[1901] 神とは何か h17.8.17
神は進化した人間ではなく、人間の異端者である。
つまり、神は通常の人間とは違う方向に発達した人間である。
通常の人間は五感(と知覚)と手足の運動器が発達するが、
その他に、神は異質な感覚器と運動器が発達している。
人間を実数とすれば、神は複素数のようなものである。
したがって、人間の感覚界よりも、神の感覚界のほうが広い。
[1902] 偉さとは何か h17.8.17
1<2だが、1と2iとは大小の比較ができない。
つまり、2は1より偉いが、2iと1とでは偉さの比較ができない。
したがって、人間同士では(例えば、知覚の優劣で)偉さの比較ができるが、
神と人間とは偉さの比較ができず、
つまり神は人間よりも偉くはない。
人間は神よりも偉人を信じて見習ったほうが人生の効率がよい。
いくら人間が神を信じても、人間には神の感覚器や運動器がないから、何にもならない。
[1903] 先代の私はどうして神になったのか? h17.8.17
私の母は気配が普通の人よりも濃い。
そもそも母親の脳に身体の周りの空間を変化させる運動器(手のようなもの)がある。
だから、遺伝的に私の脳にもそんな運動器が備わっている。
母親の気配を真似て、自分でも気配を出そうとした結果、
物を動かしたり、時間を止めたり、時空間に穴を開けたりする運動器を開発してしまった。
[1904] 神と人との違い h17.8.17
私の母親は神ではなかったが、身体の周りの(時)空間を変化させる運動器がある。
先代の私は母よりも時空間を変化させる力が強かったので神だと言われた。
普通の人にも多かれ少なかれ身体の周りの空間を変化させる力がある。
例えば、神は100gの物体(例えば、手ぬぐい)を動かせるが、人は1gか1mgの物体(例えば、眼に見えない空気分子)を動かす力がある。
訓練すれば、その力は増強される。
このように、神と人間の違いは質的なものではなく量的なものであり、明確な境界線を引くことはできない。
[1905] 超能力は実在するか? h17.8.19
私は子供の頃、超能力に関心があった。そのために、「えり子」や「ようこ」や「ミント」や「マリーベル」に超能力の話が出てくるのだと考えられる。[私の評価:えり子=5(キャラが美形で、ノリが軽い)、ようこ=3(キャラがグロい)、ミント=2(絵が眠い)、マリーベル=4(キャラがかわいいし、ネタが濃い)]
それとも、先代の私(2歳半までの私)や今の私に本当に超能力があるからなのだろうか?
[1906] 『男が女になる病気』 h17.8.19
バカ学者が書いた汚い本(例えば、医学書)を読んだりして、知覚が働かなくなると、眼先のことしかわからなくなるから、格好のよさにとらわれが強くなる。
そうなると、女は男よりも格好がいいから、男が女に憧れるようになり、男が女になる病気に罹ってしまう。
だから、(系2)知覚が働く喜びを大事にしていれば、男が女になる病気に罹ることはない。
[1907] どうして私しか知らないことがアニメのネタになったりするのか? h17.8.19
1)先代の私が作り上げた2代目の私の見たことや考えたことを感知し記録する『陽明王コンピューター』と呼ばれる機械がある。
2)テレパシー能力の高い信者が交代制で24時間私の思考を記録している。
3)私に気付かれないように、常に私を見張っている者がいる。(でも、これでは“黒い穴”はわからないからだめ。)
[1908] 神の世界 h17.8.20
正直。
くだらない欲望に引っかからずに、まっすぐ進む。
そこに神の世界がある。
解説:人間には、生まれつき眼や耳を超える感覚器や筋肉を超える運動器が備わっている(者がいる)。
それを活動させるところまで行くと、新たな世界が見える。
[1909] 私の生活水準 h17.8.21
給与が少ないので、健康保険にも厚生年金にも入っていません。
[1910] 私がようこにされた理由 h17.8.21
1)私が神様だったから…しかし、私がアルバムを見たかぎりでは2歳半前後に著変は認められないし、両親に訊いても「そんなことはない」と答えられた。今の私にも明らかな超能力はない。一体、そんなことが本当にあるのだろうか???
2)本家の分家に対する嫌がらせ…テレビに名前が出ないエグゼクティブ・プロデューサーは私と苗字が同じKだし、K家の本家は博多にある由緒ある家柄だと北のおばあさんに聞いたことがある。本家の出世したエリートが分家の落ちぶれたボンクラをからかって面白がっているのだろうか?!
3)キャラクターデザインの近永早苗さんの初恋の人が私だったから…キャラクターデザインの近永早苗さんと私とは、小学生のとき同級生だった記憶がある。小学生の頃の私は誰の目で見てもかわいかった。(残念ながら、高校生のとき発狂して以来かわいさはなくなったが。)その後近永さんは結婚したが、せめてアニメの上だけでも自分の本心を私に打ち明けたかったのだろうか?
[1911] 真実とは何か? h17.8.24
自分の感覚器(五感、その他)で見て、その経験(記憶)に基づいて自分の知覚で考えたことだけが、自分にとっての真実である。
だから、たとえ親兄弟であっても、自分が経験したことのない他人の言葉を信じてはならない。
[1912] 超能力が使えるためには? h17.8.24
性欲に引っかかったり、眼先の喜びに引っかかったりするのでは、
手が動かせたり、眼が見えたりするだけで超能力は使えない。
幻聴に腹が立つのも、性欲に引っかかって怒りっぽくなっているせいである。
ファッションに敏感に反応するのも、性欲に引っかかって異性の気を引きたいのと知覚が働かなくて眼先のことしかわからなくなっているせいだ。
物や金を欲しがるのも、幼稚な感情に引っかかっているせいだ。物欲と科学の探究心とは違う。
地位や名誉にすがるのも、実力がないせいだ。自分の実力のなさを、インチキな偉さで補おうとしているのだ。
心の中にある悪い感情が働かなくならないかぎり、超能力を使うことはできない。
[1913] どうしてテレビは私を真似ているのか? h17.8.24
アニメやニュース番組やバラエティなどには、私の物まねが出る。
いまだかつて、こんな状況に置かれた人間はいない。
私が世界初のケースとなる。
よって、私の反応を観察するためだ。
私がおかしな反応を見せれば、それは貴重な記録になる。
気でも狂えば、大笑いだ。
たとえ、‘黒い穴’や‘自転車のこかし合い’のような私しか知らないことがあっても、
それは幻聴や幻視を駆使すればできないことではない。
つまり、それらは“人間業”だ。人間がやろうとすればできることである。
今の私が、絶対人間にできないことがやれないかぎり、私が神である証拠にはならない。
[1914] なにもない! h17.8.26
最近は、なにもすることがないどころか、
考えることすらない。
いつも、ポケーとしている。
[1915] 現人神の生まれる条件 h17.8.26
母方の気が濃くて、父方の頭がよいと、
私のような子が生まれやすい。
[1916] 格好付け(伊達こき) h17.8.26
私は、服装や髪型には無頓着なほうだから、
これからの時代は、みんなが格好付けない時代になるかもしれない。
しかし、個人の服装や髪型の自由は認めるから、
自分が格好付けたければ、それだけの十分な理由の考察と堅固な意志の力でそうすればよい。
他人の目に頼ってはいけない。
[1917] どうして私は先生になりたくなかったのか? h17.8.26
多かれ少なかれ他人の‘見本’でないといけないからね。
そういう‘立派な’のは私は好きじゃないんだ。
参考)どうして私は汽車の運転手になりたくなかったのか?
