[21601] 日本ではどうして銃や麻薬がいけないか?☆ h26.11.15
銃や麻薬は人の悪い心を満足するためにある。銃や麻薬は人の悪い心を満足するために科学を使って作られた道具である。
日本は『道徳と科学の両方ある国』である。日本では人の善い心を満足するためにしか科学を使ってはいけない。だから、日本では銃や麻薬がいけないことになるのである。
反対に、アメリカは「科学があって道徳がない国」である。アメリカでは人の悪い心を満足するために科学を使っていい。だから、アメリカでは銃も麻薬もいいのである。
今の日本では国民は『道徳と科学の両方ある国』を作っている。一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は日本をアメリカみたいな国にしている。政府は日本を人が自由に悪いことをやっていい国にしている。政府は日本を人が自分の悪い心を満足してもいい国にしている。政府は今の国民とは違う国を作っている。政府は国を作る団体である。国は国民のものである。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
道徳とは人間が幸福に暮らすために適切に自分の心を働かせることである。人間は善い心を働かせて悪い心を働かせないことによって幸福に暮らせるのである。日本は道徳がある国だから、国民がいくら物やお金が貧しくても幸福に暮らせるのである。反対に、アメリカは道徳がない国だから、国民がいくら物やお金がたくさんあっても不幸にしか暮らせないのである。
[21602] 昔と今では人々の道徳や科学に対する考えが違う。 h26.11.15
昔の人は「科学と道徳は相反[あいはん]する」と考えていた。物質と反物質のようなものだと考えていた。物質と反物質が衝突すると消滅するように、科学と道徳がいっしょになると消えてなくなると考えていた。だから、昔の人は科学と道徳をけっしていっしょにやろうとしなかった。
ヨーロッパには科学がある。中国には道徳がある。だから、ヨーロッパと中国の真ん中にあるインドでは科学と道徳がぶつかって科学も道徳も何もない国になっていた。
日本では「一年に春夏秋冬があるように科学と道徳を違う時代にやれば両方がいっしょになって消えることはない」と考えて、ヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって『科学と道徳の両方ある国』にしていた。日本は四季が豊かで時間についての独特の考えがあったから、時間の考えを使って『科学と道徳の両方ある国』にしていたのである。
しかし、そのうち時代がたって、人々の科学や道徳に関する考えも変わって行った。
今の人は『科学と道徳が別のことだ』と考えている。科学と道徳が相反することではなく、まったく別のことだと考えている。科学と道徳が共存できると考えている。だから、今の人は科学と道徳をいっしょにやっている。
今ではヨーロッパではアジアから道徳を取り入れて、逆にアジアではヨーロッパから科学を取り入れて、科学と道徳をいっしょにやって『科学と道徳の両方ある国』にしている。
日本でも、ヨーロッパやアジアの国と同じように科学と道徳をいっしょにやって『科学と道徳の両方ある国』にしている。昔の日本では『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやっていたが、今の日本では『科学と道徳の両方ある国』にするために科学と道徳をいっしょにやるようになっているのである。
今の日本では、国民は『科学と道徳の両方ある国』を作っている。ところが、政府は昔の国民が建てた団体なので「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う国を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならないのである。
「道徳と科学が相い反する」のは昔の人が作った迷信である。そのために、これまで日本人はわざわざヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってきたのである。今の人は『道徳と科学が相い補う』と考えて道徳と科学をいっしょにやって幸福に快適に暮らせばいいのである。
[21603] ヨーロッパは理系の国である。アジアは文系の国である。 h26.11.16
ヨーロッパは理系の国である。理系の道を究めるとヨーロッパみたいな「科学があって道徳がない国」になるのである。眼に見える物のことだけわかって、善も悪もわからない幸福と不幸の区別も付かない冷たい人間ばかりの国になるのである。つまり、ヨーロッパは科学バカの国である。
反対に、アジアは文系の国である。文系の道を究めるとアジアみたいな「道徳があって科学がない国」になるのである。面白いこととつまらないことだけわかって、実在なんかどうでもいい正しいこととまちがったことの区別も付かない物のことに関心のない貧乏くさい人間ばかりの国になるのである。つまり、アジアは文学バカの国である。
しかし、今では通信や交通が発達して東西交流が盛んになってヨーロッパ文化とアジア文化が混じり合って世界が一つになっている。いわば、世界が一つの国になっている。ヨーロッパがアジアを知り、アジアがヨーロッパを知るようになっている。
だから、今では世界中のみんなが道徳と科学の両方をやるようになったのである。文系と理系の両方をやるようになったのである。アジア文化とヨーロッパ文化の両方をやるようになったのである。『道徳と科学の両方ある国』にしているのである。そのために、世界中のみんなが幸福に快適に暮らせるようになっている。
今の日本でも国民は道徳と科学の両方やっている。ところが、政府は科学だけやって道徳をやっていない。政治家が太っているから、政府は表では道徳をやっているようだが、じつは科学だけやっているのである。政府は国民と違う文化の国を作っている。国は国民のものである。国を作る団体も国民のものである。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民と同じ『道徳と科学の両方ある国』を作る団体が現れてから、国民はお金をやって国を作ってもらわねばならない。
[21604] 国民が“国を作る団体”を引っ張っていかねばならない。 h26.11.16
国は国民のものである。国民が国を決める。国を作る団体は国民のためにある。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。
だから、国を作る団体は国民を引っ張っていく団体ではなく、国民の国作りのお手伝いをする団体である。国民は自分の仕事があっていそがしいから、国を作る団体が国民の代わりに国を作るのである。
むしろ、国民が国を作る団体を引っ張っていかねばならない。国民が国民と違う文化の国を作る団体を倒して、国民と同じ文化の国を作る団体を建てねばならない。
今の日本では国民は『道徳と科学の両方ある文化』をやっている。ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民が政府を倒さねばならない。今の国民が『道徳と科学の両方ある国』を作る団体を建てて国を作ってもらわねばならない。
[21605] どうして今の国民は政府を倒さないのか? h26.11.16
今の国民が頭で考えていないからである。
国民が頭で考えれば、『今の国民が『道徳と科学の両方がある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。』ことがわかる。
今の国民がテレビばっかり見てゲームばっかりやって眼で見て遊んでばかりいて頭を使って考えていないために、『自分が政府を倒さねばならない』ことがわからず、いつまでたっても政府を倒さないのである。国民はおとなしく政府に従って、政府の命令を聞いて悪いことをやったり政府に悪いことをされたりして不幸に暮らしているのである。
今の国民は早く『自分が政府を倒さねばならない』ことを理解して、政府を倒さねばならない。
今の国民は眼で見て遊んでばかりいないで、もっと自分の頭を使って考えねばならない。
[21606] 戦争について h26.11.17
昔のアジアでは国民が「道徳があって科学がない文化」をやっていた。昔のヨーロッパでは「道徳がなくて科学がある文化」をやっていた。
昔のアジアでは、他人を殺すのは悪いことだから、自分が不幸になるのが嫌だから戦争をやらなかった。アジアでは自分の心に目を向けることが許されていたから、国民は自分が戦争が嫌だから戦争をやらなかった。戦争をやると自分が敵に殺傷されて不幸になる。だから、戦争は悪である。人間は悪いことをやってはいけない。だから、戦争をやらなかった。幕府は「道徳がある国」を作るから、国民に戦争をさせなかった。
しかし、昔のヨーロッパには善悪や幸不幸の概念がなかったから、戦争をやった。ヨーロッパでは自分の心に目を向けることが許されなかったから、国民はたとえ自分が戦争で不幸になっても自分が戦争が嫌であっても戦争をやった。政府は「道徳がない国」を作るから、国民に戦争をさせた。
一方、日本では昔から国民が『科学と道徳の両方ある国』にするために戦争をやって来た。国民がヨーロッパ文化をやる時代には、政府の命令で戦争をやった。
昔は国によって国民の戦争観はさまざまだった。ヨーロッパでは戦争をやり、アジアでは戦争をやらず、日本では時代によって戦争をやったりやらなかったりした。
しかし、今では世界中でみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今では世界中でみんなが道徳を理解している。今では世界中でみんなが自分の心に目を向けて生きている。今では世界中でみんなが戦争が自分を不幸にするから戦争をやらなくなっている。自分が他人を殺すと、仕返しに自分が他人に殺されて自分が不幸になるから、自分が他人を殺さなくなっている。
人間には心がある。人間には身体だけでなく心もある。昔のヨーロッパ人は自分の心を見なかったから、自分の心がわからなかったから、戦争が自分を不幸にすることがわからず自分が戦争が嫌であることがわからず戦争をやった。昔のヨーロッパ人は気張[きば]って緊張して自分の心をなくしていたので戦争をやった。しかし、今ではヨーロッパ人はアジア文化の影響で自分の心を見るようになっているから、自分の心がわかるようになっているから、戦争をやると自分が不幸になるから戦争が嫌だからもはや戦争をやらない。現代になってようやくヨーロッパ人が『人間に心がある』ことがわかったために、ヨーロッパ人が戦争をしなくなって世界に戦争がなくなったのだ。
平和は人間を幸福にし、戦争は人間を不幸にする。平和は善であり、戦争は悪である。道徳のない国では善悪の区別がないから善いことも悪いこともやっていいから戦争をやる。反対に、道徳のある国では善悪の区別があるから善いことはやってもいいが悪いことはやってはいけないから戦争をやらない。昔のヨーロッパでは道徳がなかったから戦争をやった。今のヨーロッパでは道徳があるから戦争をやらなくなったのだ。
[21607] 人間は科学と道徳をバラバラに知るだけではなくそれらを統合しないといけない。
h26.11.17
科学は実在を知ることである。実在の世界がどうなっているかを知ることである。ところが、人間の心は先天知であり実在を知らない。人間の心を知ることは実在を知る妨げになる。だから、人間が実在を知るためには心を見てはいけない。
反対に、道徳は人間の心を知ることである。人間が何をすれば幸福になり、何をすれば不幸になるかを知ることである。ところが、実在知は後天知であり人間の心とは別である。実在を知ることは人間の心を知る妨げになる。だから、人間が人間の心を知るためには実在を見てはいけない。
昔のヨーロッパは科学の国だった。昔のヨーロッパではみんなが自分の心を見ず物だけ見ていた。反対に、昔のアジアは道徳の国だった。昔のアジアではみんなが物を見ず自分の心だけを見て暮らしていた。
しかし、科学だけでは人間の心がわからない。自分が幸福であるか不幸であるかもわからない。そのために、自分が幸福になることをやらず自分が不幸になることをやってしまって、自分が幸福になれず自分が不幸になって苦しまねばならない。
反対に、道徳だけでは物がわからない。真実かまちがいかもわからない。そのために、物のことがわからず物が扱えず不便に貧乏に暮らさねばならない。
そのために、昔のヨーロッパでは物やお金はたくさんあるが幸福ではなかった。反対に、昔のアジアでは幸福だったが物やお金は貧しかった。
一方、日本では昔からみんなが科学が道徳の妨げになり、道徳が科学の妨げになるとは考えなかった。道徳と科学の両方があれば、人間が幸福に便利に暮らせると考えていた。だから、日本ではみんなが科学と道徳を交互に受け入れて、科学と道徳の両方をやっていた。日本ではみんなが実在も人間の心も両方見えて、物やお金がいっぱいあって幸福に暮らしていた。日本人はヨーロッパ文化を取り入れる時代にはヨーロッパから科学を学んで付き合いでちょっとだけ悪いことをやって、アジア文化を取り入れる時代にはアジアから道徳を学んで付き合いでちょっとだけ文明を捨てていたのである。一方、政府や幕府は自分が国を作る団体であることをいいことにしてバリバリ国民に悪いことや国民を貧乏にすることを思う存分やっていたのである。ヨーロッパは日本よりも科学が得意だが日本よりも道徳が苦手である。反対にアジアは日本よりも道徳が得意だが日本よりも科学が苦手である。学校の先生が自分の教える教科だけ生徒よりも得意で、それ以外は生徒よりも苦手でよくまちがえるようなものである。日本人はヨーロッパやアジアの先生から科学や道徳を交互に学んで、自分が科学と道徳の両方が得意になって科学と道徳の両方ある国にしてきたのである。
今では東西交流が盛んになってヨーロッパ人がアジア文化を学び、アジア人がヨーロッパ文化を学んで、世界中のみんなが日本と同じように道徳と科学の両方をやるようになっている。今頃になって、ようやく世界は日本に追いついたのだ。日本人は昔から道徳と科学の両方を取り入れてきたので日本人にとっては道徳と科学の両方あるのが当たり前だと思っているが、世界的には道徳と科学が両方あるようになったのは戦後のことでついこの前のことなのである。道徳と科学が両方あるほうが世界的にはよっぽど変なのである。今では日本人もヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやるのではなく、世界のみんなと同じように道徳と科学をいっしょにやればいいのである。今の日本人は科学の時間(ヨーロッパ文化を取り入れる時代)と道徳の時間(アジア文化を取り入れる時代)に科学と道徳を交互に勉強するのではなく、同じ時間(同じ時代)に科学と道徳をいっしょに学んで科学と道徳をいっしょにやればいいのである。
科学は実在を知ることである。道徳は人の心を知ることである。人間は科学と道徳の両方を知り、科学と道徳を知覚で統合しなければならない。人間が科学を用いて人間の心を満足しないといけない。人間が人間の心を満足するために科学を用いなければならない。そうしてはじめて人間は科学と道徳を両方を活かして幸福に便利に暮らすことができるのである。
[21608] 『道徳と科学の両方ある国』にする方法 h26.11.17
今では世界中でみんなが道徳と科学の両方をやるようになって、みんなが『道徳と科学の両方ある国』にしている。
道徳とは、人間が自分が幸福になることをやり、不幸になることをやらないことである。
科学とは、人間が物を用いることである。
だから、道徳と科学が両方ある国とは、人間を幸福にする物があり、人間を不幸にする物がない国のことである。
みんなは『道徳と科学の両方ある国』にすればいい。『道徳と科学の両方ある国』を作る団体は、そういう国を作ればいい。
ところが、政府は「科学があって道徳がない国」にしている。政府は人間を幸福にする物をなくして、人間を不幸にする物をたくさん作っている。政府は物だけあって人間の幸福がない国にしている。政府は貴重な物を無駄遣[むだづか]いしている。
国民は物をもっと大切にして、物を自分の幸福のために役立てねばならない。政府では埒[らち]が明かない。国民はさっさと政府を倒して、『道徳と科学が両方ある国』を作る団体を建てて、人間を幸福にする物をたくさん作って、人間を不幸にする物をなくして、物を国民の幸福のために有効利用してもらわねばならない。
[21609] 政府は道徳のないクズだから、政府は国民よりも下の人間だから、国民は政府に頭を下げる必要はない。
h26.11.17
道徳とは、人間が何をすれば幸福になり、何をすれば不幸になるかを知ることである。人間が自分が幸福になることやり、不幸になることをしないことである。
科学とは、人間が物のことを知ることである。
道徳と科学が結び付くことによって、人間は自分の心を満足するために物を使うことができる。人間は物を使って自分の心を満足することができる。
今ではテレビやパソコンや車など“人間の心を満足する科学の産物”がたくさんある。今の人は四六時中人間の心を満足する科学の産物に囲まれて暮らしている。今の人にとっては道徳と科学が結び付くことは常識である。今の人にとっては道徳と科学は対立しない。今の人にとっては道徳と科学は相い補う。今の人は道徳と科学の両方を知って両方をやって暮らしている。今の人は道徳と科学の両方がある世界で暮らしている。
一方、政府は科学だけやって道徳をやっていない。政府はヨーロッパ文化の国を作る団体だから、「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、自分でも科学をやって道徳をやらないのである。
政府は人殺しである。政府は道徳のないクズである。だから、国民は政府に頭を下げる必要はない。
今の国民は『道徳と科学が両方ある文化』をやっている。政府は「科学だけあって道徳がない国」を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒して、『道徳と科学の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。
[21610] どうして昔の日本人はヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやっていたのか?☆
h26.11.17
昔は東西交流がなくて世界がヨーロッパとアジアの二つに分かれていた。ヨーロッパでは科学をやって、アジアでは道徳をやっていた。日本ではヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって『科学と道徳の両方ある国』にしていた。昔の日本人はヨーロッパ文化とアジア文化をいっしょにやると両方の欠点を取り入れて科学も道徳も両方ともなくなるのを恐れて、わざとに時代をずらしてヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやることにしたのである。ヨーロッパは科学のある文化だがその反面道徳のない文化であり、アジアは道徳のある文化だがその反面科学のない文化であり、ヨーロッパ文化とアジア文化の両方を受け入れると道徳も科学も両方ない文化になってしまう恐れがあったのである。ヨーロッパの科学には道徳のないことが染[し]み込んでいる(私が物理学科にいた頃(30歳の頃)にわかった)。反対に、アジアの道徳には科学のないことが染み込んでいる。つまり、科学があることは道徳がないことの裏返しであり、道徳があることは科学がないことの裏返しである。だから、日本人がヨーロッパの科学を勉強すると道徳がなくなり、アジアの道徳を勉強すると科学がなくなる。日本人が下手[へた]にヨーロッパの科学とアジアの道徳を受け入れると、かえって道徳も科学もなくなってしまう。昔の科学には道徳のないことが染み込んでいて、昔の道徳には科学のないことが染み込んでいて、昔は科学と道徳をいっしょにやることができなかったから、日本は科学と道徳を交互に取り入れてきたのである。日本人の心の広さで科学と道徳の両方を受け入れてきたのである。
しかし、今では東西交流があって世界が一つになってヨーロッパとアジアの区別がなくなっている。世界中の国で科学と道徳の両方をやるようになっている。そのため、今の日本は世界中の国から科学や道徳を取り入れて科学や道徳をやっている。今の科学には道徳のあることが染み込んでいて、今の道徳には科学のあることが染み込んでいて、今では科学と道徳をいっしょにやることができるから、今の日本は科学と道徳を取り入れているのである。今では日本人が下手に外国の文化を受け入れることがなくなっているから、日本人は安心して外国の科学や道徳を受け入れればいいのである。
昔の日本では国民がヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやっていた。今の日本では国民が科学と道徳をいっしょにやっている。政府は昔の国民がヨーロッパ文化をやっていた産物である。政府はヨーロッパ文化の国を作っている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。今の国民は『科学と道徳が両方ある文化』をやっている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならないのである。
[21611] どうして昔の日本人は科学と道徳を交互にやったのか?☆☆ h26.11.17
昔の人は「科学と道徳が相い反する」と考えていた。世界中のみんながそう考えていた。
しかし、日本は科学と道徳の両方がやりたかった。
だから、日本ではヨーロッパが日本に攻めて来る時代にはヨーロッパ文化をやり、ヨーロッパが日本に攻めて来ない時代にはアジア文化をやっていた。
そのため、時代の変わり目には『科学と道徳の両方をやっている時代』(約百年間)が出現した。ヨーロッパ文化を長くやっていると「科学があって道徳がない時代」になって便利だが不幸になる。アジア文化を長くやっていると「道徳があって科学がない時代」になって幸福だが不便になる。しかし、ヨーロッパ文化の時代とアジア文化の時代の変わり目には『科学と道徳の両方をやっている時代』になって便利で幸福に暮らせるのである。
日本人は時代の変わり目の『科学と道徳を両方やっている時代』を利用するために、頻繁[ひんぱん]にヨーロッパ文化をやる時代とアジア文化をやる時代を入れ替えていたのである。
今の人は『科学と道徳が相い反しない』と考えている。世界中のみんながそう考えている。
科学とは人間が物を見ることである。道徳とは人間が人の心を見ることである。科学と道徳は人間が見る対象が違うだけである。
だから、今の人は『科学と道徳は相い反しない』と考えて、科学と道徳を両方いっしょにやっている。科学と道徳を統合して、科学を使って人の心を満足して、便利に幸福に暮らしている。
今の日本では国民は科学と道徳を両方いっしょにやっている。国民が科学や道徳を勉強して統合して科学を使って自分の心を満足して快適に幸福に暮らしている。今の国民は『科学と道徳が両方ある文化』をやっている。一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は昔の「科学と道徳が相反する」と考えていた国民がヨーロッパ文化をやるために建てた団体だから「科学があって道徳がない国」を作るのである。政府が出来た最初の頃は時代の変わり目だったから『科学と道徳の両方ある国』になって国民が快適に幸福に暮らせていて満足だった。しかし、今では政府が長く国を作りすぎたために「科学があって道徳がない国」になって国民が物だけあって不幸に暮らさねばならなくなって不満になっている。
今の国民は『科学と道徳が両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて末永く『科学と道徳の両方ある国』を作り続けてもらわねばならない。そうすれば、今の国民はずっと快適に幸福に暮らすことができて満足に暮らせるのである。
[21612] どうして今の国民は政府を倒そうとしないのか?☆☆ h26.11.18
江戸時代の日本では国民がアジア文化をやっていた。国民が道徳をやって科学をやっていなかった。国民は幸福だが不便に暮らしていた。国民は不満足だった。
明治時代になって国民はヨーロッパ文化をやるようになった。国民が江戸時代に道徳をやっていたことと明治時代になってから科学をやるようになったことが混ざり合って国民が道徳と科学の両方をやっていた。国民は幸福で便利に暮らしていた。国民は満足だった。
戦後になって東西交流が盛んになって世界中でみんなが道徳と科学の両方をやるようになった。日本でも国民が道徳と科学を両方やるようになった。
しかし、すでに日本では国民が道徳と科学の両方をやっていたので、国民は「日本では国民が明治時代から道徳と科学の両方をやるようになったのだ」と勘違いをしてしまった。「すでに政府が国民に合わせて『道徳と科学の両方ある国』を作っているのだ」と誤解してしまった。だから、今の国民は政府を倒そうとしないのである。
しかし、本当は政府は今の国民とは違う「科学があって道徳がない国」を作っているのである。日本でも戦前は国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていたのである。政府は国民に合わせて「科学があって道徳がない国」を作っていたのである。その後、国民は世界に合わせて『道徳と科学の両方ある文化』をやるようになったが、政府は昔と同じように「科学があって道徳がない国」を作り続けているのである。そのために、日本はしだいに「科学があって道徳がない国」になって物だけあって幸福がない国になって国民が不満に暮らさなければならなくなっているのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならないのである。
[21613] どうして政府は国民から税金を取れるのか?☆ h26.11.18
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の国民は「科学があって道徳がない国」を作るために、政府を建てて政府に「科学があって道徳がない国」を作らせていた。道徳がない国では悪いことがしたい放題である。だから、政府は国民からお金を取るために国民の同意を得ずに国民と契約せずに勝手に国民からお金を強盗して国民から税金を取っていたのである。
政府が国民から税金を取れたのは、国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていたからである。国民が悪いことをやってもいいと認めていたから政府が国民から税金を取れたのである。国民の同意のもとで政府は国民から税金を取っていたのである。暴力団や宗教団体が悪いことをやっていたのも同じ理屈である。政府や暴力団や宗教団体が我が物顔で悪いことをしているので、何も知らない国民はてっきり「政府や暴力団や宗教団体が国民よりも上の者だ」と思っていたのである。
昔の国民は江戸時代の道徳も守っていたから、普通の会社は国民とちゃんと契約を取って仕事をしていたのである。昔の日本は道徳の国と科学の国が混じった“いい意味でのカオス(混沌[こんとん])な国”だったのである。
しかし、今の国民は『道徳があって科学がある文化』をやっている。政府は今でも「科学があって道徳がない国」を作っている。道徳がある国では悪いことをやってはいけない。他人を脅[おど]してお金を強盗してはいけない。だから、国民はたとえ政府に脅されても政府に税金を払ってはいけないのである。今では国民が政府が税金を取ることに同意していないから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。国民は暴力団や宗教団体にも悪いことをされなくていいのである。
今では国民は政府に脅されても税金を払わない。政府は国民から税金を取れない。だから、政府は潰[つぶ]れているのである。政府は今の国民と違う文化の国を作っているから潰れてしまえばいいのである。
今の国民は『道徳と科学の両方ある文化』をやっている。道徳のある国では、『人間はみな平等である』ことを守らねばならないから、会社は必ず国民の同意を得て国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。だから、今では国を作る団体も国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。今の国民は『科学と道徳が両方ある文化』をやっているから『科学と道徳が両方ある国』を作るために、『科学と道徳が両方ある国』を作る団体を建てて『科学と道徳が両方ある国』を作らせねばならない。将来、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体が出来たら、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。『科学と道徳が両方ある国』を作る団体は複数あってもいいので、必ず国民と契約を取らねばならない。国を作る団体は“国を作る”という名目で国民を支配している。国を作る団体は国を作るために国民に命令を出せるので国民を支配できるのである。しかし、本来は国を作る団体と国民は平等でなければならない。だから、国を作る団体に国民を一方的に支配させないためには、国を作る団体が必ず国民と契約を取らねばならないようにすればいいのである。
[21614] 今の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていない。 h26.11.19
明治維新のときから国民は当時のヨーロッパ文化すなわち「科学があって道徳がない文化」を始めた。
江戸時代の名残[なごり]は百年ぐらいでなくなる。
だから、今の国民がそのまま「科学があって道徳がない文化」を続けていれば、今の政府がやっているように強盗や人殺しや嫌がらせやいたずらなどを毎日国中でみんながやっているはずである。国民みんなが暴力団みたいになっているはずである。
しかし、今の日本は治安がいい。だから、今の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていない。今の国民は『科学があって道徳もある文化』をやっている。
じつは戦後に世界で東西交流が盛んになって世界中でみんなが科学と道徳の両方をやるようになった。ヨーロッパで軍縮があったのは、ヨーロッパでみんなが道徳をやるようになったからである。日本でmade
in Chinaの製品がたくさん売られているのは、アジアでみんなが科学をやるようにからである。だから、日本でも国民が道徳と科学の両方やるようになったのである。日本は昔から道徳と科学の両方がやりたかったし、世界に合わせる国なのですぐさま『科学と道徳の両方ある文化』に変えたのである。日本では戦後に国民が「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになったのである。国民が「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わったのである。
今の国民は『道徳と科学の両方がある文化』をやっている。しかし、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、政府は昔の国民と同じ文化の国を作る団体だから、政府は「科学があって道徳がない国」を作るのである。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は『道徳と科学の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。
[21615] 馬鹿と阿呆[あほう]の違い h26.11.19
馬鹿とは物がわからないことであり、阿呆とは心がわからないことである。
昔のアジア人は物事に対して自分の心がどう思うかばかり気にかけて物のことをちっとも調べようとしなかった。昔のアジア人は心をよく知っていたが、物を知らなかった。反対に、昔のヨーロッパ人は物のことばかり気にかけて自分の心をまったく無視していた。昔のヨーロッパ人は物をよく知っていたが、心を知らなかった。
昔のアジアは馬鹿の国であり、昔のヨーロッパは阿呆の国だったのである。
昔のヨーロッパ人は物ばかりに目を向けて自分の心に目を向けず自分の心がわからなかったので自分が幸福であるか不幸であるかすらもわからなかったのである。そのため、昔のヨーロッパ人は自分が不幸になるにもかかわらず戦争をやっていたのである。
しかし、今では世界で東西交流が盛んになって世界中のみんなが科学と道徳をやっている。ヨーロッパ人がアジア人から道徳を学び、アジア人がヨーロッパ人から科学を学んでいる。
今のアジアは馬鹿の国ではなく、今のヨーロッパは阿呆の国ではない。
今のヨーロッパ人は自分の心に目を向けることができるようになって自分の心がわかるようになって自分が幸福か不幸かがわかるようになった。今のヨーロッパ人は『戦争をやると自分が不幸になる』ことがわかったので戦争をやめたのである。
今の世界は『科学と道徳の両方ある文化』になっている。
だから、今の日本では国民は世界に合わせて『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。それなのに、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は昔の東西交流がなかった時代の国民が建てた国を作る団体だから、政府は昔のヨーロッパのような「科学があって道徳がない国」を作るのである。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならない。だから、今の国民は政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。
[21616] 戦後の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになった。 h26.11.20
日本人は昔から日本を科学と道徳の両方ある国にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互に取り入れてきた。昔はまだ「科学と道徳が対立する」と考えられていたので、科学と道徳をいっしょにやることができなかったのである。昔は科学か道徳かどっちか一つしかやれなかった。科学をやるためには道徳を捨て、道徳をやるためには科学を捨てねばならなかったのである。
明治維新のときに国民はヨーロッパ文化をやることに決めた。つまり「科学があって道徳がない文化」をやることに決めた。「物やお金が豊かで悪いことをやってもいい文化」をやることに決めた。そのために、国民は政府を建てて「科学があって道徳がない国」を作らせた。政府や暴力団や宗教団体は国民が悪いことをするのを認めているのをいいことにしてさんざん悪いことをして暴れまわった。国民からお金を強盗して儲[もう]けていた。
