[19801] 人間の心にはまちがいがある。 h26.1.5
人間の心には「火が怖い」とか「神に従う」とか「偉い者に従う」とか「怖い者に従う」とかいったまちがった感情がある。
これまで人間は頭(知覚)で『火は便利だ』とか『神がいない』とか『人間はみな平等だ』などと考えて、心のまちがいを直してきた。
今の国民の多くが政府に従っているのは、心で「偉い者に従わねばならない」と思っているからである。国民はテレビや新聞などで政府が偉そうにしているのを見て「政府が偉い」と思って「政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのである。
今の国民の多くは人間の心にまちがいがあるためにまちがったことをやっているのである。
人間の心にはまちがいがあるから知覚で正しく考えてまちがいを直さねばならない。
国民みんなは頭で『人間がみな平等だ』と考えて、『政府と自分が平等だ』と考えて、政府に従うのをやめねばならない。政府の命令を聞かないようにしないといけない。政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教をやったりするのをやめねばならない。
人間の心にはまちがいがあるから、頭で何も考えず心のままに動いてはいけない。人間は頭で正しく考えて、自分の心のまちがいを直して、実在に適応して正しく楽しく暮らさねばならない。
今の政府は学校で国民に『人間がみな平等である』ことを教えないことによって国民に「政府が偉い」と思わせて政府に従わせている。国民は自分で『人間がみな平等だ』と考えて、政府に従わないようにしなければならない。
政府はみんなに偉そうにしてみんなに自分を偉いと思わせてみんなを従わせているだけである。みんなは政府を偉いと思わないようにして政府に従ってはいけない。
今の人は『神がいない』『人間はみな平等である』と考えて宗教団体や政府や暴力団に従わなくなっている。今では感情的な馬鹿が「神がいる」「政府が偉い」「暴力団が怖い」と思って強迫的に宗教団体や政府や暴力団に従っているだけである。国民は馬鹿はほっといて自分は宗教団体や政府や暴力団に従わないようにしないといけない。

[19802] 今の国民は政府に従わなくていい。 h26.1.5
今では『人間がみな平等である』ことがわかっている。
だから、政府が何をしようが、政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に従わなくていい。
今では『人間がみな平等である』ことがわかっていない者が、テレビや新聞で政府が偉そうにしているのを見て「政府が偉い」と思って政府に従っているだけである。
国民みんなは『人間がみな平等である』ことがわかって、政府に従わないようにしないといけない。

[19803] 自分の心のことを知ればまちがいを防ぐことができる。 h26.1.6
人間の心には「神に従う」「偉い人に従う」「怖い人に従う」気持ちがある。
昔の人は「神に従う」「偉い人に従う」「怖い人に従う」ことが自分の心の働きであることを知らなかったから、自分の心のままに神や偉い人や怖い人に従って、神や偉い人や怖い人のふりをしている宗教団体や政府や暴力団に従っていた。
今の人は「神に従う」「偉い人に従う」「怖い人に従う」ことが自分の心の働きであることを知っているから、頭で『神がいない』『人間がみな平等だ』と考えて、神や偉い人や怖い人のふりをしている宗教団体や政府や暴力団に従わなくなった。
今の人は自分の心をよく知っているから、頭で正しいことを考えて自分の心のまちがいを直して正しく生きることができる。
人間の眼に錯覚があるように、人間の心にもまちがいがある。人間は頭で真実を知るようにして眼や心のまちがいを直して正しく生きねばならない。
今ではみんなが宗教団体や政府や暴力団に従わなくなっている。今でも宗教団体や政府や暴力団に従っている者は時代遅れである。早く国民全員が宗教団体や政府や暴力団に従わなくなって、宗教団体や政府や暴力団をなくさねばならない。

[19804] 今の人は偉い人に従わなくなっている。☆ h26.1.6
昔の人は心で実在を見ていたので、「偉い人に従わねばならない」と思っていたので、政府が偉い人のふりをしてみんなを従わせてみんなに命令してみんなからお金を取って儲[もう]けていた。
今の人は知覚で実在を見て心で実在を見なくなったので、『人間がみな平等だ』と考えて「偉い人に従わねばならない」と思わなくなったので、いくら政府が偉い人のふりをしても政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府がみんなからお金を取れなくなって儲からなくなくなって潰[つぶ]れている。
つまり、昔の人は偉い人に従っていたが、今の人は偉い人に従わない。そのために、昔は政府が偉そうにしてみんなに命令してお金を取って儲かったが、今は政府がみんなに命令できなくなって儲からないのだ。
今でも政府はテレビや新聞で盛んに偉そうにしているが、今の人はもはや政府を見ても政府を偉いと思わず政府の命令を聞かず政府に税金を払っていない。今の政府は国民から税金をもらえずにひとりで偉そうにしているだけである。今の政府は国民みんなの笑い者である。

[19805] 今では政府が偉そうにしても無駄[むだ]である。☆ h26.1.6
昔はみんなが自分の心で実在を見ていた。
そこで、政府はみんなに偉そうにしてみんなを従わせた。人間の心には「偉い者に従う」心理があったので、政府が国会を建てて国の法律を決めたり国の政策を決めたりして偉そうにすると、みんなが政府を偉いと思って政府に従ったのである。政府はみんなに命令して税金を取ったり戦争やらせたり国家宗教で嫌なことをやらせたりして、みんなにますます政府を偉いと思わせて、みんなをますます政府に従わせた。
しかし、今はみんなが知覚で実在を見ている。心で実在を見ていない。
そのため、政府がみんなに偉そうにしてもみんなを従わせることができなくなった。今の人は知覚で実在を見て『人間がみな平等だ』と考えて、「偉い者に従う」心理がなくなっているので、いくら政府が国民に偉そうにしても国民は政府を偉いと思わず政府に従わないのである。今ではいくら政府が国民に偉そうにしても無駄[むだ]である。
今の政府は国民に偉そうにしたければすればいい。政府が偉そうにするのは政府の勝手だ。しかし、国民は政府を偉いと思わず政府に従わない。今では政府が偉そうにしても何にもならないのだ。

[19806] どうして昔の人は政府に従っていたか?☆ h26.1.6
人間の心には「偉い者に従う」心理がある。そのため、昔の人は政府が偉そうにするのを見て「政府が偉い」と思って「政府に従わねばならない」と思って政府に従っていた。
しかし、昔の人は自分がどうして政府に従っているのかわからなかったので、自分が政府に従うのをやめることができなかった。政府に従うしかなかった。
しかし、今では国民が自分がどうして政府に従うのかわかっている。今の国民は自分が政府に従う理由がわかっている。人間に「偉い者に従う」心理があるから、国民が政府に従うのである。
そのため、今では国民が頭で『人間がみな平等だ』と考えるようにして、心で「政府が偉い」と思わないようにして政府に従わないようにしている。今の国民は自分に対する認識があるから政府に従わなくてもよくなったのである。
政府は国民に命令できなくなって国民から税金を取れなくなって滅んでいる。
今では『人間がみな平等である』ことが正しいことになっている。常識になっている。つまり、今では国民みんなが頭で『人間はみな平等だ』と考えるようにして心で「政府が偉い」と思わないようにして政府に従わないようにしているのである。だから、今では国民が政府に従わなければいいのである。たとえ政府が国民に命令しても、国民は政府の命令を無視して政府に従わなければいいのである。

[19807] 国民が政府を倒すことよりも国民が偉い者に従わないことが大事である。 h26.1.6
政府は偉そうにして国民を従わせている。
たとえ国民みんなが武器を使って政府を倒しても、国民が今のままなら、あとで政府と同じように“偉そうにして国民を従わせる団体”が現れれば政府の二の舞である。国民はまたその団体に支配される。国民は進歩がない。
だから、眼先の政府を倒すことよりも国民自身が偉い者に従わなくなることのほうが大事である。国民が頭で『人間はみな平等だ』と考えて心で「偉い者に従わねばならない」と思うのをやめて、偉そうにする者を偉いと思わなくなって偉そうにする者に従わなくなることが大事である。
国民みんなが『人間がみな平等だ』と考えて政府に従うのをやめて政府を倒して、二度と再び偉そうにする団体に従わないようにしないといけない。

[19808] 宗教団体や政府や暴力団は頭の悪い人のためにある。☆☆ h26.1.6
人間には頭のいい人と悪い人がいる。人間は見かけは同じでも中身が全然違う。
頭のいい人は他人から『神がいない』とか『人間はみな平等である』とか教わったらすぐにそれを理解して、宗教団体や政府や暴力団に従わなくなる。
しかし、頭の悪い人はいくら他人から『神がいない』とか『人間はみな平等である』と教わってもそれを理解できず、依然[いぜん]として「神がいる」とか「偉い者に従わねばならない」とか「怖い者に従わねばならない」とか思って宗教団体や政府や暴力団に従う。馬鹿は知覚が弱いので、いくら他人から正しいことを教わっても学習できないのである。「神がいる」と思っている人はわざわざ自分から宗教団体に従うために宗教団体のところに行く。それと同じように、「偉い者に従わねばならない」と思っている人はわざわざ自分から政府に従うために政府のところに行くのである。「怖い者に従わねばならない」と思っている人はわざわざ自分から暴力団に従うために暴力団のところに行くのである。宗教団体や政府や暴力団はわざわざ自分で出かけて行って国民からお金を取らなくても、国民のほうが勝手に宗教団体や政府や暴力団のところにやって来て自分からお金を払ってくれるのである。[政府がテレビや新聞に出て法律や政策を決めたりしているのは政府が偉い者であることをみんなに宣伝するためである。政府が法律や政策を決めているのは政府が自分が偉い者のふりをするためだから、みんなは政府の法律や政策を本気にしなくていいのである。同じように、暴力団員が街中[まちなか]をうろついているのはおもに宣伝のためであってお金を脅[おど]し取るためではないのである。]
今では頭のいい人は宗教団体や政府や暴力団に従わないが、頭の悪い人はたとえ今が科学の時代でも昔の文学の時代と同じように宗教団体や政府や暴力団に従う。
だから、頭の悪い人のために今でも宗教団体や政府や暴力団があるのである。宗教団体や政府や暴力団は頭の悪い人に命令してお金を取ったり嫌がらせをしたりしているのである。宗教団体や政府や暴力団は頭の悪い人に群がるハゲタカのようなものである。
人間が頭がいいか悪いかは生まれや育ちによって決まる。人間が頭がいいか悪いかは客観的に決まる。頭がいい人はいいし、頭が悪い人は悪い。それはしかたがない。
人間は宗教団体や政府や暴力団に集[たか]られないために勉強して頭を鍛[きた]えたほうがいいということである。

[19809] 「偉い人に従わなくていい」と思っている人は政府に従わなくていい。 h26.1.6
今でも「神に従わねばならない」と思っている人は自分から宗教団体に従って宗教団体の命令でお金を払ったり虐[いじ]められたりしている。
それと同じように、今でも「偉い者に従わねばならない」と思っている人が自分から政府に従って政府の命令で税金を払ったり国家宗教で悪いことをやったりしているのである。
それと同じように、今でも「怖い者に従わねばならない」と思っている人が自分から暴力団に従って暴力団の命令でお金を払ったり虐められたりしているのである。
反対に、『神がいない』と思っている人が宗教団体に従わなくていいように、『人間がみな平等である』と思っている人は政府や暴力団に従わなくていいのである。
国民は自分自身が思っていることによって自分が宗教団体や政府や暴力団に従うか従わないかを決めればいいのである。
国民は自分の意思に忠実に生きればいいのである。

[19810] 偉い者に従いたい人のために政府がある。☆☆ h26.1.6
人間には「神に従いたい欲望」がある。「神に従いたい欲望」を満足するために宗教団体がある。神に従いたい人は自分から宗教団体のところに行って宗教団体の命令を聞いて宗教団体にお金を払ったり嫌なことをやらされて虐[いじ]められたりしているのである。
人間には「偉い者に従いたい欲望」がある。「偉い者に従いたい欲望」を満足するために政府がある。偉い者に従いたい人は自分から政府のところに行って政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり嫌なことをやらされて虐められたりしているのである。税金は国民が偉い者に従うためのお金である。テレビや新聞で政府が国のことをやっているのは、政府が国民みんなに自分が偉い者であることを宣伝するためである。政府は自分が偉い者であることを国民みんなに宣伝するために国のことをやっているのであって、国民みんなの役に立つために国のことをやっているのではない。政府は洋風の偉い者であり、幕府は和風の偉い者である。
人間には「怖い者に従いたい欲望」がある。「怖い者に従いたい欲望」を満足するために暴力団がある。怖い者に従いたい人は自分から暴力団のところに行って暴力団の命令を聞いて暴力団に税金を払ったり嫌なことをやらされて虐められたりしているのである。テレビや新聞で暴力団が悪いことをやったニュースをやっているのは、暴力団が国民みんなに自分が怖い者であることを宣伝するためである。暴力団は自分が怖い者であることを国民みんなに宣伝するために悪いことをやっているのであって、自分が悪いことをやって儲[もう]けるために悪いことをやっているのではない。
世の中には神に従いたい人がいるから宗教団体がある。偉い者に従いたい人がいるから政府がある。怖い者に従いたい人がいるから暴力団がある。世の中には変わった欲望を持っている人がいるから変わった仕事がある。
しかし、今では『神がいない』『人間がみな平等である』ことがわかっている。そのためにみんなの気持ちが変わっている。今では神に従いたい人や偉い者に従いたい人や怖い者に従いたい人が減っている。そのために、宗教団体や政府や暴力団が儲[もう]からなくなって滅んでいる。今ではみんながみんなと平等に暮らしたいと思っている。みんなが宗教団体や政府や暴力団に従いたくなくなって宗教団体や政府や暴力団が要らなくなって宗教団体や政府や暴力団が滅んでいる。今ではみんながテレビを見たりゲームをやったりするようになって神や偉い者や怖い者に従いたくなくなって宗教団体や政府や暴力団が滅んでいる。

[19811] 宗教団体や政府や暴力団は心で生きている人のためにある。☆☆ h26.1.7
人間の心には神に従いたい気持ちや偉い者に従いたい気持ちや怖い者に従いたい気持ちなどがある。
心で生きている人は神に従いたい気持ちや偉い者に従いたい気持ちや怖い者に従いたい気持ちを満足しながら生きている。そのために、心で生きている人は宗教団体や政府や暴力団に従いながら生きている。心で生きている人は宗教団体や政府や暴力団の命令を聞いてお金を払って嫌なことをやらされて虐[いじ]められて喜んでいる。
一方、頭で生きている人は、今では『神がいない』『人間はみな平等である』ことがわかっているから、自分の頭で『神がいない』『人間はみな平等だ』と考えて神に従いたい気持ちや偉い者に従いたい気持ちや怖い者に従いたい気持ちを抑[おさ]えて宗教団体や政府や暴力団に従わずに生きている。頭で生きている人は宗教団体や政府や暴力団の命令を聞かずお金を払わず自由に生きている。
頭が悪い人は心で「神に従いたい」「偉い者に従いたい」「怖い者に従いたい」と思いながら、宗教団体や政府や暴力団に従って、神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足して幸福に生きている。
一方、頭がいい人は頭で『神がいない』『人間がみな平等だ』と考えながら、宗教団体や政府や暴力団に従わず、神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足せずに硬派[こうは]に生きている。
世の中には心で生きている人と頭で生きている人の両方がいる。今は科学の時代だが文学の時代と同じように心で生きている人がいる。頭で生きている人は心で生きている人を無視して自分は頭で考えて宗教団体や政府や暴力団に従わないようにしながら生きていけばいい。

[19812] 政府は国民みんなが従う団体ではない。☆ h26.1.7
政府は偉い者に従いたい人が従う団体である。政府は国民みんなが従う団体ではない。
昔は国民みんなが心で生きていて偉い人に従いたかったから、国民みんなが政府に従っていた。今では国民の大勢が頭で生きていて偉い人に従いたくないから、国民の大勢が政府に従っていない。
政府が国の法律を決めたり国の政策を決めたりして国のことをするのは、国民みんなに政府が偉い者だと思わせるためであって、政府が本当に国の仕事をするためではない。政府は偉い者のふりをする会社であって、国の仕事をする会社ではない。政府は自分が偉い者のふりをして国民を従わせて国民からお金を取って儲[もう]ける会社であって、国の仕事をして国民の役に立つことをして国民からお金をもらう会社ではない。政府は本当は国の法律を決めていないし国の政策をやっていない。政府は国の法律を決めたふりをしているだけである。政府は国の政策をやっているふりをしているだけである。政府は国民を従わせるために偉い者のふりをすればいいだけだから、政府にとってはそれで十分なのである。
政府は国のことをやって偉い者のふりをしているだけである。政府は偉い者をやる会社である。偉い者に従いたい人が政府に従えばいいだけである。今では『人間がみな平等である』ことがわかっているから、頭で生きている人は『政府と自分が平等だ』と考えて政府に従わない。心で生きている人は『人間がみな平等である』という真実を無視して、偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っている。今では心で生きていて偉い者に従いたい人が政府に従えばいいだけである。頭で生きていて偉い者に従いたくない人は政府に従わなければいいのである。
今では『人間がみな平等である』ことが正しいことがわかっているから、偉い者に従いたい国民が減っている。偉い者に従いたくない国民が増えている。政府は自分に従う国民が減って、国民からお金を取れなくなって滅んでいる。

[19813] 昔と今では人々の喜びの質が違う。 h26.1.7
昔はまだ『神がいない』『人間がみな平等である』ことがわかっていなかった。そのために、昔の人は「神や偉い者や怖い者がいる」と思って、神に従う喜びや偉い者に従う喜びや怖い者に従う喜びを満足するために宗教団体や政府や暴力団に従って幸福に暮らしていた。昔の人は宗教団体や政府や暴力団に従ってお金を取られて虐[いじ]められて、顔で泣いて心で笑っていたのである。口では「やめてやめて」と言いながら、心の底ではニヤニヤして喜んでいたのである。昔の人にとっては政府に従って政府にお金を取られて政府に戦争や国家宗教で虐められることが面白かったのである。ドリフのコントだったのである。楽しいサーカスの見せ物だったのである。
しかし、今では『神がいない』『人間がみな平等である』ことがわかっている。そのために、今の人は『神や偉い者や怖い者がいない』と考えて、神に従う喜びや偉い者に従う喜びや怖い者に従う喜びを満足しなくなって宗教団体や政府や暴力団に従わなくなって堅気[かたぎ]に暮らしている。今の人にとっては宗教団体や政府や暴力団に従うことが面白くなくなったから、宗教団体や政府や暴力団に従うのが嫌なだけだから、今の人は宗教団体や政府や暴力団に従わなくなったのである。
人間は真実がわかるたびに心の中にあるまちがった感情が満足できなくなって幸福を失っていく。
しかし、今の人にはテレビやゲームやコンピューターがある。今の人はテレビやゲームやコンピューターで遊んで楽しく暮らせばいい。文明が進めば、人々の喜びが知的な喜びになって行く。文明が進むと喜びの質が変わっていく。頭を使わない喜びが減って、頭を使う喜びが増える。文明が進むとみんなが頭を使って喜ばねばならない。今のゲームは眼で見て指を動かすだけだ。今のゲームではまだ味気[あじけ]ない。未来のゲームはもっと頭を使って考えるゲームになるだろう。
宗教団体や政府や暴力団に従うことは、昔の人のゲームである。昔の人は頭で考えずに暮らしていたから、そんな馬鹿ゲーをやって遊んでいたのである。今の人は頭で考えて暮らしているから、そんなくだらないゲームで遊ぶのをやめたのである。
昔の人にとっては宗教団体や政府や暴力団に従うことがゲームだったのである。昔の人にとっては宗教団体や政府や暴力団に従うことが楽しい遊びだったのである。宗教団体や政府や暴力団に従うことができない人はつらい思いをして苦しんでいたのである。だから、昔から宗教団体や政府や暴力団に従うことは個人の自由だったのである。昔の人は宗教団体や政府や暴力団に従うのが好きだったから、自分から進んで宗教団体や政府や暴力団に従っていたのである。だから、今でも宗教団体や政府や暴力団に従うことは個人の自由である。今の国民は自分が宗教団体や政府や暴力団に従うのが嫌なら従わなければいいのである。

