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[1601] 儒教 h17.3.24
孔子は人間の本心を仁義礼智忠信孝悌の感情であるとした。〔五感界における人間の行動は、それらの感情の具体的表現にほかならない。〕
それらの感情のどれかを満足させれば快感が得られるし、
それ以外の作り事の感情(例えば、金や物や出世やおしゃれの欲望)をいくら満足させても少しも快感は得られない。
〔孔子の心に対する理解は今日的に見ても脱五感的で実在的だといえる。それでも、道教の者たちは形式的すぎると言って嫌った。それは、いくら孔子の心に関する理論が正しくても、言葉ばかりに頼ってもともとの実在する心を見失ってはならないことを言いたかったからである。〕
[1602] 本心と偽りの心 h17.3.24
私の場合、『自分が医者になってお金を儲けて親に孝行する』ことが自分の心にとっての幸福だと考えていたが、実際には『自分が理解できることを考えること、自分が理解できないことを考えないこと、つまり、自分が実在界の中に居ること、五感界の中に居ない』ことが自分の心にとっての幸福であることを、医学部に入ったあと幸福を失ってから、やっと気づいた。(哲学日記[1595]より抜粋)
私は私の本心に逆らったから躁鬱病になった。〔躁鬱病とは言っても、私の場合、躁はなくずっと鬱のままだった。〕私の本心とは『自分が理解できることを考えること、自分が理解できないことを考えないこと、つまり、自分が実在界の中に居ること、五感界の中に居ない』ことであり、偽りの心とは『自分が医者になってお金を儲けて親に孝行する』ことである。〔じつは、『自分が医者になってお金を儲けて親に孝行する』ことは、私の友人の入れ知恵だった。この友人は五感へのこだわりの強い者で、センスが悪い。五感に囚われている者は永遠に不幸だ。五感の檻[おり]の外に出れば実在が見えるのに。つまり、五感では見えない実在の部分がある。それを知覚で認識し、言葉で表せばいい。例えば、ガリレイが‘時間’の概念を物理学に持ち込んだときから現代物理が始まったし、私が‘感覚’の概念を哲学に持ち込んだときから実在哲学が始まった。/中世のころインドがヨーロッパに攻めてきてヨーロッパがインドに征服されてヨーロッパ文化がインド化されたから、ヨーロッパでも知覚が五感を支配するようになったのだろう。今の日本文化がアメリカ化されているのと同じだ。〕
『自分が理解できることを考えること、自分が理解できないことを考えないこと、つまり、自分が実在界の中に居ること、五感界の中に居ない』ことは昔から智の感情(知的好奇心)と呼ばれ、『自分が医者になってお金を儲けて親に孝行する』ことは五感界における作り事の感情である。
つまり、『自分が理解できることを考えること、自分が理解できないことを考えないこと、つまり、自分が実在界の中に居ること、五感界の中に居ない』ことは人間の本心だが、『自分が医者になってお金を儲けて親に孝行する』ことは架空の心(実在しない心)、すなわちはじめから人間にはそんな感情はない。〔そんな感情があると考えるのがまちがっている。〕ない感情で喜ぶことはできない。
[1603] 力と心 h17.3.24
力は眼で見えない。
物体は眼で見えない力(例、万有引力)に引っ張られて運動する。
人の心も眼で見えない。
人間は眼で見えない心の喜びのために(快感を得るために)、見て考えて行動する。
[1604] 仕事について h17.3.24
学問の世界は知的好奇心を満足するためにあるが、
仕事の世界は金や出世の欲望を満足するためにある。
したがって、人間の心では仕事に満足することができない。つまり、仕事は人心に適[かな]っていない。〔そこで、私は大学4階生のとき、仕事なんかもうどうでもいいやと思った。〕
『はやく仕事や(強制された)勉強のない世界になって欲しい。』これが、私の夢である。
[1605] 心について h17.3.25
人間の本心についての誤解は無数にあるが、
人間の本心についての正しい理解はひとつしかない。
人間の本心には極少数の感情しかない。
人間の本心を満足するように生きていけば、幸福に生きていける。
人間の心は個人によってそんなに違うものではない。
ただ、(知覚における)心に対する理解が個人によって違うだけである。
本心に近い理解もあれば、本心から遠い理解もある。
人間の本心について正しく理解している者ほど幸福になれる。
[1606] 医者の世界 h17.3.25
医者は青病短の腰抜けだ。
いつも鬱な気分でいる。
それは、彼らが(五感界への囚われが強いために)自分の本心が見えず、自分の本心を満足させていないからである。
医者はお金持ちだが、そんなことでは人間の本心が喜ばない。
〔貧乏神は楽しそうだが、福の神はいつも不満な顔つきをしている(NHKの人形劇)。〕
本当の苦しみを知っている者だからこそ本当の心を知っている。
お金持ちのボンボンは本当の苦しみを知らないから本当の心を知らない。
医学の命題は五感界で得られたものであり、
物理学の命題は知覚界(実在界)で得られたものである。
五感界においては、物も心も両方見えない。
[1607] 楽園追放 h17.3.27
人間は大脳が発達して知覚で実在を認識できるまでとなったが、性器の感覚は知覚における実在認識の障害となるので、もはや以前の動物の時のように性器の快感に耽[ふけ]るわけにはいかなくなってしまったのである。
人間は実在認識を手に入れたのと引き換えに、性器の快楽を捨てねばならなくなったのだ。
それが人間の宿命だ。
[1608] 政治家の世界 h17.3.27
政治家も不満な顔をしている。
どうやら、出世も名誉も人間の本心にとっては幸福ではないらしい。
[1609] ハリウッドよりスペクトルマンが上 h17.3.27
技術ではハリウッドが上だが、面白さではスペクトルマンが上。
[1610] 実在ゲーム最高! h17.3.27
人間は実在の中にいるときが一番幸せなのだ。
だから、バトルフィールドのような実在味のあるゲームが一番面白い。
[1611] どうして私は社会科や生物学が苦手なのか? h17.3.29
社会科や生物学(医学も)は五感知であって、実在知ではない。
五感知とは、知覚が五感に従属するだけで支配しない状態(気構え)で得られた知識であり、
逆に実在知とは、知覚が五感を超越し五感が知覚に従属する状態で得られた知識である。
人間の本心にとっては、知覚が働いて実在が見えることが幸福であり、知覚が働かず実在が見えないことが不幸である。【心の法則】〔人間の心は知覚が活発に活動して、知覚が五感を支配している状態を好み、反対に知覚の活動が鈍り、知覚が五感に支配される状態を嫌う。人間の心は実在について知らないけれども、知覚と五感の活動はわかるので、知覚が実在を認識し、心が知覚がよく働いている状態を好む結果、人間の心にとっては、自分が実在を知り、自分が実在の世界に適応して実在の中で生きていることが幸福であることになるのである。/冗談のおかしさと本心の幸福を同じにしてはいけない。〕
人間の本心は五感知を嫌い実在知を好む。