戦後になって東西交流が盛んになって世界が一つになって新しく『科学と道徳の両方ある文化』が出来た。国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやることに決めた。そのために、国民は政府を倒して『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てようとしている。政府や暴力団や宗教団体は国民が悪いことをするのを認めなくなって悪いことができなくなって国民からお金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。
国は国民のものである。国は国民が決める。国民が国を作る団体を好き放題にできる。国民が“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てて、“自分と違う文化の国”を作る団体を倒すことができる。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てねばならない。
ヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやるのは昔の日本人の習慣である。今どきそんなことをやっていてはまともに暮らせたもんじゃない。今の日本人は毎日『科学と道徳の両方ある生活』をやっている。一方、政府は国民に「科学があって道徳がない生活」を強いている。政府は国民に昔の暮らしをさせている。国民は政府に付き合ってわざわざ昔の暮らしをしなくていい。国民の暮らしは国民が自分で決める。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は早く政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて今の自分に合った生活をしなければならない。
[21617] 日本は変わった国である。 h26.11.20
日本は昔から『科学と道徳の両方ある国』にするために、ヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってきた。
しかし、他の国は違う。
アジアの国はこれまでずっとアジア文化ばかりやって来た。「道徳があって科学のない文化」をやって来た。物やお金は貧しいが、自分が幸福になることばかりやっていた。芝居を見たり物語を読んだりして幸福に暮らしていた。
ヨーロッパの国はこれまでずっとヨーロッパ文化ばかりやって来た。「科学があって道徳がない文化」をやって来た。物やお金は豊かだが、自分が不幸になることばかりやっていた。人殺しや強盗や戦争をやって不幸に暮らしていた。人間の心には“他人を殺す苦しみ”や“他人の物を奪う苦しみ”の感情があるので、ヨーロッパ人は人殺しや強盗や戦争をやって自分で自分を苦しめていたのである。
日本以外の国は外国の文化を受け入れたりせずに、ひたすら自分の国の文化ばかりやり続けて来たのである。
しかし、今では通信や交通が発達して東西交流が盛んになって世界が一つの国になっている。ヨーロッパ人がアジア文化を受け入れて、アジア人がヨーロッパ文化を受け入れて科学と道徳の両方をやって暮らしている。今ではアジアでもヨーロッパでも国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやって、物やお金が豊かで幸福に暮らしている。アジアやヨーロッパの“国を作る団体”は国民に合わせて『科学と道徳の両方ある国』を作って、みんなでなかよく幸せに暮らしている。
今の日本でも国民は世界を真似[まね]て『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。しかし、これまで日本では国民がヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってきたために、今でも政府が「科学があって道徳がない国」を作っている。日本では国を作る団体が国民に合わせて国を作る習慣がないので、政府は今の国民を無視して昔と同じように「科学があって道徳がない国」を作っているのである。今の国民はみんな道徳を守っておとなしく暮らしているのに、政府が一人で悪いことをやって国民を不幸にして国民を苦しめている。しかし、日本では国を作る団体が国民に合わせた国を作らない代わりに、国民が自由に国を作る団体を倒していいことになっている。それも日本独特の習慣である。国は国民が作るものなので、国を作る団体は国民に責任を押し付けるために、国民に国を作る団体の取捨選択を任せているのである。だから、今の国民は自分で勝手に政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体が出来たら、国民は団体にお金をやって国を作ってもらえばいい。
[21618] 「科学だけあって道徳のない国」よりも『科学と道徳の両方ある国』のほうがいい。
h26.11.20
マンガや文学は自分が面白いと感じたことを他人に伝えるためにある。人間は他人が書いたマンガや文学を読んで自分も面白いと思うことができる。自分も幸せになれる。日本にはすばらしい文化がある。
「科学だけあって道徳のない国」には心の満足がない。『科学と道徳の両方ある国』には心の満足がある。だから、私はたとえ貧しくなっても「科学だけあって道徳のない国」よりも『科学と道徳の両方ある国』のほうがいい。
「道徳のない国」ではみんなが悪いことをやってみんなが人殺しや強盗や戦争をやって、みんなが働かずに遊んで暮らしている。「道徳のない国」では失業率が高い。反対に、『道徳のある国』ではみんなが善いことをやってみんなが人助けや献金をやって他人となかよくして、みんながよく働いて暮らしている。
「科学だけあって道徳のない国」では、たしかに科学によって儲[もう]かるけれども、道徳がないことによる損失が加わって、けっきょくそれほど儲けは出ない。
一方、『科学と道徳の両方ある国』では、科学によってそれほど儲けは出ないけれども、道徳があることにって損失を防ぐことができるので、けっきょくは「科学だけあって道徳がない国」よりも儲かるのである。
そもそも「科学だけあって道徳がない国」はひたすら「科学があって道徳がないこと」をやりぬくだけであって、儲かることが目的ではない。だから、「科学だけあって道徳がない国」よりも『科学と道徳が両方ある国』のほうが儲かってもおかしくはないのである。
国民にとっては「科学だけあって道徳がない国」よりも『科学と道徳の両方ある国』のほうが満足に暮らすことができる。
政府は「科学だけあって道徳がない国」を作る団体である。政府は眼先の喜びだけで心の喜びがない国を作っている。政府はみんなが悪いことができる国を作っている。政府はみんなが人殺しや強盗や嫌がらせやいたずらなどが自由にできる国を作っている。そんな国に人が住めたものではない。だから、国民は政府に国を作らせないほうがいい。国民は政府を倒したほうがいい。
政府は「科学だけあって道徳がない国」を作る団体である。政府は「科学だけあって道徳がない国」を作るための命令を国民に出している。国民が政府の命令を聞くと日本が「科学だけあって道徳がない国」になる。だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。
実際に、今の国民は『科学と道徳が両方ある生活』をしている。政府は「科学だけあって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民とは違う国を作っている。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[21619] 社長とは何か?☆ h26.11.21
昔の日本では国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の日本ではみんなが悪いことをやってもよかった。だから、会社の中にも人殺しや強盗や嫌がらせやいたずらをする者がいた。それが社長である。社長は会社の中の暴力団である。
社長は自分が遊んでばかりいて社員の稼[かせ]ぎを分捕[ぶんど]って楽に贅沢[ぜいたく]に暮らしている。社長はうわべでは立派ぶってじつは会社の中で一番の役立たずなのである。社長は悪いことをする者だから、嘘[うそ]をつくのは悪いことだから、社長は嘘をついて善い人のふりをしているのである。
社長は昔の「科学があって道徳がない文化」の中で生まれた汚い役職なのである。「道徳がない文化」では身分制が生まれるのである。つまり、身分の高い者はみな悪人である。身分の高い者が悪人で、身分の低い者が善人である。悪人は他人の稼ぎを分捕って暮らしているから“身分がいい”のである。
しかし、今の日本では国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の日本ではみんなが悪いことをやってはいけない。だから、今では会社の中には人殺しや強盗や嫌がらせやいたずらをする者がいてはいけない。今では社長がいてはいけない。
社員はおとなしく社長に自分の稼ぎを取らせてはいけない。会社ではみんなが自分で働いてお金を稼がなければならない。社長は自分で働いてお金を稼がないから、社長は他人の稼ぎを分捕ることしか能がない役立たずだから、会社から追い出さなければならない。
[21620] 今の日本政府は日本の外にある。 h26.11.21
今の日本では国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
しかし、日本政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国民とは違う国を作っている。
だから、今の日本政府は日本の国の中にない。日本政府は日本の外にある。
今の国民は政府を仲間はずれにして政府を無視して政府を潰[つぶ]せばいい。
[21621] 国は国民が決める。☆ h26.11.21
昔の日本では国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の日本ではみんなが悪いことをやってよかった。みんなが人殺しや強盗や嫌がらせやいたずらをやってよかった。「科学があって道徳がない国」を作るために政府が建った。悪いことをするために暴力団や宗教団体が建った。だから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやっていた。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や脅迫や嫌がらせやいたずらをやっていた。政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を強盗して儲[もう]けていた。
しかし、今の日本では国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の日本ではみんなが悪いことをやってはいけない。みんなが人殺しや強盗や嫌がらせやいたずらをやってはいけない。だから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやれない。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や脅迫や嫌がらせやいたずらができない。政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。
国は国民のものである。国は国民が決める。国は国民の文化によって決まる。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の日本では「科学があって道徳がない国」を作る政府や「悪いことをやる」暴力団や宗教団体があってはいけない。今の国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして政府や暴力団や宗教団体を潰して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体が建ったらお金をやって国を作ってもらえばいい。
国を作る団体は“国を作る”という名目で国民を支配しようとしているクソ団体である。国を作る団体は国を作るために国民に命令できるので国民を支配できるのである。国を作る団体は国民の権力を借りて国民を支配しているのである。国民が自分の仕事でいそがしくて国を作る暇がないことを利用して、国を作る団体は国民の代わりに国を作るのである。国を作る団体は汚い商売である。しかし、今の国民は『道徳のある文化』をやっている。『道徳のある国』においては国民と国を作る団体は平等にしなければならない。だから、国民は国を作る団体に支配されないために、ちゃんと国を作る団体と契約を取ってから仕事をしてもらうようにしないといけない。国民は国を作る団体がちょっとでも嫌なことをやったらすぐに解約して国を作る団体を潰さなければならない。
国を作る団体は国民と同じ国を作らなければ国民の権力を借りられない。しかし、今の政府は国民とは違う国を作っている。だから、今の政府は国民の権力を借れない。今の政府には権力がない。今の政府は国民に命令できない。だから、今の国民は政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府の「科学があって道徳がない国」を作るための命令を聞かず、政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
[21622] 国は国民で決まる。 h26.11.21
国は国民で決まる。国を作る団体や暴力団や宗教団体は国民の付録である。国を作る団体や暴力団や宗教団体は国民に集[たか]るハイエナのようなものである。国を作る団体や暴力団や宗教団体なんかどうでもいい。
昔の日本では国民は「ヨーロッパ文化とアジア文化を交互」にやっていた。昔は東西交流がなくて世界がヨーロッパとアジアの二つに分かれていた。ヨーロッパでは科学ばかりやって、アジアでは道徳ばかりやっていた。ヨーロッパは「科学があって道徳がない文化」であり、アジアは「道徳があって科学がない文化」だった。ヨーロッパ文化では科学のあることと道徳のないことが結びついていて分けられない。アジア文化では道徳のあることと科学のないことが結びついていて分けられない。ヨーロッパ文化から科学のあることだけを抜き出して、アジア文化から道徳のあることだけを抜き出して、それらを組み合わせて『科学と道徳の両方ある文化』にすることはできない。昔の国民はヨーロッパ文化やアジア文化をそのまま丸ごとやるしかなかったのである。しかし、国民はヨーロッパ文化とアジア文化の両方をやりたかった。そのため、国民はヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって来たのである。国民がヨーロッパ文化とアジア文化をいっしょにやると科学があったりなかったり道徳があったりなかったりして頭がこんがらがるので、国民はヨーロッパ文化をやる時代とアジア文化をやる時代に分けてヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって来たのである。国民がヨーロッパ文化をやる時代には、みんなが悪いことをするのを認めていたから、政府や暴力団や宗教団体が建って悪いことをしていた。反対に、国民がアジア文化をやる時代には、みんなが悪いことをするのを認めていなかったから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことができなくなって潰[つぶ]れてなくなって、幕府が建って善いことをしていた。
今の日本では国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今では東西交流が盛んになってヨーロッパとアジアが統合されて世界が一つになっている。今ではヨーロッパ文化とアジア文化が統合されて『科学と道徳の両方ある文化』になっている。今の文化では科学のあることと道徳のあることが結びついていて分けられない。今の日本では国民が『科学と道徳の両方ある文化』を理解して『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。ようやく日本でも国民が科学と道徳がいっしょにやれるようになったのである。もっとも、これまで日本ではヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってきたから、日本人にとっては『科学と道徳の両方ある文化』を理解するのは容易である。これまで日本人は『どうせ将来は科学と道徳の両方ある世界になるだろう』と思って、これまで練習をしてきたのである。一方、ヨーロッパやアジアの人々にとっては『科学と道徳の両方ある文化』ははじめてなので、『科学と道徳の両方ある文化』を理解するのに悪戦苦闘しているだろう。
国は国民が決める。国民の文化によって国が決まる。国民がどういう文化をやるかが一番大事である。今の日本では国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。今の国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。
国は国民のものである。国は国民が決める。国民が国を支配する。国のことはすべて国民に従属しなければならない。国を作る団体も国民に従属しなければならない。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。ところが、政府は今の国民に逆らって「道徳がない国」を作っている。だから、今の国民は国を国民に従わせるために政府を倒さねばならない。国民一人一人が政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。将来、善い『科学と道徳の両方ある国』を作る団体が現れたら、お金をやって国を作ってもらえばいい。それまでは、国民だけでテキトウにやっていればいい。暴力団や宗教団体も今の国民に逆らって「悪いこと」をやっている。だから、国民は暴力団や宗教団体に悪いことをやらせず暴力団や宗教団体にお金をやらず暴力団や宗教団体を潰さねばならない。
[21623] 今の国民は自分がすべきことを忘れている。 h26.11.21
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学だけあって道徳がない国」を作っている。
国民は“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さねばならない。国民は“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てねばならない。それが《歴史の公式》である。
だから、今の国民は政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。
それが今の国民がすべきことである。
それなのに、今の国民は何もしようとしない。
それは、今の国民が何もわかっていないからである。今の国民が余計なまちがったことばかり考えているからである。今の国民がテレビやゲームばかりやって現実のことを忘れているからである。今の国民が自分がすべきことを正しく認識できず、自分がすべきことをやっていないだけである。
国民は早く自分がすべきことを理解して、それを実行しないといけない。そうすれば、国民は満足に暮らすことができるだろう。
坂本竜馬が幕府を倒そうとして幕府に斬り殺されたのは、当時はまだ国民がアジア文化をやっていたからである。坂本竜馬は国民に逆らったから殺されたのである。もう少し待てば、国民がヨーロッパ文化をやるようになって幕府が国民に倒されたのである。
しかし、今の国民はすでに『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民が政府を倒しても誰にも罰せられない。だから、今の国民は政府を倒せばいい。そうすれば、国民は満足に暮らすことができる。国民は自分で自分を満足に暮らせるようにしないといけない。
[21624] どうして今の国民は政府を倒さないのか? h26.11.22
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。戦後に国民の文化が変わったからである。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
国民は“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さねばならない。それが《歴史の公式》である。
だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
それなのに、実際には今の国民は政府を倒していない。
それは、今の国民が政府の嘘[うそ]に騙[だま]されているからである。今の政府がテレビや新聞で『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをしているので、国民は政府の芝居に騙されて「政府が自分と同じ文化の国を作っている」と思って喜んで政府に税金を払って、わざわざ政府に「科学があって道徳がない国」を作ってもらっているのである。
国民はもっと自分の目を利[き]かせて、政府の正体を見極めて、『政府が自分と違う国を作っている』ことを理解して政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。国民は早く自分で自分を幸福にしなければならない。
国民が政府を倒そうとすると、政府は「自分も戦後に国民に合わせて作る国を変えた」と言うだろう。国民は『政府が嘘をついている』と考えて、政府の嘘を無視して黙って政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[21625] 国民が国を作る。☆ h26.11.22
国は国民のものである。国民が国を決める。国のすべてのことは国民に従わねばならない。
昔の日本では国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民がみんなが悪いことをやるのを許していた。だから、政府のような「科学があって道徳がない国」を作る団体がなければならなかったし、暴力団や宗教団体のような「悪いこと」をする団体があってもよかった。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や脅迫や嫌がらせやいたずらなどの悪いことをやりまくった。政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を強盗して儲[もう]けていた。
今の日本では国民は『科学と道徳が両方ある文化』をやっている。国民がみんなが悪いことをやるのを許さなくなっている。だから、政府のような「科学があって道徳がない国」を作る団体があってはいけないし、暴力団や宗教団体のような「悪いこと」をする団体があってはいけない。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や脅迫や嫌がらせやいたずらなどの悪いことができなくなっている。政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。将来、国民で『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建ててお金をやって国を作らせようとしている。
国民はアリのようなものである。国民の行く手を阻[はば]む者は国民がすべてなぎ倒す。今の国民は自分と違う文化をやっている者を片っ端[ぱし]から倒している。国民が国を作る。国民が自分で自分の文化の国を作るのである。
[21626] 政府は「科学があって道徳がない国」を作るロボットである。☆☆☆
h26.11.22
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。
近代の国民はヨーロッパが日本に攻めて来ることを契機[けいき]にして、ヨーロッパ文化すなわち「科学があって道徳がない文化」をやることに決めたから、政府を建てて「科学があって道徳がない国」を作らせたのである。
しかし、「科学があって道徳がない国」では国民が幸福に暮らせない。「科学があって道徳がない国」では、みんなが悪いことばかりやってまじめに働かないので儲[もう]かりもしない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作ることが仕事だから、たとえ国民が不幸になろうが、たとえ国民が貧乏になろうが、ひたすら「科学があって道徳がない国」を作り続けるのである。
そもそも政府は国民がヨーロッパ文化をやって日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにあるだけだから、政府が国民を不幸にしようが国民を貧乏にしようがどうでもいいのである。政府はただ「科学があって道徳がない国」を作り続ければいいだけなのである。政府は国民が全滅しようが国が滅ぼうがそんなことはおかまいなしにひたすらロボットのように「科学があって道徳がない国」を作り続けるのである。つまり、政府にとってはただ「科学があって道徳がない国」を作ればいいだけであって、結果はどうでもいいのである。政府の仕事はヨーロッパ文化の国を作ることによって幕府が作ったアジア文化の国と合わせて日本を『科学と道徳の両方ある国』にすることだけであって、それ以外のことはどうでもいいのである。日本はテキトウにアジア文化とヨーロッパ文化を交互にやっていれば、そのうちアジア文化とヨーロッパ文化が混じって日本が『科学と道徳の両方ある国』になると思ってそうして来たのである。赤色と青色の絵の具を混ぜると紫色になるのと同じことである。つまり、アジア文化(赤色)とヨーロッパ文化(青色)を混ぜれば、『科学と道徳の両方ある文化』(紫色)になるのである。
しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民は戦後に気が変わって「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやることにしたのである。戦後にテレビや電気冷蔵庫や電気洗濯機などの便利な電化製品が出来たので『科学と道徳の両方ある文化』に変えたのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。ところが、政府は昔と同じ「科学があって道徳がない国」を作っている。今の国民にとっては政府が作った国は要らない。国は国民のものである。政府も国民のものである。国民のものは国民のものであり、政府のものも国民のものである。国民が政府のためにあるのではなく、政府が国民のためにあるのである。だから、国民は政府に税金を払わず政府に国を作らせなければいいのである。
つまり、日本では昔から国民が日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって来たが、今では東西交流が盛んになってヨーロッパ文化とアジア文化が一つになって『科学と道徳の両方ある文化』が出来たから、今では国民が日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにわざわざアジア文化とヨーロッパ文化を交互にやらなくても『科学と道徳の両方ある文化』をやればよくなったのである。政府はヨーロッパ文化をやるためにあるにすぎない。今ではもはや国民がヨーロッパ文化をやる必要がないから政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金をやらず政府を捨てればいいのである。
[21627] 今の日本では国民が政府のために不幸で貧乏にされている。☆ h26.11.22
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
国民は“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さねばならない。それが《歴史の公式》である。
だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
それなのに、今の国民は政府を倒そうとしない。
それは、日本が儲[もう]かっているからである。
しかし、日本がどうして儲かっているのかわからない。政府のせいとは限らない。日本がアジアの他の国に比べて産業を近代化するのが早かったために儲かっているのかもしれない。むしろ、政府は「道徳がない国」を作って、「みんなが自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを強盗して暮らしてもいい国」にしたために、日本が儲からなくなっているのかもしれない。
日本が儲かっているのは政府のおかげではない。むしろ、政府は「科学があって道徳がない国」を作って日本を儲からなくしているだけである。
そもそも政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は国民を幸福にする団体でも国民を裕福にする団体でもない。政府はひたすら「科学があって道徳がない国」を作るだけである。政府は「科学があって道徳がない国」を作るためには何でもする。政府は「科学があって道徳がない国」を作るためなら国民を不幸にしても国民を貧乏にしても平気である。政府はそういうしょうもない団体である。
今の日本は政府のために国民が不幸に貧乏にされている。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体であり、「科学があって道徳がない国」では国民が不幸に貧乏に暮らさねばならないから、今の国民は政府に不幸に貧乏にされているのである。
国民が幸福に裕福に暮らすためには『科学と道徳の両方ある国』がいい。『道徳のある国』では他人の稼ぎを強盗する者がいなくて、みんながよく働くから儲かるのである。江戸時代の日本が産業がなかったのに儲かっていたのは、みんながよく働いていたからである。だから、国民はさっさと「科学があって道徳がない国」を作る政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて国を作ってもらえばいい。
昔のヨーロッパが「科学があって道徳がない国」であるにもかかわらず儲かっていたのは、ヨーロッパがそれだけ産業が強かったからである。ヨーロッパは「道徳がない」ことによる損失以上に「科学がある」ことによって稼いでいたから総合的に儲かっていたのである。しかし、日本にはヨーロッパのような産業の強さがない。だから、日本はヨーロッパを真似[まね]てはいけない。特に日本はヨーロッパの欠点だけを真似てはいけない。日本は産業が弱いからヨーロッパみたいに「科学があって道徳がない文化」をやってはいけない。赤字が出る。日本が儲かるためには『科学と道徳の両方ある文化』でなければならない。だから、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。今の国民は政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて『科学と道徳の両方ある国』を作ってもらわねばならない。今の日本は不況だし今後も景気回復の見込みがないから、国民は大急ぎで政府を倒して『科学と道徳の両方ある国』を作る団体に替えねばならない。
昔はまだ東西交流がなくて『科学と道徳の両方ある文化』がなかったから、昔の日本では国民が日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって来た。国民がヨーロッパ文化をやる時代にはみんなが悪いことをやってみんなが他人の稼ぎを強盗してもよかった。だから、他人の稼ぎを強盗する者がいたのである。国民は他人の稼ぎを強盗するためにヨーロッパ文化をやっていたのではなく、日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化をやった副作用として他人の稼ぎを強盗する者がいたのである。人間の心には“他人の物を奪う苦しみ”があるから、日本では国民が苦しみながら他人の稼ぎを強盗していたのである。しかし、今では東西交流が盛んになって『科学と道徳の両方ある文化』があるから、今の国民は日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやる必要はない。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやればいい。今の国民はすでに『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の日本は『道徳のある国』である。だから、今の日本ではみんなが他人の稼ぎを強盗せずに、自分がよく働いてお金を稼がなければならない。人間の心には“自分が働く喜び”があるから、国民は喜びながら自分で働いてお金を稼げばいいのである。そうすれば、日本は儲かる国になるのである。
[21628] 今は『科学と道徳の両方ある文化』の時代である。 h26.11.23
とにかく今は『科学と道徳の両方ある文化』の時代である。『科学と道徳の両方ある国』では国民が幸福に裕福に暮らすことができる。『科学と道徳の両方ある国』は日本人が昔から夢見てきた理想の国である。だから、今は『科学と道徳の両方ある文化』の時代である。
戦後に国際交流が盛んになってアジアとヨーロッパが統合されてアジア文化とヨーロッパ文化が混じり合って『科学と道徳の両方ある文化』が生まれた。今では世界中のみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』は世界共通の文化である。
日本では昔から国民が『科学と道徳の両方ある文化』にするために、ヨーロッパ文化やアジア文化を交互にやって来た。日本はだんだん『科学と道徳の両方ある文化』に近づいていた。しかし、戦後になって突然『科学と道徳の両方ある文化』が生まれた。今では国際交流が盛んになって世界中で『科学と道徳の両方ある文化』になっている。日本も『科学と道徳の両方ある文化』になっている。これまで日本人が下手糞[へたくそ]なやり方で『科学と道徳の両方ある文化』にして来たのが馬鹿みたいである。
今の日本では国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は昔の国民が建てた「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は今の国民とは違う国を作っている。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。暴力団や宗教団体は昔の国民がやっていた「科学があって道徳がない文化」で生まれた悪いことをする団体である。昔の「科学があって道徳がない文化」の中ではみんなが悪いことをやってよかったから、暴力団や宗教団体が悪いことをやっていたのである。今の『科学と道徳の両方ある文化』の中ではみんなが悪いことをやってはいけないから、暴力団や宗教団体は悪いことがやれない。だから、今の国民は暴力団や宗教団体に悪いことをさせず暴力団や宗教団体を倒している。昔の「科学があって道徳がない文化」の中では、みんなが悪いことをやっていいから、自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを強盗して暮らしている者がいた。今の『科学と道徳の両方ある文化』の中では、みんなが悪いことをやってはいけないから、自分が働かずに他人の稼ぎを強盗する者がいてはいけない。今の国民は“自分が働かずに他人の稼ぎを強盗する者”がいない国にしている。
