[16801] 日本国憲法はまちがっている。 h25.3.6
今は民主制の時代である。
民主制の国には“上の者”がいないから、税金や虐待はない。
民主制の法律には納税の義務や宗教の自由はない。
それなのに、今の政府の法律には納税の義務や宗教の自由がある。
それは、政府の法律がまちがっているからである。
だから、国民みんなは政府の法律を守ってはいけない。
これまでみんなが日本国憲法を守ってきたのは、みんなが日本国憲法が正しいと思っていたからである。みんなが日本国憲法を民主制の法律だと思っていたからである。みんなが多数決で日本国憲法を決めたというのは、みんなが日本国憲法を正しいと思ったということである。つまり、多数決とは“国民みんなが正しいと思った”という意味である。
しかし、じつは日本国憲法はまちがっていたのである。じつは日本国憲法は身分制の法律だったのである。
民主制の国には身分制の法律があってはならない。だから、今後はみんなは日本国憲法を守ってはいけない。今の国民みんなは日本国憲法がまちがいだと思っているから、多数決で日本国憲法を廃止したことになるのである。

[16802] 政府は民主制にとって邪魔[じゃま]である。 h25.3.6
今は民主制の時代である。今の日本は民主制の国である。今の日本ではみんなが民主制を支持している。
それなのに、政府が“上の者”をやっている。
政府のために民主制がブチ壊しである。
だから、政府を除[の]けねばならない。
国民みんなは日本を民主制の国にするために、政府をなくさねばならない。

[16803] 民主制の国には身分制の団体は要らない。 h25.3.6
今の日本は民主制の国である。
ところが、政府は身分制の団体である。政府は“上の者”をやっている。
民主制の国には身分制の団体はあってはならない。
だから、国民は政府をなくさなければならない。国民は政府に税金をやらないようにして、政府を倒さねばならない。

[16804] 民主制の国には身分制の法律は要らない。 h25.3.6
今の日本は民主制の国である。
ところが、日本国憲法(政府の法律)は身分制の法律である。日本国憲法では政府が“上の者”である。
民主制の国には身分制の法律があってはいけない。
だから、国民は日本国憲法をなくさねばならない。
今の日本では国民みんなが民主制をやっているから、日本国憲法のような身分制の法律を守ってはいけない。
そもそも政府が身分制の団体だから、日本国憲法のような身分制の法律を決めているのである。
だから、国民は政府を倒して、日本国憲法をなくさねばならない。
昔の日本は身分制だった。だから、昔の日本には民主制の団体や民主制の法律がなかった。
反対に、今の日本は民主制である。だから、今の日本には身分制の団体や身分制の法律があってはいけない。
今の国民みんなが支持しているのは民主制であって、政府や政府の憲法ではない。
だから、国民みんなは民主制を守って、政府や政府の憲法を滅ぼさねばならない。
今の日本ではみんなが民主制を支持している。政府は民主制に反している。政府は国民みんなに反している。だから、今の日本ではみんなが政府を倒しているのである。国民みんなは政府が出ているテレビや新聞を見ないようにして、みんなに政府に税金を払わないように訴えて政府が儲[もう]からないようにして、政府を倒しているのである。

[16805] 民主制と身分制は矛盾する。 h25.3.6
今は民主制の時代である。だから、国民は民主制を支持している。
一方、今の国民は政府を支持している。政府は身分制の団体である。だから、国民は身分制を支持している。
今の国民は民主制と身分制の両方を支持している。
ところが、民主制と身分制は矛盾する。民主制は“上の者”がいない。身分制は“上の者”がいる。だから、民主制と身分制は矛盾する。
だから、今の国民は頭が矛盾している。馬鹿である。
今は民主制の時代である。身分制の時代ではない。だから、国民みんなは政府をなくさねばならない。政府ひとつよりも民主制の世界のほうがはるかに大事である。だから、国民みんなは民主制の世界を作るために政府をなくさねばならない。
今では民主制の世界が広がって、身分制の世界が滅んでいる。政府は身分制の世界の最後の生き残りである。国民は早く政府を潰[つぶ]して民主制の世界を完成させねばならない。政府は民主制の世界にとって邪魔[じゃま]である。だから、みんなは政府を潰さねばならない。

[16806] 国民は政府を始末[しまつ]しなければならない。 h25.3.6
今は民主制の時代である。
民主制の時代には身分制の団体があってはならない。身分制の団体は見つけしだい処分される。
政府は身分制の団体である。政府は民主制の団体のふりをしているが、本当は身分制の団体である。
だから、みんなは政府を倒さねばならない。政府を倒して民主制の国にしなければならない。

[16807] 政府は憲法を使って国民に身分制を認めさせている。☆ h25.3.6
戦後は民主制の時代になった。国の法律は国民みんなで決めることになった。
そこで、政府は日本国憲法を作った。
日本国憲法には「政府が国民の役に立つことをするために国民から税金を取っている」ことや「みんなが自由に宗教をやってもいい」ことが述べられている。
戦後の国民みんなは日本国憲法が正しい法律だと思って、日本国憲法を国の法律にした。
しかし、本当は日本国憲法はまちがった法律である。
日本国憲法は「政府が身分制の団体である」ことを国民に認めさせるための憲法である。
日本国憲法には、実際には『政府が“上の者”として、国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で虐待したり、国民のためにちょっとだけ役に立つことをする』ことが述べられている。政府は『政府が上の者である』ことを民主的に言い換[か]えることによって、国民みんなに政府が身分制の団体であることを認めさせているのである。
政府は国民みんなに日本国憲法を認めさせることによって、自分が身分制をやっているのである。
政府は本当は身分制の団体である。
今は民主制の時代だから、身分制の団体があってはならない。
だから、国民みんなは政府を滅ぼさねばならない。
だから、国民みんなは日本国憲法を認めてはならない。
今は民主制の時代である。国の法律は国民みんなで決める。だから、今の国民みんなは今すぐに日本国憲法を認めないことにして、政府に税金を払うのをやめて、政府を倒せばいいのである。政府は本当は身分制の団体である。政府の国会は身分制の立法機関である。民主制の時代には身分制の団体はあってはならない。身分制の法律があってはならない。だから、国民みんなは政府の国会が決めた法律を守らなければいいのである。
民主制の時代には国民みんなが国の法律を決める。民主制の時代には国のみんなが立法機関である。政府の承認は要らない。だから、国のみんなが勝手にダラダラテキトウに正しい法律(納税の義務や宗教の自由のない民主制の法律)を決めて、正しい法律を守って暮らしていけばいいのである。政府は自分がまちがった法律(納税の義務や宗教の自由がある身分制の法律)を作っていることを知っているから、政府は国民に文句が言えないから、国民は自分が作った正しい民主制の法律を守ればいいのである。
つまり、民主制の時代には、国の一人一人が政治機関であって、国の一人一人が自分で正しいことを考えて自分で正しいことを実行すればいいのである。そうすることによってみんなでより善い国を作っていけばいいのである。
民主制の国では、『人間はみな平等であって、他人と契約して他人にお金をやって他人に命令できるだけである。』このルールの下[もと]で、みんなが自分の好きなようにすればいいのである。

[16808] 日本人は頭で考える民族である。 h25.3.6
民主制の時代には、国の一人一人が自分で考えて自分の決まりを決めている。法律会社は国民が自分で決めた決まりの共通部分を拾って言葉にして国民みんなが守る法律を定めているのである。
例えば、日本人は麻薬をやらない。麻薬をやると頭で考えられなくなって馬鹿になる。日本人は頭で考えることを大事にするので、麻薬をやらないのである。そのために、日本では『麻薬をやってはいけない』法律があるのである。反対に、アメリカ人は自分の快楽を大事にするので、麻薬をやるのである。アメリカ人はみんなが麻薬をやって頭がおかしくなっている。そのために、アメリカでは「麻薬をやっていい」法律があるのである。アメリカは自由の国だから、みんなが何でもやっていい国だから、世界中の国の文化の悪いところを集めてみんなが楽しくやっているのである。
日本人は頭で考えることを大事にする。日本人は頭で考えることによって問題を解決する。だから、日本では『武器を持ってはいけない』法律がある。反対に、アメリカ人は物を使うことによって問題を解決する。だから、アメリカでは「武器を使っていい」法律がある。
日本には日本人共通の考えがある。それが日本の法律である。
日本人は頭で考えることを大事にするので論理がある。だから、民主制の時代にはみんなが民主制をやらねばならない。身分制をやる者があってはならない。ところが、政府は身分制をやっている。政府だけ抜け駆[が]けをすることは許されない。だから、日本人みんなは政府を滅ぼさねばならないのである。

[16809] 今では国民が勝手に政府に従うのをやめている。 h25.3.6
戦前の日本は身分制の国だった。誰でも“上の者”をやってよかった。政府や貴族や財閥などの大勢の者が上の者をやっていた。国民を自由にしていた。
戦後の日本は民主制の国になった。誰も“上の者”をやってはいけなくなった。貴族や財閥などが滅んでいなくなった。
今では政府ひとりが国民の目を欺[あざむ]きながらほそぼそと“上の者”をやっているだけである。
今では政府が“上の者”をやっていることがわかった国民が勝手に政府に従うのをやめている。政府が“上の者”をやっていることがわからない馬鹿な国民が政府に従っているだけである。
政府に従う国民は年々少なくなっている。政府は年々滅んでいる。

[16810] 多数決の原理よりも真実が優先する。☆ h25.3.6
民主制の国とは“上の者”がいない国のことである。多数決で物事を決める国のことではない。
多数決の原理とは、みんなが正しいことがわからない場合に、やむを得ず人数の多いほうの意見を採[と]ることによって妥当[だとう]なことを決めることである。
誰かが正しいことがわかっている場合には、多数決の原理よりも正しいことが優先する。
政府が身分制をやっていることは真実である。多数決で決めることではない。
今の日本は民主制の国である。民主制の国では身分制をやってはいけない。だから、今の日本では政府は滅ばねばならない。

[16811] 国民は政府に税金を払ってはいけない。☆ h25.3.6
国民が政府に税金を払うことは、国民が政府が“上の者”であることを認めることである。
ところが、今の日本は民主制の国だから、今の日本では身分制をやってはいけない。
だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。これが真実である。
今の日本では多数決で「国民みんなが政府に税金を払う」ことに決まっているが、それはまちがいである。しょせん多数決では正しいことがわからないのである。多数決はデタラメに物事を決めているだけである。
多数決よりも真実が優先する。
だから、今の日本では国民は政府に税金を払ってはいけない。

[16812] どうして日本は植民地時代にだけ植民地を取ろうとするのか? h25.3.6
これまで日本はヨーロッパが植民地を取っていた時代にだけ植民地を取ろうとし、それ以外の時代には植民地を取ろうとしなかった。
それは、『ヨーロッパが植民地を取っている時代には、世界中で植民地を取ってもいい決まりがある』と日本が考えたからである。
だから、日本は植民地時代には自分が植民地を取ってもいいと考えて植民地を取ろうとしたのである。
しかし、それは必要条件であって十分条件ではなかった。
日本が植民地を取るためには、植民地にされる国が植民地にされることによって利益が得られなければならない。そんな国は日本の近くにはない。日本の近くの国は日本と同程度の文明を持っている。だから、日本は植民地が取れなかったのである。
これまで日本は植民地を取ろうとして大損をした。今度から日本は無駄[むだ]な事業をやめるべきである。

[16813] 今の国民にとっての最高原理は『民主制』である。 h25.3.6
今の日本ではみんなにとっては『民主制』のほうが「日本国憲法」よりも原理である。
ところが、日本国憲法では、政府が身分制の団体であることになっている。日本国憲法の言葉を入れ換[か]えると、政府が国民から税金を取って、国民を国家宗教で虐待して、国民のためにちょっとだけ役に立つことをやっていることになる、つまり政府が身分制の団体であることになる。
民主制の国では身分制の団体があってはならない。民主制の国では身分制をやってはいけない。
だから、日本ではみんなが「日本国憲法」を守ってはならない。
今の日本ではみんなは民主制の法律を守ればいいのである。
政府は身分制をやっている団体である。今の日本では政府は余計な団体である。みんなは早く政府を潰[つぶ]して身分制のない国にしないといけない。

[16814] 今の政府は詐欺[さぎ]会社にすぎない。☆ h25.3.6
今の日本は民主制の国である。
だから、今の日本では民主制の法律が通用する。
今の政府は日本国憲法を使って国民に日本国憲法が民主制の憲法だと思わせて国民を騙[だま]して国民からお金を取って儲[もう]けている詐欺団体である。
しかし、本当は日本国憲法は民主制の法律ではない。身分制の法律である。
だから、国民は政府に騙されないようにして、日本国憲法を守ってはいけない。
国民は民主制の法律を守るようにして、政府のニセモノの法律を守らないようにして、詐欺会社の政府を倒さねばならない。
要するに、今の日本に政府という大きい詐欺会社があるだけのことである。国民の多くが詐欺会社に騙されてお金を取られているだけのことである。詐欺会社が経営するかしないかは詐欺会社の自由である。詐欺会社に騙されるか騙されないかは国民一人一人の責任である。みんなが詐欺会社に騙されているからといって、自分もみんなといっしょに騙される必要はない。みんなが詐欺会社に騙されるか騙されないかはみんなの勝手である。国民が詐欺会社に騙されても得になることは何もないから、国民はなるべく政府に騙されないようにして、政府に税金を払わないようにしたほうがいい。
昔の政府は上の者だったが、今の政府は詐欺会社にすぎない。昔の国民は身分制のために政府に従わねばならなかったが、今の国民は政府に騙されて政府に従わされているにすぎない。今の国民はもっと自分の頭を使って考えて、政府に騙されないようにしないといけない。
 
