[14501] 政府を支持する者 h24.3.20
政府は国家暴力団体である。政府は国民から税金を取って、国民に嫌がらせをするだけである。国民が政府を支持しても、国民にとってはいいことが何もない。政府はテレビや新聞の上で有能ぶっているだけで、本当は何の役にも立たない役立たずである。政府はしょせん暴力団体だから、国民の役に立たないのである。
だから、普通の国民は政府に反対している。
しかし、国民の中には政府を支持している者がいる。
政府を支持する者は政府自体を支持しているのではない。法律のない社会を支持しているのである。自分が生まれつき乱暴者で法律を守るのが嫌だから、法律のない国にするために政府を支持しているのである。
しかし、国に法律があるかないかを決めるのは政府ではない。国に法律があるかないかを決めるのは、国の文明水準である。つまり、国民みんなの知的水準である。国の文明が低くて国民みんなが頭で物を見ないときには国には法律がなく、国の文明が高くて国民みんなが頭で物を見るようになると国には法律がある。だから、いくら政府を支持しても、国の文明水準が変わらないかぎり、国民みんなの知的水準が変わらないかぎり、法律があるかないかは変わらない。
今の日本はすでに十分文明が高くなっている。みんなが法律を知っていてみんなが法律を守っている。だから、いくら政府を支持しても日本から法律はなくならない。だから、政府を支持する者は政府を支持しても無駄[むだ]だから政府を支持するのをやめたほうがいい。
国に法律があるかないかを決めるのは、政府ではなく、国民みんなの知的水準である。だから、政府の法律会社(国会と警察)がなくなっても、国民みんなの知的水準が高いかぎり、国には法律がある。今の政府は国家宗教などで犯罪を犯して国民を嫌がらせたり殺したりしている。政府は生まれつき性格が凶暴だから、国民を嫌がらせたり殺したりして喜んでいるのである。暴力団体は生まれつき性格が凶暴だから、たとえ法律があっても犯罪を犯す。一方、国民は生まれつき性格がおとなしいから、たとえ法律がなくても犯罪を犯さない。もっとも、今は法律のある社会になったから、いくら暴力団体でも暴力を使って国民に命令することはない。今の暴力団体は独[ひと]りで密かに国民を嫌がらせたり殺したりして喜んでいるだけである。政府がなくなったほうが日本は平和になる。法律会社は政府の犯罪を見て見ぬふりをしている。だから、国民は法律会社(国会と警察)もろとも政府を倒せばいいのである。政府を倒した後で、新しく政府の息がかかっていない法律会社を建てればいいのである。新しい法律会社には、もはや国会は要らない。国会がないほうがスッキリしていてかっこいい。

[14502] 犯罪と暴力 h24.3.20
犯罪とは、他人を殺したり他人の物を取ったりすることである。
暴力とは、他人を手で殴[なぐ]ったり足で蹴[け]ったりすることによって他人に命令することである。他人に命令して他人から金を取ったり、他人に変なことをやらせることである。
暴力は他人に命令するための特殊な犯罪だと考えることができる。
昔は国の文明水準が低くて、みんなの知的水準が低くて、みんなが法律を知らなくて好き勝手にやっていた。みんなが暴力をふることができた。昔は国民が暴力団体の政府が国民に暴力をふることを許していた。だから、暴力団体の政府が国民に暴力をふって国民を支配していた。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で殺すことによって、国民全員を政府に従わせていた。
しかし、今は国の文明水準が高くて、みんなの知的水準が高くて、みんなが法律を知って法律を守っている。みんなが暴力をふらなくなっている。今は国民が暴力団体の政府が国民に暴力をふることを許していない。だから、暴力団体の政府が国民に暴力をふらなくなって国民を支配できなくなっている。今では国民が政府の命令に従わなくても政府は国民に何もできないので、国民は政府の命令に従わなくなっている。今の政府は証拠を残さないように気をつけながら国民に政府がやったことがバレないようにしながら独[ひと]りで密かに国家宗教などで犯罪を犯して国民を嫌がらせたり殺したりしているだけである。[[14477]を参照。]政府は人殺しが好きだから、今でも国民を殺しているのだ。政府は生まれつきの異常性格者であり、政府にとっては人殺しだけが生きがいだから、政府は国民を殺さずにはいてもたってもいられないのである。
法律のある社会では、暴力団体の政府は国民に暴力を使って命令することができず、ただ独りで密かに犯罪を犯すことしかできないのだ。今の政府は暴力団体ではなく、犯罪組織にすぎない。今の政府は国民に命令することができず、独りよがりで国民を殺しているだけなのだ。だから、国民は政府に従わなくていい。国民はたとえ政府に殺されることがあっても、政府の命令を聞く必要はない。国民は政府の命令を聞いても聞かなくても政府に殺されるのなら、政府の命令を聞かないほうが得である。
政府が国民から税金を取ったり国民に戦争や国家宗教などの命令を出すのは政府の国民に対する暴力である。法律のある社会では政府は暴力を使えない。だから、国民は政府の命令で政府に税金を払ったり戦争や国家宗教などをやらなくていい。つまり、政府が国民から税金を取ったり国民に戦争や国家宗教をやらせたりするのは、政府が国民に暴力を使っていたからである。政府が国民に暴力を使ってやらせていたことである。けっして政府が民主主義でやっていたのではない。しかし、今は暴力が使えない社会である。だから、政府は国民から税金を取ったり国民に戦争や国家宗教をやらせたりできないのである。つまり、国民は政府に税金を払ったり政府の命令で戦争や国家宗教をやらなくていいのである。

[14503] 実在は国民の想像よりもすばらしい。 h24.3.20
政府は暴力団体である。
昔の社会は暴力が使えた。昔の社会は文明が低くてみんなが法律を知らなかったからみんなが暴力を使えた。昔も法律があったが、みんなが法律を知らずに好き放題にやっていた。昔はみんなが頭を使って物を見ていなかった。みんなが自分の心のままに好き放題にやっていた。乱暴な者は乱暴に、おとなしい者はおとなしくやっていた。
だから、昔の社会では、乱暴な政府が暴力を使っておとなしい国民を支配していた。政府が暴力を使って国民を好き放題にしていた。政府に従わない国民は政府に暴力で殺されたから、国民みんなが政府に従っていた。政府は乱暴な性格だが、国民はおとなしい性格なので、国民はいくら政府に嫌がらされても政府に逆らわずおとなしく政府に従っていた。
今の社会は暴力が使えない。今の社会は文明が高くてみんなが法律を知っているからみんなが暴力を使わなくなった。乱暴者もおとなしい者もみんなが法律を守って暴力を使わなくなった。今の社会ではみんなが学校で法律を勉強するし、テレビや新聞では毎日法律のことをやっているから、みんなが法律を知ってみんなが法律を守っている。今は情報社会だから、みんなが法律を知っているのだ。今ではみんなが頭を使って物を見るようになって、自分が社会の中で生きるためには社会の決まりを守らねばなならないと思って社会の決まりである法律を知るようになったのである。
だから、今の社会では、政府が暴力を使えず国民を支配できなくなった。国民が政府に従わなくても政府に何もされないから、国民は政府に従わなくてもよくなった。
しかし、今でも国民の多くは政府に従っている。今の国民の多くは政府や社会に対する誤解によって、政府に従っているだけである。国民は政府が検定した教科書やくだらないマンガの読みすぎで、実在の政府や社会について誤解しているのである。国民は政府が作った嘘[うそ]の憲法を真[ま]に受けて、実在の世界を誤解しているのである。国民は自分の汚[きたな]い誤解によって政府に従わされているのである。実在の世界は国民の想像よりもはるかにすばらしいのである。実在の世界は国民の想像を超えたところにあるのである。
政府は暴力団体である。今の社会では暴力が使えない。暴力が使えなければ政府は国民に対して何もできない。だから、国民はもはや政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていいのだ。

[14504] 未来の政治機関 h24.3.20
今では国の文明が高くなって、みんなが法律を知ってみんなが法律を守ってみんなが暴力をふらなくなっている。そのために、この世から暴力団体が消滅している。権力団体が消滅している。政府が消滅している。政府はこれまで表や裏で暴力を使って権力(国民に対する命令力)を得ていたのである。
未来の社会では、政治機関はなくなっている。未来の社会では、立法機関と司法機関からなる法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などの個別のバラバラの会社があるだけである。
国民は自分にとって必要なサービスをそれぞれの会社に自分で申し込む。それぞれの会社は契約した国民に仕事をして国民からお金をもらって経営している。会社と国民は平等である。
自分がやりたい事業がある国民は自分で株式会社を建てて事業をやればいい。
とにかく大事なのは、国の文明の高さだ。みんなの知性の高さだ。それさえよければ、万事[ばんじ]がうまくいく。反対に、国の文明が低いと、みんなの知性が低いと万事がうまくいかない。だから、人類は国の文明を維持しさらに高めていかねばならない。

[14505] 人間には心もあれば頭もある。☆ h24.3.20
国は文明の低い状態から文明の高い状態に発展する。
文明の低い状態では、みんなが頭で物を見ずにみんなが自分の心のままに好き放題にやっていた。たとえ法律があっても、みんなが法律を無視して好き放題にやっていた。乱暴者は乱暴に、おとなしい者はおとなしくやっていた。だから、乱暴な暴力団体が暴力を使っておとなしい国民を支配していたのである。
反対に、文明が高い状態では、みんなが頭で物を見て心を頭に従わせている。みんなが社会の中で暮らすために法律を知って法律を守っている。乱暴者もおとなしい者もみんなが法律を守っている。だから、乱暴な暴力団体も国民に暴力をふらなくなって国民を支配できなくなっている。
文明が高いと法律のある社会になる。法律のある社会では暴力団体が消滅する。
今の日本は文明が高くなって法律のある社会になっている。だから、今の社会では暴力団体が消滅している。政府や暴力団や宗教団体などがなくなっているのだ。
人間には心だけではなく頭(知覚)もある。
文明が低い社会では、みんなが法律を知らなくて自分の心のままに好き放題にやっていた。たとえ法律があっても、みんなが法律を無視して自分勝手にやっていた。自分の心のままにやることが善[よ]いことで、心のままにやらないことが悪いことだと考えていた。だから、たとえ法律を守っていなくても心のままにやっていれば善[い]い人だと思われてみんなに慕[した]われて人間社会の中で堂々と生きることができた。だから、昔は政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民よりもでかい面[つら]をして威張[いば]っていたのである。国民は政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体におとなしく従っていやいや暮らしていたのである。反対に、学者は自分の心のままに生きていない悪人だとされて、みんなから嫌われて死刑にされたのである。
反対に、文明が高い社会では、みんなが頭で法律を憶えて法律を守るようになる。法律を守ることが善[よ]いことで、法律を守らないことが悪いことだと考えるようになる。だから、法律を守らない者はみんなに悪人だと思われて牢屋[ろうや]の中に入れられて人間社会から排除されることになる。だから、今では政府や暴力団体や宗教団体などの暴力団体が悪い人だと見なされて肩身の狭い思いをしなければならなくなったのである。国民は政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体に従わなくなって自由に暮らすようになったのである。

[14506] 国民が政府に従ってもうまくいかない。☆ h24.3.20
昔の文明が低い社会では、みんなが実在を無視して自分の心のままに好き放題にやっていた。みんなが法律を無視して自分のやりたいようにやっていた。
今の文明の高い社会では、みんなが実在を知って実在に従いながら自分の心を満足している。みんなが法律を知って法律を守りながら自分の心を満足して生きている。
それなのに、政府はいまだに実在を無視して自分の心のままに好き放題にやっている。政府は実在のことを知らない馬鹿の団体である。
今の国民は今の社会の原理に従っているのに、今の政府はいまだに昔の社会の原理に従っている。
政府は昔の社会の原理で動いている団体である。政府は自分の心のままに好き放題にやっている団体である。
だから、政府は今でも実在を無視して自分の心のままにやって、自分の好き放題な政策をやって失敗ばかりして国民に大きな損害をかけている。おまけに、政府は面白半分に国家宗教で国民を嫌がらせたり殺したりして遊んでいる。
政府は実在を無視して自分の心のままにやっているので、国民が政府に従ってもうまくいくわけがない。政府は役立たずの団体である。政府は国民が従うべき者ではない。だから、国民は政府に従うのをやめて、自分の考えでやればいいのである。

