[20301] 政府は国を滅ぼす政治団体である。 h26.3.6
政府は心主義の政治団体である。政府は心主義の国を作る団体である。
政府は心主義をみんなに広めてみんなを自分の好き放題にさせて、自分でも心主義をやって国民みんなを自分の好き放題にして国をメチャクチャにする団体である。
人間の心は生まれつきの実在についての認識であり、人間の心には多くのまちがいがあるから、心主義ではうまくいかない。国がメチャクチャになる。みんなが不幸になる。
政府は国を滅ぼす政治団体である。政府では国がうまくいかない。政府に国作りを任せてはいけない。今では人間はみな平等だから、政治団体と国民は平等だから、国民みんなは政府を倒して、正しい主義の政治団体に国作りをやってもらわなければならない。
[20302] 政府はどうして間接民主制をやっているのか? h26.3.6
政府が心主義で国を国民みんなを自分の好き勝手にするためである。
間接民主制の実体は独裁制である。間接民主制は見かけが民主制なだけで、じつは独裁制である。政府は自分が国を好き放題にするために間接民主制=独裁制をやっているのである。
そのために、政府はわざわざイカサマ社会学者を使って「多数決の原理」を設けさせて国会議事堂を建てて国中で選挙をやっているのである。政府は国民みんなに「現在の科学技術では直接民主制をやるのは無理だ」といいわけを言ってみんなに間接民主制=独裁制を受け入れさせているのである。
政府は心主義の政治団体だから自分が好き勝手をやるために間接民主制=独裁制をやっているのである。
反対に、知覚主義の政治団体は科学制=実在制をやる。知覚主義の政治団体は、自分の頭を使って実在のことを知って、実在の法則に基づいて国民みんなの心を満足する国を作る。知覚主義の政治団体は、知覚主義=実在主義で国民みんなが実在の中で幸福に暮らせる国を作る。知覚主義の政治団体はみんなの心を考慮してみんなが満足する国を考えて作るので、わざとらしい議会や選挙をやらない。電化製品のメーカーがわざわざ国民みんなの多数決を採らなくても自分で国民みんなが満足する商品を考えて作るのと同じことである。
政府は心主義の政治団体だから国を自分の好き勝手にして国をメチャクチャにして壊すだけである。心主義の政治団体は国のことをやってみんなに偉そうにしてみんなを従わせてみんなを虐[いじ]めて不幸にしてみんなが幸福に暮らせない国を作る。反対に、知覚主義の政治団体は実在に従う国作りをやってみんなが実在の中で心を満足して幸福に暮らせる国を作る。
国民みんなが幸福に暮らすためには政府のような心主義の政治団体よりも知覚主義の政治団体のほうがいい。国民みんなで早く政府を倒して、別の政治団体に替えたほうがいい。
要するに、人間がこの世で幸福に生きるためには心主義よりも知覚主義がいい。政治団体はみんなが同じひとつの主義で生きる国を作る団体である。政府はみんなが心主義で生きる国を作る団体である。知覚主義の政治団体はみんなが知覚主義で生きる国を作る団体である。だから、人間が幸福に生きるためには政府よりも知覚主義の政治団体のほうがいいのである。政府はみんなを不幸にする不吉[ふきつ]な政治団体である。だから、みんなでさっさと縁起の悪い政府を倒して、ほかのみんなを幸福にする縁起のいい政治団体を設けなければならない。
[20303] 政府の町ではみんなが自分の好き勝手なことができる。 h26.3.6
政治団体はみんなが同じひとつの主義で暮らす町を作る団体である。
政治団体が町を買って実験的に自分の主義で町を作って、町を気に入った者が引越しして町に住んで暮らすようにすればいい。
人気のある政治団体はみんなが町に入って来て大きい町になって儲[もう]かる。
人気のない政治団体はみんなが町から出て行って誰もいない町になって潰[つぶ]れる。
それ以外の町では国民みんなが法律だけを守ってテンデンバラバラに自由に暮らしている。
そういう国にすれば、国民みんなが自分の好きな主義で生きていけるだろう。
例えば、政府は心主義の政治団体だから、政府の町ではみんなが自分の好き勝手なことができる。他人を殺そうが他人の物を奪おうがやりたい放題である。そういうことが好きな人は引越ししてでも住みたいだろう。そういうことが嫌いな人は政府の町からさっさと引越しして出て行くだろう。
これからの国は国民が自分の好きな政治団体を選べるようにしなければならない。それなら、みんなが満足のいく人生を送れるだろう。
しかし、今では知覚主義が正しいことがわかっているから、国民みんなは知覚主義の政治団体の町に入って暮らすだろう。国民みんなが知覚主義の政治団体にお金を払って町を作ってもらうだろう。今では心主義がまちがっていることがわかっているから、国民みんなは政府の町から出て行って暮らすだろう。国民みんなが政府にお金をやらず政府に町を作らせないだろう。
[20304] 政府の町には法律がない。 h26.3.6
今では人間がみな平等だから、国民と政治団体は平等だから、国民は自由に政治団体を選んで政治団体の町に住むことができる。たとえ政治団体の町の中では国民が政治団体に絶対に従わねばならないことになっていても、実際には国民は政治団体を自由に選ぶことができるのである。政治団体がみんなに嘘[うそ]をついているだけである。
今のところはまだ国民みんなが政府の町に住んでいる。政府は心主義だから、政府の町ではみんなが自分の好き勝手にできる。心主義の町には法律がないから、みんなが法律を破っていい。人殺しをしようが強盗しようが無罪である。警察も刑務所も要らない。テレビや新聞では犯人が警察に捕まって刑務所に入れられて罰せられているが、実際には無罪になって今でも町なかを平気で堂々と歩きまわって遊びまわっているのである。もっとも、自分が罰せられるのが好きな者は自分で警察に「自分を罰してください」とお願いすれば罰してもらえる。政府もみんなに対して町のことをやって偉そうにしてみんなに「政府が上の者だ」と思わせて上の者をやってみんなを好き放題にしている。政府は自分勝手にみんなを虐[いじ]めてみんなから税金を取って遊びまわっている。もちろん、政府も無罪である。
政府の町には人間が住めたものではない。政府の町はいずれみんなが不幸になってみんなが暮らせなくなって廃墟と化すだろう。
だから、国民みんなは早く政府の町から出たほうがいい。国民みんなが政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいい。
今では心主義がまちがいで知覚主義が正しいことがわかっている。だから、国民みんなで知覚主義の政治団体を建てて知覚主義の政治団体に町を作ってもらえばいい。
[20305] 国民が政治団体を選べばいい。 h26.3.6
今では文明が進んでみんなが頭で物を見るようになって『人間がみな平等である』から、政治団体と国民が平等だから、国民が政治団体を選んでいい政治団体と契約してお金を払って国を作ってもらえばいい。
政府は心主義の政治団体である。政府はみんなが心主義で暮らせる国を作る団体である。政府はみんなが自分の心のままに生きていける国を作る団体である。実際には、政府の国は人間が生きていけない地獄である。人間の心には多くのまちがいがあるから、人間が自分の心のままに生きると人間はまちがいを犯して不幸になるのである。
今では心主義がまちがいで知覚主義が正しいことがわかっている。人間は心主義では不幸になる。人間は知覚主義では幸福になる。
政府は悪い政治団体である。知覚主義の政治団体が善い政治団体である。
だから、国民みんなは政府と契約するのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいい。国民みんなは知覚主義の政治団体を建てて、知覚主義の政治団体にお金をやって知覚主義の政治団体に国を作ってもらえばいい。
国民にとって政府は役立たずのクズの政治団体である。国民みんなは政府にお金をやらないようにしてさっさと政府を捨てればいい。
[20306] 国民が善[い]い政治団体を選べば国が繁栄する。☆ h26.3.6
大昔は国に政治団体がなくて、国民みんなが自分の好き勝手な主義で自由に暮らしていた。
しかし、時代が下[くだ]ると政治団体が現れて、国民みんなを同じひとつの主義で暮らさせるようになった。
正しい主義の政治団体の時代は、みんなが正しい主義で暮らして国が繁栄した。みんなが幸福に豊かに暮らしていた。
反対に、まちがった主義の政治団体の時代は、みんながまちがった主義で暮らして国が衰退した。みんなが飢[う]えて死にかけていた。
政府は心主義の政治団体である。今では知覚主義が正しく、心主義がまちがいであることがわかっている。今では『人間がみな平等だ』から、国民が自由に政治団体を選べる。だから、国民みんなは政府を潰[つぶ]して知覚主義の政治団体に建て替えなければならない。国民みんなは政府を潰すために政府に税金を払ってはいけない。
今の日本が不景気なのも政府のためである。はやから政府の効果が現れている。このままでは日本がダメな国になる。そうなる前に早く政府を倒さなければならない。
[20307] 今ではみんなが知覚主義を支持している。 h26.3.6
政府は明治維新のときに「自分が民主主義の政治機関だ」と嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して建って、みんなに密[ひそ]かに心主義を植え付けてみんなを心で物を見るようにさせて、『人間の偉そうにする者に従う心理』を利用して国のことをやって偉そうにしてみんなに「政府が上の者だ」と思わせてみんなを従わせてみんなに命令してみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めるようになった。
しかし、戦後に国の文明が急激に進んで、みんなが心で物を見ることから頭で物を見ることに変わった。みんなが「政府を上の者だ」と思わなくなって政府に従わなくなった。みんなが科学の便利さに味をしめて『人間が幸福に生きるためには知覚主義でなければならない』と考えて、『政府は心主義の政治団体だから、政府はみんなを不幸にする』と考えて政府を倒すようになった。
そのために、今ではみんなが政府に税金を払わなくなって政府を倒している。厄介者[やっかいもの]を追い払っている。
早くみんなで政府を倒してみんなを不幸にする者をなくして、正しい知覚主義の政治団体を建ててみんなを幸福にしてもらわなければならない。
[20308] 今の国民は知覚主義が正しいことを知っている。 h26.3.6
戦後に国の文明が急速に進んで、みんなが自分の頭で考える暇ができて、みんなが頭で物を見るようになった。
今ではみんなが哲学に詳[くわ]しくなって『人間が幸福に生きるためには心主義ではなく、知覚主義でなければならない』ことを知っている。『人間が幸福に生きるためには自分の心のままに生きるのではなく、自分の頭で考えて実在のことを知って実在の中で自分の心を満足しなければならない』ことを知っている。理系の人にとっては常識である。現代文学の一大テーマだから文系の人でも知っている。
ところが、政府は心主義の政治機関である。政府は民主主義の政治機関のふりをしているが、本当は心主義の政治団体である。政府は国民みんなにまちがった心主義を植えつけてみんなに自分の好き放題にさせて、自分でも心主義をやって国民みんなを好き放題にして国民みんなから税金を取って国民みんなを国家宗教などで虐[いじ]めている。
政府は国民みんなを不幸にする政治団体である。
だから、今の国民みんなで政府を倒さねばならない。政治団体は国民からお金をもらって自分の主義で国を作る会社である。今では『人間はみな平等』だから、今では国民と政治団体は平等だから、国民が政治団体にお金をやって仕事をさせるかお金をやらずに仕事をさせないかは国民個人の自由である。今の国民みんなは心主義が嫌いである。政府は心主義の政治団体である。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらずに政府に心主義の国を作らせなければいいのである。
早くみんなで政府を倒して、知覚主義の国を作る政治機関にお金をやって知覚主義の国を作ってもらわなければならない。
[20309] 今の国民は自分で知覚主義をやっている。 h26.3.6
政府は最初の一時[いっとき]「自分が民主主義をやって国民を幸福にする」と言って国民に善いことをやって国民に政府を信用させて、あとで密[ひそ]かに国民に心主義を植え付けて国民を心で物を見るようにさせて『人間の偉そうにする者に従う心理』を利用して国民の前で国のことをやって偉そうにして国民を政府の言いなりにして国民に命令して税金を取ったり国民を虐[いじ]めたりする。
今でも政府は熱心に国民に心主義を植えつけて国民を心で物を見るようにさせているが、今の国民は政府のやり方がわかっているので自分が政府の言いなりにならないようにして、自分で考えて頭で物を見るようにして知覚主義をやっている。
そのために、今の国民は自分で政府の言いなりから抜け出して、政府と平等になっている。今の国民は『自分が政府に従うか従わないかは自分の自由だ』と考えている。
今の国民は『知覚主義が正しく、心主義がまちがいである』ことを知っている。今の国民は『政府が心主義の国を作る政治団体である』ことを知っている。政府が頭で考えて国民みんなが満足する国を作る団体ではなく、心のままに好き放題にして国を壊す団体だと知っている。今の国民は『政府が国民みんなを不幸にする団体だ』『政府が国を滅ぼす団体だ』と考えて、政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。おそらく中世の国民も同じことを考えて同じことをやって政府を潰したのだろう。歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。
早く知覚主義で国民が幸福に暮らせる国を作る政治団体が現れればいい。人間社会のことに詳[くわ]しい国作りのエキスパート集団が現れればいい。そうすれば、国民みんなが喜んでお金を払って国を作ってもらうだろう。
今の国民は頭で物を見ているから、政治団体に心理で従わないから、よっぽど腕のいい団体でないかぎり国民はお金を出さないだろう。最初の一時だけでなく、その後もずっと様子を見ていい国を作らなくなったら政治団体にお金を出さなくなって政治団体を潰すだろう。将来はコンピューターが自動で国作りをするだろう。そうなれば、政治団体は要らない。それまではみんなが多少の胡散[うさん]臭さを我慢しながら政治団体に国を作ってもらうしかない。
政府は心主義の政治団体である。政府は国民に心主義を植え付けて『人間の偉そうにする者に従う心理』を利用して国民を従わせる団体である。それしか政府の“取り柄”[とりえ]がない。どうせ、今度政府が出来るときは、政府は「コンピューターで完全な政治をやる」と言って国民の気を引いて、実際には密かに国民に心主義を植え付けて国民を心で物を見るようにさせて国民に偉そうにして国民を従わせるだろう。政府は国民を虐めてばかりいて大した国作りをしないだろう。国民は政府の同じ手に引っ掛からないように注意して、頭で『政府と国民が平等だ』と考えて政府に従わないようにして、さっさと政府を倒さなければならない。
[20310] 政府は国民をアホウにして儲[もう]ける団体である。 h26.3.6
今ではみんなが『知覚主義が正しく、心主義がまちがいである』ことを知っている。政府の人も知っている。
政府は心主義の政治団体である。
政府は国民に心主義を植え付けて国民を頭で考えないアホウにするだけで、国民の役に立たない。政府は国民をアホウに改造して政府に従わせて国民に命令して国民からお金を取って儲けたり国民を虐[いじ]めて遊んだりするだけである。政府は国民みんなをアホウにして国民みんなを貧乏で不幸にする。政府は最初から国民をアホウに変えて自分が儲けることしか考えていない。政府は国民のために汗水流して国民が幸福に暮らせる国を作ったりする気はさらさらない。
政府にアホウに変えられて政府の言いなりになっているのが今の国民の真の姿である。今の政府が見かけで民主制をやって本当は独裁制をやっているように、今の国民は見かけがかっこいいだけで本当はアホウなサルなのである。
だから、国民は早く政府を倒さねばならない。
国民は早く政府を倒して、政府の替わりに知覚主義の政治団体を建てて知覚主義の国を作ってもらえばいい。知覚主義の政治団体は人間社会についての知識を活かして国民みんなが幸福に暮らせる国を作ればいい。みんなに知覚主義を植え付けてみんなが知覚で物を見る国にすればいい。
幕府は知覚主義の政治団体だったから、幕府は国民をアホウにする手が使えなかったから、本当に国民の役に立つことをしなければならなかった。本当に国民が幸福に暮らせる国を作らなければならなかった。幕府こそが真の政治機関である。今の政府はニセモノのインチキ政治機関である。今の政府は幕府の足元にも及ばない役立たずのクズ機関である。今の国民は政府に飼い慣らされて政府のようなクズ機関を政治機関だと思ってはいけない。国民みんなでさっさとニセモノの政治機関の政府を倒して、幕府のような本物の政治機関に仕事をやってもらわねばならない。
[20311] 善い政治団体があると国が発展してみんなが幸福になる。☆ h26.3.6
政治団体はみんなが同じひとつの主義をやる国を作る団体である。つまり、政治団体は国民みんなの哲学の先生である。
正しい主義の政治団体はみんなに正しい主義を守らせるので国が発展してみんなが幸福になる。
反対に、まちがった主義の政治団体はみんなにまちがった主義を守らせるので国が衰退してみんなが不幸になる。
知覚主義が正しい主義で、心主義がまちがった主義である。
政府は心主義の政治団体である。政府は国民みんなに心主義を押し付けて国民みんなをアホウにする。
だから、政府は国を衰退させる政治団体である。政府は国民みんなを不幸にする政治団体である。
だから、国民みんなは政府を倒さなければならない。国民が政府に税金をやって国を作ってもらうか税金をやらず国を作ってもらわないかは国民一人一人の自由だから、国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒さなければならない。
国民みんなで早く知覚主義の政治団体を建てて善い国を作ってもらわなければならない。
[20312] 政府は国民の役に立たない。 h26.3.6
政府は心主義の政治団体である。
政府は国民に心主義を押し付けるだけではなく、自分自身も心主義をやっている。
政府は自分でも心主義をやって自分の心で好き勝手に国を作っている。
ところが、人間の心は実在に無知だから、政府は国をめくらめっぽうに弄[いじ]って動かしてメチャクチャにして台無しにしてぶち壊しにしてキャッキャキャッキャ喜んでいる。
政府は国を作る団体ではなく、国を壊す団体である。
政府は国民の役に立っていない。政府は国民を儲[もう]からせて国民を幸福にしてくれはしない。
だから、国民は政府にお礼に税金を払う必要はない。
国民は政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20313] とにかく政府は心主義の政治団体である。 h26.3.6
たとえ政府が善いことをしようが悪いことをしようが、とにかく政府は心主義の政治団体である。
政府はみんなが心のままに生きていく国を作る団体である。政府は国民みんなに心主義をやらせて頭で考えないようにするし、自分でも心主義をやって国をいたずらに弄[いじ]りまわって国をメチャクチャに荒らしている。[政府は心主義の国を作る政治団体である。政府は頭のいい人を殺すこともある。ナチスがユダヤ人を大量虐殺したのも心主義の国を作るためである。昔の中国政府が学者を生き埋めにしたのも心主義の国を作るためである。]
心主義はまちがった主義である。心主義の政治機関は国民みんなを不幸にして国を滅ぼす。
政府は心主義の政治団体である。だから、国民みんなは政府を滅ぼさねばならない。
今では国の文明が進んで国民みんなが頭で物を考えるようになっている。税金は政府が心主義の国を作るためのお金である。国民をアホウに変えるための費用や、政府が国を壊した修理代などである。国民は自分が心主義をやる気もないのに政府に税金を払ってはいけない。国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
知覚主義は正しい主義である。だから、知覚主義の政治機関があったほうがいいかもしれない。知覚主義の政治機関があれば国民みんなに知覚主義をやらせて頭で考えるようにするし、自分でも知覚主義をやって人間社会のことをよく研究して人間社会についての知識を活かして国民みんなが幸福に暮らせる国を作るだろう。知覚主義の政治機関はすごくやりがいのある仕事である。今は知覚主義の時代だから、これから伸びる職業である。人を虐めるのが好きな人は、自分の国のみんなに知覚主義をやらせて虐[いじ]めてみないか?
