[16301] 多数決の原理はまちがいである。 h24.12.21
昔から人間は正しいことに従ってきた。人間は正しいことに従えばいいだけである。
ただ、昔は「人間が不平等である」ことや「道徳をなくす」ことが正しいと考えられていた。昔はいくつかのまちがいが正しいと信じられていた。そのために、社会がおかしくなっていたのである。
多数決は嘘[うそ]である。この世には多数決で決めることなんかない。多数決で決めると自由が減る。多数決で決めるとまちがいが決まる。多数決は作り事である。多数決はまちがいである。政府は道徳をなくす会社だから、政府は嘘をつくから、政府の立法機関は多数決をやっているのである。本当は、法律は多数決で決めるのではなく、正しいことで決めるのである。多数決はまちがいだから、多数決をやってはいけない。多数決はみんなが正しいことがわからず、どうしても決めねばならないことがある場合にだけ、やむを得ず使うようにしなければならない。通常は正しいことで考えて、非常の場合にだけ多数決を使えばいいのである。
人間は昔から正しいことに従っていただけである。だから、人間は自分の頭で正しいことをよく考えて、自分が正しいと考えることを実行すればいいのである。たとえ自分が周[まわ]りのみんなに反していても、自分が正しいと考えることをやればいいのである。
[16302] 文学とは何か? h24.12.21
正しいことがわからない馬鹿が書く作文のことである。
馬鹿は頭で考えて正しいことがわからないから、心で作り話ばかりするのである。
馬鹿はすぐに見栄[みえ]を張るから頭が働かないのである。
馬鹿には生まれたくないものだ。
文学を読むと馬鹿がうつる。だから、人間は文学を読んではいけない。
[16303] どうして昔は奴隷制があったか? h24.12.21
昔は自分の物と他人の物の区別がなかったからである。昔は「自分の物と他人の物の区別がない」ことが正しいと考えられていたからである。
そのため、昔はみんなが「他人の身体が自分のものだ」と考えていたから、奴隷制があったのである。
しかし、文明が進歩してそのうち『自分の物と他人の物の区別がある』ことが正しいと考えられるようになった。
みんなが『他人の身体は自分の物ではない』と考えるようになったから、奴隷制がなくなったのである。
文明が進むと人間はだんだん正しいことがわかってくる。誤解がなくなってくる。だから、まちがった制度がなくなるのである。
今の人類はまだ発展途上だから、社会にはいくつかまちがった制度がある。例えば、今でも「人間が不平等である」制度や「道徳をなくす」制度が残っている。人類は早く正しいことを理解して誤解を直してまちがった制度をなくさねばならない。
[16304] 政府はどうやって儲[もう]けていたか? h24.12.22
昔はみんなが「科学と道徳は対立する」と考えていた。「科学をやるためには道徳をやってはいけない」と考えていた。
そこで、政府は科学の時代になると道徳をなくす(つまり悪いことをする)ことを仕事にして、みんなからお金をもらっていた。
つまり、政府は昔の人の誤解に便乗[びんじょう]して儲けていたのである。
しかし、今ではみんなが『科学と道徳は両立する。科学をやるためには道徳をやめなくてもいい。科学と道徳の両方やらねばならない。』と考えている。
そのため、今では道徳をなくすことが仕事にならなくなって、政府はみんなからお金がもらえなくなって潰[つぶ]れているのである。
[16305] 人間はまちがいを犯す生き物である。 h24.12.22
昔は自然科学も社会科学も未熟だった。未発達だった。
そのために、昔はみんなが自然についても社会についても誤解していた。誤解がいっぱいあった。
例えば、昔はみんなが「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」と考えていたし、「人間が不平等だ」と考えていた。昔は「太陽が地球の周りを回っている」と考えられていたから、力やエネルギーの概念がなくて、「熱と力学的エネルギーが別の物だ」と考えられて、熱機関が出来なかった。昔は「人間が不平等だ」と考えられていたから、“上の者をやること”が仕事になっていた。貴族は上の者をやることによって、みんなからお金をもらっていたのである。
人間は眼で見るだけでは真実がわからないから、昔は誤解がたくさんあったのである。昔はみんなの誤解に便乗[びんじょう]して儲[もう]ける仕事があったのである。
しかし、その後人類は時間をかけて自然や社会について頭で考えて真実をわかってきたのである。
今ではみんなが『地球が太陽の周りを回っている』と考えるようになったし、『人間が平等だ』と考えるようになった。今は『地球が太陽の周りを回っている』と考えられているから、力やエネルギーの概念が出来て、『熱はエネルギーだ。熱と力学的エネルギーは同じ物だ。』と考えられて、さまざまな熱機関が出来たのである。今は『人間が平等だ』と考えられているから、上の者をやることが仕事にならなくなった。貴族はみんなからお金がもらえなくなって滅んだ。
昔はみんなが「科学と道徳は対立する。科学をやるためには道徳をやってはいけない。」と考えていた。そのため、昔は道徳をなくすことや暴力をふることや神に付いて上の者になって他人を好き放題にすること(つまり嘘[うそ]をつくこと)が仕事になっていたので、政府や暴力団や宗教団体はみんなからお金をもらって儲[もう]けていた。しかし、今では多くの人が『科学と道徳は両立する。科学をやるためには道徳をやってもいい。』と考えている。そのため、今では道徳をなくすことや暴力をふることや神に付いて上の者になって他人を好き放題にすること(つまり嘘[うそ]をつくこと)が仕事にならなくなって、政府や暴力団や宗教団体がみんなからお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今の人類にも多くの誤解がある。未来の人から見ると、今の人類には“自然についての誤解によって発明されない物”がたくさんあるし、“人々の誤解に便乗して儲ける仕事”がまだまだたくさんあるのだろう。
[16306] 福祉会社は要るか? h24.12.22
国民みんなが障害者にお金をやることよりも、障害者が自分で働いてお金を稼[かせ]いで生きていけるほうが大事だ。
障害者が働ける会社があればいいだけだ。障害者が自分の能力を使ってお金を稼げる場所を設ければいいのだ。
だから、原理的には福祉にはお金が要らない。福祉会社は要らない。たとえ福祉が必要であったとしても、福祉にはほとんどお金は要らない。国民の自主的な寄付で十分だ。実際に、今の政府や暴力団や宗教団体も国民の自主的な寄付で経営できているのだから、福祉会社もできるはずだ。どんな会社でも国民の人気が出れば、お金がひとりでに入ってきて経営できるのだ。テレビや新聞のニュースで福祉会社が善いことをやっているのを宣伝すれば、きっと儲[もう]かるに違いない。
今の政府が福祉事業で国民からお金をもらっているのはインチキである。政府は道徳をなくす会社だから嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]してお金を取っているのである。政府が嘘をつくのは政府の芸当である。政府は福祉を口実にして国民からもらったお金の大半を自分のものにして、残りの少しのお金を福祉にかけるだけである。昔の国民は「道徳をなくすのが正しい。嘘をつくのはいい。」と考えていたから、政府の芸当に感心して政府にお金をやっていた。しかし、今の国民は『道徳をなくすのがまちがいだ。嘘をついてはいけない。』と考えているから、政府の芸当に感心して政府にお金をやらなくてもいい。
[16307] 人類は前進しなければならない。 h24.12.22
昔は「科学と道徳は対立する。科学をやるためには道徳をなくさねばならない。悪いことは正しい。」と考えられていた。そのため、悪いことをすることや暴力をふることや嘘[うそ]をつくことが仕事だと見なされていた。だから、政府や暴力団や宗教団体が国民からお金をもらって儲[もう]かっていた。
今は『科学と道徳は両立する。科学をやるためには道徳をやめなくていい。科学と道徳の両方をやらねばならない。悪いことはまちがっている。』と考えられている。そのため、悪いことをすることや暴力をふることや嘘[うそ]をつくことが仕事だと見なされなくなっている。だから、政府や暴力団や宗教団体が国民からお金をもらえなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。今は政府や暴力団や宗教団体が潰れている途中である。
人類が正しいことを考えていけば善い社会になる。反対に、人類が正しいことを考えなければ悪い社会のままである。だから、みんなはがんばって正しいことを勉強しなければならない。正しいことを知り、正しいことを実現しなければならない。
今では『人間が平等である』ことや『道徳がある』ことが正しいと考えられている。だから、みんなで『人間が平等であり』『道徳がある』社会を実現しなければならない。みんなで貴族や財閥や政府や暴力団や宗教団体のない社会にしなければならない。
[16308] 国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。 h24.12.22
政府は悪いことをする会社だから、法律なんか作れない。だから、納税の義務は嘘[うそ]である。
だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
国民は政府に自主的に自分が好きなだけお金を払えばいいのである。
昔はみんなが「科学と道徳は対立する。科学をやるためには道徳をなくさねばならない。善いことはまちがっている。悪いことは正しい。」と考えていたから、政府が仕事をしていると考えて、政府に仕事代として自分が好きなだけお金をやっていた
今はみんなが『科学と道徳は両立する。科学をやるためには道徳をやめなくていい。科学と道徳の両方をやらねばならない。善いことが正しい。悪いことはまちがっている。』と考えているから、政府が仕事をしていないと考えて、政府に仕事代を払わなければいい。政府にいっさいお金をやらなければいい。
[16309] 政府の国家宗教は嘘[うそ]である。 h24.12.22
生物学的には人間とは人間と結婚して子孫が残せる生き物である。超能力者は人間と結婚して子孫が残せるから人間である。天皇家がその証拠である。たぶん私も人間と結婚すれば子供が作れただろう。だから、超能力者は人間である。
超能力者は超能力が発達した人間である。超能力の才能は多かれ少なかれすべての人間にあるが、超能力者は特に超能力が発達した人間である。走る才能はすべての人間にあるが、オリンピック選手が特に走るのが速いのと同じことである。
だから、超能力者は人間だと考えるのが妥当である。
政府が超能力者を人間よりも上の者だとしているのはまちがいである。
政府は道徳をなくす会社つまり悪いことをする会社であって嘘[うそ]をつくから、政府は嘘で超能力者を人間よりも上の者にして国家宗教をやっているだけである。もっとも、政府は自分の正体を隠すために国家宗教をやっているだけだから、政府にとっては国家宗教は遊びにすぎずどうでもいい。今は道徳のある時代で、悪いことをすることは仕事とは見なされないから、政府は国民からお金がもらえなくなって滅んでいる。政府が滅べば、国家宗教もなくなる。
民間宗教団体は最初から嘘を承知[しょうち]で普通の人間を超能力者にしているだけだから、言うまでもない。一般に、宗教団体は嘘をついて自分を上の者ということにして他人からお金をふんだくる団体である。今は道徳のある時代なので、嘘をついてはいけないので、宗教団体は滅ばねばならない。
[16310] 超能力は科学の対象である。 h24.12.22
今は科学の時代である。
超能力者はこれまでとは違う原理で光を出したり物を動かしたりするのだから、十分研究する価値がある。
超伝導と同じように、超能力者を発見してもノーベル賞がもらえるし、超能力の仕組みを解明してもノーベル賞がもらえるだろう。
今後は超能力者が現れたら、超能力者の超能力の才能を伸ばしてみんなで超能力を研究しなければならない。
もっとも、超能力者は人間だから、超能力者の人権も大事にしなければならない。
[16311] 政府は時代遅れの芸人である。 h24.12.22
政府は悪いことをするのを芸にして、みんなからお金をもらって儲[もう]ける芸人である。
昔は「悪いことをするのが正しい」と考えられていたから、悪いことをするのが芸だと見なされていたから、政府は悪いことをしてみんなからお金をもらって儲かっていた。
今は『悪いことをするのがまちがいだ』と考えられているから、悪いことをするのは芸ではないと見なされているから、政府はいくら悪いことをやってもみんなからお金がもらえず儲からなくなった。
悪いことをするのは時代遅れの芸である。今ではそんな芸は流行[はや]らないから食っていけないのだ。
[16312] 政府の正体は悪いことをする会社である。 h24.12.22
政府は悪いことをする会社である。政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などをやっている。しかし、その一方で、政府は国家宗教や民主主義で善いこともやっている。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。
悪いことをする会社は、嘘が悪いことなので、嘘をつけるので善いことがやれる。
善いことをする会社は、嘘が悪いことなので、嘘をつけないので悪いことがやれない。
だから、政府の正体は悪いことをする会社である。
政府の国家宗教や民主主義は政府の偽善である。国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。今は道徳のある時代だから、悪いことをするのは仕事ではないから、国民は政府にお金を恵んでやってはいけない。
[16313] 社会は変化する。 h24.12.23
みんなが何を正しいと考えているかで社会が決まる。
昔はみんなが「自分の物と他人の物の区別がない」と考えていたから、他人の身体が自分の物だと考えて奴隷制があった。しかし、お金が発明された頃[ころ]から、みんなが『自分の物と他人の物の区別がある』と考えるようになって奴隷制がなくなった。アメリカは近代になって国をゼロから作って行ったから最初の頃には原始時代と同じように「自分の物と他人の物の区別がない」状態だったから奴隷制があった。しかし、アメリカも国が成長して近代国家になると奴隷制がなくなった。
昔はみんなが「人間が不平等である」と考えていたから、身分制があって貴族や財閥などの上の者がいた。今では生物学が進歩して『人類がみな同じ生き物である』ことがわかったために、今ではみんなが『人間は平等だ』と考えるようになって、身分制がなくなった。貴族や財閥などの上の者がいなくなった。
昔はみんなが「科学と道徳は対立する。科学をやるためには道徳をやってはいけない。」と考えていたから、政府や暴力団や宗教団体などの悪いことをする団体があった。今では『科学は物を知り物を動かすことである。道徳は心を知り心を動かすことである。脳細胞が神経興奮すると心が発生する。喜怒哀楽の感情が発生する。脳細胞は物である。脳細胞の神経興奮はシナプス末端で制御できる。だから、心も制御できる。だから、道徳も科学である。あるいは、人間の心にはいろんな感情がある。科学は知覚欲を働かせて得た実在についての知識である。だから、科学も道徳である。』ことがわかったために、今ではみんなが『科学と道徳が両立する。科学をやるためには道徳をやめなくてもいい。科学と道徳の両方をやらねばならない。』と考えているから、政府や暴力団や宗教団体などの悪いことをする団体がなくなっている。
文明が発達すると、科学が進歩すると、人類は正しいことがわかってくる。まちがいが減ってくる。人間は正しいことをやって、まちがったことはやらないものである。みんなが正しいことをやって、まちがったことをやらなくなるから社会が変わる。
社会は変化するものである。時代とともに社会は変わって行っている。生物が進化するように、大陸が移動するように、社会も変化する。だから、政府が滅んでも驚くには当たらない。
[16314] 今は政府が潰[つぶ]れている途中である。《まとめ》 h24.12.23
昔はみんなが「科学と道徳が対立する。科学をやるためには道徳をやってはいけない。」と考えていた。
そのため、科学をやる時代には道徳をやってはいけなかったので、「悪いことが正しい。悪いことをすることが仕事だ。」と考えられていた。政府は悪いことをする会社だった。政府は悪いことをして、みんなからお金をもらって儲[もう]けていた。国民みんなは政府が人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をしているのを見て、政府がよく働いていると思って、政府にお金をやっていた。嘘[うそ]は悪いことだから、政府は嘘をついて国家宗教や民主主義で善いこともちょっとやっていた。
しかし、今ではみんなが『科学と道徳が両立する。科学をやるためには道徳をやめなくていい。科学と道徳の両方やらねばならない。』と考えている。
そのため、科学をやる時代にも道徳をやっているので、『悪いことはまちがっている。悪いことをすることは仕事ではない。』と考えられている。政府がいくら悪いことをしてもみんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。今は政府が潰れている途中である。
[16315] 政府は嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]している。 h24.12.23
政府は悪いことをする会社である。嘘は悪いことである。だから、政府は嘘をつく。
政府は学校で子供に「政府は国民みんなを幸せにする民主主義の政治機関である。」と嘘を教えている。そのために、子供が大人になっても政府を善い会社だと思って、政府に税金を払い続けているのである。
実際には、政府は国民からもらった税金で悪いことをして国民を不幸にしているのである。
政府は本当は悪いことをする会社である。昔は道徳のない時代だったから、悪いことをするのが仕事だったから、国民は政府にお金をやっていた。今は道徳のある時代であり、悪いことが仕事ではないから、国民は政府にお金をやらなくてもいいのである。
[16316] 法律会社は民営にすべきである。 h24.12.24
国民にとっては国の法律を定めて犯罪者を取り締[し]まる法律会社は必要だと思われる。だから、政府が滅んでも、法律会社は建つだろう。
しかし、法律会社を国営にして国民みんなの税金で経営すると、法律会社がしだいに太っていって国民にとって何を仕事にしているのかわからない会社の集まりになるだろう。[政府は悪いことをする会社である。嘘は悪いことである。だから、政府は嘘をつく。政府は嘘[うそ]をつくから、これまで政府は嘘で自分を国民よりも身分が高いことにして国民に命令して国民からお金を取っていただけである。だから、偉そうな名前を付けて“税金”と言うのである。これからは、国民が国営会社に払うお金は税金ではなく、公金[こうきん]や民金[みんきん]と言ったほうがいいだろう。]
国民にとっては自分にとって何の役にも立たない会社にたくさん税金を取られるだけだ。政府のように悪いことを仕事にするようになるかもしれない。
だから、法律会社は国営にしないほうがいい。
法律会社は民営にすればいい。
そうすれば、法律会社が不必要に大きくなってガラガラ余計な仕事をするようにならないし、国民みんなが税金を取られずにすんで経済的である。
今でも政府や暴力団や宗教団体は国民が自主的にお金をやって経営できているのだから、法律会社もかっこよく犯罪者を逮捕したりして人気が出れば国民が自主的にお金をやってけっこう儲[もう]かるだろう。だから、お金のことは心配しなくてもいいのである。
もっとも、政府や宗教団体以外の会社は嘘[うそ]をつかないから、たとえ法律会社を国営にしてもそれほど問題はないだろう。公正な金額の税金を取るだろう。国民の役に立たない会社をゾロゾロ背負[しょ]い込むことはないだろう。
[16317] どうして江戸時代には身分制があったか? h24.12.24
近世の日本は道徳のある時代だった。当時はまだ「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、科学のない時代だった。
科学では人間はみな平等である。実在においては『人間がみな平等である』ことが真実だから、科学では人間はみな平等である。