今の社会では暴力が使えないから、暴力団体の政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わずに自分の考えでやればいいのである。国民は政府を無視して自分の好きなようにやればいいのである。

[14507] どうして私は政府に殺されないのか? h24.3.20
政府は昔の社会の原理で動いている団体である。
昔の社会では、人間はみな実在を無視して自分の心で好き勝手にやっていたが、その他[ほか]に人間は神に逆らってはいけないことになっていた。政府も一度自分が神を決めたら、死ぬまで神に逆らってはいけないことになっていた。
だから、いくら私が政府を攻撃しても、政府は私を殺すことはできないのである。
実際には、私はただ正しいと考えられることを述べているだけであって、政府を攻撃するつもりはないのだが。

[14508] どうして今の政府は国民に命令できないのか? h24.3.20
今では、国民は今の社会の原理で動いているが、政府は昔の社会の原理で動いている。
昔の社会の原理では、みんなが実在を無視して自分の心のままに好き放題にやればよかった。みんなが法律を無視して自分勝手にやっていた。だから、暴力団体は暴力を使って国民に命令していた。暴力団体は人殺しが好きだから、国民を殺して遊んでいた。
今の社会の原理では、みんなが実在を知り、実在の中で自分の心を満足している。みんなが法律(実在の社会の決まり)を知り、法律を守って暮らしている。だから、暴力団体は暴力を使わなくなって国民に命令できない。暴力団体はいくら人殺しが好きでも、人殺しして遊べない。
今の国民は今の社会の原理で動いているから、今の社会の原理では暴力団体の政府は暴力を使えなくて国民に命令できないから、国民は政府に従わない。つまり、今の国民は政府の命令を聞かなくてもいい。政府に税金を払ったり、政府の命令で戦争や国家宗教などをやらなくてよくなったのである。
一方、今の政府は昔の社会の原理で動いているから、政府はいまだに国家宗教などで国民を殺して遊んでいるのである。政府は独[ひと]りで密かに国民を殺して喜んでいるのである。
今の社会では国民と政府が分かれて別々の原理で動いている。そんな社会でうまくいくわけがない。今の日本は国が国民と政府で分裂している。さっさと政府が潰[つぶ]れてなくなればいい。そうすれば、国中の人間が同じ原理で統一されて国家らしくなる。
今では国の文明が高くなって、みんなが今の社会の原理でやっているのに、政府だけが昔の社会の原理でやっている。国民は今の社会と合っているのに、政府だけが今の社会と合っていない。政府はわがままである。政府には今の社会と合わさなくてもいい特権はない。今では国の中で政府だけが異質な存在である。だから、国から政府を排除して、みんなが今の社会の原理で暮らす国を作らなければならない。

[14509] 今の社会では国民は政府に従わなくてもかまわない。《要点》 h24.3.21
政府は暴力団体である。政府は暴力を使って国民に命令する団体である。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で殺すことによって、国民を従わせる団体である。これまで政府は暴力を使って国民に命令して、国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教などをやらせてきた。
しかし、今の社会には法律がある。今の社会では、みんなが法律を守って暮らすことが正しいことになっている。だから、今の社会では誰も暴力が使えない。
だから、今の社会では、政府は暴力が使えず国民を支配できない。
だから、今の社会では国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の命令で戦争や国家宗教などをやらなくていい。

[14510] 心主義から知覚主義へ☆ h24.3.21
昔の人は心主義だった。みんなが実在を無視して自分の心のままに好き放題に生きていた。自分の心のままに生きるのが善[よ]いことで、自分の心のままに生きないのが悪いことだった。だから、乱暴な暴力団体が暴力をふっておとなしい国民を支配していたし、学者が自分の心のままに生きない悪人としてみんなから嫌われて死刑にされたりした。
今の人は知覚主義である。みんなが頭で実在を知り、心を頭に従わせて生きている。実在に従うのが善[よ]いことで、実在に従わないのが悪いことだとされている。例えば、法律は実在の社会における人間の決まりである。法律に従うのが善いことで、法律に従わないのが悪いことだとされている。だから、乱暴な暴力団体が暴力をふらなくなっておとなしい国民を支配しなくなったし、学者が実在に従う善[い]い人としてみんなから尊敬されている。
昔と今では人々の主義が変わった。昔の人は心主義で生きていたが、今の人は知覚主義で生きるようになった。そのため、昔の国民は暴力団体に従っていたが、今の国民は暴力団体に従わなくなった。例えば、政府は暴力団体だから、今の国民は政府に従わなくなった。
日本における昔と今の境目[さかいめ]は、だいたい世界大戦〜私が生まれた頃(昭和39年、西暦1964年)である。だから、今はすでに知覚主義の時代である。みんなは知覚主義で生きていけばいいのである。

[14511] どうして政府は暴力団体だったのか? h24.3.21
昔の人が心主義だったからである。
心主義では実在を無視して自分の心のままに好き放題にやればいい。
だから、政府は乱暴なので、昔の政府は暴力を使って国民を好き放題にしていたのである。
国民はおとなしいので、昔の国民も心主義で政府におとなしく従っていたのである。
しかし、今の人は知覚主義である。
知覚主義では実在を知り、自分の心を実在に従わせなければならない。実在の中で自分の心を満足しなければならない。
法律は実在の社会における人間の決まりである。
だから、乱暴な政府もおとなしい国民も等しく法律を守らなければならない。政府も国民も暴力を使えない。
だから、今の政府は暴力を使えず、国民を支配できなくなったのである。これまで政府は『暴力』で国民を支配してきたので、今の社会では政府は暴力を使えないので政府は国民を支配できないのである。
したがって、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の命令で戦争や国家宗教などをやらなくていい。

[14512] 人間が変われば社会も変わる。 h24.3.21
人間はみんな同じではない。人間には心の違いによって乱暴者とおとなしい者がいる。人間のほとんどはおとなしいが、人間の中には少数の乱暴者がいる。乱暴者は生まれつき人を殺すのが好きである。乱暴者は人を嫌がらせるのが好きである。反対に、おとなしい者は人を殺すのが嫌である。おとなしい者はいくら他人に嫌がらされても抵抗せずにじっと我慢[がまん]している。[私は以前(平成22年11月10日頃)、政府が暴力団体であることまではわかっていたが、人間の心に違いがあることに気づかなかったので、その後再び誤解に陥[おちい]ってしまった。そのために、1年半ぐらい時間を無駄[むだ]にしてしまった。]
昔は文明が低くて、みんなが知識を持っていなかった。そのため、みんながむき出しの心で生きていた。裸[はだか]の心で生きていた。乱暴者は乱暴に、おとなしい者はおとなしく生きていた。たとえ法律があっても、みんなが法律の知識を持っていなかったので、法律を破ってもよかった。だから、乱暴な暴力団体が暴力を使っておとなしい国民を好き放題にして国民を支配していた。暴力団体は暴力を使って国民に命令したり、国民を嫌がらせたり殺したりして遊んでいた。
今は文明が高くて、みんながいろんな知識を持っている。教育や情報が発達していて、みんながいろんなことを知っている。そのため、みんなが頭の中の知識で生きるようになっている。みんなが実在の世界を知り、実在の世界の中で自分の心を満足するようになっている。みんなが自分の心に知識の着物を着せるようになっている。みんなが実在の社会の中で生きるために法律を知り、法律を守るようになっている。乱暴者もおとなしい者も法律を守っている。自分の心を法律に従わせながら生きている。だから、乱暴な暴力団体も暴力を使わなくなっておとなしい国民を支配できなくなっている。国民は暴力団体に従わなくなって、暴力団体と国民が平等になっている。
昔は文明が低くてみんなが自分の心で生きていた。だから、暴力団体が暴力を使って国民を支配していた。暴力団体が国民よりも上の者だった。
今は文明が高くてみんなが自分の頭で生きている。だから、暴力団体が暴力を使わなくなって国民を支配できなくなった。暴力団体と国民が平等になった。
昔と今では文明が違う。文明が違えば人間が違う。人間が違えば社会が違う。人間は社会を構成する原子のようなものだ。人間が変われば、当然社会も変わる。昔の人間には知識がなかった。今の人間には知識がある。人間が変われば、人間の間の関係も変わる。つまり、社会が変わるのだ。昔と今では人間が同じではない。だから、社会も同じではない。人間が進歩するから、社会も進歩する。いつまでも昔のままの社会ではいけないのだ。
政府は暴力団体である。今は暴力が使えない時代である。暴力が使えない時代に、政府が国民を支配するのはおかしい。だから、国民は政府に従わなくていいのだ。

[14513] どうして今の国民は政府に従っているか? h24.3.21
昔の社会では暴力が解禁だった。だから、昔の国民は政府に暴力で従わされていた。昔の政府は自分の命令に従わない国民を暴力で殺していた。だから、昔の国民は政府に従う必要があった。
今の社会では暴力が禁止されている。だから、今の国民は政府に暴力で従わされていない。今の政府は自分の命令に従わない国民に何もできない。だから、今の国民は政府に従う必要はない。[不良が暴力をふらない良い子になったら、不良に従わなくてもよくなるのと同じことである。今の政府が国民に「金くれ」(税金のこと)と言っているのは、冗談である。政府が国民に「国民が自分に金をくれたらいいな」という願望を軽く言っているだけである。国民は政府の冗談を笑って無視すればいいのである。]
それなのに、今でも国民が政府に従っているのは、今の国民が政府によって政府や社会に対する誤解を植えつけられているからである。政府は国民に「政府が国民のために役に立つことをやっている」ようなことを宣伝したり、「今の社会ではまだ暴力が使える」みたいなことを言ったりして、国民を政府に従わせている。例えば、テレビや新聞で、日本の景気が上向いているとか、暴力団や宗教団体が景気がいいことなどを報道しているのは、国民を政府に従わせるためのでっち上げである。
しかし、最近の国民はだんだん利口になって、自分で政府の洗脳[せんのう]を解くようになっている。最近の国民は、私のように考えて『今の国民は政府に従う必要がない』ことがわかるようになっている。
だから、国民はしだいに政府に従わなくなって来ている。
昔の政府は堂々とした暴力団体だったが、今の政府は国民に嘘[うそ]をついて騙[だま]して国民を従わせているみすぼらしい詐欺会社にすぎない。『暴力』では強い権力(命令力)が得られるが、しょせん「嘘」では弱い権力しか得られない。暴力では国民全員を確実に従わせることができるが、嘘では頭の弱い馬鹿しか従わせられない。今の政府は馬鹿しか支配できない。昔の政府は国家暴力団体だったが、今の政府は民間の詐欺団体にすぎない。
政府がいつまでも国民を嘘で騙し続けることはできない。政府が国民を騙せなくなったらおしまいだ。政府の先もそう長くはない。政府の命も風前の灯[ともしび]だ。そろそろこの辺で政府もお開きにしたらどうだろうか?

