[16401] 今の時代には政府は要らない。 h25.1.5
今では『科学と道徳が両立する』と考えられている。今は科学と道徳が両方ある時代である。
今の時代に国民に暴力をふって国民からお金を取って国民に命令する団体(政府のこと)なんか要らない。国民を殺したり国民に意地悪[いじわる]をしたりする団体なんか要らない。今どきそんな団体があるのがおかしい。
今では上の者がいなくて、悪いことがやれないから、今の時代には国民と契約して国民のために働いて国民からお金をもらう会社だけがあればいい。
政府は国民を嫌がらせるのが主な仕事だから、政府はなくなったほうがいい。政府の代わりに“国民の嫌がらをしない国民のためになる仕事をする会社”を建てたほうがいい。どんなざっとした会社でも、政府よりはマシである。
そうすれば、日本も発展するだろう。国民みんなが今よりも儲[もう]かるだろう。それなら、会社に払う料金も元が取れるからいい。
国民みんなは早く政府に税金をやるのをやめて政府を倒して、政府の代わりに国民のためにまじめに働く会社を建てたほうがいい。

[16402] 今の人は超能力者には従わない。 h25.1.6
たとえ超能力者がどんなにすごいことができたとしても、超能力者がすごいことができることと人間が超能力者に従わねばならないこととは別である。
だから、人間は超能力者に従わなくていい。
昔の人は論理がなかったから、直感で超能力者をすごいと思って超能力者を敬[うやま]って超能力者に従っていた。
今の人は論理があるから、たとえどんなに超能力者をすごいと思っても、超能力者に従ったりはしない。
まして、超能力者の周[まわ]りにいた人に従わねばならないとは思わない。つまり、今では身分制はなくなっているのだ。
いくら超能力者がすごくても、いくら超能力者が全知全能でも、いくら超能力者が宇宙を消したり作ったりできたとしても、今の人にとっては超能力者と自分が従わねばならない人とは別なのだ。いくらすごい手品師がいたとしても、手品師に従わないのと同じことだ。今の人にとっては超能力者よりも会社の上司のほうが偉いのだ。今では超能力者は見世物にしかならない。超能力者は自分の超能力に磨[みが]きをかけて超能力を見世物にして食べていくしかない。

[16403] 政府は民主主義の政治機関ではない。 h25.1.6
政府が民主主義の政治機関だとすると、もっと一生懸命に民主主義をするはずである。[ここでの民主主義とは多数決の原理に従うことをすることではなく、国民の役に立つことをすることである。]
しかし、実際には政府はいつも民主主義をいいかげんにやっているだけである。いやいややっているだけである。
だから、政府は民主主義の政治機関ではない。
政府の正体は悪いことをする会社である。政府は大きい暴力団である。嘘[うそ]は悪いことだから、政府は嘘で民主主義をやっているだけである。だから、政府はいいかげんにしか民主主義をやらないのである。政府は嘘で時々ちょっとだけ国民の役に立つことをするだけである。政府は明らかに国民の役に立つほど民主主義をやらないのである。
政府は悪いことをする会社だから、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民から税金を取ったり国民に命令をしたりする。その上、政府は国民をいたずらに殺したり国民に意地悪[いじわる]をしたりする。政府は国の景気を潰[つぶ]して国民を貧しくする。政府は国民を幸福にせずに不幸にする。政府はもともとそういう会社なのである。悪いことをする会社が冗談で民主主義をやっているだけなのである。
昔は道徳のない時代だったから、悪いことをやってもよかったから、政府のような悪い会社が出来てしまったのである。
しかし、今は道徳のある時代だから、悪いことをやってはいけないから、政府は国民を暴力で脅せない。だから、国民は政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしなければいいのである。政府が活動できる時代は終わったから、国民は政府に従わずに自由にやればいいのである。
今は暴力をふってはいけない時代だから、政府が国民に暴力をふったら、お返しに国民も政府に暴力をふってやればいい。そうすれば、政府は国民に暴力をふらなくなるだろう。政府は国民からお金を取れなくなって潰れるだろう。

[16404] 今の人は悪い者に従わない。 h25.1.6
昔の人は論理がなかったから、直感で雰囲気だけで「科学と道徳が対立する」と信じていた。ヨーロッパとインドが仲が悪かったから、科学と道徳が相容[あいい]れないと思っていた。そのため、科学の時代には道徳がなくて悪いことが好き放題にやれたので、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者が暴れていた。悪い者が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取って儲[もう]けていた。
今の人は論理があるから、科学と道徳が別ごとだと考えて『科学と道徳が両立する』と信じている。科学は人間が自然を支配することであり、道徳は自分の物と他人の物を区別することだから、科学と道徳は別ごとなのである。今の人は科学と道徳が互いに排斥[はいせき]しあうものではなく、互いに相補[あいおぎな]うものだと考えている。そのため、科学の時代にも道徳があるので悪いことがやれなくなって、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者が暴れられなくなった。悪い者が国民を暴力で脅せなくなって国民からお金を取れなくなって儲からなくなって潰[つぶ]れている。
昔は道徳がなかったので、悪いことをやっても犯罪にならなかったので悪いことをやってもよかった。今は道徳があるので、悪いことをやると犯罪になるから悪いことをやってはいけないのである。
今は道徳がある時代なので、悪い者は悪いことがやれないからもはや悪い者ではない。悪い者は普通の人と同じである。だから、国民は悪い者に従わなくていい。
今は人間がみな平等である時代なので、上の者は上のことがやれないからもはや上の者ではない。それと同じように、今は悪いことがやれない時代だから、悪い者は悪いことがやれないからもはや悪い者ではない。みんなが上の者に従わなくなって上の者が滅んだように、みんなが悪い者に従わなくなって悪い者も滅ばねばならない。

[16405] 今の政府はでくの坊である。 h25.1.6
政府が悪い会社であることは、今や常識である。週刊誌やマンガやテレビや新聞などでもしょっちゅうそんなことを言っている。
国民みんなは政府が悪い会社であることを知っていて我慢[がまん]して政府に従っているのである。
今の国民は政府に逆らうと政府に暴力をふられて殺されるので、しかたなく政府にいやいや従っているのである。
しかし、今は道徳のある時代である。悪いことをやってはいけない。だから、政府は国民に暴力がふれない。
だから、今の国民は政府に従わなくていい。今の国民は政府に暴力をふられるのを恐れて政府に従う必要はない。
暴力を使う者が暴力を使えなくなったらただのでくの坊である。だから、国民は政府に従うのをやめて好き勝手にすればいいのである。

[16406] 悪い者は肩書きにすぎない。 h25.1.6
貴族は自分が天皇の周[まわ]りにいた人の子孫だという理由で、平気で他人のお金を取ったり他人に命令したりしていた。
それと同じように、悪い者は自分が悪い者だという理由で、他人のお金を取ったり他人に命令したりするのである。
貴族が肩書きだけで好き放題にしていたように、悪い者は実際には暴力をふらずに肩書きだけで好き放題にしているのである。
悪い者は肩書きが悪い者だから悪いことをしているのである。悪い者は自分で自分を悪い者だと名乗っているから悪いことをしているだけなのである。自分が政府や暴力団や宗教団体だと名乗れば悪いことをやってもいいと思って悪いことをやっているのである。[政府は嘘[うそ]をついて善い者のふりをしている悪い者である。宗教団体もそれに似ている。暴力団が一番正直である。しかし、暴力団が暴力をふるのは嘘[うそ]なのである。本当は、暴力団は暴力をふらないのである。暴力団は実際には肩書きで国民を従わせているだけなのである。政府や宗教団体も実際には暴力をふらずに肩書きで国民を従わせているのである。悪い者は自分の肩書きで国民をビビらせて国民を従わせているだけなのである。悪い者は本当はただのおっさんである。肩書きだけで持っている普通の人である。つまり、悪い者は肩書きで威張[いば]っているだけである。悪い者の正体はただの肩書きにすぎないのである。
しかし、今は道徳のある時代なので、悪いことをやってはいけないので、悪い者の肩書きが通用しない。だから、国民は悪い者に従わなくていい。国民は悪い者の命令を聞かないようにして悪い者を倒せばいい。
特に、今の時代は悪いことをすると犯罪になるから、悪い者は自分だけでは悪いことができない。必ず相手の同意を得てから悪いことをしなければならない。だから、国民が悪い者に同意しなければいいのである。国民が悪い者が悪いことをするのに同意しないようにして悪い者に悪いことをさせなければいいのである。
要するに、今の時代は悪い者は弱いのである。昔は悪いことをやってもよかったから悪い者が強かったが、今は悪いことをやってはいけないから悪い者が弱いのである。だから、国民は悪い者の命令を無視して聞かなければいいのである。そうすれば、悪い者は泣きながら何もできずに引き返すしかない。悪い者は国民に対して手出しできずにおめおめ退散するしかない。

[16407] どうして神は死んだのか? h25.1.6
ニーチェは19世紀に「神は死んだ」と言った。この言葉は、超能力者のキリストが上の者ではなくなったという意味である。
神が死んだのはそれよりもずっと以前である。
紀元前13世紀のモーゼの頃[ころ]である。
それ以前の時代には、この世には神がたくさんいた。自然のあらゆる物が神だった。
それが、モーゼが生まれた頃に神がいっせいになくなった。神が全滅した。
それは、モーゼが超能力者だったからである。モーゼが念動力を使って何か軽い物を動かしたからである。
そのために、人々はモーゼを上の者だと考えて、他の神を捨てたのである。自然を人間よりも下の物だと考えるようになって、他の神が上の者ではなくなったのである。多神教が滅んだことが、超能力者が実在することの証拠である。
モーゼが現れたために、それまでの世界観がひっくり返ったのである。思想の革命が起こったのである。
私は今年の1月4日にテレビ東京で『古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議7』を見た。去年は見なかった。おそらく、ツタンカーメンの時代にモーゼが現れたために、みんながモーゼをエジプト王よりも上の者だと思ってエジプトは滅んだのだろう。
今では人間が科学でいろんなことができるようになって、超能力者と人間が平等だと考えられている。今では人間が宇宙で一番上の者なのだ。

[16408] 悪い者は馬鹿である。 h25.1.6
悪い者は馬鹿だから、いまだに古臭い年寄り臭い「科学と道徳が対立する」という迷信を信じているのかもしれない。
そのために、みんなが『科学と道徳が両立する』と思っている今でも、悪い者は本気で自分が悪いことをやってもいいと思って悪いことをやっているのかもしれない。あるいは、馬鹿すぎてわけがわからないままただ悪いことをやっているのかもしれない。
国民にとってはいい迷惑である。
今の世の中を見て自分で考えて『科学と道徳が両立する』ことがわからないのはよっぽどの馬鹿だ。悪い者は毎日自分の部屋の中に閉じこもっていてマンガばかり読んでいるのではないだろうか。社会勉強が足りない。友達がいるのだろうか。自閉症ではないだろうか。
国民の中に一人でもいいから、はっきりと悪い者に従わない者が現れればいい。
そうすれば、みんながその者を真似[まね]て悪い者に従わなくなるだろう。悪い者が国民からお金を取れなくなって悪い者が滅ぶだろう。
そんな英雄が早く現れてほしいものだ。
これまで悪い者や上の者はみんなの「科学と道徳が対立する」とか「超能力者に人間が従わねばならない」というまちがった考えに乗っかってみんなからお金を取って儲[もう]けてきた。しかし、今ではそれらのまちがった考えがない。だから、悪い者や上の者はみんなからお金を取れなくなって滅ぶしかない。
わけがわからないまま悪いことをやっている者も馬鹿だが、わけがわからないまま悪い者に従っている者も馬鹿である。みんなは『今は科学と道徳が両立するから、科学の時代にも道徳があるから、悪いことがやれないから、悪い者にお金を取られなくていい』と考えて、悪い者にお金をやらないようにして悪い者を倒さねばならない。みんなは『今は人間はみな平等だから、上の者にお金を横取りされたり虐[いじ]められたりしなくていい』と考えて、上の者にお金をやらないようにして上の者を倒さねばならない。

[16409] どうして昔の人は「超能力者に従わねばならない」と思ったのか?([16392] の訂正) h25.1.7
神武天皇の頭の周[まわ]りが光るのをじかに見た人にとっては大したことはなかった。ちょっと光っただけだった。
しかし、昔は写真もテレビもビデオもなかったので、眼で見たことをそのまま他人に伝えることができなかった。話で伝えるしかなかった。
神武天皇の話を聞いた人にとってはすごいことに思えた。話に尾ひれが加わってだんだん大げさになった。頭の周りが光っただけのことがいつしか日本を統一したことになってしまった。
そのために、昔の人はイメージで神武天皇を神格化して神武天皇に従わねばならないと思ったのである。
人類は超能力者のことをまだよく知らない。人類は超能力者のことをよく勉強して、超能力者にふさわしい対応をしなければならない。
おそらく、実際には超能力者は特定の超能力が使える以外は普通の人と変わらない。肝心[かんじん]の超能力も大したことはできない。私がその証拠である。私は超能力者とされているが、私は赤ちゃんの頃に念力で頭の上に吊[つ]ってあったガラガラを回したり軽いオモチャをちょっと動かすことができただけである。聖書や古事記は嘘[うそ]である。話の尾ひればっかりで本当のことを書いていない。だから、人間は超能力者と対等に接すればいいのである。

[16410] どうして昔の人は「科学と道徳が対立する」と思ったのか?☆ h25.1.7
昔は科学は主に武器を作るためにあった。科学は人殺しのためにあった。科学は悪いことのためにあった。だから、昔の人は「科学と道徳が対立する」と思ったのである。
今では科学は生活を便利にするためにある。科学はみんなを幸福にするためにある。科学は善いことのためにある。だから、今の人は『科学と道徳は両立する』と思っているのである。
人々の科学に対する考えが昔と今では違うから、「科学と道徳が対立する」ことから『科学と道徳が両立する』ことに変わったのである。そのために、科学の時代にも悪いことがやれなくなって政府や暴力団や宗教団体などが滅んでいるのである。

[16411] どうして昔の人は「酒を飲んでいた」のか? h25.1.7
昔の人は「人間は見たり聞いたり食べたりするために生きている」と思っていた。だから、昔の人は酒を飲んでいた。
今の人は『人間は考えるために生きている』と思っている。だから、今の人は酒を飲まない。
酒を飲むと考えることができなくなるから、今の人は酒を飲まないのである。
人間が頭で考えないときは酒は人間の味方だったが、人間が頭で考えるようになると酒は人間の敵になったのだ。
大人は酒を飲まずに自分の頭で正しいことを考えればいい。
子供は大人が考えた正しいことを学んでさらに自分でも考えればいい。
そうすることによって文明は進歩する。

[16412] 今の人には従わねばならない者がいない。☆ h25.1.7
昔の人は「科学が悪いことをすることだ」と思っていたから、科学の時代には悪いことをやってもよかった。政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅[おど]して命令した。国民は政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。
昔の人は「人間は超能力者に従わねばならない」と思っていたから、天皇や貴族や幕府や宗教団体に従わねばならなかった。
今の人は『科学が善いことをすることだ』と考えているから、科学の時代にも善いことをしなければならない。政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅して命令できなくなった。国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもよくなった。
今の人は『人間は超能力者に従わなくていい』と考えているから、天皇や貴族や幕府や宗教団体に従わなくてもよくなった。
今の人には従わねばならない者がいない。今の人は自由である。今の人は自分で考えて自分が好きなことをすればいい。

[16413] 今では科学が悪いことから善[い]いことに変わった。☆ h25.1.7
昔は「科学が悪いことだ」と考えられていたから、科学の時代にはみんなが悪いことをやってもよかった。政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやっていた。国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり国民に命令したりした。国民を殺したり意地悪[いじわる]をしたりした。
今は『科学が善いことだ』と考えられているから、科学の時代にはみんなが善いことをしないといけない。政府や暴力団や宗教団体が悪いことがやれなくなった。国民を暴力で脅してお金を取ったり命令したりできなくなった。国民を殺したり意地悪したりできなくなった。
今では科学が悪いことから善いことに変わったから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者が滅んでいる。

[16414] 超能力者と人間は社会的に区別すべきではない。 h25.1.7
超能力器官が身体の外にあろうが中にあろうが社会的には変わらない。超能力者が自分の脳の中にある超能力器官で頭を光らせたり軽い物を動かしたりすることは、普通の人間が懐中電灯を使ったり棒を使ったりすることと同じである。普通の人間が懐中電灯を使ったり棒を使ったりすることが問題なければ、超能力者が超能力器官で頭を光らせたり軽い物を動かしても問題はない。
だから、社会的に超能力者と人間を区別する必要はない。社会的には超能力者と人間は同じ者だと見なされる。
実際には、超能力者は超能力が使える人間であって、超能力ではちょっとしたことしかできないから、超能力者と人間はほとんど同じである。超能力者と人間を区別するほどのことはない。
観察と帰納によって女が男と平等になったのなら、観察と帰納によって超能力者と人間も平等にすべきである。

[16415] 今の学者は学者ではない。 h25.1.7
『今では科学が善いことになったから国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもいい』ことは学者ならわかっているはずである。わかっている学者が国にそこそこいるはずである。
しかし、そんなことを言った学者はこれまでにひとりもいない。
学者は政府から給料をもらっているので自分を不利にしないために本当のことを言わないのである。あるいは、民間会社の学者も政府と揉[も]めるのが面倒なので本当のことを言わないのである。
そんな学者は学者ではない。学者はたとえ自分が死んでも真実を言わねばならない。『学者が死んでも真実は死せず』であらねばならない。
今の学者は学者失格だ。学者の資格がない。だから、学者をやめるべきだ。

[16416] なぜ男女平等になったか? h25.1.7
昔は女は男よりも下だった。女は人間ではなかった。
近代になって女と男が平等になった。女も人間になった。
男女平等は政府が決めたことである。
政府は女の人気を得るために男女平等にしたのである。
女は男よりも馬鹿だから頭で物を見ないから眼先に騙[だま]されやすい。女は政府をテレビで見て善い団体だと思って政府を支持する。政府は国民の支持率を高めるために男女平等にしたのである。
今は科学の時代だから、男女平等であるかないかは科学的精神で決めねばならない。私はたとえ小ずるく出世した女を見たことがあっても、仕事で有能な女を一度も見たことがない。一般的に、女は男よりも馬鹿である。だから、女は頭を使うことには向かない。女は単純作業に向く。女は手が小さいから細かい作業に向く。だから、女に単純な仕事をやらせて、男が考える仕事をしないといけない。
政府は悪いことをする会社だから、国民が政府の言いなりでは世の中が変になるだけである。今では科学が善いことになって政府が滅んでいるから、今はもはや政府の時代ではない。だから、国民は政府の言うことを聞いてはいけない。国民は自分で考えねばならない。国民は科学的精神を働かせて自分の頭を使って正しく考えなければならない。

[16417] 昔は「科学が悪いことだ」と考えられていた。 h25.1.7
昔は「科学が悪いことだ」と考えられていたから、科学をやる時代には悪いことは何でもやってよかった。だから、政府や暴力団や宗教団体は国民を暴力で脅[おど]してお金を取った。命令したり殺したり意地悪[いじわる]をしたりした。
今は『科学が善いことだ』と考えられているから、科学をやる時代には善いことをしなければならない。だから、政府や暴力団や宗教団体は国民を暴力で脅してお金を取れない。命令したり殺したり意地悪したりできない。
昔の人はなかなか面白い迷信を信じていたものだ。

