[16201] どうして昔は政府があったか? h24.12.8
昔は「科学と道徳が相容[あいい]れない」と考えられていた。
明治以降日本は科学の時代になった。科学のある国になった。
だから、明治以降日本は道徳のない国になった。人殺しや強盗が自由にできる国になった。
みんなは日本を道徳のない国にするために、政府を建てて政府に税金をやって政府に日本を道徳のない国にしてもらっていた。政府は国家宗教で国民を殺したり、国民に面白くない物を読ませたり、国民に不味[まず]い物を食わせたり、国民に嫌な物を買わせたりして国民を嫌がらせた。
しかし、戦後の今は『科学と道徳が相容れる』と考えられている。
戦後日本は科学と道徳の両方ある時代になった。科学と道徳の両方ある国になった。
戦後みんなは日本を道徳のある国にするために、政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
政府は道徳のない国にする会社である。今は道徳のある国である。だから、今では政府は要らない。だから、国民は政府を潰して、政府が滅んでいるのである。

[16202] 政府は国民を不幸にする会社である。 h24.12.8
道徳とは、人と人とが幸福にし合うことである。
政府は道徳のない国にする会社である。
だから、政府は人と人とが不幸にし合う国にするために、国民を虐[いじ]めているのである。政府は国民が幸福に生きて行けない国にして、国民の幸福を奪っているのである。
昔は「科学と道徳が相容[あいい]れない」と考えられていたから、科学の時代には道徳があってはならなかったから、みんなで政府を建てて政府に税金をやって道徳のない国にしてもらっていたのである。
今は『科学と道徳が相容れる』と考えられているから、科学の時代にも道徳があってもいいから、政府が要らなくなったのである。みんなで政府を潰[つぶ]すために政府に税金をやらなくなったのである。

[16203] ナスカの地上絵 h24.12.8
昔の人は「天に神が住んでいる」と考えていた。
だから、昔の人は天に住んでいる神に自分の絵を見せるために地上絵を描[か]いたのである。
今の人は『神がいない』と考えているので、地上絵を描かなくなったのである。
それと同じように、昔の人は「科学と道徳が相容[あいい]れない」と考えていたので、科学の時代には道徳のない国にするために政府を建てた。
今の人は『科学と道徳が相容れる』と考えているから、科学の時代にも道徳があってもいいので政府が要らなくなった。政府を建てなくなった。

[16204] 国民みんなは政府よりも権力が強い。 h24.12.8
明治時代になって国民みんなは科学のある国を作るようになった。
幕府は科学のない国を作る会社だった。
権力の実体は人数である。幕府よりも国民みんなのほうが人数が多い。幕府よりも国民みんなのほうが権力(命令力)が強い。だから、幕府は国民みんなに従わねばならない。
だから、昔の国民みんなは幕府を倒した。昔の国民みんなは幕府に年貢[ねんぐ]を納めるのをやめて幕府を倒した。
今の国民みんなは道徳のある国を作っている。道徳と科学の両方ある国を作っている。
政府は道徳のない国を作る会社である。政府はひとりだけみんなと違うことをやっている。
権力の実体は人数である。政府よりも国民みんなのほうが人数が多い。政府よりも国民みんなのほうが権力が強い。だから、政府は国民みんなに従わねばならない。
だから、今の国民みんなは政府を倒している。今の国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。
今は国民みんなが政府を倒している途中だから、国民は国民みんなに協力して国民みんなといっしょに政府を倒さなければならない。
昔は「科学と道徳が相容[あいい]れない」と考えられていたから、科学のない国を作る幕府や道徳のない国を作る政府があった。国民みんなが道徳のある国を作っている時代には科学のない国を作る幕府があり、国民みんなが科学のある国を作っている時代には道徳のない国を作る政府があった。
今は『科学と道徳が相容れる』と考えられているから、幕府も政府もなくなった。今では国民みんなが道徳と科学の両方ある国を作っているから、道徳のない国を作る政府も科学のない国を作る幕府も両方とも要らなくなった。

[16205] 政府を潰[つぶ]す方法 h24.12.9
政府は道徳のない国にする会社である。
そのために、政府は国民をいろんな方法で嫌がらせている。
政府にとっては国民を嫌がらせるのは仕事である。遊びではない。趣味ではない。政府はわざわざ国民から税金をもらって国民を嫌がらせているのである。
東大卒のまじめな人が自分の仕事と思って自分の気持ちを押し殺して冷酷非情になって国家宗教で国民を殺しているのかもしれない。
政府を潰すためには、公務員の成り手がいなければいい。みんなで公務員にならなければいい。みんなが政府の公務員の募集に応じず誰も公務員にならなければいい。
そうすれば、政府はだんだん小さくなっていって滅ぶだろう。
その他[ほか]、政府を潰すためには、国民が税金を払わなかったり、政府を暴力で倒すのもいい。
今は科学と道徳が両方ある時代だから、今は政府がないのが正しい時代だから、どんな方法で政府を倒してもいいはずだ。国民が自分の好きな方法で政府を倒せばいい。

[16206] 今の政府はひとりだけみんなと違うことをやっている。 h24.12.9
今では国民みんなが道徳と科学の両方ある国にしている。
政府はひとりだけ道徳のない国にしている。政府は道徳のない国にするために国民みんなから税金をもらって国民みんなを虐[いじ]めている。
政府はひとりだけみんなと違うことをやっている。
昔はみんなが「科学と道徳は相容[あいい]れない。科学のある国にするためには道徳のない国にしなければならない。」と考えていたから、国民みんなは政府に税金をやって政府に道徳のない国にしてもらっていた。
今はみんなが『科学と道徳は相容れる。科学のある国にするためには道徳のない国にしなくてもいい。』と考えているから、国民みんなは政府に税金をやらず政府に道徳のない国にしてもらわなければいいのである。
今では政府のために国家の統一が台無[だいな]しになっている。国民みんなは早く政府を倒して道徳と科学の両方ある国を実現しなければならない。
「科学と道徳が相容れない」のは、昔の人の迷信である。幕府や政府は昔の人の迷信が作り出した会社である。今の人は早く迷信を打破[だは]して、政府を倒さねばならない。政府のない社会を作らねばならない。

[16207] どうして昔の国民は税金を払ったのか? h24.12.9
昔の日本ではみんながそろって日本を科学のある国にすることに決めた。
昔は「科学と道徳が相容[あいい]れない」と考えられていた。だから、科学をやることは道徳をやらないことだった。
だから、昔の日本ではみんながそろって日本を道徳のない国にすることに決めたのである。みんなはできれば日本を道徳と科学の両方ある国にしたかったが、当時はまだ「科学と道徳が相容れない」時代だったのでやむを得ず道徳よりも科学を選んだのである。佐久間象山[さくまぞうざん]は「東洋の道徳、西洋の科学」と言ったけれども、当時はまだ無理だったのである。日本は強い国になりたかったから、みんなが日本を強い国にしたかったから、道徳よりも科学を選んだのである。
政府は道徳のない国にする会社である。
昔の日本ではみんながそろって道徳をやらないことに決めたから、みんなで政府に税金を払って日本を道徳のない国にしてもらっていたのである。
つまり、昔の国民が税金を払ったのは、「国民が全員一致して日本を科学のある国にする」という決意の表れである。
しかし、今は『科学と道徳が相容れる』と考えられている。だから、科学をやるからといって道徳をやめる必要はない。科学と道徳の両方をやればいい。
今の日本では『国民が全員一致して日本を科学と道徳の両方ある国にする』ことに決めている。
今の日本ではみんながそろって日本を道徳のある国にすることに決めたから、みんなでそろって政府に税金を払わなければいいのである。日本を道徳のある国にするために政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の国民はまちがって政府に税金を納めている。だから、国民は早く政府に税金をやるのをやめねばならない。

[16208] どうして佐久間象山[さくまぞうざん]は殺されたか? h24.12.9
江戸時代が道徳の時代であったにもかかわらず、佐久間象山が科学をやろうとしたからである。
そのために、佐久間象山は幕府の刺客[しきゃく]によって殺された。幕府は科学をやらない国を作らねばならなかったから、幕府によって科学をやる者が殺されたのである。
今ではみんなが道徳をやっている。今は科学の時代であるにもかかわらずみんなが道徳をやっている。いくらみんなが道徳をやっても政府に殺されない。だから、今は科学と道徳の両方ある時代なのである。今の日本は科学と道徳の両方ある国である。政府は道徳をやらない国を作らねばならないが、どうしようもなくなってあきらめている。今では政府がひとりで馬鹿みたいに道徳のないことをやっているだけである。
政府は本来道徳のない国を作らねばならないが、今の政府はそうしていない。今の政府は国民を放置している。今の政府は国民が道徳をやっても文句を言わない。今の政府は職務怠慢[しょくむたいまん]である。
政府は幕府のようにちゃんと仕事をしていない。今の政府は日本を道徳のない国にしていない。今の政府は自分ひとりで道徳のない国を作っているだけである。今の政府は自分だけの国を作っている。今の政府は国民とは別の国を作っている。今の政府は自分のために仕事をしているだけである。今の政府は国民のために仕事をしていない。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいいのである。

[16209] 今の政府は国民のために仕事をしていない。 h24.12.9
昔は「道徳と科学が相反[あいはん]する」と考えられていたので、みんなが「道徳のないことが科学があることだ」と考えていた。だから、昔の政府はみんなのために日本を科学の国にするために道徳のないことをやって仕事をしていた。
昔の政府は国民のために仕事をしていた。だから、昔の国民にとって政府は必要だった。だから、昔の国民は政府にお金をやって政府を守っていた。
今は『道徳と科学は相反しない』と考えられているので、みんなは『道徳のないことは科学があることではない』と考えている。だから、今の政府はみんなのために日本を科学のある国にするために仕事をしていない。
今の政府は国民のために仕事をしていない。だから、今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16210] 政府は国民の役に立たない会社である。 h24.12.9
政府は道徳のないことをする会社である。政府は道徳のない国を作る会社である。
昔は「科学と道徳は相反[あいはん]する。道徳は科学の邪魔[じゃま]だ。」と考えられていた。昔の国民は科学のある国を作っていた。政府は道徳のない国を作っていた。だから、昔の国民は政府が国民の役に立っていると考えて政府にお金をやっていた。
今では『科学と道徳は相反しない。道徳は科学の邪魔ではない。むしろ道徳は科学を助ける。』と考えられている。今の国民は科学と道徳の両方ある国を作っている。政府は道徳のない国を作っている。政府は科学のある国を作る助けにはならない。政府は道徳も科学も両方ない国を作っている。だから、今の国民は政府が国民の役に立っていないと考えて政府にお金をやらなくなっている。
そういうわけで、今ではみんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
昔はみんなが「科学と道徳は相反する。道徳は科学の邪魔だ。」とまちがって考えていたので、「政府が国民の役に立つ会社だ」と誤解していた。
今はみんなが『科学と道徳は相反しない。道徳は科学の邪魔ではない。むしろ道徳は科学を助ける。』と正しく考えているので、『政府が国民の役に立たない会社である』ことが理解できたのだ。政府の正体がバレてしまったのだ。

[16211] 今の政府は仕事をしていない。☆ h24.12.9
政府は道徳のない国を作る会社である。政府の仕事は道徳のない国を作ることである。
それなのに、今の国民みんなは道徳をやっている。今の国民みんなは科学と道徳の両方をやっている。
今の政府は道徳をやる者を取り締[し]まっていない。今の政府は道徳のない国を作っていない。政府は仕事をしていない。今の政府は自分ひとりだけで道徳のないことをやって、いいかげんに仕事をするだけである。政府は怠慢[たいまん]である。
今の政府はまじめに仕事をしていない。だから、国民は政府に税金をやらなくていい。国民は政府がちゃんと仕事をするようになってから、政府に税金を払えばいい。国に道徳をやる者がいなくなってから、政府にお金をやればいい。

[16212] 今の国民にとって政府は要らない。☆ h24.12.9
政府は道徳のない国を作る会社である。政府の仕事は道徳のない国を作ることである。
昔は「科学と道徳は相反[あいはん]する。道徳は科学を妨[さまた]げる。」と考えられていたので、科学の時代には国民みんなが道徳のない国にするために政府にお金をやって道徳のない国にしてもらっていた。
今は『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促[うな]がす。』と考えられているので、科学の時代にも国民みんなは道徳のある国にするために政府にお金をやらなくなって道徳のない国にしてもらわなくなった。
今の政府には仕事がない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
税金は昔の人が作ったまちがった法律である。だから、今では税金はやめねばならない。

[16213] 今の政府は仕事をしているふりである。 h24.12.10
政府は道徳のない国を作る会社である。政府の仕事は道徳のない国を作ることである。
今の政府は大勢の国民が道徳をやるのをほったらかしにして、自分ひとりで道徳のないことをやるだけである。今の政府は道徳のない国を作っていることにはならない。今の政府は仕事をしていることにならない。今の政府は仕事をしているふりをしているだけで、本当は仕事をしていない。
今の政府は仕事をしていないから政府は要らない。国民は政府に税金をやる必要がない。

[16214] 税金とは何か? h24.12.10
税金は政府に道徳のない国を作ってもらうためのお金である。
昔は「道徳が科学を妨[さまた]げる」と考えられていたから、科学の時代には国民が政府に税金をやって国から道徳を除[の]けてもらっていた。
今は『道徳が科学を促[うな]がす』と考えられているから、科学の時代にも道徳があったほうがいいから、国民は政府に税金をやらずに道徳を除けさせてはいけない。
今の国民が政府に税金を払っているのはまちがっている。だから、国民は早く政府に税金を払うのをやめねばならない。

[16215] 国民は政府に税金をやってはいけない。 h24.12.10
政府は道徳のない国を作る会社である。政府の仕事は道徳のない国を作ることである。そのために、政府は国民が国家宗教で犯罪を犯すのを奨励[しょうれい]している。政府は自分が国民に道徳のない手本を示すために国家宗教で(つまり、“光る玉”や“川とブ”が入ったことをやって)国民を虐[いじ]めている。
国民が政府に税金をやると、政府は日本を道徳のない国にする。日本が道徳のない国になる。
反対に、国民が政府に税金をやらないと、政府は日本を道徳のない国にしない。日本が道徳のある国になる。
今の国民は科学と道徳の両方ある国を作っている。だから、国民は政府に税金をやってはいけない。

[16216] 宗教団体はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.10
昔はみんなが「神がいて人間は神に従わねばならない」と思っていた。そこで、宗教団体は自分が神に付いているから自分が人間よりも上だと思って国民を好き放題にした。国民を殺したり国民からお金を無理やり取ったりして儲けていた。
今はほとんどの者が『神がいなくて人間は神に従わなくていい』と思っている。しかし、少数の者は今でも「神がいて人間は神に従わねばならない」と思っている。そこで、宗教団体はいまだに神を信じている少数の者に対して昔と同じように殺したり無理やりお金を取ったりして儲けているのである。
それと同じように、昔はみんなが「暴力を使ってもいい」と思っていた。昔はみんなが科学のために道徳のない国にしていたから、暴力を使ってもよかったのである。そこで、暴力団は暴力を使って国民を好き放題にした。国民を殺したり国民から無理やりお金を取ったりして儲けていた。
今ではほとんどの者が『暴力を使ってはいけない』と思っている。今はほとんどの者が道徳のある国にしているから、暴力を使ってはいけないのである。しかし、少数の者は今でも「暴力を使っていい」と思っている。そこで、暴力団はいまだに暴力をふってもいいと思っている少数の者に対して昔と同じように暴力をふって無理やりお金を取って儲けているのである。
それと同じように、昔はみんなが「科学と道徳は相反[あいはん]する。道徳が科学を妨[さまた]げる。」と考えていた。そこで、政府は道徳のない国を作ることを仕事にして国民からお金をもらって儲けていた。
今ではほとんどの者が『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促[うなが]す。』と考えている。しかし、少数の者は今でも「科学と道徳は相反する。道徳が科学を妨げる。」と考えている。そこで、政府は今でも「科学と道徳は相反する。道徳が科学を妨げる。」と思っている者からお金をもらって国から道徳を除[の]ける仕事をしているのである。
政府は民主主義の政治団体ではない。つまり、政府は法律会社ではない。政府の正体は道徳のない国を作る会社である。政府の法律は国民を騙[だま]すための嘘[うそ]である。だから、国民は自分が『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促す。』と考えていれば、政府の法律を破って政府に税金をやらなくてもいいのである。
昔は国民みんなが「科学と道徳は相反する。道徳が科学を妨げる。」と考えていたから、国民みんなが政府に税金を払っていたので、税金が法律だったのである。今は「科学と道徳は相反する。道徳が科学を妨げる。」と考えている国民と『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促す。』と考えている国民の両方がいるから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民個人の自由である。今では税金は法律ではないのである。明治維新のときも国民は勝手に幕府の法律を犯して幕府に年貢[ねんぐ]を納めなかったから、今の国民も勝手に政府の法律を犯して政府に税金を納めなければいいのである。幕府も政府も国民みんなには敵[かな]わないのだ。科学の時代には科学のない国を作る幕府に年貢を納めなくてもいいように、道徳の時代には道徳のない国を作る政府に税金を納めなくてもいいのである。
今では『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促す。』と考えている国民が増えているから、政府はだんだん国民からお金がもらえなくなって滅んでいるのである。中世と同じことを繰り返しているのだ。
今では『神がいない。人間は神に従わなくていい。』『暴力を使ってはいけない。』『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促す。』と思っている国民が増えているから、宗教団体や暴力団や政府がお金が儲からなくなって滅んでいるのである。

