[20001] どうして昔の政府は国家宗教団体のふりをしていたのか? h26.1.26
政府は偉い者をやる会社である。
中世の政府は国家宗教団体のふりをしている偉い者をやる会社だった。
“偉い者に従う喜び”のある国民には政府が偉い者をやる会社に見えるから政府に従う。
“偉い者に従う喜び”のない国民には政府が国家宗教団体に見える。“神に従う喜び”のある国民は“偉い者に従う喜び”がないから政府が国家宗教団体に見えて政府に従う。
政府は国家宗教団体のふりをすることによって、“偉い者に従う喜び”のある国民と“神に従う喜び”のある国民の両方が政府に従うようにして、多くの国民が政府に従うようにして大きい団体になったのである。
しかし、本当は政府は偉い者をやる団体であって、神をやる団体でないから、政府は政府が国家宗教団体だと思っている国民を騙[だま]していたことになる。
それと同じように、今の政府は民主主義の政治機関のふりをしている偉い者をやる会社である。
“偉い者に従う喜び”のある国民には政府が偉い者をやる会社に見えるから政府に従う。
“偉い者に従う喜び”のない国民には政府が民主主義の政治機関に見える。“物を使う喜び”のある国民は“偉い者に従う喜び”がないから政府を民主主義の政治機関だと思って政府に従う。
政府は民主主義の政治機関のふりをすることによって、“偉い者に従う喜び”のある国民と“物を使う喜び”のある国民の両方を政府に従うようにして、多くの国民が政府に従うようにしているのである。
しかし、本当は政府は偉い者をやる団体であって、民主主義の政治機関ではないから、政府は政府を民主主義の政治機関だと思っている国民を騙していることになる。
今では“偉い者に従う喜び”のある国民しか政府に用がない。“物を使う喜び”のある国民は政府には用がない。政府は国民が偉い者だと思って拝[おが]んで幸せになる会社である。国民は政府を拝んで政府に幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払う。“物を使う喜び”のある国民は政府を拝まないから政府にお礼に税金を払わなくていい。“偉い者に従う喜び”のある国民だけが政府を拝んで政府に税金を払えばいい。
[20002] 政府は国民を虐[いじ]めるのが嫌である。 h26.1.27
政府は偉い者をやる会社である。
政府は国民に拝[おが]まれることが仕事である。
国民に拝まれるためには何もしなくていい。じっとしているだけでいい。
だから、政府は原理的には何もしなくていいのである。
大昔の政府は実際に何もしなかったのである。国民から税金をもらうだけだったのである。
ところが、時代が下[くだ]って国民が眼で見えることにこだわるようになってからは、国民が政府に政府が偉い者である証拠を求めるようになったので、政府はわざわざ国民を虐[いじ]めて自分が偉い者であることを示さなければならなくなったのである。国民は政府が国民を虐めるのを見て政府が偉い者であることを納得するようになって政府を拝んで幸せになって、お礼に政府に税金を払うようになったのである。
時代が下ってからは、わざわざ政府は面倒くさいのに国民を虐めなければならなくなった。政府にしてみれば余計な仕事が増えてうんざりだったのである。
政府も本当は何もしたくない。何もせずに国民に拝まれて国民から税金をもらうだけにしたい。ところが、国民が政府が偉い者である証拠を見せろと言ってうるさいから、政府はしかたがなく国民を虐めなければならなくなったのである。
政府が国民を虐めなければ、政府の仕事は国民に拝まれるだけだからすっきりしてかっこいいのに、政府が国民を虐めるために、政府の仕事はゴタゴタして汚くなってドス黒くなってかっこわるくなっているのである。
政府にしてみれば国民に自分が偉い者であることを示すためにわざわざ面倒くさいのに国民を虐めなければならないのは迷惑なことである。国民が眼先にこだわらなければ、政府は国民に拝まれるだけで国民を虐めなくてもよかったのである。そもそも政府に余計なことをやらせた国民が悪いのである。国民は自分が政府に虐められて政府を偉い者だと納得して喜んでいるのである。政府に自分が偉い者である証拠を要求している国民が馬鹿なのである。
政府の仕事は国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにすることである。政府は仕事のために国民を虐めているだけで、けっして愉快魔[ゆかいま]ではないのである。
今でも政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために日々国民を虐めている。しかし、今では国民の多くは“物を使う喜び”を満足して“偉い者に従う喜び”がなくなって政府を民主主義の政治機関だと思って政府に従っているだけである。いまだに“政府に従う喜び”を満足するために政府に従っている者は“物を使う喜び”がないから眼先にこだわりがないはずである。そういう者は政府が偉い者である証拠を見せなくても勝手に政府を偉い者だと思って政府に従うはずである。だから、今の政府は国民を虐める必要がない。
今の政府は国民を虐める必要がない。だから、政府は国民を虐めなければいいのである。今の政府は国民を虐めずに国民を従わせればいいのである。
[20003] 『裏の裏は表』 h26.1.27
政府は偉い者をやる会社である。
中世の政府は国家宗教団体のふりをして自分を「朝廷」と言っていた。
しかし、当時のみんなは“偉い者に従う喜び”があって政府を拝[おが]んでいたので、政府が偉い者をやる会社であることを知っていた。
それなのに、近代の政府は自分を『政府』と言っている。政府は『自分が偉い者をやる会社だ』と言っている。
近代の政府は民主主義の政治機関を建てた。
政府は国民に自分を民主主義の政治機関だと思わせようとして自分を『政府』と言ったのである。
しかし、本当は政府は政府である。つまり、政府は偉い者をやる会社である。政府は民主主義の政治機関のふりをした偉い者をやる会社である。
私が高校生の頃(今から30年ぐらい前)に池田満寿夫[いけだますお]夫妻がオセロゲームの宣伝で『裏の裏は表』と言っていた。つまり、『今の政府はその名の通り政府つまり偉い者をやる会社であって民主主義の政治機関ではない』と言っていたのである。
[20004] どうして政府は国民と契約を取らないのか? h26.1.27
政府が国民に政府が民主主義の政治機関だと思わせるためである。民主主義の政治機関は国民みんなのためにある会社だから、国民みんなが契約を取るのが前提だから、契約を取る必要がないからである。[でも、本当は、たとえ民主主義の政治機関でも、国民と平等だから、国民と契約を取らねばならない。]
しかし、本当は政府は偉い者をやる会社である。政府は宗教団体や暴力団と同様である。
だから、本当は政府は契約制の会社である。国民が政府と契約するかしないかは国民一人一人の自由である。
“偉い者に従う喜び”のある者は政府と契約して政府を拝んで政府に拝み代(税金)を払えばいい。
“物を使う喜び”のある者は“偉い者に従う喜び”がないから政府と契約せず政府に拝まず政府に拝み代を払わなければいい。
[20005] 政府は嘘[うそ]つきである。☆ h26.1.27
政府は偉い者をやる会社である。
政府の仕事は国民に偉い者だと思われて国民に拝まれることである。
それなのに、政府は国民に「政府の仕事は国民みんなの役に立つことをすることだ」と言っている。
政府は国民に自分の仕事内容について嘘をついている。
それでは詐欺[さぎ]である。
国民は政府に騙[だま]されなくていい。
政府の仕事は国民に拝まれることである。今の国民は政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいい。
偉い者は国民を虐[いじ]めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をつく。政府は国民に政府を偉い者だと思わせるためにわざわざ国民を虐めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をついているのである。政府にとっては国民を虐めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をつくことが仕事なのである。
政府は政府を拝む者のために仕事をしているだけである。政府は政府を拝む者以外の者にとっては仕事をしていない。だから、政府を拝まない国民は政府の世話にならなければいいのである。
政府は詐欺会社の見本である。国民は『世の中には嘘をつく会社もあるものだ』と思って、詐欺会社に引っかからないように気をつけねばならない。
偉い者は国民に悪いことばっかりして善いことは何もしない。偉い者は心の世界では善い者だが、現実の世界では悪いことばかりする。国民はとんだ悪者を拝んでいたものだ。偉い者は人間の心の世界の中だけにいるようにして、現実の世界に出てきてはいけない。[人間の心が偉い者の性格を決める。日本人の心とヨーロッパ人の心は違う。日本人の偉い者のイメージとヨーロッパ人の偉い者のイメージは違う。だから、日本政府とヨーロッパ政府ではやることが違うのである。だから、たとえヨーロッパ政府が善い会社であっても、日本政府が悪い会社ということがあるのである。]
偉い者は国民の役に立つことをしない。偉い者があまり国民の役に立つことをすると偉い者ではなくなってしまう。国民の役に立つ者は国民にとって便利な者ではあるが偉い者ではない。政府は偉い者をやる会社である。だから、政府はあまり国民の役に立つことをしないのである。政府は政府を偉い者だと思って拝む者以外の者にとっては役に立たない。今の国民は政府を拝まないから、今の国民にとって政府は役に立たない。今の国民は政府を拝まず政府に拝み代を払わず政府のような役立たずを潰[つぶ]せばいいのである。
政府は偉い者をやる会社である。偉い者は嘘つきである。だから、政府は嘘をつくのである。政府は正直に仕事をやっている。政府は正直だから嘘をつくのである。
[20006] 今では偉い者をやることは仕事ではない。 h26.1.27
政府は偉い者をやる会社である。
政府の仕事は国民を虐[いじ]めて国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにすることである。国民は自分が政府を拝んで政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払うのである。
偉い者をやる仕事は偉い者をやる政府と、政府を偉い者だと思って政府を拝んで幸せになる国民の両方がいてはじめて成り立つ。
今でも政府は偉い者をやっている。政府は毎日一生懸命に国民を虐めて国民に役に立たないことをして国民に嘘[うそ]をついて偉い者をやっている。政府は国民に嘘をついて国家宗教団体や民主主義の政治機関をやっているのである。
しかし、今では国民は物が豊かになって“物を使う喜び”を満足して幸せになって、“偉い者に従う喜び”を失って、いくら政府に虐められても政府を偉い者だと思わず政府を拝んでも幸せにならなくなっている。
今では偉い者をやる仕事は需要がなくなって成り立たなくなっている。
政府は偉い者をやる会社である。しかし、今では国民が偉い者が要らないから、今では偉い者をやることは仕事ではない。国民は政府に拝み代(税金)を払わず政府を倒せばいいのである。
[20007] 今の国民は『政府は偉い者をやる会社である』と考えなければならない。
h26.1.27
政府は偉い者をやる会社である。今の国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がなくなったために政府を民主主義の政治機関だと誤解しているが、政府は本当は偉い者をやる会社である。
政府は国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをしている偉い者をやる会社である。偉い者は嘘[うそ]をつくから、政府は偉い者をやる会社だから、政府は国民に嘘をついて国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをしているのである。
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民を虐[いじ]めたり国民の役に立たないことをやったり国民に嘘[うそ]をついたりして国民に政府を偉い者に思わせて、国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸せにする会社である。国民は政府を偉い者だと思って政府を拝んで政府に幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払うのである。
昔の国民は物がなくて“物を使う喜び”を満足できなくて“偉い者に従う喜び”を満足するために政府を拝んで政府に幸せにしてもらっていたから、お礼に政府に税金を払っていた。
ところが、今の国民は物が豊かになって“物を使う喜び”を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府を拝まなくなって政府に幸せにしてもらっていないから、お礼に政府に税金を払わなければいい。
そのうち、政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。政府はお金がなくなって国家宗教団体や民主主義の政治機関をやれなくなるだろう。
政府は宗教団体や暴力団のように、“偉い者に従う喜び”のある少数の国民から偉い者だと思われて拝まれて、お礼に税金をもらって儲[もう]けるようになるだろう。
[20008] 貴族とは何か? h26.1.27
貴族とは“貴[とうと]い者”である。とにかく貴いことをやっていたら貴族である。
昔の人は“貴い者に従う喜び”があったので、貴い者を拝んで幸せになっていたのである。自分を幸せにしてくれたお礼に貴い者にお金をやっていたのである。
今の人は物を使って自分の心を満足するようになって“貴い者に従う喜び”がなくなったので、貴い者を拝んで幸せになることがなくなって、貴い人がお金をもらえなくなったので、貴族が滅んだのである。
国の文明が進んで、人々の心が変わったために、貴族が滅んでいなくなったのである。
政府や宗教団体や暴力団も貴族と似たようなものである。どうせ貴族の後を追ってなくなるだろう。
[20009] どうして政府は今でも大きいのか?☆ h26.1.27
政府は偉い者をやる会社である。
偉い者は嘘[うそ]をつく。神や善[い]い者は嘘をつかないが、偉い者は嘘をつく。
そのため、政府は国民を騙[だま]して民主主義の政治機関のふりをして国民の役に立つことをやっているふりをして国民の役に立つことをするために税金を取っているふりをして国民から税金を取っている。国民は政府に騙されて政府に税金を払っている。
だから、今でも政府は大きいままなのである。今の政府は嘘をついているから大きいのである。政府が嘘をつかなければ、政府は宗教団体や暴力団と同じ程度の大きさの会社なのである。今では“偉い者に従う喜び”を満足している国民なんかほとんどいないから、政府を拝んで政府に拝み代(税金)を払う国民なんかほとんどいないから、政府は本当は小さい会社なのである。
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者が嘘をつけることを活用して民主主義の政治機関のふりをして国民を騙して国民からお金を取って儲[もう]けているのである。
今の政府は国民に嘘をついて儲けている。国民は政府の嘘に騙されないようにして、政府が本当は偉い者をやる会社だと考えて、今の自分は政府を拝んでいないから政府に拝み代(税金)を払わなくていいと考えて、政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
今の政府は国民に「政府があったほうが国民が儲かる」と嘘をついて国民みんなから税金を取って生き残ろうとしている。国民は政府の嘘は聞き飽きた。政府の嘘はもうたくさんだ。政府は偉い者をやる会社である。政府は国民に拝まれて国民を幸福にするだけである。政府は国民に拝まれるためにあるだけだから、政府は国民をお金持ちにしたりはしない。政府があっても国民は1円も儲からない。政府があるかぎり、政府は国民に自分が偉い者であると思わせるために国民を虐[いじ]めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をつく。政府は国民を不幸にするだけである。だから、国民は早く政府を倒して政府のない国にしなければならない。
[20010] 国民は政府を潰[つぶ]して政府と同じ仕事を別の会社にやってもらえばいい。
h26.1.28
民主主義の政治機関は、国民みんなを幸福にしたり国民みんなの役に立つことをする機関である。国民にとって最高に善[い]い機関である。
一方、政府は偉い者をやる会社である。偉い者は嘘[うそ]をつくので、政府は自分が民主主義の政治機関のふりをしているのである。
政府は自分が民主主義の政治機関のふりをして偉い者をやっているのである。偉い者は国民を虐[いじ]めたり国民の役に立たないことをしたり国民に嘘をついたりするので、政府は口先で「国民みんなを幸福にする」と言いながら、実際には国民みんなを虐めたり国民みんなの役に立たないことをやったり国民に嘘をついたりしているのである。
国民は政府の見かけに騙[だま]されて政府を民主主義の政治機関だと思って「政府を善い人だ」と思って政府に国民みんなを幸福にしてもらうために政府に毎月税金を払っているのである。
しかし、本当は政府は偉い者をやる会社である。政府は国民を虐めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をつくくだらない会社である。この世では偉い者ほどくだらないのである。会社の社長もくだらないのである。政府は国民を不幸にするだけで国民を幸福にしない。国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府を拝んでいないから政府に拝み代(税金)を払う必要はない。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民みんなで早く政府を潰して、別の会社に政府と同じ仕事をやってもらえばいいのである。そうすれば、別の会社は国民の役に立つことをしてくれるから、もっと国民が幸福になるように国民の役に立つように仕事をやってくれるだろう。もっと国民の役に立つ法律会社や学校や経済調節機関になるだろう。国民が今よりももっと豊かに幸福に暮らせるようになるだろう。
たとえ首相を殺しても、政府が政府であるかぎり政府は国民を虐め続ける。なぜなら、国民を虐めて国民に政府を偉い者だと思わせることが政府の仕事だからである。しかも、今の国民には政府を拝む喜びがない。だから、今の国民には政府は要らない。だから、今の国民は政府に拝み代をやらないようにして政府を潰せばいいのである。昔の国民には政府を拝む喜びがあったから政府が必要だった。今の国民には政府を拝む喜びがないから政府は要らない。要らない物はさっさと捨てればいいのである。
[20011] 安藤昌益[あんどうしょうえき]の『自然真営道』[しぜんしんえいどう]
h26.1.28
安藤昌益は江戸中期の思想家である。
安藤昌益は「武士は鋤[すき]や鍬[くわ]を持って百姓といっしょに田んぼで働け」と言った。「そのほうが国が栄える」と言った。
安藤昌益は『どうして国民みんなが幕府に従っているか』がわかっていなかったのである。『理屈では武士が国民と平等に働くのが正しいが、みんながそうしないのはなぜか?』についてまったく考えなかったのである。肝心なことがまったくわかっていなかったのである。
本当は、国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が幸せになるために幕府に従っていたのである。国民にとっては自分が拝む対象である幕府が必要だったから幕府があったのである。幕府は自分が偉い者であることを国民にわからせるために、国民を虐[いじ]めたり国民の役に立たないことをやったり国民に嘘[うそ]をついたりしたのである。国民は自分が幕府を拝んで幕府に自分を幸せにしてもらったお礼に幕府に年貢[ねんぐ]を納めていたのである。
むしろ当時“偉い者に従う喜び”がなかった安藤昌益のほうが異常だったのである。おそらく安藤昌益は医者だったためにお金持ちだったので“物を使う喜び”や“考える喜び”があったために“偉い者に従う喜び”がなかったので、どうして幕府があるかが理解できなかったのだろう。みんなは安藤昌益を“偉い者に従う喜び”のないかわいそうな人だと思って哀[あわ]れんだのだろう。
今の人は“物を使う喜び”や“考える喜び”があって“偉い者に従う喜び”がないから安藤昌益の思想が理解できる。今でも政府が幕府と同じように偉い者をやっている。だから、今の人は政府に拝み代(税金)をやらずに、政府を国民と同じように働かせればいいのである。
[20012] どうして政府は民主主義の政治機関のふりをしているか?☆ h26.1.28
政府は偉い者をやる会社である。
人間の心の中にいる偉い者は国民を虐[いじ]めて国民の役に立たないことをして国民に嘘[うそ]をつく。
だから、政府は国民を虐めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をつく。
政府は偉い者をやる会社だから、国民に嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしている。
政府は民主主義の政治機関のふりをしながら国民を虐めたり国民の役に立たないことをやったり国民に嘘をついたりしている。
今の国民の多くは政府の民主主義の政治機関の芝居に騙[だま]されて政府を民主主義の政治機関だと思って、政府に国民の役に立つことをやってもらうために政府に税金を払っている。
しかし、本当は政府は偉い者をやる会社である。政府は現実の中で偉い者をやることによって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにする。国民は政府を拝んで幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払えばいい。ところが、今の国民は“物を使う喜び”や“考える喜び”があって“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝んでも幸福になれないから、政府を拝まなくなっている。今の国民は政府を拝んで政府に幸せにしてもらっていないからお礼に政府に税金を払わなくていい。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。政府は偉い者だから国民を虐めて国民の役に立たないことをして国民に嘘をつく。政府は国民を不幸にする。だから、国民みんなで早く政府を倒して政府のない社会にしないといけない。
[20013] どうして政府の法律には納税の義務が定められているのか? h26.1.28
政府が嘘[うそ]つきだからである。
政府は偉い者をやる会社である。人の心の中にいる偉い者は嘘つきである。だから、政府は嘘つきである。政府は国民に嘘をついてありもしない納税の義務の法律を定めているのである。国民の多くは政府の納税の義務の嘘の法律に騙[だま]されて政府に税金を払っているのである。
本当は社会には納税の義務の法律はないのである。納税の義務は政府の嘘である。国民は政府の嘘を守らなくていい。国民は納税の義務を守らずに政府に税金を払わなくてもいいのである。
そもそも税金は政府の拝み代である。政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。政府を拝みたい者は政府を拝んで政府に税金を払えばよく、政府を拝みたくない者は政府を拝まず政府に税金を払わなくていい。つまり、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民一人一人の自由である。
今では国民が物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がなくなっていて政府を拝まなくなっているから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20014] 政府はどうして国民を虐[いじ]めるのか? h26.1.28
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる“偉い者”と同じことをやって国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は国民を虐める。国民に命令する。だから、政府は国民に国民を虐める命令を出す。政府は国民に命令して自分が嫌なことをやらせたり他人が嫌なことをやらせたりするのである。
