないように見えるけれども本当はゆっくりと変わっているのである。生物の進化や大陸の移動と同じことである。だから、「国民みんなが変わっていない」と思ってまちがった理論を作ってはいけない。
もっとも、政府は身分制の仕事(国民みんなに悪い命令を出すこと)のほかに平等制の仕事(水道や戸籍や教育など)もやっている。政府の平等制の仕事については、国民はその都度[つど]政府にお金を払って仕事をやってもらえばいい。教育と国民みんなに善い命令を出すことは政府の無料サービスだから、国民はただで利用すればいいのである。(たぶん、日本の会社が自主的に政府に教育費を出しているから、国民の教育費が無料なのだろう。教育なんてそもそもそんなにお金のかかることではないから、ただで当然である。学校がなくても国民みんなが自分で勉強すればいいだけだから、教育費なんかどうでもいい。)
国民みんなは国の支配者だから、政府は国民みんなに従わねばならない。それが国の決まりだから、政府は守らなければならない。昔は国民みんなが身分制をやっていたから、政府は国民みんなに従って上の者をやらねばならなかった。政府は国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にしなければならなかった。政府は国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらさなければならなかった。政府は自分の命令に従わない者を罰しなければならなかった。反対に、今の国民みんなは平等制をやっているから、政府は国民みんなに従って国民と平等にしなければならない。政府は国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にしてはいけない。政府は国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせてはいけない。政府は自分の命令に従わない者を罰してはいけない。つまり、今では国民が政府の命令を聞かなくても政府に罰せられることがない。だから、今の国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいいのである。今の国民は政府の命令で税金や戦争や国家宗教などをやらなければいいのである。政府よりも国民みんなのほうが強いから、政府はおとなしく国民みんなに従わねばならない。今はまだ国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中だから、政府は国民みんなに悪い命令を出すことから悪い命令を出さないことに変わっている最中である。今はまだ政府は国民みんなに悪い命令を出しているがそのうち悪い命令を出さないようになるだろう。政府は自分の命令に従わない者を罰することから罰しないことに変わっている最中である。今はまだ政府は自分の命令に従わない者を罰しているがそのうち罰しないことに変わるだろう。政府は国民みんなに従わねばならないから、政府は国民みんなに従って態度を変えるだけだから、国民みんなのほうが先に平等制をやって後から政府に平等制をやらせればいいのである。だから、今の国民みんなは平等制をやって政府の命令を聞かないようにして、政府に悪い命令を出させないようにすればいい。時代の変わり目は新旧入り混じってゴチャゴチャしてわかりにくいから、国民みんなは周[まわ]りの者に惑[まど]わされずに自分でどんどん新しいことをやっていけばいい。時代の変わり目は新しい者が古い者よりも強い。そういう決まりがある。国民が政府の命令を聞かないことのほうが、政府が自分の命令に従わない者を罰することよりも強い。だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。国民みんなは国の支配者であり、今では平等制が国民みんなの公認になっているから、平等制をやる者が正しいのである。平等制をやる者が身分制をやる者よりも正しい。だから、とにかく国民でも政府でも平等制をやればいいのである。今では本当は政府は国民みんなに悪い命令を出してはいけない。今の政府は昔と同じように国民みんなに悪い命令を出しているが、政府のほうがまちがっているのだから、国民みんなは政府の命令を聞かなければいい。今の政府は自分がまちがっていると知りながらまちがったことをやっているヘナチョコである。国民みんなは自分でしっかり考えて正しいことをやって、まちがっている者(政府のこと)に合わせていっしょにまちがったことをやってはいけない。国民みんなは国の最高権力者だから、政府も国民みんなには逆らえないから、国民が平等制をやっていれば政府は国民に文句が言えない。だから、国民は平等制をやって政府の悪い命令を聞かないようにすればいいのである。
政府は身分制の上の者である。政府は国民みんなにいっぱい悪い命令(国民みんなを不幸にする命令)を出している。テレビや新聞では政府がいっぱい悪い命令を出していることを言わないが、実際にはそうしているのである。政府の中には広報担当課があって広報担当課が新聞社に情報を提供して新聞に記事を載せるので、政府が実際にやっていても広報担当課が新聞社に情報を提供しなければ新聞には載らないのである。具体的に起こった事件や事故は新聞に出るけれども、政府が命令してやらせたことは新聞には出ないのである。政府の命令で事件や事故を起こした人が黙っているかぎり政府の命令でやったことはみんなにはわからないのである。政府の命令で事件や事故を起こした人が自分から新聞社に行って「私が政府の命令でやりました」と言わないかぎりわからないのである。その一方で、政府は国民みんなの機嫌を取ったり国民みんなに「政府が平等制の団体だ」と思わせるために、国民みんなにちょっとだけ善い命令(国民みんなを幸福にする命令)も出している。今の政府は国民みんなに悪い命令と善い命令の両方を出している。今の国民みんなは政府の善い命令を聞いて悪い命令を聞かなければいい。しかし、国民みんなにとってはいちいち政府の命令が善い命令か悪い命令かを区別するのが面倒臭い。だから、今の国民みんなは早く政府に税金を払わずに政府を倒して、平等制の国家機関を建てて、平等制の国家機関と自由に契約して平等制の国家機関にお金をやって平等制の国家機関に善い命令だけ出してもらえばいいのである。そうすれば、国民みんなは平等制の政治機関の命令を何でも聞けばいいから楽である。
[21864] 今の日本では平等制をやることが正しい。 h27.5.23
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。実際に、これまでずっとそうだった。これまでずっと『国民みんなが国の最高権力者である』ことが成り立っていたのである。
今の国民みんなは平等制を支持している。
だから、今の日本では平等制をやることが正しく、身分制をやることがまちがいである。
だから、国民は平等制をやればいい。国民は政府と平等にして政府の悪い命令を聞かないようにして、税金や戦争や国家宗教などをやらなければいい。
今の政府は身分制をやって国民みんなに悪い命令を出している。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせている。政府はまちがっている。だから、国民は政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払ったり国家宗教をやってはいけない。
今では身分制をやることがまちがいだから、国民は身分制をやっている国民を見つけたら注意してやめさせねばならない。国民は他人が政府に税金を払っていたら他人に注意して政府に税金を払うのをやめさせねばならない。
今の国民の多くは社会科に対する正しい理解がないから、政府に従っているのである。国民の多くはもっと真剣に社会科について考えて正しいことを理解して政府に従うのをやめねばならない。国には社会科の苦手な人から得意な人までいろいろいる。社会科の苦手な人は社会科の得意な人によく聞いて正しいことを教えてもらって正しいことをしないといけない。学校のクラスには一人か二人は政府について詳[くわ]しい人がいるから頭を下げて教えてもらえばいい。
『国民みんなは国の最高権力者である。』だから、これまで国民みんなはそれぞれの時代において自分がいいと思う国を作って暮らしていた。もっとも、昔は国民みんなが本当に自分にとっていい国がわからなかったから、実際には国民みんなが自分にとって悪い国を作って不幸に暮らしていた。昔は国民みんなが「繁栄している国を真似[まね]ればいい」と思っていたので、古代や近代には国民みんながヨーロッパ文化の国を作って、国民みんなが身分制をやって上の者である政府を設けて政府に従って暮らしていた。国民みんなが政府に悪い命令を出させて国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせて不幸に暮らしていた。中世には国民みんながアジア文化の国を作って、国民みんなが身分制をやって上の者である幕府を設けて幕府に従って暮らしていた。国民みんなが幕府に悪い命令を出させて国民みんなに年貢[ねんぐ]やその他の虐待をやらせて不幸に暮らしていた。(私のおばあさん(父親の母)から聞いた話によると、私の先祖は武士だったが国民を虐待するのが嫌だったので武士をやめて百姓になったそうだ。)今では『文化の科学』が出来て、今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』がいいと思っているから、『科学と数学と道徳全部がある文化』の国を作っている。時代の変わり目には、古い文化が残っていて新しい文化が出来ていないから、国民みんなで古い文化を壊して新しい文化を作らねばならない。今は時代の変わり目である。政府は近代のヨーロッパ文化の産物である。現代の『科学と数学と道徳の全部がある文化』の産物は平等制の国家機関である。だから、今の国民みんなは政府を倒して、平等制の国家機関を建てねばならない。国民みんなは政府の命令で政府に税金を払うのをやめて、平等制の国家機関と自由に契約して平等制の国家機関にお金をやって仕事をやってもらわねばならない。政府は国民みんなに悪い命令(国民みんなを不幸にする命令)を出すが、平等制の国家機関は国民みんなに善い命令(国民みんなを幸福にする命令)を出す。だから、国民みんなで早く政府を倒して政府に悪い命令を出させないようにして、平等制の国家機関を建てて平等制の国家機関に善い命令を出させて、平等制の国家機関の命令を聞いて幸福に暮らさねばならない。
これまで日本では国民みんなが外国の文化に対する理解が足りなかったから「繁栄している国を真似ればいい」と思って当時の世界で繁栄している国の文化をそのまま取り入れていたのである。そのために、国民みんなが不幸に暮らさねばならなかったのである。いいと思っていたものがあとで悪いとわかって泣いていたのである。国民みんながしかたなく我慢[がまん]しながら繁栄している国の文化をやっていたのである。しかし、今では『文化の科学』が出来て、世界中の国の文化に対する理解が進んでいるから、国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』がいいと思って『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国を作っている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国では国民みんなが幸福に暮らせることにまちがいはない。だから、今の国民みんなは喜んで『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国を作ればいいのである。早く国民みんなで政府に税金を払わず政府を倒して、平等制の国家機関を建てればいいのである。
[21865] 国民みんなが時代を進めねばならない。 h27.5.24
今は国民みんなが平等制を支持している。今は国民みんなが身分制から平等制に変わっている最中[さいちゅう]である。今は時代の変わり目である。
時代の変わり目は古いほうから新しいほうに進むのが正しい。
だから、今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやらねばならない。今の国民みんなは政府に従って政府の悪い命令を聞くことをやめて政府と平等にして政府の悪い命令を聞かないようにしないといけない。今の国民みんなは政府の命令を聞いて政府に税金を払うのをやめて政府の命令を聞かず政府に税金を払わないようにしないといけない。
国民みんなは国の支配者である。国民みんなが政府を支配している。国民みんなは政府よりも強い。国民みんなが政府を自分の好きなようにすればいい。政府を生かすも殺すも国民みんなの自由である。国民みんなが時代を進めれば、政府も時代の波に乗って進むしかない。国民みんなが身分制をやめて平等制をやれば、政府も身分制をやめて平等制をやるしかない。政府は国民みんなに命令して国民みんなを不幸にするのをやめて国民みんなに命令しなくなって滅んでなくなるしかない。
国民が国民みんなに逆らわないかぎり国民が罰せられることはない。([21821]
坂本竜馬はどうして幕府に殺されたのか?を参照。)今の国民みんなは平等制をやっている。だから、今の国民が平等制をやるかぎり罰せられることはない。だから、今の国民は政府と平等にして政府の悪い命令を聞かなければいいのである。国民は政府の命令で税金を払ったり国家宗教をやったりしなければいいのである。今の政府はテレビや新聞の上で自分が平等制をやる国民を罰せられるふりをして国民みんなを脅[おど]かしてからかっているだけである。本当は今の政府は現実の上では平等制をやる国民を罰せられないのである。今の政府は国民みんなに悪い命令を出しているが、国民が政府の命令を聞かなかったからといって政府は国民を罰したりはしない。政府は最初から国民が自分の命令を聞かなくてもいいと思ってテキトウに命令しているだけである。政府は国民が自分の命令に乗ってくるかどうか様子[ようす]を見るために試[ため]しに国民に命令しているだけである。だから、国民は政府を怖がらずに平等制をやって政府の悪い命令を聞かないようにして税金や国家宗教をやらなければいいのである。もっと熱心な人は店で物を買うときに「私は消費税を払いません」と言って店の人が消費税を取るのを断ればいいだろう。(テレビや新聞の上ではオウム真理教の麻原彰晃[あさはらしょうこう]は牢屋の中で遊んで暮らしていることになっているが、本当はとっくの昔に死刑になっている。)
[21866] 国民は政府ではなく国民みんなに従わねばならない。政府も国民みんなに従わねばならない。☆
h27.5.24
国民みんなは国の最高権力者である。国民は国民みんなに従わねばならない。国の最高権力者は政府ではなく国民みんなだから、国のことを決めるのは政府ではなく国民みんなだから、国民は政府に従うのではなく、国民みんなに従わねばならない。政府も国民みんなに従わねばならない。
この世には『多数決の原理』があるから、人数の多い団体ほど権力が強いから、政府よりも国民みんなのほうが人数が多いから、政府よりも国民みんなのほうが強い。だから、国民は政府よりも国民みんなに従わねばならない。政府も国民みんなに従わねばならない。(中国は日本よりも人数が多いから、『多数決の原理』によって国際社会においては中国が日本よりも権力が強いのである。中国は昔は鎖国していたから国際社会に顔を出さなかったが、今では開国しているから国際社会において顔が利[き]くのである。)
昔は国民みんなが身分制を支持していた。国民は国民みんなに従って身分制をやって、上の者である政府に従って、政府の悪い命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやらねばならなかった。政府も国民みんなに従って、上の者をやって、国民みんなに悪い命令を出して国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせて国民みんなを不幸にしなければならなかった。
今は国民みんなが平等制を支持している。国民は国民みんなに従って平等制をやって、政府と平等にして、政府の悪い命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやってはいけない。政府も国民みんなに従って、上の者をやるのをやめて、国民みんなに悪い命令を出すのをやめて国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせてはいけない。政府はもともと上の者だから、上の者が上の者をやめたらなくなるしかないから、政府はなくならねばならない。
昔は国民みんなが身分制を支持していたので、平等制をやる者は国民みんなに逆らっていたので罰せられた。政府に従わず政府の悪い命令を聞かない者は牢屋[ろうや]に入れられたり殺されたりした。政府が平等制をやっても国民みんなに逆らっていたので罰せられた。国民みんなのために善いことをやった首相が国民みんなによって暗殺された。反対に、今は国民みんなが平等制を支持しているので、身分制をやる者が国民みんなに逆らっているので罰せられる。政府に従って政府の悪い命令を聞く者が牢屋に入れられたり殺されたりする。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやってはいけない。政府は身分制をやっているから国民みんなに逆らっているから罰せられる。国民みんなに悪いことをやった首相が国民みんなに暗殺される。政府はもともと身分制をやる団体だから、政府は今の国民みんなに逆らっているから、政府が国民みんなによって滅ぼされる。政府は道徳のない団体だから、政府は善悪の区別がないから、善いことも悪いことも両方やるから、政府は国民みんなに悪い命令だけではなく善い命令も出す。政府は道徳がないから衝動的に自分がやりたいことをやるだけだから、政府は善い命令も悪い命令も見境[みさかい]なく何でもかんでも出すのである(まさに玉虫色!)。政府は善い命令よりも悪い命令を多く出すのである。(日本とヨーロッパは文化が違うからわかりにくかった。日本では何かの目的のために悪いことをするが、ヨーロッパでは何の目的もなくただ悪いことをするのである。政府は特に目的もなく、ただ道徳がないから悪いこととちょっとだけ善いことをやっていたのである。)政府の善い命令は平等制でも通用するから国民みんなは聞けばいい。しかも、政府は無料で善い命令を出してくれるから、国民みんなはただで利用すればいい。
人間は自分の頭で実在について考えることによってはじめて実在のことがわかる。私が政府のことについて考えたから『今の国民みんなが政府に税金を払わなくていい』ことがわかったのである。国民の多くは政府のことについて考えないから「今の国民みんなは政府に税金を払わねばならない」と思って毎月せっせと政府に税金を払っているのである。今の政府が国民みんなに「政府は平等制の国家機関である。」とか「近代から国民みんなは平等制をやっていた。」とか「政府は国民みんなの支配者である。」とかいろんな嘘[うそ]を教えているから、国民の多くがまちがったことを考えているのである。要するに、国民の多くは政府の嘘に騙[だま]されて、本当は払わなくてもいい税金を必死に払って貧乏になっているのである。反対に、正しいことがわかっている国民は『今の国民みんなは政府に税金を払わなくていい』と考えて政府に税金を払わずリッチに暮らしているのである。考える者と考えない者の差である。国にはいろんな人がいる。考える人がいれば考えない人もいる。考えるのが好きな人もいれば考えるのが嫌いな人もいる。わかっている人がいればわかっていない人もいる。わからない人はわかっている人の考えに従う。だから、最後には、みんながわかるようになる。だから、そのうちみんなが『今の国民みんなが政府に税金を払わなくていい』ことがわかって政府に税金を払わなくなる。政府は潰[つぶ]れる。
[21867] 人間は科学だけでは幸福にはなれない。 h27.5.24
インカ人は石のことばっかりやっていたから石の加工技術が発達したのである。
ヨーロッパ人が科学ばっかりやっていたから科学が発達したのと同じことである。
日本人は科学と数学と道徳の全部をやっていたから、特に取り柄[とりえ]がない。
しかし、いくら科学ばっかりよくできても、幸福に暮らせなければ何にもならない。いくら数学ばっかりよくできても、幸福に暮らせなければ何にもならない。いくら道徳ばっかりよくできても、幸福に暮らせなければ何にもならない。
そのために、今では世界中の国でみんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになったのである。人間は誰でも幸福に生きたいから、自分が幸福に暮らすために『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになったのである。
[21868] 政府はどのようにして国民を騙[だま]しているか? h27.5.25
今の政府は国民みんなに嘘[うそ]をついて国民の多くを騙している。
今の政府は国民みんなに「政府は平等制の国家機関である」とか「国民みんなは近代から平等制をやっている」と嘘をついて国民の多くを騙している。