[19814] 宗教団体や政府や暴力団に従うことは個人の自由である。 h26.1.7
昔から国民が宗教団体や政府や暴力団に従うことは個人の自由だったのである。宗教団体と政府と暴力団は同じ性格の団体であり、今では宗教団体や暴力団に従うことは個人の自由だから、政府に従うのも自由なはずである。
昔はまだ『神がいない』『人間がみな平等である』ことが知られていなかったから、人間の心には「神や偉い者や怖い者に従う喜び」があったから、昔はみんなが宗教団体や政府や暴力団に従うことが好きだったから、みんなが宗教団体や政府や暴力団に従っていた。[私が生まれた高知は田舎[いなか]なので、暴力団がなかったので、みんなが暴力団に従いたくても従えずつらい思いをしていた。暴力団がたくさんある都会を羨[うらや]ましがっていた。一方、政府は全国にあったので、高知でもみんなが政府に従うことができたのでみんなが喜んでいた。]
今では『神がいない』『人間がみな平等である』ことが知られていて、みんなが「神や偉い者や怖い者に従う喜び」を満足しなくなったから、今ではみんなが宗教団体や政府や暴力団に従うことが嫌になったから、みんなが宗教団体や政府や暴力団に従わなくなった。
今ではみんなが宗教団体や政府や暴力団に従わなくなって、宗教団体や政府や暴力団がみんなに命令してもみんなからお金を取れなくなって滅んでいる。
宗教団体や政府や暴力団が滅んだら、みんなは神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足できない。みんなは別の喜びを満足して生きていくしかない。
今の政府が「これまで国民全員が政府に従っていた」と言っているのは嘘[うそ]である。政府は国民みんなに自分を偉いと思わせるためにテキトウな嘘をついているのである。宗教団体や暴力団は正直だからそんな嘘はつかない。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府に従わなければいい。このまま政府が残ったら、国民みんなが政府に従うのが嫌なのに政府に従わねばならなくなって日本が暗くて面白くない陰気臭い国になるから、国民は政府をきっちり跡形[あとかた]もなくなるまで滅ぼさねばならない。

[19815] 国民が政府が要らなくなれば政府は滅ぶ。 h26.1.7
政府は“偉い者”をやる会社である。政府は自分が“偉い者”をやるために、国民にとって不利益な法律を決めて国民の役に立たない政策をやって、国民から税金を取って国民を戦争や国家宗教で虐[いじ]めるのである。
そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔の人は『人間がみな平等である』ことを知らなかったために「偉い者に従う喜び」があったから、みんなが先を争[あらそ]って政府に従っていた。
今の人は『人間がみな平等である』ことを知っているために「偉い者に従う喜び」がないから、偉い者に従いたくなくなって、政府に従わない。
政府は国民が従わなくなってお金を取れなくなって滅んでいる。
今の国民にとって政府は自分を喜ばせてくれる者ではない。そのために、今の国民は政府が要らなくなって政府を捨てているのだ。
政府は昔の時代のゲームセンターである。昔の人にとっては政府に従うことが遊びだった。今の人は別のことで遊んでいる。今の人は昔の人とは遊びが違うから、今の人は政府で遊ばなくなって政府が廃[すた]れている。

[19816] 政府は偉い者をやる会社だから今の国民は政府に従わなくていい。☆ h26.1.7
政府は民主主義の政治機関ではない。偉い者をやる会社である。
政府が民主主義の政治機関なら国民みんなは政府に従わなければならないが、政府は本当は偉い者をやる会社だから国民が政府に従うか従わないかは個人の自由である。政府を偉いと思って政府に従うか政府を偉いと思わず政府に従わないかは、個人の意思によって決まることだから個人の自由である。
昔の人は『人間が平等である』ことを知らなかったから、政府を偉いと思って政府に従った。
今の人は『人間が平等である』ことを知っているから、政府を偉いと思わず政府に従わない。頭の出来が悪くて『人間が平等である』ことがどうしてもわからず政府が偉いと思う者が政府に従えばいいだけである。
だから、今の人は政府に従わなければいい。今の人は政府の命令を聞かず自由に生きていけばいい。
今の国民の多くが政府に従っているのは「政府が民主主義の政治機関だ」と思っているからである。しかし、本当は政府は民主主義の政治機関ではない。政府は偉い者をやる会社である。今では『人間はみな平等だ』から、今の国民にとっては偉い者はいない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。

[19817] 宗教団体や政府や暴力団に従うのは時代遅れのお金持ち馬鹿の娯楽である。 h26.1.7
国民が宗教団体や政府や暴力団に従うか従わないかは個人の自由である。昔からずっとそうである。
だから、宗教団体や政府や暴力団に従いたい人は従えばいい。従いたくない人は従わなければいい。
ただし、宗教団体や政府や暴力団に従うのは只[ただ]ではない。お金が要る。お金を持っている人で宗教団体や政府や暴力団に従いたい人が宗教団体や政府や暴力団にお金を払って命令を出してもらって聞けばいい。
昔の人は宗教団体や政府や暴力団に従うのが好きだったから従っていた。[ただし、命令が厳しい場合には反乱を起こしていた。宗教団体や政府や暴力団が自分がサービス業であることを忘れて自分が権力者だと思い上がって調子に乗ってみんなに厳しい命令を出すと、みんなが機嫌を壊して反乱を起こして殺されていた。]
今の人は宗教団体や政府や暴力団に従うのが嫌になったから従わなくなった。
今では宗教団体や政府や暴力団は自分に従う人がいなくなってお金が儲[もう]からなくなって滅んでいる。
昔の人と今の人では喜ぶことが違うから、宗教団体や政府や暴力団は昔は流行[はや]って儲かっていたが、今では流行らなくなって廃[すた]れているのだ。

[19818] 今でも偉い者に従う喜びのある人が政府に従っている。 h26.1.8
政府は偉い者をやる会社である。実際に国民の役に立つことをする会社ではない。
政府は偉い者を演じる劇団である。だから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。[ときどき政府の中に自分が本当に偉い者だと誤解してみんなを自分の好き放題にする馬鹿がいたから、国民は政府に反逆して政府の困り者を退治しなければならなかったのである。]
昔の人は『人間がみな平等である』ことを知らなかったために“偉い者に従う喜び”があったから、自分が幸せになるために政府に従っていた。
今の人は『人間がみな平等だ』と考えているために偉い者に従う喜びがないから、いくら自分が政府に従っても幸福になれないから、政府に従う意義がない。国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。だから、政府に従わなければいいのである。
今の国民の多くが政府に従っているのは、『人間がみな平等である』法則がある実在の世界の中で生きていくのが嫌なためにいまだに偉い者に従う喜びがある人たちだからである。実在の世界の外で生きることは汚い。彼らと自分は違う。彼らは脳がイカレている。だから、自分は政府に従わなければいいのである。

[19819] 宗教団体や政府や暴力団は国民が自分の心を満足するための道具にすぎない。 h26.1.8
宗教団体は神を演じる劇団である。昔の人は『神がいない』ことを知らなかったために“神に従う喜び”があったから、宗教団体に従っていた。今の人は『神がいない』ことを知っているために神に従う喜びがないから、宗教団体に従わなくなった。そのために、宗教団体は滅んでいる。
政府は偉い者を演じる劇団である。昔の人は『人間がみな平等である』ことを知らなかったために“偉い者に従う喜び”があったから、政府に従っていた。今の人は『人間がみな平等である』ことを知っているために偉い者に従う喜びがないから、政府に従わなくなった。そのために、政府が滅んでいる。
暴力団は怖い者を演じる劇団である。昔の人は『人間がみな平等である』ことを知らなかったために“怖い者に従う喜び”があったから、暴力団に従っていた。今の人は『人間がみな平等である』ことを知っているために怖い者に従う喜びがないから、暴力団に従わなくなった。そのために、暴力団が滅んでいる。
昔の人と今の人では知識が違う。昔の人は『神がいない』ことや『人間がみな平等である』ことを知らなかったが、今の人は知っている。そのために、昔の人と今の人では心が違う。昔の人には「神に従う喜び」や「偉い者に従う喜び」や「怖い者に従う喜び」があったが、今の人にはない。そのために、昔の人と今の人ではやることが違う。昔の人は宗教団体や政府や暴力団に従って喜んでいたが、今の人はそうしない。
そもそも宗教団体や政府や暴力団はみんなと平等である。神に従う喜びのある人が宗教団体に従って喜んでいただけである。偉い者に従う喜びのある人が政府に従って喜んでいただけである。怖い者に従う喜びのある人が暴力団に従って喜んでいただけである。みんなが自分の心を満足するために宗教団体や政府や暴力団に従っていただけである。みんなにとっては宗教団体や政府や暴力団は自分の心を満足するための道具にすぎないのである。だから、宗教団体や政府や暴力団はみんなと平等なのである。だから、みんなが宗教団体や政府や暴力団に従うか従わないかは個人の自由なのである。みんなが自分の知識や心に照らして宗教団体や政府や暴力団に従えばいいか従わないほうがいいかをよく考えて自分で従うか従わないかを決めればいい。 
文明が進むとみんなが正しい知識を持っていく。そのために、みんなの心が変わってみんながやることも変わる。今ではみんなが『神がいない』『人間がみな平等だ』と考えて「神に従う喜び」や「偉い者に従う喜び」や「怖い者に従う喜び」がなくなって宗教団体や政府や暴力団に従わなくなって、宗教団体や政府や暴力団が儲[もう]からなくなって滅んでいるのだ。

[19820] 政府がなくなると宗教団体や暴力団が儲[もう]かる。 h26.1.8
政府がなくなると、これまで政府と宗教団体や暴力団の両方に従っていた人が政府にお金をやらなくなってそのぶん宗教団体や暴力団にお金をやるようになるから宗教団体や暴力団がお金が儲かる。
だから、政府がなくなれば、宗教団体や暴力団がお金が儲かるのである。
長い目で見れば、今ではみんなが『神がいない』『人間がみな平等だ』と考えて宗教団体や政府や暴力団に従わなくなって宗教団体や政府や暴力団は全部滅んでいるが、政府がなくなればいっときの間は浮いたお金で宗教団体や暴力団が潤[うるお]うのである。
だから、宗教団体や暴力団にとっては政府がなくなったほうがいい。
宗教団体と政府と暴力団は昔から客を取り合うライバルである。そのために、ヘビとカエルとナメクジの三すくみと言われている。ヘビが暴力団でカエル(神武天皇のこと)が政府でナメクジが宗教団体である。最後に残るのはどの団体だろうか?

[19821] 2つの法律 h26.1.8
政府は偉い者をやる団体である。
だから、政府の法律は政府がみんなに自分を偉い者だと思わせるための道具にほかならない。政府の法律は本当は法律ではない。だから、政府の法律には明らかに政府が国民よりも有利な納税の義務や国家宗教の自由が定められているのである。
一方、本当の法律は『平等制の原理』を国の文化に適用して決まるものである。
一般の国民は政府の法律を守らず本当の法律を守って暮らさねばならない。
政府の法律は政府に従う人のためにあるのだから、一般の国民は政府の法律を守らなくていい。

[19822] 今の国民が政府に従ってもいいことは何もない。 h26.1.8
昔の国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていたのであって、国民が政府に従っても政府は国民を喜ばすことは何もしてくれない。政府はただ偉そうにして威張[いば]るだけで、国民の役に立つことは何もしてくれない。それどころか、政府は国民に対して偉そうにするために、国民に命令して国民からお金を取って国民に嫌なことをやらせて虐[いじ]めるだけである。
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するためにあるだけで、政府はそれ以外の感情を満足しない。
昔の国民には偉い者に従う喜びがあったから政府に従う意義があった。
しかし、今の国民には偉い者に従う喜びがないからもはや政府に従う意義はない。
だから、今の国民は政府に従わなければいい。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由だから、今の国民は政府に従うのが嫌だから政府に従わなければいい。

[19823] 今では偉い者に従う喜びのある者は政府に従えばいい。 h26.1.8
今では神に従う喜びがある者が宗教団体に従っているように、偉い者に従う喜びのある者が政府に従えばいいのである。怖い者に従う喜びのある者が暴力団に従えばいいのである。
反対に、神に従う喜びも偉い者に従う喜びも怖い者に従う喜びも何もない者は宗教団体や政府や暴力団のどれにも従わなければいいのである。
今では『神がいない』ことや『人間がみな平等である』ことが常識だから、一般の国民は神に従う喜びも偉い者に従う喜びも怖い者に従う喜びもないから、宗教団体や政府や暴力団のどれにも従わなければいいのである。一般の国民はテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりして楽しく暮らせばいいのである。
今は文明社会だから、みんなが『神がいない』『人間がみな平等だ』と考えているから、みんなに「神に従う喜び」や「偉い者に従う喜び」や「怖い者に従う喜び」がなくなってしまったのである。
人間は自分の心に正直にしないといけない。偉い者に従う喜びもない者がいいかげんに政府に従ってはいけない。それでは政府に対して失礼である。そんな者に従われたら政府のほうだってやりにくい。相手が命令を聞く気があるかないかわからないのでは政府も命令しようがない。政府も無理をしてまでみんなに従ってもらわなくてもいいはずだ。いやいやみんなに従われたら政府もみんなに嫌われて嫌になるはずだ。だから、政府に従いたい者だけが政府に従えばいい。政府に従うのが嫌な者はきっぱりと政府に従わなければいいのである。

[19824] どうして鎌倉幕府や室町幕府は潰[つぶ]れたのか? h26.1.8
昔はみんなに偉い者に従う喜びがあった。みんなが偉い者に従う喜びを満足するために偉い者を欲しがっていた。みんなは偉い者に従うために政府や幕府に建って欲しかった。
ローマ帝国が滅亡して、国民みんなが政府を偉いと思わなくなったので政府が滅んだ。ローマ帝国が政府の後ろ盾[だて]だったのである。
その後、鎌倉幕府や室町幕府が建ったが、みんながあまり鎌倉幕府や室町幕府を偉いと思わなかったのでみんなが鎌倉幕府や室町幕府に従わなくなって、鎌倉幕府や室町幕府は短い間で滅んだ。
その後、江戸幕府が建ったが、江戸幕府は『生かさず殺さず』のモットーでみんなを虐[いじ]めて偉そうにしたので、みんなが江戸幕府を偉いと思って江戸幕府に従ったので江戸幕府は長続きした。
しかし、江戸幕府も滅んだ。みんながヨーロッパ帝国の存在を知って、ヨーロッパ帝国が偉いと思って、みんながヨーロッパに従いたいと思ってヨーロッパに従うようになったので、みんなが政府に従うようになって江戸幕府に従わなくなって江戸幕府が滅んだ。
昔はみんなに偉い者に従う喜びがあったが、偉い者がみんなを従わせるためには、偉い者がみんなに偉いと思われることが必要だったのだ。偉い者がみんなに偉いと思われなくなるとみんなが従わなくなってみんなに捨てられて滅ばねばならなかった。そのために、偉い者はつねにみんなを虐[いじ]めてみんなに偉いと思わせねばならなかった。偉い者もあまり楽ではなかったのだ。
今ではみんなが『人間がみな平等である』と考えているから、もはやみんなには「偉い者に従う喜び」はない。そのため、今ではみんなが政府に従わなくなってみんなが政府を捨てて政府が滅んでいる。今ではみんなが「偉い者に従う喜び」がなくなって偉い者が要らなくなっている。今後は二度と偉い者は現れないだろう。

[19825] 今では宗教団体や政府や暴力団に従う国民は例外である。 h26.1.8
宗教団体は神を演じる劇団である。昔はみんなが神に従う喜びがあったから、みんなが神に従う喜びを満足するために宗教団体に従った。今ではみんなが神に従う喜びがなくなったから、みんなが神に従う喜びを満足しなくなって宗教団体に従わなくなった。今では少数の神に従う喜びのある者が個人的に宗教団体に従っているだけである。
政府は偉い者を演じる劇団である。昔はみんなが偉い者に従う喜びがあったから、みんなが偉い者に従う喜びを満足するために政府に従った。今ではみんなが偉い者に従う喜びがなくなったから、みんなが偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなった。今では少数の偉い者に従う喜びのある者が個人的に政府に従っているだけである。
暴力団は怖い者を演じる劇団である。昔はみんなが怖い者に従う喜びがあったから、みんなが怖い者に従う喜びを満足するために暴力団に従った。今ではみんなが怖い者に従う喜びがなくなったから、みんなが怖い者に従う喜びを満足しなくなって暴力団に従わなくなった。今では少数の怖い者に従う喜びのある者が個人的に暴力団に従っているだけである。
昔から宗教団体や政府や暴力団と国民は平等である。国民が宗教団体や政府や暴力団に従うか従わないかは国民個人の自由である。宗教団体や政府や暴力団に従いたい国民は従えばよく、従いたくない国民は従わなければいい。
今では国民の多くが神に従う喜びや偉い者に従う喜びや怖い者に従う喜びがなくなって宗教団体や政府や暴力団に従わなくなっている。いまだに政府に従っている国民はかなりいるようだが、人の気持ちは人それぞれだから国民はとにかく自分が政府に従いたくなければ政府に従わなければいいのである。国民は自分が偉い者に従う喜びがなければ、政府に従わなければいいのである。国民は政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしなければいいのである。
今の政府は国民にいろんな嘘[うそ]を教えて国民をなんとかして政府に従わせようとしている。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、政府に従ってはいけない。

