[21401] 昔のヨーロッパでは権力者に逆らった者は殺された。 h26.10.5
昔のヨーロッパで権力者に逆らった人が火あぶりにされて殺されたのは、最初から自分が権力者に殺される覚悟で権力者に逆らったからである。当時は『権力者に逆らったら殺される』ことが常識だったので、みんなが権力者に逆らうときは自分の死を覚悟で逆らったのである。権力者に逆らった後で逃げたりせず権力者におとなしく捕まって罰せられたのである。
それと同じように、今の日本でも政府に逆らった者は政府に捕まって罰せられている。今の日本では『政府の法律を破ったら罰せられる』ことが常識なので、みんなは政府の法律を破ったら「自分が政府に罰せられねばならない」と思っておとなしく政府に捕まって罰せられているのである。
しかし、本当は国民は政府に罰せられなくていいのである。本当は国民は政府に逆らってもいいのである。本当は『政府は権力団体であって、法律会社ではない。』今では世界中で『国民みんなが法律を守って、権力団体に従わなくていい』ことになっている。だから、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府に逆らっても罰せられなくていいのである。政府の法律は政府の命令にすぎないから、国民は政府の法律を守らなくてもいいのである。政府の税金の法律を守らず、政府に税金を払わなければいいのである。国民は政府の法律を守って人殺しをやったり放火したり強盗をやったり国家宗教で変なことをやったり嫌な暮らしをしたりしなくていいのである。
国民は早く自分の妄想から抜け出して『政府の法律を守らなくていい』と考えて、政府の法律を守らず自由に暮らさねばならない。

[21402] どうして古代の国民は政府に従っていたのか? h26.10.5
古代の国民は「自分が政府に従えば国が平和になる」と信じて、政府に従っていたのである。ヨーロッパでは国民みんなが国を平和にするために政府に従っていたので、日本でも国民みんながヨーロッパを真似[まね]て国を平和にするために政府に従ったのである。
しかし、実際には、政府が国民みんなに好き放題に命令して国民みんなに人殺しや強盗などをやらせたので、かえって国が物騒[ぶっそう]になった。
その後、中国から法律が伝わって、国民みんなが法律を守って暮らすようになると、国が平和になった。
そのため、国民みんなは『国民みんなが幸福に暮らすためには権力団体に従うのではなく、法律を守らねばならない』と思った。その後、国民みんなは法律会社を建てて法律を守るようになり、政府を潰[つぶ]して二度と権力団体に従わなくなった。
だから、近代になって再び国民みんなが政府に従うようになったのは、国民みんなが『政府を権力団体だ』と思っていたからではなく「政府が法律会社だ」と思っていたからである。国民みんなが政府の法律会社の芝居にまんまと騙[だま]されて「政府は法律会社だ」と思っていたのである。国民みんなが政府の命令を法律だと思って政府の命令に従ったのである。国民みんなが政府の人殺しや強盗の法律を守って人殺しや強盗をやるようになって国が物騒になったのである。
しかし、今では政府についての研究が進んで『政府が権力団体である』ことがわかっている。『政府が法律会社のふりをした権力団体である』ことがわかっている。そのため、今の国民は政府に従うのをやめている。日本では中世に国民みんなが『二度と権力団体には従わない』と誓ったから、今の国民は死んでも政府に従わないのである。今の国民は政府の法律を政府の命令だと考えて政府の法律を守らなくなっている。政府の税金の法律を政府の命令だと考えて政府に税金を払わなくなっている。今の国民は大喜びで政府に税金を払わず政府を倒しているのである。

[21403] 政府はインチキ法律会社である。☆ h26.10.5
今の世界では『人類は法律を守り、権力団体には従わない』ことになっている。
だから、今の国民が政府に従っているのは、「政府が法律会社だ」と思っているからである。今の人類には法律以外に従うものがないから、今の国民が政府に従うのは政府が法律を定めているからである。今の国民はテレビや新聞に政府が出ているのを見て「政府が法律会社だ」と思って「政府の法律を守らねばならない」と思って政府の法律を守っているのである。
しかし、本当は『政府は法律会社ではなく、権力団体なのである。』政府は法律会社のふりをした権力団体である。政府は国民に自分の命令を法律だと思わせて国民を自分の命令に従わせている。政府は国民を苦しめる法律をいっぱい定めて国民に守らせて国民を不幸にして虐[いじ]めて遊んでいる。そうやって、政府は国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり国民に嫌な生活をさせたりしているのである。
だから、今の国民は本当は政府に従わなくていいのである。今の国民は政府の法律を政府の命令だと思って政府の法律を守らなければいいのである。そうやって、国民は政府に税金を払ったり国家宗教をやったり嫌な生活をやったりしなければいいのである。
今の国民は「政府が法律会社だ」と思っているから政府に従っている。しかし、本当は『政府は権力団体である。』だから、今の国民は自分の誤解のために政府に従っているのである。「この先道」という立て札を信じて崖から落ちるようなものである。したがって、今の国民は自分の誤解を直して政府に従わないようにすればいいのである。
今の政府は法律会社のふりをしている法律会社でない会社である。政府の法律はニセモノである。今の政府は法律のふりをして国民に好き勝手な命令を出しているインチキ会社である。国民は政府に騙[だま]されないようにして、「政府を法律会社だ」と思わないようにして、政府に従ってはいけない。政府の法律を守ってはいけない。今の国民はさっさと政府のようなインチキ法律会社を倒して、本物の法律会社を建ててちゃんと法律の仕事をやってもらわなければならない。
今の人類には法律以外に従うものがない。ところが、政府は法律会社ではないから、政府の法律は法律ではない。だから、国民は政府の法律を守らなくていい。国民は本当の法律を守って、政府のニセモノの法律を守らなければいい。今の政府は国民を従わせられなくなって滅ぶしかない。
人間は正しいことをやって、まちがったことをやってはいけない。たとえ国民みんながやっていてもまちがったことならやってはいけない。たとえ国民みんながやっていなくても正しいことならやらねばならない。つまり、他人がやっていようがいまいが、とにかく自分は正しいことをやらねばならない。人間は自分だけ正しいことをやればいい。今の国民の多くが「政府が法律会社だ」と思って政府に従っているのはまちがいである。自分は正しく『政府が権力団体だ』と考えて政府に従わなければいいのである。

[21404] 国を治める団体は国民のためにある。☆☆ h26.10.6
権力団体だろうが法律会社だろうが国を治める団体は国を平和にして国民が幸福に暮らすためにある。
だから、国を治める団体が国を平和にせず国民が幸福に暮らせる国にしないなら、国民は国を治める団体に国を任[まか]せなければいいのである。国民は権力団体に従わず権力団体に税金を払うのをやめたり、法律会社にお金をやらず法律会社に国民みんなに法律を守らせるのをやめさせればいいのである。
今では世界中で『国を平和にして国民が幸福に暮らすためには権力団体ではなく法律会社でなければならない』とされている。国民が法律を守れば自由に平和に暮らせる。権力団体は国民を不幸にする命令ばかり出して国民が不幸になる。
ところが、政府は権力団体である。政府は法律会社のふりをした権力団体である。
だから、国民は政府に国を任せなければいい。国民は政府に従うのをやめればいい。国民は政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。
早く国民みんなで政府を倒して、法律会社を建てて法律会社に国を任せればいい。国民が法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって国民みんなに法律を守らせてもらえばいい。
国民が幸福に暮らすためには国民が自分で動かねばならない。国民が自分で国を治める団体を選んで国を治めさせねばならない。国民の多くは馬鹿だから正しいことがわからないから、正しいことがわかる者が正しいことをしないといけない。今の政府は権力団体なので国民を不幸にする命令を出すだけで国民が幸福に暮らせる国にしないから、国民は政府に国を治めさせてはいけないのである。国民は政府に税金をやらず政府を倒さなければならないのである。

[21405] 国民には国を治める団体を選ぶ自由がある。☆ h26.10.6
今の国民がおとなしく政府に従っているのは、国民が「自分が政府に従わねばならない」と思い込んでいるからである。
しかし、本当は国民は政府に従わなくてもいいのである。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の勝手である。
国民が政府に国を治めさせるか治めさせないかは国民個人の勝手である。国民が政府に国を治めさせて政府に従うか政府に国を治めさせず政府に従わないかは国民個人の勝手である。国民は政府に国を治めさせるのが適当と考えるときだけ、政府に国を治めさせればいいのである。たとえ国民みんなが政府に国を治めさせていても自分が政府に国を治めさせないほうがよいと考えれば、自分は政府に国を治めさせなければいいのである。人間は人それぞれ勝手だから、自分と他人は関係ないから、自分で政府に国を治めさせるかさせないかを考えればいいのである。店で物を買うときに自分ひとりで考えて物を買うか買わないかを決めるのと同じことである。つまり、国民には国を治める団体を選ぶ自由があるのである。それでも、たいてい国に一つしか国を治める団体がないのは、国民みんなが国を治める団体が大体よければそれで満足していいと思うからである。同じ国の人間はだいたい同じ主義だから、国には国を治める団体が一つしかないのである。
ところが、今の政府は権力団体である。今の政府は法律会社のふりをしている権力団体である。しかし、今では『権力団体よりも法律会社に国を治めさせたほうがいい』ことがわかっている。法律会社に国を治めさせれば国民みんなが法律を守って自由に平和に暮らせる。権力団体に国を治めさせれば権力団体が国民みんなを不幸にする命令を出して国民みんなが不幸にされる。だから、今の国民は政府に国を治めさせないほうがいいのである。
したがって、今の国民は政府に従わなければいいのである。政府に従わず政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいいのである。政府の命令で他人の嫌がらせをやったり国家宗教をやったり嫌な生活をやったりしなければいいのである。いくら他人が政府に従っていても、自分は政府に従わなければいいのである。
早く国民みんなで政府に従うのをやめて政府を潰[つぶ]して、法律会社を建てて法律会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。そうすれば、国民みんなは今よりももっと幸福に暮らせるだろう。
国民が今の政府に従っていると、他人に「政府に国を任せたほうがいいと思っている」と思われて、「政府が法律会社だと思っている」と思われて、他人に馬鹿だと思われる。だから、国民は今の政府に従わないほうがいい。

[21406] 国民は権力団体よりも法律会社に国を治めさせたほうが幸福になる。☆ h26.10.6
法律会社は正しい法律を定めて国民みんなに法律を守らせて法律を破った者を罰することが仕事である。法律会社は『人間が実在に従う世界観』で国を治めている。法律会社は足が地に着いている。法律会社は実在の中で人間の心を満足するから現実に国民みんなが幸福に暮らせる社会になる。
一方、権力団体は国民みんなに従われて国を平和にすることだけが仕事である。権力団体は国民みんなが自分に従うことを利用して、国民みんなに好き放題に命令して遊んでいる。権力団体は「人間が実在を支配する世界観」で国を治めている。権力団体は足が宙に浮いている。権力団体は国民みんなに自分の好き勝手な命令を出すだけだから、権力団体は国民みんなを虐[いじ]めて遊ぶのが好きだから、権力団体だけが面白くて国民みんなが不幸になる。
権力団体に国を治めさせるよりも法律会社に国を治めさせたほうが国民みんなが幸福に暮らせることは明らかである。
今の政府は権力団体である。今の政府は法律会社のふりをしている権力団体である。馬鹿は「政府が法律会社だ」と思っているが、利口は『政府が権力団体だ』と考えている。政府はテレビに出てニコニコしているだけで、陰[かげ]では国民みんなを虐めて不幸にしているのである。悪い人間でも見かけがよければテレビに出れる。政府に国を治めさせると国民みんなが不幸になる。
だから、国民は政府に国を治めさせてはならない。国民は政府に国を治めさせず政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。国民は法律会社を建てて法律会社に国を治めさせねばならない。国民は法律会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。国を平和にすることは国民が自分で自分の命を守ることだから、国民みんなが法律会社と契約するだろう。
人間は正しいことをやらねばならない。まちがったことをやってはいけない。いくらみんながやっていてもまちがったことはやってはいけない。いくらみんながやっていなくても正しいことはやらねばならない。人間にとってはみんなに合わせることよりも、自分が正しいことのほうが大事である。人間は個人的存在である。自分と他人は関係ない。自分が正しければいいだけである。つまり自分が実在に従えばいいだけである。今の人は自分の考えがまちがったままみんなに合わせるだけである。人間は自分の考えを正しくしてみんなを自分に従わせなければならない。人間は自分の考えを正しくすることによってみんなの考えを正しくしなければならない。たとえ今の国民みんなが政府に国を治めさせていても、『政府に国を治めさせない』ほうが正しいから自分は政府に国を治めさせなければいいのである。そうすれば、そのうち国民みんなも『政府に国を治めさせないほうがいい』ことがわかって、政府に国を治めさせなくなるだろう。政府に従わなくなるだろう。
早く国民みんなで政府を倒して、法律会社を建てて、法律会社に国を治めさせて国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[21407] どうして坂本竜馬は幕府に殺されたのか?☆ h26.10.6
国民には国を治める団体を選ぶ自由がある。坂本竜馬は「日本が戦争をするべきだ」と考えて「幕府に国を治めさせず政府に国を治めさせるべきだ」とした。だから、坂本竜馬は国民みんなに「幕府に国を治めさせず政府に国を治めさせるべきだ」と説けばよかったのである。坂本竜馬は幕府に年貢[ねんぐ]を納めず幕府を倒しながら、国民みんなに自分の考えを広めればよかったのである。そうすれば、坂本竜馬は幕府に殺されずに天寿を全[まっと]うしたのである。幕府が倒れて政府が建つのを見ることができたのである。
しかし、実際には、坂本竜馬は幕府の役人を暗殺することを計画していた。そのために、幕府に殺されたのである。幕府は「殺[や]られる前に殺れ」と思って殺した。当時京都にたむろしていた維新家たちはみんな幕府高官の暗殺を計画していたので、幕府はそいつらを皆殺しにしたのである。
昔のヨーロッパで権力団体に逆らった者が殺されたのは、最初から自分が権力団体に殺される覚悟で権力団体に逆らったからである。本当は『国民には国を治める団体を選ぶ自由がある』から、国民は自分が権力団体に従いたくなければ、自分が権力団体に国を治めさせないことにして権力団体に従うのをやめればいいのである。昔のヨーロッパで権力団体に逆らって殺された者は『国民には国を治める団体を選ぶ自由がある』ことを知らなかったから、「自分が権力団体に逆らえば自分は罰せられねばならない」と思っていたから、おとなしく権力団体に捕まって罰せられたのである。
近代や現代の日本で国民みんなが政府に従っていたのは、近代や現代の国民がみんな「政府が法律会社だ」「政府が幕府よりも進んだ法律を持った法律会社だ」と思っていたからである。国民みんなは自分が政府に国を治めさせることが正しいと思って自分から進んで政府に従っていたのである。
しかし、最近の日本では政府についての研究が進んで『政府が本当は法律会社ではなく権力団体である。』ことがわかっている。だから、『政府が権力団体である』ことを知っている国民は『政府に国を治めさせるべきではない』と考えて政府に従うのをやめている。いまだに『政府が権力団体である』ことを知らず「政府が法律会社である」と思っている古臭い国民は「政府に国を治めさせるべきだ」と思って政府に従っている。『国民には国を治める団体を選ぶ自由がある』から、国民が政府に国を治めさせるようが政府に国を治めさせまいが国民個人の自由なのである。今の日本には政府に国を治めさせて政府に従っている国民と政府に国を治めさせず政府に従っていない国民の両方がいるのである。今では政府に国を治めさせず政府に従わない国民が増加して、政府に国を治めさせて政府に従う国民が減少して、政府はだんだん国民に命令できなくなって国民からお金をもらえなくなって滅んでいるのである。
国民は坂本竜馬のように「自分が国を治める団体に従わねばならない」と思い込んで国を治める団体に対する恐怖に駆[か]られて国を治める団体を殺して倒そうとすれば罰せられるが、『国民には国を治める団体を選ぶ自由がある』ことをよく理解して平和的に国を治める団体にお金をやらずに倒せば罰せられない。坂本竜馬が高知県民で、高知県民が田舎者[いなかもの]で馬鹿だから殺されたのである。人間は冷静になってよく考えてから正しいやり方で実行すればいいのである。短気になって焦[あせ]って暴れると損をするのである。

[21408] 今の国民は自由に政府を倒していい。☆ h26.10.6
今では『政府が法律会社のふりをした権力団体である』ことがわかっている。政府は暴力団や宗教団体などの犯罪者をほったらかしにしているし、嘘[うそ]の「多数決の原理」や「神に従う原理」を定めて国民に「政府を上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせようとするから、政府は権力団体である。
今では『国民みんなが幸福に暮らすためには権力団体よりも法律会社のほうがいい』ことがわかっている。権力団体は国民みんなが自分に従っていることを利用して国民みんなを不幸にする命令を出して国民みんなを不幸にするのに対し、法律会社は国民みんなに法律を守らせて国民みんなが自由に平和に暮らすことができるようにするからである。
今では『国民が国を治める団体を自由に選ぶことができる』ことがわかっている。そもそも国民と国を治める団体は平等だから、国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。国民は自分が気に入った国を治める団体に国を治めさせればいいのである。国民は権力団体に従ったり法律会社の法律を守ったりしているために「国を治める団体に逆らってはいけない」という錯覚に陥っているので『国民が国を治める団体を自由に選べる』ことがわからないのである。しかし、本当は『国民は自分で国を治める団体を自由に選んでいい』のである。江戸時代の途中で身分制がなくなったのは、国民みんなが身分制が嫌になって江戸幕府に国を治めさせなくなって幕府に年貢[ねんぐ]を納めなくなって幕府が潰[つぶ]れかけていたからである。国民みんなが『身分制が権力制と同じである』ことがわかって自分たちが幸福に暮らせないと思って、幕府に国を治めさせなくなったからである。そのために、江戸幕府は急遽[きゅうきょ]身分制を取りやめて国民と平等にするようになったのである。
したがって、今の国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせればいい。今の国民は政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社が建てば法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に仕事をやってもらえばいい。法律会社が建つまでは、国民が自分で法律を守って自分で法律を破った者を罰すればいい。悪い法律会社だったら契約しなければいい。
早く国民みんなで政府を倒して、法律会社に国を治めてもらって、国民みんなで幸福に暮らせばいい。

[21409] 納税の義務は義務じゃない。 h26.10.7
『国民は国を治める団体を自由に選ぶことができる。』国民は自分が気に入った国を治める団体に国を治めさせればいい。
だから、国民が政府に国を治めさせれることにすれば、政府に従って、政府の命令を守って政府に税金を払えばいいのである。反対に、国民が政府に国を治めさせることにしなければ、政府に従わず、政府の命令を守らず政府に税金を払わなくていいのである。納税の義務とはしょせんそういう意味である。
国民が法律会社に国を治めさせることにすれば、法律を守って、法律会社に自分の人権を守ってもらって法律会社にお金を払えばいいのである。反対に、国民が法律会社に国を治めさせることにしなければ、法律を守らず、法律会社に自分の人権を守ってもらわず法律会社にお金を払わなくていいのである。
国民が政府に国を治めさせれば、政府が国民に好き放題な命令を出して、国民が政府に不幸にされる。国民が法律会社に国を治めさせれば、法律会社が国民に法律を守らせて、国民が自由に平和に暮らすことができる。これは歴史の事実である。だから、今では『国民が幸福に暮らすためには政府よりも法律会社のほうがいい』と考えられているのである。
国民は国を治める団体を自由に選ぶことができる。だから、国民は政府に国を治めさせるのをやめて法律会社に国を治めさせねばならない。国民は国を治める団体を入れ替えねばならない。国民は政府に国を治めさせるのをやめて政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、法律会社が建てば法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って国民みんなに法律を守らせてもらわねばならない。
今の政府は詐欺[さぎ]会社である。政府は法律会社のふりをしている権力団体である。政府は法律会社ではない。政府は本当は権力団体である。国民は政府の法律会社の芝居に騙[だま]されないようにして、自分で『政府は権力団体だ』と考えて早く政府を倒さねばならない。

[21410] 国民みんなは利口ぶり馬鹿である。☆ h26.10.7
世の中利口ぶり馬鹿ばっかりだ。考えているふりをしているだけで本当は考えていない。今の国民みんなはいい格好[かっこう]をして利口ぶっているだけで、本当は頭の中がまちがいだらけの馬鹿だ。今の政府が法律会社のふりをして本当は権力団体であるのと同じことだ。
だから、今の国民みんなが政府に従っているのは正しくないのである。まちがっているのである。今の国民みんなは自分でよく考えて「自分が政府に従ったほうがいい」と考えて政府に従っているのではなく、テレビや新聞で政府が法律会社のふりをしているのを見て「政府が法律会社だ」と思って政府に従っているだけなのである。
今の国民みんなは利口ぶり馬鹿だから、国民みんなは当てにはならない。今の国民みんなはまちがっているから、国民が国民みんなと同じことをしても幸福にはなれない。国民は国民みんなを真似[まね]せず、自分で考えて正しいことをしなければならない。
今の国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせねばならない。今の国民は政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律を守って、将来法律会社が出来たら法律会社と契約して法律会社にお金をやって国民みんなに法律を守らせてもらわねばならない。
人間は自分で正しく考えて自分が幸福になるようにすればいい。今の国民みんなはまちがって考えて自分で自分を不幸にしている。今の国民みんなは愚かである。だから、国民は国民みんなを見習ってはいけない。国民は自分ひとりで正しいことをやって自分自身を幸福にしなければならない。
国民みんなが自分でよく考える正しい人だったら国民は国民みんなに従えばいいが、実際には国民みんなは自分で考えないまちがった人だから国民は国民みんなに従ってはいけない。今の国民みんなが政府に従っているのがその証拠である。人間は子供のうちは自分が無知だからみんなに頼らなければならないが、大人になったら自分がある程度知識があるから自分で考えなければならない。国民は国民みんなを真似[まね]せずに、自分でよく考えて正しいことをしないといけない。

[21411] オナニーやセックスをしてはいけない。★ h26.10.7
人間は自分で正しく考えて自分が幸福になるようにすればいい。
例えば、人間がオナニーやセックスをして性欲を満足させれば一時的には幸福になるが、『自分で自分の脳を興奮させる悪い癖が身について』何かのきっかけで自分の脳を興奮させすぎて脳が壊れて不幸になる。怒りながらテレパシーを使おうとして条件反射でイライラ中枢とテレパシー器官の間に神経連絡が出来て精神分裂病に罹[かか]ったり、自分で自分の脳の一部を興奮させすぎて壊して脳がうまく働かなくなって、死ぬまで自分で自分の脳が自由にならなくなって辛[つら]い思いをしなければならなくなる。脳は一度壊れると二度ともとには戻らないから、絶対に自分で自分の脳を興奮させすぎて自分の脳を壊してはいけない。コンピューターのCPUに負荷をかけすぎるとCPUが焼け付いて壊れるのと同じである。人間は怒ってもいいが、“正しいやり方で”怒らねばならない。自分で自分の脳を興奮させて怒るのは自分の脳のためによくないから絶対にやってはいけない。自分が怒ったら相手を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったり相手の悪口を言ったり虚空[こくう]に向かって叫んだりして怒ればいい。
だから、人間は自分でよく考えて自分が幸福になるようにしなければならないのである。オナニーやセックスをして性欲を一時的に満足させても長期的には自分が不幸になるから、オナニーやセックスをしてはいけないのである。
人間はもっとほかのことをして喜べばいいのである。それが真[しん]の幸福への道である。

[21412] 政府を倒すためには国民がみんな政府に国を治めさせるのをやめなければならない。 h26.10.7
『国民は国を治める団体を自由に選ぶことができる。』つまり、国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。国民は自分が気に入った“国を治める団体”に国を治めさせればいい。
政府は権力団体だから、国民が政府に国を治めさせているから国民が政府に従わねばならないのである。反対に、国民が政府に国を治めさせなければ国民は政府に従わなくていいのである。今の国民がみんな政府に国を治めさせているから、国民がみんな政府に従わねばならなくなって、国民がみんな政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり国家宗教をやったり何でもかんでもやらねばならないのである。反対に、今の国民がみんな政府に国を治めさせなければ、国民がみんな政府に従わなくていいから、国民がみんな政府の命令を聞かず政府に税金を払ったり国家宗教をやったり何もかにもやらなくていいのである。
『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民一人一人の自由である。』国民はみんな自分の好きな“国を治める団体”に国を治めさせればいい。国民がみんな自分の好きな野球チームを応援しているのと同じことである。だから、国民は自分が政府に国を治めさせたくなければ政府に国を治めさせなければいい。いくらほかのみんなが政府に国を治めさせていても、自分が政府に国を治めさせたくなければ治めさせなくていい。しかし、たとえ自分が政府に国を治めさせなくても、他人が政府に国を治めさせるかどうかは他人の自由だから、ほかのみんなが政府に国を治めさせるなら政府は倒れない。店の客がたった一人減ったところで店の経営が全然困らないのと同じことである。政府にとっては国民みんなが自分に国を治めさせているので、自分に国を治めさせる者が一人や二人減ったところで何ともないのである。痛くも痒[かゆ]くもないのである。
だから、政府を倒すためには、国民がみんな政府を倒さねばならない。国民がみんな政府に国を治めさせないようにしなければならない。店を潰[つぶ]すか潰さないかは客が決めることであって店自身が決めることではない。客がいるかぎり店は続くのであって、店が勝手に自分で潰れることはない。それと同じように、政府は自分に国を治めさせる国民がいるかぎり国を治めるのであって、政府は自分で潰れることはない。だから、政府を潰すためには国民がみんな政府に国を治めさせなくなるしかないのである。国民がみんな政府に国を治めさせるのをやめるしかないのである。
『政府は法律会社ではなく権力団体である。』『国民が幸福に暮らすためには権力団体よりも法律会社のほうがいい。』『国民が国を治める団体を自由に選べる。』ことは誰にとっても正しい。だから、国民はみんな政府よりも法律会社に国を治めさせないといけない。国民はみんな政府に国を治めさせず政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金をやって国民みんなに法律を守らせてもらえばいい。
国民はみんな早く正しいことを理解して正しいことをしないといけない。そうすれば、国民はみんな幸福に暮らせるようになるだろう。今の国民はみんな政府に国を治めさせているから不幸なのである。国民がみんな法律会社に国を治めさせれば幸福になれる。だから、国民はみんな自分の幸福のために政府に国を治めさせるのをやめねばならない。

[21413] 仕事は客のためにある。 h26.10.8
『国民が国を治める団体を自由に選べる。』国民が国を治める団体に国を治めさせるかどうかは国民個人の自由である。
これでは国を治める団体は仕事がやりにくい。国民全員が国を治める団体に国を治めさせないと、国を治める団体は仕事がやりづらい。国家事業は国民全員が対象だから、国を治める団体が国家事業がやれなくなる。
しかし、それでも国を治める団体はそうしなければならない。
なぜなら、仕事は客本位だからである。仕事は客が本位であって、会社が本位ではないからである。
だから、いくら国を治める団体が仕事がやりづらくても、国民が国を治める団体に国を治めさせるかどうかは国民個人の自由にしなければならないのである。いくら国を治める団体が赤字が出ても、そうしなければならないのである。『国民が国を治める団体に国を治めさせるかどうかは国民個人の自由だ』から、国を治める団体が儲[もう]けるためには国民みんなを幸福にして、国を治める団体に国を治めさせる国民を増やさなければならないのである。
今の政府が国を治めているのも客が本位だからである。今の国民の多くが政府に国を治めさせているから政府が国を治めているのである。つまり、政府が国民の多くに従われて国を治めて平和にしているのである。ついでに、政府は国民の多くが自分に従っていることを利用して、国民の多くに命令を出して国民の多くを虐[いじ]めて不幸にして遊んでいるのである。仕事は客本位である。だから、今の国民は政府に国を治めさせるかどうか自分で考えて決めればいいのである。『政府は法律会社ではなく権力団体である。』『国民が幸福に暮らすためには権力団体よりも法律会社に国を治めさせたほうがいい。』『国民が国を治める団体を自由に選べる。』ことは誰にとっても正しいから、国民はみんな政府ではなく法律会社に国を治めさせればいい。国民はみんな政府に従わず政府に税金をやらず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金をやって法律会社に国民みんなに法律を守らせてもらえばいい。法律会社が国民みんなを幸福にする仕事をやって国民全員が法律会社と契約すれば、法律会社は国家事業がやれるだろう。

[21414] どうして政府は最初のいっとき善いことをやるのか? h26.10.8
『国民は自由に国を治める団体を選べる。』国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。
そのため、政府は最初のいっとき国民みんなに善いことをやって、国民みんなに政府に国を治めさせるようにするのである。国民がみんな政府に国を治めさせると、国民がみんな政府に従う。国民がみんな政府に従うと、国民がみんな「政府に逆らってはいけない」と思うようになる。政府はだんだん国民みんなに善いことをやらなくなって悪いことをやるようになる。最後には政府は国民みんなに悪いことだけやるようになる。政府は国民みんなから高い税金を取って、国民を虐[いじ]めて不幸にして遊ぶだけになるのである。国民はみんな何のために生きているのかわからなくなるのである。
政府は最初の頃は鉄道や郵便やおいしいお米や安い本などをやっていた。しかし、今の政府は何もやっていない。今の国民がみんな「政府に逆らってはいけない」と思い込んでいるので、政府は国民みんなに善いことをやらなくなったのである。政府は今後二度と善いことをしないだろう。
『国民は自由に国を治める団体を選べる。』そもそも国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民一人一人の自由である。今の政府は国民みんなに善いことを何もやっていない。だから、今の国民はみんな政府に国を治めさせなければいいのである。今の国民はみんな政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
権力団体は人間の心理を利用して国民を自分の言いなりにして国民を自分の食い物にして儲[もう]ける怖い団体である。国民にとっては権力団体のような危ない団体はないほうがいい。権力団体のような国民みんなを不幸にする団体は地球上から撲滅[ぼくめつ]したほうがいい。だから、国民はみんな政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして政府を倒せばいいのである。
これまで国民はみんな『権力団体が最初のいっとき国民みんなに善いことをする』ことを利用するために、政府を泳がせていたのである。しかし、今ではもう政府は善いことをしなくなっている。国民みんなにとって政府はもはや用済みである。だから、今の国民はみんな政府に国を治めさせるのをやめて政府を倒せばいいのである。政府の替わりに法律会社を建てて法律会社に仕事をやってもらえばいいのである。