だから、科学のない時代には人間が平等ではなかった。つまり、人間が不平等だった。だから、江戸時代には身分制があったのである。不平等は実在を超えたところにあるのである。
道徳のある時代には科学がないから身分制があったのである。つまり、昔の人もすでに『実在においては人間はみな平等である』ことは知っていたのである。道徳のある時代には、わざわざそれを否定して「人間が不平等である」ことにしていたのである。
だから、戦後になって本格的に科学の時代になると身分制がなくなったのである。貴族や財閥がなくなったのである。
インドは科学のない国なので、昔から身分制があった。インドは実在の外に出ている国である。
昔のヨーロッパに身分制があったのは、インドの身分制を真似[まね]たからだろう。中世は世界的に道徳のある時代だったから、その頃にヨーロッパでも身分制が出来たのだろう。それが現代まで続いていたのである。
[16318] どうして昔のヨーロッパは道徳のない国だったか? h24.12.24
昔は「心が実在の外にある」と考えられていた。「心が物ではない」と考えられていた。
ヨーロッパは科学の国なので、実在しか扱わなかった。
昔は心が実在の外にあると考えられていたので、ヨーロッパは心を扱わなかった。
そのために、昔のヨーロッパは道徳のない国になったのである。
しかし、今では『心は人間の大脳が荷[にな]っている感覚だ』と考えられている。『心も物だ』と考えられている。
だから、今ではヨーロッパも心を扱えるようになったので、ヨーロッパは道徳のある国になったのである。今のヨーロッパは科学と道徳の両方ある国なのである。
[16319] どうして昔のインドは科学のない国だったか? h24.12.24
昔は「心は物ではない」と考えられていた。
ヨーロッパとは反対に、インドは道徳の国なので、心しか扱わなかった。
だから、インドでは「心だけが存在し、物は存在しない」と考えられていた。インドでは「この世のことはすべて心で出来ていて、物は幻覚にすぎない」と考えられていた。
そのために、昔のインドは物が扱えなくなって科学のない国だったのである。
インド人は早く『この世には心のない物も存在する』ことを認めて、物を扱えるようになって科学ができるようにならねばならない。もっと物事を柔軟に考えて、道徳と科学の両方ある国にならねばならない。
心で物を捉[とら]えるには、念動力を使うしかない。だから、インドの山奥には仙人がいたのだろう。私の母親は仏教だから、私が赤ちゃんの頃に念動力を使ったのもそういうわけだったのかもしれない。今ではレーザー光線で物を浮かせることができるから、強力な感覚波で軽い物が動いても不思議ではない。しかし、心で物を動かすのは容易ではない。だから、人間は手で物を動かせばいい。物を眼で見て頭で考えて物について知り、心で思って物を手で動かして人間にとって快適な環境にすればいい。
[16320] 仏壇[ぶつだん]とは何か? h24.12.24
仏壇は人間の心の制御装置である。
インドは心の国である。だから、インドは人間の心の扱いに長[た]けている。
仏教はインド人の心についての知識の集大成である。
だから、仏壇には人間の心の働きを正常に導くいろんな工夫が施[ほどこ]されているのである。
私が子供の頃は家の中に小さな仏壇があって毎週日曜日の朝にはお参[まい]りをしていた。その頃は私の調子がよかった。私が中3の頃に家族みんなで仏教をやめて家の中に仏壇がなくなってから私の調子が悪くなった。私が高1のとき精神病に罹[かか]ってからずっと苦しまねばならなくなった。
仏壇は心の病気を防ぐ薬箱[くすりばこ]である。仏壇にお参りすれば一生心が健康でいられる。原理はよくわからないが効くことは効く。だから、仏壇を馬鹿にしてはいけない。
仏壇にお参りしたり、神にお祈りをするのも、人間にとっては自分以外の者に従うことが社会的に上手[うま]く生きられることの尊[とうと]い教えなのかもしれない。私はわがままなので他人に従うのが嫌なので、毎週仏壇にお参りすることが他人に従う練習になっていたのでうまく行っていたのかもしれない。
今の私は仏壇を持っていないが、代わりに哲学の知識がある。哲学の知識があれば自分の心がある程度は適切に動かせる。昔は字が読めない人が多かったから、字が読めなくてもわかる仏壇が重宝[ちょうほう]されたのだろう。大人は哲学があれば仏壇は要らないが、子供は哲学が理解できないから、仏壇のほうがいいのである。
[16321] 超能力者は上の者ではない。☆ h24.12.24
インドでは仙人が山奥にこもって厳しい修行をして仙術[せんじゅつ]を会得したと言われている。
仙人とは超能力者のことであり、仙術とは超能力のことである。たぶん、仙人は自分の脳にある超能力器官を働かせて特殊な感覚波を出して岩を割ったり石を動かせたりしたのだろう。[岩石と人間は組成が違うから、仙人の超能力は人体には悪影響はないだろう。]
だから、普通の人間でも訓練を積めば超能力者になれるのである。誰でも自分の超能力器官を訓練して超能力器官を発達させれば超能力が使えるのである。
これまでの超能力者は赤ちゃんの頃に超能力が使えたが、生まれつき超能力が発達した人間だと考えればいいのである。私の母親のように超能力者の母親がすでにある程度強い超能力が使えるので、超能力者は母親を真似[まね]て自分で超能力を鍛[きた]えたから超能力が使えたのである。超能力器官は誰の脳にもあり、超能力者であるかないかは超能力器官を鍛えるか鍛えないかの問題なのである。
だから、超能力者は人間と変わらないのである。
したがって、超能力者は上の者ではない。
だから、人間が超能力者に従う必要はない。国家宗教はやらなくていい。
政府は悪いことをする会社だから、嘘[うそ]は悪いことだから、政府は嘘をつく。昔は道徳のない時代だったから、嘘をつくのが正しかったから、国民は政府の嘘に従わねばならなかった。政府は国民に「超能力者は上の者だから、人間は超能力者に従わねばならない」と嘘をついていたから、国民は政府の嘘に騙[だま]されて超能力者に従っていた。ところが、今は道徳のある時代だから、嘘をつくのはまちがっているから、国民は政府の嘘に従ってはいけない。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されて国家宗教をやってはいけない。[これまで人類は「超能力者が神だ」と思って、超能力者に従うために超能力者の情報をいろんな物に入れてきた。しかし、本当は『超能力者は人間だ』から、人間は超能力者に従わなくていい。だから、もはや人類は超能力者の情報をいろんな物に入れなくていい。]
[16322] どうして昔の国民は政府に従っていたのか? h24.12.24
政府は悪いことをする会社である。嘘[うそ]は悪いことである。だから、政府は嘘をつく。
昔は道徳のない時代だったから、嘘をつくのが正しかったから、国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府の嘘に従わねばならなかった。政府は「政府は国民よりも上の者だから、国民は政府に従わねばならない」と嘘をついていたから、国民は政府の嘘に騙されて政府を上の者だと思って政府に従わねばならなかった。
しかし、今は道徳のある時代だから、嘘をつくのはまちがっているから、国民は政府の嘘に騙されて政府の嘘に従ってはいけない。だから、国民は政府の嘘に騙されて政府を上の者だと思わず政府に従ってはいけない。
政府の正体は悪いことをする会社である。今は道徳のある時代だから、悪いことはまちがっているから、国民がそんなくだらない物に従う価値はない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
[16323] 人間の条件 h24.12.24
『人間が正しいことに従う』ことは人間であるかぎり守らなければならない原理である。『正しいことに従う』ことは人間にとっての最高原理である。
昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていたから、科学の時代には道徳のないことが正しかったから、善いことがまちがっていて悪いことが正しかった。みんなが悪いことをやっていた。政府や暴力団や宗教団体のような悪いことを仕事にする会社がたくさんあった。みんなは自分が悪いことをするのが嫌だったが正しいと思って我慢して悪いことをやっていた。みんなは政府や暴力団や宗教団体が嫌だったが、正しいと思って我慢[がまん]してお金をやっていた。
今は『科学と道徳が両立する』ことが正しいと考えられているから、科学の時代にも道徳のあることが正しいから、善いことが正しく悪いことがまちがいである。みんなが善いことをやっている。政府や暴力団や宗教団体のような悪いことを仕事にする会社がどんどん減っている。みんなが自分が善いことをするのが嫌だが正しいと思って我慢して善いことをやっている。みんなは政府や暴力団や宗教団体が嫌だから、喜んでお金をやるのをやめて潰[つぶ]している。
人間は頭の動物であって、心や眼先の動物ではない。だから、人間は正しいことに従わねばならない。楽しいことや綺麗[きれい]なことに従うのではない。たとえ嫌だろうが汚かろうが、とにかく正しいことには従わねばならない。それが人間の掟[おきて]である。
[16324] 人間の運動方程式 h24.12.24
昔は「科学と道徳が対立する」ことが人間の運動方程式だった。そのために、科学をやる時代には道徳をやってはいけなかったから、みんなが悪いことをやって、政府や暴力団や宗教団体などの悪いことをする会社が出来て悪いことをやって儲[もう]けていた。
今は『科学と道徳が両立する』ことが人間の運動方程式である。そのために、科学をやる時代にも道徳をやらねばならなくなったから、みんなが善いことをやって、悪いことをする会社が悪いことをやっても儲からなくなって滅んでいる。
人間の運動方程式は時々変わる。そのために、社会が変わる。新しい会社が出来て、古い会社が滅びる。
世の中とはそういうものだ。
[16325] 物理学が社会を変える。 h24.12.24
相対論は力学と電磁気学を統一した。力学の運動方程式が電磁気学の運動方程式を不変にする変換に従うと考えればいい。
量子力学は粒子と波を統一した。すべての物質は波であり、波に個数があると考えればいい。
現代物理学は異質な物を統一した。
そのために、『異質な物を統一する』というアイデアが生まれた。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。
しかし、現代物理学のために科学と道徳が統一されて『科学と道徳が両立する』と考えられるようになった。
そのため、今では世界中で科学と道徳の両方をやっている。
物理学は社会を変えるのだ。
[16326] 善と悪の統一 h24.12.24
昔は善いことと悪いことが対立すると考えられていた。
善い者は善いことをやり、悪い者は悪いことをやると考えられていた。
しかし、嘘[うそ]は悪いことだから、悪い者は嘘で善いことをやる。
つまり、本当は善い者は善いことをやるが、悪い者は善いことと悪いことの両方をやるのである。
今では善いことと悪いことが統一されているのである。悪い者においては善いことと悪いことが統一されているのである。
例えば、政府は人殺しや強盗や嘘や意地悪[いじわる]などの悪いことをやっている一方で、国家宗教や民主主義で善いことをやっている。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。だから、政府は悪いことをする会社である。政府は悪い会社である。昔は道徳のない時代だったから、悪いことは正しかった。悪いことは仕事だった。だから、政府が儲[もう]かった。反対に、今は道徳のある時代だから、悪いことはまちがっている。悪いことは仕事ではない。だから、政府は滅ばねばならない。
悪い者が嘘をついて善いことをするように、たとえ善い者でも悪い者を罰するために悪いことをすることがある。人殺しや強盗や嘘や意地悪をすることがある。しかし、それは“必要悪”だからかまわない。必要悪はどんどん使えばいい。
[16327] 社長は貴族である。 h24.12.25
『人間が平等である』ことは真実である。昔の人も『人間が平等であることが真実である』ことを知っていた。
科学のある時代には、真実が正しいから、『人間が平等である。』
科学のない時代には、真実がまちがいだから、「人間が不平等である。」
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、道徳のある時代には科学がなかったから「人間が不平等である」ことになっていた。反対に、道徳のない時代には科学があったから『人間が平等である』ことになっていた。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられているから、道徳のある時代にも科学があってもいい。道徳のある時代にも科学もやらねばならない。道徳と科学の両方をやらねばならない。今は科学のある時代である。だから、今では『人間が平等である。』
戦後日本はアメリカに占領された。アメリカは科学のある国だった。科学では『人間は平等』だから、日本でも人間は平等になった。そのために、貴族や財閥がなくなった。超能力者も人間と平等になったから、神武天皇も人間と平等になった。
昔は科学のない時代だったから、真実がまちがいだった。人間が不平等であることが正しかった。上の者をやることが正しかった。上の者をやることが仕事だった。だから、貴族や財閥が上の者をやってみんなからお金をもらっていた。
今は科学のある時代だから、真実が正しい。人間が平等であることが正しい。上の者をやることはまちがっている。上の者をやることは仕事ではない。だから、貴族や財閥が上の者をやってもみんなからお金をもらえなくなって滅んだ。
社長は貴族である。 社長は会社の中の貴族である。今でも社長は会社の中で上の者をやってお金を儲[もう]けている。しかし、今は科学のある時代だから、上の者をやることは正しくない。上の者をやることは仕事ではない。だから、社長は滅ばねばならない。
今は科学と道徳の両方ある時代である。科学のある時代には『真実が正しい。空想がまちがっている。』道徳のある時代には『善いことが正しい。悪いことがまちがっている。』「人間が不平等である」ことは空想である。「人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をする」ことは悪いことである。だから、今では上の者や人殺しや強盗や嘘や意地悪をする者がいてはいけないのだ。
世の中では正しい理屈が通用する。まちがいは通らない。今では上の者をすることや悪いことをすることはまちがいである。だから、今では上の者をする者も悪いことをする者もなくならねばならない。貴族や財閥や社長や政府や暴力団や宗教団体はなくならねばならない。
世の中には社会科の苦手な馬鹿が多い。社会科の苦手な者は上の者をする者や悪いことをする者のカモである。だから、みんなは社会科が得意になって、上の者をする者や悪いことをする者に騙[だま]されなくなって上の者や悪いことをする者を倒さなければならない。
[16328] 昔は科学も道徳も両方ともなかった。 h24.12.25
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。
しかし、人間は完全に科学がなくても完全に道徳がなくても生きられない。
そのために、科学の時代にも道徳をやらねばならず、道徳をやると科学がやれず、科学を中途半端[ちゅうとはんぱ]にしかやれなかった。反対に、道徳の時代にも科学をやらねばならず、科学をやると道徳がやれず、道徳を中途半端にしかやれなかった。
つまり、昔は科学も道徳も両方とも中途半端にしかやれなかった。そのために、昔は科学と道徳の両方ともない時代だった。だから、昔は上の者をする者や悪いことをする者がいつの時代にもいたのである。科学の時代にも上の者をする者がいたし、道徳の時代にも悪いことをする者がいたのである。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。
だから、今では科学も道徳も両方ともやれる。科学も道徳もいくらでもやれる。科学も道徳も完全にやれる。だから、今では上の者をする者も悪いことをする者も両方ともいなくなっているのである。貴族や財閥や社長や政府や暴力団や宗教団体がいなくなっているのである。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたために、科学も道徳も両方ともやれなかった。科学の進歩も道徳の進歩も両方とも抑[おさ]えられていた。みんなが「科学と道徳が対立する」と考えていることが、科学の発達や道徳の発達を妨害していた。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられているために、科学も道徳も両方ともやれる。科学と道徳が相補[あいおぎな]う。科学の発展が道徳の発展を促[うなが]し、道徳の発展が科学の発展を促す。今ではみんなが『科学と道徳が両立する』と考えていることが、科学の発達や道徳の発達を促進している。今後は急速に科学と道徳が両方とも進歩するだろう。
[16329] 今では科学も道徳も両方ともある。 h24.12.25
科学のない時代には、真実がまちがいだった。空想が正しかった。人間が平等であることは真実だった。人間が不平等であることは空想だった。だから、人間が平等であることがまちがいだった。人間が不平等であることが正しかった。上の者をやることが正しかった。上の者をやることが仕事だった。
道徳のない時代には、善いことがまちがいだった。悪いことが正しかった。人間が他人のためになることをすることは善いことだった。人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]は悪いことだった。だから、人間が他人のためになることをやることはまちがいだった。人殺しや強盗や嘘や意地悪をやることが正しかった。人殺しや強盗や嘘や意地悪をやることが仕事だった。
科学のある時代には、真実が正しい。空想はまちがいである。
道徳のある時代には、善いことが正しい。悪いことがまちがいである。
今は科学と道徳が両方ある時代である。だから、今では真実や善いことが正しい。空想や悪いことがまちがいである。今では上の者をやることや人殺しや強盗や嘘や意地悪をやることはまちがっている。今では上の者をやることや人殺しや強盗や嘘や意地悪をやることは仕事ではない。今では空想をやることや悪いことをやることはまちがっている。今では空想をやることや悪いことをやることは仕事ではない。だから、今では空想をやる者や悪いことをやる者がいなくなっているのである。今のみんなが『科学と道徳が両立する。科学と道徳が両方やれる。』と考えることが、空想をやる者や悪いことをやる者を滅ぼしているのである。貴族や財閥や社長や政府や暴力団や宗教団体を滅ぼしているのである。みんなで『科学と道徳が両立する。科学と道徳が両方やれる。』と祈れば、この世から空想をやる者や悪いことをやる者がいなくなるのである。貴族や財閥や社長や政府や暴力団や宗教団体がいなくなるのである。いい社会になるのである。
[16330] わけがわからない者 h24.12.25
今は科学のある時代である。今では真実をやらねばならず、上の者などの空想をやってはいけないと考えられている。今ではみんなが上の者をやらなくなって、“上の者をやる”ことがわからなくなっている。みんなが上の者をやることがわからないことを利用して、社長が上の者をやって儲[もう]けている。
今は道徳のある時代である。今では善いことをやらねばならず、人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやってはいけないと考えられている。今ではみんなが悪いことをやらなくなって、“悪いことをやる”ことがわからなくなっている。みんなが悪いことをやることがわからないことを利用して、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやって儲けている。
今の時代にはみんなが昔の時代にやっていたことがわからなくなっている。そのため、みんながわからないことを利用して昔の時代にやっていたことをやって儲ける者がいるのである。
わけがわからないことも、理屈がわかればもはやわけがわからないことではない。社長は“上の者”をやっている。政府や暴力団や宗教団体は“悪いこと”をやっている。今では上の者をやることや悪いことをやることはまちがいである。今では上の者をやることや悪いことをやることは仕事ではない。だから、みんなで社長や政府や暴力団や宗教団体を倒せばいいのである。