社会科や生物学の認識の質は人間の本心に背いているから、人間の本心は社会科や生物学を嫌う。
だから私は小学校高学年から大学までずっと社会科や生物学(医学も)が嫌いで苦手だったのだ。〔もちろん、今でも苦手である。〕
もっとも、もっと時代が進んで、社会や生物が本当に合理的すなわち実在的に捉えられる時代が来れば、人間の本心もきっとそれらを受け入れるであろう。〔そうなると、もはやバカ息子どもが医学や社会科に近寄ることもなくなるだろう。/反対に、世の中には数学や物理学を嫌う変わり者がいるが、その人は人間の本心がわかっていない、人の心に盲目な不幸な人である。〕
[1612] 男心と女心 h17.3.29
女も中学校まではとくに男と変わらない。とくに試験の成績は女にも男勝りの者がいるから、性別と知覚の出来の間に相関はない。
ただし、中学校以降は女には男にはない生理痛があるから、生理痛のために女の知覚界に現象性イデアができ、そのイデアのために実在の理解が妨げられる結果、試験の成績が落ちることになる。また、現象性イデアのために心も変性し、女性特有の‘色気づく’ことにもなる。
男心と女心は本来同じようなものだが、生理痛という後天的経験によって、思春期から男心と女心は違ってくるのだ。〔生理痛すなわち子宮内膜脱落に伴う痛みによって知覚界に発生する現象性イデアと、陰唇の周期的刺激によって発生する現象性イデアとは性質が違う。つまり、‘色気づく’ことと分裂病とは別である。いわば、現象性イデアにも(癌のように)良性と悪性の区別があるのだ。生理痛の強さには個人差があるから、現象性イデアによる知覚界の乱れは大きい人から小さい人までさまざまである。〕
女の知覚界には男よりも現象性イデアが多いから、女は不合理的な非実在的な存在である。だから、いくら男が合理的で実在的であっても、女が男に服従するとはかぎらない。女は女の心理で見て考えて行動するのだ。女が子供を作ろうとしたり、弱い者を守ろうとするのは、女の不合理性による行動であって実在的には理解できない。
精神分裂病でも理数系の能力は比較的保たれているという。それは知覚における現象性イデアの中枢と理数系の能力の中枢が独立で互いに影響されにくいからである。女の場合、思春期以降生理痛によって知覚に現象性イデアが発生するが、理数系の能力は比較的保たれるので、女でも理数系の分野ではキュリー夫人やコワレフスカヤのように物理学や数学の才能が発揮されるのである。
[1613] ヨーロッパの文化 h17.3.29
ヨーロッパの文化は人間の本心を満足していない。ただ天才と呼ばれる極少数の者だけが、自分の知的好奇心を満足させながら実在の研究を進めたにすぎない。その他の大勢の者たちは、実在も知らなければ人間の本心も知らない。眼先の五感の立派さを気取るだけの冷たい心のない文化だ。
キリスト教の間違いは、人間の幸福が五感界の中にあると考えていることだ。人間の幸福は実在の中にあるのであって五感界の中にはない。人間の心は実在界において満足されるのであって、五感界の中では満足されない。だから、いくら五感界の中で心を満足しようとしても無駄なことだ。空喜び以外には何もない。
キリスト教では、人間の心を五感界で無理やり捉えようとしたために、人間の心を正しく理解できなかった。物理学において、眼で見えない存在(空気や万有引力など)を考えてはじめて実在が理解されたように、心についても五感を超えた世界においてはじめて人間の本心が理解される。五感を超えた感情(知的好奇心や愛情など)を考えることによって、人間の思考や行動が理解できるようになる。
[1614] 愛情について h17.3.29
女房子供が死んでも、本心が落ち込むほどには辛くない。
だから、人間の本心に愛情はない。
〔それとも、この私が人間の本心を見失っているから、愛情がないのか?!〕
[1615] 医者はバカ h17.3.30
医学は五感知であって実在知ではない。〔正確には、五感知が90%ぐらいで残り10%ぐらいが実在知だが、実在知だけしか理解しないと、医学部を卒業できないし医師国家試験にも合格できない。〕ゆえに、人間の本心にとって医学は不快である。
医者も人間だから、当然医学に携わる医者の心も医学を不快に感じている。医者の心は落ち込んでいる。〔本心の落ち込みから目をそらすために、五感界で浪費を重ねている。しかし、そんなことをしたところで本心の不快感が癒えるわけではない。〕
しかし、医者はバカだから、自分の心がどうして落ち込むのかわからないので、しかたなく毎日医者を続けているのだ。〔政治家も同様。人間の本心には眼先の出世や名誉を喜ぶ感情なんかない。医者も政治家も、人間の心を誤解しているくだらない連中だ。〕
[1616] 金[かね] h17.3.30
金は人間が作った価値である。
人間が自分の心に対して一方的に『お金持ちは幸福である。』と決めたところで、もともと人間の心にはお金で喜ぶ感情なんかないから無駄なことだ。
人間の本心にとってはお金なんかどうでもいい。
[1617] 医者は社会の迷惑 h17.3.31
医学は衒学(五感知であっていまだ実在知ではない)だから、医者の心は始終不快である。医者の心はいつも落ち込んでいる。
医者が落ち込んでいることは医者の勝手だが、医者から発せられる不快な感覚波(いわゆる気)によって、医者の周りにいる者までも不快になる。〔タバコで肺癌になるのと同じだ。〕
医者は社会的に迷惑な存在である。
社会から医者がいなくなれば、世の中はもっと明るくなるだろう。
[1618] 精神病を防ぐ方法 h17.3.31
性器の快楽にハマって実在を見失った者が分裂病になるように、
眼先の快楽にハマって人間の心を見失った者は躁鬱病になる。
性器や眼先の喜びを避ければ、精神病を防ぐことができる。
[1619] ムラサキツユクサ h17.3.31
その昔小学館の学習雑誌に『ムラサキツユクサの花びらの絞り汁を薄くガラス板に塗って乾かして、それを透して物を見ると、生物の周りにオーラが見える。』という記事があった。〔子供の私はこの実験がやりたくてしょうがなかった。〕
植物のザクロの実に人間のエストロゲンが含まれているように、ムラサキツユクサの花びらには動物の脳のX器官に含まれている感覚波と反応する物質(X物質)が含まれているのだろう。ムラサキツユクサに含まれるX物質と動物から放射される感覚波とが反応して、色が変わって見えるのだ。
[1620] おしゃれめさるな h17.4.1
おしゃれをしても不幸にはならない。
しかし、幸福にもならない。
人間の本心にとってはどうでもいいことだ。
〔お金についても同様。〕
[1621] 東京無用! h17.4.2
東京は地方文化のごった煮だ。
いろんな田舎文化が一箇所に集まって練り合わさって新しいものが生まれる。
だから、私のような自分独りで考える者にとっては、東京は無用だ。〔以前私が関東平野に住みたいと言ったのは冗談です。〕
〔日本は広く太平洋に開けていて、いろんな国の文化が交わって出来た都会国だといえる。〕
[1622] 幸福のような不幸(たとえ日本国憲法が許しても、たとえ文部省が許しても、この実在哲学が許しません!)
