[20401] 西洋の科学、日本の道徳 h26.3.16
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いである。だから、ヨーロッパ人にとっては法律や道徳を守らず自分の好き放題にやって、神がいると思って神に従って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められるのが好きである。[ヨーロッパ人は政府に多少虐められると喜ぶ。ただし、虐められすぎると腹が立って攻撃する。それがフランス革命である。]
反対に、日本人は頭で考えるのが好きである。だから、日本人にとっては法律や道徳を守ってまじめにやって、神がいないと思って神に従わず、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められないのが好きである。
政府はヨーロッパの政治機関である。政府はヨーロッパ人にとって幸せな国を作る団体である。だから、政府は法律や道徳のない、みんなが神に従う、政府や宗教団体や暴力団がみんなを虐める国を作る。
ヨーロッパ人の心にとっては政府の国は幸福である。
日本人の心にとっては政府の国は不幸である。
ヨーロッパ人にとっては法律や道徳を守らず自分の好き勝手にやることが道徳である。[サルトルが「我々は自由の刑に処せられている」と言うとかっこいいが、じつは「ヨーロッパ人は馬鹿である」ことの言い換えである。ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えない馬鹿だから、法律や道徳がわからないから自分の好き放題にやって失敗して不幸になっているのである。]
日本人にとっては法律や道徳を守って自分の心を抑えることが道徳である。
昔の日本人は『ヨーロッパ人の心と日本人の心が違う』ことを知らなかったから「ヨーロッパの科学を受け入れるようにヨーロッパの道徳も受け入れられる」と思って政府に国を作らせて一生懸命ヨーロッパ人と同じことをやっていた。しかし、一向[いっこう]に幸福にはならなかった。
今の日本人は『ヨーロッパ人の心と日本人の心は違う』と考えて『ヨーロッパの科学は受け入れられるがヨーロッパの道徳は受け入れられない』と思って政府に国を作らせずヨーロッパ人の真似[まね]をやらなくなった。ヨーロッパの科学だけ受け入れて、五感主義を受け入れなくなった。
日本人は日本人にとって幸福な国を作らねばならない。日本人の心にとってヨーロッパ人の科学は幸福だが、ヨーロッパ人の五感主義は不幸である。だから、日本人はヨーロッパの科学だけ受け入れて、ヨーロッパの五感主義を受け入れてはいけない。
ヨーロッパ人にとっては法律や道徳を守らず自分の好き勝手にやることが道徳である。日本人にとっては法律や道徳を守って自分の心を抑えることが道徳である。ヨーロッパ人と日本人は身体の色が違うように、脳の構造が違う。ヨーロッパ人の道徳と日本人の道徳は違う。日本人には日本人の道徳がある。日本人がヨーロッパ人の道徳を真似ても無駄[むだ]である。
政府はヨーロッパ人にとって幸福な国を作る団体である。政府は日本人にとって幸福な国を作る団体ではない。日本に政府があっても無駄である。だから、日本人は政府に税金をやらず国を作らせなければいい。早く日本人は政府を倒して、日本人にとって幸福な国を作る知覚主義の政治機関を建てねばならない。
科学には優劣があるが、道徳には優劣はない。ヨーロッパの科学は日本の科学よりも優れているが、ヨーロッパの道徳が日本の道徳よりも優れているわけではない。道徳は人間の心が決める。人間の心は変わらない。千年二千年では変わらない。一万年ぐらいだと変わるかもしれない。ヨーロッパ人の心と日本人の心は違う。だから、ヨーロッパの道徳と日本の道徳は違う。ヨーロッパ人にはヨーロッパの道徳が優れていて、日本人には日本の道徳が優れている。人間は自分の幸福のために生きているのだから、人間の心は人によって違うから、自分にとっての幸福と他人にとっての幸福は違うから、自分が他人の幸福を真似てもしかたがない。日本人がヨーロッパ人の幸福を真似ても何にもならない。だから、日本人は日本人の道徳をやればいいのである。
人間は自分が正しいと考えることをやればいい。日本人は日本人にとって幸福な国を作らねばならない。政府は日本人にとって幸福な国を作っていない。だから、日本人は政府に税金をやらず政府に国を作らせず政府を潰[つぶ]せばいい。日本人一人一人の手で早く政府を潰して、日本を日本人にとって幸福な国にしよう。

[20402] ヨーロッパは大勢の馬鹿と少数の天才から成る。☆ h26.3.16
ヨーロッパでは大勢が頭で考えるのが嫌な馬鹿である。少し天才がいるだけである。
天才が科学をやる。大勢の馬鹿が道徳を決める。
だから、ヨーロッパの科学は優れていて、道徳は劣っているのである。
明治維新のころの日本人は「ヨーロッパ人がみな同じような人間だ」と思って、ヨーロッパの科学が優れているのを見て「ヨーロッパの道徳も優れているに違いない」と思って、ヨーロッパの道徳も受け入れたのである。
しかし、本当は『ヨーロッパは大勢の馬鹿と少数の天才からなる国』なのである。ヨーロッパの科学が優れているのは天才のためであり、ヨーロッパの道徳が遅れているのは馬鹿のためである。
今の日本人は『ヨーロッパは大勢の馬鹿と少数の天才から成る』と考えて、ヨーロッパの科学を受け入れて、ヨーロッパの道徳を受け入れてはいけない。
反対に、日本では大勢が頭で考えるのが好きな利口である。天才がいない。
天才が科学をやる。大勢の利口が道徳を決める。
だから、日本の科学は遅れていて、道徳は優れているのである。
日本人にとってはヨーロッパの科学は幸福であり、ヨーロッパの道徳は不幸である。日本人にとっては日本の科学は不幸であり、日本の道徳は幸福である。だから、日本人はヨーロッパの科学を受け入れて、日本の道徳でやればいいのである。政府はヨーロッパの道徳で国を作る会社だから、日本人は政府を倒して、日本の道徳で国を作る会社を建てたほうがいい。
ヨーロッパは大昔から大勢の馬鹿と少数の天才から成る国である。だから、ヨーロッパでは大昔から少数の天才が貴族で大勢の馬鹿が奴隷をやる貴族制があったのである。今でもヨーロッパでは貴族制をやっている。一方、日本は大昔から大勢の利口と天才がいない国である。だから、日本では大昔から貴族制がないのである。ヨーロッパと日本では人間が違う。だから、日本がヨーロッパを真似[まね]てはいけないのである。
ヨーロッパは大勢の馬鹿と少数の天才から成る国である。だから、ヨーロッパは儲[もう]かるのである。ヨーロッパは少数の天才が頭で考えて発明をやって、大勢の馬鹿が手足を動かして物を作る国だからいやがうえにも儲かるのである。反対に、日本は大勢の利口と天才がいない国である。だから、日本は儲からないのである。日本は天才がいないからろくな発明ができないし、大勢の利口は手足を動かして物を作るのが嫌いだからいやがうえにも儲からないのである。ヨーロッパと日本では社会構造(人間の分布)が違う。だから、ヨーロッパが儲かるのはしかたがないし、日本が儲からないのもやむをえないのである。日本はそれを運命だとあきらめて、自分にとって幸福な国を作ればいいのである。
ヨーロッパは政府があるから儲かるのではない。少数の天才と大勢の馬鹿から成る国だから儲かるのである。政府は大勢の馬鹿と少数の天才に合わせた国を作るだけである。反対に、日本は大勢の利口と天才がいない国だから儲からない。日本にいくら政府があっても儲からない。政府は日本人に合わない国を作って日本人を不幸にするだけである。だから、日本人は早く政府を倒して、日本人を幸福にする知覚主義の政治機関を建てればいいのである。

[20403] 都市計画は建設業者の仕事である。 h26.3.16
政府は国民の主義に合わせた国を作るだけである。政府は五感主義か知覚主義かで国を作るだけである。
町並みは国民の主義によっては決まらない。国民が五感主義だろうが知覚主義だろうが町並みは同じである。町並みは人口分布で決まるだけであって、国民の主義によっては左右されない。
だから、都市計画は政府の仕事ではない。都市計画は建設業者の仕事である。
国の何から何まで政府がやるわけではない。政府がやるのは国民が馬鹿か利口かによって国を作るだけである。政府がやるのは国民の馬鹿さや利口さに応じて国民に合った国にすることだけである。
今の政府が国のことを何から何までやっているのは政府の嘘[うそ]である。政府は五感主義の政治機関であり、五感主義では嘘をついてもいいから、政府は嘘をついて自分が国のことを何から何までやっているふりをしているのである。政府は本当は、法律や教育や宗教や上の者に関することをやっているだけである。その他は政府がやっているふりをしているだけである。政府が自分が上の者であることを使って儲[もう]かる会社に命令して政府と無理やり組ませて会社の儲けを横取りしているだけである。
国が儲かるか儲からないかは国民性によって決まるのであって、政府があっても国の儲けは変わらない。
政府はテレビや新聞ではでかい面[つら]をして国のすべてを自分が決めているかのような顔をしているが、本当は政府は国家宗教と上の者のことしかやっていない。政府は国家宗教をやって国民を虐[いじ]めたり、宗教団体や暴力団を設けて国民を虐めさせたりしているだけである。今の国民は自分の主義に戻って知覚主義をやっているから、政府があっても幸福なことは何もない。だから、国民は早く政府を倒して、別の知覚主義の政治機関に国を作ってもらえばいいのである。

[20404] 今のヨーロッパ人はしかたなく幸福になっている。 h26.3.16
今は科学の時代である。今は世界中で幸福になる方法が研究されている。今では世界中で『人間が実在を知り実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる。人間が頭で考えて実在の法則を知り実在の法則を守りながら自分の心を満足すれば幸福になれる』と考えられている。
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌である。だから、今のヨーロッパ人はいやいや仕方がなく実在を知り幸福になっている。今のヨーロッパ人は泣く泣く実在のことを知っていやいや幸福になっている。
一方、日本人は頭で考えるのが好きである。だから、日本人はこれまでと同じように暮らしながら自然に幸福になっている。日本人は自分の頭で考えて実在を知るのを楽しみにしながら悠々[ゆうゆう]と幸福になっている。
日本人は昔から“自分が幸福になる方法”を知っていた。それを守って暮らしてきた。ヨーロッパ人は今頃になってようやくそれがわかっている。ヨーロッパ人は日本人よりも二千年遅い。ヨーロッパ人は天才がいいだけで、ほかは取るに足りないクズである。
ヨーロッパ人は動物である。インド人も動物である。日本人は人間である。人間が動物を見習う必要はない。日本人は日本の道徳でやっていけばいい。動物が人間を見習えばいい。ヨーロッパ人やインド人が日本人を見習えばいい。だから、日本は日本の文化でやればいい。そのほうが世界中のみんなのためにもなる。

[20405] 政府を潰[つぶ]すことが今の国民にとってやるべきことである。 h26.3.16
政治機関は国民の主義に合わせて国を作ることが仕事である。
ところが、今の国民は知覚主義をやっているのに、政府は五感主義の国を作っている。政府は国民の主義に合わせた国を作っていない。
だから、今の国民は政府を潰さなければならない。たと政府を潰すのが億劫[おっくう]でもがんばって政府を潰さねばならない。それが今の国民にとって正しいことだからである。
今の国民は自分の手を動かして政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。

[20406] 医者は自分だけで医療保険をやったほうがいい。 h26.3.16
昔は五感主義の時代だった。国民みんなが五感主義をやっていた。医者は眼で見るだけで頭で考えない仕事である。そのために、医者が人気が出てみんなが医者にたくさんお金をくれて医者がすごく儲[もう]かっていた。
政府は医者の景気がいいのを妬[ねた]んで医療保険制度を設けて医者の儲けを横取りした。医療保険制度がなければ医者は国民が医者に払ったお金を全部自分のものにできるが、医療保険制度があると国民が本来医者に払うぶんのお金を政府に払っているために医者に少ししかお金がまわらなくなって医者が儲からないのである。医療保険制度がなければ国民はたくさんお金を医者に払えるのに、医療保険制度があるために国民が毎月政府にたくさんお金を取られているので自分が病気に罹[かか]ったときに肝心の医者に少ししかお金を上げられなくなっているから医者が儲からないのである。
昔は国民みんなが五感主義をやっていたから、みんなが政府を上の者だと思って政府の言いなりになって医療保険費を払っていた。
しかし、今は国民みんなが知覚主義をやっているから、みんなが政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなっている。今の国民は知覚主義だから頭でよく考えて物を見るから、政府がテレビや新聞で偉そうにしているのを見ても頭で『政府と自分が平等だ』と考えて「政府を上の者だ」と思わなくなったのである。
今の国民は自分がいい医療を受けたいから医療保険費を払っているだけである。政府が上の者だから払っているのではない。
だから、医者は政府と縁を切って、自分だけで医療保険をやればいい。そうすれば、今よりもずっと医者が儲かるだろう。国民にとってもそのほうが政府に余計なお金を取られないぶん医療費が安くなるので都合[つごう]がいい。
今の国民は五感主義をやっていない。今の国民にとって政府は余計な邪魔者[じゃまもの]である。今の国民は早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、今の国民に合った知覚主義の政治機関(つまり警察や学校)を建てねばならない。

[20407] 今の国民みんなは知覚主義をやっている。 h26.3.16
私の観察によれば、今の国民はまじめに法律や道徳を守っているし、「天皇陛下万歳!」と叫[さけ]ばず国家宗教をやっていないし、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず政府や宗教団体や暴力団に従わなくなっている。
だから、今の国民は知覚主義をやっている。日本人本来の知覚主義に戻っている。国民は明治維新後しばらくはヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっていたが、いつまでたっても自分が幸福になれないし、今では『人間が知覚主義で幸福になる』と考えられているから、今の国民は知覚主義に戻ったのである。
私の観察によれば、政府は今でも警察に遊ばせて犯罪者をまともに取り締[し]まっていないし、天皇や私を神にして国家宗教をやっているし、自分が国家宗教で国民を虐[いじ]めているし、宗教団体や暴力団をたくさん設けて国民を虐めさせている。
だから、政府は五感主義の政治機関である。五感主義では嘘[うそ]がつけるから、政府はテレビや新聞では今の国民に合わせて知覚主義の政治機関のふりをしているのである。
政治機関は国民が自分が幸福に暮らす国を作らせるためにある。国民は自分と同じ主義の政治機関にお金をやって国を作らせて、自分と違う主義の政治機関にお金をやらず政治機関を潰[つぶ]さねばならない。
だから、今の国民は政府に税金を払わず政府を潰さねばならない。
国民はさっさと政府を倒して、知覚主義の政治機関を建ててお金をやって国を作ってもらわねばならない。

[20408] 嘘[うそ]をつくけど詐欺[さぎ]会社じゃない、人殺しをするけど犯罪組織じゃない、これな〜んだ? h26.3.16
政府は嘘をつくけど詐欺会社ではない。
政府は人殺しをするけど犯罪組織ではない。
政府は五感主義の政治機関である。政府はみんなが五感主義をやる国を作る会社である。
五感主義では法律や道徳を守らず自分の好き放題にやっていいから、五感主義では神に従わねばならないから、政府は自分で五感主義をやって嘘をついたり国家宗教で(つまり神の情報を入れたことをやって)人殺しをしたりするのである。[知覚主義では頭で考えるから神の教えに論理的に従わなければ神に従うことにならないが、五感主義では眼で見るだけで頭で考えないから神の情報を入れたことをしただけで神に従うことになるのである。国家宗教では神武天皇の東征[とうせい]のときに現れた“光る玉”を入れたり私の名前の川野延夫[かわののぶお]の“川ブ”を入れたことをやったりして神に従うのはそのためである。]
しかし、今ではみんなが五感主義をやっていない。今ではみんなが知覚主義をやっている。
今では政府がひとりで五感主義をやっているだけである。政府がひとりで嘘をついたり国家宗教で人殺しをしたりしているだけである。
今ではみんなが政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を捨てている。

[20409] 知覚主義と五感主義☆☆ h26.3.16
この世には知覚主義、五感主義という主義がある。知覚主義とは眼で見て頭で考えて心で思う主義であリ、五感主義とは眼で見て頭で考えず心で好き放題にする主義である。
そういう目で見れば、政府は五感主義の政治機関であることがわかる。一方、今の国民は知覚主義であることがわかる。
国は国民が決める。国民の主義は国民自身が決める。政治機関は国民のためにある。国民が政治機関を選ぶ。国民は自分と同じ主義の政治機関にお金を払って国を作らせて、自分と違う主義の政治機関にお金を払わず国を作らせない。
今の国民は知覚主義であり、政府は五感主義の政治機関である。今の国民と政府は主義が違う。今の国民は政府が自分と違う主義の国を作っているから不幸なのである。だから、今の国民は政府にお金(つまり税金)を払わず国を作らせなければいい。政府を潰[つぶ]してしまえばいい。その後で、知覚主義の政治機関を建ててお金をやって国を作らせればいい。そうすれば、国民は幸福になれるだろう。

[20410] どうして今の国民は幸せなのか?☆ h26.3.17
今の国民が自分で知覚主義をやっているからである。
今では『人間が知覚主義で生きていけば幸福になる』ことがわかっているから、今の国民は実際にそうしているから幸福なのである。今の国民は『幸福の法則』に適[かな]っているから幸福である。
ところが、政府は昔ながらの五感主義の政治機関である。政府は国民に五感主義をやらせる団体である。人間は五感主義では不幸になる。だから、政府は国民を不幸にする団体である。[ヨーロッパ人は自分が不幸になるのを覚悟で五感主義をやっているのである。ヨーロッパ人にとっては自分が不幸になることよりも五感主義をやることのほうが大事なのである。ヨーロッパ人は頭で考えることがものすごく嫌いなので、自分が多少不幸になっても自分が死ぬまで五感主義をやり続けるのである。ヨーロッパ人はたとえお金持ちであっても、日本人のように幸福ではないのである。ヨーロッパ人はお金持ちだが不幸である。日本人は貧乏だが幸福である。]
今の国民は自分で自分を幸福にして、政府に不幸にされている。今の国民にとっては自分があればいいだけで、政府は邪魔[じゃま]である。
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。そもそも国民と政治機関は平等である。だから、国民が自分が欲しい国を作る政治機関にお金をやって国を作らせて、自分が欲しくない国を作る政治機関にお金をやらず国を作らせなければいい。[今の政府は五感主義の政治機関だから、五感主義では嘘[うそ]がつけるから、政府は国民に嘘をついて「国民が政府に従わねばならない」みたいにしているのである。税金の法律も政府の嘘で、本当は税金の法律なんかないのである。国民の多くは「偉そうにする者に従う心理」のために、政府が偉そうにしているのを見て「自分が政府に従わねばならない」と思って政府に従って政府の嘘に騙[だま]されているのである。本当は、国民と政府は平等だから、国民が政府にお金をやって国を作ってもらうか、政府にお金をやらず国を作ってもらわないかは国民の自由である。]今の国民は知覚主義の国が欲しい。政府は五感主義の国を作る。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に国を作らせなければいいのである。今の国民は知覚主義の政治機関を建ててから知覚主義の政治機関にお金をやって知覚主義の政治機関に国を作らせればいいのである。

[20411] インドは今後お金持ちの国になるかもしれない。 h26.3.17
インドではみんなが法律や道徳を守らず自分の好き放題にやって、神がいると思って神に従って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められている。しかも、インドにはときどき天才が現れる。遺伝的にそう決まっている。
インドはヨーロッパと同じ国民性である。ヨーロッパと同じ五感主義の国である。
だから、インドが今後ヨーロッパと同じ国家政策でやれば、インドはヨーロッパ以上のお金持ちの国になるかもしれない。
一方、日本ではみんなが法律や道徳を守って心を抑えて、神がいないと思って神に従わず、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められていない。しかも、日本には天才が現れない。遺伝的にそう決まっている。
日本はヨーロッパと違う国民性である。ヨーロッパと違う知覚主義の国である。
だから、日本がいくらヨーロッパと同じ国家政策でやっても、日本はヨーロッパみたいなお金持ちの国にはならない。国民が政府に虐められて不幸にされて損をするだけである。だから、日本はヨーロッパの真似[まね]をやめて自分の国のやり方でやればいいのである。そうすれば国民はお金持ちにはなれないが幸福にはなれるだろう。お金では眼で見る喜びしか得られない。日本人には頭で考える喜びがある。だから、日本人はたとえヨーロッパ人やインド人より貧しくてもヨーロッパ人やインド人よりも幸福なのである。
インドとヨーロッパは国民性が同じである。どうしてインドがこれまでヨーロッパと同じやり方でやらなかったのか不思議である。インド人が日本人の真似をしてお高ぶって利口ぶっていたのがいけなかったのである。もっと早くヨーロッパ人みたいに自分の馬鹿さを認めていればよかったのである。
政治機関は国民性に合った国を作るだけである。政治機関が国民性を変えることはできない。国民性は国民自身が決める。国民性は遺伝で決まるだけである。政治機関は国民が喜ぶ国を作るだけである。政府はヨーロッパの政治機関である。政府はヨーロッパ人が喜ぶ国を作るだけである。政府は日本人が喜ぶ国を作らない。政府は日本人が嫌がる国を作るだけである。日本に政府があっても何にもならない。国民は政府に虐められるだけである。だから、日本では国民が政府を早くなくせばいいのである。日本では国民が自分に合った知覚主義の政治機関を建てればいいのである。そうして、はじめて政治機関がどういうものかがわかるだろう。はじめて政治機関が国民のためにあったことがわかるだろう。
実際に、今の日本では国民がすでに知覚主義をやっている。五感主義をやめて知覚主義をやっている。今の国民はお金儲けよりも幸福を取ったのである。国民が自分の主義を変えても国民性は変わらない。心は変わらない。国民が自分と合わない主義をやって面白くない思いをしていただけである。今の国民にとってもはや政府は用済みである。だから、早く国民みんなで政府を倒して、日本人向きの政治機関を建てればいいのである。
日本人には天才がいない。そのために、今の国民の多くは眼で見たまま「政府が民主主義の政治機関だ」と思って「政府が今の国民に合わせて知覚主義の国を作っている」と思って政府にお金を払って国を作ってもらっているのである。しかし、本当は政府は五感主義の政治機関である。政府は今でも昔と同じ五感主義の国を作っている。法律のない国や神がいる国や上の者がいる国を作っている。政府は自分が上の者だと思って国民を虐めて不幸にしている。貧乏にしている。政府は国民にお金を儲けさせる機関ではなく、むしろ国民を虐めるために国民を貧乏にする機関である。ヨーロッパやインドでも政府は国民を虐めて国民を貧乏にしている。国民がそれ以上に働いてお金を儲けて豊かになっているのである。政府は自分が上の者をやるために国民からお金を取って国民を貧乏にするだけで、国民を儲かるようにはしてくれない。ヨーロッパやインドで国民が政府を支持するのは、政府が国民に合った五感主義の国を作ってくれるからであって、政府が国民を儲からせてくれるからではない。国民を儲からせるのは国民自身であって、政府は自分が上の者をやるために国民の儲けをただ横取りするだけである。だから、日本では国民は政府にお金(税金)をやって国を作らせてはいけない。国民は政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。