[16331] 月光仮面 h24.12.25
月光仮面は愛と正義の人である。
愛は道徳のことである。
正義は科学のことである。
つまり、月光仮面は道徳と科学の両方ある人である。
月光仮面は戦後の時代の象徴なのである。
上の者をやる者は科学に反している。
悪いことをする者は道徳に反している。
だから、月光仮面は上の者をやる者や悪いことをする者を倒すのである。
今の国民は月光仮面のように上の者や悪い者を倒さねばならない。今の国民は社長や政府や暴力団や宗教団体を倒さなければならない。
[16332] 社長や政府や暴力団や宗教団体は人間ではない。 h24.12.25
人間は正しいことをやらねばならない。正しいことをやらない者は人間ではない。
今では社長や政府や暴力団や宗教団体は上の者や悪い者をやっていてまちがったことをやっている。
だから、社長や政府や暴力団や宗教団体は人間ではない。
したがって、国民は社長や政府や暴力団や宗教団体を相手にしなくていい。社長や政府や暴力団や宗教団体は人間以下の生き物だから無視すればいい。社長や政府や暴力団や宗教団体は人間ではないからお金をやらなければいい。
今でも政府や暴力団や宗教団体が特定の国民を暴力で脅[おど]してお金を取ることはできるだろう。しかし、政府や暴力団や宗教団体が仕事をしていると見なされて国民からお金をもらうことはできないのだ。
[16333] 文学部はどうやって食べているか? h24.12.25
文学部は空想の世界に生きる者である。文学部は空想をやる者である。空想を実行する者である。
人間が平等であることは真実である。反対に、人間が不平等であることは空想である。上の者は空想である。
だから、文学部は上の者をやって理学部の稼[かせ]ぎを横取りして儲[もう]けているのである。江戸時代に武士が上の者をやって庶民の稼ぎを横取りしていたのと同じである。つまり、文学部は密[ひそ]かに自分勝手に“今ではみんなにすっかり忘れられた身分制”を使って儲[もう]けているのである。
しかし、今は科学と道徳の両方ある時代である。科学のある時代である。科学のある時代は人間は平等である。上の者はいない。だから、文学部は上の者をやってはいけない。文学部は理学部と同じように自分の力で働いて稼がなければならない。
上の者をやるためには科学のない時代であることが必要条件である。しかし、今は科学のある時代である。だから、今は上の者をやってはいけない。
文学部は実在を知らない馬鹿である。文学部は自分が馬鹿だからと言って上の者をやっているのである。文学部は自分が実在を知らないからという理由で真実を犯しているのである。いわゆる“インド人の理屈”である。ここは日本である。だから、みんなは文学部を無視すればいい。文学部をなくさねばならない。
文学部は上の者をやる前にまず人間をやるべきである。正しくすべきである。今は科学と道徳の両方ある時代だから、文学部は科学と道徳が一通りできて、その上に良寛[りょうかん]みたいに道徳が強い人でなければならない。
[16334] 正しさが権力である。 h24.12.25
この世にあるのは『正しさ』だけである。
正しさが権力(命令力)である。正しいことにはみんなが自分から従う。正しいことはわざわざ他人に命令しなくても、みんなが勝手に自分から従ってくれる。
人数は権力ではない。いくら団体が大きくてもまちがっていれば権力はない。反対に、たった一人でも正しければ権力がある。「多数決の原理」は嘘[うそ]である。
例えば、コペルニクスがいた当時、天動説を信じていた者は世界中の人間だったが、コペルニクスが唱えた地動説が正しかったので、みんなはいっせいに地動説に鞍替[くらが]えした。
例えば、今の政府は400万人の団体だが、政府は悪いことをする会社である。今は道徳のある時代だから、善いことが正しいから、政府はまちがっているから、政府は権力がない。だから、国民みんなは政府に従わなくていい。昔は道徳のない時代だったから、悪いことが正しかったから、政府が正しかったから、国民みんなが政府に従っていた。反対に、今は道徳のある時代だから、政府がまちがっているから、国民みんなは政府に従わない。
私の議論が正しいから、私の議論に権力がある。みんなは私の議論に従わねばならない。私自身も私の議論に従わねばならない。
[16335] 『ただほど怖いものはない。』 h24.12.25
政府は悪いことをする会社である。政府は民主主義の政治機関ではない。政府は立法機関ではない。だから、政府は法律を作れない。納税の義務は嘘[うそ]である。税金は嘘である。
国民は本当は自分が好きなだけ政府にお金をやればいいのである。だから、国民が政府にお金をやらなくてもいいのである。政府は無料の会社である。
だから、『ただほど怖いものはない』の“ただ”とは、政府のことである。『ただほど怖いものはない』とは、政府が悪いことをする会社であるという意味である。政府は悪いことをする会社だから、政府は人殺しや強盗や嘘や意地悪[いじわる]など悪いことは何でもするから、政府は怖いものなのである。
昔私が医学部生の頃(今から約25年前)にNHK教育で朝の9時ごろからやっていた『大きくなる子』の第1話に登場した“都会にある何でもただで物をくれる店”とは政府のことである。政府はただで物をくれるが、ろくな物を売っていない。私は医学生の頃1時間目の講義をサボってよく家の中で『大きくなる子』を見ていた。講義が終わるころに大学に行って出席だけ取っていた。
[16336] どうして今でも政府や暴力団や宗教団体が残っているか? h24.12.25
国民がお金をくれるからである。国民が政府や暴力団や宗教団体にお金をくれるから、今でも政府や暴力団や宗教団体が残って仕事をしているのである。
しかし、本当は今は道徳のある時代だから、悪いことはまちがいだから、悪いことは仕事ではないから、国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくていいのである。
国民の物わかりが悪いから、今でも政府や暴力団や宗教団体が残っているのである。
国民は早く今が道徳のある時代であることを理解して、政府や暴力団や宗教団体にお金をやるのをやめねばならない。
[16337] どうして政府は国家宗教や民主主義をやりたがらないのか? h24.12.25
政府は国家宗教や民主主義で国民のために善いことをやっている。
しかし、政府の正体は悪いことをする会社である。政府にとっては国家宗教や民主主義は嘘[うそ]にすぎない。
政府は悪いことをしてお金を稼[かせ]ぐ会社であって、国家宗教や民主主義で善いことをしてお金を稼ぐ会社ではない。国民は政府が悪いことをしているのを見て「政府がよく働いている」と思って政府にお金をやるのだから、政府がいくら国家宗教や民主主義で善いことをしても国民は政府にお金をくれないから、政府は国家宗教や民主主義をやりたがらないのである。[もっとも、政府は古代や中世の昔から国民に自分がやっていることをわからないようにして悪いことをやっている。政府が国民の眼の前で正々堂々と悪いことをやったりはしないのである。政府は国民の眼の届かないところで密[ひそ]かに悪いことをやっているのである。それが政府の流儀[りゅうぎ]である。国家宗教がいちおうの目印だが、証拠ではない。政府は悪いことをする会社だから、正直に自分が犯人であることを言わないのだろう。政府は悪いことをする会社だから、自分が犯人であるのを隠すのは悪いことだから、政府は国民に自分が犯人であることがわからないようにしながら悪いことをするのだろう。反対に、暴力団や宗教団体は国民の眼の前で堂々と自分が犯人であることがわかるようにして悪いことをやる。それが暴力団や宗教団体の流儀である。そうしなければ国民がお金をくれないからである。暴力団や宗教団体は日本中にたくさんあるので、国民に自分がやったことがわからなければ国民が自分にお金をくれないから、国民にわざわざ自分が犯人であることがよくわかるようにして悪いことをやっているのである。昔は道徳のない時代だったので、みんなが悪いことが正しいと思って悪いことが仕事だと思って悪いことをするとお金をくれたので、政府が悪いことをしてすごく儲かったから、それを真似[まね]て民間でも暴力団や宗教団体が悪いことをしていたのである。しかし、今は道徳のある時代になって、みんなが悪いことを正しいと思わなくなって悪いことを仕事だと思わなくなって悪いことをしてもお金をくれなくなったから、政府が儲からなくなって、暴力団や宗教団体も減っているのである。今でも政府や暴力団や宗教団体にとっては悪いことをすることが仕事だから、自分が食べていくためには悪いことをしなければならないのである。]
政府にとっては、国家宗教や民主主義にお金をかけると自分たちの儲[もう]けが減るだけだから、政府は国家宗教や民主主義をやりたがらないのである。
政府は悪いことをする会社だから、政府は自分が悪いことをするのに誇[ほこ]りを持っているのである。だから、政府は善いことをしたがらないのである。
[16338] どうして貴族はすぐになくなったか? h24.12.26
貴族は上の者をやる仕事である。貴族は上の者をやって、国民からお金をもらって儲[もう]けていたのである。昔は科学がない時代だったから、人間が不平等であることが正しかったから、上の者をやることが仕事だったから、貴族が上の者をやって国民からお金をもらって儲けていたのである。
貴族は上の者だから、貴族から見ると国民が下の者になる。
国民にとっては自分が下の者であるのが嫌である。
だから、戦後になって本格的に科学のある時代になると、国民は真っ先に貴族にお金をやらなくなって貴族が滅んだのである。
一方、政府や暴力団や宗教団体は悪い者をやる仕事である。政府や暴力団や宗教団体は悪い者をやって国民からお金をもらって儲けている。昔は道徳がない時代だったから、悪いことが正しかったから、悪いことをするのは仕事だったから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやって国民からお金をもらって儲けていたのである。
政府や暴力団や宗教団体は悪い者だから、政府や暴力団や宗教団体から見ると国民が善い者になる。
国民にとっては自分が善い者であるのがうれしい。誰でも政府や暴力団や宗教団体に比べると自分が善い人なので、政府や暴力団や宗教団体がありがたいのである。
だから、戦後になって道徳のある時代になっても、国民はなかなか政府や暴力団や宗教団体にお金をやるのをやめず、今でも政府や暴力団や宗教団体が残って仕事をし続けているのである。
[16339] 社長は上の者である。 h24.12.26
昔は科学のない時代だったから、「人間が不平等である」ことが正しかったから、上の者をやることが仕事だったから、貴族は上の者をやって国民みんなからお金をもらって儲[もう]けていた。貴族は上の者をやるために豪華な暮らしをしていた。上の者をやる仕事は契約制の仕事ではなかったから、国民は自分が好きなだけ貴族にお金をやっていた。しかし、戦後になって科学のある時代になると、『人間が平等である』ことが正しくなって、上の者をやることが仕事ではなくなって、貴族は国民みんなからお金をもらえなくなって儲からなくなって滅んだ。
社長は今でも会社の中で上の者をやって社員みんなからお金をもらって儲けている。社長は上の者をやるために会社の代表みたいなことをやっている。昔は科学のない時代だったから、「人間が不平等である」のが正しかったから、上の者をやるのが仕事だったから、社員は社長にお金をやっていた。しかし、今は科学のある時代だから、『人間が平等である』ことが正しいから、上の者をやることは仕事ではないから、社員が社長にお金をやらなくていい。だから、社長は滅べばいいのである。
文学部も今でも会社の中で上の者をやって理学部からお金をもらって儲けている。文学部は上の者をやるために事務の楽な仕事をやっている。昔は科学のない時代だったから、「人間が不平等である」のが正しかったから、上の者をやるのが仕事だったから、理学部は文学部にお金をやっていた。しかし、今は科学のある時代だから、『人間が平等である』のが正しいから、上の者をやるのが仕事ではないから、理学部は文学部にお金をやらなくていい。文学部は滅ばねばならない。
今は科学のある時代だから、『人間が平等である』ことが正しいから、みんなが他人と平等にしなければならない。だから、上の者をやる仕事は滅んでいる。今では会社と客が平等なので、仕事は契約制にしなければならないことになっている。
[16340] 政府は悪い者である。 h24.12.26
政府は悪い者である。政府は悪い者をやるために人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などをやっている。昔は道徳のない時代だったから、悪いことが正しかったから、悪い者をするのが仕事だったから、政府は悪い者をやって国民みんなからお金をもらって儲[もう]けていた。悪い者をやる仕事は契約制の仕事ではなかったから、国民は自分が好きなだけ政府にお金をやっていた。しかし、今は道徳のある時代だから、悪いことはまちがいだから、悪い者をやることは仕事ではないから、国民は政府にお金をやらなくていい。政府は滅べばいい。
政府と同じように、暴力団や宗教団体も悪いことをやって国民からお金をもらって儲けている。暴力団は悪い者をやるために国民に暴力をふっている。宗教団体は悪い者をやるために嘘をついて自分が人間よりも上の者であることにして国民を好き放題にして国民を殺したり国民からお金を取ったりしている。昔は道徳のない時代だったから、悪いことが正しかったから、悪い者をやるのが仕事だったから、国民は暴力団や宗教団体にお金をやっていた。しかし、今は道徳のある時代だから、悪いことがまちがいだから、悪い者をやるのが仕事ではないから、国民は暴力団や宗教団体にお金をやらなくていい。だから、暴力団や宗教団体は滅べばいいのである。
今は道徳のある時代だから、善いことが正しいから、善い者をやるのが仕事だから、善い者をやれば国民みんなからお金をもらって儲かる。善い者をやる仕事は契約制の仕事ではないから、国民は自分が好きなだけ善い者にお金をやればいい。例えば、法律会社が善い者をやれば儲かるだろう。国連も善い者をやるために難民救済をやってみんなからお金をもらって儲けている。創価学会も善い者をやるためにベトナムに中古ラジオを送ったりアマゾンに自然研究施設を建てたりしてみんなからお金をもらって儲けている。だから、法律会社も善い者をやるために正しい法律を定めたり犯罪者を取り締[し]まったりすればみんなからお金をもらって儲かるだろう。
[16341] 今では宗教はやってはいけない。 h24.12.26
宗教団体は人間を神に従わせることが仕事である。
昔は「超能力者が神だ」と考えられていたから、人間が超能力者に従うことが正しかったから、人間を超能力者に従わせることが仕事だったから、みんなは宗教団体にお金をやっていた。契約制ではなかったから、みんなは自分が好きなだけ宗教団体にお金をやっていた。宗教団体は人間を神に従わせるために、あちこちに教会を建てて超能力者の教えを広めたり、超能力者にまつわるいろんなお祭りや行事をやったりした。
しかし、今は『超能力者は人間だ』と考えられているから、人間が超能力者に従うことがまちがいだから、人間を超能力者に従わせることが仕事ではないから、みんなは宗教団体にお金をやらなくなった。だから、宗教団体は滅んでいる。
人間は正しい生き物である。人間は正しいことをしないといけない。人間はいくら自分が好きでもまちがったことをやってはいけない。人間はいくら自分が嫌でも正しいことをしなければならない。[人生が楽しければいいだけなら、日本はとっくの昔に中国やアメリカみたいな麻薬の国になっていただろう。日本人は自分が考えるために邪魔[じゃま]だという理由で、昔から麻薬や酒や性欲やマンガなどを退[しりぞ]けてきたのである。麻薬や酒や性欲は頭の働きを鈍[にぶ]くする。マンガは自分の頭にまちがい(特に社会科のまちがい)を植えつけることになるから読んではいけないのである。つまり、世界には正しささえない国がある。しかし、『人間が正しいことに従わねばならない』ことは正しい。だから、日本は『人間が正しいことに従う』国にしなければならない。人間は正しいことの中で楽しいことをすればいいのである。]
今では『超能力者は人間である』ことが正しい。人間には誰でも超能力があり、超能力者は自分の超能力の才能を鍛[きた]えて伸ばした者だから人間である。例えば、私は赤ちゃんの頃[ころ]に人間に念動力の才能があることに気づいて伸ばして念動力が使えたのである。超能力者は人間である。だから、人間が超能力者に従うことはまちがいである。人間と超能力者は平等にしなければならない。だから、今では宗教はやってはいけないのである。
昔と今ではみんなの常識が違っていた。だから、昔は今では考えられないことが仕事になっていたのである。昔は上の者をやることや悪い者をやることや人間を神に従わせることが仕事になっていたのである。今は今の時代に正しいと考えられることを仕事にしなければならない。
もっとも、宗教は神に従うことだけではなく、道徳でもある。例えば、仏教は宗教よりも道徳である。だから、道徳のためになら、自分の精神を健康に保つためになら、宗教をやってもいい。反対に、嘘[うそ]をついて自分を人間よりも上の者ということにして国民を好き放題にして国民を殺したり国民から無理やりお金を取ったりするために宗教をやってはいけない。
[16342] どうしてアンデスでは今でも神が天にいるのか? h24.12.26
アンデスでは今でも天に神がいると信じられている。コンドルが神の使いだと信じられている。天にいる神にお供[そな]えを捧[ささ]げるために人間を生贄[いけにえ]にしたりしている。
アンデスでは超能力者が現れなかったために、大昔の天にいる神がいまだに残っているのである。
大昔は世界中で天に神がいると信じられていた。しかし、アンデス以外の地域では超能力者が現れたために、超能力者が神だと考えられるようになったので、天にいる神は滅んでしまったのである。
昔は「神が宇宙を動かしている」と考えられていたので、神がいた。今では『宇宙は自然法則に従って運動している』と考えられるようになったので、神がいなくなったのである。昔は「超能力者が神だ」と考えられていたので、人間は超能力者に従わねばならず、煩[わずら]わしかった。今では『超能力者は人間だ』と考えられるようになって、人間は従うべき者がいなくなって、自由になったのである。
[16343] 上の者には2種類ある。 h24.12.27
政府や暴力団や宗教団体は悪いことをする会社である。嘘[うそ]は悪いことである。だから、政府や暴力団や宗教団体は嘘をつく。人間が平等であるのは真実である。だから、人間が不平等であるのは嘘である。自分が上の者であるのは嘘である。政府や暴力団や宗教団体は嘘をついて上の者をやっている。
一方、社長や文学部は空想をやる者である。空想を実行する者である。人間が平等であるのは真実である。だから、人間が不平等であることは空想である。自分が上の者であることは空想である。だから、社長や文学部は空想を実行して上の者をやっている。
政府や暴力団や宗教団体と社長や文学部は同じ上の者をやっているが、上の者のやり方が違うのである。
しかし、今は道徳と科学の両方ある時代だから、嘘も空想もやってはいけない。だから、政府や暴力団や宗教団体も社長や文学部も上の者をやってはいけない。みんなと平等にしなければならない。
[16344] 正しさが権力である。 h24.12.27
人間にとっては正しさが権力(命令力)である。人数が権力ではない。人間は正しいことに従わねばならない。まちがったことに従ってはいけない。人間はたとえ少数しか信じていなくても正しいことに従わねばならない。たとえ大勢が信じていてもまちがいに従ってはいけない。
昔は道徳がなかったから、善いことがまちがっていた。悪いことが正しかった。だから、悪いことをする政府や暴力団や宗教団体にみんなが従っていた。暴力団や宗教団体が小さな団体であったにもかかわらず国民みんなに命令できたのは、暴力団や宗教団体が正しかったからである。
昔は科学がなかったから、真実がまちがっていた。空想が正しかった。空想を実行することが正しかった。だから、空想をやる幕府や貴族や財閥や社長や文学部にみんなが従っていた。貴族や財閥や社長や文学部が小さな団体であったにもかかわらず国民みんなに命令できたのは、貴族や財閥や社長や文学部が正しかったからである。
