[17701] 心で見るか頭で見るかの問題☆ h25.5.30
昔は文明が低くて昔の人は心で見ていたから「政府が上の者だ」と思って政府に従っていた。
今は文明が高くて今の人は頭で見ているから『人間がみな平等だ』と考えて政府に従っていない。
しかし、今でも心で見ている人は昔の人と同じように「政府が上の者だ」と思って政府に従っている。
それなら、昔でも頭で見ている人は今の人と同じように『人間がみな平等だ』と考えて政府に従いたくなかっただろう。しかし、昔は「政府が上の者である」ことが社会の原理だったので、しかたなくみんなに合わせて「政府が上の者である」ことを守って政府に従わねばならなかったのである。
反対に、今では『人間がみな平等である』ことが社会の原理になっている。だから、今では「政府が上の者だ」と思って政府に従っている者のほうがまちがっているのである。だから、今の人は政府に従わないことが正解なのである。
今でも政府に従っている者はまちがっている。みんなは政府に従っている者を見習ってはいけない。みんなはちゃんと今の社会の原理を守って政府に従わないようにしなければならない。

[17702] 政府には善悪の2面がある。 h25.5.30
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
ところが、今の政府は今の社会の原理に反している。政府は間接民主制をやって自分の好き放題にやっているから、政府は今の社会の原理に従っていることと従っていないことの両方をやっている。総[そう]じて、今の政府は今の社会の原理に反している。
だから、今の社会には政府があってはならない。
だから、みんなで政府を倒さねばならない。みんなは政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かないようにして、政府に税金をやらないようにして、政府を倒さねばならない。

[17703] 今の政府は今の社会の原理に反している。 h25.5.30
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
ところが、政府は間接民主制をやっている。政府は間接民主制をやって好き放題にやって『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。例えば、政府は国民から税金を取ったり、国家宗教で国民に命令したり国民を虐待したりしている。
だから、政府は今の社会の原理に反している。政府は今の社会にあってはならない。
したがって、みんなで政府を社会からなくさねばならない。みんなで政府の代わりに『人間がみな平等である』ことに従う政治機関を建てねばならない。昔と今では社会の原理が変わったから、当然政治機関も取り替えねばならないのだ。

[17704] 早く政治機関を替えねばならない。☆ h25.5.30
昔の社会の原理は「上の者がいる」「人間が不平等である」ことだった。だから、昔の社会には上の者をやる政治機関(つまり政府)があった。
今の社会の原理は『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことである。だから、今の社会にはみんなと平等にする政治機関がなければならない。
しかし、実際には、まだ今の社会にはみんなと平等にする政治機関がない。今の社会には昔と同じ上の者をやる政治機関(政府)がある。
だから、みんなは早く政府を倒して、みんなと平等にする政治機関に替えねばならない。

[17705] 『人間がみな平等である』ことは国民が政府と戦うための武器である。 h25.5.31
今ではみんなが『人間がみな平等である』ことを認めている。今では『人間がみな平等である』ことが日本の法律である。
だから、国民は『人間がみな平等である』ことを使って政府と戦えばいい。政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かないようにして政府を倒せばいい。
今の国民の多くがまだ『人間がみな平等である』ことを十分使っていないから、政府が倒せていないのである。
法律は使うことによって生きてくる。いくらいい法律があっても法律を使わなければ宝の持ち腐[ぐさ]れである。
国民の多くが『人間がみな平等である』ことを毎日使うようになれば、政府は滅ぶしかないだろう。

[17706] 法律は変わる。 h25.5.31
昔は「政府が上の者である」ことが法律だった。だから、政府が国民を好き放題にしていた。
今は『人間がみな平等である』ことが法律である。だから、政府は国民を好き放題にしてはいけない。
昔と今では法律が変わったから、政府がやれることも変わったのだ。
今では『人間がみな平等である』から、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かないようにして政府を倒せばいいのである。国民は政府を倒して、国民と平等な政治機関を建てねばならない。
政府の憲法は国の一番上の法律ではない。みんなが決めた「政府が上の者である」ことや『人間がみな平等である』ことが国の一番上の法律である。だから、今の国民や政府は今のみんなが決めた『人間がみな平等である』ことに従わねばならない。しかし、政府はしらばっくれて従っていない。政府は今の国の法律を犯しているから政府が悪い。みんなは早く『人間がみな平等である』ことを使って、政府を倒して政府をなくさねばならない。
たとえ政府の憲法が戦前と戦後で変わらなくても、みんなの法律は戦前と戦後で変わっている。だから、国民の政府に対する態度も変わっている。戦前の国民は政府に従わねばならなかったが、戦後の国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、今の国民は政府に従うのをやめればいいのである。
昔のみんなの法律は「政府が上の者である」ことだったから、国民は政府の命令を何でも聞いた。しかし、今のみんなの法律は『人間がみな平等である』ことだから、国民は政府の『人間がみな平等である』ことに従った命令を聞いて、政府の『人間がみな平等である』ことに反した命令を聞いてはいけない。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。

[17707] みんなの法律が変わると政治機関(法律会社)も変わる。 h25.5.31
江戸時代は「インドが上の国である」ことがみんなの法律(社会の原理)だった。だから、みんながインド方式の政治機関である幕府に従っていた。
明治時代は『ヨーロッパが上の国である』ことがみんなの法律だった。だから、みんなは幕府に従うのをやめて、ヨーロッパ方式の政治機関である政府を建てて政府に従うようになった。
それと同じように、戦前は「政府が上の者である」ことがみんなの法律だった。だから、みんなは政府に従っていた。
戦後は『人間がみな平等である』ことがみんなの法律である。だから、みんなは政府に従うのをやめて、みんなと平等な政治機関を建ててみんなと平等な政治機関に従わねばならない。
政府は上の者をやる政治機関であって、みんなと平等にする政治機関ではない。だから、政府は国民から税金を取ったり、国家宗教で国民に命令したり国民を虐待したりするのである。政府は「上の者」だから自分の好き放題にするのである。政府は今のみんなの法律(社会の原理)に合っていない。今の社会に政府があってはいけない。だから、みんなで政府を倒して、政府をなくさねばならないのである。
今の国民はみんなと平等にする政治機関に従わねばならないのであって、政府のような上の者をやる政治機関に従わなくてもいい。だから、今の国民は政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を無視して、みんなと平等に暮らせばいいのである。

[17708] どうして今の人は政治機関を替[か]えようとしないのか? h25.5.31
幕末の人は社会の原理が「インドが上の国である」ことから『ヨーロッパが上の国である』ことに変わったので、すぐに政治機関を幕府から政府に替えた。
それなのに、今の人は社会の原理が「政府が上の者である」ことから『人間がみな平等である』ことに変わったのに、いつまでたっても政治機関を政府からみんなと平等な政治機関に替えようとしない。
それは、今の人がテレビばっかり見ているからである。今の人がテレビばかり見ていて現実に関心がないので、政治機関のことなんかどうでもいいと思っているのである。今の人がテレビの中で暮らしていて、現実の中で暮らしていないから、現実の政治機関をほったらかしにしているのである。
しかし、そもそも今の人がテレビを見れるためには、現実の社会がうまくいっていなければならない。社会をうまくいかせるためには、今の時代に合った政治機関を選ばねばならない。今の社会は『人間がみな平等である』社会である。政府は「上の者をやる」政治機関である。政府は今の社会に合っていない。だから、みんなで早く政府を倒して、今の社会に合った『みんなと平等な』政治機関を建てて、その後でテレビを見ないといけない。
今の政府はテレビのおかげで生き残っている。政府はテレビに感謝しないといけない。みんなはテレビの見すぎだ。今は科学の時代だから、みんなは作り事よりも現実に関心を持たねばならない。みんなで早く物騒[ぶっそう]な政府を倒して、平和にテレビが見られる世の中にしないといけない。

[17709] 今では政府は行政をやってはいけない。 h25.5.31
政府は法律を作って、法律に基[もと]づいてみんなに命令を出して、みんなに法律を守らせることが仕事である。
法律を作るのが立法で、法律の違反者を取り締[し]まるのが司法で、法律に基づいてみんなに命令を出すのが行政である。
ところが、政府が法律に基づいてみんなに命令を出すことは、『みんなが自由である』ことに反する。だから、今では政府は行政はやってはいけない。
昔は「政府が上の者だった」から、政府がみんなに命令を出せた。政府は行政ができた。
しかし、今は『政府と国民が平等だ』から、政府はみんなに命令を出せない。つまり、政府は行政ができない。
今の法律会社は法律を作って、法律の違反者を取り締まることしかできない。つまり、今の法律会社はただの警察である。
しかし、政府はあいかわらず昔と同じようにみんなにいろんな命令をしている。『人間がみな平等である』ことに従う正しい命令や『人間がみな平等である』ことに反するまちがった命令を出している。『人間がみな平等である』意味がわかっていない者が政府の命令を聞いている。
政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなで早く政府を倒さねばならない。

[17710] 神の正体はただの人間である。 h25.5.31
神とは“科学で説明できない現象の近くにいた人”のことである。
例えば、神武天皇が野原でナガスネヒコと戦っているときに、突然“光る玉”が現れて、ナガスネヒコの大軍を焼き払って倒した。
私は生後1ヶ月の赤ちゃんの頃に、夜中に突然私の頭の上に吊[つ]ってあった“ガラガラ(ベッドメリー)が回った”。
神武天皇がいた当時の科学では、まだ光る玉は説明できなかった。私がいる当時の科学では、まだガラガラが回ったことが説明できなかった。そのために、みんなや政府は神武天皇や私を神だと考えた。
しかし、今日[こんにち]では神武天皇の光る玉は『プラズマ』だと考えられている。プラズマは神武天皇の上空にあった積乱雲から放射された電磁波によって発生した物であり、神武天皇はただ立っていただけである。神武天皇はただの人間だったのである。
それと同じように、私の頭の上に吊ってあったガラガラが回ったのも、『未来の科学』で説明できるはずである。現在の我々がまだ知らない物理的概念で説明できるはずである。だから、私もただの人間である。[私が最近YouTubeで見た『特命リサーチ200X』では「灯油ストーブがトラックの無線で点火する」事件が報告されていた。しかし、私のガラガラはゼンマイで回る物であって、電気的にスイッチが入る物ではない。おそらくゼンマイは切れていたから他から力が与えられない限り回らないはずである。だから、どうして回ったかは謎である。私は子供の頃に物を回すのが好きだったから、赤ちゃんの私がガラガラを回すことを頭の中で強く思って、そのことが母親にテレパシーで伝わって、母親が『ガラガラが回る幻覚』を見たのかもしれない。私も今から12年ぐらい前に母親が私のところに遊びに来ていて、最後の日に宝塚の駅前で私と別れるときに、私が母親が突然30年ぐらい若返った姿に変わったのを見てビックリした。だから、頭の中で思っていることが相手に伝わることはあるのだろう。そう考えれば、ガラガラが回ったことも説明がつく。]
神武天皇も私もただの人間である。神武天皇も私も神ではない。そもそも神なんかこの世にはいない。だから、みんなは神武天皇や私を神とする国家宗教をやってはいけない。

[17711] 政府は政府の憲法を守っていない。 h25.5.31
今の政府は国家宗教で国民を殺している。
ところが、日本国憲法第31条には「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と書いている。たとえ、“法律の定める手続き”が国家宗教のことであったとしても、日本国憲法第20条第3項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と書いている。だから、日本国憲法によれば、政府は国家宗教で国民を殺せないはずである。
だから、政府は全然憲法を守っていないのである。政府の憲法は国民を油断させるための嘘[うそ]である。
今の政府は自分の好き放題にやっているだけである。たしかに政府はちょっとは善いこともやっているが、大部分は悪いことをやっている。
政府は憲法をいいかげんに定めているだけである。政府の憲法は中学生程度の作文能力しかないいいかげんな作文である。政府は自分の憲法をいいかげんに定めているだけだから、政府は自分が作った憲法をまじめに守らないのである。
そもそも今の政府は昔と同じ「上の者」だから、現代的な法律会社ではないから、何でも自分の好き放題にやっているだけだから、政府にとっては法律はあってなき物に等しいのである。
要するに、今の政府は昔と同じ「上の者」をやっている。税金と間接民主制が政府が「上の者」をやっている証拠である。今の政府はみんなと平等にしていない。今の政府は『人間がみな平等である』今の社会の原理に反している。政府は今の社会の中で独[ひと]りで暴れまわっている。今の社会に政府があってはいけない。だから、みんなで早く政府を倒して、みんなと平等な政治機関を建てねばならない。『平等な者』をする政治機関を建てねばならない。

[17712] 今の社会は政府よりも先を行っている。 h25.5.31
昔の社会の原理は「政府が上の者だった」から、政府は上の者をやってもよかった。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』から、政府は上の者をやってはいけない。
しかし、今の政府は昔と同じように「上の者」をやっている。
だから、みんなで政府を倒さねばならない。
今の社会は政府よりも先を行っている。政府は前の時代の政治機関である。政府は時代遅れの政治機関である。昔から政治機関は頑固[がんこ]である。政治機関は社会に柔軟に対応しない。政治機関は最初から最後までずっと同じ決まりで動いているだけである。つまり、政府は最初が「上の者」だから、政府は永遠に「上の者」なのである。今の社会では『人間はみな平等である。』政府は今の社会に合っていない。だから、今の社会には政府があってはならない。今の社会は政府を倒さねばならない。つまり、みんなで政府をやっつけて、政府をなくさねばならない。社会の原理が変わらないときには政治機関をそのまま続ければいいが、社会の原理が変わったときには政治機関も変えねばならない。人類はこれまで数千年の間ずっと「上の者がいる」「人間が不平等である」原理でやってきた。今から約50年前にようやく『上の者がいない』『人間がみな平等である』原理に変わった。社会が大きく変わった。だから、政治機関も替[か]えねばならない。ところが、日本ではいまだにみんなが政治機関を替えていない。昔の政治機関を使い続けている。だから、今の私たちが政府を倒して、平等な政治機関に替えねばならないのである。

