[20101] 宗教団体の神は神の芝居をしているただの人間である。 h26.2.9
宗教団体の神も神の芝居をしているだけで、本当の神ではない。
本当の神は人間を好き勝手にできるが、宗教団体の神は神の芝居をしているだけで本当は人間だから、宗教団体の神は人間と平等だから、人間を好き勝手にできない。
宗教団体の神を拝んでいる者は、宗教団体の神が芝居の上の神にすぎず頭の中で「神だ」と思って拝むだけにして、現実には『ただの人間だ』と思って自分と平等だと思って宗教団体の神に従わなければいいのである。
宗教団体の神は国民が拝んで幸せになるためにあるだけであって、それ以上の者ではない。
宗教団体の神は神の芝居をしているただの人間である。みんなは宗教団体の神の芝居を見て頭の中で「神だ」と思って拝んで幸せになってお礼に拝み代を払うだけにして、現実には『宗教団体の神はただの人間であり、宗教団体の神と自分は平等だ』と思って宗教団体の神に従わなければいいのである。宗教団体の神の命令を聞いたり宗教団体の神の決まりを守ったりしなければいいのである。たとえ宗教団体の神が命令したり決まりを決めたりしても『宗教団体の神が神の芝居をやっているだけだ』と思って、宗教団体の神の命令や決まりを本気にしないようにして宗教団体の神の命令や決まりを守らなければいいのである。
それと同じように、政府は国民が拝んで幸せになるためにあるだけであって、それ以上の者ではない。政府は偉い者の芝居をしているただの人間である。政府は芝居の上で偉い者であるだけで、現実にはただの人間である。国民は政府の偉い者の芝居を見て頭の中で「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで幸せになってお礼に拝み代を払うだけにして、現実には『政府はただの人間であり、政府と国民は平等だ』と思って政府に従わなければいいのである。政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしなければいいのである。たとえ政府が命令したり法律を決めたりしても『政府が偉い者の芝居をやっているだけだ』と思って、政府の命令や法律を本気にしないようにして政府の命令や法律を守らなければいいのである。国民は政府の法律を真[ま]に受けて政府に税金を払ってはいけない。国民は本当の法律と政府の法律を区別して、本当の法律を守って政府の法律を守らないようにしないといけない。
宗教団体や政府の芝居は現実と混同しやすい。宗教団体や政府は紛[まぎ]らわしい芝居をやっている危険な劇団である。[劇(芝居)と現実を混同するのは危険である。だから、危険な薬のことを“劇”薬と言うのである。]みんなは宗教団体や政府の芝居を現実と混同しないようにして、芝居を芝居として楽しむようにしないといけない。
[20102] マンガと小説の違い h26.2.9
マンガとは眼で見えることだけで書いた文学である。
小説は頭で見えることだけで書いた文学である。
最近の人間は眼で見えることしかわからないのでマンガばかり読んで小説を読まなくなっている。
しかし、実在の世界には眼で見えることだけしかないのではない。頭でしか見えないことがたくさんある。
人間が実在を理解するためには、頭で見えることがわからなければならない。
だから、マンガは子供が読むだけにして、大人は小説を読まねばならない。大人は小説を読んで自分の知覚を鍛[きた]えねばならない。
[20103] どうしてルターは宗教改革をやったのか? h26.2.9
中世のドイツではみんなが宗教団体を神だと思って宗教団体に従っていた。みんなは宗教団体の命令に従って宗教団体の決まりを守って社会が乱れていた。
本来はみんなが『宗教団体が神の芝居をやっている』と思って宗教団体の神の芝居を見て頭の中で「宗教団体が神だ」と思って宗教団体を拝んで幸せになってお礼に宗教団体に拝み代を払えばいいだけだったのである。
ところが、みんなが芝居と現実の区別を見失って「宗教団体が本当の神だ」と思って宗教団体の命令や決まりに従うようになって宗教団体の芝居の上のいいかげんな命令や決まりを守るようになったので世の中が乱れるようになったのである。
ルターはそのありさまを見かねてみんなに『宗教団体は神の芝居をやっているのであって、本当の神ではない』と説[と]いたが、みんなが理解してくれなかったので、宗教そのものを昔のやり方に戻すべきだと考えたのである。それが宗教改革である。ルターが宗教改革をやったために、宗教が本来の拝むだけのものになって、みんなが宗教団体の命令や決まりを守らなくなって世の中が正常に戻ったのである。
ドイツ人は文学的なので芝居と現実の区別がつかなくなるので、ドイツ人はすぐに「宗教団体が本当の神だ」と思ってしまうので、宗教団体が命令を出したり決まりを決めたりしてはいけないのである。
今のヨーロッパの宗教団体が『拝まれるだけの宗教』をやっているのはルターの業績による。だから、今のヨーロッパの宗教団体は健全に活動しているのである。
一方、日本人は昔から芝居と現実の区別が得意なので『宗教団体が神の芝居をやっている』ことをよく知っていたし『政治団体が偉い者の芝居をやっている』こともよく知っていた。だから、みんなが宗教団体や政治団体をただ拝むだけで、宗教団体や政治団体の命令や決まりを守ったりしなかった。もっとも、日本では日本人が格好[かっこ]悪いために神の芝居がサマにならなかったので宗教団体は人気がなかった。日本人が神をやると神というよりも仙人である。仙人は拝む者ではない。日本では宗教団体を拝む者はあまりいなかった。
今ではみんなが物が豊かになって物を使って遊ぶようになって偉い者を拝んで遊ばなくなっている。そのために、みんなが政治団体を拝まなくなって政治団体に拝み代を払わなくなって政治団体が滅んでいる。それだけのことである。
[20104] 政府は国民にいいかげんな命令や法律を出している。 h26.2.9
政府は偉い者の芝居をする団体である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
偉い者は偉いから国のことをやる。
だから、政府は自分が偉い者の芝居をするために民主主義の政治機関を建てて国の政策をやっている。
実際には、政府は国民に芝居の上でのいいかげんな命令や法律を出しているだけである。
本来国民は政府の芝居を見て「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んでお礼に政府に拝み代を払えばいいだけである。国民は政府の命令や法律を守らなくていい。
しかし、国民の中には政府の芝居を本気にして「政府が本当に偉い者だ」と思って政府の命令や法律を守る者がいる。政府の命令を聞いて人殺しをしたり人の嫌がらせをやったり、政府の法律を守って政府に税金を払ったりしている者がいる。
政府は偉い者の芝居をやる会社だから、政府が芝居の上で国民に虐めの命令や税金の法律を出すのはかまわない。国民みんなが政府を本当に偉い者だと思って政府に従ってはいけない。みんなは政府の芝居と現実を混同してはいけない。みんなは政府の命令や法律を守らないようにして、政府を拝んで政府に拝み代を払うだけにしないといけない。今ではみんながテレビやゲームで遊んで偉い者を拝んで遊ばなくなっているから、政府を拝まず政府に拝み代を払わず政府を潰[つぶ]してしまえばいいのである。
政府の法律会社は自分が偉い者の芝居をやるために国民にまちがった命令や法律を出すから、国民は政府の法律会社の命令や法律を聞いてはいけない。政府の法律会社はなくなったほうがいい。早く国民みんなで政府を潰して、国民に正しい命令や法律を出す本物の法律会社を建てて、本物の法律会社に仕事をやってもらわねばならない。
[20105] 政府に権力はあるか? h26.2.10
政府は偉い者の芝居をする会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に「偉い者だ」と思われて拝まれて国民を幸せにする会社である。
普通の人は政府の芝居を見て頭の中で「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで幸せになってお礼に政府に拝み代を払うだけである。普通の人は政府に命令や法律を出されても『政府が偉い者の芝居をやっているのだ』と思って政府の命令や法律を本気にせずに守らない。
ところが、馬鹿な人は政府の芝居を見て「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従う。政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりする。馬鹿は自分が政府に罰せられるのが怖くて必死に政府に従っているのである。
つまり、政府の芝居が芝居だとわかる普通の人にとっては政府には権力(命令力)はないが、政府の芝居が芝居だとわからない馬鹿にとっては政府に権力があるのである。
人によって政府に権力があったりなかったりするのである。
君はどっちかな?
[20106] どうして政府は国民と契約を取らないのか? h26.2.10
政府は偉い者の芝居をやる会社である。
今では会社は国民と契約を取って仕事をするのが当たり前だから、政府も国民とちゃんと契約を取って偉い者の芝居をする仕事をすればいい。政府がテレビや新聞で偉い者の芝居をして、国民がそれを見て拝んで幸せになって政府にお金を払うようにすればいい。
しかし、今どき偉い者を拝みたい国民はいない。国民は毎日政府がテレビや新聞で偉そうに威張[いば]るのを見てウンザリするだけである。政府は国民に契約を断られるのがミエミエである。
だから、政府は国民と契約を取らないのである。
政府は偉い者の芝居をやる会社であり、偉い者は嘘[うそ]をつくから、政府も嘘をつく。
しかし、政府が国民と契約をとる前に、政府が国民に嘘をつくのは契約違反である。政府が国民と契約を取るときには、政府は国民に正直に『自分が偉い者の芝居をする会社だ』と言わねばならない。しかし、それでは国民に契約を断られてしまう。
だから、政府は国民と契約を取ろうとしないのである。
政府は国民と契約を取れないほど今の国民にとって要らない仕事をしている会社である。
だから、今の国民は政府と契約を取らなければいいのである。
今の国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]してしまえばいいのである。
実際に、今の国民はすでに政府にお金をやっていない。政府は貧乏会社である。政府は潰れる寸前である。政府は弱い会社である。だから、国民は政府を怖がらずに政府にお金をやらず政府を潰せばいいのである。今の国民は偉い者を拝む喜びがないから、今の国民にとっては『偉い者の芝居をする会社』なんか要らない。だから、政府を潰せばいいのである。
政府は偉い者の芝居をする会社である。政府の仕事は偉い者の芝居をすることである。政府の仕事はほかにはない。政府は偉い者の芝居が売り物である。政府は偉い者の芝居をやって交換に国民から芝居代をもらって儲[もう]ける会社である。昔の国民は偉い者を拝むのが好きだったから、政府の偉い者の芝居を見て喜んでいた。しかし、今の国民は偉い者を拝むのが嫌いだから、政府の偉い者の芝居を見て嫌がっている。だから、今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらずに政府をなくせばいいのである。早く政府が滅んで世の中に偉い者の芝居をする者がいなくなって世の中が正常になって欲しいものである。
[20107] 政府は偉い者の芝居をする劇団である。☆ h26.2.10
政府は偉い者の芝居をする会社である。政府の仕事は偉い者の芝居をすることである。政府は自分が偉い者の芝居をするために民主主義の政治機関を建てて国の政策をやっている。政府は自分が偉い者の芝居をするために国の政策をやっているだけだから、政府の政策はみんな国民を虐[いじ]めて国民の役に立たないいいかげんなものなのである。国民は『政府が偉い者の芝居をしている』ことを知っているから、政府にいくら命令や法律を出されても無視して何もしない。政府はテレビや新聞の上で政策をやっているだけで、実際には何もやっていない。国民はテレビや新聞で政府が偉い者の芝居をするのをただ見ているだけで、現実には政府に従っていない。国民が政府の命令を聞かないために、政府と現実のつながりが切れているから、政府はテレビや新聞の上で偉いだけである。政府はテレビや新聞の上で国を自分の好き放題に動かしているだけで、政府は現実の上では何もやっていないのである。政府はテレビや新聞の上で偉いだけであって、現実の上ではないに等しいのである。政府はテレビや新聞の上で偉い者を演じる役者なのである。政府はテレビや新聞で大きい口を利[き]いているだけで、実際には何もできないでくの坊なのである。
政府は国民に偉い者の芝居を見せて交換に国民から芝居代をもらって儲[もう]ける会社である。
昔の国民は政府の偉い者の芝居が好きだったから、政府の偉い者の芝居を見て喜んで政府に芝居代をやっていた。
今の国民は政府の偉い者の芝居が好きではないから、政府の偉い者の芝居を見ても喜ばなくなって政府に芝居代をやらなくなった。
今の政府は国民から芝居代をもらえなくなって滅んでいる。
政府が今の国民からお金をもらいたければ、今の国民が欲しがっている物を与えねばならない。
しかし、政府は偉い者の芝居をすることしかできないから、今の国民からお金をもらえなくて潰[つぶ]れている。
昔の国民はほとんど遊びがなくてあまりお金の使い道がなかったから、テレビや新聞で政府の偉い者の芝居を見るのがたった一つの喜びだったから、政府にお金をやって政府がすごく儲[もう]かっていた。昔、偉い者の芝居をやる劇団が国民の人気が出て大きくなっただけのことである。
今の国民はいろんな遊びがあっていろんなお金の使い道があるから、政府にお金がやれなくなって政府が潰れているのだ。今では偉い者の芝居をやる劇団が国民の人気が出なくなって小さくなっているだけである。
政府は偉い者の芝居をする劇団である。政府は芝居の上で偉いだけであって、現実の上では国民と平等である。政府は芝居の世界で偉いだけであって、現実の世界では国民と平等である。政府は芝居で国民に命令できるだけであって、現実には国民に命令できない。政府は芝居の上で国を動かしているだけであって、現実には何も動かせない。国民は政府の偉い者の芝居にお金を払っているだけである。政府の芝居に熱狂した者が政府を本当の偉い者だと誤解して政府の命令で人殺しや人の嫌がらせをやっているだけである。だから、国民は芝居と現実を区別して、政府と付き合わねばならない。
政府は偉い者の芝居をやる劇団である。政府は芝居の上で偉い者をやるだけで、現実の上では何もやっていない。偉い者の芝居をやる者がいなくなっても国民は全然困らない。だから、国民はさっさと政府を倒せばいいのである。
今では国民は偉い者の芝居を見るのが好きではない。だから、今では偉い者の芝居をする劇団がないのが善[い]い国である。国民みんなで早く政府を倒して、本物の法律会社や学校のある国にしないといけない。
[20108] 今の人は政治に無関心である。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をする劇団である。
政府は昔人気があったから大きくなったのである。
昔の人は偉い者の芝居を見るのが大好きだったので、政府の芝居を見て政府にたくさん芝居代をやったので政府が大きくなったのである。
政府はみんなに偉い者の芝居を見せてみんなを幸せにしたから大きくなったのである。
昔の人には“政府が国の政策を真剣にやっているふりをする芝居”が大当たりだったから、政府は国のみんなからお金をもらって大きい団体になったのである。誰でも“自分の国を自分の自由にしたい夢”があるから、政府の芝居がみんなの気持ちを捉[とら]えて大当たりしたのである。誰でも“偉い者になりたい夢”があるから、みんなが“政府が国の政策をする芝居”を見て政府にウットリしていい気持ちになっていたのである。政府は芝居の上でみんなが欲しがっている国を作ると言ってみんなを喜ばせていたのである。
要するに、政府は偉い者の芝居をやる芸能人なのである。今でも芸能人はお金持ちだから、昔の政府もお金持ちだったのである。
政府はテレビや新聞で偉い者の芝居をやって国民から芝居代をもらって儲[もう]けている。政府は自分が偉い者の芝居をするために国民にいいかげんな命令や法律を出している。国民は『政府が偉い者の芝居をやるために国民に命令や法律を出している』ことがわかっているので、政府の命令や法律を本気にせずに黙って政府の芝居を見ているだけである。国民みんなは“政府が国を動かしているふりをしている”のを見て大笑いしているのである。つまり、政府が国の仕事をやっているのはフィクションなのである。政府は架空の“国の仕事をやっている会社”なのである。政府は“国民が幸福に暮らせる国を作っている芝居をやる会社”なのである。政府は芝居の上で国を動かしているだけで、現実には何もやっていないのである。国民は政府の芝居を見て幸せになっているだけなのである。今の人は現実にこだわるから今の政府は現実的な地味な芝居をやっているが、昔の人は現実にこだわらなかったから昔の政府はもっと空想的な楽しい芝居をやっていたのである。政府はもともと芝居をやる会社であって、現実のことをやる会社ではないのである。つまり、暴力団が“善[い]い者の芝居”をするように、宗教団体が“神の芝居”をするように、政府は“国の政策をする芝居”をする会社なのである。政府は現実から切り離れた会社なのである。
昔の人は物がなくて娯楽がほとんどなくて政府の偉い者の芝居を見るのがたった一つの喜びだったから、政府の芝居を見て喜んで政府に芝居代をやっていた。
今の人は物が豊かで娯楽がたくさんあって政府の偉い者の芝居を見ても喜ばないから、政府の芝居を見なくなって喜ばなくなって政府に芝居代をやらなくなった。つまり、今の人は政治に無関心なのである。
今の人は政府の偉い者の芝居を見ても面白くない。テレビのお笑い番組を見たりゲームをやったりしたほうが面白い。だから、今の人は政府に芝居代をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのだ。
[20109] 政府は国を作る芝居をする会社である。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をする会社である。
偉い者は国を作る。
だから、政府は国を作る芝居をする会社である。
政府は芝居の上で国を作っているだけであって、現実の上では何もしていない。
政府は国を作る会社ではなく、国を作る芝居をする会社である。
政府は芝居の上で国民が幸福に暮らせる国を作っている。つまり、政府は国民が幸福に暮らせる国を作っているふりをしている。
国民は政府の作り話に乗せられて幸せになっているだけである。
昔の人は現実よりも空想が好きだったから、政府の芝居を見て政府の作り話を聞いて喜んでお礼に政府に芝居代を払っていた。
今の人は空想よりも現実が好きだから、政府の芝居を見ても政府の作り話を聞いても喜ばなくなってお礼に政府に芝居代を払わなくなった。
今どき芝居をする会社は古い。いくら国民が芝居で幸福でも現実に不幸なら何にもならない。政府は芝居の上で国民が幸福な国を作っているだけである。政府は現実には国民が幸福な国を作っていない。そのため、今の国民は政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
[20110] 政府は芝居の上で偉いだけである。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をする会社である。政界とは偉い者の芝居をする世界である。芸能界と同じである。
そのために、政府はテレビや新聞で偉い者を演じているのである。国の政策をする芝居なんかやっているのである。
政府の命令や法律は芝居の上の命令や法律だから、国民は政府の命令や法律を守らなくていい。
昔の国民は現実よりも空想が好きだったので、政府の芝居を見て「政府は偉い!」と感動して幸せになってお礼に政府に芝居代をやっていた。
今の国民は空想よりも現実が好きなので、政府の芝居を見ても『政府は芝居で偉いふりをしているだけだ』と思って『政府は本当は偉くない』と思って政府に芝居代をやらなくなった。
そのために、政府は潰[つぶ]れている。
今の人は芝居よりも現実に関心があるので、政府がいくら芝居の上で偉くてもしかたがないのである。今の人は芝居の上で偉い者よりも現実に偉い者のほうが好きである。だから、政府は今の人に嫌われて捨てられて滅んでいるのだ。
[20111] 政府は偉い者ではなく、偉い者の芝居をやっているだけである。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をやる会社である。
政府は毎日朝から晩まで偉い者の芝居をやっている。政府は民主主義の政治をやっているふりをして国民を虐[いじ]めたり国民の役に立たないことをやったり、国家宗教で人殺しや嫌がらせをやっている。
何も考えない者は政府の芝居を見て「政府が本当に偉い者だ」と思い込んで政府に従っている。政府の虐めの命令を聞いて人殺しをしたり人を嫌がらせたりしている。政府の税金の法律を守って政府に毎月高い税金を払っている。
反対に、考えのある者は『政府が偉い者の芝居をやっている』と思って政府に従っていない。いくら政府に命令や法律を出されても『政府が偉い者の芝居をしてるだけだ』と思って政府の命令や法律を真[ま]に受けず守らない。政府の虐めの命令を聞かないし、政府に税金も払っていない。せいぜい政府に芝居代を払うだけである。
政府は偉い者ではなく、偉い者の芝居をやっているだけである。みんなは「政府を本当に偉い者だ」と誤解しないように注意しなければならない。
今では『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことは常識である。だから、今では政府の命令や法律を守ったほうが悪いと考えられている。政府の命令で人殺しや嫌がらせをした者は有罪とされて罰せられる。政府の命令や法律を守って売れない商品を作った会社は倒産する。政府の税金の法律を守って政府に税金を払った者はお金を損するだけである。政府は偉い者の芝居をする会社だから、政府は芝居の上で命令や法律を出しているだけである。政府は自分が国民に命令を出しておいて、国民が自分の命令を聞いたら罰する。政府は陰険[いんけん]丸出しである。国民は政府の命令や法律を真に受けないように注意しないといけない。
[20112] 昔から政府は自分ひとりで国のことをやる芝居をやっているだけである。
h26.2.10
政府は偉い者の芝居をやる会社である。
『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことは常識である。国民みんなは『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っている。
だから、国民みんなは政府の命令や法律を守らず政府の命令や法律を無視している。
だから、政府は自分ひとりで偉い者の芝居をやっているだけである。たまに、例外的に政府の命令や法律を守る者が現れるだけである。