政府は『国民みんなには国の主権がある』と日本国憲法序文で言っているし、社会科の教科書にはトマス=ホッブスが『国民みんなは国の最高権力者である』と言ったことが載っているから、政府は「『国民みんなが国の支配者である』ことは国民みんなの常識だから動かせない」と考えて、『国民みんなが国の支配者である』ことについては政府は嘘をつかないことにしているのである。
そのために、今の国民の多くは「政府が平等制の国家機関である」「政府は平等制をやって国民から税金を取っている」と思って、政府に毎月必死で税金を払っているのである。
しかし、政府が国民みんなに一方的に命令して国民みんなからお金を取ることがはたして平等制だと言えるだろうか?政府が国民みんなに一方的に命令して国民みんなに戦争させることが平等制でできることなのだろうか!?ふつう平等制とは、みんなが他人と自由に契約して他人にお金をやって仕事をやってもらうことである。今の政府は国民みんなと契約していないから平等制ではない。
「政府が平等制の国家機関である」と仮定すると、不自然である。曖昧模糊[あいまいもこ]ではっきりしない。国民みんなは納得いかない。
反対に、『政府が身分制の国家機関である』と仮定すると、自然である。これまではっきりしなかったことがはっきりする。“身分制”や“上の者”を付け加えると、政府のことが理解できるようになる。日本の歴史も理解できるようになる。世界の文化や歴史も理解できるようになる。
『政府は身分制の国家機関である。』近代の国民みんなは「繁栄している国を真似[まね]ればいい」と思って、ヨーロッパを真似て身分制をやっていた。国民みんなは上の者として政府を設けて政府に従っていた。国民みんなは政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやっていた。だから、政府が国民みんなに命令して国民みんなに戦争させることができたのである。今でも政府は近代と同じ上の者をやっている。だから、今でも政府は国民みんなに命令して税金を取っているのである。今の政府は上の者をやっているから国民みんなに命令して税金を取っているのである。政府は身分制で国民みんなから税金を取っていたのである。戦後に国民みんなが身分制から平等制に変わったので、政府はテレビや新聞や社会科の教科書などで嘘[うそ]をついて国民みんなにまちがいを教えて国民みんなを政府に従わせようとするようになったのである。
本当は『政府は身分制の国家機関である。』『政府は上の者である。』しかし、今では国民みんなは平等制をやっている。国民みんなは国の最高権力者である。だから、国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。政府は上の者である。上の者は国民みんなに悪い命令を出して国民みんなに税金や戦争や国家宗教などをやらせて国民みんなを不幸にする。だから、今の国民は政府の悪い命令を聞かないようにして税金や戦争や国家宗教をやってはいけない。
社会科の得意な人にとっては『国民みんなの文化が変わった後では政府が嘘をつく』ことぐらいとっくの昔にお見通しである。社会科の得意な人にとっては『近代の国民みんなは身分制をやっていた』ことや『政府が上の者である』ことは当たり前である。テレビや新聞や社会科の教科書などで政府が嘘をついていることがわかっている。いくら政府が嘘をついても社会科の得意な人は騙[だま]せない。今の政府の方法には限界がある。政府の方法は不備[ふび]である。私も十分時間をかけて政府について考えて自分で『政府が上の者である』ことや『近代の国民みんなが身分制をやっていた』ことがわかった。
そのため、今では『政府が上の者である。』ことや『今の国民みんなは政府の命令で税金を払わなくていい。』ことが国民みんなに広まっている。国民みんなはだんだん政府に税金を払わなくなっている。国民みんなが政府に税金を払うことから税金を払わないことに変わっている。政府に税金を払う人が減って、政府に税金を払わない人が増えている。政府は税金を取れなくなって滅んでいる。
今の国民みんなは『平等制』を支持しているだけであって、「政府に税金を払う」ことや「政府の命令を何でも聞く」ことを支持してはいない。細かいことは国民一人一人の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞かねばならないことはない。今の国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならないが、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしなくていい。国民みんなは政府の嘘に踊[おど]らされないようにして、自分で正しいことを考えて正しいことをしないといけない。
日本は戦後アメリカの占領下にあった。アメリカは政府が嘘で国民みんなを騙して支配している国ではない。アメリカは国民みんなが道徳をやらないから身分制をやって政府に従っている。政府にも道徳がなくて善と悪の区別がなくて善いことと悪いことの両方をやっているのである。政府が自分が裏で悪いことをしているのを隠すために人前で善いことをしているのではない。政府が嘘をついて善い団体のふりをして国民みんなを騙しているのではない。政府が善いことと悪いことの両方をやるのは「道徳がない文化」の習慣である。アメリカでは国民みんなが政府が善いことと悪いことの両方をやっていることを知っていて政府を支持しているのである。政府に税金を払っているのである。アメリカでは政府が嘘をついて国民みんなを支配しているのではない。だから、日本でも政府が嘘をついて国民みんなを支配することはできない。政府がいくら国民みんなに嘘をついても無駄[むだ]である。今の政府は嘘で国民みんなを騙して自分が国民みんなに倒されるのを防いでいるのではない。いくら政府が国民みんなに嘘を教えても、世の中には社会科の得意な人がいるし、国民みんなが自分で考えれば正しいことがわかるから、政府の嘘は利[き]かない。政府の嘘は無駄である。いくら今の国民みんなが平等制を支持しても、実際には国民みんなが身分制から平等制に変わるのに時間がかかるから、今でも頑固[がんこ]に身分制をやっている国民がたくさんいるから、政府が国民に命令して税金が取れるから政府が残っているだけである。本当は国民みんなが身分制から平等制に変わるのに時間がかかっているだけなのに、今の政府は自分の嘘で国民みんなを騙せていると思って喜んでいるのである。いくら誰かが国民みんなに言葉で「平等制をやりましょう」と言っても、実際には国民みんなはまだ身分制をやっているので、子供は言葉よりも国民みんなが実際にやっていることを見て育つので、子供は国民みんなが身分制をやっているのを真似て自分も身分制をやるのである。いくら国民みんなが言葉で「平等制をやりましょう」と聞いても、平等制の意味がわからないから、なかなか国民みんなは身分制をやめて平等制をやらないのである。平等制の意味を理解して実際に具体的に平等制をやる人がポツポツと現れて、周[まわ]りの人がその人を見て真似ていっしょに平等制をやるようになって国民みんなに平等制が広がっていってようやく国民みんなが平等制をやるようになるのである。だから、国民みんなが身分制から平等制に変わるのには長い時間がかかるのである。しかし、それでも国民みんなは平等制に変わっている。国民みんなはゆっくりとだがたしかに平等制に変わっている。国民みんなが平等制に変わってしまったら、政府の命令を聞く人がいなくなって、政府が命令しても税金を取れなくなって政府が滅ぶ。政府が滅ぶのは時間の問題である。だから、政府は生き残るのをあきらめて、今から自分が滅ぶ準備をしたほうがいい。
[21869] 今の政府はどのように嘘[うそ]をつけばいいか? h27.5.25
今の政府は『国民みんなが国の最高権力者である』ことを認めている。だから、国民は国民みんなに従わねばならないし、政府も国民みんなに従わねばならない。
『今の国民みんなは平等制を支持している。』それも政府が認めている。だから、国民は国民みんなに従って平等制をやらないといけない。
政府は国民みんなに従わねばならないので「政府が平等制の国家機関である」ことにしないといけない。
今の政府は国民みんなから税金を取っている。今の政府が国民みんなから税金を取れるためには、平等制で税金が取れることにしなければならない。税金は近代の政府から取っていたから、「近代の国民みんなが平等制をやっていた」ことにしなければならない。
そういうわけで、今の政府は国民みんなに「政府が平等制の国家機関である」ことと「近代の国民みんなが平等制をやっていた」という嘘をついているのである。
しかし、「政府が平等制の国家機関である」とすれば、政府は国民みんなと自由に契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。実際には、政府は国民みんなと自由に契約を取っていない。だから、「政府が平等制の国家機関である」のはおかしい。それに、近代の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]ていた。当時のヨーロッパは身分制をやっていた。だから、近代の国民みんなは身分制をやっていたはずである。だから、「近代の国民みんなが平等制をやっていた」のもおかしい。
政府は嘘をついているから、話のつじつまが合わない。話のつじつまが合わないのは、政府が嘘をついている証拠である。
本当は、『政府は身分制の国家機関である。』『近代の国民みんなは身分制をやっていた。』が正しい。
近代の国民みんなは身分制をやっていたから、政府に従って、政府の悪い命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやっていたのである。反対に、今の国民みんなは平等制をやっているから、政府に従わず、政府の悪い命令を聞かず税金や戦争や国家宗教をやらなければいいのである。こう考えればバッチリ筋[すじ]が通る。
今の国民みんなは政府に税金を払わなければいい。政府に税金を払ってはいけない。これが正しい。
いくら政府が国民みんなに嘘をついても、国民みんなは自分で考えて正しいことがわかるから、政府が嘘をついて国民みんなを騙[だま]して生き残ろうなんて無理な話である。
そのため、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。今の政府が国民みんなに嘘をついているのは、政府が国民みんなとなぞなぞをやって遊ぶためである。今では政府のなぞなぞが解けたから、政府が潰れているのである。政府は国民みんなを楽しませるために嘘をついているのである。だから、国民みんなはなかなか正解を他人にしゃべらないのである。私はなぞなぞを解くのが好きだし、正解をみんなに言うのが好きだから、みんなに言ってやったのである(ざまあみろ)。
『窮鼠[きゅうそ]猫を噛[か]む』と言う。今の政府は国民みんなに潰される寸前だから、ゴミ虫がおならをして敵から逃れるように、政府は国民みんなに嘘をついて窮地[きゅうち]から逃れようとしているのだろう。しかし、それは無駄[むだ]な抵抗である。国民みんなは嘘で騙されない。国民みんなに嘘は通用しない。政府が嘘をついても何にもならない。政府はやはり国民みんなに倒される運命にあるのだ。
国民みんなが身分制から平等制に変わるには時間がかかる。50年から数百年かかる。国民みんなが政府を倒し始めてから政府が滅ぶまでには時間がかかる。その間に、政府がいろんなことをやって国民みんなをからかって暇を潰しているだけである。今の国民みんながまだ平等制に変わったばっかりで平等制の初心者なので平等制が何かが具体的にわかっていないので、政府が「国民が政府の命令で政府に税金を払うのが平等制だ」と冗談を言って国民みんなをからかっているのである。国民みんなは政府の冗談なんかにかまわずに、まじめに自分で平等制が何であるかを考えて平等制をやって政府を倒さねばならない。
平等制とは、みんなが他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうことである。政府が国民に一方的に命令して国民からお金を取ることは平等制ではない。たとえ政府が国民から取ったお金で善いことをやっても平等制ではない。たとえ政府が選挙や国会をやっても政府が国民みんなに従わねばならないことに変わりはないので政府が平等制を犯してもいいことにはならないので、政府は国民に命令してお金を取ることはできない。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。早く国民みんなが平等制をやるようになって政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。
今の国民みんなはまだ平等制に変わったばっかりで平等制が何かがわかっていなくて実際には身分制をやっていて「国民は政府に従わねばならない」と思い込んでいるので、みんなの前で『国民が政府に従わなくていい』ようなことを話すと国民みんなの反感を買って攻撃されるので、誰も『国民が政府に従わなくていい』ようなことをみんなに話さないのである。たとえ話すとしてもみんなにわかりにくいようにぼんやりとあいまいに話すのである。たとえ話で話すのである。私は正しいことを話すのが好きなのでわかりやすくはっきりと話すのが好きなのでたとえ話を使わずにそのまま話すのが好きなので『国民が政府に従わなくていい』と言っているのである。国民みんなもいつまでも古臭い身分制をやっているのをやめて、早く平等制を理解して平等制をやるようにしないといけない。今の国民みんなは口先で平等制をやると言っているだけで実際には平等制をやっていない。今の国民みんなは平等制を知っているふりをして本当は平等制を知らない。そのために、今の国民みんなは昔の身分制をやり続けている。今の国民みんなは平等制をよく勉強して平等制の意味を理解して平等制をやれるようにならねばならない。政府が悪いのではなく、国民自身が悪いのである。政府は関係ない。国民が自分で平等制をやればいいだけのことだ。たとえ政府がどうしようが国民が自分で平等制をやればいいのである。政府はひとりで嘘を言っているだけだ。政府は嘘の独り言[ひとりごと]を言っているだけだ。国民自身がいつまでたっても自分で平等制を知ろうとしないのがいけない。だから、国民みんなはもっとやる気を出して平等制についてよく知って早く自分で平等制をやれるようにならねばならない。国民みんなが自分で『平等制とは何か?』を考えて平等制を理解して平等制をやらねばならない。
[21870] 政府は国民みんなに嘘[うそ]をついて近代と現代をゴチャ混ぜにしている。
h27.5.25
この世には上の者と言うものがある。上の者は平等制の社会にはないが、身分制の社会にはある。身分制の社会では国民みんなは上の者に従わねばならないことになっている。
近代の日本では国民みんながヨーロッパを真似[まね]て身分制をやっていた。国民みんなで政府を上の者にして政府に従っていた。国民みんなは政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教をやって不幸になっていた。
今の現代の日本では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』がいいと考えて平等制をやっている。国民みんなはお互いに平等にして、他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらっている。国民みんなでお互いに他人を幸福にして国民みんなで幸福になっている。
政府は近代の身分制の社会にいた上の者である。今の政府は国民みんなに「政府が平等制の国家機関である」「近代の日本では国民みんなが平等制をやっていた」という嘘を教えて、近代と現代をゴチャ混ぜにして「平等制の社会にも上の者がいる」ことにして自分が平等制の社会の中にちゃっかり居座っている。「平等制の社会でも税金が取れる」ことにして平等制の社会の中で国民みんなに命令して国民みんなから税金を取っている。税金以外にも、政府は国民みんなに好き放題に命令して善い命令よりも悪い命令を多く出して国民みんなを幸福にするよりも不幸にしている。本当は、『政府は上の者であり、平等制の社会には上の者がいない』から政府は今の国民みんなに従っておとなしく滅ぶべきだが、政府は税金暮らしをするのが楽だから自分が税金暮らしをするために自分で滅ばずに国民みんなを嘘で騙して残っているのである。
今の国民みんなは平等制を始めたばかりだから、平等制がまだよくわかっていないから、政府の嘘に騙[だま]されているのである。これまで日本では国民みんなが古代から近代までずっと身分制ばかりやってきて平等制をやったことがないので、平等制は自分で無から考えてやらねばならないので、時間がかかっているのである。今の国民みんなは早く自分で考えて平等制について正しく理解して、政府の嘘に騙されないようにして自分で正しく平等制をやらないといけない。今の国民みんなは政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さないといけない。『平等制の社会には上の者がいてはいけない』から、国民みんなで政府を潰してなくさないといけない。今の国民みんなは平等制をやることに決めているから、あとは国民みんなで平等制の意味を理解して、平等制が具体的に何であるかを知って、実際に自分で平等制をやって、平等制の社会を作っていかねばならない。今の政府が国民みんなが「平等制をやる」と言った後でも国民みんなに従わずに自分で滅ばずに残っているのは悪いが、今の国民みんなが自分で「平等制をやる」と言っておきながらいつまでたっても平等制をやろうとしないのも悪い。政府は嘘つきだが、国民みんなも嘘つきである。国民みんなは自分が一度言ったことは自分でちゃんと実行しないといけない。国民みんなは自分で決めたことは自分でやらねばならない。国民みんなは自分で平等制が何かを考えて平等制をやらねばならない。国民みんなで政府と平等にして政府の悪い命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[21871] 国を作るのは国民みんな自身である。 h27.5.26
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが自分で自分がいいと思う国を作る。
近代の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳がない文化」をやっていた。
近代の国民みんなは自分で科学をやって日本中に工場を建ててたくさん物を作ってたくさん物を売って物やお金が豊かになった。
近代の国民みんなは自分で道徳をやめて『人間がみな平等である』ことを守らなくなって悪いことや身分制をやって上の者である政府を設けて政府に従った。国民みんなは政府に悪い命令を出させて税金や戦争や国家宗教などをやって不幸になっていた。
近代の国民みんなは自分で科学をやって幸福になり、自分で道徳をやめて不幸になった。つまり、政府は国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを不幸にする団体である。政府は科学といっしょにヨーロッパから入ってきた科学の余計なオマケであり、政府のために国民みんなは不幸になっていたのである。
現代の国民みんなは世界中の国の文化の長所を真似て『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
現代の国民みんなは近代と同じように自分で科学をやって日本中に工場を建ててたくさん物を作ってたくさん物を売って物やお金が豊かになっている。今の国民みんなが物とお金が豊かなのは国民みんな自身の手柄[てがら]なのである。
現代の国民みんなは自分で道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って善いことや平等制をやってみんなと平等にしている。国民みんなは他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらって幸福になっている。国民みんなは上の者である政府が要らなくなって政府を潰[つぶ]している。国民みんなは政府の悪い命令を無視して税金や戦争や国家宗教などをやらなくなって不幸にならなくなっている。
現代の国民みんなは自分で科学をやって幸福になり、自分で道徳をやって幸福になっている。
今はまだ国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやり始めたばかりなので、国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』がよくわかっていないので、国民みんながまだ十分『科学と道徳の両方ある文化』をやれていないが、そのうち国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』がよくわかるようになって国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』ができるようになるだろう。
