[19901] 今の国民は自由に法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などにお金を払って利用すればいい。 h26.1.16
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民に“偉い者に従う快感”を売って、国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
政府と法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などが組んでいるだけである。
昔は国民みんなが“偉い者に従う快感”を得るために目の色を変えて政府に従っていたから、政府は国民みんなに命令して国民みんなからいくらでもお金をもらえたからすごく儲かっていた。そのため、政府は法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などを経営していた。国民みんなは無料で法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などを利用できた。
しかし、今では国民みんなが偉い者に従う快感が要らなくなって政府に従わなくなって、政府が国民みんなに命令しても政府は国民みんなからお金をもらえなくなって儲からなくなった。そのため、政府は法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などにお金をやれなくなって、法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などが政府から独立して民営化して国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に仕事をするようになっている。
今の国民は偉い者に従う快感が欲しくないから政府に従わなくていいから政府の命令で政府に税金を払わなくていい。今の国民は自分が利用したいときだけ法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などにお金を払って利用すればいい。
政府は国家宗教をやったり国民を虐[いじ]めるために国民の役に立たない会社も建てている。そういう会社は客が一人もいない。ぜんぶ政府からお金をもらって経営している。国民のほうから見ればそんな会社はまったく要らない。国民みんなは政府に税金を払わないようにしてそんな会社を潰[つぶ]せばいい。

[19902] 今の国民にとっては政府は国民を幸福にする会社ではない。 h26.1.16
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民に“偉い者に従う快感”を与えて国民を幸福にするだけである。
政府は国民に政府を偉い者と思わせるためには国民を虐[いじ]めなければならない。国民の役に立ってはいけない。
人間の心は自分を虐める者を偉い者だと思って、自分の役に立つ者を偉い者だと思わないからである。
そのため、政府は国民を虐めるだけで、国民の役に立たないのである。政府が国民の役に立つことをすることは国民に政府が偉い者だと思わせる妨げになるので、政府は国民の役に立つことを“あまり”しないのである。政府は水道やゴミをやるだけでそれ以外の国民の役に立つ事業はやらないのである。
人間の心は自分の役に立つ者を偉い者だと思わないから、国民は国民の役に立つことをする民間会社をちっとも偉いと思わないのである。国民は自分を虐めないかぎり偉い者だと思わないのである。だから、政府は国民を虐めるのである。
昔の国民は喜びがほとんどなかったので、偉い者に従う快感が必要だった。昔の国民にとっては政府は国民を幸福にするありがたい会社だった。昔の国民にとっては政府が必要だった。昔の国民にとって政府は国民の偉い者に従う快感を満足して国民を幸福にしてくれる会社だったから、政府が国民に政府を偉い者だと思わせるために国民を虐めるのを大目に見ていたのである。
しかし、今の国民は喜びがいっぱいあるので、偉い者に従う快感なんか要らない。今の国民にとっては政府は国民を虐める会社にほかならない。今の国民にとっては政府は国民を不幸にするだけで国民を幸福にする会社ではない。今の国民にとっては政府が要らない。今の国民にとって政府は国民を虐めて国民を不幸にする会社にほかならないから、今の国民は政府が大嫌いになって政府を我慢[がまん]しなくなったのである。
国民と政府は平等である。国民が政府に仕事をしてもらうかしてもらわないかは国民個人の自由である。
だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして、政府に国民に偉い者に従う快感を与える仕事をしてもらわなければいい。
未来になって文明が滅んで、国民みんなが再び喜びがなくなれば、国民みんなは偉い者に従う喜びが欲しくなってまた政府に従うようになって政府が国民みんなに命令して国民みんなが政府にお金をやって政府が儲[もう]かるだろう。それまでの間は国民みんなは政府が要らない。政府はしばらくの間休んでいればいい。

[19903] 税金は政府の国民に対する虐[いじ]めである。 h26.1.16
政府は国民を虐めて国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に偉い者に従う喜びを満足させるために、国民に命令して国民から税金を取っているのである。
昔の国民は偉い者に従う喜びがあったから、政府に偉い者に従う喜びを満足させてもらうために、喜んで政府に税金を払っていた。昔の国民にとっては政府に税金を払うことが楽しい遊びだったのである。
しかし、今の国民には偉い者に従う喜びがないから、政府に偉い者に従う喜びを満足させてもらう必要がなくなって、政府に税金を払わなくなった。今の国民は政府に税金を払うのが嫌だからやめたのである。
今の国民の多くはすでに政府に税金を払っていない。今では多くの国民が政府に税金を払わずにのうのうと暮らしている。浮いたお金で海外旅行に出かけている。みんなもそういう国民を見習っていっしょに政府に税金を払わないようにしないといけない。
昔の国民は政府に税金を払うのが好きだったから税金を払っていた。今の国民は政府に税金を払うのが嫌だから税金を払っていない。人間は自分の心のままに生きていなければならない。

[19904] 政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。☆ h26.1.16
政府は偉い者をやる会社である。政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために、国家宗教団体や民主主義の政治機関をやって国民に国家宗教や民主主義(テキトウ)で嫌な命令を出して国民を虐[いじ]めている。
国民は政府に従うことによって“偉い者に従う喜び”が満足されて幸福になれる。
国民が偉い者に従う喜びを満足したければ、政府に従えばいい。政府の命令を聞いて何でもかんでもやればいい。
国民が偉い者に従う喜びを満足したくなければ、政府に従わなければいい。政府の命令を聞かず何にもやらなければいい。
人間は自分の心のままにやればいい。そうすればいい社会になる。
政府は偉い者をやる会社である。国民が“偉い者に従う喜び”が欲しければ政府に従い、国民が“偉い者に従う喜び”が欲しくなければ政府に従わなければいい。それだけである。国民は物事の枝葉末節にとらわれずに本質を見て、自分が“偉い者に従う喜び”が要るか要らないかを考えて、要れば政府に従い、要らなければ政府に従わなければいいのである。

[19905] 政府は宗教団体や暴力団と同じである。 h26.1.17
今の政府は「偉い者に従う制度」に乗っかって国民から税金を取っている。
ということは、国民は政府が国家宗教や民主主義(テキトウ)で国民を虐[いじ]めているのを見て政府を偉い者だと思って、政府に従うことによって自分の“偉い者に従う快感”を満足して自分が気持ちよくなるために政府の命令を聞いて政府に税金を払っているのである。
身分制や国家権力(多数決の原理)はうわべの嘘[うそ]で、本当は国民は自分の“偉い者に従う快感”を満足するために政府に従っているのである。
政府は宗教団体や暴力団と同じように国民が自分に従うことによって国民に喜びを与える団体である。国民が団体に従う快感が必要なら従えばよく、必要でなければ従わなければいい。政府はただ大きいだけである。政府はテレビや新聞で毎日宣伝をやって有名なだけである。
国民は自分が神や怖い者に従う喜びが要らなければ宗教団体や暴力団に従わない。それと同じように、国民は自分が偉い者に従う喜びが要らなければ政府に従わなければいいのである。政府の命令を聞かなければいいのである。政府に税金を払ったり国家宗教や民主主義の命令を聞いたりしなければいいのである。
今では国の文明が進んで国民みんなの暮らしが豊かになって国民みんながいろんな喜びがいっぱいあって、神や怖い者や偉い者に従う喜びを満足しなくなって、国民みんなが宗教団体や暴力団や政府に従わなくなって国民みんなが宗教団体や暴力団や政府の命令でお金を払わなくなって宗教団体や暴力団や政府がお金が儲[もう]からなくなって滅んでいる。宗教団体や暴力団は国民みんなに迷惑がかからないからあってもかまわないが、政府は国民みんなに政府が偉い者だと思わせるために国民みんなを虐めるので国民みんなにとって迷惑である。だから、早く政府になくなって欲しい。国民みんなは政府に従わないようにして、早く政府をなくさねばならない。

[19906] 明るい暴力団 h26.1.17
今では文明が発達して国民みんなの暮らしが豊かになって国民みんながいろんな喜びがいっぱいある。
今の国民は昔の国民と満足する喜びが違っている。心が違っている。
昔の国民は神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足して幸福になっていた。[昔は国民みんなが偉い者に従う喜びがあったので、国民みんなが政府に従って幸福になっていた。国民みんなが政府に従っていたので、政府が身分制や国家権力があると言ったので国民みんなは身分制や国家権力があると思っていた。たとえ国際連合が身分制や国家権力がないと言ってもあると思っていた。]
今の国民はもっと別の者に従う喜びを満足して幸福になりたいと思っている。
今の国民は、神に従う喜びが女々[めめ]しいので、宗教団体に従うのが恥ずかしいので宗教団体に従わない。今の国民は暴力団が怖くて近寄りにくいので暴力団に従わない。今の国民は政府が国民みんなに自分を偉い者だと思わせるために国民みんなを虐[いじ]めるのが嫌なので政府に従わない。
“怖くない暴力団”があれば大勢の国民が従うだろう。“楽しい者をやる団体”があれば国民の多くが従うだろう。
昔と今では国民の心が変わっている。今には今の時代にふさわしい“国民が従うことによって国民が幸福になる団体”が必要である。今の国民は“楽しい者に従う喜び”がある。今の国民は楽しい者をやる団体に従うことによって幸福になる。宗教団体や暴力団や政府は古臭い。今の国民は楽しい者をやる団体に従って幸福にならねばならない。
もっとも、今では国民みんなが“他人に従う喜び”がなくなっている。他人に従う喜びを満足したくない国民は他人に従わずに暮らせばいい。そのほうが現代的でかっこいい。

[19907] 国民は政府の法律を守らなくていい。 h26.1.17
政府は偉い者をやる団体である。政府は民主主義の政治機関ではない。政府は法律会社ではない。
昔の国民みんなは偉い者に従う喜びがあったので、自分が幸福になるために政府に従っていた。政府が法律を定めていたので、国民みんなは政府に従うために政府の法律を守っていた。
今の国民みんなは偉い者に従う喜びがないので、政府に従っても自分が幸福にならないので政府に従わなくなった。政府がいくら法律を定めていても、国民みんなは政府に従わないので政府の法律を守らなくなった。
政府の法律は政府に従いたい人が守ればいいのであって、政府に従いたくない人は守らなくていいのである。
今の国民は政府に従いたくないから、政府の法律を守らなくていい。
もっとも、世の中には『平等制』がある。『平等制の法律』がある。国民みんなは平等制の法律を守らなければならない。つまり、国民みんなはみんなと平等にしないといけない。
もともと人間はみな平等である。政府と国民は平等である。政府は国民に嘘[うそ]をついて「国民は政府に従わなければならない」と言っているのである。政府は偉い者をやる団体である。偉い者は嘘をついてもいいから政府は嘘をつくのである。しかし、国民は嘘を守らなくていい。嘘は嘘だから守らなくていい。国民は政府の嘘を守らないようにして、政府と平等にしなければならない。国民は自分が偉い者に従う喜びを満足したなくなければ、政府に従わなければいい。
政府は偉い者をやる会社である。偉い者は国民を虐[いじ]めていい。だから、政府は国民を虐めるのである。政府はいいかげんな国家宗教や民主主義で国民を虐待するのである。昔の国民は偉い者に従う喜びがあったから、政府が自分を虐めるのを大目に見て政府に従って幸福になっていた。今の国民は偉い者に従う喜びがないから、政府に従っても幸福になれない。昔の国民にとっては政府は自分を幸福にしてくれるありがたい団体だったが、今の国民にとっては政府は自分を虐めて不幸にする嫌な団体である。昔の国民にとっては政府が必要だったが、今の国民にとっては政府は要らない。だから、昔の国民は政府に税金を払って政府の生活を支えていたが、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府は偉い者をやる団体である。昔の国民は偉い者に従う喜びがあったから、自分が幸福になるために政府に従っていた。政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり戦争や国家宗教をやっていた。今の国民は偉い者に従う喜びがないから、政府に従わなくなった。今の国民は政府に従わなければいい。政府の命令を聞かず政府に税金を払わず戦争や国家宗教をやらなければいい。今の国民はもっと別の喜びを満足して生きていけばいい。どんな喜びを満足して生きていくかは個人の勝手である。国民は自分が死ぬまで幸福になるような喜びを満足して生きていけばいい。

[19908] 国民は余計な考えを捨てねばならない。 h26.1.17
政府は偉い者をやる団体である。
偉い者に従う喜びのある者は政府に従えばいい。
偉い者に従う喜びのない者は政府に従わなければいい。
それだけである。それだけをちゃんとやればいい。
それ以上ゴチャゴチャ考えるのはバカである。国民は自分の余計な考えに惑[まど]わされて政府に従ってはいけない。

[19909] どうしてアメリカでは政府が強いのか? h26.1.17
人間は他人に拳銃を突きつけられると言うことを聞く。
それは人間に恐怖の感情があるからである。
アメリカ人は子供の頃からテレビで西部劇を見て恐怖の感情が発達している。
そのため、アメリカでは国民みんなが政府が国民に政府を偉い者だと思わせるために国民を虐[いじ]めているのを見て、政府が拳銃で国民を脅[おど]しているのだと思って恐怖の感情に駆られて政府に従っているのである。だから、アメリカでは政府が強いのである。
つまり、アメリカでは政府は“恐ろしい者”なのである。
しかし、それはアメリカ人が西部劇を見すぎたことによる政府に対する誤解であって、本当は政府は偉い者なのである。政府は恐ろしい者ではないのである。
今ではアメリカでは国民には偉い者に従う喜びはない。だから、アメリカでも国民は政府に従わなければいいのである。

[19910] どうしてイギリスでは政府が強いのか? h26.1.17
イギリス人は古臭いことが好きである。新しいことが嫌いである。
イギリス人は今でも生活に便利な物や楽しい物を取り入れず昔と同じように喜びのない生活を続けている。
そのために、今でもイギリス人は偉い者に従う喜びが強いのである。イギリスでは国民みんなが偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っている。だから、イギリスでは政府が強いのである。
イギリス人はやせ我慢[がまん]をせずに、素直に暮らしに便利な物や楽しい物を取り入れていろんなことで喜ぶようにして、偉い者に従う喜びなんか満足しないようにして、政府に従うのをやめればいい。

[19911] どうして日本では政府が強いのか? h26.1.17
日本人は他人との協調を大事にする。日本人は他人と揉[も]めるのが嫌いである。
日本人はおとなしいのが好きである。
日本人は他人に従うのが好きである。日本人は他人に従う喜びが強い。
そのため、日本人は偉い者に従う喜びが強い。

だから、日本では国民の多くが政府に従っているのである。だから、日本では政府が強いのである。
しかし、今では文明が進んで国民の暮らしが豊かになって国民の心が昔とは違っているので、さすがに今では国民は“偉い者”に従いたいとは思っていない。何かほかの者に従いたいと思っている。
そのために、今では国民が政府に従うのをやめている。国民は“楽しい者をやる団体”に従うように変わっている。
今ではテレビやゲームやパソコンなどの面白いおもちゃが出来て、他人に従う喜びのない者も増えている。オタクが増えている。団体に従わない者も増えている。
今では世界中の国で国民みんなが科学を取り入れて国民の暮らしが豊かになって国民にたくさん喜びが増えて、国民が偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっている。今では世界中で政府が弱くなって滅んでいる。
日本は昔からアジアの先進国を目指してきた。今では国民みんなが他人に従う喜びがないのが新しい。だから、日本では国民みんなが政府に従わなくなって政府をなくして政府のない国にしなければならない。

[19912] どうしてヨーロッパでは国民が政府に従っているのか? h26.1.17
戦後になって文明が進んで国民の暮らしが豊かになって国民にいろんな喜びがいっぱい増えて、国民の心が昔とは変わった。
国民は偉い者に従うのをやめて、楽しい者に従うようになった。
そのため、ヨーロッパでは戦後政府が偉い者をやる団体から楽しい者をやる団体に変わった。
だから、今でもヨーロッパでは国民みんなが政府に従っているのである。国民みんなが政府に税金を払っているのである。
しかし、今ではヨーロッパでは国民みんなが他人に従う喜びは古臭いと考えて他人に従う喜びを満足しなくなっている。
そのため、今ではヨーロッパでは国民みんなが政府に従わなくなって、政府が弱くなって滅んでいるのである。

[19913] 今の国民は政府の命令を聞く気がない。 h26.1.17
命令は命令を出す者と命令を聞く者の両方がいてはじめて成り立つ。
むしろ、命令は命令を聞く者がいてはじめて成り立つのである。命令を聞く者がいるから命令を出す者が生まれて命令できるのである。
つまり、命令は他人に従いたい者がいてはじめてできることである。いくら他人に命令したい者がいても命令を聞きたい者がいなければ命令できないのである。命令を聞きたい者に命令を出す者が従ってはじめて命令できるのである。国民の“命令を聞きたいタイプに合った者”がいてはじめて命令できるのである。これまでそうやって政府や宗教団体や暴力団は国民に命令してきたのである。政府は自分が国民の命令を聞きたいタイプの者(つまり偉い者)を演じることよって国民に命令してきたのである。国民は自分の偉い者に従う喜びを満足して快感を得るために狂ったように政府に従ったのである。
今では文明が進歩して国民がいろんな喜びを満足できるようになって、国民が昔とは心が変わって、国民は偉い者に従う喜びがなくなって政府に従わなくなっている。だから、今ではいくら政府が国民に命令しても、国民はいっこうに政府の命令を聞かないから、政府は国民に命令できない。政府が国民に税金や戦争や国家宗教をやれと言っても、国民は政府の命令を無視して何もやらない。今の国民は楽しい者をやる団体の命令なら何でも聞く。(私はそんなチャラチャラした者には従いたくないが。)
今の国民は政府の命令を聞く気がない。今の政府は国民に命令できない。そのため、今の政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
今の国民には他人に従う喜びがない。今の国民は他人に従いたくない。だから、今では命令が成り立たない。今の社会には命令がない。今では他人と契約して他人に仕事をして他人からお金をもらうことしかできない。それが現代社会である。

[19914] 政府は嘘[うそ]をついている。 h26.1.17
政府は国民に嘘をつく。政府は偉い者をやる団体であり、偉い者は国民に嘘をついてもいいので、政府は国民に嘘をつくのである。
そのため、今の国民は政府の嘘に騙[だま]されておとなしく政府に従っている。
実際には、とっくの昔に国民は政府に従わなくてもよくなっているのに、いまだに国民は政府に従っているのである。
政府は国民に「政府が民主主義の政治機関だから、政府には国家権力があるから、国民は政府に従わなければならない」と言っているが、本当は『政府は偉い者をやる会社であり、政府は国民の偉い者に従う快感を満足するためにある会社であり、今の国民は偉い者に従う喜びを満足しなくなったから政府に従わなくていい』のである。
国民は政府のつまらない嘘に騙されないように注意して、政府に従ってはいけない。

[19915] 有名な政治学者は嘘[うそ]つきばっかりだ。 h26.1.17
国家権力なんてものはない。この世にあるのは『人間が実在に従わねばならないこと』だけだ。人間は真実に従えばいいだけだ。人間に課せられた制限は『実在に逆らえないこと』だけだ。それ以外は人間の自由だ。だから、たった一人でも人類みんなに逆らえる。つまり、国家権力はない。実在においては『人間はみな平等である。』だから、人間は『人間がみな平等である』ことを守らねばならない。つまり、人間はみんなと平等にしないといけないだけで、それ以外は自由である。
外国の政治学者は嘘つきばっかりだ。ホッブスもルソーもロックもその他の学者もみんな嘘つきだ。
学者の嘘のために、これまで世の中がメチャクチャにされてきた。
そいつらは政府のまわし者だ。政府に頼まれてお金をもらって嘘をついたのだ。
いくら政府の力で有名にしてもらっても、嘘を言う学者はいけない。学者の恥[はじ]だ。人間の恥だ。
国民みんなは自分の仕事や勉強にいそがしいから学者が嘘を教えてはいけない。
社会科の世界では有名な説ほど嘘である。国民みんなは自分でよく考えてみて本当かどうか確かめてから他人の説を信じなければならない。
実在においては『人間はみな平等である。』人間は実在には逆らえない。だから、実際にこれまでずっと『人間はみな平等だった』のである。政府と国民は平等なまま、国民が政府に従ってきたのである。国民は自分が政府に従いたいから従ったのである。国民は自分の偉い者に従う喜びを満足して自分が気持ちよくなりたかったから政府に従ったのである。国民は自分の快感のために政府に従っていただけである。それが国民の本音[ほんね]である。けっして政府に国家権力があったからおとなしく政府に従っていたのではない。
近代になって国民の生活が豊かになって国民がたくさん喜びがあるようになって国民が偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなってきたので、政府は国家権力というありもしないものをでっち上げて国民を騙[だま]して国民を従わせて国民の政府離れを食い止めようとしたのである。本当は『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等であるから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の嘘に騙されて政府に従ってはいけない。国民は政府に従わないようにしてさっさと要らない政府をなくさねばならない。
宗教団体や暴力団も政府と同じように嘘をついて自分に従う者が自分から離れるのを食い止めようとしている。宗教団体は自分から抜けると神のたたりがあると言って脅[おど]している。暴力団は自分から抜けると半殺しにするぞと言って脅している。しかし、宗教団体や暴力団は嘘をついているだけである。本当は宗教団体も暴力団も自分に従う者が抜けても何もしないのである。だから、宗教団体や暴力団に従っている者は自分が宗教団体や暴力団を抜けたかったら抜ければいいのである。

