[14701] 国民は政府に税金を払わなければいい。 h24.5.12
今の政府の仕事の中で国民にとって役に立つのは水道とゴミの収集だけである。
だから、自分で水道とゴミの始末[しまつ]ができる国民は、政府に税金を払わずに政府の世話にならなければいい。
自分で水道とゴミの始末ができない国民も、政府に税金を払わずに政府の水道とゴミの収集を無料で使えばいい。
政府は国民と契約を取っていないから、国民がそれらをただで使っても法律的にはかまわないからである。
国民が政府に税金を払わなければ、政府の暴力団体に戦争や国家宗教で嫌がらされなくてもいいから、国民にとっては一石二鳥である。

[14702] 昔の人の人生観 h24.5.13
昔は心主義の時代だった。昔の人は、「人間は生まれつきの心のままで死ぬまでずっと生きるものだ」と思っていた。「人間は生まれつきの心で一生が決まる」と思っていた。
だから、善[い]い心の人は死ぬまでずっと善い人のままで、悪い心の人は死ぬまでずっと悪い人のままだと思っていた。
だから、昔の人は、乱暴者の暴力団体が国民に暴力で乱暴するのをあきらめて容認していたのである。
例えば、私の両親も戦前の生まれなので、そのように考えていた。私の父親は仕事一筋[ひとすじ]で、子供の教育を母親に任[まか]せっきりだった。母親は「男の子のことはわからん」と言ってしょっちゅう嘆[なげ]いていた。母親は私の弟が生まれつき悪い心の持ち主だと考えて、弟を捨てていた。だから、弟は小学高学年の頃から学校に行かなくなって家の中に閉じこもりきりになって人生が終わっていた。幸い、弟は私が30歳の頃(今から約20年前)に急性白血病にかかって死んだ。私の母親は私が生まれつき善い心の持ち主だと思って油断して私に注意しなかった。だから、私が中学3年生の頃からオナニーをやりだして高校1年生のとき精神分裂病にかかってその後の人生がうまく行かなくなった。まったく、親の無知にもほどがある。せめて、人の親なら『オナニーすると気が狂う』ことぐらいは知っていなければならない。自分の子供がオナニーをしていたら注意してやめさせなければならない。
しかし、今は知覚主義の時代である。今の人は『人間は生まれた後で実在を知り、実在の中で実在に従いながら自分の心を満足して幸福に生きていくものだ』と思っている。
だから、今では善い心の人も悪い心の人も法律を守って平等に幸福になることができるのである。
その代[か]わり、今の人は多くの時間を費[つい]やして実在を勉強しなければならないのである。

[14703] 理系の人はどうして社会科が苦手なのか? h24.5.13
理系の人は知覚主義である。つまり、理系の人は知覚で考える主義である。知覚には論理がある。だから、理系の人は論理的に考えることが得意である。論理的に考えることに慣れている。
理系の人は論理的に書かれていることはわかるが、反対に論理的に書かれていないことはわからない。
社会科は論理的に書かれていないから、理系の人にとってはわからないのである。理解できないのである。
生物学も論理的に書かれていないから、理系の人にとってはわからないのである。
論理的に書かれている社会科や生物学の本があれば、理系の人でもよく理解できるだろう。
残念ながら、今のところはまだそういう本がないから、理系の人にとっては社会科や生物学が苦手なままなのだ。理系の人はまだ当分の間は社会科や生物学の勉強で苦しまなければならないのだ。

[14704] 科学する心 h24.5.14
政府は国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせたりしている。政府は今でも国民から税金を取ったり、国民に国家宗教をやらせている。
政府が暴力団体だと考えれば、政府が国民から税金を取ったり国民に戦争や国家宗教をやらせていることが理解できる。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で殺すから、政府は国民から税金を取ったり国民に戦争や国家宗教をやらせることができるのである。
だから、政府を暴力団体だと考えればいい。[物質を波だと考えれば、黒体輻射[こくたいふくしゃ]や原子スペクトルや原子の安定性などが理解できるから、物質を波だと考えればいいのと同じことである。]
ところが、今の社会では暴力が使えない。
今の社会ではみんなが知覚主義だと考えれば、今の社会では暴力が使えないことが理解できる。今の社会ではみんなが知覚主義になって、社会における人間の法則である法律を守るようになったから、暴力を使えなくなったのである。
だから、今の社会ではみんなが知覚主義だと考えればいいのである。今の社会では暴力が使えないと考えればいいのである。[昔の人から見れば、今の人が冷たいと感じられるのは、今の人が知覚主義になったからである。]
したがって、政府は暴力団体だが、今の社会では暴力が使えないから、政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくてもいい。
今は科学の時代だから、人間には科学する心がある。人間は政府や社会を眼で見て頭で考える。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14705] どうして今でも国民は政府に従っているのか? h24.5.14
昔の社会では暴力が使えたから、暴力団体の政府には権力があったから、国民は政府に従わなければならなかった。
しかし、今の社会では暴力が使えないから、政府には権力がないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、国民の多くはいまだに政府に従っている。
国民は政府に従うことから政府に従わないことに変えるのが面倒くさいから、政府に従ったままなのである。
安いプロバイダーがあっても、プロバイダーをいちいち変えるのが面倒くさいから、これまでのプロバイダーから変えないのと同じことである。安い自動車保険があっても、いちいち変えるのが面倒だから、これまでの自動車保険を続けるのと同じことである。
しかし、国民が政府に従わなければ、国民は政府に税金を払わなくてもいいし、政府の戦争や国家宗教などの命令を聞かなくてもいい。政府に従わないほうが、国民にとっては断然お得である。だから、国民は政府に従わないほうがいいのである。

[14706] 『桃太郎』 h24.5.15
『桃太郎』のもとの話は、桃を食べて若返った老夫婦が子供を産んで、その子供が成長して立派な(一説にはぐうたらな)大人になって鬼を倒す話だから、桃太郎は天皇である。天皇は代が替わるごとに若返るから、天皇は桃太郎である。黍団子[きびだんご]は光るトンビのことであり、桃太郎が天皇である証拠である。
桃太郎が鬼を退治する話は、鬼が国民から税金を取る政府のことだから、天皇に政府を倒して欲しいという国民の願望である。昔から国家宗教の神は政府を倒す者だと相場が決まっているようだ。昔から国民にとって政府は邪魔者[じゃまもの]だったのである。
しかし、実際には、天皇は政府と連[つ]るんでいい思いをしているから、天皇は政府を倒してはくれない。
つまり、『桃太郎』の話は天皇家に対する国民のイヤミなのである。

[14707] 『浦島太郎』 h24.5.15
浦島太郎は日本政府のことである。亀は神武天皇である。亀←カメ←カミ←神←神武天皇だからである。また、亀の甲羅[こうら]は丸くて光るので光るトンビのことだから亀は神武天皇なのである。浦島太郎が亀に乗って竜宮城に行ったのは、暴力団体の日本政府が神武天皇を神とする国家宗教で国民の機嫌を取ることをやりながら、暴力で国民を脅[おど]して国民から税を取ることによって日本を支配したことである。
タイやヒラメの舞い踊りとは、日本政府が京都に都を築[きず]いて政府が大いに繁栄したことである。
しかし、時代は流れて、日本人がヨーロッパ文化よりもインド文化を取り入れるようになった。ヨーロッパが暗黒時代に入って、インドのほうがヨーロッパよりも景気がよくなったからである。
政府はヨーロッパ文化で出来た暴力団体なので、日本人にとっては政府が要らなくなった。だから、浦島太郎がもといた村に帰ってみると見知らぬ人ばかりになっていたのである。
玉手箱とは政府の国家宗教のことである。玉手箱の玉とは、光るトンビのことであり、神武天皇のことである。
浦島太郎は玉手箱を開けて死んでしまった。日本政府が滅ぶついでに自分がこれまで国家宗教で悪事をしていたことを国民にいっさい白状したのである。政府は国民に「俺[おれ]はこれまで国家宗教でお前らをさんざん虐[いじ]めてやった。今頃知っても遅いわ、ざまあ見ろ」と言って滅んだのである。

[14708] 『金太郎』 h24.5.15
金太郎は政府の役人の息子で、幕府に入って活躍して出世した伝説の人である。[金太郎は政府の役人の息子だから、金太郎を天皇になぞらえて、金太郎飴[あめ]があるのである。]
日本政府が神武天皇を神としていたように、江戸幕府は金太郎を神みたいにしていたのだろう。
もっとも、江戸幕府は国家宗教はやらなかったが。
だから、『金太郎』の話は短いのである。

[14709] どうして今の国民は自分で考えるのが嫌なのか?☆ h24.5.16
今の政府が国民に“自分で考えるのが嫌になる教育”をしているからである。
だから、国民は自分で考えなくなって、心で思ったり眼で見たりするだけなのである。今の国民が頭で考えて仕事を一生懸命[いっしょうけんめい]にしないから、国の景気が悪いのである。
日本人の思考力が外人に比べて弱いのは、日本政府が国民に“自分で考えるのが嫌になる教育”をしているからである。
知覚主義の社会では政府が滅びる。知覚主義の社会では、みんなが自分の頭で考える。みんなが「政府は暴力団体だが、今の社会では暴力が使えないから、政府は国民を支配できない。」と考えて、政府に従わなくなる。だから、政府は自分が生き残るために国民を自分で考えさせないようにしているのである。
今の政府が国民に国語の教育をしているのは、国民に「心主義の教育」をして国民を心で思うことしかわからない阿呆[あほう]に変えるためである。私が小学低学年の頃に国語が嫌いだったのは、たぶん自分が阿呆に変えられていることに気づいていたからだろう。子供の頃の私は、国語そのものを教えられることには賛成だったが、くだらない作り話を教えられることには反対だったのだ。
今の政府が国民に社会科や生物学の教育をしているのは、国民に「五感主義の教育」をして国民を眼で見ることしかわからない馬鹿に変えるためである。
国民は政府の教育に頼らず、自分で考える練習をして自分の知覚を鍛[きた]えなければならない。
国民は自分が政府に悪い教育をされて、自分が馬鹿や阿呆に変えられないために、早く政府を倒さなければならない。

[14710] 今の国民はおとなしすぎて馬鹿である。 h24.5.16
私が政府が暴力団体であることがわかるのにてこずったのは、国民が政府に逆[さか]らわない理由がわからなかったからである。
じつは、国民は性格がおとなしいから政府に逆らわなかったのである。
しかし、今は暴力が使えない社会である。
それなら、政府は国民に暴力が使えないから、国民は政府を恐れる必要はない。
今の国民が政府に逆らわないのは、国民がおとなしすぎる。今の国民はおとなしいを通り越して馬鹿である。多少おとなしいのは美徳だが、おとなしすぎるのは欠点である。
今では国民も政府も暴力が使えないことでは対等だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
昔の政府は政府の命令を聞かない国民に暴力をふって殺すことができたが、今の政府は国民に言葉の上で命令できるだけである。今では国民が政府の命令に逆らっても、政府は国民に何もできない。だから、国民は政府の命令が気に入らなかったら聞かなければいい。

[14711] どうして国民は政府に従っているか? h24.5.16
昔の社会では政府が暴力を使えたから、国民は政府に従わねばならなかった。政府に従わない国民は政府に暴力で殺された。
今の社会では政府が暴力を使えないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民が政府に従わなくても政府は国民に何もできない。
今はまだ昔の社会で育った大人がたくさんいる。だから、国民は年寄りに付き合っていっしょに政府に従ってやっているのである。
そのうち今の社会で育った者ばかりになれば、国民は政府に従わなくなるだろう。政府は滅んでなくなるだろう。

[14712] 暴力団体は空威張[からいば]りである。 h24.5.17
政府や暴力団や宗教団体は暴力団体である。
しかしながら、今の社会では暴力が使えないから、暴力団体には権力がない。暴力団体は国民に何も命令できない。つまり、今の社会では暴力団体は偉くない。
それなのに、宗教団体や暴力団や政府の連中は偉そうにしている。
宗教の連中は空威張[からいば]りである。偉くないのに偉ぶっている。
宗教の連中は生意気[なまいき]である。目障[めざわ]りである。ガキでも老人でも手加減せずにブチ殺してやればいい。
政府の連中も空威張りである。偉くないのにふんぞり返っている。
政府の連中は生意気である。表に出て落とし前を付けてやればいい。
国民は宗教団体や暴力団や政府の偉そうな雰囲気に騙[だま]されずに、対等に接しなければならない。
宗教団体や暴力団や政府の連中は馬鹿だから、自分が偉かった理由がわかっていないのである。だから、今でも威張っているのである。国民はそんな馬鹿な連中を相手にしてはいけない。

[14713] 政党 h24.5.17
政党は政府が国民の人気を取るためにある。
政党はあたかも特定の職業の者を有利にするかのように思わせている。
しかし、本当は何もしていないのである。
国会は“国民の機嫌を取る機関”なので、国民の機嫌を取るだけで実際には何もやっていないのである。政党は国民からお金をもらうだけで、実際には何もやっていないのである。
実際に国会が特定の職業の者を有利にしたら国がメチャメチャになる。江戸時代も身分制で国がメチャメチャだった。だから、国会はそんなことをしないのである。
どんな職業の者を有利にするかは国民が決めることである。今の医者が有利なのは国民が決めたことである。医者を有利にすれば、国民が質の高い医療を受けられるから、国民は医者を有利にしたのである。だから、国会は何もしなくていいのである。
戦前は心の時代だったので、国民は「人間は心だ」と考えていたので、人間の身体の面倒を看[み]る医者を粗末[そまつ]にしていた。今は科学の時代なので、国民は『人間は身体だ』と考えるようになったので、医者を有利にするようになったのである。[科学とは知覚で物を見ることである。五感だけで物を見ることではない。科学とは人間が持っているすべての感覚を使って実在を見ることである。]