[16815] 政府は民間会社である。☆ h25.3.6
今の日本は民主制の国である。
だから、今の日本では民主制の法律が通用する。
だから、政府は身分制の団体のふりをしている民主制の団体である。
つまり、今の国民は政府と契約して政府にお金を払って政府に仕事をしてもらっているのである。国民は政府に税金を払うことによって、政府と契約したことになり政府に国家宗教で虐待されたり政府にちょっとだけ役に立つことをしてもらったりしているのである。国民が政府と契約するかしないかは国民の自由だから、税金は強制ではなく国民の任意である。たぶん、水道やゴミや役場の証明書の発行などは、国民が税金を払っていなくてもその都度[つど]料金を払えばやってもらえるようになっているのだろう。例えば、国民がたとえ税金を払っていなくても水道料金を払っていれば水道が利用できるというわけである。
今の日本は民主制の国だから、政府を民主制の会社だと考えればいいのである。今の日本に政府があるのは、政府が民主制の団体になっているからである。そうでなければ、政府はとっくの昔に滅んでしまっているはずだ。
政府は「幸福の科学」みたいに自分たちの中で身分制をやっている宗教団体と考えればいいのである。宗教団体に入るか入らないかは国民の自由だから、政府に入るか入らないかも国民の自由である。政府に税金を払えば政府に入ることになり、政府に税金を払わなければ政府に入らないことになる。
政府は身分制をやっている団体だから物騒[ぶっそう]である。国民が政府に入っても政府に虐待されるだけだから、得にならない。だから、国民は政府に入らないほうがいい。したがって、国民は政府に税金を払わないほうがいい。政府に虐待されるのが好きな人以外は政府に入らないほうがいい。

[16816] 今では「抱き合わせ商法」は禁止されている。 h25.3.6
今の政府は身分制や国家宗教や法律や水道やゴミや学校などいろんな仕事を併合[へいごう]することによって「抱き合わせ商法」をやっている。政府は国民から税金をもらうことによって国民に対してすべてのサービスをやっている。そのために、国民は自分が要らないサービスに対してもお金を払って利用しなければならなくなっている。国民にとっては余計なお金がかかる上に自分が欲しくないサービスまでも利用しなければならなくなって不便である。
現在では『独占禁止法』のように「抱き合わせ商法」を禁止する法律がある。
今は民主制の時代だから、政府は民間企業だから、政府は『独占禁止法』の適用となる。
したがって、政府は各事業ごとに別れてそれぞれ個別に国民から料金をもらって国民に仕事をしないといけない。
つまり、国民は政府に税金を払わなくても水道料金を払っていれば水道が利用できるのである。ゴミ袋代を払っていればゴミの収集をやってもらえるのである。役場でお金を払えば書類を作ってもらえるのである。学校に授業料(私立学校の学費を参考にすればいい)を払えば子供に授業を受けさせてもらえるのである。国会にお金を払えば法律問題を解決してもらえるのである。警察にお金を払えば犯人を逮捕して罰してもらえるのである。日本神道にお金を払えば国家宗教をやってもらえるのである。身分制会社にお金を払えば虐待してもらえるのである。行政会社にお金を払えば行政の指導をしてもらえるのである。行政会社の指示に従って利益が出たら、利益の一部を行政会社にやればいいだろう。国民は自分が欲しい仕事をする会社に対してお金を払って仕事をしてもらうことができるのである。今では国民は自分が欲しい仕事だけ買うことができるようになっているのである。

[16817] 日本神道は国家宗教をやってはいけない。 h25.3.6
今の政府は民間企業である。政府の一部である日本神道も民間企業である。
今の日本神道は超能力者に無断で超能力者の情報を売って儲[もう]けている。
今では超能力者は人間と同じだと考えられている。
超能力者の情報は超能力者の物だから勝手に売ってはいけない。超能力者のプライバシーの問題でもある。
だから、日本神道は国家宗教をやってはいけない。

[16818] 身分制会社 h25.3.7
今の日本は民主制である。だから、今では政府は民間会社である。政府の一部の身分制会社も民間会社である。
身分制会社とは“上の者”を仕事にしている民間会社(民主制の団体)のことである。
国民は身分制会社と契約して身分制会社にお金をやって身分制会社に仕事をしてもらうわけである。自分を国家宗教や戦争などで虐待してもらうわけである。
身分制会社に虐待されるかされないかは国民の自由である。身分制会社に虐待されたい国民は身分制会社と契約してお金を払って虐待してもらえばいい。反対に、身分制会社に虐待されたくない国民は身分制会社と契約せずにお金をやらずに虐待されなければいい。

[16819] 民主制の時代には国の法律は国民一人一人が作る。 h25.3.7
今は民主制の時代である。国の法律は国民一人一人が作る。国の立法機関は国民一人一人である。国民一人一人が自分で考えて自分がいいと思う法律を作ればいい。
今は民主制の時代だから、『民主制』が社会の原理である。民主制では人間はみな平等だから、客と店が平等になるようにしないといけない。店が客から税金を取ったり、抱き合わせ商法をしたりすることはできない。
だから、政府は国民から税金を取れないし、国民からサービスごとに料金を取ってサービスをしないといけない。
民主制の時代には政府は立法機関ではない。政府は国民に自分を立法機関だと思わせることによって、国民に自分で法律を作らせないようにしているのである。国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されないようにして、自分で正しい法律を作って正しい法律を守っていかねばならない。
民主制の時代には国民一人一人が立法機関である。国民一人一人が法律を作る。法律会社は伊達[だて]にあるだけである。法律会社は法律を作らない。法律会社は国民一人一人が決めた法律を見て、それをテキトウに字に書いてまとめるだけである。法律会社は国民に従っているだけである。だから、国民一人一人が自分で考えて法律を決めねばならないのである。

[16820] 法律とは何か? h25.3.7
国のみんなが従う決まりである。
法律会社は国民一人一人が具体的にやっていることを見て、それらに共通することを字に書いてまとめて法律を作っているのである。
だから、国の法律は国民一人一人が決めるのである。法律会社は国民の言いなりである。
だから、国民一人一人が強引に正しいことをやればいいのである。
例えば、今は民主制の時代だから、人間はみな平等だから、政府と国民も平等だから、国民は政府に税金を払わず、政府のそれぞれの仕事に対して料金を払って仕事をしてもらえばいいのである。
今の政府の法律では、国民は政府に税金を払わなければならないが、それは政府の法律がまちがっているからである。政府の法律は古臭いのでまちがっているのである。昔は身分制の時代だったから、国民が政府に税金を払っていたのである。だから、今の国民は政府の法律を守らなくていい。
今は民主制の時代だから、人間はみな平等だから、政府と国民が平等になるようにしないといけない。だから、税金や抱き合わせ商法がない法律が正しい。だから、たとえ今の政府の法律に納税の義務が定められていても、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
 
[16821] 今の政府の儲[もう]け方☆ h25.3.7
今は民主制の時代だから、人間はみな平等だから、政府と国民が平等になるようにしなければならない。政府は国民から税金を取れないし、抱き合わせ商法もできない。
今の政府はわざとに自分が国民よりも“上の者”であるまちがった法律を定めて、国民みんなにまちがった法律を守らせて、国民みんなから税金を取って儲[もう]けているのである。日本国憲法は字面[じづら]は民主制で政府と国民が平等だが、中身は身分制で政府が国民よりも“上の者”である。国民みんなは日本国憲法の字面に騙されて、日本国憲法を守っているのである。
政府は詐欺[さぎ]会社である。政府は「嘘[うそ]の法律」で儲けている詐欺会社である。今の政府は民間会社の詐欺会社である。
政府は国の立法機関ではない。政府は国の立法機関のふりをしている詐欺会社である。政府の法律は「嘘の法律」だから、国民みんなは政府の法律を守らなくていい。国民は政府に税金をやらないようにして、詐欺会社の政府を倒さねばならない。

[16822] 今の政府は民間会社である。 h25.3.7
今は民主制の時代だから、国のすべての会社は民間会社である。国民と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をする会社である。
例えば、政府も民間会社である。政府も国民と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をしなければならない。
だから、税金は嘘[うそ]である。「国民みんなが政府に税金を払わねばならない」のは嘘である。本当は、税金は国民みんなの強制ではない。税金は国民が自由に払えばいいのである。政府に仕事をしてもらいたい国民だけが政府に税金を払えばいいのである。抱き合わせ商法も嘘である。本当は、国民が自分が欲しいサービスにだけ料金を払ってサービスをしてもらえばいいのである。
今の政府は国民に嘘をついて国民みんなが政府に税金を払って政府のサービスを受けねばならないと思わせている。本当は、今の政府はただの民間会社である。今の政府は身分制の団体のふりをしている民主制の団体である。今の政府は“上の者”のふりをしているただの人である。だから、国民は政府を普通の民間会社だと思って政府と対応すればいいのである。

[16823] 今の国会は詐欺[さぎ]会社である。 h25.3.7
今は民主制の時代である。民主制の法律では、人間はみな平等であって、国民と会社は平等だから、国民は会社と契約して会社にお金をやって会社に仕事をしてもらえばいい。例えば、国民は政府と平等だから、国民は政府と契約して政府にお金をやって政府に仕事をしてもらえばいい。
今の政府の法律会社(つまり国会)はわざとに「国民みんなが政府に税金を払わねばならない」まちがった法律を定めて、国民みんなを騙[だま]して、国民みんなから税金を取って儲[もう]けている。
今の政府の法律会社はただの詐欺会社である。法律会社として失格である。
だから、国民は政府の法律会社にお金を払わず潰[つぶ]せばいい。国民はたとえ身分制会社や日本神道にお金を払っても、政府の法律会社にお金を払ってはいけない。

[16824] 要するに、今の政府は詐欺[さぎ]会社である。 h25.3.7
今は民主制の時代である。民主制の国では、人間はみな平等である。例えば、国民と政府は平等だから、国民は政府と契約して政府にお金を払って政府に仕事をしてもらわねばならない。
しかし、今の政府は「国民みんなは政府に税金を払わねばならない」法律を定めて、国民みんなからお金を取って儲[もう]けている。
つまり、今の政府は詐欺会社である。インチキ政治団体がイカサマの法律を定めてみんなを騙[だま]してお金を取っているのと同じことである。今の政府は詐欺会社であって、政治団体ではない。今の政府はニセモノの政治団体であって、本物の政治団体ではない。国民は政府に騙されて政府にお金を払ってはいけない。今では国民と政治団体は平等だから、国民は政治団体と契約して政治団体にお金を払って政治団体に仕事をしてもらわねばならない。国民は本物の政治団体と契約して、ニセモノの政治団体と契約してはならない。
いくら政府がテレビや新聞によく出ているからといって、政府が信用できるとは限らない。政府は嘘[うそ]の宣伝で稼[かせ]ぐ会社である。だから、国民は政府の嘘の宣伝に騙されないようにして、政府にお金をやらないようにして、政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16825] 政党とは何か? h25.3.7
政党は民間の政治団体である。
政党は国民の一部からお金をもらって政治活動をしている。
政治活動とは、みんなを嘘[うそ]で騙[だま]してみんなの思考や行動を変えることによって一部の国民を有利にすることである。
だから、政党が街頭演説をやったり、テレビに出たりして演説すれば、仕事ができる。
嘘で人を騙すのが得意な人は政党に入って活躍すればいい。才能があれば儲[もう]かるだろう。
国民みんなは政党に騙されないように注意しないといけない。
政党はみんなにまちがいを教えてみんなにまちがったことをやらせる。政党は世の中を歪[ゆが]めて、一部の国民にとって有利な社会を作る。みんなにとって不利な社会を作る。
だから、世の中には政党と反対にみんなに正しいことを教える人がいなければならない。世の中の歪みを修正する人がいなければならない。みんなはそういう人にお金を出して、みんなにとって有利な社会にしないといけない。

[16826] 国民は今の政府と契約してはいけない。 h25.3.7
今の政府はまちがった法律を定めて国民を騙[だま]して儲[もう]ける詐欺[さぎ]団体である。
政府は政治団体のふりをしているニセモノの政治団体である。
政府は民主制の政治団体のふりをしている身分制の政治団体である。
今は民主制の時代だから、国民が政府と契約するかしないかは国民の自由である。
政府はニセモノの政治団体である。だから、国民は政府と契約しなければいい。
国民は政府にお金をやらないようにして、政府を倒せばいい。
今は民主制の時代だから、民主制の政治団体しかいけない。今の政府は民主制の政治団体のふりをしている身分制の政治団体である。今の政府はバッタモンの政治団体である。もっとマシな民主制の政治団体が現れてから、国民は政治団体と契約すればいい。国民にとって今の政府は要らないから、国民は今の政府と契約しなければいい。
中世の日本で鎌倉幕府と室町幕府が倒れたのは、それらがざっとした“上の者”だったからである。それらが身分制の政治団体としてお粗末[そまつ]すぎたので、国民はそれらの政治団体を上の者として認めずに年貢[ねんぐ]を納めずに倒したのである。それと同じように、今の政府も民主制の政治団体としてはお粗末すぎる。今の政府は民主制のふりをしてじつは身分制をやっているイカサマ政治団体である。今の政府は情けない。だから、国民は今の政府と契約せずに、政府に税金をやらずに政府を倒せばいいのである。
今の政府は国民みんなを嘘で騙して国民みんなの思考や行動を変えて自分を有利にしている嘘つき団体である。今の政府は政治団体にも入らない。国民は政治団体の行政が少し下手[へた]ぐらいなら許せるが、政治団体が詐欺団体であるのは許せない。だから、国民は政府と契約せずに、政府を潰[つぶ]せばいいのである。そのほうが日本が善くなるから、そうすればいいのである。
今は民主制の時代だから、国民が政府と契約するかしないかは国民一人一人の自由である。私の作文を読んで政府と契約するのが嫌になった人は、政府と契約しなければいい。今では国民が政府と契約するかしないかは国民一人一人の自由である。みんなは今一度自分で自分が政府と契約すべきかそうでないかを考えてみればいい。