[21415] 今の国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせねばならない。 h26.10.8
『今の政府は法律会社のふりをした権力団体である。』政府は暴力団や宗教団体をほったらかしにしているし、「多数決の原理」という嘘[うそ]の原理を定めて国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせようとしているから、政府は法律会社ではなく権力団体である。政府は法治団体ではなく政治団体である。
『国民が幸福に暮らすためには権力団体でなく法律会社がいい。』権力団体は国民に従われることによって国を平和にするだけで、国民が自分に従うことを利用して国民に好き放題に命令して国民を虐[いじ]めて不幸にして遊んでいる。法律会社は犯罪者を罰して国民の人権を守ってくれるので、国民が自由に平和に暮らすことができる。
『国民は国を治める団体を自由に選ぶことができる。』そもそも国民と国を治める団体は平等である。だから、国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。国民は自分が気に入った国を治める団体に国を治めさせればいいのである。国民は日頃[ひごろ]権力団体に従ったり法律会社の法律を守ったりしているために「自分が国を治める団体に逆らってはいけない」という錯覚に陥っているだけで、本当は『国民が自由に国を治める団体を選べる』のである。
したがって、今の国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせるべきである。今の国民は政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金を払って国民の人権を守ってもらわねばならない。

[21416] 今では正しい国民は政府に国を治めさせなくなっている。 h26.10.8
『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。だから、国民はめいめい自分がいいと思う国を治める団体に国を治めさせればいい。
『国民が幸福に暮らすためには権力団体ではなく、法律会社がいい。』だから、国民は権力団体ではなく、法律会社に国を治めさせればいい。
『政府は法律会社ではなく、権力団体である。』だから、国民は政府ではなく、法律会社に国を治めさせればいい。国民は政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金を払って国民の人権を守ってもらえばいい。国民が幸福に暮らすためには国の平和を維持しなければならないから、法律会社は必要である。今の国がそこそこ平和だからみんなが「平和なんかどうでもいい」と思っているが、平和が本当になくなったら大変である。平和は水や空気のように大切なものである。だから、国の平和を維持するために絶対に法律会社を建てねばならない。
だから、今では正しい国民は政府に国を治めさせなくなって政府を倒して、法律会社を建てて法律会社に国を治めさせようとしている。
しかし、今でも国民の多くはテレビや新聞を見て「政府が法律会社だ」と思ったり、日頃[ひごろ]政府に従っているために「国民は国を治める団体に逆らってはいけない」という錯覚に陥ったりしているために、政府に国を治めさせている。政府に従っている。政府の命令を聞いて政府に高い税金を払ったり、国家宗教をやったり、何でもかんでもやったりしている。国民の多くは政府に好き放題にされて不幸にされて虐[いじ]められて弄[もてあそ]ばれている。
今の日本には政府に国を治めさせている国民と政府に国を治めさせていない国民が混在している。
国民みんなが早く真実を理解して、政府に国を治めさせなくなって政府を倒して、法律会社を建てて法律会社に国を治めさせるようになればいい。
真実を知っている者は真実を知らない者に真実を教えて、早く国民みんなで政府を倒して法律会社を建てて、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[21417] 無政府主義とは何か? h26.10.8
近代になってヨーロッパにアジアから法律が伝わって、ヨーロッパでも国民がみんな法律を守るようになった。『権利のための闘争』(イェーリング著、1872年出版)なんていう本があるのもそのためである。アジアでは昔から法律があるからそんなことは当たり前だが、ヨーロッパでは中世までは法律がなかったのでみんなが法律のことを知らないので、みんなに法律を紹介するためにそんな本が書かれたのである。日本でもこれから社会人になろうとする大学生に一度「法律とは何か?」を考えさせるために、『権利のための闘争』がよくレポートの課題にされるのもそのためである。逆輸入である。
ヨーロッパでも国民がみんな政府(権力団体)に従うよりも、法律会社に人権を守ってもらって暮らしたほうが平和に幸福に暮らせることがわかったので、国民がみんな政府を倒して、法律会社を建てようとしている。
クロポトキンが唱[とな]える無政府主義とは、国民が政府も法律会社も何にも建てず、国民だけで平和に幸福に暮らすことである。国民が政府に従うのが第一の選択で、国民が法律会社に人権を守ってもらうのが第二の選択だとすれば、無政府主義は第三の選択である。
しかし、国の平和を維持するためには何らかの制度が要る。無政府主義は何もない原始時代と変わらない。無政府主義は国民がみんな政府に従う権力制よりも悪い。人間には善人もいれば悪人もいる。社会すなわち人間が集まるところには必ず犯罪者がいるから、法律会社が必要である。
無政府主義では国の平和が維持できない。無政府主義では国民みんなが幸福に生きてはいけない。だから、無政府主義はやめたほうがいい。一番善いのは法律会社に国民の人権を守ってもらうことである。だから、今の国民はみんな法律会社に国を治めさせて法律会社にお金を払って国民の人権を守ってもらわねばならない。政府は邪魔[じゃま]だから、国民はみんな政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。

[21418] 権力制よりも法律制のほうがいい。 h26.10.8
理論的に考えれば、権力制では、国の真ん中に政府を建てて国民がみんな“政府に従う気持ち”になればいいだけである。一方、法律制では国中に警察を設けなければならない。だから、権力制のほうが法律制よりもずっと安上がりである。
しかし、実際には権力制のほうが法律制よりもお金がかかる。それは、権力制では政府が国民みんなに好き放題に命令して、国民みんなから高い税金を取ったり国民みんなに戦争をさせたりするからである。
それに、権力制では政府が国民みんなに好き放題に命令して国民みんなに殺人や強盗をやらせてかえって国が平和にならない。
だから、権力制よりも法律制のほうがいい。
国民はみんな政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせたほうがいい。国民はみんな政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金を払って法律会社に人権を守ってもらったほうがいい。

[21419] 脳細胞の中で電荷が特殊な動きをすれば、そこに感覚が発生する。★ h26.10.8
電流が流れれば、つまり電荷が等速運動をすれば、その周[まわ]りに磁場が発生する。
それと同じように、脳細胞の中で電荷が特殊な動きをすれば、そこに“感覚”(つまり“感じること”)が発生する。あるいは、細胞の核の中に遺伝情報を荷う遺伝子があるように、脳細胞の中には感覚を荷う“感覚子”という物質があって、脳細胞が神経興奮したとき感覚子が変形して感覚子の物質波が特定の状態になったとき“感覚”があるのかもしれない。つまり、特殊な電磁場や特殊な物質波が“感覚”の実体なのである。エントロピーの実体が物体のミクロな状態の数であるのと同じである。つまり、特殊な電磁場や特殊な物質波には感覚があるのである。理由は不明だが、『自分には自分の脳細胞が荷う感覚しか感じられない。』だから、他人の感覚は自分には感じられないし、逆に自分の感覚は他人には感じられない。テレパシー器官がないかぎり自分には他人の思考が感じられない。
しかし、今はまだあまり細かいことがわからないから、『人間の脳にはいろんな感覚を発生する脳細胞が分布している』と考えればいい。人間には“感覚”があるから、人間は自分の“感覚”を用いて実在を認識することができるのである。人間は自分の脳を上手[じょうず]に使って幸福に生きていけばいいのである。
人間は『自分が幸福になるためには何をすればいいか、自分が不幸にならないためには何をしてはいけないか』を知り、それをまちがえずに実行すればいいのである。例えば、人間の心には『考える喜び』があるから、人間は自分が考えることによって『考える喜び』を満足して幸福に暮らせばいい。人間の心には「性欲」があるが、性欲を満足すると『自分の脳を興奮させる悪い癖が身について』何かのきっかけで自分で自分の脳を興奮させすぎて自分の脳を壊して自分の脳がうまく働かなくなって自分で自分の脳が思い通りにならなくなって自分が不幸になるから、「性欲」を満足させてはいけないのである。つまり、自分で自分の脳を興奮させすぎて自分の脳を壊すことが精神病である。その中に精神分裂病や躁鬱病[そううつびょう]があるのである。

[21420] 坂本竜馬はどうして幕府に殺されたか? h26.10.8
坂本竜馬は幕府を倒すために幕府高官の暗殺を計画しているのを幕府に知られて逆に自分が幕府に暗殺された。
坂本竜馬が「幕府を倒す」と考えたのは坂本竜馬の勝手だが、“倒し方”がまちがっていた。そのために、坂本竜馬は幕府に殺された。
幕府は国を治める団体である。『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』だから、坂本竜馬が幕府を倒したければ、坂本竜馬は幕府に国を治めさせないことにして、おとなしく幕府に年貢[ねんぐ]を払わなければよかったのである。たとえ幕府が身分制をやっていたとしても、国民が幕府に国を治めさせなければ身分制もないから国民は幕府に従わなくていい。それなのに、坂本竜馬は「国民は幕府に逆らってはいけない。」「国民が幕府を倒すためには幕府を殺すしかない。」と考えて幕府の高官を殺そうとしたから、幕府が怒って坂本竜馬を殺したのである。客が自分が店が気に入らなければ自分がその店で物を買わなければいいだけである。店の店員を殺してはいけない。それと同じことである。
坂本竜馬はヨーロッパが日本に攻めて来ていることを知って「日本は戦争をしてヨーロッパを倒すべきだ」と考えた。幕府はどうしても戦争をしてくれなかったから、「幕府を倒して政府を建てるべきだ」と考えた。しかし、本当は『戦争は政府が国民みんなに命令して殺し合いをさせる遊びだ』から、日本が戦争をやると日本でも国民がみんな政府に弄[もてあそ]ばれて殺されるから、国民はみんな「ヨーロッパが日本に攻めて来る」ことなんか無視して、幕府を倒して政府を建てなければよかったのである。ヨーロッパが日本に攻めて来たら、国民みんなで「おまえら政府に殺し合いをさせられてかわいそうだな」「政府の操り人形にされて気の毒だな」と哀れんでやればいいのである。そうすれば、ヨーロッパ兵は「自分が馬鹿だ」と思って恥ずかしくなってそのままおとなしく引き返すだろう。「自分が負けた」と思って退散するだろう。
今は国民が政府を倒すべきときである。政府は権力団体であり、国民が幸福に暮らすためには権力団体ではなく法律会社でなければならない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
今の国民は政府を正しい“倒し方”で倒さねばならない。政府は国を治める団体である。『国民が国を治める団体に国を治めさせるか治めさせないかは国民個人の自由である。』だから、国民は政府に国を治めさせるのをやめて政府に従うのをやめて政府の命令で政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。けっして、坂本竜馬みたいに政府の高官を殺して政府を倒そうとしてはいけない。そんなことをすれば、逆に政府に殺される。国民は冷静になって正しい倒し方で政府を倒せばいいのである。そうすれば、政府は国民に文句が言えず、おとなしく国民に倒されるしかないのである。正しい倒し方で倒せば政府はちっとも怖くないのである。だから、国民は安心して政府を倒せばいいのである。

[21421] 国民は水やゴミの会社と自由に契約して仕事をしてもらうことができる。☆ h26.10.9
水とゴミは国を治める団体の仕事である。幕府も政府も水とゴミをやっていたから国を治める団体は水とゴミをやるのである。昔から水とゴミは国を治める団体の仕事だと決まっているのである。
しかし、明治維新の時には国を治める団体が幕府から政府に変わった。その間は国を治める団体がなかった。しかし、国民みんなにとっては水やゴミは必要である。だから、その間は水やゴミの会社は国を治める団体から独立に運営していたのである。
今は国民がみんな政府から法律会社に戻している時代である。昔の国民はみんな「政府が法律会社である」「日本は戦争をやらねばならない」と考えていたから政府に国を治めさせていたのである。しかし、今の国民はみんな『政府は権力団体である』『日本は戦争をやらなくていい』と考えているから政府に国を治めさせなくなって、法律会社に国を治めさせようとしている。今は国を治める団体の交代の時期である。
だから、今は水やゴミの会社は国を治める団体から独立に運営しているのである。もともと水やゴミの会社は国を治める団体から独立に運営しているのである。国を治める団体が国民みんなに自分に国を治めさせるために、水やゴミの会社と組んでいるふりをしていただけなのである。本来は『国民が国を治める団体を自由に選べる』から、水やゴミの会社は国を治める団体から独立であって、国民が自由に水やゴミの会社と契約してお金を払って仕事をしてもらえるのである。
もともと国民は水やゴミの会社と自由に契約してお金を払って仕事をしてもらえる。だから、今では政府に国を治めさせたい国民も政府に国を治めさせたくない国民も両方とも水やゴミの会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。国民は水やゴミで困ることはない。だから、国民は自由に国を治める団体を選べばいいのである。
国民は自由に国を治める団体を選ぶことによって国を治める団体をどんどん改善させて、国民が幸福に暮らすために便利な団体にすればいいのである。国民の多くが権力団体に従ったり法律会社の法律を守ったりして「国民は国を治める団体に従わなければならない」と思い込んでいるために、国を治める団体がふてぶてしく偉そうにしてちっとも自分で改善しようとしないのである。しかし、本当は『国民は国を治める団体を自由に選べる』から、国民は国を治める団体が自分の気に入らないと思ったら国を治めさせないことにして税金や料金を払わなければいいのである。さっさとほかの国を治める団体に入れ替えて、国を治めさせればいいのである。国民は自分が本当に気に入るまで国を治める団体を入れ替えまくって、国を治める団体をどんどん改良すればいいのである。国に国を治める団体を2つ以上建てて互いに競争させてもいいかもしれない。いきなり全国規模で法律会社をやるのは資金不足で無理だから、最初は自分の町で町の人の人権を守る法律会社を開けばいい。人気が出たらじょじょに会社を広げていけばいいかもしれない。

[21422] どうして今の人は馬鹿なことばっかりやっているか?☆ h26.10.9
今の政府が国民みんなにまちがった哲学ばかりを教えているからである。
昔は幕府や政府が国民みんなに正しい哲学を教えていたから国民みんなが幸福に暮らすことができた。
しかし、今の政府は国民みんなが自分におとなしく従っているのをいいことにして、国民みんなにまちがった哲学を教えて国民みんなを不幸にして虐[いじ]めて遊んでいるのである。政府は国民を虐めるのが好きだから、政府は国民みんなにまちがった哲学を教えて国民みんなが自分で自分を不幸にするのを見て喜んでいるのである。権力制では国民は政府に従うだけなので、政府は国民に仕返しされることがないので、政府は安心して国民に命令して国民を虐めることができるのである。政府は国民に命令して国民を虐め放題なのである。(国民が政府に虐められないためには、国民が政府に国を治めさせるのをやめて政府に従わなければいいのである。)政府が国民みんなを虐めると国民みんなが「政府に従わねばならない」気持ちになるので、政府は国民みんなを「政府に従わねばならない」気持ちにさせて国民みんなに国を治める団体を入れ替えさせないようにするために、熱心に国民みんなを虐めているのである。『人間は自分が幸福になる感情を満足すれば幸福になり、自分が不幸になる感情を満足すれば不幸になる。』昔の幕府や政府は国民みんなに自分が幸福になる感情を満足させて国民みんなを幸福にしていたが、反対に今の政府は国民みんなに自分が不幸になる感情を満足させて国民みんなを不幸にしているのである。例えば、「性欲」は人間を不幸にする感情だから、政府は国民みんなに「性欲」を勧[すす]めて国民みんなを不幸にするのである。「見る喜び」はつまらない感情だから、政府は国民みんなに「見る喜び」を勧めて国民みんなをつまらなくするのである。それがヨーロッパ社会である。反対に、『考える喜び』は人間を幸福にする感情だから、江戸幕府は国民みんなに『考える喜び』を勧めて国民みんなを幸福にしたのである。『想像する喜び』は面白い感情だから、江戸幕府は国民みんなに『想像する喜び』を勧めて国民みんなを面白くしたのである。それが昔の日本社会である。ヨーロッパ人だって本当は日本人と同じように『考える喜び』や『想像する喜び』があるのだが、政府のせいでそれらが満足されなかったので、ヨーロッパ文化には『考える喜び』や『想像する喜び』がないのである。ヨーロッパ文化はヨーロッパ人自身が作り出したのではなく、政府によって作られた文化だったのである。ヨーロッパは『法律』を生み出せなかったばっかりに、そんな世界になってしまったのである。国民みんなが政府に虐められて政府に幸福を奪われて政府に不幸にされる世界になったのである。ヨーロッパ人はこれまで政府によって“考えない想像しない眼で見てエッチをすることだけが喜びの嫌な性格の人間のクズ”に作り変えられていたのである。反対に、日本には昔から法律があったおかげで日本は法律会社の時代が長かったから、国民みんなが自由な時代が長かったから、日本文化は日本人自身が作り出した文化であって、政府によって作られた文化ではないのである。だから、日本文化のほうがヨーロッパ文化よりも国民みんなにとって幸福なのである。
政府は権力団体だから、国民みんなに好き放題に命令して国民みんなを不幸にする。
反対に、法律会社は国民みんなに法律だけ守らせて、あとは国民みんなの自由にする。
国民みんなが幸福に暮らすためには、権力団体よりも法律会社のほうがいい。
国民は自分が好きな国を治める団体を選べる。だから、今の国民は政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして政府の税金を払わないようにして政府を倒して、法律会社が建ったら法律会社と自由に契約して法律会社にお金をやって法律会社に国民みんなが幸福に暮らせる善い国にしてもらえばいいのである。

[21423] 今の国民は政府について何も知らないために政府に従っている。 h26.10.10
政府は権力団体である。政府は国民に従われることによって国を平和にする団体である。政府は国民が自分に従っていることを利用して、国民に命令して国民を不幸にする。しかし、『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である』から、国民が政府に不幸にされないためには、国民は政府に国を治めさせず政府に従わなければいいのである。
今の国民は『政府が権力団体である』ことも『権力団体が国民に命令して国民を不幸にする』ことも『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である』ことも何にも知らないから、政府に従っているのである。今の国民は政府について何も知らないために、政府に従っているのである。“知らぬが仏”とはこのことだ。
今の国民の多くは政府に従っている。しかし、いくら政府に従っている国民が多くてもまちがっていてはいけない。今の国民は政府に国を治めさせず政府に従わず政府を倒すのが正しい。人間は正しいことをしなければならないのであって、みんなと同じことをしなければならないのではない。「多数決の原理」は社会の原理ではない。『正しいことをしなければならない』のが本当の社会の原理である。社会にはまちがった者が多い。人間は社会の中にいるからこそ周[まわ]りの他人に惑[まど]わされず自分が正しいことをしなければならないのである。「多数決の原理」は政府が作った嘘[うそ]の原理である。政府は国民を不幸にするのが好きだから、国民にまちがった社会の原理を教えて国民にまちがったことをやらせて国民が不幸になっているのを見て喜んでいるのである。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は国民の多くが政府に従っていることを無視して、自分は政府に従ってはいけない。
早く国民がみんな政府について正しく理解して、『自分が政府に従ってはいけない』ことを知って、政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。権力団体に国を治めさせたら国民が不幸になる。法律会社に国を治めさせたら国民が幸福になる。国民が幸福に暮らすためには法律会社のほうがいいから、早く国民みんなで法律会社を建てて法律会社にお金を払って法律会社に人権を守ってもらって幸福に暮らさねばならない。
今の国民の多くは「政府に国を治めさせたら国が裕福になる」と思って政府に国を治めさせている。しかし、江戸時代の日本では国民がみんな幕府(法律会社)に国を治めさせていたが、国民がみんな裕福だった。近代の日本では国民がみんな政府に国を治めさせていたが、国民みんなが政府に従って政府に戦争をやらされて戦争に負けさせられて貧乏にさせられた。だから、幕府(法律会社)は国民みんなを裕福にする団体で、政府は国民みんなを貧乏にする団体である。ヨーロッパが裕福なのは政府のためではない。国民みんなのためである。政府はむしろ国民から重税を取って国民に戦争をやらせて国民を貧乏にしたのである。ヨーロッパは昔から資源が豊かで人々が科学が得意で産業が発達しているので、国民みんなが裕福なのである。ヨーロッパ人が科学が得意なのは、ヨーロッパで先に科学が生まれたからである。アジアで先に法律が生まれたから、アジア人が法律が得意なのと同じことである。日本もこのままヨーロッパを追いかけていけば、いずれは日本人も科学が得意になるだろう。(もっとも、資源までは豊かにはならないが。)ヨーロッパは日本よりも500年ぐらい産業が発達するのが早かったから、ヨーロッパは日本よりも裕福なのである。今後日本がヨーロッパを追いかければ、日本もいずれはヨーロッパのように裕福になるだろう。だから、焦[あせ]らなくていい。政府と産業は関係ない。政府は国民に従われて国を平和にして国民に命令して国民を虐めるだけだから、政府は国の産業の発達とは関係がない。日本が産業を発達させるためには、国民が努力すればいいだけだから政府は要らない。政府は国民に好き放題に命令して国民に戦争をやらせて国民を貧しくして国民を不幸にするだけの役立たずである。政府が国民みんなに戦争をやらせると数百年分の国家予算がなくなる。だから、国民はみんな早く政府を倒して、国民を貧乏に不幸にする者をなくして、幸福に暮らせばいい。

[21424] 今の国民はどうして政府に従っているのか? h26.10.10
今の国民が政府に国を治めさせているからである。
政府は権力団体(政治団体)である。つまり、政府は国民に従われて国を平和にする団体である。今の国民が政府に国を治めさせているために、国民は政府に従わねばならなくなっているのである。国民は政府の命令を聞かねばならなくなって政府に税金を払ったり国家宗教をやったり何でもかんでもやらねばならなくなっているのである。
今の国民は政府に国を治めさせているから政府に従わねばならない。だから、反対に、今の国民が政府に国を治めさせなければ政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払ったり国家宗教をやったり何もしなくていい。しかも、国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。国民自身が自分の頭の中で決めればいいことである。だから、国民は自分が政府に従いたくなければ、自分が政府に国を治めさせないことにすればいい。
今の国民は自分が政府に国を治めさせているから政府に従わねばならないのである。だから、国民は自分が政府に国を治めさせているかさせていないかをよく考えて、自分で政府に国を治めさせるかさせないかを決めて、自分が政府に従ったり従わなかったりすればいいのである。
国民が権力団体に国を治めさせれば国民は不幸になり、国民が法律会社に国を治めさせれば国民が幸福になる。だから、国民は権力団体ではなく、法律会社に国を治めさせればいい。国民は政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金を払って自分の人権を守ってもらえばいい。

[21425] 日本は戦争をすべきだったか? h26.10.10
近代になってヨーロッパが日本に攻めて来そうだった。正直言って国民はみんなヨーロッパが攻めて来るのが怖かった。だから、国民はみんな戦争をしてヨーロッパから国を守ろうとした。それはやむを得ない。
しかし、そのために、国民がみんな政府を建てたのはまちがいだった。いくら政府が戦争がやれるからと言って、国民がみんな政府に国を治めさせたのはまちがいだった。政府は権力団体である。政府は国民が自分に従っているのをいいことにして、国民に好き放題に命令して国民を不幸にする団体である。政府が国民みんなのために国を守ってくれるわけがない。案の定、政府は世界大戦のときに国民みんなにわざとに勝てない戦争をやらせて国民みんなを無駄死[むだじ]にさせて不幸にした。政府は国を守ってくれるどころか、国をわざわざ敵の攻撃に晒[さら]してボロボロにして国を滅ぼした。政府は国民みんなの期待と反対のことをする。政府は国民の前では「国を守る」と言っておきながら、実際には国を滅ぼすことばかりする。政府は言っていることとやっていることが反対である。だから、政府は天邪鬼[あまのじゃく]と言うのである。
国民みんなの政府に対する理解が足りなかったのがいけなかったのだ。政府は国民みんなのために国を守ってくれる団体ではない。だから、今度から日本が戦争をしなければならない場合には、国民みんなは政府を建ててはいけない。国民みんなは法律会社に加えて軍事会社を建てて軍事会社の指揮で敵と戦わねばならない。法律会社の仕事は国民の人権を守ることだから、軍事会社は敵の攻撃から国民を守るために敵と戦えばいいのである。そういう考えなら、法律会社が戦争をやってもいいはずである。徳川幕府がもう少し融通を利かして国民のために戦争をやってくれればよかったのだ。

[21426] 今の国民は自分に適した“国を治める団体”を選ばねばならない。 h26.10.10
『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』だから、国民は自分を幸福にする国を治める団体を選んで国を治めさせねばならない。「多数決の原理」は政府の嘘[うそ]だから、本当は『人間は正しいことをしないといけない』から、国民は他人を真似[まね]ずに自分で考えて正しく国を治める団体を選ばねばならない。
政府は権力団体である。政府は国民に従われることによって国を平和にするだけである。政府は国民に好き放題に命令して国民から高い税金を取って国民を不幸にする。政府は国民にありったけまちがいを教えて国民に自分で自分を不幸にさせて国民が苦しむ姿を見て喜んでいる。[ニーチェ著『ツァラトゥストラはかく語りき』の序章に出てくる綱渡り師とは国民で、綱渡り師の頭の上を跳び越した道化師とは政府のことである。道化師は綱渡り師が綱からこけて地面に叩き付けられて地面の上でのたうちまわるさまを見て悦[えつ]に入っているのである。つまり、政府は国民にまちがいを教えて国民の人生を狂わせて国民を不幸にして喜んでいるのである。]
一方、法律会社は国民の人権を守ってくれる。国民は法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払えば人権を守ってもらえる。国民は自分が法律を守りさえすれば、あとは国民の自由である。うるさい命令なんかない。おまけに、法律会社は国民に正しいことを教えて国民に自分で自分を幸福にさせて国民を幸福にしてくれる。
国民が自分が幸福に暮らすためには政府のような権力団体よりも法律会社のほうがいい。だから、国民は政府に国を治めさせるのをやめて法律会社に国を治めさせればいい。国民は政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて、将来法律会社が建てば法律会社と契約して法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらえばいいのである。

[21427] ヨーロッパでは国民が政府に不幸にされている。 h26.10.10
ヨーロッパでは国民が政府に従わねばならないので自由がなく、そのうえ政府が国民にまちがったことばかり教えて国民が不幸にされている。反対に、アジアでは国民が法律を守って自由に暮らして、そのうえ法律会社が国民に正しいことを教えて国民を幸福にしてくれている。そのために、ヨーロッパ人は科学知識が正しいだけで、それ以外はまちがいだらけである。反対に、アジア人には科学の知識はないが、正しい哲学や道徳がある。だから、ヨーロッパ人はアジア人から哲学や道徳を学べばいい。アジア人がヨーロッパ人から科学や産業を学べばいいのと同じである。ヨーロッパはあと法律さえ発明できれば完全な国だったのに残念である。
日本政府は権力団体である。だから、日本でも国民が政府に従って、政府が国民にまちがったことばかり教えて国民が不幸にされている。このまま国民が政府に従い続けると、ますます国民が政府に不幸にされる。
『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』だから、国民は自分が幸福になるために、政府に国を治めさせてはいけない。国民は法律会社に国を治めさせねばならない。国民は政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に法律を守らせてもらわねばならない。
要するに、法律と科学の両方ある国が一番善い国である。みんなが幸福に暮らせる国である。法律と科学が両方あれば、国民が自由に平等に平和に暮らしながら、物を使って便利に楽しく生活できる。早く世界中の国がそうなればいい。今の日本は科学だけあって法律のない国だから、早く日本から政府をなくして日本に法律会社を建てて、日本を法律のある国にしなければならない。
今の日本は法律会社と科学の両方ある国に負けている。例えば、中国やアジアのどこかの国に負けている。ヨーロッパはいまだに権力制から抜け出せないでいるから、いまいちである。お金で見てもたぶん中国のほうがヨーロッパよりもお金持ちである。ヨーロッパは家が立派なだけでほかは貧乏である。ヨーロッパは戦争や植民地にお金を使い込んでお金がないのである。日本も戦争にお金を使って貧乏である。今では日本は後進国である。明治維新のときに国民がみんなまちがって政府に国を治めさせたから今の日本が遅れてしまっているのである。だから、今の日本では国民がみんなもっとがんばって自分で正しい国を治める団体に国を治めさせて、日本を善い国にしないといけない。
そもそも政府や法律会社などの国を治める団体は国を平和にしたり国民を幸福にしたりするためにあるのであって、国を裕福にするためにあるのではない。国を裕福にするのは科学や産業の役目である。科学や産業が発達すれば、国民がみんな大量に物を作って大量に物を売って国民がみんな儲[もう]かるからである。一方、政府や法律会社は権力制や法律制などの社会制度をやるためにあるのであって、国民が儲かることとは関係ない。国民が儲かるためには科学や産業があればよく、国を治める団体は要らない。反対に、国を平和にするためには国を治める団体があればよく、科学も産業も要らない。実際には、政府があっても国は平和にならずかえって政府が国民に命令して戦争をやらせたり人殺しや強盗をやらせたりして国が物騒[ぶっそう]になるから政府は国の平和にとっては何の役にも立たない。むしろ、政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に戦争をやらせたりして無駄[むだ]な損失を出して国民を貧乏にするだけである。政府は国民を裕福にさせないためにせっかく国民が科学や産業で儲けたお金を無駄使いして台無[だいな]しにする。国民にとっては政府はなくなったほうがいい。しかし、ヨーロッパでは法律がないから国民がみんな国を治めるためには政府に従うしかないから、国民はみんないやいやしかたなく政府に従っているにすぎないのである。たとえ国が平和にならなくても、国民はみんな国を治めるために政府に従ったのである。国を治めるとは必ずしも国を平和にすることではないのである。国が平和になろうがなるまいが、とにかく国民はみんな国を治めるためにひたすら政府に従ったのである。人間と人間が上下関係で結びついていればとにかく国が治まるのである。けっして、政府が国民みんなのために役に立つから、政府が国民みんなを裕福にして幸福にしてくれるから、国民がみんな喜んで政府を設けているわけではないのである。政府は国民みんなから税金を取って国民みんなを貧乏にして国民みんなに嫌なことを命令して国民みんなを虐めて不幸にするだけの嫌な疫病神[やくびょうがみ]なのである。一方、アジアには昔から法律があるから、法律会社が国民みんなの人権を守って国民みんなが自由に平等に平和に暮らせるようにしてくれる。おまけに、法律会社が国民みんなに正しい哲学や道徳を教えて国民みんなが自分で自分を幸福にして幸せに生きていけるようにしてくれる。国を平和にして国民を幸福にできるのは法律会社であって政府ではないのである。国民は自由に平和に暮らしながら、物やお金が豊かに暮らせば最高に幸せである。そのためには、国に法律会社と科学や産業があればいい。疫病神の政府は早くなくなったほうがいい。それが理想の国家である。だから、日本でも早く国民がみんな政府を倒して法律会社を建てて、日本を法律会社と科学や産業がある国にしないといけない。不幸にもヨーロッパでは国民がみんな「政府に従わねばならない」と思って国民がみんな政府に国を治めさせているが、日本では国民がみんな『国民が自由に国を治める団体を選ぶことができる』と考えて国民がみんな政府に国を治めさせないようにして法律会社に国を治めさせるようにして政府を倒して法律会社を建てて日本を国民みんなが幸福に暮らせる善い国にしないといけない。ヨーロッパはこれまでずっと法律がなかったから、国民がみんなずっと政府に従うしかなかったから、『国民が国を治める団体を自由に選べる』という発想ができないのである。そのために、今でもヨーロッパでは国民がみんな政府に国を治めさせたままで政府に従い続けているのである。一方、日本ではこれまで法律があったから、国民がみんな政府や法律会社を何度も入れ替えてきたから、日本では国民がみんな『国民が国を治める団体を自由に選べる』という発想ができる。だから、今の日本では国民がみんな政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせればいいのである。国民がみんな政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、国民がみんな法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って自分の人権を守ってもらえばいいのである。