[19916] 国民はどうして政府に従っているか? h26.1.17
国民が政府に従うのは、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するためか、あるいは国民が政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に国家権力があると思っているからである。
だから、国民が政府に従うのは個人的な問題にすぎない。他人は関係ない。
だから、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足せず、政府の嘘に騙されず政府に国家権力があると思っていなければ、国民は政府に従わなくていいのである。
国民が政府に従うか従わないかは国民個人の勝手である。だから、国民は他人にかまわず自分が政府に従いたくなければ政府に従わなければいいのである。
つまり、政府が民主主義の政治機関であるのは嘘で、政府は本当は偉い者をやる会社である。だから、政府は国家権力があるのは嘘で(しかも国家権力は政府のでっち上げだから、政府は二重に嘘をついている)、本当は国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っているのである。政府が国民みんなを幸福にしているのは嘘で、本当は国民みんなに自分を偉い者だと思わせるために国民みんなを虐[いじ]めて不幸にしているのである。政府の正体は偉い者をやる会社である。だから、国民が偉い者に従う喜びを満足したければ政府に従えばよく、国民が偉い者に従う喜びを満足したくなければ政府に従わなければいい。国家宗教団体や民主主義の政治機関は政府の隠れ蓑[みの]である。国民は政府の見せ掛けに騙されず、政府を偉い者をやる団体だと考えて、自分が政府に従いたければ従い、政府に従いたくなければ従わないようにしなければならない。

[19917] 今の国民は政府に従いたくないから、政府に従わない。 h26.1.18
政府は偉い者をやる会社である。
実在においては『人間はみな平等である。』
だから、政府と国民は平等である。
国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
人間の心には“偉い者に従う喜び”がある。
昔の人は偉い者に従う喜びしかなかったから、自分が幸福になるために必死で政府に従っていた。政府の命令で税金でも国家宗教でも戦争でも何でもやった。
今の人は偉い者に従う喜びがないから、政府に従う必要がなくなった。政府の命令で戦争も国家宗教も税金も何にもしなくなった。
人間にとっては人間自身が宇宙の中心である。今の国民は政府に従いたくないから、政府に従わない。政府の命令で政府に税金を払わない。

[19918] 今の国民は政府に従うことで遊ばなくていい。☆☆ h26.1.18
昔の国民は政府に従うことによって自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福に暮らしていた。昔の国民にとっては政府に従うことがこの世で一番楽しい遊びだったのである。
政府は麻雀[まあじゃん]のようなものである。昔は麻雀が一番面白かったが、テレビゲームが出来てからは地味な遊びになった。そのため、昔はみんなが麻雀をやっていたが、今では誰もやらない。昔は偉い者に従うことが一番面白かったが、今ではもっと楽しいことがたくさんある。そのため、昔は国民みんなが政府に従っていたが、今では誰も政府に従わなくなった。
今では科学によって国民の暮らしが豊かになって昔よりももっと楽しいことがたくさん出来て、今の国民にとっては昔の国民の遊びはもはや遊びではなくなった。今の国民は昔よりももっと楽しい遊びがたくさんある。今の国民は昔よりももっと楽しいことをやって遊ばねばならない。
今でもまだ政府に従って遊んでいる者がたくさんいる。今ではもっと楽しい遊びがたくさんあるからそんなつまらないことで我慢[がまん]して遊ばなくていい。国民は政府に従うことで遊ぶのをやめて、ほかのことで遊べばいい。今の国民は政府に税金を払うよりも、もっとほかのことにお金をかけて遊べばいいのである。

[19919] 人間は不合理的な存在である。 h26.1.18
人間の本質は心である。人間は自分の心を満足するために生きている。
昔は文明が遅れていたので昔の人にとっては偉い者に従うことが最高の喜びだった。昔の人は偉い者に従う喜びを満足するために生きていた。そのため、昔の人は自分が幸せになるために必死で政府に従った。政府の命令で税金でも国家宗教でも戦争でも何でもやった。
今は文明が進んで今の人にとってはもはや偉い者に従うことは喜びではなくなった。今の人はもっとほかの喜びを満足するために生きている。そのため、今の人は政府に従わなくなった。政府の命令を聞かなくなった。政府の命令で戦争も国家宗教も税金も何もやらなくなった。政府は国民に何も命令できなくなった。
今の国民は政府に従わないので、いくら政府が国民に命令しても国民は政府の命令を聞かない。今の政府はお手上げである。政府は滅ぶしかない。

[19920] 政府は国民の要望に応じて国民の役に立つことをしてくれる会社ではない。 h26.1.18
政府は偉い者をやる会社である。
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。政府は国民を虐[いじ]めて国民に政府を偉い者だと思わせて、国民が政府に従うことによって国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
政府は民主主義の政治機関ではない。政府は国民の要望に応じていろんな政策をやって国民を幸福にする会社ではない。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足することによって国民を幸福にしてくれるだけで、それ以外のことはしない。
民主主義の政治機関は政府の嘘[うそ]である。政府は自分に国家権力があると思わせて国民を従わせるために民主主義の政治機関をやっているのである。(しかも、本当は国家権力は政府がでっち上げた実在しない権力であって国家権力というものはないから、国民は民主主義の政治機関に従う必要がない。リバイアサンは空想上の怪物であって、本当はいないのだ。)
国家宗教団体も政府の嘘である。政府は“神に従う喜び”のある者を政府に従わせるために国家宗教団体をやっているのである。
政府は形の上で民主主義の政治機関や国家宗教団体をやっているだけで、実際には偉い者をやる団体しかやっていない。政府はニセモノの民主主義や国家宗教で国民を虐めて国民に政府を偉い者に思わせて、国民に命令を出して国民が命令を聞くことによって国民を幸福にしているのである。
昔の国民は極貧[ごくひん]で偉い者に従う喜びがあったから、政府に従って幸福になっていた。
今の国民は裕福で偉い者に従う喜びがないから、政府に従っても幸福にならなくなった。
今の国民にとっては政府が要らない。今の国民にとっては政府に従う意義がないので、今の国民は政府に従わなくなっている。政府は国民に命令して国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
実際に、国民にとって政府は何をやっているのかわからない。国民が政府を民主主義の政治機関だと考えれば、政府が国民に善いことをやっていると思う。しかし、国民が政府を偉い者をやる団体だと考えれば、政府が国民に悪いことをやっていると思う。今の国民は『政府が偉い者をやる団体である』ことを知っている。だから、今の国民は政府が国民に悪いことをやっていると思っている。今の国民は政府を支持しなくなっている。

[19921] 偉い者と虐[いじ]める者は違う。 h26.1.18
人間の心には“偉い者に従う喜び”はあるが、“虐める者に従う喜び”はない。虐める者に従う喜びがあるのは変態だけである。
人間の心には“偉い者に従う喜び”があるから、政府は国民を虐めることによって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民が政府に従うことによって国民が幸福になれるのである。
一方、人間の心には虐める者に従う喜びがないから、ただの人がいくら国民を虐めても、国民は「自分を虐めるな」と思って怒って反撃して仕返しする。
政府はたんなる虐める者ではなく、偉い者なのである。政府には偉いムードが必要なのである。政府にとって国民を虐めることは国民に政府を偉い者だと思わせるための手段にすぎないのである。
国民には偉い者に従う喜びがあるから、政府が国民を自分に従わせて喜ばせるためには、政府は国民に偉い者だと思わせなければならないのである。政府はたんなる虐める者ではいけないのである。政府は国民を喜ばせるために泣く泣く国民を虐めて国民に偉い者だと思わせているのである。政府が国民を虐めるのは国民を喜ばせるための必要悪なのである。
もっとも、今日[こんにち]では国民の多くが偉い者に従う喜びが要らなくなっているから、偉い者に従う喜びを満足してくれる政府も要らなくなっている。肩こりがなくなったらマッサージが要らないのと同じことである。

[19922] 国民と奴隷[どれい]は違う。 h26.1.18
人間の心には“偉い者に従う喜び”がある。国民は自分の偉い者に従う喜びを満足して自分が気持ちよくなるために政府に従う。
一方、奴隷は自分が気持ちよくなろうがなるまいがとにかく持ち主に従わなければならない。そうしなければ殺される。
奴隷と国民は違う。奴隷は強制的に持ち主に従わねばならないが、国民は自分の喜びのために自主的に政府に従う。奴隷は自分が殺される恐怖のために持ち主に従わねばならないが、国民は自分の偉い者に従う喜びのために政府に従うだけである。
奴隷は自分の名前もないし、自分の財産もない。国民は自分の名前があるし、自分の財産もある。
国民は奴隷ではない。国民は政府の持ち物ではないから、強制的に政府に従う必要はない。国民は自分が喜ぶために政府に従っているのだから、国民にとって政府に従うのは遊びだから、国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。昔は国民が偉い者に従う喜びが必要だったから政府に従っていた。今では国民が偉い者に従う喜びが要らないから政府に従わなければいいのだ。
昔の国民は喜びに飢[う]えていたから下品なくだらない遊び(つまり偉い者に従うこと)をやっていた。今の国民は喜びがたくさんあるからそんな遊びをしなくてもよくなった。人類はだんだん幸福になっているのである。

[19923] 政府は喜びがない者のためにある会社である。 h26.1.18
政府は偉い者をやる会社である。
だから、国民が政府から得られるのは“偉い者に従う喜び”だけである。宗教団体や暴力団が国民の神に従う喜びや怖い者に従う喜びを満足してくれるだけでそれ以外の国民の生活を幸福にしてくれないように、政府も国民の偉い者に従う喜びを満足するだけでそれ以外の国民の生活を幸福にしてくれないのである。
国民は政府から偉い者に従う喜びを得るために、政府の命令を聞いて政府に税金を払ったりその他のことをやったりするのである。
そもそも国民と政府は平等である。政府が身分制や国家権力のために国民が政府に従わねばならないと言っているのは嘘[うそ]である。本当は政府と国民は平等である。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔の国民は喜びが少なくて喜びに飢[う]えていたから政府から偉い者に従う喜びを得るために政府の命令を聞いていた。
今の国民は喜びが多くて喜びに飽きているから政府から偉い者に従う喜びを得なくてもよくなって政府の命令を聞かなくなった。
政府は喜びがない者のためにある会社である。
人間が自分の心のままに好き放題に暮らしていると、そのうち不満が増えて心が満足されなくなって喜びがなくなって、政府の世話にならねばならなくなる。
反対に、人間が自分の心をよく考えて自分の心を適切に満足して暮らしていれば、十分な喜びが得られて政府の世話にならずにすむ。
今でも政府に従っている国民が大勢いる。そういう国民はふしだらに暮らした挙句[あげく]に自分の喜びがなくなって政府に世話にならねばならなくなっている哀[あわ]れな連中である。人間の心についての知識のない愚かな連中が政府や宗教団体や暴力団などのいかがわしい団体の世話にならねばならなくなっているのである。
国民は自分が十分幸せであって自分が政府の世話にならなくてもいいと思うなら、政府に従わなければいいのである。政府の命令をいっさい聞かず、政府に税金を払ったりその他のことをやったりしなければいいのである。

[19924] 学校や警察は政府がやっている国民みんなに対する無料サービスである。 h26.1.18
政府は偉い者をやる会社である。
今でも偉い者に従う喜びのある国民は政府に従って喜びを得ている。政府はそういう国民からお金をもらって儲[もう]かっている。その手の仕事はすごく儲かる。国民は自分が政府の命令を聞けば聞くほど幸福になるから、国民は自分が幸福になるためにいくらでも政府の命令を聞いて自分のあり金すべてを政府に差し出すからである。
政府は儲けたお金で水道やゴミや学校や法律会社(国会や警察)などを経営している。
水道やゴミは今では国民が自分でお金を払って利用している。だから、実質的にはすでに民営化されている。
学校や法律会社は今でも国民がお金を払わずに利用できる。学校や法律会社は政府が国民を勧誘[かんゆう]するために経営している施設なので国民に無料で利用させてくれるのである。国民がしっかりして政府の勧誘に引っかからず自分が死ぬまで政府に従わなければ、国民は本当に無料でこれらの施設を利用できるのである。
景気のいい会社は国民みんなに対して宣伝や勧誘を兼[か]ねてただのサービスをしてくれるものである。スーパーやデパートの試食コーナーのようなものである。政府は景気のいい会社である。だから、国民は政府に遠慮せずに政府の無料サービスを利用すればいいのである。国民が政府を上手に利用すれば国民が得をすることができるのである。

[19925] どうしていまだに大勢の国民が政府に従っているのか?☆ h26.1.18
宗教団体は正直に神をやる団体をやっている。
暴力団は正直に怖い者をやる団体をやっている。
それに対して、政府は本当は偉い者をやる団体をやっているのに、嘘[うそ]をついて民主主義の政治機関のふりをしている。政府は嘘つきである。政府は偉い者をやる団体だから、偉い者は嘘をついてもいいから、政府は嘘をつくのである。[人間の心は偉い者が嘘をついてもいいと思うから偉い者は嘘がつけるのである。反対に、人間の心は神や怖い者が嘘をつかないと思うから神や怖い者は嘘をつけないのである。人間の心が偉い者や神や怖い者が嘘をつけるかつけないかを決めるのである。]本当は社会科の教科書には『政府は偉い者をやる団体であって、民主主義の政治機関は政府が偉い者をやるための道具である』と書いていなければならない。しかし、実際には社会科の教科書には「政府が民主主義の政治機関である」としか書いていない。だから、政府は嘘つきである。
そのために、宗教団体や暴力団に従う人は昔に比べて激減しているのに、政府に従う人はいまだに大勢いるのである。
国民が政府の民主主義の政治機関の嘘に騙[だま]されているから、政府に従っているのである。
本当は、政府は偉い者をやる団体であって、民主主義の政治機関ではない。
国民はそれぐらいのことは自分で早く理解して、宗教団体や暴力団に従わなくなったのと同じように政府に従わなくならねばならない。今の国民は他人に従う喜びがなくなっている。そのために、国民は宗教団体や暴力団に従わなくなっている。それと同じように、国民は政府にも従わなくならねばならない。

[19926] 今の国民は政府に税金を払わないようにして政府に虐[いじ]められないようにしないといけない。 h26.1.19
今の国民が政府に従っているのは、政府に国家権力があるからでも政府の身分が高いからでもなく、政府が国民を虐めて国民に政府が偉い者だと思わせて国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っているからである。
国民は自分の心に“偉い者に従う喜び”があるから政府に従っているのである。
国家権力も身分制も政府の作り事である。実際には国家権力も身分制もない。だから、それらは本当は国民が政府に従う理由ではないのである。政府は嘘[うそ]の理由をでっち上げることによって、国民に自分が政府に従う本当の理由がわからないようにしているのである。政府は嘘の理由を作ることによって本当の理由を隠しているのである。政府は自分が宗教団体や暴力団と同じだと思われないようにして、国民が政府に従わなくなるのを防いでいるのである。
本当は、今の国民は政府に虐められて政府を偉い者だと思って、自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために自分から政府に従っているのである。
国民は自分が政府に従う本当の理由を理解して、政府に従わないようにして政府を倒さねばならない。今の国民は政府に税金を取られることで政府に虐められているから、国民は政府に税金を払わないようにして政府に虐められないようにすればいい。そうすれば、国民は政府を偉い者だと思わないから、自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従おうとしないのである。
今の国民は政府に税金を払わなくなっている。そのために、今の政府は国民みんなから消費税を取って国民みんなを虐めている。国民はなるべく消費税を払わないようにしないといけない。(私は消費税を払っているが。)たとえ国民が政府に消費税を取られても、政府に税金を払わないようにしないといけない。国民は自分が払わずにすむ税金はなるべく払わないようにしないといけない。そうすれば、そのうち政府が倒れてなくなるだろう。
人間は心理で動いている。政府は人間の心理を利用して国民を政府に従わせて国民からお金を取って儲[もう]けている。国民は人間の心理を知って政府に利用されないようにしないといけない。

[19927] 政府はやってもいい仕事である。 h26.1.19
人間はみな平等である。この世では人間は平等制を守るかぎり何をやってもいい。
どんな仕事をしようが個人の自由である。
だから、宗教団体や暴力団や政府はやってもいい仕事である。
この世に神に従いたい人や怖い者に従いたい人や偉い者に従いたい人がいるかぎり、宗教団体や暴力団や政府は儲[もう]かるから仕事をやればいい。他人が宗教団体や暴力団や政府に口出しする資格はない。[人間の心には神に従う喜びや怖い者に従う喜びや偉い者に従う喜びがある。今の人は心が濁[にご]っていてほかにもっと楽しいことがたくさんあるから人間の心に神に従う喜びや怖い者に従う喜びや偉い者に従う喜びがあることがわからなくなっているが、昔の人は心が純粋でほかに喜びがなかったので、人間の心に神に従う喜びや怖い者に従う喜びや偉い者に従う喜びがあることがよくわかっていたのである。]宗教団体や暴力団や政府に従っている者は自分が従いたくて従っているのだから、命令を聞いたために自分のお金を全部取られても文句は言えない。自制心のない者がいけないのである。それが嫌なら、自分の意思で従うのをやめればいいのである。そもそも宗教団体や暴力団や政府と国民は平等だから、国民が従うか従わないかは国民個人の自由である。宗教団体や暴力団や政府に従っている者は自分が従いたくて従っているために自分が従わねばならないと思っているだけであって、本当は従わなくてもいいのである。だから、国民は自分が従いたくなければ従わなければいいのである。宗教団体や暴力団や政府が「国民が自分に従わなければならない」と言っているのは嘘[うそ]である。神や怖い者もたまには嘘をつくのである。偉い者はいつでも嘘をつくのである。だから、国民は嘘に騙[だま]されないようにして従わなければいいのである。
宗教団体や暴力団や政府は自分が仕事をやりたければやればいい。宗教団体や暴力団は仕事をやっても国民みんなに迷惑がかからないからいい。ただ、政府は国民みんなに自分を偉い者だと思わせるために国民みんなを虐[いじ]めている。政府が国民を虐めるのは、政府が国民に自分を偉いと思わせるためのひとつの手段にすぎない。今ではみんなが法律にうるさくなっているから、政府は法律を犯してはいけない。政府は平等制の法律を守りながらみんなに政府を偉い者だと思わせる事業をやって、国民を虐めてはいけない。国民の自由を制限してはいけない。[あるいは、政府がこれまで国民を虐めていたのは、国民に政府が身分が高いとか政府に国家権力があると思わせるためだったのだろう。しかし、今では国民が身分制や国家権力が政府の作り事であることを知っている。だから、政府が国民を虐めても無駄[むだ]である。政府が国民に嫌われてますます国民が政府に従わなくなるだけである。だから、政府は国民を虐めないほうがいい。]
政府がお金が足りなくてみんなに政府を偉い者だと思わせる事業ができなければ、さっさと政府を解散して“楽しい者をやる団体”や“癒[いや]す者をやる団体”や“善[い]い人をやる団体”に変わって自分に従う者を集めてお金を儲けたほうがいい。今ではいくら政府が国民を虐めて国民に政府を偉い者だと思わせて国民を政府に従わせようとしても、国民自身に偉い者に従う喜びがなくなっているから、国民は政府に従おうとしない。いくら政府が国民を虐めても無駄[むだ]である。政府は何かほかの団体に変わったほうがいい。
人間はみな平等である。団体と国民は平等である。だから、国民がどの団体に従おうが従うまいが国民個人の自由である。国民は自分の気に入った団体に従えばいい。自分が従いたい団体がなければ従わなければいい。
政府は偉い者をやる団体である。今ではみんなが偉い者に従う喜びがなくなっているから、みんなが政府に従わなくなっている。みんなが政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府は滅んでいる。