今は昔とは世界が違っている。今の国民は昔の世界を壊して今の世界を創[つく]っている。新しい時代はすでに来ている。
[21629] 国民は国を作る団体を建ててはいけない。 h26.11.23
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っているから、国民は政府を倒している。暴力団や宗教団体は道徳がないことをやっているから、国民は暴力団や宗教団体を倒している。会社の中には“自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを強盗する者”がいるから、国民は“自分が働かずに他人の稼ぎを強盗する者”を倒している。
これまで国民は国を作る団体を建てて自分と同じ文化の国を作らせてきた。しかし、国を作る団体は自分が国を作るために国民に命令できるのをいいことにして国民に好き放題に命令して国民を支配していた。国を作る団体は自分が国民に好き放題に命令できるのをいいことにして必ず国民の嫌がらせをしていた。幕府も自分が法律を守りながら法律の範囲内で国民が一番嫌がることをして国民を虐[いじ]めていたのである。
『道徳のある国』ではみんなが平等でなければならない。国民と国を作る団体も平等でなければならない。
だから、今後は国民は国を作る団体を建ててはいけない。
もっとも、『道徳のある国』には法律があるから、法律の仕事をする会社がなければならない。法律を立てて、みんなに法律を教えて、法律の違反者を罰する仕事をする会社がなければならない。
しかし、それ以外は国民が自主的にやらねばならない。国民が自分で自分の国を作らねばならない。今では銀行や財団があるから、国民は銀行や財団からお金を借りて自分がやりたい仕事をすればいいのである。人間の心には“他人の役に立つ喜び”があるから、国民は他人の役に立つ仕事をして喜べばいいのである。
国民一人一人が国を作ることにすれば、権力の集中がなく、国民を支配する者がいない。みんなが平等である。それだけ、みんなの心を満足する国が出来る。
国は国民みんなが作る。国を作る団体が作るのではない。そういう国の作り方もある。
[21630] 政府は嘘[うそ]つきである。☆ h26.11.23
近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民は「科学があって道徳がない国」を作らせるために政府を建てた。「道徳がない国」には法律がない。だから、「科学があって道徳がない国」を作る団体は法律の仕事ができない。だから、政府が法律の仕事をしているのは嘘なのである。
政府はテレビや新聞で法律の仕事をしている。国民はそれを見て「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」と思っている。だから、今の国民は政府を倒そうとしないのである。
政府はテレビや新聞で法律の仕事をしているふりをして、実際にはやっていないのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。今の国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
[21631] どうして幕府は天皇を置いてきたのか? h26.11.23
中世や近世の国民はアジア文化をやるために幕府を建ててアジア文化の国を作らせてきた。アジア文化には国家宗教はない。だから、幕府は国家宗教をやらない。幕府は天皇を置かなくていいはずである。
それなのに、これまで幕府はずっと天皇を置いてきた。
それは、幕府が『科学と道徳の両方ある国』を作るためである。幕府は今度の政府のために天皇を保護していたのである。幕府は今度の政府が国家宗教をやるために天皇を守っていたのである。
日本では幕府も政府も日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにアジア文化の国やヨーロッパ文化の国を作っていたのである。幕府が日本をアジア文化の国にして政府が日本をヨーロッパ文化の国にして、日本の中でアジア文化とヨーロッパ文化を混ぜ合わせて『科学と道徳の両方ある文化』にしてきたのである。幕府と政府が協力して日本を『科学と道徳の両方ある国』にしていたのである。幕府と政府は二人で一人だったのである。
しかし、今では国際交流によって世界中で『科学と道徳の両方ある文化』になっている。日本でも『科学と道徳の両方ある文化』になっている。だから、今の日本では幕府も政府も両方とも要らない。幕府も政府も両方とも用済みである。
今後は国民だけで国を作る。国を作る団体は要らない。法律会社しか要らない。政府は要らない。天皇も要らない。国家宗教の神は要らない。今の時代には神はいない。だから、今後は国民は神を立ててはいけない。
[21632] どうして日本では国民が政府を建てていたのか?☆ h26.11.23
日本では昔から国民が日本を『科学と道徳の両方ある国』にするために「科学があって道徳がない」ヨーロッパ文化と「道徳があって科学がない」アジア文化を交互にやって来た。近代の国民はヨーロッパが日本に攻めて来るのを機会にヨーロッパ文化をやることにした。近代の国民は日本をヨーロッパ文化の国にするために政府を建てた。日本では国民が『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化をやるために戦争をやった。日本では国民が『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化をやるために政府や暴力団や宗教団体などに虐[いじ]められて嫌な思いをしていた。日本では国民が『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化をやるために国民が不幸で貧乏な暮らしに耐えていたのである。
つまり、日本で国民が政府を建てたのは、日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためである。国民にとっては日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためなら戦争や不幸や貧乏なんかどうでもよかったのである。近代の国民にとっては日本をヨーロッパから守ることなんかどうでもよかったのである。ただ、日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化をやるきっかけが欲しかっただけである。これまで日本では国民はすべて日本を『科学と道徳の両方ある国』にするために行動してきたのである。これまで日本人は日本を『科学と道徳の両方ある国』にするために生きてきたのである。
しかし、今では国際交流が盛んになってアジア文化とヨーロッパ文化が混ぜ合わされて世界中が『科学と道徳の両方ある文化』になっている。日本でも『科学と道徳の両方ある文化』になっている。
だから、今では国民が日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにわざわざアジア文化とヨーロッパ文化を交互にやる必要がない。国民が日本をアジア文化の国にするために幕府を建てる必要がない。国民が日本をヨーロッパ文化の国にするために政府を建てる必要がない。今の国民にとっては政府も幕府も両方とも要らない。昔なら500年間ぐらいは国民はヨーロッパ文化をやらねばならないのだが、今では『科学と道徳の両方ある文化』が出来ているから今の国民はヨーロッパ文化をやらずに『科学と道徳の両方ある文化』をやればいいのである。
今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。今は『道徳のある国』である。『道徳のある国』には法律がある。だから、国民は法律会社に仕事をしてもらって、あとは国民が自分で国を作ればいい。国は国民のものである。国民が自分の国は自分で作る。そうしてこそ国民にとって善い国になるのである。
[21633] 昔は世界中の人が違う国で生きていた。 h26.11.24
昔は国際交流がなかったので世界がヨーロッパとアジアに分かれていた。
ヨーロッパ人はこれまで「科学があって道徳がない国」で生きてきた。ヨーロッパ人にとっては「科学があって道徳がない国」は幸福がなくて不満だったけれども「自分の国だからしかたがない」と思って我慢[がまん]していた。
アジア人はこれまで「道徳があって科学がない国」で生きてきた。アジア人にとっては「道徳があって科学がない国」は貧乏で不満だったけれども「自分の国だからしかたがない」と思って我慢していた。
日本人はこれまで『科学と道徳の両方ある国』にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって生きてきた。日本人にとってはヨーロッパ文化は不幸でアジア文化は貧乏でどちらも不満だったけれども『科学と道徳の両方ある国』にするために我慢してきた。日本人はヨーロッパ人の先生からヨーロッパ文化を習ってアジア人の先生からアジア文化を習ってそれらを“和の心”で統合して『科学と道徳の両方ある心』を会得[えとく]して来た。
しかし、今では国際交流が盛んになってヨーロッパとアジアが一つになってヨーロッパ文化とアジア文化が混ぜ合わされて世界中が『科学と道徳の両方ある国』になっている。日本も『科学と道徳の両方ある国』になっている。
ヨーロッパ人は幸福のある国になって大喜びである。ヨーロッパ人は人間の心について理解するようになって善(自分を幸福にすること)と悪(自分を不幸にすること)が区別できるようになって自分の心を自分の思い通りにできるようになっている。みんなが善いことをして悪いことをしなくなっている。みんなが悪いことをしてはいけなくなって、政府や暴力団や宗教団体や貴族などが悪いことができなくなって国民からお金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。会社の中に“自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを強盗する者”がいなくなっている。
アジア人は裕福な国になって大喜びである。アジア人は物について理解するようになって正しいこととまちがったことが区別できるようになって物を自分の思い通りにできるようになっている。みんなが自分で考えて自分の心を満足する物を作れるようになっている。産業が発達して、みんなが物やお金が豊かになって便利に裕福に暮らしている。
日本人は自分の長年の願いがかなって大喜びである。今後はわざわざヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやらなくていいので大助かりである。ヨーロッパ文化とアジア文化を入れ替えるという馬鹿げた面倒くさいことをやらなくてよくなってせいせいしている。
今では世界中の人が『科学と道徳の両方ある国』にするために大いそがしである。古い国を壊して新しい国を作っている。これから新しい世界が始まるのである。
[21634] どうして子供の頃の私には道徳がなかったか? h26.11.24
私が子供の頃には道徳がなくて『性欲を満足してはいけない』ことを知らなくて、中学3年生のときにオナニーをして高校1年生のときに怒って自分の脳を興奮させすぎて精神分裂病に罹[かか]ってしまった。それ以後、私の人生は不幸になったきりで幸福ではない。死ぬまでずっと不幸なままだ。生きる気力もない。
子供の頃の私に道徳がなかったのは、国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていたからである。
私の親の時代はまだ江戸時代の名残[なごり]でみんなが道徳を知っていたから、私の親は『性欲を満足してはいけない』ことを知っていたので気が狂わずに幸福に生きていけた。しかし、私の時代になると江戸時代の名残が消えてみんなが道徳を知らなくなっていたので、私は『性欲を満足してはいけない』ことを知らなかったのである。
しかし、戦後は国際交流が盛んになって世界中の国が『科学と道徳の両方ある国』になった。日本も『科学と道徳の両方ある国』になった。今の日本は『道徳のある国』である。人間が裕福に暮らすためには科学が要るように、人間が幸福に暮らすためには道徳が要る。今の国民は道徳を勉強して道徳を守って幸福にならなければならない。政府は国民に道徳を教えてくれないから、国民は自分で道徳を勉強しないといけない。
道徳とは、人間が幸福に生きるためにどの感情を満足させてどの感情を満足させてはいけないかについての知識である。道徳を知っているのが善人で、道徳を知らないのが悪人である。生まれつきの善人はいない。人間に道徳を教えれば善人になり、道徳を教えなければ悪人になる。善人は幸福に生きることができるが、悪人は不幸に生きねばならない。だから、道徳を知っている者が道徳を知らない者に道徳を教えてやればいい。親は子供に道徳を教えてやり、先生は生徒に道徳を教えてやり、先輩は後輩に道徳を教えてやればいい。そうやって、みんなが道徳を知ってみんなが幸福に暮らせる国にすればいい。
[21635] 国を作るのは国民である。☆☆ h26.11.24
近代の日本では国民がヨーロッパ文化をやっていた。つまり、「科学があって道徳がない文化」をやっていた。国民は政府を建てて政府に「科学があって道徳がない国」を作らせた。「科学があって道徳がない国」では悪いことをやってもよかったので、政府や暴力団や宗教団体や貴族などが悪いことをやって国民からお金を強盗して儲[もう]けていた。会社の中には社長や管理職のように“自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを強盗する者”がいた。
今の日本では国民が世界文化をやっている。つまり、『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体なので、国民は政府が今の時代にふさわしくないと考えて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。国民は政府に「科学があって道徳がない国」を作らせないために政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。『科学と道徳の両方ある国』では悪いことをやってはいけないので、政府や暴力団や宗教団体や貴族(日本人には似合わない(笑))などが悪いことがやれなくなって国民からお金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。国民はたとえ政府から税金の請求書が来ても無視して捨てればいいのである。会社の中には“自分が働かずに他人の稼ぎを強盗する者”がいなくなっている。
昔と今では国民の文化が違う。そのために、国が変わっている。国は国民のものである。国は国民が決める。国で一番強いのは国民である。国のすべての者が国民に従わねばならない。なんびとたりとも国民には逆らえない。政府も暴力団も宗教団体も国民に逆らえない。だから、今では政府や暴力団や宗教団体が滅んでなくなっているのだ。
[21636] 国家宗教の神とは何か?☆ h26.11.24
昔のヨーロッパは「科学があって道徳がない国」だった。
『科学がある国』には神がいない。なぜなら、神は科学的には存在しえないからである。
だから、「道徳がない」ことによって神が存在していたのである。
「道徳がない国」ではみんなが悪いことができる。だから、ヨーロッパではみんなが国家宗教の神を決めて、国家宗教の神の情報を使って悪いことをやっていたのである。ただたんに悪いことをやるだけでは芸がなくて面白くないので、国家宗教の神の情報で縛[しば]って悪いことをやっていたのである。例えば、タイタニック号には4本の煙突がある。そのうちの1本はただの飾りである。4はキリストの十字架の形に似ている。また、名前のもとであるタイタンは土星の衛星で土星の輪っかはキリストの頭の輪っかに似ている。だから、イギリス政府はタイタニック号を沈没させて国民を殺したのである。
国家宗教とは、みんなが国家宗教の神の情報を使って悪いことをすることだったのである。国家宗教の神は、みんなが国家宗教で悪いことをやるためにいたのである。
一方、昔のアジアは「道徳があって科学がない国」だった。『道徳がある国』ではみんなが悪いことをやってはいけない。だから、アジアには国家宗教をやる習慣がないのである。アジアには国家宗教の神がいないのである。ヨーロッパにアジア文化が伝わってだんだんヨーロッパに神がいなくなったのである。アジア人がヨーロッパの神を殺したのである。
今では国際交流が盛んになって世界中が『科学と道徳の両方ある国』になっている。世界中でみんなが国家宗教をやらなくなっている。今では本場のヨーロッパでもみんなが国家宗教をやらなくなっている。日本でも国民は国家宗教をやらなくなっている。
ところが、今の日本では政府が国家宗教で悪いことをやっている。政府は昔のヨーロッパと同じ「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、国家宗教で悪いことをやるのである。政府は国家宗教の神の情報を使って国民を脅迫して事故を起こさせて国民を殺したり国民の好きなことをなくしたり国民の嫌なことをしたりしている。国民が政府を倒さないかぎり、政府は国家宗教で悪いことをするのをやめないのである。
今の日本では国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国を作る団体は必ず国民と同じ文化の国を作らなければならない。だから、今の国民は政府を倒している。政府に税金をやらないようにして政府を倒している。国民は早く日本から国家宗教で悪いことをやる団体をなくして、日本を『道徳のある国』にしないといけない。[『仮面ライダー』の頃に国民が「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになって、国民が悪い人から善い人に変わったから、政府を悪者だと言い出したのである。国民がライダーキックで政府を倒すようになったのである。]
今では世界中のみんなが国家宗教をやってはいけないから、国家宗教の神も要らない。世界中から国家宗教の神をなくさねばならない。そもそも国家宗教の神は嘘[うそ]で誰かを神にしているだけである。「道徳のない国」では嘘をついていいから、嘘で神にしているのである。本当は神でない者(つまりただの人間)を嘘で神にでっち上げているのである。しかし、今では世界中が『道徳がある国』になっているから、嘘をついてはいけない。だから、今では国家宗教の神なんかいないのである。
[21637] 今では政府に税金を払うのは悪い人である。 h26.11.25
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。戦後に国際交流が盛んになって、国民が「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになったからである。
一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。日本では国を作る団体が国民におかまいなしに国を作るのが伝統だから、政府は国民の文化が変わっても昔と同じように「科学があって道徳がない国」を作っているのである。近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、政府は今でも国民に命令して国民が幸福に暮らせない不幸に暮らさねばならない国を作っているのである。
国は国民のものである。国を作る団体のものではない。だから、国民が自分のことは自分でしなければならない。国は国民が自分で作らねばならない。国のすべてのものは国民に従わねばならない。なんびとたりとも国民に逆らってはいけない。国を作る団体も国民に従わねばならない。だから、国民は“自分と同じ文化の国”を作る団体にはお金をやって養って国を作ってもらい、“自分と違う文化の国”を作る団体にはお金をやらず国を作らせず倒さねばならない。それは国民の義務である。国民が自分で考えて自分でやらねばならないことである。国を作る団体がやってくれることではない。それが日本の作法[さほう]である。
日本は馬鹿が暮らせる国ではない。国民が「国を作る団体が自分と同じ文化の国を作っているか自分と違う文化の国を作っているか」ぐらいのことは自分でわからねばならない。国民が自分が要る物は自分で買い、自分が要らない物は自分で買わないようにしないといけない。だから、国民が自分で国を作る団体にお金を払うか払わないかを決めて自分で実行しなければならないのである。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。国民は政府に税金をやらずに政府を倒さなければならない。今の国民がそうしないのは、今の国民が無知でまちがったことをやっているからである。今の国民がテレビやマンガばかり見て、現実の社会のことを知らないのが悪い。今では政府に税金を払うのが悪い人である。だから、今の国民はさっそく自分の態度を直して政府に税金を払わないようにして善い人にならねばならない。
今の国民が政府と同じ「科学があって道徳がない文化」をやっていれば、政府は生き残れたのである。国民が戦後に突然『科学と道徳の両方ある文化』に変わったために、政府が滅ばねばならなくなったのである。政府が国民と同じ文化の国を作っていたのは百年足らずである。政府は不運である。政府は気の毒である。今の政府は『国民が自分と違う文化をやるようになった』ことを知っている。今の政府は『自分が国民に倒されるのは当然だ』と思っている。だから、今の政府は国民に倒されてもおとなしくじっとしている。今の政府は自分がすでに滅んだ気持ちで毎日生きている。今の政府は自分が滅ばねばならないのに滅ぶことができず不愉快[ふゆかい]な気分でいる。だから、今の国民がさっさと政府を倒して、政府の気分をすっきりさせてやればいいのである。
[21638] 今の政府は自分が早く滅んでなくなりたいと思っている。 h26.11.25
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
国は国民のものだから、国を作る団体は国民と同じ文化の国を作らねばならないから、国民は“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さねばならない。
だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
それなのに、今の国民はなかなか政府を倒さない。そのために、政府が「科学があって道徳がない国」を作って国民を不幸に貧乏にしている。政府も自分が早く滅んでなくなりたいのに、国民がわざわざ税金をくれて残してくれるからいつまでたっても滅べず、「道徳がない国」を作って国民を不幸に貧乏にしなければならなくなっているのである。
政府は自分が滅ぶか残るかの判断を国民に委[ゆだ]ねているのである。『国は国民のもの』だから、国は国民が決めるものだから、政府は自分の独断で滅ばずに国民に政府を滅ぼすか残すかを決めてもらっているのである。
今の国民は頭の中で余計なまちがったことを考えているために政府を倒そうとしないのである。
政府は国を作る団体である。国を作る団体はひとつの決まった文化の国を作るだけである。国を作る団体はひとつの決まった文化の国を作ることが仕事である。国を作る団体は国民を幸福にしたり国民を裕福にしたりするのが仕事ではない。だから、国民が自分の文化に合った国を作る団体を選ばねばならない。国を作る団体は国を滅ぼそうが国民を皆殺しにしようがひたすらひとつの決まった文化の国を作り続けるだけである。だから、国民が国を作る団体を建てたり倒したりして国を作る団体を管理しないといけない。政府は「科学があって道徳がない国」を作るだけである。政府は国民を不幸で貧乏にする。それでも、近代の国民は日本を『科学と道徳の両方ある国』にするために「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、政府にお金をやって国を作らせていた。しかし、今では国際交流が盛んになって『科学と道徳の両方ある文化』が出来ているから、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになっている。政府は今の国民の文化に合わない国を作っている。今の国民にとっては政府は邪魔[じゃま]である。今の国民にとっては政府は国民の国作りを妨害する団体にすぎない。国民と政府が違う国を作っていては国がうまくいかない。今の国民が政府といっしょに「科学があって道徳がない国」を作っていたら、今の国民はずっと不幸で貧乏になっている。今の国民が『科学と道徳の両方ある国』を作っているから、今の国民はある程度幸福で裕福に暮らしているのである。政府がなくなれば、国民は今よりももっと幸福で裕福に暮らせるのである。だから、今の国民は政府を倒さなければならないのである。
今の国民が政府に税金をやって政府を残して政府に国を作らせているのはまちがっている。国民がまちがっている。国民が悪い。国民は早く自分のまちがいを直して正しいことを考えて正しいことをしないといけない。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒さなければならない。
今の国民が『科学と道徳の両方ある文化』を選んだのは国民の責任である。今の国民は自分の責任をちゃんと果たさなければならない。
[21639] 国は国民のものである。 h26.11.25
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民は「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになってしまっている。
ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は近代の国民が「科学があって道徳がない国」を作らせるために建てた団体だから、今でも「科学があって道徳がない国」を作り続けているのである。
政府は今の国民と違う国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。
それなのに、今の国民は政府を倒そうとしない。今の国民は社会科の知識が足りないから政府を倒さないのである。今の政府は社会科の知識を誤解しているから政府を倒さないのである。
国は国民のものである。政府のものではない。政府は国民のものであって、国民が政府のものではない。政府が国民に従わねばならないのであって、国民が政府に従わねばならないのではない。だから、今の国民が政府を倒せばいいのである。今の国民が政府に合わせて「科学があって道徳がない文化」をやるのではなく、今の国民が政府に国民に合わせて『科学と道徳の両方ある文化』の国を作らせるために政府を倒せばいいのである。政府は自分が滅ぶまでひたすら「科学があって道徳がない国」を作り続けるだけだから、国民が政府に『科学と道徳の両方ある国』を作らせるためには政府を倒すしかないのである。だから、『馬鹿は死ななきゃ直らない』と言うのである。
今の政府も自分が国民と違う文化の国を作らねばならなくなって毎日面白くない思いをしているから、国民は早く政府を倒して政府の気分をスッキリさせてあげればいいのである。
[21640] 財閥は意地汚い。 h26.11.25
財閥は立派な人ではない。財閥は意地汚いから悪いことをやって他人の稼[かせ]ぎを強盗してお金持ちになっただけである。
財閥は意地汚いだけのクズ野郎である(ペッペッ)。
昔は国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、みんなが悪いことをやってよかったから、財閥のような意地汚いクズ野郎がのさばっていたのである。
今は国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、みんなが悪いことがやれなくなったから、財閥がくたばってなくなったのである。
[21641] 日本はインド文化の国である。☆ h26.11.25
中国人は感情本位[ほんい]である。人間の心は生まれ持った実在についての認識であり曖昧[あいまい]である。人間の心にはまちがいがある。人間の心では正しいかまちがいかわからない。人間の心はフニャフニャしている。だから、中国人はフニャフニャしている。
ヨーロッパ人は五感本位である。人間の五感は人間の心と同じように生まれ持った実在についての認識であり明確だが狭い。人間の五感ではわからないことがたくさんある。例えば、人間の五感では人間の心がわからない。人間の五感は五感でわからないことについてまちがいが多い。だから、ヨーロッパ人はわからないことやまちがったことが多い。
インド人は知覚本位である。人間の知覚は人間が生まれた後で獲得した実在についての認識である。人間の知覚は正しい。人間の知覚は人間の心よりも正しい。人間の知覚は人間の五感よりも多くのことがわかる。だから、インド人は正しいことがわかっている。
日本は昔からインド文化をやって来た。日本人は世界中の文化を比較してインド文化が優れていると思ってインド文化を採用した。日本人は知覚本位である。日本はインド文化の国である。
心主義では道徳しかやれない。反対に、五感主義では科学しかやれない。知覚主義では道徳と科学の両方やれる。今は『科学と道徳の両方ある文化』の時代である。だから、今の人間は知覚主義でなければならない。
日本は昔からインドとヨーロッパと中国の文化を合わせてやって来た。それを天地人という。真美善ともいう。天とは天竺[てんじく]つまり知覚主義をやるインドであり、地とは科学をやるヨーロッパであり、人とは道徳をやる中国である。日本は知覚主義に則[のっと]って科学と道徳の両方をやってきたのである。これからもそうしなければならない。
[21642] 今の国民は素直[すなお]に政府を倒せばいい。 h26.11.25
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今では国際交流が盛んになって『科学と道徳の両方ある文化』が出来たので、国民が「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのである。
一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。日本では国を作る団体が最初からずっと同じ一つの文化の国を作るだけで、途中で自分の作る国を変えないので、政府は今でも最初と同じ「科学があって道徳がない国」を作り続けているのである。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。今の政府は国民の役に立っていない。今の政府は国民の国作りを妨害している。だから、政府は自分で滅びたいのに、今の国民が政府に税金を払ってくれているので残って「科学があって道徳がない国」を作り続けて国民を不幸に貧乏にしなければならなくなっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作るために、国民の前で嘘[うそ]をついて『科学と道徳の両方ある国』を作るふりをして国民を騙[だま]さなければならないのである。
政府が今の国民と違う文化の国を作っているのに、今の国民が政府に税金をやり続けているのがおかしい。そのために、今の政府は自分が滅べなくて困っている。今の国民が政府を虐[いじ]めて政府を苦しませているのである。本当に意地糞[いじくそ]悪いのは政府ではなく国民のほうである。
今の政府は自分が滅びたいと思っている。だから、今の国民は政府を滅ぼしてやればいいのである。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を滅ぼしてやればいい。国民が政府を滅ぼせば、国民にとっては自分と違う国を作る団体がなくなってうれしい。政府にとっては自分が国民の国作りを妨害しなくなってうれしい。国民にとっても政府にとっても両方ともうれしい。だから、今の国民は自分や政府を喜ばせるために、政府を倒せばいいのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。国は国民のものである。国は国民が管理しないといけない。国民が“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てて、“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さなければならない。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。今の国民がふざけて頭の中で余計なまちがったことばかり考えて政府を倒さないのがいけない。国民は余計なことを考えず、黙って政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。国民は女みたいに自分をかわいがらずに自分が死んでもどうなってもいいからとにかく政府を倒して正しいことをやればいいのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国は国民のものである。国民に従わない者は国民が倒す。政府は今の国民と違う国を作っている。政府は今の国民に反している。だから、今の国民が政府を倒すのは当然である。国民のほうが政府よりも強い。国民が政府を倒しても、政府は国民に文句が言えない。だから、今の国民は政府を恐れずに政府を倒せばいいのである。
国は国民みんなのものである。国民みんなが国を決める。国民は国民みんなに逆らってはいけない。それがこの世の掟[おきて]である。国民は国民みんなに逆らうと怖いが、国民みんなに逆らわない限りでは何をやってもいい。政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、今の国民が政府を倒しても国民みんなに逆らったことにはならない。だから、今の国民は政府を倒してもいい。今の国民は政府を倒してきれいさっぱり『科学と道徳の両方ある国』にしてしまえばいいのである。
[21643] 国民が国を作る団体の面倒を見ないといけない。 h26.11.25
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
政府は今の国民とは違う文化の国を作っている。
