[21701] 今では『科学と道徳の両方ある文化』が正しく、それ以外の文化はまちがいである。 h26.12.10
『国民みんなは国の最高権力者である。』国民みんなが国を決める。国民みんなが何が正しく何がまちがっているかを決める。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今では『科学と道徳の両方ある文化』が正しく、それ以外の文化はまちがいである。政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っている。政府はまちがったことをやっている。だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。国民は国民みんなの一人だから、国民みんなといっしょに政府を倒さねばならない。
反対に、昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔は「科学があって道徳がない文化」が正しく、それ以外の文化はまちがいだった。政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っていたから、政府は正しいことをやっていた。だから、国民みんなが政府に従っていた。国民は国民みんなといっしょに政府に従わねばならなかった。
昔は国民みんなが政府の後ろに付いていたから政府が強かった。今では国民みんなが政府の後ろに付いていないから政府が弱い。今の政府は弱いから国民は政府に逆らっても平気である。国民は政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。

[21702] 今の国民みんなは政府の国が要らないから買ってはいけない。 h26.12.10
政府は国を作る団体である。国を作る団体は国民みんなに国を作って売る会社である。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を作る団体を支配している。だから、国民みんなが国を作る団体の作った国を買うか買わないかは国民みんなの自由である。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』が欲しい。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は嘘[うそ]つきだからテレビや新聞で「政府が国民みんなが幸福に暮らす国を作っている」と宣伝して、本当は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。だから、今の国民みんなは政府の国が要らない。それなのに、今の国民みんなは政府に税金を払って政府の国を買っている。今の国民みんなはわざわざ高い税金を払って自分が要らない国を買っている。
今の国民みんなは政府が国民みんなに対して偉そうにしているのを見て、「自分が政府の国を買わねばならない」と思い込んで、政府の作っている国がどんな国なのかわからないままわけがわからずに政府に税金を払って政府の国を買っているのである。今の国民は自分がどんな国が欲しいのか政府がどんな国を作っているのかわからないままやみくもに政府に税金を払って政府の国を買っている。
政府が国民みんなに対して偉そうにしているのは芝居である。本当は国民みんなが政府を支配しているのである。今の国民みんなはもっと冷静になって『自分が政府の国を買うか買わないかは自分の自由だ』と思って、『政府が今の国民みんなと違う文化の国を作っている』ことを知って『自分が政府の国が要らない』と考えて政府に税金を払わないようにして政府の国を買わないようにしないといけない。国民は国民みんなの一人だから、国民は国民みんなといっしょに政府に税金を払わずに政府の国を買わないようにしなければならない。

[21703] 今の国民みんなは政府の命令を聞いて政府に税金を払っているふりをしている。 h26.12.10
政府は嘘[うそ]つきである。政府はテレビや新聞で「自分が『科学と道徳の両方ある国』を作って国民を幸福にしている」と宣伝して、本当は『「科学があって道徳がない国」を作って国民を不幸にしている』のである。政府は言っていることとやっていることが裏腹[うらはら]である。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
だから、今の国民みんなはみんなの目につくところでは政府の命令を聞いて政府に税金を払って政府を支持しているふりをしているが、本当は政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒しているのである。
だから、国民が国民みんなに訊[き]いても国民みんなは「自分が政府に従って政府に税金を払っている」と答えるのである。
政府が宣伝で嘘をついているから、国民も政府の真似[まね]をして宣伝で嘘をついているのである。
今の国民みんなは政府を支持しているふりをしているが、本当は今の国民みんなは政府を倒している。国民みんながどんなやり方で政府を倒そうが国民みんなの自由だから、今の国民みんなはみんなの前では政府に従っているふりをして密[ひそ]かに政府を倒しているのである。国民は国民みんなや政府の嘘に騙[だま]されないようにして、国民みんなや政府が本当にやっていることを見抜かなければならない。本当は、政府は国民みんなよりも弱く、今の国民みんなは政府を倒しているから、国民も国民みんなといっしょに政府を倒さねばならない。

[21704] 『木を見て森を見ず。』 h26.12.10
今の人は『木を見て森を見ず』だ。
木とは政府のことであり、森とは国民みんなのことである。
今の人は政府を見て政府に従うばかりで、国民みんなを見て国民みんなに従おうとしない。
だから、国がおかしなことになるのである。国がうまく行かなくなるのである。
本来は国民みんなが国の支配者であって政府が国の支配者ではないから、国民は国民みんなに従わねばならないのであって、政府に従わねばならないのではない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっていて、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国民みんなに反している。国民は国民みんなに従って、政府を倒さねばならない。
今の国民はテレビばかり見て政府のことしか知らず、国民みんなの存在を忘れてしまっている。『国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国を作る団体を支配している』のが社会の法則である。それなのに、今の国民は政府に従って国民みんなに従っていない。今の国民は社会の法則を犯している。今の国民はテレビばかり見ていないで、自分の頭でよく考えて『国民みんなが国を作る団体を支配する』ことを守るために政府を倒さねばならない。人間は社会の法則に従いながら暮らさねばならない。そのためにも、今の国民は政府を倒さなければならない。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のすべてのものを支配している。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』で押して行って『科学と道徳の両方ある国』にすればいいのである。政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職などは『科学と道徳の両方ある文化』に反するから国民みんなで倒していけばいいのである。

[21705] 国民みんなと国を作る団体が違う文化をやってはいけない。☆ h26.12.10
今の日本では国民みんなが「科学と道徳の両方ある文化」をやって、政府が「科学があって道徳がない文化」の国を作っている。
今の日本は明治維新の後で幕府が残っているようなものだ。国民みんながヨーロッパ文化をやって幕府だけがアジア文化をやっているようなものだ。洋服を着た群れの中にチョンマゲで袴姿[はかますがた]をして刀を差した侍[さむらい]がポツポツいるようなものだ。完全におかしい。
国民みんなと国を作る団体が違う文化をやってはいけない。日本でそんな時代はこれまでにない。世界中見てもそんな国はない。日本人は世界の恥だ。みっともない。
国民みんなと国を作る団体は同じ文化をやらねばならない。国民みんなが国の最高権力者だから、国を作る団体のほうが国民みんなに合わさねばならない。今の国民みんなは政府を倒して『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。国民は国民みんなの一人だから、国民みんなといっしょに政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、早く政府を倒さねばならない。

[21706] 今の政府は国民みんなに従っていないから政府が悪い。☆☆ h26.12.11
『国民みんなは国の最高権力者である。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。』
それが国の決まりである。国のすべてのものが国の決まりを守らねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国民みんなに反している。だから、政府が悪い。だから、国民みんなで政府を罰しなければならない。
今の国民みんなは政府を罰するために、国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国の決まりは国民みんなで守らなければならない。国の決まりに反するものは国民みんなで倒さねばならない。国民は国民みんなの一員[いちいん]だから国民みんなといっしょに政府に税金を払わずに政府を倒さねばならない。
国を作る団体は同じ一つの国しか作れない。国の種類が変わったら国を作る団体も変わらねばならない。アジア文化の国とヨーロッパ文化の国と世界文化の国では全然違う。野菜と肉と電化製品が違うのと同じことである。アジア文化の国を作る団体はヨーロッパ文化の国を作れないし、ヨーロッパ文化の国を作る団体はアジア文化の国を作れないし、ヨーロッパ文化の国を作る団体は世界文化の国を作れない。アジア文化の国を作る団体とヨーロッパ文化の国を作る団体と世界文化の国を作る団体では仕事の内容が正反対だから仕事の内容がまったく違うからお互いに他の国を作ることができないのである。だから、これまで国民みんなが文化を変えたときに、国を作る団体は自分が作る国を変えられなかったのである。ヨーロッパ文化の国を作る団体に世界文化の国を作れと言うほうが無理である。だから、今の政府は今の国民みんなと同じ文化の国を作れないのである。政府は今の国民みんなと同じ文化の国を作れないから作らないのである。今の国民みんなが国を作る団体に自分と同じ文化の国を作って欲しければ、政府を倒して新たに『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てるしかないのである。だから、今の国民みんなは政府を倒して新しい国を作る団体を建てねばならないのである。国民みんなの文化が変わったときには、古い国を作る団体は新しい国を作れないから、国民みんなで古い国を作る団体を倒して新しい国を作る団体を建てねばならない。キリストが『新しい酒は新しい皮袋に入れよ』と言ったのは、酒が国民みんなで皮袋が国を作る団体のことで、『国民みんなの文化が変わったときには国を作る団体も変えねばならない』ことを言っているのである。国を作る団体が一つの国しか作れなければ、国民みんなの文化が変わったときに古い国を作る団体が自分で滅べばよさそうだが、古い国を作る団体も自分にお金をくれる国民がいるかぎり自分に国を作って欲しい者がいるかぎり仕事を続けるので、自分から勝手に滅んだりはしないのである。古い国を作る団体は一人でも自分に国を作って欲しい者がいるかぎり残って国を作り続けるのである。古い国を作る団体はたとえ自分がマイナーになってもマイナーな客のために国を作り続ける方針なのである。世の中にはマイナーな客を狙[ねら]った商売もあるから、古い国を作る団体もそうしているのである。古い国を作る団体はたとえ客が減っても自分の経営が成り立つかぎり仕事を続けるのである。だから、古い国を作る団体が建っているからといって国民みんなが古い国を作る団体にお金を払っているわけではないのである。古い国を作る団体はお金をくれる者が減って経営が成り立たなくなれば潰[つぶ]れるだろう。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、今でも政府に税金を払っている者は政府の芝居に騙[だま]されて「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」と思っている馬鹿な国民だけである。馬鹿はマイナーである。馬鹿はなくなるべきである。馬鹿は日本人ではない。だから、国民みんなは馬鹿をほっといて自分は政府の見え透いた芝居に騙されずに正しいことをすればいいのである。そもそもこれまで国を作る団体は国民みんなを嘘で騙して支配したのではなく、国民みんなと同じ文化の国を作って国民みんなからお金をもらってきたのだから、国民みんなが国を作る団体の嘘で騙されるわけがない。猿と人間では頭の出来が違うから猿は人間に騙されるが、国を作る団体と国民みんなでは頭の出来が同じだから国民みんなは国を作る団体の嘘に騙されない。だから、国民みんなは国を作る団体の嘘に騙されないようにして、自分の文化と違う国を作る団体にお金をやらず倒さねばならない。
国は国民みんなのものである。国民みんなは自分のことは自分でしなければならない。国民みんなは自分に合った国を作る団体にするために、自分で政府を倒して新しい国を作る団体を建てねばならないのである。政府は早く国民に自分が倒されるのを待っている。政府の芝居をする係りは何食わぬ顔でニコニコしているが、政府の国を作る係りは国民みんなに自分を倒して欲しいと思っている。だから、国民はさっさと政府を倒してやらねばならない。

[21707] 国民みんなの文化によって国民みんなのやることが決まる。☆ h26.12.12
「科学があって道徳がない文化」では、国民みんなが悪いことをやって自分を不幸にしなければならない。国民みんなが政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職に好き放題に悪いことをやらさなければならない。国民みんなが天皇や私を国家宗教の神だと考えて、天皇や私の情報を使って悪いことをしなければならない。
『科学と道徳の両方ある文化』では、国民みんなが善いことをやって自分を幸福にしなければならない。国民みんなが政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職に悪いことをやらせずに倒さねばならない。国民みんなが天皇や私を人間だと考えて、天皇や私の情報を使って悪いことをやってはいけない。
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、国民みんなが自分で悪いことをやって不幸に暮らして、政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職に好き放題に悪いことをさせて不幸になって、国家宗教で悪いことをやっていた。
今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、国民みんなが自分で善いことをやって幸福に暮らして、政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職に悪いことをさせなくなって倒して幸福になって、国家宗教で悪いことをやらなくなっている。
『科学と道徳の両方ある文化』とは、科学とは正しいことで、道徳とは幸福なことだから、『科学と道徳の両方ある文化』とは実在の中で幸福に暮らすことである。空想の中で幸福に暮らすこと(アジア文化)ではなく、実在の中で不幸に暮らすこと(ヨーロッパ文化)でもない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、実在の中で幸福に暮らさねばならない。みんなが実在のことをよく知り、自分の心のことをよく知り、実在を使って自分の心を満足して暮らさねばならない。

[21708] 政府や幕府が国民みんなを支配していたのではない。 h26.12.12
これまでさんざん政府や幕府が国民みんなを虐待して来た。
しかし、政府や幕府が国民みんなを支配していたのではない。
本当は国民みんなが政府や幕府を支配していたのだった。
本当は、国民みんなが自分の文化の国を作っていただけだったのだ。
国民みんなが自分の文化の国を作る団体を建てて自分の文化に従う物を作ってきたのだ。これまでの国民みんなの文化がヘンテコだったために政府や幕府などの国を作る団体が国民みんなを虐待することになっていたのだ。国民みんなの文化が悪かったために、国民みんなが自分で自分を苦しめることになっていたのだ。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作らなければならない。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、政府今の国民みんなに反するから、今の国民みんなは政府に税金や医療保険費を払わないようにして政府を倒さねばならない。暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職なども「科学があって道徳がない文化」をやって国民からお金を強盗して悪いことをやっているから、暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職などは今の国民みんなに反するから、国民みんなは暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職などにお金を強盗させないようにして倒さねばならない。
中世や近世の国民みんなは「道徳があって科学がない文化」(アジア文化)をやっていたから、空想の中で幸福に暮らしていた。近代の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」(ヨーロッパ文化)をやっていたから、実在の中で不幸に暮らしていた。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、実在の中で幸福に暮らさなければならない。今の国民みんなは実在を知り、自分の心を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てようとしている。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民を裕福で幸福にしなければならないから、もはや国民みんなを虐待することはできない。国民みんなの文化が改良されて善くなったから、やっと国民みんなは自分の文化に苦しめられなくなったのだ。国民みんなは自分で決めた文化に自分が貧乏にされたり不幸にされたりしなくてすむようになったのだ。

[21709] 物は見かけによらない。 h26.12.12
政府や幕府は国民みんなを虐待しているのに、本当は国民みんなが政府や幕府を支配している。国民みんなのほうが政府や幕府よりも強いのである。
ヨーロッパは町が綺麗[きれい]なのに、悪い人ばかりである。反対に、アジアは町が汚いのに、善い人ばかりである。
物は見かけによらない。見かけと実体は反対である。
人間は自分の眼に騙[だま]されやすいから、自分の頭でよく考えて物を見ないといけない。人間は頭で考えることによって実体が見える。実体に基づいて行動しなければならない。
政府は国民みんなを虐待しているが、本当は国民みんなが政府を支配している。政府が国民みんなに従っていれば国民みんなは政府を支持するが、政府が国民みんなに従っていなければ国民みんなは政府を倒す。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。しかし、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民みんなに反している。だから、国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国民は国民みんなの一員だから、国民みんなといっしょに政府を倒せばいいのである。国民は自分がやってもいいことをやっているだけだから、心配せずに政府に税金を払わなければいい。たとえ政府が「国民は税金を払わないといけない」と言っても、それは政府の嘘[うそ]だから、国民は政府が言うことを無視して政府に税金を払わなければいいのである。政府の役人が国民が税金を払わないことで文句をつけてきたら、逆に国民は「あなたは今の国民が政府を倒す理由がわからないのですか!?」と訊[き]いて役人を馬鹿にしてやればいいのである。

[21710] 今は地方分権の時代である。 h26.12.12
「科学があって道徳がない文化」では、国民みんなが『人間が平等である』ことを守らず人間が不平等でなければならないから、身分制があって上の者が下の者に命令できる。中央が上の者で、地方が下の者だから、中央が地方に命令できる。だから、中央集権なのである。
反対に、「道徳があって科学がない文化」では、国民みんなが『人間が平等である』ことを守って人間が平等でなければならないから、身分制がなく上の者が下の者に命令できない。中央と地方が平等だから、中央が地方に命令できない。地方が自分で決めて自分でやれる。だから、地方分権なのである。
中世や近世は「道徳があって科学がない文化」だった。身分制がなかった。幕府と国民が平等で、幕府が国民に命令できなかった。幕府は嘘[うそ]をついて「幕府は身分制をやっている。幕府は国民よりも上の者だ」と言っていたが、実際には身分制はなかった。もっとも、「科学がない文化」では国民みんなが自分を貧乏にしなければならなかったので、国民みんなは自分で自分を貧乏にするために幕府に年貢[ねんぐ]を納めていた。地方分権だった。地方が中央の命令を聞かなくてもよく、地方が中央と同等かそれ以上の暮らしをしていた。
近代は「科学があって道徳がない文化」だった。身分制があった。政府が上の者で、国民が下の者で、政府が国民に命令できた。政府は嘘をついて「政府は身分制をやっていない。政府と国民は平等だ」と言っていたが、実際には身分制があった。中央集権だった。地方が中央の命令を聞かねばならず、中央が地方から物やお金を分捕[ぶんど]って、中央だけが裕福ないい暮らしをして、地方は貧乏な嫌な暮らしをしていた。
今は『科学と道徳の両方ある文化』である。「道徳があって科学がない文化」と同じように、国民みんなが『人間が平等である』ことを守って人間が平等であって身分制がない。政府と国民が平等であって、政府が国民に命令できない。『科学がある文化』では国民みんなが自分を裕福にしなければならないので、国民みんなは自分を裕福にするために政府に税金を払っていない。国民が政府以上の暮らしをしている。中央と地方が平等であって地方分権である。地方が中央の命令を聞かず、地方が中央に物やお金をやらないので、地方が中央と同じかそれ以上の暮らしをしている。
国民みんなが国を決める。国民みんなの文化で国が決まる。今は人間が平等な時代である。国民個人が他人の命令によらず自分で決めて自分でやって自由に暮らせる。今は地方分権の時代である。地方が中央の命令によらず自分で勝手に決めて勝手にやれる。
昔は「科学があって道徳がない文化」だったから政府が国民よりも上の者だったが、今では『科学と道徳の両方ある文化』だから政府と国民は平等である。昔は政府が国民に命令して国民から税金を取れたが、今では政府が国民に命令できず国民から税金を取れない。今の国民は政府に税金を払わなくていい。政府は潰[つぶ]れるだけだ。

[21711] 政府の世論[せろん]操作のために政府が倒れるのが遅れている。 h26.12.13
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を作る団体を支配している。国民みんなは国を作る団体よりも強い。国を作る団体が国民みんなに従っていれば国民みんなは国を作る団体を支持するが、国を作る団体が国民みんなに従っていなければ国民みんなは国を作る団体を倒す。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。それは今の国民みんなのやっていることを眼で見ればわかる。戦後になって国際交流が盛んになったことからもわかる。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。それは政府がやっていることを眼で見ればわかる。政府が近代の国民みんなが建てた国を作る団体であることからもわかる。
政府は今の国民みんなに従っていない。
だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。
それなのに、実際には国民みんなは政府を倒していない。
それは、政府の世論操作のせいである。政府はテレビや新聞で嘘[うそ]やまちがいの情報を流しまくっているから国民みんなが正しいことがわからず『政府を倒さねばならない』と考えるに至らず、いつまでたっても政府を倒そうとしないのである。政府は嘘つきだから、ニュースでは政府が民主主義をやっているふりをして政府が国民みんなに合わせて『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをしているし、ドキュメンタリーでは政府が国民みんなを戦争で虐待した話をさせて国民みんなに「政府が国民みんなを支配している」と思わせて、ドラマやアニメなどでは事実と反対のことを言って国民みんなが正しいことを理解するのを妨[さまた]げている。
そのために、国民みんなが「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わって約50年もたつのに、いまだに政府が建っているのである。
しかし、最近では国民の有志[ゆうし]が政府について理解を深めて、今の社会の状況を明らかにして『国民みんなが政府を倒すべきである』ことを唱[とな]えている。そういう情報が巷[ちまた]に流れている。そのために、最近では国民みんなの中にも実際に政府に税金を払わずに政府を倒している者が増えている。政府を支持している者が減っている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。「道徳のない国」ではみんなが悪いことができるから嘘をつけるから、政府は嘘をつくのが得意である。そのために、国民みんなが政府の嘘に騙[だま]されて政府を倒そうとしないのである。しかし、しょせん嘘は嘘である。嘘ではつじつまが合わないことがたくさんある。そのために、国民みんなは変だぞと思って自分で考えて正しいことを理解して嘘を見破る。今の国民みんなは自分で正しいことを理解して政府の嘘に騙されなくなっている。政府の嘘が効かなくなっている。嘘は嘘だとばれてしまったらもはや嘘はおしまいである。そもそも政府は国民みんなを嘘で騙して支配していたのではなく、国民みんなのために「科学があって道徳がない国」を作って国民みんなからお金をもらっていただけである。政府が国民みんなを嘘で騙せるわけがない。だから、今の政府も国民みんなを嘘で騙せず国民みんなに倒されているのである。
政府は嘘つきである。今でも政府はテレビや新聞で嘘をついているが、国民みんなは政府の言うことを無視して一方的に政府を倒している。政府はテレビや新聞で嘘をついて「政府が国民みんなに支持されている」ことだけ流して「政府が国民みんなに倒されている」ことを流さないようにしているから、国民みんなはテレビや新聞で見たことを信じないようにして政府を倒している。政府はもうおしまいである。これまで政府は嘘で自分の身を守っていたが、今ではそれも効かなくなって政府は自分の身を守れなくなって倒れているのである。
国民みんなは自分の仕事や勉強にいそがしくて政府のことについて考えている暇がない。そのうえ、今ではビデオやゲームやパソコンなどの遊びがたくさん出来てますます政府について考える暇がない。そのために、これまでに比べて国民みんなが政府を倒すのが遅れてしまったのである。残念ながら、このたびは国民みんなが遊びに呆[ほう]けて世の中のことをほったらかしにして政府を倒す出だしが遅れてしまったが、これからでも遅くはない。これから国民みんなで政府を倒して善い社会にすればいいのである。たとえみんながまだ政府を倒していなくて自分が政府を倒す一番最初の人だったとしても政府を倒せばいいのである。自分が一番最初だろうが最後だろうが自分が国民みんなの一員として政府を倒すことに変わりはないから自分が一番最初に政府を倒せばいいのである。政府の嘘がばれるのは時間の問題だから、自分のあとにみんなが続くと思って自分が一番最初に政府を倒せばいいのである。一番最初に政府を倒せばかっこいいから一番最初に政府を倒せばいいのである。自分が国民みんなに国民のお手本を示すと思って一番最初に政府を倒せばいいのである。税金がもったいないから政府に税金を払わなければいいのである。
政府は「道徳のない国」を作る団体である。つまり、政府は国民みんなを不幸にする団体である。しかし、今の国民みんなは『道徳のある文化』をやっている。今の国民みんなは自分を幸福にしなければならない。不幸にしてはいけない。だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。国民みんなが国の最高権力者だから、国民みんなが政府をどうしようが国民みんなの勝手だから、国民みんなは政府を倒せばいいのである。
要するに、政府は嘘つきだから、今の国民みんなは政府がテレビや新聞で言っていることを信じないようにして、自分が考えたことだけを信じて政府を倒せばいいのである。政府がテレビや新聞で言っていることは嘘である。国民みんなが自分で考えたことは真実である。だから、国民みんなは自分で考えたことを信じて政府を倒せばいいのである。

[21712] 今の政府はやってはいけない仕事をやっている。☆ h26.12.13
国民みんなは国の最高権力者である。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、国のすべてのものは『科学と道徳の両方ある文化』の中で仕事をしないといけない。
ところが、今の政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。今の政府は『科学と道徳の両方ある文化』の外で仕事をしている。
だから、政府は今の国にあってはいけない。
世の中にはマイナーな客を対象にした仕事がある。しかし、それらの仕事はすべて国民みんなの文化の中でやっている。国民みんなの文化に適[かな]っていれば何でもやっていいから、マイナーな客を対象にした仕事でもやっていいのである。しかし、政府の仕事は国民みんなの文化の外でやっているから、やってはいけないのである。
今の政府はやってはいけない仕事をやっている。今の政府が残っていることに正当性はなく、本当は政府は自分で滅ばねばならないのであって、客が最後の一人になるまで仕事を続けてはいけない。麻薬が欲しい者がいるからといって麻薬を売ってはいけないのと同じである。だから、今の国民みんなで政府を倒さねばならない。今の国民みんなで政府に税金を払わないようにして早く政府を倒さねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。国民みんなは国の最高権力者だから、国民みんなに政府が従わねばならない。だから、政府は自分で滅んでなくならねばならない。それなのに、政府はそうしない。だから、政府は悪[あく]である。悪は世の中の決まりを犯して世の中をメチャクチャにする。悪は滅ばねばならない。だから、今の国民みんなが政府の命令を聞くのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を滅ぼさねばならない。

