[17601] 今の政府は犯罪組織にすぎない。 h25.5.23
昔の政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐待したりしていた。
しかし、昔は政府が“上の者”だったから、政府は悪いことをやってもよかった。
今の政府も昔の政府と同じように、国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐待したりしている。
しかし、今では政府は国民と平等だから、政府は悪いことをやってはいけない。政府は本来やってはいけないことをやっている。だから、政府はただの犯罪組織にすぎない。
社会に犯罪組織はあってはならない。だから、みんなで政府を倒して、政府のない社会にしなければならない。

[17602] どうして政府は税金を取るか? h25.5.23
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、政府と国民は平等である。
だから、政府が国民から税金を取ることはできない。
しかし、実際には政府は国民から税金を取っている。
それは、政府が今の社会の原理を犯しているからである。政府は今の社会の原理を犯して自分で税金を取れる法律を作って税金を取っているのである。
だから、政府は犯罪組織なのである。
政府は犯罪組織だから、国民から税金を取る以外にも、国民に国家宗教の命令を出したり、国民を国家宗教で虐待したりしている。
社会に犯罪組織があってはならない。みんなは政府を倒して、犯罪組織のない社会にしなければならない。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、法律会社も社会の原理に従わねばならない。法律会社が社会の原理を侵[おか]してもいいということはない。法律会社もみんなと平等にして、『人間がみな平等である』法律を定めて、国民一人一人と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をしないといけない。

[17603] 日本国憲法はニセモノの法律である。 h25.5.23
今の社会の原理は『人間はみな平等である』ことである。『人間がみな平等である』ことが今の日本の法律である。
日本国憲法は犯罪組織の政府が作ったニセモノの法律である。
みんなは『人間がみな平等である』法律を守って暮らせばいい。日本国憲法は犯罪組織が作ったニセモノの法律だから守らなくていい。
みんなは政府に税金を払わず、政府の命令を聞かないようにして、政府を倒さなければならない。日本を犯罪組織のない美しい国にしなければならない。
おそらく政府も自分が犯罪組織であることを知っているから、日本国憲法がニセモノの法律であることを知っているから、国民が政府の法律を守らなくても何もしないだろう。だから、国民は平気で政府の法律を破ればいいのである。政府に税金を払ったり、政府の(国家宗教の)命令を聞いたりしなければいいのである。

[17604] どうして今の国民は政府を倒そうとしないのか?☆ h25.5.23
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
政府は『人間がみな平等である』原理を犯している犯罪組織である。
社会には犯罪組織があってはならない。
だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
しかし、実際には今の国民は政府を倒していない。戦後70年も政府を倒そうとしていない。
それは、今の国民が「国民は政府を倒せない」と考えているからである。これまで1500年もの間国民が政府を倒せなかったから、国民が政府を倒すことはできないと考えているのである。
そのために、今の国民は政府を倒すのをあきらめて政府におとなしく従い続けているのである。
しかし、本当は国民は政府を倒せるのである。
これまで国民が政府を倒さなかったのは、昔は文明が低かったから国民が心で物を見ていたために政府を上の者だと思って国民から自主的に政府に従っていたからである。人数では国民のほうが政府よりも多いから、実力では国民が政府よりも強い。だから、国民がその気になれば容易に政府を倒せるのである。
今の国民が昔の国民が政府に従っていた理由がわかっていないから、「国民は政府を倒せない」と考えて今でもいやいやしかたなく政府に従っているのである。
国民は自分の考えを直して、『国民は政府を倒せる』と考えて、政府を倒せばいいのである。政府は国民の税金がなければ生きられないから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。

[17605] 政府は今の社会の原理に反することをやってはいけない。 h25.5.24
今の政府は間接民主制をやっている。間接民主制では、政府が選挙をやりさえすれば政府は『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反することがやれる。
しかし、今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、政府も『人間がみな平等である』ことを守らなければならないから、政府は間接民主制をやって『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反することをやってはいけない。昔の政府は上の者だったから間接民主制をやって『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反することがやれたが、今の政府は国民と平等だから間接民主制をやって『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反することをやってはいけない。今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、政府は今の社会の原理に従わねばならないから、政府が間接民主制をやろうがやるまいが、政府がどんなやり方で法律を作ろうが、とにかく政府は『人間がみな平等である』原理を犯してはいけない。
それなのに、今の政府は間接民主制をやって『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。政府は自分が『人間がみな平等である』ことに反することをするためにわざわざ間接民主制をやって『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めているのである。
今の政府は今の社会の原理に従っていない。だから、政府は犯罪組織である。
社会には犯罪組織はあってはならない。だから、みんなで政府を倒さねばならない。

[17606] 今の社会の法律は『人間がみな平等である』ことである。☆ h25.5.24
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の社会の法律は『人間がみな平等である』ことである。みんなが今の社会の原理を守らなければならない。
ところが、今の政府は間接民主制をやって『人間がみな平等である』原理に反する法律を決めて『人間がみな平等である』原理に反することをやっている。政府は『人間がみな平等である』ことに反するニセモノの法律を決めてみんなを騙[だま]してみんなに『人間がみな平等である』ことに反することをやらせたり、自分が『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。つまり、政府はみんなに政府に税金を払ったり、政府の国家宗教の命令を聞いたり、政府に国家宗教で虐待されたりすることをやらせたり、自分が国民から税金を取ったり、国民に国家宗教の命令を出したり、国民を国家宗教で虐待したりすることをやっている。
だから、政府は犯罪組織である。
社会には犯罪組織があってはならない。みんなで犯罪組織をなくさねばならない。だから、みんなで政府を倒して、政府をなくさねばならない。みんなは政府の法律が本物だと思って政府の法律に従っているが、本当は政府の法律はニセモノである。本当の法律は『人間がみな平等である』ことである。だから、みんなは政府の法律を破って、政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。

[17607] ニセモノが通れば本物が引っ込む。 h25.5.24
今のみんなは政府の法律を守っている。
みんなは政府の法律が正しくて、『人間がみな平等である』ことがまちがいだと思っているからである。
しかし、本当は『人間がみな平等である』ことが正しくて、政府の法律がまちがいである。『人間がみな平等である』ことが本物の法律で、政府の法律がニセモノの法律である。
みんなは政府に騙[だま]されて、政府が作ったニセモノの法律を本物の法律だと思い込まされているのである。
今では『人間がみな平等である』ことが国の法律である。だから、みんなは『人間がみな平等である』ことを守って、政府の法律を破らなければならない。みんなは政府に税金を払ったり、政府の国家宗教の命令を聞いたり、政府に国家宗教で虐待されたりしないようにしなければならない。
政府のようなまちがった法律を作るふざけた法律会社はいけない。みんなは早く政府を倒して、正しい法律を作るまじめな法律会社を建てなければならない。

[17608] 政府が何であるかはみんなが決めることである。 h25.5.24
昔は文明が低くてみんなが心で物を見ていたから大げさに敬意の感情で物を見ていたから「政府が上の者だ」と思っていた。「政府が上の者である」ことが昔の社会の決まりだった。「上の者は何でもやってよかった。」だから、昔の政府は上の者としてみんなを好き放題にしていた。政府はみんなで決めた決まりを守ってやっていたから悪くなかった。
今は文明が高くなってみんなが頭で物を見るから敬意の感情で物を見ないから『上の者がいなく』なって『人間がみな平等』になった。『政府が国民と平等である』ことが今の社会の決まりである。だから、今の政府はみんなと平等にしなければならない。それなのに、今の政府はみんなと不平等にして、みんなから税金を取ったりみんなに国家宗教の命令を出したりみんなを国家宗教で虐待したりしている。今の政府はみんなで決めた決まりを犯している。政府は犯罪組織である。だから、みんなで政府を倒さなければならない。

[17609] 今のみんなは政府のやっていることを認めていない。 h25.5.24
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
それなのに、今の政府は自分の好き勝手な法律を作って(つまり、「政府が国民よりも上の者である」日本国憲法をいつまでも改正せずにそのまま使って)好き勝手なことをやっている。政府は『人間がみな平等である』ことに反するニセモノの法律を作って、みんなに『人間がみな平等である』ことに反することをさせたり自分が『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。
みんなは政府のやっていることを認めていない。政府が自分ひとりで好き勝手にやっているだけのことである。政府は社会の原理を犯している犯罪組織である。政府は自分が悪いことをする喜びしかない意地糞悪馬鹿[いじくそわるばか]である。政府は民主主義の団体ではない。政府はテレビや新聞の上でいい格好[かっこう]をしているだけである。
だから、今ではみんなで政府を倒している。みんなが『人間がみな平等である』ことを守って政府に税金を払わないようにして政府を倒している。犯罪組織のない社会にしている。
長い国の歴史においては、たまには法律会社がまちがった法律を決めてみんなに背[そむ]くことがある。そういう場合には、特例としてみんなが法律会社を倒さねばならない。今がその時なのだ。だから、今のみんなが一致協力して政府と戦って政府を倒さねばならない。


[17610] 今では法律会社は間接民主制をやってはいけない。 h25.5.24
間接民主制は、法律会社が選挙で立法者を決めれば何でも好き勝手に法律を決めて何でも好き勝手なことがやれる制度である。
国民が善い人を選べば法律会社が正しい法律を決めてくれて社会がうまく行くはずである。
しかし、いくら善い人でも制度上何でもやっていいことになっていたなら、自分の好き勝手なことをするはずである。どんなに善い人でも法律会社に入れば悪人に変わるはずである。それが人情というものである。だから、法律会社はまちがった法律を決めて悪いことをやるはずである。法律会社は世の中をメチャクチャにして喜ぶはずである。法律会社はみんなに意地悪[いじわる]をしてみんなを不幸にして喜ぶはずである。それが今の政府である。
間接民主制は人間の悪の心を助長[じょちょう]する制度である。だから、間接民主制そのものが悪い。『人間がみな平等である』社会においては間接民主制があってはならない。法律会社が間接民主制をやってはならない。
今は『人間がみな平等である』社会である。だから、法律会社は間接民主制をやってはいけない。法律会社は『直接民主制』かあるいは『修正間接民主制』をやらねばならない。今の政府は間接民主制をやっているから、みんなは政府を倒さねばならない。

[17611] 今の国民は政府の命令を聞けない。☆ h25.5.24
今の政府の命令には正しい命令とまちがった命令が混じっている。今の政府は『人間がみな平等である』ことに適[かな]っている命令と適っていない命令の両方を出している。[政府の法律も広義には政府の命令である。政府の憲法は第30条(納税の義務)と第20条(宗教の自由)だけが『人間がみな平等である』ことに反していて、それ以外は『人間がみな平等である』ことに適っている。政府は国民に法律に基づくいろんな命令を出している。だから、その中には正しい命令もあればまちがった命令もあるというわけである。]
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、今の国民は政府の命令を聞けばいいのか聞かなければいいのかわからない。[政府がどうしても国民に命令したければ、政府は自分の命令が正しい理由を国民にちゃんと言葉で説明しないといけない。国民は証明のない命令は聞かなくてもいい。国民は自分が正しいと思わない命令は聞かなくていい。しかし、実際には政府は何の理由も言わずに国民に命令している。]
政府の命令は正しい命令とまちがった命令が混じっている。だから、国民は政府の命令を聞くことができない。政府は国民の役に立たない。国民にとって政府は要らない。
だから、国民は政府を倒さねばならない。政府を倒して、国民に善い命令しか出さない法律会社を建てねばならない。
法律会社は民主主義でなければならない。法律会社はみんなと平等でなければならない。法律会社はみんなに従うからみんなに命令できるのである。ところが、今の政府はみんなに従わずにみんなに命令している。今の政府はまちがっている。だから、今の国民は政府の命令を聞かなくていい。政府は国民に命令できなくなって滅びるだろう。
政府は古臭い身分制で経営している会社である。しかし、今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだから、今の社会では身分制は認められない。平等制しか認められない。だから、政府は国民から税金をもらえずに滅ぶしかない。

[17612] 政府は戦後すぐに法律会社をやめるべきだった。 h25.5.24
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。みんなは『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。
ところが、今の政府は間接民主制をやって自分勝手な法律を決めて自分勝手なことをやって『人間がみな平等である』ことに反している。
だから、政府は犯罪組織である。
社会には犯罪組織があってはならない。だから、みんなで政府をやっつけねばならない。
政府は『人間がみな平等である』ことに反したことをやってはならない。だから、自分勝手な法律を決めてはならない。間接民主制をやってはいけない。
政府は戦後すぐに間接民主制をやめねばならなかったのだ。政府は戦後すぐに法律会社をやめねばならなかったのだ。
そうすれば、みんなで今の時代にふさわしい法律会社を検討して、政府の代わりに『人間がみな平等である』原理に従う法律会社を建てて法律の仕事をしてもらっていただろう。今の社会が善い社会になっていただろう。
今でも政府は間接民主制をやり続けている。政府はまちがったことをやり続けている。政府は犯罪組織をやり続けている。政府はみんなが幸福に暮らせない悪い社会にしている。みんなで早く政府を倒して、今の時代にふさわしい法律会社を建てねばならない。
政府は間接民主制が生み出した悪の団体ではなく、政府は自分が悪いことをするためにわざわざ間接民主制をやっているのである。今の社会では『人間がみな平等である』ことが原理だから、間接民主制をやってはいけないことは明白である。戦後の政府はすぐに直接民主制か修正間接民主制に変えたはずである。政府がそうしなかったのは、そもそも政府が『人間が平等である』ことに従わないからである。政府は犯罪組織だから、政府は悪いことをすることしか考えないから、政府を根こそぎ倒したほうがいい。政府とはまったく別に新たに国民と平等な悪いことをしない法律会社を建てたほうがいい。

[17613] 政府はいいわけをするな! h25.5.24
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。『人間がみな平等である』ことが今の社会の法律である。
とにかく政府は『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。
だから、政府がいけない。
間接民主制は政府のいいわけにすぎない。国民が選挙で善い人を選ばないことは政府のいいわけにほかならない。
みんなは政府のいいわけなんか聞かなくていい。
とにかく政府が悪い。政府は犯罪組織である。政府は人殺しまでやっているから犯罪組織に違いない。
社会には犯罪組織があってはいけない。それが社会の掟[おきて]である。
だから、とにかくみんなで政府を倒さねばならない。たとえ政府を倒したくなくても政府を倒さなければならない。