[20314] 国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。 h26.3.7
政府は政治団体である。
政治団体は哲学の先生である。
政治団体は政治団体の主義を信じる者に政治団体の主義を説いて政治団体の主義を守らせる。宗教団体が神の教えを信じる者に神の教えを説いて神の教えを守らせるのと同じことである。
政治団体は国を支配している団体ではなく、政治団体の主義を正しいと信じる国民が政治団体に従っているだけである。
国民が宗教団体に従うか従わないかが自由であるように、国民が政治団体に従うか従わないかも自由なのである。
政府は心主義の政治団体である。
今では知覚主義が正しく、心主義がまちがいであることがわかっている。自然科学の成功が知覚主義の正しさを証明している。
だから、国民みんなは政府に従ってはいけない。国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
将来知覚主義の政治団体が出来て国民が政治団体に従って幸福に生きていけるなら、お金のある国民が政治団体にお金を払って従えばいいだけである。
昔はみんなが心主義が正しいと信じていた。私が生まれる前(今から50年以上前)はそういう時代だった。そのころは、みんなが心主義が正しいと信じて政府に従っていた。
しかし、今ではみんなが知覚主義が正しいと信じている。今ではみんなが知覚主義が正しいと信じて知覚主義を守って、政府に従わなければいい。政府に税金を払わず政府の主義を守らなければいい。政府が自分を民主主義の政治機関と言っているのは政府の嘘[うそ]である。心主義では嘘は付き物だから、政府は嘘をつくのである。心主義では実在の世界がないから、自分が嘘をつきたければ嘘をつけばいいのである。政府は民主主義の政治機関ではなく、本当は心主義の政治団体である。心主義では自分の心のままにやればいいから、政府は自分の心のままに好き勝手にやっているだけである。一方、今の国民は知覚主義だから、政府を上の者だと思わないから、政府に従わなくていい。今の国民は知覚主義だから、政府とは別の主義だから、今の国民は政府に従わなくていい。だから、今の国民は政府の命令で政府に税金を払ったり政府の命令でマンガを読んだりしなくていい。キリスト教に入っていない人がキリスト教会に「お金を払え」と言われても払わなくていいのと同じである。
政府は心主義の政治団体だから、心主義では嘘をついていいから政府は嘘をつくのである。だから、政府は国民に嘘をついて見かけでは国民と平等にしながら、実際には密[ひそ]かに国民に心主義を植え付けて『人間の偉そうにする者に従う心理』を利用して国民に対して国のことをやって偉そうにして国民を政府に従わせているのである。反対に、幕府は知覚主義の政治団体だったから、知覚主義では嘘をついてはいけないから幕府は正直にしなければならなかったから、幕府は自分が上の者をやっていること(つまり、幕府が『人間の偉そうにする者に従う心理』を利用して国民に対して偉そうにして国民を幕府に従わせていること)をみんなに正直に示すために国民みんなの眼の前で正々堂々と大名行列をやったのである。
[20315] 政府は古臭い政治団体である。☆ h26.3.7
今でも世界中の政府が心主義の政治団体である。国によって多少政府の心主義のやり方が違っているが、世界中の政府が心主義をやっている。いまだに世界中の政府が心主義の国を作っている。みんなが心のままに生きていける国を作っている。
しかし、今では心主義は古臭い迷信だと言われている。今では知覚主義が正しく、心主義はまちがいだと考えられている。
そのために、今では世界中の政府がみんなに古臭い政治団体だと思われてみんなから嫌われている。
今では世界中のみんなが知覚主義が正しいと考えて政府に従わなくなっている。政府に税金を払わなくなって政府の命令に従わなくなっている。
そのために、今では世界中の政府が潰[つぶ]れている。
人々の思想は時代によって変わるから、古臭いまちがった主義の政治団体が潰れるのは当然だ。
昔はみんなが心主義が正しいと考えていたから、心主義の政治団体である政府が建って政府がみんなを従わせていた。
今ではみんなが知覚主義が正しいと考えているから、知覚主義の政治団体が建って知覚主義の政治団体がみんなを従わせればいいのである。
[20316] 徳川幕府☆ h26.3.7
徳川幕府は知覚主義の政治団体だった。
徳川幕府は“哲学のスペシャリスト集団”を抱[かか]えていたのだろう。
徳川幕府(1603-1867)が建ったのはベーコン(1561-1626)やデカルト(1596-1650)が生まれたのとほぼ同じ年代である。
ヨーロッパでは個々の知覚主義の哲学者がいただけだったが、日本人は知覚主義の政治機関まで作ってしまうのだ。当時の日本は世界最先端の先進国だったのだ。
幕府が知覚主義の政治機関であるのに対し、政府は心主義の政治機関である。幕府は政府と反対の政治機関である。物質に正物質と反物質があるのと同じだ。幕府は政府の心主義を芝居に見立てて、自分は現実主義だから芝居をしないから幕府と言ったのである。心主義では人間が自分の心のままに好き勝手にやるので、芝居も人間が自分の心のままに話を作るので、心主義を芝居に喩[たと]えたのである。
おそらく『知覚主義の政治機関』は日本にしかないだろう。幕府は日本独自の政治機関なのだ。
しかし、明治維新のときに幕府が潰[つぶ]れた。明治維新のときには国民みんながヨーロッパの文化を受け入れた。当時の日本ではみんなが「ヨーロッパが心主義の国だ」と思っていたために、国民みんなが心主義が正しいと考えるようになった。しかし、幕府は知覚主義の国を作っていた。国民は幕府がまちがった国を作っていると思った。だから、当時の国民は幕府が要らないと考えて、幕府に従うのをやめて幕府に年貢[ねんぐ]を払うのをやめて幕府を倒したのである。その後で、心主義の政治機関である政府が建って、政府が国民みんなと同じ国を作っていたので、国民みんなが政府に従うようになったのである。
さらに、今では国の文明が進歩して、科学の時代になって、みんなが知覚主義をやっている。みんなが知覚主義が正しいと考えている。一方、政府は心主義の国を作っている。今の国民は政府がまちがった国を作っていると思っている。そのため、今の国民は政府が要らないと考えて、政府に従うのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒しているのである。つまり、今は国民みんなが政府を倒している最中[さいちゅう]なのである。将来、知覚主義の政治機関が建てば、国民みんなは知覚主義の政治機関に従ってお金を払って国を作ってもらうだろう。
[20317] 今の国民は政府がまちがっていると考えて政府を倒している。☆☆ h26.3.7
政治機関は国を作る会社である。政治機関は国民からお金をもらって国を作ることが仕事である。昔から国には政治機関が必要だと考えられている。
政治機関と国民は平等である。国民は自分が正しいと考える政治機関にお金を払って国を作らせればいい。
江戸時代の国民みんなは知覚主義が正しいと考えていた。幕府は知覚主義の国を作っていた。だから、国民みんなが幕府に年貢[ねんぐ]を払って知覚主義の国を作らせていた。
戦前の国民みんなはヨーロッパにかぶれて心主義が正しいと考えていた。幕府は知覚主義の国を作っていた。政府は心主義の国を作っていた。だから、国民みんなが幕府に年貢を払うのをやめて幕府を倒して、政府に税金を払って心主義の国を作らせていた。
戦後の国民みんなは文明が進歩して知覚主義が正しいと考えている。(国民の主義はコロコロよく変わるものだ。)政府は心主義の国を作っている。だから、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府を倒している。将来、知覚主義の政治機関が建てば、国民みんなは知覚主義の政治機関にお金を払って知覚主義の国を作らせるだろう。
日本が江戸時代に進歩しすぎたのが悪かったのだ。日本はもっと世界に合わせてゆっくり進歩すればよかったのだ。
[20318] 昔はみんなが心主義だったために政治機関と国民が不平等になっていた。☆
h26.3.7
本来政治機関と国民は平等である。実在においては政治機関と国民は平等である。
知覚主義では、人間の知覚が物事を正しく見るから、知覚主義では実在と同じように政治機関と国民は平等である。政治機関は国民と自由に契約を取って国民からお金をもらって国を作る仕事をする。
ところが、心主義では、人間の心に「国のことをやる者を偉そうだと思う心理」や「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」があるために、国民が「政治機関を上の者だ」と思って政治機関に従うようになる。そのために、政治機関と国民が不平等になる。政治機関と国民の間に身分の差が生まれて、国民が下の者に、政治機関が上の者になるのである。
昔は国の文明が遅れていて、みんなが心で物を見ていたから、みんなが心主義だった。だから、身分制があって、国民みんなが政治機関に従っていた。政治機関は国民に命令して税金を取ったり、国民を虐[いじ]めたりしていた。
しかし、今では国の文明が進んで、みんなが頭で物を見るようになっているから、みんなが知覚主義である。[心主義では人間が自分の心のままに好き勝手にやっていいから人殺しをしてもいい。今の人は自由に人殺しをしてもいいと思っていないから知覚主義である。]だから、今では政治機関と国民が平等であって、政治機関が国民の家を一軒一軒まわって国民と契約を取って国作りの仕事をしないといけないことになっている。今では国民は知覚主義が正しいと考えているから、知覚主義の政治機関と契約して、それ以外の政治機関とは契約しない。政府は心主義の政治機関だから、今の国民は政府と契約しない。今の国民は政府に税金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。将来、知覚主義の政治機関が建てば、国民は政治機関と契約してお金を払って国を作ってもらうだろう。
[20319] 今の政府は死ぬ寸前である。 h26.3.7
政府は心主義の政治機関である。
ところが、今の国民は知覚主義である。
だから、今の国民の多くは政府に従っていない。今の国民の多くは政府に税金をやらなくなって政府を倒している。
今の政府はお金がなくなって、ようようで活動している。
もう少し多くの国民が政府に従わなくなれば政府はドカッと潰[つぶ]れるだろう。
その後で、知覚主義の政治機関が建って、国民みんなからお金をもらって国を作るだろう。
知覚主義では政治機関と国民は平等だから、国民は政治機関と自分が平等だと考えているから、政治機関が高い料金を取ると国民は契約しないだろう。政治機関は自分の仕事に見合うリーズナブルな料金を国民から取るだろう。だから、政治機関の国作りの料金はけっして高すぎはしないだろう。
[20320] 今の国民みんなは政府を潰[つぶ]せばいい。 h26.3.7
政治機関は国を作る会社である。政治機関は国民みんなからお金をもらって自分の主義で国を作る会社である。
昔は心主義の時代だったからその名残[なごり]で今でも多くの国民が「政治機関が国民よりも上の者だ」と思っているが、本来政治機関と国民は平等である。だから、国民は政治機関と自由に契約して国を作ってもらえばいい。国民は自分が欲しい国を作っている政治機関にお金を払って国を作ってもらい、自分が欲しくない国を作っている政治機関にお金を払わず国を作ってもらわなければいい。
今の国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。心主義がまちがっていると考えている。今は科学の時代であり、科学は知覚主義だから、今の国民みんなは知覚主義を支持している。今は文明が進んで生活が便利になって、みんなに考える暇が出来てみんなが頭で物を見るようになって知覚主義の時代になったのである。今は国民みんなが人殺しをしたり強盗をしたりしてはいけないと思っているから知覚主義の時代である。
ところが、政府は心主義の政治機関である。政府は心主義の国を作る団体である。
今の国民みんなにとって政府はまちがった主義の国を作っている。
だから、今の国民みんなにとって政府は要らない。今の国民みんなは政府にお金をやらずに政府を潰せばいいのである。
知覚主義の政治機関が建てば、国民みんなは知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいい。
政府が民主主義の政治機関というのは政府の嘘[うそ]である。政府は本当は心主義の政治機関である。心主義では嘘をついてもいいから、政府は自分を民主主義だと言っているのである。政府は本当はひたすら心主義の国を作るだけであって、国民みんなに合わせて知覚主義の国を作ったりはしない。国民みんなは政府の看板に騙[だま]されないようにして、政府を倒さねばならない。もしも、政府が正直に自分を心主義の政治機関だと言っていたら、国民みんなはとっくの昔に政府を潰している。国民みんなは頭の目で『政府が心主義の政治団体だ』と見て、政府を倒さねばならない。
要するに、今の政府は民主主義の政治機関の嘘で持っているだけである。国民みんなは早く政府の嘘を見破って、政府に従うのをやめて政府に税金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
政府は心主義の政治機関である。昔の国民みんなは心主義が正しいと考えていた。昔の国民みんなは政府を建てて、政府に心主義の国を作ってもらっていた。しかし、今の国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。今の国民みんなはさっさと政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関に国を作ってもらわねばならない。
[20321] 税金は国民が政府に国を作ってもらうためのお金である。 h26.3.7
今は科学の時代である。科学は知覚主義である。だから、今では国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。
知覚主義の世界では、人間はみな平等である。だから、政治機関と国民は平等である。国民は自分が正しいと思う主義で国を作る政治機関にお金をやって国を作ってもらい、自分がまちがっていると思う主義で国を作る政治機関にお金をやらず国を作ってもらってはいけない。
ところが、政府は心主義の政治機関である。今の国民は心主義がまちがっていると考えている。だから、今の国民は政府にお金をやらず国を作ってもらってはいけない。
税金はそもそも国民が政府に心主義の国を作ってもらうためのお金である。心主義の世界では政府が国民よりも上の者だから、政府は国民に命令して国民から強制的に税金を取っているが、本来は税金は国民が政府に国を作ってもらうための代金なのである。
しかし、今の国民は心主義がまちがいだと考えているから、国民は政府に税金を払わなくていい。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
[20322] 政府はみんなを不幸にする団体である。 h26.3.8
政府は心主義の政治団体である。
心主義では人間が自分の心のままに好き勝手にすればいいことになっている。
だから、政府は自分勝手な政策をやって国をデタラメに弄[いじ]りまわっている。政府は国をメチャクチャにして国をうまくいかないようにして国を貧乏にするだけである。
政府は国を儲[もう]からせる団体ではない。政府は国を発展させる団体ではない。政府は国を繁栄させる団体ではない。
政府は国を貧乏にする団体である。政府は国を衰退させる団体である。政府は国を滅亡させる団体である。
「政府のおかげで国民が豊かに暮らせる」なんて国民のとんだ思い違いである。国民が政府の民主主義の政治機関の嘘[うそ]に騙[だま]されているからである。
政府は国を滅ぼす団体である。中世の日本では政府のせいで国が滅びかけていた。国民みんなが不幸のどん底だった。今でさえ政府のせいで国が不景気になっている。このまま政府を置いておくとますます国の不景気が深刻になる。
政府は国を儲からせる団体ではない。政府は国を貧乏にする団体である。政府は国民を不幸にする団体である。
日本は中世の二の舞をやってはいけない。
今では知覚主義が正しく、心主義がまちがいだとわかっている。人間は知覚主義によってのみ幸福になれる。人間は心主義では幸福になれない。人間は心主義では不幸になるだけである。今の人は正しい哲学がわかっている。今の人にとってはもはや知覚主義か心主義かの選択の余地はないのである。
政府は心主義の政治機関である。政府はみんなが心主義で生きて行く国を作る団体である。政府はみんなを不幸にする団体である。だから、国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今の国民はわざわざ自分が政府に不幸にされるために政府に税金を払っている。国民が政府にお金をやってもお金の無駄[むだ]である。国民は政府に税金を払ってはいけない。
[20323] 今ではみんなが知覚主義が正しいことを知っている。 h26.3.8
心主義とは、人間が実在を支配することである。人間が自分の心のままに好き勝手にすることである。
知覚主義とは、人間が実在に従うことである。人間が知覚で実在を知り、知覚で自分の心を知り、実在の中で自分の心を満足することである。
要するに、心主義とは人間が頭を使わずに生きることである。知覚主義とは人間が頭を使って生きることである。
今では知覚主義が正しく、心主義がまちがっていると考えられている。人間の心は実在や心自身について無知だから、心主義では人間がまちがいを犯して心が満足できなくなって不幸になるだけである。反対に、人間の頭は実在や心について正しく知ることができるから、知覚主義では人間が正しく自分の心を満足できて幸福になれるのである。
政治団体はみんなが同じひとつの主義で生きる国を作る団体である。
だから、知覚主義の政治団体は正しく、心主義の政治団体はまちがっている。知覚主義の政治団体はみんなを幸福にし、心主義の政治団体はみんなを不幸にする。
今では国民みんなが知覚主義が正しいことがわかっている。
政府は心主義の政治団体である。政府はみんなを不幸にする。
だから、今では国民みんなが政府に政治代(つまり税金)を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
将来、知覚主義の政治機関が建ってから、国民は政治機関にお金を払って国を作ってもらえばいい。
[20324] 政治機関は国民みんなが国を作らせるための奴隷[どれい]である。
h26.3.8
江戸時代にはみんなが知覚主義が正しいと思っていた。そのため、みんなで知覚主義の国を作る幕府を建てて、幕府に年貢[ねんぐ]を払って知覚主義の国を作らせていた。
戦前はみんなが心主義が正しいと思っていた。そのため、みんなで幕府に年貢を払わないようにして幕府を潰して、心主義の国を作る政府を建てて、政府に税金を払って心主義の国を作らせていた。
戦後はみんなが知覚主義が正しいと思っている。そのため、みんなで政府に税金を払わないようにして政府を潰している。みんなで知覚主義の国を作る政治機関を建てて、知覚主義の政治機関にお金を払って知覚主義の国を作らせようと考えている。
政治機関は自分の得意な主義で国を作る団体である。国民みんなが政治機関にお金をやって国を作らせるのである。人間がバイクにガソリンを与えて走らせるのと同じことである。人間が馬にニンジンをやって走らせるのと同じである。政治機関は国民からお金をもらって国を作る機械である。政治機関は国民みんなが国を作らせるための奴隷である。だから、国民みんなは自分が正しいと思う主義の国を作る政治機関にお金をやって国を作らせて、自分がまちがっていると思う主義の国を作る政治機関にお金をやらないようにして潰せばいいのである。
[20325] 今の国民みんなはゆっくりと政府を倒している。 h26.3.8
政府は心主義の国を作る団体である。「政府が民主主義の政治機関である」ことが政府の嘘[うそ]であることぐらいみんなが知っている。国民みんなが自分で自分の主義を決めるのであって、政府が国民に心主義を植えつけたりはしない。
昔はみんながヨーロッパ文化を受け入れるために心主義が正しいと思っていた。だから、みんなが政府に心主義の国を作らせるために、政府に税金を払っていた。昔はみんなが心主義をやっていたので、自分の心にある「偉そうにする者に従う心理」によって政府が国のことをやって偉そうにするのを見て「政府が上の者だ」と思って政府に従うようになって政府の命令で高い税金を払ったり政府に虐[いじ]められてもおとなしくするようになったのである。政府と国民が不平等になって身分制が出来たのである。
しかし、今ではみんなが科学のために知覚主義が正しいと思っている。今ではみんなが知覚主義をやっているので、自分の心にある「偉そうにする者に従う心理」が働かなくなって『人間がみな平等だ』と考えるようになって、政府と自分が平等だと考えている。みんなが政府に心主義の国を作らせないために政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府が滅んでいる。
今ではみんなが知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の政治機関にお金を払って知覚主義の国を作ってもらえばいいと思っている。
昭和40年(1965年)ごろまでは科学の時代ではなかったので、みんなが心主義が正しいと思っていた。そのために、みんなが政府にお金をやって心主義の国を作らせていた。最近までは、昭和40年以前に生まれた人が国民の大半を占めていたので国民の大半が心主義が正しいと思っていたので、政府が大勢の国民からお金をもらって残っていたのである。しかし、最近は、昭和40年以後に生まれた人が国民の大半を占めるようになって国民の大半が知覚主義が正しいと思っている。そのために、みんなが政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいるのである。
幕末の黒船来航のときはみんながパニックだったからみんなが急に心主義に変わって大急ぎで幕府を潰して政府を建てたが、今は科学の時代になっただけだから急ぐ必要がないので、みんながゆっくり知覚主義に変わってのんびり政府を潰して知覚主義の政治機関に替えている。だから、みんなはそのうち自分が知覚主義が正しいと思ったら政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
[20326] 知覚主義の政治機関はどれだけの仕事をするか? h26.3.8
知覚主義の世界には法律がある。だから、知覚主義の政治機関には最低限警察が必要である。
あとは知覚主義の政治機関のやる気しだいである。知覚主義の政治機関が社会科学の知識を活かしてみんなが幸福に暮らせる国を作ってくれればいい。知覚主義の政治機関がやる気を出せばいくらでもやることがある。[政治機関がどのように“国作り”をするかは政治機関自身が決めることである。昔は国民みんなが心で物を見ていて政治機関を上の者だと思っていたから、政治機関が好き勝手に“国作り”をするのに任せていた。今では国民みんなが頭で物を見て政治機関と自分が平等だと考えているから、国民みんなが政治機関に自分がやって欲しいことを言ってやってもらうようになるかもしれない。]
知覚主義の政治機関がやる気を出していろんなことをやれば、みんなの暮らしはかなり善くなるが、高くつく。
反対に、知覚主義の政治機関が警察しかやらなければ、みんなの暮らしはあまり善くならないが、安くて済む。
今ではみんなが知覚主義が正しいと考えているから、知覚主義の政治機関が建てばみんなが契約するだろう。みんなが知覚主義の政治機関にお金を払って仕事をしてもらうだろう。知覚主義の政治機関がどれだけの仕事をするかは、国民みんなの懐具合[ふところぐあい]と相談して決めればいいことである。