h17.4.3
オナニーやセックスをすると、やったときには幸福だけれども、
長い目で見れば分裂病になって(つまり、知覚界に現象性イデアが湧いて実在が見えなくなって)不幸になるように、
社会科や生物学を勉強すると、試験ではいい点が取れて出世には有利になるけれども、
長い目で見れば躁鬱病になって(つまり、気構えが五感主義になって人間の本心を見失って)不幸になるから、
いくら義務教育だからといって社会科や生物学は勉強しないほうがいい。
〔そもそも人間の本心がわかっていない者が社会科や生物学の本を書くから、それを読む者が人間の本心がわからなくなるのだ。たんなる事実の列挙だけで実在が見えていないのでは、人間の本心が満足しない。中学や高校の社会科や生物学の教師にも、面白い人間がいなかった。〕
[1623] 躁鬱病まとめ h17.4.3
以上、難しい話になってしまったが、要するに、
躁鬱病とは知覚に自分の本心に対する誤解があるために、自分の心を不満にしている状態である(自己いじめ病)。
自分では自分の心を満足しているつもりでも、実際には自分の心を不快にしている。自分で自分の心を落ち込ませている。
自分で自分の心を満足すればするほど、自分の本心はますます不快にさせられる。
自分の本心に対する誤解の原因としては、五感に執着しすぎたために五感界の中でしか自分の心を考えられなかったこと、自分の本心に対する他人の誤解を自分が鵜呑みにしたことなどが挙げられる。
[1624] 心の法則 h17.4.5
人間の心にとっては、(知覚が五感を支配して)実在が見えていることが幸福であり、反対に(五感が知覚を支配して)実在が見えないことが不幸である。
だから、おしゃれやお金や物に囚われている者は、自分で自分の心を落ち込ませている。自分で自分を不幸にしている。いくら、おしゃれやお金や物に力を入れたところで、人間の本心は少しも満足しないどころか、かえって不快になるだけだ。
〔五感に囚われ過ぎて、物の実体を見失った者が、(実在においてはおおよそ無意味な、物の上っ面しか見えていない、物についての理解のない)おしゃれやお金や物の贅沢に陥るのだ。そういう者は、心の実体も見失っているから、本心を満足できずに落ち込んでいる。〕
[1625] 五感で心をとらえるな h17.4.5
私が小学5年生のとき、母が私に「将来どんな仕事に就きたい?学校の先生、それとも汽車の運転手?」と尋ねたとき、私はムッとした。〔もっとも、学校の先生は夏休みが長いので、ちょっと魅力的だったが。〕
人間の心を強引に五感界の中でとらえようとする親の横暴さに憤慨したからであった。〔人間の心はそういう形ではとらえられない。先に仕事があるからそれに合わせて心を変えるのではなく、先に心があるからそれに合う仕事に就くのだ。仕事に心を合わせるのではなく、逆に心に仕事を合わせねばならない。〕
それ以来、私は自分が仕事に就くのが嫌になった。
[1626] 医者は悪者 h17.4.5
医者は(五感への囚われが強いために)自分の本心がわからず、自分の本心を満足させていないので、いつも気持ちが落ち込んでいる。〔医者は眼先の道理ばかりで、実在観を持って動いていない。過保護育ちで精神構造がバカだ。〕
だから、悪気が多い。すぐに他人に悪気を掛けたがる。〔自分の心を踏みにじる者は、他人の心も踏みにじる。〕
医者は人の心を踏みにじる冷酷非情な悪い奴だ。
[1627] どうして黒人は野蛮なのか? h17.4.5
黒人が野蛮なのは、黒人の心が野蛮だからではなく、黒人の自分の心に対する理解が野蛮だからである。
たとえ皮膚や髪の色や体型が違っていても、黒人にも白人や黄人と同じ『人間の心』がある。それを正しく理解し、それを満足させればいいだけだ。
[1628] 人の心は実在主義(人間の心はわれわれを実在へといざなう。) h17.4.6
心は実在を知らないが、自分の感覚を知っている。
知覚の中(内部)に矛盾があると、心は不安を感じる。反対に、知覚の中(内部)に矛盾がなければ、心は安心する。
知覚が五感を支配し、知覚が実在を見ていれば(つまり、実在には五感では見えない物があり、それを知覚で見ていれば)心は幸福だが、反対に五感が知覚を支配し、知覚が実在を見ていないと心は不幸を感じる。(仏教もそう考えた。)
このように、心は人間を実在への適応へ導くと同時に、それ自身を満足する。
〔実際には、知覚よりも五感のほうが実在が見えていることがあり、たとえ五感でも実在が見えていれば(実在が見えていない知覚よりは)幸福である。問題は、(実在を見るための手段としての)五感か知覚かではなく、実在が見えるか見えないかにあるのだ。(でも、しかし、たんなる事実の列挙だけで、何の理解もないのでは、知覚が働かないバカと変わらない。この点で、やはり、医学(生物学)や社会科は不合格である。Why?をまったく考えないで、事実の丸暗記しかしないのでは、人間の知性が泣く。理解する喜びを無くしてはならない。眼先の事実しかわからず、事実の背景にある実在が見えていないのでは、わかった気がしない。不愉快だ。物理学では事実の背景にある原理をきちんと説明して、その原理から個々の事実を証明する。医学も根本的には物理学のはずだ。今の医学は全然未熟でお話にならない。理科の文は事実の背後にある実在を見るところに人間的な味がある。それがなければただの無味乾燥な記号の羅列にすぎない。科学における理解とは、実在の中で五感を捉えることだ。数学も、公理の世界の中で定理を捉える。お粗末な医学や社会科なんかと較べると、哲学第1原理から分裂病や躁鬱病を説明した実在哲学はじつに立派だ。〕
[1629] 引越し鬱病は分裂病である。 h17.4.6
いい年をした大人が引越しして近所に知り合いがいなくなったぐらいのことで落ち込むわけがない。
人の心が落ち込むのは知覚が働かなくなった場合だけである。
本当は、引越し先の近所の人が幻聴で自分の悪口を言うのが嫌で、もと居た所に戻りたくて、嘘の作り話を言っているだけのことである。
[1630] 人間の幸福は実在にある。 h17.4.7
知覚だろうが五感だろうが、とにかく実在が認識できさえすれば、どうでもいい。
私が医学生のとき医学が理解できなかったのは、私に医学の五感的経験がなかったことと、医学が論理的に理解できるほど完成された体系ではなかったからだ。医学で用いられる言葉の意味が空だったから、私は医学を理解できなかった。
知覚が五感に支配されることは不幸と述べたが、五感が実在する対象を見据えていれば、別に不幸というわけではない。知覚に理解がなく、しかも五感が実在を見ようともしない状況が人間にとっては最も不幸である。
とにかく、知覚だろうが五感だろうが、人間の心にとっては実在が見えることが幸福であり、実在が見えないことが不幸である。(デカルトも言ったように、)実在を知るためには、知覚だろうが五感だろうが何を使ってもかまわない。(ガリレイの木星の衛星の発見のように、)むしろ五感を活かすことが、真実の探求にとっては大いに有効である。もっとも、実在は五感を超えたところにあるから、知覚で五感の欠落を補うことを忘れてもならない。〔知覚や五感は実在を知るために手段にすぎない。知覚や五感の区別にこだわらずに、実在を知ることが大事である。帰納とか演繹とかも、その反省から生まれた概念だ。人間にとっての幸福は知覚界(仏教)や五感界(キリスト教)そのものにあるのではなく、そもそも実在にあるのだ。〕
実在認識の基礎は五感にある。五感から知覚(実在観)が出来る。心は実在を知ることで満足する。(cf.『吾唯知足』水戸光圀)
[1631] 大人のリコウぶり、悪いくせ h17.4.7
大人はすぐに知覚知覚と言って見えないものを見ようとしたがる。実在は知覚で見えるものであって五感では見えないと考えたがる。