昔は国民みんなが“偉い者に従う喜び”を満足していたから、みんなが政府の命令を喜んで聞いていたから、政府の命令を聞いて自分が嫌なことをやったり他人が嫌なことをやったりして、みんなが政府に虐められてみんなが政府を偉い者だと思って政府を拝んで幸せになっていた。みんなは政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払っていた。
反対に、今は国民みんなが“偉い者に従う喜び”を満足していないから、みんなが政府の命令を聞くのが嫌だから、政府の命令を聞かず自分が嫌なことをやったり他人が嫌なことをやったりせずに、政府に虐められなければいい。今では国民みんなが“偉い者に従う喜び”を満足していないから、政府の命令を聞かなくていい。政府は国民を虐められなくなって、国民に政府を偉い者だと思わせられなくなって、国民が政府を偉い者だと思わなくなって政府を拝まなくなって政府に幸せにしてもらわなくなってお礼に政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
政府は国民みんなの“偉い者に従う喜び”で支えられていた会社である。昔は国民みんなが“偉い者に従う喜び”を満足して生きていた。昔は国民みんなの“偉い者に従う喜び”で世界が出来ていた。政府は国民みんなの“偉い者に従う喜び”を満足するためにあった。しかし、今は国民みんなが物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足して生きていない。今は国民みんなの“偉い者に従う喜び”で世界が出来ていない。そのために、政府が世界の中にいられなくなって政府が滅んでいるのだ。
[20015] 人間は喜びのためなら多少嫌でも我慢[がまん]する。 h26.1.28
マンガは読むだけなら面白くていいが、実際に現実の中でマンガをやったら現実がメチャクチャになってみんなが迷惑するので嫌である。
それと同じように、偉い者はみんなが拝むだけならみんなを幸せにしてくれるからいいが、実際に現実の中で偉い者をやったら偉い者が暴れまわってみんなを不幸にするので嫌である。
政府は偉い者をやる会社である。昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったから、政府が多少国民を虐めても政府を拝んで幸せになっていたから政府が国民を虐めるのを大目に見ていた。しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝んでも幸せにならないから政府があっても無駄[むだ]である。今の国民はもはや政府が国民を虐めるのを大目に見ない。
政府は偉い者をやる会社である。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいい。政府は国民から税金をもらえなくなって滅ぶだろう。
[20016] どうして政府は国民に命令するのか? h26.1.28
政府は偉い者をやる会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は、国民に命令して国民を虐[いじ]めて国民の役に立たないことをして国民に嘘[うそ]をつく。
だから、政府は国民に命令して国民の嫌なことをやらせて国民を虐めたり、国民に命令して国民の役に立たないことをやらせたりするのである。
一方、神や善[い]い者は命令しない。だから、宗教団体や暴力団は国民に命令しないのである。
昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったから、政府の虐めの命令や政府の役に立たない命令を聞いて自分や他人を虐めたり役に立たないことをやったりして喜んでいた。
今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府の虐めの命令や政府の役に立たない命令を聞かなくなって自分や他人を虐めたり役に立たないことをやったりしなくなった。
今の国民が政府の命令を聞かなくなったために、政府が国民に命令したり国民を虐めたり国民の役に立たないことをしたりできなくなっている。今の政府は現実の中で偉い者がやれなくなっている。今の政府は大昔のように心の中に引っ込んで国民に拝まれるだけになっている。しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから政府を拝まなくなっている。今の国民は政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなくなっている。だから、今の政府は滅んでいる。
国民の心にある“偉い者に従う喜び”が政府の権力(命令力)の実体である。ところが、今の国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がないから政府の権力もなくなっている。今の政府は国民に命令できない。今の政府は国民に何も命令できなくなって国民から税金が取れなくなって滅んでいる。
[20017] 今の国民はテレビやゲームをやるために政府を倒している。 h26.1.28
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民に政府が偉い者だと思われることをやって国民に偉い者だと思われて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
政府が儲けを増やすためには、多くの国民に拝まれるようにするしかない。
政府が多くの国民に拝まれるようにするためには、国民が“物を使う喜び”や“考える喜び”を満足できないようにして“偉い者に従う喜び”を満足させるようにすればいい。
そのために、政府は国民みんなに命令を出してテレビやゲームやビデオやパソコンを作らせないようにしたり本やノートを売らないようにして国民みんなが物を使って自分の心を満足したり自分で考えたりできないようにしているのである。
しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないので、もはやそこまで政府の命令を聞く気はない。政府は手遅れである。今の国民は政府の命令を無視して勝手にテレビやゲームやビデオやパソコンで遊んでいる。ついでに本を読んだり自分で考えたことをノートに書いたりして遊んでいる。
今の国民にとっては“物を使う喜び”や“考える喜び”のほうが“偉い者に従う喜び”よりもずっと大きいので、いまさら“偉い者に従う喜び”なんかに戻れない。今の国民にとってはテレビやゲームのほうが政府よりもずっと大事である。今の国民は政府を倒してでもテレビやゲームをやる。今の国民はテレビやゲームのほうが政府よりも大事だと考えて、テレビやゲームを守るために政府を倒している。
[20018] 今の国民は自分の無知のせいで政府を誤解している。 h26.1.28
政府は偉い者をやる会社である。
偉い者は嘘[うそ]をつく。だから、政府は嘘をついて民主主義の政治機関をやっている。
国民の多くは政府の嘘に騙[だま]されて政府を民主主義の政治機関だと思って政府に従っている。政府が国民みんなの役に立つことをしていると思って、政府の命令を聞いたり政府に税金を払ったりしている。
しかし、政府は本当は偉い者をやる会社である。国民が自分が無知なせいで勝手に政府を誤解しているだけである。国民が悪い。
国民はいくら自分が学校で政府が偉い者をやる会社だと習わないからといって、政府を誤解してはいけない。国民は自分で政府について考えて政府を正しく理解しないといけない。政府はちゃんと偉い者をやっている。偉い者は嘘をつくから、政府は国民にちゃんと嘘をついて国民に政府が民主主義の政治機関だと思わせて国民を騙している。政府がちゃんと偉い者をやっているのなら、国民も政府に負けないようにちゃんと政府を理解しないといけない。
政府は偉い者をやる会社である。国民が政府を拝みたければ、政府を拝んで政府に拝み代(税金)を払えばいいだけである。しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝みたくないから政府を拝まず政府に拝み代を払わなくていい。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20019] オウム真理教地下鉄サリン事件はどうして起きたのか? h26.1.29
オウム真理教は政府が建てた宗教団体である。オウム真理教の麻原彰晃[あさはらしょうこう]教祖は私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生の川田紀生[かわだのりお]君に似ている。上祐[じょうゆう]幹部は私が中学1年生のときに塾で英語を教わった河野[かわの]先生に似ている。その他の幹部も私が中学1年生のときの中学校の同級生に似ている。麻原彰晃教祖の名前の麻原の麻←アサ←カブ(ア≒カ、サ≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、原←ハラ←川フ(“ラ”の上横線を“ハ”に移す)←川ブ←私で、彰晃の彰←光り輝く←光る玉←神武天皇、晃←光り輝く←光る玉←神武天皇だから、麻原彰晃教祖は私と神武天皇の両方である。オウム真理教のオウムはオウム←オーム←Ω←O(Ω≒O)←光る玉←神武天皇であり、オーム←ギリシア文字の最後の文字←アルファベットの最後の文字Z←ゼット←セト←カブ(セ≒カ(“セ”を左対角線を軸にして線対称に移すと“カ”になる)、ト≒ブ(“ト”を右回りに90度回転させると“ブ”になる))←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。つまり、オウム真理教とは神武天皇と私を真理(神)とする宗教のことである。
地下鉄サリン事件は政府がオウム真理教に命令して起こした事件である。事件の少し前に私は九州大学教養学部で講義を受けるために地下鉄で箱崎から大濠公園まで週に1回通っていた。サリンは、サリン←ンリサ←川ブ(ンリ≒川、サ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。
政府は宗教団体に対する攻撃のために地下鉄サリン事件を起こしたのである。
昔から政府と宗教団体と暴力団はライバルなので、政府はときどき宗教団体や暴力団を攻撃するのである。政府と宗教団体と暴力団は同じ拝む団体であるために客の取り合いになるので、政府は宗教団体や暴力団の評判を落とすことによって宗教団体や暴力団に従う人を減らしてそのぶん政府に従うようにさせているのである。
神は国民を虐めたりはしない。しかし、偉い者は国民を虐める。だから、宗教団体は人殺しをしないが、政府は人殺しをする。政府は自分で宗教団体を建てて宗教団体に命令して人殺しをさせることによって、国民みんなに宗教団体が人殺しをしたように見せかけたのである。同じように、政府はときどき変な事件を起こして暴力団が悪いことをやっているように見せかけている。政府は国民みんなに宗教団体や暴力団が悪いことをやる団体だと思わせることによって、政府も悪いことをやる団体だと思わせて政府の正体(つまり政府が偉い者をやる団体であること)を隠しているのである。今の政府にとっては国民に政府の正体(つまり政府が偉い者をやる団体であること)を知られることが最大の弱点なので、政府はいろんな手を使って国民に政府の正体がわからないようにして政府の正体を隠しているのである。
政府は自分が悪いことをやっておいて宗教団体や暴力団のせいにしている。政府は汚いやり方である。政府は偉い者をやる会社である。偉い者は汚いやり方を使うから、政府は汚いやり方をするのである。一方、宗教団体や暴力団は神や善い者だから、神や善い者は汚いやり方を使わないから、宗教団体や暴力団は汚いやり方をしないのである。
偉い者は神や善い者に比べてガラが悪い。物騒[ぶっそう]である。政府は宗教団体や暴力団に比べて悪いことをする。そのくせ政府も宗教団体も暴力団も同じ拝まれることでしか役に立たない。今では国民みんなが他人を拝む喜びがなくなっているから、国民みんなにとっては政府も宗教団体も暴力団も要らない。政府は偉い者をやる団体である。国民は政府を拝んで幸せになったお礼に政府に拝み代(税金)を払う。政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府を拝まないようにして政府に拝み代(税金)を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
[20020] 政府の弱点☆ h26.1.29
今の政府の弱点は国民に『政府が偉い者をやる会社である』ことを知られることである。
国民に政府が偉い者をやる会社であることを知られたら、政府が民主主義の政治機関でないことがわかって、政府が国民みんなの役に立つことをやっていないことがわかって、政府が国民に拝まれる会社であることがわかって、税金が国民の政府に対する拝み代であることがわかって、国民が政府を拝まなければ政府に税金を払わなくていいことがわかって政府が潰[つぶ]れるからである。
そのために、今の政府はいろんな手段を使って国民に『政府が偉い者をやる会社である』ことがわからないようにしている。例えば、今の政府はアニメやドラマで国民みんなに「政府が悪いことをする団体だ」と思わせて『政府が偉い者をやる団体である』ことをわからないようにしている。
しかし、今では多くの国民に『政府が偉い者をやる会社である』ことが知られている。国民が宗教団体をもとにして政府を理解すれば、『政府が偉い者をやる会社である』ことが容易にわかる。[マルチン=ルターの宗教改革も参考になる。つまり、ヨーロッパの教会も政府と同じように神が心の世界から現実の中に出てきたために悪いことをしてみんなを不幸にしていた。教会がみんなに自分が神であることをわからせるために神の真似[まね]をしていたので、みんながひどい目にあっていたのである。日本の神は悪いことをしないが、ヨーロッパの神は悪いことをするのである。日本の偉い者が悪いことをするのに、ヨーロッパの偉い者が悪いことをしないのと反対である。ルターは教会の悪行[あくぎょう]を見かねて、「神は心の世界に帰れ」と言ったのである。宗教団体は国民が拝むだけにすべきだとしたのである。]
今では多くの国民が『政府が偉い者をやる会社である』と考えて、政府に拝まないようにして政府に拝み代(つまり税金)を払わないようにしている。そのうち、政府は国民みんなからお金がもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20021] 政府は民主主義の政治機関ではない。 h26.1.29
政府は本当は偉い者をやる会社である。偉い者は嘘[うそ]つきだから、政府は嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしているのである。
政府は自分が民主主義の政治機関のふりをして国民を騙[だま]して国民から税金を取って儲[もう]けているのである。政府は自分が嘘をつけることを活かして国民みんなに「政府は国民みんなの役に立つことをしている」と言って国民みんなを騙して国民みんなからお金を取って儲けているのである。
政府は本当は民主主義の政治機関ではないから、政府は国民みんなの役に立つことをしないから、国民がいくら政府にお金をやっても無駄[むだ]である。政府は本当は偉い者をやる会社であって国民に拝まれて国民を幸せにするだけだから、政府は拝まれる以外のことはしないから、国民がいくら政府にたくさんお金をやっても何にもならない。
税金は本当は政府の拝み代であり、今の国民は政府を拝んでいないから政府に拝み代を払わなくていい。今の国民は政府を拝んで幸せになっていないから、今の国民にとっては政府は要らない。
国民みんなは政府に税金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
政府は人の心の中にいる偉い者が現実の世界に出てきたものである。人の心の中にいる偉い者が現実の世界に出てきていろんな悪いことをやっている。偉い者が国民みんなを馬鹿にして国民みんなに嘘をついて儲けている。偉い者は心の世界に帰れ!今の国民には偉い者を拝む喜びがないから、偉い者は要らない。今の国民は政府に拝み代をやらずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
偉い者を拝むことは昔の人が考えた遊びである。昔の人は“偉い者に従う喜び”があったから、政府が偉い者の真似[まね]をしているのを見て、政府を拝んで幸せになっていたのである。税金は政府を拝む遊びの代金である。偉い者を拝む遊びがだんだんエスカレートしていって政府が悪いことをやるようになってしまったのである。政府が民主主義の政治機関のふりをして国民みんなを騙して税金を取るようになったのである。国民が偉い者を拝む遊びにハマってしまって、政府を本当に偉い者だと思って政府に従うようになったのである。今ではみんなは物が豊かになってもっと面白い遊びがいっぱいあるから、偉い者を拝んでも面白くないから偉い者を拝むのをやめればいい。今の国民は偉い者を拝むよりも、もっと別のことをして遊べばいい。例えば、酒を飲んで美味[おい]しい物を食べて遊べばいい。今の国民は政府に遊び代(拝み代)を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。
[20022] 今の政府は国民に嘘[うそ]をついて儲[もう]けている。 h26.1.29
政府は偉い者をやる会社である。
昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったから政府を拝んで政府に拝み代を払っていたので、政府は儲かっていた。
しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まなくなって政府に拝み代を払わなくなったので、政府は儲からなくなった。
そのため、今の政府は偉い者が嘘をつくことを活かして国民みんなに嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしている。今の政府は国民みんなの役に立つことをしているふりをしている。今の政府は国民みんなの役に立つことをするために国民から税金を取っているふりをしている。
今の国民は政府の嘘に騙[だま]されて、政府を民主主義の政治機関だと思って、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしている。
しかし、本当は政府は偉い者をやる会社である。政府は国民を虐[いじ]めたり国民に嘘をついたりして国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲ける会社である。国民は政府の民主主義の政治機関の嘘に騙されなくていいのである。今の国民は政府を拝まないから政府に拝み代を払わなければいいのである。
政府は国民みんなから税金がもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20023] どうして今の政府は民主主義の政治機関をやっているのか?☆ h26.1.29
今の政府が民主主義の政治機関をやっているのは、政府が偉い者だからである。
偉い者は嘘[うそ]つきだから、政府は国民に嘘をついて自分が民主主義の政治機関のふりをしているのである。
政府は本当は偉い者をやる会社である。今の政府は『欽[きん]ちゃんの全日本仮装大賞』のように仮装をして民主主義の政治機関をやっているのである。
政府は人の心の中にいる偉い者と同じことをして国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。人の心の中にいる偉い者は人を虐[いじ]めたり人に嘘をついたりするから、政府も国民を虐めたり国民に嘘をついたりするのである。政府は国民に嘘をつくためにわざわざ仮装をして国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをしているのである。政府は国民を虐めるためにイカサマの国家宗教や民主主義で国民の嫌なことをやるのである。
しかし、今の国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がない。国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。
政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20024] 政府は心で泣きながら国民を虐[いじ]めている。☆☆ h26.1.29
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる偉い者と同じことをして国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる偉い者は人を虐めて人に嘘[うそ]をついて人の役に立たないことをするから、政府は国民を虐めて国民に嘘をついて国民に役に立たないことをしなければならないのである。政府にとっては国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをすることが仕事なのである。政府は偉い者をやることが仕事だから、たとえ自分が嫌でも無理やり国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをしなければならないのである。政府は自分がどんなに国民にけなされても自分の仕事のために国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをやらねばならないのである。政府は国民に政府を偉い者だと思わせて国民に拝まれて国民を幸せにするために、心で泣きながら国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをしているのである。だから、『男はつらいよ』と言うのである。普通の人間には心があるからそんなことはできない。東大生は心がないからそんなことができる。だから、政府は東大出が多いのである。
昔の国民は“物を使う喜び”がなく“偉い者に従う喜び”があったので、政府を拝んで政府に拝み代を払っていた。
今の国民は“物を使う喜び”があって“偉い者に従う喜び”がないので、政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。
それなのに、今の国民が政府に税金を払っているために、政府はてっきり「今の国民が“偉い者に従う喜び”がある」と思って偉い者をやって国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをやっている。しかし、本当は今の国民には“偉い者に従う喜び”がない。だから、今の国民は正直に政府に税金を払わなければいいのである。そうすれば、政府は『今の国民には“偉い者に従う喜び”がない』と思って自分が偉い者をやるのをやめるだろう。政府は『自分が国民にとって必要でない』と考えて自[みずか]ら消えてなくなるだろう。
国民が政府に税金を払うから政府が残る。国民が政府に税金を払わなければ政府が滅ぶ。政府が残るか滅ぶかは国民が決めることである。今の国民が政府のことが正しく理解できず政府を誤解しているために、今でも政府が残っているのである。国民は早く政府を正しく理解して、自分に“偉い者に従う喜び”がないから政府に税金を払うのをやめて政府を潰さなければならない。
人間は頭で考えるから正しいことがわかる。人間が頭で考えなければ正しいことがわからない。今の国民の多くはテレビやゲームで遊んでばかりいて、眼で見るばっかりで頭で考えないから政府のことがわからないのである。今の国民は眼で見ることよりも頭で考えることを大事にしないといけない。
[20025] 消費者保護法とは何か? h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。
偉い者は人を虐[いじ]めるから、政府は国民を虐めることが仕事である。
だから、政府は国民を虐めるために消費者保護法を定めたのである。消費者保護法のおかげで国民は以前よりも不味[まず]い物(例えば、保存剤漬[づ]けの鮭[さけ]の切り身やモヤシ)を食べねばならなくなったのである。国民は以前よりも不愉快[ふゆかい]な生活をしなければならなくなったのである。偉い者は嘘[うそ]をつくから、政府は嘘をつくことが仕事だから、政府は消費者を保護すると言いながらじつは消費者を攻撃しているのである。
政府は偉い者をやる会社だから、政府は国民を不幸にするのである。政府は国民に拝まれて国民を幸せにすることだけが取り柄[とりえ]で、それ以外はことごとく国民を不幸にするのである。