[16217] 今の国民は政府に税金を払ってはいけない。☆ h24.12.10
政府は道徳のない国を作る会社である。
明治以降日本ではみんなで科学のある国を作っている。
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する。道徳は科学の妨[さまた]げである。」と考えられていたから、科学のある国にするためには道徳のない国にしなければならなかった。そのために、国民みんなは政府に税金を払って政府に道徳のない国にしてもらっていた。
今は『科学と道徳は相反しない。道徳は科学を促[うなが]す。』と考えられているから、科学のある国にするためには道徳のない国にしなくてもよくなった。むしろ、反対に、科学のある国にするためには道徳のある国にしなければならなくなった。そのためには、国民みんなは政府にお金をやらず政府に道徳のない国にさせてはならない。
今の国民みんなは科学と道徳の両方ある国を作っている。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。政府よりも国民みんなのほうが権力(命令力)が強いから、国民は政府よりも国民みんなに従わねばならない。
今の国民はまちがって政府に税金を払って政府に道徳のない国を作らせている。今の国民は早く政府に税金を払うのをやめて政府に道徳のない国を作らせてはいけない。

[16218] 昔は余計な会社があった。 h24.12.10
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていた。
政府は道徳のない国にする会社だった。幕府は科学のない国にする会社だった。
だから、科学の時代には道徳をなくさねばならないので、国民みんなは泣く泣く政府に税金を払って道徳のない国にさせていた。国民は道徳をやってはいけなかった。道徳をやった国民は政府に罰せられた。
反対に、道徳の時代には科学をなくさねばならないので、国民みんなはいやいや幕府に年貢[ねんぐ]を納めて科学のない国にさせていた。国民は科学をやってはいけなかった。科学をやった国民は幕府に罰せられた。
しかし、今は『科学と道徳が相反しない』と考えられている。戦後になって世の中の原理が「科学と道徳が相反する」ことから『科学と道徳が相反しない』ことに変わった。
だから、科学の時代には道徳をなくさなくてもかまわないので、国民みんなは政府に税金を払わなくなって道徳のない国にさせなくなった。国民は道徳をやってもよくなった。
反対に、道徳の時代には科学をなくさなくてもいいので、国民みんなは幕府に年貢を納めなくなって科学のない国にさせなくなった。国民は科学をやってもよくなった。
今の国民は道徳と科学の両方をやっている。今は政府も幕府も要らない時代である。国民は税金も年貢も払わなくていいので財布が助かった。昔は政府や幕府が無駄[むだ]なことばかりやって税金や年貢がたくさん要[い]った。今は政府や幕府がなくなって無駄なことをしなくなって税金や年貢が要らなくなった。

[16219] 今の国民は政府に税金を払わなくていい。☆ h24.12.10
政府は道徳のない国にする会社である。政府の仕事は国から道徳をなくすことである。
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていたので、科学の時代には道徳のない国にするために、国民が政府に税金を払わねばならなかった。国民が政府に税金を払わねばならない法律があった。
今は『科学と道徳が相反しない』と考えられているので、科学の時代にも道徳のない国にしなくていいので、国民は政府に税金を払わなくてもよくなった。国民が政府に税金を払わねばならない法律がなくなった。
今の国民が政府に税金を払っているのは無駄[むだ]だからやめねばならない。

[16220] 今の世界は物と心の両方ある世界である。 h24.12.10
昔は「物と心が相反[あいはん]する」と考えられていた。
インドは心があって物がない国だった。だから、インドは見た眼にこだわらなかったのである。インドは心しかない国だから物にこだわらないから物が貧しかったのである。インドは心のある国だったから心が豊かだったから人殺しも強盗も意地悪[いじわる]もしなかったのである。
反対に、ヨーロッパは物があって心がない国だった。だから、ヨーロッパは見た眼にこだわったのである。ヨーロッパは物しかない国だから物にこだわるから物が豊かだったのである。ヨーロッパは心のない国だったから心が貧しかったから人殺しや強盗や意地悪ばかりしていたのである。
日本は科学の時代にはヨーロッパを真似[まね]て物があって心がない国にしていた。政府を建てて政府に心のない国にしてもらっていた。みんなが人殺しや強盗や意地悪ばかりしていた。
日本は道徳の時代にはインドを真似て心があって物がない国にしていた。幕府を建てて幕府に物のない国にしてもらっていた。みんなが贅沢[ぜいたく]をせず質素倹約[しっそけんやく]にしていた。
今は『物と心が相反しない』と考えられている。
世界中の国が心と物の両方ある国になっている。
日本も心と物の両方ある国にしている。日本はヨーロッパのように物が豊かでインドのように心が豊かな国を目指している。日本は全体的にいい国を目指している。日本はみんなが物に不自由せず人殺しも強盗も意地悪もしない国にしている。政府は物だけあって心がない国にする会社だから、今の日本には政府は要らないから、みんなで政府を潰[つぶ]しているのである。今の政府は自分ひとりで人殺しや強盗や意地悪をしているから、国民にとっては政府が邪魔[じゃま]だから、国民は政府を潰しているのである。今ではみんなが物と心の両方ある国にしているから、物だけあって心のない国にする政府を潰せばいいのである。

[16221] 物があって心のない国を作ることが政府の政策である。 h24.12.11
物があって心がないのは便利だが不幸である。政府は物があって心のない国を作る会社である。だから、政府は国民を便利にするが不幸にする。政府は国民にとって便利で不幸な国を作るだけである。
反対に、心があって物がないのは幸福だが不便である。幕府は心があって物がない国を作る会社である。だから、幕府は国民を幸福にするが不便にする。幕府は国民にとって幸福で不便な国を作るだけである。
昔は「物と心が相反[あいはん]する」と考えられていたから、国民は物か心のどちらかひとつを取るしかなかった。物を取れば心がなく、心を取れば物がなかった。
今は『物と心が相反しない』と考えられているから、国民は物と心の両方を取っている。
今の国民は物と心の両方がある国を作っている。国民にとって便利で幸福な国を作っている。
政府は物だけあって心のない国を作っている。国民にとって便利で不幸な国を作っている。
今の国民にとって政府の時代遅れの政策は納得できない。
今の国民にとって政府は要らない。だから、国民は政府を倒せばいいのである。

[16222] 昔のヨーロッパ人はいやいや暮らしていた。 h24.12.11
昔の世界では「物と心が相反[あいはん]する」と考えられていた。そのため、物か心かのどちらかひとつを取らねばならなかった。
昔のヨーロッパは物があって心がない国だった。便利だが不幸な国だった。物が豊かだが心の貧しい国だった。物が豊かだが人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い嫌な国だった。ヨーロッパ人は不幸さに耐[た]えながらいやいや暮らしていた。
反対に、昔のインドは心があって物がない国だった。幸福だが不便な国だった。心が豊かだが物が貧しい国だった。人殺しや強盗や意地悪はないが物が貧しい国だった。インド人は不便さに耐えながらしぶしぶ暮らしていた。
今の世界では『物と心が相反しない』と考えられている。そのため、物と心の両方を取ることができる。
今では世界中の国が物と心の両方ある国になっている。便利で幸福な国になっている。物が豊かで人殺しや強盗や意地悪がない国になっている。今では世界中の人が喜んでいきいきと暮らしている。
政府はいまだに昔のヨーロッパを真似[まね]て物があって心がない国を作っている。政府は時代遅れである。今の世界には政府は要らない。だから、みんなで政府を倒せばいいのである。

[16223] どうして政府は嘘[うそ]をつくのか?☆ h24.12.11
今の政府は民主主義をやっていると言っているが、本当は道徳のない国を作っているだけである。今の政府は道徳のある国を作っているふりをして、じつは道徳のない国を作っているのである。
政府は嘘をつく。
幕府は嘘をつかない。
幕府は道徳のある国を作る会社だったから、嘘をつくのは悪いことだから、幕府は自分で道徳のあることを実践[じっせん]して嘘をつけないのである。だから、明治維新になってみんなが科学をやるようになると、幕府は自分が科学をやると嘘がつけなくて自分から滅んだのである。
反対に、政府は道徳のない国を作る会社だから、嘘をつくのは悪いことだから、政府は自分で道徳のないことを実践して嘘をつくのである。だから、戦後になってみんなが道徳をやるようになっても、政府は自分が道徳をやると嘘をついて今でも残っているのである。
幕府は正直だったが、政府は嘘つきである。政府は国民に嘘をつく。今の政府は国民に民主主義をやると言って国民を騙[だま]して税金をもらっているのである。
政府は道徳のない国を作るために、毎日国民を嫌がらせている。政府は国民にとって面白くない国を作っている。政府は幸福のない国を作っている。
国民は政府の嘘に騙されないようにして、早く政府を倒さなければならない。国民は政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16224] どうして暴力団があったのか? h24.12.11
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていた。
明治以降、日本ではみんなが科学のある国を作っていた。だから、みんなが道徳のない国を作っていた。
道徳のない国では暴力をふってもよかった。
だから、昔は暴力団が暴力をふって好き勝手なことをしていたのである。暴力団が国民を殺したり国民からお金を奪ったりしていた。昔は暴力団が栄えていた。
戦後の今は『科学と道徳が相反しない』と考えられている。
世界大戦以降、日本ではみんなが科学と道徳の両方ある国を作っている。
道徳のある国では暴力をふってはいけない。
だから、今では暴力団が暴力をふれなくなって好き勝手なことをやらなくなったのである。暴力団が国民を殺したり国民からお金を奪ったりできなくなった。今では暴力団が滅んでいる。
世の中は「人の気持ち」で動いているのではない。世の中は「好きか嫌いか」で動いているのではない。世の中は「得か損か」で動いているのではない。世の中は『原理』で動いているだけである。世の中は『理屈』で動いているだけである。世の中は『みんなの考え』で動いているだけである。昔はみんなが「科学と道徳が相反する」と考えていたから、政府や暴力団や宗教団体があった。今はみんなが『科学と道徳が相反しない』と考えているから、政府や暴力団や宗教団体がなくなっているのだ。

[16225] 貴族とは何か? h24.12.11
貴族とは昔のヨーロッパでやっていた身分制である。
ヨーロッパでは偉大な功績のあった人物やその子孫を貴族として、一般の国民よりも身分が上だと考えていたのである。
だから、貴族は一般の国民からお金を取って遊んで暮らせたのである。
昔の日本ではヨーロッパを真似[まね]て貴族がいた。
しかし、戦後の今は『人間はみな平等である』と考えられているから、身分制をやってはいけないから、貴族がなくなったのである。

[16226] 今の国民は政府を滅ぼさねばならない。 h24.12.11
昔はみんなが「人間が不平等だ」と考えていたから貴族がいた。
今はみんなが『人間はみな平等だ』と考えているから貴族がなくなった。貴族は一般の国民よりも身分が上の者だったから、みんなで貴族を滅ぼして貴族がなくなった。今ではみんなが『人間は努力して自分の才能を磨[みが]くことによって出世できる』と考えるようになって、身分制を認めなくなったから、貴族が滅んだのである。『身分はボンクラの取り柄[とりえ]』だから、身分を認めなくなったのである。
それと同じように、昔はみんなが「科学があって道徳がない国がいい」と思っていたから政府があった。昔はみんなが「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えていたので、科学をやるか道徳をやるかどちらかひとつにしなければならなかったのである。
今ではみんなが『科学と道徳の両方ある国がいい』と思っているから政府をなくさねばならない。政府は科学があって道徳がない国を作る会社だから、みんなで政府を滅ぼして政府をなくさねばならない。今ではみんなが『国民は政府によらなくても自分で考えていい国を作ればいい』と考えるようになったから、政府が要らなくなったから、政府を滅ぼしているのである。『道徳のない国では国民が不幸』だから、政府を滅ぼしているのである。
昔はみんながいろんな誤解をしていたために余計な者がたくさんいた。今はみんなが正しく考えるようになったから余計な者がいなくなっているのだ。

[16227] 政府は国民にとって大迷惑である。 h24.12.11
暴力団は暴力をふる団体である。今では暴力をふるのはまちがいである。だから、暴力団はまちがっている。
政府は道徳のない国を作る会社である。今では道徳のない国を作るのはまちがっている。だから、政府はまちがっている。
もっとも、暴力団は小さいからあまり国民の迷惑にならないからあってもいい。暴力団は地域的でマイナーだからどうでもいい。暴力団はないほうがいいが、急いでなくさなくてもいい。みんなはゆっくり暴力団を潰[つぶ]していけばいい。
しかし、政府は大きいから国民の迷惑になるからあってはいけない。政府はなくさねばならない。政府は国家的でメジャーだから重大だ。みんなは早く政府を潰さねばならない。
政府は大きい団体だが、国民みんなのほうが政府よりもはるかに大きい団体である。国民一人では政府に勝てないが、国民みんなでは政府に勝てる。だから、国民みんなが一丸[いちがん]となって政府を倒せばいい。

[16228] どうして今の中国は景気がいいか? h24.12.11
今の世界は科学と道徳の両方ある世界である。
中国は昔から科学と道徳の両方でやってきた国である。儒教と道教がそのことを表している。
今の世界では中国がナウいから、中国が人気があるから、中国が景気がいいのである。
反対に、日本は今でも科学があって道徳がない国をやっている。国民は科学と道徳が両方ある国をやっているが、政府が道徳がない国をやっているので、外国から見ると日本が科学があって道徳がない国に見える。
今の世界では日本が古いから、日本が人気がないから、日本が景気が悪いのである。
国民は中国を見習って早く政府を倒して日本を道徳と科学の両方ある国にしないといけない。
国民は正しい目的に使うならお金を払うのは嫌ではない。今の政府はまちがった目的のためにお金を使っているからお金の無駄[むだ]である。だから、国民は政府に税金を払うべきではない。国民は政府に税金をやるのをやめて政府を倒せばいい。

[16229] 政府は暴力団ではない。 h24.12.11
政府は道徳がないことをやって儲[もう]ける会社ではない。暴力団は道徳のないことをすることによってお金を儲けているが、政府はそうではない。
政府は道徳がない国を作るのを仕事にしている会社である。政府は国民から税金をもらって道徳のない国にしているのである。政府は道徳がない国を作るために、国民に道徳がないことを教えるためにいろんな悪いことをやって国民を嫌がらせているのである。国民に意地悪[いじわる]をしているのである。国民が幸福に暮らせない国を作っているのである。政府は国民に悪いことを教える先生なのである。
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていて、科学のある国にするためには道徳のない国にしなければならなかったので、昔の国民にとっては政府が必要だった。昔の国民は政府に税金を払って日本を道徳のない国にしてもらっていた。昔の国民は政府を見習って一生懸命悪いことをやっていた。
今では『科学と道徳が相反[あいはん]しない』と考えられていて、科学のある国にするためにわざわざ道徳のない国にしなくてよくなったので、今の国民にとっては政府が要らなくなった。今の国民は政府に税金を払って道徳のない国にしてもらわなくてもよくなった。今の国民は政府を無視して自分で考えて善いことをやっている。
今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[16230] 今の人は中国を真似[まね]ている。 h24.12.11
昔の人は考え深かった。昔の人はヨーロッパを真似ていたからである。ヨーロッパは科学があって道徳がなかった。昔の人は悪かったが、とにかく頭がよかった。
今の人は考え深くない。眼先で物を見るだけで頭で考えない。しかも、道徳的でもない。精神的でない。今の人は科学も道徳も両方ない。
それは、今の人が中国を真似ているからである。中国は眼先で物を見るだけで頭で考えない国だから、今の人は中国を真似てそうしているのである。今の人が頭で割り切らずにフニャフニャして、人前で善い人のふりをするだけで、みんなに合わせて集団的に行動するのも中国の真似だからである。
今の人は中国の悪いところを真似ているだけである。中国は麻薬をやるから、そのうち日本でも麻薬をやるようになるかもしれない。
今の世界は『科学と道徳の両方がある』世界である。日本は中国の真似をするのではなく、『科学と道徳が両方ある』ことを日本的にやればいいのである。日本はもともと道徳のある国だから、道徳をやりながら科学もやればいいのである。今の世界では『道徳と科学が相反[あいはん]しない』と考えられているから、日本では道徳と科学を両方やればいいのである。近代の日本で『道徳と科学が相反しない』ことを実験したから、日本では道徳と科学の両方やればいいのである。近代の日本では科学がやれたので、『道徳のある国でも科学がやれる』ことがわかった。そのために、『道徳と科学が相反[あいはん]しない』ことがわかったのである。

[16231] 戦争とは何か? h24.12.12
戦争とは人を殺すことである。
昔の世界では「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていた。
だから、科学の時代には、道徳のない国にしなければならなかったので、人殺しをしなければならなかったので、戦争をやらなければならなかったのである。あるいは、国の中で殺し合いをしなければならなかったのである。
日本では古代と近代は科学の時代だったので、戦争をしたのである。
しかし、今の世界では『科学と道徳は相反しない』と考えられている。
だから、今では科学の時代にも、道徳のない国にしなくてもよくなったので、人殺しをしなくてもよくなったので、戦争をやらなくなったのである。あるいは、国の中で殺し合いをしなくなったのである。

[16232] 人類の夢 h24.12.12
『科学と道徳の両方ある国』が人類の夢である。『科学と道徳の両方ある国』が人類の理想の国である。
日本はもともと道徳のある国だから、道徳をやりながら科学もやればいいのである。
日本人は知覚欲(考える喜び)を働かせて科学をやればいい。道徳で科学をやればいいのである。
そうすれば人類の理想の国が実現できる。
政府は「科学があって道徳がない国」を実現する会社だから、政府は理想の国を実現するためには邪魔[じゃま]である。だから、みんなは政府を倒さねばならない。
昔は「道徳と科学が相反[あいはん]する」と考えられていたために、道徳のある国では科学がやれなかった。科学のある国では道徳がやれなかった。アジアは道徳のある国だったので科学がやれなかった。そのために、アジアは科学が遅れてしまった。反対に、ヨーロッパは科学のある国だったので道徳がやれなかった。そのために、ヨーロッパは道徳が遅れてしまった。今は『道徳と科学が相反しない』と考えられているので、道徳のある国でも科学がやれる。科学のある国でも道徳がやれる。アジアは科学がやれるようになって科学が発達している。ヨーロッパは道徳がやれるようになって道徳が発達している。どちらが先に理想の国を実現するだろうか?