[21713] 今の政府はヨーロッパ文化の国とアジア文化の国の両方を作る団体である。☆ h26.12.13
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府はヨーロッパ文化の国を作る団体である。政府は実在の中で国民みんなを不幸にする団体である。
それなのに、政府はアニメやマンガの仕事をやっている。アニメやマンガは国家宗教で作られているから、政府がアニメやマンガの仕事をやっている。政府は空想の中で国民みんなを幸福にすることをやっている。政府はアジア文化をやっている。政府はヨーロッパ文化に反することをやっている。
政府がヨーロッパ文化をやるならやればいいが、ヨーロッパ文化に反することをやってはいけない。人間は矛盾したことをやってはいけない。特に仕事の上ではそうである。仕事の内容を勝手に変えてはいけない。
政府がアニメやマンガの仕事をやっているのは、政府が「道徳があって科学がない国」を作る団体でもあるからだろう。戦前の政府は「科学があって道徳がない国」を作っていたが、戦後の政府は「道徳があって科学がない国」も作るようになったのである。戦後の政府は「科学があって道徳がない国」と「道徳があって科学がない国」の両方を作るようになったのである。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは実在の中で幸福に生きようとしている。一方、政府は「科学があって道徳がない国」と「道徳があって科学がない国」の両方を作っている。政府は国民みんなが実在の中で不幸に暮らす国と国民みんなが空想の中で幸福に暮らす国の両方を作っている。だから、政府は今の国民みんなに反している。今の国民みんなは政府を倒さねばならない。
戦前の日本では国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。政府は国民みんなに合わせて「科学があって道徳がない文化」の国を作っていた。戦後になって国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになった。そこで、政府は国民みんなに合わせて「科学があって道徳がない文化」の国と「道徳があって科学がない文化」の国の両方を作るようになった。政府は『科学と道徳の両方ある文化』を「科学があって道徳がない文化」と「道徳があって科学がない文化」の和だと考えて、そうしたのである。しかし、それはまちがいである。本当は、『科学と道徳の両方ある文化』は「科学があって道徳がない文化」と「道徳があって科学がない文化」の和ではなく、まったく別の文化である。国民みんなが『実在の中で幸福に暮らす』ことは、「実在の中で不幸に暮らし」ながら「空想の中で幸福に暮らす」こととは全然違う。政府は『科学と道徳の両方ある文化』を誤解している。今の政府は国民みんなに従っていない。だから、やはり国民みんなは政府を倒さねばならない。
しかし、実際には日本では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』だけやるのはきつい。日本人はアジア人であり、長年「道徳があって科学がない文化」で暮らしてきたから、突然『科学と道徳の両方ある文化』だけで暮らすのはつらい。日本人は空想が好きだからマンガやアニメや小説や映画などが見たい。だから、日本では国民みんなが原則として『科学と道徳の両方ある文化』をやりながら「道徳があって科学がない文化」を任意でやるようにすればいい。そうすれば、日本人として幸福に暮らせる国になるだろう。つまり、日本では国民みんなが『道徳がある文化』をやらねばならず『科学がある文化』と「科学がない文化」の両方をやればいいのである。日本における国を作る団体は『道徳がある国』を作らねばならず『科学がある国』と「科学がない国」の両方を作ればいいのである。

[21714] どうして戦後の政府はアジア文化の国を作るようになったのか? h26.12.13
政府はヨーロパ文化の国を作る団体である。「科学があって道徳がない国」を作る団体である。国民みんなが実在の中で不幸に暮らす国を作る団体である。
政府は「道徳がない国」を作る団体だから、「道徳がない国」では悪いことができるから嘘[うそ]がつけるから、政府は嘘をつく。政府はテレビや新聞で国民みんなに「政府は『科学と道徳の両方ある国』を作って国民みんなを幸福にしている」という嘘をついて国民みんなを騙[だま]して政府に従わせている。
政府は国民みんなのご機嫌[きげん]取りのために嘘をつく。政府は国民みんなを喜ばせるために嘘をつく。政府は国民みんなを幸福にする嘘をつく。嘘は空想である。だから、政府は空想の中で国民みんなを幸福にする。したがって、政府はアジア文化の国を作れるのである。つまり、ヨーロッパ文化にアジア文化が含まれる(ヨーロッパ文化⊃アジア文化)。ヨーロッパ文化の国を作る団体はアジア文化の国も作れるのである。政府の“国民みんなが幸福に暮らす国作りをしている芝居”をする係りがアジア文化の国を作って、政府の“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国作り”をする係りがヨーロッパ文化の国を作っているとみなすこともできる。
だから、戦後の政府はアジア文化の国を作るようにもなったが、本当はヨーロッパ文化の国しか作っていないのである。

だから、最近の政府は面白いアニメやマンガを作らなくなってアジア文化の国を作るのをやめて、もとのヨーロッパ文化の国を作る団体に戻っているのである。
政府はヨーロッパ文化の国を作る団体である。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。ところが、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は今の国民みんなに反している。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。

[21715] 今頃になってようやく国民みんなは自分の文化が変わったことに気づいている。 h26.12.13
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のすべてのものを支配している。国を作る団体は国民みんなに従属しなければならない。
国は国民みんなのものである。国は国民みんなが決める。国は国民みんなが自分の好き勝手に決める。
近代の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやると決めて、国民みんなに「科学があって道徳がない文化」を守らせるために政府を建てた。 
昭和40年頃(1965年頃)に国民みんなは「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わった。
ようやく今頃(2014年頃)になって国民みんなは自分の文化が変わったことに気づいている。政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作る団体なので、政府は今の国民みんなに反しているので、今の国民みんなは政府を倒している。
『灯台下[もと]暗し』というように、人間は自分のことはわかりにくいものである。だから、国民みんなはこれまで自分の文化が変わったことに気づかなかったのである。最近になって国民みんなはようやくそのことに気づいて、大急ぎで政府を倒しているのである。
昭和40年頃はまだ日本の景気がよくて国民みんなが浮かれていた。国民みんなが酒びたりの毎日だった。そのために、国民みんなは世の中のことがわからなかった。しかし、この頃は日本の景気が悪くなって国民みんなの目が覚[さ]めて世の中のことがわかるようになった。だから、最近の国民みんなは自分の文化が変わったことがわかって政府を倒すようになっているのである。日本が景気がいい時期を除[のぞ]けば実質20年ぐらいしか時間がたっていない。だから、今から国民みんなが政府を倒してもそんなに遅くはない。明治維新と同じくらいだ。明治維新のときにも、黒船が来てすぐに幕府が倒れたわけではない。しばらく時間がたってからようやく国民みんなが幕府を倒す気になって幕府が倒れたのだ。だから、国民みんなが今から政府を倒して行けばいいのである。
このまま国民みんなが政府を倒さずにずるずるやっていたら、新しい時代が来たという感じがしないからいけない。国民みんなの文化が変わったときには国を作る団体を建て替えるのが国の決まりである。だから、国民みんなはきっちり前時代の政府を倒して、新しい時代の国を作る団体に建て替えねばならない。政府や幕府に勝[まさ]るとも劣らないかっこいい名前をつけて新しい国を作る団体を建てねばならない。国を作る団体がいろんな事業をすると国家権力が集中しすぎて国民が国を作る団体に支配される。だから、法律会社だけ建ててあとは国民みんなの自由にさせればいい。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『道徳のある文化』では国民みんなが自分を幸福にしなければならないから、国民みんなが自分が幸福に暮らせるような“国を作る団体”にしないといけない。

[21716] どうして今の国民みんなは政府を倒すのが遅れてしまったのか? h26.12.13
明治維新の時には国民みんながいろいろ話し合ってヨーロッパ文化に変えるかこのままアジア文化をやり続けるかを討議した結果、国民みんながヨーロッパ文化に変えることに決めて国民みんなで幕府を倒して政府を建てた。明治維新の時には国民みんなが自分の意思で自分の文化を決めた。
しかし、今は違う。今は戦後に文明が進歩して通信や交通や物流が発達して国際交流が盛んになったために、国民みんなの文化がひとりでにヨーロッパ文化から世界文化に変わった。今は外的要因によって国民みんなの文化が変えられたのであって、国民みんなが自分の意思で自分の文化を変えたのではない。
とにかく、今ではすでに国民みんなの文化が変わってしまっている。国民みんなの文化が変わったら国を作る団体を建て替えるのが常識である。
だから、今の国民みんなが政府を倒さないほうがおかしいのである。今の国民みんなは政府を倒して当然なのである。
これまでは日本の景気がよかったために、国民みんなが浮かれていて世の中のことがわからなかった。最近は日本の景気が悪くなって国民みんなの目が覚[さ]めて国民みんなが世の中のことがわかっている。ようやく最近になって国民みんなは自分の文化が変わったことに気づいて政府を倒すようになっている。戦後は外的要因によって国民みんなの文化が変わったことも、今の国民みんなが自分の文化が変わったことに気づかなかった原因だろう。
人間は自分の頭で実在を認識してはじめて実在を見ることができる。人間は自分が実際にやっていても自分の頭で考えるまでは自分がやっていることがわからない。日本では昭和40年頃(1965年頃)に国民みんながヨーロッパ文化から世界文化に変わったが、国民みんながそのことがわかるまでには約50年も時間がかかったのである。これまで日本では国民みんなが浮かれて遊びまわっていたために自分が政府を倒さねばならないことをすっかり忘れていた。日本の景気がよかったことが国民みんなが政府を倒すブレーキになっていた。そのために日本は世界に遅れてしまった。だから、今の国民みんなはこれまでの遅れを取り戻して世界に追いつくために急いで政府を倒さねばならない。
国は国民みんなで決まる。国にとって大事なのは国民みんなであって、国を作る団体なんかどうでもいい。今の日本では国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、今の日本は善い国である。政府が悪いことをして暴れていること自体は問題ではない。政府が暴れていることは大したことではない。いくら国を作る団体が善くても、国民みんなが悪ければ悪い国である。反対に、いくら国を作る団体が悪くても、国民みんなが善ければ善い国である。これまで日本では国民みんなが戦後の復興やら経済発展やらなんやらですごくいそがしかった。政府のことなんかにかまっていられなかった。ようやく最近一段落ついて暇になった。国民みんなはようやく暇が出来たので、どうでもいいことをやる余裕が出来た。そのために、今の国民みんなはぼちぼち政府を倒して新しい国を作る団体に建て替えているのである。
今の国民みんなは政府を倒さないのではなく、いろんな事情で政府を倒すのが遅れてしまっただけである。今の国民みんなは遅ればせながら政府を倒している。社会科の理論によれば、今の国民みんなは政府を倒すのが正しい。国民みんなが国を作る団体を支配しているから、政府は今の国民みんなに従っていないから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。国民みんなは自分が好きでも嫌いでもとにかく政府を倒さなければならない。だから、国民は国民みんなに付き合っていっしょに政府を倒さねばならない。たとえ国民が政府に税金を払わないのが嫌でも、国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。今では鈍感な馬鹿が政府に従っているだけである。だから、自分がみんなに馬鹿にされたくなければ政府を倒さねばならない。

[21717] 今の国民みんなはてんでんバラバラに各自めいめいで政府を倒している。 h26.12.13
昭和40年頃(1965年頃)に国民みんなは「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わった。
政府は前から「科学があって道徳がない国」を作る団体である。
国民みんなが国を作る団体を支配している。
だから、昭和40年頃から国民みんなは政府を倒さねばならない。
気の早い国民は昭和40年頃から政府を倒している。
今では国民みんなが政府を倒すのが正しいことである。国民みんなが政府を倒さないのがまちがいである。国民みんなに選択の余地はない。今の国民みんなには政府を倒すか倒さないかの自由はない。今の国民みんなは必ず政府を倒さねばならない。
だから、昭和40年頃に政府を倒している国民は国民みんなに自分が政府を倒している理由を教えて『今の国民みんなは政府を倒さねばならない』ことを教えて国民みんなに政府を倒させてくれればよかった。国民みんなが政府を倒すか倒さないか自由であれば、昭和40年頃に政府を倒している国民は他人に何も言うことなく自分ひとりで政府を倒せばいいが、本当は国民みんなが政府を倒すか倒さないかは自由ではなく国民みんなが政府を倒さねばならないのだから、昭和40年頃に政府を倒している国民は国民みんなに『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを教えて国民みんなで政府を倒すべきだった。
しかし、その頃はまだマスコミュニケーションが発達していなくて、国民個人が国民みんなに自分の考えを広めることができなかった。だから、『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことがわかった国民個人がてんでんバラバラに政府を倒すしかなかったのである。
もっとも、国民が他人に自分がやっていることや自分の考えを教えるか教えないかは国民個人の自由だから、他人に教えるのが面倒臭い人は教えなくてもいい。これまでは他人に教えるのが面倒臭い人ばかりだったからほかの人は『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知らないのである。
しかし、今ではインターネットや個人出版などが発達して、個人が容易に自分の考えを国民みんなに広めることができるから、『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを教える人がいればすぐに国民みんなが『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知って政府を倒すようになるだろう。
昭和40年頃から後は国民みんなが政府を倒さねばならない。昭和40年頃までは国民みんなが政府を倒してはいけなかったが、昭和40年頃から後は国民みんなが政府を倒さねばならないことに変わった。それを知っている国民は政府を倒している。それを知らない国民は政府を倒していない。昭和40年以降は本来国民は政府を倒さねばならない。政府を倒さない国民がまちがっている。国民が自分がやるべきことをやっていないのが悪いのである。国民は早く『自分が政府を倒さねばならない』ことを理解して本気で政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
『今の国民みんなは政府を倒さねばならない。』しかし、今の国民の多くはそのことに気づいていない。今の国民の多くは本当は政府を倒さねばならないのに、それが頭で考えてわかっていないためにそうしていない。人間は実在を自分の眼で見て頭で考えて筋肉で行動する。今の国民の多くは自分の頭で考えないためにいつまでたっても自分がやらねばならないことがわからずやろうとしない。早く国民みんなで『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを教えあって、国民みんなで政府を倒さねばならない。
今の国民の多くは自分の頭で考えないために『自分が政府を倒さねばならない』ことがわからず政府を倒さず政府に税金を払って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせている。今の国民の多くは自分の頭で考えないためにお金を損して不幸にされている。今の国民が自分の頭で考えないのがいけないのである。自業自得である。だから、これまでに政府を倒している国民はみんなに『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを教えずに自分ひとりで密[ひそ]かに政府を倒しているのである。しかし、今の国民の多くは自分の仕事や勉強でいそがしかったり自分が好きな遊びをやりたいために自分の頭で考えないのである。今の国民の多くに悪気[わるぎ]はない。だから、政府を倒している国民はケチらずに『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことをみんなに教えてやって、みんなで政府を倒せばいいのである。
今の国民の多くが『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知らないために政府を倒さないのは、自分が法律を知らないために法律を破っているのと同じことである。自分が法律を知らないことは法律を破ってもいい理由にはならない。自分が法律を知らないのが悪いのである。だから、今の国民は早く『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知って政府を倒さねばならない。
今の国民の多くが「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っているために政府に従っているのは、自分がまちがいを知っているためにまちがいを守っているのと同じことである。自分がまちがいを知っていることはまちがいを守っていい理由にはならない。自分がまちがいを知っているのが悪いのである。だから、今の国民の多くは早く「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」ことがまちがい(つまり政府の嘘[うそ])だと知って『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことが正しいと知って政府を倒さねばならない。
人間は正しいことを知らないのはいけないし、まちがいを知っているのもいけない。人間が正しいことを知らずに正しいことをやらなかったり、まちがいを知っているためにまちがいを犯したりしてはいけない。人間が正しいことを知らずまちがいを知っているのがいけない。だから、人間は正しいことを知って正しいことをやり、まちがいをまちがいだと知ってまちがいを犯さないようにしないといけない。
人間は正しいことをやらねばならない。人間は正しいことをやっていい。だから、今では正しいことがわかる国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。人間は正しいことをやっていけないことはないから、政府は国民が政府を倒すことを黙認[もくにん]している。本来は国民みんなが『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知って国民みんなが政府を倒すべきだから、政府は自分が国民に倒されるのが当然だと思って国民に倒されている。
しかしながら、今の国民の多くは自分の頭で考えず正しいことを知らないから正しいことをやっていない。実在の世界ではすでに国民みんなが政府を倒しているはずなのに、今の国民の多くが正しいことを知らず正しいことをやらないために今でも政府が建っている。今の国民の多くが空想の世界で遊びすぎているために実在の世界をほったらかしにしているために実在の世界が進歩しなくなっている。国民みんなはもっと実在に関心を持って実在に働きかけて実在を国民みんなにとって暮らしやすい世界にしないといけない。
本来はとっくの昔に昭和40年頃に国民みんながすぐに『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知って国民みんなが政府を倒しているべきである。新しい国を作る団体が建って、みんなで裕福に幸福に暮らしているはずである。それなのに、今の国民の多くが現実に興味がないために政府をほったらかしにしているために政府が倒れるのが大幅に遅れている。新しい国を作る団体が建つのが遅れている。今の国民の多くが現実がわからないほど馬鹿なのがいけない。国民みんなが馬鹿だと現実なんかどうでもいいと思って現実をほったらかしにして悪い国になる。国民みんなは自分の国を善い国にするために、もっと現実に関心を持って現実に働きかけねばならない。国民みんなは『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知って政府を倒さねばならない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは実在の中で幸福にならねばならない。だから、今の国民みんなは実在の世界の中で実際に政府を倒して幸福にならねばならないのである。
要するに、今では現実には国民みんなが政府を倒さねばならない。現実に関心のある国民は政府を倒しているが、現実に関心のない国民は政府をほったらかしにして政府の好き放題にさせている。本来は国民が政府を倒すのが正しく、政府を倒さないのがまちがいである。今の国民の多くは現実を知らないから政府を倒していないのである。しかし、人間は正しいことをしなければならない。現実を知らないことは正しいことをやらなくていい理由にならない。現実を知らないことが悪いのである。だから、今の国民は現実を知って政府を倒さなければならない。もっとも、今では日本の景気が悪くなってみんなの浮かれ気分がなくなって、テレビもゲームもマンネリになって面白くなくなっているので、国民みんなは現実に興味を持つようになって政府を倒すようになっているのである。現実に関心を持って『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことがわかった人から順番に政府を倒していけばいいのである。物わかりの早さは人それぞれである。国民が国を作る団体を倒す早さについての規定はないから、国民は自分が好きなときに政府を倒せばいいのである。国民は国民みんなの一員として政府を倒すなら政府をいつ倒してもいいから、国民は自分の都合がいいときに政府を倒せばいいのである。今では現実には『国民みんなが政府を倒さねばならない』のに、国民の多くは頭の中で「国民みんなが政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。今では現実には『国民みんなが政府を倒してかまわない』のに、国民の多くは頭の中で「国民みんなが政府を倒してはいけない」と思って政府を倒さないままでいる。普通は現実と頭の中で考えていることが同じだからトントン拍子[びょうし]にことが運ぶのに、政府の場合には現実と頭の中で考えていることが反対になっているために事態が進まなくなっている。国民の多くは早く現実に関心を持って現実を知って自分の頭の中のまちがいを直して政府を倒さねばならない。

[21718] 今の政府は国民みんなの敵である。 h26.12.14
政府はヨーロッパ文化の国を作る団体である。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。「道徳がない国」では『人間が平等である』ことを守らなくていいからみんなが悪いことをやってもよく、政府が国民みんなよりも身分が高くて政府が国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にする。つまり、政府は国民みんなを不幸にする団体である。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、昔の国民みんなは自分を不幸にしなければならないと思っていたから政府を支持していた。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、今の国民みんなは自分を幸福にしなければならないと思っているから政府を倒している。
国民みんなが政府を支持するかどうかは国民みんなの文化による。政府が国民みんなの味方か敵かは国民みんなの文化で決まる。昔は政府が国民みんなの味方だったが、今では政府は国民みんなの敵である。だから、今の国民みんなは政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
国民みんなのほうが政府よりも人数が多いから、国民みんなのほうが政府よりも大きい団体だから、国民みんなのほうが政府よりも強い。政府は国民みんなには敵[かな]わない。だから、今の政府は国民みんなに従っておとなしく国民みんなに倒されているのである。

[21719] どうしてインドはイギリスの植民地だったのか? h26.12.14
インドは大きい国である。イギリスは小さい国である。大きい国が小さい国に支配されるわけがない。
それなのに、インドはイギリスの植民地だった。
それは、インドがイギリスの植民地になる代わりにイギリスから大金をもらっていたからである。おかげでインドは大儲[もう]けしてイギリスは大赤字だったのである。インドでは国民みんながイギリスの植民地になってリッチに暮らしていたのである。
どこの植民地でも、征服された国が征服した国から大金をもらって征服されていたのである。植民地では征服された国が儲かって征服した国が損をしていたのである。植民地になると儲かるから、植民地ではむしろ自分が征服されることを歓迎していたのである。侵略国は植民地を武器で征服したのではなく、金で征服していたのである。侵略国にとって植民地は儲かることではなく、お金のかかる遊びにすぎなかったのである。侵略国の政府は侵略国の国民みんなのお金を無駄[むだ]使いして国民みんなを貧乏にするために植民地を取っていたのである。

[21720] 国民みんなが国を作る団体を倒す早さは国民みんなの現実の社会に対する関心の強さによって決まる。 h26.12.15
明治維新のときは国民みんなの文化がアジア文化からヨーロッパ文化に変わるとすぐに国民みんなが幕府を倒して政府を建てた。明治維新のときには国民みんなの現実の社会に対する関心が強くて国民みんなが積極的に現実の社会を知り現実の社会に働きかけたからである。
しかし、今は国民みんなの文化がヨーロッパ文化から世界文化に変わってもなかなか国民みんなが政府を倒して新しい“国を作る団体”を建てようとしない。今は国民みんなの現実の社会に対する関心が弱くて国民みんながなかなか現実の社会を知ろうとせず現実の社会に働きかけようとしないからである。
今は国民みんなの現実の社会に対する関心が弱いから、現実の社会に対する関心が強い国民から少しずつ政府を倒しているのである。国民みんながゆっくり現実の社会を知って現実の社会に対して働きかけてのんびり政府を倒しているのである。
国民みんなの国を作る団体を倒す早さは国民みんなの現実の社会に対する関心の強さによって決まる。人間は現実を知ってから現実に対して働きかける。だから、国民みんなが現実の社会に強い関心を持っているときは国民みんなが国を作る団体を倒すのが早く、反対に国民みんなが現実の社会に弱い関心しか持っていないときは国民みんなが国を作る団体を倒すのが遅い。国民みんなが現実の社会にどれほど関心を持っているかは時代によって違う。今は国民みんなが現実の社会に対して弱い関心しか持っていないから、国民みんなが政府を倒すのが遅いのである。
今では現実には国民みんなが政府を倒さねばならない状況になっている。国民みんなが早くそのことに気づいて政府を倒さねばならない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは現実の中で幸福にならねばならない。だから、今の国民みんなはもっと現実に関心を持って現実を知って現実に働きかけて自分を幸福にしなければならない。今の国民みんなは現実の社会に関心を持って『今の国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを知って政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。政府は国民みんなを不幸にする団体だから、国民みんなが政府を倒せば幸福になる。だから、国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが現実の中で幸福にならねばならない。
明治維新のときでさえ国民みんなが幕府を倒すのに10年か20年かはかかっている。国民みんなが国を作る団体を倒すのは大陸移動説か進化論並みのスピードである。今はもっとゆっくりだから、国民みんなが政府を倒すのは超スローペースである。しかし、『それでも国民みんなは政府を倒している』のである。だから、国民は「今の国民みんなが政府を倒していない」と誤解しないようにして、自分も国民みんなといっしょに国民みんなの一員として政府を倒さねばならない。

[21721] どうしてこれまで政府を倒している国民はみんなに黙って倒していたのか? h26.12.16
今では国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。国民みんなは国の最高権力者だから、国を作る団体は国民みんなに従わねばならない。政府は今の国民みんなに従っていない。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。
だから、社会に関心の強い国民はとっくの昔から『国民みんなが政府を倒さねばならない』ことを理解して政府を倒している。
しかし、みんなに言わずに黙ってひとりで政府を倒している。世の中には社会に関心が弱く「国民みんなが政府に従わねばならない」と思っている者が多いので、そういう者に自分が攻撃されないためにひとりで黙って政府を倒しているのである。
しかし、今では国民みんながだんだん社会のことがわかってきている。国民みんながいくら社会に関心が弱くても、時間がたてば多かれ少なかれ国民みんなが社会のことがわかってくる。
そのため、今では国民みんなから「国民みんなは政府に従わねばならない」と思う気持ちが減っている。国民みんなから「国民みんなは政府を倒してはいけない」と思う気持ちが少なくなっている。
今なら国民が人前で政府を倒しても、誰も文句をつけたりはしない。今なら公然と国民が政府に税金を払わずに政府を倒すことができる。今なら国民は『自分は政府に税金を払っていないぞ!』とみんなに大声で威張[いば]りながら政府を倒すことができる。
とにかく、今では『国民みんなが政府を倒す』のが正しいから、国民はそうしなければならない。みんながまちがっている中で自分ひとりが正しいことをするのは気持ちがいいものである。だから、国民は自分が気持ちよくなるために政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
今では国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。国では国民みんなが万物の尺度である。国民みんなに従う者が正しく、国民みんなに従わない者がまちがっている。今の政府は国民みんなに従っていないから、政府がまちがっている。だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。国民は国民みんなの一員として政府を倒さねばならない。政府に税金を払わずに政府を倒さねばならない。

