[17101] 政府は嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]している。 h25.3.31
今は民主制の時代である。政府と国民は平等である。だから、本当は『国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。』
それなのに、政府は国民に「国民はみな政府に従わねばならない」と嘘をついて、国民の多くを政府に従わせている。
本当は『地球が太陽の周[まわ]りを回っている』のに、プトレマイオスが「太陽が地球の周りを回っている」と嘘を言ってみんなを騙していたのと同じことである。
国民は政府の嘘に騙されないようにして、政府に従ってはならない。国民は政府と平等にしなければならない。そうすれば、みんなが実在の人間社会に適応できて幸福に生きていける。みんなが民主制で暮らすようになれば、民主制でいろんな便利な仕事ができて、今よりもみんながますます快適に暮らせるようになる。みんなが地動説で暮らすようになったために、地動説で新しい発明がたくさんできて人間が幸福に暮らせるようになったのと同じことである。
つまり、身分制ではなく民主制が実在の人間社会の原理なのである。天動説ではなく地動説が実在の宇宙の原理なのと同じことである。人間は実在に適応すれば幸福に生きることができる。だから、人間は民主制や地動説を採らねばならないのである。
政府は自分が上の者だと言って威張[いば]るだけしか能がない役立たずのクソバカである。そんな物があってもしかたがない。だから、国民は早く政府を倒したほうがいい。国民は政府に従わなくなって、政府に税金を払うのをやめて、政府に食わさないようにして、政府を倒さねばならない。

[17102] 国民が政府に従っても何にもならない。☆ h25.3.31
国民が政府に従うのは、まさに政府に従うためである。国民が政府に従うのは国民が幸福になるためではなく、ただたんに政府に従うためである。
昔は身分制が正しいと考えられていた。政府が国民みんなにとって上の者だと考えられていた。そのため、国民が政府に従うことが正しいことだと考えられていた。そのために、昔の国民は政府に従っていたのである。
しかし、今では民主制が正しく、身分制がまちがっていると考えられている。身分制は昔の人が考えたまちがった社会理論だとされている。もはや政府は国民みんなにとっての上の者ではない。国民と政府は平等である。そのため、今では国民が政府に従うことが正しいことだと考えられていない。国民が政府と平等にすることが正しいことだと考えられている。
今では国民が政府と平等にすることが正しいことだと考えられている。だから、国民は政府と平等にしなければならない。たとえ国民が幸福になれなくても、今は民主制が正しいと考えられているから、国民はそうしなければならない。つまり、国民は政府に従わず、政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、国家宗教をやらず、政府に虐待されてはいけない。
今の政府は戦前と同じ上の者のままである。暴力団や宗教団体が今でも上の者のままであるのと同じである。上の者は国民が従うためにあるのであって、国民の役に立つためにあるのではない。政府は国民の役には立たない。だから、国民は早く政府を倒さねばならない。今の法律会社や行政会社が国民の役に立たないのは、政府が上の者であるせいである。国民は政府を倒して、もっと国民の役に立つ民主制の法律会社や行政会社を建てねばならない。

[17103] 今の政府は看板に偽[いつわ]りがある。 h25.4.1
政府の実体は上の者をやる会社である。
政府は表向きは民主制の政治機関のふりをして国民の多くを政府に従わせて、実際には身分制の上の者をやっているのである。
政府は国民に「国民はみな政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民を政府に従わせた上で、国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で殺したり虐[いじ]めたりしているのである。その他[ほか]、国民のためにほとんど役に立たないことをしているのである。
今の政府は看板に偽りがあるインチキ会社である。政府は入り口だけ民主制の政治機関で、中身は身分制の政治機関なのである。
政府は暴力団や宗教団体を見習って、国民に対して正直に『自分が身分制の上の者をする団体だ』と言って、政府に従いたい国民だけを政府に従わせなければならない。政府に従いたくない国民は政府に従わせないようにしなければならない。
たとえ政府が民主制の政治機関だったとしても、国民が政府に従うか従わないかは(つまり国民が政府と契約するか契約しないか)個人の自由である。今は民主制の時代だから、民主制では政府がどんな会社であっても国民と政府が平等だから、政府に従いたい国民だけが政府に従えばよく、政府に従いたくない国民は政府に従わなければいいのである。しかも、政府は本当は上の者である。政府は今の国民みんなが民主制をやっていることを利用して、自分を民主制の政治機関だと偽って、国民みんなを政府に従わせているのである。ところが、今の国民は民主制をやっているから、今の国民は政府に従ってはいけないのである。
したがって、今の国民は政府に従わなければいい。今の国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由であり、今の政府は国民の意思に反したことをやっていて国民は政府に従いたくないから、今の国民は政府に従わなければいい。今の国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、国家宗教をやらず、政府に虐待されなければいい。政府に従いたい国民だけが政府に従って、政府は政府に従いたい国民に命令して税金を取ってほそぼそと経営すればいいのである。政府は今の暴力団や宗教団体のように自分に従いたい一部の国民だけに命令してお金をもらって儲[もう]ければいいのである。

[17104] 政府は法律会社や行政会社をやめられない。 h25.4.1
政府が上の者に見えるのは、法律会社や行政会社があるからである。
暴力団が上の者に見えるのは、悪いことをするからであるのと同じことである。暴力団が悪いことをするのは自分を上の者に見せるために必要だからである。暴力団は自分の衝動[しょうどう]に駆[か]られて暴力をふっているのではなく、長年の経験の積み重ねによる計算の上で暴力をふっているのである。私立の上の者の団体はそうやって昔からやってきたのである。
だから、政府が法律会社や行政会社をやめるわけにはいかない。そんなことをすれば、政府が潰[つぶ]れてしまう。
それなら、民主制の法律会社や行政会社を政府とは別に作ればいいのである。政府はこれまで通り法律会社や行政会社をやればいいのである。政府に従う者は、政府の命令を聞いて、政府の法律を守って政府の行政指導を守ればいいのである。一方、政府に従わない者は、政府の作った法律や行政指導を無視して、民主制の法律会社や行政会社と契約してお金を払って仕事をしてもらえばいいのである。民主制の法律会社や行政会社を利用したい者がお金を払って仕事をしてもらえばいいのである。

[17105] 他人に殴[なぐ]られる仕事 h25.4.1
今から10年ぐらい前にテレビ朝日かなんかの番組で、“大阪で殴られる仕事をしている人”の放送があった。人通りに立って他人から1万円ぐらいお金をもらって他人に拳[こぶし]で顔を殴られてお金を稼[かせ]いでいる人のことが紹介されていた。
他人に殴られる仕事は、民主制の言い換えである。民主制の社会では、みんなが平等であって、他人にお金をやって他人に仕事をしてもらうので、他人からお金ををもらって他人に殴られる仕事があるのである。
反対に、身分制の社会では、みんなが上の者に従わねばならないので、他人からお金をもらって他人を殴る仕事があるのである。例えば、今の国民が政府に国家宗教で虐[いじ]められているのは、政府が上の者だからである。政府は上の者だから、国民からお金をもらって国民を殴っているのである。
他人に殴られる仕事をしていた人は、今が民主制の時代であることをみんなに言うために、わざわざそんな仕事をやっていたのである。
つまり、今は民主制の時代である。戦後から民主制の時代である。政府は民主制の社会の中で、いまだに上の者の仕事をやっている。民主制の社会では国民と政府は平等である。だから、今では政府に従いたい者だけが政府に従えばいいのである。政府に従いたくない者は政府に従わなければいいのである。
人間は言葉を使う動物だから自分が言いたいことがあればそのまま言葉で言えばいい。わざわざ具体的なことに喩[たと]えてわかりにくくして言わなくてもいい。今が民主制の時代であることを言いたければ、そのままみんなに『今が民主制の時代だ』と言えばいいのである。『政府に従いたくない人は従わなければいい』と言えばいいのである。

[17106] ほとんどの人は民主制がわかっていない。☆ h25.4.1
民主制の時代が始まってからまだ70年ぐらいしか経[た]っていない。だから、ほとんどの人は民主制が何かがわかっていない。そのために、政府は国民を騙[だま]して民主制のふりをしてじつは身分制をやっているのである。
間接民主制の正体は身分制である。政府の憲法の正体は身分制の憲法である。政府の正体は身分制の政治機関である。
それなのに、国民はまだ民主制がよくわかっていないために、政府が民主制の政治機関だと思って喜んで政府に従っているのである。政府は国民が民主制がよくわかっていないことを利用して、いまだに身分制をやっているのである。
国民は民主制の意味がわかっていないから、今でも身分制を民主制だと思って身分制をやっているのである。平方根の意味がわかっていないから(1)=(−1)から1=−1とするようなものである。無限の意味がわかっていないから1−1+1−1+1−1…=(1−1)+(1−1)+(1−1)+…=0+0+0+…=0とするようなものである。参考。
国民はもっと社会科をよく勉強して民主制に対する理解を深めねばならない。身分制に対する理解も深めねばならない。そうすれば、国民は政府が民主制の政治機関ではないことがわかって、自分が政府に従わなくていいことがわかって、政府に従わなくなって、政府が潰[つぶ]れて、民主制の社会になるだろう。
そういう私もこれまで政府のことがよくわかっていなかった。自分で政府について考えながら政府のことを理解してきた。だから、みんなも政府について考えて政府を理解しないといけない。

[17107] 民主制で麻薬をやってはいけないか? h25.4.1
日本では麻薬が禁止されている。
民主制では人間はみな平等である。人間が平等であることと麻薬をやってはいけないことは矛盾しない。だから、民主制でも麻薬を禁止してもいいのである。
しかし、民主制では人間は自由である。民主制では他人にお金をやって命令できるだけだから、人間は自分のことは自分で決められるから、人間は自由である。人間が自由であることと麻薬をやってはいけないことは矛盾する。だから、民主制では麻薬をやってもいいのである。政府の法律がまちがっているのである。政府は身分制の政治機関だから、自分勝手に民主制に反する法律を定めているのである。だから、国民は政府の法律を無視して麻薬をやればいいのである。
民主制では麻薬をやってもいい。暴力団や宗教団体が麻薬を密輸しているのはそのためである。暴力団や宗教団体が正しいことをやっているのである。
ただし、日本人はモラル(道徳)として麻薬をやっていないのである。麻薬をやると頭が働かなくなる。日本人は頭で考えることを大事にするので、麻薬をやらないようにしているのである。人間の生きる道は考えることにあるので、人間にとっての道徳では自分が考えることの妨げになることをやってはいけないのである。日本人は法律とモラルの両方を守っているのである。法律を守るだけでは人間は幸福になれない。だから、人間はモラルを守っているのである。だから、麻薬をどうしてもやりたい人は麻薬をやってもいいのである。麻薬をやってはいけないのに、酒を飲んでもいいというのは屁理屈[へりくつ]である。だから、日本人は酒を飲んでもいけない。それなのに、日本政府は国民に酒を飲むことを勧めている。政府は身分制の政治機関だから、自分勝手に日本のモラルに反する決まりを定めているのである。国民は政府に従わないようにしなければならない。

[17108] 民主制では行政会社は要らない。 h25.4.1
今は民主制の時代である。だから、みんなが民主制をやらねばならない。みんなが民主制をやることは、人類みんなですでに決めてしまったことである。
民主制では国民みんなが平等で自由であるが、それだけでは国がうまくいかないかもしれない。
だから、国には国民の意思をまとめる法律会社(立法会社と司法会社が組んだ会社)や行政会社が必要かもしれない。ただし、それらは民主制に適[かな]っていなければならない。だから、必ず国民と契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。行政とは会社を建てることである。仕事をすることである。たぶん、国の行政は国民に自由にやらせればうまくいくだろう。国民が自分で会社を建てて、国民みんなの役に立つ仕事をするだろう。行政は国民自身でやればいい。だから、たぶん行政会社は要らないだろう。国民にいちいち指示を出して仕事をさせる会社は要らないだろう。国民にとって要らない会社は建てなければいい。
政府の行政機関は身分制の行政機関だからいけない。身分制の行政機関は国民がただ従うためにあるだけであって、国民の役に立たないからいけない。政府の行政機関は国家宗教で国民や会社に無駄[むだ]な嫌な命令を出すだけである。政府の法律機関や行政機関は国民が従うためにあるだけだから、なくなったほうがいい。国民は政府に税金をやらないようにして、政府の法律機関や行政機関を利用しないようにしてお金をやらないようにして、政府の法律機関や行政機関を潰[つぶ]さねばならない。その代[か]わりに民主制の法律会社や行政会社を建てねばならない。もっとも、民主制の行政会社は国民にとって要らないから潰れるだろう。
社会があれば必ず犯罪者がいる。だから、犯罪者を取り締[し]まる法律会社が要る。民主制では人間は平等だから、犯罪者を罰して人間を平等にする法律会社が要る。
しかし、行政会社は要らない。行政会社は国民からお金をもらって国民に命令を出す会社である。民主制では人間は自由だから、人間は自分で考えて行動するから行政会社は要らない。民主制の社会では行政会社は建ててもいいが、誰も行政会社を利用しないから、行政会社は儲[もう]からなくて潰れるのである。

[17109] 政府の仕事は国民を虐待することである。 h25.4.1
政府は上の者をやる団体である。今でもそうである。
政府は政府に従う国民に対して命令して、税金を取ったり、国家宗教をやらせたり、学校に行かせたりする。政府は政府に従う国民を国家宗教で虐待する。政府は国民のためにちょっとだけ役に立つこともやっている。いくら上の者といっても、国民から税金を取って国民を虐待するだけでは国民に嫌われすぎて国民に倒されるので、政府は国民の機嫌を取るためにちょっとだけ法律や水道やゴミなどの役に立つこともやっているのである。
政府の仕事はほとんど命令と虐待だけである。命令も虐待だから、要するに政府の仕事は政府に従う国民を虐待することである。それを隠語[いんご]で行政というのである。政府は行政をやって、政府に従う国民や会社から税金を取ったり、国家宗教で嫌がらせの命令を出したり、学校に行かせて嫌いな勉強をさせて虐[いじ]めているのである。
昔は身分制の時代だった。みんなが政府を上の者だと考えて政府に従わねばならないと考えていた。だから、国民みんなは政府に従って、政府の命令をまじめに聞いていたのである。国民みんなはおとなしく政府に虐待されていたのである。
しかし、今は民主制の時代である。みんなが政府と国民が平等だと考えている。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。だから、今では国民の多くが政府に従わなくなって、政府の命令を聞かなくなって、政府が潰[つぶ]れているのである。
私は中学1年生の頃塾に通っていた。塾での勉強は学校とは違って自由な雰囲気がして楽しかった。私の人生の中で一番楽しい時間だった。政府は子供を無理やり学校に通わせて、子供に無理やり勉強をさせて勉強を嫌いにさせているのである。自分で考えるのが嫌いな馬鹿な人間にさせているのである。今は民主制の時代だから、国民が教育を受けるか受けないかは国民の自由である。だから、義務教育を廃止して、学校を潰して、子供が自由に勉強できるようにしなければならない。