[21428] 今の日本では国民がみんな権力制から法律制に戻している。 h26.10.11
国を治めるためには、権力制と法律制の二つの方法がある。
権力制とは、国民がみんな政府(あるいは宗教団体や貴族)に従うことによって国を治めることである。政府は国民に好き放題に命令して国民を不幸にする。政府は国民に命令して国民に戦争させたり人殺しや強盗をさせたりする。だから、権力制では国が平和にならず物騒[ぶっそう]になり国民は不幸になる。権力制では国が治まっているだけで、国が平和でもなんでもない。つまり、権力制とは政府が国民を不幸にして国民に戦争をさせて国を治めることなのである。権力制では政府が国民に冷たく当たって国を治める。権力制は国民みんなが不幸になる国の治め方なのである。
一方、法律制とは、国民がみんな法律会社に人権を守ってもらって国を治めることである。法律会社は法律を定めて、国民に法律を守らせて、法律の違反者を罰することによって国民の人権を守る。法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にする。法律会社は国民に法律を守らせるだけで、あとは国民個人の自由である。国民は法律を守って、自由に平等に平和に暮らすことができる。だから、法律制では国が平和になり国民は幸福になる。つまり、法律制とは法律会社が国民を幸福にして国民に平和をさせて国を治めることである。法律制では法律会社が国民に暖かく接して国を治める。法律制は国民みんなが幸福になる国の治め方なのである。
ヨーロッパでは法律が発明されず昔から法律がなかったので、国民はみんなずっと権力制をやり続けてきた。近代になってからアジアからヨーロッパに法律が伝わって、国民がみんなじょじょに法律を守るようになってきたが、今でも権力制から完全には抜け出していない。いまだにヨーロッパでは国民がみんな政府に従い続けている。今のヨーロッパでは国民がみんな法律を守りながら政府に従っている。法律制と権力制の両方をやっている。
反対に、アジアでは法律が発明されて昔から法律があったので、国民はみんなずっと法律制をやり続けてきた。今のアジアでは国民がみんな法律制をやっている。国民みんなが自分で法律を守って、法律会社に自分の人権を守ってもらって自由に平等に平和に暮らしている。しかし、日本では近代に国民がみんなヨーロッパ文化を取り入れるために、ヨーロッパを真似[まね]て一時的に権力制をやっていた。当時の国民はみんな権力制を法律制だと思って権力制をやっていた。そのため、今の日本では国民みんなが「余計なものを取り入れてしまった」と思って後悔して、必死になって権力制から法律制に戻している。
権力制はヨーロッパの汚点である。ヨーロッパ文化の欠点である。だから、今の日本では早く国民がみんな権力制をやめて法律制をやらねばならない。『国民が自由に国を治める団体を選ぶことができる』から、国民は政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と契約して法律会社にお金を払って自分の人権を守って暮らさねばならない。
近代の日本ではみんながまちがってヨーロッパの権力制を取り入れたために、国民みんながさんざん政府に虐[いじ]められて不幸な思いをした。今度から、日本ではみんなが外国の文化を取り入れるときにはもっと慎重にして、外国の文化の欠点を取り入れないようにしないといけない。外国の文化の善いところだけを取り入れて悪いところを取り入れないようにしないといけない。

[21429] 政府は自分の好き放題に国民みんなを虐[いじ]めているのではない。 h26.10.11
政府は権力団体である。権力制では、政府が国を治めるために国民を不幸にして国民に戦争をさせる。だから、政府は国民を不幸にするのである。政府は国を治めるための仕事として国民みんなを虐めて不幸にしているのである。政府は国を治めるための仕事として国民を虐待しているので、政府には罪悪感がまったくないのである。政府は事故で大勢の国民を殺しても国民みんなから高い税金を取っても国民みんなにどんなに不愉快[ふゆかい]な生活をさせても自分は何食わぬ顔でケロリとしているのである。
国の治め方には2つある。権力制と法律制である。権力制では政府が国民を不幸にして国を治める。法律制では法律会社が国民を幸福にして国を治める。
だから、国民はみんな自分が幸福になるために、法律会社を建てればいい。法律制では、法律会社が国を治めるために国民みんなの人権を守る。国民みんなに法律を守らせて、あとは国民個人の自由とする。法律会社は国民に幸福に生きるための指導をする。法律会社は国民が幸福になる感情を満足させて不幸になる感情を満足させないようにする。法律会社は国民を幸福にして国民に戦争をさせない。法律会社は国を治めるための仕事として国民みんなに善を勧[すす]めて国民みんなを幸福にする。
このまま国民がみんな政府に国を治めさせると、政府が“国を治めるために”国民みんなを不幸にしまくって国民みんなの喜びがなくなって苦しみばかりになって国民みんなが生きていくのが嫌になる。だから、国民はみんな政府に国を治めさせてはいけない。『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の勝手である。』だから、国民はみんな政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒して国民みんなが不幸に暮らさねばならないのをやめさせて、法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って国民みんなが幸福に生きていけるようにしてもらわねばならない。
ヨーロッパ人は長い間政府に虐められ続けて気が狂っているからニコニコ笑っているのである。日本人は長い間法律会社の世話になって正気でいるから苦しげな顔でいられるのである。日本人はヨーロッパ人みたいになる前に政府を倒して法律会社に国を治めさせねばならない。

[21430] 国民が政府に不幸にされて国を治めるのが好きなら政府に国を治めさせればいい。 h26.10.11
『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』だから、国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民一人一人の自由である。国民一人一人が自分で考えて国を治める団体を決めればいいのである。
だから、私が自分が『政府に国を治めさせないほうがいい』と考えて、私が政府に国を治めさせないのは私の勝手である。しかし、私が政府に国を治めさせないからといって、他人が政府に国を治めさせてはいけないわけではない。『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の勝手である』から、私が他人に『政府に国を治めさせるな!』と命令することはできない。他人が何を買おうが他人の勝手だから、私が他人に「これを買え!」とか「あれを買うな!」と命令できないのと同じことである。人間はみな平等だから、私は他人に命令する資格はないから、他人がいくら悪い店に騙[だま]されて悪い物を買って損をしているからといって、私が他人に命令して悪い店で悪い物を買わせないことはできない。他人が自分自身で考えて悪い店で悪い物を買わないほうがいいことがわかって自分自身で買うのをやめるしかない。だから、他人は他人自身で考えて、政府に国を治めさせるかさせないか決めねばならない。例えば、他人が政府に不幸にされて政府に戦争をさせられて国を治めるのが好きなら、他人は政府に国を治めさせればいいのである。
国民は自分自身で考えて政府に国を治めさせるかさせないかを決めて、それを自分の身体で実行すればいいのである。政府に国を治めさせない人は政府に従わず政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。反対に、政府に国を治めさせる人は政府に従って政府の命令を何でも聞いて政府に税金を払ったり国家宗教をやったり人殺しでも強盗でも戦争でも何でもかんでもやればいいのである。
今の日本には政府に国を治めさせない人がいるかもしれないが、今はまだ政府に国を治めさせている人が大勢いるから政府は大勢の人から税金を取って生き残っているのである。政府はピンピンしてテレビや新聞に出て我が物顔をしているのである。
『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である』から、国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人がめいめい自由に決めればいいことである。一方、政府がどんな仕事をしようが政府の勝手だから、政府が国を治める団体をやるのは政府の自由である。だから、国民が政府を倒すために、大勢の国民が団結して政府に暴力をふって政府を倒してはいけない。戊辰[ぼしん]戦争で大勢の国民が幕府に暴力をふって幕府を倒したみたいにやってはいけない。国民が政府を倒すためには、大勢の国民が政府に国を治めさせないようにして倒すしかない。だから、政府を倒すためには、大勢の国民が自分の意思で政府に国を治めさせなくなるしかない。
しかし、今の国民はみんなテレビや新聞を見て「政府が法律会社であり、政府は国民みんなを幸福にする」と思って、政府に国を治めさせている。
早く国民がみんな『政府が権力団体であり、政府は国民みんなを不幸にする』と考えて、政府に国を治めさせなくなって政府を倒す日が来ればいい。
人間は正しいことをしないといけない。人間は正しく考えて自分が幸福になることをしないといけない。だから、国民は大勢の国民に合わせるのではなく正しいことをしなければならない。今の国民の多くは政府に従って自分がまちがったことを考えてまちがったことをやって自分で自分を不幸にしている。今の国民の多くは馬鹿である。世の中には馬鹿が多くて利口が少ないから、大勢の国民がまちがっているのは当然である。国民は国民の多くを見習って自分もいっしょに不幸になってはいけない。国民は国民の多くと反対のことをやって正しいことをやって自分で自分を幸福にしなければならない。国民は政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして自分で自分を幸福にしないといけない。
世の中には馬鹿が多くて利口が少ない。利口は正しいことをやって自分で自分を幸福にするが、馬鹿はまちがったことをやって自分で自分を不幸にする。馬鹿が幅を利かすとみんながまちがったことをやってみんなが不幸にならねばならなくなる。だからこそ、少数の利口ががんばって正しいことをやってみんなが幸福に暮らせる善い世の中にしないといけない。利口はおとなしく馬鹿に従っていてはいけない。利口は大勢の馬鹿に逆らって自分で正しいことを考えて正しいことをやって、馬鹿に正しいことを教えて馬鹿に正しいことをやらせてみんなが正しいことをやってみんなが幸福になるようにしなければならない。
国民みんなの実体は国民一人一人の集まりである。国民みんなは国民一人一人の積み重ねである。国民みんなでは政府を倒せるが、国民一人では政府はちょっとだけしか倒せない。しかし、国民一人だけでもちょっとだけ政府を倒せる。だから、国民は自分ひとりでも政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして、ちょっとだけでも政府を倒せばいい。国民は自分が政府に従わないようにしていれば、そのうち他人が自分を見て『政府に従わなくていい』ことがわかって他人も政府に従わなくなるだろう。政府に従わない国民が増えれば、政府が少しずつ倒れていってそのうち政府はバタンと倒れて潰[つぶ]れるだろう。

[21431] 国を治める団体は国民のためにある。☆ h26.10.12
『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民一人一人の勝手である。』つまり、国を治める団体は普通の会社と同じである。国民は自由に自分の意思で国を治める団体に国を治めさるかさせないかを決めればいい。国民は自分を幸福にする国を治める団体に国を治めさせて、自分を不幸にする国を治める団体に国を治めさせてはいけない。
『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』『法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める。権力団体は国民に嫌な命令をして国民を不幸にして国を治める。』だから、政府は国民の人権を守っているふりをして本当は国民に嫌な命令を出している。政府は国民を幸福にしているふりをしてじつは国民を不幸にしている。政府は善いことをしているふりをしてじつは悪いことをやっている。政府は国民を騙[だま]す詐欺[さぎ]会社である。政府は陰険[いんけん]である。
したがって、国民は政府に国を治めさせてはいけない。政府は国民に嫌な命令をして国を治めるから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
国民が幸福に暮らすためには法律会社に国を治めさせればいい。国民は法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って自分の人権を守ってもらえばいい。国民は法律会社と契約せず法律会社にお金を払わなければ法律会社に自分の人権を守ってもらえないから、なるべく法律会社と契約したほうがいい。
これまで政府が国を治めていたのは、昔の国民一人一人が自分の意思で政府に国を治めさせることに決めていたからである。昔の国民はみんな政府の法律会社の芝居に騙されて「政府が国民みんなを幸福にする善い団体だ」と思って政府に国を治めさせていたのである。しかし、本当は政府は権力団体であり『政府は国民みんなを不幸にする悪い団体なのである。』だから、反対に、今の国民一人一人が自分の意思で政府に国を治めさせないことに決めて政府に国を治めさせなければいいのである。国民一人一人の意思が国を作る。国民一人一人が正しく考えて自分を幸福にするようにして善い国にすればいいのである。

[21432] 人間は自分が幸福になりたければ正しいことをしないといけない。☆ h26.10.12
人間は誰でも幸福になりたい。不幸になりたくない。
人間が幸福になるためには、自分が幸福になることをやって、不幸になることをやってはいけない。
人間が幸福になるためには、自分で正しく考えて自分が本当に幸福になることをやって、不幸になることをやってはいけない。
馬鹿は自分でまちがって考えて自分を不幸にすることを自分を幸福にすることだと誤解して自分が不幸になることをやって幸福になることをやらず、自分で自分を不幸にしている。
反対に、利口は自分で正しく考えて自分を幸福にすることをやって、自分が幸福になることをやって自分が不幸になることをやらず、自分で自分を幸福にしている。
例えば、今の馬鹿は「見る喜び」や「性欲」を満足している。政府が国民みんなに「見る喜び」や「性欲」を勧[すす]めているからである。馬鹿は『政府が国民を不幸にして国を治める団体である』ことを知らないから、政府の言うことを鵜呑[うの]みにして「見る喜び」や「性欲」を満足して自分で自分を不幸にして苦しんでいる。
反対に、今の利口は『想像する喜び』や『考える喜び』を満足している。利口は『政府が国民を不幸にして国を治める団体である』ことを知っているから、政府の勧めと反対のことをしている。利口は政府の勧めと反対のことをやって『想像する喜び』や『考える喜び』を満足して自分で自分を幸福にして楽しんでいる。
例えば、今の馬鹿はテレビや新聞で政府の法律会社の芝居を見て「政府が国民みんなを幸福にして国を治める法律会社だ」と思って、政府に国を治めさせている。政府の命令を法律だと思って、真剣に政府の命令を聞いている。政府の税金の命令を聞いて、政府に税金を払っている。政府に税金を払ったためにお金がなくなって遊べなくなって退屈に暮らしている。政府の命令を何でも聞いて、自分が死んだり、カタワになったりして不幸に暮らしている。自分に政府の命令が下るのをおびえながら毎日嫌な気持ちでいやいや暮らしている。
反対に、今の利口はテレビや新聞をあまり見ずに自分の頭で考えて『政府は国民みんなを不幸にして国を治める権力団体だ』と考えて、政府に国を治めさせていない。政府の法律を政府の命令だと思って、政府の法律を守っていない。政府の税金の法律を守らず、政府に税金を払わず、税金を自分の遊びのために使って楽しく暮らしている。政府の命令を聞かず、自分がやりたいことをやって自由にのびのびと暮らしている。
馬鹿は正しいことがわからないから不幸なのである。利口は正しいことがわかるから幸福なのである。人間は自分で考えて正しいことがわかるから幸福に暮らせるのである。人間は正しく考えて自分を幸福にする感情と自分を不幸にする感情がわかるから、自分を幸福にする感情を満足させて自分を不幸にする感情を満足させないようにして幸福に暮らせるのである。人間は正しく考えて自分を幸福にする国を治める団体と自分を不幸にする国を治める団体がわかるから、自分を幸福にする国を治める団体に国を治めさせて自分を不幸にする国を治める団体に国を治めさせないようにして幸福に暮らせるのである。
馬鹿は頭が悪いから自分で考えて正しいことがわからないから、馬鹿は自分で自分を幸福にすることができない。反対に、利口は頭がいいから自分で考えて正しいことがわかるから、利口は自分で自分を幸福にすることができる。だから、馬鹿は利口から正しいことを教わって利口と同じことをやって幸福になればいい。馬鹿は利口に従うことによってはじめて幸福になれる。馬鹿はけっして出しゃばってはいけない。馬鹿は利口に口出しして利口を不幸にしてはいけない。

[21433] 国民は政府に騙[だま]されてはいけない。 h26.10.12
政府は法律会社のふりをした権力団体である。政府はテレビや新聞で法律会社の芝居をして国民に「政府は国民を幸福にする法律会社だ」と思わせて、国民に政府の命令を法律だと思わせて政府の命令を聞かせて国民を政府の言いなりにしている。政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に国家宗教で変なことをやらせたり人殺しでも強盗でも何でもかんでもやらせている。政府は詐欺[さぎ]会社である。
詐欺会社は国民を騙[だま]して儲[もう]けるのが仕事である。詐欺会社は国民を騙して食っている会社である。詐欺会社はまともな仕事がひとつもできないから、しかたなく国民を騙して食っているのである。だから、国民が詐欺会社に向かって「騙すな!」と言っても聞いてくれるわけがない。国民が自分で注意して詐欺会社に騙されないようにするしかない。
だから、今の国民は政府に騙されないように注意しなければならない。国民は自分で『政府は国民を不幸にする権力団体だ』と考えて、政府の法律会社の芝居に騙されないようにしなければならない。『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由だ』から、いくら政府が大きい会社でも国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由だから、国民は政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。早く日本を詐欺会社のいないみんなが正直な国にしないといけない。

[21434] 政府は国民をお金持ちにしてくれるありがたい団体ではない。 h26.10.12
政府は権力団体である。政府は国民に嫌な命令をして国民を虐[いじ]めて不幸にして国を治める団体である。それがヨーロッパ流の国の治め方だからである。法律がない国では権力団体が国民みんなを不幸にして国を治めるのである。
近代の日本では政府は国民に命令して国民から税金を取って国民に戦争をやらせて国民を不幸にした。
今の日本では政府は国民に命令して国民から税金を取って国民に嫌な生活をさせて国民を不幸にしている。
政府は国の産業を育成して国民を儲[もう]からせて国民をお金持ちにしてくれる団体ではない。
国の産業を育成して国民を儲からせるのは国民自身である。国民が自分で努力して産業を伸ばしていい物をたくさん作っていい物をたくさん売って儲けるしかない。
政府はむしろ“国を治めるために”国の産業を妨害して国民を儲からなくして国民を貧乏にするだけである。政府が“国を治めるため”には国民に嫌な命令を出すしかないので、政府は一生懸命“国を治めるために”国民に嫌な命令をして国民を貧乏にして国民を不幸にするのである。ヨーロッパでもこれまで国民が政府にさんざん貧乏に不幸にされてきたのである。今のヨーロッパではかろうじて家がリッチなだけでほかは全部貧乏である。ヨーロッパではこれまで国民が努力して産業を伸ばして稼[かせ]いだお金を全部政府が“国を治めるために”植民地や世界大戦などで無駄遣[むだづか]いして国民が一文無しにされてしまったのである。政府が世界征服の遊びをするために国民のお金や命を犠牲[ぎせい]にしたのである。ヨーロッパ人は『法律』を発明できなかったばっかりにさんざん苦労をしなければならなかったのである。『法律』がないと国民みんなのお金も幸せもなくなってしまうのである。[おとぎ話の『桃太郎』ではヨーロッパ(つまり鬼)が外国の財産を奪って贅沢[ぜいたく]に暮らしていることになっているが、それは作り話である。本当は、ヨーロッパの政府が国民を虐めるために国民が稼いだお金を使って国民に命令して外国と殺し合いをさせて国民を貧乏に不幸にしたのである。]
政府があると国民が貧乏に不幸にされるだけである。政府は国を治めるだけしか能がない。政府は国を治めるために国民みんなをとことん貧乏に不幸にする。国を治めるためには法律会社のほうがずっといい。法律会社は法律で国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める団体だから、法律会社は法律を調整して国民が裕福に幸福になるようにしてくれる。『国民は自由に国を治める団体に国を治めさせることができる。』だから、国民は政府に国を治めさせないようにして政府に税金をやらないようにして政府を倒して、法律会社に国を治めさせて法律会社にお金をやって法律会社に仕事をしてもらえばいい。

[21435] どうして今の日本は悪い国なのか? h26.10.13
みんなが「多数決の原理」に呑[の]まれているからである。世の中には利口よりも馬鹿が多い。利口は正しいことを考えて正しいことをやって自分で自分を幸福にするが、馬鹿はまちがったことを考えてまちがったことをやって自分で自分を不幸にする。今では利口が「多数決の原理」を信じて馬鹿に従っているから、みんながまちがったことをやってみんなが自分で自分を不幸にしている。だから、今の日本は悪い国なのである。
しかし、本当は「多数決の原理」はない。人間は一人一人独立であり、自分が正しいことをしないといけない。人間が幸福になるためには、『自分が何をすれば幸福になれるか』を正しく考えて、それを実行しないといけない。
利口は『自分が幸福になるためにすべきこと』を正しく考えて正しく実行して自分で自分を幸福にする。反対に、馬鹿は『自分が幸福になるためにすべきこと』をまちがって考えてまちがって実行して自分で自分を不幸にする。だから、利口が馬鹿に従ってはいけない。それではみんなが『自分が幸福になるためにすべきこと』をまちがって考えてまちがって実行してみんなが不幸になる。利口は大勢の馬鹿に逆らって自分ひとりだけ『自分が幸福になるためにすべきこと』を正しくやらねばならない。利口は『自分が幸福になるためにすべきこと』を正しく考えて正しく実行して自分で自分を幸福にしなければならない。そうすれば、あとから馬鹿が利口を見て真似[まね]て、みんなが自分が幸福になることを正しくやってみんなが幸福になれる。そうすれば、日本は善い国になる。
「多数決の原理」は政府が作った嘘[うそ]の原理だから、国民は「多数決の原理」に従ってはいけない。国民は「多数決の原理」を信じて、大勢の馬鹿に従って馬鹿に負けてはいけない。自分も馬鹿になってはいけない。人間は「多数」に従うのではなく、『真理』に従わねばならない。人間は多数を知って多数に従うのではなく、真理を知って真理に従わねばならない。人間はたった一人だけでも自分が幸福になることを正しくやらねばならない。そうすれば、あとから馬鹿が自分を真似て自分に従ってみんなで自分が幸福になることを正しくやってみんなが幸福になれる。
人間はみんなと違うことをやるのがみっともないのではない。まちがったことをやるのがみっともないのである。だから、人間はみんなと違っていてもいいから正しいことをやらねばならない。
例えば、今の国民みんなは政府に国を治めさせて政府に従って政府に税金を払っている。しかし、本当は政府は国民を不幸にして国を治める権力団体だから、国民は政府に国を治めさせないのが正しい。だから、国民は国民みんなに逆らって政府に国を治めさせず政府に従わず政府に税金を払わなければいい。政府に税金を払わないのが正しいから、国民は恥ずかしがらずに勇気を出して政府に税金を払わなければいいのである。国民はみんなの前で胸を張って「自分は脱税しました」と言えるようにならねばならない。そうすれば、国民みんながそれを見て、国民みんなが政府に国を治めさせなくなって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が倒れるだろう。政府の替わりに法律会社が建って、法律会社が国民みんなの人権を守って国民みんなを幸福に暮らせるようにしてくれるだろう。だから、『政府に国を治めさせてはいけない』ことがわかる者が自信を持って『政府に国を治めさせない』ことを実行しないといけない。そうすれば、みんなが幸福に暮らせる善い国になるのである。
要するに、政府は権力団体であり、権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治めるから、国民が政府に国を治めさせると国民が不幸になる。反対に、法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治めるから、国民が法律会社に国を治めさせると国民が幸福になる。だから、国民が自分を幸福にするためには、政府ではなく法律会社に国を治めさせればいいのである。今の国民の多くはそれがわからないから政府に国を治めさせて自分で自分を不幸にしているのである。残念ながら、国民の多くは馬鹿だから、説得しても無駄[むだ]である。だから、利口な者が自分ひとりで正しいことをやって、政府に国を治めさせないようにして、自分で自分を幸福にすればいい。もともと『国民が国を治める団体を自由に選べる』のだから、政府は国民が政府に国を治めさせなくても国民に何もできない。馬鹿は利口が幸福に暮らしているのを見て、羨[うらや]ましくなって自分も幸福になりたくて利口を真似て政府に国を治めさせなくなって政府を倒して、みんなが幸福に暮らせる国になるだろう。

[21436] 国民は自分を幸福にすることをしなければならない。 h26.10.13
要するに、人間は自分が正しく考えて自分が幸福になることをすればいい。自分が不幸になることをしなければいい。そうすれば、人間は幸福になれる。
今の国民みんなは「政府は法律会社だから政府に国を治めさせれば自分が幸福になれる」と思って政府に国を治めさせている。しかし、これはまちがっている。政府は本当は権力団体である。権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体である。政府は国民をお金持ちにも幸せにもしない。だから、本当は『国民が政府に国を治めさせれば国民は不幸になる』のである。国民は自分が幸福になるためには政府に国を治めさせなければいいのである。
今の国民みんなは自分を幸福にするためには何をすればいいかがわからずに政府に国を治めさせている。今の国民みんなは自分で自分を不幸にしている。今の国民みんなは馬鹿である。だから、国民は国民みんなを見習ってはいけない。国民は国民みんなを真似[まね]て自分も国民みんなといっしょに不幸になってはいけない。国民は国民みんなに逆らって自分が幸福になることをしなければならない。
「多数決の原理」は政府の嘘[うそ]である。本当は『人間はみな独立であり、自分が幸福になることをすればいい』だけである。自分が他人を真似[まね]て他人といっしょに不幸になるのは愚かである。だから、国民は国民みんなを真似てはいけない。国民は自分ひとりで考えて自分が幸福になることをしないといけない。「国民が国を治める団体に従わねばならない」のも政府の嘘である。本当は『国民は国を治める団体を自由に選べる』のである。だから、国民は自分で自分を幸福にする国を治める団体を選んで国を治めさせればいいのである。政府は権力団体である。ところが、今は法律会社の時代であって権力団体の時代ではないから、今の政府は必死に国民を嘘で騙[だま]して自分が生き残ろうとしているから、嘘ばっかりつくのである。
本当は、政府は権力団体であり、権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める。一方、法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める。だから、国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせればいいのである。国民みんなが政府に国を治めさせているのはまちがいだから、国民は国民みんなを真似せずに、自分ひとりで政府に国を治めさせなければいいのである。
とにかく人間は自分で自分を幸福にすることをすればいい。人間は他人を真似て自分を不幸にしてはいけない。今の国民みんなはまちがったことをやって自分で自分を不幸にしている。今の国民みんなは哀れな連中である。国民は馬鹿な連中なんかほっといて、自分ひとりだけで正しいことをやって自分ひとりだけ幸福になればいいのである。
人間にとっては幸福はかけがいのないものである。人間は自分の幸福を何が何でも守らねばならない。人間は何が何でも自分を幸福にしなければならない。人間にとっては自分の幸福が政府よりも国民みんなよりも大事である。だから、国民は自分を幸福にするために政府に国を治めさせず政府を倒せばいいのである。

[21437] 国民は自分が幸福になるために国民みんなと反対のことをしなければならない。 h26.10.13
人間は自分が幸福になることをすればいい。自分が不幸になることをしなければいい。
「多数決の原理」は嘘[うそ]だから、本当は『人間はみな独立である』から、他人が何をやっていようが、自分は自分を幸福にすればいい。
今の国民みんなが政府に従っているのはまちがいである。政府は権力団体であり、権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体だから、今の国民みんなが政府に従って政府に国を治めさせているのは国民みんなが自分を不幸にすることだからまちがいである。
政府は権力団体であり、権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体である。一方、法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める団体である。だから、国民が幸福になるためには政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせねばならない。
だから、国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせねばならない。国民は国民みんなと反対のことをしなければならない。
人間は自分で自分を幸福にしなければならない。そのためには、国民みんなに逆らうことも必要である。国民は自分を幸福にするためには国民みんなと違うことをしないといけないのである。国民は自分を幸福にするために国民みんなと反対のことをしないといけないのである。

[21438] 国民が国民みんなと同じことをやっていると不幸になる。 h26.10.13
人間は自分が幸福になることをすれば幸福になり、自分が不幸になることをすれば不幸になる。
今の国民みんなは政府に従っている。ところが、政府は権力団体である。権力団体は国民に嫌な命令をして国民を不幸にして国を治める団体である。だから、今の国民みんなが政府に従って政府に国を治めさせると国民みんなは不幸になる。
だから、反対に、国民が政府に従わなければ国民は幸福になる。国民が政府に従わず政府に国を治めさせなければ国民は幸福になる。
「多数決の原理」は嘘[うそ]である。本当は「多数決の原理」なんかない。本当は『人間はみな独立である。』つまり、国民は大勢に従わねばならないのではなく、自分勝手にすればいいのである。だから、国民は自分が幸福になりたければ、国民みんなと同じことをせず、国民みんなと反対のことをしなければならない。政府は世の中に馬鹿が多いことを利用して、馬鹿が政府の“法律会社の芝居”に騙[だま]されて政府に従っていることを利用して、国民みんなを政府に従わせるために嘘の「多数決の原理」を決めたのである。だから、利口な国民は「多数決の原理」を信じてはいけない。
世の中には馬鹿が多い。利口よりも馬鹿が多い。利口は正しいことをして自分で自分を幸福にするが、馬鹿はまちがったことをして自分で自分を不幸にする。今の国民みんなが政府に従っているのがその証拠である。国民は自分が幸福になりたければ、国民みんなと同じことをやってはいけない。
世の中には馬鹿が多い。馬鹿はまちがったことをして自分を不幸にする。みんなは当てにはならない。人間は自分ひとりで正しく考えて自分を幸福にすることをやって自分で自分を幸福にするしかないのである。

[21439] 国民が幸福になるためには、国民みんなと反対のことをやればいい。 h26.10.13
今の国民みんなは『権力団体が国民に嫌な命令をして国民を不幸にして、法律会社が国民の人権を守って国民を幸福にする』ことは知っている。学校の社会科で習ったから知っている。
ところが、『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』これは学校では教えてくれない事実である。
馬鹿は眼で物を見るだけで頭で考えない。だから、馬鹿はテレビや新聞で政府の“法律会社の芝居”を見て「政府が法律会社だ」と思ってそれでおしまいである。馬鹿は考えるのが嫌だから、最初に自分が思ったことを死ぬまで思い続けるだけでそれ以上のことはわからないのである。
世の中には馬鹿が多くて利口が少ないから、世の中の大勢は「政府が法律会社だ」と思って『法律会社は国民を幸福にしてくれる』と思って政府に従っている。
政府は「多数決の原理」を定めて、国民を大勢の馬鹿に従わせて、国民みんなを政府に従わせている。
そのために、今の日本では国民がみんな政府に従っているのである。しかし、政府は本当は権力団体だから、国民はみんな政府に従って不幸になっているのである。国民はみんな政府の嫌な命令を法律だと思って、政府の嫌な命令を聞いて不幸になっているのである。国民みんなは実際には政府に不幸にされているのに、頭の中では「自分が政府に幸福にしてもらっている」と思って喜んでいるのである。
国民は自分が幸福になりたければ国民みんなと同じことをやってはいけない。国民は国民みんなと違うことをやって幸福にならねばならない。
『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』これも学校では教えてくれない事実である。政府は本当は権力団体である。権力団体は国民に嫌な命令をして国民を不幸にする。だから、国民は政府に国を治めさせないようにして政府の命令を聞かないようにして幸福になればいいのである。
残念なことに、世の中には馬鹿が多い。馬鹿はまちがったことをやって自分で自分を不幸にする。国民が国民みんなに従うと自分が不幸になる。だから、国民は国民みんなに従わず自分を幸福にすればいい。例えば、今の国民みんなは政府に国を治めさせて不幸に暮らしているから、国民は政府に国を治めさせないようにして自分が幸福に暮らせばいいのである。
人間が幸福になるためには、自分で考えようが他人から習おうが、とにかく自分が幸福になることをすればいい。自分が不幸になることをしなければいい。国民みんなは自分でまちがったことを考えて他人からまちがったことを習って自分を不幸にすることをやって不幸になっている。人間が幸福に生きるためには、国民みんなと縁を切って自分ひとりだけで生きていくしかないのである。

