[20601] 日本は政治機関にとって厳しい国である。 h26.4.10
もともとこの世では『国民みんなが国の最高権力者である。』政治機関は国民みんなのために国を作る会社にすぎない。
ところが、ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えないので、眼先にとらわれが強いので、政治機関の君主がお城で偉そうにしているのを見て「君主が国の最高権力者である」と勘違いして、君主に従っているのである。国民みんなが自分が君主のためにいると誤解して、君主の命令を何でも聞くのである。ヨーロッパ人は眼先にとらわれが強いので、政治機関が表で善いことをやっているのを見て「政治機関が国民を幸福にする善い団体だ」と思って、国民みんなが喜んで政治機関の命令で税金を払っているのである。
反対に、日本人は眼で見るよりも頭で考えるので、眼で見ることをどうでもいいと思っているので、いくら政治機関の君主がお城で偉そうにしていても、頭の中で『国民みんなが国の最高権力者である』と考えて、君主に従わず国民みんなに従うのである。国民みんなが政治機関よりも国民みんなに従う習慣があるのである。日本人は頭で考えるので、たとえ政治機関が表で善いことをやっていても、裏で悪いことをやっていると考えて、『政治機関が国民を不幸にする悪い団体だ』と考えて、国民みんなが政治機関に税金を払わずに政治機関を倒すのである。
今の日本では国民みんなが日本文化をやっている。政府はヨーロッパみたいな国を作る政治機関である。政府がテレビや新聞でやっていることは国民みんなの機嫌をとるための嘘[うそ]である。政府はテレビや新聞では自分がヨーロッパみたいな国を作っているのを隠しているのである。政府は今の国民みんなの心を満足しない悪い国を作っている。だから、今の日本では国民みんなが国民みんなに従って、政府に税金を払わないようにして政府を倒しているのである。
日本人は頭で考えるので、みんなが『国民みんなが国の最高権力者である』という社会の法則に従うので世の中がうまくいく。日本人は頭で考えるので、政治機関の見掛けの嘘[うそ]に騙[だま]されず、政治機関が本当にやっていることしか見ない。だから、日本では政治機関が本当に国民みんなを幸福にしないかぎりやっていけないのである。日本は政治機関にとって厳しい国なのである。[『花のピュンピュン丸』主題歌で財津一郎[ざいついちろう]が「キビシ〜ッ!」と言っているのはこのためである。]日本は政治機関が建たない国なのである。
[20602] 国民みんなにとっては自分の幸福が一番大事である。 h26.4.10
政府はヨーロッパ人の心を満足する国を作る会社である。ヨーロッパ人と日本人は心が反対だから、政府は日本人の心を不満にする国を作る会社である。
政府は今の国民みんなにとって面白くない国を作っている。政府は表裏があるのでテレビや新聞では国民を幸福にする国を作っているふりをして、じつは国民みんなを不幸にする国を作っている。
今の国民みんなにとっては政府はなくなったほうがいい。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国を自分の好き勝手にしていい。国民みんなは国を自分の満足が行くようにすればいい。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
このまま国民みんなが政府に税金を払い続けると、政府は永遠に国民みんなにとって面白くない国を作り続ける。政府が何のためにあるのかわからない。だから、国民みんなは早めに政府に税金を払うのをやめて政府をなくしたほうがいいのである。
国民みんなが政府に税金を払うか払わないかの問題ではない。国民みんなが幸福になるかならないかの問題である。政府があると国民みんなの幸福が減る。国民みんながどんなにがんばって自分を幸福にしても、政府が国民の心を不満にすることをして国民を不幸にする。だから、政府がなければいいのである。国民みんなで政府をなくせばいいのである。
国民みんながめいめい自分の好き勝手に自分の心を満足する国を作るのは楽しいが、国民みんなでかしこまって“日本人の心を満足する政治機関”を建てて国民みんなで税金を払って国を作らせると国民みんなにとっては鬱陶[うっとう]しい。政治機関に国を作らせると、政治機関が仕事でムキになってやるからやりすぎになって自然さがなくなって堅苦しくなってかえって国民みんなの心が満足されなくなる。だから、今後は二度と政治機関を建てないようにして、国民みんなが自分で自分の心を満足する国を作るようにしよう。せいぜい、軽い警察と学校を建てるだけにしよう。
[20603] 今の国民みんなはヨーロッパ文化が嫌になったので政府を倒している。☆
h26.4.11
幕末には国民みんなが「ヨーロッパ文化が面白い」と思ったので、国民みんなで幕府を倒して、政府を建てた。政府に税金を払ってヨーロッパみたいな国を作らせた。
現代には国民みんなが『科学(文明)以外はヨーロッパ文化が面白くない』と思っているので、国民みんなで政府を倒して、政治機関を建てずに国民みんな自身で国を作っている。政治機関の時代は終わりなので、今後は国民みんなが政治機関を建てずに自分だけでやることにしているのである。
国民みんなの気は変わりやすい。国民みんなは熱せられやすく冷[さ]めやすい。しょせん日本人にとってはヨーロッパ文化は好みではなかったのである。日本人にとってはヨーロッパ文化は汚[きたな]すぎたのである。だから、日本では国民みんながヨーロッパ文化をやめて、もとの日本文化に戻ったのである。国民みんなが政府に自分たちを不幸にする国を作らせないために、政府に税金を払わなくなったのである。
眼先では国民みんなが政府を倒していることはわからないが、頭では国民みんなが政府を倒していることがわかる。藤原敏行[ふじわらのとしゆき](?年〜907年)が古今和歌集で『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる』と詠[よ]んだのと同じことである。今の国民みんなはヨーロッパ文化に飽きが来てヨーロッパ文化をやめているから、ヨーロッパみたいな国にする政府が要らなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。国民みんなは人前ではまじめに政府に税金を払っているふりをして、本当は密[ひそ]かに税金を払わずに政府を倒しているのである。昔の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていて、ヨーロッパみたいな国が欲しかったから、政府に税金をやってヨーロッパみたいな国を作らせていた。反対に、今の国民みんなはヨーロッパ文化をやらなくなっているから、ヨーロッパみたいな国が要らないから、政府に税金を払わないのは当然である。国民は国民みんなの一員だから政府に税金を払わなければいいのである。国民が政府の作った国を買うか買わないかは流行で決まるものだから、今では流行が過ぎ去っているから、国民は政府の国を買わなくていいのである。科学とは頭で考えて真実を見ることである。科学とは頭で考えたことに基づいて眼で見ることを意味づけることである。『今の国民みんなは政府を倒している。』そう仮定すると、政府に関する眼で見えることがことごとく説明される。反例はひとつもない。昔の政府はもっと多くの国民に愛されていた。今の政府は自分ひとりでテレビや新聞で国民みんなのご機嫌取りをやっているだけである。だから、『今の国民みんなが政府を倒している』ことは真実である。だから、国民は国民みんなの一員として政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。そうすれば、国民が政府に自分を不幸にされず、お金の節約にもなって一石二鳥だ。
日本は世界的に独自の文化を持った国として有名である。それは日本人が“独特な心”を持っている民族だからである。日本人の価値はそこにある。だから、日本は外国の文化の真似[まね]ではいけない。日本人は自分で考えて自分の心を満足して独自の道を歩まなければならない。
[20604] 日本文化には政治機関がない。☆ h26.4.11
昔は国民みんながヨーロッパ文化が物珍しくて「ヨーロッパ文化が面白い」と思ってヨーロッパ文化をやっていたから、政府に税金を取られて虐[いじ]められていた。ヨーロッパ文化では政府が国民みんなから税金を取って国民みんなを虐めるものだから、日本でも政府が建って国民みんなから無理やり税金を取って国民みんなを虐めていた。ヨーロッパ文化では眼先で物を見るから眼先では「偉そうにする者が上の者」だから、政府が偉そうにすることによって上の者になって国民みんなから無理やりお金を取って国民みんなを虐めていたのである。ヨーロッパ文化では表裏があるから、政府はテレビや新聞ではおとなしいふりをして国民みんなのためにまじめに働いているふりをして、じつは国民から無理やり税金を取って国民を虐めていただけなのである。
今は国民みんながしばらくヨーロッパ文化をやってみて『ヨーロッパ文化が科学(文明)以外は面白くない』ことがわかってヨーロッパ文化をやらなくなったから、政府に税金を払わなくなって政府を滅ぼしている。日本文化では政治機関がないから、国民みんなは自分で日本文化をやるだけで政治機関を建てていない。日本文化では頭で物を見るから頭では『人間はみな平等』だから身分制がないから上の者がないから政治機関が出来ないのである。
今では国民みんなが自分で日本文化をやって、自分で日本らしい国を作っている。その都度[つど]警察や学校にお金を払って仕事をしてもらっている。国民みんなでそういう決まりにすればいい。こうすれば一番安上がりだ。
[20605] ヨーロッパ文化は日本を滅ぼす。☆ h26.4.11
ヨーロッパ文化は眼で見る喜びがあるだけで頭で考える喜びがない。ところが、日本人には頭で考える喜びがあるだけで眼で見る喜びがない。だから、日本人がヨーロッパ文化をやると日本人に喜びがなくなる。日本人がヨーロッパ文化をやると日本人に喜びがなくなるから日本人に働く意欲が湧[わ]かず日本人が働かなくなって日本が貧乏になって寂[さび]れる。
反対に、日本文化は頭で考える喜びがあって眼で見る喜びがない。日本人は頭で考える喜びがあって眼で見る喜びがない。だから、日本人が日本文化をやると日本人に喜びがある。日本人が日本文化をやると日本人に喜びがあるから日本人に働く意欲が湧いて日本人がよく働くようになって日本が裕福になって栄える。
人間は自分の幸福のために生きている。だから、今の日本人はヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。人間にとってはヤル気が大事である。人間はヤル気を大事にしなければならない。今の日本人は自分の幸福を大事にして働く意欲を湧かせて一生懸命に働いて裕福にならねばならない。
今の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化には政治機関はない。だから、国民みんなは政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]さなければならない。
[20606] 今の日本では国民みんなが政府を捨てている。 h26.4.11
日本では外国の文化を受け入れるときには、最初に全部受け入れて、あとで善[い]い物(つまり自分を幸福にする物)だけを残して悪い物(つまり自分を不幸にする物)を捨てる。
近代に日本はヨーロッパの文化を受け入れたが、科学(文明)だけが面白くてそれ以外は面白くなかった。特に政府が面白くなかった。
そのため、現代の今では日本では国民みんなが科学以外のヨーロッパ文化をやらなくなっている。特に政府を潰[つぶ]している。国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府を潰している。政府はヨーロッパ文化の一部だから、今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめているから政府を潰しているのである。政府が「国民みんなの多数決で税金の法律を決めた」と言っているのは嘘[うそ]である。ヨーロッパ文化では嘘をつくのが当たり前だから、政府は嘘をつくのである。ヨーロッパ人は正義の心がないから、ヨーロッパ人は嘘つきだから、政府はヨーロッパ人の真似[まね]をして嘘をつくのである。本当は『今の国民みんなは政府に税金をやらないようにして政府を潰している』のである。今では国民みんながヨーロッパ文化をやめたので、国民みんなが政府が要らないと決めているから、国民みんなで政府を潰しているのである。国民みんなは政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府に税金を払ってはいけない。政府は眼先で騙すテクニックの塊[かたまり]だから、国民みんなは政府に騙されないように注意しなければならない。
日本は日本人のためにある。日本人が日本を自分にとって幸福な国にすればいい。日本人は自分の心を利かして善い物を拾って悪い物を捨てて、日本を日本人にとって幸福な国にしなければならない。
[20607] 今の日本人はヨーロッパ文化をやめている。 h26.4.11
近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化が物珍しかったので「ヨーロッパ文化が面白い」と思ってヨーロッパ文化をやっていた。国民みんなが法律や道徳を破ったり、神がいると思ったり、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従ったり、利口よりも馬鹿を有利にしたり、眼で見るだけで頭で考える喜びのない文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府が国民みんなを好き放題にするので、日本でも国民みんなが政府に好き放題にさせていた。
現代の日本ではしばらく実際に国民みんながヨーロッパ文化をやってみて『ヨーロッパ文化は科学(文明)以外は面白くない』ことがわかってヨーロッパ文化をやめてもとの日本文化に戻っている。国民みんなが法律や道徳を守るようになり、神がいないと思ったり、政府や宗教団体や暴力団がいないと思って無視したり、馬鹿よりも利口を有利にしたり、眼で見る喜びがあまりない頭で考える喜びのある文化をやっている。日本文化では政治機関がないので、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
ヨーロッパ人と日本人では脳の構造が違うので、ヨーロッパ人は法律を破ると快感が得られるが、日本人は法律を破るとかえって不愉快[ふゆかい]になるので、日本人はヨーロッパ文化をやるのをやめたのである。ヨーロッパ人は泥棒してお金が儲[もう]かると喜ぶが、日本人は泥棒しないとお金を儲けられないことを悲しく思う。ヨーロッパ人は感性が物質的であり、日本人は心情的である。だから、日本人は泥棒をしないのである。
現代の日本では国民みんなが科学をやってヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。実際に、今の国民みんなを観察してみれば日本文化をやっていることがわかる。
日本人にとってはやっぱり日本文化が一番面白い。今の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやめている。政府はヨーロッパ文化の一環[いっかん]として置いていただけである。だから、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。国民は国民みんなの一員として政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
日本人は近代のいっとき“ヨーロッパごっこ”をやっていただけである。現代になると日本人はヨーロッパごっこがつまらなくなったのでやめた。政府は近代の日本人がヨーロッパごっこをやるために建てただけである。今の日本人はヨーロッパごっこをやめたから政府が要らない。だから、今では国民みんなで政府を潰しているのだ。
[20608] 政府は今の国民みんなに倒されている。☆☆ h26.4.11
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府が上の者であり国民みんなを好き放題にする。だから、国民みんなはわざわざ政府を建てて政府に国民みんなを好き放題にさせた。
現代の国民みんなはヨーロッパ文化をやめて日本文化に戻っている。日本文化では政治機関がない。だから、国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
夜空に輝く星々もよく見るとゆっくり動いている。それと同じように、政府もよく見るとゆっくりと今の国民みんなに倒されて滅んでいる。
今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を倒している。だから、国民は国民みんなの一員として政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
国の最高権力者は政府ではなく国民みんなである。国民は政府の顔色を見るよりも国民みんなの顔色を見たほうがいい。国民は政府の命令を無視して、国民みんなに従って政府を倒せばいいのである。政府が建っているからといって、政府の命令を聞く必要はないのである。
政府はテレビや新聞でニコニコして自分が国民みんなに倒されていないふりをしているが、じつは国民みんなに倒されている。今の政府は国民みんなに要らない物だと見なされて滅ぼされている。政府は一生懸命芝居をやって自分が国民みんなに倒されるのを精一杯遅らせているのである。田舎者[いなかもの]はテレビをすぐに本気にするので、「今の国民みんながまだヨーロッパ文化をやっている」と思って「ヨーロッパ文化では政府は上の者だから、国民みんなが政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。しかし、本当は今の国民みんなは日本文化をやっていて、日本文化では政府は存在しないから、国民みんなは政府を無視して政府に従っていないのである。国民は政府の芝居に騙[だま]されないようにして早く政府を倒さねばならない。
[20609] 今の国民みんなは日本文化をやっているから政府を潰[つぶ]している。☆
h26.4.12
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府がいて政府が国民みんなを好き放題にする。だから、国民みんなは政府を建てて政府に国民みんなを好き放題にさせた。
現代の日本では国民みんなが日本文化をやっている。日本文化では政治機関がいない。だから、国民みんなは政府の命令を無視して、政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
今でも政府はテレビや新聞に出て政治機関をやっているが、政府がテレビや新聞に出ているからといってわざわざ国民みんなが政府に合わせて政府に従う必要はない。国を決めるのは政府ではなく国民みんなである。今では国民みんなが日本文化をやっているから、日本文化では政治機関がいないから、国民みんなが政府を無視して政府を潰せばいいのである。
[20610] どうして江戸幕府が建ったのか? h26.4.12
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国の大枠[おおわく]は国民みんなが決める。政治機関は細かいことが決められるだけである。
近世の日本では国民みんながアジア文化(インド・中国文化)をやっていた。中国文化では戦[いくさ]で勝利した者が天下を取る。中国文化では鎖国をする。インド文化では身分制がある。だから、国民みんなは戦に勝った徳川家に天下を取らせて、徳川幕府に身分制や鎖国を定めさせたのである。国民みんなが徳川幕府にインドのタージマハールと中国の王宮を折衷[せっちゅう]したお城を日本各地に建てさせたのである。
近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府が国民を好き放題にする。だから、国民みんなは幕府を倒して、政府を建てて政府に国民みんなを好き放題にさせたのである。国民みんなが戦争をすると決めて、国民みんなが政府に戦争の指揮をさせて戦争をやってひどい目にあった。
現代の日本では国民みんなが日本文化をやっている。日本文化では政治機関がない。だから、国民みんなが政府を倒して、国民みんな自身で国民みんなだけで法律や道徳を守って自由に生活しているのである。困ったら軽い警察ぐらい建ててもいい。
[20611] 日本人は日本人の心を満足すれば幸福になる。 h26.4.12
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の国民みんなは「ヨーロッパ文化をやれば自分がもっと幸福になれる」と思ってヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では眼で物を見るので、眼で見る世界では「偉そうにする者が上の者」なので、政府が偉そうにして上の者をやっていて、政府が国民みんなから税金を取って国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなの前では国民みんなの役に立っているふりをする。だから、国民みんながわざわざ政府を建てて政府に上の者をやらせていた。
現代の国民みんなは『ヨーロッパ文化ではやっぱり自分が幸福になれない』ことがわかってもとの自分の日本文化をやっている。日本文化では頭で物を見るので、頭で見る世界では『人間がみな平等であり上の者がいない』ので、政治機関がなく、国民みんなだけで平等にやっている。だから、国民みんなが政府に税金をやらず政府を潰[つぶ]して、政治機関を建てず国民みんなだけで平等にやっている。
今の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化には政治機関はない。だから、政府を潰せばいいのである。国のことを決めるのは国民みんなであって政府ではないから、政府が国民みんなに文句を言う資格はないから、国民みんなはたとえ政府が文句を言っても政府を潰せばいいのである。政府があっても国民みんなから税金を取って国民みんなを虐めて国民みんなの前で国民みんなの役に立っているふりをするだけだから、国民みんなでさっさと政府を倒して政府をなくしてしまえばいいのである。
人間は自分の心を満足すれば幸福になる。これまで日本人はいろんな外国の文化を真似[まね]て来たが、なかなか幸福になれなかった。人間は自分の心を知り自分の心を満足することによって幸福になる。今の日本人はようやく自分の心を満足するようになって幸福になっている。
[20612] 人間が見ている世界はみんな違う。 h26.4.12