[19928] 国民は自分のお金を有効に利用しないといけない。 h26.1.19
政府は偉い者をやる団体である。
政府は国民に政府を偉い者だと思わせるためにイカサマの民主主義や国家宗教をやって国民を虐[いじ]めている。 今の政府は国民を虐めているが、今の国民は政府が国民を虐めても政府を偉いと思わない。残酷だと思うだけである。野蛮[やばん]だと思うだけである。昔と今では国民の感性が違う。政府は偉い者をやる会社である。政府が偉いこと以外のことをやると、国民は政府を偉い者だと思わなくなって政府に従わなくなる。だから、政府は国民を虐めないほうがいい。
政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために仰々[ぎょうぎょう]しい事業をやっている。
政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために事業をやっているだけである。政府は国民の役に立つために事業をやっているのではない。だから、政府の事業は国民の役に立たない。政府は国民に自分を偉い者だと思わせることをやるだけで、それ以外のことはいくら国民が頼んでもやってくれない。政府は心で見て偉いと思うことをやるだけで、それ以外のことはやらない。
政府は偉い者をやる団体だから、政府は偉い者をやるだけである。国民は政府に従うことによって自分の“偉い者に従う喜び”を満足して楽しくなるだけであって、それ以外のことでは政府は全然楽しくない。
今の国民は昔の国民のように偉い者に従う喜びがない。今の国民が政府に従っても幸せになれない。今の国民が政府に従っても無駄[むだ]である。だから、今の国民は政府に従わなければいい。
今の国民は政府の命令で政府に税金を払わずに、ほかのことにお金を使って楽しく遊んだほうがいい。
今の国民はこれまでの自分と考え方を変えて、政府に従わないようにして楽しく暮らせばいいのである。

[19929] 昔と今では国民の感性が違う。 h26.1.19
人間は自分の置かれている環境の中で自分の心を満足する。人間は自分の置かれている環境の中で自分がもっとも幸福になるように自分の心を満足する。
昔と今では国民の置かれている環境が違う。だから、昔と今では国民の心が違う。国民の感性(心の感じ方)が違う。
昔の政府は国民を虐[いじ]めることによって国民に政府を偉い者だと思わせていた。今でも政府は昔と同じやり方で国民に政府を偉いと思わせようとしている。しかし、今の国民は昔の国民と感性が違っている。そのため、今の国民は政府を偉いと思わなくなっている。今の国民は政府が残酷な馬鹿だとしか思わなくなっている。今の政府は大した事業をやっていないので、国民は政府を偉いと思っていない。
今の国民は政府を軽蔑して政府を偉い者だと思わなくなって政府に従わなくなっている。
政府は自分で自分を潰[つぶ]している。
今の国民はいろんな便利な物や楽しい遊び道具に囲まれて暮らしている。今の国民の置かれている環境では他人に従う喜びを満足しないほうが幸福である。だから、今の国民は他人に従う喜びを満足しなくなっている。今の国民は政府や宗教団体や暴力団などに従わずに幸福に暮らしている。

[19930] 昔の人は物を使わずに楽しんでいた。 h26.1.19
今では科学が発達しているから、今の人には便利な物や楽しいオモチャがいっぱいあって、今の人はそれらの物を使って幸福に暮らすようになっている。
しかし、昔はまだ科学が遅れていたから、昔の人にとっては便利な物も楽しいオモチャも何にもなかった。
昔の人は物を使わずに「他人に従うこと」によって幸福に暮らしていた。
人間の心には“偉い者や怖い者や神に従う喜び”がある。昔の人は政府や暴力団や宗教団体に従うことによってそれらの喜びを満足して幸福に暮らしていた。
昔は物がなくて昔の人は物を使わずに楽しんでいた。今では物が豊かになって今の人は物を使って楽しんでいる。昔と今ではみんなの楽しみが違う。
今の人は今の人にふさわしい楽しみ方をすればいい。今の人は昔の人の楽しみをしなくていい。
今の人は政府や暴力団や宗教団体に従わずに楽しく暮らせばいいのである。
今でもインドのように物が貧しい国ではまだ身分制(偉い者に従う遊び)が残っている。物が豊かになれば人々が物を使って楽しむようになって偉い者に従うことによって楽しまなくなって身分制がなくなるだろう。

[19931] どうして植民地時代が終わったのか? h26.1.19
植民地はヨーロッパが近代産業で儲[もう]けたお金でやっていた“国を取る遊び”である。ヨーロッパは産業で儲けたお金で大金をつぎ込んで海外に軍隊を送って外国を征服して遊んでいたのである。植民地はお金持ちの国の道楽だったのである。昔は変な遊びがあったものである。
当時は世界的に身分制(偉い者に従う遊び)があってみんなが偉い国に従うのが好きだったから、みんながヨーロッパを偉い国だと思って喜んでヨーロッパに従っていたから、ヨーロッパは比較的楽に植民地を取れたのである。
しかし、ヨーロッパは2回も世界大戦をやった。すごくお金が要った。
そのため、戦後はヨーロッパは植民地をやるお金がなくなって植民地をやめて植民地時代が終わったのである。植民地ではみんながまだヨーロッパに従いたかったのに、ヨーロッパが勝手に撤退[てったい]してしまったのである。

[19932] どうして世界大戦をやったのか? h26.1.19
昔はみんなが物がなかったので身分制(偉い者に従う遊び)をやっていた。
みんなが政府に従って“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていた。
昔はみんなが外人を殺すのが好きだった。みんなは政府の命令で大喜びで戦争に行った。昔の人にとっては戦争は人殺しゲームだったのであり、戦争は娯楽だったのであり、政府は国民みんなを喜ばせるために戦争に行かせたのである。戦争は政府の国民みんなに対するサービスだったのである。国民みんなは政府に感謝して大喜びで戦争に行ったのである。政府は偉い者をやる会社であり、国民を戦争に行かせることは偉いことだったから政府は国民を戦争に行かせたのである。昔はみんなが物がなくて気持ちが殺伐[さつばつ]としていて人間を物みたいに考えていて、人間を殺すぐらいなんでもなかったから、外人を殺すことが遊びだったのである。
しかし、今はみんなが物が豊かになって身分制をやらなくなった。今ではみんなが政府に従わなくなって政府が滅んでいる。今ではみんなが物が豊かになって他人を思いやることができるようになって人間を殺してはいけないと考えている。だから、みんなが戦争をやらなくなっている。
今の人と昔の人では考えが違う。心が違う。今の人が昔の人の気持ちがわかれば昔の人のやったことが納得できる。
今の人は自分自身の気持ちを知らねばならない。そうすれば、自分が何をすればいいか何をしてはいけないかがわかる。今の人は自分が嫌なことをしているから幸せでないのである。自分が幸せになるためには自分が好きなことをして自分が嫌なことをしなければいいのである。

[19933] アメリカはどうして核ミサイルをいっぱい作ったのか? h26.1.19
昔はみんなが物がなくて偉い者に従う喜びを満足していた。アメリカは核ミサイルを作ることによって世界中のみんなに自分を偉い国だと思わせて世界中のみんなを従わせて世界を支配しようとした。そのために、アメリカは大金をつぎ込んで核ミサイルをいっぱい作ったのである。
しかし、今ではみんなが物が豊かになって偉い者に従う喜びを満足しなくなっている。今ではみんなが他人を武器で脅[おど]す者が嫌いである。そのため、今ではアメリカは世界中の嫌われ者になって、世界中のみんながアメリカの製品を買わなくなってアメリカが儲[もう]からなくなっているのである。

[19934] どうしてオリンピックの間は戦争をやらなかったのか? h26.1.19
昔の人にとっては戦争はゲームだった。
オリンピックもゲームだった。
オリンピックのほうが戦争よりも面白かったから、オリンピックの間は戦争をやらなかったのである。
しかし、オリンピックは4年に1回しかやれない決まりがある。
だから、オリンピック以外のときは戦争をやっていたのである。
昔の人にとっては戦争もオリンピックもゲームだった。戦争をやる理由はなかった。昔の人にとっては戦争は人殺しをして楽しむためのゲームだったのである。昔の人にとっては戦争は自分の心を満足するための遊びだったのである。人が死ぬぐらいのことはなんでもなかったのである。昔の人は人が死ぬぐらいのことはどうでもいいと思って戦争をやって喜んでいたのである。
昔は物がなくて昔の人は人殺しをなんとも思わなかったから、昔の人は戦争をゲームだと思って戦争をやっていた。
今は物が豊かになって今の人は人殺しをしてはいけないと思うようになって、今の人は戦争をゲームと思わなくなって戦争をしなくなった。
それと同じように、昔は物がなくて昔の人にとっては政府に従うことが遊びだったので政府に従っていた。今は物が豊かになって今の人にとっては政府に従うことが遊びではなくなったので政府に従わなくなった。
昔は植民地や戦争や政府に従うことがみんなの遊びだった。昔は変な遊びがたくさんあった。今ではみんなの心が変わってそれらのことが遊びではなくなっている。今の人は今の人にとっての遊びをやって遊んでいる。

[19935] 政府が国民と平等でないのは政府の嘘[うそ]である。 h26.1.19
『人間はみな平等である。』だから、政府と国民は平等である。
政府は国民と平等でないふりをしているだけである。政府は自分が国民と平等でないふりをすることによって国民を政府に従わせようとしているのである。しかし、本当は政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくていいのである。
日本国憲法には「国民みんなが政府に税金を払わねばならない」(第30条;納税の義務)のように政府と国民が不平等な法律が定められている。政府が国民と平等でないのは政府の嘘である。政府は偉い者をやる団体であり、偉い者は嘘をついてもいいから、政府は嘘をつくのである。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府と平等にすればいい。
政府は偉い者をやる会社だから、国民と政府が不平等な法律を定めているのである。本当は国民と政府は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府に従いたい国民は政府に従って政府の法律を守ればよく、政府に従いたくない国民は政府に従わず政府の法律を守らなければいい。昔は国民みんなにとって政府に従うことが遊びだったので、みんなが政府に従って政府の法律を守っていた。今では国民みんなにとって政府に従うことが遊びではないから、みんなが政府に従わなくなって政府の法律を守らなくなった。
政府は法律会社でも民主主義の政治機関でもない。政府は偉い者をやる会社である。政府は社会秩序を守るためにある会社ではない。政府は国民の娯楽のためにある会社である。昔の人にとっては政府に従うのが遊びだったから政府に従っていた。今の人にとっては政府に従うのが遊びではなくなったから政府に従わなくなった。

[19936] 今の人は政府に従うよりもテレビを見るほうが好きである。 h26.1.20
政府は偉い者をやる会社である。
昔は物がなかったから昔の人は偉い者に従う喜びがあった。だから、昔の人は政府に従っていた。
今では物が豊かになって今の人には偉い者に従う喜びがない。そのために、今の人は政府に従わなくなっている。
今では物が豊かになって、今の人にはテレビやゲームやパソコンがあって、今の人にとってはテレビを見たりゲームをやったりパソコンを使ったりするほうが政府や宗教団体や暴力団に従うよりも面白いので、政府や宗教団体や暴力団に従わなくなったのである。
今の人は政府に税金を払わなくなって、税金で自分が好きなことをやって遊んでいる。
お金は大切に使わねばならない。みんなは自分の好きなことにお金をかけてお金を大事にしないといけない。自分の嫌いなことにお金をかけてお金を無駄[むだ]にしてはいけない。

[19937] どうして日本では犯罪が少ないか? h26.1.20
日本人がつねに頭で『人間はみな平等だ』と考えて行動しているからである。
外人は頭で何も考えず眼で見て行動するだけだから、外国では犯罪が多いのである。
日本人はつねに頭で考えて物を見ている。
日本人は頭で考える喜びがあるだけである。日本人は眼で見る喜びがない。
だから、日本人は見かけなんかどうでもいいのである。
日本人は相手の気を読むことによって相手の考えの善し悪しを知って相手の真の姿を見るのである。

[19938] 今の国民の多くは政府の嘘[うそ]に騙[だま]されている。☆ h26.1.20
正直言って、私は40歳頃(今から約10年前)までずっと社会科の教科書の通りに「政府が民主主義の政治機関だ」と思っていた。政府の命令で税金を払っていた。国税も県民税も市民税も全部まじめに払っていた。
しかし、本当は、『政府は偉い者をやる団体である。』
私は政府の嘘にまんまと騙されていたわけである。私には偉い者に従う喜びを満足する趣味はないから、もはや政府に従う気はない。今後私は死ぬまで二度と政府に従わない。
今の国民の多くが政府に従っているのも、私と同じように政府の嘘に騙されているからである。
今の国民の多くは偉い者に従う喜びがないのに、政府の嘘に騙されて政府に従っているだけである。
昭和40年ごろ(今から約50年前)までは物がなくて国民が偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。
昭和40年ごろから後は物が豊かになって国民が偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府の嘘に騙されて政府にいやいや従っているだけである。
今の国民はもはや政府に従わなくていい。政府は偉い者をやる会社であり、今の国民は偉い者に従う喜びがないから政府に従わなくていい。
国民はよくぞこれまで面白くもないのに我慢[がまん]して政府に従っていたものだ。
これまで政府に従っていなかった者も政府の正体をみんなに教えてくれればよかったのだ。
今の私は『政府が偉い者をやる会社である』ことを知っている。今の私は政府に従わなくてもよくなったのだ。

[19939] 政府はどうして私を国家宗教の神にしたのか? h26.1.20
昭和40年ごろ(今から約50年前)になると物が豊かになって国民が偉い者に従う喜びを満足しなくなった。国民が政府に従わなくなった。
そのため、政府は私を国家宗教の神にして国民の政府離れを食い止めようとしたのである。
政府は国家宗教団体をやっているが、政府の国家宗教団体はニセモノである。政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は自分が偉い者をやるために国家宗教団体や民主主義の政治機関をやっているのである。政府は自分が偉い者であることを国家宗教や民主主義で具体的に表現しているのである。線形写像が具体的に行列で表現されるのと同じである。政府は見かけは国家宗教団体や民主主義の政治機関だが、実体は偉い者をやる団体なのである。政府は国家宗教団体ではなく、本当は偉い者をやる団体であり、偉い者は嘘[うそ]つきだから、政府は嘘つきなのである。私の母親は私が生後ひと月の赤ちゃんのころ夜中に突然私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが回ったのを見た。政府は私の超能力が最初から私の母親の幻覚だと知っていて私を神(超能力者)にしたのである。
私は本当は神ではないし、私は天皇のように政府の者ではないので、国民みんなは私を神とする国家宗教をやってはいけない。政府はみんなに嘘をついて私が政府の者であるかのように思わせているが、本当は私は政府の者ではないので、政府が私を神とする国家宗教を私の許可なく勝手にやってはいけないので、みんなは私を神とする国家宗教をやってはいけない。政府は政府に従う者にとって偉いだけで、部外者にとっては偉くも何ともないので、私は部外者なので私は政府に従うつもりはないので政府は私を勝手に神にして国家宗教をやってはいけないのである。
今の国民は政府の民主主義の政治機関の嘘[うそ]に騙[だま]されなくなって政府が偉い者をやる団体であることを知っている。今ではますます物が豊かになって国民がますます偉い者に従う喜びを満足しなくなって国民がますます政府に従わなくなっている。今ではいくら政府が国家宗教の神を変えても国民は政府に従わない。政府は自分に従う者がいなくなって滅んでいる。

[19940] どうして政府は国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをしているか? h26.1.20
昔の政府は朝廷[ちょうてい]と言った。昔の政府は国家宗教団体のふりをして偉い者をやっていた。
今の政府は政府と言っている。今の政府は民主主義の政治機関のふりをして偉い者をやっている。
政府は本当は偉い者をやる団体である。政府は偉い者に従う人だけではなく神に従う人や国民みんなに従う人もいっしょに政府に従わせるために国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをしているのである。政府は神に従う人や国民みんなに従う人も偉い者に従う人に抱き込んでいっしょに政府に従わせるために国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをしているのである。政府は国民みんなを政府に従わせるために表では国家宗教団体や民主主義の政治機関をやって、裏では偉い者をやる団体をやっているのである。[一方、幕府は抱き合わせを嫌って純粋に偉い者をやる団体だけでやっていた。]
しかし、今の人は昔の人と心が変わって偉い者に従う喜びや神に従う喜びがなくなっている。今の人はこの世には国民みんなに従わねばならない決まり(多数決の原理)なんかないことを知っている。今の人には偉い者や神に従うことよりももっと面白い遊びがあるから、今の人は国民みんなに従わねばならない決まりが政府の作り事であることを知っているから、今の人は偉い者や神や国民みんなに従うことをやめたのである。
今の人は政府に従わなくなっている。政府は今の人に命令できなくなっている。政府は今の人からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。

[19941] たとえ政府が国民を虐[いじ]めなくても今の国民は政府に従うのが嫌である。 h26.1.20
政府は偉い者をやる会社である。
今の政府は国民に自分を偉い者だと思わせるために国民を虐めている。政府が国民を虐めるのは国民に政府を偉い者だと思わせるためのひとつの方法である。政府は国民を虐めないでも国民に偉い者だと思わせることができる。政府は平等制の法律を守りながら国民に自分を偉い者だと思わせる事業をやって国民に政府を偉い者だと思わせることができる。
しかし、それでも今の国民は政府に従うのが嫌である。今の国民にとっては“偉い者に従う喜び”が昔の物のない時代の時代遅れの喜びで偉い者に従う喜びを満足することが恥ずかしいから、政府に従うのが嫌である。今の国民は自分が偉い者に従う喜びを満足するために政府に従うのがみっともないから嫌である。今の国民は物が豊かになって物を使って喜ぶようになったので偉い者に従う喜びなんかないので政府に従うのが嫌である。今の国民にとっては偉い者に従う喜びが面白くない喜びなので偉い者に従う喜びを満足するために政府に従うのが嫌である。
だから、今の国民は政府に従わなくていい。今の国民は政府に従うよりももっと面白いことがたくさんあるからわざわざ政府に従わなくていい。政府の命令で政府に税金を払わなくていい。政府に税金を払うよりも、ほかのことにお金を使って遊んだほうがいい。

[19942] たとえ政府が国民を虐[いじ]めなくても今の国民は政府に従うのが嫌である。 h26.1.20
政府は偉い者をやる会社である。政府は民主主義の政治機関や国家宗教団体のふりをしているが、本当は偉い者をやる会社である。政府はニセモノの民主主義や国家宗教をやって国民に政府を偉い者だと思わせている。
今の政府は国民に自分を偉い者だと思わせるために国民を虐めている。政府が国民を虐めるのは国民に政府を偉い者だと思わせるためのひとつの方法である。政府は国民を虐めないでも国民に偉い者だと思わせることができる。政府は平等制の法律を守りながら国民の自由を守りながら上手[じょうず]に国民に政府を偉い者だと思わせる事業をやって国民に政府を偉い者だと思わせることができる。
しかし、それでも今の国民は政府に従うのが嫌である。今の国民にとっては“偉い者に従う喜び”が昔の物のない時代の時代遅れの喜びで、偉い者に従う喜びを満足することが恥ずかしいから、政府に従うのが嫌である。今の国民は自分が偉い者に従う喜びを満足するために政府に従うのがみっともないから嫌である。今の国民は物が豊かになって物を使って喜ぶようになったので偉い者に従う喜びなんかないので政府に従うのが嫌である。今の国民にとっては偉い者に従う喜びが面白くない喜びなので偉い者に従う喜びを満足するために政府に従うのが嫌である。たとえ政府が国民から税金を取らなかったとしても、国民は政府に従うのが嫌である。たとえ政府が国民にお金をくれても、国民は政府に従うのが嫌である。
“偉い者に従う喜び”は古臭い。今の国民が政府に従うのはかっこ悪い。今の国民は恥ずかしくてとても政府に従えない。今の国民は政府に従うよりももっと面白いことがたくさんあるからわざわざ政府に従わなくていい。今の国民は政府に従って遊ばなくても、もっとほかのことをやって遊べばいいのである。