[20412] 日本人は自分が利口であるのを認めるしかない。 h26.3.17
昔のインドでは国民が知覚主義をやって政府も知覚主義をやっていたが、国民が幸福になれなかった。インド人は頭で考えるのが嫌いで、眼で見る喜びしかないので、国民がいくら知覚主義をやって頭で考える喜びで喜ぼうと思っても本心が喜ばないからである。そのため、インドは長い間喜びのない不幸な国だった。政府が国民みんなに頭で考える喜びを無理やり押し付けて国民は政府に自分にとってなんにも面白くないことをやらされて虐[いじ]められて不幸にされていた。
反対に、今のインドでは国民が五感主義をやって政府も五感主義をやって、国民が幸福になっている。インドでは国民が古い知覚主義をやる政府を倒して新しい五感主義をやる政府に替えたのである。インドではガンジーが死んだ後で政府の性格が変わったのである。インド人はもともと頭で考えるのが嫌いなので、五感主義をやると幸福になるのである。今のインドでは政府が法律や道徳のない国にしている。今のインドでは政府が国家宗教をやっている。例えば、『忍者ハットリくん』のアニメを作っている。今のインドでは政府が上の者をやって毎日国民を殺して虐めている。今のインドは国民みんなが心の底から喜んで幸福な国になっている。政府は国民みんなの眼で見る喜びを満足して国民みんなが幸せになっている。今のインドでは国民みんなが政府に感謝している。
一方、日本では昔は国民が五感主義をやって政府も五感主義をやっていたが、国民が幸福になれなかった。日本人は頭で考えるのが好きで、頭で考える喜びが強いので、国民がいくら五感主義をやって頭で考える喜びをなくそうとしても本心が喜ばないからである。そのため、昔の日本は喜びのない不幸な国だった。政府が国民みんなに頭で考えない喜びを無理やり押し付けて国民は政府に自分にとってなんにも面白くないことをやらされてつらい思いをしていた。
反対に、今の日本では国民が知覚主義をやって国民が幸福になっている。今の日本では政府が自分ひとりで古臭い五感主義をやっている。日本ではいまだに国民が政府を倒していないから、国民と政府が違う主義をやっている。日本では国が分裂して、国民と政府が違う国をやっている。日本人はもともと頭で考えるのが好きなので、知覚主義をやると幸福になるのである。今の日本は国民が自分で知覚主義をやって幸福に暮らしている。政府は国民と反対に五感主義をやって国民を嫌がらせて国民みんなに嫌われている。今の日本では国民みんなが政府を嫌って政府を倒している。
日本もインドを見習って、国民みんなで自分に合わない政治機関を倒して、自分に合った政治機関を建てて幸福にならねばならない。日本人はインド人の“自己を肯定する勇気”を見習わねばならない。日本人とインド人は性格が反対なので、インド人が知覚主義の政治機関を壊して五感主義の政治機関を建てたから、日本人は反対に五感主義の政治機関(つまり政府)を壊して知覚主義の政治機関を建てねばならない。そうすれば、今のインドが発展しているように、今の日本も違う意味で発展するだろう。
馬鹿が利口に憧[あこが]れてもしょせん馬鹿である。同じように、利口が馬鹿に憧れてもしょせん利口である。ヨーロッパ人は馬鹿である。インド人は馬鹿である。日本人は利口である。だから、インド人が日本人を真似てもうまく行かない。インド人がヨーロッパ人を真似ればうまく行く。日本人がヨーロッパ人を真似てもうまく行かない。日本人は日本人自身を真似るとうまく行く。日本人は日本独自のやり方でやるしかない。日本人は日本人自身を知って日本人自身のやり方でやるしかない。
インド人が長い間知覚主義の政治機関を置いて知覚主義をやり続けても、けっきょくインド人は五感主義のままだった。インド人の国民性は変わらなかった。国民性は国民の主義で決まるのではなく遺伝で決まるのである。国民の身体で決まるのである。人間は自分の性格を自分で変えることはできない。人間にはそれほどの自由はない。インド人は生まれつき五感主義なので、いくら知覚主義をやっても知覚主義にはならなかった。それと同じように、日本人は生まれつき知覚主義なので、いくら五感主義の政治機関(つまり政府)を置いて五感主義をやっても五感主義にはならないのである。人間は自分自身の主義を変えれない。人間は自分自身の主義でやっていくしかない。日本人は自分を五感主義に変えるのをあきらめねばならない。日本人は自分の生まれつきの知覚主義でやっていくしかない。政府は五感主義の政治機関である。日本人にとっては政府は邪魔[じゃま]である。だから、日本人は政府を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。
インドは本来お金持ちの国である。インドはこれまでわざわざ無理をして貧乏な国をやっていたのである。これからのインドは本来のお金持ちの国に戻っていく。反対に、日本は本来貧乏な国である。日本はこれまでわざわざ無理をして金持ちの国をやっていたのである。これからの日本は本来の貧乏な国に戻っていく。日本はたとえ貧乏でも幸福であればいいのである。日本人は貧乏でも幸福に生きる才能がある。日本人は日本人らしく生きればいいのである。そうすれば日本人は幸福に生きられるのである。
お金儲けのためにはいくら五感主義がよくても、日本人は生まれつき知覚主義だから知覚主義でやるしかない。日本人は五感主義の政治機関(つまり政府)を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。

[20413] 自分自身を知れ! h26.3.17
人間は他人にはなれない。自分自身であるしかない。だから、人間は自分自身を知って、自分が自分自身であるように努[つと]めねばならない。
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いな五感主義の民族である。だから、ヨーロッパ人は五感主義でやるしかない。五感主義の政治機関を置くしかない。
反対に、日本人は頭で考えるのが好きな知覚主義の民族である。だから、日本人は知覚主義でやるしかない。知覚主義の政治機関を置くしかない。
今では日本人は知覚主義をやっているが、いまだに五感主義の政治機関を置いている。早く五感主義の政治機関を潰[つぶ]して知覚主義の政治機関に替えねばならない。
いまだに五感主義をやっている日本人がいるのは、自分自身を知らないからである。みっともない。五感主義をやめねばならない。日本人が知覚主義をやっているのに、五感主義の政治機関を置いているのも矛盾があって恥ずかしい。だから、早く五感主義の政治機関を片付けねばならない。政府に税金を払わないようにして政府を潰さねばならない。
知覚主義では人間はみな平等である。だから、今度からは国民は知覚主義の政治機関と自由に契約を取ってお金を払って仕事をしてもらうことにしよう。絶対に税金の法律を定めないことにしよう。政治機関を上の者だと思って従う感情的な者のいない国にしよう。

[20414] 『政府が五感主義の政治機関である』ことは正解らしい。 h26.3.17
テレビや新聞で政府が「景気の対策をやっている」と言っているのは政府の嘘[うそ]である。
政府は本当は景気の対策なんか何にもやっていないのである。
政府が本気でやっているのは国家宗教と国民虐[いじ]めだけである。
政府は五感主義で嘘をついてテレビや新聞であることないこといいかげんに言っているのである。
今の国民はのんきに構えているから、政府の嘘に騙[だま]されて政府を支持して政府に税金を払って政府に国家宗教や国民虐めをやらせているのである。今の国民が税金の無駄遣[むだづか]いをしているのである。
私が9年かけて『政府は五感主義の政治機関である』ことをようやく明らかにした。みんなが最近の私が考えたことを読めば、9年間の時間を短縮していきなり正解から考えられる。みんなは私の成果を活かして政府や社会のことについて考えて行動して日本を善い国にして欲しい。

[20415] 人間は自分を変えることはできない。 h26.3.18
五感主義の国はお金持ちである。五感主義の国ではみんなが頭を使うのが嫌いである。少しだけ天才がいる。五感主義の国では天才が発明してみんなが手足を動かして物を作ってよく働いて儲[もう]かるのでお金持ちである。
知覚主義の国は貧乏である。知覚主義の国ではみんなが頭を使うのが好きである。天才がいない。知覚主義の国ではみんなが頭で考えて遊んでばかりいて手足を動かして物を作らないので貧乏である。
ヨーロッパはもともと五感主義なので、昔からずっと五感主義をやっていた。ヨーロッパは自分に合った主義をやっていたのでお金持ちになって幸福になっていた。
インドは長い間知覚主義をやっていたが、けっきょく五感主義のままだった。インドは長い間自分が面白くないことをやって不幸だった。今のインドは知覚主義をやるのをあきらめて五感主義をやってお金持ちになって幸福になっている。
日本は短い間五感主義をやっていたが、けっきょく知覚主義のままだった。日本は自分が面白くないことをやって不幸だった。今の日本は五感主義をやるのをあきらめて知覚主義をやって貧乏になって幸福になっている。
お金持ちが貧乏人に憧[あこが]れてもしょせんお金持ちである。貧乏人がお金持ちに憧れてもしょせん貧乏人である。
人間は自分を変えることはできない。人間はいくら他人が羨[うらや]ましくても他人になることはできない。人間は自分にふさわしく生きればいい。お金持ちはお金持ちとして、貧乏人は貧乏人として生きるしかないのだ。私も若いころはお金持ちに憧れて医学部に入ったが、医学が不愉快[ふゆかい]だったので、けっきょく医者をやめてしまった。医者をやめてから幸福になった。たとえ日本がヨーロッパを真似[まね]てお金持ちの国になれたとしても、日本人は幸福にはなれないだろう。うわべで幸福を装[よそお]っているだけで、本心では不幸だろう。人間は自分のことをよく知って自分に合った暮らしをしなければならない。そうすれば、たとえお金持ちにはなれなくても幸福に暮らせるだろう。
ヨーロッパは天才と馬鹿の国である。日本は凡才[ぼんさい]の国である。ヨーロッパと日本では国民性が違う。日本が天才と馬鹿の国を真似てもうまく行かない。日本は凡才の国としてまじめに地道[じみち]に努力するしかないのだ。『天才バカボン』とは、この世には天才と馬鹿と凡才の3種類の人間がいるということである。日本は凡才の国である。日本は凡才の国として凡才の道を極めて発展すればいいのである。日本人は凡才である。凡才は凡才の才能を伸ばして凡才の才能を活かして国を善くすればいい。

[20416] 政府は日本人が不幸になる国を作る団体である。☆ h26.3.18
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
政府はみんなが法律や道徳を守らず自分の心のままに好き放題にやって、みんなが神がいると思って神に従って、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められている国を作っている。
ヨーロッパ人は生まれつき五感主義なので、政府が作った国の中で幸福に生きていける。
しかし、日本人は生まれつき知覚主義なので、政府が作った国の中では不幸になる。
そもそも国民と政治機関は平等である。政府が五感主義の国を作っているために、国民は政府を上の者だと思って政府に従っているだけである。政府は日本人にとって不幸な国を作るだけである。日本人には政府は向かない。だから、日本人は政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、日本人に合った知覚主義の政治機関を建てねばならない。

[20417] ヨーロッパはどうやって準知覚主義の国になったか? h26.3.18
昔のヨーロッパは五感主義の国だった。みんなが法律や道徳を守らず犯罪を犯して自分の好き勝手にする国だった。
しかし、今のヨーロッパは準知覚主義の国である。みんなが多少は法律や道徳を守って自分の心を抑えてまじめに暮らしている。
ヨーロッパが五感主義の国から準知覚主義の国に変わったのは、中世から近代の間にヨーロッパでは大勢の馬鹿を殺したからである。魔女狩りや魔男狩りが行われたからである。
人間の心は変わらない。人間の心は生まれつきで遺伝で決まるから変わらない。だから、ヨーロッパは馬鹿を殺すことによって利口の国に変えたのである。ルネサンスの裏では人殺しよる人種改良が行われていたのである。
一方、日本は凡才の国である。日本にはヨーロッパほどの馬鹿はいない。だから、日本では馬鹿を殺さなくていいのである。
今のヨーロッパでは昼食の時間を長く取ることによってみんなに考える習慣を身に着けさせている。日本人もヨーロッパ人を見習って自分で考える習慣を身に着けねばならない。

[20418] 人間は自分自身に合わせて生きて行けばいい。 h26.3.18
政治機関は国民に合わせた国を作るためにある。だから、国民が政治機関に合わせる必要はない。
問題は国民が自分の主義をどうするかである。
人間にとっては自分は自分でしかない。自分が他人にはなれない。だから、自分は自分でやればいい。人間は自分自身を知り自分自身に合わせて生きて行けばいい。
日本人は知覚主義である。日本人は生まれつき頭で考えるのが好きである。日本人は活字が三度の飯[めし]よりも好きである。だから、日本人は知覚主義に決まりである。
だから、日本の政治機関は国民に合わせて知覚主義の政治機関にするしかない。政府は五感主義の政治機関だから、政府ではいけない。みんなで政府を潰[つぶ]して、知覚主義の政治機関(つまり警察と学校)にしなければならない。
日本人が儲[もう]けたければ、知覚主義の中で儲けるしかない。日本人が五感主義をやって儲けることはできない。日本人が自分の知覚主義の才能を活かした産業をやって儲けるしかない。例えば、科学は知覚主義である。日本人は科学が好きである。日本人は論理がわかる。日本人は論理で考えられる。日本人はキチンとしたことが好きである。グチャグチャしたことが好きではない。フニャフニャしたことが好きではない。だから、日本は科学の仕事をやって儲ければいい。

[20419] 政府は国を滅ぼす政治機関である。☆ h26.3.18
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
五感主義では人間が頭で考えず眼で見て心で思うだけである。要するに、五感主義とは馬鹿主義である。
だから、政府は利口よりも馬鹿を有利にする。政府は馬鹿をいい待遇にして、利口を悪い待遇にする。
政府に国を作らせると、馬鹿が幸福で利口が不幸な国になる。国が衰退してみんなが貧乏になって滅ぶ。
反対に、知覚主義の政治機関は馬鹿よりも利口を有利にする。利口をいい待遇にして、馬鹿を悪い待遇にする。
知覚主義の政治機関に国を作らせると、利口が幸福で馬鹿が不幸な国になる。国が発展してみんなが裕福になって栄える。
五感主義の国は馬鹿と利口の上下関係がひっくり返っていて不自然である。だから、国が滅ぶ。
知覚主義の国は利口と馬鹿の上下関係が順当で自然である。だから、国が栄える。
国は実在の中にある。実在の中では実在の法則が通用する。実在の中では不自然な物は滅ぶ。自然な物が栄える。
政府に国を作らせるとヘンテコな国になって国が不自然になって滅びる。みんなが貧乏になって不幸になって滅ぶ。
反対に、知覚主義の政治機関に国を作らせるとまともな国になって国が自然になって栄える。みんなが裕福になってみんなが幸福になって栄える。
冗談はいいかげんにしないといけない。最近の日本がだんだん不景気になっているのは、政府に国を作らせると国が滅びる証拠である。早く国民みんなで政府を倒して、知覚主義の政治機関に替えねばならない。
ヨーロッパでは政府は知覚主義の政治機関と同じように利口を馬鹿よりもいい待遇にしている。ヨーロッパは天才を大事にする国なので、利口を馬鹿よりもいい待遇にするのである。ヨーロッパは馬鹿が天才よりも多いのでいやがうえにも馬鹿主義=五感主義をやっているが、けっして天才を粗末にする国ではないのである。ヨーロッパでもできれば利口主義=知覚主義をやりたいが、馬鹿が圧倒的に多いので馬鹿主義=五感主義をやらざるを得ないのである。反対に、日本では政府が字義通りに五感主義=馬鹿主義をやって馬鹿を利口よりもいい待遇にしている。だから、ヨーロッパは栄えるのに、日本は滅びるのである。日本に政府を置いておくと、日本はどんどん政府にダメな国にされるだけである。だから、国民みんなで早く政府を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。
政府は五感主義の政治機関だから嘘[うそ]つきである。今の政府は表では知覚主義の国を作って利口を馬鹿よりも有利にして国を栄えさせるふりをして、裏では五感主義の国を作って馬鹿を利口よりも有利にして国を滅ぼしている。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。国民が政府を倒すには、国民が政府に税金を払わなければいいだけである。もともと国民と政府は平等なので、国民が政府が嫌なら政府に税金を払わなければいいのである。今の国民は知覚主義で、政府は五感主義の政治機関だから、国民と政府の主義が違うので国民が政府を倒せばいいのである。五感主義の国では馬鹿が利口よりも有利なので、腕の悪い医者が腕のいい医者よりも高給である。反対に、知覚主義の国では利口が馬鹿よりも有利なので、腕のいい医者が腕の悪い医者よりも高給である。腕がよければ医者でも儲[もう]かる。だから、医者にとっても知覚主義のほうがいい。国民みんなで早く政府を倒して、正しい者がまちがっている者よりも有利な正常な国にしないといけない。


[20420] 政府は国を潰[つぶ]す政治機関である。 h26.3.18
五感主義の国では馬鹿が利口よりも有利である。馬鹿がいい待遇で利口が悪い待遇である。馬鹿が幸福で利口が不幸である。みんなが馬鹿に憧[あこが]れてみんなが勉強しなくなって馬鹿になる。国が滅びる。
反対に、知覚主義の国では利口が馬鹿よりも有利である。利口がいい待遇で馬鹿が悪い待遇である。利口が幸福で馬鹿が不幸である。みんなが利口に憧れてみんなが勉強して利口になる。国が栄える。
今では国民は知覚主義である。国民は利口を馬鹿よりも有利にしている。
政府は五感主義である。政府は馬鹿を利口よりも有利にしている。政府が国民と反対の国を作っている。
政府は五感主義である。五感主義では心のままに何でもやっていいので自由に嘘[うそ]がつける。だから、政府は嘘をつく。政府は知覚主義をやっているふりをして、じつは五感主義をやっている。政府は利口を馬鹿よりも有利にしているふりをして、じつは馬鹿を利口よりも有利にしている。
政府は馬鹿を利口よりも有利にして異常な国にして国を潰す団体である。
今の国民は知覚主義をやっている。政府は五感主義をやっている。国民と政府の主義が違う。政府は今の国民の政治機関ではない。だから、国民は政府の指示を聞いてはいけない。国民は政府に税金を払って国を作らせてはいけない。
今の国民は政府に国を潰される前に政府を潰して、知覚主義の政治機関に替えねばならない。
政府は国民みんなを幸福にする機関ではなく、ただたんに五感主義の国を作る機関である。政府は国が滅んでも国民みんなが不幸になっても、ひたすら五感主義の国を作るだけである。政府は自分が潰れるまでずっと五感主義の国を作るだけである。今の国民にとっては五感主義の国は要らない。だから、今の国民みんなが政府に税金をやらないようにして政府を潰さなければならない。
政府は国民みんなから税金をもらって国を作っているから、政府を潰すためには国民みんなで政府に税金を払うのをやめねばならない。政治機関は坂本竜馬ひとりが倒したのではない。政治機関は国民みんなで倒すものである。政府の仕事は国家宗教と国民虐[いじ]めと馬鹿を利口よりも有利にすることだけである。政府はたいした仕事をやっていない。政府は国を儲からせる会社ではない。国を儲からせるのは国民であって、政府は五感主義の世界では自分が上の者だと思って国民の儲けを横取りするだけである。政府は国民に嘘をついて自分が国民を儲からせているふりをしているだけである。だから、今の国民みんなで政府に税金を払うのをやめて、政府を倒せばいいのである。
政府がテレビや新聞でやっていることは全部嘘である。作り話である。政府は五感主義だから嘘をつくのである。政府は本当は国家宗教と国民虐めと馬鹿を有利にすることしかやっていない。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、早く国民みんなで政府に税金を払うのをやめて嘘をつくしか能がない役立たずのクソ会社を倒産させねばならない。

[20421] どうして今の国民は政府を倒さないのか? h26.3.19
今の国民が政府を倒さないのは、今の国民が「政府のおかげで国民が幸福に暮らせる」と思っているからである。
しかし、政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。五感主義では嘘[うそ]がつけるから、政府は自分が五感主義をやってテレビや新聞で国民に嘘をついて「自分が国民のためになることをやっている」と言っている。しかし、本当は政府は国家宗教をやったり国民虐[いじ]めをやったり馬鹿を有利にしたりしているだけである。一方、今の国民は知覚主義をやっている。政府が今の国民を幸福にすることなんか何にもない。
だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。政府を倒して、今の国民に適した知覚主義の政治機関を建てればいい。
今の国民はのほほんとしすぎている。今の国民は政府がどんな団体なのかわからずに政府を支持している。
国民が幸福になるためには、国民が自分に適した政治機関を選ばねばならない。それもできないのでは国民は永遠に幸福にはなれないだろう。

[20422] 日本人には日本人にとっての幸福がある。☆☆ h26.3.19
日本人がどんなにがんばってもヨーロッパの町みたいにはできない。
それは日本人とヨーロッパ人では脳の構造が違うからである。
ヨーロッパ人は五感が発達しているので、精緻[せいち]な物が作れるのである。
日本人は知覚が発達しているので、落語やマンガのように頭で考える喜びがあるのである。
ヨーロッパ人と日本人の脳の構造の違いが文化の違いになって表れているのである。
いくらヨーロッパの建物が精緻だからといって、ヨーロッパ人が日本人よりも優れているわけではない。ただ、ヨーロッパ人と日本人では脳の構造が違うだけである。日本人に言わせれば、ヨーロッパ人には“馬鹿の才能”があるのである。ヨーロッパ人は日本人よりも“馬鹿の才能”が発達しているのである。
ヨーロッパ人と日本人は脳の構造が違うから、日本人がヨーロッパ人をいくら真似[まね]ても日本人は幸福にはなれない。
日本人はヨーロッパ人よりも五感が劣る代わりに知覚が発達している。ヨーロッパ人には眼で見る喜びしかないが、日本人には頭で考える喜びがある。日本人には日本人特有の幸福がある。ヨーロッパ人にはわからない幸福がある。ヨーロッパ人には一生掛けてもわからない幸福がある。
だから、日本人は日本人にとって幸福な国にすればいい。そうすれば日本人は幸福になれる。ヨーロッパの五感主義は日本人にとっては不愉快[ふゆかい]だから、日本人はヨーロッパの五感主義をやめればいい。逆に日本の知覚主義はヨーロッパ人にとっては不愉快だから、ヨーロッパ人は日本の知覚主義をやめたほうがいい。

[20423] どうして今の世の中は面白くないのか?☆ h26.3.19
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
五感主義では眼で見て頭で考えずに心で思うだけである。五感主義では眼で見る喜びがあるだけで、頭で考える喜びがない。
だから、政府は眼で見る喜びがあるだけで、頭で考える喜びがない国を作っている。
ところが、日本人は脳の構造から、眼で見る喜びよりも頭で考える喜びがある。
だから、政府は日本人にとって面白くない国を作っている。だから、日本人にとって今の世の中は面白くないのである。
このままでは日本が日本人にとって喜びのない国になる。笑いのない国になる。
だから、日本人は早く政府を倒して、日本人にとって面白い国を作る知覚主義の政治機関を建てねばならない。
たとえ国民が貧乏でも、政治機関が国民にとって面白い国を作ってくれれば国民は幸福に生きていける。だから、国民は自分に合った政治機関を建てねばならない。