知覚主義の世界では政治機関と国民は平等である。国民は政治機関と自由に契約して仕事をやってもらえばいい。知覚主義の政治機関は実際に仕事をやるし正直だから、国民に自分がやった仕事を言えばいい。政治機関が代金に見合った仕事をしていれば、国民は政治機関と契約を続けるだろう。政治機関があまりにも怠慢なら、国民は政治機関と契約をやめるだろう。
反対に、心主義の世界では政治機関と国民は不平等である。国民は政治機関を上の者だと思って政治機関に従って政治機関の命令で税金を払ったり虐[いじ]められたりしないといけない。心主義の政治機関は国民のために仕事をしないし嘘[うそ]つきだから、国民が政治機関の言うことを聞いても無駄[むだ]である。やはり、心主義の世界は国民にとって不利である。心主義よりも知覚主義のほうが国民にとって有利である。だから、国民みんなは心主義をやめて知覚主義をやればいいのである。たとえ世界のどこかの国が心主義をやっていても、自分は知覚主義をやればいいのである。
昔の日本は文明が遅れていて、昔はみんながまだ心で物を見ることが多くて『偉そうにする者に従う心理』が強かったので、ローマやヨーロッパが植民地を取って偉そうにしているのを見て、自分がローマやヨーロッパに従わねばならないと思ってローマやヨーロッパに従っていた。ローマやヨーロッパが心主義をやっていたので、みんながローマやヨーロッパを一生懸命に真似[まね]て心主義をやった。そのために、みんなが心のままに好き放題にするようになって国がメチャクチャになってみんなが不幸になって貧乏になって国が滅びかけていたのである。しかし、今の日本は文明が進んで、今ではみんなが頭で物を見るようになって『偉そうにする者に従う心理』がないので、いくら外国が植民地を取って偉そうにしていても外国を真似て心主義をやろうとしない。今の人は哲学上の理屈だけで知覚主義が正しいと考えて知覚主義をやる。だから、日本では今後二度とみんなが心主義をやらないだろう。知覚主義をやり続けていくだろう。
昔は国の文明が遅れていたために、みんなが心で物を見てまちがったことをたくさんやって不幸になっていた。今では国の文明が進んで、みんなが頭で物を見て正しいことをやって幸福になっている。文明の進歩はすばらしいものである。今後もみんなは文明を進ませるために頭で物を見て生きていかねばならない。みんなが知覚主義をやりつづけねばならない。
[20327] 今の国民みんなは政治機関を取り替えねばならない。 h26.3.8
政治機関は国のことをやる会社である。
とくに、政府は心主義で国のことをやる会社である。
昔(戦前)は国民みんなが心主義をやっていたので、「政府を上の者だ」と思って政府に従って政府に税金を払って政府に虐[いじ]められていた。[昔は国民みんなが心主義をやっていたので、みんなが無理に心のままにやって親が自分の子供を殺したり虐めたりしていた。昔は親が自分の子供を殺してもかまわなかった。今の政府がやっていることを昔はみんながやっていた(わかりやすい説明だなあ(笑))。今ではそんな親がほとんどいなくなって、そんなことをするとテレビのニュースに出る。]
今は国民みんなが知覚主義をやっているので、『政府と自分が平等だ』と考えて政府に従わなくなって、『政府がまちがった主義の国を作っている』と考えて政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。今の国民みんなは知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作って欲しいと思っている。
今では国民みんなの主義が進歩したために、政治機関が古臭くなって国民みんなに合わなくなってしまっている。国民みんなは早く古臭い政治機関を捨てて、新しい政治機関に取り替えねばならない。
今の国民みんなは自分が「心主義が正しい」と考えるのをやめて『知覚主義が正しい』と考えるなら、政府に従うのをやめて政府に税金を払わないようにして政府を倒さなければならない。キリスト教に入っていた者が「仏教が正しい」と考えを変えたら、キリスト教をやめればいいのと同じである。政府が「税金を払え!」とギャアギャア文句を言ってもとぼけて無視すればいい。今の国民みんなはもっと自分に正直にしないといけない。今の国民みんなが正直にすれば国民みんなは幸福になれる。
[20328] 知覚主義の国には政府は要らない。 h26.3.8
昔は国民みんなは心主義が正しいと考えていた。昔は心主義の国だった。心主義の国には法律がなかった。心主義の国ではみんなが自分の好き放題にできた。国民も政府も自分の心のままに人殺しや強盗をやっていた。政府は心主義の国を作る政治機関だった。昔の国民は心主義を支持していたので、政府に税金を払って国を作ってもらっていた。心主義の国では政府が国民よりも上の者だったから、政府が国民に命令したり国民を虐[いじ]めたりしていた。
しかし、今では国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。今は知覚主義の国である。知覚主義の国には法律がある。国民も政治機関もみんなが法律を守っている。知覚主義の国では人間はみな平等である。政治機関と国民は平等である。国民は自分が支持する政治機関にお金を払って国を作ってもらえばいい。政府は心主義の政治機関である。今の国民は心主義を支持しないから、政府に税金を払わなければいい。政府が潰[つぶ]れてなくなればいい。
知覚主義の国には政府は要らない。国民みんなでさっさと政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。日本が世界で一番最初に知覚主義の政治機関を建てねばならない。
国民みんなの主義が国を決める。国民みんなの主義が政治機関を決める。国民みんなは自分の主義に合わない政治機関を潰して、自分の主義に合った政治機関にお金をやって国を作らせねばならない。今の国民みんなは知覚主義を支持している。政府は心主義の政治機関である。だから、今の国民みんなは政府を潰して、知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関に国を作らせねばならない。
[20329] 今の国民みんなと政府は主義が違う。 h26.3.8
昔は国民みんなが心主義が正しいと考えていた。国民みんなは政府を建てて政府に心主義の国を作らせていた。心主義の国ではみんなが自分の心のままに好き放題にやらねばならなかった。政府はみんなが好き放題にやってもけっして罰しないようにした。政府は法律や道徳を撤廃してみんなが自由に悪いことができるようにした。政府自身も好き勝手にやって国民に命令したり国民を虐待したりしていた。心主義では政府が国民よりも上の者なので、国民は政府に従わなければならなかった。
今では国民みんなが知覚主義が正しいと考えている。国民みんなは知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の国を作らせねばならない。知覚主義の国では国民みんなも政治機関もみんなが法律を守らなければならない。知覚主義の政治機関は法律を破った者を罰しなければならない。政治機関は余裕があれば、社会科学の知識を活かして国民みんなが幸福に暮らせる国を作らねばならない。知覚主義では政治機関と国民が平等なので、政治機関は国民と自由に契約を取って国民からお金をもらって国民に仕事をしないといけない。
今の日本では国民みんなは知覚主義で、政府は心主義である。政府が心主義の国を作っているだけである。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府と契約せずに、政府に税金をやらずにさっさと政府を倒して、知覚主義の政治機関を建ててお金をやって仕事をさせねばならない。
今では国民みんなが知覚主義を支持している。今は知覚主義の国である。ところが、政府は心主義の政治機関である。知覚主義の国には心主義の政治機関は要らない。だから、今の国民みんなは政府と契約するのをやめて、政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。政府は困るがしかたがない。今の国民みんなも政府を倒すのは嫌だが、国民みんなと政府の主義が違うのでしかたがないのである。国民みんなと政府が細かい点で違うのは許せるが、主義まで違うともはや許せない。国民みんなで早く政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の国を作ってもらわねばならない。
中世の日本でも国民みんなが心主義をやめて知覚主義になった。しばらく政府が残っていたが、やがて潰[つぶ]れた。国民みんなが「自分と政府の主義が違うから、政府には気の毒だがしかたがない」と思って政府を潰したのである。今の日本も同じ状況である。だから、今の国民も遠慮せずに政府を潰せばいいのである。
江戸時代が終わってから国民みんなが知覚主義を抜けるのに時間がかかったように、科学の時代になってから国民みんなが心主義を抜けるのにも時間がかかっている。そのために、今の政府が潰れるのが遅れているのである。今の国民みんなは早く頭を切り替えて心主義から抜け出して知覚主義になって「政府が上の者だ」と思うのをやめて『自分と政府が平等だ』と思って政府を潰さねばならない。
国民みんなは自分の主義は自分で決めればいい。政治機関が自分の主義に反するときには政府機関を潰せばいい。自分の主義に合った政治機関を建てればいい。今の国民みんなは自分で知覚主義に決めている。政府は心主義をやっている。政府は国民みんなの主義に反する。だから、国民みんなは政府を潰せばいい。知覚主義の政治機関を建てればいい。
今の国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。今の国民みんなにとっては知覚主義の国を作る政治機関が欲しい。ところが、政府は心主義の国を作る政治機関である。だから、今の国民みんなにとっては政府が要らない。今の国民みんなは政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。国民みんなは自分の主義に合った政治機関を選ぶ自由がある。だから、今の国民みんなは政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てればいいのである。
[20330] 国民みんなには政治機関を選ぶ自由がある。☆ h26.3.8
今の国民みんなは知覚主義である。今の国民みんなは「人殺しや強盗をやってはいけない」と思っているから知覚主義である。
一方、政府は心主義の政治団体である。政府は民主主義の政治機関のふりをしているが、その正体は心主義の政治団体である。
国民みんなと政府は主義が違う。だから、政府には国民みんなの権力はなく、政府自身の権力しかない。
国民みんなは政治機関よりも権力が強い。だから、国民みんなは自分の主義に合った政治機関を建てて、自分の主義に合わない政治機関を潰[つぶ]すことができる。国民みんなには政治機関を選ぶ自由がある。政治機関を選ぶ権利がある。さすがの政治機関も国民みんなには勝てないから、国民みんなの主義に合わない政治機関は国民みんなに逆らえず黙っておとなしく滅ぶしかない。国民は国民みんなの権力で押して行って国民みんなの主義に合わない政治機関を倒せばいいのである。国民は国民みんなのために国民みんなの主義に合わない政治機関を倒してやらねばならない。
だから、今の国民みんなは政府を潰して、知覚主義の政治機関を建てればいい。今の国民は遠慮せずに政府を倒せばいいのである。今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒して、その代わりに知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいいのである。
[20331] 国民みんなは政治機関に先立[さきだ]つ。 h26.3.9
政治機関が建ってから、政治機関が国民みんなの主義を変えたのではない。政治機関が国民みんなに密[ひそ]かに自分の主義を植え付けて国民みんなの主義を変えたのではない。
国民みんなの主義が変わってから、国民みんなが政治機関を建てたのだ。国民みんなが自分の主義に合う政治機関を建てたのだ。
政治機関は国民みんなが建てるものである。国民みんなの主義が変わったときに、国民みんなで新しい政治機関を建てる。
だから、反対に、政治機関は国民みんなが壊すものでもある。国民みんなの主義が変わったときに、国民みんなで古い政治機関を壊す。
昔は国民みんなが心主義だったから、国民みんなで心主義の政治機関である政府を建てた。心主義では表裏があるから政府は表では民主主義をやって善い団体のふりをして、裏では自分の好き放題なことをして悪いことをやっているのである。
今は国民みんなが知覚主義に変わったから、国民みんなで古い政府を壊して、新しく知覚主義の政治機関を建てねばならない。
今の社会に政府があっても国民みんなにとって何の役にも立たない。むしろ、国民みんなにとって邪魔[じゃま]である。
だから、国民みんなで早く政府を除[の]けねばならない。国民みんなは早く新しい政治機関を建てねばならない。
[20332] 今では国民みんなが政府を倒している。 h26.3.9
今の国民みんなは知覚主義である。
一方、政府は心主義の政治機関である。
今の国民みんなと政府は主義が違う。
国民みんなのほうが政治機関よりも権力が強いから、国民みんなが政治機関を建てようが潰[つぶ]そうが国民みんなの勝手である。
だから、今では国民みんなが政府を倒しているのである。今の国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]しているのである。
政府は嘘[うそ]つきである。政府は心主義の政治団体だから、心主義では表裏があるから政府は嘘をつくのである。政府は本当は国民みんなに嫌なことをやって国民みんなを不幸にしているのに、テレビや新聞の上では政府が国民みんなのために役に立つことをやって国民みんなを幸福にしているふりをしているのである。政府は本当は国民みんなに倒されているのに、テレビや新聞の上では政府が国民みんなを従わせているふりをしているのである。
国民みんなはテレビや新聞の上の政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府が本当は悪いことをやっているのだと考えて、政府が本当は国民みんなに倒されているのだと考えて、政府を倒さねばならない。
今の国民みんなは知覚主義だから、知覚主義には表裏がないから、国民みんなは政府の言うことを真[ま]に受けがちである。国民みんなは『政府が嘘つきだ』と考えて、政府がテレビや新聞の上でやっていることを真に受けないようにして、自分の頭で正しく考えて政府を倒さねばならない。
[20333] 心主義と知覚主義ではどちらが正しいか? h26.3.9
心主義では、人間が心のままに好き放題にするが、心は物や心自身を知らないので、心では物を使って心自身を満足できないので幸福になれない。
知覚主義では、人間が知覚で物や心を理解するが、知覚は物や心を正しく理解できるので、知覚では物を使って心を満足させることができるので幸福になれる。
心主義では人間が幸福になれないが、知覚主義では人間が幸福になれる。だから、心主義よりも知覚主義が正しい。
昔は世界中で文明が遅れていて、みんなが頭で考える暇がなくて、みんなが心で物を見ていたので心主義だった。だから、昔はみんなが幸福になれなかった。
今では世界中で文明が進んで、みんなが頭で考える暇が出来て、みんなが頭で物を見ているので知覚主義になった。だから、今ではみんなが幸福になっている。
昔はアジアもヨーロッパもみんなが心主義だった。ヨーロッパがアジアに比べてちょっと心主義だったが、大雑把[おおざっぱ]に見ればアジアもヨーロッパも心主義だった。今ではアジアもヨーロッパもみんなが知覚主義である。人類が頭を使って考えて行って、心主義から知覚主義にしだいに変わって行ったのである。わざわざ自分が不幸になる主義をやる馬鹿はいないから、今では人類みんなが知覚主義である。
今では国民みんなが知覚主義である。それなのに、政府は心主義の政治機関である。今でも政府は自分ひとりで心主義をやっている。今では国民みんなは誰も政府を上の者だと思っていないのに、政府は自分が上の者だと思って国民を虐[いじ]めている。国民みんなと政府は主義が違う。だから、国民みんなは政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。
[20334] 今の国民は政治機関を建て替えなければならない。 h26.3.9
政治機関は国を作る会社である。
国民みんなが国民みんなと同じ主義の国を作る政治機関を建てて、国民みんなが政治機関にお金をやって国民みんなと同じ主義の国を作らせたのである。
もっとも、昔は国民みんなが心主義だったから、心で物を見ていたから、『偉そうにする者に従う心理』のために、政治機関が国のことをやって偉そうにしているのを見て「政治機関が上の者だ」と思って政治機関に従っていた。国民は政治機関の命令でお金を払ったり虐[いじ]められてもおとなしくしていた。
昔は国民みんなが心主義だったので政治機関を上の者だと思って政治機関に従っていたが、それでも国民みんなの主義が変わって政治機関が国民みんなの主義と合わなくなったときには、国民みんなで古い政治機関を倒して、新しく国民みんなと同じ主義の国を作る政治機関を建てた。
今では科学の時代になって、今の国民みんなは知覚主義が正しいと思っている。ところが、政府は心主義の国を作る政治機関である。政府は今の国民みんなにとって正しい主義の国を作っていない。だから、今の国民みんなは政府を倒して、今の国民みんなと同じ知覚主義の国を作る政治機関を建てねばならない。今の国民みんなは政府が「税金を払え!」と言っても政府に税金を払わないようにして政府を倒して、その後に知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいいのである。
今の国民みんなが十分知覚主義で『政治機関と自分が平等だ』と思っていれば、政治機関は国民と平等にして合理的な政治をするだろう。反対に、今の国民みんなが心主義が残っていて「政治機関が上の者だ」と思っていれば、政治機関は国民と不平等にして不合理的な政治をするだろう。今の国民みんなは知覚主義だから、もちろん『政治機関と自分が平等だ』と思って、政治機関に合理的な政治をさせねばならない。
[20335] 今の国民はどうして何もしないのか? h26.3.9
今の国民は戦前と同じように政府に従ったままである。政府に税金を払って政府に国を作らせている。今の国民は何もしない。
今の国民が何もしないのは、今の国民が馬鹿だからである。
今の国民は『自分が知覚主義である』ことがわからないし、『政府が心主義の政治団体である』こともわからないし、『国民みんなが自分に適した政治機関に入れ替えればいい』こともわからないし、何にもわからないから、おとなしくしているだけで何もしないのである。おとなしくしているだけで何もしないのは馬鹿の特徴である。
今は知覚主義の時代だから、国民みんなは自分の頭を使っていろんなことを知らねばならない。今の国民はもっと社会のことを知って、さっさと自分に適した政治機関に入れ替えなければならない。
国民みんなの主義が変わらないときには、国民は政治機関に対して何もしなければいい。しかし、国民みんなの主義が変わったときには、国民は多少面倒臭くても国民みんなの主義に合った政治機関に入れ替えなければならない。それが今の時代のわれわれの義務である。これまでもずっと国民みんなはそうしてきた。だから、今の国民みんなもそうしなければならない。
[20336] 今の国民は眼先で物事を鵜呑[うの]みにしてはいけない。 h26.3.9
昔はテレビや新聞がなかったから、みんなが自分の頭で考えていたから『政府が心主義の政治団体である』ことを知っていた。だから、みんなが知覚主義に変わったとき、みんながすぐに政府を倒して幕府にした。世の中の変化がスムーズだった。
今はテレビや新聞があるから、みんなが自分の眼で見て物事を鵜呑みにしているから、テレビや新聞で政府が国民みんなのために役に立つことをやっているのを見て「政府が国民みんなを幸福にする民主主義の政治機関だ」と思っている。だから、みんなが知覚主義に変わっても、みんながなかなか政府を倒して知覚主義の政治機関にしようとしない。そのために、今でも政府が残り続けているのである。
しかし、本当は政府は心主義の政治団体である。心主義には表裏があるから、心主義の政治団体は国民の眼につく所では国民のために善いことをやって、国民の眼の届かない所では国民を嫌がらせる悪いことをやっているのである。人間の心は曖昧[あいまい]だから、政府は善いことと悪いことの両方やっているのである。人間の心には善い感情と悪い感情の両方あるから、政府は善いことと悪いことを両方やるのである。政府は機嫌[きげん]が悪くなると悪いことばっかりやるのである。
今は知覚主義の時代である。今の国民みんなは自分の頭で考えて物を見ないといけない。政府は裏では悪いことをたくさんやっている。国民みんなを不幸にすることや貧乏にすることをいっぱいやっている。それは、政府は心主義の政治団体だからである。心主義とは人間が自分の心のままに好き放題にすることだから、政府は法律や道徳のない国を作る政治団体である。一方、今の国民みんなは知覚主義である。今の国民みんなは頭で考えて法律や道徳を守って暮らしているから知覚主義である。国民みんなは政治機関よりも権力が強いから、国民みんなが自分の主義に合った政治機関を建てればいい。そもそも税金は国民みんなが政府に心主義の国を作ってもらうための代金である。今の国民みんなは政府に心主義の国を作って欲しくない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、知覚主義の政治機関を建てればいい。今では国民みんなが知覚主義になって、今の政府は自分ひとりで心主義の国を作るのが恥ずかしくて嫌である。国民みんなは早く政府を倒して、政府が心主義の国を作るのをやめさせてやらねばならない。
[20337] 今の国民みんなは政府に税金をやらなくなって国を作らせなくなっている。
h26.3.9
政府は心主義の政治団体である。政府は国民からお金をもらって心主義の国を作る団体である。
昔は国民みんなが心主義が正しいと考えていたから、政府に税金をやって心主義の国を作らせていた。政府に法律や道徳のない国を作らせていた。国民みんなは自分の心のままに好き放題に何でもやっていた。政府も国民に嫌がらせをして国民を虐[いじ]めていた。
今では国民みんなが知覚主義が正しいと考えているから、政府に税金をやらなくなって心主義の国を作らせなくなっている。今では国民みんなが自分で知覚主義をやっている。今では国民みんなが自分で法律や道徳を守って実在に従いながら正しく暮らしている。将来、政府が滅んでなくなったら、知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の政治機関にお金をやって知覚主義の国を作らせようと考えている。
[20338] 国民みんなの主義はコロコロ変わる。 h26.3.9
中世の日本ではみんなが心主義をやっていた。国民みんなが自分の心のままに好き放題にやっていた。国民みんなが政府にお金をやって法律や道徳のない国を作らせていた。そのために、みんなが不幸になって国が滅びかけていた。
近世の日本ではみんなが自分の主義を反省して知覚主義をやっていた。国民みんなが法律や道徳を守ってきちんと暮らしていた。国民みんなが幕府にお金をやって法律や道徳のある国を作らせていた。そのために、みんなが幸福になって国が繁栄していた。
つまり、心主義は人間を不幸にして国を滅ぼす。知覚主義は人間を幸福にして国を繁栄させる。政治機関はひとつの主義で国を作る団体である。だから、そもそも政治機関よりも主義が大事である。
近代の日本ではみんなが「ヨーロッパが強い国なのでヨーロッパが正しい」と思い直してヨーロッパを真似[まね]てまた心主義をやっていた。
現代の日本では科学の時代になって、みんなが「科学が知覚主義だから知覚主義が正しい」と思ってまた知覚主義をやっている。国民みんなが法律や道徳を守って暮らしている。国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒している。将来は知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の国を作らせたいと考えている。