ヨーロッパ人は眼がいいが頭が悪い。
日本人は眼が悪いが頭がいい。
だから、ヨーロッパ人が見ている世界と日本人が見ている世界は違う。
ヨーロッパ人と日本人では、幸福観も価値観も人生観も倫理観も自然観も社会観も何から何まで全部違う。
ヨーロッパ人は眼がいいが頭が悪い。だから、ヨーロッパ人は眼で見る喜びがあるだけで頭で考える喜びがない。
日本人は眼が悪いが頭がいい。だから、日本人は眼で見る喜びはあまりないが頭で考える喜びがある。
だから、日本人がヨーロッパ人の文化を真似[まね]てもうまく行かないのである。幸福になれないのである。そのため、近代の日本人はヨーロッパ文化を真似ていたがけっきょく自分が幸福になれなかったので、現代ではヨーロッパ文化の真似をやめてもとの自分の日本文化に戻っている。
ヨーロッパ人は眼がいいが頭が悪い。だから、ヨーロッパ人は科学が得意だが、文学が苦手である。
日本人は眼が悪いが頭がいい。だから、日本人は科学は苦手だが、文学は得意である。
人間の脳の性能には偏[かたよ]りがあるから、人間に得意不得意があるのは当たり前である。
人間は自分の得意なことをやって幸福に暮らせばいいのである。自分の苦手なことは、他人にやってもらって幸福に暮らせばいいのである。
日本の美術品や文学とヨーロッパの科学を交換して、みんなが幸福に暮らせばいいのである。
何から何まで優れている人間はいないし、何から何まで劣っている人間もいない。人間には優れたところと劣ったところの両方がある。人間はひとつのことが優れていれば、ほかのところは劣っている。近代の日本人は「ヨーロッパ人が何から何まで全部日本人よりも優れている」と思ってヨーロッパ文化全部を受け入れた。しかし、本当は『ヨーロッパ人は日本人よりも眼がいいだけで頭が悪い。ヨーロッパ人は科学が得意なだけでそれ以外は全部ダメである。』だから、日本人はヨーロッパ人の科学だけを取り入れて、それ以外を取り入れなければよかったのである。今の日本人は科学だけ残して、その他のヨーロッパ文化を早く捨ててしまわなければならない。
[20613] 今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめているから政府をなくせばいい。
h26.4.12
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民みんながどんな文化をやるかによって政治機関が変わる。それが国の法則である。
近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府があって、政府が国民みんなから税金を取って国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなの前では国民みんなの役に立っているふりをするものと決まっている。だから、国民みんなは政府を建てて政府に国民みんなから税金を取らせて国民みんなを虐めさせて国民みんなの前では国民みんなの役に立っているふりをさせていたのである。
現代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。日本文化では政治機関がないものと決まっている。だから、国民みんなは政府を壊して、二度と政治機関を建てず国民みんなだけで平等にやっているのである。
政府は国民から税金を取って国民を虐めて国民の前では国民の役に立っているふりをするだけである。政府は国民の役に立たない。近代の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていたから、しかたなく政府を置いていただけである。今の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやめているから、さっさと政府をなくせばいいのである。
ヨーロッパ人は眼がいいが頭が悪いので、ヨーロッパ人は見掛けのムードに弱いので、政府が偉そうにしているのを見て「政府が上の者だ」と思って政府に従っているのである。政府の命令で税金を払って、政府に虐められても仕返しをせずおとなしくしている。ヨーロッパ人は見かけに騙[だま]されやすいので、政府が表で国民の役に立つことをやっていると、すぐに「政府が善[い]い団体だ」と思って、いくら政府が裏で悪いことをやっていてもわからないのである。ヨーロッパ人は“見かけに弱い弱点”があるので、政府にそこを突かれて支配されているのである。政府はヨーロッパ人の汚点[おてん]である。反対に、日本人は眼は悪いが頭がいいので、日本人は見掛けのムードに惑[まど]わされないので、いくら政治機関が偉そうにしても国民みんなが「政治機関を上の者だ」と思わず国民みんなが政治機関に従わない。日本人は頭で物を見るので、いくら政治機関が表で国民の役に立つことをやっていても、頭で考えて『政治機関が悪い団体である』ことを理解して政治機関を倒す。日本人には見かけが通用しないので、政治機関が日本人を支配することができない。だから、日本には政治機関が建たない。日本には政治機関がないのである。だから、日本人はわざわざヨーロッパ人の汚点を真似[まね]して政治機関を建てなくていい。日本人は日本人らしくきれいさっぱり政治機関を建てなければいいのである。
[20614] 今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめて日本文化に戻っている。 h26.4.12
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国民は国民みんなの一員である。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。例えば、ヨーロッパ文化では幼児虐待が習慣だから、みんなが幼児虐待をやって自分の子供を虐[いじ]めて泣かしていた。ヨーロッパ文化では政府があって政府が国民から税金を取って国民を虐めて国民の役に立っているふりをする。だから、国民みんなが政府を建てて政府に税金を取らせて国民を虐めさせて国民の役に立っているふりをさせていた。
現代の国民みんなは日本文化をやっている。今の国民のほとんどは法律や道徳を守って、国家宗教の神を拝んだりせず、政府や宗教団体や暴力団の言いなりになったりしないから、日本文化をやっている。日本文化では政治機関がない。だから、国民みんなが政府を潰[つぶ]して、政治機関を建てず国民みんなだけで平等にやっているのである。
今は近代から現代に変わる途中である。今の国民みんなはヨーロッパ文化から日本文化に変わっている最中である。そういう時代には多数決は成り立たない。だから、国民は自分のことは自分で決めればいい。国民は自分がヨーロッパ文化をやっているなら、政府に税金を払って政府に虐められればいい。反対に、国民は自分が日本文化をやっているなら、政府に税金を払わず政府に虐められなければいい。
日本人にとっては日本文化が気持ちいい。日本人がヨーロッパ文化をやっても自分の心が満足されず不幸になるだけである。日本人が日本文化をやれば自分の心が最高に満足されて幸福になれる。そのため、今では国民みんながヨーロッパ文化から日本文化に戻っている。国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を潰している。日本人は日本人の心を満足するのが正しい。国民みんなは誇[ほこ]りを持って政府に税金を払わなければいいのである。
日本人は日本文化をやらねばならない。人の見かけのことしかわからないバカ女が幅を利かすガラの悪い社会にするのをなんとしても防がねばならない。そういうバカ女は死ぬまでヨーロッパ文化をやって政府に税金を取られて政府に虐待されればいい。
日本人がヨーロッパ文化をやるのはパソコンのハードとソフトが合っていないようなものだ。ウインドウズパソコンでマックのソフトを動かすようなものだ。それではハードもソフトも両方とも動かない。日本人がヨーロッパ文化をやっても生きていけない。日本人がヨーロッパ文化をやるのは日本人が自分で自分を殺すようなものだ。だから、日本人は今すぐヨーロッパ文化をやめてもとの日本文化をやらねばならない。
自分の国の文化でさえ幸福に生きていけない者が外国の文化で幸福に生きていけるわけがない。自分が幸福に生きていけないのを文化のせいにするな!もっとまじめに自分の国の文化で自分が幸福に生きるように努力すべきだ。
[20615] 日本人にとっては日本文化が一番幸福である。 h26.4.13
日本人にとっては日本文化が面白い。文化とはそういうものである。文化とは人間の脳で認識する世界が表現されたものだから、日本人にとっては日本人の脳に一番合っている日本文化が最も面白いのである。
近代の国民みんなは「日本文化よりもヨーロッパ文化のほうが面白い」と思ってヨーロッパ文化をやっていた。国民みんなが法律や道徳を破って、神を拝んで、政府や宗教団体や暴力団に国民みんなを好き放題にさせて、馬鹿を利口よりもいい待遇にして、眼で見て喜ぶだけで頭で考えないようにしていた。
近代の国民みんなはしばらく実際にヨーロッパ文化をやってみてもヨーロッパ文化が面白くなかったので、現代では国民みんなが『日本文化のほうがヨーロッパ文化よりも面白い』と思ってヨーロッパ文化をやめて日本文化に戻っている。国民みんなが法律や道徳を守って、神がいないと思って、政府や宗教団体や暴力団がいないと思って無視して従わないようにして、馬鹿を利口よりも悪い待遇にして、眼で見るよりも頭で考えて喜ぶようにしている。
日本人にとっては日本文化が幸福である。政府は文化の一部である。政府の問題は文化の問題にすぎない。ヨーロッパ文化には政府があるが、日本文化には政府はない。今の日本人は日本文化をやっている。だから、今の日本人は政府に税金をやらなくなって政府をなくしているのである。
今では悪いことをやりたい者が一生懸命にヨーロッパ文化を広げようとしている。しかし、大勢の国民はすでに日本文化に戻っているので無駄[むだ]な努力である。かえって国民みんなに嫌われるだけである。ふざけたことをせずに日本文化でまじめに生きていけばいい。
[20616] 今の国民みんなは日本文化をやっているから政府を潰[つぶ]せばいい。
h26.4.13
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。政府を建てるも潰すも国民みんなの自由である。
近代は国民みんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化には政府がいて政府が国民みんなを自分の好き放題にしていた。だから、国民みんなは政府を建てて政府に国民みんなを好き放題にさせていた。
現代の今では国民みんながヨーロッパ文化をやめてもとの日本文化に戻っている。日本文化には政府がいない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。
国民みんなが国を決めるのであって、政府が国を決めるのではない。だから、国民みんなはたとえ政府が文句を言っても政府にかまわず政府に税金を払わず政府を潰せばいいのである。
日本人の本当の敵は政府ではない。ヨーロッパ文化である。政府なんかどうでもいい。日本人がヨーロッパ文化の中にいると鬱[うつ]になる。気分が落ち込んで頭が働かなくなって馬鹿になる。日本人は早く日本からヨーロッパ文化を取っ払って日本文化をやって明るく楽しく暮らさねばならない。
日本人にとってはヨーロッパ文化はまちがった哲学である。ヨーロッパ文化は日本人を堕落させて不幸にする邪悪な思想である。反対に、日本人にとって日本文化は正しい哲学である。日本文化は日本人を向上させて幸福にする善良な思想である。日本文化は日本人が幸福に生きるためのノウハウの集大成[しゅうたいせい]である。要するに、ヨーロッパ文化には道徳がない。私が子供の頃(約40年前)はまだみんながかなりヨーロッパ文化をやっていたから、私は中学2年生の頃からラジオのエッチな深夜放送を聞くようになって中学3年生の頃からオナニーにふけって高校1年生のときに脳を興奮させすぎて精神分裂病に罹[かか]ってその後の人生が不幸になってしまった。日本文化には道徳があるから、当時の日本で日本文化をやっていれば、私は精神分裂病にかからず一生幸福に生きていけただろう。私はヨーロッパ文化のために精神分裂病に罹[かか]って不幸になった。私も日本文化の中で育てば幸福な一生を送ることができただろう。私の家族も私のために不幸にならずにみんながもっと幸福に暮らせただろう。日本から早くヨーロッパ文化をなくして日本文化を広めて日本人みんなが幸福な人生が送れるようにしないといけない。
[20617] 国民は政府に合わせてはいけない。 h26.4.13
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。政府が国を決めるのではない。
だから、国民が政府に合わせてヨーロッパ文化をやってはいけない。国民が、テレビや新聞を見て政府が建っているからといって今の国民みんながヨーロッパ文化をやっていると思って、ヨーロッパ文化では政府が上の者だから政府が上の者だと思って政府に税金を取らせたり政府の命令を聞いたり政府に国民みんなを虐[いじ]めさせたりしてはいけない。
その反対に、国民は国民みんなに合わせて日本文化をやらねばならない。国民は、今の国民みんなが日本文化をやっているから、日本文化では政府はないから政府の命令を無視して聞かず政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
今の国民は日本文化をやっている。近代には国民みんなはヨーロッパ文化をやっていたが、現代にはヨーロッパ文化をやるのが嫌になって国民みんながヨーロッパ文化をやめている。今の国民がやっていることを見れば、ヨーロッパ文化をやっていないことがわかる。ヨーロッパ文化では人間が悪いことをやる。今の国民は悪いことをやっていないからヨーロッパ文化をやっていない。日本文化では人間が善[い]いことをやる。今の国民は善いことをやっているから日本文化をやっている。要するに、ヨーロッパ文化は不良文化である。眼がいいだけで頭が悪い人間は不良である。日本人は頭がいいから不良文化が嫌になってやめたのである。
ヨーロッパ文化では政府があるが、日本文化では政府がない。今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。だから、国民は政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
国を決めるのは政府ではなく国民みんなである。国民は政府よりも国民みんなを見て、今の国民みんなが日本文化をやっているから、日本文化では政府がないから政府を倒さねばならない。
政府は実際には国民から税金を取って国民を虐めているのに、国民の前では民主主義をやっているふりをして国民の役に立つふりをしているだけの“能なし機関”である。政府があっても経済が崩壊したり経済恐慌が起きたりするから、政府には経済を調節する機能はない。政府と経済は関係ない。[江戸時代には日本はインド文化をやっていた。日本ではみんながインドを真似[まね]ていた。インドは貧乏な国だった。それなのに日本は豊かだった。それなら、反対にいくらヨーロッパが豊かな国でも、今の日本がヨーロッパを真似ても日本は豊かな国にならないはずである。文化を真似ることと経済とは関係がないのである。]政府は近代の国民みんながヨーロッパ文化をやるという理由で建てただけである。今の国民みんなは日本文化をやっていてヨーロッパ文化をやっていないから政府を建てる理由がない。だから、今の国民はさっさと政府を倒せばいいのである。
[20618] 国民みんなは馬鹿である。 h26.4.13
国民みんなは馬鹿である。知性がない。
今は国民みんなが日本文化をやっているのに、日本文化には政府がないのに、政府を倒していない。
明治維新のときに日本人を幸福にするヨーロッパの文明だけを取り入れればいいのに、日本人を不幸にするヨーロッパ文化全部を取り入れたのと同じことである。
国民みんなは馬鹿なので要ることをせず要らないことをするのである。国民みんなは馬鹿だから自分で自分を幸福にすることができないのである。国民みんなは馬鹿だからまちがったことばかりやって自分の幸福を台無しにしているのである。
今の国民みんなが政府を倒さないのは、心の中で政府が上の者だと思っているからである。政府が怖いので政府を倒すことができないのである。
しかし、政府が何であるかは文化の中で決まる。ヨーロッパ文化の中では政府が上の者であり国民みんなは政府に従わねばならないが、日本文化の中では政府はないから国民みんなが政府に従う必要はない。今では国民みんなが日本文化をやっているから、日本文化の中では政府がないから国民みんなが政府に従わず政府の税金を払わず政府を倒せばいいのである。
国民みんなは馬鹿だから自分の考えでやってはいけない。おとなしく頭のいい人の考えを聞かねばならない。
実際に、私は3ヵ月分の市民税を払っていない。政府は国民みんなが怖くて私に文句を言いに来ない。私はこの前印鑑登録をするために市役所に行ったが誰からも文句を言われなかった。国民みんなは私の後に続け!
今の国民みんなは日本文化をやっている。国民みんなが日本文化をやったら、政府が何をしようが大差はない。だから、今の国民みんなにとっては政府なんかどうでもいい。でも、政府なんかどうでもいいからこそ、国民みんなで政府を倒せばいいのである。
[20619] 今の国民みんなはまだヨーロッパ文化の名残[なご]りがある。☆ h26.4.13
今の国民みんなは日本文化をやっている。今の国民みんなは法律や道徳を守って、神がいないと思って、宗教団体や暴力団を上の者だと思わず、利口を馬鹿よりもいい待遇にして、眼で見るよりも頭で考える喜びのある暮らしをしている。
しかし、国民みんなはつい最近までヨーロッパ文化をやっていたので、今でもまだヨーロッパ文化の名残りがある。今でも国民みんなは政府を上の者だと思って政府に従っている。
今の国民みんなが政府に従っているのはヨーロッパ文化の名残である。ヨーロッパ文化では眼で見るだけで頭で考えないので、眼で見るだけの世界では「偉そうにしている者が上の者だ」と思われるので、国民みんなはテレビや新聞で政府が偉そうにしているのを見て「政府が上の者だ」と思って政府に従っているのである。しかし、日本文化では眼で見て頭で考えるので、『自分が眼で見て頭で考えないために「偉そうにしている者が上の者だ」と思って政府が偉そうにしているのを見て政府に従っている』ことを理解して、自分の頭で『国民みんなが国の最高権力者だから、政府よりも国民みんなのほうが強い』と考えて政府に従わなければいいのである。今の国民みんなは日本文化をやっているから、日本文化には政府がないから、『今の日本には政府がない』と考えて政府を無視して政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の国民みんなは日本文化をやっているのだから、早くヨーロッパ文化を忘れて気合いを入れて日本文化をやらねばならない。日本文化では政治機関がないから、国民みんなは政府がないと思って、政府に従わず政府に税金を払わず政府を倒してなくせばいい。
今の国民みんなは日本文化とヨーロッパ文化を混ぜこぜにしてやっている。そのために、今の国民みんなは幸福と不幸の狭間[はざま]を彷徨[さまよ]っている。日本人は早くきっぱりと日本文化をやって幸福にならねばならない。
[20620] 日本人は日本文化をやればいい。☆ h26.4.13
ヨーロッパ人にとってはヨーロッパ文化が日本文化よりも幸福に暮らせる。
日本人にとっては日本文化がヨーロッパ文化よりも幸福に暮らせる。
人間によって幸福な文化が違う。
日本文化は日本人が幸福に暮らすための知識や技術の集大成[しゅうたいせい]である。だから、日本人が幸福に暮らすためには日本文化をやればいい。
ヨーロッパ文化は見掛けがいいだけで中身が汚い。ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪いから、眼で見えることがわかるだけで頭で考えることがわからないから、見掛けさえよければほかはどんなに悪くてもいいのである。反対に、日本人は眼がよくないが頭がいいから、眼で見ることよりも頭で考えることがよくわかるから、見掛けよりも頭で考えて好[よ]く見えなければならないのである。ヨーロッパ文化は見掛けがいいだけで中身が汚いから、日本人にとっては不快である。だから、現代では日本人はヨーロッパ文化をやめたのである。(明治時代にこんな説明があったら、日本人はヨーロッパ文化を受け入れなかったかもしれない。政府が出来なかったかもしれない。)
その逆もまたしかり。ヨーロッパ人が日本文化をやっても面白くもなんともない。不愉快[ふゆかい]になるだけだ。だから、ヨーロッパ人は日本文化をやめたほうがいい。
[20621] 日本に政府が建つ理由 h26.4.14
日本に政府が建つのは、国民みんながヨーロッパ文化をやっているからである。国民みんながヨーロッパ文化をやっている時代には政府が建って、国民みんながヨーロッパ文化をやらない時代には政府が建たないのである。
ヨーロッパには政府が建っていて政府が上の者で国民みんなを好き放題にしているから、国民みんながヨーロッパ文化をやっている時代には国民みんなが政府を建てて政府に上の者をやらせて政府に国民みんなを好き放題にさせているのである。
近代は国民みんながヨーロッパ文化をやっていたから、国民みんなで政府を建てて政府に税金を取らせたり国民を虐[いじ]めさせたり国民の前で国民の役に立つふりをさせたりしていたのである。
現代は国民みんなが日本文化をやってヨーロッパ文化をやめたから、国民みんなが政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]しているのである。国民みんなの“見えざる手”が政府を潰しているのである。
国民みんなは政府よりもずっと冷酷非情である。政府がいくら泣いたり喚[わめ]いたりしても、国民みんなは政府にかまわず政府を潰すのである。
[20622] 今では政府は偉くない。☆ h26.4.14
昔は国民みんながヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では眼先で見るから「政府が国民みんなよりも上の者」だから、国民みんなが政府に従わねばならず政府が偉かった。
しかし、今では国民みんなが日本文化をやっている。日本文化では頭で見るから『政府よりも国民みんなが上の者』だから、政府が国民みんなに従わねばならず政府は偉くない。国民みんなが偉い。国民みんなが政府を好き放題にできる。日本文化には政府がないから、今の国民みんなが政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]している。
ヨーロッパ文化と日本文化では国民みんなと政府の上下関係が反対である。