しかし、実際には五感で見える実在がはるかに多く、知覚で見える実在は極ほんの一部にすぎない。知覚で見える実在は五感の付け足し程度にすぎず、眼で見える世界をそのまま実在だと見なしても差し支えない場合が多い。五感のほうが知覚よりも実在をよく知っている。〔私なんかの凡才がガリレイやニュートンの真似をしたって仕方がない。〕五感よりも知覚のほうが実在に盲[めくら]だ。眼を使うことを忘れてはいけない。
[1632] 私が社会科や生物学が苦手な理由 h17.4.9
社会科や生物学(医学も)の勉強では知覚が働かない。
知覚が働かないから、人間の心にとっては面白くない(不幸である)。〔人間の心にとっては、(実在性)知覚が働くことが幸福であり、働かないことが不幸である。五感を知覚に従属させることが幸福であり、知覚が五感に従属することが不幸である。だから、自分が幸福であるために、五感の事実を知覚で理解しようとするのだ。〕
ゆえに、人間が社会科や生物学を勉強することは不幸である。〔社会科や生物学では、五感の事実を知覚で理解しようとしない。知覚が五感に従属したままだから不幸である。社会科や生物学では自分が幸福になるために努力をしないから、不幸なままなのだ。〕
不幸だから、社会科や生物学は勉強してはいけない。〔それは、人間の心を無視する行為である。人間の心を無視する者に幸福はない。〕
いくら社会科や生物学を勉強しても、事実を丸暗記するだけで、真実を見る目は育たない。〔事実の背後にある真実が見えなければわかったとはいえない。心が見えない者には物も見えない。どうせ五感界には真実も幸福も両方ない。〕
[1633] 事実と真実 h17.4.9
事実は五感で見えるが、真実は知覚でないと見えない。
真実が見えるのは幸福であり、真実が見えないのは不幸である。
知覚の概念は五感の経験から作られるから、事実を見ずに真実を見ることはできない。
事実を見ようとしなければ真実も見えない(つまり、実在性五感を働かさないと知覚もまた働かない)から、結局不幸である。
幸福であるためには、実在性五感(眼と耳)と知覚の両方を働かさなければならない。
[1634] 鬱文化 h17.4.10
人間の心にとっては知覚が働くことが幸福であり、知覚が働かないことが不幸である。〔男も女も大人も子供も同じ。大人は大人にとっての実在を、子供は子供にとっての実在を眼と知覚で理解しながら生きている。子供だって、子供なりの実在を眼(実在性五感)と知覚で見ながら生きている。女も、生理や出産に伴う多少のハンディキャップはあっても、極端に男と違うことはない。〕
知覚が働かないと心が落ち込むし、逆に心が落ち込むと知覚が働かなくなって五感ばかりに頼るようになる。
小さいときから知覚で理解しないで眼先だけで勉強(いわゆるガリ勉)ばっかりしていると、上のようになる。〔受けた教育が悪いか、本人の勉強の仕方が悪かったのだ。〕
そのような精神構造(気構え)の中で生まれたのが、社会科や生物学(医学)の文化である。〔理解せずに憶えることしかノウのないガリ勉バカの行き着く先は生物学(その最たるものが医学)か社会科しかない。〕
彼らにとっては、おしゃれやお金や物の豊かさが最後の命綱なのだ。〔気持ちが沈んで知覚が働かなくなっているから、眼先のことしかわからない。知覚が働かないから、眼先の物に頼らざるを得ない。知覚が働かない心の落ち込んだ者ほど、五感依存性が強い。〕彼らには、人間にとっての最高の喜びである『理解する喜び』がないから、眼先のみみっちい喜びである金や物に頼るしかないのである。〔彼らのつまらない喜びなど、人間の『理解する喜び』に較べれば無いに等しい。心が落ち込んだ世界の中で無理に楽しくやろうとしても、上手く行かない。しょせん楽しくはない。いくら上辺[うわべ]で楽しそうにしても、本音はちっとも楽しくない。いくらお金がたくさんあっても、そもそも幸福感がなければ、何にもならない。むしろ、不幸が長引くだけだ。幸福であってお金があるのが一番いい。それに、知覚が働かないと、マンガやテレビの空想の作り話も味わえない。〕
ガリ勉(知覚の理解をおろそかにして、試験の点だけよければいい風に眼先だけで勉強すること)ばっかりしていると心が落ち込んで鬱状態になる。むしろ、勉強しないでのんびりやっている者のほうが、知覚がよく働いて心が健全である。〔勉強や仕事のレベルを落としてもいいから、知覚できちんと理解しながら勉強や仕事をしましょう。〕
性感による分裂病文化(アフリカ)も、無知覚(知覚が働かないこと)による鬱病文化(ヨーロッパやアメリカ)も、過去に人間が捨てて来た文化だ。だから、そんな病的な文化を拾うやつらが悪い。現代の人間文化は実在性五感(視覚と聴覚)と知覚による実在文化なのである。〔ダーウィンの進化論を人間に当てはめれば、住んでいる場所によって人間の個性が違ってくる。北は寒くて裸では生きていけないから文明が発達し、南は暑くて裸で生きていけるから未開なままである。つまり、北はガリ勉文化圏(高度な文明を維持するためにはガリ勉しなければならない)で、南はエッチ文化圏(守るべき文明がないから知覚が乱れ放題)だ。北と南の中間ぐらい(アジア)が、人間にとっては一番適しているのだろう。アジア文化の特徴は、厳しすぎず易しすぎずなところにある。〕
[1635] 鬱病にならないために h17.4.11
性感を使ったから分裂病になるように、
知覚を使わなかったから鬱病になる。
知覚が働かなかったら、知覚が働けるように自分が考える対象の(難しさの)レベルを下げよう。〔cf.公文式の方法〕
心の落ち込みから抜け出すためには、勉強や仕事のレベルを落として、自分の知覚が働いて理解が出来るような仕事や勉強にすることだ。
[1636] 生物学(医学)や社会科の世界 h17.4.11
生物学(医学)や社会科(とくに歴史や地理)は知覚が働かない心の落ち込んだ者がやることであって、自分が人間として幸福に生きたければ生物学(医学)や社会科をやってはならない。
生物学(医学)や社会科(とくに歴史や地理)は、知覚が働かない心の落ち込んだ不幸なガリ勉バカにとって有利な世界であるから、自分が不幸になりたくなければそんな世界に近寄ってはならない。〔もっとも、自分にそれらをちゃんと知覚で理解できる自信があるなら、やってもいいが。〕
人間にとっての幸福は、眼と知覚が働いて実在が見えながら生きていることにある。
人間の心がわかっていない連中が生物学科(医学部)や社会学部へ行って不幸な一生を送るのだ。
[1637] 鬱病まとめ h17.4.12
オナニーやセックスをすると分裂病になるように、
ガリ勉(に準ずる行為)をすると鬱病になる。〔ガリ勉とは、知覚で理解せずに五感だけで問題を処理することである。〕
人間の心は、知覚が働くと幸福になり、知覚が働かないと不幸になるので、ガリ勉状態(に準ずる行為)では心が不幸になり気分が落ち込むことになる。
急に生活環境が変わって『ガリ勉状態』になって心が落ち込んできたら、自分の生活環境を変えて〔自分の勉強や仕事を自分の知覚で理解しやすいものに変えて〕自分の知覚の働きを回復させるしかない。
[1638] 無手勝流 h17.4.12
他人の書いた本を読むことが勉強なのではない。
自分の眼と知覚を働かせて実在を見て実在の中で生きることが真の勉強である。
[1639] リコウぶりバカ h17.4.13
知覚で理解しないで、五感(眼先)でわかったフリをするしかノウのない連中のことを言う。
いつも心が落ち込んでいる。〔腰抜けのアホ〕
自分では何が悪いかわからずに不幸な一生を送るしかない。
[1640] 知覚で理解しながら(心が落ち込まないように)考える方法 h17.4.13
まず、最初に、自分がハッキリわかることを見つける。〔私の場合、これが哲学第1原理だった。見つかるまでに8年ぐらいかかったが。〕
それが見つかったら、その命題から考えられることをありったけ考えていく。〔その際、自分が完全に意味がわかる単語だけを用いて、それらを組み合わせて考える。自分が意味をよく知らない単語を絶対に用いてはならない。〕
〔デカルトの『方法序説』とか『精神指導の規則』とかにも同じようなことが書いてある。〕
[1641] 具体的状況 h17.4.13