国民みんなの主義は時代につれてコロコロ変わる。しかし、今では知覚主義が正しく、心主義がまちがっていることが証明されている。人間の知覚では実在や心を正しく理解できるので、実在を使って自分の心を満足できて幸福になる。人間の心では実在や心自身を理解できないので、実在を使って自分の心を満足できず不幸になる。今の科学が知覚主義が正しいことを実証している。知覚主義が心主義に勝ったことを表している。つまり、この世では人間は“正しい決まり”をきちんと守って生きていれば幸福になる。何の決まりも守らずにどうでもやっていいかげんに生きていると不幸になる。だから、今後は国民みんなが主義を変えることなく、知覚主義をやり続けるだろう。今後二度と人間は惑[まど]うことなく知覚主義をやり続けるだろう。今後二度と国民みんなは政治機関を建て直すことはないだろう。
[20339] 国民の主義が変わったときには、政治機関も替えねばならない。 h26.3.10
政治団体は国を作る団体である。政治団体は同じひとつの主義で国を作る団体である。政治団体は国民からお金をもらって国を作る団体である。
政府は心主義の国を作る政治団体である。みんなが自分の心のままに好き放題にできる法律も道徳もない国を作る団体である。
昔の国民は心主義だったので、心主義の国を作る政府を建てて、政府にお金をやって国を作らせていた。
今の国民は知覚主義なので、政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]して、その後で知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作らせようと考えている。国会議事堂だけ壊して知覚主義っぽい合理的な平等な建物に建て替えて、他の政府の建物は流用したらいい。そうすれば安上がりだ。
国民の主義が変わったときには、政治機関も替えねばならない。だから、今の国民は政府を潰して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。
[20340] なぜ高知を高知と言うか? h26.3.10
人間には知覚と心と五感と意志の4つの精神の働きがある。(もっとも、私は意志を知覚に含めているが。)
そのために、四国の4つの県には、高知、愛媛、香川、徳島という名前がついているのである。
哲学好きの人が命名したから高知には高知という名が付いているのである。恥ずかしい名前が付いているのである。
[20341] ヨーロッパは五感主義の国である。☆ h26.3.10
ヨーロッパは心主義ではない。五感主義である。
反対に、日本は知覚主義である。
心は認識する世界の中で喜怒哀楽を感じる。
だから、ヨーロッパ人は五感界の中で幸せになろうとするし、日本人は知覚界の中で幸せになろうとする。ヨーロッパ人は現象の世界の中で幸せになるし、日本人は実在の世界の中で幸せになる。
五感界には眼で見える物があるだけで法律も道徳もないから、五感主義ではかなり心のままに好き放題にやれる。
反対に、知覚界には法則があるから法律や道徳があるから、知覚主義では心のままにやれない。
ヨーロッパ人は知覚は五感のための道具と考えている。アジア人は五感は知覚のための道具と考えている。ヨーロッパ人は五感界=現象界の中に生きている。アジア人は知覚界=実在界の中に生きている。
本当は、人間は実在の中に生きているのであって、五感界の中に生きているのではない。知覚では実在が認識できる。だから、知覚主義がいいのである。五感では実在が認識できない。だから、五感主義ではいけないのである。
今は科学の時代である。科学が知覚主義の正しさを証明している。五感主義よりも知覚主義が正しいことがわかっている。
今では人類みんなが『知覚主義が正しい』と考えている。アジア人もヨーロッパ人もみんなが『知覚主義が正しい』と考えている。だから、今では日本でもみんなが知覚主義をやらねばならない。知覚主義の国を作る政治機関を建てねばならない。
その他、五感主義や知覚主義のほかに、心主義がある。心主義では心の楽しさを第一にする。心主義は快楽主義である。心は実在や五感界や心自身に無知である。心主義ではうまくいかないことは言うまでもない。
[20342] 政府は五感主義の政治機関である。☆ h26.3.10
ヨーロッパは五感主義の国である。
中世や近代の日本人はヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっていた。
だから、政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る政治機関である。
五感界には物しかなく言葉がないから、法律や道徳は言葉だから、五感主義では法律や道徳がないから、政府は法律や道徳のない国を作るのである。五感界には表裏(眼で見える所と見えない所)があるから、政府は表裏があるのである。政府は表では善いことをやって、裏では悪いことをやるのである。反対に、知覚界には言葉があるから、法律や道徳は言葉だから、知覚主義では法律や道徳があるから、知覚主義の政治機関は法律や道徳のある国を作るのである。知覚界には表裏(眼で見える所と見えない所)がないから、知覚主義の政治機関には表裏がないのである。知覚主義の政治機関は国民に隠れてコソコソやらないのである。
しかし、今は科学の時代である。科学は知覚主義である。今では知覚主義が正しいことがわかっている。人間は知覚で実在を理解できる。人間が知覚で考えれば実在に適応できる。知覚主義は実在主義である。
だから、今ではみんなが知覚主義が正しいと考えているのである。だから、今ではみんなが知覚主義をやって、知覚主義の政治機関に国を作らせようと考えているのである。
[20343] 五感主義か知覚主義か? h26.3.10
人間は実在の中に生きている。
実在は知覚によって捉[とら]えられる。五感によっては捉えられない。人間が知覚によって実在を理解すれば、人間が実在に適応して生きていける。
五感主義よりも知覚主義が正しい。自然科学の成功が知覚主義の正しさを証明している。
だから、みんなは知覚主義をやらねばならない。
ところが、政府は五感主義の政治機関である。近代の日本ではみんながヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっていたから、政府は当時の国民みんなで建てた政治機関だから、政府は五感主義の政治機関である。
だから、今の国民みんなは政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]して、知覚主義の政治機関を建てて国を作ってもらわねばならない。
[20344] 今では国民みんなは五感主義から知覚主義に変わっている。 h26.3.10
昔の国民みんなはヨーロッパにかぶれて五感主義をやっていた。
五感界には物があって言葉がない。法律も道徳も言葉である。だから、五感主義の国には法律も道徳もない。五感主義の国ではみんなが心のままにやりたい放題である。
だから、昔の国民みんなは自分の心のままに好き放題にやっていた。国民みんなは政府にお金をやって法律や道徳のない国を作らせていた。政府に「眼で見る喜び」のある国を作らせていた。
しかし、今の国民みんなは科学にかぶれて知覚主義をやっている。
知覚界には言葉がある。法律や道徳は言葉である。だから、知覚主義の国には法律や道徳がある。知覚主義の国ではみんなが法律や道徳を守って暮らさねばならない。
だから、今の国民みんなは法律や道徳を守って暮らしている。国民みんなは政府を潰して、知覚主義の政治機関にお金をやって法律や道徳のある国を作らせようと考えている。知覚主義の政治機関に『頭で考える喜び』のある国を作らせようとしている。
[20345] 今の世界には神がいない。 h26.3.10
五感では空気や電波のように実在する物が見えないし、幻覚のように実在しない物が見える。
昔のヨーロッパではみんなが五感主義をやっていた。五感主義では眼で見たことがそのまま真実だった。
だから、昔のヨーロッパでは、みんながキリストの母親が見た「赤ん坊のキリストの頭が光った」幻覚を真[ま]に受けて「キリストが人間にできないことができる神だ」と思ってキリストを崇[あが]めた。
反対に、実在には五感で見えない物があるし、五感で見えるものが存在しないことがある。
今では世界中でみんなが知覚主義をやっている。知覚主義では人間に誤解や錯覚や幻覚があると考える。
だから、今では世界中で、神の超能力が幻覚や自然現象の見まちがいだと考えて神がいなくなったのである。[徳川幕府の時代には、今ほど科学が発達していなかったので、神武天皇が超能力者でないと言い切れなかったので、いちおう天皇を神として置いていたのである。]
みんなが五感主義だと神がいる。みんなが知覚主義だと神がいない。みんなの主義によって神がいたりいなかったりするのである。
昭和39年(1964年)に政府が私を神にしたのは、政府が五感主義の国を作る政治団体だからである。五感主義では幻覚が超能力になるから、政府は私の母親が私の頭の上に吊ってあったガラガラ(ベッドメリーともいう)が回った幻覚を見たことによって私を神にしたのである。
しかし、今では世界中のみんなが知覚主義が正しいと考えている。今は科学の時代であり、科学は知覚主義だから、みんなが知覚主義が正しいと考えているのである。
今ではみんなが知覚主義をやっている。ところが、政府は一時代前の五感主義の時代の政治機関である。政府は五感主義の国を作る政治機関である。一時代前の政治機関が一時代前の国を作っているだけである。政府は古い。政府は要らない。だから、今では国民みんなが政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。今では国民みんなが政府を潰した後に、知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関に国を作らせようと考えているのである。
今ではみんなが知覚主義をやっている。知覚主義では幻覚が超能力にならないから、今ではみんなは神がいないと考えている。だから、今ではみんながキリストや天皇や私などを神と考えなくていい。政府は五感主義の国を作る政治機関だから、政府がキリストや天皇や私などを神にしているだけである。早く国民みんなで政府を倒して、政府に変な国を作らせるのをやめさせねばならない。
日本は実在主義の国である。実在主義は日本古来の伝統である。日本人は自分が実在に従うために五感や知覚や心のすべてを用いてきたのである。日本人は実在を知るために、おもに知覚を用いてきたのである。日本人はもっと自分の主義に自信を持たねばならない。たとえヨーロッパ人が五感主義をやっても、インド人が知覚主義をやっても、中国人が心主義をやっても、日本人は実在主義をやればいいのである。もっとも、今は科学の時代だから、科学は実在主義だから、実在主義が世界中で通用する。だから、今の日本ではみんなが実在主義をやればいいのである。みんなが実在主義の政治機関を建てて、実在主義の国を作ってもらえばいいのである。
[20346] 政府は古臭い五感主義の国を作る政治機関である。☆ h26.3.10
今は科学の時代である。科学では五感と知覚が協力して実在を知る。だから、科学は実在主義である。今は実在主義の時代である。
だから、今ではみんなが実在主義でなければならない。みんなが五感や知覚を用いて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
ところが、政府は五感主義の政治機関である。五感界には眼で見える物があるだけで言葉も心もないから、法律や道徳は言葉だから、政府は“眼で見る喜び”のある国を作るだけで、法律や道徳のない物騒[ぶっそう]な国や“頭で考える喜び”や“心で思う喜び”のないつまらない国を作る。政府は自分でも五感主義をやって、頭で何も考えずに眼先で国をデタラメにイイカゲンに動かして国をメチャクチャにして国を台無しにする。今では政府が自分ひとりだけで五感主義をやって国民を国家宗教で殺したり嫌がらせたりしている。今の政府が国民を殺したり嫌がらせたりしているのは、政府が国民よりも上の者だからではなく、政府がいまだに時代遅れの五感主義を自分ひとりでやっているからなのである。五感主義の世界では法律がないから人殺しをやってもいいから、政府は五感主義をやって人殺しをしているのである。昔は国民みんなも五感主義をやって国民みんなが人殺しをしていたのである。五感主義の世界では実在がないから嘘[うそ]をついてもいいから、政府はテレビや新聞であることないことベラベラしゃべりまくっているのである。政府は国民の前では善いことをやっているふりをして、本当は悪いことをやっているのである。
昭和40年(1965年)ごろに日本は五感主義の時代から科学=実在主義の時代に変わった。今の国民みんなは実在主義で生きている。一方、政府はひと昔前の五感主義の国を作っている。今の国民みんなと政府は主義が違う。だから、国民みんなは政府に税金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなは実在主義の政治機関を建てて実在主義の国を作ってもらわねばならない。
今の国民みんなは知覚主義だから悪いことをしないし嘘もつかないが、政府は五感主義だから悪いことをするし嘘をつくのである。国民は自分と政府を混同して政府が悪いことをせず嘘をつかないと思ってはいけない。
[20347] 今ではみんなが実在主義をやっている。☆ h26.3.10
昔の日本ではみんながヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっていた。五感主義の世界では実在がないから法律や道徳がなく、他人の眼があるから裏表がある。そのため、みんなが法律や道徳を守らず好き放題にやっていた。みんなが表では善い人のふりをして、裏では悪いことをやっていた。みんなが五感主義の国を作る政府を建てて、政府にお金をやって五感主義の国を作らせていた。政府は法律や道徳のないみんながやりたい放題にできる国を作っていた。
今は時代が変わった。今は昔とは違っている。今の日本ではみんなが科学を真似て実在主義をやっている。実在主義の世界では実在があるから法律や道徳があり、実在にはすべてがお見通しだから裏表がない。そのために、みんなが頭で考えて実在に従って自分の心を満足して生きている。みんなが他人の見えないところでも法律や道徳を守ってまじめに生きている。政府は今でも自分ひとりで五感主義をやって国民を殺したり虐[いじ]めたりしている。政府は本当は悪いことをしているのに、テレビや新聞では国民の役に立つ善いことをやっているふりをしている。今ではみんなと政府は主義が違うので、みんなは政府が邪魔[じゃま]になって、みんなが政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]している。みんなが実在主義の政治機関を建てて、みんなが実在に従って幸福に生きる国を作ってもらいたいと考えている。
今では国民の主義が変わったのに、政治機関は昔のままである。早く国民みんなで古い政治機関を潰して、新しい政治機関を建てねばならない。
[20348] 知覚主義の国民は政治機関を上の者だと思わない。 h26.3.10
五感主義では、みんなが物を眼で見て心で思うだけだから、人間の心には「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」があるから、政治機関が国のことをやって偉そうにしているのを眼で見て心で「政治機関が上の者だ」と思って政治機関に従うのである。そのために、国民みんなが政治機関の命令を聞いてお金を払ったり、政治機関に虐[いじ]められてもおとなしくしているのである。本来は政治機関と国民は平等なのだが、五感主義では国民が頭で『人間はみな平等だ』『政治機関と国民が平等だ』と考えないために、人間の心にある「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」が働いて、国民が政治機関を上の者だと思って従うようになって政治機関と国民が不平等になるのである。
一方、知覚主義では、みんなが物を眼で見て頭で考えてから心で思うから、政治機関が国のことをやって偉そうにしているのを眼で見ても、頭で『政治機関と国民は平等だ』と考えることを通過するうちに「政治機関が偉そうにしている」ことが消えてなくなるから、心では「政治機関を上の者だ」と思わなくなって政治機関に従わないのである。人間の知覚が実在的な意味だけを心に通す篩[ふるい]になるから、「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」が働かなくなって政治機関に従わなくなるのである。満員電車の中で頭が雑音を捨てるから友達と会話ができるのと同じことである。
昔の国民は文明が遅れていて頭で考える暇がなかったりヨーロッパの真似[まね]をしたりして五感主義だったから、政治機関を見て「上の者だ」と思って政治機関に従っていた。昔は国民みんなが自分で五感主義をやっていたために、国民みんなが政治機関を上の者だと思って従っていた。昔の国民みんなが政治機関に従っていたのは、国民みんなの自業自得だったのである。
今の国民は文明が進んで自分の頭で考えるようになってヨーロッパの真似をしなくなって知覚主義だから、政治機関を見ても「上の者だ」と思わなくなって政治機関に従わなくなった。今の国民は『政治機関が国民がお金をやって国を作らせる会社だ』と思っている。
昔の国民は五感主義をやって、頭で実在を知ろうとせず、自分の心のままにイイカゲンにデタラメに暮らしていた。昔の国民は法律や道徳を守ろうとせず、自分の好き放題にやって人殺しや強盗をしたりして暮らしていた。つまり、五感主義とは犯罪主義である。人殺しや強盗をする主義である。かっこいい人になるような生やさしい主義ではない。
今の国民は知覚主義をやって、実在のことを知って、頭で実在のことを考えて実在の中で自分の心を満足して暮らしている。今の国民は法律や道徳を知って、法律や道徳を守ってまじめに他人の人権を守って暮らしている。
一方、政府は昔の五感主義の国を作る政治機関である。だから、政府は自分でも五感主義をやって、頭で『人間はみな平等だ』と考えずに、自分の好き放題にやって国民を殺したり虐めたりするのである。政府は五感主義をやって、頭で考えて国作りをせずに、国を眼先でイイカゲンにメチャクチャにデタラメに動かして国を壊して国がうまくいかないようにしている。政府は国民みんなを不幸で貧乏にしている。
とにかく、今の国民は知覚主義=実在主義である。一方、政府は五感主義=メチャクチャ主義である。昔「エロ、グロ、ナンセンス」と言っていたのは五感主義のことである。今の国民と政府は主義が違う。国民のほうが政府よりも権力が強い。だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民は知覚主義の政治機関を建てて政治(国作り)をやってもらえばいいのである。
今は人殺しや強盗をしてもみんなが当たり前だと思って許してくれる時代ではない。今ではみんながみんな法律を守らねばならないと思っている。だから、今は五感主義の時代ではない。知覚主義の時代である。一方、政府は今でも国民を殺したり嫌がらせたりしているから五感主義の政治団体である。やっぱり国民みんなと政府は主義が違う。だから、国民みんなで政府を倒さねばならないのである。税金は国民が政府に五感主義の国作りをさせるための代金だから、国民が政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
[20349] 今ではみんなが知覚主義の国を作りたいと思っている。☆ h26.3.10
政治機関は国を作る団体である。政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。
昔はみんなが五感主義をやっていた。五感主義は頭で何も考えずに眼で見たままにすることだった。そのため、昔はみんなが自分の心のままに好き放題にやっていた。人殺しや強盗をやっていた。みんなは五感主義の国を作るために政府を建てて、政府にお金をやって法律や道徳のない国を作らせていた。
しかし、今はみんなが知覚主義をやっている。知覚主義は頭で考えて実在を知り、頭で考えて実在の中で自分の心を満足することである。そのため、今ではみんなが法律や道徳を知って、法律や道徳を守ってまじめに暮らしている。みんなは知覚主義の国を作るために五感主義の国を作る政府にお金をやらず政府をを潰[つぶ]して、知覚主義の国を作る政治機関を建ててお金をやって法律や道徳のある国を作らせようと考えている。
人間が幸福に生きるためには知覚主義にかぎる。五感主義ではいけない。だから、みんなは知覚主義をやって、知覚主義の政治機関に国を作ってもらわねばならない。
今ではみんなが知覚主義をやっている。みんなが法律や道徳を守っている。今ではひとりだけ五感主義をやって法律を犯すとみんなが犯罪者だと見なして許してくれない。昔はみんなが五感主義をやっていたから自分が五感主義をやってもよかったが、今ではみんなが知覚主義をやっているから自分だけ五感主義をやってはいけない。今ではみんなが知覚主義をやらねばならない。
[20350] どうして今の政府は悪者なのか? h26.3.11
今のマンガやドラマではいつも政府が悪者扱いされている。
今の国民みんなは知覚主義である。一方、政府は五感主義である。
誰でも自分と違う主義の者は悪者に見えるから、今の国民みんなと政府は違う主義だから、今の国民みんなにとって政府は悪者なのである。
昔は、反対に国民みんなが五感主義でだったから、昔は国民みんなが知覚主義の者が悪者だと思って嫌っていたのである。鎌倉幕府や室町幕府は知覚主義だったから、当時の国民みんなはまだ五感主義だったから、鎌倉幕府や室町幕府は当時の国民みんなに悪者だと思われて嫌われて倒されたのである。国民みんなが五感主義が正しいと思っていた時代には、人殺しや強盗をする者が善い人で、人殺しや強盗をしない者が悪者だったのである。
今の国民みんなと政府も違う主義をやっている。今の国民みんなにとって政府はいけ好かない悪者である。だから、今の国民みんなははさっさと政府を倒さねばならない。
[20351] 納税の義務はあるか? h26.3.11
国民みんなが自分と同じ主義の政治機関を建てたとする。
国民みんなは政治機関に国を作ってもらうためにお金を払う。
ひとりだけ政治機関にお金を払わない者がいたとする。その者は国民みんなと同じ主義なのだが、他人にお金を出してもらって他人が作った国を自分がただで利用して暮らそうとしている。
国民みんなは政治機関にお金を払わない者を悪いと思う。
だから、税金の法律があるのである。
昭和40年(1965年)ごろまでは国民みんなが五感主義だったから、五感主義の政治機関である政府に国民みんなが税金を払わねばならない法律があったのである。
しかし、今は税金の法律はない。今では国民みんなが知覚主義に変わったから、五感主義の政治機関である政府にお金を出さないほうが正しいから、今では国民みんなが政府に税金を払わねばならない法律がないのである。政府は五感主義の政治機関だから、民主主義の政治機関ではないから、今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめたのに、政府は国民みんなとは違って昔と同じように国民みんなが政府に税金を払わねばならない法律を定めているのである。今の国民みんなは知覚主義だから、政府は五感主義の政治機関だから、国民みんなと政府は主義が違うから、国民みんなは政府の法律を守らなくていいのである。国民みんなは政府の指示に従わなくていいのである。
政治機関は得である。政治機関は国民みんなと同じ主義であれば、国民みんなから税金を取れる。今の国民みんなは知覚主義だが、それでも多少は心で物を見るから国民みんなは政治機関を少しは「上の者だ」と思うから、政治機関がそこそこ怠けても国民みんなは大目に見てくれる。こんな美味[おい]しい仕事はほかにはない。誰か知覚主義の政治機関を建ててみないか?