今では国民みんなが日本文化をやっているから、国民みんなが政府よりも上である。だから、国民みんなが政府を好き放題にしていい。日本文化には政府がない。だから、国民みんなが好き勝手に政府を滅ぼせばいい。国民が国民みんなの一員として勝手に政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
[20623] どうすれば科学ができるようになるか? h26.4.14
眼で見るにしろ、頭で考えるにしろ、とにかく正しいことがわかればいい。
知覚は自由だが空想的である。知覚は現実から浮いていて宙ブラリンである。知覚はまちがいが多いが本質が見えやすい。
五感は現実的だが不自由である。五感は現実ベッタリで融通[ゆうずう]が利かない。五感は正しいが本質が見えにくい。
だから、物を眼でよく見て頭でよく考えれば正しいことがわかる。
ヨーロッパ人は眼がよくて頭が悪い。
アジア人は眼が悪いが頭がいい。
科学はヨーロッパ文化×アジア文化である。科学はヨーロッパ人の感性とアジア人の感性が組み合わさったものである。ヨーロッパ人の感性だけでは、アジア人の感性だけでは科学ができない。
だから、ヨーロッパ人が頭で考える練習をしたり、アジア人が眼先にこだわる練習をすれば科学ができる。ヨーロッパ人は思考を大事にしないといけない。アジア人は観察を大事にしないといけない。
もっとも、ヨーロッパ人が頭で考える練習をしすぎて、頭で考えるだけになってはいけない。眼で見ながら頭で考えないといけない。
アジア人は眼先にこだわる練習をしすぎて、眼で見るだけになってはいけない。頭で考えながら眼で見ないといけない。
眼で見ることと頭で考えることのバランスが大事である。
科学によって世界が統一できる。科学的思考を身に着けた人間が新時代の人間である。
政府は「偉そうにしている者を上の者だと思う錯覚」で出来た団体だから、錯覚は正しくないから、科学の世界では錯覚が通用しないから政府があってはいけない。新時代には政府はない。国民みんなだけで仲良く平等にやっているのが新時代の社会である。
「偉そうにしている者を上の者だと思う錯覚」で政府が出来たように、「遠くの物が小さく見える錯覚」で天動説が出来た。錯覚は正しくないから、科学の世界では天動説は正しくない。科学では地動説が正しいのである。
[20624] 今では政府が政府自身を潰[つぶ]している。 h26.4.14
今の日本ではみんながヨーロッパ文化をやめて日本文化に戻っている。日本人にとってはヨーロッパ文化は不快であり日本文化が快適だから当然である。
ヨーロッパ文化では政府があるが、日本文化では政府がない。
公務員もみんなのうちだから日本文化に戻っている。
だから、政府は自分で潰れるはずである。政府は国民みんながわざわざ潰さなくても自分で潰れるはずである。
国民みんなと政府自身の両方で政府を外側からと内側からの両方で政府を潰せばいいのである。
現代の人間は科学(世界文化)をやっている。科学でも政府がない。だから、現代の人間みんなで政府を潰せばいいのである。
[20625] 国は動いている。☆ h26.4.14
今の日本ではみんながヨーロッパ文化から日本文化に戻っている。日本人にとってはヨーロッパ文化よりも日本文化が快適だから当然である。
ヨーロッパ文化では政府があるが、日本文化では政府がない。
そのために、今の日本では政府が潰[つぶ]れている。国民みんなが政府に税金を払うことから払わないことに変わって政府が潰れているのである。
ヨーロッパ文化では政府が上の者だから政府が無理やり国民から税金を取れるが、日本文化ではそもそも政府がないから国民が政府に税金を払わなくていい。今の国民みんなはヨーロッパ文化から日本文化に変わっているから、政府に税金を払わなくなって政府が潰れているのである。
近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやって不快な思いをした。これに懲[こ]りて二度とみんなは外国の文化をやってはいけない。日本人は日本人にとって幸福なことだけをやらねばならない。日本人は日本人にとって幸福なことだけを受け入れねばならない。
[20626] 幸福の法則 h26.4.14
『実在を知り、実在の中で自分の心を満足する』ことが幸福の法則である。
実在を知ることは科学である。日本人にとっては自分の心を満足することは日本文化をやることである。
つまり、日本人は科学をやって日本文化をやれば幸福になるのである。
だから、今の日本ではみんなが科学と日本文化をやっているのである。ヨーロッパ文化をやめてもとの自分の日本文化をやっているのである。
昔の人は「外国の文化をやれば幸福になる」と思っていたようである。
しかし、今では『自分の国の文化をやれば幸福になる』と考えられている。
昔の日本人は外人がニコニコ楽しそうにしているのを見て、「外人を真似[まね]れば自分がもっと幸福になれる」と思って、一生懸命に外人を真似[まね]て幸福になろうとしていたのである。しかし、本当は『日本人は日本人の心を知り日本人の心を満足すれば幸福になる』のだったのである。
だから、今後は日本ではみんなが日本文化をやればいいのである。日本人が幸福になるためには、外人を下手[へた]に真似るよりも自分の心を満足することが大事なのである。
人種によって眼で見る喜びが多かったり頭で考える喜びが多かったりする。日本では痴漢以外は裸で興奮しない。だから、日本人にとっては眼で見る喜びが無意味なのである。日本人は頭で考える喜びが多くて眼で見る喜びがあまりない。だから、日本人が幸福に生きていくためには頭で見て楽しい国にしなければならないのである。
[20627] 世界中どこの国でも国民みんなが国の最高権力者である。 h26.4.14
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
ヨーロッパでは国民みんなが眼で見ることがわかるだけだから、眼で見る世界では「偉そうにする者が上の者だ」から、国民みんなが政府が偉そうにしているのを見て「政府が上の者であり、政府が国のことを決める」と決めている。
日本では国民みんなが頭で見ることがわかるから、頭で見る世界では『国民みんなが国の最高権力者だ』から、国民みんなが頭で考えて『国民みんなが上の者であり、国民みんなが国のことを決める』と決めている。
ヨーロッパでも日本でも根本的には国民みんなが国を決めている。ただし、ヨーロッパ人は眼の錯覚(つまり、偉そうにする者が上の者に見えること)があるために社会の法則がひっくり返っている。日本人は眼の錯覚がないために社会の法則がそのまま通用する。だから、ヨーロッパよりも日本のほうが善[い]い社会なのである。
日本では今の国民みんなは日本文化をやっている。政府は昔の国民みんながヨーロッパ文化をやっていた名残[なご]りである。今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめている最中である。日本人は早くヨーロッパ文化をやめて日本文化をやって日本を政治機関のない善い社会にしないといけない。
外国では国民みんなが頭が悪くて眼で見ることしかわからないために、政治機関を上の者だと思って政治機関に従っている。外国では身分制があって政治機関が上の者であって政治機関が国民みんなを虐待している。これまで日本は外国の文化を取り入れるたびに、わざわざその国の政治機関を建てて政治機関に国民みんなを好き放題にさせて国民みんなを苦しめさせていた。これまで日本人はいろんな国の政治機関に苦しめられてきた。今後は日本は科学以外には外国の文化を取り入れず、自分の国の文化でやっていかねばならない。政治機関を建てずに国民みんなだけで仲良く平等にやっていかねばならない。
[20628] 政府は嘘[うそ]つきである。 h26.4.14
政府は嘘つきである。だから、政府がテレビや新聞で言っていることはまったく当てにならない。政府が実際にやっているとはっきりわかること以外は政府は何もやっていないと考えねばならない。
そういう目で見ると、政府は国民から税金を取って国民を国家宗教で虐待して、テレビや新聞の前で善いことをやっているふりをしているだけである。それ以外は政府は何もやっていないのである。政府は国民を幸福にも儲[もう]からせてもくれないのである。要するに、政府は“上の者”なのである。
そもそも政府はヨーロッパの政治機関である。ヨーロッパではみんなが眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからない馬鹿だから、身分制があって政治機関が上の者で国民みんなを好き放題にしている。だから、日本でも政府が国民みんなを好き放題にするのである。『オオカミ少年』のおとぎ話のように、ヨーロッパでは政府が国民に嘘ばかりつくから、日本でも政府が国民に嘘をつくのである。政府は国民に嘘をついて自分が民主主義をやったり国民を幸福にしたりお金持ちにしたりしているふりをして、本当は上の者をやっているだけなのである。
昔の日本では国民みんながヨーロッパ文化をやっていたからヨーロッパを真似[まね]して政府を建てたのである。今の日本では国民みんなが日本文化をやってヨーロッパ文化をやめたから政府を取り除けばいいのである。
[20629] どうしてヨーロッパ文化に道徳がないのか? h26.4.15
私が子供の頃(約40年前)の日本ではまだみんながかなりヨーロッパ文化をやっていた。そのため、私が中学2年生の頃私がラジオのエッチな深夜放送を聞いて中学3年生の頃にオナニーをやって高校1年生の頃に精神分裂病に罹[かか]ってしまいその後の人生を不幸に送らねばならなくなった。当時みんなが日本文化をやっていれば、私は精神分裂病に罹らず一生幸福な人生を送ることができただろう。
道徳とは人間が幸福に生きるための知識である。
ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪いので、ヨーロッパ人は眼で見える世界がわかるだけである。ヨーロッパ人の幸福は眼で見える世界にしかない。ヨーロッパ人の道徳は、眼で見る世界において幸福に生きるための知識である。
一方、日本人は眼は悪いが頭がいいので、日本人には頭で考える世界がわかる。日本人の幸福は頭で考える世界にある。日本人の道徳は、頭で見る世界において幸福に生きるための知識である。
だから、ヨーロッパ人にとっての道徳と日本人にとっての道徳は違う。ヨーロッパ人にとっての道徳は日本人にとっては役に立たず、逆に日本人にとっての道徳はヨーロッパ人にとっては役に立たない。
眼で見る世界は動物的なので、動物は平気でエッチをするので、ヨーロッパ人の道徳ではエッチが許されているのである。反対に、頭で見る世界は人間的なので、性欲は人間の欲望ではないので、日本人の道徳ではエッチが禁止されているのである。
結果的には、日本人の道徳ではエッチがいけないのでオナニーやセックスをしないので自分で自分の脳を興奮させることもなく精神分裂病の予防になっている。反対に、ヨーロッパの道徳ではエッチがいいのでオナニーやセックスをやってもいいので自分で自分の脳を興奮させる癖がついて精神分裂病に罹[かか]りやすい。精神病については、日本の道徳は予防効果があり、ヨーロッパ人の道徳はむしろ有害である。
ヨーロッパ文化に道徳がないのではない。ヨーロッパ文化にはヨーロッパ人にとっての道徳がある。日本人にとっての道徳と違うだけである。
最近の日本ではみんながかなり日本文化をやるようになっている。そのため、今ではエッチな深夜放送が減っている。今ならみんなが精神分裂病に罹らずに幸せに生きていくことができる。いい世の中になったもんだ。この頃に生まれて来たらよかった。
[20630] どうしてヨーロッパ人の道徳ではエッチが善[い]いことなのか? h26.4.15
ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪い。要するに、ヨーロッパ人は動物である。性欲は動物の欲望である。だから、ヨーロッパ人は性欲を満足していいのである。つまり、ヨーロッパ人の道徳ではエッチが善いことなのである。
反対に、日本人は眼は悪いが頭がいい。要するに、日本人は人間である。性欲は人間の欲望ではない。だから、日本人は性欲を満足してはいけないのである。つまり、日本人の道徳ではエッチが悪いことである。
性欲や殺傷欲や食欲や物欲や美貌[びぼう]欲などは動物の欲望である。ヨーロッパ人は動物だから、ヨーロッパ人にとっては性欲や殺傷欲や食欲や物欲や美貌欲などを満足することが道徳なのである。
反対に、思考欲や読書欲や勉強欲や知識欲などは人間の欲望である。日本人は人間だから、日本人にとっては思考欲や読書欲や勉強欲や知識欲などを満足することが道徳である。
ヨーロッパ人の生きている世界と日本人の生きている世界は違う。日本人が満足している欲望とヨーロッパ人が満足している欲望は違う。日本人はヨーロッパ人の真似[まね]などせず日本人らしく生きねばならない。日本人は自分の心を本当に満足する欲望を満足して幸福にならねばならない。
日本人には五感の喜びがないから、日本人がいくらヨーロッパ人の欲望を満足しても幸福にはなれない。日本人には知覚の喜びしかないから、日本人は日本人の欲望を満足しないかぎり幸福になれない。日本人が幸福になるためには日本文化をやらねばならない。ヨーロッパ文化をやってはいけない。日本からヨーロッパ文化を廃[はい]し、日本に日本文化を広めれば日本人みんなは幸福になれる。
[20631] 『国民が政府に税金を払わず政府を倒す』ことが正しい証明☆ h26.4.15
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府がいて政府が上の者だった。だから、国民みんなは政府を建てて政府に国民を好き放題にさせていた。
現代の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化では政府がいない。だから、国民みんなは政府を無視して政府の命令を聞かず政府に税金を払わず政府を倒しているのである。国民は国民みんなの一員として政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
これまでにも『政府に税金を払わず政府を倒す』ことを考えた国民は大勢いるが、『政府に税金を払わず政府を倒す』ことが正しいことを証明した国民はほとんどいない。だから、これまで国民みんなは『政府に税金を払わず政府を倒す』と思うだけで実際には政府を倒さなかったのである。
今では『政府に税金を払わず政府を倒す』ことが正しいことが証明されている。だから、国民は勇気を持って正々堂々と政府を倒せばいいのである。
本当は今では『国民が政府に税金を払わず政府を倒していい』のである。政府がそのことを徹底的に隠しまくってテレビでいろんなまちがいを広めて国民みんなにわからないようにしているから、今でも政府が残っているのである。このたび私が『国民が政府に税金を払わず政府を倒していい』ことが正しいことを証明したから、国民は自信を持ってみんなに威張[いば]りながら政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
[20632] 現代の国民みんなは『自分の心が変わらない』と考えている。☆ h26.4.15
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。近代の国民みんなはヨーロッパ文化全部を取り入れていた。文明(科学)も五感主義も政府も全部やっていた。
現代の国民みんなはヨーロッパの文明だけを取り入れて、それ以外のヨーロッパ文化を捨てている。文明だけやって五感主義や政府を捨てている。だから、国民みんなが五感主義をやめて、政府が滅んでいるのである。国民みんなが知覚主義をやって、国民みんなだけで仲良く平等に暮らしているのである。
近代の国民みんなは「自分の心が変わる」と考えて、自分の心を捨ててとにかくヨーロッパ文化全部を受け入れていた。善いもの(自分を幸福にするもの)も悪いもの(自分を不幸にするもの)も全部取り入れていた。
現代の国民みんなは『自分の心が変わらない』と考えて、自分の心で見てヨーロッパ文化の善いものと悪いものを選別している。善いものだけを取り入れて悪いものを捨てている。
近代の国民みんなは「自分の心が変わる」と考えてヨーロッパ文化全部を受け入れて不幸な思いをしていた。現代の国民みんなは『自分の心が変わらない』と考えてヨーロッパ文化の善いものだけを受け入れて幸福に暮らしている。最初からそうすればよかったのだ。
人間の心は五感や知覚の記憶に従属して細かく変わるが、大まかには変わらない。つまり、人間の心は生まれたときには何でもかんでもやりたがるが、そのうち実在についてわかってくると自分にできることだけやりたがって自分にできないことはやりたがらなくなる。しかし、ヨーロッパ人が眼で見る喜びが多いとか日本人が頭で考える喜びが多いとかは人間の生まれつきの脳の表面積の大小で決まるので生まれてから死ぬまでずっと変わらない。そのへんのことが近代の人ではわからなかったが、現代の人ではわかっているので、今では日本人みんなが自分が知覚主義だとわかっているので、ヨーロッパ人の五感主義を受け入れなくなって、科学は知覚主義でも五感主義でも両方でいけるので受け入れるが、五感主義や五感主義の産物である政府は受け入れるのをやめたのである。政府が人間の五感の錯覚を利用して国民みんなを支配しているので、政府は五感主義の産物なのである。
[20633] 幸福の法則 h26.4.15
今は科学の時代である。今では『実在を知り、実在の中で自分の心を満足する』ことが人間が幸福になるための方法であると考えられている。
だから、今の人は科学を勉強して実在を知っている。
近代の人はヨーロッパ文化をやっていたが、ヨーロッパ文化をやることはヨーロッパ人の心を満足することであり日本人の心を満足することではないから、今の人はヨーロッパ文化をやめている。
政府は近代の国民みんながヨーロッパ文化をやるために建てたのだから、今の人はヨーロッパ文化をやめているから政府を建てる必要がないから政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]している。政府はヨーロッパの政治機関である。ヨーロッパには身分制がある。政府は身分制を使って国民から税金を取っている。政府は国を作るために国民から税金を取っているふりをして、じつは身分制で国民から税金を取っている。政府は身分制をやるために建っているだけである。政府は国民から税金を取って国民を虐待するためにあるだけである。しかし、今では『身分制がない』と考えられているから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。
今の人は自分の心を満足するために日本文化をやっている。日本文化は知覚主義である。頭で考えて実在を知り、実在の中で自分の心を満足して幸福に生きることが日本人の生き方である。科学を用いて日本人が知覚で認識する世界を幸福にすることが、日本人にとっての幸せである。
昔の人は「外国の文化を真似[まね]れば幸福になれる」と思って、インド・中国文化やヨーロッパ文化などを真似ていた。しかし、今では『自分の国の文化をやればもっとも幸福になれる』ことがわかっている。だから、今の人は外国の文化を真似るのをやめて自分の国の日本文化をやっているのである。今の人はヨーロッパ文化をやめたから、もはや政府を建てる必要がなくなったから、政府に税金をやるのをやめて政府を潰しているのである。
[20634] 昔の人は外人の真似[まね]ばかりやっていた。☆ h26.4.15
昔の人は「外国の文化を真似[まね]れば幸福になれる」と思っていた。
近世の日本ではみんながインド・中国文化を真似れば幸福になれると思って、インドを真似て身分制をやって幕府に上の者をやらせていた。幕府にみんなから税金を取らせてみんなを虐待させていた。それを見て、みんなは幸福とはこんなものだろうと思って喜んでいた。
近代の日本ではみんながヨーロッパ文化を真似れば幸福になれると思って、ヨーロッパを真似て五感主義をやって政府に上の者をやらせていた。政府にみんなから税金を取らせてみんなを虐待させてみんなの前では善い人のふりをさせていた。それを見て、みんなは幸福とはこんなものだろうと思って満足していた。
今の人は『自分の国の文化をやれば幸福になれる』と考えている。
現代の日本ではみんなが日本文化をやれば幸福になれると思って、日本文化をやって国民みんなだけで平等にやっている。政府はヨーロッパ文化の産物なので政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。日本をみんなにとって幸福な国にするのはこれからである。みんなが本気で自分の心を満足する国にしないといけない。
昔の人は「外国の文化を真似れば幸福になれる」と思っていたから、外国の文化を真似て外国の悪いところを取り入れて幸福になれなかった。今の人は昔の人のまちがった考えを捨てて、『自分の国の文化をやれば幸福になれる』と考えてまじめにそうやって自分にとって幸福な国にしないといけない。
[20635] 「空気を読め」 h26.4.15
空気は眼で見えないけど存在する。
国民みんなも眼で見えないが存在する。
だから、「空気を読め」と言うのである。
つまり、「空気を読め」とは、「国民は国民みんなの意思を読んで国民みんなに従え」ということである。
今の国民は国民みんなを無視して国民みんなに従わないので国が進歩しない。今の国民みんなが日本文化をやってヨーロッパ文化をやめているのに、一方では昔と同じように政府に従って政府を倒そうとしない。
国民は国民みんなを観察して国民みんなの意思を読んで、国民みんなの意思に従って考えて行動すればいいのである。
とくに日本は知覚主義の国である。色[いろ]とは五感で見えるが実在しないことである。空[くう]とは実在するが五感で見えないことである。知覚主義では色を無視して空を見ないといけない。身分制は色である。国民みんなは空である。国民は政府が上の者であることを無視して、国民みんなの意思に従わねばならない。政府は近代の国民みんながヨーロッパ文化をやるために建てただけである。今の国民みんなは日本文化をやってヨーロッパ文化をやめている。だから、今の国民は国民みんなに従って、政府を倒せばいいのである。
しかし、「空気を読め」とはわかりにくい表現である。私もこれまでに何度も「空気を読め」と聞いたことはあったが、今まで意味がわからなかった。こんな言い方で言ったって誰もわからない。放送作家は口下手[くちべた]だ。言葉はもっとわかりやすく言わなければならない。
いくら知覚主義だからといって意味を伏[ふ]せた言い方をするのはよくない。ナゾナゾじゃないんだから、今はいそがしい時代で他人にもあまり考える時間がないんだから、自分が言いたいことはできるだけ他人にわかりやすくはっきりと言うべきである。知覚主義では自分が言いたいことをなるべく他人にわかりやすくはっきりと言う練習をしないといけない。
[20636] 政府は形の上で建っているだけで中身がない。☆ h26.4.15