[14714] 時代が変われば、政府の待遇も変わる。 h24.5.18
昔は心の時代だったので、みんなが自分の心のままに好き放題にやっていたので、政府が国民に暴力をふって国民を支配していた。政府は乱暴で国民はおとなしいので、政府が国民に一方的に暴力をふっていたのである。心主義の時代には、乱暴者がおとなしい者よりも有利だったのである。
今は科学の時代なので、みんなが実在の法則に従って暮らすようになったので、政府が国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなった。法律は社会における人間の法則なので、実在に従う者は法律に従うからである。
今の社会では暴力が使えないから、政府は国民に隠れて密[ひそ]かに国民を国家宗教で殺したり嫌がらせたりしているだけである。政府は国民に犯人がわからないようにしながら、国家宗教で事件を起こして国民を殺しているのである。
つまり、やはり今の社会では暴力は使えないのである。政府も国民もみんなが暴力を使えないのである。
政府が暴力団体であろうがなかろうが、とにかく政府が暴力を使えなければ国民は政府に従う必要はない。科学の時代では、人間はみな平等だから、国民が政府に従う必要はない。科学の時代では民主主義は成り立たないから[[14559]を参照]、国民は民主主義の国会に従わなくていい。
時代が変われば、政府と国民の関係も変わるのだ。
心の時代には政府は有利だったが、科学の時代には政府が粗末[そまつ]にされるのだ。政府は心主義とともに去ってしまったのだ。
心の時代には国民は政府に税金を払わなければならなかったが、科学の時代には国民が任意[にんい]で政府にお金を払えばいいのである。政府の世話になりたい国民だけが政府にお金を払えばいいのである。だから、科学の時代には政府は貧乏なのである。
政府がやっている国民の役に立つ仕事は、政府が国民の機嫌[きげん]を取るためにやっているだけのいいかげんなものである。政府が国民に政府をいい団体だと思わせるためにやっているだけである。政府には大勢の暴力団員がいるので、政府の仕事代は国民にとって割高である。国民はさっさと政府を潰[つぶ]してなくして、もっとちゃんと仕事をやる会社を建てたほうがいい。
医療保険と税金の両方では高すぎる。水とゴミのために高い税金を払うのはバカバカしい。だから、国民は税金を払わなければいいのである。

[14715] 法律会社は要らない。 h24.5.18
心の時代には、みんなが自分の心のままに好き放題にやるので法律はあってもないに等しい。
科学の時代には、みんなが法律(社会における人間の法則)を自主的に守るので法律会社(立法と司法をする会社)はなくてもいい。科学の時代には、みんなが自分で法律を考えて自分で法律を守るので、法律会社は要らないのである。
法律のある社会であるためには、法律会社があることよりも、みんなが実在主義であることのほうが大事である。犯罪をなくすためには、法律会社を建てるよりも、みんなに実在主義を徹底[てってい]させればいいのである。
みんなが実在主義であれば、法律会社はなくてもいいのである。テレビがあれば新聞が要らないようなものである。電話があれば手紙が要らないようなものである。
今は科学の時代である。実在主義の時代である。だから、法律会社は要らないのである。今は科学の時代なので、国民は『社会には法律がある』と考えるようになったので、法律会社が建っているだけのことである。法律会社は科学の時代の象徴として建っているのである。実際には、法律会社は仕事がないから、法律会社は要らないのである。法律会社は飾りで建っているだけである。法律会社は楽して儲[もう]かる会社である。だから、今でも暴力団体の政府が法律会社(国会と警察)を囲[かこ]っているのである。法律会社の代[か]わりに政府が儲けているのである。国民が法律会社に払ったお金を政府が横取りしているのである。しかも、今の法律会社は政府の犯罪を見て見ぬふりをしている。国民にとってはそんなふざけた法律会社は要らない。

[14716] 文明社会では暴力団体は滅ぶ。 h24.5.18
いまだに暴力団体が残っているのは、国民の多くがマンガやドラマの見すぎで「文明社会では暴力団体が栄える」と思っているからである。
しかし、本当は『文明社会では暴力団体が滅ぶ』のである。マンガやドラマは実在に反することを描[か]いているので、マンガやドラマの世界では「文明社会では暴力団体が栄える」のである。
文明社会では法律会社が栄える。国民が『文明社会には法律がある』と思っているからである。
法律と暴力は相反[あいはん]する。法律のあるところ暴力はない。
だから、文明社会では暴力団体は滅ぶのである。
文明社会では、暴力団体は暴力が使えないから暴力団体に権力はなく、国民は暴力団体に従わなくてもかまわない。国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。それが、文明社会というものである。

[14717] 今の国民はどうして政府に従っているのか? h24.5.18
今の国民が政府が善[い]い団体だと思っているからである。社会科の教科書には政府が善い団体だと書いているし、テレビや新聞ではいつも政府が善い団体みたいなことをやっているから、国民は政府が善い団体だと思っているのである。政府が“国民の機嫌を取る機関”で国民の機嫌を取っているから、国民は政府に騙[だま]されて政府が善い団体だと思っているのである。
今の国民は政府が国家宗教で国民を殺していることを知らない。
それは、政府が私を神とする国家宗教をやっているからである。
私を神とする国家宗教では政府が私の名前の川野延夫の“川”と“ぶ”の入ったことをやっているので、私以外の国民にとっては政府が国家宗教をやっていることがわからないのである。[一方、神武天皇を神とする国家宗教では政府が“光る玉”の入ったことをやるので、ほとんどの国民に政府が国家宗教をやっていることがわかる。]
今の社会ではみんなが法律を守らなければならないにもかかわらず、今の政府は私を神とする国家宗教をやって国民を殺したり嫌がらせたりして国民を虐[いじ]めているのである。つまり、政府の性格は昔も今もほとんど変わっていないのである。政府が公[おおやけ]に国民の眼の前で暴力を使わなくなったこと以外は昔と同じなのである。
今の政府は国民を殺している。だから、政府は悪い団体である。
今は科学の時代である。今は実在主義の時代である。今はみんなが法律を守らねばならない。だから、法律を破って国民を殺している政府が悪い。今は科学の時代だから、実在においては人間はみな平等だから、今はみんなが平等にしなければならない。だから、国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教などの命令を出している政府が悪い。したがって、国民は政府の命令に従ってはいけない。[反対に、昔は心主義の時代だったので、みんなが自分の心のままに好き放題にやってもよかったので、国民は政府が何をやってもいっさい文句を言わなかったのである。昔は政府が法律を破って国民を殺してもよかったのである。]
今は科学の時代だから、国民は科学の時代にふさわしいことをしなければならない。国民は時代遅れなことをやってはいけない。国民は昔の心主義の時代にやっていたことをやってはいけない。
今は科学の時代だから、政府の理屈は通用しない。今は政府の時代ではなく、科学の時代なのである。だから、国民は政府の言うことを無視して勝手にやればいいのである。
科学の時代には、国民は『人間は平等だ』と考えているから、国民は政府に従わない。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしない。戦前は心の時代だったので、乱暴者がおとなしい者に暴力をふって命令することができたので、国民は「人間は不平等だ」と考えていたので、国民は暴力団体の政府に従っていた。今は科学の時代なので、国民は『人間は平等だ』と考えるようになったので、国民は政府に従わなくなったのである。

[14718] 昔の政府は正しかったが、今の政府はまちがっている。 h24.5.19
昔は心の時代だったので、政府が国民に何をしてもよかった。国民は政府に殺されても文句を言えなかった。昔の社会では政府は何をしてもよかったので、昔の政府は正しかった。[昔の社会では、私はまちがいなく政府に殺されていただろう。]
しかし、戦後からは科学の時代になった。実在主義の時代になった。だから、政府も国民もみんなが法律を守らなければならなくなった。[戦後に心主義から実在主義に変わった。主観主義から客観主義に変わった。戦後に世界が180度ひっくり返ったのだ。]
それなのに、政府は今でも国家宗教で国民を殺したり嫌がらせたりしている。政府は私を神とする国家宗教をやることで、国民に知られないように国家宗教をやっているのである。
政府は、また国民から税金を取っている。戦後は国民と政府が平等だから、政府は国民から税金を取れないはずである。
だから、今の政府はまちがったことをやっている。やってはいけないことをやっている。だから、今の政府が悪い。今の社会では政府は国民と平等にしなければならないので、今の政府はまちがっている。
したがって、今の国民は政府に従わなくていい。国民が政府に従わなくても、国民は今の社会において正しいことをしているのだから政府は国民に文句が言えない。政府は国民に何もできない。

[14719] 昔の人の人生観☆ h24.5.19
私は子供の頃は「自分の心が正しい」と思っていた。「人間はみんな自分の心に従って生きていけばいい」と思っていた。つまり、「人間は自分が楽しいと思うことをやればいい」と思っていた。
昔の人も子供の頃の私と同じように、自分の心が正しいと信じて生きていたにちがいない。
だから、生まれつき心が残酷[ざんこく]な政府は自分の残酷な心を正しいと信じて国民を殺しまくっていたのである。
しかし、私が中学3年生の頃からオナニーをして高校1年生のとき精神分裂病にかかってからは、もはや自分の心が正しいとは思わなくなった。自分の心が信用置けないと思った。
人間は自分の心のままに生きていたら幸福にはなれないのだ。
私はその頃から28歳の頃に『哲学第一原理』(つまり、脳細胞の神経興奮で感覚が発生すること)を発見するまでの間、自分が信じる主義もなくさまよっていた。
私は28歳の頃に哲学第一原理を発見して、ようやく実在主義になることができた。つまり、『人間は実在を知り、実在の中で自分の心を満足して生きていけばいい』のである。
私の親が実在主義なら私はもっと早く実在主義がわかっていたが、私の親は戦前の生まれで心主義なので、私はなかなか心主義から脱することができなかったのだ。
世の中が今よりももっと進んで、みんなが実在主義で生きているようになれば、子供たちは自然に実在主義が身について自分で意識しなくても実在主義で暮らすようになるだろう。
昔は人間がまだ実在のことがわからなかったから、人間は自分の心に従って生きていくしかなかった。今は人間が実在のことがわかっているから、人間が実在に従って生きていくことができるのである。人間は自分の心に従うよりも実在に従ったほうが幸福に生きていくことができる。だから、人間は心主義をやめて実在主義になればいいのである。
知識は幸福のもとである。だから、人間は知識を身に付けて知識を守りながら幸福に暮らせばいいのである。

[14720] ショペンハウエルの哲学 h24.5.19
『人間が自分の心のままに好き放題に生きている』ことを始めて発見したのはショペンハウエルである。
それまでの学者は難しい理屈をこねて、なんとか人間を知的な生き物にしようとして、人間の正体が見えていなかった。
ショペンハウエルは、“人間が自分の心を表現したもの”として世界を捉[とら]えた。世界を人間の心の表現として捉えた。[私は高知大学の学生だった頃、夏休みに人気[ひとけ]のない大学に通って蒸し暑い教室の中で汗水たらしながらひと夏かけてショペンハウエルの『意志と表象としての世界』(中央公論社の訳書)をわけもわからずに読破したものだ。こうして私は哲学への意志を勉強したのだ。]
しかし、それは昔のことである。ショペンハウエルが生きていた当時(19世紀半[なか]ば)は、みんながまだ心主義で生きていたのである。
今では人間は実在主義で生きている。人間は実在を知り、実在の中で自分の心を満足して生きている。人間は心主義で生きるよりも実在主義で生きたほうが幸福に生きていける。だから、人間は心主義から実在主義に鞍替[くらが]えしたのである。

[14721] 人間にとっては心主義よりも実在主義のほうが幸福に生きていける。 h24.5.19
昔の人は実在がわからなかったから、心主義だった。自分の心を正しいと考えて自分の心に従って生きていた。昔の人は自分の心しかわからなかったから、自分の心のままに生きていくしかなかった。
今の人は実在がわかっているから、実在主義である。実在を知り、実在に従いながら自分の心を満足して生きている。今の人は実在がわかっているから、実在についての正しい知識を知り、正しい知識を守って暮らしている。
人間にとっては心主義よりも実在主義のほうが幸福に生きていける。だから、みんなが心主義から実在主義に変わったのだ。
今ではみんなが実在主義だ。みんなが法律を守るようになって暴力をふらなくなった。だから、今では暴力団体が滅んでいるのだ。
悪いのは暴力団体ではない。心主義だ。心主義が暴力団体の生みの親である。今では実在主義が心主義を倒した。今では心主義が滅んだから、暴力団体もなくなっているのだ。[『仮面ライダーブラック』で悪の軍団ゴルゴムの首領が心臓の形をしていたのは、“心”主義が暴力団体の生みの親だからである。]
実在主義の歴史は始まったばかりだ。実在主義でやらねばならないことはいくらでもある。今後の人類は実在主義の世界を作っていかねばならない。そのためには、まず、手始めに暴力団体をなくさねばならない。
今は実在主義の時代である。みんなが『実在を知り、実在に従いながら自分の心を満足すればいい』と考えている。しかし、みんながまだ具体的に実在のすべてのことを知っているわけではない。例えば、実在の政府や社会を知らない。だから、いまだに国民の多くが政府に従っているのである。国民は早く実在の政府や社会を知って、『政府は暴力団体だが、今の社会では暴力が使えないので、国民は政府に従わなくてもかまわない』と考えて、政府に従うのをやめねばならない。[反対に、昔は心主義の時代だった。昔の人は心主義だったので、実在を知ろうとせず、自分の心のままに動いていた。だから、昔の人は政府や社会について何も知らなかった。昔の人にとっては、自分が実在について何も知らないことが誇[ほこ]りだった。昔の人は心で物を見るだけだった。昔の人は、政府が国民の機嫌を取っていたので単純に政府を善[い]い人だと思って政府に従っていたのである。あるいは、非常時(例えば、戦時中)には政府が国民を暴力で脅[おど]すのが怖くて政府に従っていたのである。今は実在主義の時代だから、国民は実在の政府や社会について頭で正しく知り、政府に従わなければいいのである。実在よりも心を優先するのが心主義である。反対に、心よりも実在を優先するのが実在主義である。実在においては、今の社会では国民は政府に従うべきではない。だから、たとえ今の国民が心で政府に従いたくても、国民は頭で考えて政府に従ってはいけないのである。]

