[20701] 日本人は頭で考えてから物を見る。 h26.4.28
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
ヨーロッパ人は眼で見ることしかわからない。ヨーロッパ人は眼で見る喜びしかない。ヨーロッパ人は眼で「偉そうにする者が上の者だ」と思いながら人間を見るので、偉そうにする者が上の者だと思って人間が不平等なのである。そのために、ヨーロッパは上の者がいる身分制のある国なのである。ヨーロッパでは政府が偉そうにするので、政府が上の者であり、国民は政府に従っているのである。国民は政府の命令を聞いて、政府に税金を払うのである。
反対に、日本人は頭で考えることがわかる。日本人は頭で考える喜びがある。例えば、日本人はマンガや落語のオチがわかる。日本人は頭で『人間がみな平等だ』と考えながら人間を見るので、人間がみな平等に見えるのである。そのために、日本は人間がみな平等な身分制のない国なのである。日本ではいくら政府が偉そうにしても、政府は国民と平等であり、国民は政府に従わないのである。国民は政府の命令を聞かないし、政府に税金も払わないのである。
ヨーロッパと日本では国民性が違うので、ヨーロッパ人と日本人では脳の出来が違うので、国民みんなの政府に対する態度が違うのである。
日本では政府と国民が平等である。日本では政府は仕事がわからない会社にすぎない。政府は仕事がわからないこと以外に取り柄[とりえ]がない。国民が政府にお金を払うのは博打[ばくち]をするのと同じである。今の政府は国民に善いことをやっていない。今の政府はサービスが悪い。今の国民が政府にお金を払うと損をする。だから、今の国民は政府にお金をやらなければいいのである。
政府は近代のいっときサービスが善かっただけである。今の政府はサービスが悪い。たった警察や学校だけのために国民が高い税金を政府に払うのは損である。だから、国民みんなで政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]して、警察や学校を政府から独立させて民営化させればいいのである。国民みんなが強気で押せば政府は倒れる。だから、国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
眼で見るよりも頭で考えるほうが実在が認識できる。日本人のほうがヨーロッパ人よりも実在的な見方をするから、日本人のほうがヨーロッパ人よりも実在が見えているから、国がうまく行くのである。国民みんなが幸福になれるのである。
[20702] 日本では政府よりも国民のほうが優位である。 h26.4.28
ヨーロッパでは政府が上の者だから、政府が国民に命令して国民を自分の思い通りに動かすことができる。政府が国民に命令して国民を働かせて国民の稼[かせ]ぎを奪って私服を肥やすことができる。つまり、ヨーロッパでは政府が国民よりも優位である。
反対に、日本では政府が国民と平等だから、政府は国民と契約を取らないインチキ臭い会社だから、政府は仕事がわからない会社にすぎない。政府が一生懸命に国民のために善いことをしているときには国民が政府にお金をくれるが、政府がちょっとでも怠慢[たいまん]すると国民が政府にお金をくれなくなって政府が潰[つぶ]れる。国民は政府がよく働いていると思っているときにだけ政府にお金を恵んでやればいい。つまり、日本では政府よりも国民のほうが優位である。
今どき何をやっているのかわからない会社があってはいけない。今どき仕事がわからない会社があってはいけない。国民ははっきりと仕事がわかる会社にだけお金をやって仕事をしてもらうべきである。だから、今の国民みんなは政府のような何をやっているのかわからないインチキ会社にお金をやるのをやめて、はっきり仕事がわかった会社にお金をやって仕事をしてもらえばいいのである。
[20703] 人間は自分の身体の出来ですべてが決まる。☆ h26.4.28
人間は自分の幸福やお金が目的で生きているのではない。人間は自分の身体のままに動いているだけである。
例えば、ヨーロッパ人は大脳の五感野が発達しているが知覚野が未熟だから、眼で見ることしかわからず眼で見る喜びしかない。ヨーロッパ人は眼で見ることしかわからないから、科学が得意で産業が発達して物が豊かでお金持ちである。ヨーロッパ人は物の文化が得意である。ヨーロッパ人は眼で見えることしかわからないから、政府が偉そうにしているのを見て政府が上の者だと思って政府に従っている。いくら政府にお金を取られて政府に虐められても、政府に従い続けている。ただし、善い政府の時代には国民全員が一丸[いちがん]となって動くので国がすごく発展する。
反対に、日本人は大脳の五感野は未熟だが知覚野が発達しているから、頭で考えることがわかり頭で考える喜びがあって眼で見ることにはあまり興味がない。日本人は眼で見ることに興味がないから、科学が苦手で産業が未発達で物が貧しくて貧乏である。日本人は数学や文学などの言葉の文化が得意である。日本人は頭で考えることがわかるから、ヨーロッパ人から科学を教わればそこそこ自分でも科学ができる。日本人は頭で考えることがわかるから、いくら政府が偉そうにしているのを見ても政府が国民と平等だと思って政府に従わない。国民は政府が国民に善いことをしているときだけ政府にお金をやる。日本では上の者がいないから、たとえ上の者が善くても国民みんなが上の者に従わないから国が発展しない。日本では国民みんなでゆっくりと国を発展させていくしかない。
一方、アフリカ人は筋肉が発達しているだけで、大脳の五感野や知覚野が未熟だから眼で見ることも頭で考えることもわからない。アフリカ人は眼で見ることに興味がないから科学が苦手である。アフリカ人は「偉そうにする者を上の者だ」と思わないから政府に従わない。アフリカ人は頭で考えることがわからないから数学も文学もできない。アフリカ人はヨーロッパ人から科学を教わっても科学ができない。アフリカ人は物の文化も言葉の文化も苦手である。アフリカ人は最初から死ぬのを覚悟で生きている。アフリカではいつまでたっても国が発展しない。
人間の身体の出来がすべてを決める。世界観や幸福観や人生観などを決める。人間は自分の身体に則[そく]して生きていくしかない。いくら外国人の文化が変に見えても、それは外人にとっては当然のことだからほうっておくのがいいのである。外国の文化にあまり介入すべきではない。例えば、アフリカで毎年大勢の子供が死んでいるとしても、それはアフリカ人にとってはいいことなので、外人が手助けをして余計なおせっかいをするべきではない。どうせ国連が寄付金で稼[かせ]ごうとしているだけなのだろう。
日本は身分制のない国である。日本ではもともと最初から身分制がないものと決まっている。日本人の身体がそうさせるのである。だから、日本では政府は国民と平等である。政府は国民に命令できないし税金も取れない。政府は国民から任意でお金をもらっているだけである。政府は偉そうにしているが、本当は乞食[こじき]である。今の政府は善いことをしないので、国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府の持ち会社を政府から独立させて民営化させている。
[20704] 日本は政治機関のない国である。 h26.4.28
政治機関とは国中の国民や会社を指揮して、国民や会社に指示を出して、国民や会社が幸福にお金持ちに生きていけるようにする夢のようなすごい機関である。本来法律的には国民や会社の自由であることに対してまで命令をするのが政治機関である。
ヨーロッパでは上の者がいるから政治機関がある。ヨーロッパでは政府が上の者だから、善い政府の時代には政府が国民や会社を上手[じょうず]に指揮して国が大きく発展する。しかし、悪い政府の時代には政府が国民や会社を下手糞[へたくそ]に指揮して国が滅亡する。
反対に、日本は上の者がいないから、政治機関がない。日本ではみんなが法律を守って自由に好き勝手にやっている。日本ではいくら善い指揮者がいても国民みんなを指揮できないから何にもならない。日本ではみんなでゆっくり国を発展させていくしかない。ただし、国民みんなで考えたからといって必ずしも正しいとはかぎらない。人数が多ければ正しいわけではない。国民みんなの考えよりも一人の天才の考えのほうが正しいことはよくある。世の中は馬鹿が多いからむしろ国民みんなの考えのほうがまちがっている。みんながよっぽどよく考えないかぎりみんなの考えが正しいとはいえない。みんなの考えは必ずしも正しくないから注意しないといけない。例えば、近代の日本では国民みんなが戦争をやりたかったから戦争をやった。当時の国民はまだ戦争の実態を知らず戦争を祭りか何かだと思って面白がって戦争をやりたがっていた。もしも近代の日本を徳川幕府が治めていたら、幕府が国民みんなを押さえつけて戦争をさせなかったので、国民みんなはヨーロッパの文明だけを受け入れて戦争をせずにすんだ。日本は損失を出さずにかなり儲[もう]かった。つまり、国民みんなが明治維新のときに幕府を残してヨーロッパの文明だけを受け入れればよかったのだ。現代になってから国民みんなで幕府を倒せば、損失を出さずに日本から身分制をなくすことができたはずだ。日本人は平等制だから国民みんなで動くのはしかたがないが、それだけ国民みんなに責任があるから、国民みんなが正しく考えられなければならない。国民みんながアホではいけない。近代の日本では国民みんなが戦争についてよく理解していなければならなかったのだ。国民みんなが戦争を知らずに戦争をやりたがったのがいけなかったのだ。国民みんなはもっとよく考えてから行動しないといけない。
アフリカでは上の者がいないから、政治機関がない。アフリカではみんなが法律を守らず上の者にも従わず自分の好き放題にやっている。アフリカではいつまでたっても国が発展しない。
日本は政治機関のない国である。だから、今の政府にも政治機関の機能はない。日本では国民みんながテンデンバラバラに自分勝手に会社をやっているだけである。今の政府は法律や学校や国家宗教などをやって、国民から任意でお金をもらっているだけである。今では国民みんなで政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]して、政府の持ち会社を政府から独立させて民営化させて、国民が個別に会社を利用できるようにしている。
[20705] 日本人は平等制をやるしかない。 h26.4.28
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
国民みんなが身分制をやれば、上の者が意地糞[いじくそ]悪いことばかりやって国民を虐[いじ]めまわる。上の者は国民に対して何をやってもいい。身分制はピラミッドではなく、生き物と物の関係なのだ。身分制の本質は上の者が下の者を物扱いできることである。上の者が下の者を殺そうが財産を奪おうがいっさい自由である。つまり、上の者にとって下の者は自分の意思を持たないただの物にすぎない。だから、上の者は下の者を自分の好き放題にできるのだ。ただし、ある程度は制限がある。それを超えると上の者が国民みんなに倒される。上の者は一日に何万人もは殺せないが、百人ぐらいは自由に殺してもいい。今の日本政府は隠れて上の者をやっているから控[ひか]えめに殺しているほうである。身分制は戦争よりも恐ろしい。将来国民みんながてんでやすく身分制をやってはいけない。日本人は戦争の恐ろしさだけでなく身分制の恐ろしさも知っておかねばならない。
反対に、国民みんなが平等制をやれば、国民みんながまちがったことばかりやって国が悪くなって面白くなくなる。戦争はあくまでも一例であって、国民みんなが戦争のようなことを毎日いっぱいやっているのである。国民みんなが自分の無知のために自分で自分を不幸にすることをたくさんやっているのである。そのうち国民みんなが道徳がなくなって国民みんなの間に人殺しや強盗が流行[はや]れば、国中で毎日人殺しや強盗が起こるようになる。身分制よりもひどいことになる。上の者が国民みんなを虐待するよりもひどいことになる。そうなれば、みんながやむを得ず平等制をやめて身分制に転じる。中世の日本ではそのようにして国民みんなが平等制から身分制にしだいに変わっていったのである。
身分制にしろ平等制にしろ、どちらにしても善いことがない。
もっとも、日本人は平等制だと決まっている。日本人は平等制をやるしかない。だから、日本人は平等制の中でよくしなければならない。国民みんなが善くならねばならない。国民みんなが実在をよく知って正しく物事を考えられるようにならねばならない。義務教育で国民全員を鍛[きた]えるしかない。国民全員を泣かせてでも無理やり勉強させるしかない。
[20706] どうしてヨーロッパは平等制をやらないのか? h26.4.28
ヨーロッパは五感主義の国である。ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えない。ヨーロッパ人は悪いことばかりする。
そのため、ヨーロッパで平等制をやると国民みんなが悪いことをやるようになってすぐに国が滅びる。だから、ヨーロッパでは平等制をやらないのである。ヨーロッパでは必ず身分制をやって上の者に従うのである。そうすることで、ヨーロッパ人は自分が悪いことをしないようにしているのである。ヨーロッパ人は自分が上の者の奴隷になることで自分が悪いことをするのを抑[おさ]えているのである。ヨーロッパ人は上の者の顔色ばかり窺[うかが]いながら生きているのである。
反対に、日本は知覚主義の国である。日本人は眼で見るよりも頭で考える。日本人はある程度は自分で善いことをする。
そのため、日本では平等制をやっても国民みんながある程度は善いことをするので国がやっていける。だから、日本では平等制をやるのである。日本では平等制をやってみんなが自分の好き勝手にやっているのである。そのかわり、みんなに責任があるから、みんながまちがいを犯さないように自分で勉強して実在のことについて知っていないといけない。人間が自由であるためにはそれだけ正しくなければならない。人間が正しいためには自分で実在について考えて実在を知っていないといけない。自由の代償[だいしょう]は勉強というわけだ。
[20707] 政治機関は仕事が人気がなくなれば滅ぶ。 h26.4.29
日本では政府は近代にいろんな善[い]いことをやって国民みんなに熱狂的な人気があって国民みんなからたくさんお金をもらってすごく儲[もう]かっていた。今の政府はもはや善いことをしなくなって国民みんなに人気がなくなって国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
近代の政府は戦争や鉄道をやっていた。戦争も鉄道もいっときだけの流行である。今では国民みんなが戦争や鉄道をやらなくなって政府に人気がなくなっている。今の政府は国民に人気のある仕事をしていないので人気がなくて儲からないのである。
政治機関の仕事は需要が短い。政治機関(ここではたんにいろんな仕事をしている団体のこと)は国民みんなに熱狂的な人気があるときに一時的にすごく儲かるだけで、それを過ぎ去ってしまったらもはや何でもない。そこらへんの会社以下だ。そこらへんの会社は仕事の需要が長いので安定にやっていけるのである。そこらへんの会社はあまり儲からないが儲かる時期が長いので、細く長くやっていけるのだ。反対に、政治機関はすごく儲かるが儲かる時期が短いので、太く短いのだ。すぐに燃え尽きて滅ぶのだ。
今の政府はどうしようもなくなって“上の者”(つまり国民の虐待)をやっている。やることがなくなって“上の者”をやっている。今では政府は国民みんなに『わからない仕事をしている嫌な会社だ』と思われて国民みんなから嫌われてお金をもらえなくなって滅んでいる。
今の政府は目玉の仕事がなくなって儲からなくなったので、面白くないので腹いせに上の者をやって国民みんなを虐[いじ]めているのである。今の政府はもはや潰れる覚悟である。だから、国民は遠慮せずに政府に税金を払わず政府を潰してやればいいのである。早く国民みんなで政府を潰して、警察や学校だけにすればいい。今は抱き合わせだと売れずに儲からない。個別に分けたほうが売れて儲かる。
[20708] どうすれば日本は善くなるか?☆ h26.4.29
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今の日本では国民みんなが平等制をやっている。しかし、国民みんなは馬鹿である。そのために、今の日本はだんだんまちがった方向へ行っている。悪い方向へ行っている。昔に比べると今の日本は面白くない。今の日本はくだらないまちがった思想がはびこって面白くない国になっている。馬鹿は自分の心の満足させ方もわからないからいつも不満で面白くないのである。
国民の大半は馬鹿だから、国民みんなは馬鹿である。だから、平等制では国がどんどん悪くなっていく一方である。
だから、平等制ではいけない。身分制にしないといけない。世の中には善い人が少ししかいないから、少数の善い人を活かすために身分制にしないといけない。そのためには、多少の国民虐[いじ]めがあってもいい。
身分制で善い団体が上の者になれば国が善くなる。善い団体が国民みんなを引き上げて国民みんなが善い人間になって善い国になる。できれば、上の者が国民を虐[いじ]めなければいいのだが。
もっとも、今の日本の政治機関は政府である。政府はヨーロッパの政治機関なので道徳がない。だから、たとえ国民みんなが身分制をやったとしても、政府が上の者ではいけない。政府が上の者ではかえって国が悪くなる。他[ほか]の政治機関にしなければならない。
日本人は知覚主義だから、平等制は日本人の血である。日本人は本能的に平等制をやりたがる。しかし、世の中には善い人は少ししかいないから、平等制では社会がどんどん悪くなる。国民みんなが馬鹿で悪い人間ばかりになって、国力が弱くなって、日本がアジアの無名[むめい]の国になる。
将来、日本がどん底の国になったら、国民みんなで身分制をやらねばならなくなるだろう。国が善くなる代わりに、国民みんなが上の者に虐められることになるだろう。そうなるのが嫌なら、今の国民みんなが一生懸命に考えて勉強して正しい考え方を身に付けて正しい知識を持って善く生きることができるようにならねばならない。
ひとまず国民みんなで政府を潰[つぶ]して国民みんなだけの国にして、しばらく様子[ようす]を見ないといけない。それでも国が悪くなるようなら、国民みんなで本格的に身分制を検討しなければならないだろう。国民みんなだけで国が善くなるようだったら、わざわざ国民みんなで身分制をやって道徳をやる政治機関(国民や会社に法律を超えた命令を出す団体)を建てる必要はない。
将来国民みんなに身分制をやらせて国民みんなを牛耳[ぎゅうじ]るために、わざとに今の国民みんなをまちがった悪い方向に導いて日本を悪い国にしている者がいるかもしれないから、国民みんなはそういう者の誘導に引っ掛からないように気を付けねばならない。国民みんながどうすれば自分が正しく善く生きれるかを常日頃[つねひごろ]よく考えてわかっていなければならない。国民みんなが自分で哲学や道徳についてよく考えて正しい哲学や道徳を知っていなければならない。みんなに正しい哲学や道徳を教えて、みんなが正しい哲学や道徳を知っている国にしなければならない。日本人は知覚主義だから、哲学や道徳が得意だから、みんながまじめに哲学や道徳を勉強すればみんなが正しい哲学や道徳を知っている国にできるはずである。要するに、人間の心の中には善い感情と悪い感情がある。善い感情を満足させて悪い感情を満足させないことが道徳である。善い感情と悪い感情を理解して、善い感情を満足させて悪い感情を満足させないことができることが道徳である。人間は実在を理解して、実在の中で自分の心を満足することによって幸福になる。例えば、人間の魂は存在しないからお墓やお寺を建ててはいけない。現在の正しい知識に基づいた世界にしないといけない。昔のまちがった知識に基づいた世界をなくさねばならない。人間の不幸の原因はまちがった知識にあるから、人間が不幸にならないためにはまちがった知識に基づいた世界をなくさねばならない。道徳とは自分が幸福に生きるための知識である。
[20709] 人間はどうして精神分裂病に罹[かか]るのか?★ h26.4.30
「テレパシーがない」と思っているからである。「テレパシーがない」と思っているために、油断してふざけて冗談でテレパシーを使おうとして本当にテレパシーが使えるようになったために精神分裂病に罹るのである。
本当は『テレパシーがある。』人間がテレパシーを使おうとして必死になると本当にテレパシーが使えるようになる。そのときに、頭の中でイライラしていると、パブロフの条件反射でテレパシー器官とイライラ中枢の間に神経連絡が出来て、逆に外からテレパシーが来て自分がテレパシーが聞こえたときにイライラ中枢が興奮して自分がイライラして不愉快[ふゆかい]になる。これが精神分裂病である。条件反射はいったん出来ると死ぬまでなくならないから、一度精神分裂病に罹ると一生治らない。だから、絶対にイライラしながらテレパシーを使おうとしてはいけない。
人間はテレパシーが使える。人間の脳の中にはテレパシーを出したり聞いたりする“テレパシー器官”がある。自分がいくら「テレパシーがない」と思っていても、実際には『テレパシーがある。』テレパシー器官は普段は脳の中で眠っていてテレパシーが聞こえないが、人間がテレパシーを使おうと思って気張るとテレパシー器官が活動し始めて本当にテレパシーが使えるようになる。テレパシーが出たりテレパシーが聞こえたりする。自分がイライラしながらテレパシーを使おうとしたり、テレパシーが聞こえたときにイライラしたりすると、条件反射でテレパシー器官とイライラ中枢の間に神経連絡が出来て、テレパシーが聞こえるたびにイライラして不愉快になる。
テレパシー器官は精神分裂病の原因になる非常に危険な器官である。だから、けっして自分でテレパシー器官を使おうとしてはいけない。そのためには、前もって人間の脳の中に『テレパシー器官がある』ことを知っておいて、絶対に自分でテレパシーを使おうとしてはいけない。自分がイライラしながらテレパシーを使おうとしてはいけないし、自分がテレパシーが聞こえたときにイライラしてはいけない。そうすれば、一生精神分裂病に罹らずに、精神的に健康に幸福に生きていけるだろう。
人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足しないといけない。テレパシーは実在する。人間の脳にはテレパシー器官がある。だから、けっして実在に反して「テレパシーがない」と思ってはいけない。「テレパシーがない」と思ってふざけて油断して冗談でテレパシーを使おうとすると本当にテレパシーが使えるようになって精神分裂病に罹って一生死ぬまで不幸に暮らさねばならなくなるのである。
オナニーやセックスや麻薬などをすると、自分で自分の脳を興奮させやすくなって自分でテレパシー器官やイライラ中枢を興奮させやすくなって精神分裂病に罹りやすくなる。だから、精神分裂病に罹らないためにはオナニーやセックスや麻薬などをやってはいけない。
人間が言葉や文字で自分の意思を他人に伝える以前は、テレパシーで自分の意思を他人に伝えていた。だから、今でも人間の脳にはテレパシー器官が残っているのである。今でもみんなの脳にテレパシー器官があるのである。みんなが潜在的にテレパシーを使えるのである。精神分裂病は退化した器官が原因になって起こる病気である。いわば、精神分裂病は虫垂炎のようなものである。しかし、今では言葉や文字があるからテレパシーを使わなくてもかまわない。人間は日ごろから自分の意思を言葉や文字で伝えるようにして、テレパシーで伝えてはいけない。今ではみんながテレパシーを使わないから、みんなの脳の中にあるテレパシー器官が活動していないから、いくら自分がテレパシーで必死に相手に訴えても相手にはテレパシーが聞こえないから相手には伝わらない。自分が言葉で伝えれば相手がツンボでないかぎり相手に伝わる。自分が文字で伝えれば相手がメクラでないかぎり相手に伝わる。だから、言葉や文字で伝えるようにしないといけない。
国民みんなが幸福に暮らせるようにするのが善い文化である。今では子供に真実を隠すのではなく真実を教えることによって子供がまちがいを犯さないようにしている。今では学校で子供に性行為や麻薬についての正しい知識を教えることによって子供が性行為や麻薬をやらないようにしている。それなら、テレパシーについても学校で『この世にはテレパシーがある』という正しいことを教えて子供がふざけて冗談でまちがってテレパシーを使わないようにしないといけない。子供に精神分裂病や鬱病[うつびょう]や神経症などの精神病についての知識を教えて子供が精神病に罹らないようにしないといけない。みんなに『人間が幸福に生きるための知識』を教えてやらねばならない。つまらない勉強よりもずっと大事だ。つまり、人間が幸福であるためには、人間が実在について正しく理解して、やってもいいこととやってはいけないことを区別してそれを守らなければならないのである。人間にとっては『自分の心を理解して自分の心を適切に満足させて生きる』ことが幸福になるための方法である。例えば、性欲や麻薬欲は快楽が強すぎて人生を破滅させるから絶対に満足してはいけないのである。試験の点数よりも勉強自体の楽しさを大事にして心にゆとりを持って勉強したほうが人生は大成[たいせい]できる。人間には得意不得意がある。自分の不得意な科目は時間をかけずに勉強して、自分の得意な科目に時間をかけて勉強して人生を楽しみながら生きればいいのである。
[20710] どうして政府は税金の法律を定めているのか? h26.4.30
今の政府は税金の法律を定めている。税金の法律は人間の平等制に反する。だから、税金の法律を廃止すべきである。
政府は「それなら国民が選挙で国会議員に立候補して当選して国会議員になって国会で多数決で憲法を改正すればいい」と言う。
国民は自分が選挙で国会議員になるのは無理だと思ってあきらめてしまう。
しかし、それなら、今の国会議員が税金の法律を改正すればいい。税金の法律は明らかに人間の平等制に反していてまちがっているから、今の国会議員が改正しなければならないはずである。今の国会議員がそうしないのは、政府がまちがったことをする汚い団体である証拠である。
政府は税金の法律を定めて自分が上の者になろうとしているのである。政府は国民から無理やり税金を取ったり国民を虐[いじ]めたりしようとしているのである。
しかし、今の日本では国民みんなが平等制をやっている。明治維新からあとではずっと平等制をやっている。政府は税金の法律を定めて上の者をやっているが、日本では国民みんなは人間はみな平等だと決めていて、国民みんなは政府よりも権力が強いから、政府も国民みんなに従って国民と平等にしないといけないのである。国民にとっては政府は小ボスで国民みんなは大ボスである。小ボスは大ボスには敵[かな]わないのである。だから、今の日本では政府は上の者をやれない。政府は国民と平等である。政府は国民から税金を取れない。政府の税金の法律は嘘[うそ]の法律である。政府は国民から税金を取れるふりをしているだけで、本当は取れないのである。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
今の政府は国民みんなに善いことをやらなくなっている。今の政府は隠れて上の者をやって国民みんなを虐めている。今の政府の態度は偉そうである。生意気[なまいき]である。だから、今の国民みんなで集中的に政府にお金をやらないようにして政府を虐めて政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民みんなは政府のような仕事がわからない国民をおちょくった会社をなくして、仕事がはっきりわかる会社だけがあるようにすればいいのである。
[20711] 今は国民みんなの時代である。 h26.4.30
今の国民みんなは平等制をやっている。国民みんなで政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
今では国民みんなが国を決めている。政府は形骸[けいがい]にすぎない。今の日本の政治機関は政府ではなく国民みんなである。
しかし、そのために、日本中から本屋が消えている。日本中で見掛け倒しの馬鹿が幅をきかせている。人間の価値が中身よりも外見で決まるようになっている。日本中でマンガやアニメが面白くなくなっている。
国民みんながくだらない馬鹿だからそうなるのである。世の中には汚いことをやるのが好きな悪い人間がいっぱいいるから、多数決で国民みんなが悪い人間になるのである。世の中には心の腐った形だけの人間がいっぱいいるから、国民みんなが悪い人間になる。国民みんなが勉強が嫌いだから、日本中で本屋が消えているのである。国民みんなが頭で考えるのが嫌いだから、見掛け倒しの馬鹿がまかり通るのである。国民みんなが頭で考えるのが面倒臭くて眼で見るだけだから、人間の価値が中身よりも見掛けで決まるのである。国民みんながギャグ(頭で考える面白さ)が嫌いだから、マンガやアニメが面白くなくなっているのである。今の日本がアジアの常任理事国をやめさせられて景気が悪いのも、国民みんなが頭で考えるのが嫌いな悪い人間だからである。
国民みんなは考えるのが嫌いである。考えるのが嫌いな人間に善い人間はいない。国民みんなは善い人間ではない。だから、近世には国民みんなを粛正[しゅくせい]するために徳川幕府のような“道徳のある上の者”が必要だったのである。もっとも、怖い虐[いじ]めのおまけつきだったが。
平等制は必ずしも善い制度ではない。みんなが平等なまま悪くなっていくからである。国民みんなが悪い人間だと、かえって平等制が悪い制度になる。国民みんなが国民みんなをどんどん悪くしていく。国民みんなが国民みんなをどんどん不幸にしていく。平等制が善い制度であるためには、まず国民みんなが善い人間でなければならない。
国民みんなは平等制に甘んじてはいけない。先生がいない自主学習の時間みたいに国民みんなは上の者がいないことにいい気になってはいけない。平等制ではいわば国民みんなが上の者である。国民みんなが上の者だから、国民みんなに道徳がなければならない。国民みんなが国民みんなを粛正しなければならない。国民みんなが国民みんなを幸福にしなければならない。そのためには、国民みんなが日ごろから道徳をよく勉強して道徳をよく知って道徳を守って善く生きねばならない。
国民みんなが今のままだとまた身分制をやらねばならなくなる。国民みんなが怖い厳しい先生(つまり上の者)にしごいてもらわねばならなくなる。そうならないためには、国民みんなが改心して善くなるしかない。
日本は近世に国民みんなが身分制をやって徳川幕府が上の者をやっていた時代に善かっただけで、それ以外の時代には大したことがない。アジアのオンボロ国にすぎない。日本人はあまりいい気になってはいけない。
[20712] 安藤昌益はどうして幕府に罰せられなかったか? h26.4.30
安藤昌益[あんどうしょうえき](1703〜1762)は『自然真営道』で『武士は田んぼに出て百姓といっしょに仲良く働け!』と書いて幕府をおちょくった江戸中期の学者である。
江戸幕府は士農工商の身分制を定めていた。
しかし、中世の日本では国民みんなが平等制をやっていたので、江戸時代中頃まではまだ平等制が残っていた。そのため、江戸時代中頃までは幕府と国民が平等だった。
だから、安藤昌益がいくら幕府を馬鹿にしても、安藤昌益は幕府に罰せられなかったのである。日本人は知覚主義なので、本来身分制が嫌いである。安藤昌益のように言っても当然である。国民みんなは幕府よりも権力が強いので、幕府は国民みんなには逆らえない。だから、さすがの幕府も安藤昌益に手を出せなかったのである。
しかし、さすがに江戸後期になると国民みんなが本格的に身分制をやるようになって、幕府が国民みんなを本気で虐[いじ]めるようになったのである。そのため、幕末の志士[しし]たちが幕府に皆殺しにされたのである。
今の政府も憲法で税金の法律を定めて身分制を定めている。しかし、今の国民みんなは平等制をやっている。国民みんなは明治維新のときから平等制をやっている。今の国民みんなは本格的に平等制をやっている。だから、今ではいくら政府が身分制を定めていても、政府と国民は平等である。だから、今の政府は国民から税金を取れない。今の政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
[20713] 平等制と身分制とどっちがいいか? h26.4.30
平等制の国では上の者がいなくて国民みんなだけである。ところが、世の中には善い人が少ないので、国民みんなはくだらない馬鹿である。今のところはまだ国民みんなは猫をかぶっておとなしいが、どんどん悪くなってエスカレートするとそのうち毎日人殺しや強盗をするようになる。国中が荒れまくってとうてい人が住めたものではない。そこらへんに死体がゴロゴロしている。国民みんなが悪人なので国中が犯罪者の群れなのでもはや国とは言えない。
身分制の国では上の者がいて国民みんなが上の者に従っている。上の者は意地悪[いじわる]だが厳しい道徳の先生である。上の者は国民みんなから高い税金を取って、国民みんなを殺傷して虐待する。しかし、国民みんなは先生から厳しい道徳の指導を受けてモラルがいいので世の中は泰平[たいへい]である。上の者が国民みんなを虐[いじ]める以外は国家的には問題ない。
こうしてみると、国家的には平等制よりも身分制のほうがいい。
しかし、日本人は知覚主義で本来平等制である。日本人は身分制が嫌いで平等制が好きである。日本人は身分制に対して拒絶反応を示す。日本は原則的に平等制の国である。
はたして日本の将来は大丈夫[だいじょうぶ]であろうか?