[17713] 悪者は善い者よりも弱い。 h25.5.31
今の政府は悪者である。今の政府は今の社会の『人間がみな平等である』原理に反しているから悪者である。
たしかに、悪者は何でも自分の好き放題にできるから、善い者よりも有利である。1対1なら、悪者は善い者に勝てる。
しかし、悪者は善い者よりも人数が少ないから、悪者は善い者よりも弱い。悪者の弱点は人数が少ないことである。
善い者は悪者よりも強いから、善い者が悪者を攻撃すれば悪者はすぐに倒される。
だから、今のみんなで政府を倒せばいいのである。今のみんなでいっせいに政府の命令を聞かず、政府に税金を払わないようにして、政府を倒せばいいのである。これ以上今の社会に政府をのさばらせてはいけない。だから、みんなで政府を倒さねばならない。

[17714] 今のみんなは政府に我慢[がまん]してはいけない。 h25.5.31
社会の原理は戦前と戦後で変わった。戦前の社会の原理は「政府が上の者である」ことだったが、戦後の社会の原理は『人間がみな平等である』ことになった。
しかし、政府は戦前と戦後で変わっていない。政府は戦前も戦後も同じ「上の者をやる」政治機関である。
そこが問題だ。
政府は戦前の社会の原理には合っていたが、戦後の社会の原理には合っていない。戦前はみんなが政府に満足だったが、戦後はみんなが政府に不満である。
それなのに、今のみんなは政府を今の社会に合った政治機関に替えようとしない。みんなは今の政府に我慢して政府におとなしく従っている。それでは世の中がよくなるわけがない。
みんなは今の社会と政府の矛盾を受け入れてはいけない。みんなは今の社会を肯定して、今の政府を否定しなければならない。
みんなは今の政府を倒して、政府のない社会にしないといけない。政府の代[か]わりに『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17715] 今のみんなは政府を我慢[がまん]する必要がない。☆ h25.5.31
政府は昔も今も同じ「上の者」をやっている。政府はいつの時代でもみんなを好き放題にしている。
昔の政府はみんなを好き放題にしていたが、昔はみんなが「政府が上の者だ」と思っていたから、みんなは政府を我慢していた。昔はみんなが政府に従わねばならなかった。昔はみんなが政府の命令を何でも聞かねばならなかった。
今の政府もみんなを好き放題にしているが、今はみんなが『政府がみんなと平等だ』と思っているから、みんなは政府を我慢しなくていい。今ではみんなが政府に従わなくていい。今ではみんなは政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かなくていい。今ではみんなが政府に税金を払ったり、政府の国家宗教の命令を聞いたりしなくていい。
本当は、今ではすでにみんなは政府に従わなくていいのである。今のみんなは『昔と今の社会の原理の違い』を考えていないから、いまだに政府におとなしく従っているのである。つまり、今のみんなが政府におとなしく従っているのは、みんなが眼で見るだけで頭で考えないからである。みんなが眼で見て政府のやっていることが昔と今で同じだから世の中が同じだと思って、今でも昔と同じように政府に従っているのである。今のみんなに頭で考えて物を見る習慣がないから、みんなはたんに眼で見て政府がみんなに命令するから政府に従っているのである。つまり、頭で考えて物を見る者は『今では政府と国民は平等だから、今の政府には国民に命令する資格がない』と考えて政府に従わないが、眼で物を見るだけの者は「政府が国民に命令するから、国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従うのである。
だから、みんなが頭で物を考えるようにすれば、みんなは政府に従わなくていいのである。今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、今の国民は政府に従わなくていい。今のみんなは試しに政府に従ってみなければいい。おそらく、政府は国民に何も文句を言わずおとなしく引き下がるだろう。
「政府がテレビや新聞によく出ているからみんなが政府に従わねばならない」と思うのは、政府がテレビや新聞に出ていることに対する余計な意味づけである。いくら政府がテレビや新聞に出ようが、『みんなが政府に従わなくていい』ことに変わりはない。だから、みんなは政府がやっているどうでもいいことに惑[まど]わされずに、単純に素直に政府に従わなければいいのである。

[17716] 今では利口が増えている? h25.5.31
頭で考えられる者は『今では政府と国民は平等である。政府は国民に命令する資格がない。』と考えて、政府に従わない。
眼で見ることしかできない者は「政府が国民に命令するから、国民は政府に従わねばならない」と思って、政府に従う。
国民が政府に従うか従わないかは、眼で見るか頭で考えるかの違いなのである。
頭で考えない者は損である。頭で考える者は得である。
だから、頭で考えたほうがいい。
国民が眼で見ることしかできないためにおとなしく政府に従っているのは、国民の病気のようなものである。国民のIQ(知能指数)が低いからである。医学的には『知覚障害』と診断されるだろう。
今では国の文明が高くなって教育がみんなに普及して、みんながだんだん頭で考えられるようになっている。だから、だんだん多くの国民が『今では政府と国民は平等だから、政府は国民に命令する資格がない。』と考えて、政府に従わなくなっている。そのために、今の政府はみんなから税金がもらえなくなってだんだん衰えているのである。
今でも政府に従っている者は馬鹿である。だから、みんなは政府に従ってはいけない。

[17717] 日本国憲法は政府の嘘[うそ]である。 h25.6.1
今の政府は本当は「上の者」をやっている。政府は「上の者」をやる政治機関である。
たとえ日本国憲法が今の社会の原理である『人間がみな平等である』ことにちゃんと適[かな]っていたとしても、実際には政府は上の者をやっている。例えば、政府は憲法では国家宗教をやらないと言っておきながら、実際には国家宗教をやっている。(しかし、日本国憲法前文の間接民主制と第30条の納税の義務は『人間がみな平等である』ことに明らかに適っていない。政府が「上の者」であることが表れている。)
つまり、日本国憲法は政府の建前[たてまえ]にすぎない。政府は本音[ほんね]では上の者をやっている。政府は日本国憲法で自分が今の社会に原理に従っているふりをして、本当は「上の者」をやっている。政府は国民を自分の好き放題にしている。政府は一方的に国民からお金を取って国民に命令して国民を虐待している。
政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなで政府を倒さねばならない。

[17718] 今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。 h25.6.1
政府は「上の者をやる」政治機関である。
昔の社会の原理は「上の者がいる」「人間が不平等である」ことだったから、政府が上の者をやってもよかった。
今の社会の原理は『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことだから、政府は上の者をやってはいけない。
政府は昔の社会の政治機関である。今の社会に昔の政治機関が残っているだけのことである。政府は今の社会の原理に適[かな]っていない。だから、みんなで政府を倒して政府のない社会にしなければらない。
政府が今の社会の原理に適っていたら私も政府に文句を言わないが、政府が今の社会の原理に適っていないから私は政府や国民に文句を言っているのである。早く日本を『人間がみな平等である』原理が実現した国にしないといけない。トロトロしていてはいけない。早く『人間がみな平等である』原理を実現しなければならない。

[17719] 月光仮面 h25.6.1
月光仮面は覆面[ふくめん]をしている。だから、子供が月光仮面と一体化できるのである。子供が月光仮面が自分だと思っていっしょに悪党と戦えるのである。
政府も覆面をしている。政府は中で何をやっているのかわからない会社だから覆面をしている。だから、国民が政府に自己投入して、自分が善いことをやっているから政府もきっと善いことをやっていると思っているのである。
しかし、本当は政府は悪いことをやっている。悪いというより、「上の者」をやっている。政府はもともと昔の上の者をやる政治機関だから、今でも上の者をやっているだけのことである。
みんなが政府を残しておくから、政府はいつまでも「上の者」をやり続けているのである。
今は『人間がみな平等である』社会だから、政府は「上の者」をやってはいけない。今の社会に政府があってはいけない。だから、みんなで政府を倒して、政府をなくさねばならない。

[17720] 政府は今の社会に合っていない。☆ h25.6.1
政府はもともと「上の者をやる」政治機関である。政府は昔も今も上の者をやる政治機関である。政府は戦争を跨[また]いで今でも上の者をやっている。政府の憲法は貴族がなくなっただけで昔と同じである。憲法の前文には政府が間接民主制をやって自分の好き放題にして上の者をやっていると書かれている。
昔の社会の原理は「上の者がいる」「人間は不平等である」ことだったから、政府は上の者をやってもよかった。
しかし、今の社会の原理は『上の者がいない』『人間が平等である』ことだから、政府は上の者をやってはいけない。
今の社会には今の社会に合った政治機関がなければならない。『人間がみな平等である』原理に適[かな]った『みんなと平等な』政治機関がなければならない。
昔から政治機関は自分から社会に合わせてくれないものと決まっている。だから、これまでずっと政治機関が社会に合わなくなったとき、みんなで古い政治機関を倒して、社会に合った新しい政治機関を建ててきた。だから、今のみんなで政府を倒さねばならない。政府を倒して、みんなと平等な政治機関に替[か]えねばならない。

[17721] 東京人は時代遅れである。 h25.6.1
東京の人は政府の近くに住んでいるから、今でも「政府を上の者だ」と思っている。
しかし、田舎[いなか]の人はとっくの昔から『人間はみな平等だ』と思っている。
新しい時代は田舎からやってくる。東京人は時代遅れである。
今では全国的には『人間はみな平等だ』で通っている。
東京人は例外である。東京の人は田舎の人を見習って政府に従わないようにしないといけない。

[17722] いつでもみんなが政治機関の言うことを聞けばいいわけではない。☆ h25.6.1
社会の原理が変わらないときは、みんなは政治機関の言うことを聞かねばならない。
しかし、社会の原理が変わったときには、みんなは政治機関の言うことを聞いてはいけない。みんなは古い政治機関を倒して、新しい社会の原理に適[かな]った新しい政治機関を建てねばならない。
今は社会の原理が「上の者がいる」「人間が不平等である」ことから『上の者がいない』『人間が平等である』ことに変わっている。政府は古い社会の「上の者」をやる政治機関である。だから、みんなは政府を倒して、『みんなと平等』にする政治機関を建てねばならない。

[17723] みんなで平成維新をしなければならない。 h25.6.1
幕末に社会の原理が「インドが上の国である」ことから『ヨーロッパが上の国である』ことに変わった。そのために、政治機関が幕府から政府に変わった。みんなで幕府を倒して、政府を建てた。
今では社会の原理が「上の者がいる」「人間が不平等である」ことから『上の者がいない』『人間が平等である』ことに変わった。そのために、政治機関が「上の者」をやる政府から『みんなと平等な』政治機関に変わらねばならない。
それなのに、みんなは政府を倒して、みんなと平等な政治機関に替えようとしない。みんなが政治機関を替[か]えようとしないから、政治機関が昔のままである。政府が今でも時代遅れの「上の者」をやっている。政府がみんなを好き放題にして嫌がらせている。政府がみんなから税金を取ったり、みんなに国家宗教の命令を出したり、みんなを国家宗教で事件を起こして殺したりして古臭いことをやっているのである。政府が国を自分の好き勝手にしてメチャクチャにしている。政府が国の景気を台無しにしたり、国の人口を増やさせてエネルギーや物資の不足を深刻化させている。
これ以上政府に時代遅れのことをやらせてはいけない。みんなは政府の命令をいっさい聞かないようにして政府を倒して、みんなと平等な政治機関を建てねばならない。政府の命令を聞かないことは誰でもできる。だから、みんなで協力して政府を倒さねばならない。みんなでいい国を作らねばならない。

[17724] どうして今は政治機関が替[か]わるのが遅いのか? h25.6.1
明治維新のときは社会の原理が変わってから20年ぐらいで政治機関が幕府から政府にさっと替わった。
しかし、今では社会の原理が変わって50年たっても政治機関は政府のままである。いっこうに新しい政治機関が建つ気配[けはい]がない。
それは、明治維新の時には科学技術の変化が絡[から]んでいたからである。明治維新の時にはヨーロッパ文明を取り入れることに乗っかって政治機関が幕府から政府に入れ替わった。みんなで幕府を倒して政府を建てた。だから、政治機関が替わるのが早かったのである。
しかし、今は科学技術の取り入れはない。今では社会の原理が変わっても政治機関が替わるだけで科学技術は変わらない。そのために、みんなはあまり政治機関を替えることに乗り気になれず古臭いオンボロ政治機関(政府のこと)を今でも使い続けているのである。
日本人が眼で見ることしかわからず物質文明にしか興味がなく、頭で考えることがわからず社会の原理や政治機関に興味がないために、政治機関なんかどうでもいいと思って、政治機関をほったらかしなのである。
しかし、人間は物だけで生きているのではない。人間が幸福に生きていくためには社会が重要である。社会の原理や政治機関が大事である。人間の心は眼で見える物に対して喜怒哀楽を感じるだけではなく、眼で見えない人間関係に対しても喜怒哀楽を感じるからである。だから、みんなはもっと社会の原理や政治機関に興味を持たねばならない。今の社会では社会の原理と政治機関が矛盾している。汚い社会である。早く矛盾を解消しないといけない。そのためには、みんなで早く政府を倒して、今の社会の原理に合ったみんなと平等な政治機関に替えねばならない。

[17725] 政府とみんなと平等にする政治機関の違い h25.6.1
政府は「上の者」をやる政治機関である。政府は「上の者」として仕事をする。政府はみんなを自分の好き放題にする。政府はみんなからお金を取ってみんなを虐[いじ]めて遊ぶ。政府は自分独[ひと]りが幸福に暮らせる国を作る。
反対に、『みんなと平等』にする政治機関はみんなと『平等』にする。みんなと平等にする政治機関はみんなと『平等な者』として仕事をする。みんなと平等にする政治機関はみんなのために仕事をする。みんなの心を満足することによってみんなからお金をもらう。みんなと平等にする政治機関はみんなが幸福に暮らせる国を作る。
だから、みんなにとっては自分のことしか考えない政府よりもみんなのことを考えるみんなと平等な政治機関のほうがいいのである。