昔は道徳も科学も両方なかった。そのために、昔は政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥や社長や文学部がみんなに命令してみんなからお金を取って儲[もう]かっていた。
今は道徳があるから、善いことが正しい。悪いことがまちがっている。だから、悪いことをする政府や暴力団や宗教団体にみんなが従わなくなった。
今は科学があるから、真実が正しい。空想がまちがっている。だから、空想をやる幕府や貴族や財閥や社長や文学部にみんなが従わなくなった。
今は道徳も科学も両方ある。そのために、今は政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥や社長や文学部がみんなに命令できなくなってみんなからお金を取れなくなって儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
[16345] まちがった者は正しい者に従わねばならない。☆ h24.12.27
人間は正しいことに従わねばならない。まちがったことに従ってはいけない。だから、まちがった者は正しい者に従わねばならない。
昔は道徳がなかったから、悪いことが正しかった。善いことがまちがっていた。国民は善いことをやっていた。政府や暴力団や宗教団体は悪いことをやっていた。だから、国民がまちがっていた。政府や暴力団や宗教団体が正しかった。そのために、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。政府や暴力団や宗教団体は国民に命令して国民からお金を取っていた。
今は道徳があるから、善いことが正しい。悪いことがまちがっている。国民は善いことをやっている。政府や暴力団や宗教団体は悪いことをやっている。だから、国民が正しい。政府や暴力団や宗教団体はまちがっている。そのために、政府や暴力団や宗教団体が国民に従わねばならない。国民は政府や暴力団や宗教団体に命令して政府や暴力団や宗教団体からお金を取れるはずである。
昔は科学がなかったから、空想が正しかった。真実がまちがっていた。国民は真実をやっていた。幕府や貴族や財閥や社長や文学部は空想をやっていた。だから、国民はまちがっていた。幕府や貴族や財閥や社長や文学部が正しかった。そのために、国民が幕府や貴族や財閥や社長や文学部に従わねばならなかった。幕府や貴族や財閥や社長や文学部は国民に命令して国民からお金を取っていた。
今は科学があるから、真実が正しい。空想がまちがいである。国民は真実をやっている。幕府や貴族や財閥や社長や文学部は空想をやっている。だから、国民が正しい。幕府や貴族や財閥や社長や文学部がまちがっている。そのために、幕府や貴族や財閥や社長や文学部が国民に従わねばならない。国民は幕府や貴族や財閥や社長や文学部に命令して幕府や貴族や財閥や社長や文学部からお金を取れるはずである。
昔は道徳も科学も両方なかったから、政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥や社長や文学部が国民からお金を取って国民が潰[つぶ]れていた。国民が極貧暮[ごくひんぐ]らしで死にながら生きていた。
反対に、今は道徳も科学も両方あるから、国民が政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥や社長や文学部からお金を取って政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥や社長や文学部が潰れている。政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥や社長や文学部が極貧暮らしで死にながら生きねばならない。
[16346] 創価学会はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.27
人間は正しい者に従わねばならない。だから、正しい者が上の者である。
昔の道徳のない時代には、悪い者が正しかった。善い者がまちがっていた。そのために、悪い者が上の者としてみんなに命令してお金を取って儲けていた。
今は道徳のある時代である。道徳のない時代は過去のものである。
今の道徳のある時代には、善い者が正しい。悪い者がまちがいである。そのために、善い者が上の者としてみんなに命令してお金を取って儲けている。
だから、創価学会はベトナムに中古ラジオを送ったりアマゾンに自然研究施設を設けたりしていろんな善いことをやって上の者になってみんなに命令してお金を取って儲けているのである。
しかし、今は道徳と科学の両方ある時代だから、科学のある時代でもある。科学のある時代には真実が正しい。空想はまちがいである。『人間が平等である』ことは真実である。だから、いくら自分が善いことをやったからといって上の者になることはできない。いくら自分が善いことをやっても他人に命令できたりはしない。昔は道徳と科学の両方がなかったから、科学のない時代には空想が正しかったから、「人間が不平等である」ことが通用したから、悪い者が上の者としてみんなに命令できたのである。今は道徳と科学の両方があるから、科学のある時代には真実が正しいから、『人間が平等である』ことが通用するから、善い者が上の者としてみんなに命令することはできないのである。
だから、創価学会はみんなに命令してお金を取って儲けることはできない。
今の時代に創価学会がお金儲けをしたければ、普通の会社と同じように、客と契約を取って客に仕事をして客からお金をもらうしかない。
[16347] 文学部はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.27
戦後になって道徳のある時代になった。文学部は自分勝手に「科学と道徳は対立する」と考えて、道徳のある時代には科学はないと考えている。科学がない時代には、真実がまちがいである。空想が正しい。『人間が平等である』ことは真実である。「人間が不平等である」ことは空想である。だから、文学部は「人間が不平等である」ことが正しいと考えて、自分が上の者をやって他人の稼[かせ]ぎを横取りして儲[もう]けているのである。文学部は自分が上の者をやるために、楽な事務の仕事をしているのである。文学部は自分が上の者をやるために、いつもお高ぶって偉そうな態度をしているのである。
しかし、今では本当は『科学と道徳は両立する。』「科学と道徳が対立する」のは昔の話である。だから、道徳のある時代にも科学がある。科学がある時代には、真実が正しい。空想はまちがいである。だから、文学部は「人間が不平等である」ことが使えず、自分が上の者をやって儲けることはできない。
今は『人間が平等である』ことが正しい。だから、文学部も理学部と同じように額[ひたい]に汗を流しながら働かねばならない。
昔の科学と道徳が両方ない時代には、みんなが法の隙間[すきま]を突いていろんな理屈をこねて自分が他人に命令できるようにして、他人からお金を取って儲けていた。[法の隙間を突くの“法”とは、法律のことではなく、科学や道徳のことである。]
今の科学と道徳が両方ある時代には、もはや法の隙間がないのでみんなが理屈をこねて他人からお金を取れないので、みんながまじめに働くようになっている。
昔の人は他人に黙[だま]って上の者や悪い者をやって他人からお金を取って儲けていた。他人に黙ってやろうが話してやろうがどうでもいいが、とにかく正しいことをしないといけない。いくらなんでも正しい中でやらねばならない。まちがったことをやってはいけない。今の政府や暴力団や宗教団体や社長や文学部はそうしていない。だから、みんなは政府や暴力団や宗教団体や社長や文学部にお金をやらなくていい。だから、政府や暴力団や宗教団体や社長や文学部は潰[つぶ]れねばならない。
[16348] 今は国民の時代である。☆ h24.12.27
人間は正しいことに従わねばならない。まちがっていることに従ってはならない。だから、まちがっている者が正しい者に従わねばならない。
昔は道徳のない時代だった。悪いことが正しく、善いことがまちがっていた。政府や暴力団や宗教団体は悪いことをやっていた。政府や暴力団や宗教団体は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などをやっていた。国民は善いことをやっていた。だから、政府や暴力団や宗教団体が正しかった。国民がまちがっていた。まちがっている者は正しい者に従わねばならなかったから、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。国民は政府や暴力団や宗教団体に文句が言えず、おとなしく悪いことをされるしかなかった。例えば、政府は国民から税金を取った。税金は政府が国民からお金を強盗することだった。昔は政府が国民よりも正しかったので、国民はおとなしく政府に税金を取られるしかなかった。
反対に、今は道徳のある時代である。善いことが正しく、悪いことがまちがいである。政府や暴力団や宗教団体は悪いことをやっている。国民は善いことをやっている。だから、政府や暴力団や宗教団体がまちがっている。国民が正しい。まちがっている者は正しい者に従わねばならないから、政府や暴力団や宗教団体が国民に従わねばならない。だから、国民が政府や暴力団や宗教団体に悪いことをされるのが嫌なら正々堂々と断ればいいのである。例えば、国民が政府に税金を取られるのが嫌なら、国民が政府に断って税金を払わなければいいのである。
昔は科学がない時代だった。空想が正しく、真実がまちがっていた。幕府や貴族や財閥や社長や文学部は空想をやっていた。幕府や貴族や財閥や社長や文学部は上の者をやって国民の稼[かせ]ぎを横取りしていた。国民は真実をやっていた。だから、幕府や貴族や財閥や社長や文学部は正しかった。国民がまちがっていた。まちがっている者は正しい者に従わねばならないから、国民が幕府や貴族や財閥や社長や文学部に従わねばならなかった。国民は幕府や貴族や財閥や社長や文学部に文句が言えず、おとなしく稼ぎを横取りされるしかなかった。
反対に、今は科学がある時代である。真実が正しく、空想がまちがいである。幕府や貴族や財閥や社長や文学部は空想をやっている。国民は真実をやっている。だから、幕府や貴族や財閥や社長や文学部がまちがっている。国民が正しい。まちがっている者は正しい者に従わねばならないから、幕府や貴族や財閥や社長や文学部が国民に従わねばならない。だから、国民が幕府や貴族や財閥や社長や文学部に自分の稼ぎを横取りされるのが嫌なら正々堂々と断ればいいのである。
昔は道徳や科学のない時代だったので、悪い者や上の者が正しく国民はまちがっていたので、国民は悪い者や上の者に従わねばならなかった。昔は悪い者や上の者の時代だった。[昔は道徳と科学の両方がなかったので、悪い者が上の者をやり、上の者が悪い者をやっていた。政府は悪い者の性格が強く上の者の性格が弱かった。反対に、幕府は上の者の性格が強く悪い者の性格が弱かった。]
反対に、今は道徳や科学のある時代なので、悪い者や上の者がまちがいで国民が正しいので、悪い者や上の者が国民に従わねばならない。今は国民の時代なのだ。
[16349] 多数決の原理はまちがいである。 h24.12.28
昔は道徳のない時代だった。悪いことが正しくて、善いことがまちがっていた。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやっていた。国民が善いことをやっていた。だから、政府や暴力団や宗教団体が正しくて、国民がまちがっていた。まちがっている者は正しい者に従わねばならなかったから、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。国民が政府や暴力団や宗教団体にどんなに悪いことをされても、文句を言わずにおとなしく従わねばならなかった。
もしも「多数決の原理」が正しければ、国民は政府や暴力団や宗教団体よりも人数が多いから、政府や暴力団や宗教団体が国民に従ってみんなが善いことをしていたはずである。
しかし、実際には政府や暴力団や宗教団体は悪いことをやっていて、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わねばならかったから、「多数決の原理」はまちがいなのである。
本当は『真理決の原理』が正しい。この世ではまちがった者が正しい者に従わねばならない。「多数決の原理」はまちがいである。人数の少ない者が多い者に従わねばならないのではない。学校で多数決を採るのは、子供にまちがいを教えるためだろう。
今は道徳のある時代である。善いことが正しくて、悪いことがまちがっている。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやっている。国民が善いことをやっている。だから、政府や暴力団や宗教団体がまちがっていて、国民が正しい。まちがっている者は正しい者に従わねばならないから、政府や暴力団や宗教団体が国民に従わねばならない。国民は政府や暴力団や宗教団体よりも人数が多いから、今では「多数決の原理」も『真理決の原理』も結果は同じである。今では国民が政府や暴力団や宗教団体に悪いことをされるのが嫌なら断って悪いことをされなければいいのである。
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[16350] 正しさが権力である。 h24.12.28
この世では正しさが権力(命令力)である。人間は正しいことに従わねばならない。まちがったことに従ってはいけない。だから、まちがった者は正しい者に従わねばならない。「多数決の原理」はまちがいである。人間はたとえ少数でも正しい者に従わねばならない。たとえ多数でもまちがった者に従ってはいけない。少数が多数に従わねばならない決まりはない。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。だから、科学をやる時代には道徳がやれなかった。古代や近代以降の日本では科学をやっている。道徳のない時代には、悪いことが正しくて、善いことがまちがっていた。そのために、政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやっていた。一方、国民は善いことをやっていた。だから、政府や暴力団や宗教団体が正しく、国民がまちがっていた。そのために、国民が政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。国民はいくら政府や暴力団や宗教団体に悪いことをされても、じっと我慢[がまん]しておとなしく従うしかなかった。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。だから、科学をやる時代にも道徳がやれる。道徳のある時代には、善いことが正しくて、悪いことがまちがっている。政府や暴力団や宗教団体は悪いことをやっている。国民は善いことをやっている。だから、政府や暴力団や宗教団体がまちがっている。国民が正しい。だから、政府や暴力団や宗教団体が国民に従わねばならない。国民が政府や暴力団や宗教団体に悪いことをされるのが嫌なら正々堂々と断って悪いことをされなければいいのである。
例えば、政府が国民から税金を取るのは悪いことである。政府は国民からお金を強盗しているのである。昔は政府が国民よりも正しかったから、国民は政府に従わねばならなかった。国民は政府に税金を取られてもおとなしく我慢するしかなかった。反対に、今は国民が政府よりも正しいから、政府が国民に従わねばならない。国民が政府に税金を取られるのが嫌なら政府に断って税金を払わなければいいのである。
[16351] 今では『科学と道徳は両立する』と考えられている。 h24.12.28
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。科学は物を扱うことであり、道徳は心を扱うことであり、物は眼で見えるが心は眼で見えず物と心が別物なので、科学をやると道徳がやれず、道徳をやると科学がやれないと考えられていたのである。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。道徳は心を扱うことだが、心は脳細胞の神経興奮で発生する感覚なので、脳細胞の神経興奮はシナプス末端で制御できるので、知覚で心を制御することができるので、科学で道徳ができるので、『科学と道徳が対立しない』、『科学と道徳が両立する』と考えられているのである。つまり、今では『心も物だ』と考えられているので、『科学と道徳が対立しない』と考えられているのである。そのために、今では世の中のありさまが変わっているのである。
[16352] 今では『超能力者は人間だ』と考えられている。 h24.12.28
昔から念力で頭が光ったり念力で物を動かせたりする超能力者が現れていた。例えば、神武天皇やキリストは赤ちゃんの頃[ころ]に念力で頭が光ったし、モーゼや私は赤ちゃんの頃に念力で物を動かせたのである(ただし、軽い物をちょっと動かせただけである)。
昔は「超能力者が神だ」と考えられていた。超能力者は人間にできないことをするので、神だと考えられていた。昔は「神に人間が従わねばならない」と考えられていたので、みんなが超能力者に従っていた。昔は「神に人間が従う」ことが正しかったので、宗教団体が超能力者に人間を従わせることを仕事にして、みんなからお金を取って儲[もう]けていた。
しかし、今は『超能力者は人間だ』と考えられている。超能力は誰にでもある。超能力者は自分の超能力を鍛[きた]えて強めた者である。だから、超能力者は人間である。今では『超能力者は人間だ』と考えられているので、みんなは超能力者に従わない。今では「超能力者に人間が従わない」ことが正しいので、宗教団体がいくら超能力者に人間を従わせることをしても仕事にならず、みんなからお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
[16353] 今の政府には仕事がない。 h24.12.28
政府の仕事は悪いことをすることと、国家宗教つまり超能力者に人間を従わせることと、民主主義の3つである。もっとも、政府にとっては悪いことをするのが本業で、国家宗教や民主主義はオマケにすぎない。政府は悪いことをする会社だから、嘘[うそ]をつくのは悪いことだから、政府は嘘で国家宗教や民主主義をやっているだけである。
昔は「悪いことが正しい」と考えられていたから、政府は国民から税金を強盗して儲[もう]けていた。
昔は「超能力者が神だ」と考えられていたから、政府は国民を超能力者に従わせることを仕事にして、国民からお金を取って儲けていた。
昔は「多数決の原理が正しい。民主主義が正しい。」と考えられていたから、政府は国民を国民みんなに従わせることを仕事にして国民からお金を取って儲けていた。
しかし、今では『善いことが正しい。悪いことはまちがいだ。』と考えられているから、政府は国民から税金を強盗して儲けることができなくなった。
今は『超能力者が人間だ』と考えられているから、政府は国民を超能力者に従わせることを仕事にして儲けることができなくなった。
今は『多数決の原理がまちがいだ。民主主義がまちがいだ。』と考えられているから、政府は民主主義を仕事にして儲けることができなくなった。
したがって、今の政府は仕事がない。今の政府は国民からお金をもらえず儲からない。政府は潰[つぶ]れるしかない。
[16354] どうして今の日本は馬鹿の国なのか? h24.12.28
昔からどこの国でも利口よりも馬鹿が多い。
政府は民主主義の政治機関である。つまり、政府は国民を大勢の国民に従わせる機関である。
だから、政府は国民を馬鹿に合わせて、国民みんなを馬鹿に変えている。政府は学校で子供にへたくそな教育をして日本人を馬鹿に変えている。政府は日本人を自分で考えない、眼で見るだけで頭で考えない馬鹿に改造している。
そのために、今の日本は馬鹿が多くて馬鹿の国になっている。
このままでは、日本がダメな国になる。馬鹿ばっかりのくだらない国になる。
今の日本に馬鹿が多いことが、今の日本が不景気であることの一因[いちいん]である。[馬鹿は現実と空想の区別がつかない。今の日本には馬鹿が多い。だから、今のマンガは現実的になって空想的でなくなって面白くないのである。昔の日本人は利口だったから、現実と空想の区別ができたから、面白いマンガがあった。反対に、今の日本人は馬鹿だから、現実と空想の区別ができないから、面白いマンガがなくなったのである。]
しかし、今では『多数決の原理がまちがっている。民主主義がまちがっている。』と考えられている。