[20352] 戊辰[ぼしん]戦争☆ h26.3.11
幕末に黒船が来て国民みんなが知覚主義から五感主義に変わった。国民みんなが世界の情勢を知って「ヨーロッパが強い国だ」と思って、ヨーロッパが五感主義の国だったから、ヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやった。
それを見た幕府が、幕府はもう終わりだと思って政府を建てることにした。
幕府は幕府自身を潰[つぶ]すために戦争をやった。それが戊辰戦争である。幕府は官軍を立ててわざとに自分が負けたことにした。
幕府が幕府自身を潰した後、幕府は政府となって国民みんなと同じ五感主義の国を作るようになった。
政府は今でも五感主義の国を作っている。しかし、今では国民みんなが知覚主義に変わっている。政府は自分はもう終わりだと思っている。政府はさっさと自分で潰れて、知覚主義の政治機関に変わればいいだろう。看板を掛け変えればいいだろう。
幕末の時には幕府が自分で動いて潰れてくれたので、今の国民は今の政府がいつ動いて潰れてくれるかと待っている。だから、今の国民はいつまでたっても自分から政府を潰そうとしないのである。今の政府は居候[いそうろう]を決め込んでいるので、いつまでたっても自分から潰れようとしないのである。
政府が自分で自分を潰さないなら、国民みんなが政府を潰してやればいい。今の国民みんなと政府は違う主義である。今の国民みんなにとって政府はもはや政治機関ではない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらず国を作らせなければいい。今の国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府を潰せばいいのである。
今の政府が自分から潰れようとしないのは、政府が国民みんなに甘えているからである。幕府は知覚主義の政治機関だったので、自分の頭で正しく考えて自分が滅ぶべきだと考えて滅んだが、政府は五感主義の政治機関だから、頭で何も考えないからいつまでたっても自分からは動かないのである。五感主義の者は頭で何も考えないから、まちがったことばかりやって正しいことは何もやらないのである。だから、今の政府は本当は潰れるべきなのに、自分で潰れようとしないのである。反対に、知覚主義の者は頭で正しいことを考えて正しいことをする。今の国民みんなは知覚主義である。だから、国民みんなが自分で正しいことを考えて正しいことをやって政府を潰してやらねばならないのである。つまり、国民みんなが知覚主義から五感主義に変わったときには、政治機関が知覚主義だから自分で潰れてくれるが、国民みんなが五感主義から知覚主義に変わったときには、政治機関が五感主義だから自分では潰れてくれない。だから、国民みんなが政治機関を潰してやらねばならないのである。国民みんなが政治機関を潰すと、新しい政治機関が国民みんなの心を満足する国を作ってくれるので国民みんなが幸福になる。反対に、国民みんなが政治機関を潰さないと、古い政治機関が国民みんなの心を不満にする国を作るので国民みんなが不幸になる。だから、国民みんなは自分自身の幸福のために政治機関を潰せばいいのである。政府は昔の国民みんなにとって幸福な国を作っているのであって、今の国民みんなにとって幸福な国を作っているのではない。だから、今の国民みんなはさっさと政府を潰して、新しい政治機関を建てて今の国民みんなにとって幸福な国を作ってもらえばいいのである。
政治機関は国民みんなのためにある。国民みんなが政治機関に従うのではなく、政治機関が国民みんなに従わねばならない。国民みんなが政治機関が要るか要らないか決めればいい。今の国民みんなにとって政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金をやらないようにして政府を潰せばいいのである。(今の私は市民税を3か月分溜[た]め込んでいるが、いっこうに市役所が私に文句を言ってこないから、たぶん大丈夫[だいじょうぶ]ではないだろうか。)たとえ政府が国民に文句を言っても国民は政府に従わず政府を倒せばいいのである。国民みんなが実力行使で強引に政府を潰せばいいのである。政府は五感主義だから頭で考えないから正しいことがわからない。国民みんなは知覚主義だから頭で考えるから正しいことがわかる。だから、国民みんなが政府に何が正しいかを教えてやればいいのである。五感主義に取り付かれた者なんか人間のクズだから殺してもいい。国民みんなで政府を倒した後で、知覚主義の政治機関を建てて国を作ってもらえばいいのである。
[20353] 五感主義には法律も道徳もない。 h26.3.11
五感主義では人間が頭を使わず眼で見るだけだから、法律も道徳もないのである。人間が自分の心のままに好き放題にやっているのである。
反対に、知覚主義では人間が頭を使って考えるから、法律も道徳もあるのである。人間が法律や道徳を守りながら自分の心を満足して幸福に暮らしているのである。
昔は国の文明が低くて国民みんなが頭を使うのが嫌いだったから五感主義だった。そのために、みんなが自分の心のままに好き放題にやって国がメチャクチャになっていた。人殺しや強盗が横行[おうこう]して国が物騒[ぶっそう]だった。
今は国の文明が高くなって国民みんなが頭を使うのが好きだから知覚主義である。そのために、みんなが法律や道徳を守ってみんなの人権を守って国がきちんとしている。犯罪が起こらなくなって国が平和である。
政府は昔の国民みんなが五感主義の国を作るために建てた政治機関である。しかし、今では国民みんなの主義が五感主義から知覚主義に変わっている。だから、政府は滅ばねばならない。しかし、政府は五感主義の政治機関だから自分の頭で考えないから、自分が何をやったらいいかわからずに今でも残り続けている。政府は五感主義だから法律や道徳を守らず国民みんなを殺したり虐[いじ]めたりしている。政府は五感主義だから、五感主義では他人の眼を気にして人前でいい格好[かっこう]をしようとするから、政府は本当は悪いことをやって国民を虐めて不幸にしているのに、国民の前では国民のために役に立つことをやっているふりをして善い団体のふりをしている。政府は五感主義だから考えない。政府が自分で考えないなら、国民みんなが自分で考えねばならない。政治機関は国民みんなのためにある。今では国民みんなと政府の主義が違うから、政府が滅ばねばならない。だから、国民みんなは政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。その後で、知覚主義の政治機関を建てねばならない。
政治機関は国民みんなのためにある。国民みんなが政治機関にお金をやって国を作らせている。国民みんなが政治機関が要ると思うならお金をやればいいし、要らないと思うならお金をやらなければいい。今の国民みんなは知覚主義である。政府は五感主義の国を作る団体である。だから、国民みんなは政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
身分制が厳しかった(つまり、国民みんなが心で物を見ていて「偉そうにする者に従う心理」のために政治機関を上の者だと思って従っていた)江戸時代においてさえ、国民みんなは自分の主義を変えたときに政治機関を入れ替えた。今では国民みんなは政治機関と国民が平等だと思っているから、国民みんなが自分の主義を変えたときに政治機関を入れ替えるのは当然である。これまで国民みんなは近代に五感主義をやって馬鹿になっていたから、世の中のことがわからなくなっていたから、なかなか政治機関を入れ替えようとしなかったのである。しかし、最近は国民みんなが知覚主義をやるようになってだんだん利口になって世の中のことがわかるようになって来ている。今の国民みんなは自分が政府を倒さねばならないことがわかってきている。この辺で国民みんなは一発気合を入れて正しいことをやって政治機関を入れ替えねばならない。
[20354] どうして五感主義が生まれたのか? h26.3.11
人間は実在の中で生きている。だから、人間は『実在の法則』を知り『実在の法則』を守れば幸福に生きることができる。だから、人間は知覚主義でなければならない。五感主義であってはいけない。
昔はみんなが『人間が実在の中で生きている』ことがわからなかった。昔はみんなが「眼で見た世界が真実の世界だ」と思っていた。だから、「人間が眼で見るだけで頭で考えなければ正しく生きていける」と思っていたのである。そのために五感主義が生まれたのである。しかし、今ではみんなが眼で見た世界が真実の世界ではないことを知っている。人間が頭で考えた世界が真実の世界であることを知っている。だから、今では知覚主義なのである。人間は頭でいろいろ考えながら生きていかねばならないのである。
要するに、五感主義は昔のまちがった哲学である。知覚主義は今の正しい哲学である。昔の哲学はまちがっている。今の哲学が正しい。五感主義では人間が幸福に暮らせない。知覚主義では人間が幸福に暮らせる。だから、みんなは正しい知覚主義をやらねばならない。みんなは知覚主義の政治機関に国を作らせねばならない。
[20355] どうして日本の教育は丸暗記中心なのか?☆ h26.3.11
今の日本の政治機関は政府である。
政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る政治機関である。
政府は学校をやって子供の教育もやっている。
だから、政府は子供に五感主義の教育をするのである。だから、日本の教育は丸暗記が中心なのである。日本の教育は眼で見たことを憶えるだけなのである。
一方、外国では子供に考える教育をやっている。外国では子供が自分の頭を使って考える教育をやっている。外国の教育は自分の頭で考える教育である。
外国の政治機関は知覚主義の政治機関である。日本の政治機関とは質が違う。やはり外国は進んでいる。日本は遅れている。
日本政府は日本が遅れる原因である。早く国民みんなで政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。
[20356] どうして今の国民みんなは政府を倒そうとしないのか? h26.3.11
江戸時代には国民みんなが知覚主義をやっていたから頭がよかった。関孝和[せきたかかず]や伊能忠敬[いのうただたか]や平賀源内[ひらがげんない]がいた。
そのために、幕末に黒船が来て国民みんなが「やっぱりヨーロッパは強い国だ」と思ってヨーロッパを真似[まね]て知覚主義から五感主義に変えたとき、国民みんなは『自分と幕府は主義が違うから幕府を倒さねばならない』と考えて、国民みんなで幕府に年貢[ねんぐ]を納めなくなって幕府をコロッと倒した。
近代には国民みんなが知覚主義をやって馬鹿になっていた。日本人のノーベル賞受賞者が一人もいなかった。
そのために、昭和40年(1965年)ごろになって科学の時代になってみんなの家にテレビがやって来て国民みんなが「科学が正しい」と思って科学が知覚主義だから五感主義から知覚主義に変えたとき、国民みんなは『自分と政府が違う主義だから政府を倒さねばならない』ことがわからず、国民みんなで政府に税金を治め続けて政府が倒れなかった。
つまり、近代に国民みんなが五感主義をやって頭が悪くなっていたために、科学の時代になって国民みんなが自分の主義を変えたときに自分が政治機関を入れ替えねばならないことがわからなくて、そのまま古い政治機関に古い国を作らせ続けているのである。
今の国民みんなは五感主義ではないが、今でも頭の中にかなり五感主義が残っている。国民みんなは早く近代の五感主義から抜け出さねばならない。国民みんなは早く馬鹿から抜け出さねばならない。国民みんなは早く頭で考えて正しいことがわかるようにならねばならない。国民みんなは『自分と政府が主義が違うから政府を倒さねばならない』と考えて、国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒さねばならない。
日本に政府があるかぎり日本に明日はやって来ない。日本は大昔の五感主義の時代を続けるだけである。だから、国民みんなで早く政府を倒して、五感主義の時代を終わらせねばならない。新しい知覚主義の時代を切り拓[ひら]かねばならない。
問題は政府ではなく国民みんなにある。国民みんなが正しければ善い国になり、国民みんながまちがっていれば悪い国になる。今の知覚主義の時代に五感主義の政治機関の政府があるのは、国民みんなが社会を誤解しているからである。早く国民みんなが正しく社会を理解して、自分が政府を倒せばいいことを理解して政府を倒さねばならない。
[20357] 今の国民みんなは矛盾したことをやっている。 h26.3.11
国民みんなの主義は国民みんな自身が決める。政治機関が決めるのではない。政治機関はひたすら自分の主義で国を作るだけである。
昔は国民みんなが五感主義をやっていた。みんなが眼で見るだけで頭で考えずに心のままにやっていた。みんなが法律や道徳を守らず犯罪を犯して暮らしていた。みんなが政府にお金をやって法律や道徳のない国を作らせていた。昔の政府は国民みんなにとって幸福な国を作っていた。
今では国民みんなが知覚主義をやっている。みんなが頭で考えて『実在の法則』を知って『実在の法則』を守って心を満足して暮らしている。みんなが法律や道徳を守って他人の人権を守ってまじめに暮らしている。
それなのに、みんなは今でも政府にお金をやって法律や道徳のない国を作らせている。政府は自分一人だけで五感主義をやって自分の好き放題に国家宗教で(つまり、国家宗教の神の情報を使ったことをやって)国民みんなを虐[いじ]めて国民みんなを嫌がらせている。今の政府は国民みんなにとって不幸な国を作っている。
今の国民が政府の正体がわかっていないから矛盾したことをやっているのである。今の国民が「政府が民主主義の政治機関だ」と思って「政府がテレビや新聞でやっていることが本当だ」と思って「政府が国民みんなと同じ知覚主義の政治機関だ」と思っているために、政府にお金をやって五感主義の国を作らせているのである。今の国民は矛盾したことをやって馬鹿になっているのである。
今の国民は政府について正しく理解して、政府が五感主義の国を作る政治機関であることを理解して、政府に税金をやるのをやめて政府に五感主義の国を作らせないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
中世の国民みんなも一生懸命に政府について理解してなんとかかんとか政府を倒した。五感主義はヨーロッパの主義であって日本の主義ではないから、日本人にとっては五感主義が理解しにくい。日本人にとっては政府が理解しにくい。中世の日本では国民みんなで政府についての勉強会をやって政府についての理解を深めて政府の正体を見破って政府を倒した。今の国民みんなも一生懸命に政府について理解して政府を倒さねばならない。中世の国民みんなにできて今の国民みんなにできないことはない。だから、今の国民も必ず政府を倒さないといけない。
[20358] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。 h26.3.11
政府は五感主義の国を作る政治団体である。
税金は、国民が政府に五感主義の国を作ってもらうための代金である。
ところが、今の国民みんなは知覚主義である。政府は国民みんなと主義が違う。政府は国民みんなと違う主義の国を作っている。
今の国民が政府に税金を払う理由はない。
だから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。
[20359] 知覚主義は人間を幸福にする主義である。 h26.3.12
主義に正しいもまちがいもない。主義はただやるかやらないかがあるだけだ。
昔の人はヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっていた。五感主義とはただ眼で見るだけで頭で考えず心のままにやることだった。そのために、国が衰退して貧乏になって大勢の国民が不幸になって死にかけていた。みんなはこりゃたまらんと思ってけっきょく五感主義をやめた。
今の人は科学を見習って知覚主義をやっている。知覚主義とは頭で考えて『実在の法則』を知り『実在の法則』を守って生きることである。そのために、国が繁栄して裕福になって大勢の国民が幸福になって喜んでいる。みんなは知覚主義に満足していつまでも知覚主義をやっている。
今の日本が幸福で裕福なのは国民みんなが知覚主義をやっているからである。
一方、政府は昔の五感主義の政治機関である。政府は今でも五感主義の国を作っている。政府は今でも自分一人だけで眼で見るだけで頭で考えず心のままにやって国民みんなを自分の好き放題にして国民みんなを虐[いじ]めて嫌がらせて国民みんなを不幸で貧乏にしている。政府はみんなが頭で考えずに好き放題にする国を作っているが、今では国民みんなが自分で頭で考えて実在の法則を守っているから、政府が一人だけで頭で考えずに好き放題にやっているのである。
今の国民みんなと政府は違う主義をやっている。政府は今の国民みんなと違う五感主義の国を作っている。政府は今の国民を不幸で貧乏にしている。だから、今の国民はさっさと政府を倒さねばならない。政府は最初から五感主義の政治機関だから、政府はなくならないかぎり五感主義の国を作り続けるから、国民みんなでちゃんと政府を潰[つぶ]してなくして政府に五感主義の国を作らせないようにしないといけない。
反対に、知覚主義の政治機関は今の国民みんなと同じ主義をやっている。知覚主義の政治機関は今の国民みんなと同じ知覚主義の国を作る。知覚主義の政治機関は今の国民みんなを幸福で裕福にする。だから、今の国民は知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらわねばならない。
[20360] 医療保険制度はどうして出来たか?☆ h26.3.12
医者は五感的な仕事である。医者は眼で見るだけで頭で考えない仕事である。
そのために、江戸時代の知覚主義の時代には医者の待遇が悪かった。みんなが医者が馬鹿のやる仕事だと思って医者を軽蔑して医者にお金を少ししかやらなかったので医者の給料が悪かった。
明治時代になって五感主義の時代になって医者の待遇がよくなった。みんなが医者が憧[あこが]れの仕事だと思って医者を尊敬して医者にたくさんお金をやるようになったので医者の給料がよくなった。
政府は医者が儲[もう]かっているのに腹を立てて、医療保険制度を設けて医者の儲[もう]けの一部を政府のものにするようになったのである。
医者と同じように、商業も五感的な仕事である。商業も眼で見るだけで頭で考えない仕事である。
そのために、江戸時代の知覚主義のには商売人がみんなから馬鹿扱いされて商売人の待遇が悪かった。
明治時代になって五感主義の時代になって商売人がみんなから尊敬されるようになって商売人の待遇がよくなった。
政府は商売人が儲かっているのに嫉妬[しっと]して、消費税を儲けて商売人の儲けの一部を政府のものにしているのである。
しかし、今ではみんなが主義を変えて五感主義をやめて知覚主義をやるようになっている。みんなが政府に税金をやるのをやめて政府を倒している。みんなが再び医者や商売人を馬鹿のやる仕事だと思って軽蔑するようになって医者や商売人にお金をやらなくなって医者や商売人が儲からなくなっている。そのうえ、医者や商売人は政府に医療保険や消費税を取られてますます貧乏になっている。
五感主義ではみんなが不幸で貧乏になる。知覚主義ではみんなが幸福で裕福になる。だから、みんなは五感主義をやめて知覚主義をやればいい。みんなが知覚主義をやって政府や医者や商売人を潰[つぶ]してしまえばいいのである。
[20361] 科学が知覚主義の正しさを証明した。 h26.3.12
五感主義では眼で見る世界が真実の世界だと考えている。五感主義とは眼で見るだけで頭で考えず心のままに生きることである。
知覚主義では頭で考える世界が真実の世界だと考えている。知覚主義とは眼で見て頭で考えて心で思って生きることである。
科学の成功が知覚主義の正しさを証明した。五感主義よりも知覚主義が正しいことを実証した。
だから、今では世界中のみんなが知覚主義をやっている。今では世界中のみんなが頭で考えて『実在の法則』を知り『実在の法則』を守って幸福に生きている。
政府は五感主義の政治団体である。今でも政府は古臭い五感主義の国を作っている。今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]して政府に五感主義の国を作らせなくなっている。
[20362] 知覚主義の政治機関はみんなを幸福にする政治機関である。 h26.3.12
知覚主義では人間が実在がわかって人間が実在に適応できて幸福に暮らせる。
五感主義では人間が実在がわからず人間が実在に適応できず不幸になる。
五感主義では人間は不幸になる。政府は五感主義の国を作る政治機関である。政府はみんなが五感主義で暮らす国を作る。政府はみんなを不幸にする政治機関である。
反対に、知覚主義では人間が幸福になる。知覚主義の政治機関はみんなが知覚主義で暮らす国を作る。知覚主義の政治機関はみんなが幸福に暮らせる政治機関である。
だから、国民みんなは自分が幸福になるために早く政府を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。
[20363] どうしてヨーロッパは五感主義なのか? h26.3.12
ヨーロッパでは古代ギリシアの学者は静力学まではわかったが動力学がわからなかった。つまり、古代ギリシアの学者は運動する物体が理解できなかった。「飛ぶ矢が飛ぶ」ことや「アキレスがカメを追い越す」ことが理解できなかった(ゼノンのパラドックス、ゼノンは紀元前490年から紀元前430年ごろのギリシアの自然哲学者)。[古代ギリシア人がまだ“無限小”の概念を知らなかったために運動が理解できなかった。近代になって“無限小”の概念が発見されるまでに2千年もの時間が必要だったのである。]
一方、人間の五感では運動する物体が見える。
そのために、ギリシアの哲学者は人間の知覚には実在を知ることに限界があることを悟[さと]り「人間の五感は知覚よりも実在がよくわかる。人間の五感のほうが知覚よりも優れている。」と考えた。
だから、ヨーロッパは五感主義になったのである。人間が五感を使って知覚を使わなくなって、人間が「物を五感で見て頭で考えず心で思う」ことに変わったのである。五感主義はヨーロッパ人が実在を知ることに対して真摯[しんし]すぎるゆえの誤りだったのである。
一方、アジアではもともと科学なんかなかったから、人間が実在を知ることにこだわらなかったから、五感も知覚も同じように使っていた。人間が昔ながらの『物を五感で見て頭で考えて心で思う』ことをやり続けていたのである。
近代になってヨーロッパで科学が発達して動力学ができて学者が運動する物体が理解できるようになると、哲学が変わって『人間の知覚は五感よりも実在がよくわかる。人間の知覚は五感よりも優れている。』と考えるようになって、ヨーロッパは知覚主義になった。人間が『物を五感で見て頭で考えて心で思う』ことになった。アジアと同じになった。
こうして、今では全世界で知覚主義になっている。古代ギリシアの学者がもう少し科学が得意だったら、ヨーロッパは五感主義にならなかっただろう。古代ギリシアの学者がもうちょっと科学や数学が得意だったら、世界はうまく行っていただろう。日本もうまく行っていただろう。
今では人類みんなが知覚主義が正しいと考えている。人類みんなが知覚を使って実在に適応して幸福に暮らしている。ところが、政府は五感主義の政治機関である。政府はまちがった哲学の国を作る団体である。人類みんなで政府を倒して、この世からまちがった哲学をなくして、正しい哲学の世界にしなければならない。
要するに、五感主義は大昔の学者が運動する物体が頭で理解できなかったために生まれたまちがった哲学である。今の人類は運動する物体が頭で理解できるから五感主義がまちがっていることがわかっている。今ではみんなが正しい知覚主義をやって五感主義をやらなければいいのである。
[20364] 国民みんなの主義は国民みんなが自分で決めればいい。☆ h26.3.12
国民みんなは自分の主義を自分で決めればいい。その後で、国民みんなで国民みんなの主義の国を作る政治機関を建てて、国民みんながお金をやって国を作らせればいい。政治機関は国民みんなの腰巾着[こしぎんちゃく]だから、国民みんなの主義は国民みんなが決めればいいのである。
江戸時代には国民みんなが知覚主義だったから、国民みんなで幕府を建てて幕府にお金をやって知覚主義の国を作らせていた。
明治維新から昭和40年(1965年)ごろまでは国民みんなが「ヨーロッパが強い国だ」と思ってヨーロッパを真似[まね]て五感主義だったから、国民みんなが幕府にお金をやらなくなって幕府を倒して、政府を建てて政府にお金をやって五感主義の国を作らせていた。
昭和40年ごろから後は国民みんなが「科学が正しい」と思って科学を真似て知覚主義だから、国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関にお金をやって知覚主義の国を作らせようとしている。
今では人間が幸福に生きていくためには知覚主義がいいことがわかっている。五感主義ではいけないことがわかっている。だから、今ではみんなが知覚主義をやればいいのである。
国民みんなが自分の主義を自分で決めて、自分の主義の国を作る政治機関にお金をやって国を作らせて、自分の主義で国を作らない政治機関にお金をやらず国を作らせなければいいのである。
今は近代の五感主義の時代の後だから、多くの国民が「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」で物を見ているために、テレビや新聞で政府が国のことをやって偉そうにしているのを見て「政府を上の者だ」と思って政府に従っている。しかし、本来は政治機関と国民は平等である。国民みんなは自分と同じ主義の政治機関にお金をやって国を作らせて、自分と違う主義の政治機関にお金をやらず国を作らせなければいい。今の国民みんなは知覚主義である。ところが政府は五感主義である。今の国民みんなと政府は主義が違う。だから、今の国民みんなは政府に税金をやらず政府に国を作らせなければいいのである。将来、知覚主義の政治機関が建ってから、国民みんなは知覚主義の政治機関にお金をやって国を作らせればいいのである。
政治機関は国民みんなが自分と同じ主義の国を作らせるための道具である。国民が政治機関にお金をやって国民みんなと同じ主義の国を作らせるのである。国民が自動販売機にお金を入れて自分が欲しいジュースを買うのと同じである。今の国民は知覚主義だから、知覚主義の国が欲しい。ところが政府は五感主義の国しか売っていない。だから、国民みんなで政府を壊して、新しく知覚主義の政治機関を建てねばならない。政府は五感主義の国しか売っていないから、国民みんなで政府を捨てて、知覚主義の国を売っている政治機関に替えねばならないのである。
本来政治機関は国民みんなに対するサービス業である。政治機関は国民みんなと同じ主義の国を作って国民みんなが幸福に暮らせる国を作ることが仕事である。ところが、今の国民みんなと政府は主義が違うから、政府は国民みんなが幸福に暮らせる国を作っていない。政府は国民みんなに対するサービス業になっていない。国民みんなが政治機関にお金を払うか払わないかは国民みんなの勝手である。国民は国民みんなと同じ主義の政治機関にはお金を払わねばならないが、国民みんなと違う主義の政治機関にはお金を払わなくていい。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わなければいいのである。今の国民みんなはさっさと政府を倒して、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいいのである。
[20365] 知覚主義のほうがマンガが面白い。 h26.3.12
五感主義では人間が眼で見て頭で考えず心のままである。だから、五感主義ではみんながマンガを見て頭で何も考えずに現実の中でマンガをそのまま真似[まね]る。だから、現実の中で問題が起こらないためにはマンガが現実的でなければならない。だから、五感主義ではマンガに厳しい規制があって現実的なマンガしか読めない。
反対に、知覚主義では人間が眼で見て頭で考えて心で思う。だから、知覚主義ではみんながマンガを見て『マンガが空想だ』と思ってマンガと現実を区別して現実の中ではマンガを真似ない。だから、マンガは現実的でなくてもいい。だから、知覚主義ではマンガに規制がなくいろんなマンガが読める。
また、五感主義には神がいる。五感主義では神に従わねばならない。五感主義では神の気風に合った文化しかやれない。だから、五感主義ではみんなが神の気風に合ったマンガしか読めず、自分が好きなマンガが読めない。
反対に、知覚主義には神がいない。知覚主義では神に従わなくていい。知覚主義では文化に規制がない。だから、知覚主義ではみんなが自由に自分が好きなマンガが読めるのである。