[16827] 今の政府は幕府よりも無能である。 h25.3.7
昔の身分制の時代には、身分制の政治団体は国民から税金を取って国民を虐待してもよかった。身分制の政治団体は国民のためにちょっとだけ役に立つことをやっていた。国民は身分制の政治団体がそこそこ国民の役に立つことをやっていれば、政治団体に満足してお金をやっていた。反対に、身分制の政治団体が国民の役に立たなければ、政治団体にお金をやらずに倒していた。いくら“上の者”とはいっても、国民にとって役立たずは要らなかったのである。
今の民主制の時代には、民主制の政治団体は国民から税金を取れず国民を虐待してはいけない。民主制の政治団体は国民の役に立つことをやらねばならない。国民は民主制の政治団体と契約してお金をやって仕事をしてもらわねばならない。
今は民主制の時代だから、国民が政治団体と契約するかしないかは国民一人一人の自由である。国民が政治団体がいいと思えば政治団体と契約してお金を払って仕事をしてもらえばいいし、反対に国民が政治団体が悪いと思えば政治団体と契約せずに政治団体にお金を払わずに政治団体を倒せばいい。
政府は植民地政策だけが取り柄[とりえ]で他[ほか]は無能な政治団体である。日本政府はこの前植民地政策に失敗したから完全に無能である。今の政府は国民からもらった税金で食べて寝ているだけである。ときどき国家宗教で国民を殺したり虐[いじ]めたりして遊んでいるだけである。今の政府は無能である。今の政府は国民を虐待することだけが生きがいのくだらないキチガイ団体である。だから、国民みんなは政府と契約せずに政府にお金をやらずに政府を倒せばいいのである。
今後国民みんなを指導して国民みんなを儲[もう]からせる政治団体が現れないかぎり、国民みんなは政治団体抜きでやっていくしかない。そもそも政治団体は国民を騙[だま]して儲ける団体である。だから、政治団体がないほうがいいのである。

[16828] 政府に税金をやるかやらないかは国民一人一人の自由である。 h25.3.7
今は民主制の時代である。“上の者”がいない時代である。人間はみな平等である。政府と国民も平等である。だから、国民が政府と契約を取るか取らないかは国民一人一人の自由である。
だから、政府が善い会社だと思う国民は政府に税金を払えばいい。
反対に、政府が悪い会社だと思う国民は政府に税金を払わなければいい。
今の政府は「みんなが政府に税金を払わねばならない」まちがった法律を定めてみんなを騙[だま]してみんなから税金を取って儲[もう]けている詐欺[さぎ]団体である。今の政府は国民の役に立たずに、国民の税金で食べて寝ているだけである。今の政府は国民が馬鹿だと思って、国民をなめて何もせずにいる。
だから、国民みんなは政府と契約せずに政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16829] 国民は政府の「嘘[うそ]の法律」に騙[だま]されてはいけない。 h25.3.7
今では政府と国民は平等である。だから、国民が政府と契約して政府に税金を払って仕事をしてもらうか、政府と契約せずに政府に税金を払わずに仕事をしてもらわないかは国民一人一人の自由である。国民は自分が欲しいサービスに対してだけ料金を払ってサービスをしてもらえばいい。
今の政府は「みんなが政府に税金を払わなければならない」という嘘[うそ]の法律を定めてみんなを騙してみんなからお金を取って儲けている詐欺[さぎ]会社にすぎない。政府は国民の役に立つことをしているふりをして、本当は食べて寝ているだけである。
国民は政府の「嘘の法律」に騙[だま]されないようにして、政府に税金を払ってはいけない。

[16830] 『本当の法律』と「嘘[うそ]の法律」 h25.3.7
今の本当の法律は、『国民が政府と契約して政府に税金を払って仕事をしてもらうか、政府を契約せずに政府に税金を払わずに仕事をしてもらわないかは国民一人一人の自由である。国民は自分が欲しいサービスに対してだけ料金を払ってサービスをしてもらえばいい。』ことである。
今の嘘の法律は、「みんなが政府に税金を払わなければならない」ことである。
今の政府は国民みんなが『本当の法律』を知らないことを利用して、自分で「嘘の法律」を定めて、国民みんなに「嘘の法律」を『本当の法律』だと思わせて、国民みんなを騙[だま]して税金を取って儲[もう]けているのである。
国民みんなは政府の嘘の法律に騙されないようにして、政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16831] 道理を通せば無理が引っ込む。☆ h25.3.7
今の日本は民主制の国である。今の日本では『民主制の法律』が通用する。
今の政府はまちがった「身分制の法律」(日本国憲法のこと)を定めて、国民みんなに「身分制の法律」を守らせて、国民みんなを支配しようとしている詐欺[さぎ]会社である。
だから、国民は政府の法律を守ってはいけない。つまり、国民は政府に税金を払ったり、政府の命令で国家宗教をやったりしてはいけない。国民は自分が利用するサービスの料金だけを政府に払うようにしなければならない。
政府は詐欺会社である。日本の中に政府という名の詐欺会社があるだけのことである。国民みんなは政府の「身分制の法律」を守らないようにして、国民みんなで『民主制の法律』を守って、日本を『民主制の法律』の通用する国にしないといけない。

[16832] 政府は本当は『民主制の団体』である。☆ h25.3.7
政府は詐欺[さぎ]会社である。
今は民主制の時代なのに、政府は「身分制の法律」を定めて、みんなに「身分制の法律」を守らせて、みんなに政府を「身分制の団体」だと思わせて、みんなを支配しようとしている。政府は国民から税金を取って、国民を国家宗教などで虐待して、国民にちょっとだけ役に立つことをしようとしている。つまり、政府は国民みんなに身分制を教えて、政府を“上の者”だと思わせて、政府に従わせようとしている。政府は身分制の学校である。
しかし、今は民主制の時代だから、みんなは『民主制の法律』を守って、みんなは政府を『民主制の団体』だと見なせばいい。
だから、国民は政府に税金を払わず、自分が政府のサービスを利用した分だけ政府に料金を支払えばいいのである。

[16833] 国民は政府にまちがったことを教えられてはいけない。 h25.3.8
今は民主制の時代である。だから、今の日本では『民主制の法律』が通用する。
ところが、政府は「身分制の法律」を国民みんなに教えて国民みんなに「身分制の法律」を守らせようとしている。つまり、政府は国民に政府を“上の者”だと思わせて、国民を政府の言いなりにしようとしている。
今では「身分制の法律」はまちがっていると考えられているから、国民は政府の言うことを聞かなくていい。
国民は自分で考えて『民主制の法律』を守ればいい。国民は自分で考えて政府と国民が平等になるようにすればいい。つまり、国民は政府に税金を払わず、政府の命令を聞かず、自分が政府のサービスを利用した分だけ政府にお金を払えばいい。学費は私立学校の学費を参考にして国民が自分で金額を決めて学校に払えばいい。警察代は警察に世話になった分だけその都度[つど]警察に払えばいい。

[16834] 今では「身分制の法律」はまちがいだと考えられている。 h25.3.8
今は民主制の時代である。
今では『民主制の法律』が正しく、「身分制の法律」がまちがいだと考えられている。
だから、国民が「身分制の法律」を犯しても罰せられないはずである。つまり、日本国憲法の納税の義務や宗教の自由を犯しても罰はない。つまり、国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の国家宗教の命令を聞かなくていい。
国民は『民主制の法律』を守るようにして、「身分制の法律」を守らなければいいのである。つまり、国民は自分で考えて人間がみな平等になるようにすればいいのである。
政府は「身分制の法律」がまちがいだと知っていて、国民に「身分制の法律」を教えて守らせようとしている。政府は詐欺[さぎ]会社である。国民は政府に騙[だま]されないように注意しなければならない。

[16835] 日本の法律は日本国憲法ではない。 h25.3.8
今は民主制の時代である。今の日本では『民主制の法律』が通用する。人間はみな平等である。
政府は日本国憲法というまちがった「身分制の法律」を定めて、国民みんなにまちがった法律を信じさせて、国民から税金を取って儲[もう]けている詐欺[さぎ]団体である。
日本では本当は『民主制の法律』が通用する。日本の法律は『民主制の法律』である。政府の法律はニセモノの法律である。政府の国会はニセモノの立法機関である。だから、国民は政府の法律を守らずに政府に税金を払わなくてもかまわない。国民は自分が利用した分だけ政府にお金を払えばいい。
政府は国民みんなにまちがった法律を植え付けてみんなを支配しようと企[たくら]んでいる悪い団体である。政府はみんなが思っているような立派な団体ではなく、本当は汚いイカサマ団体である。国民みんなは政府の嘘[うそ]に騙[だま]されてはいけない。みんなは『民主制の法律』を守って正しく生きて行かねばならない。

[16836] 政府と国民は平等である。 h25.3.8
今は民主制の時代である。今の日本では『民主制の法律』が通用する。人間はみな平等である。
政府は日本国憲法という嘘[うそ]の法律を定めて、国民に政府を“上の者”だと思わせて、国民から税金を取って儲[もう]けている。
しかし、本当は政府と国民は平等である。
だから、国民は政府と平等にすればいい。国民は日本国憲法を無視して、政府と平等にすればいい。日本国憲法は嘘の法律だから守らなくていい。国民は政府に税金を払わなくていいし、自分が政府のサービスを利用した分だけ政府に料金を支払えばいい。
政府は国民に嘘をついて国民を騙[だま]して儲ける詐欺[さぎ]団体である。みんなは政府の嘘に騙されないように注意しないといけない。

[16837] 政府は普通の人である。 h25.3.8
政府は“上の者”のふりをしている普通の人である。
政府は日本国憲法という嘘[うそ]の法律を定めて国民みんなに自分を“上の者”だと思わせてみんなを従わせているのである。
しかし、政府は本当は普通の人である。
今は民主制の時代なので、民主制の法律では人間はみな平等なので、政府は国民と同じ普通の人である。
だから、国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府と平等にすればいい。国民は政府に税金を払わず、政府の命令を聞かず、自分が政府にして欲しい仕事の分だけ政府にお金をやって政府に仕事をしてもらえばいい。

[16838] 戦後の政府は国民と平等である。 h25.3.8
戦前は日本は身分制の国だった。“上の者”がいた。
戦前の政府は本当に上の者だった。戦前の政府は国民に嘘[うそ]をついて国民と平等なふりをしていた。
戦後から日本は民主制の国になった。“上の者”がいなくなった。
戦後の政府は本当は国民と平等である。戦後の政府は国民に嘘をついて“上の者”のふりをして国民を従わせている。
今の政府は本当は上の者ではない。国民と平等である。
だから、今の国民は政府に従わなくてかまわない。
戦前の政府はおとなしいふりをしてじつは凶暴だった。政府は猫に喩[たと]えられていた。国民は政府を恐れて政府に従っていた。
反対に、戦後の政府は凶暴なふりをしてじつはおとなしい。政府はゴリラに喩えられている。だから、今の国民はもはや政府を恐れる必要はない。国民は正々堂々と政府に従わなければいい。
戦前の政府は平等な者のふりをしている“上の者”だった。国民は政府に従っていた。
戦後の政府は“上の者”のふりをしている平等な者である。国民は政府に従わなくなった。


[16839] 戦後の政府は“上の者”のふりをしている平等な者である。 h25.3.8
戦後の日本は民主制になった。人間はみな平等になった。政府と国民は平等になった。
そのため、戦後の政府は「政府が上の者である」嘘[うそ]の法律(日本国憲法のこと)を定めて自分が“上の者”のふりをして国民を従わせるようになった。[日本は戦後すぐに民主制になったのだから、当時の日本政府が民主制の法律を決めるはずである。日本国憲法は民主制の法律であるはずである。しかし、実際には日本国憲法は身分制の法律である。当時の政府が民主制の法律を決めなかったのは、政府が最初から国民を騙[だま]すつもりだったからだと考えられる。]
しかし、本当は政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府と平等にすればいい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていい。国民は自分が利用した政府のサービスの分だけ政府に料金を払えばいい。

[16840] 憲法改正の手続きは民主的な法律ではない。 h25.3.8
日本国憲法第96条にある憲法改正の手続きでは、多数決で憲法が改正できることになっている。
ところが、多数決では人数で決めるだけだから、まちがったことでも決められる。正しいことでも決めないことができる。
だから、憲法改正の手続きでは、政府(つまり国会議員)が多数決でとにかく“政府にとって不利な法律”を決めなければいい。“政府にとって有利な法律”を決めればいい。
だから、憲法の改正手続きは政府にとって一方的に有利な法律である。国民にとっては一方的に不利な法律である。
民主制においては、政府と国民は平等でなければならないから、憲法改正の手続きは民主制に反する法律である。
だから、民主制の法律においては、憲法改正の手続きは認められない。民主制の法律においては、単純に論理だけで法律を決めるべきである。
例えば、今は民主制の時代である。政府と国民は平等である。納税の義務は政府が国民に対して一方的に有利であり、民主制に反する。だから、納税の義務は廃止しなければならない。
したがって、民主制の法律においては納税の義務はない。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。これまで政府は論理で正しいことを決めないために、わざわざ多数決によってまちがった税金の法律を決めていたのである。
つまり、日本国憲法は民主的な法律ではない。民主制の国においては日本国憲法は通用しない。
だから、日本ではみんなは日本国憲法を無視して、ひたすら『民主的な法律』に従えばいい。政府が何を言おうが、とにかく国民は政府と平等にすればいい。国民は政府に税金を払わず、政府の命令を聞かず、自分が利用した政府のサービスの分だけ政府に料金を払えばいい。

[16841] 今の日本の憲法は『民主制の法律』である。 h25.3.8
日本国憲法は「政府が上の者である法律」である。納税の義務(第30条)や宗教の自由(第20条)や憲法改正の手続き(第96条)などがその証拠である。
政府は「日本国憲法が日本の憲法だ」と嘘[うそ]をついて、みんなに日本国憲法を守らせて、みんなに政府を“上の者”だと思わせて、みんなを従わせている。
しかし、本当は『日本国憲法は日本の憲法ではない。』今の日本は民主制の国であり、日本国憲法は民主制に反するから、日本国憲法は日本の憲法ではない。
だから、みんなは日本国憲法を守らなくていい。みんなは政府を“上の者”だと思わず政府に従わなくていい。
今の日本の憲法は『民主制の法律』である。みんなは『民主制の法律』を守って、政府と平等にすればいい。みんなは政府に税金を払わず、政府の命令を聞かず、政府にテキトウにお金を払って政府のサービスを利用すればいい。
政府はしょせん国民に嘘をつくことしか能がない詐欺[さぎ]会社である。国民はいいかげん政府の嘘を聞き飽きた。だから、今後は国民は政府の言うことを聞かないようにして、政府に従わなければいいのである。