[14514] 政府の持ち会社は芝居である。 h24.3.21
政府は暴力団体である。政府は昔は国民に暴力をふって国民を従わせていたが、今では国民に暴力をふらなくなった。しかし、いまだに政府は独[ひと]りで密かに国家宗教で事件を起こして国民を殺して遊んでいる。
一方、政府は、法律会社(つまり国会と警察)や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などの持ち会社を持っている。
政府の持ち会社は、国民に政府をいい会社だと思わせるための芝居である。そのために、昔からよく国会は政府の芝居だと言われるのである。昔の政府は裏で国民を暴力で殺していたから、表の法律会社でせいぜいいい人ぶっていたのである。
政府は国民に政府をいい会社だと思わせて国民が政府を倒すのを防ぐために持ち会社を持っているのである。
昔の政府はおもに暴力で国民を従わせていたが、政府が国民に暴力をふるだけだと国民が政府に反感を持つので、政府は持ち会社で国民にわざとらしくいいことをして国民に「政府にはいいところもある」と思わせて国民の政府に対する反感を和[やわ]らげていたのである。不良がたまにいいことをしてみんなに「いいところもある」と思わせて周囲の反感を和らげるのと同じである。政府の持ち会社は、政府の盾[たて]である。政府の持ち会社は、政府を安定化させるためのシステムである。完全な不良では現実の社会では生きていけないから、不良もたまにはいいことをしなければならないのである。完全な不良ではみんなから嫌われてみんなの仲間はずれにされて社会の中で生きていけないから、不良もしかたがなくたまにはいいことをしてみんなにいい人だと思わせねばならないのである。いくら不良でも完全な不良ではいけない。いいところもなければ不良は務[つと]まらない。したたかでなければ不良はやっていけないのである。政府は不良の会社である。だから、政府もいいところを作るために国民の役に立つ持ち会社をやっているのである。政府の持ち会社は政府が国民の中に溶け込むための道具である。水と油を混ぜる界面活性剤(いわゆる石鹸[せっけん])のようなものである。つまり、政府の持ち会社は、政府が国民と仲良くなるための機関である。[昔はみんなが心主義だったので、みんなが心で物を見ていた。完全な不良は心で見ても許せないが、いいところがある不良は心で見ると許せる。だから、完全な不良はみんなと同じ社会で暮らせないが、いいところのある不良はみんなと同じ社会で暮らすことができる。そのために、昔の政府は持ち会社に国民の役に立つ仕事をやらせていたのである。しかし、今はみんなが知覚主義なので、みんなが頭で物を見るので、政府はひとつでも法律を犯すことができなくなったので、今の政府にとっては政府の持ち会社はあってもしかたがなくなったのである。今の政府は国民に見つからないように気を付けながら犯罪を犯さなければならなくなったのである。つまり、今の社会では、政府も法律を犯せないのである。昔の国民が政府に従わねばならなかったのは、政府が暴力を使えたからである。今の政府は暴力を使えないから、国民は政府に従わなくていいのだ。]
今の政府はもはや暴力で国民を従わせていない。今の政府は持ち会社だけで国民を従わせている。
しかしながら、政府の持ち会社はあまり国民の役に立たない。しかも、政府は税金の上に使用料金までも取るので国民にとっては割高である。今の政府は国民から税金を取る“言い訳”のために持ち会社をやっているだけである。国民にとっては政府の持ち会社は要らない。国民にとっては国の文明が高ければ、あとはどうでもいい。政府のゴミみたいな会社はどうだっていい。政府の持ち会社がなくても国民は十分生きていける。
だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府丸ごと潰[つぶ]せばいい。政府全部を跡形[あとかた]もなく潰せばいい。そうすればサッパリする。

[14515] 政府は国民から税金を取れない。 h24.3.22
昔の政府は暴力が使えたから国民から税金を取れた。
今の政府は暴力が使えないから国民から税金を取ることができない。
今の政府にはいくつか持ち会社がある。それらの中には国民の役に立つ会社もいくつかある。
だから、政府の持ち会社は事業ごとにそれぞれバラバラの会社に分かれねばならない。そして、それぞれの会社が普通の民間会社と同じように、国民と契約を取って仕事をしなければならない。それぞれの会社が国民に契約で決められた仕事をして、国民から契約で決められたお金をもらって稼[かせ]がなければならない。
税金は、昔の暴力が使える社会において、政府が暴力を使って国民から無理やりお金を取るやり方である。
今の社会では暴力が使えないから、もはや政府は国民から税金を取ることはできない。
政府はいつまでもふざけたことをせず、早く今の社会のルールに合わせたやり方でお金を稼がなければならない。そうしなければ、国民は政府に見切りを付けて、政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して国民で新しい会社を建てるだろう。今の法律では、政府は国民と契約を取っていないから、国民が政府に税金を払わなくても罪[つみ]にはならない。国民が政府に税金を払わなければその分国民が儲[もう]かるから、国民は喜んで政府に税金を払わないだろう。

[14516] 今の政府は“嘘[うそ]の法律”を定めることができない。 h24.3.22
昔の政府は暴力が使えたから、暴力を使って“嘘の法律”を定めることができた。「宗教の自由」(政府が国民に国家宗教をやらせたり、自分で国家宗教で事件を起こして国民を殺したりして、国民を虐[いじ]めてもいいこと)や「納税の義務」(政府が国民から無理やりお金を取ってもいいこと)や「服従の義務」(政府が国民に好き勝手に命令を出してもいいこと)などがあるまちがった法律を定めることができた。終戦直後はまだ昔の暴力が使える社会だったから、日本国憲法にはこれらの法律があるのである。
しかし、今の社会では暴力が使えないから、今の政府は暴力を使えない。だから、今の政府は暴力を使って“嘘の法律”を定めることができない。今の政府は本当の法律を定めることしかできない。
本当の法律には「宗教の自由」や「納税の義務」や「服従の義務」などはない。本当の法律では、政府と国民は平等である。だから、国民はわざわざ政府が決めた憲法改正の手続きによらなくても、政府と国民は平等だから、国民は自分が嫌なら政府に従わなくてもいいのである。国民は政府が決めた嘘の法律を守らなくてもいいいのである。
今の社会では政府と国民は平等だから、政府は国民から無理やり税金を取ったり、国民を嫌がらせたり殺したりしてはいけない。
今の政府は国民が弱気でおとなしいから、国民から税金を取っているだけである。今の政府は昔の政府が強かったのを笠[かさ]に着て、国民から税金を取っているだけである。つまり、今の政府は自分の強気[つよき]によって国民から税金を取っているだけである。昔の政府は暴力が使えたから、国民から国民が死ぬ寸前までギリギリ税金を取ることができたが、今の政府は暴力が使えないから、国民から国民を怒らせない程度の税金を取ることしかできない。しかし、そもそも今では政府と国民は平等だから、政府が国民から税金を取れる道理はない。だから、国民は自分の弱気でおとなしい気持ちに打ち勝って、政府に逆らって、政府に税金を払うのをやめねばならない。
今の政府は自分の強気によって国民から税金を取っているだけである。しかし、今では国民が政府に税金を払わなくても政府は国民に暴力がふれない。昔は国民が政府に税金を払わないと政府が国民を暴力で殺したから国民は政府に税金を払わなければならなかった。今は国民が政府に税金を払わなくても政府は国民に何もできないから国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。だから、今の国民も強気になって政府に税金を払わなければいいのである。今の政府は暴力が使えないから、政府は国民に対して何もできない。今の政府は自分が強気でいるだけの空威張[からいば]りである。だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。国民にとって今の政府は怖くも何ともない。だから、今の国民は政府の命令をいっさい聞かなければいいのである。政府から暴力を取ったら何でもない。そこら辺の会社と何も変わらない。だから、国民は政府を特別な会社と思わなければいいのである。
昔の政府は暴力が使えたから国民よりも上だった。今の政府は暴力が使えないから国民と平等である。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。

[14517] 今の政府は無能である。 h24.3.22
政府は暴力団体である。[政府の持ち会社は、政府がいい格好[かっこう]をするための飾[かざ]りである。表の政府の持ち会社は政府の仮の姿である。裏の暴力団体が政府の実体である。政府には表と裏の二面性があるが、裏のほうが正体である。]
しかし、今の社会では暴力が使えない。
だから、今の政府は国民に何もできない。
だから、今の国民は政府を無視して自由にやっていい。

[14518] 暴力がなければ権力もない。 h24.3.22
暴力は権力(命令力)を得るための手段である。
昔の政府は暴力が使えたから権力があった。
今の政府は暴力が使えないから権力がない。
だから、今の国民は政府を無視して自由にやっていい。

[14519] どうして今の国民は政府に従っているか? h24.3.22
政府は強気である。国民は弱気である。
だから、国民は政府に従っているのである。

今の国民は自分の弱気な気持ちで政府に従っているだけである。
昔の政府は暴力で国民を従わせた。
今の政府は強気で国民を従わせている。
昔の政府は自分の命令に従わない国民を暴力で殺した。
だから、昔の国民は昔の政府を恐れて、政府の命令に従わなければならなかった。
今の政府は自分の命令に従わない国民に何もできない。
だから、今の国民は今の政府を恐れず、政府の命令を聞かなければいいのである。

[14520] 民主主義では権力は得られない。 h24.3.22
政府は民主主義で国民よりも上だったのではない。
政府は暴力で国民よりも上だったのである。
ところが、今の政府は暴力が使えない。
だから、今の政府は国民よりも上ではない。
民主主義では、政府と国民は平等であるから、政府は国民に命令できない。民主主義ではせいぜい国民と平等になれるだけであって、国民よりも上にはなれない。政府は暴力で国民よりも上だったのであって、民主主義で上だったのではない。
だから、今の政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなければいい。
法律は実在の社会における人間の関係である。法律は学者が決めることであって、政府が決めることではない。人々の総意は法律よりも強い。政府よりも強い。
昔の社会で暴力が使えたのは、昔の人の総意で決めたことであって、昔の学者や政府が決めたことではない。昔の人は「何でも自分の好き勝手にやればいい」と思っていたから、昔の人は法律を無視して自分の好き勝手にやっていた。昔の人は自由に暴力を使うことができた。もっとも、実際には国民はおとなしかったから暴力を使わず、暴力団体だけが暴力を使っておとなしい国民を支配したのである。昔の社会では、自分の心に反する者が悪人として罰せられたのである。つまり、みんながやりたい放題の世の中だったのである。昔の社会では法律を守る者が悪人だったのである。
今の社会で暴力が使えないことも、今の人の総意で決めたことであって、今の学者や政府が決めたことではない。今の人は『実在を知り、実在の中で自分の心を満足しなければならない』と思っているから、法律は実在の社会における人間の決まりだから、今の人は法律を守って暴力を使わないのである。乱暴な性格の者もおとなしい性格の者も等しく法律を守って暴力を使わないのである。今の社会では、法律に反する者が悪人として罰せられるのである。今の社会では自分の心のままにやる者が悪人なのである。
法律を決めるのは学者であって、政府ではない。法律は実在の社会における人間の関係に詳[くわ]しい学者が決めることであって、国会議員のおっさんが決めることではない。これまで政府は暴力を使って自分勝手な“嘘[うそ]の法律”を決めてきたのである。今の政府は暴力が使えないから、もはや政府が独断で自分勝手な“嘘の法律”を決めることはできない。今後の法律会社は正しい法律を決めることしかできない。
今では政府と国民は平等である。だから、政府は自分が国民と平等であることに則[のっと]ってお金を得なければならない。国民も政府と国民が平等であることに則って、政府に従ってはならない。国民はいくら自分の性格が弱気でおとなしくても、政府と国民が平等であることを守って、政府にみだりに従ってはいけない。現代人は実在に従わねばならないから、政府と国民が平等であることをちゃんと守らなければならない。それは現代人の義務である。
今の世界では実在について正しいことを知っている者が上になれるだけである。だから、みんなよりも上になりたければ、実在について真剣に考えて新しい真理を発見するしかない。暴力を使うことしか能[のう]がない者はみんなから軽蔑されて無視されるだけである。

[14521] 国民は政府に税金を払ってはいけない。 h24.3.22
日本では麻薬や銃が禁止されている。麻薬や銃は犯罪を起こりやすくするからである。
ところで、政府は犯罪組織である。政府の中には生まれつき人を殺したり人を嫌がらせたりするのが好きな性格異常者がたくさんいる。政府があると犯罪が起こりやすくなる。
日本では政府を禁止しなければならない。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。