国は国民のものである。国を作る団体も国民のものである。国民が国を作る団体をどうしようが国民の勝手である。国民が国を作る団体を自由に建てたり倒したりすればいい。国を作る団体は国民のものなので、国を作る団体は自分勝手に建ったり倒れたりできないので、必ず国民が国を作る団体を建てたり倒したりしてやらねばならない。国民は“自分と同じ文化の国”を作る団体にお金をやって国を作らせて、“自分と違う文化の国”を作る団体にお金をやらず倒さねばならない。実際に、日本ではこれまで国民がそうしてきた。国民が自分の文化を変えたときは、古い国を作る団体を倒して新しい国を作る団体を建ててきた。国民は戦後に自分の文化を変えた。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。政府は古い国を作る団体である。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
それなのに、今の国民は政府に税金を払って政府に「科学があって道徳がない国」を作らせている。政府に国民を不幸で貧乏にさせている。今では政府も国民と同じように『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、政府は良心の呵責[かしゃく]に耐えながら国民を不幸で貧乏にしているはずである。政府は「道徳のない国」を作る仕事のために自分の心を鬼にして国民を不幸で貧乏にしているのである。今の国民はテレビや新聞の政府の『科学と道徳の両方ある国』を作っている芝居に騙[だま]されて政府に国を作らせている。政府は「道徳のない国」を作る団体だから、政府は悪いことをしないといけないから、政府は嘘[うそ]をついて『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをしているだけである。今の国民は本当は政府を倒さねばならないのに、政府に国を作らせている。今の国民は政府のことを理解していないために、政府に国を作らせている。今の国民はまちがったことをやっている。今の国民は早く自分のまちがいを直して、政府を倒さねばならない。
国民が「科学があって道徳がない文化」をやって儲[もう]かっていたなら、それを維持しないといけない。国民が『科学と道徳の両方ある文化』に変えてしまったら、国民が儲からなくなるかもしれない。それなのに、戦後の国民は『科学と道徳の両方ある文化』に変えている。国民にとっては儲けなんかどうでもよかったのである。国民にとっては儲けよりも文化のほうが大事だったのである。それなら、国民は政府を倒すしかない。今の国民が政府を倒さないのは、政府の『科学と道徳の両方ある国』を作っている芝居に騙されているからにすぎない。今の国民が政府を倒さないのは『国民が馬鹿だから』である。それ以上の理由はない。だから、国民が「今の国民みんなが政府を倒さないのはどうしてだろう?」と考えてもしかたがない。国民はさっさと政府の正体を理解して政府を倒さねばならない。アジア文化では人は嘘をつかないが、ヨーロッパ文化では人は嘘をつく。国民はアジアとヨーロッパの文化の違いを理解してさっさと政府を倒せばいいのである。
[21644] 今の国民は政府の芝居に騙[だま]されている。☆☆ h26.11.26
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
本来ならば、政府は“国民と違う文化の国”を作っているから、国民が政府を倒すべきである。
それなのに、今の国民は政府の“『科学と道徳の両方ある国』を作っている芝居”に騙されて、「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」と思って「政府が“国民と同じ文化の国”を作っている」と思って、政府に税金を払って国を作らせているのである。政府は国民のものなので、政府は自分勝手に滅べず自分が残るか滅ぶかを国民に決めてもらわねばならないので、国民が政府に税金を払っているので、政府は自分が滅べずに「科学があって道徳がない国」を作って国民を不幸にしなければならなくなっているのである。
今の国民が政府の“『科学と道徳の両方ある国』を作る芝居”に騙されているのがいけないのである。
政府は「道徳がない国」を作る団体である。「道徳がない国」では悪いことをやっていい。だから、政府は自分が悪いことをやって国民に嘘[うそ]をついて自分が『道徳がある国』を作っているふりをしているのである。政府は「道徳がない国」を作る団体だから、政府は自分が悪いことをしなければならないから、政府は自分が悪いことをするのが仕事だから、政府はテレビや新聞で嘘をついて自分が『道徳のある国』を作っているふりをして国民を騙さなければならないのである。
本当は、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
今の国民は「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」と誤解して政府に税金を払って政府に国を作らせている。今の国民はまちがって政府に国を作らせている。国民が悪い。国民は自分のまちがいを自分で直さねばならない。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府に税金を払わないようにしなければならない。国民は政府に税金を払って政府に国を作らせるのをやめて、政府に税金を払わず政府を倒さなければならないのである。
[21645] 法律会社は国民と自由に契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。
h26.11.26
昔は国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていた。昔の日本は「科学があって道徳がない国」だった。「道徳がない国」では悪いことをやってもよかった。だから、政府は悪いことをやって、国民からお金を強盗していた。つまり、政府は国民から税金を取っていた。政府は国民の同意を得ずに国民と契約せずに国民から勝手にお金を取っていた。国民は「道徳がない文化」をやっていたから、政府が悪いことをするのを承認していたから、政府がお金を強盗しても政府に文句を言わなかった。「道徳がない国」では『人間が平等である』ことを守らなくていいから、政府が国民と不平等だった。ルソーは「人間が不平等である」原因を理性にあるとし、マルクスは「人間が不平等である」原因をお金にあるとしたが、本当は「道徳がないこと」にあったのである。
今は国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の日本は『科学と道徳の両方ある国』である。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。今後は法律会社が建つだろう。法律会社は国民に法律を守らせることだけが仕事であって、国民の自由を侵[おか]してはいけない。これからの“国を作る団体”は権力の集中を防ぐために法律会社でなければならない。
『道徳のある国』では、みんなが『人間が平等である』ことを守らねばならず、悪いことをやってはいけない。みんなが法律を守らねばならない。法律会社は悪いことをやってはいけないから、国民からお金を強盗してはいけない。法律会社は国民の同意を得て国民と契約して国民から毎月お金をもらって仕事をしないといけない。国民は法律会社と契約しなくてもいい。国民は自分が法律会社を利用するときだけ法律会社にお金を払って仕事をしてもらってもいい。法律会社は保険制と現金制を併用すればいい。お金持ちの“みんなのためを思う人”は保険制で、貧乏人の“自分のことしか考えない人”は現金制で払えばいい。みんながお金持ちになれば、みんなが保険制でお金を払うようになって法律会社が儲[もう]かるだろう。
[21646] 幕末の志士[しし]は幕府のヤラセである。 h26.11.26
幕末の志士は幕府の役人を切り殺して幕府を倒そうとした。
しかし、そんなことで幕府を倒せるわけがない。幕府を倒すためには、幕府の役人を数人斬[き]り殺すよりも、国民みんなに幕府を倒さねばならないことを説いたほうがはるかに有効である。そんなこと誰にでもわかる。
だから、幕末の志士は幕府のヤラセである。赤軍派といっしょである。
幕府は自分が国民に倒されないようにするために、幕末の志士を使って幕府に反対させて幕末の志士を殺して国民みんなに「幕府を倒してはいけない」ことを教えようとしたのである。政府が赤軍派を使って政府に反対させて赤軍派を殺して国民みんなに「政府を倒してはいけない」ことを教えようとしたのと同じである。
しかし、日本では昔から約500年ごとにアジア文化とヨーロッパ文化を入れ替える決まりがあったので、国民はアジア文化からヨーロッパ文化に転じてヨーロッパ文化をやるようになった。幕府がいくら国民を止めても、国民はヨーロッパ文化をやるようになった。幕府は国民に倒されて消え去ったのである。
それと同じように、戦後に国際交流が盛んになってアジア文化とヨーロッパ文化が混じり合って『科学と道徳の両方ある文化』である世界文化が出来たので、国民はヨーロッパ文化から世界文化に転じて世界文化をやるようになった。政府がいくら国民を止めても、国民は世界文化をやるようになった。そのために、政府は国民に倒されて消え去っているのである。
世界文化が出来たのは国民にとって二度とないチャンスである。世界文化が出来なかったら、国民は「科学があって道徳がない文化」を続けて国民がどんどん不幸で貧乏になっていくばかりだったのである。国民が自分で自分を地獄に落とさねばならなかったのである。今の国民は幸運である。国民はぜひともこのチャンスを活かさなければならない。国民は世界文化を続けて世界文化の国を完成させねばならない。
『科学と道徳の両方ある文化』は戦後になってようやく出来た。それまでは『科学と道徳が両方ある文化』はなかった。「科学があって道徳がない」ヨーロッパ文化か「道徳があって科学がない」アジア文化しかなかった。だから、昔の人がいくら『科学と道徳の両方ある文化』をやればいいと言っても、実際にはやれなかった。「人間の代わりに働くロボットを作って、ロボットに働かせればいい」と言っても、実際にはそんなことができないのと同じである。そのために、これまで日本人は日本を『科学と道徳の両方ある国』にするためにしかたがなくヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやって来た。しかし、今は『科学と道徳の両方ある文化』がある。だから、今の国民はそのまま『科学と道徳の両方ある文化』をやればいい。今の国民は裕福で幸福に生きることができて幸運である。
[21647] 今の国民は矛盾したことをやっている。 h26.11.26
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
今の国民は政府に税金を払っている。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやりながら、一方で政府に税金を払っている。
ところで、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。だから、国民が政府に税金を払うことは、国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていることになる。
ゆえに、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやりながら「科学があって道徳がない文化」をやっている。今の国民は『道徳がある文化』と「道徳がない文化」の両方をやっている。
今の国民は矛盾している。矛盾したことをやっている。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。
だから、今の国民は政府に税金を払ってはいけない。
[21648] 国民の文化は国民自身で決める。 h26.11.26
国は国民のものである。国民自身も国民のものである。だから、国民のことは国民自身で決めればいい。国民のことは国民が自分の好きなように決めればいい。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』がやりたいから『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
国は国民のものである。国は国民が自分の好きなように作ればいい。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、今の国民は政府を倒している。『道徳のある国』ではみんなが悪いことができないから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体を倒している。今の国民は社長や管理職や事務職などのように“会社の中で自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを強盗する者”を倒している。『道徳のある国』ではみんなが法律を守らなければならないから、国民は政府が下火[したび]になってきたら法律会社を建てる予定である。
[21649] 今では医療保険も消費税もやってはいけない。 h26.11.26
昔は国民が「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない国」ではみんなが悪いことをやってもいい。みんなが悪いことができる。だから、医者が国民からお金を強盗していた。それが医療保険である。だから、商人が国民からお金を強盗していた。それが消費税である。
しかし、今は国民が『科学と道徳が両方ある文化』をやっている。『道徳がある国』ではみんなが悪いことをやってはいけない。みんなが悪いことができない。だから、医者は国民からお金を強盗できない。医療保険はやれない。だから、商人は国民からお金を強盗できない。消費税は取れない。
だから、今では国民は医療保険に入らず、消費税を払わなければいいのである。国民は医療保険から抜け出して、消費税を断って払わなければいいのである。
[21650] 国民が国を作る団体を支配している。☆ h26.11.27
国は国民のものである。国を作る団体も国民のものである。国民が国を作る団体を支配しているのであって、国を作る団体が国民を支配しているのではない。国を作る団体が国民に従わねばならないのであって、国民が国を作る団体に従わねばならないのではない。いくら国を作る団体が国民に対して偉そうにしても、本当は国民が国を作る団体を支配しているのである。国民が国を作る団体を自分の好き放題にすればいいのである。政府は「道徳がない国」を作る団体だから、政府は悪いことをする団体だから、政府は嘘[うそ]をつくから、政府は自分が国民を支配しているふりをしている。今の国民は政府の嘘に騙[だま]されて「政府が国民を支配している」と思わされて政府に従わされている。しかし、本当は『国民が政府を支配している』のである。
だから、国民は“自分と同じ文化の国”を作る団体にお金をやって国を作らせて、“自分と違う文化の国”を作る団体にお金をやらず倒せばいい。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやれば国民が幸福で裕福に暮らせるから、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのである。
ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は「道徳のない国」を作る団体だから、政府は嘘をついて今の国民に合わせて自分が『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをしているが、本当は「科学があって道徳がない国」を作っているのである。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。
だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。今の国民は政府を拳骨[げんこつ]で殴[なぐ]ったり政府にロケットを撃ったりして政府を倒すのではなく、政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。政府は嘘つきだから、国民が政府に「税金を払わなくていいですか?」と訊[き]けば、政府は「払わなければならない」と答えるから、国民は政府に何も訊かずに黙って税金を払わなければいいのである。
昔の国民が政府に税金をやって政府に国を作らせていたのは、政府が“国民と同じ文化の国”を作っていたからである。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない国」では悪いことをやっていいから、政府が悪いことをやって国民を好き放題にして国民を事故で殺して遊んだり国民に戦争をさせて殺していたぶったり国民から高い税金を取って国民を苦しめたりしたのである。しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の政府は“国民と違う文化の国”を作っているから、今の国民は政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
国民が正しいことをすれば善い国になる。だから、今の国民は政府の嘘に騙されず、自分でよく考えて正しいことをしないといけない。
[21651] 政府は嘘[うそ]つきである。☆ h26.11.27
国は国民のものである。国民が国を作る団体を支配している。国を作る団体は国民に従わねばならない。国民は自分に従わない国を作る団体を倒して、自分に従う国を作る団体を建てる。
幕末のときには国民がアジア文化からヨーロッパ文化に変わった。幕府はアジア文化の国を作る団体だった。幕府はチョンマゲに袴[はかま]姿だったので、国民は幕府がヨーロッパ文化の国を作る団体ではないことがすぐにわかった。だから、国民はすぐさま幕府を倒した。
戦後に国民がヨーロッパ文化から世界文化に変わった。政府はヨーロッパ文化の国を作る団体だった。政府は悪いことをする団体なので、政府は嘘[うそ]をついて法律の仕事をしているふりをしていたので、国民は政府が世界文化の国を作る団体ではないことがわからなかった。だから、国民はいまだに政府を倒していない。
幕府は嘘をつかないが、政府は嘘をつく。だから、今の国民が政府に騙[だま]されて政府を倒さないのである。
本当は、政府はヨーロッパ文化の国を作る団体である。今の国民は世界文化をやっている。ヨーロッパ文化には道徳がないが、世界文化には道徳がある。ヨーロッパ文化と世界文化は違う。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
今の国民は政府の嘘に騙されているから政府を倒さないのである。今の国民は馬鹿である。他人に騙されるのは人間の恥[はじ]である。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
国民にとってはケータイやパソコンよりも政府のほうが問題である。今の国民は政府の嘘に騙されているだけである。国民はさっさと政府を倒して政府の問題を片付[かたづ]けて、自分の好きなことをやって遊ばなければならない。
古代の国民はヨーロッパ文化をやっていたが、中世になるとアジア文化をやるようになった。政府は中国から法律を取り入れて法律の仕事をやっているふりをしていたが、国民は政府の嘘を見破って政府を倒した。その後で、国民で幕府を建てた。それと同じように、近代の国民はヨーロッパ文化をやっていたが、現代になると世界文化をやるようになった。だから、現代の国民も政府の嘘を見破って政府を倒さねばならない。国民で早く前の時代の後片付けをしないといけない。その後で、国民で法律会社を建てねばならない。
[21652] 政府は悪いことをするのが仕事である。 h26.11.27
政府はヨーロッパ文化の国を作る団体である。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。「道徳がない国」ではみんなが悪いことをしなければならない。だから、政府は悪いことをして国民を事故で殺したり国民に戦争をさせていたぶったり国民から高い税金を取って国民を苦しめたりしないといけないのである。
政府は自分が好きで悪いことをやっているのではなく、仕事で悪いことをしているのである。
政府が国民に偉そうにして「政府が国民を支配している」ふりをしたり、法律の仕事をしているふりをして「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」ふりをしたりしているのも、政府が悪いことをしなければならないからである。嘘[うそ]をついて人を騙[だま]すのは悪いことなので、政府は悪いことをしなければならないので、政府は嘘をついているのである。
今の国民が政府のことを理解せずに、政府の嘘にまんまと騙されているのがいけないのである。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。国は国民のものである。国民が国民に従う者を守り、国民に従わない者を倒さねばならない。政府は今の国民に従っていない。だから、今の国民は政府を倒さなければならない。政府は悪いことをするのを仕事にしている会社である。今の国民が政府に税金を払っているから、政府は悪いことをやっているだけである。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒して政府に悪いことをさせなければいいのである。
国民が政府に騙されようが騙されまいが、とにかく政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。昔はまだ国際交流がなくて『科学と道徳の両方ある文化』がなかったから、昔の国民は日本を『科学と道徳の両方ある国』にするために「科学があって道徳がない文化」と「道徳があって科学がない文化」を交互にやっていたから、近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから政府に税金を払って政府を守って政府に悪いことをやらせていた。しかし、今では国際交流が盛んで『科学と道徳の両方ある文化』が出来ているから、今の国民は日本を『科学と道徳の両方ある国』にするために「科学があって道徳がない文化」をやるのをやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになっている。そのため、今の国民は政府に税金を払って政府を守るのをやめて政府に税金を払わず政府を倒すようになっている。国民は自分が『科学と道徳の両方ある文化』をやっているなら政府に税金を払わなければいいのである。「科学があって道徳がない文化」をやっている国民だけが政府に税金を払えばいいのである。今では「科学があって道徳がない文化」をやっている国民がどんどん減っている。そのために、政府は国民から税金をもらえなくなってどんどん潰[つぶ]れているのである。つまり、今では国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになって、『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知るようになって、政府を倒すようになっているのである。今の国民は「科学があって道徳がない文化」をやることから『科学と道徳の両方ある文化』をやることに変わって、「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っていることから『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』と思うことに変わって、政府に税金を払って政府を守ることから政府に税金を払わずに政府を倒すことに変わっているのである。だから、国民は時代の流れに乗って政府を倒せばいいのである。国民は自分が『科学と道徳の両方ある文化』をやっていて『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知っていれば、政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。「科学があって道徳がない文化」をやっているか「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民だけが政府に税金を払って政府を守ればいいのである。今では「科学があって道徳がない文化」をやっている国民や「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民がどんどん減っている。そのために、政府は国民から税金をもらえなくなってどんどん潰れているのである。あるいは、今では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、国民が『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知るようになって政府を倒すようになっている。今の国民は「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っていることから『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』と思うようになって、政府に税金を払って政府を守ることから政府に税金を払わずに政府を倒すことに変わっている。だから、国民は自分が『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知っていれば政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民だけが政府に税金を払って政府を守ればいいのである。今では「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民がどんどん減っている。そのために、政府は国民から税金をもらえなくなってどんどん潰れているのである。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていて『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知っていたから、政府に税金を払って政府を守って政府に国を作らせていた。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているが「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っているから、政府に税金を払って政府を守って政府に国を作らせている。今の国民は早く真実を知って「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思うのをやめて『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』と思うようになって政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。人間には「他人を自分と同じだと思う心理」があるから、昔の国民は『政府が自分と同じ「科学があって道徳がない文化」の国を作っている』と思っていたし、今の国民は「政府が自分と同じ『科学と道徳の両方ある文化』の国を作っている」と思っているのだろう。今の国民はもっとしっかりして自分の頭を使ってよく考えて真理を理解して、『政府が自分と違う「科学があって道徳がない文化」の国を作っている』と考えて政府を倒さねばならない。
悪いことをやる者が悪いことがやれるためには、悪いことをやる者と悪いことをやられる者の両方が悪いことをやるのを認めていなければならない。昔は国民が「道徳のない文化」をやっていたから、国民が悪いことをやるのを認めていたから、政府や暴力団や宗教団体などが国民に悪いことをやって国民からお金を強盗して儲[もう]かっていた。しかし、今では国民が『道徳のある文化』をやるようになっているから、国民が悪いことをやるのを認めなくなっているから、政府や暴力団や宗教団体が国民に悪いことがやれなくなって国民からお金を強盗できなくなって潰れているのである。
[21653] 今の政府は嘘[うそ]で生き残っているだけの弱い団体である。 h26.11.28
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は本当は「科学があって道徳がない国」を作る団体だが、嘘をついて法律の仕事をやっているふりをして『科学と道徳の両方ある国』を作る団体のふりをしている。そのために、国民は政府に税金を払って国を作らせている。
今の政府は嘘で国民を騙[だま]して国民に自分を倒されないようにしているだけである。
しかし、今の国民は自分で考えたり他人に教えてもらったりして『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知るようになっている。国民は前から『国民が国を作る団体を支配している』ことを知っている。今では国民が「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思わなくなって『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』と思うようになって、政府に税金を払って政府に国を作らせなくなって政府に税金を払わず政府を倒すようになっている。だから、国民は自分が『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知っているなら、政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民だけが政府に税金を払って国を作らせればいいのである。
今では「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民がどんどん減って、政府が国民から税金をもらえなくなってどんどん潰[つぶ]れている。もうすぐ政府のない時代になる。昔の時代の生き残りがなくなっている。
[21654] 政府は段階的に滅んでいる。 h26.11.28
昭和40年頃(1965年頃)に国際交流が盛んになって『科学と道徳の両方ある文化』が出来て、国民が急に「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わった。
そのとき、『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知っている国民はすぐに政府に税金を払うのをやめて政府を倒すようになった。「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っている国民だけが政府に税金を払って国を作らせるようになった。そのために、政府がガタッと弱くなった。
さらに、最近は国民が急に「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体である」と思っていることから『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』と思っていることに変わっている。(私と同じように、何かの事件をきっかけにして自分で考察を深めて『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことがわかるのだろう。)そのために、国民は急に政府に税金を払って政府に国を作らせることから政府に税金を払わず政府を倒すことに変わっている。政府がまたガタッと弱くなっている。
国民はときどき急に変わる。そのために、政府が急に弱くなる。それを何度も繰り返して、政府はガタガタと段階的に滅んでいくのである。(国民が政府を倒す大きな理由は、国民が『科学と道徳の両方ある文化』に変わったこと、政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体であること、国民が国を作る団体を支配していることの2つか3つぐらいしかないが、人によってはもっと細かい理由がたくさんあるのだろう。だから、政府は細かく段階的に滅んでいくのである。)
国民みんなが一揆[いっき]みたいに一斉[いっせい]にそろって政府を倒すのではない。国民の一部がだんだん政府を倒すように変わっていくのである。だから、国民は自分が政府を倒すのが正しいと思ったら政府を倒せばいいのである。国民は自分が政府を倒す理由がわかれば政府を倒せばいいのである。国民は自分勝手にバラバラに政府を倒せばいいのである。最後に馬鹿が残ってみんなの笑いものになるだろう。
[21655] どうして今の人は酒やタバコをやらないのか? h26.11.28
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある文化』では悪いことをやってはいけない。
酒やタバコをやることは悪いことである。酒やタバコをやると一時的には気持ちがいいがあとで身体が病気になって苦しまねばならないから、酒やタバコをやるのは悪いことである。
だから、今の国民は酒もタバコもやらないのである。今の国民は自分が幸福になるために酒やタバコをやらないのである。
反対に、昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では悪いことをやらねばならない。だから、昔の国民は悪いことをやらねばならなかった。だから、昔の国民は酒やタバコをやらねばならなかったのである。昔の国民は酒やタバコが好きだから酒やタバコをやっていたのではなく、自分が悪いことをするために酒やタバコをやっていたのである。昔の国民は自分が不幸になるために酒やタバコをやっていたのである。
「科学のない文化」では国民が自分を貧乏にしなければならない。「道徳のない文化」では国民が自分を不幸にしなければならない。『科学のある文化』では国民が自分を金持ちにしなければならない。『道徳のある文化』では国民が自分を幸福にしなければならない。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、自分を金持ちで不幸にしていた。(しかし、実際には政府や暴力団や会社の上の者などにお金を強盗されて貧乏だった。)昔の国民は自分で自分を不幸にするために、自分を不幸にする政府を建てて政府に事故で殺されたり政府に高い税金を取られたり政府の命令で戦争をしたりしていた。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、自分を金持ちで幸福にしている。政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は古臭い国を作る団体である。政府は国民を不幸にするためにある団体である。今の国民は自分を幸福にしている。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金をやらずに潰[つぶ]せばいいのである。