[17110] 政府は国民を騙[だま]せるか? h25.4.1
今の政府は国民に「国民はみな政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民を騙して国民を政府に従わせて、国民に命令して国民に税金を払わせたり、国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐待したりしている。
馬鹿な国民は政府の嘘に騙されて政府に従っている。
しかし、利口な国民は政府の嘘に騙されず政府に従っていない。
今では教育が普及して国民の頭がよくなっているから、国民はだんだん政府に騙されなくなっている。
昔は文明が遅れていて馬鹿が多かった。しかも、みんなが身分制を信じていたので、国民はみんな政府が上の者だと考えて政府に従っていた。そのため、昔は政府がわざわざ国民を騙す必要がなかった。政府が何もしなくても、国民のほうから勝手に政府に従ってくれた。
反対に、今は文明が進んで馬鹿が少なくなっている。その上、みんなが民主制を信じていて、国民はみんな政府と平等だと思って政府に従わなくなっている。そのため、今では政府がいくら国民を騙そうとしても無駄[むだ]である。政府はあきらめて滅ぶしかない。
これまでの世界の歴史を見ても、政治団体が国民を嘘で騙して支配していたことなんか一度もない。そんなことはマンガの上でもできない。だから、今の政府も実際には国民を騙せていないのである。とにかく今は民主制の時代だから、国民は政府に従わなければいいのである。暴力団や宗教団体と同じように、政府に従いたい人だけが政府に従えばよく、政府に従いたくない人は政府に従わなければいいのである。

[17111] 植民地政策は日本政府の冗談である。 h25.4.1
日本政府は古代と近代に植民地政策をやった。しかし、2度とも失敗した。
それは、日本政府にとって植民地政策は冗談にすぎなかったからである。
江戸幕府が冗談で生類憐[しょうるいあわれ]みの令をやったのと同じことである。
日本政府はヨーロッパ文化を馬鹿にしてヨーロッパに対するイヤミで植民地政策を形の上で真似[まね]てやったにすぎなかったのである。日本政府にとっては最初から植民地政策はどうでもいいことだったのである。日本政府は端[はな]から植民地を取って国民にいい思いをさせてやるつもりはなかったのである。国民にとっても植民地政策はどうでもよかったのである。

[17112] 私は上の者か? h25.4.2
政府が上の者であるのを決めるのは政府自身ではなく、みんなである。
だから、たとえ政府が自分が上の者ではないと言っても、みんなが政府を上の者だとしていれば、みんなは政府に従うのである。反対に、たとえ政府が自分を上の者だとしていても、みんなが政府を上の者だとしなければ、みんなは政府に従わないのである。
実際に、戦前の政府は間接民主制をやっていた。間接民主制は名前が民主制であるだけでじつは身分制である。とはいえ、間接民主制は名前だけでも民主制だから、戦前の政府は自分が上の者ではないと言っていたようなものである。それにもかかわらず、昔はみんなが身分制が正しいと考えて政府を上の者としていたから、みんなは政府に従っていた。
反対に、戦後の政府も間接民主制をやっている。間接民主制は名前が民主制でも中身は身分制である。つまり、戦後の政府は自分が上の者だと言っているのと同じである。それにもかかわらず、今ではみんなが身分制がまちがっていると考えて政府を上の者としていないから、みんなは政府に従わない。
それと同じように、私が上の者であるのを決めるのは私自身ではなく、みんなである。私は超能力を使ったことがあるが、私が上の者かどうかを決めるのはみんなである。たとえ私が自分を上の者ではないと言っても、みんなが私を上の者としていれば、みんなは私に従う。しかし、実際には、今の私に従う者はいないから、みんなは私を上の者としていない。だから、たとえ私が自分を上の者だと言っても、みんなが私を上の者としていないから、みんなは私に従わないのだ。
そもそも、これまで超能力者が上の者だったのは、政府が上の者だったからである。戦前はみんなが政府に従っていた。政府が超能力者である天皇を上の者としていたから、みんなも天皇を上の者として天皇に従っていた。神武天皇は日本政府が出来る前にいた。しかし、日本政府が出来る前には神武天皇は上の者ではなかった。日本政府が出来てから神武天皇が上の者になった。だから、日本では政府が超能力者を上の者としていたのである。反対に、戦後は政府が天皇を上の者としなくなった。戦後はみんなが政府に従わなくなったにもかかわらず、みんなが天皇に従っていない。日本では昔から超能力者と人間を区別しないし、今は民主制の時代であって人間はみな平等だから、超能力者と人間も平等だから、みんなが自分の判断で超能力者に従わなくなったのだ。みんなが天皇や私に従わなくなったのだ。ただし、ヨーロッパやアメリカでは超能力者と人間を区別するから、超能力者を上の者と考える者は天皇や私に従うだろう。しかし、この前の私の超能力理論が正しいと考える者は、超能力者と人間の区別がないから、天皇や私に従わないだろう。

[17113] 今では超能力者は人間だと考えられている。 h25.4.2
今は民主制の時代である。今では人間はみな平等である。だから、上の者は人間以外の者しかない。
みんなが超能力者が人間ではなく超能力者を上の者だと考えれば、みんなが超能力者に従うことになる。
しかし、実際に私は超能力者だが、私に従う者はいない。だから、今ではみんなが超能力者を上の者と考えていないのである。今ではみんなが超能力者を人間と考えて、超能力者と人間を区別していないのである。
この前の私の超能力理論でも、超能力者と人間の区別がないから、みんなは超能力者に従わなくていい。
つまり、今では私の超能力理論が公認なのである。超能力者が人間だと考えられているのである。
今では人間がみな平等だと考えられているだけではなく、超能力者が人間だと考えられているのである。
もっとも、民主制では人間は自由だから、超能力者に従いたい者は超能力者に従えばいい。超能力者を上の者としたい者は超能力者に従ってもいい。実際に、今でもキリストや天皇に従いたい者がキリストや天皇に従っている。しかし、私に従いたい者はいない。私は人気[にんき]がないから、私に従いたい者はいない。
今では超能力者も人間も政府も国民もみんなが平等なのである。みんなが自分の従いたい者に従っているだけである。みんなが自分の従いたくない者に従わなくていいのである。今では政府に人気があるから、政府に従っている者が多いのである。政府は自分の人気を獲得するためにみんなに嘘[うそ]をついてみんなを騙[だま]している。みんなは政府の嘘に引っ掛かって政府に従ってはいけない。
今では超能力者も人間もみな平等である。宇宙人でも現れないかぎり上の者にはなれない。みんなが宇宙人を上の者だと認めれば、みんなが宇宙人に従うだろう。宇宙人はみんなを自由にできるだろう。宇宙人はみんなに好き勝手に命令したり、みんなを好き勝手に虐待できるだろう。

[17114] 今でもヨーロッパやアメリカでは超能力者が上の者である。 h25.4.2
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。上の者は人間以外の者しかない。
ヨーロッパでは昔から超能力者が上の者とされていた。ローマ皇帝がキリストを上の者にする以前から、キリストは上の者だったから、ヨーロッパでは超能力者が上の者とされていたのである。
日本では昔から超能力者が上の者とされていなかった。日本政府が神武天皇を上の者にする以前には、神武天皇は上の者ではなかったから、日本では超能力者が上の者とされていない。日本では昔から『人間が苦しい修行をすれば超能力者になれる』と信じられているから、超能力者と人間の区別がないのである。
だから、今でもヨーロッパやアメリカでは超能力者が上の者とされているのである。だから、外国向けに輸出される日本の商品(例えば、マンガやアニメ)には特に私や天皇の情報が多く入っているのである。外国では超能力者の情報を入れた商品がよく売れるから、超能力者の情報を入れるのである。ニーチェが「神は死んだ」と言ったのはまちがいである。
しかし、私の超能力理論では超能力者と人間の区別はない。だから、超能力者は上の者ではない。
したがって、今後は世界中で超能力者が上の者とされなくなるだろう。もっとも、たとえ超能力者が上の者とされなくなっても、人気のある超能力者には従う者がいるだろう。反対に、人気のない超能力者には従う者がいないだろう。

[17115] 政府には人気[にんき]があるか? h25.4.2
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。上の者はいない。
だから、今では人気がある者にみんなが従っているだけである。みんなが自分が従いたい者に従い、従いたくない者に従っていないだけである。
今の政府には人気があるから、政府には多くの人が従っているのである。
しかし、政府は国家宗教で人殺しをしている。政府は国家宗教で嫌がらせをやっている。だから、私は政府が好きにはなれない。だから、私は政府に従いたくない。私は政府に従わない。
政府はみんなに嘘[うそ]をついてみんなを騙[だま]してみんなの人気があるだけである。政府はみんなの人気を得るために、毎日テレビや新聞に出ているのである。
政府は人殺しである。政府は嘘つきである。政府が好きになれない者は政府に従わなくなるだろう。
ヨーロッパでは政府は植民地政策でみんなの人気がある。だから、今でもヨーロッパでは多くの人が政府に従っているのである。それに比べて、日本政府は嘘で人気があるだけである。日本政府はつまらない。だから、みんなは日本政府に従わないほうがいい。

[17116] 今の政府は人気[にんき]で持っているだけである。 h25.4.2
戦前は身分制があったから、みんなが政府に従わねばならなかった。
戦後は身分制がなくなったから、みんなが政府に従わなくてもよくなった。
今の政府は国民の人気を取って国民を従わせているだけである。政府は国民に「国民はみな政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民の人気を取っているのである。
つまり、今では政府に従いたい者が政府に従えばよく、政府に従いたくない者は政府に従わなくていいのである。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
ところが、政府の正体は身分制の政治団体である。今の政府は国民が従うか従わないかが自由なだけで、やっていることは昔と同じである。政府は今でも上の者をやっている。政府は国民が従うためにあるだけであって、国民の役には立たない。政府に従う者の役には立たない。だから、国民が政府に従っても何にもならない。国民が政府に従っても国民の得にはならない。だから、国民は政府に従わなければいい。国民は政府に従わず、政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、国家宗教をやらず、虐待されず、政府を倒せばいいのである。
今では“他人に従う趣味”がある者以外は政府に従う意義がない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。政府に従っても従い足りない者が暴力団や宗教団体に従っているのである。“他人に従う趣味”のある者が暴力団や宗教団体に従って喜んでいるのである。普通の人は暴力団や宗教団体に従わなくていいのである。

[17117] 福祉は福祉会社がやればいい。 h25.4.2
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。人間はみな自由である。
だから、福祉をやりたい者は福祉をやればよく、福祉をやりたくない者は福祉をやらなければいい。
福祉をやりたい者は自分の手で福祉をやるか、あるいは福祉会社にお金を払って自分の代[か]わりに福祉をやってもらえばいい。反対に、福祉をやりたくない者は何もしなければいい。
そもそも福祉があるのは、障害者と健常者が平等だからである。今は民主制の時代なので、人間はみな平等なので、障害者と健常者を平等にしなければならないのである。障害者も健常者と同じように人生を送れるようにしなければならないのである。自分で働いて食べていけるようにしないといけないのである。しかし、日本は貧乏な国なので、日本人はみな自分が食べていくのがやっとなので、あまり福祉をやりたがらない。民主制では人間が平等であることよりも、人間が自由であることのほうが優先する。民主制では障害者と健常者が平等だとしても、国民が福祉をやるかやらないかは国民個人の自由である。だから、障害者も何か才能を磨[みが]いて他人の役に立つことをしなければならないのである。障害者が自分の障害に甘えていてはいけないのである。
つまり、福祉とは健常者が障害者を助けることではなく、障害者が健常者と同じように暮らせるようにならねばならないことである。障害者は健常者以上に努力して自分の才能を磨いて他人の役に立てるようにならねばならないのである。

[17118] 今では人間が自殺するのは自由である。 h25.4.2
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。人間はみな自由である。
人間にとっては自分の身体は自分の物である。だから、人間は自分の身体を自由にできる。人間が自分の身体をどうしようが自分の勝手である。
だから、自分が死にたい者は自殺すればいい。自分が死にたくない者は生きればいい。自分が死にたい者は“自殺させてくれる会社”に頼んでお金を払って自分を殺してもらえばいい。苦しまないように楽に殺してもらえばいい。
昔は身分制の時代だった。みんなが政府に従わねばならなかった。政府は自殺を禁止していた。だから、みんなは自殺をしてはいけなかった。
今は民主制の時代である。みんなが自分のことは自分で決めればいい。だから、死にたい者は死ねばいいのである。
政府が国民の自殺を認めないのは、政府の国民に対する虐待である。しかし、今は民主制の時代だから、政府は国民を虐待できない。だから、国民は自由に自殺すればいいのである。

[17119] 政府は勝手に法律を決めるな! h25.4.2
私が以前働いていた頃、夜勤のために昼間寝なければならなかった。その際に、睡眠薬が大いに役に立った。『タイレノール社のシンプリースリープ』という薬が役に立った。72錠3000円(1錠当たり42円)ぐらいだった。
しかし、その後私が派遣会社をクビになって働かなくなってからは、シンプリースリープが日本国内で販売禁止になった。その代[か]わりに「エスエス製薬のドリエル」という薬が売られるようになった。12錠で1400円(1錠当たり117円)ぐらいする。成分が同じなのに値段が2.8倍もする。国産は高い(泣)。
日本政府が自分勝手に法律を決めて外国の薬を売ってはいけないことにして、その代わりに日本の製薬会社とグルになって高い値段で薬を売るようになったのだ。私のような低所得の消費者にとってはたまったもんじゃない。
今は民主制の時代である。国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。政府に従う国民は政府の法律を守ればよく、政府に従わない国民は政府の法律を守らなければいい。政府に従わない国民が勝手に外国から薬を輸入して国内で安い値段で売ればいい。そうしてくれるとありがたい。

[17120] 他人が超能力者の情報を勝手に使ってはいけない。 h25.4.2
人間にとっては自分の身体が自分の物であるように、自分に関する情報も自分の物である。
だから、例えば、町でかわいい女の子を見つけて、本人に無断で写真を撮って、写真集を作って売って大儲[おおもう]けして、写真を撮られた本人には1円もやらないのはいけない。
それと同じように、超能力者に無断で超能力者の情報を使って物を作って売って大儲けして、超能力者本人には1円もやらないのはいけない。
かわいいことが売れる条件であるように、超能力者であることも売れる条件である。かわいいことが本人の才能であるように、超能力も本人の才能である。
今では超能力者と人間の区別がないと考えられている。超能力者は人間だと考えられている。だから、人間の情報を他人が勝手に使ってはいけないように、超能力者の情報も他人が勝手に使ってはいけない。個人的に楽しむぐらいならかまわないが、商品にして売って儲けるのはいけない。
昔の政府は上の者だった。一方、超能力者自身は上の者ではなかった。超能力者は政府によって上の者とされていただけだった。だから、政府が超能力者の情報を勝手に使ってもよかった。しかし、今では政府は上の者ではない。政府は国民と平等なただの団体である。だから、政府が超能力者の情報を勝手に使ってはいけない。政府は超能力者の許可を得てから、超能力者の情報を使わねばならない。