[19943] 国民がどんなことで遊ぼうが国民個人の勝手である。 h26.1.20
人間はみな平等である。人間が平等制を守っているかぎり人間は自由である。
人間がどんなことをやって喜ぶかは個人の自由である。
政府は国民に“偉い者に従う喜び”を提供している。国民が政府に従えば、政府から“偉い者に従う喜び”を与えてもらえる。
国民が政府から“偉い者に従う喜び”をもらうかもらわないかは国民個人の自由である。
昔の国民は物がなかったので、昔の国民にとっては偉い者に従う喜びがこの世で最高の喜びだったので、バーゲンセールに群[むら]がるおばさんのように政府に従って政府から偉い者に従う喜びを奪い合っていた。
今の国民は物が豊かなので、今の国民にとっては偉い者に従う喜びよりももっと面白い喜びがたくさんあるので、今の国民は偉い者に従う喜びが要らなくなったので、わざわざ政府に従って政府から偉い者に従う喜びをもらわなくてもよくなった。
だから、今の国民は政府に従わなくなったのである。
今の国民は政府に税金を払わなくなって、税金でほかのことをやって楽しく遊んでいる。
国民にとって政府に従うことは遊びである。昔の国民は政府に従うことが楽しかったから政府に従っていた。今の国民は政府に従うことが楽しくないから政府に従わなくなった。

[19944] 昔の人と今の人では心が違う。 h26.1.20
今の人は政府に従うのが嫌である。政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教や戦争をやったりするのが嫌である。
しかし、昔の人は政府に従うのが好きだったのである。昔の人は政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教や戦争をやったりするのが好きだったのである。
昔の人と今の人では心が違う。昔の人は物が貧しかったために“偉い者に従う喜び”があったから、政府の命令を聞いて政府に従って”偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていたのである。
今の人は物が豊かになって昔の人とは心が変わって“偉い者に従う喜び”がなくなっているから、いくら政府の命令を聞いても幸福になれず、むしろ税金を払ったり国家宗教をやったりして自分が損をするので不幸になっているのである。
政府は偉い者をやる団体である。政府は昔の人の“偉い者に従う喜び”を満足して昔の人を幸福にしていた。しかし、政府は今の人の心を満足せずかえって今の人を不幸にしている。政府は昔の人にとってはあるべき会社だったが、今の人にとってはなくなるべき会社である。
人間はみな平等である。政府と国民は平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の勝手である。国民が政府に従わなくても政府に叱[しか]られないから自分が政府に従いたくなければ従わなければいいのである。昔の国民は政府に従うのが好きだったから政府に従っていた。反対に、今の国民が政府に従うのが嫌なら従わなければいいのである。国民は自分の心を満足することをすればいいのである。国民は自分の心をよく知って自分の心を満足することを選んでやればいいのである。今の国民にとって政府に従うことが自分の心を満足しなければ政府に従わなければいいのである。
政府は法律会社でも民主主義の政治機関でもなく、偉い者をやる会社である。政府は正しいことをやる会社ではなく、国民の遊びのためにある会社である。だから、政府が国民に「国民みんなは政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。本当は国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の勝手である。だから、国民は自分が政府に従いたくなければ政府に従わなければいいのである。国民にとって法律会社や民主主義の政治機関は偉いが、偉い者をやる会社は偉くない。政府は見かけが偉いだけで、中身は偉くない。だから、国民が政府に従いたくなければ従わなければいいのである。

[19945] 政府は国民のためにある。 h26.1.20
国民の心には“偉い者に従う喜び”がある。
政府は偉い者をやる会社である。
政府は国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足するためにある。
国民が政府に従って自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が気持ちよくなりたければ政府に従えばいい。
反対に、国民が政府に従って自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が気持ちよくなりたくなければ政府に従わなければいい。
昔の国民は物がなくて“偉い者に従う喜び”しかなかったから、政府を利用して気持ちよくなっていた。
今の国民は物が豊かで“偉い者に従う喜び”がないから、政府を利用しなくなって政府に気持ちよくしてもらわなくなった。
今の国民は政府を利用せず政府に気持ちよくしてもらわなければいい。今の国民はもっとほかのところで自分の気持ちをよくしてもらえばいいのである。

[19946] 今の国民は政府の命令を聞くのをやめて幸福な社会にしなければならない。☆ h26.1.20
政府は法律会社や民主主義の政治機関ではなく、偉い者をやる会社である。
今の国民の多くは「政府が法律会社だ」と誤解しているから、政府を正しいことをする会社だと思って、政府に従っているのである。政府の命令を聞いて税金を払ったりその他のことをやったりしているのである。
しかし、本当は『政府は偉い者をやる会社だ』から、政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するためにある会社だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府は宗教団体や暴力団と同じように国民が従うことによって国民個人が気持ちよくなる団体だから、国民が従うか従わないかは個人の自由なのである。
国民みんなは早く自分の政府に対する誤解を直して、政府にむやみに従うのをやめねばならない。今の国民みんなは自分が“偉い者に従う喜び”を満足する必要がないから自分が政府に従わなくていいことを理解して、政府に従うのをやめねばならない。
今の国民の多くが政府を誤解しているために政府の命令に従って嫌な社会を作ってみんなが不幸になっている。国民みんなは早く自分の政府に対する誤解を直して政府に従わなくなって、自分で考えて楽しい社会を作ってみんなが幸福にならねばならない。

[19947] 政府の仕事☆☆ h26.1.20
政府の仕事は国民に自分を偉い者だと思わせることである。政府は仰々[ぎょうぎょう]しい事業をやったり国民を虐[いじ]めたりして国民に自分を偉い者に思わせている。
政府の仕事はそこまでである。
あとは、国民が自分の家でテレビや新聞で政府を見て政府を偉い者だと思って政府に拝[おが]んで幸福になっているのである。つまり、国民が政府に従うとは、国民が政府の命令を聞くことではなく、国民が政府を拝むことなのである。人間の心には“偉い者に従う喜び”があるから、国民が政府を偉い者だと思って政府を拝むと“偉い者に従う喜び”を荷う脳細胞が神経興奮して快感が発生するのである。[私の感覚論を参照。]
国民は政府が自分を幸福にしてくれたお礼に税金を払うのである。
だから、政府は国民に政府を偉い者に思わせることをするだけで、それ以外の事業はやっていないのである。政府は国民に政府を偉い者に思わせること以外には国民の役に立つことはしないのである。
昔の国民は物がなくて喜びがなくて“偉い者に従う喜び”だけが喜びだったから、自分が政府に従うことによって喜びを得ていた。昔の国民は政府から幸せをもらったお礼に政府に税金を払っていた。
しかし、今の国民は物が豊かで喜びがいっぱいあるから“偉い者に従う喜び”なんかつまらなくなって要らなくなって政府に従っても喜びが得られなくなった。今の国民は政府から幸せをもらわないのでお礼に税金を払わなくなった。今の国民にはいろんな喜びがいっぱいあって“偉い者に従う喜び”を荷う脳細胞が興奮しなくなっている。だから、今の国民は政府から喜びをもらっていない。だから、今の国民は政府に税金を払ってお礼をしなくていいのである。
そのため、今の政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。

[19948] 政府の仕事(その2)☆☆ h26.1.21
政府の仕事は何もない。政府の仕事は何もしないことである。
昔の人は自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が幸福になるために“偉い者の団体”を建てた。それが政府である。
昔の人は心の中で政府を偉い者だと思って政府を拝[おが]んで“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていた。
だから、政府は特に何もする必要がないのである。政府はただ建っていればいいだけである。政府は国民の前でちょっと威張[いば]って偉い者に見えればいいだけである。
昔の人は物がなくて“偉い者に従う喜び”しかなかったから、政府を拝む以外には自分が幸福になれなかったから必死で政府を拝んで幸福になっていた。昔の人は政府に自分を幸福にしてもらったお礼に税金を払っていた。
今の人は物が豊かになって強い喜びがいっぱいあって“偉い者に従う喜び”なんかなくてもよくなったから、政府を拝んで幸福になることをしなくなった。
今の人にとっては政府が要らなくなっている。今の人は政府に自分を幸福にしてもらっていないのでお礼に税金を払わなくなった。政府はみんなからお金をもらえなくなって滅んでいる。
政府の仕事は何もない。国民が政府を勝手に偉い者だと思っているので、政府は何もしなくていいのである。政府は国民の前でちょっと偉そうに見えればいいだけである。それなのに、今の政府はわざわざご丁寧[ていねい]に国民を虐[いじ]めて偉そうにしている。政府は大きなお世話である。政府は余計なことをせずに平等制の法律を犯さないようにおとなしく威張[いば]っていればいい。
今の人は偉い者に従う喜びがなくなっているから政府を拝まなくなって政府に幸福にしてもらわなくなってお礼に政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。今の政府は国民を自分の命令に従わせて国民からお金を取ろうとしてヤケクソになって国民を虐めているのである。しかし、国民はそんなことをしても政府に従わない。政府が国民を虐めても無駄[むだ]である。政府は滅ぶしかない。

[19949] どうして政府は人気が出たのか? h26.1.21
政府は最初の頃は暴力団と同じように小さな団体だったが、爆発的に人気が出たのでどんどん大きくなって国中のみんなが従う大きな団体になった。
政府が人気が出たのは、偉い者の団体と国家宗教団体を組ませたからである。異なる二つの団体を組ませることによって国中のみんなが拝[おが]んで幸せになる団体になったので、政府は人気が出たのである。
消しゴム付き鉛筆やグリコのオモチャ付きキャラメルと同じことである。インスタントラーメンに発泡スチロールのどんぶりを付けたカップヌードルも同じことである。
政府は偉い者の団体と国家宗教団体を組ませるというアイデアによって人気が出たのである。政府は昔の発明品である。
しかし、今の人は偉い者を拝むことや神を拝むことによって幸せにならなくなった。今の人にとっては政府が要らない。今の人は政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。さすがの政府も時代の変化には付いて行けなくなったのである。
近代になって政府は民主主義の政治機関を発明して自分に取り付けて国民みんなを従わせようとした。しかし、今では「多数決の原理」が嘘[うそ]であることがバレている。国家権力がないことがバレている。政府は国民みんなを自分に従わせて国民みんなからお金を取って儲[もう]けるために嘘の発明をしたのである。政府がいくら発明が得意でも嘘の発明はいけない。だから、いくら政府に民主主義の政治機関があっても国民は政府に従わなくていい。今の政府は国民みんなを従わせられなくなって国民みんなが政府に税金を払わなくなって潰れている。

[19950] 政府は嘘[うそ]つきである。 h26.1.21
最初の頃は政府は偉い者をやって国民が政府を拝[おが]んで幸せになって国民がお礼に政府に税金を払ってくれて政府が満足していた。
しかし、そのうち政府は「自分の身分が高いから国民が政府に従うのだ」と嘘をついて国民みんなを騙[だま]して政府に従わせて国民みんなに命令して高い税金を取るようになった。
近代になって政府は民主主義の政治機関を建てて「国民は多数決に従わねばならない」と嘘をついて国民みんなを騙して国民みんなを政府に従わせるようになった。
昭和40年ごろになって国民が物が豊かになって国民が神や偉い者を拝んで喜ばなくなった。
今では国民が『国民が政府に従うのは国民の心に“神や偉い者に従う喜び”があるためであって政府の身分が高いためではない』ことを知っている。今では国民は『多数決の原理は政府のでっち上げであり、国民は民主主義の政治機関の命令に従わなくていい』ことを知っている。
そのために、今では国民は政府に従わなくなっている。政府は国民に命令できなくなって国民から税金を取れなくなって滅んでいる。
政府は最初の一時[いっとき]正直なだけで、その後は嘘をつくばっかりである。身分制も国家権力も政府がでっち上げた嘘である。政府は欲を出して、みんなに嘘をつくようになったのである。本当は、人間はみな平等であり、政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてかまわない。
そもそも人間に“神や偉い者に従う喜び”があったから政府が生まれたのである。政府が嘘をついて国民を騙して儲けるようになったのである。人間の心が余計な者を生み出したのである。今では文明が高くなって物が豊かになってみんなが“神や偉い者に従う喜び”がなくなっている。もう二度とみんなは政府のような余計な団体を作リ出してはいけない。

[19951] これまで国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。 h26.1.21
政府はそもそもは偉い者の団体と国家宗教団体が組んだ団体だった。
もともと国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていた。国民はおもに政府を拝[おが]むことで政府に従っていた。国民は政府を拝んで幸福になったお礼に政府に税金を払った。
政府は国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていることを利用して「政府が身分が高いから国民が政府に従っているのだ」と嘘[うそ]をついて、国民が強制的に政府の命令を聞かねばならないことにして、国民に税金の命令を出して国民から無理やり税金を取るようになった。
さらに、政府は近代になって民主主義の政治機関を建てて「自分には国家権力がある」と嘘をついて、国民を政府に従わねばならないことにした。
本来国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するために自主的に政府に従っていたのを、政府は身分制や国家権力の嘘をついて国民が強制的に政府に従わねばならないことのように思わせていたのである。政府は嘘をつくことによって国民が政府に従うことを強めていたのである。
身分制も国家権力も政府の嘘である。実際には、身分制も国家権力もないのである。国民は身分制や国家権力によって政府に従わなくていいのである。
本当はこれまで国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていたので、たとえ身分制や国家権力がなくても政府に従ったのである。
本当は国民みんなは身分制や国家権力が政府の嘘であることを知っていた。これまで国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていただけなのである。
しかし、昭和40年ごろになって国民の生活が豊かになると国民は物を使って自分の心を満足するようになって偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなった。政府は国民に命令できなくなって国民から税金を取れなくなって滅んでいる。
つまり、政府は偉い者の団体と国家宗教団体と民主主義の政治機関が組んだ団体である。国民は偉い者に従う喜びや神に従う喜びがあるから政府に従っている。国民は国家権力があると思っているから政府に従っている。これまで国民は自分の偉い者に従う喜びや神に従う喜びを満足するために政府に従っていた。国民は国家権力があると思って政府に従っていた。しかし、今では国民が物が豊かになって偉い者に従う喜びや神に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっている。国民は国家権力が政府のでっち上げであると考えて政府に従わなくなっている。国民は政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府が国民から税金を取れなくなって政府が滅んでいる。

[19952] 国民には政府の嘘[うそ]は通用しない。 h26.1.21
政府はもともと偉い者の団体と国家宗教団体が組んだ団体だった。
政府が何もしなくても、国民が勝手に政府を偉い者や神だと思って政府を拝[おが]んで自分の“偉い者や神に従う喜び”を満足して幸せになっていた。国民は政府を拝んで政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払っていた。
政府は身分制を定めて国民が自主的に政府に従うのを国民が強制的に政府に従わねばならないことにした。実際には国民は身分制が政府の嘘だと知っていて、自主的に政府に従っていた。身分制があろうがなかろうが、とにかく昔の人は自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていたのでそのお礼に政府に従っていたのである。
近代になって国民の生活が豊かになって国民が偉い者や神に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなったので、政府はそれを食い止めるために民主主義の政治機関を建てて「政府に国家権力がある」と嘘をついて国民を従わせようとした。しかし、実際には国民は国家権力は政府の嘘だと知っていて、政府に従いたくない国民は政府に従っていなかった。
政府は世界大戦をやって国民の“人殺しをしたい欲望”を満足させて国民を喜ばせて国民の政府離れを防ごうとしたが、それもあまり効かなかった。
昭和40年ごろになって科学の時代になって国民の生活がいっそう豊かになると国民はますます偉い者や神に従う喜びを満足しなくなってますます政府に従わなくなった。政府は新たに私を国家宗教の神にして国民の“神に従う喜び”を満足して国民の政府離れを防ごうとしたがあまり効かなかった。
今の国民はまったく政府に従わなくなって、国民は政府の命令を聞かなくなって、政府は国民に命令できなくなって国民から税金を取れなくなって滅んでいる。
政府も国民も同じ人間である。政府と国民の頭の出来は同じである。だから、政府は国民を嘘で騙[だま]せない。これまで国民は政府の嘘に騙されて政府に従ったのではない。国民は自分の“偉い者や神に従う喜び”を満足するために政府に従ったのだ。しかし、今では国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって自分の“偉い者や神に従う喜び”を満足しなくなって政府に従わなくなっている。国民は政府の命令を聞かなくなって、政府が国民から税金を取れなくなって政府が滅んでいる。

[19953] 最近の国民は政府に従わなくてもよくなっている。 h26.1.21
江戸時代のころはまだ大勢の国民が“偉い者に従う喜び”を満足して幸福に暮らしていた。大勢の国民が幕府の命令で何でもやった。
だから、幕府は幕府に従う者を使って幕府に従わない者を殺させることができた。幕府は下剋上[げこくじょう]や一揆[いっき]を起こした者を罰することができた。
だから、江戸時代のころはまだ国民が幕府に逆らうことはできなかったのである。国民みんなが幕府に従わねばならなかったのである。
しかし、近代になると国民の暮らしが豊かになって国民が物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足して幸福に暮らしている者が減った。少数の国民が政府の命令で何でもやるだけだった。
だから、近代には政府は政府に従う者を使って政府に従わない者を殺させることができなかった。政府は政府に従う者を使って政府に従わない者を多少嫌がらせをさせることができるだけで殺させるほどのことはできなかった。近代には度胸さえあれば国民は政府に逆らうことができた。
昭和40年ごろになるとますます国民の暮らしが豊かになって国民がますます物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足する者がいなくなった。政府の命令で何でもやる国民がほとんどいなくなった。
だから、今では政府は政府に従う者を使って政府に従わない者を罰することができなくなった。政府はいくら国民が政府に逆らっても国民に何も手出しができなくなった。だから、今では国民は自由に政府に逆らうことができる。
今では“偉い者に従う喜び”を満足して政府の言いなりになっている者がいないから、国民は政府に自由に逆らってもいいのである。民主主義の政治機関は国民の心を捉[とら]えていない。人間の心には“国民みんなに従う喜び”がない。だから、民主主義の政治機関に従う者はいない。政府にとって民主主義の政治機関はただ建っているだけの役立たずである。合理的に出来すぎているのが民主主義の政治機関の弱点である。民主主義の政治機関は政府の覆[おお]いにすぎないから、国民は民主主義の政治機関を無視していいのである。国家権力は政府の作り事だから、国民は民主主義の政治機関がないと思えばいいのである。人間の心には“国民みんなに従う喜び”がない。国家権力がないことに関しては人間の心が正しいのである。人間の心もたまには正しいことがあるのである。
今では国の文明が進んで国民みんなが物が豊かになって国民みんなの心が変わっているから、政府の言いなりになっている者がいない。政府は国民に「今でも政府の言いなりになっている者がいる」ことを教えるために、人殺しをしたい者を使って人殺しをさせている。しかし、人殺しをしたい者はいつでもいる。珍しくはない。人殺しをした者が少しいたからといって騒ぐほどのことはない。政府の言いなりになっている者がほとんどいなければどうでもいい。今の国民にとって政府は恐れるに足りない。今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していないから政府に従いたくない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。

[19954] 民主主義の政治機関は役立たずである。 h26.1.21
政府の正体は偉い者の団体である。民主主義の政治機関はオマケにすぎない。
政府の民主主義の政治機関はただ建っているだけで何にもしていない。
政府の偉い者の団体もただ建っているだけで何にもしていない。
国民は政府を偉い者だと思って政府を拝[おが]んで自分の“偉い者に従う喜び”を刺激して興奮させて快感を得て幸福になっている。[幸福とは感情の総和である(幸福=Σ感情)。感情と感情の間には相互作用がある。だから、人間がつまらない感情にとらわれて他の感情の満足を妨げるとかえって感情の総和としての幸福が減る。人間はひとつの感情にとらわれるのではなく、感情全体ををつねに考慮しないといけない。]
国民には“国民みんなに従う喜び”がないので、国民がいくら政府の民主主義の政治機関を拝んでも幸福になれない。国民にとっては政府の民主主義の政治機関はただ建っているだけの役立たずである。ただ、馬鹿は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府の民主主義の政治機関を見て「政府に国家権力がある」と思っていやいやしかたなく政府に従っているのである。普通の国民は『国家権力が政府の作り事だ』と知っているから、政府の民主主義の政治機関を無視しているのである。
昔の国民は物がなくて“偉い者に従う喜び”を自分で刺激して興奮させて快楽を得ていたから政府に従っていた。政府を拝んで政府に自分を幸福にさせてもらったお礼に政府の命令を聞いて税金を払ったり多少面倒くさいことでもやった。
今の国民は物が豊かで“偉い者従う喜び”よりもずっと面白いことがいっぱいあるから、今の国民は“偉い者に従う喜び”を自分で興奮させなくなって政府に従わなくなった。今の国民は政府を拝んで幸福にさせてもらっていないので、お礼に政府の命令を聞かなくなった。政府に税金を払ったり面倒くさいことをやらなくなった。
今では政府が国民に命令できなくなって国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
政府の民主主義の政治機関は政府の偉い者の会社で持っているだけである。今では偉い者の会社が潰れているから民主主義の政治機関も潰れているのである。