[17614] 今の政府は悪いことをやってはいけない。 h25.5.24
昔の政府は上の者だったから、政府がみんなを下の者扱いしてみんなを好き放題にしてよかった。政府が『人間の平等性』に反する悪いことをやってもよかった。
今の政府は国民と平等だから、政府が悪いことをやってもいい根拠がない。
それなのに、政府は悪いことをやっている。税金を取ったり命令したり人殺しをしたりしている。
政府は犯罪組織である。政府は本来やってはいけないことをやっている。
だから、みんなは政府を罰しなければならない。みんなは政府を倒さねばならない。
今のみんなが政府を倒さないのは自分に度胸がないだけだ。自分に正義の心がないだけだ。国民はいいわけをしてはいけない。他人のまちがいを認める者もまた悪い。国民は素直に政府を倒さなければならない。そうすれば何の才能もない人でも善い人になれるだろう。出世コースに乗れるだろう。楽して得ができるだろう。

[17615] 法律はなぜ変わるか?☆ h25.5.24
みんなの思想が変わるからである。
みんなの思想に反する法律がなくなって、みんなの思想に合う法律が出来る。
今ではみんなが『人間がみな平等である』と考えている。だから、今では税金の法律や国家宗教の法律がなくなっている。
たとえ、政府の法律に納税の義務や宗教の自由が定められていても、みんながそれらの法律が今のみんなの思想に合わないと思えば勝手に破っていいのである。それが、国民の総意というものである。
法律会社はみんなに従うだけである。国の法律は国のみんなで決める。法律会社はみんなで決めた法律を後[あと]から文字にするだけである。だから、国民は法律会社の法律よりも今のみんなの思想のほうに合わさなければならない。今のみんなの思想は『人間がみな平等である』ことだから、今の国民は『人間がみな平等である』ことを守って暮らせばいいのである。政府の命令を無視して暮らせばいいのである。
今の政府は間接民主制をやっているが、間接民主制をやること自体が『人間がみな平等である』ことに反しているから、国民は政府が作った法律を認めなくていい。政府が作った法律を守らなくていい。国民は政府の法律を無視して勝手にやればいいのである。

[17616] 今の国民は政府を意識しすぎている。 h25.5.24
法律会社はみんなの道具である。そもそも法律会社はみんなに従わない者を罰するためにある。
国民にとっては法律会社なんかどうでもいい。
国民はみんなに合わせて暮らせばいいだけである。
今のみんなは『人間がみな平等である』と考えているから、国民は『人間がみな平等である』ことを守って暮らせばいいのである。
政府は法律会社でありながら、みんなに背[そむ]いて自分勝手に『人間がみな平等である』ことに反する法律を作って『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。政府は民主主義の芝居をやって、自分が『人間がみな平等である』ことに反することをやっていないふりをしている。つまり、政府は強盗や強要や殺人や嘘[うそ]をやっている。今の政府は自分で自分を罰することを忘れている。
だから、今の政府はダメである。今の政府には法律会社としての役目がない。今の政府は国民が相手にする価値のないどうでもいいクズ会社である。
国民は『人間がみな平等である』ことを守って、政府の法律や政府の命令を無視して暮らせばいいのである。

[17617] 政府はみんなを不幸にしている。 h25.5.24
政府は犯罪組織である。政府は『人間がみな平等である』決まりを犯して、やりたい放題にやっている。
政府は年がら年中みんなの嫌がらせをしている。みんなが幸福に暮らせない国を作っている。
政府は普段は寝ているが、みんなを嫌がらせるときだけ必死かっぱで働くのである。政府は意地悪馬鹿[いじわるばか]なので、他人を嫌がらせるときだけやる気が出るのである。政府は国中から意地悪馬鹿を集めるために、間接民主制をやっているのである。
世の中に犯罪組織があっては、みんなが幸福に暮らせない。
政府のために日本が面白くない国になる。だから、みんなで政府を倒さねばならない。
政府は悪党の見本である。政府は上の者の時代にもさんざん悪いことをしていた。今の政府もあいかわらず悪いことをやっている。これまで国民はさんざん政府に不幸にされてきた。みんなはこれ以上政府に不幸にされないために、早く政府を倒して政府をなくさねばならない。

[17618] 『人間がみな平等である』社会においては政府は税金が取れない。☆ h25.5.24
今の社会の原理は『人間はみな平等である』ことである。国民みんなは『人間はみな平等である』ことをよく守っている。
ところが、政府は『人間はみな平等である』ことに反することをやっている。税金は政府が『人間はみな平等である』ことに反することをやっている証拠である。政府は間接民主制で自分勝手に自分が国民から税金を取っていい法律を決めて税金を取っているのである。直接民主制や修正間接民主制では税金の法律は絶対に決まらない。つまり、政府が自分の独断で国民みんなから税金を取っているにすぎない。政府はその他[ほか]にも、国家宗教でいろんな『人間はみな平等である』ことに反することをやっている。
政府は社会の原理を無視して自分勝手なことをやっている犯罪組織である。
国民にとっては政府は迷惑である。国民は犯罪組織に遠慮する必要はない。政府の法律は政府が自分で作ったインチキ法律である。
『人間がみな平等である』社会においては法律会社は間接民主制をやってはいけないから、政府の法律は不当である。みんなは政府の法律を守らなくていい。政府の命令は政府の法律を基[もと]にして作られているから、国民は政府の命令も聞かなくていい。
今の政府がいくら国民に法律や命令を出しても無駄[むだ]である。政府は国民から税金がもらえなくなって潰[つぶ]れるしかない。

[17619] 『人間がみな平等である』社会では法律会社は間接民主制をやってはいけない。☆ h25.5.24
間接民主制とは、法律会社が選挙をやれば自由に法律を決めていい制度である。
しかし、今の社会では『人間がみな平等である』ことが原理だから、いくら法律会社が選挙をやったからといって、法律会社が『人間がみな平等である』ことに反した法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反したことをやってもいいわけではない。
昔の社会では「政府が上の者だった」から、政府が選挙で自由に法律を決めることができただけである。今の社会では『政府と国民が平等』だから、政府がいくら選挙をやっても自由に法律を決めることはできない。つまり、最初から選挙はどうでもいいことだったのである。
だから、『人間がみな平等である』社会では法律会社は間接民主制をやってはいけないのである。【定理】
今の政府の法律は間接民主制で作られているから不当である。だから、みんなは政府の法律を守らなくていいのである。

[17620] 今の政府は上の者ではない。 h25.5.24
昔の政府は上の者だった。だから、政府は下の者である国民を好き放題にしてもよかった。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を殺したりしてもよかった。政府は本来やっていいことをやっていた。政府は悪くなかった。だから、みんなは政府を倒さなかった。
しかし、今の政府は国民と平等である。だから、今の政府は国民を好き放題にしてはいけない。それなのに、今の政府は国民を好き放題にしている。政府は本来やってはいけないことをやっている。だから、今の政府は犯罪組織である。今の政府はひたすら悪いだけである。悪者は罰せられねばならない。だから、みんなは政府を倒さねばならない。
今の政府は大きな犯罪組織である。政府は国民から無理やり税金を取ったり隠れて国民に命令したり密かに国民を殺したりしている。
しかし、国民みんなのほうが政府よりも大きいから、政府は国民みんなの敵ではない。だから、国民みんなで政府を倒せばいいのである。政府は国民みんなから無理やり税金を取っているから、国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。
今の政府は上の者ではない。今の政府は大きい犯罪組織にすぎない。昔の政府は国民みんなが従うボスだったが、今の政府は国民みんなの嫌われ者である。今の政府には誰も従う者がいない。今の政府は400万人のちっぽけな団体にすぎない。だから、今の国民は誰にも遠慮せずに思う存分[ぞんぶん]政府を倒せばいいのである。

[17621] 今のみんなは『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。 h25.5.25
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。けっして「政府の憲法」ではない。
政府の憲法は今の社会の原理に適[かな]っていない。だから、政府の憲法は今の社会では通用しない。政府の憲法では政府が国民から税金を取ったり国民に国家宗教の命令をしたり国民を国家宗教で虐待できることになっていて、政府と国民が不平等である。政府の憲法は犯罪組織の政府が自分勝手に作ったニセモノの憲法である。だから、政府にとって有利なのである。みんなは政府の憲法を本物の憲法だと思って騙[だま]されてはいけない。みんなはただひたすら『人間がみな平等である』ことを守ればいいのである。
今の社会ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守って暮らせばいい。今の社会ではみんなが「政府の憲法」を守らなければいい。みんなが政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいい。
そうすれば世の中はうまくいくだろう。

[17622] 今の社会に政府があってはならない。 h25.5.25
政府は今の社会の『人間がみな平等である』原理に反する法律を決めて、その法律に基づいてみんなに命令を出してみんなに今の社会の原理に反することをさせて社会を狂わせる機関である。
今の社会に政府があってはいけない。
政府はなくならねばならない。
だから、みんなで政府を倒さねばならない。みんなで『人間はみな平等である』ことを守って、政府の命令を聞かないようにして、政府を倒せばいいのである。
今の政府は上の者でもなんでもないただの犯罪組織である。政府は今の社会の原理に反することをやっている犯罪組織である。政府は勝手に今の社会の原理に反する法律を決めて今の社会の原理に反することをやっている。今の政府は国民と平等な犯罪組織である。だから、みんなで政府を倒せばいいのである。みんなで政府を倒して犯罪組織のない社会にすればいいのである。

[17623] 政府の憲法(日本国憲法)の仕組み h25.5.25
第20条(宗教の自由)で政府は宗教の自由を保障して、一見『人間がみな平等である』原理に基[もと]づいているように見せかけて、じつは政府が国家宗教で『人間がみな平等である』原理に反することをやっている。政府は国家宗教で(つまり超能力者(神武天皇や私)の情報を使って)みんなに命令を出したりみんなを虐待したりしている。国家宗教では神(超能力者)の情報を使いさえすれば何をやってもいいから、国家宗教ではほとんど何でもできるから、政府は何でもできる。政府は憲法第1章で天皇を神としていないことにしているが、天皇の情報を使って国家宗教をやっているのである。
第30条(納税の義務)で政府はみんなから税金を取っている。政府は自分が何も悪いことをしていないふりをすることによって、みんなに政府が税金を取ってもいいと思わせて税金を取っているのである。しかし、本当は政府は憲法第20条でさんざん悪いことをやっている。そもそも税金を取ることは『人間がみな平等である』ことに反するから取ってはいけない。
したがって、政府の憲法は今の社会の『人間がみな平等である』原理に反する。
だから、政府の憲法は今の社会では成り立たない。
だから、みんなは政府の憲法を守らなくていい。政府の命令は政府の憲法に基づいて出されているから、みんなは政府の命令を聞かなくていい。みんなは政府を無視して、政府を社会から追放して、政府を倒せばいいのである。

[17624] 今の政府は法律会社として失格である。 h25.5.25
国の法律は国のみんなで決めるものである。法律会社はみんなで決めた法律でみんなを管理しなければならない。
ところが、今の政府は自分勝手に決めた法律でみんなを管理している。
昔はみんなが「政府が上の者だ」と思っていたから、「政府が上の者である」ことが国の法律だったから、政府が上の者をやって自分の好き勝手な法律を決めて好き勝手なことをやっていた。昔はみんなが「上の者は何でもやっていい」と思っていたから、政府は国を自分の好き放題にしていたのである。
今はみんなが『人間はみな平等である』『政府と国民が平等である』と考えているから、『政府が国民と平等である』ことが国の法律である。だから、今の政府は国民と平等にしなければならない。政府は『人間がみな平等である』原理に適[かな]った法律を決めて、『人間がみな平等である』国にしなければならない。
それなのに、今の政府は自分勝手に政府と国民が不平等な法律を決めて不平等なことをやっている。
今の政府は法律会社として失格である。昔の政府は法律会社として合格だったが、今の政府は失格である。
だから、みんなで今の政府を倒さねばならない。みんなで政府の法律を守らないようにして、政府の命令を聞かないようにして、政府を倒さねばならない。
政府は間接民主制をやっている。間接民主制では政府が好き勝手に法律を作れることになっている。間接民主制では政府が『人間がみな平等である』ことに反する法律を作って、政府が自分で『人間がみな平等である』ことに反することをしたり政府がみんなに『人間がみな平等である』ことに反することをさせたりできることになっている。今の政府は今の社会の『人間がみな平等である』原理に反している。だから、みんなで政府を倒さねばならない。『人間がみな平等である』ことに反する者のいない社会にしなければならない。
みんなは早く政府を倒して、今の社会の原理に適[かな]っている直接民主制や修正間接民主制をやる法律会社を建てねばならない。中世にみんながインドを上の国だと思ってインド文化をやるようになってみんなで幕府を建てたら、みんなが政府に従わなくなって幕府に従うようになって政府が潰[つぶ]れて幕府になった。だから、今もみんなが『人間がみな平等である』と考えてみんなと平等にしてみんなで直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てたら、みんなが政府に従わなくなって直接民主制か修正間接民主制の法律会社に従うようになって政府が潰れて直接民主制か修正間接民主制の法律会社に変わるだろう。とにかく、今のみんなは政府に従う必要はない。だから、みんなは政府に従うのをやめて政府を倒せばいいのである。

[17625] みんなは政府の憲法や政府の命令を守らなくていい。 h25.5.25
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今ではみんなが『人間がみな平等である』と考えている。
政府の憲法は今の社会の原理に反している。
だから、みんなは政府の憲法を守らなくていい。
政府は政府の憲法に基づいて命令を出しているから、政府の命令は今の社会の原理に反している。
だから、みんなは政府の命令を聞かなくていい。
みんなは政府を無視して『人間がみな平等である』ことを守って暮らせばいい。

[17626] 今は時代の変わり目である。 h25.5.25
昔はみんなが「政府が上の者だ」と思っていた。だから、政府が上の者をやっていた。政府が間接民主制をやって自分の好き勝手な法律を決めて自分の好き勝手なことをやっていた。
今はみんなが『人間はみな平等である』と考えている。だから、みんなで直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てて、直接民主制か修正間接民主制の法律会社に仕事をやってもらわねばならない。
ところが、今の政府は自分が『人間がみな平等である』原理に従っているふりをして国民を騙[だま]して国民から税金をもらって生き残っている。政府は本当は『人間がみな平等である』原理に従わずに、昔と同じように上の者をやっている。政府は「政府が上の者である」国を作る法律会社である。
今の政府がいけない。だから、みんなで早く政府を倒して、新しい直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てて、新しい法律会社に仕事をしてもらわなければならない。みんなは『人間がみな平等である』国を作る法律会社を建てて『人間がみな平等である』国を作ってもらわなければならない。
政府は『ヨーロッパみたいな』国を作る法律会社(つまり政治機関)である。幕府は「インドみたいな」国を作る法律会社である。政府も幕府も「上の者がいる」「法律会社が上の者である」国を作る法律会社である。直接民主制か修正間接民主制の法律会社は『人間がみな平等である』『法律会社と国民が平等である』国を作る法律会社である。今のみんなは『人間がみな平等だ』と考えている。だから、今の社会には直接民主制か修正間接民主制の法律会社が必要なのである。
法律会社はみんなの思想に合った国を作らねばならない。法律会社がみんなの思想と違う国を作ったら大変である。だから、今の社会には『人間がみな平等である』国を作る法律会社がなければならない。江戸時代は「インド文化をやる」時代だったから、江戸時代に『ヨーロッパ文化をやる』国を作る政府があったら変である。明治時代は『ヨーロッパ文化をやる』時代だったから、明治時代に「インド文化をやる」国を作る幕府があったら変である。現代は『人間がみな平等である』時代だから、現代に「政府が上の者である」国を作る政府があったら変である。だから、みんなで早く政府を倒して政府のない国にしないといけない。