[14522] 政府は昔の会社である。☆ h24.3.22
政府は昔の人が従う会社である。昔の人は実在を無視して自分の心で生きていけばいいと思っていたから、政府に従っていたのである。昔の人の心主義の世界観では乱暴者が一番偉いことになるから、昔の人は人を殺したり人を嫌がらせるのが好きな政府に従っていたのである。政府は昔の人の心主義が作り出した巨大な怪物なのである。[昔の世界は心主義だったので、頭のいいユダヤ人が嫌われていたりしたのである。昔の人の心主義の世界観では、頭のいい人は道具にすぎなかったのである。]
ところが、今の人は実在に従って生きていけばいいと思っている。実在を知り、実在の中で自分の心を満足しなければならないと思っている。
だから、今の人は政府に従わなくなっている。今の人は政府に従いたくないと思っている。
今の人は実在に従う人が一番偉いと思っている。今の人の知覚主義の世界観では、実在に詳[くわ]しい人が一番偉いことになるから、今の人は知識人に従いたいのである。自分で考えたり他人から学んだりして実在のことをよく知っている人に従いたいのである。
だから、知識人で固[かた]めた会社を作れば、今の人はよく従うだろう。
政府は今の人が従いたい会社ではない。だから、政府は滅びるだろう。
法律は実在における正しい人間関係だから、今の人は法律をよく守っているのである。
政府は人を殺したり人を嫌がらせたりして法律を破っているから、今の人は政府が嫌いなのである。私も政府が嫌いである。
政府は心主義の世界観における“偉い人”の集まりである。政府は心主義で見ると偉い会社なのである。特に日本人は顔が悪いから、日本では“心の偉人”は必ず凶悪殺人犯なのである。
心主義の人は政府に従って、政府に税金を払って、政府の戦争や国家宗教の命令を聞けばいい。
知覚主義の人は政府に従わず、政府に税金を払わず、政府の戦争や国家宗教の命令を聞かなければいい。
今では心主義の人が減り知覚主義の人が増えているから、政府もだんだん衰えている。政府は心主義とともに滅びるのだ。

[14523] 心主義の国 h24.3.22
昔の日本は心主義の国だった。心主義では、人を殺したり人を嫌がらせたりするのが好きな政府が一番偉かった。だから、昔の国民は政府に従ったのである。[世界大戦の頃は、日本とドイツとイタリアが心主義の国だった。それ以外の国は知覚主義の国だった。心主義の国が後進国で、知覚主義の国が先進国だった。それで、心主義の国と知覚主義の国の間で戦争をやったのである。今では世界中の国が知覚主義になっている。だから、世界中の国で国民が政府に従わなくなっているのだ。]
しかし、今の日本は知覚主義の国である。知覚主義では、実在のことをよく知っている人が一番偉い。だから、今の国民は知識人に従うようになったのである。
政府は昔の偉人である。昔と今では人々の主義が変わったから、今の国民にとってはもはや政府は偉くない。今の国民にとっては政府は法律(実在の社会の決まり)を犯す劣[おと]った人にすぎない。政府は今の人が従うべき者ではない。今の人は政府とは別のもっと自分がいいと思う人に従えばいい。
国の文明はひとりでに進むものであって、個人が選べるものではない。今の世界は知覚主義である。だから、今の世界ではみんなが知覚主義にしなければならない。政府は昔の心主義の会社である。だから、今の世界は政府を排除しているのである。今の世界は知覚主義だから政府と国民は平等だから、国民が政府に従わないのが正しいのである。だから、国民は勇気を出して政府に税金を払うのをやめねばならない。政府の命令を聞くのをやめねばならない。

[14524] 文学者はどうして自殺するのか? h24.3.22
今は知覚主義の時代である。
文学者は心主義である。
だから、今の社会の中では、文学者はいたたまれなくなって自殺するのである。
反対に、科学者は知覚主義だから、今の社会の中では科学者はピンピンしている。
政府は心主義の会社だから、政府も文学者のようにさっさと自殺すればいい。
今の人類にとっては、わかっていることはほんの少ししかない。今の人類にとっては、まだまだわからないことが山積みである。だから、今の人はわかっていないことを考えながら生きていけばいいのである。

[14525] 今の社会は知覚主義である。☆ h24.3.22
政府は暴力団体である。政府は暴力を使って国民から無理やりお金を取って、国民に戦争や国家宗教をやらせて国民を嫌がらせる会社である。昔の社会は心主義でみんながやりたい放題だったから、そんな変な会社が出来てしまったのである。
一方、今の社会は知覚主義である。今の人はみんな法律(実在の社会における人間の決まり)を守るようになっている。だから、今の社会では暴力が使えない。
だから、今の政府は『暴力』が使えず自分の「強気」で国民を支配しているだけである。国民は弱気でおとなしいので、強気の政府に従っているのである。国民は政府の命令で政府に税金を払って戦争や国家宗教をやっている。政府はわざわざ暴力なんか使わなくても、強気だけで国民を支配できたのである。つまり、今の政府は気持ちの上で言葉の上で国民を支配しているのだ。今の政府は人間の心の違いによって国民を支配しているだけなのだ。
しかし、今の社会は知覚主義だから、政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府に従ってはいけない。今の国民はもっと自分の頭で考えて物を見て、政府に従わないようにしないといけない。国民はたとえ自分の心が弱くても、自分の心を知覚で補[おぎな]うことによって実在に適応することができる。

[14526] 昔の政府と今の政府の違い h24.3.22
昔の社会は心主義だったので、みんなが自分の心のままにやりたい放題だった。みんなが法律を無視して好き放題にやっていたので、みんなが自由に暴力を使うことができた。国民は性格がおとなしいので暴力をふらなかった。政府は性格が乱暴なので暴力をふっていた。
昔の政府は表の強気と裏の暴力で国民を支配していた。政府は強気で国民に命令を出していた。さらに、政府は自分の命令に従わない国民を暴力で罰することによって国民を政府に従わせていた。だから、昔の社会では政府が国民を完全に支配していた。
今の社会は知覚主義なので、みんなが知覚で実在を知り、実在の中で自分の心を満足している。法律は実在の社会における人間の決まりである。だから、国民も政府もみんな法律を守って暴力を使わなくなっている。
今の政府は表の強気だけで国民を支配している。政府は強気だけで国民に命令している。今では政府は暴力を使えないから、政府は暴力を使って自分の命令に従わない国民を罰せない。だから、今の社会では政府が国民を支配していない。[政府はたとえ暴力が使えなくても強気だけである程度経営できるから、戦後暴力が使えなくなっても政府はすぐに閉店しなかったのである。]
昔の社会では国民は完全に政府に従わねばならなかったが、今の社会では国民は政府に従わなくてもいい。[政府の法律は“嘘[うそ]の法律”だから、真[ま]に受けなくてもいい。政府の法律は国民に対するからかいだから、政府の法律なんかどうでもいい。]
今の国民は聞く必要もないのに政府の命令を聞いている。今の国民は自分の「弱気」で政府に従っているだけである。今の国民は臆病者[おくびょうもの]だ。国民はもっと勇気を出して政府に従うのをやめねばならない。

[14527] 今の政府は半殺しである。☆ h24.3.23
政府は暴力団体である。政府は人を殺したり人を嫌がらせたりするのが好きな乱暴者の集まりである。一方、国民はおとなしい。政府は乱暴だから他人に暴力をふる。国民はおとなしいから他人に暴力をふられても我慢[がまん]して抵抗しない。そのため、少数の政府が暴力を使って多数の国民に命令して多数の国民を支配できたのである。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で罰することによって国民を支配したのである。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今ではみんなが知覚主義になったためにみんなが法律を守って暴力を使わなくなったからである。国民が暴力団体が暴力を使うことを許さなくなったからである。
だから、今の政府は『暴力』を使わずに「強気」を使っている。
今の政府は強気を使って国民から税金を取ったり、国民に軍事や国家宗教をやらせている。
国家宗教の神の情報が入ったことをやらせたり物を作らせたりしている。そのほか、政府は自分で国家宗教をやって国民を殺したり嫌がらせたりして遊んでいる。今の政府は強気を使って社会科の教科書に嘘[うそ]を書いたり、嘘の憲法を定めたりしている。強気だけでも嘘はつける。
ところが、今の政府は暴力が使えないから、国民が政府の命令に従わなくても政府は国民に対して何もできない。
だから、国民は政府の命令に従わなければいい。そのほうが国民にとって得だし楽である。国民は自分の「弱気」に打ち勝って政府に従うのをやめればいい。
今の政府は暴力が使えなくなって半殺しである。政府は早く死にたいと言っている。だから、国民が政府を早く楽にしてやればいい。
今の政府は暴力が使えなくなって権力(命令力)がだいぶ落ちている。だから、国民は政府に従うのをやめればいい。今の政府は強気だけしか使えない。政府は強気だけでは国民に対して何もできない。だから、国民は政府の命令を無視すればいいのである。

[14528] 政府は滅びるしかない。 h24.3.23
政府は暴力団体である。つまり、政府は暴力で国民を従わせる団体である。
しかし、今の社会では暴力が使えない。今の社会ではみんなが知覚主義になってみんなが法律(実在の社会における人間の決まり)を守るようになって暴力を使わなくなったのである。
だから、今の社会では政府は国民を従わせることができない。つまり、国民は政府に従わなくてもかまわない。
したがって、政府は国民に命令して国民からお金(税金)を取れない。だから、政府は滅びるしかない。

[14529] 政府は嘘[うそ]つきである。 h24.3.23
今の政府は強気を使って社会科の教科書に嘘[うそ]を書いたり、嘘の憲法を定めたりしている。強気だけでも嘘はつける。
最近までは、嘘をつくぐらいは法律で許されていた。だから、これまで政府は嘘をついていた。[これまで、国民は自分で考えて政府の嘘を見破ってきた。]
ところが、最近は法律が厳しくなって嘘をつくことも法律でいけなくなった。
今の社会ではみんなが知覚主義になって、みんなが法律(実在の社会における人間の決まり)を守らなければならない。
だから、今後の政府は嘘をつくこともできない。
政府は社会科の教科書に嘘を書けないし、嘘の憲法を定めることもできない。
政府は自分が暴力団体であることを国民に公表しなければならない。自分が密[ひそ]かに国民を殺したり嫌がらせたりしていることを国民に公表しなければならない。
これでは、政府に従う国民がますます減って、政府は潰[つぶ]れるしかない。
今後は、ますます政府にとって厳しい世の中になるだろう。

[14530] 知覚主義が暴力団体を滅ぼす。 h24.3.23
昔は世界中の国に暴力団体があった。政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体があった。
昔は世界中の国が文明が低くて、みんなが心主義だった。
今では世界中の国が文明が高くて、みんなが知覚主義になった。
心主義では法律は無効だった。
知覚主義で法律が有効になった。
だから、今では世界中の国で法律が有効になって暴力団体が暴力を使えなくなって滅んでいるのだ。政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのだ。
暴力団体は法律がない時代に繁栄した。暴力団体は法律がある時代になると滅亡するのだ。

[14531] 昔の法律と今の法律 h24.3.23
昔の社会ではみんなが心主義だった。みんなが自分の心のまま好き放題にやっていた。そのため、暴力団体の政府が暴力で国民を支配していた。政府が暴力で国民に何でも命令していた。政府に最高の権力(命令力)があった。
だから、昔の法律は「政府」が決めていた。昔の法律は政府の国民に対する命令にほかならなかった。昔の社会では、政府が自分勝手に法律を決めて、国民がそれを守らされていた。
今の社会ではみんなが知覚主義である。みんなが実在に従って、実在の中で自分の心を満足するようになっている。
そのため、今の法律は『実在する社会』が決める。実在の社会を維持し発展させる法律がよい法律だとされている。今では実在の社会に対する観察と実験によって科学的に法律が決められる。
つまり、心主義は政府主義である。知覚主義は実在主義である。だから、昔の法律は政府が決めたし、今の法律は実在が決めるのだ。昔の社会では政府に最高の権力があったが、今の社会では実在に最高の権力があるのだ。つまり、昔の政治機関は政府だったが、今の政治機関は実在なのだ。政府は古い政治機関で、実在が新しい政治機関なのだ。

[14532] 文学とは何か? h24.3.23
文学とは、実在する心の世界を具体的に言葉で書いて表現したものである。文学は、物質的制限のない人間の心の直接的な表現である。
人間の心は実在する。人間の心は人間の大脳の前頭葉に存在する。
だから、実在する人間の心についての研究として文学にも存在意義はある。文学にも科学的な価値がある。
文学を読めば、人間の心がわかる。人間の願望がわかる。科学が人間の願望を満足すれば、人間を幸福にすることができる。物を知り心を知れば、人間を幸福にすることができる。