[16418] どうして昔の人は「科学が悪いことだ」と考えていたのか? h25.1.8
昔の人は道徳的すぎたので「自分が楽をすることが悪いことだ」と考えていた。科学は人間を楽にするので、「科学が悪いことだ」と考えていた。だから、国が科学をやる時代には、悪いことなら何でもやっていいと考えて、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅[おど]してお金を取ったり殺したり嘘[うそ]をついたり意地悪[いじわる]をしたりしていた。
しかし、今の人は『自分が楽をすることが善[い]いことだ』と考えている。科学は人間を楽にするので、『科学は善いことだ』と考えている。だから、国が科学をやる時代には、悪いことをやってはいけなくなって、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅せなくなってお金を取ったり殺したり嘘をついたり意地悪をしたりできなくなって滅んでいる。
昔の人は苦労好きだったので科学が悪いことだった。今の人は苦労嫌いなので科学が善いことになったのだ。
昔と今では人々の道徳観が変わったので、科学が悪いことから善いことに変わったので、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者が滅んでいるのだ。

[16419] どうして昔の人は「科学が悪いことだ」と考えていたのか? h25.1.8
昔の人は「頭を使うことが悪いことだ」と考えていた。科学は頭を使うから、「科学が悪いことだ」と考えていた。そのために、国が科学をやる時代には、悪いことなら何でもやっていいことになって、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやって国民を支配していた。
今の人は『頭を使うことが善いことだ』と考えている。科学は頭を使うから、『科学が善いことだ』と考えている。そのために、国が科学をやる時代には、悪いことをやってはいけないことになって、政府や暴力団や宗教団体が悪いことができなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。
昔と今では人々の頭を使うことに対する考えが違うから、科学が悪いことから善いことになったのだ。そのために、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者がいなくなっているのだ。
政府や暴力団や宗教団体は国民を支配していた団体であって、国民を支配している団体ではない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。

[16420] どうして中世に政府は滅んだのか? h25.1.8
古代の世界では、ローマで科学が発達して、世界中で科学をやるようになった。
当時の世界ではまだ「科学が悪いことだ」と考えられていたので、みんなが科学をやったために悪いことを何でもやっていいことになって、政府が国民を暴力で脅[おど]して国民を支配するようになった。
最初の頃は人々は科学の便利さに喜んで政府が悪いことをするのを大目に見ていたが、しばらくすると科学の興奮が冷めて政府が悪いことをするのが嫌だと思うようになった。
そこで、みんなは科学を捨てて道徳をやることにした。便利な生活道具を穴に捨てて埋めた。みんなが科学をやめたために悪いことをやってはいけないことになって、政府が悪いことができなくなって政府は国民を暴力で脅すことができなくなって国民を支配できなくなって滅んだ。[ヨーロッパでは、『ドンキホーテ』の第2部に見られるように、科学や数学の本を焼いたりして科学をやらないようにして政府を追い払った。]
昔は「科学が悪いことだ」と考えられていたが、今では『科学が善いことだ』と考えられている。昔は科学が未発達だったので科学では主に戦争(人殺し)しかできなかったので科学が悪いことだと考えられていたが、今では科学が発達して科学でいろんなことができるようになって科学で生活が便利になったので科学が善いことだと考えられるようになったのである。
今では『科学が善いことだ』と考えられるようになったので、今の世界ではいくらみんなが科学をやっても悪いことをやってはいけないことになったので、政府が国民を暴力で脅して支配できなくなって滅んでいる。

[16421] どうして昔は「科学が悪いことだ」と考えられていたのか? h25.1.8
科学は人間の五感の欲望を満足するからである。
数学者の岡清[おかきよし]も、「戦後の日本に科学が入ってきてからみんなが動物みたいに下品になった」と言って科学を嫌っていた。
昔は「人間の知覚の喜びを満足することが善で、五感の喜びを満足することが悪だ」と考えられていたので、科学が悪いことだと考えられていたのである。
そのために、みんなが科学をやる時代には、悪いことなら何でもやっていいことになって、政府が暴力をふって国民を支配していたのである。
しかし、今では善悪の定義が変わって『自分の物と他人の物を区別することが善で、自分の物と他人の物を区別しないことが悪だ』と考えられている。自分の物と他人の物を区別しさえすれば、知覚の喜びを満足しようが五感の喜びを満足しようがどうでもいいことになっている。昔は五感の喜びを満足することが哲学的に悪だと考えられて、哲学的な悪と社会的な悪が混同されていたので、みんなが科学をやっていた時代にはみんなが哲学的な悪をやっていたので政府が社会的な悪をやって国民に暴力をふって国民を支配していたのである。
今では『自分の物と他人の物を区別することが善だ』と考えられているので、みんなが科学をやって五感の欲望を満足している時代でも悪いことをやってはいけないことになって、政府が暴力をふれなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。
要するに、昔はいろんな理由で「科学が悪いことだ」と考えられていたから、みんなが科学をやる時代には悪いこと全般をやってよかったから、政府が暴力をふって国民を支配していた。反対に、今ではいろんな理由で『科学が善いことだ』と考えられているから、みんなが科学をやる時代にも悪いことをやってはいけなくなって、政府が暴力をふれなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。

[16422] 今の人は概念を混同してはいけない。 h25.1.8
昔は「五感の喜びを満足することが悪だ」とされて、「哲学的な悪」と「社会的な悪」が混同されていた。そのために、みんなが科学をやっていた時代にはみんなが五感の欲望を満足して哲学的な悪いことをやっていたので、政府が社会的な悪いことをやって国民を暴力で脅[おど]して国民を支配していた。
それと同じように、昔は「超能力を使える者」と「人間が従わねばならない者」とが混同されていた。そのために、みんなが超能力者に従わねばならないと思って超能力者に従っていた。
今では『自分の物と他人の物を区別しないことが悪だ』とされている。五感の喜びを満足することは悪ではないとされている。そのために、みんなが科学をやる時代でも政府が悪いことをやれなくなって国民を暴力で脅せなくなって国民を支配できなくなっている。
今では『人間は正しい者に従わねばならない』とされている。『超能力者は人間が従わねばならない者ではない』とされている。超能力者は超能力の才能に優れた者であって、人間が従う者ではないとされている。今ではみんなが超能力者に従わなくなっている。
昔の人は頭が悪かったので、いくつかの概念を混同していた。そのためにやる必要のないことをやっていた。今の人は頭がいいので、論理的に概念をきちんと区別して、やる必要のないことをやってはいけない。
昔の人が論理的にデタラメに考えていたために、悪い者や上の者が蔓延[はびこ]っていた。反対に、今の人が論理的にちゃんと考えていれば、悪い者や上の者が滅ぶのである。眼で見たことや字面[じづら]しかわからない者が多い社会では悪い者や上の者が栄[さか]える。反対に、頭で考えることや文字の意味がわかる者が多い社会では悪い者や上の者が滅ぶ。
社会を善くするも悪くするも、国民しだいだ。だから、国民は日ごろからちゃんと勉強して頭を鍛[きた]えておかねばならない。論理的に考える癖を身に付けておかねばならない。

[16423] 人々の科学に対する誤解が政府の支えだった。 h25.1.9
昔の人は「科学が悪いことだ」と思っていたので、国が科学をやるためには国が悪いことがやれなければならなかった。そのために、みんなは政府が悪いことをするのを認めていた。政府が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり国民を殺したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をするのを認めていた。
今の人は『科学が善いことだ』と思っているので、国が科学をやるためには国が悪いことがやれなくてもよくなった。そのために、みんなが政府が悪いことをするのを認めなくなった。政府が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり国民を殺したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をするのを認めなくなった。だから、今の国民は政府に従わなくなった。
昔の人と今の人では科学に対する考えが違うので、政府に対する考えも違っている。昔の国民は政府に従わねばならないと思っていたが、今の国民は政府に従わなくてもいいと思っている。
人々の科学に対する誤解が政府の支えだった。今では人々の科学に対する誤解がなくなっているので、政府が滅んでいるのだ。

[16424] 科学は戦争のための道具だった。 h25.1.9
昔は「科学が悪いことだ」と考えられていたので、科学の時代には悪いことをやってもよかったので、悪いことをする団体がいっぱい出来た。政府や暴力団や宗教団体が国民に暴力をふって国民を支配した。
反対に、今は『科学が善いことだ』と考えられているので、科学の時代には善いことをやらねばならないので、悪いことをする団体がなくなっている。政府や暴力団や宗教団体が国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。
昔は科学は戦争のための道具だった。今では科学は娯楽のための道具である。戦争は悪であり、娯楽は善である。だから、昔は「科学が悪いことだ」と考えられていたが、今は『科学が善いことだ』と考えられているのである。
テレビの発明が人々の科学に対する考えを大きく変えた。テレビ以前の時代には、科学ではつまらない発明しかなかったので、人々は科学をうれしく思わなかった。そもそも近代の日本が科学をやったのは、日本をヨーロッパの植民地にされることから守るためだった。そのためには、武器を作らねばならなかったので、日本は科学をやったのだ。だから、科学が面白いわけがなかった。ところが、戦後にテレビが発明されて、テレビは人々に大きな喜びを与えたので、人々は『科学は人間を幸福にするものだ』と信じるようになった。テレビが科学を悪いことから善いことに変えた。テレビが国民が政府に従わねばならないことから国民が政府に従わなくてもよいことに変えた。つまり、テレビが政府を滅ぼしたのだ。
そもそも『科学は人間を幸福にするものである。』これまでテレビがなかったために、人々は科学を誤解していたにすぎなかったのだ。テレビの発明が人々の科学に対する誤解を吹き飛ばしたのだ。ついでに、政府も吹き飛ばしたのだ。原爆が上の者を吹き飛ばしたように、テレビが悪い者を吹き飛ばしたのだ。

[16425] どうして政府は悪いことができたのか?☆ h25.1.9
昔の人は「科学が悪いことだ」と思っていた。だから、国が科学をやっていた時代にはみんなが悪いことをやっていることになって、悪いことは何でもやっていいことになって、政府が悪いことをやって国民に暴力をふって国民を支配していた。
今の人は『科学が善いことだ』と思っている。だから、国が科学をやってもみんなが善いことをやっていることになって、悪いことをやってもいいことにならなくなって、政府が悪いことをやれなくなって国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなった。
つまり、政府が悪いことができる根拠は「科学が悪いことである」ことにあったのだ。
しかし、今では『科学が善いことである』ことになっているから、もはや政府は悪いことができない。
だから、国民は政府に従わなくていいのだ。国民は政府の命令を無視すればいいのだ。

[16426] 超能力者はなぜ超能力が使えるか? h25.1.9
神とは宇宙の管理人である。神がいるから宇宙には秩序がある。法則がある。
超能力者は神と話ができるから、神に頼んで超能力が使えたのである。
つまり、超能力者とは神と話ができる者なのである。
だから、超能力者自身は神ではなく、ただの人間なのである。
昔の人の超能力理論はそんな風だった。
しかし、今の物理学では宇宙自身に法則があると考えられている。宇宙の管理人の存在を仮定するのは余計である。
だから、この説明は今では否定されている。
今では超能力者自身が超能力を発現したと考えられている。
おそらく、超能力者には脳の中に超能力器官があって、それを使って超能力を発現したのだろう。人間には未知の力が秘められている。それを外に表現したのが超能力者なのである。

[16427] 盟神探湯[くがたち]のトリック h25.1.9
盟神探湯とは熱い湯の中に手を入れて善人か悪人かを占うことである。
お湯は水よりも比重が小さい。お風呂が上のほうだけ熱くなるのはそのためである。
だから、善人だと思わせたい者には水の上にちょっとだけお湯を張ればいい。悪人と思わせたい者には全体をお湯にすればいい。そうすれば、見た目には同じように湯気が立って熱い湯に見える。
昔の人は水が熱すれば軽くなることを知っていたから、盟神探湯を思いついてイカサマ裁判に用いたのである。

[16428] 予知能力はあるか? h25.1.9
予知能力とは未来のことがわかることである。
人間に予知能力があっても物理学的には矛盾しない。過去の世界に行くタイムマシンはタイムマシンの製作者を殺せばタイムマシンが出来ないことになって矛盾するから存在しないが、予知能力は人間が未来のことを知っても運命は変えようがないとすれば矛盾しないから存在してもいい。つまり、予知能力で未来のことを知っても、未来は変えようがないからしかたがない。自分の不幸なことは知らないほうがいい。
本当に予知能力者に予知能力があれば株や博打[ばくち]で楽に儲[もう]けることができるから、わざわざ面倒くさい占いをやって貧乏暮らしをしなくていい。本当にこの世に予知能力者がいれば、株式市場も博打屋も倒産するだろう。
だから、予知能力はないのである。

[16429] 超能力者の超能力はどの程度か? h25.1.9
昔の人は超能力者の超能力を大げさに考えて、超能力者を神格化して超能力者に従わねばならないと思って超能力者に従っていた。
政府や幕府や貴族や宗教団体はみんなが超能力者の超能力のことを詳[くわ]しく知らないことを利用して、超能力者を偉大だと思わせて、みんなを従わせていた。要するに、詐欺[さぎ]である。
今の私も政府に超能力者だとされている。政府は私の超能力を国民に詳しく教えないことによって、国民を政府に従わせようとしている。もっとも、今の政府は今ではみんなが『科学は善いことだ』と思うようになってもうすぐ自分が滅ぶと思っているから、投げやりに国家宗教をやっている。
私が直接に母から聞いた話では、私が1〜2ヶ月の赤ちゃんの頃に私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが突然回ったことがあったそうだ。他[ほか]に小さなことがあったかもしれないが、私が母から聞いたのはガラガラの話だけだから、たぶんガラガラが一番大きな事件だったのだろう。だから、私の超能力ではガラガラを回す程度のことができただけだ。私は自分が物心が付いてから後はいっさい超能力を使ったことがない。
実際の超能力はその程度のことである。たったそれだけのことで国中のみんながわざわざ超能力者に従うことはない。馬鹿騒ぎにもほどがある。
みんなは正直に自分が超能力を知らないことを認めて、超能力者にみだりに従ってはいけない。自分が超能力を詳しく知らなければ、超能力者に従わなければいい。自分が超能力を知ったかぶりして超能力者に従うよりも、正直に自分が超能力を知らないことを認めて超能力者に従わないほうがいい。
知ったかぶりをするのは馬鹿である。頭のいい人は知ったかぶりをしない。頭のいい人は自分が知らなければ知らないと言う。だから、みんなは自分が超能力を知らないから超能力者に従わなければいいのである。

[16430] 今の政府は偉いか? h25.1.9
政府の実体は悪いことをする団体である。嘘[うそ]は悪いことだから、政府は嘘をつく。政府は嘘で民主主義や国家宗教をやっている。
政府は悪いことをする団体と嘘[うそ]で民主主義や国家宗教をやっている団体の組合である。
しかし、今ではみんなが『科学は善いことだ』と思っているから、国が科学をやる時代にもみんなが悪いことをやっていることにはならないから、政府が悪いことをやってもいいことにはならないから政府は悪いことがやれない。だから、悪いことをする団体は国民に暴力がふれず国民を支配できない。政府の悪いことをする団体は偉くない。
今では『政府の民主主義の団体は嘘で民主主義をやっているふりをしているだけである』と考えられているから、民主主義の団体も偉くない。民主主義の団体は悪いことをする団体の覆[おお]いにすぎないから偉くない。国会議員はヤクザ(悪いことをする団体の者)の覆いにすぎないから偉くない。もしも、国会議員がいなかったら、政府の代表としてヤクザがテレビにむさ苦しい顔を出さねばならないので、国会議員で蓋[ふた]をしているのである。
今では『超能力者の超能力は大したことはない』と考えられているから、国家宗教をやる団体も偉くない。
したがって、政府は偉くない。つまり、今の政府には権力(命令力)がない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
政府の悪いことをする団体と民主主義の団体と国家宗教の団体は政府の3本の矢だったのである。これまで政府は3本の矢で自分の権力を保っていたのである。政府は自分が権力を得るためにしかたがなく民主主義や国家宗教をやっていたのである。暴力だけでは権力が弱いので、形の上だけで民主主義や国家宗教を併[あわ]せてやっていたのである。しかし、今では3本の矢とも折れている。だから、今の政府には権力がない。だから、今の国民は政府に従わなくていいのである。

[16431] 言わんの馬鹿 h25.1.9
昔タモリが何かの番組の冒頭で「イワンの馬鹿」と言っていた。「政府について自分の考えを言わない者は馬鹿だ」という意味である。
これまでに誰かが私のように政府についての考えを述べればよかったのだ。
そうすれば、とっくの昔に政府は潰[つぶ]れてなくなっていたはずだ。
そうしていないから、いまだにみんながわけがわからずにダラダラ政府に従い続けて政府が残っているのである。
「言わんの馬鹿」だと言ったヤツも馬鹿である。他人[ひと]のことを言うためにはまず自分が政府について言わねばならない。
みんなで政府について考えて、みんなで政府について自分の考えを述べればいい。そうすれば、政府はすぐになくなるだろう。

[16432] 文明の低い国にはヘンテコな団体がある。 h25.1.10
みんなが「超能力者に従わねばならない」と思っている国では身分制があって、みんなが幕府や貴族や宗教団体に従っていた。
みんなが「科学が悪いことだ」と思っている国では、国が科学をやる時代には悪いことなら何でもやっていいことになって、みんなが政府や暴力団や宗教団体に従っていた。
文明の低い国ではみんなの誤解に乗っかってヘンテコな団体がたくさん出来る。みんながヘンテコな団体に支配されて不自由である。不幸である。
反対に、みんなが『超能力者に従わなくてもいい』と思っている国では身分制がなくて、みんなが幕府や貴族や宗教団体に従わなくなって、幕府や貴族や宗教団体が滅んでいる。人間は超能力者と平等に付き合っている。超能力者と人間が平等に仲良くやっている。超能力が人間の才能だと見なされて、超能力者が人間の仲間になっている。
みんなが『科学が善いことだ』と思っている国では、国が科学をやる時代にも悪いことをやってもいいことにならなくなって、みんなが政府や暴力団や宗教団体に従わなくなって、政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。
文明が高い国ではみんなが正しい知識を持っているのでヘンテコな団体が滅ぶ。みんながヘンテコな団体から解放されて自由である。幸福である。
国民みんなが幸福になるか不幸になるかは、国民みんなが正しい知識を持っているか持っていないかによって決まる。国民みんなが正しい知識を持てば持つほど、国民みんなは幸福になれる。だから、国民みんなはよく勉強して頭を鍛[きた]えて知覚のセンスを磨[みが]いて正しい知識を身に付けねばならない。
昔の日本は文明が低かったのでヘンテコな団体がいっぱいあった。今の日本は文明が高くなってヘンテコな団体が減っている。国民みんなはこのままがんばって正しくなって、国からヘンテコな団体をなくさねばならない。