国民みんなは国の支配者である。国は国民みんなのものである。国民みんなが国の主役である。国民みんなが自分の国を自分で作る。国を作るのは国民みんな自身である。国を作るのは政府ではなくて国民みんなである。国民みんなは政府に従うのではなく、国民みんなが自分自身に従って自分で考えて自分で国を作らねばならない。
今はまだ国民みんなが平等制をやり始めたばかりなので、平等制が何かがわかっていないので、政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に従っているが、今後は国民みんなが平等制についての理解を深めて、ちゃんと平等制をやるようになって、政府の嘘に騙されなくなって政府に従わなくなって政府を倒すだろう。
[21872] 道徳とは何か? h27.5.26
人間には五感と心と知覚の3つの認識がある。認識とは別に実在がある。
『人間は実在の中に生きている。』だから、人間は実在を中心にしないといけない。実在から見ると、一番正しいのが知覚であり、次が五感であり、最後が心である。心は人間に生まれつき備わっている実在についての認識だから、心は原始的な実在に対する認識だから、心にはまちがいがたくさんあるのである。例えば、人間の心は涼しいのを気持ちがいいと思うが、本当は多少暑いほうが身体にとってはいいから、人間は頭で考えて多少暑くしたほうがいいのである。人間は自分の頭で自分の心が暑いのを嫌だと思うのを抑[おさ]えて身体にとっていい環境で暮らせばいいのである。
だから、人間は自分の知覚に基づかねばならない。五感は実在と知覚を結ぶ道路である。知覚から心への作用を意志とか理性とか情操とか言う。
人間は知覚で実在を知り、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさないといけない。人間は五感を介して知覚で実在を知り、知覚が心を支配して心を知覚に従わせることによって自分の心を正しくして実在の中で心を満足しないといけない。
道徳とは人間が自分自身を知ることである。昔の日本では道徳が重んじられていたが、最近の日本では道徳が廃[すた]れている。最近の日本ではみんなが道徳を知らないし、道徳を守っていない。道徳は人間が幸福に生きるための指針となる知識である。道徳を知っている者は幸福になり、道徳を知らない者は不幸になる。道徳は人間にとって最初に学ぶべき知識である。だから、今のみんなは自分で道徳を勉強して道徳を知って道徳がやれるようにならねばならない。平等制は道徳から出てくる。今のみんなは道徳も平等制も知らないから、両方とも勉強しないといけない。
『人間は実在の中に生きている。』人間は実在の中に生きているのであって、テレビの中やコンピューターの中に生きているのではない。だから、人間はテレビよりもコンピューターよりも実在を大事にしないといけない。最近の人間はテレビやコンピューターを見すぎて実在を忘れている。『人間が実在の中に生きている。』ことを忘れている。最近の人間はテレビやコンピューターを見ないようにしてテレビやコンピューターを忘れて実在を思い出さねばならない。実在主義や知覚主義に戻らねばならない。人間は『人間は実在の中で生きている』ことを守って実在主義や知覚主義で生きていれば幸福に暮らせる。実在主義や知覚主義から外[はず]れると不幸になる。テレビやコンピューターは人間が実在を知るための道具である。人間は実在を知るためにテレビやコンピューターを使わねばならない。

[21873] 今は国民みんなと政府が戦っている最中[さいちゅう]である。 h27.5.26
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国で一番強い団体である。それは昔から決まっていることである。[補足1後述。この章の最後の段落を参照。]
今の国民みんなは平等制を支持している。
ところが、政府は上の者である。政府は国民みんなに命令してお金を取る団体である。政府は国民みんなに好き放題に命令して国民みんなにたくさん悪い命令とちょっとだけ善い命令を出して国民みんなをいっぱい不幸にしてほんの少しだけ幸福にする団体である。政府は善と悪の2つの顔がある団体である。政府は身分制の団体である。身分制は平等制に反している。
このままでは政府が国民みんなに倒されるので、政府は国民みんなに嘘[うそ]をついて国民みんなを騙[だま]して自分が国民みんなに倒されないようにしようとしている。今の政府は国民みんなに『政府が身分制の国家機関である』ことや『近代の国民みんなが身分制をやっていた』ことを伏せて、国民みんなに「政府が平等制の国家機関である」とか「税金は平等制の決まりである」と思わせて国民みんなを騙して居座って国民みんなから税金を取っている。社会科の教科書には『政府が身分制の国家機関である』とひと言も書いていない。政府は国民みんなに“無言の嘘”をついているのである。
今は国民みんなが平等制に変わったばっかりなので、国民みんなはまだ平等制がよくわかっていないので、国民みんなが政府の嘘に騙されている。
しかし、今の国民みんなはだんだん自分で平等制についての理解を深めてちゃんと平等制をやるようになっている。今の国民みんなはすべての他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうことにしている。今の国民みんなは『政府は身分制の団体である』ことや『税金は身分制の決まりである』ことがわかって、政府に税金を払わないようにして政府を倒している。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国で最強の団体である。国民みんなは政府よりも強い。近代は国民みんなが身分制をやっていたので国民みんなが政府を守って国民みんなと政府は仲良しだった。今は国民みんなが平等制をやっているので、政府は国民みんなに自分の正体がばれると倒されるので必死に自分の正体を隠そうとしている。今は国民みんなと政府の戦いである。政府が国民みんなを騙すか国民みんなが政府に騙されないかの戦いである。国民みんなと政府の戦いといっても、最初から国民みんなのほうが政府よりも強いから、政府はせいぜい自分の身を守るのが精一杯である。これまでは国民みんなが平等制に変わったばっかりで平等制のことがまだよくわかっていなかったので、国民みんなは政府に騙されて自分が平等制をやっているつもりで身分制をやって政府に従っていた。これからは国民みんなが平等制についての理解を深めて、国民みんなが政府に騙されなくなって自分で考えて平等制をやって政府に従わなくなって政府を倒さねばならない。国民みんなは国民一人一人の集合体である。国民みんなが自分の考えを出し合ってお互いに協力し合って助け合ってみんなでいっしょに考えて政府の正体を教え合って国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒して国民みんなで新しくいろんな平等制の会社を建てて国民みんなで平等制の社会を作って行かねばならない。
平等制についての理解を深めていけば、誰でも政府に税金を払わなくなる。現[げん]に私もそうだった。私も昔は仕事の休みの日に近所の銀行に行って政府に税金を払っていたが、最近は役所から納税通知書をもらってもそのままゴミ箱に捨てている。役人もちっとも私に文句を言わない。平等制では、みんながすべての他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうことである。ところが、今の政府は国民みんなにたくさん悪い命令と少し善い命令を出している。政府は国民みんなに悪い命令を出して国民みんなに税金や国家宗教をやらせている。政府のやっていることは平等制ではない。一方、今の国民みんなは政府の命令を聞いてたくさん悪いことと少しだけ善いことをやっている。国民みんなは政府の悪い命令を聞いて税金を払ったり国家宗教をやったりしている。国民みんなのやっていることも平等制ではない。今では国民みんなは自分で平等制をやると決めているから、平等制をやらねばならない。だから、国民みんなは政府の悪い命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。命令は命令を出す者と出される者の共同作業である。どちらか片方が欠けても命令は成り立たない。だから、今の国民みんなは政府の悪い命令を聞かないようにして政府の命令が成り立たなくすればいいのである。
今では平等制が何かがわかっていない者が政府の命令を聞いて政府に税金を払っている。政府の命令を聞いて国家宗教をやっている。反対に、平等制が何かがわかった者は政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府の命令を聞かなくなって国家宗教をやめている。今は国民みんなが平等制が何であるかがわかっている最中である。だから、国民みんなは早く平等制が何であるのかわかって自分で平等制をやるようにならねばならない。自分で平等制をやるようになって身分制をやめねばならない。
[補足1:この世には少数が多数に従わねばならないという『多数決の原理』がある。国民みんなは国で一番大きい団体なので、国民みんなが国で一番強い団体である。政府よりも国民みんなのほうが大きいから、政府よりも国民みんなのほうが強いのである。政府は『多数決の原理』に基づいて選挙や国会をやっているので、政府は『多数決の原理』を認めざるを得ないので、政府も『国民みんなは国で一番強い団体である』ことや『国民みんなが政府よりも強い』ことを認めているのである。この世には『多数決の原理』があるから少数は多数に従わねばならないが、今では国民みんなが『正しいことには従う』ことに決めているから、たとえ国民みんなが自分の説と違う説を支持していても、国民みんなに自分の説の正しいことが証明できれば、国民みんなはその説が正しいことを認めて、国民みんなが正しい説に従う。ブルーノは自分の説をみんなに訴えただけで自分の説を証明しなかったから国民みんなに殺されたのである。ガリレオは自分の地動説が正しいことを中途半端[ちゅうとはんぱ]にしか証明できなかったから、国民みんなに殺されはしなかったが捕[つか]まえられて牢屋に入れられていたのである。もしもガリレオが自分の地動説をユークリッドの三平方の定理の証明のように完全に証明できていたら捕まえられて牢屋に入れられることはなかっただろう。ニュートンは自分の説が正しいことを完全に証明することができたから国民みんなに支持されて国家的な英雄になれたのである。だから、みんなも自分の説を国民みんなに認められたければ一生懸命に考えて自分の説が正しいことを証明しないといけない。]
[21874] どうして今でもヨーロッパに政府が残っているか? h27.5.27
今でもヨーロッパに政府が残っているのは、ヨーロッパ人がインド人と同じように自分たちに道徳がないことを誇[ほこ]りにしているからである。日本人が自分のかっこ悪さを誇りにしているのと同じである。大阪人が自分のアホを誇りにしているのと同じである。ヨーロッパは「道徳のない文化」が伝統なので、ヨーロッパ人は自分の文化を大切にするので世界中でみんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやろうとしている今でも国民みんなが「道徳のない文化」を大事にして“弱い身分制”をやって政府を設けて政府に従っているのである。今のヨーロッパでは国民みんなが戦争や国家宗教はやらないが税金だけはやっているのである。ヨーロッパ人は自分の「道徳のない文化」が好きだから今でも身分制をやり続けているのである。一方、日本人はヨーロッパ人とは違う。日本人は道徳がないことが誇りではない。日本人は道徳のない民族ではない。日本は「道徳のない文化」が伝統ではない。日本は伝統のない国である。日本は新しい文化を積極的にやる国である。だから、日本では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって『道徳のある文化』をやって平等制をやって国民みんなが他人と平等にして政府と平等にして政府の悪い命令で税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
日本がヨーロッパを真似[まね]ていたのは戦前までである。戦後は日本はヨーロッパから離れて自分の道を進むようになったのである。今では『文化の科学』が出来て『国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやれば国民みんなが一番幸福に暮らせる』ことがわかっているから、日本はその通りにやろうとしているのである。政府は今の子供に科学と数学しか教えていないから子供が幸福に暮らせなくなっている。早く国民みんなで政府を倒して平等制の教育機関を建てて子供に科学と数学と道徳の全部を教えて子供が幸福に暮らせるようにしてやらねばならない。政府は法律で国民みんなを取り締[し]まっていないから国中に悪人がはびこっている。早く国民みんなで政府を倒して平等制の法治機関を建てて法律で国民みんなを取り締まってもらって国から悪人を消してもらわねばならない。平等制の法治機関に国から政府を消してもらわねばならない。
国は国民みんなのものである。日本は日本の国民みんなのものである。外国は外国の国民みんなのものである。日本が日本人の勝手であるように、外国は外人の勝手である。ヨーロッパ人がどうしようがヨーロッパ人の勝手である。だから、今の日本では『インド人やヨーロッパ人やアメリカ人が「道徳のない文化」をやりたければ勝手にやればいい』と思って、外国で国民みんなが政府に虐待されているのを黙って眺[なが]めているのである。
[21875] 政府は身分制の団体である。税金は身分制の決まりである。☆ h27.5.27
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。それは昔から決まっていることである。
今は国民みんなが平等制を支持している。だから、今は平等制の社会である。
平等制とは、国民みんながすべての他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうことである。
身分制とは、国民みんなが上の者を設けて上の者に従うことである。上の者が国民みんなに好き放題に命令して国民みんなにいっぱい悪い命令を出してちょっとだけ善い命令を出して国民みんなをいっぱい不幸にしてちょっとだけ幸福にすることである。国民みんなが上の者の悪い命令で税金や戦争や国家宗教をやって不幸になることである。[補足1後述。この章の一番下の段落を参照。]
身分制は平等制に反する。だから、平等制の社会の中では身分制をやってはいけない。平等制の社会の中では身分制は禁止である。
ところが、政府は身分制の団体である。税金は身分制の決まりである。
だから、政府は滅ばねばならない。国民みんなは政府の命令で政府に税金を払ってはいけない。政府は国民に命令して国民から税金を取ってはいけない。
国民みんなで早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで政府を倒して平等制の社会にしなければならない。
[補足1:国民みんなが『道徳がある文化』をやっている国では平等制をやる。反対に、国民みんなが「道徳のない文化」をやっている国では身分制をやる。『道徳のある文化』では人間が自分の心を自分の思い通りにできるから、国民みんなが『道徳のある文化』をやっている国では国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守れるから、国民みんながお互いに他人に善いことをして他人と仲良く暮らしているのである。反対に、「道徳のない文化」では人間が自分の心を自分の思い通りにできずなんでも自分の好き放題にやるしかないから、国民みんなが「道徳のない文化」をやっている国では国民みんなが「上の者に従う喜び」を満足するために上の者を設けて上の者に従っている。国民みんなが「道徳のない文化」をやっている国では国民みんながお互いに他人が好き放題にやるのを認めているから、国民みんながお互いに他人が悪いことをするのや上の者が悪い命令を出すのを認めているのである。つまり、『道徳のある文化』と「道徳のない文化」では自由の意味が違う。『道徳のある文化』では自由は善いことの中で自分の好きなことをすることだが、「道徳のない文化」では自由は善いこと悪いことを問わず自分の好き放題にすることである。]
[21876] なぜ近代の日本では大急ぎで文化を入れ替えたのか? h27.5.29
近代の日本では国民みんなが大急ぎでアジア文化からヨーロッパ文化に入れ替えた。
それは日本が戦争をするためである。
日本では国民みんながヨーロッパ文化を取り入れたときには戦争しないといけないことになっている。国民みんなが戦争をしないとヨーロッパ文化を取り入れた格好[かっこう]がつかないので、なにがなんでも戦争をしないといけないのである。
ところが、当時のヨーロッパでは身分制が弱くなりつつあったので、ヨーロッパが戦争をするのは1950年ごろまでと推定されていたので、日本はその頃までに戦争をやれるようにしないといけなかったので、国民みんなで大急ぎで文化を入れ替えたのである。日本はあくまでもヨーロッパを真似[まね]るために戦争をしているので、ヨーロッパが戦争をしなくなると日本だけで戦争をするわけにはいかないので、日本はヨーロッパが戦争をしている間に戦争をしなければならなかったのである。そのために、国民みんなで大急ぎで道徳をやめて科学をやって、幕府に従うことから政府に従うことに変わったのである。国民みんなが戦争に縛[しば]られていたので、戦争に間に合うようにするために大急ぎで文化を入れ替えねばならなかったのである。そのために、国民みんなでヨーロッパ文化やヨーロッパの身分制が何であるかを教え合って、国民みんながそろって一丸[いちがん]となってヨーロッパ文化やヨーロッパの身分制をやっていたのである。
今の日本では平等制をやっている。今では『文化の科学』が出来て、今では『科学と数学と道徳の全部がある文化が一番いい』ことがわかっているので、国民みんなが『道徳のある文化』をやって平等制をやることに決めているのである。
今は縛りがない。今は戦争のように国民みんなの文化を変える早さを規定するイベントがないから、国民みんなが急いで文化を変える必要がない。そのために、今の日本では国民みんながのんびりゆっくりと文化を変えているのである。国民みんながゆっくりヨーロッパ文化から世界文化に変えているのである。国民みんながゆっくり「科学と数学があって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変えているのである。国民みんながゆっくり身分制から平等制に変わっているのである。国民みんながすべての他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうようになって、上の者に従うのをやめているのである。今の国民みんなはゆっくり自分で考えて平等制が何であるかを理解して、政府の悪い命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。今は国民みんながゆっくりと平等制に変わっているから、国民みんなで平等制について教え合うこともなく、個人がめいめい勝手に一人[ひとり]でポツポツと平等制を理解して平等制をやるようになっているのである。政府がゆっくりと滅んでいっているのである。いくら国民みんなで平等制をやるといっても、現実には一人一人の仕事や遊びがあるから仕事や遊びが優先だから、一人一人が暇なときに平等制をやるだけだから、国民が仕事を休んで暇なときに平等制が何であるかを考えてわかった人から先に平等制をやっているのである。
『科学と数学と道徳の全部がある文化が一番いい』のは『文化の科学』の結論である。だから、インドのようにそもそも「科学をやらない文化」の国では国民みんなが『文化の科学』の結果を受け入れず『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやらず、今でも「数学だけあって科学と道徳のない文化」をやり続けているのである。反対に、ヨーロッパは『科学をやる文化』の国だから、国民みんなが『文化の科学』の結果を受け入れて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようにしているのである。日本は昔から『真善美の文化』で国民みんなが正しいことを尊[たっと]ぶから『文化の科学』の結果を受け入れて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているのである。(日本は『真善美の文化』である。つまり、日本では国民みんなが頭を一番大事にして、次に心を大事にして、最後に眼を大事にするのである。日本では国民みんなが頭で実在を認識して、心を頭に従わせて、実在の中で自分の心を満足して幸福に生きていけばいいのである。眼は頭と実在をつなぐためにあるだけであって、眼そのものはどうでもいいのである。ただし、頭における概念は眼における経験から作り出されるから、眼における経験も大事にしないといけない。人間は眼で見たことをもとにしてさらに頭で考えて実在を知るのである。人間は実在と関わらずに実在を知ることはできないのである。この世には人間の感覚とは別に実在がある。(インド人は「感覚しかない」と考えているのがまちがっている。)だから、人間は自分の眼と頭を駆使[くし]して実在を知らねばならないのである。)