[20424] ヨーロッパ人は上の者に虐[いじ]められるのが好きである。☆ h26.3.19
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
政府はみんなが法律や道徳を守らず自分の好き放題にやって、みんなが神がいると思って神に従って、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められる国を作る。
ヨーロッパ人は五感主義だから、法律や道徳を守らず、神がいると思って神に従って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐められるのが好きである。
反対に、日本人は知覚主義だから、法律や道徳を守って、神がいないと思って神に従わず、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められないのが好きである。
だから、政府はヨーロッパ人にとっては幸福な国を作っているが、日本人にとっては不幸な国を作っている。ヨーロッパ人にとっては政府は自分を幸福にする好[い]い団体だが、日本人にとっては政府は自分を不幸にする嫌な団体である。ヨーロッパ人にとっては政府は人気があるが、日本人にとっては政府は人気がない。
国は国民のためにある。日本人にとっては政府は嫌である。だから、日本では国民が政府を倒して、自分に合った知覚主義の政治機関にすればいいのである。一方、ヨーロッパ人にとっては政府が好きである。だから、ヨーロッパでは政府を政治機関にすればいいのである。
政府は国民を虐める機関である。ヨーロッパ人は政府に虐められるのが好きである。日本人は政府に虐められるのが嫌いである。だから、日本人は早く政府を倒して、国民を虐めない知覚主義の政治機関にしなければならない。
日本人は日本人にとって幸福な国にすればいい。ヨーロッパ人と日本人では心が違うから、たんなるヨーロッパの真似[まね]ではいけない。日本人は一つ一つの物が自分にとって幸福か不幸かを考えて、自分にとって幸福な物だけ受け入れて不幸な物を受け入れてはいけない。そういう考え方で国を作ればいいのである。日本人は知覚主義である。科学は知覚主義である。だから、日本人にとってはヨーロッパの科学は幸福だが、ヨーロッパの五感主義は不幸である。だから、日本人はヨーロッパの科学だけを受け入れて、五感主義を受け入れてはいけない。日本人は知覚主義で統一した国家を作ればいいのである。

[20425] 今の日本は知覚主義の国である。 h26.3.19
今の国民みんなは知覚主義をやっている。今の日本は知覚主義の国である。
ところが、政府は五感主義の政治機関である。政府は今の日本の政治機関ではない。
だから、今の国民は政府に税金を払わなければいい。
国民みんなで早く政府を倒して、今の国民みんなに合った知覚主義の政治機関を建てねばならない。

[20426] 政府は日本人が嫌いな国を作る政治機関である。 h26.3.19
ヨーロッパ人は五感主義である。ヨーロッパ人は法律や道徳を守らず自分の好き放題にやって、神がいると思って神に従って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められるのが好きである。
反対に、日本人は知覚主義である。日本人は法律や道徳を守って自分の心を抑えて、神がいないと思って神に従わず、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められないのが好きである。
ヨーロッパ人と日本人は好きなことが違うのである。
政府は五感主義の政治機関である。政府はみんなが法律や道徳を守らず好き放題にやって、みんなが神に従って、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐められる国を作る。
政府はヨーロッパ人向けの政治機関である。政府はヨーロッパ人が好きな国を作る。政府は日本人向けの政治機関ではない。政府は日本人にとって嫌な国を作る。
そもそも国民と政治機関は平等であり、国民が政府にお金をやって国を作らせるか、国民が政府にお金をやらず国を作らせないかは国民の自由である。政府は日本人にとって嫌な国を作っているから、日本人は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいい。その後で、日本人の心を満足する国を作る政治機関を建てればいい。
眼先で見ても政府が何の団体なのかわからない。眼先で見ても政府が何をしているのかわからない。日本人は知覚主義である。日本人は頭で考えて理解することができる。だから、日本人は眼先にとらわれず頭で考えて実行すればいい。政府は五感主義の政治機関である。日本人は知覚主義である。政府は日本人に合った国を作っていない。だから、国民は政府を倒せばいいのである。国民と政治機関は平等だから、国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
近代の日本人はヨーロッパ人と日本人の心の違いがわからずにヨーロッパ人を真似[まね]て五感主義をやっていた。近代の日本人は日本を日本人の心に合わない国にして不幸に暮らしていた。現代の日本人はヨーロッパ人と日本人の心が違うと考えてヨーロッパ人を真似なくなって五感主義をやめて日本本来の知覚主義をやっている。現代の日本人は日本を日本人の心に合った国にして幸福に暮らしている。

[20427] 今の日本人は自分の心に合った国を作っている。 h26.3.19
日本人が幸福になるためには、日本人に合った国を作ればいい。
そのためには、日本人が自分自身を知らねばならない。
日本人は知覚主義である。日本人は眼で見て頭で考えて心で思う。
だから、日本人は頭で『人間が平等だ』と考えて法律や道徳を守って、頭で『神がいない』と考えて神に従わず、頭で『人間が平等だ』と考えて政治機関や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐[いじ]められないのが好きである。
日本人は眼で見る喜びだけではなく頭で考える喜びがある。日本人は眼で見ることよりも頭で考えることを大事にする。
日本人は利口を馬鹿よりも有利にする。日本人はみんなが利口に憧[あこが]れて勉強して自分も利口になる。
そういう国にすれば、日本人は幸福に暮らすことができる。
近代の日本人はヨーロッパ人と日本人の違いがわからずヨーロッパ人を真似[まね]ていた。法律や道徳を破ったり、神に従ったり、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐められていた。そのために、日本人は不幸だった。
現代の日本人はヨーロッパ人と日本人が違うと考えてヨーロッパ人を真似ず日本人自身に合わせている。法律や道徳を守って、神に従わず、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められないようにしている。そのために、日本人は幸福になっている。
今の日本人は知覚主義でやっている。日本人はもともと知覚主義だから、今の日本人は日本人自身に合わせて知覚主義をやって幸福に暮らしているのである。ところが、政府は五感主義の政治機関である。政府は日本人に五感主義をやらせて日本人を不幸にする団体である。だから、日本人みんなで政府を倒して政府をなくして、知覚主義の政治機関を建てて幸福に暮らさないといけない。
要するに、近代の国民がヨーロッパ人と日本人の違いがわからなかったために、今の日本に日本人に合わない政治機関(政府のこと)があるだけのことである。今の日本人はヨーロッパ人と日本人の違いを理解して、今の日本から日本人に合わない政治機関をなくさねばならない。今の日本に日本人に合った政治機関を建てねばならない。
日本人は知覚主義である。ヨーロッパ人は五感主義である。日本人とヨーロッパ人では脳の構造が違うから主義が違う。人間の脳の構造は遺伝子で決まる。日本人とヨーロッパ人は遺伝子が違う。DNAが違う。日本人がいくらがんばってもヨーロッパ人になれるわけがない。みんなはそんな実現できない空[むな]しい欲望を捨てて、早く日本人自身にならねばならない。人間の主義は脳の構造で決まる。日本人もヨーロッパ人も自分の主義を選べない。日本人は大脳の知覚野が広く五感野が狭く知覚が発達しているから知覚主義である。反対に、ヨーロッパ人は大脳の五感野が広く知覚野が狭く五感野が発達しているから五感主義である。ただし、ヨーロッパ人の天才は知覚野が広い。日本人は知覚主義をやるしかない。ヨーロッパ人は五感主義をやるしかない。日本人は五感主義がやれないし、ヨーロッパ人は知覚主義がやれない。人間は自分の主義を守りながら幸福に暮らさないといけない。人間は自分自身に従いながら自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。[日本人がヨーロッパ人に比べて五感が弱いことは、西洋医学の解剖図(例、レオナルド・ダビンチの解剖図)と東洋医学の解剖図を比べればわかる。ヨーロッパ人は細かいリアルな絵が描けるから五感が強い。日本人はマンガみたいな簡単な絵しか描けないから五感が弱いのである。ヨーロッパ人は五感が強いから、眼で見る喜びが強い。日本人は五感が弱いから、眼で見る喜びも弱いのである。反対に、日本人はヨーロッパ人比べて知覚が強い。だから、日本人は法律や道徳をよく守るし、神がいないと思っているし、身分制がないのである。ヨーロッパ人と日本人では認識している世界が違うのである。民族によって強いところと弱いところが異なる。だから、民族の優劣を一概[いちがい]に比較することはできない。]
日本人の脳は知覚野が発達しているから日本人は知覚主義しかない。だから、今の国民は知覚主義をやっている。ところが、政府は五感主義をやっている。政府は日本人に合った国を作っていない。政府がまちがっている。だから、国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
人間の脳は生まれつき決まっている。人間は自分の脳に即して生きていくしかない。そうすれば幸福に生きることができる。国民は自分の脳に則した国を作らねばならない。政府は日本人の脳に即していないから、日本人は政府を倒さねばならない。
アメリカは多民族国家で国民の半数が知覚主義で半数が五感主義だから、ニューヨーク同時多発テロ事件みたいに政府が国民を殺しても国民の半数は政府に虐められて喜んでいるから政府が国民を殺してもかまわないが、日本は知覚主義国家で国民全員が知覚主義だから、政府が国民を殺すと国民みんなが不満だから政府は国民を殺してはいけない。日本に政府があることはまちがっている。だから、日本では国民が政府を倒して政府をなくさなければならないのである。

[20428] 日本政府だけが仕事をしていない。 h26.3.19
政治機関は国民に合わせた国を作るためにある。
世界中の政府が国民に合わせた国を作っている。ヨーロッパでは政府が国民に合わせて五感主義の国(準知覚主義の国)を作っている。アメリカでは政府が国民に合わせて五感主義と知覚主義の両方の国を作っている。インドでは政府が国民に合わせて知覚主義をやめて五感主義の国を作っている。中国では政府が国民に合わせて“身分制のない五感主義”をやっている。
それなのに、日本政府だけが国民と反対の国を作っている。日本では国民が知覚主義なのに、政府は五感主義の国を作っている。
世界中の政府が国民のために仕事をしているのに、日本政府だけが国民のために仕事をしていない。日本では国民が政治に疎[うと]いので、いまだに国民が昔の五感主義の政治機関(政府のこと)を潰[つぶ]していないのである。
だから、日本では国民は政府にお金を払わなくていい。国民は政府に税金を払わず政府を潰せばいい。その後で、知覚主義の政治機関が建てば、国民は知覚主義の政治機関と自由に契約してお金を払って仕事をやってもらえばいい。

[20429] 政治機関が直接に国民を儲[もう]からせることはない。 h26.3.20
国民が自分でよく働くから儲かるのである。国民が儲かるか儲からないかは国民がよく働くか働かないかで決まるだけである。
政治機関は国民からお金をもらって国民を幸福にする国を作るだけであって、国を儲からせたりはしない。
ヨーロッパが儲かるのは、ヨーロッパ人がよく働くからである。ヨーロッパ人が頭で考えて眼で見て手足をよく動かして物をたくさん作るからヨーロッパに物がいっぱいあってヨーロッパが豊かなのである。政府は国民からお金をもらって国家宗教や国民虐[いじ]めをやって国民を幸福にするだけであって国民を儲からせたりはしない。
反対に、日本が儲からないのは、日本人があまり働かないからである。日本人が頭で考えず眼で見ず手足を動かさず物をあまり作らないので日本には物が少なくて日本が貧しいのである。政府は国民からお金をもらって国家宗教や国民虐めをやって国民を不幸にするだけであって、国民を儲からせたりはしない。
ヨーロッパが裕福なのはヨーロッパが資源が豊かでヨーロッパ人がよく働くからである。
反対に、日本が貧乏なのは日本が資源が少なくて日本人があまり働かないからである。
国民がよく働けば国は豊かであり、国民があまり働かなければ国は貧しい。国民が豊かであるか貧しいかは、国民自身がよく働くか働かないかで決まる。私が頭で考えて手を動かして作文を書くのと同じことである。私がよく考えてよく手を動かせば作文がたくさん書けて、私があまり考えずあまり手を動かさなければ作文が書けないのと同じことである。
政治機関は国民からお金をもらって国を作るだけである。政治機関が国民を幸福にする国を作れば、国民がやる気が出てよく働き、政治機関が国民を不幸にする国を作れば、国民がやる気が出ずあまり働かない。
ヨーロッパ政府はヨーロッパ人が喜ぶ国を作るからヨーロッパ人が幸せになってやる気が出てよく働いて国が豊かになるのである。ヨーロッパ政府はヨーロッパ人の豊かさに拍車を掛けている。
反対に、日本政府は日本人が嫌がる国を作るから日本人が不幸になってやる気が失せて働かなくなって国が貧しくなるのである。日本政府は日本人の貧しさに拍車を掛けている。
私が子供の頃(1980年頃)はまだ江戸時代が残っていて政府が知覚主義で国を作っていたから国民は面白いことがたくさんあって幸福だった。しかし、最近は政府は本格的に五感主義で国を作るようになったから国民は面白いことがなくなって不幸になっているのである。
このまま日本に政府を置いておくと、日本人が不幸になって日本人がやる気が出なくなって日本人が働かなくなって日本がますます貧しくなる。だから、早く日本から政府をなくして、日本人に幸福をもたらす知覚主義の政治機関を建てねばならない。
政治機関は国民からお金をもらって国民にとって幸福な国を作る会社である。ところが今の日本政府は国民にとって幸福な国を作っていない。政府は国民からお金をもらう資格はない。だから、国民は政府にお金(税金)をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の政府は国民が政府を除[の]けないという理由で我が物顔で五感主義の国を作っている。今の国民は政府に面白くない国を作られて毎日ゲロゲロな思いをしている。今の国民に政府を除けてはいけない理由はない。だから、国民は自分と政府が平等だと考えて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。

[20430] 国民が知覚主義をやれば政府に従わなくていい。☆ h26.3.20
昔は国民が五感主義をやっていた。五感主義の世界では政府が上の者であって国民を好き放題にできた。昔の国民は「政府が上の者だから政府に逆らったら死刑にされる」と思っていた。そのため、昔の国民は死に物狂いで血眼[ちまなこ]になって政府に従っていた。
しかし、今は国民が知覚主義をやっている。知覚主義の世界では人間はみな平等である。今の国民は『自分と政治機関が平等だから政府に従わなくていい』と考えている。
しかも、政府は五感主義の政治機関である。今の国民と政府は主義が違う。今の国民にとって政府は不幸な国を作るだけである。だから、国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
つまり、国民が五感主義をやるから政府に従わねばならなくなる。国民が知覚主義をやれば政府に従わなくていい。国民の採[と]る主義によって、政府は上の者になったり平等になったりする。
今の国民は自分で知覚主義をやって、自分の周[まわ]りに知覚主義の世界を発生させて政府を自分と平等な者にして政府に従わなければいいのである。政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。

[20431] ヨーロッパ人はどうして科学が強いのか? h26.3.20
ヨーロッパ人は生まれつき大脳の五感野が発達している。ヨーロッパ人には「眼で見る才能」がある。だから、ヨーロッパ人は眼で見えることへの関心が強い。そういう文化的背景のある中に頭のいい天才が現れるから、天才が実在について考えるのでヨーロッパ人は科学が強いのである。
反対に、日本人は生まれつき大脳の知覚野が発達している代わりに五感野が未熟である。日本人には『頭で考える才能』がある代わりに「眼で見る才能」がない。だから、日本人は眼で見えることに関心がない。しかも、天才が現れないから、日本人は科学が弱いのである。
だから、日本は昔からヨーロッパの科学のお世話になってきたのである。日本人はヨーロッパの科学を利用して幸福に暮らしてきたのである。
日本人は眼で見る喜びが弱く頭で考える喜びが強い。そのため、これまで日本人は頭で考える喜びを満足する多くの物を作ってきた。文学を作ってきた。しかし、ヨーロッパ人には頭で考える喜びがないから日本人が作った物は役に立たないだろう。ヨーロッパ人には日本人の絵や彫刻品しかわからないだろう。
ヨーロッパは五感主義の国だから科学の国である。日本は知覚主義の国だから文学の国である。日本人が科学をやると文学的になる。日本人は知覚界の中で科学をやる。つまり、日本人は言葉で科学をする。日本人は自分の頭で考えたことを眼で見える物に当てはめて物を見る。日本人はけっして知覚界の中から外に出ない。日本人は眼で見える物にはこだわらないから、物を理解しただけで満足するのである。

[20432] 日本政府は日本国民にとって面白くない国を作っている。 h26.3.20
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
五感主義では眼で見る喜びだけあって頭で考える喜びがない。
だから、政府は眼で見る喜びだけあって頭で考える喜びのない国を作っている。
ヨーロッパ人は眼で見る喜びだけあって頭で考える喜びがないからそれで満足である。
しかし、日本人は反対に頭で考える喜びだけあって眼で見る喜びがないからそれでは不満である。
日本政府は日本人にとって面白くない国を作っている。
だから、日本国民は日本政府を倒さねばならない。日本国民は日本政府にお金をやらないようにして日本政府を倒さねばならない。日本人のセンスに合った国を作る政治機関を建てて国を作ってもらわねばならない。

[20433] 警察は何も仕事をしないわけではない。 h26.3.20
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
五感主義では法律や道徳を守らず自分の心のままに好き放題にやれる。むしろ、好き放題にやらねばならない。みんなが悪いことをしないといけない。
だから、政府は法律や道徳のない自分の好き放題にやれる国を作っている。
だから、政府の警察は実際には仕事をしていない。政府の警察はただ建っているだけで犯罪者の取り締[し]りをやっていない。犯罪者を放置している。犯罪を見て見ぬふりをしている。テレビの刑事ドラマの警察は嘘[うそ]の作り事である。
一方、知覚主義では法律や道徳を守って自分の心を抑えてまじめにしないといけない。
知覚主義の政治機関は法律や道徳のある国を作る。
だから、知覚主義の政治機関の警察は仕事をする。知覚主義の政治機関の警察は実際に犯罪者の取り締まりや犯罪の発生を抑える取り組みをする。
だから、政府の警察がいくら何もせずに遊んでいるからといって、警察そのものを何もしない組織だと決め付けてはいけない。本来は警察は仕事をするのである。政治機関によっては警察は仕事をするのである。だから、国民は警察をバカにしてはいけない。

[20434] 国民みんなが政治機関を決める。 h26.3.20
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
昔は国民みんなが五感主義をやっていた。だから、国民みんなが政府にお金をやって五感主義の国を作らせていた。国民みんなが政府にお金をやってみんなが法律や道徳を守らず、みんなが神に従って、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められる国にしてもらっていた。
しかし、今は国民みんなが知覚主義をやっている。だから、国民みんなが政府にお金をやらず五感主義の国を作らせてはいけない。国民みんなで知覚主義をやって、法律や道徳を守って、神に従わず、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められないようにしなければならない。政府は五感主義の国を作っている。だから、国民みんなで政府にお金をやらず政府を倒さねばならない。政府の代わりに知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の国を作ってもらわなければならない。
政治機関は国民が自分にとって幸福な国を作らせるためにある。だから、国民が自分に合った政治機関を選ばねばならない。国民は自分に合った政治機関を建てて、自分に合わない政治機関を潰[つぶ]さねばならない。

[20435] 政治機関は国民を儲[もう]からせてはくれない。☆☆ h26.3.20
国民がお金持ちになるためには、国民が自分で物をたくさん作って物をたくさん売るしかない。
日本は明治維新以降に産業の近代化によって人手による生産から動力を利用した大量生産ができるようになって生産能力を増したので物がたくさん作れるようになって物が豊かになったのである。物がたくさん作れるようになったのでみんなに物をたくさん売ってお金持ちになったのである。けっして政府のおかげで物が豊かになったのでもお金持ちになったのでもない。当時の国民みんなが五感主義をやっていて、五感主義の世界では政府が上の者なので、政府は国民みんなに命令して国民みんなが産業革命で儲けたお金を横取りしていただけである。
国民の豊かさは国民の生産能力で決まるだけである。政府は政治機関である。政治機関は国民からお金をもらって国民が幸福に暮らせる国を作るだけである。政治機関は国民の生産能力を高める団体ではない。政治機関は国民をお金持ちにする団体ではない。政治機関があってもなくても国民の豊かさに変わりはない。
だからこそ、政治機関は国民を幸福にする国を作らねばならない。日本人は頭で考える喜びが強い。ところが、政府は五感主義の政治機関だから、政府は頭で考える喜びのない国を作っている。政府は日本人にとって喜びのない国を作っている。日本人にとっては政府は政治機関に向いていない。今の国民は頭で考える喜びに飢えている。だから、日本人は早く政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てて“頭で考える喜びのある国”にしないといけない。日本を日本人にとって幸福な国にしないといけない。

[20436] 今の国民は自分にとって幸福な国を作っている。☆ h26.3.21
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
政府は国家宗教や国民虐[いじ]めや馬鹿を有利にする国を作る団体である。
五感主義では嘘[うそ]をつくから、政府はテレビや新聞で嘘をついて自分が国民の役に立つことをしているふりをしている。政府は民主主義の政治をしているふりをしている。
政府は裏表のある政治団体である。ヨーロッパではみんなが裏表があるので政府も裏表があるのである。
昔の国民は「ヨーロッパ人を真似[まね]れば自分が幸福になれる」と思って五感主義をやっていたから、政府がヨーロッパと同じ国を作っていると思って、政府に税金をやって国を作らせていた。
今の国民は『日本人にとって幸福な国にしなければならない』と思って知覚主義をやっているから、政府が日本人を幸福にしない国を作っていると考えて、政府に税金をやらず国を作らせなくなった。
ヨーロッパ人と日本人では心が違うから、日本人がいくらヨーロッパ人を真似ても幸福にはなれない。日本人はさっさとヨーロッパ人の真似をやめて、自分の心を満足する国にすればいいのである。
いくら日本人がヨーロッパ文化を受け入れるといっても、日本人がヨーロッパ人になれるわけではない。日本人は日本人でしかない。だから、日本人は日本人にとって幸福なことだけを取り入れて不幸なことを取り入れなければいいのである。
テレビ番組だって誰でも自分にとって好きな番組だけ見て嫌いな番組を見ないようにしている。だから、外国の文化も日本人にとって好きなことだけ受け入れて嫌いなことは受け入れないようにしなければならない。
政府は五感主義の国を作る団体である。近代の国民は自分が五感主義をやってみてはたして自分が幸福になるかどうかしばらく様子を見るために、政府に税金をやって国を作らせていた。現代の国民は自分が五感主義をやっても幸福にならないことがわかったから、政府が要らないと思って政府に税金をやらなくなって政府を捨てているのである。近代の日本人は中世と同じまちがいを犯している。日本人は物わかりが悪い。日本人が幸福になれないのは自分の心を知り自分の心を満足していないからである。日本人がヨーロッパ人と同じことをやっていないからではない。ヨーロッパ人が世界で一番幸せなのはヨーロッパ人の心を満足しているからである。ヨーロッパ人は自分の幸せにうるさいので、自分の心をよく知り自分の心をよく満足しているのである。ヨーロッパ人はたとえ自分の心がどんなに悪くて汚くても恥ずかしがらずに満足しているのである。ヨーロッパ人はみっともないのに法律を犯したり神に従ったり政府に虐[いじ]められたりして喜んでいるのである。だから、ヨーロッパ人は幸福なのである。ところが、日本人とヨーロッパ人は心が違う。だから、日本人がヨーロッパ人と同じことをしても幸福にはなれない。日本人が幸福になるためには日本人の心を満足しなければならない。日本人はヨーロッパ人の真似をする暇があったら、自分の心をよく知って自分の心を満足しなければならない。