[21440] 国民が国民みんなを無視すれば幸福になれる。 h26.10.13
要するに、人間は自分が幸福になることをすればいい。
『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』『権力団体は国民に嫌な命令をして国民を不幸にし、法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にする。』『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』したがって、国民は政府に国を治めさせなければいいのである。政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
しかし、今の国民みんなは政府に国を治めさせて政府に従っている。今の国民みんなはテレビや新聞で政府の“法律会社の芝居”を見て「政府が法律会社だ」と思っているために政府に国を治めさせているのである。政府の嫌な命令を法律だと思って、政府の命令を聞いて不幸になっているのである。
今の国民みんなは自分が不幸になることをしている。国民は国民みんなと同じことをやって、国民みんなのように不幸になってはいけない。
国民は自分が幸福になることをやって幸福になればいいのである。国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせて幸福に暮らせばいいのである。
「多数決の原理」は嘘[うそ]である。本当は『人間は独立である。』だから、国民は国民みんなを無視して、勝手に自分で自分を本当に幸福にすることをやって自分を幸福にすればいい。国民は国民みんなをほったらかしにして、自分ひとりだけ幸福になればいい。
政府はよく反面教師と言われるが、本当の反面教師は国民みんなのほうである。政府はただ自分が権力団体をやっているだけである。政府は自分が得をするために自分が幸福になるために権力団体をやっているのだから正常である。今の国民みんなが自分が不幸になるのに自分が損をするのに政府に従っているのがおかしいのである。国民は国民みんなからまちがいを学ばないようにして自分で正しいことを考えて自分が幸福になることをやって自分を幸福にして幸福に暮らさねばならない。

[21441] 今の国民みんなが政府に従って不幸になっているのは国民みんなの自業自得である。 h26.10.13
今の国民みんなは政府に従っている。ところが、政府は権力団体である。権力団体は国民を不幸にして国を治める団体である。だから、今の国民みんなは自分を不幸にしている。
国民が国民みんなといっしょに政府に従うと自分も不幸になる。だから、国民が幸福になるためには国民みんなといっしょに政府に従ってはいけない。この世には「多数決の原理」はない。『人間はみな独立である。』つまり、人間はみんなと同じことをしなくてもよく、自分勝手にやればいい。しかも、国民と国を治める団体は平等だから『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』だから、国民は政府に国を治めさせず政府に従わなければいいのである。
そもそも今の国民みんなが政府に従っているのは、国民みんなが馬鹿だからである。馬鹿は正しいことがわからないので自分で自分を不幸にする。今の国民みんなはテレビや新聞で政府の“法律会社の芝居”を見て「政府が法律会社だ」と思って『法律会社は国民を幸福にして国を治める団体だ』と思って政府に国を治めさせて政府に従っているのである。しかし、本当は『政府は法律会社のふりをした権力団体だ』から、権力団体は国民を不幸にして国を治めるから、国民は政府に従って不幸にされているのである。今の国民みんなは自分が馬鹿のせいで不幸になっているのである。自業自得である。だから、国民は国民みんなに従わずに、国民みんなと同じことをせずに、自分は政府に国を治めさせないようにして政府に従わないようにすればいいのである。
世の中はいつの時代でも不幸になる者が大勢で幸福になる者が少ししかいないものである。人間は他人のことはどうでもいいから自分ひとりが幸福になればいいのである。今の国民は国民みんなのことはほっといて、自分ひとりが幸福になればいいのである。今の国民はたとえ国民みんなが政府に従っていても、自分は政府に従わないようにして自分を不幸にしなければいいのである。

[21442] 国には法律会社が2つ以上あってもいい。 h26.10.13
国には法律はひとつしかない。しかし、法律会社は2つ以上あってもいい。
いろんな電化製品のメーカーがDVDディスクやコンピューターの部品の規格を統一して好き勝手に電化製品を作っているように、いろんな法律会社が法律を統一して好き勝手にいろんなサービスをすればいいのである。
将来政府(権力団体)が滅んで法律会社の時代になれば、いろんな法律会社が違うサービスをして国民を幸福にしてくれるだろう。国民は自分にとって有利な法律会社を選んでサービスしてもらえばいいだろう。日本は犯罪が少ないから、法律よりもほかのサービスのほうが重要になるだろう。国民を幸福にする法律会社が儲[もう]かって、国民を幸福にしない法律会社が滅びるだろう。最後には法律会社がひとつになって国民みんなが幸福に暮らせるだろう。

[21443] どうして私は不幸になったか?★ h26.10.13
私が中学2年生のとき高知学芸中学校に編入した。そのときに、母親が私にラジカセを買ってくれた。たしか、東芝製の1万円ちょっとぐらいの小型の銀色のものだった。当時の私はとにかく小型の物が好きだったので、母親が「小さすぎて変だ」と言うのを聞かずに買ってもらった。
私が中学2年生の冬に風邪[かぜ]を引いて1週間ぐらい学校を休んだ。そのとき夜中に熱が高くてなかなか寝付けなくてラジオのスイッチを入れてみたら、たまたま『笑福亭鶴光[しょうふくていつるこう]のオールナイトニッポン』をやっていてすごく面白かったのでそれ以後毎週聞くことになった。所ジョージとか自切俳人[ジキルハイド]とかタモリとかのも聞いてみたが鶴光が一番面白かった。『鶴光のオールナイトニッポン』にはがきを毎週投稿して“銭[ぜに]のもと”(小さい細長いフットボールみたいな形をした黒いホルダー付きの財布)を2つもらった。私はすっかり鶴光のファンになって町なかの金高堂[きんこうどう]書店で『鶴光の続かやくごはん』という本も買ってよく読んだ。『鶴光のオールナイトニッポン』は面白いのだが、内容がくだらなくてスケベだった。『鶴光の続かやくごはん』の挿絵[さしえ]にも射精を髣髴[ほうふつ]とさせるものがあった。そのために、私は中学3年生の2学期頃から自宅の風呂場で手淫[しゅいん](オナニー)をするようになった。当時の私はガリ勉をしていて毎日3時間ぐらいしか寝ていなくて、生徒会の副文化委員に選ばれて学校に遅くまで残って過労気味だった。
そうして、高校1年生の4月に右隣の席の男子O君が英語の読本(リーダー)の授業中に教科書のパラパラめくりをするのを見て『今は授業中だから勉強せんといかんやろうが!』と腹を立てて怒り狂って、テレパシーを使ってO君の意思を変えてやろうとして自分の頭に力を入れて興奮させたら、その日の晩から近所の家からテレパシーで自分の悪口を言うのが聞こえるようになった。私はテレパシーで自分の悪口を言うのが聞こえるたびにイライラして怒り狂ってベランダに出て近所の家の窓ガラスをめがけて使用済みの単1の乾電池を投げまくった。たまに命中して窓ガラスが割れた。私は自分の気がすんでうれしかった。とても勉強どころではなかった。私の学校の成績はだいぶ下がった。
数年経[た]って私はテレパシーが聞こえるのにも慣れて、少しぐらい自分の悪口を言うのが聞こえても腹を立てなくなったが、依然[いぜん]として心の苦しみは続いていた。今でもテレパシーは消えていない。今でも心が苦しいままである。
私が高校1年生のときに精神分裂病に罹[かか]ってしまったために、その後の私の人生は台無しになってしまったのである。精神分裂病は治る病気ではない。だから、絶対に罹ってはいけない。
私が精神分裂病に罹って不幸になった原因は、私が中学2年生のときに私の母親が編入祝いにラジカセを買ってくれたことにある。ラジカセを買ったために、私の脳にまちがった情報が入るようになった。「性欲を満足すれば人間は幸福になる」というまちがった道徳を教えられた。そのために、私は手淫(オナニー)をするようになって“自分の脳を興奮させる悪い癖”が身について、ついに高校1年生のときに自分の脳を興奮させすぎて気が狂って精神分裂病に罹ってしまった。
子供は無知である。子供はまだ知識も経験もないために「どんな感情を満足させれば幸福になり、どんな感情を満足させれば不幸になるか」を知らない。だから、子供にはまちがった道徳を教えてはいけない。正しい道徳を教えなければならない。
人間が幸福になり不幸にならないためには、『人間はどんな感情を満足すれば幸福になり、どんな感情を満足すれば不幸になるか』(つまり道徳)を正しく知らねばならない。例えば、『性欲は人間を不幸にする感情だから絶対に満足させてはいけない。』鶴光のオールナイトニッポンで言っていたのは嘘[うそ]である。だから、私は『鶴光のオールナイトニッポンで言っているのが嘘である』ことがわかるようになってから、鶴光のオールナイトニッポンを聞けばよかったのだ。
親が子供を不幸にしないためには、子供に余計なまちがった情報を与える物を買い与えないことだ。子供にまちがった道徳を教える物を与えてはいけない。できれば、子供に『正しい道徳を書いた本』を買い与えればいいのだが、さすがに読書家の私でもそんな本は知らない。日本政府が国民みんなに意地悪[いじわる]をするためにそんな本を出させないのかもしれない。
人間が幸福であるためには科学と道徳の両方の知識が要る。科学だけでは自分に疎[うと]く自分を不幸にする感情を満足させて不幸になり、道徳だけでは物に疎くて宇宙のすばらしさが理解できない。人間は科学と道徳の両方を知ることによってはじめて幸福でありうる。今の世の中には道徳の知識がない。だから、人間は自分で道徳を考えながら生きていかねばならない。
親が自分の子供を幸福にしたければ自分の子供に道徳を教えねばならない。つまり、『人間はどんな感情を満足させてどんな感情を満足させてはいけないか』を教えねばならない。人間が自分が幸福になりたければ自分で道徳を考えなければならない。正しい道徳を知っている者は幸福になり、知らない者は不幸になる。道徳は人間が幸福に生きるための出発点である。道徳なしでは人間はとうてい幸福には生きられない。道徳は人間がこの世で最初に勉強すべきことである。人間は親から教えられたり自分で勉強したりしてとにかく道徳を知っていなければならない。

[21444] 国民は政府を倒して、法律会社を建てるしかない。☆ h26.10.13
『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の勝手である。』だから、国民は自分を幸福にする国を治める団体に国を治めさせればいい。国民は自分を不幸にする国を治める団体に国を治めさせなければいい。
『権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める。法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める。』だから、国民は権力団体に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせればいい。
『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』だから、国民は政府に国を治めさせなければいい。国民は政府に従わず政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいい。国民は法律会社が建ったら、法律会社に国を治めさせればいい。国民は法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらえばいい。
国民が正しく考えるなら、政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせるしかない。それなのに、今の国民みんなは反対に政府に国を治めさせて法律会社に国を治めさせていない。今の国民みんなはまちがっている。国民は今の国民みんなを無視して自分の道を進めばいい。

[21445] 政府は馬鹿を相手にした商売である。 h26.10.14
世の中には利口よりも馬鹿が多い。だから、国民みんなは馬鹿である。
馬鹿は本よりも服をよく買う。馬鹿は見栄張りで中身はカスである。
今の政府は法律会社のふりをした権力団体である。馬鹿は見かけに騙[だま]されやすい。だから、国民みんなは政府の“法律会社の芝居”に騙されて「政府を法律会社だ」と思って『法律会社は国民を幸福にする団体だ』と思って政府に従っている。
国民の多くが馬鹿だから、政府は経営できるのである。それは政府の勝手である。国民の多くが馬鹿だから、服屋やガラクタ屋(どうでもいい装飾品などを売る店のこと)が儲[もう]かるのと同じことである。
しかし、利口は『政府が権力団体である』ことを知っているから、政府に国を治めさせず政府に従わず政府に税金を払わない。利口が服やガラクタを買わないのと同じことである。
つまり、政府は馬鹿を相手にした商売なのである。馬鹿は政府に騙されて政府に国を治めさせて政府に従って政府の命令で税金を払って、政府が儲かるのである。それは政府の勝手である。政府は『世の中に馬鹿が多い』ことを利用して商売をしているのだから正当である。
『世の中に馬鹿が多い』のはしかたがないことである。利口な国民は政府に引っかからずに政府と関わらずに暮らせばいいのである。そのうち利口が増えれば、法律会社が建って法律会社にお金を払って人権を守ってもらえばいい。
世の中には馬鹿が多い。馬鹿は自分の誤解で動いている。だから、世の中がおかしいことになっているのである。馬鹿は「国民は国を治める団体に従わねばならない」とか「国民は国民みんなに従わねばならない」とか「政府は国民みんなを幸福にしてくれる団体だ」などと真剣に思って動いているので、世の中が狂っているのである。利口は自分ひとりで目立たずにほそぼそと正しいことをやっている。早く国民みんなが馬鹿をやめて利口になって正しい世の中になればいい。

[21446] 今の政府は嘘[うそ]ばっかりついている。☆ h26.10.14
「多数決の原理」は政府が自分が生き残るためについている嘘であって、本当は『人間はみな独立である。』だから、国民は国民みんなと同じことをするのではなく、自分が正しいと思うことをしないといけない。国民は自分を幸福にすることをしないといけない。
「国民は国を治める団体に従わねばならない」のも政府が自分が生き残るためについている嘘であって、本当は『国民は国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』だから、国民は自分で国を治める団体を選んで国を治めさせねばならない。
『権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体である。法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める団体である。』だから、国民は権力団体ではなく法律会社に国を治めさせねばならない。
『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』つまり、「政府が法律会社である」のも政府が自分が生き残るためについている嘘であって、本当は『政府は権力団体である。』だから、国民は政府に国を治めさせてはいけない。国民は政府に従わず政府の命令で税金を払わず政府を倒さなければならない。国民は法律会社が建ったら、法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらわねばならない。政府はテレビや新聞で“法律会社の芝居”をやって国民を騙[だま]して「政府は法律会社だ」と思わせているから、国民は政府の芝居に騙されないようにして自分で『政府は権力団体だ』と考えなければならない。
今は法律会社の時代であって権力団体の時代ではない。そのために、今の政府は国民に嘘ばっかりついて国民を騙して自分が生き残ろうとしている。政府は権力団体であり、政府は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体である。だから、国民が政府に国を治めさせると国民に不利なだけである。国民は毎日政府に不幸にされて暮らしている。このまま国民みんなが政府に国を治めさせると、日本が国民みんなにとって幸福のない不幸ばかりの国になる。国民みんなが政府に不幸に貧乏にされる。国民みんなの物も心も両方とも政府に貧しくされる。だから、国民はみんな政府に国を治めさせないようにして政府を倒して、法律会社を建てて法律会社に国を治めさせねばならない。

[21447] 『裸の王様』 h26.10.14
『裸の王様』のおとぎ話では、大人たちが自分たちの国を治めるために政府に従っているのに、子供がそれを見て「みんなは政府に騙[だま]されて政府に従わされている」と言ったお話である。つまり、『裸の王様』は大人が“自分たちに考えがあって”政府に騙されているふりをしているというお話である。
しかし、今の大人は本当に政府に騙されているのである。今の政府はテレビや新聞で“法律会社の芝居”をやって国民を騙して「政府が法律会社だ」と思わせて国民を政府に従わせている。それでもだめなら、政府は「ヨーロッパでは政府が国を治めているが、国民みんなが幸福に裕福に暮らしている」と思わせて国民を政府に従わせている。しかし、本当は『政府は権力団体である』から、権力団体は国民を不幸にするから、国民は政府に従ってはいけない。本当は『ヨーロッパは政府が長年国を治めてきたために、国民が政府に不幸に貧乏にされて、国民には面白いことが何もなく、家が立派なだけでほかは全部貧乏である。』ヨーロッパではこれまで国民みんなが一生懸命に産業を伸ばして莫大[ばくだい]なお金を稼[かせ]いだが、政府が植民地や戦争に国民みんながせっかく稼いだお金を全部つぎ込んでしまったために、今の国民みんなは一文無しにされてしまったのである。ヨーロッパでも政府が国民に「政府が国民を裕福にしている」と思わせて国民に政府を支持させるために、家だけは立派にしているのである。家まで潰[つぶ]れたらヨーロッパ政府はおしまいである。本当は、ヨーロッパよりも中国やアジアのどこかの国(日本ではない)のほうがもっとお金持ちなのである。
今の大人は本当に政府に騙されている。今の大人は利口ぶりである。今の国民みんなは利口ぶり馬鹿である。馬鹿はもっと馬鹿らしくしなければならない。馬鹿は自分のまちがった考えを通すのではなく、利口の正しい考えに従わなければならない。今の国民みんなは『自分が政府に騙されている』ことを正直に認めて、自分のまちがった考えを直して、政府に従わないようにしないといけない。
政府は植民地や戦争に国民のお金を使い込んで国民を貧乏にする。今の政府もどうでもいいことや国民を不幸にすることに国民のお金を使い込んで国民を貧乏にしている。会社の社長が社員の儲[もう]けを全部自分の遊びにつぎ込んだりするのも同じことである。権力制とはそういうものである。権力制では人間に上下の差があって下の者が上の者に従うことによって集団を治めるので、下の者が上の者の命令を何でも聞かねばならないので、上の者が下の者に嫌な命令を出して下の者を不幸にするようになるのである。法律は中国の発明であって、ヨーロッパの発明ではない。ヨーロッパには法律がなかったので、これまでずっと国民みんなが国を治めるために政府に従って権力制をやってきたのである。権力制は身分制と同じである。権力制は身分制と名前が違うだけで中身は同じである。今のヨーロッパやアメリカや日本はインドと同じ身分制の国なのである。これでは国民みんなが幸福に暮らせるわけがない。政府ひとりが楽しいだけで、国民はみんな嫌である。だから、国民は政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならないのである。
インドはヨーロッパと同じように身分制(=権力制)をやっている。インドはヨーロッパと同じように国民みんなが政府に従うことによって国を治めている。だから、インドが貧乏なのは身分制のためではない。インドが貧乏なのはインドに産業がないためである。もしもインドに産業があれば、インドはヨーロッパと同じくらい裕福な国なのである。今のインドはヨーロッパから科学や産業を取り入れて、産業を伸ばして裕福になっている。インドは国民みんなが権力制をやめて法律制にすれば、もっと裕福に幸福になれるだろう。日本も国民みんなが権力制をやめて法律制にすればもっと裕福に幸福になれるだろう。

[21448] 国民は自分が幸福になることをして自分を幸福にしなければならない。 h26.10.14
『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』つまり、国を治める団体は普通の会社と同じである。国民と国を治める団体の関係は国民と普通の会社の関係と同じである。国民は国を治める団体に国を治めさせたければ治めさせればよく、国を治める団体に国を治めさせたくなければ治めさせなければいい。国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民が自分自身で決めればいいのである。
『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』『権力団体は国民に嫌な命令をして国民を不幸にして国を治める団体である。法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める団体である。』だから、国民が幸福に暮らすためには政府ではなく、法律会社に国を治めさせればいい。
今の国民みんなは法律会社ではなく、政府に国を治めさせている。そのために、今の国民みんなは政府に不幸にされて暮らしている。今の国民みんなはまちがっている。国民みんなは馬鹿だからまちがっているのはしかたがない。だから、国民は国民みんなを見習わず、自分ひとりで正しいことをして、政府に国を治めさせてはいけない。そうすれば、国民は不幸にならずにすむだろう。

[21449] 国民は自分が幸福になりたければ政府に国を治めさせてはいけない。 h26.10.15
『国民は国を治める団体を自由に選べる。』つまり、国民がどんな“国を治める団体”に国を治めさせるかは国民一人一人の自由である。
政府に国を治めさせると、政府が国民みんなに嫌な命令をして国民みんなを不幸にする。
反対に、法律会社に国を治めさせると、法律会社が国民みんなの人権を守って国民みんなを幸福にする。
政府に治めさせた国と法律会社に治めさせた国ではまるきり反対である。国民が幸福に暮らすためには政府ではなく法律会社のほうがいい。
だから、国民は政府ではなく法律会社に国を治めさせなければならない。
国民が自分に幸福に生きる意思があるなら、政府ではなく法律会社に国を治めさせねばならない。
自分でそんなこともわからないそんなこともできない者にはもはや幸福に生きる資格はない。死んだほうがいい。政府に国を治めさせる国民は死んだほうがいい。政府の命令で自分を不幸にしてもらってさっさと死んだほうがいい。
今の国民みんなは世の中のことを考えず世の中をなめているから政府に不幸にされているのである。政府に国を治めさせて政府に従って政府に嫌な命令を出されて政府に不幸にされているのである。ざまあみろ!さっさと死ね!私は自分が幸福になることをして幸福に生きる。私は政府に国を治めさせないようにして政府に従わず政府の命令を聞かないようにして自分だけ幸福に生きる。私は国民みんなが政府に不幸にされて死んだ後で、自分ひとりだけ幸福に生きる。
人間は自分で自分を幸福にできないほど馬鹿になったらおしまいである。今の国民みんなはおしまいである。今の国民みんなは馬鹿すぎて自分がどうすれば幸福になるかがわからないので不幸になっているのである。馬鹿は正しいことをまちがいだと思っているので、いくら私が正しいことを教えてやってもまちがいだと思って信じないのである。今の国民みんなは救いようがない。だから、私は私一人だけを救って私だけ幸福になるのである。

[21450] 人間が幸福になるためには自分を幸福にすることをしなければならない。 h26.10.15
人間は自分が幸福になることをすれば幸福になり、自分が不幸になることをすれば不幸になる。だから、人間は自分の頭でよく考えて自分がどうすれば幸福になり、どうすれば不幸になるかを理解して、自分が幸福になることをやって不幸になることをしなければいいのである。
『国民がどんな“国を治める団体”に国を治めさせるかは国民個人の自由である。』『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』『権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める。法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める。』だから、国民は政府に国を治めさせると不幸になり、法律会社に国を治めさせると幸福になる。だから、国民は政府に国を治めさせず、法律会社に国を治めさせればいいのである。国民は自分で政府に従わないようにして政府似税金を払わないようにして政府を倒して、法律会社が建てば法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらえばいいのである。
人間は自分が幸福になることをすれば幸福になり、反対に自分が不幸になることをすれば不幸になる。だから、人間は自分が幸福になることが何か?自分が不幸になることが何か?についてよく考えなければならない。ところが、今の国民みんなは何も考えずに政府に従っている。今の国民みんなはテレビや新聞に政府が出ているのを見て、それだけで政府に従っている。今の国民みんなは政府がどんな団体なのか何も知らずに政府に従っている。そんなことで幸福になれるわけがない。だから、今の国民みんなは政府に嫌な命令を出されて嫌な命令を聞いて不幸になっているのである。
国民は馬鹿な国民みんなに見切りをつけて自分ひとりで正しいことをして自分ひとりで幸福にならねばならない。昔から『国民みんなは馬鹿でどうしようもないものだ』と決まっている。だから、日本は『個人主義』の国なのである。日本では昔から国民みんなが『国民みんなが馬鹿である』ことを認めているから、国民が「多数決の原理」を犯していいことになっているのである。日本では国民が自分ひとりで自由にやっていいのである。国民は自分が正しいことをして自分を幸福にすることをして自分だけ幸福になればいいのである。
馬鹿は自分で自分を不幸にする生き物である。国民の多くは馬鹿である。だから、国民みんなは自分で自分を不幸にするのである。昔から国民みんなは自分で自分を不幸にし続けてきたのである。国民にとっては国民みんなが当てにならないのが常識である。それが“国民みんな”というものである。それが“国民みんな”の性質である。だから、国民は自分で自分を幸福にすることを考えて自分を幸福にすることをやらねばならないのである。

[21451] 国民は医療保険費を払うべきではない。 h26.10.15
前にも書いたが、医療保険の実体は政府の税金である。医療保険は政府が医者の儲[もう]けを横取りすることである。医療保険制度がないほうが本当は医者が儲かる。
だから、国民は医療保険費を払わずに、医者に実費で医療費を払えばいいのである。
医者が政府から独立に医療保険制度を定めていれば国民が払った医療保険費は病人のために役に立つから医療保険費を支払う価値があるが、今の医療保険は政府がやっている制度だから、国民が払った医療保険費の大半は政府のものになっているから、国民は医療保険費を払わなければいいのである。
政府は権力団体である。政府は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体である。戦後日本は科学の時代になったから、国民みんなが人間を身体として考えるようになったから、医者に人気が出て医者が儲[もう]かるようになったから、政府は医療保険制度を設けて医者の儲けを横取りして自分の儲けにするようになったのである。昔は鉄道に人気があって鉄道会社が儲かっていたから、政府が鉄道会社を国営にして鉄道会社の儲けを横取りしていたのと同じことである。
政府は権力団体である。政府は国民を不幸にする団体である。国民が政府に国を治めさせると国民が政府に不幸にされる。国民が政府に国を治めさせたくなければ、政府に従わなくていいから政府に税金を払わなければいいように、医療保険費も政府の税金の一種だから、医療保険費も払わなければいい。
医者も自分が本当に儲かりたければ、政府の医療保険制度に反対すべきである。今の政府は医者の儲けを横取りして、医者を貧乏にしているだけである。医者が本当に儲かりたければ、医者が国民から実費で医療費を取るか、あるいは政府に頼らずに医者だけで医療保険制度を設ければいい。
私は働き始めのころは医療保険に入っていたが、今から約15年前(1999年頃)に自己判断で医療保険費を払うのをやめていた。自分が病気にならないのに毎月高い医療保険費を払うのがバカバカしくなったからである。ところが、今から約10年前(2004年頃)に会社の健康診断で高血圧に引っかかって医者に通わねばならなくなって医者の勧めで再び医療保険に入ることにした。(本当は、医者が私に医療保険を勧めるのがまちがっているのである。)それ以来、私はずっと医療保険に入って医療保険費を払っている。私はいまだに高血圧(だいたい上が200mmHgで下が140mmHgぐらい。もちろん今の私は酒なんか一滴も飲んでいない。私は子供の頃から血圧が高かった。)だが、今の私は医者に掛かっていない。それでも私は毎月医療保険費を払っている。今の私は無職だから医療保険費は安い(毎月2300円ぐらいだ)が、働き出したら医療保険のために税金並みのお金を取られる。2人分の税金を取られているのと同じである。だから、今度からは税金も医療保険費も両方とも払わなければいいのである。自分が病気になったときに医者に現ナマで医療費を払えばいいのである。そういう社会が本当に善い社会である。

[21452] 今の政府は国民に嘘[うそ]を教えて国民を嘘の社会の中で暮らさせている。☆ h26.10.15
『国民は自由に国を治める団体に国を治めさせることができる。』『権力団体は国民を不幸にして国を治める団体であり、法律会社は国民を幸福にして国を治める団体である。』『今の政府は法律会社のふりをした権力団体である。』の3つの原理があるのが本当の社会である。実在の社会である。
反対に、「国民は国を治める団体に従わねばならない。」「国民は国民みんなに従わねばならない。」「政府は国民みんなを幸福にする法律会社である。」などの原理があるのが嘘[うそ]の社会である。空想の社会である。
今は法律会社の時代であって、権力団体の時代ではない。ところが、政府は権力団体である。今の政府は自分が生き残るために、国民みんなに嘘を撒[ま]き散らして嘘を教えて、国民みんなを嘘の社会の中で暮らさせているのである。国民みんなは嘘の社会観で動いて、まちがったことをやっているのである。国民みんなは自分が幸福になるために政府に従って政府に高い税金を取られて政府の嫌がらせの命令を聞いて政府に不幸にされているのである。
今の国民みんなは政府に「まちがった社会観」を教えられてまちがったことをやっている。今の国民みんなは政府に国を治めさせて政府に従って政府の命令を聞いて不幸に暮らしている。国民みんなは「まちがった社会観」に基づいて自分が幸福になると思うことをして、実際には不幸になっている。国民がいくら「まちがった社会観」で動いても国民は幸福にはなれない。国民が幸福になるためには『正しい社会観』で動かねばならない。つまり、国民が幸福になるためには、政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせればいいのである。国民は『正しい社会観』の中で動いて自分を幸福にして善い社会にすればいいのである。