[17726] 政府はひたすら「上の者」をやるだけである。 h25.6.1
昔は国の文明が低くてみんなが頭で物が見れず心で物を見ることしかできなかったから、昔の社会の原理は「上の者がいる」「人間が不平等である」ことだった。
そのために、政府は上の者をやっていた。政府は昔の社会の原理に乗っかって上の者をやっていた。政府はみんなを自分の好き放題にして、みんなからお金を取ったりみんなを虐[いじ]めて遊んでいた。みんなは政府のやることを承認していた。
今は国の文明が高くてみんなが頭で物を見れるようになったから、今の社会の原理は『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことである。今から約50年前に社会の原理が変わった。
それなのに、その後も政府は上の者をやめない。政府は今の社会の原理に乗っかっては上の者がやれないはずなのに、上の者をやっている。政府はあいかわらず昔と同じようにみんなを自分の好き放題にして、みんなからお金を取ったりみんなを虐[いじ]めて遊んでいる。みんなは政府のやることを承認していない。今では「政府が上の者である」原理がなくなっているから、みんなは政府に税金を払うのが納得いかない。[政府は憲法に基づいてみんなから税金を取っている。しかし、政府の憲法は間接民主制で作られたものである。政府が上の者でないかぎり、政府は間接民主制がやれない。今は『人間がみな平等である』社会だから、政府は上の者ではない。だから、政府は間接民主制がやれず、みんなから税金が取れない。]
政府は社会の原理におかまいなく上の者をやっている。政府は「人間が不平等である」時代でも『人間がみな平等である』時代でも同じように上の者をやっている。
今の社会の原理と政府の原理は矛盾している。だから、政府はなくならねばならない。政府が自分でなくならないなら、みんなで政府をなくさねばならない。みんなで政府を倒して、政府をなくさねばならない。みんなと平等な政治機関を建てねばならない。

[17727] 今のみんなは政治機関を替[か]えねばならない。 h25.6.2
政治機関(法律会社)は、『社会の原理』に基づいて法律を作って、法律に基づいてみんなに命令を出して、みんなに『社会の原理』を守らせることが仕事である。
しかも、ひとつの政治機関はひとつの『社会の原理』に基づくだけである。ひとつの政治機関は同じひとつの『社会の原理』を守り抜くだけである。
だから、『社会の原理』が変われば、政治機関も替えねばならない。
今では社会の原理が「上の者がいる」「人間が不平等である」ことから『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことに変わっている。だから、政治機関も「上の者をやる」政治機関である政府から『みんなと平等にする』政治機関に変わらねばならない。つまり、政府は「上の者がいる」「人間が不平等である」原理をやる政治機関だが、今の社会の原理は『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことだから、政府は今の社会では政治機関としてはやっていけないのである。今の社会には、『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことを原理とする政治機関でなければならないのである。[例えば、今の日本国憲法が曖昧[あいまい]に書かれているのは、政府が「上の者がいる」「人間が不平等である」ことを原理としていて、政府が上の者として自分の好き放題にやっていいからである。たとえ日本国憲法に憲法改正の手続き(第96条)が定められていても、政府が「上の者がいる」「人間が不平等である」ことを原理とするかぎり政府は自分の好き放題にやれるから、政府にとっては日本国憲法の具体的な法律はどうでもいいから、いくら憲法を改正しても政府のやることは変わらないのである。]
だから、今のみんなはさっそく政府を倒して、みんなと平等である政治機関に替えねばならない。政府の『人間がみな平等である』原理に反する命令を聞かないようにして政府を倒さねばならない。修正間接民主制をやる政治機関を建てねばならない。国の文明がもっと高くなって国民の大半が頭で考えられるようになれば直接民主制をやればいい。

[17728] 政府は今の社会の政治機関ではない。☆ h25.6.2
政府は昔の社会の「上の者がいる」「政府が上の者である」原理に基づいて法律を作って、法律に基づいてみんなに命令を出して、みんなに「上の者がいる」「政府が上の者である」ことを守らせる政治機関である。
ところが、今の社会の原理は『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことである。
だから、政府は今の社会の政治機関ではない。
だから、みんなは政府の法律を守ってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。
みんなは政府を倒して、今の社会の『人間がみな平等である』原理に基づいて法律を作って、法律に基づいてみんなに命令を出して、みんなに『人間がみな平等である』ことを守らせる政治機関を建てねばならない。

[17729] 政府は“みんなと平等な政治機関”ではない。 h25.6.2
幕府と政府では見た目がアジア風とヨーロッパ風で違うから区別がつきやすい。
しかし、政府と“みんなと平等な政治機関”とは見た目が同じでやることが違うだけだから区別がつきにくい。しかも、政府は人前ではみんなと平等なことをするから、ますます区別がつきにくい。
そのために、みんなは政府が『人間がみな平等である』ことを原理とする政治機関だと思って政府に従っているのである。
みんなは政府の表面だけを見て政府をみんなと平等な政治機関だと思わずに、政府が間接民主制をやっていることや税金を取っていることや政府が国家宗教をやっていることなどから政府を「上の者をやる」政治機関だと考えて、政府に従うのをやめねばならない。みんなで政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
今の政府は表[おもて]では国民と平等にしながら、裏では国民から税金を取ったり国家宗教で国民に命令したり国民を虐待したりしている。政府は国家宗教で事件を起こして国民を殺して遊んでいる。この前の戦争で政府に国民を300万人殺されたから、その仕返しに政府を400万人殺してもいい。人殺しに人殺しをやめさせるためには、人殺しを殺すしかない。

[17730] 政治機関を替[か]えることが今の国民の義務である。 h25.6.2
社会の原理が変わったときには政治機関を替えるものである。
今から約50年前に社会の原理が「上の者がいる」「政府が上の者である」ことから『人間がみな平等である』『政府が上の者でない』ことに変わった。
それなのに、その後も政治機関は昔の社会の政府のままである。
政府は今でも「上の者」をやって国民を自分の好き放題にしている。政府は国民に命令して国民からお金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり国民を国家宗教で虐待したりして遊んでいる。
昔の社会なら政府はやってもいいことをやっているが、今の社会では政府はやってはいけないことをやっている。
今の社会に政府があってはいけない。
国民は早く政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17731] 今の国民はどうすればいいか? h25.6.2
政府は昔の社会の「上の者」をやる団体である。政府は今でも国民を好き放題にしている。政府は国民からお金を取ったり国民に命令したり国民を殺して遊んでいる。
しかし、今の社会では『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことになっているから、今の社会では政府がなくならねばならない。
みんなは今の社会の『人間がみな平等である』原理に基づいて政府を倒さなければならない。
みんなは今の社会の『人間がみな平等である』原理に基づいて、政府に税金を払うのをやめて、政府を倒さねばならない。明治維新の時にはみんなが『ヨーロッパが上の国である』原理に基づいて「インドを上の国とする」幕府に年貢[ねんぐ]を納めなくなって幕府を倒した。幕府の代[か]わりに『ヨーロッパを上の国とする』政府を建てた。それと同じように、今ではみんなが『人間がみな平等である』原理に基づいて「上の者をやる」政府に税金を納めなくなって政府を倒せばいいのである。政府の代わりに『みんなと平等にする』政治機関を建てればいいのである。
今のみんなが欲しいのは『上の者がいない』『人間がみな平等である』社会であって「上の者がいる」「政府が上の者である」社会ではない。政府は「上の者がいる」「政府が上の者である」社会を作る政治機関である。だから、今のみんなは早く政府を倒して、『上の者がいない』『人間がみな平等である』社会を作る政治機関を建てねばならない。

[17732] 今の社会では政府は「上の者」をやってはいけない。 h25.6.3
政府は「上の者」である。政府が国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりするのは政府が「上の者」だからである。
昔の社会の原理は「政府が上の者である」ことだったから、政府が上の者をやってもよかった。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、政府は上の者をやってはいけない。
だから、みんなは政府に税金を払わなければいい。政府を潰[つぶ]せばいい。
『人間がみな平等である』ことはみんなで決めたことである。だから、政府が上の者をやってはいけないことはみんなで決めたことである。だから、みんなは政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。みんなが決めたことだからみんなで守ればいい。
今のみんなが決めているのは『人間がみな平等である』ことであって、「政府が上の者である」ことではない。だから、みんなは政府が好き放題やることに付き合わなくていい。
今の社会と政府は矛盾する。さっさと政府を潰して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17733] 政府は時代遅れの政治機関である。 h25.6.3
政府は「上の者」をやる団体である。政府は国民を好き放題にする団体である。政府は自分の好き勝手に国民からお金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりする団体である。
政府は『人間がみな平等である』社会において「身分制」をやる団体である。
『人間がみな平等である』社会においては身分制をやってはいけない。
『人間がみな平等である』社会には、みんなと平等な政治機関がなければならない。政府はなくならねばならない。みんなで政府を倒さねばならない。

[17734] 政府は前の時代に出来た政治機関である。 h25.6.3
今の『人間がみな平等である』社会の前は「上の者がいる」社会だった。上の者がいる社会では上の者がみんなを好き放題にして暴れまわっていた。上の者がみんなからお金を取ったりみんなを虐[いじ]めたり殺したりしてやりたい放題にやっていた。
そんな時代に政府は出来た。
だから、政府は「上の者」をやる団体なのである。政府は国民を好き放題にするのである。政府は自分勝手に国民からお金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりするのである。
しかし、今は『人間がみな平等である』社会である。
政府は前の時代に出来た政治機関である。政府は今の時代に合っていない。
だから、政府はなくならねばならない。みんなで政府を倒して、みんなと平等な政治機関を建てねばならない。

[17735] 新しい社会には新しい政治機関が必要である。 h25.6.3
社会の原理は今から約50年前に「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
それなのに、政治機関は明治時代からずっと政府のままである。政府は「上の者をやる」政治機関である。
今は『人間がみな平等である』社会の中で政府が「上の者」をやっている。政府は『人間がみな平等である』社会の中でいまだに「上の者」をやっている。政府は国民を自分の好き放題にしている。政府は国民からお金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしてやりたい放題にやっている。
政府は今の社会の原理に反している。政府はみんなにたてついている。政府はみんなで決めた『人間がみな平等である』原理に逆らって自分勝手に「政府が上の者である」原理を押し通している。政府はみんなから税金を取ったりみんなに命令を出したりみんなを虐待したりしている。たかが政府の分際[ぶんざい]でみんなに逆らうなんて偉そうである。政府ごときが『社会の原理』に逆らうなんて許せない。だから、みんなで『人間がみな平等である』原理を押し通して政府を倒さねばならない。みんなで政府に税金を払わず政府の命令を聞かず政府に虐待されないようにして政府を倒さねばならない。みんなで政府をなくして、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。政府よりもみんなのほうが強いから、みんなは政府に怖気[おじけ]づく必要はない。みんなでかかれば政府なんてイチコロである。みんなで政府をチョチョイノチョイとやっつけてやればいいのである。

[17736] 「政府が上の者である」原理と『人間がみな平等である』原理の戦い h25.6.3
今の政府は「政府が上の者である」原理をやって国民を自分の好き放題にしている。政府は国民から税金を取って国民に命令して国民を虐待している。今の国民は政府に押されて政府の言いなりになっている。今の国民は政府に税金を取られて政府に命令されて政府に虐待されて泣き寝入りしている。
しかし、今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今では『人間がみな平等である』ことが正しいことになっている。
だから、今の国民は『人間がみな平等である』原理をやって政府と平等にしないといけない。国民は政府に税金を払わず政府の命令を聞かず政府に虐待されないようにしないといけない。
今の時代は「政府が上の者である」原理をやる政府と『人間がみな平等である』原理をやる国民の戦いである。今は政府と国民の戦いの時代である。国民が政府に押されれば政府に負けるし、国民が政府を押せば国民が勝つ。
「政府が上の者である」ことは心による認識である。『人間がみな平等である』ことは知覚による認識である。人間の知覚は心よりも正しい。『人間がみな平等である』ことは「政府が上の者である」ことよりも正しい。だから、今の国民のほうが政府よりも正しい。だから、今の国民はがんばって『人間がみな平等である』原理を押し通して政府と戦って政府を倒さねばならない。『人間がみな平等である』原理が行き届いた正しい国にしないといけない。

[17737] 今は政府と国民の戦いの時代である。 h25.6.3
今の政府は「政府が上の者である」原理をやって、みんなを自分の好き放題にしている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。
今の国民は『人間がみな平等である』原理をやって、政府と平等にしている。国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくなっている。
今では政府と国民が反対のことをやっている。
今では『人間がみな平等である』ことが「政府が上の者である」ことよりも正しいことになっている。
だから、今では国民のほうが政府よりも正しい。
だから、国民は『人間がみな平等である』原理を押し通して政府と平等にして、政府を倒せばいいのである。政府をなくして、『みんなと平等な』政治機関を建てればいいのである。

[17738] 今の政府はまちがっている。 h25.6.3
今では『人間がみな平等である』ことが正しいことになっている。
それなのに、政府は昔と同じ「政府が上の者である」原理をやっている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。
だから、政府はまちがっている。
早くみんなで政府を倒して、『みんなと平等にする』政治機関を建てねばならない。