[21656] 今の国民は自分がすべきことをやっていない。 h26.11.29
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は「道徳がない国」を作っているから、「道徳がない国」では悪いことをしなければならないから、政府は悪いことをして国民に嘘[うそ]をついて法律の仕事をやっているふりをして『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをしているのである。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。
国は国民のものである。国を作る団体は国民のものである。国を作る団体は国民が管理しないといけない。国を作る団体は自分で建ったり倒れたりしない。国を作る団体を建てたり倒したりするのは国民の仕事である。国民が“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てて、“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さなければならない。
だから、今の国民は政府を倒さなければならない。政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
それなのに、今の国民は政府をそのままにしてテキトウに政府に税金をやって政府に国を作らせている。政府は今の国民と違う文化の国を作っている。そのために、今の国民と同じ『科学と道徳の両方ある文化』の国を作るのが遅れている。
今の国民は自分がすべきことを忘れている。今の国民は自分がすべきことをやっていない。今の国民は自分がすべきことを済ませてから他[ほか]のことをしないといけない。
国は国民が作るものである。国民が国を作るのであって、国を作る団体が国を作るのではない。国民が国を作る団体を作る。国を作る団体は決められた一つの同じ文化の国を作り続けるだけである。だから、国民が自分で国を作る団体を取捨選択しないといけない。国民が“自分と同じ文化の国”を作る団体を選んで国を作らせて、“自分と違う文化の国”を作る団体を捨てて国を作らせてはいけない。そうやって、国民が自分の文化に従う国にしないといけない。
今の国民が正しいことをすれば善い国になる。だから、今の国民はよく考えて正しいことをしないといけない。国民は政府を倒して法律会社を建てて『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。今の政府は『国民が自分と違う文化をやっている』のを知っているから、国民が政府に税金を払わずに政府を倒しても国民を罰したりしないだろう。
[21657] 国民が国を作る団体を作らねばならない。☆ h26.11.29
国は国民のものである。国は国民が決める。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。だから、昔の国民は「科学があって道徳がない国」を作る政府を建てた。「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならない。だから、昔の国民は政府に国民を事故で殺させたり国民に戦争をさせたり国民から高い税金を取らせたりして国民を不幸にさせていた。「道徳がない文化」では国民が自分を幸福にしてはいけない。だから、昔の国民は国民を幸福にした政府の首相を暗殺した。ヤクザが自分の指を切ったりするのも自分を不幸にするためである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。『道徳がある国』では国民が自分を幸福にしなければならない。国民が自分を不幸にしてはいけない。しかし、政府は国民を不幸にしている。政府は国民に反する国を作っている。だから、国民は政府を倒さねばならない。『道徳がある国』には法律があるから、国民は法律会社を建てねばならない。
国を作るのは国民である。国民が自分の文化の国を作るために国を作る団体を作らねばならない。国民が“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てて、“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さねばならない。そうやって、国民が自分の文化に適った国にしなければならない。
[21658] 国民は政府の医療保険制度を守ってはいけない。 h26.11.29
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある国』ではみんなが平等である。だから、国民が医療保険に入るか入らないかも国民の自由である。医療保険は任意加入でなければならない。
しかし、政府の医療保険制度は強制加入である。政府の医療保険制度はまちがっている。政府は国民からお金を強盗するために医療保険をやっているのである。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、「道徳がない国」では悪いことをやってもいいから、政府は悪いことをやって国民からお金を強盗するために医療保険制度をやっているのである。政府は国民から医療保険制度で奪ったお金のほとんどを自分のものにして医者にはほんの少ししかやらないのである。政府は最初の一時[いっとき]医者にたくさんお金をやって、医療保険制度を医者にとって有利な制度だと思わせて、あとではほとんど医者にお金をやらないのである。政府は医者が儲[もう]かっているので医者の儲けを横取りするために医療保険制度をやっているのである。昔鉄道会社が景気がよかったので、政府が鉄道会社の儲けを横取りするために政府が鉄道会社を所有していたのと同じである。だから、将来、画期的な健康法が開発されて国民が病気にならなくなって医者の景気が悪くなれば、政府は医療保険制度をやめるだろう。今では国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、民間の保険会社が医療保険をやるなら信用できる。しかし、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、政府は悪いことをする団体だから、政府の医療保険は信用できない。政府は国民からお金を強盗するために医者を利用しているだけである。
政府の医療保険制度は今の国民の『科学と道徳の両方ある文化』に反している。だから、国民は政府の医療保険制度を守ってはいけない。国民は政府の医療保険に入らずに、医者に現金で報酬を払わねばならない。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならなかった。政府は昔の国民が自分を不幸にするために建てた団体だから、政府は医者の儲けを横取りしたり、国民から保険費を強盗したりして、医者や国民を不幸にするのである。政府の医療保険制度は昔の国民の「科学があって道徳がない文化」に則[そく]しているが、今の国民の『科学と道徳の両方ある文化』に反している。政府の医療保険制度は昔の制度であって、今の制度ではない。だから、今の国民は政府の医療保険制度を守ってはいけない。国民は今の自分の文化で押して政府のまちがった制度をなくさねばならない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は「科学があって道徳がない文化」をやる団体である。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやる団体である。政府は今の国民と違う文化をやる団体である。だから、政府は今の国民と違う制度を設けるのである。今の国民がいつまでも政府を倒さずに政府をのさばらせておくから、政府が今の国民の文化に反するまちがった制度を定めて国民を混乱させるのである。だから、今の国民は早く政府を倒して『科学と道徳の両方ある文化』に適[かな]った国にしないといけない。
国は国民のものである。国は国民が決める。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』では『人間はみな平等である』ことを守らなければならないから、任意加入の保険制度があるだけであって強制加入の保険制度はない。政府の医療保険は強制加入である。政府の医療保険は今の国民の『科学と道徳の両方ある文化』に反している。政府の医療保険は『科学と道徳の両方ある文化』の外にある制度である。政府の保険は保険とは名ばかりの強盗である。政府の保険が強制加入であるのは嘘[うそ]である。今の国民の『道徳がある文化』では強盗も嘘もやってはいけない。だから、今の国民は政府の医療保険を無視して政府の医療保険に加入しなければいいのである。政府の医療保険制度は今の日本では成り立たない。だから、国民は政府の医療保険制度を守らなければいいのである。将来、任意加入の医療保険が出来たら、国民は任意で医療保険に入ればいいのである。
同じように、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』では、みんなが『人間は平等である』ことを守って悪いことをやってはいけない。今の政府は国民から税金を取っている。税金は強盗である。国民に納税の義務があるのは嘘である。政府は国民を幸福にするためという嘘の理由をつけて国民から税金を強盗している。『道徳のある文化』では嘘も強盗もやってはいけない。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいい。政府は今の国民の『科学と道徳の両方ある文化』に反する団体だから、国民は政府を倒せばいい。政府の医療保険は税金の一種である。政府の医療保険は医療を口実[こうじつ]にした税金だと見なすことができる。
要するに、政府の医療保険制度は今の国民の『科学と道徳の両方ある文化』に反しているから日本ではやれない。政府の医療保険制度は無効な制度である。だから、今の国民は政府の医療保険制度を守らなければいいのである。今の政府は『今の国民が『道徳のある文化』をやっているために、自分が本当は悪いことがやれない』ことを知っているから、国民が自分に従わなくても国民を罰することができない。だから、国民は政府のハッタリに騙[だま]されずに政府の医療保険制度を無視して政府の医療保険制度をやらなければいいのである。国民は政府の医療保険制度に最初から入らず、まちがって入ってしまったら勝手に途中でやめればいいのである。政府は国民に嘘をついて「医療保険をやめてはいけない」と言うから、国民は政府の了解を得ずに自分の独断で抜ければいいのである。
国は国民のものである。国民が国を決めるのであって、政府が国を決めるのではない。今の国民は『道徳のある文化』をやっている。政府は「道徳のない国」を作っている。だから、今の日本では『道徳のある文化』が通用する。政府は『道徳のある国』を作る団体のふりをして「道徳のない制度」を設けている。政府は本当は「道徳のない国」を作る団体であり、政府は善い人のふりをしてじつは悪いことをやっているのである。国民は政府の芝居に騙されないようにして政府の制度を守ってはいけない。政府がいくら悪いことをやろうとしても、国民が政府に悪いことをさせないようにして政府が悪いことをやれないようにしないといけない。
[21659] 今の国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されている。 h26.11.29
『国は国民のものである。国民が国を作る団体を支配している』ことは社会科の常識である。
『今の国民が『科学と道徳の両方ある文化』をやっている』ことも国民は知っている。
しかし、今の国民は『政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体である』ことを知らない。そのために、今の国民は政府を倒さずに政府に税金を払って政府に国を作らせているのである。
今の国民は政府の『科学と道徳の両方ある国』を作っている芝居に騙されているから、政府を倒さないのである。政府は「道徳がない国」を作る団体である。「道徳がない国」では悪いことができる。嘘は悪いことである。政府は嘘をついて自分が『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをして国民の中に溶け込んでいるから、国民は政府を倒さないのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある国』を作る団体と「科学があって道徳がない国」を作る団体の見分けがつかないのである。
『道徳のある国』ではみんなが平等だから、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民と契約を取ってから仕事をするが、「道徳のない国」ではみんなが悪いことをするから、「科学があって道徳がない国」を作る団体は国民と契約を取らずに国民からお金を強盗する。政府は国民と契約を取らずに国民からお金を強盗しているから「科学があって道徳がない国」を作る団体である。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、歴史的に見ても政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体であることがわかる。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は今の国民の文化に反する国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は早く政府を倒して法律会社を建てて『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。
ヨーロッパでは国を作る団体が国民の文化に合わせて作る国を変えるが、日本では国を作る団体がそうしない。日本人は攻撃的だから、自分よりも大きい相手を倒すのが好きだから、国民が自分で国を作る団体を倒さねばならないようにしているのである。国民が自分で国を作る団体を潰[つぶ]して喜ぶために、国を作る団体が勝手に途中で作る国を変えないようにさせているのである。だから、今の国民は喜び勇[いさ]んで政府を倒せばいいのである。国民みんなで政府を悪役にして政府を倒して遊べばいいのである。
[21660] 国民は国内最強の団体である。 h26.11.29
国は国民のものである。国は国民が作る。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』に適[かな]った国にしなければならない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は今の国民の文化に反している。だから、今の国民は政府を倒せばいい。政府の税金は強盗だから、『道徳のある文化』では強盗はやってはいけないから、国民は政府に強盗をやらせず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。医療保険や消費税も政府の強盗だから、国民は政府の医療保険に入らず政府に消費税を払ってはいけない。(しかし、国民がいちいち店で消費税を断るのは恥ずかしくて面倒くさい。本当の権力者は政府ではなく国民である。だから、商人は政府よりも国民の味方をして、国民から消費税を取らないようにすればいい。今の国民は「消費税を取らない店をいい店だ」と思うから、店が消費税を取らないようにして人気を出して儲[もう]かるようにできるかもしれない。一方、国民が税金を払わないことや医療保険に入らないことは国民が自分で簡単にできるから、国民は自分で実行しないといけない。)
暴力団や宗教団体は悪いことをやる団体である。『道徳のある文化』では『人間が平等である』ことを守らねばならず悪いことをやってはいけない。だから、今の国民は暴力団や宗教団体に悪いことをやらせずお金を強盗させず暴力団や宗教団体を倒さねばならない。
会社の上の者は自分が働かずに社員の稼[かせ]ぎを強盗して遊んでいる。『道徳のある文化』では強盗はいけない。だから、今の社員は会社の上の者にお金をやらずに会社の上の者を倒さねばならない。
国民は国の支配者である。国民は国内最強の団体である。国民には国家権力という眼に見えない力がある。国民は弱いふりをしているが本当は強い。政府も暴力団も宗教団体も会社の上の者も国民には逆らえない。だから、国民は自分を肯定して自分に逆らう者を片っ端[かたっぱし]から倒していけばいいのである。
[21661] ヨーロッパと日本は歴史が違う。 h26.11.29
今のヨーロッパの国民が政府を置いているのは、今のヨーロッパの国民が「科学があって道徳がちょっとない文化」をやっているからである。ヨーロッパの政府は国民に合わせて「科学があって道徳がちょっとないこと」をやっているのである。
今では国際交流が盛んになって世界中が『科学と道徳の両方ある文化』になっている。しかし、ヨーロッパの国民はこれまでずっと「科学があって道徳がない文化」をやり続けてきたので、急に『科学と道徳の両方ある文化』に変わることができない。少しずつだんだん『科学と道徳の両方ある文化』に変わっていくしかない。だから、今のヨーロッパの国民はまだ「科学があって道徳がちょっとない文化」をやっているのである。そのために、ヨーロッパの国民は政府を置いて「科学があって道徳がちょっとない国」を作らせている。だから、今でもヨーロッパの政府はちょっと悪いことをやって国民をちょっと不幸にしている。そのために、ヨーロッパの政府は国民から税金を取っているのである。
一方、日本はヨーロッパとは歴史が違う。本来日本はアジアの国である。日本は『道徳のある国』である。今の日本の国民はすでに『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。もっとも、日本はヨーロッパほど科学が強くないから、正確には今の日本の国民は『道徳があって科学がちょっとない文化』をやっている。ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は今の日本の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の日本の国民は政府を倒さねばならない。今の日本の国民は政府を倒して法律会社を建てればいい。法律会社は国民と契約して国民からお金をもらわねばならない。
日本の長所は道徳にある。道徳の強いことが日本の長所である。日本人は道徳の強いことだけが長所である。日本人から道徳を取ったらただのカスである。日本は日本人の道徳の強さで支えられている国である。道徳が日本の財産である。だから、日本人は自分の道徳の強さを守らねばならない。政府は日本人の道徳を失わせる団体である。政府は日本人をカスに変える団体である。だから、日本人は日本を善い国にするために早く政府を倒さねばならない。
[21662] どうして今の国民は政府を倒さないのか?☆ h26.11.30
国民のほとんどは馬鹿である。自分では動かず他人の言いなりになって動くだけである。馬鹿は眼で見たり心で思ったりするだけで頭で何もわかっていないから自分で動けないのである。国民の一部の者が利口で、自分で考えて動いて大勢の馬鹿を引っ張って来たのである。
これまでは国民がヨーロッパ文化やアジア文化を交互にやって来た。国を作る団体がヨーロッパやアジアの中で一番汚い制度をやっている国を探してその国の国を作る団体を真似[まね]てボロ儲[もう]けしてきた。例えば、江戸幕府はアジアの中でわざわざ身分制をやっているインドを真似て身分制をやって国民を虐待したし、政府はヨーロッパの中でわざわざ一番道徳のない国であるドイツを真似て国作りをして自分も国民にさんざん悪いことをやった。
だから、国を作る団体が乗り気になって国民を扇動[せんどう]してきたから、国民が古い国を作る団体を倒して、新しい国を作る団体を建ててきたのである。
しかし、今の国民は世界文化をやるだけである。『科学と道徳の両方ある文化』では国を作る団体は国民と契約して国民からお金をもらって仕事をするしかなく、もはや国を作る団体がボロ儲けすることはできない。だから、今度の国を作る団体が乗り気にならず国民を扇動しないから、今の国民は政府を倒さないのである。今の政府のほうがずっと悪いことができるから、国民をなるだけ動かさないようにして今の政府のままでいるのである。
しかし、今度の国を作る団体がボロ儲けできないことは、今度の国民にとってはそれだけ有利だということである。だから、今の国民が動けばそれだけ国民にとって有利な国になる。だから、今の国民は面倒くさがらずに元気を出して政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
今の国民が政府に税金を払わずに政府を倒せば少なくとも自分の税金分は儲かる。それは正義の報酬である。国民が自分の国を善い国にした仕事代だと思って素直[すなお]に受け取っておけばいい。
[21663] 今の国民はどうして政府を倒さないのか?☆ h26.11.30
今の国民が政府について何も知らないからである。今の国民は政府について何も知らないから、政府の言いなりになって、政府に税金を払って政府を養って政府に国を作らせているのである。
もしも、今の国民が、
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。戦後に国際交流が盛んになってアジア文化とヨーロッパ文化が入り混じって世界中の文化が『科学と道徳の両方ある文化』になってしまったのである。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。「道徳がない国」では悪いことをやっていいから、嘘[うそ]は悪いことだから、政府は嘘をついて『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをして、じつは「科学があって道徳のない国」を作っている。政府は国民を幸福にしているふりをして、じつは国民を不幸にしている。政府は言うこととやることが反対だから、昔から天邪鬼[あまのじゃく]だと言われるのである。
国は国民のものである。国民が国を作る団体に自分が欲しい国を作らせる。国民が“自分と同じ文化の国”を作る団体を建てて、“自分と違う文化の国”を作る団体を倒さねばならない。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
ことを知っていたら、今の国民はすぐに政府を倒すだろう。
だから、今の国民はすぐに政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒さねばならない。今の国民にとって政府は役に立たないから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。政府は今の国民が欲しい国を作っていないから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならなかった。だから、昔の国民は自分を不幸にするために政府を建てて、政府に国民を事故で殺させたり国民に戦争をさせていたぶらせたり国民から高い税金を取って苦しめさせたりした。昔の国民にとって政府は拷問[ごうもん]マシーンだった。
反対に、今の国民は『科学と道徳が両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民が自分を幸福にしなければならない。ところが、政府は国民を不幸にするしか能がない。今の国民にとっては政府は役に立たない。だから、今の国民は政府に税金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民は国の支配者だから、国民が政府が要らなければ政府を潰せばいいのである。
国民は他人に頼らずに自分で政府に税金を払わないようにして自分で政府を倒さねばならない。国民が他人に頼って自分でやろうとしないから政府が倒れるのが遅れるのである。国民は自分が他人に従うのではなく、他人を自分に従わせなければならない。国民はもっと自分で積極的に行動しなければならない。そうすれば他人を従わせる人間になることができる。そうすれば、他人よりも美味[おい]しい仕事に就けるだろう。
[21664] 国民が国を作る団体を支配している。☆ h26.11.30
国は国民のものである。国民が国の支配者である。国民が国を作る団体を支配しているのであって、国を作る団体が国民を支配しているのではない。だから、国民が国を作る団体を建てるも倒すも国民の自由である。国を作る団体が“国民と同じ文化の国”を作るなら国民は国を作る団体にお金をやって国を作らせるが、国を作る団体が“国民と違う文化の国”を作るなら国民は国を作る団体にお金をやらず潰す。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。
だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を潰せばいい。
したがって、今の国民は自分で政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。政府は「道徳がない国」を作る団体だから、「道徳がない国」では悪いことができるから、政府は嘘[うそ]つきである。だから、たとえ政府が国民に「税金を払わねばならない」と言っても、本当は『今の国民は政府に税金を払ってはいけない』から、国民は政府の言うことを無視して黙って政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。今の政府は『今の国民が『道徳のある文化』をやっているので、自分が悪いことをやってはいけない』ことを知っているので、税金は強盗なので強盗は悪いことなので国民が政府に税金を払わなくても国民を罰しないが、「自分が嘘をつくぐらいはいい」と思って国民に嘘をついている。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府が「税金を払え」と言っても取り合わないようにして政府の言うことを無視して政府に税金を払わなければいいのである。
国を作る団体は後ろに国民が付いているときは強いが、後ろに国民が付いていないときは弱い。国を作る団体は後ろに国民が付いているときは国民が従わなければならないが、後ろに国民が付いていないときは国民は従わなくていい。今の政府は後ろに国民が付いていない。だから、今の国民は政府に従わなくていい。今の政府は一人で国民と違うことをやっている。国民と反対のことをやっている。政府は国民と違う文化をやっているから国民と違うことをするのである。だから、国民は政府がやっていることを無視して、自分の文化で考えて自分がすべきことをすればいいのである。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民の文化では他人から税金を取ってはいけない(つまりお金を強盗してはいけない)から、国民は政府が国民から税金を取ることに抵抗して政府に税金を払わなければいいのである。政府は嘘の理由をつけて国民から税金を取ろうとするから、国民は政府の嘘に騙されず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[21665] どうして今でも暴力団がいるのか?☆ h26.12.1
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
国は国民のものである。国民が国を決める。国民が自分の文化の国を作る。
今の国民は『道徳のある文化』をやっている。『道徳のある文化』では悪いことがやれない。暴力団は悪いことをやっている。だから、今の国民は暴力団に悪いことをさせないようにして暴力団にお金を強盗させないようにして暴力団を倒している。
社会の理屈がわかっている者はそうしている。
しかし、社会の理屈がわかっていない者がいる。社会の理屈がわかっていない者は、暴力団の言いなりになって暴力団にお金を強盗されている。
世の中には社会の理屈がわかっていない者がいるから、暴力団が今でも残っているのである。
政府についても同様である。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
国は国民のものである。国民が国を自分の好きなようにする。国のものはすべて国民に従わねばならない。国民に従わないものは国民が倒す。国民は国の絶対支配者であり、国民が従わねばならない者は何もなく、国のものが国民に従わねばならないだけである。国民は自分自身に従わねばならないだけである。国民は自分が決めたことに自分が従わねばならないだけである。(戦前の国民は「科学があって道徳がない文化」をやると決めていたから、「道徳がない文化」では国民は自分を不幸にしなければならないから、国民は自分を不幸にするために政府を建てて政府に自分を不幸にさせていたのである。政府は国民に従わないと自分が国民に殺されることを知っていたので、一生懸命に国民を虐待して不幸にしていたのである。反対に、今の国民は『科学があって道徳がある文化』をやると決めているから、『道徳がある文化』では国民は自分を幸福にしなければならないから、政府は国民を不幸にする団体だから、国民は自分を幸福にするために政府を倒さねばならない。政府は国民に従わないと自分が国民に殺されることを知っているので、国民は政府に悪いことをさせないようにして政府に税金を強盗させないようにして政府を倒せばいいのである。政府は国民に従わねばならないので、国民が政府に悪いことをさせなければ政府は悪いことができないので、国民は政府に税金を強盗させないようにして政府が国民から税金を強盗できないようにして政府を倒せばいいのである。)
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民の文化と違う国を作っている。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒している。
社会の理屈がわかっている者は実際にそうしている。
しかし、社会の理屈がわかっていない者は、政府の言いなりになって政府に税金を強盗されている。政府は「道徳のない国」を作る団体だから、「道徳のない国」では国民が自分を不幸にしないといけないから、政府は悪いことをやって国民を不幸にしている。一方、政府は「道徳のない国」を作るから、「道徳のない国」では悪いことがやれるから嘘[うそ]は悪いことだから政府は嘘がつけるから、政府は「自分が国民を幸福にするため」と嘘をついて国民を騙[だま]して国民から税金を強盗している。
世の中には社会の理屈がわかっていない者がいるから、政府が今でも残っているのである。
今では国民が自分で考えたり他人から教わったりして社会の理屈がわかっている者がだんだん増えているから、社会の理屈がわかっていない者がだんだん減っているから、暴力団や政府がだんだん強盗できなくなって滅んでいるのである。
国民の敵は自分の無知である。国民は自分の無知を倒して社会の理屈に適[かな]った世の中にしないといけない。
昔の国民は遊びがなかったから社会の理屈をよく知っていたので社会の理屈を実践[じっせん]して社会の理屈に適った社会になっていた。今の国民はテレビやマンガやゲームなどの遊びがたくさんあって遊んでばかりいて社会の理屈を知らないので社会の理屈を実践しないので社会の理屈に合った社会になっていない。今の国民はもっと社会についてよく知って社会の理屈を実践して社会の理屈に合った社会にしないといけない。
[21666] 国民が政府を支配している。 h26.12.2
国民は国の支配者である。国は国民のものである。国のものはすべて国民に従わねばならない。国を作る団体も国民に従わねばならない。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。「道徳がない国」では悪いことができるから嘘[うそ]は悪いことだから、政府は嘘をついて国民に「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」と思わせているが、本当は『政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。』つまり、政府は嘘をついて国民に「政府が国民を幸福にしている」と思わせているが、本当は『政府は国民を不幸にしている。』政府は嘘をついて国民に「政府が国民を支配している」と思わせているが、本当は『国民が政府を支配している。』
政府は国民と違う文化の国を作っているから、政府は国民に従っていないから、国民は政府に税金をやらずに政府を倒せばいい。たとえ政府が国民をお金持ちにしても国民を幸福にしても、政府が国民と違う文化の国を作っているなら、政府が国民に従っていないのなら、国民は政府を倒さなければならない。それが国のルールだから国民は守らねばならない。政府は国民に従わねばならないから、国民が政府に税金をやらなければ政府は国民から税金を取れない。政府は国民から税金をもらえずに滅ぶしかない。政府は国民に嘘をついて「政府が国民を幸福にするために税金を使っている」と言って国民から税金を取ろうとするから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府に税金を払ってはいけない。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、政府は「科学があって道徳がない国」を作っていたから、政府は昔の国民に従っていたから、昔の国民は政府に税金をやって国を作らせていた。昔の国民は政府に不幸に貧乏にされていたが、政府が自分に従っていたので、政府に税金をやって国を作らせていた。しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、政府は「科学があって道徳がない国」を作っているから、政府は今の国民に従っていないから、今の国民は政府に税金をやらず政府を倒さねばならない。今の国民も政府に不幸に貧乏にされているが、政府が自分に従っていないので政府に税金をやらず政府を倒さねばならない。昔と今では国民の文化が変わったから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。国民は国の支配者だから、国民が自分の文化をどうしようが国民自身の勝手である。国民は自分の文化を自由に変えることができる。今の国民が自分の文化を変えたために、政府は国民に従わなくなった。だから、今の国民は政府を倒して、今の国民に従う国を作る団体(法律会社)を建てねばならないのである。
[21667] どうして今の国民は政府を倒さないのか? h26.12.2
昭和40年頃(1965年頃)に国民が「科学があって道徳がない文化」から『科学と道徳の両方ある文化』に変わった。
だから、そのときに国民が古い国を作る団体である政府を倒せばよかった。
しかし、当時の国民は「政府が“民主主義”の政治機関だから国民に合わせて自分の作る国を変える」と思って政府を倒さなかった。