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府があって政府が上の者だった。だから、国民みんなは政府を建てて政府に好き放題にさせて政府に従っていた。
しかし、現代の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化では政府がない。だから、今の政府は形の上で建っているだけで中身がない。国民みんなは政府を無視して政府の命令を聞かなければいいのである。政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
今でも政府がテレビや新聞に出ているが、実質的には政府はすでに滅んでいる。政府は存在しない。今の政府は幽霊のように自分が滅んだ後でこの世を彷徨[さまよ]っているのである。だから、国民は政府がないものと思って政府を無視して政府に従わなければいいのである。
今の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化では政治機関がなく国民みんなだけで平等にやっている。だから、早く日本をそんな国にしないといけない。
[20637] どうして国鉄は民営化されたか? h26.4.15
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
近代の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ文化では政府が鉄道や郵便や学校や警察などをやっていたから、国民みんなは政府に鉄道や郵便や学校や警察などをやらせていた。
現代の国民みんなは日本文化をやっている。日本文化では国民みんなが平等だから、国民みんなは鉄道や郵便や学校や警察などを民間会社にして、利用したい国民がお金をやって仕事をしてもらっている。
つまり、国民みんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになったから、政府の鉄道や郵便や学校や警察などが民営化されているのである。国民みんなが国を決めるのである。早く政府がなくなって、民営会社だけにならねばならない。
政府は上の者だから国民から無理やり税金を取って国民を虐[いじ]めるから危険だが、警察は国民と平等だから国民から毎月一定の料金を取っても安全だと思う。警察が国民から合理的な料金を取るのなら、国民は毎月一定の料金を警察に支払ってもいいと思う。
政府は生きている凶器である。政府があるかぎり国民が虐待される。政府は危険である。国民みんなは早く政府をなくさねばならない。
[20638] 女は男よりも知能が劣るが幸福である。 h26.4.16
この世では知恵遅れの養護[ようご]が一番幸せである。養護はいつも心で物を見ているので心がよく働いているので幸福感が普通の人間よりも強いからである。
人間が酒を飲むと幸せになるのは、養護と同じように頭が働かなくなるぶん心がよく働くからである。人間が頭で考えると、世の中の嫌なことがよく見えて心が不満になる。だから、頭で考えない人間のほうが幸福なのである。人間は自分の幸福を犠牲[ぎせい]にして頭で考えているともいえる。日本人の顔が怖いのはいつも頭で考えているからである。
知覚主義では利口が馬鹿よりも上である。利口が馬鹿に命令できる。馬鹿が利口に従わねばならないとされる。
女は男よりも頭が弱くて馬鹿である。だから、知覚主義の国では女が男よりも劣っていると見なされる。
しかし、女は男よりも馬鹿だから、女は男よりも頭が働かないぶん心がよく働くから、女は男よりも幸福である。女は男よりも知能が劣っているが、その代わり幸福なのである。女は自分が男よりも劣っている不幸を、自分が馬鹿であることによって得られる幸福によって補っているのだ。
[20639] 日本は知覚主義の変わった国である。 h26.4.16
知覚主義では人間がみな平等だから法律がある。法律の原理は『人間がみな平等である』ことだから、人間がみな平等である国には法律がある。知覚主義では偉そうにする者が上の者ではないから身分制がない。
五感主義では偉そうにする者が上の者だから身分制がある。身分制の原理は「偉そうにする者が上の者である」ことだから、偉そうにする者が上の者である国には身分制がある。五感主義では人間がみな平等ではないから法律がない。たとえ法律があっても形の上であるだけで誰も守っていない。
日本は知覚主義の国だから法律があって身分制がない。政治機関や宗教団体や暴力団がなく人間がみな平等であって、犯罪がなくて治安がいい。
ヨーロッパは五感主義の国だから身分制があって法律がない。政治機関や宗教団体や暴力団が上の者であって国民を自分の好き放題にして、しかも犯罪が多くて治安が悪い。
世界中の国が日本と同じ知覚主義の国ではない。国によって主義が違う。むしろ日本のような知覚主義の国は少ない。日本は島国だから知覚主義の変わった国である。珍しい国である。日本人は外国を日本と同じだと思ってはいけない。とくにインドはヨーロッパと同じ五感主義の国であって知覚主義の国ではないことに注意しないといけない。
五感主義の国は見た目は綺麗[きれい]だが、上の者がいてみんなを虐待して、法律がなくて物騒[ぶっそう]である。日本人は見た目に騙[だま]されないように注意しないといけない。
日本はもともと知覚主義の国である。日本は知覚の発達した人間だけで固めた異様な国である。これまでは五感主義の国を真似[まね]ていただけである。今ではもとの知覚主義に戻っている。知覚主義の国には身分制がない。上の者がない。政府は近代の日本がヨーロッパを真似て建てた上の者である。政府は五感主義のヨーロッパ文化の中で生まれた上の者である。だから、今では国民みんなが政府を無視して政府に税金をやるのをやめて政府を倒しているのである。
日本は知覚主義の国である。だから、日本は知覚主義の中で幸福になるために何をすればいいかを考えてそれを実現しなければならない。例えば、日本人は知覚主義だから言葉でしか喜ばないから面白い本をたくさん作らねばならない。例えば、お酒は癌[がん]になって身体に悪いから、お酒の代りに“一定時間知覚の働きを鈍[にぶ]くする薬”を飲んで養護[ようご]になって幸せになればいい。そうすれば日本人にとって幸福な国になるのである。
ヨーロッパ文化はヨーロッパ人の心を満足するためにあるのであって、日本人の心を満足するためにあるのではない。インド・中国文化はインド・中国人の心を満足するためにあるのであって、日本人の心を満足するためにあるのではない。だから、日本人がいくら外国の文化をやっても無駄[むだ]である。日本人は外国の真似をやるよりも、自分の心を満足する文化を自分で作り上げる努力をしなければならない。
昔の人は「外国の文化をやれば幸福になる」と思って一生懸命に外国の文化を真似て自分の心が満足できなくなって不幸になっていた。昔の人が「外国の文化を真似れば幸福になる」と思っていたのはまちがいだった。昔だからまちがいだったのである。人間は最初から正しくはないから昔はまちがいだったのである。今は昔ではない。だから、今は昔と同じようにまちがってはいけない。今の人は『自分の国の文化をやれば幸福になる』と考えて一生懸命に自分の国の文化をやらねばならない。科学は世界共通の文化である。日本人は科学の才能を伸ばして自分でも科学ができるようにならねばならない。
[20640] 幸福の法則のために政府が滅んだ。 h26.4.16
昭和40年(1965年)ごろになって科学の時代になって『人間が幸福になるためには、実在を知り、実在の中で自分の心を満足すればいい』ことがわかった。幸福の法則がわかった。
そのために、日本ではみんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやるようになった。
政府はヨーロッパ文化の産物であり、日本文化では政府がないから、みんなが政府に税金を払わず政府を倒している。
つまり、昭和40年ごろに理論的には政府が倒れたのである。みんなが幸福の法則を知ったために政府が滅んだのである。その後はみんなで幸福の法則を実践している。だから、今では実際に政府が滅んでいるのである。
政府は上の者であり国民みんなから税金を取って国民みんなを虐[いじ]める。国民みんなは『自分が日本文化をやる』ことを理由にして嫌な政府を倒せばいい。早く日本から政府がなくなって、国民みんなだけで平等に平和に暮らすようになればいい。
[20641] ヨーロッパ文化はお金がかかる。 h26.4.16
ヨーロッパ人は眼はいいが頭が悪い。ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけである。
だから、ヨーロッパ人が幸福になるためには自分の眼で見えるすべての物を綺麗[きれい]にしないといけない。
ヨーロッパ人が幸福になるためにはたくさんお金がかかる。どうでもいいことにものすごいお金がかかる。
そのために、ヨーロッパ人は年がら年中毎日朝から晩まで一生懸命に働いているのである。
反対に、日本人は眼が悪いが頭がいい。日本人は眼で見ることよりも頭で考えることがわかる。
だから、日本人が幸福になるためには面白い本を読めばいいだけである。
日本人が幸福になるためには本代がかかるだけである。ずいぶん安上がりである。ほとんどお金が要らない。
そのために、日本人は毎日遊んで暮らしているのである。
ヨーロッパ人は自分が幸せになるために必死かっぱで死に物狂いで働かなければならない。一方、日本人は自分が幸せになるためにほとんど働かなくていい。ヨーロッパ人よりも日本人のほうが自由である。ヨーロッパ人よりも日本人のほうが楽である。ヨーロッパ人よりも日本人のほうがいい。
[20642] 昔と今では国民みんなの“幸福な国の作り方”が違う。 h26.4.17
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
問題はどうすれば日本が幸福な国になるかである。国民みんながどうやって幸福な国を作るかである。
昔は国民みんなが「優れた国の文化を受け入れれば幸福な国になる」と考えていた。
ヨーロッパは科学(文明)が得意で道徳が苦手だった。反対に、アジアは科学が苦手で道徳が得意だった。
日本はヨーロッパで科学が発達したときにはヨーロッパを真似[まね]ていた。
反対に、日本はヨーロッパで科学が衰退したときにはアジアを真似ていた。
そのようにして、日本はヨーロッパとアジアを交互に真似ることによって科学と道徳の両方ある国にしてきたのである。
近代はヨーロッパで科学が発達したので、近代の日本はヨーロッパを真似ていた。ヨーロッパには政府があって国民みんなを好き放題にしていたので、日本でも政府を建てて政府に国民みんなを好き放題にさせた。
しかし、現代になると国民みんなが『科学を用いて日本人の心を満足する国にすれば幸福な国になる』と考えるようになった。
そのために、現代の日本では科学を用いて日本人の心を満足する国を作っている。ヨーロッパ文化はヨーロッパ人の心を満足するが日本人の心を満足しないので、現代の日本ではヨーロッパの科学(文明)だけを受け入れてその他のヨーロッパ文化を受け入れなくなっている。現代の日本ではみんなが日本文化でやるようになっている。日本文化では人間がみな平等で上の者がいない。政府はヨーロッパの身分制における上の者なので、国民みんなは政府が要らないと考えて政府を倒している。現代の日本では国民みんなが政治機関や宗教団体や暴力団などの上の者がいないみんなが平等な国を作っている。日本文化では言葉の喜びが大事である。だから、現代の日本ではコンピューターや携帯電話などを使ってみんなが言葉の喜びが得られるようにしている。
要するに、近代の日本では国民みんなが「外国の文化をやれば幸福になる」と思っていたから、ヨーロッパ文化をやっていた。国民みんなが政府を建てて、みんなが政府に従っていた。今では国民みんなが「外国の文化をやれば幸福になる」と思わなくなって『自分の国の文化をやれば幸福になる』と考えているから、ヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。国民みんなが政府をなくして、みんなが平等な国にしている。
[20643] 今の日本人は日本文化をやっている。 h26.4.17
『人間が平等である』ことを具体化したのが法律である。『人間が平等である』ために守らなければならないことが法律である。ヨーロッパ人は五感的だから「偉そうにする者が上の者だ」と思って『人間が平等だ』と考えていないから法律がない。日本人は知覚的だから「偉そうにする者を上の者だ」と思わず『人間が平等だ』と考えているから法律がある。
『人間が幸福である』ことを具体化したのが道徳である。『人間が幸福である』ために守らなければならないことが道徳である。ヨーロッパ人は五感的だから五感的な欲望(性欲や物欲や殺傷欲など)を満足することが道徳である。日本人は知覚的だから知覚的な欲望(思考欲や知識欲や理解欲や言語欲や正義欲など)を満足することが道徳である。ヨーロッパ人の道徳と日本人の道徳は違う。
ヨーロッパ人は五感的で法律がないから法律を守らないことが道徳である。日本人は知覚的で法律があるから法律を守ることが道徳である。ヨーロッパ人は五感的で身分制があるから上の者に従うことが道徳である。日本人は知覚的で身分制がないから上の者に従わないことが道徳である。
つまり、法律を守らず上の者に従うことがヨーロッパ文化であり、法律を守って上の者に従わないことが日本文化である。ヨーロッパ文化と日本文化は全然違う。
今の日本人は自分の心を満足して自分が幸福になるために日本文化をやっている。今の日本人は法律を守って身分制をやらなくなっている。政府は上の者だから、今の日本人は政府に従わなくなっている。日本文化には上の者がいないから、今の日本人は政府に税金を取らさなくなって政府を倒している。
日本人には日本人にふさわしい欲望がある。日本人には日本人の心を満足するためにやるべきことがある。日本人には日本人特有のやれば気持ちよくなることがある。科学を使えば自分の欲望がよりよく満足できる。日本人は自分の欲望を満足するために科学を使えばいいのである。
[20644] 政府とは何か? h26.4.17
政府はヨーロッパ文化における上の者である。ヨーロッパには身分制があるので上の者がいる。政府は上の者である。政府は国民みんなを自分の好き放題にできる。国民みんなは政府に従わねばならない。
だから、政府は国民から無理やり税金を取って、国民に命令して国民に嫌なことをやらせて、国民を虐待するのである。
ヨーロッパではみんなが人前でいい格好[かっこう]をするために嘘[うそ]をつくから、政府はテレビや新聞で国民みんなに嘘をついて「自分が民主主義で国民みんなを幸福にしている」ふりをしているのである。ヨーロッパでは政府が警察や学校や鉄道や郵便などをやっているから、日本でも政府が警察や学校や鉄道や郵便などをやっていたのである。
昔の国民みんなは「自分が幸福になるためにはヨーロッパ文化を真似[まね]ればいい」と思って、自分が悪いことをやって、政府を建てて政府に国民みんなを好き放題にさせていた。
しかし、今の国民みんなは『自分が幸福になるためには自分の国の文化をやればいい』と思って、自分が善[い]いことをやって、政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。国を作るのは政府ではない。国を作るのは国民みんなである。政府は上の者である。政府は国民から税金を取って国民に命令して国民を虐待して、ほかに警察や学校などを経営しているだけである。政府は昔の国民みんながヨーロッパ文化をやっていたから建っていただけである。昔の国民みんなにとっては政府を建てても善[い]いことは何もなかったが、自分たちがヨーロッパ文化をやると決めていたからとにかく政府を建てたのである。政府は文明に付いてきた嫌なオマケだったのである。今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめたからみんなが政府に税金をやるのをやめて政府が倒れているのである。今の国民みんなは日本文化をやっているから、みんなが平等になって、警察や学校や鉄道や郵便などが民営化されているのである。
実際に、今の国民みんなはヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。ヨーロッパ文化では政府があるが、日本文化では政府がない。政府は日本人の世界の中にないものである。だから、今の国民みんなは政府を倒している。国民は国民みんなの一員として政府を倒せばいいのである。
『今の国民みんなが日本文化をやっている』ことは私の独断ではなく、事実である。すでに今の国民みんなは私が考えたことを考えて実行している。私のほうが国民みんなよりも遅いのである。私は国民みんながやっていることを後から追いかけているだけである。私は国民みんなが考えたりやったりしていることを言葉にしているだけである。だから、みんなも国民みんなに遅れないようにして国民みんなといっしょに政府を倒さなければならない。今の国民みんなは無言で政府に税金を払わず政府を倒している。無言でやるのは陰気臭い。日本人らしくない。今度から国民みんなはみんなにはっきり言いながら政府に税金を払わず政府を倒さねばならない。
[20645] 現代の日本ではみんなが五感主義をやめて知覚主義に変えている。☆
h26.4.17
近代の日本ではみんながヨーロッパ文化全部を受け入れた。今日的[こんにちてき]にはまちがっているが、当時はやってしまったのである。昔はみんながまちがったことをよくやっていたのである。
科学は世界共通文化だから、日本人にとっても満足だった。
しかし、ヨーロッパの五感主義は日本人にとっては不満だった。
ヨーロッパ人は五感主義である。五感主義では偉そうにする者が上の者に見えるから身分制がある。五感主義ではお金持ちの人と貧乏人が同じ人間には見えないために人間が平等ではなく法律がない。
日本人は知覚主義である。知覚主義では偉そうにしてもいっしょだから身分制がない。知覚主義ではお金持ちの人と貧乏人が同じ人間に見えるから人間が平等であり法律がある。
ヨーロッパ人の五感主義では自分の眼で見える物をすべて綺麗[きれい]にしないといけない。日本人の知覚主義では自分の気に入った本を読めばいいだけである。
つまり、ヨーロッパ人の世界と日本人の世界は違う。もっとも、同じところもある。ヨーロッパ人も日本人もお酒を飲んで幸せになる。
ヨーロッパ人の科学は日本人にとって満足だったが、ヨーロッパ人の五感主義は日本人にとっては不満だった。
そのため、現代の日本ではみんながヨーロッパの科学だけ残して、ヨーロッパの五感主義をやめて日本の知覚主義に変えている。みんなが法律を守って、政治機関や宗教団体や暴力団などの上の者がいない人間がみな平等な国にしている。そのようにして、現代の日本ではみんなが日本人の心を満足する日本人にとって幸福な国にしているのである。
私はヨーロッパでは神だから、私がヨーロッパに行けば豪邸[ごうてい]に住んで贅沢[ぜいたく]な暮らしができるかもしれない。しかし、私は日本では人間だから普通の人と同じである。私は日本人だから神であるよりも人間であるほうが納得がいく。だから、私は日本に住んでいるのである。
江戸時代の日本は当時としては文明と法律が両方とも揃[そろ]った理想の国家だった。現代の日本も江戸時代の日本を見習って文明と法律がともに揃った国にしないといけない。そうすれば日本人みんなが幸せに暮らせるだろう。
[20646] 日本人にとっては科学以外のヨーロッパ文化が面白くなかった。 h26.4.18
物事は実際にやってみないと面白いかそうでないかがわからない。なんでも自分で確かめてみるのが科学というものである。
近代の日本ではみんながヨーロッパ文化が面白いと思ってとにかくやってみた。
しばらくすると、ヨーロッパ文化は科学(文明)以外は日本人にとっては面白くないことがわかった。
そのため、現代の日本ではみんなが科学だけ残して、その他のヨーロッパ文化(五感主義)をやめている。みんなが科学だけやって、日本文化(知覚主義)に戻っている。
戦争はヨーロッパ文化である。戦争は外人殺しゲームである。戦争はお金持ちの国の贅沢[ぜいたく]な遊びである。昔の人は戦争が3度の飯[めし]よりも好きだった。政府は国民みんなに戦争をさせるという約束で建っていただけだった。ところが、戦争を実際にやってみたら日本人にとっては面白くなかった。だから、今ではみんなが戦争をやらなくなって戦争を放棄している。
政府はヨーロッパ文化である。政府は上の者である。上の者なんか日本人にとっては面白くない。だから、今ではみんなが政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
お洒落[しゃれ]はヨーロッパ文化である。お洒落なんか日本人にとっては面白くない。だから、今ではみんながお洒落なんかやめている。
牛肉を食べるのはヨーロッパ文化である。牛肉はうまい。だから、今後もみんなは牛肉を食べる。鶏肉は食べてもよくて牛肉は食べてはいけないのは偏見である。
近代は江戸時代の後なので、国民みんなはいくらヨーロッパ文化を取り入れてもあまり悪いことをやっていない。軽く悪いことをやっていただけである。子供の折檻[せっかん]とか飲み屋のツケとかをやっていただけである。近代の文明開化の目的はヨーロッパの文明を取り入れることにあったので、みんなは法律を捨てたりしなかったのである。近代の社会はそれほど物騒[ぶっそう]ではなかったのである。
今ではみんなが日本文化に戻っている。日本文化では人間はみな平等で上の者がいない。政府は上の者である。上の者は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めて国民の前では国民の役に立つふりをしているだけである。みんなにとっては政府は嫌なだけである。だから、今ではみんなが政府に税金を払わないようにして政府を倒している。国民みんなは政府よりも権力が強いから、今では国民みんなが政府に税金を払わないことは政府公認の事実である。
要するに、日本人にとって面白いものは残して、嫌なものは捨てていけばいいのである。そうすれば、日本人にとって幸福な国になるのだ。
近代はみんながヨーロッパ文化を丸ごとやる時代でだったが、今はヨーロッパ文化を丸ごとやる時代ではない。今はみんながヨーロッパ文化を選択する時代である。みんなが自分の心に自信を持って好[い]いものは残し、嫌なものは捨てればいいのである。みんなが政府が嫌なら政府に税金を払わずに政府を捨てればいいのである。つまり、今は国民みんなで政府が要るか要らないかの多数決を取っている最中なのである。政府が要らない人が多ければ政府はなくなり、政府が要る人が多ければ政府は永遠に残るだろう。それを決めるのは君たち一人一人の決断だ。政府を要らないと言えるのが日本人である。ヨーロッパ人は心の底から政府を上の者だと思い込んでいるから政府を要らないと言えないのである。君は政府を要らないと言えるかな?