[16842] 今の政府は嘘[うそ]の法律を作ってみんなを支配している。☆ h25.3.8
戦前は身分制の時代だった。『身分制の法律』があった。政府は『身分制の法律』を正直に活字にして大日本帝国憲法を定めた。みんなは大日本帝国憲法を喜んで守っていた。
戦後は民主制の時代になった。『民主制の法律』が出来た。
ところが、政府は自分勝手に日本国憲法という「身分制の法律」を定めて、みんなに身分制の法律が日本の法律だと信じさせることによって、みんなを支配した。
しかし、実際には、今でも『民主制の法律』が日本の法律である。政府の「身分制の法律」は嘘の法律である。
今の日本では『民主制の法律』が本当の法律であって、政府の「身分制の法律」は嘘の法律である。
だから、みんなは政府の「身分制の法律」を守らなくていい。『民主制の法律』を守ればいい。『民主制の法律』では、政府と国民は平等であって、国民は政府に税金を払わなくていい。命令を聞かなくていい。政府にテキトウにお金をやって政府に仕事をしてもらえばいい。
国の法律を決めるのはみんなであって政府ではない。みんなは政府の言いなりになってはいけない。

[16843] 今の政府は“上の者”のふりをしているだけで、本当は国民と平等である。 h25.3.8
今の政府は日本国憲法という「政府が上の者である嘘[うそ]の法律」を定めたり、国家宗教で国民を殺したり虐[いじ]めたりして、国民に政府を“上の者”だと思わせて国民を支配している。
しかし、本当は今では政府と国民は平等である。今は民主制の時代だから、人間はみな平等だから、政府と国民は平等である。
今の政府は一生懸命に“上の者”のふりをしているだけで、じつは国民と平等である。
だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府にテキトウにお金をやって政府に仕事をさせればいい。

[16844] 今では民主制で物を見ることが正しい。 h25.3.8
今は民主制の時代である。
だから、今では民主制が正しく、身分制がまちがいである。
だから、今では民主制で物を見ることが正しく、身分制で物を見ることがまちがいである。
例えば、政府を国民と平等だと見ることが正しく、国民よりも“上の者”だと見ることがまちがいである。つまり、政府に税金を払わないことが正しく、政府に税金を払うことがまちがいである。
政府は国民に嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民に身分制で物を見ることを植え付けようとしている。国民は政府のまちがった教育に汚染されてはいけない。
政府はもともと善い会社ではないから、民主制の時代にも素直に民主制をやろうとせずみんなに身分制を広めてみんなを支配しようとするのである。国民は政府を悪い会社だと考えて、早く政府を倒さねばならない。
今が何の時代かは眼で見ただけではわからないから、政府は自分が“上の者”をやることによって今が身分制の時代だと国民に思わせようとしているのである。政府は自分の力で時代を昔に戻そうとしているのである。しかし、実際には今は民主制の時代である。だから、国民は自分の頭でしっかり『今が民主制の時代だ』と考えて、政府の嘘に引っ掛かってはいけない。国民は政府を平等な者として扱うことによって、今を民主制の時代にして行かねばならない。国民は自分の力で時代を先に進ませねばならない。

[16845] 今の政府は嘘[うそ]で上の者のふりをしているだけである。 h25.3.9
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。だから、本当は政府と国民は平等である。
一方、政府は日本国憲法のように政府が上の者である嘘の法律を定めて“上の者”のふりをしている。だから、政府が国民よりも“上の者”なのは嘘である。
つまり、政府は嘘で上の者であって、本当は平等な者である。政府は上の者のふりをしているだけで、じつは平等な者である。
だから、国民は政府に従ってはならない。国民は政府と平等にしなければならない。国民は嘘で政府に従うふりをして、本当は政府に従ってはいけない。

[16846] 政府は民間の政治団体のひとつである。 h25.3.9
戦後の日本は民主制になった。人間はみな平等であり、他人と契約して他人にお金をやって他人に仕事をしてもらうだけになった。日本中の会社が民間会社になった。政府も民間会社になった。
政府は自分たちの中で身分制をやっている民間の政治団体である。自分たちの中で社会主義をやっている政治団体と同じようなものである。自分たちの中で特別な法律を決めてやっている宗教団体と同じようなものである。
政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。身分制が好きな者は政府に税金を払って政府に入ればいい。身分制が嫌いな者は政府に税金を払わず政府に入らなければいい。
政府は副業として法律や水道やゴミや学校などのサービスもやっている。オウム真理教がパソコンショップや食堂を経営していたのと同じことである。政府のサービスを利用したい国民はそれぞれのサービス毎[ごと]に政府にお金をやって利用すればいい。今では人間はみな平等だから、いくら政府が大きい団体であっても国民一人と政府は平等だから、国民は政府のサービスを自分が欲しい分だけお金を払って利用できるのである。


[16847] 戦前はどうして国民みんなが政府に入っていたのか? h25.3.9
戦前の日本は身分制だった。人間が不平等だった。“上の者”がいて、“上の者”は“下の者”から税金を取って、“下の者”を虐待して、“下の者”にちょっとだけ役に立つことをやっていた。
日本ではみんなが身分制をやっていた。
しかし、国民が誰を“上の者”にするかは国民一人一人の自由だった。国民には“上の者”を選ぶ自由があった。“上の者”は政府でも幕府でも貴族でも財閥でも何でもよかった。“上の者”がいなくてもよかった。
日本政府は植民地政策をやることによって、自分がみんなのために役に立つことをアピールして、みんなの人気を集めてみんなを入らせることに成功したのである。“上の者”も自分がみんなの役に立つことを宣伝しなければ経営できなかったのである。いくら“上の者”でも、まずみんなを自分の客にしなければ、上の者にはなれなかったのである。
しかし、今の日本は民主制である。みんなが平等である。“上の者”がいない。
今の日本ではみんなが民主制をやっている。
だから、国民がどんな会社と契約してお金を払って仕事をしてもらうかは国民一人一人の自由である。例えば、政府のような身分制の政治団体に入るか入らないかも国民一人一人の自由である。
今の日本政府には植民地政策のような目玉商品がない。そのために、今では国民がどんどん政府から抜けている。政府は経営が厳しくなっている。今の政府は国民みんなを一生懸命に嘘[うそ]で騙[だま]して国民が政府から抜けるのを食い止めようとしている。


[16848] 国民は政府に入ってはいけない。 h25.3.9
今は民主制の時代である。みんなは民主制をやっている。
ところが、政府は身分制の政治団体である。政府は“上の者”をやっている。
民主制では“上の者”がいない。身分制では“上の者”がいる。民主制と身分制は矛盾する。だから、国民は政府に入ってはいけない。
民主制では、国民が政治団体に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
だから、今の国民は政府から抜けねばならない。政府に税金を払うのをやめて政府を抜けねばならない。その後、どこかの民主制の政治団体に入るかは入らないかは国民一人一人の自由である。

[16849] どうして政府は警察に嫌がらせをするのか? h25.3.9
政府は時々警察に命令して警察に変なことをやらせている。家のドアの郵便受けからチンポを突っ込ませて射精させたり、セーラー服を着せて下半身裸で踊らせたりしている。
政府は身分制の政治団体である。政府は“上の者”をやっている。
政府は国民に対して上の者であるだけではなく、政府の中にも身分制がある。身分制は政府と国民の2つの階級だけがあるのではなく、政府の身分制の団体と国民との間にたくさんの中間階級がある。
政府の身分制の団体は政府の警察よりも上の階級なので、身分制の団体が警察に命令して警察を虐[いじ]めているのである。政府の身分制の団体が私を神とする国家宗教で警察を虐待しているのである。
公務員は安泰[あんたい]ではない。公務員は一般の国民よりは上の階級だが、身分制の団体よりは下の階級なので、身分制の団体に虐められる恐れがある。
もっとも、今は民主制の時代である。みんなは民主制をやっている。政府は身分制の政治団体である。だから、みんなは政府をやめて、身分制をやってはいけない。

[16850] 今の政府は詐欺[さぎ]会社である。 h25.3.9
今は民主制の時代だから、国民が政治団体に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
今の政府はみんなに「政府が民主制の政治団体だ」と言ってみんなを政府に入らせて、じつは身分制の政治団体をやっている。政府は民主制の政治団体のふりをしている身分制の政治団体である。
だから、政府は詐欺団体である。
今は民主制の時代だから、身分制をやってはいけない。だから、国民は政府をやめねばならない。国民は政府に税金を払うのをやめて、政府を抜けねばならない。

[16851] 政府は身分制の政治団体である。 h25.3.9
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。人間と団体も平等である。
だから、国民が政治団体に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
ところで、政府は身分制の政治団体である。政府は民主制の政治団体のふりをしているが、本当は身分制の政治団体である。政府に入ったら政府に身分制をされる。政府に洗脳されて政府を“上の者”だと思わされて政府の言いなりにされる。政府に高い税金を取られてもいいと思うようになる。政府の命令を何でも聞くようになる。政府に戦争や国家宗教などで虐待されても文句を言わなくなる。
国民が政府に入ってもいいことなんか何もない。政府が国民の税金で得をしているだけである。
だから、国民は政府に入らないほうがいい。政府に税金を払わず政府に入らなければいい。
国民は自分が欲しい政府のサービスにだけ料金を払って利用させてもらえばいい。

[16852] どうして国民は政府に従っているのか? h25.3.9
国民が政府に洗脳[せんのう]されて、政府に従わねばならないと思い込まされているからである。だから、国民は政府の命令を何でも聞いているのである。政府に税金を払ったり、政府に国家宗教をやらされたり、政府に虐待されたりしているのである。
国民は政府に洗脳されて、政府から抜けてはいけないと思い込まされているから、生まれてから死ぬまで政府に入って政府の言いなりになっているのである。政府に一生の間ずっと税金を払いつづけているのである。
しかし、本当は今は民主制の時代だから、政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府から抜けてもいいのである。政府に税金を払わなくていいのである。政府に自分が利用した分だけ料金を払えばいいのである。
政府は身分制の政治団体である。政府は国民から税金をもらって国民に政府を“上の者”だと思わせて国民を政府に従わせることが仕事である。だから、政府に従いたくない国民は、政府に税金をやらずに政府に仕事をしてもらわなければいいのである。

[16853] 直接民主制では税金はない。☆ h25.3.9
政府は「国民みんなが多数決で税金を決めた」と言葉の上で言うだけである。
実際には、国民みんなは多数決で税金を決めていない。
嘘[うそ]だと思うなら、直接民主制で税金の是非[ぜひ]を決めればいい。たぶん、税金はみんなの多数決によって否決されるだろう。政府が税金に賛成なだけで、国民みんなは税金に反対だから、多数決では税金は決まらないだろう。
税金は、間接民主制だから決まっているだけである。政府が自分の好き勝手に国の法律を決めているから税金があるのである。これでは政府と国民が不平等である。民主制に反している。だから、税金をやめねばならない。一般に、間接民主制は政府に一方的に有利であり国民みんなに一方的に不利なので民主制に反している。間接民主制は身分制にほかならない。だから、民主制では間接民主制をやってはいけない。
そもそも民主制とは人間がみな平等であるようにすることである。政府と国民が平等であるようにすることである。税金は政府にとって一方的に有利であり、国民にとって一方的に不利である。だから、民主制では税金は決められない。民主制の国では、多数決で税金を決めてはいけない。間接民主制であろうが直接民主制であろうがとにかく税金を決めてはいけない。決め方が民主的であるよりも、決めたことが民主的であらねばならない。民主制とは、国民みんなが多数決で物事を決めることではなく、人間みんなを平等にすることである。だから、民主制の国では、とにかく税金を決めてはいけない。間接民主制においては決め方さえも民主的ではない。だから、民主制の国では間接民主制は絶対にいけない。
多数決はまちがったことを決めるための方法である。だから、まず論理で物事を決めねばならない。みんながどうしても論理でわからない場合のみ、やむを得ず多数決を用いるようにしなければならない。
政府は身分制の政治団体だから、政府は身分制をやるために間接民主制を採[と]っているのである。今は民主制の時代だから、身分制をやってはいけない。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府から抜ければいいのである。政府をやめればいいのである。

[16854] 国民は政府に入ってはいけない。 h25.3.10
今は民主制の時代である。政府と国民は平等である。国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
ところが、政府は身分制の政治団体である。政府は民主制の政治団体のふりをしている身分制の政治団体である。
民主制の時代には身分制をやってはいけない。
だから、国民は政府に入ってはいけない。国民は政府に税金を払わないようにして、政府から抜けねばならない。

[16855] 国民が政府に仕事をしてもらうかしてもらわないかは国民の自由である。 h25.3.10
今は民主制の時代である。政府と国民は平等である。国民が政府にお金をやって政府に仕事をしてもらうか、国民が政府にお金をやらず政府に仕事をしてもらわないかは国民一人一人の自由である。
政府は身分制の政治団体である。政府の仕事は身分制をやることである。政府の仕事は自分たちの中だけで通用する「特別な法律(日本国憲法のこと)」を定めて国民(政府に入った人)に「特別な法律」を守らせて国民に政府を“上の者”だと思わせて国民を政府の言いなりにして、国民からお金を取ったり国民に命令したり国民を虐待したり国民にちょっとだけ役に立つことをすることである。政府の仕事は江戸幕府の仕事と同じである。
今は民主制の時代だから、身分制をやってはいけない。たとえみんなが身分制をやっていても、自分は身分制をやってはいけない。
だから、国民は政府にお金をやらず政府に仕事をしてもらわなければいい。国民は政府に税金をやらず政府に入らなければいいのである。
政府は身分制以外にも、法律や水道やゴミや学校などの仕事をやっている。国民は自分が欲しい政府のサービスの分だけ政府にお金を払って政府にサービスをしてもらえばいいのである。政府の法律では国民がそれらのサービスを利用するためには政府に入って政府に税金を払わなければならないことになっていないから、国民は政府に税金を払わずに自由にそれらのサービスを利用すればいいのである。

[16856] 裏の裏は表 h25.3.10
政府は表では民主制の政治団体のふりをしている。
しかし、政府は裏では身分制の政治団体をやっている。
しかし、さらにその裏では、今は民主制の時代だから、政府は民主制の政治団体である。政府は本当は民主制の政治団体なのである。つまり、今では国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。国民が政府と契約して政府に税金を払えば政府に身分制をやってもらえるし、反対に国民が政府と契約せずに政府に税金を払わなければ政府に身分制をやってもらえないのである。
つまり、今の政府は民主制の政治団体が身分制の政治団体のふりをしているだけなのである。
だから、国民は今の政府を恐れずに、政府の命令を聞かずに、政府と平等にやればいいのである。