だから、今でも政府が残っているのである。
しかし、今でも政府は国民に合わさずに昔と同じ「科学があって道徳がない国」を作っている。そもそも政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体なので、「道徳がない国」では悪いことができるので嘘[うそ]は悪いことなので、政府は嘘をつく。だから、政府が「自分を“民主主義”の政治機関だ」と言っているのも嘘である。国民は政府の嘘に騙[だま]されているから政府を倒さないのである。政府が正直に『自分は「科学があって道徳がない国」を作る団体だ』と言っていれば国民は政府を倒すが、政府が巧妙[こうみょう]に嘘をついて「自分は“民主主義”の政治機関だ」と言っているから国民はまんまと政府の嘘に騙されて政府を倒さないのである。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから政府が民主主義の政治機関であるのは本当だったが、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから政府が民主主義の政治機関であるのは嘘である。要するに、嘘つきは死ぬまで嘘つきだということである。政府を信じた国民が馬鹿だったのである。
本当は、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府はテレビや新聞では法律の仕事をやって『科学と道徳の両方ある国』を作っているふりをしているが、本当は法律の仕事をせず「科学があって道徳がない国」を作っている。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。国民は国の支配者である。国民は国を作る団体よりも強い。国民が国を作る団体を支配している。国を作る団体は国民に従わねばならない。国を作る団体は国民と同じ文化の国を作って、国民と違う文化の国を作ってはいけない。国民は自分と同じ文化の国を作る団体を建てて、自分と違う文化の国を作る団体を倒さねばならない。政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。政府は国民に従わねばならないから、国民が政府に税金を払わなければ政府は国民から税金を取れないから、国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。『道徳のある国』には法律があるから、国民は国民みんなに法律を守らせる法律会社を建てればいい。
今の政府は嘘で国民を騙して残っているだけである。国民はいいかげんで政府の嘘に騙されないようにして政府を倒さねばならない。
国民は国の支配者である。これまでずっと国民が国を作る団体を支配してきた。中世や近世の国民は「道徳があって科学がない文化」をやっていたから、「科学がない文化」では国民が自分を貧乏にしなければならなかったから、国民が幕府を建てて幕府に自分を貧乏にさせていた。国民が幕府に鎖国をさせて科学や産業を遅れさせたり幕府に高い年貢[ねんぐ]を取らせて国民を貧乏にさせていた。つまり、幕府は国民を貧乏にすることが仕事だった。幕府が高い年貢を取ることに反対して一揆[いっき]をした国民が幕府に処刑された。中世や近世の幕府が国民を支配していたのではなく、国民が幕府に国民を貧乏にさせていたのである。幕府が身分が高いから国民から年貢を取っていたのではなく、国民が「科学がない文化」をやっていたから幕府が国民から年貢を取っていたのである。反対に、近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしないといけなかったから、国民が政府を建てて政府に自分を不幸にさせていた。国民が政府に国民を事故で殺させたり国民に戦争をさせて国民をいたぶらせたり国民から高い税金を取って国民を苦しませたりさせていた。つまり、政府は国民を不幸にすることが仕事だった。政府が国民を幸福にしようとすると国民は政府の首相を暗殺した。近代の政府が国民を支配していたのではなく、国民が政府に国民を不幸にさせていたのである。政府が身分が高いから国民を不幸にしていたのではなく、国民が「道徳がない文化」をやっていたから政府が国民を不幸にしていたのである。これまでずっと国民が国を作る団体を支配してきた。今の国民が政府を支配しないわけがない。今の国民も国を作る団体を支配する。今の国民が政府の嘘に騙されている暇なんかない。今の国民は政府を倒して、法律会社を建てる。
[21668] 国民が国民に反する者を消さねばならない。 h26.12.2
国民は国の支配者である。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の日本ではみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。国民がみんなに『科学と道徳の両方ある文化』を守らせねばならない。国民が『科学と道徳の両方ある文化』に反する者を罰しなければならない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は『科学と道徳の両方ある国』を作っていない。政府は今の国民に反している。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒している。政府は国民に従わねばならないから、国民が政府に税金を払わなければ政府は国民から税金を取れないから、国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。政府は嘘[うそ]つきだから、政府は自分が国民に善いことをしているふりをして国民から税金を取っているから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府を倒さねばならない。
暴力団や宗教団体は悪いことをやっている。『科学と道徳の両方ある文化』では悪いことはやれない。だから、暴力団や宗教団体は国民に反している。だから、今の国民は暴力団や宗教団体に悪いことをやらせずお金を強盗させず暴力団や宗教団体を倒している。暴力団や宗教団体は国民に従わねばならないから、国民が暴力団や宗教団体にお金を強盗させなければ暴力団や宗教団体は国民からお金を取れないから、国民は暴力団や宗教団体にお金を強盗させないようにして暴力団や宗教団体を倒せばいい。暴力団や宗教団体は嘘つきだから、暴力団や宗教団体は自分が国民に善いことをしているふりをして国民からお金を強盗しているから、国民は暴力団や宗教団体の嘘に騙されないようにして暴力団や宗教団体を倒さねばならない。
社長や管理職や事務職などの会社の怠け者は自分が働かずに社員の稼[かせ]ぎを強盗して楽に贅沢[ぜいたく]に暮らしている。『科学と道徳の両方ある文化』では強盗してはいけない。だから、会社の怠け者は国民に反している。だから、今の社員は会社の怠け者にお金を強盗させないようにして会社の怠け者を倒している。会社の怠け者は社員に従わねばならないから、社員が会社の怠け者に強盗させなければ会社の怠け者は社員からお金を強盗できないから、社員は会社の怠け者に強盗させないようにして会社の怠け者を倒せばいい。会社の怠け者は嘘つきだから、会社の怠け者は自分が社員に善いことをしているふりをして強盗しているから、社員は会社の怠け者の嘘に騙されないようにして会社の怠け者を倒さねばならない。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』に反する者を消している。国から『科学と道徳の両方ある文化』に反する者がどんどんいなくなっている。国に新しく『科学と道徳の両方ある文化』に従う者が現れている。国は動いている。古い国が消えて、新しい国が現れている。国民が国を作る。国民が自分で考えて国を作っている。国は変化するものである。
[21669] どうして政府は国民を支配できるのか!?☆ h26.12.3
政府は国民よりも人数が少ない。それなのに、政府は国民を支配している。『どうして少数が多数を支配できるのか?』がこのたびの私の研究テーマだった。
じつは政府が国民を支配しているのではなく、国民が政府を支配しているのである。
近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。幕府は「道徳があって科学がない文化」の国を作っていたので、国民は幕府に年貢[ねんぐ]を納めるのをやめて幕府を倒して政府を建てて政府に「科学があって道徳がない文化」の国を作らせていた。「道徳がない文化」の国では国民が不幸にならねばならなかった。だから、国民が政府に国民を事故で殺させたり国民に戦争をさせて国民をいたぶらせたり国民から高い税金を取らせて国民を苦しませたりさせて国民を不幸にさせていたのである。
同じように、中世や近世の国民は「道徳があって科学がない文化」をやっていた。政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っていたので、国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒して幕府を建てて幕府に「道徳があって科学がない文化」の国を作らせていた。「科学がない文化」の国では国民が貧乏にならねばならなかった。だから、国民は幕府に鎖国をさせて科学や産業を遅れさせたり国民から高い年貢を取らせて国民を貧乏にさせていたのである。
これまでずっと国民が政府や幕府を支配してきたのである。政府も幕府も国民に従って国民と同じ文化の国を作ってきたのである。だから、今でも国民が政府を支配しているのである。本当は『国民が政府や幕府を支配している』のに「政府や幕府が国民を支配している」ように見えるのが“歴史のトリック”である。今の国民が政府に従っているのは、国民が“歴史のトリック”に騙[だま]されて「政府が国民を支配している」と思っているからである。歴史の教科書に理論的なことが書かれていないのは、政府が“歴史のトリック”を利用して国民に「政府が国民を支配している」と思わせて国民を政府に従わせるためだろう。
国の支配者は国民である。国は国民のものである。国のものはすべて国民に従わねばならない。国民が国のものをすべて国民に従わせなければならない。それが国の決まりだから、これまで国民は国の決まりを守ってずっとそうしてきたのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
ところが、政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っている。政府はテレビや新聞では法律の仕事をして『科学と道徳の両方ある文化』の国を作っているふりをしているが、本当は「科学があって道徳がない文化」の国を作っているのである。政府は国民の前では国民を幸福にしているふりをしているが、本当は国民を不幸にしているのである。
政府は今の国民の文化と違う国を作っている。政府は今の国民に従っていない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。政府は国民に従わねばならないから、国民が政府に税金を払わなければ政府は国民から税金を取れないから、国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。政府は嘘[うそ]をついて自分が国民を支配しているふりをして国民を騙して国民を従わせようとするから、国民は政府の嘘に騙されないようにして一方的に政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。政府は嘘をついて自分が国民に善いことをやっているふりをして国民を騙して国民から税金を取ろうとするから、国民は政府の嘘に騙されないようにして政府に税金を払わずに政府を倒さねばならない。
今の政府は『自分が今の国民の文化と違う国を作っているから、自分が本来国民から税金を取れない』ことを知っている。今の政府は何も知らない国民を騙して税金を取っているだけである。今の国民が『政府が今の国民と違う文化の国を作っているから、政府は国民から税金を取れない』ことを知っていれば、政府に税金を払わなくていいのである。国民は政府に「税金を払え!」と言われても『自分は税金を払う必要がない』と思って政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
[21670] 政府は国民に国民を不幸にする命令を出す。 h26.12.3
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民は自分を不幸にしなければならなかった。そのために、国民は政府を建てて政府に不幸にしてもらった。だから、政府は国民に国民を不幸にする命令を出すのである。昔の国民は政府の命令を聞いて自分を不幸にしていた。政府に事故で殺されたり政府に戦争をさせられて殺されたり政府に高い税金を取られて苦しめられたりして不幸になっていた。
しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民は自分を幸福にしなければならない。政府は国民を不幸にする命令を出す。だから、今の国民は政府を倒している。今の国民は政府に不幸にされないために、政府の命令を聞くのをやめて、政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。政府は嘘[うそ]をつくから、政府は「国民を幸福にするために命令を出している」と嘘をついて国民に命令を出しているから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府の命令を聞かないようにしないといけない。政府は嘘をつくから、政府は「国民を幸福にするために税金を使っている」と嘘をついて国民から税金を取るから、国民は政府の嘘に騙されないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さないといけない。『道徳のある文化』には法律があるから、国民は法律会社を建てねばならない。
国は国民のものである。国民が自分の好きなように国を作る。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやると自分で決めていたから、「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならないから、自分を不幸にする国を作っていた。昔の国民は自分を不幸にするために他人に脅[おど]されたらすぐにお金を払ったり命令を聞いたりしていた。反対に、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやると自分で決めているから、『道徳のある文化』では国民が自分を幸福にしなければならないから、自分を幸福にする国を作っている。今の国民は自分を幸福にするために他人に脅されてもお金を払ったり命令を聞かないようにしている。政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職や事務職などは昔の「科学があって道徳がない文化」の産物である。政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職や事務職などは国民を不幸にするためにある。昔の国民は自分を不幸にしないといけなかったから、政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職や事務職などに脅されたらすぐにお金を払ったり命令を聞いたりしていた。反対に、今の国民は自分を幸福にしないといけないから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職や事務職などにいくら脅されてもお金を払ったり命令を聞いたりしなくなって政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職や事務職などを倒して政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職や事務職などのない国にしている。
国は国民のものである。国は国民が自分で作らねばならない。国民が自分で自分の文化に従う国にしなければならない。国民は国の支配者だから、国民が国のものを自分の好きなようにしていいから、国民は自分の文化に反する者を片っ端[かたっぱし]から倒していけばいいのである。国民は自分の文化に反する者にお金をやらず、それでもダメなら殴[なぐ]ったり蹴[け]ったり殺したりして倒せばいいのである。
[21671] 昔と今では国の制度が違う。 h26.12.3
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では悪いことをやってよかった。だから、政府が国民から税金を強盗していた。政府は憲法の上では国民と平等にしているふりをして、本当は国民と不平等にして国民から税金を強盗していた。政府は自分が悪いことをしていることを隠すために、国民と平等な憲法を定めて憲法を守っているふりをしていた。政府は国民と平等な憲法を定めているだけで、実際には勝手に憲法を破って国民と不平等なことをやっていた。国民は自分が「道徳がない文化」をやっていたので政府が悪いことをやるのを認めていたので、政府がいくら悪いことをやっても政府に文句を言わなかった。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では悪いことをやってはいけない。だから、政府は国民から税金を強盗できない。今の日本には税金はないから、国民は政府に税金を払わなくていい。『道徳がある文化』では『人間が平等である』ことを守らなければならない。だから、政府が国民からお金をもらいたければ、必ず政府は国民と契約を取らねばならない。今の国民は政府と契約を取っていないから、国民は政府にお金を払わなくていい。
昔と今では国民の文化が違う。昔と今では国の制度が違う。昔の国民は昔の制度を守って生きていた。今の国民は今の制度を守って生きればいい。今の国民は昔の制度を守らなくていい。
国の制度を決めるのは国民であって、政府ではない。国民は国民が決めた制度を守って、政府が決めた制度を守らなくていい。今の国民は『道徳がある文化』をやっている。政府はいまだに「道徳がない文化」をやっている。国民は『道徳がある文化』をやって「道徳がない文化」をやらなくていい。政府は今の国民が決めた制度に反しているから、国民は早く政府を倒さなければならない。
国民は国の最高権力者だから、政府は国民に従わねばならないから、国民が『道徳がある文化』をやって粘[ねば]れば、政府は「道徳がない文化」をやれずにあきらめるしかない。国民が政府に税金を払わなければ、政府は国民から税金を取れずにあきらめるしかない。国民が政府の命令を聞かなければ、政府は国民に命令できずにあきらめるしかない。国民はがんばって強情[ごうじょう]に『道徳がある文化』をやり続けて政府を倒さねばならない。
[21672] 政府に責任はない。 h26.12.4
昔の政府は国民を事故で殺したり国民に戦争をさせていたぶったり国民から高い税金を取って国民を苦しめたりして国民を不幸にした。
しかし、昔の政府には責任はない。政府は国民の文化に従って国民を不幸にしただけだから政府に責任はない。政府は国民の文化に従って具体的に仕事をやっただけだから、政府には責任はなく国民に責任がある。国民が国の文化を決めたのだから、国民に責任がある。
だから、政府は自分のやったことを反省して悔[く]やんだりする必要はない。政府は戦争で大勢の国民を殺したことを後悔しなくていい。政府は責任のないお気楽な仕事である。
今でも政府は昔と同じように国民を事故で殺したり国民に嫌な生活をさせたり国民から高い税金を取って国民を苦しめたりして国民を不幸にしている。
しかし、今の政府にも責任はない。今の国民が何もわからずに政府の言いなりになって政府に税金をやって政府に国を作らせているのだから、政府に責任はなく国民に責任がある。
今の国民が政府に不幸にされているのは、国民自身に責任があるのである。
国民は国の最高権力者である。国民が政府を支配している。だから、国民が政府に“国民が不幸に暮らす国”を作らせたくなければ国民が政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいい。反対に、国民が政府に“国民が不幸に暮らす国”を作らせたければ国民が政府に税金をやって政府に国を作らせればいい。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民の文化に反する国を作っている。国民が国の支配者だから、国民が政府を従わせねばならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。政府は自分が建っているかぎり「科学があって道徳がない国」を作るから、国民が政府を倒してやって政府に「科学があって道徳がない国」を作らせないようにしないといけない。国民は国の責任者である。国のことは国民に責任があるのだから、国のことは国民がちゃんと面倒を見て、国民が国を作る団体の面倒を見て、国民が政府を倒して法律会社を建てて『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。
政府はいつでも国民に従っている。昔の国民が自分を不幸にするために政府を建てたから、政府は国民を不幸にした。今の国民が政府を倒そうとせず政府に税金を払っているから、政府が“国民が不幸に暮らす国”を作っているだけである。国民が国の最高権力者だから、政府は国民に従っているのである。国を決めるのは国民であって政府ではない。政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民が政府に税金を払わないようにして政府を倒して政府に国を作らせないようにしなければならないのである。政府は嘘[うそ]つきだから自分が偉そうにして国民に「政府が国民を支配している」と思わせようとするから、国民は政府の芝居に騙[だま]されないようにして『本当は国民が政府を支配している』と考えて、政府を倒せばいいのである。
政府も本当は今の国民に合わせて『科学と道徳の両方ある国』を作りたい。国民となかよくやりたい。しかし、世の中はそんなに甘くない。日本では国を作る団体が途中で自分が作る国を変えてはいけない決まりがある。理由はよくわからないが、とにかく日本にはそういう決まりがあるのである。だから、日本では国を作る団体が国民とは無関係に最初と同じ国を作り続けるだけである。だから、今の政府は昔と同じ「科学があって道徳がない国」を作り続けているのである。政府は国民に嫌われながらしかたなく古臭い国を作っているのである。今の政府は自分が苦しみながら国を作っているのである。だから、今の国民が早く政府を倒してやって政府を楽にしてやればいいのである。
今の国民が自分で国を作らないから国がうまくいかなくなっているのである。今の国民が政府が国を作ってくれると思って、自分で国を作ることを忘れてしまって遊びまわっているのがいけない。今の国民は自分で国を作る団体を建てたり倒したりして、自分で国を作らなければならない。国民が政府に従わねばならないのではなく、政府が国民に従わねばならないのである。政府が今の国民に従っていないのがいけない。国には国民に従わない者があってはいけない。今の国民が政府を倒して国民に従わない者のいない国にしないといけない。
[21673] 国民は自分が欲しい国だけ買えばいい。 h26.12.4
国民は国の最高権力者である。国のすべてのものは国民のためにある。
例えば、おもちゃ屋さんはおもちゃを売るところである。国民がおもちゃが欲しいから、おもちゃ屋さんは国民のためにおもちゃを売るのである。国民はおもちゃ屋さんにお金を払っておもちゃを買うのである。
それと同じように、国を作る団体は国を作るところである。国民が自分と同じ文化の国が欲しいから、国を作る団体は国民のために国を作るのである。国民は国を作る団体にお金を払って国を買うのである。
だから、おもちゃ屋さんが国民の気に入らないおもちゃを売っていたら、国民はおもちゃ屋さんにお金を払わずおもちゃを買わない。国民はおもちゃ屋さんを倒して、別のおもちゃ屋さんを建てて別のおもちゃ屋さんでおもちゃを買う。
それと同じように、国を作る団体が国民の気に入らない国を作っていたら、国民は国を作る団体にお金を払わず国を買わない。国民は国を作る団体を倒して、別の国を作る団体を建てて別の国を作る団体に国を作ってもらう。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。今の国民は政府が作った国が要らない。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府が作った国を買わなければいい。国民は政府を倒して、別の国を作る団体を建てて別の国を作る団体に国を作ってもらえばいい。
政府は「科学があって道徳がない国」を作るから、「道徳がない国」では悪いことができるから、政府は自分も悪いことをやって国民に押し売りをしたり嘘[うそ]をついたりする。
政府は国民に偉そうにして国民に「政府が国民を支配している」と思わせて、国民に自分の国を押し売りしてくる。しかし、本当は『国民が政府を支配している』から、国民は政府の押し売りを断って政府の国を買ってはいけない。
政府はテレビや新聞で国民に嘘をついて「自分が国民を幸福にする国を作っている」と思わせて、国民に自分の国を買わせようとする。しかし、本当は『政府は国民を不幸にする国を作っている』から、国民は政府の国を買ってはいけない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。政府は国民に“国民が不幸に暮らさねばならない国”を売っている。今の国民は政府の国を買っているから面白くない思いをしているのである。今の国民は政府の国を買わないようにして政府を倒して、別の国を作る団体(つまり法律会社)を建てて国を作ってもらって幸福に暮らさねばならない。昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民は自分を不幸にしなければならなかった。昔の国民は自分が政府に不幸にされねばならなかったから、政府の国を買って政府を食わせていた。しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民は自分を幸福にしなければならない。今の国民は自分が政府に不幸にされてはいけないから、今の国民は政府の国を買わず政府を倒せばいいのである。
昔と今では国民の文化が違うから、昔と今では国民の欲しい国が違う。しかし、政府は同じ国を作っている。政府は昔の国民が欲しい「道徳がない国」を作っている。政府は今の国民が欲しい『道徳がある国』を作っていない。国民は政府の客だから、客は店よりも上だから、国民が政府の国を買おうが買うまいが国民の勝手である。だから、今の国民は政府の国を買わなければいいのである。今の国民は政府が要らないから政府を倒せばいいのである。
[21674] 政府は今の国民が欲しい国を作っていないから今の国民は政府の国を買ってはいけない。☆
h26.12.4
国民は国の最高権力者である。国のすべてのものは国民に従わねばならない。
これまでずっと国民が国を作る団体に自分が欲しい国を作らせてきた。
中世や近世の国民は「道徳があって科学がない文化」をやっていたから、国民は幕府に「道徳があって科学がない国」を作らせていた。「科学がない文化」では国民が自分を貧乏にしなければならなかったから、国民は幕府に国民を貧乏にさせていた。
近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、国民は政府に「科学があって道徳がない国」を作らせていた。「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならなかったから、国民は政府に国民を不幸にさせていた。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、今の国民は今の国を作る団体に『科学と道徳の両方ある国』を作らせねばならない。『科学と道徳の両方ある文化』では国民が自分を裕福に幸福にしなければならないから、今の国民は今の国を作る団体に国民を裕福に幸福にさせねばならない。しかし、政府は「科学があって道徳がない国」を作って国民を不幸にしている。政府は今の国民が欲しい国を作っていない。だから、今の国民は政府を倒して今の国を作る団体を建てて国民を裕福に幸福にさせねばならない。国を作る団体が国民を裕福に幸福にできなければ、国民はそんな国を作る団体が要らないから、国民は国を作る団体にお金を払わず倒せばいい。
[21675] 国民の国は国民で作らねばならない。☆ h26.12.5
国民は国の最高権力者である。国民が自分の国を作る。国民が国のすべてのものを自分に従わせて自分の国にしなければならない。国民が自分で自分の文化に従う国にしないといけない。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国民は『科学と道徳の両方ある国』にしなければならない。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』に従う者を守り、『科学と道徳の両方ある文化』に反する者を倒さねばならない。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』の国を作る団体を建てて、そのほかの文化の国を作る団体を倒さねばならない。政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作る団体だから、国民は政府を倒さねばならない。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。いくら政府が国民に「税金を払え!」と言って脅[おど]しても、いくら政府が税金を払わない国民を逮捕して牢屋に入れて罰しても、国民は政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。特攻隊が「科学があって道徳がない国」を作るために敵艦に体当たりして死んだように、今の国民は『科学と道徳の両方ある国』を作るために政府に税金を払わないようにして死なねばならない。今の国民はみんなに大和魂[やまとだましい]を見せてやらねばならない。
国は国民のものである。だから、国民が自分で国を作らねばならない。国民の国は国民が自分で作らねばならない。国民は指をくわえて他人が国を作るのを見ていてはいけない。自分で国を作らねばならない。国民は『自分が国を作る者である』自覚を持たねばならない。国民は自分で国を作りながら仕事や勉強をやって暮らさねばならない。
[21676] 今の国民は国を作る団体を選んでから国を作らせねばならない。 h26.12.5
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
国は国民のものである。国は国民が作る。国民は自分の文化の国を作らねばならない。
国民は自分で国を作る団体を選んで国を作らせねばならない。国民は“自分と同じ文化の国”を作る団体にお金を払って国を作らせて、“自分と違う文化の国”を作る団体にお金をやらず国を作らせてはいけない。
政府は昔の国民と同じ文化の国を作っていたから、昔の国民は政府に税金を払って国を作らせていた。昔の国民は政府に国を作らせるために政府に税金を払っていた。
政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、今の国民は政府に税金を払わず国を作らせてはいけない。今の国民は政府に国を作らせないために政府に税金を払ってはいけない。
国は国民のものである。国民が国を作る団体に国を作らせるか国を作らせないかは国民が決める。政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、今の国民は政府に国を作らせるわけにはいかない。国民は国の絶対支配者である。国民は国民自身に従えばいいだけであって、それ以外の者に従わなくていい。だから、いくら政府が今の国民に「税金を払え!」と言っても、今の国民は政府の命令を無視して政府に税金を払わなければいいのである。国民が国家であって、政府はただの雑魚[ざこ]である。国民が政府を支配しているのであって、政府が国民を支配しているのではない。政府が国民に従わねばならないのであって、国民が政府に従わねばならないのではない。国民は政府に逆らってもいいが、政府は国民に逆らってはいけない。政府が国民を強引に政府に従わせようとしたら、政府がまちがっているのだから、国民は政府を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして政府を罰すればいいのである。政府は国民に逆らえない。だから、国民は悠々[ゆうゆう]と政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
[21677] 今の国民はもっと“国作り”に興味を持たねばならない。 h26.12.5
国を作る団体は国民からお金をもらって国を作る。国を作る団体は国を作るのが仕事である。国を作る団体は国民のために国民が欲しい国を作る。
国を作る団体はひとつの同じ文化の国を作るだけである。例えば、幕府は「道徳があって科学がない国」を作るだけだし、政府は「科学があって道徳がない国」を作るだけである。
国民は国を作る団体の客だから、国民が国を作る団体よりも上である。国民が国を作る団体を自分の好き放題にできる。国民は“自分と違う文化の国”を作る団体を倒して、“国民と同じ文化の国”を作る団体を建てる。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。「道徳がない国」では国民が自分を不幸にしなければならないから、政府は国民を不幸にするのである。政府は国民を殺したり嫌がらせたり苦しませたりするのである。政府は「道徳のない国」を作るから国民を不幸にしているのである。政府が国民を支配しているわけではない。政府が国民よりも身分が高いわけではない。
政府は今の国民と違う文化の国を作っている。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
それなのに、今の国民は政府を倒そうとしない。政府が「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、「道徳がない国」では悪いことができるから嘘[うそ]は悪いことだから、政府が国民に嘘をついて「政府が国民を支配している」とか「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」とかの嘘をついているから、国民が政府の嘘に騙[だま]されて政府を倒そうとせず政府におとなしく従っているのである。