[21722] 政府は表と裏の2つの顔がある。☆ h26.12.16
政府は表の民主主義の芝居をする係りと裏の「科学があって道徳がない国」を作る係りの2つの係りがある。
「科学があって道徳がない国」では、悪いことができるから嘘[うそ]がつけるから、裏の「科学があって道徳がない国」を作る係りから表の民主主義の芝居をする係りが出てくる。つまり、政府の実体は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。
国民の多くは「政府が民主主義の団体だ」と思っている。「政府が民主主義の団体だ」から、「政府が国民みんなに従っている」と思って「政府に国家権力がある」と思って「自分が政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。
しかし、政府の表の民主主義の団体は嘘[うそ]なのである。政府は民主主義をやっているふりをして、本当はやっていないのである。政府は本当は「科学があって道徳がない国」を作っているのである。もともと民主主義の芝居をする団体は、政府が正直に悪いことをやらないためにあるのである。国民みんなを騙[だま]して従わせるためにあるのではない。「道徳がない国」では悪いことをする者は表では善いことをしているふりをする習慣があるから、政府も表で善いことをしているふりをするために民主主義の芝居をやっているのである。
政府の正体は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『政府は今の国民みんなに従っていない』から、『政府には国家権力がない』から国民は政府に従わなくていい。
今の国民は政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
早く国民みんなで政府を倒して新しい国を作る団体を建てて日本を国民みんなのためにある善い国にしないといけない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作っている。今の国民みんなは身分制がなく、みんなが平等な国を作っている。反対に、政府は「科学があって道徳がない国」を作るために国民に命令している。政府は身分制があって、政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職などが国民みんなを不幸にする国を作っている。政府はうわべは平等だが、じつは不平等な社会を作っている。だから、国民みんなは政府の命令を聞いてはいけない。国民みんなは政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが政府を支配している。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国民みんなに反している。だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。国民は国民みんなの一員として政府を倒さねばならない。今の国民が政府を倒すほうが正しく、今の国民が政府を倒さないほうがまちがっている。今では政府を倒す国民がお行儀[ぎょうぎ]がよく、政府を倒さない国民がガラが悪い。だから、国民は他人に変に思われないために政府を倒さねばならない。
そもそも政府は国民みんなのために国を作る団体である。昭和40年頃(1965年頃)に国民みんなの文化が変わったから、政府は国民みんなのために役に立たなくなった。政府は国民みんなを満足させる団体から不満にする団体に変わった。だから、今の国民みんなが自分の手で国を作る団体を入れ替えねばならない。今の国民みんなは政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。
近代の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。近代の国民が『科学と道徳の両方ある文化』が正しいと思って政府にたてついたら、国民みんなに逆らっているとみなされて国民みんなから攻撃されて殺された。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作っている。政府だけ「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は例外者である。政府は非国民である。今の日本では政府のわがままは通らない。今の政府は国民みんなにたてついている。だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならない。

[21723] 今の国民みんなが政府に従っているのもいけない。☆ h26.12.18
国民みんなは国の最高権力者である。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。それが国の決まりである。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民みんなと違う文化の国を作っている。
政府は今の国民みんなに反しているから政府は自分で滅ぶべきである。しかし、政府はそうしていない。しかも、今の国民みんなはおとなしく政府に従っている。
政府が今の国民みんなに従わないのがいけないが、今の国民みんなが政府に従っているのもいけない。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、「科学があって道徳がない国」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなくてよくて、みんなが悪いことができて、身分制があって政府が国民よりも上の者だったから、政府が国民からお金を強盗することつまり税金を取ることができた。だから、日本帝国憲法や日本国憲法には納税の義務が定められていたのである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『科学と道徳の両方ある国』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならないから、みんなが悪いことをやってはいけないから、身分制がなくて政府と国民が平等であるから、政府が国民からお金を強盗することつまり税金を取ることができない。今の日本国憲法には納税の義務が定められているが、今の国民みんなは『政府が国民から税金を取れない』ことに決めているから、国民みんなは政府の憲法を破って政府に税金を払わなければいいのである。
だから、今の国民みんなは政府に税金を取らさずに政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
国民みんなは国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。国民は国民みんなの一員として国民みんなが決めたことを守って暮らせばいいのである。

[21724] 今の『科学と道徳の両方ある文化』には矛盾がない。 h26.12.19
昔の日本では国民みんながアジア文化やヨーロッパ文化をやっていた。
アジア文化は「道徳があって科学がない文化」だった。『道徳がある』からみんなが自分を幸福にしなければならず、みんなが『人間がみな平等である』ことを守って悪いことをやってはいけなかった。身分制がないから幕府と国民は平等だった。幕府は国民みんなに法律を守らせて国民みんなを幸福にした。しかし、「科学がない」からみんなが自分を貧乏にしなければならず、幕府が国民に科学や産業を教えず産業を遅れさせて幕府が国民から強制的に高い年貢[ねんぐ]を取って国民を不幸にしていた。本来は『道徳がある』ために幕府が国民みんなを幸福にしないといけないが、「科学がない」ために幕府が国民を不幸にしていたのである。「道徳があって科学がない文化」には矛盾があったのである。
ヨーロッパ文化は「科学があって道徳がない文化」だった。『科学がある』からみんなが自分を裕福にしなければならず、政府が国民みんなに科学や産業を教えて産業を発達させて国民みんなを裕福にした。しかし、「道徳がない」からみんなが自分を不幸にしなければならず、みんなが『人間がみな平等である』ことを守らず悪いことをやってよかった。身分制があって政府が国民よりも上の者だった。政府が国民から高い税金を取ったり国民に戦争をさせたりして国民のお金を無駄遣[むだづか]いして国民を貧乏にしていた。本来は『科学がある』ために政府は国民を裕福にするはずだが、「道徳がない」ために政府は国民を貧乏にしていたのである。「科学があって道徳がない文化」には矛盾があったのである。
今の日本では国民みんなが世界文化をやっている。
世界文化は『科学と道徳の両方ある文化』である。『科学がある』からみんなが自分を裕福にしなければならず、国を作る団体が国民みんなに科学や産業を教えて産業を伸ばして国民みんなを裕福にしなければならない。『道徳がある』からみんなが自分を幸福にしなければならず、みんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず悪いことをやってはいけない。身分制がないから国を作る団体と国民は平等である。だから、国を作る団体はみんなに法律を守らせて悪いことをさせないようにしてみんなを幸福にして、みんなに科学や産業を教えて産業を伸ばしてみんなを裕福にしないといけない。今の国を作る団体は矛盾したことをやらない。『科学と道徳の両方ある文化』には矛盾がないのである。
今では『科学と道徳の両方ある文化』があるから、今の国民みんなはようやく裕福に幸福に暮らせるようになった。これまでの「道徳があって科学がない文化」や「科学があって道徳がない文化」では「科学がない」ことが『道徳がある』ことを妨げたり「道徳がない」ことが『科学がある』ことを妨げたりして国民みんなは貧乏に不幸に暮らさねばならなかった。要するに、「道徳があって科学がない文化」では、国民みんなが自分を幸福で貧乏にしないといけないが、貧乏にしすぎたために不幸になっていた。つまり、国民みんなが自分を不幸で貧乏にしていた。反対に、「科学があって道徳がない文化」では、国民みんなが自分を裕福で不幸にしないといけないが、不幸にしすぎたために貧乏になっていた。つまり、国民みんなが貧乏で不幸になっていた。一方、『科学と道徳の両方ある文化』では、国民みんなが自分を裕福で幸福にしないといけないから、裕福にしすぎて不幸になることがないし、幸福にしすぎて貧乏になることもないから、安全である。今の文化には隙[すき]がないから、国を作る団体に隙を突かれて国民みんなが貧乏に不幸にされることがない。昔の国民みんなが国を作る団体に貧乏で不幸にされていたのは、国民みんなの文化そのものが原因だったのである。昔は文化そのものがおかしかったから国民みんなが貧乏に不幸に暮らさねばならなかった。今は文化そのものがよくなったから国民みんなが裕福に幸福に暮らせるようになった。道徳と科学は文化の両輪である。道徳と科学の両方が揃[そろ]ってはじめて国はうまく走れる。これまでは片輪しかなかったから国がうまく走れなかったのである。幸い、今では『科学と道徳の両方ある文化』がある。だから、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』を守って裕福に幸福に暮らせばいいのである。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは裕福に幸福に暮らせる。だから、「今がいい」と言うのである。一方、政府は国民みんなと反対に「科学があって道徳がない国」を作っている。政府の国では国民みんなは貧乏に不幸に暮らさねばならない。だから、「今がいい」と言うのは「政府がいい」ということではない。「今がいい」と言うのは『国民みんながいい』という意味である。『国民みんなの文化がいい』ということである。国民みんなは早く政府を倒して、国民みんなが裕福に幸福に暮らせる国にしないといけない。

[21725] 国を作る団体はいつでも国民を虐[いじ]めることができる。 h26.12.20
昔の日本では国民みんながアジア文化やヨーロッパ文化をやっていた。
昔の国民みんなはアジア文化つまり「道徳があって科学がない文化」をやっていた。国民みんなは自分の仕事がいそがしいので幕府に年貢[ねんぐ]をやって「道徳があって科学がない国」を作らせていた。幕府は「科学がない国」にするために鎖国をして国民みんなに科学を教えないようにして国の産業を遅らせて国民みんなから高い年貢を取って国民みんなを貧乏にした。幕府は「道徳がある国」にするために国民みんなに厳しい法律を守らせた。国民みんながちょっとでも悪いことをするとすぐに死刑にした。そうやって幕府は国民みんなを貧乏にしたり国民みんなにメチャクチャ厳しい法律を守らせることによって国民みんなを虐めていたのである。
昔の国民みんなはヨーロッパ文化つまり「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなは自分の仕事がいそがしいので政府に税金をやって「科学があって道徳がない国」を作らせていた。政府は「道徳がない国」にするために国民みんなに道徳や法律を教えないようにして国民みんなが法律を守らなくてもいいようにして法律のない国にして政府自身も悪いことをやって国民みんなからお金を強盗して国民みんなから高い税金を取って国民みんなを不幸にした。政府は「科学がある国」にするために国民みんなに科学や産業を教えて産業を発展させた。政府は「科学がある国」にするために国民みんなにメチャクチャ難しい科学や数学を勉強させて国民みんなをノイローゼにした。実生活ではまったく要らない科学や数学を無理やり勉強させて泣かせた。そうやって政府は国民みんなを不幸にしたり国民みんなにメチャクチャ難しい科学や数学を教えることによって国民みんなを虐めていたのである。
今の日本では国民みんなが世界文化をやっている。
今の国民みんなは世界文化つまり『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなは「科学があって道徳がない国」を作る政府に税金を払わないようにして政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて団体と自由に契約してお金をやって仕事をしてもらうつもりでいる。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は『道徳がある国』にするために国民みんなに厳しい法律を守らせて国民みんながちょっとでも悪いことをするとすぐに死刑にする。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は『科学がある国』にするために国民みんなにメチャクチャ難しい科学を勉強させて国民みんなを苦しめる。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は『科学がある国』にするために国民みんなが実在以外のことを知ってはいけないことにして国民みんなに空想を禁じてマンガやドラマや映画がない国にする。国民みんなを規則だけで動く感情のないロボットみたいにする。そうやって『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民みんなにメチャクチャ厳しい法律を守らせたり国民みんなにメチャクチャ厳しい科学を守らせたりすることによって国民みんなを虐めるのである。
いくら今の国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっていても、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体に好き放題にやらせていたらメチャクチャ厳しい法律にしたりメチャクチャ厳しい科学にしたりして国民みんなの生活が脅[おびや]かされる。国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作る団体にほどほどに道徳や科学をやらせることにして道徳や科学を行き過ぎさせないようにして国民みんなが裕福に幸福に暮らせる国にしないといけない。『科学と道徳の両方ある国』では『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民と自由契約だから、国民みんながつねに『科学と道徳の両方ある国』を作る団体から目を離さないようにして『科学と道徳の両方ある国』を作る団体がちょっとでも変なことをしたらすぐに解約して潰[つぶ]さねばならない。

[21726] 今の社会では強制保険はあってはいけない。 h26.12.20
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある文化』では『人間はみな平等である。』
だから、今の国には強制保険はない。保険会社が国民みんなに強制的に保険に入らせることはできない。国民が強制保険に入らなくても法律的に罰せられることはない。
だから、私は政府の医療保険(つまり国民健康保険)に入るのをやめた。以前入っていて一度やめて会社の健康診断で高血圧に引っかかって診てもらった医者に勧められて30万円ぐらい払って再び入り直したが、最近『強制保険が今の社会に反する』と考えて2ヶ月前にまたやめた。この前やめたときがギリギリだったから、もう二度と私は入れないだろう。ざまあみろ!
しかし、私は自賠責保険(自動車損害賠償責任保険)には入るつもりでいる。今の私は原付免許を取るために勉強している。この前仕事に就いていたとき自転車で片道7キロ毎日通うのにきつい思いをしたので、原付免許を取ろうとしている。車の免許を取った者は万一他人を轢[ひ]き殺したときのために自賠責保険に入らねばならないことになっている。自分が車で他人を轢き殺したときに自分に他人に払うお金がないと他人が困るので保険に入らねばならないことになっている。医療保険の場合には自分が死ぬだけだから保険に入らなくてもいいが、自賠責保険の場合には他人が死ぬから保険に入らなければならない。自分が車で他人を轢き殺して自分に他人に払う金がなくて自分が牢屋に入れられてもいいが、それでは他人が面白くないから自賠責保険に入らねばならないのである。自賠責保険に入っていれば、万一自分が他人を轢き殺したときに自分が牢屋に入らなくてすむから自分が得だから自賠責保険に入ったほうがいいともいえる。原付の場合には保険に数年間入れば1日10円ぐらいだから、安いから入ることにする。本来は『今の社会では強制保険はいけない』が、私はとりあえず賠償責任保険に入るために自賠責保険に入ることにする。私は保険の練習のために政府の自賠責保険に入ることにする。『今の社会では強制保険はいけない』から、私は任意保険のつもりで政府の自賠責保険に入るつもりでいる。私の頭の中では政府の自賠責保険は強制保険ではなく任意保険である。もちろん、「政府の自賠責保険に入らない者は罰せられる」という政府の法律は嘘[うそ]である。そのうち、私が保険に慣れて保険のことに詳しくなってきたら、政府の自賠責保健をやめてもっと割りのいい民間の保険会社の任意保険に切り替えるかもしれない。

[21727] 知は力なり h26.12.21
国民みんなは国の最高権力者である。国は国民みんなのものである。国民みんなが国のすべてのものを支配している。国民みんなが政府を支配している。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は嘘[うそ]をついて『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをして、じつは「科学があって道徳がない国」を作っている。
政府は国民みんなに従っていない。
だから、今の国民みんなは政府を倒して政府のない国にしなければならない。
それなのに、今の国民みんなは政府を倒そうとしない。
それは、今の国民みんなが『国民みんなが政府を支配している』ことを知らず、『国民みんなが政府を支配している』ことを使わないからである。『国民みんなが政府を支配している』ことを使わなければ国民みんなは何もできないから、国民みんなはおとなしくじっとしているのである。数学の定理や公式を知らないために数学の問題が解けないのと同じことである。反対に、国民が『国民みんなが政府を支配している』ことを知っていれば、国民一人でも政府に税金を払わずに政府を倒すことができる。アルキメデスが「私に梃子[てこ]があれば地球を動かせる」と言ったのと同じである。
今の国民みんなは社会科をよく勉強して社会科の知識を活かして社会科の知識を実際に使ってより善い国にしないといけない。今の国民みんなは社会科の勉強が足りない。もっとよく勉強しないといけない。

[21728] 今は実力制の社会である。 h26.12.21
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。要するに、「道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」ではみんなが悪いことをやりたい放題だった。みんなが他人の稼[かせ]ぎを横取りして遊んで暮らしていた。学歴や職歴が身分だった。だから、昔はみんながいい大学に入って学歴を高くしていい仕事に就くだけで、実際には何も仕事をせずに他人の稼ぎを横取りして自分は遊んで暮らしていた。
今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。要するに、『道徳がある文化』をやっている。『道徳がある文化』ではみんなが悪いことをやってはいけない。みんなが自分で働いて自分で稼がねばならない。身分制がないから学歴や職歴は身分にはならない。だから、今ではみんなが学歴や職歴はどうあろうがとにかく自分の才能を磨[みが]いて自分ができる仕事に就いて実際に自分で仕事をして実力で稼がねばならない。
つまり、昔は肩書き社会だったが、今は実力社会である。昔は自分の学歴や職歴が物を言ったが、今では自分の実力や実績が物を言う。昔は自分の経歴つまり身分が重視されたが、今では実際に自分ができることや自分がやったことが重視される。
だから、昔はいくら自分に才能があっても学歴や職歴がよくなければいい仕事には就けなかったが、今ではたとえ自分にいい学歴や職歴がなくても自分に才能がありさえすればいい仕事に就ける。
人間にとっては生まれてから死ぬまでが人生である。人間は自分で才能を磨いて自分で才能を伸ばさねばならない。これからは生まれや育ちや経歴に関わらず、才能のある人がいい仕事に就いていい待遇で暮らせるようになる。才能のない人が悪い仕事に就いて悪い待遇で暮らさねばならなくなる。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなの文化で国が決まる。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』では実力制の社会になる。今の国民みんなで才能のある人がいい仕事に就いていい待遇で暮らせて、才能のない人が悪い仕事に就いて悪い待遇で暮らさねばならない社会を実現しなければならない。そんな社会では私の実在哲学や政府論も評価されるかもしれない。

[21729] 今の国民みんなは馬鹿になっている。☆ h26.12.21
戦前には国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。
昭和40年頃(1965年頃)には国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになった。
わずか20年足らずの間に文化がこれほども変わってしまった。
しかし、そこから先は遅い。今の国民みんなはゆっくりと政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職などを倒している。今の国民みんなはゆっくりと肩書き制をなくして実力制に変えている。
近代の「科学があって道徳がない文化」では、国民みんなが五感的にならねばならない。国民みんなが馬鹿にならねばならない。だから、今の国民みんなはとっくの昔に『科学と道徳の両方ある文化』に変わっているのに、なかなか今の現実の社会が理解できず世の中が変わるのが遅れているのである。
反対に、江戸時代の「道徳があって科学がない文化」では、国民みんなが知覚的でなければならない。国民みんなが利口でなければならない。だから、明治維新のときに国民みんなはすぐに現実の社会が理解できて世の中が変わるのが早かったのである。
今では国民みんなが近代の「科学があって道徳がない文化」のために馬鹿になっているせいで国民みんながゆっくりと政府や暴力団や宗教団体などを倒している。国民みんながゆっくりと肩書き制をやめて実力制をやるようになっている。世の中の変化が遅いがしかたがない。
今の『科学と道徳の両方ある文化』では、国民みんなが知覚的でなければならない。人間の心は眼で見えないから心を理解するためには知覚的でなければならないからである。『科学と道徳の両方ある文化』では国民みんなが利口でなければならない。早く国民みんなで『科学と道徳の両方ある文化』をやって国民みんなが利口に戻って国民みんなが現実の社会がよく理解できるようになって、国民みんなが政府や暴力団や宗教団体などを倒して、国民みんなが肩書き制をやめて実力制をやるようにならねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているが、いまだに昔の「科学があって道徳がない文化」を引きずっている。今は『科学と道徳の両方ある文化』と「科学があって道徳がない文化」が混じった状態である。「科学があって道徳がない文化」が残っているためにみんなが馬鹿になって現実の社会のことがわからず、政府や暴力団や宗教団体などが残って、肩書き制が残っている。早く国民みんなが昔の「科学があって道徳がない文化」を忘れて『科学と道徳の両方ある文化』をやって『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。国民みんなで慎重に『科学と道徳の両方ある国』を作って悪い国にならないようにしないといけない。みんなが知覚で物と心を理解して物と心を統合して実在の中で幸福に暮らす国がいいだろう。みんなが幸福に暮らすためには、物よりも心についての理解が大事である。みんなが道徳をよく知っていて道徳をよく守って、生活に不自由しない程度に物が豊かであればいい。みんなが物や心よりも『自分で考えること』を大事にして暮らせばいい。

[21730] 今の国民みんなは頭で考えて物を見ないといけない。 h26.12.22
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国の支配者である。だから、国のものはすべて国民みんなに従わねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、国のものはすべて『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。
ところが、政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っている。政府は国民みんなに従っていない。だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。
国民は国民みんなの一員として政府を倒さねばならない。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国民は政府を倒すために政府に税金を払ってはいけない。
今の国民の多くが政府に従っているのは眼で見た印象で動いているからである。国民の多くは昔の「科学があって道徳がない文化」のせいで「眼で見るだけで頭で考えない馬鹿」になっているために眼で見た印象しかわからなくなっているので政府の芝居に騙[だま]されたり自分の眼で見た印象に自分自身が騙されたりして政府に従っているのである。
しかし、今は『科学と道徳の両方ある文化』の時代である。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなは『眼で見て頭で考える利口』でなければならない。今の国民は頭で考えて物を見て正しい社会の法則に従って行動して政府を倒さねばならない。
『科学と道徳の両方ある文化』では頭で考えるだけではなく眼で見ないといけない。だから、みんなは自分の頭で考えたことを言葉で表現しないといけない。頭で考えることと言葉で表現することの両方できねばならない。

[21731] 精神病とは何か?★ h26.12.24
精神病とは自分の脳を“激しく興奮”させて自分の脳を壊すことである。
精神分裂病では自分の脳を激しく興奮させた結果、イライラ感情が慢性的に興奮するようになっている。本人は慢性的なイライラ感情に苦しめられることになる。
鬱病[うつびょう]では自分の脳を激しく興奮させた結果、鬱感情(落ち込み感情)が慢性的に興奮するようになっている。本人は慢性的な鬱感情に苦しめられることになる。
反対に、神経症は自分の脳を激しく興奮させないので、反応性に一過性に特定の出来事があったときにイライラ感情や鬱感情が興奮するだけなのである。特定の出来事がなくなればイライラ感情や鬱感情が興奮しなくなってすぐにもとの状態に戻るのである。
精神分裂病では自分のイライラ感情を激しく興奮させたためにイライラ感情がずっと興奮するようになってしまったのである。
鬱病では自分の鬱感情を激しく興奮させたために鬱感情がずっと興奮するようになってしまったのである。
精神病で自分の脳を激しく興奮させるのは、自分の性欲を興奮させるためにオナニーやセックスをやったり自分の麻薬欲を興奮させるために麻薬をやったりしたためである。自分が快楽を得るためにオナニーやセックスや麻薬をやったりすると自分の脳を激しく興奮させる癖が身について、何かのきっかけでイライラ感情や落ち込み感情が興奮するとイライラ感情や落ち込み感情を激しく興奮させて精神分裂病や鬱病に罹[かか]るのである。
だから、精神病に罹らないためには自分の脳を激しく興奮させなければいいのである。オナニーやセックスや麻薬をやらずに自分の脳を激しく興奮させる癖を身につけなければいいのである。
一般に、自分の脳を激しく興奮させると、生まれつき自分が興奮しやすい感情中枢や脳神経中枢が慢性的に持続的に興奮するようになる。生まれつき喧嘩[けんか]っ早くてイライラ感情が興奮しやすい者は自分の脳を激しく興奮させるとイライラ感情がずっと興奮するようになり、生まれつき得意不得意の差が激しくて落ち込み感情が興奮しやすい者は自分の脳を激しく興奮させるとずっと落ち込み感情が興奮するようになり、私のように生まれつき横目で見たり顔の頬[ほほ]が引きつって眼球運動神経中枢や顔面神経中枢が興奮しやすい者は自分の脳を激しく興奮させるとずっと横目で睨[にら]むようになる。他人の顔を直視できないようになる。顔が引きつったまま無表情になる。眼球運動神経麻痺や顔面神経麻痺になる。
自分が嫌いな仕事や勉強をするとストレスが溜[た]まる。ストレスはオナニーやセックスや麻薬で過激に発散させずに、ゲームをやったりマンガを読んだりテレビを見たりしてマイルドに発散させるといいのである。オナニーやセックスや麻薬で発散させると自分の脳を激しく興奮させる癖が身につくから精神病に罹るが、ゲームやマンガやテレビでは自分の脳を激しく興奮させる癖が見似つかないから精神病に罹らない。