[14533] 実在がすべてを支配する。 h24.3.23
この世はすべて実在が決めたことである。
昔の社会が文明が低くて、みんなが心主義で、暴力団体の政府が国民を支配したことも実在が決めたことである。
今の社会が文明が高くて、みんなが知覚主義になって、暴力団体の政府が国民を支配できなくなったことも実在が決めたことである。
社会の文明が時代とともに進むことも実在が決めたことである。
人間は実在には敵[かな]わない。さすがの政府も実在には敵わない。しょせん人間は実在の敵ではない。人間は実在に従うしかない。だから、政府も実在に従って、おとなしく国民を支配することをあきらめて滅びるしかない。

[14534] 新しい政治機関 h24.3.23
今の政治機関は政府ではない。実在だ。
しかし、実在は無口である。
だから、実在の代弁者である知識人が実在の代わりとなって政治機関を作ればいいのだ。
ただ、政治機関がせっかくいい政策を立てても国民が付いてこなければ意味がない。
いくら学者が気張[きば]って立派な法律を作っても、法律を守る人がいなければ意味がないのと同じことだ。
しかも、今の社会では暴力がふれないから、みんなが平等だ。政治機関と国民も平等だ。だから、政治機関は国民に命令できない。
政治機関は国民に命令を売る会社である。
国民の信頼が得られれば、政治機関は国民からお金をもらって国民に命令を売ることができるだろう。
政治機関が国民に命令して、政治機関が国民の利益の一部をもらうようにすればいいだろう。[株式会社と同じような気がするが。]
国民の信頼を得られない政治機関は客が付かずお金を得られずに倒産するだろう。
そもそも政治機関がいい政策があるなら、自分で実行して自分がお金を儲[もう]ければいい。そのほうがやる気が出るはずだ。だから、実際には他人に命令(いい政策)を売る会社なんかできないだろう。つまり、政治機関なんか出来ないだろう。
政府の事業は、国民から税金を取ることと、国民に戦争や国家宗教をやらせて国民を虐[いじ]めることだけである。政府はそれ以外の事業をやっていない。国民が「政府が何か国民のためになる事業をやってくれている」と思うのは、たんなる国民の妄想[もうそう]である。そのほか、政府の持ち会社が普通の民間会社と同じように特定の事業をやっているだけである。[そもそも“なんだかわからない仕事”なんかやりようがない。だから、政府は特定の事業しかやっていないのだ。[14183]参照。]
だから、政府の事業なんか、国民にとってはないほうがいい。
政府の事業がなくなっても、国民はちっとも困らない。それどころか、国民にとっては嫌がらせがなくなるのでありがたい。
国民にとっていい事業は、すでに国民自身がやっている。
だから、政治機関は要らないのだ。株式会社があれば、政治機関は要らないのだ。

[14535] どうして今でも国民は政府に従っているのか? h24.3.23
政府は暴力団体である。しかし、今の社会では暴力は使えない。だから、政府は国民に何もできない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
それなのに、今でも国民の多くは政府に従っている。
それは、今の国民の多くが政府が作った“嘘[うそ]の社会科の教科書”や政府の“嘘の憲法”やテレビや新聞でやっている“政府の嘘の記事”を真[ま]に受けているからである。国民の多くは眼で見たことしかわからず眼先のとらわれが強いから、それらのことを真に受けてまちがいに従ってまちがったことをやっているのである。
国民の多くが頭でそれらのことを嘘だと考えられないから、いつまでも嘘に従い続けているのである。
国民の多くは『嘘』を知らないのだろうか?『嘘』の意味がわかっていないのだろうか?
そもそも政府は人を殺したり人を嫌がらせたりするのが好きな乱暴者の集まりである。政府は人に嘘をついて人を騙[だま]すのも好きである。だから、政府は当然嘘をつく。
昔の社会ではみんなが暴力を使えたから、政府も暴力を使った。政府は暴力を使って国民に嘘を押し付けて、国民を無理やり嘘に従わせた。政府の嘘に従わない国民は政府に拷問[ごうもん]された。だから、昔の国民は政府の嘘に従わなければならなかった。
今の社会ではみんなが暴力を使えないから、政府も暴力を使えない。だから、今の政府は暴力を使って嘘を国民に押し付けることはできない。だから、今の国民は政府の嘘に従わなくてもかまわない。
政府は嘘つきである。政府は今でも国民に「国民は政府に従わなければならない」と嘘を言っている。国民は政府の嘘を真に受けず、政府に従わなければいいのである。

[14536] 天皇家と私の違い h24.3.23
私が国家宗教の神なのは、今の政府が勝手に決めたことである。私は暴力団体が好きではないから、私は政府に反対である。たとえ、天皇家が政府に賛成でも、私は政府に反対である。
天皇家は政府の人気取りのために仕事(例えば、ドサまわり(地方巡幸))をやって政府に食わせてもらっているが、私は政府のために仕事をしていないから政府に食わせてもらっていない。
つまり、私は政府とはまったく関係のない、ただの一民間人にすぎない。
天皇家は政府と組んでいるが、私は政府と組んでいない。政府が勝手に私に関する個人情報(私の名前や私の周[まわ]りであった出来事など)を使って国家宗教をやっているだけである。

[14537] どうして国民は川野教(私を神とする国家宗教)に無関心なのか? h24.3.24
ひとつの理由は、今の政府が国民の反感をなるべく買わないようにするために、川野教を密かにやって国民を殺しているからである。政府にとっては人殺しをするのがたったひとつの生きがいだから、今の社会に法律があるからといって人殺しをやめるわけにはいかないのである。[[14477]を参照。]
しかし、もうひとつの理由は国民が政府そのものにもはや無関心だからである。
政府は暴力団体である。しかし、今の社会では暴力が使えない。だから、今の社会ではもはや政府は無力である。今の政府には権力(命令力)がない。今の政府は国民に無視されている。
今の国民にとっては政府そのものがどうでもいいから、政府がやっている国家宗教なんかなおさらどうでもいいのである。
そういうわけで、今の国民は川野教に無関心なのである。[私にとっても、そのほうがありがたい。]
今の国民にとっては政府なんかどうでもいい。今の国民はもうすぐ政府に税金を払わなくなって政府の命令を聞かなくなって、政府が潰[つぶ]れるだろう。

[14538] どうして政府は国民から税金を取っているか?☆ h24.3.24
国民に嫌がらせをするためである。
政府は国民に嫌がらせをするから税金を取っているのである。
政府が国民の役に立つことをやっているなら、普通の会社と同じように客からお金をもらって経営できるはずである。
政府は国民の嫌がらせをやっているから、国民から無理やりお金(税金)を取らねばならないのである。
昔の政府は暴力が使えたから、国民から無理やりお金を取れたのである。
今の政府は暴力が使えないから、国民から無理やりお金を取れない。
だから、今の国民は政府に税金を払わなくていいのである。
政府は国民に嫌がらせをする会社である。政府が国民から税金を取っているのがその証拠である。政府の仕事は国民の嫌がらせである。政府は国民から取ったお金で、国民の嫌がらせをやっているのである。税金は、政府が国民に嫌がらせをするためのお金である。
今では政府は暴力が使えないから、政府と国民は平等である。今の政府は口先で偉いだけで、実際には国民に何もできない。だから、国民は政府に嫌がらせをされないために、政府に税金を払ってはいけない。
政府は国民の嫌がらせをする会社である。政府は国民から税金を取って、国民に軍事や国家宗教などで嫌がらせをしている。政府は国民に軍事や国家宗教をやらせたり、政府自身が国家宗教で国民を殺したりして国民の嫌がらせをしている。政府はちょっとだけ国民の役に立つこと(例えば、水道やゴミの収集など)もやっているが、ほとんどは国民の嫌がらせをやっている。政府は表では国民の役に立つことをやっているが、裏では国民の嫌がらせばかりやっている。今でも政府は国民の嫌がらせをやっている。戦後の政府は密[ひそ]かに私を国家宗教の神にして、政府が国民に国家宗教で嫌がらせをやっていることがわからないようにしながら密かに嫌がらせをやっている。
国民は国民の嫌がらせをする会社なんか要らない。政府なんか要らない。
国民が政府に従わねばならなかったのは、暴力が使えた昔の社会の習慣である。今の社会では暴力が使えないから、国民はもはや政府に従わなくてもいい。
だから、国民は政府に税金を払わずに、政府を潰[つぶ]せばいい。

[14539] どうして政府は国民に戦争や国家宗教をやらせるのか? h24.3.24
昔の国民は「戦争をすると国が外国の財産を奪って国が儲[もう]かる」と思っていた。
昔の国民は「国家宗教をすると国の縁起[えんぎ]がよくなって国が幸せになる」と思っていた。
だから、政府は国民に戦争や国家宗教をやらせたのである。政府は国民の誤解を利用して、国民に命令して国民に戦争や国家宗教をやらせたのである。
しかし、本当は政府は国民を嫌がらせるために戦争や国家宗教をやらせていたにすぎないのである。戦争や国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせにすぎないのである。本当は、戦争をやっても国が損をするだけだし、国家宗教をやっても国が不幸になるだけである。
政府は国民の嫌がらせをする会社である。昔の政府は暴力が使えたから、暴力を使って国民に無理やり戦争や国家宗教をやらせたのである。
しかし、今の政府は暴力が使えないから、国民は政府の命令で戦争や国家宗教をやらなくてもいいのである。政府に税金を払わなくてもいいのである。政府を潰[つぶ]してもいいのである。

[14540] 今の社会には権力団体はない。 h24.3.24
暴力は権力(命令力)を得るための手段である。国民を暴力で脅[おど]せば国民に命令することができる。命令を聞かない国民を暴力で罰すれば、国民全員を命令に従わせることができる。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今の社会には暴力団体はない。
だから、今の社会には権力団体はない。
今の社会には、国民から税金を取れるほどの団体はない。国民に命令できるほどの団体はない。
だから、政府は国民から税金を取れないし、国民に命令できない。政府はなくなるしかない。
政府の代わりに別の団体が出来ても、その団体も国民から税金を取れないし、国民に命令できない。
今の社会では、みんなが平等である。だから、今の社会には、国民と契約して国民の役に立つ仕事をやって国民からお金をもらう団体しかない。

[14541] 政府はすでに潰[つぶ]れている。☆ h24.3.24
政府は暴力団体である。政府は暴力で国民から無理やりお金(税金)を取ってお金を稼[かせ]ぐ会社である。
ところが、今の社会では暴力が使えない。
だから、今の政府は国民からお金が取れない。

だから、今の政府はお金が稼げなくなって、どんどん潰[つぶ]れているのである。
たとえテレビや新聞で政府が儲[もう]かっているみたいなことを言っていても、本当は政府は潰れているのである。政府は国民に「今でも政府が国民からお金を取れる」と思わせて国民からお金を取っているのである。しかし、本当は今の政府は国民からお金を取れないのである。国民はテレビや新聞の嘘[うそ]に騙[だま]されて、政府にお金を払っていけない。
国民の多くは図体[すうたい]が立派なだけで頭はボロクソだから、こんなに簡単なこと(この章の上の赤字)がいまだにわかっていないのである。だから、国民の多くが政府に税金を払っていることを真似[まね]せずに、政府に税金を払わなければいいのである。
そもそも日本人が馬鹿だから、日本は貧乏な国なのである。日本人がもっと頭が良ければ、日本は豊かな国になっていただろう。だから、日本を豊かな国にするためには、まず日本人の馬鹿さを治さなければならない。日本が貧乏な国から脱するためには、日本人はもっと利口にならねばならない。

