[15701] 政府の憲法は嘘[うそ]である。 h24.10.4
政府の憲法は、政府が国民に「支配制を支持する国民のほうが平等制を支持する国民よりも多い」と思わせるためのハッタリである。嘘である。
国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。国民は今の社会を自分の眼で見て判断しなければならない。今は科学の時代だから、他人の言葉よりも自分の眼で判断しないといけない。
実際に、自分の眼で見れば、今の社会では『支配制を支持する者よりも平等制を支持する者のほうが多い』ことがわかる。だから、政府の憲法はまちがいである。政府が憲法を多数決で決めているのは嘘である。
今では支配制を支持する者よりも平等制を支持する者のほうが多い。だから、国民は平等制を支持する者に従って、支配制を支持する者に従ってはいけない。政府は支配制を支持する者だから、国民は政府に従わずに政府を倒せばいい。

[15702] 今の政府は憲法を犯した者を罰することができない。 h24.10.4
政府が政府の憲法を犯した国民を罰することができるためには、そもそも政府の憲法が成り立たなければならない。
政府の憲法が成り立つためには、政府が国民に支持されていなければならない。
ところが、今の政府は国民に支持されていない。
なぜなら、今の国民が平等制であるのに対し、政府は支配制だからである。国民と政府の制度が違うので、国民は政府を支持しないのである。
よって、政府の憲法は成り立たない。
だから、国民は政府の憲法を守らなくていい。国民は政府に税金を払ったり、政府の国家宗教の命令を聞いたりしなくていい。
政府の憲法が本当に成り立つのなら、国民が他人から無理やりお金を取ったり、国家宗教で人殺しをしても無罪なはずである。政府がやっていることは国民がやってもいいはずである。しかし、実際には、国民が他人から無理やりお金を取ったり、人殺しをすると罰せられる。だから、政府の憲法は成り立たない。だから、国民は政府の憲法を守らなくていいのである。つまり、政府の憲法は嘘[うそ]の憲法である。本当の憲法では、他人から無理やりお金を取ったり、他人を国家宗教で殺したりしてはいけないのである。だから、国民は本当の憲法を守って、政府に税金を払わず、国家宗教で人殺しをしなければいいのである。法律には普遍性[ふへんせい]がある。つまり、政府にも国民にも同じ法律が適用される。政府だけの法律はない。国民だけの法律もない。政府も国民も同じ人間だから、同じ法律が適用される。だから、国民がやってはいけないことは政府もやってはいけない。今の国民は他人から無理やりお金を取ったり、他人を殺してはいけない。だから、政府も国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で殺してはいけないのである。法律はいつの間にか変わってしまっているのである。だから、国民は憲法の字面[じづら]にとらわれず、本当の法律を守って政府の憲法を破ればいいのである。
今の法律に合わせて憲法を変えていない政府が悪い。まじめに民主主義をやっていない政府がいけない。だから、国民は政府の憲法を無視して守らなくていいのである。
今の国民は平等制をやっている。だから、たとえ政府が平等制を犯した者を罰しなくても、国民が平等制を犯した者を罰する。だから、政府も国民もみんなが平等制を犯さないほうがいい。
今の政府は民主主義をやっていない。今の政府は平等制の国作りをしていない。今の政府は国民と違う支配制の国作りをしている。今の政府は国民にとって政治機関ではない。だから、国民は政府に政治(国作り)の仕事を頼まなければいい。だから、国民は政府に税金(政治代)を払わなければいい。
そもそも政治機関と国民は平等だから、国民が政治機関に仕事を頼むか頼まないかは国民の勝手である。政府や幕府や平等制の政治機関に仕事を頼むか頼まないかは国民の自由である。例えば、中世の支配制と身分制の両方があった時代には、国民は政府か幕府のどちらか好きなほうに政治の仕事を頼んでいたのである。政治機関に仕事を頼まない国民もいたのである。つまり、国民は自分のほうから政治機関に仕事を頼んでいたのである。国民が自分の好きな政治機関に仕事を頼んでいたのである。国民が政治機関が嫌なら仕事を頼まなくてもいいのである。今の政府は国民に向かない政治機関だから、国民は政府に政治を頼まなければいいのである。今の国民に向く政治機関が現れてから、国民は政治機関に仕事を頼めばいい。それまでは、国民自身で政治をすればいいのである。今の政府が納税の義務と言っているのは嘘[うそ]である。昔の国民がみんな政府に仕事を頼んでいたから義務と言っていただけのことである。支配制では嘘をつくぐらいのことはなんでもないから、政府は義務だと嘘をついていたのである。政府は政府に仕事を頼んだ者(つまり国民みんな)を対象にして義務だと言っていたのである。今の国民は政府に仕事を頼まないからもはや義務とは言えない。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。
 
[15703] 政治機関とは何か?☆ h24.10.4
政治機関は、国作りをする会社である。ひとつの制度で国作りをする会社である。
国民が政治機関にお金をやって国作りの仕事をしてもらうか、政治機関にお金をやらず国作りの仕事をしてもらわないかは、国民の自由である。
国民は自分の気に入る政治機関がなければ、政治機関に仕事を頼まなくてもかまわない。
だから、政治機関は大勢の国民が気に入る政治をしなければならない。政治機関は大勢の国民が気に入る政治をすればするほど儲[もう]かる。
例えば、今は平等制の時代だから、政治機関は平等制で政治をしなければならない。支配制の政治機関は誰も仕事を頼まないから潰[つぶ]れる。
今の政府は押し売りである。売れない政治の押し売りである。国民は勇気を出して政府の支配制の政治の押し売りを断ればいい。
国民が今の政府にお金を払うと支配制の国になる。戦争や国家宗教をやる、暴力団や宗教団体や社長や文系がいっぱいある、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国になる。だから、国民は政府にお金をやってはいけない。

[15704] 平等制の政治機関はいい仕事である。 h24.10.4
今は平等制の時代である。みんなが平等制の政治機関が要ると思っている。警察が要るから、ついでに平等制の国作りをする政治機関も要ると思っている。
だから、みんなが平等制の政治機関にそこそこのお金を出す。
しかも、平等制の政治機関はそんなに仕事をしなくてもいい。国民自身が平等制の国作りをするから、それを助けてやるだけでいい。平等制の政治機関がほんの少し仕事を足[た]すだけでいい。
だから、平等制の政治機関は楽である。
平等制の政治機関はお金が儲[もう]かる上に仕事が楽である。
だから、平等制の政治機関はいい仕事なのである。

[15705] 政府は権力者ではない。☆ h24.10.4
政府が国民から税金を取ったり国民を国家宗教で殺したりしているのは、政府が権力者だからではない。
政府は支配制の国作りをしているから、国民から税金を取ったり国家宗教で国民を殺しているのである。政府は支配制の国作りをしているから、政府自身も支配制をやって国民から税金を取ったり国民を国家宗教で殺しているのである。
政府は支配制の政治機関だから、支配制の国作りをやっているのである。政府は税金を取ったり、戦争や国家宗教をやったり、暴力団や宗教団体や社長や文系を守ったり、馬鹿が幸福で利口が不幸な国を作っているのである。貧乏な国を作っているのである。
そもそも政府に権力なんかない。政府はただ支配制の国作りをやっているだけなのである。政府は自分の仕事をやっているだけなのである。国民が勝手に勘[かん]違いをして、政府を権力者だと思っているのである。
しかし、今は平等制の時代である。今では誰も政府に支配制の政治(国作り)をやって欲しくない。だから、今では誰も政府にお金をやらなければいいのである。今はみんなが平等制の政治機関にお金をやって平等制の政治機関に政治(国作り)をやってもらえばいいのである。平等制の政治機関が出来るまでは、国民自身が平等制の国を作ればいいのである。
昔は国民みんなが支配制を支持していたから、支配制の政治をする政府にお金をやって支配制の政治をやってもらっていた。政府は国民が政府にお金をやることを、支配制の見方で見て政府が国民からお金を取ることだと解釈して税金と呼んでいたのである。幕府が国民が幕府にお金をやることを、身分制の見方で見て国民が幕府にお金を差し出すことだと解釈して年貢[ねんぐ]と呼んでいたのと同じことである。
しかし、今は国民みんなが平等制を支持しているから、支配制の政治をする政府にお金をやらず政府に支配制の政治をやってもらわない。つまり、支配制の見方で見ると、政府は国民から税金が取れなくなったのである。

[15706] どうして平等制の政治機関が出来ないのか? h24.10.5
政府は国民に『戦争をさせてやる』と約束したから、国民みんなが政府にお金をやって政府に政治をしてもらった。
幕府は『士農工商の身分制』を定めたから、国民みんなが幕府にお金をやって幕府に政治をしてもらった。
ところが、今の平等制の政治機関には国民の支持を得る“いいネタ”がない。
これでは、平等制の政治機関は国民からお金をもらえず政治がやれない。
だから、いつまでたっても平等制の政治機関が出来ないのである。
政治機関が出来るためには“きっかけ”が必要である。
それがないから、いつまでたっても平等制の政治機関が出来ないのである。

[15707] 今の国民は政府にお金をやってはいけない。 h24.10.5
今の国民は平等制を支持している。
ところが、政府は支配制の国作りをする会社である。政府は民主主義をうたって今の国民に合わせて平等制の国作りをしているふりをしているが、じつは裏で密[ひそ]かに支配制の国を作っている。政府の民主主義や納税の義務は嘘[うそ]である。今の政府は嘘の力で国民を支配しているのである。本当は、政府は支配制の国作りをする会社だし、国民が政府にお金を払って仕事をしてもらうか政府にお金を払わず仕事をしてもらわないかは国民の自由である。
だから、国民は政府に国作りをしてもらわなければいい。国民は政府にお金をやって政府に政治をやらせてはいけない。
いくら平等制の政治機関がないからといって、わざわざ支配制の政治機関に仕事を頼んではいけない。それでは、今の国民にとってかえって不幸な国になってしまう。
今のところはまだ平等制の政治機関ができていないから、国民が自分の手で平等制の国を作ればいいのである。
政府は支配制の政治をやる会社である。政府は古い政治をする会社である。政府の政治は今の国民を幸福にしない。今の国民は政府の政治が欲しくない。だから、国民は政府に政治を頼まなければいい。国民は政府に税金をやらなければいい。

[15708] 今の国民は政府に政治をしてもらわなければいい。 h24.10.5
政治機関は、国作りをする会社である。ひとつの制度で国作りをする会社である。
国民が政治機関に仕事をしてもらうかしてもらわないかは国民の自由である。つまり、国民が政治機関にお金を払って政治(国作り)をしてもらうか政治機関にお金を払わずに政治をしてもらわないかは国民の自由である。
今の国民は平等制を支持している。
ところが、今の政府は支配制の国作りをやっている。今の政府は平等制の国作りをやっているふりをして、じつは支配制の国作りをやっている。政府は詐欺[さぎ]会社である。
今の政府は国民に合っていない。今の国民が政府に政治をしてもらうことはまちがっている。
だから、今の国民は政府に政治をしてもらわなければいい。
だから、今の国民は政府にお金をやらなければいい。税金を払わなければいい。今の国民は政府の命令(国作りの指示)を聞かなければいい。

[15709] 明治維新 h24.10.5
明治維新とは、国民みんなが身分制から支配制に変わって、江戸幕府に世話になるのをやめて日本政府に世話になるようになったことである。
国民みんなが江戸幕府にお金をやらなくなって江戸幕府に身分制の国を作ってもらうのをやめて、日本政府にお金をやって日本政府に支配制の国を作ってもらうようになったのである。
戦前は国民みんなが支配制だったが、戦後は平等制に変わった。
だから、国民みんなが日本政府にお金をやらなくなって日本政府に支配制の国を作ってもらうのをやめて、国民自身が平等制の国を作ったり、国民が平等制の政治機関にお金をやって平等制の政治機関に平等制の国を作ってもらわねばならない。
日本政府は支配制の国を作る会社だから、国民が政府にお金をやると支配制の国になる。戦争や国家宗教をやったり、暴力団や宗教団体や社長や文系がいっぱいいたり、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国になる。みんなが他人からお金をふんだくったり、他人を虐[いじ]めて喜ぶ物騒[ぶっそう]な国になる。だから、国民はけっして政府にお金をやって政府に国作りをやらせてはいけない。政府の命令は支配制の国を作るための命令だから、国民はけっして政府の命令を聞いてはいけない。

[15710] 政府は今の国民に合った国を作ることができない。 h24.10.6
今の国民は平等制を支持している。
それなのに、政府は支配制の国を作っている。
国民は自分が支持する制度の国作りをする政治機関にお金をやって仕事をしてもらうべきであって、自分が支持しない制度の国作りをする政治機関にお金をやって仕事をしてもらってはいけない。
だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府に仕事をしてもらってはいけない。
今の政府は戦前の国を作っている。今の政府は時代遅れである。政府は昔の国を作ることしかできない。政府は今の国民に合った国を作ることができない。政府は今の国民にとって役に立たない。今の国民にとっては政府は要らない。だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の国民は自分で平等制の国を作っている。政府は支配制の国を作っている。政府は国民の国作りの邪魔[じゃま]をしている。だから、国民は政府にお金をやらなければいいのである。
いくら政府ががんばっても国民の支持する制度を変えることまではできない。政府はイタズラに国民の邪魔をしているだけである。政府のやっていることは無駄[むだ]である。今の政府はひとりで国民と違うことをしているだけである。だから、政府は早く滅んだほうがいい。だから、国民は政府にお金をやらなければいいのである。
今の国民が政府にお金をやって政府に国作りの仕事をしてもらう理由がない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
政府が国民から税金を取っているのが、政府が支配制の国を作っている証拠である。政府は馬鹿の一つ覚[おぼ]えみたいに支配制の国を作ることしかできない。政府は別の制度の国を作ることができない。政府は今の国民に合わせた国を作ることができない。そんな政治機関があっても国民にとってはしかたがない。政府は国民に捨てられて滅ぶしかない。

[15711] 今の政府は国作りをやっていない。 h24.10.6
今では国民が国作りをやっている。
今の政府は自分ひとりで支配制をやって、国民から税金を取って国民を国家宗教で虐[いじ]めているだけである。政府は支配制をやっているために、神に従いながら国民を虐めるので、国家宗教で国民を虐めるのである。
今の政府は国作りを国民に任[まか]せて、自分はどうでもいいことをやって遊んでいるだけである。
今の政府は国作りをやっていない。
だから、今の国民にとっては政府は要らない。国民は政府に国作りをするためのお金をやらなくていい。

[15712] 今の国民は政府の支配制の国作りが要らない。 h24.10.6
政府は支配制の国作りをする会社である。
ところが、今の国民は平等制の国が欲しい。支配制の国は要らない。
今の国民にとっては、政府の支配制の国作りは要らない。
だから、国民は政府の支配制の国作りを買わなければいい。
つまり、国民は政府にお金を払って国作りをしてもらわなければいい。

[15713] 昔と今では国民の欲しい国が違う。 h24.10.6
政府は支配制の国を作る会社である。政府は支配制の国を作ることしかできない。政府は他[ほか]の制度の国を作ることができない。
昔の国民は支配制の国が欲しかったから、政府にお金をやって政府に国を作ってもらった。
今の国民は平等制の国が欲しいから、政府にお金をやらず政府に国を作ってもらってはいけない。
昔と今では国民の欲しい国が違う。
だから、昔の国民にとっては政府が必要だったが、今の国民にとっては政府が要らないのだ。
昔の国民は人殺しをしたかったから、戦争をやるために政府にお金をやった。
今の国民はみんなと仲良く暮らしたいから、他人を虐[いじ]める国にしないために政府にお金をやらない。

[15714] 宗教から科学へ h24.10.6
昔は支配制の時代だった。みんなが支配制を支持していた。
支配制の世界には、実在の世界を支配する神がいた。神が実在を支配していると考えていた。神が人間を支配していると考えていたので、みんなが神に従った。みんなが神に従うために、神を研究した。それが宗教である。
今は平等制の時代である。みんなが平等制を支持している。
平等制の世界には、実在を支配する神がいない。実在が人間を支配していると考えているので、みんなが実在に従っている。みんなが実在に従うために、実在を研究している。これが科学である。
つまり、宗教とは神を知ることであり、科学とは実在を知ることである。
支配制の時代の学問が宗教であり、平等制の時代の学問が科学である。
社会制度が支配制から平等制に変わるにつれて、学問も宗教から科学に変わったのだ。