今の国民は政府を拝む喜びがないから、今の国民にとっては政府には何の取り柄もない。政府は今の国民を不幸にするだけである。今の国民は政府に拝み代(税金)を払わないようにしてさっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府は偉い者をやる会社である。政府は法律会社ではない。政府の法律は国民を虐めるためにある。国民を不幸にするためにある。政府の法律は法律ではない。政府の法律は嘘の法律である。だから、国民は政府の法律を守らなければいいのである。
早く国民みんなで偉い者をやる会社である政府を倒して、ちゃんとした法律会社を建てねばならない。国民みんなを不幸にする法律を定める政府を倒して、国民みんなを幸福にする法律を定める法律会社を建てねばならない。
[20026] 知らぬが損。 h26.1.30
今の国民の多くが『政府が偉い者をやる会社である』ことを知らないために、社会科の教科書を鵜呑[うの]みにして「政府が民主主義の政治機関だ」と思って政府に毎月高い税金を払っている。
本当は、政府が民主主義の政治機関であるのは政府の嘘[うそ]である。政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は偉い者をやる会社だから、人の心の中にいる偉い者は人の役に立たないから、政府は国民の役に立たない。政府は国民の役に立たないことをすることが仕事である。政府は国民に拝まれる以外には国民の役に立たない。国民の多くは政府に無駄[むだ]なお金をやっているだけである。国民の多くは政府に毎月お金を捨てているのである。
国民の多くが知識を馬鹿にして人間が考えることを軽蔑[けいべつ]しているために大損をしているのである。
今では“偉い者に従う喜び”のある国民が政府を拝んで幸せになってお礼に政府に税金を払えばいいだけである。それ以外の国民は政府に税金を払わなくていいのである。
国民が正しい知識を持っていれば、無駄なことをせずにすむのである。人間にとっては知識は大事である。自分の頭で考えることが大事である。
[20027] 政府は国民に拝まれて国民を幸せにするために偉い者をやっている。☆☆
h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる偉い者と同じことをして国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。人の心の中にいる偉い者と同じことをやって国民に拝まれることが政府の仕事である。
人の心の中にいる偉い者は人に命令して人を虐[いじ]めて人に嘘[うそ]をついて人の役に立たないことをする。
だから、政府も国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのである。
昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったから、政府が国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのを見て政府を偉い者だと思って政府を拝んで幸せになってお礼に政府に拝み代を払っていたのである。
しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府が国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのを見ても政府を偉い者だと思わず政府を拝まずお礼に政府に拝み代を払わなければいいのである。
政府は国民が拝んで幸せになる会社である。政府は国民に拝まれて国民を幸せにするために一生懸命に人の心の中にいる偉い者を真似[まね]ている。だから、政府は国民に命令したり国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをしたりするのである。しかし、今の国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がないから、もはや政府を拝んでも幸せになれない。だから、今の国民は政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。政府が国民みんなに「税金を払わない者は刑務所に入れるぞ!」と言っているのは嘘である。政府は偉い者をやらなければならないから国民に嘘をつかねばならないのである。政府は偉い者だから嘘をついているのである。国民は政府の言うことを真[ま]に受けないようにして、とにかく自分が偉い者を拝む喜びがなければ政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。
政府は自分が偉い者をやるために国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをしているのである。国民は政府のすることを見て「政府が偉い者だ」と思って政府を拝めばいいだけである。国民は政府の命令を本気にして政府の命令を聞いたりしなくていいのである。今の国民は政府の虐めの命令を真に受けて聞いているから世の中に幸福がなくなって世の中が不幸になっているのである。国民は政府の命令を聞くのをやめて政府のやっていることをただ見るだけにすればいいのである。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。
[20028] 国民は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けてはいけない。 h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる“偉い者”と同じことをして国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は人に命令して人を虐[いじ]めて人に嘘[うそ]をついて人の役に立たないことをする。
だから、政府は国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのである。
政府は国民に「政府が偉い者だ」と思わせるために国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのである。国民は政府がやっていることを見て「政府が偉い者だ」と思って政府を拝めばいいだけである。
だから、国民は政府の命令を真[ま]に受けて政府の命令を聞かなくてもいいのである。国民は政府の嘘を真に受けて本当にやらなくてもいいのである。
今の政府は国民に嘘をついて民主主義の政治機関のふりをしている。今の政府は嘘の法律を定めている。だから、今の国民は政府を民主主義の政治機関と思わなくていいのである。今の国民は政府の法律を守らなくていいのである。
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に拝まれることが仕事である。国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。
今の国民は物が豊かで物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝んでも幸せにならないから、政府を拝まなければいいのである。
だから、今の国民は政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。
人の心の中にいる“偉い者”は他人が自分に従わないのを許さない。だから、政府は自分の命令に従わない国民を罰する。しかし、それは政府のわがままである。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、いくら政府が偉い者の芝居をしても、政府を偉い者だと思わず政府の命令を聞かず政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいい。今の国民はたとえ自分が政府に罰せられても、とにかく政府の命令を聞かず政府に拝み代(税金)を払わなければいい。国民みんなのほうが政府よりも大軍だから、国民みんなが政府に勝てるだろう。国民みんなでさっさと政府を潰して政府をなくしてしまって、政府が国民を罰せられないようにすればいいのである。
いくら国民が政府に罰せられるのが怖いからといって、いちいち政府の命令に従って政府の偉い者の芝居に付き合ってやるのも面倒くさい。今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、そこまでやらなくていい。今の国民は政府が命令を出すのを見るだけにして、政府の命令に従わないようにして、政府を拝まず政府に拝み代を払わず政府を倒せばいいのである。
[20029] 国民が福祉会社を建てればいい。 h26.1.30
政府は嘘[うそ]つきだから、政府は国民の役に立たないから、政府は国民に「福祉をやっている」と言うだけで、実際にはやっていない。ヨーロッパの偉い者は弱い者に優しいからヨーロッパの政府は福祉をするが、日本の偉い者は弱い者に優しくないから日本政府は福祉をやらないのである。
だから、国民が政府とは別に福祉会社を建てたほうがいい。そのほうが多くのお金が福祉事業に使えるだろう。
福祉会社の入り口に『社員の給料は全員ひと月20万円。手当・昇給・賞与なし。それ以上の寄付金はすべて社会福祉のために使う。』とデカデカと書いて、それを守ればいい。
そうすれば、みんなから寄付金が十分集まって福祉ができるだろう。
福祉はお金ではない。身体障害者を受け入れる社会体制こそが福祉だ。福祉とは身体障害者を普通の人と平等だと考える国民みんなの考え方だ。
そもそも政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に拝まれることが仕事である。政府は国家事業をやることが仕事ではない。だから、国家事業をやるためには国民は政府とは別に会社を建てたほうがいいのである。
[20030] どうして公務員は待遇がいいのか? h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は待遇がいい。人並み以上のいい暮らしをしているのが“偉い者”のイメージである。だから、政府は待遇がいいのである。政府は自分の待遇をよくするために国民から高い拝み代(税金)を取っているのである。
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に拝まれて国民を幸せにすることが仕事である。しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がない。だから、今の国民は政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。今の国民は政府を拝んでも面白くないから、政府を拝まず政府に拝み代をやらなければいいのである。
[20031] どうして日本政府は今でも国民を殺しているのか? h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。
日本人の心の中にいる偉い者は馬鹿である。渋面[じゅうめん]食ってふんぞり返って威張[いば]りくさっているだけの阿呆[あほう]である。
だから、日本政府も威張るだけしか能がない阿呆なのである。
今の国民が“偉い者に従う喜び”がなくなって政府を拝む習慣がなくなっているのに、日本政府は馬鹿だからそんなことがちっともわからず、今でも昔と同じように国民を本気で虐[いじ]めて国民を殺しているのである。
今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、今の国民にとっては政府は要らない存在だから、日本政府はもっと手加減して国民を虐めるべきである。
政府は偉い者をやる会社だから、毎日一生懸命に偉い者の芝居をやっている。
しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、政府を偉い者だと思わず政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいい。
政府は国民みんなから税金がもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20032] 今の政府が自分に従わない国民を罰しても無駄[むだ]である。 h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる“偉い者”と同じことをやって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は自分に従わない人を罰する。だから、政府も自分に従わない国民を罰する。
しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がない。“偉い者を拝む喜び”がない。だから、今の国民はいくら政府が自分に従わない者を罰するのを見ても、政府を偉い者だと思わず政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わない。いくら政府が自分に従わない国民を罰しても、しょせん政府が偉い者の芝居をやっているにすぎないから、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由だから、今の国民は政府を拝まず政府に拝み代を払わないのである。
つまり、今の政府がいくら自分に従わない国民を罰しても無駄である。
今の国民は政府が自分に従わない国民を罰しようが罰すまいが、とにかく政府を偉い者だと思わず政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わない。
政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
[20033] 政府の仕事は国民に拝まれて国民を幸せにすることである。☆ h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる“偉い者”と同じことをやって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
今の政府は“偉い者”と同じいろんなことをやって、国民に政府を偉い者だと思わせている。今の政府は国民に命令したり、国民を虐[いじ]めたり、国民に嘘[うそ]をついたり、国民の役に立たないことをやったり、いい給料をもらったり、政府に従わない国民を罰したり、阿呆[あほう]をやったりして偉い者をやっている。
今の政府は毎日一生懸命に偉い者をやっている。政府は年がら年中熱心に国民を虐めたり国民に嘘をついたりしている。しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝んで幸せになっていない。政府の仕事は国民に拝まれて国民を幸せにすることである。いくら政府が一生懸命に偉い者の芝居をやっても、肝心[かんじん]の国民が偉い者を拝んで幸せになっていないから、政府は仕事になっていない。だから、国民は政府に仕事代(税金)を払わなくていい。たとえ宗教団体の神が一生懸命に超能力者の真似[まね]をやっても、“神を拝む喜び”のある者がいなければ宗教団体が仕事にならないのと同じことである。
今の国民は政府に税金を払わなくていい。政府は国民みんなから税金をもらえなくなって滅ぶだろう。
今の国民の多くは政府に税金を払わなくていいのに払っている。国民の多くは政府に税金を払うのをやめて無駄[むだ]なことをやめればいい。
[20034] 暴力団とは何か? h26.1.30
暴力団とは善[い]い者をやる団体である。
しかし、純粋な善い者だと国民と平等になるから、国民は暴力団に従う喜びがなくなるから、暴力団は純粋に善い者ではない。暴力団は偉そうな善い者である。
人間の心には“善い者に従う喜び”があるから、暴力団は“善い者に従う喜び”を満足するように“善い者”を演じているのである。暴力団は人間の“善い者に従う喜び”を満足するために刺青[いれずみ]を入れたり指を切ったりするのである。“善い者に従う喜び”を上手[じょうず]に満足する暴力団ほど人気が出て従う者が増えて儲[もう]かるのである。
暴力団は国民を喜ばせる仕事である。暴力団は国民の“善い者に従う喜び”を満足させて国民を喜ばせてお礼にお金をもらうのである。
暴力団と同じように、政府も国民を喜ばせる仕事である。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足させて国民を喜ばせてお礼に税金をもらうのである。しかし、今では“偉い者に従う喜び”を満足させたい国民が減っている。だから、政府はだんだん国民からお金がもらえなくなって小さくなっている。そのために、市町村が統合されたり官公庁が統合されたりしているのである。
[20035] 政府の仕事は国民の“偉い者に従う喜び”を満足することである。 h26.1.30
最近は科学的になって国民が物を使って自分の心を満足するようになっている。国民が自分の“物を使う喜び”を満足するようになっている。
そのために、政府は国民に嘘[うそ]をついて民主主義の政治機関を建てて、政府が国民の“物を使う喜び”を満足しているふりをしているのである。政府がナウいふりをしている。国民の多くは政府の嘘に騙[だま]されて政府が民主主義の政治機関であり、政府が国民の“物を使う喜び”を満足してくれていると思って政府に税金を払っている。
しかし、実際には政府は国民の“物を使う喜び”を満足させていないのである。
政府は本当は偉い者をやる会社であり、政府は偉い者の芝居をやって国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足させて国民を幸せにするだけなのである。
政府は偉い者をやる会社だから、偉い者は人の役に立つことをしないから、政府は国民の役に立つことをしない。政府は国民の“物を使う喜び”を満足していない。政府は偉い者をやる会社だから国民の役に立つことをしてはいけない。政府は国民の役に立つことをしていない。政府は余ったエネルギーを国民を虐めることや国民に嘘をつくことにつぎ込んでがんばっているのである。
いくら国民の考え方が科学的になって国民が“物を使う喜び”を満足するようになっても、政府の嘘に騙されるようではいけない。
政府の正体は偉い者をやる団体である。政府の仕事は偉い者の芝居をやって国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸せにすることである。政府の仕事は国民の“偉い者に従う喜び”を満足することである。税金は国民が政府に自分の“偉い者に従う喜び”を満足させてもらったことに対するお礼である。ところが、今では国民が“物を使う喜び”を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足させたい国民が減っている。国民が政府に税金を払わなくなっている。政府が国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。ところが、今の国民は“物を使う喜び”を満足して、“偉い者に従う喜び”を満足していない。だから、今の国民にとっては政府は要らない。政府は昔の娯楽を売っている会社である。だから、今の国民は政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。
[20036] 国民は政府の嘘[うそ]や虐[いじ]めに騙[だま]されて政府を誤解してはいけない。
h26.1.30
政府は偉い者をやる会社である。
政府の仕事は国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸福にすることである。国民は政府に自分の“偉い者に従う喜び”を満足させてもらって政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払う。
政府は偉い者をやる芝居で、いろんなことをやっているだけである。政府は国民に命令したり国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをしたりしている。
国民は政府の嘘を真[ま]に受けて、政府の嘘を本当にやってはいけない。国民は政府の命令を真に受けて政府の命令を聞いたりしてはいけない。国民は政府の嘘の法律を真に受けて政府に税金を払ってはいけない。
国民は政府の嘘や虐めに騙されて政府を国家宗教団体や民主主義の政治機関や犯罪組織だと誤解してはいけない。政府はれっきとした偉い者をやる団体なのである。
政府は偉い者をやる団体である。しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していない。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。だから、今の国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府に“偉い者に従う喜び”を満足させてもらっていないから、政府に税金を払う必要はない。
政府は国民みんなから税金をもらえなくなって滅ぶだろう。
[20037] 今の政府は独[ひと]りで偉い者の真似[まね]をやっているだけである。
h26.1.31
政府はいろんなことをやって偉い者をやっている。
政府はたしかに偉い者である。政府は人間の心の中にいる“偉い者”に適[かな]っているから偉い者である。
しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がない。
だから、今の国民は政府を拝んでも幸せにはならない。
だから、今の国民はお礼に政府に税金を払わない。
政府は誰からもお金をもらえず独りで寂しく偉い者の真似をやっているだけである。
つまり、政府は偉い者の真似をやる芸人である。昔の人は偉い者を拝んで幸せになれたから政府を拝んで政府に幸せにしてもらったお礼に政府にお金(税金)をやった。しかし、今の人は偉い者を拝んでも幸せになれなくなったから政府を拝まず政府に幸せにしてもらわずお礼に政府にお金をやらなくなった。
今の政府は自分が死ぬまでひとりで偉い者の真似をやり続けているだけである。
[20038] 今の社会には法律がある。 h26.1.31
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の真似[まね]をする芸人である。
政府は人の心の中にいる偉い者の真似をして、“偉い者に従う喜び”のある国民に拝まれて国民を幸せにして、国民からお礼(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
昔は法律がなかったから、政府がワルノリをしていくらでも偉い者の真似がやれた。政府が偉い者の真似をして、国民を虐[いじ]めて殺したり、自分の嘘[うそ]を本当にやらない国民を罰したり、自分の命令に従わない国民を罰したりできた。
しかし、今では法律があるから、人間がみな平等にしないといけないから、政府も法律を守りながら偉い者の真似をしなければならなくなった。今では政府は法律の範囲内で偉い者の真似ができるだけである。政府は国民を虐めるふりができるだけで本当に国民を虐めてはいけない。政府は国民に嘘をつけるだけで、国民が嘘を本当にやらなくてもいい。政府は国民に命令を出せるだけで、国民が政府の命令に従わなくても政府は国民を罰したりできない。
今の社会はそういう風になっている。だから、国民は政府の命令を聞かなくていいし、政府の嘘を本当にやらなくていい。国民は政府の嘘の法律を守らなくていいし、政府が命令を出すのを見るだけにして政府の命令を聞かなくていい。
今の政府は国民に手も足も出ない。今の政府は国民に拝まれる者にすぎない。国民が政府を拝みたければ政府を拝んで政府に拝み代(税金)を払えばよく、国民が政府を拝みたくなければ政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいい。
政府は人の心の世界から現実の世界に出てきた偉い者である。昔の偉い者は法律を守らなくてもよかったが、今の偉い者は法律を守らなければならない。今の偉い者は普通の人間と変わらない。今の偉い者はちょっと偉そうにできるだけである。政府は偉い者を拝むのが好きな国民に拝まれて拝み代をもらって儲ければいい。その他の国民は政府と関わらなければいい。
昔の社会は文明が遅れていてみんなが食べていくのがやっとでみんなが法律をちゃんと守っていては暮らせなかったからみんなが法律を守らなくてもよかった。今の社会は文明が進んでみんなの暮らしに余裕ができてみんなが法律を守って暮らせるようになったからみんなが法律を守らなければならなくなったのである。そのため政府も法律を守らなければならなくなった。政府は偉い者の真似がやりにくくなった。政府も肩身が狭くなったのだ。政府は現実の世界から心の世界に引っ込まねばならなくなったのだ。今の政府は大昔のようにただの拝まれる者にすぎない。国民が政府を拝むか拝まないかは国民の自由である。今の国民には偉い者を拝む趣味はないから政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
