[15301] 国民は政府に従わなくてもかまわない。 h24.8.5
今では人間はみな平等である。上の者はいない。
それなのに、政府の憲法では政府が上の者である。政府の憲法では、政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教の命令を出したりできる。
だから、政府の憲法はまちがいである。政府の憲法は嘘[うそ]である。
だから、政府は詐欺[さぎ]会社である。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府を無視して好き勝手にやればいい。
[15302] 今では国民が政府が嘘[うそ]つきであることを知っている。 h24.8.5
昔の政府は上の者だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今では人間はみな平等である。上の者はいない。
政府は憲法などで「国民は政府に従わねばならない」と嘘をついて、国民を騙[だま]して政府に従わせている。
政府に騙された国民は政府に従うが、政府に騙されない国民は政府に従わない。
国民が政府に騙されるか騙されないかは、国民しだいだ。
今では人間はみな平等だから、本当は国民は政府に従わなくてもいいのである。政府もそれを認めている。政府は国民が政府に従うことを強制していない。
今では国民は自分が政府に従わなくても政府に何もされないことを知っている。これまで実際に国民が政府に従わなくても政府に何もされなかったので、国民は政府が嘘をついていることがわかったのである。
だから、今では国民が政府に従わなくなっている。
今の政府はただの嘘つきなので、国民が政府に従わなくていいのは当然である。
[15303] 政府の正体は詐欺[さぎ]会社である。 h24.8.5
戦前は政府が上の者だった。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は人間が平等になった。上の者がいなくなった。
戦後の政府は上の者ではなくなった。国民は政府に従わなくてもよくなった。
戦後の政府は「国民は政府に従わねばならない」と嘘[うそ]をついているだけである。
戦後の政府は国民に嘘をついて国民からお金を取ってお金を儲[もう]ける詐欺会社である。
本当は、戦後は政府と国民は平等である。
だから、今では国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の政府はただの詐欺会社だから、今の政府には政府に従わない国民を罰する資格はない。
国民は政府の嘘に騙[だま]されるのが嫌になって、政府に従わなくなっている。
[15304] どうして今の国民は政府に従っているか? h24.8.5
今の政府が国民に「国民は政府に従わねばならない」と嘘[うそ]をついているからである。
今の国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府に従わされているのである。
しかし、本当は今では人間はみな平等であるから、政府の言っていることは嘘である。
だから、本当は国民は政府に従わなくてもいいのである。政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていいのである。
今の政府は国民に嘘をつくことしかできない。国民は政府を無視して自由にやればいいのである。
国民は世の中には嘘つきもいることを知って、嘘つきに騙されないようにしなければならない。
国民は政府にお金を騙し取られているだけだ。国民はもっとお金を大事にしないといけない。
他人の役に立つことをしているのを理由にしてみんなからお金を取るのが詐欺[さぎ]会社のお決まりのやり方である。国民は詐欺会社の偽善[ぎぜん]に騙されてはいけない。
[15305] どうして政府は国民から税金を取っているか? h24.8.5
今では人間はみな平等である。上の者はいない。
それなのに、政府は国民から税金を取っている。
政府が国民から税金を取れるのは、政府の嘘[うそ]である。政府は嘘をつくことによって、国民に政府が国民から税金を取れると思わせて、国民から税金を取っているのである。
本当は、政府は国民から税金を取れないのである。
だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。国民が政府に税金を払わないのは正しいから、国民が政府に税金を払わなくても、政府は国民に文句を言えないのである。
今の政府は嘘で儲[もう]けているくだらない汚[きたな]い会社である。国民はそんな会社と関わってはいけない。
[15306] 「国民が政府に従わなければならない」ことは政府の嘘[うそ]である。
h24.8.6
戦前は政府が上の者だった。国民は政府に従わねばならなかった。
しかし、戦後は人間はみな平等になった。上の者がいなくなった。国民は政府に従わなくてもよくなった。
そのため、戦後の政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民を従わせるようになった。国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府に従うようになった。国民は子供の頃から憲法や社会科の教科書に「国民は政府に従わねばならない」と書いているのを見て育ったので、国民は「国民は政府に従わねばならない」とすっかり信じ込んで、真剣に政府に従っているのである。
しかし、そもそも「国民が政府に従わねばならない」ことは政府の嘘だから、国民は「国民が政府に従わねばならない」ことを守らなくてもかまわない。
つまり、国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の政府は嘘をついて国民を従わせているだけである。だから、国民が政府の嘘を見破れば政府に従わなくていいのである。
「国民が政府に従わねばならない」ことは政府の嘘である。本当は『国民は政府に従わなくてもいい』のである。だから、国民は『国民は政府に従わなくてもいい』ことを守って、政府に従わなければいいのである。
本当は、戦後からすでに国民は政府に従わなくてもよくなっているのである。政府が国民に嘘をついているために、国民が政府に従っているのである。政府が嘘をつかなければ、国民は戦後すぐに政府に従わなくなっているのである。国に政府という嘘つきがいるために、国民は政府の嘘に騙されて政府に従い続けているのである。政府は嘘つきである。国民は『政府が嘘つきである』ことを知って、政府に騙されないようにしなければならない。
政府が正しいことを言っているなら国民は政府に従わねばならないが、政府が嘘を言っているのなら国民は政府に従わなくてもかまわない。政府は嘘を言っている。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
要するに、政府は嘘つきである。だから、国民は政府の言うことを無視して政府に騙されなければいいのである。
[15307] 政府は嘘[うそ]つきである。 h24.8.6
戦前は上の者がいた。政府が上の者だった。国民は政府に従わなければならなかった。
戦後は人間はみな平等になった。上の者がいなくなった。国民は政府に従わなくてもよくなった。
今の政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]を言って国民を政府に従わせているのである。国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府に従っているのである。
しかし、本当は、国民は政府に従わなくてもいいのである。
政府は嘘つきだから、政府は本当と反対のことを言っているのである。本当は国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
国民は自分の頭で何も考えていないから、政府の嘘に騙されるのである。今の国民はロボットみたいに他人の言いなりになって動いているだけである。国民がロボットみたいだから、政府が国民をオモチャにして国民を国家宗教で殺して遊んでいるのである。国民は他人の言いなりにならず、自分で考えて正しく生きなければならない。
国民は他人の嘘に騙されやすい。国民は自分で物事をよく考えて、他人に騙されないように注意しなければならない。
学校は子供に「自分で考えないこと」を教えるところである。「他人の言いなりになること」を教えるところである。だから、国民は学校で勉強するよりも、自分で考える練習をしなければならない。
[15308] 昔の政府と今の政府の違い☆ h24.8.6
昔の政府は上の者だった。昔の政府は国民を好き放題にできた。政府は国民に命令して、国民の財産を奪ったり、戦争や国家宗教をさせることができた。国民は無条件に政府に従わねばならなかった。国民が政府に従わなければ、政府は国民を自分の好きなやり方で罰することができた。[自分の親が生きていた時代は、まだそんな怖い時代だったのである。]
今の政府はただの嘘つきである。今の政府は国民に嘘をついて国民を騙[だま]すことしかできない。今の政府は国民を嘘で騙して国民に政府に従わねばならないように思わせた上で、国民に命令して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせている。国民が政府の嘘に騙されなければ、政府は国民に何も命令できない。国民が政府に従わなくても、政府は国民を罰することができない。
昔の政府は強盗殺人集団だったが、今の政府はただの嘘つきである。昔の政府は凶悪だったが、今の政府は小悪[こあく]である。だから、今の国民は政府を怖がらずに、政府に従わなければいいのである。
[15309] 今では政府と国民は平等である。 h24.8.6
戦前は政府が上の者だった。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は人間がみな平等になった。政府が上の者ではなくなった。政府と国民が平等になった。政府は国民と平等にやらねばならなくなった。
そこで、政府は『他人[たにん]の嘘[うそ]に騙[だま]される馬鹿が悪い』と考えて、「政府に従わない国民は憲法で罰する」という嘘をついて国民を騙[だま]して政府に従わせている。
政府は『自分で考えない馬鹿が悪い』と思って、政府の言いなりになっている国民を国家宗教で殺している。
今では政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府の嘘に騙されている馬鹿な国民だけが政府に従えばいい。今の政府は自分が上の者だと思っていない。国民と平等だと思っている。だから、国民も政府と平等にすればいいのである。
今の政府は『馬鹿が悪い』という原理に基づいて、馬鹿な国民からお金を取って馬鹿な国民に命令して馬鹿な国民を殺しているだけである。今の政府は馬鹿な国民を懲[こ]らしめる正義の会社である。だから、国民は政府を支持しているのである。
戦後はいい世界になったものだ。
[15310] 人間は眼や耳で喜ぶ生き物ではない。 h24.8.6
お金持ちは絵や音楽にお金をかけるが、いくらそんなことをやってもお金の無駄[むだ]である。
そもそも人間にとっては絵や音楽は面白いものではない。
人間は眼で見たり耳で聞いたりすることで喜ぶ生き物ではない。
人間は頭で考えることで喜ぶ生き物である。
だから、人間は頭で考えることにお金をかけるべきである。
[15311] 今の政府は上の者のふりをしているだけである。 h24.8.6
今では人間はみな平等である。上の者はいない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、政府の憲法では政府が上の者である。政府の憲法では、国民が政府に従わなければならないことになっている。
だから、政府は嘘をついているのである。
今の政府は本当は国民と平等である。政府は嘘[うそ]で上の者のふりをして国民を従わせているだけである。
だから、国民が政府に従わないと、憲法では国民は政府に罰せられることになっているが、実際には政府は国民に何もしないのである。
だから、国民は政府を恐れずに政府に従わなければいいのである。
今の政府は嘘をついて国民をからかって遊んでいるだけである。憲法は政府の冗談である。だから、国民は政府の嘘を真[ま]に受けなくてもいいのである。国民は政府の嘘を嘘だと思って笑ってすませばいいのである。
[15312] 国民は科学の真理よりも政府の嘘[うそ]を信じている。 h24.8.6
戦前は文学の時代だったので上の者がいた。政府が上の者だった。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は科学の時代になったので人間がみな平等になった。上の者がいなくなった。
政府はたとえ人間がみな平等でも、嘘[うそ]ぐらいついてもいいと思って、「国民は政府に従わねばならない」という嘘をついて、国民を政府に従わせているのである。政府の憲法は嘘である。
政府の嘘に騙[だま]された国民が政府に従っているのである。
政府の嘘に騙されない国民は政府に従わなくていいのである。
国民が政府の嘘に騙されなければ、政府は戦後すぐに滅んでいるのである。
国民が政府の嘘に騙されているから、政府は今でも栄[さか]えているのである。
今では人間はみな平等である。だから、国民と政府も平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
国民は政府の嘘よりも科学の真理を信じて、政府と平等にすればよかったのだ。
国民の根性がふざけているから科学の真理よりも政府の嘘を信じて政府に従っているのだ。
今の国民は『無理が通れば道理が引っ込む』ことを身体で表しているのだ。
国民がふざけているから、政府に騙されて政府にお金を取られて政府に国家宗教で嫌がらされるのだ。