汽車でも1時間以上乗ると乗り物酔いするから。
この前の盆休み、乗り物酔い止めのアンプルを飲んでても、高知から岡山へ戻るとき阿波池田辺りでかなり気分が悪かった。
『先生』も『汽車の運転手』も、私が小学生中学年ごろ、母親が私に勧めた仕事だ(もち、国営の)。
(私のやりたくない仕事ばっかり言うなっちゅうの!)
[1918] どうして麻薬はいけないのか? h17.8.26
実在哲学では、基本的には楽しければ何をやってもいい。
それでは、なぜ麻薬は楽しいのに悪い(やってはいけない)のか?
それは、麻薬には生理的に禁断症状という副作用があって、それが苦しいからだ。
それに、麻薬のために仕事や勉強が手に付かず生活全体が犠牲になり、人生全体が苦しみに満ちたものとなるからだ。
つまり、麻薬によって一時的に得られる快感よりもあとになって味わわねばならない不快感のほうがずっと大きいから、麻薬はやってはいけないのである。
将棋の読みと同じだ。
同様に、オナニーによって得られる一時的な快感よりも、あとでオナニーのせいで精神分裂病にかかって得られる不快感のほうがずっと大きいから、オナニーをやってはいけないのである。
[1919] これは夢じゃないのかしら? h17.8.26
私が神様だと!?
マンガの読みすぎか、アニメの見すぎだ。
神様がくれた天罰なのだ?
いい歳してアニメばっかり見ているのが悪かったのかな?
[1920] アルバムを見て h17.8.26
この前の盆休み、高知の実家に帰って、私の子供の頃のアルバムを見た。
生まれたての頃は、股脱と斜頚を患っていて表情も苦しそうだった。
でも、1歳2ヶ月で歩き始めていたから、普通の子とそんなに変わりなかったので、安心した。
2歳までは鴨部に住んでいて(そこでは、ガラガラが動いていないのに、突然ガラガラの音が聞えることがあったと母から聞いたことがある。)、足と首の治療のために鴨部から升形の病院まで母親に背負われてほとんど毎日電車で通院していたそうだ。
2歳のときに、朝倉の県営住宅23号に引越しして、そこで中学3年の夏休みまで暮らした。
昭和41年4月(2歳2ヶ月)に高知で南国博覧会があったとき、博覧会第4会場防衛科学館のジェット機や戦車の前で母親に抱かれた写真があったのだが、今の私には全然憶えがない。
こころなしか、2歳6ヶ月の写真の顔が凛々しく見える。
昭和41年9月(2歳7ヶ月)には、鏡川や若草町県営住宅の遊園地の滑り台で父親と遊んでいる写真が多数あったが、これも憶えがない。インスタントラーメンをかっ込んでいる写真もあった。
昭和42年1月には、弟が生まれて、弟と私が一緒に写っている。私が泣きじゃくっている写真があったが関係ない。
昭和43年1月(4歳)若草町県営住宅のブロック塀(スイートミント第2話に登場)で私と浅野先輩と野本さん?の3人が横に並んで撮ってもらった写真がある。このときの記憶は、今の私にはっきりある。つまり、私の脳がいじられたのは4歳以前のことであると断言できる。車のプラモデルを作っている写真もあったが、これも憶えがある。若草幼稚園に入ったのもこの頃で、入園テストの算数の問題のことは憶えている。つまり、今の私には4歳以降の記憶しかない。高知学芸高校で同級生だった川本君は、キャプテンウルトラのバンデル星人(S42年4月16日)を憶えているから、3歳ぐらいから記憶があったわけで、私とそんなに大差ない。
昭和43年9月(4歳8ヶ月)には宇佐の海岸でワルサーP−38のTシャツを着てポーズを決めている写真があった。
よく見ると、2歳以降の写真には、右眉の内側に何かに押し当てられてできたような皮膚の窪みが、額には火傷のような皮膚のただれらしいものが認められる。(古い白黒写真なので、よくわからない。今の私には、おでこの窪みやただれはない。)つまり、私の脳がいじられたのは2歳以前のことだと推定される。今度高知に帰ったら、額の窪みとただれがいつできたか詳しく調べてみよう。(私が高知から持ち帰ったアルバムには、2歳以降の写真しか載っていない。)
[1921] 誘導 h17.8.27
20年ぐらい前、私が九大医学部を受験するために、健康診断書が必要なので、高知市上町2丁目の細木病院に行った。
そこで、待合のとき3〜4人のお年寄りが廊下で「入院しているとお金が要らんき、病気で入院したほうがお金が溜まってお金が儲かる。」と嬉しそうに話していた。
お年寄りのずるいやり方に私は少し腹が立った。
その後すぐ、医療費の自己負担率が2割から3割に引き上げられた。
[1922] 問題を解く喜び h17.8.28
問題があるうちは苦しい。
問題と戦うことに喜びがある。
問題が解けたら、問題と戦う喜びもなくなる。
問題が解けた後は、何もない。
[1923] 神はいる。☆☆☆ h17.8.28
この宇宙を造りこの宇宙を支配している“神”と呼ばれる者がいる。
私自身は神ではないが、神と関わりを持つ者である。
神はいつも私(私の哲学日記)を見ている。
神は私を気に入っている。
だから、神がプロデューサーや監督に命じて、私がアニメやニュース番組やバラエティーや映画に出たりするのである。
『単独者(独りで沈思黙考する者)は神の前に出で立つ。』(キルケゴール)
[1924] どうして私は医者を辞めたか? h17.8.31
医者をやることによって『手に入る』ものは、医学的知識とお金だけである。
ところが、私の心には、お金の喜びがないし、医学的知識は汚いので、医学を学ぶことは私の心にとっては苦痛にほかならない。
つまり、私が医学をやることによって『手に入る』ものは、医学を学ぶ苦しみしかない。
だから、私は医者を辞めたのだ。
医者を辞めた後、一浪して私は同じ九州大学の物理学科に入った(28歳のとき)。
(福岡は水がうまいし、魚介類は新鮮だし、焼鳥やチャンポンがおいしい。)
けっきょく、私は大学院に進まず、物理学者への道を諦めたが、大学での4年間は物理学を学ぶ喜びが『手に入った』ので、十分満足している。
[1925] 私にとっての仕事とは? h17.8.31
仕事することによって『手に入る』ものは、お金だけである。[仕事は自分の趣味とかでするものではない。]
お金は自分の生活を支えるために必要だから、仕事も必要である。
生きるためには仕事をしないわけにはいかない。
でも、仕事は“なにかひとつ”あればよい。
余暇の喜びを大事にしたいので、一定の収入が得られさえすれば、仕事は短時間で楽なほうがいい。