昔はまだ『文化の科学』がなかったから、世界中のみんなが何がいい文化で何がいい国かがわからなかった。そのために、昔の日本では国民みんなが「繁栄している国がいい国だ」と思って、繁栄している国を真似て繁栄している国の文化を受け入れていた。そのために、国民みんなが不幸に暮らしていた。しかし、今は『文化の科学』があって、世界中のみんなが何がいい文化で何がいい国かがわかっている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』がいい文化だとわかっている。そのために、今の日本では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある国がいい国だ』と思って、科学と数学と道徳の全部がある国を作っているのである。道徳をやって平等制をやっているのである。
近代の日本のように国民みんなが急いで文化を変えることはめったにない。歴史的に見ても世界的に見てもめったにない。例外的である。ふつうは国民みんなが文化を変えるのはノロノロしている。今の日本がいい見本である。だから、近代の日本と比べて今の日本が文化の変わる早さが遅いといって嘆[なげ]く必要はない。焦[あせ]る必要はない。今はまだ国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』を始めたばかりである。平等制を始めたばかりである。だから、今の国民みんなはゆっくりと確実に文化を変えていけばいいのである。平等制をやっていけばいいのである。そのうち、国民みんなに平等制が何かを教える者が現れて、国民みんなに一気に平等制が広まって、国民みんなが平等制をやるようになって、政府があっという間に滅んでしまうかもしれない。
[21877] 今は国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中[とちゅう]である。
h27.5.30
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。
今は国民みんなが平等制をやることに決めている。
今の国民みんなは自分が平等制をやるために、平等制や政府に対する理解を深めている。
平等制とは、国民みんながすべての他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらうことである。国民みんなが政府の命令で政府に税金を払うのは平等制ではなく身分制である。
政府は身分制における上の者の団体である。身分制の上の者の団体は道徳がないから国民みんなに自分の好き放題に命令して悪い命令をいっぱい出して善い命令をちょっとだけ出して国民みんなをいっぱい不幸にしてちょっとだけ幸福にする。上の者の団体は表で善いことをして、裏で悪いことをする。上の者の団体は国民みんなの眼につくところで善いことをして、国民みんなの眼につかないところで悪いことをする。国民みんなは、政府が表で善いことをするところだけを見て「政府が平等制の団体だ」と誤解しやすいから注意しないといけない。要するに、政府は善いことと悪いことの両方をやる団体である。政府は国民みんなに善いこともやってくれるが、それ以上に国民みんなに悪いこともやってくれるのである。政府はもともとそういう団体だから、そうするのである。政府はもともと悪いことをする団体だから、国民みんながいくら政府に抗議しても政府は聞いてくれないのである。反対に、平等制の団体は国民みんなに善いことしかやらない。悪いことをやらない。だから、政府は平等制の団体ではない。政府は平等制の社会にあってはならない。
今は国民みんなが平等制や政府に対する理解を深めて、平等制をやって身分制をやめている途中である。今の国民みんなは政府に従うのをやめて政府に従わなくなっている。今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府に税金を払わなくなっている。つまり、平等制をやる国民が増えて、身分制をやる国民が減っている。政府に従わない国民が増えて、政府に従う国民が減っている。政府に税金を払わない国民が増えて、政府に税金を払う国民が減っている。そのうち、政府が潰[つぶ]れて、平等制の国家機関が建つだろう。国民みんなは平等制の国家機関と自由に契約して、平等制の国家機関にお金をやって仕事をやってもらうだろう。
今はまだ国民みんなが平等制を始めたばかりである。今は国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中である。そのため、平等制をやっている国民と身分制をやっている国民の両方がいる。平等制をやっている国民が増えて、身分制をやっている国民が減っている。もうしばらくすれば、国民みんなが完全に平等制をやるようになるだろう。国民全員が平等制をやっているようになるだろう。それまでは、国民みんなは平等制をやっている国民と身分制をやっている国民の両方が混じっていることに我慢[がまん]しないといけない。国民みんなは身分制をやっている国民に惑[まど]わされずに自分がまじめに平等制をやらねばならない。国民みんなは多くの国民が政府に従っているのを見て「国民みんなが身分制を支持している」と思っていっしょに身分制をやってはいけない。『国民みんなが身分制から平等制に変わっている』と考えて平等制をやらねばならない。
今では自分で平等制について考えて平等制がわかった国民が平等制をやって身分制をやめて政府に従うのをやめている。反対に、自分で平等制について考えず平等制がわかっていない国民が昔と同じように身分制をやって政府に従い続けている。今でも政府が残っているのは、身分制をやっている国民がいるからである。政府は日本に身分制をやっている国民がいるかぎり上の者をやり続けるのである。平等制をやっている国民は政府の命令に従わないが、身分制をやっている国民は政府の命令に従うから、政府は国民みんなに命令を出して国民みんなの中から身分制をやっている国民を探して身分制をやっている国民から税金を取っているのである。今の政府は『8時だョ!全員集合』の最終回近くのように国民みんなにザルをまわして勝手にお金を入れたい者からお金をもらっているのである。今の日本では国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中だから、今の日本には平等制をやっている国民と身分制をやっている国民の両方がいる。平等制をやっている国民は政府に従わないが、身分制をやっている国民は政府に従う。平等制をやっている国民は政府に税金を払わなくてもいいが、身分制をやっている国民は政府に税金を払わないのはいけない。だから、たとえ国民が政府に税金を払っていないために政府が国民を捕[つか]まえに来ても、国民が政府に「自分は平等制をやっています」と言えば、政府に捕まえられなくてすむのである。だから、国民みんなは政府を恐れずに平等制をやって政府に税金を払わなければいいのである。
今の国民みんなは平等制をやると決めている。国民みんなの頭がよければすぐに平等制をやれるようになるが、国民みんなの頭が悪いとなかなか平等制をやれるようになれない。日本では国民みんなが平等制をやると決めてからもう50年もたっている。それなのに、いまだにかなりの数の国民が身分制をやっている。そのために、今でも政府が建っていて、平等制の国家機関が建っていない。日本人は頭が悪い。日本人はこれ以上世界中に自分の恥をさらさないために、早く平等制をやって身分制をやめねばならない。ヨーロッパ人はもともと道徳の才能がないから、ヨーロッパ人が道徳の才能があるのに変わるまでには時間がかかる。ヨーロッパ人が平等制をやれるようになるのは遠い未来のことである。一方、日本人はもともと道徳の才能があるから、平等制をやろうと思えばすぐにやれるはずである。明日[あした]にでもやれるはずである。それなのに、50年も時間がかかっているのは日本人が馬鹿だからである。今の日本人はテレビやコンピューターのことばかりやっているから馬鹿なのである。日本人はテレビやコンピューターを捨てて、現実のことだけ考えて、早く平等制をやれるようにならねばならない。
[21878] どうして今の国民みんなは平等制をやっているのか? h27.5.30
今の国民みんなは平等制をやっている。今では『文化の科学』が出来て『科学と数学と道徳の全部がある文化をやれば国民みんなが幸福になる』ことがわかっている。だから、今の国民みんなは自分が幸福になるために『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。今の国民みんなは『道徳がある文化』をやっているから平等制をやっているのである。
反対に、近代の国民みんなは身分制をやっていた。昔はまだ『文化の科学』がなくて『科学と数学と道徳の全部がある文化をやれば国民みんなが幸福になる』ことがわかっていなかった。近代の国民みんなは「繁栄している国を真似[まね]れば国民みんなが幸福になる」と思って一生懸命ヨーロッパを真似て「科学と数学があって道徳がない文化」をやっていた。近代の国民みんなは「道徳がない文化」をやっていたから身分制をやっていたのである。その結果、近代の国民みんなは不幸になっていたのである。近代の国民みんなは上の者である政府に国民みんなを不幸にする命令を出させて、自分で自分を不幸にしていたのである。繁栄している国にも欠点がある。ヨーロッパは科学が進んでいる点では優れていたが、道徳が遅れている点では劣っていた。近代の国民みんなは一生懸命にヨーロッパの欠点を真似て不幸になっていたのである。
今の国民みんなは自分が幸福になるために『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。今の国民みんなは『道徳がある文化』をやって平等制をやっている。今の国民みんなは自分で平等制について考えて平等制が具体的に何であるかを理解して平等制をやっている。今の国民みんなは平等制をやって政府と平等にして政府の悪い命令を聞くのをやめて幸福に暮らしている。反対に、自分で平等制について考えない国民は平等制をやらずいまだに昔と同じ身分制をやって政府の悪い命令を聞いて不幸になっている。自分で考えない者が悪い。自業自得である。自分で考える者を有利にして自分で考えない者を不利にするために、みんなは平等制について教え合わないのかもしれない。国民みんなに“自分で考えることの大事さ”を教えるために、今の国民みんなはあえて他人に平等制について教えないのである。
近代までは『文化の科学』がなかった。そのために、世界中の国で国民みんながどんな文化をやれば自分が幸福になるかがわからなかった。世界中の国で国民みんなが自分が不幸になる文化をやって不幸に暮らしていた。しかし、今は『文化の科学』がある。『国民みんなが科学と数学と道徳の全部がある文化をやれば幸福になれる』ことがわかっている。今の国民みんなは『文化の科学』の成果を活かして『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって幸福に暮らさねばならない。
幕末に佐久間象山[さくましょうざん]が『アジアは道徳が優れて、ヨーロッパは科学が優れている。だから、アジアの道徳とヨーロッパの科学をいっしょにやれば国民みんなが幸福に暮らせる』と言ったが、当時の国民みんなはまだ「アジア文化をやれば国民みんなが幸福に暮らせる」と思っていたので、佐久間象山がまちがっていると思って殺した。古代ヨーロッパでソクラテスが『人間にわからないことがあるのは研究が足りないせいである。人間は自分で考えることによって自然を理解することができる。だから、人間は自分で考えることを大事にして考えていけばいい。人間が考え続けていけば、わからないことでもわかるようになる。』と唱[とな]えたが、当時の国民みんなが「人間にわからないのは神がやったからだ」と思っていたのでソクラテスがまちがっていると思って死刑にしたのと同じことである。しかし、今では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化をやれば幸福になる』ことが正しいと認めている。だから、今では国民みんなで『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているのである。国民みんなが自分で道徳や平等制が具体的に何なのかを考えて道徳や平等制をやっているのである。
昔の人はわからないことをなんでも神のせいにしていた。昔の人が原因がわからない病気(例、精神病)を家系や血筋のせいにしていたのと同じである。今の人はわからないことをなんでも自分が考えないせいにしている。今の人は自分の頭で考えてわからないことをわかるようにしている。だから、今では神や家系や血筋がなくなっているのだ。
[21879] 国民みんなの文化が変わるとはどういうことか? h27.5.30
国民みんなで新しい文化をやることを決める。国民みんなが国民みんなに新しい文化をやることを教える。
自分で新しい文化について考えて新しい文化が具体的に何なのかがわかった国民が新しい文化をやって古い文化をやめる。
反対に、自分で新しい文化について考えず新しい文化が具体的に何なのかがわかっていない国民は新しい文化をやらず古い文化をやり続ける。
国民みんなの文化が変わるときには、国民全員がいっせいに揃[そろ]って新しい文化をやって古い文化をやめるのではなく、新しい文化がわかった国民が新しい文化をやって、新しい文化がわからない国民が古い文化をやり続けて、新しい文化をやっている国民と古い文化をやっている国民が混在しているのである。だんだん新しい文化をやる国民が増えていって古い文化をやる国民が減っていって、最後には新しい文化をやる国民だけになって古い文化をやる国民がいなくなるのである。人間には新しいことを理解するのが好きな者と嫌いな者がいるから、新しい文化をやる時期が人によってテンデンバラバラなのである。国民みんなの文化が変わるには数十年から数百年かかるのである。実際にはそういうものである。
今は国民みんなが「科学と数学だけあって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わっているときである。国民みんなが身分制から平等制に変わっているときである。自分で平等制について考えて平等制が具体的に何なのかわかった国民が平等制をやって、自分で平等制について考えず平等制が具体的に何なのかわかっていない国民が平等制をやらず昔と同じ身分制をやり続けている。平等制をやっている国民と身分制をやっている国民が混在している。だんだん平等制をやっている国民が増えて、身分制をやっている国民が減っている。だんだん政府に従わない国民が増えていって、政府に従う国民が減っている。国民みんなの文化が変わるとはそういうものである。政府も国家機関の端[はし]くれだからそういうことを知っている。政府は『平等制をやっている国民が自分に従わず、身分制をやっている国民しか自分に従わない』ことを知っている。政府は平等制をやっている国民が自分の命令に従わないことを認めているが、身分制をやっている国民が自分の命令に従わないことを認めていない。国民みんなは国の支配者である。国民みんなが国を決める。今の国民みんなは平等制をやることに決めている。政府は身分制の上の者の団体である。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、政府も国民みんなに偉そうにしないのである。政府は平等制をやっている国民を罰したりしないのである。国民みんなは政府よりも強い。今の国民みんなは平等制を支持している。政府は国民みんなに逆らえないから、政府は平等制をやっている国民を罰することができないのである。今の政府は身分制をやっている国民のためにある。今はまだ国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中なので、身分制をやっている国民がかなり大勢いるから政府が上の者をやったら身分制をやっている国民から税金を取って儲[もう]かるので政府が上の者をやり続けているのである。今の政府は身分制をやっている国民のために悪い命令を出して身分制をやっている国民を不幸にしている。平等制をやっている国民もときどき巻き添えを食って不幸になっている。平等制をやっている国民にとってはとんだ傍迷惑[はためいわく]である。早く国民みんなが平等制をやるようになって、政府がなくなればいい。(日本国憲法には納税の義務が定められている。しかし、日本国憲法は戦後すぐに定められた憲法であり、戦後すぐと今とでは国民みんなの文化が変わったから、今では日本国憲法は無効である。だから、今の国民みんなは日本国憲法を守らなくていいのである。今でも政府は税金を取っているから、政府は明らかに身分制の団体である。今の政府は身分制をやっている国民向けに日本国憲法を定めているのである。今の国民みんなは平等制をやっているから、政府は関係ない。政府の一部の平等制のサービスを利用するだけである。/国民が政府の命令で税金を払うのは身分制である。平等制ではみんながすべての他人と自由に契約して他人にお金をやって他人に仕事をやってもらわねばならないから、税金の法律は平等制に反している。政府が自分勝手に税金の法律を定めるのは身分制であり、国民みんなが政府が自分勝手に定めた税金の法律に従うのも身分制である。国民みんなは国の支配者であり、国民みんなが国のことを決める。今の国民みんなは平等制をやると決めている。今の国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。だから、今の国民は政府の命令で税金を払ってはいけないのである。)
今の国民みんなは平等制を支持しているから、今では身分制をやる国民は減る一方である。今の政府は滅んでいくだけである。政府は滅ぶ運命にある。今の政府は自分が滅んでなくなるのを待っているだけの潰[つぶ]れかけのオンボロ会社である。だから、国民みんなは政府を怖がらず堂々と平等制をやって政府に従わなければいいのである。
[21880] 平等制でも国民みんなで国のことを決めることができる。 h27.5.30
国のことは国民みんなで話し合って決めればいい。国民みんなで国民みんなの代表者を選んで代表者が話し合って決めるなり、あるいはコンピューターを使って国民みんなで直接に話し合って決めるなりして、国民みんなで決めればいい。“国民みんなを幸福にするいい決まり”を思いついた者が国民みんなが見れる場所にいい決まりを提案して、国民みんなの多数決で決まりを決めればいい。
国のことを決めるのは平等制の国家機関でもできる。だから、平等制の国家機関があればいい。平等制の国家機関は国民みんなに話し合う機会を与えて、国民みんなのためになることを決めて国民みんなに命令して国民みんなを幸福にする。もっとも、国民みんなと平等制の国家機関の平等性を維持するために、国民みんなは平等制の国家機関と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらうことにして、絶対に国民みんなが平等制の国家機関に税金を払ってはいけない。平等制の国家機関が狂って国民みんなを不幸にする命令を出すようになったときに、いつでも国民みんなが平等制の国家機関を潰[つぶ]せるようにしておくために契約制を守らねばならない。
政府も国のことを決めることができる。しかし、政府は善いことだけでなく悪いことも決める。政府は身分制の上の者の団体であり道徳のない団体だから善いことと悪いことの両方をやる。政府は国民みんなに話し合う機会を与えて国民みんなのためになることを決めて国民みんなに命令して国民みんなを幸福にするが、一方で自分勝手に国民みんなを不幸にすることを決めて国民みんなに命令して国民みんなを不幸にする。政府は国民みんなに善い命令と悪い命令の両方を出す。国民みんなは政府に幸福にされたり不幸にされたりしてありがたいのか迷惑なのかわからない。
今の国民みんなは平等制をやっている。政府は身分制の上の者の団体である。今の国民みんなと政府は制度が違う。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。国民みんなで平等制の国家機関を建てて、平等制の国家機関と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。そうすれば平等制の国家機関は多くの国民と契約を取るためにまじめに法律の仕事をして国民が幸福に暮らせるようにしてくれるだろう。要するに、平等制の国家機関は政府の善いところだけを取って出来た会社である。だから、国民みんなは政府に税金を払うよりも、平等制の国家機関と契約してお金をやって仕事をしてもらったほうがいいのである。
[21881] どうして今の平等制をやっている国民は他人に平等制について教えないのか?