[16233] 昔はみんなが自分たちの誤解に苦しめられていた。 h24.12.12
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていた。
そのため、科学の時代には、道徳をやってはいけなかった。国民みんなは道徳をなくす会社である政府を建てて政府に税金を払って道徳をなくしてもらわねばならかった。国民みんなは道徳がないことをやって不幸な目にあっていた。
今は『科学と道徳が相反しない』と考えられている。
そのため、科学の時代にも、道徳をやってもよくなった。国民みんなは道徳をなくす会社である政府を潰[つぶ]すために政府に税金を払わなくなって道徳をなくしてもらわなくなっている。国民みんなは道徳をやって幸福に暮らしている。
つまり、昔はみんなが「科学と道徳が相反する」とまちがって考えていたために、不幸な目にあっていたのである。みんなは自分たちの誤解に苦しめられていたのである。みんなは自分で自分を苦しめていたのである。今ではみんなが誤解から抜け出せたので幸福に暮らすことができるようになったのである。

[16234] 子供は道徳を知らない。 h24.12.12
科学も道徳も知識である。
道徳とは、人間の心には善[よ]い感情と悪い感情の両方があることを知り、善い感情を満足させて悪い感情を満足させないことである。
子供は道徳を知らないから、大人が子供に道徳を教えてやらねばならない。
例えば、子供は『性欲が悪い』ことを知らない。だから、性欲を満足して非行に走ったり精神病に罹[かか]ったりして不幸になるのである。
大人は『性欲が悪い』ことを知っている。だから、子供に『性欲が悪い』ことを教えてやればいいのである。
子供は道徳も科学も知らない。だから、大人が子供に道徳や科学を教えてやればいいのである。大人が子供に道徳や科学の本を与えて読ませてやればいいのである。そうすれば、子供は幸福に生きていける。

[16235] 神はいない。 h24.12.13
昔は「神がいる」と考えられていたが、今では『神がいない』と考えられている。
それは、『神がいる』ことを証明する事実がないからである。
電磁波は、ヘルツが実験をして電磁波が存在することを証明した。
しかし、神の存在を証明する実験はない。
だから、今では『神がいない』と考えられているのである。
今は科学と道徳の両方がある時代なので、科学の時代なので、ある物があることを言うためには科学によってその物があることを証明しなければならないのである。
昔は実験がなかったので「神がある」ことが通用したが、今では実験があるので「神がある」ことは通用しないのだ。
人間が「神の馬鹿」と言っても罰[ばち]が当たらないから、神はいないのだ。世の中が神にゴマをすって有利に生きていけるようになっていれば便利だが、実際にはそうではないのである。
「神がある」ことは昔の人の勝手な思い込みにすぎなかったのである。
昔は「神が宇宙を作ったから宇宙がある」と考えられていたが、今では『ビッグバンで宇宙が出来た』と考えられている。
今では『神がいない』ことになっている。そのため、宗教団体は神に付くことができなくなって自分が人間よりも上の者になれなくなって国民を好き放題にできなくなって国民からお金を奪うことができなくなって滅んでいるのである。
昔の人は「神がいる」と考えていたから、宗教団体が出来てみんなは宗教団体が神に付いているから宗教団体が人間よりも上の者だと思って宗教団体にお金をやっていたのである。今の人は『神がいない』と考えているから、今の人は宗教団体が上の者だと思わなくなって宗教団体にお金をやらなくなったのである。
それと同じように、「科学と道徳が相反[あいはん]する」ことも昔の人の勝手な思い込みである。昔の人は「科学と道徳が相反する」と考えていたから、科学の時代には道徳をなくさねばならなかったから、道徳をなくす会社である政府が出来てみんなは政府に税金をやって道徳をなくさせていたのである。みんなは政府に人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い国にしてもらっていたのである。今の人は『科学と道徳が相反しない』と考えているから、科学の時代でも道徳をなくさなくてもよくなって、道徳をなくす会社である政府が要らなくなってみんなは政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのである。民主主義の政治機関は政府の覆[おお]いである。政府の正体は道徳をなくす会社である。だから、今の人は政府が要らなくなって政府を潰しているのである。

[16236] 暴力はいけない。 h24.12.13
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていたので、科学の時代には道徳をなくさねばならなかった。そのために、昔は暴力をふってもよかった。だから、暴力団が暴力をふって国民からお金を取って儲[もう]けていた。
今では『科学と道徳が相反しない』と考えられているので、科学の時代にも道徳をやってもいい。そのために、今では暴力をふってはいけない。だから、暴力団が暴力をふれなくなって国民からお金を取れなくなって儲からなくなって潰[つぶ]れている。
暴力をふること自体は今でもできるが、今では暴力をふればおつりが来る。暴力団が国民に暴力をふれば、国民は暴力団がまちがったことをしたと考えて、警察に通報したり国民自身で仕返ししたりして暴力団を罰する。[国民は政府に税金をやらずに、警察にその都度[つど]お世話になったぶんだけお金をやればいい。]昔は道徳がなかったために暴力をふることが正しかったから、国民は暴力団に暴力をふられても暴力団が正しいことをしていると考えて仕返ししなかった。だから、暴力団は国民からいくらでも金を取れて儲かった。今は道徳があるために暴力をふることがまちがっているから、国民は暴力団に暴力をふられると暴力団がまちがったことをしていると考えて仕返しをする。だから、暴力団は国民からお金が取れなくなって儲からなくなっている。
今は科学と道徳の両方がある時代である。今は道徳がある。今では人殺しや強盗や意地悪[いじわる]をしてはいけない。今では暴力をふってはいけない。だから、今は暴力団が滅んでいるのだ。

[16237] 今でも政府は道徳のない国にしている。 h24.12.13
昔はみんなが「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えていたので、科学の時代には道徳をやってはいけなかったので、道徳をなくす会社である政府を建ててみんなは政府に税金をやって道徳をなくさせていた。みんなは政府に人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い国にしてもらっていた。道徳のない国にするためには、国の中で人殺しや強盗や意地悪がテキトウに多ければいいから、国民が自分で人殺しや強盗や意地悪をやったり、政府にお金をやって人殺しや強盗や意地悪をやらせたり、あるいは国民が政府の命令で人殺しや強盗や意地悪などをしたりしていた。国民は日本を道徳のない国にするために悪いことの多い国にするために政府の命令を聞いていたのである。
だから、国民みんなが悪いことをしなくなった今でも政府は自分ひとりで日本を人殺しや強盗や意地悪の多い国にするために国家宗教で人殺しや強盗や意地悪をし続けているのである。例えば、正規の税金は国民の自主性によるものだが、その他の税金は政府が国家宗教で国民から強盗して取ったものである。例えば、消費税は消費←小日←小さい日←日は光る玉だから、小さい日は戦後に神をやめた神武天皇を表している←神武天皇、あるいは消費←ショウヒ←シウ(『起動戦士ガンダム』のアイキャッチの「シウ」)←川ブ(シ≒川、ウ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、消費税は政府が国家宗教によって国民からお金を強盗することである。
しかし、今はみんなが『科学と道徳が相反しない』と考えているので、科学の時代にも道徳をやらねばならないので、みんなは道徳をなくす会社である政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。みんなは日本から「科学と道徳が相反する」という迷信をなくして、日本を人殺しや強盗や意地悪[いじわる]のない国にしなければならない。

[16238] どうして昔の人は「科学と道徳が対立する」と考えていたのか? h24.12.13
道徳は自分で自分の心を知り自分の心を動かすことである。
科学は自分が物を知り物を動かすことである。
心は眼で見えず喜怒哀楽の感覚があり意志で動かすことができる。
物は眼で見えて形や色や重さなどがあり手で動かすことができる。
昔の人は心と物が違うものであり、心と物は対立すると考えていた。“心身問題”(心と身体の対立)を解こうとした者はいたが、なかなか解けなかった。
だから、昔の人は「道徳と科学が対立する」と考えていた。そのために、科学をやる国では道徳がやれず、反対に道徳をやる国では科学がやれなくて暮らしにくかった。
しかし、今では『科学と道徳が対立しない』と考えられている。
自分の心は自分の脳で発生している感覚であり、脳細胞の神経興奮はシナプス末端でコントロールできるから、自分の知覚が自分の心を操ることができる。つまり、心は感覚のある物にほかならず、科学で道徳ができる。あるいは、人間の心には知覚欲(考える喜び)があり、知覚欲を働かせれば物が理解できる。つまり、物は知覚欲を働かせることによって認識された実在にすぎず、道徳で科学ができる。
今の人は心と物は同じものであり、心と物が対立しないと考えている。今では心身問題が解けている。
だから、今の人は『科学と道徳が対立しない』と考えている。そのために、科学をやる国でも道徳がやれて、反対に道徳をやる国でも科学がやれて暮らしやすくなっている。
政府は道徳をなくす会社である。今の世界では国民みんなは科学と道徳の両方をやっている。今の国民みんなにとっては科学と道徳の両方が必要である。だから、今では国民みんなが政府が邪魔[じゃま]になって、政府を倒しているのである。国民みんなが政府に税金を払わなくなって、政府を潰[つぶ]しているのである。
今では科学と道徳の両方ある世界である。今の人は科学と道徳の両方できなければならない。今では科学だけしかやれない者や道徳だけしかやれない者は生きていけない。今の人は科学と道徳の両方を勉強してバランスの取れた人間にならねばならない。
日本はもともと道徳のある国である。昔は「科学と道徳が対立する」と考えられていたから、日本が科学をやるときにはやむを得ず道徳をやめねばならなかった。そのために、わざわざ道徳をなくす会社である政府を建ててみんなが政府に税金をやって道徳をなくしてもらっていた。政府に日本を人殺しや強盗や意地悪[いじわる]が多い国にしてもらっていた。今では『科学と道徳が対立しない』と考えられているから、道徳をやりながら科学もやればいい。政府は要らなくなったからみんなは政府に税金をやるのをやめて政府を潰せばいいのである。要するに、今では「科学と道徳が対立する」という余計な決まりがなくなったから、道徳に科学を足せばいいだけである。

[16239] 政府は国民みんなの持ち物である。 h24.12.13
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていたから、科学の時代には道徳をなくさねばならなかったので、国民みんなで道徳をなくす会社である政府を建てて国民みんなで政府に税金をやって政府に道徳のない国にさせていた。政府に人殺しや強盗や意地悪[いじわる]などをやらせて悪いことが多い国にさせていた。犯罪が多い国にさせていた。
今では『科学と道徳が相反しない』と考えられているから、科学の時代にも道徳をやらねばならないから、国民みんなで道徳をなくす会社である政府を潰[つぶ]せばいい。国民みんなで政府に税金をやらなければいい。国民みんなで道徳のある国にしている。悪いことが少ない国にしている。犯罪がない国にしている。
政府は国営会社である。政府は国民みんなで経営する会社である。つまり、政府は国民みんなの持ち物である。だから、国民みんなで政府に税金を払っていたのである。国民みんなが政府を建てようが潰そうが国民みんなの勝手である。昔は国民みんなが「科学と道徳が相反する」と考えていて道徳をなくす会社が必要だったから政府を建てた。今では国民みんなが『科学と道徳が相反しない』と考えていて道徳をなくす会社が要らなくなったから政府を潰せばいいのである。

[16240] どうして国民は政府の命令を聞くのか? h24.12.14
政府は道徳のない国にする会社である。
昔は国民みんなが「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えていたので、科学の時代には道徳をなくさねばならなかった。そのために、国民みんなは政府を建てて政府に税金をやって政府に日本を道徳のない国にさせていた。政府に日本を人殺しや強盗や意地悪[いじわる]などの悪いことの多い国にさせていた。日本を犯罪の多い国にさせていた。国民は日本を道徳のない国にするために政府の命令で人殺しや強盗や意地悪をしていた。
昔は国民みんなが「神がいる」と考えていたので、国家宗教をやらねばならなかった。政府は国家宗教をする会社でもあったので、国民は政府の命令で国家宗教をやっていた。善いことであれ悪いことであれ、国民は政府の命令で国家宗教をやっていた。
近代になってからは国民みんなが『民主主義をやらねばならない』と考えるようになったので、政府は民主主義をする会社でもあったので、国民は政府の命令で民主主義もやっていた。[そもそも「道徳をやってはいけない」ことや「神がいる」ことも民主主義である。昔は国民みんなが「道徳をやってはいけない」とか「神がいる」と思っていたので、民主主義で国民みんなで道徳のない悪いことをやったり神に従ったりしていたのである。民主主義は「道徳をやってはいけない」ことや「神がいる」ことを一般化した概念である。つまり、近代以前の昔から国民みんなはすでに民主主義をやっていたのである。]
昔は国民みんなが「道徳をなくさねばならない」とか「神がいる」とか「民主主義をやらねばならない」と考えていたので、国民は政府の道徳をなくす命令や国家宗教の命令や民主主義の命令などを聞いていたのである。つまり、昔の国民は政府の命令を聞いていたのである。
昔の国民が政府の命令を聞いていたから、今でも国民は政府の命令を聞いているのである。今の国民は自分が政府の命令を聞かねばならないと思っているから政府の命令を聞いているのである。
しかし、そもそも昔の国民が政府の命令を聞いていたのは、昔の国民が「道徳をなくさねばならない」ことや「神がいる」ことや「民主主義をやらねばならない」ことが正しいと考えていたからである。昔の国民は政府の命令が正しいと考えたから、政府の命令を聞いていたのである。
しかし、今は『科学と道徳が相反しない』と考えられている。科学の時代にも道徳をやらねばならない。だから、国民は政府の道徳のないことをさせる命令を聞いてはいけない。今は『神がいない』と考えられている。今では国家宗教をやってはいけない。だから、今では国民は政府の国家宗教の命令を聞いてはいけない。もっとも、今でも『民主主義をやらねばならない』と考えられているので、国民は政府の民主主義の命令は聞いてもいい。政府は民主主義で善いこともやっているが、道徳をなくすために悪いこともやっている。今では国民が『道徳をやらねばならない』と考えているから、政府は国民に悪い命令を出さなくなって自分ひとりで悪いことをやって国民を不幸にしている。政府の正体は道徳をなくす会社である。国家宗教や民主主義は政府が国民の機嫌[きげん]をとるための覆[おお]いである。いくら道徳をなくすことが正しい時代でも道徳をなくす会社だけでは国民の機嫌が取れず国民に潰されるので、政府は国家宗教や民主主義を合わせてやっていたのである。今ではみんなが科学と道徳の両方をやっている。今は道徳の時代なので政府は要らない。だから、国民は政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]さねばならない。
今はみんなが道徳をやらねばならない時代である。今は政府を潰す時代である。だから、国民はみんなに協力してみんなといっしょに政府を潰さねばならない。

[16241] 道徳のない国は雰囲気が道徳がなければいいだけである。 h24.12.14
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていた。だから、科学の時代には道徳のない国にしなければならなかった。人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い国にしなければならなかった。みんなは自分で悪いことをやったり、道徳をなくす会社である政府を建てて政府に税金をやって政府に悪いことをやってもらっていた。
もっとも、完全に悪い国ではみんながみんなを皆殺しにして国が滅ぶので、テキトウに悪い国にすればよかった。そこそこ人殺しや強盗や意地悪が多い国にすればよかった。ガラの悪い雰囲気が漂[ただよ]う国にすればよかった。道徳がない国はメチャクチャ悪い国ではなく、なんとなく悪い国だったのである。
昔は「科学と道徳が相反する」という迷信があったせいで、科学の時代にはみんなが不幸な思いをしなければならなかった。
しかし、今では『科学と道徳が相反しない』と考えられているので、もはや科学の時代にわざわざ道徳のない国にしなくてもよくなった。人殺しや強盗や意地悪の多い国にしなくてもよくなった。今ではみんなが自分で善[い]いことをやったり、道徳をなくす会社である政府を潰[つぶ]して、幸福に暮らしている。