[17739] どうして私は神なのか? h25.6.3
今の私は国家宗教の神である。政府が私を神とする国家宗教をやっている。
私が神なのは、私が生後1ヶ月の赤ちゃんの頃[ころ]に夜中に突然私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが回ったことがあったからである。
しかし、それを見たのは私の母親だけである。
要するに、『私の母の幻覚』である。
私の母は“幻覚”を知らないので、てっきり本当にガラガラが回ったものと勘違[かんちが]いをしたのである。私の母が子供の頃は終戦直後で自分が食べるのが精一杯で勉強もろくすっぽできない時代だったので、母は“幻覚”という概念を知らないのである。
本当はガラガラはちっとも回っていなかったのである。
だから、私は超能力者ではない。私が神なんてとんでもない。
政府が私を神とする国家宗教をやっていることはまちがっている。ただちにやめるべきである。
『私の母の幻覚』であることがわからなかった政府もダメである。政府は自分の好き放題にやる機関だから、万事[ばんじ]テキトウなのである。そんな機関が国民の役に立つわけがない。早くみんなはいいかげんなことばっかりやる政府を倒して、もっとちゃんとした仕事をやる『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17740] 今の政府は正しい『人間がみな平等である』ことを守ろうとしない。 h25.6.3
昔は「政府が上の者である」ことが正しかった。
だから、政府も国民もみんながいっしょに「政府が上の者である」ことをやっていた。国民は「政府が上の者である」ことが嫌だったが、「政府が上の者である」ことが正しかったので「政府が上の者である」ことをやっていた。
今は『人間がみな平等である』ことが正しい。
それなのに、政府は昔と同じように「政府が上の者である」ことをやっている。政府は『人間がみな平等である』ことが嫌だから、『人間がみな平等である』ことが正しいのに『人間がみな平等である』ことをやろうとしない。
政府はまちがっている。
だから、みんなは政府に従ってはいけない。みんなは『人間がみな平等である』ことを守って政府を倒して政府をなくさないといけない。
みんながはっきりと『人間がみな平等である』と思っていれば、政府もみんなの顔色を見て自分も『人間がみな平等である』ことを守って、自分で自分を潰[つぶ]してなくなるだろう。今のみんながいいかげんにしか『人間がみな平等である』と思っていないから、政府がずうずうしく『人間がみな平等である』ことを犯して「政府が上の者である」ことをやっているのである。だから、政府に「政府が上の者である」ことをやらさないためには、みんなが『人間がみな平等である』ことをきちんと守ればいいのである。
人間はどんなに自分が嫌な思いをしても自分が正しいと考えることをしなければならない。今では『人間がみな平等である』ことが正しい。だから、みんなはどんなに政府にイビられても『人間がみな平等である』ことを守り抜かねばならないのである。

[17741] 今は政府が地獄の時代である。 h25.6.3
昔は「政府が上の者である」時代だった。
だから、政府も国民もみんなが「政府が上の者である」ことを守っていた。昔は政府が天国で、国民が地獄の時代だった。
今は『人間がみな平等である』時代である。
だから、政府も国民もみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならない。今は国民が天国で、政府が地獄の時代である。
今でも政府は「政府が上の者である」ことを守っているが、今はそんな時代ではない。政府は時代錯誤だ。
今の国民は政府を無視して『人間がみな平等である』ことを守らねばならない。

[17742] 今の社会では政府が悪者である。☆ h25.6.3
昔の社会では「政府が上の者である」ことが正しいと考えられていた。
だから、国民も政府もみんながいっしょに「政府が上の者である」ことを守っていた。「政府が上の者である」ことを破った者は悪者だと見なされて罰せられた。一揆[いっき]や下剋上[げこくじょう]をやった者はみんなから悪者だと思われて罰せられた。
今の社会では『人間がみな平等である』ことが正しいと考えられている。
だから、国民も政府もみんながいっしょに『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。『人間がみな平等である』ことを破った者は悪者だと見なされて罰せられる。
ところが、今の政府は『人間がみな平等である』ことを破っている。今の政府は昔と同じように「政府が上の者である」ことを守っている。だから、政府は悪者である。
今の国民は『人間がみな平等である』ことを守らなければならないから、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしてはいけない。
今では政府に従う国民も『人間がみな平等である』ことを破った悪者だと見なされて罰せられる。悪者に従う者もまた悪者である。だから、みんなは政府に従ってはいけない。みんなは政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしてはいけない。
今の国民は自分でいろんな誤解をして自分が政府に従わねばならないと思っているだけである。本当は『今では人間はみな平等である』から、国民は政府に従わなくていいだけである。一番簡単な考えが正解である。国民に邪念があるから、余計なことをするのである。国民は無駄[むだ]な考えをしないように注意しなければならない。

[17743] 今の政府は潰[つぶ]れた会社がアホな国民をからかって遊んでいるだけである。☆☆ h25.6.4
今の社会では『人間がみな平等である』と考えられている。政府と国民が平等である。だから、国民は政府に従わなくていい。
ところが、政府がテレビや新聞に出ているから、アホな国民が自分が政府に従わねばならないと思って政府に従っているのである。
アホな国民はどうでもいいことに囚[とら]われて、政府の誘導作戦にまんまと引っ掛かって政府に従っているのである。
今の政府は本当は自分がすでに潰[つぶ]れていると思って、嘘[うそ]で騙[だま]せる国民だけを相手にして商売をしているのである。政府がアホから税金を取ってアホに命令してアホを虐待しているだけである。
まじめな国民はちゃんと『人間がみな平等である』ことを守って、政府を相手にしなければいいのである。
政府は上の者をやる団体である。だから、昔の「政府が上の者である」社会でなければ政府は仕事ができない。政府が国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりできない。今の『人間がみな平等である』社会では政府は仕事ができない。だから、今の政府はすでに潰れているのである。だから、まじめな国民は政府に従わなければいいのである。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなければいいのである。

[17744] 政府は「上の者」をやる法律会社である。 h25.6.4
政府はもともと法律会社である。
法律会社が昔の文化の中では「上の者」になってしまったのである。
だから、政府は「上の者」をやる法律会社だったのである。
しかし、今の文化では法律会社は『みんなと平等な』法律会社にすぎない。
だから、今の時代には『みんなと平等な』法律会社でなければならないのである。
政府は「上の者」をやる法律会社である。政府は今の時代に合った法律会社ではない。だから、みんなで政府を倒して、『みんなと平等な』法律会社を建てねばならないのである。

[17745] 政府はすでに潰[つぶ]れている。☆ h25.6.4
政府は「上の者」をやる政治機関(法律会社)である。
ところが、今から約50年前に(昭和40年頃に)社会の原理が「政府が上の者である」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
その頃に、政府が潰れた。『人間がみな平等である』社会では、政府が上の者をやれないので潰れた。政府が国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりできなくなって潰れた。
今の政府は“政府が潰れたことを知らない国民”から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしてほそぼそと生き残っているだけである。
政府が潰れていることを知っている国民は、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしていないのである。
政府はすでに潰れている。今の政府は潰れているのに潰れていないふりをしているだけである。だから、国民は政府をまともに相手にして政府に従わなくていいのである。

[17746] 今の社会では政府は活動できない。 h25.6.4
『今では人間がみな平等である』ことは確実である。
『政府が「上の者」をやる政治機関である』ことも確実である。
だから、論理的に考えて『今の社会では政府が活動できない』ことも確実である。
だから、今の国民は『政府が活動できない』と考えて、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなければいいのである。政府を潰[つぶ]して、『みんなと平等な』政治機関を建てればいいのである。[警察がなくて困るのは銀行と宝石店だけだから、今では警備会社がたくさんあるから、ちょっとの間政府が潰れてなくなっても一般の国民が困ることはない。だから、みんなは安心して政府を潰せばいいのである。日本は貧乏国だから警察が要らない。日本人は自分を貧乏にすることによって治安をよくしているのである。]
今の国民は自分の無知や誤解のために政府に従っているだけである。
だから、今の国民は自分の無知や誤解を直して政府に従わないようにすればいいのである。
今ではまだ大勢の国民が政府に従っているが、だからといって多数決で「国民みんなが政府に従う」ことに決まるのではない。多数決はみんなが知覚でわからない場合にめいめいが心で判断したことに基づいて統計的にひとつの意見にまとめる方法であって、知覚で論理的にわかる場合には多数決を用いる必要がない。『今の社会では政府が活動できない』ことは論理的にわかることだから、今ではみんなが『政府が活動できない』と考えていい。だから、みんなは政府に従わなければいいのである。

[17747] 多数決で決めすぎてはいけない。 h25.6.4
知覚で論理的にわからないことに関しては多数決でひとつに決めることができる。
しかし、個人の自由も尊重されるべきである。
だから、何でもかんでも多数決でひとつに決めればいいわけではない。
例えば、服装や髪型の好みは人それぞれだから個人の自由にすべきである。多数決で決めるべきではない。
多数決はどうしても決めねばならないことに対してのみやむを得ず使うべきであって、けっして多数決を濫用[らんよう]してはいけない。

[17748] 今の社会では政府は「上の者」がやれない。 h25.6.4
今の社会では『人間はみな平等』である。
政府は「上の者」をやる政治機関である。
だから、今の社会では政府は「上の者」がやれない。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりできない。
つまり、国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
政府は今の社会の原理に従っていない。だから、国民は政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17749] 今の政府は潰[つぶ]れているのに潰れていないふりをしている。 h25.6.4
今の社会では『人間がみな平等である。』
政府は「上の者」をやる政治機関である。
だから、今の社会では政府が上の者がやれなくて潰[つぶ]れるはずである。
それなのに、いまだに政府は潰れていない。テレビや新聞の上では政府が昔と同じようにピンピンしている。
これは矛盾である。
そのために、今の国民は頭の中がこんがらがってわけがわからなくなってバカになって自分の頭で考えられなくなって政府の言いなりになっているのである。
政府は嘘[うそ]つきである。今の政府は潰れていないふりをしているだけである。今の政府は本当は潰れているが潰れていないふりをしているのである。
だから、今の国民は『政府が本当は潰れている』と考えて、政府に従わないようにして、政府に税金をやらないようにして、政府を潰せばいいのである。

[17750] バカは放[ほう]っておけばいい。 h25.6.4
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
政府は「上の者」をやる政治機関である。
だから、今の社会では政府は上の者をやれない。
したがって、今の国民は政府に従う必要がないのである。
それなのに、今の国民が政府に従っているのは、国民がバカだからである。バカは要らない余計なことばかりやりたがるから、本当は自分が政府に従う必要がないのにわざわざ自分から政府に従っているのである。バカは自分で自分を不幸にしているのである。
しかも、バカに正しいことをいくら言っても、バカは正しいことを相手にせず、まちがったことを正しいと信じていつまでもまちがったことをやり続けるのである。
バカはまちがったことをやるのが面白いから、まちがったことをやるのである。バカはいじけまくっているから、正しいことを素直[すなお]にやれないのである。
バカが多いのは世の常である。バカは放っておいて、自分が正しいことをすればいい。

[17751] 今の政府は「上の者」がやれるふりをしている。☆ h25.6.5
政府は「上の者」をやる政治機関である。
昭和40年頃に社会の原理が『人間がみな平等である』ことになった。
そのために、昭和40年頃に政府は「上の者」がやれなくなった。
だから、今の国民は政府に従わなくていい。
今の政府は“政府が上の者がやれないことを知らない国民”を騙[だま]して上の者をやって生き残っている。今の政府は本当は上の者がやれないのに、上の者がやれるふりをして生き残っている。例えば、今の政府は本当は国民から税金を取れないのに、税金を取れるふりをして生き残っている。
だから、国民は政府の芝居に騙されず、『今の政府が本当は上の者がやれない』と考えて、政府に従わないようにして政府を倒せばいいのである。政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[17752] 政府はどうして税金が取れるのか? h25.6.5
政府が「上の者」だからである。
昭和40年頃までは政府が「上の者」だったので、政府は税金が取れたのである。
しかし、昭和40年以後は政府が『国民と平等』になったので、政府は税金が取れなくなった。
だから、今の国民は政府に税金を払わなくていいのである。
今の政府は国民に嘘[うそ]をついて自分が税金を取れるふりをして取っているのである。
国民は政府に騙[だま]されないようにして、政府に税金を払ってはいけない。

[17753] 今の国民は政府の見かけに騙[だま]されている。☆ h25.6.5
政府は「上の者」をやる政治機関である。
昭和40年頃に社会の原理が「政府が上の者である」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
その頃に、みんなが政府を倒して政府が潰[つぶ]れるはずだった。
ところが、政府が国民の前ではみんなと平等なふりをしていたために、みんなは政府がみんなと平等な政治機関だと思って、その後も政府に従い続けている。
しかし、本当は政府は「上の者」をやる政治機関なのである。政府は国民の前ではみんなと平等にしているが、裏では「上の者」をやっている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。幕府はみんなの前で大名行列をやって自分が上の者であることをみんなに教えてくれるが、政府はみんなの前ではみんなと平等にして自分が上の者であることをみんなに隠しているのである。
だから、みんなは政府の芝居に騙されないように注意して、『政府が上の者である』と考えて、政府を倒さねばならない。みんなは今の政府が上の者がやれないと考えて、政府に税金を払わないようにして、政府を倒せばいいのである。
政府が「上の者」であることは、政府が税金を取ったり間接民主制をやったりしていることからわかる。国家宗教に詳[くわ]しい人は、政府が国家宗教で国民に命令したり国民を虐待していることから、政府が「上の者」であることがわかる。しかし、今は『人間がみな平等である』社会である。今の社会には上の者があってはならない。だから、みんなで政府を倒して、上の者のない社会にしなければならない。

[17754] 国民は政府を『みんなと平等な』政治機関だと誤解している。☆ h25.6.5
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『上の者がいない』ことに変わった。
しかし、みんなは政府が以前からみんなと平等な政治機関だと思っていたので、その後も政府に従い続けている。
政府は明治時代からすでにみんなと平等な政治機関だと思われていたのである。
しかし、本当は政府はみんなと平等な政治機関ではなく、れっきとした「上の者をやる」政治機関なのである。政府は洋服を着た幕府である。政府は昔から国民の前ではみんなと平等な芝居をしていたから、みんなは政府がみんなと平等な政治機関だと思っていたのである。
政府は「上の者をやる」政治機関である。政府が国民から税金を取ったり間接民主制をやっていることが政府が「上の者」である証拠である。政府は隠れたところで国民に命令したり国民を虐待したりしてちゃんと「上の者」をやっている。しかし、今は『上の者がいない』社会である。今の社会には上の者があってはいけない。政府は上の者である。政府は自分が上の者であることによって国民から税金を取っている。だから、国民は政府に税金を払わないようにして、政府を倒せばいいのである。『みんなと平等な』政治機関を建てねばならないのである。

[17755] 客観的には、政府は「上の者をやる」政治機関である。 h25.6.5
政府は「上の者をやる」政治機関である。たとえ、みんなが政府がみんなと平等な政治機関だと思っていても、政府は本当は上の者をやる政治機関である。『政府が上の者をやる政治機関である』ことは真実である。みんながどんなに思おうが、『政府が上の者をやる政治機関である』ことに変わりはない。
しかし、今は『人間がみな平等である』社会である。昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『上の者がいない』ことに変わったからである。
だから、今の社会の中では政府は上の者がやれない。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりできない。
だから、今の国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。今の社会の原理に合った『みんなと平等な』政治機関を建てればいい。