だから、国民は政府に民主主義をやらせてはいけない。
国民は政府に税金をやらないようにして、早く政府を潰[つぶ]さねばならない。
[16355] キリストは神ではない。 h24.12.28
キリストはローマ皇帝に殺された。
ローマ皇帝は人間である。
神が人間に殺されるわけがない。
だから、キリストは神ではない。
だから、キリストは人間だったのである。
キリストは赤ちゃんの頃[ころ]に念力で頭が光ったから超能力者だった。
キリストは自分の身をもって『超能力者が人間である』ことを証明したのである。
[16356] 私が政府について考え始めたのは、趣味のアニメがきっかけだった。
h24.12.28
私は今から約8年前にテレビアニメ『アイドル天使ようこそようこ』を見ているときに、自分の情報を用いて番組が作られていることに気がついた。すぐに政府が私を神とする国家宗教をやっていることがわかった。これまでのいくつかの事件が政府がやったことがわかった。例えば、イランイラク戦争や湾岸戦争や日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故やアメリカ同時多発テロ事件やタイタニック号沈没事故やロンドン地下鉄爆破事件などが日本や世界の政府が私や神武天皇やキリストなどを神とする国家宗教でやったことがわかった。このことから、政府が悪い会社であると考えられた。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたので、科学の時代には道徳がなかったので、悪いことが正しく、善いことがまちがいだと考えられていた。そのために、政府は悪いことをやっていた。政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をやっていた。国民は善いことをやっていた。だから、政府が正しく、国民がまちがっていた。まちがった者は正しい者に従わねばならないから、国民が政府に従わねばならなかった。国民はいくら政府に悪いことをされても、我慢[がまん]しておとなしく政府に従わねばならなかった。政府が国民から税金を強盗して儲[もう]かったので、暴力団や宗教団体も政府を真似[まね]て国民からお金を強盗して儲かった。
反対に、今では『科学と道徳が両立する』と考えられているので、科学の時代にも道徳があるので、善いことが正しく、悪いことがまちがいだと考えられている。今では政府がまちがいで、国民が正しい。政府が国民に従わねばならない。国民が政府に悪いことをされるのが嫌なら政府に断ればいい。政府は国民から税金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。そのうち、政府が潰れたら、法律会社が建つだろう。今は悪いことが正しい時代ではないので、法律会社は国民から税金を強盗できないので、国民みんなと契約して仕事をするだろう。平和な世の中になるだろう。
[16357] 昔は身分制や悪事制があった。 h24.12.28
『人間は正しいことに従う』ことが人間にとっての最高原理である。世界の大部分の国ではこの原理のもとに国を築いてきた。日本もそうしてきた。人間は正しいことに従わねばならない。人間はまちがったことに従ってはいけない。まちがった者は正しい者に従わねばならない。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。だから、道徳をやる時代には科学をやってはいけなかった。中世や近世の日本は道徳をやっていたので、科学をやってはいけなかった。科学のない時代には、真実がまちがいで、空想が正しかった。人間が平等であることは真実だった。反対に、人間が不平等であることは空想だった。そのために、幕府や貴族や財閥が国民の稼[かせ]ぎを横取りして上の者をやっていた。一方、国民は真実をやってみんなと平等にしていた。だから、幕府や貴族や財閥が正しくて、国民がまちがっていた。まちがっている者は正しい者に従わねばならなかったから、国民は幕府や貴族や財閥に従わねばならなかった。国民はいくら幕府や貴族や財閥に稼ぎを横取りされても、文句を言わずにおとなしく従わねばならなかった。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。だから、道徳をやる時代にも科学をやってもいい。科学をやる時代には、真実が正しく、空想がまちがいである。人間が平等であることが正しく、人間が不平等であることがまちがいである。幕府や貴族や財閥がまちがいで、国民が正しい。だから、今では幕府や貴族や財閥が国民に従わねばならない。国民が幕府や貴族や財閥にお金を横取りされるのが嫌なら断ってお金をやらなければいいのである。実際に、すでに国民はそうしたから、幕府や貴族や財閥が滅んでなくなったのである。今でも、社長や文学部は密[ひそ]かに上の者をやって他人の稼ぎを横取りして儲けている。社長は上の者をやるために会社の代表みたいなことをやっている。文学部は上の者をやるために楽な事務の仕事をやっている。国民は社長や文学部にお金を横取りされるのが嫌なら断ってお金をやらなければいい。そうすれば、社長や文学部は滅ぶだろう。
昔の科学のない時代には上の者をやる「身分制」があった。反対に、道徳のない時代には悪い者をやる「悪事制」があった。人間は科学も道徳も両方なければ生きられない。しかし、昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたために、科学の時代にも道徳をやるために科学が完全にはやれず、道徳の時代にも科学をやるために道徳が完全にはやれず、昔は科学と道徳を両方とも不完全にしかやれなかった。そのために、昔は悪事制と身分制の両方あった。政府や幕府が悪事制と身分制の両方を使って国民を虐[いじ]めたり国民の稼ぎを横取りしたりしていた。政府は身分制よりも悪事制の強い団体だった。反対に、幕府は悪事制よりも身分制の強い団体だった。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられているので、科学と道徳の両方がやれる。科学と道徳の両方がいくらでもやれる。科学と道徳の両方が完全にやれる。だから、今では科学と道徳の両方が完全にやれるので、身分制も悪事制もない。今では政府や幕府が悪事制も身分制も両方ともやれなくなって国民から税金を強盗したり国民の稼ぎを横取りしたりできなくなって潰[つぶ]れている。
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[16358] 科学と道徳の両方がある時代には悪事や空想をやってはいけない。 h24.12.28
『人間は正しいことに従わねばならない。』それが人間の決まりである。人間は正しいことをやらねばならない。まちがったことをやってはいけない。人間は正しいことの中で楽しいことをやらねばならない。正しいことの中でお金を儲[もう]けねばならない。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。
そのために、「科学の時代には道徳がない」と考えられていた。道徳がないから、善でも悪でもどうでもよかった。善でも悪でもどちらをやってもよかった。悪いことをやってもよかった。だから、政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやって国民からお金を強盗して儲[もう]けていた。道徳のない時代には悪いことをやってもよかったので、国民は政府や暴力団や宗教団体に悪いことをされても文句が言えずおとなしく従うしかなかった。道徳のない時代には悪いことをしてもよかったので、政府や暴力団や宗教団体は国民を暴力で脅[おど]して命令していた。逆らった者は片っ端[かたっぱし]から殺されていた。
反対に、「道徳の時代には科学がない」と考えられていた。科学がないから、真実でも空想でもどうでもよかった。真実でも空想でもどちらをやってもよかった。空想をやってもよかった。だから、幕府や貴族や財閥が空想で人間が不平等だと考えて自分が上の者をやって国民の稼[かせ]ぎを横取りして儲けていた。科学のない時代には空想をやってもよかったので、国民は幕府や貴族や財閥に上の者をやられて自分の稼ぎを横取りされても文句が言えずおとなしく従うしかなかった。
しかし、今では『科学と道徳が両立する』と考えられている。
そのために、科学の時代にも道徳がある。道徳の時代にも科学がある。いつの時代にも科学と道徳の両方がある。だから、今では悪いことをやったり上の者をやったりしてはいけない。科学と道徳の両方がある時代には悪事や空想をやってはいけないので、国民は政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥などに文句を言って悪事をさせたり上の者をさせたりしなければいい。国民は政府や暴力団や宗教団体に自分のお金を強盗されるのを断ればいい。国民は幕府や貴族や財閥に自分の稼ぎを横取りされるのを断ればいい。そうすれば、政府や暴力団や宗教団体や幕府や貴族や財閥は滅ぶだろう。実際に、昔の人が幕府や貴族や財閥に自分の稼ぎを横取りされるのを断ったから幕府や貴族や財閥が滅んでなくなったのである。だから、今の人が政府や暴力団や宗教団体に自分のお金を強盗されるのを断れば、政府や暴力団や宗教団体が滅ぶのである。
今でも社長や文学部は密かに上の者をやって他人の稼ぎを横取りして儲けている。今は科学のある時代だから、上の者をやってはいけない。だから、みんなは社長や文学部が自分の稼ぎを横取りするのを断ってお金をやらなければいいのである。社長や文学部を滅ぼせばいいのである。
昔の人は馬鹿だったから「科学と道徳が対立する」と思っていた。そのために、悪いことをする者や上の者をする者が現れて、虐[いじ]められたり稼ぎを取られたりして面白くない思いをしていた。
今の人は進歩したから『科学と道徳が両立する』と考えている。そのために、悪いことをする者や上の者をする者が滅んでいなくなっている。人々はようやく鬱陶[うっとう]しい連中から解放されたのだ。
[16359] 今の国民は政府に悪いことをされるのを断らねばならない。 h24.12.28
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたので、科学の時代には道徳がなかった。道徳がなかったから、悪いことをやってもよかった。政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をやっていた。政府は国民から税金を強盗して儲[もう]けていた。昔は悪いことをしてもよかったから、国民はいくら政府に悪いことをされても、じっと我慢[がまん]するしかなかった。
反対に、今は『科学と道徳が両立する』と考えられているので、科学の時代にも道徳がある。道徳があるから、悪いことをやってはいけない。政府は人殺しや強盗や嘘や意地悪をやってはいけない。政府は国民から強盗して税金を取れない。今は悪いことをしてはいけないから、国民は政府に悪いことをされるのを正々堂々と断って、政府に悪いことをされなければいいのである。
[16360] 今は科学と道徳が両方ある時代である。 h24.12.29
戦後は『科学と道徳が両立する』と考えられている。今では科学と道徳が両方ある時代である。
それなのに、社長や文学部は自分勝手に科学がないことにして身分制をやって自分が上の者をやって他人の稼[かせ]ぎを横取りして儲[もう]けている。社長や文学部は他人よりもいい待遇である。
政府や暴力団や宗教団体は自分勝手に道徳がないことにして悪事制をやって自分が悪い者をやって国民からお金を強盗して儲けている。政府や暴力団や宗教団体は国民よりもいい待遇である。
しかし、本当は今は科学と道徳が両方ともある。だから、社長や文学部は科学がないことにして自分が上の者をやれない。国民が社長や文学部に稼ぎを横取りされるのが嫌なら断ってお金をやらなければいい。政府や暴力団や宗教団体は道徳がないことにして悪い者をやれない。国民が政府や暴力団や宗教団体にお金を強盗されるのが嫌なら断ってお金を強盗されなければいい。
[16361] 政府や暴力団や宗教団体は旧世界の生き物である。 h24.12.29
人間は正しいことをやらねばならない。まちがったことをやってはいけない。人間は正しいことなら何でもやっていい。人間はまちがったことはやってはいけない。それが、人間の法則である。
昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていた。
そのため、科学の時代には道徳のないことをする団体が出来た。悪いことをする団体が出来た。政府や暴力団や宗教団体が人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をやった。政府や暴力団や宗教団体は国民からお金を強盗して儲[もう]けた。政府や暴力団や宗教団体は国民を暴力で脅[おど]して命令した。昔は科学の時代には悪いことをやってもいいと考えられていたので、みんなは政府や暴力団や宗教団体にいくら悪いことをされても文句が言えずおとなしく従うしかなかった。
反対に、今は『科学と道徳が両立する』ことが正しいと考えられている。
そのため、科学の時代にも道徳がやれるようになった。科学の時代にも道徳をやらねばならなくなった。悪いことがやれなくなった。政府や暴力団や宗教団体などの悪いことをする団体が国民からお金を強盗できなくなって儲からなくなって滅んでいる。暴力で脅して命令できなくなっている。今では科学の時代にも悪いことをやってはいけないと考えられているので、みんなは政府や暴力団や宗教団体に悪いことをされるのを断って悪いことをされなくなっている。
「科学と道徳が対立する」のは旧世界の法則である。『科学と道徳が両立する』のは新世界の法則である。今は新世界である。政府や暴力団や宗教団体は旧世界の生き物である。だから、今では政府や暴力団や宗教団体が滅ばねばならないのだ。
[16362] 幕府や貴族や財閥は旧世界の生き物である。 h24.12.29
人間は正しいことをやらねばならない。まちがったことをやってはいけない。人間は正しいことなら何でもやっていい。人間はまちがったことはやってはいけない。それが、人間の法則である。
昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていた。
そのため、道徳の時代には科学のないことをする団体が出来た。空想をやる団体が出来た。上の者をやるのは空想だった。幕府や貴族や財閥は上の者をやって他人の稼[かせ]ぎを横取りして儲[もう]けた。幕府や貴族や財閥は上の者として国民を虐[いじ]めたり国民に命令したりした。昔は道徳の時代には空想をやってもいいと考えられていたので、みんなは幕府や貴族や財閥に上の者をされても文句が言えずおとなしく従うしかなかった。
反対に、今は『科学と道徳が両立する』ことが正しいと考えられている。
そのため、道徳の時代にも科学がやれるようになった。道徳の時代にも科学をやらねばならなくなった。空想がやれなくなった。幕府や貴族や財閥などの上の者をやる団体が国民からお金を横取りできなくなって儲からなくなって滅んでいる。国民を虐めたり国民に命令したりできなくなっている。今では道徳の時代にも空想をやってはいけないと考えられているので、みんなは幕府や貴族や財閥に上の者をされるのを断って上の者をされなくなっている。幕府や貴族や財閥が滅んでいる。
「科学と道徳が対立する」のは旧世界の法則である。『科学と道徳が両立する』のは新世界の法則である。今は新世界である。幕府や貴族や財閥は旧世界の生き物である。だから、今では幕府や貴族や財閥が滅ばねばならないのだ。
今でも、社長や文学部が密[ひそ]かに上の者をやっている。今は道徳がある時代なので、社長や文学部は自分勝手に「科学と道徳が対立する」と考えて、今が科学のない時代だと思って上の者をやっているのである。社長や文学部は上の者をやって他人の稼ぎを横取りしている。他人を虐めたり他人に命令したりしている。しかし、今は本当は『科学と道徳が両立する。』今は科学のある時代である。だから、社長や文学部は上の者をやってはいけない。みんなは社長や文学部が上の者をするのを断って上の者をやらさなければいい。みんなは社長や文学部に自分の稼ぎを横取りされたり虐められたり命令されたりするのを断ってやらさなければいい。社長や文学部は働いていないから給料をやらなくていい。それが嫌なら会社を辞[や]めてもらえばいい。社長は文学部は旧世界の生き残りである。今は新世界である。だから、早く社長や文学部を滅ぼさねばならない。
[16363] 多数決の原理はない。 h24.12.29
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、科学の時代には道徳がなかった。
道徳のない時代には、善いことをやろうが悪いことをやろうが個人の自由だった。だから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやった。一方、国民は善いことをやった。もしも、「多数決の原理」があれば、国民は政府や暴力団や宗教団体よりも人数が多いから、みんなが善いことをしたはずである。しかし、実際には、政府や暴力団や宗教団体は悪いことをしていたから、この世には「多数決の原理」はないのである。
この世には『正しいことに従う原理』があるだけである。この世には多数に従わねばならない決まりはない。人間はただ正しいことをすればいいだけである。
「多数決の原理」があれば国民が政府の命令を聞くから、政府は嘘[うそ]で「多数決の原理」をでっち上げて「多数決の原理」で動いているふりをしているのである。政府は「多数決の原理」をでっち上げるために、国会や各省庁を建てて選挙をやっているのである。本当は「多数決の原理」なんかないのである。だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
政府はそもそも暴力で脅[おど]して国民に命令するのだから、政府にとって「多数決の原理」はどうでもいいのである。だから、国民は「多数決の原理」を無視すればいいのである。しかし、今では『科学と道徳が両立する』ので、科学の時代には道徳があるから、政府は悪いことができない。政府は暴力で脅して国民に命令できない。だから、国民は政府の命令を聞かなくていいのである。
[16364] どうして今の国民は政府に従っているのか? h24.12.29
今は『科学と道徳が両立する。』科学の時代にも道徳がある。悪いことをしてはいけない。だから、政府は国民から税金を強盗したり、国民を暴力で脅[おど]して国民に命令したりできない。国民が政府に悪いことをされるのが嫌なら政府に断[ことわ]って政府に悪いことをやらさなければいい。
それなのに、今の国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしている。
それは、今の国民が「国民が政府に従うのがこの世の決まりだ」と思っているからである。今の国民は世の中を丸暗記して鵜呑[うの]みにして政府に従っているのである。
今の国民は自分で考えることが足りない。そのために、今の国民は損をしているのである。今の学校では子供に暗記勉強ばかりやらせるので、国民は「自分で考えなくても暗記すればいいだけだ」と思っているから自分で考えないのである。
本当は、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は政府に税金を強盗されたり命令されたりするのが嫌なら政府に断って、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしなければいい。
[16365] どうして日本は戦争をやったか? h24.12.29
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。科学の時代には道徳がなかった。道徳がなければ、善いことをやるか悪いことをやるかは個人の自由である。
そのため、政府は悪いことをやっていた。一方、国民は善いことをやっていた。
政府は人殺しが好きだった。国民は人殺しが嫌だった。
だから、政府は国民に命令して人殺しをさせた。
つまり、戦争は政府が国民に命令してやらせたことである。国民は政府の命令でいやいや戦争をやらされたのである。戦争は国民にとってゲームではなかったのである。
政府は外人を嫌がらせたし、自分の国の国民も嫌がらせたのである。
だから、戦争の責任は政府にある。国民にはない。
戦後に政府が戦争の責任を取らされて処刑されたのは当然である。一方、国民には戦争の責任がなかったから、国民は処刑されなかった。