[17627] 今では国家宗教をやってはいけない。 h25.5.25
人間は誰でも超能力が使える。
人間の中の超能力が強い者が超能力者である。
人間の超能力の強さは連続的に分布している。
人間には誰でも多かれ少なかれ超能力がある。
人間と超能力者の間に線は引けない。
だから、超能力者を特別視して国家宗教をやってはいけない。
人間の超能力や体力は大したものではない。超能力や体力があってもあまり役には立たない。人間は知力が優れているだけである。知力は他人の役に立つ。だから、どうせ崇[あが]めるなら頭のいい人を崇めたほうがいい。

[17628] 政府は社会の異物である。 h25.5.25
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。みんなは『人間がみな平等である』原理に従っている。
ところが政府は『人間がみな平等である』原理に従っていない。政府は『人間がみな平等である』原理に従っているふりをして、本当は『人間がみな平等である』原理に従っていない。政府は本当は「政府が上の者である」原理に従っている。政府はひとりだけみんなと違う原理に従っている。政府は社会の異物である。
だから、みんなは政府に従ってはいけない。
みんなは『人間がみな平等である』ことに従って、政府の法律や政府の命令に従わないようにして、政府を倒して政府をなくさねばならない。

[17629] 政府は「政府が上の者である」国を作る法律会社である。 h25.5.25
今の社会の原理は『人間はみな平等である』ことである。みんなは『人間がみな平等である』ことを守って暮らしている。
ところが、政府は「政府が上の者である」国を作る法律会社(つまり政治機関)である。政府はひと昔前の法律会社である。政府は「政府が上の者である」法律を作って、「政府が上の者である」法律に基[もと]づいてみんなに命令を出している。政府は自分で「政府が上の者である」ことをやって国民を虐待している。
だから、みんなは政府に従ってはいけない。みんなは政府の法律や政府の命令を守ってはいけない。みんなは政府に税金を払ってはいけない。
みんなは早く政府を倒して、『人間がみな平等である』国を作る法律会社を建てねばならない。

[17630] 超能力者は本当にいるか?! h25.5.25
神武天皇は野原でナガスネヒコと戦っているとき、突然空中に光る玉が現れてナガスネヒコの大軍を焼き払った。
私は生後1〜2ヶ月の赤ちゃんの頃[ころ]に、夜中に突然私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが回った。
そのために、神武天皇や私は政府によって神だと認定されている。もっとも、今では人間が心で物を見ないから、正確には神というよりも超能力者である。
つまり、神武天皇や私は政府によって超能力者と認定されている。普通の人間には超能力はないが、1兆人に1人ぐらいの確率で超能力者が現れるのである。超能力者の概念は現代でも通用する科学的概念である。
もっとも、今のところはまだ科学的に超能力があるという確証はない。だから、神武天皇や私を超能力者だと断定することはできない。厳密には“珍しい現象が身近で起こった人”と考えねばならない。現在の科学で説明がつかないからといって、すぐに身近にいた人の超能力のせいにするのはいけない。未知の自然現象であるかもしれない。しかも、政府はひと昔前の科学がなかった時代の法律会社である。政府の判断では信用が置けない。
超能力者の存在は、科学的に超能力があることが実証されるまでは謎[なぞ]にしておくしかなさそうだ。

[17631] 政府は自分だけの国を作っている。 h25.5.25
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことである。
ところが、政府は自分勝手に「政府が上の者である」憲法を定めて、「政府が上の者である」憲法に基づいてみんなに命令を出したり自分で上の者をやったりして「政府が上の者である」国を作っている。
政府は自分の国を作っている。政府は自分と自分に従う者たちだけで日本の中に自分だけの小さな国「政府国」を作っている。政府国は日本から独立した国である。[昔流行[はや]った“自分国”や“抜け忍”[ぬけにん]は政府のことである。『らんま1/2』熱闘編第140話「忍の犬は白と黒」に登場する抜け忍の犬は政府のことである。政府は表ではみんなと平等にして、裏では上の者をやっているから白と黒なのである。]
国民はみんなの国で暮らして、政府の国で暮らしてはいけない。国民は『人間がみな平等である』法律を守って、政府の法律や政府の命令を守ってはいけない。

[17632] 政府はまちがった法律を広める悪い法律会社である。 h25.5.26
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことである。
ところが、政府はみんなに従わずに、自分勝手に「政府が上の者である」ニセモノの憲法を定めてみんなを騙[だま]してみんなにニセモノの法律を守らせてみんなを政府に従わせて政府の言いなりにしている。政府は国民からいくらでも税金を取ったり、国民を好き放題に国家宗教で虐待している。
国民は政府のニセモノの法律を守らずに、『人間がみな平等である』本物の法律を守らなければならない。
国民は『人間がみな平等である』法律を守って、政府に税金を払わないようにして、政府の命令を聞かないようにして、政府を倒さねばならない。
人間は自分が正しいと信じる考えで物を見て生きていけばいいのである。『人間がみな平等である』という考えで世の中を見ながら暮らせばいいのである。政府に税金を払わず、政府の命令を聞かず、自分が利用した政府のサービスの分だけ政府にお金を払って良い子に暮らせばいいのである。

[17633] 弱い会社ほどよく宣伝する。 h25.5.26
戦後は科学の時代になった。みんなが頭で物を見るようになった。みんなが心で物を見なくなった。「上の者」がいなくなった。
そのため、戦後の日本に『人間がみな平等である』新しい法律が出来た。
ところが、政府はこの新しい法律を無視して、昔と同じように「政府が上の者である」法律を定めて上の者をやっている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりしている。
政府はみんなと違う道を歩んでいる。政府の道は自滅の道である。
国民はみんなに従って、政府に従ってはいけない。政府はテレビや新聞で宣伝が多いだけである。本当に力のあるのはみんなである。実力ではみんなが政府よりも上である。みんなが強い。政府は弱い。政府は弱いからよくしゃべるのである。みんなは強いから黙[だま]っているのである。だから、国民はみんなに従って『人間がみな平等である』法律を守って、政府の法律や政府の命令を守ってはいけない。

[17634] 政府の法律は今の日本に合っていない。 h25.5.26
戦後は日本の文明が高くなった。そのため、みんなが頭で物を見るようになった。心で物を見なくなった。「上の者」は人間の敬意の感情が作り出した架空の生き物だった。そのために、戦後の日本では「上の者」がいなくなった。だから、『人間がみな平等』になった。法律は社会の発展段階によって客観的に必然的に決まるものである。戦後の日本に『人間がみな平等である』法律が出来たことは、日本の文明が高くなったことによる必然的な結果である。大昔の人が家を建てて財産を蓄えて暮らすようになると“自分の物”という概念が出来て、『他人の物を奪ってはいけない』『他人を殺してはいけない』という法律が出来たのと同じことである。
それなのに、政府はこの事実に反して、昔と同じように「政府が上の者である」まちがった憲法を定めている。
政府の法律は今の日本に合っていない。政府の法律はまちがっている。政府の法律は昔の日本の法律であって、今の日本の法律ではない。
だから、みんなは政府の法律を守ってはいけない。今の日本にふさわしい新しい『人間がみな平等である』法律を守らねばならない。
政府は日本にまちがった法律を広める悪の法律会社である。だから、みんなは政府のまちがった法律を無視して政府を潰[つぶ]して、『人間がみな平等である』正しい法律を守って暮らせばいいのである。

[17635] 今の政府は間接民主制をやっているから悪い。☆ h25.5.26
今の日本では『人間がみな平等である』ことが正しい。それが今の日本の法律である。国のみんなが『人間がみな平等である』法律を守らなければならない。
ところが政府は「間接民主制」をやっている。間接民主制では、法律会社が自分勝手な法律を決めることができる。法律会社が『人間がみな平等である』ことに反する法律を決めて『人間がみな平等である』ことに反することができる。だから、今の政府は『人間がみな平等である』ことに反している。実際に、今の政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教の命令をしたり、国民を国家宗教で虐待したりしている。
政府は『人間がみな平等である』法律を守っていない。政府が間接民主制をやっているかぎり、政府は『人間がみな平等である』ことを犯している。
だから、今の日本に政府があってはならない。みんなで政府を倒して政府をなくして、日本をみんなが『人間がみな平等である』法律を守る国にしなければならない。
『人間がみな平等である』社会では、法律会社は間接民主制をやってはいけない。法律会社は直接民主制か修正間接民主制をやらねばならない。早くみんなで政府を潰[つぶ]して、直接民主制か修正間接民主制をやる法律会社を建てねばならない。

[17636] どうして今でも政府が残っているか? h25.5.26
今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことである。
ところが、政府は『人間がみな平等である』ことに反している。
当然、みんなは政府を倒して、国から政府を消してしまっているはずである。
それなのに、今でも政府は残っている。
それは、政府に従う馬鹿がいるからである。馬鹿は自分の誤解のためにまちがったことばかりやっている。自分が本当は政府を倒さねばならないのに、政府に従って喜んでいるのである。
みんなは社会科を正しく理解して、政府をまちがった法律を広める悪い法律会社だと考えて、政府に従ってはいけない。今の日本の法律が『人間がみな平等である』ことだと考えて、政府の命令を無視して、政府に税金をやらないようにして、政府を倒さねばならない。

[17637] みんなは政府の法律に騙[だま]されなければいい。 h25.5.26
今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことである。
ところが、今の政府は「政府が上の者である」ニセモノの法律を定めて、みんなを騙[だま]して政府に従わせている。
それなら、みんなは政府のニセモノの法律に騙されないようにすればいい。
みんなは政府の法律をニセモノだと考えて、政府の法律を無視して、政府の法律を守らなければいい。みんなは『みんなが平等である』本物の法律を守って、みんなと平等にして政府と平等にして暮らせばいい。
今の政府はニセモノの法律でみんなを騙してみんなからお金を取っている詐欺[さぎ]会社である。今の政府は昔の政府の法律を変えずに使っているから、そんなことになってしまったのだ。法律会社には自分の法律を変えてはいけない決まりがあるようだ。政府は自分の法律が変えられなければ、戦後すぐに自分で潰[つぶ]れてなくなってしまえばよかったのだ。法律会社には自分で潰れてはいけない決まりでもあるのだろうか?国民がわざわざ法律会社に従わないようにしてやって法律会社を潰してやらねばならないようだ。法律会社は国民に世話を焼かすな!

[17638] 今は国が2つに分かれている。 h25.5.26
昔はみんなが「政府が上の者である」法律を決めていた。
政府は「政府が上の者である」法律を決めていた。
だから、昔はみんなと政府が調和していた。みんなと政府がなかよくケンカをしていた。
しかし、今はみんなが『人間がみな平等である』法律を決めている。
政府は「政府が上の者である」法律を決めている。
だから、今ではみんなと政府が対立している。みんなと政府が仲が悪くて口も利[き]かなくなっている。
今はみんなは『人間がみな平等である』ことを守って暮らしている。みんなは政府に税金を払わずに、政府の命令を聞かずに、自分が利用した政府のサービスの分だけ政府にお金を払っている。
一方、政府は「政府が上の者である」ことを守ってやっている。いまだに政府は国民を国家宗教で虐待している。
今は国が2つに分かれている。
しかし、今では『人間がみな平等である』ことが正しいと考えられている。だから、国民はみんなの側[がわ]に付いて、政府の側に付いてはいけない。政府の法律は正しくない。国民は政府の法律を守らないようにして、政府を無視して、政府を倒さねばならない。

[17639] どうして今の政府は小さくなっているか? h25.5.26
今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことである。「政府が上の者である」ことではない。
そのため、今ではみんなが『人間がみな平等である』ことを守っている。「政府が上の者である」法律を守る者は少なくなっている。
国民はみんなに従うようになって、政府に従わなくなっている。
政府に従う者が減っているから、政府は小さくなっているのである。政府に従う者が減っているから、政府は国民からお金を取れなくなって、政府は小さくなっているのである。
今の政府が小さくなっていることが、政府に従う者が減っている証拠である。
今では国民は政府に従わないものである。だから、国民は政府に従わずに政府を滅ぼせばいいのである。

[17640] 今の社会には政府があってはならない。☆ h25.5.26
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。人間は原理に従って考えて行動しなければならない。
『人間がみな平等である』社会には、間接民主制をやる法律会社があってはならない。
政府は間接民主制をやる法律会社である。
だから、今の社会には政府があってはならない。政府は今の社会の原理に反するから政府があってはならない。
みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。
みんなで政府の代[か]わりに直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てねばならない。

[17641] 今の政府は民間会社と同じようにしなければならない。 h25.5.26
昔は「上の者がいた」「上の者は何でもやってよかった」「政府が上の者だった。」だから、みんなは政府に服従した。政府はみんなを好き放題にした。政府はみんなから税金を取ってみんなに好き放題な命令をしてみんなを好き放題に虐待した。しかし、政府以外の会社はみんなと平等だった。みんなは政府以外の会社とは平等にして契約してお金を払って仕事をしてもらっていた。
今は『上の者がいない』『人間がみな平等である』『政府はみんなと平等である。』だから、今では政府は他の民間会社と同じである。だから、みんなは政府と平等にしなければならない。みんなは政府と契約してお金を払って仕事をしてもらわねばならない。『政府はみんなと平等である』から、政府は他の民間会社と同じようにしなければならない。政府は国民一人一人と契約してお金をもらって仕事をしなければならない。政府がそうしてくれないなら、みんなは政府を倒して、政府の代[か]わりに直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てねばならない。

[17642] どうして国民は政府に税金を取られても文句[もんく]を言わないのか? h25.5.26
今の国民が心で物を見ているからである。
今の国民は「政府が上の者である」と思うほど心で物を見ないが、『税金がまちがっている』と思うほど心で物を見ないわけではないのである。
今の国民は自分の生活があまり困らないから、政府が税金を取るのを大目に見て許しているのである。今の政府は国民の生活が困るほど国民から税金を取らないから、国民はあまり政府を嫌だと思わず、国民は政府が税金を取るのを許しているのである。要するに、国民は税金をあまり嫌だと思わないから、政府に税金を払っているのである。つまり、政府は国民があまり嫌がらない程度に税金をチョロチョロ取っているのである。政府は人間の心理をよく研究して、国民をあまり嫌がらさないやり方で上手[じょうず]に税金を取っているのである。
しかし、今は科学の時代である。今の国民は自分の頭で物を見ないといけない。
頭で物を見ると『税金はまちがっている。』政府が国民から税金を取ることは『人間の平等性』に反することだから、税金はまちがっている。政府は国民から1円でも税金を取ってはいけない。今の社会の原理は『人間が平等である』ことである。だから、政府は国民から税金を取ってはいけない。国民は政府に税金を払ってはいけない。それが、今の社会の本当の姿である。