今のヨーロッパを見ればわかるように五感主義には面白さがない。五感主義では頭で考えないから眼で見る喜びしかない。反対に、知覚主義では頭で考えるから頭で考える喜びがある。人間にとっては眼で見る喜びよりも頭で見る喜びのほうが多い。
眼で見る喜びにおいてはヨーロッパが日本よりも先進国だが、頭で見る喜びにおいては日本のほうがヨーロッパよりも先進国である。落語や漫才は日本にしかない文化である。マンガも絵付きの漫才だから同じことである。
人間にとってはいろんな喜びがあったほうがいい。五感主義では眼で見るだけで頭で考えないから、眼で見る喜びがあるだけで頭で考える喜びがない。知覚主義では眼で見て頭で考えるから眼も頭も両方とも使うから、眼で見る喜びも頭で考える喜びも両方ともある。だから、人間にとっては五感主義よりも知覚主義がいいのである。
[20366] どうして今では電化製品の価格がオープン価格なのか? h26.3.12
昔はみんなが五感主義をやって五感主義の時代だったから、国民みんなが「偉そうにする者を上の者だ」と思っていたから、政府が国民よりも上の者だった。だから、政府が国民のことを全部決めていた。政府が物の値段も決めていた。だから、昔はすべての電化製品が政府が決めた定価で売られていたのである。
しかし、今はみんなが知覚主義をやって知覚主義の時代だから、国民みんなと政府が主義が違うから、国民みんなが政府の指示に従わなくなった。だから、今では政府が国民のことを決められなくなっている。政府が物の値段を決められなくなっている。だから、今では国民みんなが電化製品の値段を決めるようになって、電化製品がオープン価格で売られているのである。
今はみんなが知覚主義をやっている。政府は五感主義の政治機関である。みんなと政府は主義が違う。だから、今ではみんなが政府に従わなくなっている。今の政府はテレビや新聞の上で国民を支配しているふりをしているだけである。だから、国民は政府を怖がらず、さっさと政府に税金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
政府が倒れた後に知覚主義の政治機関が建つだろう。今では国民みんなが知覚主義をやっている。今では国民みんなが頭で『人間がみな平等だ』と考えて『知覚主義の政治機関と自分が平等だ』と考えている。知覚主義の政治機関は『国民と政治機関が平等である』ことを守りながら国民の自由を守りながら国のこともやらねばならない。知覚主義の政治機関が正しいことをやるなら、今の国民は知覚主義の政治機関に従うだろう。知覚主義の政治機関は面倒臭くて物の値段まで決めないだろう。
[20367] 政治機関は国民みんなのために国を作る会社である。 h26.3.12
政治機関は国民みんなに対するサービス業である。
政治機関は国民みんなが幸福な国を作って国民みんなからお金をもらう仕事である。
ところが、政府は今の国民みんなが幸福な国を作っていない。今の国民みんなは知覚主義なのに、政府は五感主義である。政府は今の国民みんなが不幸な国を作っている。とんだ政治機関もあったものだ。
政府は看板に民主主義の政治機関と書いてあるだけで、本当は五感主義の政治機関である。羊頭狗肉[ようとうくにく]である。詐欺[さぎ]である。政府は五感主義の政治機関である。五感主義では嘘[うそ]をついてもいいから、政府は嘘をつくのである。政府は国民みんなの要望を聞いてそれを実現してくれる親切な機関ではないのである。政府は本当は好き勝手なことをやって国をぶっ壊したり国民の人権を侵したりする団体である。政府が本当に民主主義の政治機関なら、政府は国民の主義が五感主義から知覚主義に変わったのに合わせて自分も五感主義の政治機関から知覚主義の政治機関に変わってくれるが、政府は本当は五感主義の政治機関であって民主主義の政治機関は政府の嘘にすぎないから政府はいつまでたっても五感主義の政治機関のままなのである。政府は法律や道徳のない社会を作って自分ひとりで国家宗教をやって国民を虐[いじ]めるままなのである。
今の国民みんなは政府の看板に騙[だま]されないようにして、政府にお金(税金)をやらず、政府を潰[つぶ]せばいい。今の国民みんなは政府に頼らずに、自分で知覚主義をやって自分の頭を使って考えて行動すればいい。知覚主義の政治機関が建ってから、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいい。
政治機関は国民みんなのためにあるから、国民みんなのほうが政治機関よりも偉いから、国民みんなが政治機関が要るか要らないかを決めればいいのである。政府は五感主義の国を作る政治機関である。昔の国民みんなは五感主義をやっていたから、政府は昔の国民みんなにとって正しい国を作っていたから、昔の国民は政府が要ると思って政府にお金を払っていた。今の国民みんなは知覚主義をやっているから、政府は今の国民みんなにとってまちがった国を作っているから、今の国民は政府が要らないと思って政府にお金を払わなければいい。知覚主義の国を作る政治機関が現れてから、国民みんなは政治機関にお金を払って国を作ってもらえばいいのである。
主義がすべてに優先する。仕事やお金よりも主義が優先する。家族や友人よりも主義が優先する。仕事やお金の上の細かいことはさておき、まず自分が正しい主義をやって、正しい主義の国を作る政治機関に国を作らせねばならない。だから、今の国民は知覚主義をやって、政府に反対して政府に税金をやらず政府を潰[つぶ]して、知覚主義の政治機関が現れてからお金をやって国を作ってもらわねばならない。その後で、ゆっくり自分の仕事やお金のことをやればいい。家族や友人のことをやればいい。
[20368] 国民は国民みんなに付いたほうがいい。 h26.3.12
国民みんなと政府では国民みんなのほうが人数が多い。国民みんなのほうが政府よりも優勢である。だから、国民は政府よりも国民みんなに付いたほうがいい。
昔は国民みんなと政府が同じ五感主義だった。国民は国民みんなに付いて五感主義をやって、政府にお金を払って五感主義の国を作ってもらっていた。
しかし、今では国民みんなが知覚主義に転向して、政府とは主義が違っている。国民は国民みんなに付いて知覚主義をやって、政府にお金を払わず政府に国を作らせず政府を潰[つぶ]せばいい。将来、知覚主義の政治機関が建ったら、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいい。
今では国民みんなと政府が主義が違うから、国民みんなと政府が対立している。国民みんなのほうが政府よりも強い。だから、今後は国民みんなが政府を倒していくだけである。政府がなくなって消えるだけである。だから、国民は政府の肩を持たないほうが無難[ぶなん]である。
[20369] 政治機関は国民みんなのためにある。 h26.3.12
政治機関は国民みんなのために国を作る会社である。政治機関は国民みんなのために国を作って、国民みんなからお金をもらう会社である。
国民みんなは政治機関が自分と同じ主義の国を作るなら政治機関にお金を払うが、政治機関が自分と違う主義の国を作るならお金を払わない。
昔の国民は五感主義だった。政府も五感主義だった。昔の政府は昔の国民みんなと同じ主義の国を作っていたから、昔の国民みんなは政府にお金を払って国を作らせていただけである。
しかし、今の国民は知覚主義である。政府は五感主義である。今の政府は今の国民と違う主義の国を作っているから、今の国民みんなは政府にお金を払わなくなって国を作らせなくなったのである。政府を潰[つぶ]しているのである。
今の国民は知覚主義の政治機関が現れてから、知覚主義の政治機関にお金を払って国を作ってもらう。それまでは国民みんなは多少の不便は我慢[がまん]する。
[20370] 政府は国を壊す政治機関である。 h26.3.12
今の政府は五感主義をやっている。今の政府は眼で見るだけで頭で考えず心のままにやって国を自分の好き放題にして国をメチャクチャにしている。
一方、今の国民みんなは知覚主義をやっている。今の国民みんなは眼で見て頭で考えて心で思って国を実在の法則に従って自分の心を満足するように動かして国民みんなにとって幸福な国にしている。
今の国がうまく行っているのは国民みんなのおかげである。今の国がうまく行っていないのは政府のせいである。
政府がなければ国はもっとうまく行く。だから、今の国民みんなで政府を倒して、知覚主義の政治機関と入れ替えねばならない。
[20371] 今の国民みんなと政府は主義が違う。☆☆ h26.3.12
今では国民みんなは知覚主義である。一方、政府は五感主義である。
今の国民みんなと政府は主義が違う。だから、今の国民みんなと政府は他人である。今の国民みんなと政府は同じ国の中にあっても関係ない。
国民は自分と違う主義の政治団体が作った法律を守らなくていい。
だから、今の国民は政府の法律を守らずに、自分で正しい法律を考えて守ればいい。
国民は自分と違う主義の政治団体の指示に従わなくていい。
だから、今の国民は政府の指示に従わずに、自分で考えて行動すればいいのである。
国民は自分と違う主義の政治団体に食わしてやらなくていい。
だから、今の国民は政府に税金を払わなくていいのである。
今の国民は早く政府をぶっ潰[つぶ]して、知覚主義の政治機関と入れ替えねばならない。
今の国民が政府の法律を守って政府の指示を聞いて政府に税金を払っているから国が善くならないのである。今の国民は早く政府の法律を破って政府の指示を無視して政府に税金を払わなくなって国を善くしないといけない。
政府は国民みんなを支配している団体ではない。本当は、国民みんなが政府を支配しているのである。国民みんなが政府にお金をやって政府に国を作らせているのである。しかし、今では国民みんなと政府が主義が違うから、今では国民みんなは政府にお金をやって政府に国を作らせてはいけない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらず政府に国を作らせなければいいのである。
[20372] 国とは何か? h26.3.13
国とは同じ主義の者の集まりである。
昔は哲学の研究が遅れていて正しい主義がわからなかったからいろんな主義があった。そのために、世界がたくさんの国に分かれていた。
今は哲学の研究が進んで正しい主義がわかっているからひとつの主義しかない。そのために、世界がひとつの国になっている。
今は知覚主義が正しいと考えられている。知覚主義によって人間は実在を理解することができて実在に適応して幸福に生きることができる。今は知覚主義の国しかない。だから、国境がなくなって世界がひとつになっている。
[20373] 正しい主義の政治機関があれば国が善くなる。 h26.3.13
政治機関は国を作る会社である。政治機関はひとつの主義で国を作る会社である。
国民みんなは自分と同じ主義の政治機関にお金をやって国を作らせて、自分と違う主義の政治機関にお金をやらず国を作らせない。
今の国民みんなは知覚主義をやっている。今の国民みんなは頭で実在を理解して実在に適応して幸福に暮らしている。今の国民みんなは法律や道徳を守ってまじめに暮らしている。
一方、政府は五感主義で国を作っている。政府はみんなが頭で実在を理解せずに好き放題なことをやる国を作っている。政府はみんなが法律や道徳を守らずに犯罪を犯す国を作っている。政府は国民みんなに五感主義のお手本を見せるために好き放題にやって、まちがった政策をやって国をメチャクチャにしたり、国家宗教で国民を殺したり嫌がらせたりしている。
今の国民みんなと政府は主義が違う。だから、今の国民みんなは政府にお金(税金)をやらず国を作らせなければいいのである。政府を潰[つぶ]せばいいのである。知覚主義の政治機関を建ててお金をやって国を作ってもらえばいいのである。
しかし、これまでの政治機関は最初の一時[いっとき]だけ善いことをやって国民みんなを幸福にして国民みんなを信用させて国民みんなが政治機関にお金を払って政治機関の指示に従うようになった後で悪いことばかりやって国民みんなを不幸にしている。政府も幕府もそうである。そんな政治機関は嫌だ。だから、今後は税金の法律を廃止して、政治機関と国民は自由契約にすればいい。それでも、たいていの者は自分が善い政治機関だと思えば政治機関と契約するだろう。中にはズルをして自分が政治機関にお金を払わずに政治機関の仕事をただで利用する者がいるだろう。しかし、それは許すことにする。多少曖昧[あいまい]だが、悪い政治機関が出来るよりはマシである。NHKに受信料を払わずに隠れてNHKを見てもいいのと同じである。本当に善い政治機関ならそれでも大勢の国民が政治機関にお金を払ってくれて経営できるだろう。だから、そうすればいい。政治機関が本当に国民みんなを幸福にする善い政治(国作り)をやれば大勢の国民が政治機関にお金を払ってくれて政治機関は儲[もう]かるだろう。反対に、政治機関が国民みんなを不幸にする悪い政治をやれば大勢の国民が政治機関にお金を払わなくなって政治機関が潰れるだろう。政治機関と国民を自由契約にしたほうが、政治機関がまじめに仕事をして善い国になるだろう。だから、今後は税金の法律を廃止して、政治機関と国民を自由契約にすればいいのである。
国民みんなと政治機関を自由契約にすれば、国民みんなが善い政治機関を選択することができて便利である。政府は今の国民みんなと違う主義の国を作っているから、政府は今の国民みんなに適していないから、今の国民みんなは政府と契約せずに政府にお金を払わずに政府に国を作らせなければいいのである。
五感主義の世界には上の者がいる。五感主義では頭で考えないから人間の心にある「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」がそのまま働いて上の者がいるのである。だから、みんなが政治機関が国のことをやって偉そうにしているのを見て「政治機関が上の者だ」と思って政治機関に従うのである。昔は文明が遅れていて国民みんなが多かれ少なかれ五感主義だったから、みんなが政府や幕府などの政治機関を上の者だと思って従っていた。だから、昔は政府や幕府は自分勝手に税金や年貢[ねんぐ]の法律を決めて、みんなから税金や年貢をむさぼり取っていたのである。
反対に、知覚主義の世界には上の者がいない。知覚主義では頭で考えるから頭で『人間がみな平等だ』と考えて「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」が働かないから上の者がいないのである。だから、みんなが『政治機関と自分が平等だ』と思って政治機関に従わないのである。今では文明が進んで国民みんなが多かれ少なかれ知覚主義だから、みんなが政府や幕府などの政治機関を自分と平等だと考えて従わない。だから、今では政府や幕府が自分勝手に税金や年貢[ねんぐ]の法律を決められず、みんなから税金や年貢をむさぼり取ることはできないのである。
主義によって国のことがすべて決まる。細かい具体的なことは全部主義によって決まる。主義が国の最高原理である。だから、国の主義を何にするかが一番大事なことである。国民みんなが国の主義を決める。今の国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。だから、今の国の主義は知覚主義である。今の国の中にあることは全部知覚主義で決まっている。政府は五感主義の国を作る政治機関である。だから、今の国民みんなでさっさと政府を倒して政府を国の中からなくしてしまえばいいのである。
[20374] 政府は五感主義の国を作る政治機関である。☆ h26.3.13
政治機関は国を作る団体である。政治機関はひとつの主義で国を作る団体である。
政治機関はひとつの主義に基づいて法律を作って、法律に基づいてみんなに具体的な指示を出して、法律に反する者を罰する機関である。
例えば、政府の主義は五感主義である。五感主義は眼で見て頭で考えず心のままにすることである。五感主義では頭で考えないから正しいことがないから嘘[うそ]がつける。五感主義では人間が頭で考えないから自分の心のままに好き放題にやれるから犯罪を犯し放題である。五感主義では神がいるからいちおう(つまり形の上だけで)神に従わねばならない。五感主義では「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」があるから上の者がいて政府が上の者で政府が国民みんなを好き放題にできる。政府は五感主義の政治機関だから嘘をつく。だから、政府は嘘をついてまじめな法律を決めているのである。日本国憲法は嘘の憲法である。本当は政府の憲法では「みんなが自由に好き放題にやっていい」のである。政府の本当の憲法では「みんなが頭で考えず自分の心のままに好き放題に悪いことをやらねばならない」のである。政府自身も頭で考えず好き放題にやってまちがった政策をやって国をメチャクチャにしたり、国家宗教で国民を殺したり嫌がらせたりしている。政府は五感主義の政治機関だから、政府自身もやりたい放題にやって、国民みんなに好き勝手な指示を出して国民みんなを虐[いじ]めて不幸にしているのである。
しかし、そもそも国は国民みんなのものである。国民みんなが自分の主義は自分で決める。国の主義は国民みんなが決める。政治機関は国民みんなが自分の主義の国を作らせるためにある。政治機関は国民みんなの道具である。国民みんなが政治機関にお金をやって自分と同じ主義の国を作らせる。
昔の国民みんなは五感主義が正しいと考えていたから、政府にお金をやって五感主義の国を作らせていた。みんなが法律や道徳を守らず自分の好き放題なことをやる国を作らせていた。
しかし、今の国民みんなは知覚主義が正しいと考えている。五感主義がまちがっていると考えている。だから、今の国民みんなは政府にお金(税金)をやらず政府に国を作らせなくなっている。政府の指示を聞かなくなって、自分の頭で考えて自由にやっている。
今では国民みんなは知覚主義である。政府は五感主義の国を作る政治機関である。今では国民みんなが政府を倒しているから五感主義の国がなくなっている。昔は国民みんなが五感主義をやっていた。五感主義では「偉そうにする者を上の者だと思って従う心理」があるから上の者がいて偉そうにする者が上の者であって政府や宗教団体や暴力団が上の者だったから国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかった。しかし、今は国民みんなが知覚主義をやっているから、今では五感主義の国がなくなっているから、政府や宗教団体や暴力団が上の者ではなくなってみんなが政府や宗教団体や暴力団に従わなくなって政府や宗教団体や暴力団が滅んでいる。知覚主義では人間が頭で考えるから正しいことがあるから正直にしないといけない。知覚主義では頭で考えるから法律や道徳を守らねばならない。知覚主義では神がいないから神に従わなくていい。知覚主義では人間はみな平等である。だから、今ではみんなが正直にして、法律や道徳を守って、神がいないと考えて、みんなと平等に暮らさねばならない。
[20375] 今では五感主義の国から知覚主義の国に変わっている。☆ h26.3.13
国は国民みんなが決める。国民みんなが自分の主義は自分で決める。国民みんなが国民みんなの主義を決める。政治機関が国民みんなの主義を決めるのではない。政治機関は国民みんなが国を作らせるための道具にすぎない。
昔は国民みんなが五感主義だった。そのために、昔は五感主義の国だった。五感主義の国ではみんなが自分の心のままに好き放題にやれて、みんなが神がいると思って神に従わねばならず、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかった。みんなは上の者や神に従いながら自分の好き放題にやっていた。
今は国民みんなが知覚主義である。そのために、今は知覚主義の国である。知覚主義の国ではみんなが法律や道徳を守らねばならず、みんなが神がいないと思って神に従わず、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず政府や宗教団体や暴力団に従わなくていい。みんなは法律や道徳を守ってみんなと平等にやっている。
今では国民みんなの主義が五感主義から知覚主義に変っている。そのために、国が五感主義の国から知覚主義の国に変わっている。知覚主義の国には知覚主義の政治機関がなければならない。政府は五感主義の政治機関である。早くみんなで政府を倒して知覚主義の政治機関に替えねばならない。
今ではほとんどの国民が知覚主義をやっている。今は知覚主義の時代である。しかし、今でも五感主義をやっている国民がいる。今でも五感主義をやっている国民は「政府や宗教団体や暴力団を上の者だ」と思って政府や宗教団体や暴力団に従っている。しかし、今は知覚主義の時代だから、国民は本来知覚主義をやらねばならない。国民は知覚主義をやって『政府や宗教団体や暴力団が自分と平等だ』と考えて、政府や宗教団体や暴力団に従わないようにして政府や宗教団体や暴力団を潰[つぶ]さねばならない。とくに政府は五感主義の政治機関だから、今では五感主義はまちがった主義だから、国民みんなは政府に従わないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
政府や宗教団体や暴力団がいくら私に文句を言ってもしかたがない。今の国民みんなが知覚主義であることは国民みんなが決めたことである。国民みんなが国のことを決める。国民みんなには誰も逆らえない。国民みんなが国の最高権力者である。だから、政府や宗教団体や暴力団は黙っておとなしく滅ぶしかない。
[20376] インドは五感主義の国である。 h26.3.13
インドはいまだに身分制がある。インドには上の者がいる。五感主義の国には上の者がいる。だから、インドは五感主義の国である。
インドでは国民みんなが五感主義である。知覚主義ではない。インドは馬鹿の国である。
インドは五感主義の国だから、みんなが心のままに好き放題にやって犯罪を犯して、みんなが神がいると思って神に従っていて、みんなが政府や宗教団体や暴力団が上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従っている。
インドは五感主義の国だから、五感主義では嘘[うそ]がつけるから、インドは世界中のみんなに嘘をついて「自分が知覚主義の国だ」と言っているのである。「自分が道徳と哲学の国だ」と言っているのである。
みんなはインド人の嘘に騙[だま]されて「インドがみんなが頭がよくて、みんなが道徳を守っている品行方正な国だ」と思っている。しかし、本当はインドはみんなが法律や道徳を守らず好き勝手にやっている国である。インドは人殺しや強盗が当たり前の物騒[ぶっそう]な国である。三蔵法師が苦しい旅の末にインドに着いてみれば、インドはみんなが白昼堂々と犯罪を犯している悪人の国だったのである。だから、みんなはインドに旅行に行かないほうがいい。
インドはヨーロッパを超える五感主義の国である。インドはヨーロッパを上まわる悪の国である。植民地時代にインド人は植民に来ていた大勢のヨーロッパ人を自分の好き放題に虐殺したのである。それなのに、インド人は嘘つきだから世界中のみんなに「自分たちが無抵抗主義だ」と言っておとなしいふりをしているのである。インド人は嘘つきである。みんなはインド人の嘘に騙されないように気をつけねばならない。
[20377] 政府があるからこそ、国民みんなは政府を倒さねばならない。 h26.3.13
政府はみんなが五感主義をやる国を作る政治機関である。みんなが頭で考えず自分の心のままに好き放題にやって、みんなが神に従って、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従う国を作る政治機関である。政府や宗教団体や暴力団が自分を上の者だと思って国民みんなを自分の好き放題にする国を作る政治機関である。
そもそも国は国民みんなのものである。国民みんなの主義は国民みんなが決める。政治機関は国民みんなが自分と同じ主義の国を作らせるためにある。
政治機関は国民みんなの主義を統一するための機関である。政治機関は国民みんなを同じひとつの主義にするための機関である。だから、政治機関は国民みんなと同じ主義でなければならない。
だから、国民みんなは自分と同じ主義の政治機関にお金をやって国を作らせて、自分と違う主義の政治機関にお金をやらず国を作らせてはいけない。
今の国民みんなは知覚主義である。政府は五感主義の政治機関である。今の国民みんなと政府は主義が違う。だから、今の国民は政府にお金をやらず、政府に国を作らせてはいけない。
しかし、今でも政府がある。政府がいまだに残って政治活動(つまり五感主義の国を作る活動)を続けている。
政府があるからこそ、国民みんなは政府の指示に従わないようにして、政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今でも政府が残っているからこそ、政府がなかなか倒れないからこそ、今の国民には政府の倒し甲斐[がい]があるのである。今の国民は自分の頭で考えて自分の手で政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならないのである。
国民みんなで早く政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関にお金をやって国を作ってもらわねばならない。そうして、ようやく知覚主義の時代が完成するのだ。
[20378] 政治機関の仕事とは?☆☆ h26.3.13
政治機関はひとつの主義で国を作る会社である。政治機関はひとつの主義を実現する会社である。国民みんなが自分の主義を決めたら、国民みんなが具体的にやることが決まる。政治機関はそれを実現するためにある。
昔はみんなが五感主義をやっていた。五感主義ではみんなが頭を使わず法律や道徳を守らず自分の心のままに好き放題にする。みんなが神がいると思って神に従う。みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従う。政府や宗教団体や暴力団が自分を上の者だと思ってみんなを好き放題にする。
だから、政府の仕事は法律を定めず警察を廃止して犯罪者を取り締[し]まらず、みんなに学校で丸暗記勉強をさせて道徳教育をせず、国家宗教をやって、国民みんなを好き放題に虐[いじ]めることである。
今ではみんなが知覚主義をやっている。知覚主義ではみんなが頭を使って法律や道徳を守る。みんなが神がいないと思って神に従わない。みんなが政治機関や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず政治機関や宗教団体や暴力団に従わない。政治機関や宗教団体や暴力団がみんなを好き放題にしない。
だから、知覚主義の政治機関の仕事は法律を定めて警察をやって犯罪者を取り締まって、みんなに学校で考える教育をして道徳教育をして、国家宗教をやらず、みんなを虐めないことである。
政府のおもな仕事は国家宗教と国民を虐[いじ]めることである。知覚主義の政治機関のおもな仕事は法律と学校である。早く国民みんなで政治機関を入れ替えて、国家宗教や国民虐めのない、法律や教育がよく行き届いた国にしないといけない。
政治と経済は関係ない。政治は国民が自分の主義で生きることを実現することであって、国民のお金儲[もう]けとは関係ない。だから、いくら政治機関を建てても直接に政治機関が国民をお金持ちにするわけではない。国民が儲かるか儲からないかは国民が自分で選んだ主義によって決まるだけである。五感主義では産業が衰退して儲からなくなり、知覚主義では産業が発達して儲かる。政治機関は国民が選んだ主義で国を作るだけで、政治機関が国民の主義を決めたりはしない。だから、国民自身が国民の主義を決めればいいのであって、国民が自分の主義に合った政治機関を取捨選択すればいいのである。
[20379] 知覚主義の国には政府は要らない。 h26.3.13
国のことは国民みんなで決める。今の国民みんなは知覚主義である。だから、今の国は知覚主義の国である。
ところが、政府は五感主義の政治機関である。政府は五感主義の国を作る団体である。
だから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。
今の国民みんなは政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。政府の指示を聞かず、自分で考えてやればいいのである。
早く知覚主義の政治機関が建って、知覚主義の国を作ってもらわねばならない。今では政治機関と国民は平等である。国民一人一人が知覚主義の政治機関と自由に契約してお金をやって国の仕事をやってもらわねばならない。国民は知覚主義の政治機関が善い仕事をしているうちはお金を払って、悪い仕事をするようになったらお金を払うのをやめねばならない。
[20380] どうしてアメリカやイギリスでは政府の国民虐[いじ]めが多いのか?