[16242] 代数幾何学 h24.12.14
昔はヨーロッパで幾何学をやっていた。インドで代数学をやっていた。
近代のヨーロッパで幾何学と代数学が統合して代数幾何学が出来た。
代数幾何学が出来てからは数学が飛躍的に発展した。代数学も幾何学も発展した。
それと同じように、昔はヨーロッパで科学をやっていた。インドで道徳をやっていた。
現代の世界で科学と道徳が統合して“科学道徳”が出来た。
科学道徳が出来てからは文明や文化が飛躍的に発展する。科学も道徳も発展する。
科学道徳の世界では、科学が道徳を促[うなが]し、道徳が科学を促す。今後はますます科学や道徳が進歩するだろう。
科学道徳の世界では、科学も道徳もいっしょにやれる。科学をやるからといって道徳をやめなくてもいい。政府は道徳をなくす会社である。だから、政府は要らない。だから、今ではみんなで政府をなくしているのである。

[16243] 今の時代には政府は要らない。 h24.12.14
今は科学と道徳を両方やる時代である。
政府は科学があって道徳がない国にする会社である。
幕府は道徳があって科学がない国にする会社である。
今の時代には政府も幕府も合っていない。
だから、みんなで政府や幕府をなくさねばならない。
今の時代には道徳も科学も両方やる会社がふさわしい。
今の時代には政府はあってはならないから、国民は政府を倒さねばならない。政府は国営の会社だから、国民みんなで政府を捨ててしまえばいい。
『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』というように、国民が政府を潰[つぶ]してこそ明日[あした]が来る。政府がちょっとぐらい民主主義をやっているからと言って、国民が政府を大事にしてやることはない。国民は思い切って政府を潰してしまえばいい。そうすれば日本が善い国になる。
『命あっての物種[ものだね]』というように、人間にとっては物よりも自分の命のほうが大事である。政府は国民の命よりも物を大事にする会社である。だから、国民みんなは政府を倒して、政府のない国にしなければならない。

[16244] 政府の仕事 h24.12.14
政府は3つの仕事をやっている。
政府は道徳をなくす仕事をやっている。昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する。科学の時代には道徳をやってはいけない。」と考えられていたので、政府は道徳のない国を作っていた。政府は人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い国にしていた。政府は自分で人殺しや強盗や意地悪をやったり、国民に命令して人殺しや強盗や意地悪をやらせたりして道徳のない国にしていた。
政府は国家宗教の仕事をやっている。昔は「神がいる。人間は神に従わねばならない。」と考えられていたので、政府は神を認定する仕事や国民を神に従わせる仕事をしていた。政府は超常現象を起こした者を神に決めたり、国民に神を拝[おが]ませたり、国民に神と同じことをやらせたり、国民に神の情報を入れた物を作らせたりしていた。国民が神の情報を入れた物を買って持っていれば、国民が神に従うことになると考えられたからである。
政府は民主主義の仕事をやっている。近代以降は「民主主義をやらねばならない」と考えられているので、政府は国民みんなのためになる仕事をしている。
政府はいろんな仕事をやっている。
しかしながら、政府の正体は道徳のない国を作る会社である。昔からそう決まっているのだからしかたがない。いまさら変えるわけにはいかない。国家宗教や民主主義は政府が偽善のためにやっているだけである。今の政府は民主主義をやっているから“政府”と言う。昔の政府は国家宗教をやっているから“朝廷”と言った。しかし、本当は違う。道徳のない国にする会社が政府の正体なのである。
今では『科学と道徳が相反しない。科学の時代にも道徳をやらねばならない。』とか『神はいない。』と考えられている。だから、今では道徳をなくす仕事をやったり、国家宗教の仕事をやったりしてはいけない。政府は今でも昔と同じように道徳をなくす仕事や国家宗教の仕事をやっている。だから、政府は滅ばねばならない。国民は政府に税金をやるのをやめて政府を経営するのをやめて政府をなくさねばならない。


[16245] 政府と幕府 h24.12.14
政府は3層から成っている。
政府の核は道徳をなくす会社である。その周[まわ]りに国家宗教をやる会社や民主主義をやる会社がある。
それと同じように、幕府も3層から成る。
幕府の核は科学をなくす会社である。昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する。道徳の時代には科学をやってはいけない。」と考えられていたので、科学のない国を作る会社があったのである。幕府は科学のない国を作るために鎖国つまり外国の文明を取り入れないことをやったのである。
その外側に、身分制をやる会社がある。政府の国家宗教に対応するのが幕府の身分制である。幕府は社会にピラミッド構造を取り入れるためにインドを真似[まね]て身分制をやったのである。
さらにその外側に、民主主義をやる会社がある。幕府も政府と同じように民主主義をやっていたのである。国民みんなのためになることをやっていたのである。
政府と幕府は同じようなものである。
幕府の正体は科学をなくす会社である。幕府は道徳があって科学のない国を作る会社である。今は『科学と道徳が相反しない。道徳の時代にも科学をやらねばならない。』と考えられているから、幕府は要らない。今後国民みんなはまちがっても幕府を建ててはいけない。


[16246] 政府はどうして国民よりも上だったのか? h24.12.14
昔は「神がいる。人間は神に従わねばならない。」と考えられていた。
政府は天皇を囲っていた。天皇は神と考えられていた。神武天皇は赤ちゃんの頃[ころ]に頭が光る超能力があったから神だと考えられていた。天皇は神武天皇の子孫だから神だと考えられていた。政府は神である天皇に付いていたから人間よりも上の者だと考えられていた。
つまり、政府が国民よりも上の者だったのは、政府が天皇に付いていたからである。政府が道徳をなくす仕事をしていたからでも、民主主義の仕事をしていたからでもない。政府は自分が国民よりも上だと思って、国民に命令していた。国民から税金を取っていた。
ところが、戦後は科学の時代になって『神がいない』と考えられるようになった。天皇は人間になった。超能力者は人間だと見なされるようになった。
だから、今の政府は国民よりも上ではない。政府がいくら天皇に付いても政府は人間よりも上の者にはなれない。
私は1〜2ヶ月の赤ちゃんの頃に頭の上に吊[つ]ってあったガラガラを超能力で回した。私は日本で2番目に発見された超能力者だが、今では超能力者は人間だから、いくら政府が私に付いても政府は上の者にはなれない。
つまり、今の政府は国民と平等である。
今は『科学と道徳の両方ある』時代なのに、政府は道徳をなくす仕事をして国民を不幸にしている。今は『神がいない』時代なのに、政府は国家宗教の仕事をやっている。
今の時代には政府は要らない。今の政府は国民にとって邪魔[じゃま]である。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。今では『超能力者は人間だ』から、政府と国民は平等だから、国民は政府を倒せばいいのである。

[16247] どうしてキリストはローマ皇帝に殺されたか?☆ h24.12.15
昔の人は「神がいる。人間は神に従わねばならない。」と考えていた。
キリストは赤ちゃんの頃[ころ]に頭が光ったので神だと考えられていた。しかし、キリストが生きている間は実質的に人間と変わらなかった。超能力者は実際には神よりもはるかに人間に近い存在だったからである。超能力者は実際には人間と同じだったからである。
そのために、ローマ皇帝はキリストを一般人と同様に見なした。
ローマ皇帝はユダヤ教を国家宗教にしていた。キリストはユダヤ教を認めなかった。そのため、キリストはローマ皇帝つまり国家に逆らったと見なされて死刑にされた。
キリストが死んだ後[のち]、キリストは神だと考えられるようになった。キリストが死んだ後では、キリストの実像よりもイメージが先行してキリストが人間よりも神だと考えられるようになったのである。そのため、キリストが死んだ後ではキリストがローマ皇帝よりも上だということになった。そこで、ローマ皇帝はキリスト教を国家宗教に定めなければならなくなった。こうしてキリスト教はヨーロッパの国家宗教になったのである。
今は科学の時代なので、今の人は『神がいない。人間は神に従わなくていい。』と考えている。現代はそういう時代である。現代ではイメージよりも実像が重んじられる。
そのために、キリストは「神」ではなく、『赤ちゃんの頃に頭が光った者』だと考えられている。キリストは超能力者だったと考えられている。キリストは人間の脳に“念光力[ねんこうりょく]器官”があることを示した人物だと見なされている。今では、キリストは“念光力器官がある人間”にほかならないのである。キリストは本当は念光力しか使えなかった。他[ほか]の超能力は聖書のでっち上げである。
キリストと同じように、神武天皇も赤ちゃんの頃に念光力があったと見なされている。神武天皇は“念光力器官がある人間”だった。私は赤ちゃんの頃に頭の上に吊[つ]ってあったガラガラを念動力で回したから、私は“念動力器官がある人間”だったのである。
超能力者は実在する。約1000億人に1人の割合で超能力者が現れる。人間の中にはまれに脳に“変わった器官”を持った者が現れるのである。これまで人類は超能力者を神だと考えて、超能力者に従ってきた。今では超能力者は人間だと考えられているので、もはや超能力者に従わなくていい。
超能力器官は赤ん坊の頃の一時[いっとき]働くだけで、成長すると働かなくなる。超能力者は周[まわ]りの人間が超能力を使わないのを見て真似[まね]て自分も超能力を使わなくなるのだろう。つまり、超能力者は赤ん坊の頃は超能力者だが、大人になるとただの人間なのだ。だから、超能力者は人間と同じだと考えればいい。
超能力者は新人類の先駆[さきが]けだとも考えられる。人類の脳が今よりももっと発達すればいろんな超能力を使えるようになるのかもしれない。未来の人類は念光力や念動力を使って便利に暮らしているかもしれない。

[16248] 今の国民にとっては政府は要らない。 h24.12.15
昔は国民みんなが「道徳は科学の敵だから道徳をなくさねばならない」と考えていたので、道徳をなくす会社である政府を建てて政府に税金をやって道徳をなくさせていた。政府に人殺しや強盗や意地悪[いじわる]が多い国にさせていた。国家宗教や民主主義はどうでもよかった。
今では国民みんなが『道徳は科学の味方だから道徳をやらねばならない』と考えているので、道徳をなくす会社である政府に税金をやって道徳をなくさせてはいけない。政府に人殺しや強盗や意地悪の多い国にさせてはならない。政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
昔の国民にとっては政府が必要だったから、政府を守っていた。昔の国民は政府に税金をやって政府に道徳をなくす仕事をさせていた。今の国民にとっては政府が要らないから、政府を滅ぼさねばならない。国民は早く政府に税金をやるのをやめて政府をなくさねばならない。

[16249] どうして政府は私を国民に公開しなかったのか? h24.12.15
キリストの例でもわかるように、超能力者はイメージが神であるだけで実像は人間と同じである。
だから、今の政府は国民の神のイメージを利用するために私を国民に公開しなかったのである。政府が私を国民に公開すると『ただの田舎[いなか]の子だ』と思われるので、当時はすでにテレビや新聞があったにもかかわらず政府は私を国民に公開しなかったのである。
今の政府は自分が神に付いているから人間よりも上だと国民に思わせるために、私を神とする国家宗教をやっていたのである。
しかし、実際には私は人間と同じだし、政府は私を囲っていない。政府は私に付いていない。
だから、政府は人間よりも上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[16250] 今の国民は政府に従わなくなった。 h24.12.15
政府は本来[ほんらい]は道徳をなくす会社であって国民と平等だが、政府は神に付くことによって人間よりも上の者になって国民を支配していた。
古代の日本では国民みんながヨーロッパ文化を真似[まね]て「神がいる。人間は神に従わねばならない。」と思っていたから、天皇を神だと思って、政府を上の者だと思って政府に従っていた。
中世の日本では国民みんながインド文化を真似て『神がいない。人間は神に従わなくていい。』と思っていたから、天皇を神だと思わなくなって、政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなった。もっとも、幕府は念のために天皇を神として大切にしていた。
近代の日本では再び国民みんながヨーロッパ文化を真似て「神がいる」と思うようになって、政府に従っていた。
現代の日本では科学の時代になって国民みんなが『神がいない』と思うようになって、天皇や私を神だと思わなくなって、政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなった。

[16251] どうして政府は国民から税金を取っていたか? h24.12.15
国民みんなは政府よりも権力が強いから、国民みんなが政府に税金を払うか払わないかは国民みんなが決めることである。政府が国民から税金を取っていたのではなく、本当は国民が政府に税金を払っていたのである。
政府は道徳をなくす会社である。政府の本業は道徳のない国にすることである。昔の国民は「科学をやるためには道徳をなくさねばならない」と考えていたから、政府が道徳をなくす仕事をするために自分から進んで政府に税金を払っていた。政府に人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い国にしてもらって喜んでいた。
それでも政府に税金を払わない生意気[なまいき]な国民がいたので、政府は国家宗教をやって神に付いて人間よりも上の者になることによって国民に命令して税金を取っていたのである。
つまり、国家宗教は政府が国民から税金を取るための補強だったのである。昔から、超能力者が神であるかどうかは半信半疑だったので、宗教は実際にはそれほど有効ではなかった。みんなは超能力者に真剣に従う気にはなれなかったのである。
それでもまだ政府に税金を払わない国民がいたので、政府は民主主義をやって国民の役に立つことをやって国民から税金を取っていた。特に近代以降は科学の時代になって国民みんなが「神がいない」と考えるようになったので、政府は国家宗教の代わりに民主主義をやるようになったのである。
今の国民は『科学をやるためには道徳もやらねばならない』とか『神はいない』と考えるようになったので、政府に税金を払わなくなっている。今の国民は政府を潰[つぶ]して、政府とは別の会社に民主主義の仕事をやってもらうようにしている。民主主義の仕事をやりたがっている国民はたくさんいるから、政府が潰[つぶ]れたほうがいいのである。

[16252] 今の政府はお金が足りなくなって善[い]いことがやれなくなっている。☆ h24.12.15
政府は道徳をなくす会社である。政府は悪いことをする会社である。
昔の国民は「科学をやるためには道徳をなくさねばならない」と考えていたので、科学の時代には政府に喜んで税金を払って政府に道徳のない国にしてもらっていた。政府に人殺しや強盗や意地悪[いじわる]などの悪いことの多い国にしてもらっていた。
昔の政府は国民からたくさんお金をもらいすぎたので、余ったお金で国家宗教や民主主義をやっていた。政府は悪いことばかりするのは国民に悪いと思って、国民のために善[よ]いこともやってくれていた。
しかし、今の国民は『科学をやるためには道徳もやらねばならない』と考えているので、科学の時代には政府に税金を払わなくなって政府に道徳のない国にさせなくなった。
今の政府は国民からお金がもらえなくなって、国家宗教や民主主義をやらなくなっている。今の政府は悪いことをするのが精一杯で国民のために善いことがやれなくなっている。今の政府は悪いことをやるだけで、善いことをやらなくなっている。
国民は政府よりも人数が多いから、国民は政府よりも権力が強い。国民のほうが政府よりも強いから、国民が政府をどうしようが国民の勝手である。政府は道徳をなくす会社である。今は道徳のある時代だから、国民は政府をなくさねばならない。
法律なんかどうでもいい。法律よりも理屈のほうが大事である。理屈を通すために時には法律を犯すことも大事である。今の国民の多くがまちがっているからまちがった法律があるのである。だから、国民は政府に税金を払わないようにして政府をなくさねばならない。

[16253] どうして人殺しをしてはいけないか? h24.12.15
人殺しをしてはいけないのは、他人の命は他人のものだからである。他人の命は他人のものであって、自分のものではないからである。
強盗をしてはいけないのは、他人の財産は他人のものであって、自分のものではないからである。
他人のものと自分のものをちゃんと区別すれば意地悪[いじわる]もなくなる。
つまり、道徳があるとは、自分のものと他人のものの区別があることである。
道徳がないとは、自分のものと他人のものの区別がないことである。
道徳とは社会科学である。
今では社会科学も科学である。
だから、今では科学の時代にも道徳がある。
政府は科学があって道徳のない国にする会社である。
今では道徳は科学である。
だから、政府は道徳があって道徳がない国にする会社である。
これは矛盾である。
だから、政府は滅ばねばならない。

[16254] 今の国民は道徳のある生活をしている。 h24.12.15
政府は道徳をなくす会社である。国家宗教も民主主義もオマケにすぎない。政府にとっては道徳をなくすことが仕事であって、国家宗教や民主主義は遊びなのである。
昔の国民は「科学のある国にするためには道徳をなくさねばならない」と考えていたので、政府は人気があった。政府は道徳をなくすことで人気があったのであって、国家宗教や民主主義をやることで人気があったのではない。政府は嫌がらせで人気があったのであって、善[よ]いことで人気があったのではない。昔の国民にとっては道徳をなくすことが大事であって、国家宗教や民主主義はどうでもよかったのである。昔の政府は道徳のない国にすることで国民の役に立っていただけで、国家宗教や民主主義は大[たい]して役に立っていなかったのである。(実際には、昔の人は「政府が道徳のないことをして国民の役に立っている」と思っていただけであって、本当は政府は国民の役に立っていなかった。本当は『科学と道徳は相補[あいおぎな]う』から、政府は科学の邪魔[じゃま]をして国民の生活を妨害していたのである。)
今は道徳がある時代である。今の国民は『科学のある国にするためには道徳もなければならない』と考えているので、今の国民は道徳のある生活をしている。
今の政府は道徳のない国にすることで国民の迷惑になるだけで、国家宗教や民主主義は大して役に立っていない。
今の国民にとっては政府は要らない。
だから、今の国民は政府をなくさねばならない。
今の国民は政府をなくすために、政府に税金をやってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。
政府は昔の国民が「科学がある国では道徳があってはならない」という迷信を信じていたために建っていた会社である。今の国民はそんな迷信を信じていないから政府は建っていなくていい。
今の国民は『政府が道徳をなくす会社である』ことを知らず、「政府が民主主義をやる会社だ」と思っているから、政府に喜んで税金を払って政府が仕事をしているのである。政府が道徳をなくすことをやって国民を不幸にしているのである。つまり、政府が国民を殺したり国民から強盗したり国民に意地悪[いじわる]をしたりして国民を不幸にしているのである。今の国民は『政府が道徳をなくす会社である』ことを知って、政府に税金をやらないようにして、早く政府をなくさねばならない。
科学のある国にすることは国民でやればいい。国民が自分で科学をやったり、外国から科学を取り入れて科学をやればいい。政府は道徳のない国にする会社である。政府は悪いことが多い国にするだけである。今の国民にとっては政府は邪魔[じゃま]である。だから、国民は政府を倒して、政府のない国にすればいい。