[14542] 国の相転移現象 h24.3.24
政府は暴力団体である。
国の文明が高くなると、人々が心主義から知覚主義に変わる。法律のない社会から法律のある社会に変わる。暴力のある社会から暴力のない社会に変わる。物質が温度が高くなると固体から液体に状態が変わるように、社会は文明が高くなると法律のない社会から法律のある社会に状態が変わるのである。つまり、乱暴な人間にとって有利な社会からおとなしい人間にとって有利な社会に変わるのである。
昔の心主義の国では、みんなが法律を無視して暴力を使えたから、政府が暴力を使って国民を支配した。
今の知覚主義の国では、みんなが法律を知って法律を守って暴力を使わないから、政府が暴力を使わず国民を支配できなくなった。
国の文明が高くなると、政府が滅びる。暴力団体が滅びる。それは、歴史の必然である。
国民はそろそろ政府の葬式の準備をしたほうがいいだろう。国民はそろそろ政府のない社会の準備をしたほうがいいだろう。

[14543] 日本は知覚主義の国か? h24.3.24
最近の日本は文明が高くなって、人々は知覚主義になっているはずである。
ところが、実際には人々は五感主義になっている。
人々はまっすぐ知覚主義に行かずに、五感主義に逃げている。
それも、日本人が馬鹿だからである。日本人が知覚が弱いから、なかなか知覚主義に行こうとしないのである。
今の日本は知覚主義というよりも五感主義の国である。
知覚主義の人は概念で考えて新しいことをやるのが得意である。
五感主義の人は眼で見たことを憶えてそのままやるのが得意である。
今の学校のテストは五感主義の人にとって有利である。
だから、今の日本は五感主義の人が出世して、五感主義が支配する社会になっているのである。今の日本は、私のような知覚主義の人が虐[しいた]げられる世界になっているのである。
昔の心主義の時代のほうが、日本人はもっと知覚主義だった。心も知覚も眼で見えない点で共通しているからである。
もっとも、法律は字で書けば眼で見えるから、五感主義でも法律はある。だから、今の日本には法律がある。暴力をふるかふらないかは眼で見ればわかるから、今の日本では暴力がふれない。だから、今の日本では暴力団体が滅んでいるのだ。しかし、眼で見るだけでは、暴力団が暴力団体であることはわかっても、政府が暴力団体であることがわからない。だから、いまだに日本では政府が残っているのである。日本人がもっと知覚主義にならなければ、政府はなくならないだろう。

[14544] 知覚主義の時代 h24.3.24
今の日本は文明が高くなって、人々が知覚主義になっている。
知覚主義では、人間は真理に従わなければならない。
今では、『人間がみな平等である』ことが真理である。
だから、政府と国民は平等である。[今の政府は暴力が使えないから、政府は国民に命令できないから、政府と国民は平等である。]
だから、国民は政府と平等にしなければならない。国民は政府に税金を払ってはいけないし、政府の命令を聞いてもいけない。
いくら国民がおとなしくて弱気でも、今は知覚主義の時代だから国民は絶対に真理に従わなければならない。たとえ国民が政府に殺されても、国民は政府と平等にしなければならない。国民は政府に従ってはいけない。

[14545] どうして今の日本は五感主義なのか? h24.3.24
今の日本はヨーロッパ主義である。戦後アメリカ軍が占領していた頃はアメリカ主義だったが、その後アメリカ軍が撤退[てったい]してからはヨーロッパ主義である。
ところが、ヨーロッパは五感主義である。アメリカは知覚主義だが、ヨーロッパは五感主義である。インドも知覚主義である。
だから、今の日本では日本人みんながヨーロッパ主義をやっているから五感主義になっているのである。[もっとも、私はヨーロッパ主義をやっていないが。]
しかし、五感主義は面白くない。ヨーロッパが世界中の国から面白くない国だと言われるのは五感主義のせいである。
日本はわざわざヨーロッパの欠点を真似[まね]る必要はない。
日本は江戸時代の頃はインドを真似て知覚主義をやっていたので、日本人が利口になって国が豊かだった。個人が蔵[くら]を持っていた。日本はアメリカ占領時代には、アメリカを真似て知覚主義をやっていたので国がすごく発展した。日本は知覚主義の時代は景気がいい。反対に、日本は五感主義の時代は景気が悪い。だから、日本は知覚主義をやればいい。
ヨーロッパ人はハンサムだが、日本人は不細工[ぶさいく]である。日本人がヨーロッパ人を真似ても無駄[むだ]である。徒労[とろう]に終わる。ヨーロッパが五感主義なのは、ヨーロッパ人がハンサムだからである。ヨーロッパ人がハンサムだから、五感主義が様[さま]になるのである。反対に、日本人は不細工だから、日本人が五感主義をやっても様にならない。だから、日本はヨーロッパを真似しないほうがいい。
それに、植民地と同じように五感主義はすごくお金がかかる。[[14496]を参照。]無駄なことにたくさんお金がかかる。貧乏国の日本にとうてい真似できたことではない。
今は知覚主義の時代だから、日本人は余計な道草をせず、まっすぐ知覚主義に行けばいいのである。
今ではヨーロッパが世界で一番景気がいい国である。だから、今の日本はヨーロッパに合わせている。しかし、今の日本はかえって景気が悪くなっている。それは、ヨーロッパが優[すぐ]れすぎているために、日本がヨーロッパの悪いところだけを真似[まね]て、いいところを真似ていないからである。自分が理解できないほど難しい本を読むと、かえって自分が馬鹿になるのと同じことである。だから、日本はヨーロッパを真似ないほうがいい。日本が外国を真似るなら、日本が伸びていくような国を真似たほうがいい。

[14546] 日本人の心 h24.3.24
私は科学が嫌いである。私は子どもの頃は機械をいじるのが好きだったが、大人になってからは物と親しめなくなった。
私は科学よりは数学がもっと好きで、数学よりはもっと文学が好きである。
私は高校生の頃までは文学が好きだったが、大学生の頃からは文学が面白くなくなって読まなくなった。
私は小学生の頃までは絵を描くのが好きだったが、中学生の頃からは絵を描くのが嫌いになった。
私は子供の頃から、科学や数学がわりと好きだったが、科学や数学にはいまいち親しめなかった。
私は大人になってからは親[した]しめるものが何もなくなったので、自分独[ひと]りで考えてばかりいる。
日本人は科学も数学も文学も全部嫌いである。それが日本人の心である。
しかし、今は知覚主義の時代である。だから、日本人は自分で論理的に考えなければならない。

[14547] 国民は政府を倒さねばならない。 h24.3.24
政府は暴力団体である。政府は少しだけ国民の役に立つ仕事もやっているが、その正体は暴力団体である。
ところが、今の社会では暴力は使えない。
だから、政府は暴力を使えない。政府と国民は平等である。
しかし、政府は暴力団体である。つまり、政府は国民を嫌がらせる会社である。政府は暴力が使えなくなった今でも、政府に従う国民がいるのをいいことにして、国民に命令して国家宗教などで国民の嫌がらせをやっている。政府は暴力を使わなくなったこと以外は、今も昔も変わりなく国民の嫌がらせばかりやっている。政府は今後国民の役に立つ会社になる気もないし、今後自分からなくなる気もない。政府は永遠に国民から税金を取って国民を嫌がらせる仕事をやるつもりでいる。
だから、国民は政府を倒すしかない。国民は政府に税金をやるのをやめて、政府を金欠[きんけつ]にして、政府を倒せばいいのである。
マンガやドラマでは、『政府が暴力団体である』ことはよく出てくる。『今の社会では暴力を使えない』こともときどき出てくる。しかし、『国民が政府を倒さねばならない』ことは出てこない。日本では自分で考えるのが原則なので、視聴者にそこまで教えてはくれないのである。だから、国民は自分で考えて政府を倒せばいいのである。

[14548] 政府の国家宗教 h24.3.24
政府は私を神とする国家宗教をやっている。政府は暴力を使わなくなった今でも、国家宗教をやり続けている。
政府は私の個人情報を使って国家宗教をやっている。つまり、政府は私の名前の川野延夫[かわののぶお]の“か”と“ぶ”が入ったことをやったり、私の周[まわ]りで起こった出来事に似たことをやったりして国民の嫌がらせをやっている。
少し前に私が近所のスーパーに通う道路で自動車の衝突事故があったから、たぶん政府は自動車事故を起こして国民を殺すつもりでいるのだろう。
今の社会では暴力が使えなくなった。だから、政府は暴力を使って国民に命令しなくなった。しかし、政府は国民に政府がやったことがバレなければ犯罪を犯してもいいと考えて、自分独[ひと]りで密かに国家宗教で事件を起こして国民を殺している。今の政府は純粋に自分の喜びのためだけに国民を殺して遊んでいるのだ。だから、国民は政府に注意しなければならない。[国によって、政府の考え方は違うようである。日本の政府はよっぽど国家宗教が好きらしい。政府も“一応[いちおう]”法律を守るようになって、政府がやれることもだいぶ減ったようである。税金は強盗になるからできないのではないだろうか?命令もできないだろう。今の日本人みんなが政府の命令を聞いているとは思えない。1億人も国民がいれば数万人は政府の命令を聞いていないはずである。それなのに、誰も政府に暴行されていない。最近は政府が国民を暴行する事件は起きていない。そんな事件はまったく聞いたことがない。だから、すでに今の日本では国民は政府に従わなくてもよくなっているのである。今の時代に政府が法律を犯すと政府の犯罪になるので、政府も法律を犯せないのである。今の法律ではみんなが暴力を使ってはいけないことになっている。政府が暴力を使えなければ、政府は“嘘の法律”を国民に押し付けられない。だから、国民は政府が定めた嘘の法律を守らなくてもかまわない。国民は「宗教の自由」や「納税の義務」や「服従の義務」などの“嘘の法律”を守らなくてもいい。[[14516]を参照。]だから、国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の命令を聞かなくていいし、政府に国家宗教で殺されたり嫌がらされたりしなくてもいい。]

[14549] 社会の相転移現象 h24.3.25
政府が暴力団体であることよりも、人間に乱暴な者とおとなしい者の2種類がいることのほうが大事である。
自然状態では、人間が何をやってもいいから、乱暴者がおとなしい者に暴力をふっておとなしい者を支配した。乱暴者が集まって暴力団体を作った。つまり、政府を作った。政府は暴力を使って国民を支配した。国民は自分が政府に殺されないためにひたすら政府に従わねばならなかった。国民は政府の命令を何でも聞かねばならなかった。
驚くべきことに、この自然状態が世界大戦の頃まで続いていたのである。
社会は自然状態のままで文明化していたのである。
ところが、世界大戦後は、社会が自然状態から文明状態に変わった。
文明状態では、人間は頭で実在を知り実在に従いながら生きているから、乱暴者もおとなしい者も等しく人間社会を知って法律を守りながら生きるようになったのである。乱暴者がおとなしい者に暴力をふらなくなっておとなしい者を支配できなくなったのである。乱暴者とおとなしい者が平等になったのである。つまり、暴力団体が国民を支配できなくなったのである。政府が国民を支配できなくなったのである。
今の社会は文明状態になった。
水が100℃で液体から気体に変わるように、社会は世界大戦(1945年)〜私が生まれた頃(1964年頃)に自然状態から文明状態に変わったのである。人々が心主義から頭主義(知覚主義)に変わったのである。
今の社会は文明状態である。文明状態では暴力団体と国民は平等である。政府と国民は平等である。国民は暴力団体に従わなくてもいい。国民は政府に従わなくてもいい。
国民は早く古い時代の常識から脱して、新しい時代の常識を身に付けねばならない。
今の政府が国民に命令を出しているのは、今の政府が嘘[うそ]の冗談を言って国民をからかっているからである。今の政府は自分が生き残ることをあきらめて、自分が滅ぶことを覚悟[かくご]して、自分がこの世からなくなるまでのひとときのあいだ、物わかりの悪い馬鹿な国民に命令を出して馬鹿な国民をからかって遊んでいるのである。
だから、今の国民は政府に従わなくていい。政府に税金を払ったり、政府の戦争や国家宗教の命令を聞かなくてもいいのである。政府も泣きながら笑って許してくれるだろう。
政府はしょせん社会の中のひとつの会社にすぎない。政府が社会を決めるのではなく、社会が政府を決めるのだ。社会が自然状態のときには政府がやりたい放題だったが、社会が文明状態に変わってしまったらもはや政府はやっていけない。今の政府は“過熱状態”にある。今の政府は準安定状態にあるだけだ。そのうち何かのきっかけで突沸[とっぷつ]が起こって政府は爆発的に滅んでしまうだろう。だから、今の政府は国民に対してあまり偉そうにしないほうがいい。