h26.3.13
アメリカやイギリスは多民族国家である。五感主義の国民と知覚主義の国民が入り混じっている。そのため、政府が五感主義の政治と知覚主義の政治の両方やっている。政府が国家宗教も国民虐めも法律も学校も何でもかんでもやっている。だから、アメリカやイギリスでは政府の国民虐めが多いのである。
一方、ヨーロッパは単一民族国家である。知覚主義の国民だけからなる。そのために、政府が知覚主義の政治しかやっていない。政府が法律と学校しかやっていない。だから、ヨーロッパでは政府の国民虐めがないのである。
インドは単一民族国家である。五感主義の国民だけである。そのために、政府が五感主義の政治だけやっている。政府が国家宗教と国民虐めだけやっている。だから、インドでは政府の国民虐めが盛んである。
日本も単一民族国家である。早く日本でも国民が五感主義から知覚主義に変わって、政府から知覚主義の政治機関に変わって、国家宗教や国民虐めをやめて、法律と学校をやらねばならない。
[20381] 今の国民は政府よりも知覚主義の政治機関に国を作ってもらわねばならない。
h26.3.13
政府は五感主義の政治機関である。政府の仕事は五感主義の国を作ることである。つまり、政府のおもな仕事は国家宗教と国民虐[いじ]めである。
昔は国民みんなが五感主義をやっていたから、政府にお金をやって五感主義の国を作らせていた。
今は国民みんなが知覚主義をやっているから、政府にお金をやらず五感主義の国を作らせなければいい。
一方、知覚主義の政治機関のおもな仕事は法律と教育である。
今は国民みんなが知覚主義をやっているから、早く知覚主義の政治機関を建てて、知覚主義の政治機関にお金をやって国を作らせねばならない。
[20382] 五感主義と知覚主義のどちらが正しいか? h26.3.13
五感主義では眼で見るだけで頭で考えず心のままにする。
知覚主義では眼で見て頭で考えて心で思う。
五感主義よりも知覚主義のほうが実在がよくわかる。実在がよくわかる主義が正しいから、五感主義よりも知覚主義のほうが正しいのである。
そのため、今ではみんなが知覚主義をやっている。みんなが頭で考えて法律や道徳を守って、みんなが神がいないと考えて神に従わず、みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず政府や宗教団体や暴力団に従わなくなっている。政府は五感主義の政治機関だから、みんなが政府に税金を払わずに政府を倒している。
国の文明が進むと、みんなが頭で考えるようになって知覚主義になる。今の日本では文明が進んで、国民みんなが知覚主義である。今どき五感主義はよっぽどの馬鹿だけである。昔は文明が遅れていたから五感主義でもやむをえなかったが、今では文明が進んでいるから五感主義ではみっともない。だから、今の国民みんなは知覚主義をやって、法律や道徳を守って、神に従わず、政府や宗教団体や暴力団に従わず、政府に税金を払わずに暮らせばいいのである。
今の国民は知覚主義だから、今の国民にとっては五感主義の政治機関は要らない。政府は五感主義の政治機関である。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。
今の政府は嘘[うそ]をついて知覚主義の政治機関の真似[まね]をしている。政府は五感主義の政治機関だから、五感主義では嘘がつけるから、政府は嘘をついているのである。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府を倒さねばならない。
人間は結果で物事を決めるのではない。何が正しいかで物事を決めるのだ。昔の人は五感主義が正しいと考えたから、たとえ自分が政府に殺されても五感主義をやった。反対に、今の人は知覚主義が正しいと考えるから、たとえ自分が政府に従わないのが怖くても知覚主義をやらねばならない。人間にとっては政府よりも真理のほうが大事である。政府を怖いと思うよりも真理に背[そむ]くのを怖いと思わねばならない。
五感主義は頭を使わないぶん知覚主義よりも楽だが、その代わり人生がうまく行かなくなって苦しんだり神に従わなければならなかったり政府や宗教団体や暴力団に従わなければならなくなる。反対に、知覚主義は頭を使うぶん五感主義よりも面倒臭いが、その代わり人生がうまく行って幸せになったり神に従わなくてもよかったり政府や宗教団体や暴力団に従わなくてよかったりする。人間は先に苦労すると後で楽になる。だから、ちょっとだけ自分の頭を使うことにすればいいのである。
[20383] 政治機関は国民の主義を実現するためにある。 h26.3.14
国民の主義は国民自身が決める。国民が主義を決めると国民の具体的な生き方が決まる。政治機関はそれを実現するためにある。
国民の主義によって政治機関が決まる。五感主義の国民には五感主義の政治機関が必要であり、知覚主義の国民には知覚主義の政治機関が必要であり、資本主義の国民には資本主義の政治機関が必要であり、社会主義の国民には社会主義の政治機関が必要である。
今の国民は知覚主義である。ところが、政府は五感主義の政治機関である。今の国民と政府は主義が合っていない。今の国民にとって政府は自分の生き方(主義)を妨害する機関にすぎない。
だから、今の国民にとって政府は要らない。今の国民は政府を捨てて知覚主義の政治機関を建てねばならない。今の国民は政府が要らないから、政府に税金をやらず政府を倒せばいい。
政府があるのは、昔の国民が五感主義をやっていたためである。昔の国民にとっては政府が必要だったから政府を建てたのである。今の国民は五感主義をやめて知覚主義になっている。今の国民にとって政府は邪魔[じゃま]である。今の国民はさっさと政府を取り払って、知覚主義の政治機関を建てればいい。
政治機関は国民の主義を実現するためにある。政治機関は国民のためにある。政治機関は国民の主義に合わせた国を作らねばならない。今の国民は知覚主義をやっている。だから、今の政治機関は五感主義の国を作らねばならない。しかし、日本政府は五感主義の国しか作れない。外国の政府はいろんな主義の国が作れるかもしれないが、日本政府は最初から最後まで五感主義の国しか作れない。政府が自分を民主主義の政治機関だと言っているのは政府の嘘[うそ]である。五感主義では嘘がつけるから、政府は嘘をつくのである。政府は本当は五感主義の政治機関である。国民が政府に税金を払うかぎり政府は五感主義の国を作り続けるだけである。政府は国民の出方を見るために自分では動かないのである。政府は政治機関だから、政府は国民のためにある機関だから、政府は国民に合わせて動くだけである。政府は国民に従って動くだけである。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。その後で知覚主義の政治機関が建ってから、国民は知覚主義の政治機関にお金を払って国を作ってもらわねばならない。
[20384] 国民みんなはノロノロ政府を倒していてはいけない。 h26.3.14
国は国民みんなが決める。今の国民みんなは知覚主義をやっている。だから、今は知覚主義の国である。
ところが、政府は五感主義の政治機関である。五感主義では自分の心のままに好き放題ができるから自由に嘘[うそ]がつけるから、政府は嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしているのである。[昔の五感主義の世界ではみんなが嘘をついていいと思っていたから『政府が嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしている』ことをみんなが知っていたが、今の知覚主義の世界ではみんなが嘘をついてはいけないと思っているから『政府が嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしている』ことがみんながわからない。みんなは政府の嘘を真[ま]に受けて政府が本当に民主主義の政治機関だと思っている。しかし、本当は政府は五感主義の政治機関である。政府は今でも自分ひとりだけで五感主義をやっている。五感主義では嘘をついていい。だから、政府は自分ひとりだけ嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしているのである。]
今の国民みんなと政府は主義が違う。だから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。
だから、今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。政府を潰した後で、知覚主義の政治機関を建てる予定である。
日本人は遅いのが嫌いである。ゆっくりやるのが嫌である。政府よりも国民がノロノロ政府を倒すほうが頭に来る。ノロノロやるのは馬鹿である。国民みんなは今すぐ政府に税金を払うのをやめて、政府をさっと潰さねばならない。その後で、パッと知覚主義の政治機関を建てねばならない。
国民が自分の主義で生きるためには自分の主義に合った政治機関が必要である。今の国民にとって政府はただの邪魔[じゃま]である。だから、今の国民は政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。
[20385] 国民みんなの主義が変わったときには政治機関も変わらねばならない。☆
h26.3.14
政治機関は国民みんなが自分の主義で生きるための国を作る会社である。
だから、国民みんなの主義が変わったときには必ず政治機関も変わらねばならない。
国民みんなは戦後に五感主義から知覚主義に変わった。
だから、政治機関も政府(五感主義の政治機関)から知覚主義の政治機関に替えねばならない。
政府を潰[つぶ]して、新しく知覚主義の政治機関を建てればいい。
それが国民みんなの正しい道である。
だから、国民みんなは政府に税金を払わず政府を潰せばいいのである。それが正しい道だから、さすがの政府も文句のつけようがない。それが正しい道だから、国民みんなは恥ずかしがらずに実行すればいいのである。そうすれば道が開けるだろう。
今でも国民みんなの主義が五感主義のままなら五感主義の国だから政府が政治機関でいい。五感主義の国では政府が上の者だから、国民は政府に従わねばならない。しかし、今では国民みんなの主義が知覚主義だから知覚主義の国だから政府が政治機関ではいけない。知覚主義の国では政府はまちがった主義の国を作っている政治機関だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府を潰さねばならない。それが、今の国民がやるべきことだ。人間はいつでもおとなしければいいわけではない。ときには暴れなければならないこともある。今の国民は政府をぶっ壊して、新しい政治機関を建てねばならない。それが正しいことだから国民はそうしないといけない。
今の国民みんなが五感主義をやっていて政府を残すというのなら理屈はわかるが、今の国民みんなが知覚主義をやっていて政府を残すというのは理屈がわからない。今の国民みんなはわけがわからないことをやっている。今の国民みんなは矛盾したことをやっている。日本ではわけがわからないことをやってはいけない。今の国民みんなが悪い。だから、国民みんなは早めに政府を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。それが嫌なら、国民みんなは政府に合わせて五感主義をやって毎日犯罪を犯して暮らさねばならない。
[20386] 日本人の心が国を決める。 h26.3.14
日本人の心は善いことが好きで悪いことが嫌いである。
五感主義ではみんなが毎日悪いことをやって暮らすので、日本人みんなが気分が悪い。
知覚主義ではみんなが毎日善いことをやって暮らすので、日本人みんなが気分がいい。
だから、日本人は知覚主義をやりたがるのである。
反対に、ヨーロッパ人の心は悪いことが好きで善いことが嫌いである。ヨーロッパ人は狩猟民族だから、相手が嫌がることをやりたがるから日本人と心が反対なのである。だから、ヨーロッパ人は五感主義をやりたがるのである。
日本人は「偉そうにしている者に従う気持ち」が強いので、ヨーロッパが植民地を取っている時代はヨーロッパを真似[まね]て五感主義をやっているが、今ではヨーロッパが植民地を取っていないからヨーロッパを真似るのをやめてもとの自分の知覚主義に戻っている。
日本人とヨーロッパ人は心が違うから、日本人がいくらヨーロッパ人を真似ても幸せにはならない。人間は自分の心のままにやるだけでは幸福になれない。今度から日本人はたとえヨーロッパが植民地を取っても、ヨーロッパ人を真似て五感主義をやってはいけない。
[20387] 日本では学者が馬鹿で普通の人が利口である。 h26.3.14
ヨーロッパ人は考えるのが嫌いだから五感主義である。ヨーロッパ人は五感主義だから眼で見る喜びがあるだけで頭で考える喜びがないのである。ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌だから法律も道徳もないのである。神がいると思って神に従ったり、政府が上の者だと思って政府に従ったりするのである。
反対に、日本人は考えるのが好きだから知覚主義である。日本人は知覚主義だから眼で見る喜びと頭で考える喜びの両方あるのである。日本人は頭で考えるのが好きだから法律や道徳をよく守るのである。神がいないと思って神に従わないし、政府と自分が平等だと思って政府にも従わないのである。
ヨーロッパ人は学者が利口なだけで、あとはみんな馬鹿である。
日本人は学者が馬鹿で、あとはみんな利口である。
日本人とヨーロッパ人は心が違う。心が違うから主義が違う。日本人は日本人のやり方でやって、ヨーロッパ人を真似[まね]ないほうがいい。
ヨーロッパ人は馬鹿ばっかりだから、たまに頭のいい人が現れるとすごく大事にする。宝石のように大事にする。だから、頭のいい人がみんなからお金をもらって考えることばっかりやって業績が上がるのである。反対に、日本人は利口ばっかりだから、頭のいい人が現れても特に大事にしない。だから、頭のいい人も普通の人と同じように働かねばならないから一生うだつが上がらないのである。
眼で見ることをやればお金が儲[もう]かるが、考えることをやってもお金が儲からない。ヨーロッパ人は五感主義で眼で見ることばかりやるから儲かるのである。反対に、日本人は知覚主義で頭で考えることばかりやるから貧乏なのである。しかし、人間はお金持ちが幸福で、貧乏人が不幸とはかぎらない。ヨーロッパ人はお金持ちだが不幸である。日本人は貧乏だが幸福である。だから、日本人は幸せなのである。
日本人とヨーロッパ人では身体が違う。心も違う。だから、日本人がヨーロッパ人と同じ主義をやってもうまくいかない。日本人がヨーロッパ人と同じ主義をやっても幸福にはなれない。だから、日本人は日本人に合った主義をやればいい。日本人は知覚主義をやればいい。そうすれば、日本人は幸福になれる。
ヨーロッパ人は眼で見る幸福があるだけで頭で考える幸福がない。ヨーロッパ人は見た目はかっこいいが幸福がない。日本人は眼で見る幸福と頭で考える幸福の両方がある。日本人は見た目はかっこ悪いが幸福である。人間としては幸福が多いほうがいい。だから、ヨーロッパ人よりも日本人がいい。ヨーロッパ人よりも日本人のほうが幸福である。
ヨーロッパ人は五感主義だから、五感主義では嘘[うそ]をつけるから、嘘をついて利口ぶっているだけである。ヨーロッパ人は本当は馬鹿である。ヨーロッパ人は五感主義だから、嘘をつくのが上手[うま]いのである。馬鹿ほど嘘をつくのが上手いのである。インド人が「自分が哲学の国だ」と言っているのが嘘であるように、ヨーロッパ人が「自分が科学の国だ」と言っているのも嘘である。本当は両方ともただの馬鹿の国である。五感主義の国は嘘をつくのが上手なだけである。あえて言えば、『インドもヨーロッパも嘘つきの国である。』だから、日本人はヨーロッパ人の嘘に騙[だま]されないようにして『ヨーロッパ人は馬鹿だ』と考えてヨーロッパ人に従わないようにしなければならない。ヨーロッパ人は女が利口ぶっているのと同じことである。女は嘘をつくのが上手いだけである。男は女が利口ぶっているのに騙されてはいけない。
[20388] 政治機関は国民みんなに従わねばならない。 h26.3.14
国民みんなの主義は国民みんなが自分で決める。国民みんなが主義を決めると具体的にやることが決まる。政治機関は国民みんなが具体的にやることを実現するためにある。
だから、政治機関が国民みんなに従うのであって、国民みんなが政治機関に従うのではない。
昔は国民みんなが五感主義で、政府も五感主義の国を作っていたから、政治機関が国民みんなに従っていた。
ところが、今では国民みんなが知覚主義なのに、政府は五感主義の国を作っているから、政治機関が国民みんなに従っていない。
だから、今の国民みんなは政治機関を国民みんなに従わせるために、国民みんなで政府を倒して知覚主義の政治機関を建てねばならない。
国民みんなのことは国民みんなでやればいい。国民みんなの問題は国民みんなで解決すればいい。政府は今の国民に合わない政治機関だから、国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。国民ひとりでは政府を倒せないが、国民みんなで政府を倒せば政府はすぐに倒せる。だから、国民みんなで協力して政府を倒せばいいのである。
[20389] 日本人は日本人らしく生きれば幸福になれる。☆ h26.3.14
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いなので五感主義である。
反対に、日本人は頭で考えるのが好きなので知覚主義である。
政府は国民みんなにヨーロッパ人みたいな生き方をさせる団体である。
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いである。ヨーロッパ人は眼で見て頭で考えず心のままにする。そのため、ヨーロッパ人は自分の心のままに好き放題にして法律や道徳を守らないし、神がいると思って神に従うし、政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従う。つまり、政府や宗教団体や暴力団がみんなを自分の好き放題にする。
一方、知覚主義の政治機関は国民みんなに日本人らしい生き方をさせる団体である。
日本人は頭で考えるのが好きである。日本人は眼で見て頭で考えて心で思う。そのため、日本人は法律や道徳をよく守るし、神がいないと思って神に従わないし、政治機関や宗教団体や暴力団と自分が平等だと思って政治機関や宗教団体や暴力団に従わない。つまり、政治機関や宗教団体や暴力団がみんなを好き放題にしない。
日本人は日本人らしく生きると幸福になれる。日本人がヨーロッパ人みたいに生きても幸福にはなれない。日本人には政府は要らない。知覚主義の政治機関があればいい。
日本では早くみんなが政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てて国を作ってもらえばいい。
昔の日本人は日本人とヨーロッパ人の心の違いがわかっていなかったから、政府を建てて日本人にヨーロッパ人みたいな生き方をさせていた。おかげで、日本人は不幸に暮らさねばならなかった。
ヨーロッパ人はヨーロッパ人らしい生き方をすれば幸福になれるが、日本人がいくらヨーロッパ人みたいな生き方をしても日本人とヨーロッパ人では心が違うから幸福にはなれないのである。
今の日本人は日本人とヨーロッパ人の心が違うと考えているから、政府を倒して知覚主義の政治機関を建てて日本人に日本人らしい生き方をさせようとしている。そうすれば、日本人は幸福に暮らせるだろう。