[19826] 今では政府に税金を払う国民は例外である。 h26.1.8
今ではみんなが『人間がみな平等だ』と考えて偉い者に従う喜びがなくなって、みんなが偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっている。みんなが政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教をやったりしなくなっている。今では政府に従う国民は例外である。
消費税も税金の一種である。
だから、今ではみんなが消費税を払わなくなっている。消費税を払う国民は例外である。
だから、スーパーのレジの店員は客の一人一人に消費税を払うか払わないかを訊[き]かねばならない。消費税を払いたい国民だけから消費税を取って、払いたくない国民からは消費税を取ってはいけない。

[19827] 国民は自分が宗教団体や政府や暴力団に従いたくなければ従わなければいい。 h26.1.8
国民が宗教団体や政府や暴力団に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔の国民は『神がいない』『人間がみな平等である』ことを知らなかったために神や偉い者や怖い者に従う喜びがあったから、神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足するために、宗教団体や政府や暴力団に従っていた。
今の国民は『神がいない』『人間がみな平等である』ことを知っているために神や偉い者や怖い者に従う喜びがないから、宗教団体や政府や暴力団に従わなくなった。
だから、今の国民は自分が宗教団体や政府や暴力団に従いたくなければ従わなくていいのである。不幸にも自分が『神がいない』ことや『人間がみな平等である』ことを理解できず、自分が神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足するためにどうしても宗教団体や政府や暴力団に従いたい場合にだけ従うようにすればいいのである。
今の政府は国民にいろんな嘘[うそ]を教えて国民の脳に誤解を植え付けて国民を政府に従わせようとしている。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府に従ってはいけない。いくら政府が嘘をついて国民を騙そうとしても、しょせん嘘は嘘である。嘘はどこかにおかしいところがある。嘘で国民を騙し通すことはできない。だから、政府は国民を騙すのをあきらめて、おとなしく滅ぶしかない。

[19828] 身分制は政府や幕府がでっち上げた嘘[うそ]の制度である。☆ h26.1.8
政府や幕府は偉い者を演じる劇団である。
昔の国民は偉い者に従う喜びがあったから、偉い者に従う喜びを満足するために自分から政府や幕府に従っていた。
そこで、政府や幕府は国民の多くが自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府や幕府に従っていることを利用して、「政府や幕府が身分が高いからみんなが従っているのだ」と嘘をついて、国民全員が政府や幕府に従わねばならない嘘の制度をでっち上げた。それが身分制である。
本来は国民が偉い者に従う喜びを満足するために政府や幕府に従っているのだから、国民が政府や幕府に従うか従わないかは国民の自由であるのに、政府や幕府は身分制を設けて国民全員が政府や幕府に強制的に従わねばならないことにしたのである。
身分制は政府や幕府が国民全員を支配するために設けた嘘の制度である。本当は、この世に身分制はないのである。だから、国民は政府や幕府の嘘に騙[だま]されず身分制を守らなければいいのである。
本当は、国民が政府や幕府に従うか従わないかは国民の自由である。政府や幕府に従いたい国民は従えばよく、従いたくない国民は従わなければいい。
今の国民は『人間がみな平等だ』と考えているから、偉い者に従う喜びがなくなっているから、政府に従わなければいいのである。たとえ政府が国民に「国民が政府に従わねばならない」と言ってもそれは政府の嘘だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[19829] 国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。 h26.1.8
政府は偉い者を演じる劇団である。今でも政府は偉い者を演じている。
政府はテレビや新聞で国の法律を決めたり国の政策を決めたりして偉い者を演じている。政府は政府と国民が不平等な嘘[うそ]の法律を定めたり、わざとに国民の役に立たない政策をやったり、国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教で嫌なことをやらせて虐[いじ]めたりして、偉い者を演じている。[政府はまちがった「多数決の原理」を設けて、間接民主制を使って、政府と国民が不平等な法律を定めている。政府と国民が不平等な法律は平等制においてまちがっている。政府は国民にまちがった法律を正しいと思わせるために、もっともらしい「多数決の原理」を設けているのである。]
そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔の国民は『人間がみな平等である』ことを知らなかったから、偉い者に従う喜びがあったから、自分から政府に従って喜んでいた。
しかし、今の国民は『人間はみな平等である』ことを知っているから、偉い者に従う喜びがないから、政府に従いたいと思わない。
だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。
今の国民は政府に従うのをやめて自由に暮らせばいいのである。それが今の国民の本来あるべき姿だから、今の国民はそうすればいいのである。

[19830] 国民は自分の気持ちで動けばいい。☆ h26.1.9
政府が国民に「国民みんなは政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。
本当は、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは自由である。身分制や国家権力は政府の嘘だから、本当は政府と国民は平等だから、国民は自分の意思で政府に従うか従わないかを決めればいい。
政府は偉い者を演じる劇団である。政府がテレビや新聞で国の法律や政策を決めているふりをしているのは、政府が偉い者を演じるためである。政府は国の法律や政策を決めているふりをしているだけで、実際には決めていない。政府は国のことをやっているふりをしているだけで、本当はやっていない。政府がやっているのは国民に政府が偉いと思わせるための芝居にすぎない。政府の芝居を真[ま]に受けるのが馬鹿である。宗教団体が神を演じるために、宗教団体の神が超能力者のふりをしているのと同じことである。宗教団体の神は本当は神(超能力者)ではないのである。宗教団体がやっているのは国民に宗教団体が神だと思わせるための芝居にすぎないのである。宗教団体の芝居を真に受けるのが馬鹿である。
偉い者に従う喜びがある者は政府に従えばいい。
偉い者に従う喜びがない者は政府に従わなければいい。
昔は国民は『人間がみな平等である』ことを知らず、偉い者に従う喜びがあったので、政府に従っていた。
今では国民は『人間はみな平等である』ことを知っていて、偉い者に従う喜びがないので、政府に従わなければいい。
今では国民が政府に従わなくなって、国民が政府の命令で政府にお金をやらなくなったので政府が滅んでいる。

[19831] 今の国民は偉い者に従う趣味はない。 h26.1.9
身分制や国家権力は政府がでっち上げた嘘[うそ]である。
本当は、『人間はみな平等である。』政府と国民は平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
政府は偉い者を演じる劇団である。政府はテレビや新聞で国のことをやっている芝居をして偉い者を演じている。政府は偉い者の芝居をやっているだけである。政府は本当に国のことをやっているのではなく、国のことをやっているふりをしているだけである。政府は偉いふりをしているだけで、本当は偉くない。政府は偉い者を演じる役者であって、本当はただのしがないオッサンである。
偉い者に従うのが好きな者は政府に従えばいい。偉い者に従うのが嫌な者は政府に従わなければいい。
昔の人は『人間がみな平等である』ことを知らず、偉い者に従うのが好きだったので、政府に従っていた。昔の人にとっては偉い者に従うこと自体が遊びだったのである。昔の人は偉い者に従うことによって快楽を得ていたので、ちょっとでも暇があったら偉い者に従って喜んでいたのである。
今の人は『人間がみな平等である』ことを知っていて、偉い者に従うのが嫌なので、政府に従わなくなった。今の人は偉い者に従うのが嫌なので偉い者に従わなくなった。
今の人は政府に従わなくなって、政府の命令で政府にお金をやらなくなって政府が滅んでいる。

[19832] どうして人間には偉い者に従う喜びがあるのか? h26.1.9
人間が偉い者に従うと偉い者と一体になれる。
たとえ自分が現実には偉くなくても、自分が偉い者に従うことによって自分が偉い者になった気持ちになれる。
自分が偉い者になると気持ちがいい。
だから、人間には偉い者に従う喜びがあるのである。人間は偉い者に従いたがるのである。神に従う喜びも怖い者に従う喜びも同様である。
子供がテレビで仮面ライダーやウルトラマンを見て自分がヒーローになった気持ちになって喜んでいるのと同じことである。子供が魔女っ子アニメを見てマジカルヒロインになった気持ちになって喜んでいるのと同じである。
しかし、人間が自分が偉い者になった気分を味わうために偉い者に従うと、偉い者の命令を聞いて偉い者にお金を取られて虐[いじ]められる。自分が無一文[むいちもん]になって殺される。偉い者に従うことは大変危険な遊びである。
そのため、今では国民みんなは偉い者に従う遊びをやめて、もっと無難[ぶなん]な遊びに変えたのである。今の人はテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりして気楽に遊ぶことにしたのである。楽しい遊びには毒がある。そこそこ楽しい遊びで満足するのが賢明である。合理的には今の人は偉い者に従うべきではない。しかし、それでも自分は偉い者に従いたいという人がいれば偉い者に従えばいい。

[19833] どうして暴力団は小さいのか? h26.1.9
人間は自分の神に従う喜びや偉い者に従う喜びや怖い者に従う喜びを満足するために宗教団体や政府や暴力団に従う。
神に従う喜びを持っている人や偉い者に従う喜びを持っている人に比べて、怖い者に従う喜びを持っている人は希[まれ]である。神は正しいとか優れているというイメージがあるから人気がある。偉い者はかっこいいとか強いとかいうイメージがあるから人気がある。怖い者は気色[きしょく]悪いとか汚いとか不細工[ぶさいく]とかいうイメージがあるから人気がない。怖い者は変わった人しか好きじゃない。
そのため、暴力団に従う人は宗教団体や政府に従う人に比べて少ない。
だから、暴力団は小さいのである。
今ではテレビやゲームやパソコンが出来て遊びの種類が増えたために、神や偉い者や怖い者に従う喜びを持っている人が減っている。そのため、宗教団体や政府や暴力団に従う人がいなくなって宗教団体や政府や暴力団が潰[つぶ]れている。

[19834] 政府は馬鹿が従う団体である。 h26.1.9
政府は偉い者を演じる劇団である。
今の人は『人間がみな平等だ』と考えて、政府と自分が平等だと考えて、自分が政府に従うか従わないかは自由だと考えている。今の人は『人間がみな平等だ』と考えているために、偉い者に従う喜びがないから、政府に従わない。[つまり、『人間がみな平等である』ことには二つの意味がある。『偉い者がいない』ことが強い意味であり、「偉い者に従う喜びのある者は偉い者に従えばいい」のが弱い意味である。]
だから、頭のいい人は正しく考えて政府に従わなくなっている。
今では馬鹿が政府の嘘[うそ]に騙[だま]されてまちがって考えて政府に従っているだけである。
政府は馬鹿が従う団体である。
早く馬鹿が減って政府が小さくなればいい。
早く偉い者に従いたい人だけが政府に従うようになればいい。そういう健全な社会になればいい。
政府は偉い者を演じる劇団だから、政府は本当に国のことをやる必要はないから、いくら政府が小さくなっても政府は国のことをやればいい。政府は小さい小屋の中で少数の政府に従う者からもらったお金で国の法律や政策を決めて実行すればいい。

[19835] 宗教団体や政府や暴力団は悪いことをしてはいけない。 h26.1.9
宗教団体は神を演じる劇団である。だから、宗教団体と国民は平等である。だから、宗教団体は国民と平等にしないといけない。宗教団体は自分が本当に神だと思って国民を好き勝手にしてはいけない。
それと同じように、政府は偉い者を演じる劇団である。だから、政府と国民は平等である。だから、政府は国民と平等にしないといけない。政府は自分が本当に偉い者だと思って国民を好き放題にしてはいけない。
それと同じように、暴力団は怖い者を演じる劇団である。だから、暴力団と国民は平等である。だから、暴力団は国民と平等にしないといけない。暴力団は自分が本当に怖い者だと思って国民に暴力をふってはいけない。
宗教団体は神を演じる役者である。政府は偉い者を演じる役者である。暴力団は怖い者を演じる役者である。役者が自分の役に呑[の]まれてはいけない。役者は自分の役と自分の区別をつけて、自分が人間であることを忘れないようにして、自分が国民と平等であることを忘れないようにして、国民と平等にしないといけない。
宗教団体は神に従う喜びのある人のためにある。政府は偉い者に従う喜びのある人のためにある。暴力団は怖い者に従う喜びのある人のためにある。宗教団体や政府や暴力団は自分が人のためにあるサービス業であることを忘れないようにして、仕事に励[はげ]まなければならない。

[19836] 国家権力は政府がでっち上げた嘘[うそ]の権力である。 h26.1.9
昔の人は偉い者に従う喜びがあったから、自分の偉い者に従う喜びを満足するために偉い者を演じている政府に従っていた。
政府は国民の多くが偉い者に従う喜びを満足するために自分に従っていることを利用して、「政府は国民みんなの総意に適[かな]っていることをしているから、国民みんなが政府に従っているのだ」と嘘をついて、政府に国家権力があることにして国民全員を政府に従わせた。
しかし、本当は「多数決の原理」は嘘[うそ]だから、国民みんなの総意などどうでもいいことであり、そもそも国家権力なんてものはないのである。本当は人間は多数決にかまわず正しいことをすればいいだけである。身分制がないように国家権力もないのである。
国家権力は政府がまちがった「多数決の原理」に基づいてでっち上げた嘘の権力である。本当は、国家権力という権力はない。だから、国民は政府に従わなくていい。
今の世界の真[しん]の法律は平等制である。今の国民は平等制の法律に反すれば、客観的に有罪とされて罰せられるだけである。今の国民は平等制の法律を守って暮らせばいいだけである。政府に従う必要はない。
本当は、『人間はみな平等である』から、政府と国民は平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
政府は偉い者を演じる劇団である。今では国民が『人間がみな平等である』ことを知っているから、偉い者に従う喜びがないから、政府に従う意義がない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。
政府は偉い者を演じる劇団である。偉い者に従う喜びのある者が好きで政府に従っている。政府のような紛[まぎ]らわしい団体があるから馬鹿な国民が勘違いをして世の中が狂ってくるのである。国民みんなは政府について誤解をしないように注意しないといけない。

[19837] 政府は法律や政策を決めている芝居をしているだけである。 h26.1.9
政府は偉い者を演じる劇団である。
政府は自分が偉い者を演じるために国のことをやっている。国の法律や政策を決めている。
政府は国の法律や政策を決めている芝居をやっているだけで、本当は何も決めていない。政府は法律会社の芝居をやる会社であって、法律会社ではない。政府の法律や政策は本当の法律や政策ではない。
だから、国民は政府の決めた法律や政策を真[ま]に受けて守らなくていい。
国民は政府から税金の催促状が来ても、催促状を引き裂いてゴミといっしょに捨てればいい。
国民は政府のウザい命令を聞かず自由に暮らせばいい。
ただし、偉い者に従う喜びのある者は政府の命令を聞いて政府に税金を払って国家宗教でも何でもやればいい。
早く政府とは別にちゃんとした法律会社を建てて、政府は偉い者をやる会社として芝居で国の法律でも政策でも何でも決めてやればいい。

[19838] 政府は偉そうだから、今の人には人気がない。☆ h26.1.9
宗教団体は人気が出れば、大勢の人が従いに来るのでお金が儲[もう]かる。だから、宗教団体はとにかく人気が出ることをやればいい。宗教団体は神を演じる中でみんなの人気が出ることをやればいい。
宗教団体は神を演じる劇団だから、例えば貧しい国の人に中古ラジオを送ったり、アマゾンで自然保護活動をやったりして善いことをやっている。
宗教団体は善いことをやっているから、みんなに人気が出て、みんなが宗教団体に従って宗教団体が儲[もう]かっているのである。
それと同じように、政府は人気が出れば、大勢の人が従うのでお金が儲かる。だから、政府はとにかく人気が出ることをやればいい。政府は偉い者を演じる中でみんなの人気が出ることをやればいい。
しかし、政府は偉い者を演じる劇団だから、政府は政府と国民が不平等な法律を決めて、国民にとって不利な政策をやって、国民に命令して国民から税金を取って、国家宗教で国民を殺したり虐[いじ]めたりしている。[政府の法律会社は政府の付属会社だから、政府が偉い者を演じる劇団であることによって法律が歪[ゆが]んでいるのである。本来は政府と国民が平等であるはずなのに、政府が国民よりも有利になっているのである。]
今では『人間がみな平等である』ことが正しいとわかっている。だから、今の国民は政府のような偉そうにする団体が嫌いである。
そもそも政府と国民は平等である。政府は偉そうにする劇団だから「政府と国民が不平等だ」と言うだけで、本当は政府と国民は平等なのである。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。今の国民は政府が嫌いである。だから、今の国民は政府に従わなければいい。
政府は今の人には人気がない。だから、今の人はみんな政府に従わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。

[19839] 人間は自分の気がないことをやってはいけない。 h26.1.10
身分制や国家権力の実体は、人の心の中にある“偉い者に従う喜び”の感情である。一般に、権力の実体は、人の心の中にある“神や偉い者や怖い者に従う喜び”の感情である。
人の心の中に偉い者に従う喜びがあるかないかは客観的に決まる。
心の中に偉い者に従う喜びのある者は自分が偉いと思った者に従うし、偉い者に従う喜びのない者は従わない。
だから、人間が偉い者に従うか従わないかは、それぞれの人間に偉い者に従う喜びがあるかないかで決まることになる。
昔の人は『人間がみな平等だ』と知らなかったから、偉い者に従う喜びがあった。だから、昔の人は偉い者を演じる劇団に従っていた。政府や幕府に従っていた。昔の人は偉い者に従う喜びがあったために、みんなを虐[いじ]めて偉そうにする者が好きだったから、政府や幕府に喜んで従っていた。昔の人はみんなを虐めて偉そうにする者が好きだったから、政府は戦争で国民みんなをさんざん虐めたにもかかわらず戦後も国民は喜んで政府に従い続けたのである。それが『心』というものだ。
今の人は『人間がみな平等だ』と知っているから、偉い者に従う喜びがなくなっている。だから、今の人は偉い者を演じる劇団に従わなくていい。政府に従わなくていい。今の人は偉い者に従う喜びがなくなったために、みんなを虐めて偉そうにする者が嫌いだから、政府に従わなければいいのである。
昔の人と今の人では心が違うから、政府は昔の人には人気があったが、今の人には人気がない。そのために、今ではみんなが政府に従わなくなって、政府が滅んでいるのだ。
人間の心にはまちがいがあるから、人間は心のままに生きてはいけない。人間の心に“偉い者に従う喜び”があるからといって偉い者に従う喜びを満足して生きていると、偉い者にさんざんひどい目にあわされてかえって不幸になる。麻薬をやると生活が乱れてかえって不幸になるのと同じである。だから、人間は自分の“偉い者に従う喜び”を満足してはいけないのである。人類は長年の経験によってそのことがわかったから、今ではみんなが『人間がみな平等である』と考えて、偉い者に従う喜びを満足せずに生きていくことにしたのである。つまり、今の人は政府に従わずに生きていけばいいのである。
そもそも人間の心に“偉い者に従う喜び”という変な感情があったために、世界がおかしくなったのである。“偉い者に従う喜び”が世界がうまく行かない根本的原因である。そのために、今では人類みんなで『人間がみな平等だ』と考えて、偉い者に従う喜びを根絶して、よりよい世界にしているのである。