日本は江戸時代には江戸幕府が国民みんなに一生懸命道徳を教えて国を治めていた。だから、日本は平等制の時代には国民みんなが自分で一生懸命に道徳を勉強して道徳を身に着けねばならない。そうすれば、平等制の時代にも、日本は天下泰平だろう。幕府に高い税金を取られて虐められるのと比べれば道徳の勉強のほうがずっと楽である。だから、みんなは自主的に道徳を勉強するだろう。
[20714] 身分制の国がこの世で一番善い国である。☆ h26.4.30
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今の国民みんなは平等制をやっている。
今の政府はわからない仕事(上の者のこと)をやって国民の役に立たないことをやって国民をなめているから、国民みんなで政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
そのうち、警察や学校などのはっきり仕事がわかった会社だけになるだろう。国民は仕事がはっきりしている会社と契約してお金を払って仕事をしてもらうだろう。
国民の大半は頭の悪い馬鹿だから、国民みんなはどんどん悪いことをするようになって自分の好き放題にやるようになって法律や道徳を犯して人殺しや強盗をするようになるだろう。国民みんなが悪いことばかりやって国中がメチャクチャになるだろう。
国民みんなが生き地獄に懲[こ]りたら、またしかたなしに国民みんなが身分制をやって上の者を立てて、上の者がみんなに道徳を教えてみんなを虐[いじ]めて平和な国になるだろう。それが幸福な国というものだ。
身分制の国が現実的には一番善い国である。平等制の国はいっときだけ善くてすぐ悪くなって長続きしない。だから、今のヨーロッパも身分制の国を続けているのだ。平等制は今の国民みんなにとってはまだ時期尚早[しょうそう]である。文明開化のときに国民みんなが幕府を倒さなければよかったのだ。国民みんなが身分制を続ければよかったのだ。平等制には年貢[ねんぐ]も虐めもないからいっときは楽しいが、長い目で見ればかえって世の中が不況になって物騒[ぶっそう]になって面白いことがなくなって暮らしにくくなる。そこの判断のまちがいもまだ今の国民みんなが馬鹿である証拠だ。しかし、すでにやってしまったことはいまさら悔[く]やんでもしかたがない。今度日本が身分制の国になったら、国民みんなにとっていくら上の者の虐めが嫌であっても、国民みんなが上の者の虐めを我慢[がまん]して身分制の国を続けねばならない。馬鹿がいなければこの世は楽なのだが。みんなでいくらでも平等制をやれるのだが。馬鹿が他人の足を引っ張っているのだ。馬鹿が他人を不幸にしているのだ。
国民みんなは馬鹿である。馬鹿は頭で考えることが嫌いだから心のままにやるからかえって面白くなくなるのだ。人間の心は人間に生まれつき備わっている実在についてのまちがった認識である。だから、国民みんなは頭で何も考えずに自分の心のままにやって現実の中でまちがいを犯してうまく行かなくなってかえって面白くなくなるのだ。反対に、利口は頭で考えることが好きだから、頭で考えて正しいことをして現実の中でうまく行くから面白いのだ。要するに、馬鹿は頭で考えるのが嫌いである。利口は頭で考えるのが好きである。馬鹿と利口の違いはそこなのだ。馬鹿は眼で見て心で思うだけである。利口は眼で見て頭で考えて心で思う。馬鹿は早いが眼で見えることしかわからない。利口は遅いが眼で見えないことがわかる。馬鹿は眼で見えることばっかりやるから見掛けがいいが中身が悪い。利口は頭で考えることばっかりやるから見掛けは悪いが中身がいい。馬鹿は頭で考えないから理解がない。利口は頭で考えるから理解がある。今の国民みんなが馬鹿だから、眼で見えない“国民みんな”が見えていないから政府がなくならない上に悪い国になる。国民みんなと政府の二人掛りで悪い国にするのでかなり悪い国になる。反対に、国民みんなが利口だったら、眼で見えない“国民みんな”が見えるから政府がなくなる上に善い国になる。日本人は知覚主義ではない。日本人は非五感主義だ。五感主義では「偉そうにする者が上の者だ」と思うから上の者がいて身分制になる。日本人は非五感主義だから「偉そうにする者を上の者だ」と思わないから上の者がいなくて平等制になる。しかし、日本人は知覚主義ではない。日本人は中国人と同じように心主義だから、日本人は頭で考えるのが嫌いな馬鹿だから、悪い国になるのだ。日本人が知覚主義なら日本はみんなが平等な善い国になるだろう。今の世界にはまだ知覚主義の国なんかない。だから、身分制をやっていくしかない。つまり、日本はもともと中国と同じみんなが平等な悪い国なのである。身分制は日本を善い国にするための工夫[くふう]なのである。
もっと未来になって文明が進んで、文明が人類の篩[ふるい]となって馬鹿を消し去って利口だけになれば、平等制でも国民みんなが善くなって善い社会になってやっていけるようになるかもしれない。それまでは身分制でやっていくしかないのだ。
[20715] 国民みんなが国を決める。 h26.5.1
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
国民みんなが身分制をやると決めている時代には、上の者がいて、上の者は国民から税金を取って、国民を虐[いじ]めなければならないのである。国民みんなが上の者に国民みんなから税金を取らせて、国民みんなを虐めさせているのである。
国民みんなが平等制をやると決めている時代には、上の者がいなくて、みんなはみんなと平等にしなければならない。みんなはみんなと契約を取ってお金をもらって仕事をしなければならない。
江戸時代は身分制の時代だった。国民みんなが身分制をやると決めていた。国民みんなが徳川幕府に上の者をやらせていた。だから、徳川幕府は国民みんなから年貢[ねんぐ]を取って、国民みんなを虐めなければならなかった。徳川幕府はたとえ自分が嫌でも国民から年貢を取って、国民を虐めなければならなかった。そうしないと、国民みんなに徳川幕府が潰[つぶ]された。幕府は泣きながら国民から年貢を取って国民を虐めていた。
今は平等制の時代である。国民みんなが平等制をやると決めている。だから、政府と国民も平等である。政府は国民と平等にしなければならない。そうしなければ、政府が国民みんなに潰される。したがって、政府は国民から税金を取れない。政府は国民に嘘[うそ]をついて自分が国民から税金を取れるふりをしているだけで、本当は取れない。政府は国民と契約を取って仕事をしないといけない。しかし、今の政府は国民と契約を取っていない。だから、今の政府は国民から任意でお金をもらっているにすぎない。今の政府は何の仕事をやっているのかわからない。国民が仕事のわからない会社にお金を払って仕事をしてもらうことは、会社が国民よりも有利であって、国民と会社が平等ではない。だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰せばいいのである。国には仕事がはっきりわかった会社だけがあるようにすればいいのである。その先には国民全員が凶悪犯罪者と化した地獄が待っているかもしれないが。
政府を上の者だと思うのは江戸時代の身分制の名残[なごり]である。今は平等制の時代である。だから、今では国民は政府を上の者だと思う必要はない。今では国民は政府を上の者だと思ってはいけない。国民は政府を自分と平等だと思わねばならない。国民は政府の命令を聞いてはいけないし、政府に税金を払ってはいけない。要するに、国民は政府を倒さねばならないのである。
[20716] 平等制とは馬鹿に合わせた国を作ることではない。☆ h26.5.1
今の国民みんなは平等制をやっている。
しかし、いくら平等制と言っても、多数決だけで物事を決めて、国民の大半が頭で考えるのが嫌いな馬鹿だからといって、頭で考えるのが嫌いな馬鹿に合わせた社会を作るのはまちがっている。そんなことをしていたら、世の中がどんどん悪くなってみんなが悪人になって地獄になる。
馬鹿は自分で考えない代わりに利口に従う習性がある。そうすれば、馬鹿が自分でまちがいを犯すことを避けられるからである。だから、平等制の時代にも世の中を決めるのはやっぱり頭のいい利口である。だから、頭のいい利口な人に合わせた社会を作るべきである。そうすれば、みんなが快適に面白楽しく暮らすことができる。人間らしく暮らすことができる。
いくら平等制でも悪い国になってはいけない。平等制で善い国にしないといけない。善い国とは国民みんなが法律や道徳を守って、実在を知り実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らす国である。善[ぜん]とは考えることである。そのためには、考える人を中心にした考える人に合わせた国にしないといけない。
今の世の中には国民みんなを悪い方向に導く“悪いリーダー”がいるようである。国民みんなに悪いこと(つまり馬鹿のやること)を教えて悪いことをやらせて国を破滅に導く“悪いリーダー”がいる。日本で中世の過去に国民みんなが平等制をやって国が地獄になったからといって、わざわざ今の日本で再び国を地獄にする必要はない。国民みんなは悪いリーダーに誘導されないようにして、善い方向に進まねばならない。
国民みんなは放置しておくとどんどん悪くなる。国民みんなで国民みんなが悪くならない方法を考えねばならない。国民みんなで国民みんなが善くなる方法を考えねばならない。
[20717] 日本では昔から国民みんなが『道徳の勉強』をし続けてきた。 h26.5.2
日本人は知覚主義である。
だから、日本は昔から平等制の国である。平等制の国では国民みんなが国を決める。
そのため、日本は昔から国民みんなで外国から道徳を取り入れたり自分で道徳を考えたりして『道徳の勉強』をして、国民みんなが悪化しないように努[つと]めてきた。
もっとも、中世には成り行きで戦国時代になってしまったから、国内の戦乱を鎮[しず]めるために、特別に国民みんなで身分制をやって徳川幕府を上の者にして天下を統一していた。
近代以降は戦乱がなくなったから、また国民みんなが平等制をやるようになっている。政府は江戸時代の身分制の名残[なごり]で上の者のふりをしているが、じつは国民と平等である。国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞いたり、政府に税金を払ったりしなくていい。政府は泣き寝入りをすればいい。
平等制では上の者がいない。国民みんなが国の最高権力者である。
平等制では上の者がいないから国民みんなが好き勝手にしがちである。そのため、今でも国民みんなが悪化する恐れがある。だから、いつの時代も国民みんなで『道徳の勉強』をして国民みんなが善い人間であるように努めなければならない。国民みんなで悪人を罰して悪の種[たね]が広がらないようにしないといけない。
人間には自由はない。人間は実在を知り、自分の心を知り、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。自分の心の中には満足してもいい感情と満足してはいけない感情があることを知って、自分の感情を正しく満足させねばならない。国民みんなには幸福に暮らす義務がある。だから、国民みんなが適切に自分の心を満足しないといけない。
[20718] 日本人には政府の偽善[ぎぜん]は通用しない。 h26.5.2
馬鹿は眼で見て心で思うだけである。頭で考えない。
利口は眼で見て頭で考えて心で思う。
政府は偽善をやっている。つまり、政府は本当は上の者をやっているのに、政府は本当は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めているのに、国民の前では国民と平等なふりをしている。だから、馬鹿の眼には政府が国民と平等に見えるのである。
日本は知覚主義の国である。日本では国民みんなが頭で考える。日本では国民みんなが頭で考えて物を見る。だから、日本では政府の偽善は通用しない。日本ではいくら政府がテレビや新聞で善い子のふりをしていても、国民みんなが政府が裏で上の者(つまり悪いこと)をやっていることを知っている。政府の偽善はヨーロッパ人の馬鹿にしか通用しないのである。
日本は知覚主義の国である。日本では上の者がいない。日本では人間はみな平等である。政府と国民も平等である。国民は政府に任意でお金をやっているだけである。今の政府は国民に善いことをしなくなって上の者(つまり悪いこと)ばかりやっている。だから、今では国民みんなで政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
これまでは国民みんなが江戸時代の名残[なごり]で身分制をやっていたから政府を上の者だと思って政府に従っていただけである。今では国民みんなが平等制をやるようになって政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなっている。そのため、今では国民が政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れているのである。
明治維新のときに国民みんなが完全に平等制に変わっていたら、戦後に政府が善いことをしなくなったとたんに政府が潰れたはずである。戦後に政府が善いことをしなくなった後でもしばらく政府が潰れなかったのは、身分制の名残があったからである。国民みんなが江戸時代の身分制を引きずっていたから、政府が上の者をやっても潰れなかったのである。しかし、今では国民みんなが平等制をやるようになっている。だから、今では政府が潰れている。今の政府は善いことをしていないし、国民みんなが平等制をやるようになっているから、国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰れているのである。
[20719] 国民みんなは江戸時代が終わってもしばらくの間身分制をやっていた。☆
h26.5.2
明治維新のときに国民みんなは身分制をやめて平等制をやる決意をした。しかし、実際にはその後もしばらく江戸時代の身分制の名残で国民みんなは身分制をやっていた。明治維新以降は国民みんなは表向きは平等制をやっていたが、実際には人間は急に意識の切り替えができないためにしばらくの間(だいたい100〜150年間)身分制をやっていたのである。国民みんなはゆっくり変わるから、身分制が平等制に変わるまでに100年以上かかるのである。『車は急に止まらない』と言うように、国民みんなも急に止まらないから国民みんなはしばらくの間身分制を続けていたのである。国民みんなには慣性の法則があるから、明治維新のとき国民みんなで身分制をやめようとしても急に身分制をやめるわけではなく、その後もしばらくは身分制をやっていたのである。[国民みんなは大きい団体だから変わるのには時間がかかる。明治維新のときに幕府から政府に変わるのに40年ぐらい時間がかかった。だから、国民みんなが身分制から平等制に変わるのに100〜150年ぐらい時間がかかってもけっしておかしくはない。]
近代の日本では、国民みんなはまだ身分制をやっていた。国民みんなは政府を上の者だと思って政府に従っていた。国民みんなは政府の命令で政府に税金を払ったり戦争をやったりその他のことをやったりした。政府も最初の頃は国民にサービスがよかったので、国民のためにけっこう善いことをやってくれた。
現代の今の日本では、国民みんなが平等制をやるようになっている。国民みんなは政府が自分と平等だと思って政府に従わなくなっている。国民と政府が平等なら、政府が何をやっても、政府が選挙や議会をやっても、政府は国民と平等なままだから政府は国民から税金を取れない。国民みんなは政府の税金の法律がまちがっていると思って政府の税金の法律を無視して政府に税金を払わなくなっている。国民みんなは政府が契約を取らないので任意で政府にお金を払っている。国民みんなは政府が仕事のわからない会社だから政府に税金を払わないほうがいいと思って、政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
今では国民みんなが身分制から平等制に変わっているので、政府が潰れているのである。政府が潰れて、警察や学校などが政府から独立して民営化しているのである。
平等制の時代には、はっきり仕事がわかる会社しかあってはいけない。国民ははっきり仕事がわかる会社としか契約してお金を払って仕事をしてもらわないのである。
[20720] 国民みんなは今頃になってようやく平等制をやるようになっている。
h26.5.2
平等制の社会では、すべての会社が国民と契約を取って仕事をしなければならず、税金を取る会社なんかない。政府のような契約を取らない会社はわからない仕事をやっているので、国民は政府にお金をやらず政府はやっていけないはずである。
だから、これまで政府が国民から税金を取ってやって来れたのは平等制の社会ではなかったからである。
国民みんなは明治維新のときに身分制をやめて平等制をやることを決意したが、実際に国民みんながやっていることはすぐには変わらずしばらく経[た]ってからようやく変わるので、これまでは国民みんなはずっと江戸時代と同じように身分制をやっていたのである。だから、これまで政府は国民から税金を取ってやって来れたのである。
しかし、最近は明治維新から十分時間(150年ぐらい)が経っているので、国民みんなは本当に平等制をやるようになっている。そのために、最近は国民が政府に従わなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
国民みんなは口で言ってから実行するまでに時間がかかる。100年以上かかる。そのため、国民みんなはようやく今頃になって本当に平等制をやるようになっているのである。今頃になってようやく平等制が始まっているのである。『天災は忘れた頃にやってくる。』つまり、国民みんなが自分が平等制をやると言ったのを忘れた頃になってようやく平等制をやるようになって政府が潰れるのである。
この先、国民みんなはますます平等制をやるようになる。政府はますます潰れていく。警察や学校などが政府から独立して民営化される。国には仕事がはっきりわかった会社だけになる。国民は仕事がはっきりわかった会社と契約してお金を払って仕事をしてもらうようになる。こうしてようやく明治維新の人々が夢に見た平等制の社会が実現するのである。
[20721] 国民みんなを見れば国のことがわかる。☆ h26.5.2
国民みんなは明治維新のとき身分制をやめて平等制にしようと決めたが、実際にはその後もしばらく身分制をやっていた。
そのために、これまでは政府が上の者をやって、政府が国民に命令して国民から税金を取ったり国民を虐[いじ]めたりしていた。
しかし、最近は国民みんなが平等制をやるようになっている。
そのために、国民が政府に従わなくなって、政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
政府はテレビや新聞によく出るが、実際には国民みんなが国を決めている。国民みんなを見れば国のことがわかる。
国民は国民みんなが決めたことを守って、日本を早く平等制の国にしないといけない。それが国民の義務である。
本当の政治機関(国を作る団体)は国民みんなであって政府ではない。国民は政府の言うことを聞かないようにしないといけない。
[20722] 国民みんなが国を決める。☆ h26.5.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近世は国民みんなが身分制をやっていた。国民みんなが徳川幕府を上の者だと思って徳川幕府に従っていた。国民みんなが徳川幕府の命令で年貢[ねんぐ]を納めて、徳川幕府にいろんな方法で虐[いじ]められていた。
近代は国民みんなが身分制をやめて平等制をやることに決めた。しかし、実際には国民みんなはすぐに身分制がやめられずまだ身分制をやっていた。国民みんなが政府を上の者だと思って政府に従っていた。国民みんなが政府の命令で政府に税金を払って、政府に国家宗教で虐められていた。
現代は国民みんながようやく身分制をやめて本当に平等制をやるようになった。国民みんなが政府を国民と平等だと思って政府に従わなくなった。国民みんなが政府の命令を無視して政府に税金を払わなくなって、政府を潰[つぶ]している。国民みんなが国民と平等な仕事のはっきりわかった会社と契約してお金を払って仕事をしてもらうようになっている。
今後は国民みんなは道徳を勉強して自分たちが悪くならないように気を付けて日本をより善い国にしていかねばならない。
[20723] 今では政府が上の者から平等な者になっている。 h26.5.3
今では国民みんなが実際に身分制をやめて平等制をやるようになっている。
そのために、政府が上の者から平等な者になっている。政府がジェットコースターのように落下している。
国民みんなは政府に従わなくなって、政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。国民みんなは仕事がはっきりわかる会社と契約してお金をやって仕事をしてもらうようにしている。
今でも政府は国民の前で偉そうな顔をして平然と国民に命令して国民から税金を取っているが、本当はすでに政府と国民は平等になっているから、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府の命令を無視して政府に税金を払わなければいいのである。
日本では上の者は戦国時代になったときに内乱を鎮[しず]めるために国民みんながしかたがなく置いていただけである。上の者は国民みんなから税金を取って国民みんなを虐[いじ]めるだけで、内乱を鎮める以外には国民みんなの役に立つことが何もない。上の者は国民みんなにとって内乱を鎮める以外には使い道がない。国民みんなは国中で戦争をやるよりも、徳川幕府が国民みんなを虐めるほうが被害が少ないと考えたから、やむを得ず身分制をやって徳川幕府を上の者にしていたのである。戦国時代には各地の大名が戦争をし合っていた。誰かが勝って日本を取ってくれればよかったのだが、実力が伯仲[はくちゅう]していたのでなかなか戦争が終わらなかった。戦争が長引いていた。国民みんなは毎日戦争ではたまらなかったので、手っ取り早く上の者を置いて戦争をやめさせようとしたのである。天下分け目の戦いは国民みんなが仕組んだ八百長[やおちょう]試合だったのである。つまり、国民みんなが本当の政治機関であって、徳川幕府は国民みんなの操り人形にすぎない。しかし、近代以降は日本には内乱がなくなったから、もはや国民みんなは身分制をやって上の者を置かなくていいのである。
日本はもともと上の者がいない平等制の国である。近世(つまり江戸時代)の日本で身分制をやっていたのは特別である。例外である。非常事態である。日本では近世以外の時代にはいつも平等制をやっていて上の者がいなくてみんなが平等なのである。日本人は生まれつき知覚主義であり、知覚主義では『人間がみな平等であり上の者がいない』から、日本は上の者がいないみんなが平等な国なのである。日本では近世までは国民みんなが平等制をやっていたから、古代と中世の政府や平氏政権や鎌倉幕府や室町幕府などはみな国民と平等だったのである。日本では近世以降は国民みんなが身分制をやっていたから、江戸幕府や近代と現代の政府は上の者だったのである。今の日本では国民みんなが平等制に戻っているから、今の政府は国民と平等である。
国民みんなが身分制から平等制になっても、政府がなくなるだけで国は大きくは変わらない。国民の暮らしもそれほど変わらない。だから、国民みんなは政府がなくなっても困らないから、思い切って政府を潰せばいい。
国民みんなが身分制から平等制になっても国民みんな自身は変わらない。日本では昔から国民みんなが道徳の勉強をして自分たちが悪くならないようにして善くなるように努めてきた。中世も近世も近代にもそうしてきた。だから、現代の今もそうしないといけない。国民みんなが道徳の勉強をしなくなって道徳がわからなくなって善い人から悪い人になってはいけない。国民みんながジェットコースターのように落下してはいけない。
世の中には国民みんなにまちがった道徳を教えて悪い人の習性を植え付けて国民みんなを悪い人に変えようとしている者がいるから、国民みんなはそういう者の誘導に引っ掛からないようにして悪い人になってはいけない。善い人にならねばならない。世の中には国民みんなを善い人にするふりをしてじつは悪い人にしようとしている者がいるから、国民みんなはそういう者に騙[だま]されないように注意しないといけない。
世の中に国民みんなを悪い人に変えようとしている者がいるのは、国民みんなを悪い人に変えれば自分も周[まわ]りにはばからずに悪いことができて、自分が悪いことをやって儲[もう]けることができるからである。しかし、国民みんなが悪い人になれば国民みんなが不幸になる。国民みんなはそういう者に利用されないように気をつけねばならない。
[20724] 古代と中世の政府と近代と現代の政府は違う。☆ h26.5.3
古代と中世の日本では国民みんなが平等制をやっていた。そのため、古代と中世の政府(朝廷)は平等制の中でやっていた。古代と中世の政府は近代の政府のように、まず国民みんながやりたがっている戦争を国民みんなにやらせて人気を取って、その他国民みんなが喜ぶことをやってお礼に国民みんなから税金をもらって儲[もう]かっていた。
近代と現代の日本では国民みんなが身分制をやっている。そのため、近代と現代の政府は身分制の中でやっている。近代と現代の政府は江戸時代の身分制に乗っかって上の者をやって国民みんなに命令して税金を取って国民みんなを虐[いじ]めている。もっとも、近代の政府は国民みんなに対するサービスがよくて、国民みんなが喜ぶ戦争や鉄道などをやってくれた。
古代と中世の政府は近代と現代の政府とは名前が同じでも中身が違う。古代と中世の政府は平等な者だが、近代と現代の政府は上の者をやっている。古代と中世の政府は善い者だったが、近代と現代の政府は悪者である。