できれば、何も仕事をしないで、お金だけ『手に入る』のが一番いい。
[←→日本人は、なにかに理屈をつけて、自分の考えや行為を正当化(いわゆる、いいわけ)しようとするのがいけない。肝心なのは、理由よりも結果だ。行動の結果、何が『手に入る』かが大事なのであって、自分の思考や行為の正しさを証明することが大事なのではない。]
[1926] Windowsとは? h17.9.2
パソコンの黎明期の頃、私はアップル社のパソコンに憧れていた。
ゲームソフトが豊富だったからだ。
マウスがかっこいい。
でも、値段が高〜い。(40万円ぐらい。当時の国産の2倍もした。)
それから約10年後、Bill Gates氏がWindowsを発表された。
[1927] 同人誌の作り方 h17.9.2
まず、元になるアニメやマンガのキーワード(じつは必殺技とか魔法の呪文とか見え透いたものだ)を勉強しながら探す。
それを掴んだら、それらのキーワードをちりばめてストーリーを作る。
人間の脳はそれほど複雑な情報処理ができるわけじゃない。とりわけ同人誌なんか読む連中は。
はっきりとわかるのは言葉だけだ。絵はぼんやりと見ているだけだ。
だから、実際には絵よりも言葉のほうにインパクトがあるので、
言葉だけきっちり同じにして、絵は適当に似せて描けば、それで同人誌(パクリまんが)の出来上がり。
(要するに、言葉を前に絵を後ろにして描け。)
[1928] 双対原理 h17.9.3
人間は(神も)、実在についても自分の心についても自分の知覚で理解する。
実在についての誤解が分裂病で、自分の心についての誤解が躁鬱病である。《双対》
実在の誤解の原因は現象性五感(性感)にあり、
自分の心の誤解は、自分の心について自分が正しく考えないことにある。例えば、((自他の違いを無視して))自分の心についての他人の誤解(友人の勧め)を鵜呑みにすることである。
[1929] 私は赤ちゃんの頃何ができたか?! h17.9.4
この夏高知の実家へ帰って、私の昔のアルバムを見たが、赤ちゃん(0〜2才)の頃の私は一見して普通の子と同じであった。とても大学教授のように数学や物理学ができるようではなかったし、大人びた態度で国会議員に話しかける様子でもなかった。ただ、‘ほんのちょっと’普通の子にはない超能力が使えただけであったのだろう。
私がかなり小さいとき薫的のおじいさん家の縁側で何かができたような気がする。
小学生のときに読んだ『雨はどうして降りますか?』はわかりやすい良い本だったが、ただ一ヶ所自転車が倒れない理由の説明に、“慣性モーメント”という子供にはわかりづらい概念が用いられていてウンザリした。h28.2.4追記)走っている自転車が倒れないのは、走っている自転車が傾くと傾きと反対に向きに遠心力が働いて自転車が倒れないようにするからである。それなのに、『雨はどうして降りますか?』の本には「慣性モーメントのためだ」と書いてあった。それはこの本のまちがいである。子供の頃の私もなんとなくまちがっていると思っていた。
高知限定の『松岡のかまぼこ』のCMでかわいらしい女の子が宙を舞うようにクルクルと回っていた。
私が小学4,5年生の頃、妹が生まれて母が内職をしていた。YKKのファスナーのチャック(スライダー)を作る仕事だった。重たい鉄の輪を手で引いて回してチャックの金具を閉じるのだ。私も時々母の代わりをして手伝った。
高知出身の円ひろしの歌も『飛んで回る』と言っていた。
アニメのスクールランブルの歌も「クルクル回る」と言っていた。
赤ちゃんはあまり動けないから狭い所でもできる運動に限られる。
そうなると、回転運動しかない。
空を飛ぶことはなかったろう。
したがって、
私は赤ちゃんの頃『板のようなものを手を使わずに回すことができた』と考えられる。
だから、神様だと言われるのだ。
[1930] 本当に大事なことは… h17.9.4
赤ちゃんの頃の私は普通の赤ちゃんとほとんど同じで、ただ‘ほんのちょっと’板を回すような超能力が使えただけだ。
だから、“神”(または“現人神”)だからといって絶対に正しいわけではない。全知全能なんてとんでもない。
‘ほんのちょっと’超能力がある以外は普通の赤ちゃんと同じだ。
心が善いのでも、頭がよいのでも何でもない。
たとえ“洗礼”(電気ショックで脳の神経回路を焼き切ること)を受けなかったとしても、やはり思春期には分裂病にかかって同じことになっていただろう。
この夏高知の実家に帰りついて昼ごはんを食べた後、すぐ旅の疲れで昼寝した。
寝言で「それやったら、お父さんが早(はよ)う教えてくれとったらよかったに…」と言ったところで眼が覚めた。
私にとっては、「私が神である」ことよりも、『オナニーをすれば分裂病にかかる』ことのほうが、よっぽど(100倍)大事なことなのだ。
[1931] どうして手を使わずに板が回るのか? h17.9.4
私の母には身体の周りに濃い気がある。
赤ん坊の頃の私は、母を真似て自分で濃い気を発生して、その濃い気を粒子線(ビーム)にして板に当てることによって板を回し続けることができたのだ。
感覚子にも運動量があり、ある特定の感覚子は板と相互作用できるのだ。(あるいは、感覚子が空気分子と作用して、風を起こすのだ。)
[1932] 感覚器の生成する世界 h17.9.5
眼や耳(視覚や聴覚)などの実在性五感からは、知覚に実在性イデアが生成され、知覚界において実在が捉えられて、その知覚された実在と複合して心が働く。
一方、性感や子宮内膜感などの現象性五感からは、知覚に現象性イデアすなわち非実在性イデアが生成され、知覚界において実在が捉えられず、その知覚された実在でない世界と複合して心が働く。[だから、心が変になる。]
女性には男性にはない子宮内膜感があるために、知覚界において非実在性イデアが生成され、それが知覚界における実在認識を妨げるために、女性は理科系の科目が不得意なのである。
男でもオナニー(自分の性感を刺激)する者は、女性と同様に知覚界において非実在性イデアが生成されて理系が不得意になり、文系に行かねばならないのである。
心の働き方を左右するのは、感覚器によって知覚界の中に生成された実在性あるいは非実在性イデアであるから、どの感覚器を働かせるかが一番大事なことである。
人間には、視覚や聴覚などの通常の五感のほかに、いまだ知られていない未知の感覚が備わっているのかもしれない。
[1933] 言葉の勉強 h17.9.5
無口で他人と話す習慣がない者は、せめて日記でも書け!