[19840] 都会は嘘[うそ]やまちがいに満ちている。 h26.1.10
都会の人間は心が腐っている。それは、都会には人間がいっぱいいて自然がなくて嘘やまちがいが多いからである。人間はまちがいを犯す生き物だから、都会には人間がたくさんいるからまちがいもたくさんあるのである。都会の人間は他人の嘘やまちがいを見て育ったので、頭の中に嘘やまちがいがいっぱい詰[つ]まっているから、心が汚いのである。
反対に、田舎[いなか]の人間は心が純粋である。それは、田舎には人間が少なくて自然がいっぱいあって嘘もまちがいもないからである。自然にはまちがいがないから、田舎は自然がいっぱいだからまちがいもないのである。田舎の人間は自然を見て育ったので、頭の中に嘘やまちがいがないから、心がきれいなのである。
都会は嘘やまちがいに満ちている。だから、人間が都会で暮らすのは気持ちが悪いのである。反対に、田舎には嘘やまちがいがない。だから、人間が田舎で暮らすのは気持ちがいいのである。都会に住んでいる人間が田舎に行くと嘘やまちがいから開放されて気持ちがいいのである。

[19841] 政府は偉い者を演じる団体だから政府の法律や政策は歪[ゆが]んでいる。 h26.1.10
政府は偉い者を演じる劇団である。
政府は自分が偉い者を演じるために国の法律や政策を決めている。
政府が偉い者を演じる劇団であるために、政府の法律には政府と国民が不平等な納税の義務や国家宗教の自由が定められている。
政府が偉い者を演じる劇団であるために、政府の政策は国家宗教で国民を虐[いじ]める政策である。政府の政策は国民を不幸にする政策だけである。政府の政策で国民が幸福になったことはこれまでにひとつもない。政府が国民の役に立つことをすると、国民が政府が民間会社と同じだと思って政府が国民と平等だと思って政府を偉い者だと思わなくなるので、政府はけっして国民の役に立つことをしないのである。
政府が偉い者を演じる劇団であるために、政府は国民を虐めて不幸にするだけである。
身分制や国家権力は政府のでっち上げである。そもそもこの世には身分制や国家権力はない。国民と政府は平等であり、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
昔の国民は『偉い者がいる』と思っていて偉い者に従う喜びがあったから、政府が国民を虐めるのを見て政府が偉いと思って、喜んで政府に従っていた。
今の国民は『偉い者がいない』と考えていて偉い者に従う喜びがないから、政府が国民を虐めるのを見て政府が意地悪[いじわる]だと思って、政府に従うのが嫌になって政府に従わなくなった。
今では国民みんなが政府に従わなくなって、政府が国民から税金を取れなくなって政府が潰[つぶ]れている。

[19842] 君はSかMか? h26.1.10
政府は偉い者を演じる劇団である。
政府は自分を偉い者だと思わせるために、みんなを税金や戦争や国家宗教などで虐[いじ]めていた。
政府に虐められたい国民は、自分を政府に虐めてもらうために喜んで政府に従った。
国民を虐めたい国民は、政府に国民を虐めてもらうために大喜びで政府に従った。
政府に虐められたい国民も国民を虐めたい国民も両方とも政府に従った。国民みんなが政府に従った。
昔はみんなが「人間は不平等だ」と思っていて、他人を虐めたり他人に虐められたりするのが好きだったから、政府が面白いことをやっていると思って政府に従っていた。
しかし、今はみんなが『人間がみな平等だ』と考えて、他人を虐めたり他人に虐められたりするのが嫌になったので、政府のショーがつまらなくなって政府に従わなくなった。
政府は今のみんなにとって面白いことをやっていない。そのため、今ではみんなが政府に従わなくなって、政府はみんなからお金がもらえなくなって滅んでいる。

[19843] 政府の芸は今のみんなにはウケていない。 h26.1.10
政府は偉い者を演じる劇団である。政府は自分が偉い者を演じるために国民を虐[いじ]めて偉そうにしている。
昔は国民みんなが「人間が不平等だ」と思っていて、偉い者に従う喜びがあったので、政府を偉い者だと思って政府に従っていた。
しかし、今では国民みんなが『人間がみな平等だ』と考えていて、偉い者に従う喜びがないので、政府を偉いと思わず政府に従わなくなった。
今の国民みんなは政府が悪い野郎だと思って忌[い]み嫌って軽蔑している。今の政府は今の国民にとって面白いことをやっていない。そのために、今の政府はみんなに嫌われて、みんなが従わなくなって、滅んでいる。
政府の芸は今のみんなにはウケていない。そのために、今の政府は人気がなくなって、みんなが政府に従わなくなって政府が潰[つぶ]れているのだ。

[19844] “偉い者に従う喜び”が国民みんなの不幸の原因である。☆ h26.1.10
人間の心には“偉い者に従う喜び”という変な感情がある。
国民みんなの“偉い者に従う喜び”を満足するために、政府という団体が出来て、国民みんなを虐めて偉そうにするようになった。
みんなは政府がみんなを虐めて偉そうにするのを見て、政府が偉い者だと思って、“偉い者に従う喜び”を満足するために喜んで政府に従った。
みんなはいくら政府に虐められても政府を偉いと思って政府に喜んで従った。みんなは政府に不幸にされながらも偉い者に従う喜びを満足するために政府に従うのをやめられなかった。
しかし、現代になってとうとう国民みんなが政府に虐められるのに我慢[がまん]できなくなった。
そのために、国民みんなが『人間がみな平等だ』と考えて“偉い者に従う喜び”をなくすようになった。
今ではみんなが『人間がみな平等だ』と考えて、偉い者に従う喜びがなくなっている。いくら政府がみんなを虐めても、みんなが政府を偉いと思わなくなって政府に従わなくなっている。政府はみんなに命令できなくなってみんなからお金を取れなくなって滅んでいる。
政府は国民みんなの“偉い者に従う喜び”を満足するためにある。今では国民みんなに偉い者に従う喜びがなくなっているから、政府もなくなっているのだ。国民みんなが政府が要らなくなって政府がなくなっているのだ。

[19845] 国民は何のために政府に従っているか? h26.1.10
国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っているのである。
政府は偉い者を演じる劇団である。政府は国民みんなに自分を偉い者に思わせるために国民みんなを税金や戦争や国家宗教などで虐[いじ]めているのである。政府は表では正しいことをやっているふりをして、じつは裏では国民みんなを虐めて不幸にしているのである。
国民の心の中には“偉い者に従う喜び”がある。国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っているのである。
身分制や国家権力は政府のでっち上げである。政府は大勢の国民が政府に従っているのを利用して、国民みんなに「政府が身分が高い」とか「政府に国家権力がある」とか嘘[うそ]をついて国民みんなを政府に従わせようとしているのである。本当は、政府は国民と平等であり、政府には国家権力はないから、国民は政府に従わなくていいのである。
本当は、国民は自分自身の偉い者に従う喜びを満足するために個人的に政府に従っているにすぎないのである。
昔の国民は自分の偉い者に従う喜びを満足して自分が快感を得るために、死に物狂いで政府に従っていた。たとえ自分が政府に全財産を取られようが政府に殺されようが、政府に従っていた。
しかし、今の国民は『人間がみな平等だ』と考えて偉い者に従う喜びがないから、もはや今の国民は政府に従う必要がないのである。今の国民は政府に従うのをやめて政府を滅ぼせばいいのである。
今の学者は怠慢[たいまん]である。学者は毎日テレビや新聞で国民みんなに『政府は偉い者を演じる劇団であり、今の国民は偉い者に従う喜びがないから、今の国民は政府に従う必要がない』と言えばいいのに、そうしない。学者は自分をかわいがるために、おとなしくしているのである。学者はたとえ自分がいろんなことを知っていても、国民に何も教えてくれない。だから、国民は自分で政府に従う必要がないと考えて、政府に従わなくするしかない。

[19846] 政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。 h26.1.10
身分制や国家権力は政府のでっち上げである。
本当は、国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。
だから、国民は自分が政府に従いたければ従えばよく、従いたくなければ従わなければいい。
政府は偉い者を演じる劇団である。政府は自分が偉い者を演じるために、国民を虐[いじ]めている。
昔の国民は生まれつきの心のままに生きていたから偉い者に従う喜びがあったから、政府に従って喜んでいた。
今の国民は『人間がみな平等である』と考えて偉い者に従う喜びをなくしているから、政府に従わなくなった。
今では知覚に障害があるために『人間がみな平等である』ことがわからず、偉い者に従う喜びのあるかわいそうな者が政府に従って喜んでいるだけである。
そのうちみんなが『人間がみな平等である』ことがわかるようになって、みんなが偉い者に従う喜びがなくなって、みんなが政府に従わなくなって、政府が滅ぶだろう。

[19847] どうして政府は創価学会との癒着[ゆちゃく]が強いのか? h26.1.10
私が高校生の頃(今から35年ぐらい前)ほとんど毎日放課後に友達の和田高明[わだたかあき]君や西森年彦[にしもりとしひこ]君といっしょに高知市東石立町[ひがしいしたてちょう]にあったゲームセンター『愛』[あい]に通っていた。そこでは、テーブルゲームが通常1回100円のところが50円で遊べるのだった。私は『平安京エイリアン』や『ルパン三世』や『シェリフ』や『バルーンボンバー』や『タスケテー(スピーク&レスキュー)』や『侍』[さむらい]や『ムーンクレスタ』などで遊んだ。特に『平安京エイリアン』が好きだった。『スペースインベーダー』は下手糞[へたくそ]なので面白くなかったので1〜2回しかやらなかった。私は毎日1000円ぐらいつぎ込んで遊んでいた。近所の幼稚園から小学生ぐらいの小さい子供がいつも5〜6人たむろしていた。リンク。(正面にある2階建ての建物。当時は1階部分がゲームセンターになっていた。今では店が閉まっていて改装されて普通の家になっている。)
ゲームセンター『愛』に行く途中の鏡川沿いの道路の近くに創価学会の大きい建物があった。
政府は私を神とする国家宗教をやっている。
だから、日本政府は創価学会と親密なのである。
それ以上の理由はない。だから、国民はあまり深く考えなくてもいいのである。

[19848] 今では現実逃避の不良が政府に従っているだけである。 h26.1.10
今では神に従う喜びのある者が自由に宗教団体に従っている。
今では怖い者に従う喜びのある者が自由に暴力団に従っている。
それと同じように、今では偉い者に従う喜びのある者が自由に政府に従えばいいのである。
普通の人は『人間がみな平等である』と考えて、偉い者に従う喜びをなくして、政府に従わないように努[つと]めている。
現実逃避の不良が『人間がみな平等である』ことを無視して、わざわざ自分の力で偉い者に従う喜びを復活させて政府に従って喜んでいる。
みんなはまじめに『人間がみな平等である』と考えて、政府に従って喜ぶようなおかしな人になってはいけない。
人間の心には満足させてもいい感情と満足させてはいけない感情の2種類がある。人間が満足させてはいけない感情を満足させると、生活が乱れてかえって不幸になる。麻薬はあるがゆえにやってはいけない。テレパシーはあるがゆえに使ってはいけない。それと同じように、政府はあるがゆえに従ってはいけないのである。人間は政府に従うと楽しくなるから政府に従っているのである。ひとたび政府に従うと政府に従う喜びがどんどん強まっていって政府に従うのをやめられなくなるのである。最後には完全に政府の言いなりになって政府の命令で何でもするようになるのである。そんな歴史を繰り返してはいけない。みんなが幸福に暮らすためには、みんなが政府に従ってはいけない。国民みんなは政府に従わないように注意しながら暮らさねばならない。

[19849] 政府は法律会社のふりをしている偉い者を演じる劇団である。☆ h26.1.11
政府は偉い者を演じる劇団である。法律会社ではない。
政府の法律や政策は政府が偉い者を演じるための道具にすぎない。本当は法律でも政策でもない。
人間の心には“偉い者に従う喜び”があるから、政府を偉いと思った者は政府に従うと楽しくなるので従うのである。政府に従えば従うほど楽しくなるのでいくらでも政府に従うのである。最後には完全に政府の言いなりになって政府の命令で何でもするようになるのである。人間爆弾でも割腹[かっぷく]自殺でも痴漢[ちかん]でも何でもするようになるのである。
政府は国民の心に“偉い者に従う喜び”があることを利用して、国民に自分を偉いと思わせて国民を従わせる団体である。政府は国民に自分を偉いと思わせて国民を自分に従わせるために、法律会社のふりをしているのである。
国民が政府の罠[わな]に引っかかって政府の命令を聞くと、国民はどんどん政府の言いなりになる。政府の命令が法律に基づいていようがいまいが、政府の命令が正しかろうがまちがっていようが、政府の命令を何でも聞くようになる。
だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。政府の命令が何だろうが、とにかく政府の命令を何でもかんでも聞かなければいいのである。例えば、国民は政府の命令で税金を払わなければいいのである。
国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っているだけだから、国民が政府に従う正当な理由は何にもないから、国民は政府に従わなければいいのである。
今では国民がわざわざ偉い者に従う喜びを満足しなくても、ほかにいくらでも喜びがある。国民はもっと健全な喜びを満足して生きねばならない。国民は自分の頭で『人間はみな平等である』と考えて、自分の“偉い者に従う喜び”を満足しないようにして、政府に従わないようにしなければならない。

[19850] 政府は国民が偉い者に従う喜びを満足するための道具である。☆ h26.1.11
政府は偉い者を演じる劇団である。
政府は国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足するためにある道具である。
偉い者に従う喜びを満足したい者は政府に従えばよく、偉い者に従う喜びを満足したくない者は政府に従わなければいい。
しかし、今では偉い者に従う喜びはよくない喜びとされている。麻薬の喜びと同様に危険な喜びだと考えられている。
だから、国民は偉い者に従う喜びを満足してはいけない。
国民は政府に従わずに、もっとほかの健全な喜びを満足して明るく正しく生きていけばいい。
特に、今は不況だからお金がもったいないから政府にやるお金があったら貯金しないといけない。

[19851] 政府の法律や政策は、国民に政府を偉いと思わせるためのニセモノの法律や政策である。 h26.1.11
政府は偉い者を演じる劇団である。政府は法律会社ではない。
政府が法律会社をやっているのは、国民に政府を偉いと思わせるためである。法律会社は政府が偉い者を演じるための手段にすぎない。
人間には“偉い者に従う喜び”があるので、政府が国民に「政府が偉い」と思わせれば、国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために喜んで政府に従うので、政府は国民を政府に従わせるために偉い者を演じているのである。
政府は法律や政策をやることによって国民に「政府を偉い者だ」と思わせて国民を従わせる団体であって、法律会社ではないのである。
政府の法律や政策は国民に政府を偉い者だと思わせるための道具にすぎない。だから、政府はいつも政府と国民が不平等な法律や政策ばかり決めるのである。本当の法律や政策では政府と国民は平等である。だから、政府の法律や政策はニセモノの法律や政策である。政府の法律や政策は、本当は法律や政策ではないのである。
政府の法律や政策は本当の法律や政策ではない。だから、国民は政府の法律や政策を真[ま]に受けず政府の法律や政策に従わなくていいのである。
現実の世界では『人間はみな平等である。』『平等制の原理』によって決まるのが、本当の法律や政策である。本物の法律や政策は政府の法律や政策とは別物である。国民は政府の法律や政策を守らず、本物の法律や政策を守って暮らせばいいのである。
政府は偉い者を演じて国民を従わせる団体である。政府は国民に政府を偉いと思わせて国民を政府に従わせて、国民に命令して国民からお金を取ったり国民に嫌なことをやらせて虐[いじ]めたりするだけである。国民が政府に従っても、自分の“偉い者に従う喜び”が満足されるだけで、ほかにいいことは何もない。
政府は法律会社ではなく、ただの偉い者を演じる劇団である。国民が“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従うか“偉い者に従う喜び”を満足せず政府に従わないかは国民個人の自由である。国民が“偉い者に従う喜び”を満足すると、政府の言いなりにされてかえって不幸な目にあうことになる。だから、国民は偉い者に従う喜びを満足してはいけない。国民は政府に従わず、もっとほかのことをして喜べばいい。国民はテレビやゲームやパソコンなどで無難[ぶなん]に楽しく遊んで暮らせばいいのである。

[19852] 国民はどうして政府に税金を払っているか? h26.1.11
国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が快感を得るために、政府に税金を払っているのである。政府の命令を聞いているのである。
人間の心には“偉い者に従う喜び”があるので、国民はテレビや新聞で政府が偉そうにしているのを見て政府が偉い者だと思って、自分の偉い者に従う喜びを満足して快感を得るために、喜んで政府に従っているのである。
しかし、偉い者に従う喜びは善い喜びではない。悪い喜びである。人間が偉い者に従う喜びを満足して偉い者に従うと、偉い者に従えば従うほど喜びが大きくなって、最後には完全に偉い者の言いなりになって偉い者に逆らえなくなって偉い者の命令を何でも聞くようになる。偉い者は自分の言いなりになった者に命令して全財産を取って人間爆弾にして大勢の人間を道連れにして殺す。
人間が偉い者に従う喜びを満足するとろくな目にあわない。だから、人間は偉い者に従う喜びを満足してはいけない。人間は『人間はみな平等だ』と考えて、自分の偉い者に従う喜びを抑制[よくせい]して、偉い者に従ってはいけない。それぐらいの自制が利かない者は一人前の人間ではない。国民は政府に従わず、政府の命令を聞かず、みんなと平等に暮らせばいい。

[19853] 政府は国民みんなの娯楽道具である。 h26.1.11
昔はテレビもゲームもパソコンも何にもなかった。娯楽道具が何にもなかった。
みんなは快感に飢[う]えていた。
そのために、みんなは人間の心に“偉い者に従う喜び”があることを利用して、偉い者を演じる政府を建てて政府に偉い者のふりをさせて、みんなが政府に従うことによって快感を得ていたのである。みんなにとって政府は自分に快感を与えてくれるありがたい娯楽道具だったのである。
しかし、時代が進んで科学が発達してテレビやゲームやパソコンなどの娯楽道具がたくさん作られるようになると、国民は十分な快感が得られるようになって、偉い者に従う喜びが要らなくなった。
そのため、今の国民は政府が要らなくなって、政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。
政府は昔の国民にとってのオモチャだったのである。今の国民はそんな古臭いオモチャが要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰しているのである。

[19854] 政府は偉い者に従いたい者によって支えられている。 h26.1.11
政府はいろんなことをやっているが、政府がやっていることを一言[ひとこと]でまとめると偉い者を演じているのである。
政府は偉い者を演じる劇団である。
政府に対してどうするかは国民一人一人の勝手である。
偉い者に従う喜びを満足したい者は政府に従えばよく、偉い者に従う喜びを満足したくない者は政府に従わなければいい。
今ではいろんな娯楽が増えたので、みんなが偉い者に従う喜びを満足しなくなって、政府に従いたい者が減っている。そのために、政府が滅んでいるのである。
偉い者に従う喜びを満足したい者だけが政府に従えばいい。そのうち偉い者に従う喜びを満足する者がいなくなって政府がなくなればいい。

[19855] どうして幕府に逆らった者は幕府に殺されたのか? h26.1.11
幕府の時代にはまだみんなが身分制を信じていたからである。当時はまだみんなが幕府の嘘[うそ]に騙[だま]されて身分制を信じていたので、幕府に逆らうことが悪いと思っていたので、幕府に逆らう者は自分が死ぬのを覚悟で幕府に逆らっていたのである。幕府に逆らって幕府に捕らえられた者は、自分が悪いと思っておとなしくお縄[なわ]について罰せられたのである。
戦前まではみんながまだ身分制を信じていた。だから、戦前までは政府に逆らった者は自分が悪いと思っていたので、政府に捕まったときにはおとなしく政府に罰せられた。
しかし、戦後は身分制がなくなった。国民が『国民が政府に従うのは自分の“偉い者に従う喜び”を満足するためである』ことがわかって、身分制が政府の嘘[うそ]だと見抜いたから身分制がなくなったのである。国家権力がないのも同様である。国民が国家権力が政府の嘘だと見抜いたから国家権力がなくなったのである。
だから、今では政府に従いたい者が政府に従えばいいだけである。政府に従いたくない者は政府に従わなくていいのである。国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。国民が政府に従わなくても国民は政府に罰せられないのである。今の国民は偉い者に従う喜びを満足したくない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。どうしても偉い者に従う喜びを満足したい者だけが政府に従えばいいのである。

[19856] 空気と色気[いろけ] h26.1.11
空[くう]とは実在するのに人間には見えないことである。反対に、色[いろ]とは実在しないのに人間に見えることである。
例えば、空気は眼で見えないのに実在する。だから、空気と言うのである。人間は考えることによってはじめて空気が見えるのである。
例えば、神や偉い者や怖い者は心で見えるのに実在しない。だから、神や偉い者や怖い者は色である。人間の心には実在しない概念があるから、人間の心では実在しない者が見えるのである。女が年頃になると色気づくのは、女は年頃になると知能が低下して心が敏感になるからである。年頃の女は知覚が働かなくなって心がよく働くようになって、実在しない物がよく見えるので色気づくというのである。
空も色も人間の実在に対する誤解である。人間は知覚で考えることによって実在を正しく認識して、空や色を直すことができる。
般若真経[はんにゃしんきょう]で「色即是空」[しきそくぜくう]と言っているのはまちがいである。本当は色と空は違う概念である。私は高校生の頃、精神分裂病で気が狂っていたとき、帯屋町の仏具店で300円の般若真経を買って読んで憶えていた。今頃になってやっとまちがっていることがわかった。

[19857] 神とは何か? h26.1.11
神とは超能力者である。神とは超能力が使える者のことである。
昔は科学が遅れていたので、人間が不思議な現象を眼にしたとき、近くにいる者の超能力のせいにして近くにいる者を神だと考えていた。だから、例えば、光る玉の近くに神武天皇がいたから神武天皇が神だった。海の潮が引いたとき近くにモーゼがいたからモーゼが神だった。キリストの頭の周[まわ]りが光ったときキリストが近くにいたからキリストが神だった。私が赤ちゃんの頃に私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが回ったから、ガラガラの近くにいた私が神だったのである。
しかし、今は科学が進んでいるので、人間が不思議な現象を眼にしたとき、どうしてその現象が起こったかが科学的に理解できる。神武天皇の近くに現れた光る玉は上空の積乱雲から放射された電磁波によって生じたプラズマだったし、モーゼが海を割ったのは月の万有引力による海の干潮だったし、キリストの頭の周りが光ったのは母親の見た幻覚だったし、私の頭の上に吊ってあったガラガラが回ったのは私の母親が見た幻覚だったのである。磁場の強いところでは人間は脳の働きがおかしくなって幻覚を見ることが多いそうだから、キリストの母や私の母は強い磁気のせいで幻覚を見たのかもしれない。
つまり、昔は神がいたが、今では神がいないのである。だから、昔は神に従う喜びを満足できたが、今では神に従う喜びが満足できないのである。ただし、今でもどうしても自分が神に従う喜びを満足したい者がいるから、そういう者に対してはニセモノの超能力者でも代用が利くから、宗教団体はニセモノの超能力者を神にして、神に従う喜びのある者を従わせているのである。宗教団体が自分に従う者に命令してお金を取って儲[もう]けているのである。神に従う喜びのある者が自分の神に従う喜びを満足するために勝手に宗教団体のところに来て宗教団体の命令を聞いているのだから、宗教団体は何も悪くはない。それに、宗教団体が神に従う喜びのある者を従わせるためには、宗教団体の神に超能力者の真似[まね]をさせて、宗教団体が神を奉[たてまつ]る真似をしなければならないから、宗教団体が自分の芝居に対する報酬として宗教団体に従う者からお金を取っても悪くはない。
今の政府と国民の関係も同じである。今では人間がみな平等である。だから、偉い者はいないはずである。しかし、今でも偉い者に従う喜びを満足したい者がいるから、政府はそういう者に対して命令して税金を取ったり国家宗教で嫌なことをやらせたりしている。偉い者に従う喜びのある者が偉い者に従う喜びを満足するために勝手に政府のところに来て政府の命令を聞いているのだから、政府は何も悪くない。国民が政府の命令を聞くのが嫌なら、政府のところに来[こ]ずに政府の命令を聞かなければいいのである。それに、政府が偉い者に従う喜びのある者を従わせるためには、毎日テレビや新聞で偉い者を演じなければならないのだから、政府が自分の芝居代として自分に従う者からお金を取っても悪くはない。今の国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府の命令を聞いているのである。だから、偉い者に従う喜びを満足したくない者は政府の命令を聞かなければいいのである。政府の命令を無視して政府に税金を払ったりその他のことをやったりしなければいいのである。
すでにそうしている国民は大勢いるに違いない。だから、国民みんなはそうすればいいのである。自分が偉い者に従う喜びを満足する気がないのに、いやいや政府に従って政府の命令を聞く必要はないのである。偉い者に従う喜びを満足する気のない者が政府の命令で政府に税金を払ったりその他のことをやったりする必要はないのである。

[19858] 今の国民は“偉い者に従う喜び”を満足しなくなっている。 h26.1.12
国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っているのである。
政府は国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するための道具である。
昔の国民は政府に従うことによって自分の偉い者に従う喜びを満足して幸せに生きていた。政府は国民みんなを幸福にするありがたい団体だった。
しかし、今では国民が『偉い者に従う喜びは自分の身を破滅に導く危険な喜びである』ことを知っている。人間が偉い者に従う喜びを満足すると、偉い者に従えば従うほど気持ちがよくなって、最後には完全に偉い者の言いなりになってしまう。自分が偉い者のために何でもするようになって、偉い者の命令で自分の全財産を払って自分が無一文[むいちもん]になったり、時限爆弾を背負って他人を殺したり、飛び降り自殺をさせられたりして死んでしまうのである。そのため、今の国民は偉い者に従う喜びを満足しなくなっている。今の国民は政府に従わなくなっている。
今の政府は一見正当な理由を言って国民を従わせて、だんだん国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府の命令を聞くようにさせて、最後には国民を自分の操り人形にしてしまうのである。政府には国民を勧誘[かんゆう]して国民を政府に従わせる機能までも付いているのである。そんな機能は要らない。政府は大きなお世話である。政府の法律は国民を政府に従わせるためにある。政府が法律会社や学校などをやっているのは国民を勧誘[かんゆう]して政府に従わせるきっかけを作るためである。本当は、政府の法律は政府がまちがった「多数決の原理」を使って定めた嘘[うそ]の法律であり、国民は政府の法律を守らなくていいのである。国民みんなは政府のもっともらしい理由に騙[だま]されないようにして政府に従わないようにしないといけない。
今の国民は偉い者に従う喜びを満足しなくなったから、政府が要らない。今の国民は偉い者に従う喜びを満足しなくなって、もっとほかの無難[ぶなん]な喜びを満足して明るく楽しく暮らすようになっている。政府は国民みんなに捨てられて国民みんなからお金をもらえなくなって滅んでいる。

[19859] どうして宗教団体は善いことをやっているか? h26.1.12
宗教団体は貧しい国に中古ラジオを送ったりアマゾンの奥地に自然保護研究施設を設けたりして善いことをやっている。
それは、宗教団体が国民を勧誘[かんゆう]して宗教団体に従わせるためである。宗教団体は国民が宗教団体に従うきっかけを作るために善いことをやっているのである。
しかし、ひとたび国民が宗教団体に従うと、あとは国民は自分の“神に従う喜び”を満足するために宗教団体に従うようになるのである。国民が宗教団体に従えば従うほど気持ちがよくなって、最後には完全に宗教団体の言いなりになってしまうのである。国民は宗教団体の命令で全財産を取られて無一文[むいちもん]にされたり人殺しをやらされて警察に逮捕されて死刑にされたり自殺させられたりして死ぬのである。だから、宗教団体は儲[もう]かるのである。
国民が宗教団体に従うとろくな目にあわない。国民は自分の神に従う喜びを満足させるために、さんざん嫌な目にあわされる。
だから、国民は宗教団体に従ってはいけない。たとえどんな理由があっても宗教団体に従ってはいけない。
国民が幸福に暮らすためには、宗教団体や政府や暴力団などの“神や偉い者や怖い者に従う喜びを味わわせる団体”に引っかからないようにして、賢く慎重に生きていかねばならない。
テレビや新聞で広告をやっているからといって善い団体とはかぎらない。お金を出せば誰でも広告ができる。国民はテレビを信用してはいけない。

[19860] 宗教団体や政府や暴力団は正しく使用しましょう。 h26.1.12
宗教団体は“神に従う喜び”を満足するためにある。
政府は“偉い者に従う喜び”を満足するためにある。
暴力団は“怖い者に従う喜び”を満足するためにある。
一度[いちど]宗教団体や政府や暴力団に従うと、従えば従うほど気持ちがよくなって、ますます従うようになって、最後に言いなりになって、命令で自分の全財産を差し出して自分が一文無しになって、命令で悪いことをやらされて警察に捕まって死ぬまで牢屋の中で暮らさねばならなくなって、惨[みじ]めに死ぬことになる。
宗教団体や政府や暴力団は、現実世界での自分の人生が嫌になって自暴自棄になった者が最後に一度だけいい思いをしてから地獄に行くために利用する団体である。
宗教団体や政府や暴力団はこの世で生きるのが嫌になった人が最後に幸せになるために使う団体である。現実の中に何にも喜びのない人が最後にすがる団体である。
宗教団体や政府や暴力団は正しく使用しましょう。

[19861] 今の日本人は文学を読まなくなっている。 h26.1.12
文学者が自殺するのは自分の心を知りすぎたために現実世界が嫌になったからである。
昔の日本人は文学の読みすぎで現実が嫌になって死にたかった。だから、みんなが政府や宗教団体や暴力団のお世話になっていた。
今の日本人は文学を読まなくなって現実の中で自分が幸福に暮らしたいと思っている。だから、政府や宗教団体や暴力団の利用者が減っている。
今の人は知覚で実在を知って、心を知覚に従わせて、実在の中で幸福に暮らすようになっている。今の人はこの世で生きていたいと思っている。だから、みんなが政府や宗教団体や暴力団を利用しなくなって政府や宗教団体や暴力団が滅んでいるのだ。
政府が大きい団体なのは、昔は国民みんなが政府を利用したいと思って政府を利用していたからである。宗教団体は女々[めめ]しいし、暴力団は都会にしかないが、政府は国民みんなが利用していたのである。しかし、今ではみんなが政府を利用したくないと思って政府を利用しなくなっている。だから、今の国民はたとえ政府が大きくても政府を利用しなければいいのである。
昔の人は空想世界の中で生きていたから、現実世界のことを知らなかった。だから、現実世界のことが嫌で、現実世界のことを知ろうとしなかった。現実世界をほったらかしで、空想世界の中だけで喜んでいた。文学ばっかり読んでいた。
現実世界の中で幸福に生きるのがこれからの時代である。そのためには現実世界についての知識が要る。みんなは他人から習ったり自分で考えたりして現実世界についての知識を得なければならない。もっとも、仕事や勉強の息抜きに文学やマンガを読むぐらいはかまわない。
宗教団体や政府や暴力団は国民が“神や偉い者や怖い者に従う喜び”を満足するための道具である。宗教団体や政府や暴力団が国民よりも立場が上であるわけではない。国民が宗教団体や政府や暴力団に従うか従わないかは国民自身が決めることである。宗教団体や政府や暴力団が国民に口出しできることではない。今の国民は自分の意思で“神や偉い者や怖い者に従う喜び”を満足しなくなっている。だから、宗教団体や政府や暴力団はおとなしく滅べばいいのである。

[19862] 国民が宗教団体や政府や暴力団に従うかどうかは国民自身が決めることである。 h26.1.12
昔の人は空想の中で生きていた。現実が嫌いだった。だから、“神や偉い者や怖い者に従う喜び”を満足するために宗教団体や政府や暴力団に従っていた。お金を払って命令を聞いていた。
今の人は現実の中で生きている。むしろ空想が嫌いである。だから、神や偉い者や怖い者に従う喜びを満足する必要がなくなって宗教団体や政府や暴力団に従わなくなっている。お金を払ったり命令を聞いたりしなくなっている。
今の宗教団体や政府や暴力団は国民のニーズがない。だから、儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れているのだ。
今は科学の時代である。今ではみんなが現実の中で幸福に暮らしたいと思っている。宗教団体や政府や暴力団は今のみんなの気持ちをかなえていない。宗教団体や政府や暴力団は時代遅れの会社である。だから、みんなに捨てられて滅んでいるのだ。

[19863] 政府は法律会社ではない。 h26.1.12
宗教団体はアマゾンの奥地で自然保護研究施設を設けているが、宗教団体は自然保護団体ではない。宗教団体は“神に従う喜び”を満足する団体である。
それと同じように、政府は法律会社をやっているが、政府は法律会社ではない。政府は“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。
政府は自分が偉い者を演じるために法律会社をやっているだけである。政府の法律や政策には「政府が偉い」ということが書いてあるだけである。政府の法律や政策は本当は法律でも政策でも何でもない。
だから、国民は政府の法律や政策を守らなくていい。
政府は“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。だから、偉い者に従う喜びを満足したい国民が政府に従えばよく、満足したくない国民は従わなければいい。国民は自分の気持ちをはっきりさせて、政府に従うか従わないか決めねばならない。政府に従う者は政府の法律を守って政府に税金を払ったり政府の命令で何でもかんでもしないといけない。政府に従わない者は政府に何を命令されても何にもしなければいい。
今の日本には法律会社がないが、よいこのみんなは平等制の法律を守ってみんなと平等にして正しく楽しく暮らさねばならない。みんなが平等に暮らしていれば特に法律なんか要らないのである。

[19864] 政府の命令を聞いた国民も国民に命令した政府の者も両方とも悪い。 h26.1.12
今の政府は政府に従う国民に命令して悪いことをやらせてみんなに迷惑をかけている。
国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従ったのである。政府は自分の意思で国民に命令を出したのである。
だから、政府の命令を聞いて実行した者も悪いが、悪いことをやらせる命令を出した政府も悪い。両方とも悪い。
だから、事件の責任は、政府の命令を聞いた国民と国民に命令を出した政府とで平等に負担すればいい。
悪いことをやった国民と国民に命令を出した政府の者が仲良くいっしょに牢屋に入って罰[ばつ]を受ければいい。
ただし、今のところはまだ法律会社が出来ていない。だから、国民に命令を出した政府の者が放置されている。国民みんなで国民に命令を出して悪いことをやらせた政府の者を洗い出して罰すればいい。
政府が偉い者に従う者を従わせるためには、政府がただ偉そうにすればいいだけである。政府が実際に悪いことをする必要はない。“偉い者に従う喜び”を満足する者は、政府の偉そうな雰囲気だけで政府に従うのである。“神に従う喜び”を満足する者が、宗教団体の神が神っぽくしているだけで宗教団体に従うのと同じことである。宗教団体が“神に従う喜び”のある者を従わせるためには、宗教団体の神が現実の上で神である必要がないように、政府が“偉い者に従う喜び”のある者を従わせるためには、政府が現実の上で偉い者である必要はない。宗教団体に従う者は“神に従う喜び”が欲しいだけだから、宗教団体の神が空想の世界で神であればいいだけであるように、政府に従う者は“偉い者に従う喜び”が欲しいだけだから、政府は空想の世界で偉い者であればいいだけである。だから、政府はテレビや新聞の上だけで偉そうにして、現実の中では何もしなければいいのである。

[19865] どうして会社に社長がいるのか? h26.1.12
昔の人は“偉い者に従う喜び”を満足して幸福に生きていた。
そのために、会社には社長がいるのである。社員は社長に従うことによって自分の偉い者に従う喜びを満足して快感を得ていたのである。社長は社員が偉い者に従う喜びを満足するための道具だったのである。社員が社長に従えば従うほど気持ちよくなったので、社員みんなは完全に社長の言いなりだったのである。
そのため、社長は社員に何でも命令できた。社長は会社の稼[かせ]ぎのほとんどを自分の物にしたり、社員に嫌なことを命令して社員を虐[いじ]めまくって遊んでいたのである。しかし、社員は社長に従うことによって幸福になっていたので、社長に感謝するだけで、いくら自分が社長に虐められてもなんとも思わなかったのである。
しかし、今の人は『偉い者に従う喜びがいけない喜びである』ことを知って、偉い者に従う喜びを満足しなくなっている。
そのために、今の社員は社長が要らなくなって、会社には社長がいなくなっている。
今では社員みんなが会社の稼ぎを平等に山分けしてみんなで楽しく暮らしている。

[19866] 文明の進歩が政府を滅ぼした。☆ h26.1.12
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。
昔は文明が遅れていて生活が貧しくてみんなが喜びが何にもなかったから、みんなにとっては偉い者に従う喜びがたった一つの喜びだった。そのため、みんなが偉い者に従う喜びを満足するために一生懸命に政府に従っていた。政府はみんなの偉い者に従う喜びを満足するためにみんなに命令して税金や戦争や国家宗教などをやらせていた。みんなは政府に命令されて喜んでいた。
今は文明が進んで生活が豊かになってみんながいろんな喜びがあるから、偉い者に従う喜びが要らなくなって政府に従わなくなった。
今ではみんなが政府に従わなくなって、政府がみんなからお金を取れなくなって滅んでいる。