[16857] 今は民主制の社会である。 h25.3.10
今は民主制の社会である。
だから、今の社会の中では国民が会社と契約するかしないかは国民一人一人の自由であり、国民は会社と契約して会社にお金を払って会社に仕事をやってもらわなければならない。つまり、今の社会には民間会社しかないのである。たとえ国民全員と契約している会社はあっても、民間会社しかないのである。
例えば、政府は身分制の政治団体である。政府の仕事は身分制をやることである。政府はサービス業である。政府は身分制をサービスにしている民間会社である。国民が政府と契約するかしないかは国民一人一人の自由である。政府に身分制をやって欲しい国民は政府と契約して政府に税金を払って政府に身分制をやってもらわねばならない。国民は政府に税金を払って、政府に政府を“上の者”だと思わされて政府に従わされて、政府に税金を取られたり政府に命令されたり政府に虐待されたり政府にちょっとだけ役に立つことをやってもらわねばならない。反対に、政府に身分制をやって欲しくない国民は政府と契約せず政府に税金を払わず政府に身分制をやってもらわなければいい。国民は政府に税金を払わないようにして、政府を“上の者”だと思わず政府に従わず、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたりしなければいい。自分が政府の法律や水道やゴミや学校などのサービスを利用した分だけ政府にお金を払えばいい。
つまり、税金は政府の身分制代である。税金は国民が政府に身分制をやってもらうための代金である。政府に身分制をやって欲しい国民は政府に税金を払えばよく、政府に身分制をやって欲しくない国民は政府に税金を払わなければいいのである。今の国民はまず自分が政府に身分制をやって欲しいか欲しくないかを自分で考えて決めなければならないのである。

[16858] 今の国民は政府に入る必要がない。 h25.3.10
政府は身分制の政治団体である。今では大勢の国民が政府に税金を払って政府に入って政府に身分制をやってもらっている。政府を“上の者”だと思わされて政府の言いなりにされて、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたり政府に虐待されたり政府にちょっとだけ役に立つことをやってもらったりしている。
しかし、今は民主制の時代である。人間はみな平等である。政府と国民も平等である。国民が政府と契約しようがしまいが国民の自由である。国民が政府に入っていようがいまいが国民の自由である。
今は民主制の時代だから、今の国民は政府のような身分制の政治団体に入っているのが嫌なはずである。国民が政府に入っていてもいいことはほとんどない。政府に嫌がらされて嫌な思いをするだけである。
だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府から出ればいい。政府から抜ければいい。
国民が政府から抜ければ日本国憲法を守らなくてもいい。日本国憲法は政府に入っている者が守らねばならない「特別な法律」であって、政府に入っていない者は日本国憲法を守らなくていい。政府に入っていない者は普通の『民主制の法律』を守ればいい。
国民はさっさと政府から抜けて自由に暮らせばいい。
もっとも、人間の心には「他人に従う喜び」があるから、どうしても政府に従いたい者は政府に税金を払って政府に入って政府に身分制をやってもらえばいい。反対に、他人に従うのが嫌な者は政府に税金を払うのをやめて政府から抜け出せばいい。

[16859] どうして今でも国民は政府に入っているか? h25.3.11
国民の多くがすでに政府に入っているために政府に洗脳されて政府から抜けてはいけないと思い込まされているからである。政府から抜けることができないと思い込まされているからである。
しかし、今は民主制の時代である。人間はみな平等である。政府と国民は平等である。だから、国民が政府に入っているかいないかは国民の自由である。
政府は身分制の政治団体である。政府は“上の者”だから“下の者”である国民を自由にする。政府は“上の者”だから“下の者”である国民を自分のために役に立てるだけで、国民の役に立つことをしない。政府は国民から税金を取って国民を虐待して国民に嘘[うそ]をついて国民にちょっとだけ役に立つことをするだけである。身分制の世界では、“上の者”は“下の者”の役に立つことをしない決まりがあるので、政府は国民の役に立つことをしないのである。
国民が政府に入っていても国民にとっていいことはほとんどない。
だから、国民は政府に入っていなければいいのである。国民は政府から抜ければいいのである。国民は政府に税金を払うのをやめて、政府から抜け出せばいいのである。
今は民主制の時代である。今では国民が自由に政治団体や宗教団体に入ったり出たりできる。だから、今の国民は政府から出ればいいのである。

[16860] 政府は一度入ったら出られないわけではない。☆ h25.3.11
戦前は植民地政策のために国民みんなが政府に入っていた。国民みんなは政府に入れば植民地の人間に働かせて自分が遊んで暮らせると思って喜んで政府に入った。
政府は身分制の政治団体だから、国民みんなを身分制で洗脳して国民みんなに政府を“上の者”だと思わせて国民みんなを政府の言いなりにして、国民みんなから税金を取ったり国民みんなに戦争や国家宗教の命令をしたり国民みんなを虐待したり国民みんなにちょっとだけ役に立つことをしたりした。政府は国民みんなに政府から抜けてはいけないと思い込ませた。
戦後は政府は植民地政策をやめたが、国民みんなはすでに政府の言いなりに変えられていたので、国民みんなは政府に入ったままだった。
しかし、戦後は民主制の時代である。国民と政府は平等だから、国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。国民が政府に入っていても得にならない。国民は政府に高い税金を取られて虐待されるだけである。だから、国民は政府から抜ければいいのである。国民は政府から抜けて政府に税金を払うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府に虐待されるのをやめればいいのである。国民は自分が利用した政府のサービスの分だけ政府にお金を払えばいいのである。
要するに、戦前に国民みんなが政府の植民地政策の宣伝に釣られて自分から政府という身分制の政治団体に入ったために、戦後の今でも国民みんなが身分制の政治団体の言いなりにされて身分制の政治団体に利用されているだけのことである。身分制の政治団体は国民を言いなりにするのが仕事だからそうしているだけのことである。そもそも甘い宣伝に釣られて身分制の政治団体にまんまと騙[だま]されて入った国民が悪いのである。しかし、本来は国民が政府に入るか入らないかは国民の自由である。だから、国民が政府に入るのが嫌なら政府から出ればいいのである。

[16861] どうして会社に社長がいるのか? h25.3.11
会社が身分制の政治団体だからである。会社と身分制の政治団体が重なっているからである。
だから、国民が会社に入ることは身分制の政治団体に入るのと同じことである。
会社の中には「身分制をやる組織」があって社員に身分制をやって“上の者”だと思わせて言いなりにして、稼[かせ]ぎをぶん取ったり仕事以外の命令を聞かせたり虐[いじ]めたり時々宴会をやって社員の機嫌を取ったりしているのである。つまり、会社の“上の者”とは、会社の中にある「身分制をやっている組織」にほかならないのである。会社も政府と同じことをやっているのである。会社が社員に対してやることは、政府が政府に入っている者に対してやることと同じである。社長は天皇のようなものである。
つまり、社員は会社の一部ではなく、会社のカモにすぎないのである。会社とは労働を理由にして社員を入らせている身分制の政治団体にほかならないのである。会社に入るのも政府に入るのも同じことである。政府なら国民の役に立たないから国民が容易に出られるが、会社は社員が給料をもらわねばならないのでめったに出られない。会社のほうが政府よりもタチが悪い。
しかし、今は民主制の時代である。人間はみな平等である。会社と社員も平等である。だから、社員は会社に身分制の洗脳をされないようにして、社員は会社と平等になるようにして、社員は会社の中の「身分制をやる組織」にお金をやらないようにして身分制をやる組織を潰[つぶ]さねばならない。社員が会社を乗っ取って身分制をやる組織を会社から追い出さねばならない。

[16862] 今の時代の指導原理は『民主制』である。 h25.3.11
政府は身分制の政治団体である。政府は国民に身分制をやって政府を“上の者”だと思わせて国民を支配している。
しかし、今は民主制の時代である。人間はみな平等である。政府と国民は平等である。国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
今は民主制の時代だから、国民みんなは民主制をやらねばならない。だから、国民みんなは身分制の政治団体に入って身分制をやってはいけない。だから、国民みんなは政府に入ってはいけない。国民みんなは政府を抜けて政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
会社は身分制の政治団体である。会社は社員に身分制をやって会社を“上の者”だと思わせて社員を支配している。
しかし、今は民主制の時代である。人間はみな平等である。会社と社員は平等である。
今は民主制の時代だから、社員みんなは民主制をやらねばならない。会社と社員が平等になるようにしなければならない。だから、社員みんなは会社の中の「身分制をやる組織」にお金をやらないようにして「身分制をやる組織」を潰さねばならない。
今は民主制の時代である。今の時代の指導原理は『民主制』である。つまり、今ではみんなが民主制をやらねばならない。みんなが身分制をやってはいけない。みんなが平等でなければならない。誰一人として不平等であってはいけない。みんなで『民主制』に適[かな]った国にしなければならない。みんなで身分制の政治団体や身分制の組織のない国にしなければならない。“上の者”のいない国にしないといけない。

[16863] 親は子供にラジオやマンガやゲームやコンピューターを買ってやってはいけない。 h25.3.11
人間として生まれたからには男でも女でも、自分で考えて生きて行かねばならない。
教育とは、子供が自分で考えられるようにすることである。
だから、親は子供に『自分で考える』妨[さまた]げになる物を与えてはいけない。子供に無駄[むだ]な余計な情報を与えてはいけない。
親は子供にラジオやテレビやコンピューターを与えてはいけない。マンガやアニメやゲームを与えてはいけない。
考えるとは、自分の知覚の中にある概念を組み合わせて実在と同じことを作ることである。だから、子供が自分で考えるためには、まず子供に『実在に関する概念』を与えてやらねばならない。親は子供に実在に関する知識を与えてやらねばならない。親は子供に図鑑や学習百科事典などを与えてやればいい。
人間は楽しむために生きているのではない。考えるために生きているのである。だから、親は子供の喜びを犠牲[ぎせい]にしてでも、子供が自分で考えられるようにしてやらねばならない。
人間が生きるためには自分でお金を稼[かせ]がねばならない。いくらゲームを遊んでもお金にはならない。ゲームを作らねばお金にならない。ゲームを作るためには、自分で考えられねばならない。だから、やはり子供には自分で考えられるようにしなければならないのである。

[16864] どうして江戸時代の日本は裕福だったのか? h25.3.11
江戸幕府は自分が「身分制」をやるために士農工商の身分制を考え出した。
しかし、士農工商の身分制は日本に『仕事主義』を定着させた。
江戸時代の日本はみんなが仕事主義だったから、みんなが仕事を中心に物事を考えていたから、日本が繁栄したのである。
江戸時代の日本は幕府の身分制の副作用でみんなが裕福だったのである。江戸幕府による士農工商の身分制は身分制の芸術品だったのである。江戸幕府は世界中にその名を轟[とどろ]かせる天才政治集団だったのである。
一方、今の日本はみんなが遊び中心に暮らしている。みんなが仕事は自分が遊ぶためにただのお金を稼[かせ]ぐ手段だと考えて、仕事をおろそかにしている。そのために、今の日本はみんなが仕事でお金を稼[かせ]げなくなって、みんなが貧乏になっている。
今の日本政府も江戸幕府と同じように身分制をやっているが、日本政府は気の利[き]いた政策のないボンクラ馬鹿集団である。今は民主制の時代である。日本ではとっくの昔(戦後)に民主制の時代になっている。『民主制』が今の時代の指導原理である。だから、国民はさっさと政府から出て政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16865] 今では国民が政府に入るか入らないかは国民の自由である。 h25.3.11
今は民主制の時代である。人間はみな平等である。政府と国民は平等である。だから、国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
だから、政府に入りたい国民は政府に税金を払って政府に入ればいい。反対に、政府に入りたくない国民は政府に税金を払わず政府に入らなければいい。
政府は身分制の政治団体である。政府は国民を洗脳して政府を“上の者”だと思わせて、国民から税金を取って国民を虐待して国民にちょっとだけ役に立つことをする。だから、よほどの身分制が好きな者でないかぎり政府に税金を払ってまで入りたくはないだろう。
今の政府が身分制の中で気の利[き]いた政策をやって政府に入っている者が裕福に暮らせるようになれば、他[ほか]の国民も政府に税金を払って政府に入るだろう。それまでは、国民は政府に入らなければいいのである。
国民は一度試[ため]しに政府から出て、政府に入るのと入らないのとではどちらが自分が裕福に暮らせるか比べてみればいいだろう。
たとえ政府に入って裕福に暮らせるとしても、今では国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。だから、国民は政府に入らなければいいのである。

[16866] 税金について考えれば政府が民主制の政治団体でないことがわかる。 h25.3.11
政府は「国民みんなが多数決で税金を決めた」と言っている。
しかし、今は民主制の時代であり政府と国民は平等でなければならないから、税金は政府に一方的に有利で国民に一方的に不利だから、国民みんなが多数決で税金を決めるわけがない。だから、政府は嘘[うそ]を言っている。
国民が憲法を改正しようとしても、憲法改正の手続き(第96条)によって政府が多数決でとにかく自分にとって有利な法律を定めればいいだけだから、憲法を改正しようがない。
だから、日本国憲法は民主主義的な法律ではない。民主制の法律ではない。
それは、政府自体がそもそも民主制の政治団体ではないからである。
つまり、政府は身分制の政治団体なのである。政府は日本国憲法で国民みんなに身分制を植え付けていたのである。政府を“上の者”だと思わせて政府に従わせていたのである。
しかし、今は民主制の社会である。それでも政府が身分制の政治団体をやっていられるのは、国民が自由に政府に入ったり出たりできるからである。今の国民みんなは民主制をやっている。だから、今の国民みんなは政府を抜けて、政府に税金をやらないようにして、政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16867] どうして国民には政府が身分制の政治団体だとわからないのか?☆ h25.3.11
政府が大きすぎるからである。
政府が国民のほとんどを入れているために、国民にとっては政府が政治団体であることがわかりにくいのである。
だから、国民は勘違いして「政府は国民みんなが入るものだ」と考えて政府に入っているのである。
政府がもっと小さい団体だったら、国民は『自分が政府に入るか入らないかは自分の自由だ』と思うだろう。
政府が大きかろうが小さかろうが、とにかく今は民主制の時代なので、政府と国民は平等なので、国民が政府に入るか入らないかは国民の自由である。国民一人一人の自由である。
しかも、政府は身分制の政治団体である。政府は民主制の政治団体ではない。政府が国民から税金を取っているのがその証拠である。
今は民主制の時代である。だから、国民は政府に入るべきではない。
したがって、国民は政府に入るのをやめて、政府に税金を払うのをやめて、政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16868] 今の国民が政府に入っているのはまちがっている。 h25.3.12
政府は身分制の政治団体である。政府は国民を自分の言いなりにして国民からお金を取って儲[もう]ける会社である。
今の国民の多くが政府に入っている。政府に税金を取られて政府に虐[いじ]められている。
しかし、今は民主制の時代であり、政府と国民は平等であり、国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。
だから、今の国民は政府に入らなければいい。国民は政府を抜けて、政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]せばいい。
日本国憲法には国民が政府から抜けてはいけないという法律はない。だから、国民は自由に政府から抜ければいいのである。