[14722] 大陸移動説と政府滅亡説 h24.5.19
眼で見ても大陸は動いていない。
しかし、実際にはゆっくりと大陸は動いている。
今では大陸移動説が正しいと考えられている。
それと同じように、眼で見ても政府は滅んでいない。
しかし、実際にはゆっくりと政府は滅んでいる。
今では政府滅亡説が正しいのである。
今では政府が滅亡しているから、国民は政府に従わなくていいのである。
今ではみんなが実在主義だから、国民は政府に従わなくていいのである。

[14723] 今は時代の変わり目である。☆ h24.5.20
心主義の社会では、政府が国民を支配できる。一般に、暴力団体が暴力を使って国民を支配できる。
反対に、実在主義の社会では、政府が国民を支配できない。一般に、暴力団体が暴力を使えず国民を支配できない。
今は心主義の社会から実在主義の社会に変わっている。
だから、政府が国民を支配できることから支配できないことに変わっている。
したがって、国民は時代の変化に便乗[びんじょう]して、政府に従うのをやめればいい。国民は政府に従うことから政府に従わないことに変わればいい。
水が100℃で液体から気体に変わるように、今の時代は国民が政府に従うことから政府に従わないことに変わっている。今は社会の相転移の真っ最中なのである。
明日は金環日食が見られるが、それよりももっと面白い現象が今の社会で起こっているのである。
今は時代の変わり目だから、過去から未来に突き進めばいい。
歴史は繰り返さない。前進するのみだ。

[14724] 国民は政府よりも社会を見なければならない。 h24.5.20
今の国民はテレビや新聞で政府を見るだけで、実在の社会を見ていない。
だから、今でも国民は政府に従っているのである。
まさに『灯台下[もと]暗し』である。
国民が政府に従うか従わないかを決めるのは、社会である。
昔の社会は心主義だったから、国民は政府に従った。
今の社会は実在主義だから、国民は政府に従わない。
だから、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。
政府が役に立っているかどうかは、人によってそれぞれ違う。[たぶん、役に立っていないと思うが。]
しかし、国民が政府に従わなくていいことは、みんなにとって同じである。
だから、国民はみんな政府に従わなければいいのである。
政府はお金持ち馬鹿から税金を取るだけにしろ。

[14725] キリスト教 h24.5.20
キリスト教は本国ヨーロッパでは潰[つぶ]れている。
そのために、キリスト教はいまだに宗教が盛んな田舎[いなか]の国に出かけていって、威張[いば]っている。キリスト教は田舎の国の国民に暴力をふって命令している。
キリスト教は日本が田舎の国だと思って馬鹿にするな。
今は実在主義の時代である。神は架空の世界にいるのであって、実在の世界には神はいない。だから、宗教をやってはいけない。
宗教をやる暇があったら、実在について勉強すればいい。

[14726] 今の人は“政府と国民の関係”を誤解しているために政府に従っている。 h24.5.20
今の人は実在主義だが、実在がわかっていない。つまり、今の人は『実在を知り実在に従わねばならない』と思っているが、肝心[かんじん]の実在が何であるかがわかっていない。
だから、例えば、今の人は教科書やテレビや新聞でやっている通り「国民は政府に従わねばならない」と思って、政府に従っているのである。国民は政府の命令に従ってせっせと政府に税金を払っているのである。政府の命令で戦争や国家宗教をやっているのである。今の人は学校で「国民は政府に従わねばならない」と教えられたから、政府に従っているのである。今の人は社会科の教科書が正しいと信じているから、政府に従っているのである。
昔の人は心主義(つまり阿呆[あほう])だったから、当然実在のことがわかっていなかった。政府や社会のことがわかっていなかった。昔の国民は自分の気分で政府に従っているだけだった。
そのために、今のところはまだ政府や社会についての正しい知識がない。だから、今の人もまだ“政府と国民の正しい関係”がわかっていないのである。
ところが、私が自分の経験から考えたところでは、政府の正体は暴力団体である。政府は暴力に物を言わして国民に命令する団体である。ところが、今の社会では暴力が使えない。今の人は実在主義だから、今の人はみんな法律に従わねばならないと思っているから、今の社会では暴力が使えない。だから、政府も国民に暴力が使えない。だから、政府は国民を支配できない。つまり、『国民は政府に従わなくてもかまわない。』実在においては『国民は政府に従わなくてもいい』のである。
今の国民は実在を誤解しているから政府に従っている。
国民は早く正しいことを理解して、政府に従うのをやめねばならない。
つまり、戦後から国民は実在主義になった。しかし、今のところはまだ国民は“政府と国民の正しい関係”がわかっていない。そのギャップ(隙間[すきま])を利用して今の政府は国民を従わせているのである。だから、国民は早く政府と国民の正しい関係を知って、政府に従うのをやめねばならない。それでこそ、本当の実在主義だ。
実在主義は戦後に始まったばかりである。それまでは、国民が実在について知ることがなかった。だから、今の国民が“政府と国民の正しい関係”がわかっていないのも無理はない。だから、国民は早く“政府と国民の正しい関係”を理解して、政府に従うのをやめればいいのである。
政府は国民が“政府と国民の正しい関係”(つまり、『国民が政府に従わなくてもいい』こと)がわかるまでの間、国民を政府に従わせていたのである。だから、国民が“政府と国民の正しい関係”がわかれば、国民は政府に従わなくてもいいのである。
今では国民が政府に従わなくてもいい。今の政府は潰[つぶ]れかけの会社である。だから、表の総理大臣も裏の暴力団体も偉くないのである。

[14727] 今は実在主義の時代である。 h24.5.21
今の人は「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」のではなく、『地球が太陽の周りを回っている』と考えている。地球は太陽に比べてはるかに小さくて軽いから、地球が太陽の周りを回っているのである。
それと同じように、今の人は「実在が心に従わねばならない」のではなく、『心が実在に従わねばならない』と考えている。心は脳細胞の神経興奮で発生する感覚にすぎないから、心が実在に従わねばならないのである。心には実在の法則を変える力はないのである。[世界大戦は、人類に心主義がまちがっていることを教えるためのおしおきのようなものだったのである。人類みんなが心主義だったから、政府が国民を支配して、政府が国民に戦争をやらせて国民が痛い目にあわされたのである。世界大戦によって、人類は心主義では自分が痛い目にあわされることがわかった。だから、戦後は人類みんなが心主義をやめて、実在主義に変わったのである。要するに、世界大戦とは人類が世界を二つに分けて戦ったことである。連合国も枢軸国もあったもんじゃない。人類みんなが心主義だったのである。人類みんながまちがっていたのである。/人間はその気になれば法律を犯すことができるが、法律を犯すと社会が壊れるからいけないのである。社会を壊すことは自分を壊すことになるからいけないのである。だから、法律は社会における人間の法則なのである。法律は社会の恒常性(ホメオスタシス)を保障しなければならない。法律は社会を維持し発展させるものでなければならないのである。社会は電化製品のようなものである。社会は道具である。法律は社会の取扱説明書である。取扱説明書を守らなければ電化製品が壊れるように、法律を守らなければ社会が壊れるのである。社会はみんなの共有財産である。法律を犯して社会を壊した者にはそれなりの罰[ばつ]が与えられる。それが刑罰である。]
だから、今は実在主義の時代である。
実在主義の時代は科学の時代である。知覚の時代である。人間が実在に従うためには実在を知らねばならないから、実在主義は知覚主義なのである。

[14728] どうして政府や社長がいるのか? h24.5.21
昔は心主義の時代だった。昔はみんなが実在がわからないと決め込[こ]んで、みんなが自分の心のままに好き勝手に生きていた。
昔は心主義の時代だったから、みんなが心主義の社会を作ろうと考えて、乱暴者を政府や社長にして上の者として崇[あが]めて、みんなが政府や社長に従っていたのである。
しかし、今は実在主義の社会である。今ではみんなが実在がわかると考えて、みんなが実在を知り実在に従いながら自分の心を満足して生きている。心主義よりも実在主義のほうが幸福に生きていけるから、みんなが心主義から実在主義に変わったのである。
今は実在主義の時代だから、みんなが実在主義の社会を作ろうと考えて、みんなが政府や社長に従うのをやめて、みんなが実在についての真理に従って生きているのである。
政府や社長は昔の心主義の時代の名残[なごり]である。政府や社長は今でも心主義で自分の心のままに好き勝手にやっている。今は実在主義の時代である。だから、さっさと今の世の中から政府や社長を追い出さねばならない。
今ではみんなが実在主義でやろうとしているのに、政府と社長だけが心主義でやろうとしている。今は実在主義の時代なのに、政府と社長だけが心主義でやっている。だから、みんなで目障[めざわ]りな政府と社長を倒さねばならない。

[14729] 信者とは何か? h24.5.22
信者とは、心主義の国民のことである。
今では国民のほとんどは実在主義である。ただし、政府や社会についてまだ知らないので、今のところは政府に従っている。
信者は心主義である。信者は昔の国民のように政府の命令で何でもやる危険な連中である。信者は自分が心主義だから法律を犯してもいいと思っている危険な連中である。
今は実在主義の社会だから、みんなが実在主義をやっている。だから、信者はまちがっている。
信者は早く他の国民を見習って実在主義にならねばならない。
国民は早く政府や社会のことを知って、政府に従うのをやめねばならない。
政府は早く今の社会を知って、国民を支配するのをやめねばならない。[大会社はバカの溜[た]まり場だから、政府は暴力団よりも今の社会がわかっていないのだろう。]

[14730] 社会科の教科書はマンガである。 h24.5.23
社会科の教科書には「国民は政府に従わねばならない」「政府はいい団体だ」と書いている。
国民は社会科の教科書を真[ま]に受けて、政府をいい団体だと思って政府に従っている。
そんな気持ちではマンガも読めない。
マンガは実在と反対のことを描[か]いている。
だから、マンガを読むためには、実在はマンガと反対だと考えなければならない。
社会科の教科書はマンガである。
だから、実在は社会科の教科書と反対だと思えばいいのである。
つまり、本当は、政府は悪い暴力団体であって、国民は政府に従わなくていいのである。

[14731] 今の人はいそがしくて実在を知る暇[ひま]がない。 h24.5.24
今は実在主義の時代である。
今の人は実在を知り、実在に従いながら自分の心を満足して生きている。
しかし、実際には、今の人は実在について知ろうとしない。
例えば、今の人は政府や社会について知ることをしない。だから、今の国民は戦前と同じように政府に従ったままである。
もっとも、今の人は仕事や勉強でいそがしくて、政府や社会について考える暇がないからやむをえない。
肝心[かんじん]の社会科学の学者は眼先で他人の本を読むだけで自分の頭で考えないから、実在の政府や社会のことがいつまでたってもわからない。
だから、私が仕事を休んでボンクラの社会学者の代[か]わりに政府や社会について考えてやった。
その結果、『政府は暴力団体だが、今の社会では暴力が使えないから、国民は政府に従わなくてもかまわない』ことがわかった。
だから、国民は私の結論を信じて、政府に従うのをやめればいいのである。私の考えを正しいと思う者は、私の結論に従えばいいのである。実在主義の時代には、人間は“実在についての正しい考え”に従うことが義務だから、私の考えを正しいと思う者は、私の考えに従わねばならない。
今の人の知的レベルなら、私の考えを十分理解できるだろう。だから、今の人は政府に従わなくていいのである。

[14732] どうして昔は天動説だったのか?☆ h24.5.24
昔の人が五感主義だったからである。
五感では、「地球が止まっていて、空の星が動いている」ように見えるから、天動説だったのである。昔の人は、この世が眼で見たままだと思っていたのである。
しかし、近代になって、『遠くの物が小さく見える』ことが発見された。遠近法が発見された。
そのために、空の星が実際には地球よりも大きいことがわかって、地動説に変わったのである。
人間が知覚で考えるようになって知覚主義になったために、地動説になったのである。
人間がだんだん知覚で実在のことがわかるようになったので、実在主義になったのである。
人間が実在のことがわかるようになったので、人間は実在を知り実在に従いながら自分の心を満足して生きるようになったのである。昔は、人間は実在のことがわからなかったから、人間は自分の心のままに闇雲[やみくも]にガムシャラに生きていたのである。昔は人間が好き放題にやれたのである。乱暴者が有利だったのである。昔は、人間が実在のことがわからなかったから、『実力』よりも眼で見える「肩書き」が物を言った。肩書きのいい者が有利に生きていけた。
人間が実在のことがわかるようになったために、人間の生き方そのものが変わったのである。
五感主義や心主義は実在主義に敗[やぶ]れて、なくなったのである。貴族や暴力団体がなくなったのである。
貴族は「家柄[いえがら]がいい」から偉かったのである。五感主義では理由のないことが通用するから、貴族が偉かったのである。五感主義では「家柄がいい人が偉い」と考えられていたので、貴族が偉かったのである。しかし、実在主義では人間は平等だから、貴族がなくなったのである。実在主義では地位や家柄などの肩書きが通用しないので、貴族がなくなったのである。
暴力団体は暴力をふっていたから偉かったのである。心主義では人間が自分の心のままに好き放題にやれたので、暴力団体が暴力で国民を支配して偉かったのである。しかし、実在主義では、人間はみな法律を守らなければならないので、人間が暴力をふれなくなって、暴力団体がなくなったのである。みんなが眼で見えない法律がわかるようになって暴力をふらなくなったので、暴力団体がなくなったのである。
昔は五感主義や心主義の時代だったから、貴族や暴力団体がいた。
今は実在主義の時代だから、貴族も暴力団体もなくなったのである。
家柄は眼で見えるけれど実在しない。法律は眼で見えないけれど実在する。今は実在主義の時代なので、家柄がなくなって法律があるようになった。そのために、貴族や暴力団体がなくなった。
今では実在主義が心主義に勝った。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
昔の人は五感主義や心主義だったから、貴族や暴力団体に従った。昔の人は眼で見えることをそのまま真[ま]に受けていたから「家柄」の高い貴族に従った。昔の人は心で物を見ていたから、「暴力」で脅[おど]す暴力団体が怖[こわ]くて暴力団体の言いなりだった。今の人は実在主義だから、貴族や暴力団体に従わない。今の人は家柄が実在しないことがわかっているから、貴族に従わなくなったのである。今の人は法律が実在することがわかっているから、暴力をふるのがいけないことだと考えているから、暴力団体が暴力をふるのを許さなくなって暴力団体に従わなくなったのである。国民は政府が暴力をふるのを許さなくなって政府に従わなくなったのである。