[19867] 国民は自分の心を中心にして動いている。 h26.1.12
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。
昔の国民は喜びがなかったから、自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。
今の国民はいろんな喜びがあるから、偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなった。
今の国民は政府に従わないから、いくら政府が国民に命令しても政府の命令を聞かない。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
国民は自分の心を中心にして動いている。国民は政府に従っているのではない。国民は自分の心に従っているだけである。政府が国民が政府に従うか従わないかを決めるのではなく、自分の心が政府に従うか従わないかを決めるのである。

[19868] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h26.1.12
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。政府は国家宗教もやっているから、国民の“神に従う喜び”を満足する団体でもある。
戦前は国民に喜びがなかったから、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。
戦後しばらくは日本が戦争に負けて国民の生活が貧しくなって戦前にも増して国民に喜びがなかったから、国民はますます自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。
戦後の復興が終わって昭和40年頃になって国民の生活が豊かになると、国民はいろんな喜びがあるようになって、国民は自分の偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなってきた。
そのために、政府は私を国家宗教の神にすることによって神に従う喜びのある国民を政府に従わせて国民の政府離れを食い止めようとしたのである。政府には私の超能力が私の母親の幻覚だとわかっていたが、当時の政府は国民を従わせるために神が必要だったので、私を神にしたのである。そもそも本当の神なんていないから、政府はどうでもいいやと思って私を神にしたのである。
天皇は戦後は人気がなくなっていたので、政府は私を新しい国家宗教の神にして神に従う喜びのある国民を政府に従わせようとしたのである。
しかし、今では国民の生活が豊かになって国民にいろんな喜びができて、国民は偉い者に従う喜びや神に従う喜びを満足しなくても十分幸福に暮らせるようになっている。今の国民は『偉い者に従う喜びや神に従う喜びが人間を不幸にする悪い喜びだ』と考えて、偉い者に従う喜びや神に従う喜びを満足せずに暮らしている。そのために、今では国民が政府に従わなくなって政府が滅んでいる。結局、政府が私を神にしても無駄[むだ]だったのである。今の時代には政府が何をやっても国民は政府に従ってくれないのである。

[19869] 政府は偉い者の芝居をやって国民を従わせることが仕事である。☆ h26.1.13
要するに、政府という国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体が国民を従わせて国民からお金を取って儲[もう]けているだけである。
政府は偉い者に従う喜びのある国民を政府に従わせて喜ばせることで国民の役に立っているのである。
政府は偉い者を演じて国民を従わせることが仕事なのである。
だから、国民は政府に従わせてもらって政府に命令された分だけお金を払えばいいのである。
政府は国民を従わせることが仕事だから、国民が政府に仕事をしてもらうかしてもらわないかは国民の自由である。偉い者に従う喜びを満足したくて政府に従いたい国民は政府に従えばよく、偉い者に従う喜びを満足したくなくて政府に従いたくない国民は政府に従わなければいい。
今では国民の多くが普段の生活の喜びに十分満足して、『偉い者に従う喜びは人間を不幸にする悪い喜びだ』と考えて、偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっている。今では少数の国民が政府に従うだけになって、政府が儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
政府はときどき国家宗教で人殺しをすることがあるが、それはその手の仕事に付き物の職業病である。政府は自分が本当に偉い者だと勘違いをして自分が国民よりも上の者だと思い上がって国民を動物扱いして殺しているのである。しかし、本当は政府はただの人間であり、政府と国民は平等である。政府は自分が偉い者を演じている役者であることを忘れないようにして、偉い者になりきってはいけない。政府は自分に従っている者を殺すだけにして、一般の国民を虐待してはいけない。政府に従っている者は政府に何をされてもいいと思っている者だから、政府が殺してもいいのである。[戦争は、当時の国民はみんな政府に従っていて、政府が国民の同意を得て国民にやらせたことだからかまわない。]

[19870] 国民は自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならない。 h26.1.13
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するのが仕事である。
政府はテレビや新聞で偉い者を演じている。
偉い者に従う喜びのある国民は政府が偉いと思って政府に従えばいい。
偉い者に従う喜びのない国民は政府を偉いと思わず政府に従わなければいい。
昔は国民みんなが偉い者に従う喜びを満足していたから、国民みんなが政府に従っていた。
今では少数の国民が偉い者に従う喜びを満足するだけだから、少数の国民しか政府に従わなくなった。
政府に従う者は年々少なくなって、政府が儲[もう]からなくなって政府が潰[つぶ]れている。
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。政府はテレビや新聞を使って国民みんなに自分が偉い者であることを宣伝して国民みんなに政府に従うことを勧誘[かんゆう]している。
偉い者に従う喜びのない国民は政府の宣伝や勧誘に引っかかって政府に従ってはいけない。政府の命令で税金を払ったりその他のことをやってはいけない。いくらテレビや新聞で政府を見ても政府に従ってはいけない。いくら政府が正しそうに見えたり、国民みんなが政府に従って楽しそうにしていても政府に従ってはいけない。
偉い者に従う喜びのある国民は、自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従って政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり何でもかんでもやったりすればいいのである。
国民は自分でよく考えて政府に従うか従わないか決めねばならない。政府に従いたい者は従えばよく、従いたくない者は従ってはいけない。
ビール会社はテレビや新聞を使って国民みんなに自社のビールを宣伝して国民みんなに買うことを勧誘している。国民は自分で考えてビールを飲むか飲まないかを決めねばならない。ビールを飲みたい者が買って、飲みたくない者は買ってはいけない。政府もそれと同じことである。
国民が政府に従うと自分の心の中にある“偉い者に従う喜び”が満足されて楽しくなる。政府に従えば従うほど偉い者に従う喜びがますます満足されてますます楽しくなる。そのうち政府の命令に逆らえなくなって政府の言いなりになる。政府に全財産を取られて悪いことをやらされて警察に捕まって牢屋に入れられる。『政府に従うのは楽しいことだ』が、国民は気安く政府に従ってはいけないのである。
今では面白いことがいっぱいある。国民は政府に従って快楽を得るよりも、もっとほかの無難なことをやって楽しんだほうがいいのである。
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するのが仕事である。政府の仕事はほかにはない。政府はテレビや新聞で偉い者の芝居をやって、国民に命令を出しているだけである。政府は国民の偉い者に従う喜びを満足すること以外はしていない。政府がなくなっても国民の偉い者に従う喜びが満足されないだけである。それなら、むしろ政府がなくなったほうが国民はうれしい。だから、国民は政府がなくなるのを心配せずに、喜んで政府に従わなければいいのである。
政府は国民に命令を出したければ好きなだけ出せばいい。国民が自分で考えて政府の命令に従うか従わないかを決める。今の国民は自分の意思で政府の命令に従わなくなっている。今の国民は政府の命令を弾[はじ]き返している。今の政府がいくら国民に命令を出しても無駄[むだ]だ。
他人がどんな仕事をしようが他人の勝手だ。政府が偉い者に従う喜びを満足する仕事をやって儲かるならそうすればいい。国民は自分で注意して政府の仕事に引っかからなければいいだけだ。
世の中にはいろんな喜びがある。いろんな喜びを売る仕事がある。国民は自分で自分にとって適切な喜びを選んで買わねばならない。他人の宣伝に引っかかってすぐに何でもかんでも飛びついて買ってはいけない。政府は国民に“偉い者に従う喜び”を売る会社である。偉い者に従う喜びが政府の商品である。客の偉い者に従う喜びを満足することが政府のサービスである。政府は怖い商品を売っている。国民は政府の商品を買わないほうがいい。

[19871] 政府は国民を不幸にする団体である。☆ h26.1.13
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。
政府は毎日テレビや新聞で政府が偉い者をやっていることを宣伝して、国民みんなに政府に従うことを勧誘[かんゆう]している。
国民が政府に従うと国民の心の中にある“偉い者に従う喜び”が満足されて気持ちがよくなって、政府に従えば従うほどますます偉い者に従う喜びが満足されて気持ちがよくなって、政府にいくらでも従うようになる。最後には政府の言いなりになって政府のために何でもするようになる。政府のために自分の全財産を差し出して無一文[むいちもん]になって、政府のために悪いことをやって国民みんなに迷惑をかけることになる。国民が偉い者に従う喜びを満足するために自分の人生が台無[だいな]しになる。人生が破滅する。
政府は国民を不幸にする団体である。
だから、国民は政府に従ってはいけない。政府の命令で政府に税金を払ったりその他のことをやったりしてはいけない。
国民はたとえテレビや新聞で政府の宣伝を見ても、けっして政府に従ってはいけない。国民は偉い者に従う喜びを満足せずに、もっとほかの喜びを満足して幸福に生きていかねばならない。
政府は国民の偉い者に従う喜びを満足して国民からお金を取って儲[もう]ける会社である。政府は国民の偉い者に従う喜びを満足する以外には国民の役に立つことは何にもやっていない。政府は国民みんなの偉い者に従う喜びを満足することによって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているだけである。
今では面白いことがいっぱいあるから、偉い者に従う喜びなんか大したことがない。国民が政府に従っても大して面白くない。つまらない喜びにハマるのは馬鹿だ。だから、国民は政府に従わず、もっと面白いことをして暮らせばいいのである。実際に、今の国民はそうしている。だから、すでに政府は滅んでいるのだ。偉い者に従う喜びがほかの喜びに負けたから、政府が滅んでいるのだ。政府や宗教団体や暴力団はこの世に喜びのない者が最後に喜びを得るところである。今では世の中に喜びがたくさんあるから、政府や宗教団体や暴力団の世話になる者が減って、政府や宗教団体や暴力団が滅んでいるのである。

[19872] 政府はテレビや新聞に出すぎである。 h26.1.13
政府や宗教団体や暴力団はこの世に喜びのない人間が最後に喜びを得るところである。地獄の一歩手前にある娯楽施設である。
しかし、宗教団体や暴力団は限られた地域にしかないので、自分の住所が遠いと従いに行くのが大変である。
その点政府はテレビや新聞で誰でも見れるので便利である。
今の政府は毎日朝から晩までテレビで偉い者の芝居をやっている。
政府は芝居のしすぎである。
今では偉い者に従う喜び満足する者が減って政府に従う者が減っているから、政府はそんなに熱心に芝居をしなくてもいい。国民の多くは偉い者に従う喜びを満足しなくなっているから、テレビで政府の顔を見てもしかたがない。
政府は毎日限られた時間枠で偉い者の芝居をやって、偉い者に従う喜びのある者を満足させればいい。偉い者に従う喜びのある者は、テレビで政府の人の顔を喜びの感動の涙を流しながら見ているのである。
テレビで政府の出番を減らして、代わりにもっとみんなが見たがっている番組を放送しないといけない。
今ではインターネットがあるから、誰でも政府や宗教団体や暴力団の動画が見れる。今では政府や宗教団体や暴力団の格差はない。だから、今では宗教団体や暴力団も政府のように国中から自分に従う者を集めることできるのである。これまでよりも儲[もう]けることができるのである。宗教団体や暴力団はインターネットで神や怖い者の芝居をやってみんなに命令を出してみんなからお金をもらえばいいのである。CG(コンピューターグラフィックス)と実写を組み合わせれば、国会議事堂を上まわる立派な建物の中で豪華な雰囲気で芝居をすることもできる。

[19873] 政府は偉い者の芝居をする芸能人である。☆☆ h26.1.13
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。
政府はテレビや新聞で偉い者の芝居をやって、国民に命令を出して国民からお金をもらったり軽いことをやらせたりするだけである。
偉い者に従う喜びのある者は、テレビや新聞で政府が偉い者の芝居をやっているのを見て、政府が偉いと思って、偉い者に従う喜びを満足するために政府の命令を聞いて政府に税金を払っているのである。
政府はそうやって国民からお金をもらってお金を儲[もう]けているのである。
政府は芸能人の一種である。政府は偉い者の芝居をする芸能人である。人間には“偉い者に従う喜び”があるので、そういう方法で政府はお金儲けができるのである。人間は普通の人には従わないが、人間の心に“神や偉い者や怖い者に従う喜び”があるために人間は神や偉い者や怖い者などの特定の者に対しては従うのである。人間の視覚にいろんな錯覚があるのと同じことである。人間の視覚は普通の図形はちゃんと見えるが、特定の図形は歪[ゆが]んで見えるのである。参考。だから、宗教団体や政府や暴力団が神や偉い者や怖い者の真似[まね]をすれば国民みんなは従うのである。国民に命令してお金を取ったりできるのである。
今では国民の多くが偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっているが、今でもそこそこは偉い者に従う喜びを満足するために政府に従う者がいる。
今後も政府はがんばって偉い者の芝居をやって、偉い者に従う喜びのある人を喜ばせてやって欲しい。

[19874] 国民と政府はお互いに相手を喜ばせ合う仲間である。☆ h26.1.13
“偉い者に従う喜び”については2つの見方ができる。
国民から見ると、政府は自分の偉い者に従う喜びを満足するための道具である。
政府から見ると、国民は偉い者に従う喜びを満足させて言いなりにする道具である。
どちらの見方も正しい。
国民にとっては、政府に従うと自分の偉い者に従う喜びが満足されて自分が気持ちよくなるから政府の命令に従って政府にお金を払ったり嫌なことをやったりする。
政府にとっては、自分が偉い者の芝居をやって国民を政府に従わせて国民の偉い者に従う喜びを満足させると自分がお金が儲[もう]かって国民を虐[いじ]めて遊べる。
政府は国民を喜ばせてくれる。逆に、国民は政府を喜ばせてくれる。国民と政府の両方がお互いに相手を喜ばせてくれるので、これまで長い間国民と政府の両方が仲良くやってきたのである。
つまり、昔からずっと国民と政府は平等だったのである。政府は国民のために偉い者に従う喜びを満足する仕事をしてくれていたのである。国民は政府の仕事の代金として政府に税金を払っていたのである。身分制や国家権力は政府の冗談であって、実際には政府が国民の偉い者に従う喜びを満足させる仕事をして国民を喜ばせていただけである。
しかし、今では文明が進歩して人間にとっていろんな喜びができて、国民の多くにとっては偉い者に従う喜びは要らなくなっている。そのため、国民の多くにとっては自分の偉い者に従う喜びを満足するためにある政府が要らなくなって政府に従わなくなっている。一方、政府にとっても国民の多くの偉い者に従う喜びを満足させられなくなって国民の多くが要らなくなって国民の多くを従わせなくなっている。今では少数の国民と政府がお互いに相手を喜ばせ合っているだけである。少数の国民が政府に従っているだけである。政府が必要な国民はだんだん減っている。政府に従う国民はだんだん減っている。そのために、今では政府がだんだん小さくなって滅んでいる。

[19875] 『裸の王様』 h26.1.13
『裸の王様』の王様は政府である。二人の仕立て屋は政府付属の国家宗教団体と法律会社である。
国家宗教団体と法律会社は国民みんなに「政府は身分が高い」と嘘[うそ]をついて国民みんなに「政府が身分が高い」と思わせたのである。
大人は政府の姿を見て「政府は身分が高い」と言って政府に従ったのである。
最後に子供が現れて、「政府は国民と平等だ」と言った。
大人は子供につられて子供といっしょに「政府は国民と平等だ」と言った。しかし、大人はあいかわらず政府に従いつづけた。
『裸の王様』のおとぎ話が言いたいことは、身分制が政府の嘘だということである。政府のでっち上げだということである。実際には、国民みんなは自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っていたのであって、身分制はあってもなくてもどうでもよかったのである。
政府の権力の実体は国民みんなの“偉い者に従う喜び”であって、身分制ではなかったのである。

[19876] 国民は政府と平等なのに政府に従っている。☆☆ h26.1.13
国民と政府は平等である。
政府は偉い者を演じる団体である。政府は国民の偉い者に従う喜びを満足させて交換に国民から税金を取っている。だから、政府と国民は平等である。
国民は政府に従うことによって自分の偉い者に従う喜びを満足して幸福になっているのである。
国民は政府と平等なのに政府に従っているのである。国民は政府に従っているのに政府と平等である。
昔から国民と政府は平等である。今でも国民と政府は平等である。だから、国民が政府に仕事をしてもらうかもらわないかは国民の自由である。今の国民はいろんな喜びがあるので、偉い者に従う喜びを満足しなくなっているので、政府に仕事をしてもらわなくてもいい。だから、今の国民は政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払ったりその他のことをやったりしなくなっているのである。

[19877] 世の中はいつ頃[ごろ]変わったか? h26.1.13
昔の国民みんなは偉い者に従う喜びを満足して生きていたのであって、身分制や国家権力なんかどうでもよかった。
だから、戦後に身分制がなくなっても世の中は変わらなかった。国民みんなは自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従ったままだった。
しかし、昭和40年頃になってテレビが普及するようになると世の中が変った。国民みんながテレビを見る喜びを満足するようになって偉い者に従う喜びを満足しなくなった。そのために、国民みんなが政府に従うのをやめた。政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払ったりその他のことをやったりするのをやめた。政府が自分が滅ぶのが怖くなって私を国家宗教の神にした。テレビが政府を倒したのだ。
だから、世の中が本質的に変わったのは国民の娯楽が大きく変わった昭和40年頃である。
さらに、今では国民にはビデオやゲームやパソコンなどの楽しい電化製品がたくさんある。今の国民は偉い者に従う喜びなんかすっかり忘れてしまって政府に見向きもしない。今の国民みんなは楽しい道具を使って自分のしたいことをやって喜んで、偉い者に従う喜びなんか捨てて政府なんか無視している。今の国民はますます政府の命令を聞かなくなってますます政府に税金を払ったりその他のことをやったりしなくなっている。
今の政府は生き残るのが難しくなっている。宗教団体や暴力団も同じである。
文明が進歩して、楽しい遊び道具がたくさん出来て、国民みんなの喜びが変わって国民みんなが“偉い者や神や怖い者に従う喜び”を満足しなくなったので、国民みんなが政府や宗教団体や暴力団に従わなくなったので政府や宗教団体や暴力団が滅んでいる。国民の喜びの変化が具体的な形になって現れているのである。
今では政府に従う者はほとんどいない。政府は政府に従う者を使って政府に従わない国民を攻撃させることができない。今の政府は恐れるに足りない。だから、国民は政府をなめて政府に従わなければいいのである。
他人のことはどうでもいい。要[よう]は、自分が政府に従いたいか従いたくないかだ。自分は偉い者に従う喜びを満足して生きていかねばならないほど落ちぶれていはいない。だから、自分は政府に従わなければいいのである。