[17121] どうして戦後は貴族がいなくなったか? h25.4.2
戦前は政府が上の者だった。政府が国のことを好き勝手に決めていた。政府が国を自分の好き放題にしていた。そのため、政府が特定の国民を貴族にして上の者にしていた。政府が超能力者の天皇を上の者にしていたのと同じことである。
しかし、戦後は政府が上の者ではなくなった。政府が国のことを勝手に決められなくなった。そのために、政府が特定の国民を貴族にできなくなった。だから、戦後は貴族がいなくなったのである。
今の政府には国民を嘘[うそ]で騙[だま]して国民の人気を取って国民を従わせることが精一杯である。それ以上のことがやれないのである。今の政府はそこら辺[へん]の暴力団や宗教団体と同じである。
今は民主制の時代だから、今の政府は国民と平等である。今の政府は暴力団と同じように国民を雰囲気で脅[おど]すことができるだけである。だから、国民は政府に従わず、政府の命令を無視して、自分の好き放題にやればいいのである。

[17122] どうして暴力団は悪いことをやらねばならないか? h25.4.2
暴力団がみんなから上の者に思われるためである。
暴力団が何もしなければ普通の人と変わらないから、暴力団が他人から上の者に思われることもない。暴力団は悪いことをすることによってはじめて他人から上の者に見られるのである。暴力団が他人から上の者に見られることによって、はじめて他人が暴力団に従うのである。他人が暴力団に従うから、暴力団が他人に命令できて暴力団が他人からお金を取って儲[もう]けることができるのである。
つまり、暴力団にとって他人に暴力をふるのは他人を脅[おど]すためであって、他人の身体を痛めつけるためではないのである。特に、今は民主制の時代だから、人間はみな平等だから、暴力団は他人の身体を傷つけると罰せられるので、暴力団は他人を脅すことができるだけで他人の身体を痛めつけることができないのである。
だから、国民が暴力団を取り合わなければ、国民が頑[がん]として暴力団に従おうとしなければ、暴力団はどうしようもないと思って退散するしかないのである。
つまり、暴力団が他人に暴力をふるのは、他人に上の者だと思わせるためである。
宗教団体がわけがわからないことをするのは、他人に上の者だと思わせるためである。
政府が国民に嘘[うそ]をつくのは、国民に上の者だと思わせるためである。
暴力団や宗教団体や政府は他人に上の者だと思わせる目的が同じで、手段が違うだけである。
だから、国民が暴力団や宗教団体や政府を上の者だと思わなければ、国民は暴力団や宗教団体や政府に従わなくていいのである。
昔は身分制があったから、国民が政府や暴力団や宗教団体を上の者にしていたから、国民が政府や暴力団や宗教団体に従っていた。政府や暴力団や宗教団体が国民に対して何もしなくても、国民のほうから勝手に従ってくれた。
しかし、今は身分制がないから、国民が政府や暴力団や宗教団体を上の者にしていないから、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもよくなった。そのために、今では政府や暴力団や宗教団体が一生懸命に国民に嘘をついて騙[だま]したり国民を暴力で脅したりわけがわからないことをしたりして国民に自分を上の者だと思わせて、国民を従わせなければならなくなったのである。ところが、今は民主制の時代だから、国民が政府や暴力団や宗教団体に従うか従わないかは国民の自由だから、国民は自分が嫌なら政府や暴力団や宗教団体に従わなければいいのである。国民は自分が気に入った場合だけ政府や暴力団や宗教団体に従えばいいのである。
暴力団は他人が自分の言いなりにならないときには、八つ当たりして相手の物を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりして壊す。だから、事務所がきれいな会社は暴力団の言いなりになっているふざけた弱い会社である。事務所が多少壊れて汚い会社のほうがまじめな強い会社なのである。

[17123] 今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。☆ h25.4.3
昔は身分制の時代だった。みんなは政府や暴力団や宗教団体を上の者だと考えていたので、政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。
今は民主制の時代である。みんなは政府や暴力団や宗教団体を上の者だと考えなくなったので、政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもよくなった。
そのため、政府は国民を嘘[うそ]で騙[だま]して従わせるようになった。
暴力団は国民を暴力で脅[おど]して従わせるようになった。
宗教団体はわけがわからないことをやって国民を従わせるようになった。
しかし、本当は国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていいのである。今は民主制の時代だから、国民と政府や暴力団や宗教団体は平等だから国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていいのである。政府や暴力団や宗教団体は嘘や暴力やわけがわからないことで国民を自分に従わねばならないように思わせているだけで、本当は従わなくていいのである。
今の政府や暴力団や宗教団体は犯罪寸前のことをやって国民を自分に従わせている。今の国民は自分が政府や暴力団や宗教団体に従わなくていいことを理解して、政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。国民は勇気を出して政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして、早く政府や暴力団や宗教団体を倒さなければならない。民主制の社会を作らなければならない。
今は民主制の時代だから、国民と政府や暴力団や宗教団体は平等だから、国民は本来政府や暴力団や宗教団体に従わなくてかまわない。今の政府や暴力団や宗教団体はだめもとで国民を従わせようとしているだけである。今の政府や暴力団や宗教団体は半[なか]ばあきらめてニヤニヤしながら国民を従わせようとしている。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体のやっていることを真[ま]に受けてわざわざ従わなくてもいいのである。国民は政府や暴力団や宗教団体のやっていることを冗談だと思って笑って従わなければいいのである。

[17124] 政府は国民が身分制をやるための機関である。☆☆ h25.4.3
政府はそもそも国民が身分制をやるためにある機関である。だから、政府は国民に命令を出すことばかりやっているのである。政府は国家宗教でどうでもいい命令を出しているだけである。国民は政府のどうでもいい命令を真剣に聞いているのである。政府は時々身分制をやるために国民を国家宗教で虐待しているのである。つまり、国民が身分制をやるために時々政府に国家宗教で虐待されているのである。国民が政府に従うために、国民が政府に殺されたり虐[いじ]められたりしているのである。
昔は国民が身分制をやっていたから、政府が必要だった。国民は政府に従って、政府の命令を聞いて、何でもやった。戦争でも人殺しでも自殺でもやった。
今は国民が身分制をやめたからもはや政府は要らない。国民は政府に従わずに、政府の命令を聞かずに、政府に税金をやらずに、政府を倒せばいいのである。
国民のことは国民で決めねばならない。国民が政府に合わせて政府に従っていてはいけない。今は身分制の時代ではないから、国民はいいかげんで身分制から抜け出さねばならない。国民が政府に従わなければ、いくら政府が命令を出しても政府は国民に無視されるだけである。だから、政府は国民に命令できなくなって潰[つぶ]れるしかない。
民主制の時代に政府や暴力団や宗教団体などの身分制の会社が残っているのはおかしい。だから、みんなで早く身分制の会社に従うのをやめて身分制の会社をなくさねばならない。
そもそも昔の政府は国民みんなに従うために上の者をやっていたのである。昔は国民みんなが身分制をやっていて上の者に従いたかったから、政府は国民みんなのために上の者をやってあげていたのである。政府は国民みんなのためにみんなに命令したりみんなを虐待したりしてやっていたのである。国民は政府に命令されたり虐待されたりして喜んでいたのである。それが「天皇陛下万歳!」である。しかし、今の国民みんなは民主制をやっている。今の国民は政府に命令されたり虐待されたりしてもうれしくない。だから、今の政府は国民みんなに従うために滅ばねばならない。

[17125] ニュータイプ h25.4.3
昔は身分制の時代だったから、昔の人間は他人に命令を出すか、他人の命令を聞くかのどちらかだった。他人に命令を出すタイプの人間は上の者になればよかった。政府や暴力団や宗教団体になればよかった。反対に、他人の命令を聞くタイプの人間は下の者になればよかった。国民になればよかった。平民になればよかった。
しかし、今は民主制の時代である。だから、今では人間は他人に命令を出したり他人の命令を聞いたりするよりも、自分で考えて自分で実行しなければならない。
私は他人に命令を出すタイプでも、他人の命令を聞くタイプでもない。私は自分独[ひと]りでやるタイプだ。だから、私は民主制の人間だ。

[17126] どうして今の国民は政府に従っているのか? h25.4.3
今の国民が今が民主制の時代だとわかっていないからである。
そのために、今の国民は今でも身分制をやって政府に従っているのである。
しかし、本当は今は民主制の時代だから、国民は政府に従ってはいけないのである。
国民が政府に従っているから、政府は国民に合わせて国民に命令したり国民を虐待したりしているのである。
だから、国民がまず政府に従うのをやめねばならない。たとえ政府に従わないのが嫌でも政府に従ってはいけない。そうすれば、政府は国民に合わせて、国民に命令したり国民を虐待したりするのをやめるだろう。政府は滅ぶだろう。
自分が正しければ、相手も正しくなる。反対に、自分がまちがっていると、相手もまちがっていることをする。相手を正しくするためには、まず自分を正しくしなければならない。

[17127] どうして今の国民は政府に税金を払っているのか? h25.4.3
今の国民が身分制をやっているからである。
今の国民が身分制をやって政府の命令に従って政府に税金を払っているから、政府は国民が身分制をやりたいのだと思って、国民に命令して税金を払わせたり国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐待したりしているのである。つまり、今の国民が身分制をやっているから、政府は国民に合わせて上の者をやっているのである。
しかし、今は民主制の時代である。だから、国民は身分制をやってはいけない。
今の国民が身分制をやらなくなって政府の命令に従わなくなって政府に税金を払わなくなれば、政府は国民が身分制をやりたくないのだと思って、国民に命令して税金を払わせたり国家宗教をやらせたり国民を国家宗教で虐待したりしなくなるだろう。つまり、今の国民が身分制をやらなければ、政府は国民に合わせて上の者をやらなくなるだろう。

[17128] 今は民主制の時代だから、今の国民は政府と平等にしなければならない。 h25.4.3
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。人間はみな自由である。
だから、国民と政府も平等である。国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。政府に従いたい国民は政府に従い、政府に従いたくない国民は政府に従わなければいい。たとえ政府が国民に命令しても、国民が政府の命令を聞きたくなれば、政府の命令を無視して聞かなければいいのである。政府の命令を聞きたい者だけが、政府の命令に従えばいいのである。
国民が政府の命令を聞くから、政府は国民が政府に従いたいのだと思って、国民に命令するのである。反対に、国民が政府の命令を聞かなければ、政府は国民が政府に従いたくないのだと思って、国民に命令しないのである。
国民が政府に従うから、政府は国民に合わせて国民に命令するのである。反対に、国民が政府と平等にすれば、政府も国民に合わせて国民と平等にするのである。今は民主制の時代だから、今では民主制が正しい社会の原理だと考えられているから、今の国民は政府と平等にしないといけない。

[17129] 身分制をやる者を皆殺しにしなければならない。 h25.4.3
今は民主制の時代である。今では民主制が正しいと考えられている。身分制がまちがいだと考えられている。
だから、身分制をやる者を皆殺しにしなければならない。
政府や暴力団や宗教団体を皆殺しにしなければならない。政府や暴力団や宗教団体に従う者を皆殺しにしなければならない。会社の上役[うわやく]を皆殺しにしなければならない。会社の上役に従う者も皆殺しにしなければならない。
政府に従う国民を皆殺しにしないといけない。政府の命令で税金を払ったり、国家宗教をやったり、虐待されたりする者を皆殺しにしないといけない。
昔の国民は身分制が正しいと考えていたから、身分制をやらねばならなかった。昔の国民は政府に従わねばならなかった。政府の命令で戦争でも人殺しでも自殺でも何でもやらねばならなかった。
今の国民は民主制が正しいと考えているから、民主制をやらねばならない。今の国民は政府に従ってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。学校に行ってはいけない。政府の法律を守ってはいけない。
身分制の時代に民主制をやった者は殺された。身分制の時代には民主制がまちがっていたから殺された。身分制の時代に身分制をやらない者は殺された。上の者に従わない国民は殺された。国民を従わせない上の者も殺された。上の者の命令に逆らった国民は殺された。国民に命令したり国民を虐待したりしない上の者も殺された。だから、戦前は民主制を進めた総理大臣が殺されたりしたのである。「上の者」よりも『社会制度』(つまり身分制)のほうが大事なのである。
民主制の時代に身分制をやった者も殺される。民主制の時代には身分制がまちがっているから殺される。民主制の時代に民主制をやらない者は殺される。他人に従う者は殺される。他人を従わせる者も殺される。他人の命令に従う者は殺される。他人に命令したり他人を虐待したりする者も殺される。
民主制では人間は自由である。人間には自由がある。しかし、人間にはまちがったことをやる自由はない。人間はまちがったことをやってはいけない。民主制の時代には身分制はまちがっている。だから、民主制の時代には身分制をやってはいけない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけないし、政府や暴力団や宗教団体は国民に命令してはいけないのである。社員は上役に従ってはいけないし、上役は社員に命令してはいけないのである。

[17130] 間接民主制とは何か? h25.4.3
身分制の時代に民主制をするための工夫[くふう]である。
戦前は身分制の時代だった。しかし、一方で民主制の動きもあった。そのために、政府は両方を折衷[せっちゅう]して身分制をやりながら民主制もやる間接民主制を考え出したのである。
しかし、戦後は民主制の時代である。もはや身分制には戻れない。だから、今では民主制だけをやればいい。間接民主制は身分制をやっているからいけない。政府は今でも身分制をやっている。政府は身分制をやる団体である。だから、身分制が嫌な国民は政府と関わってはいけない。政府に従ってはいけない。今では身分制がまちがいだと考えられている。だから、みんなは政府を潰[つぶ]さなければならない。みんなが政府に税金をやるのをやめて、政府に食わさないようにして、政府を倒さなければならない。

[17131] 政府はどうして国家宗教で国民を殺すのか? h25.4.3
今の国民が身分制をやっているからである。国民が政府に従って、政府の命令を聞いて、税金を払ったり、国家宗教をやったりしているからである。
今は民主制の時代である。民主制が正しく、身分制がまちがっている。
だから、政府は今どき身分制をやっているまちがった国民を殺して罰したのである。
政府はまちがったことをやっている国民を見ていたらムカついたので、国民を殺してスッキリしたのである。政府はまちがったことをやって胸を張っている国民を見ていたら心底[しんそこ]頭に来たので、政府は国民を殺さなければ気がすまなかったのである。政府は『社会制度』(つまり民主制)を守るために、「政府に従っている国民」を殺したのである。
しかし、そういう政府も身分制をやっている。政府も国民に税金の命令をしたり、国民を国家宗教で虐待したりしている。政府は他人[ひと]のことが言えない。
だから、政府は自分で自分を罰して潰[つぶ]れなければならない。国民が政府を潰さなければならない。