[16433] ギリシアの貴族制 h25.1.10
昔は思考力が学者にしかないと考えられて、学者が上の者だった。
それがギリシアの貴族制である。
しかし、その後いろんな学者が思考力について研究して、今ではみんなが思考力を身に付けて思考力を使えるようになっている。学者が特別な者ではなくなって、学者と人間が平等になっている。
それと同じように、昔は超能力が超能力者にしかないと考えられて、超能力者が上の者だった。
それが、これまでの世界にあった身分制である。
しかし、その後いろんな学者が超能力について研究して、未来ではみんなが超能力を身に付けて超能力が使えるようになっている。超能力者が特別な者ではなくなって、超能力者と人間が平等になっている。
どうせ未来には超能力者と人間が平等になるのだから、今でもそうすればいいと思って、今では超能力者と人間が平等になっている。今の世界では身分制がなくなっている。
人間を適切に教育すれば誰にでも思考力が使えるように、人間を適切に教育すれば誰にでも超能力が使える。だから、超能力者を特別視しなくていいのである。超能力者は数が少ないだけで、本当は人間と同じなのである。学者が頭の使い方を知っている人間であるように、超能力者は超能力器官の使い方を知っている人間なのである。
残念ながら、今の私は超能力器官の使い方を忘れた。だから、今の私には超能力が使えない。将来、新たに超能力者が現れて、学者が超能力について詳[くわ]しく研究すれば、超能力の使い方や伸ばし方がわかるようになるだろう。人間はみな超能力が使えるようになるだろう。

[16434] 科学のイメージ h25.1.10
昔は科学で武器が作られて戦争をしていた。戦争は科学のイメージダウンだった。だから、昔は「科学は悪いことだ」と考えられていた。そのために、国で科学をやっている時代にはみんなが悪いことをやっていることになって、政府が悪いことをやってもいいことになって、政府が暴力で国民を支配して栄えていた。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に戦争をやらせていた。
今は科学でいろんな便利な道具が発明されて生活が楽しくなっている。楽しい生活は科学のイメージアップである。だから、今では『科学は善いことだ』と考えられている。そのために、国で科学をやっている時代にはみんなが悪いことをやっていることにならなくなって、政府が悪いことをやってもいいことにならなくなって、政府が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。今では政府が国民を暴力で脅して国民に戦争をやらせられなくなっている。
今では科学が発達したために科学で便利な道具が作られるようになって人々の科学のイメージが善くなったから、政府が国民を支配できなくなって滅んでいる。科学のイメージがひっくり返ったために、政府が科学に倒されたのだ。昔の科学は政府の味方だったが、今の科学は政府の敵なのだ。科学が政府の敵にまわったために、政府が倒れたのだ。

[16435] どうしてアメリカは軍事国家なのか? h25.1.10
戦争は科学のイメージダウンである。科学が人殺しの道具を作るからである。戦争は科学を悪いことにする。「科学が悪いことだ」と考えられている国では、科学をやるとみんなが悪いことをしていることになるので、政府が悪いことがやれるので、政府が暴力で国民を支配できる。
アメリカ政府は国民を支配するために軍事をやっているのである。
幸い、日本ではみんなが軍事に強く反対しているので政府が軍事をやれない。そのために、科学のイメージが善くなって『科学が善いことだ』と考えられているので、科学をやってもみんなが悪いことをしていることにならないので、政府が悪いことがやれないので、政府が暴力をふれず国民を支配できなくなって滅んでいる。
国民に戦争をさせたのは政府である。日本は戦争に負けて国民が戦争をやらなくなった。政府は軍事政策がやれなくなって科学のイメージを悪くすることができなくなって「科学が悪いことだ」と国民に思わせることができなくなって国民に暴力がふれなくなって国民を支配できなくなって潰[つぶ]れている。政府は自分で自分を潰したのだ。政府の自業自得だ。
反対に、アメリカは戦争に勝って国民が戦争をやるようになって、政府が軍事政策をやって科学のイメージを悪くして「科学が悪いことだ」と国民に思わせて政府が悪いことができるようにしてますます国民に暴力をふって国民を支配している。国民も自分が悪いことをやっていいと思って人殺しや強盗をやって暴れている。
日本は戦争に負けてよかった。
アメリカでは国民が「戦争をやっていい」と思っているから、政府が軍事政策をやって科学のイメージを悪くして自分が悪いことができるようにして国民に暴力をふって国民を支配している。反対に、日本では国民が『戦争をやってはいけない』と思っているから、政府が軍事政策がやれず科学のイメージを悪くすることができなくなって国民に暴力がふれなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。国民の考えが国の運命を決めるのだ。国民の考えひとつで政府が栄えも滅びもする。国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されてけっして「戦争をやっていい」と思ってはいけない。

[16436] 戦争は必要悪だった。☆ h25.1.10
もともと日本は戦争をしない平和な国だった。政府や暴力団や宗教団体などの悪い者がいない善い国だった。
しかし、古代になってローマ帝国が日本に攻[せ]めて来そうになった。
日本は植民地にされないために戦争をしなければならなかった。
『戦争は悪いことだ』と考えられていたので、日本が戦争をやる時代にはみんなが悪いことをやっていることになって、悪いことなら何でもやっていいことになって、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅[おど]して支配していた。
幸い、ローマ帝国は日本に攻めてこなかったが、政府は国民を暴力で脅して戦争をやらせた。日本は朝鮮と戦争して勝った。
ローマ帝国滅亡後は、しばらくの間日本が戦争をやる必要がなくなって、日本で悪いことがやれなくなって、政府や暴力団や宗教団体が滅んだ。
近代になって、ヨーロッパ帝国が日本に攻めて来そうになった。
日本はまた防衛のために戦争をしなければならなくなって、悪いことが何でもやれるようになって、政府や暴力団や宗教団体が出来て国民を暴力で支配した。
ヨーロッパ帝国は日本に攻めてこなかったが、政府はまた国民を暴力で脅して戦争をやらせた。日本はアメリカと戦争をして負けた。
世界大戦後は、世界中が戦争をしないことに決めた。科学が世界中に広がって、世界中で武器や工業製品が作られるようになって、国の間の格差がなくなったので、戦争をすると互いの被害が大きくなるので戦争をやらなくなった。世界中の国が平等になった。
日本は戦争をやる必要がなくなった。そのために、日本では悪いことをやってはいけないことになって、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅せなくなって滅んでいる。
これまではみんなが戦争をするために、政府や暴力団や宗教団体が出来てみんなが支配されていた。
今ではみんなが戦争をしなくていいから、政府や暴力団や宗教団体が滅んでみんなが支配されなくなっている。
国が戦争をやるかやらないかで、政府や暴力団や宗教団体が出来たり滅んだりするのだ。

[16437] 昔の人は「戦争が悪いことだ」と誤解していた。 h25.1.10
昔の人は「戦争が悪いことだ」と思っていた。だから、国が戦争をやる時代にはみんなが悪者だということになって、何でも悪いことをやっていいことになって、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅[おど]して支配していた。
しかし、今の人は『戦争が善いことだ』と思っている。自分の国を守るための戦争なら自分の国の国民の命を守ることだから善いことである。だから、国が戦争をやる時代には悪いことをやってもいいことにはならなくなって、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅せなくなって支配できなくなった。
昔の人は戦争を誤解していたために政府や暴力団や宗教団体に支配されてしまった。
今の人は戦争を正しく理解して政府や暴力団や宗教団体に支配されないようにしないといけない。
もっとも、今は戦争のない時代だから、日本に攻めて来る国がない時代だから、日本は戦争をしなくていい。だから、戦争が善かれ悪しかれ、日本では悪いことをやってはいけない。だから、政府や暴力団や宗教団体が暴力で国民を支配できない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。
政府や暴力団や宗教団体などの悪い者は国民が従えば図に乗って命令してくる。だから、国民が悪い者に従わなければいいのである。そうすれば、悪い者は国民に命令しなくなって国民からお金がもらえなくなって滅ぶのだ。
昔は悪い者や上の者がインチキ論法で国民を支配していた。悪い者は「戦争が悪いことだ」と国民に思わせて国民を支配した。上の者は「人間は超能力者に従わねばならない」と国民に思わせて国民を支配した。しかし、本当は『戦争は自分の国の国民の命を守ることだから善いことである。』『超能力者は変わった芸のできる人にすぎないから、人間は超能力者に従わなくていい。』国民は自分で正しく考えて、悪い者や上の者のインチキ論法に引っ掛かって悪い者や上の者に従ってはいけない。特に、政府は国民に悪いことをやらせて(アメリカみたいに)自分の国を何でも悪いことができる国にして自分が暴力を使って国民を支配しようとしている。国民は政府に自分の国を悪い国にされないために、早く政府に税金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。

[16438] 国が戦争をやっていなければ、政府は国民に命令できない。 h25.1.11
昔は「戦争をする時代にはみんなが悪いことをやってもいい」と考えられていたので、戦争をする時代には政府が国民に暴力をふって国民を支配していたのである。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり国民に戦争をさせたり国民に国家宗教をやらせたりしたのである。
しかし、今は『戦争をする時代にもみんなが悪いことをやってはいけない』と考えられている。今では侵略戦争と防衛戦争が区別されて、侵略戦争は悪いが防衛戦争は善いので、侵略戦争はやってはいけないが防衛戦争はやってもいいことになっている。国が防衛戦争をすることは善いことなので、国が防衛戦争をしてもみんなが悪いことをやっていることにはならないので、戦争をする時代にもみんなが悪いことをやってはいけないのである。そのために、戦争をする時代にも政府は悪いことができなくなって国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなっている。政府は国民を暴力で脅せなくなって国民からお金を取ったり国民に命令できなくなっている。
昔は防衛戦争と侵略戦争の区別がなかったので、防衛戦争をやる時代には侵略戦争もやっていた。戦争は悪いことだとされていたので、国が戦争をやる時代には国民みんなが悪いことをやっていることになっていたので、政府や暴力団や宗教団体も悪いことをやってもいいことになって国民に暴力をふって国民を支配していたのである。
もっとも、今は戦争をする時代ではない。日本に攻めて来る国はない。だから、みんなは悪いことをやってはいけない。政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で脅して国民を支配してはいけない。つまり、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてかまわない。
つまり、政府が国民に命令できたのは、国が戦争をやっていたからである。国が戦争をやっていなければ、政府は国民に命令できない。今では国が戦争をやっていないから、政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくていいのである。

[16439] 今では戦争が起きても政府は出来ない。 h25.1.11
中世はローマ帝国があった。
日本をローマ帝国から防衛しなければならなかった。
昔は「戦争をする時代には悪いことをやってもいい」と考えられていた。
だから、中世の日本では政府が悪いことをして国民に暴力をふって国民を支配していたのである。ローマ帝国のために日本は悪い国だったのである。
しかし、中世末にはローマ帝国は滅んだ。
日本をローマ帝国から防衛しなくてもよくなった。
昔は「戦争をしない時代には悪いことをやってはいけない」と考えられていた。
だから、中世末の日本では政府が悪いことができなくなって国民に暴力がふれなくなって支配できなくなって滅んだのである。
そうして、幕府の時代になったのである。ローマ帝国が滅んだので日本は善い国になったのである。源頼朝が鎌倉幕府を築いて日本を善い国にしたのではなく、「戦争をしない時代には悪いことをやってはいけない」という決まりがあったから、日本が戦争をしなくなったから自然に日本が善い国になったのである。政府が滅んだから幕府だけになっただけのことである。しかし、鎌倉幕府は滅んだ。身分制だけで幕府がやっていけるわけではない。経営がうまくなければ幕府もやっていけないのだ。
昔は「戦争をする時代には悪いことをやってもいい」とまちがって考えられていたので、国が戦争をする時代には政府や暴力団や宗教団体が出来て暴力をふって国民を支配していた。政府の正体は悪いことをする団体であって、政府の軍部はニセモノだったのである。政府の軍部は日本が戦争に勝つためにあったのではなく、国民を戦争で虐[いじ]めるためにあったのである。
しかし、今は侵略戦争と防衛戦争が区別されて、防衛戦争は善いことだと考えられているので、『戦争をする時代にも悪いことをやってはいけない』と考えられている。
今は『戦争をする時代にも悪いことをやってはいけない』と正しく考えられているので、たとえ今後国が戦争をする時代が来ても政府や暴力団や宗教団体が出来なくなって国民を支配できなくなった。国民だけで自主的に防衛戦争をすればいいのである。
今は科学の時代なので、白人以外の人種も人間だと認められて、人間はみな平等だとされているので、侵略戦争はいけないことになったのである。そのために、戦後は植民地や侵略戦争がなくなったのである。今では防衛戦争しかやってはいけないのである。科学が進むと戦争さえなくなるのだ。今では防衛戦争しかやれなくなったから、防衛戦争は善いことだから、今では『戦争をやる時代にも悪いことをやってはいけない』ことになったのである。政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのである。
今は科学の時代なので、超能力者も人間だと認められて、超能力者と人間が平等だとされている。そのために、今では天皇も私もキリストもモーゼもみんな人間と平等だとされている。幕府も貴族も宗教団体も滅んでいる。科学が進むと超能力者さえ人間と平等になるのだ。科学が進むと生物の細かい違いは無視されて大雑把[おおざっぱ]な区別しかなくなるのだ。超能力者も人間と同じ種に属するから人間なのだ。戦後に偉い科学者が話し合って決めたのだろう。

[16440] 戦争は悪いことである。☆ h25.1.11
戦争は人殺しである。人殺しは悪いことである。
だから、国が戦争をやる時代には国のみんなが人殺しをすることになる。国のみんなが悪いことをすることになる。だから、政府や暴力団や宗教団体は自分も悪いことをしてもいいと思って、国民を暴力で支配したのである。殺したり強盗したり嘘[うそ]をついたり意地悪[いじわる]したりしたのである。政府は政治機関のふりをしているだけで本当は暴力団なのである。政府は悪いことをする団体であり、嘘は悪いことだから、政府は嘘をついて民主主義の政治機関(つまり国民みんなのためになる団体)のふりをしているのである。
しかし、国が戦争をしない時代には国のみんなが人殺しをしない。国のみんなが悪いことをしない。だから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやってはいけないことになって、国民を暴力で支配できない。国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。
政府や暴力団や宗教団体が活動できるのは戦争をしている時代だけである。戦争をしない時代には政府や暴力団や宗教団体は活動できない。今は戦争をしない時代である。だから、今では政府や暴力団や宗教団体は活動できない。だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。
もっとも、今日的[こんにちてき]には、戦争は主に防衛戦争であり、防衛戦争は善いことである。防衛戦争は国のみんなの命を敵から守ることだから善いことである。だから、「戦争が悪いことだ」というのは今日的には屁理屈[へりくつ]である。今では『戦争は善いことである。』だから、今では国が戦争をやる時代にも国のみんなが悪いことをすることにはならないから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことがやれず国民を支配できない。国民は政府の指揮ではなく、国民みんなの力で敵から自分の国を守るのである。

[16441] 戦争は善いことだ。☆ h25.1.11
昔の人は「戦争が悪いことだ」と思っていた。戦争は人殺しであり、人殺しは悪いことだから、戦争は悪いことだと思っていた。そのために、国が戦争をする時代にはみんなが悪いことをするから、政府や暴力団や宗教団体が自分が悪いことをしてもいいと思って、国民に暴力をふって国民を支配していた。国民からお金を強盗して遊んで暮らしていた。
しかし、今の人は『戦争が善いことだ』と思っている。戦争は自分の国のみんなの命を敵から守ることであり、みんなの命を守ることは善いことだから、戦争は善いことだと思っている。そのために、国が戦争をする時代にはみんなが善いことをするから、政府や暴力団や宗教団体が自分が悪いことをしてもいいと思わなくなって、国民に暴力をふらなくなって国民を支配できなくなった。国民からお金を強盗できなくなって滅んでいる。
昔と今では人々の戦争に対する考えが違うから、今では政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのだ。

[16442] 今では悪い者も上の者もいない。 h25.1.11
昔の人は「戦争が悪いことだ」と思っていた。国が戦争をする時代には、国のみんなが悪いことをやることになったから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者が暴力をふって国民を支配していた。だから、戦争の時代には悪い者がいた。反対に、国が戦争をしない時代には、国のみんなが悪いことをしなかったから、政府や暴力団や宗教団体も悪いことができなくなって暴力をふらなくなって国民を支配できなくなって滅んでいた。だから、戦争のない時代には悪い者がいなかった。
国が戦争をやる時代には、みんなが悪いことをやらねばならなかったから、道徳があってはいけなかったから、道徳の本を焼き捨てていた。武器を作るために科学を取り入れていた。だから、戦争の時代は科学の時代と考えられているのである。反対に、国が戦争をやらない時代には、みんなが善いことをしなければならなかったから、道徳がなければならなかったから、道徳の本を作っていた。生活を便利にするために科学も取り入れていた。だから、戦争のない時代は道徳と科学の両方の時代だった。昔は今ほど科学がなかったから、むしろ道徳の時代と考えられているのである。
もっとも、昔はまだ「超能力者に人間が従わねばならない」と信じられていたから、戦争の時代にも戦争のない時代にも国民は超能力者や幕府や貴族や宗教団体などに従っていた。幕府は政府の後釜[あとがま]だった。ただし、幕府は戦争をやらない団体だったので、国が戦争をやる時代には幕府が滅んだのである。
しかし、今は『戦争が善いことだ』と考えられている。『超能力者に人間が従わなくてもいい』と考えられている。だから、今では国民は悪い者にも上の者にも従わなくなって、悪い者の上の者も滅んでいるのだ。

悪い者 上の者
戦争の時代
(古代、中世、近代)
政府、暴力団、宗教団体 超能力者、貴族、宗教団体、(財閥)
戦争のない時代
(中世、近世)
なし 超能力者、幕府、貴族、宗教団体
今(現代) なし なし


[16443] 人間の合理的精神が上の者や悪い者を倒した。 h25.1.11
昔の人は「人間は超能力者に従わねばならない」と思っていた。そのために、みんなは超能力者や超能力者の子孫や貴族や幕府や宗教団体などに従っていた。
それと同じように、昔の人は「戦争が悪いことだ」と思っていた。そのために、みんなは政府や暴力団や宗教団体に従っていた。
反対に、今の人は『人間は超能力者に従わなくていい』と思っている。そのために、みんなは超能力者や超能力者の子孫や貴族や幕府や宗教団体などに従わなくなっている。超能力者と人間が平等に仲良くやっている。貴族や幕府や宗教団体などが滅んでいる。
今の人は『戦争が善いことだ』と思っている。そのために、みんなは政府や暴力団や宗教団体に従わなくなっている。政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。
昔の人はまちがった迷信に取り付かれていたために、人々の迷信に乗っかって上の者や悪い者が人々を支配していた。
今の人は迷信を信じなくなったから、上の者や悪い者が人々の迷信に乗っかれなくなって滅んでいる。
国民の運命は国民自身で決まる。国民みんなが考えずに遊んでばかりいると、ヘンテコな団体がみんなのまちがいに乗っかってみんなを支配することになる。ヘンテコな団体はいちいち国民に理由を説明せずに無言で国民を好き放題にするから、国民がしっかりしていなければならない。だから、国民みんなは遊んでばかりいないで自分で正しいことを考えなければならない。国民が上の者や悪い者に従わねばならなかったのは、たんなる「取り決め」ではなく、ちゃんと『理由』があったのである。だから、みんなはすぐに「取り決め」だと思って鵜呑[うの]みにせずに、いつも『理由』について考えねばならない。自然現象にも人為現象にも必ず理由がある。だから、具体的現象をただ眼で見るだけではなくて、頭で理由を考えねばならない。

[16444] 《まとめ》 h25.1.11
1.政府とは何か?
政府の正体は悪いことをする団体である。政府は大きい暴力団である。政府は国民に対して人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をする。税金は政府が国民からお金を強盗することである。政府は悪いことをする団体であり、嘘は悪いことだから、政府は嘘をつく。政府は嘘つきだから「自分が国民の役に立つことをするために国民から税金を取っている」と言うのである。
政府は本当は悪いことをしているのに、国民の前では嘘をついて民主主義や国家宗教で国民の役に立つことをしているふりをしている。
政府はもともと悪いことをする団体だから、いくら国民が政府に文句を言っても無駄[むだ]である。