[1934] セックスに関する法律 h17.9.6
セックスは出産のためだけにすること。[なぜなら、性感は分裂病の原因だから。]
セックスを性欲や愛情の満足のためにしてはならない。
愛情を満足させたければ、ほかのことでせよ。
(もちろんオナニーもしてはいけない。)
[1935] 鬱病の原因 h17.9.6
自分のやっている仕事や勉強が自分の心と合っていないから。
そもそもの原因は、これまで自分が用いてきた感覚器から生成された世界と大きく異なる世界に、自分が踏み込んでしまったからである。
[1936] 超能力の値段 h17.9.6
自分がどの感覚器を使い使わないか、自分がどの考えをし考えをしないか、自分がどの感情を働かし働かさないかは、本人自身の問題であって、他人が決められるものではない。
自分の感覚器、自分の五感、自分の知覚や自分の心は自分のものであって他人のものではない。
自分の眼玉を他人に潰されたり、自分の手足を他人にへし折られたりしてはたまらない。
眼には眼を歯には歯を。
私には“お金で他人の作った物を買う喜び”がないから、いくらお金を貰ってもちっとも嬉しくない。[このことは、私が医者をやってみてわかった。]
したがって、私が超能力を失って得た不幸と同じ不幸を他人に(国に)与えねばならない。
ただし、私の超能力が『板を回す』ことだけだったら、只にしてもかまわない。
[1937] 医者にとっての喜びとは? h17.9.6
『理由よりも結果だ。自分の思考や行動の結果どんな喜びが得られるかが大事なのだ。』(←[1924]、[1925]より)
たとえ薬の作用機序がわからなくても、その薬を用いて病気が治り健康になるなら、それは他人にとっても自分にとっても幸福なことだ。
私が医学を勉強した実感では、医者に“物事を理解する喜び”はない。ただ、医学を学んだ結果として、患者の病気が治り患者が健康になることは、患者だけではなく医者にとっても幸福なことだ。
しかし、これでは『眼先の喜び』しかない。
私には結果として得られる『眼先の喜び』だけで『物事を理解する喜び』がないのには耐えられない。実際、『物事を理解する喜び』がなく、結果として得られる『眼先の喜び』しかない者は、知覚の喜びがなく五感の喜びしかないので、お金で高級な物を買う喜びだけが生き甲斐な者となるであろう。[人間性がない。]
[1938] どうして私はつまらない仕事をしなければならなくなったか? h17.9.6
理由は私が高1の1学期に分裂病に罹ってしまったからである。
それからというもの、何をやってもうまくいかない。勉強や仕事どころの問題じゃない。
私が分裂病に罹ってしまったのは、私が親から『性感が分裂病の原因である。』ことを教えてもらわなかったせいである。[親は他のことに気がとられすぎて、『性感が分裂病の原因である。』ことにまで気が回らなかったせいかもしれない。あるいは、神が絶対に正しく決して間違いを犯さないものと決め込んで油断していたせいかもしれない。]
子供には経験がないから、『性感が分裂病の原因である。』ことはわからないし、わかってしまったらもはや手遅れである。
子供が分裂病に罹らないのは、多かれ少なかれ親が『性感が分裂病の原因である。』ことを知っていて、親が子供にそのことを教えてやったからである。
学校は教科書の知識を教えるところであって、道徳や一般常識を教えるところではない。
したがって、
今の私がつまらない仕事をしなければならなくなったのは、私の親に責任がある。
これまでの人生はつらかった。これから先、死ぬまでずっとだ…。
[1939] 準真理 h17.9.6
真理とは、自分自身の経験に基づく正しいと考えられる認識(命題)である。
しかし、実際には、自分自身の経験に基づかない、他人から教えられたおそらく正しいだろうと考えられる認識がある。
それを準真理と呼ぶ。
例えば、私の親が私に「お前は神だった。」と言ったとしても、それを今私の眼の前で実証する出来事が起こらないかぎり、それは準真理にすぎず、真理とはなり得ない。
準真理は真理ではないが、実際には準真理が頭の中にいっぱいあって、それを用いて考えることも多い。
準真理も、人間が善く生きるためには必要不可欠である。(例、『性感が分裂病の原因である。』、『麻薬は人生をダメにする。』など)
[1940] ラジオの深夜放送 h17.9.7
ラジオはテレビよりも規制がゆるいから、かなりHな内容でも流せる。
私もHな内容を流すなとは言わない。面白かったから。
「Hな内容を流さない」ことよりも、
『どうしてH(性感)がいけないかを子供たちによく理解させる』ことのほうが重要なのだ。
「性器が子作りのためにある」と奇麗事を教えるのではなく、
『性感が分裂病の原因だからしてはいけない』と汚い事を教えるのだ。([1934]参照)
これは人生で一番大事なことだから、親まかせなんかにするよりも、
きちんと小学校1年生から義務教育にしたほうがいい。[大事なことはいくら教えても教えすぎではない。]
正々堂々と学校で教師が生徒の前に立って教えろ!
一般常識をおろそかにしないためにも、試験を課したほうがいい。
Hさえしなければ、(多少の苦手科目はあるにせよ)誰だって頭が良くなるはずだ。
[1941] 本当の厳しさ h17.9.8
親が厳しいことを言うよりも、
親が何も言ってくれないほうがもっと厳しい。
[1942] 医者の世界と物理学者の世界(鬱病の理解のために) h17.9.9
五感では見えないが、知覚で見えるものが実在する。
五感界しか見えない者にとっては見ただけで終わりだが、
実在が五感を超えた所にあるのを知っている者は
知覚で考えた世界のほうを実在だと見なす。
…
つまり、医者(生物学者)の生きている世界は前近代的な論理性のないアリストテレス的な世界であり、物理学者の生きている世界は近代以降の論理性のあるガリレオ的な世界である。つまり、医者は五感界の中で生きているが、物理学者は知覚界すなわち実在界の中で生きている。
心は世界と複合して働く。
したがって、医者の心は五感界の中に喜び悲しみがあるが、物理学者の心は知覚界≡実在界の中に喜び悲しみがある。
だから、物理学者肌の者が医学をやると満足できず、反対に医学者肌の者が物理学をやっても満足できない。
鬱病の原因はここにある。
つまり、喜び悲しみの質は人間一人一人違っており、自分の心に適した世界の中でのみ人間は(喜び悲しみは共にあるが、広い意味で)幸福に生きられるのだ。
あいにく、私の心は最後まで医学を受け容れることはなかったが、医学が結果よりも理屈を優先すると治る病気が減るので知覚よりも五感を優先するやり方が医学的問題の解決においては有効なのである。つまり、理屈よりも結果のほうが大事な場合があるのだ。薬はわけがわからなくても効きさえすればよい。反対に、物理学的問題においては、深く物事の理由を考えるほうが有効なのである。したがって、医学者はたとえ論理がなくてもいろんな雑多なことを記憶する能力に長けており、一方物理学者は記憶は弱いが、抽象的概念的理解や論理的思考に長けているのだ。医学者が得意とする問題と物理学者が得意とする問題は違っており、医学者と物理学者のどちらが有能であるかは、取り組む問題によって決まり一概には言えないのである。
…
心が医学者肌になるか物理学者肌になるかは、
生まれや育ちによるし、他人によっても自分によっても決まり、実在(周りの環境)によっても心によっても決まり、一概には言えない。
ただ、ひとたび医学者肌、物理学者肌になったら、
容易に他に変わるものではない。
自分でそれ(自分の性格)がわかったら、あとはひとすら前進あるのみ。
[1943] 文学と科学 h17.9.10
文学とは、心を描くことだ。