今では国民みんなが本来の平等制をやるようになっている。今では国民みんなが政府と国民が平等だと思っている。今の政府は国民と平等だから、政府は国民から税金を取れない。今の政府は国民と契約を取っていないから、今の国民は政府に任意でお金をやっているにすぎない。しかも、今の政府は国民に善いことをせず上の者をやって国民に悪いことばかりやっている。だから、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。今では古代や中世と違って、国民みんなが仕事がわからない会社にお金を払うほどおめでたくはないから、国民みんなが政府にお金をやらず政府が潰れているのである。国民みんなが何をやっているのかわからない会社にお金を払う必要はないから、政府にお金をやらなければいい。
古代と中世の日本では国民みんなが平等制をやっていたために、政府が平等な者をやって政府が善い団体で国民みんなに対して善いことをやってくれたから政府は長続きした。しかし、近代と現代の日本では国民みんなが江戸時代の名残[なごり]で身分制をやっていたために、政府が上の者をやって政府が不良化してしまった。国民みんなが平等制をやるようになった現代の今でも、政府は依然[いぜん]として上の者をやり続けている。政府は国民みんなに合わせて平等な者になって善いことをやってくれない。一度不良になった政府は二度と善い人には戻らない。国民みんなが近代と現代に政府を上の者だと思って甘やかしたのがいけなかったのだ。今の政府は国民みんなに悪いことをする会社にすぎない。今の国民が政府にお金を払うのは任意である。今の政府は上の者をやって国民に善いことをせず悪いことばかりやっている。今の国民みんなが政府にお金をやらないのは当然である。国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。今の国民みんなは平等制をやっているから今の政府と国民は平等である。それなのに今の政府は上の者をやっている。国民みんなは国の最高権力者であるのに、政府は国民みんなの決定に反している。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[20725] 今の政府は国民みんなに反している。 h26.5.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやっている。今では国民みんなが明治維新のときに平等制をやると言ってから約150年経[た]っているので、今では国民みんなが本当に平等制をやっている。
だから、政府と国民は平等である。政府は国民と契約を取っていない。国民は政府に任意でお金を払えばいいはずである。
それなのに、政府は納税の義務の法律を定めて国民から強制的に税金を取っている。政府は上の者をやって国民を国家宗教で虐[いじ]めている。政府は国民と不平等にやっている。
政府は国民みんなに反している。だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
近代や現代の国民みんなが身分制をやっていたために、政府は上の者をやる癖が付いている。政府は上の者をやめようとしない。政府は国民から税金を取って国民を虐める。今の国民みんなは平等制をやっているのに、今の国民みんなは人間がみな平等だと定めているのに、政府は国民と平等にしない。だから、今の国民みんなで政府を倒さねばならないのである。
[20726] 今の国民みんなは平等制をやっている。 h26.5.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。ただし、国民みんなは言ってから実行するまでに時間がかかる。場合によっては100年以上かかることもある。
明治維新のときに国民みんなは身分制をやめて平等制をやると言ったが、実際にはその後もしばらくは身分制をやっていた。そのために、国民みんなは江戸幕府と同じように政府を上の者だと思って政府に従っていた。国民みんなは江戸幕府と同じように政府の命令で政府に税金を払って政府に国家宗教で虐[いじ]められていた。もっとも、近代の政府は開店大サービスで気前よく国民みんなに善いこともやってくれた。戦争や鉄道などをやってくれた。
しかし、今の国民みんなは平等制をやっている。今は明治維新から約150年時間が経[た]っているので国民みんなは平等制をやるようになっている。今の国民みんなは政府と国民が平等だと思って政府に従わなくなっている。今の国民みんなは政府がどんな仕事をしていようが政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。今の国民みんなははっきり仕事のわかる会社とだけ契約してお金を払って仕事をしてもらうようになっている。
古代や中世の日本でも国民みんなが平等制をやっていた。当時は国民にサービスをしてくれる会社がほとんどなかったので、国民はちょっとでも自分に善いことをしてくれる会社があれば何でも飛びついてお金(に相当する物)を払って仕事をやってもらっていた。今でも都会の売れ残りを田舎[いなか]に持っていったらよく売れるのと同じことである。政府は国民にヨーロッパや中国などの外国から仕入れた善い事業をやっていたので、国民は大喜びで政府に仕事をしてもらって政府にお金を払っていた。当時は政府と国民が平等だったので、政府は国民から強制的に税金を取らなかったが、政府の仕事が国民にバカ売れしたので政府がすごく儲[もう]かった。政府の仕事が国民に100%近く売れたので政府が税金並みに儲かった。古代や中世には国民みんなが身分制をやっていなかったので、政府は善い会社だった。
もしも、国民みんなが近代や現代に身分制をやっていなかったら、政府は国民とちゃんと契約を取って国民に善い仕事をやる善い会社だったかもしれない。しかし、実際には国民みんなが近代や現代に身分制をやっていたために、政府は上の者をやって、国民から無理やり税金を取って国民にスズメの涙ぐらいの善いことをやって国民を虐[いじ]める悪い会社になってしまった。政府は政府が出来たときの環境が悪かったために悪い会社になってしまった。政府を悪い会社にしたのは国民みんなのせいである。しかし、たとえどんな理由があろうと、これ以上政府をのさばらせるわけにはいけない。今の国民みんなは早く政府を倒して政府をこの世からなくさねばならない。
[20727] ヨーロッパの政府をそのまま日本でやるわけにはいかない。☆ h26.5.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
ヨーロッパは身分制の国である。ヨーロッパでは国民みんなが身分制をやっているから、ヨーロッパの政府は上の者である。つまり、ヨーロッパの政府は国民に命令して、国民から税金を取って、いろんな国の仕事をして、国民を虐[いじ]める。
一方、日本は平等制の国である。日本では国民みんなが平等制をやっているから、日本の政府は平等の者でなければならない。ヨーロッパの政府をそのまま日本に持ち込んでやるわけにはいかない。ヨーロッパの政府を日本でやるためには平等化しないといけない。実際に、古代と中世の日本では政府は国民と平等にやっていた。つまり、古代と中世の日本の政府は国民と契約していろんな国民の役に立つ仕事をして、国民からお金(に相当する物)をもらっていた。
しかし、近代と現代の日本では国民みんなが特別に身分制をやっていた。江戸時代の後だったので特別に身分制をやっていたのである。そのために、近代と現代の日本ではヨーロッパの政府をほぼそのまま日本でもやることができた。つまり、近代と現代の日本の政府は国民に命令して、国民から税金を取って、いろんな国の仕事をして、国民を虐めていた。
しかし、最近の日本では国民みんなが身分制をやめて平等制をやっている。そのために、最近の日本では政府が上の者をやれなくなって、国民と平等にしなければならなくなっている。政府は国民と契約して国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。つまり、政府は国民に命令せず、国民から税金を取らず、個別の会社に独立民営化して、国民を虐めてはいけない。今の国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が利用する政府の仕事に対してだけお金を払うようにしている。
[20728] 最近の日本では国民みんなが税金の意味がわからなくなっている。☆
h26.5.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
税金とは、身分制の社会において国民が上の者の命令で上の者に支払うお金のことである。
近代と現代の日本では国民みんなが身分制をやっていた。そのために、近代と現代の日本では国民みんなが税金の意味をよく理解して政府に税金を払っていた。
最近の日本では国民みんなが身分制をやめて平等制をやっている。そのために、最近の日本では国民みんなが税金の意味がわからなくなって政府に税金を払わなくなっている。
今の政府は国民から税金を取れない。政府が国民からお金をもらいたければ、政府の持ち会社を独立民営化して、各会社がそれぞれ国民と契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。
[20729] 今では国民みんなが自分で考えて国を動かさねばならない。 h26.5.3
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代と現代の国民みんなは身分制をやっていた。国民みんなは政府を上の者だと思って政府に従っていた。国民は政府の命令を聞いて、政府に税金を払って、政府にいろんな国の仕事をやってもらって、政府に虐[いじ]められていた。政府に指揮権(国民や会社に対して法律を超えた命令を出せる権利)があったから、国民みんなが自分で考えずに政府の指示通りに動いていた。
最近の国民みんなは平等制をやっている。国民みんなは政府が国民と平等だと思って政府に従わない。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が利用した政府の仕事に対してだけお金を払って、政府に虐められたら仕返しをする。そのため、政府が潰れて、政府の持ち会社が独立民営化している。政府の指揮権がなくなっているから、国民みんなが自分で考えてみんなで話し合って善い国にしないといけない。
今は平等制の時代だから、国民はもはや上の者に頼ることはできない。国民みんなが自分で考えて行動しなければならない。たとえ江戸時代のように身分制の社会のほうが国が発展しても、今は平等制の時代だから日本は平等制の国だから国民みんなは平等制の中で考えて行動しなければならない。日本人は下の者になって豊かに生きていけるよりも、みんなと平等にして貧しいほうがいい。だから、日本人は平等制を守ってみんなと平等に暮らさねばならない。今は科学の力でそこそこ物が豊かだから、あまり物にがめつくしなくてもいいから、みんなは物の豊かさよりも心の豊かさを大事にしたほうがいい。
今は平等制の時代だから、誰がどんなに一生懸命にがんばってもけっして上の者にはなれない。ただ、一生懸命に働いてお金持ちになったり出世して高い地位に就いて偉くなったりすることはできる。しかし、どんなにお金持ちでもどんなに地位が高くてもみんなと平等なままであって上の者ではないのである。例えば、戦国時代には各地の戦国大名は実力であって、徳川幕府は身分だったのである。戦国大名はみんなと平等であって、徳川幕府は上の者だったのである。
[20730] 政府はどうして上の者をやっていたのか?☆ h26.5.4
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。政府も国民みんなに従わねばならない。
近代と現代の国民みんなは明治維新のときに身分制をやめて平等制にすると言ったが、実際にはその後もしばらく身分制をやっていた。そのために、政府が国民みんなに従って上の者をやっていたのである。政府は国民に命令して、国民から税金を取ったり、税金で国の仕事をやったり、国民を虐[いじ]めたりした。
しかし、最近の国民みんなは本当に平等制をやるようになっている。そのために、政府が国民みんなに従って平等な者をやるようになっているのである。政府は国民に命令せず、国民から税金を取らず、国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をして、国民を虐めたりしなくなっている。
国民みんなは国の最高権力者である。だから、政府は国民みんなに従う。だから、国民みんなは平等制で押せばいい。たとえ政府が上の者をやっていても、国民は自分が平等制をやって身分制をやらなければいい。そうすれば、政府は国民に従って国民と平等にするだろう。だから、国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が利用した政府の仕事のぶんだけ政府にお金を払って、政府に虐められたら政府に仕返しすればいいのである。
国民みんなが国の政治機関である。国民みんなが国を動かす。政府は国民みんなの操り人形にすぎない。国民のやることが政府を決める。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかによって、政府が上の者にも平等な者にもなる。国民みんなが身分制をやれば政府が上の者をやり、国民みんなが平等制をやれば政府は平等な者をやるのである。だから、まず国民みんなが平等制をやらねばならない。国民みんなが政府よりも先に平等制をしないといけない。そうすれば、政府は国民みんなの後についていっしょに平等制をするだろう。政府は国民と平等にして国民のために役に立つ仕事をする善い会社になるだろう。
国民みんなは明治維新のとき『身分制をやめて平等制をやる』と言った。国民みんなは自分が一度言ったことを守らなければならない。だから、今の国民みんなは平等制をやらねばならない。
[20731] 政治機関は法律を超えてまで国民の面倒を見てはくれない。 h26.5.4
法律を定めることが立法である。国民みんなが決めた法律を成文化することが立法である。
国民みんなを法律的に管理するのが行政である。国民みんなに法律を教えて法律を自主的に守らせることが行政である。
法律の違反者を逮捕して罰することが司法である。
一方、国民みんなに法律を超える命令を出すことが指揮である。
一般に、政治機関は国民を法律的に管理するだけで、国民を指揮したりしない。政治機関は国民に法律を超える命令を出して国民を幸せにしたりお金持ちにしたりしない。もっとも、政治機関が国民を虐[いじ]めるために国民に命令を出すことはある。例えば、政府は国民のために法律の仕事をする傍[かたわ]ら、国民を国家宗教で虐めているのである。政府は善いことと悪いことの両方をやっているのである。政府は善いことは嫌々[いやいや]やって、悪いことは喜んでやっているのである。もっとも、今後国民みんなが平等制をやるようになれば、政府も国民と平等にするようになって、政府は国民と契約を取って法律の仕事をして、国家宗教で国民を虐めるのをやめるだろう。[政府が契約している者にだけ封書で法律を教えるようにすれば、法律を破った者は契約者でなくても逮捕されるから、国民みんなは「自分だけが法律を知らずに逮捕されたらどうしよう」と思って不安になって怖くなって全員政府と契約するだろう。]
政治機関は国民を法律的に管理するだけで手いっぱいで、国民を指揮まではしてくれない。だから、国民は政治機関の指導で法律を守って、法律を超えることは自分で考えてやらねばならない。自分の心を知り自分の心を満足することは個人でやらねばならない。つまり、人間が生きていくことは政治機関がやってくれるが、人間が幸せになることは国民が自分自身でやらねばならない。
[20732] 今では国民のほとんどが平等制をやっている。 h26.5.5
今は平等制の時代である。今では国民のほとんどが平等制をやっている。国民のほとんどが政府と平等にして、政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が利用した政府の仕事に対してだけ任意でお金を払って、政府に虐[いじ]められたら仕返ししている。
しかし、今でも身分制をやっている国民がいる。少数の国民はいまだに政府を上の者だと思って、政府の命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に税金でなけなしの仕事をやってもらって、政府に虐められてもおとなしくしている。
今の日本はそういう状態である。平等制をやっている国民と身分制をやっている国民が入り混じったコンプレックスな状態である。国民みんなが不揃[ぞろ]いである。
今では身分制をやっている国民はしだいに減少している。国民みんなが平等制をやるようになっている。政府は上の者ではなくなって平等な者になっている。政府は国民から税金を取らず、国民と契約して国民の役に立つ仕事をして国民からお金をもらって、国民を虐めなくなっている。
[20733] 政治機関とは何か?☆ h26.5.5
政治機関とは国民全員を客にして法律や教育や水道やゴミなどのいろんな事業をする大きい会社のことである。
ただし、国民みんなが身分制をやっている時代には、政治機関が上の者となって国民から強制的にお金(税金)を取って、国民をいろんな方法で虐[いじ]める。身分制の時代には、政治機関は国民みんなのために善いことをする傍[かたわ]ら、悪いこともやっている。
国民みんなが平等制をやっている時代には、政治機関は国民と平等であり、政治機関は民間会社と同じように、国民一人一人と契約を取って国民の役に立つ仕事をやって国民からお金をもらう。平等制の時代には、政治機関は国民みんなのために善いことをするだけで悪いことをしない。
近代や現代の日本では国民みんなが身分制をやっていたから政府が上の者をやって国民に善いことと悪いことの両方をやっていた。最近の日本では国民みんなが平等制をやっているから政府が平等な者をやって国民に善いことだけをやって悪いことをやらなくなっている。
国民みんなが身分制をやると上の者が現れて世の中が面倒なことになる。人間関係が複雑になる。上の者が国民みんなを殺したり嫌がらせたりして虐めて世の中が暗くなる。だから、国民みんなは二度と身分制をやってはいけない。
政治機関は国民と平等だから国民一人一人と契約を取って仕事をしなければならない。NHKも国民全員を客としているが国民一人一人と契約を取っているから、政治機関も国民一人一人と契約を取らねばならない。
[20734] 政府の税金は高すぎる。 h26.5.5
今は平等制の時代である。国民みんなは平等制をやっている。だから、政府と国民は平等である。政府は国民から強制的に税金を取れない。今では実際には、国民が政府と契約するかしないかは国民の自由である。つまり、国民が政府に税金を払って政府に仕事をしてもらうか国民が政府に税金を払わず政府に仕事をしてもらわないかは国民個人の自由である。
ところで、今の政府の仕事は法律や教育や水道やゴミなどである。国民が政府が実際にやっていることを見れば、国民が政府の仕事がわからないということはない。つまり、政府はわからない仕事をする会社ではない。政府のメインの仕事は法律である。政府は国民みんなが定めた法律を成文化して、国民に法律を教えて、法律の違反者を罰することが仕事である。国民がどんな感情を満足するかは国民の自由だし、国民がどんな仕事をするのかも国民の自由だから、政府は国民を幸福にしたり国民をお金持ちにしたりはしない。政府は国民に法律を守らせるだけである。身分制でも平等制でも国民の豊かさは変わらない。国民の豊かさは産業だけで決まるから、身分制や平等制にはよらない。日本人がいくら身分制を続けても科学が得意にならないから無駄[むだ]である。しかし、国民の幸せは身分制か平等制かによる。身分制では上の者が国民みんなを虐[いじ]めるから、平等制のほうが身分制よりも国民が幸せである。
法律の仕事は簡単である。たかが政府が法律の仕事をするために、毎月1万円も政府に支払うのは高すぎる。だから、国民は政府と契約せず政府にお金を払わず政府に仕事をやってもらわなければいい。いくら国民が物が欲しくても物の値段が高すぎたら物を買わないのと同じことである。国民は自分で法律を定めて自分で守って自分で法律の違反者を罰すればいい。そうすれば国民はただだ。
国民みんなが自分で法律を考えてお互いに法律を教えあって法律の勉強をして、法律の違反者を仲間はずれにして罰するようにすれば、政府は要らない。[犯罪者を国民みんなで仲間はずれにすれば、犯罪者は社会の中で生きていけないから自首して自分から刑務所に入るだろう。犯罪者が刑務所の中で自分で働いて収入を得て暮らすようにすればいい。]政府を潰[つぶ]して国民みんなだけで法律の仕事をするようにすればいい。もっと国民のために良心的な値段で法律の仕事をしてくれる会社が現れるまで、国民みんなは法律の会社と契約しなければいい。
つまり、政府はそこらへんの民間会社と同じように自由に経営しているのである。政府は自分で勝手に仕事の値段(つまり税金の額)を決めているのである。政府は国営会社ぶっているが、本当はただの民間会社である。今の国民みんなは平等制を決めているだけで、国民みんなが政府を経営しているわけではない。政府はそこらへんの民間会社と同じように自分自身で経営しているだけである。政府は民間会社である。だから、国民が政府と契約するかしないかは国民一人一人の自由である。国民が政府に税金を払って政府に仕事をしてもらうか国民が政府に税金を払わず政府に仕事をしてもらわないかは国民一人一人の自由である。政府の仕事の値段が高すぎたら、国民は政府と契約しなければいいのである。今の政府の税金は高すぎるから、国民みんなで政府を潰して、もっと善い会社と入れ替えればいいのである。法律の会社なんかなくても国民は自主的に法律を守るから、法律の会社なんか大したことがないから、法律の会社なんかあってもなくてもどうでもいいから、国民みんなで政府に税金を払わないようにしていっぺん政府に潰れてもらえばいいのである。あるいは、国民が政府に税金を払わなければ、政府は国民に契約を取ってもらうために税金を安くするから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
今では国民みんなが平等制をやっている。今は平等制の時代である。それなのに、政府は今でも上の者をやって国民から強制的に税金を取ったり税金が不当に高かったり国民を虐待したりしている。だから、国民は政府に税金を払う必要はない。政府は上の者である。政府は今の国民みんなに従うつもりはない。政府は『国民みんなが国の最高権力者である』という国の原理を犯している。だから、国民みんなで早く政府を潰して、今の平等制の時代に合った会社に建ってもらわねばならない。仕事がはっきりわかっている、仕事の抱き合わせをやらない、仕事とつりあった料金を取る会社に建ってもらわねばならない。
[20735] 「行きはよいよい帰りはこわい」は嘘[うそ]である。 h26.5.5
日本人は知覚主義である。だから、日本人は平等制が好きで身分制が嫌いである。
だから、日本では国民みんなが平等制から身分制に変わるのは時間がかかるが、身分制から平等制に戻るのは早い。
つまり、「行きはよいよい帰りはこわい」は嘘である。本当は『行きはこわい帰りはよいよい』なのである。
だいたい、日本では平等制から身分制に変わるのは200年、反対に身分制から平等制に戻るのは100年かかると考えられる。
今は明治維新から150年経[た]っている。今では日本はすでに身分制から平等制に戻っている。今の日本は平等制の国である。だから、人間はみな平等である。政府と国民は平等である。政府は民間会社と同じである。国民は政府と自由に契約して政府にお金を払って政府に仕事をやってもらえばいい。今の政府は国民みんなに逆らって上の者をやって態度が悪いから、国民は政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
[20736] 政府は国民をお金持ちにしてくれない。 h26.5.6
競馬の予想を他人に教えて他人を儲[もう]からせてくれる人はいない。なぜなら、競馬の予想ができる人がいたとしたら自分ひとりで儲ければよく、わざわざ他人に教えて他人に儲からせてやらなくていいからである。競馬の予想を他人に教える人は自分の趣味で予想をしているだけであって、予想が当たるわけではない。だから、他人がお金を出して予想を教えてもらっても、お金を損するだけである。
それと同じように、国民に適切な指示を出して国民をお金持ちにしてくれる人はいない。なぜなら、そんな人がいたとしたら自分一人でたくさんの会社を経営して大儲けすればよく、わざわざ他人を儲からせなくていいからである。この世には国民に適切な指示を出して国民をお金持ちにしてくれる人なんか最初からいないのである。国民にとってそんなに都合のいい人はいないのである。この世には会社の経営を趣味にしている人がいるかもしれないが、あくまでも趣味であって、他人がそんな人の指示を聞いてもたぶん会社は儲からないだろう。
だから、政府は国民を儲からせてくれる会社ではない。政府はただ法律で国民を管理するだけである。法律は国民みんなで定めて国民みんなで守って国民みんなで違反者を罰すればいい。政府は法律の仲介業をして儲けているだけである。政府は国民みんなが作った法律を国民みんなに売って儲ける会社である。政府は実質的には法律の仕事をやっていない。だから、国民みんなが自分で法律をやるようにして、政府に法律の仕事をやらさなければいい。