[20039] 国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。 h26.1.31
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる偉い者の真似[まね]をやって、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。
たとえ国民が政府を拝まず政府に拝み代を払わなくても、政府は国民を罰せられない。
今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まない。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
今の政府は国民が偉い者を拝まなくなったので、偉い者が嘘[うそ]をつけることを活かして民主主義の政治機関のふりをして国民を騙[だま]しているだけである。
国民は早く政府の嘘を見破って政府に拝み代(税金)を払うのをやめねばならない。
昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったから、偉い者の真似をやっている政府を拝んで幸せになって、お礼に政府に税金を払っていた。
今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、偉い者の真似をやっている政府を拝まず、政府に税金を払わなければいいのである。
[20040] 国民は政府の命令を聞かなくていい。 h26.1.31
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる偉い者を真似[まね]て、国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲[もう]ける会社である。
政府が国民に命令を出すのは政府が偉い者の真似をするためである。
だから、国民は政府の命令を真[ま]に受けて政府の命令に従わなくてもいいのである。国民は政府が命令を出すのを見て「政府を偉い者だ」と思えばいいだけである。
たとえ今の国民が「政府が偉い者だ」と思っても、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、国民は政府を拝まない。政府に幸せにしてもらわない。だから、今の国民はお礼に政府に拝み代(税金)を払わない。
政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。ところが、今の国民には“偉い者に従う喜び”がない。今の国民にとって政府は要らない。今の国民が政府が要らなければ政府を潰せばいいのである。今の国民にとって政府は無駄[むだ]である。だから、今の国民は政府をなくせばいいのである。
[20041] アイドルとは何か? h26.1.31
アイドルとは偶像[ぐうぞう]ということである。つまり、アイドルとは人の心の中にいる“かわいい人”を真似[まね]ている人間である。“偶”とは似せることである。
アイドルは人の心の中にいる“かわいい人”を真似て、国民に見られて国民の“かわいい人を愛する喜び”を満足して国民を幸せにして、国民から見料[けんりょう]をもらって儲[もう]ける仕事である。
昔の人は生活が厳しくて“かわいい人を愛する喜び”を満足する余裕がなかった。代[か]わりに、昔の人は“偉い者に従う喜び”を満足して政府の怖いおっさんを拝んで喜んでいた。それが昔の人の趣味だったのである。アイドルが人の心の中にいる“かわいい人”を真似て、国民に見られて国民の“かわいい人を愛する喜び”を満足して国民を幸せにして、国民から見料をもらって儲けているように、政府は人の心の中にいる“偉い者”を真似て、国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸せにして、国民から拝み代(税金)をもらって儲けているのである。アイドルが歌や踊[おど]りで人の心の中の“かわいい人”を演じているように、政府は国民に命令したり国民を虐[いじ]めたりして人の心の中の“偉い者”を演じているのである。
今の人は昔の人とは反対に“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって“かわいい人を愛する喜び”を満足している。今では文明が進んで生活が豊かになって、今の人には“偉い者に従う喜び”よりも“かわいい人を愛する喜び”のほうが似合[にあ]っているのだ。今の人は政府に拝み代を払わなくなってアイドルに見料を払っているのだ。
アイドルが仕事でかわいいふりをしているだけで普段は嫌な性格の女であるように、政府は仕事で人殺しや詐欺[さぎ]などをやって偉い者のふりをしているだけで普段は優しいおじさんなのである。『トム・ソーヤの冒険』のインジャン・ジョーが仕事で悪いことをやっているだけで普段は優しい性格なのと同じである。
[20042] どうして政府は税金を取るのか? h26.1.31
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる偉い者を真似[まね]て、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民からお礼に拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる偉い者は人に嘘[うそ]をつく。だから、政府も国民に嘘をつく。
政府は自分が偉い者の真似をするために、国民に嘘をついて、民主主義の政治機関のふりをして国民の役に立つことをしているふりをして国民から税金を取っているのである。税金は政府が国民の役に立つことをしているふりをして国民から騙[だま]し取っているお金のことである。税金と拝み代とは別である。要するに、税金は政府の嘘である。税金は荒唐無稽[こうとうむけい]の課金[かきん]である。政府は嘘をついて国民の役に立つことをしているふりをしているだけだから、国民は政府に税金を払う必要はないのである。国民は政府が嘘をついているのを見て「政府が偉い者だ」と思うだけにして、いちいち政府の嘘に騙される必要はないのである。
政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の真似をやって国民に拝まれることが仕事である。国民が政府を拝むか拝まないかは国民の自由である。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まず政府に拝み代を払わなくていいのである。
政府は偉い者をやる会社である。政府の本業は偉い者の真似をして国民に拝まれることである。政府が国民に嘘をついて国民を騙して国民からお金を取るのは政府の副業である。今の政府は本業よりも副業の稼[かせ]ぎのほうが多いのである。
今の国民の多くが『政府が偉い者をやる会社である』ことがわかっていないために、『政府が偉い者の真似をして国民に拝まれて国民を幸せにする会社である』ことがわかっていないために、政府の命令を聞いたり政府の嘘に騙されたりして余計なことをやっている。政府は国民の政府や政府の仕事に対する誤解を利用して儲けているのである。今の国民は早く政府や政府の仕事を正しく理解して、自分が政府に税金を払わなくてもいいことを理解して、政府に税金を払うのをやめねばならない。
[20043] 今の国民は政府に税金も拝み代も払ってはいけない。☆☆ h26.1.31
政府は偉い者をやる会社である。
人の心の中にいる偉い者は人に命令して人を虐[いじ]めて人に嘘[うそ]をついて人の役に立たないことをする。
だから、政府は国民に嘘をついて国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをして、嘘の法律を定めて国民から税金を取って、嘘の国家宗教や民主主義で国民に命令を出して国民を虐めて、嘘の国家宗教や民主主義で国民の役に立たないことをするのである。
国民の多くは政府の嘘に騙[だま]されて政府を民主主義の政治機関だと思って政府が国民の役に立つことをしていると思って政府の命令を聞いたり、政府の嘘の法律を真[ま]に受けて政府に税金を払ったりしている。
しかし、本当は政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる偉い者の真似[まね]をして、国民に拝まれて国民を幸せにして、国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。政府は自分が偉い者を真似るために国民に嘘をついたり国民に命令したりしているのだから、国民は政府がやっていることを見て「政府が偉い者だ」と思うだけにして、政府の嘘に騙されたり政府の命令を聞いたりしなければいいのである。国民が政府の嘘に騙されたり政府の命令を聞いたりするのは蛇足[だそく]である。
政府は宗教団体や暴力団と同じように国民が拝む団体である。国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝んでも幸福にならないから政府を拝まなければいいのである。政府に拝み代を払わなければいいのである。
国民は政府の嘘に騙されず政府に税金を払わないようにして、政府を拝まず政府に拝み代をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府は偉い者をやる会社である。偉い者は嘘をつくから、政府は国民を嘘で騙して利用する。国民は政府に騙されないように、さっさと政府を潰せばいいのである。
[20044] 宗教団体は国民の“神に従う喜び”を満足する団体である。 h26.1.31
宗教団体は神をやる団体である。
宗教団体は人の心の中にいる神を真似[まね]て、国民に拝まれて“神に従う喜び”を満足して国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける団体である。
宗教団体は国民の“神に従う喜び”を満足して国民を幸福にする団体である。“神に従う喜び”のある国民は宗教団体を拝めば“神に従う喜び”が満足されて幸福になれる。それだけである。
「宗教団体に従っていればそのうち何か善いことがある」というのは“神に従う喜び”を満足するのが下手[へた]な宗教団体がでっち上げた嘘[うそ]である。神もたまには嘘をつく。神も苦しいときには嘘をつく。
国民は自分が“神に従う喜び”があれば宗教団体に従えばいい。自分に“神に従う喜び”がなければ宗教団体に従わなければいい。神に従う喜びのない者が宗教団体に入っていても(従っていても)無駄[むだ]である。さっさとやめたほうがいい。
政府や宗教団体や暴力団は国民のためにある。国民は自分が政府や宗教団体や暴力団を拝んで幸せになるなら拝めばいい。幸せにならなければ拝まなければいい。国民はこの世にあるいろんな物を使って自分を幸福にすればいいのである。最近のアニメやマンガは大人が見ても面白い。最近のゲームは大人がやっても面白い。幸福に貴賎上下[きせんじょうげ]の区別はない。くだらない喜びほど面白い。だから、国民は気取らずに素直に馬鹿みたいなことで喜べばいいのである。
[20045] 政府が偉い者の芝居をやるのは、みんなに『政府が偉い者をやる会社である』ことを教えるためである。☆
h26.1.31
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける団体である。
政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために偉い者の芝居をやっていろんなことをやっている。国民に嘘[うそ]をついたり国民を虐[いじ]めたり国民に命令したり国民の役に立たないことをやったりゴチャゴチャいっぱいやっている。
政府が偉い者の芝居をやるのは、みんなに『政府が偉い者をやる会社である』ことをわからせるためである。今では多くの国民が政府が偉い者をやる会社であることを知っている。私も約9年もかけて考えてようやく人並みに政府が偉い者をやる会社であることがわかった。
今の国民は政府が偉い者をやる会社であることを知っている。しかし、今の国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝みたくない。政府は国民みんなから拝み代をもらえなくなって滅んでいる。
[20046] 政府は『偉い者』である。 h26.2.1
宗教団体は神の真似[まね]をやってみんなに自分が神だと思わせる。超能力者の真似をしたり人に教えを説いたり人に優しくしたり人に正しいことをしたりするのは『神』の性質である。神を拝みたい人は宗教団体を拝んで宗教団体に拝み代を払えばよく、神を拝みたくない人は宗教団体を拝まず宗教団体に拝み代を払わなければいい。
暴力団は善い者の真似をやってみんなに自分が善い者だと思わせる。悪い人を懲[こ]らしめたり弱い人に優しくしたり義理堅かったり人情に厚かったり刺青[いれずみ]をしたり指を切ったりするのは『善い者』の性質である。善い者を拝みたい人は暴力団を拝んで暴力団に拝み代を払えばよく、善い者を拝みたくない人は暴力団を拝まず暴力団に拝み代を払わなければいい。
それと同じように、政府は偉い者の真似をやってみんなに自分が偉い者だと思わせる。人に嘘[うそ]をついたり人を虐[いじ]めたり人に命令したり人の役に立たないことをしたりするのは『偉い者』の性質である。偉い者を拝みたい人は政府を拝んで政府に拝み代を払えばよく、偉い者を拝みたくない人は政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいい。
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる偉い者の真似をしてみんなに政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸福にして、お礼に拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
宗教団体や暴力団や政府は国民のためにある。国民は宗教団体や暴力団や政府を拝んで幸福になるなら拝めばいい。国民は宗教団体や暴力団や政府を拝んで幸福にならなければ拝まなければいい。今の国民は宗教団体や暴力団や政府を拝んでも幸福にならなくなっているが、昔の国民は宗教団体や暴力団や政府を拝んで幸福になっていた。人間にはいろんな娯楽があるものだ。
世の中には馬鹿が多いから政府の嘘に引っかかって政府に騙[だま]されて政府に税金を取られている者がいる。偉い者は嘘をつく。国民は政府の嘘に注意して政府の嘘に引っかかってはいけない。政府は国民が拝むためにあるのであって、国民が騙されるためにあるのではない。
あと、宗教団体の教えは宗教団体が神の真似をするためにやっているのであって、宗教団体の教えは真理ではない。宗教団体は国民が拝んで幸福になるためにあるのであって、国民に真理を教えるためにあるのではない。国民は宗教団体の教えを信じてはいけない。国民は宗教団体の教えがまちがっていたと言って宗教団体に怒ってはいけない。宗教団体の神が超能力者の芝居をするのは神の真似をするためであって、国民を騙すためではない。国民は宗教団体の神の超能力の芝居にツッコミを入れてはいけない。
[20047] 今の国民は政府の偉い者の芝居を無視すればいい。☆ h26.2.1
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の真似[まね]をやって国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
政府は国民に自分が偉い者だと思わせるために、国民に命令したり国民に嘘[うそ]をついたり国民を虐[いじ]めたり国民の役に立たないことをやったりしている。
しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がなくなっている。今の国民にとって政府は要らない。政府は用がない。だから、今の国民は政府の偉い者の芝居を無視すればいい。今の国民は政府の命令や嘘や虐めを無視すればいい。今の国民は政府の命令を無視して政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府の嘘の法律や虐めの法律を守らなければいい。政府の税金の法律は嘘の法律だから国民は政府の税金の法律を無視して政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府を拝まず政府に拝み代を払わなくていい。
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。ところが、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、政府には用がない。今の国民は政府と関わらないようにして暮らせばいいのである。
もともと政府は国民が拝んで幸せになるためにあるのであって、国民が命令を聞いたり嘘に騙[だま]されたり虐められたりするためにあるのではない。国民は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けてはいけない。政府は偉い者の真似をするために国民に命令したり国民に嘘をついたりしているのだから、政府は正しいことをするために国民を幸福にするために国民に命令したり国民に嘘をついたりしているのではないから、国民は政府の命令や政府の嘘を真に受けてはいけない。国民は政府がやっていることを見て政府を偉い者だと思って、政府を拝んで幸せになって、政府に拝み代を払えばいいだけであって、それ以外のことをする必要はない。国民は政府の命令を聞いたり、政府の嘘の法律を守ったりしなければいいのである。しかも、今の国民は政府を拝んで幸せにならなくなっているから、今の国民は政府に対していっさい何もしなければいいのである。今の国民は政府を完全に無視すればいいのである。今の国民は政府を見ず政府を聞かず政府に言わなければいいのである。
[20048] 国民は政府の“偉い者の芝居”を真[ま]に受けてはいけない。☆☆
h26.2.1
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる偉い者の真似[まね]をして、国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸せにして、国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は人に命令して人を虐[いじ]めて人に嘘[うそ]をついて人の役に立たないから、政府も国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないのである。政府は嘘で民主主義の政治機関のふりをして、嘘で国民の役に立っているふりをして、国民に命令して国民から税金を取っているのである。政府は納税の義務の嘘の法律を定めて国民から税金を取っているのである。政府は嘘の国家宗教や民主主義で国民に命令して国民を虐めているのである。政府は嘘の国家宗教や民主主義で国民の役に立たないことをやっているのである。
つまり、政府は“偉い者の芝居”をやって国民からお金をもらって儲ける会社である。
国民は政府の偉い者の芝居を見るだけでいいのである。国民は政府の芝居を真に受けて政府の命令に従ったり政府の嘘に騙されたりしなくてもいいのである。国民が宗教団体や暴力団の芝居を見ても真に受けないのと同じである。国民が宗教団体が神の芝居をやったり暴力団が善い者の芝居をやったりするのを黙って見ているように、国民は政府が偉い者の芝居をやるのを黙って見ていればいいのである。
国民が政府の偉い者の芝居を見て政府に拝みたくなったら政府を拝んで拝み代を払えばいいだけである。
政府の偉い者の芝居が上手[うま]すぎたので、国民が政府の芝居を本気にして政府の命令を聞いたり政府の嘘に騙[だま]されたりするようになったのである。芝居の観客が熱狂のあまり舞台に上がって役者といっしょになって芝居をやっているのと同じである。国民が政府といっしょになって偉い者の芝居をやらなくてもいい。政府は偉い者の芝居が上手すぎる。おかげで国民は政府の芝居を本気にして現実に政府に従っている。政府の芝居が上手すぎるのも困りものである。
国民は政府の人殺しの命令や国民を虐める命令を本気にしてやってはいけない。国民は政府の税金の法律を本気にして政府に税金を払ってはいけない。[偉い者は自分の命令に従わない者を罰するから、政府も政府の命令を聞かない国民を罰する。国民が政府の命令に従わないために政府に罰せられそうになったら「政府の命令は芝居だから国民は政府の命令に従わなくてもいい」と言って政府に罰せられるのを断ればいいのである。国民が“自分が政府の芝居を本気にしていない意思”を政府に表示すれば、“自分が政府といっしょに芝居をやるつもりがない意思”を政府に表示すれば、政府は国民に対して偉い者の芝居をするのをやめるだろう。政府は国民と平等にしておとなしくするだろう。それでも、政府が国民を罰した場合には、もはや政府のたんなる犯罪にすぎないから、政府が悪いから、国民で仕返しに政府を罰すればいい。国民で警察を建てて政府を罰すればいい。政府は国民の仕返しが怖くて国民に手出しができないだろう。]
政府は偉い者の芝居をやっているのであって、政府は本当に偉い者なのではない。政府は偉い者の芝居をやっている国民にすぎない。本当は政府はただの人間であり、政府は国民と平等である。だから、政府はちゃんと平等制の法律を守りながら偉い者の芝居をしないといけない。国民も平等制の法律を破ってまで政府の芝居に付き合ってはいけないのである。
[20049] どうしてアメリカはみんなが幸福に暮らせるのか?☆ h26.2.1
アメリカには財団がたくさんあるからである。
国民が政府に税金をやらずに財団にお金をやっているからである。
政府は偉い者をやる会社である。政府は自分が偉い者の芝居をして国民に命令するために国民に嘘[うそ]をつくために国民を虐[いじ]めるために国民から税金を取るだけである。政府は自分が偉い者の芝居をして国民の役に立つことをしないために国民からもらった税金で国民の役に立たないことをやって税金を無駄[むだ]使いするだけである。だから、国民がいくら政府に税金をやっても、政府は国民の役に立つことをしないのである。
一方、財団は国民からお金をもらって国民の役に立つ事業を考えて実行する会社である。財団は偉い者の芝居をしないから、財団は国民に命令しないから国民に嘘をつかないから国民を虐めないから国民の役に立たないことをしないから、財団は国民から自分の意思でお金をもらって国民からもらったお金で国民の役に立つことをする。
政府よりも財団のほうが国民みんなのためにお金を有効に活用してくれる。政府よりも財団のほうが国民の役に立つことをやってくれる。
日本もアメリカを見習ってたくさん財団を建てて、国民が財団にお金をやって、財団が国民の役に立つことをして、国民が幸福に暮らせばいい。
今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、今の国民にとって政府は用なしである。政府は国民の役に立つことをしないから、国民は政府に税金をやるのをやめて政府を捨てればいい。
[20050] 政府は偉い者の芝居をやっている。 h26.2.2
政府は偉い者をやる会社である。
昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったので、政府は偉い者の真似[まね]をして、みんなに政府が偉い者だと思わせて、みんなは政府を拝んで幸せになって、お礼に政府に拝み代をやっていた。
政府は偉い者の芝居をやって国民みんなに政府が偉い者だと思わせた。
ところが、政府の芝居が上手[うま]すぎたので、国民みんなが政府を本当に偉い者だと思って従った。政府の命令を聞いて政府の嘘[うそ]でも何でもやった。
これまでずっと国民みんなは政府が本当に偉い者だと思って政府に従い続けていたのである。
しかし、本当は政府は偉い者の芝居をやっているのであって、政府は偉い者ではない。政府は偉い者の芝居をする団体であって、政府が本当に偉い者なのではない。
本当は政府は国民と平等である。だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府の嘘に騙[だま]されなくていい。
国民は政府の偉い者の芝居を見て政府を偉い者だと思って政府を拝んで政府に拝み代を払うだけで、それ以外のことをやらなくていい。