[21732] 今の国民は政府の法律を守らなくていい。 h26.12.25
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府の法律は「科学があって道徳がない国」の法律である。「科学があって道徳がない国」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らないから身分制がある。政府が国民よりも身分が上である。だから、政府が国民に命令していくらでもお金を取れる納税の義務があるのである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』に暮らしている。今の国民みんなは政府の作った国には暮らしていない。今の国民みんなは政府が作った国の外で暮らしている。
だから、今の国民みんなは政府の法律を守らなくていい。今の国民みんなは政府の法律を破って自由に暮らせばいいのである。納税の義務を破って政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府の法律は嘘[うそ]である。政府は平気で自分が作った法律を破って人殺しや強盗(つまり税金)などをやっている。政府は税金だけ正直である。政府は下手[へた]なところが正直である。政府は自分の金の欲望に負けてつい正直に言ってしまったのだろう。
国民みんなは国の最高権力者である。国は国民みんなのものである。国民みんなが国を決める。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず国民と政府は平等である。国民が政府の作った国を買うか買わないかは国民個人の自由である。政府は今の国民みんなと違う「科学があって道徳がない国」を作っているから、今の国民は政府の作った国が要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府の作った国を買わなければいい。政府は国民みんなに国が売れずに潰れるしかない。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「科学があって道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制があった。いろんな身分制があった。政府が国民よりも上であり、大企業が中小企業よりも上であり、庄屋が小作農よりも上であり、社長が社員よりも上であり、都会が田舎[いなか]よりも上であり、親が子よりも上であり、男が女よりも上だった。上の者が下の者を自分の好き放題にして物同然に扱っていた。下の者が自[みずか]ら進んで上の者の命令を聞いて上の者の好き放題にされていたのである。政府1人が働いて国民10人に食わせることはできないが、国民10人が働いて政府1人に食わせることはできる。だから、政府が上の者で国民が下の者なのである。政府が下の者で国民が上の者という制度は無理である。実現できる制度しか実現できない。他の身分制についても同様である。しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守って身分制がない。すべての人間が平等である。政府と国民が平等であり、大企業と中小企業と平等であり、庄屋と小作農が平等であり、社長と社員が平等であり、都会と田舎が平等であり、親と子が平等であり、男と女が平等である。みんながみんなを人間として大事にしなければならない。みんながみんなと平等にして他人の命令を聞かないようにして他人の好き放題にされないようにしないといけない。

[21733] 今の国民には実在の喜びしか許されない。 h26.12.25
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのは今の国民みんなが決めたことである。誰も国民みんなには逆らえない。
『科学と道徳の両方ある文化』では、人間は必ず実在の中で幸福にならねばならない。
そのためには、人間が知覚で物と心を理解して、物と心を統合しなければならない。
『科学と道徳の両方ある文化』では、空想の喜びや現象の喜びが禁止されている。つまり、心だけの喜びや五感だけの喜びが禁止されている。例えば、マンガやアニメやドラマや映画などの空想の喜びはいけない。化粧やおしゃれやかっこつけやダイエットなどの眼先の喜びはいけない。絵や音楽もいけない。
『科学と道徳の両方ある文化』では、人間には実在の中での喜びしか許されない。人間には実在を見たり実在を考えたりする喜びしかないのである。例えば、昔NHK総合テレビでやっていた『自然のアルバム』のようなものである。

[21734] 政府が国民みんなを支配できるのは、国民みんなが政府に従うからである。 h26.12.27
昔の政府が国民みんなを支配できたのは、国民みんなが政府に従っていたからである。
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「科学があって道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らないから身分制があった。政府が上の者で国民が下の者だった。だから、国民みんなが政府に従っていたのである。つまり、政府が国民みんなを支配していたのである。国民みんなが政府の命令を聞いて税金でも戦争でも国家宗教でも何でもやっていたのである。
反対に、今の政府が国民みんなを支配していないのは、国民みんなが政府に従っていないからである。
今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならないから身分制がない。政府と国民が平等である。だから、国民みんなは政府に従わなくなったのである。つまり、政府が国民みんなを支配できなくなったのだ。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって税金も戦争も国家宗教も何もやらなくなったのである。
これまで国民みんなは幸福に生きたり不幸に生きたり裕福に生きたり貧乏に生きたりしてきたが、とにかく正しく生きてきた。国民みんなは「科学があって道徳がない文化」や「道徳があって科学がない文化」をやってきた。国民みんなは自分で決めた文化を自分で守って生きてきた。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが平等である。だから、今の国民は政府と平等にしている。今では国民が政府に従わなくなった。今の国民は政府の命令を聞かなくなった。税金は政府が身分制を使って国民からお金を取ることである。今では身分制がない。今の国民は政府に税金を払わなくなった。だから、政府は潰[つぶ]れているのである。

[21735] どうして戦前は文学者の待遇が悪かったか? h26.12.27
戦前は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。ところが、文学は「科学がある文化」ではない。「科学がある文化」ではみんなが実在の中で生きねばならず空想が許されないからである。だから、戦前は文学者がみんなに四方八方から攻撃されて文学者の待遇が悪かったのである。
戦後は日本がアメリカに占領されて国民みんなが「科学があって道徳がない文化」と「道徳があって科学がない文化」の両方をやっていた。「道徳があって科学がない文化」では「科学がない」からみんなが空想の中で生きられるから文学をやってもよかった。だから、戦後は文学者がみんなから支持されて文学者の待遇がよくなったのである。
しかし、今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが実在の中で生きねばならず空想が許されない。だから、今では戦前と同じように文学者がみんなから攻撃されて待遇が悪いのである。文学をいくら書いても儲[もう]からなくなったのである。
最近本屋が不景気なのは、みんなが実在の中で生きねばならず文学を読まなくなったからである。しかし、『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが実在の中で幸福に生きるために物と心の両方を知覚で理解しなければならない。今でも科学書の需要はある。だから、みんなはもっと本を読まねばならない。

[21736] 今の国民は政府に仕返しをしなければならない。 h26.12.27
政府は日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故などで国民を殺している。
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、「道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなくて身分制があって政府が上の者で国民が下の者だったから、国民は政府に何をされてもおとなしくしていた。
しかし、今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『道徳がある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならないから、政府と国民が平等だから、国民は政府に悪いことをされたら政府に仕返しをしなければならない。『やられたらやり返す』のが『科学と道徳の両方ある文化』におけるルールである。
今の国民は今の文化を守らねばならない。今の国民が政府に悪いことをされてもおとなしくしているのはまちがっている。今の国民は政府に悪いことをされたらどんどん政府に仕返しをしないといけない。今の国民は政府の高官を適当に痛めつけて処刑すればいい。

[21737] 「科学があって道徳がない文化」が政府の生みの親である。 h26.12.28
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「科学があって道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制があった。そのために、国民よりも上の者の団体である政府が出来て国民みんなが政府に従わねばならなかった。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守って身分制がない。そのために、国民が政府に従わなくなって政府が滅んでいる。税金は政府が身分制を使って国民からお金を取ることだから、国民は政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
「科学があって道徳がない文化」が政府の生みの親である。昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていたから政府が出来た。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになって「科学があって道徳がない文化」をやめたから政府が滅んでいる。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなの文化で国が決まる。国民みんなの文化が国を作り出す。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなは早く昔の社会を壊して今の社会を作って暮らさねばならない。

[21738] 政府は国民みんなに従わないから悪者である。☆ h26.12.28
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のすべてのものを支配する。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。国民みんなは国の尺度である。国民みんなに従う者が善であり、従わない者が悪である。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
だから、国民は国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、国民は善い者である。
それなのに、政府は今でも「科学があって道徳がない国」を作り続けている。政府は国民みんなの向うを張って昔の「科学があって道徳がない国」を作り続けている。政府は国民みんなに従っていない。だから、政府は悪者である。
国民みんなは善い者を守り、悪者を倒さねばならない。悪者をなくさねばならない。国民みんなで政府を倒して政府のない国にしないといけない。
いくら政府が国民みんなの向うを張って悪者をやっても国民みんなには敵[かな]わない。政府が「自分は国民みんなに従わなくてもいい」と思っているのは政府の思い上りである。国民みんなで早く政府を倒して、みんなが『科学と道徳の両方ある文化』を守る国にしないといけない。
「科学があって道徳がない文化」ではみんなが眼で見るだけで頭で考えない馬鹿にならないといけない。今の政府が自分で滅ばないのは政府が馬鹿になっているからである。反対に、「道徳があって科学がない文化」ではみんなが現実を無視しなければならない。幕末に江戸幕府が自分で滅ばなかったのは江戸幕府が現実を無視していたからである。今の政府が国民みんなに従って滅ばないのは政府が馬鹿だからである。政府が悪者なのは政府が馬鹿だからである。幕末は国民みんなが「道徳があって科学がない文化」から「科学があって道徳がない文化」への移行期であったために国民みんなが一時的に『道徳と科学の両方ある文化』をやっていたので、国民みんなが現実の社会を眼で見て頭で考えて現実の社会を理解して幕府を倒した。幕府は仕事バカだったので最後まで自分が「道徳があって科学がない文化」をやって現実を無視し続けて残っていたので、国民みんなが強引に幕府を倒した。国民みんなのほうが幕府よりも強いから国民みんなが幕府を倒せたのである。今の『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが現実を眼で見て頭で考えて現実を理解しないといけない。だから、今の『科学と道徳の両方ある文化』をやっている国民が早く現実の社会を眼で見て頭で考えて現実の社会を理解して政府を倒さねばならない。政府も仕事バカなので最後まで自分が「科学があって道徳がない文化」をやって馬鹿をやり続けて残っているので、国民みんなで強引に政府を倒さなければならない。国民みんなのほうが政府よりも強いから国民みんなが政府を倒せるだろう。

[21739] 今の政府は馬鹿のふりをして残っている。 h26.12.28
国民みんなは国の最高権力者である。国のものはすべて国民みんなに従わねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
だから、今の政府は国民みんなに従うために自分で滅ばなければならない。
それなのに、政府は「科学があって道徳がない国」ではみんなが馬鹿にならねばならないことを使って、自分が今の社会がわからないことにしていつまでも滅ばずに残っている。政府はこれまでと同じように身分制をやって国民から税金を取ったり国民を虐待したり国民の娯楽をなくしたりしている。今の国民の多くが前の「科学があって道徳がない文化」のために馬鹿になってなかなか政府を倒そうとしないのと同じことである。
政府が自分で滅ばなければ、国民みんなが政府を滅ぼしてやればいい。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが現実を眼で見て頭で考えて現実を理解しないといけない。だから、国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやって現実の社会を眼で見て頭で考えて現実の社会を理解して政府を倒さなければならない。国民みんなが政府を滅ぼすために政府に税金を払わなければいい。国民は国民みんなの一員として政府に税金を払わなければいい。

[21740] 国民みんなは自分で決めた文化を自分でやらねばならない。☆ h26.12.29
近世の国民は「道徳があって科学がない文化」をやっていた。近世の国民は『道徳がある文化』をやるために自分で道徳や法律を勉強して『人間がみな平等である』ことを守って平和に暮らしていた。一方で、近世の国民は「科学がない文化」をやるために科学や産業を勉強せず国の産業を伸ばさず自分を貧乏にするために幕府という乞食[こじき]の団体に要らないお金を恵んでやった。幕府が年貢[ねんぐ]を取るのは乞食坊主が托鉢[たくはつ]するのと同じである。幕府が国民に意地悪[いじわる]するために鎖国をやったのではなく、国民が自分でヨーロッパから科学や産業を取り入れないために幕府に鎖国をやらせたのである。
近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。近代の国民は『科学がある文化』をやるために自分で科学や産業を勉強して国の産業を伸ばして物をたくさん作って物をたくさん売って儲[もう]けた。一方で、近代の国民は「道徳がない文化」をやるために『人間がみな平等である』ことを守らず身分制が出来て政府という上の者の団体が生まれた。暴力団や宗教団体という上の者の団体も生まれた。国民はせっかく自分が『科学がある文化』をやって儲けたお金を政府や暴力団や宗教団体に奪われて貧乏だった。政府が税金を取るのは暴力団が強盗するのと同じである。つまり、暴力団は芝居をしない政府である。政府や暴力団や宗教団体が国民に意地悪をするために国民からお金を奪ったのではなく、国民が自分で身分制をやるために政府や暴力団や宗教団体にお金を奪わせたのである。
現代の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。現代の国民は『科学がある文化』をやるために自分で科学や産業を勉強して儲けている。現代の国民は『道徳がある文化』をやるために『人間がみな平等である』ことを守って身分制をなくして政府と平等にして政府をなくしている。暴力団や宗教団体もなくしている。国民は自分が『科学がある文化』をやって儲けた分を上の者に奪われず自分のものにしている。国民が自分で身分制をやらないために政府や暴力団や宗教団体にお金を奪わせなくなったのである。国民が自分で平等制をやるために政府や暴力団や宗教団体をなくしているのである。
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を作る。国民みんなの文化によって国が決まる。国民みんなは自分で文化を決めて自分で文化をやっている。国民みんなは自分で決めた文化を自分でやらねばならない。時代によって国民みんなの文化が違う。国民みんなの文化によって時代が決まる。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』に適[かな]った『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。国民みんなが『科学と道徳の両方ある国』がどんな国かをよく考えて『科学と道徳の両方ある国』を具体的に実現しないといけない。例えば、『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが実在を眼で見て頭で考えて実在を理解しないといけない。頭で考える人は眼で見る世界とは別の世界に生きている。だから、頭で考える人は不細工[ぶさいく]でかっこ悪い。したがって、『科学と道徳の両方ある国』ではみんなが不細工でかっこ悪い人を大事にしないといけない。また、例えば、『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが自分で科学や産業を勉強して自分で工場を建てて物を作って売って儲けねばならない。それは、これまでの「科学があって道徳がない文化」と同じである。みんなが『人間がみな平等である』ことを守って暮らさねばならない。だから、法律会社が要る。だから、法律会社を建てればいい。政府は上の者であって法律会社ではないから政府ではいけない。政府は『人間がみな平等である』ことを破るからみんなで政府を倒さねばならない。

[21741] それでも政府は潰[つぶ]れている。 h26.12.29
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のすべてのものを支配する。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
政府は国民みんなに反している。
だから、今の国民みんなは政府を倒している。
ただ、前の「科学があって道徳がない文化」のせいで、国民みんなが馬鹿になっていて社会がわからなくなっているので、国民みんなが政府を倒す早さがゆっくりである。『科学と道徳の両方ある文化』をやって現実の社会を自分の眼で見て頭で考えて現実の社会がわかった国民から順番に政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
一方、政府は「科学があって道徳がない文化」のために自分が馬鹿になっていて社会がわからないことにして、昔と同じように身分制をやって国民から税金を取ったり国民を虐待したり国民の喜びをなくしたりしている。
国民みんなはテレビや新聞を見すぎて政府に付き合って政府といっしょに身分制をやらないようにして、自分でまじめに社会の法則に従って政府を倒さねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国のすべてのものが国民みんなに従わねばならない。だから、みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。政府が「科学があって道徳がない文化」をやって身分制をやっているのはまちがっている。だから、国民みんなで政府を倒して、みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやる国にしないといけない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。しかし、政府は身分制をやって『人間がみな平等である』ことを破っている。政府がまちがっている。だから、国民みんなは政府を倒して、『人間がみな平等である』国にしないといけない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守ってみんなと平等にしなければならない。今の民間会社の社長は中途半端[ちゅうとはんぱ]に身分制をなくして善い人ぶっているだけである。社長は本当はあいかわらず身分制をやって自分が働かずに社員の稼[かせ]ぎをふんだくって贅沢[ぜいたく]をして遊んで暮らしている。『社長は死ね!』『社長なんか要らない!』『社長は会社から出て行け!』社員みんなで社長を倒して社長のない会社にしなければならない。賃金[ちんぎん]は仕事量に比例しなければならない。社長や管理職は仕事が楽だから社員よりも安月給にしなければならない。そうすれば、社員みんなが社長や管理職を無能だと馬鹿呼ばわりして、誰も社長や管理職をやりたがらないだろう。社長や管理職はいつもボロボロの服を着て汚い身なりをしてミジメな思いをしなければならないだろう。実力のある者はみっともなくても平気だが、社長や管理職は馬鹿だから見栄[みえ]しか生きがいがないからみっともないのがつらいだろう。

[21742] 芸能プロダクションとは何か? h27.1.2
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制があった。人間が上の者と下の者に分かれて下の者が上の者に従わねばならなかった。
芸能界は芸能プロダクションと芸能人に分かれていた。芸能プロダクションが上の者で芸能人が下の者だった。芸能人は芸能プロダクションにこき使われて儲[もう]けのほとんどを芸能プロダクションに盗[と]られていた。昔は国民みんなが「世の中はそういうものだ」と思っていたので、芸能人もそう思って、芸能プロダクションがいくら自分の儲けを横取りしてもおとなしくして文句を言わなかった。芸能プロダクションにこき使われて働きすぎて死んだ芸能人もたくさんいた。
しかし、今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず平等制がある。身分制がない。人間がみな平等であり、人間は他人と自由に契約して働いてお金を得る。
芸能界は芸能プロダクションがない。芸能界には芸能人しかいない。芸能人がテレビ局やユーチューブや劇場などと自由に契約して出演してお金をもらっている。今では国民みんなが「世の中はそうあるべきだ」と思っているので、芸能人もそう思って、自分で直接にテレビ局などに行ってテレビ局などと契約して仕事をしている。他人の稼[かせ]ぎで食っている汚いハイエナのような芸能プロダクションがないので世の中がすがすがしい。
文学界も同じである。昔は文学界は出版社と文学者に分かれていた。出版社が上の者で文学者が下の者だった。文学者は出版社にこき使われて儲けのほとんどを盗られていた。昔は国民みんながそれが当たり前だと思っていたので、文学者も出版者に文句を言わずにおとなしく自分の稼ぎを盗られていた。
しかし、今は文学界には出版社がいない。文学者が自分で文を書いて販売業者と自由に契約して文を売ってお金を得ている。今では国民みんなが「そのほうがいい」と思っているので、文学者もそう思って、出版社に頼らずに自分で直接に販売業者を介して自分の文を売って儲けている。出版社は食い扶持[ぶち]を失って飢えて死んでいる。文学者に集[たか]ってジメジメ食っている出版社がなくなって気分がいい。いくらお金を持っていてもお金だけでは何にもならない。お金は使わなければ役に立たない。文学者が自分が儲けたお金で会社を建てていろんな事業をやればみんなが仕事をしてみんなが豊かになってみんなが幸せになってますますいい世の中になる。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなの文化が国を決める。昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔はすべての世界に身分制があって上の者と下の者に分かれて上の者が下の者をこき使って食っていた。今では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今は平等制の社会である。今の社会には他人の稼ぎで食っている上の者がいない。みんなが自分で働いて自分の収入を得ている。よく働く者は金持ちになり、あまり働かない者は貧乏になる。そのほうが世の中が簡単でいい。

[21743] 今の国民みんなは現実の社会を知って自分がやるべきことをやらねばならない。 h27.1.5
国民みんなが国の最高権力者である。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
ところが、政府は「科学があって道徳がない文化」をやって身分制の上の者をやっている。政府は国民みんなと違う文化をやっている。政府は国民みんなに従っていない。政府は今の国民みんなの文化の外にある団体である。今の国民みんなにとって政府は要らない。政府はあってはならない。
だから、今の国民みんなで政府を倒さねばならない。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなは政府の命令を聞いて身分制の下の者をやって「科学があって道徳がない文化」をやってはいけない。
つまり、今では国民みんなが政府を倒さねばならない状況になっている。あとは、国民みんながそれを認識して実行すればいいだけである。だから、国民みんなは早くそのことを理解して自分の身体でやらねばならない。

[21744] 暴力団とは何か? h27.1.5
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「科学があって道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制があった。あらゆる世界に身分制があった。あらゆる世界で人間が上の者と下の者に分かれていた。
上の者はひとつだけではなかった。政府だけが上の者ではなかった。国作りをする世界では政府が上の者であり、悪いことをする世界では暴力団が上の者であり、宗教界では宗教団体が上の者だった。一般の国民は政府や暴力団や宗教団体の全部に従わねばならなかった。一般の国民は政府や暴力団や宗教団体の命令におとなしく従わなければならなかった。
しかし、時代は変わって、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず平等制がある。身分制がない。あらゆる世界に平等制がある。あらゆる世界で人間がみな平等である。
今ではあらゆる世界で人間がみな平等である。国作りをする世界でも悪いことをする世界でも宗教界でも人間はみな平等である。国民はみんな国作りをする団体や暴力団や宗教団体と自由に契約をしてお金を払って仕事をしてもらわねばならない。国民は暴力団にお金を払って自分の気に入らない相手に暴力をふって痛めつけてもらわねばならない。お金持ちの人はお金が有り余っているから他人が幸せそうにしているのが気に入らなくて暴力団にお金をやって他人の幸せをぶち壊しにするかもしれない。そうなると社会は大変だ。だから、早く法律会社が建って、国民みんなは法律会社と契約してお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらわねばならない。

[21745] 江戸時代には身分制はなかった。 h27.1.5
江戸時代には国民みんなが「道徳があって科学がない文化」をやっていた。「道徳があって科学がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず平等制があった。
江戸幕府は身分制を定めていたけれども、それは形の上にすぎず、実質的には身分制はなかった。国民みんなが「道徳があって科学がない文化」をやっているために「道徳があって科学がない文化」ではみんなが貧乏にならなければならないので国を作る団体である幕府を乞食[こじき]だと思って幕府にお金を恵んでやっていたことを幕府が利用して嘘[うそ]をついて国民みんなに「幕府の身分が高い」と思わせようとしたのだが、国民みんなの頭がよかったのでうまくいかなかった。
江戸時代には国民みんなが国を作る団体である幕府を乞食だと思って幕府にお金を恵んでやっていた。だから、国民みんなは自分にお金の余裕がなかったら幕府にお金を恵んでやらなくてもよかったのである。いくら幕府が「年貢を払え」と国民に言っても、国民は「乞食が偉そうに言うな!」と思って幕府に年貢を払わなかったのである。しかし、田舎[いなか]の農村ではみんなが馬鹿だったので幕府の嘘に騙[だま]されて「幕府を本当に上の者だ」と思っていたので、自分が幕府に逆らってはいけないと思っていたので自分が幕府の命令に従えないときにはヤケクソになって一揆[いっき]を起こしたりしたのである。幕府が自分のついた嘘のために自分が殺されたのである。幕府は馬鹿に「幕府が国民を支配している」と思わせるために刀を差していた。しかし、本当は幕府と国民は平等だったのである。
江戸時代の身分制は形だけで実質はなかった。柔道や将棋や書道に段や級があるようなものだった。たとえ実力の差はあっても、みんなが平等に暮らしていた。幕府は形式的には国民よりも身分が高かったが、実質的には国民と平等だった。幕府が国民に命令したり国民を好き放題にすることはなかった。江戸時代は平和な時代だったのだ。
今では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず身分制がない。ところが、政府は今でも身分制をやって国民みんなに命令して税金を取ったり国民を虐待したり国民を嫌がらせたりしている。しかし、今では身分制がなく上の者がいない。みんなが平等である。だから、国民みんなはいくら政府が命令しても「平等な者が偉そうにするな!」と思って政府の命令を聞いてはいけない。将来、法律会社が建ったら、国民みんなは法律会社と自由に契約してお金を払って法律の仕事をやってもらえばいい。人間は自分がやってもいいことならなんでもやる。だから、罰する者がいなくなったらみんなはだんだん悪いことをやり出す。世の中が乱れて住みにくくなる。だから、法律のある社会にするために早く国民みんなで法律会社を建てねばならない。政府は建っているだけで法律の仕事は何もしていない。政府は国を荒らす仕事をしているだけで国民の人権を守っていない。だから、国民みんなで早く政府を倒して法律会社と入れ替えねばならない。政府は身分制の上の者である。上の者は下の者に悪いことをやる。政府は国民に悪いことをする団体である。嘘は悪いことである。だから、政府は嘘をつく。政府は国民みんなに嘘をついて国民みんなと平等にしているふりをするために国会議事堂を建てたのである。今の国民みんなは政府の嘘に騙されないようにして早く政府を倒さなければならない。

[21746] どうして今の人は考えないのか? h27.1.7
今の人は生まれつきコンピューターに囲まれて暮らしている。
今の人はコンピューターを見て育っている。今の人はコンピューターを真似[まね]て暮らしている。
ところが、今のコンピューターには考える能力がない。
だから、今の人は考えないのである。今の人には考える能力がないのである。今の人は眼で見たことをコピーして張り付けることしかできないのである。今の人は眼で見えることしかわからない。今の人は眼で見る喜びしかないのである。
そのために、今の人は政府がどんな団体なのか理解できず、政府がテレビや新聞でやっていることを鵜呑[うの]みにして「政府が国民みんなのためになることをする善い団体だ」と思って政府を支持して政府に従っているのである。
将来、コンピューターが進歩して考えることができるようになれば、人間はコンピューターを真似して自分で考えるようになるだろう。それまでは、自分で考えることが好きな人間がみんなの代わりに考えてやって、みんなが考えないのを補ってやらねばならない。

[21747] 国民みんなが国を作る。 h27.1.8
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制があった。政府が上の者で国民が下の者だった。国民は政府の命令に何でも従った。つまり、政府は国民を自分の好き放題にした。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民に戦争をさせたりした。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守るから平等制がある。政府と国民が平等である。国民は政府の命令を何も聞かない。国民は政府の命令で政府に税金を払わず政府を倒している。つまり、政府が国民を好き放題にできなくなって滅んでいる。
政府は昔の国民みんなの「科学があって道徳がない文化」が生み出した団体である。
今の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』に変わっているから、政府が滅んでいるのである。