2.どうして政府は悪いことをするのか?
昔の人は「戦争が悪いことだ」と思っていた。戦争は人殺しであり、人殺しは悪いことだから、戦争は悪いことだと思っていた。だから、国が戦争をする時代には、みんなが悪いことをやっていることになっていたから、政府は自分が悪いことをやってもいいと思って国民に暴力をふって国民を支配した。
反対に、今の人は『戦争が善いことだ』と思っている。戦争は敵から自分の国のみんなの命を守ることであり、自分の国のみんなの命を守ることは善いことだから、戦争は善いことである。だから、国が戦争をする時代には、みんなが善いことをやっていることになるから、政府は自分が悪いことをやってはいけないと思って国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。今の政府は国民を支配できないから、国民は政府に従わなくていい。


[16445] どうして昔は植民地があったか? h25.1.12
昔は「白人が他の人種よりも上の生き物である」と考えられていた。
だから、白人は他の人種を動物として扱った。白人は外国を征服して自分の土地にした。植民地にした。
しかし、今は『白人も他の人種も平等だ』と考えられている。今では科学が発達して、白人も他の人種も同じ人間であり、人間はみな平等だと考えられるようになった。DNAで見ると、白人も他の人種も同じ人間だから平等になった。
だから、白人は他の人種を人間として扱うようになった。そのために、植民地がなくなった。
昔は「超能力者に人間が従わねばならない」とか「戦争は悪いことだ」とか「白人以外の人種は動物である」などと考えられていた。
今では『超能力者に人間が従わなくていい』とか『戦争は善いことだ』とか『白人と他の人種は平等である』と考えられている。
昔の人は直感で見ていたからいろんな誤解があった。今の人は論理で見ているから誤解がなくなっている。そのために、世の中が変化している。

[16446] 政府は自分ひとりで悪いことをするわけにはいかない。 h25.1.12
昔は「戦争が悪いことだ」と考えられていた。戦争は人殺しだから、人殺しは悪いことだから、戦争は悪いことだと考えられていた。
だから、国が戦争をする時代には、国民みんなが悪いことをしていることになって、政府もみんなといっしょに悪いことをしてもいいと思って国民に暴力をふって国民を支配していた。日本が外国の侵略を防ぐために戦争をしていた時代には、政府が暴力で国民を好き放題にしていた。
反対に、国が戦争をしない時代には、国民みんなが悪いことをしていないことになって、政府がひとりで悪いことをするわけにはいかなくなって、政府が国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなった。
今は『戦争が善いことだ』と考えられている。今では『人類はみな平等だ』と考えられていて、侵略戦争はいけないことになっているから、戦争は防衛戦争だけである。戦争は自分の国のみんなの命を守ることだから、みんなの命を守ることは善いことだから、戦争は善いことだと考えられている。
だから、今ではたとえ国が戦争をする時代でも、国民みんなが悪いことをしていないことになって、政府が自分ひとりだけで悪いことをするわけにはいかなくなって、政府が国民に暴力をふれず国民を支配できない。
今は戦争がない上に『戦争が善いことだ』と考えられているので、ますます政府は国民を支配できない。その上、今では『人間はみな平等だ』と考えられていて、政府と国民が平等なので、政府は国民を支配できない。
今の政府は国民を支配できない。つまり、今の国民は政府に従わなくていい。

[16447] 核ミサイルが世界を変えた。 h25.1.12
核ミサイルを敵国に1発落とせば戦争を終わらせることができる。
核ミサイル1発はそんなに値段が高くはない。
核ミサイルを数発国に備えておけば十分防衛ができる。
そのために、侵略戦争がしにくくなって世界中から戦争がなくなっているのである。
世界中の国が侵略戦争をした国に対して核ミサイルを撃ち込むことにすれば、どんな国でも怖くて侵略戦争ができないだろう。侵略国の国民は「軍事力が強ければ外人を殺して外国の物を奪ってもいい」と思っているガラの悪い連中だから生きる価値のないクズだから皆殺しにしてもいい。
科学が進歩すると、物理的にも戦争ができなくなるのだ。

[16448] 今では政府や暴力団や宗教団体は国民を支配していない。 h25.1.12
昔の人は「戦争が悪いことだ」と思っていた。
昔の日本では戦争をやっていた。だから、みんなが「自分が悪いことをやっている」と思っていた。政府や暴力団や宗教団体は「みんなが悪いことをやっているのだから、自分も悪いことをやってもいい」と思って、国民に暴力をふって国民を支配した。国民を殺したり国民から強盗したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をしたりした。
今の日本では戦争をやっていない。たとえ戦争をやっても、今ではみんなが『戦争は善いことだ』と思っている。だから、今ではみんなが『自分が悪いことをやっていない』と思っている。政府や暴力団や宗教団体は『みんなが悪いことをやっていないから、自分も悪いことをやってはいけない』と思って、国民に暴力をふらなくなって国民を支配しなくなっている。
今では国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして、政府や暴力団や宗教団体を潰[つぶ]せばいい。

[16449] 政治機関は要らない。 h25.1.13
政府は民主主義の政治機関ではない。政府の正体は悪いことをする団体である。
だから、今の日本には政治機関がない。
それでも、日本はうまく行っている。
だから、そもそも政治機関は要らないのである。
個々の民間会社があれば必要十分である。
今の日本には国民みんなを虐[いじ]める会社(政府のこと)があるだけである。
みんなは早く政府を滅ぼして、民間会社だけからなる国にしなければならない。

[16450] 国が戦争をやらないと政府が滅ぶ。 h25.1.13
国が戦争をやるときは、みんなが悪いことをしているから、政府は自分も悪いことをしてもいいと思って、暴力をふって国民を支配した。
反対に、国が戦争をしないときは、みんなが悪いことをしていないから、政府は自分も悪いことができなくなって、国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなって滅ぶ。
今の日本は戦争をしていない。だから、政府は滅ぶ。
今の政府は国民に暴力がふれなくて国民を支配できないから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。

[16451] 政府はヨーロッパ文化をやる団体ではない。 h25.1.13
日本はこれまで世界で一番景気のいい国の文化を受け入れてきた。
古代や近代や現代はヨーロッパの景気がよかったから、ヨーロッパの文化を受け入れた。
中世や近世はインドの景気がよかったから、インドの文化を受け入れた。
政府の本質は悪いことをする団体であって、ヨーロッパ文化をする団体ではない。
幕府の本質は上のことをする団体であって、インド文化をする団体ではない。
もしも、日本がインド文化をやっている頃に、日本が戦争をやらねばならなくなったら、政府が出来ただろう。インド文化でチョンマゲをして刀をさして羽織袴[はおりはかま]を着た政府が出来ただろう。
反対に、もしも日本がヨーロッパ文化をやっている頃に、日本が戦争をしなくてもよくなったら、政府が滅んだだろう。幕府が出来ただろう。ヨーロッパ文化でパーマをかけて洋服を着た幕府が出来ただろう。
政府は当時の文化の中で悪いことをする団体である。暴力団や宗教団体もそうである。
幕府は当時の文化の中で上のことをする団体である。貴族や宗教団体もそうである。
当時の文化が何だろうが、とにかく日本が戦争をやる時代は、悪いことをやってもいいことになって政府が出来た。反対に、日本が戦争をやらない時代には、悪いことをやってはいけなくなって政府が滅んだ。
今の日本がヨーロッパ文化をやっているから、たまたま政府がヨーロッパ文化をやっているのである。政府はヨーロッパ文化の中で悪いことをやっているのである。
日本がヨーロッパ文化をやるかやらないかは、国民みんなで決めることであって、政府が決めることではない。だから、政府は要らない。
今の日本では戦争をやっていないから、とにかく政府は滅ぶのである。今後の日本がアメリカ文化をやろうが中国文化をやろうがインド文化をやろうが、とにかく政府は滅ぶのである。暴力団や宗教団体も滅ぶのである。

[16452] 政府は国の景気をよくする団体ではない。 h25.1.13
昔は「戦争が悪いことだ」と考えられていたので、国が戦争をする時代にはみんなが悪いことをやっていることになっていたので、政府は自分が悪いことをやってもいいと思って国民に暴力をふって国民を支配していた。政府は国民から税金を強盗したり、国民を殺したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をしたりした。
景気のいい国では、政府が国民みんなからたくさんお金を取れるので、それだけ政府がお金持ちになって政府の力が強くなるのである。
けっして政府の力が強いから、政府が上手[じょうず]に国を運営して国の景気がいいのではない。
政府は暴力をふって国民からお金を強盗するだけで、上手に国を運営したりしない。むしろ、政府はわざとに下手糞[へたくそ]な経済政策をやって国の景気を潰[つぶ]して国を貧乏にするのである。
政府は悪いことをする団体である。政府は民主主義の政治機関ではない。政府は国民の役に立つことをしない。だから、国民にとっては政府は要らない。今は戦争のない時代だから、政府は悪いことができないから、政府は国民を支配できない。国民は政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払わないようにして、政府を倒さねばならない。

[16453] 今は『人間が平等』だから悪い者が滅んでいる。 h25.1.13
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。力の強い者が弱い者に何をしてもいいと考えられていた。昔は科学が遅れていたので、人間を動物として扱ってもよかったのである。そのために、昔は世界中で侵略戦争をやっていた。世界中の国が外国からの侵略に備えて戦争の準備しなければならなかった。昔は戦争といえば侵略戦争のことだったので「戦争が悪いことだ」と考えられていたので、国が戦争をする時代には、みんなが悪いことをしていることになって、政府や暴力団や宗教団体が自分も悪いことをやってもいいと思って自分の国の国民を暴力で支配していた。たまに侵略戦争のない時代には、戦争の準備をしなくてもよかったので、みんなが悪いことをしていることにならなくなって、政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で支配できなくなって滅んでいた。
今は『人間が平等だ』と考えられている。力の強い者が弱い者を自由にできなくなっている。科学が発達して、人間を人間として扱わなければならなくなったからである。そのために、今では世界中で侵略戦争がやれなくなった。防衛戦争しかやれなくなった。今では戦争といえば防衛戦争のことなので『戦争が善いことだ』と考えられているので、たとえ国が戦争をすることになっても、みんなが悪いことをしていることにならなくなったので、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをするわけにはいかなくなって、国民を暴力で支配できなくなって滅んでいる。
つまり、昔は「人間が不平等である」ことになっていたから、戦争ばかりやっていて、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやって国民を支配していた。
今では『人間が平等である』ことになったから、戦争がなくなって、政府や暴力団や宗教団体が悪いことがやれなくなって国民を支配できなくなって滅んでいる。
科学の進歩が戦争や悪い者を滅ぼしたのだ。
今の人類は科学で超能力者以上のことがやれるようになっている。テレパシーではテレビやラジオほど多くの人にたくさんの情報を送れないし、念光力では蛍光灯ほど部屋を明るくできないし、念動力ではエンジンほど強い力を出せない。人類の思考力が超能力を上まわっている。人類は超能力よりも思考力の道を選んでよかった。超能力者の超能力は謎だが、超能力者自身も超能力の仕組みがわかっていないから、超能力者と人間は五分五分[ごぶごぶ]である。筋肉の仕組みも最近わかったところだから、超能力の仕組みがわからなくても無理はない。人間の思考力の仕組みはまだわかっていないから、超能力がわからなくてもしかたがない。だから、今では『超能力者と人間が平等である』ことになっている。超能力者が人間の仲間になって、貴族や幕府や宗教団体が滅んでいる。
科学の進歩が上の者を滅ぼしたのだ。
今は『人間が平等』だから悪い者が滅んでいる。今は『超能力者と人間が平等』だから上の者が滅んでいる。
最近の人間は正しいことがわかってきたから、昔の人間とは違うことをやるようになったのだ。今の人間は戦争をしなくなって、上の者や悪い者が国民を支配しなくなったのだ。国民が上の者や悪い者に従わなくなったのだ。
今では『人間が平等』になって侵略戦争や植民地がなくなっている。それと同じように、今では『人間が平等』だから悪い者が国民を支配してはいけない。今の植民地では原住民が白人に従わなくていいように、今では世界中の国で国民が政府や暴力団や宗教団体に従わなくていいのである。今では国民が暴力団に従わなくなっている。暴力団と政府は同じものである。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
人間はただたんに暴力がふれるから暴力をふれるのではない。暴力をふってはいけない理由がないから暴力をふれるのである。暴力をふってはいけない理由があれば暴力をふれないのである。昔は「人間が不平等だ」と考えられて暴力をふってはいけない理由がなかったから暴力をふれた。今では『人間が平等だ』と考えられて暴力をふってはいけない理由があるから暴力をふれないのだ。
昔はアフリカやアジアが馬鹿で『人間が平等である』ことを知らなかったから、白人がアフリカやアジアに行って好き放題にやれた。今ではアフリカやアジアが利口になって『人間が平等である』ことを知っているから、白人がアフリカやアジアに行っても好き放題にやれなくなった。それと同じように、昔は国民が馬鹿で『人間が平等である』ことを知らなかったから、政府や暴力団や宗教団体が国民を好き放題にやれた。今では国民が利口になって『人間が平等である』ことを知っているから、政府や暴力団や宗教団体が国民を好き放題にできなくなったのだ。

[16454] 超能力者と人間は平等である。 h25.1.14
超能力は普通の人間にはない才能である。超能力者は人間よりも上の者だと考えられる。
だから、人間は超能力者を人間よりも上の者として扱わねばならない。超能力者は人間の権利以上の権利を保障されねばならない。
一方、今では科学が進んでいて人間は人間だと考えねばならない。だから、人間には人間の権利が保障されねばならない。たとえ超能力者でも人間は人間として扱わねばならない。人間を動物として扱ってはいけない。
ところが、今の人間にはすでに生物として最高の権利が与えられている。超能力者に人間以上の権利を与えようがない。
だから、超能力者と人間の権利は同じである。
したがって、超能力者と人間は平等である。
したがって、超能力者が人間よりも有利になりたければ、自分の超能力の才能でお金を稼[かせ]ぐしかない。超能力を見世物にして見物料を取って稼ぐしかない。あるいは、民間会社に入って超能力の研究で特許を取って稼ぐしかない。

[16455] 政府は大きい暴力団である。 h25.1.14
昔の人は「人間が不平等だ」とか「超能力者は人間よりも上の者だ」とか思っていたから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者や貴族や幕府や宗教団体などの上の者のヘンテコな団体が出来て支配されていた。
今の人は『人間が平等だ』とか『超能力者は人間と平等だ』と思っているから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者や貴族や幕府や宗教団体などの上の者のヘンテコな団体が滅んで支配されなくなっている。
それでも、今の人は「政府が民主主義の政治機関だ」と思っているから、政府が残って政府に支配されている。
未来の人は『政府は大きい暴力団だ』と思っているから、政府が滅んで支配されなくなっている。
今の人は自分の誤解に取り付かれているから政府に支配されている。今の人は未来の人を見習って自分の誤解を直して政府に従うのをやめねばならない。

[16456] 今後は戦争は起こらない。 h25.1.14
今では科学が進歩して、兵器自体の性能はよくなっている。
しかし、今では『人間が平等だ』と考えられて戦争をする意義がなくなっている。
だから、今後は戦争は起こらないだろう。
昔は「人間が不平等だ」と考えられていて、力の強い者が弱い者を好き放題にして、人間を動物扱いしてもよかったから、白人がアフリカ人やアジア人を動物扱いして儲[もう]けるために戦争をやっていたのである。今の政府が国民から税金を取っているように、白人は植民地の人々から税金を取って儲けていたのである。
しかし、戦後は『人間が平等だ』と考えられるようになって、人間を人間として扱わねばならなくなったから、白人は植民地をやめたのである。白人は自分が儲かるにもかかわらず、きっぱりと植民地をやめたのである。白人はアフリカ人やアジア人の人権を認めて植民地を放棄[ほうき]したのである。
今の白人が植民地の人々から税金を取らなくなったように、今の政府は国民から税金を取るのをやめねばならない。今の国民は政府に税金を払わないようにして、政府が国民から税金を取るのをやめさせねばならない。
日本では昔から『人間が平等だ』と考えられていた。日本は平和な善い国だった。しかし、昔は世界中で戦争をやっていた。白人が日本にも攻めて来た。日本は戦争をしなければならなかった。国が戦争をするためには「人間が不平等だ」と考えねばならなかった。敵が自分を動物扱いして殺すなら、自分も敵を動物扱いして殺さねばならなかったからである。そのために、国が戦争をする時代には「人間が不平等だ」という考えが国中に広がって、人間と動物の区別がなくなって、政府や暴力団や宗教団体が国民を動物扱いして国民に暴力をふって国民の財産を奪っていたのである。
今は『人間が平等だ』と考えられて世界中から戦争がなくなっている。世界中のみんなが他人を人間として扱うようになっている。そのために、今では政府や暴力団や宗教団体が国民を人間扱いしなければならなくなって国民に暴力がふれなくなって国民の財産を奪えなくなっている。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなければいいのである。
植民地も世界大戦も同じ原理で起こっていた。「人間が不平等である」という原理で起こっていた。白人は植民地ではアフリカ人やアジア人を動物扱いして儲けたが、世界大戦では自分の国の政府に動物扱いされて戦争をやらされて殺されかけた。白人は世界大戦に懲[こ]りて「人間が不平等である」という原理を捨てて『人間が平等である』原理に変えた。そのために、世界大戦後は植民地も戦争もなくなったのだ。そのために、世界中の国から政府や暴力団や宗教団体がなくなっているのだ。
今ではまだ世界中の人々が政府に騙[だま]されて「政府が国民に善いことをする民主主義の政治機関だ」と思っているが、本当は『政府は国民に悪いことをする大きい暴力団である。』国民は早く政府の正体を見破って、政府の命令を聞くのをやめて政府を滅ぼさねばならない。日本では昔から戦争のない時代には国民が政府の正体を見破って政府を倒してきたから、もうすぐ政府はなくなるだろう。

悪い者 上の者
人間が不平等である時代
(古代、中世、近代)
政府、暴力団、宗教団体 超能力者、貴族、宗教団体、(財閥)
人間が平等である時代
(中世、近世)
なし 超能力者、幕府、貴族、宗教団体
今(現代) なし なし


[16457] 今はマンガの時代である。 h25.1.14
今の人はマンガばかり読んでいる。
そのために、今の人は頭の中で余計なことばかり考えてまちがったことばかり考えて正しいことがわからなくなっている。
今の人は『今では人間が平等だから、政府は国民を動物扱いできないから、政府は国民を支配できないから、国民は政府に従わなくていい』ことがわからずに、政府に従っているのである。今の人は正しいことがわかっていないから、本当は政府に従わなくていいのに、政府に従っているのである。
今の人は自分の頭の中で妄想してわざわざ自分で自分が政府に従わねばならない理由をでっち上げて政府に従っているのである。
今の人はマンガの読みすぎである。今の人はマンガを読むのをやめねばならない。今の人は自分の頭を冷やして政府についてよく考えて政府について正しく理解して政府に従うのをやめねばならない。