[14550] 暴力は政府の権力の源[みなもと]である。 h24.3.26
政府は暴力団体である。
しかし、今の社会は文明が高くなって法律がある。今の社会では暴力が使えない。
だから、政府は法律を守っている。政府は暴力を使わない。[“政府が暴力を使っていないこと”は眼で見えることである。事実である。暴力とは、政府が自分の命令を聞かない国民を罰することである。最近、このような事件が起きていないことはテレビや新聞を見れば明らかである。]
暴力は政府の権力(命令力)の源[みなもと]である。だから、今の政府には権力(命令力)がない。[今の政府はイタズラで国民を国家宗教などで殺しているだけである。政府が国家宗教で人殺しをするのは無差別殺人であって、暴力ではない。政府は政府の命令を聞いている者を殺しているから、暴力ではない。政府の命令を聞いても聞かなくても政府に殺されるのなら、政府の命令を聞かないほうが得である。]
だから、国民は政府に従わなくていい。
昔は暴力が使えたから、政府が国民よりも上の者だった。今は暴力が使えないから、政府と国民は平等である。暴力が使えなければ、政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。

[14551] 汚らしい団体 h24.3.26
今の人は宗教団体を汚らしい団体だと思っている。
今の人は暴力団を汚らしい団体だと思っている。
今の人は政府を汚らしい団体だと思っている。
今の人は政府や宗教団体や暴力団が陰[かげ]で悪いことばかりやっているいかがわしい団体だと思っている。
今の人は政府や宗教団体や暴力団が早くこの世からなくなればいいと思っている。[反対に、昔の人は政府や宗教団体や暴力団を偉い団体だと思って、おとなしく従っていた。]
幸い、今の社会では暴力が使えなくなっている。今の社会ではみんなが毎日テレビや新聞のニュースを見て、みんなが法律を犯すことがいけないことだとわかっているので、みんなが暴力を使わなくなっているのである。

だから、政府や宗教団体や暴力団も暴力を使わなくなっている。政府や宗教団体や暴力団は国民に命令できなくなっている。
だから、今の国民はこの機に乗[じょう]じて政府や宗教団体や暴力団を倒せばいいのである。国民は政府や宗教団体や暴力団の命令で政府や宗教団体や暴力団にお金をやるのをやめて、政府や宗教団体や暴力団を倒せばいいのである。

[14552] どうして今の国民は政府に従っているか? h24.3.26
昔の政府は暴力を使って国民に命令して国民を自分の好き勝手にしていた。昔の政府は暴力を使って国民に命令して国民から税金を取ったり国民に軍事や国家宗教をやらせて嫌がらせていた。あるいは、政府自身が国民を殺したり嫌がらせたりして遊んでいた。国民が政府に逆らうと、政府に殺された。
昔の人は心主義だったから、昔の人は「人間は何でも自分の好き放題にやればいい」と思っていたから、政府を偉い団体だと思って政府におとなしく従っていた。
しかし、今では政府は陰[かげ]で人殺しをして遊んでいる悪い団体にすぎない。[今の政府は暴力を使わないから、政府は国民に命令できないから、政府は国民を好き放題にできない。国民は政府に従わなくていい。]
今の人は知覚主義だから、今の人は『人間は実在に従わねばならない』と考えているから、政府を法律を破っている悪い団体だと考えて、政府をこの世からなくさなければならない。
今の人は昔の人を真似[まね]て政府に従っているのである。今の人は頭が古いから政府に従っているのである。今の人は早く昔の人の考えから抜け出して、今の考えを身に付けねばならない。
今の人が宗教団体や暴力団に従っているのも同じ理屈である。
今の人は古い習慣を捨てて、政府や宗教団体や暴力団などの暴力団体に従うのをやめねばならない。政府や宗教団体や暴力団などの暴力団体をこの世からなくさなければならない。

[14553] 政府は悪の団体である。 h24.3.26
政府は軍事や国家宗教などで国民を殺したり嫌がらせたりして遊んでいる団体である。
政府は“国民と仲良くする機関”があるだけである。[[14514]を参照。]法律会社(国会や警察)や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などがあるだけである。政府は自分が社会の外に出されないために、ちょっとだけ国民の役に立つことをやってちょっとだけ国民の機嫌[きげん]を取っているのである。
ところが、今は法律がある社会なので、政府は国民に暴力がふれないから、政府は権力(命令力)の源[みなもと]がないから、政府と国民は平等である。今は国民が政府を好き勝手にしてもいい時代である(ただし法律の範囲内で)。
政府はイタズラで国民を殺したり嫌がらせたりして法律を犯している団体である。そもそも政府が国民から税金を取っていることが法律を犯している。政府が国民から税金を取ることは国民に対する嫌がらせである。[政府が国民から税金を取るのは、不良が「お金を有効に利用してやるから」と言って弱い者からお金を脅[おど]し取るのと同じことである。今の政府は暴力をふれないくせに国民に対して偉そうにするな!]
政府は法律を犯す悪の団体である。
だから、国民は政府を倒さなければならない。国民は政府に税金をやらずに、政府の収入をなくして、政府を倒さねばならない。

[14554] 超法律 h24.3.26
法律の上には超法律がある。人々の主義が超法律である。
昔の超法律は「人間は自分の心のままに好き放題にやればいい」ことだった。
だから、乱暴者の政府がおとなしい国民を暴力で支配した。政府が国民を自由に殺せた。たとえ法律があっても、超法律によって法律が無効にされたので、みんなが自由に法律を破ることができた。
今の超法律は『人間は実在に従わねばならない』ことである。
だから、乱暴者の政府もおとなしい国民も等しく法律を守って暴力を使わなくなった。超法律によって法律が有効にされたので、みんなが法律を守らなければならなくなった。政府は暴力が使えなくなったので、政府が作った“嘘[うそ]の法律”を国民に押し付けられなくなって、政府は国家宗教をやれなくなって、国民から税金を取れなくなって、国民に命令できなくなった。[[14516]を参照。]
昔と今では超法律が変わった。だいたい世界大戦後から私が生まれた頃(1964年頃)に超法律が変わった。だから、昔の世界と今の世界は違う。だから、今の人は昔の人を真似[まね]せずに、今の世界の中で物事を考えて実行しなければならない。

[14555] ローマ帝国はどうして滅んだか? h24.3.26
植民地は先進国の遊びである。先進国が後進国に自分の文化を押し付ける遊びである。植民地は先進国が後進国から物を取ることではなく、先進国が後進国に物を与えることである。だから、植民地にはすごくお金がかかる。[[14496]を参照。]
ローマはヨーロッパ中を自分の植民地にした。そのために、莫大[ばくだい]なお金がかかってローマは貧乏になってローマ帝国が滅んだのである。ローマは植民地遊びに耽[ふけ]って自分の身を滅ぼしたのだ。
ローマがお金がなくなったためにローマ帝国が滅んだ。そのため、ヨーロッパの国はローマ帝国から独立した。

[14556] 直接民主制と間接民主制の違い h24.3.26
今の日本は間接民主制である。
だから、法律は議員が決めている。
ところが、議員は国民の税金で食べている。
だから、税金制を廃止する法律が決まるわけがない。税金制は永久になくならない。

直接民主制ならすぐに税金制を廃止する法律が決まるのに、間接民主制ではいつまでたっても税金制はなくならない。
間接民主制はインチキの民主主義であって、本当の民主主義ではない。国民に間接民主制を押し付けられたのは、昔の政府が暴力を使えたからである。ところが、今の政府は暴力を使えない。だから、今の政府は国民に間接民主制を押し付けられない。したがって、国民は政府の作った“嘘[うそ]の法律”を無視して、政府に税金を払わなくていい。
心の世界においては政府は国民よりも上の者だが、実在の世界においては政府と国民は平等である。今は実在主義の時代である。今の人は『人間は実在に従わねばならない』と思っている。だから、今の国民は政府と平等にしなければならない。今の国民は政府に従ってはいけない。今の政府にそれが嫌なら、政府はタイムマシンに乗って昔の世界に行くしかない。

[14557] 人々の考え方で社会が決まる。 h24.3.26
昔の人は心主義だった。みんなが自分の心のままに好き放題に生きていた。
乱暴者は暴力を使っておとなしい者からお金を取って、そのお金で遊びまくっていた。乱暴者は一生他人のお金で遊んで暮らせた。
反対に、おとなしい者は乱暴者にお金を取られて全然遊べなかった。おとなしい者は遊べないので、いつも仕事をしていた。おとなしい者は生まれてから死ぬまで仕事ばかりしていた。
乱暴者は遊び専門で、おとなしい者は仕事専門だった。乱暴者とおとなしい者が不平等だった。
今の人は実在主義である。みんなが実在に従って生きている。実在の中で自分の心を満足して生きている。法律は実在の社会における人間の決まりである。だから、今ではみんなが法律を守るようになっている。暴力をふらなくなっている。
乱暴者もおとなしい者もみんなが何らかの仕事をしてお金を稼[かせ]いで暮らしている。みんなが仕事で稼いだお金で休みの日に遊んでいる。乱暴者とおとなしい者が平等になっている。
人々の考え方で社会が決まる。昔の人と今の人では主義が違う。だから、昔と今では社会も違うのだ。
昔の人は実在がわからなかった。今の人は実在がわかる。人々が実在がわかるようになってから、ずいぶん社会の様子[ようす]も変わった。
今の時代はいくら乱暴者が暴力を使っておとなしい者からお金を取って遊びまわって楽をしたくても、現実にはできない。今の時代には、今の時代の決まりの中で自分の心を満足するしかない。そうしなければ、みんなが納得[なっとく]しない。みんなが納得しないことは、やってはならない。だから、乱暴者はしかたなく法律を守って暴力をふらずにおとなしくするしかない。それでは、乱暴者にとっては面白くなくてしかたがない。しかし、それを耐[た]えるのが人間なのだ。
今の時代には、子供の頃からよく勉強していい大学に入っていい会社に入って順調に出世して幸福に暮らすのが一番いい生き方なのだ。今の時代には、暴力で出世する道はないのだ。これまでは暴力の才能がある者が出世した。これからは、実在に従う才能がある者が出世するのだ。
今の人々は“政府(暴力団体)の問題”なんかさっさと片付けて、もっと先に行かねばならない。もっと高度な問題に取り組まねばならない。

[14558] 知覚主義の時代では正しい者が優先される。☆ h24.3.27
政府は暴力団体である。
昔の社会は暴力が使えたから、昔の政府は暴力を使って国民を支配できた。だから、昔の国民は政府に従わねばならなかった。
今の社会は暴力が使えないから、今の政府は暴力を使って国民を支配できなくなった。だから、今の国民は政府に従わなくてもいい。
しかし、今でも多くの国民が政府に従っている。それは、国民の多くがまちがっているからである。
国民の多くは馬鹿なので、政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に従っているのである。国民の多くは政府よりも頭が馬鹿なので、政府に騙[だま]されているのである。日本人は頭が弱いから、国民の多くが政府に騙されている。特に、頭の弱い女・子供が政府に騙されている。
しかし、今は知覚主義の時代である。だから、人間は正しいことをやればいい。いつの時代においても、多くの者がまちがっていることは付き物である。知覚主義の時代では、たとえ少数でも正しい者のほうが優先される。だから、自分がよく考えてみて、自分の考えが正しければ、自分の考えを実行すればいいのである。例えば、自分がよく考えてみて、今の国民が政府に従わなくていいなら、政府に従わなければいいのである。[もしも自分がまちがっていれば、自分が手錠[てじょう]をはめられてもしかたがないが。]国民の多くが政府に従っているのは、国民の多くがまちがっているからである。知覚主義ではまちがいに従わなくてもかまわない。だから、自分は国民の多くに従って政府に従わなくてもいいのである。昔の心主義の時代では、多数決の原理が有効だったから、国民の多くが政府に従うなら自分も政府に従わねばならなかったが、今の知覚主義の時代では、多数決の原理が無効だから、国民の多くが政府に従うからといって自分が政府に従わなくてもいいのである。[[14559]を参照。]
昔の心主義の時代には乱暴な者が偉かった。昔は他人を殺したり嫌がらせたりする者が偉かった。
今の知覚主義の時代では正しい者が偉い。だから、今では正しいことを実行すれば誰でも偉人になれるのだ。