h27.5.31
今の国民みんなは平等制をやることに決めている。
自分で平等制について考えて平等制が具体的に何であるかがわかった国民が平等制をやっている。
しかし、平等制がわかった国民はみんなに平等制について教えない。
それは、他人に平等制について教える必要がないからである。平等制をやる者は自分ひとりで平等制をやればいいだけであって、自分が平等制をやるためにわざわざ他人に平等制を教える必要がない。今はすでに国民みんなが平等制をやることに決めているのだから、あとは国民一人一人が自分で平等制について考えて平等制が具体的に何であるかを理解して平等制を実行すればいいだけだから、わざわざ他人に平等制について教えないのである。
また、他人に平等制について教えるのが面倒臭いからである。他人に理解できるように話すのはかなり疲れることである。みんなは仕事や遊びで疲れていてこれ以上疲れたくないから、他人に平等制について教えないのである。平等制について他人に教えても何の得にもならないから、わざわざ他人に教えたりしないのである。
また、わざわざ他人に教えるほどのことではないからである。平等制は簡単なことだから、誰でも知っているし誰でも考えればすぐにわかると思われるので、いちいち他人に教える気にはならないから、誰も平等制について他人に教えようとしないのである。
そういうわけで、今では平等制をやっている国民が多数いるにもかかわらず、他人に平等制を教える者が一人もいないのである。私は自分が平等制や政府について考えるついでに字にして書いているだけであって、他人に教えるつもりはない。私は自分が正しいことをするために考えているだけであって、他人に正しいことを教えるために考えているのではない。だから、私も他人に平等制について教えていないのである。
今は国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民が平等制をやるのは正しいことだから、国民が他人に平等制について教えてもけっして悪いことではない。むしろ善いことである。だから、他人に教えるのが好きな人は教えればいい。今の国民みんなはテレビやコンピューターのやりすぎで眼で見るだけで頭で考えないから、自分で平等制について考えることがないから、誰かが平等制について教えてくれれば喜ぶだろう。今ではテレビやコンピューターが普及して国民みんながテレビやコンピューターに囲まれて生活して朝から晩までテレビやコンピューターを見続けているために、今の国民みんなは眼で見るだけで頭で考えなくなっている。今の国民みんなは眼で見えることがわかるだけで頭で考えることがわからなくなっている。しかし、世の中には眼で見るだけではわからないことがたくさんある。今度の政府の問題だって眼で見るだけでは解決しない。眼でいくら見てもテレビで国会議員の顔がわかるだけで、政府が身分制の団体であることなんかわからない。今の国民みんなはもっと自分の頭で考えることを大事にしないといけない。今の国民みんなは自分の頭で考えたことを字に書いて表すようにして、自分の頭で考える練習をしないといけない。私が子供の頃はまだコンピューターがなく一家に一台しかテレビがなかった。家の居間にテレビがあるだけで自分の部屋にはテレビがなかった。自分の部屋に入ると本を読むしかなかった。しかし、今ではコンピューターがあって一人に一台テレビがある。家のすべての部屋にテレビがある。自分の部屋に入ってもテレビがあるのでテレビばっかり見ている。今の人は眼だけ働かせて頭を働かせていない。そのため、今の人は眼だけよくなって頭が悪くなっている。今の人はテレビ漬[づ]けで頭が馬鹿になっている。今の人はもっと自分の頭で考えることを大事にしてテレビを見すぎてはいけない。
今では国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民の多くが平等制をやっている。国民の多くが政府と平等にして政府の悪い命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。戦争や国家宗教をやらなくなっている。つまり、政府の人殺しの命令やイタズラの命令を聞かなくなっている。政府が国民みんなに逆らえないことを知っているから、政府の一部の平等制のサービスを利用して平然と暮らしている。今では国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民みんなに平等制が何であるかを教えて国民みんなが平等制をやれるようにしないといけない。だから、平等制をやっている国民が実際にどんな生活をしているかをテレビやマンガなどを介して国民みんなに具体的に眼で見えるようにして教えてやればいい。そうすれば、今の国民みんなは眼で見ることがよくわかるから、すぐにみんなが平等制をやるようになって、あっという間に政府が潰[つぶ]れてなくなってしまうだろう。
[21882] 政府と平等制の国家機関の違い h27.5.31
「道徳のない文化」の国では国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守らないために人間が不平等であり、政府は上の者だから、国民に命令をする。国民は政府の命令に従う。また、「道徳のない文化」では善悪の区別がないから、政府は国民みんなに善いことと悪いことの両方をする。したがって、政府は国民みんなのために善いことを決めて善い命令を出したり、反対に自分勝手に悪いことを決めて悪い命令を出したりする。国民は政府の善い命令にも悪い命令にも従う。身分制の社会では、政府は善い命令と悪い命令の両方を出す団体だから、政府は善い命令を出すために間接民主制をやっているのである。選挙で国民みんなの代表者を決めて代表者で話し合って国民みんなのために善い命令を出すのである。ただし、政府は悪い命令も出すから、間接民主制で自分勝手に悪い命令も出すのである。だから、政府は善い法律を決める一方で、税金や戦争や国家宗教などの悪い法律を決めているのである。
反対に、『道徳のある文化』の国では国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守るために人間がみな平等であり、平等制の国家機関は国民と平等である。国民は平等制の国家機関と自由に契約して平等制の国家機関にお金をやって仕事をやってもらえばいい。平等制の国家機関では国民みんなが話し合って国民みんなのためになることを決めるから、国民みんなは国の最高権力者だから、国民は平等制の国家機関が決めたことには従わねばならない。平等制の国家機関は自分が国民みんなに命令できるからといって、調子に乗って「自分が上の者だ」と思って好き勝手に国民みんなに悪い命令を出してはいけない。国民みんなは国の支配者だから国民みんなは国民よりも上の者だが、平等制の国家機関は国民と平等だから平等制の国家機関は国民と平等にしないといけない。国民みんなのほうが平等制の国家機関よりも強いから、平等制の国家機関は国民みんなに従わねばならない。そもそも国民みんなが平等制をやることに決めたから平等制の国家機関が建ったのだから、国民みんなが平等制の国家機関の生みの親だから、平等制の国家機関は国民みんなに逆らってはいけない。国民みんなは平等制をやることに決めているから、平等制の国家機関も平等制を守らねばならない。平等制の国家機関は国民と平等にしなければならない。国民と平等制の国家機関は平等だから、平等制の国家機関が国民に悪い命令(例えば、税金の命令)を出した場合には、国民は平等制の国家機関が決めた悪い命令を聞かず、平等制の国家機関と契約を取り消して平等制の国家機関にお金をやらないようにして平等制の国家機関を倒さねばならない。平等制の国家機関は「国民みんなのために福祉をやるためには税金制がどうしても要る」などと言って何かと理由をつけて国民みんなに悪い決まりを認めさせようとするから、平等制の国家機関は国民みんなに自分が上の者であることを認めさせようとするから(中国政府のやり方)、国民みんなは平等制の国家機関の“汚い嘘[うそ]”に騙[だま]されてはいけない。平等制の国家機関は国民みんなからたくさん税金を取って国民みんなの福祉のためにほんのちょっとだけお金を出して残りはぜんぶ自分のものにして儲[もう]けているのである。国民みんなは福祉をやめてでも絶対に平等制を守らなければならない。国民みんなは平等制の中で福祉をやれるようにしなければならない。国民みんなは勉強して自分の頭を鍛[きた]えて平等制の国家機関の“汚い嘘”に騙されないようにならねばならない。中国型の国家機関は嘘で国民みんなを騙して不平等な決まりを決めるから、国民みんなは平等制の国家機関に騙されないようにしないといけない。中国人は頭が悪いから平等制の国家機関に騙されて不平等な決まりを押し付けられているが、日本人は頭がいいから平等制の国家機関に騙されてはいけない。中国では国民みんなが長年「道徳があって科学や数学がない文化」をやってきたから、自分の心のことばかりやって頭を鍛えていなくて頭が悪いから、平等制の国家機関の嘘に騙されるのである。日本では国民みんながインドから『数学』を取り入れてきたから、国民みんなが論理的思考で頭を鍛えてきたから、平等制の国家機関の嘘に騙されないのである。税金は平等制に反するから認めてはいけない。税金は平等制と矛盾するから、平等制が原理だから(税金が原理ではないから(笑))、平等制を認めて税金を認めてはいけない。また、『道徳のある文化』では善悪の区別があるから、平等制の国家機関は国民みんなに善いことだけする。したがって、平等制の国家機関は国民みんなのために善いことを決めて善い命令を出す。国民は平等制の国家機関の善い命令に従う。平等制の国家機関がまちがって悪い命令(税金のように平等制に反する命令)を出した場合には、国民みんなは平等制の国家機関と契約を取り消してお金を払うのをやめて潰[つぶ]す。
今の国民みんなは平等制をやることに決めている。今の国民みんなは平等制をやるようになりつつある。身分制をやらないようになりつつある。つまり、平等制をやっている国民が増えて、身分制をやっている国民が減っている。平等制をやっている国民は政府と平等にして政府の一部の平等制のサービスを利用して暮らしている。身分制をやっている国民は政府を上の者だと思って政府に従って政府の命令を何でも聞いている。政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしている。今では身分制をやっている国民が減っているから、政府はだんだん命令できなくなって税金が取れなくなって潰れている。そのうち、平等制の国家機関が建って、国民みんなと自由に契約してお金をもらって仕事をするようになるだろう。国民みんなは自分の頭を鍛えて平等制の国家機関に騙されないようにしながら平等制の国家機関と付き合っていかねばならない。
日本政府と中国政府は違う。日本政府はヨーロッパの「科学と数学があって道徳がない文化」で出来た国家機関であり、中国政府は中国の「道徳があって科学と数学がない文化」で出来た国家機関である。日本政府は身分制における上の者の団体であり、中国政府は平等制における“準上の者”の団体である。要するに、政府とは国家機関のことである。国民みんなのために仕事をする団体である。同じ政府と言っても国によって中身が違う。国家機関の性格は国民みんなの文化で決まる。国によって国民みんなの文化が違うから、国家機関の性格も違うのである。インド政府は「数学があって科学と道徳がない文化」における国家機関であり、ヨーロッパ政府は「科学と数学があって道徳がない文化」における国家機関である。インドもヨーロッパも「道徳のない国」だから国民みんなが身分制をやっていてインド政府もヨーロッパ政府も上の者だが、インドとヨーロッパでは文化が違うからインド政府とヨーロッパ政府では上の者のやり方が違っている。国民みんなは国の支配者だから、国は国民みんなのものである。国は国民みんなの自由である。国は国民みんなが(つまり国民みんなの総意によって)自分の好きなように作ればいい。国は国民みんなが自分たちの文化で作る。国民みんなの文化はときどき変わる。今の日本では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているから、国民みんなで『科学と数学と道徳の全部がある文化』に適[かな]った国家機関を建てねばならない。『科学と数学と道徳の全部がある文化』に適った国家機関はちゃんと国民と平等な団体にしなければならない。今の日本政府は昔の国民みんながやっていた「科学と数学があって道徳がない文化」における国家機関であり、今の国民みんながやっている『科学と数学と道徳の全部がある文化』における国家機関ではないから、今の国民みんなで政府を潰さねばならない。
[21883] 要するに、今の国民みんなは平等制をやるようになっている。 h27.6.1
今は国民みんなが平等制をやることに決めている。国民みんなは国の最高権力者だから、国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。
だから、自分で平等制について考えて平等制が具体的に何であるかがわかった国民が平等制をやっている。政府と平等にして政府の悪い命令を聞かなくなっている。政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしなくなっている。政府の一部の平等制のサービスを利用して暮らしている。
反対に、自分で平等制について考えず平等制が具体的に何であるかがわかっていない国民が昔と同じように身分制をやり続けている。政府に従って政府の悪い命令を聞いている。政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしている。もちろん、政府の一部の平等制のサービスも利用している。
ただ、それだけのことである。世の中には考えるのが好きな人と嫌いな人がいるから、国民みんなの歩調が揃[そろ]わず、平等制をやっている人と身分制をやっている人が混在しているのである。世の中には考えるのが嫌いな人がたくさんいるから、今でも身分制をやっている人がたくさんいるのである。
今でも身分制をやっている国民がかなりいるから、政府は身分制をやっている国民にたかって儲[もう]けるために今でもほそぼそと上の者をやり続けているのである。ハイエナがライオンの食べ残しを食べて生きているように、政府は平等制に変わらない国民を食べて生きているのである。
今では国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民みんなが平等制について考えて平等制についての理解を深めて平等制をやるようになっている。国民みんなが時間をかけて平等制について考えれば考えるほど平等制についての理解が深まるから国民はだんだん平等制をやるようになっている。(人間は時間をかけて考えれば考えるほどわかるようになる。この私も政府について時間をかけて考えれば考えるほど政府のことがわかるようになった。)国民みんなはだんだん政府に従わなくなっている。国民みんなは身分制から平等制に変わっている。つまり、平等制をやっている国民が増えて、身分制をやっている国民が減っている。だから、国民は身分制をやっている国民に惑[まど]わされないようにして平等制をやらねばならない。国民みんなは国の支配者だから、国民みんなは政府よりも強いから、政府は国民みんなに逆らえないから、政府は平等制をやっている国民を罰したりしない。だから、今の国民は政府を恐れずに堂々と平等制をやって政府に従わなければいいのである。
[21884] 瓢箪鯰[ひょうたんなまず]とは何か? h27.6.1
瓢箪は表面がツルツルしていて手でつかみにくい。鯰は皮がヌルヌルしていてこれまた手でつかみにくい。瓢箪で鯰をつかまえるのは非常に難しい。無理である。
それと同じように、人間の心は曖昧模糊[あいまいもこ]だから、それを捕[つか]まえて自分の思い通りにするのは難しい。
瓢箪鯰とは道徳の難しさを喩[たと]えたものである。
しかし、『人間の感覚(感じること)は脳細胞の神経興奮によって発生する。』脳細胞は物だからはっきりと存在する。自分の脳細胞は神経線維を介して自分の思い通りにできる。自分の知覚にある脳細胞が神経線維を介して自分の心にある脳細胞の神経興奮を変えることができる。だから、自分の心が自分の思い通りになるのである。自分の脳細胞は眼では見えないが、頭では見えるので、頭で物を見れば自分の心が自分の思い通りになるのである。
瓢箪鯰とは道徳の極意[ごくい]を表したものである。日本人は昔から『人間の感覚は脳細胞の神経興奮によって発生する』ことを知っているから、道徳ができるのである。心の感覚ははっきりしないから自分の心を自分の思い通りにするのは難しいが、『人間の感覚が脳細胞の神経興奮によって発生する』ことを知っていれば、心のもとである脳細胞を押さえることによって自分の心を思い通りにできるのである。それが日本流の道徳である。日本人は科学に基づいて道徳をやる民族である。
一方、中国は昔から道徳のある国である。中国の道徳も原理は日本の道徳と同じである。中国では国民みんなが『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことを知っていて自分の心を自分の思い通りにしてみんなで平等に平和に暮らしていたのである。自分の善い心を働かせて悪い心を働かせないようにしてみんなで幸福に暮らしていたのである。中国では国民みんなが無言で『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことを教え合ってみんなが『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』を知っていたのである。中国は道徳の国である。もっとも、中国人も生活のために少しは科学や数学もやっている。インド人が科学や道徳をやらないことが誇[ほこ]りであるように、中国人は科学や数学をやらないことが誇りである。だから、中国人は数学をやらないので細かい理屈にこだわらないので嘘[うそ]に騙[だま]されやすいので、中国では国民みんなが政府の嘘にわざとに騙されて政府の不平等な命令を認めて政府が“ちょっと上の者”なのである。反対に、日本人は昔から世界中の国の文化を取り入れて科学や数学や道徳を全部やってきたので、日本人は数学をやってきたので細かい理屈にこだわるので嘘に騙されないので、日本では将来平等制の国家機関が建ったら国民みんなが平等制の国家機関の嘘に騙されず平等制の国家機関の不平等な命令を認めず平等制の国家機関と国民が平等にしなければならないのである。日本ではこれまで国民みんなが数学をやってきたので頭で考えるのが好きなので、今では国民みんなが平等制をやることに決めているので、国民みんなが自分で平等制について考えて平等制をやっている。自分で平等制について考えて平等制をやっている人がかなりいる。世の中には考えるのが嫌いな人がたくさんいるから今でも身分制をやって政府に従っている人がたくさんいるが、その一方で考えるのが好きな人もたくさんいるから今では平等制をやって政府に従っていない人もたくさんいるのである。平等制をやっている人は一人で黙[だま]って平等制をやっているので、眼では平等制をやっている人がいることがわからないが、頭では平等制をやっている人がいることがわかる。今では国民みんなの支持があるので、国民が平等制をやるのは正しいことである。国民は堂々と平等制をやっていい。国民が政府に従わず政府に税金を払わなくてもちっともかまわない。だから、実際にすでにかなりたくさんの国民が平等制をやっているはずである。(眼で見れば男か女か年寄りか子供かはわかる。しかし、眼で見ただけでは平等制をやっているか身分制をやっているかはわからない。政府に従っていないか政府に従っているかがわからない。だから、勝手に「国民みんなが政府に従っている」と思い込んではいけない。)国民みんなは国の最高権力者だから、国民みんなが国を決める。国のことを決めるのは国民みんなであって政府ではない。今の国民みんなは平等制をやることに決めているので、今では平等制をやっている者が正しく、身分制をやっている者がまちがっている。今では政府に従わない者が正しく、政府に従う者がまちがっている。今では平等制をやるのが正しいことだから、国民みんなは平等制をやらねばならない。身分制をやめねばならない。
ついでに、この世はお金がすべてではない。お金儲[もう]けのために面白くないことばかりやって面白くない思いをして生きるよりも、ある程度貧乏でもいいから面白いことをやって楽しく生きるほうがいい。それが利口というものである。
[21885] テレビがこの世のすべてではない。 h27.6.1
国民の多くはテレビで商品のコマーシャルをやっているのを見て「国民みんなが商品を買っている」と思って自分も商品を買う。
それと同じように、国民の多くはテレビに国会が出ているのを見て「国民みんなが政府に従っている」と思って自分も政府に従う。
しかし、本当は国民みんながテレビでコマーシャルをやっている商品を買っているわけではないように、国民みんながテレビに出ている政府に従っているわけではない。国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国のことを決める。今では国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民の多くは国民みんなに従って平等制をやって、政府に従わないようにして政府の悪い命令を聞かないようにして政府に税金を払っていない。政府の一部の平等制のサービスを利用している。今ではむしろ平等制をやらずに政府に従っている国民が例外である。少数派である。
この世はテレビがすべてではない。テレビを見ない人もいっぱいいる。テレビの世界よりも、テレビの外の世界のほうがずっと広い。だから、国民はテレビに縛[しば]られずに、テレビから離れてもっと世の中のことを広く知って、正しい考えに基づいて行動しなければならない。
[21886] 今の国民みんなは余計なことを考えずにとにかく平等制をやればいい。
h27.6.1
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。今は国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民はおとなしく国民みんなに従って平等制をやればいいだけである。国民は政府と平等にして政府の悪い命令を聞くのをやめて税金や国家宗教をやらなければいいのである。国民は政府の一部の平等制のサービス(水道や戸籍や教育など)を利用して暮らせばいいのである。
最初から国民は素直[すなお]にそうすればいいのである。単純にそうすればいいだけである。
しかし、国民みんなが政府に従わなくなると政府が潰[つぶ]れる。政府は自分が税金暮らしで楽をしたい。そのため、政府はテレビや新聞などで国民みんなに余計ないろんなまちがったことを教えて、国民みんなが政府に従わないようにさせないようにしているのである。政府はマンガやアニメや小説やドラマや映画などにまちがいを仕込ませて国民みんなの脳裏[のうり]にまちがいを植えつけて国民みんなが正しいことをやらないようにさせているのである。「政府のほうが国民みんなよりも強い」とか「政府が国民みんなと互角[ごかく]に戦えるほど強い」とかいう妄想を植えつけているのである。本当は、『国民みんなのほうが政府よりもはるかに強い』のである。政府は国民みんなにちっとも逆らうことができないのである。国民みんなにとっては政府なんか取るに足りない相手である。国民みんなにとっては政府なんか最初から敵ではない。国民みんなと政府が戦ったら国民みんなが政府に勝つに決まっている。絶対的強さが国民みんなのほうにある。政府なんか最初から国民みんなが戦うほどの相手ではない。国は国民みんなが牛耳[ぎゅうじ]っているだけである。政府は国民みんなと張り合えるほどの相手ではない。政府も国民もひたすら国民みんなに従うしかないのである。政府はマンガやドラマなどの作り話の上で強いだけで、現実の上では弱いのである。また、政府は「国民みんなと政府が仲良くやっていく」という妄想も国民みんなに植えつけている。しかし、本当は今の国民みんなは平等制を支持していて、政府は身分制の団体だから、今の国民みんなと政府が仲良くやっていくことはありえない。政府は国民みんなにおとなしく倒されるしかないのである。ほかに、「今の国民みんなは表では平等制を支持しているが、裏では身分制を支持している」とか「世界中の政府が組んでいる」などの妄想もある。