知覚を働かせて実在を見ることが人間の心にとっての幸福である。
ただ、見る実在は個人個人の具体的状況(その人が生きていた時代や場所)によってそれぞれ異なる。
[1642] ガリ勉は不幸のはじまり h17.4.13
ガリ勉は、知覚でいちいち理解せずに眼先の五感だけで条件反射的に問題を処理するので、人間の心が満足しない。いくら試験の点数がよくても、そういう人間は不幸になる。〔試験の一週間前からガリ勉するぐらいはかまわないが、一生涯ガリ勉状態を続けるのは悪い。〕
カンニング(対プリや過去問などを用いて勉強すること)も、実在についての理解を増しはしないから人間の心は喜ばない。いくら試験に合格しても心は不幸である。
そもそも人間の本心を蔑[ないがし]ろにする者(人間の本心を無視して多勢に追従するだけの者)に幸福になる資格はない。〔試験の点数がいいことの喜びは、人間が人間の本心を無視して勝手に考えて作った人工の幸福観にすぎない。本当に理解して取った点なら人の心は喜ぶが、理解ぜずに無理やりガリ勉して取った点なら人の心は喜ばない。〕
[1643] 善と悪 h17.4.13
善とは自分の心を満足することであり、悪とは自分の心を満足しないことである。
ところで、人間の心にとっては、知覚が働くことが幸福であり、知覚が働かないことが不幸であるから、つまるところ善とは、心が高揚して知覚が働いて実在が見えながら実在に適応して楽しく生きることであり、反対に悪とは心が落ち込んで知覚が働かずに眼先だけで苦しげに生きることである。
ところで、今の日本が不幸なのは、日本に不幸な人間がいるからである。
不幸な人間すなわち悪人とは、医者や社会学者のような五感だけで知覚のない者をいう。悪人は知覚が働かないから、眼先の五感のことしかわからず、物や金への依存が強い。金や物への執着が強い。
日本が幸福になるためには、日本から悪人を消さねばならない。
[1644] 日本万歳! h17.4.14
ヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、極少数の例外的な天才だけが幸福で天才以外の一般人は不幸な“天才ぶりバカ”だ。眼先だけ立派で、いつも気分が落ち込んでいる鬱陶[うっとう]しい不幸な国だ。
インドなどの仏教国は、眼を否定するから知覚で実在を見ることができず、人間の心が十分に満足できない。
中国も人間の心に対して盲目だ。古い孔子の教えに従っていて、心についての誤解がある。例えば、中国人はブタの喜びである金欲や物欲や食欲などが幸福だと考えている。幸福観を広げすぎて、人間の本心が見えていない。
日本人にとっての幸福とは、眼と知覚で実在を見て実在に適応しながら生きることにある。日本では(過去にヨーロッパのような飛び抜けた天才はいなかったが)一般人の実在認識のレベルが高い。日本は世界中で人間の幸福についての正しい理解がある唯一の国だ。日本の到達した地点に並べる国は他にない。日本が世界を支配し、日本文化を全世界に広げるべきだ。
[1645] 実在とは h17.4.15
数学や科学を勉強して見える世界(だけ)が実在ではない。
眼と知覚を働かせて見ている毎日の日常生活の景色こそが実在である。
[1646] 報酬 h17.4.15
眼と知覚を使って努力した者には、金や物ではなく、自由を与えてくれるといい。
仕事の量を減らしてくれれば、空いた時間で自分の興味あることを考えられる。
[1647] 俺が数学科を辞めた訳 h17.4.16
高校までの数学は易しいが、大学から後の数学はメチャンコ難しい。本の活字を見ても意味がほとんどわからない。
高卒後最初に入ったのは数学科だったが、高校までは得意だった数学が理解できずに気持ちが落ち込んでいた。
それで、数学科を辞めた。〔数学は完全に論理的だから、原理的には理解できるはずなのだが。抽象的すぎて私の縄張り(理解できる範囲)ではないのだ。物理学ぐらいの抽象性ならなんとかなるのだが。人にはそれ相応の世界がある。その世界の中で自分にわかること・できることを考えていけばよいのだ。例えば、特撮の世界みたいに。〕
次に、医学部に入った。大学の数学が理解できなかったので、もう理解なんかどうでもいいやとヤケクソになっていたからだった。物理学科も考えたが、物理学は数学と物理学の両方を勉強しなければならないので大変だとW大の友人から聞かされていたし、K大の物理学科に入った友人も講義が難しいと会うたびにしょっちゅうボヤいていたので、物理学科への進学は見送ることにした。
ところが、教養部の物理学は理解できて面白かった。物理学は講義も実験も両方とも面白かった。むしろ、物理学のほうが数学よりも勉強しなければならないことがはるかに少なくて楽なことがわかった。
それで、専門への進学のとき物理学科に転入しようかと悩んだが、結局踏み切りがつかなかった。それは、自分が医学部を辞めてしまうと、自分の取り柄がなくなり他人からバカにされそうだと思ったからである(見栄)。
ところが、医学部の講義は受けてみると理解できずムチャクチャ面白くなかった。そういえば、中学でも高校でも教養部でも、俺は生物が苦手だった。
苦しさに耐えて医学部を卒業し医師免許は取れたものの、私は一年見習い医者を務めただけで医学を辞めることにした。
その後、教養部のとき面白かった物理学科に入って物理学を勉強した。講義はよくわかって面白かった。大学の4年間は充実していたが、歳を取りすぎていたので普通の会社に就職できなかった。
[1648] 眼×知覚=実在 h17.4.16
眼と知覚の両方を働かさないと実在は見えない。
眼(実在性五感)を働かさないことが分裂病であり、〔現象性五感としての性感が実在性五感としての眼や耳を阻害するから〕
知覚(実在性知覚)を働かさないことが鬱病である。〔知覚が働かないと人間の心は落ち込むから〕
[1649] 実在する心 h17.4.16
人間の本心は、大脳前頭葉の脳細胞群として実在する。
自分にとって何が幸で不幸かは、人間の本心(すなわち大脳前頭葉にある脳細胞群)が決めることであって、自分の知覚(すなわち大脳頭頂葉にある脳細胞群)が決めることではない。
したがって、自分にとって何が幸で不幸かは自分の本心(すなわち自分の大脳前頭葉にある脳細胞群)に訊くしかない。
〔自分の本心と対座すると、宇宙の広大さを感じる。自分が宇宙の端から端まで知っているような気持ちになる。(ただ、知っているような気持ちになることと、実際に知っていることとは違う。人間には錯覚や幻覚があるから。人間の心の中に‘空間の無限の広がり’を荷う脳細胞群があるからだろう。)聖闘士星矢の小宇宙(コスモ)は、このことなのだろう。漫画も文学の端くれだから。/私は医学生のときの自分の体験から、『人間の心にとっては、知覚が働くことが幸福であり、知覚が働かないことが不幸である』と考えてみた。〕
[1650] 医者は疫病神 h17.4.16
医者はガリ勉のせいでいつも心が落ち込んで知覚が働かず、五感しか働かない。〔格好付けばっかりで陰気臭い〕
医者から発せられる感覚波(いわゆる気)を浴びると、鬱が伝染[うつ]る。
つまり、自分が医者の近くにいると、自分も心が落ち込んで知覚が働かず五感しか働かなくなる。
だから、私は医者と関わりたくないのだ。
[1651] 人間の運動方程式 h17.4.16
心は思考や行動に動機を与えるものである。
心が無ければ、人間は思考しようとも行動しようともしない(思考や行動の制止)。
『人間の心は知覚が働くと幸福であり、知覚が働かないと不幸である。』
この人間の運動方程式により、人間は知覚を働かして実在を知り、実在に適応して生きようとする。
[1652] 医学生へのメッセージ h17.4.17
医学はわからないことが多すぎる。
わからないことが多すぎると知覚が働かない。
知覚が働かないと、人間の心は不幸になる。
不幸を感じながらも、医学生たちは勉強を続けている。
人間の心を否定してまで君たちは出世したいのか?