科学とは、実在を描くことだ。(医学は五感的で、物理学は知覚的だ。)
人は、心と物の両方が見えていないと生きていけない。
…
文学とは心を表現することである。
文学は実在を表現することではない。
文学は非実在の空想の世界を考えて作り出すことである。
一度どれかのタイプに決まったら、容易に他には移れない。
自分と親和性の高い世界がわかれば、その世界の中に居続けることが大事である。
例えば、私の場合、実在と論理が好きだから、私の気質は物理学的なわけである。たとえ、アニメやマンガを見るときでも、私は空想的よりも実在的な味のするものを好むのだ[実在主義]。だから、私は実在しない巨大ロボットが出てくるような空想的なアニメは見ないのである。
[1944] 私の場合 h17.9.11
女の子は空想的な作り話が好きだが、私は男だから実在を択る(とる)。
私は子供の頃から科学や数学が好きだったし、眼で見えないものの存在を認める(考え事が好きな)ほうだから、
私の心は物理学者肌である。
[1945] 神の構造 h17.9.11
超能力的部分だけが非凡で、他の部分は普通の人と同じだ。[それなのに、親はなんとなしの神のイメージで子供が完全だと勘違いしたために、子供に対して甘く自由にしすぎて子供をダメにしてしまった。]
[1946] 宗教 h17.9.11
自分が幸福になるために入るのであって、幸福にならなければ入る価値はない。
[1947] かわいい女 h17.9.11
いくら真面目で実在的でも意地汚いのでは、空想の作り話で喜ぶ女のほうがずっとかわいい。
[1948] 見る物より物の見方が支配的 h17.9.11
医者と作家とは近いし、数学者と物理学者も近い(気が合う)。
したがって、人間の成長に伴う分化は、まず五感的か知覚的かで分かれ、次に空想的か実在的かで分かれる。
分類 | 五感型 | 知覚型 |
空想的 | 作家 | 数学者 |
実在的 | 医者 | 物理学者 |
対角線同士は気が合わない。
数学者と医者とは気が合わない。
作家と物理学者とは気が合わない。
[1949] 最終定理 h17.9.12
私が女性と結婚して子供を作らないのは、私がお母さんを好きだからではなく、本当は生まれてくる子供が不幸な思いをするのがかわいそうだからである。
人間はこの世に生きているかぎり不幸な思いをする。
人間が不幸な思いをしないためには、心を荷っている大脳を消し去ればいい。
原子爆弾を落として人類を皆殺しにすれば、もはや誰も不幸な思いをせずにすむ。
地球上から人類がいなくなっても、宇宙全体にとっては蚊が刺したほどにもない。
(寝ている間に原子爆弾落としてくれたら、楽に死ねるのに。)
[1950] パスカルパンセ h17.9.12
『思惟は宇宙を呑み込む。』ほどではない。
ただ人間が自分の頭の中に実在の簡単な似姿(モデル)を作るだけだ。
[1951] 数学 h17.9.12
物理学者が頭の外にある実在を対象にするように、
数学では、(他の)数学者の頭の中にある構造体が対象なのだ。
物理学でも、(他の)物理学者の頭の中にある構造体を対象にすることがあるが、
そもそもは頭の中にある構造体と頭の外にある実在する対象(物体)とが実験や観察によって対応付けられているのだ。
[1952] ふたつの公家 h17.9.12
日本には表の公家と裏の公家のふたつの公家がある。
表の公家は、テレビや新聞でよく見る天皇家。
裏の公家は、何のためにいるかもわからない一族。
裏の公家は、エスパーではないかとも言われているが、
じつは特に取り柄もない普通の人。
超能力も洗礼も、さもあったかのようで、
じつはなにもなかった!
全部、テレビの上の作り事だ。
[1953] 夢とは何か? h17.9.15
未来のことは想像できるだけで、実際には今はまだ感じられないから、未来のことでは淡い幸福感があるだけで幸福を実感することはない。
人間にとっての幸福は、自分の過去の記憶や今現在感じている幸福だけしかない。
したがって、『夢』を頼りにして今を生き抜くことはできない。
今の瞬間瞬間の喜びを大切にして生きるほうが後腐れがなくていい。[だから、私は賭け事はやらない。]
[1954] 心 h17.9.16
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心は世界観(五感界+知覚界)と複合して働く。 知覚界に現象性イデアが湧くと、人間の心や神の心(超感覚器や超運動器)が瞑[つぶ]れる。 |
[1955] 気狂[きちが]い h17.9.16
気を発生するのは心だから、気狂いとは、性感によって生成された現象界(現象性イデアに冒された知覚界)や自分の心から外れた世界への迷入([1942]参照)によって心の働き方が狂っていることだ。
[1956] 双対[そうつい]原理 h17.9.16
人間の心には『考える喜び』の感情がある。
それなのに、大勢の者がその感情を満足させていない。
そういう連中は「金で物を買う」喜びしかない。
人の心に『考える喜び』があることを“知っている”者は、数学者か物理学者になるしかない。
物についての法則が物だけで決まり心によらないように、心の中にどんな感情があるかは心だけで決まり、心と複合する世界によらない[双対原理]。
心に暗い者は物にも暗く、
心に明るい者は物にも明るい。
(追加)人の心には『考える喜び』(すなわち知覚が活動すること自体の喜び)があるが、その他に五感界や知覚界と複合して働く感情(物やイデアの上の感情)もある。[物の上の感情とは、眼で見える物に関する感情。一方、イデアの上の感情とは、眼で見えない物とか人の行為や動機(頭の中にある気持ち)に関する感情。]
[1957] どうでもいいことはあとまわし h17.9.19
今の私が幸福でない最大の原因は、前にも述べたように私の親が私に『性感が分裂病の原因である。』ことを教えてくれなかったばかりに、私が分裂病に罹ってしまったことにある。
私の分裂病が治らないかぎり、私が幸福であることはない。
私が幸福にならないかぎり、私事以外のことには手を出すつもりはない。
(たぶん治らないだろう。それなら、死ぬまでなんにもない。)
[1958] 生きることの意味 h17.9.19
自分が生きているのは、自分が幸福になるためである。
自分が幸福になれないなら、早く死んだほうがいい。
『自分が将来幸福にならない』かどうかわからない場合には、
『自分が将来幸福にならない』と決め付ければいい。(可能性が高いほうへの割り切り)
(死んでしまえば後悔することもない。)
[1959] 最終定理改 h17.9.19
私を“1秒以内に”即死させてくれるなら、原爆を使わなくてもいいです。いつ、どこでも、どんな方法でもいいです。
今の私を不幸にしたのは、私の親が私に『性感が分裂病の原因である。』ことを教えてくれなかったことだけだから、他人を巻き添えにはしたくない。
ダイナマイトに火をつけてくわえていたら、
頭が吹っ飛んで1秒以内に死ねるだろう。
そんなことぐらいやれら〜や
いったい、何年この世に生きてきたと思うとんじゃ
[1960] いかにして問題を選ぶか? h17.9.19
自分にとって解ける問題と解けない問題の2種類がある。
解ける問題は、易しすぎて問題にならない。
解けない問題は難しすぎるから、時間の無駄だ。
自分が取り組むべき問題は、この中間にある。
問題の難しさと自分の能力とを考え合わせて、自分が取り組むべき問題を選べばよい。
[1961] 超能力の正体は? h17.9.19
今日昼間バトルフィールド2で遊んでいました。
FU SHE PASS(私が住んでいた福岡市?)という所で遊んでいて、
機関銃を撃ったらカラカラという音がした。
これはガラガラの音ではないか!