今の国民みんなはなるべくテレビや新聞を見ないようにして政府の余計なまちがった情報に惑[まど]わされないようにして、政府に従わないようにして早く政府を倒さねばならない。今の国民みんなは余計なことを考えないようにしてひたすら平等制をやればいいのである。
今では国民みんなが平等制をやることに決めているから、国民は国民みんなに従って平等制をやればいいのである。政府に従わなければいいのである。今でもまだ平等制をやらずに政府に従って身分制をやっている国民がたくさんいるが、国民はそんなまちがった者にかまわずにとにかく自分が正しく平等制をやればいいのである。
[21887] 政府は身分制の国家機関である。 h27.6.2
平等制の団体は国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に仕事をする。
政府が国民と契約せずに国民から税金を取っているのは、政府が平等制の国家機関ではないからである。
政府は身分制の国家機関である。
政府は身分制の国家機関だから、国民みんなのために善いことを悪いことの両方をする。政府はヨーロッパ文化で出来た団体である。ヨーロッパ文化は道徳がないから善悪の区別がないから、政府は国民みんなのために善いことをする一方で、悪いこともするのである。政府は水道や戸籍や教育などの国民みんなのためになる事業をする一方で、政府は国民みんなの眼につくところや眼につかないところで国民みんなを不幸にすることもやっている。ヨーロッパ文化は善悪の区別がないから、みんなが善いことと悪いことの両方をやってもいいから、国民みんなは政府が悪いことをするのを認めているのである。政府が隠れて自分で悪いことをやっているのを認めているのである。政府が国民みんなに税金や戦争や国家宗教などの国民みんなを不幸にする命令を出すのを認めて、政府の悪い命令を聞いているのである。つまり、身分制とは「道徳のないこと」である。政府は善い仕事もやっているから必ずしも上の者ではない。「道徳のないこと」「善悪の区別がないこと」が身分制の本質である。
一方、今の国民みんなは平等制をやることに決めている。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。だから、国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。国民は『人間がみな平等である』ことを守って政府と平等にしないといけない。国民は政府の善い仕事だけを利用して、政府の悪い命令を聞いてはいけない。平等制では国民がみんなと自由に契約してお金をやって仕事をやってもらうし、他人の命令を聞かなくていいから、今の国民はその都度[つど]政府の善い仕事だけを利用して、政府の悪い命令を聞かなければいいのである。政府も国民みんなには逆らえないから、国民が平等制をやっても文句が言えないから、国民は政府を恐れずに政府の善い仕事だけ利用して、政府の悪い命令を聞かなければいいのである。国民は政府の命令で税金や戦争や国家宗教などをやらなければいいのである。つまり、平等制とは『道徳があること』である。平等制ではみんなが善いことしかやってはいけない。悪いことをやってはいけない。国家機関も善いことだけやって悪いことをやってはいけない。国民みんなは国家機関が悪いことをやるのを認めない。『道徳があること』『善悪の区別があること』が平等制の本質である。
物分かりのいい国民はすでに自分で考えて政府の善い仕事だけ利用して、政府の悪い命令を聞かないようにしている。しかし、物分かりの悪い国民もいる。物分かりの悪い国民は政府の善い面だけを見て「政府が平等制の国家機関だ」と思って政府に従っている。「税金は政府が善い仕事をするための代金だ」と思って喜んで政府に税金を払っている。たとえ政府が悪いことをやっても「政府がたまたままちがっただけだ」「人間は誰でもまちがいがある」と思って政府を許している。しかし、本当は『政府は身分制の国家機関である。』税金は政府が国民みんなを不幸にするために取っているのであり、政府は最初からわざとに国民みんなを不幸にするために悪いことをやっているのである。国民みんなは早く政府のことを正しく理解して、政府と正しく付き合わなければならない。政府は国民みんなに悪い命令を出す以外にも、国民みんなに隠れて自分で悪いことをやっているかもしれないから、国民みんなは政府に不幸にされないために早く政府を倒さねばならない。
中国政府も国民から税金を取っている。だから、中国政府は平等制の国家機関ではなく“準平等制”の国家機関である。中国は「道徳があって科学や数学のない文化」の国だから、中国政府は「道徳があって科学や数学のない文化」の国の国家機関であり、中国の国家機関は『道徳がある』から国民のためにいちおう善いことをするけれども、「数学がない」ために『人間がみな平等である』ことを厳密に守らず国民とあまり平等にせず国民から税金を取っているのである。国民みんなもあまり理屈にこだわらずに政府がそこそこ国民みんなのために善いことをしてくれるので政府に税金を払っているのである。中国ではいまだに奴隷制や人身売買が行われている。中国は「道徳がある文化」にもかかわらず「数学(つまり論理)がない文化」のために平等制の国ではないのである。昔のヨーロッパが『科学がある文化』にもかかわらず「数学がない文化」のために科学を十分にやれなかったのと同じである。つまり、中国は矛盾のある国なのである。中国は矛盾していてもOKの国なのである。中国は眼と心だけ使って頭を使わない国なのである。中国では『矛盾』の話では突っ込まれた商人のほうが悪いのではなく突っ込んだ客のほうが悪いのである。突っ込んだ客がみんなに嫌われて袋だたきにされるのである。国民みんなが矛盾を認め合っているから、国民みんなが道徳をきちんと守らなくてもいいのである。国民みんながいいかげんに『人間がみな平等である』ことを守って善いことと悪いことの両方やっているのである。中国は平等制があると同時に平等制がない国でもあるのである。国家機関もちゃんと『人間がみな平等である』ことを守らずに税金を取っているのである。一方、今の日本では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』ではみんながきちんと『人間がみな平等である』ことを守らねばならない。今の日本の国家機関は『人間がみな平等である』ことを守って国民と平等にして国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民のために仕事をしないといけない。けっして国民から税金を取ってはいけない。国民も国家機関に税金を払ってはいけない。日本政府は「科学と数学があって道徳がない文化」の国の国家機関であって、『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国の国家機関ではない。日本政府は今の日本の国家機関ではない。今の国民みんなが欲しいのは『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国の国家機関である。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府を倒さなければならない。要するに、国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやってはじめて国民みんなが幸福に暮らせるのである。科学と数学と道徳のどれかひとつが欠けても国民みんなが幸福に暮らせないのである。国民みんなは自分が幸福に暮らすために『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやらねばならないのである。ヨーロッパもインドも中国もろくな国ではない。ヨーロッパやインドはそもそも道徳がないからみんなが平気で悪いことをやる。中国は道徳があるが数学がないためにみんなが道徳をちゃんと守らない。だから、昔日本人の先祖が大陸を脱出して日本に来て『科学と数学と道徳の全部がある』みんなが道徳をちゃんと守る新しい国を作ろうとしたのかもしれない。これまで日本は『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国を作るための手段としてヨーロッパ文化とアジア文化を交互に取り入れてきたのである。しかし、今では世界中の国から同時に科学と数学と道徳の全部を取り入れてやるようになったのである。そのほうが効率がいい。
[21888] 国家機関は国民みんなと同じ文化をやらねばならない。 h27.6.2
国家機関とは国民みんなのために仕事をする団体である。国家機関は国の中にある。国民みんなは国の最高権力者である。国は国民みんなが決める。国民みんなが自分の文化を自分で決める。だから、国家機関の性格も国民みんなの文化で決まる。国家機関の性格は国民みんなと同じである。
近代の日本では国民みんながヨーロッパを真似[まね]て「科学と数学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなは「道徳がない文化」をやって善いことと悪いことをやっていた。「道徳がない文化」では善と悪の区別がないから、善いことと悪いことの両方をやるのである。(もっとも、『道徳のある文化』をやっていた江戸時代の後だから、極端に悪いことはやらなかった。)国家機関である政府も「道徳がない文化」をやって善いことと悪いことをやっていた。政府は国民みんなのために鉄道や郵便や水道や便所の汲[く]み取りや戸籍や教育などの事業をする傍[かたわ]ら、国民みんなを不幸にするために自分で悪いことをやったり国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教などをやらせていたのである。
今の日本では国民みんなが『文化を科学する』ようになって『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。国民みんなは『数学と道徳がある文化』をやって善いことだけやっている。国家機関も『数学と道徳がある文化』をやって善いことだけしないといけない。『数学と道徳がある文化』では善と悪の区別があるから、善いことだけやって悪いことをやってはいけないのである。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。だから、今の日本の国家機関は『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやらねばならない。政府は昔の「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている。政府は今の日本の国家機関ではない。だから、国民みんなで政府を倒して新しい国家機関を建てねばならない。今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっているから『数学と道徳のある文化』をやっているからきちんと平等制をやることに決めている。だから、国民は国民みんなに従ってきちんと平等制をやらねばならない。政府は「道徳のない文化」をやっているから善いことと悪いことの両方をやっている。国民は政府と平等にして、政府の善い仕事だけ利用して、政府の悪い命令を聞いてはいけない。国民は政府の命令で税金を払わないようにして政府を倒さなければならない。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは政府よりも強い。今の国民みんなは平等制を支持しているから、政府は国民みんなに逆らえないから、国民が平等制をやっても政府は国民に文句が言えない。国民みんなは国の支配者だから、国は国民みんなのものである。政府は国民みんなのものである。国民みんなのものは国民みんなのものであり、政府のものも国民みんなのものである。だから、国民は政府を恐れず堂々と平等制をやって自分が利用したい政府のサービスだけをその都度[つど]お金を払って利用して、政府に税金を払わなければいいのである。早く国民みんなで善いことと悪いことの両方をやる政府を倒して、善いことだけをやる国家機関を建ててみんなで幸福に暮らさねばならない。
[21889] どうして今でも政府が残っているか? h27.6.2
今でも政府が残っているのは、国民の多くがヨーロッパ文化を支持しているからかもしれない。
しかし、ヨーロッパ文化は「科学と数学があって道徳がない文化」である。「道徳がない文化」では善と悪の区別がないから善いことと悪いことの両方をやる。ヨーロッパ文化では、みんなが善いことと悪いことをしあって互いに他人を幸福にしたり不幸にしたりする。国民みんなが国民みんなを幸福や不幸にしあって、国民みんなと国家機関が幸福や不幸にしあう。ヨーロッパ文化では国民みんなが幸福に暮らせない。だから、国民みんなはヨーロッパ文化をやってはいけない。
今では『文化の科学』が出来て『『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやれば国民みんなが幸福に暮らせる』ことがわかっている。『数学と道徳のある文化』では『人間がみな平等である』ことをきちんと守らねばならないから善いことだけやって悪いことをやってはいけないからみんながお互いに他人を幸福にして不幸にしないからである。国民みんなが国民みんなを幸福にしあって、国民みんなと国家機関が幸福にしあう。だから、国民みんなは『文化の科学』を信じて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやらねばならない。政府はひと昔前の「科学と数学があって道徳がない文化」をやっているから、政府は国民みんなに善いことだけでなく悪いこともやるから、早く国民みんなで政府を倒して、『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関を建てて善いことだけやってもらわねばならない。
昔はまだ『文化の科学』がなかったから、世界中の国で国民みんながどんな文化をやれば自分たちが幸福に暮らせるかわからなかったから、世界中の国で国民みんなはまちがった文化ばかりやって不幸に暮らしていたのである。昔の日本人もそうはっきりと正しい文化がわかっていたわけではなかったから交互にアジア文化とヨーロッパ文化を受け入れて効率の悪いことをやっていたのである。今では『文化の科学』があるから、国民みんながどんな文化をやれば自分たちが幸福に暮らせるかはっきりとわかっているから、国民みんなは素直に正しい文化をやって幸福に暮らせばいいのである。
昔は世界中のみんなが「科学と数学と道徳が互いに排斥[はいせき]しあう」「科学と数学と道徳はいっしょにやれない」と信じていたから、どれかひとつしかやらなかったのかもしれない。しかし、近代に『代数幾何学』や『科学の方法』が出来て科学と数学が排斥しないことがわかり、最近『脳の科学』が出来て科学と道徳が排斥しないことがわかった。だから、今では世界中でみんなが『科学と数学と道徳がいっしょにやれる』と考えるようになって『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって幸福に暮らせるようになったのである。
昔は『文化の科学』がなかった。国の文化は国民みんなが何も考えずに自然に決まった。自然の成り行きでいいかげんに決まった。しかし、そのために国の文化は国民みんなを不幸にした。今は『文化の科学』がある。今では国民みんなが自分で考えて自分を幸福にする文化を選んで決めることができる。今の国民みんなは幸せである。
[21890] どうして政府はなかなか倒れないのか?☆ h27.6.2
今では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。ちゃんと道徳をやって平等制をやることに決めている。一方、政府はひと昔前の「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている。だから、国民みんなは政府を倒さなければならない。
しかし、国民みんなが政府を倒すためには、国民みんなの文化が変わらねばならない。国民みんなの文化が変わるには時間がかかる。だから、政府を倒すには時間がかかるのである。
今は国民みんなが「科学と数学があって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わっている途中である。つまり、国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中である。平等制をやって政府に従っていない国民と身分制をやって政府に従っている国民の両方がいる。だんだん平等制をやっている国民が増えて、身分制をやっている国民が減っている。政府は身分制をやっている国民だけからしか税金を取れなくなって潰[つぶ]れかけている。
新しい法律が定まったときには、国民みんなに新しい法律を教える。国民みんなに何年何月までに国民みんなが新しい法律を守らねばならないことを教える。新しい法律が定まったときには、まだ国民みんなが古い法律を守っている。期限までは、国民は新しい法律を守っても古い法律を守ってもどっちでもよく、古い法律を守っていても罰せられない。新しい法律を守る国民が増えて古い法律を守る国民が減って、最後には新しい法律を守る国民だけになる。期限から後は新しい法律を犯した者は罰せられる。それと同じように、今の国民みんなは平等制を決めている。国民みんなは国の最高権力者であり、国民みんなが国の決まりを決める。平等制が国の新しい法律である。今は身分制から平等制に変わっている途中だから、国民は平等制をやっても身分制をやってもどちらでもよく、国民が身分制をやっても罰せられない。政府が身分制をやっても罰せられないので、今の政府は昔と同じように身分制をやっている国民を対象にして身分制の国家機関をやっている。今の国民みんなは何年何月までに国民みんなが平等制を守らねばならないことに決めていない。今の国民みんなは国民みんなが平等制を守らねばならない明確な期限を決めていない。国民みんなの文化や制度が変わるのは時間がかかることなのでいつまでに国民みんなが新しい文化や制度に変わることができるのかわからないので明確な期限を決めていないのである。そのために、今の国民みんなはますます急がずにのんびりとマイペースで平等制に変わっている。そのうち、国民全員が平等制をやるようになって身分制をやる者がいなくなって政府がなくなるだろう。その後は平等制を犯した者は罰せられるのである。
国民みんなの文化が変わる早さは国民みんなの物分かりの早さによって決まる。国民みんなは早く自分で平等制をやって政府の善い仕事だけを利用して政府の悪い命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。
この世には社会がある。だから、社会について考えて社会に対して正しいことをやらねばならない。今の人はテレビやコンピューターばかり見て現実の社会を見ようとしない。今の人は空想に耽[ふけ]って現実が見えなくなっている。今の人はもっと現実の社会に目を向けて社会について考えて正しいことをしないといけない。
[21891] 国民みんなが幸福に暮らすためには身分制よりも平等制のほうがいい。
h27.6.3
身分制とは悪いことをやってもいい制度である。反対に、平等制とは悪いことをやってはいけない制度である。
問題は、国民みんながどちらの制度をやったほうが国民みんなが幸福に暮らせるかということである。
国民みんなが身分制をやると、みんなが悪いことができるから、自分が悪いことができるし、他人も悪いことができる。国民みんなが悪いことができるし、国家機関も悪いことができる。みんながお互いに悪いことをし合ってみんなが不幸になる。みんなが泣いて暮らさねばならなくなる。
反対に、国民みんなが平等制をやると、みんなが悪いことができないから、みんなが善いことしかできないから、自分が善いことしかできないし、他人も善いことしかできない。国民みんなが善いことしかできないし、国家機関も善いことしかできない。みんながお互いに善いことをし合ってみんなが幸福になる。みんなが笑って暮らせるようになる。
したがって、国民みんなが幸福に暮らすためには身分制よりも平等制をやったほうがいい。道徳がないよりも道徳があったほうが国民みんなが幸福に暮らせるのである。それが道徳の力である。道徳があれば自分で自分の心を思い通りにして善いことだけやって悪いことをやらないことができるから国民みんなが幸福に暮らせるのである。
そういうわけで、今の国民みんなは平等制をやることに決めているのである。だから、国民みんなはなるべく早く平等制をやらねばならない。国民は国民みんなに従って平等制をやらねばならない。国民が平等制をやれば、他人が悪いことをするのを認めなくていいから、他人の善い仕事だけを利用して他人が悪いことをするのを拒否して暮らすことができる。反対に、国民が身分制をやれば、他人が悪いことをするのを認めねばならないから、自分が他人に悪いことをされて自分が不幸に暮らさねばならない。国民が平等制をやったほうが有利に暮らすことができる。
白人は皮膚が白いだけである。白人はニヤニヤ笑うだけでゲラゲラ笑わない。白人は身分制をやっているために幸福ではないから大声で笑うことができないのである。人間は自分の心のままに生きると不幸になる。人間は自分の心を自分の思い通りにできてこそ幸福に暮らせるのである。だから、身分制よりも平等制をやったほうがいい。
人間の心は人間が生まれつき持っている認識であり、実在や心自身についての多くのまちがいがある。人間の心は心を知らない。楽しいことをやれば自分が楽しくなっていくわけではないし、楽しくないことをやれば自分が楽しくなくなっていくわけでもない。だから、心のままに生きていると自分で自分を不幸にすることをやって自分が不幸になる。人間が道徳をやれば、自分の心のことがわかるから、人間は自分が幸福になる感情だけを満足して自分が不幸になる感情を満足しないようにして幸福に生きることができる。だから、身分制よりも平等制をやったほうがいいのである。
今ではすでに国民みんなが平等制をやることに決めてしまっている。つまり、国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めてしまっている。だから、国民は国民みんなに従って『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやらねばならない。国民には選択の余地はない。『科学と数学と道徳の全部がある文化』ではみんなが善いことだけやって悪いことをやってはいけない。一方、政府は身分制をやっている。つまり、政府は「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている。「科学と数学があって道徳がない文化」ではみんなが善いことと悪いことの両方ができる。だから、政府は善いことと悪いことの両方をやる。政府は国民みんなのためになる事業をやる一方で国民みんなに悪いことをしたり悪い命令を出したりする。国民は『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって政府が悪いことをやるのを認めないようにして政府に悪いことをさせないようにして政府の善いサービスだけを利用して政府の悪い命令を聞かないようにして政府の命令で税金や戦争や国家宗教をやらないようにして幸福に暮らせばいいのである。
今でも古い文化(つまり「科学と数学があって道徳がない文化」)をやっている国民がいるために、政府が古い文化をやっている国民から税金を取って生き残って悪いことをやって新しい文化(つまり『科学と数学と道徳の全部がある文化』)をやっている国民が巻き添えを食って不幸な目にあっている。だから、国民みんなはなるべく早く新しい文化をやって古い文化をやめねばならない。そうやって政府を倒して不幸な目にあわされないようにしないといけない。