今はまだ文明開化の最中である。文明開化は受容期と選択期の2つの時期からなる。近代はヨーロッパ文化の受容期だった。現代はヨーロッパ文化の選択期である。みんながヨーロッパ文化を選択し終わったとき、ようやく文明開化が終わったといえるのだ。
[20647] どうして江戸幕府は生き残れたのか? h26.4.18
近世にはみんながアジア文化を受け入れていた。インド文化と中国文化をやっていた。
インド文化には身分制があるので、江戸幕府が上の者をやっていた。
しかし、いくらインド文化を受け入れるといっても、日本人の嫌いなことまで我慢[がまん]してやらなくていい。日本人は知覚主義だから身分制が嫌いである。だから、日本人は身分制をやめて幕府を倒せばよかった。それなのに、江戸時代にはみんなが身分制をやって江戸幕府が日本を支配していた。
それは、当時は江戸幕府がなければ、戦国時代になったからである。全国各地の藩同士で戦[いくさ]ばかりやるからである。そのために、みんなは身分制をやって江戸幕府に日本を治めさせて日本を平和にしていたのである。みんなは日本を平和にするために嫌な身分制を我慢してやっていたのである。[特殊な条件下では通常では建つはずのない政治機関が建つ。みんなが餓死寸前の国においては通常では建つはずのない社会主義政府が建つようなものである。みんなは本当は社会主義が嫌だが、自分が死なないために嫌な社会主義を我慢してやっているのである。そのため、科学が発達してみんなが飢えなくなるとみんなが社会主義をやらなくなって資本主義をやるようになって社会主義政府が倒れるのである。]
今の日本ではみんながヨーロッパ文化をやめて日本文化をやっている。日本文化では人間がみな平等なので身分制がない。しかし、今は戦国時代ではない。今では戦いを仕事にする武士なんか一人もいない。だから、今の日本には身分制は要らない。今の日本ではみんなが我慢して身分制をやらなくていい。政府はヨーロッパの上の者だから、みんなで政府を倒して政府をなくせばいい。今の時代に政府があっても国民みんなのために役に立つことがない。だから、国民みんなで早く政府をなくせばいいのである。
[20648] 『政府には国民を虐[いじ]める権利がある。』 h26.4.18
日本国憲法に『国民は政府に税金を払う義務がある』と定めているのは正直である。政府は上の者だから国民みんなは政府に従わねばならないから、国民みんなは政府に税金を払わねばならないのである。
しかし、憲法には『政府には国民を虐める権利がある』ことは定められていない。政府はそこまで正直ではないのである。
憲法には『政府に嘘[うそ]をつく権利がある』ことも記載されていない。嘘つきは自分を嘘つきとは言わないものである。
政府は納税の義務だけ正直で、あとは嘘つきである。
つまり、政府は上の者である。政府は上の者である上に嘘つきである。ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪いので、ヨーロッパ人は眼で見ることがわかるだけで頭で考えることがわからないので、ヨーロッパ人は動物であって人間ではないので、ヨーロッパ人には人間らしい正義の心がないので、ヨーロッパ人は嘘つきである。政府はヨーロッパ文化の政治機関だから嘘つきである。だから、政府は本当は自分が上の者なのに、国民の前では国民と平等なふりをしているのである。
昔の国民みんなはヨーロッパ文化をやっていたから、政府が上の者であることを認めて政府に従った。
今の国民みんなは日本文化に戻っているから、政府が上の者であることを認めず政府に従わない。日本文化には上の者がいないから、みんなで憲法を破って政府に税金を払わず政府を倒して政府をなくしている。
今の日本では国民みんなが日本文化をやって、日本をもとの日本文化がある国に戻している。政府のないみんなが平等な国にしている。
[20649] 『赤信号みんなで渡れば怖くない。』 h26.4.18
昔、今から30年ぐらい前に北野たけしが『赤信号みんなで渡れば怖くない』と言っていた。
これは、国民みんなで上の者をやっている政府を倒せばいいという意味である。国民一人だけでは政府を倒してはいけないが、国民みんななら倒してもいいのである。
しかし、いくら北野たけしが言っても誰も政府を倒そうとしなかった。私も倒そうとしなかった。
そこで北野たけしは『みんな殿様になりたいんだ』と悲しそうに言っていた。
これは、国民みんなが身分制を支持しているという意味である。
しかし、本当は国民みんなは身分制に反対である。日本人は知覚主義だから「偉そうにしている者を上の者だ」と思わないから『人間はみな平等だ』と考えているから身分制が嫌いである。
つまり、今の国民みんなが身分制に反対しているのに政府を倒さないのは、今の国民みんなが政府が上の者だと思っていないからである。国民みんなが政府の正体を知らないから、政府を倒そうとしないのである。政府が嘘[うそ]をついて民主主義の政治機関のふりをしているために、国民みんなは政府の正体がわからないのである。
それなら、国民みんなに政府の正体を教えればいい。国民みんなが政府の正体がわかれば政府を倒すだろう。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは政府をどうしようが勝手である。政府は上の者である。政府は隠れて上の者をやっている。国民みんなは日本人だから知覚主義だから身分制に反対である。だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。政府は滅ぶしかない。
[20650] 政府はどうして民主主義をやっているか?☆ h26.4.18
政府は上の者である。政府は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めている。
しかし、今の国民みんなは身分制に反対である。今では世界的に知覚主義だから世界中のみんなが『人間がみな平等だ』と考えているから世界中のみんなが身分制に反対である。
そのために、政府は自分が民主主義をやっているふりをして自分が国民みんなの役に立つことをしているふりをして、自分が国民みんなの役に立つことをするために税金を取っていると国民みんなに思わせて、本当は自分が身分制で国民みんなから税金を取っていることを隠しているのである。
政府は自分が民主主義をやっているふりをして自分が国民みんなを幸福にしているふりをして、宗教団体や反政府組織が事件を起こして国民を殺していると国民みんなに思わせて、本当は自分が国家宗教で国民を殺しているのを隠しているのである。
今の政府は自分が身分制をやっていることを隠すために民主主義をやっているふりをしているのである。
政府は本当は上の者である。国民みんなは政府の芝居に騙[だま]されないようにして、政府を上の者だと考えて政府を倒さねばならない。
[20651] どうして今の国民みんなは政府を倒さないのか? h26.4.19
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが自分の好きなように国を作ればいい。
日本人は知覚主義である。知覚主義の世界では人間がみな平等であり上の者がいない。政府は上の者である。だから、今ではすでに国民みんなは政府を倒して政府がなくなっているはずである。
それなのに、いまだに政府が残っている。政府が身分制をやっている。政府が国民から税金を取って国民を虐[いじ]めている。
今の国民みんなが政府を倒さないのは、政府の正体がわかっていないからである。政府が上の者であることを知らないからである。
今の国民みんなが政府の正体がわかっていないのは、今の国民みんなの頭の中が娯楽ばっかりだからである。
今は昔と違って世の中に娯楽がたくさんある。子供は朝から晩までゲームばっかりやっている。外でも遊べる携帯のゲーム機までもある。大人はお酒を飲んだり録画していたアニメを見たり釣りやキャンプをやったりゲームをやったりしている。
今は昔よりも考える時間がたくさんあるのに、みんなが遊んでばかりいて国や政府のことについて考えないから、みんなが政府の正体がわかっていないのである。テレビや新聞をちょっと見て「政府が民主主義の政治機関だ」と思ってそれで済ましているのである。眼で見るだけで終わりにして頭で考えていないのである。
今の国民みんなはもっと現実のことに関心を持たねばならない。もっと政府について勉強して、政府が上の者であることを知らねばならない。国民みんなで早く政府を倒さなければならない。国民みんなが『マインクラフト』のように自分の思い通りの国を作ればいい。
[20652] 今の世界は日本が中心である。☆ h26.4.19
日本人は知覚主義である。知覚主義の世界では人間がみな平等であり上の者がいない。政府は上の者である。だから、日本人はみんなで政府を倒して政府をなくすべきである。
反対に、ヨーロッパ人は五感主義である。五感主義の世界では上の者がいて人間が不平等である。政府は上の者である。だから、ヨーロッパ人はみんなで政府を建てて政府を守るべきである。
今の世界は日本が中心だから、世界中のみんなが日本を真似[まね]て知覚主義をやっている。世界中のみんなが知覚主義をやって政府を倒している。ヨーロッパ人も日本人を真似て知覚主義をやって政府を倒している。
日本人は知覚主義をやって政府を倒して、世界中のみんなに知覚主義の手本を示さねばならない。
知覚主義は万能だから知覚主義では科学でも法律でも何でもできるから、今では世界中の国が知覚主義をやっているのである。
[20653] 何が迷信だったのか? h26.4.19
昔は「五感主義でなければ科学(文明)はやれない」と考えられていた。
しかし、近代の日本で科学ができたことによって『知覚主義でも科学ができる』ことがわかった。日本は知覚主義の国であり、近代の日本では戦争のために独自の兵器が作れたから、知覚主義の国でも科学がやれることがわかったのである。
そのため、今では世界中の国で科学をやっている。インドや中国でも科学をやっている。
今では『知覚主義の国でも科学ができる』ことがわかっている。だから、逆にいくら科学をやっても知覚主義のままでいいことがわかる。科学をやったからといって五感主義にならなくていいことがわかる。
知覚主義の国では、頭で実在を理解してから眼で物を見ればいいので科学がやれるのである。演繹法[えんえきほう]でも科学ができる。だから、知覚主義の国でも科学がやれるのである。
今の日本では科学をやって知覚主義もやっている。知覚主義の国では人間はみな平等であって上の者がいない。政府は上の者である。だから、今の日本ではみんなが政府を倒している。政府は文明開化のドサクサに紛[まぎ]れて日本に入ってきただけである。ヨーロッパ政府も表裏があって日本人から見ると一見善い団体のように見えるのでうっかりして政府を日本に入れてしまったのである。政府は招かれざる客である。だから、今の日本ではみんなでまちがって日本に入れてしまった政府を取り除いているのである。
今では世界中の国が知覚主義を目指している。ヨーロッパも知覚主義の国を目指している。日本も自分が知覚主義の国だと思っていい気にならずに、がんばって自分の知覚主義にいっそう磨きをかけねばならない。『ウサギとカメ』のウサギのようになってはいけない。
近代の日本ではみんなは五感主義を取り入れていない。日本人はずっと知覚主義のままである。近代の日本はヨーロッパの文明を取り入れただけである。近代の日本でも日本人はみんな法律を守っていた。身分制をやっていなかった。江戸時代の後なので、政府も実際には上の者をやっていなかった。近代の政府は戦争の準備ばかりやっていて上の者をやる暇がなかった。近代の日本人は戦争をやった。日本人は戦争を殺傷欲の満足のためにやったのではなく、武士道のためにやったのである。日本人は自分の身体にとらわれないために自分の恐怖心に負けないために戦争をやったのである。日本人は自分の大和魂[やまとだましい]を発揮するチャンスだったから戦争をやったのである。政府はむしろ現代になってから上の者をやるようになった。現代では戦争をやらなくなったために、政府が暇になったので上の者をやっているのである。しかし、日本人は知覚主義のままである。知覚主義では人間はみな平等であり上の者がいない。だから、今の日本では政府が国民みんなに倒されて政府が滅んでいるのである。
もっとも、私はもとから政府を倒しているのではない。あいにく、私は子供の頃から社会科が苦手だった。そのため、私は最近まで「政府が国民みんなと平等だ」と思ってまじめに政府に毎月税金を払って政府を倒さなかった。しかし、私がこのたび自分で政府について考え直してみたら、『政府が上の者である』ことがわかった。日本人が知覚主義であり、日本人の世界には上の者がいないことがわかった。だから、今の私は政府に税金を払わないようにして政府を倒しているのである。(もっとも、今の私は仕事がないから政府に税金を払う必要がないが。)
[20654] 日本人は動物の真似[まね]をやめて人間に戻るべきである。 h26.4.19
ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪い。眼で見ることしかわからない。ヨーロッパ人は動物である。
日本人は眼が悪いが頭がいい。頭で考えることがわかる。日本人は人間である。
ヨーロッパ人には動物的な喜びがあるだけである。性欲や物欲や殺傷欲などがあるだけである。
日本人には人間的な喜びがある。思考欲や言語欲や正義欲などがある。
ジョン・スチュアート・ミルは『喜びは量よりも質が大事だ』と言った。つまり、ミルは動物的な喜びよりも人間的な喜びが大事だと言った。五感主義よりも知覚主義が大事だと言った。
ヨーロッパ人は動物だが、一生懸命に人間の真似をやっている。
日本人は人間だが、動物の真似をやっている。日本人はさっさと動物の真似をやめて人間に戻らなければならない。
動物は動物の心を満足しているから幸福なのである。人間が動物の心を満足しても幸福にはなれない。動物が人間の心を満足しても幸福にはなれない。人間は人間の心を満足すれば幸福になれるのである。
ヨーロッパ人の偉大さはいくら自分の心が動物的で劣っていても人前で恥ずかしがらずに堂々と自分の心を満足することにある。日本人もヨーロッパ人を見習って他人目[ひとめ]にかまわず自分の心を満足しないといけない。そうすれば今よりも幸福になれる。
[20655] 迷信のために昔の日本は科学が弱かった。 h26.4.19
昔は「五感主義でなければ科学はやれない」という迷信があった。「知覚主義では科学がやれない」という迷信があった。
そのために、日本は知覚主義の国だったので、みんなが最初から「日本では科学がやれない」と考えて日本では科学の教育や科学者の育成をやらなかった。だから、昔の日本では科学ができなかった。
そのために、日本は科学をヨーロッパに頼らねばならなくなって、ヨーロッパから科学を取り入れるたびにヨーロッパからいっしょに余計なものが入ってきて国民の幸福の邪魔[じゃま]になった。
しかし、今では「五感主義でなければ科学はやれない」という迷信がない。今では『知覚主義でも科学がやれる』と考えられている。
そのために、今の日本ではみんなが『日本でも科学がやれる』と考えて科学の教育や科学者の育成をやっている。だから、今の日本では科学がやれるようになっている。
そのために、日本は科学をヨーロッパに頼らなくてもよくなって、ヨーロッパから科学を取り入れる必要がなくなって、ヨーロッパからみんなの幸福の邪魔になる余計なものをいっしょに取り入れなくなっている。
今の日本では科学をやりながら知覚主義もやっている。日本は知覚主義の国なので人間がみな平等で上の者がいない。政府はヨーロッパから輸入した上の者である。政府はみんなの幸福の邪魔になる。そのため、今の日本ではみんなが政府を倒して日本から政府をなくしている。
[20656] 日本は知覚主義の国である。☆ h26.4.19
日本人は眼は悪いが頭がいい。頭で物が見える。日本は知覚主義の国である。
反対に、外人は眼がいいが頭が悪い。眼で物を見るだけである。外国は五感主義の国である。
これまで日本はたびたび外国の文化を受け入れてきたが一度も五感主義の国ではなかった。
現代の日本は知覚主義である。日本では国民みんなが法律を守って身分制をやっていない。政府が表で平等なふりをして、隠れて密[ひそ]かに上の者をやっているだけである。
近代の日本も知覚主義だった。日本人はヨーロッパ人の真似[まね]をして冗談でちょっとだけ悪いことをやっていただけで、本音[ほんね]では知覚主義だった。近代の日本は知覚主義の国でも科学がやれることを実証した。
近世の日本も知覚主義だった。みんなが法律を守っていた。ただし、戦国時代の後だったので、みんなが戦乱の世の中になるのを防ぐためにインドを真似て身分制をやっていた。
中世の日本も知覚主義だった。たしかに世の中は乱れていたが、五感主義のために乱れていたのではなく、文明が未発達で生活が苦しくて生きるか死ぬかの瀬戸際[せとぎわ]でまじめに法律なんか守っていたら死ぬのでみんなが法律を守らずいいかげんに暮らしていたために乱れていたのである。昔はみんなが生きるのがやっとだったので法律も道徳もなかったので五感主義や知覚主義どころではなかった。
古代の日本も知覚主義だった。古代の日本はヨーロッパ文化を受け入れたが、近代の日本と同じようにいっときヨーロッパ人の真似をしてふざけて遊びで悪いことをやっていただけだった。
これまで日本は一度も五感主義だったことはない。
たしかに戦争で大勢の優秀な日本人が死んだがそのために日本人が五感主義に変わることはない。戦争のために大勢の優秀な日本人が死んで日本人が五感主義に変わったというのは、政府が自分が生き残るためについたデマである。
知覚主義は日本人の血である。日本人は生まれつき知覚主義である。日本人が知覚主義以外の主義をやることはできない。日本人がいくらがんばっても五感主義になることはできない。
日本は知覚主義の国である。知覚主義では人間はみな平等であり上の者がいない。政府は上の者である。だから、日本では国民みんなが政府を倒して政府のない国にすればいいのである。
[20657] どうして今の国民みんなは政府を倒さないのか? h26.4.19
今の国民みんなは知覚主義をやっている。法律を守っている。身分制もやっていない。政府だけ隠れて密[ひそ]かに自分ひとりで身分制をやっている。政府が国民みんなと平等なふりをして上の者をやっている。
江戸時代も国民みんなが知覚主義をやっていた。法律を守っていた。ただし、特別に身分制もやっていた。そのため、世の中が大雑把[おおざっぱ]には平和だった。幕府が上の者をやって世の中を乱していたが、大したことではなかった。
国民みんなが知覚主義をやっていると、政府や幕府がどうしようが、いちおう世の中が平和になる。世の中が平和になると国民みんなが「今の時代がいい」と思う。国民みんなが今の時代に満足してそれ以上何もしなくなる。国民みんなはあまり細かいことを気にしないので、政府や幕府が多少変なことをやっていても気にせずほったらかしなのである。
人間はだいたいいいとそれで満足してそれ以上何もしなくなるものである。知覚主義の国では国民みんなが知覚主義をやっているのでみんなが法律を守るのでだいたい平和である。国民みんなが平和に満足して、多少世の中がおかしくても気にしなくなる。今の国民みんなは『政府が隠れて身分制をやっている』ことを知っているが、国民みんながあまり細かいことを気にしないので、政府をほったらかしにして政府の好き勝手にさせているのである。人間は機械じゃないから、あまり細かいことを気にしないのである。そのために、いつまでたっても国民みんなが政府を倒さず政府がなくならないのである。国民みんなは政府のこと以外にもいろんな問題があるので、いそがしくて政府のことなんかにかまっていられないのである。
しかし、それでは国民みんながルーズである。ふしだらである。いいかげんである。デタラメである。
国民みんなは生活のいろんな問題が片付いて困ったことがなくなって、政府のことが気になりだしたら政府を倒すだろう。それまでは政府は遊んでいられるだろう。
今の政府は隠れて密かに身分制をやっている。日本は知覚主義の国だから身分制をやってはいけない。政府が悪い。だから、政府が気に入らない者はテキトウに政府をいたぶって憂さ晴らしにすればいいのである。政府に税金をやりたくない者はやらなければいいのである。国民みんなはテキトウに政府をからかって遊べばいいのである。
[20658] 日本は身分制のない国である。☆ h26.4.19
古来より日本は知覚主義の国である。日本はみんなが法律を守る身分制のない国である。
ただし、近世は戦乱の世だったので、国民みんなは特別に身分制をやって幕府を上の者にして幕府に国を治めさせて戦乱を鎮[しず]めた。戦乱の世を鎮めたのは幕府ではなく国民みんなだったのである。国民みんなは縁[えん]の下の力持ちなのである。
古代や近代では、政府が国民みんなと平等なふりをしながら隠れて密[ひそ]かに身分制をやっていた。つまり、政府は国民みんなのために役に立つことをしているふりをして国民から税金を取ったり、隠れて密かに国民みんなを国家宗教で虐[いじ]めていた。
つまり、日本で身分制をやるためには、日本が特殊な条件下にあるか、政治機関が国民みんなに隠れて国民みんなの眼をごまかしながら密かに自分独[ひと]りでやるしかないのである。
現代の今では戦乱がないので、国民みんなで身分制をやる必要はない。今では文明が発達してみんなの暮らしが豊かになって国がひとつになって戦乱がない。今では国民みんなが『政府が密かに身分制をやっている』ことを知っている。浦島太郎のおとぎ話のように、昔の政府も国民みんなに身分制をやっていることがバレて潰[つぶ]れたのだろう。だから、今では国民みんなで政府を潰[つぶ]しているのである。昔に政府がいっぺん潰れたから、国民みんなは政府がどんな団体なのか知らないわけがない。それなのに、近代に国民みんなが政府を建てたのは、『政府が最初のいっとき国民みんなに善いことをやってくれる』ことを知っていたからである。今の政府はすでに善いことをやってくれなくなっている。だから、今では国民みんなが政府が用済みだと思って政府を潰しているのである。政府は建ったと思ったらすぐに潰れる店なのである。
政府は上の者である。ヨーロッパは五感主義の国だから人間が不平等で身分制がある国だから政府が生きていけるが、日本は知覚主義の国だから人間が平等で身分制のない国だから政府が滅ぶ。政府はヨーロッパでは生き残れるが、日本では滅ぶ。ヨーロッパと日本では環境が違う。日本は上の者が生き残れない国である。日本にとっては政府は外来種であり、日本は政府にとっては生存には適さない環境なのである。だから、今の日本でも政府が滅んでいるのである。
[20659] 政府は最初の一時[いっとき]だけ善[い]いことをする。☆ h26.4.20
政府は上の者である。政府は国民みんなから税金を取って国民みんなを虐[いじ]める。
ただし、政府は最初の一時だけ国民みんなにとって面白いことをやる。政府は国民みんなと仲良しになるために国民みんなの機嫌[きげん]をとるために善いことをするのである。
近代の政府は国民みんなのために善いことをやっていた。国民みんなに戦争をさせたり田舎[いなか]に鉄道を走らせたりしていた。
しかし、現代の今の政府は本性を現して悪いことばかりやっている。
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を好きなようにすればいい。
だから、今の国民みんなで政府をやっつければいい。国民みんなで政府に税金をやらず政府を倒せばいい。
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。だから、国民と政府も平等である。国民が政府に税金を払うか払わないかも国民一人一人の自由である。今の政府は悪いことばかりやっている。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。政府を倒せばいいのである。