[20737] 今は平等制の時代だから、国民は政府と平等にすればいい。☆☆ h26.5.6 今は平等制の時代である。国民みんなは平等制をやっている。だから、人間はみな平等である。政府と国民は平等である。政府はただの民間会社である。国民は自由に政府と契約して政府に仕事をしてもらえばいい。 今の政府は国民から税金を取って仕事をしている。しかし、税金は身分制の制度だから、国民は政府に税金を払わなくていい。今の政府は国民と契約を取って仕事をしていないから、国民は政府の仕事に対して政府に任意でお金を払えばいい。国民は自分が利用した政府の仕事のぶんだけ任意で(つまり自分がいいと思うだけ)政府にお金を払えばいい。 これでは政府が儲[もう]からない。政府の仕事が全部国民に踏み倒しにされるだけだ。これでは政府が潰[つぶ]れる。 だから、政府は民間会社と同じように、仕事別に国民一人一人と契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。 |
[20738] 今は平等制の時代なのに、政府は身分制をやっている。☆ h26.5.6
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今は平等制の時代である。国民みんなが平等制をやっている。だから、国中のみんなが平等制をやらねばならない。
しかし、今の政府は身分制をやっている。政府は逃げも隠れもせず正々堂々と表で国民みんなの眼の前で身分制をやっている。政府は上の者をやって国民に命令して、国民から税金を取って、税金で国の仕事をして、国民を国家宗教などで虐[いじ]めている。
政府は身分制をやっているから、いまだに憲法で税金の法律を定めているのである。政府は国民から税金を取っている。税金は身分制の制度である。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。
政府は国民と契約を取っていないから、国民は政府の仕事に対して任意でお金を払えばいい。国民は自分が利用した政府の仕事に対してだけ任意で(つまり自分が好きなだけ)お金を払えばいい。
政府は国民に仕事の代金を踏み倒されて潰[つぶ]れるだろう。
今は平等制の時代だから、政府は国民と平等にして仕事をしなければならない。だから、政府は民間会社と同じように、仕事別に国民一人一人と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。平等制の社会では、国民がどんな仕事をしようが国民個人の勝手である。政府の仕事代が高すぎたら、国民は政府と契約せずに、別の会社に仕事をやってもらうだろう。
[20739] どうして最近の国民みんなは悪い人間なのか? h26.5.7
最近の国民みんなが道徳を勉強しなくなっているからである。そのために、人間として満足してはいけない感情を満足しているために悪い人間になっているのである。
道徳とは人間が人間として幸福に生きていくために満足しないといけない感情と満足してはいけない感情についての知識である。人間が生まれつき善い感情ばかり持っていれば道徳を勉強する必要はないが、実際には人間は善い感情と悪い感情の両方を持っているから道徳を勉強して善い感情を働かせて悪い感情を働かさないようにしなければならないのである。
昔の日本では私の親の世代では(今から70年ぐらい前には)ちゃんと学校で子供たち全員に道徳を教えていた。だから、私の親の世代ではみんなが人間として幸福に生きていけた。
ところが、私の世代(今から50年ぐらい前)になると学校で子供に道徳を教えなくなった。だから、私の世代から後はみんなが人間として幸福に生きていけなくなった。例えば、私は中学3年生のときからオナニーを始めて高校1年生のときに精神分裂病に罹[かか]って幸福に生きていけなくなった。私が中学3年生以前に学校でちゃんと『オナニーをやってはいけない』ことを教えられていたら、私は絶対にオナニーをしなかっただろう。私は高校1年生のときに精神分裂病に罹らず一生死ぬまでずっと幸福に生きていけただろう。
人間が幸福に生きるためには実在を知り、自分の心を知り、実在の中で自分の心を適切に満足して生きていかねばならない。人間が幸福に生きるためには、実在についての知識だけではなく、自分の心についての知識も要る。昔の学校では実在についての知識とともに心についての知識も子供に教えていた。ところが、今の学校では実在についての科学的な知識しか子供に教えていない。人間の心についての知識を教えていない。そのために、今の人は自分の心を適切に満足できなくなって悪い人間になっているのである。実在の中で幸福に暮らせなくなっているのである。これまで日本が治安がいい国だったのは、みんなが道徳を知って自分の心を正しく満足して実在の中で幸せに暮らしていたからである。ところが、最近の人は道徳を知らなくなっているために自分の心を正しく満足できなくなって実在の中で幸せに暮らせなくなって、実在の中でまちがったことをやって犯罪を犯して日本の治安が悪くなっている。昔の人間は人間にふさわしい知的な感情を満足していたから人間らしく善く生きていた。今の人間は人間にふさわしくない五感的な感情を満足しているから人間らしさがなく動物みたいになって悪くなっている。
人間はまず正しい道徳を窮[きわ]めて、それに乗っかって人間としてふさわしく生きて行けばいいだけである。そうすれば人間として自分にふさわしく幸福に生きていける。人間は正しい道徳さえ知っていれば、たとえ勉強ができなくても幸福に暮らすことができる。だから、みんなはまず第一に道徳の勉強をしないといけない。人間の心に自分の心にどんな感情があるかを知って、それらを適切に満足させて幸福に生きていかねばならない。
じつは道徳こそが日本人の得意技である。外人に真似[まね]できない日本人の特技である。日本人には自分の心を客観的に見る視点がある。日本人は自分の心を自分の思い通りに動かすことができる。日本人は自分の心を自由自在に操[あやつ]ることができる。それができるから、日本人は幸福なのである。日本には道徳の知識が豊富であり、日本人には道徳の素質や才能がある。人間の大脳前頭葉にどんな感情中枢があるのかをよく知り、それらを適切に満足させて幸福に暮らさねばならない。人間の生き方が分かれてくるのも、人間の大脳前頭葉にある感情中枢の種類が違うからである。人間が早めに自分がどんな感情を持っているかを知っていれば、人生の道を誤らずに生きていける。だから、日本人は子供の頃から道徳をよく勉強して自分の心を客観的に見れるようにして自分の感情を適切に満足させるようにして幸福に暮らさねばならない。道徳を学校で教えてくれなければ、自分で道徳の本を探して本を読んで勉強しないといけない。親が子供に科学の本だけでなく道徳の本も1冊は買い与えるべきである。
日本人は生まれつき知覚主義である。日本人は生まれつき知覚や知的な感情が発達している。だから、日本人は知覚主義で生きていればもっとも幸福になれる。これまで日本人はずっと知覚主義で生きてきた。知的な感情を満足して幸福に暮らしてきた。文学や数学や抽象的な科学をやって楽しんできた。日本人は言葉で遊んでいたから戦争をしなかった。日本人はこれからもずっと知覚主義で生きていかねばならない。途中で他の五感主義や心主義に変えるわけにはいかない。そんなことをすると日本人は幸福でなくなるだけである。イソップ物語の『ロバ売りの親子』みたいに外人の真似[まね]をして自分の幸せを失うだけである。日本人の知覚主義は他の人種にはない日本人固有の特性である。日本人は知覚主義で生きていけば幸福になるから、知覚主義で生きればいいのである。
[20740] 日本人は日本を日本人にとって面白い国にしないといけない。 h26.5.7
近代になって日本はヨーロッパ文化を取り入れてきたというが、けっして日本文化を捨てたわけではない。
日本人はヨーロッパ文化の日本人にとって幸福なところだけを取り入れてきたのである。日本人にとって不愉快[ふゆかい]
なところまで取り入れてきたのではない。
日本人にとっては日本文化はまな板であり、その上に外国の文化を乗せて料理して食べているのだ。日本人にとっておいしいところだけ食べて、まずいところは捨てているのだ。まな板を取り替えることはない。
最近の人は道徳の勉強をしないから、日本人のくせに『日本人の心』がわからなくなって外国の文化の日本人にとって面白くないところまで取り入れて日本を日本人にとって面白くない国にしている。日本人は『日本人の心』をよく理解して、日本を日本人にとって面白い国にしないといけない。
近代や現代の日本人が身分制をやっていたのは、ヨーロッパ文化を受け入れていたからではなく、江戸時代の後だったからである。日本は昔から平等制の国だと決まっているので、ヨーロッパを真似[まね]てわざわざ身分制をやったりしないのである。日本は昔からヨーロッパの文化については文明(科学)しか取り入れないことにしているのである。それ以外のことをやっても日本人にとっては面白くないから、日本は文明以外のヨーロッパ文化を取り入れないようにしているのである。日本では江戸時代に国民みんなが戦乱を鎮[しず]めるために身分制をやっていて、身分制はすぐには止まらないから、明治維新のときに国民みんなが平等制をやると決めた後でもしばらく(100〜150年間ぐらい)国民みんなは身分制をやり続けていたのである。しかし、最近の日本では時間が経[た]って身分制が抜けてきたために国民みんなが平等制をやるようになっている。そのために、政府も上の者がやれなくなってみんなと平等にしないといけなくなって、国民から税金を取れなくなって、国民と契約を取って国民のために役にたつ仕事をして国民からお金をもらうようになっている。
[20741] 今の日本では国民みんなが国家宗教をやらなくなっている。 h26.5.7
そもそも日本には国家宗教をやる習慣がない。日本人は知覚主義であり、知覚主義では『人間には不思議なことをする能力がない』と考えられているために、日本人の世界観には神がいないからである。
それなのに、近代と現代に日本人が国家宗教をやっていたのは、身分制に乗っかっていたからである。近代と現代には国民みんなが身分制をやっていたので、政府が上の者だったので、国民みんなが政府の命令に従っていやいやしかたなく国家宗教をやっていたのである。
古代や中世にも国民みんなが平等制をやっていた。政府と国民は平等だった。国民は政府と契約して政府に役に立つことをやってもらってお礼に政府にお金(に相当する物)を払っていた。日本には国家宗教をやる習慣はないが、当時の日本では政府が国民みんなのために善いことをたくさんやってくれて政府に人気があったので、天皇が日本政府の社長だったので、国民みんなが自分から政府を祝っておもしろ楽しく国家宗教をやっていたのである。
これまで日本では政府の時代には国民みんなが国家宗教をやっていた。
しかし、最近は国民みんなが身分制をやらなくなって平等制をやるようになっている。国民みんなにとっては政府は上の者ではなくなって平等な者になっている。国民みんなは政府に従わなくなっている。国民みんなは政府の命令で国家宗教をやらなくなっている。しかも、今の政府は自分ひとりで身分制をやって国民のために善いことをやらなくなって政府の人気がなくなっている。そのため、今では国民みんなが政府を忌[い]み嫌って国家宗教をやらなくなっている。今の政府は国民みんなから税金をもらえなくなって国民みんなに潰[つぶ]されて国家宗教をやるどころではなくなっているのである。
日本では神がいない。日本人はみんな宗教に入っていない。ところが、キリスト教ではエッチなことをやってもいいことになっている。日本ではエッチなことをやりたい人がエッチなことをするためにキリスト教に入っているのだ。
[20742] どうして文明開化のときに国民みんなは幕府を倒さなければならなかったのか?
h26.5.7
江戸幕府は「ヨーロッパ文化を受け入れると道徳がなくなる」と考えて鎖国をしていた。
幕府は自分では身分制をやって国民をさんざん虐[いじ]めていながら、一方では道徳のある国を作ろうとしていたのである。
幕末に国民みんなが文明開化をしようとしたときにも、幕府は「日本の道徳がなくなる」という理由でヨーロッパの文明を受け入れることに反対した。
だから、国民みんなは怒って幕府を倒したのである。その後、いろんな国家事業をする政府が建ったが、国民みんなはしばらく身分制をやっていたので政府を幕府と同じように上の者だと思って政府に従っていた。政府に税金を払って、政府におとなしく虐められていた。[政府は最初のいっとき明治維新のときに国民みんなが平等制をやると言ったのを真[ま]に受けて国民と平等にやっていたが、実際には明治維新の後でも国民みんなのほうが政府を上の者だと思っていたので、政府はあとから国民みんなに合わせて上の者をやるようになったのである。税金を取ったり虐めたりするようになったのである。]
実際には、日本人がヨーロッパの文明を受け入れても日本の道徳はなくならなかった。徳川幕府は杞憂[きゆう]にすぎなかったのである。日本では昔から国民みんながヨーロッパの文化を受け入れるときには慎重[しんちょう]にヨーロッパの文明だけを受け入れてその他の文化を受け入れないようにしていたから、日本がいくらヨーロッパ文化を受け入れても日本の道徳は失われなかったのである。
道徳とは自分がまじめにして面白いことをやらないことではない。むしろ、道徳とは自分が面白楽しく暮らすことである。道徳とは自分が幸せに暮らすために守らねばならないことである。
[20743] どうして今では宗教が滅んでいるか? h26.5.8
これまでみんなが宗教をやっていたのは「宗教をやると自分にいいことがある」と思っていたからである。
昔はみんなが「この世には神という見えない生き物がいて、神が宇宙を自分の思い通りに動かしている」と思っていた。
そのために、みんなが神社や寺や宮に行って神を拝[おが]んで神を煽[おだ]てて神に自分に善いことをしてもらおうとした。それが宗教である。
しかし、今ではみんなが『この世には物しかなく、物が自分の法則に従って動いているだけだ』と思うようになっている。
そのために、みんなが神がいないと思うようになって神社や寺や宮に行かなくなって神を拝まなくなった。宗教をやらなくなった。
つまり、昔と今ではみんなの世界観が違っているから、今ではみんなが神がいないと思って宗教をやらなくなったのである。
今ではみんなが実在を知り、自分の心を知り、実在の中で自分の心を満足して幸福に生きるようになったのである。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。今では国民みんなが神がいる世界観から神がいない世界観に変わったために、つまり国民みんなが有神論から無神論に変わったために、国民みんなが神を拝まなくなって宗教団体を上の者だと思わなくなって宗教団体にお金をやらなくなって宗教団体が滅んでいるのである。今では国民みんなが身分制から平等制に変わったために、国民みんなが政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいるのと同じである。
[20744] 暴力団とは何か? h26.5.8
暴力団の歴史は浅くせいぜい江戸時代にまでさかのぼれるだけである。宗教団体ほど昔からあるわけではない。しかも、暴力団は最近は下火[したび]になっている。
このことから、暴力団は政府と同じように身分制に乗っかって上の者をやっている団体だと考えられる。
政府は国家事業をやることによって上の者になっているが、暴力団は暴力を使用することによって上の者になっている。政府も暴力団も上の者の身分によって国民に顔を利[き]かせているだけである。暴力団は国民みんなが身分制をやって政治機関に従っていることに便乗して、国民に暴力をふることによって自分も上の者になって国民を従わせているのである。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。近代と現代の日本では江戸時代の後だったので国民みんなが身分制をやっていたために、国民みんなが暴力団を上の者だと思って暴力団に従っていた。国民みんなが暴力団の命令でお金を払って暴力団に虐[いじ]められていた。暴力団は本来は国民の役に立つ仕事をしてお金を稼[かせ]いでいるのだが、国民みんなが身分制をやっていたために上の者の身分が付け加わって国民からお金を取ったり国民を虐めたり悪いことをしていたのである。政府が本来は国民の役に立つ国家事業をやってお金を稼いでいるのだが、国民みんなが身分制をやっていたために上の者の身分が付け加わって国民から税金を取ったり国民を国家宗教で虐めたり悪いことをしていたのと同じである。
しかし、最近の日本では国民みんなが身分制をやめて平等制をやるようになっているので、国民みんなが暴力団を上の者だと思わず暴力団に従わなくなっている。国民みんなが暴力団と平等にして、暴力団にいくら脅[おど]されてもお金を払わないようになっている。つまり、暴力団が国民と平等な者になっている。身分制がなくなったら、暴力団はただの暴力をふる団体にすぎない。犯罪組織にほかならない。国民みんなは暴力団をただの犯罪組織だと思って暴力団を潰[つぶ]すだろう。
国民みんなが平等制をやっている時代には『人間が平等である』ことがきっちり守られて法律が厳しいが、国民みんなが身分制をやっている時代には『人間が平等である』ことが守られなくなって法律が甘くなる。これまでは国民みんなが身分制をやることによって発生した法律の隙間[すきま]を利用して、暴力団がみんなに暴力をふって上の者となることによって普通の会社よりも有利になって栄えていたのである。今後は国民みんなが平等制をやるから、法律の隙間がなくなって、暴力団はもはや暴力がふれなくなって上の者になれなくなって有利になれなくなって滅ぶだろう。要するに、世の中は国民みんなが決めているのである。だから、国民みんなが正しい平等制をすれば、それだけで世の中が善くなるのである。反対に、国民みんながまちがった身分制をやると世の中も悪くなる。だから、国民みんながまちがった身分制をしないように注意しないといけない。
[20745] 今の政府は独[ひと]りで身分制をやっている。 h26.5.8
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやっている。今では人間はみな平等である。政府と国民は平等である。政府は仕事別に国民一人一人と契約を取って国民の役に立つ仕事をして国民からお金をもらわねばならない。
それなのに、今でも政府は自分独りで身分制をやっている。政府は国民に命令して、国民から税金を取って、税金で国の仕事をして、国民を国家宗教で虐待している。政府は善いことと悪いことの両方やっている。
今では国民みんなが平等制をやっている。今は平等制の時代である。国民は平等制をやらなければならない。国民は政府といっしょに身分制をやってはいけない。だから、国民は政府の言いなりになって政府の命令を聞いたり、政府に税金を払ってはいけない。国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなで日本を上の者のいない社会にして、国民が会社と自由に契約をして会社にお金をやって会社に仕事をしてもらうようにしないといけない。
福祉事業も平等制の中でできる。福祉事業をやる会社を建てて国民から献金を募[つの]って集めたお金で福祉をやればいい。そもそも国民から強制的にお金を取ってやるのは福祉ではない。国民の自主的意思に基づいてやるのが福祉である。今は科学が発達して身体障害者も普通の人と同じように働けるから、そもそも福祉なんかやらなくていい。政府は上の者だから、政府にいくらお金をやっても自分の遊び代にして障害者にはほんの少ししかお金をやらないから、国民は政府にお金をやるよりも福祉会社にお金をやったほうがいい。障害者が集まって福祉会社を建てて献金で食っていけばいい。今は平等制の時代である。だから、どんな仕事でも平等制に則[のっと]ってやらねばならない。平等制に則ってやれない仕事はやってはいけない。
今の国民が政府の身分制を黙認しているのは、今の国民みんなが十分に身分制の恐ろしさを知らないからである。インドは身分制をやっている国である。インドでは毎日政府が大勢の国民を殺しまわっている。今の日本でも政府は身分制をやっている。政府は殺し以外にもありとあらゆる方法で毎日国民を虐[いじ]めている。政府が国民を虐めているために国民が障害者にされて政府が自分の罪を隠すために福祉をやっているのである。今の政府が国民に道徳を教えないのも国民に対する虐めである。国民みんなは身分制の恐ろしさをよく理解して早く政府を倒さなければならない。
[20746] 政府は国民みんなに反しているから政府が悪い。☆ h26.5.8
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今では国民みんなが身分制をやめて平等制をやっている。今は平等制の社会である。
ところが、政府は平等制に逆らって自分ひとりで身分制をやっている。政府は国民に命令して、国民から税金を取って、税金で警察や学校や水道やゴミなどの国の事業をやって、国民を国家宗教で虐[いじ]めている。要するに、今の政府は身分制をやる団体である。政府が自分を民主主義の政治機関と言っているのは嘘[うそ]である。
政府が悪い。政府は国民みんなに反することをやっているから政府が悪い。
国の尺度は国民みんなである。政府ではない。政府は国民みんなに反しているから政府が悪い。
だから、国民は政府を倒さねばならない。国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒さなければならない。
早く国民みんなで上の者を倒して平等制の社会にして、みんなが落ち着いて暮らせるようにしないといけない。
政府はテレビや新聞のコマーシャルで国民みんなに身分制をやるように勧[すす]めている。そのために、今でも大勢の国民が政府といっしょに身分制をやっているのである。国民みんなは政府の勧誘[かんゆう]に引っ掛からないようにして身分制をやってはいけない。
[20747] 今の政府は国民みんなに反しているから政府が悪い。☆ h26.5.8
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやっている。今は平等制の社会である。
だから、政府は国民と平等にして、仕事別に国民一人一人と契約して国民の役に立つ仕事をして国民からお金をもらわねばならない。
ところが、政府は自分勝手に身分制をやって、国民に命令して、国民から税金を取って、税金で国の事業をやって、国民を国家宗教で虐待している。
今の政府は国民みんなに反している。だから、政府が悪い。
国民は政府を倒さねばならない。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
今の政府は自分が悪いことを知りながらビクビクしながら身分制をやっている。だから、国民が政府に税金を払わなくても政府は国民に文句を言えない。国民は政府に税金を払わないようにして政府をおちょくってやればいいのである。
[20748] 最近の国民みんなは身分制をやめて平等制をやるようになっている。☆
h26.5.9
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
国民みんなは明治維新のときに身分制をやめて平等制をやると言ったが、実際にはなかなか身分制を抜けられずその後もしばらく身分制をやっていた。しかし、最近は国民みんなが身分制から抜け出して平等制をやるようになっている。
これまでは国民みんなが身分制をやっていたから、国民みんなが政府を上の者だと思って政府に従っていた。国民みんなが政府の命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に税金で国の仕事をやってもらって、政府に国家宗教で虐[いじ]められていた。
しかし、これからは国民みんなが平等制をやるから、国民みんなが政府を自分と平等だと思って政府に従わない。国民みんなが政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、政府と自由に契約して政府に仕事をやってもらって政府にお金を払って、政府に国家宗教で虐められない。政府が国民と契約しない場合には、国民が政府の仕事に対して任意でお金を払えばいい。つまり、国民が政府の仕事をただで利用すればいい。
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが国の主役である。国民みんなが自分の意思で国を作ればいい。国民みんなが平等制をやって平等制の国にすればいいのである。
[20749] どうして最近の政府は国民に善[い]いことをしないのか? h26.5.9
政府は上の者をやっている。政府は国民に命令して、国民から税金を取って、税金で国の仕事をやって、国民を国家宗教で虐[いじ]める。
昔は国民みんなが身分制をやっていたから、政府を上の者だと思って、まじめに政府に税金を払っていた。政府はお金が足りていたので、国民のために役に立つ国家事業をやっていた。国民のためにローカル列車を走らせたり、おいしいお米が食べられるようにしていた。
しかし、最近は国民みんなが平等制をやるようになっているから、政府を自分と平等だと思って、政府に税金を払わなくなった。政府はお金が足りなくなったので、国民のために役に立つ国家事業がやれなくなった。国民のためにローカル列車を走らせたり、おいしいお米を食べさせたりできなくなった。もっとも、政府が国民を国家宗教で虐めるのはお金がかからないので、政府は今でもたくさん国民を虐めている。
最近の国民が平等制をやるようになって政府に税金を払わなくなったから政府が国民に善いことをしなくなったのである。最近の国民は平等制をやるようになって政府に税金を払わなくなったから政府が潰[つぶ]れているのである。政府が潰れて、国民と平等な会社が出来て、国民が自由に会社と契約して会社にお金を払って会社に仕事をしてもらうようになっている。