[19955] どうして会社に社長がいるのか? h26.1.21
昔はみんなが物がなかったからみんなが“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていた。
そのため、昔はどこの会社にも社長がいて、社員は社長を拝[おが]んで自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福に暮らしていた。社員は社長に自分を幸福にしてもらったお礼に社長の命令を聞いて社長に会社の儲[もう]けの大半をやって多少面倒くさいことでもやった。
しかし、今ではみんなが物が豊かだからみんなが物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足して喜ばなくなった。
そのため、今ではどこの会社にも社長がいない。今では社員が社長を拝んでも幸せにならなくなって社長が要らなくなったから社長がいなくなったのだ。今では社員は社長に自分を幸福にしてもらわなくなったので社長にお礼をしなくなって社長の命令を聞かなくなって社長が会社の儲けを取れなくなったから社長がいなくなったのだ。

[19956] 仕事をしている者は政府について考える時間がない。 h26.1.21
人間は考えるから正しいことがわかる。人間は考えなければ正しいことがわからない。
人間は政府について考えなければ政府のことがわからない。
人間は仕事をすればお金が入って楽しいことがやれる。そのかわり、政府について考える時間がないから政府のことがわからなくて社会科の教科書を鵜呑[うの]みにして「政府は民主主義の政治機関だから、政府には国家権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思って政府の命令を聞いて政府に税金を払い続ける。
反対に、人間は仕事をしなければお金が入らず楽しいことがやれない。そのかわり、政府について考える時間があるから政府のことがわかって『政府は偉い者の団体であり、今の国民は偉い者を拝[おが]んで喜ぶ習慣がないから政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に従わなくていい』と考えて政府の命令を聞かず政府に税金を払わない。
そのため、仕事をしている者は政府に税金を払い、仕事をしていない者は政府に税金を払わない。
だから、政府は仕事をしている者だけから税金を取って、仕事をしていない者からは税金を取らないのである。
今では国民が政府に従わないのが正しいから、仕事をしている者も仕事をしていない者もいっしょに政府に従わなければいいのである。政府に税金を払わなければいいのである。
今の国民は正しい情報を与えられていないためにまちがったことをやっている。今の国民が正しい情報を持っていれば正しいことをやるはずである。国民は正しいことを知るべきだから、国民に正しい情報を与えるのは善いことである。そこから先の判断はめいめいにやってもらえばいいのである。

[19957] 戦国時代はどうしてあったのか? h26.1.21
幕府は偉い者である。偉い者は国民みんながただ偉い者だと思っていさえすれば偉いので、何もする必要がない。偉い者が偉い者であることに理由は要らない。だから、徳川家康が戦[いくさ]に勝ったから江戸幕府が出来たのではないのである。みんなにとって徳川家康が拝[おが]んで幸せになる人物だったから江戸幕府が建っただけである。ヨーロッパ人にとってキリストが拝んで幸せになる人物だったから、ヨーロッパにキリスト教が広がったのと同じことである。
昔の人にとっては戦争はゲームだった。戦争は自分の“人殺しをしたい欲望”を満足するための遊びだった。人間は一皮剥[む]けば野蛮なものである。
だから、戦国時代は諸国の武士が戦争ゲームをして遊んでいた時代だったのである。おかげで農民は田畑を荒らされて迷惑をした。しかし、武士の死体がいい肥料になったので大目に見てやっていた。
いくら昔の人にとって戦争が楽しいゲームでも、何度もやっていれば飽きが来る。だから、戦国時代はいつしか終わったのである。武士が戦争以外のことで遊ぶようになったから戦国時代が終わったのである。
今ではみんなは物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“人殺しをする喜び”を満足しなくなったからみんなが戦争をしなくなった。今ではみんなにとって戦争以外にも楽しいことがいっぱいあるからみんなは戦争をしなくなった。今ではみんなにとって戦争よりも楽しいことがいっぱいあるからみんなは戦争をしなくなった。今の人にとっては戦争は過去の遊びにすぎないのだ。

[19958] どうしてオガンダムがバカラスになったのか? h26.1.21
昔コロコロコミックに『超人キンタマン』というマンガが連載されていた。私も弟が持っていたコロコロコミックで何度かキンタマンを読んだことがある。
『キンタマン』にはガンダムに似たオガンダムというロボットのキャラクターが登場する。私もオガンダムという名前は憶えていた。
ところが、オガンダムはガンダムの商標登録に反するとかの理由で無理やりバカラスという情けない名前に変えられてしまった。
オガンダムという名前からは“拝[おが]む”という言葉が連想される。“拝む”という言葉を知っていれば、政府が国民が拝むためにある会社だということがわかる。政府が国民が拝んで幸福になるためにある団体だということがわかる。そうすると、今の国民は偉い者に従う喜びがないので政府を拝んでも自分が幸せにならないので政府が要らないので政府にお礼をする必要がないので政府に税金を払わなくてもいいことがわかる。
それでは、政府にとっては都合が悪い。だから、政府はマンガ家に命令してオガンダムの名前をバカラスに変えさせたのである。
しかし、バカラスでは面白くない。マンガ家はもとのオガンダムという名前に戻すべきである。
じつは、私は最近(1週間ぐらい前)インターネットで昔コロコロコミックに連載されていたマンガを調べていて、偶然に『キンタマン』のオガンダムの名前がバカラスに変えられていることを知った。そのことが私の頭に残っていて私が政府が国民が拝むためにある会社であることがわかったのかもしれない。あるいは、『子連れ狼』の拝一刀[おがみいっとう]から来ているのかもしれない。


[19959] 政府は国民を従わせる団体である。 h26.1.21
政府の偉い者をやる団体と国家宗教団体は、“偉い者や神に従う喜び”がある者を政府に従わせる団体である。
政府の民主主義の政治機関は、政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて「政府に国家権力がある」と思っている馬鹿を政府に従わせる団体である。
つまり、政府は国民を従わせるためにある団体である。そもそも政府は国民が自分が従うことによって自分が幸福になるために建てたが、そののち政府は国民に嘘をついて国民を騙して国民を従わせるようになったのである。政府はただ建っているだけで、国民のために役に立つことは何もせず、ただたんに国民を自分に従わせて国民に命令して国民から税金を取るだけの団体である。政府は自分が働かずに国民からお金を取る。政府は国の中で一番楽な仕事である。
しかし、今の国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者や神に従う喜び”を満足しなくなって、国家権力が政府のでっち上げであることを知っているので、今の国民は政府に従わなくなっている。政府は国民に命令できなくなって国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。
今の政府が国民を殺したり虐[いじ]めたりしているのは、国民に「政府が身分が高い」と思わせて国民を政府に従わせるためである。しかし、今の国民は『身分制が政府の作り事である』ことを知っている。今の国民はいくら政府が国民を虐待しても政府が身分が高いと思わず政府に従わない。今の国民は政府の命令を聞かなくなって政府が滅んでいる。そもそも昔の時代に身分制や国家権力が通用したのは、政府がみんなに偉い者だと思われてみんなが政府に従っていたからである。みんなが政府に従っていたのでみんなが政府の作り事に従ったので身分制や国家権力が通用したのである。しかし、今の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足しなくなったために政府を偉いと思わず政府に従わなくなった。そのため、今では国民が政府の作り事に従わなくなって身分制や国家権力がなくなっているのである。つまり、国民みんなの“偉い者に従う喜び”が政府の支えのすべてだったのである。今では国民みんなに“偉い者に従う喜び”がなくなって政府の支えがなくなっているから政府が潰[つぶ]れているのである。

[19960] テレビが政府を倒した。 h26.1.21
政府は国民が勝手に偉い者だと思って拝[おが]んで幸せになるためにある団体である。人間の心には“偉い者に従う喜び”があり、国民が政府を偉いと思って政府のある方を向いて頭を何度も下げて拝めば“偉い者に従う喜び”が刺激されて興奮して快感を発生して幸福になれるのである。上手[うま]くなれば天国にも行けるようになるのである。
だから、政府は国民にとって眼で見える必要はない。政府はイメージで偉ければいいだけである。
ところが、戦後にテレビが発明されて国民みんながテレビを見るようになって政府もテレビに出るようになった。
しかし、国民が政府を見ると偉くなかった。政府は偉い者のイメージとかけ離れていた。
そのために、戦後は国民が政府を偉い者だと思わなくなって“偉い者に従う喜び”が満足されなくなって国民が政府に従わなくなった。
政府はテレビに出なければよかったのだ。そうすれば、国民の多くがいまだに政府を偉い者だと思って“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていたのだ。政府の命令を喜んで聞いて政府に税金を払ったのだ。
しかし、政府は出たがりでテレビに出てしまった。政府は毎日テレビに出て醜態をさらして国民みんなに『政府は偉くない』と思わせている。国民みんなは政府に従わなくなって、政府は国民みんなに命令できなくなって国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
そもそも偉い者は人間の心の住人であって、眼で見るものではない。テレビが偉い者を眼で見るようにしてしまったために偉い者が死んでしまったのだ。テレビが政府を潰したのだ。そもそも偉い者のイメージは人によってそれぞれ違うから、たとえ政府がどんな人であってもうまくいかないだろう。それに、そもそも偉い者には形がない。形のない者に形を与えてしまってはもはや偉い者ではない。政府がテレビに出てしまったら政府はもはや偉い者ではない。
テレビが偉い者を殺してしまったので、今の国民には“偉い者に従う喜び”がない。今の国民は政府に従うかわりにテレビを見て喜んでいる。テレビが政府に勝ったのだ。

[19961] 政府が偉い者をやるためには何もしなくていい。 h26.1.21
政府は偉い者をやる団体である。
国民は勝手に政府を偉い者だと思って政府を拝[おが]んで自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になる。国民は政府に自分を幸福にしてもらったお礼に政府の命令を聞く。たまに政府が国民に直接に命令して国民が政府の命令に従うことによって国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して国民が幸福になることもある。
だから、政府は何もしないか、せいぜい国民に命令すればいいだけである。政府は楽な仕事である。
しかし、そうやって政府が国民からお金をもらえたのは昔の話である。昔は国民は物がなかったために“偉い者に従う喜び”しかなかったので国民は一生懸命に自分の偉い者に従う喜びを満足するために必死で政府に従っていた。政府が国民に命令すれば国民はいくらでもお金をくれた。しかし、今では国民は物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足しなくなったので政府に従わなくなった。政府がいくら国民に命令しても国民は1円もくれなくなった。
今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していないから政府に従わない。今の国民はいくら政府が命令しても政府の命令を聞かない。今の国民は“政府に従わない喜び”を満足して幸福に暮らしている。
今の政府は今でも“偉い者に従う喜び”を満足している国民のためにあるのである。今でも宗教団体や暴力団に従っている者がいるように、今でも政府に従っている者がいるのである。政府に従いたい者は従えばいい。他人が政府に従っていようがいまいが他人の勝手だ。国民は自分が“偉い者に従う喜び”を満足したくなければ政府に従わなければいいのである。
今の国民は政府を拝んだり政府の命令を聞いたりして“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていないから、政府に自分を幸福にしてもらっていないから、政府にお礼をするために政府の命令を聞く必要はない。政府を拝んだり政府の命令を聞いたりして政府に自分を幸福にしてもらっている者だけが政府の命令を聞けばいいのである。
今の国民は政府のことを正しく知らないから、自分が政府に従うか従わないかを正しく決められないのである。今の国民は政府のことを正しく知ってから、自分が政府に従うか従わないかを決めればいいのである。
 
[19962] 税金とは?☆ h26.1.22
要するに、政府は宗教団体と同じである。宗教団体を基[もと]にして政府を理解すればいい。
政府は偉い者をやる団体である。
国民は政府を拝[おが]んで自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になる。
税金とは、国民が政府を拝んで幸せにしてもらったお礼に政府に払うお金である。
だから、政府を拝んで政府に自分を幸せにしてもらっている国民は政府に税金を払えばよく、政府を拝まず政府に自分を幸せにしてもらっていない国民は政府に税金を払わなければいい。
昔は国民が物が貧しくて、政府を拝んで自分の“偉い者に従う喜び”を満足していたから、政府に税金を払っていた。
今では国民が物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって、政府を拝んで自分の“偉い者に従う喜び”を満足しなくなったから、政府に税金を払わなくなった。
今の国民が政府に税金を払わなくなったので、政府が潰[つぶ]れている。

[19963] 日本人の本質 h26.1.22
人間の本質は心である。
日本人は神が嫌いである。みんなが嫌いである。
日本人の心には神がいない。みんながいない。
だから、日本人は無信教で個人主義である。
反対に、中国人は神が嫌いで、みんなが好きである。
日本人はみんなが嫌いなのに、中国人はみんなが好きである。
日本人と中国人は気が合わない。だから、日本人と中国人は仲が悪いのである。[例えば、日本人は戦[いくさ]のとき集団の中から順番に1人ずつ出て1人ずつ名乗って1人対1人で戦っていた。反対に、中国人は集団と集団で戦っていた。麻雀のルールも日本と中国では違う。]
反対に、ヨーロッパ人は神が好きで、みんなが嫌いである。
日本人は神が嫌いなのに、ヨーロッパ人は神が好きである。
日本人とヨーロッパ人は気が合わない。だから、日本人とヨーロッパ人は仲が悪いのである。
同じ性格の人間で固めているのが国である。同じ国の人間は性格が偏[かたよ]っている。だから、国には弱いところと強いところがある。世界中の国で助け合って仲良く平和に暮らさねばならない。

[19964] 政府は国民が拝[おが]むためにある。☆ h26.1.22
政府は名前の通り政[まつりごと]をする府[ふ]である。つまり、政府は国民が拝む会社である。
昔の人は政府を偉い者だと思って政府を拝んで幸せになっていたのである。人間の心には“偉い者に従う喜び”があるから、国民は政府を拝むことによって“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていたのである。
昔の人は物がなくて物を使って喜ぶことができなくて偉い者に従うことで喜んでいたから、政府を拝んでいたのである。
今の人は物があって物を使って喜ぶようになって偉い者に従うことで喜ばなくなったから、政府を拝まなくなったのである。
今の人にとっては物を使う喜びのほうが偉い者に従う喜びよりも大きいから、今の人は物を使うことばかりやって偉い者に従わなくなったのである。今の人はテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりするばっかりで、政府を拝まなくなったのである。
だから、今の人にとっては政府が要らない。今の人は政府を拝んで政府に自分を幸福にしてもらわなくなったから、政府に税金を払わなくなったのである。そもそも税金は政府が国民から強制的に取っているのではなく、国民が自分から自主的に政府に払っているのである。政府は憲法で嘘[うそ]をついて国民に「政府が無理やり国民から税金を取っている」と思わせているだけである。政府は法律会社ではなく偉い者をやる会社だから、国民に嘘がつけるのである。だから、今の国民が自分が政府を拝まず政府に自分を幸せにしてもらっていなくて政府に税金を払いたくなければ払わなければいいのである。本当は、政府が国民から税金を取っているのではない。国民が政府に税金を払っているのだ。国民が政府に税金を払うかどうかは国民自身が決めるのだ。今の国民が政府を拝まず政府に幸せにしてもらっていなければ、政府に税金を払わなければいいのである。

[19965] 昔の人は政府や宗教団体や暴力団を拝[おが]んで幸せになっていた。 h26.1.22
昔の人は政府を偉い者だと思って政府を拝んで幸せになっていた。人間の心には“偉い者に従う喜び”があるので、昔の人は政府を拝むことによって“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていた。
昔の人は宗教団体を神だと思って宗教団体を拝んで幸せになっていた。人間の心には“神に従う喜び”があるので、昔の人は宗教団体を拝むことによって“神に従う喜び”を満足して幸福になっていた。
昔の人は暴力団を善[い]い者だと思って暴力団を拝んで幸せになっていた。人間の心には“善い者に従う喜び”があるので、昔の人は暴力団を拝むことによって“善い者に従う喜び”を満足して幸福になっていた。
昔の人は物がなくて物を使って喜ぶことができなかったから、政府や宗教団体や暴力団を拝んで幸せになっていたのである。
今の人は物があって物を使って喜ぶことができるから、物を使う喜びのほうが政府や宗教団体や暴力団を拝む喜びよりも強いから、物を使ってばかりいて政府や宗教団体や暴力団を拝まなくなったのである。今の人は年がら年中朝から晩までずっとテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりしているのである。
今の人は政府や宗教団体や暴力団を拝んで自分を幸せにしてもらわなくなったから、政府や宗教団体や暴力団にお礼のお金を払わなくなったのである。そのために、政府や宗教団体や暴力団が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れているのである。

[19966] 今の国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されなくなっている。 h26.1.22
政府は偉い者をやる会社である。政府は昔の国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が幸せになるために建てた会社である。昔の国民は自分で政府を拝[おが]んだり自分で政府の命令を聞いたりして自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていたのである。昔の国民は自分が政府を拝んだり自分が政府の命令を聞いたりして政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払っていた。
しかし、その後政府は国民が政府に従っていることを利用して、国民にいろんな嘘をついて国民を騙すようになった。政府は「政府は身分が高い」「政府は国家権力がある」「国民が政府に税金を払わねばならない法律がある」などと嘘を言って、国民に「自分は政府に従わねばならない」と思わせて国民に命令して国民から税金を取ったり国民に嫌がらせをしたりするようになった。昔の国民は自分の意思で自由に政府に従っていたのに、政府は国民を嘘で騙して国民が強制的に政府に従わねばならないと思わせたのである。そうして、政府は国民から高い税金を取ったり国民にいろんな命令を出せるようにしたのである。
昔の国民は物がなくて物を使って喜ぶことができず自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていたので、政府の嘘に従って政府の嘘に騙されていた。
今の国民は物を使って喜ぶようになって自分の“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府に従わなくなったので、政府の嘘に従わなくなって政府の嘘に騙されなくなった。
今では国民が『政府は身分が高くない』『政府には国家権力がない』『国民が政府に税金を払わねばならない法律はない』と考えて、『自分は政府に従わなくていい』と考えて、政府の命令を聞かなくなっている。今の国民は政府の命令で政府に税金を払ったり政府の国民に対する嫌がらせをやったりしなくなっている。今の政府は国民から税金がもらえなくなって滅んでいる。
政府は本当は国民が拝むためにある会社である。国民が政府を拝んで自分が気持ちよくなったぶんだけ政府にお金を払えばいいのである。今の国民は政府を拝んで気持ちよくなっていないから政府にお金を払わなくていいのである。税金を払わなくていいのである。
政府に比べて宗教団体や暴力団は嘘をつかないので、宗教団体や暴力団に従うか従わないかは国民の自由である。だから、本来政府に従うか従わないかも国民の自由である。今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していないから、政府に従う必要がない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。

[19967] どうして今の国民は政府に従っているのか?☆ h26.1.22
昔の国民は物がなかったので物を使って自分の心を満足することができなかったので“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていた。政府の命令を聞いて政府に税金を払ったりその他のことをやったりした。
今の国民は物があるので物を使って自分の心を満足するようになったので“偉い者に従う喜び”を満足しなくなった。
しかし、今の国民は年がら年中朝から晩までテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりして遊んでばかりいて政府について考えようとせず社会科の教科書を鵜呑[うの]みにして「政府は民主主義の政治機関だから、国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従って、政府の命令で政府に税金を払ったりその他のことをやったりしている。(かつては私もそうだった。)
今の国民は物を使って遊んでばかりいて自分で政府について考えず政府が何の団体なのかわかっていないために政府に従っているのである。
本当は、『政府は偉い者をやる会社だから、今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足しなくなったから政府に従う必要がない』のである。
今の国民は物で遊んでばかりいないで、少しは自分の頭を使って世の中のことについて考えて、正しく生きていかねばならない。人間として善く生きていかねばならない。今の国民は物を使って喜ぶよりも自分の頭を使って喜ばねばならない。