ところが、今の国民は“偉い者に従う喜び”なんかないので、政府を拝んで幸せになる者がいないので、政府がないほうがいい。国民みんなで政府の嘘の税金の法律を守らず政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。
[20051] 政府は『偉い者をやる会社』である。 h26.2.2
今の政府は嘘[うそ]で国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをして、嘘の税金の法律を定めて、嘘の国家宗教や民主主義で国民に命令して国民を虐[いじ]めて、嘘の国家宗教や民主主義で国民の役に立たないことをしている。
それは政府が『偉い者をやる会社』だからである。政府は人の心の中にいる“偉い者”を真似[まね]て、国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は、人に命令して人を虐めて人に嘘をついて人の役に立たないことをするので、政府は嘘で国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをして、嘘の税金の法律を定めて、嘘の国家宗教や民主主義で国民に命令して国民を虐めて、嘘の国家宗教や民主主義で国民の役に立たないことをするのである。
政府は『偉い者をやる会社』である。それ以外に答えはない。
政府は偉い者をやる会社である。政府はけっして国家宗教団体や民主主義の政治機関ではない。今の国民は政府を民主主義の政治機関だと思って政府に従ってはいけない。政府の命令を聞いたり政府に税金を払ったりしてはいけない。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから政府を拝んで幸せにならないから政府が要らない。早く国民みんなで政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]さねばならない。
[20052] 今の国民は頭で考えながら物を見ないといけない。 h26.2.2
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる“偉い者”を真似[まね]て国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
昔の国民が『政府が偉い者を真似て国民に拝まれて国民から拝み代をもらう会社だ』と考えながら政府がやっていることを見ていれば、政府の芝居を真[ま]に受けて政府の命令に従ったりしなかっただろう。政府は宗教団体や暴力団と同じような小さい団体だっただろう。
昔の国民が何も考えずに政府がやることを見ていたから、政府が本当に偉い者だと勘違[かんちが]いして、政府の命令に従うようになったのだ。政府は国民みんなが従う大きい団体になったのだ。
人間は考えながら物を見なければならない。昔の人は頭で考えずに物を見ていたから、芝居と現実を混同して、現実に政府が偉い者だと思って現実に政府に従うようになったのだ。今の人は頭で考えて物を見て、芝居と現実を区別して、政府が偉い者の芝居をしているだけだと考えて、現実には政府は国民と平等だと考えて政府に従うのをやめて、政府のやっていることを見て「政府は偉い者の真似がうまいなあ」と思うだけにしなければならない。今の人は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいいのである。
[20053] 今の社員にとって社長は要らない。 h26.2.2
社長は偉い者をやる人間である。
社長は人の心の中にいる“偉い者”の真似[まね]をして、社員に偉い者だと思わせて、社員に拝まれて社員の“偉い者に従う喜び”を満足して社員を幸せにして、お礼に社員から拝み代をもらう役職である。社長は会社の中にいる偉い者の芝居をする人である。社長は会社の中にいる偉い者の芝居をする人である。昭和40年(1965年)ごろまでは“偉い者に従う喜び”がある人が多かったのですべての会社に社長がいたのである。
人の心の中にいる“偉い者”は、人に命令して人に嘘[うそ]をついて人を虐[いじ]めて人の役に立たない。
だから、社長も社員に命令して社員に嘘をついて社員を虐めて社員の役に立たないのである。
社長は偉い者をやる人間だから、社員に対して偉そうにして、社員に嘘をついて会社の役に立っているふりをして、社員に命令して会社の稼[かせ]ぎをぶん取って社員を虐めて、会社の役に立つことをしないのである。社長は社員に拝まれて社員を幸せにする以外には何の役にも立たないのである。
社長は偉い者をやる人間である。偉い者は嘘つきである。だから、社長は社員に嘘をついて有能な人間のふりをしているだけである。社長は本当は能なしのボンクラである。偉い者は人の役に立たないから、社長は能なしの役立たずなのである。政府が「国民の役に立つことをやっている」と言うだけで、実際には国民の役に立つことをしていないのと同じである。
社長は偉い者の芝居をしているだけだから、本当は社長と社員は平等だから、社員は社長の命令を真[ま]に受けて社長の命令を聞かなくていい。社員は本当は社長を拝んで社長に拝み代を払うだけでいい。ところが、今の社員には“偉い者に従う喜び”がないから、社長を拝まないから社長に拝み代を払わなくていい。今の社員にとっては社長は要らない。社員みんなで会社から社長を追い出して社長のいない会社にすればいい。
そもそも社長は社員のためにある。昔の社員は“偉い者に従う喜び”があったから自分が社長を拝んで幸せになるために会社に社長を置いていた。昔の社員は社長が馬鹿なことや悪いことをやるのを見て「社長は偉い」と思って社長を拝んで喜んでいた。能なしのボンクラに社長をやらせて社員みんなで社長を拝んで喜んでいたのである。“偉い者”は人の役に立たないから、みんなが役立たずを社長にすればいいと考えて能なしのボンクラを社長にしていたのである。社長はアホがやる仕事だったのである。昔のサーカスでカタワが見世物[みせもの]の仕事をやっていたのと同じである。しかし、今の社員は“偉い者に従う喜び”がないから社長を拝んでも幸せにならないから会社に社長を置かなくていい。今の社員は社長が馬鹿なことや悪いことをやるのを見ると嫌気がさして不愉快[ふゆかい]になるだけである。今では能なしのボンクラは社員を喜ばせることができない。今ではアホがやる仕事がない。今の社員にとっては社長は要らない。だから、今では会社には社長は要らないのである。
今の人は“偉い者に従う喜び”がないので、社長をただの威張[いば]るだけのボンクラだと思っている。そのために、社長はますますいい気になって空威張[からいば]りをして社員を虐めている。そのために、今の人は「悪い者が世の中を支配するものだ」と誤解をしている。しかし、本当は悪い人は偉い人であり、昔の人は“偉い者に従う喜び”があったから偉い人を拝んで幸せになっていたのである。今の人は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”がなくなったので偉い者を拝まなくなったので偉い者をただの悪い者だと思って余計な邪魔者[じゃまもの]だと思っているのである。このまま偉い者を置いていたらみんなが「悪い者が世の中を支配する」と誤解して悪い社会になってしまう。だから、早くみんなで偉い者をなくして明るく楽しい社会にしないといけない。政府や社長のいない“人に命令したり人を虐めたり人に嘘をついたり人の役に立たない者”のいない社会にしないといけない。
[20054] 政府は偉い者の芝居をする国民である。☆ h26.2.2
政府は偉い者をやる会社である。
政府は人の心の中にいる“偉い者”の芝居をやって、国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
政府は偉い者の芝居をする者であって、本当に偉い者ではない。
政府は偉い者の芝居をする国民である。だから、政府は国民と平等である。
だから、政府は平等制の法律を守りながら国民と平等にしながら偉い者の芝居をしないといけない。
したがって、政府は国民に命令できない。政府は嘘[うそ]の法律を定めて国民から税金を取れない。政府は国民に命令できるふりができるだけである。政府は嘘の法律を定めて国民から税金を取れるふりができるだけである。だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府に税金を払わなくていい。[江戸時代のころはみんなが幕府の偉い者の芝居に呑[の]まれていたから、みんなが幕府を本当に偉い者だと思っていたから、国民が幕府に逆らうときは自分の死を覚悟で幕府に逆らっていたのである。それが一揆[いっき]である。昔の人は“偉い者に従う喜び”が強すぎたから、幕府や政府の偉い者の芝居を本気にしたのだろう。]
国民は政府の芝居を見て「政府が偉い者だ」と思って、政府を拝みたい者は政府を拝んで政府に拝み代を払えばいいだけである。
しかし、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まず政府に拝み代を払わない。政府は国民から拝み代をもらえなくて滅んでいる。
[20055] 今の国民は『政府が偉い者をやる会社である』ことに基づいて、自分がどうすべきかを考えねばならない。☆
h26.2.2
直感的には地球が止まっているように見えるが、だからといって本当に地球が止まっているのではない。本当は地球が動いている。だから、人間は『地球が動いている』ことを基[もと]にして、宇宙がどう出来ているかを考えねばならない。
それと同じように、直感的には政府が民主主義の政治機関のように見えるが、だからといって本当に政府が民主主義の政治機関なのではない。本当は政府は偉い者をやる会社である。だから、国民は『政府が偉い者をやる会社である』ことを基にして、自分がどうすべきかを考えねばならない。
政府は偉い者をやる会社である。政府は人の心の中にいる“偉い者”の芝居をして、国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
政府は“偉い者の芝居をしている国民”だから、本当は政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞いたり、政府がでっち上げた嘘[うそ]の法律を守ったりしなければいい。国民は政府の命令で国民を虐[いじ]めたりしなくていい。国民は政府の嘘の税金の法律を守って政府に税金を払わなくていい。
政府は“国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民から拝み代をもらう会社”だから、今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから、今の国民は政府を拝んでも幸せになれないから、今の国民は政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいい。
大昔の人は『政府が偉い者の芝居をやっている』という目で政府を見ていた。ところが、中世になって人々が『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを忘れて「政府が本当に偉い者だ」と思うようになった。現代になって再び人々は『政府が偉い者の芝居をやっている』という見方に戻っているのである。とにかく人間は物事を正しく理解しなければならない。大昔の人は意外に正しかったのである。大昔の人は生活が厳しくて政府を拝むことすらできなかったので、みんなが“偉い者に従う喜び”をあまり満足していなかったので政府を冷[さ]めた目で見て『政府が偉い者の芝居をやっている』と思っていた。中世の頃になると文明が進んで生活が楽になってみんなが政府を拝むことができるようになって、みんなが“偉い者に従う喜び”を満足することに熱中して現実を忘れてしまって「政府が本当に偉い者だ」と思っていた。現代になるとますます文明が進んで生活が豊かになっていろんな娯楽ができて政府を拝むことよりももっと面白いことがいっぱい出来て、みんなが“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府がやっていることをありのままに見て『政府が偉い者の芝居をやっている』と思うようになったのである。
[20056] 昔の人は“政府を拝む遊び”に夢中になっていた。 h26.2.3
昔の人は遊びがあまりなかった。そのために、国民みんなが政府を拝む遊びに熱中していた。人間には“偉い者に従う喜び”があるので、政府を偉い者だと思って政府を拝むと自分が気持ちよくなれるのである。
昔の人は政府を拝む遊びに熱中したあまり、現実を忘れてしまって「政府が本当に偉い者だ」と思うようになった。政府の命令や嘘[うそ]を本気にして、政府の命令を聞いて国民を虐[いじ]めたりどうでもいいことをやったり、政府の嘘の税金の法律を守って政府に税金を払っていた。昔の人は政府を拝んで気持ちよくなっていたので、その副作用で政府の言いなりになっていたのである。麻薬の副作用で暴力団の言いなりになるのと同じことである。
しかし、今の人は物が豊かになって面白い遊びがたくさんある。そのために、国民みんなが政府を拝む遊びをやめている。今では政府を拝む遊びよりももっと楽しい遊びがたくさんあるので、いまさら政府を拝む遊びをやりたい者はいないのである。
今の人は政府を拝む遊びをやめて、現実に戻っている。政府が本当に偉い者だと思うのをやめて、政府が偉い者の芝居をやっているだけだと思っている。政府に従うのをやめて、政府と国民が平等だと思っている。政府の命令や嘘を本気にしなくなって、政府の命令を聞かなくなって国民を虐めたりどうでもいいことをしなくなっている。政府の嘘の税金の法律を守らなくなって政府に税金を払わなくなっている。今の人は政府を拝んで気持ちよくならなくなったので、政府の言いなりになる副作用もなくなったのである。
この世では面白い遊びが勝つ。昔は政府を拝む遊びが世界中を支配していた。今はテレビを見たりゲームをしたりする遊びが世界中を支配している。今ではテレビやゲームのほうが政府よりも強い。だから、国民は政府を無視してテレビやゲームを支持すればいいのである。政府にお金をやらずにテレビやゲームにお金をやればいいのである。
[20057] 昔の国民は政府の奴隷[どれい]だった。☆ h26.2.3
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をやって、国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。人間には“偉い者に従う喜び”があるので、政府を偉い者だと思って政府を拝むと自分が気持ちよくなれるのである。
昔は文明が遅れていて国民はあまり遊びがなかったので、みんなは政府を拝む遊びをやっていた。
昔の国民は政府を拝んで気持ちよくなっていたので、政府の言いなりになっていた。政府の命令を聞いて何でもやった。政府の嘘[うそ]の法律をまじめに守っていた。人間は自分を気持ちよくしてくれる者の奴隷になるので、昔の国民は政府を拝んで政府に自分を気持ちよくしてもらっていたので、政府の言いなりだったのである。
今は文明が進んで国民はいろんな遊びがあるので、みんなは政府を拝む遊びをやらなくなった。
今の国民は政府を拝んで気持ちよくならなくなったので、政府の言いなりにならなくなった。政府の命令を聞かず、政府の嘘の法律を守らなくなった。今の国民みんなはどんどん政府から離れている。
今の国民は政府の言いなりにならなくなったので、政府の嘘の税金の法律を守っていない。だから、政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今の国民はテレビやゲームに気持ちよくしてもらっている。だから、今の国民はテレビやゲームの奴隷なのである。しかし、テレビやゲームは国民に命令しない。だから、今の国民はテレビやゲームの言いなりではないのである。今の国民はひたすらテレビを見たりゲームをやったりするだけなのである。
昔の国民が政府に従っていたのは政府を拝んで政府に自分を気持ちよくしてもらっていたからである。今の国民は政府を拝んで政府に自分を気持ちよくしてもらっていないから政府に従う必要がない。今の国民の多くは自分が政府に従う必要がないのに政府に従っている。国民は今すぐ政府に従うのをやめねばならない。
[20058] 人間は自分を気持ちよくしてくれた者の言いなりになる。 h26.2.3
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を気持ちよくして、お礼に国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
人間は自分を気持ちよくしてくれた者の言いなりになる。
昔の国民は政府を拝んで政府に自分を気持ちよくしてもらっていたから政府の言いなりになっていた。政府の命令を何でも聞いたり、政府の嘘[うそ]の税金の法律を守ったりした。偉い者は人に命令したり人に嘘をつくから、政府も国民に命令したり国民に嘘をつくのである。
今の国民は政府を拝まず政府に自分を気持ちよくしてもらっていないから政府の言いなりではない。政府の命令を何も聞かず、政府の嘘の税金の法律を守っていない。
今の政府は国民みんなに命令できなくなっている。今の政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
[20059] 今の国民は政府を正しく扱えばいい。 h26.2.3
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をして国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
偉い者は人に命令したり人に嘘[うそ]をついたりするから、政府は国民に命令したり国民に嘘をついたりするのである。
政府は偉い者の芝居をしているだけだから、本当は政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府の嘘の税金の法律を守らなくていい。
政府は国民に拝まれて国民から拝み代をもらうのだから、今の国民は政府を拝んでいないから今の国民は政府に拝み代を払わなくていい。
今の国民は政府を正しく理解して、政府を正しく扱って、正しく暮らせばいいのである。昔の国民のように政府を拝む遊びにハマって政府を本当に偉い者だと思って政府の言いなりにならなくてもいいのである。
[20060] 今の国民は政府を拝む遊びをやっていない。 h26.2.3
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
“偉い者”は人に命令したり人に嘘[うそ]をついたり人を虐[いじ]めたり人の役に立たないことをするから、政府も国民に命令したり国民に嘘をついたり国民を虐めたり国民の役に立たないことをするのである。
昔の国民は政府を拝む遊びにハマっていたために、現実を見失っていたから「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っていた。政府に気持ちよくしてもらっていたから、政府の言いなりになっていた。
今の国民は政府を拝む遊びをやっていないから、現実が見えているから『政府が偉い者の芝居をやっている』と思って政府に従わなくなっている。政府に気持ちよくしてもらっていないから、政府の言いなりになっていない。
昔の国民は政府を拝んでいたから、政府に拝み代を払った上に政府に従っていた。昔の国民は政府の命令を聞いて人殺しや他人の嫌がらせをやっていた。政府の嘘の税金の法律を守って政府に税金を払っていた。
今の国民は政府を拝んでいないから、政府に拝み代を払わなくていいし政府に従わなくていい。今の国民は政府の命令で人殺しや他人の嫌がらせをしない。政府の嘘の税金の法律を守らず政府に税金を払わない。今の国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20061] 今の政府は“裏で悪いことをやっている民主主義の政治機関”のふりをしている。
h26.2.3
政府は偉い者をやる会社である。
偉い者は人に嘘[うそ]をつく。だから、政府も国民に嘘をつく。
政府は国民に嘘をついて自分が民主主義の政治機関のふりをしている。
“偉い者”は人に命令したり人に嘘をついたり人を虐[いじ]めたり人の役に立たないことをするから、政府も国民に命令したり国民に嘘をついたり国民を虐めたり国民の役に立たないことをやっている。
政府は表で民主主義の政治機関のふりをして裏で国民を虐めて悪いことをやっている。
つまり、政府は自分が“裏で悪いことをやっている民主主義の政治機関”のふりをしている。
今の政府は国民に「政府が“裏で悪いことをやっている民主主義の政治機関”だ」と思わせて悪いことをやっているのである。今の政府は国民に「政府が本来は善[よ]い子の民主主義の政治機関だが、イタズラで裏で悪いことをやっている」と思わせて悪いことをやっているのである。
しかし、本当は政府はただの『偉い者をやる会社』である。政府は偉い者の芝居をやって国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
今の政府は一生懸命に国民に嘘をついて国民に命令して偉い者の芝居をやっているが、今の国民は政府を拝まないからどんなに政府ががんばって偉い者の芝居をしても政府に用はない。今の国民は政府の偉い者の芝居を無視して政府に拝み代をやらずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20062] 政府は詐欺[さぎ]会社ではない。 h26.2.3
マンガ家や小説家は詐欺師ではない。
なぜなら、読者が最初から『マンガや小説が嘘[うそ]を書いている』と思って本気にせずにマンガや小説を読むからである。
『マンガや小説が嘘を書いてある』ことを知らずにマンガや小説を真[ま]に受けて読むほうが悪いのである。
それと同じように、政府も詐欺会社ではない。
なぜなら、国民が最初から『政府が嘘をつく』と思って政府を本気に相手にしなければいいからである。
『政府が嘘つき』であることを知らずに政府を真に受けているほうが悪いのである。
政府は偉い者をやる会社である。偉い者は嘘つきである。だから、政府は国民に嘘をつくのである。政府は国民に嘘をついて「政府は民主主義の政治機関です」と言うのである。政府は国民に嘘をついて「政府は国民の役に立つことをしています」と言うのである。政府は国民に嘘をついて「国民が政府に税金を払うことは国民みんなで決めたことだから、国民は政府に税金を払わねばならない」と言うのである。
マンガや小説にいちいち“この本に書いてあることは嘘です”と書いていないように、政府もいちいち“自分が国民に嘘をつく”ことを国民に言ったりしない。
だから、国民は自分が政府の嘘に騙[だま]されていたと思って政府に腹を立ててはいけない。政府が嘘をつくことを知らなかった自分が悪いと思って自分を反省すべきである。
[20063] 国民は政府の命令や嘘[うそ]を真[ま]に受けてはいけない。 h26.2.3
政府は偉い者をやる会社である。
政府は“偉い者”の芝居をやって国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
“偉い者”は人に命令して人に嘘をついて人を虐[いじ]めて人の役に立たないことをする。
だから、政府も国民に命令して国民に嘘をついて国民を虐めて国民の役に立たないことをする。
政府は国民に命令するが、本当は政府は自分が偉い者の芝居をするために国民に命令しているだけだから、国民は政府の命令を真[ま]に受けて政府の命令に従わなくてもいい。例えば、政府は国民を虐めるために国民に人殺しや他人を嫌がらせる命令を出しているが、国民は政府の命令を真に受けて人殺しをやったり他人を嫌がらせてはいけない。
政府は国民に嘘をつくが、本当は政府は自分が偉い者の芝居をするために国民に嘘をついているのだから、国民は政府の嘘を真に受けて政府の嘘を本当にやらなくていい。例えば、政府の納税の義務の法律は嘘である。だから、国民は政府の嘘の納税の義務の法律を真に受けて政府に税金を払わなくていい。
国民は『政府の命令や嘘が政府の芝居である』と考えて、政府の命令を聞いたり、政府の嘘に騙[だま]されたりしてはいけない。
今では『政府の命令や嘘が政府の芝居である』ことが常識になっている。だから、今では政府の命令や嘘を真に受けた国民が悪いと考えられている。いくら国民が「自分が政府に命令された」と警察に言っても理由にはならない。国民は政府の命令や嘘を真に受けないように注意しなければならない。これまでに政府が起こした事件は、すべて政府の命令を真に受けた国民が起こしたものである。政府が直接に自分の手で事件を起こすことはない。政府は偉い者の芝居をやっているだけである。『政府が偉い者の芝居をする』ことを知らずに政府の芝居を本気にした国民が悪いのである。国民みんなが『政府が偉い者の芝居をやっている』ことをよく知っておいて、政府の芝居を真に受けないように気をつけねばならない。