国民がまじめなら、政府に騙されず政府にお金を取られず政府に国家宗教で嫌がらされず今よりも幸福になれたのだ。
馬鹿は真理よりも嘘のほうが好きだから、今の国民は政府の嘘に騙されて政府に従っているのである。
国民が政府に騙されず政府に従わないか政府に騙されて政府に従うかは国民の自由である。科学の真理を信じるか政府の嘘を信じるかは国民の自由である。道理を通すか無理を通すかは国民の自由である。
[15313] 国民は政府を誤解している。 h24.8.6
今の国民は政府を誤解している。
税金を国民が政府に入るためのお金だと思っている。
政府が政府に入っていない者からお金を取って政府に入っている者にお金をまわして政府に入っている者を裕福にしてくれると思っているのである。
そのために、国民は政府に毎月高い税金を払っているのである。
しかし、本当は、税金は政府が自分が上の者ということで国民からお金を取ることであり、政府は国民を国家宗教で虐[いじ]めるだけで裕福にはしてくれないのである。国民がいくら政府に税金を払っても、国民は政府に入れないのである。国民は政府にお金を取られるだけなのである。日本人がある程度裕福なのは、日本人が勤勉な民族だからである。日本人が自分で稼[かせ]いだ金であって、けっして政府のおかげではない。政府は戦争や国家宗教でお金を無駄遣[むだづか]いして国民を貧乏にするだけである。
馬鹿は社会が正しくわかっていない。
そういう馬鹿が政府のカモなのだ。
[15314] 社会科の教科書はまちがっている。 h24.8.6
社会科の教科書には「政府は国民の役に立つことをしてくれる国民みんなの会社だ」と書いている。
しかし、本当は政府は「国民が政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついて国民からお金を取って儲[もう]けている詐欺[さぎ]会社である。
政府は社会科の教科書に嘘を書いて国民を騙[だま]して国民に税金を払わせて儲けているのである。
だから、政府は詐欺会社である。
国民は政府の嘘に騙されないように注意しないといけない。
今の政府は嘘をつかねば儲からない弱い会社なのである。
だから、国民は政府に従わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[15315] 今の政府は国民と平等にしている。 h24.8.6
戦前は上の者がいた。政府が上の者だった。政府が国民を従わせていた。
戦後は人間はみな平等になった。上の者がいなくなった。政府と国民が平等になった。
だから、今の政府は国民と平等にしている。今の政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]をついているだけだし、ふざけて国家宗教で国民を殺しているだけである。
政府は自分の嘘に騙[だま]されない国民を罰したりしないし、国民に政府が犯人であることがばれないように気をつけながら国民を殺しているのである。
今の政府は国民と平等にしている。政府は国民と平等であるように努力している。
だから、国民も政府と平等にすればいいのである。国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなければいいのである。
[15316] 政府が国民よりも上なのは政府の嘘[うそ]である。 h24.8.7
戦前は上の者がいた。政府が上の者だった。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は人間はみな平等になった。上の者がいなくなった。
だから、今では本当は政府と国民は平等である。
政府は国民に嘘をついて政府を国民よりも上だと思わせているのである。国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府に従わされているのである。
政府が国民よりも上なのは、政府の嘘である。
だから、国民は政府に従わなくていいのである。
[15317] 国民は政府の憲法を守らなくていい。 h24.8.7
今では人間はみな平等である。上の者はいない。
それなのに、政府の憲法では国民が政府に従わねばならない。
だから、政府の憲法は嘘[うそ]である。
だから、国民は政府の憲法を守らなくていい。国民が政府の憲法を守らなくても、政府は国民に何もできない。国民は正しいことをしたのだから、政府は国民を罰することができない。
つまり、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を無視して自分の好きなようにすればいいのである。
[15318] 大日本帝国憲法と日本国憲法の違い h24.8.7
大日本帝国憲法と日本国憲法は内容的には同じである。言葉が違うだけである。
大日本帝国憲法も日本国憲法も政府が上の者であることを定めている。
大日本帝国憲法の頃は文学の時代だったから、政府が上の者であることが正しかったから、大日本帝国憲法は本当だった。国民は大日本帝国憲法を守らねばならなかった。
日本国憲法の頃は科学の時代だから、政府が上の者ではないから、日本国憲法は嘘[うそ]である。国民は日本国憲法を守らなくてもかまわない。
大日本帝国憲法は本当だが、日本国憲法は嘘である。
時代によって、同じ憲法が本当になったり嘘になったりするのである。国民が憲法を守らなければならなかったり、守らなくてもよかったりするのである。
憲法は時代の中で捉[とら]えなければ、本当か嘘かが決まらないのである。憲法は置かれる時代によって、本当か嘘かが決まるのである。
[15319] 今の世の中の法則 h24.8.7
今は人間がみな平等である。上の者はいないことが正しいことになっている。
それなのに、政府の憲法では政府が上の者である。
だから、政府の憲法を嘘[うそ]だと考えればいい。
そうすれば、人間がみな平等であることが成り立ち、そのうえ政府の憲法では政府が上の者であることも成り立つ。
つまり、政府は嘘の憲法によって国民を騙[だま]して、国民を政府に従わせているのである。
だから、国民が政府の嘘の憲法に騙されなければ、国民は政府に従わなくていいのである。政府の嘘の憲法に騙された国民だけが、政府に従えばいいのである。
これが、今の世の中の法則というわけである。
[15320] 憲法は冗談である。 h24.8.7
今では人間はみな平等である。上の者はいない。
そこで、政府は政府が上の者である嘘[うそ]の憲法を作った。
しかし、国民は政府の憲法が嘘だとわからずに政府の憲法を守って政府に従っている。
本当は国民が「政府の憲法は嘘だ」と言えば、政府の憲法を守らなくていいのである。
政府の憲法は冗談である。政府の憲法は政府が嘘を承知で作ったイカサマである。政府が民主主義で憲法を作ったと言っているのは、政府が嘘の憲法を正当化するための言い訳[いいわけ](つまり嘘を正当化するための嘘)である。
だから、国民が政府の憲法を守らなくても、政府は何もしないのである。
[15321] 国民が憲法を守らなくても、政府は国民を許[ゆる]すだろう。 h24.8.7
戦後は人間がみな平等になった。上の者がいなくなった。
それなのに、政府の憲法では政府が上の者である。
だから、政府の憲法は嘘である。
政府の憲法は嘘だから、国民は政府の憲法を守らなくてもいい。
戦前は政府が上の者であることが正しかったから、政府の憲法が正しかったから、国民は政府の憲法を守っていたのである。
戦後は政府が上の者であることがまちがいだから、政府の憲法がまちがいだから、国民は政府の憲法を守らなくていいのである。
政府自身も政府の憲法が嘘であることを知っているから、国民が政府の憲法を守らなくても許してくれるだろう。
[15322] 昔の国民は政府と戦っていない。 h24.8.7
昔の人は上の者がいると思っていた。政府を上の者だと思っていた。だから、昔の人は政府に従った。だから、政府は国民に何でも命令できた。つまり、政府が国民を支配していた。
今の人は上の者がいないと思っている。政府を上の者だと思っていない。だから、今の人は政府に従わなくていい。
昔の政府は国民に嫌な命令を出してさんざん国民を虐[いじ]めたが、昔の人はけっして政府と戦っていない。昔の人はむしろ政府を護[まも]っていたのだ。昔の人は上の者がいると思っていて、自分が上の者に従わねばならないと思っていたので、上の者である政府に従っていたのだ。昔の人は上の者がいると思っていたので、上の者である政府がいなければならなかったのだ。
反対に、今の人は科学によって上の者がいないと考えるようになったので、政府に従わなくなったのだ。政府の憲法が嘘だと思って、政府の憲法を守らなくなって、政府に従わなくなったのだ。
人々の考えが人々の行動を決めるのだ。昔の人はまちがって上の者がいると思っていたので、上の者に従っていたのだ。今の人は正しく上の者がいないと思っているので、上の者に従わなくなったのだ。人々の考えが正しくなったので、人々の行動も正しくなったのだ。
国民は政府と戦って政府に勝ったから自由になれたのではない。国民は「上の者がいる」という自分のまちがった考えと戦って自分のまちがった考えに勝ったから自由になれたのだ。国民は「政府の憲法が正しい」という自分のまちがった考えと戦って自分のまちがった考えに勝ったから自由になれたのだ。
[15323] 実力制の社会 h24.8.7
実力制の社会では“実際に実績のあった者”を出世させる。昇進させる。たとえ本人が昇進を拒否しても認めない。拒否した者はクビにする。
ただし、自由時間を与えることにする。自由時間には何をやってもいいことにする。だから、自分が好きな仕事を続けてもいい。場合によっては、すべての時間が自由時間になることもある。
昇進した者にはみんなの前でしゃべらせる。たとえガタガタしながら小声で何を言っているかわからなくても、とにかくみんなの前でしゃべらせる。どんなに下の者にとって不評でもしゃべらせる。“実際に実績のあった者”をみんなに見せることが大事である。
みんなの前で大声ではっきりしゃべる者は見掛け倒しの馬鹿だ。馬鹿をいい人間だと思ってはいけない。
[15324] どうして中世の日本では政府が幕府に変わったか? h24.8.7
中世の日本では政府が幕府に変わった。政府はヨーロッパの上の者の団体である。幕府はインドの上の者の団体である。つまり、中世の日本ではヨーロッパ文化からインド文化に変わったのである。
ヨーロッパ文化は見た目優先である。五感主義である。
インド文化は実力優先である。知覚主義である。
中世のヨーロッパがヨーロッパ文化のために暗黒時代だったように、中世の日本でもヨーロッパ文化のために国が潰[つぶ]れかけていた。
中世のヨーロッパがインド文化を取り入れて持ち直したように、中世の日本でもインド文化を取り入れて持ち直したのだ。そのために、中世の日本では政府が幕府に変わったのだ。
ヨーロッパ文化は五感主義なので国が悪化する。国が衰退する。
だから、国にはヨーロッパ文化がなくなったほうがいい。
今のヨーロッパはインド文化でやっている。だから、今の日本でもインド文化でやらねばならない。
日本はヨーロッパ文化とインド文化の両方のいいところを取り入れて新しい文化を作り出さねばならない。
[15325] ヨーロッパ文化とインド文化 h24.8.8
ヨーロッパ文化は実在主義で五感主義である。
インド文化は空想主義で知覚主義である。
ヨーロッパ文化の長所は実在主義にある。短所は五感主義にある。
インド文化の長所は知覚主義にある。短所は空想主義にある。
だから、日本はヨーロッパ文化とインド文化の両方の長所を取り入れて『実在主義で知覚主義の文化』にすればいいのである。
一番いい文化のある国が一番発展する。だから、日本は世界で一番いい文化のある国になればいいのである。
[15326] どうして上の者がいなくなったか? h24.8.8
ヨーロッパ文化では上の者がいた。見かけが上の者っぽければ上の者になれたからである。
インド文化でも上の者がいた。空想で上の者だと思っていれば上の者になれたからである。
ところが、ヨーロッパ文化とインド文化が混ざると上の者がいなくなった。ヨーロッパ文化とインド文化が混ざって科学が出来て、科学ではこの世には人間がいるだけで上の者はいないから、上の者がいなくなったのである。
科学のために、上の者も神も幽霊もいなくなってしまったのだ。科学のために、バクテリアや原子や電波やブラックホールがあることになったのだ。科学のために、なくなった物があれば、新しくあることになった物もあるのだ。
科学はひとつの文化である。文化がある物とない物を決めるのだ。
[15327] 政府とは何か? h24.8.8
今は科学の時代である。ヨーロッパ文化とインド文化が混ざってできた新しい文化の時代である。
科学の時代には上の者はいない。
だから、政府は上の者のふりをしている者である。つまり、政府は嘘[うそ]つきである。
本当は政府は国民と平等である。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
政府は国民が馬鹿だと思って「政府が上の者だ」という嘘をついているのである。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されなければいいのである。
[15328] 政府は嘘[うそ]つき会社である。 h24.8.8
政府が国民のために仕事をしているのも嘘である。
本当は、政府は国家宗教で国民にイタズラをして遊んでいるだけである。
国民が政府にお金をやっても無駄[むだ]である。
国民が政府に税金を払わなければならないのも、政府の嘘である。
だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
[15329] 政府は学校で国民に矛盾したことを教えている。 h24.8.8
国民は学校の社会科の時間に『人間はみな平等である』ことを習うし、その一方で「政府が上の者である」(つまり、国民が政府に従わねばならない)ことも習う。