[17756] 政府よりも『みんなと平等な』政治機関のほうがいい。 h25.6.5
「上の者」は人間の心が作り出した架空の生き物である。心の世界では「上の者」は人間よりも上の生き物である。だから、「上の者」は人間を自分の好き放題にする。「上の者」は人間に対して何でもできる。
政府がみんなの役に立たないのは政府が「上の者」だからである。政府がみんなを虐[いじ]めるのは政府が「上の者」だからである。みんなと平等な政治機関がみんなの役に立つのはみんなと平等な政治機関が『みんなと平等』だからである。
政府が無理やりみんなから高い税金を取るのは政府が「上の者」だからである。みんなと平等な政治機関がみんなと契約してみんなから安い料金をもらうのはみんなと平等な政治機関が『みんなと平等』だからである。
政府は「上の者」だからみんなから高い税金を取ってみんなの役に立たないことをするだけである。みんなを虐めるだけである。反対に、みんなと平等な政治機関は『みんなと平等』だからみんなから安い料金をもらってみんなの役に立つことをする。
だから、みんなで早く政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17757] 今の政府は国民と平等なふりをしているだけである。☆☆ h25.6.6
そもそも政府は「上の者」をやる政治機関である。
昭和40年頃までは社会の原理は「上の者がいる」「人間が不平等である」ことだったから、政府は本当に上の者だった。だから、政府は国民を自分の好き放題にできた。政府は国民から税金を取って国民に命令して国民を虐待することができた。
しかし、昭和40年以降は社会の原理が『上の者がいない』『人間がみな平等である』ことになったから、政府は上の者ではなくなった。
しかし、政府は昔からみんなと平等な芝居をしていたので、みんなは政府をみんなと平等な政治機関だと思って従い続けた。
しかし、本当は政府は今でも「上の者」をやっている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。今の政府は国民と平等なふりをしているだけである。

今の政府は「上の者」をやっている。政府は今の社会の原理に反している。今の社会の中では政府は上の者がやれない。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりできない。
だから、今の国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れるだろう。

[17758] 今の時代には「神」がいない。 h25.6.6
昔は(昭和40年頃までは)文学の時代だったので、みんなが心で物を見て頭で物を見ていなかったので、みんなが不思議な現象の近くにいた人を直感的に「神」だと思っていた。
だから、光の玉の近くにいた神武天皇や夜中に突然回りだしたガラガラの近くにいた私が神だった。
今は(昭和40年以降は)科学の時代だから、みんなが頭で物を見ているので、みんなが不思議な現象を科学的に理解する。
神武天皇の光の玉は神武天皇の上空にあった積乱雲から放射された電磁波によって発生した『プラズマ』であり、私のガラガラは私の母親が見た『幻覚』である。神武天皇も私もただの人間である。
今では、たとえ不思議な現象が科学的に理解できなかったとしても、それは今の人類の科学力が弱いせいだと考える。今の人類の科学は発展途上なので、今の人類には自然界のすべての現象が理解できるわけではないので、今の人類にとってはまだ理解できない現象が存在するのである。
つまり、今の時代には神はいないのである。たとえ今の人類にとって理解できない自然現象があったとしても、とにかく神はいないのである。
だから、今の政府が神武天皇や私を神として国家宗教をやることはまちがっている。
そもそも今の政府は上の者ではないから、政府は国民に命令したり国民を虐待したりできない。
だから、今の国民は政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていいのである。国家宗教であろうがなかろうが、とにかく国民は政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていいのである。

[17759] 今の時代には「上の者」がいない。 h25.6.6
昔は(昭和40年頃までは)文学の時代だったので、みんなが心で物を見て頭で物を見ていなかったので、みんなが政府を直感的に「上の者」だと思っていた。政府は大きい会社だったので、みんなは政府を「上の者」だと思って政府に従っていた。みんなは政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしていた。
今は(昭和40年以降は)科学の時代だから、みんなが頭で物を見ているので、みんなが『人間はみな平等である』と考えて、『政府と国民が平等だ』と考えて、政府を上の者だと思わなくなった。
つまり、「上の者」は心による不合理的概念であり、頭による合理的概念ではないのである。今は科学の時代だから、合理主義の時代だから、「上の者」は死語である。政府は上の者ではなくなったのである。
そこで、今では(昭和40年以降は)国民は政府をみんなと平等な政治機関だと思って政府に従っている。
しかし、政府は本当は今でも「上の者」をやっている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。
今の政府は国民と平等なふりをして、じつは「上の者」をやっている。政府はそもそもみんなと平等な芝居をする政治機関だから、政府は騙[だま]すつもりがなくてもみんなを騙せてしまうのである。政府は本当は昔と同じように「上の者」をやっているだけなのである。
要するに、今の政府は「上の者」である。政府は昔も今も「上の者」である。しかし、今の社会では政府は上の者をやってはいけない。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしてはいけない。
つまり、国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17760] 今の政府は本当は「上の者」をやっている。☆☆ h25.6.6
そもそも政府は「上の者」をやる政治機関である。
昭和40年頃までは社会の原理が「上の者がいる」ことだったから、政府は本当に上の者だった。政府は国民を好き放題にした。
しかし、昭和40年以降は社会の原理が『人間がみな平等である』ことになった。
そのために、今の国民は政府をみんなと平等な政治機関だと思って政府に従っている。今の国民は学校で『人間はみな平等である』ことを習っているから、その原理をテレビや新聞で見た政府に当てはめて「政府がみんなと平等にしている」と思っているのである。今の国民は政府がみんなの眼で見えないところで一生懸命にみんなのために役に立つことをしてくれていると思って、政府にお礼のために高い税金を払っているのである。
しかし、政府は本当は上の者である。政府は国民から税金を取っているし間接民主制をやっているから「上の者」である。国家宗教に詳[くわ]しい人は、政府が今でも国家宗教で国民に命令したり国民を虐待していることがわかる。今の政府は昔と同じように国民から税金を取って国民を虐[いじ]めているだけである。政府は今の社会の原理におかまいなしに自分勝手に「上の者」をやり続けているのである。政府はみんなの眼で見えないところで一生懸命にみんなを虐[いじ]めているのである。政府は昔からみんなと平等にする芝居をしてきたので、今のみんなは政府の芝居に騙[だま]されて政府がみんなと平等にしていると誤解をしているのである。
今でも政府は「上の者」をやっている。しかし、今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、今の社会では政府は上の者をやってはいけない。今の社会では政府は国民から税金を取れないし国民に命令できないし国民を虐待できない。
だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。そうして、ようやく『人間がみな平等である』社会になるのである。

[17761] 今の政府は今の社会の原理に反している。☆ h25.6.6
今の社会は『人間がみな平等である』社会である。
ところが、今の政府は「上の者」をやっている。政府は国民を好き放題にしている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。政府はテレビや新聞の上ではみんなと平等にしているが、みんなの見えないところではみんなを自分の好き放題にしている。
政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなで政府をなくさねばならない。
今の政府は自分が「上の者」であることによってみんなから税金を取っている。しかし、今の社会では政府は上の者をやってはいけない。だから、みんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。

[17762] 政府の正体は「上の者」である。 h25.6.6
政府はもともと「上の者」をやる政治機関である。
昭和40年頃までは社会の原理が「上の者がいる」ことだったから、政府は本当に上の者だった。政府は国民を好き放題にした。
昭和40年以降は社会の原理が『人間がみな平等である』ことになったので、政府は公[おおやけ]に上の者をやれなくなった。政府はみんなと平等にしないといけなくなった。
そのために、政府はみんなの見えるところではみんなの役に立つことをして、みんなの見えないところで国民に命令したり国民を虐待したりするようになった。政府は自分が国民のために役に立つことをしていることをアピールしてから、国民から税金を取るようになった。
しかし、政府は本当は「上の者」をやっている。政府が国民から税金を取ったり間接民主制をやっているのは政府が「上の者」をやっている証拠である。今の政府は昔の政府と同じようにみんなの見えるところで国民と平等な芝居をして、みんなの見えないところで国民を好き放題にしているのである。国民に嫌な命令をしたり国民を殺したり虐[いじ]めたりして国民を虐待しているのである。
政府の正体は「上の者」である。しかし、今は『人間がみな平等である』社会だから、今の社会では政府は上の者をやってはいけない。今の政府は自分が「上の者」であることによって税金を取っている。だから、みんなは政府に税金を払わないようにして、政府を倒せばいいのである。

[17763] 政府には2つの顔がある。 h25.6.6
政府は昔からみんなと平等な者と上の者の両方をやっている。
昔はみんなが「上の者がいる」と思っていた。だから、みんなは政府が上の者に見えた。みんなは政府がみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めていると思っていた。政府はみんなの見えないところで平等なことをやってみんなの役に立っていた。
今はみんなが『人間がみな平等である』と思っている。だから、みんなが政府がみんなと平等に見える。みんなは政府がみんなの役に立つことをやっていると思って、そのお礼に税金を払っている。政府はみんなの見えないところで上の者をやってみんなを虐めている。
しかし、上の者がみんなと平等にしてみんなの役に立つことをするのはいいが、みんなと平等な者が上の者をやってみんなを虐めるのはいけない。上の者が少しぐらいみんなの役に立つことをやっても上の者だが、みんなと平等な者が少しでも上の者をやればもはや平等な者ではない。上の者は自分の好き放題にやっていいからみんなの役に立つことをやってもいいが、みんなと平等な者はみんなと平等にしないといけないから自分の好き放題にしてみんなを虐めてはいけない。
昔の政府が上の者をやりながらみんなの役に立つことをするのはよかったが、今の政府がみんなと平等な者をやりながら上の者をやってみんなを虐めるのはいけない。
だから、今のみんなで政府を倒して政府をなくさなければならない。

[17764] 今の政府は国民と平等にしなければならない。 h25.6.6
政府は「上の者」をやる政治機関である。昔から政府はみんなの見えないところでみんなに命令したりみんなを虐待したりした。みんなの見えるところでみんなから税金を取ったりみんなに役に立つことをやっていた。
昔はみんなが「上の者がいる」と思っていて「政府が上の者だ」と思っていたから、政府が上の者をやるのを許していた。
しかし、今はみんなが『人間がみな平等である』と思っていて『政府が国民と平等にしなければならない』と思っているから、政府が上の者をやるのを許さない。
ところが、今の政府は上の者をやっている。政府はみんなの見えることろで税金を取ったりみんなの見えないところでみんなに命令したりみんなを虐待したりして「上の者」をやっている。政府はちょっとだけしか『みんなと平等な者』をやっていない。
だから、今のみんなは政府を許してはいけない。政府に税金をやるのをやめて政府を倒さなければならない。

[17765] 今の国民は政府をみんなと平等な政治機関だと誤解している。 h25.6.6
政府は「上の者」をやる政治機関である。政府はみんなを好き放題にする。政府はみんなから税金を取ったりみんなに命令したりみんなを虐待したりする。ただし、政府はみんなの前ではみんなと平等にする芝居をやっている。
昔の社会の原理は「上の者がいる」ことだった。だから、みんなは政府の芝居に騙[だま]されずに政府を上の者だと思って政府に従った。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、みんなは政府の芝居に騙されて政府をみんなと平等な政治機関だと思って政府に従っている。
しかし、本当は政府は「上の者」をやる政治機関である。今のみんなは今の社会の原理に騙されて政府がみんなと平等な政治機関に見えているだけである。政府はみんなの前ではみんなの役に立つことをやって『みんなと平等にしている』が、実際にはみんなから税金を取ったりみんなに命令したりみんなを虐待したりしてみんなを好き放題にして「上の者」をやっている。政府が国民から税金を取っていることに、政府が本当は「上の者」であることが表れているのである。
今の政府は「上の者」をやっている。今の政府は『人間がみな平等である』ことを守っていない。今の政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなで政府を倒さねばならない。みんなと平等な芝居しかできない政府の代わりに、本当に『みんなと平等にする』政治機関を建てねばならない。

[17766] 政府は今の社会の原理に反している。 h25.6.6
政府はみんなと平等にしているふりをして、じつは上の者をやっている。政府はみんなの前ではみんなと平等にしてみんなの役に立つことをやってみんなから税金を取って、みんなの見えないところでは「上の者」をやってみんなに命令したりみんなを虐待したりしてみんなを虐[いじ]めている。昔から政府はそういう陰険[いんけん]な性格の上の者である。
要するに、政府は上の者である。
ところが今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、今の社会には上の者があってはならない。
だから、政府はなくならねばならない。
みんなで政府を倒して、政府のない社会にしないといけない。

[17767] 『芸は身を助く。』 h25.6.6
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
だから、今の社会では『人間がみな平等である』ことに反する者は皆殺しにされる。
今の政府はみんなと平等にする芝居で生き残っているだけである。幕府ならとっくの昔に滅んでいる。
今の政府は本当は『人間がみな平等である』ことに反している。政府はみんなの眼に付かないところでさんざん「上の者」をやっている。みんなに命令したりみんなを虐待したりしている。政府はみんなの眼に付くところでも「上の者」をやっている。政府はみんなから税金を取っている。
だから、みんなで政府を皆殺しにしなければならない。
そもそも政府は昔の「上の者がいる」社会の中で出来た政治機関だから、政府が「上の者をやる」政治機関であるのは当然である。政府が『みんなと平等にする』政治機関であるわけがない。だから、みんなで政府をケチョンケチョンにやっつければいいのである。
今は科学の時代だから、みんなで政府を正しく理解して、政府が今の社会の原理に合っていないと考えて政府を倒せばいいのである。

[17768] 政府は「上の者」である。 h25.6.6
今は『人間がみな平等である』社会である。
政府は「上の者」をやる政治機関である。政府は『みんなと平等な』政治機関ではない。
政府は今の社会に反している。
だから、政府は滅ばねばならない。
みんなで政府を倒して、「上の者」のない社会にしなければならない。