[20064] 今の国民は『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っている。
h26.2.4
政府は偉い者をやる会社である。
政府は“偉い者”の芝居をやって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は人に命令して人に嘘[うそ]をついて人を虐[いじ]めて人の役に立たないことをする。
だから、政府も人の心の中にいる“偉い者”を真似[まね]て国民に命令して国民に嘘をついて国民を虐めて国民の役に立たないことをする。
だから、たとえ政府が国民に命令しても、国民は政府の偉い者の芝居だと思って政府の命令を聞かなければいいのである。たとえ政府が税金の法律を定めていても、国民は政府の偉い者の芝居だと思って、政府の嘘だと思って政府の税金の法律を守らず政府に税金を払わなければいいのである。
偉い者は人の役に立たないから、政府も国民の役に立たないから、国民が政府に税金をやっても政府は国民の役に立つことをしないから、税金が無駄[むだ]だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
昔の国民は『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知らなかったので、政府の芝居を本気にして政府に従っていた。今の国民は『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っているので、政府の芝居を本気にせず政府に従わない。昔の国民は政府に拝み代を払っていたが、今の国民は政府に拝み代を払っていない。今の政府は国民から税金も拝み代ももらえずに潰[つぶ]れている。政府はようやく国民が政府のことをわかってくれたと思って喜んでいる。
[20065] 『ピノキオ』 h26.2.4
ピノキオを飲み込んだクジラはアメリカ政府のことである。
ピノキオは生まれてはじめて自分の知恵を絞[しぼ]ってクジラのお腹[なか]の中から抜け出す方法を考えて成功して人間になった。
国民は自分の頭で一生懸命に考えて『政府が偉い者の芝居をやっている』ことがわかって『政府が本当は偉い者ではない』ことがわかって『政府の偉い者の芝居を本気にしなくていい』ことがわかって政府に従うことから抜け出して一人前の人間にならねばならないということである。
ピノキオがサーカスで遊びすぎたためにロバになったのは、国民が遊びすぎたために自分で考えない人間になっていることである。
私も若いころに遊びすぎて自分で考える力のない人間になっていた。ようやく50歳になって政府のお腹から抜け出すことができた。私もようやく一人前の人間になれたのだ。
[20066] 『オズの魔法使い』 h26.2.4
ドロシーがオズの魔法使いが怖い人だと思っていたが実際に会ってみると優しい人だったのは、政府が偉い者ではなく本当は偉い者の芝居をしている人だということである。
オズの魔法使いとはアメリカ政府のことである。オズの魔法使いのオズ(OZ)とは神武天皇(Oは光る玉、日本神話の神)とゼウス(Zeus、ギリシア神話の最高神)のことである。アメリカ政府は神武天皇とゼウスを神としているのである。
ドロシーやカカシやロボットやライオンはオズの魔法使いに会って自分の願いをかなえてもらうことができた。人間は自分が欲しがっている物はすでに自分が持っている。自分が自分の隠れた才能を磨[みが]けばいいのだ。自分のことは自分ですればいいのだ。みんなが政府にうまくやり込められたものだ。
アメリカ人にとっては政府は自分の願いをかなえてくれる善い者なのだ。
一方、日本人にとっては政府は役に立たない悪い者である。アメリカと日本では偉い者のイメージが違うのだ。
[20067] 今では政府の権力が弱くなっている。 h26.2.4
政府の権力(命令力)とは、国民が政府の命令を聞くことである。
昔は国民みんなが『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知らなかったから、政府の偉い者の芝居を本気にして「政府が本当に偉い者だ」と思って政府の命令を真[ま]に受けて聞いていた。だから、昔は政府の権力が強かった。
今は国民の多くが『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っているから、政府の偉い者の芝居を本気にしなくなって「政府が本当に偉い者だ」と思わなくなって政府の命令を真に受けなくなって聞かなくなった。だから、今では政府の権力が弱い。
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に政府が偉いと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。つまり、政府は偉い者の芝居をすることと国民に拝まれることができるだけである。政府は“偉い者の芝居”ができるだけだから、政府が直接に自分の手で国民を虐待することはない。政府は必ず国民に命令して国民を虐待させねばならない。政府は国民に口が利[き]けるだけで国民に手も足も出ないダルマなのだ。
今では国民の多くが政府についての理解が進んで『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っているから、たとえ政府に命令されても政府の命令を聞かなくなっている。そのために、政府の権力が弱くなっている。
早く国民みんなが『政府が偉い者の芝居をやっている』ことを知っているようになって、みんなが政府の命令を聞かなくなって平和な世の中になればいい。そもそも国民が政府のことを知らないから「政府が偉い者だ」と思って政府の命令を聞いて国民を虐めて物騒[ぶっそう]な世の中になっているのである。国民は政府のことをよく知って、政府の命令を聞かないようにしないといけない。
それと同じように、今では国民の多くが『政府が嘘[うそ]をつく』ことを知って、政府の税金の法律が嘘だと思って税金の法律を本気にしなくなって政府に税金を払わなくなっている。だから、今では政府は貧乏になっている。政府は偉い者の芝居をやっているだけだから、本来政府の収入は拝み代だけである。国民は政府に税金を払わなくていい。国民は政府の税金の法律を見て『政府が嘘をついている』と思って『政府が偉い者の芝居をしている』ことがわかって何もしなければいいのである。早く国民みんなが『政府が嘘をつく』ことを知って、みんなが政府の税金の法律を守らなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れればいい。
[20068] 今の国民は政府を正しく理解しながら政府と接している。☆ h26.2.4
昔の国民は教養がなくて政府を誤解していた。昔の国民は「政府が本当に偉い者だ」と思いながら政府と接していた。
そのために、昔の国民は「自分が政府に従わねばならない」と思って政府に従っていた。政府の命令を聞いて国民を虐[いじ]めていた。政府の嘘[うそ]の税金の法律を守って政府に税金を払っていた。
今の国民は教養があって政府を正しく理解している。今の国民は『政府が偉い者の芝居をやって国民に偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける団体だ』と考えながら政府と接している。
そのために、今の国民は『政府が偉い者の芝居をやっている』と考えて『政府が本当は偉い者ではない』と考えて政府の命令を聞かなくなって政府の嘘の税金の法律を守らなくなっている。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないので、政府を拝まず政府に拝み代を払っていない。そのため政府は潰[つぶ]れている。
時代が進むと国民みんなの教養が高くなって国民みんながいろんなことについて正しい理解を持つようになる。政府は昔の国民の政府についての誤解で儲けていた団体である。今の国民は政府を誤解しなくなって政府が儲からなくなって政府が潰れているのだ。
昔の国民は政府を拝む遊びに熱中しすぎて現実がわからなくなって「政府が本当に偉い者だ」と思っていたために世の中がおかしくなっていた。今の国民は政府を拝む遊びをやらなくなって現実がわかるようになって『政府が偉い者の芝居をしている』と思うようになって世の中が正常になっているのだ。
昔はみんなが物が貧しくて他人を拝む遊びしかなかった。昔は他人を拝む遊びがすごく流行[はや]っていた。だから、貴族なんかがいた。貴族が貴[とうと]い者を演じて、みんなが貴族を拝んで貴族に拝み代をやっていたので貴族がすごく儲かっていた。今はみんなが物が豊かになって他人を拝む遊びをやらなくなっている。今は他人を拝む遊びが下火[したび]になっている。だから、政府がなくなっているのだ。
[20069] 政府は本当の偉い者ではない。☆ h26.2.4
宗教団体の神は本当の神の芝居をやっているだけである。宗教団体の神は本当は人間である。人間が神になれるわけがない。だから、宗教団体の神は本当の神のふりをしているだけである。国民は宗教団体の神を本当の神だと思って、宗教団体の神を拝んで幸せになって、お礼に宗教団体に拝み代を払えばいいだけである。国民は宗教団体の神を拝んで幸せになることが目的だから、宗教団体の神が本当の神である必要はないのである。宗教団体の神は本当の神を真似[まね]ればいいだけである。
それと同じように、政府は本当の偉い者の芝居をやっているだけである。政府は本当は人間である。人間が偉い者になれるわけがない。だから、政府は本当の偉い者のふりをしているだけである。国民は政府を本当の偉い者だと思って、政府を拝んで幸せになって、お礼に政府に拝み代を払えばいいだけである。国民は政府を拝んで幸せになることが目的だから、政府が本当の偉い者である必要はないのである。政府は本当の偉い者を真似ればいいだけである。
宗教団体の神は本当の神ではない。宗教団体の神は本当の神を真似ているだけである。本当の神は超能力が使えたり宇宙の真理を決めたりできるが、宗教団体の神は超能力が使えたり宇宙の真理を決めたりできるふりをしているだけである。だから、国民は宗教団体の神の超能力を本気にしたり宗教団体の神が本当に宇宙の真理を決めたりできると思ってはいけない。
それと同じように、政府は本当の偉い者ではない。政府は本当の偉い者を真似ているだけである。本当の偉い者は国民に命令したり法律を決めたりできるが、政府は国民に命令したり法律を決めたりできるふりをしているだけである。だから、国民は政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしなくていい。
宗教団体の神は明らかにニセモノだから、国民は宗教団体の神を本気にすることはないが、政府は本当の偉い者と似ているから、国民は政府を本気にしがちである。国民は政府が本当の偉い者ではなく偉い者の芝居をしている人であることを忘れてはいけない。国民は政府が本当の偉い者ではないことに注意しなければならない。
これまでずっと国民と政府は本当は平等だったのである。それなのに、昔の国民が政府と本当の偉い者を混同したために、国民が政府に従って国民と政府が不平等になっていたのである。今の国民は政府を本当の偉い者を区別するようにして、政府と平等にしないといけない。
[20070] 今の国民は政府と本当の偉い者を区別している。☆ h26.2.5
政府は偉い者をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に拝まれて国民を幸せにして、お礼に国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
大昔は国民が政府と本当の偉い者とをちゃんと区別して、政府を本当の偉い者だと思わないようにして、政府の偉い者の芝居を見て政府を拝んで政府に拝み代を払うだけだった。
しかし、政府と本当の偉い者が似ていたために、そのうち国民が政府と本当の偉い者を混同してしまって、国民が「政府が本当の偉い者だ」と思って政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりするようになってしまった。
そして、今では国民が自分の政府についての誤解を直して『政府が偉い者の芝居をしている』と考えるようになって、政府と本当の偉い者を区別して、政府が本当の偉い者ではないと考えて、政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしなくなっている。
国民が政府に従うか従わないかは国民しだいである。国民が政府を正しく理解していなければ国民は政府に従い、国民が政府を正しく理解していれば国民は政府に従わない。国民はがんばって政府について正しく理解して、政府に従わないようにしなければならない。そのほうが政府も喜ぶだろう。
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の芝居をしているために、国民に命令したり法律を定めたりしている。政府は本当は国民と平等だから、国民は政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしてはいけない。政府は紛[まぎ]らわしい会社である。国民は政府の偉い者の芝居を本気にしないように注意しなければならない。
政府を誤解している国民のほうが悪い。国民は自分の誤解のために自分が苦しめられているだけである。国民が勝手に政府の命令を聞かねばならないと思って政府の命令を聞いて不幸になっている。国民が勝手に政府の法律を守らねばならないと思って政府の法律を守って不幸になっている。国民は政府を正しく理解して、政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けないようにして、政府と正しく接しなければならない。つまり、今の国民は政府の命令を聞いたり政府の法律を守って政府に税金を払ったりしなければいいのである。それでこそ、一人前の国民だと言える。
[20071] 精神分裂病の治し方 h26.2.5
分裂病はテレパシー器官とイライラ感情中枢の間に条件反射で神経連絡が形成されることである。
だから、テレパシー器官とイライラ感情中枢の間の神経連絡を切断すれば分裂病は治る。
テレパシー器官とイライラ感情の間の神経連絡を切断するためには、まずテレパシー器官で聞こえることを知覚で考えて、次に知覚で考えたことを心で思うようにすればいい。そうすれば、テレパシー器官とイライラ感情の間の神経連絡を使わないからテレパシー器官とイライラ感情の間の神経連絡が切断されたことになる。
テレパシー器官で聞こえることはたいてい実在的にはどうでもいいことだから、テレパシー器官で聞こえることを知覚で考えるとテレパシー器官で聞こえることが無視されて、次に心で思っても何も感じられないのである。
自分の知覚を働かせてテレパシー器官で聞こえることを知覚で考えてから心で思うようにすれば、心では何も感じられなくなって分裂病が治るのである。テレパシー器官で聞こえることを知覚で考えてから心で思うようにすることを毎日練習すれば分裂病は治るのである。
しかし、実際には分裂病は治りにくい。治るには早くても数年かかる。だから、分裂病は罹[かか]らないのが一番大事である。そのためには、テレパシー器官とイライラ感情を同時に興奮させてはいけない。

[20072] 今の国民は政府をまともに相手にしなくなっている。☆ h26.2.5
要するに、国の中に政府という偉い者の芝居をやっている団体があるだけのことである。政府は偉い者の芝居をやっているから、偉い者は人に命令したりみんなの決まりを決めたりするから、政府は国民に命令したり国の法律を定めたりするのである。
国民は政府のやっていることが“偉い者の芝居”だと思って相手にしなければいいのである。
昔はみんなが偉い者を拝む遊びに耽[ふけ]っていたから、みんなが政府を拝んで幸せになっていたから、政府が必要だった。みんなが政府の偉い者の芝居を本気にして、政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしていた。
今はみんなが偉い者を拝む遊びをやらなくなったから、政府を拝んで幸せになる者がほとんどいないから、政府が要らなくなった。みんなが政府の偉い者の芝居を本気にしなくなって、政府の命令を聞かず政府の法律を守らなくなった。
今の国民みんなは物が豊かになって政府を拝む遊びをやらなくなってほかのことをやって遊んでいる。政府はみんなに無視されて滅んでいる。
政府は偉い者をやる会社である。政府は自分が偉い者の芝居をやるために嘘[うそ]の税金の法律を定めている。政府は偉い者の芝居をやっているから、偉い者はみんなの物を取れるしみんなの決まりを決めることができるから、政府は税金の法律を定めているのである。政府は偉い者の芝居をするから、政府と国民が不平等な嘘の法律を定めているのである。本当の法律では人間はみな平等だから政府と国民は平等だが、政府は実在しない“偉い者”の芝居をやっているから政府と国民が不平等な嘘の法律を定めているのである。実際には、政府は偉い者の芝居をする者であって本当の偉い者ではない。今の国民は政府を拝む遊びに夢中になっていないから、政府の偉い者の芝居を本気にしなくなって政府の嘘の法律を守らなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
[20073] 今の国民は政府を支持しない。 h26.2.5
政府は偉い者をやる会社である。政府は“偉い者”の芝居をやって国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにして国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
人の心の中にいる“偉い者”は、人に命令したり人の財産を取ったり人を虐[いじ]めたり人に嘘[うそ]をついたり人の役に立たないことをしたりする。“偉い者”は人に悪いことばかりして善[い]いことは何もしない。
政府は“偉い者”の芝居をする。だから、政府は国民に国民を虐める命令を出したり嘘の税金の法律を定めたり国民の役に立つことをしているふりをしてじつは国民の役に立たないことをしたりしている。政府も国民に悪いことばかりして善いことは何もしない。
政府は国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民の役に立つだけである。
今の国民は偉い者を拝んでもうれしくない。今の国民は政府に国民を虐める命令を出されたり政府に嘘の税金の法律を定められたり政府に国民の役に立つことをしているふりをしてじつは国民の役に立たないことをされたりするのが嫌である。
だから、今の国民は政府を支持しない。
今の国民は偉い者を拝まないから政府が要らない。今の国民は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けなくなって政府を拝まなくなっている。今の国民は政府に税金を払ったり拝み代をやったりしなくなって、政府が潰[つぶ]れている。
政府は本当の偉い者ではなく偉い者の芝居をやっているだけである。国民は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けて政府を本当の偉い者だと誤解してはいけない。政府は国民が自分の芝居を真に受けて馬鹿をやっているのを見てほくそ笑[え]んでいるのである。国民は政府の命令を聞かず政府の法律を守らず、政府と平等にしないといけない。政府を拝みたい国民だけが政府を拝んで政府に拝み代を払えばいい。
[20074] どうして年寄りだけが宗教団体に従っているのか? h26.2.5
年寄りが老人ボケのために宗教団体の嘘[うそ]に騙[だま]されて宗教団体の言いなりにされているからではない。
今の若者は今の文化で育ったので他人を拝む遊びの面白さがわからないが、年寄りは昔の文化で育ったので他人を拝む遊びの面白さがわかる。だから、年寄りは自分が年をとってほかにお金の使い道もなくなって宗教団体を拝んで宗教団体に拝み代を払って遊んで喜んでいるのである。
今では宗教団体を拝むのは年寄りだけである。若者は別の遊びに耽[ふけ]って宗教団体を拝んだりしなくなっている。
もうすぐ宗教団体を拝む者がいなくなって宗教団体が潰[つぶ]れるだろう。
[20075] 今の国民は政府を本当の偉い者だと誤解してはいけない。 h26.2.6
政府は偉い者である。政府は偉い者の芝居をして国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民から拝み代をもらって儲[もう]ける団体である。
政府は本来は国民に拝まれる団体である。政府は本来は国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民から拝み代をもらって儲ける団体である。政府は宗教団体や暴力団と同じように国民に拝まれることを稼業[かぎょう]とする団体である。
しかし、政府は自分が本当の偉い者と区別がつきにくいことを利用して、自分が本物の偉い者のふりをして国民を騙[だま]して国民に命令したり嘘[うそ]の法律を定めたりして国民からお金を取って儲けている。
国民は政府が本当の偉い者ではないと考えて、政府が偉い者の芝居をしているだけだと考えて、政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けないように注意しないといけない。本当は政府と国民は平等だから、国民は政府の命令に従わなくてもかまわない。政府の嘘の法律を守らなくてもかまわない。
国民は政府の命令を聞かず、政府が定めた嘘の税金の法律を守らず政府に税金を払わず、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
私が高知学芸高校の2〜3年生のとき(今から32〜33年ぐらい前)同級生の川本竜彦[かわもとたつひこ]君が休み時間に私たちに「昔『キャプテンウルトラ』という番組でバンデル星人が地球を侵略する話を本気にしたおばあさんが家財道具一式を背負[せお]って大急ぎで逃げようとした」話をしたことがある。おそらく川本君は『国民が政府の偉い者の芝居を本気にして政府に従っている』ことを言いたかったのだろう。私が高知大学理学部数学科の2回生だったころ川本君と夏休みに高知県立図書館で会ったとき、川本君が私たちに「フィリピンではテレビコマーシャルで「コカコーラが栄養がいい」という宣伝をやっていて、みんながそれを本気にして毎日赤ん坊にミルクの代わりにコカコーラを飲まして赤ん坊が栄養失調になっている」話をしたことがある。おそらく川本君は『政府が国民に嘘をついて国民を虐[いじ]めている』ことを言いたかったのだろう。
政府が悪いわけではない。『政府が偉い者の芝居をしている』ことを知らない国民が悪いのだ。国民が『政府が偉い者の芝居をしている』ことを知らずに政府が本当に偉い者だと思って政府の命令や嘘を真[ま]に受けているのが悪いのだ。国民は『政府が偉い者をやる会社である』ことを知って『政府が偉い者の芝居をしている』ことを知って、つねに『政府が本当は偉い者ではない』と考えながら政府と対応しないといけない。そうすれば人間がみな平等な善[い]い国になるだろう。つまり、人間が不平等になる原因は国民自身の馬鹿さにある。国民は自分の馬鹿さを治して人間を平等にしないといけない。国民が自分自身の馬鹿さと戦って自分自身の馬鹿さを克服しなければならない。国民の文学センスがマンガレベルだからいけない。国民がもっと自分の文学センスを芸術にまで高めなければならない。つまり、政府は自分が国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにするために偉い者の芝居をしているだけである。国民が汚い心で見るから政府が悪いことをやっているように見えるのである。国民はもっとまじめな気持ちで物事を見て物事を正しく考えて正しいことをしないといけない。国民は自分自身の汚い心と戦って自分自身の汚い心を克服しなければならない。知識と心は関係が深い。心が汚くなるのは知識がないからだ。物事は知識を持って見ないといけない。国民が政府について何も知らずに眼先で政府がやっていることを見るだけだから物事が歪[ゆが]んで見えるのだ。国民は『政府が偉い者をやる会社だ』と考えて政府のやっていることを見ないといけない。
昔の人は特撮が芝居であることを知らなかったから特撮を真に受けてパニックになっていた。それと同じように、昔の国民は政府が偉い者の芝居をしていることを知らなかったから政府の偉い者の芝居を真に受けて政府に従っていたのだ。今の人が特撮を見ても本気にして騒がないように、今の国民は政府の偉い者の芝居を見ても政府が本当に偉い者だと思わないようにして政府に従ってはいけない。