[20437] 今の国民は知覚主義を支持している。 h26.3.21
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。政府は法律や道徳のない、神がいる、政府や宗教団体や暴力団が上の者であり国民を自分の好き放題にする国を作っている。
ところが、今の国民は五感主義をやっていない。今の国民は法律や道徳を守って、神がいないと思って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従っていない。だから、今の国民は五感主義をやっていない。今の国民は知覚主義をやっている。昔の国民はヨーロッパ人を真似[まね]て生きていたが、今の国民は自分の心を満足して生きていくことに方向転換したのである。日本人がヨーロッパ人を真似ても幸福にはなれないので、日本人は日本人にとって幸福な生き方をすることに変えたのである。
だから、今の国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。政府に国民の怖さを教えてやればいいのである。日本の政治機関を政府から知覚主義の政治機関に入れ替えればいいのである。

[20438] どうして今の国民は政府に関心がないのか? h26.3.21
今では国民みんなが知覚主義をやっている。五感主義をやっている者はみんなに犯罪者だと思われて警察に捕まる。
今では国民みんなが知覚主義をやっているから、政府が五感主義の国を作ってもほとんど効[き]かない。今では国民みんなが知覚主義をやっているから、日本は知覚主義の国であり、政府があってもなくてもほとんど同じである。今では国民みんなが自主的にちゃんと法律を守っているから、たとえ政府がみんなが法律を守らなくてもいいことにしても、国民みんなはちゃんと法律を守るのである。今では政府が馬鹿みたいに自分ひとりで法律を破って好き勝手なことをやっているだけである。
今では国民みんなが知覚主義をやっているから、政府があってもなくてもほとんど変わらない。だから、今の国民は政府に関心がないのである。
国は国民が決めるのであって、政治機関が決めるのではない。国の9割は国民が決める。残りの1割は政治機関が決める。国民にとっては自分の主義が大事なだけであって、政治機関なんか最初からどうでもいいのである。
今では政府がまじめに健気[けなげ]に自分の仕事をやって国民と反対の国を作っている。政府は国民みんなから孤立している。しかも、国民みんなは政府を無視して政府を潰[つぶ]そうともしない。今の政府は国民から税金をもらってひとりでさびしく国民と反対の国を作っている。そのうち政府はいたたまれなくなって『自分は五感主義の政治機関だ。自分が悪かった。』と国民みんなに謝[あやま]って自分から潰れてなくなるだろう。

[20439] 日本では知覚主義が当たり前である。 h26.3.21
昔のヨーロッパでは五感に根ざして学問をやっていた。しかし、近代になってベーコンやデカルトが知覚に根ざして学問をやるように変えた。ベーコンは知覚主義の政治機関を考えた。だから、『新機関』と言うのである。日本の幕府と同じものである。ベーコンはイギリス政府に睨[にら]まれて一生の大半を牢屋の中で暮らしたが、ベーコンの計画は地球の反対側の日本で実現したのである。
ヨーロッパでは知覚に根ざして考えることは大変な革命だったのだが、日本では大昔からみんなが知覚に根ざして考えている。日本ではむしろ知覚に根ざして考えるほうが当たり前である。日本人は五感に根ざして考えたりできない。日本人は自分の頭の中で物の実体を考えて、それを眼で見える物に当てはめて物を見る。日本人は五感よりも知覚が発達しているので、いやがうえにも知覚で考えざるを得ないのである。
日本ではときどき大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を取り入れることに乗じて“五感主義の政治団体”(政府のこと)がいっとき国民の支持を得て権勢を振るうだけである。しかし、すぐに国民がヨーロッパ文化に飽きてもとの自分の知覚主義に戻って五感主義の政治団体はみんなの支持を失って弱くなって滅びる。
日本人は自分の心で外国の文化を取捨選択して日本人にとって幸福な国を作ればいい。政府は日本人が嫌いな五感主義の国を作る団体である。国民は政府の命令を聞かないようにして、自分で考えて自分にとって幸福な国にすればいいのである。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。国民は自分にとって幸福な国を作ってくれる知覚主義の政治機関を建ててお金をやって国を作ってもらえばいいのである。

[20440] 政府は落ちこぼれ馬鹿の会である。☆ h26.3.21
政府は日本人の中の五感主義の者が集まって作った団体である。政府は日本人の中の頭で考えることが嫌いな頭の悪い馬鹿が集まって作った団体である。政府は落ちこぼれ馬鹿の会である。しかし、日本人のほとんどは“眼が悪くて頭がいい人間”である。日本人のほとんどは知覚主義である。日本においては政府はマイナーである。例外者である。政府はできれば日本人全員をヨーロッパ人みたいな“眼がいいだけで頭が悪い人間”に変えようと企[たくら]んでいる。しかし、それは無理な相談である。実現できない夢である。それに、日本人がヨーロッパ人と同じになってもしかたがない。実際には、政府は日本人を不愉快[ふゆかい]な不幸な目にあわせて嫌がらせているだけである。日本に政府があってもしかたがない。だから、国民みんなでさっさと国民を嫌がらせて不幸にする政府を倒して政府をなくせばいいのである。
政府はヨーロッパブームに乗じてこれまで自分がみんなに馬鹿呼ばわりされて軽蔑されて仲間はずれにされて虐められた仕返しをするために、自分でみんなを国家宗教で虐[いじ]めたり、宗教団体や暴力団を設けてみんなを虐めさせたり、頭で考える喜びのない国にしてみんなの喜びをなくしてみんなを虐めているのである。そもそも日本に馬鹿がいるのがいけないのである。『馬鹿は死ななきゃ直らない。』国民みんなで早く政府を倒して、馬鹿のいない国にしないといけない。
政府は五感主義の国を作る団体というよりもむしろただの馬鹿の集まりである。政府はこれまで自分がみんなに馬鹿だと言われて虐められた仕返しをするために、みんなを虐めているだけである。政府はヨーロッパブームのドサクサに紛[まぎ]れてみんなに復讐する会である。そもそも知覚主義の国に馬鹿が住んでいるのがいけないのである。馬鹿は自分の国に帰れ。政府は自分の馬鹿さを呪[のろ]ってさっさと自分で消えてなくなれ。日本から馬鹿を皆殺しにしろ(本音[ほんね])。

[20441] 日本は大勢の利口と少数の馬鹿から成る国である。 h26.3.21
日本ではほとんどの者は“頭がよくて眼が悪い利口”だが、一部の者は“眼がよくて頭が悪い馬鹿”である。日本も2種類の人間から成っている。ヨーロッパでは大勢が馬鹿で少数が利口だが、日本では反対に大勢が利口で少数が馬鹿である。
政府は五感主義の国を作る政治機関である。政府は馬鹿が幸福で利口が不幸な国を作る団体である。
日本では普通の時代にはみんなが知覚主義をやっていて知覚主義の国である。みんなが知覚主義の政治機関に知覚主義の国を作らせている。そのため、大勢の利口は幸福に暮らしている。反対に、少数の馬鹿は不幸に暮らしている。
近代になってみんながヨーロッパ文化を取り入れるようになったとき、政府はヨーロッパが馬鹿の国であることを利用してみんなを仕切って日本を五感主義の国にして、馬鹿を幸福にして利口を不幸にするようになった。
しかし、今ではヨーロッパ文化の取り入れがすんで、みんながもとの知覚主義に戻って日本を知覚主義の国にしている。大勢の利口が政府を政治機関にするのが嫌になって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。少数の馬鹿は泣いている。
日本はもともと利口の国である。大勢が利口で少数が馬鹿である。政府が日本を仕切ると大勢の者が面白くない思いをする。知覚主義の政治機関が日本を仕切ると大勢の者が幸福な思いをする。国は大勢の者のためにある。日本では利口が幸福で、馬鹿が不幸であればいい。早く国民みんなで政府を潰[つぶ]して、知覚主義の政治機関を建てて、利口にとって幸福な馬鹿にとって不幸な国にすればいい。
ヨーロッパで利口が例外者であるように、日本では馬鹿は例外者である。ヨーロッパで頭のいいユダヤ人を特別扱いしているように、日本でも馬鹿の集団に名前を付けて特別扱いしたほうがいい。


[20442] 政府は泡沫[うたかた]の政治機関である。☆ h26.3.21
日本人は2種類の人間から成る。大勢の利口と少数の馬鹿から成る。
日本では通常の時代には、みんなが知覚主義をやっている。そういう時代には知覚主義の政治団体が知覚主義の国を作って、利口が幸福で馬鹿が不幸である。知覚主義の政治機関が知覚主義の政治機関にとって幸福な国にしている。
しかし、日本が大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を受け入れるような特別な時代には、みんなが祭りのつもりで五感主義をやる。そういう時代には政府が五感主義の国を作って、利口が不幸で馬鹿が幸福である。政府が政府自身にとって幸福な国にしている。
政府は日本が大々的にヨーロッパ文化を受け入れるときにできる臨時の政治機関である。政府は泡沫[うたかた]の政治機関である。日本は普通の時代には知覚主義の政治機関が建って国を作っている。
今の日本は特別な時代が終わって通常の時代に戻っている。みんなが五感主義をやめて知覚主義に戻っている。私は遅いのが嫌いである。みんながさっさと政府に税金を払うのをやめて政府を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。
そもそも国に2種類の違う人間がいるのがいけない。ひとつの国に2種類の人間がいるからいつも不幸になる者がいるのである。少数派が不幸に暮らさねばならないのである。だから、国を2つに分ければいい。知覚主義の国と五感主義の国に分ければいい。そうすれば、みんなが幸福に暮らせるだろう。

[20443] 中世は幕府の時代だった。 h26.3.21
日本は大勢の利口と少数の馬鹿から成る国である。だから、日本では普通は知覚主義の時代である。日本が大々的にヨーロッパ文化を受け入れている間だけ五感主義の時代である。日本では昔から大々的にヨーロッパ文化を受け入れるときには、みんながお祝いか何かのつもりで五感主義をやることに決まっている。そういう時代には特別に馬鹿が幸福で、利口が不幸である。
だから、政府の時代は短い。それ以外はすべて知覚主義の政治機関の時代である。
日本が大々的にヨーロッパの文化を受け入れていたのは古代と近代だけである。だから、古代と近代だけが政府の時代である。それ以外の長い時代はすべて幕府の時代だったのである。
だから、『二条河原の落書[らくしょ]』はでっち上げである。「中世最高の史料」と言われているから嘘[うそ]である。本当は中世はみんなが法律や道徳を守ってみんなが平等に平和に暮らしているいい時代だったのである。中世には本当は政府は滅んでこの世にはなかったのである。
今では日本が大々的にヨーロッパ文化を受け入れる時代が終わっている。そのため、今ではみんなが五感主義をやめて知覚主義に戻っている。だから、みんなで政府を倒してもとの知覚主義の政治機関を建てねばならない。
いちいち日本が大々的にヨーロッパの文化を受け入れるたびに日本人みんなが五感主義をやったり政治機関を建て替えたりするのは面倒臭い。今後は日本ではヨーロッパの科学を受け入れるだけにして五感主義は絶対にやらないようにしよう。

[20444] 昔の人はユニークな考えをしていた。 h26.3.21
日本が第二次世界大戦をやったのは、当時の日本人みんなが「外人は動物や鬼だ」と思っていたからである。「戦争はこの世で最高の娯楽だ」と思っていたからである。
しかし、今では日本人みんなが『外人も自分と同じ人間だ』と考えて『戦争は醜い争いだ』と考えて、戦争をやらなくなった。
それと同じように、日本が文明開化のときに五感主義をやったのは、当時の日本人みんなが「外国の文化を大々的[だいだいてき]に受け入れるときには丸ごと全部受け入れねばならない」と思っていたからである。
しかし、今では日本人みんなが『外国の文化を受け入れるときには自分にとって幸福なことだけを受け入れて、不幸なことを受け入れなければいい』と考えている。
今度からは、そうしよう。
昔は科学がなかったからみんなが現実離れしたヘンテコなことばかり考えていた。そのために、みんなが余計なことやまちがったことばかりやっていた。今は科学があるからみんなが当たり前のことしか考えなくなっている。だから、最近は面白いことがなくなったのだ。

[20445] 政府は日本人に適していない政治機関である。 h26.3.21
今は科学の時代だから合理的に考えたらいい。
日本人は頭で考えるのが好きだから知覚主義である。日本人は法律や道徳を守って、神がいない、政治機関や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わない、頭で考えるのが好きである。
一方、政府は五感主義の政治機関である。政府は頭で考えるのが嫌いな人間が喜ぶ国を作る。政府は法律や道徳のない、神がいる、政府や宗教団体や暴力団が上の者で国民を好き放題にして虐[いじ]める、眼で見るだけで考える喜びのない国を作る。[私が子供の頃に読んだ小学館の『こども百科事典』は眼で見て頭で考えるように書かれていたが、最近の図鑑は眼で見るだけで頭で考えないように書かれている。]
だから、日本人には政府は向いていない。政府は日本人に適さない政治機関である。
したがって、日本人は政府を倒せばいい。国民と政府は平等だから、国民は政府に税金を払わないようにして政府に国を作ってもらわないようにして政府を倒せばいいのである。
日本人はさっさと知覚主義の政治機関(つまり警察や学校)にお金をやって仕事をしてもらえばいいのである。

[20446] 今の国民は知覚主義をやっているのなら、ちゃんと知覚主義をせよ。 h26.3.21
近代の国民は五感主義をやっていた。昔の国民は自主的に法律や道徳を破って、神がいると思って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められていた。昔の国民は五感主義の政治機関である政府を建てて、政府にお金(税金)をやって五感主義の国を作らせていた。
今の国民は知覚主義をやっている。今の国民は自主的に法律や道徳を守って、神がいないと思って、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わなくなって従わなくなって虐められなくなっている。今の国民は五感主義の政治機関である政府が要らなくなったので、政府にお金をやらなくなって国を作らせなくなった。
五感主義の国ではみんなが毎日悪いことをして、善いことをした人がテレビや新聞で報道されて警察に捕まって罰せられる。しかし、今の日本では悪いことをした人がテレビや新聞で報道されて警察に捕まって罰せられている。だから、今の日本は知覚主義の国である。
国民が国を決める。国民が自分の主義に応じた国を作る。今の国民は知覚主義をやっているから、政府のような五感主義の政治機関は国にあってはいけない。早く国民で政府を倒して、知覚主義の政治機関に建て替えねばならない。
今の国民は知覚主義をやっている。政府は五感主義の国を作っているから、今の国民が政府に従うことは矛盾していることになる。矛盾した態度は吐き気がするからやってはいけない。お店で消費税を払うのは断るのが面倒臭いからしかたがないが、自分に税金を払うか払わないか選択する余地のある場合にはことごとく政府に税金を払ってはいけない。
国民が幸福に暮らす国にするためには、国民が自分の心にとって幸福である物を国に取り入れて、自分の心にとって不幸な物を国から排除すればいい。政府は五感主義の国を作る団体だから、政府は国民にとって不幸な国を作る団体だから、政府は国民の心にとって不幸な物だから、国民は政府を国から排除すればいい。国民は政府に税金を払わず政府を国からなくせばいい。
人間は自分の本心を大事にすれば幸福になる。反対に、眼先の幸福にとらわれて自分の本心を踏みにじれば不幸になる。人間が幸福になるためには眼先の幸福よりも自分の本心を肯定しなければならない。知覚主義が日本人の心である。日本人が幸福になるためには政府を倒すしかないのである。

[20447] 国民が自分で自分にとって幸福な国にしなければならない。 h26.3.21
国は国民で作るものである。政治機関は国民の国作りの手助けをする団体である。政治機関を拾うも捨てるも国民の自由である。
昔の国民は五感主義をやっていたから、自分自身で五感主義をやって、さらに五感主義の政治機関である政府を建てて五感主義の国を作らせていた。[日本人はもともと顔が怖いから、日本人が五感主義をやると相当怖いだろう。]
ところが、今の国民は五感主義をやめて知覚主義に変わった。日本人にとっては知覚主義が幸福だから知覚主義に変わった。今の国民は知覚主義をやっているから、自分自身で知覚主義をやって、さらに五感主義の政治機関である政府を潰[つぶ]して五感主義の国を作らせないようにしている。そのうちいい知覚主義の政治団体が現れたら自由に契約してお金をやって国を作ってもらえばいい。
昔の国民はまちがった考えにとらわれて自分にとって不幸な国を作っていた。昔の国民はわざわざ自分で自分を不幸にしていた。
人間にとっては自分が幸福に暮らすことが一番大事である。今の国民は正しく考えて自分にとって幸福な国にしないといけない。自分で考えたり他人から学んだりして自分にとって幸福な国にしなければならない。眼先にとらわれたり他人のまちがいを鵜呑[うの]みにしたりして自分にとって不幸な国にしてはいけない。
政治団体はすぐに出来ないしすぐに潰れない。政治団体は大きいからゆっくり変わる。だから、今でも政府があるからといって、国民が五感主義をやっているわけではない。今の国民が政府を潰しにかかっていても政府が潰れるまでにはしばらく時間がかかる。国民は眼先にとらわれずに気長に構えて自分にとって幸福な国にすればいいのである。国民の考えが正しければきっと幸福な国になるだろう。
国民は図体[ずうたい]がでかいだけで馬鹿である。つまり、国民は人数が多いだけで考えが正しくない。今の国民は『自分が知覚主義をやればいい』ことまではわかっているが、『政府が五感主義の政治団体である』ことまではわかっていない。そのために、今でも多くの国民が「政府が民主主義の政治機関だ」と思って政府を支持して政府に税金を払って政府の命令を聞いている。今の国民は自分の敵にせっせとお金を貢[みつ]いでいる。(今の私にはお金がない。政府にお金をやるよりも私にお金をくれたほうが国民が幸福になれると思うのだが。)一体いつになれば、国民は本当に幸福になれるのだろうか?

[20448] 政府は嘘[うそ]つきである。 h26.3.22
政府は五感主義の政治機関である。五感主義では嘘がつける。だから、政府は国民に嘘をつく。
政府は嘘をついて納税の義務があると言ったり、自分が民主主義の政治機関だと言ったりする。
しかし、本当は納税の義務はない。政府は政治機関である。国民と政治機関は平等であり、国民が政治機関にお金を払って国を作ってもらうか、お金を払わず国を作ってもらわないかは国民の自由である。
政府は本当は五感主義の政治機関である。
一方、今の国民は知覚主義である。政府は今の国民と違う主義の国を作っている。政府は今の国民にとって不幸な国を作っている。だから、今の国民は政府に税金を払わず国を作ってもらわなければいい。
今の国民が政府に税金を払わないのは正しいことである。だから、政府は国民が政府に税金を払わなくても国民に文句を言えない。だから、国民は正々堂々と胸を張って政府に税金を払わなければいいのである。

[20449] 国は大勢の者のためにある。☆ h26.3.22
日本は多数の利口と少数の馬鹿から成る国である。日本人の多くが頭で考えることが好きであり、頭で考えるのが嫌いな者は少数である。
近代の日本ではみんなが「ヨーロッパを真似[まね]れば幸福になる」と考えたり「外国の文化を受け入れるときには丸ごと全部受け入れねばならない」と考えたりして、みんなが五感主義をやっていた。みんなが政府(五感主義の政治機関)を建てて五感主義の国を作らせていた。そういう時代には、少数の馬鹿が有利で多数の利口が不利だった。少数の馬鹿が幸福で多数の利口が不幸だった。
今の現代の日本ではみんなが『自分自身の心を満足すれば幸福になれる』と考えたり『外国の文化を受け入れるときには自分にとって幸福なことだけ受け入れて、自分にとって不幸なことを受け入れてはいけない』と考えたりして、みんなが知覚主義をやっている。みんなが政府を壊して五感主義の国を作らせないようにしている。そういう時代には、多数の利口が有利で少数の馬鹿が不利である。多数の利口が幸福で少数の馬鹿が不幸である。
今は知覚主義の時代である。今では国民みんなが知覚主義をやっているから国民の多くが幸福に暮らしている。政府は昔の五感主義の政治機関である。政府は国民の多くにとって不利な不幸な国を作る。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。問答無用で政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。その後で、国民みんなで知覚主義の政治機関を建てて国を作ってもらわねばならない。

[20450] ヨーロッパ人と日本人は脳が違う。 h26.3.22
五感主義とは眼で見るだけで頭で考えない主義である。五感主義では頭で考えないから、法律や道徳がないと思って法律や道徳を守らないし、不思議なことを起こした者を神(超能力者)だと思っているし、眼で見たまま「偉そうにする者を上の者だ」と思って「自分が上の者に従わねばならない」と思って政治機関や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められている。
知覚主義とは眼で見て頭で考える主義である。知覚主義では頭で考えるから、『人間がみな平等だ』と考えて法律や道徳があると思って法律や道徳を守るし、『自分には理解できない現象がある』と考えて不思議なことを起こした者を神だと思わないし、『人間がみな平等だ』と考えて「偉そうにする者を上の者だ」と思わず政治機関や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わず虐められない。
ヨーロッパは馬鹿が多くて利口が少ないから五感主義の国である。ヨーロッパ人の多くは大脳の五感野が広くて発達しているぶん知覚野が狭くて未熟であり、眼で見る才能があるぶん頭で考える才能がなく、眼(視覚)がいいだけで頭が悪い馬鹿なのである。ヨーロッパ人は眼で見る才能が発達しているから、ヨーロッパの町並みは異様に綺麗[きれい]なのである。
日本は利口が多くて馬鹿が少ないから知覚主義の国である。日本人の多くは大脳の知覚野が広くて発達しているぶん五感野が狭くて未熟であり、頭で考える才能があるぶん眼で見る才能がなく、頭がいいが眼が悪い利口なのである。日本人は頭で考える才能が発達しているから、日本には小説やマンガなどの面白い読み物がたくさんあるのである。
ヨーロッパ人と日本人では人種が違うから脳も違う。ヨーロッパ人と日本人では脳が違うから幸福と不幸が反対である。ヨーロッパ人は法律を破ったり神がいると信じたり上の者に従うのが幸福である。日本人は法律を守ったり神がいないと思ったり上の者に従わないのが幸福である。だから、日本人はヨーロッパ文化をそのまま真似[まね]てはいけないし、ヨーロッパ人も日本文化をそのまま真似てはいけない。
ヨーロッパでは国民みんなが五感主義をやって、政治機関が五感主義の国を作って国民みんなを幸福にしている。日本では国民みんなが知覚主義をやって、政治機関が知覚主義の国を作って国民みんなを幸福にしている。ただし、日本が大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を取り入れている時代には、みんながいっとき五感主義をやって、政治機関(政府)が五感主義の国を作って国民みんなを不幸にしている。
今の日本ではみんなが知覚主義をやっている。それなのに、昔の政府が残っていまだに五感主義の国を作っている。今ではみんなは知覚主義をやっているから、政府の五感主義の国を作る命令を聞いてはいけない。政府は昔の五感主義の時代にあった政治機関だから、国民みんなは早く政府に税金を払うのをやめて政府を葬[ほうむ]らねばならない。知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の政治機関に国を作ってもらわなければならない。
政府は近代の国民が「ヨーロッパを真似れば幸福になれる」とか「ヨーロッパ文化を受け入れる時には丸ごと全部受け入れねばならない」とまちがって考えていたために出来た“本来日本にあってはいけない政治機関”である。政府は日本のオーパーツである。今の国民は『自分の心を満足すれば幸福になれる』とか『外国の文化を受け入れるときには自分にとって幸福なことだけ受け入れて、不幸なことを受け入れてはいけない』と正しく考えてさっさと政府を滅ぼさねばならない。
政府は五感主義の政治機関だから、五感主義の国を作るために自分が国民みんなを虐めたり宗教団体や暴力団を建てて国民みんなを虐めさせている。早く国民みんなで政府を倒して、政府や宗教団体や暴力団のない平和な国にしないといけない。