[19878] 昔の国民にとって偉い者に従う喜びは必要悪だった。 h26.1.14
昔は文明が遅れていて楽しい遊び道具がなかった。そのために、昔の国民は自分が政府に従うことによって自分の偉い者に従う喜びを満足して快楽を得ていた。昔の国民は自分が偉い者に従う喜びを満足すると最後に自分が偉い者の言いなりになって自分がいい目に合わないことを知っていたがほかに楽しいことがなかったのでやむを得ず偉い者に従う喜びを満足して喜んでいたのである。昔の国民にとって偉い者に従う喜びは必要悪だったのである。
しかし、今は文明が進んで楽しい遊び道具がたくさんある。そのために、今の国民は楽しい遊び道具で自分の心を満足するようになって、自分が政府に従って自分の偉い者に従う喜びを満足する必要がなくなった。今の国民は偉い者に従う喜びが自分を不幸にする悪い喜びだと知っていて満足しないようにしている。今の国民にとって偉い者に従う喜びは危険ないけない喜びなのである。
今の国民は偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっている。政府は国民に命令できなくなって国民から税金をもらえなくなって滅んでいる。
もっとも、今でも楽しい遊び道具で自分の心を満足することができない変わった人は昔と同じように政府に従って自分の偉い者に従う喜びを満足している。人間は喜びがないと生きていけないから、喜びがない人はたとえ自分を不幸にする喜びだと知っていても偉い者に従う喜びを満足して生きていなければならないのである。そういう人にとっても政府は必要悪である。そういう人間にはなりたくないものだ。下手[へた]に喜びを我慢[がまん]するとかえって不幸な目にあう。お高ぶらずに素直に楽しい遊び道具で喜んだほうがいいのである。

[19879] 今の国民は楽しい遊び道具でちゃんと遊ばなければならない。☆ h26.1.14
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する団体である。政府は国民に“偉い者に従う喜び”を与えて交換に国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
政府と国民は平等である。
だから、偉い者に従う喜びが欲しい者は政府に従って政府にお金を払えばよく、偉い者に従う喜びが欲しくない者は政府に従わず政府にお金を払わなければいい。
今では文明が進んでいろんな楽しい遊び道具があって、今の国民は偉い者に従う喜びが要らなくなっているから政府に従わなければいい。
今では楽しい遊び道具で遊べないかわいそうな人がしかたがなく政府に従って快[かい]を得ているだけである。テレビや新聞で政府が偉そうにしているのを見て政府が偉いと思って、政府の命令で政府に税金を払って国家宗教で嫌なことをやって偉い者に従う喜びを満足して喜んでいるのである。税金は国民が政府に従って喜ぶための代金である。だから、自分の偉い者に従う喜びを満足していなくて政府に従う必要のない人は政府に税金を払わなければいい。国民が政府に税金を払わなければ、国民が政府に従ったことにはならないから、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足したことにならないから、国民は政府にお金を払う必要はないのである。
みんなは楽しい遊び道具でちゃんと遊んで喜ぶようにして、政府に従わないようにしないといけない。
今では『偉い者に従う喜びは自分を不幸にする悪い喜びだ』とわかっている。だから、政府に従う必要のない人はなるだけ政府に従わないようにしないといけない。この世に面白いことがひとつもなくてどうしても政府に従う必要のある人だけ政府に従うようにしないといけない。それが政府の正しい使い方だ。政府の正しい遊び方だ。

[19880] 国民が政府に従わなければ、国民は政府に税金を払わなくていい。☆ h26.1.14
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。政府の仕事は、テレビや新聞で偉い者の芝居をして、国民に命令することである。政府は国民に“政府に従うこと”を売って、それと交換に国民からお金をもらって儲[もう]けているのである。
政府と国民は平等である。国民が政府に仕事をしてもらうかもらわないかは国民の自由である。
昔の国民は便利な道具も楽しい遊び道具もなくて喜びがなかったから、偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。政府の命令を聞いて偉い者に従う喜びを満足して快感を得て、政府に税金を払っていた。つまり、国民は政府から“政府に従うこと”を買って、それと交換に政府に税金を払っていた。
今の国民は便利な道具や楽しい遊び道具がたくさんあって喜びがいっぱいあるから、偉い者に従う喜びを満足する必要がなくなって政府に従わなくてもよくなった。
今の国民は自分がもはや偉い者に従う喜びが要らないと思ったら、政府に従うのをやめればいいのである。政府の命令で政府に税金を払ったりその他のことをするのをやめればいいのである。そうすれば、国民は政府から“政府に従うこと”を買ったことにはならないから、政府に税金を払う必要はない。
今の国民はたくさん喜びがあるから、政府の世話にならなければいいのである。今の国民が政府に従っても喜びは得られない。むしろ嫌なだけである。今の国民が政府に仕事をしてもらっているのは無駄[むだ]である。国民は政府に従わないようにして政府の命令を聞かないようにして、政府から“政府に従うこと”を買わないようにして、政府に税金を払わなければいいのである。

[19881] 税金は商品と代金が一体化している。☆ h26.1.14
普通の会社の仕事では、商品と代金が別である。客は店から商品をもらって、それと交換に客は店に代金を払っている。
しかし、政府の仕事では、商品と代金が同じである。政府の商品は“政府に従うこと”である。国民は政府に税金を払うことによって同時に“政府に従うこと”を買っている。
昔の国民にとっては“政府に従うこと”が喜びだったから、昔の国民は“政府に従うこと”が欲しかったから、国民は政府の命令で政府に税金を払って“政府に従うこと”を買っていた。国民は政府の戦争や国家宗教の命令を聞いて“政府に従うこと”を買って、政府に税金を払っていた。
反対に、今の国民にとっては“政府に従うこと”が嫌だから、今の国民は“政府に従うこと”が欲しくないから、国民は政府の命令で政府に税金を払わないようにして“政府に従うこと”を買わなければいいのである。国民は政府の戦争や国家宗教の命令を聞かないようにして“政府に従うこと”を買わないようにして、政府に税金を払わなければいいのである。
要するに、国民は自分が欲しい物を買い、自分が欲しくない物を買わなければいいのである。昔の国民は“政府に従うこと”が欲しかったから、自分が政府に従って“政府に従うこと”を買って政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は“政府に従うこと”が欲しくないから、自分が政府に従わないようにして“政府に従うこと”を買わないようにして政府に税金を払わなければいいのである。

[19882] 政府は見かけが新しいだけで、やっていることは昔と同じである。 h26.1.14
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足させる会社である。政府は国民に偉い者に従う快楽を与える会社である。政府は国民に“政府(偉い者)に従うこと”を売る会社である。
昔は文明が遅れていたから、政府は国家宗教団体を使って偉い者の芝居をしていた。
近代になって文明が進歩したので、政府は近代的な法律会社を使って偉い者の芝居をするようになった。
政府の偉い者の芝居は時代とともに変わる。しかし、いくら政府の偉い者の芝居のしかたが変わっても、政府が国民の偉い者に従う喜びを満足させていることに変わりはない。政府は見かけが新しいだけで、中身は昔と同じである。政府はいまだに大昔と同じように“国民の偉い者に従う喜びを満足させる仕事”をやっているのである。政府は原始的な仕事をやっているのである。政府の国家宗教団体も法律会社も政府が偉い者の芝居をするためにあるだけで、国民の役に立たない。国民にとっては政府の国家宗教団体も法律会社も要らない。
しかし、今では文明が進歩していろんな便利な物や楽しい物が発明されて国民に十分な喜びがあるから、国民がわざわざ偉い者に従う喜びを満足するために政府に従わなくてもよくなった。今の国民は十分喜んで生きているので、“偉い者に従う喜び”が要らなくなっている。“政府に従うこと”が要らなくなっている。昔から政府と国民は平等だから、国民が“政府に従うこと”を買うか買わないかは国民個人の自由である。だから、今の国民は“政府に従うこと”を買わないようにして、政府に税金を払わなければいいのである。
今の国民は喜びがありすぎて喜びに鈍感[どんかん]になって、偉い者に従うことが喜びだとわからなくなっている。今でも政府に従っている国民はわけがわからずに政府に従っている。一度[いちど]何にも喜びがなくなってみれば政府に従うことが喜びだとわかる。国民みんなは早く自分が政府に従う必要がないことを理解して、政府に従うのをやめねばならない。
政府は国民に“偉い者に従う喜び”を売って国民からお金をもらう会社である。ところが、今の国民は政府の“偉い者に従う喜び”を買いたくない。国民が政府に従わなければ、国民は“政府に従うこと”を買ったことにならないから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。国民は政府に従わないようにして政府に税金を払うのをやめねばならない。


[19883] 今の国民は偉い者に従う喜びが要らないのに政府に従ってはいけない。☆ h26.1.14
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足する会社である。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足して交換に国民から税金をもらって儲[もう]ける会社である。
政府と国民は平等である。
昔の国民は偉い者に従う喜び以外に喜びがなかったから、政府に従って政府に税金を払っていた。昔の国民は政府に従わなければ幸福になれなかったから、自分が幸福になるために必死で政府に従っていた。
今の国民は喜びがたくさんあって偉い者に従う喜びが要らないから、政府に従わず政府に税金を払わなければいい。今の国民は政府に従わないほうが幸福になれるから、自分が幸福になるために政府に従わなければいいのである。
昔と今では国民の置かれている状況がまったく違う。昔の国民は偉い者に従う喜び以外に喜びがなかった。今の国民は喜びが多くて偉い者に従う喜びが要らない。だから、昔の国民は政府に従わねばならなかったが、今の国民は政府に従わなくていい。国民は自分にとって偉い者に従う喜びが必要かどうかよく考えてから、自分が政府に従うかどうか決めねばならない。

[19884] 昔の国民は喜びがなかったから政府に従っていた。☆☆ h26.1.14
政府は偉い者の芝居をする団体である。
人間の心には“偉い者に従う喜び”がある。だから、人間は政府に従うと快楽が得られる。
昔の国民は喜びが何にもなくて唯一[ゆいいつ]政府に従うことによってのみ幸福になれたから、政府の命令で税金でも戦争でも国家宗教でも何でもかんでもやったのである。
今の国民は喜びがたくさんあって政府に従っても幸福にならないから、政府の命令を聞かなければいいのである。政府の命令を聞く暇があったらほかのことをやったほうがいいのである。
昔は文明が遅れていて昔の国民は喜びが何にもなかったから自分が幸福になるためには政府に従うしかなかったから、必死になって政府に従っていた。
今は文明が進んで今の国民は喜びがたくさんあるから自分が幸福になるためには政府に従わなくていいから、政府に従わなければいいのである。
政府は国民を政府に従わせることによって国民を幸福にするだけで、それ以外には政府は国民の役に立たない。政府がなくなっても国民の偉い者に従う喜びが満足されなくなるだけで、ほかに困らない。今の国民は偉い者に従う喜びが要らない。だから、今の国民はまったく政府が要らない。したがって、国民は政府に税金をやらず政府を滅ぼせばいいのである。

[19885] どうして政府は国民を虐[いじ]めるのか?☆ h26.1.15
政府は偉い者をやる会社である。
人間の心には“偉い者に従う快感”がある。
国民が政府に従うと国民は幸せになる。
政府が偉い者をやるためには、国民を虐めなければならない。
だから、政府は国民を国家宗教で虐めたり不平等な法律で虐めたりするのである。
例えば、田中角栄首相が所得倍増計画で日本をインフレにして日本の経済発展を妨害したのは、政府が国民を虐めることによって国民に政府を偉い者だと思わせるためである。国民は政府に腹を立てる一方で政府を偉い者だと思っているのである。
政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために、国民を虐めるのである。
昔は文明が遅れていて国民の生活が厳しくて昔の国民には喜びがなかったから、昔の国民は政府を偉いと思って政府に従うことによって幸福になっていた。
今は文明が進んで国民の生活が楽になって今の国民にはたくさん喜びがあるから、今の国民は政府を偉いと思わず政府に従わないほうが幸福である。
そもそも政府と国民は平等である。政府は国民が従うことによって国民が幸福になる会社だから、国民は自分のために政府に従っているだけだから、国民が政府に従うか従わないかは国民の自由だから、政府と国民は平等である。だから、今の国民は政府に従わなくなって、政府が国民から税金をもらえなくなって政府が滅んでいるのである。今の国民は生活が豊かになって偉い者に従う喜びが要らなくなったから、政府が滅んでいるのである。
政府が悪いことをやって国民を虐めるのはすべて国民に政府を偉い者だと思わせるためである。政府は偉い者をやる会社だから、政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために国民を虐めなければならないのである。政府はけっしてたんなる悪いことをやる会社ではないのである。政府はけっしてイタズラのために国民を虐めるのではないのである。政府があるかぎり、政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために国民を虐め続ける。今の国民は偉い者に従う喜びを満足しないから政府があってもしかたがない。政府は国民を虐めるので、今の国民にとっては政府は邪魔[じゃま]なだけである。国民みんなは早く政府に従うのをやめて政府の命令で政府に税金を払うのをやめて政府を倒さなければならない。

[19886] 教育とは何か? h26.1.15
教育とは子供に勉強を好きにならせることである。
子供が勉強を好きだと思えば、子供は自分で勉強して勉強が得意になる。
反対に、子供が勉強が嫌いだと思えば、子供が勉強しなくなって勉強が苦手になる。
だから、教育者は子供に勉強を好きにならせればいいだけである。
教育者は子供に無理やり勉強させて子供を勉強嫌いにならせるよりも、子供に自由に勉強させて子供を勉強好きにならせるほうがいいのである。

[19887] 政府が国民に嫌な命令を出すことは一石二鳥である。 h26.1.15
政府は偉い者をやる会社である。
人間の心には“偉い者に従う快感”がある。
だから、国民が政府を偉い者だと思って政府に従うと幸福になるのである。
政府は国民に国民を虐[いじ]める命令を出すことによって、国民を政府に従わせて国民を幸福にして、同時に国民を虐[いじ]めることによって国民に政府を偉い者だと思わせているのである。
政府が国民に嫌な命令を出すことは一石二鳥である。政府は国民に命令を出して国民を政府に従わせることと、自分が偉い者の芝居をすることを一体化して、国民に国民を虐める命令を出しているのである。政府は国民に税金や戦争や国家宗教などの命令を出しているのである。
昔の国民は偉い者に従う喜びがあったから、政府の命令を聞いていた。政府に税金を払って自分が幸福になっていた。
今の国民は偉い者に従う喜びがないから、政府の命令を聞かなくていい。政府に税金を払わず政府を倒せばいい。
そもそも政府と国民は平等である。政府に従うか従わないかは個人の自由である。政府に虐められるのが好きな人は政府に従えばいい。政府に虐められるのが嫌な人は政府に従わなければいい。

[19888] 格好[かっこう]のいい人は馬鹿である。 h26.1.15
格好いい人は不良である。格好いい人はダラダラした馬鹿の不良である。
格好のいい人は色気づいて心で物を見ている色キチガイである。頭で物を見ない痴呆[ちほう]である。
馬鹿は考えることがなくて格好つけばっかりやっているから格好がいいのである。
格好いい人が流行[はや]ると、ダラダラした馬鹿の不良が増えて国が悪くなる。国が鬱陶[うっとう]しくなって、みんなの気分が悪くなる。
だから、格好いい人を流行らさないほうがいい。

[19889] 宗教団体はどうして国民を虐[いじ]めないか? h26.1.15
偉い者は国民を虐めることにとって国民に自分を偉い者だと思わせる。偉い者が偉い者であるためには国民を虐めなければならない。
一方、神は超能力者の真似[まね]をしさえすれば神である。国民が超能力者の真似をする者を見て神だと思ってくれれば神である。神が神であるためには超能力者の真似をすればいいだけである。
政府は偉い者をやる団体である。だから、政府は国民を虐めるのである。
宗教団体は神をやる団体である。だから、宗教団体は超能力者の真似をするだけで国民を虐めないのである。たまにシケた教団がヤケクソになって自分が潰[つぶ]れるのを覚悟で国民に暴力をふって無理やりお金を取り立てて虐めるだけである。
昔の国民は科学を知らなかったために神がいると思っていたので神に従う喜びがあった。昔の国民は宗教団体に従えば幸福になれたので宗教団体に従っていた。昔の国民は宗教団体の命令で宗教団体に少しお金を払って喜んでいた。
今の国民は科学を知っているために神がいないと思っているので神に従う喜びがない。今の国民は宗教団体に従っても幸福になれないので宗教団体に従わなくなった。今の国民は超能力者の芝居をただの芝居だと思ってバカバカしいと思って宗教団体に従わなくなった。今の国民は宗教団体にお金を払わなくなって宗教団体が滅んでいる。
今の国民は宗教団体を滅ぼすつもりはないが、神に従う喜びがないので、宗教団体に従う必要がないので、宗教団体が国民に命令を出して国民からお金をもらえなくなって宗教団体が滅んでいるのである。

[19890] 暴力団はどうして国民を虐[いじ]めないのか? h26.1.15
偉い者は国民を虐めることにとって国民に自分を偉い者だと思わせる。偉い者が偉い者であるためには国民を虐めなければならない。
一方、怖い者は国民を怖がらせれば怖い者である。怖い者は国民を脅[おど]して国民が怖いと思ってくれれば怖い者である。怖い者が怖い者であるためには国民を脅せばいいだけである。
政府は偉い者をやる団体である。だから、政府は国民を虐めるのである。
暴力団は怖い者をやる団体である。だから、暴力団は国民に暴力をふる真似[まね]をして国民を脅すだけで、実際には国民に暴力をふらず国民を虐めないのである。
昔の国民は心が豊かだったので怖い者に従う喜びがあった。昔の国民は暴力団に従って幸福になっていた。昔の国民は暴力団の命令を聞いて暴力団にお金を払って喜んでいた。
今の国民は心が貧しいので怖い者に従う喜びがない。今の国民は暴力団に従っても幸福になれない。今の国民は暴力団の命令を聞かなくなって暴力団にお金を払わなくなった。
今の国民は知的になって心が冷たくなって怖い者を怖いと思わなくなったので、怖い者に従う喜びがなくなっている。そのために、暴力団に従わなくなっている。暴力団は国民からお金がもらえなくなって滅んでいる。

[19891] 暴力団は善[い]い人である。 h26.1.15
暴力団は善い者をやる団体である。暴力団は怖い人に見える善い人である。
暴力団は善い者をやるために、悪人を懲[こ]らしめるために暴力をふるのである。今でもテレビや新聞で暴力団員が国民に暴力をふった事件が報道されているが、それは暴力団員が合法的には罰せられない悪い国民を罰するためなのである。暴力団が子供に頼まれてみんなを虐[いじ]める悪い人を傷[いた]めつけてやったのである。
昔の人は心が豊かで善い者に従う喜びがあったから、暴力団に従って喜んでいた。昔の人は暴力団に従うのが好きだったので暴力団の命令で暴力団にお金を払って喜んでいた。
今の人は心が貧しくて善い者に従う喜びがなくなったから、暴力団に従わなくなった。今の人は暴力団に従うのが好きではないので暴力団の命令で暴力団にお金を払わなくなって、暴力団がお金が儲[もう]からなくなって滅んでいるのである。
テレビドラマや映画で暴力団が悪いことをやっているのはフィクションである。本当の暴力団は善いことをしているのである。暴力団は警察みたいなものである。だから、国民みんなは暴力団を怖がらなくていいのである。