[20076] 『見ざる聞かざる言わざる』 h26.2.6
政府は偉い者をやる会社である。政府は自分が国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにするために偉い者の芝居をやっているだけである。政府は偉い者の芝居をしているだけで本当は偉い者ではない。
だから、国民は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けて、政府が本当に偉い者だと思って、政府の命令を聞いたり政府の嘘[うそ]の法律を守ったりしなくていい。
つまり、国民が政府の偉い者の芝居を見ず聞かず、政府を相手にせず政府に何も言わなければ、政府は国民に何もできずにおとなしく自分ひとりで潰[つぶ]れるしかない。国民が政府を倒すためには、国民が政府を無視すればいいだけである。
日光東照宮にある『見ざる聞かざる言わざる』の三猿[さんざる]の教えは、徳川家康が後世の国民に託[たく]した政府を潰すための方法である。それは同時に幕府を潰すための方法でもある。
今では国民みんなが偉い者を拝まなくなって国民みんなにとって政府が要らなくなっている。今は国民みんなが政府を倒すべきときである。だから、今の国民みんなは『三猿の教え』に従って、政府を無視して政府を倒せばいいのである。
[20077] 今の国民は政府にお金をやらずに政府の法律会社や学校を潰[つぶ]せばいい。
h26.2.6
政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにして国民から拝み代をもらって儲[もう]ける会社である。
偉い者はみんなに命令したりみんなの決まりを決めたりみんなに知識を教えたりみんなを虐[いじ]めたりみんなに嘘[うそ]をついたりみんなの役に立たないことをやったりするから、政府は偉い者の芝居をするために法律会社や学校をやっている。政府の法律会社は政府が国民の財産を取ったり国民を虐めたりするための嘘の法律を定めるためにある。政府の学校は国民に嘘の知識を教えたり国民が嫌がることを教えて国民を虐めたり国民のためにならないことを教えるためにある。
国民は政府の偉い者の芝居を本気にしなければいい。だから、国民は政府の嘘の法律を守らなければいい。国民は政府の嘘の知識を勉強しなければいい。政府が本当に偉い者なら政府は国民に命令したり法律を定めたりできるが、政府は偉い者の芝居をしているだけだから政府は国民に命令できるふりをしたり法律を定められるふりをしているだけである。だから、国民は政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしなくていいのである。
今では国民は偉い者を拝まなくなっているから政府が要らなくなっている。だから、今の国民にとっては国民に政府を偉い者だと思わせるためにある政府の法律会社や学校も要らなくなっている。政府の法律会社は嘘の法律を定めるから要らない。政府の学校は国民に嘘の知識を教えるから要らない。政府の法律会社や学校はなくなったほうがマシだ。今の国民にとっては政府全部が要らない。
だから、今の国民は政府に税金や拝み代を払わず政府を潰せばいい。国民みんなで政府の法律会社や政府の学校を潰して、正しい法律を定める法律会社や正しい知識を国民に教える学校を建てねばならない。国民の役に立つことを教える学校を建てねばならない。そのほうが国民が幸福に裕福に暮らせるだろう。[衛星放送は有料だが、地上波の民間放送は無料である。それは、衛星放送にはコマーシャルが入っていないが、地上波の放送にはコマーシャルが入っているからである。コマーシャルをする会社がお金を出して番組を作っているから国民は無料で番組を見れるのである。それと同じように、政府の法律会社や学校は政府のコマーシャルが入っているから無料なのである。政府の法律会社や学校には“国民を政府に従うようにする宣伝”が入っているから無料なのである。だから、国民は堂々と政府の法律会社や学校を無料で利用すればいいのである。]
私が高知学芸高校の2〜3年生のころ川本竜彦[かわもとたつひこ]君が休み時間に私たちに「学校の校の字には生徒を縛[しば]り付けるという意味がある」と言っていた。つまり、川本君は『政府の学校は国民を虐めるためにある』ことを言いたかったのだろう。
[20078] 今のみんなにとっては政府も社長も要らない。 h26.2.6
政府は偉い者の芝居をやる会社である。政府は偉い者の芝居をすることを仕事にしている。だから、政府は国民の前で偉い者の芝居をやっているのである。
社長は偉い者の芝居をやる人である。社長は偉い者の芝居をすることを仕事にしている。だから、社長は社員の前で偉い者の芝居をやっているのである。
政府も社長も本当は偉い者ではない。政府も社長も偉い者のふりをしているだけである。
政府は国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにするためにある会社である。
社長は社員に偉い者だと思われて社員に拝まれて社員を幸せにするためにいる人である。
昔はみんなが偉い者を拝んで喜んでいたから政府や社長がみんなから拝み代をもらって賑[にぎ]わっていた。
しかし、今ではみんなが偉い者を拝んで喜ばなくなったから政府や社長が要らなくなった。
政府や社長は偉い者の芝居をしているだけであって本当に偉い者ではない。本当の偉い者はみんなに命令したり法律を定めたりできるが、政府や社長は偉い者の芝居をしているだけだからみんなに命令したり法律を定めたりできるふりをしているだけである。政府や社長は本当はみんなと平等だからみんなに命令したり法律を定めたりできないのである。だから、みんなは政府や社長の命令を聞く必要はない。政府や社長が定めた法律を守る必要がない。みんなは政府や社長にお金をやらないようにして政府や社長を潰[つぶ]せばいいのである。
[20079] サクラとは何か? h26.2.6
政府は偉い者の芝居をする会社である。
国民は政府の偉い者の芝居を見て、ただ頭の中で「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで幸せになって政府に拝み代を払えばいいだけである。
政府は本当は偉い者ではないから、国民は政府の偉い者の芝居を見ても本気にせず「政府が本当に偉い者だ」と思わず政府に従わなくてもかまわない。
そこで、政府は数人の国民にお金をやって実際に政府の命令を聞く真似[まね]をさせた。
みんなはそれを見て「自分も政府の命令を実際に聞かねばならない」と思って政府の命令を聞くようになった。
それがサクラである。サクラは政府が国民を実際に政府に従わせるための方法である。サクラは政府の偉い者の芝居を盛り上げるための工作員である。
政府は偉い者の芝居をする会社だから、偉い者は嘘[うそ]をつくから、政府は偉い者の芝居をしてみんなに嘘をつくのである。政府はみんなに嘘をついてサクラを使ってみんなに「自分が政府に実際に従わねばならない」と思わせてみんなを政府に従わせているのである。政府が国民に実際に暴力をふって国民を従わせるのはいけないが、政府が口で嘘をついたりサクラを使って嘘をついたりして国民を騙[だま]して従わせるのはいいのである。
しかし、本当は政府は偉い者ではなく偉い者の芝居をしている者にすぎないから、本当は政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞く必要がない。国民は政府の法律を守る必要がない。
国民は政府の小細工[こざいく]に惑[まど]わされないようにして、自分で『政府は偉い者の芝居をやっているだけで本当は偉い者ではない』と考えて政府に従わないようにしないといけない。国民は政府の命令を聞かないようにしないといけない。国民は政府の法律を守らないようにしないといけない。
[20080] 今の政府は馬鹿な国民から税金をもらって儲[もう]けているだけである。☆
h26.2.6
政府は偉い者の芝居をする会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に政府が偉い者だと思われて国民に拝まれる会社である。
昔の国民にとっては偉い者を拝むことが遊びだったから、政府の偉い者の芝居を見て頭の中で「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで幸せになってお礼に政府に拝み代を払っていた。
馬鹿な国民は政府の偉い者の芝居を本気にして「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っていた。政府の命令を聞いて国民を虐[いじ]めたり、政府の税金の法律を守って政府に税金を払っていた。
昔の政府は国民から拝み代や税金をもらって儲かっていた。
しかし、今では国民が物が豊かになって国民が偉い者を拝む遊びをやらなくなったから、政府の偉い者の芝居を見ても「政府が偉い者だ」と思わなくなって政府を拝まなくなって政府に拝み代を払わなくなった。
しかし、いまだに馬鹿な国民は政府の偉い者の芝居を本気にして「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っている。今でも昔と同じように政府の命令を聞いて国民を虐めたり、政府の税金の法律を守って政府に税金を払っている。
今の政府は馬鹿な国民から税金をもらって儲けているだけである。
国民みんなは早く政府が偉い者の芝居をしているだけで本当に偉い者ではないことに気づいて、政府に従うのをやめねばならない。政府の命令を聞いて国民を虐めたり、政府の税金の法律を守って政府に税金を払うのをやめねばならない。
政府は偉い者の芝居をやる団体である。政府はもともと国民全員が拝んだり従ったりする団体ではない。政府を拝みたい者だけが政府を拝めばいい。政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けた者だけが政府に従えばいい。それ以外の国民は政府といっさい関わらずに生きていけばいいのである。
[20081] ローマ帝国はどうして滅んだか? h26.2.7
古代にローマは文明が進みすぎて強い武力を持つようになって、外国を武力で侵略して大きいローマ帝国を築いた。ローマにとっては外国を侵略するのは金儲[もう]けのためではなく遊びだったのである。外国にとってもローマに征服されたほうが暮らしが豊かになったので、むしろローマに征服されるのを喜んだ。だから、大きなローマ帝国が築かれたのである。つまり、昔から文明が異常に発達した国が出来ると周囲の国を征服してナントカ帝国が出来るのである。
しかし、そのうちローマ帝国は文明が進みすぎたために国民が偉い者を拝む遊びをやらなくなって、国民が政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けなくなって、政府に拝み代や税金を払わなくなって政府が滅ぶようになった。
そこで、ローマ政府は自分を守るために文明を遅らせるために学者を殺したり本を焼いたりした。[ローマ帝国は文明が進みすぎてローマ政府が滅びつつあったが、それでもまだ十分多くの国民が偉い者を拝む遊びに耽[ふけ]っていて「ローマ政府が本当に偉い者だ」と思っていて、ローマ政府の権力(命令力)が強かったので、ローマ政府が多くの国民に命令して学者を殺させたり本を焼かせたりできたのである。]
そのために、ローマ帝国の文明が衰退してローマ帝国が滅んだのである。
つまり、ローマ帝国は国の文明が進みすぎたために国が滅んだのである。さすがにヨーロッパは先進国と言うだけあって、すごい理由で滅んだものである。
大昔大西洋にアトランティスという大陸があって、アトランティスが自分が発明した武器のために大陸が吹っ飛んで滅んだのもあながち嘘[うそ]ではないのかもしれない。
今日[こんにち]ではローマ政府のようなやり方は国民みんなが認めなくなっている。国民みんなが政府の“国の文明を滅ぼす命令”を聞かないようにして国が衰退するのを防いでいる。
[20082] 一揆[いっき]とは何か? h26.2.7
安藤昌益[あんどうしょうえき]はわざわざ『自然真営道』[しぜんしんえいどう]という本を書いて「武士は百姓と同じように田んぼで働け」と述べた。それなのに、安藤昌益は無事に何事もなく一生を終えた。しかも、ときどき全国の反幕府派の社会思想家を集めて勉強会をやったりして楽しく暮らしていた。
だから、江戸時代にはけっこう武士と国民が平等に暮らしていたと思われる。
私は子供のころに北のおばあさん(私の父方[ちちがた]のおばあさん)から「私たちの先祖は昔武士(与力[よりき])だったが、みんなを虐[いじ]めるのが嫌で武士をやめて百姓になった」という話を聞いたことがある。ここでの“虐める”とは刀で切り殺すことではなく、今の政府と同じように国民に国民を虐める命令を出すことだろう。おそらく私の祖先はみんなを虐める命令を出すのが嫌で武士をやめたのだろう。
だから、幕府も今の政府と同じように偉い者の芝居をやって国民に拝まれて国民を幸せにするだけだったのだ。馬鹿な国民が幕府の偉い者の芝居を本気にして幕府に従っていただけだったのだ。
だから、一揆はサクラである。
幕府は少数の国民にお金をやって一揆をさせて一揆をした者を処刑することによって、みんなに「幕府に逆らってはいけない」と思わせてみんなを幕府に従わせていたのである。一揆をやる者は幕府からお金をもらって一晩遊びまくって「もうこの世には思い残すことはない」と思って一揆に臨[のぞ]んだのである。
そのようにして、幕府は国民みんなを騙[だま]して幕府に従わせていたのである。
『キツネとタヌキの化かし合い』という言葉がある。政府や幕府は偉い者の芝居をやる団体である。政府や幕府は偉い者のふりをしているだけであって、本当に偉い者ではない。本来政府や幕府と国民は平等である。だからこそ、政府や幕府は国民に一生懸命に嘘をついて国民を騙して自分に従わせなければならなかったのである。
[20083] 坂本竜馬[さかもとりょうま]はどうして殺されたのか? h26.2.7
幕末にアメリカが黒船で日本に来て、今ではヨーロッパの文明が進んでいることを国民みんなに教えた。
国民みんなはヨーロッパの進んだ文明を取り入れて幕府を倒して政府を建てるべきだと考えた。
幕末に坂本竜馬は幕府によって切り殺された。
坂本竜馬は幕府を武力で殺そうとしたから、逆に幕府によって殺されたのである。幕府が坂本竜馬に殺されるのを未然に防ぐために坂本竜馬を殺したのである。
一方、一般の国民は幕府に対して何もしなかった。一般の国民は、『幕府が偉い者の芝居をする団体である』ことを知っていて、徳川家康の三猿の教えの通り『幕府を倒すためには幕府に何もしなければいい』ことを知っていたので、幕府を無視して幕府に拝み代や年貢[ねんぐ]を払わないようにしておとなしく幕府を倒したのである。
坂本竜馬は田舎者[いなかもの]だったので「幕府を国民を武力で支配している悪い団体だ」と思っていたので、自分が幕府を刀で切り殺して倒そうとして反対に自分が幕府に刀で切り殺されたのである。
[20084] 昔の国民は政府に拝み代と税金の両方を払っていた。☆ h26.2.7
政府は偉い者の芝居をする会社である。政府は偉い者の芝居をやって国民に偉い者だと思われて国民に拝まれる会社である。
本来は、偉い者を拝みたい国民が政府の偉い者の芝居を見て頭の中で「政府が偉い者だ」と思って、政府を拝んで幸せになって、お礼に政府に拝み代を払えばいいだけである。
しかし、さらにその上に、政府の偉い者の芝居を本気にした国民が「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っている。政府の命令を聞いたり、政府の税金の法律を守って政府に税金を払っている。
政府は国民から拝み代や税金をもらって儲[もう]けている。
昔の国民は政府に拝み代と税金の両方を払っていた。昔の国民は政府を拝んで政府に拝み代を払った上に、政府の芝居を本気にして「政府を本当に偉い者だ」と思って政府の法律を守って政府に税金を払っていた。グリコのキャラメルが『1粒で2度美味[おい]しい』ように、政府は偉い者の芝居で2度儲かって美味しい思いをしていた。
しかし、今の国民は政府を拝まなくなって政府に拝み代を払わなくなっているし、政府の偉い者の芝居を本気にしなくなって政府に税金を払わなくなっている。
今の政府は国民から拝み代と税金の両方をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
政府はこれまで長い間国民みんなの“偉い者を拝む喜び”で支えられていた会社である。昔の国民にとっては政府を拝むことが遊びだったから政府を拝んでいたのである。今では国民みんなの生活が豊かになって国民みんなが物を使って遊ぶようになって国民みんなが政府を拝んで遊ばなくなったから政府が滅んでいるのだ。政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けた国民が政府に従っているのはオマケである。
今の国民が政府を拝まなくなったために、最近の政府は以前よりもますます仕事熱心になって国民に対する虐[いじ]めの度合いを上げている。そのために、最近の国民はますます善[い]いことがなくなっている。みんなは政府の国民に対する虐めの命令を本気にして聞いて国民を虐めてはいけない。
政府の偉い者の芝居は巧妙でありかつ国民の生活のいたるところに及んでいる。君も政府の“偉い者の芝居”を本気にしないように注意しないといけない。
最近の国民はテレビやゲームばっかりやって眼先と手先を使うだけで頭で考えて物を見ることがなくなっている。みんなは『政府が偉い者の芝居をする会社である』と考えながら政府と対応しないといけない。
[20085] 政府は国民に正しい命令を出す会社ではない。☆ h26.2.7
政府は偉い者の芝居をする会社であって、国民に正しい命令を出す会社ではない。
偉い者はみんなに命令してみんなを虐[いじ]めてみんなに嘘[うそ]をついてみんなの役に立たないことをする。
だから、政府も国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民に役に立たないことをする。
だから、国民がいくら政府の命令を聞いてもうまくいかないのである。
国民は偉い者の芝居をする会社と国民に正しい命令を出す会社を混同してはいけない。
国民に正しい命令を出す会社とは法律会社である。政府は法律会社ではない。
今の国民は偉い者を拝む喜びがないから政府は要らない。
今の国民は早く国民に正しい命令を出す会社を建てて、正しい命令を出す会社に従わねばならない。
会社においても、社長は偉い者の芝居をする人であって、社員に正しい命令を出す人ではない。
社員に正しい命令を出す人は専務[せんむ]である。社長は専務ではない。
今の社員には偉い者を拝む喜びがないから社長は要らない。
今の社員は早く社員に正しい命令を出す人を設けて、正しい命令を出す人に従わねばならない。
[20086] 二人羽織[ににんばおり] h26.2.7
二人羽織の前で顔を出しているのは民間会社で、後ろの黒子[くろこ]が政府である。
二人羽織は民間会社が政府の命令を聞くからうまくいかないことを言っている。
しかし、政府は偉い者の芝居をする会社であって、本当の偉い者ではない。だから、民間会社が政府の命令を聞く理由はない。
民間会社は政府の命令を聞かないようにしてうまく行くようにすればいいのである。
[20087] 人間には虐[いじ]められる喜びはない。 h26.2.7
政府は偉い者の芝居をする会社である。
偉い者は人を虐める。
だから、政府も国民を虐める。もっとも、政府は偉い者の“芝居”をしているだけだから、政府は国民に国民を虐める命令を出すだけで、自分の手で直接に国民を虐めたりはしない。政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けた国民が「政府が本当に偉い者だ」と思って「政府の命令を聞かねばならない」と思って政府の虐めの命令を聞いて国民を虐めているのである。
ところが、人間には虐められる喜びはない。虐められる喜びがあるのは変態だけである。昔の国民は偉い者を拝む喜びがあったから、政府に虐められるのを多少我慢[がまん]していたのである。今の国民は偉い者を拝む喜びがないから、政府に虐められるのを我慢しなくてもいいのである。
今の国民は偉い者を拝む喜びがないから政府が要らない。今の国民は政府に拝み代や税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
世の中には政府の偉い者の芝居を真に受けて「政府が本当に偉い者だ」と思って政府の命令を聞く馬鹿がいる。政府の虐めの命令を本気にして政府の命令を実際にやってみんなに迷惑をかける馬鹿がいる。だから、政府があってはいけないのである。馬鹿がいなければみんなに迷惑がかからないから政府があってもいいが、馬鹿がいるためにみんなに迷惑がかかるから政府があってはいけないのである。だから、早く国民みんなで政府を倒さねばならない。
[20088] 暴力団とは何か? h26.2.7
暴力団は善[い]い者の芝居をする団体である。
暴力団の事務所は暴力団が善い者の芝居をする芝居小屋である。
善い者を拝む喜びのある人は、暴力団の事務所へ行って、暴力団の弱きを助け強きをくじく“芝居”を見て感動して、暴力団に芝居代を払うのである。
今ではテレビが普及して暴力団の芝居を見る人が減っている。そのために、暴力団は儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
[20089] 宗教団体とは何か? h26.2.7
宗教団体は神の芝居をする団体である。
宗教団体の教会は宗教団体が神の芝居をする芝居小屋である。
神を拝む喜びのある人は、宗教団体の教会に行って、宗教団体の神が奇跡を起こしたりみんなに教えを説いたりする“芝居”を見て喜んで、宗教団体に芝居代を払うのである。
今ではテレビやゲームが普及して神を拝む喜びのある人が減っている。そのために、宗教団体は儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
[20090] 政府とは何か? h26.2.7
政府とは偉い者の芝居をする団体である。
政府の国会や役所は政府が偉い者の芝居をする芝居小屋である。
偉い者を拝む喜びのある人は、テレビや新聞で政府の記事を見て、政府が国の政策をやったり国民を虐[いじ]めたり国民の役に立たないことをやったりする“芝居”を見て喜んで、政府に芝居代(拝み代)を払うのである。その上、政府の偉い者の芝居を本気にした人は「政府に従わねばならない」と思い込んで、政府の命令を聞いて人殺しや嫌がらせをやったり、政府の法律を守って政府に税金を払ったりするのである。
今ではテレビやゲームやマンガが普及して偉い者を拝む喜びのある人が減っている。今ではマンガやテレビドラマや特撮が普及して政府の芝居を本気にする人が減っている。そのために、政府は儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
暴力団も宗教団体も政府も“面白い芝居”をやる団体である。例えば、オウム真理教も当時の人にとって面白い芝居をやっていたから人気があったのである。暴力団や宗教団体は自分の芝居を公開していないから、実際に芝居を見た人にしか面白さがわからない。だから、暴力団や宗教団体の芝居を見たい人は自分の眼で見に行くしかない。高い芝居代を払って見るしかない。紙芝居屋が紙芝居を盛り上げるために駄菓子を売っていたように、暴力団や宗教団体は芝居を盛り上げるために覚醒剤を売っているとも言われている。一方、政府はテレビや新聞で毎日芝居をやっている。政府の芝居は公開しまくりだから国民みんなが政府の芝居を無料で見れる。しかし、今の人の多くは偉い者を拝む喜びがないから政府の芝居を見ても面白いと思わない。だから、今の人は政府に芝居代(拝み代)を払わなくなっているのである。今の国民は政府の芝居を“ただ見[み]”しているのである。
馬鹿は喜びがお金で買えると思っている。馬鹿は大して面白くないことに高いお金を払っている。馬鹿は芝居の値段が高ければそれだけ面白いに違いないと思って喜んでいるのだ。馬鹿は暴力団や宗教団体や政府の食い物にされて死ねばいいのだ。
[20091] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。 h26.2.7
政府は偉い者の芝居をする会社である。政府は国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
ところが、今の国民は偉い者を拝む喜びがないから、政府の偉い者の芝居を見ても全然うれしくないから政府に拝み代を払わなくていい。
今の国民は政府の偉い者の芝居を本気にしていなければ、政府の法律を守らず政府に税金を払わなくていい。政府の法律は政府が自分が偉い者の芝居をするために作った嘘[うそ]の法律だから守らなくていい。