今の世界に戦争がないのは、政府が国民に戦争をやらせることができなくなったからである。政府が国民に命令できなくなったからである。政府が国民を暴力で脅[おど]して国民に命令できなくなったからである。
戦後の世界は『科学と道徳が両立する』と考えられて道徳のある世界になったので、政府が悪いことができなくなったので、政府は国民に命令できなくなったのである。
今は道徳のある世界なので、政府は悪いことができないので、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていい。もちろん、国民は政府の命令で戦争をやらなくていい。
今は道徳のある世界だから、悪いことをしてはいけない。政府が悪いことをしたら国民で政府を罰すればいい。むしろ、罰しなければならない。
[16366] どうして政府は悪い会社なのか?《要約》 h24.12.29
私は今から約8年前に衛星放送のアニメ専門チャンネルAT−Xでテレビアニメ『アイドル天使ようこそようこ』の第4話を見ているときに、私の情報を用いて番組が作られていることを確信した。それまでにも、私が医学生の頃(今から約25年前)にNHK教育で『ピコピコポン』や『やっぱりヤンチャー』を見ているときに私の情報が使われていると感じたことはあったが情報が少なかったために確信には至らなかった。『ようこそようこ』の場合には、私の情報が番組で多く使われていたために確信に至ったのである。その後すぐに私は政府が私を神とする国家宗教をやっていることがわかった。私は子供の頃に母親から「昔私らが鴨部[かもべ](高知県高知市朝倉の地名)に住んでいた頃夜中に突然ガラガラが回ったことがある」という話を聞いたことがあったので、政府が私を神とする国家宗教をやっていることがわかったのである。これまでに政府が国家宗教でいろんな事件を起こしたことがわかった。例えば、イランイラク戦争や湾岸戦争や日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故やアメリカ同時多発テロ事件やタイタニック号沈没事故やロンドン地下鉄爆破事件などが日本や世界の政府が私や神武天皇やキリストなどを神とする国家宗教でやったことがわかった。このことから、私には『政府が悪いことをする会社だ』と考えられた。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、科学の時代には道徳がなかった。道徳がなかったので、善いことをやるか悪いことをやるかは個人の自由だった。そのために、政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやった。一方、国民は善いことをやった。政府は国民から税金を強盗して儲[もう]けた。政府は国民を暴力で脅[おど]して命令した。国民に命令して戦争をやらせた。政府は嘘で国家宗教や民主主義で善いことをやっているふりをしている。昔は悪いことをしてもよかったので、国民は政府にどんなに悪いことをされても文句を言わず我慢[がまん]しておとなしく政府に従っていた。昔は政府が儲かったので、暴力団や宗教団体が政府を真似[まね]て国民からお金を強盗して儲けていた。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。[[16351]を参照。]科学の時代にも道徳がある。道徳があるので善いことをしなければならない。悪いことをやってはいけない。そのために、政府は悪いことがやれない。今の政府は国民から税金を強盗できない。今の政府は国民を暴力で脅して国民に命令できない。今は悪いことをしてはいけないので、国民は政府に悪いことをされるのを断って政府に悪いことをされなければいい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞かなければいい。政府は民主主義の政治機関ではないから、政府は立法機関ではないから、国民は政府の法律を守らなくてもいい。今では政府が儲からなくなったので、暴力団や宗教団体もなくなっている。
[16367] 女は人間ではない。 h24.12.30
人間は正しいことをしなければならない。まちがったことをやってはいけない。人間は正しいことの中で楽しまねばならない。人間はまちがったことで楽しんではいけない。それが、人間の条件である。
ところが、女は知覚が弱い。女は正しいこととまちがったことの区別ができない。女は眼で見えることがわかるだけである。女は楽しいことと楽しくないことの区別がつくだけである。
だから、女はたとえまちがったことでも楽しければやる。正しくても嫌ならやらない。
女は人間の条件を満足していない。女は人間ではない。動物である。
女は他人に悪い影響を及ぼす。だから、女を社会に出してはいけない。
昔の時代に女を社会に出さなかったのは、そういうわけである。
今の時代には女は我が物顔で社会にまかり通っている。男が女を真似[まね]ている。そのために、みんなが知覚が弱くなって正しいこととまちがったことの区別ができなくなっている。みんなが眼で見えることと心で思うことしかわからなくなってフニャフニャ馬鹿になっている。
女は人間としての実力(つまり知覚)がない。だから、男女平等は百年早い。女がもう少し利口になってから男女平等にしなければならない。それまでは、男尊女卑もやむをえない。つまり、女は男に従うだけで、男が女に従わないようにしなければならない。
女は正しさのない生き物である。だから、男女平等にすると正しさのないことが正しくなって正しさのない世界になる。
正しさのない世界には科学も道徳も両方ともない。真実も善いことも両方ともない。正しさのない世界では、みんなが自分のやりたい放題である。世の中には善い人も多いが悪い人も多い。真実が好きな人も多いが空想が好きな人も多い。政府や暴力団や宗教団体などの悪い者が悪いことをするし、幕府や貴族や財閥などの上の者が上のことをする。政府と幕府の両方ある国になる。国民は政府に税金を取られた上に幕府にも年貢[ねんぐ]を取られて二重に貧乏になる。国民は政府に悪いことをされた上に幕府に上のことをされて二重に虐[いじ]められる。だから、正しさのある世界にしないといけない。
そもそも男女平等になったのは、キュリー夫人のような“頭のいい女”がいたからである。
それなら、頭のいい者と頭の悪い者を不平等にすればいい。頭のいい者を頭の悪い者よりも上にすればいい。
それなら、男女平等でもいい。
この世をまちがった世界にしようと企[たくら]んでいる者がいる。悪い者や上の者からお金をもらってまちがった世界に作り変えている者がいる。みんなは自分でよく考えて正しい世界にしないといけない。まちがった者にこの世をまちがった世界にされるのを断ってまちがった世界にさせてはいけない。
女は正しさのない生き物である。女は優しさはあるが正しさがない。女は眼で見ることと心で思うことができるだけである。[いくら女が利口そうに見えても本当は馬鹿である。女が利口そうに見えるのは擬態[ぎたい]である。]だから、子供の教育を女にさせるとうまく行かない。子供が頭で考えない馬鹿になる。だから、子供の教育は男がやらねばならない。そうすれば、子供が頭で考えるようになってうまく行く。子供にはいい大学に受かっていい会社に入る教育をするよりも、自分の頭で考える教育をしないといけない。
人類は長い時間をかけて物や心について考えて、科学や道徳の知識を築[きず]いてきた。正しさのない世界ではそれらの知識を活かせない。原始時代と同じになる。だから、正しさがなければならない。みんなでこの世を正しさのある世界にしないといけない。
[16368] 人間は考える生き物である。 h24.12.30
最近の人間は馬鹿っぽい。眼で見えることと心で思うことしかわからない。頭で考えることがわからない。最近は正しさのない世界になりつつある。最近の人間は社会に対する理解がないから、いまだに政府や暴力団や宗教団体などの悪い者や社長や文学部などの上の者が幅を利[き]かせているのである。
これまで人類はずっと正しさのある世界でやってきた。昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていたから、科学の時代には道徳がないことに、道徳の時代には科学がないことに耐[た]えねばならなかった。道徳のない時代には、みんなは政府や暴力団や宗教団体が悪いことをするのに耐えてきた。科学のない時代には、みんなが幕府や貴族や財閥や社長や文学部が上の者をやるのに耐えてきた。これまで悪い者や上の者がさんざん幅を利かせていたにも関わらず人類がなんとか生きてこれたのは、人類がまがりなりにも正しいことに従ってきたからである。人類は自分がまちがいを犯すたびに自分の考えに対する修正を繰り返して進歩してきたのである。
人間は知覚のある動物だから、人間には正しいことがわかるから、これまで人間は一生懸命に正しいことを考えて正しいことに従ってきたのである。
人間が正しさを粗末[そまつ]にすることは、人間が動物になることである。考えない人間はもはや人間とは言えない。
人間は考える生き物である。それが人間の定義である。最近の人間は人間の定義を忘れている。最近の人間は自分自身を知らない。最近の人間は人間の定義に背[そむ]いている。だから、最近の人間はまちがっている。
人間は考えて生きて行かねばならない。それが人間の使命である。だから、『人間は正しいことに従わねばならない』のである。
例えば、今は『科学と道徳が両方ある』ことが正しいと考えられているから、今は科学と道徳が両方あるから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者も社長や文学部などの上の者もなくならねばならないのである。国民は政府や暴力団や宗教団体や社長や文学部に従わないようにして、政府や暴力団や宗教団体や社長や文学部を滅ぼさねばならないのである。
[16369] どうして国民は貧乏なのか? h24.12.31
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に恨[うら]みがあろうがなかろうが、とにかく悪いことをする。政府は「科学と道徳が対立するので、科学の時代には道徳がないので、悪いことをしてもいい」原理で動いている会社だから、ひたすら悪いことをし続けるのである。いわば、政府は他人目[ひとめ]がどうあろうが自分が正しいと思った信念を貫く会社なのである。
政府は自分が無駄遣[むだづか]いをしておいて、その負債を国民に負わせている。
そのために、国民は貧乏暮らしを強いられている。
だから、政府がなくなったほうがいい。
今は科学と道徳の両方ある時代だから、政府は悪いことができない。
国民は政府が国民から税金を強盗するのを断って、政府を倒さなければならない。
[16370] どうして今のヨーロッパは儲[もう]からないのか? h24.12.31
世界中が科学をやるようになったからである。中国やインドでも科学をやるようになったからである。戦後は世界中で『科学と道徳が両立する』と考えられるようになったので、道徳の国でいっせいに科学がやられるようになったのである。
昔は科学はヨーロッパの独占だった。ヨーロッパの工業製品が世界中に高い値段で売れた。だから、ヨーロッパがすごく儲かった。例えば、日本でもヨーロッパのガラス製品がギヤマンと呼ばれて高値で売れた。
今は世界中で科学をやっている。今は世界中の国で工業製品を自給自足している。今はヨーロッパの製品が売れなくなった。だから、ヨーロッパが儲からなくなったのである。
日本も昔はアジアでいち早く科学をやって日本の工業製品がアジア中に売れて儲かった。しかし、今ではアジア中で科学をやるようになって、アジアの国が自給自足をするようになって、日本の製品が売れなくなって日本が儲からなくなった。
つまり、今では国家間の格差がなくなったから、先進国が儲からなくなったのだ。先進国と後進国の差がなくなって、世界中が同じになりつつあるのだ。
日本は貧乏に強いが、ヨーロッパは貧乏に弱いからさぞかし困っているだろう。
[16371] 昔は悪いことをするのが正しかった。 h24.12.31
人間は正しいことをしないといけない。まちがったことをやってはいけない。人間は正しければ何をやってもいい。人間はまちがっていれば何をやってもいけない。それが、人間界のルールである。
昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていた。だから、科学をやる時代には道徳がなかった。道徳がなかったから、悪いことをやってもよかった。つまり、昔は「悪いことをやるのが正しい」と考えられていたのである。だから、政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやっていた。政府は悪いことを何でもやっていた。政府は国民から税金を強盗して儲[もう]けた。政府は国民を暴力で脅[おど]して命令した。政府は国民に戦争をやらせた。政府は正しいことをやっていたので、国民は政府に文句が言えず、政府におとなしく従うしかなかった。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』ことが正しいと考えられている。だから、科学をやる時代にも道徳がやれる。道徳がやれるから、悪いことをやってはいけない。つまり、今は『悪いことをやるのがまちがっている』と考えられているのである。だから、政府は人殺しや強盗や嘘や意地悪などの悪いことをやることができない。政府は悪いことがやれない。政府は国民から税金を強盗できないから儲からない。政府は国民を暴力で脅して命令できない。今では『悪いことはまちがっている』から、もしも政府が悪いことをやっていたら、国民は政府に断って、政府に悪いことをやらせてはいけない。
[16372] 極道の意味 h24.12.31
人間は正しいことをしないといけない。悪いことをやってはいけない。人間は正しければ何をやってもいい。人間はまちがっていれば何をやってもいけない。それが人間界の決まりである。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたので、科学をやる時代には道徳がなかった。悪いことをやってもよかった。
だから、暴力団は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことをやった。暴力団は他人からお金を強盗した。暴力団は他人を暴力で脅[おど]して命令した。
極道の“道”とは正義の道のことである。人間の道のことである。
暴力団はひたすら正しいことをやっていただけなのである。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられているので、科学をやる時代にも道徳がある。悪いことをやってはいけない。
だから、暴力団はもはや悪いことをやってはいけない。暴力団は他人からお金を強盗したり、他人を暴力で脅して命令したりしてはいけない。
極道の道が正義の道であり人間の道であるかぎり、今の暴力団は悪いことをやってはいけない。
今の暴力団は今の国民の多くが『今が暴力が使えない時代である』ことを知らないことを利用して、国民を暴力で脅してお金を取って儲けている。国民は暴力団に暴力で脅してお金を取られるのを断って、暴力団にお金をやってはいけない。
[16373] 科学の時代にも上の者がいた。 h25.1.1
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。
だから、科学の時代には道徳がなかった。悪いことをやってもよかった。だから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者がいて、人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をしていた。
また、科学の時代にも科学がなかった。昔は今ほど科学が発達していなかったので、科学の時代にも科学がなかったのである。そのために、空想をやってもよかった。だから、貴族や財閥などの上の者がいて、他人の稼[かせ]ぎを横取りしたり、他人を虐[いじ]めたりしていた。
反対に、道徳の時代には科学がなかった。空想をやってもよかった。だから、幕府の上の者がいて、他人の稼ぎを横取りしたり、他人を虐めたりした。
また、道徳の時代にも道徳がなかった。昔は今ほど道徳が発達していなかったので、道徳の時代にも道徳がなかったのである。そのために、悪いことをやってもよかった。だから、暴力団や宗教団体などの悪い者がいて、人殺しや強盗や嘘や意地悪をした。
つまり、昔はいつの時代にも科学と道徳の両方がなかった。悪いことをする者と空想をする者の両方がいた。もっとも、科学をやる時代には空想をする者よりも悪いことをする者が多く、道徳をやる時代には悪いことをする者よりも空想をする者が多かった。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。
だから、科学の時代にも道徳がある。善いことをやらねばならない。悪いことをやってはいけない。だから、政府や暴力団や宗教団体などの悪い者を滅ぼして、人殺しや強盗や嘘や意地悪をなくさねばならない。特に政府は団体が大きく社会的影響力が強いので、早く政府を滅ぼさねばならない。
また、科学の時代にも科学がある。真実をやらねばならない。空想をやってはいけない。だから、幕府や貴族や財閥などの上の者を滅ぼして、他人の稼ぎを横取りしたり他人を虐めたりしてはいけない。社長や文学部も上の者をやってはいけない。
つまり、今は科学と道徳の両方がある。悪いことをする者と空想をする者が両方ともいない。つまり、今は『自分の物と他人の物の区別があり』『人間はみな平等である』世界である。みんなの努力で今後も科学と道徳の両方ある時代を維持しさらに向上していかねばならない。
[16374] どうして科学の時代にも上の者がいたか?☆ h25.1.1
戦前はずっと「人間が不平等である」時代だったからである。
だから、戦前まではずっと上の者がいて、他人の稼[かせ]ぎを横取りしたり、他人を虐[いじ]めたりしていたのである。幕府や貴族や財閥がいて上の者をやっていたのである。幕府や貴族や財閥が自分で自分を上の者だと思って上の者をやっていたのである。
一方、「悪いことをしてもいい」時代は、科学の時代だけだった。昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたので、科学の時代には道徳がなくて悪いことをしてもよかった。政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやった。反対に、道徳の時代には悪いことをしてはいけなかった。政府や暴力団や宗教団体がいなかった。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられているので、科学の時代にも道徳があるので悪いことをやってはいけない。政府や暴力団や宗教団体が滅ばねばならない。
もちろん、今は『人間が平等だ』と考えられているから、上の者をやってはいけない。今でも社長や文学部は上の者をやって他人の稼ぎを横取りしたり、他人を虐めたりしている。社長や文学部は滅ばねばならない。
昔はずっと空想の時代だったので空想をやってもよかったから、空想で人間に上下の身分の違いを設けて「人間が不平等だった」のである。今は科学の時代だから空想が通用しなくなったので『人間が平等になった』のである。昔は空想の時代だったので空想で「科学と道徳が対立する」と考えられていた。だから、科学の時代には道徳がやれず、道徳の時代には科学がやれなかった。科学が進んで『科学で道徳がやれる』ことがわかって『科学と道徳が対立しない』ことがわかったので、今は科学と道徳の両方がやれるようになって『悪いことがいけない』ことになったのである。科学が人間を平等にし、悪いことができなくしたのである。
[16375] どうしてインドは遅れているのか? h25.1.1
昔は空想の時代だった。「人間が不平等である」とか「科学と道徳が対立する」と考えられていた。
インドは道徳を取った。だから、インドは科学がやれなかった。
そのために、インドでは科学の発達が遅れて、今では世界中で『人間が平等だ』と考えられるようになっても、いまだにインドだけ「人間が不平等」なのである。インドでは今でも身分制をやっているのである。インドでは今でも「科学と道徳が対立する」と考えられているのである。
[16376] 正しさのない世界 h25.1.1