今は時代の変わり目だから新しい文化をやっている国民が古い文化をやる国家機関(つまり政府)の世話になっている。これでは違和感があって気分がよくない。善良な市民が犯罪組織の世話になるのは気分が悪い。だから、早く国民みんなが新しい文化をやるようになって古い文化をやめて古い文化をやる国家機関を倒して、新しい文化の国家機関を建てて新しい文化の国家機関の世話になるようにしないといけない。
[21892] 今の国民みんなは「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」から『善いことだけしかやってはいけない制度』に変わっている。☆
h27.6.3
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。国民みんなが自分で自分の文化や制度を決めて自分の文化や制度をやればいい。
今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやることに決めている。つまり、「科学と数学があって道徳がない文化」をやめて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。つまり、「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」をやめて『善いことだけしかやってはいけない制度』『善いことをやって悪いことをやってはいけない制度』をやることに決めている。
一方、政府は身分制をやっている。つまり、「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている。つまり、「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」をやっている。政府は国民みんなのために水道や戸籍や教育などの善いサービスをする一方で国民みんなに税金や戦争や国家宗教などの悪い命令を出している。今はまだ国民みんなの文化が変わっている途中だから、国民みんなは古い文化(つまり「科学と数学があって道徳がない文化」)と新しい文化(つまり『科学と数学と道徳の全部がある文化』)のどちらをやってもいいから、政府が古い文化をやることを許しているのである。将来、国民みんなの文化が新しい文化に変わってしまったら、政府も古い文化がやれなくなって滅ばねばならないのである。
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。昔の国民みんなは「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」つまり「自分がやりたい放題に何でもやっていい制度」をやっていたから、「自分も他人もみんなが悪いことをやってもいい」と考えていたから、国民みんなが「政府が悪い命令を出してもいい」と考えて政府の悪い命令を聞いていた。国民みんなが政府の悪い命令を聞いて税金や戦争や国家宗教などをやっていた。反対に、今の国民みんなは『善いことだけしかやってはいけない制度』をやることに決めているから、他人の悪い命令に従うことも悪いことだから、今の国民みんなは政府の悪い命令を聞いてはいけないのである。今の国民みんなは政府がやっている水道や戸籍や教育などの善いサービスだけを利用して、政府が出した税金や戦争や国家宗教などの悪い命令を聞いてはいけない。
今では国民みんなが「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」から『善いことだけしかやってはいけない制度』に変わっている。つまり、『善いことだけしかやってはいけない制度』をやっている国民が増えて「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」をやっている国民が減っている。『善いことだけしかやってはいけない制度』をやっている国民は政府の善いサービスを利用するだけで、政府の税金や戦争や国家宗教などの悪い命令を聞かない。「善いことと悪いことの両方をやっていい制度」をやっている国民は政府の善いサービスを利用して、政府の税金や戦争や国家宗教などの悪い命令を聞いている。国民みんながだんだん政府に税金を払わなくなっているので、政府はだんだん儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。そのうち、『善いことだけしかやってはいけない制度』をやる国家機関が出来て国民みんなのために善いことだけやってくれるだろう。『善いことだけしかやってはいけない制度』をやる国家機関は水道や戸籍や教育などの善いサービスだけやって、税金や戦争や国家宗教などの悪い命令を出さないだろう。『善いことだけしかやってはいけない制度』をやる国家機関は善い政策だけやって、悪い政策をしないだろう。
[21893] 身分制とは何か?☆ h27.6.3
「道徳のない文化」の国では、みんなが悪いことをやっていい。みんなが善いことと悪いことの両方やれる。
国民みんなと国家機関では、国民みんなのほうが数が多いので国民みんなと国家機関で悪いことをやりあったら国家機関がすぐに滅ぶ。国家機関は国民みんなのために善いこともやっているので、国家機関がなくなったら国民みんなが困る。
そのため、「道徳のない文化」の国では、国民みんなが国家機関を守るために国民みんなで身分制を設けている。国民みんなが「国家機関を上の者だ」と考えて国家機関に悪いことをしないようにして国家機関を守っている。身分制は国民みんなが国家機関を守るために考え出した制度である。国家機関がしょっちゅう建ったり倒れたり建ったり倒れたりしては国が安定しないから、国民みんなが国家機関を倒れにくくするために身分制を考え出したのである。しかし、国民みんなの中には身分制を守らず上の者に悪いことをして上の者を攻撃する者もいる。宗教団体も国家機関のような仕事をすることがあるから国民みんなは宗教団体を守るために身分制をやって「宗教団体が上の者だ」と考えて宗教団体を守るのである。
つまり、身分制とは国民みんなが政府を倒さないことである。国民みんなが政府に悪いことをしないことである。国民みんなが政府を倒さなければ身分制をやっていることになる。だから、国民みんなは自分が政府を攻撃していなければ特に「政府が上の者である」ことを意識しなくていいのである。
今の日本では国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国では、みんなが善いことしかやってはいけない。みんなが善いことだけやって悪いことをやってはいけない。
国民みんなと国家機関では、国民みんなのほうが数が多いので国民みんなと国家機関で善いことをやりあったら国家機関がすごくいい目にあう。『科学と数学と道徳の全部がある文化』の国では、みんながちゃんと『人間がみな平等である』ことを守らなければならないので、国家機関は国民から税金を取れないが、その代わり国家機関が国民みんなから善いことをされてすごくいい目に合うのである。だから、『科学と数学と道徳の全部がある文化』では国民みんながわざわざ国家機関を守るために身分制を定めなくていいのである。『科学と数学と道徳の全部がある文化』には身分制はないのである。
平成27年6月5日追記)「道徳のない文化」ではみんながみんなに悪いことをやっていい。政府が国民みんなに悪いことをするのは政府が上の者だからではなく政府が道徳がないからである。逆に、国民みんなが政府にあまり悪いことをしないのは国民みんなに道徳があるからではなく政府が上の者だからである。「道徳のない文化」ではみんながみんなに悪いことをするから政府が国民みんなに悪いことをするのである。身分制によって、国民みんなが政府に悪いことをしないようにしているのである。
昔の国民みんなは「道徳のない文化」をやっていた。政府も「道徳のない文化」をやっていた。政府は国民みんなに悪いことをやっていた。国民みんなは身分制をやって政府に悪いことをやらなかった。
今の国民みんなは『道徳のある文化』をやっている。今の国民みんなは善いことは許すが悪いことは許さない。政府は「道徳のない文化」をやっている。政府は善いことと悪いことの両方やっている。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは政府よりも強い。政府は国民みんなに従わねばならない。だから、今の国民みんなは『道徳のある文化』をやって政府に善いことだけさせて悪いことはさせないようにして、政府の水道や戸籍や教育などの善いサービスだけを利用して政府の税金や戦争や国家宗教などの命令を聞かないようにして政府を倒さねばならない。
平成27年6月24日追記)要するに、身分制はどうでもいいことである。いつの時代にも国民みんなはいいかげんに身分制を守っていただけである。国民みんなが「道徳のない文化」をやっていた時代には、みんながみんなに悪いことをやってもいいから、国家機関が国民みんなに悪いことをやったし、逆に国民みんなも国家機関に悪いことをやったのである。ただ、国民みんなで身分制を定めてなるべく国家機関に悪いことをするのを控[ひか]えめにして国家機関を守ろうとしていたのである。身分制はそんなに絶対的なものではなかったのである。身分制は国民みんながどうしても守らなければならないものではなかったのである。だから、江戸時代に安藤昌益[あんどうしょうえき](1703年〜1762年)が『自然真営道』[しぜんしんえいどう]で身分制を否定しても、国民みんなは「当たり前のことだ」と思ってなんとも思わず幕府もなんとも思わず安藤昌益をほったらかしにして相手にしなかったのである。関東大震災で『自然真営道』のいいところが焼け残ったのもそのためである。大事なのは身分制があるかないかではなく、道徳があるかないかつまりみんなが悪いことをやってはいけないか悪いことをやってもいいかなのである。つまり、幕府は国家機関だったのである。幕府は国民みんなのために仕事をする団体だった。幕府は国民みんなのために水道や戸籍や法律などの仕事をしていた。ただし、江戸時代には国民みんながインドや中国を真似て「道徳があまりない文化」をやって強盗や人殺しをやっていたので、幕府も国民みんなに従って道徳があまりないことをやって国民みんなからお金を強盗してときどき国民みんなを虐待していたのである。国民みんなは自分がやっていることを棚[たな]に上げて、幕府が国民みんなから年貢[ねんぐ]を取ったり国民みんなを虐待していることだけをギャアギャア言っていたのである。だから、幕府が一方的に国民みんなに対して悪いことをやって幕府と国民みんなが不平等であったかのように思われるが、本当は幕府も国民みんなも平等に悪いことをやっていたのである。国民みんなもときどき幕府を襲って幕府からお金を強盗したり幕府を殺したりしていたのである。だから、本当は身分制はなかったのである。身分制は建前[たてまえ]にすぎず、実質的には身分制はなかったのである。安藤昌益が身分制と呼んでいたものは、じつは江戸時代の国民みんながやっていた「道徳があまりない文化」のことだったのである。安藤昌益は「道徳があまりない文化」を身分制と勘違いしていたのである。
[21894] 『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている国民は政府の善い仕事だけ利用すればいい。
h27.6.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが自分の文化や制度を決めて自分がやればいい。
今の国民みんなは新しく『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めて、「科学と数学があって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わっている。今の国民みんなは「善いことと悪いことの両方やっていい制度」から『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』に変わっている。
今は国民みんなが「科学と数学があって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わっているから、国民みんなは「科学と数学があって道徳がない文化」と『科学と数学と道徳の全部がある文化』のどっちをやってもいい。今は「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている国民と『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている国民が混在している。つまり、「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやっている国民と『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』をやっている国民が混在している。政府は「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやっている国家機関だから、政府は国民みんなのために水道や戸籍や教育などの事業をやったり善い政策をやったりして国民みんなを幸福にすることをやっているが、その一方で国民みんなに税金や戦争や国家宗教の命令を出したり悪い政策をやったりして国民みんなを不幸にすることもやっている。「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやっている国民は、政府が善いことと悪いことの両方やるのを許しているから、政府の善い仕事を利用しながら、その一方で政府に悪いことをさせている。水道や戸籍や教育などを利用しながら、政府の命令で税金や戦争や国家宗教などをやっている。反対に、『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』をやっている国民は、政府が善いことをすることしか許していないから、政府の善い仕事だけを利用して政府に悪いことをさせていない。水道や戸籍や教育などを利用するだけで、政府の命令で税金や戦争や国家宗教などをやっていない。つまり、「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやっている国民は政府の美味[おい]しいところも不味[まず]いところも見境いなく全部食べるが、『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』をやっている国民は政府の美味しいところだけ食べて不味いところは食べないのである。
今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めているから、早く国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって「科学と数学があって道徳がない文化」をやめて、国民みんなが『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』をやって「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやめねばならない。『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』をやっている国民ばかりになって、「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやっている国民がいなくならねばならない。政府が国民みんなから税金を取れなくなって潰[つぶ]れて、「善いことと悪いことの両方やっていい制度」をやる国家機関である政府の替わりに『善いことだけやって悪いことをやってはいけない制度』をやる国家機関が建って国民みんなのために善いことだけやって悪いことをやらないようにして国民みんなを幸福にしないといけない。
[21895] 今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになっている。☆☆
h27.6.4
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが自由に国を作る。
戦後になって『文化の科学』が出来て、国民みんながどんな文化をやれば幸福に暮らせるかを考えて、『国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやれば幸福に暮らせる』ことがわかった。(また、戦後になって『科学哲学』つまり『科学の科学』が出来てどのように科学をやれば最も効率よく科学ができるかを考えるようになった。哲学とは自分自身を知ることである。科学を科学することは科学が自分自身を知ることだから科学哲学と言うのである。)
そのために、昭和40年頃に国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになった。
今は国民みんなが古い「科学と数学があって道徳がない文化」から新しい『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わっている途中である。そのために、古い「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている国民と新しい『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている国民の両方がいる。今はまだ古い「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている国家機関(政府のこと)が建っている。
『科学と数学と道徳の全部がある文化』では善悪の区別があるから『善いことだけやって悪いことをやってはいけない。』「科学と数学があって道徳がない文化」では善悪の区別がないから「善いことと悪いことの両方やっていい。」政府は「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている国家機関だから善いことと悪いことの両方をやる。政府は国民みんなを幸福にするために水道や戸籍や教育などの善い仕事をやっているが、その一方で国民みんなを不幸にするために国民みんなに税金や戦争や国家宗教などの命令を出している。政府は善い政策と悪い政策の両方をやっている。
『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている国民にとっては『善いことだけやって悪いことをやってはいけない』から、政府が善いことをやっていることだけ認めて政府が悪いことをやっていることを認めない。政府がやっている善いことだけを利用して、政府がやっている悪いことは拒否している。政府がやっている水道や戸籍や教育などのサービスだけ利用して、税金や戦争や国家宗教などの命令を聞かない。
「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている国民にとっては「善いことと悪いことの両方をやっていい」から、政府が善いことをやっていることと悪いことをやっていることの両方を認めている。政府がやっている善いことを利用しながら政府がやっている悪いことにも付き合っている。政府がやっている水道や戸籍や教育などのサービスを利用しながら税金や戦争や国家宗教なども命令も聞いている。
今は国民みんなが新しい『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。国民みんなが「科学と数学があって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わっている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている国民が増えて「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている国民が減っている。政府はだんだん国民から税金が取れなくなって潰[つぶ]れている。将来、「科学と数学があって道徳がない文化」をやる政府の替わりに『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関が建つだろう。『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関は国民みんなに善いことだけやって悪いことをやらないから、国民みんなは幸福に暮らすことができるだろう。
今の国民の多くが政府の命令を聞いて税金を払ったり国家宗教をやったりしているのは社会についての理解が足りないせいである。今の国民の多くは政府がどんな団体なのか、自分が何をやっているのかわからないまま政府の命令を聞いているのである。今の国民みんなは社会について理解して早く政府の悪い命令を聞くのをやめねばならない。国民みんなで早く新しい『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになって古い「科学と数学があって道徳がない文化」をやめて政府を倒して新しい国家機関を建てねばならない。
[21896] 今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関の代わりに政府を使っている。
h27.6.4
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国の支配者である。国民も国家機関も国民みんなに従わねばならない。今は国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。だから、国民や国家機関は『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやらねばならない。もっとも、すぐに国民や国家機関(政府のこと)が『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるのは無理なので、しばらくの間は国民みんなは国民や国家機関が「科学と数学があって道徳がない文化」をやるのを許してやっている。
『科学と数学と道徳の全部がある文化』では、『善いことだけしかやってはいけない』から『人間がみな平等である』ことを守らねばならないから平等制である。反対に、「科学と数学があって道徳がない文化」では「善いことと悪いことの両方やっていい」から『人間がみな平等である』ことを守らなくてもいいから不平等制である。国民みんなが国家機関を守るために「国家機関が上の者だ」と考えてなるべく国家機関に悪いことをしないようにしているから身分制でもある。
政府は古い「科学と数学があって道徳がない文化」をやる国家機関なので善いことと悪いことの両方をやっている。政府は国民みんなを幸福にするために水道や戸籍や教育などの事業をやっているが、その一方で政府は国民みんなを不幸にするために国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教などをやらせている。政府は善い政策と悪い政策の両方をやっている。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国の支配者である。政府も国民も国民みんなに従わねばならない。国は国民みんなのものである。政府も国民も国民みんなのものである。今はまだ『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関が建っていないので、国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関の代わりに政府を使っている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている人は政府が善いことをするのは許すが政府が悪いことをするのを許さないから、政府がやっている善いサービスだけを利用して、政府の悪い命令を聞かないようにしている。政府の善い政策だけ賛成していっしょにやって、悪い政策は反対していっしょにやらないことにしている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』では悪いことはやってはいけないから、政府が国民から無理やり税金を取ろうとしたら、国民は政府を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして政府を罰すればいい。