政府は最初のいっとき善いことをするから、近代の国民は政府に税金をやって善いことをやらせていたのである。今の政府は善いことをしなくなったから、今の国民は政府に税金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。日本はみんなが平等な国だから税金はない。税金の法律は政府の嘘[うそ]だから、国民は政府の税金の法律を無視して政府に税金を払わなければいいのである。
[20660] どうして日本は鎖国をやったのか? h26.4.20
江戸時代に日本が鎖国をやったのは中国の真似[まね]である。「文明を受け入れると五感主義になる」という迷信があったからではない。
日本は昔からヨーロッパで科学(文明)が発達したときにはヨーロッパの科学を受け入れ、ヨーロッパで科学が衰退したときにはアジアの文化を受け入れていた。日本ではみんながそうやって日本を科学と法律の両方ある国にしていたのである。
古代や近代にはヨーロッパの科学が発達したので、日本はヨーロッパの科学を受け入れた。
中世や近世にはヨーロッパの科学が衰退したので、日本はアジアの文化を受け入れていた。そのために、近世の日本では鎖国をやっていたのである。日本にとって鎖国は中国の真似でやっていただけであって、あまり重要な意義はなかった。だから、ときどき江戸時代にもヨーロッパの文明をチョロチョロ受け入れていたのである。江戸時代にもできれば日本は鎖国を解いてヨーロッパの文明を取り入れたかったが、当時はまだそれほどヨーロッパの文明が発達していなかったので日本は鎖国を解かなかったのである。
日本は昔からずっと知覚主義の国である。知覚主義が日本の伝統である。日本がヨーロッパの文明を受け入れるときも、日本はヨーロッパの文明を受け入れただけでヨーロッパの五感主義までも受け入れはしなかった。日本は最初からヨーロッパの五感主義を捨てて、ヨーロッパの科学だけを受け入れていた。
近代の日本も知覚主義のままでヨーロッパの文明だけを受け入れた。『政府は上の者だが、最初のいっとき国民みんなのために善[い]いことをする』ので、国民みんなはしばらくの間政府を好きなように建たせていた。国民みんなが外国のものを善いか悪いか(つまり自分たちを幸福にするか不幸にするか)わからずに受け入れることはない。必ず外国のものについてよく調べて善い場合にだけ外国のものを受け入れる。政府は上の者だから普段は日本人を不幸にするが、政府は最初の一時[いっとき]だけ善いことをする性質があるから、国民みんなは最初の一時だけ政府を泳がせておくのである。
アメリカ占領下においても日本は知覚主義のままだった。アメリカは日本に科学を浸透させて日本に古くからあった身分制をやめさせて日本の近代化を進めてくれた。
現代の日本も知覚主義である。日本は大昔からずっと知覚主義のままである。
現代の今では政府が善いことをするのをやめたから、国民みんなで政府を倒している。政府は国民みんなに倒されて滅んでいる。これで日本に“隠れて上の者をやっている者”がいなくなる。日本が真[しん]にみんなが平等な国になる。
「文明を受け入れると五感主義になる」という迷信は昔から日本にはなかった。だから、日本はアジアで最初にヨーロッパの文明を受け入れた。アジアの他の国では「文明を受け入れると五感主義になる」という迷信があったので最近までヨーロッパの文明を受け入れなかった。アジアの他の国は近代や現代の日本の様子を見て『文明を受け入れても国民の主義は変らない』と思って安心してヨーロッパの文明を受け入れることにしたのである。
[20661] 知覚主義の国には政府は建たない。 h26.4.20
日本は知覚主義の国である。日本は大昔からずっと知覚主義のままである。
知覚主義の国では人間はみな平等であり上の者がいない。知覚主義の国では法律があって身分制がない。政府は上の者である。だから、日本では政府は建たない。たとえ建ったとしても一時[いっとき]だけである。
ただし、『政府は最初のいっとき国民のために善[い]いことをする。』だから、近代の日本では国民みんながしばらくの間政府に税金をやって政府を好きなように建たせていたのである。政府が善いことをやるから国民みんなが政府の指示に従ったのである。現代の日本では政府が善いことをしなくなったから、国民みんなで政府に税金をやらなくなって政府を倒しているのである。政府が善いことをやらなくなったから、国民みんなが政府の指示に従わなくなったのである。国民みんなが国の最高権力者だから、国民みんなで脱税して政府を倒しているのである。
[20662] 「行きはよいよい帰りは怖い。」 h26.4.21
「行きはよいよい帰りは怖い」とは政府のことである。
国民みんなが政府を建てるときは易しいが壊すときは難しいと言うことである。
国民みんなが政府を建てるときには無から作るので気楽だが、政府は一度建ててしまうと大きいので、国民には政府を倒すのは難しいと思えるからである。
しかし、日本は知覚主義の国なので上の者があってはならない。政府は隠れて上の者をやっている。政府は国民からお金を奪って国民を虐待している。だから、日本に政府があってはならない。国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが政府を好き勝手にできる。だから、国民は難しがらずに度胸を出して国民みんなの一員として政府を倒せばいいのである。つまり、国民は『政府よりも国民みんなのほうがさらに大きい』と考えて政府を恐れないようにして政府を倒せばいいのである。
国民にとっては政府が大きくて怖いが、政府にとっては国民みんなが大きくて怖い。政府も国民みんなには逆らえない。だから、国民が国民みんなの一員としての自覚を持って政府に立ち臨んで政府を倒せばいいのである。国民が“国民みんなという会社”に勤める社員になったつもりで偉そうにして政府を好き放題にして政府の税金の命令を無視して政府を倒せばいいのである。
日本は知覚主義の国である。日本では人間はみな平等である。政府と国民は最初から平等である。政府は普通の会社と同じである。国民は政府に従わなくていい。国民は政府が善いことをすれば政府に税金を払って政府の指示に従えばよく、政府が善いことをしなければ政府に税金を払わず政府の指示に従わなければいい。今の政府は国民みんなに善いことを何もしていないから、国民は政府の指示を聞かず、政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。近代の政府は国民から税金をもらったぶんだけ国民に善いことをしていたが、今の政府は国民から税金をもらうだけで国民に善いことは何もしない。むしろ国民に嫌がらせをしている。今の政府は国民から奪ったお金でちょっとだけ善いことをやっているにすぎない。他人から奪ったお金でちょっとだけ善いことをやっても善いことにはならないから、政府は悪い団体だから、国民は政府を倒せばいいのである。
「行きはよいよい帰りは怖い」の歌は、国民みんなに政府を壊すのが難しいと思わせるために作った歌である。しかし、本当は政府を壊すのは政府を建てるよりも易しいのである。そもそも日本では政府と国民が平等だから、国民が政府を建てるも壊すも自由である。政府は最初のいっとき善いことをするだけで、あとは悪いことばかりする。だから、国民は政府が善いことをしなくなったらすぐに政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。今の政府は善いことをしなくなっているから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
政府は最初のいっとき善いことをするだけで後は悪いことばかりする。だから、国民みんなは政府が善いことをしなくなったらすぐに政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]す。これまでずっと国民みんなはそうやって政府を潰してきた。だから、今でも国民みんなは政府を潰せばいいのである。
政府は最初の一時[いっとき]善いことをするだけで後は悪いことばかりする。しかし、政府は外からは善いことをしているか悪いことをしているかわかりにくいので、国民みんなはなかなか政府を倒そうとしない。そのために、政府が長い間悪いことをしつづける。政府はやっぱり壊しにくい。壊しにくい物なら最初から建てなければいい。今度から絶対に政府を建てないようにしよう。
[20663] 国民みんなはいっぺん政府をちゃんとなくさねばならない。 h26.4.21
日本は知覚主義の国である。日本は人間がみな平等な上の者のいない国である。
ところが、政府は上の者である。だから、本来日本に政府があってはならない。国民みんなは政府を潰[つぶ]すべきである。
これまでは政府が最初のいっとき国民みんなに善いことをしていたので、国民みんなは政府が善いことをする間日本に置いてやることにしていた。
ところが、政府が善いことをしているか悪いことをしているかは外からはわかりにくい。そのため、国民みんなはなかなか政府を潰[つぶ]せないままでいる。そのため、政府がいつまでも悪いことをしている。政府がだんだん悪いことをするようになっている。
政府がいろんな事業を抱き合わせているのがいけない。政府が善いことと悪いことの両方やっているから、国民みんなは頭がこんがらがって政府を倒せないでいるのである。
政府は上の者である。政府は上の者だから悪いことをするのである。国民みんなはいっぺんちゃんと政府を倒すべきである。その後で、国民にとって必要な事業をする会社を個別に建てればいい。今度国民みんなが戦争をすることになったら、政府とは別に戦争会社を建てたらいい。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて、政府の持ち会社を政府から独立させて民営化させて、その都度[つど]利用したい者がお金を払って仕事をしてもらうようにすればいい。
政府は具体的な事業(つまり、警察や学校や水道やゴミなど)以外には国民みんなを幸福にしたりお金持ちにしたりすることをやっていない。だから、政府の持ち会社が民営化すれば、政府がなくなっても国民は全然困らない。むしろ、国民からお金を奪って国民を虐[いじ]める上の者がいなくなって国民はうれしいかぎりである。だから、国民みんなはきっちり政府を倒して政府を跡形もなく消し去らねばならない。
[20664] 今の国民みんなは政府がなければ自分が幸福になることを実験してみればいい。
h26.4.21
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが自分の好きな国を作る。日本人は知覚主義である。だから、日本は人間がみな平等なみんなが法律を守る上の者がいない身分制のない国である。
政府は上の者である。政府は悪いことをする。政府は国民からもらった税金で国民のために何もせず、国民を虐待する。ただし、政府は最初の一時[いっとき]だけ上の者をやらずに国民みんなと平等にして国民みんなのために善[い]いことをする。政府は国民からもらった税金で国民みんなを喜ばせることをする。政府は会社を立ち上げるために、最初のいっとき悪いことをするのを我慢[がまん]して善いことをするのである。
近代の国民はそのことを知っていたから、しばらくの間政府に税金をやって政府に仕事をさせていたのである。
しかし、今の政府はすでに国民のために善いことをしなくなっている。今の政府は開店祝いをやめて通常の上の者をやっている。今の政府は悪いこと(つまり、国民を不幸にすること)ばかりやっている。今の国民みんなが知覚主義で善いことをやっているために政府が悪いことをやっていることがわかりにくいが、政府は悪いことをやっている。今後政府が国民に善いことをすることはない。だから、今の国民は政府に自分を不幸にされないために政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]しているのである。
政府は本来上の者だから、おそらく今の政府は国民のために善いこと(つまり、国民を幸福にすること)は何もやっていないと考えられる。政府は国民を幸福にしたり国民をお金持ちにしたりすることは何もやっていないと考えられる。政府はテレビや新聞でいかにも「政府のおかげで国民みんなが食べていけるのだぞ」という顔つきをして、じつは国民みんなにとって何の役にも立っていないのである。だから、国民みんなでいっぺん政府を潰してみて、政府があったほうがいいかないほうがいいか実験して確かめてみればいいのである。国民みんなで政府を潰して国民みんなが不幸になれば急いでまた政府を建てればよく、政府を潰して国民みんなが幸福になればそのまま政府を潰しておけばいい。
これまでは国民みんなが政府が最初のいっとき国民のために善いことをするからしばらくの間政府を置いてやっていただけである。政府が国民みんなを騙[だま]して国民みんなを支配していたのではない。今の政府は自分で勘違いをして国民みんなが馬鹿だと思って国民みんなをなめているようである。政府にいっぺん国民みんなの怖さを教えてやればいい。国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を潰してやればいいのである。
要するに、政府は悪い団体である。政府は最初のいっとき善い団体のふりをしていただけである。今の政府は悪い団体をやっている。日本は悪者がいない国である。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を攻撃して政府を倒しているのである。これが日本人の社会科である。学校の社会科はヨーロッパ人の社会科である。日本人は哲学(認識についての認識)があるから「偉そうにする者を上の者だ」と思わない。ヨーロッパ人は哲学がないから「偉そうにする者を上の者だ」と思う。日本人とヨーロッパ人は社会観が違う。日本人の社会観が正しく、ヨーロッパ人の社会観がまちがっている。日本人は日本人の正しい社会観に則[のっと]って行動しなければならない。政府は日本人にヨーロッパのまちがった社会観を教えているから、国民は政府にまちがった社会観を習わないようにしないといけない。ヨーロッパは五感主義の国だから上の者がいるから政府が上の者をやっても政府が国民みんなに滅ぼされず政府がずっと残って上の者をやり続ける。反対に、日本は知覚主義の国だから上の者がいないから政府が上の者をやるとすぐに政府が国民みんなに滅ぼされる。日本では政府は最初のいっとき国民みんなに善いことをやっている間以外は残れない。日本の国民みんなはヨーロッパの国民みんなと同じように行動してはいけない。今の政府はもはや国民みんなに善いことをやっていないから、今の国民みんなは政府を倒していいのである。今の日本では国民みんなが政府を倒すのは解禁なのである。
[20665] 日本は悪者のいない国である。 h26.4.21
日本は知覚主義の国である。日本はみんなが法律を守る、上の者がいない国である。
政府は上の者である。だから、日本ではそもそも政府があってはならない。日本では政府が国民みんなに潰[つぶ]される。
ただし、政府は最初のいっとき国民と平等にして善いことをする。国民からもらった税金で国民が喜ぶことをする。だから、国民みんなは最初のいっとき政府に税金をやって政府に仕事をさせて政府を置いてやっていたのである。
今の政府はさっそく善いことをやめて上の者をやっている。国民からお金を奪って国民を虐[いじ]めている。政府の正体を現している。だから、今の国民みんなでさっそく政府を潰しているのである。
日本はもともと政府が住める国ではない。政府は日本では長く続かない。これまでよく猫をかぶっていたもんだ。
[20666] 日本は上の者がいない国である。☆ h26.4.21
ヨーロッパは五感主義で上の者がいる国だから、政府が国民みんなの前で偉そうにして国民みんなに上の者だと思わせて、国民みんなから無理やりお金を取ったり、公衆の面前で政府が国民みんなを虐待したりしている。
反対に、日本は知覚主義で上の者がいない国だから、政府は国民みんなの前で国民みんなの役に立つことをしているふりをして国民みんなに政府が国民と平等だと思わせて、政府が国民みんなの役に立つことをするために国民から税金を取っていると思わせて国民からお金を取ったり、国民に隠れて密[ひそ]かに国民を虐[いじ]めている。
今の政府はテレビや新聞で政府が国民みんなのために役に立つことをやっているふりをして、政府が国民みんなの役に立つことをするために税金を取っていると思わせて国民からお金を奪ったり、国民に隠れて国民を虐待したりしている。
しかし、国民みんなは政府の幼稚な嘘[うそ]には騙[だま]されない。国民みんなには『政府が上の者をやっている』ことがミエミエである。ヨーロッパの政府はあけっぴろげに上の者をやっているが、日本の政府は平等なふりをして隠れて上の者をやっているところが違うだけである。
日本は知覚主義の国である。日本はみんなが平等で上の者がいない国である。日本には政府がいてはいけない。
だから、今の国民みんなは政府を倒している。政府に税金を払わずに政府を倒している。
政府ははやから国民に嘘がばれてガッカリしている。
ヨーロッパの政府は国民みんなに上の者だと思わせて国民みんなを支配しているが、日本の政府は国民みんなに平等だと思わせて隠れて上の者をやって国民みんなを騙しているにすぎない。日本では“上の者”は通用しない。日本の政府はただの嘘つきにすぎない。日本の政府は国民みんなに嘘がバレたらおしまいである。今の日本ではすでに国民みんなに政府の嘘がバレている。だから、今の日本ではすでに政府がみんなに倒されて政府が滅んでいるのである。
ヨーロッパ政府は本当は平等なのに上の者のふりをしている。日本政府は本当は上の者なのに平等なふりをしている。ヨーロッパでは国民が政府の上の者のふりに騙されるから政府が上の者をやって残っている。日本では国民が政府の平等な者のふりに騙されないから政府が平等な者をやれなくなって滅んでいる。国民から税金を取る平等な者はいない。だから、日本では国民に政府の嘘がすぐバレるのである。
[20667] 今の日本人は『政府が上の者をやっている』ことを知っている。☆ h26.4.21
政府は上の者である。政府は世界中の国で上の者である。
ヨーロッパは五感主義で上の者がいる国である。だから、ヨーロッパでは政府がそのまま上の者をやっている。
日本は知覚主義で上の者がいない国である。だから、日本では政府が平等な者のふりをして上の者をやっている。
しかし、政府は国民から税金を取ったり国民を国家宗教で虐待したりしている。政府は明らかに上の者をやっている。平等な者なら国民一人一人と契約して仕事をするはずである。政府は国民みんなから強制的に税金を取っているから上の者である。政府が納税の義務の法律を定めているのが、政府が上の者である動かぬ証拠である。納税の義務の法律は政府が自分で自分を上の者だと言っているようなものである。
だから、今では国民みんなが『政府が平等なふりをして上の者をやっている』ことを知っている。
日本では上の者がいてはいけない。だから、今では国民みんなが政府を倒している。国民みんなが政府に税金を払わず政府を倒している。つまり、政府が国民から税金を取っているのが政府が上の者である証拠だから国民は政府に税金を払わないのである。
今の日本では『国民が政府に税金を払わない』ことが法律になっている。政府の法律では「国民みんなが政府に税金を払わねばならない」ことになっている。国の法律を定めるのは国民みんなである。政府は嘘[うそ]の法律を定めている。だから、国民は政府の法律を守らず政府の法律を破ればいいのである。
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等である。だから、日本には税金はない。政府は最初から自分の独断で嘘の法律を定めていたのである。それでも政府は最初の一時[いっとき]善いことをするから、昔の国民は政府が善いことをしてくれたお礼に税金を払っていたのである。日本人は礼儀正しいから相手が何者であろうと善いことをしてくれたらお礼をするのである。今の政府はすでに善いことをしなくなっているから、今の国民は政府にお礼をしなくていいのである。
[20668] 日本に税金はない。☆ h26.4.21
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等である。日本に税金はない。
だから、日本では客と会社が互いに契約してお金と仕事や商品を交換するか、会社の仕事や商品に対して客が任意[にんい]でお金を払うかしかない。
政府は国民と契約して仕事をしていないから、国民は政府の仕事に対して任意でお金を払えばいい。
実際に、近代の政府は最初のいっとき国民に善いことをしていたから、近代の国民は政府の善いことに対して任意でお金を払ってお礼をしていた。
しかし、今の政府は国民に善いことをしなくなったから、今の国民は政府に任意でお金を払わずお礼をしなくなった。
そのために、今の政府は潰[つぶ]れている。政府が国民からお金をもらいたければ、国民とちゃんと契約して仕事をするか、本気で国民に善いことをして国民のお礼を期待するしかない。今の政府にそれが嫌なら政府はおとなしく潰れるしかない。
[20669] 日本に上の者はいない。 h26.4.21
日本は知覚主義の国である。日本では人間がみな平等で上の者がいない。
政府は上の者である。ただし、政府は最初のいっとき国民と平等にする。
近代の政府は国民と平等にして国民に善いことをやっていた。だから、国民はお礼に政府に政府が指定しただけの税金を任意で払っていた。だから、政府は儲[もう]かっていた。
しかし、現代の政府は国民と平等にしなくなって上の者をやって悪いことをするようになっている。だから、国民は政府にお礼をしなくなって政府が指定しただけの税金を任意で払わなくなっている。そのために、今の政府は潰[つぶ]れている。
日本ではみんなと平等にしない者が生きていけない社会である。日本ではお高ぶっていると嫌われる。偉そうにしているとみんなに嫌われて生きていけなくなる。日本ではみんなと仲良くしないと生きていけない。日本はそういう恐ろしい社会である。
[20670] 日本では国民みんなで政府を潰[つぶ]すのは恒例[こうれい]の行事である。☆
h26.4.22
国民みんなは国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。
日本では国民みんなが知覚主義である。だから、日本は人間がみな平等で上の者がいない国である。
政府は上の者である。政府が平等なふりをしようがしまいがとにかく政府は上の者である。政府がいくら平等なふりをしても嘘[うそ]がミエミエだから、政府は上の者である。
だから、日本では政府は国民みんなに潰[つぶ]されて滅ぶしかない。政府は最初のいっとき国民みんなと平等にしている間だけ、国民みんなに善いことをして国民みんなからお金をもらえるだけである。
今ではすでに政府が善いことをしなくなって国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府が国民みんなに滅ぼされている。
日本では国民みんなで政府を潰すのは行事のようなものである。日本では国民みんなでヨーロッパの政治機関を潰すのが恒例の決まりなのである。節分の日に豆を投げて鬼を追い出すのと同じである。日本ではそういう“お祭り”をすることが昔からのみんなの習慣なのである。日本には国民みんなで政府を倒す祭りがあるのである。日本では国民みんなで政府を倒すことによって日本をみんなが平等な国にしてきたのである。
[20671] 政治機関はあとからいくらでも湧[わ]いてくる。 h26.4.22
ヨーロッパは五感主義の国だから政府があるのは当然である。ヨーロッパではみんなが政府を上の者だと思って政府にひれ伏しているので、政府が国民から税金を取ろうが国民を虐待しようが、誰も政府に文句を言わない。
日本から見れば、ヨーロッパが五感主義なのは特殊な条件である。特殊な条件下だから、政府のような政治機関が生まれるのである。
日本は知覚主義だから、理論上は政治機関は生まれない。ただし、これまでに実際には当時の特殊な条件によっていろんな政治機関が生まれてきた。鎌倉幕府とか室町幕府とか江戸幕府とか日本政府などが生まれてきた。どの政治機関も最初の一時[いっとき]善いことをして、あとで悪いことをするようになって滅んだ。政治機関が国民みんなに倒されて滅んだ。国民みんなが政治機関にお金をやらなくなって滅んだ。