[21453] 「多数決の原理」は政府が国民を不幸にするために定めた原理である。 h26.10.15
『世の中には馬鹿が多く利口が少ない。』いつの時代でもどこの国でもそうである。今でもそうである。そのため、日本では昔から『個人主義』をやってきた。人間が幸福に生きるためには自分が幸福になることをしないといけない。しかし、馬鹿は頭が悪いので自分が幸福になることが正しくわからず、自分が不幸になることをやって自分で自分を不幸にしている。国民の多くは馬鹿なので、国民が国民の多くに従うと国民も国民の多くといっしょに不幸にならねばならなくなる。国民みんなはいつも自分で自分を不幸にすることをやっているから、国民が国民みんなと同じことをやっていると自分がどんどん不幸になっていくだけである。そんなのは嫌だ。だから、日本では『個人主義』を認めて、国民は自由に国民みんなと違うことをやってもいいことになっているのである。
国民みんなは馬鹿だから国民みんなの判断に正しかった例[ためし]がない。だから、国民は国民みんなに頼らず、自分ひとりで自分が幸福になることを考えて自分を幸福にしなければならないのである。人間の心はそれほど違っていない。それなのに、人間がめいめい違うことをするのは、人間が自分が幸福になることがわかっていないからである。世の中には自分が幸福になることがわかっていない者が多いから、自分で自分が不幸になることをやって不幸になっているのである。
そもそも「多数決の原理」に従うのは自分で考えるのが面倒な怠慢[たいまん]な人間である。怠慢な人間は自分で考えるのが面倒臭いので、眼で見てみんなを真似[まね]るだけである。だから、自分で考えるのが面倒臭い馬鹿は「多数決の原理」に従うのである。「多数決の原理」があることは、世の中には自分で考えるのが嫌な馬鹿が多いことにほかならない。
もっとも「多数決の原理」を言い張るのは政府と馬鹿だけである。世の中には『個人主義』の原理がある。だから、政府と馬鹿が「多数決の原理」を言い張るのは政府と馬鹿の勝手である。利口は『「多数決の原理」がない』と言い張ればいいのである。それは『個人主義』だから個人の勝手というわけである。
今の国民みんなは政府に従っている。政府は権力団体だから、国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体である。今の国民みんなは不幸になっている。世の中には『個人主義』の原理がある。だから、国民は国民みんなに逆らって自分は政府に従わなければいいのである。『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である』から、国民は自分が幸福になりたければ政府に国を治めさせず政府に従わなければいいのである。
世の中には馬鹿が多い。馬鹿は自分が幸福になることがわからず自分で自分を不幸にする。政府は権力団体であり、国民を不幸にして国を治める団体である。だから、政府は「多数決の原理」を定めて国民を不幸にして国を治めているのである。政府は“国を治めるために”国民を不幸にするのが仕事である。だから、政府はいつでも国民を不幸にするのである。国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由だから、国民が不幸になりたくなければ政府に国を治めさせず政府に従わなければいいのである。「多数決の原理」を信じず、自分で自分が幸福になることを考えて自分ひとりで幸福に生きていけばいいのである。
国民が政府に国を治めさせれば、政府は国民が不幸になる命令をたくさん出して国民を命令に従わせて国民を不幸にする。反対に、国民が法律会社に国を治めさせれば、法律会社は国民が幸福になる法律をたくさん定めて国民に守らせて国民を幸福にする。だから、国民が幸福になりたければ政府ではなく法律会社に国を治めさせねばならないのは当然である。それなのに、馬鹿は頭で考えてわかることがないから自分が幸福になることと不幸になることの区別がつかないから、おとなしく政府の命令に従って自分を不幸にしているのである。国民の多くは馬鹿だから、おとなしく政府の命令に従って何でもかんでもやって自分を不幸にすることをやって不幸になっているのである。国民の多くは馬鹿だから頭で考えてわかることがないから自分が何をやっているかもわからずに政府の言いなりになって政府に不幸にされているのである。国民の多くは形だけが人間で中身は動物以下である。国民の多くは政府と同じかそれ以上にくだらない生き物である。まったく恐ろしい世の中だ。政府は国民を不幸にする悪い団体で、国民みんなは馬鹿だから、汚い世の中になっているのである。国民が幸福になるためにはこんな世の中から脱出するしかない。国民は自分が幸福になりたければ政府にも国民みんなにも従わず、自分ひとりで正しいことを考えて自分が幸福になることを考えて自分ひとりで自分が幸福になることをやって自分を幸福にしないといけない。

[21454] 国民が権力制をやるか法律制をやるかは国民個人の勝手である。 h26.10.15
『国民がどんな“国を治める団体”に国を治めさせるかは国民個人の勝手である。』つまり、国民がどんな制度をやって国を治めるかは国民個人の勝手である。
国民が権力制をやるか法律制をやるかは国民一人一人の勝手である。
国民が権力制をやって、国民が政府に従うことによって国を治めることにすれば、政府は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にする。政府は国民に命令して高い税金を取って国民に嫌な生活をさせて国民を不幸にする。
反対に、国民が法律制をやって、国民が法律会社に自分の人権を守らせることによって国を治めることにすれば、法律会社は国民の人権を守って国民を幸福にしてくれる。法律会社は国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民の人権を守って、国民が幸福になることを勧[すす]めて国民を幸福にしてくれる。
だから、国民は自分が幸福になりたければ権力制ではなく法律制をやらねばならない。国民が自分が幸福になりたければ政府に国を治めさせるのではなく法律会社に国を治めさせねばならない。
今の国民みんなが権力制をやって政府に従っているのは、国民みんなが馬鹿だからである。今の国民みんなは政府に従って自分を不幸にしている。今の国民みんなは自分が不幸になりたくないのに自分が不幸になることをやっている。国民の多くは馬鹿だから、国民みんなは馬鹿なのである。国民は国民みんなを見習って自分もいっしょに不幸になってはいけない。国民は国民みんなと反対のことをやって、自分は権力制をやらず政府に従わないようにして、自分が幸福にならねばならない。

[21455] この世は国民が幸福に生きていけるように出来ている。 h26.10.15
『世の中には馬鹿が多くて利口が少ない。』馬鹿は自分が幸福になることがわからないから自分で自分を不幸にする。利口は自分が幸福になることがわかるから自分で自分を幸福にする。国民が大勢の国民に従わねばならないなら、国民は大勢の馬鹿と同じことをしていっしょに不幸にならねばならない。これでは国民全員が不幸になる。国民が幸福に暮らせない。そんなのは嫌だ。だから、昔から国民が幸福に暮らせるために『国民は大勢の国民と同じことをしなくてもいい』決まりがあるのである。つまり、「多数決の原理」はないのである。
『世の中には悪い“国を治める団体”がある。』国を治める団体はつねに国民を幸福にする善い団体だとはかぎらない。国を治める団体には国民を幸福にしてくれる善い団体と国民を不幸にする悪い団体がある。国民が悪い“国を治める団体”に国を治めさせると国民は不幸にならねばならない。そんなのは嫌だ。だから、昔から国民が幸福に暮らせるために『国民が自由に国を治める団体に国を治めさせることができる。』決まりがあるのである。つまり、「国民が国を治める団体に従わなければならない」決まりはないのである。
この世は国民が幸福に生きていけるように出来ている。そうでなければみんなが生きるのが嫌になって死んでいるはずである。そのために、『国民は大勢の国民と同じことをしなくてもいい』決まりや『国民が国を治める団体に国を治めさせなくてもいい』決まりがあるのである。ここまでは理屈だけでわかる。
この先は知識の問題である。『今の政府は法律会社のふりをした権力団体である。』『法律会社は法律で国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める善い団体である。権力団体は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める悪い団体である。』今の政府は善い団体のふりをした悪い団体である。だから、国民は政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせればいいのである。
ところが、今の国民みんなは政府に国を治めさせている。やはり『世の中には馬鹿が多く利口が少ない』のである。悲しいけど、これが現実なのである。『国民が大勢の国民と同じことをしなければならないことはない。』国民は国民みんなと違うことをして、政府に国を治めさせないようにして、自分は幸福に生きていかねばならない。
『馬鹿が不幸になり、利口が幸福になる。』これがこの世の摂理[せつり]である。国民は自分の身を持って真理を実践すればいいのである。
国民みんなが馬鹿だから、馬鹿は自分が幸福になることがわからず自分で自分を不幸にするから、いつまでたっても世の中がよくならないのである。今の国民みんなは政府に国を治めさせて政府に従って自分で自分を不幸にしている。せめて自分ひとりだけでも幸福に暮らしたいものである。

[21456] 国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。 h26.10.15
『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』だから、国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。
政府は法律会社のふりをした権力団体である。法律会社は国民を幸福にする団体である。権力団体は国民を不幸にする団体である。だから、政府は国民を幸福にするふりをした国民を不幸にする団体である。だから、国民が“自分が幸福になりたければ”政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせればいい。しかし、反対に、国民が“自分が不幸になりたければ”政府に国を治めさせて法律会社に国を治めさせなければいい。
国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由であって、どちらかにしなければならない決まりはない。国民が政府に国を治めさせれば不幸にされ、政府に国を治めさせなければ不幸にされないが、国民が不幸になりたいかなりたくないかは国民個人の問題だから、国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人が自由に決めればいいことなのである。世の中には自分が不幸になりたい変わった人もたくさんいるから、国民が自分で自分のいいように決めるしかないのである。
だから、いくら国民みんなが政府に国を治めさせているからといって、国民が政府に国を治めさせねばならないわけではないのである。国民には国民みんなの真意がわからないから、今の国民みんなは自分が不幸になりたいから政府に国を治めさせているのかもしれないから、国民が自分が幸福になりたければ国民みんなと反対に政府に国を治めさせなければいいのである。国民は自分が不幸になりたければ国民みんなといっしょに政府に国を治めさせて政府に自分を不幸にしてもらえばいいのである。
人間の心は眼で見えない。人間の心は人それぞれである。自分は幸福になりたくても他人は不幸になりたいかもしれない。だから、国民がいいかげんに国民みんなと同じことをしていると、自分も不幸になるのである。国民みんなは馬鹿だから、馬鹿は自分が幸福になることがわからず自分で自分を不幸にするから、馬鹿は生きていても面白いことがないから、馬鹿は早く死にたいから、今の国民みんなは政府に国を治めさせて政府に従って政府の命令で政府に殺されたいのかもしれない。
たとえ今の国民みんながヨーロッパに憧[あこが]れがあったとしても政府に国を治めさせるのはやめたほうがいい。国民が政府に従うことによって国を治めると、政府に嫌な命令を出されて不幸にされる。ヨーロッパは昔は法律がなかったために国民みんなが政府に従って国を治めるしかなかったから、今でも多くの国民が政府に従って国を治めているのである。ヨーロッパでは国民みんなが国を治めるためにしかたがなく政府に従って政府に不幸にされていたのである。一方、アジアには昔から法律があったから国民みんなが法律会社にお金をやって国民みんなの人権を守ってもらって幸福に暮らせばいい。ヨーロッパよりもアジアのほうが国を治める方法は進んでいる。だから、今の日本では国民みんなは政府ではなく法律会社に国を治めさせればいいのである。
国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の問題である。国民が自分の意思で決めることである。自分が他人に命令できることではない。国民が政府に国を治めさせることも治めさせないことも両方とも法律ではない。国民が会社と契約することが法律ではないのと同じことである。だから、国民はいつまで待っても他人から「政府に国を治めさせるな」と命令されることがない。反対に、他人から「政府に国を治めさせろ」と命令されることもない。国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由なのである。国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民が自分自身で決めることである。他人に命令されて決めることではない。いくら『国民が政府に国を治めさせなければ幸福になれる』ことがわかっていたとしても、国民は他人に「政府に国を治めさせるな」と命令することはできない。国民は自分自身で考えて政府に国を治めさせないことを決めるしかないのである。国民みんなはいつになったら政府に国を治めさせなくなるだろうか?

[21457] 今の国民みんなが不幸なのは国民みんなの自業自得である。 h26.10.16
今の国民みんなが政府に不幸にされているのは国民みんながいけないのである。
なぜなら、『政府は権力団体で、国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める団体だ』が、『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である』から、国民が自分が不幸になるのが嫌なら政府に国を治めさせなければいいのである。
『政府は法律会社のふりをした権力団体だ』が、社会科の得意な人ならそれぐらいのことはすぐにわかる。“権力団体”とか“法律会社”とか知っている者ならすぐにわかる。“政治団体”とか“法治団体”という言葉を知っている者ならすぐにわかる。残念ながら、私は子供の頃から社会科が苦手だったので、これだけのことがわかるのに10年もかかってしまったのである。『政府が法律会社のふりをした権力団体である』ことは高校生の社会科のレベルで十分理解できることである。だから、私にもなんとか理解できたのである。だから、政府は法律会社のふりをして国民みんなを騙[だま]していると言って騒ぐほどではない。政府の嘘[うそ]はミエミエである。社会科の得意な人にとっては言わずもがなである。
今の国民みんなが頭の中で“変なこと”を考えて政府に国を治めさせているために、国民みんなは政府の命令を聞いて不幸にされているのである。今の国民みんなが不幸なのは国民みんなの自業自得である。
政府が権力団体をやっているのは政府の勝手である。社会では人がどんな仕事をするかは人の勝手だから、政府が権力団体をやりたければ権力団体をやればいいのである。政府は国民に命令して国民を殺したり嫌がらせたりしている。政府は権力団体としての仕事をただやっているだけである。権力団体とはもともとそういうものである。それがヨーロッパ流の国の治め方なのである。それもちょっと社会科に詳しければわかることである。あとは、国民一人一人が政府に国を治めさせるかさせないかの問題である。善い会社には客がついて儲[もう]からせて、悪い会社には客がつかずに滅ぼせばいいだけのことである。
ところが、今の国民みんなは政府に国を治めさせている。政府の命令で税金を払って政府を儲からせている。今の国民みんなは権力団体に国を治めさせて権力団体に従って権力団体の命令を聞いて権力団体に不幸にされている。
一番変なのは今の国民みんなである。政府よりも国民みんなのほうがおかしい。
この世では馬鹿が不幸な目にあい、利口が幸福な目にあう定めである。
残念ながら、『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である』から、私が他人に「政府に国を治めさせてはいけない」と命令することはできない。他人は他人自身でよく考えて政府に国を治めさせないことに決めるしかない。いったいいつになったら、国民みんなが政府に国を治めさせなくなって政府が倒れる日が来るのだろうか?

[21458] ヨーロッパでは国民みんなが政府に従うことによって国を治めていた。 h26.10.16
昔のヨーロッパでは、国民みんなが国を治めるためにはどうすればいいかを考えた。そうして、国民みんなが政府を設けて国民みんなが政府に従うことによって国を治めることにした。政府は最初のうちは国民みんなに善い命令を出して国民みんなを喜ばせていたが、しだいに悪い命令を出して国民みんなを苦しめるようになった。すぐに悪くなるのが権力制の欠点である。国民みんなは政府が嫌いだったが、国を治めるために我慢[がまん]して政府に従い続けた。ただし、ヨーロッパは科学や産業が得意なので、ヨーロッパは物やお金が豊かだった。ヨーロッパは科学が得意だった上に政府が国民みんなに好き放題に命令して国民みんなに戦争させたので、ヨーロッパは戦争が強かったので、世界中に進出して世界中の国を征服した。
一方、昔のアジアでは、国民みんなが国を治めるためにはどうすればいいかを考えた。そうして、国民みんなが法律会社を設けて法律会社に犯罪者を罰してもらうことによって国民みんなの人権(命や財産など)を守ってもらうことにした。法律会社は国民みんなの人権を守ってくれて、国民みんなは平和に自由に幸福に暮らすことができた。国民みんなは法律会社が好きだった。ただし、アジアは科学や産業に弱かったので、アジアは物やお金が貧しかった。アジアは科学に弱かったために戦争が弱かったので、ヨーロッパに攻めて来られたらひとたまりもなかった。それは法律会社が悪いわけではない。軍事力が弱いのがいけないのである。法律会社は侵略戦争はやれないが、法律会社は国民みんなの人権を守るために防衛戦はやれる。実際に中国はそうやってヨーロッパから自分の国を守るために戦争をやっていた。だから、今度から日本が戦争をやらねばならなくなったら、日本はヨーロッパの科学や産業だけを取り入れて軍事力を増強して、ヨーロッパの“国を治める方法”を取り入れないようにして、法律会社のままでヨーロッパと戦えばいいのである。そうすれば、日本は自分の国をちゃんと防衛できるだろう。
ヨーロッパもアジアも一長一短がある。ヨーロッパは科学が得意だが法律がなかった。アジアは法律があったが科学が苦手だった。ヨーロッパは科学が得意だったので産業が発達して物やお金が豊かだった。アジアは科学が苦手だったので産業が遅れていて物やお金が貧しかった。ヨーロッパは国を治めるためにうまい方法を考え出せなかったので国民みんなが政府に不幸にされていた。アジアは国を治めるためにうまい方法を考え出せたので国民みんなが法律会社に幸福にしてもらっていた。昔からヨーロッパは眼に見えることが得意で、アジアは眼に見えないことが得意なようである。それはヨーロッパ人が五感的であり、アジア人が知覚的である証拠である。眼で見える世界はヨーロッパ人の縄張[なわば]りだが、眼で見えない世界はアジア人の縄張りである。法律は言葉で書かれているから、ヨーロッパ人は眼で見えることしかわからないから、法律がわからないから、法律制がやれなかったのかもしれない。生物学や社会科が得意な人が数学や物理学が苦手なのと同じことである。
今では世界は一つである。今ではヨーロッパもアジアもない。だから、今では世界中の国が科学と法律の両方ある国を目指している。今の日本では科学はあるが法律がない。政府が法律会社のふりをした権力団体だから法律がないのである。早く国民みんなで権力制をやめて法律制をやって、国民みんなが政府に従うのをやめて法律会社に国民みんなの人権を守ってもらって、国民みんなが政府に不幸にされるのをやめて法律会社に幸福にされるようになって、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。もちろん、今後も国民みんなで科学や産業を続けて、日本を科学や産業のある国にし続けなければならない。

[21459] 日本は個人主義の国である。 h26.10.16
『世の中には馬鹿が多くて利口が少ない。』昔から『国民みんなが馬鹿だ』ということがわかっている。馬鹿は自分が幸福になることがわからず自分で自分を不幸にするから、馬鹿が幅を利かすと国民全員が不幸にされる。それを何とかして乗り越えねばならない。そのために、日本人は『個人主義』を考え出したのである。日本では昔から『国民は一人一人独立であり、国民は国民みんなと同じことをしなくてもいい』ことに決まっているのである。日本は『個人の自由』を尊重する国なのである。
今の政府は国民みんなに嘘[うそ]をついて「国民は政府に国を治めさせねばならない。」と言っているが、本当は『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』
だから、たとえ今の国民みんなが政府に国を治めさせていても、たとえ政府が国民みんなを幸福にする善い“国を治める団体”だったとしても、国民は政府に国を治めさせなくていい。
だから、国民は政府に国を治めさせなければいいのである。国民は政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。いっぺん日本を国を治める団体が何もない国にすればいい。国民は“政府の命令”も法律もない国で自分の好き放題にすればいいのである。そのうち、世の中が物騒[ぶっそう]になって国民が自分の命や財産が危[あや]うくなったら、国民みんなで法律会社を建てて法律会社にお金を払って自分の人権を守ってもらえばいいのである。
国民みんなは馬鹿である。国民みんなはまちがったことをやって自分で自分を不幸にする。国民みんなほど当てにならないものはない。だから、国民は国民みんなを無視して、自分で正しいことを考えて自分が幸福になることをやって自分で自分を幸福にしなければならない。

[21460] 政府に国を治めさせると国民みんなが貧乏に不幸にされるだけである。☆☆ h26.10.16
『政府は法律会社のふりをした権力団体である。』国民みんなはすでにこのことを知っている。国民みんなは政府が権力団体であり、政府が国民を事故で殺したり国民に嫌な生活をさせていることを知っている。
それなのに、国民みんなは政府に国を治めさせて政府に従っている。
それは、国民みんなが『政府に国を治めさせておけば、日本がヨーロッパみたいな豊かな国になる』と思っているからである。
それは、国民みんなの誤解である。政府は国民が政府に従うことによって国を治めるためにあるのであって、それ以上のものではない。政府は国民に従われて国を治めることが仕事であって、それ以外に仕事はない。政府は国民が自分に従っているのをいいことにして、国民に嫌なことを命令して国民を貧乏にして不幸にして虐[いじ]めて遊んでいるのである。国民が政府に従っても、政府は国民に嫌な命令を出して国民を貧乏に不幸にするだけである。現[げん]に、日本もヨーロッパもアメリカも政府に国を治めさせている国では、国民みんなが政府に貧乏に不幸にされているのである。
政府は国を治めるだけであって、国民をお金持ちに幸福にしたりはしない。国民がお金持ちに暮らしているのは、国民が自分で物を作って物を売って国民が自分でお金を儲[もう]けているからである。国民が幸福に暮らしているのは、国民が自分を幸福にすることをやって自分で自分を幸福にしているからである。政府はいつでも国民に嫌な命令を出して国民をお金が儲からないようにして国民の喜びを奪って国民に苦しみを植え付けて国民を不幸にするだけである。
ヨーロッパが日本に比べてお金持ちなのは、ヨーロッパは科学や産業が得意で日本よりも500年早く産業革命を始めたからである。ヨーロッパは日本よりも500年分多い資本が溜[た]まっているからお金持ちなのである。日本も戦争や植民地でお金を無駄遣[むだづか]いをせずに、ヨーロッパのあとを追って産業革命をやってコツコツとお金を溜めていけば、やがてはヨーロッパみたいなお金持ちの国になれるのである。
ヨーロッパがお金持ちなのは、政府が国民みんなをお金持ちにしてくれたからではなく、国民みんなが科学や産業が得意で産業を伸ばして良い物をたくさん作って良い物をたくさん売ったからである。だから、日本がヨーロッパのようにお金持ちになりたければ、国民みんなが科学や産業が得意になって産業を伸ばして良い物をたくさん作って良い物をたくさん売ればいいのである。政府に国を治めさせる必要はない。
政府は国を治めるためにあるだけだから、国民がお金持ちになるためには政府は要らない。むしろ、政府は国を治めるために国民に嫌な命令をして国民を貧乏に不幸にするから政府はないほうがいい。国民をお金持ちに幸福にするのは国民自身である。反対に、政府は国民を貧乏に不幸にするだけである。昔から国民は政府の嫌がらせと戦って自分をお金持ちに幸福にしてきたのである。
政府は国民に嫌な命令を出して国民を不幸にして国を治める。反対に、法律会社は犯罪者を罰して国民の人権を守って国民を幸福にして国を治める。だから、国民が国を治めて幸福に暮らすためには政府よりも法律会社のほうがいい。『国民が国を治める団体に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』だから、国民は政府に国を治めさずに、法律会社に国を治めさせたほうがいい。国民は政府に従わず政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらえばいい。
国民みんなは科学や産業が得意になって産業を伸ばして、法律会社に国を治めさせればいい。そうすれば、国民みんなは物やお金が豊かになって、自由に平和に暮らすことができて、国民みんなは物も心も両方とも豊かに暮らすことができるだろう。
今の国民みんなは他人がいいようにしてくれるのを当て込んでいる。今の国民みんなは自分がいいようにせずに、他人が善いことをやってくれてみんなが幸福に暮らせるようにしてくれるのを期待している。だから、自分が幸福になることがわかる者ががんばらねばならない。自分が幸福になることがわかる者が自分のために国民みんなのためにがんばって国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。『国民は政府ではなく法律会社に国を治めさせれば幸福になれる。』だから、このことがわかる者が人柱になるのを覚悟で(たぶんならないと思うが)『政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせる』ことを実行すればいいのである。国民は武器で政府を殺して政府を倒すのではなく、政府に税金を払わなかったり国民みんなに『国民が政府に国を治めさせなければいい』ことを説いたりして政府を倒せばいいのである。

[21461] どうして警察は変態の真似[まね]をするのか!? h26.10.17
これまで警察はセーラー服を着て下半身裸で踊ったり、他人の家の戸口から精液を流し込んだりして変態の真似をしてきた。
それは、政府が国民に法律会社に国を治めさせないようにするためである。警察は法律会社のことなので、政府は警察に変態の真似をさせることによって、国民の法律会社に対する信頼を失わせようとしたのである。
国民は政府のベタな芝居に騙[だま]されてはいけない。
国民が幸福に暮らすためには、政府に国を治めさせるよりも法律会社に国を治めさせたほうがいい。だから、国民はさっさと政府に従うのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って自分の人権を守ってもらえばいいのである。
政府が警察に変態の真似をさせて法律会社の信用を失わせていることは、とりもなおさず『国民が自由に国を治める会社を選んで国を治めさせることができる』ことを表している。『国民が自由に国を治める会社を選べる』からこそ、政府は法律会社の妨害をしているのである。だから、国民は法律会社を選んで政府を選ばなければいいのである。国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。

[21462] 政府は国民を貧乏に不幸にするだけである。☆ h26.10.17
政府は権力団体である。国民は政府に従うことによって国を治める。政府は国民が自分に従っているのを利用して、国民に嫌な命令を出して国民から高い税金を取って国民に嫌な生活を遅らせて国民を貧乏に不幸にする。政府は本来“国を治める団体”であって悪い団体ではないが、国民が政府に従うために政府が国民に嫌な命令を出すようになって政府が悪い団体になってしまったのである。
一方、国民は科学や産業をやって産業を伸ばして物をたくさん作って物をたくさん売って物が豊かになって裕福になる。国民は自分が幸福になることをやって自分で自分を幸福にする。
国民を裕福に幸福にしてきたのは国民自身である。政府は国民に嫌な命令を出して国民が裕福に幸福になるのを妨げて国民を貧乏に不幸にしてきただけである。国民にとっては政府がないほうが裕福に幸福になる。
ヨーロッパでは昔から国民が政府に貧乏に不幸にされてきた。しかし、ヨーロッパには法律がなかったから、国民は政府に従うことによって国を治めるしかなかった。国民はいくら政府に貧乏に不幸にされても政府に従うしかなかった。もっとも、ヨーロッパでは国民が科学と産業が強くて、国民の経済力がものすごく強いから、国民がたとえ政府に貧乏にされても、国民自身の力でそれに打ち勝って裕福に暮らしてきたのである。
一方、日本では中世には国民がすでに『政府は権力団体であり、権力団体は国民を貧乏に不幸にする。反対に、法律会社は国民の人権を守って国民を裕福に幸福にする。』ことを知っていた。日本は昔から国民が世界中の文化を取り入れていたから、政府と法律会社の両方を比較して『政府よりも法律会社のほうがいい』ことを知っていたのである。だから、日本では中世以降は国民が法律会社に国を治めさせて、政府に国を治めさせないことにしていた。しかし、『近代以降の政府は法律会社のふりをした権力団体だった』ので、国民はまんまと政府に騙[だま]されて「政府を法律会社だ」と思って政府に国を治めさせてきたのである。
日本はヨーロッパと違って国民が科学と産業が弱いので、国民の経済力が弱いので、国民が政府に貧乏にされると国民がすぐに貧乏になる。近代の日本は特別に景気がよかったから国民が政府に貧乏にされても国民がそれに打ち勝って裕福になっていたが、今の日本は景気が悪いから国民が政府に貧乏にされると国民がそれにすんなり負けて貧乏になっている。昔は工場が日本にしかなかったから日本で物を作って日本で物を売っていたから日本がすごく儲[もう]かったのである。しかし、今では工場がアジア中にあるから外国で物を作って日本で物を売っているから日本があまり儲からなくなったのである。日本はもともと経済力が弱い貧乏な国なので、お金持ちの国を真似[まね]て政府を置くほどの余裕がないので、国民は早く政府を倒さねばならない。
日本では中世から後は国民が『権力団体は国民を貧乏に不幸にし、法律会社は国民を裕福に幸福にするので、法律会社に国を治めさせて権力団体に国を治めさせない』ことにしている。今では『政府が法律会社のふりをした権力団体である』ことがバレている。だから、国民は政府に国を治めさせず政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社に国を治めさせて法律会社を建てて法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらえばいいのである。
今ではヨーロッパでも国民が政府と法律会社を比較して、『権力団体は国民を貧乏に不幸にし、法律会社は国民を裕福に幸福にするので、法律会社に国を治めさせて権力団体に国を治めさせない』ようになっている。ヨーロッパは法律後進国である。ヨーロッパは産業では先進国だが、法律では後進国である。ようやく今頃になってヨーロッパ人は法律のよさがわかってきている。日本もヨーロッパ人に負けないように、さっさと政府を倒して法律会社を建てねばならない。

[21463] 今のヨーロッパでは権力制に乗っけて法律制をやっている。 h26.10.17
今のヨーロッパの法律制は本当は法律制ではない。今のヨーロッパでは権力制に乗っけて法律制をやっている。政府が自分の命令を法律にして国民に自分の命令を守らせている。それがヨーロッパ流の法律のやり方である。
今の日本の科学が本当は科学でないのと同じことである。今の日本では文学制に乗っけて科学をやっている。国民はまず知覚で科学を言葉として理解して、あとで知覚と五感を対応付けて眼で見える物を理解している。日本人は頭で考える世界の中に生きているのであって、言葉の意味は頭で考える世界の中にあるのである。それが日本流の科学のやり方である。
しかし、本場のヨーロッパの科学はそんなもんじゃない。ヨーロッパではみんながまず眼で物を見て、それを言葉に表している。五感と知覚を対応付けて知覚の言葉を理解している。ヨーロッパ人は眼で見える世界の中に生きているのであって、言葉の意味は眼で見える世界の中にあるのである。それがヨーロッパ流の科学のやり方である。日本でも生物学や社会科の得意な人(つまり頭の弱い煩悩[ぼんのう]の多い馬鹿息子)はヨーロッパ流の科学のやり方をやっている。人よりも“馬鹿の才能”が発達しているだけである。
どこの国でも外国の文化を受け入れるときには、これまでの自分の国の文化に乗っけて外国の文化を受け入れる。日本では文学に乗っけて科学を受け入れるように、ヨーロッパでは権力制に乗っけて法律を受け入れるのである。
日本は近代にヨーロッパの文化を受け入れたから、ヨーロッパでは政府がニセモノの法律制をやっていたから、日本政府がニセモノの法律制をやっていたのである。権力制に乗っけて法律制をやっていたのである。もっと時代が進んでヨーロッパが本物の法律制をやっていれば、日本政府も本物の法律制をやっていただろう。
今の日本政府はニセモノの法律制をやっている。権力制に乗っけた法律制をやっている。要するに、今の日本政府がやっていることは権力制である。政府は見かけは法律会社だが、やっていることは権力団体である。
権力制では国民が政府に貧乏に不幸にされる。反対に、法律制では国民が法律会社に裕福に幸福にされる。
だから、国民は自分が裕福に幸福になりたければ、政府に国を治めさせず法律会社に国を治めさせればいい。国民は政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って法律会社に自分の人権を守ってもらえばいいのである。

[21464] 今後の日本はアジア制でやればいい。 h26.10.17
世界中の国には一長一短がある。アジアには科学がない。ヨーロッパには法律がない。
しかし、アジアにはまちがった科学もない。アジアにはまったく最初から科学がないから正しい科学もないが反対にまちがった科学もない。だから、アジアではヨーロッパの科学を受け入れればすんなり正しい科学がやれるのである。アジアは科学や産業をやって産業を伸ばして良い物をたくさん作って良い物をたくさん売って物やお金が豊かになれるのである。
一方、ヨーロッパにはまちがった“国の治め方”がある。ヨーロッパにはすでに権力制というまちがった国の治め方がある。だから、ヨーロッパではアジアの“国の治め方”を受け入れても自分の権力制に乗っけた形でしか受け入れられないから正しい国の治め方がやれないのである。ヨーロッパはいまだに国民みんなが権力制をやって政府の言いなりにされているのである。
アジアの欠点は直しやすい。ヨーロッパの欠点は直しにくい。だから、ヨーロッパよりもアジアのほうが有利である。
今後はアジアの時代である。ヨーロッパよりもアジアが栄える時代である。ヨーロッパよりもアジアが善い国の時代である。だから、今後の日本はヨーロッパ制ではなくアジア制でやればいい。中世の世界もおそらく似た状況だったのだろう。中世のヨーロッパでは科学や産業が衰えて長所がなくなって世界中から見捨てられたのである。だから、中世の日本もヨーロッパ制をやめてアジア制に変えたのである。これからの日本は科学と法律の両方ある国でやっていけばいいのである。政府は法律会社ではなく権力団体だから、日本は早く政府をなくして法律会社を建てねばならない。