[16255] 人間は考える生き物である。 h24.12.16
人間は考えるために生きるべきである。自分の考えを言葉にして生きるべきである。
人間は楽しむために生きるのではない。眼で見たり酒を飲んだりするために生きるのではない。
人間は楽しさのために生きるのではない。正しさのために生きるべきである。
人間は正しく生きるからこそ楽しめる。楽しく生きるとそのうち正しくなくなって楽しめなくなる。
人間には知覚欲がある。つまり、考える喜びがある。だから、知覚欲を働かせれば考えながら楽しむことができる。

[16256] 考えることでお金が儲[もう]かるようにしなければならない。 h24.12.16
物を作ることはお金が儲かるから仕事になる。
しかし、考えることはお金が儲からないから仕事にならない。
文明国では考えることが大事だから、考える人がいなくなると国が成り立たなくなる。
だから、国民は考えることにお金を出すべきである。考える人にお金をやるべきである。
そうすれば、文明がもっと進んで国民みんなの暮らしが豊かになる。
貴族制をやってもいい。国に1000人ぐらいは貴族がいてもいい。業績のある者は孫の代までは国民みんなで暮らしの面倒を見てやってもいい。国民の平均収入ぐらいは出してもいい。孫が馬鹿なら捨てればいい。貴族を取りやめればいい。
ギリシアは貴族がいたから発展した。ギリシアはヨーロッパの原型になっている。ヨーロッパは貴族制によって“頭のいい形質”を持った人間を増やして国民みんなが頭がよくなって発展したのである。だから、日本でも貴族制をやらねばならない。そうすれば、日本はますます発展するだろう。

[16257] 今の国民は政府を潰[つぶ]さねばならない。 h24.12.16
政府の本質は道徳をなくす会社である。政府は国民からお金をもらって悪いことをする会社である。政府にとっては道徳をなくすことが本業であり、国家宗教や民主主義は副業である。だから、政府は国家宗教や民主主義をいいかげんにしかやっていない。だから、政府は神である私や天皇や国民みんなの言うことをいいかげんにしか聞かないのである。政府は自分の独断で道徳のないこと(人殺しや強盗や意地悪[いじわる]などの悪いこと)をやるだけである。昔は政府といっしょに国民も自分で悪いことをしたり政府の命令で悪いことをしていたが、今では国民が悪いことをしなくなって政府がひとりで悪いことをやっているだけである。だから、今では政府が悪いことをしているのがよく目立つ。政府は神の情報を使って道徳のないことをしたり民主主義的な理由をつけて道徳のないことをやって自分が国家宗教や民主主義で道徳のないことをしているふりをしているが、本当は自分の独断で道徳のないことをしているだけである。例えば、政府は自分勝手に国民みんなが「ヨーロッパ人のようにスマートになりたい」と思っていることにして、国民みんなが美味[うま]い米を食べれないようにして国民みんなに不味[まず]いパンを食わせて意地悪をしている。また、政府は国家宗教でスーパーで売っている魚の切り身の保存料に塩の代わりにビタミンCを使わせて(塩←白く光る←神武天皇は赤ちゃんの頃に頭が白く光った←神武天皇、ビタミンC←ビタミンシー←ビシ←シビ←川ブ(シ≒川、ビ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)魚の味を台無[だいな]しにして国民に意地悪をしている。一般に、政府は国家宗教で国民の食事を美味い物から不味い物にしている(美味い←うまい←馬←天皇は馬鹿←天皇、不味い←まずい←マズ←カブ(マ≒カ、ズ≒ブ)←川ブ←私)。また、国民みんなにとっては畳[たたみ]が快適なのに、政府は国家宗教で床を板張り(板張り←板←イタ←タイ←カブ(タ≒カ、イ≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)にして国民を不快にして国民に意地悪をしている。政府は他[ほか]にもいろんなことをやって国民に意地悪をしたり、国家宗教で国民を殺したり国民から強盗したりして、国民を虐[いじ]めている。
政府は道徳のない国にするために自分自身も嫌な目にあっている。政府は美味しい物が食べれなくなったり、不快な家に住まねばならなくなったり、嫌な服を着なければならなくなったり、面白い本やマンガやテレビ番組や映画が見れなくなったり、国家宗教で殺されたり強盗されたりして嫌な思いをしている。政府は自分で自分を嫌な目にあわせている。政府は道徳のない国にすることが目的であって国民を虐[いじ]めることが目的ではないから、政府は国のみんなを不幸にするのが目的であって国民だけを不幸にするのが目的ではないから、政府自身が嫌な目にあってもしかたがないのである。
権力の実体は人数だから、国民のほうが政府よりも人数が多くて権力が強いから、国民は政府を自分の好きなようにしていい。
昔の国民は「道徳をなくさねばならない」と考えていたから、政府に税金を払って政府に仕事をしてもらっていた。政府に人殺しや強盗や意地悪をしてもらって道徳のない国にしてもらっていた。
今の国民は『道徳がなければならない』と考えているから、政府を潰[つぶ]さねばならない。政府に税金をやってはいけない。法律を変えねばならない。今の政府がやっている民主主義の仕事は政府の代わりに国民がやらねばならない。

[16258] 政府は自分で自分を虐[いじ]める会社である。 h24.12.17
政府は道徳のない国にする会社である。政府は人殺しや強盗や意地悪[いじわる]の多い国にする会社である。政府は面白くない国にする会社である。
政府は面白くない国にして、自分自身も面白くない目にあっている。政府は自分で自分を嫌な目にあわせる会社である。政府は自分で自分を虐める会社である。政府は“自分で自分を虐めて客からお金をもらう人”である。
昔は「科学のある国では道徳があってはならない」と考えられていたから、科学の時代には道徳をなくさねばならなかった。国民は政府に税金をやって政府に道徳のない国にさせねばならなかった。
今は『科学のある国では道徳もなければならない』と考えられているから、科学の時代にも道徳をやらねばならない。国民は政府に税金をやらず政府に道徳のない国にさせてはいけない。
政府は『科学のある国では道徳がない』という迷信で支えられている会社である。今の国民にはそんな古臭い迷信はない。だから、国民は政府をなくすために税金を払わなければいいのである。
政府は『科学のある国では道徳がない』という迷信で儲[もう]けていた会社である。今ではそんな迷信はないから、政府は儲からなくなって潰[つぶ]れているのである。

[16259] 人間は宇宙人に従うか?! h24.12.17
人間は正しいことに従うだけである。
昔は「道徳のないことが正しい」と考えられていた。
政府は国民に道徳のない命令を出したので、国民は「政府が国民に正しいことを命令している」と考えたので、政府の命令に従ったのである。昔は国民がいちいち政府に命令されなくても、自分で悪いことをやっていたのである。
今は『道徳のあることが正しい』と考えられている。
政府は国民に道徳のない命令を出すので、国民は『政府が国民にまちがったことを命令している』と考えて、政府の命令に従わなくなった。今では政府が自分ひとりで悪いことをやっているのである。
たとえ他[ほか]の星から宇宙人がやってきても、人間は宇宙人に従わない。宇宙人が正しいことを言わないかぎり、宇宙人に従わない。あるいは、宇宙人が暴力団のように人間を暴力で脅[おど]さないかぎり、人間は宇宙人に従わない。もっとも、あとで人間が宇宙人に対抗する組織を作って、宇宙人を倒すだろう。
人間は超能力者に従わない。超能力者が正しいことを言わないかぎり、人間は超能力者に従わない。
人間は神にも従わない。神が正しいことを言わないかぎり、人間は神にも従わない。

[16260] 国民は正しいことをすればいい。 h24.12.17
政府は道徳をなくす会社である。政府は道徳をなくすことをやっている。政府は悪いことをやっている。政府はオマケに民主主義をやっているだけである。
国民が『今は道徳のある時代だから政府が要らない』と思って政府に税金を払わないでいると、政府の税官[ぜいかん]が納税の義務を果たしていないと言って逮捕しに来る。
政府は裏で道徳をなくす仕事をしているのに、憲法にはいっさいそのことを書いていない。憲法には政府が善いことをしていることしか書いていない。政府は余計なことをやっておいて、金だけはちゃんともらいに来る。政府はずうずうしい。
暴力団のほうがよっぽど正直である。暴力団は自分が暴力をふる団体であることをちゃんと名前で表しているから正直である。政府みたいに裏で悪いことをして表で善い人のふりをしているのは人間のクズだ。
政府は本当は悪いことをする会社である。今は悪いことをしてはいけない時代である。今の時代に国民が政府を倒すのは正しいことである。人間は正しいことに従わねばならない。政府も人間だから正しいことに従わねばならない。
だから、政府はたとえ国民が税金を払わなくても、国民を逮捕するほどのことはしないだろう。政府の正体は悪いことをする会社であって、民主主義の政治機関は仮の姿である。政府にとっては悪いことが仕事で、民主主義は遊びである。政府にとっては『民主主義は見世物にすぎず、悪いことで金を稼[かせ]いでいる(Democracy is show,Bad is money.)』のである。政府は遊びで民主主義をやっているだけだから、政府にとっては憲法は冗談だから、国民が政府の憲法を守らずに税金を払わなくても政府が国民に軽く注意するだけで終わりなのである。
だから、国民は政府の憲法を恐れずに、政府の憲法を守らずに、正しいことをすればいいのである。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいいのである。
国民に納税の義務があったのは「悪いことが正しかった」戦前までである。今の『善いことが正しい』時代には国民に納税の義務はないのである。
人間は正しいことに従い正しいことをするだけでいいのである。
政府に税金を払うのは、お金の問題よりも国民の生活の質の問題である。政府は悪いことをして国民を不幸にする会社である。国民は早く政府を倒して幸福な生活を実現しないといけない。

[16261] どうして警察は変なことをするのか? h24.12.17
警察は他人[たにん]の家の新聞受けに射精したり、セーラー服を着て下半身裸で踊ったりする。
それは警察が悪いことをしているからである。道徳のないことをしているからである。
政府は道徳のない国にする会社である。政府は悪いことをする会社である。政府は自分が悪いことをやったり、国民に悪い命令を出して悪いことをやらせたりする。
しかし、今は国民が悪いことをしなくなったので、政府は国民に命令できなくなっている。
そのために、政府は自分の警察に悪いことをする命令を出して悪いことをやらせているのである。
政府はけっして警察を虐[いじ]めているのではなく、警察に悪いことをさせているだけである。
昔なら、国民が警察の代わりに変なことをしなければならなかったところである。
昔は「悪いことが正しかった」ので、国民は自分から進んで悪いことをやったり、政府の命令で喜んで道徳のないことをやったりしたのである。

[16262] 政府の本質は道徳をなくす会社である。 h24.12.17
政府は道徳をなくす会社である。政府は悪いことをする会社である。政府にとっては国家宗教や民主主義は冗談である。政府は国家宗教や民主主義をやっていることはやっているが、いいかげんにしかやっていない。
だから、国民は政府の国家宗教や民主主義は無視すればいい。大雑把[おおざっぱ]には、政府は国家宗教も民主主義もやっていないと考えればいい。政府は道徳をなくしているだけだと考えればいい。政府は悪いことをしているだけだと考えればいい。政府の憲法もないと見なせばいい。
しかも、国民は政府よりも権力が強いから、国民が政府をどうしようが国民の勝手である。国民は政府を自分の好きなようにすればいい。
昔の国民は「道徳をなくさねばならない」と考えていたから、政府に仕事をしてもらわねばならなかったから、政府に税金をやって政府を守っていた。
今の国民は『道徳がなければならない』と考えているから、政府に仕事をさせてはならないから、政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]さねばならない。
今の国民は物事の枝葉末節[しようまっせつ]にとらわれているから政府を潰さない。今の国民はもっと図太[ずぶと]く物事を考えなければならない。
今の政府は国家宗教や民主主義をやっているが、その100倍道徳のないことをやっている。悪いことをやっている。このままでは日本はどんどん政府に悪い国にされる。みんなにとって面白くない国にされる。だから、国民は早く政府を倒して、日本を国民にとって面白い国にしないといけない。

[16263] どうして今の政府は国民から税金を取っているか? h24.12.18
政府は「道徳のない国」を作る会社である。国家宗教や民主主義はオマケである。
ところが、今は道徳のある時代である。神がいない時代である。
だから、政府の道徳のないことや国家宗教は仕事ではない。
今の政府の仕事は民主主義だけである。
ところが、政府にとって民主主義は遊びである。政府は民主主義ごっこをやっているだけである。
だから、国民は政府にお金をやる必要はない。税金を払う必要はない。
国民は早く政府を潰[つぶ]して、国民みんなで『科学と道徳の両方ある国』を作って行けばいい。

[16264] 国民は正しいことをしないといけない。☆ h24.12.18
政府は道徳のない国を作る会社である。政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などの悪いことが多い国を作る会社である。
昔は「道徳のないことが正しい」と考えられていたから、国民はたとえ自分が嫌でも政府に仕事をやってもらわなければならなかった。国民は政府に税金を払って政府に仕事をしてもらわねばならなかった。
今は『道徳のあることが正しい』と考えられているから、国民はたとえ自分が罰せられても政府に仕事をさせてはいけない。
人間は正しいことをしないといけない。自分が好きだろうが嫌だろうが、とにかく正しいことをしないといけない。今は政府を潰[つぶ]すのが正しい。だから、国民みんなは政府を潰さねばならない。政府に税金をやらないようにして政府を潰さねばならない。

[16265] 宗教は道徳ではない。 h24.12.18
宗教は神に従うことである。神は超能力者のことである。つまり、宗教とは超能力者の教えに従うことである。
道徳は自分の心を知ることである。自分の心を適切に働かせることである。
だから、宗教は道徳ではない。
倫理学[りんりがく]の教科書には宗教を道徳のように書いてあるけれどもそれはまちがいである。本当は、宗教は道徳ではない。
日本人は昔から『神がいない』と考えているから、宗教なんかやらなければいい。仏教やキリスト教や日本神道などをやらなければいい。
日本人は道徳だけをやればいい。
宗教は神(つまり超能力者)に従うことである。これまで神はまちがった道徳を説いてきた。だから、宗教はまちがった道徳なのである。
日本人は昔から『神がいない』と考えて、宗教をやってこなかったから、日本は世界で一番正しい道徳のある国なのである。
日本は離れ島だから、まちがいに汚染されなかったので、正しい道徳が残っているのである。
神はろくなもんじゃない。神の教えはまちがいばっかりだ。神武天皇は自分の教えを説かなかったから日本人には幸いだった。そのために、日本では宗教は儀式どまりですんだのである。
残念ながら、これまで日本人は他の国の人と同じように「科学と道徳は相反[あいはん]する」とまちがって考えてきた。そのために、日本は道徳が得意なために科学が遅れたし、科学の時代には道徳が損[そこ]なわれた。今では『科学と道徳は相補[あいおぎな]う』と考えられている。日本人は早く『科学と道徳は両立する』と正しく考えるようにして、日本を科学と道徳の両方ある国にしなければならない。政府は道徳をなくす会社だから、早く政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16266] 心はみんな違う。 h24.12.18
正しいことはみんなに共通だが、面白いことは人によって違う。
心は人それぞれ違う。
誰でも自分と気の合うものが自分にとっては面白い。
だから、自分と気の合うマンガが自分にとっては面白い。自分の心と似た心を持ったマンガ家の描[か]いたマンガが自分にとっては面白い。
それと同じように、自分と気の合う相手と結婚すれば自分は幸福になれるのである。自分の心と似た心を持った者と結婚すれば自分は幸せになれる。
見掛けにとらわれて自分と気の合わない相手と結婚した者は一生面白くない思いをしなければならなくなって悲惨[ひさん]である。
マンガは嫌なら捨てられるが、結婚相手は捨てられないので慎重に選ばないといけない。