[19968] 寝不足やオナニーやセックスや麻薬は精神分裂病の大敵である。 h26.1.22
女の子がお風呂に入っているとき「いい身体をしているな」という空耳が聞こえて激しく嫌がると、条件反射で空耳とイライラの感情の間に神経連絡が出来て、空耳が聞こえるたびにイライラの感情が興奮するようになって分裂病に罹[かか]る。
男の子が隣の席の不良が気に食わないことをしているのを見て激しく嫌がって、気に食わない態度をやめさせようとしてテレパシーで相手の意思を操ろうとすると、条件反射でイライラの感情とテレパシー器官の間に神経連絡が出来て、テレパシーが聞こえるたびにイライラの感情が興奮するようになって分裂病に罹る。
つまり、テレパシーを激しく嫌がってはいけないし、逆に激しく嫌がりながらテレパシーを使おうとしてもいけないのである。【精神分裂病に罹らないための必要十分条件】どちらもテレパシー器官とイライラ感情の間に条件反射で神経連絡が出来るからやってはいけないのである。
人間が寝不足の時には知覚が疲れて知覚が働かなくなって知覚が適切に心や五感を抑[おさ]えなくなって自分が嫌がる必要のないことまで嫌がったりテレパシー器官(五感に含まれる)を働かせてはいけないのに働かせたりして分裂病に罹りやすい。だから、人間が分裂病に罹らないためには毎日十分に睡眠をとっていつも知覚がよく働くようにしないといけない。
毎日オナニーやセックスをすると心が興奮しやすくなって感情全般が興奮しやすくなってイライラの感情が興奮しやすくなって、自分が嫌がる必要のないことまで嫌がるようになって、空耳に対して嫌がったり、他人の態度が気に入らなくてテレパシーを使って直そうとして分裂病に罹りやすくなる。だから、人間が分裂病に罹らないためには毎日オナニーやセックスをやってはいけない。1月に1度ぐらいにしないといけない。
麻薬をやると心が興奮しやすくなって感情全般が興奮しやすくなってイライラの感情が興奮しやすくなって分裂病に罹りやすくなる。だから、人間が分裂病に罹らないためには麻薬をやってはいけない。
人間にとって睡眠不足やオナニーやセックスや麻薬は精神病の大敵である。人間が精神病にかかると一生死ぬまでずっと苦しまなければならなくなる。だから、人間が幸福に生きるためには睡眠をよくとってオナニーやセックスを控[ひか]えめにするようにして麻薬をやってはいけない。
精神病は広がった神経症ではない。つまり、神経症では嫌がる範囲が狭くて、精神病では嫌がる範囲が広いのではない。精神病も神経症と同じように嫌がる対象の範囲は狭い。分裂病では幻聴にイライラしているだけで、それ以外は普通の人と変わらない。だから、分裂病を広がりのある神経症と見なすのは不当である。ただ、精神病では嫌がる対象が普通の人と違っている。神経症では普通の人と同じことが嫌である。精神病では普通の人と違うことが嫌である。もっとも、厳密には普通の人と同じことも違うこともない。神経症と精神病の区別はないのである。とにかく自分が特定の対象を激しく嫌がると、条件反射で特定の対象と自分のイライラの感情の間に神経連絡が出来て、特定の対象を見るたびに自分のイライラの感情が興奮してイライラするのである。特に特定の対象が空耳(テレパシー)であるのが分裂病である。それ以外の対象であるのが神経症である。
分裂病は治らない病気ではない。10年ぐらい経[た]てばだいぶ治まる。たとえテレパシー器官とイライラ感情の間に神経連絡が出来ても、その後知覚で神経連絡を伝わるインパルスを抑制して神経連絡を切断すれば分裂病は治る。テレパシー器官とイライラ感情の間ではテレパシーが聞こえるとイライラ感情が興奮してイライラして、イライラするとテレパシー器官が興奮してテレパシーがますます聞こえるようになって、テレパシーがますます聞こえるとますますイライラ感が強まって、イライラ感とテレパシーがどんどん強くなって悪循環を繰り返している。知覚が神経繊維を伝わるインパルスを抑制するとこれら両方向のインパルスの伝達が遮断されてイライラ感情が静まりテレパシーも小さくなって聞こえなくなるのである。


[19969] 鬱病[うつびょう]はどうして罹[かか]るか? h26.1.22
神経症と精神病の区別はない。鬱病も鬱神経症も同じである。
人間の心には“落込みの感情”がある。人間は特定の環境や物に対して“落込みの感情”が興奮する。だから、人間が自分の“落込みの感情”を興奮させる環境の中にいると自分の“落込みの感情”が興奮して気分が落ち込むのである。
人間の脳に生まれつきテレパシー器官があるのがしかたがないように、落込みの感情があるのもしかたがない。「自分が熱い物を熱いと思うな」というのは無理である。それと同じように、「自分が落ち込む環境を落ち込むと思うな」というのも無理である。自分の気分が落ち込むのは自分の置かれている環境が自分に適していないという信号(サイン)である。つまり、鬱病は病気ではない。むしろ自分の心が正しくて自分の心が自分の危機を自分に知らせるために自分の気分を落込ませているのである。だから、鬱病を治す方法はない。自分が鬱病に罹ったら、自分の“落込み感情”を興奮させる環境から自分がなるべく早く脱出するしかない。自分はそのための努力をするしかない。たとえ自分の出世を捨てても自分の家族を捨てても(ときには自分の命を捨ててでも)とにかくそんな環境から抜け出さねばならない。そうすればあとの人生がうまくいって、人生全体としては幸福になる。
だから、自分の気分を落ち込ませている環境から自分が抜け出そうとしないことこそが鬱病なのである。鬱病に罹ると自分の気分が落ち込んでやる気がなくなって自分の気分を落ち込ませている環境から自分が抜け出そうとしなくなってますます気分が落ち込む。だから、鬱病を治したいと思ったら、無理にでも元気を出して自分が努力して自分の環境から抜け出すしかない。政府や医者が鬱病患者を虐[いじ]めるために鬱病患者に「自分の環境から抜け出してはいけない」とまちがった対処法を教えているのである。それでは一生死ぬまで地獄の中で暮らさねばならないだけである。だから、政府や医者の言うことを真[ま]に受けずにさっさと自分で自分の環境を変えて楽しく暮らしたほうがいい。
できれば最初から自分が落ち込む環境に自分を置かないほうが賢明である。そのためには、小さいときから自分が落ち込む対象を自分がよく知って、それを避けるようにしなければならない。例えば、自分がやっていて眠たくなることが自分の気持ちが落ち込む対象である。だから、自分は自分が眠たくなる対象を避けねばならない。例えば、自分が生物学を勉強していて眠くて勉強できなくなるなら、自分にとっては生物学が自分の“落込みの感情”の対象である。だから、自分は何が何でも生物学関係の学科に進んだり仕事に就[つ]いたりしてはいけないのである。
人間にとって最大の敵は核ミサイルでも政府でもない。自分の心である。自分の心を制する者が人生を制して幸福になれるのである。
人間の心に“イライラ感情”や“落込み感情”があるために、人間の五感に“テレパシー器官”があるために、人間の脳に“条件反射”があるために、人間が神経症や分裂病や鬱病に罹るのである。だから、人間は自分自身について理解して自分の脳を上手に使ってこれらの病気に罹らないように気をつけねばならない。
人間の心に“偉い者に従う喜び”があるために政府が出来て、国民が政府に従うようになって、政府が嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民を政府に従わねばならないと思わせて国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたりするのである。人間の心に“偉い者に従う喜び”があるために政府に虐められるのである。だから、人間は自分自身について理解して政府に虐められないようにしないといけない。“政府に虐められ病”に罹らないようにしないといけない。今の国民は物を使う喜びで自分の心を満足して“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって自分が政府に従わないようにして“政府に虐められ病”に罹らないようにしている。
人間の心が人間のすべての災[わざわ]いのもとである。人間が自分自身について理解を深めて自分が不幸にならないように気をつけねばならない。

[19970] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。 h26.1.23
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するためにある団体である。国民は政府に拝[おが]んだり政府の命令を聞いたりして自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸せになるのである。
税金は国民が政府に自分の“偉い者に従う喜び”を満足させてもらったお礼である。
昔の国民は物がなくて偉い者に従う喜びが最高の喜びだったから、政府に自分の偉い者に従う喜びを満足させてもらっていた。だから、昔の国民は政府に税金を払っていた。
しかし、今の国民は物が豊かで偉い者に従う喜びよりも強い喜びがいっぱいあるから、政府に自分の偉い者に従う喜びを満足させてもらっていない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。
今の政府は国民から税金をもらえなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
今の政府に税金を払っていない国民は国民みんなに『自分が税金を払っていない』と言って威張[いば]ればいい。そうすれば、みんなもいっしょに政府に税金を払わなくなってもっと早く政府が潰れるだろう。
政府はみんなの“偉い者に従う喜び”で支えられている。しかし、今のみんなには偉い者に従う喜びがない。だから、政府は潰れているのだ。

[19971] 今の国民は“考える喜び”を満足するようになっている。☆ h26.1.23
今の国民はテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりして、自分で政府について考えないために、社会科の教科書に「政府は民主主義の政治機関であり、国民みんなは政府に従わねばならない」と書いてあるのを鵜呑[うの]みにして、政府に従っているのである。政府の命令を聞いて政府に税金を払ったりその他のことをやったりしているのである。
つまり、今の国民は自分の“物を使う喜び”のために政府に従っているのである。
あるいは、今の国民が勉強や仕事をしているために、自分で政府について考える時間がないために、やはり社会科の教科書を鵜呑みにして政府に従っているのである。
国の文明がさらに進歩して、国民が“物を使って遊ぶ喜び”を満足することから“自分の頭で考える喜び”を満足することに変われば、国民が政府のことについて考えて『政府が偉い者をやる団体であり、今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していないから政府に従わなくていい』ことが理解できて政府に従わなくなるだろう。
今はまさにそのときである。今の国民はテレビを見たりゲームをしたりパソコンをしたりするのに飽きている。マンネリになって退屈している。だから、今の国民は自分で考えることに移っている。今の国民は自分の“考える喜び”を満足することに変わっている。
今の国民は私の政府についての考えを読んで理解して、政府についての正しい知識を持って、正しく行動すればいい。
今の国民は自分の“考える喜び”を満足するようになっている。今の国民は勉強や仕事の休日に読書をしたり自分で考え事をしたりして優雅[ゆうが]に暮らしている。それが文明社会のあるべき姿だ。
今の国民みんなが自分の“考える喜び”を満足して暮らすようになれば、考える仕事をする人が儲[もう]かって考える仕事をする人が増えて、国の文明が高くなって国の文化がますます豊かになるだろう。人間が人間にとってふさわしい生活ができるようになって人間が真[しん]に幸福に暮らせるようになるだろう。
いくら馬鹿でも他人に騙[だま]されるほど馬鹿ではいけない。今の国民は政府の嘘[うそ]に騙されて政府に従っている。今の国民はのんびりゲームで遊んでいる余裕はない。国民はもっと自分の頭で考えて自分の馬鹿を直して政府に騙されなくならねばならない。

[19972] どうして最近の日本は人口が多いのか? h26.1.23
私が高校生の頃(約35年前)は日本の人口はまだ1億人ちょっとだった。それが今では1億3千万人もいる。
日本の人口が増えたのは、国民みんながゲームをやるようになったからである。
昔の日本人は読書が趣味で知的だったからオナニーやセックスで喜ばなかった。だから、子供が少なかったのである。人口が少なかったのである。
ところが、最近の日本人はゲームが趣味で五感的で動物的になったからオナニーやセックスをやって喜ぶようになったのである。そのために、子供が増えて、人口が増えたのである。
日本人は昔から知的な民族だと決まっている。日本人は三度の飯[めし]より活字が好きだと言われている。日本人は頭を使えば使うほど快感が得られるように出来ている。日本人は知覚欲(知覚を使う喜び)が強い民族である。ところが、最近の日本人はゲームばかりやって“頭を使う喜び”を満足しなくなって楽しい思いをしなくなっている。日本人の脳がせっかく知覚を使えば快感が得られるように出来ているのに、長所を活かしていない。日本人は知覚を使うことが喜びである。日本人は頭を使えば使うほど幸福になる。日本人はゲームの喜びよりもオナニーやセックスの喜びよりも考える喜びのほうが強いのである。日本人はゲームなんかやるよりもオナニーやセックスなんかやるよりも考えたほうが楽しいのである。だから、日本人はつまらないゲームをやって時間を無駄[むだ]にするよりも自分の頭を使って考えて気持ちよくなったほうがいいのである。
私は一昨年の12月からゲームをやっていない。ゲームをやるよりも自分で考えたほうが楽しいからゲームをするのをやめたのである。人間には考える喜びがある。考えれば考えるほど楽しくなる。だから、つまらないゲームなんかするよりも考えたほうがいいのである。

[19973] 政府は国民が拝[おが]む会社である。 h26.1.23
政府の仕事は国民に拝まれて国民を幸せにすることである。人間の心には“偉い者に従う喜び”があるので、国民は政府を拝むことによって自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になれるのである。政府の建物は国民が拝むためにある仏壇[ぶつだん]のようなものである。
さらに政府は「政府が身分が高い」「政府には国家権力がある」という嘘[うそ]をつくことによって国民に自分が政府に従わねばならないと思わせて国民に命令して国民から高い税金を取っている。政府は国民を虐[いじ]めることによって国民に「政府は身分が高い」と思わせている。政府は民主主義の政治機関を建てることによって「政府に国家権力がある」と思わせている。国民は政府を拝むことによって自分の“偉い者に従う喜び”を満足しているので、つまり国民は政府に従うのが好きなので、まんまと政府の嘘に騙[だま]されてしまうのである。
要するに、政府は国民が拝む会社である。国民が従って喜ぶ会社である。政府はそれを嘘で補強して国民に自分が政府に従わねばならないと思わせて国民から高い税金を取っている。
昔の国民は物が貧しくて“偉い者に従う喜び”があったから、政府を拝んで政府の嘘に騙されて政府に高い税金を払っていた。
今の国民は物が豊かで“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝まず政府の嘘に騙されず政府に税金を払わなくなった。
今の国民は休日が増えて自分の“考える喜び”を満足して生きているので、自分で政府について考えたり他人が政府について考えたことを学んだりして自分の政府についての知識を豊かにして『政府が偉い者をやる団体であり、今の国民には偉い者に従う喜びがないから、国民は政府に従わなくていい』と考えて、政府に従わなくなっている。
今では国民が政府に従わなくなって、政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は国民に拝まれる会社である。今では国民みんなに“偉い者を拝んで幸せになる風習”がなくなっているから、政府が滅んでいるのである。

[19974] 政府は国民に拝[おが]まれて国民に嘘[うそ]をつく会社である。 h26.1.23
政府は国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になるためにある。国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府を拝んだり政府の命令を聞いたりするのである。さらに、政府は国民に「政府が身分が高い」「政府に国家権力がある」と嘘をついて、国民に政府に従わねばならないと思わせて、国民に厳しい命令を出すのである。
昔の国民は物がなかったために“偉い者に従う喜び”があったから、政府を拝んだり政府の命令を聞いたりして幸福になっていた。
今の国民は物が豊かになって“偉い者に従う喜び”がないから、政府を拝んだり政府の命令を聞いたりしても幸福にならなくなったので、政府を拝んだり政府の命令を聞いたりしなくなった。
今の国民が政府の命令を聞かなくなったので、今の政府は国民に命令できなくなって国民から税金をもらえなくなって小さくなって滅んでいる。今の国民は今後はいっさい政府に税金を払わないことにして政府を潰[つぶ]している。

[19975] 日本では国家宗教は政府の命令にすぎない。 h26.1.23
政府は偉い者をやる会社だが、オマケに国家宗教団体もやっている。
昔の国民は“偉い者に従う喜び”があったので政府に従っていた。政府に拝[おが]んだり政府の命令を聞いたりして幸福になっていた。
政府は国民が政府を拝むだけでは国民が“偉い者に従う喜び”をあまり満足できず物足りないと考えて、国家宗教をやることにした。政府は国民に命令して国民に国家宗教の神を拝ませたり、国民に国家宗教の命令(国家宗教の神の情報が入った命令)を出して国民が“偉い者に従う喜び”をもっと満足できるようにしてやった。国民はますます政府に従ってますます自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸せになったので、政府の国家宗教のサービスを大いに喜んだ。政府が面白い命令を出してくれるという噂[うわさ]が広まって、国中の人々が政府に従うようになった。
日本人には“神に従う喜び”がない。だから、日本では国民は政府の命令で国家宗教をやっていただけなのである。日本人にとっては国家宗教団体自体はどうでもいいのである。日本ではみんなが国家宗教を政府の命令だと考えて、政府に従うために国家宗教をやっていたのである。
昔の国民は物がなくて“偉い者に従う喜び”があったので、政府の命令を聞いて国家宗教をやっていた。
今の国民は物があって“偉い者に従う喜び”がないので、政府の命令を聞かなくなって国家宗教をやらなくなった。
今の国民は政府に従わなくなったので国家宗教をやっていない。もともと国民には“神に従う喜び”がないから、政府が国家宗教をやっても何にもならないから、政府はさっさと国家宗教をやめればいい。政府はさっさと滅べばいい。
日本人は神に従う喜びがないぶん偉い者に従う喜びが強い。昔の日本人はみんな偉い者に従う喜びがあった。だから、日本では国民みんなが偉い者をやる政府に従った。日本ではみんなが政府の国家宗教をただの政府の命令として捉[とら]えていた。だから、“神に従う喜び”のある国民は、政府とは別に宗教団体に従っていたのである。

[19976] 『意思の表象としての世界』 h26.1.23
今から約30年前私が高知大学理学部数学科の学生だったころ、夏休みに大学に通って空[あ]いた教室で生協の本屋で3割引で買った中央公論社のショペンハウエルの『意思の表象としての世界』(訳書)を毎日朝から晩まで2週間ぐらいかけて読んだ。暑くて汗水たらしながら必死に読んだ。わけがわからずにしゃにむに読んだ。今でも何を書いていたのか全然憶えていない。
要するに、ショペンハウエルが言いたいのは、『この世界は人の心で出来ている』ということである。
ショペンハウエル的な世界観で見れば政府の正体がわかる。
つまり、政府は物ではなく、心で見れば理解できるのである。つまり、政府は偉い者をやる会社なのである。政府は昔の人が自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために建てた会社なのである。昔の人は政府に従うことによって自分の心を満足して幸福になっていたのである。昔の人にとっては政府に従うことは楽しい遊びだったのである。
今は科学の時代なので、今の人は物には詳[くわ]しいが心には疎[うと]いので、今の人は物で見るだけで心で見ない。そのために、今の人は政府が理解できなくなっている。今の人は政府が何であるのかわからないために政府に従っている。しかし、『人間の心は人間の大脳前頭葉にある脳細胞が荷[にな]っている感覚である。』人間の心は科学的にも実在する。科学においても人間の心は存在する。科学的世界観にも心はある。これからは物でわからないことは、心で理解すればいいのである。政府は人間の“偉い者に従う喜び”を満足するための会社である。昔の人は物を使って自分の心を満足できなかったから、自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が幸福になるために政府に従った。今の人は物を使って自分の心を満足できるようになったから、自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になる必要がなくなって政府に従わなくなった。
心は物の影である。影に光を当てることによってこれまで理解できなかったことが理解できるようになるのだ。
私が汗水流してわけもわからずに読んだことがいまごろ役に立ったわけである。人間が物事を理解できるかできないかは、具体的な知識があることよりも“考える喜び”があることで決まるのである。