[17132] なんびとたりとも社会制度に反してはいけない。 h25.4.3
身分制の時代に民主制をやった者は殺された。たとえ「上の者」でも殺された。上の者が民主制をやっても殺された。それは、みんなで『社会制度』を守るためである。『社会制度』そのものを壊してはいけないから、社会制度に反することをやった者は殺されたのである。たとえ上の者でも身分制に反することをやってはいけなかったのである。身分制では上の者は国を自分の好き勝手にできたけれども、民主制だけはやってはいけなかったのである。身分制では上の者は何でもできたけれども、身分制に反することだけはやってはいけなかったのである。もちろん国民が民主制をやってもいけなかったのである。
だから、反対に、民主制の時代に身分制をやった者も殺される。誰でも殺される。それは、みんなで『社会制度』を守るためである。『社会制度』自体を壊すことは許されないから、社会制度に反することをやった者は殺されるのである。民主制ではみんなが自由だけれども、身分制だけはやってはいけないのである。民主制では人間は何をやってもいいけれども、民主制に反することだけはやってはいけないのである。
今は民主制の時代だから、なんびとたりとも民主制に反してはいけない。みんなが民主制を守らなければならない。みんなが身分制をやってはいけない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけないし、政府や暴力団や宗教団体は国民を従わせてはいけない。今では国民が政府や暴力団や宗教団体に従うか従わないかは国民個人の自由なのではなく、国民はみんな政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけないのである。
社会制度を犯すことは殺人よりも強盗よりも重い罪である。だから、絶対に社会制度を犯してはいけない。今は民主制の時代だから、みんなは絶対に民主制を守らなければならない。身分制をやった者は死刑にされねばならない。

[17133] 嘘[うそ]や暴力やわけがわからないことをするのはいけない。☆☆ h25.4.4
戦前は身分制の時代だった。みんなは政府や暴力団や宗教団体が上の者だと思って従った。
戦後は民主制の時代になった。身分制がなくなった。みんなは政府や暴力団や宗教団体を上の者だと思わなくなった。
戦後に身分制がなくなったから、戦後の政府や暴力団や宗教団体は嘘で騙[だま]したり暴力で脅[おど]したりわけがわからないことをやったりして国民を従わせなければならなくなったのである。戦前は国民が自分から政府や暴力団や宗教団体に従っていたが、戦後は政府や暴力団や宗教団体が半[なか]ば強制的に国民を従わせている。
しかし、本来嘘で騙したり暴力で脅したりわけがわからないことをやったりするのはいけないことである。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。どんな手段を用いるにしろ、とにかく他人を強制的に従わせるのはいけないことである。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わないようにしなければならない。
今の政府や暴力団や宗教団体は本来やってはいけないことをやっている。身分制の社会でも民主制の社会でも嘘や暴力やわけがわからないことはやってはいけないことだとされている。だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体がやってはいけないことをやっていると考えて、政府や暴力団や宗教団体に従わなければいいのである。
民主制の時代に身分制の団体がやっていくことは無理である。潔[いさぎよ]く滅ばねばならない。政府や暴力団や宗教団体はどうせ先は長くない。だから、あまり本気で国民を従わせようとしてはいけない。

[17134] 今の政府は国民に命令できない。☆ h25.4.4
昔は身分制の時代だった。みんなは政府を上の者だと考えて政府に従っていた。だから、昔の政府が国民に命令することには正当性があった。
今は民主制の時代である。政府は国民を嘘[うそ]で騙[だま]して国民を政府に従わせているだけである。だから、今の政府が国民に命令することに正当性はない。
したがって、今の国民が政府の命令を聞く必要はない。今の国民は政府に従わなくていい。今の政府は国民に命令できるふりをして命令しているだけである。だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府の命令を無視して、好き勝手にすればいい。
それと同じように、今の政府が国民を国家宗教で虐待しているのは政府のイタズラである。ただのイタズラである。今の政府は国民と平等だから、今の政府には国民を虐待できる資格はない。だから、国民は政府に虐待されなければいいのである。国民は政府が国民を虐待することを許さず、政府を罰すればいいのである。
今の政府は自分がお金が欲しいために国民みんなに嘘をついているだけである。今の政府は貧乏臭い。人間はお金のために生きているとくだらなくなる。今の政府はお金のために生きているくだらない会社である。民間会社以下のクズ会社である。だから、国民は政府にお金を恵んでやらなければいいのである。
戦前は身分制の時代だったから、政府は上の者をやるのが仕事だった。しかし、戦後は民主制の時代になったから、政府は上の者がやれなくなった。そのために、今の政府は国民みんなに嘘をついて騙してお金を稼[かせ]がなければならなくなった。政府は時代が変わったために仕事を失って詐欺[さぎ]をやらねばならなくなった哀[あわ]れな会社である。今の政府は仕事を失ったから詐欺で細々と生計を立てているのである。しかし、人間社会では詐欺はいけないことだとされている。政府はいいかげんで汚いお金儲[もう]けをするのをやめて、滅んだほうがいい。今の政府が国民に「国民はみな政府に従わねばならない」と言っているのは嘘である。本当は、国民は政府に従わなくていい。今は民主制の時代だから、政府と国民は平等だから、国民は政府に従う必要はない。国民は政府にお金をやらずに政府を滅ぼせばいいのである。

[17135] 横浜浮浪者襲撃殺人事件 h25.4.4
横浜浮浪者襲撃殺人事件は1982年頃に横浜市で浮浪者が中学生のグループに襲われて殺された事件である。
それより1〜2年前、私が高校2年生の頃に、高知市朝倉の鏡川橋[かがみがわばし]の橋の下に乞食[こじき]のおじいさんが住んでいた。おじいさんはいつも乳母車[うばぐるま]をつきながら歩いていた。ある日私が下校途中鏡川橋の近くを自転車で通っていたとき、私と同じ高知学芸高校の制服を着た3人組の高校生がおじいさんの寝床[ねどこ]をめがけて石を投げつけていた。おじいさんは留守[るす]のようだった。私はそれを見ても止めようとしなかった。それとは別の日に、私が下校途中同じ鏡川橋の近くを自転車で通っていたとき、同じクラスの浜田[はまだ]君(だったかな?)が自転車で私の横に並んで落ち込んでいた私に声をかけて私を励[はげ]ましてくれたことがある。
私の“横”に並んで自転車に乗っていた“浜”田君が私を励ましてくれたことと、“浮浪者”のおじいさんが3人組に“襲撃”されていたことがいっしょになって、横浜浮浪者襲撃殺人事件が起きたのである。政府が国家宗教で横浜市の中学生に命令して浮浪者を襲わせたのである。一般に、動機がはっきりしない変な事件はほとんど全部政府が国家宗教でやらせた事件である。今の政府は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に従っている国民に命令して国家宗教をやらせているのである。

[17136] どうしてパソコンのデスクトップのデザインはダサくなっているのか? h25.4.4
馬鹿がパソコンを買うようになっているからである。
昔はパソコンでは文書を作るだけだったし、パソコンが高かったから、パソコンは頭がいい人しか買わなかった。だから、デザインが引き締[し]まっていてかっこよかった。
今はパソコンではゲームや動画ができるし、パソコンが安くなっているから、パソコンは馬鹿でも買うようになった。そのために、デザインが馬鹿っぽくなっているのだ。
最近のパソコンは馬鹿のセンスに合わせてデザインを決めているから、デザインがダラダラして締まりがなくてダサくなっているのである。

[17137] 国民は政府を潰[つぶ]せばいい。 h25.4.4
昔は身分制の時代だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は民主制の時代である。身分制の時代ではない。だから、国民は政府に従わなくていい。
今の政府は国民に「国民みんなが政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民を政府に従わせている。
国民は政府の嘘に騙[だま]されるのをやめて政府に従わなければいい。政府に税金を払うのをやめて、政府を潰せばいい。

[17138] 今の政府には国民を従わせられる根拠がない。 h25.4.4
昔の政府が国民を従わせられる根拠は身分制にあった。昔は身分制が正しいとされていたので、政府が国民を従わせてもよかった。
今の政府が国民を従わせられる根拠は間接民主制にあるとされている。しかし、間接民主制は論理的にまちがっている制度である。間接民主制ではまちがった論理によって民主制を身分制に変えている。つまり、間接民主制は身分制であって、民主制ではない。今は民主制が正しいとされているので、間接民主制はまちがっているので、政府が国民を従わせてはいけない。政府は間接民主制によって国民を従わせることはできない。つまり、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府の命令を聞いたり、政府に虐待されたりしなくていいのである。

[17139] 国民のことは国民自身で決めればいい。 h25.4.4
昔は身分制の時代だった。みんなが身分制を正しいと考えて、政府を上の者として政府に従っていた。みんなが政府の命令を聞いて、政府に虐待されていた。
今は民主制の時代である。みんなが民主制を正しいと考えて、自分が政府と平等だと考えて政府に従っていないはずである。みんなが政府の命令を聞かず、政府に虐待されていないはずである。政府が国民から税金を取れなくなって滅んでいるはずである。
それなのに、政府は今でも残っている。みんなが民主制が何かがよくわかっていないために、政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて間接民主制が正しい制度だと思って、政府に従っているからである。そのために、政府は今でも国民に命令したり、国民を虐待したりしている。
いくら政府が国民に「国民みんなは政府に従わねばならない」と言っても、国民が『国民みんなは政府に従わなくていい』と考えていれば、国民は政府に従わなくていい。昔は国民自身が政府に従わねばならないと考えていたから、政府に従っていたのである。だから、反対に、今では国民自身が政府に従わなくていいと考えていれば、政府に従わなくていいのである。昔は身分制が正しい社会理論だと考えられていたから、国民自身が政府に従わねばならないと考えていたのである。今は民主制が正しい社会理論だと考えられているから、国民自身が政府に従わなくていいと考えればいいのである。
国民みんなは早く民主制を正しく理解して、政府の嘘に騙されなくなって、政府に従わなくならねばならない。

[17140] 今では社員が自分の給料を増やすには一生懸命に働くしかない。 h25.4.4
今は民主制の時代である。今では人間はみな平等である。
だから、会社の中ではみんなが平等である。今では会社の中には上役[うわやく]はいない。上役が社員の稼ぎを横取りしたり、社員を虐[いじ]めたりすることがない。
だから、今では会社の儲[もう]けを人数で割って、会社のみんなに公平に給料をやればいい。
そうすれば、社員が自分の給料を上げるためには、自分が一生懸命に働いて会社の儲けを増やすしかないから、会社全体の儲けが増えるに違いない。昔は社員が自分の給料を増やすためには上役に上がればよかったが、今では上役がないから自分がひたすら一生懸命に働いて会社全体の儲けを増やして自分の給料を増やすしかないのである。

[17141] どうして昔の人は身分制が正しいと考えたのか? h25.4.4
進化論によれば、人間はもとはサルである。
サルの社会には身分制がある。サルは身分制をやる生き物である。
人間にはサルの習性が濃[こ]く残っているから、昔の人間は身分制をやったのである。
しかし、結局身分制では人間社会はうまく行かなかった。人間はサルとは違う生き物だからである。
だから、今の人は身分制をやめて民主制に変えたのである。
だから、今の人は民主制をやらなければいけないのである。ボケーとして、昔のサルの習性のまま生きていてはいけないのである。
身分制はサル社会の制度である。民主制は人間社会の制度である。人間は人間社会の制度をやらねばならない。だから、人間は民主制をやらねばならないのである。

[17142] 学歴は身分制である。 h25.4.5
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。身分制のない時代である。
学歴は身分制である。
だから、今では学歴はない。今では学歴は無視しなければならない。
今では実力あるのみである。実力のある者が出世し、実力のない者はクビである。
これまで身分制があったから、高卒よりも大卒が、大卒よりも大学院卒のほうが待遇がよかったのである。しかし、今では身分制がないから、今後はみんなが同じ待遇なのだ。
ちなみに、私はこれまで学歴のために勉強したのではない。私はただ自分が勉強したかったから勉強しただけだ。私は他人が発見した原理に従うのが嫌なので、全部自分でゼロから考えてきたのだ。

[17143] 間接民主制は身分制である。 h25.4.5
身分制の社会では身分制に反することをしてはいけないように、民主制の社会では民主制に反することをしていはいけない。
民主制の社会では人間はみな平等だから、政府と国民も平等であるはずである。
それなのに、間接民主制では政府が上の者である。政府と国民が不平等である。
そもそも間接民主制は戦前からあったから、間接民主制は身分制である。戦前は身分制の時代だったから、身分制の時代には身分制に反することをしてはいけなかったから間接民主制は身分制である。
しかし、今は民主制の時代である。民主制の時代には民主制に反することをしてはいけないから、間接民主制はいけない。だから、間接民主制をやっている政府もあってはいけない。
今の政府は間接民主制をやっている。間接民主制は身分制である。だから、今の政府は身分制をやっている。民主制の時代には身分制をやってはいけない。だから、国民みんなは政府を滅ぼさねばならない。税金は身分制の社会の制度である。民主制の社会では身分制をやってはいけない。だから、民主制の社会では税金はいけない。国民は政府に税金をやらないようにして、政府を倒さなければならない。一般に、政府の命令はすべて身分制である。今は身分制をやってはいけない。だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。
戦前の国民が間接民主制が身分制であることがわかっていたのなら、戦後の国民も間接民主制が身分制であることがわかるはずである。だから、戦後の国民は間接民主制をやってはいけないと考えて、間接民主制をやっている政府を倒さねばならない。
今は民主制の時代だから、みんなが民主制をやっているはずである。みんなが身分制をやめているはずである。政府は身分制をやる団体である。だから、今ではみんなが政府を倒しているはずである。国民みんなで政府を倒さなければならない。
そもそも政府は身分制における上の者をやる団体である。政府は身分制で持っている団体である。今は民主制の社会だから、身分制はない。だから、政府は滅ばねばならない。国民は政府に従わないようにして、政府の命令を聞かないようにして、政府を倒さなければならない。
今は身分制の世界から民主制の世界に変わっている時代である。身分制の世界には上の者がいた。民主制の世界には上の者がいない。政府は上の者である。だから、今は政府が滅んでいるのである。国民は政府を倒しているのである。だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。

[17144] 今は民主制の時代だから身分制をやってはいけない。☆ h25.4.5
今は民主制の時代である。民主制の時代には民主制に反することをやってはいけない。
ところが、間接民主制は身分制である。だから、今は間接民主制をやってはいけない。政府は間接民主制の政治機関である。国民が政府に従うと国民が身分制をやることになる。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府の命令を聞いてはいけない。国民は政府の命令で、政府に税金を払ったり、国家宗教をやったり、その他[た]のことをやったりしてはいけない。
間接民主制は身分制である。政府は間接民主制の政治機関である。つまり、政府は身分制における上の者である。しかし、今は民主制の時代だから、みんなは身分制をやってはいけない。だから、国民は政府に従ってはいけないのである。
国民が政府に従わなければ、政府は上の者をやれない。政府が上の者をやれなければ、政府は潰[つぶ]れるしかない。
今は民主制の時代である。民主制が正しい社会理論とされている。だから、たとえ国がどうなろうが、とにかく民主制をやらねばならない。たとえ自分がどうなろうが民主制をやらねばならない。
文明社会は『原理』で支えられている。原理を守ることは社会を守ることである。だから、みんなは原理を守らなければならない。今の社会の原理は『民主制』である。だから、みんなで民主制を守らなければならない。民主制に反する者を滅ぼさねばならない。
今の政府は民主制の社会において身分制をやろうとする者である。だから、みんなで政府を滅ぼさねばならない。