国民は学校で矛盾したことを習っている。
それで、国民は政府が上の者であると思って政府に従っている。
国民は馬鹿だからわざわざ自分にとって不利なほうを選んでいる。
国民はせっかく学校で習った『人間はみな平等である』ことを忘れている。
国民はもう一度学校の社会科の時間に習ったことをよく考え直してみなければならない。
国民は「政府が上の者である」ことが本当で、『人間がみな平等である』ことが嘘[うそ]だと思っている。馬鹿は汚いことが好きなので、正しいことよりもまちがいを信じるのである。
国民は『人間がみな平等である』ことが本当で、「政府が上の者である」ことが嘘だと考えればいいのである。国民は「政府が上の者である」ことが嘘だと思って、政府に従わなければいいのである。
[15330] どうして政府は嘘[うそ]をつくのか? h24.8.8
戦後は人間がみな平等になった。上の者がいなくなった。
そこで政府は国民に「政府が上の者だ」という嘘をつくようになった。
政府は、「政府と国民が平等だから、国民が政府に騙[だま]されなければ政府に従わなくてもいい」と考えて、国民に嘘をついているのである。
だから、政府の嘘に騙された国民は政府に従えばよく、政府の嘘に騙されない国民は政府に従わなければいいのである。
「政府が上の者だ」というのは政府の嘘だから、国民は政府に従わなければいいのである。
今の政府は国民を騙せる間残ろうと思っているのである。今の政府は国民を騙せなくなったら滅ぼうと思っているのである。今の政府は最初っからそんなに長く残るつもりではないのである。今の政府は嘘でほそぼそと生き延びているだけである。政府は実質的には戦後は滅んでいるのである。戦後の政府はダメもとでやっているしょうもない会社なのである。
[15331] 政府は上の者である。 h24.8.8
「政府が上の者である」ことは、中世では正しかったが、近代では半分正しく半分まちがいで、現代ではまちがいである。
時代によって、正しいかまちがいかが変わるのである。
今の政府は「政府が上の者だ」と言っている。だから、政府は嘘[うそ]つきである。
政府はみっともないまねをやめて、さっさと滅べばいい。
[15332] 政府は民主主義の団体ではない。 h24.8.8
戦前の政府は上の者だった。戦前の政府は国民に対して何でもやった。戦前の政府は怖かった。
戦後は人間はみな平等になった。上の者がいなくなった。
国民の多くは、戦後の政府が民主主義の団体になったと思っている。学校の教科書もそんな風に書いている。
しかし、政府は今でも国家宗教で国民を殺している。政府は今でも国家宗教で国民を虐[いじ]めている。
政府が民主主義の団体だとすれば、政府と国民は平等だから、政府がそんなことをするはずがない。
政府は詐欺[さぎ]会社だから、政府は嘘[うそ]でまじめなふりをして、裏では国民を殺しているのである。
そもそも政府が民主主義の団体だとすれば、政府と国民は平等だから、政府が国民から税金を取れることがわからない。
だから、政府は詐欺会社である。政府は国民に「国民は政府に税金を払わなければならない」と嘘を言って、国民を騙[だま]して税金を取っているのである。
政府は詐欺会社だから、政府が「国民が政府に従わねばならない」と言っているのも嘘である。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
戦後の政府はただの嘘つき会社だから、国民は政府に従わなければいいのである。
[15333] 今の政府はデタラメである。 h24.8.9
中世の政府は上の者だった。だから、政府は国民を従わせていた。政府は国民から税金を取れた。
今の政府は民主主義の団体である。政府と国民は平等なはずである。それなのに、政府は国民を従わせている。政府は国民から税金を取っている。
今の政府は嘘[うそ]をついたり屁理屈[へりくつ]をこねたりして、まちがったことをやっている。
昔の政府は論理的だったが、今の政府は論理的ではない。
今の政府はデタラメである。今の政府は雰囲気[ふんいき]でごまかして国民を従わせているだけである。
今の政府には論理がない。だから、国民は政府に従わなくてかまわない。
[15334] 政府は宗教団体と同じである。 h24.8.9
今の宗教団体は今の神がいない時代に「神がいる」と言って国民を従わせようとしている。
それと同じように、今の政府は今の上の者がいない時代に「政府が上の者だ」と言って国民を従わせようとしている。
政府も宗教団体も嘘[うそ]を言っているだけである。
今の国民は宗教団体に従わなくていい。だから、今の国民は政府にも従わなくていいのである。
[15335] 昔の人は実在の外で暮らしていた。 h24.8.9
昔の人は科学がなかったので、実在のことがわからなかった。
そのため、昔の人は眼で見て思ったり、頭の中で空想したりすることで上の者や神や幽霊がいると思っていた。
昔の人は実在の世界の中で暮らしていなかったから、上の者や神や幽霊などがいたのである。
今の人は科学があるので、実在のことがわかるようになった。
今の人は実在を眼で見て頭で考えることによって実在のことがよくわかるようになった。人々は実在の世界に適応してますます幸福に生きるようになった。
科学によって上の者(みんなが従わねばならない特別な人)や神や幽霊がいないことがわかった。
だから、今の人は上の者や神や幽霊のいない世界を作っているのだ。
政府や暴力団や宗教団体のない世界を作っているのだ。
人間は不完全な存在である。だから、自分の考えを正しくするように努力しなければならないのだ。
[15336] キリスト教とは何か? h24.8.9
キリスト教とは、ローマ政府に逆らうとキリストのように磔[はりつけ]にされるという脅[おど]しである。キリストは神ではなく、ローマ政府に処刑された人にすぎないのである。
ローマ政府はヨーロッパの人々を脅してローマ政府の言いなりにするために、ヨーロッパの至る所に教会を建ててキリストの十字架像を飾らせたのである。
つまり、キリスト教とは、政府が人々の“神に従う心”を利用して人々を自分の言いなりにすることである。政府にとっては宗教は人々を支配するための道具にすぎなかったのである。
しかし、今は政府が上の者の時代ではない。人々が政府に従う時代ではない。だから、キリスト教をやめるべきである。
今では神がいない。だから、今では教会は宗教をやるところではない。教会は中世の歴史の史料と考えればいい。
今では上の者がいない。だから、今では政府は国民が従うものではない。政府は過去の遺物と考えればいいのである。近代の政府は国民全員に命令を出していたが、現代の政府はただ建っているだけのハリボテである。昔は政府が国民全員に封筒で命令を書いた紙を出して国民がその通りにしなければ政府に殺されたが、今は政府から国民に命令が来ても国民は何もしなくていいのである。
[15337] どうして今の国民は政府に文句[もんく]を言わないか? h24.8.9
今の政府は国民に「政府が上の者だ」と嘘[うそ]をついて、国民を政府に従わせている。
国民の多くは政府の嘘に騙[だま]されて政府に従っているが、国民の中には政府の嘘を見破って政府に従わない者もいる。
しかし、国民は誰も政府に文句を言わない。
それは、国民が政府が国民に嘘をついて騙すことを許しているからである。
今では政府と国民は平等だから、政府が国民を嘘で騙してもいい代わりに国民が政府の嘘に騙されなくてもいいのである。政府が国民を嘘で騙していいなら、国民が政府の嘘に騙されなくてもいいのである。
だから、国民は政府の嘘に騙されずに、政府に従わなくていいのである。
今の国民は黙っておとなしくひとりで政府に従わなければいいのである。
今の国民は政府の嘘を聞き飽きて、政府を無視しているのである。
[15338] 上の者はいない。☆ h24.8.9
神の正体はただの“神っぽい”人間である。つまり、神はただの人間である。だから、科学的には、人間は神に従わなくてもいい。例えば、キリストはローマ政府に処刑された人間のことだから、人間はキリストに従わなくていい。私は日本政府に神ということにされた人間だから、人間は私に従わなくていい。
それと同じように、上の者の正体はただの“上の者っぽい”人間である。つまり、上の者はただの人間である。だから、科学的には、人間は上の者に従わなくていい。例えば、政府は人間だから、国民は政府に従わなくていい。暴力団は人間だから、国民は暴力団に従わなくていい。
昔の人は眼で見て上の者っぽい人間を上の者としていた。あるいは、頭の中で上の者だと思っている人間を上の者だとしていた。だから、昔は上の者がいたのである。しかし、実在の世界においては、眼で見て上の者っぽい人間も頭の中で上の者だと思っている人間もただの人間だから、今日的[こんにちてき]には上の者がいないことになったのである。
今は科学の時代である。科学では『物の正体』が問題にされるので、上の者の正体はただの人間なので、今では上の者はいないのである。
[15339] インドの身分制 h24.8.9
インドの身分の高い人は、頭の中で自分が上の者だと思っている人にすぎない。
しかも、自分が上の者であることに理由はない。
インドの身分が高い人は、何の理由もなくただ自分が上の者だと思っているだけである。
インドの身分が高い人は、他人が身分が高い理由がわからないのをいいことにして、勝手に自分を身分が高いことにして威張[いば]っているのである。他人に命令しているのである。
そもそも身分が高いことに理由はない。ただの取り決めで身分が高いことになっているだけである。身分が高いのは作り事である。人間の身分に差があるのは作り事である。
身分が高い人の正体はただの人間である。ただの人間が頭の中で自分が上の者だと思っているだけである。
今は科学の時代である。インドも科学の時代である。だから、インドでは身分制をやめればいい。
[15340] 政府とは何か? h24.8.9
昔の政府は自分を上の者だと思っている人間だった。昔の政府は自分を上の者だと思って、国民を動物のように扱った。
しかし、今の政府は自分が上の者だと思っていない。今の政府は自分が上の者だと言ってみんなに嘘[うそ]をつく者である。
今は科学の時代なので、上の者がいないと考えられているので、政府自身も自分を上の者と思っていないのである。
しかし、国民にはいまだに上の者がいると思っている馬鹿が多いので、政府は国民に嘘をついて国民を騙[だま]しているのである。国民は政府の嘘に騙されて政府を上の者だと思って政府に従っているのである。今の政府は国民を動物並みの馬鹿だと思って、国民を国家宗教で虐[いじ]めたり殺したりしているのである。
上の者の正体はただの人間である。だから、本当は国民は政府に従わなくていいのである。
[15341] 今では自分を上の者と思うだけでは上の者になれない。☆ h24.8.9
昔は自分を上の者だと思っていれば他人を好き放題にできた。昔の政府は自分を上の者だと思って国民を好き放題にした。
今は科学の時代だから自分を上の者だと思っているだけでは他人を好き放題にできない。今では自分を上の者だと思っている人間は上の者ではなくただの人間にすぎない。
今は科学の時代だから、上の者がいない。人間はみな平等である。だから、政府も国民を好き放題にできない。政府もそのつもりでやっている。今の政府は国民に「政府が上の者である」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]しているだけである。だから、国民は政府の嘘に騙されずに、政府と平等にすればいいのである。
今は上の者がいないから、人間の優劣は実力でつけねばならない。才能のある人間を出世させて、才能がない人間を出世させないようにしなければならない。
[15342] 神はいない。 h24.8.9
昔は文学の時代だったので、主観の時代だったので、自分が神だと思えば神になれた。あるいは、政府が他人を神に決めれば神にできた。神になった者は他人を好き放題にできた。宗教団体は自分を神だと思って国民を好き放題にできた。政府は神に因[ちな]んだ(神の情報を使った)ことをやって国民を好き放題にできた。
今は科学の時代だから、客観の時代だから、自分が神だと思っても神になれない。あるいは、政府が他人を神に決めても神にできない。人間は人間のままである。
今は科学の時代だから、神はいない。人間しかいない。人間はみな平等である。宗教団体は自分が神だと思って国民を好き放題にできない。政府も他人を神にして国民を好き放題にできない。つまり、国民は宗教団体に従わなくていい。国民は政府の国家宗教の命令に従わなくていい。国民は政府に国家宗教で虐[いじ]められたり殺されたりしなくてもいい。
[15343] 上の者はいない。 h24.8.9
昔は文学の時代だったので、主観の時代だったので、自分が上の者だと思えば上の者になれた。上の者になった者は他人を好き放題にできた。例えば、政府や暴力団は自分が上の者だと思って国民を好き放題にした。
今は科学の時代なので、客観の時代なので、自分が上の者だと思っても上の者にはなれない。人間のままである。人間と人間は平等である。だから、今では政府や暴力団は国民を好き放題にできない。つまり、国民は政府や暴力団に従わなくていい。
[15344] なぜヨーロッパ文化はダメなのか? h24.8.9
ヨーロッパ文化は嘘つき主義である。ヨーロッパ文化では、有能なふりをしている者が出世する。
反対に、インド文化は正直主義である。インド文化では、実力がある者が出世する。
ヨーロッパ文化は主観主義である。ヨーロッパ文化では自分が有能だと思っている者が出世する。
反対に、インド文化は客観主義である。インド文化では実際に才能のある者が出世する。
ヨーロッパ文化では、ボンクラ馬鹿が上になる。実力のない者が上になる。
インド文化では、実力のある者が上になる。
だから、ヨーロッパ文化よりもインド文化のほうがいいのである。