[19977] 今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足しなくなったので政府が要らなくなった。☆ h26.1.24
政府は昔の人間の“偉い者に従う喜び”で出来た団体である。
それなのに、今は科学の時代なので今の人が物を使って自分の心を満足しているために、今の人が“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって“偉い者に従う喜び”を忘れてしまっているために、今の人には政府が理解できなくなってしまっているのである。今の人は政府が何であるのかわからないために政府に従わなければならなくなっているのである。
政府は昔の人が作った団体である。昔の人が作った団体は昔の人の気持ちになってみないとわからない。
昔は物がなかったので、昔の人は物で心を満足できなかった。昔の人は何も物を使わずに自分の心を満足することしかできなかった。人間の心には“偉い者に従う喜び”があった。そのために、昔の人は偉い者の代わりに政府を建てて、政府を偉い者だと思って拝[おが]むことによって、自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていたのである。昔の人は物が貧しかったので、そんな喜びしかなかったのである。
したがって、政府は偉い者をやる団体である。昔の人は物が貧しかったので物を使って自分の心を満足することができなかったので、自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が幸福になるために一生懸命に政府に従っていた。政府を拝んだり政府の命令を聞いたりしていた。反対に、今の人は物が豊かなので物を使って自分の心を満足することができるようになったので、自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になる必要がなくなって政府に従わなくなった。
つまり、今の国民は政府に従わなければいいのである。今の国民にとっては政府は要らないから、政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。今の国民は“偉い者に従う喜び”よりも“考える喜び”や“物で遊ぶ喜び”を満足しているから、政府を壊して図書館や博物館や遊園地でも建てたほうがいい。
未来の人類は“考える喜び”だけになって“物で遊ぶ喜び”がなくなって、遊園地が何のためにある施設なのかわからなくて理解に苦しむことになるのかもしれない。

[19978] 政府はどのようにして身分制をやっているか?☆ h26.1.24
昔の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていた。政府に拝[おが]んだり政府の命令を聞いたりしていた。
政府は国民が政府に従っていることを利用して、国民に「政府が身分が高い」と嘘[うそ]をついて、国民に「自分が政府に絶対に従わねばならない」と思わせて、国民に厳しい命令を出すようになった。
政府は国民に口先で「政府が身分が高い」と言うだけでは国民が政府の身分が高いことが十分にわからないと思って、国民が政府に従っていることを利用して、国民に国民を虐[いじ]める命令を出して国民を虐めて国民に「政府の身分が高い」ことを自分の身体でわからせるようにしたのである。
身分制とは政府が国民を虐めることである。政府が国民を虐めることによって国民に「政府が身分が高い」ことを教えることである。政府は今でも国民を虐めて国民に「政府の身分が高い」ことをわからせようとしているのである。
しかし、今の国民は『「政府の身分が高い」ことが政府の作り事である』のを知っているし、そもそも自分の“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府に従わなくなっている。
今の国民は政府の命令を聞かなくなって政府が国民に国民を虐める命令を出せなくなって政府が国民を虐められなくなって政府は身分制をやれなくなっている。今では国民は政府に虐められなくなって「政府の身分が高い」と思わなくなっている。今では国民は自分が政府と平等だと思って政府に従うのをやめている。今の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府に従うのをやめている。

[19979] 政府は今の国民の心を満足してくれる会社ではない。 h26.1.24
昔は国民が物が貧しくて“偉い者に従う喜び”を満足していたが、今では国民が物が豊かになって“偉い者に従う喜び”を満足しなくなっていろんな物を使って自分の心を満足するようになっている。
そのため、今では国民の多くが、「今の政府は国民の心に合わせて、国民の“偉い者に従う喜び”を満足するのをやめて、国民のためにいろんな役に立つことをするようになって、国民の心を満足してくれている」と思っている。そのために、今の国民の多くは政府を支持して政府に従って政府の命令を聞いているのである。
しかし、本当は、『今でも政府は偉い者をやる会社のままなのである。』いまだに政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するために国民に拝[おが]まれたり国民に命令を出したりするだけなのである。
政府は今の国民の心を満足してくれる会社ではない。政府が政府であるかぎり偉い者をやるだけである。『名は体を表す』ので、政府は政[まつりごと]をやる府[ふ]であり、政府は国民が拝む会社である。政府は国民が拝んで自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になるためにある会社である。政府は外見は新しいが、中身は古臭いままである。だから、政府が今の国民の心を満足するためには、政府が潰[つぶ]れてほかの会社に変わらねばならないのである。
今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府を潰せばいいのである。

[19980] 法律はどうして出来たか? h26.1.24
昔は貧困が激しかったので、みんなが食べて生きていくのがやっとだったので、他人を殺して自分が生き残るのが当たり前だったので、法律なんかなかった。
文明が進んで、みんなが楽に食べて生きていけるようになって、みんなが仕事をしてお金を稼[かせ]いで暮らすのが当たり前になって、ようやく法律が出来たのである。
それと同じように、昔は物が貧しかったので、みんなが“偉い者に従う喜び”を満足するのが当然だったので、みんなが政府に従っていた。みんなが政府を拝[おが]んだり政府の命令を聞いたりして自分の“偉い者に従う喜び”を満足して、政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に税金を払っていた。その後、政府は国民に「政府が身分が高い」と嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民に「自分が政府に絶対に従わねばならない」と思わせて国民に命令して国民から無理やり高い税金を取るようになった。
今では文明が進んで物が豊かになって、みんなが物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足しないのが当然になったので、みんなが政府に従わなくなった。みんなが政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいる。いくら政府が「政府の身分が高いから、国民みんなは政府に従わねばならない」と嘘をついても、国民は政府の嘘を相手にしなくなって政府に従わない。
時代が進んでみんなの暮らしが変わると、みんなの満足する喜びが変わって、古い喜びが消えて新しい喜びが生まれて、古い喜びを満足する会社が滅んで新しい喜びを満足する会社が建つ。今ではみんなが“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府が滅んでいる。今ではみんなが“物を使う喜び”や“考える喜び”を満足するようになって家電メーカーや出版社が建っている。国民は政府にお金をやらず、家電メーカーや出版社にお金をやって自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。

[19981] 政府はどうしてマンガやゲームを流行[はや]らせるのか? h26.1.24
今の国民は余暇が増えて自分の“考える喜び”を満足するようになっている。
国民が“考える喜び”を満足すると、『政府は国民が拝[おが]む会社であり、今の国民は政府を拝まなくなっているから、政府が要らない』ことがわかる。
政府にとっては都合が悪い。
そのために、今の政府は国民にマンガやゲームを流行らせて、国民が“考える喜び”を満足しないようにさせているのである。今の国民は一日中朝から晩までマンガやゲームばかりやって何にも考えていないので、社会科の教科書を鵜呑[うの]みにして「政府が民主主義の政治機関であり、国民みんなは政府に従わねばならない」と思って、政府に言われるままに税金を払っている。
しかし、本来人間は考える生き物だから、人間にとってはマンガやゲームをやるよりも自分で考えるほうが面白い。今の国民は『マンガやゲームは本当は面白くない。考えることのほうが面白い。』ことがわかって、政府の命令を聞かなくなってマンガやゲームをしなくなって、勝手に自分で考えるようになっている。今の国民は政府について考えて、『政府は国民が拝んで国民を幸せにする会社であり、自分は政府を拝んで政府に幸せにしてもらっていないから、お礼に政府に税金を払わなくていい』と考えて、政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
人間は考える生き物である。人間には“考える喜び”がある。今では国民の生活が豊かになって国民が自分の“考える喜び”を満足できるようになって“考える喜び”を満足して幸福に暮らしている。政府には国民が自分の“考える喜び”を満足するのを止[と]められない。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社であって“考える喜び”を満足する会社ではない。だから、今の国民は政府が要らなくなって政府が潰[つぶ]れている。
今の国民にとっては政府は自分の心の満足を妨害する会社にすぎない。国民にとっては政府は自分の幸福を妨げる邪魔者[じゃまもの]である。早く国民みんなで政府を倒して、国民が自分の心を満足できるようにしないといけない。
世の中には国民みんなに嘘[うそ]をついて国民みんなを騙[だま]して儲[もう]けている悪い団体があるから、国民は自分の頭を使って考えて他人に騙されないようにしなければならない。国民はマンガやゲームで遊んでばかりいないで、自分の頭で考えて自分の頭を鍛[きた]えて他人に騙されないようにしなければならない。

[19982] 政府は国民が考えるのを止[と]められない。 h26.1.24
今ではみんなが物が豊かになって物を使って自分の心を満足して“偉い者に従う喜び”を満足しなくなっている。
今ではみんなが休日が多くなって自分の“考える喜び”を満足している。世の中のいろんなことについて考えて、政府についても考えるようになっている。
そのため、政府は国民にマンガやゲームを流行[はや]らせて、国民が政府について考えないようにして、国民に政府の正体がわからないようにしている。国民は社会科の教科書に「政府が民主主義の政治機関だから、国民は政府に従わねばならない」と書いてあったのを鵜呑[うの]みにして政府に従っている。政府の命令で税金を払っている。
しかし、国民はもともとそれほどマンガやゲームが好きではないから、マンガやゲームをやめて自分で考えるようになっている。自分で本を読んだり自分で考えたことをノートに書いたりしている。今の国民は『政府の正体が国民が拝む会社である』ことを知って、自分が政府に拝んでいないから政府に税金を払わなくなっている。いわば、税金は政府の拝み代である。税金は賽銭[さいせん]と同じである。国民が政府に税金を払うのは、国民が神社にお参りしたときに神社にお賽銭を払うのと同じことである。
人間は考える生き物である。人間にとっては考えることは本能である。政府は人間の本能を止められない。そもそも昭和40年ごろまでは実際に国民にとって政府は拝む会社だったのである。昭和40年ごろまでは国民みんなが政府を拝んで幸福になって、お礼に政府に税金を払っていたのである。だから、国民の多くにとっては『政府が国民が拝む会社である』ことは明らかである。(たまたま私が社会科が苦手だったから知らなかっただけである。)社会科の教科書に「政府が民主主義の政治機関である」と書いているのは、政府の見え透いた冗談なのである。今の国民は政府が国民が拝む会社であることを知って、政府に拝まなくなって政府に税金を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れている。
今でも宗教団体や暴力団が残っているから、私がなんとか政府を理解できたのである。もしも宗教団体や暴力団がなくなっていたら、私は政府を一生理解できなかっただろう。私よりももう一世代年が行っている人は政府のことがもっとよく理解できただろう。国民みんなは宗教団体や暴力団があるうちに自分が政府のことが理解できるうちに早めに政府をなくしたほうがいい。

[19983] 国民は自分が好きなだけ政府に税金を払えばいい。 h26.1.24
政府はもともと国民に拝まれて国民を幸せにする団体だった。国民は自由に政府を拝んで、自分が好きなだけ政府に税金を払っていた。
しかし、その後政府は国民に「政府が身分が高い」と嘘[うそ]をついて国民に「政府に絶対に従わねばならない」と思わせて国民に命令して国民から強制的に高い税金を取るようになった。政府は国民に「政府が身分が高い」を思わせるために、国民を虐[いじ]めたり殺したりするようになった。政府は「騙されるほうが悪い」と思って、国民を虐めたり殺したりして国民に「政府が身分が高い」と思わせるようになったのである。
そのころから、政府は自分のためにある悪い会社になった。政府は自分が国民から高い税金を取るために、国民を嘘で騙[だま]したり国民を虐めたり殺したりする悪い会社になった。
今の政府は憲法で納税の義務の法律を定めて国民から強制的に税金を取っている。しかし、本当は納税の義務は嘘である。本当は国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。本当は、国民は自分が好きなだけ政府に税金を払えばいいのである。ところが、今の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府を拝まなくなって政府に幸せにしてもらっていないから、政府に税金を払わなければいいのである。
政府は国民に拝まれる会社である。政府の仕事は国民に拝まれることである。政府はそれ以外の仕事をしていない。拝まれる団体は拝まれることが仕事だから、それ以外の仕事はやらなくていいのである。政府が国民に「政府は皆様のお役に立っております!」と言っているのは政府の嘘である。本当は政府は今の国民にとって役に立つことは何にもやっていないのである。政府は嘘をつく団体だから、嘘をつくのである。政府が嘘をつくのは政府の歴史的伝統だから、嘘をつくのである。政府は自分がやっていないことをやっていると言ったり、自分がやっていることをやっていないと言ったりする。政府の言うことは当てにはならない。本当は、政府は国民に拝まれることと国民に嘘をつくこと以外はやっていないのである。ところが、今の国民は政府を拝まなくなっているから、今の国民にとっては政府は何の役にも立たない。今の国民にとっては政府が要らない。今の国民はさっさと政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]せばいいのである。そうすれば、国民は自分の心が満足されて幸福になれるだろう。
政府は国民の多くが政府に従っているから、国民を虐めて国民に「政府が身分が高い」と思わせようとするのである。国民の多くが政府に従わなくなれば、政府は国民を虐めて国民に「政府が身分が高い」と思わせるのをあきらめる。だから、政府に国民を虐めて国民に「政府が身分が高い」と思わせるのをやめさせるには、国民の多くが政府に従わなくなるしかない。政府に身分制をやめさせるためには、一人でも多くの国民が政府に従わなくなるしかない。だから、国民はなるべく政府に従うのをやめねばならない。

[19984] 今の政府が国民を虐[いじ]めるのは逆効果である。 h26.1.24
政府は国民に「政府が身分が高い」と思わせるために国民を虐めている。
昔の人は政府を拝[おが]んでいたから、政府が虐めると「政府が身分が高いから、政府に従わねばならない」と思ってますます政府に従った。
しかし、今の人は政府を拝んでいないから、政府が虐めると「政府は悪い団体だから、政府に従ってはいけない」と思ってかえって政府に従わなくなる。
今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、今の政府が国民を虐めるのは逆効果である。
今の国民はどんどん政府に従わなくなっている。今の政府は自分で自分を潰[つぶ]している。

[19985] 今の政府は国民に自分で考えさせないようにしている。☆ h26.1.24
今では国民が余暇が増えて国民が自分の好きなことをやれるようになっている。
人間には“考える喜び”がある。国民が自分の“考える喜び”を満足するために自分で考えると、そのうち『自分が政府に従わなくていい』ことがわかる。
そのために、今の政府は国民に自分で考えさせない政策をやっている。例えば、「日本人奇形説」は政府が国民に自分の格好[かっこう]ばかり気にさせるためにでっち上げた説である。「アンパンマンの歌」は政府が国民に自分が正しいことよりも自分が楽しいことのほうが大事であると思わせるために作らせた歌である。
そのせいで、今の国民は自分の外見ばかり気にして、自分が楽しいことばかりするようになっている。例えば、テレビでもダイエットや化粧品の宣伝ばかりやっている。今の国民は休みの日に家の中でマンガやゲームばかりやっている。
政府が国民に自分で考えさせない政策をやったために、今の国民が馬鹿になって国の文明が低くなって国の産業が衰えて国が儲[もう]からなくなっている。昔のローマ帝国のように滅亡している。
人間にとっては『自分で考えること』が最高の喜びである。人間にとって「格好付けやマンガやゲーム」は面白くない喜びである。人間は本を読んだり自分で考えたりして知覚を働かせると“知覚が働く喜び”が刺激されて幸せになる。人間はそのように出来ている。反対に、人間が格好付けやマンガやゲームをやっても五感しか働かない。人間には特に日本人には“五感が働く喜び”がないのでいくら格好付けやマンガやゲームをやってもちっとも幸せにならず無駄[むだ]である。
今の政府は自分が潰[つぶ]されないために、国民に面白くないことをやらせている。今の政府は自分が生き残るために、国民につまらないことを押し付けている。国民は政府があっても、政府に税金を取られて、政府が国民に「政府が身分が高い」と思わせるために虐[いじ]められるだけである。その上、面白くないことをやらされたのではたまったもんじゃない。たかが政府一社のために国民全員が面白くない目に合わされたのでは割に合わない。
政府の正体は偉い者をやる会社である。ところが、今の国民には偉い者を拝んで幸せになる習慣がないから、政府に従わなくていい。今の国民は政府に自分を幸せにしてもらっていないから、お礼に政府に税金を払わなくていい。
今の国民は政府に従わなくていいから、政府の言うことを聞いて格好付けやマンガやゲームをやらなくていい。政府が「格好付けやマンガやゲームが楽しい」と言っているのは嘘[うそ]である。人間にとっては自分が考えることが一番面白いから、自分が考えることをやればいい。本を読んだり、自分で考えたことをノートに書いたりして楽しめばいい。そうすれば、みんなは今よりもずっと楽しく暮らせる。

[19986] 政府は人間の習性を利用して国民を支配している。 h26.1.25
人間は偉そうにしている者に従う習性がある。人間の心には“偉い者に従う喜び”があるから、相手が偉いと思うと“偉い者に従う喜び”を満足するために相手に従うのである。相手を拝[おが]んだり相手の言うことを聞くのである。さらに、人間が偉そうにしている者に虐[いじ]められると、人間は相手にどうしても従わなければならないと思って何でも従うようになる。
政府は人間の習性を利用して、国民の前で偉そうにして国民を虐めることによって国民を政府に従わせているのである。
しかし、今の国民は物が豊かになって余暇が増えて“物で遊ぶ喜び”や“自分で考える喜び”を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足しなくなっている。そのため、いくら政府が国民の前で偉そうにしても国民を虐めても国民は政府に従うようにならない。政府は徒労[とろう]である。
今の国民は政府に従わなくなっている。今の政府は国民を従わせるのをあきらめて滅んでいる。
政府は人間の心理を利用して国民を従わせているだけである。だから、今の国民は自分に“偉い者に従う喜び”がないと思ったら素直に政府に従わなければいいのである。そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。だから、国民は自分が政府に従いたくなかったら政府に従わなければいいのである。
政府は本当は人間の心理を利用して国民を従わせているだけなのに、いろんな嘘[うそ]の合理的な理由をつけて自分のやっていることが正しいと国民に思わせている。国民は政府の見かけの嘘に騙[だま]されないようにして、政府に従ってはいけない。

[19987] この世では人間はみな平等である。 h26.1.25
政府は偉い者をやる会社である。
国民は政府を拝[おが]んで幸せになるし、政府は国民から税金をもらって幸せになる。
国民も政府も両方とも幸せになる。だから、政府は仕事である。[政府の税金は宗教団体のお布施[ふせ]に比べれば安い。政府は拝む団体の中ではお得である。国民は拝む団体には拝む雰囲気を出すために多めにお金を払うものである。だから、拝む団体は儲[もう]かるのだ。]
昭和40年ごろ(今から約50年前)まではそうだった。
しかし、それ以後は国民が気がないのに政府に従っているだけになっている。今の国民は政府を拝んで幸せになっていないのに、政府は国民から税金をもらって幸せになっている。政府が一方的に幸せになっている。今の政府のやっていることは仕事ではない。
今の国民はどうかしている。この世では人間はみな平等だから、お互いに幸せになることをすればいいのである。片一方だけが幸せになることはしなくていいのである。だから、今の国民は政府を幸せにしなくていいのである。今の国民は政府に税金を払わなくていいのである。
今の国民は政府を拝んでも幸せにならないから、今の国民にとっては政府は要らない。今の国民は政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今でも政府を拝んで幸せになる時代遅れのかわいそうな国民だけが政府に従えばいいのである。
この世では人間はみな平等である。ずっと昔からそうである。昔から政府と国民は平等である。むしろ、今の社会のほうが政府と国民が不平等である。国連は戦後から人間が平等になったという嘘[うそ]をついて、みんなの頭を混乱させて、戦後の社会を政府と国民が不平等な社会にしようとしているのである。国民は国連の嘘に騙[だま]されないようにして、政府と平等にしなければならない。
政府は昔は正直だったが、今では嘘ばっかりつくので面白くない。政府は国民に「政府が身分が高い」と思わせるために国民を虐めるだけである。今の政府は国民に拝まれなくなって国民に嘘をつくために生きているだけである。みんなで早く政府を倒して嘘をつくしか能がないくだらない団体をなくさねばならない。