[16869] どうして日本に暴力団があるのか? h25.3.12
政府は身分制の政治団体である。民主制の政治団体ではない。
だから、政府の警察は国民の役に立たない。政府の警察は国民を政府に従わせるための脅[おど]しであって、国民を犯罪者から守るためにあるのではない。
だから、日本では暴力団が暴れ放題なのである。暴力団が自由に国民を暴力で脅して国民からお金を取って儲[もう]けているのである。
政府にとっての憲法は納税の義務(第30条)と宗教の自由(第20条)と憲法改正の手続き(第96条)だけである。その他の憲法は飾りである。政府にとっては納税の義務と宗教の自由と憲法改正の手続き以外の憲法はどうでもいいから、暴力団がいくら憲法を犯してもほったらかしなのである。つまり、日本はいまだに『民主制の法律』を取り締[し]まる団体のない国なのである。
早く日本に『民主制の法律』を取り締まる法律会社が出来て欲しいものである。

[16870] どうして政府に入っている者は国家宗教で悪いことをやってはいけないのか? h25.3.12
政府と政府に入っている者の中では、政府が政府に入っている者に対して国家宗教で悪いことをやってもいいだけで、政府に入っている者同士の間では国家宗教で悪いことをやってはいけない。
それは、政府が身分制の政治団体だからである。身分制の政治団体の中では身分が高い者が低い者に対してお金を取ったり虐待したりすることはできるが、身分の低い者が身分の低い者からお金を取ったり虐待したりすることはできない。だから、身分制の政治団体の中では政府が政府に入っている者からお金を取ったり虐待したりできるが、政府に入っている者同士がお金を取ったり虐待したりすることはできないのである。国家宗教は政府が自分が身分制をやっていることをみんなに隠すためにやっているだけなので、本来国家宗教はどうでもいいことなのである。
ただし、政府は法律に甘い政治団体である。だから、政府に入っている者同士の間で犯罪を犯しても政府はほったらかしである。だから、実際には、政府に入っている者同士の間で犯罪を犯してもいいのである。国家宗教とは無関係に、政府に入っている者同士で犯罪を犯してもいいのである。だから、例えば、芥川龍之介の『羅生門』みたいなことがあってもいいのである。もっとも、“或[あ]る男”はわざわざ国家宗教を使って悪いことをしなくてもよかったのである。“或る男”はお金が欲しければ、わざわざ神武天皇の超能力にちなんで白髪[しらが]の婆[ばばあ]でなくても誰でも襲ってお金を奪えばよかったのである。
政府は法律に甘い政治団体だが、幕府は法律に厳しい政治団体である。同じ身分制の政治団体でも、政治団体によって法律に甘かったり厳しかったりするのである。
もっとも、最近は政府も法律に厳しくなっている。政府は昔は法律に甘かったが、最近は法律に厳しくなっている。今は民主制の時代になって、みんなが『民主制の法律』を守るようになったので、政府もみんなに合わせて法律に厳しくなったのである。だから、昔は国民が政府に入れば政府に入った者同士の間で悪いことをして得をすることができたが、最近はたとえ政府に入っている者でも国家宗教でやろうがやるまいがとにかく悪いことをしてはいけない。『民主制の法律』を犯してはいけない。ただし、政府はあいかわらず身分制で政府に入っている者から税金を取ったり政府に入っている者を虐待することができる。しかし、それでは、わざわざ国民が高い税金を払って政府に入っているメリットがない。政府に入っている者が政府に税金を取られて虐待されるだけである。だから、今ではみんなが政府を抜けて政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]したほうが、みんなにとって得なのである。

[16871] 政府はどうして民主制の政治団体のふりをしているのか? h25.3.12
政府は身分制の政治団体である。それなのに、政府は民主制の政治団体のふりをしている。
それは、今の国民が民主制だからである。
政府が今の国民に自分が身分制の政治団体であることが知られると、国民が政府から抜けるので、政府は民主制の政治団体のふりをして国民に抜けられないようにしているのである。
しかし、政府は本当は身分制の政治団体である。税金についてよく考えると、政府が民主制の政治団体ではなく、身分制の政治団体であることがわかる。
しかし、今は民主制の時代である。今の国民みんなは民主制を支持している。今では政府と国民は平等だから、国民が政府を出ようが政府に入ろうが国民の勝手である。
だから、今の国民は政府を抜けて、政府に税金をやるのをやめて、政府を倒せばいいのである。
政府はわざわざ民主制の政治団体のふりをしてまで身分制の政治団体をやらなくてもいい。今は民主制の時代だから、身分制の政治団体をやるのは無理である。政府は見苦しい真似[まね]をせずに、潔[いさぎよ]く滅べばいい。

[16872] どうして昔の人は天皇に会うと権力が得られたのか? h25.3.12
本当は昔は政府が法律に甘かったから誰でも悪いことがやれたのである。
悪いことをする者は自分がみんなに悪者だと思われないために、「天皇に会うと権力が得られる」嘘[うそ]の決まりを作って、わざわざ天皇に会ってから悪いことをやっていたのである。
つまり、昔は悪いことをする者が天皇のせいにして悪いことをやっていたのである。
天皇は何も悪くない。悪人は他人のせいにして悪いことをやってはいけない。悪人は正々堂々と自分の責任で悪いことをやらねばならない。
しかし、今は政府も法律に厳しくなったから、今ではたとえ天皇と握手しても権力は得られない。悪いことがやれない。だから、今では誰も天皇に会わなくなっている。みんなが天皇を無視している。
それと同じように、本当は昔は政府が法律に甘かったから誰でも悪いことがやれたのに、宗教団体は自分に入れば悪いことができると思わせて国民を入らせて国民からお金を取って儲[もう]けていた。しかし、今は政府が法律に厳しくなったから、誰も悪いことができなくなっている。そのために、宗教団体は儲からなくなって滅んでいる。

[16873] 馬鹿はどうでもいい。 h25.3.13
世の中の99%は馬鹿で、残りの1%が利口である。
馬鹿は多数決で動いているだけである。馬鹿は他人が右だと言えば右に行くし、他人が左だと言えば左に行く。馬鹿は他人を眼で見て真似[まね]ているだけである。馬鹿は眼で見て心で思って生きているだけだから、頭で考えることができないから、正しいこととまちがっていることの区別がつかないから、他人を眼で見て真似ることしかできないのである。
だから、馬鹿はどうでもいい。馬鹿は最初から問題外である。
残り1%の自分で考える人間が大事である。
自分で考える人間を説得できれば、世の中全体を動かせる。
自分で考える人間を説得するためには、論理によるしかない。つまり、説得する者自身が論理で正しく考えるしかない。つまり、自分で考える人間を説得するためには、正しいことで説得するしかないのである。
だから、世の中は正しい方向にしか動かないのである。
政府は身分制の政治団体である。政府はみんなに自分を“上の者”だと思わせてみんなを従わせている。しかし、本当は“上の者”はいない。“上の者”は架空の存在である。“上の者”がいる世界はまちがった世界である。今の政府は世の中をまちがった方向に動かそうとしている。しかし、それは無理である。だから、政府は悪あがきを諦[あきら]めて滅ばねばならない。

[16874] 日本国憲法はみんなが守る法律ではない。☆ h25.3.13
日本国憲法は政府に入っている者が守る法律である。
日本国憲法は日本人みんなが守る法律ではない。
政府はそのことを伏せている。政府は嘘[うそ]をついている。
政府は身分制をやる政治団体である。今は民主制の時代であり、政府と国民は平等だから、国民は自由に政府に入ったり出たりできる。今の国民が自由に宗教団体に入ったり出たりできるのと同じことである。
日本では本来みんなは『民主制の法律』を守ればいい。つまり、人間がみな平等である法律を守ればいい。
政府に入った者だけが「日本国憲法」を守ればいい。「身分制の法律」を守ればいい。つまり、政府の言いなりになる法律を守ればいい。
国民は政府に入っていない者と政府に入っている者の2種類がある。
今は民主制の時代だから、国民はみな政府に入っていてはいけない。みんなが政府から出て、政府に入っている者がいなくなって、政府が潰[つぶ]れねばならない。今は神がいない時代だから、みんなが宗教団体から出て、宗教団体に入っている者がいなくなって、宗教団体が潰れているのと同じことである。
要するに、日本の中に政府という身分制の政治団体があるだけのことである。国民が政府に入るか入らないかは国民個人の勝手である。国民が自分で考えて決めればいいのである。政府に入った者は「日本国憲法」を守らねばならないが、政府に入らない者は『民主制の法律』を守ればいいのである。


[16875] 印税は民主制に反している。 h25.3.13
民主制とは人間をみな平等にすることである。
ところが、今の印税はたったの10%しかない。
つまり、原稿を書く者が自分の稼[かせ]ぎの10%しかもらえないということだ。残りの90%は出版社のものになるということだ。本来は原稿を書く者が自分の稼ぎの100%をもらうべきなのに、実際にはわずか10%しかもらえないのだ。
これでは、原稿を書く者が自分の原稿を出版社に丸ごと盗[と]られているようなものだ。出版社は自分で何の仕事もせずに他人の原稿で飯[めし]を食っているだけだ。出版社はふんだくり馬鹿だ。出版社は印税を低くすることによって原稿を売る者に自分を“上の者”だと思わせて原稿を売る者を自分の言いなりにする身分制をやる会社である。そうやって出版社は原稿を書く者を自分の言いなりにして原稿を書く者に命令してくだらない原稿を書かせて大勢の馬鹿に売れる本を作らせて儲[もう]けているのである。
民主制では、売る者と買う者を平等にしなければならない。だから、印税はせめて50%にしなければならない。
印税を高くすれば、これまで出版社に自分の原稿を売らなかった者も売るようになるだろう。
才能のある者が貧乏で、才能のない者が裕福なのはおかしい。そんな変な社会にしてはいけない。だから、才能のある者が裕福で、才能のない者が貧乏な世の中にしなければならない。そうなるようにみんなで適切な法律を定めなければならない。

[16876] 政府は仕事熱心である。 h25.3.13
今は民主制の社会だから身分制の政治団体があってはいけないが、昔は身分制の社会だったから身分制の政治団体があってもよかった。
身分制の政治団体とは、まず何らかの方法で国民を団体に入れて、国民が団体に入ったら国民に洗脳して国民に自分を“上の者”だと思わせて国民を自分の言いなりにして国民に命令してお金を取って儲[もう]ける団体のことである。昔はそういう方法でお金を儲けることが許されていたのである。昔の社会は厳しかったから、馬鹿が他人の食い物にされるのは当然だと考えられていたのである。
政府は身分制の政治団体である。いまだに大勢の国民が政府に入っているのは、政府が仕事熱心な証拠である。政府が一生懸命に身分制をやって国民を洗脳しているから、今でもほとんどの国民が政府に騙[だま]されて政府に入っているのである。政府に税金を払っているのである。
政府の仕事は国民を政府の言いなりにして国民からお金を取って儲[もう]けることである。政府は仕事熱心だから、政府が仕事の報酬として国民から高い税金を取るのは正当だといえるかもしれない。
日本が民主制の社会になってから70年以上経っている。今の日本に政府のような身分制の政治団体が残っているのは驚異である。政府はよっぽど洗脳が上手[じょうず]なのだろう。政府は国民を催眠術にかけるのが上手なのだろう。あるいは、国民みんながよっぽど馬鹿なのだろう。
しかし、今の社会では民主制が進んでいる。今では身分制が禁止されている。つまり、今では他人に洗脳して他人に“上の者”だと思わせて他人からお金を取って儲けることが禁止されている。そのため、今では国民が政府を悪い団体だと考えて、国民が自分で勝手に政府から抜けている。政府は年々国民からお金が取れなくなって潰[つぶ]れている。

[16877] 芸能界とは何か? h25.3.13
自分の「馬鹿の才能」を活かして生きていくことである。
普通の人は自分の『利口な才能』を活かして生きていく。
しかし、世の中にはどうしようもない馬鹿がいる。
そういう者は、開き直って自分に馬鹿の才能があると考えて、自分の馬鹿の才能でみんなの笑い者になってお金を稼[かせ]いで生きていけばいいのである。馬鹿の才能を磨[みが]けば、そこらへんの利口よりもお金持ちになれるかもしれないのである。

[16878] どうして政府は戦後も生き残ったか?☆ h25.3.13
戦後すぐに身分制が禁止になった。他人を洗脳して他人に“上の者”だと思わせて他人を言いなりにして他人からお金を取って儲[もう]けることが禁止になった。そのために、貴族や財閥などが滅んだ。
それでも政府は生き残った。
それは、国民が政府を民主制の政治団体だと思っていたからである。政府が国民を洗脳して国民に政府を民主制の政治団体だと思わせていたので、戦後も政府が生き残ったのである。
しかし、政府の正体は身分制の政治団体である。日本国憲法の納税の義務(第30条)や宗教の自由(第20条)や憲法改正の手続き(第96条)がその証拠である。日本国憲法では政府と国民が不平等だから、政府は身分制の団体である。
だから、今では政府が残っていてはいけない。国民は早く政府から抜けて、政府に税金を払うのをやめて、政府を潰[つぶ]さねばならない。
たとえ政府が民主制の政治団体であったとしても、そもそも国民がどんな政治団体に入るかは国民の自由だから、国民が政府に入るか政府から出るかは国民一人一人の自由である。だから、国民が政府が嫌なら、国民は政府を抜けて政府を潰せばいいのである。国民はもっといい政治団体が現れるまで、政治団体に入らなければいいのである。
そもそも政治団体や宗教団体は「特別な法律」に憧[あこが]れのある異常者が入るものである。普通の『民主制の法律』に満足している者が入るものではない。だから、普通の人はわざわざ政治団体や宗教団体に入らなくてもいいのである。