[16458] なぜヨーロッパに政府が残っているか? h25.1.15
ヨーロッパは科学の国である。先進国である。
しかし、ヨーロッパには「人間が不平等である」という考えが強く残っている。
ヨーロッパは長年[ながねん]先進国だったので、自分の進んだ文明を使ってアフリカやアジアを動物扱いして支配してきたので、ヨーロッパは「人間が不平等である」と考える傾向が強いのである。
だから、ヨーロッパでは今でも政府が国民を動物扱いして支配していて、今でも政府が残っているのである。
一方、日本では昔から『人間が平等だ』と考えられている。日本は戦争をする時代だけ「人間が不平等だ」と考えられて、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者がいたのである。戦争のない時代には『人間が平等だ』と考えられて、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者がいなかったのである。
今では世界的に『人間が平等だ』と考えられている。人間を動物扱いしなくなっている。
だから、社会的には日本のほうがヨーロッパよりも先進国である。
だから、日本はわざわざ後進国のヨーロッパを見習って政府を建てなくてもいいのである。今は戦争のない時代だから、さっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16459] どうして科学の国には道徳がないのか? h25.1.15
科学の国は進んだ文明で武器を作って戦争をして文明が遅れている外国を支配した。
科学の国は文明が遅れている外国を動物扱いしたので、科学の国では「人間が不平等だ」と考えられていた。
科学の国では「人間が不平等だ」と考えられていて、人間と動物の区別がなくて人間を動物扱いしてもいいと考えられていたので、政府や暴力団や宗教団体が国民を動物扱いして国民に暴力をふって国民を支配した。政府や暴力団や宗教団体が人殺しをしたり強盗したり意地悪[いじわる]をしたり嘘[うそ]をついたりして国民を苦しめた。
科学の国には道徳がなかった。
反対に、科学のない国は外国を支配できなかった。
科学のない国は外国を動物扱いしなかったので、科学のない国では『人間が平等だ』と考えられていた。
科学のない国では『人間が平等だ』と考えられて、人間を人間として扱わねばならないと考えられていたので、政府や暴力団や宗教団体が出来ず、みんなが平和に仲良く暮らしていた。人殺しや強盗や意地悪や嘘のない善い国だった。
科学のない国には道徳があった。
したがって、科学のある国には道徳がなく、科学のない国には道徳があった。頭が良すぎるのも困りものである。

[16460] 念動力のメカニズム h25.1.16
昔から物質を心で見れば超能力が使えると言われている。
心で見るとは“感覚”の概念を用いて見ることである。
つまり、特定の物質は“感覚波”と作用する。荷電粒子が電磁波と作用するのと同じである。
私は赤ちゃんの頃にガラガラや小さな車のオモチャを動かしたらしい。
ガラガラや小さな車のオモチャはプラスチックや木で出来ていたはずだ。
だから、感覚波はプラスチックや木などの有機物質と作用すると考えられる。
感覚波は脳細胞から放射されるから、脳細胞は有機物質だから、同じ有機物質であるプラスチックや木などと作用しやすいのだろう。
昔はプラスチックがなかったから念動力に気づかなかった。今はプラスチックがあるから念動力に気づきやすい。今後は、超能力者が増えるかもしれない。
念光力も、空気と反応する感覚波によるのだろう。脳細胞から空気中の酸素分子や水素分子を励起[れいき]させる電磁波を出して酸素分子や水素分子から可視光線を出させるのだろう。そのために、超能力者の頭の周[まわ]りが光って見えるのだろう。

[16461] どうして大人は超能力が使えないか? h25.1.16
大人は眼で見える世界に囚[とら]われていて、人間には手や足や口を動かしてできることしかできないと考えているからである。
大人は眼で見える世界しかわからなくなっているから、自分が何かするときには必ず自分の手や足や口を動かさねばならないと考えているから、それ以外のことはやらなくなっているから超能力が使えないのである。
本当は、人間にはいくつか超能力がある。テレパシーや念光力や念動力などがある。予知能力もあるかもしれない。
大人は自分の眼で見たり耳で聞いたりすることしかわからないと思っているから、自分が物を見るときには必ず自分の眼や耳によらねばならないと思っているから、それ以外の感覚器を使わなくなっているから超能力が使えないのである。テレパシーや予知能力がないのである。
赤ん坊は生まれたばかりでまだ五感の世界を知らないから、五感の世界に囚われていないから、大人の知らない超能力が使えるのである。赤ん坊は五感の世界への囚われがないから、大人にはできないことができるのである。[もっとも、いくら赤ん坊でも自分の脳を使って超能力を発揮するのだから、超能力でできることには限りがある。実際には、念光力と念動力とテレパシーぐらいしかできない。昔の人は人間の身体の構造がわからなかったから、赤ん坊は超能力で何でもできると考えていたが、それはまちがいである。]
人間が五感の世界に囚われなければ、もっといろんな才能が使える。人間にはいろんな才能がある。そのことを超能力者が私たちに教えてくれているのである。
五感の世界は実在の世界の一部にすぎない。実在は五感を超えたところにある。人間は知覚を使って実在を知らねばならない。人間は五感の世界に囚われてはいけない。
科学は超能力者から始まったのかもしれない。


[16462] 宗教とは科学をやらないことである。 h25.1.16
科学的に見れば、超能力はただの自然現象にすぎない。
非科学的に見るから、超能力で騒ぎ立てるのである。人間が超能力者に従ったりするのである。
一般に、宗教とは非科学的に不合理的に物を見ることである。だから、宗教では人間が超能力者に従うのである。人間が超能力者に従うことは宗教の一部である。わけがわからないことをすることが宗教の一般的な定義である。だから、宗教団体は上の者にも悪い者にもなれるのである。
つまり、宗教とは科学をやらないことである。科学とは宗教をやらないことである。科学と宗教は対立する。
戦前の日本ではまだ目ぼしい科学の発明品がなかったから、みんなが科学をやらずに宗教をやっていた。だから、みんなは天皇に従っていた。
戦後の日本ではテレビやクーラーが普及したので、みんなが科学をやるようになって宗教をやらなくなった。みんなは天皇や私に従わなくなった。
今ではみんなが“科学の目”で見るから、超能力はただの自然現象であり、超能力者はただの珍しい人にすぎないのだ。
戦後になって科学の時代になったから、超能力者がただの珍しい人間になって上の者がいなくなった。貴族や宗教団体が滅んだ。
戦後になって科学の時代になったから、人間が人間になって、人間を人間として扱わねばならなくなって、人間を動物として扱えなくなって悪いことがやれなくなって悪い者がいなくなった。政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。
今から約8年前に私に衛星放送でわざわざ『ようこそようこ』の再放送を見せたように、今はそろそろ政府が滅ばねばならない時期である。だから、国民は政府を倒せばいいのである。

[16463] ローマ帝国はどうして滅亡したか? h25.1.16
ヨーロッパ帝国は最初の頃は植民地を取って植民地から税金を取って儲[もう]かっていたが、そのうちヨーロッパ政府が出来てヨーロッパ国民に対して乱暴をするようになって国民に戦争をさせて互いに殺し合わせるようになった。ヨーロッパ国民はヨーロッパ政府に戦争をさせられるのが嫌になって『人間が平等である』ことにして政府を倒して植民地も放棄した。
それと同じように、ローマ帝国も最初の頃は植民地を取って植民地から税金を取って儲けていたが、そのうちローマ政府が出来てローマ国民に対して乱暴をするようになって国民に戦争をさせて互いに殺し合わせるようになった。それが暗黒時代である。ローマ国民はローマ政府に戦争をさせられるのが嫌になって『人間が平等である』ことにして政府を倒して植民地も放棄した。
だから、ローマ帝国が滅んだのである。
現代においてヨーロッパ帝国が滅んだのと、中世においてローマ帝国が滅んだのは同じ理屈である。
ローマ帝国滅亡後はしばらく『人間が平等である』時代が続いた。そのために、ヨーロッパでも道徳の時代だった。政府よりも宗教団体の力が強かった。宗教にとっては科学が敵だから、宗教の時代には科学の本を焼き捨てていた。
その後、近代になってヨーロッパ帝国が出来て植民地を取るようになって再び「人間が不平等だ」と考えられるようになって、ヨーロッパ政府が出来てヨーロッパ国民を暴力で支配するようになったのである。植民地を取るためには科学で武器を作らねばならなかったから、植民地の時代は科学の時代だった。科学にとっては宗教が敵だから、科学の時代には宗教の本を焼き捨てていた。
歴史は繰り返す。
幸い、今は『人間が平等である』時代だが、未来は「人間が不平等である」時代になっているかもしれない。このままずっと世界中が『人間が平等』あればいいのだが。恐ろしいのは「人間が不平等である」原理が広がることである。人類みんなの力で『人間が平等である』原理を守りぬかねばならない。国民が政府に戦争をさせられたつらい思い出をいつまでも忘れずにいて、植民地の歴史を繰り返してはいけない。「人間が不平等である」歴史を繰り返してはいけない。
戦争は帝国に対する天罰である。帝国が植民地を取れば、必ず後で戦争でひどい目に合わされることになっている。国民が植民地の人間を動物扱いすると、あとで国民が政府に動物扱いされる。国民は植民地で儲けて、政府で損をしていたのだ。国民が植民地の人間を動物扱いすると、国際的に「人間が不平等である」と考えられるようになって、そのうち自分の国の中でも「人間が不平等である」と考えられるようになって、政府が出来て国民を動物扱いする。国民が植民地の人間を嫌がらせると、あとで国民が政府に嫌がらされる。だから、少しぐらい国の文明が進んでいるからといって、植民地を取ろうとしてはいけない。もともとこの世では『人間が平等である』ことになっている。それが自然界の法律である。それを犯した国は自然によって罰せられるのだ。
日本もヨーロッパと同じように植民地の後で戦争を繰り返している。日本は植民地を取って儲けた後で、政府が出来て国民が政府に戦争させられて嫌がらされている。世界の西と東で同じことをやっている。日本はヨーロッパの猿真似[さるまね]である。日本はヨーロッパを見習って二度と植民地を取ろうとしてはいけない。二度と政府を建てさせてはならない。国民にとって政府は損になるだけである。だから、国民は早く政府を潰[つぶ]さねばならない。今は植民地がなくて、『人間が平等だ』と考えられているから、政府は国民を動物扱いできないから、政府は国民に暴力がふれないから、国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府の命令を無視して、政府に税金をやらないようにして、政府を倒さねばならない。

[16464] 結婚相手の選び方 h25.1.16
自分と気の合うアニメが自分にとっては面白い。人気アニメは面白くない。
それと同じように、自分と気の合う人間が自分にとっては面白い。人気者は面白くない。
いくら見掛けが良くても、自分と気が合わない人間は自分にとって面白くない。
だから、結婚相手は、自分と気の合う者を選べばいい。そうすれば死ぬまで面白く生きられる。見た目や肩書きで選ぶと後で面白くなくて後悔する。
例えば、私の両親はお互いに気が合うからずっと幸せに暮らせたのである。私は結婚相手に恵まれなかったが、これまで私と気の合う相手がいなかったからそれでいい。

[16465] 政府は民主主義をやっていない。 h25.1.16
政府は「人間が不平等である」という原理で出来た団体である。だから、政府は国民を動物扱いして悪いことをするのである。政府は国民に暴力をふって殺したり強盗したり意地悪[いじわる]したり嘘[うそ]をついたりするのである。
今の政府は民主主義をやっているが、民主主義では『人間が平等』だから、政府が民主主義をやるわけがない。政府は悪いことをする団体であって嘘をつくから、国民に嘘をついて民主主義をやっているふりをしているのである。
昔は戦争の時代だったから、人間がお互いに相手を動物扱いして殺したり強盗したりしていたから、世界中で「人間が不平等である」と考えられていたのである。だから、日本が外国と戦争をする時代には、日本でも「人間が不平等である」と考えられて、政府が出来て国民を暴力で支配していたのである。
しかし、今は戦争のない時代だから、人間はお互いに相手を人間扱いしなければならないから、世界中で『人間が平等である』と考えられている。だから、今では政府は国民に暴力をふって国民を支配できない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[16466] 知識が大事である。 h25.1.16
知識はお金が要らない。ただ教えてやればいいだけである。
自分が考えて生きていれば、知識が大事なことがわかる。子供は知識がないから、子供に知識を教えてやらねばならないことがわかる。
知識があれば、上手[うま]く生きていけて幸福になれる。
知識がなければ、上手く生きていけなくて不幸になる。
人生が幸福になるか不幸になるかは、知識があるかないかで決まる。だから、知識が大事だ。
例えば、私が親なら自分の子供に『人間は考えるために生きている。人間は真実を知るために生きているのであって、自分の心を満足するために生きているのではない。』ことや『テレパシー器官を使ってはいけない。特に、相手が自分の気に入らないことをしているときに、自分が怒りながらテレパシーで相手に自分の気持ちを伝えて相手の態度を直させようとしてはいけない。分裂病に罹[かか]る。』ことや『オナニーをしてはいけない。オナニーをすると自分の脳を興奮させやすくなって気が狂う。特に、テレパシー器官を興奮させて分裂病に罹る。』ことや『自分の気持ちが落ち込んだら、自分の勉強や仕事を変えねばならない。鬱病[うつびょう]に罹る。』ことや『政府は悪いことをする団体である。今は戦争のない時代だから、『人間が平等だ』と考えられていて政府が国民に暴力をふれないから、国民は政府に従わずに政府を倒さねばならない。』ことを教えてやる。だから、みんなも教えてやらねばならない。

[16467] どうして昔の人は超能力者に従ったのか? h25.1.17
超能力者は人間にできないことをした。念力で頭の周[まわ]りを光らせたり、軽い物を動かしたりした。
そのために、昔の人は超能力者を「人間を超えた者」だと考えて、超能力者に従った。
しかし、今では超能力者は『五感に囚[とら]われていない者だ』と考えられている。超能力者は五感に囚われていないので、眼や耳などで見えない物を見ることができ、手や足などで動かせない物が動かせるのである。
もっとも、超能力者も自分の脳を使って変わったことがやれるだけだから、やれることが限られている。キリストも神武天皇も同じ頭の周りが光っただけだし、私もモーゼも同じ軽い物を動かせただけだから、超能力者にやれることは限られている。超能力者は大したことはできない。超能力者は安全である。
そのために、今の人は超能力者を『五感に囚われない自由な人』だと考えて、「人間を超えた者」だと考えなくなって、超能力者に従わなくなったのである。中国では古くから超能力者を『五感に囚われない人だ』と考えて、「人間を超えた者だ」と考えなかった。だから、中国では超能力者と人間が平等だったのである。
戦後は人間の物に対する見方が科学的になったために、人間はちょっとのことでは他人に従わなくなった。今では戦争がなくなって『人間がみな平等だ』と考えられているので、お金を出すか正しいことを言わなければ、他人を従わせることはできないのである。今の世の中には上の者も悪い者もいない。みんなは上の者にも悪い者にも従わなくていいのである。
今では科学があるから、人間は五感の世界から実在の世界を知ることができる。だから、今では人間も超能力者の仲間入りである。科学のために人間と超能力者の境目[さかいめ]がなくなって、人間も超能力者も同じになったのである。平等になったのである。今の人は携帯電話で遠くの人と話せるし、電灯で物を照らせるし、リモコンで物を動かせる。今の人のほうがよっぽど超能力者である。超能力者以上の超能力者である。
超能力者は五感の世界に囚われがないぶん、五感の世界に疎[うと]い。人間のほうが五感の世界に詳[くわ]しい。五感の外の世界については超能力者が人間よりも上だが、五感の世界については人間が超能力者よりも上である。だから、全体的に見れれば人間と超能力者は平等である。

[16468] 人間は超能力が使えなくなった超能力者である。 h25.1.17
人間はもともと超能力が使える。大人は五感の世界に囚[とら]われているから自分が超能力が使えないと思っているだけなのである。
人間が赤ん坊の頃は生まれたばかりでまだ五感の世界を知らないので五感の世界に囚われていないので超能力が使えることがある。
人間が大人になると五感の世界を知って五感の世界に囚われるようになるので超能力が使えなくなる。
超能力者が本来の人間であって、人間は超能力が使えなくなった超能力者なのである。
超能力者も五感に囚われるようになれば超能力が使えなくなって人間になる。
反対に、人間も五感に囚われなくなれば超能力が使えるようになって超能力者になる。
もっとも、たとえ人間が超能力が使えるようになったとしても、人間は自分の脳で超能力を使うのだから、人間の超能力でできることはたかが知れている。人間の超能力でできることは、テレパシーを使ったり、頭を光らせたり、近くにある軽い物を動かすことができるだけである。だから、超能力者になっても大して得にはならない。かえって、日常生活に支障をきたすことが多い。赤ん坊の超能力は生理的だから病気ではないが、大人の超能力は病気であることが多い。
だから、人間は超能力者に憧[あこが]れないほうがいい。人間はわざわざ超能力者にならなくてもいい。人間は五感や知覚の世界の中で幸福に生きていけばいいのである。

[16469] 人間と超能力者は平等である。 h25.1.17
人間にはもともと超能力がある。人間に五感があるように超能力もある。人間には五感と超能力の両方がある。
人間は赤ん坊の頃には超能力が使える。赤ん坊は誰でも超能力が使える。ただ、普通の赤ん坊は超能力を使いたくないから使わないだけである。私は赤ちゃんの頃に産褥期[さんじょくき]の障害で身体が不自由だったから、超能力を使いたかったので使っただけのことである。赤ちゃんの頃の私は物を動かして遊びたかったが、手で物を動かせなかったので、念動力で物を動かして遊んだのである。手で物を動かすよりも念動力で物を動かすほうが大変である。だから、普通の赤ん坊は手で物を動かして念動力を使わないのである。キリストや神武天皇が赤ちゃんの頃に頭が光ったのは、部屋が暗くて物が見えなくて明るくしたかったからだろう。
人間が大人になると超能力が使えなくなる。大人は毎日五感ばかり使っているから、五感が発達して超能力が退化しているので、大人は超能力が使えないのである。
だから、人間と超能力者はもともと同じ者である。人間と超能力者を区別しなくていい。だから、人間は超能力者に従わなくていい。逆に、超能力者も人間に従わなくていい。だから、人間と超能力者は平等である。

[16470] 人間はみな超能力者である。 h25.1.17
赤ん坊はもともと超能力が使えるものである。
超能力を使いたい赤ん坊は超能力を使う。超能力を使いたくない赤ん坊は超能力を使わない。
赤ん坊は超能力が使えないと思っているのは赤ん坊をよく知らないからである。
赤ん坊は五感の世界に囚[とら]われていないから、五感の世界に囚われている大人にはできないことができるのである。赤ん坊が超能力を使えるのは当たり前である。
だから、超能力を使える赤ん坊が現れたからといって騒ぐことはない。
人間が超能力を使えないと思っていることがまちがいなのである。人間は誰でも超能力が使えるのである。特に、五感の世界に囚われていない赤ん坊の頃には使えるのである。
だから、わざわざ超能力者を上の者にして身分制をやらなくていいのである。
昔の人は「人間が超能力を使えない」と誤解していたから、超能力者を特別視して身分制をやっていたのである。
今の人は『人間が超能力を使える』と正しく理解しているから、超能力者を特別視して身分制をやらなくてもいいのである。
人間は超能力を使う機会さえ与えられれば誰にでも超能力は使えるのである。人間が五感の世界に囚われなくなって、超能力を使いたい気持ちになれば、誰でも超能力が使えるのである。
人間は誰でも超能力が使える。人間にはみな超能力の才能がある。普通の人は超能力を使いたくないから超能力を使わなかっただけである。超能力者は超能力を使いたかったから超能力を使っただけのことである。超能力者と人間の違いは超能力を使う機会があるかないかの違いにすぎない。超能力を使う機会があるかないかは偶然で決まる。だから、超能力者と人間を区別しなくていいのである。普通の人間にも潜在的に超能力の才能があるが、ただ人生の上で超能力を使う機会に恵まれなかっただけである。超能力者は超能力を使う機会に恵まれただけのことである。超能力者と人間は同じである。だから、人間は超能力者に従わなくていいし、逆に超能力者も人間に従わなくていい。超能力者と人間は平等である。