[15715] 国民は政府にお金をやってはいけない。 h24.10.6
政府は支配制の国を作る会社である。政府は平等制の国を作るふりをして、じつは支配制の国を作っている。
国民が政府にお金をやるから、政府は支配制の国を作るのである。政府は国民からもらったお金で、戦争や国家宗教をしたり、暴力団や宗教団体や社長や文系を守ったり、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作っているのである。みんなが他人からお金をぶん取ったり、他人を虐[いじ]めて喜ぶ国を作っているのである。
しかし、今の国民が欲しいのは平等制の国である。戦争や国家宗教をやらない、暴力団や宗教団体や社長や文系がいない、利口が有利で馬鹿が不利な裕福な国である。みんなが他人の役に立つことをして他人からお金をもらって喜ぶ国である。
だから、国民は政府にお金をやってはいけない。国民が政府にお金をやることはまちがっている。国民は政府に支配制の国を作らせないために、政府にお金をやってはいけない。国民は自分自身で平等制の国を作ったり、平等制の政治機関にお金をやって平等制の政治機関に平等制の国を作ってもらったりしなければならない。
昔の人は先進国のヨーロッパが支配制をやっていたから、支配制が正しい社会制度だと思って、支配制をやっていた。今の人は先進国のヨーロッパが平等制をやっているから、平等制が正しい社会制度だと思って、平等制をやっている。しかし、政府はいまだに支配制の国作りをやっている。政府は邪魔[じゃま]である。だから、政府を滅ぼさねばならない。ヨーロッパでも日本でも政府を滅ぼさねばならない。世界中で政府を滅ぼさねばならない。今の世界が平等制をやっているのは、国民が平等制をやっているからである。政府が平等制の国作りをやっているからではない。政府の指導で国民が平等制をやっているのではない。政府は国民と反対に支配制の国作りをやっている。だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府に支配制の国作りをやらさないようにしなければならない。

[15716] 政府の憲法は何のためにあるか? h24.10.6
政府の憲法は政府が国民に嘘[うそ]をつくためにある。
政府は国民に「政府が民主主義をやっていて、国民はみんな政府に税金を払わなければならない」と思わせるために、憲法を作ったのである。
しかし、本当は今の政府は民主主義をやっておらず、国民は政府に税金をやらなくてもいいのである。本当は、今の政府は国民とは反対に支配制の国を作っていて、国民が政府にお金をやって政府に国作りをしてもらうか政府にお金をやらず政府に国作りをしてもらわないかは国民の自由である。今の国民は平等制の国が欲しいから、政府にお金をやらず政府に支配制の国を作らせなければいいのである。
戦前の政府は本当に民主主義をやっていた。政府は国民に合わせて支配制の国を作っていた。しかし、戦後の政府は嘘で民主主義をやっている。つまり、戦後の政府は民主主義をやっていない。戦後の政府は国民の前では国民に合わせて平等制の国を作っているふりをして、じつは裏で密[ひそ]かに戦前と同じ支配制の国を作っている。
国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。国民は政府の嘘に騙されないために、政府の憲法を破らなければならない。
たとえ政府が本当に民主主義をやっていても、国民が政府にお金を払うか払わないかは国民の自由である。つまり、“民主主義”は政府の宣伝文句にすぎないのである。国民は政府が実際にどんな国を作っているかをよく見て、自分が政府の国作りを助けたければ政府にお金をやればよく、政府の国作りを助けたくなければお金をやらなければいいのである。
今の国民が欲しいのは平等制の国である。しかし、政府は支配制の国を作っている。政府は国民が欲しい国を作っていない。だから、国民は政府にお金をやらなければいいのである。

[15717] 『富国強兵』は嘘[うそ]である。 h24.10.6
政府が支配制で『富国強兵』をしているというのは嘘である。
政府はたしかに世界大戦のとき国民みんなに戦争をやらせてくれた。だから、『強兵』は本当である。
しかし、「富国」は嘘である。
政府は支配制の国作りをする会社である。支配制では、馬鹿が有利で利口が不利な国を作る。だから、支配制では国が馬鹿ばかりになって利口がいなくなって、国が貧乏になる。支配制ではみんなが他人からお金をぶん取るだけで、みんなが働かず、国の資本が増えないから国が貧乏になる。だから、富国は嘘である。政府が国を富ませるのは嘘である。
ヨーロッパが豊かな国なのは、ヨーロッパが平等制をやっているためである。ヨーロッパが平等制で利口が有利で馬鹿が不利な国を作っているからである。ヨーロッパが平等制で利口ばかりで馬鹿がいない国を作っているから、国が豊かなのである。平等制ではみんなが働いて、国の資本が増えるから国が豊かなのである。
だから、日本でもヨーロッパを見習って平等制をやらねばならない。政府は支配制の国を作って国を貧乏にするから、国民は政府にお金をやらず政府に国作りをさせてはならない。どこの国でも政府は支配制の国作りをやって国を貧乏にするだけである。だから、世界中の国から政府をなくさなければならない。
近代の日本がそこそこ豊かだったのは、江戸時代の身分制が残っていたからである。身分制ではみんなが他人のために働くから資本が増えて国が豊かになるのである。しかし、今の日本にはもはや江戸時代の身分制は残っていない。だから、国民が政府の言いなりになると日本はすぐに貧乏な国になる。だから、国民は政府の言いなりにならないようにして、政府にお金をやらないようにして政府に国を貧乏にさせてはいけない。国民は平等制をやって、みんなで働いて、豊かな国にしなければならない。
戦争は外人の命を取るだけで外人の物を取ることではない。豊かな国が貧しい国に行っても取る物は何もない。貧しい国では食べるのがやっとだから取る物は何もない。取る物は命しかない。だから、戦争をいくらやっても国は豊かにはならない。戦争にお金がかかって国が貧しくなるだけである。裕福な国はたいてい軍事力も強いから、裕福な国と戦争をしても勝てない。だから、国を豊かにするためには、戦争はやらないほうがいい。

[15718] 今の国民にとっては政府は要らない。《まとめ》 h24.10.7
政治機関とは、国を作る会社である。国民からお金をもらってひとつの制度で国を作る会社である。
国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
“納税の義務”は、政府の嘘[うそ]である。
政府が“民主主義”で国民に合わせた政治(国作り)をしているのも嘘である。
政府は「支配制の国」を作る会社である。みんなが他人を好き放題にして、他人からお金を無理やり取ったり他人を虐[いじ]めて喜ぶ国を作る会社である。つまり、政府は戦争や国家宗教をしたり、暴力団や宗教団体や社長や文系がたくさんいたり、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作る会社である。今の政府は国民の眼の前では平等制の国を作っているふりをして、裏では密[ひそ]かに支配制の国を作っている。
今の国民が欲しいのは『平等制の国』である。みんなが他人の役に立つことをして他人からお金をもらって喜ぶ国である。国民みんなが平和に暮らせる国である。
政府は国民が欲しい国を作っていない。
だから、国民は政府にお金をやらずに政府に国を作ってもらわなければいいのである。

[15719] 政府と幕府とどっちがいいか? h24.10.7
政府は国民からお金をもらって支配制の国作りをする。みんなが他人を好き放題にする国作りをする。みんなが他人から無理やりお金を取ったり他人を虐[いじ]めて喜ぶ国作りをする。みんなが他人からお金を取って働かない国を作る。みんなが働かないので国の資本が減って貧乏な国になる。
幕府は国民からお金をもらって身分制の国作りをする。みんなが他人の役に立つことをして他人からお金をもらって喜ぶ国作りをする。みんなが働くので国の資本が増えて裕福な国になる。
政府や幕府自体はどうでもいい。政府にしろ幕府にしろ国民が政治機関にお金をやることに変わりはない。税金と呼ぶか年貢[ねんぐ]と呼ぶかの違いにすぎない。政府は国民を国家宗教で虐める。幕府も身分制で国民を虐める。そんなことより、国が豊かになるか貧乏になるかが問題だ。
政府は国民みんなが働かない国を作って国を貧乏にする。幕府は国民みんなが働く国を作って国を裕福にする。だから、政府よりも幕府のほうがいい。
もっとも、今では幕府はない。今では国民自身が平等制の国を作っている。平等制も身分制と同じように、みんなが他人の役に立つことをして他人からお金をもらって喜ぶ国作りをする。みんなが働くので国の資本が増えて裕福な国になるはずである。政府はみんなが働かない貧乏な国を作るので、国民は政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせてはならない。政府を置いておくと、国民みんなが支配制をやっているように見えて、支配制をやる国民が増えるから、早く政府を滅ぼさねばならない。

[15720] 国民が政府に国を作ってもらうかもらわないかは国民の勝手である。 h24.10.7
政治機関は国を作る会社である。国民からお金をもらってひとつの制度で国を作る会社である。つまり、政治機関はただのサービス業である。
国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
政府は支配制の国を作る会社である。政府に少し詳[くわ]しい人なら、政府が支配制の国を作ることは誰でも知っている。例えば、政府が国民から税金を取っているのが、政府が支配制の国を作っている証拠である。政府が平等制の政治機関だと思っているのは馬鹿である。
どの政治機関がいいかは個人の考えによる。どのパソコンがいいかが個人の考えによるのと同じことである。個人が自分でいい政治機関を選んで仕事をしてもらえばいいのである。個人が自分でいいパソコンを選んで買うのと同じことである。
働くのが嫌な人は政府がいいし、働くのが好きな人は平等制の政治機関がいい。
だから、働くのが嫌な人は政府にお金をやって政府に支配制の国を作ってもらえばいい。政府に仕事のない国を作ってもらえばいい。政府にお金が得られない国を作ってもらえばいい。政府に他人から無理やりお金を取らねば生きていけない貧乏な国を作ってもらえばいい。
反対に、働くのが好きな人は政府にお金をやらず政府に支配制の国を作らせなければいい。国民自身で平等制の国を作って、仕事をしてお金を得る国を作ればいい。平等制の政治機関ができたら、平等制の政治機関にお金をやって平等制の国を作ってもらえばいい。

[15721] 政府はどうして国民に嘘[うそ]をつくのか? h24.10.7
今の政府は自分が“民主主義”をやっているふりをしたり、国民に“納税の義務”があると嘘をついている。
それは、今の政府が売れない政治機関だからである。戦前は国民が支配制を支持していたから戦前の政府は売れる政治機関だったが、戦後は国民が平等制を支持するようになったから戦後の政府は売れない政治機関になってしまったのである。
政府が正直に自分が民主主義をやらずに支配制の政治をやっていると言ったり、国民が税金を払わなくてもいいと言ったりすると、国民が政府にお金をくれなくなるので、政府は嘘をついているのである。
売れない会社は嘘で売れるようにするしかない。だから、政府は国民に嘘をついているのである。
しかし、政府が売れないのは、政府が悪い。今の政府は自分が売れないにもかかわらず、まじめに民主主義をやって国民に合わせて平等制の政治をやって売れる努力をしないから、政府が悪い。
今の政府は国民に平等制の国を売ると言って、本当は支配制の国を売っている。今の政府は嘘で儲[もう]けるしがない詐欺[さぎ]会社にすぎない。本当は、国民は政府に税金を払わなくてもいい。だから、国民は政府にお金をやらなければいい。国民は売れる政治機関にお金をやって国を作ってもらえばいい。

[15722] 今の国民は政府に従っていない。 h24.10.7
政府は支配制の政治機関である。政府は今でも支配制の国を作っている。
だから、国民が政府に従っていれば、国民も政府といっしょに支配制をやっているはずである。国民も政府のように他人から無理やりお金を取ったり、国家宗教で他人を虐[いじ]めて喜んでいるはずである。
しかし、実際には、そんなことをしている国民はほとんどいない。
だから、実際には、国民は政府に従っていない。国民は政府の命令を無視して勝手に平等制の国を作っている。国民は中世の二の舞を踏まないために、いつの間にか政府に従わない体制を築[きず]き上げたのである。
今の国民は平等制をやっている。政府は支配制の国を作っている。今の国民にとって政府は無用である。だから、国民は政府にお金をやらなくていい。

[15723] 政府を倒す方法 h24.10.7
政府は政治機関である。国民からお金をもらって国作りをする会社である。つまり、サービス業である。
政府はサービス業だから、国民が政府にお金をやって国を作ってもらうか政府にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民個人の自由である。
だから、国民が政府を倒すためには、国民の大勢[おおぜい]が政府にお金をやらなくなればいい。そうすれば、政府はお金が得られなくなって倒れる。
国民が政府を倒すためには、国民全員で政府に殴[なぐ]り込みを掛けたりしなくていい。国民の多くが政府にお金をやらなくなればいいだけである。
国民の多くが『今の自分が平等制をやっていて、今の政府が支配制の国作りをやっているから、自分が政府にお金をやってはいけない』ことを理解して、国民の多くが政府にお金をやらなくなれば、政府が倒れるだろう。
もちろん、国民一人一人が政府にお金をやらないようにすればいいのである。ただ、少数の国民が政府にお金をやらなくても、政府は倒れないだろう。政府は支配制の国作りをつづけるだろう。政府を倒すためには、国民の多くが政府にお金をやらなくならねばならない。

[15724] どうして人類は支配制をやめたのか? h24.10.7
支配制ではみんなが働かなくなってみんなが貧乏になって食べる物がなくなって生きていけない。
支配制では人間が生きていけない。支配制では人間が死ぬ。
だから、人類は支配制をやめたのである。
平等制ではみんなが働くのでみんなが裕福になって食べ物がたくさんあるので生きていける。
平等制では人間が生きていけるので、人類は平等制をやるようになったのである。
戦後になってようやく人類は支配制では生きていけないことがわかったので、支配制をやめたのである。平等制に変えたのである。
支配制では人間が神に従えばいいと思っていたので、人間が神に従っていさえすれば生きていけると思っていたので、そもそも支配制では生きていけないことがわからなかったのである。
平等制では人間が実在に従えばいいと思っているので、人間が働かなければ食べ物がなくなって生きていけないことがわかるので、ようやく支配制では生きていけないことがわかったのである。
戦前は人類が支配制をやっていた。そのために貧乏や戦争になって、支配制がまちがっていることを身をもって知った。
戦後になって人類が支配制をやめて平等制をやるようになったので、ようやく人類は神を抜け出して実在が見えるようになって、支配制がまちがいで平等制が正しいことがわかったのである。
今では人類が頭で支配制がまちがいで平等制が正しいことを知っている。支配制では人間が食べる物がなくなって生きていけず、平等制でなければ人間が生きていけないことを知っている。だから、人類はもう二度と支配制をやらないだろう。
人間は自分が実際に痛い目にあわなければ自分がまちがっていることがわからない。人類は貧乏や戦争によって支配制がまちがっていることがよくわかったので、もう二度と支配制をやってはいけない。戦争はイメージがおもしろいだけで、実際にやってみたらつらかった。だから、戦争は二度とやってはいけない。
支配制をやると人間が馬鹿になる。支配制をやると人間が神のことしか見えなくなるので人間が馬鹿になる。人間が働かなければ生きていけないことがわからないほど馬鹿になる。戦争をやれば自分がつらい目にあうことがわからないほど馬鹿になる。反対に、平等制をやると人間が利口になる。平等制をやると人間が実在が見えるので人間が利口になる。支配制をやると人間が馬鹿になって実在が見えなくなって不幸になる。平等制をやると人間が利口になって実在が見えて幸福になれる。だから、人間は支配制をやめて平等制をやらねばならない。
今の人類は支配制をやめている。政府は支配制の国を作る会社である。今の人類にとっては政府は要らない。だから、人類は政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいい。