[17145] 国民VS政府や暴力団や宗教団体 h25.4.5
今の国民みんなは民主制をやっている。
一方、政府や暴力団や宗教団体は身分制をやっている。上の者をやっている。
今では国民みんなのほうが政府や暴力団や宗教団体よりも「数でははるかに圧倒的」である。
だから、国民みんなの勝ちである。政府や暴力団や宗教団体の負けである。
国民みんなは民主制をやって、政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして、政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして、政府や暴力団や宗教団体を倒さねばならない。

[17146] 政府の取り柄[とりえ]は上の者であることだけである。 h25.4.5
上の者であることが政府のたったひとつの取り柄である。政府の「たったひとつの心の支え」である。政府から上の者を取ったら何[なん]にもない。今は民主制の時代だから、政府は上の者ではない。今の政府には何にもない。だから、国民は政府を無視して政府に従わなければいいのである。

[17147] 倒産した会社は、しばらく汚いことをやってからなくなるものである。☆ h25.4.5
昔は身分制の時代だったから、政府が上の者だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は民主制の時代だから、政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の政府は国民に「国民みんなは政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民を政府に従わせて国民から税金を取って儲[もう]けている。
政府はすでに潰[つぶ]れている。政府は自分が完全になくなるまでの間しかたなく詐欺[さぎ]をやって細々と生計を立てているのである。政府は嘘をつくことがいけないことだと知っているけれども、自分が生きるためにやむを得ずそうしているのである。倒産した会社は、しばらく汚いことをやってからなくなるものである。弱い者ほど悪いことをするものである。
しかし、悪いことはやっぱりいけない。国民は政府の嘘を真[ま]に受けず、政府に従わなければいいのである。政府に税金をやらずに、政府をなくせばいいのである。

[17148] 今の国民は政府になめられている。 h25.4.5
昔の国民は政府に従いたくて従っていたのだから、政府に戦争で殺されても本望[ほんもう]だった。
しかし、今の国民は政府に従いたくなくて従っているのだから、政府に国家宗教などで殺されるのは不満である。
そもそも今は民主制の時代だから、国民は政府に従わなくていいのである。
今の国民が政府に従っているのが馬鹿である。だから、政府になめられて殺されるのである。
だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府に従わないようにして政府を見返してやって、政府を倒してやればいい。
昔の国民は自分が死ぬ覚悟で政府に従った。今の国民は自分が死ぬ覚悟で政府に従わなければいいのである。

[17149] 今の政府や暴力団や宗教団体はやってはいけないことをやっている。☆ h25.4.5
昔は身分制があったから、政府や暴力団や宗教団体は上の者だった。だから、政府や暴力団や宗教団体が好き放題にやれた。政府や暴力団や宗教団体がみんなに命令してみんなを自分の思い通りにできた。政府や暴力団や宗教団体はみんなを虐待して遊んでいた。昔の政府や暴力団や宗教団体は正しいことをやっていた。だから、みんなは政府や暴力団や宗教団体に文句を言わずに、おとなしく従っていた。
しかし、今は身分制がないから、政府や暴力団や宗教団体は上の者ではない。だから、政府や暴力団や宗教団体は好き放題にできない。それなのに、今の政府や暴力団や宗教団体は好き放題にやっている。だから、今の政府や暴力団や宗教団体はまちがったことをやっている。だから、みんなは政府や暴力団や宗教団体の言うことを聞かず、逆らえばいいのである。文句を言えばいいのである。
上の者が上の者をやるのはいいが、上の者でない者が上の者をやってはいけない。
昔の政府や暴力団や宗教団体はやってもいいことをやっていた。今の政府や暴力団や宗教団体はやってはいけないことをやっている。だから、今の政府や暴力団や宗教団体は滅ばねばならない。今の政府や暴力団や宗教団体は悪者だから、国民は政府や暴力団や宗教団体と戦って、政府や暴力団や宗教団体を倒さねばならない。国民のほうが政府や暴力団や宗教団体よりも人数が多いから圧倒的に有利である。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体を弱いと思って、命令を聞かないようにして滅ぼせばいいのである。

[17150] 日本人は民主制が苦手[にがて]である。 h25.4.6
身分制では自分が考えず他人の言いなりになればいい。
民主制では自分が他人の言いなりにならず考えねばならない。
日本人は自分で考えるのが苦手である。
だから、日本人はいまだに身分制を支持しているのである。
しかし、それは世界の大勢[たいせい]に反する。そんなことをしていたら日本は後進国になる。
だから、日本人は自分で考える練習をしなければならない。日本人は民主制をやれるようにならなければならない。
毎日考えていれば誰でも自分で考えられるようになる。私がその証拠だ。要[よう]は練習だ。だから、日本人は自分で考えることを習慣にしなければならない。日本人は自分で考えないことを習慣にするのをやめて、自分で考えることを習慣にしなければならない。

[17151] どうして今の政府は国民から税金を取るのか? h25.4.6
政府が上の者をやっているからである。
上の者は下の者に対して命令して税金を取ったり国家宗教やその他[た]のことをやらせたり、虐待したりする。ちょっとだけ役に立つことをやったりする。
だから、政府は国民から税金を取っているのである。
しかし、今は民主制の時代である。政府は上の者ではない。政府は本当は自分が上の者ではないのに、上の者をやっている。政府がいけない。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。
間接民主制とは民主制のふりをして身分制をやることである。今は民主制の時代である。だから、みんなは間接民主制をやってはいけない。政府も国民も間接民主制をやってはいけない。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府の命令を聞いて税金を払ったり国家宗教やその他のことをやったり、政府に虐待されたりしてはいけない。
政府は昔の上の者の団体である。昔は身分制の時代だったから政府は本当に上の者だった。今は民主制の時代だから政府は上の者ではない。今の政府はすでに潰[つぶ]れた後である。今の政府は国民に自分が上の者であると嘘[うそ]をついてかろうじて生き残っているだけである。今の政府は潰れているのに潰れていないふりをしているだけである。国民が政府の嘘に騙[だま]される必要はない。だから、国民は政府の嘘を相手にせず、政府に従わなければいいのである。

[17152] 超能力は人間の才能のひとつである。 h25.4.6
鉄棒の大車輪はできる人はできるが、できない人はできない。できない人とできる人が分かれる。しかし、できない人でも練習すればできるようになる。反対に、できる人でも練習しなければできなくなる。もっとも、いくら練習してもできない人もいる。いくら練習しなくてもできる人もいる。できるかできないかは人それぞれである。とにかく人間にできることである。
鉄棒の技と超能力は同じである。つまり、超能力は本来人間にできることである。できることをできないと思っているだけである。超能力はある程度素質があれば練習すれば誰でもできることである。
だから、超能力者と人間を分ける必要はない。超能力は人間の持っている才能のひとつである。超能力だけに注目してわざわざ人間を超能力者と超能力者でない者とに分類する必要はない。超能力者を人間と考えればいい。超能力者は超能力という技ができる人間である。

[17153] 政府は民主制の政治機関に変わらねばならない。 h25.4.6
今は民主制の時代である。政府は身分制の政治機関である。みんなで政府を潰[つぶ]して、民主制の政治機関を建てねばならない。しかし、それでは時間がかかる。
そこで、今の政府を身分制の業務と民主制の業務に分ける。身分制の業務は廃止し、民主制の業務は継続する。例えば、国家宗教の命令や国民の虐待は廃止する。法律や水道やゴミや学校は継続する。
政府は国民から税金は取らない。自由契約にする。
そうすれば、今の政府から民主制の政治機関にスムースに移行できるだろう。

[17154] どうして今でも宗教団体に従っている人がいるのか? h25.4.6
宗教団体に従えば自分が幸福になれると思っているからである。
しかし、それはまちがいである。
昔の人は身分制が正しいと信じていたから、昔の人にとっては上の者に従うことそのものが幸福だったから、昔の人は宗教団体に従えば幸福になれたのである。
しかし、今の人は民主制が正しいと信じているから、今の人にとってはもはや上の者に従うことは幸福ではないから、今の人がいくら宗教団体に従っても幸福になれないのである。
だから、今では宗教団体に従っても無駄[むだ]である。お金や時間の無駄である。
今では宗教団体に従わずに、何か別の楽しいことをやってすごせばいいのである。

[17155] 昔は政府よりも暴力団や宗教団体のほうがサービスがよかった。 h25.4.6
昔は身分制の時代だった。みんなが上の者に従うことが正しいと考えていた。
政府は国家的な上の者だったから、国民みんなが政府に従わねばならなかった。
一方、暴力団や宗教団体は地域的な上の者だったから、国民が暴力団や宗教団体に従うか従わないかは国民の自由だった。国民が自分が従いたい暴力団や宗教団体に自由に従っていた。だから、暴力団や宗教団体は上の者であるだけではいけなかった。人気がなければならなかった。人気がない暴力団や宗教団体は潰[つぶ]れた。暴力団や宗教団体は国民の人気を得るために殺し合いやお祭りなどをやっていた。暴力団はプロレスの試合みたいに殺し合いをやって観客を喜ばせていた。
しかし、今は民主制の時代である。みんながみんなと平等にやることが正しいと考えている。
今では政府も暴力団も宗教団体も国民と平等である。国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。国民は政府や暴力団や宗教団体と平等にして、自分が利用したサービスの分だけお金を払わなければならない。
つまり、政府や暴力団や宗教団体は「身分制」で儲[もう]けていた団体である。昔は身分制の時代だったので、政府や暴力団や宗教団体が上の者だったので、国民が自分から政府や暴力団や宗教団体に従っていたので、政府や暴力団や宗教団体は自分に従う者に命令してお金を取って儲けていた。しかし、今は民主制の時代である。今は身分制がない。そのため、今では政府や暴力団や宗教団体は上の者ではなくなって、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わなくなって、政府や暴力団や宗教団体は自分に従う者がいなくなって自分に従う者に命令してお金を取って儲けることができなくなって潰れている。

[17156] 今は「間接民主制」の時代である。☆ h25.4.7
昔は「身分制」の時代だったので、政府が上の者だったので、みんなが政府に従っていた。
今は『民主制』の時代なので、身分制がなくなったので、政府が上の者ではなくなったので、みんなが政府に従わなくてよくなった。
今は「間接民主制」の時代である。間接民主制では国民みんなが政府に従わねばならないので、みんなは政府に従っている。国民は政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教をやったり、政府に虐待されたりしている。
しかし、間接民主制は身分制である。間接民主制とは民主制のふりをして身分制をやることである。
今は民主制の時代である。民主制の時代には身分制をやってはいけない。だから、今は間接民主制をやってはいけない。
だから、国民は政府に従ってはいけない。政府は国民を従わせてはいけない。
国民は政府に従わず、政府の命令を聞かず、政府と平等にして、政府を利用した分だけ政府にお金を払えばいい。
今の国民は「間接民主制が民主制だ」と思って政府に従っている。しかし、本当は『間接民主制は身分制である。』だから、今の国民は本当は政府に従わなくていいのである。国民は政府に従うのをやめて、政府に税金をやるのをやめて、政府を倒さなければならない。早く身分制の時代を終わらせて、民主制に時代にしないといけない。
昔の国民は身分制で政府に従っていた。今の国民は間接民主制に対する誤解で政府に従っている。国民は早く間接民主制に対する誤解を直して政府に従うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
今は民主制の時代である。今では民主制が正しいとされている。身分制はまちがいだとされている。間接民主制は身分制だからまちがいである。だから、みんなは間接民主制をやってはいけない。つまり、国民は政府に従ってはいけない。

[17157] 多数決は原理ではない。 h25.4.7
多数決が原理であるなら、東京に住んでいる人が多いから、日本人は全員東京に住まなければならないはずである。
ところが、実際には、日本人の全員が東京に住んでいない。
だから、多数決は原理ではなく、物事の決め方のひとつにすぎない。多数決はみんなが正解がわからなくて、どうしても答えを出さないといけない場合に、やむを得ず使う方法である。
多数決は原理ではない。多数決の原理はない。だから、多数決の原理に基づく間接民主制もまちがっている。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かず、好き勝手にやればいい。
民主制の原理は「多数決」ではない。『人間が平等である』ことや、『人間が自由である』ことである。だから、民主制では人間が平等でなければならない。人間が自由でなければならない。間接民主制は政府が国民よりも上の者であって政府と国民が不平等であって『人間が平等である原理』に反するからまちがいである。だから、みんなは間接民主制をやってはいけない。政府も国民も間接民主制をやってはいけない。国民は政府に従わないようにしなければならない。政府は国民を従わせないようにしなければならない。

[17158] 役所は書類をどうして発行するのか? h25.4.7
政府が国民を管理するためである。
昔は身分制の時代で政府が上の者だったので、国民は政府の持ち物だったので、政府が国民を管理していたのである。そのために、役所がいちいち書類を発行していたのである。
しかし、今は民主制の時代である。人間はみな平等である。人間はみな自由である。つまり、国民はもはや政府の持ち物ではない。だから、政府に国民を管理する資格はない。したがって、今では役所が書類を発行しなくていい。発行してはいけない。役所は要らない。国民は政府に縛[しば]られず自由に暮らせばいい。

[17159] 今は身分制の時代ではない。☆ h25.4.7
戦前までは暴力団は自分に従う国民に命令してお金をもらって儲[もう]けていた。
戦後から、暴力団は国民を暴力で脅[おど]してお金を取るようになった。最近は暴力団は国民に安物の商品を高い値段で売りつけて儲けるようになった。
戦後に身分制がなくなったから、暴力団は暴力で国民を脅さねばならなくなったのである。戦後に身分制がなくなったから、戦後は暴力団に従う国民がいなくなったから、暴力団はわざわざ暴力で国民を脅してお金を稼[かせ]がなければならなくなったのである。
つまり、今は身分制のない時代である。民主制の時代である。
今は身分制の時代ではない。今の国民にとって政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくてかまわない。今の政府は何食わぬ顔をして上の者をやって国民を従わせている。しかし、本当は今の政府は上の者ではないのである。今の政府は上の者でない者が上の者のふりをしているにすぎない。だから、国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府の芝居に騙[だま]されないようにして、政府に従わないようにして、政府を倒さねばならない。

[17160] 国民はすでに政府に従っていない。 h25.4.7
政府の本業は上の者である。政治機関は政府の副業である。水道やゴミや学校などは政府の副業である。政府の副業は政府が国民の人気を得るためにやっているのである。暴力団や宗教団体が殺し合いやお祭りをやるのと同じことである。政府は副業で国民みんなの人気を取って国民みんなを政府に従わせているのである。政府は他[ほか]の国家的な上の者の団体に代[か]わられないために、国民みんなの人気を取ることをやっているのである。
昔は身分制の時代だった。政府は上の者だった。だから、国民みんなは政府に従っていた。政府は国民みんなに命令して、税金を取ったり、国家宗教をやらせたり、戦争をやらせたりした。
今は民主制の時代である。政府は上の者ではない。だから、国民みんなは政府に従わなくてかまわない。政府は国民みんなに命令できず、税金を取ったり、国家宗教をやらせたり、戦争をやらせたりできない。
実際に、今の国民は政府に従っていない。今の国民は政府に税金を払っていない。だから、政府は潰[つぶ]れているのである。今の政府は顔で笑って心で泣いて上の者のふりをしているのである。