[1653] 物の欲望 h17.4.18
人間の本心には物や金の欲望はない。
ただ、ガリ勉(に準じる行為)によって知覚が働かなくなり心が落ち込むと五感しか働かなくなって、物や金のことしかわからず、物や金に依存するようになる。
〔実在性五感(眼と耳)と知覚の両方を働かせて見ている世界と、実在性五感だけを働かせて見ている世界とは様相が違う。実在性五感と知覚を働かせると実在の世界が見えるが、実在性五感だけを働かせると実在とは別の世界が見える。それは、いまだ実在についての何の知識も持たない幼児が見ている世界に似ている。その世界においては人間の心が働かず、物や金の欲望に取り付かれている(支配されている)。〕
そういう鬱人間は物や金の消費が生き甲斐だから、商売人のターゲット(カモ)になりやすい。
いわば、物や金の欲望は、商売人たちが作り出した人工の欲望である。
したがって、物や金の欲望を肯定することは、(心が落ち込んだ知覚の働かない人間達が作り出した)鬱文化を肯定することであり、自分自身を不幸にすることに他ならない。
[1654] あせらずに勉強しよう h17.4.19
生まれたての赤ちゃんも一人でほったらかしにされると、眼で見ていることがわからずどうしようもないので、心が落ち込む。親兄弟の世話があるから心が落ち込まずにすむ。少しずつ自分がわかることを増やして広げて高めていってしだいに実在がわかるようになる。もはや他人の世話がなくても、眼で見えていることの実体がわかり、実在に適応して生きていけるので、心も落ち込んだりはしない。
無理して急に難しいことをわかろうとすると、自分の知覚がついていけず、心が落ち込む。だから、理解はじょじょでいい。年齢とともに理解が強まれば、わかるべきことはわかってくる。
[1655] 仏教が悪い。 h17.4.21
親が悪いのではない。学校の先生が悪いのでもない。友人が悪いのでもない。
子供の頃から人間の心について考えなかった自分が悪いのだ。
そのために、オナニーや衒学(医学のこと)に手を染めてしまい、分裂病や鬱病にかかって人生をしくじってしまった。
仏教では、『人間の心は無である』と教える。無であるものについて考える必要はない。だから私は心について考えなかったのだ。
実際には、人間は心に支えられている。心が人間の活動に秩序を与える。
心のない人間は不安定であり、容易に不幸に落っこちてしまう。
[1656] O君のこと h17.4.22
O君は、高校生のときの英語の授業で私の(通路を挟んだ)隣の席で『教科書パラパラめくり遊び』をした。
O君は、英語の授業がわからなくて面白くなかったから、『教科書パラパラめくり遊び』をしてたんだね。
それを見て、ただ腹を立てただけの私は、人の心の理解が足りなかった。
人の心を理解すれば、納得の行くことで、腹を立てることはなかった。
〔男の子が女の子をいじめるのは、本当はその女の子が好きだからで、ただ弱い者いじめをするのを見ていけないことだと考えて腹を立てるだけではいけない。Why?どうして?を考えることが大切。〕
[1657] 哲学 h17.4.23
人間の心は知覚が働くと幸福であり、知覚が働かないと不幸である。
つまり、人間には『知への愛(Philo-sophy)』がある。〔人間は暇があると知覚を使いたがる。〕
これが哲学だ。
[1658] 『好き』の本質 h17.4.24
人の心は個人によらず同じである。
しかし、自分の心をどう考えるかによって(何を幸福と考えるかによって)、心の働き方が違ってくる。
自分と他人が気が合うかどうかは、心で決まるのではなく、知覚における心の理解が同じか違うかによって決まる。
『好き』の本質は、自分と他人の気が合うことにある。
異性に向けられると愛情であり、同性に向けられると友情となる。
例えば、私の母と父は心の理解が同じだから、気が合って互いに好きなので夫婦なのだ。〔ところが、私の父と私とでは、心の理解が違うらしく、気が合わない。小さい頃から私には新しい感性があると、父がよく言っていた。〕
[1659] 私が医者を嫌いな訳 h17.4.26
私は知覚が働くことが幸福だと考えている。
一方、医者は物や金が豊かなことが幸福だと考えている。
私と医者とは幸福観が違う。
したがって、私と医者とは心の働き方が違う。
私のような躁人間と医者のような鬱人間とは心の働き方が違うから気が合わない。
だから、私と医者とは嫌い合うのだ。
[1660] 新たなる世界 h17.4.26
性感は分裂病になるからだめ。
ガリ勉に準ずる行為は鬱病の原因になるからだめ。
結論:私が作った性感もガリ勉もない実在哲学の世界の中のほうが(精神病に罹らないから)人間が幸福に生きて行ける。
[1661] 曼荼羅[まんだら] h17.4.28
図形的直観によって意味把握を容易にする方法。
いわば、哲学における代数幾何学である。
[1662] 学問の分類 h17.5.1
学問には人の心を幸福にする学問と不幸にする学問の2種類がある。
幸福にする学問は、数学や物理学なんかの知覚を働かせるもの。
不幸にする学問は、社会科や生物学(医学も含む)なんかの知覚を働かさないもの。
[1663] 天地人 h17.5.2
天とは心、地とは五感、人とは知覚である。
心と五感を繋げるものが知覚であり、
心と知覚と五感のつながりこそが大事である。
心だけでなく眼も大切にしなければならない。
[1664] 幻聴 h17.5.2
X器官を使おうとするから幻聴が聞こえるのであって、
X器官を使おうとしなければ幻聴は聞こえない。
[1665] 心 h17.5.3
哲学第1原理より、
心は大脳前頭葉前部の脳細胞が荷う感覚であって、
大脳前頭葉前部で別の何か(精神体のようなもの)を見るわけではない。
[1666] 神族の御業[みわざ] h17.5.3
神族とは、X器官(松果体かな?)が非常に発達した一族である。
鬱が伝染[うつ]ったり、躁が伝染ったりするのは、感覚波を使ったまやかしにすぎない。
じつは、感覚波を介する自分の心と他人の心の共鳴である。
[1667] 心と知覚と眼を全部働かそう h17.5.3
心を働かせると、知覚が働く。[∵知覚が働くことが心にとっての幸福だから。]
知覚を働かせながら眼を働かせると、眼(五感)と知覚が複合して、実在のことがわかる。
[1668] 精神病は心の病気 h17.5.4
精神病とは、人間の心に対する誤解によって、心の働きが変になる病気である。〔知覚における心についての誤解が、心の正常な働きを妨げる。〕
『人間の心に性欲がある』という誤解によって分裂病になる。
『人間の心に“知への愛”(つまり、知覚が働くことによってもたらされる幸福感)がない』という誤解によって鬱病になる。
人間の心を正しく理解すれば、精神病から抜け出せる。
[1668.5] 『神様なんているのかな?』(5月4日夜)
[1669] 政治家は死ね h17.5.5
性欲を否定しないし、知への愛を肯定しようともしない。
人間の心についての間違った考えを広げようとする。
この世を不幸にすることしか頭にない。
[1670] 怒り h17.5.6
怒り自体は悪くはない。
怒りの質が人間的(視聴覚的)から動物的(性感的)に変わることが悪い。
[1671] わかるの位相 h17.5.6
医者のわかるは五感界にある。
私のわかるは知覚界にある。〔心界にあるのではない。心は、快不快、幸不幸の感情の集まりであって、心と実在とは別である。心が実在についての深い認識であるわけではない。実在についての理解も、心についての理解も、両方とも知覚でやる。[1595]下の図と[1596]図を参照。(いわゆる心には、心と知覚の二つの意味がある。混用注意。)〕