偉い者は国のことをやるから、政府は自分ひとりで国のことをやる芝居をしているだけである。政府は民主主義の政治機関を建てて国のことをやる芝居をやっているのである。
昔の国民は娯楽がほとんどなくて政府の偉い者の芝居が好きだったから、政府の芝居を見て政府に芝居代を払っていた。昔の国民にとっては戦争が娯楽であったように、政府の偉い者の芝居を見ることが娯楽だったのである。昔は政府の偉い者の芝居以外にはニュースがほとんどなかったから、国民みんなにとって政府の偉い者の芝居がすごく人気があったのである。
今の国民は娯楽がたくさんあって政府の偉い者の芝居が好きではないから、政府の芝居を見ず政府に芝居代を払わなくなった。今の国民はテレビや映画で芝居を見飽きているから、今の国民にとっては国のことをやる芝居をする団体は要らないのである。
だから、今の政府は潰[つぶ]れているのである。
[20113] 政府は昔の人気者である。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をやる団体である。
政府は芝居の上でいろんな国のことをやっているだけで、現実には何もやっていない。
政府はテレビや新聞で偉い者の芝居をやって国民を楽しませる団体である。
昔は世の中には政府の偉い者の芝居のことしかなくて、昔の人は政府の偉い者の芝居が好きだったので、昔の人はテレビや新聞で政府が偉い者の芝居をしているのを見て喜んでお礼に政府に芝居代を払っていたのである。
今では世の中にいろんなことがたくさんあって、今の人は偉い者の芝居が好きではないので、今の人はテレビや新聞で政府が偉い者の芝居をしているのを見ても喜ばなくなって政府に芝居代を払わなくなったのである。
昔は政府が世の中のすべてだったが、今では政府は世の中のほんの一部にすぎない。昔の人は政府にしか関心がなかったが、今の人はいろんなことに関心がある。政府は昔の人気者だったが、今では人気者ではない。今の人は政府にお金をやらなくなったから、政府が滅んでいるのである。
[20114] 政府は昔のみんなの暇潰[つぶ]しの団体である。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をやる団体である。
偉い者は国のことをやるから、政府は偉い者の芝居をするから、政府は“国のことをやる芝居”をやっている。
政府は芝居の上で国のことをやっているだけで、現実の上では何もやっていない。つまり、政府の国のことをやる芝居はでっち上げである。政府の国のことをやる芝居はフィクションである。政府の国のことをやる芝居はドラマである。
政府は国中のみんなにウケるために、国中のみんなに関心を持たせるために、国のことをやっているのである。
昔は天下泰平[たいへい]で世の中に何も出来事がなかったので、政府が偉い者の芝居をやってみんなの暇を潰[つぶ]して楽しませていたので政府に人気があったのである。善人でも悪人でも、とにかくテレビや新聞に出れば人気が出る。昔の新聞には政治記事しかなかったから、政府にすごく人気があったのである。みんなは政府にいろんな芝居をやってもらうために、政府にたくさんお金をやっていたのである。政府は儲[もう]かっていたのである。
今は世の中にたくさん出来事があるから、政府の偉い者の芝居よりも面白いことがいっぱいあるから、政府の偉い者の芝居を見る人がだんだんいなくなって政府の人気がなくなっているのである。今では政府の芝居よりも面白いことがたくさんあるから、みんなは自分の面白いことにお金をかけて、政府にお金をやらなくなったのである。今では政府の偉い者の芝居がマンネリ化しているのでなおさらである。
そのために、今の政府はみんなからお金がもらえなくなって滅んでいるのである。
[20115] 今の政府は貧乏だからつまらないことしかやれない。 h26.2.10
政府は偉い者の芝居をやる団体である。偉い者の芝居はただの作り話のこともあるが現実の場合もある。政府がお金があるときは偉い者の芝居を現実の中でやるが、お金がないときは作り話の上だけでやる。もっとも、政府は国家宗教もやっている。政府自身は偉い者だから国民を虐[いじ]めるだけだが、国家宗教は神だから国民を喜ばせることをやる。だから、政府は国民を虐めることと国民を喜ばせることの両方をやる。つまり、政府は国民を虐める命令を出すだけではなく、国民を喜ばせる命令を出すこともある。政府は本当の偉い者ではなく芝居の上の偉い者だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。日本人は昔から自分で考えて政府の国民を虐める命令は聞かないようにして国民を喜ばせる命令だけを聞いてきたのである。反対に、政府は芝居の上では国民を虐める偉い者のほうがいい。日本人的には善い者の芝居よりも悪い者の芝居のほうが面白いから、日本人は神よりも偉い者のほうが好きだから、日本人は政府の偉い者の芝居が好きだったのである。日本人は昔から政府が悪いことをする芝居を喜んで見ていたのである。日本人的には善いことは現実の中でやれるから見飽きているので、むしろ政府に芝居の上で悪いことをやってもらいたかったのである。現実の中でやれないことを演じられるのが役者だから、政府は芝居で悪いことがやれないといけないのである。もちろん政府は本当の偉い者ではないから、芝居の上で悪いことをやるだけで、現実の上では悪いことをやってはいけない。
政府は偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらう。
政府は国民からもらったお金で偉い者の芝居をやる。
昔は国民みんなが政府の芝居を見て喜んで政府にお金をやっていたから、政府はお金持ちだった。だから、政府は芝居にお金をかけて面白い芝居がやれた。
しかし、今では国民みんなが他のことで喜んで政府の芝居を見ても喜ばなくなって政府にお金をやらなくなったから、政府は貧乏である。だから、政府は芝居にお金をかけれなくなってつまらない芝居しかやれなくなったのである。例えば、今の政府が国家宗教でアニメを作ったり、国家宗教で殺人事件を起こしたりしているのは、政府にお金がなくて政府が貧乏だからである。昔の政府はもっとお金持ちだったから、実際に国民の役に立つことをやったり(例えば、鉄道や米)、国民を幸せにする芝居をやったりしていたのである。
貧乏人はつまらない。だから、今の政府もつまらない。今の国民みんなは政府に見向きもしなくなってますます政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。
[20116] 政府は芝居で悪役をやっている役者と同じである。☆ h26.2.11
政府は芝居で偉い者をやっている国民である。
偉い者は悪いことをするから、政府は芝居で悪いことをやっている善[い]い人である。
政府は芝居で悪役をやっている役者と同じである。
政府は本当は国民だから、国民は政府と平等にすればいい。国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしなくていい。政府がいくら国民に「税金を払え!」と言っても、国民は『政府が偉い者の芝居をやっている』と思って政府に税金を払わなければいいのである。
政府は芝居で国民にまちがった命令や法律を出している。国民は芝居と現実を区別して、政府のまちがった命令や法律を守って悪いことをやってはいけない。国民はおとなしく政府の悪役っぷりを楽しまねばならない。
政府の偉い者の芝居がどうしても見たい人は政府に芝居代を払って芝居をやってもらえばいい。
もっとも、私は個人的には芝居には興味がないので、政府に芝居代を払いたいとは思わない。
[20117] 国民の多くは政府の芝居が好きである。☆ h26.2.11
政府は偉い者の芝居をやる役者である。政府は国民に偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらっている。国民は政府に芝居代をやって政府に偉い者の芝居をやってもらっている。
今でも政府が残っているのは、今でも政府の芝居を見たい者が大勢いるということである。
テレビや新聞を見れば、政府が毎日偉い者の芝居で“どうでもいいこと”をやっている。大勢の国民は“どうでもいいこと”が面白くて政府に芝居代を払っているのである。
政府の芝居が見たいか見たくないかは個人の勝手である。政府の芝居が見たければ政府にお金を払えばいいのである。政府の芝居が見たくなければ政府にお金を払わなければいいのである。
しかし、政府の芝居のために法律会社や学校が歪[ゆが]んでいる。政府の法律会社や学校はまちがった法律を定めたりまちがったことを子供に教えている。そのために、犯罪が増えたり国民が馬鹿になっている。政府が残ってもいいが、政府の法律会社や学校とは別に正しい法律会社や学校を建てるべきである。正しい法律を定める法律会社や子供に正しいことを教える学校を建てるべきである。
[20118] 政府は自分の芝居を本気にしてはいけない。 h26.2.11
政府は偉い者の芝居をする団体である。
国民のほとんどは政府の芝居を見て喜んで政府に芝居代を払っているだけである。
しかし、国民の中には政府の芝居を見て「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っている者がいる。政府の命令や法律を守っている者がいる。
それと同じように、政府のほとんどは偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民から芝居代をもらっているだけである。
しかし、政府の中には偉い者の芝居のやりすぎで「自分が本当に偉い者だ」と思っている者がいる。本気で国民に命令や法律を出している者がいる。国民が自分の命令や法律に反すると国民を罰する者がいる。
しかし、現実には人間はみな平等であり、政府と国民は平等だから、政府は国民に本当に命令や法律を出せない。政府は国民に命令や法律が出せるふりができるだけである。政府が自分の命令や法律に反する国民を罰すると政府が悪いことになる。政府は実際には権力ゼロの団体なのである。だから、政府は自分の芝居に溺[おぼ]れて「自分が本当に偉い者だ」と思ってはいけない。政府は『自分が偉い者の芝居をやっているにすぎない』ことを忘れてはいけない。政府は芝居と現実をちゃんと区別して、芝居を超えることをやってはいけない。
[20119] 今の政府は国民にとって使い道がない。 h26.2.11
政府は偉い者の芝居をやる団体である。
今でさえ宗教団体や暴力団は儲[もう]かっている。だから、昔の政府はすごく儲かっていたのである。
昔は国民みんなに政府の偉い者の芝居が人気があったので、政府は国民みんなから芝居代をもらってすごく儲かっていた。昔の国民が戦争がすごく好きだったように、昔の国民は政府の偉い者の芝居を見るのがすごく好きだったのである。
昔の政府はお金がたくさん集まったので、余ったお金で法律会社や学校などの事業をやった。
政府は善[い]い命令も出すことがあるから、国民は政府の善い命令は積極的に聞いてやっていたのである。政府は善い事業にたくさんお金を出してくれた。政府は悪い命令も出すことがあるが、国民は政府の悪い命令は無視してやらなかったのである。もっとも、国民の中には「政府が本当に偉い者だ」と誤解して政府の悪い命令をやる者もいたが。
しかし、今は国民がいろんな娯楽があって偉い者の芝居に興味がなくなって、ほかのことにお金を使って遊ぶようになって政府にお金をやらなくなった。今の政府はシケて善い事業をやらない。国民は政府の命令を聞くことがない。
政府の本業は偉い者の芝居をすることである。ところが、今では国民みんなに偉い者の芝居が人気がないから政府は儲からなくなって貧乏になっている。今の政府はみんなに貧乏会社だと馬鹿にされてみんなの笑い者になっている。今の政府はテレビや新聞で偉い者の芝居をやるだけで、善い事業にお金を出してくれない。今の政府は国民にとって使い道がない。
今では銀行や株式会社が出来て、国民が政府に頼らなくても自由に仕事ができるようになっている。
だから、今の国民は政府にお金を出さなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
[20120] 政府の限界☆ h26.2.11
政府は偉い者の芝居をやって国民からお金を集めて、そのお金でいろんな事業をやるだけである。
政府にはそれ以上のことはできない。
国民は『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っているので、政府の命令を聞かない。政府の善い命令は聞くが悪い命令は聞かない。自分にとって都合のいい命令は聞くが都合の悪い命令は聞かない。つまり、政府は国民に命令できない。
政府は偉い者の芝居で国民の人気を取って国民からお金を集める銀行にほかならない。政府は偉い者の芝居をしている者であって、本当に偉い者ではないから、政府は国民から税金を取れない。政府は国民の人気を取って国民からお金をもらうしかない。
昔は国民みんなに政府の偉い者の芝居が人気があったから、政府にすごくお金が集まって政府は日本一の大銀行だった。政府は自分のお金で国民のためにいろんな事業をやった。政府は国民からもらったお金でいろんな事業をやっていたから現実に事業をする団体のように見えていただけであって、本当は政府は偉い者の芝居をする団体でありテレビや新聞の上で“国のことをする芝居”をやっているにすぎなかったのである。
しかし、今では国民みんなに政府の偉い者の芝居が人気がなくなったから、政府にあまりお金が集まらなくなって政府は銀行ではなくなってただの偉い者の芝居をする団体に戻っている。今の政府はテレビや新聞の上で偉い者の芝居をやって“どうでもいいこと”をやっているだけである。
今の政府は売れない芝居をする団体である。そのうちテレビや新聞の上からも姿を消すだろう。
[20121] 政府は偉い者の芝居をして国民を喜ばせる団体である。 h26.2.12
政府は偉い者の芝居をする団体である。
そのために、政府はテレビや新聞で“どうでもいい国の政策”をやっている。
政府は偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらう。
国民は政府の芝居を見て喜んで政府に芝居代をやる。
政府の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に偉い者だ」と思った馬鹿は政府に従っている。
昔は国民みんなが政府の偉い者の芝居を見るのが好きだったから、政府にお金をやって政府が儲[もう]かっていた。
今では国民がいろんな娯楽があって政府の芝居を見るのが好きではなくなったから、政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。
政府は芝居をしているだけであって、政府は現実の上では何もしていない。国民は政府がなくなっても実際には何も困らない。だから、国民は安心して政府にお金をやらず政府を潰せばいいのである。
政府は国民を喜ばせるために“理想の国を作る芝居”をしているだけである。政府は現実の社会についての知識があるわけではなく、ただたんにテキトウに調子いいことを言っているだけである。宗教家がテキトウに人生論を述べているのと同じことである。政治家が「国はどうあるべきか?」を説くのは宗教家が「人間はどう生きるべきか?」を説くのと同じことである。昔の人は政府の芝居を面白いと思って見ていた。今の人は政府の芝居がくだらないと思って見なくなった。今の人は政府がなくなってもいいと思っている。今の国民には政府なんか要らない。そのために、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰しているのである。
[20122] 政府の芝居は今の国民にウケていない。 h26.2.12
政府は偉い者の芝居をする団体である。政府は本当の偉い者ではなく、偉い者の芝居をしているだけである。だから、政府と国民は平等である。国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かなくていいし、政府の法律を守らなくていい。国民は政府の税金の法律を守らず、政府に税金を払わなくていい。
政府は偉い者の芝居をする団体である。
政府は国民に偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらう。
政府は偉い者の芝居のひとつとして“国を作る芝居”をやっている。宗教団体が神の芝居のひとつとして“人生論を説く芝居”をやっているのと同じである。
昔の人は政府の“国を作る芝居”が好きだった。だから、政府の芝居を見て喜んで政府にお金をやっていた。政府は儲[もう]けたお金でいろんな事業をやった。法律会社や水道やゴミや学校や鉄道や郵便などをやっていた。
今の人は政府の“国を作る芝居”が好きではない。だから、政府の芝居を見なくなって喜ばなくなって政府にお金をやらなくなった。政府は儲からなくなっていろんな事業がやれなくなっている。そのため、法律会社や水道やゴミや学校や鉄道や郵便などを民営化している。今ではすでに鉄道と郵便が民営化されている。ゴミと水道も実質的に民営化されている。あとは法律会社と学校だけだ。
昔の人と今の人は趣味が違う。政府は今の人に捨てられて儲からなくなって滅んでいるのだ。
[20123] 今の国民にとっては政府の芝居はつまらない。 h26.2.12
政府は偉い者の芝居をやる団体である。
政府は偉い者の芝居をやる物であって、本当の偉い者ではない。だから、政府と国民は平等である。
政府は偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらう団体である。
あとは、個人にとって政府の芝居が面白いか面白くないかで決まる。
政府は偉い者の芝居のひとつとして“国のことをやる芝居”をやっている。政府は口先で国のことをやっているだけである。政府は作り話で国のことをやっているだけである。政府は社会科学をやっているのではない。宗教団体がいいかげんな人生論を説いているように、政府はいいかげんな社会論を説いているのである。政府は科学ではなく文学をやっているのである。政治団体はいいかげんな社会論を説くものである。宗教団体の中にも政治団体みたいに社会論を説く宗教団体と政治団体の中間的な性格の団体がある。
昔の国民は面白い作り話が好きだったので、昔の国民にとっては政府の“国のことをやる芝居”が面白かったので、政府にたくさんお金をやった。
しかし、今の国民はいいかげんなことが嫌いなので、今の国民にとっては政府の“国のことをやる芝居”が面白くないので、政府にお金をやらなくなった。
だから、今の政府は貧乏なのである。今の政府は国民に貸す金がないのである。今の政府は銀行ではないのである。今の政府は事業をやれないのである。
今の政府は国民からお金をもらえなくなって滅んでいるのである。
[20124] 政府は文学の団体である。 h26.2.12
政治団体は社会のことで面白い作り話をする会である。宗教団体が人生のことで面白い作り話をする会であるのと同じである。
政治団体は偉い者の芝居をする団体であり、政治団体はもともと芝居をする団体なので、いいかげんな作り話をするのである。政治団体は現実から切り離れている団体である。
政治団体は面白本位であって、現実本位ではない。政治団体は冗談を言う会である。政治団体は作り話の上で国民を幸福にする会であって、現実の上で国民を幸福にする会ではないのである。
政治団体は社会のことで面白い冗談を言って国民を喜ばせて国民からお金をもらう団体である。だから、ピエロなのである。
昔の人は面白本位だったから、政府の冗談が面白かったので、政府にお金をやった。政府は国民からもらったお金で現実の中で事業をやった。
今の人は現実本位だから、政府の冗談が面白くないので、政府にお金をやらなくなった。政府は国民からお金をもらえなくなって現実の中で事業をやれなくなっている。
政府の芸は今の国民にウケなくなって、今の政府は国民からお金がもらえなくなって滅んでいるのである。
昔の人は面白本位だったから、心で物を見ていたから、政府の芝居を本気にして「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っていたのである。
今の人は現実本位だから、頭で物を見ているから、政府の芝居が芝居だと思って『政府が本当に偉い者ではない』と思って政府に従わなくなったのである。
[20125] 政府は国民を幸福にする芝居をする団体である。☆ h26.2.12
政府は偉い者の芝居をする団体である。政府は偉い者の芝居をしているのであって、本当に政府が偉い者ではない。
偉い者は国民を幸福にする。
だから、政府は国民を幸福にする芝居をする団体である。政府は国民を幸福にする芝居をしているのであって、本当に国民を幸福にしているのではない。
昔の人は作り話の上で幸福であればよかった。だから、昔の人は政府の国民を幸福にする芝居が面白くて、政府にお金をやった。政府は国民からもらったお金で現実の上でいろんな事業をやった。
今の人は現実の上で幸福になりたがっている。だから、今の人は政府の国民を幸福にする芝居がつまらなくて、政府にお金をやらなくなった。政府は国民からお金がもらえなくなって現実の上でいろんな事業がやれなくなっている。
何につけても政府は芝居をする団体である。政府は芝居の上で偉くて国民を幸福にしているだけであって、現実の上では偉くなく国民を幸福にしていない。政府は芝居をする団体であって、本当のことをする団体ではない。国民は政府の芝居を本気にしないようにしないといけない。
政府は作り話の上で国民を幸福にしているだけである。政府は現実の上では国民を幸福にしていない。だから、国民は政府がなくなってもかまわない。国民は政府にお金をやらないようにしてさっさと政府を倒せばいいのである。作り話の上で国民を幸福にする政府の替[か]わりに、現実の上で国民を幸福にする正しい法律を定める法律会社や正しいことを教える学校を建てねばならない。
昔の人は最初から自分が現実の上で幸福になることをあきらめて作り話の上で幸福になっていた。昔の人はそんな気持ちで生きていた。政府は作り話の上で国民を幸福にする会だった。だから、昔の人には政府が人気があった。
今の人は最初から自分がなにがなんでも現実の上で幸福になってやろうという気持ちで生きている。今の人は作り話なんかどうでもいいと思っている。今の人はそんな気持ちで生きている。政府は現実の上で国民を幸福にする団体ではない。だから、今の人には政府が人気がないのだ。
政府は作り話の上で国民を幸福にする会であって現実の上では国民を不幸にする会である。政府は文学の団体だから、たとえ政府に悪気がなくてもそうなのである。昔の人は作り話の上で幸福になりたいと思っていたからそれでよかった。しかし、今の人は現実の上で幸福になりたいと思っているからそれではいけない。今の人は政府にお金をやらずに政府を倒して、政府の替わりに現実の上で国民を幸福にしてくれる団体を建てようとしている。
政府はそんなに芝居がやりたかったら、最初から普通の役者になればいいのだ。そのほうが人気が出るだろう。
[20126] 今の国民にとって政府は芝居でも現実でも面白くない団体である。☆
h26.2.12
政府は芝居の上で偉い者をやって国民を幸福にする団体である。