[15725] 仏教 h24.10.7
仏教は、神に従うことである。仏教では釈迦[しゃか]が神である。
仏教では、人間が釈迦の教えに従うことによって、神に従っているのである。キリスト教で、人間がキリストの教えに従うことによって、神に従っているのと同じことである。
支配制の世界には神がいる。神が実在を支配していると考えるから、神がいる。釈迦が生まれた直後に3歩歩いたから、支配制では釈迦を神だと考えるのである。支配制では神が実在を支配していて、神が人間を支配しているから、人間は神に従わねばならない。だから、釈迦に従うのである。
釈迦の教えが正しいから釈迦の教えに従うのではない。釈迦が神だから釈迦の教えに従うのである。支配制では人間が神に従わねばならないから、たとえ釈迦の教えがまちがっていても釈迦の教えに従わねばならないのである。
日本は江戸時代に仏教をやっていた。だから、日本は江戸時代にも支配制をやっていたのである。江戸時代に天皇が残れたのも、日本が支配制をやっていたからである。江戸時代の日本は完全に身分制ではなかったのである。支配制もやっていたのである。
インドは身分制(服従制)の国だから、インド人はヨーロッパの支配制が嫌いである。インド人は“超能力者”を神だと考えることが嫌いである。だから、インドでは釈迦や仏教に人気がないのである。インドではヨーロッパ文化にかぶれた一部の者が仏教をやっているだけである。

[15726] 平等制では神がいない。 h24.10.7
支配制では神が実在を支配していると考える。人間は神に近い生き物だから、人間も部分的に実在を支配できると考える。人間が神に近づくことによって実在を支配できるようになると考える。
身分制(服従制)では人間が実在に従わねばならないと考える。実在よりも上の者がいないと考える。だから、身分制では神がいないのである。身分制では人間が実在に逆らってはいけない。人間がひたすら実在に従わねばならない。
平等制では人間と実在が平等だと考える。人間が実在に従えば実在を支配できると考える。だから、平等制でも神がいない。実質的には、平等制も身分制もほとんど同じである。平等制の極限が身分制である。人間が実在を支配していると思うのは錯覚である。人間の思い上がりである。人間は実在を知り、実在に従えばいいだけである。
今は平等制の時代である。だから、今の人は神がいないと思わねばならない。今の人は実在を見て、実在に従って生きていかねばならない。

[15727] どうしてアニメやマンガには私の情報が入っているのか? h24.10.8
政府は支配制の国を作る会社である。政府は国民からお金(税金)をもらって支配制の国を作っている。
支配制の世界には神がいて、人間は神に従わねばならないことになっている。奇跡を起こした者が神だとされている。私が0歳の赤ちゃんの頃に“夜中に突然私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラが回った”ことで私は神だとされている。
政府は支配制の国を作るために、国民みんなを神に従わせるために、アニメやマンガに私の情報を入れているのである。
今は平等制の時代である。今の国民は平等制の国が欲しい。支配制の国は要らない。だから、国民は政府にお金(税金)をやるのをやめて政府に国作りをやってもらわなければいい。

[15728] 国民は政府にお金をやってはいけない。 h24.10.8
政府は支配制の国を作る会社である。
だから、政府にお金をやる者は、政府に支配制の国を作ってもらいたい者である。みんなが他人を好き放題にできる国を作ってもらいたい者である。みんなが他人から無理やりお金を取ったり、他人を虐[いじ]めて喜ぶ国を作って欲しい者である。
しかし、今の国民は支配制の国が欲しくない。今の国民は政府に支配制の国を作って欲しくない。国民が政府にお金をやると支配制の国ができる。自動販売機にお金を入れたらジュースの缶[かん]が出てくるのと同じことである。だから、今の国民は政府にお金をやってはいけない。
今の国民が欲しいのは平等制の国である。みんなが他人の役に立つことをして他人からお金をもらって喜ぶ国である。みんなが仲良く平和に暮らせる国である。国民は自分の手で平等制の国を作らねばならない。あるいは、平等制の政治機関にお金をやって平等制の国を作ってもらわねばならない。

[15729] 男尊女卑[だんそんじょひ] h24.10.8
平等制では、利口を有利にして馬鹿を不利にする。有能を有利にして無能を不利にする。
男は有能で、女は無能である。
だから、平等制では、男が有利になり、女が不利になる。
しかし、平等制では国が豊かになる。女が働かなくてもよくなる。女は家事さえしていればよくなる。女が楽ができる。
だから、平等制のほうが、男も女も両方とも幸福に暮らせるのである。
反対に、支配制では馬鹿が有利で利口が不利になる。女は馬鹿で男は利口である。だから、支配制では女が有利で男が不利になる。しかし、支配制では馬鹿が有利で利口が不利なので、そのうち馬鹿ばかりになって利口がいなくなる。国が貧乏になる。女も男もみんなが貧乏になって不幸になる。だから、支配制はいけない。
政府は支配制の国を作る会社である。政府は馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作る。政府は支配制の国を作るために、男女平等をやっているのである。政府は国を潰[つぶ]す会社である。だから、国民は政府の言うことを聞いてはいけない。国民は政府にお金をやらず政府を潰さねばならない。
職場のセクハラは支配制である。支配制ではみんなが他人を虐[いじ]めてもいいので、セクハラをするのである。だから、支配制はいけない。みんなに支配制を勧[すす]めている政府をなくさねばならない。セクハラだけではなく、一般に社会現象と呼ばれていることは、すべて政府が国民にやらせたことである。政府が国民にやらせることにロクなことがない。だから、国民は政府をなくさねばならない。

[15730] 国民は自分で政治機関を選ばねばならない。 h24.10.8
政府は支配制の国を作る会社である。他人を好き放題にできる国を作る会社である。
だから、他人から無理やりお金を取ったり、他人を虐[いじ]めるのが好きな者は政府にお金をやればいい。
反対に、他人から無理やりお金を取ったり、他人を虐めるのが嫌いな者は政府にお金をやらなければいい。
政治機関は国を作る会社である。だから、国民がきちんと政治機関を選ばなければならない。国民は自分がいいと思う国を作る政治機関にお金をやって、自分がいいと思わない国を作る政治機関にお金をやってはいけない。
例えば、政府は支配制の国を作る会社だから、平等制の国がいいと思う国民は政府にお金をやってはいけない。支配制の国がいいと思う国民が政府にお金をやらねばならない。
どんな国を作るかは国民一人一人の責任である。国民はちゃんと自分で考えて政治機関を選んで、自分がいいと思う政治機関にお金をやらねばならない。自分がいいと思う政治機関がなければ、国民が自分の手で自分がいいと思う国を作ればいい。

[15731] 政治機関は民主主義をやらない。 h24.10.8
政治機関は、ひとつの制度で国を作るだけである。政治機関は、国民に合わせて制度を変えて国を作ったりしない。国民は自分がいいと思う国を作る政治機関にお金をやって国を作ってもらえばよく、自分がいいと思わない国を作る政治機関にお金をやらず国を作ってもらわなければいい。
政治機関はもともとそういうものである。政治機関がひとつの制度の国を作ることしかできないからこそ、国民が政治機関を選ばねばならないのである。
だから、政府が民主主義をやると言ったり、国民に納税の義務があると言ったりしているのは嘘である。政府は国民に政治機関に対する誤解を植えつけているのである。
本当は、政府は最初から支配制の国を作る会社だと決まっている。国民が政府にお金をやって支配制の国を作ってもらうか、政府にお金をやらず支配制の国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
だから、本当は国民が自分が政府にお金をやって国を作ってもらうか政府にお金をやらず国を作ってもらわないかを自分で考えて決めねばならないのである。
今の国民がそうしていないから、政府が今の国民に合わない国を作っているのである。政府が国民からもらったお金で国民にとって嫌な国を作っているのである。
今の国民は平等制の国が欲しいから、今の国民は政府にお金をやってはいけない。国民が自分自身で平等制の国を作ったり、あるいは平等制の政治機関にお金をやって平等制の国を作ってもらわなければならない。そうすれば、今の国民にとって幸福な国が出来るのである。
政府は支配制の国を作る会社だから、政府は未来永劫[えいごう]に支配制の国を作りつづけるだけである。政府は今の国民にとって嫌な国を作るだけである。だから、国民は政府にお金をやらず政府に国を作ってもらわなければいいのである。
政治機関は自分で自分を止めることができない。政府は国民がお金をくれるかぎり、支配制の国作りをしつづける。政府はなかなか自分のほうから国民に税金を払わなくていいとは言いにくい。政治機関を止めたり動かしたりするのは、国民の役目である。政治機関の活動を調節するのは、国民の務[つと]めである。今の国民は自分の務めを忘れて、政府をほったらかしにしている。そのため、政府はひとりで支配制をやって暴れまわっている。政府を止めてやるのは国民の義務である。国民は政府にお金をやるのをやめて、政府の国作りを止めてやらねばならない。

[15732] 国民はどうして政府に従っているか?☆ h24.10.8
今では国民は平等制を支持している。国民は平等制の国を作っている。
一方、政府は昔と同じように支配制の国を作っている。
その結果、今ではほとんど平等制の国になっている。今では他人から無理やりお金を取る者はほとんどいないし、他人を虐[いじ]める者もほとんどいない。
そのために、国民はてっきり政府が平等制の政治をしていると思っている。国民は政府が平等制の国を作っていると勘[かん]違いして、政府にお金(税金)をやったり政府の命令を聞いたりしている。
もともと国作りの大部分は国民によるものであって、政府によるのはごく一部分である。実際には、政府はただ建っているだけで、ほとんど仕事をしていないのである(国民にとっては、政府が仕事をしてくれないほうがいいが)。
そのために、政府が国民と反対の国作りをしていても、国民にはわからないのである。
国民は自分自身で国作りをしているのに、わざわざ政府にお金を払っているのである。政府は国民の邪魔[じゃま]をしているのに、国民は政府に感謝して政府にお金をあげているのである。
政府は支配制の国を作る会社である。しかし、今の国民は平等制の国がいい。今の政府は国民にとって嫌な国を作っているだけである。国民は政府に国作りをしてもらわないほうがいい。だから、国民は政府にお金をやらなければいい。国民は政府の命令(国作りの指示)を聞かなければいい。

[15733] 税金とは何か? h24.10.8
税金とは、国民が政府に国作りをしてもらうために政府にやるお金のことである。
政府は国民に嘘[うそ]をついて政府が国民から強制的にお金を取ることができると言っている。政府は国民が政府にお金をやることを支配制風に解釈して政府が国民から強制的にお金を取ることだと言っている。政府は支配制の政治機関だから、政府の目から見ると国民が政府にお金をやることが政府が国民から無理やりお金を取っているように見えるのである。政府の目から見ると奇跡を起こした者が神に見えるのと同じことである。政府は支配制をやっているから、自分が国民から無理やりお金を取れると思っているのである。日本国憲法がそのことを表している。
しかし、今は平等制の時代である。人間はみな平等である。国民と政府も平等である。政府が国民から強制的にお金を取るのはおかしい。政府のお金の取り方は、今の時代に合っていない。
そもそも政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社にすぎない。国民が政治機関にお金をやって国作りをしてもらうか政治機関にお金をやらずに国作りをしてもらわないかは、国民の自由である。平等制の時代にも、支配制の時代にも、身分制の時代にも、いつの時代にも、国民が政治機関に仕事をしてもらうか仕事をしてもらわないかは、国民の自由である。
政府が国民から税金を取るのは、政府が支配制の国を作る政治機関だからである。
一方、今の国民は平等制の国を欲しがっている。
今の国民には政府は合っていない。
だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に国を作ってもらわなければいいのである。

[15734] 『ドンキホーテ』 h24.10.8
ドンキホーテは幕府のことである。
幕府は身分制(服従制)の目で見ているから、ヨーロッパ人の支配制の目とは違う世界が見えているのである。
つまり、ドンキホーテはヨーロッパ人が幕府を馬鹿にした話である。
最後に、ドンキホーテが風車に突撃したのは、風車が政府だからである。政府は支配制の政治機関だから、政府は神がいると思っているので、政府はキリスト教をやっているので、政府を風車(←十字架)に喩[たと]えたのである。巨人が風車に化[ば]けたのは、巨人と風車が同じ物だということである。つまり、政府がキリスト教をやっているということである。ドンキホーテが風車に吹っ飛ばされたのは、ヨーロッパでは近代になって幕府が政府に敗れたということである。
今では国民はみんな平等制の目で見ている。政府はいまだに支配制の目で見ている。今では政府がドンキホーテである。今では政府が国民の笑い者である。
今の国民は平等制の目で見ている。平等制の目では実在が見える。実在においては、政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社にすぎない。国民が政治機関にお金をやって国作りをしてもらうか政治機関にお金をやらずに国作りをしてもらわないかは、国民の自由である。一方、政府は支配制の目で見ている。支配制の目で見ると、政治機関は国民から無理やりお金を取って国民を虐[いじ]める会社である。国民は政治機関にお金を払って政治機関に虐められねばならない。政府は支配制の目で見ているから、実在が見えていない。政府の政治機関観はまちがっている。だから、国民は政府に従わなくてもいい。今は科学の時代だから、国民は実在に従わねばならないから、国民は実在における政治機関観に従えばいいのである。国民は政府の偏見に付き合わず、真実に従えばいいのである。政府は支配制の目で見ているから実在が見えていない。国民は平等制の目で見ているから実在が見えている。正しい者がまちがった者に従うのはおかしい。だから、国民は政府に従ってはいけない。国民が政府に従うと政府の馬鹿がうつる。だから、国民は政府に従ってはいけない。
今は平等制の時代だから、国民は平等制の目で見て行動すればいい。平等制の目で見ると、政府は国民からお金をもらって支配制の国を作る会社である。ところが、今の国民は平等制の国が欲しい。支配制の国は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に国を作ってもらわなければいいのである。
今の政府は支配制をやっているから、自分が国民から無理やりお金(税金)を取れると思っているのである。政府はまちがった政治機関観によって国民から税金を取っている。本当は、国民が政治機関にお金をやるかやらないかは国民の自由であり、政治機関は国民から税金を取れないのである。だから、国民は政府にお金をやらなければいいのである。

[15735] 支配制はまちがった原理である。 h24.10.9
政府は支配制の政治機関である。政府は支配制の国を作る会社である。
政府は支配制の世界観で動いている。
支配制の世界では、神が実在を支配していて、みんなが他人を支配している。人間は神に従わねばならず、みんなが他人を好き放題にして、他人から無理やりお金を取ったり、他人を虐[いじ]めている。
だから、政府は国民を神に従わせるために国家宗教をやったり、国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で虐[いじ]めたり、暴力団や宗教団体を設[もう]けたりして国中に支配制の習慣を流行[はや]らせたりするのである。
一方、今の国民は平等制をやっている。
国民は平等制の世界観で動いている。
平等制の世界には、実在しかない。人間は実在に従わねばならない。人間は実在を知り、実在に従って生きていかねばならない。人間はお互いに従い合って平等に暮らしている。みんなが他人の役に立つことをして他人からお金をもらって平和に暮らしている。
平等制では実在が見えるが、支配制では実在が見えない。支配制は人間を狂わせるまちがった原理である。だから、支配制をやってはいけない。
政府は狂った原理で動いている政治機関である。国民は政府に殺される。だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府を滅ぼさねばならない。