実際に、日本がヨーロッパ文化をやっていた時代には、日本ではボンクラ馬鹿が上になって日本は貧乏だった。反対に、日本がインド文化をやっていた時代には、日本では実力のある者が上になって日本は豊かだった。だから、日本はインド文化をやればいいのである。もっとも、インド文化にも弱点はあるから、日本はインド文化そのものをやる必要はない。要するに、日本は実力主義をやればいいのである。
今はちょうど科学の時代だから、客観の時代だから、実力主義をやればいいのである。
[15345] 政府は国民の役に立たない。 h24.8.10
昔は文学の時代だったから、客観よりも主観で物事が決まった。人間は自分がなりたい者に何でもなれた。昔は自分が上の者だと思えば上の者になれた。上の者になった者は他人を好き放題にできた。
昔の政府は自分が上の者だと思って国民を好き放題にした。国民から税金を取って国民を戦争や国家宗教で虐[いじ]めた。
政府は他の“上の者をやる団体”に勝つために、ちょっとだけ国民の役に立つこともした。法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などをやった。
今は科学の時代だから、主観よりも客観で物事が決まる。人間は人間であって人間以外の何者でもない。今ではいくら自分が上の者だと思っても上の者にはなれない。人間は人間のままである。自分が上の者だと思っても人間は人間であって、上の者ではない。今ではいくら自分が上の者だと思っても他人を好き放題にできない。
今の政府はもはや上の者ではないが、上の者がいないことを知らない馬鹿な国民に「政府が上の者だ」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して好き放題にしている。国民から税金を取って国民を国家宗教で虐めている。
政府はそもそも国民の役に立つ会社ではない。自分が上の者だと思って国民を好き放題にする会社である。今の政府も国民に「政府が上の者だ」という嘘をついて国民に政府を上の者だと思わせて、昔の政府と同じように国民を動物扱いして好き放題にしているのである。
しかし、本当は、今の政府は上の者ではない。今は科学の時代だから、今の政府はただの人間である。人間はみな平等である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。今の政府も本当は自分がただの人間であることを知っているから、自分が国民と平等であることを知っているから、国民が政府に従わなくても国民に何もしない。
政府は国民の役に立つ会社ではないから、国民は政府に従わずに、政府にお金をやらずに、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[15346] 国民は政府の憲法を破ればいい。 h24.8.11
戦前は文学の時代だった。主観で物事が決まった。政府は自分が上の者だと思って上の者になって国民を好き放題にしていた。
戦後は科学の時代になった。客観で物事が決まるようになった。政府がいくら自分が上の者だと思っても上の者になれなくなった。政府はただの人間になった。政府と国民は平等になった。
そこで、政府は国民を支配するやり方を変えて、「国民が政府に従わねばならない」という“嘘[うそ]の憲法”を作って国民を騙[だま]して従わせることにした。つまり、政府と国民は平等だから、政府は本当は国民から税金を取ったり国民に命令したりできないのに、「国民は政府に税金を払わねばならない」(第30条)、「国民は政府の国家宗教の命令を聞かねばならない」(第20条)という“嘘の法律”を定めて、国民を政府に従わせた。国民は政府の嘘に騙されて政府に従った。今の政府は詐欺[さぎ]会社にすぎない。
しかし、そもそも政府の憲法は嘘だから、国民は政府の憲法を守らなくてもいいのである。国民が政府の憲法を破っても、政府は国民に何もしないのである。たとえ罰則が書いてあっても嘘だから、政府は何もしないのである。
政府の憲法を真[ま]に受けて守っている国民が馬鹿である。だから、国民は政府の憲法を破ればいいのである。
[15347] 国民は政府に従わなければいい。 h24.8.11
戦前は文学の時代だった。主観で物事が決まった。政府は自分が上の者だと思って上の者になって国民を好き放題にしていた。
戦後は科学の時代になった。客観で物事が決まるようになった。政府がいくら自分が上の者だと思っても上の者になれなくなった。政府はただの人間になった。政府と国民は平等になった。
そこで、政府は国民を支配するやり方を変えて、「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]を国民について国民を支配することにした。政府は国民みんなで「国民が政府に従わねばならない」ことを決めたことにして国民を政府に従わせた。国民は政府の嘘に騙[だま]されて政府に従った。しかし、本当は国民みんなで「国民が政府に従わねばならない」ことを決めたのは政府の嘘にすぎない。今では政府と国民は平等だから、国民がわざわざ「国民が政府に従わねばならない」というまちがいを決めるわけがない。だから、「国民が政府に従わねばならない」ことは政府の嘘なのである。
「国民が政府に従わねばならない」ことは政府の嘘である。だから、国民は政府の嘘に騙されず政府に従わなければいいのである。
「国民が政府に従わねばならない」ことは政府の嘘だから、国民が政府に従わなくても政府は国民に何もしない。たとえ罰則が書いてあっても罰則が嘘だから、実際には政府は国民に何もしない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。つまり、国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていいのである。
政府は国民を支配することだけが目的である。政府の夢は戦前のように国民を自分の好き放題にすることである。政府は国民の役に立つことはしない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今では『国民が政府に従わなくてもいい』ことは真理である。だから、『国民が政府に従わなくてもいい』ことの証明をみんなで考えればいい。フェルマーの定理の証明のように、『国民が政府に従わなくてもいい』ことの証明ができれば政府はすぐに潰れる。社会学者が100人ぐらいで考えれば、政府は1日で潰れるだろう。学者なら、たとえ自分が死んでも正しいことを考えねばならない。それが仕事というものだ。だから、学者は『国民が政府に従わなくてもいい』ことの証明を考えねばならない。
[15348] どうして今の国民は政府に従っているのか? h24.8.11
国民が他人の嘘[うそ]に騙[だま]されやすいからである。
戦後の政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」という嘘をつくようになったので、国民は政府の嘘に騙されて政府に従っているのである。政府が憲法や社会科の教科書やテレビや新聞のニュースなどで嘘を大々的[だいだいてき]に宣伝して、政府の宣伝力が高いから、嘘がまかり通っているのである。嘘が通って真実が引っ込んでいるのである。
しかし、本当は政府と国民は平等だから『国民は政府に従わなくていい』のである。
だから、国民は政府の言うことを無視して、政府に従わなければいいのである。政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなければいいのである。
今は科学の時代である。客観で物事が決まる時代である。だから、嘘は嘘である。人間は真実には従わなければならないが、嘘には従わなくてもいい。だから、国民は政府の嘘に騙されないようにして、政府に従わなければいいのである。
国民は他人の嘘に騙されやすい。今の政府が儲[もう]かっているのがその証拠である。だから、詐欺師[さぎし]がたくさんいるのである。国民はもっと自分でよく考えて、他人の嘘に騙されないように注意しなければならない。
[15349] 今の政府は国民にまちがったことを教える悪い教師である。 h24.8.11
昔の政府は自分を上の者だと思って上の者をやっていた。
今の政府は国民に「政府が上の者だ」という嘘をついて上の者をやっている。つまり、今の政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」という嘘をついて国民を政府に従わせている。今の政府は国民にまちがったことを教えることによって、国民にまちがったことをやらせている。今の国民のほとんどは政府にまちがいを教えられて、「国民が政府に従わねばならない」ことが正しくて、『国民が政府に従わなくていい』ことがまちがいだと思っている。
今の政府が上の者であるのは嘘である。本当は、今の政府は国民と平等であって、国民に何も命令できないのである。
だから、国民は政府を無視して、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[15350] 今の政府は上の者ではない。 h24.8.12
昔は文学の時代だったから、主観で物事が決まった。昔の人は自分がなりたい者に何でもなれた。昔の政府は自分が上の者だと思って上の者をやっていた。昔の政府は自分が上の者だと思って、国民を好き放題にしていた。
今は科学の時代だから、客観で物事が決まる。今の人はみんなただの人間にすぎない。人間はみな平等である。今の政府はいくら自分が上の者だと思っても上の者にはなれない。今の政府は自分が上の者だという嘘[うそ]をついて国民に政府を上の者だと思わせて上の者をやっている。今の政府は見た目では国民に政府が上の者であるかないかがわからないと思って、上の者のふりをしているのである。
今の政府は本当は上の者ではない。政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていい。
[15351] ヨーロッパは豊かな国ではない。 h24.8.12
ヨーロッパはけっして豊かな国ではない。ただ、眼で見ることにこだわる国である。
反対に、インドはけっして貧しい国ではない。ただ、眼で見ることにこだわらない国である。
ヨーロッパが眼で見ることにこだわる国であるために、立派な建物がたくさん建っているから、一見[いっけん]豊かそうに見えるだけである。
じつは、今のヨーロッパは貧乏なのである。インドや中国のほうがむしろ豊かなのである。
ヨーロッパ文化は女の文化である。女は眼で見ることにこだわるから、ヨーロッパは綺麗[きれい]なのである。女は無駄遣[むだづか]いが好きだから、ヨーロッパはお金を無駄遣いして貧乏になるのである。ヨーロッパ文化は物質的だから、豊かさがわかりやすいのである。
インド文化は男の文化である。男は眼で見ることにこだわらないから、インドは汚いのである。男はくだらないことをやらないから、インドはお金がたまって豊かになるのである。インド文化は精神的だから、一見豊かさがわからないのである。
いくら眼で見ることにこだわっても、実在のことがわかるわけではない。
人間は頭で考える生き物だから、いくら眼で見ることや耳で聞くことにこだわっても幸福にはなれない。無駄[むだ]なことはやめるべきである。
日本の町並みが汚いのは、日本がインド文化である証拠である。日本人にはヨーロッパ人のような眼で見たり耳で聞いたりする喜びがない。だから、日本人は頭で考えねばならない。例えば、政府が何であるかを考えて、自分が政府に従うか従わないかを判断して決めねばならない。
[15352] みんなで社会のルールを守ろう! h24.8.13
昔は文学の時代だった。主観で物事が決まった。みんなが自分がなりたい者に何でもなれた。だから、政府が自分を上の者だと思って上の者をやってもよかった。国民は上の者になりたいと思わなかったので上の者をやらなかった。国民はおとなしく政府に従った。政府は国民を殺したり、国民の財産を奪ってもよかった。
今は科学の時代である。客観で物事が決まる。人間は自分をどんなに思っていようが人間である。だから、政府がいくら自分を上の者だと思っても政府は上の者にはなれない。政府は人間のままである。だから、政府と国民は平等である。政府は国民を支配できない。国民は政府に従わない。政府は国民を殺したり、国民の財産を奪ってはいけない。
社会のルールの中で個人のできることが決まる。個人のやることが決まる。政府も国民も社会のルールに従わねばならない。
昔と今では社会のルールが違う。だから、昔は国民が政府に従わねばならなかったが、今では従わなくていいのだ。
政府の憲法は今の社会のルールに反している。だから、国民は政府の憲法を守らなくていいのだ。政府の憲法はまちがっているから、国民は政府の憲法を守らなければいいのである。政府の憲法よりも社会のルールのほうが強い。だから、国民は社会のルールを守って、政府の憲法を守らなければいいのである。
今では科学が進んで、人間自身にも科学が適用されるようになったから、政府が上の者ではなくなったのである。政府がただの人間になったのである。だから、今では国民は政府と平等にすればいいのである。
今は科学の時代である。だから、政府の言うことよりも私の言うことが正しい。だから、国民は政府よりも私に従えばいいのである。
[15353] 政府は嘘[うそ]つきである。 h24.8.14
昔は文学の時代だったので、人間は不平等だった。
今は科学の時代なので、人間はみな平等である。
それなのに、政府の憲法では政府が国民よりも上である。だから、政府の憲法は嘘である。
政府が政府の憲法を民主主義で作ったと言っているのも、政府の嘘である。本当は政府が自分の独断で作っただけである。民主主義とは政府と国民が平等ということだから、民主主義で政府が上の者であることが決まるわけがない。政府の言っていることは矛盾している。だから、政府は嘘を言っているのである。
政府の言うことは全部嘘の作り話である。