[20451] 今の国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくていい。 h26.3.22
昔の国民は五感主義をやっていた。五感主義の世界では政府や宗教団体や暴力団が上の者であり、みんなが政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかった。だから、昔の国民は政府や宗教団体や暴力団に従っていた。
今の国民は知覚主義をやっている。知覚主義の世界では政府や宗教団体や暴力団は国民と平等であり、みんなが政府や宗教団体や暴力団に従わなくていい。だから、今の国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくていいのである。
昔の国民は文明開化のせいでヨーロッパを真似[まね]てしばらく五感主義をやっていたから、政府や宗教団体や暴力団に従っていた。虐[いじ]められてもおとなしくしていた。
今の国民は五感主義をやめてもとの知覚主義に戻っているから、政府や宗教団体や暴力団に従わなくていい。虐められたら数倍にして仕返しすればいい。
昔の国民は自分で五感主義をやっていたから政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかったのである。
今の国民は自分で五感主義をやめて知覚主義をやっているから政府や宗教団体や暴力団に従わなくていいのである。

[20452] 日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。☆ h26.3.22
日本人の多数は利口で少数は馬鹿である。日本は知覚主義の国である。
だから、本来日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。
日本が大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を取り入れたとき、いっときの間国民みんなが五感主義をやって日本の政治機関が五感主義の政治機関である政府に変わるだけである。
しかし、今の国民は五感主義をやめてもとの知覚主義に戻っている。だから、日本の政治機関も政府からもとの知覚主義の政治機関に戻すべきである。
日本人は知覚主義だから、政府は五感主義の政治機関だから日本人の感性に合わない国を作るから日本人を不幸にする。知覚主義の政治機関は日本人の感性に合った国を作るから日本人を幸福にする。
日本の政治機関はもともと知覚主義の政治機関である。政府はいっときだけの臨時の政治機関である。だから、国民みんなは早く政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]してもとの日本人に合った知覚主義の政治機関に直さねばならない。
日本は知覚主義の国である。ヨーロッパは五感主義の国である。日本とヨーロッパは主義が違う。みんなはそのことを忘れてはいけない。

[20453] 政府は国民がヨーロッパに熱狂しているときだけ出来る特別な政治機関である。 h26.3.23
日本は知覚主義の国である。日本は利口が多くて馬鹿が少ないから知覚主義の国である。
だから、日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。
政府のような五感主義の政治機関は日本にとっては例外的である。国民が大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を受け入れてヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっている間だけ出来る特別な政治機関である。
政府は五感主義の政治機関であり日本人の感性に合わない国を作って国民を不幸にするから、本来日本に政府があるのはまちがっていることである。
だから、国民がヨーロッパ熱が冷めて自分が五感主義をやめて政府が要らないと思ったら勝手に政府を除[の]ければいいのである。国民が自分の判断で政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
日本人がヨーロッパの五感主義を真似るのは日本人特有の病気である。日本人の悪い癖である。日本では昔から国民がヨーロッパ熱に罹[かか]っているときに五感主義をやって政府を建てて、ヨーロッパ熱が冷めたら五感主義をやめて政府を潰す習慣があるから、今の国民もそうすればいいのである。
日本人が外国の文化を丸ごと全部真似るのは自分を不幸にするだけで無駄[むだ]なことだから、今度からは国民は自分を幸福にすることだけを受け入れて、自分を不幸にすることを受け入れないようにしよう。国民は五感主義をやめて政府のような五感主義の政治機関を建てるのはやめよう。

[20454] 日本人はヨーロッパ人を真似[まね]ても幸福にはなれない。 h26.3.23
ヨーロッパは馬鹿が多くで利口が少ない国である。ヨーロッパは五感主義の国である。ヨーロッパ人のほとんどは大脳の五感野が広くて発達しているぶん知覚野が狭くて未熟である。つまり、ヨーロッパ人は眼(視覚)がいいだけで頭が悪い。ヨーロッパ人は眼で見る才能があるだけで頭で考える才能がない。ヨーロッパ人は眼で見る喜びがあるだけで頭で考える喜びがない。そのために、ヨーロッパでは町並みが綺麗[きれい]で美形な人が多いが、みんなが法律や道徳がわからず法律や道徳を守らないので大勢の人が不幸になっている。みんなが不思議なことを起こした者を神(超能力者)だと思って崇[あが]めている。みんなが政府や宗教団体や暴力団が偉そうにするのを見て上の者だと思って従って虐[いじ]められて嫌な思いをしている。ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が馬鹿なので、眼先の幸福があるだけでそれ以外は嫌なことばっかりである。
反対に、日本は利口が多くて馬鹿が少ない国である。日本は知覚主義の国である。日本人のほとんどは大脳の知覚野が広くて発達しているぶん五感野が狭くて未熟である。つまり、日本人は頭がよくて眼が悪い。日本人は眼で見る才能がないが頭で考える才能がある。日本人は眼で見る喜びがないが頭で考える喜びがある。そのために、日本では町並みがゴチャゴチャしていて汚くて不細工[ぶさいく]な人が多いが、みんなが法律や道徳がわかって法律や道徳を守って平和に幸福に暮らしている。みんなが不思議なことがあったとき頭で考えてその原因や理由を究明して神(超能力者)がいないと思っている。みんなが政府や宗教団体や暴力団が偉そうにしているのを見ても自分と平等だと考えて従わず虐められたらちゃんと仕返しをして怒りを静めている。日本人は眼が悪いが頭がいいので、眼先の幸福はないがそれ以外はいい所ばっかりである。日本はヨーロッパよりも科学が遅れているだけで、本当は日本のほうがヨーロッパよりも先進国なのである。日本人のほうがヨーロッパ人よりも利口である。利口が馬鹿を真似ても面白いことはない。日本人は利口すぎて眼で見えることに興味がないから科学をやらないのである。そこが日本人の欠点である。だから、そこをヨーロッパ人の科学で補えばいいのである。そうすれば、日本人はもっと幸福に生きていける。
日本人は頭で考える喜びはあるが眼で見る喜びがないので、日本人がいくら町並みを綺麗にしても人間を美形にしても日本人にとっては全然うれしくない。日本人にとっては法律や道徳を守ったり、神がいないと思ったり、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わないほうがよっぽどうれしい。日本人が形の上でヨーロッパ人を真似ても幸福にはなれない。無駄[むだ]な努力である。日本人は日本人自身の心を満足して幸福になるしかない。
そう考えて、今の国民は五感主義をやめてもとの知覚主義に戻っている。そのほうが日本人にとって幸福だからである。昔の国民が大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を受け入れることに気が動転して、いっとき我[われ]を忘れて五感主義をやって政府を建てていただけのことである。今でも政府は日本人を不愉快[ふゆかい]にする不幸にする五感主義の国を作り続けている。知覚主義の国には政府のような五感主義の政治機関があってはいけない。だから、国民みんなで早く政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、日本人に合った知覚主義の政治機関を建てればいいのである。

[20455] 国民が国を決める。☆ h26.3.23
昔の国民はヨーロッパを形の上で真似[まね]て五感主義をやっていたから、政府を置いてお金(税金)をやって五感主義の国を作らせていたのである。
今の国民は自分自身の本心を満足するために知覚主義をやっているから、政府を除[の]けてお金をやらないようにして五感主義の国を作らせなければいいのである。早く知覚主義の政治機関を建てて日本人にとって幸福な知覚主義の国を作ってもらえばいいのである。
国民が国をどうしようが国民の勝手である。国民が自分が好きなように国を作ればいいのである。国民が何でもかんでも好き放題にやっていいのである。政府は国民にとって余計な邪魔者[じゃまもの]だから、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
都市計画は建設業者がやっているし、国民を儲[もう]からせているのは国民自身である。国民が自分で法律や道徳を守って自分で勉強しているだけである。
政府は五感主義の国を作るために国家宗教や国民虐[いじ]めをやったり、馬鹿を利口よりも有利にしたり、国民の頭で考える喜びをなくしているだけである。
政府に国を作らせても国民にとって不幸な国になるだけである。政府はテレビや新聞の上で国民にオベンチャラを言って国民を煽[おだ]てて喜ばせるだけで、実際には国民を不幸にしている。だから、国民は早く政府を倒せばいいのである。
ヨーロッパではみんなが五感主義をやっているから、ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪いから、ヨーロッパ人の馬鹿さを利用して政府のような嫌な団体が出来てみんなを支配しているのである。政府が国のことをやって偉そうにしてみんなに上の者だと思わせてみんなを従わせてみんなから税金を取ってみんなを虐めているのである。
日本ではみんなが知覚主義をやっているから、日本人は眼は悪いが頭がいいから、日本には本来政府のような団体はない。日本にはせいぜい警察と学校があればいい。日本ではみんなが早く政府を倒して国から余計な者をなくさねばならない。
 
[20456] 政府は嫌な団体である。☆ h26.3.23
ヨーロッパ人にとっても政府は嫌な団体である。ただ、ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪いから、政府が国のことをやって偉そうにしているのを見て「政府が上の者だ」と思って政府に従って政府に税金を取られたり政府に国家宗教で虐[いじ]められたりしているのである。政府はヨーロッパ人の頭の悪さを利用して、馬鹿の「偉そうにする者に従う心理」を利用してヨーロッパ人を騙[だま]して儲[もう]ける団体なのである。ヨーロッパ人は頭が悪くて自分の頭で『政府と自分が平等だ』と考えられないために、しかたなく「政府を上の者だ」と思って政府に従わされて政府にお金を取られて虐められているのである。
日本人にとっても政府は嫌な団体である。明治時代の文明開化のときに国民がヨーロッパを真似[まね]ていっとき五感主義をやっていたときについでに政府もいっしょに出来ただけである。今の国民はもとの知覚主義に戻っている。もともと日本人は眼は悪いが頭がいいから、政府が国のことをやって偉そうにしているのを見ても『政府と自分が平等だ』と考えて、「政府が上の者だ」と思わず政府に従わず政府に税金を払わず政府に国家宗教で虐められたりしない。
今の日本では国民が知覚主義をやっている。知覚主義の国では政府が国民からお金を取って儲けられない。政府は滅ぶしかない。国民は警察と学校があればいい。早く国民みんなで政府を倒して、警察と学校を建てて、日本を日本人にとって幸福な国にしないといけない。
政府は馬鹿に集[たか]る団体である。ヨーロッパは国民が馬鹿だから政府のような汚い団体が湧[わ]く。日本は国民が頭がいいから日本には政府がない。日本は政府が出来ない国である。国民みんなでさっさと政府を倒して日本らしい知覚的に美しい国にしないといけない。

[20457] 政府は偉そうにして国民を騙[だま]して儲[もう]ける団体である。 h26.3.23
政府は馬鹿を騙して儲ける団体である。政府は人間の「偉そうにする者に従う心理」を利用して国のことをやって偉そうにして国民を従わせる団体である。
ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が馬鹿なので、まんまと政府に騙されて政府に従わされている。政府に税金を取られて政府に虐[いじ]められている。
反対に、日本人は眼は悪いが頭がいいので、政府に騙されず政府に従わない。政府に税金を払わず政府に虐められない。
今の日本では政府が滅んでいる。国民で警察と学校を建てて善[い]い国になっている。

[20458] 政府はヨーロッパ人を支配できるが、日本人を支配できない。 h26.3.23
近代の日本では国民がヨーロッパ文化を丸ごと全部取り入れた。科学と五感主義の両方を取り入れた。科学は便利だった。国民の暮らしが楽に快適になった。五感主義の世界では政府や宗教団体や暴力団が上の者であることになっている。国民は五感主義をやって法律や道徳を破って好き放題にやったり、天皇を神だと思って崇[あが]めたり、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従って虐[いじ]められていた。
今の現代の日本では国民が自分にとってヨーロッパ文化の幸福なことだけを受け入れて、自分にとって不幸なことを捨てている。科学を受け入れて五感主義を捨てている。もとの知覚主義に戻っている。知覚主義の世界では政府や宗教団体や暴力団は国民と平等である。国民は知覚主義をやって法律や道徳を守ってまじめに暮らして、神がいないと思って、政府や宗教団体や暴力団を平等だと思って従わず虐められないようにしている。
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。世界中のどこの国でも政府は国家宗教や国民虐めをやっている。ヨーロッパでは政府は国民虐めをやって国民に嫌われている。しかし、ヨーロッパ人は頭が悪いために『自分と政府が平等だ』と考えられないので「政府を上の者だ」と思って政府の言いなりになっている。ヨーロッパ人は馬鹿なために政府の支配から抜け出せないのである。ヨーロッパは天才がいなければゴミの国だ。一方、日本でも政府は国民虐めをやって国民に嫌われている。しかし、日本人は頭がいいので『自分と政府は平等だ』と考えられるので「政府を上の者だ」と思わず政府の言いなりになっていない。今の日本では国民が『政府は日本人に適さない国を作っている』と考えて、政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
日本人は近代のいっときの間うっかりしてまちがって五感主義をやっていたために政府に支配されていただけである。今の日本人は五感主義をやめてもとの知覚主義に戻ったから、もはや政府に支配されない。修正の早いのが日本人の取り柄[とりえ]である。今の国民は自分にとって住みやすい国にするために政府を潰して、知覚主義の政治機関(警察と学校)に建て替えている。

[20459] 今の政府は国民のために国を作っていない。 h26.3.23
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。政府は国家宗教や国民虐[いじ]めをやっている。世界中の国で政府は国民の嫌われ者である。
日本では近代に国民みんなが五感主義をやっていた。そのために、政府が建ってみんなが政府に税金を払って五感主義の国を作らせていた。政府は国民のために同じ主義の国を作っていたからそれでよかった。
しかし、今の日本では国民みんなが五感主義をやめて知覚主義をやっている。それなのに、政府は五感主義の国を作っている。政府は国民と違う主義の国を作っている。政府は国民みんなのためになっていない。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府に国を作らせなくなって政府を潰[つぶ]している。
今の国民はさっさと政府を潰して、邪魔者[じゃまもの]の政府を取っ払って、国民みんなで住みやすい知覚主義の国を作らなければならない。国民みんなで自由に知覚主義の政治機関(警察や学校)と契約してお金をやって仕事をしてもらえばいい。知覚主義の政治機関がちょっとでもふざけた真似[まね]をしたらすぐに国民みんなで解約して潰せばいい。
ヨーロッパ人は生まれつき馬鹿だから知覚主義をようやらないから永遠に政府に支配されたままだが、日本人は生まれつき頭がいいからやろうと思えばいつでも知覚主義がやれるから『主義が違う』という理由で政府を倒すことができる。昔の国民はヨーロッパ人の真似をしてわざとに知恵遅れの子のふりをして政府に支配されているみたいにして政府をからかって遊んでいただけである。今の国民は馬鹿の真似をするのに飽きてもとの知覚主義に戻って政府を倒している。日本の政治機関はやっぱり知覚主義の政治機関にかぎる。政府はヨソモンの政治機関だから、さっさと潰れてしまえ!
日本人はときどき気分転換をして遊ぶものだ。しかし、そろそろ日本が面白くなくなってきている。この辺でおふざけはやめて、そろそろまじめに知覚主義をやって自分の心を満足しよう。

[20460] 今の国民は急いで近代の国民のまちがいを直さねばならない。 h26.3.24
政治機関は国民の感性に合った国を作る。だから、政治機関は国民の心を満足するのである。
ヨーロッパは五感主義の国である。だから、ヨーロッパの政治機関は五感主義の政治機関である。ヨーロッパの政治機関は国民が自由に犯罪を犯せて、神がいて、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者をやって国民を自由に虐[いじ]める国を作る。ヨーロッパの政治機関は綺麗[きれい]な公共の施設を建てている。ヨーロッパの政治機関はまあまあ国民みんなの心を満足している。もっとも、国民は政治機関が国民を虐めるのを嫌だと思っているが、国民は自分が「政治機関が上の者だ」と思っているために政治機関に従わねばならず虐められてもおとなしく我慢[がまん]している。
一方、日本は知覚主義の国である。だから、日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。日本の政治機関はみんなが法律や道徳を守って、神がいなくて、政治機関と国民が平等で、宗教団体や暴力団がいない国を作る。日本の政治機関は面白い読み物をたくさん作らせている。不良は知覚主義の政治機関が嫌だと思っているが、みんなに付き合っておとなしくしている。
ところが、今の日本の政治機関は五感主義の政治機関の政府である。近代に国民は文明開化に浮かれて羽目をはずして五感主義をやっていたために、調子に乗ってふざけて五感主義の政治機関の政府を建ててしまったのである。
今の国民は正気に戻って知覚主義をやっている。日本に政府は適さない。政府は国民みんなと違う主義の国を作るので、政府は国民みんなの心を満足しない国を作って国民みんなを不幸にするだけである。だから、国民みんなで早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、もとの日本本来の知覚主義の政治機関を建てねばならない。
日本人は知覚が発達しているから、日本人はいやがうえにも知覚主義をやって日本の政治機関を知覚主義の政治機関にしなければならない。そうしなければ、日本人は幸福にはなれない。近代の国民は五感主義をやって五感主義の政治機関を建てて大まちがいを犯した。今の国民は近代の国民が犯したまちがいを大至急訂正しないといけない。今の国民みんなは五感主義をやめて知覚主義をやって、政府に税金をやるのをやめて政府を倒して知覚主義を政治機関にお金をやって国を作ってもらわねばならない。
ヨーロッパ人は眼(視覚)がいいだけで頭が悪いから、法律がわからず法律を守らないし、神がいると思って神を崇[あが]めるし、身分制があると思って上の者に従っている。反対に、日本人は眼が悪いが頭がいいから、法律がわかって法律を守るし、神がいないと思っているし、身分制がないと思って上の者に従わない。ヨーロッパ人は眼で見る喜びがあるだけで、他[ほか]は嫌なことが多い。日本人は眼で見る喜びはあまりないが、頭で考える喜びがたくさんある。ヨーロッパよりも日本のほうが善[い]い国である。だから、日本人はヨーロッパ人の真似[まね]なんかせずに、五感主義をやめて五感主義の政治機関(政府のこと)に税金を払わず五感主義の政治機関を壊して知覚主義の政治機関を建てねばならない。

[20461] 政治機関は国民の馬鹿さにつけ込んで儲[もう]ける団体である。 h26.3.24
ヨーロッパ人は五感主義だから、政治機関が国のことをやって偉そうにして国民に上の者だと思わせて国民から高い税金を取ったり国民を虐[いじ]めることができる。
反対に、日本人は知覚主義だから、政治機関が国のことをやっても国民は上の者だと思わないから国民と契約して正当な代金を取らねばならず国民を虐めることができない。
こうしてみると、政治機関は国民の馬鹿さを利用して不当に儲[もう]ける団体だと思われる。ヨーロッパ人は頭が弱いから政治機関につけ込まれて損をして虐められて不幸にされている。日本人は頭が強いから政治機関がつけ込めなくて政治機関が得をできないのである。
日本は政治機関が儲からない国である。だから、日本は善[い]い国である。外国から見たらさぞかし羨[うらや]ましいだろう。

[20462] どうして近代の日本では五感主義をやったのか? h26.3.24
近代の日本ではみんなが日本よりもヨーロッパのほうが文明が進んでいるのを見て、「ヨーロッパが日本よりも善い国だ」と思ってヨーロッパを丸ごと全部真似[まね]て五感主義をやっていたのである。
しかし、今では日本の文明がヨーロッパに追いついて、みんなが「日本のほうがヨーロッパよりも善い国だ」と思うようになったので日本はヨーロッパを丸ごと全部真似るのをやめて、もとの独自の知覚主義の道を歩んでいるのである。
日本人は日本よりも文明が進んでいる国があるのを見ると「外国が日本よりも善い国だ」と思って外国を丸ごと全部真似るのである。日本の文明が外国に追いついたら「日本は外国よりも善い国だ」と思って外国を真似なくなって自分独自の道を進むようになるのである。日本は文明重視型である。しかし、心の喜びも忘れない。それが昔からの日本のやり方である。理屈も糞[くそ]もない。とにかく日本はそういうやり方をする国なのだ。
今の日本ではヨーロッパに文明が追いついたので、みんながヨーロッパの五感主義をやめて自分の知覚主義に戻っている。今の国民にとってもはや政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]しているのである。今の国民は「政府なんかもうどうでもいいや」と思って政府の税金の命令を無視して容赦[ようしゃ]なく政府を潰しているのである。
今は国際化社会だから、日本からヨーロッパまで飛行機で12時間ぐらいで行けるから、今後はヨーロッパと日本の文明の格差はないだろう。だから、今後は日本がヨーロッパのすべてを受け入れることもないだろう。今後の日本は自分の知覚主義でずっとやって行けばいいのだ。