[21465] 近代の国民みんなはまちがって政府を受け入れてしまった。 h26.10.17
日本が外国の文化や文明を受け入れるときには、国民みんなを幸福にする善い物だけを取り入れて国民みんなを不幸にする悪い物を取り入れなければいい。
原理的にはそれが正しい。しかし、実際には善いか悪いかわかりにくい物がある。
例えば、政府がそれである。政府は法律会社のふりをした権力団体である。だから、明治維新のときに国民みんなが政府の見かけに騙[だま]されて「政府が善い物だ」と思って政府を受け入れてしまったのである。国民みんなは政府のことを「戦争をやってくれる便利な法律会社だ」と思って大喜びで政府を設けたのである。しかし、あとで『政府が法律会社のふりをした権力団体だ』とわかって、国民みんなは自分たちがまちがって政府を受け入れたことを後悔したのである。今の国民みんなは大急ぎで政府を日本から排除[はいじょ]しているのである。
人間はまちがいを犯すことがある。だから、人間は自分で自分のまちがいを直さなければならない。国民みんなは自分たちが犯したまちがいを自分たちで直さなければならない。国民みんなが犯したまちがいは国民みんなで修正しないといけない。近代の国民みんながまちがって政府を受け入れてしまったから、今の国民みんなが正しいことをやって政府を日本から追放しなければならない。国民みんなで政府の替わりに法律会社を建てねばならない。国民みんなで日本を国民みんなが幸福に生きていける国にしないといけない。
日本人は明治維新のときに幕府を倒した。だから、『国民は国を治める団体を自由に倒すことができる』のである。だから、今の国民も政府を倒せばいいのである。国民がめいめい勝手に政府を倒せばいいのである。国民が一人一人てんでんバラバラに政府を倒せばいいのである。国民が自由に自分の好き勝手に政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。そうする国民が増えれば政府が経営できなくなって政府がなくなる。国民みんなで政府の替わりに法律会社を建てればいい。そうやって、国民みんなが幸福に暮らせる国にすればいいのである。
国民みんなは数が多いだけで馬鹿である。国民みんなは「多数決の原理」で動いてまちがったことをやっている。国民みんなは周[まわ]りのみんなに合わせてまちがったことをやって自分で自分を不幸にしている。国民みんなは自分が幸福になることよりもみんなに合わせることのほうが大事なのである。それが馬鹿の心理というものである。国民は国民みんなのアホをほっといて自分が正しいことをして自分が幸福になればいいのである。国民は自分ひとりで国民みんなが幸福に暮らせる国にすればいいのである。馬鹿は眼で見たことがわかるだけで言葉がわからないから、国民が『国民が政府に国を治めさせないほうがいい』ことを国民みんなに説得しても無駄[むだ]だから、国民は自分ひとりで政府に国を治めさせなければいいのである。それではとうてい政府を倒すことはできないが、とりあえず自分を不幸にしなければいいのである。

[21466] ヨーロッパ人は自分の幸福よりも眼で見てサマになるほうが大事である。☆ h26.10.17
人間は見かけが同じでも中身が違う。ヨーロッパ人とアジア人では性格がだいぶ違う。
ヨーロッパ人のような“眼で見ることがわかる”人種にとっては、国民みんなが政府に従うことによって国を治める権力制のほうがしっくり来るのだろう。だから、たとえ国民みんなが政府に従って政府に虐[いじ]められて不幸にされても、国民みんなは権力制がいいと思って政府に従い続けるのだ。
反対に、アジア人のような“頭で考えることがわかる”人種にとっては、国民みんなが法律会社にお金を払って法律会社に自分の命やお金を守ってもらって国を治める法律制のほうがしっくり来るのである。
『国民が幸福に暮らすためには権力制よりも法律制のほうがいい』ことが常識となっている今でも、ヨーロッパではいまだに国民みんなが権力制をやめないのはそのためである。ヨーロッパ人にとっては法律制よりも権力制のほうが国を治める方法としてはサマになると思われるので、ヨーロッパ人は権力制をやめないのである。ヨーロッパ人にとっては眼で見えない幸福よりも、眼で見える権力制のほうが大事なので、いくら自分が権力制のために不幸になっても権力制をやめないのである。
反対に、アジア人にとっては眼で見えることよりも自分の心の幸福のほうが大事なので、いくら権力制がサマになっても権力制をやらないのである。アジア人にとっては、かっこいい権力制よりもかっこ悪い法律制のほうがいいのである。
日本人はアジア人である。日本人にとっては眼で見てサマになることよりも自分が幸福であることのほうが大事である。日本人にとっては権力制よりも法律制のほうがいい。政府は法律会社ではなく権力団体である。だから、今の国民は政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、法律会社を建てて法律会社と自由に契約して法律会社にお金を払って自分の人権を守ってもらえばいいのである。
要するに、ヨーロッパ人が権力制をやっているのは「権力制がかっこいいから」である。アジア人が法律制をやっているのは『法律制が幸福だから』である。アジア人にとってはかっこよさなんかどうでもいい。日本人はアジア人だから、権力制よりも法律制をやるべきである。だから、今の日本では国民が政府を倒せばいいのである。ヨーロッパ人にとっては政府が好きでも、アジア人にとっては政府が嫌いである。日本人はアジア人である。だから、日本人は政府を倒せばいいのである。
ヨーロッパ人は見かけが考え深いだけで、本当は馬鹿である。日本人はヨーロッパ人に騙[だま]されないようにしないといけない。

[21467] 国民は自分に合った“国を治める団体”に国を治めさせればいい。 h26.10.18
『国民は自分が好きな“国を治める団体”に国を治めさせることができる。』
権力団体は国民に命令して国民の上手[うわて]に出るので見かけがかっこいいが、国民に嫌な命令を出して国民を不幸にする。権力団体は国民の主人のようなものである。権力団体は眼で見てわかる者にとってふさわしい国を治める団体である。眼で見てわかる者はかっこいいか悪いかがわかるだけで、幸福か不幸かがわからないからである。眼で見てわかる者は眼で見る喜びしかないから、いくら政府に自分が不幸にされても、政府がかっこよければそれで満足なのである。
法律会社は国民の人権を守って国民の下手[したて]に出るので見かけがかっこ悪いが、国民の人権を守って国民を幸福にする。法律会社は国民のガードマンのようなものである。法律会社は頭で見てわかる者にとってふさわしい国を治める団体である。頭で見てわかる者はかっこいいか悪いかはわからないが、幸福か不幸かがわかるからである。頭で見てわかる者は頭で見る喜びしかないから、いくら法律会社がかっこ悪くても、法律会社に幸福にされればそれで満足なのである。
今では東西文化の交流が進んで世界中の文化が入り混じっている。
今ではヨーロッパ人も眼で見てわかるだけではなく頭で考えてわかるようになっている。今ではヨーロッパ人も眼で見る喜びだけでなく頭で考える喜びがあるようになっている。そのために、国を治める団体が権力団体から法律会社に変わっている。
反対に、今ではアジア人も頭で考えてわかるだけではなく眼で見てわかるようになっている。今ではアジア人も頭で考える喜びだけではなく眼で見る喜びがあるようになっている。そのために、国を治める団体が法律会社から権力団体に変わっている。
今の日本には眼で見てわかる国民と頭で考えてわかる国民の両方が入り混じっている。
『国民は自分が好きな国を治める団体に国を治めさせればいい。』
だから、眼で見てわかる国民は政府(権力団体)に国を治めさせればいい。政府に従って政府の命令で政府に高い税金を払ったり自分が不幸になることをやって不幸になればいい。
反対に、頭で考えてわかる国民は法律会社に国を治めさせればいい。今はまだ法律会社が建っていないから、自分で法律を守って自分の人権を守って、将来法律会社が建ったらお金を払って自分の人権を守ってもらえばいい。
今では民族の統一性がない。同じ国の人間でも人それぞれである。眼で見てわかる国民と頭で考えてわかる国民が入り混じっている。国民が自分がどうやって生きるかは国民一人一人の勝手である。だから、それぞれの国民が自分にふさわしい国を治める団体に国を治めさせればいいのである。国民が“性格が悪いがかっこいい人”と“性格がいいがかっこ悪い人”のどちらを選ぶかは国民一人一人の勝手であるように、国民が政府(権力団体)と法律会社のどちらを選ぶかは国民一人一人の勝手である。

[21468] ヨーロッパ人にとっては法律会社よりも政府のほうがいい。☆ h26.10.18
ヨーロッパ人のように眼で見ることだけわかって頭で考えることがわからない者にとっては政府のほうがいいのである。政府はかっこいいからである。政府がいくら国民みんなを貧乏に不幸にしても、国民は眼で見えることしかわからないから国民にとってはどうでもいいのである。ヨーロッパ人にとっては政府で満足なのである。ヨーロッパ人は残酷だから、政府が戦争で国民を殺したり事故を起こして国民を殺したりするのが好きなのである。
反対に、アジア人のように頭で考えることがわかって眼で見ることがわからない者にとっては法律会社のほうがいいのである。法律会社が国民を裕福に幸福にするからである。法律会社がいくらかっこが悪くても、国民は頭で考えることしかわからないから国民にとってはどうでもいいのである。アジア人にとっては法律会社で満足なのである。例えば、アジアの国では奇形児が普通の子供といっしょに楽しく遊んでいるのも、アジア人が頭で考えることしかわからない証拠である。
つまり、ヨーロッパ人は眼で見ることしかわからないから政府のほうがいいのである。アジア人は頭で考えることしかわからないから法律会社のほうがいいのである。ヨーロッパ人にとっては政府はけっして不満な存在ではないのである。ヨーロッパ人はたとえ政府に貧乏に不幸にされても政府を愛しているのである。アフリカ人にとっては文明が嫌いなのと同じことである。アフリカ人にとっては、たとえ毎年大勢の子供が飢えて死んでも、動物のように文明を持たずに暮らすのが理想なのである。それが『人間』というものだ。
今は国際化の時代である。今では東西文化の交流が盛んである。そのため、今の日本には眼で見ることがわかる者と頭で考えることがわかる者の両方が混じっている。
「多数決の原理」はない。つまり、『国民一人一人は独立である。』『国民は自由に国を治める団体を選ぶことができる。』だから、今の国民は自分が好きな国を治める団体に国を治めさせればいいのである。国民は政府(権力団体)か法律会社のどちらかに国を治めさせればいいのである。
日本人はアジア人だから政府よりも法律会社のほうがいいはずである。よっぽどヨーロッパかぶれした者だけしか政府がいいと思わないだろう。
つまり、政府が一概[いちがい]に悪い“国を治める団体”なのではなく、人によりけりである。眼で見ることがわかる者にとっては政府は善い国を治める団体であり、反対に頭で考えることがわかる者にとっては政府は悪い国を治める団体である。だから、自分が眼で見ることがわかる者かそれとも頭で考えることがわかる者かを考えて、それによって政府に国を治めさせたり治めさせなかったりすればいいのである。
今の政府は法律会社のふりをした権力団体である。政府は法律会社ではないから、政府は国民を裕福に幸福にしないからアジア人にとっては政府が嫌である。政府は権力団体だが、法律会社で覆[おお]っているのでかっこ悪いからヨーロッパ人にとっても政府が嫌いである。今の政府はアジア人にとってもヨーロッパ人にとっても嫌いである。今の政府は世界中のみんなにとって嫌いである。だから、世界中のみんなが政府に国を治めさせず政府を倒せばいいのである。

[21469] 日本人にとっては政府よりも法律会社のほうがいい。 h26.10.18
政府は見かけはかっこいいが、国民に命令して国民を貧乏に不幸にする。
法律会社は見かけはかっこ悪いが、国民の人権を守って国民を裕福に幸福にする。
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからない。
反対に、アジア人は頭で考えることがわかるだけで眼で見ることがわからない。
だから、ヨーロッパ人にとっては法律会社よりも政府のほうがいいのである。
反対に、アジア人にとっては政府よりも法律会社のほうがいいのである。
日本人はアジア人だから、政府よりも法律会社のほうがいいのである。
だから、日本人はやせ我慢して嫌な政府を置かずに、さっさと政府を倒して法律会社にすればいいのである。『国民が国を治める団体を自由に建てたり潰[つぶ]したりできる。』日本人は政府が嫌だから政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからないから、科学や産業があるだけで哲学や道徳がない。ヨーロッパ人はかっこいいが、悪いことをする。だから、政府が建物がかっこいいだけで、国民に悪いことをして国民を貧乏に不幸にするのである。ヨーロッパ人はみんなが悪いことをするから、政府が悪いことをしても誰も文句を言わないのである。
反対に、アジア人は頭で考えることがわかるだけで眼で見ることがわからないから、科学や産業がないが哲学や道徳がある。アジア人はかっこが悪いが、善いことをする。だから、法律会社が建物がかっこ悪いが、国民に善いことをして国民を裕福に幸福にするのである。アジア人はみんなが善いことをするから、法律会社が善いことをしてくれるのである。
日本政府はヨーロッパの国を治める団体だから、国民の前では善い人のふりをして、実際には国民に悪いことをする。政府は口先では国民を裕福に幸福にするふりをして、本当は国民を貧乏に不幸にする。日本人にとっては政府はまったく面白くない。日本人には日本人にとって面白い国を治める団体にすべきである。日本人にとっては政府よりも法律会社のほうが面白い。だから、日本人は政府を倒して法律会社を建てればいいのである。日本人は哲学や道徳が強いから自国の法律会社でやればいいのである。日本人が哲学や道徳が強いから自国の哲学や道徳でやるのと同じことである。日本人は科学や産業が弱いからヨーロッパから科学や産業を取り入れればいいのである。日本人は自分の生活が便利で楽しい程度に科学や産業をやればいいのである。科学や産業をやりすぎて眼で見えることしかわからないヨーロッパ人みたいになってはいけない。
日本人がいくらヨーロッパ人の真似[まね]をしてもヨーロッパ人にはなれない。日本人は日本人にほかならない。日本人には日本人の感性がある。日本人は頭で考えることがわかって眼で見ることがわからない性格である。だから、日本人は哲学や道徳が得意だが、科学や産業が苦手である。日本人は頭で考える世界の中に生きているのであって、眼で見える世界の中に生きていない。日本人の心は頭で考える世界の中にあるのであって、眼で見える世界の中にはない。アジアの法律会社は頭で考える世界における心を満足するが、ヨーロッパの政府は眼で見える世界における心を満足する。だから、法律会社は日本人の心を満足するが、政府は日本人の心を満足しないのである。アジアの法律会社は国民の前では国民を貧乏に不幸にすると言っておきながら、実際には国民を裕福に幸福にする。反対に、ヨーロッパの政府は国民の前では国民を裕福に幸福にすると言っておきながら、実際には国民を貧乏に不幸にする。だから、日本人にとっては政府よりも法律会社のほうがいいのである。日本政府はテレビや新聞の上で国民を裕福に幸福にする芝居をしているだけで、実際には国民に命令して国民を貧乏に不幸にしているだけである。政府は芝居で国民を裕福に幸福にするだけで、現実では国民を貧乏に不幸にするのである。政府は日本人を幸福にしない。日本人は早く政府を倒して法律会社に替えたほうがいい。
ヨーロッパ人のような眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからない者は、科学や産業はやれるが哲学や道徳がやれない。ヨーロッパ人には眼先の満足があるだけで実在の満足がない。一方、アジア人のような頭で考えることがわかって眼で見ることもそこそこわかる者は、哲学や道徳がやれる上に科学や産業もそこそこやれる。アジア人には眼先の満足も実在の満足もある。ヨーロッパ人よりもアジア人のほうが万能である。アジア人は何でもかんでもやれるが、ヨーロッパ人は科学や産業しかやれない。アジア人のほうがヨーロッパ人よりもわかる世界が広い。アジア人のほうがヨーロッパ人よりも有利である。だから、アジア人はヨーロッパ人を見習う必要はない。アジア人はアジア人のままでやればいいのである。アジア人は科学も哲学も両方わかるから幸せになれる。ヨーロッパ人は科学しかわからないから幸せになれない。アジア人は物も心も両方がわかるから、物の使い方も自分の心の満足のさせ方も両方わかるから幸福なのである。ヨーロッパ人は物がわかって心がわからないから、物の使い方がわかるだけで自分の心の満足のさせ方がわからないから不幸なのである。ヨーロッパ人はアジア人よりも科学が得意だが、アジア人のほうがヨーロッパ人よりも幸福なのである。

[21470] どうして政府は国民を貧乏に不幸にするのか?☆ h26.10.18
政府はヨーロッパ生まれの国を治める団体である。
ヨーロッパには科学や産業があるが哲学や道徳がない。ヨーロッパは道徳のない国である。
だから、政府は悪いことをやって国民を貧乏に不幸にするのである。政府は道徳がない国の国を治める団体だから、国民に嫌なことを命令して国民を貧乏に不幸にして虐[いじ]めて喜んでいるのである。
反対に、法律会社はアジア生まれの国を治める団体である。
アジアには科学や産業がないが哲学や道徳がある。アジアは道徳のある国である。
だから、法律会社は善いことをやって国民を裕福に幸福にするのである。法律会社は道徳がある国の国を治める団体だから、国民の人権を守って国民に善いことを勧[すす]めて国民を裕福に幸福にしてくれるのである。
国を治める団体は国を治めることが仕事であって、科学や産業をやることが仕事ではない。
だから、国民が自分で科学や産業をやらねばならない。国民が自分で科学を使って産業を伸ばして良い物をたくさん作って良い物をたくさん売って物やお金が豊かにならねばならない。
日本人はアジア人だから、法律会社に国を治めさせればいい。アジア人もそこそこは科学や産業もやれる。だから、国民が自分で科学や産業をヨーロッパから取り入れてやればいいのである。国民みんなで日本を法律と科学の両方ある国にして、国民みんなで幸福に暮らせばいいのである。

[21471] 今ではヨーロッパよりもアジアのほうが有利である。☆ h26.10.18
ヨーロッパは科学と産業はあるが哲学や道徳がない。
ヨーロッパは科学と産業が得意だから物やお金が豊かである。
しかし、ヨーロッパは哲学と道徳が苦手だから、政府が悪いことをして国民を貧乏に不幸にする。
だから、ヨーロッパは物やお金が豊かだが、不幸な国なのである。
反対に、アジアは哲学や道徳があるが科学や産業がない。
アジアは科学や産業が苦手だから物やお金が貧しい。
しかし、アジアは哲学や道徳が得意だから、法律会社が善いことをして国民を裕福に幸福にする。
だから、アジアは物やお金が貧しいが、幸福な国なのである。
しかし、今は国際化の時代である。今では東西文化の交流が盛んで世界中の文化が入り混じっている。
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからないから、あいかわらず哲学や道徳が苦手で、政府が悪いことをして国民を不幸にしている。
一方、アジア人は頭で考えることがわかるだけでなく眼で見えることもわかるから、科学や産業が得意になって、物やお金が豊かになっている。
今ではヨーロッパは物やお金が豊かで不幸な国のままだが、アジアは物やお金が豊かで幸福な国になっている。『ウサギとカメ』みたいに、ヨーロッパはアジアに負けている。
国を治める団体は政府よりも法律会社のほうがいい。だから、日本では国民みんなが政府を倒して法律会社を建てて法律会社に国を治めてもらえばいい。
科学と哲学の両方ある国が一番幸福である。ヨーロッパは科学があるが哲学がないから物やお金が豊かなだけで心が不幸なのである。日本はヨーロッパを真似[まね]て科学のために哲学を捨てるような馬鹿なことをしてはいけない。
国民みんなが国を作るのであって、国を治める団体が国を作るのではない。国民みんなが国を治める団体の性格を決めるのであって、国を治める団体が国民みんなの性格を決めるのではない。国を治める団体は国を治めることだけが仕事であって、それ以外は全部国民みんながやらねばならない。国のことは国民みんなが全部決める。国民みんなが国を治める団体も科学も産業も全部決めねばならない。国というものは国民みんなの性格が表現されたものである。日本人は道徳がある。しかし、日本政府には道徳がない。日本人と日本政府は合っていない。ヨーロッパやアメリカでは国民みんなも政府も道徳がなくて合っているからいいが、日本では国民みんなに道徳があるのに政府には道徳がなくて合っていないからいけない。政府は道徳がなくて国民を貧乏に不幸にするだけだからなくなったほうがいい。このままでは国民みんなが政府に悪いことをされて国民みんなが一方的に不利である。だから、日本人は日本政府を倒してなくせばいいのである。

[21472] 人間が幸福に暮らすためにはヨーロッパよりもアジアのほうがいい。 h26.10.18
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからない。だから、ヨーロッパ人は科学や産業が得意なので物やお金が豊かである。一方、ヨーロッパ人は哲学や道徳が苦手なのでみんなが悪いことをしてみんなが不幸にしあっている。政府が国民に悪いことをして国民を貧乏に不幸にする。せっかくアジアから法律を取り入れても、政府が法律会社のふりをして帳消しにしてしまって、まったく法律のある国になっていない。
アジア人は頭で考えることがわかって眼で見ることもそこそこわかる。だから、アジア人は哲学や道徳が得意なのでみんなが善いことをしてみんなが幸福にしあっている。法律会社が国民に善いことをして国民を裕福に幸福にする。一方、アジア人は科学や産業が苦手なので物やお金が貧しいが、最近はヨーロッパから科学や産業を取り入れて科学や産業が得意になって物やお金が豊かになっている。あと数百年たてば、アジアもヨーロッパ並みに裕福になるだろう。
人間が幸福に生きるためには哲学と科学の両方が必要である。いくら科学があっても哲学がなければ、自分が悪いことをして自分が不幸になる。自分で自分が不幸になることをして自分が不幸になる。他人を殺す者は自分自身も殺す。他人を不幸にする者は自分自身も不幸にする。反対に、いくら哲学があっても科学がなければ、物やお金がなくて生活に困る。だから、人間には哲学と科学の両方が要るのである。
ヨーロッパは科学だけが発達して哲学がないカタワの国である。アジアは哲学が発達して科学もそこそこある万全[ばんぜん]の国である。ヨーロッパ人は物しか見ないから不幸である。アジア人は物と心の両方を見るから幸福である。人間が幸福に暮らすためにはヨーロッパよりもアジアのほうがいい。
日本人はアジア人である。日本人は道徳があるので善いことをしている。日本人はヨーロッパから科学や産業を取り入れて物やお金を豊かにしている。それなのに、日本政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。日本人はアジア人なのに、日本政府だけがヨーロッパ人である。日本政府が日本の中で好き勝手に道徳がないことをやっている。日本人が幸福に暮らすためには日本政府がなくなったほうがいい。『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。』だから、国民は政府に国を治めさせないようにして政府に税金を払わず政府を倒して、政府の替わりに法律会社を建てて、日本を国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
政府はヨーロッパ人が哲学や道徳が苦手なことによって生まれたヨーロッパ人の欠点の産物である。ヨーロッパ人は科学や産業によって幸福になり、政府によって不幸になる。ヨーロッパ人は科学や産業が得意なことによって幸福になり、哲学や道徳が苦手なことによって不幸になっている。政府はヨーロッパ人の汚点である。政府は国民みんなを貧乏に不幸にする団体である。日本では明治維新のときに国民みんながまちがって政府を受け入れてしまった。政府が看板に法律会社だと書いてあったから、国民みんなが政府を法律会社だと誤解したのである。だから、今の日本では国民みんながさっさと政府を倒して政府をなくして、政府に不幸にされないようにしないといけない。

[21473] 科学や産業は国民を裕福に幸福にするが、政府は国民を貧乏に不幸にする。 h26.10.18
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるが頭で考えることがわからない。ヨーロッパ人は科学や産業は得意だが、哲学や道徳は苦手である。そのため、ヨーロッパ人は科学や産業が発達して物をたくさん作って物をたくさん売って物やお金が裕福である。しかし、ヨーロッパ人は哲学や道徳が苦手なので、悪いことばかりやってお互いに不幸にしあっている。政府が国民に嫌な命令を出して国民を貧乏に不幸にしている。ヨーロッパ人は科学や産業が得意なために裕福に幸福になったが、哲学や道徳が苦手なために貧乏で不幸になっている。
反対に、アジア人は頭で考えることがわかるが眼で見ることがわからない。アジア人は科学や産業は苦手だが、哲学や道徳が得意である。そのため、アジア人は科学や産業が遅れて物やお金が貧しい。しかし、アジア人は哲学や道徳が得意なので、善いことをやってお互いに幸福にしあっている。法律会社が国民の人権を守って国民を裕福に幸福にしている。アジア人は科学や産業が苦手なために貧乏で不幸だが、哲学や道徳が得意なために裕福で幸福なのである。
だから、アジア人が幸福になるためにはヨーロッパから科学や産業を取り入れて、科学や産業が得意になればいいのである。政府は国民を不幸にするから取り入れなければいいのである。国を治めることは法律会社にやらせて、政府にやらさなければいいのである。
ところが、日本人は明治維新のときにヨーロッパから科学や産業を取り入れたついでに政府も取り入れてしまった。政府が法律会社のふりをしていたために国民みんなが政府に騙[だま]されてしまったからである。当時の国民みんなは『ヨーロッパの政府が国民みんなを貧乏に不幸にしている』ことを知らなかったので、うかつにも政府を取り入れてしまったのである。ヨーロッパの科学や産業は国民の物やお金を豊かにして国民を裕福に幸福にしたが、政府は国民に嫌な命令を出して国民を貧乏に不幸にした。
政府は道徳がないので国民を貧乏に不幸にする。法律会社は道徳があるので国民を裕福に幸福にする。国民が幸福になるためには政府がなくなったほうがいい。政府よりも法律会社に国を治めさせたほうがいい。『国民が自由に国を治める団体を建てたり潰[つぶ]したりできる。』だから、今の国民は政府を潰して法律会社を建てればいいのである。今の国民は政府に税金をやるのをやめて国民を不幸にする政府を倒して、法律会社を建てて法律会社にお金をやって法律会社に国民を幸福にすることをしてもらえばいいのである。

[21474] ヨーロッパよりもアジアのほうが社会科は進んでいる。 h26.10.19
ヨーロッパ人は科学が得意だが哲学が苦手である。反対に、アジア人は科学が苦手だが哲学が得意である。
ヨーロッパ人は科学や産業が得意だから、国民みんなが産業を発達させて産業が進んで物をたくさん作って物をたくさん売って物やお金が豊かになった。
しかし、ヨーロッパ人は哲学や道徳が苦手だから、国民みんなが政府に従う原始的な野暮[やぼ]ったいやり方で国を治めて、おまけに政府が国民に嫌な命令を出して国民を貧乏で不幸にすることになった。ヨーロッパ人は科学や産業で儲[もう]けた分を政府で損していた。
アジア人は科学や産業が苦手だから、国民みんなが産業を発達させることができず産業が遅れていて物を少ししか作れず物を少ししか売れないので物やお金が貧乏だった。
しかし、アジア人は哲学や道徳が得意だから、法律会社が国民みんなの人権を守る現代的なエレガントなやり方で国を治めて、国民みんなが自由に平和に幸福に暮らしていた。
アジア人はヨーロッパ人が科学を考えていた間、ずっと哲学を考えていた。だからアジア人の哲学や道徳や国を治める方法はヨーロッパ人よりもはるかに進んでいたのである。
ヨーロッパは科学や産業は進んでいるが、哲学や社会科は遅れている。反対に、アジアは科学や産業は遅れているが、哲学や社会科は進んでいる。
今では、アジアは国民みんながヨーロッパの科学や産業を取り入れて産業を伸ばして物やお金が豊かになっている。ヨーロッパは政府が法律の取入れを邪魔[じゃま]しているので国民みんなが古臭い権力制をやってあいかわらず不幸なままである。
ヨーロッパの権力制よりもアジアの法律制のほうがずっと進んでいる。政府よりも法律会社のほうがいい。だから、今の日本では国民みんなで政府を倒して法律会社を建てればいい。政府と法律会社を入れ替えて、国民みんなが幸福に暮らせる国にすればいい。
科学も社会科も進めば進むほど国民を幸福にする。遅れた科学や社会科は国民を不幸にし、進んだ科学や社会科は国民を幸福にする。だから、日本では国民みんなはヨーロッパの科学とアジアの社会科を取り入れればいい。日本では国民みんながヨーロッパの科学と法律会社でやればいい。日本を進んだ科学と社会科のある国にして国民みんなで幸福に暮らせばいい。

[21475] ヨーロッパは道徳がない国である。 h26.10.19
ヨーロッパ人は科学があるが道徳がない。反対に、アジア人は科学がないが道徳がある。
ヨーロッパは道徳がない国なので、みんなが道徳がないので、政府も道徳がないので、政府が国民に悪い命令を出して国民を貧乏で不幸にする。
反対に、アジアは道徳がある国なので、みんなが道徳があるので、法律会社も道徳があるので、法律会社が国民の人権を守って善いことをして国民を裕福で幸福にする。
国民が幸福に暮らすためには政府ではなく、法律会社がいい。
だから、日本では国民みんなが政府を倒して、法律会社を建てればいい。日本では国民みんなが科学と産業をやって産業を伸ばして物をたくさん作って物をたくさん売って物やお金が豊かになって、国民みんなが法律会社にお金をやって法律会社に自分の人権を守ってもらえばいい。国民みんなで日本を科学と法律の両方ある国にして国民みんなが幸福に暮らせばいい。
日本は道徳のある国である。政府は道徳のない団体である。道徳のある国に道徳のない団体があってはいけない。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。道徳のない者なんかまともに取り合わなくていい。国民は政府の言うことを無視して政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
政府は道徳のない団体である。だから、政府は悪いことをして国民を貧乏に不幸にするのである。道徳のある国に道徳のない団体を取り入れても国民みんなが幸福になるわけがない。政府が一人で悪いことをして国民みんなを貧乏に不幸にしまくるだけである。国民みんなが政府のために損をするだけである。だから、国民みんなはさっさと政府のような道徳のない団体を倒して日本を道徳のある国にしないといけない。
政府は道徳のない団体である。政府は悪の親玉である。政府はヨーロッパを貧乏に不幸にしている張本人である。そんな危険な団体を日本に取り入れてはいけない。日本では国民みんなが早く政府を追い出して、日本を悪い者のいない国にしないといけない。