(ガラガラといっても、手で持って鳴らすガラガラではなく、
天井から吊ってグルグル回るガラガラのことです。)
そういえば、私が小学3年生の頃、
お母さんから、私が昔鴨部に住んでた赤ちゃんの頃、
『ガラガラがひとりでに回って鳴り出す』ことがあったのを聞いたことがある。
この程度のことができれば天使などと言われるわけだ。
天使というから、赤ちゃんの頃から生まれつき持っていた才能のはずだ。
ただ、親がそれに気付くには多少時間がかかるのだろう。
[ ] 命令 h17.9.20
私が留守にしている間に、私の家の中に勝手に入るな。
[1962] 女の子は男の子よりも得か? h17.9.20
女の子には生理に伴う直接の不快感と、
生理によって生じた認識の歪みによる不快感がある。
女の子が楽しそうに振舞うのは、
楽しくないことの反動からするのであって、
楽しいからするわけではない。
だから、女の子は損である。
[1963] 理論と実践 h17.9.21
「熱がエネルギーである」と言っただけでは、高性能のエンジンは作れない。
高性能のエンジンを作るためには、もっと細かな知識や工夫がいっぱい要る。
同様に、
「性感は分裂病の原因である」と言っただけでは、分裂病は治らない。
もっと細かい知識や工夫がたくさん要るのだ。
[1964] 自分の心は自分でせよ。 h17.9.21
人の心は一人一人違う。
一人一人違う心をどうやって一律に満足するんですか?
それは、各自でやってもらうしかないでしょうが!
[もっとも、共通部分がないわけではない。だから、一律なことも言えるわけだ。]
[ ] 許可 h17.9.21
先代の超能力者(卑弥呼かだれか)が決めたきまりに従わなくても、私は罰したりはしない。
法律に触れない範囲で、自分の好きなようにすればいい。
[1965] 両親へ h17.9.21
たかが赤ん坊がガラガラを回したぐらいでいちいち騒ぐな!
それがいったい何だってんだ?!
バカバカしい。
本当だとしても、大したことじゃない。
大したことじゃないのに、いちいち勿体ぶって嘘をつくな!
まわりの連中が大げさに騒ぎ立てるからといって、まわりに踊らされるな!
自分の目で見てないがは、お前らのほうだろうが。
[ ] 命令 h17.9.22
私の自転車を損壊するな。
[1966] 私が欲しい物 h17.9.22
知覚で考える習慣のない者は、眼先の喜びしかない。
それで、髪や服装に関する感情しかない。
知覚で考える習慣のある者にも欲しい物はある。
しかし、それはどうしても必要になったときだけで、
それまでは特に欲しい物はない。
[1967] 本末転倒 h17.9.23
実力があって自然に出世するのはいいが、
逆に出世するために無理やり実力をつけようとするのはよくない。
[1968] 天使の輪 h17.9.23
電気ウナギのように、体内の筋肉で発電できる者がいる。
その電気を頭に集めて放電させれば光が出る。
つまり、天使の輪は、生体電気を使った静電放電による発光現象にほかならない。
[ ] 命令改 h17.9.24
管理人の許可なしに、私の部屋に入るな。
[1969] 子供に隠しても無駄。 h17.9.24
他人が教えなくても、自分で考え出すかもしれない。
だから、隠しても無駄だ。
[1970] 科学と宗教 h17.9.25
科学とは実在を知ることである。[哲学は、実在における人間の正しい生き方を追求することだから科学である。]
一方、宗教とはある特定の者の言葉を信じて(闇雲に正しいと見なして)生きていくことである。
神すなわち異能力者(常人にはない特殊な能力を有する者)の言葉は宗教の対象となり得ても、
神すなわち異能力者自身は科学の対象であって宗教の対象ではない。
[1971] 宗教と法律 h17.9.25
法律が宗教よりも優先する。[法律は、実在における人間の正しい社会的あり方を記述したものだから科学である。
一般に、科学が宗教よりも優先する。]
たとえ宗教がある特定の個人を殺せと命じても、
法律によって個人の命は守られる。
[1972] 私について h17.9.25
私は神であるかもしれないし、人でもある。
私には日本国籍があるし、税金も納めている。([1909]参照)
したがって、私は日本の法律で守られる。
[1973] 日記の意義 h17.9.27
自分の周りの五感界は眼で見ればわかるが、
自分の知覚界は言葉で表現しないかぎりわからない。
言葉で表現しないと、自分の知覚界にどんどん間違いが溜まっていく。
日記をつけることは、自分の知覚界をきれいに掃除することだ。
[1974] 貧乏の定義 h17.9.27
収入よりも支出が多いことを貧乏と言う。
収入の絶対値だけでは決まらない。
[1975] 美の条件 h17.9.27
無駄がないのは美しい。
でも、ケチりすぎて要るものまで足りなくなるのは愚かだ。
[1976] 言葉の意味とは h17.9.27
言葉の意味をよく知らないままで、いくら言葉をいじり回してもほとんどわかることがない。
だから、まず、言葉の蓋を開けて中身を確かめることが大事だ。
[1977] 自己表現とは h17.9.27
自分の(知覚界の中にある)言葉に自分の心を乗せることだ。
[1978] お母さん h17.9.27
この世に生きていてもほとんどいいことはなかったが、
そんな私にもたった一つだけいいことがあった。
それはいいお母さんに会えたことだ。
どんなに苦しいことがあっても今まで生きてこれたのは、
そんなお母さんがいたからだ。