[17769] どうして今でも国民は政府に従っているのか?☆ h25.6.6
今の国民が政府をみんなと平等な政治機関だと思っているからである。
今の国民は今の社会の原理が『人間がみな平等である』ことだと知っているので、政府も当然『人間がみな平等である』ことに従っていると思っているのである。政府がみんなと平等にしてみんなのためになることをやってくれていると思っているのである。政府にお礼をするために税金を払っているのである。
しかし、本当は政府は今でも「上の者」をやる政治機関を続けているのである。政治機関は融通が利かないから社会の原理がどんなに変わろうが自分の原理をひたすらやり続けるのである。政府は徹頭徹尾「政府が上の者である」原理を守り続けるだけなのである。今の政府はみんなに目立たないように注意しながら「上の者」をやっているのである。政府はみんなの眼に付かないところでみんなを虐[いじ]めることばかりみんなを不愉快[ふゆかい]にすることばかりやっているのである。
今の政府は「上の者」をやっている。今の政府について詳[くわ]しく調べれば、政府が「上の者」をやっていることがわかる。政府は今の社会の原理に反している。今の社会に政府があってはならない。だから、みんなで政府を倒さねばならない。
つまり、今はみんなが『政府が上の者をやる政治機関である』ことを知らないために、政府がかろうじて残っているだけなのである。『政府が上の者をやる政治機関である』ことがみんなに知られれば、政府はみんなに攻撃されて政府はすぐに潰[つぶ]れるのである。今の政府は潰れる寸前の危険な状態にあるのである。
早くみんなで政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17770] どうして今でも大阪では暴力団が残っているのか? h25.6.7
大阪人がフニャフニャしただらしないヤツばかりだからである。
だから、大阪人は暴力団に脅[おど]されて暴力団の言いなりなのである。大阪人は暴力団に脅されるとすぐに暴力団にお金を差し出すのである。
暴力団は大阪で営業しやすいから、大阪には暴力団がたくさんあるのである。
他[ほか]の土地だったら暴力団はとっくの昔に潰[つぶ]れていただろう。
他の土地では、今では『人間がみな平等』だから、暴力団がいくら人を脅しても誰も暴力団の言うことを聞かないから暴力団は潰れただろう。

[17771] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。 h25.6.7
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
だから、政府と国民は平等である。
だから、政府は国民から税金を取れない。
それなのに、政府は国民から税金を取っている。それは、政府がまちがったことをしているからである。政府は今の社会ではやってはいけないことをやっているのである。
今の政府は国民から税金を取れるふりをしているだけで、本当は取れないのである。
本当は、国民は政府に税金を払う必要がない。だから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。
政府は「上の者」をやる政治機関だから、自分が潰[つぶ]れるまではずっと「上の者」をやらねばならないので、今でも上の者をやって国民から税金を取っているのである。政府は今でも「上の者」をやって国家宗教で国民に命令したり国民を虐待したりしているのである。しかし、国民にとっては政府よりも社会のほうが上だから、国民は政府よりも社会に従えばいいのである。だから、早くみんなで政府に税金を払わないようにして政府を潰してやればいいのである。政府は前の時代に出来た政治機関だから、今の社会に合っていないのである。だから、みんなで早く政府を潰して、今の社会に合った政治機関を建てねばならない。
社会の原理が『人間がみな平等である』ことになってしまったら、「上の者」をやる政府が長く残るのは無理である。政府は国民が政府に税金を払わないことを認めて、さっさと潰れたほうがいい。『みんなと平等な』政治機関に変わったほうがいい。

[17772] 今の国民は政府を正しく理解しなければならない。 h25.6.7
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
そのために、今の国民の多くは政府がみんなと平等な政治機関だと思って政府に従っている。
しかし、本当は今の政府は「上の者」をやる政治機関である。政府は昔の時代に出来た政治機関だから、今でも「上の者」をやっている。政府は国民を好き放題にしている。政府は国民から税金を取って、みんなの眼に付かないように国民を虐[いじ]めている。国家宗教で国民に命令して国民を虐待している。政府はみんなの前ではみんなと平等な芝居をしている。政府は昔からそういう性格の政治機関である。[幕府もほとんど政府と同じである。ただし、幕府はみんなの前で上の者の芝居をする。幕府と政府は芝居のやり方が違うだけでやっていることは同じである。]
今の社会ではみんなが平等にしなければならないのに、政府は上の者をやっている。だから、みんなで政府を倒さねばならない。
今の政府が国民から税金を取っているのは、政府が国民と平等だからではなく、政府が上の者だからである。しかし、今の社会では政府は上の者をやってはいけない。だから、政府は本当は国民から税金を取れない。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。
国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、今の社会に合った『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17773] 民主制と平等制は違う。 h25.6.7
民主制(民主主義)と平等制はまったく別の概念である。
民主制は明治時代からあった。民主制とは、政府の独断ではなくみんなの多数決で物事を決めることである。
しかし、昔は国の文明が低くて国民の大半が心で物を見ていて国民の大半が「上の者がいる」と思っていてk国民の大半が「政府が上の者だ」と思っていたから、民主制つまりみんなの多数決によって「政府が上の者である」ことになって、実際には政府が独断で物事を決めていたのである。つまり、民主制によって民主制が潰[つぶ]されていたのである。要するに、昔の社会ではたとえ民主制をやっても、みんなが「政府が上の者だ」と思っていたので、実際には政府の独断しかやれなかったのである。昔の社会では民主制によっては『人間がみな平等である』ことが決められなかったのである。
一方、平等制は昭和40年頃から始まった。平等制とは『上の者がいない』『人間はみな平等である』とする制度である。今の社会では平等制が正しいと考えられている。
平等制は民主制で決められたことである。今では国の文明が高くなって、国民の大半が頭で物を見るようになって国民の大半が『架空の“上の者”がいない』と考えるようになっているから、民主制によってつまりみんなの多数決によって『人間がみな平等である』ことに決まったのである。今の社会では民主制によって『人間がみな平等である』ことが決まるのである。
そもそも平等制は、国の文明が高くなってみんなが頭で考えるようになって出来た制度である。今の社会では知覚主義が背景にあるから、まずみんなが頭で考えて物事を決めるようにして、どうしても物事が決まらない場合にだけやむを得ず民主制でつまりみんなの心による多数決で物事を決めるようにしなければならない。今の社会では民主制つまり多数決の濫用[らんよう]はいけない。
つまり、民主制と平等制とはまったく別の概念である。混同しないように注意しなければならない。

[17774] 要するに、前の時代の政治機関が残っているだけである。☆ h25.6.8
社会の原理が変わったときには、みんなが古い政治機関を潰[つぶ]して新しい政治機関を建てて、政治機関を取り替えねばならない。実際に、これまでずっとみんなはそうして来た。
昭和40年頃に社会の原理が「上の者」がいることから『人間がみな平等である』ことに変わった。
ところが、政府が昔から“みんなと平等な芝居”をしていたために、みんなは政府を『みんなと平等な』政治機関だと誤解して、いつまでも政府を潰そうとしない。
そのために、今でも政府は「上の者」をやって、今の社会の『人間がみな平等である』ことに反することをしている。政府はいまだにみんなを好き放題に扱って、みんなから税金を取ったりみんなに命令したりみんなを虐待したりしてさんざん『人間がみな平等である』ことを犯している。
みんなは政府を正しく理解しないといけない。政府は昔の時代に出来た「上の者」をやる政治機関である。今の時代の『みんなと平等にする』政治機関ではない。だから、みんなは早く政府を潰して、新しく『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
今の時代に政府を潰すのは正しいことである。だから、政府を潰すのに遠慮は要らない。みんなでどんどん政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。

[17775] みんなは社会の原理に従えばいい。 h25.6.8
みんなは政府の法律よりもまず社会の原理に従うべきである。みんなはこれまでずっとそうして来た。
昔の社会の原理は「上の者がいる」ことだった。だから、みんなは社会の原理に従って、「政府が上の者だ」と思って、政府に従っていた。みんなは政府に従ったから、政府の法律を守っていた。政府の命令を聞いていた。みんなは政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりした。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、みんなは社会の原理に従って、『政府と国民が平等だ』と考えて、政府と平等にすればいい。みんなは政府と平等にすればいいから、政府の法律を守らなくていい。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
政府は今の社会の原理で出来た政治機関ではない。政府は昔の社会の原理で出来た政治機関である。政府は「上の者」をやる政治機関だから、政府は「政府が上の者である」「人間が不平等である」法律を定めて国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりするのである。政府は今の社会に原理に従っていない。だから、みんなは政府に従わず、政府の法律を守らなくていい。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
みんなで早く政府に従うのをやめて政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てて『みんなと平等な』政治機関に従えばいい。
今の時代の国民が政府に税金を納めることは、明治時代の国民が幕府に年貢[ねんぐ]を納めるようなものである。明治時代に社会の原理が「アジアが上の者である」ことから『ヨーロッパが上の者である』ことに変わった。そのために、明治時代の国民は「アジア式の政治をやる」幕府に年貢を納めるのをやめて幕府を倒して、『ヨーロッパ式の政治をやる』政府を建てた。昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。だから、今の国民は「上の者をやる」政府に税金を納めるのをやめて政府を倒して、早く『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
今の国民は今の社会の原理が『人間がみな平等である』ことは知っているが、政府が『みんなと平等な』政治機関だと誤解しているためにいつまでたっても政府を倒そうとしない。そのために、今でも政府が残って「上の者」をやり続けている。政府が国民を自分の好き放題にし続けている。政府が悪いというよりも国民みんなのほうが悪い。政府は『みんなと平等な』政治機関ではなく、「上の者をやる」政治機関である。今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、みんなで早く政府を倒して、今の社会に合った『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
せっかく社会の原理が変わったのに、みんなが政府を誤解しているために、いつまでたっても世の中がよくならない。これでは社会の原理が変わった意義がない。みんなは早く自分の政府についての誤解を直して、政府を倒して、いい世の中にしないといけない。

[17776] 人は見かけによらぬもの h25.6.8
政府は「上の者」をやる政治機関である。政府はみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めるだけである。
昔の社会の原理は「上の者がいる」ことだったから、みんなは「政府が上の者だ」と思って、政府に従っていた。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、みんなは政府が社会の原理に反していると思って、政府を倒すようになった。
政府は見かけはみんなと平等にしているが、じつは上の者をやっている。それと同じように、国民みんなは見かけは政府に従っているが、じつは政府を倒している。国民みんなは政府に税金を払っているふりをして、じつは払っていない。
政府が嘘[うそ]つきなら、国民みんなも嘘つきである。
国民はみんなの見かけに騙[だま]されないようにして、政府に従ってはいけない。見かけはともかく、今は政府を倒すべき時だから、政府を倒さねばならない。次世代の『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17777] 今の政府は国家機関ではない。 h25.6.8
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
政府は「上の者」をやる政治機関である。
だから、今の国民の大半は政府を倒している。
政府について無知な国民はあいかわらず政府に従い続けている。
今の政府は政府について無知な国民によって支えられているだけである。
今の国民には政府を倒している国民と政府に従っている国民の両方がいる。
今では政府を倒している国民が正しく、政府に従っている国民がまちがっている。
みんなで『今の政府を倒さねばならない』ことを教えあって、早く政府を倒さねばならない。『みんなと平等にする』政治機関を建てねばならない。

[17778] 今の国民は「政府がみんなと平等な政治機関だ」と誤解している。 h25.6.8
今の国民の多くは今の社会の原理が『人間がみな平等である』ことを知っていて、政府がみんなと平等な政治機関であると思って政府に従っている。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしている。みんなは政府がみんなと平等にしてみんなのためになることをしてくれていると思って、そのお礼に政府に税金を払っている。みんなは政府がみんなと平等にしてみんなの役に立つことをしてくれていると思って、政府の命令をわけもわからずに何でも聞いている。みんなは政府がみんなと平等にしてくれているから、政府が悪者を退治するために政府が悪者の国民を国家宗教で虐待してくれていると思っている。
しかし、本当は政府は「上の者」をやる政治機関である。今の政府は自分が「上の者」であることによって国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしているのである。今の政府は自分が「上の者」であることによって国民から税金を取って国民を虐[いじ]めているのである。
政府は昔の「上の者」がいた時代に出来た政治機関だから、「上の者」をやる政治機関なのである。政治機関は社会の原理が変わっても自分の原理をやるだけだから、政府は今でも「上の者」をやっているのである。政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなで政府を倒さなければならない。政治機関は自分から滅ぶことがないから、みんなで政府を倒してやらねばならないのである。社会の原理が変わったときはみんなで古い政治機関を倒して新しい政治機関を建てねばならないから、みんなで政府を倒さねばならないのである。
今の社会では『人間がみな平等である』から、政府は自分が「上の者」であることが使えない。政府は自分が「上の者」をやることができない。
だから、今の政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりできない。
つまり、今の国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
したがって、今の国民は政府に税金を払わないことによって政府を倒せばいいのである。国民みんなは政府が滅んだ後で、『みんなと平等な』政治機関を建てればいい。

[17779] 『例外のある法則はない。』☆ h25.6.8
昭和40年頃に(今から約50年前に)社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
社会の原理が変わったときはみんなで古い政治機関を倒して新しい政治機関を建てねばならない。これまでずっとみんなはそうやって来た。
だから、今でもみんなで政府を倒しているはずである。新しい『みんなと平等な』政治機関を建てているはずである。
たとえテレビや新聞で政府がピンピンしていても、じつは政府はみんなに倒されているのである。政府はテレビや新聞を使って“みんなに倒されていない芝居”をやっているのである。
だから、国民はみんなといっしょに政府を倒さねばならない。政府に従っていてはいけない。そうして、みんなで新しい社会の原理を実現しないといけない。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、みんなはこの原理を使って政府を倒せばいいのである。今ではすでに社会の原理が『人間がみな平等である』ことに決まってしまっているから、みんなはこの原理を使ってどんどん政府を倒せばいいのである。今では政府を倒すのが正しいことだから、みんなはもっと積極的に政府を倒せばいいのである。
今はまだ政府を倒している国民が少ししかいないから政府が倒れるのが遅いのである。もっと多くの国民が『政府を倒さねばならない』ことを理解して、もっと大勢の国民で政府を倒して政府を早くなくさねばならない。