[21748] 今の社会では悪いことがやれない。 h27.1.8
振り込め詐欺[さぎ]の“振り込め”とは、振り←フリ←リフ←川ブ(リ≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で、込め←米←白くて光る玉←光るトンビ←神武天皇のことである。だから、振り込め詐欺とは「科学があって道徳がない文化」をやっている者が国家宗教でやっている悪事である。「道徳のない文化」では悪いことをやっていいから、「科学があって道徳がない文化」をやっている者は「自分がやっていいことをやっている」と思って悪いことをやっているのである。「科学があって道徳がない文化」をやっている者はどこかで私の情報を聞いて、天皇や私の情報を使って悪いことをやっているのだろう。殴[なぐ]る←拳骨[げんこつ]をふる←拳骨は丸い←光るトンビ←神武天皇、蹴[け]る←ケル←ルケ←川ブ(ル≒川、ケ≒ブ)←私だから、「科学があって道徳がない文化」をやっている者は他人を殴ったり蹴ったりして暴行を加えて他人からお金を奪っているのだろう。「科学があって道徳がない文化」では、みんなが悪いことをやってもいいことと国家宗教の神が上の者であることが結びついて、みんなが国家宗教の神の情報を使って悪いことをやってもいいことになったのである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では悪いことをやってはいけない。今の国民みんなは他人が悪いことをするのを認めない。詐欺は悪いことである。今の国民みんなは他人が詐欺をするのを認めない。今の国民みんなは詐欺をする者を罰しようとする。だから、今の社会では振り込め詐欺はやれないのである。
国民みんなは国の最高権力者である。国のすべての者が国民みんなに従わねばならない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今どき「科学があって道徳がない文化」をやっている者は時代遅れである。『科学と道徳の両方ある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならず悪いことがやれない。だから、今のみんなは悪いことをやってはいけない。
昔の人は「科学と道徳が相[あ]い反する」と誤解していたから、「科学をやっている時代は道徳がやれない」と考えて、科学をやっている時代には悪いことをやっていたのである。他人が悪いことをするのを認めていたのである。今の人は『科学と道徳が相い反しない』と考えているから、『科学をやっている時代にも道徳がやれる』と考えて科学の時代にも悪いことをやらなくなったのである。他人が悪いことをするのを認めなくなったのである。ガリレオ(1564-1642)が観察と実験を考え出して五感界と知覚界が結びついたように、デカルト(1596-1650)が直交座標系を考え出して代数学と幾何学が結びついたように、エジソン(1847-1931)が発明品を考え出して科学と道徳が結びついたのである。
人間は幸福のために生きているのではない。正しさのために生きているのでもない。人間は“何か”を肯定して生きているだけである。その“何か”によって人間は幸福になったり不幸になったり実在的になったり空想的になったりする。昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」を肯定していたから、実在の中で不幸に暮らしていた。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』を肯定しているから、実在の中で幸福に暮らさねばならない。私は子供の頃は科学ばかり勉強して道徳を馬鹿にして道徳を知らなかったために精神分裂病に罹[かか]って不幸になった。私は精神分裂病に罹ってから道徳の大事さを知った。人間が幸福に生きるためには道徳を知らねばならない。人間にとっての真の幸福は空想ではなく実在にある。だから、人間は科学と道徳の両方を知らねばならないのだ。

[21749] 人間はどうして気が狂うのか?★☆ h27.1.9
人間は『自分の脳を激しく興奮させる』から気が狂うのである。自分の脳を激しく興奮させなければ気が狂わないのである。
私が6歳の頃、掃除[そうじ]の時間に算数の問題を考えながら学校のプールの溝[みぞ]を掃除していたら自分の頭の上から「この道を行け」という男の声が聞こえたがそれきりだった。これは空耳[そらみみ]というものであって、人間の脳にテレパシー器官(テレパシーを出したり聞いたりする器官)がある証拠である。テレパシーが聞こえただけでは病気ではない。
私が高校1年生のとき、英語の授業中に右隣の席のO君が英語の教科書をパラパラめくっているのを見て「勉強を馬鹿にするな!」と思って腹を立てて“自分の脳を激しく興奮させて”怒り狂ってテレパシーを使ってO君に訴えて態度を改めさせようとしたら、その日の晩に近所の家から私の悪口を言っている幻聴が聞こえてきて精神分裂病に罹[かか]った。私が中学3年生の秋頃から高校1年生の頃まで毎日家の風呂場でオナニ−をしていたために“自分の脳を激しく興奮させる”癖が身についていたのでO君がパラパラめくりをするのを見て自分の脳を激しく興奮させたために分裂病に罹ったのである。それからしばらくは私は幻聴が聞こえるたびごとに腹が立つようになって近所の家に使用済みの単一や単二の乾電池を投げて窓ガラスを割って暴れまわった。私がO君がパラパラめくりをしているのを見て腹を立ててテレパシーを使って態度を直そうとしたために、私の脳のイライラ中枢(イライラする感情の中枢)とテレパシー器官の間に条件反射が出来て、逆にテレパシーが聞こえるとイライラ中枢が興奮するようになってテレパシーを止めようとして暴れるようになったのである。私がO君がパラパラめくりをするのを見て腹を立てたときに、O君を激しく横目で睨[にら]んだので私はそれ以来横目で睨む癖が身についてみんなに嫌われるようになった。私が腹を立てながらO君を横目で睨んだために、イライラ中枢と横目で睨む運動中枢の間に条件反射が出来たために、私がちょっとでもイライラするとすぐに横目で睨むようになった。私がイライラしている間はずっと横目で睨むようになった。私がさんざんテレパシーの悪口を聞かされたために人間が嫌いになったので、私が他人の顔を見るたびに私のイライラ中枢が興奮して条件反射で横目で見るようになって他人の顔を直視できなくなって他人に嫌われるようになった。私が「私が横目で睨んでいることを他人が気にしている」と思うと私がイライラするので、私のイライラ中枢が興奮してますます私が横目で睨むようになった。私が近所の家からテレパシーが聞こえて腹を立てて家の窓を開けて近所の家に向けて激しく咳[せき]をしたために、イライラ中枢と咳の聴覚の間に条件反射が出来て、逆に他人の咳を聞くたびに腹が立つようになった。私が高校1年生のときにO君がパラパラめくりをするのを見て腹を立てたときに“自分の脳を激しく興奮させた”ために死ぬまでずっとイライラしたままになった。イライラ中枢が興奮したままになった。私は子供の頃から怒りっぽくてよく家の中で弟の態度が気に入らなくて弟と喧嘩[けんか]をしたが、そのときは“自分の脳を激しく興奮させ”なかったのでイライラするのがすぐに治まった。それから3年後、私が地元の大学に合格して大学生になると、イライラ感情もそこそこ静まって幻聴が聞こえて暴れたりすることはなくなった。
それから2年後に私は地元の大学を辞めて半年間自宅で浪人して県外の大学の医学部に合格した。私は中学高校生の頃に生物学が苦手だったが他人に馬鹿にされないために医学部を選んだ。私は親元を離れて引越しした。最初の2年間は教養部生で自分の得意な科目を学べたから順調だった。しかし、医学部の専門課程に進んでからは朝から晩まで自分が苦手な医学を勉強させられて気持ちが落ち込んで毎日が地獄のように苦しかった。成績も急に悪くなって周[まわ]りのみんなから軽蔑されるようになった。それでもなんとか医師国家試験には合格した。医学部を卒業して1年間医者の見習いを勤めたが、やっぱり医者の職業が好きになれずに退職した。それから1年間浪人して、同じ大学の理学部物理学科に合格してもう一度大学生をやることにした。医者を辞めた後でもしばらく落ち込んでいたが、理学部に入って自分が好きな物理学を勉強するようになると気持ちが落ち込むのが治った。幸いにも、私が医学生の頃にはオナニーをするのをやめていたので“自分の脳を激しく興奮させる”癖がなくなっていたので、私は落ち込み中枢(落ち込む感情の中枢)を激しく興奮させずにすんだので鬱病[うつびょう]に罹らなかったのである。抑鬱神経症[よくうつしんけいしょう]ですんだのである。自分の気分が落ち込んでいるときに“自分の脳を激しく興奮させる”と死ぬまでずっと気分が落ち込んだままになって鬱病に罹るのである。バネが手である程度までは伸ばしても手を離せば元に戻るが、バネを伸ばしすぎて限界を超えたら伸びたっきりになって元に戻らなくなるのと同じことである。
要するに、人間は“自分の脳を激しく興奮させ”なければ、イライラ感情や落ち込み感情が一時的に興奮するだけで精神病に罹らない。人間が自分の脳を激しく興奮させたために、イライラ中枢や落ち込み中枢がずっと興奮し続けるようになってイライラ感情や落ち込み感情に苦しめられるようになって精神分裂病や鬱病に罹るのである。人間がオナニーやセックスや麻薬などで“自分の脳を激しく興奮させる”癖が身につくと自分が腹が立ったときや落ち込んだときなどに“自分の脳を激しく興奮させて”自分のイライラ中枢や落ち込み中枢が死ぬまでずっと興奮し続けるようになるのである。だから、自分が精神病に罹りたくなければ、オナニーやセックスや麻薬などをやってはいけない。あらかじめ自分がどんなことにイライラしたり落ち込んだりするかを知って、自分がイライラしたり落ち込んだりする環境に自分の身を置かないことも大切である。怒ってテレパシーを使おうとすると分裂病に罹るので、絶対に自分が怒ったときにはテレパシーを使ってはいけない。

[21750] 今の国民みんなは政府が嘘[うそ]をつくのを許している。 h27.1.10
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは平等制をやっている。今では政府と国民は平等であり、政府は国民に命令できない。
それでも、政府の役人は国民に「税金を払え!」と言っている。
政府が言葉で言うまではいい。国民みんなは政府が嘘[うそ]をつくぐらいは許してやる。実際には、国民みんなは政府の言うことを無視して、政府に税金を払わなければいいのである。
国民みんなが国を決める。だから、国民は国民みんなが決めたことを守ればいいだけである。今の国民みんなは平等制を決めている。だから、国民は政府と平等にすればいい。政府が国民に「税金を払え!」と命令しても、国民は政府の命令を無視して政府に税金を払わなければいいのである。将来、法律会社が建ったら、国民は法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って仕事をやってもらえばいい。

[21751] 般若心経[はんにゃしんぎょう]はまちがっている。 h27.1.10
色とは眼で見えるけれども実在しないことである。例えば、色の実体は波長の違う電磁波であって、色そのものは実在しない。
空とは眼で見えないけれども実在することである。例えば、空気は眼では見えないが、空気分子は実在する。
だから、色と空とは違う。
般若心経が「色即是空」と言っているのはまちがいである。(ただし、般若心経でいう空とは実在しないという意味であり、今日的[こんにちてき]な意味での空とは違うので、般若心経が正しいとも言える。)
人間は知覚があるから実在が見える。人間は色が実在せず、空が実在することがわかる。動物は色にとらわれて空を見ることができない。人間は色がわからず空がわかる生き物である。動物よりも人間のほうが実在が見えるから、人間は動物よりも実在によく適応できる。実在に適応した者ほど幸福である。だから、人間は動物よりも幸福に生きられるのである。それが日本人の世界観である。
人間は空がわかる生き物である。例えば、人間は“国民みんな”がわかる。国民みんなは眼で見えないけれども実在する。だから、人間は“国民みんな”という概念を使って社会を理解すればいいのである。それが真の社会の姿なのである。そういう目で見ると、政府は昔の国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやって身分制をやっていたために出来た“上の者の団体”であることがわかる。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって平等制をやっているから“上の者の団体”がなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。

[21752] 今の人類は自分の文化について考えられるようになっている。 h27.1.10
今は『科学と道徳の両方ある時代』である。今では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』では、物を眼で見て頭で考えねばならない。だから、今の国民みんなはそうしている。
しかし、世の中には頭で考えるのが死ぬほど嫌いな者がいる。例えば、私の弟がそういうタイプだった。毎年夏休みの最後の日に溜[た]まった宿題を泣きながらやっていた。小学高学年になると学校にも行かなくなった。そういう者にとっては「科学があって道徳がない文化」のほうがいい。「科学があって道徳がない文化」では、物を眼で見るだけで頭で考えなくていいからである。だから、頭で考えるのが嫌いな者は「科学があって道徳がない文化」を支持している。身分制や国家宗教や政府や暴力団や宗教団体などを支持している。
中世のヨーロッパでは国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「科学があって道徳がない文化」では物を眼で見るだけで頭で考えてはいけなかった。そのために、学問の本が捨てて焼かれて学者が殺された。中世のヨーロッパでは学問が衰退し文明が衰えた。科学がなくなった。国民みんなはこれではいけないと思って学問や学者を守るようになった。イギリス政府がニュートンをいい待遇で迎えた。そうして、近代のヨーロッパは再び産業が発達して繁栄するようになったのである。近代のヨーロッパでも国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたが、国民みんなが物を眼で見て頭で考えることをいいことだとするようになったのである。「科学があって道徳がない文化」には矛盾があるから、修正しなければならなかったのである。
一方、江戸時代の日本では国民みんなが「道徳があって科学がない文化」をやっていた。「道徳があって科学がない文化」では頭で考えるだけで物を見てはいけなかった。国民みんなで鎖国をやってヨーロッパから科学や産業を取り入れないようにしていた。国民みんなが自分を貧乏にするために幕府にお金をやっていた。しかし、江戸時代にも国民みんなは提灯[ちょうちん]や行灯[あんどん]を使っていた。ロウソクや油を使っていた。マイケル=ファラデーが『ロウソクの科学』の本を書いたように、ロウソクは明らかに科学の産物である。江戸時代の国民みんなも科学をやっていたのである。国民みんなは「道徳があって科学がない文化」をちゃんと守っていなかったのである。人間は完全に物と関わらずには生きていけない。人間が死んでしまったら道徳もやれない。もともと「道徳があって科学がない文化」には矛盾があるから、そんな文化なんかちゃんと守れたものではなかったのである。
今では『科学と道徳の両方ある文化』がもっとも正しいことがわかっている。矛盾がないことがわかっている。人類はようやく最近になって正しい文化がわかったのである。だから、今の人類は『科学と道徳の両方ある文化』を守らなければならない。ようやく人類は自分の文化について考えて正しい文化がわかって正しい文化をやれるようになった。それも人類の進歩である。学問の進歩である。喜ばしいことである。『科学と道徳の両方ある文化』は人類の学問の成果である。だから、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』を大事にしてそれを守らなければならない。

[21753] 『国民みんなが国の最高権力者である』ことは社会の運動方程式である。 h27.1.12
『国民みんなが国の最高権力者である』ことはトマス・ホッブス(1588-1679)が発見した。『国民みんなが国の最高権力者である』から、国民みんなが国を決めるから、国民みんなの文化が変わると国も変わる。国が変わると国民みんなの文化が変わって、さらに国が変わる。こうして、国民みんなと国が時間とともに変わっていく。
『F=ma』であることはアイザック・ニュートン(1643-1727)が発見した。『F=ma』だから、力が物体の運動を決めるから、力が変わると物体の運動も変わる。物体の運動が変わると力が変わって、さらに物体の運動も変わる。こうして、力と物体の運動が時間とともに変わっていくのである。
ホッブスは社会の運動原理を発見し、ニュートンは物体の運動原理を発見したのである。物体が『F=ma』の原理に従って時間的に変化しているだけであるように、社会も『国民みんなが国の最高権力者である』の原理に従って時間的に変化しているだけである。
昔の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、昔の国民みんなは『科学のある文化』をやって自分で科学を勉強して国の産業を発達させて、「道徳がない文化」をやって自分で『人間がみな平等である』ことを守らないようにして身分制をやって政府や暴力団や宗教団体を上の者だと考えて何でも命令に従った。政府や暴力団や宗教団体が国民みんなに命令して国民みんなからお金を取って儲[もう]けていた。
今の国民みんなは世界文化をやって『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、今の国民みんなは『科学のある文化』をやって自分で科学を勉強して国の産業を発達させて、『道徳のある文化』をやって自分で『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって政府や暴力団や宗教団体を上の者だと考えずみんなと平等にしないといけない。他人と自由に契約して他人からお金をもらって他人に仕事をしないといけない。政府や暴力団や宗教団体が国民みんなに命令できなくなって国民みんなからお金を取れなくなって滅んでいる。

[21754] 政府は武力で国民みんなを支配しているのではない。 h27.1.12
ルソー(1712-1778)は「政府が武力で国民みんなを支配した」と考えた。
しかし、その後でフランス革命(1789年)が起こった。国民みんなが武力で政府を支配した。
ルソーの理論が正しいとすると、フランス革命は起こらないはずである。
だから、ルソーの理論はまちがっている。
本当は『国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国を支配している。』のである。昔のヨーロッパでは国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、国民みんなが「道徳がない文化」をやって『人間がみな平等である』ことを守らなかったから身分制があって、国民みんなが政府を上の者だと思って政府に従っていたのである。国民みんなは自分の文化によって政府に服従していたのである。つまり、政府は“国民みんなの文化”で国民みんなを支配していたのである。しかし、今のヨーロッパでは国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになったから、国民みんなが『道徳がある文化』をやるようになって『人間がみな平等である』ことを守っているから身分制がなくなって、国民みんなが政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなったのである。国民みんなが自分の文化によって政府に従うのをやめたのである。つまり、政府が“国民みんなの文化”で国民みんなを支配できなくなったのである。
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を支配している。国民みんなは自分の文化で動けばいいだけである。今の日本では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の日本では国民みんなが政府を上の者だと思うのをやめて政府に従わなければいいのである。国民みんなが政府と平等にして政府の命令を聞かなければいいのである。国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。政府の替わりに法律会社を建てて、国民みんなが法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって仕事をさせればいいのである。

[21755] 今の国民みんなは自分の文化に騙[だま]されている。 h27.1.13
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやっていたから政府が上の者だった。また、「道徳がない文化」ではみんなが嘘[うそ]をついてもよかった。だから、政府は本当は上の者をやっているのに、国民の前では国民と平等な者のふりをしていたのである。国民みんなもちゃんと『政府が嘘をついている』ことがわかっていて、『政府が本当は上の者をやっている』と考えて政府の命令に従っていたのである。[いくら昔の国民みんなが「道徳のない文化」をやっていたから政府が上の者をやって国民みんなを自分の好き放題にしてもいいといっても、露骨[ろこつ]にやると国民みんなが怒って政府を倒しかねないから、政府は国会の民主主義の芝居で覆[おお]いながら国民みんなを刺激しないようにしながら密[ひそ]かに悪いことをやっていたのである。政府は国民みんなを騙すためではなく、国民みんなの機嫌[きげん]を取るために民主主義の芝居をやって国民みんなと平等なふりをしていたのである。いくら理屈の上で政府が悪いことをやってよくても、政府が実際に悪いことをやるためには政府が国民と平等にする芝居をやって色(眼で見えるだけで実際にはやっていないこと)を付けながらやらねばならなかったのである。つまり、政府が民主主義の芝居をやって善い団体のふりをしていたのは、自分が悪いことをするための“必要善”[ひつようぜん]だったのである。しかし、今では理屈の上でも政府は悪いことをやってはいけないから、いくら政府の国会が一生懸命に民主主義の芝居をやって色を付けても政府は悪いことをやってはいけない。]
しかし、今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守ってみんなと平等にしないといけない。また、『道徳がある文化』ではみんなが正直にしなければならない。だから、今の国民みんなはテレビや新聞で政府が国民と平等にしているのを見て、「政府が正直に国民みんなと平等にしている」と思って政府を信頼して政府に従っているのである。本当は政府は昔と同じように身分制の上の者をやっているのに、今の国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているためにテレビや新聞の政府の芝居に騙されて政府に従っているのである。つまり、今の国民みんなは自分の文化に騙されているために、政府を信じて政府に従っているのである。本当は『政府は上の者をやっている』のに、国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているために「政府が平等な者をやっている」ように見えるのである。本当は『地球が動いている』のに、昔の国民みんなが天動説を信じていたために「太陽が動いている」ように見えていたのと同じことである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学のある文化』ではみんなが真実を理解しなければならない。政府の正体は上の者をやる団体であり、それに平等な者の芝居をやる団体(つまり国会)が付属しているだけである。国会は政府のレイヤー(覆[おお]い)である。国会が政府がやっていることを隠しているために、国民には政府がやっていることがわからないのである。政府は国民と平等な者のふりをして、じつは上の者をやっている。政府はテレビや新聞の宣伝の上でだけ国民と平等にして、実際には上の者をやって国民を自分の好き放題にしている。本当は、政府は上の者をやって国民に命令して国民から税金を取ったり国民を虐待したり国民が喜ぶことをなくして国民が不幸に暮らさねばならないようにしている。一方、今の国民みんなは『道徳のある文化』をやっている。今の国民みんなは『人間がみな平等である』ことを守ってみんなと平等にしなければならない。今の国民みんなは政府と平等にして、政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。将来、法律会社が建ったら、国民みんなは法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って仕事をやってもらえばいい。
国民みんなが国の最高権力者である。国を決めるのは国民みんなであって政府ではない。今でも政府は上の者をやっているが、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって平等制をやっている。だから、いくら政府が上の者をやって国民に命令しても、国民みんなは政府と平等にして政府の命令を無視して政府の命令を聞かなければいいのである。国民みんなは政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民みんなは早く政府を倒して、国民と平等な法律会社を建てて法律会社に国を作る仕事をやってもらわなければならない。

[21756] 今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。 h27.1.16
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなの文化で国が決まる。
昔の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなは「科学がある文化」をやって自分で科学を勉強して産業を伸ばして物をたくさん作ってたくさん売ってたくさんお金を儲[もう]けた。国民みんなは「道徳がない文化」をやって『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって政府や暴力団や宗教団体などを上の者だと思って従った。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなが科学で儲けたお金を根こそぎ奪って国民みんなは貧乏に暮らしていた。
今の国民みんなは世界を真似て『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなは『科学のある文化』をやって昔と同じように科学を勉強して産業を伸ばしてお金を儲けている。国民みんなは『道徳のある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって政府や暴力団や宗教団体などを上の者だと思わず従わない。国民みんなは政府や暴力団や宗教団体などと自分が平等だと思って、政府や暴力団や宗教団体が自分に命令しても聞かず政府や暴力団や宗教団体にお金をやらず政府や暴力団や宗教団体を潰[つぶ]している。
人間は考える生き物である。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』が今の国の原理である。だから、今の国民みんなは自分の頭で考えて『科学と道徳の両方ある文化』に適[かな]った行動をして『科学と道徳の両方ある文化』に適った国にしないといけない。

[21757] 今の国民みんなは政府や暴力団や宗教団体を滅ぼしている。 h27.1.17
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなの文化によって国が決まる。それが社会の法則である。
昔の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやっていたから、国民みんなが政府や暴力団や宗教団体を上の者だと考えて従った。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなが自分を上の者だと思っていることをいいことにして国民みんなを自分の好き放題にした。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなに命令してお金を取って国民みんなの嫌がらせをして遊んでいた。
反対に、今の国民みんなは世界を真似て『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある文化』ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっているから、国民みんなが政府や暴力団や宗教団体を平等な者だと思って従わない。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなが自分を平等な者だと思っているので国民みんなに命令できず好き放題にできない。政府や暴力団や宗教団体はいくら国民みんなに命令してもお金を取れなくなって滅んでいる。
つまり、政府や暴力団や宗教団体は昔の国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたことによって生まれた団体である。政府や暴力団や宗教団体は、昔の国民みんなが自分自身で生み出した団体である。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『科学と道徳の両方ある文化』では政府や暴力団や宗教団体が生まれないから、政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのである。
政府は上の者をやる“国を作る団体”である。今の国民みんなの文化には上の者がいないから政府が滅んでいる。暴力団は上の者をやる“悪いことをする団体”である。今の国民みんなの文化には上の者がいないから暴力団が滅んでいる。宗教団体は上の者をやる“宗教をやる団体”である。今の国民みんなの文化には上の者がいないから宗教団体が滅んでいる。昔の国民みんなの文化には上の者がいたから、昔の国民みんなは政府や暴力団や宗教団体が上の者だと思って従っていた。しかし、今の国民みんなの文化には上の者がいないから、今の国民みんなは政府や暴力団や宗教団体が上の者だと思わなくなって従わなくなった。
早く国民みんなで政府や暴力団や宗教団体などを倒して『人間がみな平等である』社会にしなければならない。国民と平等な法律会社が建って、国民みんなが法律会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。

[21758] 人間には知性があるから論理的に考えなければならない。 h27.1.17
小学生や中学生は自分の記憶や直感や山勘[やまかん]でとにかく正解を当てればいい。
しかし、高校生や大学生になると、まず原理を置いて原理に当てはまるように考えなければならない。それが大人の考え方である。一人前の人間としての考え方である。
社会の原理はトマス・ホッブスが言ったように『国民みんなが国の最高権力者である』ことである。
だから、社会のことを理解するためには『国民みんなが国の最高権力者である』原理に当てはまるようにして考えなければならない。
近代の国民みんなが政府に服従していたのは、近代の国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたからである。昔の人は「科学と道徳が相[あ]い容れない」と考えていたので、近代の人は科学をやっていたので自分が道徳がやれないと考えていた。そのために、昔の国民みんなは『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって政府を上の者だと考えて政府に従っていたのである。昔の国民みんなは政府の命令で政府に税金を払って政府ひとりがすごく儲[もう]けていたのである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の人は『科学と道徳が相い容れうる』と考えているので、今の人が科学をやっても道徳がやれるのである。そのために、今の国民みんなは『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって、政府が自分と平等だと思って政府に従わなくなっているのである。今の国民みんなは政府の命令で政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
国民みんなはたとえ自分が不幸になってもたとえ自分が貧乏になっても自分が決めた文化をやり抜くものである。国民みんなは自分の文化が変わるまでは自分が決めた文化をひたすらやり続けるものである。近代の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやると決めたから、たとえ政府に戦争をさせられても政府に国家宗教で虐[いじ]められても「科学があって道徳がない文化」をやり続けた。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやると決めているから、たとえ自分が政府に税金を払わないために政府に文句を言われても『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。

[21759] 眼と頭の両方を使うのは日本人の特技である。 h27.1.22
日本人は眼で物を見ることにこだわる民族である。
といっても、日本人は実在的に物を眼で見るのであって、ヨーロッパ人みたいに現象的に物を眼で見るのではない。
日本人が眼で物を実在的に見れるのは、日本人が昔から眼と頭の両方を使う民族だからである。日本人が眼と頭の両方を使うのは日本人の特技である。それが日本人の文化である。
日本人は眼で物を見ることを大事にする。日本人は眼と頭の両方で実在を見る。だから、日本人は幻聴なんかにかまわない。幻聴で言っているのはたいてい真実ではないからだ。
日本人は眼と頭の両方で実在を見る。眼と頭の両方を使うのは日本人の特技である。日本人は自分の才能を活かして世界的に有利に立たねばならない。

[21760] 自動車保険なんか要らない。 h27.1.23
自分が自動車保険に入ることよりも、自分が安全運転することを心がけたほうがいい。
癌[がん]保険に入るよりも、自分が禁酒禁煙を心がけたほうがいいのと同じである。
考え下手[べた]だ。
保険会社はコマーシャルの雰囲気で国民を騙[だま]して汚い金儲[もう]けをするな!