今の国民が政府を倒さないのがいけない。政府が悪いことをやって国民を不幸にしているのがいけないのではなく、国民がそんな政府をほったらかしにして倒そうとしないのがいけないのである。国は国民のものだから、政府も国民のものだから、政府の面倒は国民が見ないといけない。今の国民はもっと政府のことをよく知って、政府の嘘に騙されないようにして、政府を倒さねばならない。
そもそも今の国民が“国作り”(いわゆる政治)に興味がないのがいけないのである。今ではテレビやマンガやゲームなどがあって、国民の遊びがたくさんある。今の国民が自分の遊びに夢中になって現実のことに関心がなく、国作りを無視しているのがいけないのである。国民は国があるから生きていけるのである。国民は自分の国をもっと大事にすべきである。今の国民は遊びをやめて現実に関心を持って自分で国作りをやらねばならない。
国を作る団体は一人の人が倒すのではなく、国民みんなで倒さねばならない。例えば、坂本竜馬が幕府を倒したのではなく、国民みんなが幕府を倒したのである。坂本竜馬がたった一人で幕府に殴[なぐ]り込みをかけて幕府を皆殺しにしたのではなく、国民みんなが幕府に年貢[ねんぐ]を納めるのをやめて幕府を倒したのである。坂本竜馬は幕府を倒したのではなく、幕府に倒されたのである。だから、今の国民は政府を倒すのを他人任せにせず、自分で政府を倒さねばならない。自分で政府に楯突[たてつ]いて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
[21678] 国民は国を作る団体の客だから、国民が国を作る団体よりも上である。
h26.12.5
要するに、政府も幕府も国を作る団体である。国を作る団体は同じひとつの文化の国しか作れない。
国民には国を作る団体が作った国を買うか買わないかの自由がある。
だから、国民が文化を変えると、国民にとって古い国が要らなくなって国民が古い国を買わなくなって古い国を作る団体が滅んで、国民にとって新しい国が必要になって国民が新しい国を買って新しい国を作る団体が儲[もう]かるのである。
今の国民は「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。そのために、今の国民は「科学があって道徳がない国」が要らなくなって「科学があって道徳がない国」を作る政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。国民は『科学と道徳の両方ある国』を作る団体(つまり法律会社)が建ったら『科学と道徳の両方ある国』を作る団体の国を買うつもりである。
今の政府は自分の国が国民に売れなくなって自分が潰れそうなので、「政府が国民を支配している」ふりをして国民に自分の国を押し売りしようとしたり、「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」ふりをして国民に自分の国を買わせようとしている。国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されないようにして政府の国を買わないようにして早く政府を倒さねばならない。
[21679] 「暴力団お断[こと]わり」とは何か? h26.12.5
最近は「暴力団お断わり」というステッカーがよく貼られている。
「暴力団お断わり」とは「客よりも店のほうが偉い」ということである。
政府は国を作る団体である。政府は国民に国を売る店である。政府は「自分が国民を支配している」と国民に思わせるために「暴力団お断わり」というステッカーをいたるところに貼らせているのである。
しかし、本当は『国民が政府を支配している。』国民は政府の客だから、客が店よりも上だから、国民が政府を支配しているのである。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。今の国民は自分が幸福にならねばならないのに、政府は国民を不幸にしている。政府は国民が不幸に暮らさねばならない国を作っている。今の国民は政府の作った国が欲しくない。だから、今の国民は政府の国を買わなければいいのである。今の国民は政府に税金を払わず政府の国を買わず政府を倒せばいいのである。
[21680] 国を作るのは国民である。☆ h26.12.5
国は国民のものである。国は国民が中心である。国民は国の最高権力者である。国民が国のすべてのものを支配している。国民は自分に基[もと]づいて自分に国のすべてのものを従わせて国を作ればいい。
今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民は『科学と道徳の両方ある国』を作らねばならない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作って今の国民と違う文化の国を作っているから、政府は国民から税金を強盗して「道徳がないこと」をやっているから、国民は政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
暴力団や宗教団体は国民からお金を強盗して「道徳がないこと」をやっているから、国民は暴力団や宗教団体にお金を強盗させず暴力団や宗教団体を倒さねばならない。
会社の社長や管理職や事務職は自分が働かずに社員の稼[かせ]ぎを強盗して「道徳がないこと」をやっているから、社員は会社の社長や管理職や事務職に自分の稼ぎを強盗させず社長や管理職や事務職を倒さねばならない。
国は国民のものである。国は国民が自分で作るものである。今の国民は自分で『科学と道徳の両方ある文化』を守って『科学と道徳の両方ある文化』に反する者を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る法律会社を建てて『科学と道徳の両方ある国』にしなければならない。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならなかったから、昔の国民は自分を不幸にするために政府の命令を聞いて政府に事故で殺されたり戦争に行かされて殺されたり高い税金を払って苦しまねばならなかった。昔の国民は自分を不幸にするために暴力団や宗教団体に「金を出せ!」を言われたらすぐに金を出さねばならなかった。昔の社員は自分を不幸にするために会社の社長や幹部に「金をくれ!」と言われたら金をやらねばならなかった。
反対に、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『道徳のある文化』では国民が自分を幸福にしなければならないから、今の国民は自分を幸福にするために政府の命令を聞かず政府に事故で殺されたり嫌な暮らしをさせられたり高い税金を払って苦しめられたりしてはいけない。今の国民は自分を幸福にするために暴力団や宗教団体に「金を出せ!」と言われても金を出してはいけない。今の社員は自分を幸福にするために会社の社長や幹部に「金をくれ!」と言われても金をやってはいけない。
昔と今では国民の文化が違うから、昔と今では国民の政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や幹部に対する態度が違う。国民は早く昔の習慣をやめて今の習慣に切り替えて、今の国民の文化に合わない者を社会からなくさねばならない。
[21681] 政府は国民を不幸にする命令を出す団体である。☆ h26.12.6
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。「道徳がない国」では国民が自分を不幸にして暮らしている。だから、政府は国民を不幸にする命令を国民に出して国民を不幸にする。政府は国民を不幸にするために事故で国民を殺したり国民に戦争をさせて殺したり国民の娯楽をなくして国民に嫌な生活をさせたり国民から高い税金を取ったりする。
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならなかった。だから、昔の国民は政府の命令を聞いて自分を不幸にして暮らしていた。
しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民が自分を幸福にしなければならない。だから、今の国民は政府の命令を聞かず自分を不幸にせずに暮らさねばならない。
政府は「道徳がない国」を作るから、「道徳がない国」では悪いことができるから嘘[うそ]をついてもいいから、政府は嘘をつく。政府は嘘をついて「自分が『科学と道徳の両方ある国』を作って国民を幸福にしている」ふりをしているから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府の命令を聞かないようにしないといけない。今の国民にとっては政府は要らないから、政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[21682] 国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。☆☆ h26.12.6
国は国民みんなのものである。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のすべてのものを支配している。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は嘘[うそ]つきだから、政府はテレビや新聞では国民に調子を合わせて「自分が法律の仕事をやって『科学と道徳の両方ある国』を作っている」ふりをしているが、現実では国民と無関係に「科学があって道徳がない国」を作っているのである。政府には国民に嘘をつく係りと、国作りを実行する係りの二つの係りがあるのである。
政府は今の国民みんなに従っていないから、国民は政府に従わなくていい。
国民は今の国民みんなに従っている。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、国民も『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある文化』では悪いことができないから強盗がやれない。税金は強盗である。国民は国民みんなに従っているから、政府は国民に従わねばならない。政府は国民に逆らえない。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
国民みんなには国家権力がある。政府は今の国民みんなに従っていないから国家権力がない。政府は嘘つきだから「国家権力をなめんなよ!」と言っているが、本当は国家権力がないのである。一方、国民は今の国民みんなに従っているから国家権力がある。国民一人に国民みんなの国家権力がある。だから、政府は国民に逆らえない。国民は政府に悪いことをさせないようにして政府に税金を強盗させないようにして政府を倒せばいい。それでも政府が国民から無理やり税金を取ろうとしたら、国民が政府に強盗罪にふさわしい罰を与えればいい。国民が政府を牢屋に放り込んで罰すればいい。
国民みんなは国の最高権力者である。国のものはすべて国民みんなに従わねばならない。しかし、政府は今の国民みんなに従っていない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのに、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国の異物である。政府は非国民である。政府は国の中にあってはいけない。だから、国民みんなで政府を倒して政府のない国にしないといけない。国民みんなで国民みんなに従う国にしないといけない。
世界中のすべての国では国を作る団体が国民に従っている。国を作る団体が国民と同じ文化の国を作っている。国民が国を作る団体を自分のものだと思ってちゃんと自分に従わせるからである。国を作る団体が国民に従っていないのは世界広しと言えども日本だけである。しかも、日本にはこれまで一度もそんなことがない。長い日本の歴史の中でも今だけである。今の日本の国民はどうかしている。今の日本の国民は狂っている。だから、今の国民は早く自分のまちがいを直して国を作る団体を国民に従わせなければならない。国民みんなで政府を倒して、『科学と道徳の両方ある国』を作る団体(つまり法律会社)を建てねばならない。
戦前の政府が偉そうにしていたのは、政府が国民みんなに従っていて政府に国家権力があったからである。戦前の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、政府は「科学があって道徳がない国」を作っていたから、政府は国民みんなに従っていた。「道徳がない国」では悪いことができるから、政府が悪いことをやって国民を不幸にしていた。国民は政府に国家権力があったから政府に文句が言えずおとなしく政府に悪いことをさせていた。しかし、今では政府は国民みんなに従っていないから政府に国家権力がない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、政府は「科学があって道徳がない国」を作っているから、政府は国民みんなに従っていない。今の政府には国家権力がないから、今の国民は政府に従わなくていい。政府は「道徳がない国」を作る団体だから悪いことをやっている。国民は政府に悪いことをさせないようにして政府に税金を強盗させないようにして政府を倒せばいいのである。昔の政府は国家権力があったから国民は政府に従わねばならなかったが、今の政府は国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。今の国民は国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやって、『道徳がある文化』では悪いことができないから、政府に悪いことをさせないようにして政府に税金を強盗させないようにして政府を倒せばいいのである。政府は国民に逆らえないから国民から税金が取れず滅ぶしかないのである。
国は国民みんなのものである。国民みんなが国の支配者である。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。だから、国民みんなに従わない政府が悪い。しかし、そんな政府をそのままにしておく国民がもっと悪い。なぜなら日本では国を作る団体は自分の作る国を変えられないし、自分で倒れることができないからである。だから、国民が政府の代わりに政府を倒してやらねばならない。国民は政府を倒して正しい国にしないといけない。昔の国民は自分で考えて自分で国を作る団体を倒していた。今の国民は自分で考えられず自分で国を作る団体を倒せなくなっている。今の国民が社会科が弱いのが一番いけないのである。今の国民はもっと自分の頭を鍛[きた]えて物事を正しく考えられるようにして正しいことがやれるようにならねばならない。
[21683] どうして最近の文化は五感的なのか? h26.12.6
政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作る団体である。「科学があって道徳がない文化」は五感的である。ヨーロッパ文化が五感的だからである。だから、政府は国民に命令して五感的な文化を流行[はや]らせて国民の文化を五感的にしているのである。
政府が嘘[うそ]をついてテレビや新聞で「自分が『科学と道徳の両方ある文化』の国を作って国民を幸福にしている」ふりをしているから、国民を五感的にして国民を自分の嘘に騙[だま]されやすくして国民を自分に従わせるためでもある。政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っていれば、政府は国民みんなに従っていることになるから、政府に国家権力があるから、国民が政府に従わねばならないことになるからである。
しかし、今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある文化』は五感的でもあり知覚的でもある。現代文化は国際的であり、ヨーロッパ文化が五感的でありアジア文化が知覚的だから、現代文化は五感的であり知覚的である。だから、今の国民は五感的であり知覚的である文化をやらねばならない。現代文化は五感に偏[かたよ]ってはいけない、知覚的でもあらねばならない。今の国民は自分の眼と頭の両方を使って暮らさねばならない。日本はもともとアジアの国だから五感的よりも知覚的にしたほうがいい。
知覚的に見れば、政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作る団体である。「道徳がない文化」では悪いことができるから嘘をつけるから、政府は嘘をついて「自分が『科学と道徳の両方ある文化』の国を作って国民を幸福にしている」ふりをしているのである。本当は『政府は「科学があって道徳がない国」を作って国民を不幸にしている』のである。国民は政府の嘘に騙されないようにして、『政府が今の国民みんなに従っていない』と考えて、『今の政府には国家権力がない』と考えて、政府に従わないようにしないといけない。
[21684] テレビは政府が国民を騙[だま]すためにある道具である。 h26.12.7
今の国民は毎日テレビを見ることが習慣である。ところが、政府はテレビで「自分が『科学と道徳の両方ある国』を作る」芝居をやっている。だから、今の国民は毎日「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作る善い団体だ」と思うことが習慣になっている。そのために、今の国民は「政府が善い団体だ」と思い込んで政府に従っているのである。
テレビは政府が国民に嘘[うそ]をついて騙すためにある道具である。今の国民は毎日テレビで政府の嘘を見て毎日政府に騙されているのである。政府は国民が娯楽のためにテレビを見ることに便乗[びんじょう]して国民を嘘で騙しているのである。昔はテレビがなかったから昔の国民は政府の嘘に騙されなかったが、今ではテレビがあるから今の国民は政府の嘘に騙されているのである。今ではテレビがあるおかげで政府は毎日国民を便利に強力に騙すことができるのである。
今の国民はテレビで見たことを全部忘れて一から自分で考え直さなければならない。政府は近代の国民が建てた国を作る団体である。近代の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。だから、政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。しかし、戦後に国民みんなの文化が変わって、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の政府は今の国民みんなに従っていないから国家権力はない。国民は政府に従う必要はない。国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
日本では国を作る団体が国民みんなに従って自分が作る国を変えてくれない。だから、国民みんなが古い国を作る団体を倒して、新しい国を作る団体を建てねばならない。今の国民は維新をやっていない。今の国民はテレビを見すぎて政府の嘘に騙されて「政府が国民に合わせて自分が作る国を変えてくれた」と思って維新をやるのを忘れている。今の国民はテレビの見すぎでボケていないでもっとしっかりして自分がやるべきことを思い出して実行しないといけない。
[21685] 今の国民は国家宗教をやってはいけない。 h26.12.7
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。「道徳がない国」では国民が国家宗教をやらねばならない。だから、政府は国民に命令して国民に国家宗教をやらせるのである。つまり、政府は国民に国家宗教の神の情報が入った悪いこと(つまり国民を不幸にすること)をやらせるのである。政府は国民に国家宗教の神の情報が入った事故を起こさせたり国家宗教の神の情報が入った製品を作らせたり国家宗教の神の情報が入った嫌なことをやらせたりするのである。国家宗教の神の情報とは、神武天皇なら神武天皇はナガスネヒコと戦ったときに光の玉が現れたから“光の玉”であり、私なら私の名前は川野延夫[かわののぶお]だから“川”と“ぶ”である。政府は国民に命令して“光の玉”が入ったことや“川”や“ぶ”が入ったことをやらせているのである。
ところが、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民が国家宗教をやってはいけない。つまり、国民が国家宗教の神の情報を使って悪いことをやってはいけない。国民みんなは国の最高権力者だから、国のものはみんな国民みんなに従わねばならないから、今の国民は国家宗教をやってはいけない。政府は今の国民みんなに従っていないから、政府には国家権力がない。だから、今の国民は政府に従わなくていい。今の国民はたとえ政府に命令されても国家宗教をやってはいけない。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民が国家宗教をやらねばならなかった。だから、昔の国民は政府の命令で国家宗教をやったり、自分で国家宗教をやったりしていた。政府は昔の国民みんなに従っていたから国家権力があって国民に命令できた。
しかし、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民が国家宗教をやってはいけない。だから、今の国民は政府の命令で国家宗教をやったり、自分で国家宗教をやったりしてはいけない。政府は今の国民みんなに従っていないから国家権力がないから国民に命令できない。
国のことを決めるのは国民みんなである。政府ではない。だから、国民は国民みんなに従わねばならない。政府が国民みんなに従っている場合だけ国民は政府に従わねばならない。政府が国民みんなに従っていない場合には国民は政府に従ってはいけない。
[21686] 政府は法律の仕事をやっていない。 h26.12.7
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体である。「道徳がない国」では国民が法律を守らなくていいから法律がない。だから、政府は法律の仕事をやっていない。政府は国民の前で嘘[うそ]をついて自分が法律の仕事をやっているふりをしているだけで、本当はやっていない。「道徳がない国」では国民が不幸に暮らさねばならないから、政府は“国民を不幸にする仕事”を一生懸命やっているだけである。
一方、今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある文化』では国民が法律を守らねばならない。国民みんなは国の最高権力者であり、国のものはみんな国民みんなに従わねばならない。だから、今の国民は国民みんなに従って法律を守らねばならない。たとえ政府が「国民は法律を守らなくていい」と言っても、国民は法律を守らねばならない。たとえ政府が国民に悪い命令(法律を破る命令)を出しても、国民は法律を守って政府の命令を聞いてはいけない。
国を牛耳[ぎゅうじ]っているのは国民みんなであって、政府ではない。だから、国民は政府よりも国民みんなに従わねばならない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやって『法律を守らねばならない』ことにしているから、国民は法律を守らねばならない。たとえ政府が「法律を守ってはいけない」と命令しても、国民は政府の命令を無視して法律を守らねばならない。法律を破った者は、たとえ政府に罰せられなくても、国民みんなに罰せられる。だから、国民は法律を守らねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『道徳のある文化』では国民が法律を守って悪いことをやってはいけない。国民が自分を幸福にしなければならない。一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。「道徳のない国」では国民が法律を守らず悪いことをやらねばならない。国民が自分を不幸にしなければならない。だから、政府は一生懸命に国民に命令して国民に悪いことをやらせている。国民が不幸になることをやらせている。政府は今の国民みんなに反することをやっている。国民みんなは国の最高権力者であり、国民みんなが国を決める。政府は今の国民みんなに反しているから、政府は国からなくならねばならない。だから、国民は政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
国を作る団体は国民みんなの代わりを務める団体である。国を作る団体は国民みんなの代行業[だいこうぎょう]である。国民みんなが「科学があって道徳のない文化」をやっているときには、国を作る団体は国民に裕福に不幸になることをやらせる。国民みんなが「道徳があって科学のない文化」をやっているときには、国を作る団体は国民に幸福に貧乏になることをやらせる。今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国を作る団体は国民に裕福に幸福になることをやらせねばならない。ところが、政府は国民に裕福に不幸になることをやらせている。だから、政府は今の国を作る団体ではない。政府は今の国民みんなの代わりではない。政府は昔の国民みんなの代わりであって今の国民みんなの代わりではない。政府は今の国民みんなの代わりが務まっていない。だから、今の国民は政府を倒して別の国を作る団体を建てねばならない。
[21687] 今の国民は『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。 h26.12.7
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っている。政府は国民に命令して「科学があって道徳がない文化」をやらせている。
国の最高権力者は国民みんなであって政府ではない。政府よりも国民みんなが国民を支配している。国民は政府よりも国民みんなに従わねばならない。
だから、今の国民は国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。国民は政府の命令に従って「科学があって道徳がない文化」をやってはいけない。税金は強盗である。『科学と道徳の両方ある文化』では悪いことをやってはいけないから強盗はやってはいけない。だから、国民は政府に強盗させないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。そもそも『科学と道徳の両方ある国』には「科学があって道徳がない国」を作る団体があってはいけない。だから、国民は政府を倒して『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。
政府は国民に嘘[うそ]をついて自分が『科学と道徳の両方ある国』を作る団体のふりをしているから、国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府を倒さねばならない。
今の日本では国民みんなと国を作る団体(政府のこと)が合っていない。国を作る団体が国民みんなの代わりになっていない。だから、国民は政府の命令を聞くのをやめて、自分で考えて『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。将来『科学と道徳の両方ある国』を作る団体が建ったら、国民は団体の命令を聞かねばならない。
[21688] 二人の支配者☆ h26.12.7
国には二人の支配者がいる。国には国民みんなと国を作る団体の二人の支配者がいる。
国民みんなが国の真の支配者である。国民みんなは国を作る団体よりも上の支配者である。国を作る団体は国民みんなの代行[だいこう]にすぎない。
だから、国民は本来国民みんなに従えばいい。国民は国を作る団体が国民みんなに従っている場合には国を作る団体の言うことを聞き、国を作る団体が国民みんなに従っていない場合には国を作る団体の言うことを聞かず国民みんなの言うことを聞かねばならない。
近代の政府は国民みんなに従っていた。近代の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていて政府は「科学があって道徳がない国」を作っていたから、政府は国民みんなに従っていた。だから、昔の国民は政府の言うことを聞かねばならなかった。
しかし、今の政府は国民みんなに従っていない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っているから、政府は国民みんなに従っていない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなくていい。今の国民は今の国民みんなの言うことを聞けばいい。
今の国民は政府の命令を無視して、政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の国民みんなは国民に「『科学と道徳の両方ある文化』をやれ」と言っている。『科学と道徳の両方ある文化』では『人間が平等である』ことを守らねばならないから強盗ができない。税金は強盗だから、国民は政府に税金を強盗させず政府に税金を払わなければいいのである。今の国民みんなは国民に「『科学と道徳の両方ある国』には「科学があって道徳がない国」を作る団体があってはいけない」と言っている。だから、国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。今の日本では国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、今の日本は『科学と道徳の両方ある国』である。『科学と道徳の両方ある国』では『人間はみな平等』だから税金や強制加入の保険はない。だから、国民は政府に税金や医療保険費を払わなければいいのである。
昔と今では国民みんなが変わったから、政府は国民みんなに従わなくなったから、政府は国民みんなの代理ではなくなったから、国民は政府に従わず、政府を倒せばいいのである。国民は今の国民みんなに従う“国を作る団体”を建てて、国を作る団体に従えばいいのである。
[21689] 例外のある法則はない。 h26.12.8
このたびの政府の問題を解く鍵[かぎ]は『国民みんなが政府を支配している』ことを成り立たせることにある。
そのためには、ヨーロッパ文化が「科学があって道徳がない文化」だから、「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならないから、近代の国民みんながヨーロッパ文化をやっていて政府にヨーロッパ文化をやらせていたから政府が国民みんなを不幸にしていたと考えればいい。同様に、アジア文化が「道徳があって科学がない文化」だから、「科学がない文化」では国民が自分を貧乏にしなければならないから、中世や近世の国民みんながアジア文化をやっていて幕府にアジア文化をやらせていたから幕府が国民みんなを貧乏にしていたと考えればいい。
そのように考えれば、これまでずっと『国民みんなが政府や幕府を支配していた』ことになる。国民の多くは「政府や幕府が国民みんなを支配していた」と思っているが、それは誤解である。国民の多くは「政府や幕府がどのようにして国民みんなを支配していたか?」を考えるのではなく、『国民みんなが政府や幕府を支配していた』と考えて『当たり前のことをやっていただけだ』と考えてなにも疑問に思ってはいけない。
『国民みんなが政府を支配している』ことがわかればあとは簡単である。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。『国民みんなが政府を支配している』から、国民が国民みんなに従えば政府を支配できる。今の国民が国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある文化』をやれば政府を支配できる。『科学と道徳の両方ある文化』では悪いことをやってはいけない。強盗をやってはいけない。税金は強盗である。だから、国民が政府に税金を強盗させず政府を倒せばいいのである。あるいは、『科学と道徳の両方ある文化』では『科学と道徳の両方ある国』を作る団体がなければならず、政府のような「科学があって道徳がない国」を作る団体があってはいけない。だから、国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
『国民みんなが国を作る団体を支配している』のは社会の法則である。世界中の国でそうである。日本でもこれまでずっとそうである。『例外のある法則はない。』だから、今の日本でも『国民みんなが国を作る団体を支配している』ことが成り立たねばならない。今の国民は『国民みんなが政府を支配している』ことによって早く政府を倒さねばならない。
政府は「科学があって道徳がない国」を作る団体だから、「道徳がない国」では悪いことがやれるから嘘[うそ]をついてもいいから、政府は嘘をついて国民に「政府が国民みんなを支配している」と思わせて国民を支配しようとしている。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、自分で『国民みんなが政府を支配している』と考えて政府を倒さねばならない。同じように、幕府も嘘をつく。幕府は「道徳があって科学がない国」を作る団体だから、「科学がない国」ではまちがったことがやれるから嘘をついてもいいのである。「科学がない国」には正しいこととまちがったことの区別がないから、嘘をついてもいいのである。政府も幕府も両方とも嘘つきである。国民は政府や幕府の嘘の騙されないように注意しないといけない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある国』では悪いこともまちがったこともやれないから『科学と道徳の両方ある国』を作る団体はもはや国民に嘘をつけない。『科学と道徳の両方ともある国』ではみんなが嘘をつけず正直でなければならない。国民はみんなが正直にしているから政府も正直にしていると思って政府に騙されてはいけない。政府は国民みんなと違って嘘つきだから、国民は政府の嘘を信じてはいけない。
そもそも国を作る団体は国民みんなと同じ文化の国を作るためにある。本来国民みんなは自分で国を作らねばならないのだが、自分の仕事や遊びやその他のことがあっていそがしいから、自分の代わりに国を作る団体にお金を払って国を作ってもらう。だから、国を作る団体は国民みんなと同じ文化の国を作るのである。しかし、今の政府は国民みんなと同じ国を作っていない。今の国民みんなは幸福に暮らしたいのに政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。今の政府は国を作る団体として役に立っていない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[21690] 今の国民は政府に税金を払ってはいけない。 h26.12.8