[16471] 超伝導と超能力 h25.1.17
昔の人は超伝導を知らなかった。1911年にカメルリン・オネスが水銀で超伝導を発見した。その後、すべての物質に超伝導があることがわかった。
それと同じように、昔の人は超能力を知らなかった。キリストや神武天皇や私やモーゼが超能力を使った。その後、すべての人間に超能力があることがわかった。
人間にはみな超能力がある。ただ、超能力を使う機会に恵まれた者はめったにいない。だから、超能力者はめったに現れないのである。
私の超能力を最初に発見したのは私の母である。だから、私の母にノーベル賞が与えられるべきである。
 
[16472] 昔と今では社会の原理が変わった。☆ h25.1.17
昔の植民地の時代には「人間が不平等である」原理が社会に蔓延[まんえん]して、政府や暴力団や宗教団体が国民に暴力をふって国民を支配していた。そんな時代が100年前にあったのだ。
今の植民地のない時代には『人間が平等である』原理が社会に浸透して、政府や暴力団や宗教団体が国民に暴力をふれなくなって国民を支配できない。そのために、政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。
政府や暴力団や宗教団体が景気がいいのは植民地時代だけである。昔は植民地時代だったので「人間が不平等である」という原理があったので、政府や暴力団や宗教団体が「人間が不平等である」という原理に乗っかって活動していた。国民に暴力をふって支配していた。今は植民地時代ではないので、今では『人間が平等である』という原理になって「人間が不平等である」という原理がなくなっているので、政府や暴力団や宗教団体が「人間が不平等である」という原理に乗っかれなくなって活動できなくなって滅んでいる。

[16473] どうして日本は古代と近代に戦争をやったのか?(修正) h25.1.17
古代と近代は世界的に植民地時代だった。ヨーロッパが植民地をやっていた。
だから、日本はヨーロッパを真似[まね]て植民地をやったのである。
植民地時代には世界的に「人間が不平等である」と考えられていたので、日本でも「人間が不平等である」と考えられるようになって、政府が国民を動物扱いして国民に暴力をふって国民を支配した。政府は軍隊を使って朝鮮や中国と戦争をして植民地を取った。日本人は朝鮮人や中国人を動物扱いして税金を取って儲[もう]けた。日本が戦争をやったのは日本がローマやヨーロッパから自分の国を守ためではなく、本当は日本が植民地を取って儲けるためだったのである。日本がローマやヨーロッパから自分の国を守るために戦争をやったのは名目[めいもく]にすぎなかったのである。
しかし、日本が植民地を取る一方で、日本国内では政府や暴力団や宗教団体が同じ国の国民を動物扱いして国民に暴力をふって殺したりお金を取ったり意地悪[いじわる]をしたり嘘[うそ]をついたりするようになったのである。政府は植民地を取るために出来るのだから、植民地のほうが政府よりも先である。政府は最初の頃は国民と平等にしているが、植民地を取ってからだんだん国民を動物扱いして国民に対して偉そうになるのである。
つまり、政府や暴力団や宗教団体は植民地の副産物だったのである。悪い者は快楽の副産物だったのである。「人間が不平等である」原理は国民にとって諸刃の刃[もろはのやいば]だったのだ。結局、国民は植民地から取ったお金を全部政府などに取られて儲けはなかったのである。そもそも日本が植民地を取っても小さかったり短い間だけだったから、日本が植民地で儲かったとはとうてい思えない。実質的には政府が国民を支配するために植民地を取ったにすぎなかったのである。つまり、政府は植民地時代になると自分が国民を支配するために、形の上で植民地を取っただけだったのである。日本は外面[そとづら]のいい国なので、外国にあまりケンカを売りたがらないのである。国民は植民地で儲かると思わされて政府に利用されただけだったのである。政府は植民地を取ることによって、国民に「今は人間が不平等な時代だ」とか「政府は国民を儲けさせてくれるいい団体だ」と思わせようとしたのである。たとえ日本が植民地をやっていないときでも、世界には帝国(植民地を持っている国)があって世界的には植民地時代なので、世界中で「人間が不平等だ」と考えられているので、日本政府は国民を暴力で支配できるのである。植民地時代には政府の景気がいい。だから、『風が吹けば桶屋[おけや]が儲かる』というのである。風とは植民地時代のことであり、桶屋とは桶が白くて丸いから神武天皇の念光力のことつまり政府のことである。
古代はローマがヨーロッパを支配して植民地時代だったから、日本はローマを真似て朝鮮を支配して植民地をやっていた。
中世も長い間ローマがヨーロッパを支配して植民地時代だったから、日本でもローマを真似て植民地をやりたかったが実際にはやらなかった。日本はローマほど実力がなかったので、植民地を取り続けることができなかったのである。もっぱら日本国内で政府や暴力団や宗教団体が国民を暴力で支配するだけだった。
中世末になるとローマ帝国が滅んで植民地時代が終わった。植民地時代が終わると世界的に『人間が平等である』と考えられるようになって、日本でもみんなが『人間が平等である』と考えるようになって、政府や暴力団や宗教団体が国民を動物扱いできなくなって国民を暴力で脅してお金を取れなくなって滅んだ。
近代になるとヨーロッパ帝国が出来て再び植民地時代になった。世界中で「人間が不平等だ」と考えられるようになった。アメリカの黒船は今が植民地時代だということを日本人に教えるために日本にやって来たのである。日本はヨーロッパを真似て再び朝鮮や中国を支配して植民地をやった。それと同時に、国内では政府や暴力団や宗教団体が出来て国民を暴力で支配した。政府は国民を虐[いじ]めるために国民を暴力で脅[おど]して世界大戦をやらせた。
現代になるとヨーロッパ帝国が滅んで植民地時代が終わった。再び世界中で『人間が平等だ』と考えられるようになった。日本でもみんなが『人間が平等だ』と考えるようになって、政府や暴力団や宗教団体が国民を動物扱いできなくなって国民を暴力で脅してお金を取れなくなって滅んでいる。
今は政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる途中である。
政府や暴力団や宗教団体などの悪い者は植民地時代に活動できるだけである。世界中で「人間が不平等である」と考えられている時代に国民を支配できるだけである。反対に、政府や暴力団や宗教団体は植民地時代以外には活動できない。世界中で『人間が平等だ』と考えられている時代には国民を支配できない。
今は植民地時代ではない。今では世界中で『人間が平等だ』と考えられている。だから、今では政府や暴力団や宗教団体は国民を支配できず滅ぶしかないのである。
昔の植民地のない時代には、みんなが『人間は平等だ』と考えて自分から政府に従わなくなって政府が滅んでいた。しかし、今は学校やテレビがあるので、植民地がない時代にも政府が国民に「政府は国民を幸福にする団体だ」と教えているので、国民が政府の嘘[うそ]を真[ま]に受けて政府に従い続けている。しかし、政府は本当は「人間が不平等である」という原理で出来た人間を動物扱いする悪いことをする団体である。『政府は国民を不幸にする団体である。』政府は悪いことをする団体であり、嘘は悪いことだから、政府は国民に嘘を教えているのである。国民は政府の嘘を見破って政府に従うのをやめて、さっさと政府を倒さねばならない。
今の政府には国民を支配できる「根拠」がない。だから、国民は政府に従わなくていい。

[16474] 今は植民地時代ではないから、国民は政府に従わなくていい。☆ h25.1.19
政府は悪いことをする団体である。政府は大きい暴力団である。
植民地時代には、世界中で「人間が不平等だ」と考えられて、人間を動物扱いしてもよくて、悪いことをしてもよくて、政府が国民を暴力で支配していた。政府が暴力を使って国民から税金を取っていた。
反対に、植民地のない時代には、世界中で『人間が平等だ』と考えられて、人間を動物扱いしてはいけなくなって、悪いことをしてはいけなくなって、政府が国民を暴力で支配できない。政府が暴力を使って国民から税金を取れない。
今は植民地のない時代である。テレビや新聞を見ればわかる。だから、今の国民は政府に従わなくていい。政府に税金を払わなくていい。
政府は植民地とともに滅んだ。今の政府はすでに滅んでいる。だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[16475] テレパシーとは何か? h25.1.19
『脳細胞の神経興奮で感覚(感じること)が発生する』とすれば、自分にとっては自分の感覚だけではなく他人の感覚も感じられるはずである。感覚だけからなる世界では自分と他人の区別がなく、自分の感覚と他人の感覚の区別がなく、自分が他人の感覚を感じ、他人も自分の感覚を感じることができるはずである。
だから、自分にとっては他人の感覚も感じられるのである。
それなのに、普通の人間にとっては他人の感覚が感じられないのは、五感に囚[とら]われているからである。
人間の脳が眼や耳と強く結びついているから、自分にとっては自分の眼や耳で見えることしか感じられないのである。
人間が五感に囚われなければ、自分と他人の区別はない。
人間が五感に囚われているから、自分と他人の区別がある。
人間の眼では自分や他人の身体が見えるから、自分と他人の区別がある。
分裂病では自分の脳と眼や耳との結びつきが傷害される。そのために、自分と他人の区別が失われて、自分に他人の感覚が感じられるようになるのである。これがテレパシーの原理である。
自分が眼や耳によらずに物が見えるとか自分の手や足によらずに物を動かせると考えて強く念じると、自分の脳と眼や耳や手や足との結びつきが失われて他人の感覚が感じられるようになる。それが分裂病である。脳と眼や耳との結びつきが分裂しているから分裂病というのである。感覚器と結びつかなくなった五感をテレパシー器官と考えればいい。
人間は赤ん坊の頃には脳と眼や耳との結びつきがない。だから、赤ん坊には他人の感覚が感じられる。分裂病状態にある。もともと人間にはみなテレパシー(他人の感覚を感じる能力)があるのである。大人は眼や耳に囚われているからテレパシーがないだけである。
反対に、人間が年をとると赤ちゃん帰りして再び脳と眼や耳との結びつきが弱くなる。だから、年寄りにも他人の感覚が感じられる。空耳とか地獄耳と呼ばれる。
分裂病ではイライラしながらテレパシーを使おうとしたから、条件反射でイライラ中枢とテレパシーの間に連合が出来てテレパシーが聞こえるたびにイライラして不愉快[ふゆかい]になる。テレパシーを出す相手を殺してやりたくなる。赤ん坊や年寄りでは単純にテレパシーが聞こえるだけだから他人の感覚が感じられても不愉快にならないのである。
人間が「眼や耳によらずに他人の意思を知りたい」とか「手や足や口によらずに他人に自分の意思を伝えたい」と強く思うと、テレパシーで他人の感覚が自分に感じられたり、テレパシーで自分の意思が他人に伝わるようになる(つまり、自分の意思が他人に伝わっていることが自分に感じられるようになる)。
それと同じように、人間が「未来のことを知りたい」と強く思うと、未来の人の感覚が自分に感じられたり、自分の意思を未来の人に伝えられるようになる。これが予言である。ノストラダムスみたいに未来の歴史がわかるかもしれない。ただし、未来の世界には現在の世界にはない発明品があるから、現在の言葉で未来のことを書くのは難しくてうまく書けないかもしれない。
反対に、自分が「過去のことを知りたい」と強く思うと、過去の人の感覚が自分に感じられたり、自分の意思を過去の人に伝えることができる。これが既言[きげん]である。現在の自分が過去の自分に意思を伝えて過去の自分の行動を変えることができるかもしれない。
人間には“感覚”がある。感覚は時空間によらないから、感覚を使えば時空間を超えることができる。実際には、他人は頭の中ではろくなことを考えていない。人間は五感の世界に囚われていたほうが幸福なのだろう。みんながみんな頭の中で正しいことばっかり考えているのならテレパシーがあってもいいが、たいていは頭の中で馬鹿なことばかり考えているからテレパシーがないほうがいいのである。だから、テレパシーを使おうとしてはいけない。やはり自分の脳と自分の感覚器は結びついていなければならない。


[16476] 大人はテレパシーがなくなった人間である。 h25.1.19
人間は赤ん坊の頃にはまだ自分の感覚器(眼や耳)に囚[とら]われていないから、他人の感覚が感じられる。テレパシーがある。自分と他人の区別がない。
人間が大人になると自分の感覚器に囚われるようになるから、自分の眼や耳で見えることだけ自分に感じられるようになって、他人の感覚が感じられなくなる。テレパシーがなくなる。自分の眼では自分の身体や他人の身体が見えるから、自分と他人の区別が出来る。
人間が年寄りになると自分の感覚器が傷んでくるから、再び自分の感覚器に囚われなくなって、他人の感覚が感じられる。空耳や地獄耳がある。自分と他人の区別がなくなる。
大人は自分の感覚器に制限されて生きているから、自分の感覚器でわかることしか感じられない。反対に、赤ん坊や年寄りは自分の感覚器に制限されて生きていないから、他人の感覚や未来人の感覚や過去人の感覚などが感じられるのである。感覚は距離に関係しないから、遠くの星に住んでいる宇宙人の感覚も感じられるかもしれない。


[16477] 神とは何か? h25.1.19
政府がやっている国家宗教の神とは超能力者のことである。
超能力者とは超能力が使える赤ん坊のことである。
赤ん坊は生まれたばかりでまだ五感の世界への囚[とら]われがないから超能力が使えることがあるのである。赤ん坊をよく観察すれば多かれ少なかれ超能力を使っているものである。将来、超能力を感知するセンサーが出来れば、赤ちゃんは誰でも多かれ少なかれ超能力を使っていることがわかるだろう。
反対に、大人は五感の世界への囚われがあるから超能力が使えないのである。
だから、超能力は人間の生理現象であって、特異なことではない。
昔の人は感覚を神と呼んだ。感覚だけからなる生き物を神と呼んだ。神は幽霊みたいなものである。神は幽霊の別名[べつめい]である。しかし、『感覚は脳細胞の神経興奮で発生する』から、感覚だけからなる生き物はない。だから、神はいない。幽霊がいないように神もいないのである。
政府は暴力で国民を脅[おど]して国民に無理やり国家宗教をやらせている。国民を超能力者に従わせている。国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせである。しかし、今は植民地時代ではないので、政府は国民に暴力がふれない。国民は政府に従わなくていい。だから、国民は政府の命令で国家宗教をやらなくていい。
同じように、政府は暴力で国民を脅して国民に無理やり民主主義をやらせている。国民を国民みんなに従わせている。民主主義は政府の国民に対する嫌がらせである。しかし、今は植民地時代ではないので、政府は国民に暴力がふれない。国民は政府に従わなくていい。だから、国民は政府の命令で民主主義をやらなくていい。そもそもこの世には民主主義はない。民主主義は政府のでっち上げである。だから、国民は民主主義をやってはいけない。もともとこの世に国家宗教(超能力者に人間が従わねばならないこと)がないように、民主主義(大勢の人間に人間が従わねばならないこと)もない。だから、国民は国家宗教も民主主義もやってはいけない。人間は実在に従えばいいだけである。人間は真理に従えばいいだけである。人間は知覚主義の生き物である。人間は五感や心や超能力に囚[とら]われてはいけない。人間が五感に囚われていることが神経症であり、心に囚われていることが鬱病[うつびょう]であり、超能力に囚われていることが分裂病である。国家宗教は超能力者に囚われているから分裂病みたいなものである。今は科学の時代であって知覚主義の時代だから、国家宗教をやってはいけない。人間は考えることによって実在がわかる。だから、考えねばならないのである。
政府の正体は悪いことをする団体である。国民に暴力をふって国民を動物扱いする団体である。昔は植民地時代だったので、「人間が不平等だ」と考えられて、人間を動物扱いしてもよくて、悪いことをしてもよかったから、そんな団体が出来たのである。しかし、今は植民地時代ではないから、『人間が平等だ』と考えられていて、人間を動物扱いしてはいけないから、悪いことをしてはいけないから、政府はなくならねばならない。国民は政府に従わず、政府を倒せばいいのである。


[16478] 昔は暴力が公[おおやけ]に通用していた。 h25.1.19
昔は植民地時代だった。「人間が不平等だ」と考えられていた。人間を動物扱いしてもよかった。悪いことをしてもよかった。暴力をふってもよかった。だから、政府は国民に暴力をふって国民を支配した。国民に暴力をふって税金を取った。国民に暴力をふって国民に戦争をやらせた。暴力団や宗教団体も国民に暴力をふって国民を支配した。
昔は植民地時代だったので暴力が公[おおやけ]に通用したから、政府や暴力団や宗教団体が国民に暴力をふって国民を言いなりにしていた。昔の政府や暴力団や宗教団体は自分がやってもいいことをやっていたのだから、国民は文句が言えずおとなしく従うしかなかった。
しかし、今は植民地時代ではない。『人間が平等だ』と考えられている。人間を動物扱いしてはいけない。悪いことをやってはいけない。暴力をふってはいけない。だから、政府は国民に暴力がふれず国民を支配できない。国民から税金を取ったり戦争をさせたりできない。暴力団や宗教団体も国民に暴力がふれず国民を支配できない。
今は植民地時代ではないので暴力が公に通用しないから、政府や暴力団や宗教団体が国民に暴力をふれなくなって国民を言いなりにできなくなった。今の政府や暴力団や宗教団体は自分がやってはいけないことをやっているのだから、国民は文句を言って従わなければいい。政府や暴力団や宗教団体は滅ばねばならない。
もっとも、大阪は古い文化が残っている町である。だから、大阪ではいまだに「人間が不平等」で、人間を動物扱いできて、人間に暴力がふれる。だから、大阪では政府や暴力団や宗教団体が暴力で国民を支配できるのである。大阪は暴力団の溜[た]まり場である。みんなも暴力がふりたくなったら、大阪まで行ってふればいい。