つまり、政府は詐欺[さぎ]会社である。今の政府の仕事は国民を嘘で騙[だま]して国民からお金を取ることである。
国民は政府の嘘に従わなくていい。
だから、国民は政府の憲法を守らずに、政府と平等にすればいいのである。国民は政府に税金を払わずに、政府の命令を聞かなければいいのである。
政府が今の国民みんなが政府の憲法を守っていると言っているのも嘘である。本当は、かなりの国民が政府の憲法を無視して守っていないのである。だから、国民は政府の憲法を守らなければいいのである。
[15354] 政府はどうして上の者だったのか? h24.8.14
昔は文学の時代だった。文学の時代には主観が通った。政府は自分を上の者だと思っていたので上の者だった。一方、国民は自分を上の者だと思わなかったので上の者ではなかった。政府は上の者だったので国民からお金を取って国民を遊び半分に殺した。政府は国民を殺したから上の者だったのではない。政府がただたんに自分を上の者だと思っていたから上の者だったのである。
今は科学の時代である。科学の時代には客観が通る。人間は客観的には人間である。いくら自分を上の者だと思っていても、やはり人間である。だから、今では政府は上の者ではない。政府は国民と平等である。だから、国民は政府に従わなくていい。
今では人間はみな平等である。だから、国民がいくら政府に従いたくても、国民は政府と平等にしなければならない。国民は政府に従ってはいけない。国民は政府に税金を払ってはいけないし、政府の命令を聞いてはいけない。今では『人間がみな平等である』のが社会の決まりである。だから、みんなが『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。
[15355] 文学とは何か? h24.8.14
科学とは実在に従うことである。人間の認識から独立した実在というものが存在すると考えて、実在を知ることである。
反対に、文学とは認識に従うことである。実在の存在を認めず、認識自体が存在すると考えることである。
だから、科学では自分が自分を知ることによって自分になる。科学では『実在の自分』という物を考えて、それを自分が知ることによってはじめて自分がわかる。
反対に、文学では自分が自分だと思ったものが自分である。文学では人間は「自分がなりたい者」に何でもなれる。例えば、自分が上の者だと思えば自分が上の者になれる。
昔は文学の時代だったから、政府が自分を上の者だと思って上の者になって国民を好き放題にしたのである。国民は自分を上の者だと思わなかったから、政府に好き放題にされたのである。
今は科学の時代だから、政府がいくら自分を上の者だと思っても政府は上の者ではない。政府はただの人間である。だから、今の政府は国民を好き放題にできない。政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなければいいのである。
そもそも認識とは脳細胞の神経興奮によって生じる感覚だから、認識自体が存在するわけがない。感覚が存在しているだけである。つまり、人間が思っていることは、人間の頭の上にあるだけであって、実在するわけではない。だから、文学の世界観はまちがっている。だから、文学によって政府が上の者になることはできない。だから、政府と国民は平等である。政府は国民を好き放題にできないし、国民は政府に従わなくていい。
今は科学の時代だから、今の政府はじつは自分が国民と平等であることを知っている。今の政府は国民に自分が上の者だと嘘[うそ]をついているだけである。だから、国民は政府に従わなければいい。
[15356] 今の時代は矛盾がある。 h24.8.15
昔は政府が上の者だった。学校では政府が上の者だと教えられていたし、憲法でも政府が上の者だった。
今は政府は上の者であるかないかがわからない。学校では人間はみな平等だと教えられているが、憲法では政府が上の者になっている。
昔の時代は矛盾がなかったが、今の時代は矛盾がある。政府が上の者であることか人間がみな平等であることのどちらかがまちがいである。
今は科学の時代だから、人間がみな平等であるのが正しく、政府が上の者であるのがまちがいだと考えるべきである。政府が独[ひと]りで嘘[うそ]をついていると考えるべきである。科学と文学を両立させるのは無理である。科学に統一しなければならない。
だから、政府と国民は平等である。
したがって、国民は政府に従わなくてかまわない。
政府は“文学をする団体”である。文学では主観で物事が決まるから、政府は自分を上の者だと思って国民を好き放題にするのである。今は科学の時代だから、政府は滅ばねばならない。哲学的には文学よりも科学のほうが正しい。政府は文学で出来た団体である。つまり、政府はまちがった哲学で出来た団体である。だから、今では政府は滅ばねばならないのである。
そもそも上の者とは、国民を幸福な世界へ導いてくれる者のことではない。親や学校の先生のことではない。上の者とは、国民を動物扱いして虐待する者のことである。だから、国民にとって上の者は要らない。科学では人間はみな平等であることになっているから、国民はいつまでもダラダラと政府に従っているのをやめて、さっさと人間がみな平等である社会にしなければならない。
[15357] 科学と文学 h24.8.15
科学では認識から独立した実在が存在すると考える。自分の眼や耳や頭を使って実在を知ることが科学である。
一方、文学では認識だけが存在して、実在が存在しないと考える。自分の頭の中だけで思うことが文学である。だから、文学では自分が思ったことがそのまま真実となるのである。昔は文学の時代だったから、政府が自分を上の者だと思って、自分が本当に上の者になったつもりになって国民を好き放題にしたのである。
科学では、実在が存在すると考える。だから、実在と同じ認識が真実である。実在と違う認識はまちがいである。実在においては政府も国民も同じ人間である。政府がいくら頭の中で自分を上の者だと思っても、実在においては政府と国民は同じである。だから、政府と国民は平等である。だから、政府は国民を支配できないし、国民は政府に従わなくてもいい。
昔は文学の時代だったから、認識において物事を考えていた。今は科学の時代だから、実在において物事を考えねばならない。認識においては上の者がいたが、実在においては人間はみな平等である。だから、今では政府も国民もみな平等にしなければならないのである。
今は科学の時代だから、“文学の方法”は使えない。つまり、いくら人間が自分を上の者だと思っても上の者にはなれない。だから、政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を無視して自由に生活すればいいのである。
[15358] 今は科学の時代である。 h24.8.16
昔は文学の時代だった。認識において物事が決まった。認識においては人間は自分がなりたい者に何でもなれた。認識においては人間は自分が上の者だと思えば上の者になれた。政府は自分が上の者だと思って国民を好き放題にした。そういうやり方が通用したのは、みんながそういうやり方を認めていたからである。だから、昔は文学の時代だったのである。
今は科学の時代である。実在において物事が決まる。実在においては人間はみな平等である。いくら自分が上の者だと思っても上の者にはなれない。だから、政府はもはや上の者ではない。政府は国民と平等である。政府は国民に命令できないし、国民は政府の命令に従わなくていい。今は科学の時代だから、国民は政府の言いなりになってはいけない。
今は科学の時代だから、文学のやり方は通用しない。文学のやり方は認められない。
だから、今の国民は政府を上の者だと思わず、政府と国民が平等だと思って、政府に従わなければいいのである。
今の政府は見た目では自分が上の者かどうかが国民にわからないと思って、国民に自分が上の者だという嘘[うそ]をついて国民を政府に従わせている。しかし、今は科学の時代だから、本当は今の政府は上の者ではないのである。国民は政府の嘘に騙[だま]されず、政府に従わなければいいのである。
今の政府は今が科学の時代であり自分が国民と平等であることを知っている。今の政府は国民が馬鹿であることも知っている。だから、今の政府は国民に自分が上の者だと嘘をついて国民を騙して従わせているのである。だから、国民は政府に従うのをやめて、自分が馬鹿でないことを政府に示せばいいのである。
政府もあまり国民を騙しすぎたら、あとで国民が自分が政府に騙されていたことがわかって怒った国民に政府が皆殺しにされるから、政府はあまり国民を騙さないほうがいい。政府はほどほどで平等制に切り替えたほうがいい。
[15359] 宗教とは何か? h24.8.16
昔は文学の時代だった。認識だけで物事が決まった。認識においては人間は自分がなりたい者に何でもなれた。人間は自分が神だと思えば神になれた。神は上の者なので人間を好き放題にできた。人間からお金を奪ったり人間を殺したりできた。昔は自分が神だと思えば他人のお金を自由に取れた。
つまり、宗教とは、自分が神だと思って他人のお金を奪うことである。
昔は文学の時代だったので、こんなやり方が通用した。
今は科学の時代なので、こんなやり方は通用しない。科学の時代においては実在で物事が決まる。実在においては人間が自分をどう思おうが人間は人間のままである。今ではいくら自分が神だと思って気張[きば]っても神にはなれない。他人を好き放題にはできない。
昔は自分が神だという理由で他人のお金を取ったり他人を殺してもよかった。
今は自分が神だという理由で他人のお金を取ったり他人を殺したりすることは認められない。
今の宗教団体は自分が他人のために何かいいことをしているからと言って募金を集めて稼[かせ]ぐようになっている。宗教団体は政府と同じように嘘[うそ]つきである。いくらテレビでやっていても嘘は嘘である。テレビは真実を語[かた]るマシンではない。JAROが監視しているというのも嘘である。国民は宗教団体の嘘に騙[だま]されて宗教団体にお金をやってはいけない。
[15360] 今の政府は冗談で上の者をやっている。 h24.8.16
昔は文学の時代だった。認識だけで物事が決まった。昔の政府は頭の中で自分が上の者だと思って国民を好き放題にしていた。国民のお金を取って国民を戦争や国家宗教で遊び半分に殺していた。
今は科学の時代である。実在で物事が決まる。今の政府はいくら自分が上の者だと思っても上の者ではなくなった。国民を好き放題にできなくなった。国民のお金を取って国民を戦争や国家宗教で遊び半分に殺せなくなった。
昔は自分が上の者だという理由で他人のお金を取ったり他人を殺してもよかった。
今は自分が上の者だという理由で他人のお金を取ったり他人を殺したりしてはいけない。
今の政府は本当は上の者ではないのに、国民に自分が上の者だという嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して上の者をやっている。今の政府はイタズラで国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたり国民を国家宗教で殺している。
今の政府が上の者であるのは冗談である。
だから、国民は政府の冗談を無視して政府と平等にやればいいのである。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしなければいいのである。
昔の政府は文学によって上の者になっていた。今の政府は嘘によって上の者になっているのである。
しかし、今は嘘の時代ではない。今は科学の時代である。だから、今では嘘は通用しない。実在が通用するだけである。実在においては人間はみな平等であり、政府は自分が上の者だと言っているから政府が嘘をついていることになる。だから、国民は人間がみな平等であることを守って、政府の嘘に騙されないようにして、政府に従わなければいいのである。
国民のほとんどは、政府がテレビで正しいみたいにしているから政府を信じて政府に従っている。しかし、本当は政府は嘘つきなのである。政府がテレビで正しいみたいにしていることは理由とはいえない。国民はテレビの言いなりになってはいけない。だから、国民はテレビを見るのをやめて、自分の頭でよく考えて政府が嘘つきだと思って、政府に従わなければいいのである。
要するに、今は科学の時代だから文学も嘘も通用しない。今の人は他人の妄想[もうそう]を認める必要はないし、他人の嘘に騙される必要はない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
[15361] 国民は馬鹿である。 h24.8.16
昔は文学の時代だった。認識だけで物事が決まった。認識においては人間は自分がなりたい者に何でもなれた。
そこで、政府は「認識において人間が自分がなりたい者に何でもなれる」ことを利用して、自分が上の者だと思って国民を好き放題にした。
今は科学の時代である。実在で物事が決まる。実在においては人間は人間にほかならない。政府も国民と同じ人間にほかならない。政府と国民は平等である。政府は国民を好き放題にできない。
そこで、政府は「実在において国民が馬鹿である」ことを利用して、国民に政府が上の者であるという嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民を好き放題にしている。
今の国民が政府に従っていることが国民が馬鹿である証拠である。
国民は自分で考えないから馬鹿なのである。国民は自分で考えて政府の嘘に騙されないようにして政府に従うのをやめねばならない。