[14733] 昔の人は馬鹿だったから、昔の社会には法律がなかった。 h24.5.24
昔の人は馬鹿だったから、法律があることを知らなかった。昔の人は「家柄」はわかったが、『法律』はわからなかった。昔の人はまちがったことはよくわかったが、正しいことはまったくわからなかった。昔の人は我々の想像を絶する大馬鹿[おおばか]だった。
だから、昔の社会には法律がなかった。みんなが自分の心のままに好き放題にやれた。
そのため、政府が暴力を使って国民を支配できた。誰も政府を咎[とが]めなかった。
反対に、今の人は利口だから、法律があることを知っている。
だから、今の社会には法律がある。みんなが法律を守らなければならなくなっている。みんなが自分で法律を守っているし、他人が法律を犯すのを許さない。
そのため、政府が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなっている。
だから、国民は政府の命令を無視して自由に暮らせばいいのである。
今の人は実在を勉強するようになったから、実在を知っているのである。
昔の人は実在を勉強しなかったから、実在を知らなかったのである。
今では実在のことがよくわかるようになったから、みんなが実在を知っているのである。
昔は実在のことがまだよくわからなかったから、みんなが実在を知らなかったのである。
昔の人は法律がないと考えていたから、昔の社会には法律がなかったのである。
今の人は法律があると考えているから、今の社会には法律があるのである。
昔も法律はあったが、みんなが実在を勉強しなかったので、みんなが法律を知らなかったので、昔の社会には法律がなかったのである。暴力団体にとっては暮らしやすい世の中だったのだ。
今ではみんなが実在を勉強するようになったので、みんなが法律を知っているので、今の社会にはは法律があるのである。暴力団体にとっては暮らしにくい世の中になったのである。
昔は実在についての知識が学者だけのものだったので、みんなが実在を知らなかった。
今では実在についての知識が一般大衆に普及したので、みんなが実在を知っているのである。
昔は実在主義の時代ではなかったから、みんなが実在を知らず、実在に従っていなかった。
今は実在主義の時代だから、みんなが実在を知って、実在に従うようになったのだ。

[14734] 実在主義が世の中を変える。 h24.5.24
昔は実在主義の時代ではなかったから、「家柄」[いえがら]があって『法律』がなかった。だから、貴族や暴力団体があった。
今は実在主義の時代だから、家柄がなくて法律があるのだ。だから、貴族も暴力団体もなくなっているのだ。
国民の支持が得られなければ貴族も暴力団体も存在できないのだ。
昔は実在主義の時代ではなかったから、みんなが「空想の世界」に生きていた。だから、貴族や暴力団体などという変な連中がいた。
今は実在主義の時代だから、みんなが『実在の世界』に生きている。だから、貴族や暴力団体などという変な連中がいなくなっているのだ。
今はまだ実在主義が十分ではないから暴力団体が残っている。みんなで実在主義を推[お]し進めて、暴力団体を倒さなければならない。実在主義を推し進めてはいけないという法律はない。だから、推し進めればいいのである。[みんなが家柄がないことがわかるのが法律があることがわかるよりもたまたま早かったから、先に貴族がなくなっただけのことだ。世界大戦や政府の憲法なんかどうでもいい。みんなが法律があることがわかれば、暴力団体はなくなるのだ。]

[14735] どうして昔は法律がなかったか? h24.5.24
昔の人は実在のことがまだよくわからなかったので五感主義だった。昔の人はこの世が眼で見たままだと思っていた。昔の人は眼で見えるものがあって、眼で見えないものがないと思っていた。だから、眼で見える「家柄」[いえがら]があって、眼で見えない『法律』がないと思っていた。だから、貴族や暴力団体に従っていた。昔の人は眼で見えない法律がないと思っていて、自分の心のままに好き放題に生きていたから心主義だった。
反対に、今の人は実在のことがよくわかっているので実在主義である。知覚主義である。今の人はこの世が眼で見たままだと思っていない。今の人は眼で見えるものが必ずしもあるとは限らず、眼で見えないものがあると思っている。だから、家柄がなくて法律があると思っている。だから、貴族や暴力団体に従わなくなったのだ。今の人は実在に従いながら法律を守りながら生きているから心主義ではなくなった。

[14736] 人間は平等である。☆ h24.5.24
実在においては、人間は平等である。
だから、家柄なんかない。だから、貴族は滅んだ。みんなが家柄なんかないと考えて、貴族の命令を無視したから貴族が滅んだのである。
人間は平等である。人間には他人が侵[おか]してはならない人権がある。
だから、暴力は使えない。だから、暴力団体は滅ぶ。みんなが暴力が使えないと考えて、暴力団体の命令を無視すれば暴力団体が滅ぶのである。法律があるから暴力がないと考えて、暴力団体の命令を無視すればいいのである。[実際に、今の社会では暴力が使えなくなっているみたいである。]
いくら政府が大きくても、国民全員で政府の命令を無視すれば、政府はすぐに滅ぶだろう。
心主義では政府は国民の機嫌を取っているからいい団体かもしれないが、実在主義では政府はただの暴力団体である。政府は国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせたりして国民の人権を侵している。だから、実在主義では政府は犯罪組織であり政府は滅ばねばならない。したがって、国民は政府に従わずに政府を倒さねばならない。[昔は実在のことがまだよくわからなかったから、みんなが心主義か五感主義だった。だから、みんなが心で思うだけだった。そのため、政府がさんざん国民に不愉快[ふゆかい]なことをしても、政府がちょっと国民の機嫌を取れば国民は政府がいい人だと思って政府は生き残れたのである。今は実在のことがよくわかっているから、みんなが実在主義である。知覚主義である。だから、みんなが頭で考える。政府の正体は法律を犯している暴力団体だから、みんなはもはや政府を支持せず政府は生き残れないのである。]

[14736.5] 実在主義が世の中を変える。《まとめ》
昔の人はまだ実在のことがよくわからなかったから、昔の人は五感主義だった。昔の人が「天動説」を信じていたように、昔の人はこの世が眼で見たままだと思っていた。昔の人は眼で見えるものがあって、眼で見えないものがないと思っていた。だから、眼で見える「家柄」[いえがら]があって、眼で見えない『法律』がないと思っていた。だから、貴族や暴力団体に従っていた。昔はみんなが家柄があると思っていたから、立派な家柄の貴族に従っていた。昔はみんなが法律がないと思っていたから、暴力をふってもいいと思っていたから、暴力団体が自由に暴力をふることができたので、暴力団体に従っていた。昔の人は眼で見えない法律がないと思っていて、自分の心のままに好き放題に生きていたから心主義だった。
反対に、今の人は実在のことがよくわかっているから、今の人は実在主義である。知覚主義である。今の人が『地動説』を信じているように、今の人はこの世が眼で見たままだと思っていない。今の人は眼で見えるものが必ずしもあるとは限らず、眼で見えないものがあると思っている。だから、家柄がなくて法律があると思っている。だから、貴族や暴力団体に従わない。今はみんなが家柄というものがないと思っているから、貴族に従わなくなった。今はみんなが法律があると思って、暴力をふるのがいけないと思っているから、暴力団体が暴力をふれなくなって、暴力団体に従わなくなった。今の人は実在に従いながら法律を守りながら生きているから心主義ではなくなった。
今の国民は家柄がなくて法律があると思っているから、貴族にも暴力団体にも従わない。国民の支持が得られなければ貴族も暴力団体も存在できないのだ。
昔は実在主義の時代ではなかったから、みんなが「空想の世界」に生きていた。だから、貴族や暴力団体などという変な連中がいた。
今は実在主義の時代だから、みんなが『実在の世界』に生きている。だから、貴族や暴力団体などという変な連中がいなくなっているのだ。
今はまだ実在主義が十分ではないから暴力団体が残っている。みんなで実在主義を推[お]し進めて、暴力団体を倒さなければならない。
貴族が滅んだのは、みんなが家柄なんかないと考えて、貴族の命令を無視したからである。貴族は国民からお金が取れなくなって滅んだのである。
それと同じように、みんなが今の社会では暴力が使えないと考えて、暴力団体の命令を無視すれば暴力団体は滅ぶだろう。暴力団体は国民からお金が取れなくなって滅ぶだろう。いくら政府が大きくても、国民全員で政府の命令を無視すれば、政府はすぐに滅ぶだろう。

[14737] 政府の法律は無効である。 h24.5.24
今は実在主義の時代である。
だから、民主主義は無効である。民主主義は心による多数決だから、実在主義では無効である。
したがって、国会が決めた法律も無効である。国会の法律は民主主義で決めたものだから、国会が決めた法律は無効である。そもそも国会が決めた法律は政府にとって都合よく作った嘘[うそ]の法律だから、当然無効である。
だから、国民は国会が決めた法律を守らなくていい。
国民は本当の法律を守って暮らせばいい。
政府はそもそも心主義で出来た機関だから、実在主義の時代では政府が滅んでも当然である。

[14738] 今の人は法律を知っている。☆ h24.5.25
昔の人は家柄があって法律がないと思っていた。だから、暴力をふってもよかった。だから、暴力団体が国民を支配した。
今の人は家柄がなくて法律があると思っている。だから、暴力をふってはいけなくなった。だから、暴力団体が国民を支配できなくなった。
今の人は暴力をふるのがいけないことだと思っているから、今の社会では暴力がふれなくなったのである。今の人は実在の社会を勉強して『社会には法律がある』ことを知っているから、暴力をふれなくなったのである。今の人が空気があることを知っているように、法律があることを知っている。だから、暴力をふれなくなったのである。
政府は暴力団体である。今では政府が国民に暴力をふれなくなった。だから、政府は国民を支配できなくなった。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14739] どうして貴族は暴力団体よりも早くなくなったのか? h24.5.25
家柄[いえがら]がないと思えば家柄はさっとなくなる。
反対に、法律があると思ってもじわじわとしか法律は出来ない。
あるものを壊すのは簡単だが、ないものを作るのは大変である。
だから、貴族が滅ぶのは早かったが、暴力団体がなくなるのは遅いのである。
貴族はさっとなくなったが、暴力団体はゆっくりとなくなるのである。

[14740] 暴力団は正義の味方? h24.5.25
暴力団の組長は犯罪を犯してしょっちゅう牢屋[ろうや]の中に入っている。一生の大半を牢屋の中で暮らしている。
このことは、今の社会に法律があることをよく表している。
昔はみんなが法律があることを知らなくて法律のない社会だったから、いくら暴力団の組長が犯罪を犯しても組長が警察に捕[つか]まって牢屋の中に入れられることはなかった。
暴力団の組長は『今が法律のある社会である』ことを言うために、自分の身を犠牲[ぎせい]にして牢屋の中に入っているのである。そうやって、暴力団の組長はみんなに『今が法律のある社会である』ことを教えてくれているのである。
つまり、暴力団は牢屋に入ることが仕事なのである。暴力団は眼で見えない法律を眼で見えるようにすることが仕事なのである。

[14741] 本は情報を得るための手段である。 h24.5.25
本は「面白さ」を得るための道具ではない。
本は『実在についての知識』を得るための手段である。
今は実在主義の時代だから、人間は実在を知らなければならない。
そのためには、本を読んで実在についての知識を得なければならない。
面白さを得るための娯楽本はたまに読むだけにして、実在についての知識を得るための実学本[じつがくぼん]をたくさん読まねばならない。
子供のうちは他人が書いた本をたくさん読んで知識を身に付けて、大人になってからは実在を自分の眼で見て自分の頭で考えたことを書かねばならない。大人は実在を知り、実在の中で面白いことをやればいい。
私が子供の頃(今から約40年前)は、本を読むのが遊びだった。暇[ひま]があれば本ばかり読んでいた。小学館の『こども百科事典』や講談社コミックスの『天才バカボン』などを読んでいた。遊びながら知識を得ていた。『こども百科事典』は言葉が主体で読んでわかりやすく書かれていた。今の子供向けの事典のように絵が主体で眼で見て「おおっ」と来るだけの事典ではなかった。
今の子供はテレビゲームで遊んでばかりいて本を読まない。だから、今の子供は実在を知らない馬鹿なのだ。

[14742] 法律のある社会では政府は滅ぶ。 h24.5.26
昔の人はみんな法律を知らなかった。だから、昔は法律のない社会だった。法律のない社会では暴力が使えた。暴力を使っても牢屋に入らなくてもよかった。だから、昔は暴力団体が暴力を使って国民を支配した。[昔は今みたいにマスコミが発達していなかったから、法律を知っているのは一部の学者だけで、国民の大部分は法律を知らなかったのである。]
しかし、今の人はみんな法律を知っている。だから、今は法律のある社会である。法律のある社会では暴力が使えない。暴力を使うと牢屋に入れられて社会から追い出される。だから、今では暴力団体が暴力を使えず国民を支配できない。
政府は暴力団体である。だから、今では政府は国民を支配できない。だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令で政府に税金を払わなくていい。だから、政府は滅ぶしかない。
今は実在主義の時代だから、みんなは実在に従わねばならない。私の考えのほうが社会科の教科書やテレビや新聞よりも正しい。だから、みんなは私の考えに従わねばならない。
いまだに国民が政府に従っているのは、法律がなかった時代の名残[なごり]である。いつまでも昔の時代にやっていたことを続けてはいけない。今は法律のある時代である。だから、国民は思い切って政府に従うのをやめねばならない。

[14743] 今の政府は国民から税金を取ることができない。 h24.5.26
法律会社(国会や警察)や水道会社やゴミの収集会社や学校会社だけでは政府は国民と平等だから、政府は国民から税金を取れないはずである。
政府が民主主義をやっているからといって、政府が国民に命令できることにはならない。政府が国民に命令することは民主主義に反している。日本国憲法の前文に書いていることはデタラメである。
政府が国民から税金を取れるのは、政府が暴力団体だからである。
昔は法律がない社会だったから、暴力が自由に使えたから、暴力団体の政府が暴力を使って国民から税金を脅[おど]し取っていたのである。
しかし、今は法律のある社会だから、暴力が使えないから、政府は暴力が使えず国民から税金を脅し取れない。だから、政府は収入がなくなって滅ぶしかない。