[19892] 政府は国民に“偉い者に従う喜び”を与える団体である。☆ h26.1.15
政府は偉い者をやる団体である。
政府は偉い者をやるために国民を虐[いじ]めているのである。人間は自分を虐める者を偉いと思う心理があるので、政府は国民を虐めることによって国民に自分を偉いと思わせているのである。
人間には“偉い者に従う喜び”がある。だから、国民が政府に従うと国民が幸福になれるのである。
昔は文明が遅れていたので、昔の国民は偉い者に従う喜びしかなかった。昔の国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っていた。昔の国民は一生懸命に政府の税金や戦争や国家宗教の命令を聞いて幸福になっていた。政府に虐められて政府を偉いと思いながら、政府の命令を聞いて自分が幸福になっていた。
今では文明が進んで、今の国民は喜びがたくさんあるので、偉い者に従う喜びが要らなくなった。今の国民は偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなった。今の国民は政府の命令を聞かなくなって、政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今でも政府はテレビや新聞に出ていろんなことを言ったりやったりしているが、それは政府が偉い者の芝居をやるためである。政府は偉い者の芝居をしているだけだから、政府は実際には国民の役には立たないのである。政府が不平等な法律を決めたり、裏で国家宗教で国民を虐めているのも政府が偉い者の芝居をするためである。政府は国民に“偉い者に従う喜び”を与えて国民を幸福にする団体である。政府は国民のためにある団体である。政府よりも国民のほうが偉いのである。だから、国民が政府の世話になるかならないかは国民個人の勝手である。偉い者に従う喜びのある国民は政府に従って幸福になればよく、偉い者に従う喜びのない国民は政府に従わず幸福にならなければいいのである。今の国民はいろんな喜びがあるから、今の国民は強[し]いて偉い者に従う喜びを満足する必要はないから、偉い者に従う喜びのない者は政府に従わなければいいのである。

[19893] 政府はどうしてゴミの収集をやっているか? h26.1.15
政府は国民の役に立つ会社である。政府は国民を幸福にする会社である。
だから、政府は国民を幸福にするために、偉い者をやって国民の“偉い者に従う喜び”を満足したり、水道やゴミや学校などの実際に国民の役に立つことをやっているのである。
昔は文明が遅れていて、昔の国民は偉い者に従う喜びしかなかったので自分が幸福になるために必死で政府に従っていた。昔の国民は自分のあり金全部を政府にやった。政府は国民からもらったお金が多すぎて困ったので、余ったお金で国民のために水道やゴミや学校などのいろんな事業をやっていたのである。
しかし、今では文明が進歩して、今の国民はいろんな喜びがあって偉い者に従う喜びが要らなくなって、政府に従わなくなっている。今の国民は政府に従わなくなって、政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府はお金が足りなくなって水道やゴミや学校などの事業がやれなくなって、水道やゴミや学校などの政府の付属会社を次々と民営化しているのである。
政府の付属会社は今でも国民の役に立って国民を喜ばせるから経営できる。政府自身は偉い者をやる会社だから今の国民の役に立たず国民を喜ばせないので経営できなくなって潰[つぶ]れている。政府は本体が潰れて、付属会社のほうが生き残っている。
政府は国民の役に立つ会社である。政府は国民を幸福にする会社である。政府は国民のためにある。政府よりも国民のほうが偉い。だから、国民が政府に仕事をやってもらうかもらわないかは国民個人の勝手である。政府は偉い者をやる会社である。水道やゴミや学校などの会社は政府のオマケである。政府の付属会社である。今の国民は偉い者に従う喜びが要らないから、政府に偉い者をやってもらわなくていいから政府に税金を払わなくていい。政府が滅んでなくなって、政府の付属会社の水道やゴミや学校などの会社が政府から独立して民営化して国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に仕事をすればいいのである。
近代以降の政府は、国民がだんだん偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなって政府にお金をくれなくなったので、「国民全員が政府に税金を強制的に払わねばならない」と嘘[うそ]をついて国民から税金を取っている。政府は困ったときの嘘頼[だの]みで国民みんなに嘘をついて国民みんなを政府に従わせようとしているのである。本当は政府と国民は平等であり、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。本当は国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に税金を払っているのだから、国民は自分が好きなだけ政府に税金を払えばいいのである。今の国民は偉い者に従う喜びがないから、政府に税金を払わなくていい。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府に税金を払ってはいけない。
そもそも政府は偉い者をやる会社である。政府は国民を虐めることによって国民に政府を偉い者だと思わせて、国民に命令して国民を政府に従わせて国民の偉い者に従う喜びを満足させて国民を幸福にする会社である。政府はオマケに水道やゴミや学校などをやっている。政府は偉い者をやることと、水道やゴミや学校などの具体的な事業をやること以外はやっていない。政府は国民を幸福にする政策なんかやっていない。近代以降の国民は政府に従わなくなっているので、政府は国民が政府のやっていることをよく知らないのを利用して、テレビや新聞で国民に「政府がいろんな政策をやって国民を幸福にしている」と嘘をついて国民を政府に従わせようとしている。今の国民は現実よりもテレビを信用しているので、政府がテレビで「国民を幸福にしている」と言えば、国民は政府が本当に国民を幸福にする政策をやっていると思っているのである。しかし、実際には政府は偉い者をやる会社である。政府は偉い者をやることが得意なだけで、国民を幸福にする政策をやることは苦手である。国民は政府が何をやっているのかわからないのに、政府にお金を出すことはできない。とにかく政府と国民は平等だから、国民は政府の命令で政府にお金を払う必要はない。国民みんなは政府の思わせぶりに騙されないようにして、政府を支持しないようにして政府に税金をやってはいけない。

[19894] 世の中にはいろんな人がいる。 h26.1.15
今でも自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っている者がいる。ほとんどの者は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて自分が政府に従わねばならないと思って政府に従っている。中には政府の嘘に騙されずに政府に従っていない者もいる。
しかし、本当は国民は政府に従わなくていいのである。政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足するために偉い者をやる会社であり、政府は国民のためにあるから、政府よりも国民のほうが偉いから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。今の国民はいろんな喜びがあって、偉い者に従う喜びが要らないから、政府に従わなければいいのである。今の国民は政府に従わず政府の命令で政府に税金を払わなければいいのである。
今では国民が政府に従わないのが正しいのである。それなのに、いまだに政府が残っているのは、世の中には正しい人が少ないからである。国民みんなが早く正しいことを理解して、国民みんなが政府に従わなくなって、政府がなくなればいい。せめて、偉い者に従う喜びを満足する人だけが政府に従うようになって欲しい。

[19895] 政府も暴力団も同じである。 h26.1.15
もしもある暴力団が怖い者の芝居をやって人気が出て出て出まくって国民みんなが従うようになると暴力団はすごく大きくなる。国民みんなが怖い者に従う喜びを満足するために暴力団の命令を聞いて暴力団にお金を払って暴力団がすごく儲[もう]かる。
それと同じように、昔の政府は国民みんなを虐[いじ]めて偉い者の芝居をして人気が出て国民みんなが政府に従うようになって政府が大きくなって、国民みんなが政府の命令を聞いて政府にお金を払ったので政府がすごく儲かったのである。
政府も最初の頃は暴力団と同じように小さい団体だったが、超人気が出てどんどんどんどん大きくなって国中のみんなが従う何百万人もの巨大な団体になったのである。政府はお金が儲[もう]かりすぎて偉い者をやる以外にもいろんな事業をやるようになったのである。
昔はみんなが他人を虐める者を偉い者だと思う気持ちが強く、偉い者に従う喜びが強かったので政府が大きくなって儲かったのである。
しかし、今ではみんなが生活が豊かになって喜びがいっぱいあって偉い者に従う喜びがなくなって、みんなが法律にうるさくなって他人を虐める者を人間的な価値が低い犯罪者だと思って偉いと思わなくなったので、政府に従わなくなった。そのため、国民が政府の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が儲[もう]からなくなった。
言葉の世界はどうでもいい。政府の嘘[うそ]なんかどうでもいい。実在だけが真実である。人間の心だけが真実である。[人間の心は人間の脳細胞が荷っている感覚だから実在する物だから嘘[うそ]はつけない。人間の心には間違いはあるが、あるかないかに関しては嘘はつけないのである。たとえ政府が言葉の上で「国民が政府に従いたい」と言っても、実際に国民の脳に政府に従う喜びがなければ本当は国民は政府に従いたくないのである。]もともと政府と国民は平等である。これまで国民が政府に従っていたのは、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足するためにほかならなかったのである。ところが、今では国民が自分の偉い者に従う喜びを満足しなくなったので、国民を政府に従わせる力が失われて、国民が政府に従わなくなったのである。
今では政府が潰[つぶ]れて、政府の付属会社が政府を見捨てて政府から独立して民営化して国民と自由に契約して国民からお金をもらって国民に仕事をするようになっている。

[19896] 今の国民はどうして政府に従っているか? h26.1.15
今の国民は偉い者に従う喜びはない。今の国民は政府を偉い者だと思っていない。今の国民は政府に従ってもうれしくない。
今の国民は身分制や国家権力(多数決の原理)などの政府の嘘[うそ]に騙[だま]されていない。今の国民は身分制も国家権力(多数決の原理)もないと思っている。しょせん嘘は時間がたったらバレるから無駄[むだ]である。
したがって、今の国民は「政府が国民を幸福にしている」と思っているから、政府を支持して政府の命令を聞いて政府に税金を払っているだけである。
しかし、政府が国民を幸福にしている確実な証拠は何もない。政府は偉い者をやる会社であって、民主主義の政治機関ではない。むしろ政府は自分が偉い者をやるために国民を虐[いじ]めて国民を不幸にしそうである。政府は国民を幸福にしてくれそうにない。
そもそも政府と国民は平等である。国民は政府に従う必要はない。今の国民は政府に従う必要がないのに、なんとなく政府を信用して政府に従っているだけである。テレビや新聞で政府が善[い]い団体みたいにしているから政府を信じているだけである。どうせそれぐらいのことである。テレビに出て善い団体のふりをしていたら国民が従わねばならないという法律はない。だから、国民は政府に従わなければいい。

[19897] 政府は国民が従うことによって国民が気持ちよくなるためにある団体である。☆☆ h26.1.15
政府は偉い者をやる団体である。政府は国民に政府を偉い者だと思わせるために毎日国民を虐[いじ]めている。おかげで国民は迷惑である。
人間の心には“偉い者に従う喜び”がある。国民は政府に従うことによって自分の偉い者に従う喜びを満足して幸福になることができる。
そもそも政府と国民は平等である。国民が政府に従うのは国民が自分の“偉い者に従う喜び”を満足して自分が幸福になるためである。国民が自分の喜びを満足するかしないかは国民個人の自由である。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府が国民に「国民みんなは政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。政府の作り事である。政府はこれまで国民がどうして政府に従うのかわからないのを利用して嘘をついていたのである。国民は自分の“偉い者に従う喜び”を満足するために政府に従っているのだから、本当は国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の自由である。自分の偉い者に従う喜びを満足したい者は政府に従えばいい。政府の命令を聞いて税金や戦争や国家宗教などをやればいい。反対に、自分の偉い者に従う喜びを満足したくない者は政府に従わなければいい。政府の命令を聞かず税金や戦争や国家宗教などをやらなければいい。税金は、国民が政府に従うことによって国民が気持ちよくなるために政府に支払うお金である。
昔は国民の暮らしが貧しくて国民には偉い者に従う喜びしかなかった。だから、昔は国民が自分が幸福になるために必死で政府に従っていた。政府が国民からいっぱいお金をもらって政府が儲[もう]かっていた。
今では国民の暮らしが豊かになって国民が喜びがいっぱいあって、国民は偉い者に従う喜びが要らなくなっている。だから、今では国民が政府に従うのをやめて政府が国民からお金をもらえなくなって政府が潰[つぶ]れている。
今の国民は『偉い者に従う喜びは人間を不幸にする悪い喜びだ』と考えて政府に従わなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなって潰れている。

[19898] 政府は仕事である。☆ h26.1.16
政府は自分のためだけに国民に命令して国民から税金を取っているのではない。
政府は国民の“偉い者に従う喜び”を満足して国民を幸福にするために国民に命令して国民から税金を取っているのである。
だから、政府は仕事である。政府は国民に喜びを与えて、それと交換に国民からお金をもらっているのである。
国民は自分の偉い者に従う喜びを満足するために政府に従っているのである。国民は自分のために政府に従っているのである。だから、国民が自分の喜びを満足するかしないかは国民個人の勝手である。
だから、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足したければ政府に従えばよく、国民が自分の偉い者に従う喜びを満足したくなければ政府に従わなければいい。
昔は文明が遅れていて国民の生活が貧しくて国民にほとんど喜びがなくて国民が偉い者に従う喜びを満足したかったから、国民は政府に従っていた。国民は政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり戦争や国家宗教をやったりして、政府に従って喜んでいた。
しかし、今は文明が進んで国民の生活が豊かになって国民がいろんな喜びがあって国民が偉い者に従う喜びを満足したくないから、政府に従わなくなった。国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払ったり戦争や国家宗教をやらなくなって、政府に従わなくなって喜ばなくなった。
政府は国民に偉い者に従う喜びを与えて、国民からお金をもらう仕事である。昔の国民は政府から偉い者に従う喜びを買っていたので、政府はお金が儲[もう]かって繁盛[はんじょう]していた。今の国民は政府から偉い者に従う喜びを買わなくなったので、政府はお金が儲からなくなって潰[つぶ]れているのである。
政府が国民に「国民みんなは政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。本当は、国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は政府の嘘に騙[だま]されないようにして、自分で考えて政府に従うか従わないかを決めねばならない。
昔から国民が政府に従うか従わないかは国民の自由だった。しかし、昔は国民みんなが自分の偉い者に従う喜びを満足するために必死で政府に従っていて政府の言いなりだったから、国民が政府に逆らうと政府が国民みんなに命令して国民みんなに攻撃されたので大変だった。しかし、今は国民みんなが自分の偉い者に従う喜びを満足しなくなって政府に従わなくなっているので、国民が政府に従わなくても国民みんなから攻撃されないので安心である。だから、今の国民は自分の好き勝手に政府に従わなければいいのである。国民にとってはいい時代になったもんだ。

[19899] 政府は民主主義の政治機関ではない。 h26.1.16
政府は偉い者をやる団体であって、民主主義の政治機関ではない。
政府は自分が偉い者をやるために民主主義の政治機関をやっているのであって、政府は民主主義の政治機関そのものではない。
政府にとっては民主主義の政治機関は自分が偉い者をやるための道具にすぎない。
政府は自分が偉い者をやるために民主主義の政治機関を使って国民を不幸にする法律を決めたり政策をやったりして国民を虐[いじ]めているのであって、政府は民主主義の政治機関をやって国民を幸福にする法律を決めたり政策をやったりして国民を幸せにしているのではない。
政府の正体は偉い者をやる団体である。政府は国民を虐めて国民に政府が偉い者だと思わせて、国民に命令して国民を政府に従わせて国民の偉い者に従う喜びを満足させて国民を幸福にする団体である。
政府が民主主義の政治機関なら政府は国民みんなを幸福にしてくれるが、政府は偉い者をやる会社だから政府は国民みんなに自分を偉い者だと思わせるために国民みんなを虐めて不幸にするのである。
昔の国民は偉い者に従う喜びが必要だったから、昔の国民は政府に従っていた。
今の国民は偉い者に従う喜びが要らないから、今の国民は政府に従わなければいい。
社会科の教科書には「政府が民主主義の政治機関だ」と書いてあるけれども、本当は『政府は偉い者をやる団体である。』みんなは社会科の教科書に騙[だま]されてはいけない。教科書が必ずしも正しいとは限らない。教科書には嘘[うそ]も書いている。みんなは自分で考えて本当に正しいことを理解しないといけない。

[19900] 今の国民が暴力団や宗教団体や政府に従うかどうかは国民個人の自由である。 h26.1.16
昔から人間はみな平等である。
昔から国民が暴力団や宗教団体や政府などの団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。
国民は自分の“団体に従う快感”を満足させるために団体に従っているのだから、国民が自分の快感を満足させるかさせないかは国民個人の自由だから、国民が団体に従うか従わないかは国民個人の自由である。国民は自分が“団体に従う快感”を得るために団体に従っているのだから、国民が団体に従わないと自分の快感が得られなくなるだけだから、国民が団体に従わないのは個人の勝手である。
ただし、国民みんなが団体に従っている場合には、国民が団体に逆らうと団体が国民みんなに命令して国民を攻撃させることがあるので大変である。そうなると面倒くさい。
しかし、今は国民みんなが喜びがたくさんあって団体に従う喜びがあまり要らないので、国民みんながそれほど熱心に団体に従っていないので、国民みんなは団体の命令で他人を攻撃したりはしないので、国民が団体に逆らっても安全である。今の国民のほとんどは政府の国家権力(多数決の原理)の嘘[うそ]に騙[だま]されてしかたなく政府に従っているだけである。(私も以前はそうだった。)そういう者は政府の命令でわざわざ他人を攻撃したりはしない。政府もそういう者には他人を攻撃するような変な面倒くさい命令を出したりはしない。国民の中には今でも自分の偉い者に従う快感を満足するために本気で政府に従っている者がいる。政府はそういう者に命令して他人を攻撃させる。しかし、今ではそういう者はほとんどいないから問題ではない。
だから、今の国民は他人のことを気にせずに自分の好き勝手に団体に従うかどうか決めればいい。
だから、今の国民は自分が暴力団や宗教団体や政府などの団体に従うのが嫌なら、素直に暴力団や宗教団体や政府などの団体に従わなければいいのである。
今では法律で『国民が暴力団や宗教団体や政府などの団体に従うか従わないかは国民個人の自由である』ことが保障されている。だから、国民は自由に暴力団や宗教団体や政府などの団体に従ったり従わなかったりすればいいのである。
国民は政府に税金を払わずに、その都度[つど]役所や警察などに適切な料金を払って冠婚葬祭の世話になればいいのである。国の決まりは国民で決めればいいのである。団体と国民は平等だから、国民は団体に従わなくてもかまわない。国民が自分で正当なことを考えて、それを無言[むごん]で実行して、国の決まりを作っていけばいいのである。新しい世界を作っていけばいいのである。国民が団体を従わせて国を従わせて世界を従わせて新しい時代を作ればいいのである。


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