もっとも、実在においてすべての国民が馬鹿なのではない。馬鹿でない国民もいる。だから、馬鹿でない国民は政府の嘘に騙されず政府に従わなくていいのである。馬鹿でない国民に対しては政府はもはやどうすることもできない。実在においては政府と国民は平等だから、政府は政府に従わない国民に手出しができない。暴力は上の者が下の者に対してやれることであって、平等な者同士の間では暴力をふることはできないのである。つまり、政府は国民に暴力をふって上の者になったのではなく、自分が上の者だと思って上の者だったから国民に暴力をふったのである。平等な者同士の間で暴力をふると悪いことになる。今の政府と国民は平等だから、政府は自分が犯人であることがバレないようにしながら国民に暴力をふっているのである。また、「多数決の原理」は政府が作った嘘の法則であって実在においては「多数決の原理」はないから、たとえほとんどの国民が政府に騙されて政府に従っていても、馬鹿でない国民は政府に従わなくていいのである。
[15362] 馬鹿で儲[もう]ける会社 h24.8.17
国民の多くが馬鹿だから、政府は国民に政府が上の者であるという嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]してお金を取って儲けている。
国民の多くが馬鹿だから、マンガの出版社がマンガを売って儲けている。
政府もマンガの出版社も同じである。どちらも馬鹿を客にして儲けている。
この世に馬鹿がいなければ、政府もマンガの出版社も潰[つぶ]れている。
この世に馬鹿がいるから、政府やマンガの出版社が儲かるのだ。
個人が何をしようが勝手だから、誰も他人のことに口出ししないのだ。
本来マンガを読むのはいけないことだが、マンガを読みたい者は自己責任でマンガを読めばいい。マンガは面白さを増すために、まちがったことがたくさん書かれている。マンガはまちがいの教科書だから、マンガを読んではいけないのである。
それと同じように、今では政府に従うのはいけないことだが、政府に従いたい者は自己責任で政府に従ってもいいのだ。今では政府と国民は平等だから、国民が政府に従うのはいけないことなのである。
[15363] 馬鹿が人類の不幸の原因である。 h24.8.17
私が小学高学年の頃松本零士[まつもとれいじ]の『轍[わだち]』というマンガを読んだことがある。新天地を求めて旅立ったはずの人類が結局昔の地球と同じ暮らしをしているという話である。子供の頃の私は『男おいどん』と『SF』が入り混じったマンガのヘンテコな味に興奮していた。
戦前は国民が政府の尻[しり]に敷[し]かれていた。
戦後も国民は政府の尻に敷かれている。
戦後は国民が政府から自由になる予定だった。政府がなくなる予定だった。新しい世界になる予定だった。
ところがそれがいまだにうまくいっていない。
国民が馬鹿であるために、国民が政府の嘘[うそ]に騙[だま]されているから、うまくいかないのである。
いつの時代も馬鹿がいるためにいい計画が台無[だいな]しにされている。
昔は馬鹿がいるために文学の時代だった。今も馬鹿がいるために嘘の時代である。
馬鹿をなくすことが一番大事である。政府を倒すよりも、馬鹿をなくすほうが先決[せんけつ]である。
[15364] 国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されてはいけない。 h24.8.17
今は科学の時代である。今では政府と国民は平等である。
今の政府は国民に「政府が上の者である」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して政府に従わせているだけである。
しかし、本当は今では政府と国民は平等である。今の政府は上の者のふりをしているが、じつは国民と平等である。
だから、国民は政府に従わなくていい。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしなくていい。
[15365] まちがった知識を持っている者が悪い人間である。 h24.8.18
マンガはまちがいの教科書である。
子供にまちがいを教えると悪い人間になる。反対に、子供に正しいことを教えるといい人間になる。
だから、子供にはまちがいを教えてはいけない。正しいことを教えなければならない。
世の中はまちがった情報に満ちている。だから、親が子供にラジオやテレビやパソコンやマンガや文学などを買い与えてはいけない。たとえ子供がまちがった情報を知りたがっても、親は子供にまちがった情報を与えてはいけない。
まちがった知識を持っている者が悪人である。正しい知識を持っている者が善人である。
だから、大人もまちがいを知ってはいけない。正しいことを知らねばならない。
社会科の教科書はまちがいだから、子供も大人も社会科の教科書を読んではいけない。
幸い、私は子供の頃社会科が苦手で社会科の時間は寝ていたから、まちがいを知らない。
[15366] 国民は政府を誤解している。 h24.8.18
政府の正体は上の者をやる団体である。政府は国民からお金を取って国民を嫌がらせる団体である。
ところが、国民はテレビばっかり見ているので政府を国会だと思っている。政府が国民のためになることをするいい団体だと思って喜んで政府に税金を払ったり政府の国家宗教の命令を聞いたりしている。
国民はテレビばっかり見ているために政府を誤解している。本当の政府を知らない。
そういうのを広告というのである。
国民はテレビから離れて物事を考えて、政府の正体を知らねばならない。
[15367] 政府は道徳のない会である。☆ h24.8.18
昔は文学の時代だった。認識だけで物事が決まった。人間は自分がなりたい者に何でもなれた。だから政府は自分が上の者だと思って国民を好き放題にした。
政府は社会のルールを守っているが、良心がない。道徳がない。
今は科学の時代である。実在で物事が決まる。人間はあくまでも人間であって他の者にはなれない。だから、政府は国民と同じ人間であって、国民を好き放題にできない。
政府は国民が馬鹿なので、国民に政府が上の者だという嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して国民を好き放題にしている。
今の政府は社会のルールを守っているが、やはり良心がない。道徳がない。
国民が馬鹿をやめればいい。国民は政府の嘘に騙されなければいい。今では政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなければいい。
[15368] アメリカ音楽 h24.8.18
アメリカ音楽が柔らかい味付けをして音質が曇っているのは、音楽を知覚化するためである。わざわざノイズを入れるのも音楽を知覚化するためである。
アメリカ人は音楽を耳で聞かないためにあえて原音に知的な味付けをしているのである。
ヨーロッパ人は音楽を耳だけで聞いているから鋭く澄[す]んだ綺麗[きれい]な音がするのである。
知的な音楽を聞くならカニ(Realtek)で十分だ。
音楽を耳だけで聞こうとするとお金がかかる。
[15369] 科学では嘘[うそ]は通用しない。 h24.8.18
昔の政府は文学(認識だけで物事が決まること)で上の者となって国民を支配していた。
今の政府は嘘で上の者となって国民を支配している。
昔はみんなが文学を認めていた。だから、誰も政府に文句を言わなかった。国民はまじめで現実的だったから自分を上の者だと思わず、おとなしく政府に従っていたのである。
今はみんなが科学を認めている。科学においては嘘は通用しない。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されなくていい。国民は政府を上の者だと思わず政府に従わなくていい。
昔の人は「太陽が地球の周りを回っている」と思っていたが、じつは『地球が太陽の周りを回っている』のであった。
それと同じように、今の人は「今の国民は政府に従わねばならない」と思っているが、じつは『今の国民は政府に従わなくていい』のである。今の人は勇気を持って真理に従えばいいのである。真理に基づいて新しい世界を作っていけばいいのである。
[15370] 今の政府は詐欺[さぎ]会社である。 h24.8.18
詐欺師[さぎし]は「言うこと聞かんかったら殺すぞ!」と言って客にガラクタを売っている。
それと同じように、今の政府は「言うこと聞かんかったら法律で罰するぞ!」と言って国民に命令を出している。
しかし、今は科学の時代である。実在で物事が決まる。実在においては人間はあくまでも人間であり、人間はみな平等である。だから、本当は詐欺師も政府も自分の言うことを聞かない国民を罰せないのである。
だから、国民は詐欺師や政府の言うことを聞かなくていいのである。詐欺師や政府の言うことを真[ま]に受ける国民が馬鹿である。世間知らずである。
国民は詐欺師や政府の言うことを真に受けず、「偉かったら殺してみい」と言って命令を断ればいいのである。
[15371] 今では国民は政府に従わなくていい。 h24.8.19
昔は文学の時代だったから、政府が上の者だった。国民は政府に従わなければならなかった。
今は科学の時代だから、政府は上の者ではない。政府と国民は平等である。国民は政府に従わなくてもかまわない。
そこで、政府は『国民が馬鹿である』ことを利用して、国民に「政府が上の者である」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]して政府に従わせている。つまり、国民は学校や社会で「国民は政府に従わねばならない」と教えられているから、政府に従っているのである。馬鹿は他人の言いなりだから、国民は政府の言いなりなのである。政府は馬鹿な国民をなめて、イタズラで国民を国家宗教で殺している。
「多数決の原理」は政府が作った嘘の社会法則である。だから、たとえ大勢の国民が政府に従っていても、政府に従わなくていい。
したがって、国民は政府に従わなくていいのである。今では国民が政府に従うことはまちがいだから、たとえ他人が政府に従っていても自分は政府に従わなければいい。
今では国民は政府に従わない。だから、政府は民間会社と同じように具体的な事業をして、客からお金をもらって稼[かせ]がねばならない。それが、政府の民営化である。
今は科学の時代なので、今では『人間がみな平等である』のが原則だから、政府は原則を守りながら経営しなければならない。政府は国民から税金を取って経営してはならない。
[15372] どうして最近の警察は変なことをするのか? h24.8.19
最近の警察は時々変な事件を起こしている。
そもそも警察は政府の子分である。
昔の警察は政府の指示で国民を虐[いじ]めたり殺したりしていた。
しかし、今では政府と国民は平等である。
そのため、政府は国民を虐められなくなって、代[か]わりに政府は警察に変なことをさせて警察を虐めるようになったのである。政府は私の国家宗教で警察を虐めているのである。例えば、警察がセーラー服を着ていたのは、セーラー服←セラ←ラセ←川ブ(ラ≒川、セ≒ナ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。政府は私の国家宗教で警察にセーラー服を着せたのである。
だんだん政府と国民は平等になってきている。だから、最近の国民は政府に従わなくていいのである。
[15373] 文学をする団体 h24.8.20
政府は文学をする団体である。
昔は文学の時代だったから、現実に文学をやってもよかった。昔の政府は自分が上の者だと思って上の者をやった。政府は国民を自分の好き放題にした。
今は科学の時代だから、文学をやってはいけなくなった。文学は嘘[うそ]の作り事にすぎなくなった。今の政府は自分が上の者だという嘘をついて国民を従わせているにすぎない。
本当は今の政府は上の者ではない。だから、今の国民は政府に従わなくてもいい。
[15374] 上の者をやる団体 h24.8.20
政府は上の者をやる団体である。
昔は文学の時代だったから、認識だけで物事が決まった。人間は自分がなりたい者に何でもなれた。人間は“実在しない者”にでもなれた。“上の者”は実在しない者だった。政府は“上の者”をやりたかったから上の者をやった。政府は国民を自分の好き放題にした。
今は科学の時代だから、実在で物事が決まる。人間はあくまでも人間にすぎない。人間はみな平等である。いくら政府が上の者をやりたくても上の者をやれなくなった。政府は国民を自分の好き放題にできなくなった。
今の政府はしかたがなくなって国民を嘘[うそ]で騙[だま]して上の者をやっている。今の政府は馬鹿な国民を騙して儲[もう]ける詐欺[さぎ]会社にすぎない。
今は科学の時代だから、政府が上の者をやるのは無理だ。政府は滅ばねばならない。
昔の政府は文学(人間が実在しない者になれること)で上の者をやっていた。暴力で上の者をやっていたのではない。国民は文学を認めていたから、政府に従わねばならなかった。
今の政府は嘘で上の者をやっている。嘘なら騙されるか騙されないかは国民の自由である。だから、国民は政府の嘘に騙されないようにして、政府に従わなければいいのである。
今は科学の時代だから、政府は文学が使えない。だから、政府は上の者をやれない。だから、政府と国民は平等だ。だから、国民は政府に従わなければいい。
実在においては人間はみな平等だと決まっている。政府がなんと言おうが人間はみな平等である。政府が実在を決めることはできない。だから、国民は政府に従わなくていい。
[15375] 上の者ごっこ☆ h24.8.20
昔は文学の時代だったから、人間は自分が何なのかわからなかった。そのために、人間は自分がなりたい者に何でもなれた。政府は“人間よりも上の者”を考え出して、自分が上の者だと思って上の者をやっていた。政府は国民を好き放題にした。
今は科学の時代だから、人間は自分が何なのかわかっている。人間は有機物であり、細胞の塊[かたまり]である。そのために、人間は人間にしかなれなくなった。政府は上の者になれなくなった。政府は国民と同じ人間だから、国民と平等にしなければならなくなった。
“上の者”は実在しない生き物である。
昔は文学の時代だったから人間は上の者になれたが、今は科学の時代だから人間は上の者にはなれない。
だから、今の政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