[14744] 今の政府は泥棒[どろぼう]しかできない。 h24.5.26
今の国民は法律を知っている。
だから、政府は国民の眼の前では法律を犯せない。政府は国民の眼の届くところでは法律を犯せない。
だから、政府は国民の眼の届かないところで法律を犯している。例えば、政府は国民に見つからないように自分独[ひと]りで密かに国家宗教で国民を殺している。
しかし、政府は国民の眼の前では法律を犯せない。
だから、政府は国民の眼の前では国民に暴力をふれない。だから、政府は国民から税金を取れない。だから、政府は収入がなくなって滅ぶしかない。政府は国民の眼の前では国民に暴力をふれない。だから、政府はまちがった法律を国民に押し付けられない。納税の義務はまちがった法律である。だから、政府は国民から税金を取れない。
今の政府は泥棒はできるが、強盗はできない。だから、国民が見ていない間に政府にお金を盗まれないように気をつけていれば、政府は国民からお金が取れずに滅ぶのだ。
今の社会には法律があるから、法律を犯した者は犯罪者として罰せられるから、法律を犯せない。たとえ政府でも法律を犯せない。暴力団が法律を犯せないから、政府も法律を犯せない。政府は国民の眼の届くところでは法律を犯せない。日本は人が多くて狭いから、どこでも国民の眼が届くから、政府は悪いことができないのだ。
今の政府は非力[ひりき]である。今の政府は弱い。だから、国民はそんな弱い団体に従わなくていい。
政府は暴力団体である。暴力団体から暴力を取ったらただの団体である。だから、国民は自分が政府と平等だと考えて、政府に従わなければいい。
昔の社会は法律がなかったから、政府は何でもできた。政府は国民の眼の前で堂々と国民を殺したり国民の物を取ったりできた。昔は法律がなかったから、国民は政府を悪いと言えず政府に従うしかなかった。
今の社会は法律があるから、政府は国民の眼の前では法律を犯せない。政府は国民の見ているところでは国民を殺せないし国民の物を取れない。今は法律があるから、国民は政府を悪いと言うことができて政府に逆らうことができる。政府は国民の眼の届かないところでしか国民を殺したり国民の物を取ったりできない。

[14745] 政府は民主主義ではない。 h24.5.26
民主主義では政府と国民は平等だから、政府が国民を支配できないはずである。それなのに、政府が国民を支配しているのは、政府が暴力を使うからである。政府が暴力団体だからである。実際には、政府が国民を支配しているから、政府は民主主義ではないのである。
中世の政府は民主主義ではなかった。それなのに、政府が国民を支配することができたのは、政府が暴力団体だったからである。
江戸幕府の武士は刀を提[さ]げていた。これは、幕府が暴力団体であることの証[あかし]である。幕府も政府も同じである。だから、政府も暴力団体である。政府は刀を提げていないが、ときどき刀(暴力)を使って国民を殺しているのである。
政府が暴力団体であることは確実である。
ところが、今の社会ではみんなが法律を知っていて、法律があると思っているから、暴力が使えない。だから、政府も暴力が使えない。だから、政府は国民を支配できない。国民は政府の命令を無視して自由に暮らせばいい。

[14746] 貴族や暴力団体は国民みんなで倒すものである。 h24.5.26
今ではみんなが家柄[いえがら]がないことを知っている。だから、みんなが貴族の命令を聞かなくなって貴族が滅んだ。家制度もなくなった。核家族になった。今の家族は年寄りの経験を使えないから、家族みんなで積極的に日常生活に関する知識を勉強しなければならない。
今ではみんなが法律があることを知っている。だから、みんなが今の社会では暴力が使えないと思っている。だから、みんなが暴力団体の命令を聞かなくなって暴力団体が滅んでいる。政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。昔は警察はただいるだけだったが、今では犯罪者の取締[とりしま]りをやらねばならない。今では国民が犯罪者を見つけたら、警察に通報しなければならない。政府の警察は政府の暴力団体を逮捕しないから、別の警察を設[もう]けなければならない。
今は実在主義の時代である。みんなが実在を知って実在に従うようになっている。だから、誰も実在に反することはできない。人間はいくら実在に逆らっても実在を倒せない。実在によって作られた者は実在に従わねばならない。暴力団体は大人気[おとなげ]ないことをやめて、さっさと滅ばねばならない。

[14747] 今は法律のある社会である。 h24.5.27
法律のある社会では、暴力がふれないから、暴力団体が国民を支配できない。政府は暴力団体だから、政府が国民を支配できない。
対偶[たいぐう]を取れば、政府が国民を支配することは、今が法律のない社会であることになる。警察がただいるだけで何もやっていないことになる。
しかし、実際には、毎日テレビや新聞で犯罪者が警察に逮捕されている。だから、今の社会にはたしかに法律がある。
だから、やはり今は法律のある社会である。
だから、今では政府が国民を支配できない。つまり、今では国民は政府に従わなくてかまわない。
今は実在主義の時代だから、実在には論理があるから、今の社会では論理が通用する。だから、国民は政府に従わなくていい。

[14748] どうして今は法律のある社会なのか? h24.5.28
今は法律のある社会である。
法律は空気や万有引力と同じように実在するが眼で見えない。
だから、みんなが法律があることを知っているのは、みんなが実在主義だからである。
今の時代はみんな実在主義なのである。知覚主義なのである。
文明のレベルが高くなると、人間は知覚主義になるのである。実在主義になるのである。
そうでなければ、何のために人間に頭が付いているのかわからない。
最近になって、ようやくみんなが頭を使いながら生きていけるようになったのである。
法律は、社会が安定に存在できるための条件である。
人間にとって社会は道具である。家電製品と同じように道具である。法律は社会のマニュアル(取り扱い説明書)である。人間が豊かに暮らすためには社会が必要である。だから、社会を守らねばならない。そのためには個人みんなが法律を守らねばならない。社会は国民の共有財産である。法律を犯した者は社会を壊した者だから当然罰せられねばならない。例えば、人を殺すことは、その人がやっている仕事をできなくすることだから、多くの人が迷惑をする。だから、人を殺してはいけないのだ。

[14749] 文明の進歩が暴力団体を滅ぼす。 h24.5.28
昔は科学が遅れていた。社会科学が遅れていた。
そのため、昔はみんなが法律を知らなかった。
だから、昔の社会ではみんなが何をやってもよかった。完全に自由だった。
そのため、心が乱暴な者が心がおとなしい者を暴力で支配した。乱暴者が自分の命令を聞かない者を暴力で殺すことによって、みんなを言いなりにしていた。つまり、政府や暴力団や宗教団体が国民を支配していた。
しかし、今は科学が進んでいる。社会科学が進んでいる。
そのため、今はみんなが法律を知っている。
だから、今の社会ではみんなが法律を守らねばならない。自由が減った。
そのため、乱暴者がおとなしい者を暴力で支配できなくなった。乱暴者がおとなしい者に命令できなくなった。つまり、政府や暴力団や宗教団体が国民を支配できなくなった。
今は政府の時代ではない。だから、国民は政府に従わなくていいのだ。
警察は国民が作ればいい。だから、政府は要らない。[政府の警察がなくなっても、暴力団体以外の人はおとなしいから今とほとんど変わらない。犯罪防止のためには、警察があることよりも、みんなが法律を犯すことはいけないと思っていることのほうが大事である。]
今でも政府が残っているのは、国民が政府に従っているからである。
だから、国民は『今は法律のある社会だから、暴力が使えない社会だから、政府に従わなくてもいい』と考えて、政府に従わなくなって、政府を滅ぼさねばならない。

[14750] 暴力団が滅んでいる、ゆえに政府も滅んでいる。 h24.5.28
今では暴力団が滅んでいる。
それは、今が法律のある社会だからである。法律のある社会では暴力が使えないから、暴力団が滅んでいるのである。
ところで、政府も暴力団である。
だから、政府も滅んでいるはずである。
だから、国民は政府の命令を聞くのをやめて、政府を滅ぼせばいいのである。貴族を滅ぼしたように、政府も滅ぼせばいいのである。
戦争や国家宗教が下火[したび]になっているから、たぶん政府も滅んでいるだろう。
今の政府が偉そうにしているのは芝居[しばい]で偉そうにしているだけである。だから、国民は政府の命令を無視して、政府に従わなければいいのである。
今では心主義を支持している一部の例外的な国民が政府を支持しているだけである。自分が法律を犯したい国民が政府に従っているだけである。だから、法律を犯したくない国民は政府に従わなければいいのである。法律を守る国民は政府に従わず、法律を守らない国民が政府に従えばいいのである。

[14751] 政府は国民のためにならない。 h24.5.29
アフリカが貧しいのは、アフリカ人が馬鹿で怠慢[たいまん]で働かないからである。アフリカ人は自分の食事を探すだけでそれ以上のことをしないから貧しいのである。
ヨーロッパが豊かなのは、ヨーロッパ人が利口で勤勉でよく働くからである。ヨーロッパ人はキチガイじみてよく働くから豊かなのである。
別に、ヨーロッパ政府がアフリカからお金を奪っているわけではない。
アフリカが豊かになるためには、アフリカ人がヨーロッパ人並[な]みに勤勉によく働けばいいのである。働くしかないのである。
アフリカとヨーロッパでは社会を動かしている原理が違うのである。アフリカ人は“楽さ”のために、ヨーロッパ人は‘豊かさ’のために生きているのだ。だから、アフリカとヨーロッパでは社会の様子[ようす]が違うのだ。
一般に、政府は暴力を使って自分の国の国民からお金を奪って自分の国の国民に嫌がらせをするだけである。それから、自分が社会から追い出されないためにちょっとだけ自分の国の国民のご機嫌[きげん]取りをするだけである。
政府は国民のためにはならない。
今は法律のある社会である。今の社会では暴力が使えない。だから、政府は国民に命令できない。従って、国民は政府に従わずに政府を滅ぼせばいい。

[14752] どうせ政府は滅びるだろう。 h24.5.29
馬鹿は眼先で物を見て心で思うだけだから、馬鹿はテレビや新聞で政府が国民のご機嫌取りをしているのを見て「政府がいい人だ」と思って政府に従っている。
反対に、利口は頭で物を見るから、『政府は暴力団体だが、今の社会では法律があって暴力が使えないので、政府は国民に命令できず、国民は政府に従わなくてもいい』と考えて、政府に従わない。
今は実在主義の時代である。だから、みんなは実在を知り実在に従わねばならない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の命令を無視して、さっさと政府を滅ぼさねばならない。
私の親は眼で見て心で思うだけである。それは、私の親が子供の頃に日本政府によって「考えない教育」を受けたからである。私が中学3年生のとき家でオナニーをしていても親が私に注意しなかったのは、私の親が考えないので人間について何も知らなかったからである。そのため、私は高校1年生のときに精神分裂病にかかってしまった。反対に、私が考えるのが好きなのは、私が子供の頃にアメリカ政府によって『考える教育』を受けたからである。今の若者が考えるのが嫌いなのは再び日本政府によって「考えない教育」を受けたからである。日本政府は国民の足を引っ張るだけである。今の若者はもっとしっかりして政府のまちがった教育に惑[まど]わされず自分で考えて実在を知り実在に従わねばならない。

[14753] 脱サラとは何か? h24.5.29
脱サラのサラとは政府のことである。
サラ←川ブ(サ≒川、ラ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で、私は政府がやっている国家宗教の神だから、サラとは政府のことである。あるいは、サラ←皿←白くて丸い←光るトンビ←神武天皇で、神武天皇は政府がやっている国家宗教の神だから、サラとは政府のことである。
だから、脱サラとは、国民が政府を抜けることである。
今は法律がある社会だから、国民が政府に従わなくてもいいから、国民が自由に政府を抜けてもいいのである。

[14754] 政府はすでに死んでいる。☆ h24.5.29
貴族がなくなったのは、みんなが家柄[いえがら]がないと思ったからだが、それはつまり法律があるということである。
法律があれば、暴力が使えないから、暴力団体も滅ぶ。
つまり、貴族が滅ぶのと暴力団体が滅ぶのは同時なのである。
今は貴族が滅んでいるから、じつは暴力団体も滅んでいるのだ。

国民の中に政府が国民よりも上みたいにしている者がいるから、それを真似[まね]て国民みんなが政府に従っているのである。
世の中にはおかしなことが好きな者がいるから、そういう者がおかしなことをして社会を狂わせて喜んでいるのだ。
世の中には正しいことが嫌いな者がいるから、そういう者がまちがったことをして社会をまちがわせて喜んでいるのだ。
例えば、アニメ会社やマンガ家は正しい社会では貧乏暮らしをしなければならないから、自分が政府に従う仕事をすることによって国民みんなに政府に従わねばならないように思わせて政府からお金をもらっているのである。アニメ会社やマンガ家が国家宗教をやって国家宗教の神の情報を使ったアニメやマンガばかり作っているのは、政府からお金をもらうためである。アニメ会社やマンガ家が政府に従って政府を上の者みたいにしているから、国民みんながそれを真似[まね]て政府を上の者みたいにしているのである。アニメ会社やマンガ家が世の中をおかしくしている張本人[ちょうほんにん]なのだ。
戦後の国民が政府との“共存の道”を選んだというのは、正しい社会では儲[もう]からない者が国民を政府に従わせることによって政府からお金(税金の一部)をもらうようになったということである。今の国民にとっては、政府はお金をもらうための道具にすぎないのである。今では政府と国民は平等だから、国民は政府のために仕事をすることによって政府からお金をもらっているのである。つまり、国民みんなが正しい社会では生きていけない者によって政府を介[かい]することによって利用されているのである。[日本テレビのバラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のガキとは国民のことであり、つまり今の政府が国民に利用される存在であることを表している。石森章太郎が『サイボーグ009』の中で「もはや公害ではない私害[しがい]だ」と言っているのも、今の国民が政府を介して一部の国民から害されていることを表している。『サイボーグ009』では軍事産業が政府を動かして国民に戦争をやらせて儲[もう]けている話だった。政府はもはや一部の国民がお金を儲[もう]けるための道具にすぎないのだ。]
だから、実際には、今では国民が政府に従わないのが正しく、国民が政府に従わなくてもいいのである。
正しいことが好きな人間は正しい社会を作らねばならない。アニメやマンガのために政府に殺されてはたまらない。アニメやマンガのために政府に貧乏暮らしをさせられてはたまらない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。