[16879] 今の政府は国民を二重に洗脳している。 h25.3.13
政府は身分制の政治団体である。
しかし、今は民主制の時代である。
そのため、今の政府は国民を二重に洗脳している。つまり、今の政府は国民に自分を“民主制の政治団体”だと思わせながら“上の者”と思わせて、国民に自分を平等だと思わせながら国民を自分の言いなりにして国民を支配している。物質に粒子と波の二重性があるのと同じことである。
政府は民主制の政治団体のふりをしている身分制の政治団体である。政府は国民から税金を取って国民を虐待して国民にちょっとだけ役に立つことをやっている。政府はまさに身分制の政治団体にほかならない。
今は民主制の時代である。身分制の時代ではない。身分制の時代には国民はたとえ自分が不利でも身分制の政治団体に入っていたが、民主制の時代には国民はたとえ自分が有利でも身分制の政治団体には入らない。だから、今の国民は政府から出て、政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
つまり、政府が民主制の政治団体であるのも嘘[うそ]だし、政府が上の者であるのも嘘である。政府は国民を洗脳して、国民に政府を民主制の政治団体や上の者だと思わせているだけである。政府は本当は国民と平等な何もないただの団体にすぎない。国民が政府に入るか政府から出るかは国民の自由である。国民が自分にとって得なら政府に入り、損なら政府に入らなければいいだけである。国民が政府に入っても政府に高い税金を取られて虐待されて損なだけである。だから、国民は政府に入らなければいいのである。国民は自分が利用した政府のサービスの分だけ政府にお金を払えばいいのである。

[16880] 政府は表と裏がある団体である。 h25.3.13
政府は見かけは民主制の政治団体で、中身は身分制の政治団体である。
政府は国民に日本国憲法を守らせることによって国民に自分を“上の者”だと思わせて国民を自分の言いなりにして国民を支配している。政府は国民に命令して税金を取ったり、国家宗教をやらせたりしている。
その上、政府はテレビや新聞で民主制の政治団体のふりをすることによって、国民に自分を“民主制の政治団体”だと思わせて国民が政府から抜けるのを防止している。
とにかく、今は民主制の時代である。政府が身分制をやることは許されない。だから、国民は自分が政府と平等だと思って、政府に税金を払わないようにして、自分が欲しい政府のサービスの分だけ政府にお金を払って政府にサービスをしてもらえばいいのである。今までそうなっていないのなら、今からそうすればいいのである。みんなが『これまでにない決まり』を作って、『これまでにない決まり』でやって行けばいいのである。

[16881] とにかく今は国民は政府と平等にやればいい。 h25.3.13
政府が自分でどんなにやっていようが、とにかく今は民主制の時代だから、国民は政府と平等にやればいいのである。
国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。国民は自分が利用したい政府のサービスの分だけ政府にお金を払って政府にサービスをやってもらえばいいのである。そうすれば、国民にとって必要なサービスは残り、国民にとって不要なサービスは潰[つぶ]れてなくなる。
今は民主制の時代だから、みんなが『民主制の決まり』をどんどん作って、みんなが『民主制の決まり』でどんどんやっていけばいいのである。

[16882] 今では国民は政府に入ってはいけない。 h25.3.14
政府は身分制の政治団体である。だから、政府は日本国憲法という身分制の法律を定めているのである。政府に入った者は日本国憲法を守らなければならない。
そもそも国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。しかし、国民が政府に入ると政府に洗脳されて政府から出てはいけないと思わされて政府に入ったままになる。国民が政府に入ると政府に洗脳されて政府に従わねばならないと思わされて政府の言いなりになる。政府に税金を払わされたり、政府に戦争や国家宗教をやらされたり、政府に虐待されたりする。
しかし、今は身分制をやってはいけないことになっている。政府は身分制をやる団体である。政府は犯罪組織である。だから、国民は政府に入ってはいけない。国民は政府から出て暮らさねばならない。国民が政府から出れば日本国憲法を守らなくていい。国民はもはや政府に従わなくていい。

[16883] 日本国憲法は民主制の法律ではない。 h25.3.14
政府は民主制を「判断において人間を平等にすること」と解釈して、民主制を「多数決で物事を決めること」に言い換えることによって、間接民主制によって日本国憲法を定めている。
しかし、そもそも民主制とは『人間をみな平等にすること』である。
日本国憲法では人間がみな平等になっていない。政府が国民よりも上である。日本国憲法では政府が国民に対して一方的に有利な法律を決めることができる。
だから、日本国憲法は民主制の法律ではない。日本国憲法は身分制の法律である。
政府はもともと身分制の政治団体だから、日本国憲法は身分制の法律なのである。今は民主制の時代だから、政府は屁理屈[へりくつ]をこねて日本国憲法を民主制の法律のように思わせているだけである。
しかし、今は身分制をやってはいけないことになっている。政府は身分制をやる団体である。だから、今では政府は犯罪組織である。だから、国民は政府に入ってはいけない。国民は政府から抜けて、日本国憲法を守らないようにして、政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16884] 身分制のやり方 h25.3.14
団体が「人間が不平等である決まり」を作って、団体に入った者に「人間が不平等である決まり」を守らせれば、団体に入った者は団体を“上の者”だと思って団体に従うようになる。何でも命令を聞くようになる。団体は団体に入っている者にお金を払えと命令してお金を取ることができる。団体は団体に入っている者に団体から出てはいけないと命令して団体から出させないようにできる。
今の日本政府は「政府と政府に入っている者が不平等な日本国憲法」を定めて、政府に入っている者に日本国憲法を守らせることによって、政府に入っている者に政府を上の者だと思わせて政府に従わせているのである。税金を払わせたり、国家宗教をやらせたり、政府に虐待されても文句を言わないようにさせているのである。
政府は昔植民地政策をやって国民みんなに「政府に入れば一生遊んで暮らせる」と宣伝して国民みんなを政府に入らせた。国民みんなは政府に入って政府の「人間が不平等である決まり」を守らされて、国民みんなが政府を上の者だと思うようになって国民みんなが政府に従うようになったのである。
今は国民みんなが民主制を支持しているから、政府は自分が民主制に適[かな]っているように見せかけて、国民みんなを安心させているのである。
しかし、今では身分制をやってはいけないことになっている。政府は身分制をやる団体である。日本国憲法では政府が国民に対して一方的に有利だから、政府は身分制をやる団体である。だから、政府は犯罪組織である。このまま国民みんなが政府に入っていてはいけない。そもそも国民が政府に入るか入らないかは国民の自由である。だから、国民は政府から抜けて、政府に税金を払うのをやめて、政府を倒せばいいのである。
今では身分制が禁止されている。政府は身分制をやる団体である。だから、みんなで政府を倒して、身分制をやる者のいない社会にしなければならないのである。

[16885] 国民が政府の言いなりにされないためには政府から出るしかない。 h25.3.14
国民が政府に入っているかぎり、国民は政府の法律(日本国憲法)を守らされて政府を“上の者”だと思って政府の言いなりにされる。政府の命令で人殺しでも裸踊[おど]りでも何でもするロボットにされる。政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教をやったりして、政府に虐待されても文句を言わないようになる。
国民が政府の言いなりにされないためには政府を出るしかない。
国民が政府から出れば、政府の法律(日本国憲法)を守らなくてもよくなって政府を“上の者”だと思わなくなって政府に従わなくてもよくなる。政府に税金を払ったり、国家宗教をやったりしなくなる。政府に虐待されなくなる。
今は民主制の時代だから、人間はみな平等だから、政府と国民は平等だから、国民が政府に入らなければならないことはない。国民が政府の法律(日本国憲法)を守らなければならないことはない。だから、国民は政府から出て、政府の命令を聞かなくなって自由にやればいいのである。

[16886] 政府に入っている者はアホである。 h25.3.14
政府に入っても政府に税金を取られて虐[いじ]められるだけである。いいことはほとんど何もない。だから、政府に入っている者はアホである。[眼で見ることしかわからない者が馬鹿で、心で思うことしかわからない者が阿呆[あほう]である。しかし、ここでは馬鹿と阿呆を同じ“頭で考えることがわからない者”という意味で用いている。]
政府に入っている者は、政府の言いなりになって政府から出たら行けないと思わされているので、政府から出ないだけである。だから、ますますアホである。政府の言いなりになることしかできないいい子ちゃんバカである。
しかし、今は民主制の時代である。政府と国民は平等である。国民が政府の言いなりになることはない。
だから、国民は政府の命令を聞かずに、政府から出ればいいのである。そうすれば、自由になれる。
今の政府はアホを始末する機関である。今の政府は生きる値打ちのないアホを痛い目にあわせる正義の機関である。政府は昔から自分で何も考えずに生きているバカを騙[だま]して入らせてバカを懲[こ]らしめる国民みんなのために役に立つ機関だったのである。だから、国民は自分がアホでなければ政府に入らなければいいのである。
しかし、今は民主制の時代である。アホに優[やさ]しい時代である。だから、今では身分制をやってはいけないことになって、みんなで政府や会社の上役[うわやく]を攻撃して潰[つぶ]しているのである。会社の上役は「上役と社員が不平等な社則」を作って社員みんなに社則を守らせて社員みんなに“上の者”だと思わせているから「上役」なのであって、本当は『ただのオッサン』である。会社の上役は社員よりも役に立たないボンクラである。だから、みんなは会社の上役をただのオッサンだと思って叩[たた]き潰せばいいのである。

[16887] コンピューターが出来たからといって人間が考えなくていいわけではない。 h25.3.14
コンピューターは電気を食って情報処理をして生きている。
人間は肉や魚や米を食って眼や耳で見て頭で考えて手や足を動かして生きている。
だから、コンピューターの知識と人間の知識は違う。
鳥は鳥が生きるための知識を持っている。人間は人間が生きるための知識を持っている。それと同じように、コンピューターはコンピューターが生きるための知識を持っている。
鳥の知識と人間の知識が違うように、コンピューターの知識と人間の知識は違う。
鳥の知識が人間にとって役に立たないように、コンピューターの知識も人間にとっては役に立たない。
だから、いくらコンピューターが出来たからといって人間が考えなくていいわけではない。
コンピューターの知識はコンピューターのためにあり、コンピューターの生活と人間の生活は違うから、コンピューターの知識は人間にとってはあまり役に立たないのである。
だから、いくらコンピューターが発達したからといって、人間が考えなくていいわけではない。
人間が生きるための知識は人間でなければわからない。コンピューターは電気を食べて手足で動かないからわからない。
だから、人間の知識は人間だけしかわからない。人間にとっての知識は人間が考えなければ得られない。だから、いくらコンピューターが発達しても、人間は考えることをやめるわけにはいかないのである。

[16888] どうして今はアホに優[やさ]しい時代なのか? h25.3.14
今は民主制の時代である。人間みんなを平等にする時代である。
だから、今はアホと利口を平等にしているのである。
そのために、今ではアホを騙[だま]して儲[もう]ける身分制がいけないことだとされているのである。身分制が禁止されているのである。
今では、アホはアホらしく、利口は利口らしく生きていけるようにするために、身分制が禁止されたのである。アホも利口も等しく幸福に生きていけるようにするために、身分制をやってはいけないことになったのである。
今ではアホがアホらしく幸福に生きていけるように社会制度が整備されている。だから、利口も利口らしく幸福に生きていけるようにして欲しいものである。例えば、利口は酒も歌も嫌いである。だから、利口は酒を飲まず歌も歌わずに生きていけるようにして欲しい。利口は格好[かっこう]つけも嫌いである。だから、利口は格好つけしないで生きていけるようにして欲しい。

[16889] 昔も政治団体や宗教団体に入っていない国民がいた。 h25.3.14
そもそも政治団体や宗教団体は国民が入りたくなければ入らなければいいのである。
古代や中世や近世や近代にも国民が政治団体や宗教団体に入りたくなければ入らなくてもよかったのである。実際に、政治団体や宗教団体に入っていない者はいつの時代にもいたのである。
古代や中世や近世や近代には身分制が許されていたが、それでも政治団体や宗教団体に入りたくない国民は入っていなかったのである。
社会科の教科書にはこれまでずっと国民全員が政治団体や宗教団体に必ず入っていたように書かれているが、本当は入っていなかったのである。入りたい国民がテキトウに入っていただけなのである。
現代の今では、身分制が禁止されている。それでも、政府や宗教団体は自分が身分制をやっていることを隠しながら密かに身分制をやっている。今の国民の中には政府や宗教団体に騙[だま]されて入っている者がいる。しかし、今では多くの国民が政府や宗教団体のことを理解して、政府や宗教団体に入らなくなって政府や宗教団体が潰[つぶ]れている。

[16890] ノンポリとは何か? h25.3.14
ノンポリとは政府に入っていない者のことではない。
ノンポリとは政治に関心のない者のことである。
政府は国民の関心を政府に向けさせないためにノンポリという概念を考え出してノンポリを流行[はや]らせたのである。
私も衛星放送のAT−X(アニメシアターエックス)で『ようこそようこ』のアニメを見なければ、一生死ぬまでずっと政府について考えなかっただろう。哲学のことばっかり考えていただろう。
しかし、私は運よく政府について考える機会を得たので、私は政府について理解することができた。
私はノンポリを脱却することができたのである。
国民が政府について知らないまま、政府に税金を払って政府の命令を聞いているのはおかしい。
ノンポリだから、政府に入って政府に税金を払っているのである。だから、みんなはノンポリをやめて政府について理解しなければならない。

[16891] 今でも政府や宗教団体は身分制をやっている。 h25.3.15
法律は弱い者を守るためにある。
アホは頭が弱いから、アホの人権を守るために身分制が禁止されたのである。
しかし、今でも政府や宗教団体は隠れて身分制をやっている。
だから、みんなは政府や宗教団体に注意して政府や宗教団体に入ってはいけない。政府や宗教団体に入っている者がいたらすぐに出ないといけない。
それと同じように、カタワは身体が弱いから、カタワの人権を守るためにカタワが自分で働いて生きていけるようにしないといけない。会社はカタワを雇[やと]ってカタワが働けるようにしないといけない。
人間には強い部分もあれば弱い部分もある。強い部分を活かすためには弱い部分を守ってやらねばならない。身体の強い人を活かすために身分制を廃止したり、頭の強い人を活かすためにカタワを雇ったりしないといけないのである。強いところが何もない人は怠慢[たいまん]だから生きる価値がないから死なねばならないのである。
力の弱い者を守るために暴力禁止法が出来た。
気の弱い者を守るために押し売り禁止法が出来た。
頭の弱い者を守るために詐欺[さぎ]や身分制を禁止する法律が出来たのである。