政府が国民のために善いことをしようが悪いことをしようが、とにかく国民は平等制をやる。国民は平等制をやるから、身分制をやる政府に税金を払わない。政府は国民からお金がもらえなくなって潰れているのだ。
明治維新のときに日本が自由民権の善い国になったのではない。日本が身分制をやめてこそ善い国になる。身分制は今でも続いている。江戸時代からずっと続いている。国民みんなは今でも身分制をやっている。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。国を作るのは国民みんなである。国民みんなは早く身分制をやめて平等制をやって、日本を上の者がいないみんなが平等な善い国にしないといけない。
[20750] 国民みんなが国を作る。 h26.5.9
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
政府は国民みんなのために法律や教育や水道やゴミなどのいろんな事業をする会社である。
昔は国民みんなが江戸時代の名残[なごり]で身分制をやっていたから、政府を上の者だと思って政府に従っていた。国民は政府の命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に税金で国の仕事をやってもらって、政府に国家宗教で虐[いじ]められていた。
しかし、今は国民みんなが平等制をやるようになったから、政府と自分が平等だと思って政府に従わなくなった。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、政府の仕事に対して任意でお金を払って(実際には、ただで利用して)、政府に国家宗教で虐められない。国民みんなが政府の仕事をただで踏み倒すので、政府は国民みんなからお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府が潰れて、国民と平等な会社が出来て、国民が会社と自由に契約を取って会社にお金を払って会社に仕事をやってもらうようになっている。国民が法律や教育や水道やゴミなどの会社とそれぞれ別個[べっこ]に契約して仕事をしてもらうようになっている。
昔は国民みんなが身分制をやって、日本を政府が上の者である身分制の国にしていた。今では国民みんなが平等制をやって、日本をみんなが平等である平等制の国にしている。
国民みんなが国を決める。国民みんなの意志が国を作る。国民みんなが政府を建てるか潰すかを決める。今では政府が国民みんなに潰されて消えようとしている。政府のかわりに国民と平等な国民と自由に契約を取る会社が出来ている。国民みんなが古い社会を潰して、新しい社会を建てている。国民みんなが自分の意思で社会を作るのだ。
[20751] 中国における国家宗教 h26.5.9
どこの国でも外国の文化を受け入れるときには国民みんなが自分たちを幸福にする文化だけを受け入れて不幸にする文化を捨てる。自分たちを不幸にする文化は冗談でイヤミで薄っぺらくやるだけである。
だから、今の中国では国家宗教をヨーロッパに対するイヤミでやっているだけである。UFOとか幽霊のことを冗談でちょっとだけやっているだけである。ちなみに、UFO←光る玉←光るトンビ←神武天皇、幽霊←オバケ←バケ←川ブ(“ケ”の左斜め線を“バ”に移す)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。
日本でも江戸時代には生類憐みの令[しょうるいあわれみのれい]をインドに対するイヤミでやっていた。ちょっとだけやってすぐにやめた。
日本も中国のように国家宗教をちょっとだけやればよかったのだ。わざわざ天皇を立てたりしなくてもよかったのだ。そもそも神がいないのが正しいのだから、国民みんなが神を置く必要もなかったのだから、日本はわざわざヨーロッパを真似[まね]て有神論をやらなければよかったのだ。神を置くのがいかにもヨーロッパっぽいから、政府は自分がヨーロッパの政治機関であることを国民みんなにアピールするために天皇を神としていたのだろう。日本人は神に縋[すが]って生きることを人間としてみっともないと思うから神を置かないのである。
今の日本では五感主義を本気でやっている。しかし、五感主義は日本人を不幸にする。だから、日本では五感主義をやってはいけない。日本では五感主義を冗談でヨーロッパに対するイヤミでやるだけにしないといけない。日本人は自分が幸福になるために知覚主義をやらねばならない。
[20752] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h26.5.9
古代や中世の日本では国民みんなが平等制をやっていたから、政府は国家宗教で国民に善いことしかやらなかった。例えば、政府は国民においしい飴[あめ]ちゃん(←神武天皇の光る玉)をやったりした。
しかし、近代や現代の日本では国民みんなが身分制をやっていたから、政府は国家宗教で国民に悪いことをやった。政府は国家宗教で国民を虐[いじ]めた。政府は国家宗教で国民に善いことと悪いことの両方をやった。
今の政府は私が生まれた頃(昭和39年、西暦1964年)から私を神とする国家宗教をやっている。
私が生まれた頃には明治維新から“ちょうど100年”が経[た]って国民みんながしだいに身分制をやめて平等制をやるようになって、政府が国民みんなから税金をもらえなくなって政府の経営が厳しくなっていたので、政府は私を新しい神とすることによって私を神とする国家宗教で国民に善いことをやって国民の人気を取って国民から税金をもらって経営を立て直そうとしたのである。
しかし、たとえ政府が私を神とする国家宗教をしようが、今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやっている。政府は身分制で上の者をやって国民から高い税金を取って国民を虐めている。そのために、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府がたとえ国民に善いことをしようが政府が身分制をやっているかぎり国民は政府に税金を払わず政府を倒す。今の国民には政府の子供だましは通用しない。今の政府が私を神とする国家宗教をやっているのも空しく、今の政府は国民みんなに倒されて滅んでいるのである。
国民みんなが身分制をやっているかぎり陰気臭い世の中になる。上の者が国民みんなを虐待する嫌な世の中になる。国民みんなは早く身分制をやめて平等制をやって、政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、明るい世の中にしないといけない。
古代や中世の日本は国家宗教で荒れていたのではなく、戦乱で荒れていたのである。昔は日本が藩でバラバラに分かれていて、藩同士がしょっちゅう戦[いくさ]をしてもめていた。今では通信や交通の発達で日本はひとつになったからもはやもめることはない。昔の人にとっては今の戦乱のない世の中はまさに夢幻[ゆめまぼろし]だったのである。戦乱の問題は近代や現代までに解決した。今の時代の問題は身分制である。今はまだ国民みんなが江戸時代にやっていた身分制を引きずってやっている。もっと日本が狭い国だったらよかった。もしそうなら日本は身分制をやらなくてよかった。早く国民みんなで身分制をやめて平等制をやって平和な世の中にしないといけない。
[20753] 管理職も上の者である。 h26.5.10
近代や現代の日本では江戸時代の名残[なごり]で国民みんなが身分制をやっていた。
身分制の社会では、政治機関が上の者であることになっていた。政府は政治機関だから上の者をやっていた。政府が政治機関としての通常の仕事をやる上に、上の者の身分が加わって国民に命令して国民から高い税金を取って国民を国家宗教で虐待していた。
身分制の社会では、暴力団が上の者であることになっていた。暴力団がみんなに暴力をふって上の者になっていた。暴力団は通常の仕事をやる上に、上の者の身分が加わって国民に命令して国民から高いお金を取って国民を暴力で虐[いじ]めていた。
身分制の社会では、会社の管理職が上の者であることになっていた。会社の管理職が通常の社員の管理の仕事をやる上に、上の者の身分が加わって社員に命令して社員から高いお金を取って社員にきつい無駄[むだ]な仕事をさせて虐めていた。
しかし、最近の日本では江戸時代の名残がなくなって国民みんなが身分制をやめて平等制をやっている。
平等制の社会では、政治機関が国民と平等である。政治機関は民間会社と同じように仕事別に国民一人一人と契約を取って国民からお金をもらって国民に仕事をしないといけない。ところが、政府はあいかわらず税金を取っているので、国民は政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。政府が潰れて、民間会社に分解して、それぞれの民間会社が国民と契約を取って国民からお金をもらって国民に仕事をしている。
平等制の社会では、暴力団が国民と平等である。暴力団はいくら国民に暴力をふっても上の者の身分になれない。暴力団は普通の会社と同じようにまじめに働かねばならない。
平等制の社会では、会社の管理職が社員と平等である。会社の管理職は社員の管理の仕事をやるだけである。会社の管理職は社員に命令したり社員を虐めたりできず、管理の仕事は楽[らく]なので普通の社員よりも安月給である。だから、社員はみんな管理職になりたくない。仕事の才能のない者が管理職にまわされて一生安月給のまま周[まわ]りの社員から軽蔑されて惨[みじ]めに暮らしている。
昔は国民みんなが身分制をやっていた。身分制の社会では特定の職業が上の者になって上の者の身分を使っていい待遇で暮らしていた。みんなを虐めて暮らしていた。
今は国民みんなが平等制をやっている。平等制の社会ではみんなが平等でみんなが同じ待遇で暮らしている。みんなが自分の才能に比例した待遇で暮らしている。他人を虐めたりする者はいない。
身分制は集団催眠術のようなものである。国民みんなが国民みんなに催眠術をかけているのである。日本では国民みんなが江戸時代に身分制をやっていたためにその後もしばらくの間国民みんなが身分制をやって国民みんなが“上の者”がいると思って社会がおかしくなっていた。今では国民みんなが身分制をやめてもとの平等制をやるようになって国民みんなが“上の者”がいないと思って健全な社会に戻っている。
[20754] 今の政府は上の者をやっている。 h26.5.10
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。それが社会の原理である。
今の国民みんなは平等制をやっている。だから、今の日本は平等制の国である。
それなのに、政府は国民と平等にせず身分制をやっている。政府は上の者をやって、国民に命令して、国民から税金を取って、税金で国の仕事をして、国民を国家宗教で虐[いじ]めている。政府が「自分が民主主義の政治機関だ」と言っているのは嘘[うそ]である。政府は選挙と議会で民主主義をやっているふりをしているだけである。政府は選挙と議会を逆手[さかて]にとって、間接民主制の欠点を利用して国民みんなに従わないようにしているのである。政府は本当は今の国民みんなに従わずに自分勝手に身分制をやっている。しかし、国民みんなは政府が間接民主制を悪用して国民みんなに従わないことを許していない。国民みんなはいつでも政府が国民みんなに従わねばならないと考えている。つまり、政府が間接民主制で国民みんなが賛成する法律を決めれば国民みんなは法律を守るが、政府が間接民主制で国民みんなが反対する法律を決めたら国民みんなは法律を守らない。それに、国民みんなは国の最高権力者だから、国民みんなが平等制をやって国民と政府が平等だと決めてしまえばたとえ政府が何をしようが(例えば、政府が間接民主制で政府と国民が不平等なまちがった法律を決めても)政府と国民は平等であり、反対に国民みんなが身分制をやって政府が上の者だと決めてしまえばたとえ政府が何をしようが政府が上の者である。つまり、国会は仮[かり]の立法機関であって、本当の立法機関は国民みんななのである。国会には実質的に立法権はなく、国民みんなにしか立法権はないのである。実際に、国民みんなが国の最高権力者だから、いくら政府が自分たちでがんばって身分制を決めても、国民みんなが平等制を決めたら、国家的には平等制に決まりである。それなのに、政府は昭和40年(1965年)ごろに国民みんなが平等制をやるようになったとき、自分の欲望に負けて勝手に自分で社会の原理を犯して国民みんなに従わずに身分制をやる道を選んだのである。本来、政府は国民の身分制から平等制への移行に対応するために、国民が政府に税金を払うのと、政府と自由に契約して政府にお金を払うのを自由に選択できるようにすべきだったのだ。
政府は馬鹿な会社である。今の政府は自分の独断で身分制をやっている。今の政府は国民みんなに反している。だから、国民は政府が身分制をやるのを許してはいけない。いくら政府が身分制をやっていても、国民は国民みんなといっしょに平等制をやらねばならない。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]さねばならない。政府を潰して、政府の仕事を個別に民営化して、それぞれの民間会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらわねばならない。
実際に、今の政府は国民みんなに従っていないために国民みんなに潰されている。早く国民みんなで政府を倒して上の者がいないみんなが平等な国にしないといけない。国民がすべての会社と自由に契約して会社にお金を払って会社に仕事をしてもらう社会にしないといけない。
[20755] 国民みんなが政府と国民が平等だと言ったら何が何でも平等である。☆
h26.5.10
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
昔は国民みんなが身分制をやっていたので、政府を上の者だと思って政府に従っていた。政府は上の者をやって、国民に命令して、国民から税金を取って、税金で国の仕事をして、国民を国家宗教で虐[いじ]めた。
今は国民みんなが平等制をやっているので、政府と国民が平等だと思って政府に従わなくなった。いくら政府が間接民主制を使って自分が上の者であることを決めても、国民みんなは政府のインチキだと思って本当は政府が国民と平等だと思って政府に従わない。政府は上の者をやれず、国民に命令できず、国民から税金を取れず、税金で国の仕事ができず、国民を国家宗教で虐められない。政府は国民から税金を取れずに潰[つぶ]れて、民間会社が政府の代わりに政府の仕事をして国民と契約して国民からお金をもらって仕事をしている。
今は国民みんなが平等制をやっている。今は平等制の時代である。今は民間会社の時代である。政府の時代ではない。国民は政府が要らない。国民は政府を潰して、民間会社だけにしている。早く国民みんなで政府を倒して自由平等の空気を吸わねばならない。
[20756] 今では人間はみな平等である。☆ h26.5.11
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
国民みんなが平等制をやって政府と国民が平等だとしたら、たとえ政府が何をやっても政府と国民が平等である。だから、政府は政府と国民が不平等な法律(例えば、税金の法律)を定めることができない。たとえ定めたとしても、それはまちがいであり無効である。
今の国民みんなは平等制をやっている。政府は税金の法律を定めている。だから、政府の税金の法律はまちがいであって、国民は政府に税金を払わなくていいのである。政府の嘘[うそ]の法律に騙[だま]された馬鹿な国民が政府に税金を払っているだけなのである。
今の国民みんなは『政府は税金の法律を定めているけれども政府が自分の独断で決めた嘘の法律だから国民は守らなくてもいい』という考えでやっているのである。今の国民は政府の税金の法律を無視して政府に税金を払っていないのである。そのために、政府がお金がなくなって潰[つぶ]れているのである。
今後は人間はみな平等だから、会社はすべて国民と契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。国民に命令する者がいないから、国民はみんな自分の意思で考えて行動しなければならない。
政府の法律は身分制に基づいているから今の社会では使えない。新しく平等制に基づいた法律を定めねばならない。法律会社は国民と平等であって、国民と契約して国民からお金をもらって法律の仕事をしないといけない。法律会社の法律はすべて平等制に適[かな]っていなければならない。法律会社は自分では法律を定めない。法律会社は国民みんなが定めた法律を定めるだけである。(じつはこれまでの法律もそうやって決めている。税金の法律も昔の国民みんなが決めたのである。昔は国民みんなが身分制をやっていたから、政府が上の者だと思って自分から進んで政府に税金を払っていたのである。政府は自分が欲しくなくても国民みんなから強制的に税金をもらわなければならなかったのである。)法律会社は法律を定めて国民みんなに守らせればいいだけであり、法律会社には国会議員の選挙も議会も要らない。法律会社はこれまでに国民みんなが定めた法律を法律に定めて、国民から新しい法律を要請されたときには国民みんなの承認を得てから法律を定めねばならない。そういう法律会社を早く建てねばならない。
法律会社の料金が高すぎる場合には国民は法律会社と契約しなければいい。国民みんなは国民みんなで法律の仕事をやるようにして、もっと安い料金の法律会社が現れるまで契約しなければいい。そこが政府と違うところである。政府はたとえ国民が嫌でも税金を払わなければならなかった。だから、法律会社は国民がなるべく入りやすいように料金を設定しないといけない。
今は平等制の時代である。なんでもかんでも平等制でやらねばならない。平等制でやれない仕事はやってはいけない。たとえ国が滅んでも国民全員が死んでも平等制をやらねばならない。
[20757] 馬鹿と阿呆[あほう] h26.5.11
眼で見えることしかわからないのが馬鹿である。
心で思うことしかわからないのが阿呆である。
人間にとって善く生きるとは、頭で考えることである。
日本人はそのことがよくわかっていたから、古来から言葉の文化を大事にしてきたのである。自分が考えたことを言葉や文字に表して自分で考えることを練習して、自分の考える能力を鍛[きた]えているのである。
人間は眼で見えないことが頭で見えるから動物よりも実在によく適応して幸福に生きられるのである。
[20758] 国民みんなの行動原理 h26.5.11
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。この世には“国民みんな”という団体がある。
国民みんなは多数決だけで行動するのではない。
昔は国民みんなは多数決だけで物事を決めていたが、今は科学があるから国民みんなは『この世には真実がある』ことを知っているから、単純に多数決だけで物事を決めたりしない。たしかに国民の大半は自分の頭で考えない馬鹿だが、馬鹿は『自分が馬鹿だ』『自分には正しいことがわからない』ことをよく知っているからけっして自分の考えでは動かない。多数決を取るときには、馬鹿はいつも他人が手を上げたのを見て真似[まね]して自分も手を上げる。だから、馬鹿はいてもいないのと同じことである。国民の少数は自分の頭で考える利口であり、馬鹿は利口に従う。だから、たとえ国民の多くが馬鹿であっても、利口が正しく考えているかぎり世の中はうまく動くのである。
つまり、国民みんなは利口が考えて馬鹿が利口に従うことで行動するのである。だから、国民みんなの中の一人でも多くの者が正しく考えればいいのである。国民は自分がただ他人に従うことしかできない馬鹿になりたくなかったら、自分で考えて正しいことがわからなければならないのである。
[20759] 政府は国民を虐[いじ]めている。 h26.5.11
今の政府は身分制をやっている。政府は上の者として、国民に命令して、国民から高い税金を取って、税金で国の仕事をして、国民を国家宗教などで虐待している。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。
政府は上の者である。だから、政府は国民を虐待する。政府は国民をいろんな方法で虐[いじ]める。政府は飛行機や列車やバスなどの事故を起こして国民を殺したり、いろんな理由を付けて国民の娯楽を規制して国民が楽しめないようにしたり[最近エッチなラジオの深夜放送がなかったり、マンガに対する規制を厳しくして面白いマンガがなかったりするのは政府が国民を楽しませないためなのだろう。]、余計な法律を定めて国民がおいしい食べ物を食べれないようにしたり、国民が快適な家に住めないようにしたり、国民がかっこいい服を着られないようにしたりしている。子供に厳しい受験勉強をさせて子供が楽しめないようにしたり、子供に道徳を教えないようにして子供に人生の道を誤らせて子供を不幸にしたり、大人に週休二日制をさせて平日は仕事を厳しくして、休みが多いぶんお金が儲[もう]からないようにして貧乏暮らしをさせて面白くない思いをさせている。
政府は身分制の政治(国作り)をやっている。政府に政治をやらせておくと国民の暮らしはどんどん面白くなくなっていく。政府に国民が不幸にされる。いまにアメリカみたいに国民が政府が国民を殺すのを見て喜ぶようになってしまう。
国民みんなはこのまま政府に政治をやらせてはいけない。国民みんなは平等制をやって、政府と平等にして、政府に税金を払ってはいけない。国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
国民みんなが身分制をやるから、政府を上の者だと思って政府に従って、政府に虐められて不幸にされるのである。国民みんなが自分で身分制をやって自分で自分を苦しめているのである。国民みんなが昔と同じことをやって新しいことをやろうとしないからいつまでたっても苦しみから抜け出せないのである。国民みんなは平等制をやって、政府と平等にして政府に従わないようにして、政府に虐められないようにしないといけない。国民みんなは自分たちで身分制をやめて平等制をやって国民みんなを虐める政府を倒してみんなが平等なみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。国民みんなは身分制の恐ろしさと平等制のありがたみを知らねばならない。
[20760] どうして少数が多数を支配できるか? h26.5.11
政府は少数である。国民みんなは多数である。実力では国民みんなが政府よりも上である。実力行使では政府は国民みんなにひとたまりもない。政府は本当は弱いのである。
それなのに、政府が国民みんなを支配できるのは、国民みんなが自分たちが身分制をやると決めて政府を上の者だと考えて政府に従うことにしているからである。だから、政府が国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で虐[いじ]めたりできるのである。日本では「偉そうにする者に従う心理」が利[き]かないから、国民みんなが自分から身分制をやらないかぎり国民みんなが政府に従うことはないのである。
そもそも日本で国民みんなが身分制をやり出したのは江戸時代からである。それまでは日本では国民みんなはずっと平等制をやっていた。平等制が日本の伝統だった。日本は自由平等の善い国だった。本来日本は平等制の国なのである。日本は昔から独裁者とか支配者とか権力者とかのいないみんながなかよく平等にやっている国なのである。それが日本の長所である。しかし、国民みんなが長引く戦乱を鎮[しず]めるためにやむなく身分制をやって徳川幕府を上の者として従って徳川幕府に日本全土を治めさせることにしたのである。徳川幕府が国民から高い年貢[ねんぐ]を取って国民をいろんな方法で虐めていた。
近代になってからは明治維新のときに国民みんなで身分制をやめて平等制にしようと決めたが、実際には国民みんなからなかなか身分制の癖[くせ]が抜けずしばらくの間は国民みんなが身分制をやりつづけていた。そのために、国民みんなが政府に従って、政府が国民みんなを支配していた。政府が国民に命令して高い税金を取って国民をいろんな方法で虐めていた。
しかし、さすがに最近は明治維新からずいぶん時間が経[た]っているので、国民みんなが本当に身分制をやめて平等制をやるようになっている。国民みんなが政府と国民が平等だと考えて、政府に従わなくなっている。政府は国民に命令できなくなっている。政府は国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。日本から上の者がいなくなって、みんなが平等になって、国民がすべての会社と自由に契約して会社にお金を払って会社に仕事をしてもらうようになっている。ようやく本当の平等制の時代が来ようとうしている。
日本では中世まで平等制でやっていた。日本では実際に平等制でやれていたのである。日本では過去に平等制でやっていた実績がある。だから、今の日本でも平等制でやれるはずである。日本は早く身分制をやめて平等制をやらねばならない。
「どうして少数が多数を支配できるか?」が私の政府学のテーマだった。社会科が得意な人なら「少数が多数を支配できる理由」なんかすぐにわかっただろう。しかし、私は子供の頃から残念ながら社会科が得意ではなかった。そのために私は「少数が多数を支配できる理由」を理解するのに9年も時間がかかった。9年もの時間を無駄[むだ]にしてしまった。マンガでは政府が強力な武器やマインドコントロールで国民みんなを支配できることになっている。マンガでやっているのは冗談である。マンガは読者みんなが社会科の理解があることを前提として、みんなの笑いを取るためにわざとにふざけてみんなが冗談だとわかり切ったことをやっているのである。マンガを真[ま]に受けるのがよっぽどどうかしている。みんなもマンガに呑[の]まれないようによく社会科を勉強しろよ!