[21761] 日本は人口を減らせ! h27.1.23
昔は国民みんなが働いていた。
今は労働の自動化が進んで、人間が機械に置き換わっている。
だから、国の人口は減るはずである。
それなのに、逆に人口が増えている。だから、みんなが貧乏な思いをしなければならないのである。私のような失業者(仕事のない者)が増えて問題になるのである。
日本は資源が少ないから、いくら労働を機械化しても生産が増えないから、貧しい富をみんなで分け合わねばならないから、人口が増えると一人当たりの豊かさが減るのである。
日本は人口を減らすべきである。そうすれば、みんなが裕福に暮らせるだろう。

[21762] 『科学と道徳の両方ある文化』では実在しか許されない。☆ h27.1.24
今のみんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
『科学と道徳の両方ある文化』では現象も空想もやってはいけない。実在のみが許される。科学では眼で見なければならないので空想が許されず、道徳では頭で考えねばならないので現象が許されないから、『科学と道徳の両方ある文化』では空想も現象も許されないのである。つまり、科学とは眼で見ることであり、道徳とは頭で考えることである。『科学と道徳の両方ある文化』では眼と頭の両方を使わねばならず、眼と頭の両方を使ったらもはや実在しか見えないのである。
『科学と道徳の両方ある文化』では、みんなが実在を知り、実在で喜べばいい。みんなが眼で見て頭で考えて実在を知り、心で実在を自分の満足いくようにすればいい。
日本人はこれまでずっとそうやって来た。だから、これからもそうすればいい。


[21763] ヨーロッパ文化は眼で見ることであり、アジア文化は頭で考えることである。 h27.1.24
科学とは眼で見ることであり、道徳とは頭で考えることである。
ヨーロッパはこれまで長い間「眼で見る文化」をやってきたから、科学が発達したのである。眼では物がよく見えるから科学が発達したのである。ヨーロッパ人は現象と実在の世界に住んでいたのである。
反対に、アジアはこれまで長い間「頭で考える文化」をやってきたから、道徳が発達したのである。頭では心がよく見えるから道徳が発達したのである。アジア人は空想と実在の世界に住んでいたのである。
しかし、今ではヨーロッパとアジアがつながって世界が一つになっているから、ヨーロッパでもアジアでもみんなが『眼で見て頭で考える文化』をやっている。今では世界中のみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今では世界中の人が現象と空想の世界を捨てて実在の世界に住むようになっているのである。
ヨーロッパは「眼で見る文化」だったが、幾何学のように頭でも考えていた。ヨーロッパは眼で見える物について頭を使って考えていた。反対に、アジアは「頭で考える文化」だったが、数の計算のように眼でも見ていた。アジアは頭で考えることについて眼を使って見ていた。ヨーロッパは「眼で見る文化」だったが、眼で見るだけではなく頭でも考えていた。ただ、ヨーロッパは頭で考えることよりも眼で見ることに偏[かたよ]っていた。反対に、アジアは「頭で考える文化」だったが、頭で考えるだけではなく眼でも見ていた。ただ、アジアは眼で見ることよりも頭で考えることに偏っていた。しかし、今では世界が一つになって、世界中の人が「眼で見る文化」と「頭で考える文化」の両方をやっている。今では世界中の人が『眼で見て頭で考える文化』をやっている。今ではみんなが眼で見ることと頭で考えることのバランスをとるようになっているのである。
昔の日本が善い国だったのは、人口が少なくて、みんなが実在的な仕事をやっていたからである。今の日本が悪い国なのは、人口が増えすぎて、多くの人が現象的な仕事や空想的な仕事をするようになったからである。今の日本が悪いのは、日本の人口が増えすぎて余計な仕事をする者が増えたからである。日本の人口が減れば、日本は善い国になる。だから、みんなで日本の人口を減らさねばならない。


[21764] 心は頭や眼よりも後回しにしないといけない。 h27.1.24
人間が心で見すぎると現象や空想に囚[とら]われる。実在を見失う。
だから、「心で思う」こともほどほどにしないといけない。
人間は「心で思う」ことよりも『眼で見て頭で考える』ことを大事にしないといけない。
そもそも人間の心は生まれ持った実在に対する認識にすぎないから、人間の心には実在についての誤解があるから、心よりも実在を大事にしないといけない。つまり、人間にとっては「心で思う」ことよりも『眼で見て頭で考える』ことを大事にしないといけない。人間は『眼で見て頭で考えること』に対して「心で思う」ようにしなければならない。心は頭や眼よりも後回しにしないといけない。「心で思う」ことは『頭で考えたり眼で見たりすること』に従わねばならない。
人間は「眼で見る」ことと「頭で考える」ことと「心で思う」ことのバランスをとりながら、実在を知り実在の中で自分の心を満足させて幸福に暮らさねばならない。
人間は実在に逆らえない。人間は実在に従わねばならない。心よりも五感が、五感よりも知覚のほうが実在をよく認識できる。だから、人間にとっては心で思うことよりも眼で見ることを、眼で見ることよりも頭で考えることを優先しなければならない。

[21765] 日本人流の科学 h27.1.28
これまでヨーロッパは「眼で見て頭で考えない文化」をやってきた。反対に、アジア人は「眼で見ず頭で考える文化」をやってきた。
今さら日本人が「眼で見て頭で考えない文化」をやっても、ヨーロッパ人の後[あと]を追うだけである。ヨーロッパ人がこれまでやってきたことを辿[たど]るだけである。それでは進歩がない。
今ではヨーロッパとアジアがつながって一つになって、世界中のみんなが『眼で見て頭で考える文化』をやっている。世界中のみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、日本人もそうしないといけない。
しかしながら、日本人にとっては「眼で見ず頭で考える」のが伝統である。日本人はそれしかできない。日本はみんなが「頭で考えて眼で見ない」国である。日本は文学の国である。だから、日本人は文学的に科学をやらないといけない。だから、日本人は頭で考えてから眼で見ないといけない。それが日本人にとっての科学である。それが日本人流の科学である。
日本はアジアの国である。日本人はアジア人である。日本人は頭で考えることが得意で、眼で見ることが苦手である。だから、日本人は眼で物を観察することよりも頭でアイデアを出すことを心がけるとよい。頭で考えてから眼で見るようにすればいい。自分の考えを物に当てはめて物を見るようにすればいい。自分の考えで物を見て、物が自分の考えにぴったり合うまで考え直して自分の考えを正しくすればいい。そうすれば、日本人はもっと科学が得意になるだろう。日本人は「眼で見る」ことが上手[うま]くなるだろう。
今は『眼で見て頭で考える時代』である。つまり『科学と道徳の両方ある時代』である。だから、みんなが好き嫌いに関わらず科学と道徳の両方をやらないといけない。これまでずっとみんなは時代に合った生活をしてきた。昔は「眼で見て頭で考えない時代」だった。つまり「科学があって道徳がない時代」だった。だから、みんなはたとえ自分が嫌でも科学をやって実在について考えて道徳をやめて『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって政府や暴力団や宗教団体に従った。昔の国民は自分が「科学があって道徳がない文化」をやると決めてやっていた。昔の国民は自分から政府や暴力団や宗教団体に従っていたから、政府や暴力団や宗教団体が国民を支配できたのである。国民が政府に従うから政府が国民を支配できるのである。反対に、国民が政府に従わなければ政府は国民を支配できないのである。政府が国民を支配できるかどうかは国民が政府に従うかどうかによって決まるのである。昔の人は「眼で見ることと頭で考えることが相[あ]い容れない」つまり「科学と道徳が相い容れない」と考えて「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、自分が何の得にもならないのに政府などに従っていた。大昔の人が「神がいる文化」をやっていたから、自分が何の得にもならないのに神に生贄[いけにえ]を供[そな]えていたのと同じことである。[神がいるかいないかわからなければ、『神がいない』と考えてやって行くことにすればいい。]反対に、今の人は『眼で見ることと頭で考えることが相い容れる』つまり『科学と道徳が相い容れる』と考えて『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の私たちも今の『科学と道徳の両方ある時代』に合った生活をして、たとえ自分が嫌であっても科学をやって実在について考えて道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って身分制をやめて平等制をやらねばならない。今の国民は自分が『科学と道徳の両方ある文化』をやると決めてやらねばならない。今の国民は自分から政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして、政府や暴力団や宗教団体が国民を支配できないようにしなければならない。今では国民と暴力団は平等だから、国民が暴力団に殴[なぐ]られたら暴力団を殴り返さないといけない。
昔はみんなが「眼で見る世界と頭で考える世界が分かれている」と考えていたから、みんなが「眼で見ることと頭で考えることが相い容れない」と考えて科学と道徳のどちらか片方だけをやっていた。科学をやれば道徳をやらず、道徳をやれば科学をやらなかった。反対に、今はガリレオが『科学と数学(論理)が観察と実験でつながる』ことを示したことによってみんなが『眼で見る世界と頭で考える世界がつながっている』と考えているから、みんなが『眼で見ることと頭で考えることが相い容れる』と考えて科学と道徳の両方をやらねばならないのである。つまり、ガリレオのおかげで眼で見る世界が頭で考えてわかるようになった。眼で見る世界を物差しで測定して数量化すれば頭で考える世界に移すことができる。一般に、眼で見る世界を言葉で表して言語化すれば眼で見る世界を頭で考える世界に取り込むことができる。眼で見る世界が頭で考える世界に含まれる(眼で見る世界⊂頭で考える世界)。頭で考えれば眼で見る世界も頭で考える世界も両方わかる。頭で考えれば物も心も両方ともわかる。頭で考えればこの世のことは全部わかる。だから、今では世界中のみんなが頭で考えて科学と道徳の両方をやっているのである。要するに、今は現象の時代でも空想の時代でもなく実在の時代である。実在の世界が人間が生きる道である。人間が自分が生きる道を見失ってはいけない。

[21766] 人間は正しいことの中で自分の心を満足して幸福にならなければならない。 h27.1.30
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなが「道徳がない文化」をやって『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって「政府を上の者だ」と考えて政府に従っていた。政府は国民みんなに命令して国民みんなからお金(つまり税金)を取って儲[もう]けていた。政府だけが裕福で幸福で、ほかの国民みんなは貧乏で不幸だった。「科学があって道徳がない社会」では国民が幸福になるためには自分が政府に入って上の者になるしかなかった。そのために、国民は一生懸命に受験勉強していい大学に入って国家試験に合格して公務員になっていた。[また、みんなが『人間がみな平等である』ことを守らないために、他人が仕事をしても他人にすぐにお金を払わずツケにすることをやっていた。]
しかし、今では時代が変わった。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなが『道徳がある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって『自分と政府が平等だ』と考えて政府に従わなくなった。政府は国民みんなに命令できなくなって国民みんなからお金を取れなくなって儲からなくなった。政府も国民も豊かさが同じになった。『科学と道徳の両方ある社会』では国民が幸福になるためには自分の仕事の才能を磨[みが]いてよく働いてたくさんお金を稼[かせ]ぐしかない。そのために、国民は受験勉強をするよりも自分の才能を磨いて自分の才能を活かしてよく働いてお金を稼ぐようになっている。
つまり、人間は“国民みんなが正しいと考える世界”の中で自分を幸福にしなければならない。人間は正しいことの中で自分の心を満足して幸福にならねばならない。昔はみんなが「科学があって道徳がない」ことが正しいと考えていたから、そういう世界で幸福になるためには政府に入るしかなかった。今はみんなが『科学と道徳の両方がある』ことが正しいと考えているから、そういう世界で幸福になるためには仕事の才能を身につけてよく働くしかないのである。

[21767] 今の政府が税金を定めているのは、政府が国民みんなに従っていない証拠である。 h27.2.1
国民みんなは国の最高権力者である。だから、政府も国民みんなに従わなければならない。
日本国憲法には「憲法改正の手続き」(第96条)が定められているのだから、政府は国民みんなの総意に合わせて憲法を定めるべきである。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやって身分制をやって「政府が上の者だ」と考えて政府に従っていたから、政府は国民みんなの総意に従って税金を定めてよかった。国家総動員法を定めて国民みんなに戦争をさせてよかった。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって平等制をやって『自分と政府が平等だ』と考えて政府に従わなくなっているから、政府は国民みんなの総意に従って税金をやめて自由契約による集金にすべきである。もちろん国家総動員法を定めて国民みんなに戦争をさせてはいけない。
それなのに、今の政府は昔と同じように税金を定めている。それは政府がいまだに身分制の上の者をやっているからである。今の政府は上の者をやって国民から税金を取ったり、国家宗教で飛行機や列車やバスなどの事故を起こして国民を殺したり、国民の嫌な政策をやったりしている。今の政府は国民みんなの総意に従っていない。今の政府は自分の独断で国民みんなに逆らって勝手に上の者をやっている。今の政府は国民みんなに従う気はさらさらないのである。政府の表の団体(つまり国会)が国民に頭を下げているだけであって、政府の裏の団体は昔と同じように上の者をやって国民に命令して国民を自分の好き放題にしているのである。だから、国民が政府に従うと国民みんなに反していることになる。国民みんなは国の最高権力者だから、国民は国民みんなに従わねばならないのに、国民が政府に従うと国民が国民みんなに従っていないことになる。国民が政府に従わなければ、国民が国民みんなに従っていることになる。だから、今の国民は政府の命令に従わず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の国民の多くは「日本がうまく行っている」と思って、おとなしく政府に従っている。しかし、実際には日本は全然うまく行っていない。国民みんなは国の尺度である。国がうまく行っているか行っていないかを定めるのは国民みんなである。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。それが日本の物差しである。だから、国のすべてのことが『科学と道徳の両方ある文化』に適[かな]っていなければならない。しかし、政府は『科学と道徳の両方ある文化』に反して身分制の上の者をやっている。だから、『今の日本はまだうまく行っていない』ことになる。日本がうまく行くためには、日本のすべてのことが『科学と道徳の両方ある文化』に適っていないといけない。だから、今の国民みんなは日本をうまく行かせるために、政府に税金を払わないようにして政府を倒して政府をなくさなければならないのである。
国民みんなは国の最高権力者だから本来“国を作る団体”は国民みんなに従わねばならないのに、日本の“国を作る団体”は昔から国民みんなに従う気がない。だから、日本では昔から国を作る団体が国民みんなに従っていないときには、国民みんなが国を作る団体を自分の手で潰してきたのである。今の政府は国民みんなに反して自分勝手に上の者をやっている。だから、今の国民みんなも政府に税金を払うのをやめて政府を潰さなければならないのである。政府を潰して、今の時代に合った“国を作る団体”(つまり法律会社)に建て替えなければならないのである。国民みんなで国を作る団体をリフォームしないといけないのである。人間はたとえ自分が死んでも正しいことをしないといけない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府の医療保険や自賠責保険などに入らず政府を倒さねばならない。

[21768] どうして国鉄や郵便は民営化したのか? h27.2.1
昔は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって「政府が上の者だ」と考えて政府に従っていた。だから、国鉄や郵便も政府に従って政府の命令で政府に組み込まれて政府に稼[かせ]ぎの大半を取られていた。おかげで、国鉄や郵便はピーピーの貧乏だった。
しかし、今は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって『自分と政府が平等だ』と考えて政府に従わなくなった。だから、国鉄や郵便が政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府から独立して民営化したのである。国鉄や郵便は政府に自分の稼ぎを取られなくなって儲[もう]かってホクホクになったのである。
それと同じように、昔の農民は政府に従って政府に米を安い値段で買い取られて貧乏だった。今の農民は政府に従わなくなって自分で米を高い値段で売って儲けて裕福になったのである。
昔は国民みんなが身分制をやって政府に従っていたが、今は国民みんなが平等制をやって政府に従わなくなっている。今は国民が政府に従う時代ではない。今の国民みんなは政府に従わないと決めている。だから、今の国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
学校や警察も早く政府から独立して民営化すればいいだろう。そのほうが学校や警察は今よりもっと儲かるだろう。
最後に身分制の上の者をやる政府だけが残って、国民みんなが政府に従わなくなって政府が国民からお金をもらえなくなって政府が潰[つぶ]れてなくなるだろう。

[21769] どうして佐久間象山[さくましょうざん]は殺されたか? h27.2.3
幕末の思想家佐久間象山は『東洋は道徳が優[すぐ]れていて、西洋は科学が優れている』と言った。そして『私は道徳と科学の両方をやる』とも言った。
だから、佐久間象山は殺されたのである。当時はみんながまだ「道徳と科学が相[あ]い容れない」と思っていて「道徳と科学の両方はやれない」と思っていたので、みんなが「佐久間象山がまちがっていることを言っている」と思ったので、みんなに殺されたのである。坂本竜馬が殺されたのも同じである。坂本竜馬は「日本はヨーロッパ文化を受け入れるべきだ」と言った。当時はまだみんなが「日本はアジア文化をやってヨーロッパ文化をやってはいけない」と思っていて、「坂本竜馬がまちがったことを言っている」と思ったので、坂本竜馬がみんなに殺されたのである。当時はまだ思想の自由がなかったので、みんなにまちがったことを言っていると思われたらすぐに殺されたのである。幕府はみんなの総意に基づいてまちがったことを言っている者を殺したのである。坂本竜馬が殺された後でようやくみんなが「ヨーロッパが日本に攻めて来ている」ことを知って「日本はヨーロッパ文化をやらねばならない」と思うようになったのである。
しかし、時代がたって、今ではみんなが『道徳と科学は相い容れる』と思っている。だから、今ではみんなが道徳と科学の両方をやっている。しかし、150年前には反対にみんなが「道徳と科学が相い容れない」と思っていた。「道徳と科学が相い容れない」のが常識だった。時間がみんなの考えを変えたのである。今ではみんなが思想の自由があると思っているから、多少はまちがったことを言ってもいいことになっている。
今ではみんなが『道徳と科学が相い容れる』と思っている。みんなが道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。政府は身分制の上の者をやっている。政府は国民みんなに反している。だから、国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。みんなが平等に暮らす社会を早く実現しないといけない。

[21770] 道徳がないからといって、みんなが好き放題に悪いことはやれない。 h27.2.10
「道徳がない」ことと「自由である」こととは別である。道徳がないからといってみんなが自分の好き放題に悪いことをやってはいけないのである。
近代の日本ではみんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。そのために、みんなが道徳をやってはいけなかった。みんなが『人間がみな平等である』ことを守ってはならず身分制をやらねばならなかった。国民みんなが政府に服従して、政府の命令で何でもやらねばならなかった。国民みんなが『人間がみな平等である』ことを破って飲み代や家賃[やちん]をツケにしたりウソの広告をしたりしなければならなかった。みんなが自分の好き放題に悪いことをすると国がすぐに滅ぶから、いくら悪いことをやってよくても実際にはあまり悪いことはやれなかったのである。国民みんなは“ちょっとだけ悪いこと”ができただけである。政府もたまに戦争をやるだけで毎年戦争はやれなかったのである。悪の世界にも悪の決まりがある。みんながルールを守ってきちんと悪いことをやらねばならなかったのである。政府も国民みんなもみんなが国が滅ばない程度に悪いことをやらねばならなかったのである。中世にローマ帝国がみんなが悪いことをやりすぎて滅んだから、それ以後はみんなが国が滅ばない程度に悪いことをやるようになったのである。ヨーロッパではローマ帝国が滅んだ後でみんながアジア文化を取り入れてみんなで道徳を勉強してあまり悪いことをやらなくなったのである。
反対に、現代の今の日本ではみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。みんなが道徳をやらねばならなくなっている。国民みんなが身分制をやらなくなって政府に従わなくなっている。政府は国民みんなから税金を取れなくなって滅んでいる。今の政府は国が滅ぶほど重要な仕事をやっていないから、政府が滅んでもいいのである。日本では身だしなみがいいことも道徳らしい。だから、今では江戸時代のようにみんなが小ぎれいな格好[かっこう]をしないといけないことになっているのだ。

[21771] 今では法律会社が必要である。 h27.2.14
昔の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳がない文化」をやっていた。
国民みんなは『科学がある文化』をやっていたから、工場を建てて物を作って物を売って儲[もう]けた。
国民みんなは「道徳がない文化」をやっていたから、“上の者をやって国を治める団体”(つまり政府)を建てて政府に服従した。政府の命令で税金でも戦争でも国家宗教でも何でもやった。いくら政府に虐待されてもおとなしくしていた。人間が自分が作り出したフランケンシュタインに自分が襲われているのと同じことである。
今の国民みんなは世界を真似て『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
国民みんなは『科学がある文化』をやっているから、昔と同じように工場を建てて物を作って物を売って儲けている。
国民みんなは『道徳がある文化』をやっているから、“みんなと平等にして国を治める団体”(つまり法律会社)を建てて法律会社と自由に契約してお金をやって法律で自分の人権を守ってもらわねばならない。
昔の人は「科学と道徳が相[あ]い容れない」と考えていたので、科学か道徳のどっちかひとつしかやれなかった。それで、道徳をやる時代には科学をやらず、みんなが物を作らず貧しく暮らしていた。反対に、科学をやる時代には道徳をやらず、みんなが悪いことをやったり身分制をやって上の者に従ったりして暮らしていた。
今の人は『科学と道徳が相い容れる』と考えているので、科学と道徳の両方をやっている。みんなが物を作って豊かに暮らして、みんなと平等にして平和に暮らしている。

[21772] 無知の知 h27.2.17
私が赤ちゃんの頃に私の母親が夜中に突然私の頭の上に吊ってあったガラガラ(ベッドメリー)が回ったのを見た。そのために、私は国家宗教の神だとされている。
しかし、どうして私の頭の上に吊ってあったガラガラが回ったかは“わからない”。“わからない”のが本音[ほんね]である。だから、私を勝手に神(人間にできないことができる超能力者)だと決め付けることはできない。私を神とする国家宗教はやれない。
神武天皇が東征のときにナガスネヒコと戦ったときに光の玉が現れてナガスネヒコの軍を倒した。しかし、どうして光の玉が現れたのか“わからない”。わからないのが本音である。だから、勝手に神武天皇を神だと決め付けることはできない。神武天皇を神とする国家宗教はやれない。
アジアでは哲学がある。アジアでは“自分がわからない”ことを認める。つまり、アジアには“無知の知”がある。だから、アジアでは神がいないのである。アジアでは私も神武天皇も神ではないのである。
反対に、ヨーロッパには哲学がない。ヨーロッパでは“自分がわからない”ことを認めない。つまり、ヨーロッパには“無知の知”がない。だから、ヨーロッパには神がいるのである。ヨーロッパでは私も神武天皇も神なのである。
私や神武天皇が神であるかないかは文化によって決まるのである。『哲学のある文化』では私や神武天皇は神ではなく、「哲学のない文化」では私や神武天皇が神なのである。
近代の日本ではみんながヨーロッパを真似[まね]て「科学があって哲学がない」ヨーロッパ文化をやっていたから、私や神武天皇が神だった。みんなが私や神武天皇を神だと思って従った。
しかし、現代の日本ではみんなが世界を真似て『科学と哲学の両方がある』世界文化をやっているから、私や神武天皇はもはや神ではない。みんなが私や神武天皇を神だと思わず従わない。