昔の人は現実よりも作り話の上で幸福になっていた。だから、昔の人は政府の芝居が面白いと思って、政府にお金をやっていた。昔の人は『政府が芝居の上で偉い者で国民を幸福にするだけで、政府は本当は偉い者ではなく国民を幸福にしない』ことを知っていたが、それでも政府の“偉い者をやって国民を幸福にする芝居”を見て政府が面白いと思って、政府が自分を芝居で楽しませてくれたお礼に政府にお金をやっていたのである。政府は国民からもらったお金で現実の上で国民の役に立つ事業をやっていたのである。
しかし、今の人は作り話よりも現実の上で幸福になっている。だから、今の人は政府の芝居が面白くないと思って、政府にお金をやらなくなった。今の人は『政府が現実の上では偉い者ではなく国民を幸福にしない』と思って、政府の“偉い者をやって国民を幸福にする芝居”を見ても政府がつまらないと思って、政府が自分を現実の上で楽しませてくれないので政府にお金をやらなくなったのである。政府は国民からお金をもらえなくなって現実の上でも国民の役に立つ事業がやれなくなっているのである。
昔の国民にとっては政府は面白い芝居をやって国民の役に立つ事業をやってくれるありがたい団体だったが、今の国民にとって政府はつまらない芝居をやるだけで国民の役に立つ事業をやれない役立たずの団体である。
今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]しているのである。
[20127] 政府は民間会社である。 h26.2.13
政府は偉い者の芝居をする会社である。
政府は偉い者の芝居をしているだけであって、本当は偉い者ではない。
偉い者は国民を幸福にする。
だから、政府は国民を幸福にする芝居をする。
政府は国民を幸福にしている芝居をしているだけであって、政府は本当は国民を幸福にしていない。
偉い者は国のことをする。
だから、政府は国のことをやる芝居をする。
政府は国のことをやっている芝居をしているだけで、本当は国のことをやっていない。政府は芝居の上で国のことをやっているだけで、本当は国のことをやっていない。
政府は国のことをやっている芝居をしているただの民間会社である。
政府はただの民間会社が国のことをやっている芝居をしているだけである。
政府は実際には国のことをせず、国のことをやっている芝居をしているただの劇団である。
国民が政府に芝居代を払うか払わないかは個人の自由である。国民は政府の芝居が面白いと思ったら政府に芝居代を払い、政府の芝居が面白くないと思ったら政府に芝居代を払わなければいい。
昔の人は現実よりも作り話が好きだったから、政府の芝居が好きだったから、多くの国民が政府に芝居代を払っていた。政府は芝居で儲[もう]けたお金でほかにもいろんな事業をやっていた。
今の人は作り話よりも現実が好きだから、政府の芝居が好きではないから、少しの国民が政府に芝居代を払っているだけである。政府は芝居でお金が儲からなくなっていろんな事業がやれなくなっている。
今は芝居の時代ではない。今は現実の時代である。今の人は現実と芝居を分けている。今の人は芝居を芝居として楽しんでいる。今の人は国家的な芝居よりも個人的な芝居のほうが好きである。政府みたいな国家的な芝居は今の人は好きではない。そのために、今では政府に人気がなくなって、今の人は政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
政府は偉い者の芝居をする劇団である。政府は国民を幸福にする芝居をする劇団である。政府は国のことをする芝居をする劇団である。政府のライバルは他[ほか]の劇団である。今では国が豊かになってたくさん劇団がある。政府もその中のひとつである。今では政府の芝居よりももっと面白い芝居がいっぱいあるから、国民は政府の芝居を見なくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰れているのである。
今では芝居以外にも面白いことがたくさんあるから、今の国民は政府の芝居を見向きもしなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰れているのである。国民の娯楽が増えたために、国民のお金が他のことに取られて政府にお金がまわらなくなって政府が潰れているのである。
[20128] 国民は麻薬をやっていい。 h26.2.13
人が家の中に刀や銃を隠し持っていても他人にはわからない。だから、実質的には個人が刀や銃を持つのは自由である。
人が麻薬をやっていても暴れないかぎり他人にはわからない。だから、実質的には個人が麻薬をやるのは自由である。
「刀や銃を持ってはいけない」ことや「麻薬をやってはいけない」ことは嘘[うそ]の法律である。本当は、『他人の人権を侵[おか]さないかぎり個人は何をやってもいい』のである。だから、本当は刀や銃を持っていても、麻薬をやっても、他人の人権を侵さないかぎり無罪である。[この世では人間はみな平等である。平等とは具体的に何であるかが問題である。人間の平等制が具体化されたのが人権である。人権を守ることは平等を守ることである。]
「刀や銃を持ってはいけない」ことや「麻薬をやってはいけない」ことは昔の日本人が犯罪を減らすためにでっち上げた“嘘の法律”である。馬鹿は嘘に騙[だま]されやすいから、馬鹿は嘘の法律を守るので、国が平和なのである。嘘も方便[ほうべん]と言うわけである。
[20129] 時代が変わると国民の好みが変わって政府が潰[つぶ]れる。☆☆ h26.2.13
政府は自分が偉い者のふりをしながら国のことをやる芝居をしている団体である。
国民は政府の芝居が面白いと思ったら自分が面白いと思ったぶんだけ政府にお金を払えばいいだけである。政府の芝居がつまらないと思う者は政府にお金をやらなくていいのである。
昔は大勢の国民が政府にお金をやっていたので、政府はお金持ちだったので、政府は芝居以外にもいろんな事業をやっていた。
今は少数の国民が政府にお金をやるだけなので、政府は貧乏なので、政府はテレビや新聞で本業の芝居をやっているだけである。政府の他[ほか]の事業はどんどん民営化されている。
これも時代だ。時代の流れだ。昔流行[はや]っていた会社が今でも流行っているとはかぎらない。『おごる平家も久しからず』だ。時代が変わると、国民の好みも変わるから、政府の芝居が人気がなくなって政府が滅ぶのだ。『風が吹けば桶屋[おけや]が儲[もう]かる』とは、桶屋の桶が白い丸だから神武天皇のことで桶屋が政府と言うことだから、政府の芝居が流行して国民の人気があるときには政府が儲かるということだ。だから、反対に『風が吹かなくなれば桶屋が潰れる』のだ。つまり、政府の芝居が流行しなくなって国民の人気がなくなると政府が儲からなくなって潰れるということだ。
政府は国のことをする芝居をしている団体であって、現実に国のことをする団体ではない。政府は国のことでいいかげんなデタラメなことをテキトウに言っているだけである。宗教団体が人生についていいかげんなことを言っているのと同じである。宗教団体がエセ哲学をするように、政府はエセ社会学をしている。宗教団体も政府もオチャラケ会である。だから、国民は宗教団体や政府のやっていることを真[ま]に受けずに、ただ心で楽しめばいいのである。宗教団体は哲学をしているのではなく、かっこよく人生について考えているふりをしているだけである。宗教団体の言っていることは全部デタラメである。それと同じように、政府は社会学をしているのではなく、ただかっこよく国について考えているふりをしているだけである。政府の言っていることは全部デタラメである。政府は現実をなめている。政府には現実の国はわからない。政府には現実の国は動かせない。政府はもともと芝居のことをやる団体であって、現実のことをやる団体ではない。政府は芝居の上で国のことがやれるだけである。政府は国のことをやる芝居が上手[じょうず]にできるだけで、政府は現実の上では役に立たない。今の国民は芝居よりも現実に興味があるから、政府は今の国民の心を満足しない。今の国民は国のことをやる芝居をやる政府にお金をやらずにさっさと政府を倒して、まじめに現実の国を扱う団体を建てねばならない。そうしないと、国の発展が遅れる。
[20130] 中世にどうして政府が滅んだか? h26.2.13
『風が吹けば桶屋[おけや]が儲[もう]かる』と言うように、政府の芝居が人気があるときは政府が栄えるが、政府の芝居が人気がなくなると政府が滅びる。風とはみんなの人気つまり流行のことである。
ローマ帝国が繁栄しているときには、日本でもみんなが「政府の芝居がナウい」と思って政府の芝居に人気があったから、みんなが政府にお金をやったので政府が栄えた。
しかし、中世の中ごろになってローマ帝国が衰退すると、日本でもみんなが「政府の芝居が古い」と思って政府の芝居に人気がなくなって、みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れた。代わりにみんなが「幕府の芝居がナウい」と思って幕府の芝居に人気が出たので、みんなが幕府にお金をやって幕府が栄えた。
政府も幕府も国のことをやる芝居をする団体である。政治団体とは偉い者のふりをして国のことをやる芝居をする団体である。政府と幕府では芸風が違う。時代によって政府に人気が出たり、幕府に人気が出たりする。日本人みんながヨーロッパ文化を受け入れているときには政府が人気があって政府が栄えて、日本人みんながアジア文化をやっているときには幕府が人気があって幕府が栄える。
しかし、今ではみんなが現実本位[ほんい]になって、みんなが芝居のことなんかに興味がない。そのために、政府の国のことをやる芝居が人気がなくなって、政府が滅んでいる。みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。おそらく、政府がなくなった後に、現実の国のことを扱う会社が建つだろう。コンピューターを使って直接民主制で国民みんなで話し合いをやって国の法律や政策を決めて実行する会社が建つだろう。政府のは国のことをやる“芝居”であって、現実の国を扱う会社とは根本的に原理が違うのである。
政府はもともと芝居をする団体である。劇団である。劇団があってもなくても世の中は変わらない。だから、政府があってもなくても世の中は変わらない。だから、国民は安心して政府をなくせばいいのである。
[20131] 私の遺言[ゆいごん] h26.2.13
人の思想というものは、その人の身体に合っているからうまくいくのである。
だから、自分の思想がいくら自分の身体においてうまく行くからと言って、他人の身体においてうまくいくとは限らない。自分の思想が自分にとって正しいからといって、他人にとって正しいとは限らない。
自分の思想は他人にとってはうまく行かないものである。
だから、自分の思想は他人にとっては無価値なものである。
人間には2種類いる。この世に生きていて幸福な人間と、この世に生きていても幸福でない人間の2種類がいる。
この世に生きていて幸福な人間にとっては生きることが幸福である。
しかし、この世に生きていても幸福ではない人間にとっては死ぬことが幸福である。
この世に生きていて幸福な人間にとってはこの世が天国である。
この世に生きていて幸福でない人間にとってはあの世が天国である。
私は生きていても他人から幸福にしてもらったことが一度もない。私は全部自分で自分を幸福にしただけだ。
だから、私は他人を幸福にするのが嫌である。
私が死んだ後で、私が考えた正しいことのために、私が他人を幸福にして、私が他人に利用されるのは嫌である。
私が死んだ後で、私が考えたまちがったことのために、私が他人を不幸にして、私が他人に迷惑をかけるのもまた嫌である。
だから、私が死んだ後では私の考えたことはすべてこの世からなくしてもらいたい。私が最初からいなかったことにしてもらいたい。私は残すのが嫌いだ。私が生きている間私の考えがこの世にあるのはしかたがないとしても、私が死んだ後でも私の考えがこの世に残っているのは嫌である。だから、私が死んだ後ではいっさい私が考えたことをなくしてもらいたい。自分の考えは自分の物である。自分の考えは自分がどうしようが自分の勝手だ。だから、私が死んだ後では自分の考えをいっさい消してもらいたい。
[20132] 政府の法律は芝居の上の法律である。 h26.2.13
政府は偉い者の芝居をする団体である。
偉い者は国のことをする。
だから、政府は国のことをする芝居をする団体である。
政府は国のことをする芝居をして国の法律を定めている。
政府の法律は芝居の上の法律である。
しかも、政府は偉い者の芝居をする。
だから、政府の法律はデタラメである。政府は政府が偉そうな法律ばかり決めている。政府は政府と国民が不平等な法律を定めている。
政府の法律は芝居の上の法律である。本当の法律ではない。政府の法律は実社会では通用しない。オモチャの子供銀行のお金が実際には使えないのと同じである。
国民は政府の法律を真[ま]に受けて守ってはいけない。本当の法律を守らないといけない。
今の時代には偉い者の芝居をする団体なんか要らない。国民は政府の税金の法律を守らず、政府に税金を払わず、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
現実の社会では人間はみな平等だから、政府と国民は平等だから、政府は国民から税金を取れない。それなのに、政府が納税の義務の法律を定めているのは、政府が現実の社会のことをする会社ではないからである。政府が“社会のことをする芝居をする会社”だから、政府は現実の社会にはない税金の法律を定めているのである。政府が税金の法律を定めていることが、ほかならぬ政府が現実から浮いた“芝居をする会社”であることの証拠である。だから、国民は『政府が芝居をする会社だ』と考えて、政府の芝居を見たい者が政府の芝居を見て政府に芝居代を払うようにすればいいのである。[『ガリバー旅行記』の“空飛ぶ国”は、政府が現実から浮いている“芝居をする会社”であるということである。けっして政府が身分が高い会社であるということではない。みんなは政府を誤解してはいけない。]
昔の人は芝居が現実よりも好きだったから、昔は政府の偉い者の芝居がみんなにウケていたから政府がみんなから芝居代をもらって儲[もう]かっていた。反対に、今の人は現実が芝居よりも好きだから、今では政府の偉い者の芝居がみんなにウケなくなったから政府がみんなから芝居代をもらえなくなって儲からなくなった。政府の偉い者の芝居は時代遅れである。今の政府は人気がない。だから、政府は国民からお金がもらえなくて潰れるしかない。
[20133] 政府の証明書は有効か? h26.2.13
政府は偉い者の芝居をする団体である。
偉い者は国のことをする。
だから、政府は国のことをする芝居をする。
政府は国のことをする芝居で役所で住民票や印鑑証明書などのいろんな証明書を発行している。
だから、政府の証明書は芝居の上の証明書である。政府の証明書は本当はニセモノである。政府の証明書は本当は実社会では通用しない。
しかし、世の中は嘘[うそ]も方便[ほうべん]である。今では国民みんなで『政府の証明書は本当はニセモノだけれども、便宜的[べんぎてき]に実社会でも通用する』と考えて、みんなで使っているのである。
あるいは、『役所は政府が芝居で儲[もう]けたお金でやっている事業であって、本来は政府とは別の会社である。政府は芝居をやっているが、役所は現実の仕事をやっている。』と考えて、『役所で発行した証明書は現実の世界でも通用する』と考えて使っているのである。
そもそも証明書という物は余計な手間をかけさせることによって犯罪を減らすことが目的だから、証明書自体が本物かニセモノかはどうでもいいのである。犯罪者は面倒臭がり屋だから余計な手間をかけてまで犯罪を犯すのが嫌だから、わざわざ証明書をもらってまで悪いことをやろうとしない。また、犯罪者に証明書をもらうという知的な作業をさせることによって冷静にならせて自分を反省させる効果もある。だから、犯罪が防げるのである。だから、政府のニセモノの証明書でも十分間に合っているのである。
とにかく、そういうわけで、今では一般的には役所で発行した証明書は実社会でも有効だとされているのである。たとえオモチャの子供銀行のお金でも、みんながお金であることを認めたら実際に使えるようなものである。
[20134] テレビが宗教団体や暴力団や政府を儲[もう]からなくした。 h26.2.13
今ではみんなが『宗教団体が神の芝居をする団体である』ことを知っている。宗教団体の芝居を見たい者は自分で宗教団体に行って宗教団体の芝居を見て喜んで宗教団体に芝居代を払うようにしている。
今ではみんなが『暴力団が善い人の芝居をする団体である』ことを知っている。暴力団の芝居を見たい者は自分で暴力団に行って暴力団の芝居を見て喜んで暴力団に芝居代を払うようにしている。
それと同じように、今ではみんなが『政府が偉い者の芝居をする団体である』ことを知っている。政府の芝居を見たい者は家にあるテレビや新聞で政府の芝居を見て喜んで政府に芝居代を払うようにしている。みんなは自分の家で手軽に政府の芝居が見れるのでずいぶん便利である。
昔の人は自分で宗教団体や暴力団の芝居小屋に行って宗教団体や暴力団の芝居を見たり、自分の家のテレビや新聞で政府の芝居を見たりして、宗教団体や暴力団や政府にお金を払っていたのである。
しかし、今の人は毎日朝から晩までテレビでアニメやドラマを見ているために、芝居にウンザリして、宗教団体や暴力団や政府の芝居が見たくなくなって、宗教団体や暴力団や政府の芝居を見なくなって宗教団体や暴力団や政府にお金を払わなくなったのである。
今では宗教団体や暴力団や政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
テレビが国民が自分の家で簡単にいろんなテレビ番組が見れるようにしたために、国民が宗教団体や暴力団や政府の芝居を見なくなったので、宗教団体や暴力団や政府が滅んでいるのである。
国民の娯楽が広がったために、国民がいろんなことにお金を使って遊ぶようになって、宗教団体や暴力団や政府が儲からなくなっているのである。
昭和40年ごろにはテレビの登場で宗教団体や暴力団や政府が打撃を受けた。
最近はコンピューターやゲーム機の登場で宗教団体や暴力団や政府がさらなる打撃を受けている。
このままでは宗教団体や暴力団や政府が滅んでしまうかもしれない。
[20134] どうして政府は税金の法律を決めているか? h26.2.13
税金の法律では政府が偉い者である。政府と国民が不平等である。
政府が税金の法律を決めているのは、政府が偉い者だからではなく、政府が偉い者の芝居をしているからである。
現実の社会では人間はみな平等であり、政府と国民は平等である。それなのに、政府が国民よりも偉いのは、政府が偉い者のふりをしているからである。
つまり、政府は偉い者のふりをしている。政府は偉い者の芝居をする団体である。
政府は偉い者の芝居をやる団体である。偉い者は国のことをやる。だから、政府は偉い者のふりをして国のことをやる芝居をやる団体である。税金の法律は、政府が国のことをやる芝居の上で定めた架空の法律である。税金の法律は現実の法律ではない。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
政府は芝居をする団体だから、政府の芝居を見たい者が政府の芝居を見て喜んで政府に芝居代を払えばいいのである。政府の芝居を見たくない者は政府の芝居を見ずに政府に芝居代を払えばいいのである。国民が政府の芝居を見るか見ないかは国民個人の自由である。
昔はみんなが娯楽がほとんどなくて芝居が唯一[ゆいいつ]の楽しみで政府の芝居を見たい者が大勢いたから、政府は儲[もう]かっていた。政府は国民みんなにテレビや新聞で芝居を見せてくれたので国民は喜んで政府に芝居代を払った。政府は芝居で儲けたお金でいろんな事業をやっていた。いわゆる総合商社[そうごうしょうしゃ]だった。
しかし、今では国民にいろんな娯楽があって芝居よりも楽しいことがいっぱいあって政府の芝居を見たい者が少ししかいないから、政府は儲からなくなった。今でも政府はテレビや新聞で芝居をやっているが、国民が政府の芝居を見なくなって政府に芝居代を払わなくなったので何にもならない。政府はお金が儲からなくなっていろんな事業をやれなくなって、これまでにやっていた事業を次から次へと民営化している。
芝居には流行がある。政府の芝居は昔の人にはウケたが今の人にはウケない。そのために、政府は滅んでいる。
早くみんなで政府を潰[つぶ]して、『人間がみな平等である』正しい法律を定める法律会社を建てねばならない。政府は国のことをする芝居をやる団体であって、現実の国のことをする団体ではない。早くみんなで政府を倒して、現実の国のことをする団体を建てねばならない。
[20135] アメリカ人は暗いことが好きである。 h26.2.14
アメリカが暗い国なのはアメリカ人が暗いことが好きだからである。
だから、アメリカでは毎日殺人事件が起きているのである。アメリカではみんなが殺人事件を見て喜んでいるのである。
しかし、日本人は暗いことが好きではない。日本人は明るいことが好きである。日本人とアメリカ人は心が違う。
だから、日本人がアメリカ人の真似[まね]をして暗いことをやっても幸福にはなれない。
日本では毎日明るい事件が起きて、みんなが明るい事件を見て楽しく暮らせばいいのである。
[20136] 政府は現実の国のことをやる会社よりも国のことをやる芝居をする会社である。
h26.2.14
政府は偉い者の芝居をする団体である。政府は嘘[うそ]で偉い者の芝居をしているのではなく、偉い者の芝居をすることを芸当にしている会社である。
偉い者は国のことをする。
だから、政府は国のことをする芝居をする。
政府は国のことをする芝居をやって国民から芝居代をもらって、国民からもらったお金で現実の事業をやっている。
政府は国のことをやる芝居をやって、現実の国のこともやっている。両方やっている。政府は国のことをやる芝居と現実の国のことをやることに二股[ふたまた]かけた会社である。政府は表で国のことをやる芝居をやって、裏で現実の国のことをやっている。政府は表と裏の二つの顔のある会社である。
テレビや新聞の上では、政府の国のことをやる芝居と政府が現実の国のことをやっていることの両方のニュースをやっている。そのために、一見[いっけん]すると政府が現実の国のことをやる会社のように見える。
政府は国のことをやる芝居をやって国民からお金をもらってたくさん芝居代を取って、残ったお金で現実の国の事業をやっている。現実の国のことをやっている。
国民が政府にやったお金のほとんどは政府の芝居代になって、政府は現実の国のことはちょっとしかやってくれない。国民が政府にやったお金は政府の芝居代の分だけ無駄[むだ]になっている。政府はお金の効率が悪い。
昔の国民は現実よりも芝居が好きだったから、政府が現実の国のことをやるよりも政府の国のことをやる芝居のほうが好きだったから、政府が国のことをやる芝居をするために多くのお金を取ってもよかった。むしろ、政府が現実の事業をやることはどうでもよかった。政府の現実の国のことをやることは政府の国のことをやる芝居のオマケにすぎなかった。
反対に、今の国民は芝居よりも現実が好きだから、政府の国のことをやる芝居よりも政府が現実の国のことをやるほうが好きだから、政府が国のことをやる芝居をするために多くのお金を取るのを許せない。今の国民にとっては政府の国のことをする芝居は無駄[むだ]である。政府の国のことをやる芝居はないほうがいい。