[1672] 心の科学 h17.5.9
人間の心に、性欲はあってはならないし、知への愛をなくしてはならない。[実在哲学の最終?定理]
〔性欲のない、知への愛のある国を作れ。〕
[1673] 感覚波を使えるようになるための方法 h17.5.9
知覚界に性感性イデア(現象性イデア)をなくし、知への愛によって知覚界を活性化させれば、感覚波が使えるようになる。つまり、エッチなことをせずに、心と実在性知覚を奮い立たせば、感覚波の中の実在的成分が拾い出せて感覚波が使える。[X器官が働いているのに冷静でいられることが、感覚波を使えるための条件だ。いくつかの感覚を同時に使えることも必要。]
感覚波の性質についてはまだよくわかっていないから、もしかすると時間を逆行できるかもしれない。
[1674] 感覚波動力学 h17.5.10
音波は真空を伝わらないが、
光波(電磁波)は真空を伝わる。
音波はガラスを通らないが、
光波はガラスを通過する。
波にはそれぞれ固有の性質がある。
音波、光波はすでに使える。
感覚波の性質を利用すれば、新しいことが可能になる。
[1675] 赤ん坊の世界 h17.5.10
赤ちゃんは、まだ五感や知覚が未発達だ。
あるのは心だけだ。
心の力だ。
心の中にある知への愛の感情によって知覚が発達する。
〔母親は赤ちゃんの心がよく働くように上手に機嫌をとりながら世話するといい。〕
[1676] 神族の本音 h17.5.10
いくらIQが高くて超能力が使えても、幸せでなければなんにもならない。
神族が人間社会の中で生きていくことは、むしろ不幸だ。苦しみの連続だ。
苦しみは私ひとりでたくさんだ。
私は子孫を作らない。
普通の人間に生まれたほうがずっと幸せだ。
〔私が小学2~3年生の梅雨の頃、空の彼方から上のような通信があった。(私の父も時々窓を開けて空の彼方を見つめることがある。)〕
[1677] 神族の父親 h17.5.10
自分の子供を幸福にしたいがために、高いIQや超能力を奪った。〔母親も、冥加[みょうが]がたくさん入った味噌汁をよく作った。医学部の女子が、冥加を食べると記憶が悪くなるから、家では絶対冥加を食べないと言っていた。〕
人間社会の中で幸福に生きていくためには、普通の人間であらねばならず、これらの才能が邪魔になるからである。〔私の両親が国の偉い人に自分の子供を殺さないようにお願いしたから、なんとか私は生き残ることができたのだ。〕
[1678] W君の場合 h17.5.10
W君は幼稚園の頃に父親から無理やり『善の研究』を読まされたそうだ。
子供にそんな難しい本読めるわけがない。たとえ読めてもわかるわけがない。
わざとにわからない本を読ませることによって、心を落ち込ませて、心の才能を奪おうとしたのである。
そのほうが、人間社会の中では幸福に生きていけると、W君の父親が考えたのだ。
[1679] 感覚波を使った手品(魔法) h17.5.10
X器官は感覚波を使って過去に向けて情報を送ることができる。
[1680] 物 h17.5.10
五感でとらえた実体の姿が物である。
実体(実在する物体)は五感を超えたところにある。
実体には手でつまめる部分(物質部分h)と、Y器官(サイコキネシス器官)でつまめる部分(y部分)とがある。[脳細胞以外の実体には感覚はないが、感覚波でつまめる(感覚波と相互作用する)部分がある。]
Y器官でy部分を持って動かせば、実体は動く。〔Y器官は、頭から突き出た見えない手のようなものである。〕
心を活発に保てば、X器官(テレパシー器官)やY器官(サイコキネシス器官)や知覚などが発達する。
[1681] 『人間は身体ではない。』 h17.5.11
私は子供の頃、両親から『人間は身体ではない。』と教えられ、五感を使用することを禁じられていた。〔頭の中で「身体」と思い浮かべただけで、親から叱られた。我が家の家訓『病気になっても医者には罹らず精神力で治す。』私の父は風邪で42℃熱が出ても絶対に医者に罹ることはなかった。でも、私の代になると、ちょっと風邪を引いたくらいでもすぐかかりつけの医者に行って、お尻に注射を打ってもらって治していた(→ペルシャ#31)。そのおかげで五感(肉眼と筋肉)は発達したが、精神力(心眼と心手)はすっかり衰えてしまった。〕
五感を使用することを禁じられていたから、X器官、Y器官、Z器官などを使って実在を認識(あるいは操作)さざるを得なかった。
しかし、幼稚園入園後は主に五感を使用して実在を認識するようになったため、X器官、Y器官、Z器官はほとんど使わなくなった。
こうして、かつての超人はたんなる人間の一員と成り下がってしまったのである。
[1682] 念力 h17.5.11
五感に対して筋肉があるように、幻聴をつかさどるX器官に対して念動力をつかさどるY器官が存在する。
X器官もY器官も大脳内のどこかにある脳細胞群である。〔もっとも、使わないと退化するが。〕
[1683] 主客未分の純粋経験 h17.5.11
五感を閉じてX器官(テレパシー器官)だけを用いれば、自分と他人が融合した状態になる。〔最近、私が風邪を引きかけて苦しんでいたとき、夢の中に母親が現れて私の看病をしてくれたが、そのとき私が口をきかなくても母とわかり合える融合感があった。不思議で懐かしい感じがした。〕
しかし、そもそも人間は身体でもある。
自分の身体と他人の身体は別々である。
哲学Ⅰ原理により、
自分の感覚と他人の感覚も別々である。
自他の融合は、X器官による錯覚にほかならない。
[1684] 物を動かそう h17.5.11
物とは五感界でとらえた実体の姿である。
五感化される以前の物の姿が実体である。
X器官で実体のy部分を見よ。
y部分をY器官でつまんで動かせば、実体が動くから、その結果物も動いて見える。
〔精神分裂病者の患者数から、X器官を持っている者は大勢いることがわかる。したがって、Y器官を持っている者も実際には多数いると考えられる。〕
[1685] 予知の原理 h17.5.11
視聴覚によって獲得された実在性イデアと、X器官による情報をくっつけると、予知ができる。
[1686] Y器官発動のメカニズム h17.5.14
赤ん坊には心とX器官,Y器官,Z器官,五感しかない。父親の恨みや憎しみのこもった何気ない一言に私の心が反応すると、Y器官が発動する。[父親への愛]
私は子供の頃から両親に他人に悪気を持つなと厳しく言われている。
父は公務員だから、絶対に国会議員の悪口は言わない。だから、国会の人は安全。
私単独ではY器官は発動しない。
私と父親との親子関係(感情的な親子のつながり)が発動のカギだ。[私が頭の中で父親がボソッとつぶやく場面を想像すれば、Y器官が発動するかもしれない。]
その他、テレビや新聞のニュースが引き金になる場合もある。
だから、私が政治に関心を持つことは危険である。
一方、私はアニメやマンガが好きである。
私に楽しいアニメを見せておけば、政治に関心を持つこともない。[最近の若者は政治に無関心であることにしておけば、いっそう効果的である。]
[1687] くまさん h17.5.15
くまさんはおなかをすかして山から下りてきただけだから殺さないで。
えさをやって山へ返すように。
[1688] 哲学第一原理 h17.5.15
眼で見える(五感)脳細胞と眼で見えない(知覚)感覚とをくっつけた(複合覚)のが哲学第一原理である。[ニュートンの力学やファラデーの電磁気学に似ている。ニュートンの力学では眼で見える物体に眼で見えない力が働くし、ファラデーの電磁気学では眼で見える物体が眼で見えない電磁場の格子を通過する(複合覚)。]