[21773] 政府が国民みんなに命令できるかどうかは国民みんなが政府に従うかどうかで決まる。 h27.2.17
昔の日本では国民みんながヨーロッパを真似[まね]て「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなが「道徳がない文化」をやるために『人間がみな平等である』ことを破って身分制をやって「政府を上の者だ」と考えて政府に従っていた。政府の命令を聞いて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりした。政府に国家宗教で虐待されてもおとなしくしていた。
今の日本では国民みんなが世界を真似て『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなが『道徳がある文化』をやるために『人間がみな平等である』ことを守って身分制をやめて平等制をやって『政府と国民は平等だ』と考えて政府に従わなくなっている。政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって戦争をやらなくなって国家宗教をやらなくなっている。政府に国家宗教で虐待されると仕返しをしている。政治家の家に殴[なぐ]りこんで政治家を痛めつけたり、政治家が入院している病院に殴りこんで政治家を痛い目にあわせたりしている。
政府が国民みんなに命令できるかどうかは国民みんなの文化で決まる。政府が国民みんなに命令できるかどうかは国民みんなが政府に従うかどうかで決まる。国民みんなが「道徳がない文化」をやっていれば国民みんなが政府に従うから政府が国民みんなに命令でき、国民みんなが『道徳がある文化』をやっていれば国民みんなが政府に従わないから政府が国民みんなに命令できない。
今の国民みんなは『道徳がある文化』をやっているから、国民みんなは政府に従わなくていい。いくら政府が国民みんなに命令しても、国民みんなは政府の命令を聞かない。そのため、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
今は国民みんなが『道徳がある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守っているから、国民みんなで上の者をやっている政府を倒して、国民と平等にする法律会社を建てねばならない。法律会社は国民みんなに法律すなわち『人間がみな平等である』ことを守らせるだけにして国民みんなの自由を認めねばならない。法律会社はそれ以上国民みんなに口出ししてはいけない。法律会社はたとえ国民みんなが貧乏になっても国民みんなに法律を守らせるだけにして、国民みんなの自由にやらさねばならない。そうすれば、国民みんなは今よりも自分で考えて自分で行動するようになって世の中がもっと善くなるだろう。

[21774] どうして暴力団は指を切っていたのか? h27.2.17
昔の日本では国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民みんなが「道徳がない文化」をやるために『人間がみな平等である』ことを破って悪いことをやっていた。
暴力団は特に悪いことをやって国民みんなを脅[おど]してお金を取ったり暴力をふったりしていた。
その代わり、暴力団は国民みんなの機嫌[きげん]を取るために自分の指を切って自分をカタワにしていたのである。暴力団が一方的に国民みんなに悪いことをしていると、国民みんなが怒って暴力団が国民みんなに倒されてしまう。そのために、暴力団は自分の指を切ることによって国民みんなに自分が悪いことをしたのを謝[あやま]っていたのである。政府の国会議員が国民にペコペコお辞儀[じぎ]をして国民みんなに自分が悪いことをしたのを謝っているのと同じことである。
今の日本では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民みんなが『道徳がある文化』をやるために『人間がみな平等である』ことを守って悪いことをやってはいけない。だから、暴力団も悪いことをやってはいけない。国民みんなは暴力団に悪いことをやらせてはいけない。国民みんなは暴力団にいくら脅されても暴力団にお金をやらず暴力団を倒せばいい。
暴力団は特権階級ではない。昔は国民みんなが「道徳がない文化」をやっていたためにみんなが悪いことをやってもよかったから暴力団が自由に悪いことがやれたのである。今は国民みんなが『道徳がある文化』をやっているためにみんなが悪いことをやってはいけないから暴力団も悪いことがやれなくなったのである。国民みんなは暴力団に悪いことをさせずに暴力団を倒せばいいのである。

[21775] どうして近代の国民みんなは身分制をやっていたか? h27.2.20
近代の国民みんなは身分制をやって「政府が上の者だ」と考えて政府に服従していた。国民みんなが政府の命令を何でも聞いて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりした。
近代の国民みんなが身分制をやっていたのは、国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたからである。『国民みんなが国の最高権力者だ』から、国民みんなは自分が決めたことに従わねばならない。国民みんなは自分が決めたことを自分で守らねばならない。「道徳がない文化」では『人間がみな平等である』ことを守ってはいけないから、国民みんなが「人間が不平等である」と考えて「政府が上の者だ」と考えて政府に従っていたのである。昔は国民みんなが「科学と道徳が相[あ]い容れない」と考えていたので、科学をやる代わりに道徳をやらなかったのである。
しかし、時代が変わって、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今では国民みんなが『科学と道徳が相い容れる』と考えて、科学と道徳の両方をやっている。『道徳がある文化』では『人間がみな平等である』ことを守らねばならないから、国民みんなが『人間がみな平等である』と考えて『政府と国民が平等である』と考えて政府に従わなくなっているのである。今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやっているのである。
今の国民みんなは平等制をやって『政府と国民が平等だ』と考えて政府に従わない。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしない。政府は国民みんなに命令できなくなって国民みんなから税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。

[21776] 国のことは国民みんなが決める。☆ h27.2.22
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。
「道徳がない文化」では、国民みんなが『人間がみな平等である』ことを破って身分制をやって「政府が上の者だ」と考えて政府に服従していた。政府の命令で税金でも戦争でも国家宗教でも何でもやった。
「道徳がない文化」では、国民みんなが「悪いことをやればいい」と考えて暴力団に好き勝手に悪いことをやらせていた。暴力団は国民みんなを脅[おど]してお金を取って儲[もう]けていた。
「道徳がない文化」では、哲学がなく、“無知の知”がないので、国民みんなが人間に理解できない現象があるとすぐに「近くにいた人を神(超能力者)だ」と考えた。国民みんなは神や宗教団体に従った。宗教団体は国民みんなに命令して国民みんなからお金を取って儲けていた。
つまり、政府や暴力団や宗教団体は昔の国民みんながやっていた「科学があって道徳がない文化」から生まれたものである。
しかし、今では国民みんなの文化が変わった。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
『道徳のある文化』では、国民みんなが『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって「政府と国民が平等だ」と考えて政府と平等にするようになった。国民みんなが政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
『道徳のある文化』では、国民みんなが『悪いことをやってはいけない』と考えて暴力団に好き勝手に悪いことをさせなくなった。暴力団は国民みんなを脅せなくなって国民みんなからお金を取れなくなって潰れている。
『道徳のある文化』では、哲学があり、“無知の知”があるので、国民みんなが人間に理解できない現象があっても『自分がわからない』ことを認めて「近くにいた人を神だ」としない。国民みんなは神や宗教団体に従わない。宗教団体は国民みんなに命令できなくなって国民みんなからお金を取れなくなって潰れている。
つまり、今の国民みんなの『科学と道徳の両方ある文化』の中では政府や暴力団や宗教団体は滅ぶのである。
早く国民みんなで政府や暴力団や宗教団体を滅ぼして、政府に替わる『国民みんなと平等にする』“国を作る団体”を建てねばならない。


[21777] 国の柱は国民みんなである。 h27.2.23
国の柱は国民みんなである。国民みんなの上に国のすべての物事が成り立っているのである。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。政府や暴力団や宗教団体は昔の国民みんなの上に成り立っていたのである。
昔の国民みんなは「人間が不平等である」ことに決めていた。だから、政府が上の者をやって国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教をやらせていた。
昔の国民みんなは「悪いことをやればいい」ことに決めていた。だから、暴力団が悪いことをやって国民みんなを脅[おど]してお金を奪って儲[もう]けていた。
昔の国民みんなは「無知の知がない」ことに決めていた。だから、神がいて国民みんなが神に従わねばならず、宗教団体が国民みんなに命令して国民みんなからお金を取って儲けていた。
しかし、今では国民みんなの文化が変わった。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府や暴力団や宗教団体は今の国民みんなの上に成り立たないから滅んでいるのである。
今の国民みんなは『人間がみな平等である』ことに決めている。だから、政府が上の者をやれなくなって国民みんなに命令できなくなって国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせられなくなって滅んでいる。
今の国民みんなは『悪いことをやってはいけない』ことに決めている。だから、暴力団が悪いことをやれなくなって国民みんなからお金を奪えなくなって滅んでいる。
今の国民みんなは『無知の知がある』ことに決めている。だから、神がいなくなって国民みんなが神に従わなくなって、宗教団体が国民みんなに命令できなくなって国民みんなからお金を取れなくなって滅んでいる。
国民みんなは国の柱である。昔と今では国の柱が違う。政府や暴力団や宗教団体は昔の国民みんなによって支えられて栄えていた。今の国民みんなは昔の国民みんなとは違うから、政府や暴力団や宗教団体は今の国民みんなによって支えられなくなって滅んでいるのである。
政府と暴力団と宗教団体は3つセットの団体である。「科学があって道徳がない文化」が生み出した3つセットの団体である。今では暴力団と宗教団体が滅んでいるから政府も滅んでいるのである。今の暴力団と宗教団体が滅んでいるのは国民みんなの文化が「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わったからである。『科学と道徳の両方ある文化』では政府や暴力団や宗教団体は生き残れない。だから、国民みんなは政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を滅ぼせばいいのである。

[21778] 今の政府は国民みんなに従っていない。☆ h27.3.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民は国民みんなに従わねばならない。政府も国民みんなに従わねばならない。[私が高校生の頃(今から約35年前)、高知県庁前にあった日新館[にっしんかん]書店に『さかさま日本史』という普通の歴史の教科書とは逆に日本の歴史を現代から過去に向けて書いた歴史の本が売られていた。しかし、“さかさま”とは本当はそういう意味ではない。普通の歴史の教科書では政府や幕府が国民みんなを支配しているように書かれている。しかし、実際には、国民みんなが政府や幕府を支配している。そのことをみんなに言うために『さかさま日本史』なんていう本があったのだ。]
今の国民みんなは『科学と道徳が相[あ]い容れる』ことが正しいと考えるところまで来た。だから、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民は国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。昔はまだみんなが「科学と道徳が相い容れない」ことが正しいと考えていた。だから、昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」や「道徳があって科学がない文化」をやっていた。昔の国民は国民みんなに従って「科学があって道徳がない文化」や「道徳があって科学がない文化」をやらねばならなかった。近代の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていて「人間が不平等である」ことを守って身分制をやって「政府が上の者だ」と考えて政府に従っていたから、政府は「国民みんなが政府に従っている」ことに従って国民みんなに命令して国民みんなに税金や戦争や国家宗教などをやらせていたのである。もともと『科学と道徳は相い容れる』のである。ようやくみんなが正しいことがわかるようになったのである。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民は国民みんなに従わねばならないから、国民は国民みんながやっていることを見て国民みんなに習って『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。それなのに、政府は国民みんながやっていることを見て見ないふりをして国民みんながやっていることを知らんぷりしてすっとぼけて自分ひとりだけ『科学と道徳の両方ある文化』をやらずに「科学があって道徳がない文化」をやっている。政府は「道徳がない文化」をやって「人間が不平等である」ことを守って身分制をやって上の者をやって「国民みんなを下の者だ」と思って国民みんなに命令したり国民みんなを虐待したりしている。
今の政府が『科学と道徳の両方ある文化』をやらないことに理由はない。今の政府が「今の国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっていることを知らない」ことに理由はない。法律を知らないから法律を破ってもいいことにならないように、政府が『今の国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている』ことを知らないからといって『科学と道徳の両方ある文化』をやらなくていいことにはならない。
今の国民が国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやっているように、今の政府も国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。それなのに、今の政府は「科学があって道徳がない文化」をやっている。今の政府は正しくない。今の政府はまちがっている。人間は正しいことに従い、まちがったことに従ってはいけない。今の政府がやっていることはまちがいだから、今の国民は政府がやっていることに従ってはいけない。今の国民は政府に逆らって政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。政府が国民を虐[いじ]めるために出した意地悪な命令を聞かないようにして政府を無視すればいいのである。
政府は「身分制をやる法治機関」つまり「身分制の社会」における立法・司法・行政をやる機関である。身分制の社会では政府は国民よりも上の者である。政府は国民に命令して国民を自分の思い通りにすることができる。だから、政府の法律には納税の義務が定められているのである。政府は国民よりも上の者だから政府は国民を好き放題にできるが、国民同士は平等だから国民の間では『人間が平等である』ことを守らねばならず『人間が平等である』ことを犯した者は罰せられる。しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。だから、今の国民みんなは政府の法律を破って政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。早く国民みんなで政府を倒して、政府の替わりに『平等制をやる法治機関』を建てればいいのである。『平等制をやる法治機関』は平等制の社会における立法・司法・行政をやるから、『平等制をやる法治機関』(つまり法律会社)の法律には納税の義務はなく、国民は法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って仕事をやってもらうことになっている。『平等制をやる法治機関』は国民と平等だから、一人でも多くの国民に契約を取ってもらうために国民を幸福にする事業をやってくれるだろう。
より一般的には、政府は「道徳がない社会」における法治機関(立法・司法・行政をやる機関)である。「道徳のない社会」では政府が国民を好き放題にしたり、暴力団が悪いことをやったり、宗教団体が国民に命令したりできる。だから、政府の法律では政府が国民を好き放題にしたり、暴力団が悪いことをやったり、宗教団体が国民に命令してもいいのである。政府の表の法律にはそんな決まりは書いていないが、政府の裏の法律にはそんな決まりが書いている。昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやって「道徳のない社会」だったから「道徳のない社会」における決まりが通用した。政府の法律が通用した。しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって『道徳のある社会』だから『道徳のある社会』における決まりが通用する。政府の法律はもはや通用しない。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府の表や裏の法律を破って『道徳のある社会』における決まりを守って政府や暴力団や宗教団体をこの世から消し去ればいいのである。

[21779] 今の人は唯物論である。☆ h27.3.3
昔の人は物心二元論に取り付かれていた。「物と心が違う」と思っていた。「心は物ではない」と思っていた。科学が進んでみんなが脳の科学をやるようになって『心も物だ』と考えるようになって唯物論になった。観察と実験が眼で見る世界と頭で考える世界を結びつけたように、デカルト座標が幾何学と代数学を結びつけたように、脳が物と心を結びつけたのだ。『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』と考えることによって物と心が結びついたのだ。『心が物のひとつ』になったのだ。今ではみんなが『心も物だ』と考えるようになったから『科学と道徳が相い容れる』と考えるようになったから『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになったのである。
今ではみんなが『心が物だ』と考えて『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。それなのに、政府はいまだに「心は物ではない」と考えて「科学があって道徳がない文化」をやっている。政府の考えはまちがっている。だから、国民みんなは政府に従わず自分で考えて正しいことをやって『道徳のある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。政府の意地悪な命令を聞かないようにして政府に虐[いじ]められないようにすればいいのである。


[21780] 国民みんなのことは国民みんなで決める。 h27.3.8
昔は国民みんなが「科学と道徳は相[あ]い容れない」と考えて「科学があって道徳がない文化」をやって『人間がみな平等である』ことを破って「人間が不平等である」と考えて「政府が上の者である」と考えて政府に服従していた。そのために、政府は国民みんなに好き放題に命令することができた。政府は国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教をやらせていた。
しかし、今は昔とは違う。今は国民みんなが『科学と道徳は相い容れる』と考えて『科学と道徳の両方ある文化』をやって『人間がみな平等である』ことを守って『政府と国民が平等だ』と考えて政府に服従しなくなっている。そのために、政府が国民みんなに好き放題に命令できなくなっている。政府は国民みんなに命令して税金や戦争や国家宗教をやらせられなくなっている。
暴力団や宗教団体についても同様である。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなのことは国民みんなで決める。政府や暴力団や宗教団体の出番はない。今の国民みんなは政府や暴力団や宗教団体に従わないことに決めている。だから、国民みんなは政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして政府や暴力団や宗教団体を潰[つぶ]せばいいのである。今の時代にふさわしい『道徳がある社会における法治機関』を建てればいいのである。

[21781] 国民みんなの世界観が変われば社会も変わる。 h27.3.8
昔は国民みんなが「物と心は違う」と考えていたから「人間は物がわかれば心がわからない。心がわかれば物がわからない」と考えていたので「科学と道徳は相い容れない」と考えていた。そのために、国民みんなが科学をやる時代には道徳をやらなくなって「政府は上の者だ」と考えて政府に服従したり、「悪いことをやってもいい」と考えて暴力団に悪いことをやらせたり、「神がいる」と考えて宗教団体に従ったりしていた。
しかし、今は国民みんなが『心は物のひとつである』と考えているから『人間は物と心の両方がわかる』と考えているので『科学と道徳が相い容れる』と考えている。そのために、国民みんなが科学をやる時代にも道徳をやるようになって『政府と国民は平等だ』と考えて政府に服従しなくなったり、『悪いことをやってはいけない』と考えて暴力団に悪いことをやらさなくなったり、『神がいない』と考えて宗教団体に従わなくなったりしている。
昔と今では国民みんなの世界観が違うから国民みんなのやることが変わって社会も変わっているのだ。

[21782] 時代によって流行[はやり]の仕事が違う。 h27.3.8
科学とは眼で物を見ることである。反対に、道徳とは頭で心を見ることである。つまり、科学とは眼で見ることであり、道徳とは頭で考えることである。
近世(江戸時代)は国民みんなが「道徳があって科学がない文化」をやっていた。「道徳があって科学がない文化」では「人間が頭で考えるだけで眼で見ない。」だから、近世は「頭で考えるだけで眼で見ない者」が待遇がよかった。だから、近世は数学者や文学者や画家(浮世絵師つまり現実離れした絵を描く者)の待遇がよかったのである。
近代は国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「科学があって道徳がない文化」では「人間が眼で見るだけで頭で考えない。」だから、近代は「眼で見るだけで頭で考えない者」が待遇がよかった。だから、近代は医者や芸術家(音楽家や画家(洋画家つまり眼で見たままの現象的な絵を描く者))やスポーツマンや土方(土木作業員)の待遇がよかったのである。
しかし、今(現代)は国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』では『人間が眼で見て頭で考える。』だから、今では『眼で見て頭で考える者』が待遇がいい。だから、今は科学者や研究者や技術者の待遇がいいのである。つまり、科学者とは数学者と土木作業員の両方の才能がある者である。

[21783] 今の日本は『道徳のある国』である。 h27.3.10
国民みんなは国の最高権力者である。国は国民みんなが決める。国民みんなの考えで国が決まる。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって道徳を守っている。だから、今の日本は『道徳のある国』である。今の日本ではみんなが道徳を守らなければならない。つまり、みんなが『人間がみな平等である』ことや『悪いことをやってはいけない』ことや『神がいない』ことを守らなければならない。
それなのに、政府や暴力団や宗教団体は道徳を守っていない。今でも政府は『人間がみな平等である』ことを犯して上の者をやったり、暴力団は『悪いことをやってはいけない』ことを犯して悪いことをやったり、宗教団体は『神がいない』ことを犯して神を置いたりしている。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなに反している。政府や暴力団や宗教団体がまちがっている。
今では道徳を守っている国民みんなが正しく、道徳を守っていない政府や暴力団や宗教団体がまちがっている。政府や暴力団や宗教団体は例外者である。政府や暴力団や宗教団体は除[の]け者である。政府や暴力団や宗教団体は今の社会の外にある者である。いくら政府や暴力団や宗教団体がテレビや新聞で宣伝していても除け者は除け者である。[政府が宣伝のためにテレビ局や新聞社にお金をくれるから、テレビ局や新聞社は政府贔屓[びいき]なのである。テレビ局や新聞社は政府に有利な情報ばかり流しているのである。]政府や暴力団や宗教団体がまちがっているから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてかまわない。国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。国民は政府や暴力団や宗教団体の命令を聞かないようにして政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして政府や暴力団や宗教団体を倒さねばならない。政府や暴力団や宗教団体を今の社会から排除しなければならない。

[21784] 政府は国民みんなが身分制をやるためにある団体である。☆ h27.3.10
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の国民みんなは道徳をやめて『人間がみな平等である』ことを破って「人間が不平等である」ことを守って身分制をやっていた。国民みんなが身分制をやるために上の者である政府を設けて政府に従っていた。政府は国民みんなが身分制をやるためにある団体である。国民みんなが「道徳のない文化」をやって身分制をやって自分から政府に従っていたから、政府が国民みんなに好き放題に命令することができたのである。政府が国民みんなに税金や戦争や国家宗教をやらせることができたのである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは道徳をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやっている。今の国民みんなは平等制をやっているから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなで政府に従わないようにして政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
要するに、今の我々が近代の日本をどのように理解するかにかかっている。今の我々が近代の日本を正しく理解すれば、今の我々が現代の日本でどうすればいいかがわかるだろう。
『F=ma』という公式に当てはめれば実在の物の世界が見えてくるように、『国民みんなが国の最高権力者である』という公式に当てはめれば実在の社会が見えてくる。物理学が苦手な人は『F=ma』という公式にちゃんと当てはめずにいいかげんに物理現象を理解しようとするからである。それと同じように今の国民の多くが実在の社会が理解できていないのは『国民みんなが国の最高権力者である』という公式に当てはめずにいいかげんに社会を理解しようとしているからである。物理の得意な人は『F=ma』という公式にちゃんと当てはめるようにして物理現象を理解している。ニュートンだって地球が曲がる(加速度a)のは太陽が地球を引っ張っている(力F)からだと考えて万有引力を発見したのである。だから、みんなも『国民みんなが国の最高権力者である』という公式にちゃんと当てはめて実在の社会を理解すればいいのである。

[21785] どうして今でもヨーロッパに政府があるか? h27.3.10
ヨーロッパには今でも政府がある。
ヨーロッパに今でも政府があるのは、ヨーロッパ人が馬鹿だからである。
今では『心は物のひとつである』から『科学と道徳が相[あ]い容れる』から国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやれるから『人間がみな平等である』ことを守れるから平等制がやれるから身分制をやめて政府に従うのをやめて政府の命令で政府に税金を払うのをやめて政府を滅ぼすべきである。ヨーロッパ人はこの理屈がわからないから、今でも政府に従って政府が残っているのである。
どこの国が最初に馬鹿をやめられるか?
それによって今後の世界の趨勢[すうせい]が決まるだろう。
ヨーロッパ人は意地糞悪[いじくそわる]だから他人の不幸を喜ぶから外国が政府を置いていると喜ぶが、それは外国にとっては有利なことではない。だから、外国はヨーロッパ人を無視して政府を倒すべきである。
たしかにヨーロッパ人は科学が得意だが、ヨーロッパ人でなくても科学はやれる。ヨーロッパ人以外でも科学を練習すればかなり科学が得意になれる。誰でも科学を勉強すれば科学ができるようになる。だから、世界中の人間にとってヨーロッパ人は要らない。わざわざヨーロッパ人に媚[こ]び諂[へつら]って自分にとって不利なことをやってヨーロッパ人を喜ばせてやる必要はない。だから、世界中の国の人間がヨーロッパ人にかまわず正々堂々と自分にとって有利なことをやればいいのである。

[21786] 国民みんなが問題である。☆☆ h27.3.13
国民みんなは国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。
政府は国民みんなが身分制をやるためにある団体である。昔の国民みんなが身分制をやると決めたから、国民みんなで上の者である政府を設けて政府に従っていたのである。政府は国民みんなの考えによって出来た団体にほかならない。政府は国民みんなの付録[ふろく]にすぎない。
だから、問題は「どうして昔の国民みんなが身分制をやっていたか」にある。
昔は国民みんなが「物と心は相[あ]い反する」と考えていた。そのために国民みんなが「科学と道徳が相い反する」と考えていた。国民みんなが「科学と道徳のどちらかひとつしかやれない」と考えていた。そのために近代の国民みんなは「科学をやって道徳をやらない」ことに決めたのである。国民みんなが「道徳をやらない」ことに決めたから『人間がみな平等である』ことを守らず身分制をやって上の者である政府を設けて政府に従うことにしたのである。
しかし、今は『脳の科学』が発達して、国民みんなが『物と心が相い容れる』と考えている。そのために国民みんなが『科学と道徳が相い容れる』と考えている。国民みんなが『科学と道徳の両方やれる』と考えている。そのために今の現代の国民みんなは『科学と道徳の両方をやる』ことに決めているのである。国民みんなが『道徳をやる』ことに決めているから『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって上の者である政府を倒して政府に従わないことにしているのである。
人間は正しいことに従う。人間は正しいことの中で楽しいことをやって自分の心を満足して生きている。昔の国民みんなは「科学と道徳が相い反する」とか「科学をやれば道徳がやれない」ことが正しいと考えていた。近代の国民みんなは科学をやっていたから道徳がやれなかった。そのために身分制の社会になった。近代の国民みんなは身分制の社会の中で幸福に生きるために一生懸命に勉強して政府に入った。身分制の社会では国民みんなが政府に従うことが正しかったので、国民みんなは政府の命令がどんなに嫌でも従った。国民みんなは戦争をするのが嫌だったが、政府に従わねばならないと思っていたので、政府の命令で泣く泣く戦争をやった。国民みんなは身分制の社会が嫌だったが、「科学と道徳が相い反する」と考えていたので科学をやる時代にはいやいやながら身分制をやっていた。反対に、今の国民みんなは『科学と道徳が相い容れる』とか『科学と道徳の両方やれる』ことが正しいと考えている。現代の国民みんなは科学と道徳の両方をやらねばならない。そのために平等制の社会になっている。現代の国民みんなは平等制の社会の中で幸福に生きるために一生懸命に勉強して自分の才能を伸ばしていい仕事をしないといけない。平等制の社会では国民みんなが政府と平等にすることが正しいので、国民みんなは政府の命令がどんなに善くても従ってはいけない。国民みんなは税金を払わないのが嫌だが、政府と平等にしないといけないので、政府の命令で税金を払ってはいけない。国民みんなで早く政府を倒して平等制の社会にしないといけない。