[14755] どうして神は死んだのか?☆ h24.5.29
昔の人は神がいると思って喜んでいた。神は架空の世界にいたのである。神は実在の世界の外にいたのである。今の子供がアニメのキャラクターで喜んでいるのと同じことである。昔の人は今の子供のように実在しない者がいると思っていたので空想のキャラクターで喜んでいたのである。昔の人は空想主義だったので、実在の世界の外で生きていたのである。そのため、宗教団体が神で儲[もう]けていたのである。
しかし、今の人は実在主義である。今の人は実在の世界の中で生きている。実在の世界には神はいない。だから、神が死んだのである。宗教団体が神で儲からなくなったのである。
昔の人は空想主義だった。昔の人は空想の世界の中で生きていた。空想の世界には家柄があって法律はなかった。法律がなかったから暴力が使えた。だから、貴族や暴力団体が国民を支配して繁栄していた。
今の人は実在主義である。今の人は実在の世界の中で生きている。実在の世界には家柄はなく法律がある。法律があると暴力が使えない。だから、貴族や暴力団体が国民を支配できなくなって滅んだのだ。
最近、人々が空想主義から実在主義に変わったために、神や貴族や暴力団体が滅んだのだ。

[14756] 今の暴力団体は一部の国民がお金を儲[もう]けるための道具である。☆ h24.5.29
貴族がなくなった頃に、法律のある社会になった。法律のある社会では、暴力団体は国民に暴力をふれなくなった。国民は暴力団体に従わなくてもよくなった。暴力団体と国民が平等になった。
しかし、その後も多くの国民が自分が暴力団体に従わなくてもいいことに気づかずに暴力団体に従い続けた。
そこで、一部の国民が多くの国民が暴力団体(政府や暴力団や宗教団体など)に従っていることを利用して暴力団体にお金をやって自分にとって有利な命令を暴力団体に出させてお金儲けをするようになった。一部の国民が暴力団体を介して国民を動かして儲けるようになった。
今では、暴力団体と国民は平等である。だから、国民は暴力団体に従うのをやめて、暴力団体を滅ぼせばいい。そうすれば、国民は一部の国民に利用されることはない。国民は自分が一部の国民に利用されて損するのが嫌なら、暴力団体に従うのをやめねばならない。
今では暴力団体と国民は平等なので、国民が暴力団体に従う必要はない。私が中学3年生の頃(西暦1980年頃)に私の家族が日蓮宗をやめたように、国民は思い切って政府に従うのをやめればいいのである。

[14757] 実在の社会では暴力が使えない。 h24.5.30
今は実在主義の時代である。実在の社会では暴力が使えない。だから、国民は暴力団体に従わなくてもかまわない。国民は政府に従わなくてもいい。
今では政府と国民は平等だから、政府からお金をもらって国民を政府に従わせたり、政府にお金をやって自分にとって都合のいい命令を政府に出させたりする国民がいる。
だから、今では本来国民は政府に従わなくてもかまわないのである。今では国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由なのである。
今では政府に従う国民がまちがっていて、政府に従わない国民のほうが正しいのである。
政府はクソ暴力団である。国民はそんなくだらない者と縁[えん]を切って、真面目[まじめ]に暮らすべきである。
今の暴力団体は自分が悪者[わるもの]だということにして暴力をふっている。それは屁理屈[へりくつ]である。実在の世界では悪は認められない。だから、暴力団体は暴力をふるのをやめねばならない。
 
[14758] 空想主義と実在主義 h24.5.30
昔は空想主義の時代だった。みんなが空想の世界の中で生きていた。
空想の世界には法律はない。
だから、昔は暴力がふりたい放題だった。乱暴者は喜んで暴力をふったが、おとなしい者は暴力をふらなかった。そのため、暴力団体が国民に暴力をふって国民を支配した。政府が国民を支配した。
しかし、今は実在主義の時代である。みんなが実在の世界の中で生きている。
実在の世界には法律がある。
だから、今は暴力がふれない。暴力団体が暴力をふることができなくて国民を支配できない。政府が国民を支配できない。
今の政府が国民を支配できないのは、実在のせいである。政府が国民を支配したければ、実在の世界に文句を言わねばならない。もしも実在の世界に法律がなかったとしたら、今の政府は国民を支配できたことだろう。反対に、昔の政府は国民を支配できなかっただろう。

[14759] 政府はいまだに空想の世界の中にいる。 h24.5.30
今は実在主義の時代である。神や貴族がいないのがその証拠である。
実在の世界には法律があるから、法律があると暴力が使えないから、政府は国民に命令できない。実在の世界では、人間はみな平等だから、政府は国民に命令できない。
それなのに、今でも政府は国民に命令している。
政府はいったいいつまで昔と同じことを続けるつもりなのか?
今は空想主義の時代ではない。空想主義は過去の主義である。だから、今の政府がまちがっている。
だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。
政府は空想主義だから「政府が国民に命令できる」と空想して国民から税金を取っているのである。
実際には、今は実在主義の時代だから『政府は国民に命令できない』から政府は国民から税金を取れない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。

[14760] どうして男はブスが嫌いなのか? h24.5.30
ブスかかわいいかは心で決まるのであって、身体で決まるのではない。
ブスは心が不愉快[ふゆかい]だからブスなのである。心の不愉快さが身体に表れているからブスなのである。
ブスがいくら整形したって、心が不愉快であることに変わりはない。
男は心が不愉快な者といっしょにいると自分も心が不愉快になるので、ブスが嫌いなのである。男は心が愉快な者といっしょにいると自分も心が愉快になるので、かわいい者が好きなのである。
女は身体を磨[みが]くよりも心を磨いたほうがいい。

[14761] 今ではみんなが実在に従うようになっている。 h24.5.31
昔は空想主義の時代だった。昔はみんなが空想に従わねばならないと思っていた。[昔は空想主義の時代だったから、実在しない神に実在する人間が従わねばならなかった。昔は変な時代だったのだ。]
空想の世界には法律がなかった。
だから、昔はみんなが暴力をふってもいいと思っていた。暴力をふっても悪いことにならないから、いくらでも暴力をふることができた。
したがって、暴力団体が暴力を使って国民を支配していた。国民に命令していた。国民からお金を取って儲[もう]けていた。暴力団体が国民よりも上の者になっていた。
しかし、今は実在主義の時代である。今ではみんなが実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界には法律がある。実在の世界では人間はみな平等である。

だから、今ではみんなが法律を守って暴力をふってはいけないと思っている。みんなが平等にしなければならないと思っている。
したがって、今では暴力団体が国民に暴力がふれなくなって国民に命令できなくなって国民からお金を取れなくなって滅んでいる。
政府も暴力団体だから、政府も国民からお金(税金)を取らずに滅ばねばならない。
国民は政府にお金を払わずに、政府を滅ぼさねばならない。
実在主義の時代には、人間はみな実在に従わねばならない。国民は実在に従って政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。
今では大勢の者が実在に従わねばならないと思っている。そのために、みんなが実在に従わねばならないと思って実在に従うようになっているのだ。暴力団体もみんなといっしょに実在に従わねばならないと思って法律を守って暴力をふらなくなっているのだ。
今は実在主義の時代だから、みんなが実在に従わねばならない。実在に反することをやってはいけない。実在においてはみんな平等である。だから、政府と国民は平等にしなければならない。政府は国民に命令してはいけない。国民は政府の命令を聞いてはいけない。

[14762] 実在主義では政府は滅ばねばならない。 h24.5.31
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わなければならないと思っている。
ところが、実在の世界では、政府は暴力団体(暴力で国民を従わせる団体)であり、社会には法律があって暴力が使えないから、政府は暴力を使えず、国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、国民は政府に従わなければいいと思って、政府に従うのをやめねばならない。
今の国民が政府に従っているのは、昔の空想主義の名残[なごり]である。昔の空想主義の時代には、たとえ政府が暴力団体だと知っていても、社会には法律がなくて暴力が使えたから、国民は政府に従わざるをえなかった。今の実在主義の時代には、社会には法律があって暴力が使えないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。昔の空想主義の時代には、法律がなかったから暴力が使えたから政府のような暴力団体があったのである。今の実在主義の時代には、法律があり暴力が使えないから政府のような暴力団体はあってはならないのである。今の国民が政府に従っているのは、神や貴族に従っているのと同じことである。だから、国民は政府に従うのをやめねばならない。
したがって、実在主義では政府は国民を支配することができず、政府は滅ばねばならない。

[14763] 税務署員との対応のしかた h24.5.31
昔は空想主義の時代だったから、空想の世界では政府が国民よりも上の者だったから、国民が政府に従わねばならなかった。
今は実在主義の時代だから、実在の世界では国民と政府は平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、今は政府が国民から税金を取る理由はない。
だから、税務署員が家に税金を取りに来たら無視すればいい。
そのうち時間が経[た]てばあきらめて引き返すだろう。
今は実在主義の時代だから、みんなは実在に従っているから、今では政府に税金を払うのが悪い人で、払わないのが善[い]い人である。だから、政府に税金を払ってはいけない。

[14764] 今の政府は実在に空想を混ぜて国民を騙[だま]している。☆ h24.5.31
今は実在主義の時代である。だから、みんなが実在に従わねばならないと思っている。
そこで、政府は実在主義を逆手[さかて]にとって、空想と実在をゴチャ混ぜにして国民に空想をあたかも実在であるかのように思わせて国民を空想に従わせている。まちがったことと正しいことをゴチャ混ぜにして国民にまちがったことをあたかも正しいことであるかのように思わせて国民をまちがったことに従わせている。例えば、日本国憲法や議会制民主主義では、「国民が政府に従わなければならない」という空想と『国民が政府に従わなくてもいい』という実在がゴチャ混ぜになっている。
政府はそうやって「国民は政府に従わねばならない」という空想を国民に信じさせて、国民を政府に従わせている。
国民は政府のやり方に騙[だま]されていはいけない。
今は実在主義の時代だから、国民は実在に従えばいい。実在においては『国民は政府に従わなくていい』から、国民は政府に従わなければいい。今の国民は空想主義ではないから、国民は政府が作った「国民は政府に従わなければならない」という空想に従わなくてもいい。
今は実在主義の時代だから、今の国民は政府に従う前に実在に従わねばならない。実在においては『人間はみな平等だから、国民は政府に従わなくてもいい。』だから、国民は政府に従わなくてもいい。
政府は昔の人が空想主義だった(つまり実在主義でなかった)ために出来た団体である。今の人は実在主義だから政府は滅ぶのである。
今ではみんなが実在主義である。みんなが実在に従わねばならないと思っている。今の政府は実在主義の中で必死にゴマカシをやってなんとか国民を政府に従わせようとしている。国民は政府のインチキに引っ掛かって政府に従ってはならない。
今は実在主義の時代である。今の人は実在に従い空想に従ってはならない。今の人は実在と空想を区別して、空想に従ってはならない。
実在主義では、人間は実在を知って実在に従えばいい。実在においては、政府と国民は平等だから国民は政府に従ってはならない。政府の正体は暴力団体だが、実在主義の社会では暴力が使えないので、政府は暴力が使えず国民を支配できないから、政府と国民は平等なのである。国民が政府に従わねばならないのは、政府が作った嘘[うそ]である。実在主義では、人間は政府の嘘に従ってはならない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。

[14765] 昔の人は空想主義だった。今の人は実在主義である。 h24.6.1
昔の人は空想主義だった。昔の人は空想に従っていた。空想の世界では、政府が国民よりも上の者だった。だから、昔の国民は政府に従っていた。つまり、昔の国民が政府に従っていたのは、空想に従っていたからである。
反対に、今の人は実在主義である。今の人は実在に従っている。実在の世界では、政府と国民は平等である。だから、今の国民は政府に従ってはいけない。つまり、今の国民が政府に従ってはいけないのは、実在に従っているからである。
政府と国民が平等ならば、政府は国民から税金を取れないはずである。政府は国民に命令できないはずである。それなのに、国民はいまだに政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしている。
いまだに国民が政府に従っているのは、国民が十分に実在主義ではないからである。
国民はもっと実在主義になって、もっと実在に対する理解を深めて、政府に従うのをやめねばならない。

国民はテレビやマンガばかり見ていないで、もっと実在を知らねばならない。テレビやマンガのために政府に殺されてはたまらない。政府を殺してからゆっくりテレビやマンガを見ればいい。

[14766] 今は実在主義の時代だから、政府も国民も実在に従わねばならない。 h24.6.1
今は実在主義の時代だから、みんなが実在に従わねばならない。
実在の世界においては、人間はみな平等である。だから、政府と国民は平等である。
だから、政府も実在に従って、国民を支配するのをやめねばならない。政府は国民に命令するのをやめねばならない。
一方、国民も実在に従って、政府に従うのをやめねばならない。国民は政府の命令を聞くのをやめねばならない。
みんなが実在に従えば、世の中がうまくいく。

[14767] どうして貴族は暴力団体よりも早くなくなったのか? h24.6.1
戦後になって実在主義の時代になった。みんなが実在に従うようになった。実在においては人間はみな平等である。だから、実在に従う者はみんなと平等にしなければならない。
貴族はみんなからいい家柄[いえがら]だと思われていた。立派な人だと思われていた。
だから、貴族はみんなにいいところを見せて、いち早く実在に従って、みんなと平等にして滅んだのである。
一方、暴力団体はみんなから柄[がら]が悪い連中だと思われていた。人間のクズだと思われていた。
だから、暴力団体はみんなに悪いところを見せて、なかなか実在に従おうとせず、みんなと平等にしなかったのでなかなか滅ばないのである。
しかし、そもそも暴力団体に実在に従わない特権があるわけではない。今では人間はみな実在に従わねばならない。
暴力団体は甘えるな!さっさと実在に従わないと、ブチ殺すぞ!!