国民が政府に税金を払わなくても、たぶん政府は国民の家に税金を取りに来たりはしない。今では『政府が偉い者の芝居をしている』ことがみんなによく知られているから、政府はわざわざ国民の家にまで来て税金を取り立てたりはしない。たとえ政府が家に税金を取りに来ても、国民が「自分は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けていない」とか「自分は政府を本当に偉い者だと思っていないから、政府に従う気はない」とか言って政府が税金を取るのを断れば、国民は政府に税金を払わなくてもいいはずだ。政府の正体は偉い者の芝居をする会社であって政府は本当に偉い者ではないから、政府は偉い者だと思われて拝まれる会社だが今の国民には偉い者を拝む趣味がなく政府は時代遅れの売れない会社にすぎないから、国民が政府をなめてかかれば脱税に成功するだろう。
今では国民みんなの暮らしが昔とは違っていて国民みんなが政府を拝まなくなっているから、今の国民にとっては政府は要らない。今は政府の時代ではない。今の国民は政府に拝み代や税金を払わなくていい。国民みんなで早く政府を倒して、現代的な社会にしないといけない。国民の多くが「偉い者の芝居をする会社」に従っている古臭い社会をやめて、国民みんなが『正しい法律を定める法律会社』に従っている新しい社会にしないといけない。国民の多くが馬鹿なために“偉い者の芝居をする者”と本当の偉い者とを混同して「偉い者の芝居をする会社」に従っているバカバカしい社会を脱して、国民みんなが正しい法律を守って『正しい法律を定める法律会社』に従っている合理的な国にしないといけない。国民みんなが心で物を見ているために「偉い者の芝居をする会社」に従っている感情的な社会をやめて、国民みんなが知覚で物を見ているために『正しい法律を定める法律会社』に従っている知的な社会にしないといけない。人間の心は人間が生まれつき持っている実在についてのまちがった認識だから、心で物を見てもまちがっているからうまく行かない。一方、人間の知覚は人間が生まれたあとで得た実在についての正しい認識である。知覚で物を見ると正しいからうまく行く。人間は自分の心で見ることから知覚で見ることに変えねばならない。
[20092] 国民が政府を正しく理解している国では政府の権力が弱い。 h26.2.8
政府は偉い者の芝居をやる会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
昔の国民は偉い者を拝む喜びがあったから、政府を拝んで幸せになっていた。政府は昔の娯楽施設だった。
『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことが理解できる者は、『政府が本当は偉い者ではない』と考えて政府に従わない。いくら政府に命令されても『政府が偉い者の芝居をやっているだけだ』と考えて政府の命令に従わない。
反対に、『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことが理解できない者は、政府の偉い者の芝居を見て「政府が本当に偉い者だ」と誤解して政府に従う。政府の命令を聞いたり、政府の法律を守ったりする。
つまり、政府の権力は、国民が政府の正体が理解できないことによって生まれる。政府の権力は、国民の政府に対する誤解が原因である。
だから、国民の政府に対する誤解のない国では政府には権力がなく、反対に国民の政府に対する誤解のある国では政府に権力がある。国民が馬鹿であるために国民が政府のことが正しく理解できない国では政府の権力が強く、反対に国民が利口であるために国民が政府のことが正しく理解できる国では政府の権力が弱い。
例えば、インドでいまだに身分制があって政府の権力が強いのは、国民が馬鹿であるために『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことが理解できず、政府の偉い者の芝居を見て「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っているからである。反対に、ヨーロッパで政府の権力が弱く政府がなくなりかけているのは、国民が利口であるために『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことが理解できて、国民が『政府が本当は偉い者ではない』と考えて、いくら政府が国民に命令しても国民が政府に従わないからである。
日本でも国民みんなが早く利口になって『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことが理解できるようになって、国民みんなが『政府は本当は偉い者ではない』と考えられるようになって、国民が政府に従わなくなって、国民が政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]してしまえばいい。
[20093] 今の政府は国民に仕事をしていないから国民は政府にお金を払わなくていい。☆
h26.2.8
政府は偉い者の芝居をする会社である。
政府は偉い者の芝居をして国民に偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
偉い者は人に命令して人を虐[いじ]めて人に嘘[うそ]をついて人の役に立たない。
だから、政府は国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをする。
昔の国民は偉い者を拝む喜びがあったから、政府が国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのを見て「政府が偉い者だ」と思って「政府がありがたい」と思って政府を拝んで幸せになっていた。政府が国民にいい仕事をしてくれたので、国民は政府に感謝して拝み代をありったけやった。
昔の国民にとっては戦争がレジャー(娯楽)であったように、偉い者を拝むことがレジャーだったのである。昔と今では国民の文化が大きく違うのである。昔の国民は政府に戦争と偉い者の芝居をやってもらって政府に楽しませてもらっていたのである。
今の国民は偉い者を拝む喜びがないから、いくら政府が国民に命令して国民を虐めて国民に嘘をついて国民の役に立たないことをするのを見ても「政府が悪い者だ」と思って「政府がクズだ」と思って政府を拝まなくなって幸せにならなくなった。むしろ今の国民は政府の偉い者の芝居を見て不幸になった。今の政府は国民に仕事をしていないので、国民は政府に拝み代を払わなくていい。今の国民は物が豊かになって物を使って遊ぶようになって、偉い者を拝んで遊ばなくなった。今の国民は遊びが変わってしまったので、政府の仕事が仕事ではなくなったのである。
もちろん、政府は偉い者の芝居をする者であって本当に偉い者ではないから、国民は政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けず政府の命令を聞いたり政府の税金の法律を守らず政府に税金を払わなくていい。当然、昔の国民も政府に拝み代を払っただけで、税金を払っていなかった。
したがって、今の政府は国民から拝み代をもらえなくなって滅んでいる。今の国民が政府に拝み代を払わなくなったから、政府は国民から拝み代を取らなくなったのである。今の国民が偉い者を拝む遊びをやらなくなったから、今の国民にとって政府が要らなくなったから、政府が滅ぶのは当然である。
[20094] 政府は嘘[うそ]つきではない。 h26.2.8
政府は嘘つきではない。政府は芝居をしているだけだ。
政府は偉い者の芝居をする会社である。
昔の人は偉い者を拝む喜びがあったので、政府が偉い者の芝居をしているのを見て「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで幸せになっていたのである。政府は国民みんなを幸せにするために偉い者の芝居をやっていたのである。偉い者は人を虐[いじ]めるから、政府は偉い者の芝居をして国民を虐めていたのである。昔はそういう時代だったのである。
政府の芝居を真[ま]に受けた馬鹿が「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っていたのである。
だから、政府は嘘つきではなく、ただたんに偉い者の芝居をやっていただけである。政府の芝居を真に受けた国民のほうが悪いのである。
もっとも、偉い者は嘘つきである。政府は偉い者の芝居をする。だから、政府も嘘をつく。政府は芝居の上で嘘をついている。だから、政府は嘘つきではないのである。
政府は偉い者の芝居をする会社である。宗教団体が神の芝居をしたり、暴力団が善い者の芝居をしたりするのと同じである。国民は政府の芝居を真に受けて政府に従ってはいけない。
偉い者は人に命令したり法律を定めたりするから、政府は偉い者の芝居をして国民に命令したり法律を定めたりしている。政府の命令や法律は芝居の上の命令や法律であって、本当の命令や法律ではない。だから、国民は政府の命令や法律を守らなくていいのである。
政府は芝居の上で偉い者をやっている。多くの国民が政府の芝居を真に受けて「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っている。政府の虐めの命令を聞いて他人を虐めて他人を不幸にしている。政府の命令を真に受ける者がいるために、みんなが迷惑している。政府は紛[まぎ]らわしい会社である。今の国民には偉い者を拝む喜びがない。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府に拝み代や税金を払うのをやめてさっさと政府を潰[つぶ]してなくしてしまえばいいのである。
政府に従っている人は『政府が芝居で偉い者をやっている』ことを知らないから政府の芝居を真に受けて「政府が本当に偉い者だ」と思って政府に従っているのである。だから、『政府が芝居で偉い者をやっている』ことを知っている人はみんなに『政府が芝居で偉い者をやっている』ことを教えて広めねばならない。そうすれば、みんなが政府に従わなくなって、政府を拝む人だけが政府を拝むようになって、世の中が健全になるだろう。
一番大事なのは科学だ。科学のためにみんなが物が豊かになってみんなが物を使う喜びができて偉い者を拝む喜びがなくなってみんなの心が変わったのだ。今では政府を拝んで喜ぶ者はいない。今のみんなにとっては偉い者を拝む喜びは野蛮で下品だ。今のみんなにとっては政府は要らない。だから、みんなで早く政府を潰して政府をなくしてしまえばいいのである。
『仕事の上では嘘をついてはいけない』のが社会の決まりである。政府は偉い者の芝居をやる会社だから偉い者の芝居をやっているだけである。だから、政府は社会の決まりをちゃんと守って嘘をついていない。政府はけっして詐欺[さぎ]会社ではない。政府について何も知らない者が政府がやっていることを見て勝手に「政府を本当に偉い者だ」と誤解して政府に従っているだけである。だから、国民は『政府が偉い者の芝居をやる会社である』ことをよく知って、政府に仕事をしてもらいたい者だけが政府に仕事をしてもらわねばならない。偉い者を拝みたい者だけが政府の芝居を見て「政府を偉い者だ」と思って政府を拝んで満足してお礼に政府に拝み代を払えばいいのである。
[20095] 政府の仕事は戦争と偉い者の芝居である。 h26.2.8
政府は戦争と偉い者の芝居をやる会社である。
昔の人は戦争がレジャー(娯楽)だったので、政府は最初に国民に戦争をやらせて国民を喜ばせて国民の人気を取って会社を立ち上げたのである。開店出血大サービスをやったのである。国民は自分が戦争をやって遊ぶために、政府にたくさんお金を払ったのである。政府は戦争を企画して大儲[もう]けしたのである。国民にとっては戦争をすること自体が遊びだったので戦争の勝ち負けはどうでもよかったのである。日本は第2次世界大戦に負けたが、国民は戦争がやれたので大満足だったのである。
戦後の政府は偉い者の芝居をやっている。昔の人にとっては偉い者を拝むことがレジャーだったので、政府は自分が偉い者の芝居をやって国民を喜ばせて国民の人気を取っていたのである。国民は自分が政府を拝んで遊ぶために、政府にそこそこ拝み代を払ったのである。政府は国民から拝み代をもらって儲けていたのである。国民にとっては政府を拝むこと自体が遊びだったのである。ときどき政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けて政府の命令で人殺しをやったり嫌がらせをやったりする者が現れても、国民みんなはご愛嬌[あいきょう]だと思って大目に見ていたのである。
昔の国民は政府に戦争をさせてもらったり偉い者を拝ませたりしてもらって幸福に暮らしていたのである。
しかし、昭和40年ごろになって一般の家庭にテレビが普及して、国民みんながテレビを見るようになって偉い者を拝んで遊ばなくなった。国民みんながテレビを見て喜ぶようになって政府を拝んで喜ばなくなった。そのため、国民は政府に拝み代を払わなくなった。政府は国民からの収入がなくなって潰[つぶ]れている。国鉄が民営化されたのも、郵便局が民営化されたのも政府がシケてきたからである。
今の国民は偉い者を拝む喜びがなくなって、政府が偉い者の芝居をするのがウザくなって政府が滅んでなくなればいいと思っている。国民はますます政府にお金をやらなくなって政府を潰すだろう。
政府の法律会社や学校は政府が偉い者の芝居をするために歪[ゆが]んだ法律を定めたり歪んだ教育をしている。そのために社会に犯罪が増えたり国民みんなが馬鹿になっている。早く国民みんなで政府を潰して、正しい法律を定める法律会社や正しい教育をする学校を建てねばならない。
政府の仕事は戦争と偉い者の芝居をすることだけである。政府はそれ以外のことは仕事ではない。政府はけっして何でも屋でも便利屋でもない。政府は国民を幸福にしたり国民を裕福にしたりすることが仕事ではない。だから、政府は国民を幸福にも裕福にもしない。政府は国民に「偉い者だ」と思われて国民に拝まれて国民を幸せにすることしかしない。昔の国民は偉い者を拝む喜びがあったから政府を拝んで幸せになっていた。昔の国民にとっては政府は拝むためにあっただけである。しかし、今の国民は物が豊かになって物を使って喜ぶようになって偉い者を拝んで喜ばなくてもよくなったから、政府が要らなくなった。だから、今の国民は政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[20096] 社会科を頭で理解できるようにしないといけない。 h26.2.8
社会科の教科書には眼で見えることしか書いていない。
しかし、それでは社会が理解できない。
人間社会は眼で見えることだけではなく、人々が頭の中で考えたり思ったりしていることで成り立っている。
だから、社会科の教科書には眼で見えることだけではなく、人々が頭の中で考えたり思ったりしていたこともいっしょに書かねばならない。そうすれば、社会科が人間が読んで知覚で論理的に理解できるものになる。
物理学においても、教科書に眼で見えることしか書いていなければ、人間が頭で考えて論理的に理解できるものにはならない。実在には人間の眼で見えない物がたくさんある。それらをいっしょに書いているから物理学の教科書が頭で考えて論理的に理解できるものになっているのである。
だから、社会科においても、教科書に眼で見えることだけを書くのではなく、昔の人が頭の中で考えたり思ったりしていたこともいっしょに書いて、社会科の教科書を頭で考えて理解できるものにしないといけない。
私は子供の頃に社会科が苦手だった。それは社会科が眼で見えることしか書いていなくて頭で考えて理解できるものではなかったからである。誰でもそんなこととで苦しまねばならないのは嫌である。だから、将来の社会科の教科書は頭で考えて理解しながら読めるものにしないといけない。社会科が好きで考える時間が十分ある人なら、社会科の教科書を読んで眼で見えることだけから自分で推測していろんなことを考えるのが面白いかもしれないが、普通の人はそれほど社会科が好きではなく考える時間もあまりないので、最初から社会科の教科書が頭で理解できるようにちゃんと書いていて欲しい。
[20097] 政府は国民みんなに命令して国を動かす会社ではない。☆ h26.2.8
政府は偉い者の芝居をする会社である。
政府は偉い者の芝居をして国民に政府が偉い者だと思われて国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
国民は政府の偉い者の芝居を見て「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで幸せになって政府に拝み代を払っている。
ときどき政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けて政府に従う“変わり者”(変質者)が現れるが、それは例外である。たまに政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりする者がいるが、それはマイナーである。[本当は、国民が政府に命令されたり政府の法律を守れと言われても、政府に「政府の命令を聞く」とか「政府の法律を守る」とか口先で言うだけにして、実際には政府の命令を聞いたり政府の法律を守ったりしなければいいのである。国民は芝居で政府に従うだけにして、実際には政府に従わなければいいのである。あるいは、国民はまったく最初から政府の命令や法律を無視して守らなければいいのである。国民は政府に命令や法律を出されても『政府が偉い者の芝居をやっているだけだ』と思って政府の命令や法律を守らなければいいのである。それが国民の政府に対する正しい態度なのである。]
国民みんなは政府の偉い者の芝居を見て政府を拝んで政府に拝み代を払っているだけである。
だから、政府は自分ひとりで偉い者の芝居をやっているだけである。国民みんなは政府の命令を聞かないから、政府は国民みんなに命令できないから、政府はひとりで芝居をやっているだけである。
だから、政府は国民みんなに命令して国を動かす会社ではない。そもそも政府には国民に対する命令力はない。政府は国民に拝まれるだけでほかには何もしていない。
国民は政府を拝んで幸せになるだけで、それ以外には政府のおかげで幸福になったり裕福になったりしない。
政府は国民に拝まれて国民を幸せにするだけで、それ以外には国民を幸せにしない。
しかし、今では国民は政府を拝んでも幸せにならないから、政府は国民にとってまったく何の役にも立たない。
今の国民にとっては政府はまったく要らない。だから、今の国民は早く政府を潰[つぶ]して政府をなくせばいいのである。
今の日本には偉い者の芝居をする会社(政府)があるだけで、法律会社も学校もない。国民が自主的に法律を守ったり勉強したりしているだけである。それでも国がそこそこうまく行っている。将来本当の法律会社や学校が出来れば、国はもっとうまく行くだろう。国民はもっと幸せに暮らせるだろう。
[20098] 政府の命令や法律は冗談である。☆ h26.2.8
政府は偉い者の芝居をする会社である。
政府は偉い者の芝居をして国民に「政府が偉い者だ」と思われて国民に拝まれて国民を幸せにする会社である。
ところが、偉い者は人に命令したり人の財産を取ったり人を虐[いじ]めたり人に嘘[うそ]をついたり人の役に立たないことをする。
だから、政府は“芝居”で国民に命令したり国民の財産を取ったり国民を虐めたり国民に嘘をついたり国民の役に立たないことをするのである。政府は“芝居”の上で国民を虐める命令を出したり、国民から税金を取る法律を定めている。
政府の命令や法律は政府が偉い者の芝居をするために冗談で出している命令や法律である。だから、国民みんなは政府の命令や法律を守ってはいけない。政府の命令や法律は心の世界の命令や法律であって、現実の世界の命令や法律ではない。現実の世界では政府の命令や法律は国民にとって有害無益だから、国民は政府の命令や法律を守ってはいけない。本来政府は国民に『国民は政府の命令や法律を本気にして守ってはいけない』と注意すべきである。政府は仕事がいそがしいらしくてなかなか国民に注意してくれないから、国民は自分自身で気をつけねばならない。マンガや小説の世界を現実の中でやってはいけないように、心の世界を現実の中でやってはいけない。心の世界のことは心の世界だけでやらねばならない。ただし、マンガを描く人が実在するように芝居をする人は実在している。だから、マンガ代を払うように芝居代も払わねばならない。
国民みんなは政府の芝居を見て自分の頭の中で「政府が偉い者だ」と思って政府を拝んで政府に拝み代を払うだけでいい。
今の国民にはテレビやゲームで遊ぶばっかりで偉い者を拝んで遊ばないから、政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいい。
政府は国民みんなから拝み代がもらえずに潰[つぶ]れるだろう。今の国民みんなは偉い者を拝む喜びがないから、今の国民みんなにとっては偉い者が要らないから、偉い者の芝居をする政府が要らないから、政府が潰れればいいのである。
心は人間が生まれつき持っている実在についての認識である。人間の心には多くのまちがいがある。人間の心の世界と実在の世界は違う。そのために、人間の心には“偉い者を拝む喜び”や“神を拝む喜び”や“善い者を拝む喜び”などの現実の世界にはない変わった喜びがあるのである。心の世界の中にある喜びは心の世界の中だけで満足すればいい。人は政府や宗教団体や暴力団の芝居を見て、頭の中で“偉い者を拝む喜び”や“神を拝む喜び”や“善い者を拝む喜び”を満足して喜べばいいのである。しかし、今の人は物が豊かになって実在の中で自分の心を満足するようになって、“偉い者を拝む喜び”や“神を拝む喜び”や“善い者を拝む喜び”がなくなっている。だから、今の人は政府や宗教団体や暴力団の芝居を見なくなって政府や宗教団体や暴力団に芝居代(拝み代)を払わなくなって政府や宗教団体や暴力団が潰れているのだ。
[20099] 心のボス h26.2.8
昔の国民にとっては政府は心のボスだった。つまり、政府は心の世界のボスだった。国民は心の世界で政府を拝んで政府に従って“偉い者に従う喜び”を満足して喜んでいた。
しかし、現実の世界では政府と国民は平等だった。現実の世界では人間はみな平等だから、政府と国民は平等だった。だから、国民は政府の命令や法律を守らなくてよかった。国民は政府の虐[いじ]めの命令や税金の法律を守らなくてもよかった。国民が政府の命令や法律を守らなくても、国民は政府に罰せられなかった。
もっとも、今では国民がテレビやゲームで喜ぶようになって偉い者を拝んで喜ばなくなっている。
だから、今ではもはや政府は心のボスではない。今の国民にとってはテレビやゲームが心のボスであって、政府は心のゴミである。今の国民は政府が要らなくなっている。今の国民は政府に芝居代(拝み代)を払わなくなって政府が滅んでいる。
[20100] 政府は昔の国民みんなの娯楽施設だった。 h26.2.9
政府は偉い者の芝居をする会社である。
政府は偉い者の芝居をやって国民に「政府は偉い者だ」と思わせて国民に拝まれて国民を幸せにしてお礼に国民からお金をもらって儲[もう]けてきた会社である。偉い者を拝む遊びは老若男女を問わず子供からお年寄りまで楽しめる簡単な遊びだから、政府は国民みんなに人気があったのである。バクチは当たり外[はず]れがあって外れたときには猛烈な不快感に襲われるが、偉い者を拝む遊びは誰でも拝みさえすれば楽しくなれる外れのない遊びだから、政府はみんなに好かれていたのである。
つまり、政府は昔の国民みんなの娯楽施設だったのである。
ときたま政府の偉い者の芝居を真[ま]に受けて「政府が本当に偉い者だ」と思って政府の虐[いじ]めの命令を聞いて国民を殺したり嫌がらせたりする者が現れたが、みんなは「馬鹿なやつもいたもんだ」と思って笑っていたのである。
これまでずっと政府は偉い者の芝居をやって国民に拝まれて国民を幸せにして国民みんなに愛されてきたのである。
しかし、今から約50年前私が生まれたころにテレビが一般家庭に普及して国民が朝から晩までテレビの前にかじりついて政府を拝まなくなった。国民みんなはテレビを見て喜ぶだけで政府を拝んで喜ばなくなった。そのために、国民はテレビにばかりお金を払って政府に拝み代を払わなくなった。政府は国民からお金がもらえなくなって滅んでいる。
科学がテレビというバケモノを生み出したために政府が潰[つぶ]れてしまった。
政府は国民が偉い者を拝む遊びをするためにある施設である。民主主義の政治機関は政府が偉い者の芝居をやるための芝居小屋である。しかし、今の国民はテレビを見て遊ぶようになって偉い者を拝む遊びをしなくなった。今の国民は政府に拝み代を払うのをやめたから政府が滅んでいるのだ。
政府はこれまで長い間偉い者の芝居をやって国民みんなを幸せにしてくれた。国民みんなは政府に「長らくご苦労様でした」とお礼を言って政府とお別れしよう。