今はまだ「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている人がいる。「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている人は政府が善いことをするのも悪いことをするのも両方とも許すから、政府の善いサービスを利用しながら、政府の悪い命令も聞いている。政府の善い政策にも悪い政策にも賛成していっしょにやっている。
今はまだ国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやり始めたばかりだから、まだ『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている人があまりいないから、国民みんなが国民や国家機関が「科学と数学があって道徳がない文化」をやるのを許しているが、そのうち『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる人が多くなって「科学と数学があって道徳がない文化」をやる人が少なくなったら、国民みんなは国民や国家機関が「科学と数学があって道徳がない文化」をやるのを許さなくなる。「科学と数学があって道徳がない文化」をやる国民が国民みんなに罰せられる。「科学と数学があって道徳がない文化」をやる政府が国民みんなに罰せられる。だから、今のうちに早く国民は『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって「科学と数学があって道徳がない文化」をやめたほうがいい。国民はいつまでもぐずぐず古臭い「科学と数学があって道徳がない文化」をやっていてはいけない。国民は将来に備えて早めに新しい『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやったほうがいい。政府は国民みんなが怒らないうちに早く悪いことをやるのをやめて看板を入れ替えて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関に変わったほうがいい。
今はまだ『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関が出来ていないから、『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関を写真に撮ることはできない。しかし、言葉では“『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関”と書ける。だから、写真よりも言葉のほうが上である。眼で見るだけの者は進歩しないが、頭で考える者は進歩する。だから、人間は眼で見ることよりも頭で考えることを大事にしないといけない。人間は写真を撮ることよりも言葉を使うことを大事にしないといけない。
今の『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国民は『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関の代わりに政府を使っている。今の『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国民は政府の善いサービスだけ利用して、政府の悪い命令を聞かないようにしている。政府の善い政策をやって、悪い政策をやらないようにしている。そうすれば『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関を利用するのと変わらない。今の『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国民にとっては政府で間に合っている。不便がない。そのために、『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関がなかなか建たないのである。国民みんながもっと『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになって『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国民が増えて「科学と数学があって道徳がない文化」をやる国民が減って政府が国民みんなから十分な税金が取れなくなって経営できなくなったら政府が潰[つぶ]れて『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやる国家機関が建って国民みんなと自由に契約して国民みんなから高い料金を取って仕事をするようになるのである。
昔から『馬鹿とハサミは使いよう』と言う。馬鹿が政府でハサミが幕府のことである。ヨーロッパは眼で見るだけで頭を使わない文化だからヨーロッパ文化の国家機関である政府が馬鹿で、インドは眼を使わずに頭を使う文化だからインド文化の国家機関である幕府は利口なのである。つまり馬鹿とハサミとは国家機関のことである。昔から国民みんなが自分の文化を変えたときにはすぐには新しい国家機関が建たないからしばらくの間は古い国家機関の自分にとって都合[つごう]のいいところだけを利用して間に合わせてきたのである。国民みんなが国の支配者だから、国家機関は国民みんなのものだから、国民みんなが国家機関を自分のいいように使えばいいのである。国民みんながヨーロッパ文化に変わったときにはいっときの間アジア文化の国家機関を使ってしのいでいたが、アジア文化をやる国家機関(つまり幕府)は悪いことをやらないので(江戸時代の国民みんなはインド文化と中国文化を合わせてやっていたために数学と道徳が一つになってちゃんと道徳をやっていた。幕府も国民みんなと同じようにちゃんと道徳をやっていた。だから、幕府は悪いことをやらなかったのである。江戸時代の日本ではみんなが科学はやらなかったが数学や道徳はちゃんとやっていたのである。)、アジア文化をやる国家機関では足りないから急いでヨーロッパ文化をやる国家機関(つまり政府)を建てた。反対に、国民みんながアジア文化に変わったときには一時的にヨーロッパ文化をやる国家機関を使っていたが、ヨーロッパ文化をやる国家機関の善いところだけを使うようにすれば間に合うからなかなかアジア文化をやる国家機関を建てなかったのである。ヨーロッパ文化をやる国家機関は道徳がないために善いことと悪いことの両方をするから、国民みんなが善いことだけ利用して悪いことを利用しなければそれで間に合うのである。そのためにヨーロッパ文化をやる国家機関は国民みんなから税金を取れなくなって儲[もう]からなくなって貧乏になって潰れたのである。国民みんなになぶり殺しにされたのである。今の国民みんなは世界文化(つまり『科学と数学と道徳の全部がある文化』)に変わっているからヨーロッパ文化をやる国家機関の善いところだけを使って間に合っているからなかなか世界文化をやる国家機関が建たないのである。ヨーロッパ文化をやる国家機関がだんだん貧乏になって潰れていっているのである。時代の変わり目だけではなく、安定した時代にも国家機関は国民みんなのいいように利用されていたのである。国家機関は国民みんながやって欲しいことは何でもやらねばならなかったのである。例えば、近代の政府は戦争をやりたくなかったが、国民みんなが戦争をやって欲しいとせがむので戦争をやらねばならなかったのである。反対に、江戸時代の幕府は生類憐みの令[しょうるいあわれみのれい]をやりたかったが、国民みんながやりたくなかったので幕府もすぐにやめた。昔も今も国家機関は国民みんなの道具なのである。
[21897] 国とは何か? h27.6.4
国とは同じ文化の者の集まりである。文化の違いによる世界の分類が国である。
昔は国によって文化の違いがはなはだしかったから、国境が厳[きび]しかった。世界がバラバラだった。
しかし、今では『文化の科学』が出来て『国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやれば幸福になる』ことがわかって、世界中の人が同じ『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやるようになって国による文化の違いがなくなっている。そのために、国境がなくなっている。世界が一つになっている。
[21898] 国民みんなが国の決まりを決める。☆ h27.6.5
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のことを決める。国民みんなが自分勝手に決まりを作る。
例えば、ふつうは客が本屋の本の中の自分が読みたいページだけ引き破ってただで取って帰るのはいけないこととされている。それは、本屋の本は本屋のものであって、客が自分の読みたいページだけ持って帰ることは器物損壊になるからである。
しかし、客が国民みんなになると、いいことになるのである。国民みんなが本の読みたいページだけ引き破って持って帰っていると、それがやってもいいことになるのである。国民みんなは国の最高権力者だから、国民みんなが国の決まりを決めるから、国民みんながやってもいいと決めたことはとにかくやってもいいのである。
今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』では善いことだけやって悪いことをやってはいけない。一方、今の政府は「科学と数学があって道徳がない文化」をやっている。「科学と数学があって道徳がない文化」では善いことと悪いことの両方やっていい。政府は善いことと悪いことの両方やっている。だから、今の国民みんなは政府の善いことだけを利用して、悪いことを利用しなければいいのである。国民みんなが国の支配者だから国民みんなが政府よりも強いことと、今の国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやっていることと、政府が「科学と数学があって道徳がない文化」をやっていることを統合すると『国民みんなが政府の善いことだけを利用して政府の悪いことを利用しなければいい』ことになるのである。それがもっとも正当な取り決めである。『国民みんなが政府の善いことだけを利用して政府の悪いことを利用しなければいい』ことが今の日本の決まりだから、国民みんなはそれを守ればいいのである。国民みんなは国の最高権力者だから、国は国民みんなのためにあるから、国民みんなが国の決まりを決める。いくらそれが政府にとって不利な取り決めであっても、国民みんなにとって正当な取り決めなら、国民みんなはそうすればいいのである。
そういうわけで、今の国民みんなは政府の善いことだけを利用して、政府の悪いことを利用していない。今の国民みんなは自分が水道や戸籍や教育などを利用するときにその都度[つど]政府に利用料金を払って、税金や戦争や国家宗教などの政府の命令を聞いていない。国の最高権力者である国民みんなが決めたことだから、政府は文句が言えない。政府は泣く泣く国民みんなの暴挙[ぼうきょ]を認めねばならないのである。
そのために、政府はだんだん国民みんなから税金を取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。政府は今の国民みんなの文化と違っているから潰れて当然である。そのうち、善いことだけをする国家機関が建って国民みんなと自由に契約して国民みんなからお金をもらって国民みんなのために善い仕事だけをするだろう。
税金暮らしは楽だから、善いことだけをする国家機関は自分の経営が成り立たないことを理由にして国民みんなから一生懸命税金を取ろうとするだろう。しかし、それは国家機関の経営が下手[へた]だからである。国家機関の経理部が無能だからである。国民みんなは国家機関の見えすいた下手な芝居に騙[だま]されて税金を払ってはいけない。『科学と数学と道徳の全部がある文化』では、国民みんなが他人の嘘[うそ]に騙されてはいけない。国民みんなが他人の嘘に騙されることは許されない。国民みんなは契約制を死守してふざけた国家機関を潰して別の国家機関に取り替えたほうがいい。
今の政府が高い税金を取っているのは国民みんなを不幸にするためである。政府は善いことと悪いことの両方をする国家機関なので、政府が国民みんなからリーズナブルなお金を取ったら悪いことをすることにならないので、政府はわざわざ高い税金を取っているのである。反対に、善いことだけをする国家機関は善いことしかしないから国民からリーズナブルな安い料金しか取らない。だから、国民みんなはインチキな善いことをする国家機関に引っかかって高い料金を払ってはいけない。国民みんなはそんな国家機関をさっさと潰して、いい国家機関に取り替えればいいのである。
[21899] 今の国家機関は新しい文化をやるのを嫌がっている。 h27.6.5
今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。そのために、今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやって「科学と数学があって道徳がない文化」をやめている。
国民みんなが古い文化から新しい文化に変われるのだから、国家機関も古い文化から新しい文化に変われるはずである。それなのに、今の政府はまったく新しい文化に変わる気配がない。
国家機関は自分にとって有利な文化に変わるときには喜んで大急ぎで自分で潰[つぶ]れて新しい文化の国家機関に変わるのに、自分にとって不利な文化に変わるときにはいつまでたっても自分で潰れずに居残って古い文化の国家機関のままである。国家機関は自分にとって有利な文化に変わるときには自作自演の狂言で自分が新しい文化の国家機関の軍隊に倒されたことにするのに、自分にとって不利な文化に変わるときには国民みんなが文化を変えたことを知らないふりをして古い文化の国家機関を続けるのである。(幕府が坂本龍馬に命令して国民みんなにヨーロッパ文化を支持させたかもしれない。)
今の国民みんなは「科学と数学があって道徳がない文化」から『科学と数学と道徳の全部がある文化』に変わろうとしている。ところが、国家機関にとっては『科学と数学と道徳の全部がある文化』よりも「科学と数学があって道徳がない文化」のほうが儲[もう]かる。税金暮らしができるので楽ができる。だから、今の国家機関(つまり政府)は、新しい国家機関に変わるのを渋[しぶ]ってグズグズして一向[いっこう]に新しい国家機関に変わろうとしないのである。国民みんなが『科学と数学と道徳の全部がある文化』にすることに決めてから50年もたつのに政府が残っているのはそのためである。今の政府がマンガやドラマなどにまちがった情報を仕込んで自分が国民みんなに倒されないようにしているのはそのためである。
今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやることに決めている。だから、今の国民みんなは『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやればいい。国民みんなは国の最高権力者だから、政府は国民みんなに逆らえないから、国民みんなは政府にかまわずに『科学と数学と道徳の全部がある文化』をやればいい。国民みんなは政府の善いことだけを利用して悪いことを利用しなければいい。国民みんなは政府に水道や戸籍や教育などの料金だけを払って、政府の命令を無視して税金や戦争や国家宗教などをやらなければいい。早く国民みんなで政府を潰して、新しい文化の国家機関を建てねばならない。
中世の日本では国民みんながアジア文化(つまり「科学がなくて数学と道徳があって身分制がある文化」。インド文化と中国文化を合わせるとそうなる。インドは「道徳のない文化」だから、身分制がある。中国は原則として『道徳のある文化』だから、身分制がない。ただ、中国は「数学(論理)がない文化」だから、完全には『道徳のある文化』が守られておらず、多少身分制がある。だから、インド文化と中国文化が合わさると身分制があるのである。)をやるようになってヨーロッパ文化(つまり「科学があって数学と道徳がない文化」)をやる政府に税金を払わなくなって政府がどうしようもなくなってアジア文化をやる幕府を建てて政府が滅んだ。(だから、『嘘[うそ]から出た真[まこと]』というのである。嘘は政府のことで真は幕府のことである。ヨーロッパ人は悪いことをするから嘘をつく。アジア人は善いことしかしないから正直である。)ヨーロッパ文化の国家機関は悪いことをやって国民から税金を取っている。アジア文化の国家機関は身分制で国民から年貢[ねんぐ]を取っている。ヨーロッパ文化の国家機関とアジア文化の国家機関では国民みんなからお金を取る理屈が違う。だから、アジア文化をやる国民みんなはヨーロッパ文化をやる国家機関に税金を払わなくなってヨーロッパ文化をやる国家機関が潰れたのである。ヨーロッパ文化をやる国家機関はアジア文化をやる国家機関を建てて、アジア文化をやる国家機関が身分制を使って国民みんなから年貢を取るようになったのである。それと同じように、今の日本では国民みんなが世界文化(つまり『科学と数学と道徳の全部がある文化』)をやるようになってヨーロッパ文化をやる政府に税金を払わなくなっている。そのうち、政府がどうしようもなくなって世界文化をやる国家機関を建てて政府が滅ぶだろう。ヨーロッパ文化をやる国家機関は悪いことをやって国民から税金を取っている。世界文化をやる国家機関は国民と自由に契約して国民に仕事をして国民からお金をもらっている。『科学と数学と道徳の全部がある文化』ではみんなが完全に道徳をやらねばならないから、みんなが悪いことも身分制もやれないから、国家機関は国民に善いことをして国民と平等にして、国民と自由に契約して国民に仕事をして国民からお金をもらうしかないのである。世界文化をやる国家機関は悪いことも身分制もやらず国民から税金も年貢も取らない。だから、世界文化をやる国民みんなはヨーロッパ文化をやる国家機関に税金を払わなくなってヨーロッパ文化をやる国家機関が潰れているのである。いづれは、ヨーロッパ文化をやる国家機関が世界文化をやる国家機関を建てて、世界文化をやる国家機関が国民と自由に契約して国民に仕事をして国民からお金をもらうようになるだろう。
政府は上の者で悪い者である。幕府は上の者で善い者である。(幕府は原則的には善い者だが、自分が上の者であることを使って多少悪いことをやっていた。ときどき国民を虐待していた。昔の人はあまり論理的ではなかったから多少矛盾したことがやれたのである。)新しい国家機関は平等な者で善い者である。国民はこれらの国家機関をちゃんと区別しなければならない。今の国民は政府と新しい国家機関を区別して、政府に税金を払わないようにして政府を倒して、早く新しい国家機関を建てねばならない。
[21900] アジア文化とは何か? h27.6.5
中世の日本では国民みんながインド文化と中国文化を合わせてやっていた。
インド文化は「科学がなくて数学(論理)があって道徳がない文化」だった。
中国文化は「科学がなくて数学がなくて道徳がある文化」だった。
アジア文化は(インド文化+中国文化)÷2だから、「科学がなくて数学が半分あって道徳が半分ある文化」である。
ヨーロッパ文化は「科学があって数学がなくて道徳がない文化」である。ヨーロッパ文化は「道徳がない文化」だから、善いことと悪いことを半分ずつやる。
アジア文化は「科学がなくて数学が半分あって道徳が半分ある文化」である。アジア文化は「道徳が半分ある文化」だから、善いことを3/4やって悪いことを1/4やる。
つまり、中世の日本では国民みんなが善いことを3/4やって悪いことを1/4やって暮らしていたのである。国民みんなが善いことを多くやって悪いことを少しやって暮らしていたのである。ファジーに暮らしていたのである。
政府はヨーロッパ文化の国家機関だから、国民みんなに善いことと悪いことを半分ずつやる。(身分制は「道徳のない文化」のオマケだからどうでもいい。国家機関が国民みんなに倒されにくくなっているというだけのことである。国家機関が安定に存在できればいいだけである。)
幕府はアジア文化の国家機関だから、国民みんなに善いことを3/4やって悪いことを1/4やる。
だから、幕府は政府よりも国民みんなに善いことを多くやる。国民みんなに悪いことを少なくやる。国民みんなにとっては政府よりも幕府のほうが有利である。
中世の国民みんなは「我々が欲しいのはアジア文化の国家機関であってヨーロッパ文化の国家機関ではない」という理由で政府に税金を払わなくなって政府を倒したのである。政府はしぶしぶ国民みんなの要望を聞いてアジア文化の国家機関である幕府を建てて滅んだのである。幕府は国民みんなに善いことを3/4やって、国民みんなに悪いことを1/4やって国民みんなに命令して年貢[ねんぐ]を取っていたのである。だから、年貢は税金と本質的には同じものである。
ところが、鎌倉幕府や室町幕府は国民みんなに悪いことばっかりやって善いことを3/4もやらなかったので、国民みんなの反感を買って倒されたのである。国民みんなは鎌倉幕府や室町幕府が十分に国家機関としての仕事をしていないと判断して年貢を払うのをやめて倒したのである。国民みんなは鎌倉幕府や室町幕府が見かけだけ幕府で中身は政府だと思ってインチキ国家機関をつかまされたと思って怒って年貢を払わなくなって倒したのである。(つまり、浦島太郎の玉手箱の中に入っていたのは政府だったのである。浦島太郎は政府のことだから、浦島太郎の玉手箱の中に入っていたのは浦島太郎だったのである。/“かごめかごめ”の歌の籠[かご]の中に入っている鳥も政府のことである。籠が幕府で中身の鳥が政府である。とはいっても政府が幕府に化けていることを言っているのではなく、“かごめかごめ”の歌が出来たのが江戸時代後期だから(Wikipedia参照)、その頃に国民みんなの文化がアジア文化からヨーロッパ文化に変わりかけていたので、そろそろ国家機関もアジア文化の幕府からヨーロッパ文化の政府に変わるのではないかということを言っているのである。黒船襲来(1853年)の40年前から日本はすでにヨーロッパ文化に変わりつつあったのである。日本では江戸後期にはすでに国民みんながヨーロッパ文化に変ろうとしていたのである。つまり、黒船襲来はどうでもよかったのである。大した事件ではなかったのである。いつの時代でも国民みんなの文化は急に変わるものではなく少しずつダラダラと変わるものなのである。国民みんなの文化は国民みんなでいっせいに揃[そろ]って変えるのではなく、国民一人一人がテンデンバラバラに変えるものなのである。時代の変わり目は国民がどっちの文化をやろうが国民一人一人の勝手なのである。)
今の日本では国民みんなが世界文化つまり世界中の文化の長所を合わせた文化をやっている。
つまり、『科学があって数学があって道徳がある文化』をやっている。
世界文化では道徳があるから、善いことだけやって悪いことをやらない。
つまり、今の日本では国民みんなが善いことだけやって悪いことをやらずに暮らしている。
新しい国家機関は、世界文化の国家機関だから国民みんなに善いことだけやって悪いことをやらない。新しい国家機関はもはや国民から税金を取らない。新しい国家機関は国民と自由に契約して国民に仕事をして国民からお金をもらうだけである。
今度の新しい国家機関は完璧[かんぺき]である。だから、今の国民みんなは今度の新しい国家機関に期待していい。今の国民みんなは政府の善いことだけを利用して悪いことを利用しないようにして政府の悪い命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。早く国民みんなで政府を倒して、新しい国家機関を建てねばならない。