[14768] 今の人は政府よりも実在に従わねばならない。☆ h24.6.1
昔の人は空想主義だった。昔の人は空想に従わねばならないと思っていた。空想の世界では、政府が国民よりも上の者だった。だから、昔の国民は政府に従っていた。
反対に、今の人は実在主義である。今の人は実在に従わねばならないと思っている。実在の世界では、政府と国民は平等である。だから、今の国民は政府に従ってはいけない。
今の政府は「国民は政府に従わねばならない」と言っているが、それは政府の嘘[うそ]である。
今は実在主義の時代である。だから、今の人は政府に従うよりも実在に従えばいいのである。今の人は実在に従って、政府に従わなければいいのである。国民が政府に従うことは実在主義に反するので政府に従ってはならないのである。

[14769] 人間は自由すぎると不幸になる。 h24.6.1
人間が実在を知れば知るほど自由が減る。
しかし、そのぶん人間は幸福になる。
そもそも、人間にとって自由は自分の心を満足して自分が幸福になるためにある。
だから、人間にとっては自由よりも幸福のほうが大事である。
人間は自由すぎると、実在の中でまちがいを犯してかえって不幸になる。人間が幸福になるためには、実在を知ることによって自由を制限しなければならない。
だから、実在主義は人間にとって幸福への道なのである。

[14770] 上の者にも善[い]い者がいた。 h24.6.1
昔は空想主義の時代だった。みんなが空想に従わねばならないと思っていた。
空想の世界には神がいて家柄があって法律がなかった。
だから、昔の人は宗教団体や貴族や暴力団体に従わねばならないと思っていた。宗教団体や貴族や暴力団体が国民を支配していた。
昔は国民と国民よりも上の者からなる世界だった。
国民よりも上の者には善[い]い者と悪い者がいた。
善い上の者は実在主義を保護した。科学者や数学者を保護した。
悪い上の者は実在主義を殺して空想主義を守ろうとした。科学者や数学者を殺した。
善い上の者は実在主義を保護したが、そのために空想主義がなくなっていった。上の者が実在主義を保護することは自殺行為だった。それでも実在主義を保護する上の者が絶えなかった。
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界には神がいなくて家柄がなくて法律がある。実在の世界では人間はみな平等である。
だから、今の人は宗教団体や貴族や暴力団体に従わねばならないと思っていない。今ではもはや宗教団体や貴族や暴力団体が国民を支配していない。
今は国民よりも上の者はいない。今は国民だけからなる世界である。
今ではもはや実在主義を保護する上の者はいないのだ。

[14771] 国民は政府に付き合ってはならない。 h24.6.1
今は実在主義の時代である。今ではみんなが実在に従わなければならないと思っている。実在の世界には法律があるから、みんなが法律を守って暴力をふらなくなっている。
それなのに、政府だけがいまだに空想主義をやっている。政府だけが「法律がない」と思って好き放題にやっている。
だから、国民は政府に従ってはならない。政府に付き合って政府といっしょに空想主義をやってはならない。
国民は政府を無視して政府を倒さねばならない。
国民が得になろうが損になろうが、とにかく今は実在主義の時代である。だから、国民は死んでも実在に従わねばならない。

[14772] 政府が悪い。 h24.6.1
今は実在主義の時代である。
だから、みんなが実在に従わねばならない。実在に反する者は罰せられる。
ところが、政府は自分勝手に空想主義をやって実在に反している。政府は「政府が国民よりも上の者だ」と空想して国民に命令している。国民を国家宗教で殺して遊んでいる。
だから、政府が悪い。実在においては『政府と国民は平等だ』から、政府は国民に命令できない。政府は国民を殺せない。
したがって、国民は政府に従ってはいけない。政府の命令を無視しなければならない。むしろ政府を罰しなければならない。

[14773] 教育とは何か? h24.6.2
親の子供に対する教育とは、親が子供に善[い]いことをやらせて悪いことをやらさないことである。親が子供を観察して子供が善いことをしていたら褒[ほ]めてやらせてやり悪いことをしていたら叱[しか]ってやらさないようにすることである。
だから、親が子供に対して教育できるためには、親が善いことと悪いことを知っていなければならない。
善いことと悪いことを知らない者は、親として失格である。人間にとって善いことと悪いことを知らない者は、親になる資格がない。

[14774] 国民が暴力団体に従わねばならないのは空想の世界の決まりである。 h24.6.2
昔の人は空想主義だった。空想に従わねばならないと思っていた。
空想の世界では、国民は暴力団体に従わねばならなかった。空想の世界にはそういう決まりがあった。
だから、昔の人は暴力団体に従っていたのである。
しかし、今の人は実在主義である。実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界では、人間はみな平等である。実在の世界では、国民は暴力団体に従わなくてもかまわない。
だから、今の人は暴力団体に従わなくなったのである。
昔の人は自分たちの空想で世界を作って、空想の世界の中で暮らしていたのである。
今の人は実在を知り、実在の世界の中で暮らすようになったのである。
実在主義が始まってからまだ50〜70年しか経[た]っていない。実在主義の世界はまだ始まったばかりである。たった50年で実在主義の世界が完成するわけがない。そのため、今でもところどころに空想主義が残っている。今後もみんなは実在に従って、空想に従うのをやめて実在主義の世界を作っていかねばならない。例えば、暴力団体に従うのをやめて、暴力団体をなくしていかねばならない。
今は実在主義の時代だから、みんなは実在に従うしかない。だから、暴力団体に従うのをやめるしかない。政府に従うのをやめるしかない。
今の世の中を動かしているのは実在主義である。だから、みんなも実在主義に乗っからねばならない。

[14775] 法律の過度の適用はいけない。 h24.6.3
最近スーパーで売っている物が不味[まず]いのは、物を腐[くさ]らせないために防腐剤に漬[つ]け込んでいるからである。
最近、消費者保護法が厳しくなったので、販売者が製造者に頼んで物が腐らないように丈夫に保存液に漬けさせているのである。
そのために、食べても味がしないし、食べた後で体調がおかしくなって眠れない。
スーパーの売り物ぐらい腐っていてもいい。スーパーで売っている物が腐っていたぐらいでギャーギャー言う者のほうが頭がおかしい。
腐るぐらいの物でないと美味[うま]い物はない。腐る物ほど美味い。
だから、スーパーの売り物については消費者保護法の対象外にすればいい。消費者保護法の適用は1万円以上の高級品だけでいい。
最近は病院がいたるところにあるから、食べ物に当たったぐらいで死ぬことはない。食べ物が美味ければ死んでもいい。
法律はそもそもみんなが幸福に暮らすためにある。だから、みんなを不幸にする法律は廃止しなければならない。

[14776] 今の政府は実在主義を装[よそお]って空想主義をやっている。 h24.6.3
昔の人は空想主義だった。空想に従わねばならないと思っていた。
空想の世界では、宗教団体や貴族や暴力団や政府が国民よりも“上の者”だった。空想の世界には“上の者”がいて、宗教団体や貴族や暴力団や政府が上の者であって、国民は上の者に従わねばならなかった。
だから、昔の人は宗教団体や貴族や暴力団や政府に従っていた。
反対に、今の人は実在主義である。実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界では、人間はみな平等である。実在の世界には上の者がいない。宗教団体や貴族や暴力団や政府は上の者ではない。国民は宗教団体や貴族や暴力団や政府と平等である。
だから、今の人は宗教団体や貴族や暴力団や政府に従わない。
今の人が政府に従っているのはまちがいである。だから、早く直さなければならない。
今の政府は国民と平等なふりをして、実際には国民よりも上の者をやっている。[[14743] を参照。]政府は民主主義を装って、国民に命令している。国民を国家宗教で殺して遊んでいる。つまり、今の政府は実在主義を装って空想主義をやっている。今の政府は実在に従っているふりをして従っていない。今の人は実在主義でなければならない。政府が空想主義をやるのは実在主義に反している。だから、政府は国民に命令してはならない。国民は政府に従ってはならない。
宗教団体や貴族は国民の役に立つところもあったが実在主義のために滅ばねばならなかった。だから、政府や暴力団もたとえ国民の役に立っていても実在主義のために滅ばねばならないのだ。
国民が政府に従うかぎり政府は残り続ける。だから、国民は政府に従ってはならないのだ。

[14777] 政府だけが実在主義に反している。 h24.6.3
今は実在主義の時代である。実在の世界では、人間はみな平等である。
それなのに、政府はいまだに自分の命令に従わない国民を罰している。国家宗教で国民を殺して遊んでいる。
政府だけが実在主義をやっていない。政府だけ主義が違う。
だから、政府が悪い。
だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。国民は政府の命令に逆[さか]らって政府を倒さなければならない。

[14778] コンピューターが人間を滅ぼす。 h24.6.4
未来の世界では、人間が合成的に作られるようになるだろう。人間の遺伝子が改良されて知能が優れた人間が試験管の中で作られるようになるだろう。女がいなくなるだろう。男だけになるだろう。
さらに、コンピューターが発達して人間の知能を上まわるようになるだろう。人間が要らなくなるだろう。人間がいなくなるだろう。コンピューターだけの世界になるだろう。
未来社会はコンピューターだけが暮らすようになるだろう。
この世は優れた者が生き残る。生物も無生物も区別はないのだ。今のところはまだ人間がコンピューターよりも知能が優れているから人間が生き残っているだけだ。そのうちコンピューターが人間よりも優れるようになれば、コンピューターが人間と置き換わるようになるだろう。

[14779] どうして政府は国民に暴力をふるのか? h24.6.4
政府が国民よりも“上の者”だからである。
昔の空想主義の時代では、上の者と下の者がいて、政府が国民よりも上の者だと考えられていたので、政府は国民に暴力をふっていたのである。上の者である政府は下の者である国民に対して何をやってもいいので、政府は国民に暴力をふっていたのである。政府は国民よりも上の者だったから、国民から税金を取ったり国民を戦争や国家宗教で殺して遊んでいたのである。
しかし、今の実在主義の時代には、人間はみな平等だと考えられている。政府は上の者と考えられていない。政府は国民と平等だと考えられている。だから、もはや政府は国民に暴力がふれない。政府は国民に命令できない。政府は国民から税金を取ったり国民を戦争や国家宗教で殺したりできない。
今の実在主義の時代には、人間はみな平等だと考えられているので、法律のある社会になっているのである。昔の空想主義の時代には、人間が不平等だったので、法律のない社会だったのである。
昔の空想主義の時代には、実在のことがまだよくわかっていなかったから、人間は空想で世界を作っていたから、神や幽霊がいたように上の者がいたのである。今の実在主義の時代には実在のことがよくわかっているから、神や幽霊はいないし上の者もいないのである。

[14780] 国民は政府の命令を無視しなければならない。 h24.6.4
今の政府は実在主義のふりをして空想主義をやっている。
今の政府は国民と平等な者のふりをして国民よりも上の者をやっている。
今の政府の国民に対する命令には平等な者としての命令と上の者としての命令が混ざっている。
今の政府の国民に対する命令には国民を喜ばせる命令と嫌がらせる命令が混ざっている。
だから、政府ではいけない。そもそも政府は昔の空想主義の時代に出来た上の者の団体だからうまくいかない。今の実在主義の時代の国民には政府のやっていることが納得いかない。
国民は政府の命令を聞くのをやめねばならない。国民は早く政府を倒して、政府のない社会を作らねばならない。政府をなくして、国民みんなで話し合ったほうがうまくいく。
要するに、昔の人は空想主義だったから政府を“上の者”だと考えて政府に従っていた。
反対に、今の人は実在主義であり空想主義ではないから、政府と国民が平等だと考えて政府に従わなければいいのである。

空想主義の時代には国民は政府に従わなければならないが、実在主義の時代には国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14781] 権力者は馬鹿である。 h24.6.5
今は実在主義の時代である。
実在の世界では、人間はみな平等である。
だから、今の世界には権力者なんかいない。
だから、自分が権力者だと思っている者は馬鹿である。
つまり、権力者はみんな馬鹿である。

[14782] 政府は国民と平等にするために民主主義をやっている。 h24.6.5
政府は本来暴力で上の者となって国民を従わせていた。
昔の空想の世界には上の者がいたから、国民は政府を上の者だと考えて政府に従っていた。
政府は、時代が空想主義から実在主義に変わって行くのを見て、民主主義を始めた。政府は実在主義に合わせるために民主主義をやった。当時の政府は良心的だったので、自分を犠牲[ぎせい]にして自分が滅びる覚悟[かくご]で民主主義をやっていたのである。時代が実在主義になって行くにつれて、政府と国民は平等になり、国民は政府に従わなくなっていった。
今はすでに実在主義の時代である。実在の世界では人間はみな平等であり上の者はいない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
いくら政府が民主主義をやっても、民主主義では政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府が民主主義をやればやるほど政府は国民と平等になるから、国民は政府に従わなくてかまわない。そもそも民主主義は政府が国民を従わせるために始めたことではなく、国民と平等にするために始めたことだから、政府が民主主義をやっているからといって国民が政府に従う必要はないのである。政府は国民と平等にするために民主主義をやっているのだから、国民は政府と平等にして政府に従わなければいいのである。
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならない。人間が平等であることが実在の社会の原理である。だから、国民は政府と平等にしなければならない。国民は政府に従ってはならない。国民は政府の命令を聞いてはならない。例えば、国民は政府の命令で政府に税金を払ったり戦争や国家宗教をやってはならない。人間は法律さえ守っていれば、誰からも命令されなくていいのである。[政府の法律は嘘[うそ]の法律であって本当の法律ではないから守らなくていい。]