[17643] 今の時代には今の時代にふさわしい社会がある。 h25.5.26
社会科学は法律学と同じである。時代によって社会の法律が変わっているのである。
大昔は人間が家に住んでいなくて外で裸で寝ていたから、みんなは“自分の物”の概念を持っていなくて、他人の物を奪ったり人間を物と同じだと思って人間を捕らえて売ったりしていた。つまり、奴隷制があった。
文明が進むと人間が家に住むようになって自分の財産を家に蓄[たくわ]えるようになって、みんなは“自分の物”の概念を持つようになって、他人の物を奪ったり他人を殺したりしてはいけないと思うようになって『他人の物を奪ってはいけない』『他人を殺してはいけない』法律が出来た。『他人の身体は他人のものだ』と考えられて奴隷制がなくなった。
戦前は文明が低くてみんなが心で物を見ていたから“上の者”の概念を持っていて「上の者がいる」「上の者は何をやってもいい」「政府が上の者である」と思って政府に服従していた。政府はみんなを好き放題にしていた。政府はみんなから税金を取ってみんなに好き放題に命令したりみんなを好き放題に虐待していた。昔は「政府が上の者である」法律があって、政府が間接民主制で自由に法律を決めて好き勝手にやっていた。
戦後になると文明が高くなって人間が頭で物を見るようになって“上の者”の概念がなくなって『上の者がいない』『人間はみな平等である』『政府はみんなと平等である』と考えるようになって政府と平等にするようになった。今は『人間がみな平等である』法律がある。政府は間接民主制をやっている。『人間がみな平等である』社会では、間接民主制をやる法律会社があってはならない。そのために、みんなで政府を潰[つぶ]して、直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てている。
文明が高くなるとみんなの思想が変わって法律が変わって社会が変わる。いつの時代でもそうである。今の時代には今の時代にふさわしい思想や法律や社会がある。みんなで早く今の時代にふさわしい社会を実現しないといけない。

[17644] 今の政府は日本の法律を犯している。 h25.5.26
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことである。
それなのに、政府は国民から税金を取っている。
政府は日本の法律に反している。
だから、国民は政府に税金を払わなくていい。

[17645] 今の政府はどうして国民から税金を取っているか? h25.5.26
今の国民が政府に税金を払っているのは、国民が心で物を見ているからである。国民は税金があまり嫌だと思わないので、政府に税金を払っているのである。
つまり、心で物を見る者が政府に税金を払っているのである。
今は頭で物を見る時代だから、心で物を見る者が悪い。
だから、政府は悪い国民から税金を取っているのである。国民から税金を取る政府も悪いが、政府に税金を払う国民もまた悪いのである。政府は悪い国民から税金を取っているので、かまわないのである。だから、みんなは政府のやっていることを許しているのである。
頭で物を見る国民は、政府が国民から税金を取るのは『人間の平等性』に反することだからいけないことだと考えて、政府に税金を払わなければいいのである。政府は国民に『人間がみな平等である』ことに適[かな]っていないまちがった命令を出したり、国家宗教で国民を殺したり虐[いじ]めたりしているから、政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。
暴力団が国民からお金を取るのも同じ理屈である。国民は暴力団に多少お金を取られてもあまり嫌だと思わないから暴力団にお金をやっているのである。暴力団は心で物を見る国民からお金を取っているのである。暴力団は悪い国民からお金を取っているのである。暴力団は悪い国民を罰しているので暴力団は悪くないのである。だから、みんなは暴力団を許しているのである。
つまり、今では政府も暴力団も『人間がみな平等である』原理に従っているのである。今の暴力団は国民を暴力で脅[おど]すだけで国民に暴力をふらない。いくら国民が心で物を見ないといっても、暴力団が国民の身体を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして痛がらせて言うことを聞かせるのはいけない。今の暴力団は国民に暴力をふらない。だから、今の政府も国民に税金を取ると言って国民を脅すだけで、国民が政府に税金を払わなくても国民を牢屋に入れたりして罰したりはしない。今の政府にできるのは国民に税金を取ると言って国民を脅すことだけである。だから、今の国民は政府を恐れずに政府に税金を払わなければいいのである。
もっとも、今は科学の時代なので、頭で物を見る者が増えて、心で物を見る者が減っている。そのために、政府や暴力団に従う国民が減っている。政府や暴力団は国民からお金が取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。

[17646] 政府の法律は政府が国民を攻撃するための武器である。 h25.5.26
今の政府は『人間がみな平等である』ことに反するまちがった法律を定めて、まちがった法律に基づいて国民にまちがった命令を出したり自分がまちがったことをやったりしている。
政府は国民から財産を奪ったり国民に好き放題な命令を出したり国民を好き放題に虐待している。
政府の法律は政府が国民を攻撃するための武器である。本来は国民を守るためにあるはずの法律が政府によって国民を攻撃する武器に変えられているのである。昔の政府が上の者である時代には政府が国民を攻撃してもよかったが、今の政府が国民と平等である時代には政府は国民を攻撃してはいけない。
そもそも今の政府の憲法が『人間がみな平等である』ことに反するからいけないのである。政府が間接民主制をやるからいけないのである。みんなは早く政府を倒して、直接民主制か修正間接民主制をやる法律会社を建てねばならない。

[17647] 今の国民はもっと頭で物を見ないといけない。 h25.5.26
今の国民はいまだに心で物を見ている。
今の国民は自分があまり困らなければ他人が何をやってもいいと思っている。
だから、今の国民は政府が税金を取るのを許しているし、政府の国家宗教の命令を聞いているし、政府に虐待されても文句を言わずにいる。
国民が心で物を見ているから、政府は昔と同じことをやっている。上の者をやっている。
今の国民はもっと自分の頭で物を見ないといけない。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。政府は間接民主制の法律会社(政治機関)である。間接民主制の政治機関は自分の好き勝手な法律を作って自分の好き勝手なことがやれるから、『人間がみな平等である』原理に反する法律を作って『人間がみな平等である』原理に反することがやれるから、『人間がみな平等である』社会には政府があってはいけない。みんなは早く政府を倒して、政府のない社会にしなければならない。税金は『人間がみな平等である』原理に反している。だから、みんなは政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。政府の代[か]わりに直接民主制か修正間接民主制の法律会社を建てねばならない。修正間接民主制の政治機関なら今の技術でも十分実現できる。
今は科学の時代である。みんなは心よりも頭で物を見ないといけない。頭で物を見れない者はみんなに落ちこぼれだと見なされて社会から捨てられる。

[17648] 今の政府はもっとまじめに法律の仕事をしないといけない。 h25.5.26
国民の多くが心で物を見ている国では、政府も心で物を見ていると考えられる。国民も政府も似たり寄ったりである。国民もアホなら政府もアホである。みんながアホである。
今の国民が自分があまり困らなければ他人が何をやってもいいと思っているように、今の政府も自分があまり困らなければ他人に何をやってもいいと思っている。
だから、今の政府は何食わぬ顔で国民から税金を取っているし、国民に国家宗教で嫌がらせの命令を出しているし、国民を国家宗教で殺したり虐[いじ]めたりして虐待している。
国民が政府におとなしく従っているので、政府は困らないので、政府は昔と同じように上の者をやっている。
政府は今の社会の原理である『人間がみな平等である』ことを守って、間接民主制から直接民主制に変えて、まじめに法律の仕事をしないといけない。
ヨーロッパでは国民も政府もみんなが頭で物を見ているから、政府が自分で正しく考えて自主的に直接民主制をやっている。ヨーロッパ人は頭がいいから、進んだ技術があるから直接民主制の法律会社を作れるのである。政府が直接民主制をやってくれるおかげで、国民も政府もみんなが幸福に暮らしている。
一方、日本では国民も政府もみんなが心で物を見ているから、政府が自分勝手に間接民主制をやっている。政府は自分の欲の皮を突っ張って自分にとって有利にするためにわざわざ時代遅れの間接民主制をやっているのである。政府が間接民主制をやって国民を好き放題にしているために、政府が天国で国民は地獄である。
頭がいい国と頭が悪い国では雲泥[うんでい]の差である。
今の日本人はたるんでいる。ヨーロッパ人に大きく負けている。私が頭で物を考えられるようになるまでには28年もかかった。これでは遅い。普通の人は仕事をしている年齢だから、一生死ぬまで頭で物を見れないままだ。日本の文化を変えて、日本をみんなが頭で物を見れる国にしないといけない。
日本では国民がアホなせいで、国民が心でしか物を見れないせいで、みんなが政府に嫌な目に合わされている。国民はもっと努力して頭で物が見れる大人にならねばならない。

[17649] 心と頭の戦い h25.5.26
みんなが心で見る国では、法律会社が間接民主制をやっている。法律会社が国民を好き放題にしている。
みんなが頭で見る国では、法律会社が直接民主制をやっている。法律会社が国民を幸福にしている。
今の日本は政府が間接民主制をやっているから、日本は心の国である。
今のヨーロッパでは政府が直接民主制をやっているから、ヨーロッパは頭の国である。
今は科学の時代である。人間が頭で見る時代である。だから、日本はヨーロッパを見習って、みんなが頭で物を見ないといけない。法律会社は直接民主制をやらねばならない。

[17650] みんなは頭で物を見なければならない。 h25.5.26
日本ではみんなが心で物を見るために、国民が政府に好き放題にされて不幸にされている。
ヨーロッパではみんなが頭で物を見るために、国民が政府に幸福にされている。
みんなが心で物を見る国では、政府が国民を好き放題にして、国民が不幸になるだけである。
反対に、みんなが頭で物を見る国では、政府が国民を正しく法律で管理して、国民が政府に幸福にしてもらえる。
だから、みんなは頭で物を見なければならない。人間は自分の脳を自由に使うことができるから、今後はみんなは自分の心よりも頭を使うようにしなければならない。
そもそも政府は法律会社である。政府はみんなで決めた法律でみんなを管理する会社である。そもそも政府は国民のためにある会社である。国民のためにある会社が国民を不幸にしてはいけない。[昔は「政府が上の者である」という余計な法律があったために、国民が政府に不幸にされることになってしまったが。]だから、みんなが自分の頭で考えて物事が理解できるようにならねばならない。

[17651] 善[い]い人とは何か? h25.5.26
善い人とは頭で考える人である。悪い人とは心で思う人である。
ヨーロッパが善い国なのは、ヨーロッパが善い人が多いからである。
日本が悪い国なのは、日本が悪い人が多いからである。
善い人が多い国では、政府が直接民主制をやってみんなのためになる法律を作ってくれる。
悪い人が多い国では、政府が間接民主制をやって自分のためになる法律しか作らない。
善い国であるためには、みんなが頭で考える人でなければならない。
だから、日本もヨーロッパを見習ってみんなが頭で考えるようにしなければならない。

[17652] 今では頭で考えるほうが正しい。 h25.5.26
国民が政府に税金を払うのは、国民が政府に税金を取られてもあまり嫌ではないからである。
だからといって、政府が国民から税金を取っていいわけではない。
政府が国民から税金を取ることは、今の社会の『人間がみな平等である』原理に反するから、政府は国民から税金を取ってはいけない。政府は税金の法律を定めているが、税金の法律は今の社会の『人間がみな平等である』原理に反するから、政府は税金の法律を定めることができない。政府の税金の法律は無効である。
だから、心で思う者は政府に税金を払うが、頭で考える者は政府に税金を払わない。心で思う者と頭で考える者ではやることが反対である。
今は科学の時代だから、今では人間は頭で考えることになっている。だから、今では国民が政府に税金を払わないほうが正しい。だから、みんなは政府に税金を払わなければいいのである。

[17653] どうして今でも政府が残っているか? h25.5.26
国民の多くが心で物を見ているからである。
国民の多くは政府に税金を取られても自分があまり嫌ではないので政府に税金を払っている。
だから、今でも政府が残っているのである。
しかし、そのために、政府はいろんな悪いことをやって大勢の人々に迷惑をかけている。
今では本当は『国民が政府に税金を払わない』ことが正しい。今の政府は「国民が政府に税金を払わねばならない」ニセモノの法律を定めてみんなを騙[だま]して税金を取っているのである。
だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
そうすれば、国民は自分のお小遣[こづか]いが増えて楽しいからいいのである。

[17654] 最近の多数決は昔とは違う。 h25.5.26
今の国民の大半は心で物を見ているから、頭で何も考えていないから、政府のニセモノの法律に騙[だま]されて政府の言いなりになって「国民が政府に税金を払わねばならない」と思っている。
だから、直接民主制によれば、多数決によれば、「国民が政府に税金を払わねばならない」法律が決まってしまう。
しかし、今は科学の時代なので、人間が頭で物を見る時代なので、法律は心で決めるのではなく頭で決めねばならないことになっている。みんなで話し合って頭でよく理解してから後で、多数決を採[と]って心で決めねばならないことになっている。頭で理解すると『国民が政府に税金を払わなくていい』ことがわかる。科学では心は頭に従わねばならない。だから、今では「国民が政府に税金を払わねばならない」法律は決まらないのである。

[17655] 政府がなくなったほうが国民の生活がうまく行く。 h25.5.26
今は科学の時代である。心は頭に従わねばならない。だから、頭で正しいことはそのまま通用する。
今の社会の原理は『人間はみな平等である』ことである。今の社会は『人間がみな平等である』社会である。
間接民主制の法律会社は『人間がみな平等である』ことに反するから、『人間がみな平等である』社会には間接民主制の法律会社があってはならない。
政府は間接民主制の法律会社である。
だから、今の社会には政府があってはならない。
税金の法律は『人間がみな平等である』ことに反するから、『人間がみな平等である』社会には税金の法律があってはならない。
だから、みんなは政府に税金を払わずに、政府を倒さねばならない。
幕府が倒れて政府が出来るまでの間は法律会社がなかったが国は滅ばなかった。だから、政府を倒しても国は滅ばないだろう。むしろ、国民にまちがった法律に基[もと]づいてまちがった命令を出す余計な法律会社がなくなって、国民の生活が前よりもうまく行くだろう。
政府がなくなった後に、みんなで直接民主制の法律会社を建てればいい。
今の国会では議員が新しい法律案を提案して、それを法律とするかしないかを議員みんなの多数決で決めることになっている。
だから、直接民主制では国全体を国会だと考えて、国の誰かが新しい法律案を提案して、それを法律とするかしないかを国のみんなの多数決で決めればいい。今の情報伝達技術を使えば、直接民主制を十分実現できる。自分でわからなかったら、ヨーロッパのどこかの国を真似[まね]ればいい。直接民主制では国のみんなが国会議員気分でいられる。直接民主制の法律会社はみんなで決めた法律に基づいてみんなに命令を出す。そうすれば、国がうまく行ってみんなが幸福に暮らすことができるだろう。