[20463] 日本政府は日本人に合わない政治機関である。☆☆ h26.3.24
日本人は知覚主義である。日本人の大脳は知覚野が発達して広く五感野が狭くて未熟であり、頭がよくて眼が悪いから知覚主義である。眼で見ただけでは人間の脳が見えないから、日本人がどんな主義かはわかりにくいが、たしかに日本人は知覚主義である。日本人が個人主義が好きで社会主義が嫌いなのと同じことである。日本人が資本主義が好きで共産主義が嫌いなのと同じことである。日本人の脳では自分細胞(“自分”の概念の認識を荷[にな]う脳細胞)が社会細胞(“社会”の概念の認識を荷う脳細胞)よりも大きく発達しているので、日本人は個人主義なのだろう。
つまり、人間の脳の構造が人間の主義を決定するのだ。
日本人は脳の構造のゆえに知覚主義である。
ところが、政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の人間向けの国を作る団体である。政府はヨーロッパ人向けの国を作る団体である。近代の日本人がヨーロッパ文化を真似[まね]るために政府を建てたので、政府はヨーロッパ人向けの国を作るのである。ヨーロッパ人は大脳の五感野が広くて発達して知覚野が狭くて未熟であり、眼がいいだけで頭が悪いから五感主義である。日本人とヨーロッパ人は脳の構造が違うから主義が違うのである。日本人とヨーロッパ人は外見が似ているから同じ人間に思えるが、じつは主義が知覚主義と五感主義でまったく違うのである。
政府は日本人に向かない国を作っている。政府は日本人を不幸にする国を作っている。政府は日本人がやっているから日本人向けの国を作っているように思えるが、じつは日本人に向かない国を作っているのである。
日本人には日本人に合った政治機関がなければならない。日本人が幸福に暮らすためには日本人に合った政治機関が必要である。政府は日本人に合わない政治機関である。だから、日本人みんなで政府を倒せばいいのである。その後で、日本人に合った知覚主義の政治機関を建てればいいのである。
外国の政府は国民に合った国を作っているから国民が幸福になっている。日本だけ政府が国民に合わない国を作っているから国民が不幸になっている。そもそも政治機関は国民のためにある。国民が自分に合った政治機関を選ばねばならない。日本人はさっさと政府を倒してほかの政治機関に建て替えればいいのである。

[20464] 政府は日本人に合わない国を作っている。 h26.3.24
ヨーロッパ人は脳の構造のために眼がいいだけで頭が悪い。ヨーロッパ人は頭が悪いから、法律を守らないし、神がいると思っているし、身分制があって上の者に従っている。ヨーロッパ人は眼先が細かいだけで頭でまちがったことばかり考えて汚いことばかりやっている。ただし、ヨーロッパ人には少数の天才がいて科学をやっている。ヨーロッパ文化は科学が発達しているだけで、それ以外は野蛮で劣悪である。
反対に、日本人は脳の構造のために眼が悪いが頭がいい。日本人は頭がいいから、法律を守って、神がいないと思っていて、身分制がなくて上の者に従わない。日本人は眼先は鈍[にぶ]いが頭で正しいことを考えてやっている。ただし、日本人は眼で見ることに興味がないので科学が弱い。日本文化は科学が弱いが、それ以外は文明的で善良である。
政府は五感主義の政治機関である。政府は近代の日本人がヨーロッパ人を真似[まね]るために建てた政治機関なのでヨーロッパ人向きの国を作る。政府は法律のない、神がいる、身分制のある社会を作る。政府は馬鹿が利口よりも有利な国を作る。政府は眼で見るだけで頭で考える喜びのない国を作る。
政府は日本人にとって不愉快[ふゆかい]な不幸な国を作る。政府のために日本人は不愉快な不幸な思いをしている。
政府は日本人に向いていない。日本人が政府に税金を払ってもお金の無駄[むだ]である。日本人はさっさと政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、日本人に合った政治機関を建てて日本人にとって愉快な幸福な国にしないといけない。
近代の日本人はヨーロッパ人を真似て自分が五感主義をやって自分で自分を不愉快に不幸にしていた。今の日本人はヨーロッパ人の真似をやめて自分が知覚主義をやって五感主義をやめて自分で自分を不愉快に不幸にしなくなっている。今の日本人は政府が五感主義の国を作っているために政府に不愉快に不幸にされているだけである。だから、日本人みんなで政府を倒して、日本を日本人にとって愉快で幸福な国にすればいいのである。

[20465] 今の国民は自分が政府に不愉快[ふゆかい]に不幸にされていることを知らない。 h26.3.24
日本人は脳の構造上知覚主義である。日本人は眼で見る喜びはあまりないが、頭で考える喜びがある。
今の日本人は自分で知覚主義をやって自分で自分を幸福にしている。
一方、政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の人向けの国を作っている。しかも、今の政府はゆっくりと密[ひそ]かに国民に気づかれないようにしながら、法律や道徳がない、神がいる、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者である、馬鹿が利口よりも有利である、眼で見るだけで考える喜びのない国にしている。
そのため、日本人は政府に不愉快に不幸にされている。日本人の多くは自分が政府に不愉快に不幸にされていることを知らないまま、政府に不愉快に不幸にされている。
政府が日本人に合わない国にしているために、日本がだんだん日本人にとって面白いことのない嫌なことの多い国になっている。
それなのに、日本人の多くは政府を倒そうとしない。日本人はとろくさい。鈍感で鈍[にぶ]い。日本人は眼が悪すぎる。
このへんでしっかり日本人みんなで政府を倒して、日本人に合った政治機関にして、日本を日本人にとって楽しい幸せな国にしないといけない。そうすれば、今の日本人も未来の日本人も幸福に暮らせるだろう。

[20466] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。☆ h26.3.24
そもそも国民が政治機関に税金を払わなければならないのは、政治機関が国民よりも身分が上だからではなく、自分が抜け駆けをしてはいけないからである。自分が抜け駆けをして政治機関に税金を払わないと、他の国民が「他人にお金を払わせて自分が無料で政治機関のサービスを利用するのは卑怯[ひきょう]だ」と文句を言うからである。国民は他の国民が文句を言うのが怖いから政治機関に税金を払うのである。国民にとって善[い]いサービスをやっている政治機関の場合には、国民が政治機関に税金を払わないのはいけないことだから、国民は政治機関に税金を払ったほうがいい。
ところが、政府の場合、政府は五感主義の国を作っている。政府は今の国民と反対の主義の国を作っている。政府は今の国民にとって不幸な国を作っている。だから、今の国民にとっては政府が潰[つぶ]れてなくなったほうがいい。だから、今の国民が政府に税金を払わないことは、他の国民を幸福にすることである。だから、国民が政府に税金を払わなくても、他の国民が文句を言うことはない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくていいのである。
今の国民は国民みんなを幸福にするために政府に税金を払わなければいいのである。国民が政府に税金を払わなければ国民みんなが喜んでお礼を言うだろう。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。

[20467] 今の国民は正気に戻って知覚主義をやっている。 h26.3.24
日本ではヨーロッパの文明が日本よりも進んでいて国民みんなが大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文化を取り込んで五感主義をやっている時代には、国民みんなの頭が狂って「政府が上の者だ」と思って国民みんなが政府に服従していた。
しかし、日本の文明がヨーロッパに追いついて国民みんながもとの自分の知覚主義をやっている時代には、国民みんなの頭が正気に戻って国民みんなが『政治機関が自分と平等だ』と思って国民は政治機関と自由に契約してお金をやって仕事をさせていた。
今は国民みんなが正気に戻って知覚主義をやっている。今では国民みんなが政治機関と自分が平等だと思っている。ところが、政府は五感主義の政治機関である。国民みんなは知覚主義をやっている。国民みんなと政府は違う主義をやっている。政府は国民みんなにとって不幸な国を作っている。だから、国民みんなは政府に税金を払わず政府に国を作らせないほうがいい。今の国民みんなは政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいい。
日本では外国の文明が日本よりも進んでいる時代には、国民みんなが「日本が外国に負けた」と思ってショックを受けて気が狂ってヤケクソになって外国を何から何まで全部真似[まね]て死に物狂いで昼も夜も働いて外国に追いつこうとする。しかし、日本が外国の文明に追いつくと、国民みんなが「日本が外国に勝った」と思って正気に戻って自分の国の文化を再びやり出す。日本人はキチガイじみている。今ではヨーロッパ文明の取り込みが終わっている。今の国民はヨーロッパの五感主義を真似るのをやめて、日本の文化に戻って知覚主義をやっている。政府は国民みんなを不幸にして邪魔[じゃま]だから、国民みんなで『政府に税金を払わない運動』をやって政府を倒して政府を取り除いている。政治機関などという不透明なものをなくして、国民が警察や学校を利用したときにその都度[つど]お金を払うようにすればいいと思っている。

[20468] 政府が日本の政治機関であることはまちがっている。 h26.3.24
日本人は知覚主義である。日本人は大脳の五感野よりも知覚野が発達しているので知覚主義である。
だから、本来日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。実際に、日本ではこれまで長い間知覚主義の政治機関が国を作ってきた。
ところが、今は近代の文明開化のせいでまちがって五感主義の政治機関である政府が日本の政治機関になっている。そのおかげで日本人は政府に日本人に合わない五感主義の国を作られて不幸な目に合わされている。
政府が日本の政治機関であることはまちがっている。
だから、今の国民はまちがいを修正しなければならない。今の国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒して、警察と学校を建てねばならない。
今の国民は文明開化の後始末[あとしまつ]をしないといけない。文明開化の副産物を撤去しないといけない。それでやっと日本の文明開化が終わるのだ。
政府を取り除くのは国民みんなの仕事である。国民みんなが政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。

[20469] どうして今の政府は倒れないのか? h26.3.25
国は国民みんなが決める。
だから、今の政府が倒れないのは、国民みんなが「政府を倒してはいけない」と思って政府を倒していないからである。国民みんなが「政府は民主主義の政治機関だから倒してはいけない」と思って政府を倒していないからである。
しかし、本当は『今の国民は政府を倒さねばならない』のである。政府はヨーロッパ人向けの国を作る五感主義の政治機関であり、日本人は知覚主義だから、政府は日本人にとって幸福のない国を作るから、日本では国民が政府を倒さねばならないのである。
国民みんなが政府を倒さねばならないと思って政府を倒せば政府はすぐに倒れてなくなる。
だから、国民みんなで政府を倒せばいいのである。
日本を日本人にとって幸福な国にするために政府を倒さねばならないのである。

[20470] 政治機関とは何か? h26.3.25
政治機関とは国民の主義を統一するための機関である。国民みんなを知覚主義か五感主義かに統一するための機関である。あるいは、個人主義か社会主義かに統一する機関である。日本では昔から個人主義に決まっているから個人主義か社会主義かで変わることはないが、ときどき文明開化のときに知覚主義が五感主義に変わることがある。
政治機関のために国民の自由が奪われる。国民の中には五感主義的に生きたい人がいるのに、知覚主義の政治機関のもとではそれができない。
今日[こんにち]ではみんなが法律を守ることは常識である。いくら五感主義だからといって法律を守らないのは行きすぎである。
だから、今はもう政治機関はやめよう。警察と学校だけにしよう。そうすれば、みんなが自由に自分の好きな主義で生きることができる。
政府は五感主義の政治機関である。政府は日本人みんなにヨーロッパ人と同じ五感主義で生きることを強制する機関である。国民にとっては政府は国民の生き方を決めるから鬱陶[うっとう]しい。だから、国民みんなで早く政府を倒して、政治機関のない国にしないといけない。
ヨーロッパ人は陰気臭いやつがかっこつけているだけだから、日本人にとっては面白くない。ヨーロッパ人はかっこがいいだけで中身のないカスだから、日本人が見習う価値がない。ヨーロッパ人は眼で見えることがわかるだけで頭で考えることがわからないから、ヨーロッパ人は見かけがいいだけで道徳がないのである。政府は五感主義の政治機関だから、自分でも五感主義をやってヨーロッパ人の真似[まね]をして、人前で善い人ぶってじつは人殺しをして喜んでいるのである。国民は政府みたいになりたくない。だから、国民みんなで政府を倒して、日本から見苦しいやつをなくさなければならない。

[20471] 日本に政府があるのは例外的である。 h26.3.25
日本人は知覚主義である。
だから、本来日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。
ただし、日本が大々的[だいだいてき]にヨーロッパの文明を受け入れるときには、日本がなるべく早くヨーロッパの文明を受け入れるために、日本人の主義をヨーロッパ人に合わせて五感主義にしてヨーロッパの文明を受け入れやすくして受け入れる。日本人みんなを五感主義にするために政府を建てる。日本人にとってはヨーロッパの五感主義をやるのは嫌だが、日本がヨーロッパの文明を取り入れるために少しの間我慢[がまん]するのである。
日本がヨーロッパの文明に追いついたら、日本人の主義をヨーロッパの五感主義からもとの日本の知覚主義に戻す。政府は日本人を五感主義にするためにあるので、日本人みんなで政府を倒して、もとの知覚主義の政治機関にする。
これまで日本はずっとそうやってきた。だから、今もそうしないといけない。
今の日本では政府が要らないから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。
その後は、国民みんなで好きなようにすればいい。今は国民の知性が高くなって身分制が完全にないから、政治機関を設けないことにして、警察と学校だけにして国民が警察や学校を利用したときにその都度[つど]お金を払うようにすればいい。

[20472] 眼がいい人がいいか頭がいい人がいいか? h26.3.25
ヨーロッパ人は眼がいいだけで頭が悪い。ヨーロッパ人は眼で見て綺麗[きれい]か汚いかがわかるだけで、頭で考えて正しいかまちがいかがわからない。そのために、ヨーロッパでは町並みが美しいだけで人通りの多いところではお行儀[ぎょうぎ]がいいだけで、人通りのないところではみんなが犯罪を犯していて物騒[ぶっそう]である。
反対に、日本人は眼は悪いが頭がいい。日本人は眼で見て綺麗か汚いかはわからないが、頭で考えて正しいかまちがいかがわかる。そのために、日本では町並みは雑然としていてパッとしないが、どんなに人目につかないところでもみんなが法律を守っていて治安がいい。
ヨーロッパはヨーロッパ人が頭が悪いから悪い国である。日本は日本人が頭がいいから善[い]い国である。
ヨーロッパ人は自分で法律を守らないし、自分で勉強しないから、警察を設けて警官の監視を付けて法律を守らせたり、学校を設けて子供を泣く泣く勉強させたりしないといけない。
日本人は自分で法律を守るし、自分で喜んで勉強するから、日本では警察や学校が要らないくらいだ。
ヨーロッパ人は馬鹿だから、神や上の者がいると思っているから、宗教団体や政治団体や暴力団が出来てみんなを支配するのである。ヨーロッパではみんなが宗教団体や政治団体や暴力団に支配されてお金を取られたり虐[いじ]められたりしているのである。
日本人は利口だから、神や上の者がいないと思っているから、宗教団体も政治団体も暴力団も出来ないのである。日本ではみんなが警察や学校を利用したときにその都度[つど]お金を払えばいいのである。

[20473] 政治機関はもう要らない。 h26.3.25
日本人は知覚主義である。知覚主義が日本の原理である。だから、日本の政治機関は知覚主義の政治機関である。ただし、日本が大々的[だいだいてき]にヨーロッパの文明を受け入れるときには日本人が形の上で五感主義をやって、五感主義の政治機関である政府を建てる。
古代には日本人がローマの文明を取り入れるために五感主義をやって、政府を建てて五感主義の国を作らせていた。しばらくして日本がローマの文明に追いついたので、日本人は五感主義をやめてもとの知覚主義に戻って、政府を潰[つぶ]した。
中世の日本ではそれぞれの幕府が『国民の人気が出る制度』を定めて大勢の国民の支持を得て、大勢の国民からお金をもらって国を作っていた。日本人は知覚主義だから、知覚主義の世界には身分制がないから権力がないから、政治団体が国民に支持されることがないかぎり、政治団体は国民からお金をもらって国を作れないのである。
鎌倉幕府は封建制度を定めて「幕府のために戦った武士(昔の軍人)には褒美[ほうび]に土地を与える。武士は農民を守る代わりに農民から税金を取れる。」ことにして国民みんなの支持を得て国民みんなからお金をもらって封建制度の国を作っていたが、途中から鎌倉幕府が土地をくれなくなったのでみんなが鎌倉幕府にお金をやるのをやめて鎌倉幕府は潰れた。
後醍醐[ごだいご]天皇が建武の新政(法律のない、神がいる、身分制がある五感主義の国を作る政策)をやろうとしたが、国民が五感主義や身分制が嫌だったので実現しなかった。
室町幕府は建武式目[けんむしきもく]を定めて「実力のある者を出世させる」ことにして国民みんなの支持を得て国民みんなからお金をもらって実力主義の国を作っていたが、足利一家が権力争い(応仁の乱1467年)をやったので潰れた。
徳川幕府は士農工商の身分制度を定めて「農民をいい待遇にする」ことにして国民みんなの支持を得て国民みんなからお金をもらって身分制度の国を作っていたが、幕末に日本人がヨーロッパ文明を取り入れるために幕府に国を作らせるのをやめたので潰れた。
近代には日本人がヨーロッパの文明を取り入れるために五感主義をやって、政府に五感主義の国を作らせていた。今では日本がヨーロッパの文明に追いついたので、日本人は五感主義をやめてもとの知覚主義に戻って、政府を潰している。
今ではもう政治機関は要らない。国民が自分で考えて善い国にする。警察と学校だけがあればいい。

[20474] 政府は日本人にとって嫌な政治機関である。 h26.3.25
日本人は知覚主義である。日本人にとっては、法律があって、神がいなくて、身分制がなくて、利口が有利で馬鹿が不利で、頭で考える喜びのある国が理想である。
ところが政府は五感主義の政治団体である。政府は法律がなく、神がいて、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者であり、馬鹿が有利で利口が不利で、眼で見るだけで頭で考える喜びがない国を作る。
政府は日本人にとって嫌な国を作っているだけである。
これでは日本人にとって政府が人気があるわけがない。日本人は政府が大嫌いである。
近代の日本人はヨーロッパの文明を取り入れるために、自分が嫌なのを我慢[がまん]してしかたなくヨーロッパ人を真似[まね]て五感主義をやって政府を置いて五感主義の国を作らせていたのである。
しかし、現代の今では日本人はヨーロッパに文明が追いついたから、自分が五感主義をやめて政府を潰[つぶ]して五感主義の国をなくしている。
今の日本人は自分の心を満足して幸福に生きたいと思っている。今の社会には知覚主義の政治機関があればいい。警察と学校だけでいい。

[20475] 政治機関は国民みんなのために国を作る会社である。 h26.3.25
政治機関は国民みんなが欲しい国を作る会社である。政治機関は国民みんなのために国を作る会社である。
国民みんなが欲しい国を作る政治機関は国民みんなから国作りの代金をもらって儲[もう]かるが、国民みんなが欲しくない国を作る政治機関は国民みんなから国作りの代金をもらえずに潰[つぶ]れる。
例えば、今の私は仕事がなくて収入がないから“みんなが一生仕事をして給料をもらって安定に暮らせる国”が欲しい。そんな政治機関があれば、私は喜んで高い税金を払って国を作ってもらうだろう。しかし、残念ながら、今のところはまだそんな便利な政治機関はない。
近代の国民は五感主義をやっていたから、近代の国民にとっては五感主義の国が欲しかった。法律がなくて、神がいて、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者で、馬鹿が有利で利口が不利で、眼で見るだけで頭で考える喜びがない国が欲しかった。政府はそういう国を作る政治機関である。だから、近代の国民は政府に税金を払って五感主義の国を作ってもらっていた。
今の国民は知覚主義をやっているから、今の国民にとっては知覚主義の国が欲しい。法律があって、神がいなくて、人間がみな平等で、利口が有利で馬鹿が不利で、頭で考える喜びがある国が欲しい。政府は反対の国を作っている。だから、今の国民は政府に税金を払ってはいけない。知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらわねばならない。
政府は今の国民みんなにとって欲しくない国を作っているから国民みんなからお金をもらえなくなって潰れるしかない。
政治機関と国民は平等だから、国民は自分で考えて自分が欲しい国を作る政治機関にお金をやらねばならない。今の国民はふざけて政府に国作りの代金を払ってはいけない。今の国民は政府の嘘[うそ]にも負けず脅[おど]しにも負けず政府に税金を払ってはいけない。今の国民はしばらくお金を貯めていて、将来自分の気に入った国を作る政治機関が出来てからお金を払わなければならない。

[20476] 今の国民が政府を潰[つぶ]さないために政府が残っている。 h26.3.25
政治機関は国民のためにある。だから、国民が政治機関に国を作らせるか作らせないかを決める権利がある。
ところが、今の国民は政府がどんな政治機関かわからないために、政府に税金を払い続けている。
そのために、政府は五感主義の国を作り続けている。今の政府は自分が国民を不幸にしたくないのに国民を不幸にする国を作っている。今の政府は国民からお金をもらった以上自分の仕事をしなければならないからいやがうえにも国民を不幸にする国を作っている。
今の国民は知覚主義をやっている。政府は五感主義の政治機関である。五感主義では嘘[うそ]をついていいから、政府は自分が五感主義をやって、「自分が民主主義の政治機関だ」と言ったり「国民に納税の義務がある」と言ったり「自分は国民を幸福にしている」と言ったりするのである。政府はテレビや新聞の上では国民のために善いことをやったりどうでもいいことをやったりして、実際には密[ひそ]かに五感主義の国を作っているのである。今の国民にとって政府は嫌な国を作っている。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。[政府は国民に嘘ばかりついて国民を馬鹿にしている。政府はヨーロッパの政治機関である。ヨーロッパ人は馬鹿だから政府は国民を馬鹿にしているのである。]
今の国民は正義と勇気の心で政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]してあげねばならない。そうすれば、政府もこれ以上国民を不幸にしなくてすむと思って喜ぶだろう。

[20477] 本来政治機関と国民は平等である。 h26.3.25
日本では国民みんなは知覚主義だから、知覚主義の世界では政治機関と国民は平等だから、政治機関は国民と平等である。
日本ではもともと政治機関と国民は平等だが、徳川幕府は「農民が多い」という当時の国民性を活かして国民の大半を占める農民に身分制を認めさせることによって『多数決の原理』に乗っかって身分制をやっていた。だから、徳川幕府は上の者だった。[徳川幕府は法律がある、神がいない、利口が馬鹿よりも有利である、頭で考える喜びがある国を作っていた。徳川幕府は身分制がないことを守らなかったが、それ以外は知覚主義を守っている。徳川幕府は一見[いっけん]汚いが、よく知覚主義を実現しているすばらしい政治機関である。]
近代の政府は国民みんなが特別に五感主義をやっていたために、五感主義の世界では「偉そうにする者を上の者だと思う心理」が効[き]いて政治機関が上の者だから、政府は上の者だった。
今の政府は国民みんなが知覚主義をやっているから国民と平等である。今の政府が国民みんなよりも上の者である理由はない。だから、今の国民は政府と自分が平等だと思って政府を扱えばいいのである。つまり、国民は政治機関と自由に契約して仕事をしてもらえばいい。
政府は五感主義の政治機関である。政府は近代の国民がヨーロッパに合った国を作るために建てた政治機関だから、ヨーロッパ人は五感主義だから、政府は五感主義の政治機関である。政府は今の国民と違う主義の国を作っている。政府は今の国民にとって嫌な国を作っている。だから、今の国民は政府に税金をやらず国を作ってもらわなければいい。
今の国民は自分がお金があり余っていると思ってあせって政治機関にお金を払おうとせずに、今の国民の心を確実に満足する政治機関が現れてからお金を払って国を作ってもらえばいいのである。(それまでの間は、今の私はお金がなくて困っているから私にお金をくれてもいいのである。)