[17161] 親の七光り h25.4.7
今の政府は昔の政府が上の者だったからなんとなく上の者みたいなだけである。親が偉いと子が偉いみたいなのと同じことである。今の政府はボンクラのバカ息子である。
しかし、今は民主制の時代だから、上の者はいけない。
だから、国民は政府に従わないようにしないといけない。
今の政府は雰囲気で上の者みたいなだけである。国民はしっかりと政府が上の者ではないと考えて、政府に従わないようにしなければならない。

[17162] 人間は正しいことをやる生き物である。 h25.4.7
昔は身分制の時代だった。みんなが身分制を正しいと考えていた。みんなが上の者に従わねばならないと考えていた。だから、国民みんなが政府に従って政府の命令で何でもやった。政府の命令で人殺しでも強盗でも自殺でも何でもかんでもやった。政府にいくら虐待されても一言[ひとこと]も文句を言わなかった。むしろ「天皇陛下万歳!」と叫んで笑いながら死んでいった。
今は民主制の時代である。みんなが民主制を正しいと考えている。みんながみんなと平等にしなければならないと考えている。だから、今では国民みんなが政府や暴力団や宗教団体と平等に付き合わねばならない。政府の命令で税金を払ったり国家宗教をやったりその他[た]のことをやったりしてはいけない。政府に虐待されたら政府に文句を言わねばならない。暴力団に脅[おど]されてもお金をやってはいけない。
人間は正しいことをやる生き物である。昔の人が正しいことをやっていたから、今の人も正しいことをやらねばならない。昔の人は自分が死んでも正しいことをやった。だから、今の人も自分が死んでも正しいことをやらねばならない。

[17163] 今の政府が上の者をやっているのは政府の嘘[うそ]である。☆ h25.4.7
昔は身分制の時代だった。昔は政府が上の者だったから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は民主制の時代である。今は政府が上の者ではないから、国民は政府に従わなくていい。
今でも政府は上の者をやっているが、それは政府の嘘だから、国民は政府をまともに相手にしなくていい。
そもそも国民が政府に従わなければ、いくら政府が国民に命令しても国民は政府の命令を聞かないから無駄[むだ]である。
今の政府は上の者のふりをしているだけで、本当は上の者ではない。国民は政府に従わないようにして、早く政府を倒さなければならない。

[17164] 身分制があるとないとでは国民の政府に対する態度が変わる。 h25.4.8
法律がなければ、犯罪者は野放しである。
法律があるから、犯罪者は逮捕されて牢屋に入れられる。
それと同じように、身分制があれば、政府は国民から税金を取って国民を虐待してもいい。
身分制がなければ、政府は国民から税金を取ったり、国民を虐待してはいけない。
今は民主制の時代であり、身分制がないから、政府は国民から税金を取ったり、国民を虐待してはいけない。だから、国民は政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教やその他[た]のことをやったりしなくていい。国民は政府に虐待されなくてもいい。政府に虐待されたら政府に仕返ししてもいい。
身分制があるとないとでは国民の政府に対する態度が変わる。身分制があれば国民は政府に従うが、身分制がなければ国民は政府に従わない。今は身分制がないから、国民は政府に従わない。

[17165] 今の国民は上の者に従いたくなければ従わなくていい。 h25.4.8
私の家族は私が中学3年生の頃(1980年頃)にそれまで入っていた日蓮宗をやめた。
それは、戦後が身分制の時代ではなくなったからである。身分制がなければ、国民が宗教団体に従う意義がないので、私の家族は宗教団体をやめたのである。
身分制がなくなったのは戦後すぐだが、実際に私の家族が宗教団体をやめたのはそれから約40年後だった。私の家族が日蓮宗に入っていたのは、私のおばあさん(母の母)が日蓮宗に入っていたからで、私のおばあさんが日蓮宗に入っていたのは戦前のことである。戦前は身分制があったので、国民が上の者に従う意義があったので、私のおばあさんは宗教団体に従っていたのである。
たとえ身分制が戦後すぐになくなっても、実際に国民が上の者に従うのをやめるのはそれからしばらくたった後[あと]である。それまでは国民は上の者に従う意義がないまま形の上だけで上の者に従っているのである。
今は民主制の時代だから、身分制がなくなっているから、国民は自分が上の者に従いたくないと思えば従わなくていいのである。国民は宗教団体や暴力団や政府に従わなければいいのである。会社の社員は上役[うわやく]に従わなければいいのである。
国民が宗教団体や暴力団や政府に従っているから、宗教団体や暴力団や政府が今でも残っているのである。国民は早く宗教団体や暴力団や政府に従うのをやめて、宗教団体や暴力団や政府を潰[つぶ]さねばならない。会社の社員が上役に従っているから、今でも上役が残っているのである。会社の社員は早く上役に従うのをやめて、上役を潰さねばならない。

[17166] 政府はどうして国民に命令を出すのか? h25.4.8
政府の行政機関や国家宗教団体や法律機関(国会や警察)は国民に命令を出している。
しかし、政府が国民に命令を出すのは国民を幸福にするためではない。国を発展させるためではない。
政府が国民に命令を出すのは、身分制をやるためである。政府が上の者をやるためである。
昔は身分制の時代だったから、政府が上の者をやらねばならなかったから、政府が国民に命令を出さねばならなかったから、政府は国民に命令を出していたのである。国民は上の者に従わねばならなかったから、政府の命令を聞いていたのである。政府が国民を虐待しなければならなかったから、政府は国民を虐待していたのである。国民は上の者に虐待されねばならなかったから、政府に虐待されていたのである。
しかし、今は民主制の時代であって、身分制がないから、政府は上の者をやれない。政府は国民に命令を出せないから、政府は国民に命令してはいけない。国民は上の者に従わなくていいから、政府の命令を聞かなくていい。政府は国民を虐待できないから、政府は国民を虐待してはいけない。国民は上の者に虐待されなくていいから、政府に虐待されなくていい。
国民が政府の命令を聞いても国民は幸福にならないし、国が発展しない。むしろ、国民が不幸になって、国が衰退するだけである。今は民主制の時代だから、政府は上の者ではないから、今の政府は国民に命令する資格がないから、国民は政府の命令を聞かなくていい。たとえ政府が国民を幸福にしても、国を発展させても、国民は政府の命令を聞かなくていい。

[17167] 今の政府は上の者のふりをしているだけである。 h25.4.8
昔は身分制の時代だった。政府は上の者だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は民主制の時代である。身分制の時代ではない。政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくていい。
今の政府は上の者のふりをしているだけである。今の政府は上の者ではないのに上の者をやっている。今の政府は上の者をやっているが、本当は上の者ではない。
だから、今の国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府に従わずに、政府を滅ぼせばいい。今は民主制の時代だから、上の者は要らないから、政府は滅べばいいのである。
国民が政府に従うから、政府が上の者をやるのである。だから、国民は早く政府に従うのをやめて、政府が上の者をやるのをやめさせねばならない。

[17168] 上の者は身分制とともになくなった。 h25.4.8
そもそも政府も暴力団も宗教団体も身分制があったから出来た団体である。身分制を実現するために出来た団体である。
しかし、今は民主制の時代であり、身分制がなくなっているから、そんな団体は要らない。そんな団体は作らなくていい。
だから、今では政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのである。みんなが政府や暴力団や宗教団体に従わなくなって、政府や暴力団や宗教団体がみんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
政府や暴力団や宗教団体は国民を脅[おど]してお金を取ろうとするが、国民は相手にしなくていい。国民は政府や暴力団や宗教団体の脅しを無視して、民主制を貫けばいいのである。民主制を実現するために、政府や暴力団や宗教団体に従わなければいいのである。
そもそも政府や暴力団や宗教団体は「身分制」で威張[いば]っていた団体である。「身分制」があったから上の者になって威張れただけである。政府や暴力団や宗教団体の権力の源[みなもと]は「身分制」にあったのである。しかし、今は民主制の時代であって、身分制がないから、政府も暴力団も宗教団体も上の者ではないから威張れない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わず、平等にやればいいのである。

[17169] どうして身分制が滅んだか? h25.4.8
近代になってニュートンが古典力学を築いた頃に、科学が出来た。
人間はいろんな物を科学するようになった。
人間社会も科学するようになった。社会科学が出来た。
人間社会には「身分制」があることがわかった。
社会科学者が『民主制』を考え出した。身分制よりも民主制が正しいと考えられた。
そのために、今では民主制が正しい人間社会の原理だと考えられて、身分制がまちがっていると考えられて、身分制が滅んでいるのである。上の者が滅んでいるのである。
昔の人は無意識的に身分制をやっていた。科学が出来てから人間が社会を理解できるようになって、身分制がまちがっていて民主制が正しいと考えられるようになった。だから、今の人は意識して民主制をやるようになっているのである。

[17170] 『ウサギとカメ』 h25.4.8
インドに今でも身分制があるのは、インドが科学をやらないからである。
インドは科学をやらないから、発展しないのである。
インドは実在について考える努力をしないから、前に進まないのである。
反対に、ヨーロッパは実在について考える努力をするから、前に進むのである。
ウサギはインドでカメはヨーロッパである。
努力する者が勝つ。努力しない国は努力する国に負けるのだ。

[17171] 今の社会の原理は『民主制』である。 h25.4.8
昔の社会の原理は「身分制」だった。身分制ではみんなが上の者に従わなければならなかった。上の者が社会の中心だった。政府や暴力団や宗教団体が社会の中心だった。
昔の社会の原理は身分制だったから、身分制に基づいて社会を作っていた。みんなが政府や暴力団や宗教団体に絶対服従していた。みんなが政府や暴力団や宗教団体の命令を何でも聞いて、どんなに政府や暴力団や宗教団体に虐待されてもけっして文句を言わなかった。
今の社会の原理は『民主制』である。民主制では人間はみな平等である。みんなが社会の中心である。
今の社会の原理は民主制だから、民主制に基づいて社会を作ればいい。みんなが政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして、平等にすればいい。政府の憲法は身分制で出来ているから、みんなは政府の憲法を守らなければいい。今の政府はひとりでとぼけて身分制をやっている。国民は政府に合わさないようにして、自分で考えて民主制をやらなければならない。
いくら政府や暴力団や宗教団体がお金を欲しくても社会制度を破ってまでお金を儲けてはいけない。政府や暴力団や宗教団体はちゃんと社会制度を守ってお金を儲けなければならない。国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくていい。だから、政府や暴力団や宗教団体はお金がなくなって潰[つぶ]れるしかない。

[17172] 『裸の王様』☆ h25.4.8
権力は眼で見えないものである。
政府の権力の源[みなもと]は「身分制」にある。
昔は身分制の時代だったから、政府が上の者だったから、みんなが政府に従った。
今は民主制の時代だから、政府は上の者ではないから、みんなが政府に従わなくていい。
それなのに、今の政府が上の者のふりをしているために、今でもみんなが政府に従っている。
権力が眼で見えないから、政府は嘘[うそ]が利[き]くと思って、今でも上の者をやっているのである。国民は政府にまんまと騙[だま]されて政府に従っている。
しかし、本当は今の政府は上の者ではない。今は民主制の時代だから、政府は上の者ではないから、みんなは政府に従わなくていい。
今の政府は『裸の王様』のおとぎ話を地[じ]でやっている。
だから、みんなは政府に従うのをやめて、政府の命令を無視して、自由に暮らせばいいのである。

[17173] 今ではお祭りがなくなっている。 h25.4.8
昔の人は“見えない神”がいると考えていた。
昔の人は身分制を信じていた。
だから、昔の人は自分が見えない神に従うためにお祭りをやった。昔の人は見えない神を上の者だと考えて自分が上の者に従うために、見えない神を祭るお祭りをやっていたのである。昔の人が政府に従っていたように、昔の人は見えない神にも従っていたのである。
しかし、今では身分制がない。
だから、今では見えない神に従う意義がない。そもそも身分制がなければ、見えない神がいようがいまいがとにかく見えない神に従う必要がない。今の人が政府に従わなくなったように、今の人は見えない神にも従わなくなったのである。
だから、今では祭りをやらなくなっているのである。今では祭りが廃[すた]れているのである。みんながお祭りをやらなくなってお祭りがなくなっているのである。
つまり、今では身分制がなくなっているからお祭りもなくなっているのである。
身分制はまちがった社会原理である。まちがった社会原理がなくなることはめでたいことである。だから、祭りがなくなることはめでたいことである。

[17174] 今では神と人間は平等である。 h25.4.8
昔は身分制の時代だった。みんなが神を上の者だと考えて神に従っていた。
今は民主制の時代である。今では身分制がない。みんなが神を上の者だと考えなくなって神に従わなくなった。
昔は身分制の時代だったから、神が人間よりも上の者だった。
今は民主制の時代だから、今では神と人間は平等なのだ。
昔の祭りは人間が神に従うためにやった。
今の祭りは神と人間がいっしょに楽しむためにやるのだ。

[17175] 神とは何か? h25.4.8
神とは自然のことである。
昔の人は自然をどうにもできなかったから自然に従うしかなかった。だから、自然を上の者だと考えて自然に従ったのである。神を上の者だと考えて神を祭ったのである。
しかし、今では科学がある。今の人は自然を思い通りにできるので自然に従わなくていい。だから、自然を上の者だと考えなくなって自然に従わなくなったのである。神を上の者だと考えず神を祭らなくなったのである。

[17176] 人間は快楽主義よりも実在主義のほうが幸福になれる。 h25.4.9
快楽主義の人間は、自分の心が中心だから、実在が自分の心に反していると思って、実在を嫌って空想に逃げるだけである。
反対に、実在主義の人間は、実在が中心だから、自分の心が実在に反していると思って自分の心がまちがっていると考えて、自分の知覚で実在を知り実在の中で自分の心を満足しようとする。
快楽主義よりも実在主義のほうが実在の中で幸福に生きることができる。快楽主義では本当の幸福が得られない。快楽主義では紙の上の幸福しか得られない。人間は快楽主義よりも実在主義のほうが幸福になれる。
最近の人間はゲームやマンガの中で幸福になろうとして実在に対する興味がない。政府のことなんかどうでもいいと思って政府の言いなりになっている。それでは本末転倒である。まず現実の問題を片付けてから、余った時間でゲームやマンガをやるべきである。日本は実在における幸福が少ないからこそ、実在における幸福を大事にしないといけない。まず実在において幸福になってから、余った時間でゲームやマンガを楽しめばいい。