[17656] 今は直接民主制の時代である。 h25.5.27
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
だから、今の社会では直接民主制しかやってはいけない。
直接民主制では、国全体が国会である。みんなが国会議員である。
だから、今の日本が国会である。日本人みんなが国会議員である。
今ではみんなが『人間がみな平等である』と考えている。
だから、直接民主制では、今の日本の法律は『人間がみな平等である』ことに決まる。
政府は間接民主制をやって『人間がみな平等である』ことに反している。
だから、政府は有罪である。
したがって、政府を死刑にしなければならない。
国民みんなで政府に税金をやるのをやめて政府に食わせるのをやめて政府を死刑にしなければならない。
今でもすでに直接民主制をやっている。今後もみんなで直接民主制をやっていけばいい。

[17657] みんなは政府がないものとして暮らさねばならない。 h25.5.27
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
今の社会には間接民主制の法律会社(政治機関)があってはならない。
今の社会には政府があってはならない。みんなで政府を倒して政府をなくさねばならない。
だから、みんなは政府がないものとして暮らせばいい。みんなは政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が利用した政府のサービスの分だけ政府にお金を払って暮らせばいい。
日本国憲法の第30条(納税の義務)と第20条(宗教の自由)は『人間がみな平等である』原理に反するから守らなくていい。第30条と第20条のない日本国憲法をみんなが守って暮らせばいい。
みんなは直接民主制の政治機関を建てねばならない。それまでの間は、しばらく政治機関がないまま暮らさねばならない。政治機関が交替[こうたい]する時期は、多少の不便はするものである。

[17658] 今は政治機関を入れ替える時期である。 h25.5.27
幕末にみんながヨーロッパを上の国だと考えてヨーロッパ文化でやっていこうと考えて、インド文化の政治機関(法律会社)である幕府を倒してヨーロッパ文化の政治機関である政府を建てた。
それと同じように、現代ではみんなが『人間はみな平等である』と考えて、間接民主制の政治機関である政府を倒して直接民主制の政治機関を建てねばならない。政府は間接民主制の政治機関つまり上の者だから、『人間がみな平等である』社会においては政府はあってはならないのである。
それなのに、今の国民の多くは政府に従い続けている。それは国民の多くが心で物を見ることしかできないアホだからである。国民の多くは政府があまり嫌ではないから昔と同じように政府に従い続けているのである。
今の国民は幕末を思い出さねばならない。幕末の国民が政治機関を入れ替えたように、今の国民も政治機関を入れ替えねばならない。今は昔とは社会の原理が変わったから、政治機関も変わらねばならないのだ。
今は科学の時代だから、日本人は心ではなく頭で動かねばならない。今の社会の原理が『人間がみな平等である』ことだから、今の社会の原理に適[かな]っていない間接民主制の政治機関である政府を倒して、今の社会の原理に適った直接民主制の政治機関を建てねばならない。

[17659] 政治機関は道具である。☆ h25.5.27
政治機関(法律会社)は、国の法律を作って、国の法律に基づいてみんなに命令を出す会社である。政治機関は正しい法律を作って、みんなに正しい命令を出して、みんなを正しくする会社である。
政治機関はみんなの道具である。政治機関は国の道具である。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。政府は昔の社会の「政府が上の者である」ことを原理とする間接民主制の政治機関である。今の政府はまちがった法律を作って、みんなにまちがった命令を出して、みんなにまちがったことをやらせる会社である。
今の日本はいまだにみんなが古臭い間接民主制の政治機関を使っている時代遅れの国である。昔のソビエトでみんなが旧式のオンボロカメラを使っていたのと同じことである。
日本はみっともない。
日本は早く新しい直接民主制の政治機関に変えて新しい政治機関を使う現代的な国にならねばならない。

[17660] 日本人の多くはアホである。 h25.5.27
日本人の多くはアホである。心で物を見ることができるだけで頭で何も考えられないアホである。
アホは心で物を見るだけだから、アホに面白いまちがったことを教えてはいけない。アホは面白いまちがったことを本気にして信じる。アホは面白ければまちがったことでも平気でやる。反対に、アホにいくら正しいことを教えても、それがつまらなければ無視してすぐに忘れてしまう。アホは正しくてもつまらないことはやらない。アホになったら人間はおしまいである。
心は人間が生まれつき持っている実在についての知識である。頭は人間が生まれた後で獲得した実在についての知識である。心と頭は一致しない。人間の心には多くのまちがいがある。つまり、正しいことと面白いことは一致しない。まちがったこととつまらないことは一致しない。だから、アホは正しいことをやらず、まちがったことをするのである。アホはわざわざまちがった知識で実在を見て失敗して不幸になっているのである。それがこれまでの人類の歴史である。昔の人は「政府が上の者だ」と思って政府に服従して政府に虐[いじ]められて不幸にされていたのである。今の人も「政府があまり嫌ではない」と思って政府に従って政府に虐められて不幸にされているのである。
たしかに日本人の多くはアホである。しかし、少数の日本人はアホではない。頭で物を見ることができる日本人も少しはいる。頭で物を見ることができる者は、今の社会の原理が『人間がみな平等である』ことであり、政府は今の社会の原理に反しているから、政府を倒して、直接民主制の政治機関を建てねばならないと考えて、そうしなければならない。
アホでない日本人ががんばってアホの日本人を引っ張っていかねばならない。そうしなければ日本は進歩しない。アホは自分の心で物を見るだけで頭で何も考えられないから、自分で正しいことがわからないから、他人の言いなりである。アホは自分があまり嫌でないかぎり他人の言いなりである。アホは正しい者の言いなりになることによって正しく生きていける。だから、アホでない者が正しく考えて正しく行動しなければならない。そうすれば世の中が善くなる。

[17661] 今では国家宗教をやってはならない。 h25.5.27
国家宗教とは、“不思議な現象の近くにいた人”を神ということにして、政府が神の情報を使った命令をみんなに出したり、政府が神の情報を使った事件を起こしてみんなを虐待することである。
政府は今でも国家宗教をやっている。みんなも政府の命令で国家宗教をやっている。日本国憲法の第20条には政府が国家宗教をやることが定められている。政府は国家宗教で『人間の平等性』に反することをやって、みんなにまちがった命令を出したり、みんなを虐待したりしてみんなを不幸にしている。
しかし、今は科学の時代である。今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。政府と国民は平等だから、政府が神の情報を使った命令を出したり、神の情報を使った事件を起こしてみんなを虐待してはいけない。それに、今では神は“科学で理解できない現象の近くにいた人”にすぎない。科学で理解できない現象があるのは人類の文明が遅れているせいである。つまり、神がいるのは人類の文明が遅れていることにほかならない。昔は文明が遅れていたから神がいっぱいいた。今では文明が進んだから神が少なくなっている。未来になればますます神は減るだろう。神は人類の馬鹿さが生み出した幻覚にほかならない。つまり、神は実在しない。だから、わざわざ神の情報を使って国家宗教をやる必要はないと考えられる。
つまり、今では『国家宗教をやることはまちがいである』と考えられる。まちがったことをやってはいけない。だから、今では国家宗教をやってはいけない。
いくら国家宗教が日本の伝統であったとしても、国家宗教はまちがっているから、今では国家宗教をやってはいけない。
今の国民の多くが国家宗教をやっているのは、今の国民の多くがアホだからである。アホは心で物を見ることしかできない。アホにとっては国家宗教が面白いから国家宗教があまり嫌ではないから国家宗教をやっているのである。しかし、今では国家宗教はまちがいだから、国家宗教をやってはいけない。
したがって、国家宗教を日本の法律にしてはいけない。日本の法律から国家宗教を外[はず]さなければならない。日本国憲法第20条を廃止しなければならない。

[17662] 人間は頭で考えなければならない。 h25.5.27
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の日本ではみんなが『人間がみな平等である』ことを知っている。
ただ、国民の多くは「政府があまり嫌ではない」から、政府におとなしく従っているのである。
つまり、国民の多くは自分の知識が活かせていないのである。
今では『人間がみな平等である』から、国民と政府は平等だから、国民は政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かなくていいのである。つまり、国民は政府に税金を払ったり、政府の国家宗教の命令を聞いたりしなくていいのである。政府は神(科学で理解できない現象の近くにいた人)の情報を混ぜて『人間がみな平等である』ことに反する命令を作っているのである。
国民の多くは本当は自分が政府に従う必要がないのに、政府に従っているのである。国民の多くは自分が心で物を見ているために、本来する必要のないことをわざわざやっているのである。
人間は頭で考えなければ正しいことがわからない。だから、みんなは頭で考えなければならない。みんなは頭で考えて、『今では人間はみな平等だから、政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令に従う必要がない』と考えて、政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令に従わなければいい。
政府は間接民主制の政治機関(法律会社)だから、政府は『人間がみな平等である』ことに適[かな]った命令と適っていない命令の両方を出す。政府は正しい命令をまちがった命令の両方を出す。これでは、国民は政府の命令を聞くことができない。政府は使い物にならない。国民にとっては政府は要らない。だから、みんなは政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[17663] 直接民主制の政治機関は経営できるか? h25.5.27
直接民主制の政治機関は『人間がみな平等である』原理に従っているから国民と平等である。
平等な者同士の間では税金は取れない。
だから、直接民主制の政治機関は国民から税金を取れない。
だから、直接民主制の政治機関は国民と契約して国民からお金を取ればいいのである。国民が直接民主制の政治機関の意義をよく理解していれば、国民はお金を払ってくれるだろう。
国民はNHKの番組を見なくてもNHKに視聴料金を払ってくれるから、国民は直接民主制の政治機関の世話にならなくても直接民主制の政治機関にお金を払ってくれるだろう。

[17664] 政府はどうして学校で『人間はみな平等である』ことを教えているか? h25.5.27
私が小学4年生の頃(1974年頃)、小学校の先生から『人間がみな平等である』ことを教わった。
今の政府はみんなに『人間はみな平等である』ことを教えている。
政府がみんなに『人間はみな平等である』ことを教えているのは、政府がみんなに政府が『人間はみな平等である』ことを守っていると思わせるためである。つまり、政府がテレビや新聞でやっている民主主義の芝居と同じことである。
しかし、本当は政府は上の者をやっている。今の政府が間接民主制をやっていることは、政府が上の者をやっている証拠である。
今の政府は『人間はみな平等である』ことを犯している。今の政府は今の社会の原理を犯している。
だから、みんなは政府を倒さねばならない。

[17665] 政府は清濁[せいだく]あわせ持った団体である。☆ h25.5.27
政府は法律会社(政治機関)である。
法律会社は法律を作って、法律に基づいた命令をみんなに出して、法律をみんなに守らせることが仕事である。
政府は間接民主制の法律会社である。間接民主制では法律会社がみんなの総意によらずに自分勝手な法律を作ることができる。そのために、政府の法律には今の社会の『人間がみな平等である』原理に適[かな]った法律と適っていない法律が混じっている。日本国憲法の第30条(納税の義務)と第20条(宗教の自由)が『人間がみな平等である』原理に適っていない法律で、その他の条項は『人間がみな平等である』原理に適っている法律である。だから、政府は国民に『人間がみな平等である』原理に適った命令と適っていない命令の両方を出して、国民に『人間がみな平等である』原理に適ったことと適っていないことの両方をやらせている。政府は国民に正しいこととまちがったことの両方をやらせている。だから、政府は昔から清濁あわせ持った団体だと言われているのである。
政府は清濁あわせ持っているから、国民からは政府が偽善で民主主義の芝居をしているように見えるのである。政府は本当はただたんに正しいこととまちがっていることを両方やっているだけなのである。
しかし、今は科学の時代である。今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。今の社会では政府と国民は平等である。だから、政府は国民の総意によって法律を作らなければならない。政府は自分勝手に法律を作ってはいけない。しかし、間接民主制によれば政府は自分勝手に法律を作ることができる。だから、政府は今の社会にふさわしくない法律会社である。
今の社会には政府のような自分勝手に法律を作る法律会社があってはいけない。今の社会にはみんなの総意によって法律を作る法律会社がなければならない。つまり、今の社会には間接民主制の法律会社ではなく、直接民主制の法律会社がなければならない。
政府は今の社会にふさわしい法律会社ではないから、みんなは政府に従わなければいい。みんなは政府の命令を聞かなければいい。みんなは政府に税金を払わずに早く政府を潰[つぶ]せばいい。政府の代[か]わりに直接民主制の法律会社を建てねばならない。
一般大衆は心で物を見ることしかできない開きめくらである。一般大衆は自分で何も考えず周[まわ]りのみんなを眼で見て真似[まね]てみんなと同じことをしてボンヤリと生きているだけである。一般大衆は生きていても仕方のないクズである。だから、頭で物を見ることができる者が正しくしないといけない。頭で物を見る者が政府に従わないようにして、みんなに国民のお手本を示して、みんなを正しい方向に導かねばならない。

[17666] みんなはアホを見習ってはいけない。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
今の社会では政府のような自分勝手な法律を作る間接民主制の政治機関は滅ばねばならない。今の社会では政府は国民から税金を取れないから、国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。
それなのに、今でも国民の多くはおとなしく政府に従っている。政府の命令で政府に税金を払っている。政府の命令で今の社会の原理の『人間がみな平等である』ことに反することをやっている。
それは、国民の多くが心で物を見ているためである。国民の多くは「政府に従うことがあまり嫌ではない」から、政府に従っているのである。
国民の多くはアホである。だから、みんなは彼らを見習ってはいけない。
人間は頭で物を見なければならない。人間は自分で考えなければならない。
だから、みんなは政府に従わずに政府に税金を払わずに政府を滅ぼさねばならない。

[17667] みんなはすでに直接民主制をやっている。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間はみな平等である』ことである。
だから、今では国の法律は直接民主制で決めねばならない。つまり、国の法律はみんなが直接に多数決で決めねばならない。
例えば、今では国民の大半が『人間がみな平等である』と考えている。だから、直接民主制によって『人間がみな平等である』法律が決まる。
だから、法律会社と国民が平等であることになって、法律会社が国民から税金を取ったり国民に『人間がみな平等である』ことに反する命令を出したり国民を虐待したりしてはいけない。
今はまだ実際には直接民主制の法律会社が出来ていないが、法律会社があろうがなかろうがとにかく直接民主制によって『人間がみな平等である』法律が決まる。だから、今からすでにみんなは『人間がみな平等である』法律を守ればいいのである。政府に税金を払わず、政府を倒せばいいのである。今の国民の多くが「国民が政府に税金を払わなければならない」と思っていることはまちがいである。政府は間接民主制の政治機関(法律会社)だから自分勝手な法律を決めて国民から税金を取っているのである。そもそも今の社会で政府が間接民主制をやることがまちがっているのである。政府が国民から税金を取ることがまちがっているのである。だから、みんなは政府に税金を払わなければいいのである。