[20478] 政治機関と国民は平等である。☆ h26.3.26
政治機関に権力があるのは、つまり政治機関の命令や指示を国民が聞かねばならないのは、国民が政治機関の政策を支持しているからである。とくに日本は知覚主義の国だからそうである。
つまり、政治機関は『国民の政策』の実行機関である。
鎌倉時代に国民が鎌倉幕府の命令を聞いたのは、国民みんなが封建制度を支持していたからである。鎌倉幕府は封建制度をやるためにあったのである。
近代に国民が政府の命令を聞いたのは、国民みんなが五感主義を支持していたからである。政府は五感主義をやるためにあったのである。
ところが、今の国民みんなは知覚主義をやっている。戦後に日本の文明がヨーロッパに追いついたので、日本人はヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやるのをやめて、もとの知覚主義に戻ったのである。政府はあいかわらず五感主義の国を作っている。政府は五感主義をやって知覚主義をやっていない。今の国民は政府を支持しない。だから、今の国民は政府の命令を聞かない。
政治機関の税金は、国民が政治機関に『国民の政策』をやってもらうための代金である。国民は『国民の政策』をやらない政治機関に税金を払う必要はない。今の国民の政策は知覚主義である。政府は知覚主義をやっていない。だから、今の国民は政府に税金を払う必要はない。今の国民は政府に税金を払ってはいけない。
今の国民みんなは知覚主義を支持している。だから、今では知覚主義をやる政治機関に権力があるだろう。国民は知覚主義をやる政治機関の言うことを聞くだろう。そういう政治機関があれば、みんなからお金をもらって仕事ができるだろう。

[20479] 政府は今の国民にとっての政治機関ではない。☆☆ h26.3.26
政治機関は『国民の政策』を実現するためにある。
今の国民は知覚主義である。
ところが、政府は五感主義である。
政府は今の国民にとっての政治機関ではない。政府は今の国民が欲しい国を作っていない。
だから、今の国民は政府を潰[つぶ]せばいい。政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいい。
今の国民はさっさと政府を潰して、知覚主義をやる政治機関が建つのを待てばいい。
政府は「五感主義」を売りにしている政治機関である。政府の政策は「五感主義」である。近代の国民が大急ぎで大々的[だいだいてき]にヨーロッパの文明を取り入れるために一時的に五感主義をやっていたので、政府は五感主義をやっているのである。今では日本の文明がヨーロッパに追いついたから、今の国民は五感主義をやめて自分の知覚主義に戻っている。今の国民にとっては五感主義は要らない。今の国民が欲しいのは知覚主義をやる政治機関である。だから、今の国民は早く政府を倒して、『知覚主義』をやる新しい政治機関が建つのを待てばいいのである。
日本人は自分よりも優れた国を真似[まね]る習慣があるので、ヨーロッパが日本よりも文明が進んでいるときにはヨーロッパのすべてを真似て科学や五感主義をやっているのである。そのために政府が国民の支持を得て国民からお金をもらって五感主義の国を作っていたのである。しかし、そのうち日本の文明がヨーロッパに追いついてくると、日本人はヨーロッパを自分よりも優れた国だと思わなくなってヨーロッパを真似なくなるのである。科学も五感主義もやらなくなるのである。もとの文学や知覚主義に戻るのである。そのために今の政府は国民の人気がなくなって国民からお金をもらえなくなって滅んでいるのである。政府は建つときにはガッと建つが、滅ぶときにはダラダラと滅ぶのである。
人間にとっては自分の幸せが一番大事なので、自分を不幸にしてまで外国の文化を真似たりはしない。日本人にとってはヨーロッパの五感主義は不幸である。だから、今の日本人はヨーロッパの五感主義をやめてもとの自分の知覚主義に戻ったのである。そうなると、政府はもはや国民にとって余計な邪魔者[じゃまもの]にすぎないので、国民は政府に税金をやらなくなって政府を倒しているのである。一方、日本人にとってはヨーロッパの科学は幸福である。だから、今後も日本人はヨーロッパの科学を取り入れるのである。
日本に国民を不幸にする政府が建つのは、日本人の心にある「自分よりも優れた者を真似る心理」のせいである。日本人は「自分よりも優れた者を真似る心理」が強いので、外国の文明が日本に比べて大きく進んでいると、日本人は「自分よりも優れた者を真似る心理」が働いて外国の文化を善いところも悪いところもひっくるめて丸ごと全部真似るのである。そのために、日本人はしばらくの間自分に合わないことをして不幸になるのである。人間の心は不合理だから、自分にとって不幸なことまでやるのである。だから、今後は日本は世界中の国と国交を親密にして、日本が外国に比べて大きく遅れないようにしないといけない。

[20480] 日本人は自分の心のために自分が痛い目にあっている。☆☆ h26.3.26
日本人は「自分よりも優れた者を真似[まね]る心理」が強い。
近代は日本よりもヨーロッパが文明が優れていたので、日本人は「自分よりも優れた者を真似る心理」が働いてヨーロッパを真似ていた。ヨーロッパを丸ごと全部真似ていた。科学も五感主義も真似ていた。日本人は五感主義をやってわざとに悪いことをやっていた。
近代の日本人は五感主義をやりたかったので、五感主義の国を実現する政治機関の政府に税金をやって国を作らせていた。日本人は政府に戦争や国家宗教で虐[いじ]められて痛い目にあっていた。
しかし、そのうち日本がヨーロッパに文明が追いついてくると、日本人は「自分よりも優れた者を真似る心理」が働かなくなってヨーロッパを真似なくなった。ヨーロッパ文化の自分にとって幸福な部分だけを真似て、不幸な部分を真似なくなった。科学を真似るだけで、五感主義を真似なくなった。日本人はわざとらしく悪いことをするのをやめた。もとの知覚主義をやるようになった。
今の日本人は知覚主義をやりたいので、五感主義の国を実現する政府に税金をやらなくなって国を作らせなくなった。今の国民は政府を潰して政府に戦争や国家宗教で痛い目にあわされなくなって幸せになっている。今の国民は自分を幸せにするために政府に税金を払ってはいけない。
国は国民が中心である。政治機関は国民の手助けをするにすぎない。政治機関は『国民がやりたい政策』を実現するためにあるだけである。政治機関は国民の腰巾着[こしぎんちゃく]である。今の国民は知覚主義がやりたい。しかし、政府は五感主義の国を作ることしかやれない。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府に国を作らせるのをやめて政府を潰せばいいのである。
『国民が政治機関よりも強い』のが正しい社会科の知識である。それなのに、今の国民の多くは心でまちがって「政治機関が国民よりも強い」と思っているために、政府に従いつづけているのである。そのために、いつまでたっても国が善くならないのである。人間の心にはまちがいがあるから心のままにやってはいけない。国民みんなは頭で正しく『国民が政治機関よりも強い』と考えて、『国民の政策』に反する国を作っている政治機関に税金をやるのをやめて政治機関を潰せばいいのである。『国民の政策』をやる政治機関が現れてからお金をやって国を作ってもらえばいいのである。
政治機関は国民が欲しがっている国を作る会社である。家電メーカーが国民が欲しい電化製品を作るのと同じことである。今の国民は知覚主義をやっている。今の国民は知覚主義の国が欲しい。それなのに、政府は今の国民が欲しい国と反対の五感主義の国を作っている。だから、今の国民は政府から国を買わなければいい。今の国民は政府に税金を払わず政府の国を買わなければいい。今の国民が欲しい国を作る政治機関が現れてから、国民は政治機関にお金を払って国を買えばいい。それまでは、多少不便でも国民だけでやればいい。日本人は頭がいいから、警察や学校もほとんど要らないくらいだから、それぐらい容易に乗り越えられるだろう。
政治機関は国民が欲しがっている国を作る会社である。政治機関の商品は国である。政治機関が作った国を買うのは国民である。国民は政治機関にとってのお客様である。だから、国民が政治機関よりも偉いのである。政府は五感主義の政治機関だから国民に嘘[うそ]をついて国民に偉そうにして政府のほうが国民よりも偉いふりをしているが、本当は国民のほうが政府よりも偉いのである。政府は国民に偉そうにして自分が作った売れない国を国民に押し売りする魂胆[こんたん]なのである。だから、国民は政府に根負[こんま]けせずに、自分がきっぱりと断って要らない国を買わないようにすればいいのである。そうしていれば、そのうち政府も潰れてなくなるだろう。


[20481] 政府は五感主義の国を作る会社である。 h26.3.26
政治機関は国を作って国民みんなに国を売って国民みんなから税金をもらう会社である。
政府は五感主義の国を作る会社である。政府は法律のない、神がいる、政府や宗教団体や暴力団が上の者である、馬鹿が有利で利口が不利である、眼で見るだけで頭で考える喜びのない国を作って売る会社である。
近代の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]ていて五感主義の国が欲しかったから、政府に税金を払って五感主義の国を買っていた。
今の国民みんなは自分自身に戻って知覚主義の国が欲しいから、政府に税金を払わず政府の国を買わなければいい。今の国民みんなは法律がある、神がいない、人間がみな平等である、利口が有利で馬鹿が不利である、頭で考える喜びのある国が欲しいから、今の国民みんなは政府が作っている国が要らないから、今の国民みんなは政府の国を買わなければいい。
今の国民みんなは知覚主義の国が欲しいから、知覚主義の国を作る政治機関が現れてから税金を払って知覚主義の国を買えばいい。それまでは、国民みんなが多少不便だが政治機関なしで自分だけで知覚主義の国を作るしかない。
政治機関にとって国民みんなは客だから、国民みんなのほうが政治機関よりも優位である。国民みんなが政治機関が作った国を買うか買わないかを決めることができる。今の国民みんなは知覚主義の国が欲しい。ところが、政府は五感主義の国しか作らない。今の国民みんなにとっては政府の国が要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府の国を買わなければいいのである。
今の国民の多くがボケて政府がどんな国を作っているかわからずに政府に税金を払って政府の国を買っているのがいけないのである。今の国民みんなは『政府が五感主義の国を作っている』とはっきりと考えて、『自分は知覚主義の国が欲しいから政府の国は要らない』と判断して、政府に税金を払わずに政府の国を買わなければいい。
政府の作っている国は日本人にとっては異常である。政府は徳川幕府よりも異常な国を作っている。国民みんなにとっては不愉快[ふゆかい]で耐えられない。国民みんなで早く政府を倒して国民にとって正常な国にしないといけない。国民みんなにとって幸福な国にしないといけない。

[20482] 今の国民みんなは政府の国を買ってはいけない。 h26.3.26
政府は五感主義の国を作る会社である。政府は五感主義の国を作っている。いくら政府がテレビや新聞で嘘[うそ]をついても、政府は本当は五感主義の国を作っている。
ところが、今の国民みんなは知覚主義の国が欲しい。たとえ少数の国民が五感主義の国が欲しくても、多数の国民が知覚主義の国が欲しいから、多数決で国民みんなが知覚主義の国が欲しいことに決まるのである。日本人はどこかの国の“見掛けがいいだけで法律もわからないような馬鹿”が嫌いだから知覚主義なのである。
政府は今の国民みんなにとって嫌な欲しくない国を作って国民みんなに売っている。
だから、今の国民みんなは政府の国を買わなければいい。今の国民みんなは政府に税金を払わずに政府の国を買わなければいい。
そうすれば、政府が潰[つぶ]れて、国民みんなにとって嫌な国がなくなって、その後で“国民みんなが欲しい国”を作る会社が現れて国民みんなが幸福に暮らせる国を作って国民みんなが幸せになるだろう。
今の国民の多くが政府の国を買っているから政府がいつまでたっても潰[つぶ]れず、政府が国民みんなにとって嫌な国を作り続けて国民みんなが面白くない思いをしているのである。今の国民みんなは政府の国を買うのをやめて政府を潰して、国民みんなにとって嫌な国をなくして楽しく暮らさねばならない。
政府にとっては国民みんなは客だから、政府よりも国民みんなのほうが立場が上だから、国民みんなが自由に政府の国を買うか買わないかを決められる。今の国民みんなは政府の国が嫌だから政府の国を買わなければいいのである。今の国民みんなは自分が好きな国を作る政治機関が出来てから税金を払って国を買えばいいのである。
今の国民みんなは政府の国が要らないから政府に税金を払わない。政府が国民みんなから無理やり税金を取ろうとすると国民みんなに殴[なぐ]り殺される。だから、政府は国民みんなから税金を取らないほうがいい。

[20483] 政治機関は国民が欲しい国を作らなければならない。 h26.3.26
政治機関は国を作る会社である。政治機関は国を作って国民(国民みんなの意味)に売って国民からお金をもらう会社である。
だから、政治機関が儲[もう]けるためには国民が欲しい国を作らねばならない。国民が欲しい国は国民自身が決めることだから、政治機関は国民に合わせて国民が欲しい国を作って国民からお金をもらわなければならない。
今の国民は知覚主義の国が欲しいから、今の政治機関は知覚主義の国を作らねばならない。
ところが、政府は五感主義の国を作っている。政府は今の国民が欲しい国を作っていない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。政府は今の国民から税金をもらえずに潰[つぶ]れるしかない。
国には国民が欲しい国を作る政治機関があればいい。政府は国民が嫌いな国を作る政治機関だから消えてなくなればいい。

[20484] 今の国民みんなは政府の国が欲しくない。 h26.3.27
政治機関は国を作って国民みんなに国を売って儲[もう]ける会社である。
今の国民みんなは知覚主義の国が欲しい。
ところが、政府は五感主義の国を作っている。
政府は今の国民みんなが欲しい国と全然違う国を作っている。
だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府の国を買わなければいい。
政府は国民みんなに国が売れずに潰[つぶ]れるしかない。
政治機関が儲けるためには国民みんなが欲しい国を作らねばならない。
政府には今の国民みんなが欲しい国が作れないから、国民みんなに国が売れず儲からず潰れるしかない。
戦前と戦後で国民みんなの欲しい国が変わった。戦前の国民みんなはヨーロッパを真似[まね]て五感主義の国が欲しかったが、戦後の国民みんなは自分の国に戻って知覚主義の国が欲しくなった。
政府は戦前の国民みんなが欲しかった五感主義の国を作っている。そのため、戦前の国民みんなは政府の国を買って政府が儲かっていたが、戦後の国民みんなは政府の国を買わなくなって政府が儲からなくなった。
今では政府の国が国民みんなに売れなくなって政府が潰れている。政府は嘘[うそ]をついてテレビや新聞の上で自分が儲かっているふりをしているが、本当はすでに潰れている。政府は顔で笑って、心で泣いている。国民みんなの欲しい国が変わったから、政府が今の国民みんなに国を売るのは無理である。知覚主義の国を作る政治機関が出来れば、今の国民みんなに国が売れて儲かるだろう。

[20485] 今の国民みんなは政府の国が要らないから買わなければいい。 h26.3.27
政治機関は国を作って国民みんなに国を売って国民みんなから税金をもらって儲[もう]ける会社である。
政府は五感主義の国を作っている。
しかし、今の国民みんなは五感主義の国を欲しくない。
だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府が作った国を買わなければいい。
今の国民みんなは知覚主義の国が欲しい。
だから、今の国民みんなは知覚主義の国を作る政治機関が出来てから税金を払って国を買えばいい。
それまでの間は仕事人(私設警察集団)にお金を払って犯罪者に復讐してもらえばいい。子供は塾に通って自由に勉強すればいい。

[20486] 今の国民みんなは日本をもとの知覚主義の国に戻している。 h26.3.27
政治機関は国を作って国民みんなに売って国民みんなからお金をもらって儲[もう]ける会社である。
政治機関は国を作るために国民みんなに命令や指示を出す。
政府は五感主義の国を作る会社である。政府はヨーロッパのような法律がない、神がいる、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者である、馬鹿が有利で利口が不利である、眼で見るだけで頭で考える喜びがない国を作る会社である。
昔の国民みんなはヨーロッパの真似[まね]をするために政府が作っている国が欲しかったから、政府に税金を払って政府に国を作ってもらって、政府に国を作ってもらうために政府の命令を指示を聞いていた。
反対に、今の国民みんなはもとの日本に戻すために政府が作っている国が欲しくないから、政府に税金を払わず政府に国を作らさないようにして、政府に国を作らせないために政府の命令や指示を聞かなくなっている。
今の国民みんなは『日本をもとの知覚主義の国に戻す運動』をやっている。そのためには、国民みんなは自分で知覚主義をやって、法律を守って、神がいないと思って、人間がみな平等だと思って、利口が有利で馬鹿が不利で、頭で考える喜びがある国にしないといけない。国民みんなは政治機関に頼らず自分自身で日本人に向いた国にしないといけない。実際に、今の国民みんなはすでにそうしている。政府は日本人に向かない五感主義の国を作る政治機関だから、国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府の国を買うのをやめて、政府に国を作らせないために政府の命令や指示を聞いてはいけない。国民がその都度[つど]警察や学校にお金を払って仕事をしてもらうようにすればいい。
今ではヨーロッパは日本よりも文明が進んでいないから、日本はヨーロッパを真似[まね]る必要はない。今の日本はヨーロッパに文明が追いついたから、ヨーロッパを真似なくていい。ヨーロッパ人は眼で見ることが得意なだけで頭で考えることは苦手である。日本人は眼で見ることは苦手だが頭で考えることは得意である。日本人のほうがヨーロッパ人よりも知覚が優れている。日本人は頭がよすぎて眼で見ることに興味がないので科学が苦手なのである。ヨーロッパ人は頭が悪くて眼で見ることに興味があるので科学が得意なのである。日本人は頭がいいのですぐにヨーロッパ人の科学を理解してヨーロッパの科学を取り入れることができる。日本がヨーロッパの科学を取り入れているかぎり日本のほうがヨーロッパよりも先進国である。だから、日本はヨーロッパを真似ずに日本自身の文化でやればいいのである。国民みんなが日本の文化をやりながら、日本人の中にいる“科学が得意な人”がヨーロッパの科学を勉強して科学を取り入れて日本の文明を進めてくれればいい。
ヨーロッパ人は毎日犯罪を犯して政府や宗教団体や暴力団にお金を取られて虐[いじ]められて不幸な生活をしている。日本人は法律を守ってみんなが平等にしてなかよく平和に暮らしている。ヨーロッパ人は眼先の喜びがあるだけで心は不幸である。日本人は眼先の喜びはあまりないが心は幸福である。人間が幸福に暮らすためにはヨーロッパよりも日本のほうがいい。
ヨーロッパには立派な法律があるが、みんなが「自分の頭が悪くて法律がわからない」という理由で法律を守っていない。だから、ヨーロッパでは犯罪が多いのである。日本ではみんなが頭がよくて法律がわかるので法律を守っている。だから、日本では犯罪が少ないのである。外人と日本人では頭の出来が違うので文化や習慣が違う。日本人は自分と外人が同じだと考えてはいけない。
ヨーロッパは『巧言令色鮮[すくな]し仁』であることを国全体で表している。ヨーロッパ人は脳の五感野だけが発達した奇形である。ヨーロッパがもっと善[い]い国だったら、政府がいくらでも日本をヨーロッパみたいな国にしてもいいのだが、実際にはヨーロッパは見掛けがいいだけでそれ以外は悪いところばっかりの嫌な国だから、政府が日本をヨーロッパみたいな国にしてはいけない。日本人みんなで早く政府を倒して、日本をもとの善い国に戻さないといけない。

[20487] どうして日本は江戸時代に鎖国をやったのか? h26.3.27
日本が鎖国をやったのは、日本にヨーロッパの五感主義を取り入れないためである。
ヨーロッパの五感主義は日本人を不幸にするので、江戸時代の日本人は自分を不幸にしないために鎖国をやったのである。

しかし、日本人には科学が弱い欠点があるので、日本が鎖国をしたために日本の文明がヨーロッパよりも大きく遅れてしまった。
そのため、幕末になって日本人は急遽[きゅうきょ]鎖国を解いてヨーロッパの文化を大々的[だいだいてき]に取り入れた。たしかにヨーロッパの科学は日本人を幸福にしたが、案の定[あんのじょう]ヨーロッパの五感主義は日本人を不幸にした。
戦後になって日本はヨーロッパの文明をあらかた取り入れるのが終わった。
そのため、今の日本ではもう一度鎖国をやっている。日本は科学が弱い以外は善い国である。日本がヨーロッパを真似[まね]ないと科学が遅れるが、日本がヨーロッパを真似[まね]すぎて五感主義をやるとかえって不幸になる。だから、今の日本は“選択的に鎖国”をやって、ヨーロッパの科学だけを受け入れて五感主義を受け入れないようにしている。今の日本人はヨーロッパの科学だけを受け入れて、日本古来の知覚主義をやって政府を潰[つぶ]して、自分の国を自分にとって幸福な国にしている。日本は近代にヨーロッパの文明を大急ぎで取り入れるためにヨーロッパの科学と五感主義の両方を取り入れてしまったから、現代になって日本から余計な五感主義を排除しているのである。
日本人は頭がいいからヨーロッパの科学を受け入れられるが、逆にヨーロッパ人は頭が悪いから日本の知覚主義を受け入れられない。日本人は自分の知覚主義とヨーロッパの科学で自分にとって幸福な国を作れるが、ヨーロッパ人は自分の五感主義と自分の科学で自分にとって幸福な国を作れない。日本はヨーロッパに勝った。今後は日本の時代だ。だから、日本人はヨーロッパの科学を受け入れながら自分の知覚主義をやればいいのである。
日本人はヨーロッパ人が日本の知覚主義を取り入れるのを拒[こば]みはしない。日本人はヨーロッパ人に無料で喜んで日本の知覚主義を差し上げよう。ヨーロッパ人は日本人の知覚主義を取り入れられるなら取り入れてみろ!
今後は国際化の時代だから、世界中の人々が互いに助け合って自分の国の長所を活かし自分の国の欠点を外国の長所で補って世界中のみんなが幸福に暮らせばいい。科学はヨーロッパの長所である。五感主義はヨーロッパの短所である。知覚主義は日本の長所である。科学が弱い(実在に興味がない)のが日本人の短所である。日本人は自分の知覚主義とヨーロッパの科学をやればいい。日本人が五感主義をやったのでは逆効果である。日本人は他人を分析的に見て他人のいいところを真似[まね]て悪いところを真似ないようにしないといけない。この世には何から何まで善い人間はいない。反対に、何から何まで悪い人間もいない。だから、人間は自分の長所を活かしてお互いに助け合ってみんなで幸せに暮らせばいい。
要するに、ヨーロッパは科学がいいだけでほかにいいところが何もない。反対に、日本は科学が弱いだけでほかはすべていいところである。だから、日本はヨーロッパの科学だけを取り入れてほかは取り入れないようにして日本の弱点を補って日本をよりよい国にすればいいのである。