[16479] 人間は実在について考えねばならない。 h25.1.20
相対性原理に気づけば原子爆弾はすぐに出来る。
それと同じように、“何かの原理”に気づけば念動力はすぐに出来る。
念動力自体は大したことではないが、“何かの原理”によって別のすごい発明が出来るかもしれない。人類の運命を変える大発明ができるかもしれない。
私たちは実在の原理を知らないから、本来できることができないのである。
人間は知覚によって実在の原理を知ることができる。人間は実在について自分の頭を働かせて考えていかねばならない。
私は赤ん坊の頃に念動力の原理を知っていた。しかし、残念ながら今の私は憶えていない。念動力の原理を使えば誰でも念動力が使えるようになるだろう。五感の世界に囚[とら]われがなくて、感覚の使い方さえ知っていれば、誰にでも超能力が使えるのである。
『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する。』つまり、感覚と物質は脳細胞において相互作用する。だから、いくつかの物質においては感覚と物質が相互作用しうる。だから、私の感覚によってガラガラや車のオモチャがエネルギーをもらって動くことができたのだろう。神武天皇の場合には、神武天皇の感覚によって電磁場がエネルギーをもらって光ることができたのだろう。
感覚についての理解が進めば、超能力も理解できるようになる。将来は超能力も当たり前のことになるだろう。ライト兄弟が飛行機を飛ばしてから飛行機が急速に進歩したように、神武天皇や私が超能力を使ってから超能力についての研究が急速に進むだろう。飛行機が『力学の原理』を使った超能力であるように、超能力は『感覚の原理』を使った超能力なのだ。ライト兄弟が最初の飛行機を飛ばしたときは飛行機は超能力だったが、今ではみんなが飛行機を見慣れているから飛行機はもはや超能力ではない。それと同じように、神武天皇や私が最初に超能力を使ったときには超能力は超能力だったが、超能力もみんなが見慣れればもはや超能力ではなくなるのだ。昔は「空気よりも重い物は飛ばない」と考えられていたが、ライト兄弟は『力学の原理』を使って空気よりも重い飛行機を飛ばすことに成功した。つまり、作用反作用の法則によって、飛行機の羽が空気を下に押すから逆に飛行機の羽が空気に上に押されて飛行機が空に浮くのである。昔は静力学で考えて動力学で考えていなかったから、飛行機が飛ぶことがわからなかったのである。それと同じように、昔は「人間は念力を使えない」と考えられていたが、神武天皇や私は『感覚の原理』を使って念力を使うことに成功した。『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』と考えれば、人間が念力が使えることがわかる。感覚が物体を押すから物体が動くのである。感覚が電磁場を押すから電磁場が動いて光るのである。空気がエネルギーや運動量を持っているように、感覚もエネルギーや運動量を持っているのである。空気が飛行機を押すから飛行機が飛ぶように、感覚が物体や電磁場を押すから物体や電磁場が動くのである。赤ん坊は感覚だけの世界に生きているから、感覚を自分の手足のように使えるのである。赤ん坊は感覚を使っていろんなことができるのである。昔は『感覚の原理』がなかったから、人間が念力が使えることがわからなかったのである。人間が実在について冷静に考えて実在を知れば不可能も可能になるのだ。

[16480] 今の国民は自分で考えて行動しなければならない。 h25.1.20
政府は大きい暴力団である。政府は国民に暴力をふって国民を支配する団体である。ところが、今は植民地時代ではないから、「人間が不平等である」原理がないから、政府は国民に暴力がふれなくて国民を支配できないから、国民は政府に従わなくていい。
『風が吹けば桶屋[おけや]が儲[もう]かる』が、反対に風が吹かなければ桶屋が儲からないから、今の政府は国民から税金を取れなくて潰[つぶ]れているはずである。
それなのに、今でも政府が残って国民に命令をしている。国民から税金を取っている。
国民が政府に従うから、政府が国民に命令するのである。国民が政府に税金を払うから、政府が国民から税金を取るのである。
今の国民が自分で何も考えていないから、政府に従っているのである。
国民は自分で考えて自分で行動しなければならない。そうしなければ人間ではない。

[16481] 日本は植民地をやってはいけない。 h25.1.20
先進国が植民地を取って先進国の人間が後進国の人間を暴力で支配すれば、「人間が不平等である」原理が出来て、先進国の中に政府が出来て先進国の政府が暴力で先進国の国民を支配する。政府が国民に暴力をふって国民から高い税金を取って国民を貧乏にしたり、国民に戦争をやらせて国民を殺して遊んだりするようになる。先進国の国民は後進国の人間を動物扱いしているので、自分が政府に動物扱いされても文句が言えずおとなしく従うしかない。
将来、再びヨーロッパがアフリカやアジアを植民地にするかもしれない。ヨーロッパ人がアフリカ人やアジア人から税金を取って儲[もう]けるかもしれない。もっとも、植民地時代が長く続くとヨーロッパの政府が強い権力を持って国民から高い税金を取ったり国民に戦争をやらせたりするようになるので、頃合[ころあい]を見計[みはか]らってヨーロッパ人が植民地を放棄して政府を潰[つぶ]せばいい。そうすれば、ヨーロッパでは国民が政府に支配されずに儲けることができる。
だから、将来、再びヨーロッパ帝国が出来る可能性は高い。
しかし、日本では植民地をやらないほうがいい。日本は資源がなくて戦争に弱いので、ろくすっぽ植民地を取れない。日本は植民地で儲けることはできない。日本では国民が政府に支配されて政府に税金を取られたり戦争をやらされたりするだけである。日本では植民地をやっても国民の儲けがない。国民は損をするだけである。だから、今度また植民地時代になっても、日本は植民地をやってはいけない。日本では最初から植民地をやらないようにして、政府が出来ないようにしなければならない。
私が小学4年生の頃、夏休みの朝のラジオ体操のとき、はじめの頃は子供たちだけでテンデンバラバラに集まって好き勝手にラジオ体操をやって楽しかったが、夏休みの途中からおじさんが来るようになってみんなをちゃんと整列させてラジオ体操をやらせるようになってからは全然面白くなくなった。それと同じように、せっかく国民だけで自由に仲良く楽しくやっているところに、政府のような仕切り屋が出て来たら雰囲気がシラケてしまう。だから、絶対に政府が出来ないようにしなければならない。

[16482] 中国政府はどうやって国民を支配したか? h25.1.20
中国には人間である皇帝を上の者とする身分制がある。中国では「皇帝が上の者だ」と考えられている。
今は皇帝は廃止されたが、政府を上の者とする身分制がある。政府がやはり上の者である。
だから、中国では政府が国民を支配しているのである。
中国政府は民主主義ではない。中国政府は国民に嘘[うそ]をついて民主主義のふりをしているだけである。身分制では上の者が下の者に対して嘘[うそ]をついてもいいので、中国政府は国民に対して嘘をついているのである。
中国は今でも厳しい身分制がある国なのである。
一方、日本やヨーロッパでは昔から『人間の間には身分の差はない』とされている。これまでは「超能力者が人間よりも上の者だ」とされていたが、最近は中国と同じように『超能力者と人間の区別はない』と考えて超能力者を上の者とする身分制が廃止されている。日本やヨーロッパでは政府は悪い者であって上の者ではない。しかし、今では植民地時代ではなくなって「人間が不平等」ではないから悪いことをやってはいけないから、政府は悪いことがやれなくなって国民を支配できなくなっている。だから、今の日本やヨーロッパではみんなが平等になっている。

[16483] 超能力も知覚で理解できる。 h25.1.21
脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する。
感覚は自分の身体の周[まわ]りに感覚場を作り出す。電荷が周りに電磁場を作るのと同じことである。
感覚場にはエネルギーや運動量がある。電磁場にエネルギーや運動量があるのと同じである。
感覚場は他の物質や電磁場に作用して物体に運動量を与えて物体を動かしたり、電磁場にエネルギーを与えて光らせたりする。それが、超能力である。電磁場が荷電粒子を動かすのと同じことである。テレパシーは感覚の世界に自他の区別がないことで起こるが、念力は感覚場と他の物質や電磁場との相互作用で起こる。電波を出すアンテナにも指向性があるから、感覚波を出すアンテナ(脳のこと)に指向性があっても不思議[ふしぎ]ではない。特定の方向にエネルギーや運動量を送れるなら、物体や電磁場が動いてもおかしくはない。
“感覚”というものを考えれば、超能力も理解できる。人間が知覚で超能力を考えれば、超能力が理解できる。超能力者を上の者にして超能力について考えないよりも、超能力者を物だと考えて超能力について考えたほうがいい。
超能力は誰にでもある。ただ、普通の人は超能力を使わなかっただけである。
昔の人は五感の世界だけしか知らなかったから、超能力が理解できず超能力者が上の者にされた。今の人は科学があるために知覚の世界で実在がわかるから、超能力が理解できるようになって超能力者が人間と同じ者とされるようになったのだ。

[16484] 人間は自分ができることなら何でもできる。 h25.1.21
人間が「自分の意思を言葉によらずに他人に伝えたい」と強く思えば、テレパシーが使えるようになる。他人が頭の中で考えていることが自分にわかるようになる。人間にとってテレパシーは邪魔[じゃま]である。だから、人間はけっして「自分の意思を言葉によらずに他人に伝えたい」と思ってはいけない。
もともと人間にはテレパシーの能力があるから、人間がテレパシーを使いたいと思えばいつでもすぐにテレパシーが使えるようになるのである。もっとも、テレパシーが使えるようになると自分の悪口ばかり聞こえてきてかえって自分が不愉快[ふゆかい]になるから使えないほうがいいが。
それと同じように、もともと人間には念力が使える能力がある。頭の周[まわ]りを光らせたり、近くにある軽い物をちょっと動かしたりすることができる。人間が念力を使いたいと思えば念力が使えるようになるのである。もっとも、念力を使うよりも、手で電灯のスイッチを入れたり物をつかんで動かしたりするほうがずっと楽だから、わざわざ念力を使う者はめったにいないが。女よりも男のほうが意欲が強いから、超能力者は男に多いのである。
人間は自分ができることならやりたいと思えばやれるようになる。反対に、人間は自分ができないことならいくらやりたいと思ってもやれない。
人間はテレパシーが使える。たとえ自分がテレパシーが使えないと思っていても、実際にはテレパシーが使えるからテレパシーを使おうとすれば使える。ところが人間にとってはテレパシーは邪魔だから、テレパシーが使えないほうが幸福である。たった一度テレパシーを使いたいと思っただけで、その後の人生が台無[だいな]しになるのはもったいない。だから、けっしてテレパシーを使おうとしてはならない。
人間は念力が使える。昔は政府や宗教団体が自分の権力を得るために超能力者を囲[かこ]って超能力者には自由がなかった。今は政府や宗教団体が超能力者を囲っても権力が得られなくなったので、政府や宗教団体が超能力者を囲わなくなったので、超能力者は自由に生きていける。だから、今では人間は自分が念力を使いたければ自由に使えばいいのである。
もっとも、人間が念力を使えるのは赤ちゃんの頃[ころ]だけで、大人になれば超能力が使えなくなる。人間が大人になると自分の脳と自分の感覚器との結びつきができて五感の世界に囚[とら]われて超能力が使えなくなるのである。自分が超能力を使えることを忘れてしまうのである。将来、念力を使える赤ちゃんがテレビに出ても、出演料は親のおこづかいにされるだけで、大人になれば普通の人間と同じようにつまらない仕事をして働かなければならないのだ。

[16485] 人間が死ぬ瞬間はどうなるか? h25.1.21
人間が死ぬときはまず感覚器が働かなくなる。自分の感覚器と自分の脳の結びつきがなくなって感覚だけの世界になる。赤ん坊の世界になる。他人の感覚が自分に感じられるようになる。最後には自分の脳が働かなくなって自分の感覚がなくなって自分がなくなって終わる。
人間が死ぬときは三途[さんず]の川を渡る幻覚を見るというが、三途の川の向こう岸にいるのは今の世界に生きているみんなである。三途の川の渡し船は自分の身体のことである。渡し船に乗っている自分は自分の感覚のことである。これから自分が行こうとしているのは地獄ではなくて、今の世界に生きているみんなの感覚なのである。最後には、三途の川の渡し舟といっしょに自分もなくなって、みんなの感覚だけになる。他人の感覚は他人の物であって自分の物ではない。だから、自分が死ぬと自分がなくなるのである。この世に地獄なんかない。だから、人間は死後の世界を恐れず自分が生きている間に自分が好きなことをすればいいのである。

[16486] 日本人は頭のいい民族である。 h25.1.21
知覚が日本人の取り柄[とりえ]である。日本人は知覚に優[すぐ]れた民族である。日本人は頭のいい民族である。
ヨーロッパ人は五感に優れた民族である。だから、ヨーロッパ人は五感の世界にこだわるのである。
反対に、日本人やインド人は知覚に優れた民族である。だから、日本人やインド人は知覚の世界にこだわるのである。
日本人は知覚の世界にこだわりすぎるとインド人のように物の文化を嫌って物の文化を捨てて生活が不便になるから、あえてヨーロッパ文化を取り入れて五感の世界にこだわるようにして自分の感性の偏[かたよ]りを防いでいるのである。
最近の日本人は五感の世界にこだわりすぎる。知覚の世界に疎[うと]くなっている。そんなことだから、社会科の教科書を眼先で見るだけで丸暗記して政府を民主主義の政治機関だと思って政府に従い続けているのだ。自分で社会科について考えれば、政府が暴力団であり、今は植民地時代ではないから政府が国民に暴力をふれないから国民が政府に従わなくてもいいことがわかるはずだ。
昔のヨーロッパは五感の世界しか知らない弱い国だった。ヨーロッパは近代になってインド文化を取り入れて知覚の世界にこだわるようにして科学を開発して強い国になった。
今の日本は五感の世界しか知らない弱い国になろうとしている。日本人から頭のよさを奪ったら何もない。日本人はもともと五感が苦手な民族だから、いくら五感の世界にこだわってもしかたがない。無駄[むだ]な努力をしているだけだ。今の日本人は自分自身を知っていない。日本人はいつの時代にも考える民族でいなければならないのだ。

[16487] どうして私は分裂病に罹[かか]ったか? h25.1.22
私は高校1年生の4月に隣の席に座っていた尾立[おりゅう]君が英語の授業中に教科書をパラパラめくりするのを見て腹を立てて尾立君がパラパラめくりするのをやめさせようとして頭の中で必死に尾立君に訴[うった]えたら、その日の夜中に近所の家から悪口が聞こえてきて分裂病に罹[かか]ってしまった。それ以来ずっとテレパシーが聞こえながら暮らしている。
そもそも私が尾立君に頭の中で必死に訴えたのは、私が小学4年生の頃に母から「私が子供の頃、小学校の水泳大会の選手に選ばれたことがあったけど、自分が泳げなくて心の中で必死に先生に選手を変えてくれるように訴えたら、次の日に自分が先生に何も言わないのに先生が他[ほか]の人に変えてくれた」という話を聞いたことがあったからである。私は母の話を憶えていて、知らずにそれを真似[まね]て尾立君に訴えて分裂病に罹ってしまったのである。もっとも、私の場合には、私が必死に頭の中で尾立君に訴えても、尾立君は私の訴えを聞いてパラパラめくりをやめてはくれなかったが。私の母が私に余計な話をしなければ、もしかしたら私は分裂病に罹らずにすんでいたかもしれない。私の人生が順調にうまく行って出世していたかもしれない。
人間には誰でもテレパシーを使える能力がある。だから、テレパシーを使おうとすればテレパシーが使えるようになる。他人が頭の中で考えていることが自分に感じられて、逆に自分が考えていることが他人に伝わるようになる。ただし、一度テレパシーを使うと、死ぬまでテレパシーが聞こえ続ける。死ぬまで自分の悪口が聞こえ続けてずっと不愉快[ふゆかい]なままになる。だから、昔からテレパシーを地獄耳というのである。
人間はテレパシーが使えるが、テレパシーが使えるようになると近所の家から自分の悪口が聞こえてきて不愉快になるから、絶対にテレパシーを使ってはいけない。他人面[ひとづら]がいいだけで頭の中ではいつも他人の悪口ばかり考えている大人がいっぱいいるからテレパシーが聞こえないほうがいいのである。人間は自分にできることを何でもやればいいわけではない。やってもいいこととやってはいけないことがある。それをちゃんと区別して自分にやってもいいことだけをやるようにしなければならない。

[16488] 世界はひとつである。 h25.1.22
昔の植民地時代には、先進国の人間が後進国の人間を動物扱いしていたので、世界中で「人間を動物扱いしてもいい」と考えられていた。そのために、世界中の国で政府が国民を動物扱いして国民を殺したり国民からお金を取ったり国民に意地悪[いじわる]をしたり国民に嘘[うそ]をついたりしていた。国民にとっては恐怖の時代だった。
昔の植民地時代には、たとえ日本が植民地を取らなかったとしても、世界中で「人間を動物扱いしてもいい」と考えられていたので、日本政府は国民を動物扱いして支配できたのである。日本政府は形の上で軍隊を使って植民地を取っただけで、実際には取っていなかったのである。日本政府にとっては「人間を動物扱いしてもいい」原理さえあればよく、植民地を取ることはどうでもよかったのである。日本国民にとっては日本政府に支配されることは嫌なだけだったが、日本人みんなで「日本がヨーロッパに従う」と決めている以上しかたのないことだったのである。[しかし、本当は、ヨーロッパの国民にとっては植民地の儲[もう]けのほうが政府の損よりも多かったからヨーロッパでは「人間を動物扱いしてもいい」原理を受け入れて植民地や政府をやっていたのであって、日本の国民にとっては植民地の儲けがなくて政府の損があるだけだから日本では「人間を動物扱いしてもいい」原理を受け入れずに植民地や政府をやらなければよかったのである。すんでしまったことはしかたがないが、今度からは国民の得にならない場合には『日本はヨーロッパに従わない』ことにすればいい。国民が得になる場合にだけ「日本がヨーロッパに従う」ことにすればいい。]
反対に、今の植民地のない時代には、先進国の人間が後進国の人間を動物扱いしなくなったので、世界中で『人間を動物扱いしてはいけない』と考えられている。そのために、世界中の国で政府が国民を動物扱いできなくなって国民を殺したり国民からお金を取ったり国民に意地悪をしたり国民に嘘をついたりできなくなっている。国民にとっては安心の時代である。
世界はひとつである。世界はひとつの国である。国境はあってなきものである。だから、世界の一箇所で「人間を動物扱いしてもいい」ことになると世界中で「人間を動物扱いしてもいい」ことになるのだ。今は世界のどこでも「人間を動物扱いしてもいい」ことになっていないので世界中で『人間を動物扱いしてはいけない』ことになっているのだ。
世界中のほとんどの国がヨーロッパの子分なので、ヨーロッパで「人間を動物扱いしてもいい」ことになると世界中のほとんどの国で「人間を動物扱いしてもいい」ことになるのだ。反対に、ヨーロッパで『人間を動物扱いしてはいけない』ことになると世界中のほとんどの国で『人間を動物扱いしてはいけない』ことになるのだ。今の日本では『人間を動物扱いしてはいけない』から、政府が国民を支配できなくなって政府が倒れているのだ。今では世界中のほとんどの国が政府のない国になろうとしているのだ。大きい暴力団のない国になろうとしているのだ。国中のみんなが平等な国になろうとしているのだ。

[16489] どうしてヨーロッパは植民地をやめたのか? h25.1.22
ヨーロッパの政府がヨーロッパの国民に戦争をさせて互いに殺し合わせて遊ぶようになったからである。
ヨーロッパの国民はもうこれ以上政府に好き勝手なことをされるのが嫌になって、政府を潰[つぶ]すためにそれまでせっかく儲かっていた植民地を放棄したのである。
政府は国の病気である。政府は国民が植民地を取って植民地の人間を好き放題にしたために「人間を動物扱いしてもいい」原理が出来たために出来た団体だから、国民が植民地を放棄すれば「人間を動物扱いしてもいい」原理がなくなって政府もなくなるのである。
ヨーロッパの国民が植民地を放棄したから植民地が独立したのである。植民地における独立戦争なんかどうでもいいことである。
政府は大きい暴力団である。ヨーロッパにおいても政府は大きい暴力団である。政府は国民を動物扱いして国民に暴力をふって国民を支配する団体である。政府は国民を殺したり国民からお金を取ったり国民に意地悪[いじわる]をしたり国民に嘘[うそ]をついたりする。政府は自分の国を植民地にする団体である。国民にとって政府は嫌な団体である。
今のヨーロッパでは国民が植民地を放棄して政府を潰[つぶ]している。
日本においても政府は大きい暴力団である。日本でも政府が国民を動物扱いして国民に暴力をふって国民を支配している。日本においても国民にとって政府は嫌な団体である。
今の世界には「人間を動物扱いしてもいい」原理はない。だから、日本でも国民が政府に従うのをやめて政府を潰せばいいのである。
ヨーロッパ人は『自分のために世界がある』と考えている。ヨーロッパ人は自分が得になるためなら何でもする。だから、これまでヨーロッパ人は植民地を取ったり政府を潰したりしたのである。だから、日本人もヨーロッパ人を見習って自分が得になることをすればいいのである。政府を潰せばいいのである。
ヨーロッパの運命はヨーロッパの国民が決めることであって、ヨーロッパの政府が決めることではない。だから、現代のヨーロッパでは国民が植民地を放棄して政府を潰したのである。それと同じように、日本の運命は日本の国民が決めることであって、日本の政府が決めることではない。現代のヨーロッパで国民が植民地を放棄して政府を潰したように、日本でも国民が植民地を放棄して政府を潰せばいいのである。