[1979] 情報伝達の手段について h17.9.29
情報伝達の手段を、送受信ともに、
1)音声(電話も含む)
2)文字(書類、電子文書など)
に制限する。
テレパシー(幻聴、幻視)は認めない。いくらテレパシーで伝達する情報が正しくても、正式な情報伝達の手段としては認めない。
[1980] 私の日記の内容について h17.9.29
私の日記の内容は原則的に本気(マジ)である。
とくに冗談であることを強調したいときには、文の最後に(冗)を付ける。
[1981] 法律について h17.9.29
法律は各国民が長い年月をかけて改善してきたものだから、私はそれに口出ししない。
法律で律しきれない自由な部分についても、各個人の自由とし、私はそれに口出ししない。
例えば、100円ショップや本屋や家電ショップや昆虫ショップの設置を、各市町村に義務付けたりはしない。
したがって、私の日記における命令や許可は、私個人の生活を守るためである。
日記の日付をその命令・許可の施行日とする。
私も日本国民の一人として日本国の法律に従う。
したがって、私に対する刑法も適用される。
前に『なかまのチャット』で述べた治外法権は、私が外国に行く機会がないので、なかったことにする。
私のホームページに関する著作権の申し立てのある方は、裁判所に訴える前にメールや手紙などでご一報願います。
[1982] 弟のこと h17.9.29
弟は朝倉第二小学校5年生の頃から学校にも仕事にも行かず家の中でゴロゴロしてエロ本ばかり読んでいた。
しかし、弟から精液臭がしたことは一度もなく、精神分裂病に見られる幻聴とかもまったくなかった。
要するに、弟は純粋な不良であった。
このように、現象性イデアは性感だけから生成されるのではなく、他に視覚からも作り出される場合がある。
エロ本のような曖昧模糊性を含んだ写真や絵や文を見ることによって、知覚界に曖昧模糊な現象性イデアが生成されるのだ。
たぶん弟は、信者の友人からエロ本を無理やり見せつけられて(私もあった)、その世界にハマってしまい、不良化してしまったのだろう。
[1983] 役立たず h17.9.29
私のこれまでの経験によれば、友人も親も見え透いたことをするだけで、大事なことでは役に立ったためしがない。
例えば、『性感が分裂病の原因である』ことを誰一人として私に教えてくれなかった。
他人は私にとって役立たずだ。
他人は私の邪魔をするだけで、私を幸福にはできない。
だから、私にいっさい余計な手出し・口出しをするな。
[1984] 表現主義 h17.9.29
自分の言いたいことを言葉にしないで他人にわかってもらおうとするな。
自分の言いたいことはぜんぶ言葉に出して表現せよ。
反語や比喩を使わずに、ストレートに自分の思想を述べよ。
文末を曖昧にせず、最後まで自分の思想を言い切れ。
[1985] 教育改革 h17.9.30
マンガ喫茶やマンガ図書館だけでは物足りない。
思い切って、マンガを国語の教科書に取り入れたい。
[1986] 喜び h17.10.1
自分の心の喜びのわからない者に、他人の心の喜びはわからない。
だから、他人の喜びよりも自分の喜びのほうが大事なのだ。
[ ] 命令 h17.10.1
1)私のメガネを大至急(3日以内に)元に戻せ。最近誰かが私が寝ている間に私の部屋の中に置いてある私のメガネをいじったらしく、メガネのレンズの度が合っていなくて(やたらレンズの度がきつい、またはフレームが捻じ曲がっているか、私は眼鏡屋でないので詳しく知らない)、2、3日前から眼が痛い。私は仕事のときしかメガネをかけず、原則的に日常生活ではメガネをかけない主義なので、メガネを外したときに物が見えないと自転車で道路を走るときなどに危ない。今日は休日だったが、一日中物(とくにテレビ)がいつもよりぼやけて見えて見づらかった。メガネを掛けても外しても眼が痛い。これではたまらない。3日以内に直せなければ、私のメガネをいじった奴の両手の指を全部ちょん切れ(平成17年10月7日までに全部切れ、麻酔可)。
2)魔法瓶(タイガー社製)の注湯のとき空気が漏れて出が悪い。至急(7日以内に)元に戻せ。電動注湯が故障したのは私が中の穴に割り箸を突っ込んで引っ掻き回したせいだが、手動注湯に変えてから1ト月も経たないうちに湯の出が悪くなった。はじめの頃は問題なく手動で注湯できていた魔法瓶が、ある日突然急に押してもプスプス空気が抜けて湯の出が悪くなった。3、4倍は押さなければならなくなった。以前使っていた魔法瓶は手動で3年以上問題なく使えたから、こんなに急に壊れるのは異常だ。家に置いてある同製品の魔法瓶は、手動が壊れたときのためだ。毎日使うので、完全に壊れて使えなくなったときのために念のため備えてあるのだ。
3)正露丸を弁償せよ。正露丸の大瓶に4分の1くらい入っていた正露丸が、コンピューターの上に置かれていたため瓶の中が結露して丸剤が湿ってしまい使えなくなった。私のコンピューターは筐体で放熱するので温度が高い。それで、コンピューターの上に正露丸の瓶を置くと、丸剤に含まれている水分が蒸発して瓶の内側に水滴として付着して、それが丸剤を湿らせて傷めるのだ(使い物にならない)。弁償は、正露丸の小瓶1瓶(箱入り新品)とする。私の1階のポストの中に入れて置け(7日以内)。
[1987] 「お金が欲しい。」 h17.10.3
「自分の欲しいものはお金」という言い方はよして欲しい。
お金ではなく、もっと隠さず具体的に言え!
人前で言えないようなものなら、欲しがるな!