そもそも政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国のことをするから、政府は偉い者のふりをして国のことをする芝居をする団体である。政府にとっては現実の事業はあくまでもオマケである。もともと政府はそういう会社である。しかし、今の人は現実が芝居よりも好きであって、芝居はどうでもいい。今の人にとって政府はどうでもいいことに力を入れて大事なことに力を入れないひねくれた会社である。今の人にとっては国のことをやる芝居をする会社よりも現実の国のことをやる会社のほうがいい。政府は現実の国のことをやる会社よりも国のことをやる芝居をやる会社である。だから、今の人にとっては政府は要らない。
そのため、今の人は政府がなくなったほうがいいと思って政府にお金をやらなくなっている。今の人は早く政府を潰[つぶ]して現実の国のことをやる会社に建って欲しいと思っている。
政府は国のことをやる芝居をやる会社であって、国のことをやる会社ではない。それだから、政府はテレビや新聞の上でもっともらしいいいかげんなことを言っているだけなのである。政府はドラマをやる会社であって、ドキュメンタリーをやる会社ではないのである。今の人は芝居に興味がないので『政府がバカバカしい会社だ』と思って政府を相手にしなくなって政府が滅んでいるのである。
私は理系の出身で社会科に興味がなかったからこれまで政府について考えなかったのである。文系の社会学科の人が政府について考えて『政府が国のことをやる芝居をする会社である』ことをみんなに教えてくれればよかったのである。文系は怠慢[たいまん]である。文系なんかなくなってもいい。文系も学問である。学問は遊びではない。文系はもっとみんなの役に立たないと潰されるぞ。
[20137] 今の政府は儲[もう]からなくなってミジメである。 h26.2.14
政府は偉い者の芝居をする団体である。政府は偉い者のふりをして国のことをする芝居をする団体である。
昔の人は娯楽があまりなく芝居が大好きだったから、政府の芝居が面白くて政府の芝居にたくさんお金をやった。
政府は芝居でお金が儲かりすぎたので、余ったお金で国民みんなのために慈善[じぜん]事業をやった。政府はお金を出して国民みんなのためにいろんな儲からない事業をやってくれた。
しかし、今の人はマンガやアニメやゲームや海外旅行などの娯楽がたくさんあって、芝居があまり好きではないから、政府の芝居がつまらなくなって政府の芝居にお金をやらなくなった。今の人は娯楽がいっぱいあってお金の使い道がたくさんあって、政府にやるお金がなくなったのである。
政府は芝居で儲からなくなって、お金が足りなくなって国民みんなのために慈善事業をやれなくなった。政府はこれまでにやっていた儲からない事業を潰[つぶ]さなければならなくなった。政府は国民にいくら文句を言われても儲からない事業を潰さざるを得なくなった。政府が自分が一時[いっとき]大儲けしたからといって調子に乗っていろんな事業に手を出したのがいけなかったのだ。今の政府は儲からなくなってミジメである。
政府の本業は偉い者の芝居をすることである。今の人には偉い者の芝居はウケないから、政府は儲からなくなって潰れているのだ。
[20138] ファミコンが国鉄を潰[つぶ]した。 h26.2.14
政府は偉い者のふりをして国のことをやる芝居をやる会社である。
政府は国民に芝居を見せて国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
政府は芝居で儲けたお金でいろんな事業をやっていた。国鉄や郵便や警察や学校などをやっていた。
1983年にファミコンが出来て国民がゲームにお金を使うようになって政府にお金をやらなくなった。政府はお金が足りなくなって国鉄を民営化しなければならなくなった。国鉄を潰したのはファミコンである。
ファミコンは国鉄を潰しただけではなく、私が大好きな本屋さんも潰した。
国民みんながゲームばかりするようになって本を読まなくなって頭を使わなくなって馬鹿になっている。
今の国民が眼先のことばかりこだわるようになったのはゲームのせいである。
私が子供の頃にはまだファミコンがなくて本を読むことが遊びだった。だから、みんなが本を読んで頭を鍛[きた]えて頭がよかった。しかし、最近の人は子供の頃からゲーム機があるから小さい子供の頃からゲームばっかりして遊んでいる。だから、最近はみんなが頭を鍛えていないから馬鹿なのである。
人類はこのままではいけない。むしろ、子供の頃によく勉強して、大人になってからゲームで遊べばいい。大人になるまで酒を飲んではいけない法律があるように、大人になるまでゲームをやってはいけない法律を作ればいい。
[20139] 社会科が苦手な人は政府の芝居を本気にしている。 h26.2.14
政府は偉い者のふりをして国のことをする芝居をする会社である。
政府は国のことをする芝居をする会社であって、現実に国のことをする会社ではない。
昔の人は娯楽が少なくて芝居が生きがいだったから、政府の芝居を面白いと思って政府にたくさんお金をやっていた。政府は儲[もう]かりすぎて余ったお金でみんなにお礼をするためにいろんな事業をやっていた。
今の人は娯楽がたくさんあって芝居にウンザリしているから、政府の芝居を見てもつまらないと思って政府にお金をやらなくなった。政府は儲からなくなっていろんな事業をやれなくなって事業を民営化している。田舎[いなか]では民営化された会社が経営できなくて困っている。
今の人の中には社会のことに無知なために政府の芝居を本気にして「政府が本当に偉い者で本当に国のことをやっている」と思っている者がいる。かつては私もその一人だった。社会科が苦手な人はたいていそう思っているものである。
そういう人は早く『政府が偉い者のふりをして国のことをやる芝居をやっている会社だ』と考えて社会科音痴[おんち]を返上しなければならない。政府の命令を聞かず政府に税金を払わないようにして、政府の芝居が面白くないから政府にお金をやらなければいい。早く社会科音痴から抜け出して一人前の人間にならねばならない。
[20140] 政府の芝居が面白いかそうでないかは自分の心に聞け! h26.2.15
政府は悪い者ではない。
政府は偉い者の芝居をやっているのである。
偉い者は善[い]いことと悪いことの両方をやる。
だから、政府も善いことと悪いことの両方をやる芝居をやっているのである。
政府の芝居を真[ま]に受けた者が「政府が本当に偉い者だ」と思って政府の命令を聞いて善いことをやったり悪いことをやったりするのである。
本当は政府は偉い者ではなく偉い者の芝居をやっているただの役者だから、みんなは政府の命令を聞かなくていいのである。みんなはテレビや新聞で政府の芝居を見るだけでいいのである。政府はテレビや新聞の上で国民みんなを幸福にする芝居をやっている。政府は口先で国民を幸福にすることをやっていると言ったり嘘[うそ]の映像を作って国民を幸福にすることをやっているふりをしたりしている。政府は実際には何もやっていない。政府はおめでたい芝居をすることによって国民みんなを幸福にしてくれているのである。それが芝居というものだ。政府の芝居を面白いと思う者は政府に芝居代を払えばよく、面白いと思わない者は芝居代を払わなければいいのである。
昔は政府の芝居を面白いと思う者がたくさんいたから政府は儲[もう]かっていたが、今では政府の芝居を面白いと思う者がほんのわずかしかいないから政府は儲からない。昔の人は心で物を見ていたから政府の作り話を聞いて「政府が国民を幸せにしてくれている」と思って「政府は善い人だ」と思って幸せな気持ちになってお礼に政府にお金を払っていた。今の人は頭で物を見るだけだから政府の作り話を聞いて『現実には政府は何もやっていない』と思って『政府が国民を馬鹿にしているだけだ』と思って政府に腹を立てて政府にお金を払わなくなった。つまり、昔の人は言葉の上だけで政府が国民を幸福にしてくれれば満足していた。今の人は現実の上で政府が国民を幸福にしなければ満足しなくなった。それが昔の人と今の人の違いである。
政府の芝居が面白いか面白くないかは国民個人の心が決める。国民は自分の心に政府の芝居が面白いか面白くないかを聞けばいい。自分の心が面白いと答えたら、政府(役所の税務課)に自分が面白かった分だけお金を払いに行けばいい。自分の心が面白くないと答えたら、二度と政府の芝居を見ず政府にお金を払わなければいいのである。
[20141] 今の政府は実際に善[い]いことをしていないから、今の人は政府にお金をやっていない。
h26.2.15
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸福にする。だから、政府は国民を幸福にする芝居をする。政府は口先で国民を幸福にすることをしていると言うだけで、現実には国民を幸福にすることをしていない。
政府は国民に芝居をやって国民からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ団体である。
昔の人は心で物を見ていた。だから、昔の人は政府が口先で国民を幸福にしていると言うのを聞くだけで幸せになっていた。昔の人は「政府が国民を幸福にするという言葉」に感動して、政府にたくさんお金をやったので、政府は儲[もう]かっていた。
しかし、今の人は頭で物を見ている。だから、今の人は政府が現実に国民を幸福にしていないと幸せにならない。今の人は『政府が現実に国民を幸福にしていないこと』に腹を立てて、政府にお金をやらなくなって政府は儲からなくなって潰[つぶ]れている。
昔の人と今の人では感性が違う。昔の人は心で物を見ていたから政府がきれいごとを言うだけで喜んでいた。今の人は頭で物を見ているから政府が実際に善いことをしないと喜ばない。
昔の人にとっては政府の芝居が面白かったから政府はお金を稼げたが、今の人にとっては政府の芝居が面白くないから政府はお金を稼げなくなって潰れているのだ。
[20142] 政府は芝居でお金を稼[かせ]ぐ団体である。☆ h26.2.15
政府は偉い者の芝居をする団体である。
政府は国民に芝居をやって国民からお金をもらって儲[もう]ける団体である。
政府は国民に芝居を見せて国民を喜ばせて国民からお金をもらってお金を稼ぐ団体である。流しのギターが客に曲を聞かせて客を喜ばせて客からお金をもらっているのと同じである。
政府は国民に芝居を見せてお金を稼いで儲ける会社である。
国民は政府の芝居が面白ければ政府にお金を払い、面白くなければ払わない。
政府がお金を儲けるためには、政府が国民にとって面白い芝居をやらねばならない。
昔の人は心で物を見ていたから、政府が芝居の上で国民を幸せにするだけで喜んでいた。政府が芝居の上で国民を幸せにすると言ったり国民を幸せにするふりをすれば大喜びしていた。昔の人は政府にたくさんお金をやって政府が大儲けしていた。
今の人は頭で物を見るから、政府が現実に国民を幸福にしないと満足しないから、政府がいくら芝居で国民を幸福にしてもちっとも喜ばなくなった。今の人は政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
昔の政府は国民にとって面白い芝居をやっていたから政府がお金儲けができた。
今の政府は国民にとって面白い芝居をやれなくなったから、政府がお金を儲けられなくなって潰れているのだ。
仕事は客本位である。本当に偉いのは政府ではなく国民である。国民は政府の芝居が面白ければ政府にお金を払い、面白くなければお金を払わなければいいのだ。今の国民にとっては政府の芝居は面白くないから今の国民は政府にお金を払わなければいいのである。政府は国民に芝居を見せてお金を稼ぐ会社だから、国民が政府の芝居が面白くなくて政府にお金を払わなくても政府は国民に何もできないのだ。今の国民にとっては政府の偉い者の芝居が面白くない。今の政府が今の国民にとって面白い芝居をやっていないのが悪いのである。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府を堂々と倒してやればいいのである。
すでに多くの国民がこのように考えて政府にお金をやらなくなって政府を倒している。だから、私たちも多くの国民に遅れないようにして、多くの国民といっしょに政府にお金をやらず政府を倒さねばならない。
[20143] 今の政府は芝居で国民を喜ばせられなくなって潰[つぶ]れている。
h26.2.15
政府は偉い者の芝居をする団体である。
偉い者は国民を幸福にする。
だから、政府は国民を幸福にしている芝居をしている。政府は国民を幸福にしていると言うだけで、実際には国民を幸福にしていない。
政府は国民に芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
昔の人は心で物を見ていたから、政府が口先で国民を幸福にしていると言うだけで喜んで政府にたくさんお金をやっていたので、政府が儲かっていた。
今の人は頭で物を見ているから、政府が口先で国民を幸福にしていると言うだけでは喜ばなくなって政府にお金をやらなくなって、政府が潰れている。
昔の政府は国民に芝居をやって国民を喜ばせていたから、国民からお金をもらって儲けていた。
今の政府は国民に芝居をやっても国民を喜ばせられなくなったから、国民からお金をもらえなくなって滅んでいるのだ。
[20144] 昔の国民は政府の芝居を見て喜んでいた。 h26.2.15
政府は偉い者のふりをして国民を幸福にする芝居をする団体である。
政府はテレビや新聞の上で国民を幸福にする芝居をやっている。
政府は芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ団体である。
昔の人は心で物を見ていたから、政府が「国民を幸せにする」と言うのを聞いただけで喜んで政府にお金をやっていた。昔の人は政府が芝居の上で国民を幸福にするのを見て喜んで政府にお金をやっていた。だから、昔の政府は儲[もう]かっていた。
今の人は頭で物を見るから、政府が現実に国民を幸せにするのを見ないと納得しないので政府にお金を払わなくなった。今の人は政府が芝居の上で国民を幸福にするのを見ても喜ばなくなって政府にお金をやらなくなった。だから、今の政府は潰[つぶ]れている。
昔の政府は昔の国民を芝居で喜ばせられたから、昔の国民からお金をもらうことができて儲けていた。
今の政府は今の国民を芝居で喜ばせられらなくなったから、今の国民からお金をもらえなくなって潰れている。
[20145] しょせん政府は芝居をする団体にすぎない。 h26.2.15
政府は偉い者の芝居をする団体である。
偉い者は国民を幸福にする。
だから、政府は偉い者のふりをして国民を幸福にする芝居をしている。
政府はテレビや新聞の上で国民を幸福にする芝居をしている。口先で国民を幸福にすることをしていると言ったり、嘘[うそ]のデーターをでっち上げて国民を幸福にしている事業をやっているふりをしている。政府は現実には国民を幸福にしていない。
昔の人は心で物を見ていたから、政府の芝居に素直に感動して、お礼に政府にお金をやっていた。
今の人は頭で物を見ているから、政府が現実に国民を幸福にしないといけないと考えて、政府にお金をやらなくなった。
政府は偉い者の芝居をする団体である。しょせん、政府は芝居をするだけの団体である。今の国民は芝居で喜ばない。今の政府は芝居で国民を喜ばせられない。だから、今の政府は国民からお金をもらえなくなって潰れている。
[20146] 今の政府は芝居で国民を喜ばせられなくなって潰[つぶ]れている。☆
h26.2.15
政府は偉い者の芝居をする団体である。
偉い者は国民を幸福にするから、政府は国民を幸福にする芝居をする団体である。政府は国民を幸福にする芝居をする団体であって、現実に国民を幸福にする団体ではない。
政府は国民に芝居を見せて国民を喜ばせて国民からお金をもらって儲[もう]ける団体である。
昔の人は心で物を見ていたから、政府が現実の上で国民を幸福にしなくても、政府が芝居の上で国民を幸福にしさえすれば喜んで、政府にお金をやって、政府が儲かっていた。
今の人は頭で物を見るから、政府が現実の上で国民を幸福にしなければ喜ばなくなって、政府が芝居の上で国民を幸福にしても喜ばなくなって、政府にお金をやらなくなって、政府が儲からなくなって潰れている。
昔の政府は芝居で国民を喜ばせられたから、国民からお金をもらって儲けていた。
今の政府は芝居で国民を喜ばせられなくなったから、国民からお金をもらえなくなって潰れている。
政府は本来国民を幸福にする芝居をする団体である。昔の政府は芝居で儲かりすぎたから、余ったお金で現実の事業をやって現実に国民を幸福にしただけである。もしも、昔の政府が芝居であまり儲からなかったら、現実の事業をやらず現実に国民を幸福にしなかったはずである。つまり、政府は本来現実に国民を幸福にする団体ではないのである。昔の政府が芝居で儲かりすぎてオマケに現実の事業をやっていたから、政府が現実に国民を幸福にする団体であるかのように見えただけのことである。そもそも政府は国民を幸福にする“芝居”をする団体である。ところが、今の国民は芝居には興味がない。今の国民は現実に国民を幸福にする団体でなければ嫌である。だから、今の政府は国民からお金をもらえなくなって潰れているのである。今の政府は芝居で国民を喜ばせられなくなって国民からお金をもらえなくなって潰れているのである。
今の国民が欲しいのは最初から現実に国民を幸福にする団体である。政府は国民を幸福にする芝居をする団体にすぎない。その上、政府は偉い者の芝居をする団体だから、偉い者は国民を不幸にもするから、政府は国民を不幸にする芝居もする。馬鹿な国民は政府の命令を本気にしてみんなを不幸にするのでみんなの迷惑である。とくに、最近の国民は子供の頃からゲームばかりして馬鹿だから政府の命令をすぐ本気にしてやるから、政府があるのは危険である。現実においては政府は役に立たない。今の国民は早く政府を倒して、現実に国民を幸福にする団体を建てねばならない。
[20147] 今の政府は今の国民を喜ばせられなくなって潰[つぶ]れている。☆
h26.2.15
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸福にする。だから、政府は国民を幸福にする芝居をする。
政府は国民に芝居を見せて国民を喜ばせて国民からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ団体である。
だから、国民は政府の芝居が面白くなければ政府にお金をやらなければいいのである。政府の芝居が面白いと思った者だけが政府にお金をやればいいのである。
昔の国民は心で物を見ていたから、政府の国民を幸福にする芝居が面白くて、政府にお金をやっていた。政府は儲[もう]かっていた。
今の国民は頭で物を見ているから、今の国民は現実に自分を幸福にしてくれないかぎり喜ばないから、政府の国民を幸福にする芝居が面白くなくて、政府にお金をやらなくなった。政府は儲からなくなった。
政府は偉い者の芝居をする団体である。政府は芝居をすることしかできない。現実の世界は政府の管轄[かんかつ]ではない。今の国民は現実に幸福にしてくれなければ喜ばない。今の国民は政府の芝居が面白くないから政府にお金をやっていない。今の政府はどうしようもなくなって潰れているのである。
[20148] 現実の国を善くする方法 h26.2.15
それは、例えば、『テレビゲームは20歳[はたち]から』というような決まりを決めることである。今の社会が善くない原因は今の国民が小さいころからテレビゲームばかりして遊んでいて馬鹿になっていることにあるからそれを禁止すれば国が善くなるのである。『政府を潰[つぶ]す』のも、現実の国を善くする方法である。政府は国のことをする芝居をする会社だから、さっさと政府を潰して政府の替[か]わりに現実の国のことをする会社を建てればいいのである。
つまり、現実の国を善くする法律や制度を決めることが現実の国を善くする方法である。
国民みんなが国を善くすることにまじめに取り組めば、きっと国は善くなるだろう。
社会科学はまだまだこれからだから、みんなでアイデアを出し合って国を発展させる方法を考えねばならない。
[20149] オナニーは精神分裂病の誘因[ゆういん]である。☆ h26.2.15
テレパシー器官とイライラ感情中枢を同時に興奮させると、テレパシー器官とイライラ感情中枢の間に条件反射で神経連絡が形成されて精神分裂病に罹[かか]る。
オナニーすると感情が興奮しやすくなって、イライラ感情中枢が興奮しやすくなって、精神分裂病に罹りやすくなる。だから、オナニーは精神分裂病の誘因である。
精神分裂病にかかると人生が台無しになる。親兄弟やみんなに迷惑をかけることになる。自分も勉強や仕事ができなくなって生きていけなくなる。精神分裂病に罹らないためには、オナニーをやってはいけない。自分のイライラ感情が興奮しやすくなるほどにオナニーやセックスや麻薬や睡眠不足やガリ勉やその他のことをやってはいけない。
『テレパシーがある』と知っているとテレパシー器官を興奮させやすくなって精神分裂病に罹りやすくなるからみんなに『テレパシーがある』ことを教えないほうがいいと言われているが、それよりも『人間にはテレパシーがあるが、テレパシーを使ってはいけない』ことを知っているほうがもっと精神分裂病に罹りにくい。だから、みんなに『人間にはテレパシーがあるが、テレパシーを使ってはいけない』ことを教えればいいのである。
[20150] どうして政府は人気が出たか? h26.2.15
政府が政治団体と宗教団体が組んだ団体だからである。
昔から政治団体は偉い者の芝居をする団体だった。偉い者はみんなを虐[いじ]める悪者だった。そのため、昔から政治団体の芝居はみんなの人気がなかった。
一方、宗教団体は神の芝居をする団体だった。神はみんなを喜ばせることをする善い者だった。しかし、日本ではみんなが神がいないと思っているので、宗教団体の芝居が人気がなかった。
政府はもともとは政治団体だが宗教団体と組むことによって、“みんなに善いことをする偉い者”の芝居をやったのである。
そのために、政府はみんなに人気が出て国民みんなが芝居を見る大きい劇団になったのである。
幕府は宗教団体と組まないから、ただの偉い者の芝居をする劇団にすぎなかったから、あまりみんなの人気が出なかったのである。馬鹿が幕府の意地悪[いじわる]な命令を本気にして一揆[いっき]がしょっちゅう起きていたのである。国民が武器で幕府を倒そうとするから、幕府が『法律』に物を言わせて自分を倒そうとする者を殺人罪や殺人未遂[みすい]罪で罰することができたのである。死刑にできたのである。国民が幕府に対して何もしなければ幕府は国民に対して何もできない。だから、国民は幕府の命令を聞かずに何もしなければよかったのである。下剋上[げこくじょう]とは身分の低い者が身分の高い者を殺してその地位を奪うことである。要するに殺人である。身分は芝居だから、身分の低い者が身分の高い者の命令を聞かないのはかまわないのである。殺人がいけないのは当たり前である。下剋上を犯した者が罰せられるのは当然である。だから、昔は下剋上を犯した者が罰せられたのである。
[20151] どうして今の政府は国民に意地悪[いじわる]な命令ばかり出すのか?