最近の人間は眼で見て心で思うだけになっている。頭で考えなくなっている。正しいことがわからなくなっている。そのために、最近は正しさのない世界になりつつある。
正しさのない世界では『人間が平等である』ことも『科学と道徳が両立する』ことも成り立たない。
正しさのない世界では、上の者をやってもいいし悪いことをやってもいい。幕府と政府の両方ある世界になる。国民は幕府と政府の両方にお金を取られて、幕府と政府の両方に虐[いじ]められる。
だから、正しさのある世界にしないといけない。
『人間が考える生き物である』ことも科学的真実である。だから、人間は考えねばならない。考えて生きて行かねばならない。
人間は考えていれば正しいことがわかる。だから、人間は考えていさえすれば、いやがうえにも正しいことがわかるのである。
[16377] 今は悪い者も上の者もいない時代である。 h25.1.1
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。
そのため、科学の時代には道徳がなかった。文明の利器が使えて便利だったが、悪いことをする者がいた。政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやっていた。政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を強盗したり、国民を暴力で脅[おど]して命令したりした。科学の時代にも「人間が不平等だ」と考えられていたので、上の者がいた。貴族や財閥が上の者をやって国民の稼[かせ]ぎを横取りしたり、国民を虐[いじ]めたりした。
反対に、道徳の時代には科学がやれなかった。悪いことをする者はいなかったが、文明の利器が使えず不便だった。もっとも、道徳の時代にも「人間が不平等だ」と考えられていたので、上の者はいた。幕府が上の者をやって国民の稼ぎを横取りしたり、国民を虐めていた。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられている。
そのため、科学の時代にも道徳がある。善いことをやらねばならない。悪いことがやれない。政府は暴力団や宗教団体が悪いことがやれなくなって、国民からお金を強盗できなくなって滅んでいる。今では『人間が平等だ』と考えられているので、上の者がいない。貴族や財閥が上の者がやれなくなって滅んでいる。今でも社長や文学部が密[ひそ]かに上の者をやっている。国民は社長や文学部にお金を横取りされないようにして、社長や文学部を滅ぼさねばならない。
[16378] 「科学と道徳が対立する」ことと「人間が不平等である」ことは別問題である。☆
h25.1.1
人間は正しいことをしないといけない。悪いことをやってはいけない。人間は正しければ何をやってもいい。人間はまちがっていれば何をやってもいけない。それが人間界の掟[おきて]である。
昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていた。
そのため、科学の時代には道徳がなかった。悪いことをやってもよかった。文明の利器が使えて便利だったが、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやっていた。政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を強盗したり、国民を暴力で脅[おど]して命令したりした。
反対に、道徳の時代には科学がなかった。悪い者はいなかったが、文明の利器が使えず不便だった。
今では『科学と道徳が両立する』と考えられている。
そのため、科学の時代にも道徳がある。文明の利器が使えて便利な上に、悪い者がいなくて快適である。今でも政府や暴力団や宗教団体は悪い者をやっている。だから、政府や暴力団や宗教団体を滅ぼさねばならない。
一方、昔は「人間が不平等である」ことが正しいと考えられていた。
そのため、上の者をやってもよかった。科学の時代には、貴族や財閥が上の者をやって国民の稼[かせ]ぎを横取りしたり国民を虐[いじ]めたりしていた。道徳の時代には、幕府が上の者をやって国民の稼ぎを横取りしたり国民を虐めたりしていた。
今は『人間が平等である』と考えられている。
そのため、今では上の者をやってはいけない。今では自分を上の者だと思って他人の稼ぎを横取りしたり他人を虐めたりしてはいけないことになっている。それなのに、今でも社長や文学部は上の者をやっている。だから、社長や文学部を滅ぼさねばならない。
[16379] 政府は悪いことをする会社である。 h25.1.1
人間は正しいことに従わねばならない。まちがったことに従ってはいけない。人間は正しければ何をやってもいい。まちがっていれば何をやってもいけない。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、悪いことをやってもよかったから、政府が悪いことをやった。政府は国民から税金を強盗したり、国民を暴力で脅[おど]して命令したりした。政府は学校で子供に「政府は国民を幸福にする善い会社だ」という嘘[うそ]を教えたり、国民が幸福に生きていけないように国民にいろんな意地悪[いじわる]をした。昔は悪いことをやってもよかったので、国民は政府に文句が言えず、おとなしく従うしかなかった。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられているから、悪いことをやってはいけないから、政府は悪いことをやれない。政府は国民から税金を強盗したり、国民を暴力で脅して命令したりできない。政府は国民に嘘をついたり、国民に意地悪をしたりできない。今は悪いことをやってはいけないので、国民は政府に悪いことをされるのを断って、政府に悪いことをさせなければいい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞かなくていい。国民は早く政府を倒して、政府のない世の中にしないといけない。
今でも政府が残っているのは、国民の考えが眼で見えないからである。国民が何を考えているのか政府に見えないからである。国民みんなは『今では科学と道徳が両立するから、科学の時代にも道徳があるから、悪いことをやってはいけないから、政府は悪いことをやってはいけない』と字に書いて政府に見せてやればいい。そうすれば、政府は自分の非を認めて退散するしかないだろう。
[16380] どうして政府は大きい団体なのか? h25.1.1
国民全員から税金を取るためである。国民全員から税金を取るためには大きい団体でなければならないから、政府は大きい団体なのである。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていて、悪いことをやってもよかったから、政府は悪いことをやった。政府は国民全員から税金を強盗して儲[もう]けた。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられていて、悪いことをやってはいけないから、政府は悪いことをやれない。政府は国民全員から税金を強盗して儲けることができない。
いくら政府が大きい団体でも、今は政府が国民から税金を取ることがいけないことだから、政府は国民から税金を取れない。国民は政府に税金を払わなくていい。
[16381] 政府はいい国を作る機関ではない。 h25.1.1
政府の正体は悪いことをする会社である。政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をする会社である。
政府は嘘で民主主義をやっているだけである。政府は悪い会社だから、嘘は悪いことだから、政府は嘘で民主主義で国民のために善いことをやっているふりをしているのである。政府は嘘をつくから、テレビや新聞で善いことをやっているふりをしているのである。たとえ政府が善いことをするとしても、嘘程度にほんのちょっとだけ善いことをやるだけである。政府は国民の役に立つふり程度の仕事をしているだけである。政府は本当は国民の役に立っていないのである。
政府は行政をやっていない。だから、内閣だけで行政をやっているのである。
政府は本当は悪いことをやっているだけである。政府は国民を不幸にしているだけである。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていて、悪いことをやってもよかったから、政府が悪いことをやっていたのである。国民は政府に不幸にされねばならなかった。昔は悪いことをやってもよかったから、国民は政府に文句が言えずおとなしく政府に不幸にされるしかなかった。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられているから、悪いことをやってはいけないから、政府は悪いことをやれない。国民は政府に不幸にされなくていい。今は悪いことをやってはいけないから、国民は政府に不幸にされるのを断って不幸にされなければいい。
国民がいくら政府にお金をやっても政府に不幸にされるだけである。政府は悪いことをする会社だから、悪いことをするのである。だから、国民は政府にお金をやってはいけない。政府に税金を払ってはいけない。国民の幸福は国民で勝ち取らねばならない。だから、国民は早く政府を倒して悪いことのない国にしなければならない。
[16382] 神とは何か? h25.1.2
神とは『人間にとってわからないもの』という意味である。神とは『人間の理解を超えるもの』である。
例えば、昔の人にとって自然はわからないものだったから、自然が神だった。
今の人にとってもどうして物理法則があるのかわからないから、神が物理法則を決めたと言える。
今の人にとって信じられない好記録を出した運動選手は神である。
昔の人にとって超能力者がどうして超能力を使えるのかわからなかったから、超能力者が神だったのである。
今の人にとっても超能力者がどうして超能力を使えるのかわからないから、超能力者が神である。
しかし、今の実在には超能力者以外にも人間にとってわからないことがたくさんある。例えば、癌[がん]がどうして出来るかわからない。宇宙がどうして出来たかわからない。人類がどうして生まれたかわからない。だから、癌や宇宙や人類は神である。超能力者以外にも神がたくさんいる。人類にとって実在は永遠に神だと言える。
ヨーロッパ人は知性の民族である。ヨーロッパ人は昔からこの世には自分にとってわからないものがあることを知っている。だから、ヨーロッパ人はしょっちゅう口癖[くちぐせ]で神と言うのである。日本人はヨーロッパ人ほど知性の民族ではないから、あまり神という言葉を使わないのである。
ソクラテスが神とは『人間にとってわからないもの』だと見抜いた。ソクラテスは神と言わずに『無知』と言った。ソクラテスは神という言葉の代わりに無知という言葉を用いた。だから、今の人も神という言葉を使ってはいけない。今の人は正直に『自分が知らない』と言わねばならない。人間の知性は有限である。宇宙は無限に複雑である。だから、この世には人間にとって理解できないことがあるのである。
昔の人にとっては天体の運動が理解できなかったから天体が神だったが、今では科学が進んで今の人は天体の運動が理解できるようになったから天体が神ではなくなった。それと同じように、今の人にとっては超能力が理解できないから超能力者が神だが、未来は科学が進歩して未来の人にとっては超能力が理解できるようになっているから超能力者が神ではないかもしれない。超能力者が神であるかないかは人間の理解力による。そもそも神とは『人間にとってわからないもの』だから、人間は神に従わなくていい。だから、人間は超能力者に従わなくていいのである。
昔から超能力者は人間だと考えられていた。もっとも、昔は「人間が不平等だ」と考えられていたから、「超能力者は上の者だ」と考えていたから、みんなが超能力者に従っていたのである。みんなが幕府や貴族や財閥に従うように超能力者に従っていたのである。昔は政府と超能力者が最高権力者だった。政府は超能力者に権力(命令力)を奪われるのを恐れて超能力者と組んでいた。今では『人間は平等だ』と考えられているから、『超能力者はみんなと平等だ』と考えられているから、みんなが超能力者に従わなくなったのである。今では『科学と道徳が両立する』と考えられていて、悪いことをしてはいけないから、政府は悪いことができないから、政府は暴力で脅[おど]して国民に命令できなくなって政府には権力がない。だから、今ではみんなが政府に従わなくなったのである。今では、超能力者も政府も権力者ではないのである。
超能力者を上の者にすると、超能力者の周[まわ]りにいる者まで上の者になって、超能力者の周りにいる者の周りにいる者まで上の者になって上の者がどんどん広がって増えていく。超能力のない者が上の者になって、上の者の根拠がわからなくなる。だから、超能力者を上の者にしなければいい。最初から超能力者をみんなと平等にすればいいのである。
[16383] 宗教団体は上の者である。(修正)☆ h25.1.2
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。「超能力者は上の者だ」と考えられていた。
だから、超能力者を神とする宗教団体が上の者だった。昔は「超能力者の周[まわ]りにいる者も上の者だ」と考えられたので、宗教団体は超能力者の周りにいたので、宗教団体も上の者だったのである。
そのために、宗教団体は上の者として幕府や貴族や財閥と同じように、他人の稼[かせ]ぎを横取りしたり、他人を虐[いじ]めたりしていたのである。
しかし、今では『人間が平等だ』と考えられている。『超能力者は上の者ではない。超能力者はみんなと平等だ。』と考えられている。
だから、超能力者を神とする宗教団体は上の者ではない。宗教団体は他人の稼ぎを横取りしたり、他人を虐めたりできない。
例えば、今の政府は私や天皇を神とする国家宗教をやっているが、今では私や天皇は上の者ではないから、政府も上の者ではない。政府は国民の稼ぎを横取りしたり、国民を虐めたりできない。
宗教団体は悪い者ではなく上の者である。宗教団体は政府や暴力団の仲間ではなく、幕府や貴族や財閥の仲間だったのである。
[16384] 宗教団体が政府よりも権力が強かった時代もあった。 h25.1.2
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。「超能力者が上の者だ」と考えられていた。だから、超能力者を神とする宗教団体が上の者だった。宗教団体は他人の稼[かせ]ぎを横取りしたり他人を虐[いじ]めたりした。宗教団体は上の者として他人に命令した。宗教団体に権力(命令力)があった。
一方、昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていた。科学の時代には道徳がやれなかったので、悪いことがやれたので、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に命令していたので政府に権力があった。科学の時代には、政府のほうが宗教団体よりも権力が強かった。
反対に、道徳の時代には科学がやれなかった。道徳の時代には善いことをやらねばならなかった。悪いことがやれなかった。政府は国民を暴力で脅して命令できなかったので政府に権力がなかった。道徳の時代には、宗教団体のほうが政府よりも権力が強かった。
例えば、『ドンキホーテ』の第1部のラストでドンキホーテが「巨人が風車に変わったな」と言ったのは、中世のヨーロッパが道徳の時代だったために、政府の力が衰えて、政府よりも宗教団体の権力が強かったことを表している。政府は暴力を使うから巨人に、キリスト教会は十字架だから風車に喩[たと]えられたのである。反対に、近代のヨーロッパは科学の時代だったので、政府の力が強くなって、宗教団体よりも政府のほうが権力が強かった。政府にとっては宗教団体が邪魔[じゃま]だった。だから、政府は政教分離をして宗教団体を社会から追放したのである。
今では『人間がみな平等だ』『科学と道徳が両立する』と考えられている。だから、今では宗教団体にも政府にも権力はない。今では風車も巨人も潰[つぶ]れたのだ。
[16385] どうして戦後は人間が平等になったのか? h25.1.2
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。そもそも「人間が不平等だ」と考えられたのは、超能力者がいたからである。超能力者がいたから「人間が不平等」になったのである。身分制が出来たのである。「超能力者が上の者だ」と考えられたので、超能力者の周[まわ]りにいる者も上の者だと考えられたので、どんどん人間が不平等になって行ったのである。財閥はそれに便乗[びんじょう]して「人間はお金で身分が決まるのだ」と考えてちゃっかり上の者をやっていたのである。マルクスやルソーは超能力者の存在を知らなかったからお金のせいで人間が不平等になったと考えたが、じつは超能力者のせいで人間が不平等になって身分の高い者が低い者からお金を取ってお金持ちになっていたのである。戦後になって資本主義諸国で人間が平等になったので、社会主義国では『お金が不平等の原因ではない』と考えられるようになって、社会主義が崩壊したのである。
人類にとっては超能力者が長い間謎だった。そのために、「人間が不平等だ」と考えられ続けたのである。身分制がずっとあったのである。
しかし、戦後になって超能力に対する研究が進んで、超能力が科学で理解できるようになった。例えば、アメリカやソビエトなどで『超心理学』が進んで、超能力が科学的に解明された。超能力とは、人間の脳の機能の一つである。人間の脳に備わっている能力である。脳と他の物質が相互作用することである。
今では、超能力は誰にでもあり、超能力者は特に超能力が発達した者だと考えられている。超能力者は自分で超能力を鍛[きた]えて超能力が発達したのである。念力で頭が光ったり軽い物が動かせるようになったのである。だから、超能力者はスポーツ選手や学者と同じである。
そのために、今では超能力者が人間と平等だと見なされるようになって、「人間がみな平等だ」と考えられるようになって、身分制がなくなったのである。
[16386] 最高の権力者 h25.1.2
この世で最高の権力者は学者である。
学者が『超能力者は人間と平等である』と言ったから、超能力者が人間と平等になって、幕府や宗教団体や貴族や財閥が滅んだ。
学者が『科学と道徳が両立する』と言ったから、悪いことがいけないことになって、政府や暴力団が滅んだ。
反対に、昔は「超能力者が上の者である」と考えられていたから、超能力者が上の者であって、超能力者の周[まわ]りにいた幕府や宗教団体や貴族も上の者だった。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、科学の時代には悪いことをやってもよかったから政府や暴力団が悪いことをやって、国民を暴力で脅[おど]して命令したから権力があった。反対に、道徳の時代には悪いことをやってはいけなかったから、政府や暴力団がいなかった。
人間は正しいことに従わねばならない。まちがったことに従ってはいけない。人間は正しいことをやり、まちがったことをやってはいけない。上の者や悪い者も人間だから、上の者や悪い者も正しいことに従わねばならない。だから、正しいことを言った学者が一番権力があるのである。
[16387] どうして今でも宗教団体が残っているか? h25.1.2
戦後は『超能力者が人間と平等である』と考えられるようになった。
だから、天皇が人間と平等になった。私も人間と平等になった。貴族や財閥がいなくなった。
それなのに、戦後も宗教団体が残っている。
それは、戦後の宗教団体は宗教をやっている暴力団だからである。つまり、神に従うふりをしている悪いことをする団体だからである。戦後の宗教団体はじつは悪いことをする団体なのである。戦後の政府がオマケで国家宗教をやっているのと同じ理屈である。
もっとも、今は『科学と道徳が両立する』と考えられているので、悪いことをやってはいけないので、宗教団体は国民を暴力で脅[おど]してお金を取ったり命令したりできない。国民は宗教団体に脅されそうになったら勇気を出して断って脅されないようにしないといけない。
今は『超能力者が人間と平等である』から、超能力者は上の者ではない。政府が天皇や私と組んでも上の者にはなれない。今では超能力者は上の者ではないから国家宗教をやる必要はない。戦後の政府は冗談で国家宗教をやっているだけである。しかも、戦後は『科学と道徳が両立する』から、政府は悪いことがやれず、政府は国民を暴力で脅して命令できず権力がない。だから、今では国民は政府の命令を聞かなくていいのである。