[20761] 今の日本は平和だから国民みんなは身分制をやめればいい。☆ h26.5.12
日本人は知覚主義だから、日本は本来平等制の国である。日本はもともと上の者がいないみんながなかよく平等に暮らしている国である。
しかし、中世の戦国時代には世の中が物騒[ぶっそう]だった。国内で大名同士で毎日戦争をやっていた。国民みんなは毎日戦争ばっかり続くので田んぼが戦争で荒らされて夜もろくに眠れずノイローゼになっていた。国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるためにしかたがなく身分制をやった。国民みんなで徳川幕府を上の者に定めて国民みんなが徳川幕府に従うことにして日本を戦乱のない国にした。しかし、そのかわりに徳川幕府が国民みんなから高い年貢[ねんぐ]を取り立てて国民みんなを虐[いじ]めるようになった。もっとも、江戸時代にはまだ平等制の名残[なごり]があったので、幕府は国民の文化に介入してまで国民を虐めようとしなかったのである。
近代に入っても国民みんなが身分制をやめなかったので、政府が徳川幕府の後を引き継いで上の者をやった。政府が国民みんなから高い税金を取って国民みんなを虐めた。政府は幕府よりもますます虐めがエスカレートして国民のささやかな娯楽を奪ってまで国民を執拗[しつよう]に虐めるようになった。今の政府は国民の“考える喜び”までも奪おうとしている。今の国民にはほとんどなんの喜びもない。このままでは日本が笑いのない国になる。
しかし、長い年月が流れて今では平和な世の中になった。今では国外にも国内にも戦争はない。だから、今では国民みんなが身分制をやる必要はない。このまま国民みんなが身分制をやっていると政府がますます国民を虐めるようになって国民がますます政府に不幸にされる。国民みんなが平等制をやると政治機関は国民と平等にして国民のために善いことをやる。反対に、国民みんなが身分制をやると政治機関は上の者をやって国民のために悪いことをする。国民みんなが身分制を長い間やればやるほど、世の中が平等制が弱まって身分制が強まって、政治機関がますます上の者をやって国民のためにますます善いことをやらなくなってますます悪いことをするようになる。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの勝手である。国民みんなが自分が身分制をやるか平等制をやるかを自由に決めることができる。だから、今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。国民みんなは政府を上の者だと思わないようにして政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。国民みんなは上の者がいないみんなが平等な国にして、誰からも指図されず自分の意思で自由気ままに面白楽しく暮らせばいい。国民みんながみんなを喜ばせることをやってみんなを楽しませてみんなで幸福に暮らせばいいのである。
国民みんなが平等制をやると国民みんながお互いに幸福にし合って国民みんなが幸福になる。反対に、国民みんなが身分制をやると国民みんなが上の者に虐められて国民みんなが不幸になる。平等制は国民みんなを幸福にする制度である。身分制は国民みんなを不幸にする制度である。だから、国民みんなはなるべく平等制をやって身分制をやってはいけない。身分制は戦国時代に戦乱を鎮めるときにだけやるようにして、それ以外の時代には身分制をやってはいけない。政治機関は自分が強引に身分制をやっていっしょに国民に身分制をやらせようとするから、国民は政治機関に付き合わないようにして自分で考えて身分制をやめて平等制をやらねばならない。
平等制の国にも地位や名誉はある。国民みんなは他人よりもお金持ちになりたかったら自分の才能を磨[みが]いて人一倍働いて出世すればいい。平等制の国は実力主義だから面白いのである。マンガの悪役は必ず強い。マンガの悪役でさえ実力主義なのだから、現実の私たちも実力主義でなければならない。やっぱり社長は必殺技のひとつやふたつ持っていないといけない。
[20762] どうしてインドはこれまで科学をやらなかったのか? h26.5.12
政府が国民みんなを虐[いじ]めるためである。
昔のインドは国民みんなが身分制をやっていた。国民みんなが政府を上の者だと思って政府に従って、政府が国民みんなを虐めていた。政府が国民みんなを虐めるために国民みんなに科学をやらさなかったのである。おかげで昔のインドでは国民みんなは科学がやれず不便な暮らしを強いられていた。
ところが、最近のインドでは国民みんなが身分制をやめて平等制をやるようになっている。国民みんなが政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなって、政府が国民みんなを虐められなくなっている。国民みんなが勝手に科学をやって、政府が国民みんなに科学をやらせなくすることができなくなっている。そのために、最近のインドでは国民みんなが科学をやってニコニコ快適に暮らしているのである。
今では世界的に国民みんなが身分制をやめて平等制をやるようになっている。これまで長い間身分制をやってきた国もさすがに最近では国民みんなが身分制をマンネリだと思って身分制をやめて平等制に変わっている。日本もいいかげんで国民みんなが身分制をやめて平等制をやらねばならない。
ヨーロッパは身分制から出発してだんだん平等制に行っているからいいのである。反対に、日本は平等制から出発してだんだん身分制に行っているからいけない。ヨーロッパは善くなっているからいいが、日本は悪くなっているからいけない。このままでは日本が危ない。日本は早く身分制をやめねばならない。
[20763] 政府は法律を守っていない。 h26.5.12
日本国憲法では国民の財産を保障すると言っていながら政府が国民から税金を取っている。日本国憲法は矛盾している。
日本国憲法では政府は検閲[けんえつ]をしないと言っていながら、実際には政府が検閲をしている。日本国憲法では国民の思想の自由や出版の自由が保障されているが、実際には政府は思想の自由も出版の自由も認めていない。
日本国憲法では国民の財産や国民の生命を保障することになっているが、実際には政府は勝手に国民の財産(つまり税金)を取ったり国民を殺したりしている。
政府は法律を守っていない。政府は上の者をやっているので、政府は法律を守っていない。国民みんなが法律を守っているだけで、政府は法律を守っていない。
国民みんなが身分制をやっているために、政府が上の者をやって、政府が法律を守らずに国民みんなを好き放題にしているのである。上の者は法律を守らなくてもいい特権があるから、政府は法律を守っていないのである。
国民みんなは国の最高権力者である。だから、国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。国民みんなにとっては身分制よりも平等制のほうが有利である。身分制は国民みんなが戦乱を鎮[しず]めるためにしかたがなくやるものである。今は戦乱の時代ではないから、今の国民みんなは身分制をやる必要はない。今の国民みんなは平等制をやればいい。
今の国民みんなは身分制をやる必要がないのに身分制をやっている。今の国民みんなは自分が身分制をやっていることがわかっていない。身分制が何かがわかっていない。今の国民は政府の命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に税金で国の仕事をやってもらって、政府に国家宗教で虐[いじ]められている。今の国民みんながやっているのはまさしく身分制である。国民みんなは昔と同じように身分制を続けていてはいけない。国民みんなはさっそく身分制をやめねばならない。
政府は民主主義で国民と平等に仕事もしているが、国民みんなが身分制をやっているために政府は上の者でもある。政府は国民の役に立つことをやっているが、一方で国民を虐めてもいる。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。国民みんなが身分制を長い間やればやるほど政府は上の者になって、政府は善いことをやらなくなって悪いことばかりやるようになるのである。政府を上の者にしているのは国民みんなである。国民みんなはこれ以上身分制をやってはいけない。
国民みんなは身分制をやめて平等制をやって、政府と平等にして、政府の不平等な命令に従わないようにして、政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。国民は政府にただで国の仕事をやってもらって、政府の仕事を踏み倒さなければならない。国民は政府を倒して政府に虐められないようにしないといけない。日本を国民と平等な会社だけにして、国民が自由に会社と契約を取って会社にお金を払って会社に仕事をしてもらわねばならない。
国民みんなが身分制をやると政府が国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にする。国民みんなが身分制をやりたがる国は善い国ではない。国民みんなが不幸になりたい嫌な国である。国民みんなが自分の不幸を喜ぶ心がいじけた汚らしい国である。身分制は国民みんなを不幸にするまちがった制度である。平等制は国民みんなを幸福にする正しい制度である。国民みんなはまちがった身分制をやるのをやめて正しい平等制をしないといけない。
[20764] 今の人は科学を使うようになって神が要らなくなっている。 h26.5.13
昔のヨーロッパではみんなは神を拝[おが]んで神にお願いすれば自分の願いがかなうと思って一生懸命に神を拝んでいた。それが宗教である。実際には、いくら神を拝んでも願いがかなうことはなかったが、昔はそれしか自分の願いをかなえる方法がなかったので、みんなは必死になって神を拝んでいたのである。
神は人間のためにいる。神は人間の願いをかなえるための道具である。神は人間よりも上の者だが、人間のための道具でもあって、神と人間は大雑把[おおざっぱ]には平等である。
日本にはもともと宗教はないが、昔の日本人はヨーロッパ人を真似[まね]て「ひょっとしたら自分の願いがかなうかもしれない」と思って半信半疑で宗教をやっていた。
大昔には太陽や月などが神とされていたが、古代になると不思議な現象を起こしたと考えられる人が神だとされるようになった。もちろん、本当は人間には超能力なんかないから、不思議な現象を起こしたと考えられる人はただの人間である。
昔の人は神を大事にして、神が大好きだった。
そのため、昔の平等制の時代には、政府は国家宗教で神にちなんだ善いことをやって国民を喜ばせた。もっとも、近代以降の身分制の時代になると、政府は国家宗教で神にちなんだ悪いこともやって国民を虐[いじ]めた。昔の政府は国家宗教で善いことだけやったが、近代以降の政府は国家宗教で善いことと悪いことの両方をやっている。つまり、国が善くなるのは国家宗教のためではない。平等制のためである。国民みんなを幸福にするのは国家宗教ではなく平等制である。だから、国民みんなは国家宗教よりも平等制をやらねばならない。
今ではみんなが神よりも科学を信じるようになっている。いくら神を拝んでも自分の願いはかなわないと思っている。実在をよく知り、実在を上手に利用すれば、自分の願いがかなうと思っている。例えば、『国民みんなが国の最高権力者である』から、国民みんなが平等制をやれば、政府と国民は平等になるから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。政府が潰[つぶ]れて政府の仕事が民営化して、国民が会社と自由に契約して会社にお金を払って会社に仕事をしてもらえばいいのである。
今ではみんなが神が要らなくなって宗教なんかやらなくなっている。みんなが宗教や神を無視している。みんなが科学を勉強して、科学を利用して、自分の夢を実現している。
[20765] 国はゆっくりと変わっている。☆ h26.5.13
要するに、国民みんなはだんだん身分制をやめている。平等制をやるようになっている。国民みんなは政府に従うのをやめて、政府と平等にするようになっている。国民みんなは政府に税金を払うのをやめて、政府の仕事をただで利用するようになっている。国民みんなで政府の仕事を踏み倒している。
そのために、政府はだんだん上の者から平等な者になっている。政府は国民から税金を取るのをやめて、仕事別に国民と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をするようになっている。政府は国民みんなを虐[いじ]めるのをやめて、国民みんなといっしょに楽しむようになっている。
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが政治家である。政治(つまり国作り)は国民みんなでやることである。国民みんなが自分で作りたい国を決めて自分で国を作っていかねばならない。政府は仮[かり]の政治家である。政府は国民みんなの言いなりになっているお人形である。今の国民みんなは平等制の国を作っている。政府は国民と平等になっている。国民みんなが政府をリードすれば、政府は国民みんなにおとなしく従うしかない。政府は国民みんなを動かす団体ではなく、国民みんなに動かされる団体である。
国民みんなはゆっくりと変わっている。そのために、国もゆっくりと変わっている。
このまま国民みんなが平等制をやり続けて行って、世の中から身分制をなくして平等制を増やして、上の者のいないみんなが平等に暮らす社会になって欲しい。
[20766] 日本では国民みんなが平等制で知覚主義の国を作らねばならない。 h26.5.14
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが自分で考えて国を作ればいい。国民みんなが自分で作りたい国を決めて自分で国を作ればいい。
ただし、国民みんなが作るからには、国民みんなが幸福に暮らせる国を作らねばならない。国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってはいけない。
身分制の国は国民みんなが上の者に虐[いじ]められて国民みんなが不幸に暮らさねばならないから作ってはいけない。平等制の国は国民みんながお互いに他人が喜ぶことをして国民みんなが幸福に暮らせるから作らねばならない。
五感主義の国は日本人の感性に合っていないから日本人が幸福に暮らせないから作ってはいけない。知覚主義の国は日本人の感性に合っていて日本人が幸福に暮らせるから作らねばならない。日本人は物よりも言葉が好きだから、美しい言葉や楽しい言葉がたくさんある国にしないといけない。本屋さんがたくさんある国にしないといけない。みんなが本を読んだり本を書いたりして幸せに暮らせる国にしないといけない。
平等制は知覚主義の産物だから、日本人は知覚主義だから、日本人は平等制が好きなのである。反対に、身分制は五感主義の産物だから、ヨーロッパ人は五感主義だから、ヨーロッパ人はたとえ上の者に虐められても身分制が好きなのである。しかし、最近は人類の文明が高度化して、最近のヨーロッパ人は環境が変わって知覚主義になっているから、最近のヨーロッパ人は昔よりも平等制を好むようになっている。
身分制はサルの制度である。サル山のサルは身分制をやっている。動物は他人に従うのが好きだから身分制なのである。ヨーロッパ人が動物だからヨーロッパ人は身分制が好きなのである。反対に、平等制はヒトの制度である。人間は他人に従うのが嫌だから平等制なのである。日本人が人間だから日本人は平等制が好きなのである。ヨーロッパ人と日本人では人種が違う。たとえヨーロッパ人が身分制をやっても日本人は平等制をやらねばならない。日本人の“頭のよさ”を活かすためには平等制の社会のほうがいい。
したがって、日本では国民みんなが平等制で知覚主義の国を作らねばならない。そうすれば、国民みんなが幸福に暮らすことができる。
[20767] 国民みんなは身分制をやめて平等制をやらねばならない。 h26.5.14
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。それが国の原理である。
だから、国民みんなが身分制をやれば、政府が上の者になって、国民が政府に従わねばならなくなって、政府が国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を国家宗教などで虐めたりできる。
反対に、国民みんなが平等制をやれば、政府と国民が平等になって、国民が政府に従わなくてもよくなって、政府がいくら国民に命令しても国民から税金を取れず、国民と自由に契約を取って国民からお金をもらって仕事をしなければならず、国民を国家宗教などで虐められなくなる。
国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。だから、国民みんなは自分を幸福にするために平等制をやらねばならない。昔は戦乱があったから国民みんなはやむを得ず身分制をやって徳川幕府を上の者にして戦乱を鎮[しず]めていたが、今は戦乱がないので国民みんなは平等制をやればいい。今は国民みんなが身分制をやる必要がないから身分制をやめればいい。
そういうわけで、今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやるようになっている。政府は上の者がやれなくなって平等な者になっている。国民みんなは自分と政府が平等だと思って政府に接すればいい。
[20768] 身分制をやる者はまちがっている。 h26.5.15
日本では本来国民みんなは平等制をやるものである。今は戦乱の時代ではないから、今の時代には国民みんなが身分制をやらねばならない根拠がない。だから、今では国民みんなが平等制をやればいい。今では国民みんなが身分制をやるのがまちがいで、平等制をやるのが正しい。
今では身分制をやる者がまちがいで、平等制をやる者が正しい。
だから、国民みんなは身分制をやる者を罰して、平等制をやる者を有利にしないといけない。
国民みんなは、政府の命令を聞いて政府に税金を払って政府に税金で仕事をやってもらって政府に虐[いじ]められる者を悪い人だと思って迫害しないといけない。反対に、国民みんなは、政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府の仕事をただで利用して政府に虐められない者を善い人だと思っていい待遇にしなければならない。
身分制をやっている者は政府に虐められる上に国民みんなからも迫害されて二重苦である。反対に、平等制をやっている者は政府に虐められない上に国民みんなからいい待遇にされて二重楽[にじゅうらく]である。だから、国民は身分制をやめて平等制をやればいいのである。
[20769] 身分制の社会では国民みんなが幸福になれない。 h26.5.15
身分制の社会では上の者が国のことを決めるから、上の者が自分の子供を上の者にして自分の家族を有利にするだけである。上の者が国民みんなに命令して国民みんなから高い税金を取って国民みんなを虐[いじ]める。上の者が国民みんなが嫌がることをやって、国民みんなが喜ぶことをなくす。これでは国民みんなが幸福にはなれない。
平等制の社会では上の者がいなくて国民みんなが国のことを決めるから、国民みんながだいたい同じ待遇で暮らせる。国民みんなが国民みんなを幸せにすることをして国民みんなからお金をもらって暮らしている。国民みんなが国民みんなが喜ぶことをやって、国民みんなが嫌がることをなくす。だから、国民みんなが幸福になれる。
国民みんなが身分制をやるから上の者が出来て身分制の社会になるのである。国民みんなが平等制をやれば上の者がいなくなって平等制の社会になるのである。国民みんなが国の最高権力者だから、国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。国民みんなが身分制をやれば国民みんなが不幸になる。国民みんなが平等制をやれば国民みんなが幸福になれる。だから、国民みんなは平等制をやればいいのである。
昔は戦乱の時代だったから、国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるためにしかたがなく身分制をやっていたのである。国民みんなにとっては身分制も戦乱も両方とも嫌だったが、上の者に虐められるほうが戦乱よりもマシだったから身分制をやっていたのである。国民みんなは上の者に虐められるのが嫌だったが、それよりも戦乱があるほうがもっと嫌だったから、いやいやながらしかたなく身分制をやっていたのである。
今は戦乱の時代ではない。今では武士なんてものはいないから戦乱の時代ではない。今では刀を振り回して戦[いくさ]で食っている者なんかいないから戦乱の時代ではない。だから、今では国民みんなはわざわざ身分制をやる必要はない。今では国民みんなは平等制をやればいい。国民みんなは身分制をやめて平等制をやったほうが幸福に暮らせる。だから、国民みんなはいつまでも昔と同じようにしつこく身分制をやり続けていてはいけない。国民みんなは早く自分の頭を切り替えて身分制をやめて平等制をやらねばならない。
国民みんなが身分制をやるから、政府が上の者になって政府が国民みんなを虐めるのである。政府が国家宗教で国民みんなを殺すのである。国民みんなが政府に国民みんなを虐待させているのである。だから、政府がいくらたくさん国民を殺しても政府には責任がない。国民みんなに責任がある。国民みんなは政府を責[せ]められない。国民みんなは自分から身分制をやめて、政府に国民みんなを虐めるのをやめさせねばならない。つまり、国民みんなが政府に税金を払うから国民みんなが身分制をやっていることになって、政府が国民みんなを虐めるのである。だから、国民みんなは政府に税金を払わないようにして国民みんなが身分制をやっていないことにして、政府が国民みんなを虐めるのをやめさせねばならない。
[20770] どうして政府は国民に命令できるのか? h26.5.15
政府は本当はたんなる会社の寄せ集めである。政府の正体は法律会社や学校会社や水道会社やゴミ会社などの国民みんなのために仕事をする会社の集合体である。
国民みんなが平等制をやっている時代には、政府はただの国民みんなのために仕事をする会社にすぎないから、政府は国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に仕事をするだけであって、政府は国民に命令できない。政府はそこらへんの民間会社と同じであって、国民からお金をもらって国民に仕事をするだけで、国民に命令したりしない。
反対に、国民みんなが身分制をやっている時代には、政府は上の者になって国民みんなに命令できる。政府の中に国民みんなに命令する組織が出来て、国民みんなに命令する。政府は国民に命令して国民から税金を取るようになる。国民みんなが身分制をやり始めてすぐの身分制が弱いときには、政府はまだ比較的国民と平等であって、政府は国民を喜ばせる命令を出すが、国民みんなが身分制を長く続けて身分制が強まると、政府は国民よりもずっと上の者になって、政府は国民を喜ばせる命令を出さなくなって国民を虐[いじ]める命令ばかり出す。
つまり、国民みんなが身分制をやっているから、政府が国民みんなに命令できるだけなのである。政府には本来国民に命令する機能はなく、国民みんなが平等制をやっている時代には政府はそこらへんの民間会社と同じように国民と自由に契約して国民のために役に立つ仕事をして国民からお金をもらうだけなのである。
今は戦乱の時代ではないから、国民みんなは身分制をやる必要がないから、今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやるようになっている。国民みんなは政府と平等にして政府に税金を払わず自分が利用した政府の仕事に対して自分で任意にお金を払っている。政府の仕事をただで利用している。これでは、政府が国民からお金がもらえないので、政府はそこらへんの民間会社と同じように国民と平等にして、仕事別に国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に仕事をするようになっている。今の国民には自分に命令を出す者がいないから、国民みんなは自分で考えてみんなと話し合って行動するようになっている。それが平等制の社会における国民の姿なのである。
国民みんなが平等制をやる時代には、仕事が自由競争になるから、政府は自分が国家企業だと思って安心してはいられない。全国的にやらなくても一地域だけで民間会社が政府の仕事を奪ってもいい。都会だけで民間会社が政府の特定の仕事を奪って儲[もう]けてもいい。政府は民間企業に自分の仕事をどんどん奪われて仕事がなくなる。政府はもうおしまいだ。
[20771] 超能力者は神ではない。 h26.5.16
宗教とは、人間が神を拝んで神に自分の願いをかなえてもらうことである。
宗教における神とは、人間の願いをかなえてくれる者のことである。人間にとって神は人間の願いをかなえるための道具である。
一方、超能力者は限られた超能力が使えるだけである。超能力者は念動力や透視能力や予知能力などのひとつのことができるだけである。超能力者には人間の願いをかなえる能力なんかとうていない。
だから、超能力者は神ではない。
したがって、人間がいくら超能力者を拝んでも超能力者は自分の願いをかなえてはくれない。人間がいくら超能力者を拝んでも無駄[むだ]である。
人間が自分の願いをかなえたければ、科学の力を借りて科学にお金を払ってかなえたほうがいい。例えば、人間が自分の病気を治したければ、病院に行って医者に治療費を払って治せばいい。人間がオモチャが欲しければ、オモチャ屋さんに行ってお金を払ってオモチャを買えばいい。人間が美味[うま]い物が食べたければ、食堂に行ってお金を払って食べればいい。
つまり、今の人間にとって超能力者は神ではなく、科学が神なのである。
[20772] 今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。☆ h26.5.16
大昔の日本は国民みんなが平等制をやっていたので、上の者がいないみんなが平等な、みんなが自由になかよく平和に暮らしている善[い]い国だった。当時も政府や幕府があったが、政府や幕府は国民みんなと平等にして国民の役に立つことをやって国民みんなからお礼をもらってみんなで楽しくやっていた。
ところが、中世の終わりごろになると成り行きで戦乱の時代になってしまった。毎日日本各地でみんなで戦争をやるようになってしまった。国民みんなは連日の戦乱のために国中が荒れ果てて大勢の人が死んで困り果ててしまった。
そこで、国民みんなで話し合って国民みんなが戦乱を鎮[しず]めるために身分制をやることにした。国民みんなが身分制をやって、徳川幕府を上の者にして、徳川幕府に日本全土を治めさせることにした。こうして、戦乱の時代は終わった。その代わり、徳川幕府が国民みんなから高い年貢[ねんぐ]を取って国民みんなを虐[いじ]めるようになった。
近代になって国民みんなで明治維新をやって政治機関は幕府から政府に変わった。しかし、国民みんながあいかわらず身分制をやり続けていたために、政府も幕府と同じように上の者をやって、国民から高い税金を取って国民を国家宗教などで虐め続けた。
国民みんなは自分がよっぽど困らないかぎり同じ制度を続けるものである。そのために、今でも国民みんなは江戸時代に始めた身分制をひたすらやり続けているのである。そのために、政府が上の者をやって、国民みんなから高い税金を取って国民みんなを虐め続けているのである。政府が国民みんなが嫌がることをやって、国民みんなが喜ぶことをなくしている。そのために、日本がだんだん面白くない幸福のない国になっている。
しかし、今では戦乱がない。今は戦乱の時代ではない。今では国民みんなが身分制をやる必要はない。今では国民みんなが嫌な身分制をわざわざやらなくていい。だから、今の国民みんなは平等制をやればいいのである。身分制をやめて平等制をやればいいのである。国民みんなは政府と平等にして、政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒して、政府の仕事を民営化して、民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。国民みんなで上の者が国民みんなを虐めることのない、みんながなかよく平等に暮らせる社会にしないといけない。
日本は戦国時代に身分制をやらなければよかったのだ。日本はそのまましばらく戦乱を続けて、近代になって文明開化をやって日本の文明が進んでみんなが戦争をしなくても幸福に暮らせるようになって、みんなが戦争をするのが馬鹿らしくなって戦争をやめるのを待てばよかったのだ。[昔は刀を振り回して戦[いくさ]をするほうが普通の仕事をするよりも楽だったから、みんなが戦をやりたがった。文明が進むと戦をするよりも普通の仕事をするほうが楽になったから、今の人は普通の仕事をやりたがってもはや戦をやりたがらないのである。]そうすれば、日本は昔からずっと平等制の国のままでやってこれたのだ。今の日本も平等制の国だったのだ。上の者が国民みんなを虐めることのない、みんながなかよく平等にやっている国だったのだ。政府が国民みんなの役に立つことをして国民みんなを喜ばせる国だったのだ。平等制は日本の伝統文化である。日本人は平等制を死守しなければならない。中世の日本で大勢の人が死んでいるのを見て感傷的になって冷静さを失って身分制に走った当時の国民みんながいけなかったのだ。感情に流されるとあとでろくなことがない。人間はつねに冷静でなければならない。まちがいをいつまでも引きずっていてはいけない。今の国民みんなが身分制をやるのはまちがっている。だから、国民みんなは早く身分制をやめて平等制をやらねばならない。
今の国民みんなが身分制をやっているのはまちがっている。国民みんなは自分では何も考えずに他人のやっていることを眼で見て真似[まね]るだけだ。国民みんながやることがつねに正しいとはかぎらない。多数決よりも正しさのほうが大事である。今は戦乱の時代ではないから国民みんなは身分制をやらなくていい。平等制をやればいい。国民は国民みんなに従わずに自分で考えて平等制をやらねばならない。おとぎ話の『ピノキオ』でピノキオが鯨[くじら]のお腹[なか]から抜け出したのは、国民が自分の頭で考えて平等制をやって国民みんな(鯨のこと)が身分制をやっていることから抜け出したことを表している。人間は自分の頭で考えて正しいことをやってみんなに合わさなくなってやっと一人前の人間になれるのだ。
[20773] 政府は民主主義の政治機関である。 h26.5.17
政府は民主主義の政治機関である。なぜなら、「政府が民主主義の政治機関である」とは、政府が国民みんなに従うことであり、『国民みんなが国の最高権力者である』ことの言い換えにほかならないからである。『国民みんなが国の最高権力者である』のは国の原理なので、なんびとたりとも犯すことができないので、政府も当然ながら守っているのである。
だから、政府が自分を『民主主義の政治機関』と言っているのは本当なのである。今の政府は上の者をやっているから、政府が自分を「国民と平等な政治機関だ」と言ったら嘘[うそ]になるが、政府が自分を『民主主義の政治機関』と言うのは本当のことだからかまわないのである。
政府は民主主義の政治機関である。つまり、政府は国民みんなに従っている。ところが、今の国民みんなは江戸時代の続きで身分制をやっている。だから、政府は国民みんなに従って上の者をやっているのである。今の国民みんなが身分制をやっているから、政府は民主主義をやって国民みんなに従って上の者をやっているにすぎないのである。だから、今の国民みんなが自分の考えを変えて平等制をやれば、政府も国民みんなに従って平等な者をやる。国民みんなが平等制をやれば、政府が国民みんなを虐[いじ]めなくなって国民みんなが幸福になる。だから、国民みんなは自分が平等制をやればいいのである。国民みんなは国の最高権力者だから、政府は自分で民主主義の政治機関と言っているように国民みんなの言いなりだから、国民みんなは政府にかまわず自分勝手に平等制をやればいいのである。国民みんなは自分の意思で平等制をやって、政府と平等にして、政府に税金を払わず政府を倒して、政府の仕事を民営化して、民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらうようにすればいいのである。
[20774] 議員はどうして選挙の公約で嘘[うそ]をつくのか? h26.5.17
政府の議員の候補者は、自分で議員に立候補して選挙に当選して議員になることになっている。
議員の候補者は選挙の演説の時には「国民みんなの役に立つことをやる」と言っておきながら、議員に当選した後では自分が言ったことをすっかり忘れてしまって国民みんなの役に立つことを何もしない。それどころか、反対に国民みんなを虐[いじ]めている。