[15736] 政府の政治機関観はまちがっている。 h24.10.9
政府は支配制の政治機関である。政府は支配制をやっている。
支配制の世界では、政治機関は国民の支配者であり、政治機関は国民から無理やりお金を取って国民を国家宗教で虐[いじ]めることができる。政治機関は国民に何でも命令することができる。
今の国民は政府の政治機関観に付き合わされて政府に従っているのである。
しかし、本当は政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
政府の政治機関観はまちがっている。政府が支配制の目で見るから、真実が歪[ゆが]んで見えるのである。だから、国民は政府に付き合って、政府に従わなくていいのである。
政府の政治機関観では、近世や近代に政治機関が変わったり、中世に政治機関が複数あることが説明できない。だから、政府の政治機関観はまちがっているのである。政府の政治機関観では反例が存在するからまちがいなのである。
政府は支配制の政治機関をやっていて支配制の目で見ているから、政治機関が国民の支配者に見えるのである。政府は嘘[うそ]をついているのではなく、まちがっているのである。政府の政治機関観はまちがいなのである。そもそも支配制がまちがいだから、政府の政治機関観もまちがいなのである。
政府は支配制の政治機関だから支配制の目で見るのである。医者が医者の目で見て、土方[どかた]が土方の目で見るのと同じことである。そもそも政府があるからいけないのである。だから、国民は政府にお金をやるのをやめて政府をなくさねばならない。
政府が暴力団を守っているから暴力団があるように、国民が政府を守っているから政府があるのである。国民が政府を守らなければ政府がなくなり、政府がなくなれば暴力団もなくなるのである。国民が政府を守るか守らないかは国民の自由である。だから、国民は政府にお金をやるのをやめればいい。たとえ政府が国民に政府に従わねばならないと言っても、政府の言っていることはまちがいだから、国民は政府の言うことを無視して政府に従わなければいい。政府は自分が支配制をやっているために正しいことがわからないのだから、国民は政府が哀[あわ]れだと思って政府の言うことを聞き流せばいいのである。国民は政府がただの馬鹿だと思って相手にしなければいいのである。政府は支配制の目で見ているから平等制の世界がわからない。だから、いくら国民が政府に平等制の理屈で説明しても無駄[むだ]である。だから、国民は政府を無視して平等制の理屈で勝手にやればいいのである。

[15737] 国民は平等制の目で見なければならない。 h24.10.9
そもそも政治機関は国作りをする会社である。国民からお金をもらってひとつの制度で国を作る会社である。
しかし、支配制の目で見ると、政治機関は支配者に見える。
政府は支配制の政治機関だから、政府は支配制の目で見ている。そのため、政府は自分が国民の支配者だと思い上がって国民を好き放題にしているのである。
しかし、本当は政府はただの国作りの会社である。国民からお金をもらって支配制の国を作る会社である。国民が政府にお金をやるかやらないかは国民の自由である。今の国民は支配制の国が嫌いだから、政府にお金をやらない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
それなのに、実際には政府は潰れていない。国民はいまだに政府に従っている。
今の国民は政府の政治機関観を受け入れているから政府に従っているのである。しかし、今の国民は平等制をやっている。だから、国民は平等制の目で見なければならない。政府の支配制の目で見てはいけない。平等制の目で見れば、政府は国民からお金をもらって支配制の国作りをする会社にすぎない。しかし、今の国民が欲しいのは平等制の国である。だから、国民は政府にお金をやらず、政府の命令を聞かなければいいのである。

[15738] 天動説は支配制である。 h24.10.9
ヨーロッパでは昔から支配制が正しいと考えられてきた。
支配制では、人間が自然を支配すると考える。人間は神に近いから自然を支配するのである。人間は地球にしかいないから、地球が宇宙の中心である。だから、支配制では天動説なのである。
しかし、科学によって地球が動いていることがわかった。
だから、今ではヨーロッパでも支配制がまちがいだと考えられている。平等制が正しいと考えられている。
支配制で見ると真実が歪[ゆが]んで見える。正しいことがわからなくなる。だから、支配制で見てはいけない。

[15739] 今の国民は政府にお金をやらなければいい。《要点》 h24.10.9
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
政府は支配制の国を作る会社である。
ところが、今の国民は平等制の国が欲しい。
だから、国民は政府にお金(税金)をやらず政府に国を作ってもらわなければいいのである。

[15740] 今の政府は支配制の政治機関である。 h24.10.9
今の政府は戦争や国家宗教をやったり、国民から税金を取ったり、暴力団や宗教団体や社長や文系を守ったり、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作ったり、国民に支配制を流行[はや]らせたりしているから、支配制の政治機関である。
もっとも、今の政府は支配制の世界における神である私の命令を聞かないから、政府は支配制を不完全にしかやっていない。政府は自分にとって都合[つごう]のいいことしかやっていない。今の政府はいいかげんに支配制の国を作っているだけである。
今の政府は平等制の国を作っていないから、平等制の政治機関ではない。今の政府は戦争や国家宗教をやめないし、国民と契約を取って集金しないし、暴力団や宗教団体や社長や文系を潰[つぶ]そうとしないし、利口が有利で馬鹿が不利な裕福な国を作っていないし、国民に平等制を流行らせたりしていないから、政府は平等制の国を作る会社ではない。
つまり、今の政府は支配制の政治機関である。
しかし、今の国民は平等制の国が欲しい。支配制の国は欲しくない。
だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に国を作ってもらわなければいい。

[15741] 政府がまちがっている。 h24.10.9
政府は支配制の国を作る政治機関である。
政府は支配制が正しいと思っている。
だから、政府は支配制の目で見て、自分が国民の支配者だと思って国民を虐[いじ]めたり国民に命令している。憲法に“宗教の自由”や“納税の義務”があるのはそのためである。
しかし、今は平等制の時代である。平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。
だから、そもそも政府が支配制の国を作っていることがまちがっている。政府が支配制の目で見ることがまちがっている。
だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府に従わずに政府を潰[つぶ]さねばならない。
今の国民はみんな平等制を支持しているから、今では国民みんなが支配制の国を作っている政府に反対している。だから、国民みんなが政府に従わなくなって、政府はすぐに潰れるだろう。
今の政府が支配制の国作りを弱くしかやらないのは、国民が政府に反対して政府が国民に潰されるのが怖いからである。今の国民は平等制を支持しているから、政府は支配制の国作りをやってあまり国民を刺激してはいけないのである。
今の政府は平等制の国作りも支配制の国作りも両方ともやっていない。政府は国民から税金を取るだけで何もやっていない。
国民にとって政府は要らない。国民は早く政府を潰したほうがいい。
今の国民が平等制を正しいと思うなら、国民は行動に出て政府を潰さねばならない。

[15742] 国民は政府のまちがいに従わなくていい。 h24.10.10
政府は支配制の政治機関である。
政府は支配制の目で見ている。
支配制の目で見ると、政治機関が国民の支配者に見える。
だから、政府は自分が国民の支配者だと思って、国民から税金を取ったり国民を国家宗教で虐[いじ]めたり国民に何でも命令したりしている。
しかし、支配制はまちがいである。支配制の世界観はまちがっている。
政府の政治機関観はまちがっているから、国民は政府の政治機関観に従わなくていい。
本当は、政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
今の国民は平等制の国が欲しいのに、政府は支配制の国を作っている。だから、国民は政府にお金をやらず政府に国を作ってもらわなければいい。
国民は自分で正しく考えて、正しく行動すればいいのである。
政府の世界観はまちがっているから、国民は政府を無視して相手にしなければいいのである。

[15743] 政府はまちがったことをやっている。 h24.10.10
今は平等制の時代である。
今では平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。
それなのに、政府は支配制の政治(国作り)をしている。
だから、政府がまちがっている。
だから、国民は政府に政治をやらせてはいけない。国民は政府の支配制の国作りの命令を聞いてはいけない。
本当は、国民が政府にお金をやって国作りをさせるか政府にお金をやらず政府に国作りをさせないかは国民の自由だから、国民は政府にお金をやらず政府に支配制の国作りをさせなければいいのである。
今は平等制の時代である。政府も自分がまちがったことをやっているのを知っているはずである。だから、政府は弱い。だから、国民は政府に従わず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府の憲法は支配制で作られた憲法である。ところが、今では支配制はまちがいだと考えられている。だから、政府の憲法もまちがいである。だから、国民は政府の憲法を守らなくてかまわない。

[15744] 道理が通れば無理が引っ込む。 h24.10.10
今は平等制の時代である。今では平等制が正しく、支配制がまちがいだとなっている。
ところが、政府は支配制の国を作っている。
だから、政府がまちがっている。
したがって、政府は滅ばねばならない。国民が政府を潰[つぶ]さねばならない。
平等制の国では、支配制の政治機関は生き残れない。だから、政府は滅ばねばならない。

[15745] 近代のヨーロッパは未熟だった。 h24.10.10
近代のヨーロッパは自然科学は正しかったが、社会科学はまちがっていた。
現代のヨーロッパでは、社会科学も正しくなっている。政府や暴力団や宗教団体や貴族が国民を支配するのではなく、人間はみな平等だと考えるようになっている。
昔のヨーロッパは支配制が正しいと考えていたが、しだいに平等制が正しいと考えるようになって、今のヨーロッパは平等制が正しいと考えている。今のヨーロッパでは支配制がまちがいで平等制が正しいと考えるようになっている。
ヨーロッパで正しいことは日本でも正しい。
だから、日本でも平等制が正しく支配制がまちがいだと考えられている。
政府は支配制の国を作る会社だから、政府は滅ばねばならない。
人類は少しずつ頭がよくなって、だんだん正しいことがわかるようになったのだ。昔の人類は馬鹿だったから、まちがいを信じていた。今後も、人類は真理を目指[めざ]して生きていかねばならない。真理を実現する努力を怠[おこた]ってはいけない。

[15746] インドはどうして貧乏なのか? h24.10.10
インドは貧乏である。
インドは身分制をやっている。インド人は実在に従うことが正しいと考えていて、インド人は他人に従うのが好きなので、下の者が上の者に従う身分制があるのである。身分制では、下の者が他人のために働いて、上の者が下の者の稼[かせ]ぎで食っている。
インドが貧乏なのは、上の者が多すぎるからである。そのために、下の者が上の者に稼ぎの大半を取られるので、インドは貧乏なのである。
日本でも江戸時代には身分制をやっていた。しかし、日本の身分制は階級が2つしかなかった。つまり、武士とそれ以外しかなかった。武士が少ししかいなかったので、下の者が上の者にあまり稼ぎを取られなかったので、国が豊かだったのである。
だから、インドが豊かになるためには、上の者を減らせばいい。あるいは、いっそのこと他の国と同じように、平等制の国にすればいい。

[15747] 今では平等制が正しいと考えられている。 h24.10.10
昔は支配制の時代だった。昔の人は支配制が正しいと考えていた。
支配制の目で見ると、神がこの世を支配していた。政治機関が国民を支配していた。
だから、昔の人は神や政治機関に従って生きていたのである。神を知るために宗教をやっていたのである。
しかし、今は平等制の時代である。今の人は平等制が正しいと考えている。
平等制の目で見ると、この世には実在しかない。神はいない。政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
だから、今の人は実在を知り実在に従って生きている。神はいないから宗教はやっていない。実在を知るために科学をやっている。政府は支配制の政治機関だから、政府にお金をやらず、自分で平等制の国を作っている。
人類は長い時間をかけてようやく支配制がまちがいで平等制が正しいことがわかった。これまで人類は支配制の目で見ていたから実在が歪[ゆが]んで見えていたのである。まちがって見えていたのである。今の人類は平等制の目で見ているから実在が綺麗[きれい]に見えているのである。正しく見えているのである。だから、今の人は平等制の世界観で生きていかねばならない。支配制の世界観で生きていてはいけない。
要するに、昔の人は支配制の目で見ていたから、政治機関が国民の支配者だと思っていた。今の人は平等制の目で見ているから、政治機関が国を作る会社だと思っている。人類はようやく政治機関が正しくわかったのだ。
今の国民が政府に従っているのは、昔の支配制の目で見たまちがった政治機関観を信じているからである。今の国民は早く平等制の目で見た正しい政治機関観を信じて、政府に従うのをやめねばならない。
日本国憲法は支配制の目で見た社会の決まりである。支配制はまちがっているから日本国憲法もまちがっている。だから、国民は日本国憲法を守らなくていいのである。いくら多数決でも、まちがいまで多数決で決めることはできない。日本国憲法はまちがいである。だから、国民は日本国憲法を守らなくていいのである。

[15748] 政府は支配制の国作りを押し売りしている。 h24.10.10
政府のやっていることをよく見ると、政府が支配制の国を作る会社であることがわかる。
政治機関がどんな国を作るかは、時代によって決まる。
今の政府は支配制の国作りを国民に押し売りしている。それが、納税の義務である。
しかし、本来は国民が政治機関の国作りを買うか買わないかは国民の自由である。
今の国民が欲しいのは平等制の国であって、支配制の国ではない。
だから、今の国民は政府の支配制の国作りの押し売りを断ればいい。つまり、国民は政府に税金を払わなければいい。

[15749] どうして政府は法律や水道やゴミの収集や学校などをするのか? h24.10.11
そもそも政府が国民のために国作りをする会社だからである。
支配者が水道やゴミの収集をするわけがない。
政府は支配制の国作りも仕事にしている。
政治機関はひとつの制度でしか国作りをすることができない。政府が平等制の国作りを仕事にすると別の会社になってしまうので、政府は平等制の国作りをすることができず、政府はいまだに支配制の国作りをしているのである。
政府にとっては支配制の国作りをすることがメインの仕事である。法律や水道やゴミの収集や学校などはおまけの仕事である。
今の国民にとっては支配制の国は要らない。
だから、国民は細かいことにこだわらず、政府にお金をやらず政府にいっさいの仕事をしてもらわなければいいのである。

[15750] 政治機関の欠点 h24.10.11
政治機関は国民の役に立つ国作りをする会社である。
だから、政治機関は法律や水道やゴミの収集や学校などをやるのである。
政治機関は国民が支持する制度の国を作ることがおもな仕事である。
しかし、政治機関は同じひとつの制度でしか国を作れない。途中で制度を変えて、違う制度の国を作ることができない。
そこが、政治機関の欠点である。政治機関にもできないことがあるのである。
だから、大和王朝[やまとおうちょう]は支配制の国が作れなくて倒れたし、中世の政府は身分制の国が作れなくて倒れたし、江戸幕府は支配制の国が作れなくて倒れたし、政府はいまだに時代遅れの支配制で国を作っているのである。
政治機関は完璧[かんぺき]ではない。政治機関にも欠点がある。国作りの制度を変えられないのが欠点である。政治機関は猪[いのしし]のようにまっすぐ進むことしかできないのである。
今では平等制が正しいと考えられているから、支配制の国を作る政府は要らない。
政治機関を潰[つぶ]すのは国民の役目である。
だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰さねばならないのである。
これまでも、国民がさんざん政治機関を潰してきた。国民が自分の支持する制度が変わったとき、国民が古い制度の国作りをやる政治機関を潰してきた。だから、今もそうしなければならないのである。国民が古い制度の国を作る政治機関を潰した後で、新しい制度の国を作る政治機関が出来たのである。
今の政府は平等制の国が作れない。だから、今の国民が政府を倒さねばならないのである。そもそも国民が政治機関にお金をやって仕事をしてもらうか政治機関にお金をやらず仕事をしてもらわないかは、国民の自由である。だから、今の国民が政府にお金をやらないようにして政府の命令を聞かないようにして、政府を倒さねばならないのである。戦前は国民みんなが支配制を支持していて国民みんなが政府にお金を払っていたから、政府は支配制の目で見て国民みんなが政府にお金を払っていることを納税の義務と言い換えたのである。今の政府は自分がお金が欲しいから納税の義務を決めているだけである。納税の義務は政府の作り話である。だから、国民は政府の作り話を無視して、今の国民にとって不適切な国作りをやる政府を潰すために政府に税金を払わなければいいのである。国民の支持する制度が変わっているときには、政府の憲法は無効である。人間はいつでも字で書いている通りにやればいいわけではない。だから、国民は政府の憲法を破ればいいのである。政治機関は自分がやっている国作りの制度の中で憲法を変えることができるだけである。政治機関が定めた憲法の改正によっては、政治機関がやっている国作りの制度自体を変えることはできない。政治機関がやっている国作りの制度を変えるためには、政治機関自体を潰すしかない。政治機関はもともとそういうものなのである。例えば、政府は支配制の政治機関だから、政府はいつまでたっても国家宗教や納税の義務をやめるわけにはいかないのである。政府は支配制の国作りをやめるわけにはいかないのである。国民が政府を潰さないかぎり、政府は支配制の国作りをやめないのである。だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府に支配制の国作りをやらさなければいいのである。政府の民主主義は、支配制の国作りの中での民主主義ということである。政府の民主主義は、支配制の中での民主主義である。政府にとっての集金は、支配制の中での集金だから税金になるわけである。
政治機関は自分で自分を潰せない。だから、国民が政治機関を潰してやらねばならない。今の政府が残っているのは、今の国民が政府を潰していないからである。国民が政府に関心がないために、政府を放置しているからである。国民が悪い。政府を潰そうとしない国民が怠慢[たいまん]である。だから、国民は自分を反省して、政府を潰さねばならない。
政府は国民が思っているような「悪の軍団」ではない。政府は『支配制の国作りをするまじめな会社』である。政府にとっては支配制の国作りをすることが仕事であり、政府は自分の国作りの制度が変えられないから、政府はしかたなく今でも支配制の国作りをやっているのである。だから、国民が政府の国作りを仕事をやめさせてやらねばならない。国民が勇気を出して政府に税金を払わないようにして政府を潰して政府の支配制の国作りをやめさせてやればいいのである。そもそも国民が政府にお金をやるかやらないかは国民の自由だから、国民は政府に税金をやらねばいいのである。