今の政府がどうしても上の者をやりたければ、自分の空想の世界で上の者をやればいい。実在の世界の中で上の者をやってはいけない。
[15376] どうして昔の政府は上の者だったのか?☆ h24.8.20
昔の政府は文学で上の者だったのである。文学では認識だけで物事が決まるので、政府は自分を上の者だと思って上の者をやって国民を好き放題にしていたのである。
昔は文学の時代だったので、みんなが文学が使えたのである。国民も文学を使って政府と同じように多かれ少なかれ上の者をやっていたのである。程度の差はあれみんなが上の者をやっていたのである。例えば、飲み屋の付けとか借金の踏み倒しとかをやっていたのである。
今は科学の時代である。みんなが文学が使えない。だから、今の政府は上の者ではない。政府は国民と平等である。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
今の政府は何かと理由をつけて国民に政府に従わねばならないように思わせているが、それらは政府の嘘[うそ]である。国民は政府に騙[だま]されないようにして政府に従わなければいいのである。
[15377] 政府の作り話の世界は面白くない。 h24.8.20
政府の作り話の世界では国民が政府に従わねばならないことになっている。
しかし、実在の世界では国民は政府に従わなくていいのである。
今は科学の時代だから、国民は政府の作り話よりも実在に従えばいいのである。
つまり、国民は政府に従わなければいいのである。
[15378] 国民の自業自得[じごうじとく] h24.8.20
戦前は文学の時代だったから、人間は自分がなりたい者に何でもなれた。政府は上の者をやって国民を好き放題にしていた。政府はやってもいいことをやっていたので悪くなかった。
戦後は科学の時代なので、人間は実在に従わねばならない。政府は上の者をやっていない。政府はただ「政府が上の者である」という嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]しているだけである。だから、今の政府は悪くない。
今の国民が馬鹿だから政府の嘘に騙されて政府に従っているのである。政府の嘘に騙される国民が悪い。だから、国民は自分を反省して政府に騙されないようにしなければならない。政府に従わないようにしなければならない。
[15379] 政府は国民の税金で遊んで暮らしている。 h24.8.21
政府とは国民の税金で遊んで暮らしている連中のことである。
背広を着て役所で働いている者は、政府の雇[やと]い人である。公務員は政府が国民に「政府がまじめに仕事をしている」と思わせるために雇った者である。公務員は政府のイメージをよくするための飾りである。
本当の政府は、役所に通わず仕事をせず国民の税金で毎日家の近所でブラブラして遊んでいるチンピラのことである。チンピラが退屈しのぎに国家宗教で国民を虐[いじ]めたり殺したりして遊んでいるのである。
政府の目的は国民から税金を取ることである。国民の税金で遊んで暮らすことである。
しかし、今では政府と国民は平等だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。だから、国民は政府に税金を払わず、さっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民の税金で遊んで暮らしているチンピラの集団を葬[ほうむ]ればいいのである。
[15380] 今の政府は国民に暴力がふれない。 h24.8.21
上の者は下の者に対して暴力がふれるが、平等な者同士の間では暴力がふれない。
昔は文学の時代だったので、人間は自分がなりたい者に何でもなれた。政府は自分を上の者だと思って上の者になって国民に暴力をふっていた。
今は科学の時代なので、人間は人間以外の何者でもない。政府は国民と同じ人間である。政府は自分が国民と平等だと思うようになって国民に暴力をふれなくなった。
そのため、今の政府はしかたなく国民に自分が犯人だとバレないように注意しながら、国民に暴力をふっている。国家宗教で国民を殺している。
今の政府は国民に暴力がふれない。だから、国民は政府を恐れる必要はない。今の政府は国民に手出しができないのだから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府にじゃんじゃん逆らえばいいのである。
昔は上の者が下の者に対して暴力がふれた。例えば、昔は男が女や子供よりも上の者だと思われていたので、男は女や子供に暴力をふっていた。しかし、今は人間がみな平等だと考えられているので、男が女や子供に対して暴力をふらなくなったのである。
[15381] 政府は暴力ではなく文学で国民を支配した団体である。☆ h24.8.21
私がこの前「政府が暴力団体である」ことを書いた本をヤフオクに出品したらよく売れた。だから、今の国民の多くは政府が暴力団体だと思っていると考えられる。
だから、今の国民が政府に従っているのは、政府が暴力団体だと思っているからである。国民は自分が政府に逆らうと政府に暴力をふられると思って、政府に従っているのである。
しかし、じつは政府は暴力ではなく文学で国民を支配した団体である。
昔は文学の時代だった。文学では認識だけで物事が決まる。文学では人間は自分がなりたい者に何でもなれる。政府は文学によって自分が上の者だと思って上の者になって国民を好き放題にしたのである。政府は国民を動物扱いして国民に暴力をふったのである。だから、国民は政府に従ったのである。
今は科学の時代である。科学では実在で物事が決まる。科学では人間は実在する人間でしかない。政府は人間である。国民も人間である。だから、政府と国民は平等である。政府は国民を好き放題にできない。政府は国民に暴力がふれない。
今は科学の時代である。科学の時代には文学は使えない。政府はいくら自分が上の者だと思っても上の者になれない。政府は国民に暴力をふれない。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
政府が暴力団体だとすると、戦後政府の力が弱まったのが理解できない。戦後は科学の時代になったのだから、政府は科学兵器で武装してますます国民への支配を強めるはずである。しかし、実際には、戦後は政府の国民に対する支配が弱まっている。だから、政府は暴力団体ではないのである。政府は自分が上の者だと思って上の者をやる文学団体だったのである。
今は科学の時代だから文学はやれない。いくら自分が上の者だと思っても上の者にはなれない。だから、政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくてもいいのである。
今の政府が「国民は政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。「国民みんなで話し合って政府に従わねばならないことに決めた」のは政府の嘘である。政府は国民に嘘をついて政府に従わねばならないように思わせているだけである。本当は、国民は政府に従わなくていいのである。だから、国民は政府に従わなければいいのである。今の政府は文学で国民を支配できなくなったから、嘘をついて国民を支配しようとしているだけである。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されず政府に従わなければいいのである。
[15382] 精神病にかからない方法 h24.8.21
人間の脳には『テレパシー器官』と『鬱[うつ]中枢』がある。
テレパシー器官は分裂病の原因である。鬱中枢は鬱病の原因である。
人間がテレパシー器官と不快中枢を同時に興奮させると、条件反射でテレパシー器官と不快中枢の間に神経連絡ができて、テレパシーが聞こえるたびに不快中枢が興奮して不快感を感じる。これが分裂病である。だから、人間が分裂病にかからないためには、テレパシー器官と不快中枢を同時に興奮させてはならない。
人間が鬱中枢を興奮させる環境にいると鬱中枢が興奮して鬱感(落ち込み感)を感じる。これが鬱病である。だから、人間が鬱病にかからないためには、鬱中枢を興奮させない環境を選択すればいいのである。もしも鬱中枢を興奮させる環境を選んでしまったら、すぐに鬱中枢を興奮させない環境に取り替えればいいのである。
人間の脳にはテレパシー器官と鬱中枢がある。そのことをよく知って、分裂病や鬱病にかからないように注意して暮らせば、分裂病や鬱病にかからずに幸福に生きて行けるのである。
[15383] 男は女と結婚しないほうがいい。 h24.8.22
女が綺麗[きれい]なのは、価値のない者を価値があると思わせるための擬態[ぎたい]の一種である。
だから、馬鹿な男が女に騙[だま]されて女と結婚するのだ。
女は価値のない生き物である。人間的な才能がない生き物である。売れないガラクタをデザインで売っているだけである。
だから、物を見る目のある男は女に興味がないのだ。
[15384] 人間は何のために生きているか? h24.8.22
人間は真実を知るために生きている。出世やお金儲[もう]けのために生きているのではない。
人間は考える生き物である。
だから、人間にとっては考えることが幸福であり、考えないことは不幸である。
[15385] 文学をする団体☆ h24.8.22
政府は文学をする団体である。
昔は文学の時代だったから、実在の中で文学がやれた。政府は自分が上の者だと思って実際に国民を好き放題にしていた。政府は国民からお金を取って国民を戦争や国家宗教で殺して遊んでいた。ドン・キホーテが「騎士道物語」を読んで「騎士道物語」にかぶれて自[みずか]ら騎士をやっていたように、政府は「上の者の物語」を読んで「上の者の物語」にかぶれて自ら上の者をやっていたのである。
今は科学の時代だから、実在の中で文学がやれなくなった。文学は嘘[うそ]の作り話にすぎなくなった。だから、今の政府は言葉の上で自分が上の者だという嘘をついて国民を騙[だま]しているにすぎないのである。
今の政府は言葉の上で上の者にすぎない。政府は実在の中では上の者ではない。だから、国民は言葉の上で政府に従うことにして、実在の中では政府に従わなければいいのである。
[15386] 昔は文学の時代だった。 h24.8.22
今は科学の時代である。今では人間はみな平等であることがわかっている。人間は他人のお金を取ったり他人を殺したりしてはいけない。
ところが、昔の政府は上の者をやっていた。政府は国民からお金を取ったり国民を殺して遊んでいた。
だから、“上の者”は架空の存在である。昔は文学の時代だったのである。
昔は文学の時代だったから、実在の中で架空の存在をやってもよかったのである。
今は科学の時代だから、実在の中で架空の存在をやってはいけない。だから、政府は実際に上の者をやってはいけない。
今は科学の時代だから、実在と空想を分けなければならない。政府は自分の頭の中だけで上の者をやって、実在の中で上の者をやってはいけない。実在の中では政府は国民と平等にしなければならない。政府は国民のお金を取ったり国民を殺したりしてはいけない。
今の政府が「政府は民主主義だから国民は政府に従わねばならない」と言っているのは嘘[うそ]である。国民を政府に従わせるための屁理屈[へりくつ]である。だから、国民は政府の言い訳[いいわけ]を無視して、政府に従わなければいいのである。
昔は文学の時代だった。昔は国民にとって生き地獄だった。昔は政府や暴力団や宗教団体などの上の者が国民を好き放題にしていた。国民の財産を奪って、国民を遊び半分に殺していた。今は科学の時代である。今は平和な時代である。だから、国民は科学をもっと推[お]し進めて、上の者のいない社会にしなければならない。
[15387] 無理が通れば道理が引っ込む。 h24.8.22
今では人間はみな平等であることになっている。
ところが、政府が毎日「国民は政府に従わねばならない」と言っているので、国民のほとんどは政府に従わねばならないと思っている。政府が毎日テレビや新聞や社会科の教科書やその他の本などで「政府はいい団体だ」とか「国民は政府に従わねばならない」とか言っているので、国民は政府に洗脳[せんのう]されて「政府はいい団体だから国民は政府に従わねばならない」と信じ込まされているのである。
今の国民は『人間がみな平等である』ことを忘れている。
国民は小学校で習った『人間がみな平等である』ことを思い出して、政府の洗脳を解いて、政府に従うのをやめねばならない。
[15388] 逆さ日本史 h24.8.22
国民は今がいい時代だから、昔も今と同じようなものだと思っている。
政府は今の時代に合わせて昔の歴史を変えて歴史の教科書を書いている。
政府はそうやっていい人ぶっているのである。しかし、本当は昔の政府は想像を絶するほど凶悪だったのである。昔の政府は平気で国民の物を取って国民を遊び半分に殺していたのである。例えば、政府は国民が作った私鉄を奪って国鉄にしたのである。
政府は凶悪な団体である。今の政府も多少は凶悪である。だから、国民は早く政府を滅ぼさねばならない。
[15389] 社会科の教科書は嘘[うそ]である。 h24.8.22
社会科の教科書によれば、政府は「民主主義の団体」である。
しかし、私の考えによれば、政府は『文学をやる団体』である。政府は自分が上の者だと思ったり、国民に自分が上の者であるという嘘をついたりして上の者をやる団体である。
だから、社会科の教科書は嘘[うそ]である。
社会科の教科書によれば、政府は国の中枢機関だから、国民は政府に従わねばならない。国民は政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならない。
私の考えによれば、今は科学の時代であり文学はやれないから、政府は上の者になれないので、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくていい。
政府は社会科の教科書で嘘をついて国民を騙[だま]して政府に従わせている。