h26.2.15
今は科学の時代である。日本では昭和40年(1965年)ごろから科学の時代になった。
科学では神がいないとされている。科学は現実の世界についての認識であり、現実の世界には神がいないから、科学には神がいないのである。
そのために、政府は国家宗教を弱めてもとの政治団体に戻っているのである。
政治団体は偉い者の芝居をする団体だから、偉い者は国民を虐[いじ]めて悪いことをするから、政治団体は国民に意地悪な命令を出す。
だから、今の政府は国民に意地悪な命令ばかり出すようになっているのである。馬鹿な国民が政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けて政府の意地悪な命令を聞いてみんなに嫌がらせをしてみんなを不幸にしているのである。
アメリカは科学的な国だから、アメリカ政府は宗教団体と組んでいない純粋な政治団体だから、アメリカ政府は国民に意地悪な命令ばかり出すのである。
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は意地悪である。今の政府は国民を虐める芝居ばっかりやっている。今の政府の芝居は国民にとって面白くない。政府は国民に芝居を見せて国民からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ団体である。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今は科学の時代である。今は現実の時代である。今は芝居の時代ではない。政府は偉い者の芝居をする団体である。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府をなくせばいいのである。
国民が政府を武器で倒そうとするから、政府が『法律』に物を言わせて自分を倒そうとする者を殺人罪や殺人未遂[みすい]罪で罰することができるのである。国民が政府に対して何もしなければ政府も国民に対して何もできない。だから、国民は政府の命令を聞かずに何もしなければいいのである。
[20152] 今の人は芝居よりも現実が好きである。 h26.2.15
政府や幕府は偉い者の芝居をしている劇団である。政府や幕府は自分が偉い者のふりをしてみんなに「みんなを幸せにしてやる」と言ってみんなを喜ばせる劇をする団体である。
昔の人はみんな芝居が好きだったので、偉い者の芝居をしている人に芝居代をやっていた。だから、昔は政府や幕府が儲[もう]かっていたのである。昔の人は「芝居の世界で自分が幸福になれればいい」と思っていたので、政府や幕府の国中を舞台とした芝居にいっしょに付き合って「政府や幕府が自分を幸せにしてくれている」「自分が政府や幕府に幸せにしてもらっている」と思うことによって幸せな気持ちになっていたのである。昔の人は政府や幕府のやっていることが芝居だとわかっていて自分が政府や幕府の芝居に参加して政府や幕府の芝居を楽しんでいたのである。例えば、江戸時代には、昼間は町人が侍[さむらい]に土下座[どげざ]して、夜は侍と町人が仲良く酒屋で杯[さかずき]を交[か]わしていたのである。[芝居とは“芝”の上に“居”ることである。つまり、政府の芝居の舞台が国中の土地だと言うことである。政府は国中を舞台にして大掛かりな芝居をやる劇団なのである。]
今の人はみんな芝居が好きではないので、偉い者の芝居をしている人に芝居代をやらなくなった。だから、今では政府が儲からなくなって潰[つぶ]れているのである。今の人は『現実の世界で自分が幸福になりたい』と思っているので、『政府や幕府が現実には何にもならない』と思って、政府や幕府の芝居に付き合わなくなって『政府や幕府が自分を幸せにしてくれない』と思って政府や幕府と関わらなくなっているのである。
今の人は自分が芝居を見て幸せになるよりも自分が現実の中で実際に幸せになりたいと思っているから、芝居にお金をやらなくなって芝居をする団体が儲からなくなって潰れているのだ。
政府や宗教団体や暴力団の芝居は役者と観客との一体感が売りである。政府や宗教団体や暴力団の芝居は役者が観客といっしょになってやる芝居である。一方、テレビや映画の芝居は役者が観客とは別に自分ひとりでやる芝居である。政府や宗教団体や暴力団の芝居とテレビや映画の芝居では芝居のやり方が違うのである。政府や宗教団体や暴力団の“観客といっしょになってやる芝居”のほうがテレビの“視聴者と別にやる芝居”よりも面白いと言われている。そのために、今でもわざわざ高いお金を払って宗教団体や暴力団の芝居を見に行く人がたくさんいるのである。つまり、人間はみんな自分が役者になって芝居をやりたいのである。人間はみんな自分と別の者に生まれ変わって芝居の世界の中で幸せな人物になりたいのである。将来、双方向テレビが出来れば、テレビで役者と視聴者が一体となった芝居がやれるようになって、政府や宗教団体や暴力団が要らなくなるかもしれない。
[20153] 政府は国民を幸せにする芝居をする団体である。 h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸せにする。だから、政府は自分が偉い者のふりをして国民を幸せにしている芝居をする団体である。
昔の国民は芝居が好きだったので、政府の芝居を見て「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思って幸せになっていたのである。昔の国民は芝居の世界に生きていたのである。昔の国民は政府といっしょになって芝居をやっていたのである。昔の国民は政府といっしょに芝居の世界の中で暮らしていたのである。政府が国民を幸せにする役をやって、国民が政府に幸せにされる役をやっていたのである。国民は自分が政府に芝居の世界で幸せにしてもらったお礼に政府に芝居代を払っていたのである。
反対に、今の人は芝居が好きではないので、政府の芝居を見て『政府は現実には国民を幸せにしていない。政府は嘘[うそ]つきだ』と思って不愉快[ふゆかい]になっているのである。今の国民は現実の世界に生きている。政府は芝居をやっている。今の国民は政府とは別の世界に生きている。政府は芝居の世界で国民を幸せにしている。国民は現実の世界で幸せに生きている。国民は政府が自分にとって何の役にも立たないと思って政府にお金をやらなくなったのである。
今の人は芝居の世界よりも現実の世界で幸せになりたいので、芝居の世界で国民を幸せにする政府が要らない。今の人は政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいるのである。
[20154] 今の人は芝居が好きではない。☆ h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸せにする。だから、政府は自分が偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居をする団体である。
政府は国民を幸せにする芝居をする団体である。つまり、政府は国民にあることないことを話して、国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせることが仕事である。政府は国民に作り話をして国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせることが仕事である。
政府は国民に芝居を見せて国民を幸せにして国民からお金をもらって儲[もう]ける団体である。
昔の人は芝居好きだったので、政府の芝居を見て「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思って幸せになって、お礼に政府に芝居代を払っていた。昔の人は物がなくて現実の暮らしが貧しくて現実の世界で幸せではなかったので、政府の芝居を見て芝居の世界で自分が幸せになるしかなかったのである。昔の人にとっては政府の芝居は自分が幸福になるための必需品だった。昔の人は今の人とは芝居の重みが違っていたのである。
今の人は芝居好きではないので、政府の芝居を見て『政府は現実には国民を幸福にしていない。政府は嘘[うそ]つきだ。』と思って不愉快[ふゆかい]になって、政府にお金を払わなくなった。今の人は物がたくさんあって現実の暮らしが豊かになって現実の世界で幸福になれるようになったので、政府の芝居を見ても幸せにならなくなって政府の芝居が要らなくなったのである。
今の人は芝居の世界よりも現実の世界で幸せになりたいと思っている。今の人は芝居が好きではない。政府は芝居をする団体である。今の人は政府が要らない。今の人は政府の芝居が面白くないから政府にお金をやらなければいい。今の政府は芝居で国民を幸せにすることができなくなって国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
[20155] 今の国民にとっては政府の芝居が面白くない。 h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする会社である。
偉い者は国民を幸せにする。
だから、政府は国民を幸せにする芝居をする会社である。
政府は国民に作り話をして国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせて国民を幸せにすることが仕事である。国民は政府の作り話を聞いて自分が政府に幸せにしてもらったお礼に政府にお金を払えばいいのである。
政府は国民を幸せにする芝居をやって国民からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ会社である。
国民は政府の芝居を見て面白ければ政府にお金を払えばいいのである。反対に、政府の芝居が面白くなければ政府にお金を払わなくていいのである。国民が政府にどれくらいお金を払うかは、特に政府の指定がなければ国民が自分で決めればいいのである。
昔の国民は現実で幸せになっていなかったので芝居で喜んでいた。昔の国民はテレビや新聞で政府の芝居を見て「政府は国民を幸せにしてくれる善い会社だ。自分は政府に幸せにしてもらって最高に幸せだ。」と思って政府に感謝して、お礼に政府にたくさんお金を払っていた。
今の国民は現実で幸せになっているので芝居では喜ばない。今の国民は政府の芝居を見て『政府は口先だけの役立たずだ。政府は嘘[うそ]つきだ。』と思って政府に腹を立てて、政府にお金を払わなくなった。
今の国民は政府の芝居が面白くないので政府にお金を払わなくなっている。政府は国民からお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
[20156] 政府は作り話で国民を幸せにする会社である。 h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする会社である。
偉い者は国民を幸せにする。
だから、政府は国民を幸せにする芝居をしている。
つまり、政府は社会の現状を見ながら国民にモヤモヤした作り話をして国民に「政府が国民を幸せにしている。政府が国民の役に立っている」と思わせて国民を喜ばせて、お礼に国民からお金をもらっている。政府は作り話でお金を稼[かせ]ぐ会社である。政府は自分が国民を幸福にしている作り話をして、国民に「政府が国民を幸福にしている」と思わせて、国民からお金を取っている。宗教団体が信者に作り話をして「宗教団体が信者を幸せにしている」と思わせて信者からお金を取っているのと同じことである。政府は現実には国民を幸福にしていない。政府は芝居でなかったら詐欺[さぎ]になるところである。国民は政府が芝居をしていることを知っているから政府の作り話を許してやっているのである。
政府は作り話の上で国民を幸福にしているだけで、現実の上では国民をまったく幸福にしていない。政府は国民に作り話を聞かせて国民を幸福にすることが仕事である。政府は現実の上で国民を幸福にすることが仕事ではない。政府は言葉の上で仕事をやっているだけである。政府は落語家や噺家[はなしか]と同じように“言葉で国民を幸せにする仕事”なのである。
国民が政府の作り話を聞こうが聞くまいが国民の勝手である。国民は政府の作り話を聞いて、自分の好きなだけ政府にお金を払えばいいのである。政府の売り物は作り話である。政府の作り話の値段は国民が自分で決めればいいのである。
昔の国民は芝居本位だったから、政府の作り話で喜んで、政府にたくさんお金を払っていた。
今の国民は現実本位だから、政府の作り話で喜ばなくなって、政府にお金を払わなくなった。
今の国民は物が豊かになって現実の世界で十分幸せに生きられるようになったから、政府の作り話がなくてもひとりで生きていける。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
[20157] 国民がどれだけ政府にお金を払うかは国民個人の自由である。 h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする会社である。偉い者は国民を幸せにする。だから、政府は偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居をする会社である。
政府は芝居稼業[かぎょう]である。政府は国民に芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらう会社である。政府が国民をどれだけ面白がらせるかで政府の儲[もう]けが決まる。
国民は政府の芝居が面白ければ政府にお金を払い、面白くなければ政府にお金を払わなければいい。特に政府の指定がなければ、どれだけお金を払うかは国民の自由である。国民は自分が面白かった分だけ政府にお金を払えばいい。今の政府は国民にどれだけお金を払えばいいかを指定していないから、国民は自分が好きなだけ政府にお金を払えばいいのである。
昔の国民は現実よりも芝居が好きだったから、政府の芝居が面白かったから、政府にたくさんお金を払っていた。
今の国民は芝居よりも現実が好きだから、政府の芝居が面白くないから、政府にまったくお金を払わなくなった。
政府は偉い者の芝居をしているだけであって、現実には偉い者ではない。政府は国民を幸せにする芝居をしているだけで、現実には国民を幸せにすることは何もやっていない。政府は芝居をする会社である。政府は現実には何もやっていない。今の国民は芝居が好きではないから、芝居をする会社には用はない。政府は今の国民に捨てられて滅んでいる。
[20158] 今の国民は政府の芝居が要らない。 h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする会社である。偉い者は国民を幸せにする。だから、政府は偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居をする会社である。
政府は国民に芝居をして国民を幸せにして国民からお金をもらう会社である。
政府はテレビや新聞や社会科の教科書などで国民に作り話をして国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせて国民からお金を取っている。宗教団体が信者に作り話をして「宗教団体が信者を幸せにしている」と思わせて信者からお金を取っているのと同じことである。実際には、政府や宗教団体は何もやっていないのである。
昔の国民は現実の上で幸せに暮らしていなかったので、芝居の上で政府に幸せにしてもらわねばならなかったので、政府の芝居を見て「政府のおかげで幸福に暮らせる」と思って喜んでお礼に政府にお金を払っていた。昔の国民は現実の上では幸せが足りなかったので、政府の芝居で幸せを補[おぎな]って幸福に暮らしていたのである。昔の国民は政府の芝居が嘘[うそ]だということを知っていたが、嘘でもいいと思って故意[こい]に政府の芝居に騙[だま]されて幸せになっていたのである。
今の国民は現実の上で幸せに暮らすようになって、芝居の上で政府に幸せにしてもらわなくてもよくなったので、お礼に政府にお金を払わなくなった。今の国民は政府の芝居がなくても十分幸福である。今の国民は政府の芝居が要らなくなって、政府にお金を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れているのである。今の国民は政府の芝居が嘘だということを知っていて、政府の嘘に引っかからないように注意している。
今の国民は物が豊かになって現実の中で幸福に暮らしている。今の国民にとっては芝居で国民を幸福にする会社よりも現実に国民を幸福にする会社のほうがいい。現実に国民を幸福にする会社とは、電化製品の会社や日常雑貨の会社などである。今の国民は電化製品の会社や日常雑貨の会社があれば政府や宗教団体や暴力団が要らない。だから、今の国民は自分のお金を電化製品や日常雑貨に使って政府や宗教団体や暴力団の芝居に使わなくなったのである。そのために、政府や宗教団体や暴力団が滅んでいるのである。とにかく、国民は自分が幸福になるように自分のお金を適切に使って暮らせばいいのである。人間はつねに自分の幸福を目指して生きて行くものである。だから、今の国民も自分の幸福を目指さなければならない。政府や宗教団体や暴力団などにお金をやっていてはいけない。自分が幸福になることにお金を使わねばならない。
国民は長い間政府の芝居のお世話になったので、政府にお礼を言って政府とお別れしよう。
今の電化製品に考えることはできない。人間は考えることを電化製品にやってもらうことはできない。人間は考えることは自分でやらねばならないことを忘れてはいけない。
[20159] 今の国民は芝居が好きではないから政府が潰[つぶ]れている。 h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする団体である。
政府は国民に芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらう団体である。
偉い者は国民を幸せにする。だから、政府は偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居をしている。つまり、政府はテレビや新聞で作り話をして国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせて国民を喜ばせて国民からお金をもらっている。
昔の国民は現実よりも芝居で喜んでいたから、政府の芝居に喜んで政府にたくさんお金をやっていた。政府は芝居で儲[もう]けたお金で現実にいろんな事業をやっていた。政府は人気があった。
しかし、今の国民は芝居よりも現実で喜んでいるから、政府の芝居で喜ばなくなって政府にお金をやらなくなった。政府は芝居でお金が儲からなくなって現実にいろんな事業がやれなくなった。政府は人気がなくなった。
今の国民は芝居が好きではないから政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。
[20160] 政府は芝居の上で立派なだけで、現実の上ではただの役立たずである。
h26.2.16
政府は偉い者の芝居をする団体である。
政府は偉い者の芝居をするだけであって、本当は偉い者ではない。
偉い者は国民を幸せにする。
だから、政府は国民を幸せにする芝居をする団体である。
政府は国民を幸せにする芝居をするだけであって、本当は国民を幸せにしない。
政府は芝居の上で偉い者で国民を幸せにするだけであって、現実の上では偉い者ではなくて国民を幸せにしない。
政府は芝居の上で立派なだけで、現実の上ではただの役立たずである。
国民は政府にお金をやる必要はない。
国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府は国民からお金をもらって芝居をするだけで、現実に仕事をしていない。国民はもっと自分が幸せになることにお金をかけねばならない。
今は国民みんなが物が豊かである。今は現実の時代であって芝居の時代ではない。だから、国民は芝居のことをやる会社よりも現実のことをやる会社にお金をやって現実の仕事をしてもらわねばならない。
『オズの魔法使い』では、政府が偉い者の芝居をするだけで本当は偉い者ではなかった。『オズの魔法使い』では政府は国民を幸せにしてくれたが、本当は国民を幸せにしないのである。本当の政府は芝居で国民を幸せにするだけで、現実には国民を幸せにしないのである。政府は自分が国民を幸福にしている作り話をしているだけで、本当は何もしていないのである。[『オズの魔法使い』で最後に政府がドロシーの願いだけを聞いてくれたのは、気球が国家宗教に適[かな]っていたからである。気球が神武天皇の光る玉とゼウスが空の神であることの両方を満足していたからである。その他の者の願いは国家宗教に適っていなかったので、政府はテキトウにごまかしてお茶を濁[にご]したのである。つまり、政府は国家宗教に適ったことにお金を貸す財団のようなものである。もっとも、今では政府が芝居で儲[もう]からなくなってお金に余裕がないから他人に貸す金はない。今では国民の願いがいくら国家宗教に適っていても、国民は政府にお金を借りられないのである。政府は国民に何もしてくれないのである。]
政府はとんだ役立たずだ。国民は絶対に政府にお金をやってはいけない。
今の国民はわざわざ政府に作り話で幸せにしてもらわなくても、現実の世界で十分幸福になっている。今の国民は現実の世界でやりたいことがいっぱいある。現実の世界でお金が要ることがたくさんある。今の国民は政府の世話にならないようにして、政府にお金をやらなければいいのである。
[20161] 政府は国民を芝居で幸せにする会社である。☆ h26.2.17
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸福にするから、政府は国民を幸福にする芝居をする。政府は噺家[はなしか]のように言葉で芝居をする。政府は国民に作り話をして、国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせている。
政府は国民を芝居で幸せにして国民からお金をもらってお金を儲[もう]ける会社である。政府は普通の劇団と同じである。ただし、政府と普通の劇団とは芝居のやり方が違う。普通の劇団は脚本通りに芝居をするが、政府は国民に美味[おい]しい作り話を聞かせて国民を幸せにする。時事[じじ]ネタを使って国民が喜ぶ作り話をすることが政府の芸当である。国民は政府の作り話を聞いて喜べばいいだけである。ゲラゲラ空[から]笑いすればいいだけである。国民を作り話で喜ばせることが政府の仕事なのである。国民は3日たったら政府の話を忘れているから、政府が話を実現しようがしまいがどうでもいいのである。だから、糞真面目[くそまじめ]で物憶えのいい人には政府の芸が役に立たないのである。
昔は国民が芝居が好きだったから、政府の芝居を喜んで政府にたくさんお金をくれたので政府が儲かっていた。政府は儲けたお金でいろんな事業をやってくれた。
今は国民が芝居が好きではないから、政府の芝居を喜ばなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。政府はお金がなくなっていろんな事業を民営化したり廃止したりしている。
政府は国民に芝居を見せて国民からお金をもらう会社である。政府にお金をやるかやらないかは国民が決めることである。これまで国民は政府に税金を払ったことは一度もない。国民は政府に芝居代を払っていただけである。昔の国民は芝居が好きだったから政府に芝居代を払っていた。今の国民は芝居が好きではないから政府に芝居代を払わなくなった。今の政府は国民からお金がもらえなくなって潰れているのだ。
今は科学の時代だから、今の人は何でも科学的に考えている。現実的に考えている。政府の芝居を本気にして、政府が本当に偉い者だと思っている。政府が本当に国民を幸せにしていると思っている。とんだ誤解である。政府は昔の文学の時代に生まれた“芝居をする会社”である。政府は芝居で国民を喜ばせる会社である。政府は言葉の上で国民を喜ばせる会社である。今の時代は科学的すぎて、今の国民が芝居をする会社の芝居を本気にしているから、今の世の中がメチャクチャになっているのである。今の国民は現実と芝居を混同せず、政府のことを正しく理解して、今の時代には芝居をする会社は要らないからさっさと政府を潰してなくしてしまえばいいのである。