[20488] 科学は知覚主義の産物である。 h26.3.27
ヨーロッパは科学が得意だがそれ以外は苦手である。ヨーロッパの五感主義はヨーロッパ人自身を不幸にしている。しかし、ヨーロッパ人は頭が悪いのでいつまでたっても五感主義を直すことができない。
日本人にとってヨーロッパの科学は幸福だが、ヨーロッパの五感主義は不幸である。
近代の日本人はヨーロッパの科学と五感主義を非選択的に取り入れてしまったために、日本は眼先で幸福になったが心で不幸になってプラスマイナスゼロでけっきょく儲[もう]からなかった。
日本人が真[しん]に幸福になるためには、ヨーロッパの科学だけを取り入れて、五感主義を取り入れなければいい。
そもそも科学は知覚主義の産物である。科学はヨーロッパの中にいる少数の天才が頭で考えて作った知的産物である。科学は知覚で理解するものである。五感でわかるものではない。だから、知覚主義の日本人でも科学がわかるのである。科学は知覚の産物だから、日本にいくら科学をたくさん取り入れても日本が五感主義の国に変わることはない。最近の中国やインドが科学を積極的に取り入れているのは、日本が科学を取り入れてもいっこうに五感主義の国に変わらないのを見て、自分が科学を取り入れても大丈夫[だいじょうぶ]だと思ったからである。
日本はヨーロッパの科学だけを取り入れて、五感主義を取り入れなければいい。そうすれば、日本は知覚主義の国のままである。日本は日本人にとって幸福な国のままである。反対に、ヨーロッパの五感主義は日本人を不幸にする。だから、日本人はヨーロッパの五感主義を絶対に取り入れてはいけない。日本人は自分で五感主義をやってはいけないし、五感主義の政治機関である政府を置いておいてはいけない。日本人はさっさと政府を滅ぼして、日本を日本人にとって幸福な国にしないといけない。
ヨーロッパの科学は天才が作ったものだが、ヨーロッパの五感主義は馬鹿が作ったものである。だから、科学を取り入れれば国が善くなるが、五感主義を取り入れれば国が悪くなる。日本は科学だけを取り入れて、五感主義を取り入れなければいいのである。
幕末の日本人は「ヨーロッパ人は1種類の人間だけであり、科学は五感主義の産物だ」と思っていたので、五感主義と科学を両方とも受け入れたのである。しかし、本当は『ヨーロッパ人は多数の馬鹿と少数の天才からなる複合民族であり、科学は知覚主義の産物であって、五感主義とは別物だった』のである。だから、幕末の日本人は科学だけを受け入れて、五感主義を受け入れなければよかったのである。幕末の日本人がヨーロッパ人に対する理解が足りなかったために、科学と五感主義をいっしょに受け入れてしまったのである。今の日本人は同じあやまちを繰り返してはいけない。今の日本人は科学を拾って五感主義を捨てねばならない。科学と五感主義は別物である。政府は五感主義の国を作る会社であって科学の国を作る会社ではない。科学を取り入れているのは国民であって政府ではない。だから、国民みんなで早く政府を倒せばいい。

[20489] どうして幕末の日本人は五感主義を受け入れたのか? h26.3.27
幕末の日本人はヨーロッパの文明が日本よりもはるかに進んでいることを知ってショックを受けた。
幕末の日本人は「文明は五感主義の産物だ。ヨーロッパの文明を受け入れるためにはいっしょに五感主義も受け入れねばならない。」と思っていた。
そのために、日本はヨーロッパの文明を受け入れるために、ヨーロッパの五感主義も受け入れたのである。日本人は五感主義を受け入れるのは嫌だったが、ヨーロッパの文明を受け入れるためにしかたなくヨーロッパの五感主義も受け入れたのである。政府が建って国民の支持を集めて国民みんなから税金をもらって五感主義の国を作るようになったのである。
たしかに文明は日本人の生活を便利にして日本人を幸福にしてくれた。しかし、反対に五感主義は日本人の喜びを奪って日本人を不幸にした。
そこで、戦後の日本人は『文明は五感主義の産物ではない。文明は知覚主義の産物である。文明と五感主義は関係ない。文明をやるためには五感主義をやる必要はない。五感主義をやらなくても文明はやれる。』と考えを変えて、五感主義をやるのをやめて、文明だけをやることにしたのである。
そのため、今の日本人はあいかわらず文明をやっているが、五感主義をやめて知覚主義に戻っている。政府は五感主義の国を作る会社だから、今の国民は『政府なんかもう要らない』と思って政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。国民にとって政府は不幸の種だから、国民は早く政府を潰せばいいのである。
文明は知覚主義の産物である。日本は知覚主義の国だから、日本人は文明は好きだが五感主義は嫌いである。日本人は文明と折り合いがいいが、五感主義とは折り合いが悪い。だから、日本人は文明だけやって五感主義をやらなければいい。政府は五感主義の国を作る会社だから、国民みんなは政府に税金を払わずに政府を潰して政府に国を作らせなければいいのである。

[20490] 文明をやるためには五感主義をやる必要はない。 h26.3.27
昔の国民は「文明をやるためには五感主義をやらねばならない」と思っていたから、文明をやるためにしかたなく五感主義をやって、政府に税金を払って五感主義の国を作らせていた。
今の国民は『文明をやるためには五感主義をやる必要はない』と考えているから、文明をやっても五感主義をやらなくなって、政府に税金を払わなくなって五感主義の国をなくしている。政府を潰[つぶ]している。
今の国民は五感主義をやめて知覚主義をやっている。政府は五感主義の国を作る会社である。知覚主義と五感主義は対立している。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
政府は昔の国民が「文明をやるためには五感主義をやらねばならない」と思っていたために出来た余計なお荷物である。今の国民は『文明と五感主義は関係ない』と思っているから、文明だけやって五感主義をやめて政府を倒している。日本は知覚主義の国である。日本人は知覚主義をやればいい。知覚主義では文明をやれる。知覚主義だけでも十分文明がやれる。めくらは科学ができないが、いちおう眼が見える人なら誰でも科学がやれる。知覚主義では五感主義はやれない。だから、日本人は文明をやって五感主義をやってはいけない。日本人は五感主義をやめて、政府に税金を払うのをやめて五感主義の国を作らせてはいけない。
つまり、もともと日本は知覚主義でやればよかったのである。文明は知覚主義でやれるから、わざわざ五感主義をやる必要はなかったのである。昔の国民が「五感主義でないと文明がやれない」と誤解していたために、文明を取り入れるために五感主義をやっていたのである。今の国民は正しく『知覚主義でも文明はやれる』と考えて、五感主義をやらずに文明だけをやればいいのである。余計な五感主義をやらなくていいのである。政府に税金を払って五感主義の国を作ってもらわなくていいのである。

[20491] 知覚主義でも文明がやれる。☆ h26.3.27
昔の国民は「五感主義でなければ文明はできない」と思っていたから、ヨーロッパの文明を取り入れるためにわざわざ知覚主義をやめて五感主義をやっていた。政府に税金を払って五感主義の国を作らせていた。
今の国民は『知覚主義でも文明がやれる』と考えているから、ヨーロッパの文明を取り入れるためにわざわざ五感主義をやらなくなった。政府に税金を払わず五感主義の国を作らせなくなった。
今の国民はもとの自分の知覚主義のままで文明をやっている。そもそも文明は五感主義ではなく知覚主義の産物なので知覚主義で文明がやれるのである。むしろ、五感主義よりも知覚主義のほうがうまく文明がやれるのである。最近の文明はそこまで発達しているのである。デカルトやニュートンやアインシュタインの後だから当然だろう。最近の科学は知覚に根ざしているので、最近の文明は知覚主義になっているのである。
日本人が欲しいのは文明であって五感主義ではない。今の国民は文明だけやって五感主義をやっていない。政府は五感主義の国を作る会社である。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府に五感主義の国を作らせなくなったのである。
政治団体は昔の人の誤解や心理に乗っかって出来るものである。政治団体が昔の人を騙[だま]して出来るのではない。昔の人はいろんな認識の歪[ゆが]みがあったために、本来要らない余計な団体が出来ていたのである。今では文明が進んでみんなの考えが正しくなっているから、そんな余計な変な団体がだんだん出来にくくなっているのである。もうすぐ政府が潰[つぶ]れて、警察と学校だけになるのである。

[20492] 「文明を取り入れると五感主義になる」のは迷信である。☆ h26.3.28
昔は「文明を取り入れると五感主義になる」と信じられていた。昔は「牛肉を食べると牛になる」と信じられていたのと同じことである。近代に日本は文明を取り入れたから、日本人は自分が五感主義になったと思って五感主義をやっていた。政府に税金を払って五感主義の国を作らせていた。
しかし、今では『文明を取り入れても五感主義にはならない』と信じられている。今では『文明と五感主義とは無関係であり、知覚主義でも文明を取り入れられる』と考えられている。だから、今の日本ではみんなが知覚主義をやりながら文明をやっているのである。文明は五感主義か知覚主義かによらず誰でもどこの国でも取り入れられるものである。だから、世界中のみんなが安心して文明を取り入れればいい。
だから、今の日本ではみんなが五感主義をやめてもとの自分の知覚主義に戻っている。みんなが知覚主義をやっている。政府は五感主義の国を作っている。だから、今ではみんなが政府に税金を払うのをやめて政府に五感主義の国を作らせるのをやめたのである。政府が潰[つぶ]れているのである。早く政治機関なんていう鬱陶[うっとう]しい物がなくなって、国民みんなが自由に自分の好き勝手にやれる社会になればいい。
政府は五感主義の政治機関だから、五感主義では嘘[うそ]をついてもいいから、政府は自分で五感主義をやってテレビや新聞でみんなに嘘をついて「政府は今の国民みんなに支持されている」とか「政府は国民みんなを儲[もう]からせている」とか「政府は国民みんなを幸せにしている」とか言っている。政府は嘘つきだから、政府の言うことは当てにならない。国民は自分で考えて政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。

[20493] 日本人は政府に税金を払って五感主義の国を買わなくていい。 h26.3.28
政治機関は国を作って国民に国を売って国民から税金をもらって儲[もう]ける会社である。政治機関が国民に売れる国を作れば政治機関は儲かるが、反対に政治機関が国民に売れない国を作れば政治機関は潰[つぶ]れる。
政府は五感主義の国を作って国民に売って儲ける会社である。
近代の国民は「文明を取り入れると五感主義になる」と思って文明を取り入れるために五感主義を支持していたから、政府に税金を払って政府に国を作らせていた。
今の国民は『文明を取り入れても五感主義にはならない』と思って文明を取り入れながらもとの自分の知覚主義をやっているから、政府に税金を払わず政府に国を作らせなくなっている。
今では政府は儲からなくなって潰れている。
日本人はもともと知覚主義だから、ヨーロッパみたいな五感主義の国が嫌いである。だから、日本人はわざわざ政府に税金を払って五感主義の国を買わなくていい。今では国民みんなが政府の国を買っていないから、君も買わなければいいのである。
政府は五感主義の政治機関だから、五感主義では嘘[うそ]がつけるから、政府は自分でも五感主義をやって嘘をつく。嘘をつくぐらいはヨーロッパでは当たり前なので、政府は嘘をつくのである。政府はテレビや新聞で嘘をついて「政府は国民みんなが喜ぶ国を作っている」と言って、実際には国民みんなが嫌がる国を作っている。政府は嘘の国を売って国民から税金をもらって儲けている。政府は嘘のコマーシャルで儲ける会社である。今では国民の多くは政府が嘘をついていると思って政府の国を買わなくなっている。今では政府の嘘に騙[だま]されている馬鹿が政府に税金を払って政府の国を買っているだけである。君も馬鹿の仲間に入りたくなかったら、政府に税金を払ってはいけない。

[20494] 今の国民みんなは日本を『文明がある知覚主義の国』にしないといけない。 h26.3.28
昔の国民は「文明を取り入れると五感主義になる」と思って、自分が文明を取り入れたために五感主義になったと思って五感主義をやっていた。昔はみんなが法律を破って、神がいると思って、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者だと思って、馬鹿を有利に利口を不利にして、眼で見るだけで頭で考える喜びのない暮らしをしていた。昔はみんなが政府に税金を払って政府に手伝ってもらって日本を五感主義の国にしていた。
しかし、今の国民は『文明を取り入れても主義は変わらない』と思って、自分が文明を取り入れてももとの自分の知覚主義をやっている。今はみんなが法律を守って、神がいないと思って、人間がみな平等だと思って、利口を有利に馬鹿を不利にして、頭で考える喜びのある暮らしにしている。今ではみんなが政府に税金を払わず日本を五感主義の国にしないようにしている。
政府は五感主義の国を作って売る会社である。今の国民みんなは知覚主義である。今の国民みんなは政府の国が要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府の国を買わなければいい。
今の国民みんなは日本を『文明がある知覚主義の国』にしないといけない。今の国民みんなは早く政府を潰[つぶ]して、日本を知覚主義で統一した国にしなければならない。
日本人はもともと頭がいい。日本人がヨーロッパ人みたいな馬鹿になろうと思っても無理である。日本人がヨーロッパ人の真似[まね]をしてもわざとらしくてさまにならない。だから、日本人は日本人らしくしないといけない。
日本はもともと知覚主義の国である。近代の日本ではみんなが「文明を取り入れると五感主義になる」という迷信のためにヨーロッパ人の真似をしていただけである。今の日本人が迷信を信じてヨーロッパ人の真似をするのはみっともない。日本人は日本人のまま冷静にヨーロッパの文明だけを受け入れればいいのである。

[20495] 今は国民みんなが政治機関を入れ替えている最中[さいちゅう]である。 h26.3.28
もともと日本は知覚主義の国である。日本人は大脳の知覚が発達しているから知覚主義である。日本の政治機関は知覚主義の政治機関であり、国民みんなから税金をもらって知覚主義の国を作っていた。
ところが、近代の日本では国民みんなが「文明を取り入れると五感主義になる」という迷信を信じていたから、自分がヨーロッパの文明を取り入れたために五感主義に変わったと思って、日本を五感主義の国にしなければならないと思って、知覚主義の政治機関である幕府に年貢[ねんぐ]を払わなくなって幕府を倒して、五感主義の政治機関である政府を建てて政府に税金を払って五感主義の国を作ってもらっていた。
しかし、戦後に国民みんなが『文明を取り入れても主義は変わらない』と考えるようになって、自分がヨーロッパの文明を取り入れても知覚主義のままだと思って、日本を知覚主義の国に戻さなければならないと思って、五感主義の政治機関の政府に税金を払わなくなって政府を倒して、知覚主義の政治機関(警察と学校)を建ててお金を払って知覚主義の国を作ってもらおうとしている。
今はまだ政府が建っているが、そのうち知覚主義の政治機関が建つだろう。みんなはあせらずに待てばいい。

[20496] 今の日本人には五感主義は要らない。 h26.3.28
日本は知覚主義の国である。知覚主義の国ではみんなが頭がいいので法律や道徳をよく守って、みんなが平等になかよく平和に暮らしている。しかし、みんなが眼で見えることに興味がないために科学が弱い。
反対に、ヨーロッパは五感主義の国である。五感主義の国ではみんなが眼がいいので科学が強い。しかし、みんなが頭が弱いので法律や道徳を守らず物騒[ぶっそう]であり、政治機関や宗教団体や暴力団を上の者だと思って命令を聞いて虐[いじ]められて不幸に暮らしている。
日本人は頭がいいからヨーロッパの文明を受け入れられる。いくら日本人がヨーロッパの文明を受け入れても日本人の主義は変わらない。だから、日本人はヨーロッパの文明を受け入れながら自分の知覚主義をやって行けばいい。そうすれば、みんなが物に不自由せずに、犯罪がなく他人と平等に暮らせて幸福である。日本人は物についても人についても幸福である。政府は五感主義の国を作る会社だから、今の国民にとっては五感主義の国が要らないから、政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]してなくせばいい。
一方、ヨーロッパ人は頭が悪いので日本の知覚主義を受け入れることができない。ヨーロッパ人は五感主義をやるしかないので不幸なままである。ヨーロッパ人は物には不自由しないが、犯罪が多くて他人と不平等なので不幸である。ヨーロッパ人は物について幸福なだけで人については不幸である。

[20497] 国民みんなは政治機関よりも強い。☆ h26.3.28
近代の国民みんなは自分がヨーロッパの文明を取り入れて五感主義に変わったと思った。
幕府は知覚主義の国を作る会社だった。
近代の国民みんなは幕府の国が要らなくなったので幕府に年貢[ねんぐ]を払わずに幕府を倒した。
つまり、国民みんなのほうが政治機関よりも強いのである。だから、国民みんなは自分勝手に政治機関の国を買うか買わないかを決めればいい。
今の現代の国民みんなは自分がヨーロッパの文明を取り入れても自分の主義が変わらずもとの自分の知覚主義のままだと思っている。実際に、今の国民みんなはすでに知覚主義である。
政府は五感主義の国を作る会社である。政府は自分が民主主義の政治機関だと言っているが、本当は五感主義の政治機関である。国民がいくら待っても政府は知覚主義の政治機関に変わってくれない。
国民みんなのほうが政治機関よりも強い。だから、今の国民みんなは五感主義の国が要らないから、政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
いくら時代が変わっても、国民みんなと政治機関の関係は同じである。国民みんなのほうが政治機関よりも強い。だから、国民みんなは政治機関のことを心配せずに自分勝手に一方的に政治機関の国を買うか買わないかを決めればいいのである。

[20498] 今の国民は政治について考えが足りない。 h26.3.29
今の国民はまじめに暮らしている。しかし、『自分が知覚主義をやっている』ことを知らない。
今の国民は政府がなんとなく悪い団体であることは知っている。しかし、『政府が五感主義の政治機関である』ことを知らない。
今の国民は自分が政府に従わねばならないと思っている。今の国民は『国民みんなが政治機関よりも強いから自分が政府を倒せばいい』ことを知らない。
今の国民は政治についてよく知らないから、自分が何をしているのか政府が何なのか自分が政府をどうすればいいのかわからないのである。そのために、国民みんなが知覚主義になってから半世紀経[た]った今でも政府が元気に残って五感主義の国を作り続けているのである。
今の国民はもっと自分の頭で政府について考えて、政府についての理解を深めて、胸を張って政府を倒せるようにならねばならない。そうすれば、日本は善[い]い国になるだろう。
国民は国の中で暮らしている。だから、国民が幸福に生きるためには善い国にしなければならない。今の国民はもっと自分の国について考えて、どうすれば自分の国がもっと善い国になるかを考えねばならない。
しかし、国民の多くは政治に興味がないから政治について考えないだろう。しかし、一部の国民は政治に興味を持って政治について考えているに違いない。すでに一部の国民は私と同じことを考えて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているに違いない。しかし、自分の考えを国民みんなに教えようとしないから、今でも多くの国民が昔と同じように政府に従ったままなのである。今ではインターネットや携帯電話などの情報を伝えるための便利な道具が出来ている。それらを活用して国民みんなに『政府は今の国民みんなが嫌な国を作っているから国民みんなで政府を倒さねばならない』ことを教え合って早く政府を倒さねばならない。

[20499] 今の国民は政府を倒していないために政府に不幸にされている。 h26.3.29
昔の人は「文明を取り入れると五感主義になる」と思っていた。近代の国民は日本にヨーロッパの文明を取り入れるためには、日本を五感主義の国にしないといけないと思っていた。そのために、自分でも五感主義をやって、知覚主義の国を作る幕府に年貢[ねんぐ]を払わなくなって幕府を倒して、替[か]わりに五感主義の国を作る政府を建てて政府に税金をやって国を作らせていた。
今の人は『文明を取り入れても主義は変わらない』と考えている。今の国民は日本にヨーロッパの文明を取り入れても日本は知覚主義の国のままだと考えている。そのために、自分は知覚主義をやり、五感主義の国を作る政府に税金を払わなくなって政府を倒して、替わりに知覚主義の国を作る政治機関を建ててお金をやって国を作らせたらいいと思っている。
政府は昔の人が「文明を取り入れると五感主義になる」という迷信を信じていたために出来た余計な団体である。そんな迷信は今はない。だから、今の国民はさっさと政府を倒して政府をなくさねばならない。
国民みんなと政治機関の主義が違うのは世界広しと言えども日本だけである。日本だけ国民みんなが政府に嫌な目にあわされている。国民みんなが政府をちゃんと倒して政府をなくしていないからそういうことになるのである。国民みんなの怠慢[たいまん]のせいである。国民みんなの自業自得である。今では世界中が日本人が馬鹿だと思って日本人を軽蔑[けいべつ]してなめている。国民みんなは自分が幸福になるために自分が世界中からなめられないために政府を倒して政府をなくさねばならない。
今の国民みんなは知覚主義をやっている。政府は五感主義の国を作っている。今の国民みんなにとっては政府の国が要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わずに政府を倒して政府に国を作らせなければいい。それぐらい、今の国民が自分で考えて自分でやらねばならない。国民がいい歳した大人なら自分ひとりでやれねばならない。国民が会社を倒すためには会社の商品を買わなければいい。政治機関の商品は国である。だから、国民が政治機関を倒すためには国民が政治機関に税金を払わず政治機関の国を買わなければいい。国民は国民個人であると同時に国民みんなの中の一人でもある。一人の国民の後ろには国民みんなが付いている。国民は国民みんなの代表として国民みんなのために勇気を出して政府に税金を払わず政府を倒さなければならない。

[20500] 昔の国民は「文明を取り入れると五感主義になる」と誤解していた。 h26.3.29
もともと日本は知覚主義の国である。
ところが、近代の国民が「文明を取り入れると五感主義になる」と思っていたので、日本が文明を取り入れたために五感主義の国になったと思って、日本を五感主義の国にするために、国民みんなが五感主義をやって、幕府に年貢[ねんぐ]を払うのをやめて幕府を倒して、政府に税金をやって五感主義の国を作らせていた。
しかし、実際には『文明を取り入れても主義は変わらなかった』ので、日本が文明を取り入れても知覚主義の国のままだったので、日本を知覚主義の国にするために、国民みんなは知覚主義をやって、政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作らせねばならない。
今の日本では国民みんなは知覚主義をやっているが、政府に税金をやって国を作らせている。これではいけない。
今の日本では国民みんなは政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、知覚主義の政治機関にお金を払って国を作らせねばならない。
政治機関は国民みんながお金をやって国民みんなにとって必要な国を作らせるためにある。今の国民みんなにとっては知覚主義の国が必要である。だから、国民みんなで五感主義の国を作る政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作らせねばならない。
今では国民の知性が上がっているので、知覚主義の政治機関は警察と学校だけでいい。できれば警察も学校もなければいいが、警察がまったくないと不安だし、学校がないと馬鹿の国みたいだからかっこ悪い。国民みんなは自分が利用したいときに警察と学校にお金をやって仕事をしてもらえばいいのである。


戻る