[16490] 感覚学は始まったばかりである。 h25.1.22
脳細胞が神経興奮すると感覚を発生する。
感覚は自分の周[まわ]りに感覚場を形成する。感覚が動くと感覚波を出す。
電波が当たると電子が動くように、感覚波が当たると物体や電磁場が動く。物体が回ったり電磁場が光ったりする。
今の人類が感覚や感覚場をまだよく知らないから、超能力が理解できないのである。昔の人類が電気を知らなかったために、電気現象が理解できなかったのと同じことである。超能力は感覚現象である。
感覚についての研究はまだこれからである。人類にとって未知の分野が残されている。今の物理学はまだ不完全である。念力は第5の力である。あせって統一理論を作らなくてもいい。

[16491] 人間は超能力者に従わなくていい。 h25.1.22
超能力者は感覚波を操[あやつ]ることのできる人である。
超能力者は赤ん坊の頃に超能力が使えた。赤ん坊はまだ大人のように五感の世界に囚[とら]われていないので、感覚や感覚波に詳[くわ]しいので感覚波が自由に使えるのである。
超能力者は珍しい人間である。変わった特技のある人間である。
しかし、超能力者はけっして神ではない。造物主ではない。宇宙を作った者ではない。
人間が従うべき者は自分に暴力をふる暴力団か正しいことを言う学者だけである。
超能力者は暴力団でも学者でもない。
だから、人間は超能力者に従わなくてもいい。
すでに今の世の中は人間が超能力者に従わなくなっている。貴族や宗教団体が滅んでなくなっている。
今では超能力者は人間だと考えられている。人間は赤ん坊の頃には誰でも超能力が使える。超能力者は赤ん坊の頃に超能力を使いたかったから超能力を使っただけである。普通の人間は赤ん坊の頃に超能力を使いたくなかったから超能力を使わなかっただけである。超能力者と人間は同じである。昔の人がまちがって超能力者と人間を区別していただけである。だからこそ、政府や貴族や宗教団体が昔の人のまちがいを利用して、昔の人からお金を取ったり昔の人を虐[いじ]めたりしたのである。政府や貴族や宗教団体は超能力者と人間が同じであることを知っていたが、みんなには内緒[ないしょ]にしていた。政府や貴族や宗教団体は、昔の人を馬鹿にして儲[もう]けていたのである。だから、今の人は超能力者を人間だと考えて、超能力者と人間を区別しないようにして、政府や貴族や宗教団体に利用されてはいけない。
それと同じように、今の政府は今の国民が『今は植民地時代ではないから、政府は国民を支配できない』ことを知らないことを利用して、今の国民が「政府が民主主義の政治機関だ」と誤解していることを利用して、国民を支配している。政府は今の国民を馬鹿にして儲けている。だから、今の国民は自分で『今は植民地時代ではないから、政府は国民を支配できない』と考えて、政府に従わないようにして、政府に利用されてはいけない。

[16492] 政府は国民の誤解に便乗[びんじょう]して儲[もう]ける団体である。 h25.1.22
昔の国民は「超能力者が人間とは違うから、人間は超能力者に従わねばならない」と誤解していた。一方、政府は『超能力者が人間と同じだから、人間は超能力者に従わなくていい』ことを知っていた。だからこそ、昔の政府は昔の国民を馬鹿にして昔の国民を騙[だま]して儲けていた。
それと同じように、今の国民は「政府が民主主義の政治機関だから、国民は政府に従わねばならない」と誤解している。一方、政府は『政府が暴力団であり、今は植民地時代ではないから政府は国民を支配できない』ことを知っている。あるいは、今の国民は「政府は国民を儲けさせてくれる団体だから、国民は政府に従わねばならない」と誤解している。一方、政府は『政府は国民に損をさせるだけの団体だから、国民は政府に従わなくてもいい』ことを知っている。だからこそ、今の政府は今の国民を馬鹿にして今の国民を騙して儲けている。
政府は国民の誤解に便乗して儲ける団体である。国民が馬鹿だから政府が儲かるのである。だから、反対に、国民が利口なら政府は儲からない。
今の国民はちゃんと『政府が暴力団であり、今は植民地時代ではないから政府は国民を支配できない』ことを知って、『政府は国民に損をさせるだけの団体だから、国民は政府に従わなくてもいい』ことを知って、政府に従わないようにして、政府を倒さなければならない。中世の国民も政府を倒せたから、現代の国民も政府を倒さねばならない。超能力者が超能力を使えるように、人間は自分ができることなら何でもできる。昔の国民が政府を倒せたなら、今の国民も政府を倒せる。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。

[16493] どうして自分にとっては他人の感覚が感じられないのか? h25.1.23
『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことによって、自分の感覚は自分の脳細胞が荷っていて、他人の感覚は他人の脳細胞が荷っている。感覚にとっては自分がある特定の場所にあるというだけで、自分の脳の中にあるか他人の脳の中にあるかはわからない。だから、自分が何も考えなければ、自分と他人の境界がないから、自分や他人の感覚が自分に感じられることになる。それなのに、自分にとっては自分の感覚しか感じられないのは、自分が頭で考えて“自分と他人の境界線”を引いているからである。自分は自分の脳だけが自分のものだと考えていて、他人の脳を自分のものだと考えていない。自分は他人が考えることは他人の勝手だと考えて、自分の考えだけが自分にとって自由だと考えている。自分にとっては自分の考えだけが大事であって、他人の考えはどうでもいいとしている。そのために、自分にとっては自分の考えだけが意識化されて、他人の考えが無意識化されて、自分には自分の感覚だけが感じられて、他人の感覚が感じられないのである。反対に、自分が自分と他人の境界を広げて行って、他人の脳を自分のものだと考えれば、他人の感覚も自分に感じられるようになる。自分が他人の脳も自分のものだと考えて、自分が他人の脳を自由にできると考えれば、自分には他人の感覚も感じられるようになる。それがテレパシーである。つまり、テレパシーとは自分の頭で自分と他人の境界線を引かないことによって自分に他人の感覚が感じられることである。しかし、たとえ自分が他人の考えを自由にできると考えても、実際には自分にとっては他人の考えは全然自由にならない。だから、自分が他人の考えを知ってもしかたがない。だから、自分は他人の考えを知らないほうがいい。テレパシーはないほうがいい。
人間は自他の境界の取り方によってテレパシーを消したり点[つ]けたりできるのである。人間にとってはテレパシーがないほうが幸福だから、自分は自分と他人の縄張りをちゃんとわきまえて、自他の境界を広げてはいけない。自分が他人の態度を変えたければ、自分が他人に言葉や身体で訴えるしかない。それができなければ自分は他人の態度を変えるのをあきらめて我慢[がまん]するしかない。思春期にオナニーをすると感情的になって冷静さを失って自分の節度をわきまえなくなって、自分で自分と他人の境界線を破ってテレパシーが聞こえるようになって精神分裂病に罹[かか]るので、オナニーをやってはいけない。
人間は自分の脳と自分の感覚器をつなげるだけでは自他の区別は不十分である。自分の頭で考えて自分と他人の境界線を引くことによって自他の区別が完成して自分には他人の感覚が感じられなくなるのである。
人間はもともとテレパシーがある。それをいろんな工夫[くふう]をすることによってテレパシーが聞こえないようにしているのである。それと同じように、人間はもともと念光力や念動力などの超能力がある。それをいろんな工夫をすることによって自分が超能力を使えないようにしているのである。テレパシーも超能力も人間にとっては煩[わずら]わしいので、自分でいろんな工夫をしてテレパシーや超能力が使えないようにしているのである。人間は自分で努力して自分の超能力を使わないようにしてきたのだから、人間のほうが超能力者よりも上である。
人間の超能力では大したことはできない。感覚波でできることしかできない。人間の超能力では札束の山を出すことはできない。だから、人間は超能力が使えるようになるよりも、まじめに働いてお金を稼[かせ]げるようにならねばならない。

[16494] 政府の国家宗教による意地悪[いじわる]の例 h25.1.23
食品の防腐剤に塩を用いるのをやめてビタミンCを用いているのは、塩が白くて光るから神武天皇の念光力のことで、ビタミンCのCがC←シー←シイ←川ブ(シ≒川、イ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。政府が国家宗教の神を神武天皇から私に変えたから、防腐剤を塩からビタミンCに変えたのである。そのために、食品が食えたものではない不味[まず]い味に変わったのである。オリンピックのウルトラCのCも私のことである。冬季オリンピックのハイジャンプのK点越えのKはK←ケイ←カブ(ケ≒カ、イ≒ブ)←川ブ←私で、点は点←天←天皇のことである。
日本人の主食が米食からパン食に変わったのは、米が米←白くて光る←神武天皇の念光力←神武天皇で、パン←パん←川ブ(パ≒川、ん≒ム≒ブ)←私だからである。政府は国家宗教の神を神武天皇から私に変えることによって、日本人の主食を米食からパン食に変えたのである。
医者よりも歯医者が儲[もう]かるのは、医者←医師←イシ←シイ←川ブ(シ≒川、イ≒ブ)←私で、歯医者←歯←歯は白く光る←神武天皇の念光力←神武天皇だからである。政府は私が貧乏人で私よりも天皇のほうが収入が多いことによって、医者よりも歯医者が儲かるようにしているのである。
原子力発電をやめて水力発電に移行しているのは、原子力←原子核←丸い玉←神武天皇の念光力←神武天皇で、水力←水←ミズ←川ブ(ミ≒川、ズ≒ブ)←私だからである。政府は国家宗教の神が神武天皇から私に変わったことによって原子力発電から水力発電に変えているのである。
政府は国家宗教でいろんな余計な政策をやって日本を不経済にして国民を貧乏暮らしにしている。
国民は早く政府を倒して、日本を豊かな国にしなければならない。国民みんながお金持ちである国にしないといけない。ヨーロッパは植民地を取っていたからお金をたくさん持っているから政府が多少お金を無駄[むだ]使いしてもいいが、日本は植民地を取ったことがないからお金を持っていないから倹[つま]しくしないといけない。国民は早く政府を倒して、これ以上政府にお金の無駄使いをさせてはいけない。今は植民地時代ではないから国民は政府に従わなくていいから、国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。

[16495] 政府は植民地時代とともに滅んだ。 h25.1.23
政府は悪いことをする団体である。政府は国民を殺したり国民から税金を強盗したり国民に意地悪[いじわる]をしたり国民に嘘[うそ]をついたりしている。政府はもともと悪いことをする団体だから、悪いことをするのである。
政府が悪いことができたのは、昔の植民地時代にはみんなが「人間を動物扱いしてもいい」と思っていたからである。
しかし、今は植民地時代ではない。今では誰も「人間を動物扱いしてもいい」と思っていない。
だから、今の政府は本当は悪いことができない。悪いことをしてはいけない。
したがって、今の国民は政府を恐れずに政府に従わなければいい。
もともと政府は植民地の副産物として出来た団体である。国民みんなは「人間を動物扱いしてもいい」という考えで植民地を取って植民地の人間を動物扱いしたので、政府も「人間を動物扱いしてもいい」という考えで同じ国の国民を動物扱いしたのである。ヨーロッパはたくさん植民地を取っていたから政府が出来たのである。日本は植民地をほとんど取っていないから政府が出来なくてもよかったのである。ヨーロッパでは国民が植民地で儲[もう]かっていたから、国民が政府を大目に見ていたのである。日本では国民が植民地で儲かっていなかったから、国民が政府を大目に見なくてよかったのである。だから、国民は政府がないものと思って政府を無視して政府に従わなければいいのである。

[16496] 国民の考えひとつで国が決まる。☆ h25.1.23
戦前はヨーロッパや日本では国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えて植民地を取っていた。しかし、そのために自分の国を植民地にする政府という国民にとっては嫌な団体が出来た。
戦後はヨーロッパや日本では国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』と考えて植民地を放棄した。そのために、今のヨーロッパや日本では「人間を動物扱いしてもいい」原理がなくなって、政府が国民を動物扱いできなくなって政府が国民からお金を強盗できなくなって滅んでいる。
今の日本には「人間を動物扱いしてもいい」原理がないから、国民は政府に従わなくていいのである。今の国民はチンプンカンプンなことをやっているから政府に従っているのである。
国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えれば、植民地や政府が出来る。
反対に、国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』と考えれば、植民地や政府がなくなる。
国民の考えひとつで国が決まる。国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えても、政府が植民地の儲[もう]けを全部台無[だいな]しにしてしまうので国民は儲からない。ル・シャトリエの原理のように政府が国民の儲けを打ち消してしまう。だから、国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えることをやめればいいのである。国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』と考えればいいのである。国民みんなは植民地といっしょに政府を潰[つぶ]して、国民みんなが外人と対等にやって地道[じみち]に儲ければいいのである。
人間を動物扱いしてもいいかいけないかは国民みんなが決めることであって政府が決めることではない。そもそも政府は国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えたことによって出来た団体である。だから、反対に国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』と考えれば政府はなくならねばならない。今は国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』と考えているから政府はなくならねばならない。国民みんなが政府に従わないようにして、政府を潰せばいい。
今の世界には植民地はないが、政府が残っている。国民は政府を潰さねばならない。国民は政府に今が『人間を動物扱いしてはいけない』世の中であることを教えてやらねばならない。自分が他人に意思を伝えるには言葉や身体によるしかない。国民がいくら政府に「国民を支配するのをやめてくれ」と言っても、政府は国民を支配するのをやめない。国民が政府に従わなくなれば、政府は国民を支配できなくなる。だから、国民は自分の身体を動かして政府に従うのをやめればいいのである。

[16497] 超能力が使える条件 h25.1.24
人間には誰でも超能力がある。特に赤ん坊の頃はまだ五感の世界に囚[とら]われていないので超能力が出やすい。
赤ん坊はいくつかの条件がそろえば超能力を使う。
1.赤ん坊が五感の世界に囚[とら]われない性格であること…親が五感の世界に囚われない性格だと子供も五感の世界に囚われない性格であることが多い。
2.赤ん坊の周[まわ]りに暗い部屋や念力で動かせる軽い物があること
3.赤ん坊が周りを光らせたいとか物を動かしたいという強い意欲があること
4.赤ん坊が自分で明るい所に行けなかったり自分の手で物を動かせないこと…赤ん坊に身体の障害があることが多い。
せっかく赤ん坊が超能力を出してもそれを見た人がいなければわからないから、赤ん坊を見ている人間がいることも忘れてはいけない。
赤ん坊に黄疸[おうたん]や青あざ(蒙古斑[もうこはん])があるように、赤ん坊には超能力があるものである。赤ん坊の超能力は生理的なものであり、大人になると自然になくなるから親は心配しなくてもいい。親は赤ん坊を放って置いてもいい。

[16498] 政府と幕府 h25.1.24
政府は国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えていることに乗っかって、国民を虐[いじ]めている。
幕府は国民みんなが「超能力者が人間よりも上の者である」と考えていることに乗っかって、国民を虐めている。
政府と幕府はやっていることは同じだが、乗っかっている原理が違う。
政府も幕府も政治団体である。政治団体とは国民を支配する団体のことである。これまで政治団体は国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」とか「超能力者は人間よりも上の者である」と考えていることに乗っかって国民を支配してきたのである。ところが、今では国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』とか『超能力者は人間と同じである』と考えている。だから、今では政府も幕府も乗っかる原理がなくなって潰[つぶ]れているのだ。

[16499] 国民は政府に税金を払う必要はない。 h25.1.24
税金は政府が国民を動物扱いして国民から無理やりお金を取ることである。
昔は国民みんなが「人間を動物扱いしてもいい」と考えていたから、政府は国民から税金を取れた。
しかし、今は国民みんなが『人間を動物扱いしてはいけない』と考えているから、政府は国民から税金を取れない。
たとえ今の政府のいくつかの機関が国民にとって必要だとしても、国民が政府に税金を払う必要はない。そういう機関は国民と契約して国民からお金をもらわねばならない。例えば、たとえ福祉機関であっても国民から強制的にお金を取ってはいけない。国民と契約してお金をもらわねばならない。実際には、政府は福祉を口実にして国民からお金を取っているだけで福祉にはお金を使っていない。政府は悪いことをする団体だから、嘘[うそ]は悪いことだから、政府は福祉をやると国民に嘘をついて国民からお金を取っているだけである。
政府は「人間を動物扱いしてもいい」原理によって出来た「国民を動物扱いする団体」だから、今の国民みんなにとっては政府はなくならねばならない。今の国民みんなは『人間を動物扱いしてはいけない』と考えているから、国民を動物扱いする政府はなくならねばならない。国民みんなは政府とは別に『国民を人間扱いする団体』を建てねばならない。

[16500] 自分は他人の感覚を感じない。(修正) h25.1.25
『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する。』
興奮した脳細胞がある場所にしか感覚はない。
だから、自分は自分の脳で発生した感覚しか感じない。他人は他人の脳で発生した感覚しか感じない。
ただし、言葉で自分の意思を他人に伝えるように、テレパシーで自分の意思を他人に伝えることができる。つまり、自分の声帯で空気を振動させて他人の鼓膜を振動させて他人に意思を伝えられるように、自分のテレパシー器官で感覚場を振動させて他人のテレパシー器官を振動させて他人に意思を伝えられる。
赤ん坊はまだ生まれたばかりで五感の世界に囚[とら]われがないから、テレパシー器官が働いてテレパシーが聞こえている。ただ、赤ん坊にはまだ言葉の意味がわからないから、赤ん坊はテレパシーを無視している。
反対に、大人は五感の世界に囚われているから、テレパシー器官を使わないからテレパシーが聞こえない。
大人がテレパシーを使うと分裂病になる。人間はもともとテレパシーが使えるから、大人がテレパシー器官を使おうとすると、本当にテレパシーが使えるようになる。自分が他人にテレパシーで自分の意思を伝えようとすると、自分のテレパシー器官が働くようになって、自分が考えていることが他人に伝わるようになる。逆に他人がテレパシーで言っていることが自分に聞こえるようになって、他人がテレパシーで自分の悪口を言っているのが聞こえるようになって自分が不愉快[ふゆかい]になって分裂病になる。
だから、大人は絶対にテレパシーを使おうとしてはいけない。大人は自分の意思を他人に伝えたければ、必ず言葉か身体によるようにしなければならない。言葉や身体で自分の意思が伝えられない場合には、自分の意思を他人に伝えるのをあきらめねばならない。
したがって、私の哲学日記の[16475]と[16476]はなかったことにする。[16493]もなかったことにする。
[16485]については、人間が死ぬ瞬間には自分の脳と自分の感覚器との結びつきが弱まって、人によっては再び赤ん坊のときのようにテレパシー器官が働くようになって、テレパシーで他人の意思が感じられるようになるということだろう。


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