[1689] 乗り物酔い h17.5.15
私は車や船に酔いやすい。[今はアンプルの酔い止めがあるから安心。]
乳児期に心が活発に活動したために、三半規管が発達しているからである。
[1690] どうして私は分裂病になったのか? h17.5.15
私は2~3才のころ電気ショックに掛けられて、それまでの記憶と超能力とを失った。[私の最も古い記憶は、朝倉の若草幼稚園の入園テストまでだ(ブランクに数を入れるやつ)。だから、ようこの#5の絵のすり替え事件のことなんか何にも憶えていない。メデタシメデタシ。]
高校生になって隣の不良(O君)の英語の教科書のパラパラめくりに腹を立てたとき、マインドコントロールしてやろうと思って子供のときに使っていた超能力器官(X器官)に気合を込めたが、以前に受けた電気ショックの傷跡が脆くなっていたためにちょっとの気合でX器官のブレーキが壊れてしまった。そのとき、「これぐらいのことで壊れるはずがない」と思ったが、すでに手遅れだった。
それ以来、私はずっと分裂病である。それに伴って、日本の政治経済や文化水準も低下した。政治家たちが浅はかな考えで私の超能力を奪った罰だ。[ザマアミロ。超人の誕生は自然に任せるべきだ。政治家が手を出すべきことではない。]
[1691] 光 h17.5.16
私は物理学科を31歳で卒業した後、就職活動に入った。
10社ほど回ったが、1社も採ってくれなかった。
そのうちのひとつに赤羽のトプコンがある。面接前の待合室にいたとき、隣の大日本製薬のビルの上のほうから明るい暖かい光が出ているのが感じられた。
その光は私のなんかよりもずっと強くて明るかった。
その光を浴びているだけで、私の心は安楽になった。
面接ではつまらない登山の話などをしたが、帰りに近所の食堂で食べた800円のカツ丼は、福岡にはないぐらい美味かった。
今の私には他人に光を分け与えるほどの力はない[身体も心もボロボロ]。むしろ、逆に他人が放つ光を受けて自分の心が癒されるほうだ。
[1692] 遺伝子 h17.5.16
私の父の兄(一馬)が生きていた頃は、まだ戦時中で生命工学(バイオテクノロジー)がなかったので、遺伝子を活かすことができなかった。
しかし、あれから60年…。
羊や牛のクローンができるようになったから、当然人間のクローンもできる。
私の遺伝子の使用を禁じる。[たとえ私の複製(コピー)が作られたところで、今の文化では私の心を満足させられはしない。同じ悲劇が繰り返されるだけだ。]
人間が超人を道具にすると、この世が破滅する。[脳の神経回路が普通の人間より1~2個多いのが超人だ。それは偶然の産物であって、遺伝子配列で決まるにすぎない。人間と超人の差なんて大したことない。]
[1693] マスターベーション400回 h17.5.16
私は中学3年2学期~高校1年1学期までに1日に1~3回のペースで通算400回ぐらいマスターベーション(手淫)をした。
朝倉の県営住宅ではチンポの皮にお金を入れたことはあったが、風呂場が狭かったのでマスターベーションまでは行かなかった。
マスターベーションし始めたのは、高知市福井町に引越ししてからのことである。[風呂場広いし]
地元の有名進学校高知学芸中学高等学校のガリ勉教育のせいで、勉強のストレスが溜まっていたし(それまでは、夜の9時までにきちんと寝ていた。私は体育と音楽が苦手なので、その分を勉強で取り戻そうとして必死だった。)、マスターベーションは手軽にできるストレス解消法として日課になっていた。
私の父親も、その頃から私の顔つきが色っぽくなってきたので、私の顔を見ては喜んでニヤニヤしていた。[私の父の心は、私と仲が悪かった弟のと同じだ。いずれ私が瞑[つぶ]れるのを見てほくそえんでいたのだ。]
しかし、マスターベーションのために母親への愛情を失うのがあまりにも勿体なかったので、やめてしまった。
しかし、時すでに遅く、私は分裂病にかかってしまっていた。
[その後も、年にいっぺんのペースでマスターベーションをすることがあったが、登山のストレスや栄養不良のせいなので、例外と見なしてよい。マスターベーションは不快な分裂病の原因なのでやめましょう。曖昧なもの(性感から発生した現象性イデア)で明確なもの(視覚界≒実在界)を捉えられる(組合わせて構成できる)わけがない。]
[平成17年8月2日追記:面子よりも事実が大事。それが真の面子というものだ。]
[1694] 予知夢 h17.5.17
夜眠っているときには五感が遮断されているから、X器官、Y器官などの活動が相対的に高まっており、超五感(≡X,Y、Z器官などのこと)が意識化されやすい。いわば、睡眠中は幼児帰りの時間だといえる。そんなときは、超五感が活動して予知夢を見やすい。
[1695] Y器官誕生の秘密 h17.5.17
北のおばあさん(父の母)は福岡女学校で1~2番の成績だったそうだ。
男女二人の人間の特定の遺伝子の組み合わせによって、X器官、Y器官などの超五感が発生する。[X器官(テレパシー器官)に遺伝性があることは、精神医学において既に知られている。]
[1696] 西洋の物理学=東洋の実在哲学 h17.5.18
物とは、五感で捉えた実体の姿である。
実体とは五感になる前の物の姿である。
物は眼で見て手で触るが、
実体は心の目で見て心の手で触る。[ここでの心はX器官やY器官などの超五感の意味であって、いわゆる感情の集まりとしての心のことではない。]
物理学では五感(眼で見えるもの)に知覚(眼で見えないもの)を入れるが、
実在哲学では知覚に五感を入れる。[ここでの知覚はX器官やY器官などの超五感に基づく現象性知覚の意味であって、いわゆる実在性五感に基づく実在性知覚のことではない。]
[1697] 言語構造と世界観 h17.5.18
英語は五感知なので、主客対立構造がある。(SVO)SとOが別々。[ようこ#29のスクールソングも五感界の概念ばっかりで固めている。]
独逸語日本語は実在知(超五感知)なので、枠構造を帯びている。(SOV)SとOが一体。[私は他人がやることを自分がやるみたいに考える癖がある。]
[1698] 予知夢の条件 h17.5.19
大脳前頭葉の血行をよくするために、うつ伏せに寝てよだれを繰りながら寝る。
枕は使わない。
[1699] 超人の心 h17.5.19
いくら狛犬(こまいぬ=独楽犬)の首を4回半回すことができたとしても、その力で人間の首を回すわけではない。
狛犬の首を回したのは、狛犬が感覚のある生物ではないからである。
人間の首を回すのには、それだけの動機が要る。動機もないのに、むやみに人殺しはしない。
私の前頭葉に電気ショックを掛けて超能力を奪ったのは、人間(政治家)の心で見て自分に狛犬の首を回す超能力があれば人殺しをしたくなると思ったからであろうが、私のような超人の心で見れば、たとえ自分に狛犬の超能力があっても、人殺しをゲームにするようなマネはしない。私は弱い動物や昆虫をいじめるような残酷な仕打ちは嫌いである。
私が子供の頃よく虫取り網で虫を採ったが、ある日鬼ヤンマを採ったら、鬼ヤンマの首が180°回って上下逆さまになって今にも外れそうになっているのを見て気持ちが悪くなって、それ以来トンボを採るのはやめにした。
[1700] 愛について h17.5.19
愛情は鬱世界(人間の心が落ち込んで働かない状態)の中にある仮初[かりそめ]の幸福だ。
勉強や仕事がわからず知覚が働かなくなった者が、チンポの先の感覚だけにすがって女の尻を追いかけているにすぎない。
つまり、愛情は五感界における動物的欲求のひとつにほかならない。