[21476] 政府は国民みんなの貧乏の不幸のもとである。☆ h26.10.19
ヨーロッパ人は科学や産業が得意だから、産業を伸ばして物やお金が豊かになった。
しかし、ヨーロッパ人は哲学や道徳が苦手だから、政府のような国民の人権を守らず国民みんなに悪いことを命令して国民みんなを貧乏に不幸にする団体を作り出してしまった。
ヨーロッパ人はせっかく産業で儲[もう]けたお金を政府のためにすってしまった。ヨーロッパ人は物やお金が豊かだったが、政府が国民みんなが稼[かせ]いだ物やお金を自分の遊びや戦争に使い込んだのですっかり貧乏に不幸になってしまった。
反対に、アジア人は科学や産業が苦手だから、産業が遅れたままで物やお金が貧しかった。
しかし、アジア人は哲学や道徳が得意だから、法律会社のような国民の人権を守って国民みんなに善いことを命令して国民みんなを裕福に幸福にする団体を作り出した。
アジア人は物やお金は貧しかったが、法律会社のために貧しい物やお金を大事にして裕福に幸福に暮らすことができた。
政府はヨーロッパ人が哲学や道徳がないことが生み出した不道徳の結晶である。政府は悪の怪物である。政府は国民みんなに悪いことを命令して国民みんなを貧乏に不幸にする。
今の日本は国民みんながヨーロッパから科学や産業を取り入れて裕福に幸福に暮らしているが、ヨーロッパから政府を取り入れたために貧乏に不幸になってしまった。日本はヨーロッパの長所を取り入れて、短所を取り入れてはいけない。政府はヨーロッパの短所である。政府はヨーロッパ人を貧乏に不幸にしている張本人である。政府は国民みんなの貧乏の不幸のもとである。だから、今の日本では国民みんなで政府を取り除かねばならない。国民みんなで政府を法律会社と入れ替えて、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[21477] 日本はヨーロッパの科学だけを受け入れて道徳を受け入れてはいけない。☆ h26.10.19
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからないから、科学があるが道徳がない。ヨーロッパは眼で見えるところが進んでいるが、眼で見えないところが遅れている。だから、ヨーロッパは科学の国だといわれるのである。
だから、ヨーロッパ人はみんな悪いことをやっている。政府も悪いことをやっている。
国民は「政府が嫌なヤツだ」と思いながら、政府がやることを許している。
ヨーロッパでは道徳がないために、みんなが悪いことをするのが公認なのである。
ヨーロッパではみんながお互いに悪いことをしあって不幸になっているのである。
ヨーロッパでは科学があるためにみんなが幸せになって、道徳がないためにみんなが不幸になっているのである。
反対に、アジア人は頭で考えることがわかるだけで眼で見ることがわからないから、道徳があるが科学がない。アジアは眼で見えるところは遅れているが、眼で見えないところは進んでいる。だから、アジアは文学の国といわれるのである。
だから、アジア人はみんな善いことをやっている。法律会社も善いことをやっている。
国民は「法律会社は善いヤツだ」と思いながら、法律会社がやることを許している。
アジアでは道徳があるために、みんなが善いことをするのが当然なのである。
アジアではみんながお互いに善いことをしあって幸福になっているのである。
アジアでは道徳があるためにみんなが幸せになって、科学がないためにみんなが不幸になっているのである。
今は国際化の時代である。東西文化の交流が盛んになって世界中の文化が入り混じっている。
どこの国の人間でも幸福になりたいことに変わりはない。
外国の進んだ文化を受け入れれば幸福になり、外国の遅れた文化を受け入れれば不幸になる。
ヨーロッパは科学はアジアよりも進んでいるが、道徳はアジアよりも遅れている。だから、ヨーロッパはアジアの道徳を受け入れればいい。ヨーロッパはアジアの科学を受け入れてはいけない。ヨーロッパは自分の科学でやればいい。
アジアは道徳はヨーロッパよりも進んでいるが、科学はヨーロッパよりも遅れている。だから、アジアはヨーロッパの科学を受け入れればいい。アジアはヨーロッパの道徳を受け入れてはいけない。アジアは自分の道徳でやればいい。
ところが、日本では明治維新のときに政府を受け入れた。当時の国民は『アジアのほうがヨーロッパよりも道徳が優れている』ことを知らなかったので、うかつにも政府を受け入れてしまったのである。当時の日本は島国で、国際交流もなくて外国から孤立していて外国の文化を受け入れることがめったになかったので、国民が外国の文化に対して疎[うと]かったので、政府の見掛けが立派なのに騙[だま]されて「政府が幕府よりも優れた国を治める団体だ。政府はきっと国民みんなを幸せにしてくれるに違いない。」と思って喜んで政府を受け入れたのである。しかし、政府はトロイの木馬のように国民みんなの期待を見事に裏切ってあとで国民みんなを攻撃して国民みんなを貧乏に不幸にしたのである。
しかし、今では日本は国際交流が盛んになって国民みんなが外国のことに詳しくなっている。国民みんなが世の中のことがよくわかって『政府が国民を貧乏に不幸にする悪い団体である』ことを知っている。政府はヨーロッパの“遅れた道徳”の産物である。政府は道徳がないから国民に悪いことを命令して国民を貧乏に不幸にする。日本人は自分がヨーロッパ人と同じになるためにヨーロッパの文化を受け入れたのではなく、自分が幸福になるためにヨーロッパの文化を受け入れたのである。だから、日本人は政府を捨てねばならない。日本人はヨーロッパの科学や産業だけを受け入れて、ヨーロッパの政府を捨てねばならない。政府は忌[い]まわしい輸入品である。日本人が幸福になるためには外国から麻薬や銃を取り入れてはいけないように、政府も取り入れてはいけないのである。ヨーロッパの政府よりもアジアの法律会社のほうが優れているから、日本人はさっさと政府と法律会社を入れ替えて法律会社に国を治めさせねばならない。『国は国民のもの』だから、国民が国を自分の好き勝手にすればいいのである。国民は政府に遠慮せずに自分がいいと思う国にすればいいのである。日本人はこのまま阿呆[あほう]みたいに政府に我慢[がまん]しておとなしく政府に従って暮らしていてはいけない。日本人は政府に逆らって早く政府を倒して、日本を国民みんなが住みよい国にしないといけない。

[21478] 国を治める団体は見かけよりもやっていることで選ばねばならない。 h26.10.19
明治維新のときに日本人はヨーロッパの文化を受け入れた。
そのときに、日本人は政府か幕府のどちらを取るかに迫[せま]られた。
政府は見かけが善い人だが、やることが悪かった。
幕府は見かけが悪い人だが、やることが善かった。
そのために、日本人は幕府よりも政府を選んだのである。
当時の日本人は世間知らずの田舎者[いなかもの]だったので見かけに飛びついて政府を選んでしまったのである。
もっと慎重に相手をよく観察して、本当にどっちがいいかをよく考えて決めればよかったのだ。
今の日本人はテレビや新聞で政府がやっていることを見て『政府が悪い団体だ』とわかっている。いくら政府が善い人のふりをしても、『政府が悪い団体だ』とわかっている。政府はヨーロッパ生まれの団体であり、ヨーロッパは道徳のない国だから、政府は悪いことをするのである。政府はわざとに国民に嫌な命令をして国民を貧乏に不幸にするのである。政府は道徳がないから、本当は国民に悪いことをしているのに、国民の前では国民に善いことをしているふりをしているのである。政府はヨーロッパ人そのものである。
そのために、今の日本人は『政府に税金を払っても無駄[むだ]だ』と思って政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府と法律会社を入れ替えて法律会社に国を治めさせようとしている。

[21479] ヨーロッパの科学とアジアの道徳があれば世界最強の国になる。 h26.10.19
ヨーロッパ人は科学が得意だから、産業を発達させて物やお金が豊かになって裕福に幸福になった。
しかし、ヨーロッパ人は道徳が苦手だから、国を治める団体が悪いことをして貧乏に不幸になった。
ヨーロッパ人は科学が得意なために裕福に幸福になり、道徳が苦手なために貧乏に不幸になったのである。
反対に、アジア人は科学が苦手だから、産業が遅れていて物やお金が貧しくて貧乏で不幸だった。
しかし、アジア人は道徳が得意だから、国を治める団体が善いことをして裕福に幸福になった。
アジアは科学が苦手なために貧乏で不幸になり、道徳が得意なために裕福に幸福になったのである。
ヨーロッパの国を治める団体(つまり政府)は道徳がないから悪いことをして国民を貧乏に不幸にする。
アジアの国を治める団体(つまり幕府;法律会社)は道徳があるから善いことをして国民を裕福に幸福にする。
日本は明治維新のときに国民みんながヨーロッパの科学や産業を取り入れて物やお金が豊かになって裕福に幸福になった。しかし、それと同時に国民みんなでアジアの国を治める団体を潰[つぶ]してヨーロッパの国を治める団体を建てた。それ以来、国民みんなはヨーロッパの国を治める団体に貧乏に不幸にされている。
ヨーロッパ人は科学や産業が進んでいるから裕福に幸福に暮らしている。しかし、道徳が遅れているから国を治める団体が悪いことをして国民みんなを貧乏に不幸にしている。反対に、アジア人は科学や産業が遅れているから貧乏に不幸に暮らしている。しかし、道徳が進んでいるから国を治める団体が善いことをして国民みんなを裕福に幸福にしている。だから、ヨーロッパでは国民みんなが裕福に幸福に暮らすためには、ヨーロッパの国を治める団体をアジアの国を治める団体と入れ替えればいいのである。アジアでは国民みんなが裕福に幸福に暮らすためには、アジアの科学や産業をヨーロッパの科学や産業と入れ替えればいいのである。
日本は明治維新のときに、アジアの科学や産業をヨーロッパの科学や産業と入れ替えるだけでなく、アジアの国を治める団体をヨーロッパの国を治める団体と入れ替えてしまった。日本は文化を入れ替えすぎてしまった。たから、日本人は近代以降にかえって貧乏に不幸になったのである。『過ぎたるはなお及ばざるが如[ごと]し』である。だから、今ここでもう一度ヨーロッパの国を治める団体とアジアの国を治める団体を入れ替えて国を治める団体をもとに戻せばいいのである。そうすれば、日本はヨーロッパの進んだ科学や産業とアジアの進んだ国を治める団体の両方がある世界で一番国民みんなが幸福に暮らせる国になるだろう。
『国は国民みんなのものである。』だから、国民みんなが自分が幸福になるためには何をやってもいい。国民みんなが幸福になるために政府を倒して法律会社と入れ替えればいい。人間はもっと自分の幸福に貪欲[どんよく]でなければならない。国民みんなはもっと真剣に自分の国を善くしなければならない。
日本人がヨーロッパ人を丸ごと全部真似[まね]るとヨーロッパ人の不幸までも味わわなければならなくなる。だから、日本人はヨーロッパ人の美味[おい]しいところだけを真似ればいいのである。ヨーロッパ人は科学や産業で美味しい思いをして、国を治める団体で不味[まず]い思いをしている。反対に、日本人は国を治める団体で美味しい思いをして、科学や産業で不味い思いをしている。だから、日本人は国を治める団体をそのまま残して、科学や産業だけを真似ればいいのである。そうすれば、日本人は美味しいところばっかりになってみんなが裕福に幸福に暮らせるだろう。日本がヨーロッパと同じことをするとヨーロッパを乗り越えられない。日本が日本の長所とヨーロッパの長所を組み合わせるとヨーロッパを乗り越えられるのである。

[21480] 政府は道徳がないから国民みんなを貧乏に不幸にして虐[いじ]めるのが好きである。☆ h26.10.20
国を治める団体はとにかく国民みんなを管理すればいい。国を治める団体は国民みんなを管理するのが仕事である。国を治める団体は国民みんなを平和にしようが戦争させようが裕福にしようが貧乏にしようが幸福にしようが不幸にしようが、とにかく国民を管理すればいいのである。
ヨーロッパは道徳がない国だから、ヨーロッパの国を治める団体(つまり政府)は道徳がないから国民みんなに悪い命令をして国民みんなを貧乏に不幸にする。ヨーロッパの国を治める団体が国民に科学や産業の教育をして国の科学や産業を伸ばして国民みんなの物やお金を豊かにしたのではない。国民みんなが自分で勝手に科学や産業を勉強して科学や産業を伸ばして国民みんなの物やお金を豊かにしたのである。むしろ、政府は国民みんなを貧乏に不幸にするために、科学者や技術者を殺して、国民みんなが科学や産業を勉強して科学や産業を伸ばすのを妨害するのである。例えば、フランスではフランス革命のときに国民みんなが政府を倒したから、政府はその仕返しをするためにフランス革命の後で大勢の科学者や技術者を殺して、科学や産業を衰退させて国民みんなを貧乏にしたのである。ヨーロッパでは、国を治める団体が国民みんなの敵であり、国民みんなが国を治める団体と戦って国を善くしているのである。
反対に、アジアは道徳がある国だから、アジアの国を治める団体(つまり法律会社)は道徳があるから国民みんなに善い命令をして国民みんなを裕福に幸福にする。アジアの国を治める団体は科学者や技術者を保護して、国民に科学や産業の教育をして国の科学や産業を伸ばして国民みんなの物やお金を豊かにする。もちろん、国民みんなが自主的に科学や産業を勉強して科学や産業を伸ばして国民みんなの物やお金を豊かにしてもいい。アジアは道徳がある国だから、アジアの国を治める団体は国民みんなを裕福に幸福にするのが好きだから、国民みんなが科学や産業を勉強して科学や産業が得意になるのを援助するのである。アジアでは、国を治める団体が国民みんなの味方であり、国民みんなが国を治める団体と協力して国を善くしているのである。
国を治める団体は国民みんなを管理するのが必須[ひっす]の仕事である。その上に、国を治める団体の性格に応じて国民みんなに対して善いことや悪いことなどいろんなことをするのである。ヨーロッパの国を治める団体は国民みんなを管理しながら国民みんなに悪いことをして国民みんなを貧乏に不幸にする。アジアの国を治める団体は国民みんなを管理しながら国民みんなに善いことをして国民みんなを裕福に幸福にする。
日本政府はヨーロッパの国を治める団体だから国民みんなに悪いことをして国民みんなを貧乏に不幸にする。法律会社はアジアの国を治める団体だから国民みんなに善いことをして国民みんなを裕福に幸福にする。日本政府は道徳がないから国民みんなを貧乏に不幸にするのが好きだから、国民みんなを科学や産業を嫌いにして国民みんなが科学や産業を伸ばすのを妨害して国民みんなを貧乏に不幸にして喜んでいる。だから、今の国民みんなは政府を倒して法律会社を建てて、政府と法律会社を入れ替えて、国民みんなが裕福に幸福に暮らせるようにしないといけない。

[21481] 今の日本では国民みんなが政府のために貧乏に不幸にされている。 h26.10.20
人間は完全な生き物ではないから、ヨーロッパ人にもアジア人にも一長一短がある。
ヨーロッパ人は科学や産業が得意だから、ヨーロッパの科学や産業は国民みんなの物やお金を豊かにして国民みんなを裕福に幸福にする。
しかし、ヨーロッパ人は哲学や道徳が苦手だから、ヨーロッパの“国を治める団体”は国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを貧乏に不幸にする。
反対に、アジア人は科学や産業が苦手だから、アジア人の科学や産業は国民みんなの物やお金を貧しくして国民みんなを貧乏で不幸にする。
しかし、アジア人は哲学や道徳が得意だから、アジアの“国を治める団体”は国民みんなに善い命令を出して国民みんなを裕福に幸福にする。
ヨーロッパの科学や産業とアジアの国を治める団体があれば一番国民みんなが裕福で幸福な国になる。反対に、ヨーロッパの国を治める団体とアジアの科学や産業があれば一番国民みんなが貧乏で不幸な国になる。
近代の日本はヨーロッパから科学や産業や国を治める団体を取り入れたので、今の日本はヨーロッパの国を治める団体とヨーロッパの科学や産業がある。今の日本は不幸でも幸福でもないプラスマイナスゼロの国である。今の日本人はヨーロッパの科学や産業で裕福に幸福になり、ヨーロッパの国を治める団体で貧乏に不幸になっている。今の日本では国民みんなが不幸でもない幸福でもない割り切れない気分を味わわされている。
今の日本では国民みんなが政府のために貧乏に不幸にされている。国民みんなで早く政府を倒して、法律会社と入れ替えて、法律会社のために裕福に幸福に暮らさねばならない。国民みんながヨーロッパの科学や産業とアジアの国を治める団体で裕福に幸福に暮らさねばならない。
今の日本で政府が国を治めているのは、国民みんなが「政府が国民みんなを裕福に幸福にする善い団体だ」と思って政府に国を治めさせているからである。だから、反対に国民みんなが『政府が国民みんなを貧乏に不幸にする団体だ』と思って政府に国を治めさせなくなれば政府は倒れる。国民と国を治める団体は平等だから、『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の勝手である。』だから、今の国民が自分の意思で政府に国を治めさせなければいいのである。今の国民が国民みんなと無関係に政府に国を治めさせなければいいのである。
アジアは道徳がある国だから、アジアの国を治める団体(つまり法律会社)は国民に善いことをして国民を裕福に幸福にする。反対に、ヨーロッパは道徳がない国だから、ヨーロッパの国を治める団体(つまり政府)は国民に悪いことをして国民を貧乏に不幸にする。国民は早く本当に国民を裕福に幸福にする国を治める団体がどの国を治める団体であるかを理解して、国民みんなを裕福に幸福にする国を治める団体に国を治めさせねばならない。

[21482] ヨーロッパ人とアジア人は実在の世界における縄張[なわば]りが違う。☆ h26.10.20
ヨーロッパ人は眼で見えることがわかるから、ヨーロッパ人は眼で見える世界で裕福に幸福になることに長[た]けている。物は眼で見えるから、ヨーロッパ人は科学や産業が得意である。
反対に、アジア人は頭で考えることがわかるから、アジア人は眼で見えない世界で裕福に幸福になることに長けている。心は眼で見えないから、アジア人は道徳や社会制度が得意である。
人間は実在の中で生きている。実在には人間の眼で見える部分と見えない部分がある。つまり、人間は眼で見える世界と眼で見えない世界の両方の中で生きている。
だから、国民みんなは眼で見える世界のことはヨーロッパ人に習って、眼で見えない世界のことはアジア人に習って、実在の中で裕福に幸福に暮らせばいいのである。つまり、人間がヨーロッパ人の科学や産業とアジア人の道徳や国を治める団体を併用して暮らせば、実在の中でもっとも裕福に幸福に暮らせるのである。
今の日本では国民みんながヨーロッパの科学や産業をやって、政府に国を治めさせている。だから、今の日本では国民みんなが眼で見える世界で裕福で幸福で、眼で見えない世界で貧乏で不幸にされている。今の日本では国民みんなが実在の中でヨーロッパの科学や産業によって裕福に幸福にされて、政府によって貧乏に不幸にされている。今の日本では国民みんなが幸福でも不幸でもない割り切れない気持ちで暮らしている。早く国民みんなで政府と法律会社を入れ替えて、法律会社に眼で見えない世界で国民みんなを裕福に幸福にしてもらって、国民みんなが実在全体の中で裕福に幸福に暮らせるようにしないといけない。そうすれば、国民みんなが完全に幸福な気持ちで気持ちよく暮らすことができる。
つまり、今の日本はヨーロッパに似ている。今の日本はヨーロッパの科学や産業とヨーロッパの国を治める団体でやっている。だから、今の日本では国民みんなが眼で見える世界で裕福で幸福なだけで、眼で見えない世界では貧乏で不幸である。今の日本では国民みんながヨーロッパの科学や産業によって喜ばされて、政府によって泣かされている。今の日本では国民みんなが幸福になり切れていない。今の日本では国民みんなが半分だけ幸福で半分だけ不幸である。国民みんなが幸福と不幸が入り混じった複雑な気持ちで生きている。国民みんなが実在において裕福に幸福になるためには、つまり国民みんなが眼で見える世界と眼で見えない世界の両方において裕福に幸福になるためには、ヨーロッパの科学や産業とアジアの道徳や国を治める団体でやらねばならない。だから、今の国民みんなは政府と法律会社を入れ替えて、法律会社に国を治めさせねばならないのである。
お金持ちは物やお金が豊かだから眼で見える世界で裕福で幸福だが、貧乏人は物やお金が貧しいから眼で見える世界で貧乏で不幸である。このうえ、政府に眼で見えない世界までも不幸にされたら貧乏人にとってはこの世に幸福なことが何にもない。貧乏人が幸福に暮らすためには眼で見えない世界で幸福になるしかない。そのためには、政府を潰[つぶ]して法律会社にしなければならない。
人間は実在の中で暮らしている。人間は眼で見える世界と眼で見えない世界の両方の中で暮らしている。だから、人間が裕福に幸福に暮らすためには、眼で見える世界と眼で見えない世界の両方で裕福に幸福に暮らさねばならない。ヨーロッパの科学や産業では眼で見える世界でしか裕福に幸福に暮らせない。アジアの道徳や法律会社では眼で見えない世界でしか裕福に幸福に暮らせない。だから、人間はヨーロッパの科学や産業とアジアの道徳や法律会社の両方を用いて実在の中で裕福に幸福に暮らせばいいのである。

[21483] ヨーロッパ人は眼で見えないことが苦手である。☆ h26.10.20
ヨーロッパ人とアジア人では実在における縄張[なわば]りが違う。ヨーロッパ人は眼で見えることが得意で頭で見ることが苦手である。反対に、アジア人は眼で見えることが苦手で頭で考えることが得意である。
ヨーロッパの科学や産業は眼で見える世界で人間を幸福にする。反対に、ヨーロッパの道徳や国を治める団体は眼で見えない世界で人間を不幸にする。
一方、アジアの科学や産業は眼で見える世界で人間を不幸にする。反対に、アジアの道徳や国を治める団体は眼で見えない世界で人間を幸福にする。

人間は実在の中に生きている。人間は眼で見える世界と眼で見えない世界の両方で生きている。だから、人間が実在の中で幸福に暮らすためには、ヨーロッパの科学や産業とアジアの道徳と国を治める団体の両方を用いればいい。
ところが、今の日本ではヨーロッパの科学や産業とヨーロッパの道徳や国を治める団体でやっている。だから、今の日本では人間が実在の中で幸福に暮らせない。だから、今の日本では国民みんなでヨーロッパの道徳や国を治める団体とアジアの道徳や国を治める団体を入れ替えなければならない。そうして、日本を人間が実在の中で幸福に暮らせる国にしないといけない。
世の中には馬鹿と利口の両方がいる。馬鹿は眼で見ることがわかり、利口は頭で考えることがわかる。国は馬鹿でも利口でも幸福に暮らせるようにしないといけない。だから、国にはヨーロッパの科学や産業と、アジアの道徳や国を治める団体を取り入れて、人間が眼で見える世界でも頭で考える世界でも両方で幸福に暮らせるようにしないといけないのである。


[21484] どうして政府は悪いことをするのか?☆ h26.10.20
政府が国民に命令して国民から高い税金を取ったり国家宗教で変なことをやらせたり国民に嫌な生活をさせたり国民を殺したり戦争させたりするのは、政府がヨーロッパ生まれの国を治める団体だからである。
ヨーロッパ人は眼で見ることはわかるが頭で考えることがわからない。だから、ヨーロッパ人は科学が得意だが、道徳が苦手である。ヨーロッパには科学があるが、道徳(つまり法律)がない。ヨーロッパは道徳のない国なので、政府も道徳がないので、政府が悪いことをやるのである。政府が悪いことをやって国民みんなを不幸にして苦しめるのである。ヨーロッパは道徳がない国だから、みんなが悪いことをやっていいから、政府も悪いことをやるのである。政府が悪いことをやっても国民は誰も政府に文句を言わないのである。
ヨーロッパ人は道徳がないから、ヨーロッパ人は平気で嘘[うそ]をつくから、ヨーロッパ人は悪いことをしていても人前では善い人ぶっているから、政府は悪いことをしているのに国民の前では平気で善い人ぶっているのである。
政府はもともと悪いことをやる国を治める団体だから悪いことをやるのである。
ヨーロッパがお金持ちなのは科学や産業が得意だからであって、政府が国を治めているからではない。むしろ、政府は悪いことをやって、国民が科学や産業をやるのを妨害して、国民を貧乏にして不幸にしているのである。ヨーロッパでは科学があることでみんながお互いに助け合って、道徳がないことでみんながお互いに潰[つぶ]しあっているのである。
政府が悪いことをやっても国民は少しも儲[もう]からない。貧乏に不幸になるだけである。
日本はわざわざヨーロッパから悪い“国を治める団体”を輸入して毎日損をしているだけである。
ヨーロッパは道徳がない国なので、ヨーロッパの“国を治める団体”は国民に悪いことをして国民を貧乏に不幸にする。
反対に、アジアは道徳がある国なので、アジアの“国を治める団体”は国民に善いことをして国民を裕福に幸福にする。

だから、日本は国を治める団体をヨーロッパの政府からアジアの法律会社に替えればいい。そうすれば、日本人は法律会社に善いことをしてもらって毎日得をして暮らせるだろう。
自分が不幸になりたいのは人生をあきらめた者である。自分で自分を不幸にするのは馬鹿である。日本人が自分が幸福に暮らしたければ政府を法律会社に替えねばならない。自分が不幸に暮らしたって得になることは何もない。人生はちょっとでも幸福なほうがいい。だから、日本人は政府を法律会社と入れ替えなければならない。

[21485] どうしてヨーロッパ人は戦争をやるのか? h26.10.20
ヨーロッパ人が道徳がないからである。道徳がなければ法律もない。ヨーロッパ人は悪いことを平気でやるから人殺しができるのである。だから、ヨーロッパ人は戦争をやるのである。もっとも、戦争では自分も殺されるから、ヨーロッパ人はけっして戦争が好きなわけではなく、政府に命令されてしかたなく戦争をやるのである。
反対に、アジア人は道徳がある。アジア人は悪いことができないから、人殺しができないから、戦争をやらないのである。
近代になって日本では国民みんなはヨーロッパから国を守るためにヨーロッパと戦争をやらねばならなくなった。国に道徳があっては国民みんなが戦争がやれない。そのために、国民みんなは国から道徳をなくしていた。国民みんなは国から道徳をなくすために政府に国を治めさせた。(しかし、日本の場合は防衛戦争だから、日本人はわざわざ道徳をなくさなくても、自分の人権を守るために道徳的に戦争をやれたはずである。政府に国を治めさせる必要はなかったのである。)
しかし、最近はヨーロッパ人もアジア文化にかぶれて道徳がわかるようになって人殺しをやらなくなって戦争をやらなくなっている。道徳があったほうが国民みんなが幸福に暮らせるから、ヨーロッパ人も道徳をやるようになったのである。そのため、今の世界では戦争がなくなっている。ヨーロッパがアジアに攻めて来なくなっている。
今の日本では戦争をやらなくていい。たとえ戦争をやらねばならなくなっても、自分の人権を守るために道徳的に戦争をやればいい。今の日本では国民みんながわざわざ自分で道徳をなくさなくていい。
今の日本では政府が悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。国民みんなにとっては政府がないほうがいい。国民みんなで政府を法律会社と入れ替えて、法律会社に善いことをやらせて国を治めさせればいい。

[21486] どうして今の日本は面白くないのか? h26.10.20
今の日本は景気が悪いが、そのために日本が面白くないのではない。
国民が幸福か不幸かは景気だけで決まるのではない。
人間が幸福か不幸かは、物だけで決まるのではなく心でも決まる。たとえ物やお金がなくても、心を上手[じょうず]に働かせれば幸福に暮らすことができるのである。
今の日本では国民みんなが政府に国を治めさせているから国が面白くないのである。政府はヨーロッパ生まれの国を治める団体だから、ヨーロッパは道徳がない国だから、政府は悪いことをする。今の政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなの喜びを奪っているから、今の日本が面白くないのである。政府が悪いことをして日本の景気を悪くしているのかもしれない。
政府は国民に悪いことをして国民を不幸にする。反対に、法律会社は国民に善いことをして国民を幸福にする。特に、日本人は眼で見えないことに敏感だから、法律会社に眼で見えないところで幸福にしてもらうとすごく幸福になるのである。日本人が幸福に暮らすためには、政府ではなく法律会社に国を治めさせねばならない。今の国民みんなで政府を倒して、法律会社を建てて、法律会社に国を治めさせねばならない。
けっきょく、人間は幸福であればいい。眼で見えることで幸福になっても、眼で見えないことで幸福になっても幸福であることに変わりはない。日本はもともと貧乏な国だから、眼で見えることで幸福になるのは無理である。日本人は眼で見えないことで幸福になればいいのである。日本人は眼で見えることではそこそこ生活に便利な程度にして、眼に見えないことに力を入れて幸福になればいいのである。それが日本人にとっての正しい幸福への道である。政府は悪いことをする団体だから、国民みんなは政府が嫌である。法律会社は善いことをする団体だから、国民みんなは法律会社が好きである。だから、国民みんなはさっさと政府と法律会社を入れ替えて、国民みんなにとって幸せな国にすればいいのである。

[21487] 馬鹿は「見掛けがいいと全部がいい」と思う。 h26.10.20
馬鹿は「ヨーロッパがアジアよりもすべてのことで優れている」と思っている。馬鹿は「ヨーロッパがアジアよりも道徳が進んでいるから、ヨーロッパ人が悪いことをやっているのだ」と思っている。馬鹿は「見掛けがよければ何から何まで全部がいい」と思っているので、ヨーロッパが見掛けがいいので「ヨーロッパが科学も道徳も何から何まで全部がいい」と思っているのである。だから、馬鹿は何から何まで全部ヨーロッパを真似[まね]ようとするのである。
しかし、本当は『ヨーロッパはアジアよりも科学で進んでいるだけで、道徳では遅れている』のである。『ヨーロッパはアジアよりも道徳が遅れているから、ヨーロッパ人が悪いことをやる』のである。実際には『見かけがいいのは中身が悪い』ので、『ヨーロッパは眼で見えることが優れているだけで、眼で見えないことは劣っている』のである。だから、外国はヨーロッパの眼で見えることを真似るだけにして、眼で見えないことを真似てはいけないのである。
今の日本で大勢の国民がヨーロッパを何から何まで全部真似ているのは「ヨーロッパがアジアよりもすべてにおいて優れている」と思っているからである。しかし、それは誤解である。本当は『ヨーロッパは科学や産業でアジアよりも進んでいるだけで、道徳や社会制度ではアジアよりも遅れている』のである。よくヨーロッパは先進国だと言われるけれども、ヨーロッパは科学や産業において先進国であるだけで、道徳や社会制度においてはヨーロッパは後進国なのである。だから、日本は道徳や社会制度においてはヨーロッパを真似てはいけない。日本は科学や産業においてヨーロッパを真似るだけにして、それ以上は真似てはいけない。