[17780] 政治機関の特殊性 h25.6.8
普通の会社は社会の流行に合わなくなったら、自分で潰[つぶ]れて仕事を変える。例えば、鉄道が出来たら、鉄道馬車の会社は潰れる。普通の会社は『長い物には巻かれろ』と思って、社会が変わったらすぐにそれに合わせて自分も変わる。
しかし、政治機関はたとえ社会の原理が変わっても、自分で潰れて仕事を変えない。政治機関は社会におかまいなしにひたすら自分の仕事をし続けるだけである。
これまで政治機関は「上の者」として長い間やってきたので、政治機関は自分が「上の者」である意識が強いので、下の者であるみんなに合わせて自分の仕事を変えようとしないのである。政治機関には自分が「上の者」であるプライドが強いので、自分から潰れたりして格好[かっこ]悪いことをやらないのである。
普通の会社は自分で潰れるが、政治機関は自分で潰れない。
だから、政治機関はみんなで潰してやらねばならないのである。
社会の原理が変わったときには、みんなで古い政治機関を潰して新しい政治機関を建ててやらねばならないのである。それがみんなの義務である。実際に、これまでずっとみんなはそうして来たのである。
今の国民みんなは自分の義務を果たしていないから、古い政治機関の政府が残って時代遅れなことををやっているのである。今では『人間がみな平等な』社会なのに、政府が国民を自分の好き放題にして国民から税金を取って国民に命令したり国民を虐待したりして国民を虐[いじ]めまくって遊んでいるのである。
だから、さっそく今の国民みんなは自分の義務を果たさねばならない。みんなは政府を倒して、新しい『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、税金を貯金して将来『みんなと平等な』政治機関を建てるための資金にしないといけない。

[17781] 今の国民が政府に従っているのは、政府が陰[かげ]で「上の者」をやっているからである。 h25.6.9
政府は「上の者」をやる政治機関である。もっとも、政府はみんなの眼に付かないところで「上の者」をやってみんなを虐[いじ]めている。政府はみんなの眼に付くところではみんなからおとなしく税金を取ったり“みんなと平等な芝居”をやってみんなの役に立っているふりをしている。
昔の社会の原理は「上の者がいる」ことだった。昔の国民は「政府が上の者だ」と思っていた。昔の国民は政府が眼で見えないところでみんなを虐[いじ]めていると思って納得していた。昔は今みたいにテレビも新聞もなかったから、昔の人は想像力で物を見ていたのである。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の国民は『政府が国民と平等だ』と思っている。今の国民は政府がテレビや新聞で国民と平等にしているのを眼で見て納得している。今ではテレビや新聞があるから、今の人は眼で物を見ているのである。
そういうわけで、今の人は政府が国民と平等だと思っているのである。今の人は政府がみんなの眼で見えないところでもみんなと平等にしてみんなの役に立つことをやってくれていると思っているのである。みんなは政府がみんなの役に立つことをやってくれたことに対するお礼をするために税金を払っているのである。
しかし、実際には政府はみんなの眼に付かないところで「上の者」をやってみんなを虐めまくって遊んでいるのである。政府はテレビや新聞の上だけみんなと平等にして、じつは陰ではみんなを嫌がらせることに四六時中明け暮れているのである。
政府の正体は「上の者」をやる政治機関である。政府は昔の「上の者」がいる時代に出来た政治機関だから、「上の者」をやるのである。政府はみんなを好き放題にして、みんなから税金を取ってみんなを虐めるだけなのである。
しかし、今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、政府は今の社会の原理に従っていない。政府は今の社会にあってはならない。だから、みんなで政府を倒して、政府のない社会にしなければならないのである。

[17782] 今の社会ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らねばならない。 h25.6.9
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
今の社会ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。
今の社会には『人間がみな平等である』ことに反する者があってはならない。
ところが、政府はみんなから税金を取ったり間接民主制をやったりして『人間がみな平等である』ことに反している。
政府は昔の時代に出来た政治機関だから、今の社会の原理に反することをやっているのである。
政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなは政府を倒さなければならない。
政府が国民から税金を取るのは『人間がみな平等である』ことに反する。だから、政府は国民から税金を取ってはいけない。国民は政府に税金を払わなくていい。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。

[17783] 今は科学の時代である。 h25.6.9
今では国の文明が高くなって、みんなが頭で物を見るようになって、科学の時代になった。
今は科学の時代である。だから、みんなは頭で物を見るようになって、心で物を見なくなって“上の者”がいなくなって、社会の原理が『人間がみな平等である』ことになった。
今は科学の時代である。だから、みんなが政府を頭で正しく理解して、『政府が上の者をやる政治機関である』ことがわからねばならない。政府はみんなと平等な政治機関ではなく、上の者をやる政治機関であることを理解しないといけない。
『人間がみな平等である』社会には、政府のような「上の者」をやる政治機関があってはならない。
だから、みんなで政府を倒して政府をなくして、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17784] 今のみんながやらねばならないこと☆ h25.6.9
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
社会の原理が変わったときはみんなで古い政治機関を倒して新しい政治機関を建てねばならない。これまでずっとみんなはそうやって来た。
だから、今のみんなは「上の者」をやる政府を倒して『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
みんなで『政府を倒さねばならない』ことを理解して、みんなで政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
今の政府はみんなにとって倒さねばならない物にすぎない。そんな物が強いわけがない。今の時代は『みんなと平等な』政治機関が強いのであって、「上の者」をやる政府は弱い。だから、みんなは政府に従わなくていいのである。政府の憲法を守ったり、政府の命令を聞いたりしなくていいのである。さっさと政府を潰[つぶ]してしまえばいいのである。

[17785] 今の政府はどうやって国民を従わせているのか? h25.6.9
今は『人間がみな平等である』社会である。
みんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。
そのため、今の政府は自分が『みんなと平等な』政治機関のふりをして自分が「上の者」をやっていないふりをして国民を従わせているのである。今の政府は「上の者」をやる政治機関が『みんなと平等な』政治機関に化[ば]けることによって、みんなを従わせているのである。政府は昔からみんなの眼に付かないようにしてみんなに命令したりみんなを虐待したりしてみんなを虐[いじ]めていたから、今の政府も「上の者」をやっていないふりをしているのである。
しかし、最近はみんなが頭がよくなって、みんなが政府の正体を知りつつある。最近はみんなが『政府が上の者をやる政治機関である』ことを知るようになって来ている。いくら政府が上手[じょうず]に『みんなと平等な』政治機関に化けたとしても、政府が国民から税金を取っていることは、政府が「上の者」をやる政治機関であることが丸出しである。
だから、最近はみんなが政府を倒すようになって来ている。政府に従わなくなって来ている。
したがって、最近の政府はみんなに倒されて滅んでいるのである。
「上の者」をやる者が『みんなが平等な』社会で生きることは無理である。政府が滅ぶのは当然である。

[17786] 政府は変わっていない。 h25.6.9
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
今の国民の多くは政府が「上の者をやる」政治機関から『みんなと平等にする』政治機関に変わったと思って、政府に従っている。
しかし、政府は本当は昔と同じ「上の者をやる」政治機関のままなのである。政府は国民の眼に付かないところで国民を虐[いじ]めまくっているのである。政府は「上の者」だから、国民を好き放題にして、国民から税金を取って国民を虐めまくっているのである。政府は国民の眼に付くところではみんなと平等な芝居をしているだけである。
これまでの政治機関はぜんぶ社会の原理が変わっても自分の原理を変えなかったから、今の政府も自分の原理を変えず昔と同じ「上の者をやる」政治機関のままなのである。
今の政府は「上の者をやる」政治機関であって、『みんなと平等にする』政治機関ではない。
だから、みんなは政府に従う必要はない。政府は今の社会に原理に反しているから、みんなは政府を倒さなければならない。今の社会では『人間はみな平等』だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民はさっそく政府に税金を払うのをやめて政府を倒さなければならない。『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17787] 政治機関は何のためにあるか?☆ h25.6.9
政治機関はそもそも社会の原理をみんなに守らせるためにある。
昔の社会の原理は「上の者がいる」「政府が上の者である」ことだった。だから、昔の政府はみんなに「上の者がいる」「政府が上の者である」ことを守らせていた。
今の社会の原理は『上の者がいない』『人間はみな平等である』ことである。だから、今の政治機関はみんなに『上の者がいない』『人間はみな平等である』ことを守らせなければならない。
しかし、今の政府は昔の政治機関だから、みんなに「上の者がいる」「政府が上の者である」ことを守らせている。そのために、今でも政府はみんなを好き放題にしているし、今の社会には暴力団や宗教団体がたくさん残っているのである。
政府は今の政治機関ではない。今の社会には政府はあってはならない。
だから、みんなで政府を倒して、『人間がみな平等である』ことをみんなに守らせる政治機関を建てねばならない。

[17788] どうしてみんなは政府を倒さないか? h25.6.9
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間はみな平等である』ことに変わった。
社会の原理が変わったときは、みんなで古い政治機関を倒して新しい政治機関を建てねばならない。
政治機関は自分から潰[つぶ]れないから、みんなで倒さねばならない。
ところが、みんなが政府を倒さないから、今でも政府が残って「上の者」をやって、みんなを好き放題にしている。政府がみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めている。
今のみんなが政府を倒そうとしないのは、今のみんなが政府の“みんなと平等にする芝居”を真[ま]に受けて政府をみんなと平等な政治機関だと誤解しているからである。昔はみんなが『政府が上の者だ』と思っていたから、政府の“みんなと平等にする芝居”を芝居という目で見ていたから、芝居を本気[ほんき]にしなかったが、今はみんなが「政府がみんなと平等だ」と思っているから、政府の“みんなと平等にする芝居”を政府が本当にやっていることだと思って、芝居を本気にしているのである。小さな子供が特撮番組を見て、ウルトラマンや怪獣が本当にいると思っているのと同じことである。今の人がテレビ馬鹿だから、政府の芝居が芝居でなくなっているのである。
今のみんなは政府を誤解している。政府は「上の者」をやる政治機関であって、『みんなと平等な』政治機関ではない。
今の社会と政府は矛盾している。
だから、政府はなくならねばならない。
みんなで政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17789] どうして今でも政府は国民に倒されていないのか? h25.6.9
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今ではみんなが『人間がみな平等である』ことに従っていなければならない。『人間がみな平等である』ことに従わない者はみんなに攻撃されて倒される。
政府は昔の時代に出来た「上の者」をやる政治機関である。
ところが、政府が“みんなと平等な芝居”をするために、国民の多くは政府がみんなと平等な政治機関だと思って、政府が今の社会の原理に適[かな]っていると思って、政府を倒そうとしない。昔は「政府が上の者である」ことはわかりきっていたから、政府の芝居には他人を騙[だま]す意義はなかった。ヨーロッパにはレディファーストの精神があるから、ヨーロッパ式の政治機関である政府は昔から女子供を喜ばせるために“みんなと平等な芝居”をやっていたのである。政府は“みんなと平等な芝居”をするものと決まっているから、今の政府も芝居をやっている。そのために、今の政府はみんなを騙[だま]すつもりがないのにみんなを騙してしまっている。今の政府はみんなに迷惑をかけないために自分が早く滅びたいのに、芝居のせいで滅べなくなっている。本来女子供を喜ばせるためにあった芝居が、今では裏目に出てしまっているのである。
政府の芝居のために、今でも政府が残って、政府が「上の者」をやって、みんなを好き放題にして、みんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めているのである。
今の国民の多くは政府についての理解が足りない。そのために、政府がみんなから税金を取ってみんなを虐めて、みんなに毎日嫌な思いをさせているのである。今の国民の自業自得である。
政府は陰[かげ]で上の者をやっている。政府はみんなの見えないところでみんなを虐めている。政府は密[ひそ]かにみんなが幸福に暮らせない国を作っている。政府はみんなに恨[うら]みはないが、政府は「上の者」だから政府にとってはみんなを虐めることが仕事だからみんなを虐めなければならないのである。政府は「上の者」をやる政治機関だから、みんなに「政府が上の者である」ことを守らせるために、みんなを虐待するのである。『政治機関は自分では滅べない。政治機関はみんなで倒さねばならない。』のがこの世の決まりである。政府は自分がみんなに倒されるまで、みんなから税金を取ってみんなを虐め続けるのである。だから、みんなが政府に国民から税金を取ったり国民を虐めることをやめさせるためには、政府を倒すしかないのである。
今の政府は『人間がみな平等である』ことに反している。
みんなは政府が「上の者」をやる政治機関だと考えて、政府が今の社会の原理に適っていないと考えて、政府を倒さなければならない。
みんなで政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。そうすれば、みんなが政府に嫌な思いをさせられなくなって、楽しく暮らすことができる。

[17790] 今の国民は政府を勘[かん]違いしている。 h25.6.10
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
社会の原理が変わったときには、みんなは古い政治機関を倒して新しい政治機関を建てねばならない。昔からみんなはそうして来た。
それなのに、みんなは政府の“みんなと平等にする芝居”に騙[だま]されて、政府がみんなと平等な政治機関だと思って、政府を倒さなかったのである。
そのために、今でも政府が残って「上の者」をやって、みんなを好き放題にして、みんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めているのである。
昭和40年頃にみんなが政府を倒さなかったばっかりに、今でも政府が「上の者」をやってみんなから税金を取ってみんなを虐めるままなのである。
昭和40年頃にみんなが政府を倒していれば、その後みんなで『みんなと平等な』政治機関を建てて、みんなは『みんなと平等な』政治機関と契約してお金を払って仕事をしてもらって、『みんなと平等な』政治機関がみんなの役に立つことをして、みんなが平等に平和に幸福に暮らせていたのである。
政府は『みんなと平等な』政治機関ではない。政府は「上の者」をやる政治機関である。政府はみんなを好き放題にして、みんなから税金を取って陰[かげ]でみんなを虐めるだけである。政府は「上の者」をやる政治機関だから、みんなの役に立つことをせず、みんなを虐めるだけである。政府はみんなの前では“みんなと平等な芝居”をしているだけである。
みんなは政府のことを正しく理解して、政府と正しく対応しないといけない。
今は『人間がみな平等である』社会である。政府は今の社会の原理に反している。今の社会に政府があってはならない。みんなで政府を倒して、「上の者」のいない社会にしなければならない。
今のみんなが今から約50年前にみんながしなければならなかったことをしなければならない。今のみんなは政府の“みんなと平等にする芝居”に騙[だま]されないようにして、政府を「上の者」をやる政治機関だと考えて、最後まできっちり政府を倒して政府をなくさねばならない。