[1988] 勉強は何のためにするのか!? h17.10.3
勉強で何が得られるかではなく、
勉強すること自体を大切にせよ。
[つまり、勉強してその結果得られるお金や地位で喜ぶのではなく、
勉強すること自体の喜びを大切にしよう。]
[1989] 母と父 h17.10.3
今年の盆休み、私は母と父に「自分は幼少のころ神だったか?」と尋ねたが、母も父もともに「ない。」と答えた。
いよいよ明日高知を発[た]とうとする前の日に、母と父が私に言った言葉は、
母「マンガ(アニメのこと)ばっかり見てないで、ちゃんと仕事に行きよ」
父「なんのためでぇ?」
であった。
母の言葉は、人間は実在に則して生きていかねばならないことを、
父の言葉は、人間は人の心(眼先のお金や地位などにとらわれない気高い心)を大切にして生きていかねばならないことを教えている。
母と父の二人がいれば必要十分だ。
[1990] 神の構造(その2) h17.10.4
神には、超能力器官が備わっているが、それ以外の知覚、心、五感については普通の人と同じである。
とくに知覚が同じだから、普通の人と同じように、神の考えたことが必ずしも正しいわけではない。ときどき間違いを犯す。だから、神の言葉が間違っていると考えられる場合には、神の言葉に従わなくてもよい。[すでに、ガリレオのころからそうなっていた。]
また、心についても普通の人と同じだから、とくに神だからといって“気高い”わけではなく、善悪の両面をあわせ持っている。だからこそ、神でも人でも自分の心の中にある感情の善悪を見極め、善の感情を積極的に働かせ、悪の感情を抑えなければならないのだ。
[1991] 人間中心の社会 h17.10.4
ガリレオが神の言葉に逆らったにもかかわらず、2〜3日投獄されただけの軽い刑ですんだのは、すでにガリレオのころから人間中心の社会になっていたからである。
それで、私は幼少のころ神(つまり、超能力者)だったのだが、人間中心の社会にとって神の存在は邪魔なので、私を殺すか私の超能力を奪うかしなければならなかった。私の母と父は私を殺すのはあまりにもかわいそうだったから私の超能力を奪うことを認め、私の脳に電気ショック(あるいは打撃)を施すことに同意した。そして、母と父は私を『普通の子と同じように育てていく』ことを国に誓った。
しかし、国はそうしなかった。私が和田君の交通事故をきっかけに高知大学数学科を中退したあと他大学への入学のため勉強していたとき和田君の家へよく話しに行ったが、こともあろうに和田君は私に医学部に行けと勧めた。これは長年私と付き合ってきて私が生物学を苦手とわかっている者にははなはだ不自然な発言である。私が医者向きでないことは、私の学力テストの成績(生物学と社会科はいつも50点未満)や私の性格(人付き合いが悪い)がわかっている者にとっては明らかなことである。おそらく和田君は、何者かの指示に従って私を医学部に行くように差し向けたのだろう。それは長年私と付き合ってきた和田君の本意ではないと私は信じる。私を『普通の子と同じように育てる』のであれば、私を和田君以外の者の指示で誘導することは意に反している。この点に国の態度の矛盾があると私は考える。私の両親を無理やり説得して私の神性(超能力のこと)を奪って私を普通の子と同じにしておきながら、その裏で私の周囲の人を操って普通の子と違うことを私にさせようとする国の態度が矛盾があって汚くて私には許せない。
早い話、
どうせお前らのやれることは汚いくだらないことだけだから、そんなことで私を幸せになどとうていできるわけがない。
お前らのやることは邪魔になるだけだ。
[1992] どうして女は眼先のことしかわからないのか? h17.10.5
女性は思春期になると月経が始まり、子宮内膜の脱落感によって知覚界に現象性イデアが生じるために知覚の働きが鈍くなる。そのために五感で見えることしかわからず、五感界への心の囚われ(つまり、五感界と心の複合)が強いのである。
男でもオナニー(手淫)のしすぎで分裂病にかかると、知覚の働きが鈍り、眼で見たことしかわからなくなる(→若者文化)。例えば、数学の本を読んでも、字が見えるだけで言葉の意味がわからす、内容が理解できなくなる。
[1993] 実在的アニメの見方 h17.10.5
自分の実在における経験をアニメの世界に対応付けながら見る(男の見方)。
絶対に、この逆をやってはいけない。
[1994] 才能の価値 h17.10.6
昔は超能力の才能の価値が、奇抜で人目を引くので高く評価されていたが、科学や文学が芽生えてからは、それらの才能のほうが高く評価されるようになった。
超能力がしょせん一個人の才能だけに留まる(しかも、あまり生活の役に立たなかった)のに対し、科学や文学は人類全体の生活を便利で豊かなものにしてくれるからである。
超能力を人知を超える“神の御業”と見なして恐れ奉るのではなく、それを科学の対象として冷静沈着に捉え、その機構(メカニズム)を明らかにできれば、科学や文学のようにいつかは超能力が人類の生活に貢献できる日がやって来るかもしれない。
[1995] 国の補償について h17.10.6
私の現在・過去・未来の幸不幸を左右する最大の要因は私の分裂病であって、私が神(超能力者)であることではない。
しかも、私の分裂病の原因は、私の親が私に『性感が分裂病の原因である。』ことを教えなかったことにあるのであって、国が私の神性(超能力)を奪ったことにあるのではない。
つまり、私の分裂病に較べれば、私が神(超能力者)であることなんかどうでもいい。
したがって、国は私の神性を奪ったことに対して、何の補償もする必要はない。[むしろするな。どうせ私を幸福にするほどのことはできないのだから。これまでだって幸せにしたためしがない。お金を貰ったのは、私が31歳の九大物理学科4回生の春何かの奨学金と言って小田垣教授から4万円貰った一回きりだ(どうせ、私が福岡から高知へ帰るとき予土線に乗って四万十川[しまんとがわ]が見えたので、“4万と川”で洒落ているのだろう。)。あとは親の仕送りと自分の稼ぎだけだ。]
たとえ、どんなに補償してくれても、私の分裂病が治らないかぎり、私はちっとも嬉しくない。
したがって、国は今後、私に対して何の責任も負わず、何もしなくてよい。[たとえ私の分裂病が治っても何もしなくてよい。ただし、税金を払っているから国民としての面倒は見てね。]
[1996] 読書と思考 h17.10.6
読書は暇さえあればいつでもできるが、
思考は暇があるだけではできない。
むしろ、暇のないときのほうが勝手に頭が働いてよく思考できる。
だから、そのとき考えたことを暇なときまで憶えておかねばならないのだ。
[1997] 神になる方法 h17.10.6
神とは超能力者のことだから、
神になるには超能力が使えるようになればいい。
超能力が使えるようになったら、あとは国の認定を受けるだけだ。
これで、あなたも神になれる。
(神になったからといって、別にいいこともないが。)
[1998] かわいさの本質 h17.10.7
人間の心にはかわいさの感情がある。
それを知覚界や五感界に表現することがかわいさなのである。
[1999] なぜ私には男らしさがないのか? h17.10.7
私の父は仕事一筋で、家事や子供のことには一切かまわなかった。
私は母親の姿だけを見て育ってきた。
母親だけが私の手本だった。
[女の子のことは女親にしかわからず、男の子のことは男親にしかわからないこともあるから、父親も私の面倒を見るべきだった。]
[2000] カント哲学 h17.10.8
カントの考えによれば、
イメージは後天知だが、イデアは先天知で、
人間は後天知に先天知を当てはめて見ているのだ。[もし、間違ってたら、ごめんなさい。]
一方、私の実在哲学の考えによると、
人間は先天知などいっさい持ち合わせておらず、
イデアはイメージから分析によって作り出されるのだ。
強いて言えば、心が先天知だが、心は知とは言わんよなあ。
子供の頃は、人間以外の物にも心があって、心の理解が最高知だと考えていたが。
前に図に描いたように、五感(イメージ)<知覚(イデア)<心(ハート)の順に理解が上がるのだ。
しかし、大学生頃になって、全面的に自分の考えを反省すると、
心と知覚とは独立(無相関、無関係)なことがわかった。
つまり、心の幸不幸や快不快と、知覚の真偽とは関係ないのだ。
もしかすると、ここの誤解で私が赤ちゃんの頃、神性(超能力)が発揮されていたのかもしれないが。
だから、大学生の頃に私が人間に戻った(魔法を返した)といわれるのだ。
赤ちゃんの頃は発生の名残りで、ある程度、新しい感情が作り出せるのかもしれない。
情深い五感従属型感覚界において、新しい感情(いわゆる物の心)が発生するのだ。
大人は(脳が硬くなって)もはや感情を作り出せないから、知覚や五感と心が複合するしかないのだろう。
その新しい感情と物の心が共感することによって、物が動かせるのかもしれない。[私が最近書いた超能力理論と似ている。]