[16267] 政府の民主主義は遊びである。☆ h24.12.18
政府の本当の仕事は道徳をなくすことである。悪いことをすることである。国家宗教や民主主義は遊びである。
政府は自分の仕事が悪いことをすることでは体裁[ていさい]が悪いので、国家宗教や民主主義で善いことをやって仕事らしくしているのである。政府が国家宗教や民主主義をやっているのは、政府が自分の仕事がみっともなくて自分の仕事をごまかすためである。政府は自分の仕事が恥ずかしいから、いっしょに他[ほか]の仕事をやって国民から白い眼で見られるのを防[ふせ]いでいるのである。政府は自分が道徳をなくす仕事をしているのを国民に隠すために国家宗教や民主主義をやっているだけである。国家宗教や民主主義は政府の覆[おお]いにすぎないのである。[[16244]の図を参照。]だから、政府にとっては国家宗教や民主主義は仕事ではないのである。国家宗教や民主主義は政府の仕事ではないのである。
昔はみんなが「道徳をなくさねばならない」と考えていたから政府に税金をやって道徳をなくす仕事をしてもらっていたが、今はみんなが『道徳をやらねばならない』と考えているので政府に税金をやらず道徳をなくさせてはいけない。昔はみんなが「科学をやるためには道徳をやってはいけない」という迷信を信じていたから、みんなで政府にお金をやって仕事をしてもらっていたのである。今はみんなが『科学をやるためには道徳もやらねばならない』と考えているから、みんなが政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
政府の民主主義は遊びだから、政府の憲法は冗談なので、国民は政府の憲法をいちいち守らなくてもいい。納税の義務を守らなくていい。政府は道徳をなくす会社にすぎないから、もともと国民と政府は平等だから、国民が政府に仕事をして欲しくなければ国民は政府にお金をやらなければいいだけである。
今は道徳がある時代である。政府は道徳をなくす会社である。みんなは早く政府をなくして善[い]い国にしないといけない。

[16268] 昔の人が悪いことをやっていたのは科学をやるためである。☆ h24.12.18
昔は、科学の時代には、みんなが悪いことをやっていた。政府は悪いことをやっていた。国民は自分で悪いことをやったり、政府の命令で悪いことをやったりした。
国民も政府も自分が悪いことがやりたいからやっていたのではない。昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていて、科学をやるためには道徳をやってはいけなかったので、みんなは科学をやるためにしかたがなく悪いことをやっていたのである。昔は悪いことが正しかったから、人間は正しいことをしなければならないので、みんなは悪いことをやっていたのである。
今は『科学と道徳が相補[あいおぎな]う』と考えられていて、科学をやるためには道徳もやらねばならないので、みんなは科学をやりながら道徳もやっているのである。今ではみんなが科学をやるために悪いことをしなくてもいいのである。
政府は道徳のないことをする会社である。政府は悪いことをする会社である。今は道徳のある時代だから、今の時代には政府は要らない。だから、国民は政府をなくせばいいのである。国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒産させればいいのである。
国民がいまだに政府を潰[つぶ]していないので、政府は今でも悪いことをやって国民を不幸にしている。政府はもともと悪いことをする会社だから、政府は自分が潰れるまでずっと悪いことをやり続けるつもりでいる。政府は悪気があって悪いことをしているのではなく、政府にとっては悪いことをするのが自分の仕事だから悪いことをやっているだけなのである。国民が政府にお金をやっているかぎり、政府は悪いことをやり続けるのである。だから、国民は早く政府にお金をやらなくなって政府を潰して悪いことのない国にしないといけない。

[16269] 超能力者は人間である。 h24.12.18
超能力者は『進化した人間』である。いわゆる、ニーチェの言う超人である。人間が進化したから超能力が使えるのである。[ニーチェのいた当時は、科学の実験的方法のせいで神がいなくなっていたし、ダーウィンが進化論を出していた。ニーチェはそれらに乗っかって超人つまり『進化した人間』を考え出したのだろう。]
だから、超能力者は「神」ではない。超能力者は『進化した人間』であって、「神」ではない。
だから、人間は超能力者に従わなくてもいい。人間は正しいことに従えばいいだけだから、超能力者や神に従わなくていい。
昔の人が超能力者に従っていたのは、「神がいて、超能力者が神であって、人間が神に従わねばならない」と考えていたからである。
今の人は『神がいなくて、超能力者は神ではなくて、人間は神に従わなくていい』と考えているから、今の人は超能力者に従わなくていい。
昔の宗教団体が悪いことをやっていたのは、みんなが「超能力者が神だ」と考えていたからである。宗教団体は自分が神に付いているから人間よりも上だと思って国民を好き放題にしたのである。国民を殺したり国民の物を無理やり盗ったりしたのである。
しかし、今ではみんなが『超能力者が神ではない』と考えている。だから、宗教団体は超能力者に付いても上の者にはなれず国民を好き放題にできない。国民を殺したり国民の物を盗ったりできない。だから、今では宗教団体が滅んでいるのである。宗教団体は「超能力者が神だ」という迷信で出来た団体なので、今ではそんな迷信はないので、宗教団体もなくなっているのである。
超能力者が『進化した人間』だからといって、超能力者を別格扱いしなくてもいい。超能力者は超能力の方向に進化した人間である。人間はいろんな方向に進化している。超能力者だけが『進化した人間』ではない。『進化した人間』は超能力者以外にもいる。未来の人類が超能力以外の方向に進化している可能性もある。未来の人類がどうなるかはわからない。だから、超能力者を人間とは別に扱わなくてもいいのである。
政府は国家宗教をやっている。政府は超能力者を神だと考えて国民みんなを超能力者に従わせている。しかし、政府にとっては道徳のないことをやることが仕事であって、国家宗教は遊びにすぎない。政府にとっては道徳のないことをしなければならないだけであって、国家宗教はやってもやらなくてもどうでもいい。今ではみんなが『超能力者が神ではない』と思っている。今ではみんなが国家宗教に乗り気ではない。だから、政府は国家宗教をやめればいい。

[16270] 政府は民主主義の政治機関ではない! h24.12.18
国民の中には「政府が民主主義の政治機関だ」と思っている人が多いが、本当は『政府は道徳をなくす会社である。』道徳をなくす会社が民主主義の政治機関をかぶっているだけである。道徳をなくす会社に民主主義の政治機関を貼[は]っているだけである。道徳をなくす会社が民主主義の政治機関を着ているだけである。
戦前は国民みんなが「科学と道徳は相反[あいはん]する。科学をやるためには道徳をやってはならない。」と考えていたので、道徳のない国にするために政府を建てて政府に税金をやって政府に悪いことをしてもらって道徳のない国にしてもらっていたのである。
戦後は国民みんなが『科学と道徳は相補[あいおぎな]う。科学をやるためには道徳もやらねばならない。』と考えているので、政府に税金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今でも政府が残っているのは、国民の多くが「政府が民主主義の政治機関だ」と思って政府に税金を払っているからである。政府は国民からもらった税金で道徳のないことをして国民を殺したり国民から強盗したり国民に意地悪[いじわる]をしたりして国民を不幸にしている。国民は早く政府の正体を知って政府に税金を払うのをやめて政府を倒さなければならない。
政府は道徳をなくす会社である。道徳をなくす会社が法律を決めることはできない。政府の法律は嘘[うそ]である。政府は法律を決めているふりをしているだけで、本当は何も決めていないのである。政府が法律を破って人殺しや強盗や嘘や意地悪をしているのは、政府が法律を決めていないからである。だから、国民は政府の法律を守らなくていい。国民は納税の義務を犯して政府に税金を払わなくていい。

[16271] 今の宗教団体はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.18
昔の神の定義は『超能力者』だった。
しかし、今の神の定義は「道徳を説[と]く人」である。倫理学の教科書に宗教が道徳のように書かれているからである。
そのため、今では道徳を説く人が神として振舞[ふるま]っている。道徳を説く人が宇宙の支配者として振舞っている。宗教団体は神に付いているので自分が人間よりも上の者だと思って国民を好き放題にしている。国民を殺したり国民の金を無理やり盗ったりしている。今の宗教団体はそうやって儲けている。
しかし、本当は神とは超能力者のことである。約1000億人に1人現れる超常現象を起こす者のことである。倫理学の教科書がまちがっている。
だから、道徳を説く人は神ではない。いくら立派な道徳を説いても神にはなれない。宗教団体も人間よりも上ではない。だから、国民は宗教団体に従わなくていい。宗教団体を空威張[からいば]りだと思って無視すればいい。宗教団体が自分に何かしたら、宗教団体に暴力をふって追い返せばいい。

[16272] どうして国民は「政府が上の者だ」と思っているのか?☆ h24.12.18
政府は道徳のない国を作る会社である。悪いことをする会社である。
昔は「科学と道徳は相反[あいはん]する。科学をやるなら道徳をやってはいけない。」と考えられていた。国民みんなは科学をやるために道徳のない国にしなければならなかったので、国民みんなは政府に道徳のない国にしてもらうために税金を払っていた。国民みんなは政府の悪い命令を聞いて悪いことをやっていた。国民みんなは政府が悪いことをやって国民を虐[いじ]めるのを我慢[がまん]していた。
しかし、実際には、国民の大半は正しい理由がわからないまま政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたり、政府が国民を虐めるのを我慢していた。そのため、国民の大半はまちがって「政府を上の者だ」と思うようになったのである。
そのため、今ではみんなが『科学と道徳は相補[あいおぎな]う。科学と道徳を両方やらねばならない。』と考えるようになっているのに、国民の大半はあいかわらず「政府が上の者だ」と思って、政府に税金を払ったり政府の命令を何でも聞いたり政府が国民を虐めるのを我慢しているのである。
しかし、本当は政府は上の者ではない。本当は『政府と国民は平等である。』昔の国民みんなが政府に税金を払ったり政府の悪い命令を聞いたり政府が国民を虐めるのを我慢していたのは、昔の国民みんなが「道徳をやってはいけない」と考えていたからである。反対に、今では国民みんなが『道徳をやらねばならない』と考えているから、今の国民みんなは政府に税金を払ったり政府の悪い命令を聞いたり政府が国民を虐めるのを我慢しなくていいのである。
だから、今の国民は勇気を出して政府に税金を払うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府が国民を虐めるのを我慢するのをやめればいいのである。そうすれば、国民は税金が儲[もう]かるし、政府の面倒臭い命令を聞かずにすむし、政府に仕返しして気持ちがスッキリするのである。
今の政府が国民を虐めているのは、政府自身も「政府が国民よりも上の者だ」とまちがって考えているからかもしれない。政府は『政府は道徳をなくす会社であり、今は道徳のある時代だから、政府は滅ばねばならない。』と正しく考えて、自分で滅ばねばならない。政府が正しいことがわからずに国民を虐めるのもいけないし、政府が正しいことがわかっているのに知らないふりをして国民を虐めるのもいけない。どちらにしても、政府がいけない。だから、政府は滅ばねばならない。あるいは、国民の多くが「政府が上の者だ」とまちがって思って政府に従っていることに便乗[びんじょう]して、政府が国民を支配しているだけなのかもしれない。それなら、国民が『政府は道徳をなくす会社だから、政府と国民は平等だ』と正しく考えて政府に従うのをやめればいい。そうすれば、政府は国民を支配できなくなる。

[16273] 法律は国民みんなで決めるものである。 h24.12.19
政府は道徳をなくす会社である。政府は民主主義の政治機関ではない。だから、政府は法律を決めていない。政府は法律を字で書いているだけで、実際には法律を決めていない。
だから、政府は人殺しをしたり強盗をしたり嘘[うそ]をついたり意地悪[いじわる]をしたりするのである。
犯罪者が牢屋に入らなければならないのは、政府は法律を決めていないが、国民みんなが法律を決めているからである。政府は国民みんなに従って犯罪者を罰しているのである。
今の政府は法律を決めていないから、国民は政府の法律を守らなくてもいい。国民は国民みんなの法律を守るだけで、政府の法律は守らなくていい。
法律は国民みんなで決めるものである。法律は時代によって変わる。国民は今の自分が正しいと考えることをすればいいのである。例えば、今は道徳のある時代だから、道徳をなくす会社である政府は要らないから、国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
日本に犯罪が少ないのは、国民みんなが政府の法律を守っているからではなく、国民みんなで決めた法律を守っているからである。国の立法機関は政府ではなく国民みんなである。政府の法律は中身がないから要らない。

[16274] 政治は国民みんなでやるものである。 h24.12.19
政府は道徳をなくす会社である。政府は民主主義の政治機関ではない。だから、政府は国の政治をやっていない。政府は官公庁の建物をたくさん建てているだけで、実際には政治をやっていない。
政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をやっているだけである。
国の政治をやっているのは政府ではなく国民みんなである。そもそも政治とは仕事にすぎない。国民みんなが国民みんなのために仕事をしているだけである。
政府は国の政治をやっていないから、国民は政府が要らない。だから、国民は政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。

[16275] 今の国民は政府に税金を払わなければいい。☆☆ h24.12.19
政府は道徳をなくす会社である。政府は民主主義の政治機関ではない。政府は法律を決めていない。
だから、国民は国民みんなで決めた法律を守ればいい。
今の国民は会社と契約して国民が会社にお金を払って会社に仕事をしてもらうことになっている。あるいは、契約がない場合には国民が会社にお金を払うことが契約と見なされることになっている。
政府は国民と契約をとっていない。だから、今の国民が政府に仕事をして欲しければ政府にお金(税金)を払えばよく、政府に仕事をして欲しくなければ政府にお金を払わなければいい。
今は道徳のある時代である。政府の仕事は道徳をなくすことである。国民は政府に仕事をして欲しくない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
政府は道徳をなくす会社だから、政府は悪いことなら何でもする。政府は人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]などをする。政府は悪事のデパートである。だから、国民は早く政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16276] 人間は正しいことをする生き物である。 h24.12.19
人間は昔から正しいことをやってきた。
昔は「神がいて、超能力者が神であって、人間が神に従う」ことが正しいと考えられていたので、みんなは超能力者に従っていた。
昔は「科学と道徳が相容[あいい]れない。科学をやるためには道徳をやってはいけない」ことが正しいと考えられていたので、みんなは科学をやるために悪いことをする政府を建てて政府に税金をやって政府に悪いことをさせたり政府の命令で悪いことをやっていた。
しかし、今では『神がいなくて、超能力者は神ではなくて、人間は神に従わない』ことが正しいと考えられているので、みんなは超能力者に従わない。
今は『科学と道徳は相容れる。科学をやるためには道徳もやらねばならない』ことが正しいと考えられているので、みんなは悪いことをする政府を潰[つぶ]すために政府に税金をやらなくなっている。
人間は正しいことをする生き物である。人間は正しいことを第一にする。人間には知覚があるから、人間は正しいことをしなければならない。まちがったことをやってはいけない。人間はたとえ自分が嫌でも正しいことをやらねばならない。人間はたとえ自分が好きでもまちがったことをやってはいけない。人間はたとえ自分が得になっても悪いことをやってはいけない。人間はたとえ自分が損になっても正しいことをしないといけない。
昔の人は超能力者に従ったり政府が悪いことをするのが嫌だったが、それらが正しいことだと思って我慢[がまん]していた。今では超能力者に従ったり政府が悪いことをするのがまちがっていると考えられている。だから、今の人は超能力者に従ってはいけない。政府が悪いことをするのを許してはいけない。政府を攻撃して政府を倒さねばならない。

[16277] 宗教は遊びである。 h24.12.19
宗教とは「人間が超能力者に従う」ことである。昔は「神がいて、超能力者は神であって、人間は神に従わねばならない」ことが正しいと考えられていたから、みんなが超能力者に従っていた。
昔の人にとっては宗教は遊びだった。昔は今みたいにテレビやゲームみたいな娯楽がなかったから、宗教が娯楽だったのである。人間が超能力者に従うことをもとにして、いろんな楽しいことをやっていたのである。絵を見たり音楽を聞いたりお土産[みやげ]を買ったり観光したり美味[おい]しいものを食べたりして遊んでいたのである。
宗教は遊びにすぎなかったから、宗教をやろうがやるまいがどうでもよかった。
大雑把[おおざっぱ]には、ヨーロッパでは宗教をやっていた。アジアでは宗教をやっていなかった。ヨーロッパはお金持ちの国だったから宗教をやる余裕があったのである。
今では『神がいなくて、超能力者は神ではなくて、人間は神に従わない』ことが正しいと考えられるようになって、みんなが超能力者に従わなくなっている。つまり、宗教がなくなっている。
問題なのは、「科学と道徳が相容[あいい]れない」ことである。昔の人は「科学と道徳が相容れない。科学をやれば道徳がやれず、道徳をやれば科学がやれない」ことが正しいと考えていた。世界中で「科学と道徳が相容れない」と考えられていた。そのために、ヨーロッパでは科学が得意だったので道徳がやれなかった。反対に、アジアは道徳が得意なので科学がやれなかった。ヨーロッパでは道徳が遅れた。アジアでは科学が遅れた。世界が科学の時代には、道徳をやってはいけなかったから、みんなが悪いことをやっていた。国外や国内で戦争や人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をやっていた。反対に、世界が道徳の時代には、科学をやってはいけなかったから、みんなが文明を捨てていた。科学や数学の本が焼かれて、文明の利器[りき]が使えずに不便な思いをしていた。
昔の人は宗教で楽しい思いをしていた。宗教は楽しい迷信だった。反対に、昔の人は「科学と道徳が相容れない」ことでさんざん嫌な思いをしていた。「科学と道徳が相容れない」ことは嫌な迷信だった。
幸い、今では『科学と道徳が相容れる』と考えられている。世界は早く「科学と道徳が相容れない」迷信から抜け出して、科学と道徳の両方がある社会を作らねばならない。