それは、今の国民みんなが身分制をやっているために、今の政府が上の者だからである。上の者は下の者に対して何でもやっていいから嘘をついてもいいのである。約束を守らなくてもいいのである。だから、議員の候補者は選挙に当選した後ではみんな公約を守らないのである。
つまり、今の政府の議員は自分がやってもいいことをやっているにすぎないのである。国民は政府に文句を言う資格がないのである。
そもそも今の国民みんなが身分制をやっているのがいけないのである。今の国民みんなが身分制をやっていることが世の中の諸悪の根源である。今の国民みんなが身分制をやっているために政府や暴力団や会社の幹部などが上の者をやって、上の者が国民みんなから不当にお金を取って国民みんなを虐めて世の中が陰気臭くなっているのである。今の国民みんなは自分で自分を不幸にしているのである。国民みんなは早く身分制をやるのをやめて平等制をやらねばならない。上の者がいないみんなが平等な社会にしないといけない。
今の国民みんながわけもわからずに身分制をやっているのがいけないのである。昔は戦乱の時代だったので、国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるためにしかたがなく身分制をやって徳川幕府を上の者にして徳川幕府に従っていたのである。近代になって政治機関が幕府から政府に変わっても、国民みんなはあいかわらず身分制をやり続けているのである。国民みんなが政府を上の者にして政府に従っているのである。しかし、今は戦乱の時代ではないので、国民みんなはわざわざ身分制をやらなくていい。国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。国民みんなは平等制をやって、政府と自分が平等だと考えて政府と平等にすればいい。
今の国民みんなが自分が知らずに身分制をやっているのがいけないのである。国民が政府に税金を払うのは立派な身分制である。国民が政府の不平等な命令を聞くのも身分制である。今の国民みんなは自分が身分制をやっていることを知って身分制をやめねばならない。平等制をやらねばならない。国民は政府の不平等な命令を聞かないようにして、政府に税金を払わないようにして政府を倒して、政府の仕事を民営化して、民間会社と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらうようにしないといけない。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが身分制をやるから政府が上の者をやって国民から税金を取って国民を虐める。反対に、国民みんなが平等制をやれば政府が平等な者になって国民から税金を取らなくなって国民を虐めなくなる。だから、国民みんなは自分たちを幸福にするために身分制をやめて平等制をやればいいのである。
今は戦乱の時代ではないので国民みんなが身分制をやる必要がないので、今では国民みんなが身分制をやることから平等制をやることに変わっている。そういう時代には多数決の適用にはならない。国民は自由に身分制や平等制をやればいい。今は戦乱の時代ではないから、国民みんなは身分制をやらなくていい。身分制は国民みんなを不幸にし、平等制は国民みんなを幸福にする。だから、一人でも多くの国民が身分制をやめて平等制をやればいいのである。
[20775] 国民みんなが身分制をやるから政府が上の者をやる。 h26.5.17
国民みんなは国の最高権力者である。だから、今の政府は民主主義をやっている。つまり、今の政府は国民みんなに従っている。
今の国民みんなが戦国時代の名残[なごり]で身分制をやっているから、政府は国民みんなに従って上の者をやって、国民から強制的に高い税金を取ったり国民を国家宗教で虐[いじ]めたりするのである。
反対に、今の国民みんなが『今では戦乱がないから身分制をやる必要がない』と考えて身分制をやめて平等制をやれば、政府は国民みんなに従って平等な者をやって、国民から税金を取らず、仕事を民営化して民間会社が国民と自由に契約して国民からお金をもらって仕事をするようになって、国民を国家宗教で虐めなくなる。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。国民みんなが身分制をやるよりも平等制をやったほうが国民みんなが幸福である。だから、国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。
国民みんなは国の最高権力者である。だから、政府は国民みんなに従うだけである。だから、政府は『オズの魔法使い』のおとぎ話で優しいおじいさんと言われてなめられているのである。国民みんなはたとえ政府が上の者をやっていても勇気を出して強引に平等制をやればいい。そうすれば、政府も国民みんなに従って上の者をやめて平等な者をやるだろう。
[20776] どうして戦前は平等制をやるとみんなから攻撃されたのか? h26.5.17
国民みんなは今でも戦国時代の名残[なごり]で身分制をやっている。
戦前は国民みんなが今よりももっと身分制をやっていて身分制が正しいと本気で信じていた。
そのために、戦前は国民が平等制をやっていると、国民みんなが平等制をやっている国民をまちがったことをやっていると思って国民みんなで攻撃した。だから、戦前は国民が平等制をやらないほうがよかったのである。例えば、ショートショートで有名な作家の星新一の父親の星製薬会社の社長の星一[ほしはじめ]が戦前に平等制をやっていたためにみんなから攻撃されて会社が潰[つぶ]れた。政府は平等制をやっている国民に手出しはしなかったが、周[まわ]りの国民みんなが平等制をやっている国民に対して四方八方から攻撃した。戦前は平等制を進めた首相が身分制を信じている国民に暗殺されたりした。だから、本当は『人民は強し官吏[かんり]は弱し』なのである。
しかし、戦後の今は戦国時代から長い時間が経[た]って、国民みんながあまり身分制をやっていなくて、今ではもはや身分制が正しいと信じている者はいない。
そのために、今では国民が平等制をやっていても、国民みんなが平等制をやっている国民をまちがっていると思わなくなって国民みんなで攻撃しなくなった。だから、今では国民が平等制をやってもいいのである。
今は国民が平等制をやっても安全である。だから、国民は平等制をやって、政府と平等にして、政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。政府の仕事を民営化すればいいのである。この世を国民と平等な民間会社ばかりにして、国民は民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。
今では政府が上の者をやっていることを利用して儲[もう]ける悪者が身分制をやっているだけである。政府を利用して儲ける悪人が国民みんなにまちがったことを教えて国民みんなに身分制をやらせている。例えば、テレビ局は政府にとって都合のいい情報だけを流して(つまり政府が善いことをやっている情報を流して政府が悪いことをやっている情報を流さないようにして、国民に政府が上の者をやっていることをわからないようにして)国民が政府に従いやすいようにして国民に自分が身分制をやっていることがわからないようにしながら身分制をやらせている。しかし、今は戦乱の時代ではないから国民みんなは平等制をやらねばならない。国民は他人の身分制のすすめに惑[まど]わされないようにして平等制をやらねばならない。
[20777] どうして今の国民みんなは自分が知らないまま身分制をやっているのか?☆
h26.5.18
今の国民みんなは身分制をやっている。今の国民みんなは政府が上の者だと思って政府に従っている。政府は国民に不平等な命令をして、国民から税金を取って、税金で国の仕事をして、国民を国家宗教で虐[いじ]めている。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。
テレビ局や新聞社は政府が善いことをやっていることだけ報道して、政府が悪いことをやっていることを報道しないようにして、国民に政府が上の者をやっていることをわからないようにしている。国民に政府が平等な者をやっているように思わせている。そのために、今の国民みんなは自分が平等制をやっていると思っている。テレビや新聞が情報のフィルターの働きをしているために、国民みんなには政府の真の姿が見えないのである。国民みんなには自分自身の真の姿が見えないのである。
しかし、本当は政府は上の者をやっている。国民みんなは身分制をやっている。しかし、今は戦乱の時代ではない。国民みんなは身分制をやる必要はない。だから、国民みんなは平等制をやって、政府と国民が平等だと考えて、政府に従わなければいい。国民は政府に従わないようにして、政府の不平等な命令を聞かないようにして、政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。政府の仕事を民営化して、民間会社と自由に契約を取ってお金をやって仕事をやってもらえばいい。
要するに、今の政府はテレビや新聞や社会科の教科書で国民みんなに嘘[うそ]をついて平等な者のふりをしながら上の者をやっている。嘘で国民みんなを騙[だま]しながらやっている政治機関なんか全然駄目[だめ]である。『国民みんなは国の最高権力者』だから、政治機関は必ず国民みんなに従っていなければならない。政府は上の者がやりたければ正々堂々と国民みんなに『自分が上の者だ』と言ってやらねばならない。江戸幕府みたいに『上に下に』と言いながら大名行列をやって上の者をやらねばならない。今の政府は嘘でごまかして密かに上の者をやっている。そんなものはもはや国民みんなの政治機関ではない。ただの汚[きたな]らしい詐欺[さぎ]会社にすぎない。ふざけるにもほどがある。国民からお金を取る資格はない。国民みんなは政府をまともに相手にせずさっさと税金をやらずに潰[つぶ]したほうがいい。
[20778] 政府は国民みんなに従うだけである。 h26.5.18
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが政府がやることを決める。国民みんなが政府が上の者か平等な者かを決める。
政府が国民に税金を払えと言うのは国民が身分制をやっているからである。国民が平等制をやっていれば政府は国民と自由に契約して仕事をするのである。
今は戦乱の時代ではないから、国民は身分制をやる必要はない。国民にとっては身分制よりも平等制のほうが幸福である。だから、国民は平等制をやればいいのである。
国民が平等制をやればいい。そうすれば、政府は国民に従って平等な者をやる。それが国の決まりだからである。だから、国民は政府の税金の取り立てを恐れずに、正々堂々と政府に税金を払わなければいいのである。政府がちゃんと契約を取るまで政府にお金を払わずに政府にただ働きをさせればいいのである。
今は戦乱の時代ではないから国民みんなは平等制をやればよく、今は国民みんなが身分制から平等制に変わっている時代だから、国民みんなに多数決が適用できないから、国民は自分の好き勝手に身分制や平等制をやればいい。国民の多くはわけもわからずにただ他人の真似[まね]をして身分制をやっているだけである。そんな連中なんかどうでもいい。国民はたとえ他人が身分制をやっていても自分が平等制をやればいいのである。他人が身分制をやるのは他人が馬鹿なためだから、自分は他人を無視して平等制をやればいいのである。
[20779] 国民みんなが国の法律を決める。 h26.5.18
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんなが国民の決まりを決める。国民みんなが国の法律を決める。法律会社は国民みんなが決めた法律を成文化するだけである。
昔の国民みんなは身分制をやっていた。昔は戦国時代だったので、昔の国民みんなは身分制をやって国を鎮[しず]める必要があったので、昔の国民みんなは身分制をやっていたのである。近代になって文明が発達して国民みんなの暮らしが楽になったので戦乱はなくなったが、国民みんなはすぐには身分制が抜け切れずその後もしばらく身分制をやり続けていた。国民みんなは政府が上の者だと思って政府に従っていた。国民は政府の不平等な命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に税金で国の仕事をしてもらって、政府に国家宗教で虐[いじ]められていた。だから、昔の政府の法律には納税の義務やたくさんの国民を虐める法律が定められていたのである。
しかし、今の国民みんなは平等制をやっている。今は戦国時代ではないから、今の国民みんなは身分制をやって国を鎮める必要がないから、今の国民みんなは身分制をやめてもとの平等制に戻っている。国民みんなは政府と国民が平等だと思って政府に従わなくなっている。国民は政府の不平等な命令を聞かず、政府に税金を払わず、政府を潰[つぶ]して政府の仕事を民営化して、政府に国家宗教で虐められなくなっている。今の政府の法律には納税の義務やたくさんの国民を虐める法律が定められているが、国民みんなの法律にはそんなものはないから、国民は政府の法律を破って国民みんなの法律を守ってみんなと平等に暮らせばいいのである。今の政府は国民みんなに逆らって自分の独断で上の者をやっている。今の政府は『国民みんなが国の最高権力者である』という国家の原理を犯してまちがったことをやっている。今の政府はいまだに身分制をやっている少数の国民のためにあるマイナーな政治団体なのである。社会主義に憧[あこが]れている国民からお金を取って社会主義の村に住ませている社会主義の政治団体と同じである。国の本当の法律は国民みんなの法律であって政府の法律ではないから、国民は政府の法律を破ってもかまわないのである。昔の国民みんなは身分制をやっていたから、昔の国の法律は政府を上の者とする身分制の法律だった。今の国民みんなは平等制をやっているから、今の国の法律は人間がみな平等だとする平等制の法律である。税金は平等制の法律に反している。早く国民みんなで政府に税金を払わなくなって政府を倒して、政府の法律の仕事を民営化して、国民と平等な法律会社に正しい法律を定めてもらえばいい。
[20780] 日本は物がない国である。 h26.5.18
日本はもともと物が貧しい国である。これまで日本は言葉の豊かさで物の貧しさを乗り越えてきたのである。日本では言葉のわかる者だけが生き残ってきたので日本人は知覚主義なのである。
ところが、今の国民みんなが身分制をやっているために、政府が上の者をやって国民みんなを虐[いじ]めて、日本から言葉の豊かさをなくそうとしている。身分制では上の者が下の者を虐めるのが“お約束”なので、政府は国民を虐めるために国民の娯楽を奪っているのである。上の者が下の者を虐めるのは上の者が下の者が幸せにしているのを妬[ねた]んだからではなく、もともと身分制では上の者が下の者を虐めるものだと決まっているからである。身分制の社会では、上の者は下の者を虐めたくもないのに虐めているのである。たとえ上の者が下の者を虐めたくなくても虐めなければならないのである。身分制の社会では上の者がいやいやながら下の者を虐めさせられているのである。江戸幕府もくじ引きで国民の誰を虐めるかを決めていたのである。今の日本では国民みんなが身分制をやっているために、政府が国民みんなを虐めなければならなくなって、政府が面白い本を次から次になくしている。そのために、今の日本は物の豊かさも言葉の豊かさも両方ともなくなっている。
このままでは日本が人間にとってなんの面白さもない国になる。人間の住めない国になる。
国民みんなは平等制をやらねばならない。今は戦乱の時代ではないから、今の国民みんなは身分制をやる必要がないから、国民みんなは平等制をやらねばならない。日本を上の者がいないみんなが平等な国にして、上の者がみんなを虐めないようにして、国民みんなの娯楽を守らなければならない。国民みんながたとえ物はなくても幸せに暮らせる国にしないといけない。
国民みんなが政府に税金を払うから国民みんなが身分制をやっていることになって、政府が「国民みんなが自分に上の者をやって欲しいのだ」と思って政府が国民みんなを虐めるのである。だから、国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府に自分たちが身分制をやっていないことをはっきり示して政府に上の者をやりたい気持ちにさせないようにして政府に国民みんなを虐めさせないようにしないといけない。
国民みんなが身分制をやれば、上の者が国民みんなを虐めて国民みんなが不幸になる。反対に、国民みんなが平等制をやれば、上の者が国民みんなを虐めなくなって国民みんながお互いに幸せにし合って国民みんなが幸福になる。だから、平等制が正しい社会の原理である。だから、国民みんなはとにかく平等制をやらねばならない。たとえ政府が国民の役に立つ仕事をやっていても、たとえ国民みんなが政府がないと生きていけなくても、国民みんなは平等制をやって政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。そうして、政府の仕事を民営化して、民間会社に政府の仕事をやってもらわねばならない。国民みんなで早く平等制の社会を実現して、平等制の社会の中でみんなでがんばって幸福に生きていかねばならない。
[20781] どうして今の政府は上の者をやっているのか?☆ h26.5.18
今の政府は国民から高い税金を取ったり国民を国家宗教で虐[いじ]めたりして上の者をやっている。
今の政府が上の者をやっているのは、今の国民みんなが身分制をやっているからである。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。だから、国民みんなが身分制をやれば政府が上の者になり、国民みんなが平等制をやれば政府が平等な者になる。
昔は国民みんなが江戸時代の続きで身分制をやっていたから、国民みんなが政府が上の者だと思って政府に従っていた。国民は政府の不平等な命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に国の仕事をしてもらって、政府に国家宗教で虐[いじ]められていた。
今は国民みんなが自分が平等制をやっているつもりでじつは身分制をやっている。今はテレビ局や新聞社が政府の善いことだけを報道して政府の悪いことを報道しないようにして、国民みんなに政府が平等な者だと思わせている。そのために、国民みんなは自分が平等制をやっているつもりになっているのである。しかし、今の政府は本当は国民みんなを国家宗教で虐めて悪いことをやっている。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。つまり、今の政府は本当は上の者である。今の政府が上の者をやっているのは、今の国民みんなが身分制をやっているからである。国民みんなは自分が平等制をやっているつもりでじつは身分制をやっているから、政府は平等な者のふりをしてじつは上の者なのである。
今の国民みんなは気合いを入れて平等制をやらねばならない。今の国民は政府と完全に平等にして、政府の不平等な命令を聞かないようにして、政府に税金をいっさい払わないようにして、政府を潰[つぶ]して政府の仕事を民営化して、政府に国家宗教で虐められないようにしないといけない。
今はまだ国民みんなが平等制をやっていない。今の日本はまだ平等制の国ではない。今の国民みんなはテレビや新聞の情報操作に騙[だま]されて「今の日本は平等な国だ」と思って油断している。しかし、本当は今はまだ国民みんなが身分制をやっている。今の日本はまだ身分制の国である。国民みんなは平等制を今よりももっと進めて、日本を完全な平等制の社会にしないといけない。
[20782] この世には“人間にわからないこと”がある。 h26.5.18
私が神とされているのは、私が赤ちゃんの頃に夜中に突然私の上に吊[つ]ってあったガラガラ(赤ちゃんをあやすために音を出してグルグル回るクラゲみたいな形をしたプラスチック製のオモチャのこと)が回ったからである。
夜中に突然私の上に吊ったあったガラガラが回った原因はわからない。
つまり、この世にはまだ“人間に理解できない現象”があるということである。ただし、それはおそらく私の超能力のせいではないということである。つまり、私の頭の上に吊ってあったガラガラが回ったことは、“これまでに人類がまったく知らない原理によって起こった現象”だったのである。ガラガラが回ることはありふれたことだが、ガラガラが回った原因が“これまでにまったく発見されていない新しい原理”によるものだったのである。この世にはまだ我々の知らない物理原理がたくさん隠されているのである。宇宙は今の人類が考えているほど単純なものではないということである。宇宙は私の家族にだけほんのちょっと真実の姿を見せてくれたのである。当時の私の家族が住んでいた家屋の条件がたまたま宇宙の未知の力を引き出す条件に合致[がっち]していたので、通常の物理学では動くはずのないガラガラが回ったのである。
人間の科学は今から300年ぐらい前に始まったばかりだし、宇宙は広大無限だから、今の時代の人間に理解できないことがあっても不思議ではない。科学は日進月歩[にっしんげっぽ]だから、今の時代にわからないことでも、今から100年後、200年後の科学では理解できるようになるかもしれない。
神武天皇が神とされているのは、神武天皇が戦っている最中[さいちゅう]に突然プラズマが現れたからである。古代の人にプラズマがわかるわけがない。[ちなみに、プラズマとは、空中の電磁波によって空気が熱せられて空気分子が溶けて原子核と電子に分解してドロドロになった状態である。プラズマについての研究が進めば核融合もできるようになると言われている。]だから、昔の日本人は神武天皇が戦っている最中に現れた光の玉を理解できないものとしてずっと放置していた。ところが、ヨーロッパ人は“人間に理解できない現象”があることを認めないから、ヨーロッパから国家宗教が伝わるとさっそく神武天皇が神にされることになったわけである。
今の人間にわからないことは未来の人への宿題ということでわからないままにしておいて、無理にわからなくてもいいということである。
私の頭の上に吊ってあったガラガラが回ったことは数回あったそうだ。床に置いてあった車のオモチャがひとりでに動き出すことがあったと聞いたこともある。しかし、それは私の家族が高知市朝倉曙町東町[あけぼのちょうひがしまち](弘瀬病院のすぐ西)の木造の貸家に住んでいたときだけで、私が2歳3ヶ月の頃に高知市朝倉若草町の県営住宅23号に引越ししてから後はまったく起こらなくなった。だから、私が赤ちゃんの頃に住んでいた曙町東町の土地に謎を解く鍵があるのかもしれない。つまり、私が超能力者だったのではなく、曙町東町が超能力者だったのである。ガラガラは我々の知らない未知の力『曙力』[あけぼのりょく]によって回転したのである。実際に、私の母親がガラガラが回ったのを見たとき、私は寝床でぐっすり眠っていて、私の母親は「近所のおじいさんの幽霊がイタズラをしてガラガラを回した」と思ったそうだ。つまり、私の母親には私がガラガラを回しているとはまったく思えなかったということである。だから、やはり私がガラガラを回したのではなかったのである。ガラガラが未知の力によって回ったことは確かだが、私の超能力によるものではなかったのである。
ただ、私を神とする国家宗教は政府がやっているのであって、物理学者がやっているのではない。だから、ガラガラが回ったのはそんなに厳密なことではなかったのかもしれない。私の母がボケていて見まちがっただけなのかもしれない。今の国民みんなが身分制をやっているために今の政府は上の者だから、政府が私の母を脅[おど]して私の母に作り話を言わせたのかもしれない。国民みんなが身分制をやっている身分制の時代には、政府が無敵状態なので、政府が何でもできるのである。テレビ時代になって、天皇の顔が国民みんなに割れて天皇が魅力がなくなったので、政府は無名[むめい]の私を新しい国家宗教の神にして国家宗教を始めたのである。しかし、今では国民みんなが身分制から平等制に変わっているので、いくら政府が私を国家宗教の神にしても、国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。そもそもガラガラが回ったのは私の超能力のせいではなく“未知の力”によるものだから、私は神ではないから、国民みんなは私を神とする国家宗教をやらなくていい。国民みんなは平等制をやって、上の者をやる政府を倒して、みんなが平等な国にすればいいのである。
[20783] 日本人はヨーロッパ人にはなれない。 h26.5.19
日本人がいくらヨーロッパ人になりたいと思ってもヨーロッパ人になれるわけがない。日本人とヨーロッパ人では遺伝子が違うから、日本人がいくらがんばってもヨーロッパ人になれるわけがない。
ヨーロッパ人になりたいと思っている日本人は頭がおかしい。気が狂っている。マンガの読みすぎで、自分にできることとできないことの区別が付かなくなっている現実離れした知恵遅れの馬鹿である。
政府が国民に「ヨーロッパ人みたいになりたいんだろう?」と言っているのはただの冗談である。だから、本気にしてはいけない。天皇がときどきヨーロッパに外交に行くから、政府はそのことを使って国家宗教で国民みんなにヨーロッパ人と同じことをやらせているのである。今の国民みんなが身分制をやっているために今の政府は上の者だから、政府は国民みんなを虐[いじ]めるために、国民みんなに嫌なことをやって、国民みんなが喜ぶことをなくして、日本を日本人にとって喜びのないつまらない国にしているのである。
日本人は日本人でしかない。だから、日本人は日本人の長所を活かすことが大事なのである。日本人には眼で見る喜びよりも頭で考える喜びがあるから、日本人は言葉を書いたり読んだりして自分の頭で考えて喜ぶようにすればいいのである。今の政府は国民を虐めるために国民に眼で見る喜びを強要して、わざわざ日本人にとって面白くないことをやらせているのである。日本人は自分がヨーロッパ人になろうとして無駄[むだ]な努力をするよりも、自分が日本人として真正直[ましょうじき]に生きればいいのである。そのほうが日本人にとって幸福になれる。
早く国民みんなで身分制をやめて平等制をやって、国民みんなが政府に税金を払わないようにして政府を倒して、国民みんなを虐める者をなくして、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
[20784] どうして今の国民は身分制をやっているのか?☆☆ h26.5.19
国民みんなが身分制をやっているからである。
国民の多くは自分で何も考えずわけもわからずに他人の真似[まね]をする馬鹿なので、周[まわ]りのみんなが身分制をやっているのを眼で見て真似て自分も身分制をやっているのである。そのために、政府が上の者をやって、国民に不平等な命令をして、国民から高い税金を取って、国民を国家宗教で虐[いじ]めているのである。
しかし、そもそも国民みんなが身分制をやりだしたのは戦乱を鎮[しず]めるためである。戦国時代に戦争で国が荒れて大勢の人が死んだので、国民みんなは困ってしかたなく身分制をやることにしたのである。国民みんなは徳川幕府を上の者だと思って、徳川幕府に従うことにしたのである。おかげで国は鎮まったが、幕府が上の者になって、幕府が国民に不平等な命令をして国民から高い年貢[ねんぐ]を取って、国民を虐めるようになってしまった。近代になって政治機関が幕府から政府に変わっても、国民みんなは依然[いぜん]として身分制をやり続けたので、政府も幕府と同じように上の者になって、国民に不平等な命令をして国民から高い税金を取って、国民を国家宗教で虐めていたのである。
しかし、今は文明が進んでみんなが暮らしが楽になって面倒臭い戦[いくさ]をしなくなって戦乱のない時代だから、もはや国民みんなは身分制をやらなくていい。国民みんなは平等制をやればいい。平等制のほうが、上の者がいなくて、上の者が国民みんなを虐めないから、国民みんなが幸福である。だから、国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。
国民は他人を眼で見て真似するのではなく、自分の頭で考えて正しいことをやって身分制をやめて平等制をやればいい。国民は政府と平等にして、政府に税金を払わないようにして、政府を倒せばいい。政府の仕事を民営化して、民間会社に政府の仕事をやってもらえばいい。そうやって、国民みんなが幸福に暮らせる国にすればいい。
[20785] 今は国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中である。 h26.5.19
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが自分の好きなように国を作ればいい。国民みんなが国民みんなが幸福に暮らせる国を作ればいい。
国民みんなにとっては身分制の国よりも平等制の国のほうが幸福である。身分制の国では上の者がいて上の者が国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなが不幸だが、平等制の国では上の者がいなくて国民みんながお互いに幸せにしあって国民みんなが幸福である。だから、国民みんなは平等制の国を作ればいい。
ただし、戦国時代には国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるためにやむを得ず身分制をやらねばならなかった。昔の国民みんなは身分制をやっていた。近代になって戦乱がなくなってからも、国民みんなはすぐに身分制がやめられずしばらく身分制をやっていた。
だから、今は国民みんなが身分制から平等制に変わっている途中である。
そういう時代には多数決が利[き]かないから、国民は自分勝手に身分制をやめて平等制をやればいい。国民みんなはいくら周[まわ]りのみんなが身分制をやっていても自分は平等制をやればいい。国民は自分勝手に政府に従うのをやめて政府と平等にすればいい。国民は政府に税金を払うのをやめて政府と自由に契約して政府にお金を払えばいい。国民は政府に任意でお金を払えばいい。国民は政府にただで仕事をしてもらえばいい。
国民みんなで早く政府を倒して、政府の仕事を民営化して、民間会社に政府の仕事をやってもらわねばならない。国民がすべての会社と自由に契約して会社にお金をやって仕事をやってもらうようにしなければならない。
[20786] 今では国民みんなが平等制をやるのが正しい。 h26.5.19
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが自分の好きなように自由に国を作ればいい。国民みんなは国民みんなが幸福に暮らせる国を作ればいい。
戦乱のない時代には、国民みんなは平等制の国にすればいい。身分制の国では上の者が国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなが不幸だが、平等制の国では上の者がいなくて国民みんなが互いに幸せにし合うから国民みんなが幸福である。だから、国民みんなは普通の時代には平等制をやればいい。
反対に、戦乱のある時代には、国民みんなは身分制をやらざるを得ない。身分制の国では上の者が国民みんなを支配しているので戦乱が起こらないが、平等制の国では上の者がいなくて国民みんなが自分の好き勝手にやって戦乱が起こるから、国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるためには身分制をやらねばならない。
つまり、戦乱の時代には国民みんなが身分制をやるのが正しく、戦乱のない時代には国民みんなが平等制をやるのが正しい。
中世の後期には、日本では国中で戦争をやっていたから、国民みんなが身分制をやっていた。
今は文明が進んでみんなの暮らしが楽になってみんなが戦争をやるのが嫌になって戦争をやめたから、国民みんなが平等制をやればいい。
今では国民みんなが平等制をやるのが正しいから、国民は平等制をやればいい。今では国民みんなが身分制をやめて平等制をやる時代だから、国民みんなが身分制から平等制に変わる時代だから、そういう時代には多数決は利[き]かないから、国民は他人にかまわず勝手に平等制をやればいい。国民は政府と平等にして、政府の不平等な命令を聞かないようにして、政府に税金を払わないようにして、政府を倒せばいい。政府の仕事を民営化して、民間会社が政府の仕事をすればいい。国民がすべての会社と自由に契約して会社にお金をやって仕事をやってもらうようにすればいい。
政府は自分が上の者であったほうが有利なので、戦乱のない時代になってもなかなか自分から平等な者をやろうとしない。戦乱のない時代になっても、政府は依然[いぜん]として上の者のままである。政府はずうずうしく上の者をやり続けようとする。国民みんなは国の最高権力者だから、国民みんなは政府よりも強いから、たとえ政府が上の者をやろうとしても、国民みんなは強引に身分制をやめて平等制をやればいい。そうすれば、政府が倒れてなくなって、国民みんなが幸福に暮らせる国になるだろう。国民みんなは自分たちが幸福に暮らせる国を実現するために、何が何でも平等制をやらねばならない。