[15751] 今の政府は政治機関として失格である。 h24.10.11
政治機関はもともと国民の役に立つ国を作るのが仕事である。今の政府が法律や水道やゴミの収集や学校などをやっているのがその証拠である。
ところが、政府は支配制の国作りをやっている。
昔の国民は支配制を支持していたから、昔の政府は国民の役に立つ国を作っていた。昔の国民は政府が暴力団や宗教団体や貴族を設[もう]けてくれて喜んでいたのである。
ところが、今の国民は平等制を支持しているから、今の政府は国民の役に立つ国を作っていない。
だから、今の政府は政治機関として失格である。
だから、今の国民は政府を倒さねばならない。今の政府は国民の役に立っていないから、今の国民は政府にお金をやってはいけない。今の国民は早く政府を潰[つぶ]して、国民自身で国作りをやるか、あるいは国民の役に立つ平等制の政治機関を建てて国作りをやってもらわなければならない。
政治機関は国民と合っているときには国民を幸福にしてくれるが、政治機関が国民と合わないときには国民を不幸にする。昔の政府が国民からお金をもらえたのは、昔の政府が国民の役に立つ国を作っていたからである。ところが、今の政府は国民の役に立つ国を作っていないから、今の政府は国民からお金をもらえない。今の国民は政府にお金をやらなければいいのである。
政治機関が変わっても、国民が政治機関にお金をやることに変わりはないから、お金のことはどうでもいい。肝心[かんじん]なのは政治機関がどんな仕事をやるかである。今の政府は国民に合った仕事をやっていない。だから、今の政府は駄目[だめ]である。だから、国民は政府を潰さねばならないのである。国民が政府にお金をやらないのは、政府を潰すための手段である。だから、国民は政府にお金をやらなければいいのである。

[15752] 今の政府は支配制をやる会である。 h24.10.11
今は平等制の時代である。平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。
だから、今の国民は支配制をやっていない。平等制をやっている。
しかし、今の政府はひとりで支配制をやっている。
今の政府は国民からお金をもらって支配制をやる会である。
今の政府は生きている歴史の証人である。動く歴史の史料である。
支配制がどんなものか知りたい人は、政府がやっていることを見ればいい。そうすれば、社会科のいい勉強になるだろう。

[15753] ヨーロッパ人は知覚主義である。 h24.10.11
ヨーロッパの文化には『考える気持ち』がこもっている。
クラシックや洋ゲーには考える気持ちがこもっている。クラシックや洋ゲーをやっていると利口になる。
反対に、日本の文化には考える気持ちがこもっていない。
日本の音楽や日本のゲームには考える気持ちがこもっていない。日本の音楽や日本のゲームをやっていると馬鹿になる。
日本はもっとヨーロッパを見習わなければならない。
ヨーロッパが豊かなのは、ヨーロッパ人が考えながら生きているからである。ヨーロッパ人が眼で見て頭で考えてちょっとだけ心で思いながら生きているからである。
反対に、日本が貧乏なのは、日本人が考えながら生きていないからである。日本人が眼で見て心で思うだけで頭で考えていないからである。
ヨーロッパ人が知覚主義なのに比べて、日本人は五感主義である。
ヨーロッパ政府は知覚主義の国を作っているから、ヨーロッパ人は利口なのである。日本政府は知覚主義の国を作らないから、日本人は馬鹿なのである。ヨーロッパ政府は人間が他人を支配するためには人間が利口にならなければならないと考えて国民を利口にしているのである。日本政府は人間が他人を支配するためには自分の好き勝手なことをする馬鹿にならなければならないと考えて、国民を馬鹿にしているのである。日本政府は国民を眼で見るだけで頭で考えずに自分の好き放題なことをする馬鹿にしているのである。ヨーロッパ政府と日本政府では同じ支配制の国作りといっても反対のことをしているのである。つまり、支配制には中世までの古い支配制と近代以降の新しい支配制がある。日本政府は古い支配制の国作りしかできないから日本が馬鹿ばっかりの貧乏な国になるし、ヨーロッパ政府は新しい支配制の国作りができるからヨーロッパが利口ばっかりの裕福な国になるのである。新しい支配制は平等制とあまり変わらない。ヨーロッパ政府は近代以降新しい支配制の国作りをやるようになったから、新しい支配制では神がいないので、国家宗教と分離したのである。一方、日本政府は今でも古い支配制の国作りをやっているので、古い支配制では神がいるから、国家宗教をやっているのである。
日本政府が古い支配制の国を作っているから、日本人が馬鹿なのである。日本政府が日本の子供に馬鹿になる教育をしているから、日本人は馬鹿なのである。そのために、日本人は肉体労働しかできなくて貧乏なのである。日本人は早く日本政府を潰[つぶ]して、日本を平等制の国にしなければならない。日本を頭脳労働で儲[もう]かる国にしないといけない。
日本では政府の政治家自身が馬鹿だから、日本を知覚主義の国にできないのである。日本政府は国民を馬鹿に変えることしかできないのである。国民にとってはそんな政治機関はないほうがいい。だから、国民は早く政府を潰したほうがいい。
政府は古い支配制の国を作る会社である。いくら政府が平等制の国を作る会社のふりをしたところで、政府はやはり古い支配制の国を作る会社である。国民にとってもはや政府は信用置けない。だから、国民は早く政府を潰して、ちゃんとした平等制の政治機関に取り替えたほうがいいのである。

[15754] 昔と今では政府に対する国民の見方が違う。 h24.10.11
昔は支配制の時代だったから、昔の人は支配制の目で見ていた。
支配制の目で見ると、政府は国民の支配者だった。だから、昔の国民は政府に従った。
今は平等制の時代だから、今の人は平等制の目で見ればいい。
平等制の目で見ると、政府は国民からお金をもらって支配制の国を作る会社である。ところが、今の国民は支配制の国が欲しくない。今の国民は平等制の国が欲しい。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に支配制の国を作ってもらわなければいいのである。今の国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
昔と今では政府に対する国民の見方が違う。だから、昔の国民は政府に従ったが、今の国民は政府に従わないのだ。
つまり、政府を支配制の国を作る会社だと見ると、政府と国民が平等になる。だから、国民が政府に仕事を頼むか頼まないかは、国民の自由なのである。もともと政府と国民は平等だったのである。国民が支配制の目で見ていたから、政府が支配者に見えたにすぎなかったのだ。今は平等制の時代なので、今では平等制の目で見ることが正しいので、国民は政府を支配制の国を作る会社だと考えて、政府にお金(税金)をやらなければいいのである。
昔の国民は支配制の目で見ていたから神を恐れて神に従った。今の国民は平等制の目で見ているから神を恐れず神に従わない。それと同じように、昔の国民は支配制の目で見ていたから政府を恐れて政府に従っていた。今の国民は平等制の目で見ているから政府を恐れず政府に従わない。これまで国民は迷信に踊[おど]らされて政府に従っていたのだ。

[15755] 支配制と平等制 h24.10.11
支配制では、人間を実在を支配する者と見る。神は完全な実在の支配者であり、人間は不完全な実在の支配者と見る。人間は実在を支配するほど、幸福になる。支配制の世界では、人間は実在の支配者だから、人間は他人を好き勝手にしてもいい。人間は他人から無理やりお金を取ったり、他人を虐[いじ]めてもいい。支配制の社会は、万人[ばんじん]の万人に対する戦いである。
反対に、平等制では、人間を実在に従う者と見る。つまり、平等制は服従制である。この世には実在しかなく、神はいない。人間は実在に従うほど、実在を支配できる。人間は実在に従うほど、幸福になる。人間は実在を知り、実在に従って生きている。平等制の世界では、人間は実在に従わねばならないから、人間は他人に従わねばならない。人間は他人のために役に立つことをやって他人からお金をもらわねばならない。人間がお互いに他人に従っているから、人間はみな平等である。平等制の社会では、人間は平等に平和に暮らしている。
支配制と平等制では、人間と実在の関係が違う。そのために、支配制と平等制では世界観が大きく違うのだ。支配制と平等制では、人々の生活も大きく違うのだ。
人類は長い時間をかけて、ようやく支配制がまちがいであり、平等制が正しいことがわかったのだ。人間は若いうちは支配制だが、年を取ると平等制(服従制)になる。人間は根本的には実在に従っていないといけない。人間は自分の頭で考えて実在を知り実在に従うことによって、はじめて実在を思い通りにできる。人間は実在に従わなければ実在を思い通りにできない。倫理の教科書に書いてある通り、人間が実在を支配するためには実在に従わなければならないのだ。人類も年を取ってようやく平等制が正しいことがわかったのだ。
自然科学の分野は支配制による誤解はなくなっている。しかし、社会科学の分野には支配制による誤解がまだ残っている。今後はそれらを平等制の目で見て直していかねばならない。

[15756] 臼井[うすい]氏はどうして殺されたか? h24.10.12
『クレヨンしんちゃん』の漫画家臼井氏(臼井義人[うすいよしひと])は何者かに崖[がけ]から落とされて死んだ。参考。
臼井氏は政府に国家宗教で殺されたのである。
臼井氏は『顔出し』しなかった。
顔←カオ←カブ(オ≒ブ、私が中学1年生のとき同級生の女の子が休み時間に突然私の髪の毛を抜いて枝毛と言って私に見せたことがある。)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。だから、顔出しとは、私を出すことである。『魔動王グランゾート』の顔メカも、顔が私だからである。
政府は臼井氏が国家宗教をやらないことを理由にして臼井氏を殺したのである。崖から落とされたのは、崖←ガケ←カブ(ケ≒ブ)←川ブ←私と、落とす←fall←フォール←フル←ルフ←川ブ(ル≒川)←私だからである。政府は支配制の国作りをする会社なので、政府自身が国家宗教で虐[いじ]めをやって臼井氏を殺したのである。政府にとっては支配制の国作りをすることが仕事なので、政府は支配制の国作りの一環[いっかん]として国家宗教で人殺しをしているのである。
政府は支配制の国作りをする会社なので、国家宗教をやらない者を殺すのである。
君も政府に殺されたくなかったら、国家宗教をやらねばならない!ある程度売れたら普通に顔出ししたほうがいい。
それとも、政府がウザければ(鬱陶[うっとう]しければ)、政府を潰[つぶ]さなければならない。今は平等制の時代だから、支配制の国作りをする政府が悪いから、政府を潰したほうがいい。

[15757] 国民は政府を倒さねばならない。☆ h24.10.12
今は平等制の時代である。平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。
政府は支配制の国を作っている。
だから、政府が悪い。政府がまちがっている。どんなに政府ががんばって国を作っていても、まちがいはまちがいである。
だから、国民は政府を倒さねばならない。国民は政府に税金をやらなかったり、政府に暴力をふったりして、政府を倒さねばならない。
今の国民は政府が怖くて政府に逆らわないでいる。今の国民は真理に背[そむ]いている。今の国民は正義の心を働かせて勇気を出して政府を倒さねばならない。

[15758] 今の国民は平等制をやればいい。☆ h24.10.12
今は平等制の時代である。平等制が正しいと考えられている。
平等制で見た政治機関は、国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
だから、今の国民が政府にお金をやって国を作ってもらうか政府にお金をやらず国を作ってもらわないかも自由である。
ところが、政府は支配制の国を作る会社である。
今の国民が欲しいのは平等制の国であって支配制の国ではない。
だから、今の国民は政府にお金をやらず国を作ってもらわなければいいのである。
たとえ政府が国民に文句を付けてきても、政府はまちがった支配制の目で見ているから、国民は政府を相手にしなければいいのである。政府は支配制の目で見ているために正しいことがわからないのだから、国民はニヤニヤ笑いながら政府の言うことを無視すればいいのである。政府は知恵遅れの馬鹿だから、国民は政府を捨てればいいのである。

[15759] 戦争をやっている国 h24.10.12
今でも中東の国では毎日戦争をやっている。
戦争をやっている国は支配制をやっている国である。国民みんなが今でも支配制をやっている国である。国民が支配制をやっているために戦争が好きだから、戦争をやっているのである。戦前の日本と同じである。
日本はそんな遅れた田舎[いなか]の国ではない。
政府は支配制の国作りをして、日本を支配制の国に変えている。政府は国家宗教をやっているから、そのうち戦争もやるはずである。
だから、国民は早く政府を倒して、政府のない国にしないといけない。日本を支配制の国にしてはいけない。日本を平等制の国にしないといけない。
支配制はまちがった原理である。支配制がまちがった世界観を作り出し、人々にまちがった行動をとらせる。支配制の下[もと]では戦争が起こる。戦争は人々が自分の支配欲を満足させるために外国を支配することである。人が自分の支配欲を満足させるために山に登るのと同じことである。戦争をやってもお金は儲[もう]からない。戦争にお金がかかってかえって貧乏になる。しかも、大勢の人が死ぬ。戦争の原因は支配制にある。だから、支配制をなくさねばならない。政府は国中に支配制を広める会だから、政府をなくさねばならない。臭いニオイはもとから断[た]たなきゃダメだから、政府を潰[つぶ]さねばならない。

[15760] マンガ h24.10.12
今は平等制の時代である。
平等制では、利口が有利で馬鹿が不利な国を作る。
ところが、利口はマンガを読まない。馬鹿しかマンガを読まない。
だから、平等制ではマンガは少しだけあればいい。
今ではすでにたくさんマンガがある。一生かけても読みきれないほどマンガがたくさんある。
だから、もうこれ以上マンガは要らない。もうこれ以上マンガを作ってはいけない。
これまでのマンガよりも上手[うま]いマンガが描[か]ける漫画家が現れたらマンガを描かせたらいい。これまでのマンガよりも上手いマンガが描けない漫画家にはマンガを描かさなければいい。
最近のマンガはつまらない。子供につまらないマンガを読ませると子供が馬鹿になる。だから、つまらないマンガはもはや要らない。つまらないマンガしか描けない漫画家は捨てればいい。
最近本が売れないのは、政府の指示かどうかはしらないが出版社がマンガばかり出すようになって、国民が最近の本がくだらないと思って本を買わなくなったからである。今の政府は支配制をやっているが、今の国民は平等制をやっているので、今の国民はくだらない物を相手にしないのである。出版社は自分で自分を儲からなくしているのである。出版社はいつでも政府の命令を聞いていればいいわけではない。今では政府と国民が違う制度をやっているので、出版社は政府の命令を聞いてはいけない。本を買うのは国民だから、出版社は国民の嗜好[しこう]に合わせた本を作らねばならない。今は平等制の時代なので、国民は正しいことを書いた本が欲しいので、出版社は正しいことを書いた本を出さねばならない。そうすれば本がよく売れて出版社が儲かるだろう。

[15761] どうして政府は私に従わないか? h24.10.13
私は支配制の世界では神である。それなのに、政府は私に従っていない。政府は私の命令を聞かない。政府は私の情報をテキトウに採[と]って自分勝手に国家宗教をやるだけである。
それは、政府自身が支配制ではなくなっているからである。
今は平等制の時代で、平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。
だから、政府も平等制になっていて、支配制を本気でやらないのである。
みんながやっていないことをひとりだけやるのは無理である。今では国民はみんな平等制をやっている。だから、今では政府も支配制をやらなくなったのだ。
今では政府は自分を国民の支配者だと本気で思っていない。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
今の政府は冗談で支配制の国を作っているだけである。だから、国民は本気で政府に付き合わなくていい。