だから、今後も政治機関が出来ないとはかぎらない。
国民の生活習慣が大きく変わるときに政治機関が現れる。時代と時代の節目[ふしめ]に政治機関が出来る。政治機関は必ず最初の一時善いことをしてあとで悪いことをするようになる。だから、国民みんなは政治機関が善いことをしなくなったらさっと滅ぼせばいい。
政治機関は変なことをやって馬鹿な国民の人気を取って世の中をメチャクチャにするだけである。例えば、近代の日本政府は国民みんなに戦争をさせると約束して国民みんなの人気を取って戦争に負けて大損害を出した。当時の国民みんなが戦争をやりたくてしょうがなかったから政府が国民みんなの人気を取って大きな団体になったのである。(国民みんなが戦争をしたいから政府が出来るというのはじつに贅沢[ぜいたく]な理由である。)政府がなかったら、日本はヨーロッパの文明を取り入れて儲[もう]けただけで損失を出さずにすんだ。政治機関は面白くない。そもそも最初から政治機関が出来ないのが一番いい。国民みんなで政治機関が出来ない取り組みをしないといけない。
[20672] どうして徳川幕府は長く続いたのか? h26.4.22
国民みんなが身分制をやって徳川幕府に国を治めさせることによって戦乱を鎮[しず]めたかったからである。江戸時代の頃にはまだ日本が藩にバラバラに分かれていて徳川幕府がなかったらすぐに戦乱の世の中になるのでみんなが身分制をやって徳川幕府を上の者にし続けていたのである。だから、徳川幕府は長く続いたのである。
近代になって産業や通信や交通が発達してみんなの生活に余裕ができて日本がひとつになったので戦乱の世の中ではなくなったので、近代以降は国民みんなが国を鎮めるために身分制をやる必要がなくなった。
近代は国民みんなが戦争がやりたくて政府が国民みんなに戦争をさせると約束して政府に人気があって政府が国のいろんなことをやっていた。現代になって戦争が終わって政府が善いことをしなくなって悪いことをするようになって政府に人気がなくなって国民みんなは政府に税金をやらなくなって政府が滅んでいる。
現代はさらに産業や通信や交通が発達して人類みんなの生活に余裕ができて世界がひとつになって人類みんなが『外人も自分と同じ人間だ』と思うようになったので、人類みんながもはや戦争をしたいと思わなくなった。
今の国民みんなは身分制も戦争もやりたくない。政府は上の者である。政府は平等なふりをして上の者をやっている。政府は国民からお金を奪って国民を虐[いじ]めている。日本は知覚主義の国なのでみんなが平等な国である。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府を倒しているのである。
国民みんなは国の最高権力者である。国は国民みんなが自分の好きなように作る。日本は知覚主義の国だから、人間はみな平等であって上の者がいない。日本では政治機関が偉そうにすることによって国民みんなに上の者だと思わせて国民みんなを支配することができない。日本では政治機関は国民みんなに善いことをすることによって国民みんなが政治機関にお金をやって政治機関に仕事をさせているのである。ところが、今の日本では政府が上の者をやって国民に善いことをせず悪いことばかりやっている。だから、今の日本では国民みんなが政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
戦争までは政府にとっては会社の立ち上げにすぎない。政府が上の者をやるようになってからが政府の本領発揮である。ところが、日本は国民みんなが知覚主義なので国民みんなが『上の者がいない』と思っているので、政府が上の者がやれない。政府が上の者をやりだすとすぐに政府が潰[つぶ]れる。政府が上の者をやりだすとすぐに国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を潰す。今の政府は上の者をやっている。だから、今の政府は潰れているのである。
[20673] 日本では上の者は国民みんなに倒される。 h26.4.23
昔の政府は国民に善いことをして、そのお礼に国民から税金をもらっていた。
今の政府は国民に善いことをせずに、国民から強引に税金を取って国民を虐[いじ]めている。
今の政府は上の者と化している。政府はもともと上の者である。政府は最初のいっとき善い者をやっていただけである。今の政府が政府の本来の姿である。今後も政府はずっと上の者を続けるだろう。
日本は知覚主義の国である。日本は人間がみな平等な上の者がいない国である。日本では上の者は国民みんなに倒されて滅ぶ。国民みんなが政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わず政府が滅ぶ。だから、今の政府も国民みんなに倒されて滅んでいるのである。
[20674] 政府はどうして税金の法律を定めているか? h26.4.23
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。日本では税金はない。
しかし、政府は税金の法律を定めている。
それなのに、国民は誰も政府に文句を言わない。
それは、日本では自分の知識で補って物事を見ればいいことになっているからである。
日本人にとっては『政府が嘘[うそ]つきである』ことは常識である。みんなが『政府が嘘つきだ』と思いながら政府を見ている。みんなが政府の税金の法律が嘘だと思って無視している。だから、誰も政府に文句を言わないのである。税金の法律は政府の嘘である。政府は国民みんなに嘘をもっともらしく思わせるために選挙や議会をやっているのである。
実際には、日本では国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の任意[にんい]である。国民は自分の好きなだけ政府にお金をやればいい。だから、国民は政府にお金をやらなければいい。そのほうが国民にとって得だからである。つまり、政府は国民にただで物を売っている店である。政府はお金が儲[もう]からずに潰[つぶ]れるだろう。[昔(今から約25年ぐらい前)NHK教育テレビの朝9時の人形劇『大きくなる子』の第1話で主人公のネコ?の女の子(声:矢島晶子[やじまあきこ])が言っていた“都会にあるただで物を売っている店”とは政府のことである。実際には、政府は都会だけではなく全国中にあるが。]
[20675] 日本は上の者が生きていけない国である。 h26.4.23
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
日本は国民みんなが知覚主義である。日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。『人間がみな平等で上の者がいない』のが日本の法律である。
ところが、政府は上の者である。だから、政府は国民みんなに倒される。
そのため、政府は最初のいっとき善い者のふりをしなければならない。近代の政府は最初のいっとき嘘[うそ]をついて国民みんなと平等にして善いことをやっていたから、国民みんなが政府の指示を聞いて政府にお金をやって政府を支持していたのである。現代の今の政府は正直に上の者をやって悪いことをやっているから、国民みんなが政府の指示を聞かず政府にお金をやらず政府を倒しているのである。もしも政府が最初から上の者をやっていたら、政府は永久に建たなかっただろう。
日本は上の者が生きていけない国である。日本では政府はもともと国民みんなに倒されるものである。それが日本の法律である。だから、今の国民は政府に税金をやらず政府を倒せばいいのである。
[20676] 政府の持ち会社は政府に儲[もう]けを取られている。 h26.4.23
政府は上の者である。政府は国民から税金を取って、国民を国家宗教で虐[いじ]める。
今の政府は警察や学校や水道やゴミなどの会社を持っている。
政府は国民から取った税金で持ち会社を経営している。
政府がなければ政府の持ち会社だけで国民の税金を分け合って自分の儲けにできるのに、政府が税金のほとんどを自分の物にしてしまうから政府の持ち会社にはほんのちょっとしかお金がまわらない。
政府がないほうが政府の持ち会社が儲かる。
だから、政府の持ち会社も国民みんなといっしょに政府を倒せばいいのである。
政府は上の者である。しかし、日本は上の者がいない国である。だから、今の日本では国民みんなで政府を倒している。政府が滅んで、政府の持ち会社だけ残っている。政府の持ち会社が民営化されている。政府の持ち会社は政府に税金の残りをもらうよりも、国民から直接にお金をもらって仕事をしたほうが儲かるだろう。
[20677] 日本では国民みんなが政治機関を下の者だと思っている。 h26.4.23
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが政治機関を建てるも潰[つぶ]すも国民みんなの勝手である。
日本人は知覚主義である。日本人は『人間はみな平等であり上の者がいない』と思っている。
つまり、日本人は「政治機関を上の者だ」と思わない民族である。
だから、日本人は政治機関が善いことをしている間だけ政治機関に税金を払って政治機関を日本に置いてやって、政治機関が善いことをしなくなったら政治機関に税金を払わなくなって政治機関を潰すのである。
今の政府は悪いことをして善いことをしなくなっているから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのである。
日本では国民みんなが政治機関を下の者だと思っている。国民みんなは政治機関に任意でお金を払う。国民みんなは政治機関が善いことをしたと思ったぶんだけ政治機関にお金を払う。そのため、日本では政治団体は国民に善いことをしている間しか日本にいられないのである。
[20678] 日本人は上の者を倒すのが好きである。 h26.4.23
国民みんなは国家最強の権力団体である。国民みんなは政府を自分の好き放題にする。国民みんなは政府を手のひらで弄[もてあそ]ぶ。
昔の政府は国民に本当に善いことをして、国民からそれに見合った税金を取った。国民は政府が善いことをしているので、政府に税金を払った。昔の政府は善いことをしていたから、戦前生まれの年寄りは今でも「政府を善い善い」と言うのである。年寄りに政府の悪口を言うと怒られるのである。
今の政府は国民に善いことをしているふりをして、じつは国民からお金を奪って国民を虐[いじ]めている。国民は政府が悪いことをしているので、政府に税金を払わなくなっている。
政府の正体は上の者である。政府は悪いことばかりする。政府は最初のいっとき偽善[ぎぜん]をしていただけである。悪い店が初日だけ善い物を売って、あとは腐った物ばかり売っているのと同じである。政府は時限爆弾を仕込んだケーキのようなものである。
国民みんなはそんなこととっくの昔にお見通しである。日本人は正義感が強いから上の者を倒すのが好きである。今の国民みんなは政府を倒して自分が正義の味方のつもりになって喜んでいるのである。
国民みんなは考え話し合い意見を一つにする。そうすることで、国民みんなは正しい考えを持って正しく行動できるのである。だから、国民一人一人がよく考えて、みんなで話し合って、他人の正しい考えを学んで、みんなが正しい考えを持つように努力することが大事である。
[20679] どうして今の国民は政府を倒さないのか? h26.4.24
政府が民主主義の政治機関の真似[まね]をして善い者のふりをしているからである。国民の多くは政府の芝居に騙[だま]されて政府を善い団体だと思って政府に従っているのである。だから、今の国民の多くは政府を倒さないのである。
しかし、本当は政府は上の者である。政府は国民に隠れて国民からお金(税金)を奪って国民を虐[いじ]めている。政府は本当は国民からお金を強盗しているのに、テレビや新聞で善い者の芝居をしているために国民が「政府が国民の役に立つことをするためにお金を取っている」と思って政府におとなしく税金を払っているのである。政府は本当は国民を虐待しているのに、善い者の芝居をしているために、国民は「政府以外の何者かが悪いことをしている」と思っているのである。
もっとも、日本では国民みんなが知覚主義のために『上の者がいない』と思っているから、政府がいくら上の者をやっても政府は永遠に上の者になれない。いわば、日本人は上の者に対する先天的な免疫がある特殊な民族なのである。日本では政府は“隠れて悪いことをやっているだけのセコい団体”にすぎない。
政府は悪い者である。日本では国民みんなが人間がみな平等だと考えて法律を守っている。日本では国民みんなが善い者である。日本では国民みんなが悪い者を攻撃して倒す。日本は悪い者のいない国である。だから、国民みんなは政府を倒せばいい。
国民みんなはテレビや新聞で政府を見るだけではなく、もっと政府について詳[くわ]しいことを知って政府について正しく理解して政府が国民みんなにとって有害無益であることを理解して政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[20680] これが正しい社会科だ! h26.4.24
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは政治機関を好きなようにできる。
政府は上の者である。政府は善いことをしているふりをして、じつは悪いことをしている。政府はテレビや新聞で国民の役に立っていることをするふりをして、じつは国民から税金を取って国民を虐[いじ]めているだけである。政府は会社の立ち上げのために最初のいっとき善いことをするだけである。
日本人は知覚主義である。日本人は人間がみな平等で上の者がいないと思っている。日本には上の者がいない。政府は上の者である。だから、国民みんなは政府を倒せばいい。
だから、今の日本では国民みんなが政府を倒しているのである。国民みんなが政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
これが真実である。政府はみんなに嘘[うそ]を教えて、国民に「政府が最高権力者である。政府が国民のために善いことをしている。今の国民は全員政府に従っている。」などと思わせている。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府を倒さねばならない。
[20681] 政治機関は滅ぶものである。 h26.4.24
政治機関は『変な政策』をやって国民みんなの人気を得て国民みんなからお金をもらって儲[もう]ける商売である。
鎌倉幕府は日本の東の端にある地の利を活かして、手柄を立てた者に東北の土地を与えることにして『封建制度』をやって儲けた。最後に土地を与えられなくなって滅んだ。つまり、鎌倉幕府は東北の土地を売って儲けた不動産だったのである。当時は東北人は人間だと見なされていなかったので、鎌倉幕府は他人の土地を勝手に売って儲けたのである。
室町幕府は『建武式目』を定めて幕府のために働いた者はいい待遇にすることにして儲けた。社長の後とり問題でもめて滅んだ。
江戸幕府は『士農工商の身分制』を定めて農民をいい待遇にするかわりに農民から年貢[ねんぐ]を取って儲けた。国民みんなが文明開化をするために滅んだ。
政府は最初のいっとき『戦争』で国民みんなの人気を得て急成長をしたが、その後善い政策がなくてじょじょに人気を失って滅んでいる。日本人は戦争に飢えているので、政府は国民に戦争を売って大儲けしたのである。昔の日本人は戦争をかっこいいと思っていたので、戦争をやりたくてしょうがなかったのである。しかし、戦争が終わってからは、政府は人気がなくなった。今の政府は上の者をやっている。そもそも政府は「上の者」であって、自分が国民に偉そうにして上の者だと思わせて国民からお金を取って稼[かせ]ぐ商売だが、日本では「偉そうにする者を上の者だ」と思う習慣がないので、政府は日本ではやっていけないのである。つまり、政府の「上の者政策」が日本では通用しないために政府は栄えないのである。政府が日本でやっていくのは無理である。政府が日本で滅ぶのは当然である。今の日本では政府を支持している国民は一人もいない。だから、今の国民みんなは政府を滅ぼしていいのである。
[20682] 日本では上の者は滅びる。☆ h26.4.24
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなは国を自分の好き勝手にすることができる。だから、国民みんなは政治機関を自分の好き放題にすることができる。政治機関も国民みんなにとってはただのオモチャにすぎない。
戦前の政府は善い会社だった。政府はみんなから税金をもらって、戦争や警察や鉄道など国民みんなのためにいろんな善いことをやっていた。
戦後の政府は善いことをやり飽きて、本音[ほんね]を出して上の者をやる会社になった。政府は善いことをやらなくなった。政府は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めるだけになった。しかし、日本では国民みんなが人間がみな平等で上の者がいないと思っている。日本では上の者をやってはいけない決まりがある。そのために、国民は政府に税金をやらなくなって、政府はお金がなくなっている。政府はミジメにもお金がなくなって持ち会社が経営できなくなって、持ち会社を独立させて民営化している。
[20683] 天動説も地動説も両方とも正しい。 h26.4.24
天動説の世界は地動説の世界を射影幾何学の空間に入れたものである。逆に、地動説の世界は天動説の世界をユークリッド幾何学の空間に入れたものである。
地動説と天動説は等価である。変換で行き来できる。
だから、地動説の世界も天動説の世界も両方とも正しい。
ただ、地動説の世界のほうが天動説の世界よりも惑星の運動の法則がわかりやすい。実際に、ケプラーが惑星の法則を発見した。ケプラーは地球中心の座標系を太陽中心の座標系に変換してケプラーの惑星の運動の3法則を発見した。さらにそれを原理的に説明したのがニュートンである。
昔の人は地球中心の座標系で宇宙を見ていたので宇宙はすごく複雑な法則で動いていると思っていた。宇宙はとうてい人間に理解できるものではないと思っていた。占い師が言っているような複雑怪奇な世界だと思っていた。
しかし、近代の人は太陽中心の座標系で宇宙を見るようになったので宇宙がすごく単純な法則で動いていると考えるようになった。実在の宇宙が単純明快な世界だとわかった。実在の宇宙が人間に理解できるものだと思うようになった。自然についての研究が盛んになった。
自然現象は見方を変えると単純明快になる。例えば、フーリエ変換すると法則がわかることがある。
社会現象も同じである。政府中心の世界観から国民みんな中心の世界観に変えると世の中がわかりやすくなる。国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を作る。国民みんなが国の創造主である。日本では国民みんなが知覚主義である。日本では人間はみな平等で上の者がいない。それが日本社会の特色である。日本では上の者はみんなに倒される。政府は上の者である。近代の政府は猫をかぶっていたが、現代の政府は正直に上の者をやっている。だから、今の日本では政府が国民みんなに倒されて滅んでいるのである。
もともと社会は国民みんなが中心である。日本では上の者がいないから国民みんなが中心のままである。ヨーロッパでは上の者がいるから政府が中心になっている。日本社会とヨーロッパ社会は社会の構造が違う。政府は日本社会ではヨーロッパ社会のようには行かない。政府はヨーロッパ社会では栄えても日本社会では滅ぶのだ。
[20684] 政府は国民と契約を取らないから潰[つぶ]れる。☆ h26.4.25
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。だから、日本では税金がない。いくら政府が選挙や議会をしようが、政府と国民が平等であることに変わりはないから、政府は国民から税金を取れない。政府の税金の法律は冗談である。日本には冗談を言ってはいけない法律はないから政府は冗談を言うのである。政府は言論の自由を使って嘘[うそ]をついているのである。政府は上の者をやる会社だから国民と契約を取らない。だから、国民は政府に任意[にんい]にお金を払えばいい。
だから、国民みんなは政府に1円も出さなければいい。国民みんなはずうずうしく政府のサービスをただで利用すればいい。
しかし、昔の国民は良心的だったので、政府に仕事をしてもらったぶんだけ政府にお金を払っていた。政府が指定した税金の額だけ政府にお金を払っていた。
今の国民は自分の得しか考えないから、政府のサービスをただで利用すればいい。だから、政府は潰れるだろう。
今の国民はえげつないから自分の得しか考えないから契約を取らない会社は潰れる。
今後は、警察や学校や水道やゴミなどの会社は国民とちゃんと契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。
[20685] 日本では政府は上の者がやれない。 h26.4.25
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。だから、日本では政府は上の者がやれない。いくら政府が選挙や議会をしようが、政府と国民が平等であることに変わりはないから、政府は国民から税金を取ったり国民を虐[いじ]めたりできない。だから、政府の税金の法律は嘘[うそ]である。つまり、政府の税金の法律は憲法に書かれているだけで、実際にはないのである。
そのため、今の政府は隠れて悪いことをやっているだけである。今の政府はテレビや新聞で国民の役に立つことをしているふりをしながら、隠れてお金(税金)を強盗したり国民を虐めたりしている。
政府と国民は平等だから、政府が国民から強盗したり国民を虐めたりしていいはずがない。いくら政府がテレビや新聞に出たからといって、政府が国民から強盗したり国民を虐待したりしていいわけではない。テレビや新聞を見ていない人にとっては、政府は強盗や殺人鬼にほかならない。
だから、国民は政府に税金を払ったり政府に虐められたりしなければいい。政府は自分が悪いのだから、国民に文句を言わないだろう。
[20686] 政府は国民から強制的にお金を取れない。 h26.4.25
政府と国民は平等である。だから、政府は国民から強制的にお金を取れない。いくら政府が選挙や議会をやっても、政府と国民が平等であることに変わりはないから、政府は国民から強制的にお金を取れない。いくら政府が税金の法律を定めても、それは政府がでっち上げた嘘[うそ]の法律だから、政府は国民から強制的にお金を取れない。法律を定められるのは国民みんなであって政府ではないから、政府自身は法律を定められないのである。[選挙と議会をやれば国民全員から税金を取れるなら、第2第3の政府が建つ。日本に政府がいくらでも建つ。しかし、実際には日本には政府がひとつしかない。だから、いくら選挙と議会をやっても国民全員から税金を取れないのである。]
政府はテレビや新聞で「自分が善いことをやっている」と言っている。国民みんなに宣伝している。
しかし、やはり政府は国民から強制的にお金を取れない。いくら政府が本当に善いことをやっていても、それでも政府と国民は平等だから、政府は国民から強制的にお金を取れない。政府は自分が善いことをやっていることを理由にして、国民から強制的にお金を取ることはできない。
だから、国民は政府にお金(税金)を払わなくてもかまわない。政府も自分が悪いことを知っているから、国民が政府にお金を払わなくても国民に文句を言わない。たとえ政府が文句を言っても、国民は政府の文句を無視して政府に税金を払わなければいい。
今の国民は政府をまともに相手にしていないから、政府が嘘の税金の法律を定めていても政府に文句を言わないのである。今の国民は政府の嘘の税金の法律を無視して勝手に政府に税金を払っていないのである。