[19988] 政府は国民に拝[おが]まれることが仕事である。 h26.1.25
政府は拝まれる会社である。
政府は拝まれる会社だから、国民に拝まれることが仕事である。
政府は拝まれることが仕事だから、それ以外のことをやっていない。国民が「政府が国の景気をよくしてくれる」とか「政府が国民の暮らしを豊かにしてくれる」とか思っているのは国民の妄想である。[国民が政府に甘えているからそんな妄想をするのである。だから、『甘えの構造』とかいう本があったのである。日本人は「他人がやってくれる」と思うのではなく『自分がやる』と思わねばならない。日本人は他人に甘えてはいけない。自分でがんばらねばならない。]
政府は国民が政府を拝んで幸せになるようにするためにテレビや新聞に出ていろんなあることないことをやっているのである。
政府は国民に拝まれることを身分制や国家権力で補強しているだけである。本当は国民は自由に政府を拝めるのに、政府は国民を嘘[うそ]で騙[だま]して国民みんなが強制的に政府を拝まねばならないと思わせているのである。
昔の国民は物がなくて物で自分の心を満足することができなくて、政府を拝むことで自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸せになっていたから、喜んで政府を拝んでいた。政府に拝み代として税金を払っていた。
しかし、今の国民は物が豊かで物で自分の心を満足するようになって、政府を拝むことで幸せにならなくなったから、政府を拝まなくなった。政府に拝み代として税金を払わなくなった。
政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。

[19989] 政府は悪い拝[おが]む団体である。 h26.1.25
国民が宗教団体や暴力団を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。
政府も宗教団体や暴力団と同じ“国民が拝む団体”である。
本来国民が政府を拝もうが拝むまいが国民自身の自由である。
ところが、今の政府は国民に身分制や国家権力で嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民みんなが政府を拝まねばならないと思わせている。国民みんなが政府に拝み代として税金を払わねばならないと思わせている。
宗教団体や暴力団は国民が拝むか拝まないかは自由であるとして正直にやっているのに、政府は国民みんなが政府に拝まねばならないとして嘘をついてやっている。
政府は嘘つきである。だから、政府が悪い。仕事は国民に対するサービスだから、政府は仕事だから、政府は国民に嘘をついてはいけない。
国民は政府の嘘に騙される必要はない。国民が政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。
今の国民のほとんどには“偉い者に従う喜び”がない。政府を拝む喜びがない。だから、今の国民のほとんどは政府を拝まなければいいのである。政府に拝み代として税金を払わなければいいのである。
今でも政府を拝む喜びのある時代遅れのかわいそうな国民だけが政府を拝んで政府に拝み代として税金を払えばいいのである。
宗教団体や暴力団は国民が拝むか拝まないかは自由であるとしてやっている。それなら宗教団体や暴力団はあってもいい。むしろあったほうがいい。政府も宗教団体や暴力団と同じように国民が拝むか拝まないかは自由であるとしてやればいいのである。
国民が政府の嘘に騙されず自分が政府を拝みたくなければ政府を拝まなければいいのである。政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。国民が政府の嘘に騙されるかどうか国民が政府を拝みたいかどうかは国民一人一人の問題だから、国民は周[まわ]りの他人を無視して自分一人で考えて決めればいいのである。
政府が法律会社や民主主義の政治機関なら国民みんなが政府の決まりを守らなければならないが、政府は拝まれる会社だから国民が政府を拝むか拝まないかは国民一人一人の勝手である。国民が政府を拝みたければ政府を拝んで政府に拝み代を払えばよく、国民が政府を拝みたくなければ政府を拝まず政府に拝み代を払わなければいいのである。政府が法律会社なら政府の法律には納税の義務はないが、政府が拝まれる会社だから政府の法律には納税の義務があるのである。政府の法律に納税の義務のあることが、政府が法律会社ではなく政府が拝まれる会社であることの証拠である。だから、政府は本当は国民に嘘をついていないのである。国民が『政府が拝まれる会社だ』という目で政府を見ていないから、国民が勝手に政府を誤解して自分が政府に従わねばならないと思って政府に従っているだけなのである。国民が政府に従うかどうかは、国民みんなに対する社会科のテストなのである。

[19990] 政府は国民に政府を偉い者だと思わせるためにいろんなことをやっている。☆ h26.1.25
政府は偉い者をやる会社である。
政府の仕事は国民に偉い者だと思われて国民に拝[おが]まれて国民を幸福にすることである。
政府は国民に自分を偉い者だと思わせるために、民主主義の政治機関をやったり、国の政策をやったり、水道やゴミや学校などをやったり、首相や天皇が地方を回ったり、陰[かげ]で国民を虐[いじ]めたりしている。本来は政府が何にもしなくても国民が勝手に政府を偉いと思って拝むのだが、時代が下[くだ]ると国民が眼先にこだわるようになって政府が具体的に何かしないと政府を偉いと思わなくなったので政府がいろんなことをやるようになったのである。政府の法律会社は国民に政府を偉い者だと思わせるためにあるから正しい法律を定めないのである。政府の警察は国民に政府を偉い者だと思わせるためにあるから犯罪をちゃんと取り締[し]まらないのである。政府の学校は国民に政府を偉い者だと思わせるためにあるから子供に正しいことを教えないのである。子供の才能をまともに育てないのである。偉い者は国民よりも上の存在だから、偉い者は国民を虐める。だから、政府が自分が偉い者であることを具体的に表現すると、たいてい国民を虐めることになってしまうのである。だから、本当は政府は自分が偉い者であることを具体的に表現しないほうがいいのである。昔の国民が政府をからかって政府に「自分が偉い者である証拠を見せてみろ!」と言ったから、政府は怒って国民を殺して虐めるようになったのである。国民はそれを見て政府が偉い者であることを納得して、再び政府を拝むようになったのである。宗教的な考え方と科学的な考え方が混じってしまったために、政府が現実の中で国民を虐めるようになったのである。政府が国民を虐めるようになったのは国民のせいである。一概[いちがい]に政府が悪いとは言えないのである。
とにかく政府は偉い者をやる会社である。
昔は国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福になっていたから、政府を拝んでお礼に政府に税金を払っていた。
今は国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して幸福にならなくなったから、政府を拝まなくなってお礼に政府に税金を払わなくなった。
今の政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。

[19991] 今の政府は自分の正体を隠すために国民に嘘[うそ]をついている。 h26.1.25
政府は偉い者をやる会社である。
昔の人は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府を拝んでいた。
しかし、今の人は自分の偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府を拝んだりしなくなっている。
そのために、今の政府は社会科の教科書やテレビや新聞などで国民に「政府が民主主義の政治機関である」という嘘を教えて自分の正体を隠しているのである。
今の国民は政府の嘘に騙されて政府に従っているのである。
しかし、本当は政府は民主主義の政治機関ではなく、偉い者をやる会社である。政府は明治時代から民主主義の政治機関に変わったのではなく、今でも偉い者をやる会社のままなのである。政府の民主主義の政治機関は政府が偉い者をやるためにあるのである。国民に政府が偉い者であることをわからせるためにあるのである。けっして政府の民主主義の政治機関は民主主義をやるためにあるのではないのである。政府の国家宗教団体が宗教をやるためにあるのではないのと同じことである。政府の国家宗教団体は政府が偉い者をやるためにあるのであって、国民の“神に従う喜び”を満足するためにあるのではないのである。
政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は国民が拝んで幸福になるためにある。だから、国民が政府を拝むか拝まないかは国民の自由である。政府に拝み代(税金)を払うか払わないかも国民の自由である。政府が民主主義の政治機関なら政府が法律会社なら国民は政府に従わなければならないが、政府は偉い者をやる会社だから国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。
今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していないから政府を拝まなくていい。だから、今の国民は政府を拝まず政府に拝み代(税金)を払わなければいいのである。

[19992] 今ではみんなが『政府が偉い者をやる会社である』ことを知っていなければならない。 h26.1.25
そこら辺のおばさんやおじさんが自分で考えて『政府が偉い者をやる会社である』ことをわかれとは言わない。
しかし、世の中には社会科の得意な人もたくさんいるから『政府が偉い者をやる会社である』ことを知っている人もいるはずである。そういう人がみんなに『政府が偉い者をやる会社である』ことを教えてやればいい。
いくら政府が社会科の教科書やテレビや新聞で毎日「政府は民主主義の政治機関である」ことを宣伝しているからといって、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、今の国民にとっては政府に税金を払うことはたんなるお金の無駄[むだ]である。国民みんなにとってはテレビの宣伝よりもお金のほうが大事である。
だから、誰かが国民に『政府は偉い者をやる会社である』ことを教えれば、すぐに国中に広まるはずである。すぐに国民みんなが政府に従わなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れるはずである。
今がそのときである。国民は他人に正しいことを教えることが大事である。国民みんなは国中に『政府が偉い者をやる会社である』ことを広めて、政府に拝みたい人だけが政府を拝んで、政府を拝みたくない人は政府を拝まないようにしなければならない。

[19993] 政府の仕事の原理 h26.1.25
政府は偉い者をやる会社である。
政府の仕事は国民に偉い者だと思われて国民に拝[おが]まれて国民を幸せにすることである。これが政府の仕事の原理である。
政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために、国家宗教や民主主義で国民を虐[いじ]めているのである。政府の仕事の原理は変わらないが、政府が国民に政府を偉い者だと思わせる方法は時代とともに変わるのである。
しかし、今では肝心[かんじん]の国民の“偉い者に従う喜び”がなくなっている。
昔は国民が“偉い者に従う喜び”があったから自分が幸福になるために政府を拝んで政府に拝み代(税金)を払っていた。
今は国民が“偉い者に従う喜び”がないから自分が幸福になるために政府を拝まなくなって政府に拝み代を払わなくなった。
今の国民には“偉い者に従う喜び”がなくなっているから、いくら政府が国民を虐めても国民は政府を偉い者だと思わず政府を拝まないので政府は仕事にならない。今の政府は国民を幸せにしていない。そのため、今の国民は政府が要らなくなって、政府が滅んでいるのである。

[19994] 政府はどうして国家宗教や民主主義を隠れ蓑[みの]にするのか? h26.1.25
政府は偉い者をやる団体である。
政府は国家宗教団体や民主主義の政治機関で隠しながら偉い者をやる団体をやってきた。
それは、日本人が眼で見ることよりも頭で見ることを大事にするからである。日本人が眼で見ることをどうでもよく、頭で見ることが大事だと考えるから、政府はわざわざ国家宗教団体や民主主義の政治機関で自分を覆[おお]っていたのである。日本人は見え透いていることが嫌いなので、頭で考えて見ることが好きなので、政府はわざわざ別の物で自分を覆って自分の正体を隠さなければならなかったのである。
それを国民がニクいと思って国民が政府を気に入って政府に人気が出て国民みんなが政府に従うようになったのである。政府が大きい団体になったのである。
政府の正体は偉い者をやる団体である。政府は国家宗教や民主主義の姿を借りて偉い者をやっている。
昔の国民には“偉い者に従う喜び”があった。だから、昔の国民は政府を拝んで政府に拝み代(税金)を払っていた。
しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”はない。だから、今の国民は政府を拝まなくなって政府に拝み代(税金)を払わなくなっている。
今の政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
それなのに、現実には今でも政府が残っている。悲しいことに、今の国民は頭で考えることよりも眼で見ることを大事にするので、政府が民主主義の政治機関だと思って政府に従っている。今の国民は“偉い者に従う喜び”がないから政府に従う必要がないのに政府に従っている。今の国民は昔の国民よりも馬鹿である。今の国民は昔の国民を見習ってもっと頭で物を見れるようになって、政府の正体がわかるようになって政府に従うのをやめねばならない。
昔の国民は高級品と書いてあったら本当は安物だと思って買わなかった。しかし、今の国民は高級品と書いてあったらそれを鵜呑[うの]みにして高級品だと思って買っている。今の国民は馬鹿である。今の国民はもっと頭で考えて物を見る習慣を身につけねばならない。

[19995] どうして今の国民は政府の法律を守っているか? h26.1.26
今の国民が政府の法律を守っているのは、政府が法律会社だと思っているからである。
しかし、政府は本当は法律会社ではない。政府は偉い者をやる会社である。
政府は見かけが法律会社なだけで、中身は偉い者をやる会社である。政府は法律会社のふりをして、じつは偉い者をやる会社である。
政府は本当は法律会社ではない。だから、国民は政府の法律を守らなくていい。
政府は本当は偉い者をやる会社である。税金は政府の拝[おが]み代である。だから、政府を拝みたい者は政府を拝んで政府に税金を払えばいい。政府を拝みたくない者は政府を拝まず政府に税金を払わなければいい。

[19996] どうやって今の政府は国家宗教をやっているか? h26.1.26
今の国民の多くは政府を民主主義の政治機関や法律会社だと思って、政府の法律を守って政府に税金を払っている。そういう者は政府に税金を払うだけでそれ以外には何もしない。
しかし、国民の中には今でも“偉い者に従う喜び”を満足するために政府を偉い者だと思って政府に従っている者もいる。いまだに政府を拝[おが]んだり政府の命令を聞いたりして幸せになっている者もいる。政府が偉い者をやる会社だとわかっている者のほとんどは、自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っている者である。
政府はそういう者に命令して国家宗教をやらせているのである。国家宗教の神の情報を使ったマンガや商品を作らせたり、国家宗教の神の情報を使った事件を起こさせて国民を殺させたり、国家宗教の神の情報を使ったことをやらせて国民を嫌がらせたりしている。自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っている者は、政府の命令を喜んで聞く。政府は法律を守りたい者に対してはおとなしい命令を出して、法律を犯したい者に対しては乱暴な命令を出すのである。
今でも“神や善い者に従う喜び”を満足するために宗教団体や暴力団に従っている者がいるように、今でも自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っている者がいる。政府は自分に従っている者に命令して国家宗教をやらせているのである。それはしかたがない。文明が進んでみんなが物を使って自分の心を満足するようになって、自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従う者がいなくなるのを待つしかない。自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従う者の数が少なければ、みんなにとってはどうでもいい。今ではそういう者が少ないから、みんなは政府に従う者を無視して暮らせばいいのである。
今の国民は自分が『政府が偉い者をやる会社である』ことを知っていて、自分に“偉い者に従う喜び”がなければ、政府の法律を守ったり政府の命令を聞いたりしなくていいのである。今の国民は政府の法律を守る者や政府の命令を聞く者をほっといて、自分が正しく暮らせばいいのである。
つまり、今の政府に従う者には2種類いる。ひとつは政府の法律を守る者で、もうひとつは政府の命令を聞く者である。政府は本当は偉い者をやる団体であって法律会社ではないから、政府の法律を守る者は政府の詐欺[さぎ]に騙[だま]されている者である。今の国民は眼先に弱いから、政府の民主主義の政治機関の嘘[うそ]に引っかかって政府の法律を守っているのである。一方、政府の命令を聞く者は政府の正体を知って自分の心を満足するために政府に従っている者である。それが本来の政府の利用者である。今の政府は政府の正体を知らない者を民主主義の政治機関の嘘で騙してお金を取って儲[もう]けて、政府に従いたい者には命令を出して命令に従わせて喜ばせている。政府に従いたい者が政府の命令を聞いて喜ぶのはいいが、政府が政府の正体を知らない国民を騙してお金を取るのはいけない。国民みんなは早く政府の正体を知って政府に騙されなくなって政府にお金を取られないようにならねばならない。

[19997] 今の国民は政府が偉い者をやる会社であることを忘れている。 h26.1.26
政府は偉い者をやる会社である。政府は国家宗教団体や民主主義の政治機関のふりをした偉い者をやる会社である。
最初の頃は国民が勝手に自分の想像で政府を偉い者だと思って政府を拝んで自分が幸せになってお礼に政府に税金を払うだけだった。
しかし、そのうち国民が自分の眼で見なければ政府が偉い者であることを納得しなくなって、政府は国民虐[いじ]めをやりだした。国民が政府が国民を虐めるのを見て政府を偉い者だと思って政府を拝んで自分が幸せになってお礼に政府に税金を払っていた。
今では国民が物が豊かになって物を使って自分の心を満足するようになって“偉い者に従う喜び”を満足しなくなったので、政府が偉い者をやる会社であることを忘れてしまって政府が法律会社だと思って政府の法律を守っている。
しかし、本当は政府は法律会社ではなく偉い者をやる会社である。今の国民は自分の心に“偉い者に従う喜び”があることを思い出して政府が偉い者をやる会社であることを思い出して、今の自分には“偉い者に従う喜び”が少なくなっているから政府を拝んでも幸せにならないと考えて政府に拝み代(税金)を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
昔の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足していたから政府が偉い者をやる会社であることがわかっていた。今の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足していないから政府が偉い者をやる会社であることがわからず法律会社だと思っている。人の気持ちによって物が違って見えるのだ。今の国民は昔の国民の気持ちになって政府が偉い者をやる会社であることを理解して、自分の気持ちに戻ってもはや政府は用なしだと考えて政府を潰[つぶ]さねばならない。

[19998] どうして今の国民は政府が国民を幸福にしていると思っているのか? h26.1.26
今の国民が政府が国民を幸福にしていると思っているのは、国民が政府が民主主義の政治機関だと思っているからである。
しかし、本当は政府は民主主義の政治機関ではない。政府は偉い者をやる会社である。
偉い者をやる会社はみんなに偉い者だと思われてみんなに拝[おが]まれてみんなを幸せにするだけである。偉い者をやる会社は拝まれることが仕事である。それ以外の仕事はやっていない。
しかし、今の国民は偉い者をやる会社を拝んでいない。だから、今の政府はまったく国民の役に立っていない。政府は国民を全然幸福にしていない。
今の政府は国民を幸福にしていない。今の国民にとって政府は要らない。政府は拝まれる会社である。今の国民は政府を拝んでいないから、政府に拝み代(税金)を払わなくていい。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。
政府は民主主義の政治機関のふりをした偉い者をやる会社である。政府は表と裏の二つの顔を持っている変わった会社である。ところが今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足していないから、政府がただの民主主義の政治機関だと思っている。そのために、今の国民は政府が国民みんなの役に立っていると思っているのである。今の国民は税金が政府が国民みんなの役に立つことをするために必要なお金だと思って、政府に税金を払っているのである。今の国民はもっと教養を見につけて広い視野で物を見ないといけない。政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は国民に拝まれることで国民の役に立つだけである。今の国民は政府を拝まないので政府が要らない。税金は国民が政府を拝んで政府に自分を幸せにしてもらったお礼に政府に払うお金である。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。

[19999] どうして今の国民は政府の命令を聞いているのか? h26.1.26
今の国民が政府の命令を聞いているのは、政府が民主主義の政治機関だと思っているからである。政府が国民みんなの役に立つことをするために命令をしていると思って政府の命令を聞くのである。
しかし、本当は政府は偉い者をやる会社である。政府は国民を虐[いじ]めて国民に自分を偉い者だと思わせるために国民に国民を虐める命令をするのである。
今の国民が“偉い者に従う喜び”を満足しなくなって政府を民主主義の政治機関だと誤解しているから政府の命令を聞くのである。
政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は国民に自分を偉い者だと思わせるために国民を虐める命令をするだけである。だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。今の国民みんなは“偉い者に従う喜び”を満足していないから政府を拝んでいないから、政府が国民みんなを虐めて国民みんなに政府を偉い者だと思わせなくていいから、政府の命令を聞かなくていいのである。

[20000] 今の国民は政府を民主主義の政治機関だと誤解している。☆ h26.1.26
政府は偉い者をやる会社である。
政府は民主主義の政治機関のふりをしている偉い者をやる会社である。
しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がない。そのために、今の国民は政府が偉い者をやる会社であることを忘れてしまって政府がただの民主主義の政治機関だと思っている。
今の国民は政府が民主主義の政治機関だと思っている。政府が国民みんなの役に立つことをやっていると思っている。政府が国民みんなを幸福にするために国民に命令していると思っている。政府が国民みんなを幸福にする仕事をするためにお金が必要だから、国民から税金を取っていると思っている。だから、今の国民は政府の命令を聞いたり、政府に税金を払ったりするのである。
しかし、政府は本当は偉い者をやる会社である。政府は国民を虐[いじ]めて国民に政府が偉い者だと思わせて国民に拝[おが]まれて国民を幸福にする会社である。政府は国民が政府を拝んで幸せにするために、国民を虐めて国民に政府を偉い者だと思わせるために、国民に命令して国民を虐めさせるのである。国民は政府を拝んで政府が自分を幸せにしてくれたお礼に政府に税金を払うのである。しかし、今の国民には“偉い者に従う喜び”がないから、いくら政府を拝んでも自分は幸せになれない。だから、今の国民は政府の命令を聞いたり、政府に税金を払ったりしなければいいのである。


戻る