[16388] 科学の時代と道徳の時代 h25.1.3
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、科学の時代には道徳がなく、悪いことをやってもよかったから、政府や暴力団や宗教団体が悪いことをやっていた。反対に、道徳の時代には科学がなく、悪いことをやってはいけなかったから、政府や暴力団や宗教団体がいなかった。
昔は「人間が不平等である」と考えられていたから、上の者がいた。科学の時代には、超能力者や貴族や宗教団体や財閥などが上の者だった。道徳の時代には、超能力者や幕府や貴族や宗教団体が上の者だった。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられているから、科学と道徳の両方があって、悪いことがやれないから、悪い者がいない。政府や暴力団や宗教団体がいない。
今は『人間が平等である』から、上の者がいない。超能力者は人間と平等であり、幕府や貴族や宗教団体や財閥などがない。
悪い者 | 上の者 | |
科学の時代 (道徳のない時代) |
政府、暴力団、宗教団体 | 超能力者、貴族、宗教団体、(財閥) |
道徳の時代 (科学のない時代) |
なし | 超能力者、幕府、貴族、宗教団体 |
今 | なし | なし |
[16389] 超能力者は神ではない。 h25.1.3
神とは、人間にとってわからないものである。人間の理解を超えたものである。
昔は人間にとって超能力がわからなかったから、超能力者が神だった。
しかし、世界大戦後は人間にとって超能力がわかるものになったから、もはや超能力者が神ではなくなった。超能力が人間の脳の機能の一つだと考えられるようになって、超能力が脳の物性だと考えられるようになって、超能力がわかるものに変わった。
そのために、戦後は超能力者が神ではなくなった。
超能力者が自分で超能力を鍛[きた]えて発達させた者だと考えられるようになって、超能力者が学者や運動選手と同じだと考えられるようになって、超能力者が上の者ではなくなった。
そのため、戦後すぐに天皇が人間と平等になって、貴族や宗教団体や財閥などがなくなった。
[16390] 社長は上の者ではない。 h25.1.3
昔の財閥は勝手に「人間はお金で身分が決まる」と考えて、上の者をやっていた。
それと同じように、今の社長は勝手に「人間は肩書きで身分が決まる」と考えて、上の者をやっている。
しかし、本当は『人間は超能力で身分が決まっていた』のである。昔は超能力者が上の者だと考えられていたのである。
だから、財閥が上の者ではないように、社長も上の者ではない。
今では『人間はみな平等だ』と考えられているから、みんなが上の者をやってはいけない。
だから、社長は勝手に上の者をやってはいけない。身分制をやってはいけない。社長は上の者をやって他人の稼[かせ]ぎを横取りしたり他人を虐[いじ]めたりしてはいけない。社長はみんなと平等だから、みんなと同じ給料にしないといけない。みんなを虐めてはいけない。
社長と同じように、文学部も昔の天皇や貴族が馬鹿だったのを見て、勝手に「馬鹿のほうが身分が上だ」と思って、楽な事務の仕事に就[つ]いて他人の稼ぎを横取りしていい待遇で暮らしている。
文学部は勝手に上の者をやってはいけない。文学部もみんなと同じようにちゃんと仕事をしてお金を稼がなければならない。
社長や文学部のように、自分の誤解で他人の上に立ってはいけない。
いっそのこと、社長も文学部も全員クビにして滅ぼしたほうがいい。財閥がなくなったように社長も文学部もなくなればいい。
[16391] どうして戦後は超能力者が上の者ではなくなったか?(修正) h25.1.3
超能力者は脳にある超能力器官を働かせて超能力を発揮する。超能力器官を使って電磁場や軽い物体を動かして、頭の周[まわ]りを光らせたりガラガラを回したりする。
しかし、超能力の詳[くわ]しいメカニズムは今でもわかっていない。
だから、今でも超能力は謎である。しかし、それは人間にとって超能力がわからないだけである。人間にとってわからないことは他にもたくさんある。だから、超能力だけを特別視するのは合理的ではない。
神が人間にとってわからないものだとすれば、超能力者は今でも神だといえるが、超能力者は上の者ではない。人間にとって超能力者はわからない者だが、上の者ではない。つまり、神とは上の者ではなく、わからない者のことだったのである。戦後は、神の意味が変わったのである。
人間がわからない物(例、毛の生えた石)を上の者だと思わずわからない物に従わないように、人間は超能力者を上の者だと思わず超能力者に従わなくなったのである。人間にとって超能力者が上の者かどうかわからなければ、ひとまず超能力者を人間と平等と置くのが妥当[だとう]である。[実際に、中国では昔から超能力者を人間と平等に置いている。国によって、超能力者が上の者だったり平等だったりするのである。今では中国の考えのほうが正当だと考えられている。]
だから、戦後は超能力者が上の者ではなくなったのである。超能力者が人間と平等になったのである。天皇や私が人間と平等になって、政府が国民と平等になって、国民が政府に従わなくなったのである。[私は政府と組んでいないが、私が小学2年生のとき授業中に校長室に呼び出されて6〜8人の背広を着た大人から日常生活についての軽い質問をされた後で催眠術のように糸に吊[つ]るした5円玉を見せられたことがあった。そのときの背広を着た大人が政府の者だったのだろう。超能力者の周[まわ]りにいた者も上の者になるから、そのときの背広を着た大人が上の者として政府に戻って政府みんなが上の者になったのだろう。しかし、今では『超能力者は上の者と考えられていない』から、私の周りにいても無駄[むだ]である。そのときの背広を着た大人は上の者ではないし、政府みんなも上の者ではない。]
[16392] どうして戦前は超能力者が上の者だったか? h25.1.3
昔は超能力者が上の者だと思われていた。
昔は神にはわからないものという意味と上の者という意味の2つの意味があった。
昔の人は超能力がわからなかったので、超能力者を神だと言った。それを聞いた人が超能力者を上の者だと勘違いして、誤解が国中に広がっていつの間にか超能力者が上の者になったのである。
しかし、今では超能力者はわからない者であって、上の者ではないと考えられている。超能力者と人間が平等だと考えられている。
最初から“神”という紛[まぎ]らわしい言葉を使わなければ誤解が生じなかったのである。超能力者はわからない者のままであって、上の者にはならなかったのである。超能力者と人間は平等なままだったのである。
紛らわしい言葉を使ってはいけないことのいい見本である。
今では科学が発達して、人間が実在を思い通りにできるようになって、今では神には上の者という意味がなくなっている。今では神にはわからないものという意味しかない。だから、超能力者は神なのである。いつか超能力が人間に理解される日が来るまで、超能力者はずっと神なのである。
人間はわかるものは支配できるが、わからないものは支配できない。今の人間にとってはまだ超能力はわからない。だから、今の人間にとって超能力は支配できない。支配できないことと従わねばならないことは別である。つまり、超能力者は支配できない者であって、従わねばならない者ではない。だから、人間は超能力者に従わなくていい。つまり、超能力者と人間は平等でいい。
[16393] どうしてインドには身分制があったか? h25.1.3
昔のインドでは「超能力者が上の者だ」と考えられていたからである。
昔のインドには超能力者がたくさんいたので、超能力者の周[まわ]りの者も上の者になったので、インドでは上の者が大勢になって身分制が出来たのである。今のインドにいる得体[えたい]の知れない権力者も超能力者の周りにいた人の知り合いのそのまた周りにいた人なのである。超能力者とつながりがある人なのである。超能力者の権力を借りて権力者になっているのである。
一方、中国では昔から『超能力者が上の者ではない』と考えられていた。『超能力者が人間と平等だ』と考えられていた。そのため、中国では八仙人のような超能力者がいたにもかかわらず、身分制が出来なかった。
しかし、今では世界中で『超能力者は人間と平等だ』と考えられている。『超能力者はわからない者であって上の者ではない』と考えられている。そもそも超能力者が上の者である根拠がまったくない。正直に言って、超能力者はわからない者であって、それ以上はわからない。超能力者が上の者であるのは完全に知ったかぶりである。だから、それ以上は何も考えずに、普通の人と同じように超能力者と対等に接すればいいのである。
だから、今のインドでもみんなは上の者に従わなくていいのである。身分制を無視して自由にやればいいのである。
[16394] 超能力者は上の者ではない。 h25.1.3
人類は超能力者のことをよく知らない。
だから、人間が超能力者とどのように接すればいいかは、超能力者をよく観察して超能力者をよく理解してから考えねばならない。
超能力者は特定の超能力が使える。念力で頭の周[まわ]りを光らせたり、軽い物を動かしたりできる。
しかし、それ以外は普通の人間と同じである。
だから、帰納的に考えると、超能力者とは『超能力器官がある人間』にほかならない。超能力器官はひとつのことしかできないバカ器官である。これまでの超能力者の超能力器官では弱い光を出したり軽い物を動かしたりできただけだから、超能力器官では大したことはできない。
人間が超能力者に従わねばならない根拠がない。超能力を使う者と人間が従わねばならない者との間には論理的なギャップがある。だから、人間がわざわざ超能力者に従う必要はない。したがって、超能力者は上の者ではない。人間と超能力者は平等である。人間は超能力者と平等に接すればいいのである。
つまり、超能力者は超能力が使える人間にほかならない。超能力者が上の者だというのは話の尾ひれである。だから、人間は超能力者を自分と平等だと思って対等に接すればいいのである。
昔の人は“論理性”がなかったから、なんとなく雰囲気で「超能力者に従わねばならない」と思っていたのである。今の人は論理性があるから、『超能力者は超能力があるだけだから超能力者に従う必要がない』と思っているのである。文明が進歩してみんなが科学的になるとみんなが論理的に考えるようになるので、超能力者は人間と平等になってしまったのである。
[16395] 文明が進めば人間は幸福になれる。 h25.1.4
昔は「超能力者が上の者だ」と信じられていたから、超能力者や貴族や宗教団体などが上の者としてみんなからお金を横取りしたりみんなを虐[いじ]めていた。
昔は「科学と道徳が対立する」と信じられていたから、科学の時代には道徳がやれなかったから、政府や暴力団や宗教団体が出来て、みんなからお金を強盗したりみんなを暴力で脅[おど]して命令していた。
今は『超能力者は超能力があるだけで上の者ではない』と考えられているから、超能力者は人間と平等になって、貴族や宗教団体などが滅んだ。
今は『心は脳細胞の神経興奮で発生する感覚であり、脳細胞の興奮はシナプス末端で制御できるから、心は知覚で制御できるから、科学で道徳ができるから、科学と道徳が両立する』と考えられているから、科学の時代にも道徳がやれるから、政府や暴力団や宗教団体がみんなからお金を強盗したりみんなを暴力で脅して命令できなくなって滅んでいる。
昔の人は論理性がなかったから、なんとなく雰囲気でまちがいを信じていた。そのために、上の者や悪い者が出来て、みんなからお金を奪ってみんなを虐めていた。
今の人は論理性があるから、理屈でまちがいを否定して正しいことがわかる。そのために、上の者や悪い者がいなくなって、みんなが幸福に暮らすことができる。
昔の人は論理性がなかったから、雰囲気でまちがいを信じていた。そのために、熱とエネルギーが別物だと考えて熱機関が出来なかったり、質量とエネルギーが別だと考えていて原子力発電所が出来なかったり、粒子と波が別だと考えてコンピューターが出来なかった。
今の人は論理的になったから、理屈で正しいことがわかる。そのために、熱とエネルギーが同じ物だと考えて熱機関が出来たり、質量とエネルギーが同じだと考えて原子力発電所が出来たり、粒子と波が同じだと考えてコンピューターが出来た。
古い迷信を理屈で否定して正しいことがわかれば、人間は幸福になれる。新しい発明品が出来たり、余計な者がいなくなって幸福になれる。つまり、文明が進んで、人間が正しく考えることができるようになれば、それだけ人間は幸福になれるのだ。
[16396] 政府の嘘[うそ]に騙[だま]されない方法 h25.1.4
政府は悪いことをする会社である。嘘は悪いことである。だから、政府は嘘をつく。
政府は国民に嘘をついて国民にまちがいを教えて、国民の頭を馬鹿に変えて、国民に正しいことがわからないようにしている。特に政府についてわからないようにしている。
政府は国民を馬鹿に変える会社である。国民が政府に関わると馬鹿になる。国民が政府の嘘に騙されないためには、国民が政府と縁を切ればいい。国民が政府の嘘を聞かないようにすればいい。国民は自分の趣味のテレビ番組や新聞記事だけを見るようにして、政府と関係のあるテレビ番組や新聞記事をいっさい見ないようにすればいい。国民は実在の社会を自分の眼で見て自分の頭で考えればいい。
[16397] どうして戦後に超能力者が上の者ではなくなったか? h25.1.4
超能力者は超能力で頭の周[まわ]りを光らせたり軽い物を動かしたりできる。
20世紀になると、科学が発達して人間は電球やリモコンやラジオや原子爆弾などを次々と発明した。
人間のほうが超能力者よりもいろんなことができるようになったので、人間には『人間のほうが超能力者よりも上だ』と思われた。
超能力者は“自分の脳の中に超能力器官という発明品を持っている人間”だと見なせるので、人間と超能力者は平等になったのである。
だから、超能力者は上の者ではなくなったのである。キリストや天皇や私は人間と平等になり、貴族や財閥が滅んだのである。
[16398] 悪い者の天敵は道徳である。 h25.1.4
政府や暴力団や宗教団体は悪い者である。悪い者は他人を暴力で脅[おど]して他人からお金を取ったり他人に命令したりする。
悪い者の天敵は道徳である。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていて、科学の時代には道徳がなかったから、悪い者が暴力を使って好き放題に暴れていた。
今は『科学と道徳が両立する』と考えられていて、科学の時代にも道徳があるから、悪い者が暴力を使えなくなって何もやれなくなって滅んでいる。
今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくていい。もしも従っている人がいたら、従うのをやめればいい。
昔は超能力者や貴族や幕府などが上の者だった。上の者は他人の稼[かせ]ぎを横取りしたり他人を虐[いじ]めていた。上の者は「超能力者が上の者である」という理屈で上のことをやっていた。しかし、今では『超能力者が人間と平等である』ことになったから、上の者は上のことがやれなくなって滅んでいる。それと同じように、昔は悪い者が「科学と道徳が対立する」という理屈で悪いことをやっていた。悪い者は暴力よりも理屈で持っていたのである。つまり、悪い者は自分が悪い者だからという理由で、他人に暴力をふって他人からお金を取ったり他人に命令したり他人を虐[いじ]めたりしていただけである。上の者が自分が上の者だからという理由で、他人に暴力をふって他人からお金を取ったり他人に命令したり他人を虐めていたのと同じことである。上の者と悪い者は実際にやっていたことは同じである。ただ理由が違うから、上の者は他人と不平等の立場で他人に暴力をふっていたのに対し、悪い者は他人と平等の立場で他人に暴力をふっていたのである。しかし、今では『科学と道徳が両立する』と考えられていて、「科学と道徳が対立する」という理屈が通用しなくなっているから、悪い者は悪いことがやれない。今の悪い者は悪いことがやれるふりをしているだけである。人を殴[なぐ]れば言うことを聞かせられるが、人を殴るためにはまず“殴れる理由”がなければならない。今の悪い者にはその理由がなくなっているから、人を殴れないのである。だから、国民は勇気を出して悪い者に従わなければいいのである。国民は悪い者の命令に従うのを断って命令に従わなければいいのである。例えば、税金は政府が国民からお金を強盗することである。しかし、今は悪いことをしてはいけないことになっている。今の政府は国民から税金を取れるふりをしているだけで、本当は取れないのである。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。今は道徳がある時代なので、悪いことをやってはいけないので、たとえ政府でも国民から無理やりお金を取ったら牢屋に入らねばならない。
上の者が上のことがやれなくなってみんなが従わなくなったように、悪い者は悪いことがやれなくなったからみんなが従わなければいいのである。上の者が滅んだように悪い者も滅べばいいのである。
[16399] どうして今でも政府が残っているか? h25.1.5
昔の人は「超能力者が上の者だ」と思っていた。
だから、昔の人は天皇や貴族や宗教団体(上の者)に従っていた。
しかし、戦後になって『超能力者が人間と平等だ』と思うようになった。人間が科学で超能力者を超えることができるようになったので、戦後は超能力者と人間が平等になったのである。人間が超能力者にできないことがたくさんできるようになったので、人間と超能力者が平等になったのである。
だから、戦後の人は天皇や貴族や宗教団体に従わなくなった。私にも従わなくなった。そのため、天皇や貴族や宗教団体が滅んだ。
それと同じように、昔の人は「科学と道徳が対立する」と思っていた。
だから、昔の人は政府や暴力団などに従っていた。
しかも、今の人も昔の人と同じように「科学と道徳が対立する」と思っている。
だから、今の人も政府や暴力団や宗教団体(悪い者)に従っているのである。
しかし、「科学と道徳が対立する」ことはまちがいである。
科学は物についての知識である。道徳は心についての知識である。ところが、心は人間の大脳前頭葉の脳細胞が荷[にな]う感覚である。だから、心も物である。道徳は科学の一部である。だから、科学と道徳は対立しない。科学と道徳は両立する。
今の人が『科学と道徳が両立する』ことがわかっていないために、政府や暴力団や宗教団体に従っているのである。そのために、政府や暴力団や宗教団体が残っているのである。『科学と道徳が両立する』ことが抽象的でわかりにくいために、今でも政府や暴力団や宗教団体が残っているのである。
今の人は早く『科学と道徳が両立する』ことを理解して、政府や暴力団や宗教団体に従うのをやめねばならない。政府や暴力団や宗教団体を滅ぼさねばならない。
「科学と道徳が対立する」ことは“わかりにくいまちがい”である。「科学と道徳が対立する」ために、政府や暴力団や宗教団体が国民を支配していた。将来新しい“わかりにくいまちがい”を考え出せば、しばらくの間国民を支配できるかもしれない。それも、国民にまちがいを証明されればおしまいだが。
[16400] 今の政府は国民を従わせられるふりをしている。 h25.1.5
政府の権力(命令力)の源[みなもと]は暴力である。政府は自分の命令を聞かない国民を暴力で痛めつけることによって、国民に命令を聞かせている。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民から税金を取ったり、国民に戦争をやらせたりしている。その上、政府は国民を殺したり国民に意地悪[いじわる]をしたりしている。
昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたので、科学の時代には悪いことをやってもよかったので、政府は自由に国民に暴力をふって国民を従わせていた。
しかし、今は『科学と道徳が両立する』と考えられているので、科学の時代にも悪いことをやってはいけなくなったので、政府は国民に暴力がふれなくなって国民を従わせられなくなった。
今の政府は国民を従わせられるふりをしているだけで、本当は従わせられないのである。
だから、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府の命令を無視して聞かなければいいのである。
今の国民は勝手に政府が国民を従わせられると誤解して政府に従っているだけなのだ。だから、今の国民は自分の誤解を修正して、政府に従うのをやめればいいのである。