社会科の教科書は嘘である。まちがっている。だから、国民は教科書によらずに自分で政府の正体について考えて、政府に従わないようにしないといけない。
理科の教科書は正しいが、社会科の教科書はまちがっている。学校は何から何まで正しいことを教えるわけではない。学校では社会科は勉強しないほうがいい。
[15390] 今の文学 h24.8.22
文学とは心を書くことである。
人間の脳にはいろんな心がある。
文学は言葉を使って心を書くことである。
今の文学とはそういう意味である。
心は人間が生まれながらに持っている実在に対する原始的な認識である。だから、心にはまちがいがある。だから、文学は学問ではなくただの娯楽である。心を知るとかえって実在がわからなくなる。心のことを知るよりも、眼や頭で実在のことを知るほうがいい。人間は眼や頭で実在のことを知ってから、自分の心を満足すればいいのである。心は子供向けの間に合わせの実在に関する知識である。大人は自分の眼や頭で実在を正確に見て生きていかねばならない。
[15391] 科学の時代においては政府は国民を支配できない。 h24.8.23
昔は文学の時代だった。認識だけで物事が決まった。認識においては政府が国民よりも上の者だった。政府は国民を好き放題にした。
今は科学の時代である。実在で物事が決まる。実在においては人間はみな平等である。政府と国民は平等である。だから、政府は国民を好き放題にできない。国民は政府に従わなくてもいい。
昔の政府は『上の者』として堂々と国民を支配していた。
今の政府はなんだかわからない「屁理屈[へりくつ]」をこねて国民を騙[だま]して従わせているだけである。
今の国民が政府に従わねばならない理由はない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
昔の政府が国民を支配できたのは、昔が文学の時代だったからである。今は科学の時代であって文学の時代ではない。だから、今の政府は国民を支配できないのである。
政府は『上の者』で国民を支配できただけである。政府は「民主主義」では国民を支配できない。今の政府が民主主義で国民を支配できると言っているのは政府の嘘[うそ]である。民主主義では政府と国民は平等だから、政府は国民を支配できない。今の政府は国民を支配できるふりをしているだけである。だから、国民は政府の嘘に騙されず政府に従わなければいいのである。
[15392] 今の政府は“変身”できない。☆☆ h24.8.23
昔は文学の時代だった。認識が実在に従わなくてもよかった。
政府は“上の者”という実在しない生き物を考え出して、自分が上の者だと思って国民を好き放題にしていた。
今は科学の時代である。認識が実在に従わねばならない。
政府は人間でなければならない。政府は国民と同じ人間でなければならない。だから、政府は国民と平等にしなければならない。政府は国民を好き放題にできない。
今の政府は上の者に変身できない。今の政府は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
今の政府は見た目では上の者と人間の区別ができないと思って上の者のふりをして国民を騙[だま]して政府に従わせている。しかし、今は科学の時代だから、政府は上の者ではなく人間である。だから、国民は政府の芝居に騙されずに政府に従わなければいいのである。
[15393] 今の国民は政府をやめられる。 h24.8.24
昔は政府が自分を“上の者”だと思って国民を好き放題にしていた。政府は国民から無理やりお金を奪って国民を戦争や国家宗教で遊び半分に殺していた。
それと同じように、昔は宗教団体が自分を“神”だと思って国民を好き放題にしていた。宗教団体が国民から無理やりお金を取って国民を遊び半分に殺していた。
ところが、私が中学3年生のとき(昭和54年ごろ)、私の家族は日蓮宗をやめた。
今の国民が宗教団体をやめられるということは、政府もやめられるはずである。つまり、今の国民は政府と縁[えん]を切って、政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくてもいいはずである。
今は科学の時代である。今では政府や暴力団は上の者でないし、宗教団体は神ではない。政府も暴力団も宗教団体も国民と同じ人間である。政府や暴力団や宗教団体は国民と平等である。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体を自由にやめられるのである。
[15394] どうして昔の国民は上の者や神をやらなかったのか? h24.8.24
“上の者”とか“神”とかをやる者はヤクザである。
普通の人はまじめだから、そんなことはやらないのである。
世の中にはまじめな人とふまじめな人の2種類がいるのである。
まじめな人が国民で、ふまじめな人が政府や暴力団や宗教団体なのである。
昔は文学の時代だったので、人間が何かがわからなかった。人間は何でもよかった。だから、各自が好き勝手に「自分がなりたい者」をやっていたのである。国民はまじめだから人間をやっていた。一方、政府や暴力団や宗教団体はふまじめだから上の者とか神とかをやっていたのである。上の者や神は人間よりも上の生き物だったので、政府や暴力団や宗教団体は国民を動物扱いして好き放題にしていたのである。国民は政府や暴力団や宗教団体に逆らうと殺されたので表面的には政府や暴力団や宗教団体におとなしく従っていたが、心中[しんちゅう]では嫌なやつだと思って軽蔑[けいべつ]していたのである。
今は科学の時代なので、人間が何かがわかっている。『実在の人間』が人間である。生物学や医学で習ったように、脳や心臓や肺や胃などのいろんな器官が組み合わさって出来ているのが人間である。だから、政府や暴力団や宗教団体が上の者や神になれなくなって国民と同じ人間になって国民と平等になって国民を支配できなくなって、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてよくなってざまあみろと思っているのだ。
昔の国民は政府や暴力団や宗教団体に従わないと殺されたので、昔は国民が政府や暴力団や宗教団体に従う習慣があったのである。
今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくても殺されない。罰せられない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。国民は早く昔の習慣を捨てて、政府や暴力団や宗教団体に従うのをやめねばならない。
[15395] 今の国民はどうして政府に従っているか? h24.8.24
今の国民が、政府が民主主義で国民を支配できないことがわからないからである。
今の国民が、見た目では政府が上の者か人間かがわからないからである。
今の国民が、今が文学の時代か科学の時代か考えていないからである。
つまり、今の国民が政府や社会についてよく考えていないから、昔の習慣に倣[なら]って政府に従っているのである。
今は科学の時代だから、国民はもっと政府や社会について考えて政府や社会のことを知らねばならない。国民は政府に従わなくてもいいことを理解して、政府に従うのをやめねばならない。
[もしも、民主主義で上の者になれるなら、日本中に民主主義の団体が出来ているはずである。しかし、実際には政府以外には民主主義の団体はひとつもない。だから、民主主義では上の者にはなれないのである。今は科学の時代だから、政府は上の者に変身できないから、政府は人間である。政府は国民と同じ人間である。政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくていいのである。]
[15396] 昔は人間が上の者に変身できた。 h24.8.24
昔は人を殺しても法廷で「俺[おれ]は上の者だ」と証言すれば無罪になった。政府や暴力団や宗教団体が上の者として平気で国民を殺していた。
今は科学の時代だから、人間は上の者に変身できない。人間は人間のままである。だから、人殺しがいくら法廷で「俺は上の者だ」と叫[さけ]んでも人殺しとして処罰される。政府や暴力団や宗教団体は国民と平等だから国民を殺せない。
昔と今では時代が違う。昔の政府や暴力団や宗教団体は上の者だったから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わねばならなかった。今の政府や暴力団や宗教団体は上の者ではないから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。
[15397] 今の政府は上の者に変身できない。 h24.8.26
昔は文学の時代だったので、人間が何であるかがわからなかった。人間は自分がなりたい者に何でもなれた。
そこで、政府は実在しない“上の者”という生き物を考え出して、自分が上の者になって国民を好き放題にした。“上の者”は人間よりも上の生き物だったので、政府は上の者になって人間である国民を動物扱いして好き放題にしていたのである。政府は国民の財産を無理やり奪って、国民を戦争や国家宗教で遊び半分に殺していたのである。昔は国民が政府に逆らうと政府に殺されたから、国民は政府に従わねばならなかったのである。
今は科学の時代なので、人間が何かがわかっている。生物学や医学で習ったように、脳や心臓や肺や胃などが組み合わさって出来ているのが人間である。
だから、政府は人間以外の何者でもない。政府は上の者にはなれない。政府は国民と同じ人間である。政府は国民と平等である。だから、政府はもはや国民を好き放題にできない。政府は国民の財産を取れないし、国民を虐[いじ]めたり殺したりできない。今では国民が政府に逆らっても政府は国民に何もできないから、国民は政府に従わなくていいのである。
文学の時代には政府は上の者になれたが、科学の時代には政府は上の者になれない。昔は文学の時代だったから国民は政府に従わねばならなかった。今は科学の時代だから国民は政府に従わなくていいのである。
今の国民が政府に従っているのは、今の国民が『今の政府が上の者ではない』ことがわかっていないからである。民主主義は戦前の政府もやっていたから、民主主義はどうでもいい。国民が政府に従うか従わないかに関しては、民主主義はどうでもいい。国民が政府に従うか従わないかは、政府が上の者かどうかで決まる。とにかく今は科学の時代なので政府は上の者ではない。だから、今の国民は政府に従わなくていいのである。
[15398] 『猿の惑星』 h24.8.26
私は子供の頃にテレビの日曜洋画劇場で『猿の惑星』を見た。
映画『猿の惑星』では、国民が人間で、政府が猿だった。
しかし、実際には、国民が猿で、政府が人間である。今の国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府を上の者だと思って政府に従っているから、国民が政府よりも馬鹿である。だから、本当は国民が猿で、政府が人間である。
『スタートレック』の「タロス星の幻怪人」では、実在においては国民が政府に支配されているのに、政府の嘘によって国民が幸福な世界を見せられていることになっていた。
しかし、実際には、実在においては国民と政府が平等であるのに、政府の嘘によって国民は政府を上の者だと思わされて国民が政府に支配されているのである。
カフカの『変身』では、政府が下の者(巨大な虫)に変身して国民に虐[いじ]められて殺されることになっていた。
しかし、実際には、昔の政府は自分が上の者だと思って上の者に変身して国民を好き放題にしていた。今の政府は上の者に変身できなくなって国民を支配できなくなっている。
文学は科学ではないから嘘が許される。文学は真実と反対のことを述べている。国民は文学に騙されてはいけない。国民が正しいことをわかるためには、文学を読まないほうがいい。
文学は面白本位に書かれている。しょせん文学では正しいことはわからないということである。文学はただ面白いだけである。文学は娯楽にすぎない。人間は頭で考えることによって、はじめて真実がわかるのである。人間は心を働かすよりも頭を働かさなければならない。[[15390]の図を参照。]
[15399] 外人もたいして利口ではない。 h24.8.26
外人も『今の政府は上の者ではないから、国民は政府に従わなくていい』ことがわかっていない。
外人が本当に『今の国民が政府に従わなくていい』ことがわかっていれば、外国の政府はなくなっているはずである。
実際には、今でも外国の政府は残っているから、外人も『今の国民が政府に従わなくていい』ことがわかっていないのである。
頭の中でわかっているだけでは、本当にわかっていることにはならない。
実行してはじめて本当にわかったことになる。
だから、国民は実際に政府に従ってはいけない。国民は政府に従わないことを実行しなければならない。実在の世界から政府をなくさなければならない。
[15400] 馬鹿が儲[もう]ける方法 h24.8.26
理系は利口だから実在のことがわかっているから、人間は人間以外の何者でもないと思っている。理系は自分の才能を磨[みが]いて仕事をしてお金を稼[かせ]いでいる。
しかし、文系は馬鹿だから実在のことがわからないから、いまだに自分が“上の者”だと思って上の者になって他人を好き放題にしている。文系は理系からお金を取って暮らしている。文系は理系の稼ぎで食っている。馬鹿は自分が実在がわからないことを逆手[さかて]にとって上の者になって他人のお金を奪っている。
理系が働いて、文系が遊んで暮らす世の中は嫌だ。利口よりも馬鹿が有利な世の中は嫌だ。
今は科学の時代だから、人間が上の者になることはできない。文系も馬鹿すぎてはいけない。文系もある程度の実在についての常識は要る。だから、文系は上の者になって理系からお金をふんだくるのをやめて、理系と同じように何らかの仕事をしてお金を稼がねばならない。例えば、ファンタジーノベルでも書いて暮らせばいい。