ヨーロッパ人の科学文明は日本人の心を満足するので受け入れればいいが、ヨーロッパ人の哲学(つまり五感主義)は日本人の心を満足しないから受け入れてはいけない。日本人は自分の心を満足する文化や文明だけを受け入れなければならない。日本は島国で外国とは隔絶されていて単一民族国家だから、日本人は「みんなが同じ人間だ」と考える傾向がある。近代の日本人は外国人と日本人の違いがわからなかったから、ヨーロッパ人の五感主義を受け入れて不幸に暮らさねばならなかった。今の日本人は外国人と日本人の違いを考えて、ヨーロッパ人の五感主義を受け入れないようにして日本人の知覚主義でやっていかねばならない。
[20390] 日本人は知覚主義の政治機関に国を作ってもらえば幸福である。 h26.3.14
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いである。ヨーロッパ人は五感主義である。ヨーロッパ人は頭で何も考えず法律や道徳を守らず自分の好き放題にするのが好きである。ヨーロッパ人は神がいると思って神に従うのが好きである。ヨーロッパ人は政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従って政府や宗教団体や暴力団に虐[いじ]められるのが好きである。
だから、ヨーロッパには国家宗教や国民虐めをやる五感主義の政治機関があるのである。ヨーロッパ人は五感主義の政治機関に国を作ってもらって幸福である。
反対に、日本人は頭で考えるのが好きである。日本人は知覚主義である。日本人は頭で考えて法律や道徳を守るのが好きである。日本人は神がいないと思って神に従わないのが好きである。日本人は政府や宗教団体や暴力団が自分と平等だと思って政府や宗教団体や暴力団に従わず政府や宗教団体や暴力団に虐められないのが好きである。
だから、日本には法律や教育をやる知覚主義の政治機関があればいいのである。日本人は知覚主義の政治機関に国を作ってもらえば幸福である。
だから、日本ではみんなが五感主義の政治機関である政府を倒して政府をなくして、知覚主義の政治機関を建てて国を作ってもらえばいいのである。
[20391] 日本は善人の国である。 h26.3.14
日本人は頭で考えるのが好きである。日本は知覚主義の国である。日本ではみんなが頭で考えて法律や道徳を守って暮らしている。日本は善人の国である。
反対に、ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いである。ヨーロッパは五感主義の国である。ヨーロッパではみんなが頭で考えず法律や道徳を守らず好き放題に暮らしている。ヨーロッパは悪人の国である。
政府は悪人の国の政治機関である。政府は悪人が好きな国を作る政治機関である。政府はみんなが法律や道徳を破って好き放題に暮らす国を作っている。
日本人はみんなが善人である。政府は悪人の国の政治機関である。みんなが善人の国に悪人の国の政治機関がある。日本人と政府は気が合わない。だから、日本では政府は国民みんなを幸福にしないのである。政府はヨーロッパ人を幸福にするが、日本人を幸福にしないのである。
一方、知覚主義の政治機関は善人の国の政治機関である。知覚主義の政治機関は善人が好きな国を作る政治機関である。知覚主義の政治機関はみんなが法律や道徳を守ってみんなが仲良く平和に暮らす国を作る。
日本では国民みんなが政府を倒して、知覚主義の政治機関を建てねばならない。そうすれば、国民みんなが幸福に暮らすことができる。
[20392] 政府が宗教団体や暴力団を建てている。 h26.3.14
政府は五感主義の国を作る政治機関である。
五感主義の国では、みんなが法律や道徳を破って自分の心のままに好き放題にやっている。みんなが神がいると思って神に従っている。みんなが政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って政府や宗教団体や暴力団に従っている。政府や宗教団体や暴力団がみんなを好き放題にして虐[いじ]めている。
だから、政府の仕事は法律を定めず警察に犯罪者を逮捕させず、国家宗教をやって、宗教団体や暴力団を設けて、国民を虐めることである。政府の仕事は宗教団体や暴力団をたくさん建ててみんなを虐めさせることである。
だから、政府が宗教団体や暴力団を建てている。政府が国民からもらった税金で宗教団体や暴力団を建てているのである。
だから、政府が警察を使って暴力団の事務所に踏み込んで立ち入り検査をしているのは政府の嘘[うそ]である。政府と宗教団体や暴力団は最初から仲間である。政府が暴力団の取調べをしても何にもならない。
日本人は知覚主義である。日本人は政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず政府や宗教団体や暴力団に従わない。日本人にとっては政府や宗教団体や暴力団は要らない。日本人にとっては政府は幸福な国を作らない。だから、日本人は政府に税金をやらず政府を倒せばいい。政府や宗教団体や暴力団のいない国にすればいい。
[20393] 政府は国民みんなにお金儲[もう]けをさせる機関ではない。 h26.3.15
政府は五感主義の政治機関である。
五感主義では、みんなが頭で考えず法律や道徳を破って心のままに好き放題にする。みんなが神に従う。みんなが上の者に従う。
だから、政府の仕事は犯罪者を取り締[し]まらず、国家宗教をやって、上の者を設けることである。それだけである。
五感主義とお金儲けは直接結びつきがない。直接関係がない。
だから、政府は国民みんなにお金儲けをさせないのである。政治機関は国民がひとつの主義で生きていくための社会作りをするだけであって、国民が儲かるか儲からないかを決めることはできないのである。
政府がテレビや新聞で「政府がみんなをお金が儲かるようにしている」ような話をするのは全部嘘[うそ]である。政府は五感主義の政治機関だから、自分でも五感主義をやって、五感主義では嘘がつけるから、政府は嘘をつくのである。
ヨーロッパがお金持ちなのは、ときどき天才が現れて大発明をするからである。五感主義とは関係がない。だから、政府があっても何の役にも立たない。むしろ政府は邪魔[じゃま]である。
日本でも天才が現れればお金が儲かる。だから、日本にはむしろ知覚主義の政治機関があったほうがいい。知覚主義の政治機関が天才を上手に育てればいいのである。
政府のために国民みんなが不幸にされたらお金儲けどころの問題ではない。人間が幸福であるかないかはお金だけでは決まらない。人間にとってはお金儲けよりも幸せのほうが大事である。政府は日本人を不幸にする。だから、みんなで政府を倒して幸福にならねばならない。
[20394] 政府は日本人に向いていない。☆ h26.3.15
ヨーロッパではみんなが頭で考えるのが嫌である。たまに天才が現れる。ヨーロッパは2種類の人間から成っている。
反対に、日本ではみんなが頭で考えるのが好きである。
政府はヨーロッパの政治機関である。政府は頭で考えるのが嫌いな人が幸福に暮らせる国を作る機関である。政府はヨーロッパ人が幸せに暮らせる国を作る。
しかし、ヨーロッパ人と日本人は違う。だから、政府は日本人が幸せに暮らす国を作らない。政府は日本人を不幸にする。
だから、日本の政治機関は政府ではいけない。日本の政治機関は知覚主義の政治機関でなければならない。ヨーロッパの政治機関は政府のままでいいが、日本の政治機関は政府のままではいけない。知覚主義の政治機関でなければならない。日本では早くみんなが政府を潰[つぶ]して知覚主義の政治機関を建てねばならない。そうすれば、日本人は幸福になる。
日本人とヨーロッパ人では心が違う。日本人は日本人にとって幸福な国にしないといけない。日本人はヨーロッパ人をそのまま真似[まね]てはいけない。日本人は日本人にとって幸福な外国の文化を受け入れ、幸福でない外国の文化を受け入れてはいけない。日本人はヨーロッパの科学文明を受け入れて、ヨーロッパの五感主義を受け入れてはいけない。日本人は日本人の心で外国の文化を選んで、日本を日本人にとって幸福な国にしないといけない。
政府は日本人に向いていない。つまり、五感主義は日本人に向いていない。知覚主義が日本人に向いている。つまり、知覚主義の政治機関が日本人に向いている。だから、日本人は政府を潰して知覚主義の政治機関を建てねばならない。そうすれば、日本人は幸福になる。
[20395] ヨーロッパ民族は生まれつき馬鹿である。 h26.3.15
ヨーロッパ民族は生まれつきみんなが頭で考えるのが嫌な馬鹿である。たまに天才が現れる。遺伝的にそう決まっている。本当に頭がいいのは天才だけで、それ以外は大勢の馬鹿が嘘[うそ]をついて気取ってツンと澄[す]まして利口なふりをしているだけである。馬鹿は嘘をつくのがうまいから、利口なふりをするのがうまいのである。ヨーロッパ人は見掛けが利口なだけで、中は馬鹿である。見掛け倒しである。
反対に、日本民族は生まれつきみんなが頭で考えるのが好きである。たまに頭で考えるのが嫌いな馬鹿が現れる。遺伝的にそう決まっている。日本人は医者や商売人や運動選手や芸能人や政治家などの眼で見るだけで頭で考えない馬鹿を軽蔑して嫌う。日本人は利口だから利口ぶらない。利口は嘘をつくのが下手[へた]だから嘘をつかない。日本人は利口ぶらないから見かけは馬鹿だが、中は利口である。
政治機関は国民みんなが幸福に暮らせる国を作る。
だから、ヨーロッパの政治機関(つまり政府)は頭で考えるのが嫌な馬鹿が幸福に暮らせる国を作る。
日本の政治機関は頭で考えるのが好きな者が幸福に暮らせる国を作らねばならない。
ところが、日本政府はヨーロッパの政治機関であり、頭で考えるのが嫌いな馬鹿のための政治機関だから、日本には向かない。日本政府はヨーロッパ人を幸福にするが、日本人を幸福にしない。
日本政府は日本人を不幸にする。だから、日本人は早く政府を倒して、知覚主義の政治機関に替えねばならない。そうすれば、日本人は幸福になれる。
日本人は日本人自身を変えられない。人間は遺伝的に決まっているから、人間が人間自身を変えることはできない。しかし、人間は政治機関を入れ替えることはできる。日本人は政治機関を替えられる。だから、日本人は早く政治機関を入れ替えて、日本人に適した政治機関にしないといけない。
たとえ日本人がヨーロッパ人に変わっても、見掛けがよくなるだけで幸福にはならない。ヨーロッパ人には眼で見る喜びがあるだけで、頭で考える喜びがない。日本人には眼で見る喜びも頭で考える喜びも両方ある。人間にとっては自分の幸福が一番大事である。ヨーロッパ人よりも日本人のほうが幸福が多い。ヨーロッパ人よりも日本人のほうがいい。だから、日本人はたとえヨーロッパ人に変われたとしてもヨーロッパ人にならないほうがいい。
[20396] 今では日本人みんなが五感主義をやめて知覚主義に戻っている。 h26.3.15
明治維新のときは日本人みんなが「自分がヨーロッパ人を真似[まね]れば幸福になれる」と思って無理やりヨーロッパ人を真似て五感主義でやっていた。五感主義の国を作るために政府を建てて政府にお金をやって「法律や道徳のない、神がいる、政府や宗教団体や暴力団が上の者である国」を作らせていた。
しかし、日本人みんながしばらく五感主義をやってみても自分が幸福になれないことがわかったので、戦後はみんなが「人間の心は変わらない。日本人とヨーロッパ人では心が違う。日本人がヨーロッパ人の心を真似できない。」と考えて、ヨーロッパの五感主義を真似るのをやめて、もとの自分の知覚主義に戻った。
今では日本人みんなが知覚主義をやっている。ところが、政府は昔の五感主義の国を作る政治機関である。政府は国民みんなが不幸な国を作っている。今の日本に政府があってはいけない。今ではみんなが知覚主義をやっているから、知覚主義の政治機関を建てねばならない。だから、今の国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、知覚主義の政治機関を建ててお金をやって『法律や道徳のある、神がいない、政治機関や宗教団体や暴力団が上の者でない国』を作ってもらわねばならない。
日本人が五感主義をやったために戦争や国家宗教などで大勢の国民が不幸になった。日本人はとんだ骨折り損のくたびれもうけをやったもんだ。日本人はもう二度とヨーロッパ人を真似て五感主義をやってはいけない。
国は国民みんなが中心である。国民みんなが政治機関を決める。今の国民みんなは知覚主義をやっている。政府は五感主義の国を作る政治機関である。だから、今の国民みんなで政府を倒して、知覚主義の国を作る政治機関を建てねばならない。日本人が日本人にとって幸福である国にしないといけない。
私も若いころは自分が医学部に入れば幸福になると思って医学部に入った。しかし、しばらく医学をやってみても自分が幸福にならないことがわかったので医者をやめた。その後物理学科に入ると幸せになった。人間は自分の心は変わらない。だから、自分の心をよく知り自分の心を満足しなければならないのである。
日本が五感主義をやっていたのは、ロシアが社会主義をやっていたのと同じである。日本人がけっきょく五感主義では自分が幸福に生きていけないことがわかって五感主義を放棄してもとの知覚主義に戻したように、ロシア人はけっきょく社会主義では自分が幸福に生きていけないことがわかって社会主義を放棄してもとの資本主義に戻した。ロシア人は社会主義の政府を倒して資本主義の政府に替えた。日本人も早く政府を倒して知覚主義の政治機関にしなければならない。
[20397] 今の国民は自分勝手に知覚主義をやればいい。☆ h26.3.15
国は国民が決める。国民が自分の主義を自分で決める。国民が主義を決めると具体的にやることが決まる。政治機関は国民が具体的にやることを実現するためにある。つまり、政治機関は国民に従属する機関である。だから、国民が自分の主義に応じて自由に政治機関を壊したり建てたりすればいいのである。
昔の国民は五感主義をやっていた。昔の国民は法律や道徳を守らず自分の好き放題にやっていた。神がいると思って神に従っていた。政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思って従っていた。
政府は五感主義の政治機関である。政府は法律や警察を撤廃して国民が自由に何でもできるようにした。天皇などを神として国家宗教をやった。自分が国民を虐[いじ]めたり、宗教団体や暴力団を設けて国民を虐めさせたりした。
昔の国民は政府に税金を払って五感主義の国を作ってもらっていた。
今の国民は五感主義をやめて知覚主義に戻っている。今の国民は法律や道徳を守って自分や他人の人権を守って暮らしている。神がいないと思って国家宗教をやっていない。政府や宗教団体や暴力団を上の者だと思わず従わない。虐められたらちゃんと仕返ししている。
知覚主義の政治機関は法律を定めて警察を設けてみんなを法律で取り締[し]まる。犯罪者を罰する。神を設けず国家宗教をやらない。宗教団体や暴力団を撤廃する。
政府は五感主義の政治機関である。今の国民は政府に税金を払わず政府を倒している。知覚主義の政治機関を建てている。
[20398] どうして今の政府は警察を置いているか? h26.3.15
政府は五感主義の政治機関である。政府は国民が五感主義で生きていける社会を作る団体である。
五感主義では国民が法律や道徳を守らず自分の心のままに好き勝手にやっていい。
だから、政府は法律を定めず警察を廃止して犯罪者を罰しないようにしている。
それなら、政府は警察をきれいさっぱり置かなければいいはずである。
それなのに、今の政府は警察を置いている。警官をたくさん置いている。
政府は警察を置いているだけで、実際には警察に犯罪者を罰せさせていない。犯罪者はたとえ警察に捕まってもすぐに釈放されてすぐに再びそこらへんをウロウロしているのである。
政府が警察を置いているのは、今の国民の多くが知覚主義に転向したからである。政府は知覚主義の国民に「政府が知覚主義をやっている」と思わせて国民を騙[だま]して税金を取るために警察をやっているふりをしているのである。
しかし、本当は政府は五感主義の政治機関である。五感主義では自分の心のままにやっていいので法律や道徳を守らなくていいので政府は自分が五感主義をやって国民に嘘[うそ]をついて自分が知覚主義をやっているふりをしているのである。そのために、政府は見かけの上で法律を定めて警察をやって国家宗教をやめて自分が国民を虐[いじ]めず宗教団体や暴力団を規制しているふりをしているのである。政府は本当は法律を定めず警察をやらず国家宗教をやって自分で国民を虐めて宗教団体や暴力団を設けて宗教団体や暴力団に国民を虐めさせているのである。
今の国民は知覚主義をやっているためにみんなが正直だと思っているから見事に政府の嘘に騙されている。昔の国民は五感主義をやっていたからみんなが嘘つきだと思っていたから政府が知覚主義をやっているのを見ても政府が嘘をついていると思っていた。今の国民は知覚主義をやっているためにみんなが嘘をつかないと思っているから政府が知覚主義をやっているのを見て政府が本当に知覚主義をやっていると思っているのである。政府の嘘にまんまと騙されているのである。
国民は政府の嘘に騙されず『政府を五感主義の政治機関だ』と考えて『政府は今の国民の知覚主義の国を実現していない』と考えて、『政府を潰[つぶ]すべきだ』と考えて政府に税金をやらず政府を潰せばいいのである。早く国民みんなで知覚主義の政治機関を建てて知覚主義の政治機関にお金をやって国を作らせればいいのである。
[20399] 人間はどのようにして幸福に生きていけるか? h26.3.15
人間は実在の中で生きている。人間の心にはまちがいがある。人間の心は人間が生まれつき持っている実在についての認識でありまちがいがある。人間の知覚は人間が生まれた後で獲得した実在についての認識でありまちがいがない。人間の知覚で実在を知り、自分の心を知覚に従わせて自分の心のまちがいを直さねばならない。だから、人間は頭で考えて『実在の法則』を知り『実在の法則』を守りながら自分の心を満足することによって幸福になれるのである。
ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いだから、実在の法則を知ろうとせず実在の法則を守らず自分の心のままに好き放題にメチャメチャやって不幸になっているのである。
日本人は頭で考えるのが好きだから、実在の法則を知り実在の法則を守って自分の心を満足して幸福になっているのである。
ヨーロッパ人は不幸である。日本人は幸福である。人間の心は遺伝で決まるから、遺伝的にヨーロッパ人は不幸で日本人は幸福だと決まっているのである。ヨーロッパ人は見掛けがいいだけで心は不幸である。日本人は見掛けが悪いが心は幸福である。人間にとっては自分の幸福が一番大事である。だから、ヨーロッパ人よりも日本人のほうが優れている。人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足することによって幸福になれる。これが『幸福の法則』である。ヨーロッパ人は幸福の法則を守らないからヨーロッパは不幸の国である。日本人は幸福の法則を守るから日本は幸福の国である。日本の勝ちだ。
[20400] ヨーロッパは天才で儲[もう]ける国である。 h26.3.15
ヨーロッパは馬鹿の国である。それなのに、ヨーロッパが儲かるのはヨーロッパに天才がいるからである。天才が大発明をするからヨーロッパ人みんなが儲かるのである。
アメリカが高いお金を出してヨーロッパの天才を引っこ抜くのは、一人天才が国の中にいれば国民みんなが儲かるからである。国民みんなが天才に払ったお金の何万倍も儲かるから、アメリカでは国民みんなが高いお金を出してヨーロッパの天才を“買う”のである。
日本は利口の国である。それなのに、日本が儲からないのは日本に天才がいないからである。日本人はまあまあ頭がいいだけで大発明ができないから日本は儲からないのである。
だから、日本もアメリカを見習ってヨーロッパの天才を引っこ抜けばいい。アメリカよりも日本のほうが治安がいいし景色がいいし食べ物が美味[おい]しいから、うまく天才を説得して日本に来てもらえばいいだろう。そうすれば、日本は今の何十倍も何百倍も儲かる国になるだろう。