[16892] どうして国民は政府に入るのか?☆ h25.3.15
政府が国民に嘘[うそ]をついて政府があたかも国の機関であるかのように思わせているからである。社会科の教科書にはそう書いている。
しかし、本当は政府はただの政治団体である。本当は政府は一部の国民が自分の意思で自由に入っている政治団体にすぎないのである。
だから、本来は国民は政府に入らなくていいのである。
政府は社会科の教科書などで「国民みんなが政府に入らなければならない」と嘘をついて国民を政府に入らせているのである。政府に入った国民は政府の憲法(日本国憲法)を守ることによって政府に洗脳されて政府を“上の者”だと思わされて政府に従うようになるのである。政府の命令で喜んで税金を払ったり国家宗教をやったり戦争をやったりするようになるのである。いくら政府に虐待されても政府に文句を言わないようになるのである。
政府は国民に嘘をついて国民を政府に入らせて、政府に入った国民に身分制をやって国民を従わせているのである。政府は国民に嘘をついて国民を騙[だま]して政府に入らせているのである。政府は詐欺[さぎ]と身分制の両方をやっているのである。
国民は政府の嘘に騙されないようにして政府に入らないようにしなければならない。政府に入っている国民は早く政府から出なければならない。今の政府は国民と契約を取っていないから、国民は自由に政府を出てもいい。国民は政府といちいち解約しなくても政府をやめられる。だから、国民は黙ってそっと政府から抜ければいいのである。

[16893] 民主制とは人間みんなを等しく幸福にすることである。 h25.3.15
民主制とは多数決で物事を決めることではなく、人間みんなを平等にすることである。
社会には利口よりも馬鹿が多いから、多数決で物事を決めると社会がどんどんくだらなくなる。みんなが馬鹿になる。
社会には正しい者よりもまちがっている者が多いから、多数決で物事を決めるとみんながまちがった者になる。みんながまちがった考えを持つようになる。社会が進歩しなくなる。
だから、民主制を多数決で物事を決めることだと考えてはいけない。それは、民主制に対する曲解である。
民主制とは人間みんなを平等にすることである。
人間みんなを平等にするとは、人間みんなを等しく幸福にするということである。例えば、カタワと普通の人を同じ程度に幸福にすることである。例えば、女と男を同じ程度に幸福にすることである。
詐欺[さぎ]や身分制は他人を騙[だま]して自分だけが幸福になることだからいけないのである。詐欺や身分制は他人に知的な暴力をふることだからいけないのである。
だから、今では詐欺や身分制が禁止されているのである。政府や宗教団体は詐欺や身分制を使っているから悪い団体である。だから、今では国民みんなで政府や宗教団体に入らないようにして政府や宗教団体を潰[つぶ]しているのである。
もっとも、いくら人間みんなを等しく幸福にするといっても、働く者と働かない者までも等しく幸福にするわけではない。よく働く者はあまり働かない者よりも幸福であるべきである。だから、個人の仕事の質や量に比例して給料をやるようにすればいいのである。

[16894] 今では法律が進歩して詐欺[さぎ]や身分制がいけなくなった。 h25.3.15
詐欺とは、他人を「嘘[うそ]」で騙[だま]して他人からお金を取ることである。
身分制とは、他人に「人間が不平等な決まり」を守らせて他人を言いなりにして他人からお金を取って儲[もう]けることである。
戦前の昔は詐欺や身分制をやってもよかった。
戦後の今は詐欺や身分制をやってはいけない。
昔は言葉に関する法律がなかったから詐欺や身分制がやれたのである。
今は言葉に関する法律があるから詐欺や身分制がやれなくなったのである。
今では法律が進歩して、法律が物だけではなく言葉も扱うようになったから、今では詐欺や身分制がいけないことになったのである。
政府や宗教団体は詐欺や身分制を使っているから、今では政府や宗教団体が悪い団体だと見なされて、国民みんなが政府や宗教団体に入らなくなって政府や宗教団体が滅んでいるのである。
身分制がある社会よりも身分制がない社会のほうがみんなが等しく幸福になれて民主制に適[かな]っているから、身分制のない社会がいいのである。麻薬のある社会よりも麻薬のない社会のほうがみんなが幸福になれるから、麻薬のない社会がいいのと同じことである。

[16895] 政府は悪循環によって自分の権力を強めている。 h25.3.15
税金と虐待が身分制の大きな柱である。
政府も幕府も国民から税金を取って国民を虐待している。
政治団体が国民から税金を取って国民を虐待することによって国民に政治団体を“上の者”だと思わせて、さらに政治団体が自分が“上の者”であることを理由にしてますます国民から税金を取って国民を虐待する。そうやって、政治団体はどんどん自分の権力(命令力)を強めることができるのである。悪循環を利用して政府は自分の権力を無限に強めることができるのである。政治団体の権力が強くなると、暴力を使って強制的に国民全員を政治団体に入れるようになる。政治団体は宣伝や嘘[うそ]だけでなく暴力を使って国民みんなを政治団体に入れて「人間が不平等な法律」で洗脳して言いなりにするようになる。
今の政府も身分制によってすでに多くの国民を自分の言いなりにしている。
身分制のある社会では、政治団体が幸福で政治団体に入っている者が不幸である。
身分制のない社会では、みんなが等しく幸福になれる。
今は民主制の時代である。人間がみな平等であるようにしなければならない。だから、今では身分制のない社会にしなければならない。みんなが政府や宗教団体に入らなくなって、政府や宗教団体を潰[つぶ]して、政府や宗教団体のない社会にしなければならない。
とにかく今は民主制の時代だから、身分制をやっている政府がいけない。だから、国民はたとえ自分が政府に暴力をふられて殺されても政府に入ってはいけない。政府を抜けて政府を倒さねばならない。

[16896] 国民は自分で考えて正しいことをすればいい。 h25.3.15
政府は国民にいろんな嘘[うそ]をついて国民を政府に入らせて、国民を「日本国憲法」で洗脳して政府を“上の者”だと思わせて政府の言いなりにしている。すでに国民の多くは政府の言いなりになっている。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で虐待したりしている。
政府のテレビや新聞のニュースは大名行列の代わりである。政府はテレビや新聞に出る度[たび]に国民みんなに「下に下に」と言っているのである。政府は年がら年中朝から晩まで国民みんなのお茶の間で大名行列をやって国民みんなを政府の言いなりにしているのである。政府がテレビ番組に国家宗教の神のネタ(情報)を入れるのも、国民を潜在意識下で神に従わせることによって政府に従わせるためである。国民はテレビで娯楽番組を見る度に政府の言いなりにされているのである。国民は政府と国家宗教の神が組んでいると思っているので、国民を神に従わせれば政府にも従うようになるのである。(しかし、本当は私は政府と組んでいないから、いくら国民を私に従わせても国民は政府に従わないだろう。)
しかし、今は民主制の時代である。今が民主制の時代であることは、日本人みんなで決めたことである。民主制の世界では、政府と国民は平等である。だから、国民は自分が政府と平等にすればいい。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が政府のサービスを利用した分だけ政府にお金を払えばいい。
政府は身分制をやる政治団体だから、四六時中国民を政府の言いなりにすることばかりやっているのである。政府を見ると馬鹿がうつる。政府を取り合っても無駄[むだ]である。だから、国民は自分独[ひと]りで考えて政府に従わなければいいのである。
政府は24時間身分制をやっているが、テレビや新聞を見ない者にとってはそんなことは全然知らない。テレビや新聞を見ない者は今がすでに民主制の時代だと思っている。だから、テレビや新聞を見ない者は自分が政府と平等にしてもいいと思って、政府の命令を聞かず、政府に税金を払わず、自分が利用したサービスの分だけ政府にお金を払うだろう。

[16897] 無口さは日本人の欠点である。 h25.3.15
世界大戦の前に国民の誰かが「今度の戦争は政府が国民を身分制で虐待するための戦争だ」と言えば、日本は世界大戦をやらなかったかもしれない。
戦後国民の誰かが「政府は民主制の政治団体のふりをしている身分制の政治団体だ」と言えば、政府はだいぶ前に滅んでいたかもしれない。
しかし、実際には、国民の誰もみんなに本当のことを教えなかったので、日本は戦争をやって大負けして大損したし、戦後も政府はピンピンしている。
無口さは日本人の美点でもあるが欠点でもある。日本人が無口であるために、日本の運命を悪くしている。
日本人はみんなで『政府の正体が身分制の政治団体である』ことを教えあって、早く政府を潰[つぶ]したほうがいい。政府がこれ以上日本を悪くしないうちに政府をなくしたほうがいい。

[16898] どうして今の国民は政府に従っているか? h25.3.15
政府に入らされて、政府に洗脳されたからである。
政府は身分制の政治団体である。政府は社会科の教科書などで国民に「国民みんなは政府に入らなければならない」と嘘[うそ]をついて国民を政府に入らせて、国民を「政府と国民が不平等である日本国憲法」を守らせて洗脳して、国民を政府の言いなりにしている。
国民が政府に入って、政府に「不平等な法律」で洗脳されれば、それだけで政府の言いなりになるのである。つまり、国民が政府に入って、「日本国憲法」を毎日守っていたら、そのうち政府の命令を何でも聞くようになるのである。国民が政府に税金を払っていたら、国民が政府が“上の者”であることを認めたことになるので、そのうち国民が政府の命令で国家宗教でも戦争でも人殺しでも何でもするようになるのである。
だから、国民が政府の言いなりにならないためには、そもそも国民が日本国憲法を守らなければいいのである。
日本国憲法は政府に入った者が守る法律であり、今は民主制の時代なので、政府と国民は平等なので、国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由なので、国民が日本国憲法を守るか守らないかは国民一人一人の自由である。だから、国民は自分が日本国憲法を守りたくなければ守らなければいいのである。
国民が政府に税金を払わず、政府の国家宗教の命令を聞かなければ、国民は政府の言いなりにならない。
昔の国民は政府の意思に従って動くだけのロボットだった。今の国民は自分の意思で生きていかねばならない。昔は身分制の時代だったから、人間は“上の者”の意思で生きて行かねばならなかった。今は民主制の時代だから、人間は一人一人が自分の意思で生きて行かねばならない。そのためには、今の国民は政府の言いなりになってはいけない。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払ってはいけない。国民は民主制のために、政府に従ってはいけない。
昔は国民みんなが馬鹿だったので、たとえ悪人でも利口な政府に従って暮らさなければならなかった。今は国民みんなが政府と同じくらい利口になったので、もはや政府に従わなくてもよくなった。昔は国民みんなが政府に考えてもらって生きていたが、今では国民みんなが自分で考えて生きて行かねばならない。今の国民にとって政府は要らない。だから、政府と縁を切って政府を無視して暮らせばいい。今の政府は自分で考えない馬鹿のリーダーをやって喜んでいる。馬鹿は毎日政府と連絡を取って政府の命令を聞いて政府の命令通りに暮らしている。だから、馬鹿は政府に命令代として税金を払っている。反対に、政府の命令を聞かない者は政府の命令が要らないから政府に命令代を払わなくていい。
今は民主制の時代だから、たとえ国が滅んでもみんなが民主制でやらねばならない。それが決まりというものだ。だから、みんなは政府に従ってはいけない。

[16899] どうして戦後政府と宗教団体が残ったのか?☆ h25.3.16
国民が政府を「民主主義の政治団体」だと思っていたからである。
国民が宗教団体を「神に従う倫理[りんり]団体」だと思っていたからである。
しかし、政府も宗教団体もどちらもその正体は『身分制の政治団体』なのである。つまり、政府も宗教団体も幕府や貴族と同じように国民に「人間が不平等である決まり」を守らせて自分を“上の者”だと思わせて言いなりにする団体なのである。昔は「貴族が国民よりも上の者である」という決まりが社会全体にあったので、国民は貴族を“上の者”だと思って言いなりになっていたのである。
政府は宗教団体と同じように、国民に嘘[うそ]をついたり国民を面白いことで勧誘[かんゆう]したりして入らせて、国民に「人間が不平等である決まり」を守らせて自分を“上の者”だと思わせて言いなりにしている。
今は民主制の時代だから、身分制はやってはいけない。
だから、政府も宗教団体もいけない。
国民は政府や宗教団体の嘘や勧誘に引っ掛からないようにして、政府や宗教団体に入ってはいけない。政府や宗教団体に洗脳されて従わされてはいけない。国民みんなが政府や宗教団体に入らないようにして、政府や宗教団体を倒さねばならない。国民は政府や宗教団体から出て、自分が利用した政府のサービスに対してだけ政府にお金を払って暮らせばいいのである。

[16900] 国民は自由に政府を出てもいい。 h25.3.16
今の政府は社会科の教科書などで「国民みんなは政府に入らなければならない」と嘘[うそ]をついて国民みんなを政府に入らせている。
しかし、本当は『今の国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。』今は民主制の時代なので、国民と政府が平等なので、国民が政府に入るか入らないかは国民の自由である。
政府は「国民みんなの多数決で国民みんなが政府に入らなければならないことに決めた」と言っているが、それは政府の嘘である。民主制とは人間みんなを平等にすることであって、多数決で物事を決めることではない。政府と国民が平等であるかぎり、国民が政府に入るか入らないかは国民一人一人の自由である。だから、国民は自分が政府に入りたければ政府に入り、自分が政府に入りたくなければ政府に入らなければいいのである。それに、これまで実際に国民みんなが多数決で政府に入らなければならないことを決めたことはないから、政府の言っていることはただの嘘である。
しかも、政府は民主制の政治団体のふりをしているが、本当は身分制の政治団体である。民主制の時代には身分制をやってはいけない。だから、国民は政府に入ってはいけない。
したがって、国民みんなは政府から出なければならない。国民が政府から出れば、政府の日本国憲法を守らなくていいから、政府に税金を払わなくていい。政府の国家宗教の命令を聞かなくていい。政府の命令を全部聞かなくていい。国民みんなが政府に税金を払わないようにして、政府を潰[つぶ]せばいいのである。


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