[16278] どうして日本の神話では部族の長[おさ]が神なのか? h24.12.19
大昔の日本ではこの世のすべてのものが神だった。人間はみな神だった。特に部族の上の者が神だった。だから、日本の神話には部族の長が神として登場しているのである。昔はみんなが神だったので、みんなが平等だったのである。みんながみんなに従って平等にやっていたのである。
日本にヨーロッパ文化が入ってきてから、超能力者だけを神とするようになった。神武天皇だけが神になった。神武天皇だけが他[た]の者よりも上の者となって、人間が不平等になった。[実際には、日本人は『神武天皇が超能力者である』までは正しいと考えていたが、そこから先の「超能力者が神である」とは本気で考えていなかった。日本人にとっては西洋の宗教は冗談にすぎなかったのである。日本人は西洋の宗教をふざけてやっていただけなのである。昔の世界では「科学と道徳が相反する」と考えられていたので、ヨーロッパは科学が得意だったために道徳がなかったので、宗教団体が「超能力者が神である」と嘘[うそ]をついて超能力者に付いて人間よりも上の者になって国民を好き放題にして有利になろうとしたのだろう。ところが、日本は道徳が得意で嘘をつかなかったので、中世には『神がいない』と信じられていたので、西洋の宗教は馬鹿馬鹿しくてやっていられなかったのである。つまり、宗教団体とは「超能力者が神である」という嘘をついて人間よりも上の者となって儲[もう]ける団体である。ヨーロッパでは道徳がなくて嘘をついてもよかったので、宗教団体が幅を利[き]かせていたのである。ヨーロッパは道徳のない国だったので嘘をついてよかったので宗教があった。反対に、アジアは道徳のある国だったので嘘をついてはいけなかったので宗教がなかった。日本でも道徳のない時代には嘘をついてもよかったので、宗教団体が嘘をついて儲けていたのである。反対に、道徳のある時代には嘘をついてはいけないので、宗教団体は嘘をつけなくなって儲からなくなって潰[つぶ]れるのだ。今は道徳のある時代なので、宗教団体は潰れているのだ。]
今は科学の時代だから『神がいない』と信じられている。そのため、今では神武天皇も私も超能力者であって神ではない。今では誰も神ではない。今ではみんなが人間だ。今では再びみんなが平等になった。超能力者も人間も、政府も国民も、社長も社員も、事務員も作業員も、大人も子供も、男も女もみな平等なのだ。今の社会には“人間を不平等にする根拠”がない。だから、今ではみんなが平等なのだ。

[16279] どうしてヨーロッパでは神がいると信じられていたのか? h24.12.19
大昔には世界中で神がいると信じられていた。大昔は科学が未発達だったので、神でいろんなことを説明していたので、神がいると信じられていた。
しかし、中世頃になると科学が発達して、どこの国でも神がいないと考えられるようになった。
ところが、昔の世界では「科学と道徳が相反[あいはん]する」と信じられていたために、科学の得意なヨーロッパでは道徳がなくて嘘をついてもよかったので、宗教団体は「超能力者が神である」という嘘をついて神に付いて人間よりも上の者として国民を好き放題にして暴れていた。みんなは『超能力者が神ではない』ことを知っていたが、宗教団体が一方的に「超能力者が神である」という嘘をついて暴れるのでなす術[すべ]がなかった。宗教団体は国民を嘘で騙[だま]していたのではなく、国民に強引に嘘を押し付けていたのである。一般に、ヨーロッパは嘘をついてもいい国だったので、ヨーロッパではどんな嘘でも通用した。ヨーロッパは嘘が本当になる国だったのである。ヨーロッパではただのパンツのゴム紐[ひも]をどんなに引っ張っても絶対に切れない紐だと偽[いつわ]って1万円で売っていたのである。
ヨーロッパでは宗教団体が人間よりも上の者として国民を好き放題にして国民を殺したり国民の物を盗ったりして暴れまわっていたのである。
つまり、昔の世界では「科学と道徳が相反する」という迷信のために、道徳のない国では「超能力者が神である」ことになっていたのである。
日本はふだんは道徳のある国だったので、嘘をついてはいけないことになっていたので、『超能力者は神ではない』ことになっていたので宗教団体がいなかった。しかし、日本でも道徳のない時代には嘘をついてもよかったので、宗教団体が嘘の超能力者をでっち上げて、「超能力者が神である」ことにして、嘘の超能力者に付いて人間よりも上の者となって国民を好き放題にして暴れまわっていたのである。つまり、宗教団体とは嘘[うそ]で儲[もう]ける団体なのである。宗教団体は、たとえ超能力者がいなくても、嘘の超能力者をでっち上げて無理やり儲けていたのである。一方、政府は本物の超能力者を使って、「超能力者が神である」という嘘をつくだけで国家宗教をやっていたのである。政府は民間の宗教団体に比べれば正直だったのである。
今では科学が発達して神がいないと考えられている。しかも、今は『科学と道徳が相反しない』と考えられていて世界中の国が道徳のある国なので、世界中の国で嘘はいけないことになっているので、普通の人を超能力者にでっち上げたり、「超能力者が神である」という嘘をつけなくなって、宗教がやれなくなっている。
今では世界中で宗教団体が潰[つぶ]れている。宗教団体は嘘で出来た団体なので、今では世界中で嘘をつけなくなっているので、世界中で宗教団体が滅んでいるのである。
今では世界中で嘘がつけなくなったので『超能力者は神ではない』ことになっている。もともとだいぶ前から『超能力者は神ではない』と考えられていた。昔は嘘のために超能力者が神になっていた。今は嘘がつけないので、超能力者はもとの超能力者に戻ったのである。今では『超能力者は進化した人間だ』と考えられるし、まだ人間と独立した種[しゅ]になるほどの群れを作っていないので、超能力者は人間の仲間に入れられている。

[16280] 超能力者は人間よりも上か? h24.12.20
超能力者が人間よりも上であるとは、超能力者が人間を自分の好き放題にすることである。[たとえ人類よりもはるかに文明が進んだ宇宙人がいても人類と友好的なら上ではない。はるかに進んだ文明で人類を好き放題にすると上である。]
超能力の才能だけでは、超能力者が人間を好き放題にすることはできない。
マインドコントロールの超能力なら、超能力者が人間を好き放題にすることができるが、これまでの超能力者の超能力は念光力と念動力だけなので、人間を好き放題にできない。超能力者は光と軽い物体を好き放題にできただけである。
だから、超能力者は人間よりも上ではない。
昔は道徳のない時代だったので、宗教団体が「超能力者が神である」という嘘[うそ]をついて自分が人間よりも上の者になってみんなを好き放題にして暴れていたが、本当は『超能力者は人間よりも上ではない』のである。
超能力者よりも政府のほうが人間を好き放題にしている。政府は道徳をなくす会社なので、政府は悪いことが何でもできるので、政府は人間を殺したり虐[いじ]めたりして好き放題にしている。だから、政府は人間よりも上である。超能力者よりも政府のほうが人間よりも上である。
しかし、今は道徳のある時代である。世界中で道徳をやっている。政府は道徳のないことをやっている。政府はまちがったことをやっている。昔は「科学をやるためには道徳をなくさねばならない」と考えられていたので、国民が政府に税金をやって悪いことをさせていた。今は『科学をやるためには道徳もやらねばならない』と考えられているので、国民は政府に税金をやらないようにして悪いことをさせてはいけない。国民は政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。

[16281] 「科学と道徳が相反[あいはん]する」ことは迷信である。 h24.12.20
昔は「科学と道徳が相反する」と考えられていた。戦前までは「科学と道徳は相容[あいい]れない」と考えられていた。
そのため、みんなが科学をやるときには道徳をやってはいけないと考えて悪いことをやっていた。みんなが自分で悪いことをやっていたし、みんなで“悪いことをする会社”である政府を建てて政府にお金をやって政府に悪いことをさせたり政府の命令で悪いことをやったりしていた。みんなが他人や政府に悪いことをやられて不幸に暮らしていた。
反対に、みんなが道徳をやるときには科学をやってはいけないと考えて文明をやらないようにしていた。みんなで文明を捨てていたし、みんなで“文明をやらない会社”である幕府を建てて幕府にお金をやって幕府に文明を捨てさせたり幕府の命令で文明を使わないようにしていた。みんなが科学の利器[りき]を使えなくて不便に暮らしていた。
しかし、今では『科学と道徳が相反しない』と考えられている。戦後からは『科学と道徳は相補[あいおぎな]う』と考えられている。
そのため、今ではみんなが科学と道徳の両方をやっている。みんなが科学の利器を使って便利に暮らしているし、みんなが善いことをやって幸福に暮らしている。みんなが悪いことをする会社である政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
今は科学と道徳の両方ある時代だから、政府も幕府も要らない。みんなで科学と道徳の両方ある国にすればいい。
今後国営企業を建てるときは慎重にしないといけない。国営企業つまり“国民みんなの税金で経営する会社”を建てるときは、仕事内容を明確にして仕事がちゃんとやられているか余計な仕事をやっていないか国民がチェックしないといけない。国営企業は国民から税金をもらうとすぐに付け上がるから、国営企業はなるべく建てないほうがいい。たとえ建てても大きくしないほうがいい。
政府の後にどんな国営企業が出来るだろうか?それとも、国営企業は二度と出来ないのだろうか?

[16282] 超能力者と人間は平等である。 h24.12.20
超能力者は人間を好き放題にしないから、超能力者は人間よりも上ではない。これまでの超能力者の超能力では人間を好き放題にできないから、超能力者は人間よりも上ではない。神武天皇やキリストは頭が光っただけだし、モーゼや私は軽い物体をゆっくり動かすことができただけだから、とうてい人間を好き放題にはできない。
したがって、『超能力者は人間と平等だ』と考えるべきである。
超能力者の才能は超能力者のものである。だから、超能力の才能は守られるべきである。他人が超能力者の超能力の才能を奪ってはいけない。人間が手を使って他人を殺せるからといって手を切られないように、超能力者が超能力を使って他人を殺せるからといって超能力を使えないようにしてはいけない。超能力者が超能力で他人の人権を侵したときだけ、超能力者を罰すればいい。他[た]の人間と同様に罰すればいい。
もっとも、超能力者が赤ちゃんの頃に超能力が使えても、実社会では超能力を使う機会がほとんどないから、超能力の才能は伸びずに衰えていくだけだから、大人になれば超能力が使えなくなって他の人間と変わらないので、実際には超能力者の超能力を心配する必要はないだろう。
科学は日進月歩である。脳の科学も進歩している。そのうち、科学で超能力の仕組みが解明されるだろう。文明の利器[りき]で人間が超能力を使えるようになっているだろう。科学の発明で誰でも超能力者の超能力よりもはるかに強い超能力が使えるようになっているだろう。だから、たとえ将来超能力者が現れても、超能力者を特別視する必要はなくなっているだろう。未来においても、『超能力者と人間は平等』に暮らしているだろう。

[16283] 国民は政府を誤解してはいけない。 h24.12.20
政府は『道徳をなくす会社』である。昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていたので、科学をやるためには道徳をやってはいけなかったので、科学をやる時代には道徳をなくすことを仕事にする政府が建ってみんなから税金をもらって悪いことをやっていた。政府は道徳をなくすために、いろんな悪いことをやっていた。政府は国民から税金をもらって国民を殺したり国民から強盗したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をしたりしていた。政府は国民に悪いことをやらせる命令をして国民に悪いことをやらせていた。
しかし、国民の多くは「科学と道徳が相反する」ことを知らなかったので、政府のやっていることを見て「政府が上の者の会社だ」と思って、自分が政府に従わねばならないと思って政府の命令を聞いたり政府に税金を払っていたのである。
今の国民も昔の国民と同じように「政府を上の者の会社だ」と思って、政府の命令を聞いたり政府に税金を払っているのである。
しかし、政府は「上の者の会社」ではなく、本当は『道徳をなくす会社』である。国民が政府を勝手に誤解しているだけである。
しかし、今は道徳のある時代である。みんなが道徳をやって暮らしている。今は『科学と道徳が相補[あいおぎな]う』と考えられているので、科学をやるために道徳をやめなくてもいいのである。科学の時代にも道徳をやらねばならないのである。だから、今のみんなにとっては道徳をなくす会社である政府は要らない。政府は『道徳をなくす会社』であって「上の者の会社」ではないから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府をどうしようが国民の勝手である。今の政府は国民と契約を取っていないから、政府に道徳をなくす仕事をしてもらいたい国民だけが政府に税金を払えばよく、政府に道徳をなくす仕事をしてもらいたくない国民は政府に税金を払わなければいい。今の国民みんなは政府に道徳をなくす仕事をしてもらいたくない。だから、みんなは政府に税金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。政府の命令は国民に悪いことをやらせる命令だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
昔は「科学と道徳が相反する」という迷信があったために、科学の時代には道徳をなくさねばならなかったので、政府は道徳をなくすことを仕事にして国民みんなから税金を取れた。しかし、今は『科学と道徳が相補う』と考えられていて「科学と道徳が相反する」という迷信がなくなっているので、科学の時代にも道徳をなくさなくてもいいので、政府は道徳をなくすことを名目[めいもく]にして国民みんなから税金を取れない。だから、今の政府は国民から税金を取れない。つまり、国民は政府に税金を払わなくていいのである。

[16284] 戦後は押し売りができない。 h24.12.20
戦前は道徳がなかった。悪いことをやってもよかった。
だから、戦前は押し売りができた。会社は先に仕事をして後で客からお金をもらってもよかった。
だから、政府は先に道徳をなくす仕事をして後で国民みんなから税金を取っていたのである。
戦後は道徳がある。悪いことをしてはいけない。
だから、戦後は押し売りができない。会社が先に仕事をして後で客からお金を取ることができない。
だから、政府は先に道徳をなくす仕事をして後で国民みんなから税金を取ることができない。
つまり、今では国民は政府に税金を払わなくていい。
今では仕事はみんな契約制である。だから、政府は国民みんなと契約を取ってから仕事をしないといけない。ところが、今の国民みんなは道徳のないことが要らないから政府は契約が取れない。今の国民は悪いことが要らないから、政府と契約を取らない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。

[16285] 今の政府は正しいことをしていない。 h24.12.20
昔は道徳をなくさねばならなかったから、政府は道徳をなくす仕事をやって国民から税金を取れた。昔の政府は自分が正しいことをしているという信念があったから、国民から正々堂々と税金を取れた。
今は道徳をなくしてはいけないから、政府がいくら道徳をなくすことをしても国民から税金を取れない。今の政府は自分が正しいことをしていると思っていないから、国民から税金を取る度胸[どきょう]がない。
今は国民が自主的に政府に税金を払っているだけである。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。
政府は道徳をなくす会社である。今は道徳のある時代である。今では政府をなくすことが正しいことである。だから、国民は正々堂々と政府に税金を払わなければいいのである。

[16286] 道徳のある時代には政府は残れない。☆ h24.12.20
政府は道徳をなくす会社である。政府は悪いことをする会社である。
政府が国家宗教や民主主義をやっているのは、国民に嘘[うそ]をつくためである。政府は悪いことをする会社だから、嘘をつくのは悪いことだから、政府は自分が悪いことをするために自分が本当は道徳をなくす会社なのに国家宗教や民主主義をやって嘘をついていたのである。
昔は道徳のない時代だったから、政府が正しかった。政府は嘘をついて国家宗教や民主主義をやってもよかった。
しかし、今は道徳のある時代である。だから、政府は嘘をついてはいけない。政府は正直に悪いことをしないといけない。
しかし、今は道徳のある時代だから、政府が悪いことをしてはいけない。だから、政府はなくならねばならない。
要するに、科学の時代に幕府が残れなかったように、道徳の時代には政府は残れないのである。政府は悪あがきせずに、さっさと潰[つぶ]れねばならない。国民は政府を潰すために政府に税金を払ってはいけない。

[16287] 政教分離とは何か? h24.12.20
政府は道徳をなくす会社である。世界中の政府が道徳をなくす会社である。
ヨーロッパの政府は近代になってから政教分離した。
近代になってから政府は新しい民主主義で自分を覆[おお]うようになったので、古い国家宗教が要らなくなって捨てたのである。
近代は科学の時代なので、古臭い宗教が要らなくなったのである。ヨーロッパは先進国なので古いものが嫌いなので政府が国家宗教をやめたのである。
一方、日本の政府はいまだに国家宗教をやっている。日本政府は国家宗教と民主主義で覆[おお]っている。イギリス政府も2階建てバスや複葉機に見られるように、国家宗教と民主主義で覆っている。アメリカ人のルーツはイギリス人だから、アメリカ政府もイギリス政府と同じように国家宗教と民主主義で覆っている。だから、今でも日本とイギリスとアメリカは政府が国家宗教をやっているのである。国民みんなが古臭いことが好きな国では、いまだに政府が国家宗教をやっているのである。[私は古臭いことが好きではないが。]他[た]の国では、政府と独立した国家宗教団体が国家宗教をやっているのである。だから、日本やイギリスやアメリカでは政府が国家宗教で悪いことをやっているが、他の国では国家宗教団体は悪いことをやっていないのである。他の国では政府が民主主義で悪いことをやっているのである。
しかし、今の世界では道徳のあることが正しいことになっている。政府は道徳のないことをする会社である。だから、今の世界では国民が政府を倒さねばならない。国民が政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。