[17177] 今の政府はまじめに自分の仕事をやっている。 h25.4.9
政府は上の者の団体である。政府の仕事は上の者をやることである。つまり、国民に命令したり、国民を虐待したり、国民にちょっとだけ役に立つことをやることである。
だから、今の政府は上の者をやっている。今の政府はちゃんと自分の仕事をまじめにやっている。
しかし、今は民主制の時代だから、政府は本当は上の者ではない。今の政府は上の者をやっているが、本当は上の者ではない。今の政府は上の者と同じことをやっているが、上の者ではない。今の政府は見かけが上の者であるだけで、中身は上の者ではない。偽札[にせさつ]が見かけがお金と同じであるだけで、中身がお金でないのと同じことである。今の政府は『裸の王様』の反対である。つまり、今の政府は立派な服を着たただの国民である。今の政府は国民と平等である。つまり、今の政府は昔上の者だった者が、制度が変わったために上の者ではなくなった者が、上の者のふりをしているだけである。
昔の政府は本物の上の者だったが、今の政府はニセモノの上の者である。だから、今の国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を無視して聞かなければいい。
お札[さつ]がお金であるかないかは決まりによって決まるように、政府が上の者であるかないかは社会制度によって決まる。今の社会制度では政府は上の者ではない。いくら今の政府が上の者をやっていても、今の政府は上の者ではない。だから、今の国民は政府に従わなくていい。国民は政府に従わないようにして、政府を倒さなければならない。

[17178] どうして人は気が狂うのか? h25.4.9
人の身体は外から強い力が加わると傷[いた]む。
しかし、脳は硬[かた]い頭蓋骨で守られているために外側からはめったに傷むことがない。
それなのに、気が狂う人がいる。
それは、自分で自分の脳を激しく興奮させたからである。
人間は自分で自分の脳を興奮させすぎると脳が壊れて気が狂うのである。
思春期にオナニーをやったり、麻薬をやったりすると、自分で自分の脳を興奮させる癖が身に付く。そういう者が何かのきっかけで不機嫌になると、自分で自分の脳を興奮させすぎて脳が壊れて気が狂う。
だから、気が狂わないためには自分の脳を激しく興奮させなければいい。特に、寝不足のときは、自分の脳を抑制しにくくなっていて自分の脳が興奮しやすくなっているから注意しなければならない。脳はデリケートな器官だから、壊れやすい器官だから、大事に扱わねばならない。

[17179] 見えない物が世の中を動かしている。 h25.4.9
万有引力が眼で見えないように、人の頭の中で考えていることも眼で見えないことである。万有引力が物体を動かしているように、人の頭の中で考えていることが人間を動かしている。
昔の人は頭の中で身分制を考えていた。上の者がいて上の者に従わねばならないと考えていた。だから、政府を上の者だと考えて政府に従っていた。
反対に、今の人は頭の中で民主制を考えている。人間はみな平等だと考えている。だから、政府と平等だと思って政府に従わなくなっている。
人間が頭の中で考えていることは時代によって変わる。だから、国民の政府に対する態度も時代によって変わる。
昔と今では人間の頭の中に入っているプログラム(社会制度のこと)が違うから、人間の行動も違うのである。たとえ政府の頭の中に入っているプログラムが同じでも、国民みんなの頭の中に入っているプログラムが違うから、政府のやることが同じでも、国民みんなのやることが違うから、世の中が変わるのである。

[17180] 今では国民が政府に従わなくなっている。 h25.4.9
昔は身分制の時代だった。みんなが上の者に従わねばならないと思っていた。みんなが政府を上の者だと思っていた。昔は国民が政府に従っていたから、政府が国民を従わせようとすると、政府が国民を従わせることができた。
今は民主制の時代である。みんながみんなと平等だと思っている。みんなが政府を上の者だと思っていない。今ではたとえ政府が国民を従わせようとしても、国民が政府に従わないから、政府は国民を従わせられない。だから、政府は滅ぶのである。
命令するためには、命令する者と命令される者の両方の協力が必要である。片方だけでは命令は成り立たない。昔の政府は国民に命令できたから栄えていた。反対に、今の政府は国民に命令できないから潰[つぶ]れているのである。
今の政府は独[ひと]りで上の者をやっている。国民は政府を相手にせずに、政府と平等にすればいいのである。

[17181] 福祉は税金の理由にはならない。 h25.4.9
今の政府は公共の福祉を理由にして国民みんなから税金を取っている。
しかし、いくら福祉をするからといって他人からお金を強盗していいことにはならない。
福祉は強盗の言い訳[わけ]にすぎない。
とにかく強盗はいけない。今は身分制の時代ではなく、今の政府は上の者ではないから、政府は国民に命令して国民からお金を取れない。昔の政府は正直に自分が上の者だと言って国民から税金を取って国民のために福祉をやっていたが、今の政府は自分が福祉をするためだと嘘[うそ]をついて国民からお金を取って本当は自分が上の者をやって遊んでいる。
だから、国民は政府に税金を払わなくていい。税金を払ってはいけない。
政府がそんなに福祉がしたければ、自分で働いてお金を稼[かせ]いで福祉をすればいい。そのほうがやりがいがあるだろう。
今は民主制の時代である。民主制では人間はみな平等である。人間はみな自由である。福祉の強制は『人間の自由』に反するからいけない。だから、福祉をやりたい者だけが福祉をやればいいのである。福祉をやりたくない者は福祉をやらなければいいのである。この世では、強い者が生き残り、弱い者は死ぬ定めにある。原始社会でも文明社会でも同じである。だから、人間は強くならねばならない。弱い者は死なねばならない。
今は民主制の時代だから、政府は上の者ではない。だから、たとえ政府が善[い]いことにお金を使っても、政府は国民から税金を取ってはいけない。それでは義賊[ぎぞく]だ。しかし、石川五右衛門やネズミ小僧も捕まって罰せられた。たとえお金を善いことに使っても泥棒や強盗をやってはいけない。今の政府は間接民主制つまり身分制をやって国民から税金を取っている。今の政府は強引に上の者をやっている。ところが、民主制の社会では民主制の原理に反することをやってはいけない。民主制の社会では身分制をやってはいけない。だから、政府は上の者をやってはいけない。国民みんなの承認があろうがなかろうが、とにかく政府は上の者をやってはいけない。つまり、今の政府は国民と平等である。だから、今の政府が国民から税金を取るのは強盗である。だから、政府は国民から税金を取ってはいけない。国民は政府に税金をやらないようにして、政府を倒さなければならない。たとえ今の国民全員が政府が上の者であることを認めていても、民主制の中では身分制をやってはいけないから政府は上の者をやってはいけない。だから、国民全員がいけない。国民全員は自分のまちがいを直して、政府が上の者であることを認めてはいけない。だから、政府は上の者をやってはいけない。政府は国民から税金を取ってはいけない。つまり、国民は政府に税金をやってはいけない。要するに、国民が認めていようがいまいが、とにかく今の政府は上の者をやっている。しかし、民主制の社会では上の者をやってはいけない。だから、政府がまちがっている。したがって、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府に税金を払ってはいけない。

[17182] 学術財団 h25.4.9
今の政府は自分が福祉をするためだと嘘[うそ]をついて国民からお金を取って本当は自分が上の者をやって遊んでいる。
学者にも研究費がほとんど出ない。
だから、政府をやめて学術財団を建てればいい。学術財団は国民や会社から寄付金をもらって学者にお金をやって研究させればいい。
そのほうが学者は今よりも多くのお金をもらっていい研究ができるだろう。
政府は今でも上の者をやっている。政府は上の者をやっていないふりをして、じつは上の者をやっている。政府は国民からもらったお金をまじめに国民のために使わない。政府は信用置けない。だから、政府とは別に財団を建てて財団にお金の運用を任[まか]せたほうがいいのである。
今の政府は民主制の社会の中で民主制の団体のふりをしてじつは上の者をやっている(下図参照)。政府が上の者であることがわかっている国民もいればわかっていない国民もいる。とにかく、政府の正体は上の者である。しかし、民主制の社会では上の者がいないから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に従わずに、政府を倒せばいいのである。


[17183] 今の政府はまちがったことをやっている。 h25.4.9
とにかく今の政府は上の者をやっている。政府は国民に命令したり、国民を虐待したり、国民にちょっとだけ役に立つこと(水道やゴミや学校や法律など)をやっている。
昔は身分制の社会だったから、政府が本当に上の者だったから、国民は政府に従わねばならなかった。
しかし、今は民主制の社会だから、政府は上の者ではないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
たとえ今の政府が上の者をやっていても、政府は本当は上の者ではないから、国民は政府に従わなくていい。
今の政府が上の者をやっているのはまちがいである。他人のまちがいを真[ま]に受けるのは馬鹿である。だから、国民は政府のまちがいを相手にせずに正しいことをやればいいのである。そのために自分が政府に殺されても、そのほうが意義がある。
今の国民が政府に従っているから、今でも政府が残って上の者をやり続けているのである。政府にとっては善も悪もない。政府はただひたすら上の者をやっているだけである。このままでは国民は政府にひどい目に合わされ続けることになる。国民は早く政府に従うのをやめて、政府を滅ぼさねばならない。
昔は身分制があったから、国民が政府に逆らうと国民がまちがっていると見なされて罰せられた。反対に、今は身分制がないから、国民が政府に逆らっても国民はまちがっていると見なされず罰せられない。だから、今の国民はいくらでも政府に逆らえばいいのである。

[17184] 暴力団は警察だった。 h25.4.9
昔は身分制の社会だった。暴力団は上の者だった。国民は自分の気に入った暴力団に従って、暴力団にお金をやっていた。
暴力団は小さな団体だったので暴力団に従う者は少ししかいなかった。暴力団にとっては自分にお金をくれる者は大事だった。
そのために、暴力団が暴力団に従う者を守ってくれた。
政府は法律に甘い政治団体だったので犯罪者を野放しにして世の中が物騒[ぶっそう]だった。そういう時代には、暴力団が国民を守る警察として活躍していた。
昔は暴力団が警察だったのである。昔は暴力団が正義のヒーローだったのである。

[17185] 今の日本では身分制がなくなっている。 h25.4.9
昔は身分制の社会だった。政府は上の者だった。政府が国を自分の好き勝手にしていた。
政府は法律に甘い政治団体だった。だから、政府の時代は犯罪者が野放しになって物騒[ぶっそう]だった。国民は政府に従わねばならなかったので、国民も犯罪者に甘くしなければならなかったので、犯罪者は暴れ放題だった。
反対に、今は民主制の社会である。政府は上の者ではない。政府が国を自分の好き放題にできない。
日本では国民みんなは法律に厳しい。だから、日本は治安がいいのである。だから、今の日本では犯罪者に厳しくなって悪いことができなくなっている。みんなも悪いことをしないように気をつけねばならない。
今の日本が犯罪者に厳しいことが、政府が上の者ではない証拠である。つまり、身分制がない証拠である。今は身分制がない時代である。だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[17186] 昔と今では正しいことが違う。 h25.4.9
昔の時代に正しいとされていたのは「身分制」だった。昔の人はたとえ自分が死んでも「身分制」を守った。昔の人は上の者の命令で税金でも戦争でも人殺しでも盗みでも何でもやった。上の者に虐待されて喜んで死んだ。
今の時代に正しいとされているのは『民主制』である。今の人はたとえ自分が死んでも『民主制』を守らなければならない。今の人は上の者の命令に従ってはいけない。上の者の命令を聞いても聞かなかったふりをして無視しなければならない。上の者と平等にしなければならない。上の者にお金をやって命令しないといけない。
昔と今では正しいことが違う。だから、みんなのやることも違う。
新しい社会は『新しい原理』に基づいて築かなければならない。社会から「古い原理」をなくさなければならない。上の者を全部クビにして、最初から民主制でやればいいのである。
国鉄や郵便局が民営化されたのは、新しい『民主制』の社会が出来て、古い「身分制」の社会がなくなっているからである。だから、そのうち国民みんなが政府に従わなくなって、政府がなくなるだろう。みんなも新しい『民主制』の社会を作るために、政府の命令を聞かないようにしよう。政府に税金を払わないようにしよう。

[17187] この世はお金がすべてではない。 h25.4.10
マンガは描[か]けばお金が儲[もう]かるが、価値はない。
つまり、お金が儲かることだからといって価値があるわけではない。
だから、反対に、お金が儲からないことだからといって価値がないわけでもない。
お金は生活力の尺度であって、価値の尺度ではない。
むしろ、お金の儲かることには価値がなく、お金の儲からないことに価値がある。
お金は人間の物質的欲望を満足するのみで、精神的欲望をちっとも満足しない。
人間は「我[われ]食べるゆえに我あり」ではない。
この世はお金が儲からないことによって支えられているのである。

[17188] 政府は時代錯誤[さくご]である。 h25.4.10
今は民主制の時代である。今では民主制が正しい人間社会の原理だとされている。身分制がまちがった人間社会の原理だとされている。
ところが、政府は身分制の政治機関である。政府は上の者をやる団体である。
民主制の時代に政府が残っていることは、明治時代に徳川幕府が残っているようなものである。
明治時代には、国民みんなは政府に従って幕府に従わなかった。明治維新のときに、みんながインド制からヨーロッパ制に変えたから、みんなが政府に従うようになって幕府に従わなくなったのである。[もっとも、明治以降も日本はヨーロッパだけではなくインドや中国の文化も受け入れていた。ヨーロッパ制とは、“おもに”ヨーロッパの文化を受け入れることだったのである。日本はいつの時代にも世界中の国の便利な文化を取り入れていたのである。]
今ではみんなが身分制から民主制に変えている。だから、今の民主制の時代には、国民みんなは人間はみな平等とする民主制をやって政府を上の者とする身分制をやらなければいいのである。
今の政府は日本を支配しているふりをしているだけである。だから、国民は政府を気にせず政府を無視して政府に従わなければいいのである。

[17189] 人間の心にとっては身分制が面白い。 h25.4.10
人間の知覚は後天的な実在に対する認識である。人間の心は生まれつきの原始的な実在に対する認識である。そのため、人間の心で見るとまちがいが起こる。
人間の心は正しいことがつまらなく、まちがったことを面白く思うものである。
身分制はまちがった人間社会の原理である。だから、人間の心は身分制を面白いと思う。
民主制は正しい人間社会の原理である。だから、人間の心は民主制をつまらないと思う。
人間の心はまちがった実在に対する認識である。人間の心は当てにはならない。
だから、人間は身分制をやめて、民主制をやらねばならない。今では身分制がまちがいで、民主制が正しいと考えられているから、身分制をやめて民主制をやらねばならない。
人間の五感では地球が止まっているように見えるから、昔は天動説が正しいと考えられた。
それと同じように、人間の心では身分制が面白いと思うから、昔は身分制が正しいと考えられた。
しかし、天動説も身分制もまちがいである。
人間の五感や心にはまちがいがある。それを知覚で正さなければならない。それが科学というものだ。
人間の心には人間がまだサルだった頃のプログラムが記憶されている。サルは身分制をやっている。そのために、人間の心では身分制が面白いと思うのである。しかし、身分制はまちがいである。サル社会は身分制でもうまくいくが、人間社会は身分制ではうまくいかない。だから、人間社会では身分制をやめねばならない。