政府は国民から強制的にお金を取れない。国民が政府に税金を払うのは任意である。だから、政府は一生懸命にいろんな芝居をやって国民を政府に税金を払う気持ちにさせているのである。
[20687] 今の国民はえげつない。 h26.4.25
日本は知覚主義の国である。日本では人間はみな平等で上の者がいない。だから、日本には税金はない。
政府は国民と契約を取っていない。だから、国民が政府に税金を払うのは任意[にんい]である。
昔の国民は良心的だったから、政府が仕事をしてくれたぶん政府に税金を払っていた。そのために、昔の政府は儲[もう]かっていた。
今の国民はえげつないから、政府がいくら仕事をしても政府に1円も払わなくなっている。そのために、今の政府は潰[つぶ]れている。政府は自分の持ち会社を独立させて民営化している。
今の時代には、みんなが自分の得のことしか考えないから、会社はちゃんと国民と契約を取らねばならない。そうしなければ会社は潰れる。
[20688] 日本では国民みんなが政府に任意でお金を払っている。 h26.4.25
国民みんなが国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。
日本は知覚主義の国である。つまり、日本では国民みんなが知覚主義である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。だから、日本には税金はない。政府は選挙や議会をやって国民に税金があるかのように思わせているが、本当はないのである。
そのため、政府は昔から税金の法律を定めていたが、国民みんなは政府の税金の法律を無視していた。
政府は国民と契約を取っていないから、国民が政府にお金を払うのは任意である。だから、昔から国民みんなは政府に任意でお金を払っていたのである。
昔は政府が本当に善いことをやって、国民みんなが良心的だったから、政府は国民みんなからお金をもらって儲[もう]かっていた。
今は政府が善いことをやらないし、国民みんながえげつなくなったから、政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は持ち会社を独立させて民営化している。
[20689] 女は具体的な認識しかない。男は一般的な認識がある。★ h26.4.25
女は具体的にあったことを記憶しているだけである。女は自分で原因や理由を考えようとしない。そのために、女はいつまでたっても認識が一般化されないのである。具体的な事実のままなのである。
反対に、男は具体的にあったことを記憶しているだけでなく、自分でその原因や理由について考える。そのために、男では認識が一般化される。男は法則を作り出す生き物なのである。
男と女では認識の質が違う。女は知覚が未発達だから認識が具体的なままなのである。男は女よりも知覚が発達しているから認識が一般化されるのである。
[20690] 日本では国民は政府に任意でお金を払っている。 h26.4.25
国民みんなが国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。
日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが平等であって上の者がいない。日本には税金はない。
政府は国民と契約を取っていないから、国民は政府に任意でお金を払っている。
政府はいろんなことをやって国民に政府に税金を払う気持ちにさせているにすぎない。
政府はテレビや新聞で「政府が国民みんなの役に立つことをやっている」と言ったり、選挙や議会で嘘[うそ]の法律を定めて国民に納税の義務があるかのように思わせたり、テレビや新聞に脱税者の顔を晒[さら]したりして、国民みんなに政府に税金を払わねばならないように思わせている。
国民みんなは政府のイタズラに騙[だま]されないようにして、政府に税金を払ってはいけない。
同じように、日本では人間はみな平等だから、政府と国民は平等だから、国民は任意で政府の命令を聞いている。政府は国民に政府の命令を聞く気にさせているにすぎない。国民は政府の命令を聞かないようにしないといけない。
[20691] ヨーロッパと日本では政府に関する事情が違う。☆☆ h26.4.26
ヨーロッパではみんなが五感主義なのでみんなが「上の者がいる」と思っているので、政府が国民に偉そうにして上の者だと思わせて国民を従わせている。
日本ではみんなが知覚主義なのでみんなが『人間がみな平等だ』と思っているので、政府が善いことをしているふりをして国民を騙[だま]して国民と平等にやっている。
ヨーロッパではみんなが五感主義なので、みんなが政府が偉そうにしているのを見て政府を上の者だと思って政府に従っている。ヨーロッパではみんなが死ぬまでずっと五感主義なので、みんながいやがうえにも政府を上の者だと思わざるをえないので、永遠にみんなが政府に従ったままである。
日本ではみんなが知覚主義なので、みんながいくら政府が善いことをしているふりをしているのを見ても、いずれは政府が隠れて悪いことをやっているのを知って政府を相手にしなくなる。政府に税金をやらず政府に仕事をしてもらわなくなって終わる。今がすでにその時期である。そのために、さっそく政府が滅んでいる。
政府はもともとヨーロッパの政治機関である。政府はヨーロッパでは安定してやっていけるが、日本ではすぐに潰[つぶ]れる。ヨーロッパでは政府は永遠に不滅だが、日本では政府が建ったその日からすでに政府が滅ぶのが始まっているのである。
五感主義はヨーロッパ人の心である。ヨーロッパ人にとって五感主義は損得の問題ではない。だから、ヨーロッパ人は自分の五感主義を守るために今後も政府を残すだろう。反対に、知覚主義は日本人の心である。日本人にとって知覚主義は損得の問題ではない。だから、日本人は自分の知覚主義を守るために政府を倒すだろう。
[20692] 今の国民が政府を倒すのを躊躇[ちゅうちょ]する理由はない。 h26.4.26
日本が将来政治機関のない国になって発展したら、世界中の国でみんなが日本を真似[まね]て政治機関を倒すようになって世界中の政治機関が困る。そのために、今では世界中の国の政治機関が日本の国民みんなにお金をやって日本政府をなくさないようにさせているのである。だから、今でも日本政府が倒れずに残っているのである。
しかし、実際には、そんなに気前のいい政府はない。他人の国の国民みんなにお金をくれる政府なんかない。そもそも世界には『内政不干渉の原理』があるから、国は国民みんなが自分の好きなようにすればいい。
今の日本では国民みんなが政府を倒すのを躊躇する理由はない。政府は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めるだけの役立たずである。国民みんなで早く政府を倒して、日本をさっさと政治機関のない国にすればいい。警察や学校などの明確な具体的な仕事をする会社だけにすればいい。そうすれば日本は発展する。本当の政治機関は政治機関ではなく国民みんな自身である。国民みんなが本当の国の政治機関であって、政治機関はニセモノの国の政治機関である。国には国民みんなだけがあればいいのであって、政治機関は要らない。政府がニセモノの政治機関であるのは、ウルトラマンのミニチュアのセットが本物でないのと同じことである。国民みんなが早くそのことがわかればいい。
[20693] 今の国民は『自分が政府が実際にやっていることを知らない』ことを認めねばならない。☆
h26.4.26
今の政府はテレビや新聞で「政府が国民のために役に立つことをしている」と宣伝して、国民から税金を取って、実際には国民のためにほとんど善いことをせず嫌がらせばかりやっている。
政府のテレビや新聞の宣伝を真[ま]に受けて政府が実際に何をやっているかわからずに政府にてんでやすく税金を払っている国民のほうがどうかしている。国民のほうがいいかげんでチャランポランである。
国民は気構えが甘い。今の国民は人間を恐れないペンギンやアホウドリのように政府に騙[だま]されている。国民は世の中に詐欺[さぎ]団体という物があることを知っていないといけない。宣伝がいいだけで、実際には悪いことをやっている会社があることを知っていないといけない。
幸い、日本は知覚主義の国なので、みんなが平等なので、政府と国民は平等なので、政府は国民と契約を取っていないので、国民は政府に任意で税金を払っているだけである。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民一人一人の自由である。今の国民は『自分が政府が実際にやっていることを知らない』ことを認めて、素直[すなお]に政府に税金を払わなければいい。無知の知が大事だ。人間は正直に自分が知らないことを認めねばならない。それが賢明な人間のすべきことだ。
仕事とお金を交換するのが確実な取り引きの方法である。国民がテレビや新聞の政府の宣伝だけを見て、実際に政府が何をやっているのかわからずに一方的に政府にお金をやるのは下手[へた]な取り引きの方法である。これでは国民が政府に虐[いじ]められても文句を言えない。国民は自分が政府に虐められるためにお金を払っているだけである。国民は自分のいいかげんさを反省して、今度から政府に税金を払ってはいけない。
[20694] 会社の幹部とは何か? h26.4.26
会社は小さい国である。会社の幹部は会社の中にいる政府である。
日本は知覚主義の国だから、人間はみな平等であって上の者はいない。だから、会社の幹部は社員よりも上の者ではない。
日本では会社の幹部は善い人のふりをして、じつは悪いことをやっている。会社の幹部は本当は社員からお金を強盗したり社員を虐[いじ]めたりしているのに、社員の前では自分が善い人のふりをしている。
会社の幹部は自分が社員のために役に立っているふりをして、選挙と議会をやることによって嘘[うそ]の社則を定めて社員に幹部にお金を払ったり幹部に従ったりしなければならないかのように思わせて、社員からお金を取って社員に命令している。
本来は、仕事とお金を交換すべきである。幹部が社員からお金をもらいたければ、実際に幹部がお金に見合う具体的な仕事を社員に対してしなければならない。幹部が演説をしたり偉そうにしたりするだけでは、幹部は社員のために何の役にも立っていないから、社員は幹部にお金をやる必要はない。社員は幹部が実際にどんな仕事をしているのか知らないのに、てんでやすく幹部にお金を払ってはいけない。
日本ではみんなが平等だから、幹部は社員と契約をしていないから、社員が任意で幹部にお金をやっているだけである。社員が任意で幹部の命令を聞いているにすぎない。つまり、社員が幹部にお金をやるかやらないかは社員一人一人の自由である。社員が幹部の命令を聞くか聞かないかは社員一人一人の自由である。
本来会社には社員だけがいればいい。幹部は社員からお金を取って社員を虐めるだけの役立たずである。幹部は見掛けが立派なだけで中身はクズである。幹部は要らない。
社員は幹部のチャチな芝居に騙[だま]されて幹部にお金をやらず幹部の命令を聞かず、幹部を倒さねばならない。会社を社員だけにしないといけない。完全にみんなが仕事とお金を交換して暮らす社会にしなければならない。そうすれば善[い]い社会になるだろう。
会社の幹部は政府を真似[まね]ている。政府が悪いことをやっているから自分も悪いことをやってもいいと思って悪いことをやっている。国から政府がなくなれば、会社の中にも幹部がいなくなるだろう。だから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。
[20695] 国民がしっかりすれば善[い]い国になる。 h26.4.26
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
日本は知覚主義の国である。日本では国民みんなが『人間がみな平等であって上の者がいない』と決めている。だから、日本では政府と国民は平等である。政府がいくら何をやろうが、政府と国民が平等なことに変わりはない。つまり、政府は国民に命令できないし、政府は国民から税金を取れない。政府は選挙と議会をやってムードで国民に「政府が国民に命令できる」かのように思わせているだけである。政府はもともとヨーロッパの上の者だから、政府は偉そうにして上の者をやって国民を従わせるのが本職だから、政府は選挙と議会で偉そうにするのである。しかし、実際には政府と国民は平等である。日本ではいくら政府が選挙や議会をやっても、政府と国民は平等なままである。政府は国民に何も命令できない。政府は国民から税金を取れない。税金の法律は政府がでっち上げた嘘[うそ]の法律である。だから、国民は政府に税金を払う必要はない。国民みんなは『税金がない』と決めている。政府は「税金がある」と決めている。国の法律を決めるのは国民みんなであって、政府ではない。だから、本当は『税金がない』のである。
政府は国民と契約を取っていないから、国民が政府に任意でお金を払っているだけである。つまり、国民が政府にお金を払うか払わないかは国民一人一人の自由である。
政府はテレビや新聞で「政府が国民のために役に立つことをやっている」と宣伝している。しかし、国民みんなは政府が実際に何をやっているのか知らない。政府はもともと上の者だから、悪いことをやっているはずである。政府は宣伝で善いことをやっているだけで、実際にはほとんど善いことをやっていない。政府はテレビや新聞で立派な演説をするだけで、実際には国民の役に立つことは何もやっていない。政府はただ建っているだけで、じつはほとんど何もやっていない。国の本当の政治機関は国民みんなであって、政府ではない。国を見て国を動かしているのは国民みんなであって、政府はただ建っているだけの置き物にすぎない。つまり、政府はテレビや新聞で「政府が国民のために善いことをしている」と言うだけで、国民から税金を取って国民のためには何もせず、国民にイタズラをして世間を騒がせているだけの役立たずバカ団体なのである。
だから、国民は政府に税金を払わなければいい。国民は自分がわからない仕事に対してお金を払う必要はないから、政府にお金を払わなければいい。国民は何だかわからない仕事に対しててんでやすくポイポイお金を払ってはいけない。たとえ政府が国民の役に立つことをやっていても、政府は国民と契約を取っていないのだから、政府の手落ちなのだから、国民はただで政府の仕事を利用すればいい。そのほうが国民にとって得だ。
国を作るのは国民みんなである。国民がしっかりすれば善い国になる。反対に、国民がダラダラしていいかげんなことをすれば悪い国になる。国民みんなは自分がはっきりとわかる仕事に対してのみお金を支払わなければならない。明確な具体的な仕事に対してのみお金を払うようにしなければならない。そうすれば、政府のようなインチキ臭い会社がなくなって日本は善い国になるだろう。
[20696] 今はまだ政府と国民が不平等である。 h26.4.26
国民みんなは国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。政府も国民みんなに従わねばならない。
日本人は知覚主義である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。だから、政府も国民と平等にしないといけない。
だから、政府は国民から税金を取れない。政府の税金の法律は嘘[うそ]である。国民は税金の法律を守らなくていい。
今の政府は国民と契約を取っていないから、国民が任意で政府にお金を払っているだけである。近代の政府は国民の税金以上に善いことを国民にしてくれたので、国民は喜んで政府に税金を払っていた。今の政府は国民の税金以下のことしか国民にしてくれなくなったので、国民は任意で政府にお金を払うだけになった。
しかし、たとえ国民が政府に任意にお金を払ったとしても、それでもまだ政府が一方的に国民よりも有利である。国民が政府にお金を払って政府が好きなことをやっているので、政府が国民よりも有利である。これでは人間がみな平等であることに反する。国民みんなの意思に反する。
だから、国民は政府にお金を払わなければいい。そうすれば政府と国民が平等になる。
したがって、政府は収入がなくなって滅ぶしかない。政府が潰[つぶ]れて、民間会社だけになって、民間会社が国民と契約を取って仕事をして国民からお金をもらえばいい。
[20697] 政府は何をする会社かわからないから、国民は政府にお金をやってはいけない。☆
h26.4.27
国民みんなが国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。
日本人は知覚主義である。日本では国民みんなが『人間はみなが平等で上の者がいない』と考えている。だから、日本では人間はみな平等で上の者がいない。日本には上の者がいないから税金もない。
政府は税金の法律を定めているが、日本では税金は無効だから国民みんなは政府の税金の法律を無視して守っていない。政府は国民と契約を取っていないから、国民みんなは任意で政府にお金を払っているだけである。
政府は国民と契約を取っていないから、政府の仕事はわからない。政府はなんでもやる会社である。政府は何をやっているのかわからない会社である。政府は人殺しをする会社かもしれない。政府は国民を虐[いじ]める会社かもしれない。だから、国民は政府にお金をやらなければいい。政府がテレビや新聞で言っていることは嘘[うそ]の宣伝だから当てにはならない。政府は本当は何をしているのかわからない。
政府は仕事のわからない会社である。国民は政府にお金をやって仕事をしてもらってはいけない。国民は政府にお金をやって政府に殺されたり虐められたりしても文句は言えない。国民みんなは政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいい。政府の持ち会社を民営化して、国民ははっきり仕事がわかっている会社にお金をやって仕事をしてもらえばいい。
日本では人間はみな平等だから、政府と国民も平等である。政府を生かすも殺すも国民しだいである。だから、国民が自分で動かないといけない。国民は勇気を出して政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
[20698] 日本では政府は普通の会社と同じである。☆☆ h26.4.27
国民みんなが国の最高権力者である。国民みんなが国を決める。
日本人は知覚主義である。日本ではみんなが平等で上の者がいない。日本では政府は上の者ではない。日本では政府は国民と平等である。
だから、日本では国民はみんな自分の意思で動いている。誰も政府の命令を聞いていない。つまり、政府は国民や会社を指揮する団体ではない。
日本では政府は普通の会社と同じである。日本では国民が自由に政府にお金をやって政府に仕事をしてもらっているにすぎない。普通の会社は国民から税金を取らないから、政府も国民から税金を取らない。
ところが、政府は仕事のわからない会社である。普通の会社は国民と契約を取るから仕事がわかるが、政府は国民と契約を取らないから仕事がわからない。政府はテレビや新聞で善いことをやっているふりをして、本当は何をやっているかわからない。だから、国民は政府にお金をやるべきではない。政府は人殺しや虐[いじ]めを仕事にしているかもしれないから国民は政府にお金をやらないほうがいい。戦前は政府が善い仕事ばっかりしていたから政府がはっきりわかる仕事をやっていたから国民が政府にめいっぱいお金をやっていたが、戦後は政府が善い仕事をしなくなったから政府の仕事がわからなくなったから国民が政府にお金をやらなくなった。おそらく今の政府は善いことは何もせずに国家宗教で国民を殺したり虐めたりしているだけだろう。
だから、今では政府が国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。今どき何をやっているのかわからない会社にお金を出すおめでたい者はいない。だから、政府は滅んでいるのである。
今の政府が潰れているのは政府が国民に善いことをしなくなったからである。政府の自業自得である。国民みんなに責任はない。だから、政府は勝手に潰れればいい。
日本は国民みんなが身分制をやめた明治維新の頃にすでに善い国になっている。だから、今の日本は善い国である。善い国の中では悪いことはやれない。善い国の中では悪い者は滅ぶ。戦前の政府は善い会社だったが、戦後の政府は悪い会社になった。だから、戦後の政府は滅んでいるのである。最近の政府は国民に善いことをしなくなったから国民が政府にお金をやらなくなって政府が潰れているのである。
日本人は知覚主義である。日本ではみんなが眼で見ることにこだわらないので政府が税金の法律を定めていてもほったらかしなのである。国民みんなは勝手に頭で税金の法律はないと考えて平気で政府の税金の法律を破って政府に税金を払っていないのである。
日本は明治維新の頃に身分制をやめている。それ以後は日本はずっと平等制である。政府は国民みんなに嘘[うそ]をついて国民みんなを騙[だま]して「政府が上の者である」ように思わせている。「日本が身分制をやっている」ように思わせている。国民みんなは政府の嘘に騙されないように注意して、『日本が平等制をやっている』『政府が国民と平等である』と考えねばならない。
[20699] 『泣いた赤鬼』 h26.4.27
おとぎ話の『泣いた赤鬼』では、赤鬼が警察で政府が青鬼である。たぶん警察のパトカーが赤ランプなので警察が赤鬼なのだろう。青鬼はホラーゲームにもなっているが政府のことである。
『泣いた赤鬼』は、警察が国民と仲良しになるために、政府に悪役をやってもらって政府に国民を虐[いじ]めてもらって、警察が政府を退治してめでたく国民と仲良しになったという話である。政府が国民を虐めているというイヤミが入っている。
政府は国民にとって要らないから政府は消えてなくなればいい、政府は早く滅んで警察だけになればいいという国民みんなの願いが込められている。
実際には、政府を退治するのは警察ではなくて国民である。警察は政府と組んでいるからいつまでたっても政府を倒そうとしない。だから、国民が自分の手で政府を倒さねばならない。国民が自分の手で政府の税金振込用紙を引き破って政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。国民が政府を潰して、警察(つまり、法律会社。すなわち、国民みんなが定めた法律を成文化して、国民みんなに指示して法律が守られた国を実現して、法律の違反者を取り締[し]まることを仕事にする会社のこと)を政府から独立させて民営化させねばならないのである。
[20700] 政府は国民と平等な仕事のわからない会社である。☆ h26.4.27
国民みんなは国の最高権力者である。国のことは国民みんなが決める。
日本人は知覚主義である。だから、日本は人間がみな平等な上の者がいない国である。
だから、政府と国民は平等である。政府は国民に命令したり、国民から税金を取ったりできない。政府は普通の会社と同じである。政府は国民に偉そうにしているが、ポーズだけで、本当は国民と平等である。政府は税金の法律を定めているが、本当は政府は国民から税金を取れない。税金の法律は政府がでっち上げた嘘[うそ]の法律である。
ただし、政府は国民と契約を取らない。だから、政府は仕事のわからない会社である。政府は何をやっているかわからない。政府は人殺しや国民の虐待を仕事にしているかもしれない。
政府は国民と契約を取らないから、国民は政府に任意でお金を払っているだけである。国民は自分が好きなだけ政府にお金を払っているにすぎない。国民が政府にお金を払って政府に仕事をしてもらうかどうかは国民一人一人の自由である。
政府は仕事のわからない会社である。国民は仕事のわからない会社にお金を払って仕事をしてもらってはいけない。政府は法律や学校をやっているがほかにどんなことをやっているかわからないから政府にお金をやらないほうがいい。だから、国民は政府にお金を払わなければいい。国民は政府を潰[つぶ]せばいい。政府の持ち会社を独立させてそれぞれ別個に民営化すればいい。
国には国民みんなとはっきり仕事がわかる会社だけがあればいい。国民ははっきり仕事のわかる会社に自由にお金を払って仕事をしてもらえばいい。