[17791] 今のみんなは馬鹿である。 h25.6.10
昔のみんなは政府が「上の者」をやる政治機関だから政府を「上の者」をやる政治機関だと思って政府に従っていた。
今のみんなは政府が「上の者」をやる政治機関なのに政府を『みんなと平等にする』政治機関だと思って政府に従っている。
昔のみんなは政府がみんなを虐[いじ]めると思って政府に税金を払って、政府に虐められていた。
今のみんなは政府がみんなの役に立つことをしてくれると思って政府に税金を払って、政府に虐められている。
昔のみんなは政府について考えていることと政府が実際にやっていることが一致していたのに、今のみんなは政府について考えていることと政府が実際にやっていることが合っていない。
昔のみんなは政府が正しくわかっていたのに、今のみんなは政府が正しくわかっていない。だから、今のみんなは馬鹿である。
今のみんなは早く政府について正しく理解して、政府を倒して政府をなくさねばならない。

[17792] 今の政府はニセモノの『みんなと平等にする』政治機関である。☆ h25.6.10
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
だから、今の国民は『みんなと平等にする』政治機関にしか従わない。
ところが、政府は「上の者をやる」政治機関である。政府は昔の時代に出来た政治機関だから「上の者」をやるのである。
今の政府は『みんなと平等にする』政治機関ではない。だから、今の国民は政府に従ってはならない。今の国民は政府に従わないようにして、政府を倒さなければならない。
今の政府はニセモノの『みんなと平等にする』政治機関である。だから、みんなは政府に騙[だま]されないようにして、政府に従ってはいけない。

[17793] どうして今の国民は政府に従うのか? h25.6.10
今の国民が政府を『みんなと平等な』政治機関だと思っているからである。
しかし、政府は本当は「上の者」をやる政治機関である。政府は国民から税金を取って陰[かげ]で国民を虐[いじ]めて、国民の前で“みんなと平等な芝居”をしているだけである。
だから、今の国民には政府に従う理由がない。
したがって、今の国民は政府に従わなくていい。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなくていい。
今の国民は政府を倒して、本物の『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。

[17794] どうして国民は政府に従うのか? h25.6.10
昔の国民が政府に従っていたのは、昔の国民が「政府が上の者だ」と思っていたからである。昔の国民は心で物を見ていたので政府が大きな会社だったので「政府が上の者だ」と思っていたのである。
今の国民が政府に従っているのは、今の国民が「政府がみんなと平等な政治機関だ」と思っているからである。今の国民は政府の芝居に騙[だま]されて「政府がみんなと平等な政治機関だ」と思っているのである。
昔も今も国民は政府の正体がわかっていない。昔も今も国民は馬鹿である。そのために国民はいつまでたっても政府に虐[いじ]められて幸福になれない。
昔の政府の正体は『みんなと平等な政治機関』だった。だから、昔の国民は政府に従わなければよかったのである。もともと「上の者」なんかいないから、政府と平等にすればよかったのである。
今の政府の正体は『上の者をやる政治機関』である。だから、今の国民は政府に従ってはいけない。今の政府は国民から税金を取って国民を虐めているから、政府は「上の者」である。政府は今の社会の『人間がみな平等である』原理に反するから、国民は政府を倒さなければならないのである。
昔は文学の時代だったが、今は科学の時代である。昔の国民は心で物を見ていたが、今の国民は頭で物を見ないといけない。昔の国民はまちがってもよかったが、今の国民はまちがってはいけない。今の国民は正しく政府を「上の者」をやる政治機関だと考えて、政府に従わないようにして、政府を倒さねばならない。

[17795] 政府とは何か? h25.6.10
政府は「上の者」をやる政治機関である。政府は国民を好き放題にする。政府は国民から税金を取って、国家宗教で国民に命令したり国民を虐待したりして国民を虐[いじ]める。政府は国民の前では“みんなと平等な芝居”をする。政府はもともとそういう政治機関なのである。政府は自分のやることを勝手に変えられないのである。政府は自分がみんなに倒されるまでずっと、それらのことをやり続けねばならないのである。
昔の社会の原理は「上の者がいる」ことだった。政府は社会の原理に適[かな]っていた。だから、みんなは政府を倒さなかった。みんなは政府に従っていた。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。政府は社会の原理に反している。だから、みんなで政府を倒さなければならない。みんなは政府に従ってはいけない。
みんなは政府の芝居に騙[だま]されないようにして、政府を倒さなければならない。
政府の芝居に騙されて政府に従っている馬鹿な国民よりも、社会の情勢にふりまわされず頑[かたく]なに自分の仕事を守り続けている政府のほうがずっと男らしい。他人の嘘[うそ]に騙されて他人に従っている馬鹿なんか人間じゃない。政府よりも国民のほうが汚い。だから、政府が今の国民を動物扱いして好き放題にしても無理はない。しかし、『今では社会の原理が変わったから政府を倒す』ことが正しい。だから、みんなは政府を倒さなければならない。

[17796] 政府は何も悪くない。 h25.6.10
政府はもともと「上の者」をやる政治機関である。
昔の国民が「上の者がいる」と思っていたから、政府は「上の者」をやっていたのである。
ところが、昭和40年頃に社会の原理が「上の者」がいることから『人間がみな平等である』ことに変わった。昔から社会の原理が変わったときには、国民みんなが古い政治機関を倒して新しい政治機関を建てねばならないと決まっている。政治機関は自分で潰[つぶ]れることができないから、みんなに倒してもらわねばならないのである。
それなのに、国民は政府の芝居に騙[だま]されて、政府がみんなと平等な政治機関だと誤解して政府を倒さなかった。
そのおかげで、政府は生き残って、自分がやりたくもないのに国民から税金を取って国民を虐[いじ]めなければならなくなっている。政府は国民から税金を取って国民を虐めて国民と平等な芝居をするものだと決まっているので、政府は自分が滅ぶまでずっとそうしなければならないのである。
これでは政府に対する国民の嫌がらせにほかならない。
政府は早く滅びたかったのに、国民が政府を倒してくれなかったので滅べなかったのである。そのせいで、今の政府は今の社会の原理に反する悪いことをやらねばならなくなっているのである。昔は「政府が上の者だった」から、政府が国民を虐めても政府は悪くなかったから政府は気持ちよかったが、今では『人間はみな平等だ』から、政府が国民を虐めると政府が悪いことになって政府は気分が悪いのである。それでも政府は国民を虐めることが仕事だから、たとえどんなに自分が気分が悪くなっても国民を虐めなければならないのである。仕事というものはそもそも自分がやりたいからやるものではなく、自分がやらねばならないからやるものである。だから、今の政府は自分が国民を虐めたくないのに虐めているのである。政府に虐められる国民も嫌だが、国民を虐める政府も嫌である。国民も政府も両方とも嫌である。
政府の芝居に騙された馬鹿な国民のおかげで、国民も政府も両方とも苦しまなければならなくなっている。
政府は何も悪くない。悪いのはすべて国民である。
国民は早く政府を倒して、政府を楽にしてやらねばならない。
政府は自分で自分を潰すことができない。一方、国民は自由に政府を潰したり潰さなかったりすることができる。今は国民が政府を潰すべきときである。だから、今の国民ががんばって政府を倒さねばならないのである。

[17797] 今の世の中がおかしいのは全部国民のせいである。 h25.6.10
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
だから、その頃にみんなで政府を倒して、『みんなと平等な』政治機関を建てねばならなかった。
それなのに、みんなは政府の“みんなと平等にする芝居”に騙[だま]されて、政府をみんなと平等にする政治機関だと勘[かん]違いして、政府を倒さなかった。
そのために、今でも政府が生き残って「上の者」をやってみんなを好き放題にしている。政府はいまだにみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めてみんなと平等な芝居をやっている。
今は『人間がみな平等である』社会のはずなのに、政府が「上の者」をやっている。政府が「上の者」がいる社会を作っている。政府や暴力団や宗教団体がみんなを好き放題にして暴れまくっている。
「上の者がいる」社会で政府や暴力団や宗教団体が暴れまわるのはかまわないが、『人間がみな平等である』社会で政府や暴力団や宗教団体が暴れまわるのは明らかにおかしい。
今の社会に矛盾があるのは、国民が政府を倒していないからである。今の国民が馬鹿で軟弱だからいけないのである。今の国民が政府の芝居に騙されるほど馬鹿で、政府を倒す度胸がないのがいけないのである。
政府は国民から税金を取って国民を虐めてみんなと平等な芝居をするロボットである。ロボットは同じことをやり続けるだけで、自分の意思がない。政府は周[まわ]りの環境に合わせて自分で自分を制御することができない。政府は自分で自分の活動を止[と]められない。だから、みんなで政府のロボットと戦って政府を壊して政府の活動を止めてやらねばならないのである。昔は「政府が上の者だった」から国民は政府に手が出せなかったが、今では『政府と国民が平等だ』から国民は政府に対して何でもできる。国民は政府の活動を止めるために政府に税金を払わなければいいのである。
みんなは政府を倒して『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。そうすれば、みんなは政府に税金を取られたり虐[いじ]められたりせず、『みんなと平等な』政治機関と契約してお金を払って役に立つことをしてもらって幸福に暮すことができるだろう。

[17798] 今のみんなは大事なことを忘れている。 h25.6.10
昭和40年頃に(今から約50年前に)社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
社会の原理が変わったときには、みんなで古い政治機関を倒して新しい政治機関に替[か]えねばならない。これまでずっとみんなはそうして来た。
ところが、政府が“みんなと平等な芝居”をしていたために、みんなはうっかりして政治機関を入れ替[か]えることを忘れてしまったのである。
そのために、今でも政府が残って「上の者」をやっている。政府が『人間がみな平等である』社会の中でみんなを好き放題にしている。政府がみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めてみんなと平等な芝居をやっている。今の社会と政府には矛盾がある。そのために、みんながいろんな妄想をして世の中がだんだん狂ってきている。このままではいけない。
みんなは大事なことをやり忘れている。みんなは政治機関を取り替えることを忘れている。
これまでずっと社会の原理が変わっときにはみんなが政治機関を取り替えてきたから、今のみんなも政治機関を取り替えねばならない。みんなは政府に遠慮せずに政府を倒せばいい。社会の原理が変わったときには、みんなには『政治機関を取り替える特権』があるから、みんなは『特権』を活かして政府を倒せばいいのである。政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。つまり、それが『国家権力』というものである。みんなは国家権力を使って政府を倒せばいいのである。
社会の原理が変わってから50年も経[た]っている。早くみんなで政治機関を取り替えねばならない。みんなで政府を倒して『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。政府は「上の者」だから、政府はみんなから税金を取ってみんなを虐めてみんなと平等な芝居をするだけである。政府は「上の者」だから、みんなの役に立たない。反対に、『みんなと平等な』政治機関はみんなと平等だから、みんなと契約してみんなに仕事をしてみんなからお金をもらう。『みんなと平等な』政治機関はみんなと平等だから、みんなの役に立つ。だから、みんなは喜んで政治機関を入れ替えればいいのである。そうすれば、社会の矛盾がなくなって、みんなが余計な妄想をしなくなって世の中が正常になる。

[17799] 政府は「上の者がいる」社会を実現する政治機関である。 h25.6.11
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
一方、政府は「上の者」をやる政治機関である。つまり、政府は「上の者がいる」社会を実現する政治機関である。政府は政府自身や暴力団や宗教団体がみんなを好き放題にする社会を実現する政治機関である。政府は社長が社員を好き放題にする社会を実現する政治機関である。政府は上の者が下の者からお金を奪って上の者が下の者を虐[いじ]める社会にする政治機関である。
政府は今の社会の原理に反している。今の社会にとって政府は邪魔[じゃま]である。政府は社会の前進の妨[さまた]げになる。みんなで政府を倒さねばならない。
今の社会には『みんなと平等な』政治機関がなければならない。つまり、『人間がみな平等である』社会を実現する政治機関がなければならない。みんなで政府を倒して、新しく『みんなと平等な』政治機関を建てねばならない。
今の政府は自分が「上の者」をやって国民から税金を取っている。しかし、今の社会の原理では政府は上の者がやれない。だから、政府は国民から税金を取れない。国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。

[17800] 今のみんなが馬鹿なのが悪い。 h25.6.11
政府は「上の者がいる」社会を実現する政治機関である。
昭和40年頃に社会の原理が「上の者がいる」ことから『人間がみな平等である』ことに変わった。
その頃にみんなで政府を倒して『みんなと平等な』政治機関を建てねばならなかった。
それなのに、みんなは政府の“みんなと平等にする芝居”に騙[だま]されて、政府を『みんなと平等な』政治機関だと誤解して、政府を倒さなかった。
そのために、政府は今でも「上の者がいる」社会を作っている。政府自身や暴力団や宗教団体がみんなを好き放題にして暴れている。
みんなが馬鹿だったために、今でも政府が残って「上の者がいる」社会を作り続けている。政府は自分がやりたくもないのに「上の者がいる」社会を作らされている。
みんなが馬鹿だから日本が前進しないのである。政府はみんなを馬鹿だと思いながら、いやいやしかたなく「上の者がいる」社会を作っている。今の政府はいやいやみんなから税金を取ってみんなを虐[いじ]めている。
みんなはこれ以上政府を悲しませてはいけない。
みんなはもっと社会科をよく勉強して、政府が「上の者がいる」社会を実現する政治機関であり政府が今の社会の原理に反していると考えて政府を倒さなければならない。みんなが政府を倒してやれば、政府もきっと喜ぶだろう。
今のみんなが政府を倒さないから政府が倒れないのである。今の政府は本当はみんなに倒されたがっている。だから、みんなで政府を倒してあげねばならない。


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