[21488] 政府は道徳がないから嘘[うそ]つきである。 h26.10.20
政府はヨーロッパ生まれの国を治める団体である。ヨーロッパは道徳がない。だから、政府も道徳がない。政府は道徳がないから悪いことをやって国民を貧乏に不幸にする。
政府は道徳がないから国民に嘘をつく。
政府が「国民は政府に国を治めさせて政府に税金を払わねばならない。」と言っているのも嘘である。本当は『国民が政府に国を治めさせるかさせないかは国民個人の自由である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。』だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
日本はアジアの国だから道徳がある。日本ではみんなが正直で嘘をつかない。だから、日本人は「政府も自分と同じように正直だ」と思って、政府の言うことを真[ま]に受けるのである。しかし、本当は政府はヨーロッパ生まれの団体だから、政府は平気で悪いことをやって嘘をつくのである。日本人は「政府が正直だ」と誤解しているので、政府の嘘にまんまと騙[だま]されるのである。ペンギンやアホウドリが人間を知らずに人間に近づいて人間に捕まえられて殺されるのと同じことである。昔から政府が天邪鬼[あまのじゃく]だと言われるのもそのためである。
本当は国民と政府は平等だから、仕事では会社よりも客が優位だから、『国民が政府を潰[つぶ]すも残すも国民一人一人の自由である。』政府は悪いことをして国民を貧乏に不幸にする。だから、国民は政府を潰せばいい。国民みんなで早く政府を潰して、政府の替わりに法律会社を建てればいい。

[21489] 人間はヨーロッパの科学や産業とアジアの道徳や社会制度で暮らせば幸福になれる。☆ h26.10.20
ヨーロッパ人は眼で見えることは得意だが、頭で考えることは苦手である。
だから、ヨーロッパの科学や産業は人間を幸福にするが、ヨーロッパの道徳や社会制度は人間を不幸にする。
反対に、アジア人は眼で見えることは苦手だが、頭で考えることは得意である。
だから、アジアの科学や産業は人間を不幸にするが、アジアの道徳や社会制度は人間を幸福にする。
だから、人間はヨーロッパの科学や産業とアジアの道徳や社会制度で暮らせば最高に幸福になれる。
反対に、人間はアジアの科学や産業とヨーロッパの道徳や社会制度で暮らせば最低に不幸になる。
日本人は近代以降ヨーロッパの科学や産業とヨーロッパの道徳や社会制度で暮らすことにした。だから、日本人は眼で見ることでは幸福になったが眼で見えないことでは不幸になった。日本はせっかく物やお金が豊かになって幸福になったのに、道徳がなくなって自分で自分を不幸にしたり、政府に嫌な生活をさせられて不幸にされたりして、かえって江戸時代よりも不幸になってしまった。特に貧乏人にとっては物やお金も豊かでないから、この世にはまったく幸せがなくなって不幸のどん底に落とされてしまった。
日本人はヨーロッパの科学や産業とアジアの道徳や社会制度で暮らせば幸福になれる。それなのに、今の日本人はヨーロッパの科学や産業とヨーロッパの道徳や社会制度で暮らしている。だから、今の日本人はヨーロッパの道徳や社会制度とアジアの道徳や社会制度を入れ替えなければならない。今の日本人は政府を倒して法律会社を建てねばならない。人間は自分が幸福になるために生きている。だから、今の国民は自分の幸福のために政府を倒して、政府と法律会社を入れ替えて暮らさねばならない。

[21490] 今の日本は世界最悪の国である。☆ h26.10.20
ヨーロッパは科学が得意で、道徳が苦手である。
ヨーロッパは科学が得意だから、産業を発達させて物をたくさん作ってたくさん売って物やお金が豊かになった。
しかし、ヨーロッパは道徳が苦手だから、政府が国民に悪いことをして国民を不幸にした。
ヨーロッパは物やお金は豊かだったが、政府が国民に悪いことをして国民を不幸にした。
反対に、アジアは科学が苦手で、道徳が得意である。
アジアは科学が苦手だから、産業が遅れて物を少ししか作れず少ししか売れず物やお金が貧しかった。
しかし、アジアは道徳が得意だったから、法律会社が国民に善いことをして国民を幸福にしてくれた。
アジアは物やお金は貧しかったが、法律会社が国民に善いことをしてくれて国民を幸福にしてくれた。
日本は近代になってヨーロッパの科学と産業を取り入れて、ヨーロッパの政府を取り入れた。
しかし、日本の科学や産業にはヨーロッパのような歴史がない。日本はヨーロッパほど科学や産業が得意ではない。しょせん日本の科学や産業は付け焼刃である。日本の科学や産業ぐらいならどこの国でもできる。今では経費が安い海外に日本の仕事が全部取られている。そのため、今の日本は中世のように物やお金が貧しい。しかも、政府が国民に悪いことをして国民を不幸にしている。
今の日本は物やお金が貧しい上に、政府が国民に悪いことをして国民を不幸にしている。
今の日本には善いところが何もない。今の日本は世界最低の国だから滅んだほうがいい。
今の日本を不幸にしているのは政府である。国民みんなで早く政府を倒して法律会社と入れ替えて国民が不幸にならないようにしないといけない。今の日本がお金をかけずに幸福になるにはそれしかない。
しょせん日本は科学と産業の国ではない。日本人は貧乏で幸福に暮らすしかない。それが日本人にとっての幸福への道である。日本人は物やお金を節約して、頭の中で想像したり考えたりすることによって幸福に暮らすしかない。

[21491] ヨーロッパでは政府は不滅だが、アジアでは政府はすぐに滅ぶ。☆☆ h26.10.21
ヨーロッパは科学があるが、道徳がない。
ヨーロッパは真偽の区別はあるが、善悪の区別がない。
だから、ヨーロッパでは政府が悪いことをしても悪いことにはならない。だから、ヨーロッパではいくらでも政府が悪いことをしてもいいのである。だから、いつまでも政府が続くのである。
反対に、アジアは科学がないが、道徳がある。
アジアは真偽の区別がないが、善悪の区別がある。
だから、アジアでは政府が悪いことをすると悪いことになる。だから、アジアでは政府が悪いことができないのである。だから、政府がすぐに滅ぶのである。
今の日本政府は国民みんなに悪い団体であることがバレて国民みんなに睨[にら]まれて潰[つぶ]されているのである。国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。
ヨーロッパでは知覚における認識を五感で測[はか]って真偽を決める。真とは五感(つまり実在)と合っていることであり、偽とは五感と合っていないことである。アジアでは知覚における認識を心で測って善悪を決める。善とは自分や他人の心を満足することであり、悪とは自分や他人の心を不満にすることである。
今では世界は一つである。今では東西交流が盛んになって世界中の文化が交じり合っている。
今ではヨーロッパもアジアもない。今では世界中の国に科学と道徳の両方がある。
今の日本には科学があって、道徳もある。
今の日本には真偽の区別も、善悪の区別も両方ある。
今の政府が悪いことに変わりはない。だから、政府は滅ぶのである。政府は悪い団体だから、『悪いことはいけない』ことだから、国民は政府を倒せばいいのである。
今の人間は物も心も両方見える。これからますます人間は物を使って心が満足できるだろう。人間はますます幸福になれるだろう。
日本が外国の文化を受け入れるときには、最初に全部受け入れて、後[あと]から要らない物を捨てていく。善いか悪いかはすぐにはわからないから、時間をかけて自分の眼でよく見て自分の頭でよく考えて決めようというわけである。パッと見で物が善いか悪いかを決めるのではなく、実際にしばらく物を使ってみてから善いか悪いかを決めるのである。だから、近代の日本はヨーロッパの科学も道徳も全部受け入れたのである。しかし、今ではヨーロッパの科学は善いが、ヨーロッパの道徳は悪いことがわかって、ヨーロッパの科学だけを受け入れて、ヨーロッパの道徳を捨てにかかっているのである。政府はヨーロッパの“遅れた道徳”の産物である。だから、今の国民みんなは政府を捨てているのである。今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。

[21492] ヨーロッパには道徳がないが、日本には道徳がある。 h26.10.21
政府はヨーロッパ生まれの“国を治める団体”である。ヨーロッパは道徳がない国である。だから、政府は道徳がないから国民に悪いことをして国民を不幸にするのである。ヨーロッパは道徳がない国だから、ヨーロッパでは「みんなが悪いことをやっていい」から、政府がいくら悪いことをやっても政府が滅ばないのである。
しかし、日本はアジアの国である。アジアは道徳がある国である。日本では『悪いことをやってはいけない』から、政府は悪いことをやっているから、国民みんなが政府を倒せばいい。国民みんなが政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。税金は強盗である。税金は悪いことである。日本では『悪いことをやってはいけない』から、国を治める団体は国民とちゃんと契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。
アジアは道徳がある国だから、日本ではアジア生まれの国を治める団体を建てればいい。そうすれば、アジア生まれの国を治める団体は道徳があるから国民に善いことをして国民を幸福にしてくれるだろう。

[21493] 人間は不幸の原因をなくせば幸福になれる。 h26.10.21
ヨーロッパ人は科学が得意だが、道徳が苦手である。
ヨーロッパ人は科学が得意なのが幸福の原因で、道徳が苦手なのが不幸の原因である。
ヨーロッパ人は道徳がないためにみんなが悪いことをしてお互いに不幸にしあって、政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなが政府に不幸にされている。ヨーロッパ人は主観知が足りないために不幸になっている。ヨーロッパ人は客観知が強いから、悪いことをやる割りには冷静である。ヨーロッパ人は物が豊かで心が貧しい。ヨーロッパ人は顔で笑って心で泣いているのである。
反対に、アジア人は道徳が得意であり、科学が苦手である。
アジア人は道徳が得意なのが幸福の原因で、科学が苦手なのが不幸の原因である。
アジア人は科学がないために物を使って自分の心を満足することができず、自分の身体を不適切に使って身体を壊して不幸になっている。アジア人は客観知が足りないために不幸になっている。アジア人は主観知が強いから、善いことをやる割りには感情的である。アジア人は物が貧しくて心が豊かである。アジア人は顔で泣いて心で笑っているのである。
人間は幸福の原因があり不幸の原因がなければ幸福に暮らすことができる。
だから、人間はヨーロッパの科学とアジアの道徳があり、ヨーロッパの道徳とアジアの科学がなければ幸福に暮らすことができる。
ヨーロッパ人は道徳が弱点で、アジア人は科学が弱点である。ヨーロッパ人は道徳を勉強して、アジア人は科学を勉強して自分の不幸の原因をなくせば幸福になれる。
人間は科学と道徳の両方を知ることによって幸福になれる。
政府はヨーロッパ人の“遅れた道徳”の産物である。政府は人類みんなの不幸の原因である。日本はそんな嫌な物を輸入してはいけない。日本人は早く政府を倒して自分の不幸の原因を取り除いて幸福にならねばならない。
最近の日本人はヨーロッパ人と同じように科学ばかり強くて道徳が弱くなっている。最近の日本人は道徳を知らない。そのために、自分が道徳を犯して不幸になっている。人間は自分の心の中にある『善い感情』を満足させれば幸福になることができ、人間は自分の心の中にある「悪い感情」を満足させれば不幸になる。だから、人間は自分の感情を上手に働かせて自分が不幸にならないようにして幸福にならねばならないのである。人間が幸福に生きるためには科学よりも道徳のほうが大事である。物よりも心のほうが大事である。日本人はもっと道徳をよく勉強して自分が幸福に生きていけるようにしないといけない。

[21494] どうしてアメリカはコウモリの国と言うのか? h26.10.21
北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を合わせるとコウモリの形をしているから、アメリカをコウモリの国と言うのである。
ヨーロッパが夜の頃に、アメリカ人が起きて活動しているからコウモリの国と言うのである。
アメリカがヨーロッパの科学とアジアの道徳の両方をやっている国だから、コウモリの国と言うのである。鳥は高く飛ぶから道徳のあるアジアのことである。動物は地面に足を着けているから科学のあるヨーロッパのことである。コウモリが鳥でも動物でもなく仲間はずれにあっていることから、アメリカがヨーロッパでもないアジアでもない科学と道徳の両方がない国だというイヤミでもある。
日本もヨーロッパの科学とアジアの道徳の両方をやっているから、アメリカと似ている。今の日本もヨーロッパでもないアジアでもない科学と道徳の両方がない危ない国になりつつある。
『二兎[にと]を追う者は一兎をも得ず。』日本は科学と道徳を両方やろうとするのがいけない。人間が幸福に暮らすためには物よりも心のほうが大事である。科学よりも道徳のほうが大事である。だから、日本はヨーロッパよりもアジアでやったほうがいい。日本はアジアにヨーロッパを足してやればいい。日本は道徳がしっかりある国にして、空いた時間で科学をやればいい。そうすれば、日本人は心が豊かで、物も生活に不自由しないぐらいには暮らすことができて、幸福に生きていくことができるだろう。

[21495] ヨーロッパは悪人の国である。アジアは善人の国である。 h26.10.22
ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるが、頭で考えることがわからない。そのため、ヨーロッパ人は科学が得意だが、道徳が苦手である。ヨーロッパには科学があるが、道徳がない。
ヨーロッパは悪人の国である。悪人の国ではみんながお互いに悪いことをしあって、みんなが不平等で物騒[ぶっそう]で不幸に暮らしている。悪人の国には悪の才能に長[た]けた権力者がいて、国民みんなを支配している。政府は権力団体であり、政府と国民みんなは不平等であり、政府が国民みんなに命令して戦争や嫌なことをやらせて国民みんなを不幸にしている。
反対に、アジア人は頭で考えることがわかるが、眼で見ることがわからない。そのため、アジア人は道徳が得意だが、科学が苦手である。アジアには道徳があるが、科学がない。
アジアは善人の国である。善人の国ではみんながお互いに善いことをしあって、みんなが平等で平和で幸福に暮らしている。善人の国には善の才能に長けた道徳者がいて、国民みんなを指導している。法律会社は道徳団体であり、法律会社もみんなのために善いことをして、みんなを幸福にしている。
ヨーロッパ人はせっかく科学で儲[もう]けても、みんなでお互いに悪いことをしあって、国民みんなが政府に悪いことをされて面白くない思いをしている。ヨーロッパは物が裕福なだけで、心は貧乏である。ヨーロッパ人はアジアから道徳を取り入れても偽善にしてしまって、隠れたところで悪いことをしあって不幸なままである。
アジア人はたとえ科学で儲からなくても、みんながお互いに善いことをしあって、法律会社に善いことをしてもらって面白い思いをしている。アジアは物は貧乏だが、心は裕福である。アジア人はみんなが幸福に暮らしながら、ヨーロッパから科学を取り入れて物やお金を豊かにしてますます幸福に暮らすことができる。
ヨーロッパには発展性がないが、アジアには発展性がある。
日本政府はヨーロッパ政府の輸入品である。日本政府は権力団体であり、国民みんなに命令して嫌なことをやらせて国民みんなを不幸にしている。しかも、政府は法律会社のふりをして偽善をして、国民の前では善い団体のふりをしている。ヨーロッパでは道徳がないから政府が悪いことをやってもいいが、日本には道徳があるから政府は悪いことをやってはいけない。だから、今の日本では国民みんなで政府を倒せばいい。国民みんなで法律会社を建てて、国民みんなが法律会社に善いことをしてもらって幸福に暮らせばいい。
ヨーロッパ人は科学の才能で産業を発達させて良い物をたくさん作って良い物をたくさん売ってお金を儲けたのである。ヨーロッパ人は科学が得意な反面道徳が苦手だから、政府のような悪い団体が出来て不幸にされているのである。ヨーロッパ人が裕福なのはヨーロッパ人の『科学の才能』によるのであって、「政府」は関係ない。政府はただのカスである。むしろ、政府は国民みんなを貧乏にするだけである。だから、いくら日本で日本政府が悪いことをやっても国民みんなは1円も儲からない。むしろ、国民みんなが政府に貧乏にされるだけである。日本人が日本政府を取り入れているのは、ヨーロッパの欠点を取り入れていることにほかならない。日本にとって不利益なだけである。日本人はヨーロッパ人のような科学の才能がないから裕福ではない。しかし、日本人は科学が苦手な反面道徳が得意である。日本人には『道徳の才能』がある。だから、日本人は道徳の才能を活かしてみんなで善いことをしあって幸福に暮らせばいい。日本人はさっさと政府を倒して法律会社を建てて、ヨーロッパから生活を便利にする程度に科学を取り入れて、幸福に便利に暮らせばいいのである。

[21496] 『科学の才能』はヨーロッパ人の天才である。『道徳の才能』はアジア人の天才である。 h26.10.22
人間は実在の中で生きている。実在には物と心の両方がある。実在には物だけがあるのではなく、心だけがあるのでもない。
ヨーロッパ人は生まれつき眼で見ることがわかって頭で考えることがわからない。ヨーロッパ人は遺伝的に科学の才能があるが、道徳の才能がない。『科学の才能』はヨーロッパ人の天才である。『科学の才能』はヨーロッパ人の天賦[てんぷ](私はこれまで[てんぶ]だと思っていた)の才能である。
ヨーロッパ人は『科学の才能』があるから、産業が発達して物やお金が裕福である。
しかし、ヨーロッパ人には道徳の才能がないから、善悪の区別がつかず、みんながお互いに悪いことをして不幸にしあっている。政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなが政府に不幸にされている。
ヨーロッパ人は物やお金は裕福だが、心が不幸である。
反対に、アジア人は生まれつき頭で考えることがわかって眼で見ることがわからない。アジア人は遺伝的に道徳の才能があるが、科学の才能がない。『道徳の才能』はアジア人の天才である。『道徳の才能』はアジア人の天賦の才能である。
アジア人は科学の才能がないから、産業が遅れて物やお金が貧乏である。
しかし、アジア人には『道徳の才能』があるから、善悪の区別があるから、みんながお互いに善いことをしあって幸福に暮らしている。法律会社が国民みんなに善いことをして国民みんなが法律会社に幸福にされている。
アジア人は物やお金は貧乏だが、心が幸福である。
今では世界は一つである。今では東西交流が盛んになってヨーロッパがアジアの文化を受け入れて、アジアがヨーロッパの文化を受け入れている。
今のヨーロッパはヨーロッパの科学をやりながら、一方でアジアの道徳を受け入れて、みんながお互いに善いことをやって悪いことをやらないように努力して幸福に暮らしている。国民みんなが政府の戦争の命令を聞かないように努力して国民が政府に戦争をやらせられないようにして幸福に暮らしている。今のヨーロッパは物やお金が裕福で、そこそこ心が幸福でもあるようにしている。
今のアジアはアジアの道徳をやりながら、一方でヨーロッパの科学を受け入れて、産業を伸ばすように努力して物やお金を豊かにして自分の生活を便利にして暮らしている。今のアジアは心が幸福で、そこそこ物やお金が豊かであるようにしている。
ところが、日本は近代にまちがってヨーロッパの道徳を受け入れた。つまり、政府を受け入れた。政府は道徳がなく悪いことをして国民みんなを不幸にする“国を治める団体”である。日本は近代に政府を入れなかったら裕福で幸福な国になっていたかもしれないのに、政府を入れたために貧乏で不幸な国になってしまったのである。日本は昔から道徳のある国だから、政府のような悪い団体があってはいけない。今は国民みんなで政府を倒す時代である。国民みんなは政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。国民みんなで国民みんなを不幸にする政府を倒して、国民みんなを幸福にする法律会社を建てればいいのである。
政府は最初の頃は国民みんなに善いことをやって国民みんなを幸福にして、だんだん自分の本性を現して国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にするようになっている。政府は自分ひとりで好き放題に悪いことをやって、日本の道徳をブチ壊している。このまま日本に政府を置いておくと日本が道徳のない国になる。日本が幸福のない国になる。国民はこれ以上日本で政府をのさばらせてはいけない。国民はさっさと政府を倒して、日本をもとの道徳のある国にしなければならない。

[21497] 日本では国民が自分の好き勝手に政府を倒していい。 h26.10.23
今の日本政府は『自分がヨーロッパ生まれの団体だから道徳がない』という理由で好き放題に悪いことをやって国民みんなを不幸にしている。国民に悪い命令を出して国民を不幸にしている。
日本は昔から道徳がある国だから、政府のような悪い団体があってはいけないから、政府を倒さねばならない。
しかし、国民の中からある日突然一人の英雄が現れて「政府を倒すぞー!」と言って国民みんなをまとめて、国民みんなで「ウオー!」と言って国民みんなで国会議事堂や官公庁にいっせいに殴[なぐ]り込みをかけて政府を倒すのではない。
日本は道徳がある国だから、日本ではみんながお互いに善いことをしあって『人間がみな平等』だから、国民と政府は平等だから、国民が政府に国を治めさせたくなければ治めさせなければいいのである。反対に、ヨーロッパは道徳がない国だから、ヨーロッパではみんなが自由に悪いことをやっていいために「悪い人間が善い人間を支配している」から、政府が国民を支配していて国民と政府は不平等だから、国民が政府に国を治めさせなければならないと決まっているのである。日本とヨーロッパでは社会制度が違う。そのため、政府はヨーロッパでは強いが、日本では弱いのである。
日本政府は自分に道徳がないのを理由にして国民みんなにいろんな嘘[うそ]をついて、国民みんなに「国民は政府に逆らってはいけない」と思わせているだけである。本当は『国民は政府に従わなくてもいい』のである。日本政府は国民みんなに嘘をついて「政府が善い団体だ」と思わせているだけで、本当は『政府は悪い団体』なのである。
日本は道徳がある国だから、日本では人間はみな平等だから、国民と政府は平等だから、国民は自分勝手に政府に国を治めさせないようにして政府を倒せばいいのである。国民みんなでさっさと政府を倒して、日本を悪い者のいない国にして、みんなで善いことをしあって幸福に暮らさねばならない。

[21498] 今の政府は日本人に合わない国を作っている。 h26.10.23
今の政府は『自分がヨーロッパ生まれだから自分に道徳がない』ことを理由にして好き放題に悪いことをやって国民を不幸にしている。
今の政府は国民を不幸にするために、日本人に合わないヨーロッパ人向きの国を作っている。政府は国民に日本人の不細工[ぶさいく]な身体の外見[がいけん]ばかり気にさせたり、見掛けだけよくて住み心地のよくない家に住ませたり、形だけで不味[まず]い食い物を食わせたり、絵や写真が綺麗[きれい]なだけで文章が面白くない本を読ませて国民を不幸にしている。ヨーロッパ人は物の形がわかるだけでほかのことはわからないから、いくら家の住み心地が悪くても食事が不味くても文が面白くなくてもかまわないのである。今の日本政府の政策はヨーロッパ人には面白くても、日本人には面白くない。
日本人が幸福に暮らすためには日本人の感性に合った日本人向きの国にしなければならない。今の政府は日本人の感性に合わないヨーロッパ人向きの国にして日本人が幸福に暮らせない国にしている。国民みんなでヨーロッパ人向きの国を作る政府を倒して、日本人向きの国を作る“国を治める団体”を建てて、日本人が幸福に暮らせる国にしないといけない。
日本人は今後もヨーロッパから科学や産業を取り入れて、自由に物を使って自分の心を満足できるようにして、これまでよりもいっそう日本人の心を満足する国にして行けばいいのである。
日本人は世界中から文化を取り入れるのはいいが、外国を真似[まね]て自分が嫌なことまでやらないように注意しないといけない。政府は自分に道徳がないことを理由にして悪いことをして国民を不幸にする団体である。ヨーロッパは道徳がない国だから、みんなが悪いことを自由にやっていいから、国民みんなはしかたがなく政府に従っているのである。反対に、日本は道徳がある国だから、みんなが悪いことをやってはいけないから、日本に悪いことをする政府があってはいけないから、国民みんなは政府を倒さねばならない。日本人はヨーロッパ人の真似をして政府に従わず、さっさと政府を片付けねばならない。
 
[21499] 国民が自分が幸福に暮らせる国にしないといけない。☆ h26.10.23
国民が幸福に暮らすためには国民の感性に合った国にしなければならない。
アジア人は頭で考えることがわかり眼で見ることがわからない。アジア人は道徳がわかるが、科学はわからない。
だから、アジア人が幸福に暮らすためには、道徳があり科学のない国にしないといけない。つまり、みんなが道徳を守って善いことをして道徳のある団体に国を治めさせて幸福に暮らして、ヨーロッパから科学や産業を取り入れず物やお金のない貧しい暮らしをしないといけない。
反対に、ヨーロッパ人は眼で見ることがわかり頭で考えることがわからない。ヨーロッパ人は科学がわかるが、道徳はわからない。
だから、ヨーロッパ人が幸福に暮らすためには、科学があり道徳のない国にしないといけない。つまり、みんなが科学や産業をやって物やお金が豊かになって、アジアから道徳を取り入れずみんなが道徳を守らず悪いことをして、道徳のない団体に国を治めさせて嫌なことばっかりやらされて不幸に暮らさねばならない。
昔はそういう世界だった。世界がアジアとヨーロッパの2つに分かれていた。アジアとヨーロパが反対のことをやっていた。
しかし、今では世界は一つになって、アジアとヨーロッパの文化交流が盛んになって世界中の文化が混じり合っている。アジアとヨーロッパが同じことをやっている。
今ではアジア人は頭で考えることがわかり眼で見ることもそこそこわかるようになっている。今のアジア人は道徳がわかるが、科学もそこそこわかるようになっている。
だから、今のアジア人が幸福に暮らすためには、道徳があり科学もそこそこある国にしないといけない。つまり、みんなが道徳を守って善いことをして道徳のある団体に国を治めさせて幸福に暮らして、ヨーロッパから科学や産業を取り入れてそこそこ物やお金を豊かにして便利で楽しい暮らしをしないといけない。
反対に、今のヨーロッパ人は眼で見ることがわかり頭で考えることもそこそこわかるようになっている。今のヨーロッパ人は科学がわかるが、道徳もそこそこわかるようになっている。
だから、今のヨーロッパ人が幸福に暮らすためには、科学があり道徳もそこそこある国にしないといけない。つまり、みんなが科学や産業をやって物やお金が豊かになって、アジアから道徳を取り入れてみんながそこそこ道徳を守って善いことをして悪いことをせず、そこそこ道徳のある団体に国を治めさせて幸せに暮らさねばならない。今のヨーロッパ政府は多少悪いところが残っているものの、そこそこ道徳を守って国民に戦争の命令を出すのをやめて悪い命令を出すのをやめて国民を幸福にしている。
日本はアジアの国である。だから、今の日本人が幸福に暮らすためには、みんなが道徳を守って善いことをして道徳のある団体に国を治めさせて幸福に暮らして、ヨーロッパから科学や産業を取り入れてそこそこ物やお金を豊かにして便利で楽しく暮らさねばならない。ところが、今の日本では政府に国を治めさせている。今の日本政府は昔のヨーロッパ政府のようにまったく道徳のない極悪非道のクズ団体である。今の日本人はまちがったことをやっている。だから、日本人は政府を倒して、道徳のある団体に国を治めさせねばならない。今の日本人はみんな『政府がなくなったほうがいい』と思っているから、国民は国民みんなの顔色を窺[うかが]いながら、政府に気兼[きが]ねをせずに政府を倒せばいいのである。今の国民みんなが政府を倒そうとせずに政府をほたくっているから、政府がいい気になってますます悪いことをするのである。だから、国民みんなは早めに政府を倒して政府をなくさねばならない。
今の日本はヨーロッパを丸ごと全部真似[まね]ている。ヨーロッパの科学と道徳の両方を受け入れている。しかし、日本人とヨーロッパ人では感性が違う。だから、いくら日本人がヨーロッパ人をよく真似ても、日本人は幸福になれない。かえって不幸になる。日本人が幸福になるためには、日本人の感性に合った国にしないといけない。だから、日本人は自分が幸福になるために、ヨーロッパの科学や産業を取り入れて、道徳のない政府を潰[つぶ]して、道徳のある法律会社に国を治めさせねばならない。
国民が幸福に暮らすためには国民の感性に合った国にしないといけない。日本人が幸福に暮らすためには、“日本人の心”がよくわかった団体に国を治めさせねばならない。今の日本政府は日本人の心を無視して強引にヨーロッパみたいな国にするだけである。今の政府は国民の心を満足しない。今の政府は国民が幸福に暮らせる国にしていない。今の政府は国を治める団体として失格である。今の政府は『自分がヨーロッパ生まれの道徳がない団体だ』と思って自分の好き放題に悪いことをするだけで、端[はな]から国民を喜ばせる国を作る気がないから、あっても無駄[むだ]である。今の政府は『自分がそもそも国民が幸福に暮らす国を作ることが仕事である』ことを忘れてしまって、仕事をせずに遊んでばかりいて国民の役に立っていない。もっと、“日本人の心”をよく理解して日本人の心を満足する国を作る団体に国を治めさせねばならない。国民みんなはさっさと政府を捨てて、ほかの団体と替えたほうがいい。
日本政府は昔のヨーロッパ人の感性に合った国を作ることしかできない。科学があって道徳がない国を作ることしかできない。日本政府は昔のヨーロッパ人を喜ばせる国を作るだけで、今の日本人を喜ばせる国を作れない。日本政府は今の日本人を不愉快[ふゆかい]にする国を作るだけである。今の国民にとっては政府は要らない。国民みんなはさっさと政府を倒して、今の日本人の感性に合った国を作る団体に国を治めさせねばならない。人間の感性は国によってまったく違う。だから、科学や産業は外国のものを使ってもいいが、国を治める団体は外国のものを使ってはいけない。

[21500] 日本政府は今の日本人に合わない国を作っている。☆ h26.10.23
日本政府は昔のヨーロッパ生まれの“国を治める団体”だから、昔のヨーロッパ人に合った国を作る。
昔のヨーロッパ人は科学がわかるが道徳がわからなかった。眼で見ることがわかるだけで、頭で考えることがわからなかった。
だから、日本政府は科学があって道徳がない国を作るのである。政府はヨーロッパから科学や産業を取り入れて、国民に悪いことを命令して国民を不幸にするのである。しかも、日本政府は眼で見る喜びだけで頭で考える喜びのない昔のヨーロッパ人向きの国を作るのである。
一方、今の日本人は道徳がわかるが科学もそこそこわかる。今の日本人と昔のヨーロッパ人とは感性が違う。日本政府は今の日本人に合った国を作っていない。日本政府は今の日本人にとって幸福な国を作っていない。日本政府は今の日本人にとって不幸な面白くない国を作っている。
日本政府は昔のヨーロッパ人にとって幸福な国を作っているのであって、今の日本人にとって幸福な国を作っていない。日本政府は永遠に昔のヨーロッパ人に合った国を作るだけである。今の日本人に合わない国を作るだけである。今の日本人が幸福に暮らすためには政府を倒して、今の日本人に合った国を作る団体に国を治めさせねばならない。“国民に善いことを命令して国民を幸福にして、ヨーロッパから科学や産業を取り入れてそこそこ物やお金が豊かで国民が便利に楽しく暮らせる国”を作る団体に国を治めさせねばならない。
『国は国民が作るもの』だから、国民が自分で自分を幸福にする団体に国を治めさせて、自分を幸福にしない団体に国を治めさせてはいけない。国を作る団体は国民のために国を作って国を売る店である。国民が自分で国を作る団体を選んで国を作らせなければならない。今の国民は自分で政府にお金を強盗させないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。今の国民は自分で“日本人に合った国を作る団体”と契約してお金を払って日本人に合った国を作ってもらわねばならない。


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