[17668] 心で思うか頭で考えるかの違い h25.5.28
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
だから、今の社会では政府が国民に『人間がみな平等である』ことに反する命令を出すことはまちがっている。政府が国民から税金を取ることはまちがっている。
しかし、国民の多くは心で物を見ているから、「政府に従うことがあまり嫌ではない」と思って、政府におとなしく従っているのである。政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞いているのである。政府の命令で政府に税金を払っているのである。政府はアホをからかうつもりで税金を取っているのである。
一方、頭で物を見る国民は『政府が国民から税金を取ることはまちがっている』と考えて、政府に税金を払っていないのである。たとえ政府に命令されても、政府の命令を聞かず政府に税金を払っていないのである。政府はできるやつだと思っておとなしく引き下がるのである。
つまり、心で思う者は「政府に税金を払う」が、頭で考える者は『政府に税金を払わない。』
人間が心で思うか頭で考えるかは個人の自由である。だから、今では両方とも認められている。今は「政府が上の者である」時代から『人間がみな平等である』時代への移行期だから、両方とも認められているのである。
しかし、今は科学の時代だから、人間が心で思うよりも人間が頭で考えることが正しいとされている。心で思うのは戦前の世界である。今では頭で考えることが正しく、心で思うことがまちがいである。だから、今ではみんなが頭で考えて、政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令に従わないようにしないといけない。政府は間接民主制の政治機関だから、政府は正しい命令とまちがった命令の両方を出すから、国民は政府の正しい命令だけを聞くようにして、まちがった命令を聞かないようにしなければならない。例えば、国民は自分の意思で人殺しや強盗をしたら政府に逮捕されて罰せられねばならないが、国民が政府に税金を払ったり政府の命令で『人間がみな平等である』ことに反することをしなくてもいいのである。

[17669] 政府に税金を払う者が悪い。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
税金は『人間が平等である』ことを犯している。
だから、政府が国民から税金を取ることは悪い。
しかし、国民が政府の言いなりになって政府に税金を払うこともまた悪い。
だから、政府も国民も両方が悪いことになって、政府は国民から税金を取ってもいいのである。
だから、国民は政府の言いなりになって政府に税金を払わなければいいのである。
心で物を見る者は自分も悪いことをしているのである。
だから、人間は頭で物を見るようにして、自分が正しいことをしないといけない。

[17670] 日本国憲法は古臭い憲法である。 h25.5.28
日本国憲法の前文では、政府は間接民主制で自分勝手に法律を決めると言っている。
これでは政府と国民が不平等である。政府が国民に対して一方的に有利である。
しかし、今では『人間はみな平等である』と考えられている。
だから、日本国憲法の前文は『人間がみな平等である』ことに反している。
今では『人間がみな平等である』ことが正しいと考えられている。
だから、日本国憲法前文のほうがまちがっている。
日本国憲法前文は古い。政府も古い。
今の社会には間接民主制をやる政治機関があってはいけない。
だから、みんなで政府を倒して、政府をなくさなければならない。
今の時代に政府を倒すことはけっして恥ずかしいことではない。むしろ、政府を倒すことは正しい名誉なことである。
だから、みんなで政府を倒せばいいのである。
日本国憲法は昭和21年の11月3日(今から約70年前)に出来たが、その後で『人間がみな平等である』原理が出来たのである。『人間がみな平等である』原理は最近出来た新しい原理なのである。
日本国憲法は今の社会の原理である『人間がみな平等である』ことに反する古臭い憲法である。
今の時代に政府が日本国憲法を使っていることがまちがっている。
だから、みんなで日本国憲法を廃止しないといけない。政府を倒さないといけない。

[17671] 政府は今の社会に反している。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
政府は『人間がみな平等である』ことに反しているとんでもない団体である。
今の社会に政府があってはならない。
だから、みんなで政府を倒さねばならない。
政府を倒して『人間がみな平等である』社会にしないといけない。

[17672] 政府は今の社会の邪魔者[じゃまもの]である。 h25.5.28
昔の社会の原理は「政府が上の者である」ことだった。だから、政府が上の者をやっていた。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。それなのに、いまだに政府が上の者をやっている。
政府は今の社会の原理に反している。だから、みんなは政府を倒して政府をなくさねばならない。みんなは『人間がみな平等である』社会を作らねばならない。

[17673] 神は人類の無知が作り出した幻[まぼろし]である。 h25.5.28
神とは“科学で理解できない現象に近くにいた人”のことである。
人類の科学が完全なら、科学で理解できない現象はないから、神はいない。
人類の科学が不完全なために、科学で理解できない現象があるから、神がいるのである。
つまり、神がいるのは、人類の科学が不完全である証拠である。神がいることは、人類の科学が不完全であることにほかならない。
今の人類の科学は発展途上だから、神がいるのは当然である。だから、神がいるといって騒ぐことはない。神が上の者だと思って神に従うのはもってのほかである。政府が神の情報を使ってみんなに命令を出したり事件を起こしてみんなを虐待するのは、政府が余計なことをやっているにすぎない。
誰かさんを神にすることよりも、科学を発展させて理解できない現象を理解できるようにすることのほうが大事である。

[17674] 今では政府は滅んでいる。 h25.5.28
昔の人はみんな「政府が上の者だ」と思っていたので、政府の命令を聞いたり政府におとなしく虐待されたりしていた。
今の人はみんな『政府が上の者でない』『人間はみな平等だ』と考えているので、政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞いたり政府におとなしく虐待されたりしなくなった。
しかし、今でも心で物を見ている人は『政府が上の者ではない』『人間はみな平等だ』と考えず、「政府に従うことがあまり嫌ではない」と思っているので、政府の命令を何でも聞いたり政府におとなしく虐待されたりしている。
今では心で物を見ている人が減っているので、政府がみんなに命令してもみんなから税金をもらえなくなっているので、政府はだんだん貧乏臭くなっているのである。宴会の料理がシケていたり、車が中古車だったりするのである。
みんなは政府よりも人数が多いから、みんなは政府よりも強い。だから、みんなは政府を恐れる必要はない。みんなは自分が正しいと考えることをやればいいのである。

[17675] どうして貴族は滅んだのか? h25.5.28
戦前には貴族がいた。
昔の人は心で物を見ていたので、「上の者がいる」と思っていた。
貴族はお高ぶっていたので、昔の人は貴族を上の者だと思って、貴族に従っていた。貴族の命令で貴族にお金をやったり肩を揉[も]んだりしていた。
しかし、今の人は頭で物を見るようになったので、『上の者がいない』と考えている。
そのため、いくら貴族がお高ぶっても、今の人は貴族を上の者だと考えないので、貴族に従わない。だから、今では貴族が滅んだのである。

[17676] 法律よりも事実を見ないといけない。 h25.5.28
しょせん法律会社の法律はただの文字にすぎない。
だから、法律会社の法律自体にこだわってもしかたがない。
法律の実体は不文法である。不文法とはみんなが実際にやっていることである。成文法は不文法を文字で表したものにすぎない。
昔はみんなが「政府が上の者だ」と思って政府に従っていた。政府の憲法はそのことを文字にしたにすぎない。
今はみんなが『人間はみな平等だ』『政府は上の者ではない』と考えて政府に従っていない。
それなのに、今の政府はそのことを文字にしていない。政府は今のみんながやっていることを見て見ぬふりをして、今のみんなを無視して、自分独[ひと]りで昔の憲法を守って昔と同じことをやっている。政府は今のみんなに昔の憲法を守らせようとしている。政府のやっていることは時代錯誤[さくご]である。政府は最初っから間接民主制をやることに決めているから、どんなに時代が変わってもあいかわらず昔と同じ間接民主制をやり続けているのである。政府は自分が間接民主制を続けるために、テレビや新聞を使って「今のみんなが政府に従っている」嘘[うそ]の情報を流して、テレビや新聞を見ている者に「今でもみんなが政府に従っている」と思わせているのである。
だから、国民は政府の法律やテレビや新聞を見るよりも、実際にみんなが考えていることややっていることを見ないといけない。
今のみんなは政府に従っていない(つまり、政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令に従っていない)から、国民はみんなといっしょに政府に従わなければいい。
今の『人間がみな平等である』時代に、政府のような間接民主制で自分勝手な法律を作る政治機関があってはならない。だから、みんなで政府を倒して政府のない社会にしなければならない。

[17677] 直接民主制はいい立法制度ではない。 h25.5.28
世の中にはアホが多い。だから、直接民主制をやるとみんなの多数決で悪い法律ばかり出来るかもしれない。「頭のいい者をギロチンで皆殺しにする」法律が出来て、アホばかりからなる楽しい国にしようとするかもしれない。直接民主制の実態はアホのアホによるアホのための国を作る制度なのかもしれない。直接民主制では悪い人ばかりからなる悪い国になるだろう。ローマ帝国はそうやって滅んだのかもしれない。
かといって、今では間接民主制はあまりにも古臭い。今では政府が国民を好き放題にするのは納得がいかない。政府が国民からいくらでも税金を取ったり、政府が国民を遊び半分に虐待するのは納得がいかない。
だから、この前私が言った修正間接民主制のほうがいいかもしれない。修正間接民主制では選挙によって選ばれた頭のいい人が法律を作るし、『人間がみな平等である』原理に反する法律は捨てられるから無難[ぶなん]である。しかも現実的だから、今すぐ実行できる。日本国憲法から第30条(納税の義務)と第20条(宗教の自由)を削ればいいだけである。要するに、心で物を見ることしかできない者を人間以下のクズと見なして無視して、頭で考えられる者だけで法律を作ればいいのである。心で物を見ることしかできない者は、おとなしく頭のいい人が作った法律を守ればいいのである。そうすれば国が発展してみんなが豊かに暮らすことができる。
日本のようなアホが多い国では、直接民主制よりも修正間接民主制のほうが適しているだろう。

[17678] 今の社会の原理は『人間が頭で物を見る』ことである。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。
しかし、そもそも今の社会の原理が『人間がみな平等である』ことになったのは、今が科学の時代だからである。今の人が頭で物を見るようになったからである。
つまり、今の社会の原理は『人間が頭で物を見る』ことである。
だから、頭で物を見ない者は今の社会の原理を守っていない。頭で物を見ない者は今の社会の原理を犯す犯罪者である。だから、頭で物を見ない者は社会の外にあると見なせばいい。
今の社会では頭で物を見る者しか人間ではない。
だから、法律を作る者は頭で物を見る者だけでいい。頭で物を見る者だけで法律を作ればいい。心で物を見る者を除外して法律を作らねばならない。
つまり、国民に試験をして頭で見る者と心で見る者に2つの集団に分けて、頭で見る者だけで直接民主制をやらねばならないのである。心で見る者には立法権がないのである。心で見る者は頭で見る者が作った法律をおとなしく守ればいいのである。しかし、それでは当然頭のいい者と頭の悪い者(つまり心で物を見る者)が不平等になるだろう。だから、今の社会は本当は『人間がみな平等ではない』のである。今の社会では頭のいい者が有利で、頭の悪い者が不利なのである。それが、本当の今の社会の姿である。

[17679] 今の社会では頭で見る者だけが人間である。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間が頭で物を見る』ことである。
だから、心で物を見る者は人間ではない。頭で物を見る者だけが人間である。

政府でも国民でも心で物を見る者は人間ではない。政府でも国民でも頭で物を見る者だけが人間である。
そういう考え方で、今の社会ではやっていけばいい。
つまり、頭で物を見る者だけで社会を動かして、心で物を見る者は頭で物を見る者の言いなりであればいい。
頭で物を見る者は『人間がみな平等である』と考える。だから、今の社会では『人間がみな平等である』ことになる。“人間”とは頭で物を見る者のことである。つまり、今の社会では『頭で物を見る者が平等である』ということである。心で物を見る者は問題外だから、頭で物を見る者に好き放題にされる。つまり、今の社会には頭で見る者が上の者であり、心で見る者が下の者である身分制があるのである。今の社会では頭で見る者が心で見る者を好き放題にすればいいのである。つまり、頭で見る者が心で見る者から税金を取ればいい。頭で見る者が心で見る者に好き放題に命令すればいい。心で見る者は頭で見る者の好き放題にされる。といっても、頭で見る者は心で見る者に興味がないから、税金を取るだけだ。つまり、頭で見る者が心で見る者から税金を取って暮らせばいいのである。心で見る者は自分で働いて頭で見る者に食わせてやらねばならない。『人間が頭で物を見る』社会はギリシアの貴族制のような社会だ。頭で物を見ていると判断された者だけが上の者になって、みんなの税金で食っていけるのだ。つまり、学者の支配する社会だ。

[17680] 今の社会では頭で見れない者は“人間”ではない。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間が頭で物を見る』ことにある。
だから、人間を頭で見る集団と頭で見ない集団の2つの集団に分ける。
頭で見ない集団は頭で見る集団の下に置く。
立法権があるのは頭で見る集団だけである。頭で見ない集団には立法権はない。与えない。
だから、今の社会では頭で見る集団が頭で見ない集団よりも有利である。頭で見る集団は頭で見ない集団から税金を取って暮らすことができる。
つまり、『人間が頭で物を見る』社会では、頭で見ない者は犯罪者である。頭で見ない者は社会の外に追放される。当然、権利が制限される。立法権がない。財産権もない。それではあんまりだから、みんなは一生懸命に勉強して、頭で物が見れるようにならねばならない。ダラダラ遊び呆[ほう]けて心でしか物が見れないアホな大人になってはいけない。
実際に、今の社会ではアホな大人には立法権も財産権もないから、今でも政府や暴力団や宗教団体などがアホな大人からいくらでも税金やお金を取っているのである。だから、今の政府や暴力団や宗教団体がやっていることは正当なのである。
自分の頭で物が見れる者は政府や暴力団や宗教団体に『人間がみな平等である』ことを根拠にして税金やお金を取られることを断ればいいのである。そうすることによって、はじめて“人間”になれるのだ。