[20787] 今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。 h26.5.20
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。国民みんなが自分たちが幸福になるようにすればいい。
戦乱のない時代には、国民みんながお互いに幸せにし合えばいいから、国民みんなは平等制をやればいい。
戦乱のある時代には、国民みんなが上の者を定めて国民みんなが上の者に従うことで戦乱を鎮[しず]めればいいから、国民みんなは身分制をやればいい。
日本は中世の終わりには文明が遅れていて、国民みんながまじめに働くよりも戦争をするほうが楽だったので戦乱の時代だった。近代以降は文明が進んで、国民みんなが戦争をするよりもまじめに働くほうが楽になったので戦乱がなくなった。
だから、今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。国民は国民みんなの一員として身分制をやめて平等制をやればいい。
つまり、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、政府の仕事を民営化して民間会社が政府の仕事をするようにして、国民一人一人が民間会社と自由に契約して会社にお金を払って仕事をやってもらえばいいのである。
国民みんなは国民みんなを幸福にすることだけ考えればいい。政府のことなんかどうでもいい。国民みんなは政府を滅ぼしてでも自分たちが幸せになればいい。
[20788] 身分制の社会では国民みんなの仕事がきつい。 h26.5.20
身分制の社会では、国民みんなが上の者に従う。上の者は国民みんなに命令してお金を取って国民みんなを虐[いじ]める。上の者が遊んで暮らして国民みんなが汗水流して働いている。上の者が遊んでいるのに裕福で、下の者が働いているのに貧乏である。
平等制の社会では、みんなが平等である。みんなが均等に働いて均等にお金をもらっている。よく働く者ほどお金が儲[もう]かる。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが自分の好き勝手にすればいい。国民みんなにとっては身分制よりも平等制のほうが有利である。だから、国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。
今の国民みんなが身分制をやっているのは、戦国時代に国民みんなが戦乱を鎮[しず]めるために身分制をやっていた名残[なごり]である。今の国民みんなが身分制をやっているために世の中がねじ曲がって変になっているのである。今は戦国時代ではないから国民みんなは身分制をやる必要がない。早く国民みんなは身分制をやめて平等制をやって、まともな世の中にしなければならない。
[20789] 今の国民みんなは政府の情報操作によって自分が平等制をやっているかのように思わされている。☆
h26.5.20
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
戦乱のある時代には国民みんなは身分制をやればいいが、戦乱のない時代には国民みんなは平等制をやればいい。
今は戦乱のない時代だから、国民みんなは平等制をやればいい。
だから、今の国民みんなは平等制をやるようにしている。
しかし、今の国民みんなは本当は身分制をやっている。今の政府は本当は上の者をやっているのに、テレビや新聞などで情報操作をやって国民みんなに政府が善いことをやっていることだけを報道して悪いことをやっていることを報道しないようにして、国民みんなに政府が平等な者をやっていると思わせている。国民みんなが身分制をやれば政府は上の者になり、国民みんなが平等制をやれば政府が平等な者になるから、政府は国民みんなに政府が平等な者をやっていると思わせることによって、国民みんなに本当は国民みんなが身分制をやっているのに国民みんなが平等制をやっているかのように思わせているのである。
今の国民みんなは本当は身分制をやっている。政府に税金を払っているのがその証拠である。政府は本当は上の者をやっている。政府は国民に不平等な命令をして、国民から高い税金を取って、税金でほんのちょっとだけ国民の役に立つことをやって、国民を国家宗教などで虐[いじ]めている。政府は国民が嫌がることを増やして、国民が喜ぶことをなくして、国民が幸せに暮らせないようにして国民を虐めている。
今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやらねばならない。今の国民みんなは政府と自分が平等だと考えて、政府に税金を払わないようにして政府を倒して、政府の仕事を民営化して民間会社に政府の仕事をやってもらわねばならない。国民みんながすべての会社と自由に契約して会社にお金をやって仕事をしてもらわねばならない。
今の国民はもっとしっかりして政府の情報操作に引っかからないようにして、自分で考えてきちんと本当の平等制をやらねばならない。いつまでもダラダラと政府に税金を払い続けていてはいけない。
国民みんなは本当の平等制をやって、国民みんなが上の者に虐められることのない国民みんながお互いに幸せにし合って国民みんなが幸福に暮らせる社会にしなければならない。
今の政府は通常の政治機関としての仕事のほかに上の者としての活動もやっている。政府は国民に不平等な命令をして国民から高い税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐めたりしている。今の政府が情報操作をやって自分が上の者をやって悪いことをやっているのを隠しながら仕事をしているのは詐欺[さぎ]である。政府は江戸幕府が「上に下に」と言いながら大名行列をやっていたように何らかの形で国民みんなに自分が上の者をやっていることを明確に示すべきだったのである。今の政府は国民みんなに政府が上の者をやっていることを教えてくれないから、今の国民みんなが自分で自分が身分制をやっていることを知らねばならない。国民みんなは自分が身分制をやっていることを知って、身分制をやるのをやめねばならない。今は戦乱のない時代だから、平等制をやらねばならない。今の政府は自分が国民から高い税金を取ったり国民を虐めたりすることができるという理由で上の者をやっているだけである。今の政府は国民みんなの役に立つために上の者をやっているのではない。今の政府は戦乱を鎮[しず]めるために上の者をやっているのではない。今の政府が上の者をやっても国民みんなにとっては不利なだけである。国民みんなは自分たちで平等制をやって政府と平等にして、政府に上の者をやるのをやめさせねばならない。
[20790] 今の国民は平等制の法律を守ればいい。☆ h26.5.21
国民みんなは国の最高権力者である。国の法律は国民みんなが決める。法律会社は国民みんなが決めた法律を法律にできるだけである。
国民みんなが身分制をやっていると、国の法律は身分制の法律になる。国民みんなが政府に従わねばならない。国民みんなが政府の命令で税金を払ったり、国家宗教のバカバカしいことをやったり、何でもかんでもやらねばならない。国民みんながいくら政府に虐[いじ]められてもけっして政府に抵抗してはいけない。
国民みんなが平等制をやっていると、国の法律は平等制の法律になる。国民と政府は平等である。国民は政府に従わなくていい。みんなが平等であって、みんなが同じ平等制の法律を守らねばならず、みんなが他人と契約を取って他人にお金をやって他人に仕事をしてもらえばいい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令で国家宗教をやったりしなくていい。国民が政府に虐められたら、国民が政府に仕返ししてもいい。
今では国民みんなが身分制をやめて平等制をやるようになって、国の法律が身分制の法律から平等制の法律に変わっている。だから、国民は身分制の法律を守らず平等制の法律を守って暮らせばいい。今の政府は自分の独断で上の者をやって身分制の法律を定めて国民みんなに従っていないから、今の政府は“トラの威[い]を借りていないキツネ”である。[トラが国民みんなのことで、キツネは政府のことである。]今の政府には力はない。国家権力はない。今の政府はただの飾りだから、政府は国民にとって恐れるに足らずだから、国民は政府を無視して国民みんなが決めた決まりを守ればいい。
[20791] 今の政府は国の外にある。 h26.5.21
今の国民みんなは平等制をやっている。そのために、今の日本は平等制の国になっている。上の者がいないみんなが平等な国になっている。
それなのに、今の政府は国民みんなに従ってみんなと平等にしようとせず、自分の独断で上の者をやっている。政府は国民に不平等な命令をして国民から税金を取ったり、国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐[いじ]めたりしている。
今の政府は国の外にある。今の政府は自分の独[ひと]りよがりである。だから、政府は自分国[じぶんこく]なのである。今の政府は自分が国の最高権力者だと思っているから、政府自体がひとつの国ということになるから自分国なのである。地球から遠く離れたところにある『ミンキーモモ』のフェナリナーサなのである。
国民は政府を無視して、国民みんなだけでやればいい。国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒して、国民みんなで政府の仕事をする民間会社を建てて、国民が会社と自由に契約して会社にお金をやって仕事をやってもらえばいい。それまでの間は、国民みんなは政府を民間会社の代用として使って、政府に任意でお金をやって(実際にはただで)仕事をしてもらえばいい。国民みんなでそういう決まりを決めて政府にただ働きをさせればいい。今の政府が自分の独断で上の者をやっている罰[ばつ]として、国民が政府の仕事をただで利用できることにすればいい。
『ミンキーモモ』では、夢の国フェナリナーサはミンキーモモが人々の願いをかなえてドリームコンピューターの間[ま]にある王冠に12個の宝石が嵌[はま]ったら地球に帰れることになっていた。ミンキーモモは私のことである。つまり、政府が私を神とする国家宗教で国民みんなに善[よ]いことをして国民みんなの人気を取れば、国民みんなが政府といっしょに身分制をやるようになって政府が国民みんなの政治機関になれることになっていた。しかし、現実にはたとえ政府が多少国民みんなを国家宗教で喜ばせてくれても、国民みんなは身分制をやめて平等制をやって、政府といっしょに身分制をやったりはしない。国民みんなは身分制がまちがっている社会制度であることを知っているので、たとえ自分が損をしても身分制をやったりはしないのである。今の国民みんなは身分制をやめて平等制をやって、政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。だから、『ミンキーモモ』でもフェナリナーサは地球に帰れなかったのである。
国民みんなが身分制をやれば、政府が上の者をやって政府が国民みんなを国家宗教などで虐めて国民みんなが不幸になる。国民みんなが平等制をやれば、国民みんなを虐める上の者がいなくなって、国民みんながお互いに幸福にし合って国民みんなが幸福になる。国民みんなは国の最高権力者だから、国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。だから、国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。
[20792] 今の国民は遊びすぎである。 h26.5.21
今の国民みんなは馬鹿である。
今の国民みんなは自分が正しいことをしているつもりでまちがったことばかりやっている。例えば、今の国民みんなは自分が平等制をやっているつもりで本当は身分制をやっている。今の国民みんなは平等制と身分制の区別もつかなくなっている。
今の国民みんなが馬鹿だからまんまと政府に騙[だま]されるのである。政府が情報操作をやって政府が善いことをしていることだけを報道して国民みんなに政府が平等な者だと思わせることによって、国民みんなに自分が平等制をやっていると思わせているのである。
昔はテレビやゲームなどの視覚的な娯楽がなかったから、国民みんなが頭で考えて現実のことをよく知ってしっかりしていた。今はテレビやゲームなどの視覚的な娯楽がいっぱいあるから、国民みんなが頭で考えなくなって現実のことを知らなくなって馬鹿になっている。
今の国民みんなはテレビやゲームなどで遊ばないようにして、もっと自分の頭で現実について考えて、政府に騙されないようにしなければならない。
政府は国民を虐[いじ]めるために国民の娯楽を規制して、国民がもっと自分の頭で考えるようにしないといけない。
[20793] 今の政府は情報操作をやって国民を騙[だま]している。 h26.5.21
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが自分の好き勝手にやればいい。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。
戦乱のある時代には国民みんなが戦乱を鎮[しず]めるために身分制をやらねばならない。反対に、戦乱のない時代には国民みんなは自分たちが上の者に虐[いじ]められないために平等制をやればいい。
今は戦乱のない時代だから、国民みんなは平等制をやればいい。
だから、今の国民みんなは平等制をやるようにしている。
しかし、政府は情報操作をやって政府が善いことをしていることだけを報道して国民みんなに政府が平等な者だと思わせて、国民みんなに自分が平等制をやっていると思わせている。国民みんなは本当は身分制をやっているのに、政府の情報操作に騙されて自分が平等制をやっていると思わされている。
実際には、国民みんなは身分制をやっている。国民みんなが政府に税金を払うのは身分制である。今の国民みんなが政府に税金を払っているのは、今の国民みんなが身分制をやっているからである。政府は上の者をやっている。政府は国民に不平等な命令をして、国民から高い税金を取って、税金で国民のためにほんのちょっとだけ役に立つことをやって(政府は法律や学校や水道やゴミだけやって、あとは遊んでいる)、国民に国家宗教をやらせて、国民を国家宗教で虐[いじ]めている。政府は国民みんなが嫌がることをして、国民みんなが喜ぶことをなくして、国民みんなが幸福に暮らせない国を作っている。国民みんなが身分制を長い間やればやるほど政府は上の者になって国民みんなを激しく虐めるようになる。
国民みんなは政府の情報操作に騙されないようにして、自分が身分制をやっていることを知って、身分制をやめねばならない。国民みんなは平等制をやって、政府と平等にして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。政府の仕事を民営化して、民間会社が政府の仕事をして、国民みんなは民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
[20794] 今の国民はどうして政府に税金を払っているのか?☆ h26.5.21
国民が自分で身分制をやっているからである。身分制では国民が政治機関を上の者だと思って政治機関の命令で税金を払うことになっているから、国民が身分制をやっていれば国民は政府に税金を払うのである。
国民は政府が国民から税金を取っているのを見て「政府が悪い」と思っているが、じつは『国民自身が身分制をやっているのが悪い』のである。
だから、国民が政府に税金を払わないためには、国民自身が身分制をやめればいいのである。
今の国民は自分が身分制をやるのをやめて平等制をやるようにして政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]せばいいのである。政府の仕事を民営化して、民間会社が政府の仕事をやればいいのである。国民は民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらえばいいのである。
[20795] 政府はどうして国民を虐[いじ]めているのか? h26.5.21
今の国民が身分制をやっているからである。今の国民が身分制をやっているから、政府が上の者になって国民を虐めているのである。国民みんなは国の最高権力者であり、国民みんなが国を決めるから、国民みんなが身分制をやれば政府が上の者になるのである。身分制は人間の頭の中にあるプログラムであって眼で見えないから、国民の多くには政府が国民から税金を取ったり国民を虐めたりしている理由がなかなかわからないのである。
政府は国民を虐めることによって国民に「政府が悪い」と思わせて、国民に政府に対する憎しみの感情を持たせて国民の判断を狂わせて、国民に『国民自身が身分制をやっているのが悪い』ことがわからないようにしているのである。
国民は自分の頭を冷やして「政府が悪い」と思わないようにして『自分が身分制をやっているのが悪い』と思うようにして身分制をやめねばならない。そうすれば、政府は上の者がやれなくなって、政府は国民を虐められなくなって国民を虐めなくなるだろう。
政府は情報操作をやって政府が善いことをやっていることだけを報道して国民みんなに「政府が平等な者だ」と思わせて国民みんなに「自分が平等制をやっている」と思わせているが、たとえ国民に政府が国民を虐めていることが知られても国民に感情的にならせて「政府が悪い」と思わせて『自分が身分制をやっている』と思わせないようにして、国民が平等制をやって政府を倒さないようにさせて自分の身を守っているのである。だから、国民は政府の小細工[こざいく]に惑[まど]わされないようにして、冷静になって平等制をやって政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
身分制よりも平等制のほうが国民みんなにとって有利である。政府にとっては身分制が有利だが、国民みんなにとっては平等制が有利である。国民みんなが国の最高権力者である。国は国民みんなの自由である。だから、国民みんなは身分制をやめて平等制をやればいい。たとえ政府が文句を言っても、国民みんなのほうが政府よりも権力が強いから、政府を無視して国民みんなの好き放題にすればいいのである。
[20796] 国のみんなは国民みんなに従わねばならない。 h26.5.21
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。
戦乱のある時代には国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるために身分制をやればいいが、戦乱のない時代には国民みんなは上の者に虐[いじ]められないために平等制をやればいい。
今は戦乱のない時代だから、国民みんなは平等制をやっている。
ところが、政府は国民みんなを無視して自分勝手に上の者をやっている。
そのために、国民みんなは政府を無視して平等制をやっている。国民はいくら政府が不平等な命令をして国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせようとしても、政府に税金を払わず国家宗教をやらないようにしている。
そのために、今の政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
国民みんなは国の最高権力者である。だから、国のみんなは国民みんなに従わねばならない。それが国の掟[おきて]である。ところが、今の政府は国民みんなに従っていない。今の政府は国の掟を犯している。だから、政府は潰れねばならない。政府が潰れるのは政府の自業自得である。今の政府は自分で自分を潰しているのである。今の政府が国民みんなに従わないのは無謀[むぼう]である。政府の思い上がりである。だから、国民は政府にかまわずに政府に税金を払わず政府を潰せばいいのである。今は平等制の時代だから、政府が国民と契約を取らないかぎり、国民はたとえ政府に仕事をしてもらっても政府にお金を払わなくていいのである。今は平等制の時代なのに、政府が国民とちゃんと契約を取らないのがいけないのである。だから、国民は政府の仕事をただで利用すればいいのである。
今の国民みんなは平等制をやっているから、今の政府が自分勝手に上の者をやっているのが悪いのである。だから、国民は政府に従って政府の不平等な命令を聞いて政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしなくていいのである。国民は国民みんなに従って平等制をやって、政府と平等にして、政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。政府にただで仕事をしてもらえばいいのである。
今の日本では国民みんなが平等制をやっている。だから、今の日本は平等制の国である。今の日本の中に政府という名の身分制の政治団体があるだけである。身分制をやりたい国民は政府のお世話になればいい。政府の不平等な命令を聞いて政府に税金を払って政府に虐められればいい。平等制をやりたい国民は政府を無視して暮らせばいい。早く国民みんなで政府の仕事をする民間会社を建てて、民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
政府が明治維新の時には国民みんなに従ったのに、今では国民みんなに従わないのは政府がおかしい。これでは、政府が自分の興味本位で上の者をやっているとしか思えない。政府はまじめにどんなときでも国民みんなに従わねばならない。それが嫌なら政府は滅ぶしかない。
昔は江戸時代の名残[なごり]で国民みんなが身分制をやっていたから、国民みんなが政府に従って、政府が国を自分の好き放題にできた。政府が国民みんなに命令して国民みんなを好き放題にできた。しかし、今は江戸時代の名残も消えて国民みんなが平等制をやっているから、国民みんなが政府に従わなくなって、政府が国を自由にできなくなっている。今ではいくら政府が国民みんなに命令しても、誰も政府の命令を聞かない。政府はどうしようもなくなって、国民みんなと平等に働くようになっている。
[20797] 政府は国民みんなに自分が平等制をやっていると思わせてじつは身分制をやらせている。
h26.5.22
政府は本来国家事業をする会社である。政府はいくつかの国家事業をする会社の集合体である。
国民みんなが平等制をやっている時代には、政府は国民みんなと平等にして、国民みんなと自由に契約して国民みんなからお金をもらって国民みんなのために役に立つ善いことをする。
しかし、国民みんなが身分制をやっている時代には、政府は上の者をやって、国民に不平等な命令をして、国民から高い税金を取って、税金でほんのちょっとだけ国民の役に立つことをやって、国民を国家宗教で虐[いじ]めて悪いことをする。
つまり、政府は悪いことをするものだと決まっているわけではなく、平等制の時代には政府は善いことをするのである。政府は平等制の時代には善いことをして、身分制の時代には悪いことをするのである。政府が悪いことをする原因は身分制にあるのである。政府が悪いことをするのは、国民みんなが身分制をやっているからである。反対に、国民みんなが平等制をやれば、政府は善いことをするのである。
今の国民みんなは本当は身分制をやっている。今の政府は上の者をやっている。今の国民みんなは政府の不平等な命令を聞いて、政府に税金を払って、政府に税金で国の仕事をやってもらって、政府に国家宗教で虐められている。ところが、今の政府は情報操作をやって自分が善いことをしていることだけを報道させて、国民みんなに「政府が国民と平等にしている」と思わせて、国民みんなに「自分が平等制をやっている」と思わせているのである。そうすることで、政府は国民みんなに自分が平等制をやっていると思わせながら実際には身分制をやらせているのである。国民みんなが実際には身分制をやっていながら平等制をやっているかのように思わせているのである。もっとも、厳密には税金は平等制ではないが、国民みんなは税金ぐらいどうでもいいと思って税金を払っているのである。
今の国民みんなは本当は身分制をやっている。今の国民みんなが政府に税金を払っているのが今の国民みんなが身分制をやっている証拠である。だから、政府は上の者をやっている。政府は国民の眼で見えないところで国民を虐めているのである。政府はテレビや新聞の外で国民みんなをさんざん虐めまくっているのである。
今の国民みんなは自分が平等制をやっていると思っているが、本当は身分制をやっている。国民みんなは政府のトリックに騙[だま]されないようにして、自分でしっかり平等制をやらねばならない。政府に上の者をやらさないようにして、政府に国民みんなを虐めさせてはいけない。国民みんなは政府と平等にして、政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。政府を潰[つぶ]して、政府の代わりに政府の仕事をする民間会社を建てて、民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
そもそも国民みんなと政府は頭の出来が同じだから、政府が国民みんなを騙すことはできない。政府のトリックなんかアホでもわかる。そのため、今の政府は国民みんなを軽く騙しているだけである。今の政府は本気で国民みんなを騙すつもりはない。政府が国民を騙すのにも限界がある。税金は身分制のままである。そのため、国民みんなに半[なか]ば自分が身分制をやっていることがバレている。国民みんなは自分がはっきり身分制をやっていると考えて、身分制をやめねばならない。国民みんなは自分の意思で平等制をやって政府に税金を払うのをやめて、政府を倒さねばならない。
[20798] 今の国民みんなは本物の平等制をやらねばならない。☆☆ h26.5.22
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。
戦乱のある時代には国民みんなは戦乱を鎮[しず]めるために身分制をやればいい。戦乱のない時代には国民みんなは上の者に虐[いじ]められないために平等制をやればいい。
今は戦乱のない時代だから、国民みんなは平等制をやればいい。
そのため、今の国民みんなは平等制をやるようにしている。
そこで、今の政府は情報操作によって国民に平等制をやっているつもりにならせてじつは身分制をやらせている。
今の国民みんなは政府に騙[だま]されている。今の国民みんなは政府にニセモノの平等制をやらされている。今の国民みんなは政府にバッタもんの平等制をつかまされている。
だから、今の国民みんなは本当の平等制をやらねばならない。今の国民みんなはもっと気合いを入れて平等制をやらねばならない。国民みんなは政府と平等にして、政府の不平等な命令を聞かず、政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。政府は国民と契約を取っていないから、国民は政府の仕事(警察や学校など)を無料で利用してもいい。民間会社が政府の仕事をやって、国民みんなは民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらわねばならない。
[20799] 今の国民は平等制をやればいい。☆ h26.5.22
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民は国民みんなに従わねばならない。
国民みんなが身分制をやるか平等制をやるかは国民みんなの自由である。国民みんなは国民みんなが幸福になるようにすればいい。
戦乱のある時代には国民みんなが身分制をやればいい。戦乱のない時代には国民みんなが平等制をやればいい。
今は戦乱のない時代だから、国民みんなは平等制をやればいい。
今は平等制の時代である。今では国民みんなが平等制をやっている。
だから、国民は国民みんなに従って平等制をやればいい。国民は政府と平等にして政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。政府の仕事を民営化して、民間会社と自由に契約してお金をやって仕事をやってもらえばいい。
国民は政府に税金を払えと言われたら「自分は平等制をやっているから税金を払わない」と言って政府に税金を払うのを断らねばならない。
[20800] 古代の国民みんなはどうして身分制をやらなかったのか?☆ h26.5.22
戦国時代には各地の大名が戦争をしていたが、実力が伯仲[はくちゅう]していたために戦争が長引いて国民みんながウンザリしていたので、国民みんなでしかたなく身分制をやることに決めて、国民みんなで徳川幕府を上の者にして徳川幕府に従うことにして戦争を鎮[しず]めた。国民みんなはいまだに当時の身分制を引きずっている。今では国内で戦争なんかしていないから、国民みんなは早く身分制をやめねばならない。
古代にも各地の豪族が戦争をしていたはずである。それなのに、当時の国民みんなは身分制をやらなかった。平等制で通した。
それは、日本政府が強かったからである。日本政府がメチャ強かったからである。古代の日本政府軍がローマから仕入れた最新の武器を使って戦ったので、日本政府が各地の豪族を楽勝[らくしょう]で倒した。日本政府が強すぎたので日本がすんなり統一された。そのために、古代の国民みんなは身分制をやらなかったのである。
古代や中世の日本では日本政府が実力で日本を支配していた。だから、国民みんなは身分制をやらずにすんだのである。国民みんなが平等制をやって、国民みんなと政府がなかよく平等に暮らしていたのである。たとえ古代や中世に身分があったとしても、それは実力による地位のことだったのであり、身分制による身分ではなかったので、実際にはみんなが平等だったのである。
古代の日本政府のように強すぎるヤツがいれば、戦争が長引かないので、国民みんなはわざわざ嫌な身分制をやらなくてもよかったのである。
古代には日本政府が日本を支配して統一していたが、中世になると武士を中心とする新興勢力が起こってしだいに日本政府の支配が弱まって日本が再びバラバラになって小さい国同士が互いに戦争をやるようになってしまった。こうして日本は戦国時代に突入したのである。しかも、今度は日本政府のようなメチャ強いヤツがなかなか現れなかったので、国民みんなが身分制をやって無理やり戦争を鎮めなければならなかったのである。国民みんなは当時の身分制を引きずって今でもしつこくやっているのである。そのために、政府が上の者となって国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなを不幸にしているのである。
もしも戦国時代に戦車ぐらい作れる国があったら、あっという間に戦[いくさ]に勝って日本を統一して、国民みんなが身分制をやらなくてもよかっただろう。そうすれば、今の日本も平等制の善い国だっただろう。
ヨーロッパはローマがあったから身分制をやらなくてすんだのである。インドはローマがなかったから身分制をやらねばならなかったのである。中国はヨーロッパと同じようにときどき強い国が現れて全国を支配してきたから身分制がないのである。
今の日本では文明が発達して都道府県を結ぶ鉄道や道路などの交通網が発達して日本はひとつである。国とは物流のある範囲のことであり、文明の発達によって物流が広がって国が拡大して今では日本がひとつの国になったのである。新幹線や高速道路が日本を統一しているのである。もはや日本はバラバラではない。だから、今では戦[いくさ]は起こらない。今は戦国時代ではない。今では戦や身分制で日本を統一するのではなく、文明で日本を統一するのである。だから、今では政府や幕府などの政治機関は要らない。今では文明があればいいだけである。国民みんなは戦も身分制もやらなくていい。文明をやればいいだけである。
身分制は汚い制度である。身分制は国民みんなで実在しない架空の“上の者”を決めて、国民みんなが上の者に従う制度である。上の者は人間よりも上の生き物である。上の者は実力が何もないのに肩書きだけで国民みんなを自分の好き放題にできる。身分制は作り事の制度である。現実の世界に作り事を持ち込んだら現実の世界が崩壊する。身分制は女みたいな無能な馬鹿がニヤニヤ喜ぶくだらない作り事の制度である。身分制のような汚い制度をやっていると国が腐る。身分制は悪い制度の見本である。身分制は史上最悪の制度である。身分制を喜ぶ者にろくな者がいない。だから、みんなはさっさと身分制をやめてしまわねばならない。[中根千枝[なかねちえ]の『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)は、国民みんなに身分制を大して悪くない制度だと思わせるためにある本である。この学者は政府のまわし者だ。だから、出世できたのだ。本当は身分制は史上最悪の制度である。人類が絶対にやってはいけない制度である。みんなはこんな嘘[うそ]を書いたくだらない本を読んではいけない。]