昔の人は文学的だったから面白さを正しさよりも優先していたから、『政府が冗談で国民を喜ばせる会だ』と考えていた。政府はただ国のことでめでたい作り話をすればよかった。国民は政府の作り話を聞いて大笑いして喜んでいた。国民は政府が作り話で自分を喜ばせてくれたお礼に政府にお金をやっていた。
今の人は科学的だから正しさを面白さよりも優先するから、政府の作り話を本気にして実際にやってうまくいかなくて「政府がまちがった政策で国民を虐[いじ]める悪の団体だ」と考えて政府を憎[にく]んでいる。今の人は自分が政府に不幸な目にあわされた恨[うら]みを晴らすために武器で政府を殺そうと企[たくら]んでいる。今の国民は冗談と本当を混同しているからうまくいかないのである。今の国民は政府というものがわかっていない。今の国民は政府を正しく理解して、政府と上手に付き合えばいいのである。今は科学の時代だから冗談のない時代だから、みんなが政府の冗談を本気にして危ないから、みんなが政府がないほうがいいと考えて政府を倒して政府をなくしてしまえばいいのである。
[20162] 今の国民は『政府が芝居をやっている』ことを知っていなければならない。
h26.2.17
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸福にする。だから、政府は偉い者のふりをして国民を幸福にする芝居をする団体である。
昔の国民は『政府が芝居をやっている』ことを知っていたから、政府が本当は国民と平等だと思って政府と平等にやっていた。政府の命令や法律を守っていなかった。昔の国民は『政府が芝居をやっている』ことを知っていたから、政府の国民を幸福にする芝居を見て楽しんで、お礼に政府にお金をやっていた。だから、昔は世の中がうまくいっていた。国民も政府も両方とも幸福だった。
今の国民は『政府が芝居をやっている』ことを知らないから、「政府が本当のことをやっている」と思っているから、政府が本当に偉い者だと思って政府の国民を虐[いじ]める命令や法律を守って世の中がメチャクチャになっている。大勢の国民が不幸になっている。今の国民は「政府が本当のことをやっている」と思っているから、政府が国民の前では善いことをすると言っておきながら実際には善いことを何もしなかったり国民に命令して悪いことをさせているのを見て、「政府が本当は悪い団体で表で善い団体のふりをしているだけだ」と考えて政府を忌[い]み嫌っている。だから、今は世の中がうまく行っていない。国民も政府も両方とも不幸である。
今の国民は昔の国民よりも無知である。今の国民は昔の国民のように『政府が芝居をやっている』ことを知っていなければならない。政府は芝居の上で偉い者で芝居の上で国民を幸福にしているだけである。政府は本当はただの国民で本当は国民を幸福にしていない。本当は国民は政府に従う必要がないし、政府を悪い団体だと思う必要もない。今の国民は政府に税金を払わなければいい。今の国民は自分が政府の芝居が好きでなければ、正直に政府に芝居代を払わなければいい。
いくら今が科学の時代だからといってみんなが本当のことをやっているわけではない。世の中には今でも芝居をやっている人がいる。政府は芝居をやっている。だから、今の人は『政府が芝居をやっている』と考えて、政府と正しく付き合わねばならない。政府の芝居を見たい人だけが政府に芝居代を払うようにしなければならない。
[20163] 政府と警察は別である。 h26.2.17
政府は国民を幸せにする芝居をする会社である。政府は芝居で国民を喜ばせて国民からお金をもらう会社である。
一方、警察は現実に国民を法律で取り締[し]まる法律会社である。
政府と警察は別の会社である。政府は立法と司法と行政から成る。立法は国民を幸福にする芝居をして、司法は現実の法律の仕事をして、行政は何もやっていない。立法は偉い者の芝居をやっている。だから、国民に国民を虐[いじ]める命令や法律を出しているのは立法である。
昔の政府は芝居が国民に大ウケして儲[もう]かりすぎたから、余ったお金で警察を経営していた。政府が水道会社やゴミ会社を経営していたのと同じことである。
今の政府は芝居が国民にウケなくなって儲からなくなって、お金が足りなくなって警察を民営化している。警察が国民一人一人と契約して国民からお金をもらって仕事をするようになりつつある。警察も仕事だから、国民がたとえ政府にお金を払っていなくても、そこそこお金を出せばどんなことでもやってくれるだろう。
今は科学の時代である。今は現実の時代であって芝居の時代ではない。馬鹿が現実と芝居を混同して現実の中で芝居をやるのは危険であってみんなの迷惑である。今の日本でその手の事件が多いのは今の日本人に馬鹿が多い証拠であり、世界の恥である。早く政府が潰[つぶ]れて、警察や水道やゴミなどの現実の仕事をする会社だけになればいい。[現実と芝居を“混同”してはいけないから、ときどきテレビで「近藤です」と言ってみんなに注意するのである。]
政府は芝居で国民を喜ばせる会社である。政府がなくなると世の中から笑いがなくなる。だから、国民は自分でマンガやドリフ大爆笑を見て笑いを補わねばならないのである。
[20164] 昔の国民は政府の言葉の世界に入って幸せになっていた。☆ h26.2.17
政府は言葉で国民を喜ばせる会社である。
政府は言葉で政府が国民を幸せにしている=国民が政府に幸せにしてもらっている世界を作り出して、その中に国民を入れて国民を幸せにしているのである。国民は政府の話を聞くことによって政府が作った世界に入って幸せになっているのである。要するに、政府と国民がいっしょに文学をしているのである。政府が社会文学を書いて、国民が政府が書いた社会文学を読んで幸せになっているのである。
国民は政府に言葉で幸せにしてもらったお礼に政府にお金を払っているのである。
昔は国民が物が貧しくて現実で満足することがなかったから、政府の言葉の世界に入って幸せになっていた。国民が政府に幸せにしてもらったお礼に政府にたくさんお金を払っていたので政府が儲[もう]かっていた。政府は儲かりすぎて余ったお金で現実の事業もやっていた。
今は国民が物が豊かで現実で満足することができるから、政府の言葉の世界に入らなくても幸せなので、政府の言葉の世界に入らなくなった。国民が政府に幸せにしてもらわなくなって政府がお金をもらえなくなって政府が貧乏になった。政府はお金が足りなくなって現実の事業がやれなくなっている。
今は科学の時代である。文学の時代ではない。今の国民は芝居よりも現実が好きである。今の国民は現実の中で幸せに暮らしたいと思っている。今の国民は政府の言葉の世界の中で幸せになりたいと思っていない。だから、今の国民は政府が要らなくなって、政府にお金を払わなくなって、政府を潰[つぶ]しているのである。
[20165] 昔の国民は政府の芝居の世界に入って幸せになっていた。☆ h26.2.17
政府は芝居で国民を喜ばせる会社である。
政府は芝居で政府が国民を幸せにしている=国民が政府に幸せにしてもらっている世界を作り出して、その中に国民を入れて国民を幸せにしているのである。国民は政府の芝居を見ることによって政府が作った世界に入って幸せになっているのである。政府と国民がいっしょに芝居をやっているのである。政府が芝居の上で国民を幸せにして、国民が芝居の上で政府に幸せにしてもらっているのである。現実のことは言わない約束である。本当は、現実の上では政府は国民に何もしていないのである。つまり、政府と国民がいっしょになって“政府が国民を幸せにしている遊び”をやっているのである。
国民は政府に芝居で幸せにしてもらったお礼に政府にお金を払っているのである。
昔は国民が物が貧しくて現実で満足することがなかったから、政府の芝居の世界に入って幸せになっていた。国民が芝居の上で政府に幸せにしてもらったお礼に政府にたくさんお金を払っていたので政府が儲[もう]かっていた。政府は儲かりすぎて余ったお金で現実の事業もやっていた。
今は国民が物が豊かで現実で満足することができるから、政府の芝居の世界に入らなくても幸せなので、政府の芝居の世界に入らなくなった。国民が政府の芝居で幸せにしてもらわなくなって国民が政府にお金をやらなくなって政府がお金をもらえなくなって政府が貧乏になった。政府はお金が足りなくなって現実の事業がやれなくなっている。
今は科学の時代である。文学の時代ではない。今の国民は芝居よりも現実が好きである。今の国民は現実の中で幸せに暮らしたいと思っている。今の国民は政府の芝居の世界の中で幸せになりたいと思っていない。今の国民は自分のお金を現実のことに使って政府の芝居に使いたくない。だから、今の国民は政府が要らなくなって、政府にお金を払わなくなって、政府を潰[つぶ]しているのである。
[20166] 芝居と現実☆ h26.2.17
政府は偉い者の芝居をする会社である。偉い者は国民を幸せにする。そのため、政府は自分が国民を幸せにしている芝居をやっている。
政府は芝居の上で偉い者で国民を幸せにしているだけで、現実の上では国民と平等であって国民を幸せにしていない。
だから、国民は芝居の上で政府に従って「政府に幸せにしてもらっている」と思って喜ぶだけにして、現実の上では政府と平等にして『政府が何もしていない』と思って政府に感謝しなければいい。政府に従わず『政府が役立たずだ』と思って政府を軽蔑すればいい。
国民が政府の芝居の世話になりたければ政府の芝居を見て幸せになって、お礼に政府にお金を払えばいい。
国民が政府の芝居の世話になりたくなければ政府の芝居を見ず幸せにならず、お礼に政府にお金を払わなければいい。
昔の国民は現実に喜びがなくて喜びに飢えていたから、政府の芝居の世話になっていた。昔の国民は現実でお金の使い道がなくてお金があり余っていたから政府にたくさんお金をやった。昔の国民は政府にお金をたくさんやって、政府が儲[もう]かっていた。
今の国民は現実に喜びがいっぱいあって喜びに飽きているから、政府の芝居の世話になっていない。今の国民は現実でお金を使いすぎて政府にやるお金がない。今の国民は政府にお金をやらなくなって、政府が儲からなくなって潰[つぶ]れている。
[20167] 現実は芝居を超えたところにある。☆ h26.2.17
政府は偉い者のふりをして国民を幸福にする芝居をする会社である。
芝居では政府が偉い者であり政府が国民を幸せにしているが、現実では政府と国民は平等であり政府が何にもしていない。
現実では政府と国民は平等だから、国民が政府の芝居を見るか見ないかは国民個人の自由である。
今の国民は現実が好きで芝居が好きではない。今の国民は現実にたくさんお金が要って芝居に出すお金がない。
だから、今の国民は政府の芝居を見ず政府にお金をやらなければいいのである。
今の国民にとってはテレビや新聞で作り事ばっかり言う政府が要らないから、さっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20168] 今の人は芝居よりも現実で幸福にならねばならない。 h26.2.17
人間の幸せは現実でも決まるが、気の持ちようでも決まる。
昔は物がなかった。
だから、昔はみんなが政治団体や宗教団体などの芝居を見て「自分が政治団体や宗教団体に幸せにしてもらっている」と空想して幸せになっていたのである。政治団体や宗教団体に自分を幸せにしてもらったお礼に政治団体や宗教団体にお金を払っていたのである。だから、政治団体や宗教団体が儲[もう]かっていたのである。
しかし、今は物がある。
今ではみんなが物が豊かになって現実の中で幸せになっていて、政治団体や宗教団体の芝居を見なくなっている。だから、みんなが政治団体や宗教団体にお金をやらなくなって政治団体や宗教団体が潰[つぶ]れている。
今では物が豊かだから、今の人は物を使って幸せにならねばならない。自分の幸せを政治団体や宗教団体の芝居に頼ってはいけない。今の人は自分のお金で物を買って物を使って自分の心を満足して幸せにならねばならない。今の人は自分のお金で政治団体や宗教団体の芝居を見て幸せになってはいけない。
政治団体や宗教団体の芝居はお金がかかる割には幸せになれない。物を買って幸せになるほうがもっと幸せになれる。芝居を見るよりも物を買ったほうがコストパフォーマンスがいい。お金の効率がいい。だから、今の人は芝居を見るよりも物を買ったほうがいい。政治団体や宗教団体に払う金があったら、自分の欲しい物を買って喜んだほうがいい。旅行にでも行って気晴らししたほうがいい。
政府は政治団体である。政治団体は現実に国民の役に立つことをやらない。現実に国民の役に立つことをやっていたら政治団体ではない。現実に国民の役に立つことをやらないのが政治団体の誇[ほこ]りである。政治団体は芝居で国民の役に立つことをやっているふりをしているだけである。だから、政府は現実に国民の役に立つことはやっていない。国民が政府にお金をやってもお金の無駄[むだ]である。だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰さねばならない。
[20169] 今の国民は政府の芝居の世界から抜け出して現実の中で暮らすようになっている。☆
h26.2.17
実在においては人間はみな平等である。人間が他人に命令して他人の財産を奪うことはできない。
それなのに、政府の憲法においては政府が国民から税金を取れることになっている。
それは、政府が“偉い者の芝居”をしているからである。[「多数決の原理」や「間接民主制」はフェイント(見せかけの理由)である。『芝居』が本当の理由である。だから、「多数決の原理」はまちがっていてもいいのである。]
政府は偉い者の芝居をしているだけであって、本当は偉い者ではない。本当は政府と国民は平等である。国民は政府の命令を聞かなくていい。
だから、政府は言葉で国民に税金の命令を出せるだけである。政府が強制的に国民に命令して国民からお金を取ったり、政府が自分の手で国民からお金を強盗することはできないのである。
だから、国民が政府の税金の命令を聞かなければ、国民は政府に税金を払わなくていいのである。政府はそれ以上国民に何もできないのである。政府はしっぽを巻いて逃げるしかないのである。
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸福にする。だから、政府は国民を幸福にする芝居をやっている。政府は国民に作り話をして「政府が国民を幸せにしている」と思わせて国民を幸せにしてお礼に国民からお金を取っている。
昔の国民は物が貧しくて現実で幸福になれなかったから、政府の偉い者の芝居の世話になっていた。国民は政府の芝居を見て「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思って幸せになって、お礼に政府にお金を払っていた。
しかし、今の国民は物が豊かになって現実で幸福になっているから、政府の偉い者の芝居の世話になる必要がない。国民は政府にお金を払わず、政府の世話にならなければいい。国民は政府の芝居の世界から抜け出して、明るく楽しく現実の中で暮らせばいいのである。
[20170] 今の国民は政府の芝居を見なくなって政府にお金をやらなくなった。
h26.2.17
政府は国民を幸せにする芝居をする団体である。
政府はテレビや新聞で国民に“政府が国民を幸せにしている芝居”を見せて、国民に「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思わせて国民を幸せにして、国民からお金をもらう団体である。
現実では国民と政府は平等だから、国民が政府の芝居を見て政府にお金を払うか政府の芝居を見ずに政府にお金を払わないかは国民個人の自由である。
昔の国民は物がなくて現実で幸せでなかったから、政府に幸せにしてもらいたくて、政府の芝居を見て幸せになってお礼に政府にお金を払っていた。
今の国民は物があって現実で幸せだから、政府に幸せにしてもらわなくてもよくなって、政府の芝居を見なくなって幸せにならなくなってお礼に政府にお金を払わなくなった。
今は科学の時代である。今の人は作り事で幸せなのが嫌である。今の人は現実に幸せになりたい。今の人は自分が努力して自分がなにがなんでも現実で幸せにならねばならないと思っている。だから、今の国民は政府の世話にならなくなって政府にお金をやらなくなったのである。今の人は自分が作り話で幸せになるのが嫌だから、政府の芝居を見ないようにして政府にお金をやらないようにしているのである。
[20171] 『仮想仕事の原理』 h26.2.18
政府は国民に“政府が国民を幸せにするために一生懸命働いている芝居”を見せて国民に「政府が自分を幸せにしてくれている」と思わせて国民を幸せにして国民からお金をもらう会社である。
つまり、政府は国民のために“嘘[うそ]の仕事”をして儲[もう]ける会社である。国民は想像で「政府が自分のために仕事をしている」と思って喜んでいる。政府は“想像の仕事”で儲[もう]けている会社である。政府は『仮想仕事の原理』でお金を儲ける会社である。
昔の国民は政府の嘘[うそ]を承知[しょうち]で政府の芝居を見て想像で「政府に自分を幸せにしてもらっている」と思って喜んで、お礼に政府にお金をやっていた。
今の国民は政府の“国民を幸福にするために汗水流して必死で働いている芝居”を見て『自分が政府に馬鹿にされている』と思って不愉快[ふゆかい]になって、政府にお金をやらなくなった。
今は科学の時代だから、今の国民は現実ばっかりで芝居が通用しないから、今の国民にとっては政府の芝居は逆効果である。今では芝居をする会社は流行[はや]らない。今では芝居をする会社は儲からない。今の人は芝居をする会社を「現実に仕事をしない怠慢[たいまん]な会社だ」と思って嫌っている。今の国民は政府の芝居を見なくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。
[20172] 『仮想仕事の原理』(その2) h26.2.18
普通の会社は現実の仕事をして国民からお金をもらって儲[もう]けている。
政府は“架空の仕事”をして国民からお金をもらって儲けている。
普通の会社は国民に現実の仕事をして国民を幸せにして、国民からお金をもらって儲けている。
政府はテレビや新聞で国民に“政府が国民を幸せにしている芝居”を見せて、国民に「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思わせて国民を幸せにして、国民からお金をもらって儲けている。
昔の国民は政府の仕事の芝居を見て「政府に自分を幸せにしてもらっている」と想像して自分が幸せになるために、政府の“架空の仕事”の代金を払っていた。
今の国民は政府の仕事の芝居を見て『政府が現実には何にもしていない』と思うだけだから、政府に架空の仕事の代金を払わなくなった。
今は科学の時代だから、今の国民は現実ばっかりで芝居が通用しないから、政府の仕事の芝居を仕事だと認めないから、国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。今の国民は現実主義なので、政府の仕事の芝居を見て「政府に自分を幸せにしてもらっている」と想像しても幸せになれないから、政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいるのである。
今の国民が真剣に世の中について考えていれば、とっくの昔に政府が滅んでいるはずである。それなのに、今でも政府が残っているのは、何にも考えていない国民が多いからである。今でも政府にお金を払っている国民は何も考えていない馬鹿である。国民はそんな馬鹿を見習っていはいけない。国民は自分が政府に用がなければ政府にお金を払わなければいいのである。例えば、私は近頃ずっとテレビや新聞で政府の芝居を見ていない。私は政府に幸せにしてもらっていない。だから、私は政府にお金を払わなければいいのである。
[20173] 今の国民は芝居が好きではないから政府が潰[つぶ]れている。 h26.2.18
政府は国民を幸せにする芝居をする会社である。
政府はテレビや新聞で“政府が国民を幸せにしている芝居”をやって、国民に「政府が自分を幸せにしてくれている」と思わせて国民を幸せにして国民からお金をもらっている。
政府は現実には何もやっていない。政府は“国民を幸せにする芝居”をやっているだけで、実際には何もしていない。
政府は芝居の上で国民を幸福にして、現実の上では国民を幸福にしていない。
昔の国民は芝居が好きだったから、たとえ芝居の上でも政府が国民を喜ばせることをやってくれるのがうれしかったから、政府の芝居に泣いて喜んで、お礼に政府にお金を払っていた。昔の国民は政府の“国民を幸せにしてくれる芝居”を見るのが大好きだったから、政府にもっとテレビや新聞で芝居をやってもらうために、政府にお金を払っていたのである。政府は国民みんなのアイドルだったのである。政府はテレビや新聞に出る人だけ働いて、他[ほか]の人は働いていないのである。政府ではみんながテレビや新聞に出る人にたかって遊んで暮らしている。政府はタレント事務所と同じである。
反対に、今の国民は芝居が好きではないから、現実に政府が自分を喜ばせてくれないかぎり絶対に喜ばないから、政府に感謝しなくなって、政府にお金を払わなくなった。
つまり、今では科学の時代になって、今の国民が現実ばっかりになって、今の国民が芝居好きではなくなったから、今の国民が政府にお金をやらなくなって政府が潰れているのである。
[20174] 今の国民は政府の芝居が見たくない。 h26.2.18
政府は国民を幸せにする芝居をする会社である。
政府はテレビや新聞で“政府が国民を幸せにする芝居”をやって国民に「政府が国民を幸せにしている」と思わせて国民を喜ばせて、お礼に国民からお金をもらう会社である。政府はテレビや新聞で調子いいことを言って国民を喜ばせて国民からお金を取る会社である。
政府の指定がなければ、国民は自分が好きなだけ政府にお金を払っていい。今の政府は国民に芝居代の指定をしていないから、国民は自分が好きなだけ政府にお金を払えばいい。
税金は架空の法律なので、国民は政府に税金を払わなくていい。
昔の人は芝居が大好きだったから、テレビや新聞で政府の“国民を幸せにする芝居”が見たくてたくさんお金を払っていた。芝居代は国民の芝居に対する愛情に比例するから、昔の人は芝居が大好きだったから、昔の人は政府に自分のあり金全部やっていたのである。
反対に、今の人は芝居が嫌いだから、テレビや新聞で政府の芝居が見たくないから政府にお金を払わなくなった。
今の人はテレビや新聞で別のもっと楽しい番組が見たいから、一生懸命政府にお金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。
今の人は自分が政府の芝居を見たくもないのにかっこつけて政府に芝居代を払ってはいけない。今の人はもっと自分の心に正直にして『もっと馬鹿げたくだらない番組が見たい』と思って政府に芝居代を払わないようにしなければならない。
[20175] 国民を幸せにする芝居をやる団体 h26.2.18
政府は“国民を幸せにする芝居”をする団体である。
政府はテレビや新聞で“国民を幸福にする芝居”をやって国民に「自分は政府に幸せにしてもらっている」と思わせて国民を喜ばせて国民からお金を取る団体である。
昔の人は芝居が好きだったから、政府の芝居が見たくて政府にたくさんお金を払っていた。
今の人は芝居が嫌いだから、政府の芝居が見たくなくて政府にお金をやらなくなった。
今の政府は国民からお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
[20176] 今の人は芝居が嫌いだから政府にお金をやらない。 h26.2.18
政府は“国民を幸福にする芝居”をする会社である。政府は国民からお金をもらって“国民を幸福にする芝居”をやって国民を喜ばせる会社である。
そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府にお金をやって政府に芝居をやらせるか、国民が政府にお金をやらず政府に芝居をやらせないかは国民個人の自由である。
昔の国民は芝居が好きだったから、政府にお金をやって、政府に“国民を幸福にする芝居”をやらせて、それを見て喜んでいた。
今の国民は芝居が嫌いだから、政府にお金をやらなくなって、政府に“国民を幸福にする芝居”をやらせなくなって、不愉快[ふゆかい]にならないようにしている。
今の政府は国民からお金をもらえなくなって滅んでいる。
[20177] 暴力団はコメディアンである。 h26.2.18