[17190] どうして今の日本には田んぼがないのか? h25.4.10
最近はお米が自由に作ったり売られたりするようになったからである。
昔は身分制の時代だったから、政府が上の者だったから、政府は百姓に命令してお米を作らせていた。そのために、日本中にたくさん田んぼがあったのである。
今は民主制の時代になったから、政府が上の者ではなくなったから、百姓が政府の命令を聞かなくなって田んぼを売り払って楽な仕事に回ったのである。だから、今の日本には田んぼがないのである。
昔の政府が上の者だった頃のほうが、みんながおいしいお米が食べられた。今では政府が上の者ではないので、みんながまずい米しか食べられない。それでも、みんなは身分制をやめて民主制をやっている。身分制よりも民主制のほうが正しいから、たとえみんながまずい物しか食べられなくても民主制をやらねばならないのだ。たとえみんなが死んでも国が滅びても民主制をやらねばならないのだ。
今の政府は自分が百姓に許可して百姓が自由に米を作ったり売ったりできるようにしたかのようにみんなに思わせている。しかし、本当は百姓が勝手に政府の命令を聞かなくなって自由に米を作ったり売ったりするようになったのである。今の政府は見かけで身分制をやっているだけで、本当は民主制をやっている。今では国民が政府の命令を聞かなくなっているから、政府の命令が国民に通らなくなっているから、政府が国民が政府に従わないことを認めているから、政府は民主制である。だから、国民みんなは政府の命令を聞くのをやめて、民主制をやればいいのである。
今では身分制をやりたい者が政府に従っているだけである。自分の頭で考えたくない自分の心のままに生きたいサルが「身分制が面白い」と思って政府の言いなりになっているだけである。反対に、自分の頭で考えたい人間は『身分制がまちがっている』と考えて政府の言いなりになっていない。人間は政府に従わなくていい。サルは政府に従えばいい。自分が人間として生きるか、それともサルとして生きるかは個人の自由である。

[17191] 私はどうして血圧が高いのか? h25.4.10
私は子供の頃から血圧が高い。中2の頃にすでに最高血圧が130mmHgあった。
今では最高血圧が200mmHgで最低血圧が120mmHgぐらいである。それなのに、薬を飲んでいないし、病院にも通っていない。
今の私は酒を一滴[いってき]も飲んでいないのに、血圧が高い。
私の両親も血圧が高い。
私が血圧が高いのは、テンションを高めているからである。
私は子供の頃から心が緊張がしている。それは、心の緊張を高めることによって、知覚の働きを高めるためである。考える気構[きがま]えを作るためである。仏教ではよくやることである。
私はいつも自分の頭の働きをよくするために精神の緊張を高めているから、交感神経系の働きが高まって、血圧が高いのである。
私の血圧が高いのは病気ではない。むしろ私が健全である証拠だ。私は自分が高血圧であることを誇[ほこ]りに思う。高血圧のために死んでもいい。人間は考えるために生きている。考えないくらいなら死んだほうがましだ。

[17192] 今は昔と反対である。 h25.4.10
昔の人は身分制が正しいと考えていたから、自分から政府に従った。つまり、昔の人は政府の命令で政府に従っていたのではなく、自分の意思で勝手に政府に従っていたのである。昔の人は政府の命令で何でもやった。昔の人はいくら政府に虐待されても文句を言わなかった。
今の人は民主制が正しいと考えているから、自分から政府に従わない。つまり、今の人は政府に許可をもらって政府に従わなくなったのではなく、自分の意思で勝手に政府に従わなくなったのである。今の国民は政府に従わなくてもいいのである。[国民が反政府デモをやって政府と戦って国民が死ぬのは政府のヤラセである。政府は政府に従う国民に命令して反政府デモをやらせて殺したのである。]今の人は政府の命令で何もしない。今の人は政府の命令を聞かない。今の人は政府にちょっとでも虐待されると文句を言う。
昔と今では社会制度が違う。社会の原理が違う。そのために、昔と今では国民の政府に対する態度がひっくり返っているのだ。

[17193] 今の人は超能力に無関心である。 h25.4.10
私は生後間もない赤ちゃんの頃に、頭の上に吊[つ]ってあったガラガラを念動力で回したことがある。[私は母親から話を聞いただけだが、たぶん実話だろう。]
もっとも、超能力は宇宙の法則を変えるようなすごいものではない。
宇宙の法則は客観的に決まっている。
人間の超能力でできることは非常に限られている。これまでに実際にあったのは、頭の周[まわ]りが光ることと、身近にある小さい物をちょっと動かすことだけである。
だから、超能力は実在する“感覚波”という物を使ってやったことだろう。感覚波は、興奮した脳細胞が出す波動である。脳細胞が神経興奮すると感覚波を出す。今では物質の正体は波動だと考えられているから、つまり波動は物質だと考えられているから、感覚波も物質である。赤ん坊はまだ五感に囚[とら]われていないから、眼で見えない感覚波を操[あやつ]ることができるのである。赤ん坊は感覚波を自分の手足のように使って物を動かしたり、頭の周りを光らせたりできるのである。
感覚波には感覚波の法則があるから、感覚波では限られたことしかできない。感覚波では物を動かすことと光を出すことぐらいしかできない。
科学が進めば、いつかは超能力が理解できるだろう。超能力も理屈がわかれば不思議でもなんでもない。理屈がわからないから騒いでいるだけである。頭で見れば超能力は物理現象にすぎない。我々がまだ知らない現象があるというだけのことである。心で見るからすごいことに見えるのである。人間はもっと冷静になって物事を見るようにしなければならない。
もっとも、今の人はマンガや映画で超能力を見慣れているから、超能力をすごいと思わない。今の人は実在を知ることよりも、自分の欲望をかなえることに熱心である。今の人は自分の頭で物を見ることができない。自分の心で物を見ることしかできない。今の人にとって超能力は自分の欲望と関係がないから、今の人は超能力に無関心なのである。一方、政府は超能力に関心がある。政府にとっては超能力者がいると国民が政府に従うようになって政府が国民に命令して国民から税金を取ってお金を儲[もう]けることができるので、政府は超能力者に関心がある。しかし、今の人は政府が思っている以上に超能力者に関心がない。今の人は超能力者をどうでもいいと思っているので、いくら政府が超能力者を神にして盛り上げようとしても、国民はいっこうに乗ってこない。今は民主制の時代なので、身分制がないので、政府が上の者ではないので、国民は政府に従わないので、いくら政府が国家宗教をやっても無駄[むだ]である。今は身分制がないので、今の人は超能力者を上の者だと思わないので、今の人にとっては超能力者はどうでもいい。いくら政府が国家宗教をやって超能力者を神にしても、今の人にとっては超能力者はどうでもいいままである。今の政府がいくら国家宗教をやっても、国民が政府に従うようにはならない。政府が自分独[ひと]りで馬鹿みたいなことをやっているだけである。政府が国民に軽蔑されて、ますます国民が政府に従わなくなるだけである。政府は余計なことをせず、おとなしく自分が滅ぶのを待つべきである。

[17194] 昔の人は頭で物を見なかった。☆ h25.4.10
昔は文明が低かったので、昔の人は頭で物を見なかった。心で物を見るだけだった。心で見ると、上の者がいてみんなが上の者に従わなければならないように思われた。だから、身分制があった。心で見ると政府や暴力団や宗教団体が上の者に見えた。だから、みんなが政府や暴力団や宗教団体に従っていた。人によっては超能力者が上の者に見えたので超能力者に従っていた。
今は文明が高いので、今の人は頭で物を見るようになった。心で物を見なくなった。頭で見ると、人間がみな平等に見える。だから、身分制がなくなった。頭で見ると政府や暴力団や宗教団体が人間のクズに見えるので、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなった。頭で見ると、超能力者が上の者に見えなくなったので超能力者に従わなくなった。頭で見ると、超能力者が超能力が使える人間にしか見えないので、超能力者に従わなくなった。
つまり、昔の人は心で見ていた。今の人は頭で見ている。心で見た世界と、頭で見た世界は全然違う。だから、昔の人と今の人ではやることも違うのである。
今の人は正直に頭で物を見て行動すればいいのである。周[まわ]りのサルに合わせて自分の気持ちにないことをわざわざやらなくてもいいのである。

[17195] 今の政府は上の者のふりをしている。 h25.4.11
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。だから、政府と国民は平等である。
今の政府は上の者のふりをしているが、じつは国民と平等である。今の政府は下手[へた]な芝居を打っているだけである。
国民は政府の三文芝居に騙[だま]されずに、政府に従わなければいい。
国民は政府に税金を払わずに、政府から税金の催促状が届いても読まずに引き破ってゴミ箱に捨てて、政府と縁[えん]を切って自由に暮らせばいい。
昔の政府は本当に上の者だったが、今の政府は上の者のふりをしているだけである。今の政府は上の者のふりをしているくだらない会社である。昔の国民は本当に政府に従わなければならなかったが、今の国民は政府に従わなくてもいい。今の国民は政府の命令を無視して暮らせばいい。国民は水道代とゴミ袋代だけを政府に払って経済的に暮らせばいいのである。
今は民主制の時代だから、民主制の社会にしなければならない。民主制の社会にするためには、上の者をなくさねばならない。国民は政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして、上の者を倒さねばならない。今の政府や暴力団や宗教団体は上の者のふりをしているだけであって、本物の上の者ではない。だから、たとえ政府や暴力団や宗教団体が国民に命令しても、国民が命令を聞かなければ、自分がニセモノであることがバレたと思ってあきらめるだろう。だから、国民はしばらくの間政府や暴力団や宗教団体の嫌がらせを我慢[がまん]して命令を聞かなければいい。
今の政府や暴力団や宗教団体は犯罪組織にほかならない。犯罪組織が安定に存在できるのだったら、昔から政府や暴力団や宗教団体以外に犯罪組織が存在しているはずである。しかし、実際にはそんな犯罪組織はない。だから、この世では犯罪組織は安定に存在できないのである。だから、今の政府や暴力団や宗教団体は滅ぶしかないのである。実際に、滅びつつあるのである。つまり、身分制の時代における上の者の団体は、民主制の時代に犯罪組織になって滅びるのである。

[17196] 今の政府は上の者をやってはいけない。 h25.4.11
今の政府は「上の者」をやって国民を従わせている。政府は国民に命令して税金を取ったり、国家宗教をやらせたり、その他[た]のことをやらせたりしている。政府は国家宗教で国民を殺したり虐[いじ]めたりして虐待している。
しかし、今は民主制の時代だから、政府は上の者をやってはいけない。
だから、国民は政府に上の者をやらさなければいい。国民は政府に従わなければいい。国民は政府の命令を聞かず、税金を払ったり、国家宗教をやったり、その他のことをやったりしなければいい。国民は政府に虐待されなければいい。
今は民主制の時代だから、政府が上の者をやるのはまちがっている。これまで国民が政府が上の者をやるのを認めていたなら、これからは国民は政府が上の者をやるのを認めなければいい。これまで国民がまちがっていたなら、これからは国民は自分のまちがいを正してまちがったことをしなければいい。これからは国民は政府に従わないようにして、政府の命令を聞かないようにして、政府を倒さねばならない。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金をやらず、政府を食わせてやらなければいいのである。

[17197] 植民地制度は身分制である。 h25.4.11
昔は身分制の時代だった。世界中で身分制があった。世界中でみんなが上の者に従わねばならなかった。
植民地では、白人が上の者だと考えられていた。白人が植民地戦争に勝ったので上の者とされていた。だから、植民地ではみんなが白人に従って白人の命令で何でもやった。みんなが白人に虐待されても文句を言わなかった。
しかし、今は民主制の時代である。世界中で民主制である。人類はみな平等である。
だから、今では植民地がない。白人が上の者ではない。だから、世界中でみんなが白人と平等だと思って白人に従わない。
世界大戦後に社会の原理が身分制から民主制に変わった。そのために、戦後植民地がなくなった。白人はたとえ自分が損でも正しい原理に従った。今のヨーロッパでは国民が政府を倒している。今の社会の原理は民主制だから、国民はたとえ自分が損をしても政府を倒さねばならないのである。

[17198] ローマ帝国はどうして滅んだか? h25.4.11
昔は身分制の時代だった。世界中で身分制があった。世界中でみんなが上の者に従わねばならなかった。
中世のヨーロッパでは、ローマが上の者だった。ローマが植民地戦争に勝ったので上の者だとされていた。だから、ローマの植民地ではみんながローマ人に従ってローマ人の命令で何でもやった。みんながローマ人に虐待されても文句を言わなかった。
しかし、中世末にはローマ文化が衰退した。ローマ政府が身分制を守るために学問を破壊したので、ローマ文化が衰退したのである。ローマがインドに負けた。そのために、中世末のヨーロッパでは、ローマが上の者ではなくなった。インドが上の者になった。そのために、ローマ帝国が滅んだのである。つまり、ローマは自分で自分を滅ぼしたのである。
近代になると、ヨーロッパでは各国がローマから独立して、それぞれの国の政府がそれぞれの国を治めるようになった。それぞれの国で政府が上の者だとされて、国民みんなが政府に従うようになった。国民みんなが政府の命令で何でもやった。国民みんなが政府に虐待されていた。現代になって身分制がなくなるまで、その状態がずっと続いていたのである。

[17199] どうして今でも国民は政府に従っているのか? h25.4.11
国民が政府が上の者をやっていることがわかっていないからである。国民が自分が身分制をやっていることがわかっていないからである。
国民が社会科学がわからないから、国民が政府に従っているのである。
国民にとっては身分制でも民主制でもどうでもいいのである。
国民が天動説でも地動説でもどちらでもいいのと同じことである。
国民が社会科学が嫌いだから、社会科学に興味がないから、今でも昔と同じように身分制をやっているのである。
国民は投げやりになってはいけない。大学まで行って勉強した甲斐[かい]がない。眼で見たことしかわからないのでは馬鹿と同じだ。国民は科学をもっと大事にしないといけない。国民はちゃんと頭で考えて民主制をやらないといけない。

[17200] どうして戦後天皇が人間になったのか? h25.4.11
戦前は身分制の時代だった。上の者がいた。人間は不平等だった。政府や暴力団や宗教団体や貴族や天皇などが上の者だった。みんなは上の者に従っていた。
戦後は身分制がなくなって民主制の時代になった。上の者がいなくなった。人間はみな平等になった。
政府は上の者ではなくなったので、政府は超能力者の神武天皇を神にすることができなくなったので、神武天皇は神ではなくなったのである。
政府は上の者ではなくなったので、政府は貴族を上の者にすることができなくなったので、貴族がなくなったのである。
戦後は身分制がなくなって民主制の時代になったのである。人間はみな平等になったのである。人間はみな自由になったのである。
今では政府や暴力団や宗教団体などは上の者ではないのである。上の者のふりをしているだけである。今では政府や暴力団や宗教団体などは国民と平等である。今では政府や暴力団や宗教団体に従いたい国民が自分の意思で政府や暴力団や宗教団体に従っているだけである。間接民主制はインチキ論法だから、間接民主制は民主制ではないから、国民は政府に従わなくていいのである。今の政府は自分が上の者のふりをするために間接民主制をやっているのである。
最近は、国民が政府や暴力団や宗教団体に従うのが嫌になったので、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなって、政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのである。


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