国民みんなは国の最高権力者である。国のすべてのものは国民みんなに従わねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国のすべてのものは『科学と道徳の両方ある文化』に従わねばならない。『科学と道徳の両方ある文化』では悪いことをやってはいけない。強盗をやってはいけない。それが今の日本や世界の法律である。
ところが、政府は強盗をやっている。政府は国民から税金を取っている。税金は強盗である。だから、国民は政府に税金を取らせてはいけない。つまり、国民は政府に税金を払ってはいけない。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民みんなに反する国を作っている。今の国民みんなは幸福に暮らそうとしているのに、政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府は「道徳のない国」を作る団体だから、政府の政策はすべて国民を不幸にすることである。政府は嘘[うそ]つきだから、政府は国民の前では「国民を幸福にする」と言っておきながら、じつは国民を不幸にばかりしているのである。だから、政府は滅ばねばならない。そのためにも国民は政府に税金を払ってはいけない。政府が今の国民を不幸にしているので、今の国民の多くは「政府が上の者だ」とか「政府が支配者だ」とか思っているが、本当は政府は「道徳がない国」を作っているだけなのである。政府は昔の国民が建てた国を作る団体だから、昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていたから政府は「道徳がない国」を作っているだけなのである。政府は昔の国民に従いながら国民を不幸にしていたのである。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『科学と道徳の両方ある文化』では人間はみな平等だから、国民と政府も平等だから、国民は政府の国が嫌なら政府にお金を払わず政府に国を作ってもらわなければいいのである。
暴力団や宗教団体は国民から強盗している。国民を脅[おど]してお金を取り上げている。だから、国民は暴力団や宗教団体にお金を強盗させてはいけない。国民は暴力団や宗教団体に「お金をくれ」と言われたらちゃんと断ってお金をやってはいけない。
会社の社長や管理職は社員の稼[かせ]ぎを奪って自分が遊んでいる。社長や管理職は社員の稼ぎを強盗している。だから、社員は社長や管理職に自分の稼ぎを強盗させてはいけない。社長や管理職は地下の物置みたいなところに入れてさっさとお払い箱にしないといけない。
政府も暴力団も宗教団体も会社の社長や管理職もみんな昔の「科学があって道徳がない文化」に従っている。政府も暴力団も宗教団体も会社の社長や管理職も昔の「科学があって道徳がない文化」が生み出したものであり、今の『科学と道徳の両方ある文化』ではあってはならないものである。国民みんなで政府や暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職を滅ぼして、『科学と道徳の両方ある国』にしないといけない。今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて国を作ってもらわねばならない。
[21691] 国民の文化が変わると時代が変わる。 h26.12.8
昔の国民は「科学があって道徳がない文化」をやっていた。「道徳がない文化」では国民が自分を不幸にしなければならなかった。そのために、国民は政府を建てて政府に法律のない社会にしてもらったり事故で殺してもらったり戦争に行かせて殺してもらったり失業者の多い社会にしてもらったり娯楽をなくしてもらったり高い税金を取ってもらったりして自分を不幸にしてもらっていた。政府は現実の世界で国民の娯楽をなくすだけでなく、文学やゲームなどの空想の世界でも国民の娯楽をなくした。昔の国民は政府に自分を不幸にしてもらって大変満足だった。昔のローマ帝国が滅んだのも、政府が国民を不幸にしすぎたからかもしれない。
昭和40年頃(1965年頃)に国際交流が盛んになって国民が「科学があって道徳がない文化」をやめて『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになった。その頃に時代が変わったのである。
今の国民は『科学があって道徳がある文化』をやっている。『道徳がある文化』では国民が自分を幸福にしなければならない。政府は国民を不幸にする団体である。そのために、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。『道徳がある文化』では人間はみな平等だから、国民と政府は平等だから、国民は政府の作った国が要らないから政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。国民は国の最高権力者であり、政府は今の国民と違う文化の国を作っているから、国民はさっさと政府を倒せばいいのである。今の国民は『科学があって道徳がある国』を作る団体を建ててみんなに法律を守らせてもらったりみんなが働ける社会にしてもらったり死にたい者が安楽死をさせてもらえる社会にしてもらったり娯楽を増やしてもらったりなるべく安い料金で仕事をしてもらったりして自分を幸福にしてもらおうとしている。
国民が時代を決める。国民の文化が変わると時代が変わる。今でも政府が建っているが、政府は昔の国を作る団体である。政府は時代遅れの“国民が不幸に暮らさねばならない国”を作っている。国民はさっさと政府を倒して、今の時代にふさわしい新しい国を作る団体を建てねばならない。
人間はお金だけあっても幸せにはなれない。お金がある上に、いい物やいいサービスがあってはじめて幸せになれる。政府の国にはいい物やいいサービスがない。政府の国では国民は幸せにはなれない。もともと政府は国民を不幸にする国を作る団体だから当然である。もともと政府は昔の国民が自分を不幸な目にあわせるために建てた団体だから当然である。今の国民は自分を幸福にしなければならない。だから、国民は政府を倒して、別の国を作る団体にしなければならないのである。
昔の国民は自分が「科学があって道徳がない文化」をやると決めたから、いくら自分が政府に不幸にされても「科学があって道徳がない文化」をやり続けた。今の国民は自分が『科学と道徳の両方ある文化』をやると決めたから、いくら自分が政府に税金や医療保険費を払うのを断るのが嫌でも『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。いくら自分が法律を守るのが嫌でも『科学と道徳の両方ある文化』をやらねばならない。国民は自分で決めたことは自分で守らなければならない。国民は自分の文化が変わるまで自分の文化をやり続けねばならない。
[21692] 今の国民は政府よりも国民みんなに従わねばならない。 h26.12.8
国は国民みんなのものである。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国の最高権力者だから、国民は政府よりも国民みんなに従わねばならない。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。今の日本は『科学と道徳の両方ある国』である。『科学と道徳の両方ある国』には政府のような「科学があって道徳がない国」を作る団体があってはいけない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。政府を倒すために政府に税金を払わないようにしなければならない。『科学と道徳の両方ある国』には『科学と道徳の両方ある国』を作る団体(例えば、法律会社)がなければならない。だから、今の国民は『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて国を作ってもらわねばならない。
今の国民の多くはやみくもに「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。国民みんなの文化が変わらないときには国民は同じ国を作る団体にお金をやって国を作らせればいいが、国民みんなの文化が変わったときには国民はいくら面倒臭くても国を作る団体を取り替えねばならない。今の国民は政府に税金を払って国を作らせるのをやめて、政府を倒して『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てねばならない。そうやって、ようやく国民みんなが満足して暮らせる国になるのである。
今の国民の多くはテレビや新聞で「政府が『科学と道徳の両方ある国』を作っている」から政府が国民みんなに従っているから政府に国家権力があると思って必死に政府に従っているのである。しかし、本当は政府がテレビや新聞でやっているのは芝居であって『政府は「科学があって道徳がない国」を作っている』のであって政府は国民みんなに従っていないから政府には国家権力はなく国民は政府に従わなくていいのである。今の国民は政府に従うのをやめて国民みんなに従うようにして政府を倒さねばならない。
[21693] 国民みんなで政府を倒せば政府なんか怖くない。☆ h26.12.9
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のものすべてを支配している。国を作る団体が国民みんなを支配しているのではなく、国民みんなが国を作る団体を支配しているのである。『国民みんなが国の最高権力者である』ことが社会の原理であり、この原理を成り立たせるように物事を考えねばならないのである。アインシュタインが『光の速さがすべての観測者において同じである』という光速度不変の原理を成り立たせるために時空間の変換を考えたのと同じことである。(実際には、私は『国民みんなが国を作る団体を支配している』ことを成り立たせるために一生懸命に考えて行ったのではなく、いろんなことを考えた結果『国民みんなが国を作る団体を支配している』ことが成り立ってしまったのだが。)
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。『科学と道徳の両方ある国』を作っている。
一方、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府がテレビや新聞で法律の仕事をやって『科学と道徳の両方ある国』を作っているのは芝居であって、本当は「科学があって道徳がない国」しか作っていないのである。政府が国民を幸福にしているのは嘘[うそ]であって、本当は国民を不幸にしかしていないのである。
政府は今の国民みんなに反する国を作っている。国民みんなが政府を支配しているのだから、国民みんなで政府を倒せばいい。国民は国民みんなの一人だから国民みんなといっしょに政府を倒せばいいのである。国民みんなも政府も人間の集団である。国民みんなという集団が政府という集団を倒せばいいのだから、国民みんなの中の国民が政府の中の役人を倒せばいいのである。国民一人一人は弱いが、国民みんなで固まれば無敵である。国民みんなは国家最強の集団である。国民みんなで政府を倒せば政府なんか怖くない。国民みんなで政府を倒すために国民みんなが政府に税金を払わなければいい。今の政府は国民みんなに対して偉そうにして「国民みんなが政府に従わねばならない」と国民みんなに思わせているが、本当は『政府が国民みんなに従わねばならない』のである。国民みんなは政府のハッタリに騙[だま]されないようにして、自分で『国民みんなが政府を支配している』と考えて政府を倒さねばならない。今の政府は国民みんなに従っていないから政府には国家権力がないから政府は国民に命令できない。政府は空威張[からいば]りである。だから、国民は政府の命令を無視して従わなければいいのである。
今の国民みんなが政府を倒さないのは今の国民みんなが世の中のことに無知だからである。今の国民みんなはもっと社会のことをよく知って自分がすべきことをしないといけない。
国民みんなはすでに自分の文化を変えてしまっている。あとは昔の文化の後片付[あとかたづ]けをすればいいだけである。国民みんなに比べれば政府も暴力団も宗教団体も会社の社長や管理職も物の数ではない。まともに戦う相手にならない。勝負はすでについている。国民みんなは片っ端[かたっぱし]から昔の者を倒してなくしていけばいいのである。これから国民みんなで新しい国を作っていけばいいのである。
[21694] 今でも政府の命令を聞いている者がいる。 h26.12.9
『国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国を作る団体を支配している』のが社会の原理である。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。
政府は国民みんなに従っていない。
だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。国民は国民みんなの一人として政府を倒さねばならない。税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
だから、『国民みんなが国を作る団体を支配している』と考えている者は、政府を倒している。
しかし、世の中には社会科の常識がなくて「国を作る団体が国民みんなを支配している」と考えている者がいる。そういう者は、政府の命令を聞いていまだに国民を事故で殺したり国民の嫌がらせをやったり高い税金を払ったりしているのである。政府の命令で国家宗教で悪いことをやったりしているのである。そういう者は、普段は自分が『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのに、政府に命令を出されたら政府に従わねばならないと思って「科学があって道徳がない国」を作るために協力するのである。そういう者は『科学と道徳の両方ある文化』と「科学があって道徳がない文化」の両方をやっているどっちつかずの曖昧[あいまい]なヤツである。
国民が政府に従わねばならないのは、政府が国民みんなに従っている場合だけである。政府が国民みんなに従っていない場合には、国民は政府に従わなくていいのである。政府が国民みんなに従っていれば政府に国家権力があるから国民は政府に従わねばならないが、政府が国民みんなに従っていなければ政府に国家権力がないから国民は政府に従わなくていいのである。今の政府は国民みんなに反して「科学があって道徳がない国」を作っているから政府には国家権力がないから国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。そもそも「国を作る団体が国民みんなを支配している」のではなく『国民みんなが国を作る団体を支配している』のだから、今の政府は国民みんなに反して「科学があって道徳がない国」を作っているから、国民は政府の命令を聞かず国民みんなに従うようにして『科学と道徳の両方ある文化』を守って『科学と道徳の両方ある文化』に反する政府を倒さねばならない。
「国を作る団体が国民みんなを支配している」と考えている者は早く自分の考えまちがいを直して『国民みんなが国を作る団体を支配している』と考えるようにして政府に従うのをやめねばならない。今でも政府の命令を聞いている者は国民を不幸にすることをしているのだから他人の迷惑だから、今すぐ政府の命令を聞くのをやめねばならない。政府は今の国民みんなに反することをやっているから、政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
[21695] 国民みんなの文化で国が決まる。 h26.12.9
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国のすべてのものを支配する。国民みんなの文化で国が決まる。国民みんなが本当の“国を作る団体”である。国民みんなが自分で自分の文化を決める(立法)。国民みんなは国のすべてのものに自分の文化を守らさねばならない(行政)。国民みんなは自分の文化に反するものを倒して自分の文化に反するものをなくさねばならない(司法)。国を作る団体は国民みんなの代理である。国を作る団体は国民みんなの真似[まね]をしているだけである。国を作る団体は国民みんなの相似[そうじ]なのである。国民みんなは自分の仕事でいそがしいから国を作る暇がない。仕事のないやつが集まって作ったのが国を作る団体なのである。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。だから、今の国は『科学と道徳の両方ある国』である。国のすべてのものは『科学と道徳の両方ある文化』に反してはいけない。
ところが、政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は『科学と道徳の両方ある文化』に反している。だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。国民は国民みんなといっしょに政府を倒さねばならない。政府を倒すために政府に税金を払ってはいけない。
暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職なども「科学があって道徳がない文化」をやって『科学と道徳の両方ある文化』に反しているから、国民みんなで暴力団や宗教団体や会社の社長や管理職などを倒さねばならない。お金をやらないようにして倒さねばならない。
国民みんなが国を作る。昔の国民みんなは昔の国民みんなの文化の国を作ったし、今の国民みんなは今の国民みんなの文化の国を作っている。今の国民みんなは昔の国民みんなが作った国の後片付[あとかたづ]けをしている。これからも国民みんなは国民みんなの文化の国を作って行かねばならない。
[21696] 『国民みんなが国の最高権力者である』ことが社会の原理である。 h26.12.9
『国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国を作る団体を支配している』ことが社会の原理である。この社会の原理はどこの国でもいつの時代でも成り立つ。
この社会の原理に基づいて昔の社会を見れば、昔の社会の真の姿がわかる。
近代の日本では国民みんなが自分で「科学があって道徳がない文化」をやると決めてやっていた。幕府は「道徳があって科学がない文化」の国を作っていたので、幕府は国民みんなに反する国を作っていたので、国民みんなで幕府に年貢[ねんぐ]を納めるのをやめて幕府を倒した。「科学があって道徳がない文化」では国民みんなが自分を裕福に不幸にしなければならなかった。そのため、国民みんなは政府を建てて政府に国民みんなを裕福に不幸にさせていた。国民みんなは政府にヨーロッパから科学や産業を取り入れて国の産業を発展させる一方で、法律のない社会にさせたり事故で国民を殺させたり国民を戦争に行かせたり国民の娯楽をなくさせたり国民から高い税金を取らせたりして国民みんなを裕福に不幸にさせていた。政府は国民みんなに従って「科学があって道徳がない文化」の国を作っていたにすぎなかったのである。政府は国民みんなの代わりになって国民みんなを裕福に不幸にしていたのである。
中世や近世の日本では国民みんなが自分で「道徳があって科学がない文化」をやると決めてやっていた。古代の政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っていたので、政府は国民みんなに反する国を作っていたので、国民みんなで政府に税金を納めるのをやめて政府を倒した。「道徳があって科学がない文化」では国民みんなが自分を幸福に貧乏にしなければならなかった。そのため、国民みんなは幕府を建てて幕府に国民みんなを幸福に貧乏にさせていた。国民みんなは幕府にみんなに法律を守らせてみんなに戦争をさせなかったり国民の娯楽を増やしたりする一方で、鎖国をさせて科学や産業を取り入れないようにして国の産業を遅らせたり幕府に高い年貢を取らせたりして国民みんなを幸福に貧乏にさせていた。幕府は国民みんなに従って「道徳があって科学のない国」を作っていたにすぎなかったのである。幕府は国民みんなの代わりになって国民みんなを幸福に貧乏にしていたのである。
同じように、この社会の原理に基づいて今の社会を見れば、今の社会の真の姿がわかる。
今の日本では国民みんなが自分で『科学と道徳の両方ある文化』をやると決めてやっている。政府は「科学があって道徳がない文化」の国を作っているので、政府は国民みんなに反する国を作っているので、国民みんなで政府に税金を納めるのをやめて政府を倒している。『科学と道徳の両方ある文化』では国民みんなが自分を裕福に幸福にしなければならない。そのため、国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて国民みんなを裕福に幸福にさせるつもりでいる。国民みんなは『科学と道徳の両方ある国』を作る団体に世界中の国から科学や産業を取り入れて国の産業を発展させたり、法律をみんなに守らせたりみんなに戦争をさせなかったり国民の娯楽を増やしたり、国を作る団体になるだけ安い料金で仕事をさせたりして国民みんなを裕福に幸福にさせるつもりである。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民みんなに従って『科学と道徳の両方ある国』を作るにすぎない。『科学と道徳の両方ある国』を作る団体は国民みんなの代わりになって国民みんなを裕福に幸福にするのである。
科学では、人間が実在を理解するためには正しい原理に基づいて実在を見なければならないことになっている。人間は正しい原理に基づいて正しい認識を得ることができる。人間が社会を正しく理解するためには正しい社会の原理に基づいて社会を見なければならない。『国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国を作る団体を支配している』ことが正しい社会の原理である。人間は正しい社会の原理に基づいて正しく社会を見て、正しい社会の認識に従って行動すればいいのである。
[21697] 昔は世界中でみんながヘンテコな文化をやっていた。 h26.12.9
昔のヨーロッパでは国民みんなが「科学があって道徳がない文化」ばかりやっていた。国民みんなが自分を裕福で不幸にしなければならなかった。国民みんなが政府を建てて政府に自分を裕福で不幸にさせていた。国民みんなが政府に国民みんなに科学や産業を教えさせて科学や産業を発達させて、法律のない社会にさせたり事故で国民を殺させたり戦争で国民を殺させたり娯楽をなくしたり高い税金を取らせたりしていた。
昔のアジアでは国民みんなが「道徳があって科学がない文化」ばかりやっていた。国民みんなが自分を幸福で貧乏にしなければならなかった。国民みんなが幕府を建てて幕府に自分を幸福で貧乏にさせていた。国民みんなが幕府に国民みんなに法律を守らせたり国民みんなに戦争をさせず娯楽を増やさせたり、鎖国をさせてヨーロッパから科学や産業を取り入れさせず産業を遅れさせたり高い年貢[ねんぐ]を取らせたりしていた。
昔の日本では国民みんなが約500年ごとにアジア文化とヨーロッパ文化を交互にやっていた。国民みんなが自分を幸福で貧乏にしたり裕福で不幸にしたりしていた。国民みんなが幕府を建てたり政府を建てたりしていそがしかった。国民みんなはどっちの文化も嫌だった。長くやっていると嫌気がさして飽きてきてやめた。
戦後になって国際交流が盛んになってようやく『科学と道徳の両方ある文化』が出来た。世界中でみんなが『科学と道徳の両方ある文化』がやれるようになった。ようやく国民みんなが自分を裕福で幸福にできるようになった。国民みんなが自分を貧乏にしたり不幸にしたりしなくてもよくなった。国民みんながこれまでの古い「科学があって道徳がない国」を作る政府や「道徳があって科学がない国」を作る幕府を倒して、新しい『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて国民みんなを裕福に幸福にさせることができるようになった。国民みんなが『科学と道徳の両方ある国』を作る団体に国民みんなに科学や産業を教えて国の産業を発達させたり、国民みんなに法律や道徳を守らせたり戦争をさせなかったり娯楽を増やしたり、国を作る団体になるだけ安い料金で仕事をさせたりすることができるようになった。国民みんなはこれまで幕府や政府に高いお金を取らせてきたから、今後は国を作る団体になるだけ安い料金しか取らせないのである。
昔は国際交流が乏[とぼ]しかったためにヨーロッパでもアジアでも文化が偏[かたよ]っていて国民みんなが自分を不幸にしたり自分を貧乏にしたりして変なことをやっていた。どこの国でも得意不得意があるから文化が偏るのである。今では国際交流が盛んになって世界中のみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやるようになって裕福に幸福に暮らしている。今の日本でも国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。しかし、今の日本ではまだ政府が残って「科学があって道徳がない国」を作って国民を裕福で不幸にしている。国民みんなは早く政府を倒して『科学と道徳の両方ある国』を作る団体を建てて裕福で幸福に暮らさねばならない。
今の世界ではみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。ただし、アメリカやイギリスは昔のヨーロッパの文化が濃く残っている。アメリカやイギリスは自分の国の文化にこだわる、国の伝統を重んじる気風があるのでいまだに昔の文化が残っているのである。アメリカやイギリスでは国民みんながいまだに「科学があって道徳がない文化」をやっている。国民みんなが法律を守らず悪いことをやっている。だから、国民みんなが政府に国民みんなを事故で殺させたり国民みんなに戦争させたりするのである。アメリカやイギリスでは政府が国民みんなに従って「科学があって道徳がない国」を作っているからいい。しかし、日本では国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているのに政府が「科学があって道徳がない国」を作っていて、政府が国民みんなに従っていないからいけない。『国民みんなが国の最高権力者である』から、日本では国民みんなが政府を倒して国民みんなと同じ文化の国を作る団体を建てねばならない。
[21698] 日本は世界に遅れないように早く政府を倒して新しい国を作る団体を建てねばならない。
h26.12.10
『国民みんなが国の最高権力者であり、国民みんなが国を作る団体を支配している』ことが社会の法則である。
昔のヨーロッパでは国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、「科学があって道徳がない文化」では国民みんなが自分を裕福で不幸にしなければならなかったから、国民みんなが政府に国民みんなを裕福で不幸にさせていた。
昔のアジアでは国民みんなが「道徳があって科学がない文化」をやっていたから、「道徳があって科学がない文化」では国民みんなが自分を幸福で貧乏にしなければならなかったから、国民みんなが幕府に国民みんなを幸福で貧乏にさせていた。
昔の日本ではヨーロッパと同じように国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、国民みんなが政府を建てて国民みんなを裕福で不幸にさせていた。
今では世界中でみんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。
今のヨーロッパでは国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『科学と道徳の両方ある文化』では国民みんなが自分を裕福で幸福にしなければならないから、国民みんなで政府を倒して、新しい国を作る団体を建てて国民みんなを裕福で幸福にさせている。
今のアジアでは国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、『科学と道徳の両方ある文化』では国民みんなが自分を裕福で幸福にしなければならないから、国民みんなで幕府を倒して、新しい国を作る団体を建てて国民みんなを幸福で裕福にさせている。
今の日本では世界と同じように国民みんなが『科学と道徳の両方ある文化』をやっているから、国民みんなで政府を倒して、新しい国を作る団体を建てて国民みんなを幸福で裕福にさせている。
今では世界中で国を作る団体が入れ替わっている。日本も早く政府を新しい国を作る団体と入れ替えて世界に遅れないようにしなければならない。
本当は『国民みんなが政府を支配している』のだから、今の国民みんなは政府を倒すことに決めてしまっているから、国民みんなは政府に「税金を払え!」と言われても「税金払わないと牢屋に入れるぞ!」と言われても「政府は国民みんなのために税金を使っている」と言われても、国民みんなは『政府が偉そうに国民のことに口出しするな!』『国民みんなが政府をどうしようが国民みんなの勝手だ』と思って、国民みんなは政府にかまわずに政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。もともと政府は「道徳がない国」を作る団体だから、いくら国民みんなが政府の機嫌[きげん]を取って政府を煽[おだ]てても政府は国民みんなを不幸にするだけである。国民みんなはこのまま政府に国を作らせておかずに、早く新しい国を作る団体に替えて新しい国を作る団体にがんばって善い国を作ってもらわねばならない。
[21699] 国民みんなはわがままである。 h26.12.10
『国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を作る団体を支配している』ことが社会の法則である。だから、国民みんなは国を作る団体が自分に合った国を作っていると国を作る団体が気に入って養ってやるが、反対に国を作る団体が自分に反する国を作っていると国を作る団体が気に入らなくて倒す。
昔の国民みんなは「科学があって道徳がない文化」をやっていた。政府は「科学があって道徳がない国」を作っていた。政府は昔の国民みんなに合った国を作っていた。政府はいろんなことをやって国民みんなを不幸にしまくっていた。だから、昔の国民みんなは『政府は国民のためによく働いてくれるなあ』と思って政府に感謝していた。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は今の国民みんなに反する国を作っている。だから、今の国民みんなは『政府が邪魔[じゃま]だから政府がなくなったほうがいい』と思って政府を倒している。国民は国民みんなの一人だから、国民は国民みんなといっしょに政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
国民みんなは国の最高権力者だからわがままである。国民みんなは気分屋で気が変わりやすい。国民みんなに逆らったら国では生きていけない。昔の政府は国民みんなに従っていたから生きていけたが、今の政府は国民みんなに逆らっているから生きていけない。国民は自分が生きていたかったら、国民みんなに逆らわないようにして国民みんなといっしょに政府を倒さねばならない。国民は国民みんなの“声にならない声”を聞くようにして国民みんなの意思を理解して国民みんなのやりたいことをやって国民みんなに従って生きていかねばならない。
[21700] 国民みんなが国を作る団体を支配している。 h26.12.10
中世や近世の日本では幕府が鎖国をして国の産業を遅れさせたり国民に命令して国民から高い年貢[ねんぐ]を取ったりして国民みんなを貧乏にして苦しめていた。
近代の日本では政府が国民を事故で殺したり国民みんなを戦争をさせて殺したり国民の娯楽をなくしたり国民から高い税金を取ったりして国民を不幸にして苦しめていた。
しかし、幕府も政府も国民を支配していたのではない。国民よりも身分が上の者だったのではない。
本当は、幕府も政府も国民みんなの命令通りに国を作っていただけである。本当は、国民みんなが幕府や政府を支配していたのである。虐待される者が虐待する者を支配していたのである。鞭[むち]で打たれる者が鞭で打つ者を支配していたのである。
中世や近世の日本では国民みんなが「道徳があって科学がない文化」をやっていたから、「道徳があって科学がない文化」では国民みんなが自分を幸福に貧乏にしないといけなかったから、国民みんなが幕府を使って法律のある社会にさせたり国民の娯楽を増やしたりさせる一方で、鎖国をさせて産業を遅れさせたり国民から高い年貢を取らせたりして国民みんなを幸福に貧乏にさせていたのである。
近代の日本では国民みんなが「科学があって道徳がない文化」をやっていたから、「科学があって道徳がない文化」では国民みんなが自分を裕福で不幸にしなければならなかったから、国民みんなが政府を使って国民みんなに科学や産業を教えて産業を発達させる一方で、法律のない社会にさせたり国民を事故で殺させたり国民みんなに戦争をさせて殺したり国民みんなの娯楽をなくさせたり国民みんなから高い税金を取らせたりして国民みんなを裕福に不幸にさせていたのである。(そもそも戦争は国民みんなが自分が不幸になるためにやっているのである。だから、戦争では「負けるが勝ち」なのである。日本は戦争に負けたからといってカッガリする必要はない。)
『国民みんなが国を作る団体を支配している。』いつでもどこでも『国民みんなが国を作る団体を支配している』のである。
だから、今でも国民みんなが国を作る団体を支配している。
今の国民みんなは『科学と道徳の両方ある文化』をやっている。政府は「科学があって道徳がない国」を作っている。政府は国民みんなに反している。国民みんなにとっては政府が邪魔[じゃま]だから政府がなくなればいい。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいい。国民は国民みんなの一人だから、国民みんなといっしょに政府を倒せばいい。
国民みんなが政府を支配しているから、国民みんなが政府を自分の好き放題にしていいから、国民みんなが政府が邪魔なら政府を倒せばいいのである。国民は国民みんなのひとりとして国民みんなといっしょに政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。役所の職員が「税金や医療保険費を払わないと罰せられることがあります」と言って国民を脅[おど]しても、『国民みんなが政府を支配している』のだから『国民みんなが政府を倒せばいい』のだから、国民は国民みんなの一人だから、国民は職員の言うことを無視して政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。役所の職員だって自分が政府の中の一人だと思って威張[いば]っているのだから、国民だって自分が国民みんなの中の一人だと思って威張っていけないことはない。だから、国民は国民みんなの一人として役所の職員を威張り倒してやっつければいいのである。