暴力団は顔が怖いから、昔の人は暴力団にお金をやって暴力団に“善い人の芝居”をさせて、それを見て笑って喜んでいた。つまり、暴力団はコメディー(喜劇)の劇団だった。
宗教団体は顔が胡散[うさん]臭いから、昔の人は宗教団体にお金をやって宗教団体に“超能力者の芝居”をさせて、それを見て笑って喜んでいた。超能力者の周[まわ]りには必ず弟子たちがいた。宗教団体は聖書みたいな芝居をやっていた。宗教団体はフィクション(空想劇)の劇団だった。子供向けの劇団だった。
政治団体は顔が偉そうだから、昔の人は政治団体にお金をやって政治団体に“善い国を作る芝居”をさせて、それを見て喜んでいた。政治団体はノンフィクション(現実劇)の劇団だった。大人向けの劇団だった。政治団体はノンフィクションの劇をやるから、ノンフィクション感を出すためにワルノリをして芝居小屋を持たずに現実の国の中で劇をやっていた。ノンフィクションの劇をやる劇団がノンフィクションらしさを高めるために現実の中で劇をやるようになったのである。
昔は文学の時代だった。昔の人は芝居しか娯楽がなかったから、昔の人はみんな芝居が好きだった。昔の人は芝居が好きだったから、いろんな劇団にお金をやって芝居をさせて、芝居を見て楽しんでいた。
しかし、今は科学の時代である。今では芝居よりももっと楽しいことがいっぱいあるから、今の人は芝居が好きではない。そのために、今の人は劇団にお金をやらなくなって芝居をさせなくなった。劇団はみんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今の人はいやいやテレビや新聞で政府の芝居を見て政府にお金を払っている。今では娯楽がいっぱいあるから、今の人は自分が我慢[がまん]してまで政府の芝居を見なくていい。今の人は政府の芝居を見るのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰せばいいのである。
今は科学の時代である。今ではみんなが芝居が嫌いである。政府は“善い国を作る芝居”をする劇団である。今の政府は人気がなくて潰れかけている。国民が潰れかけの劇団の肩を持ってもいいことは何もない。だから、みんなは政府の肩を持たないようにして政府を潰せばいいのである。
今どき芝居は古臭い。それなのに、今でも芝居を見るのが好きな人がいるのは、「芝居の値段が高ければ面白い」と思っているからである。「テレビはただだから面白くないが、芝居は1口[くち]10万円だから値段が高いから面白い」と思っているのである。値段で芝居の面白さを決めるのはかわいげがない。実際に自分の心で感じて芝居の面白さを決めるべきだ。お金のことしかわからなくなったら人間はおしまいだ。眼で見えることしかわからなくなったら人間は最後だ。政府の芝居の値段も高い。今の政府は芝居が下手[へた]だから、国民が政府の芝居を見ても楽しくない。政府の芝居にお金を出すのはお金の無駄[むだ]だ。そんな芝居にお金を出して見るのは馬鹿だけだ。国民は政府の芝居を見るのをやめて、政府にお金をやるのをやめて、お金をほかの遊びに使って楽しめばいいのである。
[20178] 国民は政府の作り話を聞き飽きた。☆ h26.2.19
政府は“善い国を作る芝居”をする団体である。
政府はテレビや新聞で“善い国を作る芝居”をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらっている。
昔の国民は芝居しか娯楽がなくて政府の芝居が面白かったから、政府にお金をやって政府に芝居をやらせていた。
しかし、今の国民は娯楽がたくさんあって政府の芝居が面白くないから、政府にお金をやらなくなって政府に芝居をさせなくなった。
今の国民は政府の作り話を聞くのも飽きている。政府の作り話を本気にする者がいるから世の中がおかしくなるのである。
今の国民は政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]して、政府の芝居を見るのをやめて、政府の作り話を聞くのをやめて、テレビ会社が事実のニュースだけを放送すればいいのである。そうすれば、国民は正しい情報に基づいて正しく判断することができて世の中がうまくいくだろう。
芝居をやる会社があるからみんなが芝居と現実を混同して世の中がややこしくなるのである。世の中がうまくいかなくなるのである。みんなで早く政府をなくして世の中を現実だけにしてスッキリさせねばならない。
昔の人はみんな芝居が好きだったから、みんなが政府にお金を払って政府に芝居をさせていたから、馬鹿な国民が政府の作り話を真[ま]に受けて世の中が混乱していた。
今の人は芝居が嫌いだから、政府にお金を払わなくなって政府に芝居をさせなくなっているから、馬鹿が政府の作り話を真に受けなくなって世の中が正常になっている。
世の中には芝居と現実の区別がつかなくて政府の作り話を真に受ける馬鹿がたくさんいる。今では娯楽がたくさんあるから今の人にとっては政府は要らない。みんなで早く政府にお金をやらなくなって政府をなくして芝居や作り話のない世の中にしないといけない。
馬鹿は自分が政府の芝居を面白いと思っていないのに、芝居と現実の区別がつかないために、政府の税金の法律を真に受けて政府に税金を払い続けている。そのために、政府が残り続けている。だからこそ、芝居と現実の区別がつく国民が政府にお金を払わないようにして少しでも政府をなくす努力をしなければならない。なるべく多くの国民が政府にお金をやらないようにして政府の芝居をやめさせて世の中をよくしなければならない。
[20179] 今の国民はいそがしいから政府の芝居を見る暇がない。 h26.2.19
政府は“偉い者の芝居”をする会社である。偉い者は善い国を作るから、政府は“偉い者が善い国を作る芝居”をする会社である。政府は国民からお金をもらって国民に“偉い者が善い国を作る芝居”を見せて国民を喜ばせる会社である。また、偉い者はときどき国民を虐[いじ]めるから、政府は“偉い者が国民を虐める芝居”もする。
本当は政府と国民は平等だから、国民が政府にお金をやって政府に芝居をさせるか、国民が政府にお金をやらず政府に芝居をさせないかは国民個人の自由である。
国民は自分の心に政府の芝居を見たいか見たくないか聞いて、政府にお金をやるかやらないか決めねばならない。
昔の国民は何もすることがなくて退屈で暇でしょうがなかったから、政府の芝居を見たくてしょうがなかったから政府にお金を払って政府に芝居をやらせていた。[今の人はテレビや新聞で政府の芝居を見ているが、昔の人は政府の芝居を言葉で他人から聞いて知っていたのである。]そのために、昔の国民は政府の芝居を見たり政府の作り話を聞いたりして、政府の芝居や作り話を真[ま]に受けて、「政府が本当に偉い者だ」と思って、「政府が本当に善い国を作っている」と思って、政府の命令を聞いて政府の芝居の上の冗談の命令を現実にやって世の中をメチャクチャにしていた。
今の国民は遊びがいっぱいあっていくらでも時間が要るから、政府の芝居よりも面白いことがいっぱいあるから、政府の芝居を見たくないから政府にお金を払わず政府に芝居をさせなければいい。それに、政府は芝居ばかりやって作り話ばかり言うから、国民は政府の芝居を見ず政府の言うことを聞かないほうがいいから、政府に芝居をさせないために作り話を言わさないためにお金をやらなければいい。
したがって、今の国民は政府の芝居を見ず政府にお金をやらなければいい。そうするのが正しい。国民みんなで政府の芝居を見ず政府にお金をやらないようにして政府をなくさねばならない。国民みんなで早く世の中から芝居をしたり作り話をしたりする団体をなくして、みんなが芝居や作り話に惑[まど]わされないようにして現実の中で正しく生きていかねばならない。
[20180] 昔の国民は世の中がメチャクチャになっても政府の芝居を見たかった。
h26.2.19
政府は“偉い者の芝居”をする会社である。政府の仕事は偉い者の芝居をすることである。政府は国民からお金をもらって偉い者の芝居をする会社である。偉い者は善い国を作ったり国民を虐[いじ]めたりする。だから、政府は“善い国を作ったり国民を虐めたりする芝居”をする。
昔の人は芝居が好きだったから、政府の芝居が見たかったから、政府にお金をやって政府に芝居をやらせていた。そのため、馬鹿が政府の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に偉い者だ」と思って政府の命令を聞いて政府の芝居の上のデタラメないいかげんな命令を聞いて現実の中でやって世の中をメチャクチャにしていた。
反対に、今の人は芝居が嫌いだから、政府の芝居が見たくないから、政府にお金をやらず政府に芝居をやらさなければいい。今の人は政府に芝居をやらさないようにして、馬鹿が政府の芝居を真に受けて世の中をメチャクチャにしないようにしないといけない。
世の中には芝居と現実の区別がつかない馬鹿がたくさんいる。芝居をする会社にとっても仕事がやりにくくなるから、馬鹿がいないほうがいい。政府は芝居のつもりでやっているのに、馬鹿は本気にして現実にやるから、政府にとっては芝居がやりづらいので邪魔[じゃま]である。
馬鹿が政府の芝居を真に受けて世の中をメチャクチャにしていたにもかかわらず、昔の国民が政府にお金をやって政府に芝居をさせていたのは、昔の国民が政府の芝居を見たかったからである。昔の国民はたとえ他人を犠牲[ぎせい]にしてでも政府の芝居を見たかったのである。
今の国民はやりたいことがたくさんあって政府の芝居を見ている暇がない。今の国民は政府の芝居よりも面白いことがたくさんあるから政府の芝居を見たくない。今の国民は世の中をメチャクチャにしてまで政府の芝居を見たくない。だから、今の国民は政府にお金を払わず政府に芝居をさせなければいいのである。
政府は偉い者の芝居をする会社だから、偉い者は国のことをするから、政府は“国のことをする芝居”をする。そのために、政府は国民に芝居の上のいいかげんなでたらめな法律や命令を出す。国民が政府の法律や命令を守ると国がメチャクチャになる。政府は芝居をする会社であって、現実のことをする会社ではない。政府は現実から浮いた会社であって、現実に足がついた会社ではない。だから、国民みんなで早く政府にお金をやらず政府をなくして、国民に正しい法律や命令を出す現実的な法律会社を建てねばならない。政府は善い国を作る芝居ができるだけである。政府は現実の善い国を作ることができない。いくら政府があっても日本は善い国にはならない。国民みんなで早く政府をなくして、現実の善い国を作る団体を建てねばならない。
[20181] 宗教団体も政治団体も現実のことは何も知らない。 h26.2.19
宗教団体は神の芝居をする団体である。神は超能力を使ったり人に教えを説いたりする。だから、宗教団体も“超能力を使ったり人に教えを説いたりする芝居”をする。
宗教団体の教えは芝居の上の教えであって実際にはデタラメだから、真[ま]に受けて聞くと死ぬ。だから、みんなは宗教団体の教えを聞いてはいけない。
それと同じように、政治団体は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国のことをしたり人を虐[いじ]めたりする。だから、政治団体も“国のことをやったり人を虐めたりする芝居”をする。
政治団体の法律や命令は芝居の上の法律や命令であって実際にはデタラメだから、真に受けて聞くと世の中がメチャクチャになる。だから、みんなは政治団体の法律や命令を聞いてはいけない。
宗教団体も政治団体も芝居をする団体であって、現実のことをする団体ではない。宗教団体も政治団体も芝居をやっているだけであって、現実には何もやっていない。宗教団体や政治団体は芝居に詳[くわ]しいだけであって、現実のことは何も知らない。だから、みんなは宗教団体や政治団体の命令や決まりを真に受けて聞いてはいけない。みんなは宗教団体や政治団体の命令や決まりを芝居の上で聞くだけにして現実に聞いてはいけない。
宗教団体や政治団体は芝居をやる団体である。昔の人は現実が嫌いで芝居が好きだったから、宗教団体や政治団体にお金をやって芝居をやらせていた。そのため、宗教団体や政治団体が儲[もう]かっていた。反対に、今の人は現実が好きで芝居が嫌いだから、宗教団体や政治団体にお金をやらなくなって芝居をやらさなくなった。そのため、宗教団体や政治団体が儲からなくなって潰[つぶ]れている。
芝居では政府が国民よりも上の者だが、現実では政府と国民は平等である。今の人は『自分が芝居が嫌いだ』という理由で、政府にお金をやらなければいい。そうすれば、政府は潰れるだろう。
[20182] 今の人は現実で楽しむようになっている。 h26.2.19
政府は偉い者の芝居をする団体である。政府は国民からお金をもらって偉い者の芝居をする団体である。
昔の人は娯楽が芝居しかなかったから、政府にお金をやって政府に偉い者の物真似[ものまね]をさせて遊んでいた。昔の人は政府にお金をやって政府に国のことをやる芝居をやらせて喜んでいた。政府はみんなからお金をもらって儲[もう]かっていた。
今の人は娯楽がたくさんあるから、政府の芝居がつまらなくなって、政府にお金をやらなくなって政府に偉い者の物真似をやらさなくなった。
今では政府はみんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
昔の人は芝居で楽しんでいたが、今の人は現実で楽しむようになっている。しかし、政府は現実離れした冗談を言うだけである。今の人は政府の冗談がつまらなくなって、政府の冗談を聞くのが嫌になって政府にお金をやらなくなっている。
今は現実の時代である。政府は国のことをやる芝居をする会社であって、政府は現実の国のことをやる会社ではない。今の人は政府が要らないと思って政府にお金をやらなくなって政府を潰しているのである。政府の替[か]わりに現実の国のことをやる会社を建てているのである。
[20183] 今の国民は「政府がやることを現実だ」と誤解している。☆☆ h26.2.19
政府は国のことをやる芝居をする会社であって、政府は現実の国のことをやる会社ではない。
政府の法律や命令は芝居の上のデタラメな法律や命令であって現実における正しい法律や命令ではない。
国民が政府の法律や命令を守っていると国がメチャクチャになる。国民が暮らせなくなる。国民が生きていけなくなる。
昔の国民は芝居が好きだったから、政府がやることを芝居だと思って楽しんでいた。昔の国民は政府がやることを真[ま]に受けずに見ているだけだった。昔の国民は政府の法律や命令を守らずに芝居だと思って無視していた。昔の国民は政府がやることをちゃんと芝居だとわかっていた。
しかし、今の国民は芝居が好きではないから、今の国民が芝居を知らないから、政府がやることを芝居だと思わず本気にしている。今の国民は政府がやることを全部真に受けて実行している。今の国民は政府の法律や命令を全部きちんと守っている。今の国民は政府がやることを全部現実だと誤解している。
今の国がうまく行っていないのは、今の国民が「政府を現実の国のことをする会社だ」と誤解しているからである。今の国民が政府の芝居を現実だと誤解しているために、今の国民が幸福に暮らせなくなっているのである。
本当は、政府がやることは全部芝居である。政府は芝居をする会社である。政府は偉い者ふりをして国のことをする芝居をする会社である。
国民は『政府のやることが現実ではなく芝居だ』と考えて、政府の芝居を真に受けてはいけない。
今の国民は現実の中で幸福になっていて芝居が好きではないから、政府にお金をやらなくていい。今の国民は政府にお金をやらないようにして政府をなくせばいい。
政府の替[か]わりに現実の国のことをやる会社を建てればいい。今の警察(法律会社)や学校は政府の芝居代でお金をもらっている。しかし、今後は国民が政府に芝居代をやらなくなる。警察や学校はお金が足りない。警察や学校はお金の取り方を変えねばならない。警察や学校は政府から独立して普通の会社と同じように国民と契約して国民からお金をもらって仕事をすればいい。学校は子供の親から授業料を取ればいい。警察は犯罪者から罰金を取ったり、犯罪者を刑務所の中で強制労働させたりして犯罪者からお金を取って儲ければいい。国民は西部劇の保安官のように警察に護身料を払って自分の身を守ってもらえばいい。警察に護身料を払えない国民は自分で自分の身を守ればいい。警察も工夫すれば何らかの形で経営できるだろう(私は詳[くわ]しくは知らない)。
みんなは『政府が“偉い者のふりをして国のことをやる芝居”をやる会社である』ことを当前のことにしてしまって、もっと先に行かねばならない。
今は文学の時代から科学の時代に変わっている途中である。今は芝居の時代から現実の時代に変わっている途中である。そのために、今はみんなが芝居と現実を混同して国がうまく行かなくなっている。いわばみんなが“科学病”に罹[かか]っている。みんなは早く芝居と現実を混同するのをやめて、芝居と現実を区別して、芝居を芝居だと考えて楽しむようにしないといけない。
[20184] 『三つ子の魂百まで』 h26.2.19
昭和40年(1965年)ごろに科学の時代になってテレビや冷蔵庫や洗濯機などの文明の利器が普及するまではずっと国民の娯楽は芝居だった。
『三つ子の魂百まで』というから、昭和40年ごろまでに生まれた人はみんな「芝居が娯楽だ」と思っている。
だから、今の大人の大半はまだ「芝居が娯楽だ」と思っている。だから、今の大人の大半は「政府の芝居が面白い」と思って政府に芝居代を払っているのである。だから、政府が楽に経営できているのである。
しかし、さすがに最近はみんなが文明の利器で育って『現実が娯楽だ』と思って「芝居が娯楽だ」と思っていない。最近の人は『政府の芝居がつまらない』と思って政府に芝居代を払わなくなっている。
最近になってようやく政府が滅ぶようになっている。これから政府は滅んでいくのだ。政府が滅ぶのは今からでも遅くはないのだ。
[20185] 都会人は娯楽しかわからない。 h26.2.19
都会には娯楽が多すぎる。都会には現実がない。
そのために、都会人[とかいじん]は娯楽がわかるが、現実がわからない。都会人は娯楽しかわからない。
反対に、田舎[いなか]には娯楽がない。田舎には現実しかない。
そのために、田舎者は現実がわかるが、娯楽がわからない。田舎者は現実しかわからない。
都会人は娯楽しかわからない。反対に、田舎者は現実しかわからない。
人間は基本的に現実の中で生きていかねばならない。娯楽は息抜きにすぎない。そのほうがうまく生きていける。そのほうが幸福に生きていける。娯楽は多すぎても少なすぎてもいけない。そういう社会を作らねばならない。
[20186] 『政府は偉い者の芝居をする団体である』から、国民は政府に従わなくてもかまわない。☆
h26.2.20
政府は“偉い者の芝居”をする団体である。【政府学第一原理】
偉い者は国のことをする。
だから、政府は“偉い者のふりをして国のことをする芝居”をする団体である。
本当は、政府は偉い者ではないし、国のこともしていない。本当は、政府は国民と平等である。本当は、国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の法律や命令を聞かなくていい。国民は政府の税金の法律を守らず、政府に税金を払わなくていい。
政府は芝居をする会社だから、国民が政府にお金をやって政府に芝居をしてもらうか、国民が政府のお金をやらず政府に芝居をしてもらわないかは、国民個人の自由である。
昔の国民は芝居しか娯楽がなかったから芝居が好きだったから、政府にお金を払って政府に芝居をやってもらっていた。
今の国民は娯楽がいっぱいあって現実が好きで芝居が好きではないから、政府にお金を払わず政府に芝居をやってもらわなければいい。
本当は、政府は国のことをしていない。本当は、政府は国民を幸福にしていない。本当は、政府は国民の役に立っていない。
だから、国民みんなで早く政府にお金をやらず政府をなくして、政府の替[か]わりに現実の国のことをする会社を建てねばならない。
人間はたとえ自分がお金を損しても牢屋に入れられても死刑にされても正しいことをしないといけない。だから、みんなは自分が政府の芝居を見たくなければ政府にお金をやらず政府をなくさねばならない。自分が見たくもないのに政府の芝居をいやいや見て政府にお金を払ってはいけない。政府は本当は偉くもないのに偉いふりをして実際に国のことをしていないのに国のことをしているふりをしているだけである。国民が政府が偉そうにしてやりもしないことをやったふりをしているのを見ても面白くない。国民が政府の馬鹿話を聞いても無駄[むだ]である。政府はつまらない芝居しかできない役立たず劇団である。芝居をやる団体がつまらない芝居しかできなければおしまいである。だから、国民は政府の芝居を見ず政府にお金をやらなければいいのである。
[20187] 今の政府は面白い芝居をやっていないから国民は政府にお金をやらなければいい。☆
h26.2.20
政府は偉い者の芝居をやる劇団である。
政府は国民にテレビや新聞で芝居をやって国民を幸せにして国民からお金をもらって儲[もう]ける団体である。
昔の政府はテレビや新聞で面白い芝居をやっていた。昔の国民は政府の芝居を見て「いい話だなあ」と思って涙を流して感動していた。だから、昔の国民は政府にお金をやっていた。
しかし、今の政府はテレビや新聞で面白い芝居をやっていない。今の政府はテレビや新聞で毎日毎日つまらない芝居をやっているだけである。今の政府は国民にケンカを売っている。国民は政府の芝居を見て幸せな気持ちになったことなんかこれまで一度もない。今の政府は芝居で国民を幸せにしていない。だから、今の国民は政府にお金をやらなければいい。
政府は最初のいっとき面白い芝居をやるだけで、その後はマンネリになってつまらない芝居をやるだけだ。今の政府はつまらない芝居しかやっていない。だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。中世の政府も芝居がマンネリになって潰れた。その後で、幕府が建って新しい芝居をするようになった。国民は政治団体の芝居がマンネリになるたびに古い政治団体を潰して新しい政治団体に入れ替えてきた。だから、今の国民は今の政府も潰せばいいのである。政治団体はいっときの流行にすぎない。
もっとも、今は芝居の時代ではない。今は現実の時代である。今の国民は自分が芝居を見て楽しくなるよりも自分が現実で楽しく暮らすことを考えてやったほうがいい。今の国民は政治団体の芝居にお金をかけるよりも、自分の現実の暮らしにお金をかけたほうがいい。
政府は国民からもらったお金で面白い芝居をやって国民を喜ばせる団体である。国家宗教や民主主義で芝居の題目が決まる。政府は国民からもらったお金で現実に国民が幸福に暮らせる国を作るのではなく、チャラチャラした安ウケの芝居をするだけである。そもそも国は国民みんなで作るものだから、政府だけでは芝居をするのがせいぜいなのだ。頭のいい人は『政府が芝居をする団体だ』と知っていて政府の法律や命令に従わないから、政府は大きなことができない。政府は国を動かす団体ではない。政府はせいぜいチャチな芝居ができるだけだ。政府はたかが劇団にすぎない。政府が国民を動かしているのではなく、国民が政府を動かしているのだ。国民が政府にお金をやって政府に芝居をやらせているのだ。昔の国民は芝居が好きだったから政府にたくさんお金をやって政府が面白い芝居をやって政府の人気が高まってますます政府が国民からお金をもらって儲かっていた。今の国民は芝居が好きではないから政府にお金をやらなくなって政府が面白い芝居がやれなくなって政府の人気がなくなってますます政府がお金がもらえなくなって潰れているのだ。今の政府はお金がないからつまらない芝居しかやれないからますます人気が下がってお金がなくなっているのだ。そもそも今は芝居の時代ではないから、政府が芝居で儲けるのは無理である。政府が潰れてもしかたがないのだ。
[20188] 今の政府が潰[つぶ]れるのは自業自得だ。 h26.2.20
政府は“偉い者のふりをして国のことをする芝居”をする劇団である。
政府はテレビや新聞で面白い芝居をして国民を喜ばせて国民からお金をもらう団体である。
昔の政府は面白い芝居をやっていたから国民からお金をもらって儲[もう]かっていた。
しかし、今の政府は面白い芝居をやらなくなったから国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
政府は芝居で儲ける団体である。それなのに、今の政府は面白い芝居をやっていない。政府が潰れるのは自業自得だ。