[17681] 今の国民は頭で物が見れるようにならねばならない。 h25.5.28
そもそも今の社会で『人間がみな平等である』ことが原理になったのは、国民の大半が頭で物が見れるようになったからである。だから、今の社会では『人間がみな平等である』と考えていいのである。今の社会ではみんなが『人間がみな平等である』ことを原理として、政府が国民から税金を取るのを断って政府を倒せばいいのである。
もっとも、今の社会にも頭で物が見れない者がいる。そういう者は政府や暴力団や宗教団体やその他の者などから『人間がみな平等である』ことに反する命令を出されてお金を取られたり余計なことをやらされたりして損をすればいいのである。
今の社会では『人間がみな平等である』ことが原理になってもいいほど、みんなが頭で物が見れるようにならねばならないのである。だから、みんなで早く『人間がみな平等である』ことを根拠にして政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、直接民主制の政治機関を建てねばならない。
今の社会では『人間が頭で物を見る』ことができねばならない。頭で物を見れない者は人間だと認められず、みんなからふんだくられて虐[いじ]められて損をする。今の社会はそれほど厳しい社会なのである。心でしか物が見れない者がまともに生きて行ける社会ではないのである。

[17682] 『人間がみな平等である』ことが言えるためには頭で物を見れるようにならねばならない。 h25.5.28
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことだが、それにもうひとつ『人間が頭で物を見れる』ことがある。
今の社会では『人間が頭で物を見れる』ようになってはじめて『人間がみな平等である』ことが言えるのである。反対に、頭で物が見れない者は人間がみな平等であることを使えないのである。
今の社会では『人間がみな平等である』ことを成り立たせるために、頭で物を見れない者を消しているのである。政府や暴力団や宗教団体やその他の者などが頭で物を見れない者を損をさせたり殺したりして消しているのである。今の社会が厳しい学歴社会なのもそのためである。
国民の大半が頭で物が見れるようになってはじめて直接民主制の法律会社が建てれるのである。いまだに日本に直接民主制の法律会社が出来ないのは、まだみんなが頭で物を見れる段階に達していないからである。今でも大勢の者が政府に盲従しているから、大勢の者が心で物を見ているアホだから、今の段階で直接民主制をやるのは危険だと考えて、直接民主制をやっていないのである。
みんなはもっと一生懸命に頭で物を見る訓練をして頭で物が見れるようになって『人間がみな平等である』ことを根拠にして政府に税金を払わないようになって政府を倒さねばならない。そうして、ようやく日本に直接民主制の法律会社が建てれるようになるのである。
もっとも、国民の大半が頭で物が見れるようになるまでには無限の時間がかかるかもしれない。だから、直接民主制はあきらめたほうがいい。修正間接民主制をやればいい。そうすれば、たとえアホばかりの国でもアホばかりの法律会社でもある程度まともな法律が作れる。国民の大半が頭で物が見れる者からなる国における直接民主制とほとんど同じ法律を作ることができる。もっとも、いくらいい法律を作れても、その法律に基づいていい命令を出せなければ、あまりいい国にはならないだろう。法律会社にとってはいい法律を作れるだけではなく、いい命令を出せることも重要である。

[17683] 法律を作るのは頭がいい人だけである。 h25.5.28
今の日本には修正間接民主制が妥当[だとう]である。今の日本にはアホが多いから、今の日本で直接民主制をやるとまちがった法律ばかりになって日本が滅亡するからである。
法律を作るのは頭で物が見れる者だけであるほうがいい。
だから、法律会社は試験をすればいい。法律会社は論理的思考能力の試験をして、心でしか物が見れない者を法律会社に入れなければいい。
選挙は間接民主制の法律会社が伊達[だて]でやっていただけだから、やらなくていい。
修正間接民主制では法律会社と国民が平等だから、法律会社は国民から税金を取ってはいけない。国民と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をしないといけない。もちろん、法律会社は国民を虐待してはいけない。そうすれば、今の政府よりはいい法律会社が出来るだろう。
未来になって、国民の大半が頭で物が見れるようになったら、みんなで直接民主制の法律会社を建てて、やればいい。それまでの間は、修正間接民主制の法律会社でやればいい。

[17684] 今は文学的でも科学的でもない時代である。 h25.5.29
昔は文明が低くてみんなが心で物を見ていて「政府が上の者だ」と思って政府に従っていた。政府は間接民主制をやってみんなを好き放題にしていた。それが昔の時代の実態だった。
今は文明が高くなってみんなが心で見なくなって「政府が上の者だ」と思わなくなっている。だから、『人間がみな平等である』原理が出来た。そのために、政府が間接民主制をやれなくなってみんなを好き放題にしてはいけなくなっている。それが今の時代の実態である。
しかし、かといって今はみんなが頭で物が見れるわけでもない。今の人は心で物を見て「政府に従うのがあまり嫌ではない」と思っておとなしく政府に従っている。もしも、みんなが本当に頭で物が見れたら、みんなは『人間がみな平等である』時代には間接民主制の政治機関があってはいけないと考えて、政府に従わなくなって政府を倒しているはずである。しかし、実際にはそうなっていない。だから、今はまだみんなが頭で物が見れる時代ではない。
つまり、今はみんなが心で物を見ないし頭でも物を見ない時代である。今は文学的でも科学的でもない時代である。それが今の時代の実態である。
今は文学的でも科学的でもない時代である。だから、今は間接民主制も直接民主制もやれない。だから、今は修正間接民主制をやるしかない。法律会社を建てて、試験をやって頭で物を見れる人を法律会社に入れて、頭で物を見れる人に『人間がみな平等である』原理に適[かな]った法律を作ってもらえばいい。みんなは法律会社の命令に従えばいい。そういうやり方でやっていくしかない。

[17685] 精神病とは何か? h25.5.29
精神病とは自分で自分の脳の一部を興奮させすぎたために自分の脳の一部が自分で活動を調節できなくなって勝手に持続的に興奮するようになることである。
例えば、鬱病[うつびょう]では自分で鬱中枢(鬱の感覚を荷[にな]う中枢)を興奮させすぎたために、鬱中枢が持続的に興奮するようになってずっと鬱の感覚が続くようになる。鬱の感覚から逃れるためによく自殺することがある。
例えば、分裂病では自分でテレパシー器官(テレパシーを出したり聞いたりする器官)を興奮させすぎたり不快中枢(不快の感覚を荷う中枢)を興奮させすぎたりしてテレパシー器官と不快中枢の間に神経連絡が出来たりして、テレパシー器官や不快中枢が持続的に興奮するようになってずっとテレパシーが聞こえるたびに不快感が続くようになる。不快感から逃れるためにテレパシーを出していると思われる者をよく攻撃することがある。
例えば、神経症では自分で“特定の物事を嫌がる中枢”を興奮させすぎたために、“特定の物事を嫌がる中枢”が持続的に興奮するようになってずっと特定の物事を嫌がる感覚が続くようになる。特定の物事を嫌がる感覚から逃れるために不適切な行動を取ることがある。
普通の人は自分で自分の脳の一部を興奮させすぎることはないが、性行為(オナニーやセックス)や麻薬をやると自分で自分の脳の一部を興奮させる癖が付いて、何かのきっかけで自分の鬱中枢やテレパシー器官や不快中枢や“特定の物事を嫌がる中枢”が興奮したとき、その中枢を自分で興奮させすぎて精神病に罹[かか]る。だから、精神病に罹らないためには、そもそも性行為や麻薬をやってはいけないし、けっして自分で自分の脳の一部を興奮させすぎてはいけない。

[17686] テレパシーは実在する! h25.5.29
アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)は私が頭の中で考えたことに基づいて起こった事件である。事件発生の1週間ぐらい前に、私は兵庫県出石町[いずしちょう]にある但馬[たじま]松下の工場で働いていた。そのとき私は働きながら頭の中で昔『魔太郎が来る!』か『恐怖新聞』のマンガで読んだことがある“旅客機が墜落する事故”のことを考えていた。私は東京都庁に旅客機が墜落したら面白いだろうと思った。そのことは自分で軽く考えただけで誰にもしゃべらなかったし、ホームページにも書かなかった。その後1週間ぐらいたってアメリカで似た状況の事件が起きた。私は国家宗教の神だから、私の情報を使って世界中の政府が事件を起こして国民を虐待している。この事件はテレパシーがなければ説明できない。だから、テレパシーは実在する!
私が頭の中で独[ひと]りで考えたことが、ときどきニコニコ動画の左上のパラパラマンガのネタに使われている。アニメのネタに使われていることもある。例えば、私が小学4〜5年生の頃弟といっしょに自転車で高知大丸にオモチャを買いに行ったことがあったが、帰り道で弟が私の前を自転車で走っていたときに私はイタズラ心で私の自転車の前輪を弟の自転車の後輪に軽く当てた。すると、弟が見事にこけた。幸い弟は無事だったが、私は悪いことをやったと思った。そのとき、誰かが私をどこかで見ているような気がした。そのことが、テレビアニメ『花の魔法使いマリーベル』の第20話「友情の一輪車レース」に用いられている。これも、テレパシーが実在する証拠である!私は小学生の頃、よく自分の部屋にいるとき誰かに私の頭の中を見られているような気がしていた。
テレパシーは現代の科学でもまだ説明が付いていない。しかし、そもそも“感覚のあること”が今の科学では説明が付いていない。しかし、感覚は実在する。だから、テレパシーが実在しても不思議ではない。科学で説明が付かないからといって実在しないとは言えない。それでは本末転倒[ほんまつてんとう]だ。テレパシーが科学で説明できないのは、科学が遅れているからだ。未来になってもっと科学が進めば、テレパシーも説明できるだろう。
テレパシーは実在する!だから、テレパシーがないと思って、ふざけてテレパシーを使おうと思って自分の頭に力を入れたりしてはいけない。本当にテレパシーが使えるようになって幻聴が聞こえるようになって分裂病になって精神病院に入院しなければならなくなる。

[17687] どうして日本人は明治維新をやったのか? h25.5.29
日本人が明治維新をやったのは、当時の日本が文明が低くて日本人みんなが心で物を見ていてヨーロッパが優れた国だったから日本人がヨーロッパを“上の国”だと思ったからである。けっして、日本をヨーロッパの植民地にされないためではない。日本人をヨーロッパ人の好き放題にされないためではない。たまたま日本がヨーロッパから地理的に遠くにあったので、日本がヨーロッパの植民地にされなかっただけである。日本人はヨーロッパを上の国だと思っていたから、むしろ日本をヨーロッパの植民地にされたかったのである。[日本が植民地を取るためでもない。日本にとって植民地政策は冗談だったのである。日本にとって植民地政策は生類憐[しょうるいあわれ]みの令と同じである。生類憐みの令がインドに対するイヤミであったように、植民地政策はヨーロッパに対するイヤミだったのである。]
しかし、今では世界中で文明が高くなってみんなが『人間がみな平等である』と考えている。今では世界中で『上の者はいない』と考えられている。そのために、世界中の人々がヨーロッパを上の国だと思わなくなって、世界中からヨーロッパの植民地がなくなっている。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、みんなは政府を上の者だと思わなくなって、政府の『人間がみな平等である』原理に反する命令を聞かなくなっている。政府に税金を払ったり、政府の国家宗教の命令を聞いたりしなくなっている。今はまだ「政府に従うのがあまり嫌ではない」と思っておとなしく政府に従っている者もかなりいるが、『人間がみな平等である』ことを根拠にして政府に従わなくなっている者もたくさんいる。政府はテレビや新聞で情報操作をやってみんなに『政府に従わない者がたくさんいる』ことを伏せている。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。政府は社会の一部である。政府も社会の原理に従わねばならない。それなのに、政府は社会の原理に従おうとしない。だから、みんなが政府を潰[つぶ]さねばならないのである。みんなが『人間がみな平等である』と考えて、政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かなくていいと考えて、政府に税金をやるのをやめて、政府を倒せばいいのである。今の社会の原理に従わない政府のほうが悪いのである。だから、みんなは自分が正しいと思って政府を倒せばいいのである。

[17688] 税金と料金は違う。 h25.5.29
昔は「政府が上の者だった」から、政府が国民を好き放題にして国民から税金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したりした。
今は『人間はみな平等である』『政府と国民が平等である』から、政府は国民に『人間がみな平等である』ことに適[かな]った命令しかできない。政府は国民と平等にしないといけないから、政府は国民と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をしないといけない。もっとも、政府は最初から自分が間接民主制をやるつまり上の者をやると決め込んでいるから、そうしてくれそうにないが。
税金は政府が上の者として国民から自分が取れるだけ多くお金を取ることである。
料金は政府が国民と平等な者として国民と契約して国民から合理的な値段でお金を取ることである。
税金だと政府が上の者だから国民が政府に支払うお金が割高[わりだか]になるのに対し、料金だと政府と国民が平等だから国民が政府に支払うお金が割安[わりやす]になる。
だから、国民にとっては税金よりも料金のほうがいいのである。

[17689] みんなはいつでも法律会社に従えばいいわけではない。☆ h25.5.29
政府は法律会社である。法律会社は法律を決めて、法律に基づく命令をみんなに出して、みんなに法律を守らせることが仕事である。
普通は、みんなが法律会社に従わねばならない。みんなは法律会社の法律や命令を守らなければならない。
しかし、場合によっては、みんなが法律会社に従ってはいけないこともある。
昔はみんなが「政府が上の者である」と思っていたから、政府が間接民主制で自分の好き勝手な法律を決めてもよかった。政府が決めた法律は正しかったから、みんなは政府の法律や命令を守らなければならなかった。
しかし、今はみんなが『政府と国民は平等である』と考えているから、政府が間接民主制で自分の好き勝手な法律を決めてはいけない。政府が決めた法律はまちがっているから、みんなは政府の法律や命令を守ってはいけない。
つまり、今の政府は今の社会に合わないまちがった法律を定めてまちがった命令をみんなに出しているから、みんなは政府の命令を聞いてはいけないのである。昔の政府は昔の社会に合った正しい法律を定めて正しい命令をみんなに出していたからみんなは政府の命令を聞かなければならなかったが、今の政府はそうしないからみんなは政府の命令を聞かなくていいのである。
法律会社が絶対に正しいとは限らない。法律会社が必ずしも正しい法律を決めて正しい命令を出すとは限らない。だから、みんなは今の社会の状況をよく考えてから、自分が法律会社に従うべきかそうでないかを判断しないといけない。今はみんなが政府に従ってはいけないときだから、みんなは政府に従わないようにしなければならない。
今は『人間がみな平等である』ことが社会の原理だから、みんなは今の社会の原理に反する間接民主制の政府をさっさと倒して、修正間接民主制の政治機関を建てねばならない。日本で直接民主制の政治機関を建てると、1億人がかりで法律を作らねばならなくなってかえって法律が作りにくくなるので、日本のような人口の多い国では頭のいい代表者だけで法律を作る修正間接民主制のほうがいいのである。