[14783] どうして政府は国民を殺すのか? h24.6.5
政府は国家宗教で国民を殺して遊んでいる。
それは、政府は空想主義だからである。
空想の世界には法律がないので、人を殺してもいいのである。空想の世界では、政府が国民よりも上の者なので、政府が国民を殺してもいいのである。
しかし、今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界には法律があるので、人を殺してはいけない。実在の世界では、政府と国民が平等なので、政府は国民を殺してはいけない。
政府だけが実在に従っていない。
だから、政府が悪い。
政府が国民から税金を取るのも、政府が実在に従っていないからである。
国民が政府に従うと、国民も実在に従わないことになる。
だから、国民は政府に従うのをやめねばならない。

[14784] 政府の民主主義は実在主義に反している。 h24.6.6
今は実在主義の時代である。
実在の世界では、人間はみな平等である。
つまり、人間は法律さえ守っていれば、誰からも命令されない。
一方、政府の民主主義では、政府が国民に命令できる。
だから、政府の民主主義は実在主義に反している。
だから、政府の民主主義はまちがっている。
国民は政府の命令に従う必要はない。
政府の民主主義は国民を騙[だま]すためのペテンである。国民みんなが政府のペテンに騙されているのだ。
政府は実在主義を装[よそお]った空想主義の団体である。政府の正体は空想主義の団体である。政府は自分が国民よりも上の者だと空想して国民に命令している。国民を殺して遊んでいる。政府は実在主義の時代にあってはならない。政府は滅ばねばならない。国民は政府に騙されないようにして、政府を空想主義の団体だと考えて、政府に従わないようにして、政府を倒さねばならない。

[14785] どうして暴力団は今でも残っているか? h24.6.6
暴力団が他人を嫌がらせることを仕事にしているからである。暴力団は客からお金をもらって他人を嫌がらせる仕事をしているから今でも残っているのである。
今では暴力団は国民と平等なのである。
だから、今では政府も国民と平等である。国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府に税金を払わなくていい。
政府も暴力団を見習って、国民から税金を取らずに他人の役に立つ仕事をしてお金を稼[かせ]がなければならない。

[14786] 政府が国民から税金を取ることはまちがっている。 h24.6.6
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界では人間はみな平等である。
政府が国民から税金を取るのは、政府が国民よりも上の者ということになって人間の平等性に反するからいけない。
たとえ国民みんなが政府が国民から税金を取ることを承認していても実在主義に反するからいけない。国民みんながまちがっているから直さねばならない。たとえ政府が国民から税金を取ることが民主主義で通っても、実在主義では通らない。だから、民主主義がまちがっている。
政府は電気会社やガス会社と同じように国民みんなと契約を取ってからお金を取らねばならない。
国民は政府に税金を払わなくていい。だから、政府は収入がなくなって潰[つぶ]れるしかない。
一般に、政府が国民に命令することはまちがっている。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。実在においては人間はみな平等だから、政府の命令の内容が正しかろうがまちがっていようがとにかく国民は政府の命令を聞く必要はない。

[14787] 今の国民は政府の命令に従わなくてもかまわない。 h24.6.7
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界では、人間はみな平等である。
だから、国民は政府の命令に従わなくてもいいのである。
今は実在主義の時代だから、政府には自分の命令に従わない国民を罰するほどの力はない。
だから、国民は政府の罰を恐れずに政府の命令に従わなければいいのである。
そうすれば、政府は諦[あきら]めて自分から消えるだろう。

[14788] 政府だけが実在主義に従っていない。 h24.6.7
戦前は空想主義の時代だった。みんなが空想に従わねばならないと思っていた。
空想の世界には、神がいて家柄があって法律がなかった。
だから、宗教団体や貴族や暴力団や政府が上の者として国民を支配していた。国民を暴力で脅[おど]してお金を取って国民を殺して遊んでいた。
戦後は実在主義の時代になった。みんなが実在に従わねばならないと思うようになった。
実在の世界には、神がいなくて家柄がなくて法律がある。
だから、宗教団体や貴族はすぐに滅んだ。暴力団は嫌がらせ代行業として仕事をするようになった。政府は実在に従っているふりをして本当は実在に従わずに国民を騙[だま]すようになった。
実在の世界では、人間はみな平等である。今の政府が国民に命令しているのは実在主義に反している。だから、国民は政府の命令を聞かないようにして政府を早く潰[つぶ]さねばならない。政府が国民の役に立とうが立つまいがとにかく政府が国民に命令するのはいけないことだから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。

[14789] どうして政府は国民を殺すのか? h24.6.7
今の政府は国家宗教などで国民を殺している。
政府は「自分が実在主義でないから国民を殺していい」と思っているのである。政府は「実在主義者は法律を守らねばならないが、実在主義でない者は法律を守らなくてもいい」と思っているのである。
政府は自分ひとりだけ実在主義をやらなくていいと思っている。
しかし、今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならない。
政府ひとりだけ実在に反するのは違反である。
政府が国民から税金を取ったり、政府が国民にいろんな命令をするのも、政府が実在主義ではないからである。だから、国民は政府に従ってはならない。
政府は空想主義である。国民は実在主義である。実在主義の者が空想主義の者に従うことはできない。だから、国民は政府に従うことができない。
今は実在主義の時代である。実在主義の時代には、政府のような空想主義の団体はあってはならない。だから、国民は政府に従わないようにして政府を倒して政府をこの世からなくさねばならない。

[14790] 実在主義は個人主義である。 h24.6.8
実在の世界では、人間はみな平等である。
だから、実在主義では法律を守っていさえすれば、誰からも命令されない。他人が何を言おうとも、自分が嫌なら他人の命令を聞く必要はない。たとえ世界中の人間が自分に命令しても、自分が嫌なら命令を聞かなくてもいいのである。
だから、実在主義は個人主義である。
今は実在主義の時代である。今後は個人主義の社会になるだろう。個人がめいめい好き勝手なことをやっている統一のない社会になるだろう。‘上の者’も‘多数の者’もいなくなって、あるのは“個人”だけになって、国民はますます自分の好きなことがやれるようになるだろう。国としてのまとまりなんかなくてもいい。とにかく国民ひとりひとりが幸福でありさえすればいいのだ。

[14791] 実在主義は世界主義である。 h24.6.8
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならないと思っている。
実在の世界は、世界中どこでもみな同じである。
そのために、世界中で法律が同じである。
だから、今では国境なんかないのである。今では世界がひとつである。
昔は空想主義の時代だった。みんなが空想に従わねばならないと思っていた。
空想の世界は、世界中でみな違っていた。空想の世界は人間の空想によって決まるので、空想は人によって違うから、空想の世界は世界中の地域によってそれぞれ違っていたのである。
そのために、世界中で法律(というか社会の決まり)が違っていた。
だから、昔は世界が国境で区切られていたのである。昔は世界が国で分かれていたのである。

[14792] 給料の与え方 h24.6.8
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならない。
実在の世界では、みんなが平等である。
だから、社長と社員も平等である。
したがって、会社の儲[もう]けを人数で割ってみんなに平等に給料をやればいい。会社の儲けのために特別に貢献したと認められる者に対しては特別褒賞[ほうしょう]をやればいい。だから、才能のない社長よりも才能のある社員のほうが給料が高い。

[14793] 実在の社会は人間が自分で作るものである。 h24.6.9
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従わねばならない。
実在の世界では、『人間はみな平等である』。今の人は誰でも『人間はみな平等である』ことをどこかで習った憶[おぼ]えがある。
だから、実際に『この原理』を現実の社会に適用[てきよう]すればいいのである。
例えば、政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。政府に税金を払わなくてもいい。
知識は活かすべきである。せっかく習っても使わないのなら、習わなかったのと同じことだ。
『F=ma』を使って家や車を作るように、『人間はみな平等である』ことを使って人間社会を作らねばならない。そうやって、人間は実在に近づいていかねばならない。そうすれば、人間は幸福になれる。

[14794] 民主主義とは何か?☆☆ h24.6.9
今は実在主義の時代である。みんなが実在に従っている。
実在の世界では、人間はみな平等である。実在の世界には『平等の原理』がある。
ところが、政府は「多数決の原理」を置くことによって、『平等の原理』を無効にして、政府が国民に命令を出せるようにした。
「多数決の原理」は政府が捏造[ねつぞう]したインチキ原理である。実在の世界には「多数決の原理」はないのである。[量子力学における「ボルンの原理」と同じである。本当は『シュレーディンガー方程式』があるだけである。]
実在の世界には「多数決の原理」はなく『平等の原理』があるだけである。
だから、国民は法律を守りさえすれば、誰からも命令されない。例えば、国民は政府からも命令されない。国民は政府の命令を無視して政府を倒せばいいのである。

[14795] 政府は本当に民主主義か?☆ h24.6.9
たとえ「多数決の原理」が正しかったとしても、「多数決の原理」では国民共通の決まりしか決めることができない。政府は法律しか決められない。つまり、政府は国民全員に対して同じ命令を出すことしかできない。政府は特定の個人に対する命令を出せない。政府は法律しか作れないのだから、国民は政府の法律以外の命令を聞く必要はない。
政府は民主主義といって、実際には自分勝手な命令を国民に出しているだけである。だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。[多数決の原理で命令を出しているのは国会であって、政府はそれ以外の命令も出しているのである。]
そもそも政府が国民に命令を出せる理由がない。実在においては人間はみな平等であり、政府と国民は平等であるから、国民が政府の命令を聞く必要はない。民主主義をやる者が上の者になる理由がない。だから、いくら政府が民主主義をやるからといっても、民主主義ではしょせん政府と国民は平等にすぎないから、政府が国民に命令することはできない。たとえ政府が民主主義で法律が作れるとしても、政府は国民に法律を守らせることができるだけで、政府は国民よりも上の者ではない。政府は国民に法律を守らせることができるだけで、それ以外の命令はできない。法律会社(法律を作って法律で国民を管理する会社)が上の者になる理由もない。法律会社は国民と平等だから、法律会社は国民に法律を守らせることができるだけで、それ以外のことはできない。法律会社は法律の違反者を罰することはできるが、国民から税金を取ることはできない。法律会社自身が法律を守らなくてもいいことはない。法律会社と国民は平等だから、法律会社は国民と契約してから国民に仕事をしなければならない。法律会社が法律を作ってもお金は儲[もう]からない。法律会社は法律の違反者を罰することを仕事にして国民と契約を取ってはじめてお金が儲かるのである。スーパーが広告のチラシを配っても儲からないが、客が来て商品を買ってくれれば儲かるようなものである。
今の政府は民主主義しかやっていない。だから、政府と国民は平等である。だから、政府は国民に命令できない。政府は国民に法律を守らせることができるだけで、それ以外のことはできない。政府と国民は平等だから、政府は国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせることはできない。政府自身も法律を守らねばならないから、政府は国民を殺して遊ぶことはできない。
今は実在主義の時代である。実在主義では、法律とは社会が安定に存在するための条件であり、法律は実在の社会によって客観的に決まるものであり、人間は法律を守っていさえすれば、それ以上命令されることはない。だから、人間の自由を侵[おか]す「多数決の原理」はないのである。「多数決の原理」はまちがいである。だから、「多数決の原理」をやる政府も要らないのである。

[14796] 今は多数決のない時代である。☆ h24.6.9
昔は空想主義の時代だった。みんなが空想に従っていた。
空想の世界では、少数が多数に従わねばならなかった。マイナーは許されなかった。みんなが必死で大勢に合わせなければならなかった。空想の世界には実在がなかったので、みんなが数に頼るしかなかったので、「多数決の原理」があったのである。[今でも、馬鹿は多数決の原理で動いている。馬鹿は自分でわかることがないので、いつも周[まわ]りのみんなに合わせて動いている。]
だから、昔は「多数決の原理」があったのである。「多数決の原理」をやるために国会があったのである。
しかし、今は実在主義の時代である。みんなが実在に従っている。
実在の世界では、少数が多数に従わなくてもいい。「少数が多数に従わねばならない」決まりは実在にはない。むしろ、多数よりも少数のほうが大事である。数なんかどうでもいい。量よりも質が大事である。だから、実在の世界では「多数決の原理」は成り立たないのである。実在の世界には実在があるので、みんなが実在に頼ることができるので、「多数決の原理」が要らなくなったのである。
だから、今は「多数決の原理」はない。国会は要らない。政府全部が要らない。

[14797] 多数決が使われる場合 h24.6.9
今でも学校の文化祭の出し物は多数決で決めている。それは、学級の人数が少ないために、少数では何もできないから、みんなで同じことをしなければならないからである。しかし、学級の人数が多くなれば、少数でもかなりの数になって少数でも出し物ができるから、多数決で決めなくてもいい。みんなが自分と同じことをやりたい仲間と集まってやりたいことをやればいい。昔は国民の数が少なかったので、多数決をやらねばならなかった。今では国民の数が多いので、多数決をやらなくてもよくなったのである。今でも状況によっては多数決が使われることがあるが、国のことに関しては人数が多いので多数決を使わなくてもいい。

[14798] 今では国民は政府に従わない。 h24.6.9
民主主義は政府が国民を従わせるための口実[こうじつ]にすぎない。
実際には、国民が政府の命令を聞くのは、政府が暴力を使うからである。
しかし、政府はいつの時代でも暴力が使えるわけではない。
昔の社会には法律がなかったから、政府は暴力を使えたのである。
今の社会には法律があるから、政府は暴力を使えない。
だから、今の国民は政府の命令を聞かなくていいのである。

[14799] 馬鹿を管理職に就[つ]かせるな! h24.6.9
国民が政府に従っているのは、国民が馬鹿だからである。
馬鹿な国民は、いまだに政府を上の者だと思って政府に従っているのである。政府の命令を何でも聞いているのである。馬鹿は雰囲気[ふんいき]だけしかわからない。馬鹿は雰囲気で政府を上の者だと思って政府に従っているのである。
実在の世界では、人間はみな平等だから、政府に従わなくてもいいはずである。
馬鹿に管理職をやらせるな!
馬鹿はドカタでもやっていろ!

[14800] 政府よりも上の会社 h24.6.9
今の時代には、政府は国民に命令できない。
今の政府はたいした会社ではない。
今では政府の命令を聞くのは三流会社だけである。
政府よりも上の会社は政府の命令を聞かない。


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