今の政府は奇を衒[てら]って暗い芝居ばかりやっている。そのために社会全体が暗いムードになっている。今の政府の芝居は面白くない。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府を潰してやればいい。政府の芝居はもう飽きた。政府を潰して、もっと明るい芝居をする劇団にお金をやって芝居をやってもらえばいい。
今の政府は面白い芝居をやっていない。今の政府にお金を払っているのは馬鹿だけだ。政府はもはやネタ切れだ。国民みんなは政府にお金をやるのをやめて政府を潰さなければならない。
[20189] どうして今の政府は暗い芝居をするのか?☆ h26.2.20
今は科学が発達してみんなが現実で幸福に暮らせるようになっている。
だから、政府が芝居で国民を幸福にしても現実と同じことをやっているだけだから国民は面白くない。政府が国民を幸福にする芝居をやっても現実と同じになって二番煎[せん]じになるから国民は面白くない。
そのために、今の政府はわざわざ国民を不幸にする暗い芝居をやっているのである。今の政府は現実と違う目新しい物を見せて国民を喜ばせるために暗い芝居をやっているのである。
今の政府の芝居は面白くない。見るたびに気分が暗くなる。今の政府は毎日テレビや新聞でみんなを不愉快[ふゆかい]にしているだけである。昔の政府は現実的な喜劇をやっていたが、今の政府は現実的な悲劇をやっている。政府はそうまでして無理にみんなのために芝居をしなくてもいい。マンガ読みがマンガを読みすぎて変なマンガに手を出すように、芝居会社が芝居をやりすぎて変な芝居をやっているのだ。
今は芝居の時代ではない。今は現実の時代である。今ではみんなが現実に幸福になれる。みんなは政府の芝居を見て幸福にならなくていい。みんなは政府の芝居に頼って幸福にならなくていい。
政府は芝居をやる会社である。政府は現実をやる会社ではない。政府は芝居をやっているだけで現実には何もやっていない。今のみんなには芝居は要らない。芝居をやる会社は要らない。要らない者はなくすにかぎる。余計な者はなくすにかぎる。だから、みんなは政府にお金をやらず政府に芝居をやらせず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20190] みんなは現実と芝居を混同してはいけない。☆ h26.2.20
芝居は現実と空想の中間的な話であり、場合によってはほとんど現実と同じ話である。
だから、芝居と現実を混同しがちである。
今の国民の多くは政府の芝居を現実と混同して、政府を現実のことをする会社だと誤解している。政府が“偉い者のふりをして国のことをやる芝居”をやっているから、政府が本当に偉い者で本当に国のことをやっていると思っている。政府が本当に偉い者だと思って政府に従っている。
しかし、本当は政府は芝居をする会社である。政府は芝居をやっているのである。政府は芝居の上で偉い者で国のことをやっているだけであって、現実には政府は国民と平等であって国のことをやっていないのである。現実には国民は政府に従わなくていいし、政府は役立たずなのである。
みんなは芝居と現実を区別して、芝居を現実と混同してはいけない。政府は芝居をやる会社であって、現実のことをやる会社ではない。今は現実の時代でみんなは現実で幸福に生きているし、政府は面白くない芝居ばっかりやっているから、今の国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20191] 今の国民は現実で幸福だから政府の“国民を幸福にする芝居”は要らない。
h26.2.20
政府は偉い者の芝居をする団体である。偉い者は国民を幸福にする。だから、政府は“偉い者のふりをして国民を幸福にする芝居”をやる劇団である。
政府に面白い芝居をやって国民からお金をもらう。
昔は国民が現実に幸福ではなかったから、昔の政府がちょっと“国民を幸福にする芝居”をやっただけで国民に大ウケしたから、昔の政府は国民からたくさんお金をもらって儲[もう]かっていた。
しかし、今では国民が現実に幸福になっていて、今の政府がちょっと“国民を幸福にする芝居”をやっただけでは国民が喜ばなくなって、政府は反対に“国民を不幸にする芝居”ばかりやって国民に総スカンを食っているから、今の政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
政府はもともと“国民を幸福にする芝居”をやる会社である。しかし、今では国民が現実に幸福になっているから、政府がわざわざ芝居で国民を幸福にする必要がない。今の国民にとっては政府の“国民を幸福にする芝居”は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府に国民を幸福にする芝居をさせないようにして政府を潰せばいいのである。
[20192] 今は芝居の時代ではないから政府は潰[つぶ]れるしかない。☆ h26.2.20
政府は“国民を幸福にする芝居”をする会社である。
政府は国民に芝居をやって国民を喜ばせて国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
昔は文明が遅れていて、昔の国民は現実に幸福ではなかったから、政府の芝居をすごく喜んで政府にたくさんお金を払っていたから政府は儲かっていた。
今は文明が進んで、今の国民は現実に幸福だから、政府の芝居がつまらなくなって政府にお金をやらなくなって政府が儲からなくなっている。
そのため、今の政府は芝居のやり方を変えて“国民を不幸にする芝居”をやっている。そのために、ますます政府は国民から嫌われて国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今は現実の時代であって芝居の時代ではない。国民みんなは芝居で幸福になるよりも現実で幸福になるようにしている。今の国民には芝居はウケない。政府がどんな芝居をやっても政府は儲からない。政府は潰れてなくなるしかない。
今では国民がリッチになって現実に幸福になって芝居で喜ばなくなっている。そのために、アニメやドラマなどのテレビ番組や映画やゲームなどが儲からなくなっている。人間は現実で幸せなのが一番いい。今の人間には芝居はもはや要らないのだ。
[20193] 今の国民が現実で喜ぶようになったために政府が潰[つぶ]れている。☆
h26.2.20
政府は“偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居”をする会社である。
政府は国民に芝居を見せて国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
昔は文明が遅れていて、みんなが現実よりも芝居で喜んでいた。そのために、みんなは政府の芝居を見て喜んで政府にたくさんお金をやって政府が儲かっていた。
今は文明が進んで、みんなが芝居よりも現実で喜んでいる。そのために、みんなは政府の芝居を見ても喜ばなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰れている。
今ではみんなが芝居よりも現実のほうが好きである。だから、今ではアニメやゲームや映画などの芝居をする会社が全部滅んでいるのだ。
現実の国を善くするのは芝居ではなく科学である。芝居をする会社にできるのは、みんなに芝居でみんなを幸せにしていると思わせてみんなの気持ちを幸せにすることだけだ。芝居をする会社がいくらがんばっても現実の国をよくすることはできない。人間は芝居では偽[いつわ]りの幸せしか手に入らない。人間は現実において本当に幸せになれる。これからの人は芝居の喜びを捨てて、現実の喜びだけで生きていかねばならない。現実の中で自分が幸福になれるように科学を勉強しなければならない。人間は芝居では本当に幸せにはなれない。芝居では顔で笑って心で泣くことしかできない。芝居ではニセモノの喜びしか手に入らない。だから、人間は芝居の喜びを捨てて、がんばって現実の喜びで生きていかねばならない。
[20194] 今の人は現実で幸福に生きられるから政府が要らない。☆ h26.2.21
政府は“偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居”をやる会社である。
政府は国民に芝居を見せて国民を喜ばせて国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
昔は文明が遅れていたので、昔の人は現実よりも芝居でニセモノの幸福を得ていた。昔の人は政府の“国民を幸せにする芝居”を見て「自分は政府に幸せにしてもらっている」と思って幸せになってお礼に政府に芝居代を払っていた。政府の芝居の世界では「政府が偉い者で国民よりも身分が高くて国民が政府に税金を払わねばならず、政府が国民みんなを正しく指導して国民みんなを幸せにしてくれる」ことになっていた。「国民みんなが政府に幸せにしてもらえる」ことになっていた。政府は役所や警察や水道やゴミや学校などの事業を現実にやることによって、みんなに政府の芝居の世界が現実の世界であるかのように思わせていた。昔の人は空想の世界で自分が政府に幸せにしてもらって喜んでいた。
今は文明が進んでいるので、今の人は芝居よりも現実で本物の幸福を得ている。今の人は政府の芝居を見なくなって政府に幸せにしてもらわなくなって政府にお金を払わなくなっている。現実の世界では『政府と国民は平等であり国民は政府の法律や命令を守らなくてもよく国民が政府に税金を払う必要はなく、政府が国民を正しく指導せず国民を幸福にしていない。』今の人は政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を捨てている。
今の人は政府のつまらない芝居を見て頭の中だけで幸福になるよりも、現実の中で実際に自分がやりたいことをやって幸福に暮らさねばならない。今の国民は空想の世界で政府に自分を幸せにしてもらうよりも、現実の世界で自分で自分を幸福にしないといけない。政府は空想の世界で芝居の上で国民を幸せにしてくれるだけで、現実の世界では何もしてくれない。国民は政府に甘えずに、自分の世話は自分でしないといけない。
人間は政治団体の世界でも宗教団体の世界でも暴力団の世界でもマンガの世界でも映画の世界でもゲームの世界でも幸福に生きられない。人間は現実の世界において本当に幸福になれる。だから、人間はがんばって現実の世界で幸福に生きねばならないのである。
文明が進めば進むほど人間は現実的になる。文明が遅れれば遅れるほど人間は空想的になる。昔の人はおとぎ話の中でしか幸福になれなかった。今の人は現実の中で実際にいろんなことをやって幸福になっている。昔の人は芝居の中でしか幸福になれなかったが、今の人は現実の中で幸福になっている。昔の人は偽[いつわ]りの幸福しかなかったが、今の人には本当の幸福がある。昔の人は科学がなかったから現実を支配できず空想の中で幸福になるしかなかったが、今の人は科学によって現実を支配できて現実の中で幸福になれる。今の人は一生懸命に努力して科学を勉強して現実の中で幸福に暮らさねばならない。
[20195] 現実には政府は国民を幸福にしていない。 h26.2.21
政府は国民を幸せにする芝居をやる団体である。
政府は国民に「政府がいろんな政策をやって国民を幸せにする芝居」を見せていた。宗教団体が国民に「神が超能力で国民を幸せにする芝居」を見せていたのと同じである。
昔は文明が遅れていたので、みんなは現実よりも芝居で幸福になっていた。みんなは政府の“国民を幸せにする芝居”を見て空想の世界で「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思ってちょっぴり幸せになって、政府に幸せな気分にさせてもらったお礼に政府に芝居代を払っていた。
今は文明が進んでいるので、みんなは芝居よりも現実で幸福になっている。みんなは現実の世界で『食べたり遊んだり旅行をしたりして自分がやりたいことをやる』ことによって幸福になっている。現実には政府は国民を幸福にする政策をやっていない。現実には神が超能力を使えないのと同じである。今の国民にとっては政府の芝居は要らない。
今の国民は現実に幸福になれるので、もはや政府の芝居を見なくてもいい。政府の嘘[うそ]で幸せにしてもらわなくてもいい。今の国民は政府に芝居代を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れているのである。
昔の人は政府の芝居を見て楽しんでいたから政府に芝居代を払っていた。今の人は政府の芝居を見ず楽しんでいないから政府に芝居代を払わなくていいのだ。
人間は芝居をやったり嘘をついたりして現実に反することができる。昔の人は人間が現実に反することができることを利用して楽しんでいたのである。昔の人は文明が遅れていて現実の中では幸せではなかったから、芝居や嘘によって空想の幸せな世界を作り出してそれを見て楽しんでいたのである。政府は現実の上では国民を幸福にすることができなかったが、芝居の上で国民を幸福にすることをやっていることにしていたのである。国民は政府の芝居を見て「自分が政府に幸せにしてもらっている」と想像して喜んでいたのである。昔の人は政府の芝居が現実ではないと知りながら、芝居を芝居として空想の世界でテキトウに楽しんでいたのである。昔の人は偽[いつわ]りの幸福でしかたなく喜んでいたのである。今の人は文明が発達して現実の中で楽しんでいる。今の人は現実の中で自分がやりたいことをやって喜んでいる。今の人は本当の幸せを手に入れることができたのである。政府は今でも現実に国民を幸福にすることができない。政府は国民を幸福にしている芝居ができるだけである。政府は最初から芝居をする会社だから、芝居をすることしかできないのである。だから、今の国民は政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰しているのである。
昔は文明が遅れていて昔の人は現実には何もできなかったから、昔の人は“政府がいろんなことをやって国民を幸福にしてくれる芝居”を見て喜んで政府にお金を払っていた。政府はドラえもんと同じである。今は文明が進んで今の人は現実に自分で何でもできるから、政府の芝居を見なくてもよくなって政府にお金を払わなくなった。政府は芝居会社だから、現実には何もできない役立たずである。ドラえもんがその名の通りドラ(役立たず)であるのと同じである。政府は芝居で国民の役に立つことをしているふりをして、じつは何もしていない。国民が政府の芝居を本気にするとひどい目にあう。国民は政府の芝居を芝居として見て、本気にしてはいけない。
[20196] 今の国民は政府の芝居が嫌いである。 h26.2.21
政府は“偉い者のふりをして国民を幸せにする芝居”をする団体である。
政府は国民に芝居をして国民を喜ばせて国民からお金をもらう団体である。政府は芝居の上で国民が喜ぶ政策をやって国民を喜ばせて、お礼に国民から芝居代をもらって儲ける団体である。
昔は文明が遅れていたので、昔の人は現実よりも芝居で喜んでいた。昔の人は政府の芝居を嘘[うそ]だと思いながら政府の芝居を芝居として見て楽しんでいた。政府が自分を楽しませてくれたお礼に政府に芝居代を払っていた。
しかし、今は文明が進んだので、今の人は芝居よりも現実で喜んでいる。今の人は現実で喜ぶようになって、政府の芝居がくだらない作り事だと思って政府の芝居が不愉快[ふゆかい]になって政府の芝居を見ないようにしている。政府が自分を不愉快にしたお礼に政府に芝居代を払わなくなっている。
今の政府は国民が芝居を見てくれなくなったのでお金が儲からなくなって潰[つぶ]れている。
今は科学の時代である。今ではみんなが現実で喜ぶようになっている。今ではみんなが芝居を嫌がっている。今では誰も芝居を喜ばない。政府が潰れるのは当然だ。
[20197] 政府は面白い世界を作って儲[もう]ける団体である。☆ h26.2.21
現実の世界では『人間はみな平等である。政府と国民は平等である。』
しかし、政府が芝居で「政府が国民よりも上の者である世界」を作り出して、その中で政府が国民よりも上の者をやるのはかまわない。
政府の芝居の世界では、「政府が国民よりも上の者であって、政府が国民に命令して国民から税金を取って国民を幸せにすることをやっている」ことになっている。
政治団体は自分で“面白い世界”を考え出して、その中に国民を入れて儲[もう]ける団体である。政治団体の作った世界が国民の人気が出れば、多くの国民が政治団体の世界に入って政治団体が儲かる。
昔は文明が遅れていて、昔の人は現実の世界では幸せではなかった。そのために、昔の人の多くは政府の芝居の世界に入って楽しく暮らしていた。昔の人は政府の“国民を幸せにする芝居”を見て想像で「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思って幸せに暮らしていた。
しかし、今は文明が進んで、今の人は現実の世界で幸せになっている。そのために、今の人は政府の芝居の世界がつまらなくなって政府の芝居の世界から外に出て現実の世界の中で楽しく暮らしている。今の人は『政府が本当は国民を幸せにしていない』と考えて『政府に頼らず自分で自分を幸せにしなければならない』と思っている。
今の人は『政府の芝居の世界では自分が本当に幸せにはなれない。現実の世界でなければ自分が本当に幸福にはなれない。』と考えて、政府の芝居の世界から出て現実の世界の中で暮らすようになっている。政府の芝居の世界と現実の世界の間には“見えない扉”がある。今の国民は自分で“見えない扉”を開けて、政府の芝居の世界から現実の世界に出ているのである。
昔は政府の世界が国民の人気があったが、今では政府の世界は国民の人気がない。今では政府の芝居の世界よりも現実の世界のほうが人気がある。今ではみんなが政府の芝居の世界から現実の世界に抜け出している。今では政府の芝居の世界に入っている者がほとんどいなくなって政府は儲からなくなって潰[つぶ]れているのである。
今では文明が発達して、国民が現実の中で自分の好きなことがやれるようになっている。今では文明が発達して、国民が政治団体の世界よりも現実の世界の中のほうが楽しく暮らせるようになっている。だから、今ではみんなが政府の世界から抜けて現実の世界に入って楽しく暮らしているのである。
政府の世界では身分制があるから政府が得で国民は損である。政府の世界の中では政府が国民にテレビや新聞で“政府が国民を幸福にしている嘘[うそ]のつまらない芝居”を見せてくれることだけが国民の楽しみで、それ以外は国民は政府に税金を取られて政府に虐[いじ]められるだけである。政府は国民みんなを幸福にしているふりをして国民からガッポリ税金を取るだけで、実際には国民を幸福にすることは何もやっていない。だから、国民は政府の世界から出たほうが得である。国民みんなでさっさと政府の世界から出て政府を潰せばいいのである。
今の国民は現実主義者だから、政治団体の世界はもっと現実的でなければならない。現実の世界には身分制がないから、政治団体の世界にも身分制があってはならない。しかし、政府の世界には身分制がある。政府の世界は古すぎる。だから、国民みんなは政府の世界から現実の世界に抜け出したほうがいいのである。
とにかく今は物が豊かである。昔は物がなかったから、みんなが芝居で喜ぶしかなかったから、芝居の面白い政治団体の世界にみんなが入って政治団体が儲かっていた。みんなが芝居を見るのが目当てで政治団体の世界に入っていた。政治団体の政策よりも政治家の演技を見て喜んでいた。みんなにとっては政治団体が自分にやってくれることなんかどうでもよく、ただ政治家自身を見て面白がっていただけなのである。政治団体自体がやっていることを見て喜んでいたのである。テレビや新聞で芸能人がやっていることをみんなが見て面白がっているのと同じである。みんなが政治家と一体になって政治家が自分だと思って政治家のすることを見て自分も政治家と同じことをやっていると思って喜んでいたのである。昔の人は今の人とは物の見方が違うから、昔の人はそういう見方で政治団体を見て楽しんでいたのである。しかし、今は物が豊かだから、みんなが現実で喜ぶことができるから芝居なんか面白くないから、政治団体の世界からみんなが出て政治団体が潰れている。政治団体の取り柄[とりえ]は芝居だけだから、今のみんなは芝居が好きではないから、政治団体の人気がなくて政治団体が潰れているのである。
[20198] どうして今でも芝居をする団体が儲[もう]かるのか? h26.2.22
宗教団体や暴力団は芝居をする団体である。
今ではテレビでたくさん芝居をしているのに、今でも芝居をする団体が儲かるのは“楽しい雰囲気”で客を集めて儲けているからである。
テレビでは画像と音声しか伝わらない。テレビで受けるのは見た目と声がいい人だけである。
しかし、この世には画像と音声だけでは伝わらない物がある。“楽しい雰囲気”がある。テレパシーで“楽しい雰囲気”を伝えることができる。“楽しい雰囲気”こそが芸道の奥義である。
芝居をする団体はテレパシーで“楽しい雰囲気”を観客に与えることによって観客を楽しませているのである。
観客は芝居をする団体に直接“楽しい気分”を与えてもらうために芝居をする団体に会いに行ってお金を払っているのである。麻薬をもらいに行くのと同じことである。
だから、今でも芝居をする団体が儲かっているのである。
[20199] やっぱり政府は芝居をする団体である。 h26.2.22
政府は“偉い者のふりをして国民を幸福にする芝居”をする団体である。
政府はテレビや新聞で国民を幸福にする芝居をやっている。国民は政府の芝居を見て「自分が政府に幸せにしてもらっている」と思って幸せになっている。現実には政府は国民に何もしていない。つまり、政府は口先で「国民を幸せにする」と言って国民を喜ばせているだけである。政府の芝居が上手[うま]ければけっこうそれで国民が喜ぶのである。
昔は文明が遅れていて、昔の人は現実よりも芝居で喜んでいたから、昔の人は政府の芝居を見て幸せになって政府にお金を払っていた。昔の人は本当は自分で自分を幸せにしていただけだったのに、自分が政府に幸せにしてもらっていると思って喜んでいたのである。
しかし、今は文明が進んで、今の人は芝居よりも現実で喜ぶから、今の人は政府の芝居を見ても面白くなくなって政府にお金を払わなくなったのである。
みんなも本物の喜びがわかるから、芝居を捨てて現実に走ったのだ。
今の人は現実で喜んでいるから、芝居が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのだ。
[20200] 現実で不幸な者は宗教団体や政府にすがる。 h26.2.22
今では文明が進んで、みんなが現実の中で幸福に暮らしている。
しかし、それでも少しは不幸な者がいる。
不幸な者は宗教団体にすがりに行く。不幸な者は宗教団体の不思議な力を当てにして宗教団体の世話になる。
宗教団体は“わけがわからないこと”をやって役に立つふりをしてお礼に高いお金をもらう。
そうやって宗教団体は儲[もう]けているのである。
それと同じように、昔は文明が遅れていて、みんなが現実の中で不幸だった。
だから、みんなが宗教団体や政府にすがっていたのである。みんなは宗教団体や政府の超自然的な力を当てにして宗教団体や政府の世話になっていたのである。
宗教団体や政府は“わけがわからないこと”をやってみんなの役に立つふりをしてお礼に高いお金をもらっていたのである。
今では現実に幸福な者は宗教団体や政府の世話になっていない。
しかし、今でも現実に不幸な者は政府や宗教団体の超自然的な力を当てにして政府や宗教団体にすがって政府や宗教団体に“わけがわからないこと”をやってもらってお礼に高いお金を払っている。
政府がテレビや新聞でやっているのは“わけがわからないこと”である。そんなこと効くわけがない。子供だましである。だから、現実に幸福に暮らしている者も不幸に暮らしている者も政府の世話にならず政府にお金を払わなければいいのである。
現実で不幸な者はもともと馬鹿だから現実で不幸になるのである。馬鹿だから不合理な力を当てにして政府や宗教団体にすがりたがるのである。反対に、現実で幸福な者はもともと利口だから現実で幸福なのである。利口だから不合理な力を当てにせず政府や宗教団体にすがらないのである。今では多くの人が現実で幸福になっている。だから、今では多くの人が政府や宗教団体にすがっていないはずである。だから、みんなも政府や宗教団体にすがらず政府や宗教団体にお金を払わなければいいのである。