[21787] どうして昔の人は「物と心が違う」と思っていたのか?☆ h27.3.13
物は眼で見えて手で触[さわ]れる。心は眼で見えず手で触れない。心は頭で見えて頭で触れる。だから、昔の人は「物と心が違うものだ」と思っていた。「物がわかれば心がわからず、反対に心がわかれば物がわからない」と思っていた。だから、昔の人は「科学と道徳のどちらかひとつしかやれない」と思って、科学をやれば道徳をやらず、道徳をやれば科学をやらなかった。
しかし、今では『人間の脳細胞が神経興奮すると感覚(つまり心)が発生する』と考えられている。心は脳が荷っている。質点が質量を荷い、荷電粒子が電荷を荷っているのと同じことである。心は脳の量である。心は脳という物質の性質のひとつである。だから、物がわかれば心もわかる。科学がわかれば道徳もわかる。だから、今の人は『科学と道徳の両方ともやれる』と思って、科学と道徳の両方をやっている。
人間が死んだら脳が神経興奮しなくなって感覚が発生しなくなる。だから、人間の肉体から離れた魂[たましい]なんてない。死後の世界なんてない。だから、今では死後の世界を司[つかさど]る仏教が人気がなくなって滅んでいるのである。

[21788] 今では政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。☆ h27.3.20
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなの考えで国が決まる。
昔の国民みんなは「物と心が対立する」と考えていた。そのために「物がわかれば心がわからず、心がわかれば物がわからない」と考えていた。つまり、「科学と道徳が対立する」と考えていた。「科学をやれば道徳がやれず、道徳をやれば科学がやれない」と考えていた。近代の国民みんなは「科学をやって道徳をやらない」ことにした。国民みんなは科学をやって物をたくさん作ってたくさん売ってお金をたくさん儲[もう]けた。国民みんなは道徳をやめて、『人間がみな平等である』ことを破って「人間が不平等である」ことを守って身分制をやって上の者である政府を設けて服従した。国民みんなは『悪いことをやってはいけない』ことを破って「悪いことをやってもいい」ことを守って暴力団に好き放題に悪いことをさせた。国民みんなは『自分に知らないことがある』と考える(無知の知)のをやめて「神がいる」と考えて宗教団体に従った。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなに命令してお金を取って儲けていた。
今の国民みんなは『物と心が相[あ]い容れる』と考えている。『脳の科学』が発達して『脳細胞の神経興奮によって感覚(自分に感じること)が発生する』と考えているからである。そのために『物がわかれば心がわかる』と考えている。つまり、『科学と道徳が相い容れる』と考えている。『科学と道徳の両方やれる』と考えている。現代の国民みんなは『科学と道徳の両方やる』ことにしている。国民みんなは科学をやって物をたくさん作ってたくさん売ってたくさんお金を儲けている。国民みんなは道徳をやって、『人間がみな平等である』ことを守って身分制をやめて平等制をやって政府と平等にして政府に従わなくなった。国民みんなは『悪いことをやってはいけない』ことを守って暴力団に好き放題に悪いことをさせなくなった。国民みんなは『自分に知らないことがある』と考えて『神がいない』と考えて宗教団体に従わないことにしている。政府や暴力団や宗教団体は国民みんなに命令できなくなってお金を取れなくなって滅んでいる。

[21789] 今では物と心が統合されている。 h27.3.23
今では『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』と考えられている。『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』ことは現代人の常識である。
脳細胞は物である。感覚は心である。今では『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』という命題によって物と心が結びついている。心は脳細胞が荷っている“量”であり、荷電粒子が電荷を荷っているように、質点が質量を荷っているように、脳細胞が感覚を荷っていて、『心が脳細胞という物質の属性のひとつだ』と考えられている。
『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』ことがわかると、自分の脳で自分の知覚野にある脳細胞が神経線維を介して自分の感情野にある脳細胞を支配することによって、自分の知覚が自分の感情を制することができる。つまり、道徳ができる。だから、今は科学と道徳の両方ある時代なのである。科学は物がわかることである。道徳は心がわかることである。今では『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』と考えることによって、物がわかれば心もわかるようになっている。科学をやれば道徳もやれるようになっている。今の人は『自分が科学と道徳の両方ができる』と考えて、科学と道徳の両方をやって、物を使って自分の心を満足して幸福に暮らしているのである。
昔は「心が精神や霊魂や魂というように物質とは別に存在するものだ」と考えられていた。そのために「物がわかれば心はわからない」と信じられていた。そのために、みんなは科学をやる時代には道徳をやめていた。科学をやる時代には政府や暴力団や宗教団体が国民みんなを好き放題にして暴れまわっていた。しかし、今は『心が脳という物質の属性だ』と考えられている。そのために、『物がわかれば心もわかる』と考えられている。そのために、みんなは科学をやる時代にも道徳をやるようになって、科学と道徳の両方やっているのである。政府や暴力団や宗教団体が国民みんなを好き放題にできなくなって滅んでいるのである。

[21790] 三匹の子豚 h27.3.24
『三匹の子豚』の藁[わら]の家が感情で、木の家が五感で、石の家が知覚だろう。狼は自然の脅威のようなものだろう。感情よりも五感のほうが、五感よりも知覚のほうが実在のことが正しくわかって実在によく適応できて自然の脅威に打ち勝って幸福に暮らせるのである。
ただし、知覚だけでは実在のことがわからない。知覚は五感と組むことによってはじめて実在のことがわかる。五感は知覚にとって実在を知るための道具なのである。
人間は五感と知覚で実在のことを理解して、心を知覚に従わせて、実在に適応しながら自分の心を満足して幸福に生きればいいのである。
宇宙は広くて人間以外のものがたくさんある。宇宙は人間の心のためにあるのではない。だから、人間が宇宙に合わさねばならない。人間の心が宇宙に従うしかないのである。
人間にとって一番大事なのは正しいことで、次が幸せなことで、最後が美しいことである。だから、『真善美』というのである。


[21791] 今では『心が物である』ことが真理である。 h27.3.26
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなの考えが国を決める。
昔の人は「物と心は別である」と考えていた。「物を見れば心が見えなくなり、心を見れば物が見えなくなる」と考えていた。「科学と道徳が相い容れない」と考えていた。そのために、みんなが科学をやる時代には道徳がやれないと考えて『人間がみな平等である』ことを破って「人間が不平等である」ことを守って身分制をやっていた。みんなで上の者である政府を建てて政府に従っていた。みんなが政府の命令を聞いて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしていた。
今の人は『心は物である』(つまり『心は脳という物質の属性である』)と考えている。『物を見れば心も見える』と考えている。『科学と道徳が相い容れる』と考えている。そのために、みんなが科学をやる時代にも道徳がやれると考えて『人間がみな平等である』ことを守って「人間が不平等である」ことを破って平等制をやっている。みんなで上の者である政府を倒して政府に従わなくなっている。みんなが政府の命令を聞くのをやめて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしなくなっている。
人間は真理には従わねばならない。人間は真理の中で自分の心を満足して幸福にならねばならない。昔は「物と心が別である」ことが真理だった。だから、みんなは「物と心が別である」ことを守って科学をやる時代には道徳をやるのをやめて「人間が不平等である」ことを守って身分制をやって上の者である政府に従っていたのである。みんなは税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりするのが嫌だったが真理には従わねばならないので政府の命令を聞いて税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしたのである。一方、今では『心が物である』ことが真理である。だから、みんなは『心が物である』ことを守って科学と道徳の両方をやって『人間がみな平等である』ことを守って平等制をやって上の者である政府を倒してみんなで平等に暮らさねばならないのである。たとえ自分が政府に従いたくても真理には従わねばならないから政府の命令を聞かず税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしてはいけないのである。
昔と今ではみんなの考えが違う。みんなの考えが違えばやることも違う。みんなのやることが違えば社会も違う。昔の人は「政府を上の者だ」と考えて政府に従っていたが、今の人は『政府と国民が平等だ』と考えて政府に従わなくなっている。そのために、昔は政府が国民みんなを好き放題にしてのさばっていたが、今では政府が国民みんなに無視されて潰[つぶ]れてなくなりつつあるのである。

[21792] 人間は正しいことをやらねばならない。☆ h27.3.31
人間は正しいことをやらねばならない。正しいことの中で楽しいことをやって自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
人間は正しいことをやって、まちがったことをやってはいけない。
国民が政府に従うことは、国民が身分制をやることであり、国民が道徳をやらないことであり、国民が「科学と道徳が相[あ]い容れない」と考えることであり、国民が「物と心が別である」と考えることであり、まちがっている。今では『心は物である』ことが正しいから「物と心が別である」ことはまちがっている。『人間は脳で感覚する(つまり見たり聞いたり考えたり思ったりする)』から『心は物』なのである。昔は「心(つまり感覚)は身体[からだ]とは別に存在する」と考えられていた。今では『心は脳に存在する』と考えられている。国民はまちがったことをやってはいけない。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府の命令で税金を払ったり戦争をやったり国家宗教をやったりしてはいけない。このことは個人の感情とは無関係に客観的に普遍的に一意的に決まることである。だから、みんながそうしないといけない。
国民が政府と戦うことが大事なのではない。国民が自分自身で正しいことをすることが大事なのだ。国民が政府に従うから政府が国民に命令して国民を支配して好き放題にするようになる。反対に、国民が政府に従わなければ政府が国民に命令しなくなって国民を支配しなくなって潰[つぶ]れる。今の国民にとっては政府と平等にして政府に従わないことが正しいから、今の国民は政府に従わないようにして政府の命令を聞かないようにしないといけない。そうすれば、政府は自[おの]ずから潰れるだろう。

[21793] 文学部は何のためにあるか? h27.4.2
文学部は身分制をやるためにある。
文学部は道徳や哲学を研究や勉強するためにあるのではなく、国民みんなが身分制をやるためにあるのである。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の国民みんなは「科学をやれば道徳がやれない」ことが正しいと信じて自分が「人間が不平等である」ことを守らなければならないと思って身分制をやっていた。国民が文学部に入って文学部を卒業すれば上の身分になれた。国民みんなは文学部を出た者に従った。そうやって、国民みんなで身分制をやっていたのである。文学部出身者は他人に命令するだけでお金を得られたから自分が働く必要がなかったからいつも楽ばっかりしていたから“苦労のないいい顔”をしていられたのである。
一方、理学部は国民みんなが科学をやるためにあった。国民が理学部に入って理学部を卒業して科学をやって物を作っていたのである。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今では国民みんなが道徳を守って『人間がみな平等である』ことを守ってみんなと平等にしている。今では国民みんなは身分制をやめて上の者に従わなくなっている。今では国民がいくら文学部を卒業しても上の者にはなれない。今では国民みんなが文学部出身者に従わなくなって、文学部出身者は他人に命令してお金を取ることができない。今では文学部出身者も理学部出身者と同様に自分で働かねばならない。今では文学部出身者も“楽ないい顔”をすることができなくなっているのである。今では文学部出身者も理学部出身者も同じように苦労して自分で働いて他人のために仕事をして稼[かせ]がなければならないのである。
つまり、今では理学部も文学部も区別がない。国民みんなで科学と道徳の両方をやって『人間がみな平等である』ことや『悪いことをやってはいけない』ことや『神がいない』ことを守りながら物を作って暮らさなければならないのである。

[21794] 男女同権の真意 h27.4.3
昔は「科学があって道徳がない時代」だった。みんなが「人間が不平等である」ことを守って人間を不平等にしていた。そのため、昔は女が家の中で遊んでいた。女が家の中で何もせずに遊んでいた。女が男よりも身分が上だった。
時代が進んで『科学と道徳の両方ある時代』になって、みんなが『人間がみな平等である』ことを守って人間みんなを平等にしなければならなくなった。
そこで、家の中で遊んでいた女を男と同じように家の外で働かせるようになったのである。女と男が平等になったのである。昔に比べて女が楽ではなくなったのである。女の苦労が増えたのである。つまり、“レディーファースト”がなくなったのである。
これまで女は家の中で遊んで楽ができたから“いい顔”ができたのである。これからは女は家の外で男と同等に苦労して働かねばならないからもはや“楽ないい顔”はできないだろう。
昔はみんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の日本は「道徳のない世界」だった。「道徳のない世界」では悪い者ほど身分が上だった。文学は自分の心を実在よりも肯定するから悪い。文学は実在を無視するから悪い。女は自分の心を満足するために卑怯[ひきょう]な手ばかり使うから悪い。女は正義の心がないから悪い。だから、昔は文学部や女が上の者だったのである。理学部や男は文学部や女に従わなければならなかったのである。
昔は「道徳のない世界」だった。「道徳のない世界」では悪い者ほど身分が上だった。大人はエロ本を読んだり酒を飲んだりタバコを吸ったりするので悪い。大人はくだらない感情を満足するので悪い。だから、昔は大人が子供よりも身分が上で、大人が子供を好き放題に虐待していたのである。
そもそも昔が「道徳のない世界」だったのは、みんなが「人間の心が身体とは別にある」と思っていたからである。みんなが「物と心は別である」と思っていたので、みんなが物をやる時代には心がやれなくなって道徳がなくなっていたのである。みんなが道徳を破って身分制をやって人間に上下の区別を付けて下の者が上の者に従っていたのである。しかし、今ではみんなが『人間の心が脳にある』と思っているから、今は『道徳のある世界』である。みんなが『心と物は同じである』と思っているので、みんなが物をやる時代にも心がやれて道徳があるのである。今ではみんなが道徳を守って平等制をやってみんなと平等に暮らしているのである。

[21795] どうして政府は上の者なのか? h27.4.4
今の政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたりしている。そのうち国民に戦争をやらせるかもしれない。
つまり、政府は上の者である。政府が民主主義の芝居をやって国民と平等にしているふりをしているのは、国民の機嫌を取るためにすぎない。政府は本当は国民のために何の役にも立っていない。
政府が上の者なのは、昔の人が「心と身体は別のものだ」と考えていたからである。昔の人は「心と身体は別のものだ」と考えていたから「人間は物がわかれば心がわからず、心がわかれば物がわからない」と考えて「科学と道徳が相[あ]い容れない」と考えて科学と道徳の片一方だけやっていた。近代の人は科学をやって道徳をやらなかった。近代はヨーロッパの科学が急激に発達したから、日本人みんなはヨーロッパの科学を受け入れて科学をやって道徳をやらないことにしたのである。近代の日本ではみんなが道徳をやらなかったから『人間がみな平等である』ことを破って「人間が不平等である」ことを守って人間に上下の区別を付けて下の者が上の者に従わねばならないことにしたのである。みんなが「政府が上の者で国民が下の者だ」と考えて「国民は政府に従わねばならない」ことにして国民が政府に従っていたのである。頭で動く人は身分制を守って政府に従うが、心で動く人は身分制を守らないから、政府は心で動く人を制するために民主主義の芝居をやって国民と平等にしているふりをして国民の機嫌を取っていたのである。つまり、国民の中には馬鹿がいるから、馬鹿な国民を政府に従わせるために、政府は民主主義の芝居をやっていたのである。
しかし、今では脳の科学が発達して、今の人は『心は脳にある』と考えている。今の人は『心と身体は同じものだ』と考えているから『人間は物がわかれば心もわかる』と考えて『科学と道徳は相い容れる』と考えて科学と道徳の両方をやっている。今では科学的世界観の中で道徳がやれるようになっている。実際に、私もそのようにして道徳を理解した。現代の日本ではみんなが科学と道徳の両方をやっている。現代の日本ではみんなが道徳をやっているから『人間がみな平等である』ことを守ってみんながみんなと平等にしている。みんなが『政府と国民は平等だ』と考えて『国民は政府に従わなくていい』ことにして国民が政府に従わなくなっているのである。
政府が上の者なのは、昔の人が「心と身体は別のものだ」と考えていたからである。物が下に落ちるのは地球が物を引っ張るからであるのと同じことである。今の人は『心は脳にある』と考えている。地球が物を引っ張らなければ物は下に落ちない。それと同じように、今の人は『心は脳にある』と考えているから「心と身体は別のものだ」と考えていないからもはや政府は上の者ではない。だから、今の人は政府に従う必要はない。今の人は政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
国民みんなが『人間はみな平等にしなければならない』と思っている時代に、国民の総意で「政府が国民よりも上の者である」ことが決まるわけがない。だから、今の政府は自分の独断で上の者をやっているにすぎないのである。政府が「国民の総意」と言っているのは嘘[うそ]である。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府と平等にして政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を葬[ほうむ]ればいいのである。政府と国民が平等なら、いくら政府が国民のためになることをやっているからといって政府が国民から強制的にお金を取ることはできない。政府は必ず国民と契約を取って国民の同意を得てから国民からお金をもらって国民のためになることをしなければならない。ところが、今の政府は国民と契約を取っていない。だから、国民は政府の屁理屈に騙されないようにして政府に税金を払わなければいいのである。

[21796] どうして私の人生はうまく行かないのか?★ h27.4.5
私は今年の3月27日に宇美町[うみちょう]にある福岡刑務所を見に行った。そのとき、「人が刑務所に入らなければならなくなるのは道徳の勉強をしないからだ。人間はみんな生まれつき悪人である。つまり、人間の感情はみんな生まれつきまちがっている。それを道徳の勉強によって直さなければならないのだ。道徳の勉強をやった者が刑務所の外で自由に暮らせるのだ。」と思った。
私も子供の頃に道徳の勉強をしなかった。私は子供の頃に道徳を勉強する機会に恵まれなかったので道徳を勉強しなかった。科学が知識であるように道徳も知識である。科学を勉強して身につけるように、道徳も勉強して身につけるものである。私は科学はよく勉強したが道徳は勉強しなかった。そのために、私は『性欲を満足させてはいけない』ことを知らなかったので思春期になってオナニーをするようになって自分で自分の感情を興奮させる悪い癖が身について、高校1年生のときに自分の怒りの感情を興奮させすぎてテレパシー器官を興奮させすぎて精神分裂病に罹[かか]ってしまった。今でも精神分裂病は治っていない。そのために、私は社会に不適応になって仕事をするのがつらくなった。仕事ができなくなった。もともと私は子供の頃から他人が苦手なのに、ますます他人が苦手になった。私の人生はうまく行かなくなった。私はもうすぐ死なねばならないかもしれない。人間は一度精神病に罹ると死ぬまでずっと精神病に罹ったままである。人間は一度精神病にかかるとイライラ感情や落ち込み感情を荷う脳細胞が興奮し続けて死ぬまでずっとイライラしたり落ち込んだりし続けねばならない。人間は精神病に罹ると普通の人よりもずっと不幸に暮らさねばならなくなる。普通の人でさえある程度は不幸なのに、それよりもずっと不幸になる。死ぬまでずっと普通の人よりもずっと不幸に暮らさねばならないのである。
今の社会には子供に道徳を教える機会がない。そのために、今の子供は道徳を知らない。そのために、今の子供は人生の道を見失って不幸に暮らさねばならなくなっている。『人生の“道”に関する“知識”』が道徳である。今の社会には道徳がなくなっているからみんなが不幸になっているのである。
今では大人や学校や塾は子供に道徳を教えてくれない。だから、今の人はなんらかの手段で自分で道徳を勉強しなければならない。宗教に入ったり、他人の道徳を学んだり、自分で道徳を考えたりして道徳を勉強しないといけない。そうしなければ不幸になる。
私は子供の頃に『雨はどうしてふりますか?』という本を読んだ。そのため、すごく科学が好きになって科学を勉強するようになった。もしも、当時『どうして人は心のままに生きてはいけないのか?』という本があったら、私は道徳が好きになって道徳を勉強して私の人生がうまく行っていたかもしれない。
今は『科学と道徳の両方ある時代』である。だから、今の人は科学と道徳の両方を勉強して物と心の両方に詳[くわ]しくなって、物を作りながら自分の心を満足して、物と心の両方を豊かにして暮らさねばならない。

[21797] 日本では自殺は悪いことではない。★ h27.4.5
今の私は51歳で歳が行っているので仕事に就けない。仕事に就けなければ死なねばならない。たとえ万一仕事に就けて生きることができたとしても、私は精神病なので普通の人よりもずっとつらい思いをしなければならないので幸せではない。これでは生きる意義がない。
生きても幸福になれない者は死ねばいい。生きて幸福になれる者だけが生きればいい。
日本では自殺は悪いことではない。自分の身体は自分のものであり、生きるか死ぬかは個人の自由だから、生きても幸福になれない者は自分の身体を殺して死ねばいい。人間が不幸なのは嫌な感情を荷う脳細胞が神経興奮して嫌な感情を発生するからであり、人間が死ねば嫌な感情を荷う脳細胞が神経興奮しなくなって嫌な感情を発生しなくなるから不幸ではないのである。
『生きても幸福になれない者が自殺する』のも道徳である。『自分を不幸にしないために死ぬ』のは立派な道徳である。人間は正しいことの中で自分の感情を満足して幸福に生きるべきである。つまり、人間はただたんに生きているだけではなく自分の感情を満足して幸福に生きねばならないのである。人間が生きるための知識が科学であり、自分の感情を満足するための知識が道徳である。人間には科学だけでなく道徳も必要である。人間が精神病に罹[かか]っていつも嫌な感情を荷う脳細胞が興奮して不幸な思いばかりしなければならなくなったら生きる意義がないからさっさと死んでしまえばいいのである。つまり、自分が不幸になりすぎたらさっさと自分の身体を殺して自分の不幸を終わらせればいいのである。
私もこの『最後の道徳』を使う日が来るかもしれない。それが私が人間であることの最後の証[あかし]となるだろう。

[21798] 商事会社は何もやっていない。 h27.4.6
物が売れるか売れないかは物自体で決まる。物の品質がよければ売れて、物の品質が悪ければ売れないだけである。今の消費者は物を見る目が厳しくなっているから、ますますそうなっている。
だから、商事会社は何もやっていない。商事会社はただ建っているだけで何も仕事をやっていない。商事会社は物が売れているのを自分のせいにして余計なお金を取っているだけである。商事会社は役立たずの遊び人の溜[た]まり場である。
世の中に商事会社なんか要らない。国民みんなで商事会社をなくして余計な手数料を取る者を一掃[いっそう]しなければならない。

[21799] どうして日本人は顔が悪いのか? h27.4.6
日本人が顔が悪いのは日本が知覚主義の国だからである。日本は正しいことを第一にする国だから顔や身体なんかどうでもいいから顔や身体が悪いのである。
反対に、ヨーロッパ人が顔がいいのはヨーロッパが五感主義の国だからである。ヨーロッパは綺麗[きれい]なことを第一にする国だから顔や身体が大事だから顔や身体がいいのである。
これまで日本が繁栄してきたのは日本が知覚主義の国だったからである。日本人の哲学が正しかったから、日本は世界に名だたる優[すぐ]れた国だったのである。
日本は哲学の国である。日本は知覚主義だけが取り柄[とりえ]である。日本は知覚主義を絶やしてはいけない。日本人がヨーロッパ人に合わせる必要はない。逆にヨーロッパ人を日本人に合わせてやればいい。日本人は自分の顔や身体が悪いことに誇[ほこ]りを持たねばならない。

[21800] どうしてインドは身分制の国なのか? h27.4.6
日本は知覚主義の国である。もっとも、日本では心や五感も認める。日本では心や五感を知覚に従属させて認める。だから、真善美というのである。
インドも知覚主義の国である。インドは知覚主義をやりすぎた国である。インドでは心も五感も認めない。だから、インドには道徳も科学もないのである。インドには道徳がない。だから、インドには身分制があるのである。インドでは今でも上の者が下の者を好き放題にして殺したりお金を取ったりしているのである。
インド人は頭がよすぎたから知覚主義なのだろう。インド人は頭がいいから心も五感も認めない。インド人にとっては自分が道徳や科学をやらないことが誇[ほこ]りなのだ。日本人はインド人ほど頭がよくなかったから、知覚だけではなく心や五感も認めるのだ。
人間には知覚と心と五感がある。人間はそれらを全部使って実在を認識して実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
平成27年5月20日追記)インド人は自分が科学も道徳もやらないことを誇[ほこ]りにしている。インド人は物のことも心のことも知らない。だから、インド人は今でも物がなくて貧乏で悪いことをやったり身分制をやったりしているのである。しかし、インド人には数学の才能がある。インド人は数のことはよく知っている。インド人は“ガラの悪い乞食[こじき]”だが数学だけはよくできるのである。数学の才能だけが異常に発達しているのである。だから、今ではインド人はコンピューターのプログラムをたくさん作ってたくさん売ってたくさん儲[もう]けている。インド人は知覚界の中だけでやることが好きだから数学の仕事が得意だから喜んでプログラムの仕事をするのである。コンピューターを作ったのはヨーロッパ人だが、プログラムを作るのはインド人なのである。インド人は知覚の世界にひたすら踏み込んでいく連中なのである。ヨーロッパ人や中国人は物や数や心などのいろんなことをやるが、インド人は数のことしかやらないのである。


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