[17690] 政府は間接民主制をやめるわけにはいかない。 h25.5.29
今の政府は間接民主制をやっている。間接民主制では政府が国民の総意ではなく、自分勝手に法律を決めることができる。そのために、政府は今の社会の原理である『人間がみな平等である』ことに反する日本国憲法第30条(納税の義務)と憲法第20条(宗教の自由)を定めている。つまり、政府は今の社会において正しい法律(第30条と第20条以外)とまちがった法律(第30条と第20条)の両方を定めている。政府は憲法に基づいてみんなに命令を出しているから、政府はみんなに正しい命令とまちがった命令の両方を出してみんなに正しいこととまちがったことの両方をやらせている。[まちがったことをやらせたり、たとえまちがったとまでは言えなくても余計なことをやらせたりしている。]たしかに政府はみんなに正しいことをやらせているが、それに勝るとも劣らずまちがったこともやらせている。政府は国民に正しいことをやらせて国民を幸福にしているが、それと同じくらい国民にまちがったことをやらせて国民を不幸にもしているのである。神武天皇は戦[いくさ]をやったから、政府は国家宗教で国民に戦争をやらせることもできる。また、政府は自分自身に命令して自分がまちがったことをやっている。政府は国家宗教で国民を虐待して遊んでいる。政府は第20条で国民を虐[いじ]めて遊んで、第30条で国民からお金を奪っている。だから、今の社会には政府があってはならないのである。
そもそも今の政府が間接民主制をやっていることがまちがいのもとである。しかし、政府は最初から自分が間接民主制をやると決め込んでいる。政府にとって間接民主制は自分の心のようなものである。政府は間接民主制をやるために生きている。だから、いくらみんなが政府に間接民主制をやめてくれと言っても、政府はいっこうに聞かない。したがって、みんなは政府を倒さねばならないのである。
政府が間接民主制をやることは政府が上の者をやることにほかならない。上の者は国民を自分の好き放題にする。国民と平等な者は国民のために役に立つ仕事をしてくれるが、上の者は国民のために役に立つ仕事をしない。上の者は国民を虐[いじ]めてばかりいる。たとえ上の者が国民の役に立つ仕事をしたとしても、あとで自分でやったことを潰[つぶ]して国民をガッカリさせて喜んでいる。今の社会では『人間はみな平等』だから、政府は上の者をやってはいけないから、みんなは政府を倒さねばならない。
今では『人間がみな平等である』ことが社会の原理である。政府が国民から税金を取ることは今の社会の原理に反している。だから、今の国民は政府に税金を払う必要がないのである。だから、今の国民は政府に税金を払わずに、政府を倒せばいいのである。

[17691] 今の国民は『人間がみな平等である』原理に従っている。 h25.5.29
昔の社会の原理は「政府が上の者である」ことだった。だから、政府が間接民主制で国民を好き放題にしていた。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、政府は間接民主制で国民を好き放題にできない。
だから、今では政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かない者が増えている。政府に税金を払わなかったり、政府のわけがわからない命令を聞かない者が増加している。
そのために、政府はしだいに滅んでいる。今の政府は顔で笑っているが、心で泣いている。
この世は論理で動いている。だから、心配しなくても政府はちゃんと滅んでいる。

[17692] 『社会の原理』は「政府の法律」よりも上である。 h25.5.29
昔の社会の原理は「政府が上の者である」ことだった。だから、政府が間接民主制で国民を好き放題にしてよかった。
今の社会の原理は『人間がみな平等である』ことである。だから、政府は間接民主制で国民を好き放題にしてはいけない。
昔の政府は昔の社会の原理に反していなかったから、みんなに罰せられなかった。
今の政府は今の社会の原理に反している。
だから、政府は有罪である。政府は罰せられねばならない。政府は死刑である。国民は政府を潰[つぶ]さねばならない。
『社会の原理』は「政府の法律」よりも上である。「政府の法律」は『社会の原理』よりも下である。政府の法律は社会の原理に従っていなければならない。ところが、今の政府の法律は今の社会の原理に従っていない。だから、今の政府の法律は無効である。みんなは政府の法律を守らなくていい。
社会の原理はみんなで決めたことである。政府の法律は政府が決めたことである。政府は社会の中にある。だから、政府の法律は社会の原理に従わねばならない。
昔の政府の法律は昔の社会の原理に従っていた。だから、国民は政府の法律を守らねばならなかった。
しかし、今の政府の法律は今の社会の原理に従っていない。だから、国民は政府の法律を守らず、社会の原理を守ればいい。
政府のような間接民主制の政治機関は今の社会の原理に反するから今の社会ではやっていけない。今の社会の原理に従う政治機関しか今の社会ではやっていけない。
今の政府はまちがっている。自分がまちがっている者と組んで儲[もう]けるなどというふざけた考えはやってはいけない。まちがっている者は滅ぼさねばならない。社会から消し去らねばならない。
今の政府はテレビや新聞の上で一生懸命にいい格好[かっこう]をしているが、テレビバカ以外はテレビを本気[ほんき]にしていないから、政府がいくらいい格好をしても無駄[むだ]である。今では政府が社会の原理に反していることは常識である。だから、みんなは今の社会の原理を守って政府を倒しているのである。


[17693] 今ではみんなが『人間がみな平等である』意味を理解できるようになって来ている。 h25.5.30
『人間がみな平等である』原理はだんだん強まっている。
昔はみんなは『人間がみな平等である』ことを言葉で知っているだけで守っていなかった。「政府に従うのがあまり嫌ではない」と思って、政府におとなしく従っていた。
しかし、今ではみんなが『人間がみな平等である』ことの意味を理解して実在の中で実行するようになっている。みんなは政府の『人間がみな平等である』ことに反する命令を聞かないようになっている。政府に税金を払わなかったり、政府のわけがわからない命令を聞かないようにしている。
誰でも自分が知らないことに出会ったとき、最初のうちは言葉で知っているだけだが、だんだん慣れてくると意味がわかってくるものである。
今の国民も私自身も『人間がみな平等である』ことにだいぶ慣れてきたようである。

[17694] 法律会社の法律はみんなが決めるものである。 h25.5.30
昔から政府の法律はみんなで決めてきた。
今の政府の法律に“政府が上の者である法律”(第30条と第20条)があるのは、昔のみんなが政府を上の者だと思っていたからである。政府はみんなが決めた“政府が上の者である法律”に基づいて具体的に命令を出しているのである。
政府は間接民主制をやっているが、政府が間接民主制をやることを決めたのは昔のみんなだったのである。
政府はみんなが決めた法律を法律としていたから、みんなは政府に文句を言わなかったのである。これまで法律会社はすべてみんなが決めた法律を法律にしていたのである。
今ではみんなが『人間がみな平等だ』と思っていて政府の法律と食い違っているが、それはみんなが政府よりも早いからである。法律会社はみんなに合わせて後から変わるのである。
昔のみんなは「政府が上の者だ」と思っていた。今のみんなは『人間がみな平等だ』と思っている。だから、昔の法律と今の法律は違うのである。
今のみんなは『人間がみな平等だ』と思っている。だから、それが今の日本の法律である。だから、みんなは政府の法律よりも『人間がみな平等である』ことを守ればいいのである。
そもそも政府は間接民主制の政治機関だから、今の日本の法律に適さない。政府は“政府が上の者である法律”を定めているから、今の日本に合っていない。政府は“政府が上の者である法律”を自分が滅ぶまで続けるだろう。だから、政府には滅んでもらうしかない。みんなの法律が変わったときには、みんなで古い政治機関を滅ぼさねばならない。政府が滅んだ後で、みんなで『人間がみな平等である』法律を法律にする新しい法律会社を建てねばならない。

[17695] 古い法律と新しい法律 h25.5.30
政府は古い法律をやる政治機関(法律会社)である。
昔はみんなが「政府が上の者だ」と思っていた。だから、政府は「政府が上の者である」ことを法律にしていた。
しかし、今はみんなが『人間はみな平等だ』と思っていて、「政府が上の者だ」と思っていない。
だから、今の法律会社は「法律会社が上の者である」法律をやめねばならない。今の法律会社は『人間がみな平等である』ことだけを法律にしなければならない。
政府はそもそも「政府が上の者である」ことを法律とする法律会社だから、いくら今のみんなが『人間がみな平等だ』と思っていても、政府は自分の法律を変えてくれない。政府は憲法改正の手続き(日本国憲法第96条)を決めているだけで、実際には憲法を変えることがない。政府は今の社会に合っていない。だから、みんなで政府を倒して、新しく『人間がみな平等である』ことを法律にする法律会社を建てるしかない。

[17696] 今の法律会社は今のみんなが決めた法律を法律にしなければならない。☆ h25.5.30
昔のみんなは「政府が上の者だ」と思っていた。だから、政府が「政府が上の者である」法律を定めていた。
今のみんなは『人間がみな平等だ』と思っている。だから、今の法律会社は『人間がみな平等である』法律を定めねばならない。
政府は古臭い。政府は昔のみんなが決めた法律を法律にしているから古臭い。政府はいつまで待っても今のみんなが決めた法律を法律にしてくれない。政府は自分の法律を今後も変えるつもりがない。政府は昔のみんなが決めた法律を法律にし続けるだけである。政府はみんなから税金を取って、国家宗教でみんなに命令してみんなを虐待し続けるだけである。政府はみんなの役に立たないクズ会社である。
今の社会では政府は使い物にならない。
みんなで早く政府を倒して、今のみんなが決めた法律を法律にする新しい政治機関を建てねばならない。

[17697] 政府は昔の社会を作る会社である。 h25.5.30
昔のみんなは「政府が上の者だ」と思っていた。政府は「政府が上の者である」法律を定めていた。昔はみんなの法律と政府の法律が合っていた。だから、みんなは政府に文句を言わなかった。
今のみんなは『人間がみな平等である』と思っている。政府は「政府が上の者である」法律を定めている。今はみんなの法律と政府の法律が合っていない。だから、みんなは政府に文句を言っている。
政府は昔のみんなが決めた法律を法律にするだけである。政府は今のみんなが決めた法律を法律にしない。政府は昔の社会を作る会社である。
要するに、今の社会に政府という時代遅れの政治機関があるだけの話である。今の社会には政府は要らない。みんなは早く政府を倒して、今のみんなが決めた法律を法律にする政治機関を建てねばならない。

[17698] 今のみんなの法律と今の政府の法律は違っている。 h25.5.30
今の政府は昔の「政府が上の者である」法律をやっている。
一方、今のみんなは今の『人間がみな平等である』法律をやっている。
今のみんなの法律と今の政府の法律が違う。政府はいくら時代が変わってもいくらみんなの法律が変わっても、昔のみんなが決めた法律をやり続けるだけである。政府はみんなから税金を取って、国家宗教でみんなに命令してみんなを虐待し続けるだけである。
だから、問題だ。
みんなの法律が政府の法律よりも優先される。
だから、国民はみんなの『人間がみな平等である』法律を守って、政府の「政府が上の者である」法律を守ってはならない。そうやって、政府を潰[つぶ]して政府をなくさなければならない。
政府は昔のみんなが決めた法律をやるだけである。今のみんなは今のみんなが決めた法律をやっている。政府は今のみんなに合っていない。だから、みんなで政府を倒して、今のみんなに合った新しい法律会社を建てねばならない。

[17699] 今の政府は民主制と身分制の両方をやっている。 h25.5.30
今の政府は昔の「政府が上の者である」法律をやっている。
一方、今のみんなは今の『人間がみな平等である』法律をやっている。
だから、今のみんなは政府の「政府が上の者である」法律や命令を聞かなくなっている。今のみんなは政府に税金を払わなかったり、『人間がみな平等である』ことに反する政府の国家宗教の命令を聞かなくなっている。
だから、今の政府は自分で自分に命令して「政府が上の者である」法律をやっている。今の政府は自分独[ひと]りで寂[さび]しく国家宗教で事件を起こして国民を虐待している。
今のみんなは政府に税金を払わなくなって来ているから、政府は潰[つぶ]れて来ている。
いくら日本国憲法第96条に憲法改正の手続きがあっても、日本国憲法前文では政府が間接民主制で自分勝手な法律を作れることになっている。政府が自分の好き勝手なことがやれることになっている。日本国憲法に載っている具体的な法律は全部嘘[うそ]である。日本国憲法で正しいのは前文の一部だけである。つまり、政府が間接民主制で自分の好き放題にやっていることだけである。政府は多少民主的な仕事もしているが、その一方で昔の上の者もやっている。政府は民主制と身分制の両方やっている。政府はハイブリッドである。政府は民主制と身分制を組み合わせて「上の者」をやっているのである。政府はちょっとだけ国民の役に立ちながら「上の者」をやって国民を好き放題にして国民を不幸にしているのである。
政府は昔の「上の者」の政治機関である。政府は今の社会に合っていない。政府は今の社会の『人間がみな平等である』原理に従っていない。だから、今の社会に政府があってはならない。政府をなくさねばならない。みんなで早く上の者をやる政府を倒して、政府の代[か]わりに国民と平等にする政治機関を建てねばならない。

[17700] 今の政府はみんなが従うべき者ではない。 h25.5.30
昔はみんなが「政府が上の者である」と思っていた。だから、政府がみんなに合わせて上の者をやっていた。政府がみんなを好き放題にしていた。みんなは政府に満足だった。
今はみんなが『人間がみな平等である』と思っている。それなのに、政府はみんなに合わさず独[ひと]りで勝手に上の者をやっている。政府はあいかわらずみんなを好き放題にしている。みんなは政府に不満である。
今の政府がわがまま勝手なので、みんなは政府に従うのをやめて、政府の法律や政府の命令を無視して『人間がみな平等である』ことを守るようにしている。そのために、政府はみんなから税金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今のみんなは今の社会の『人間がみな平等である』原理に従っている。ところが、今の政府は今の社会の『人間がみな平等である』原理に従っていない。今の政府は昔の社会の「政府が上の者である」原理に従っている。今の政府は昔の「政府が上の者である」法律をやっている。今の政府は昔の「政府が上の者である」命令を出している。だから、今のみんなは政府の法律や命令を聞かなくていい。今のみんなは今のみんなが決めた『人間がみな平等である』法律を守って暮らせばいいのである。
昔のみんなは「政府が上の者だ」と思っていたので、政府がいくら悪いことをやっても大目に見ていた。今のみんなは『政府と国民が平等だ』と思っているので、政府がちょっとでも悪いことをやると政府を許さない。今の政府は毎日悪いことをやっている。政府は国民から税金を取ったり国民に命令したりしている。だから、今のみんなは政府を許さず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
昔はみんなが「政府が上の者だ」と思っていたので、国民と平等にしようとした総理大臣(政府の最高責任者)が殺された。総理大臣は政府が社会の原理に反したことをした責任を取って殺されたのである。それと同じように、今ではみんなが『人間がみな平等である』と考えているので、国民と平等にしようとしない総理大臣が殺されるのである。国民から無理やり税金を取ったり、国民に無理やり『人間がみな平等である』ことに反する命令を出したり、国民を虐待したりする者が殺されるのである。


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