[16288] 今の政府はまちがっている。 h24.12.20
人間は正しいことをしなければならない。ただ、それだけである。
人間は自分が正しいことをやり、自分がまちがったことをやってはいけない。人間は他人が正しいことをやるのを助けてやり、他人がまちがったことをやるのを許してはいけない。
昔は悪いことが正しかった。政府は悪いことをしていた。ゆえに、政府は正しかった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。国民は政府に悪いことをしてもらうために政府に税金を払ったし、政府の命令で悪いことをやった。自分でも悪いことをやった。
今は悪いことがまちがっている。政府は悪いことをやっている。だから、政府はまちがっている。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府を倒すために政府に税金を払ってはいけない。

[16289] 今では科学と道徳が両立する。 h24.12.20
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていたので、科学の時代には道徳をやれず、反対に道徳の時代には科学をやれなかった。科学の時代には道徳がやれず、悪いことが正しかった。悪いことをする政府が正しかった。だから、みんなは政府に従っていた。
しかし、今では『科学と道徳が相反しない』と考えられているので、科学と道徳の両方がやれる。科学の時代にも道徳がやれるので、悪いことがまちがっている。悪いことをやる政府はまちがっている。だから、みんなは政府に従ってはいけない。
今でも頭の古臭い連中は「科学と道徳が相反する」と考えて、今は科学の時代だから道徳をやってはいけないと考えている。悪いことをやってもいいと考えて悪いことをやっている。悪いことをする政府に従っている。しかし、それはまちがっている。今は『科学と道徳が両立する』から、同じ時代に科学も道徳も両方ともやれる。だから、今が科学の時代であっても道徳もやらねばならない。悪いことはやってはいけない。したがって、悪いことをやる政府に従わず、政府を倒さねばならない。今の国民が政府を倒さずに政府に従っているのはまちがっている。国民は早く自分のまちがいを直して政府を倒さなければならない。
これまで人類は正しいことをやり、まちがったことをやらなかった。これまで人類は正しいために生きてきたのであって、楽しいために生きてきたのではない。だから、今の人類もそうしなければならない。今では国民が政府を倒すことが正しいから、国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。今では国民が政府に従うことがまちがっているから、国民は政府の命令を聞かないようにして政府に従ってはいけない。

[16290] 今では科学と道徳が両立する。(その2) h24.12.20
今は科学の時代である。それは、みんなが認めることである。新幹線や飛行機やコンピューターがあるから科学の時代である。
政府は悪いことをする会社である。それも常識である。テレビや週刊誌でよく言っているからみんなが知っている。
「科学と道徳が相反[あいはん]する」なら、今は道徳のない時代である。悪いことが正しいから、みんなは悪いことをしなければならない。政府は悪いことをする会社だから、みんなは政府に従わねばならない。政府に税金をやって政府を守らねばならない。
『科学と道徳が両立する』なら、今は道徳のある時代である。悪いことがまちがいだから、みんなは悪いことをやってはいけない。政府は悪いことをする会社だから、みんなは政府に従ってはいけない。政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今では『科学と道徳が両立する』ことが正しく、「科学と道徳が相反する」ことがまちがいだと考えられている。だから、みんなは政府に従ってはいけない。政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。

[16291] 今では暴力団や宗教団体や政府はまちがっている。☆ h24.12.21
今は暴力をふってはいけない。だから、暴力団はまちがっている。
今は神がいない。だから、宗教団体はまちがっている。
今は道徳をやらねばならない。だから、政府はまちがっている。
この世ではまちがいは通用しない。だから、暴力団や宗教団体や政府は滅ばねばならない。
昔は暴力をふることや神がいることや道徳のないことが正しかった。だから、暴力団や宗教団体や政府が正しかった。だから、国民は暴力団や宗教団体や政府に従った。お金もやった。昔の国民は暴力団が暴力をふることや宗教団体が神に付いて自分を上の者だと思って国民を好き放題にすることや政府が道徳をなくすことが仕事だと思っていたから、暴力団や宗教団体や政府に仕事代としてお金をやったのである。
今は暴力をふることや神がいることや道徳のないことがまちがっている。だから、暴力団や宗教団体や政府はまちがっている。だから、国民は暴力団や宗教団体や政府に従ってはいけない。お金をやってはいけない。今の国民は暴力団が暴力をふることや宗教団体が神に付いて自分を上の者だと思って国民を好き放題にすることや政府が道徳をなくすことが仕事だと思っていないから、暴力団や宗教団体や政府に仕事代としてお金をやらなければいいのである。
人間は正しいことで生きていかねばならない。まちがったことで生きてはいけない。これまでずっと人間はそうしてきた。昔は国民が暴力団や宗教団体や政府に従うことが正しかった。お金をやることが正しかった。だから、昔の国民は暴力団や宗教団体や政府に従った。お金をやった。今は国民が暴力団や宗教団体や政府に従わないことが正しいことである。お金をやらないことが正しいことである。だから、今の国民は暴力団や宗教団体や政府に従ってはいけない。お金をやってはいけない。
今の暴力団や宗教団体や政府は自分がまちがっていることを知りながらまちがったことをやっている。人間は正しいことはやれるが、まちがったことはやれないように出来ている。だから、今の暴力団や宗教団体や政府は力がない。フヌケである。腰抜けである。だから、国民は暴力団や宗教団体や政府に従わず、暴力団や宗教団体や政府を倒してやればいいのである。
人間は正しいことの中で楽しいことをしないといけない。人間は正しいことの中でお金を儲[もう]けなければならない。まちがったことで楽しいことをしてはいけない。まちがったことで儲けてはいけない。今の暴力団や宗教団体や政府はまちがったことで儲けている。だから、暴力団や宗教団体や政府がいけない。だから、みんなは暴力団や宗教団体や政府を潰[つぶ]さなければならない。暴力団や宗教団体や政府が自分で潰れてもいいし、国民が暴力団や宗教団体や政府を潰してもいい。

[16292] 政府は司法機関ではない。 h24.12.21
政府は道徳をなくす会社である。政府は民主主義の政治機関ではない。道徳をなくす会社が嘘[うそ]をついて民主主義の政治機関のふりをしているだけである。
政府は立法機関でも、行政機関でも、司法機関でもない。
政府は司法機関ではない。だから、法廷で被告が自分の有罪を認めないかぎり、被告は有罪にはならないのである。政府は司法機関ではないから、政府は犯罪者を裁[さば]けないから、犯罪者が自分で自分を裁かなければならないのである。
政府は立法機関ではない。政府は法律を作れない。政府は法律を決めていない。だから、国民は政府の法律を破ってもかまわない。例えば、政府に税金を納めなくてもかまわない。
政府は行政機関ではない。政府は国民の総意に基づいて国民のために仕事をしていない。国民が国民のために仕事をしているだけである。政府は道徳をなくす会社だから、悪いことをしているだけである。人殺しや強盗や嘘[うそ]や意地悪[いじわる]をしているだけである。
政府には民主主義の政治機関としての機能がない。ただ形があるだけである。
国民にとっては政府は要らない。だから、国民は政府を潰[つぶ]せばいい。

[16293] 暴力団はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.21
いまだに暴力をふるのが正しいと思っている国民がいる。いまだに暴力をふるのが仕事だと思っている国民がいる。
暴力団は時々国民に暴力をふっている。
それをテレビや新聞で見た国民が、暴力団はよく働いていると思って、暴力団にお金をやっているのである。
暴力団は暴力を使って国民からお金を脅[おど]し取っているのではなく、暴力をふることを仕事にしてみんなからお金をもらっているのである。
特に大阪の近くには暴力をふるのが仕事だと思っている人が多いから、暴力団は大阪の近所に集まっているのである。
昔は国民みんなが暴力をふるのが正しいと思って暴力をふるのが仕事だと思っていたから、暴力団は国民みんなからお金をもらって儲かっていた。
しかし、さすがに最近は暴力をふるのが正しいと思ったり暴力をふるのが仕事だと思っている人が少なくなっている。だから、暴力団は年々寂[さび]れている。今は「科学と道徳が相反[あいはん]する」という迷信がなくなって、道徳のある時代だから、暴力をふるのが正しいと思う人は少なくなっているのである。

[16294] 宗教団体はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.21
いまだに神に付いて自分が人間よりも上の者だと思って他人を好き放題にするのが正しいと思っている国民がいる。神に付いて他人を好き放題にするのが仕事だと思っている国民がいる。
宗教団体は時々国民を殺したり国民から無理やりお金を取ったりしている。
それをテレビや新聞で見た国民が、宗教団体はよく働いていると思って、宗教団体にお金をやっているのである。
宗教団体は自分が神に付いて人間よりも上の者だと思って国民から無理やりお金を脅し取っているのではなく、自分が神に付いて人間よりも上の者だと思って国民を好き放題にすることを仕事にしてみんなからお金をもらっているのである。
宗教団体が神に付いて自分が人間よりも上の者だと思って国民を好き放題にするのが仕事だと思っている人は全国にいるから、宗教団体は全国にあるのである。
昔は国民みんなが神に付いて自分が人間よりも上の者だと思って他人を好き放題にすることが仕事だと思っていたから、宗教団体は国民みんなからお金をもらって儲かっていた。
しかし、最近では神に付いて他人を好き放題にするのが仕事だと思っている国民はかなり減っている。だから、宗教団体は年々滅んでいる。今は「神がいる」という迷信がなくなっているし、道徳のある時代になって『嘘[うそ]をついてはいけない』と考えられているからただの人間を神だと言うことがいけないと思われているから、神に付いて他人を好き放題にするのが正しいと思う人は少なくなっているのである。

[16295] 政府はどうやって儲[もう]けているか? h24.12.21
いまだに道徳をなくす(つまり悪いことをする)のが正しいと思っている人がいる。道徳をなくすことが仕事だと思っている人がいる。
政府は時々国民を殺したり国民を虐[いじ]めたりしている。
それをテレビや新聞で見た国民が、政府はよく働いていると思って、政府にお金をやっているのである。政府に税金を払っているのである。
政府は道徳のないこと(つまり悪いこと)をして国民からお金を脅[おど]し取っているのではなく、道徳をなくすことを仕事にして国民みんなからお金をもらっているのである。
昔は国民みんなが「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えていて、道徳をなくすことが正しいと思って道徳をなくすことが仕事だと思っていたから、政府は国民みんなからお金をもらって儲かっていた。
しかし、最近は国民の多くが『科学と道徳が両立する』と考えていて、道徳をなくすことが仕事だと思っている人が減って政府にお金をやる国民が減って、政府は儲からなくなっているのである。

[16296] 医療保険は政府の詐欺[さぎ]である。 h24.12.21
政府は道徳をなくす会社である。政府は悪いことをする会社である。政府は国民を殺したり国民から強盗したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をしたりしている。
今の政府は医療保険をやっている。
だから、医療保険は強盗である。医療保険は政府が国民から無理やりお金を取ることである。
政府は医療保険で国民から取ったお金の大半を自分のものにして、残ったわずかなお金を医療にかけるだけである。
政府は民主主義の政治機関ではないから、医療に力を入れたりはしない。政府は道徳をなくす会社だから、詐欺や強盗に力を入れるだけである。
政府は医者を利用して自分が儲[もう]けているのである。戦後は特に医療技術が発達したので、政府は今後は医者が儲かると踏[ふ]んで医者を使って自分の儲けにしているのである。
国民はなるべく医療保険に入らないほうがいい。医者に病気を診てもらうとき、医者に直接にお金を払ったほうがいい。そのほうが医者が儲かる。

[16297] 今の政府は仕事をしていない。 h24.12.21
政府は道徳をなくす会社である。政府は悪いことをする会社である。政府は国民を殺したり国民から強盗したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をしたりする会社である。
昔の道徳のない時代には、政府が悪いことをするのが仕事だった。仕事として通用した。政府は一生懸命に悪いことをやっていた。
国民みんなは政府が悪いことをしているのを見て、政府がよく働いていると思って、政府に仕事代(税金)をやっていた。政府は国民みんなからお金をたくさんもらって儲[もう]かっていた。
しかし、今の道徳のある時代には、政府が悪いことをするのは仕事ではない。
国民みんなはいくら政府が悪いことをやっても、政府が働いていないと思って政府にお金をやらなければいい。
今の政府は悪いことをしているだけで、仕事をしていないから、国民は政府に仕事代をやらなければいいのである。

[16298] 今の政府は自分勝手に遊んでいるだけである。 h24.12.21
昔は「科学と道徳が相反[あいはん]する」と考えられていたから、科学のある時代は道徳のない時代でもあった。そのため、政府が悪いことをするのが仕事として通用した。政府は一生懸命に国民を殺したり国民から強盗したり国民に嘘[うそ]をついたり国民に意地悪[いじわる]をしたりした。国民みんなは政府が悪いことをするのを見て、政府が熱心に仕事をしてくれていると感謝して、政府にたくさんお金をやっていた。政府は国民みんなからお金をいっぱいもらって儲[もう]かっていた。
今は『科学と道徳が相反しない』と考えられているから、科学のある時代は道徳のある時代でもある。そのため、政府が悪いことをするのが仕事として通用しない。国民みんなは政府が悪いことをするのを見て、政府が自分勝手に遊んでいると思って、政府にお金をやらなくなった。政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
政府は悪いことを仕事にしているキチガイ会社である。今は道徳のある時代である。だから、政府のようなキチガイ会社はなくならねばならない。

[16299] この世に税金なんかない。 h24.12.21
政府は道徳をなくす会社である。政府は悪いことをする会社である。
政府は民主主義の政治機関ではない。政府は立法機関ではない。政府の憲法は嘘[うそ]である。
だから、この世に税金なんてものはない。
国民は政府のしていることを見て、自分が好きなだけ政府にお金をやればいいのである。
昔の国民は「悪いことが正しい」と考えていたから、政府が仕事をしていると考えて政府にたくさんお金をやっていた。政府が指定した金額(税金)以上のお金を政府にやっていた。
今の国民は『悪いことがまちがっている』と考えているから、政府が仕事をしていないと考えて政府にお金をやらなければいい。いくら政府が国民に政府に支払う金額を指定しても、国民は政府を無視して政府にお金をやらなければいい。

[16300] 財閥[ざいばつ]とは何か? h24.12.21
戦前は人間が不平等だった。
戦前と戦後の違いは人間が不平等から人間が平等に変わったことである。
戦前は人間が不平等だったから、お金持ちが貧乏人よりも身分が高かった。お金があればあるほど身分が高かった。身分が高い者は身分が低い者に対して何でもやれた。身分が高い者が身分が低い者からお金が取れた。そのため、お金持ちはますますお金持ちになり、貧乏人はますます貧乏人になって、貧乏人とお金持ちの格差が大きかった。お金で身分が高かった者が財閥である。戦前は財閥がいた。
戦後は人間が平等になったので、お金持ちと貧乏人の身分が同じになった。お金持ちと貧乏人が平等になった。お金持ちと貧乏人の格差が小さくなった。戦後は財閥がいなくなった。
戦前は人間が不平等だったので身分が高い者がいた。先祖の業績で身分が高い者が貴族で、お金で身分が高い者が財閥だった。戦後は人間が平等になって貴族も財閥もいなくなった。
戦後になって人間が平等になったのは、科学の時代になって作り事が廃止されたからだろう。身分制は作り事だから、戦後になって科学が浸透[しんとう]すると架空の制度が根拠がないからいけないことだとされて禁止されたのである。
人間は自然状態では平等である。人間が作り事の制度を設けたから不平等になったのである。現代は科学の時代である。科学においては作り事は許されない。だから、人間が不平等である身分制が廃止されたのである。
人間は正しくしなければならない。人間は正しいことをしなければならない。まちがいをやってはいけない。人間は自分が得だからといってまちがったことをやってはいけない。人間は自分が損だからといって正しいことをやらないのはいけない。昔は「人間が不平等である」ことが正しいと考えられていたので、身分制をやっていた。貴族や財閥がいた。国民にとっては身分制は嫌だったが身分制が正しかったので身分制をやっていた。今は『人間が平等である』ことが正しいと考えられているので、身分制をやっていない。貴族や財閥がいない。貴族や財閥にとっては身分制のないことは嫌だったが身分制のないことが正しいので身分制をやらなくなった。
今ではすでに『人間が平等である』ことが正しいことになっている。みんなが『人間が平等である』ことが正しいと思っている。だから、みんなが『人間が平等である』ことを実践して『人間が平等である』社会を作っていけばいいのである。例えば、今では社長と社員は平等だから、会社の収入を人数で割って会社のみんなに平等に給料を与えればいいのである。
ちなみに、政府や暴力団や宗教団体は身分が高い者ではない。政府や暴力団や宗教団体は道徳をなくす者である。昔は「科学と道徳が対立する」ことが正しいと考えられていたから、科学があるためには道徳をなくさねばならないと考えられていたから、科学の時代には道徳をなくすために政府や暴力団や宗教団体が出来たのである。しかし、今では『科学と道徳が両立する』ことが正しいと考えられている。今では科学があるために道徳をなくさなくてもかまわない。今では科学と道徳の両方がなければならない。だから、今では政府や暴力団や宗教団体はなくならねばならないのである。今は政府や暴力団や宗教団体がなくなっている途中なのである。


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