[15762] どうしてキリストは殺されたか? h24.10.13
キリストはローマ皇帝に逆らったので殺された。キリストはローマ皇帝が国教に定めていたユダヤ教を信じなかったので、ローマ皇帝に逆らったと見なされて処刑された。宗教裁判で裁判官がイエスに「お前は神か?」と訊[き]いたところ、イエスが「イエス」と答えたのでイエスは殺されたのである。
キリストは神なので偉かったが、ローマ皇帝も政治家として偉かった。
キリストはローマ皇帝よりも偉くなかったので、ローマ皇帝に殺されたのである。
昔から神は政治家よりも偉くなかったのである。
キリストはおそらく赤ちゃんの頃[ころ]に頭の周[まわ]りが光ったので超能力者だっただろうが、厳密には超能力者は神ではなかった。超能力者は人間よりもちょっと上の存在にすぎなかった。超能力者は神と人間の中間者だった。[光は電磁波だから、キリストが自分の脳の何かを使って電磁波が起こせたのかもしれない。つまり、超能力者はただの奇人・変人なのである。]
だから、キリストは厳密には神ではなかった。準[じゅん]神ぐらいだった。
そのために、キリストはローマ皇帝ほど偉くなかったので、ローマ皇帝に殺されたのである。
昔から超能力者は政治家ほど偉くなかったのである。そのために、昔から政治家は超能力者の命令を聞かなかったのである。今の政府が私の命令を聞かないのも、そのためである。
超能力者や政治家が偉かったのは支配制のためである。
今では支配制がなくなっているから、超能力者も政治家も偉くないのだ。超能力者も政治家も国民と平等なのだ。国民は超能力者や政治家に従わなくていいのだ。今では神(準神)が超能力者になっているように、今では政治家が政治屋[せいじや]になっているのだ。国民が超能力者に従わなくていいように、国民は政治屋に従わなくていいのだ。

[15763] 今の国民は政府の法律を守らなくていい。 h24.10.13
ローマ皇帝の法律がローマ皇帝に権力があってはじめて成立するように、
政府の法律は政府に権力があってはじめて成立する。
ところが、今は平等制の時代なので、政府は国民の支配者ではないから、今の政府には権力がない。権力は支配制があってはじめて成立する。今は支配制がないから、権力もないのだ。
だから、今では政府の法律も成り立たない。
したがって、国民は政府の法律を守らなくていいのである。
政府の法律は平等制で作られた法律ではない。支配制で作られた法律である。政府の法律は支配制の社会の法律であって、平等制の社会の法律ではない。
今は平等制の時代である。だから、政府の法律はまちがっている。国民はまちがった法律まで守らなくていい。だから、国民は政府の法律を守らなくていいのである。

[15764] 今の世の中の原理は『平等制』である。 h24.10.13
戦争の前後で世の中の原理が「支配制」から『平等制』に変わった。
支配制の世の中から平等制の世の中に変わった。
支配制の世の中では、支配制の国を作る政府があった。
平等制の世の中では、政府があってはいけない。
だから、今では政府を潰[つぶ]さねばならない。国民みんなで政府にお金をやるのをやめて政府を滅ぼさねばならない。
今後、平等制の政治機関が出来るかどうかはわからない。平等制の政治機関が儲[もう]かるなら平等制の政治機関が出来るし、儲からなければ出来ないだろう。平等制の政治機関が出来れば、政府は平等制の政治機関に客を取られてすぐに滅ぶだろう。
今の社会科学の原理は『平等制』である。社会は人間が作るものである。社会は人間が一定の原理に基づいて作るものである。人間が正しい原理に基づいて発明品を作るように、人間が正しい原理に基づいて社会を作らねばならない。
これからもみんなで平等制の世界を作っていかねばならない。支配制の世界を滅ぼしていかねばならない。

[15765] 超能力者が現れるための条件 h24.10.13
私は政府によって神だとされている。
私は自分が超能力だったことを信じる。おそらく、政府の誰かが私が超能力者であることを確認したのだろう。政府は国民を刺激しないために密[ひそ]かに国家宗教をやりたかったので、私の超能力をテレビや新聞で報道させなかったのだろう。
私の母親には、はっきりした超能力はないが、超能力みたいなものがある。私の母親は、いわゆる霊感の強いタイプである。いつも身体から濃い霊気を放[はな]っている。
赤ん坊の私は母親を真似[まね]て、さらに発展させて、念力でガラガラを回したのである。霊気をガラガラに当てることによってガラガラを回したのである。
つまり、超能力者が現れるためには、まず母親に超能力の素質がなければならないのだ。女は力が弱いから超能力が現れないのだろう。男の赤ん坊は力がありあまっているから超能力が発揮できるのだ。
人間の脳のどこかには“超能力器官”がある。それを働かすことができれば、誰でも超能力者になれるのだ。
もっとも、今は平等制の時代なので、神がいないから、いくら超能力を使えてももはや神にはなれない。

[15766] 政治機関の原理 h24.10.13
『政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。』
これが、正しい政治機関の原理である。
それを、支配制で曲げて解釈して、
「政治機関は国民の支配者である。政治機関は国民に何でも命令できる。政治機関は国民を虐[いじ]めて遊ぶことができる。国民は政治機関にお金を払って仕事をしてもらわねばならない。」
にしているのである。
『人間はサルが進化して出来たものである。』
これが正しい人間の起源である。
それを、支配制で曲げて解釈して
「人間は神が土から作ったものである。」
にしているのと同じことである。
支配制では真理が見えない。だから、人間は支配制をやめねばならない。
政府はいまだに支配制をやっている。政府の考えはまちがっている。だから、国民は政府に従ってはならない。政府は自分のまちがいを国民に押し付けようとしている。国民は政府のまちがった考えを跳[は]ね除[の]けねばならない。国民が正しいことをやっていけないことはない。国民は正しいことをやらねばならない。国民は政府に逆らって政府を倒さねばならないのである。
今は平等制の時代である。今の国民は平等制を支持している。だから、平等制の国を作る会社を建てれば国民は会社にお金を払って会社が儲[もう]かるだろう。政府は支配制の国を作る会社だから、国民は政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れるだろう。平等制の国を作る会社は『戦争や国家宗教をやらない。暴力団や宗教団体や社長や文系を撲滅[ぼくめつ]する。利口が有利で馬鹿が不利な裕福な国を作る。平等制の習慣を流行[はや]らせる。』ことを公約にすれば、国民はみんな大喜びで平等制の国を作る会社にお金を払って仕事をしてもらうだろう。
人間は実在を知り実在に従うことによって幸福になれる。だから、みんなは『正しい政治機関の原理』に従って幸福にならねばならない。
普段は正しい政治機関の原理が見えないが、政治機関が交替[こうたい]するときや異なる政治機関が共存するときには正しい政治機関の原理が見える。社会制度が変わるときに、政治機関が真の姿を現すのである。普段は進化の法則が見えないが、ガラパゴス諸島では生物の進化の法則が見える。ガラパゴス諸島では生物の種類が少なくて生物の環境が多様なので、進化の法則が見えやすいのである。

[15767] 政府は何のために学校をやっているか? h24.10.13
今の政府は国民にまちがった支配制の政治機関観を教えて、政府に従わねばならないように思わせて、政府に従わせている。国民に税金を払わせている。
しかし、本当は、国民は政府に従わなくていいのである。政府に税金を払わなくていいのである。
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社であり、国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは国民の自由だから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。
つまり、政府は国民にまちがった政治機関観を教えて国民を政府に従わせるために学校をやっているのである。政府は国民から税金を取るために学校をやっているのである。
国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されず、政府に従わなければいいのである。政府に税金を払わず、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
人間は子供の頃には他人からさんざんまちがいを教えられ、大人になって自分で考えるようになってはじめて正しいことがわかる。たとえ学校でまちがったことを教わっても、自分で考えていけば正しいことがわかる。だから、たとえ若者が政府に従っても、いい年した大人は政府に従ってはいけない。大人は政府に逆らって、政府を倒さねばならない。

[15768] 社会はみんなで作るものである。 h24.10.14
今の社会科学の原理は『平等制』である。
だから、平等制の社会を作らねばならない。
政府は支配制の国を作る会社である。
だから、政府を潰[つぶ]さねばならない。
政府を潰すために、国民は政府に税金をやってはならない。
政府の命令は支配制の社会を作るための命令だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。
社会はみんなで作るものである。
だから、国民一人一人が平等制の社会を作らなければならない。国民一人一人が支配制の社会を滅さねばならない。

[15769] 今の国民は平等制を支持している。 h24.10.14
残念ながら、世の中には馬鹿が多い。馬鹿が多くて、利口が少ない。これが現実だ。
支配制では馬鹿が有利で利口が不利になる。
だから、大勢の国民が支配制を支持している。支配制の国を作る政府を支持している。
昔は農民が多かったので、大勢の国民が士農工商の身分制をやる幕府を支持したのと同じことである。
しかし、支配制では世の中が不景気になる。貧乏になる。馬鹿が増えて利口が減るので、だんだん国が悪くなっていく。
支配制そのものがまちがっている。
平等制の社会でも、馬鹿は生きられる。それ相応に暮らすことができる。
たしかに、世の中には馬鹿が多い。利口が少ない。しかし、だからと言って、今の国民は支配制を支持していない。平等制を支持している。平等制のほうが社会がよくなるからである。
今の国民は未来に賭[か]けて平等制を支持している。自分自身を犠牲[ぎせい]にして平等制を支持している。
政府は支配制の国を作る会社である。政府は社会を悪くする会社である。だから、国民は政府を潰[つぶ]さねばならない。政府だけが悪いのではない。国民は支配制を支持しているすべての者を滅ぼさねばならない。

[15770] どうして日本は不景気なのか? h24.10.14
田中角栄が所得倍増計画を出すまでは、日本の景気はよかった。日本の景気はうなぎ登りだった。
田中角栄が所得倍増計画を出したために、日本の景気が悪くなった。日本の経済が成長しなくなった。
政府は意地悪[いじわる]会社である。政府は国民を虐[いじ]めて喜ぶ会社である。政府は支配制の国作りをする会社だから、政府は自分自身でも虐[いじ]めをやって国民を虐めるのである。政府は国民の幸せをぶち壊しにするのである。
今の政府も国民を虐めるために、いろんな意地悪な政策を立てて日本の景気を精一杯[せいいっぱい]悪くしている。国民は平等制をやって一生懸命[いっしょうけんめい]働いて国の景気をよくしているのに、政府は支配制をやってわざとにうまくいかない経済政策をやって国の景気を悪くしている。
政府は国民の邪魔[じゃま]である。国民が政府に従わねばならない義理[ぎり]はない。だから、国民は政府を倒せばいい。国民は政府を倒して早く日本を景気のいい国にしなければならない。
日本は1970年頃まではアメリカの占領下だった。アメリカ政府が日本の経済政策をやっていた。その頃は日本の景気がよかった。アメリカ政府は国家宗教でイタズラもするが、経済政策は上手[じょうず]である。だから、日本の経済が急速に成長したのである。しかし、その後はアメリカが日本から撤退して、日本政府が日本の経済政策をするようになった。日本政府は国家宗教でイタズラをする上に、経済政策が下手[へた]である。日本政府はいいところが何にもない。日本政府はいまだに中世の古い支配制の国作りをやっている。政府と言ってもいろいろある。日本政府はいい政府ではない。日本政府は国民の稼[かせ]ぎで国民の邪魔をやって遊んでいるだけの役立たずである。国民が政府を支持する理由がない。だから、国民は政府を支持せずに、さっさと政府を倒せばいいのである。
人間は考えながら生きていかねば馬鹿になる。今の国民が政府に従っているのがその証拠である。考える人には政府が金をやる価値のないくだらない会社に見える。だから、国民みんなは政府にお金をやらずに政府を潰せばいいのである。

[15771] 今では政府に仕事を頼むか頼まないかは個人の自由である。 h24.10.14
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民個人の自由である。
政府は支配制の国を作る会社である。
だから、支配制を支持する者は政府にお金をやって国を作ってもらえばいい。
反対に、支配制を支持しない者は政府にお金をやらず国を作ってもらわなければいい。今はまだ平等制の国を作る会社がないから、国民が自分で平等制の国を作ればいい。
今では個人の思想は自由だから、政府に仕事を頼むか頼まないかも個人の自由である。
日本を支配制の国にしたくない者は政府にお金をやってはいけない。
今の政府の法律には納税の義務がある。今の政府の法律は支配制の法律だから正しくない。平等制の法律では、国民に納税の義務はない。政府は支配制の政治機関だから、平等制の法律は作れない。だから、政府の世話になりたくない国民は、政府の法律を無視して勝手に政府にお金をやらなければいいのである。
戦前は国民みんなが支配制を支持していたから、国民みんなが政府にお金を払って政府に支配制の国作りをやってもらっていた。戦後の今は国民のほとんどが支配制を支持していないから、国民のほとんどが政府にお金をやらず政府に国作りをやってもらわなければいいのである。

[15772] 国民は政府を袋だたきにすべきである。 h24.10.14
昔は支配制を支持している国民が多かった。支配制が正しいと思っている国民が多かった。だから、自分が平等制を支持していると、周[まわ]りのみんなから袋だたきにされた。そのために、昔は“支配制を支持しているふりをして、じつは平等制を支持している国民”がかなりいた。
今は平等制を支持している国民が多い。平等制が正しいと思っている国民が多い。だから、自分が支配制を支持していると、周りのみんなから袋だたきにされる。そのために、今では“平等制を支持しているふりをして、じつは支配制を支持している国民”がいる。
例えば、今の政府は支配制を支持している。平等制を支持しているふりをして、じつは支配制を支持している。今の政府は周りの国民から袋だたきにされないために、平等制を支持しているふりをしているのである。
しかし、本当は今の政府は支配制の国を作る会社である。だから、政府は支配制を支持している。今の政府は平等制の国を作っているふりをして、じつは支配制の国を作っているのである。今の国民から見て、政府はまちがったことをやっている。したがって、国民は政府を袋だたきにしないといけない。国民が政府に税金をやるなどもってのほかである。国民が政府の命令を聞くなどもってのほかである。本来は、国民は政府を殺してしかるべきなのである。
今の政府は国民にわからないようにしながら密[ひそ]かに支配制の国を作っている。今の政府は国民を怖がっている。今の政府は青病痰[あおびょうたん]である。今の政府は国民よりも弱い。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
今の政府は自分の仕事を表向きにやれなくなっている。政治機関はひとつの制度でしか国を作れないから、国民が政治機関と違う制度を支持していると、そうなるのである。今の政府は滅びる寸前である。もはや政府はおしまいである。

[15773] 政府の改革 h24.10.14
インドを豊かにするためには、身分制の中で上の者を減らせばいい。
それと同じように、日本を豊かにするためには、政府の仕事の中で支配制の国作りを減らして、その代わりに国民の役に立つ仕事を増やせばいい。つまり、政府を古い支配制の国作りをやる会社から、新しい支配制の国作りをやる会社に変えればいい。
しかし、国家的に支配制をやるメリットはない。だから、支配制にこだわらず、いっそのこと政府を潰[つぶ]して平等制の政治機関にしたほうがいい。支配制は日本の伝統ではないから、ヨーロッパみたいに支配制にこだわらなくていい。
今は平等制の時代である。今では平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。人間が実在を支配することなんかできるわけがない。人間は実在に従うことしかできない。政府は支配制の国作りをやっている。だから、政府がまちがっている。だから、政府が滅ばねばならない。国民は政府に税金をやらずに政府を倒せばいいのである。

[15774] 今の政府は国民に隠[かく]れて支配制をやっている。 h24.10.14
今の政府は平等制の政治機関ではない。今の政府は本当は支配制の政治機関である。政府は支配制の国作りをやっている。
例えば、政府は自分自身で支配制をやって、国民から税金を取ったり、国民に命令したりしている。
ところが、今は平等制の時代である。平等制が正しく、支配制がまちがいだと考えられている。
だから、政府がやっていることはまちがいである。
したがって、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞かなくていい。

[15775] 支配制と平等制では文法が違う。 h24.10.14
英語のSVOの対置構造は支配制の文型である。
これに対し、日本語やドイツ語のSOVの枠[わく]構造は平等制の文型である。
社会制度の違いが文法に表れているのである。
日本やドイツは本来は平等制の文化である。だから、日本やドイツが支配制の国を真似[まね]て支配制をやるとぎこちない。日本やドイツでは支配制をやめるべきである。

[15776] 政府は国民のためにある。 h24.10.14
政府は支配制の国作りをやる会社である。政府はいつの時代にも支配制の国作りをやる。
しかし、国民の制度は時代によって変わる。
国民が支配制の中で細かく制度が変わったときには、政府で対応できるから、政府が残れる。
しかし、国民が支配制から身分制や平等制に変わったときには、政府では対応できないから、政府は潰[つぶ]れなければならない。別の政治機関と交替[こうたい]しなければならない。
つまり、政治機関は国民に付いて行けなくなったときに滅ぶのである。
国民は政治機関が自分の欲しい国を作らなければ、政治機関にお金をやらなくていいのである。
今の政府は国民が欲しい平等制の国を作らないから、国民は政府にお金をやらなくていいのである。
だから、政府は国民からお金がもらえなくなって滅ぶしかない。

[15777] どうして幕府は潰[つぶ]れたか? h24.10.14
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
明治時代になって、国民がヨーロッパを真似[まね]て支配制を支持するようになった。
幕府は身分制の国を作る会社だから、国民は幕府にお金をやらなくなった。
だから、幕府は倒れたのである。
戦後になって、国民はヨーロッパを真似て平等制を支持するようになった。
政府は支配制の国を作る会社だから、国民は政府にお金をやらなければいい。
そうすれば、政府は倒れるだろう。
国民が政府に遠慮して、政府にお金をやるから政府が残っているのである。
国民が幕府を倒していいなら、政府を倒してもいいはずである。
だから、国民は政府にお金をやるのをやめればいいのである。

[15778] 政府はお金が欲しければ平等制の国を作らねばならない。 h24.10.15
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
今の国民は平等制の国が欲しい。
だから、政府がお金が欲しければ、平等制の国を作らねばならない。
ところが、政府は支配制の国しか作れない。政府は馬鹿だからひとつのことしかできない。
だから、政府は国民からお金がもらえない。
したがって、政府は滅ぶしかない。

[15779] どうして天皇は人間宣言をしたのか?☆ h24.10.15
政府が平等制の政治(国作り)をするようになったふりをするためである。政府が平等制の国作りをするようになったと国民に思わせるためである。
戦後国民が平等制に変わったために、政府も国民に合わせて平等制の国作りをしているふりをするようになったのである。
しかし、実際には、政府は今でも支配制の国作りをしているのである。政府は今でも天皇を神とする国家宗教を密[ひそ]かにやっているのである。政府は昔も今もやっていることは変わらないのである。
政府は支配制の国作りしかできないのである。
今の国民は平等制の国が欲しいから、今の国民にとって政府は要らない。
だから、国民は政府にお金(税金)をやらなければいいのである。

[15780] 私の情報を使ってアニメを作ってもいいか? h24.10.15
アニメ会社やマンガ会社は私に無断で私の情報を使ってアニメやマンガを作っている。
個人情報の漏洩[ろうえい]に関しては、もとの情報をちょっと変えているので、あまり問題ではないかもしれない。
しかし、アニメ会社やマンガ会社が自分の商品を売るために、私を利用するのはいけない。しかも、私に無断で利用するのはいけない。
支配制の国では神の情報を使った商品がよく売れるからといって、私が国家宗教の神であることを利用して、アニメ会社やマンガ会社が勝手に政府から私の情報をもらって私の情報を使ったアニメやマンガを売るのはいけない。
アニメ会社やマンガ会社が私の情報を使ったアニメやマンガを作りたければ、私に許可を得なければならない。政府の許可ではいけない。今は平等制の時代だから、政府は国作りをする会社にすぎず政府と国民は平等だから、私は政府に私の情報を使ってもいいと許可した憶[おぼ]えはないから、アニメ会社やマンガ会社が私の情報を使った商品を売りたければ直接私に許可を得なければならない。アニメ会社やマンガ会社がそうまでして私の商品を作りたくないというなら、今後はいっさい私の商品を作ってはいけない。
もっとも、私は支配制に反対だから、いくら私がお金が儲[もう]かっても、私は私の商品を売ることを許可しない。私が神だということで私の商品を売るのを許可しない。もっとも、私が超能力者(奇跡を起こした人)だということで私の商品を売るなら許可してもいい。

[15781] 今は平等制の時代である。 h24.10.15
今は平等制の時代である。みんながすべての物を平等制の目で見ないといけない。
例えば、平等制の目で見ると、政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
政府は支配制の国を作る会社である。今は平等制の時代だから、支配制の国を作る会社があってはいけない。政府があってはいけない。だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]さねばならない。国民は政府の支配制の国作りの命令を聞いてはいけない。
政府の法律は支配制で出来た法律だからまちがっている。だから、国民は政府の法律を守ってはいけない。
国民は自分の頭を働かせて平等制の世界を見て、自分の身体を動かして平等制の世界を実現しなければならない。

[15782] 平等制原理 h24.10.15
平等制原理とは『人間が実在に従わねばならない』ことである。
平等制原理は自然科学と社会科学を統一する原理である。
相対性原理が電磁気学と古典力学を統一するのと同じことである。
自然科学が平等制原理を満足するから、社会科学も平等制原理を満足しなければならない。
電磁気学が相対性原理を満足するから、古典力学も相対性原理を満足しないといけないのと同じことである。
今は平等制の時代である。今ではすべての物が平等制原理に従わねばならないのである。
つまり、今では自然科学は平等制原理に従っている。だから、社会科学も平等制原理に従わねばならない。平等制原理に従う社会科学を考えてみたら、『平等制の政治機関観』が得られる。つまり、『政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社であり、国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは国民の自由である。』ことが得られる。だから、平等制の政治機関観が正しいのである。
哲学も平等制原理に従わねばならない。平等制原理に従う哲学を考えてみたら、『哲学第一原理』が得られる。つまり、『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する。』ことが得られる。西洋(ヨーロッパ)の哲学は、支配制原理(つまり、「人間が実在を支配する」こと)に従っているから、いつまでたってもまちがっているのである。

[15783] 今では平等制の政治機関観が通用する。 h24.10.15
戦後は平等制の時代になった。
平等制では、政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国作りをしてもらうか政治機関にお金をやらず国作りをしてもらわないかは、国民の自由である。
だから、日本国憲法の納税の義務はまちがいである。嘘[うそ]である。
そのために、政府は平等制の政治機関のふりをするようになったのである。今の国民は平等制を支持しているから、政府は国民からお金をもらうために平等制の政治機関であるふりをするようになったのである。政府は平等制の政治機関観に合わせて、自分が国民の支持を得るために平等制の政治機関であるふりをするようになったのである。
政府は自分が平等制の政治機関であるふりをするために、天皇に人間宣言をさせたり、軍隊を撤廃させたり、貴族や財閥を廃止したのである。
しかし、政府についてよく見ると、政府はいまだに支配制の政治(国作り)をやっている。政府は私を神とする国家宗教をやっているし、天皇を神とする国家宗教をやっているし、暴力団や宗教団体や社長や文系などを守っているし、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作っているし、国中に支配制の習慣を流行[はや]らせたりしている。反対に、政府が平等制の政治をやっている証拠は何ひとつない。
だから、今の政府の実態は支配制の政治機関である。今の政府は平等制の政治機関のふりをしている支配制の政治機関である。
今は平等制の時代だから、平等制の政治機関観が通用する。
だから、国民が政治機関にお金をやるかやらないかは国民の自由である。
政府は支配制の政治機関である。支配制の国を作る会社である。今の国民は平等制の国が欲しいから、政府は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやってはいけない。
今の国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府を平等制の政治機関だと思っているから政府にお金を払っているだけである。今の国民が政府を支配制の政治機関だと思うようになればもはや政府にお金を払わなくていいのである。つまり、今の政府は詐欺[さぎ]会社にすぎないのである。今の国民は政府の嘘に騙されている馬鹿にすぎないのである。今の政府は嘘で持っているだけの脆弱[ぜいじゃく]な会社なのである。嘘がバレるのは時間の問題である。だから、政府はもうすぐ滅ぶのである。
じつは、平等制の政治機関観はこれまでずっと通用していたのである。支配制の時代でも身分制の時代でも通用していたのである。これまで政府も幕府も形の上で納税の義務や年貢[ねんぐ]の義務を定めていただけである。実際には納税の義務や年貢の義務はなかったのである。国民は政府の納税の義務や幕府の年貢の義務を無視して政府や幕府に国作りの仕事をやって欲しければお金を払い国作りの仕事をやって欲しくなければお金を払わなかったのである。昔の人は平等制の政治機関観を心得ていたから、勝手に政府の納税の義務や幕府の年貢の義務を無視していたのである。だから、今の政府の納税の義務も形だけの法律で実際にはないに等しいのである。だから、今の国民は心置きなく納税の義務を破ればいいのである。
日本国憲法第30条には「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」と書かれている。国民に納税の義務があると書いてあるだけであって、国民全員に納税の義務があるとは書いていない。 だから、政府に国作りの仕事をしてもらいたい国民には納税の義務があるという意味である。政府に国作りの仕事をしてもらいたくない国民には納税の義務はないのである。
政府は憲法の上では天皇を神としないと言っておきながら、実際には天皇を神とする国家宗教をやっている。つまり、政府の憲法はただの嘘[うそ]である。だから、政府は憲法の上では国民に納税の義務があると言っているが、実際には国民に納税の義務はないのである。国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。

[15784] 政府の問題は国民の問題である。 h24.10.16
政府は支配制の国を作る会社である。国民が政府にお金をやって支配制の国を作ってもらうか政府にお金をやらず支配制の国を作ってもらわないかは、国民の自由である。国民一人一人の自由である。
だから、国民が支配制を支持すれば政府にお金をやって政府は残り、国民が支配制を支持しなくなれば政府にお金をやらなくなって政府は滅ぶ。
つまり、政府が残るか滅ぶかの問題は、国民が支配制を支持するかしないかの問題にほかならない。政府が残るか滅ぶかは、国民が支配制を支持するかしないかにかかっている。
近代は国民が支配制を支持するかしないか半々だったので、政府が生き残った。
戦後の今は国民が支配制を支持しないので、すでに政府は滅んでいる。今の政府は国民に嘘[うそ]をついて自分が平等制の政治機関のふりをすることによってかろうじて生き残っているが、実質的には滅んでいる。
政府はすでに滅んでいる。だから、国民は政府のことなんかほっといて、他[ほか]のことを考えればいいのである。

[15785] 今は政治機関が交代[こうたい]しているときである。 h24.10.16
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。【政治機関についての原理】この世にはもともと【政治機関についての原理】があるが、政府が国民に嘘[うそ]をついて国民にわからないようにしているのである。
今の国民は平等制を支持している。つまり、今の国民は『人間は実在に従うことによって実在を支配できる』と思っている。
今の政府は平等制の政治機関のふりをしているが、じつは支配制の政治機関である。政治機関は同じひとつの制度でしか国を作れないので、政府は自分が滅びるまでずっと支配制の国を作り続けるのである。【政治機関についての慣性の法則】
だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に仕事をしてもらわなければいいのである。
したがって、政府は国民からお金をもらえず滅びるのである。
将来、平等制の政治機関が出来れば、国民はお金をやって仕事をしてもらえばいいだろう。
そのうちまた国民の支持する制度が変われば、政治機関も変わるだろう。
しょせん、政治機関は一時[いっとき]の流行である。国民の支持する制度が変われば政治機関も変わるのだ。政治機関に流行[はや]り廃[すた]れがあるのは当然だ。

[15786] どうしてドイツ政府によってユダヤ人が殺されたか? h24.10.16
第2次世界大戦のときドイツ政府によって大勢のユダヤ人が殺された。
ドイツ政府は支配制の国を作る会社である。
支配制では馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作る。
ユダヤ人は利口である。
だから、ドイツ政府はユダヤ人を不利にするためにユダヤ人を殺したのである。
将来、平等制の政治機関が出来れば、平等制の政治機関は馬鹿が不利で利口が有利な裕福な国を作るから、平等制の政治機関が大勢の馬鹿を強制収容所に送って馬鹿を虐殺[ぎゃくさつ]するだろう。みんなは平等制の政治機関に殺されないために、一生懸命勉強するだろう。
ドイツも日本も田舎[いなか]の国なので、支配制をやると極端化してうまくいかない。支配制の本場の国では、支配制を抑えながらやるのでうまくいく。ドイツも日本もそもそも支配制の国ではない。平等制の国である。今は植民地時代ではないので、国は自分の国の本来の文化でやることが流行[はや]っている。だから、ドイツや日本は平等制をやればいいのである。

[15787] 政府の芝居 h24.10.16
今の政府は平等制の政治機関のふりをしているが、じつは支配制の政治機関である。今の政府は国民の眼の前では平等制の国作りをしているふりをして、じつは裏で密[ひそ]かに国家宗教をやったり、暴力団や宗教団体や社長や文系を守ったり、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作ったりしている。
今の国民が平等制を支持しているために、政府は国民からお金をもらうために平等制の政治機関のふりをしているのである。
今の政府は国民を騙[だま]して儲[もう]ける詐欺[さぎ]会社である。
国民は早く政府が支配制の政治機関であることを見破って、政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。

[15788] 税金 h24.10.17
税金も政府が出来た最初の頃はお金持ちにしかかからなかった。参考。
それがいつの間にか国民みんなにかかるようになった。
政府が出来た最初の頃はまだ国民は支配制ではなかった。支配制が国民みんなに浸透して、国民みんなが支配制の目で見るようになって政府が国民の支配者に見えるようになってから、政府は国民みんなに税金をかけるようになった。
しかし、今では国民みんなに平等制が浸透して、もはや政府が国民の支配者に見えなくなっている。今では政府は国作りをする会社にしか見えなくなっている。だから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。今の政府は国民が欲しい国を作っていない。だから、今の国民は政府にお金をやらず政府に国作りの仕事をしてもらわなければいい。
政府が国民から税金を取るのは、政府が支配制に基づいているからである。ところが、今では支配制はまちがいだと考えられている。だから、政府が国民から税金を取ることに根拠はない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。政府全体が支配制に基づいて出来ている。ところが、今では支配制はまちがいだと考えられている。だから、政府はなくならねばならない。

[15789] 物心二元論と唯物論 h24.10.17
支配制のルーツは物心二元論にある。つまり、人間の肉体とは別に精神があり、人間の肉体は精神が動かしていて、人間の肉体が死んでも精神は残るという考えにある。
反対に、平等制のルーツは唯物論にある。つまり、人間の精神は肉体の働きによって生じていて、人間の肉体が死ぬと精神もなくなるという考えにある。
要するに、支配制とは古臭いまちがった哲学のことである。平等制は新しい正しい哲学のことである。
政府は支配制の国を作る会社である。政府は物心二元論の国を作る会社である。政府は古臭い国を作る会社である。政府は国民にまちがった考えを広げる会社である。まちがった考えは人間を不幸にする。だから、国民は政府を倒さなければならない。正しい考えは人間を幸福にする。だから、国民は他人から正しいことを学んだり、自分で正しいことを考えたりして正しいことを知らねばならない。

[15790] 平等制の政治機関を建てればいい。 h24.10.17
今の政府は平等制の政治機関のふりをしている支配制の政治機関である。
だから、今の日本にはまだ平等制の政治機関はない。
だから、誰かが本当の平等制の政治機関を建てればいい。
そうすれば、今の国民は平等制を支持しているから、国民はみんな平等制の政治機関にお金を払って政治(国作り)をしてもらうだろう。

[15791] どうして日本政府は支配者だったのか? h24.10.18
ヨーロッパは支配制の文化である。
一方、日本は平等制の文化である。
ヨーロッパと日本では文化の土台が違う。
日本では、政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。とくに政府は国民からお金をもらって支配制の国を作る会社である。
政府は支配制の国作りの一環[いっかん]として自分自身で支配制をやっていたから国民の支配者だったのである。
つまり、日本政府は平等制の中で支配者をやっていたのである。
戦前の国民はヨーロッパを真似[まね]て支配制をやっていたから、自分自身で支配制の国作りをやったり、政府にお金を払って支配制の国作りをやってもらっていたのである。つまり、戦前の日本ではみんなが平等制の中で支配制をやっていたのである。
戦後は植民地時代が終わって今の日本では日本本来の平等制をやっているから、国民は自分自身で平等制の国作りをやって、政府にお金を払わず支配制の国作りをやってもらわなければいいのである。
今の政府は自分が国民からお金をもらうために国民に合わせて平等制の政治機関のふりをしている。しかし、政府は今でも支配制の国作りをやっている。政府は国民に平等制の国と偽[いつわ]って支配制の国を売っている。政府は詐欺[さぎ]会社である。だから、国民は政府にお金をやらなければいいのである。日本は平等制の国だから、日本では昔から政治機関は国民からお金をもらって国作りをする会社であり、国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは国民の自由と決まっているから、今の国民は政府にお金をやらず政府に国を作ってもらわなければいいのである。
今ではヨーロッパでも平等制をやっている。支配制はまちがいだったのである。だから、日本はヨーロッパを真似て支配制をやらなくていいのである。やってはいけないのである。今ではヨーロッパ政府も自分がまちがっていたことを反省して支配制の国作りをほとんどやっていない。それなのに、日本では日本政府が支配制の国作りを盛んにやっている。日本政府は時代遅れである。日本政府はナンセンスである。だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならないのである。
ヨーロッパは哲学は苦手だった。だから、支配制はまちがっていた。しかし、ヨーロッパは科学は得意だった。ヨーロッパ人は頭がよくて冷静だから実在を知的に見れるから科学が得意だったのである。ヨーロッパでは科学が正しくて哲学はまちがいである。ヨーロッパ人はまちがった哲学の土台の上で一生懸命に正しい科学を考えてきたのである。だから、日本はヨーロッパの科学だけを受け入れて、ヨーロッパの哲学を受け入れてはいけないのである。日本政府はヨーロッパのまちがった哲学をやる会だから、日本政府を潰さねばならないのである。
日本は哲学が得意だった。だから、平等制は正しかった。しかし、日本は科学が苦手だった。日本人は頭が悪くて感情的だから実在を感情的に見るから科学が苦手なのである。日本人は頭が悪かったから、実在を自分の思い通りにできなかったから、人間が実在に従うものだと思って正しい哲学がわかったのである。反対に、ヨーロッパ人は頭がよかったから、実在を自分の思い通りにできたから、人間が実在を支配できると思ってまちがった哲学になってしまったのである。日本人は哲学の土台が正しいだけで、科学は苦手なのである。そのために、日本はヨーロッパの科学を受け入れねばならなかった。日本はヨーロッパの正しい科学といっしょにまちがった哲学も受け入れてしまったのである。今ではヨーロッパも東洋の哲学を受け入れて平等制をやっている。だから、日本ではもはやヨーロッパのまちがった哲学をやる必要はない。日本は支配制をやる必要はない。だから、日本国民は政府にお金をやるのをやめて政府を潰せばいいのである。

[15792] どうして政府は馬鹿なのか? h24.10.18
政府は支配制の政治機関である。政府は支配制の国作りをやっている。
支配制では利口が不利で馬鹿が有利なので、政府は馬鹿が有利で利口が不利な国を作っている。
だから、政府は支配制の国作りをするために馬鹿を政府に入れて馬鹿に税金暮らしをさせて馬鹿を有利にしているのである。
だから、政府は馬鹿なのである。政府自身も馬鹿なのである。
だから、日本政府は経済政策が下手糞[へたくそ]で日本を貧乏な国にすることしかできないのである。日本政府は国家宗教でどうでもいいことがやれるだけである。
日本政府は馬鹿だから国民の役に立たない。国民にとって政府は要らない。だから、国民は政府を潰せばいいのである。
日本政府とは反対に、江戸幕府は身分制の国作りをするために利口が有利で馬鹿が不利な国を作っていた。幕府は身分制の国作りをするために利口を幕府に入れて利口に年貢[ねんぐ]暮らしをさせて利口を有利にしていた。そのため、幕府は利口だったので、幕府は経済政策が上手[じょうず]で日本を豊かな国にしていたのである。日本人の中にも利口な人がいる。利口な人を大事にして利口な人を増やせば、日本人全体が利口になる。政府は馬鹿を大事にして馬鹿を増やすからダメである。利口な国民を増やすことは、政治機関の大事な政策の一つである。

[15793] ヨーロッパの哲学はまちがいだった。 h24.10.18
もしも、ヨーロッパが昔から科学と哲学の両方が正しかったら、日本では政府が昔から平等制の国作りをやって国民みんなが幸福に暮らせただろう。ヨーロッパ人がもっと利口だったら、科学と哲学の両方が正しかっただろう。
しかし、実際にはヨーロッパは科学は正しいが哲学がまちがっていたから、日本では政府が支配制の国作りをやって国民を不幸にした。
日本人は自分が馬鹿だから、昔から利口なヨーロッパ人を見習ってきた。日本人は『人間は正しければ幸福になり、まちがっていれば不幸になる』と考えて、世界中でもっとも正しい民族だと考えられるヨーロッパ人を見習ってきた。
しかし、実際には、ヨーロッパ人は哲学がまちがっていた。哲学については、日本やインドや中国のほうが正しかった。
もっとも、人間は最初からすべて正しいわけにはいかない。人間にはまちがっているところもある。人間は自分のまちがいを直していかねばならない。
だから、最近のヨーロッパは東洋を真似[まね]て東洋の哲学を見習って平等制をやるようになったのだ。
今ではインドも自分の科学がまちがっていることを認めて、ヨーロッパの科学を受け入れていい国になろうとしている。
そもそも政府はヨーロッパの文化で国作りをする会社である。だから、今の日本政府は昔のヨーロッパの哲学をやっている。昔のヨーロッパのまちがった哲学で国作りをしている。今の政府は国民に嘘[うそ]をついてまで昔のヨーロッパのまちがった哲学で国作りをしている。今の国民が幸福になれないのは、政府のせいである。
ヨーロッパの哲学がまちがっていたのは人類の不運である。だから、人類みんなでヨーロッパのまちがった哲学を正しい哲学に直さねばならない。
政府はまちがった哲学をやる会社だから、政府を滅ぼさねばならない。
国民が政府に仕事を頼もうが頼むまいが国民の自由である。国民が政府をどうしようが国民の勝手である。だから、国民は政府に税金をやらないようにして政府を倒さねばならない。

[15794] 日本人は真理主義である。 h24.10.18
昔の日本人は、日本は世界の隅[すみ]っこにある島国であり日本人はあまり頭がよくないから日本が世界に遅れないためには外国を見習わねばならないと考えた。
日本人は昔から真理主義である。日本人は昔から『人間は正しければ幸福になり、まちがっていれば不幸になる』と考えて、世界中で一番正しいと考えられるヨーロッパ人を見習ってきた。大昔の日本人は中国を見習って快楽主義だったが、快楽主義には限界があると考えて真理主義に切り替えたのである。『人間の心は実在についての原始的な認識にすぎない』から、日本人は心主義をやめて知覚主義に変えたのである。ヨーロッパ人は真理主義だったから、日本人は中国人を見習うのをやめてヨーロッパ人を見習うことにしたのである。
たしかに、ヨーロッパ人は世界で一番正しかったが、ヨーロッパ人のすべてが正しいわけではなかった。ヨーロッパ人は科学は正しかったが、哲学がまちがっていた。そのため、ヨーロッパ人は科学で幸福になり、哲学で不幸になっていた。
哲学については、日本やインドや中国のほうが正しかった。しかし、日本やインドや中国には科学がなかった。そのため、日本人やインド人や中国人は哲学で幸福になり、科学で不幸になっていた。
科学はヨーロッパが正しい。哲学は東洋が正しい。だから、日本人はヨーロッパの科学と東洋の哲学でやればいい。そうすれば一番幸せになれる。私自身も子供の頃はヨーロッパの科学を勉強して、ヨーロッパのまちがった哲学になっていた。支配制になっていた。しかし、学生時代の頃から自分で哲学を考えるようになって、ヨーロッパの支配制の哲学を自分で直して平等制の哲学にした。
今の国民は東洋の哲学とヨーロッパの科学をやっている。正しい哲学と正しい科学をやって幸福に生きている。
今の政府はヨーロッパの哲学で国を作る会社である。ヨーロッパのまちがった哲学を広める会である。政府は国民を不幸にする会である。今の国民にとって政府は要らない。だから、国民は政府を潰せばいいのである。日本人は真理主義だから、まちがった哲学をやる政府は要らないから政府を潰せばいいのである。
日本政府は日本が閉鎖された島国であり日本人の頭があまりよくなくて情報操作がしやすいことを利用して、国民にまちがいを植えつけて国民を支配しようと企[たくら]んでいるのである。国民は自分でよく考えて政府の嘘に騙[だま]されないようにして政府の言いなりになってはいけない。

[15795] 日本政府は政治機関の資格がない。 h24.10.18
政治機関は国民を幸福にする国を作る会社である。
人間は正しければ幸福になり、まちがっていれば不幸になる。人間にとって真理は幸福の原因であり、まちがいは不幸の原因である。
ヨーロッパは科学が正しく哲学がまちがっているから、ヨーロッパ政府は自分の国の科学と東洋の哲学で国を作ればいい。
反対に、日本は科学がまちがっていて(というか科学がなくて)哲学が正しいから、日本の政治機関はヨーロッパの科学と自分の国の哲学で国を作ればいい。
現[げん]に、ヨーロッパの政府はすでにそうしている。ヨーロッパ政府は東洋の正しい哲学を取り入れて善[い]い国を作っている。しかし、日本政府はわざわざヨーロッパのまちがった哲学を取り入れて悪い国を作っている。ヨーロッパ政府は善[い]い国を作る会社だが、日本政府は悪い国を作る会社である。
日本政府は国民を不幸にして喜んでいる。日本政府は政治機関の本意[ほんい]がわかっていない。ヨーロッパ政府は国民に優[やさ]しい良心的な会社だが、日本政府は自分のことしか考えない悪徳企業である。日本政府のやっていることはとうていサービスとは思えない。いくら日本が田舎[いなか]の国とはいえ、これではあんまりである。
日本政府は政治機関の資格がない。日本政府は政治機関とは名ばかりである。だから、国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいい。
今の日本は政府がまちがった哲学をやっている馬鹿な国にすぎない。日本は世界中の笑い者である。だから、国民は早く政府を潰さねばならない。
日本にも取り柄[とりえ]がある。日本には科学はないが、哲学がある。哲学が日本の取り柄である。だから、それを大事にしなければならない。
政府は国作りを売る会社である。国民が政府の政治(国作り)を買おうが買うまいが国民の自由である。日本政府は悪い政治をやっている。日本政府は国民にとって不利な政治をやっている。だから、国民は政府の政治を買わなければいいのである。国民が政府の政治を買わなければ政府はすぐに潰れるだろう。国民は政府にお金を払わないほうが面白いから、政府にお金をやってはならない。

[15796] 政府に税金を払わない方法 h24.10.18
国民の支持する制度によって政府の意味が違ってくる。国民の政府に対する態度も違ってくる。
国民が支配制ならば、政府は国民の支配者だから、国民は政府の命令を聞かねばならない。
国民が平等制ならば、政府は国民からお金をもらって国を作る会社だから、国民が政府にお金をやって国を作ってもらうか政府にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。今の国民は平等制だから、政府は支配制の国を作る会社だから、国民は政府にお金をやらず国を作ってもらわなければいいのである。
つまり、国民が支配制ならば、国民は政府に税金を払わねばならない。
反対に、国民が平等制ならば、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
つまり、政府に税金を払いたい国民は支配制にすればよく、政府に税金を払いたくない国民は平等制にすればいい。例えば、私は平等制だから、政府に税金を払わなくてもいい。

[15797] 政府は国民にまちがいを教えている。 h24.10.18
日本人は馬鹿である。だから、政府に騙[だま]されやすい。
今の政府は国民に、「超能力者は神である。政府は国民の支配者である。政府は平等制の政治機関である。」ことなどを教えている。
しかし、本当は、『超能力者は超能力のある人間である。政府は国民からお金をもらって国作りをする会社である。政府は支配制の政治機関である。』のである。
今の政府は国民にいろんなまちがいを教えている。政府は国民を騙して国民を支配しようとしている。
国民は政府の嘘[うそ]を真[ま]に受けてはいけない。
国民は自分で正しく考えて自分で正しく行動しなければならない。
政府は言葉の上では国民の支配者である。しかし、本当は、政府は国民からお金をもらって国作りの仕事をするただの会社である。だから、国民は政府に従わなくていいのである。いくら言葉の上で「重い物体ほど速く落ちる」と書いてあっても、本当は『重い物体と軽い物体は同じ速さで落ちる』のと同じことである。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されす、自分で正しく考えて行動すればいいのである。そうすれば、政府を支配することができるのである。政府を正しく知る者は政府を支配できるのである。疑い深い者は自分で実験してみればいい。そうすれば正しいかまちがっているかがわかるだろう。
政府は国民に従えば国民を支配できるつもりで、平等制の政治機関をやって国民の支配者であるつもりなのである。しかし、実際には、政府は国民に従っていないから国民を支配できないのである。政府は支配制の政治機関だから国民の支配者ではないのである。だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[15798] 今の国民は政府にお金をやらなくてもいい。《証明》 h24.10.18
政治機関は国民からお金をもらって国作りをする会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
政府は支配制の国を作る会社である。
今の国民は平等制の国が欲しい。
だから、今の国民は政府にお金(税金)をやらなければいい。国民は政府の国作りの命令を聞かなければいい。

[15799] 国民が政府にお金をやっても無駄[むだ]である。 h24.10.19
今の政府は国民に「平等制の国作りをする」と言って、国民からもらったお金で支配制の国作りをやっている。
今の政府は国民からもらったお金で国家宗教をやったり(つまり、国家宗教の神の情報を使ったことをやって国民を虐[いじ]めたり)、暴力団や宗教団体や社長や文系を守ったり、馬鹿が有利で利口が不利な貧乏な国を作ったり、国中に支配制の習慣を流行[はや]らせたりしている。
今の政府は平等制の国作りを何もやっていない。今の政府は支配制の国作りしかやっていない。
政府はもともと支配制の政治機関なので、平等制の国作りをやらないのである。
今の国民は政府にお金をやって、政府に国民にとって不快な国を作ってもらっているのである。
国民が政府にお金をやってもお金の無駄[むだ]である。
だから、国民は政府にお金をやらず自分で平等制の政治機関をやって自分で平等制の国を作ればいいのである。

[15800] 戦前も政府にお金をやらない国民がいた。 h24.10.19
政治機関は国民からお金をもらって国を作る会社である。国民が政治機関にお金をやって国を作ってもらうか政治機関にお金をやらず国を作ってもらわないかは、国民の自由である。
戦前は多くの国民が支配制を支持していたから、政府は大勢の国民からお金をもらって支配制の国を作っていた。
しかし、戦前も少数の国民は平等制を支持していた。平等制を支持している国民は政府にお金をやらず、自分で平等制をやってほそぼそと暮らしていた。
戦後は多くの国民が平等制を支持するようになった。政府は国民からお金をもらうために、平等制の国を作っているふりをしているが、じつは支配制の国を作っている。
戦前も平等制を支持している国民は政府にお金をやらなかった。
だから、戦後も平等制を支持している国民は政府にお金をやらなくてもいい。今でも政府は支配制の政治機関である。だから、平等制を支持している国民は政府にお金をやらず、自分で平等制の国を作ればいいのである。
戦後は少数の国民が支配制を支持しているから、政府は少数の国民からお金をもらってほそぼそと支配制の国を作ればいいのである。


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