[14559] 民主主義は古い。☆ h24.3.27
昔の人は心主義だった。心はみんな平等だった。
だから、昔の人は国のことを決めるときには民主主義によったのである。多数決によったのである。
昔の人は自分の心で物を見ていたから、国のことを決めるときには、国民みんなの心で多数決を採[と]って決めねばならなかったのである。
反対に、今の人は知覚主義である。実在主義である。真理主義である。
だから、今の人は国のことを決めるときには、正しい考えに従う。多数決によらない。大勢のまちがった意見よりも一人の正しい意見に従うのである。
今の人は頭で物を見るから、国のことを決めるときには、みんなで議論して、そのうちの一番正しい意見を採[と]るのである。
今の時代にはもはや多数決は古い。民主主義は古い。今の時代は真理決[しんりけつ]によらねばならない。議論主義によらねばならない。
民主主義は昔の心主義における採決の方法である。今の知覚主義における採決の方法は議論主義である。数学の証明のような論証主義によらねばならないのである。
つまり、今の時代には、たとえみんなが気に入らなくても、正しいことならやってもいいのである。例えば、たとえみんなが政府に従わなければならないと思っていても、自分がよく考えて政府に従わないことが正しければ、政府に従わなければいいのである。
今の人は知覚主義である。今の人は実在を知り、実在の中で自分の心を満足している。だから、今では実在に従う心が善[よ]い心であり、実在に従わない心が悪い心である。今では心は不平等になったのである。
政府は昔の心主義の時代に暴力を使って日本を支配していた会社である。今の政府は暴力を使わなくなったが、今でも政府は国民から税金を取ったり国家宗教をやったり遊び半分に人殺しをやったり民主主義をやったりして古臭いことばかりやっている。政府は心主義で繁栄[はんえい]した会社である。ところが、今は知覚主義の時代である。だから、政府を早くなくさねばならない。

[14560] いい人とは何か?☆ h24.3.27
昔の人は心主義だったから、心のいい人がいい人だった。つまり、いつもニコニコしている人がいい人だった。
いまだに国民の多くは機嫌[きげん]よさそうにしている人がいい人だと考えている。
しかし、今の人は知覚主義である。
知覚主義では頭のいい人がいい人である。つまり、正しい知識を持った者がいい人である。実在について理解のある人がいい人である。
だから、今後の日本では、頭のいい人をいい人と考えねばならない。
そうしなければ日本は後進国のままだ。田舎[いなか]のままだ。
古い考えから早く抜け出さねばならない。新しい考えを早く身につけねばならない。

[14561] 社長とは何か? h24.3.27
昔の人は心主義だったから、心のいい人がいい人だった。だから、昔の人は心の優[すぐ]れている人を社長にした。つまり、人殺しの好きな乱暴者や女好きの色キチガイを社長にした。
しかし、今は知覚主義の時代である。知覚主義の社会では暴力がふれないから、昔の政府みたいに国民に暴力をふってお金を奪[うば]うわけにはいかないから、乱暴者や色キチガイを社長にしてもしかたがない。
今の人は知覚主義だから、頭のいい人がいい人である。だから、今の人は頭のいい人を社長にしなければならない。
そうすれば、日本は先進国になれる。都会になれる。
江戸時代の日本はインドを真似[まね]て知覚主義だったから、頭のいい人が社長だった。だから、江戸時代の日本は発展したのである。[江戸時代の日本は心主義の中で知覚主義をやっていたのである。]
国を発展させるためには、知覚主義が一番いい。心主義や五感主義では国が衰退する。
最近の日本は景気が悪いから、日本を早く知覚主義にしなければならない。

[14562] 今の人は知覚主義にするしかない。 h24.3.27
今は知覚主義の時代である。だから、みんなが知覚主義をやらないといけない。
自分が知覚主義が嫌だからといって、勝手に心主義や五感主義をやってはいけない。
一個人や一会社が独断で心主義や五感主義をやってはならない。
人間は自分が生きている時代の決まりに合わせて生きねばならない。生きるしかない。
昔は心主義の時代だった。だから、昔の人はいやがうえにも心主義にするしかなかった。知覚主義で生きたかった人も心主義にするしかなかった。
今は知覚主義の時代である。だから、今の人は知覚主義にするしかないのだ。たとえ自分が心主義や五感主義で生きたくても、知覚主義にするしかないのだ。
今ではみんながコンピューターを持っている。それなのに、自分で考えないなんて宝の持ち腐[ぐさ]れだ。だから、今ではみんながコンピューターを使いながら、自分の頭で考えて生きるようにしなければればならない。みんなが実在を知り、実在の中で自分の心を満足しなければならない。例えば、みんなが『国民は政府に従わなくてもいい』ことを知り、自分の心を満足するために政府に従わなければいいのだ。

[14563] 今は暴力のない社会である。 h24.3.27
暴力はふったらふれる。
しかし、暴力はふろうとしなければふれない。暴力はふろうとしなければ、たとえふることができてもふれない。人間には筋肉だけではなく、心もあれば頭もある。
昔は心主義の時代だった。昔はみんなが自分の心のままに好き放題にやれた。だから、乱暴者は実際に暴力をふっていた。反対に、おとなしい者はたとえ暴力をふることができても実際にはふらなかった。そのため、乱暴者がおとなしい者に暴力をふっておとなしい者を支配していた。
今は知覚主義の時代である。今ではみんなが実在に従わねばならないと思っている。法律は、実在の社会において人間が守らねばならない決まりである。だから、今ではみんなが法律を守っている。今ではみんなが暴力をふることはいけないことだと考えて暴力をふろうとしなくなっている。だから、今ではみんなが暴力をふらなくなっている。
今は知覚主義の時代である。今ではみんなが頭で物を見るようになったので、頭で法律が見えるようになったので、暴力をふらなくなったのである。
暴力のない社会では、おとなしい者が有利である。おとなしい者にとってはいい時代になったもんだ。
政府は暴力団体である。暴力のない社会においては政府は無力である。だから、国民はもはや政府に従わなくてもかまわない。国民は鬱陶[うっとう]しい政府から解放されてやっと自由になれたのだ。

[14564] 学者の組合 h24.3.27
今は知覚主義の時代である。
今では学者が世の中を進めるのだから、国民は学者にお金をやらねばならない。
昔乱暴者が集まって政府を作ったように、今は学者が集まって組合を作って、国民からお金をもらって研究すればいい。
今は知覚主義の時代だから、今では頭のいい人が偉い人だから、国民は喜んで『学者の組合』にお金を出すだろう。

[14565] 効率的な勉強法 h24.3.27
私は九州大学理科学部物理学科の学生の頃(28〜32才頃)には、大学の生協で易[やさ]しそうな本を買って、家で本を読んで大事なところに線を引いて、自分で考えたことを余白に書き留[と]めたりして勉強をしていた。同じ本を5回ぐらいは繰り返し読んでいた。好きな本は10回ぐらい読んでいた。本に載[の]っている問題は全然解かなかった。試験前に講義のノートを1〜2回読み返すぐらいで試験に合格した。試験の問題は、自分が本で読んだことがある似た例題を真似[まね]ればたいてい解けた。
私が小学生の頃は、学校で勉強するだけで、家ではまったく勉強しなかった。塾にも通っていなかった。夜は毎日7時半ごろに寝て朝は7時ごろに起きていた。
私が中学生から高校生の頃は、教科書や参考書や問題集に載っている問題をいちいちノートに書いて解いたり、英語の単語カードをいちいち自分で書いて作ったりして勉強をしていた。毎日夜の2時ごろに寝て、朝の7時ごろに起きていた。莫大[ばくだい]な時間がかかるだけで効果がなかった。
子供は五感主義である。いちいち眼で見て手で書かなければ気がすまない。そのために、勉強の効率が非常に悪くなっている。
大人は知覚主義である。大人は大雑把[おおざっぱ]に本を読んだだけで満足できる。それが大人にとっての勉強である。
試験問題を作っているのは大人である。だから、大人の感性に合わせて勉強すればいい。人間は眼で見たことを記憶する能力がある。だから、いちいちノートに字を書いて自分の記憶を確認しなくていい。自分の記憶力を信じて、読むことを中心にした勉強をすればいいのだ。子供の感性を捨てて大人の感性になることこそが本当の勉強なのだ。人間の思考に論理があることがわかるようになるのが本当の勉強なのだ。自分の五感よりも知覚を働かせることができるようになることが本当の勉強なのだ。そうすれば、たとえ試験ではいい点数が取れなくても、長い目で見れば頭のいい大人になることができる。

[14566] 社長とは何か?☆ h24.3.27
昔は心主義の社会だった。
昔はみんなが法律を破って暴力を使ってもよかった。
会社の中でも暴力を使う者がいた。
社長は会社の中にいる乱暴者である。人殺しの好きな精神異常者である。社長は暴力を使って社員を手で殴[なぐ]ったり足で蹴[け]ったりして社員から無理やりお金を取っていた。おまけに、社長は遊び半分に社員を殺したり嫌がらせたりして自分の殺人欲や虐待欲[ぎゃくたいよく]を満足していた。
昔の政府が暴力を使って国民から無理やり税金を取っていたのと同じことである。
しかし、今は知覚主義の社会である。実在主義の社会である。真理主義の社会である。
だから、今の社会の中では社長も社員も等しく法律を守らなければならない。今の社長は社員に暴力をふって社員からお金を取ることはできない。だから、社員は社長にお金をやらなければいい。社長が大[たい]した仕事をしていなければ、社長をクビにすればいい。社長なんかいないほうがいい。みんなが社員で平等にやったほうがいい。昔の社長は暴力をふるのが取り柄[とりえ]だったが、今の社長は何の取り柄もない。今の時代では、社長はただのボンクラなのだ。だから、社員は社長を足蹴[げ]りにして会社から追い出せばいい。
今の社長は暴力が使えないくせに威張[いば]るな!

[14567] 私はどのようにして政府について考えるようになったか? h24.3.28
私は今から約7年前に衛星放送で放送されていたテレビアニメ『アイドル天使ようこそようこ』を見ていたときに、アニメに私の情報が用いられていることに気づいた。そういう目で見ると、すべてのアニメに私の情報が用いられていることに気づいた。アニメだけではなく、すべてのテレビ番組に私の情報が用いられていることに気づいた。テレビ番組だけではなく、日本で作られているすべての製品に私の情報が用いられていることに気づいた。日本だけではなく、世界中で作られているテレビ番組や製品に私の情報が用いられていることに気づいた。これまで日本や世界で起きた大きな事件にも私の情報が用いられていることに気づいた。
つまり、日本政府や世界中の政府が私を神とする国家宗教をやっていることがわかった。国家宗教とは、政府が国家宗教の神の情報を使ったことを国民にやらせたり、政府が国家宗教の神の情報を使った事件を起こして国民を殺したり嫌がらせたりすることである。
政府は私を神とする国家宗教でいろんな事件を起こして国民を殺している。このことから、政府が悪い団体であると考えられた。
その後、私はしばらく仕事を休んで政府とは何かについてあれこれと考えていた。
その結果、政府は暴力を使って国民に命令して国民から税金を取ったり国民に戦争や国家宗教などをやらせていることがわかった。政府の正体は国民を嫌がらせることをおもな活動としている暴力団体であり、政府は自分が人間社会から追い出されないために、法律会社(国会や警察)や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などの“国民と仲良くする機関”を持っていることがわかった。
人間には乱暴者とおとなしい者の2種類がいるので、乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配することができるのである。
昔の社会ではみんなが心のままに生きていたために法律が無効であり暴力が使えたから、国民は政府に従わねばならなかったことや、反対に今の社会ではみんなが実在に従って生きているために法律が有効であり暴力が使えないから、国民は政府に従わなくていいことがわかった。
今の国民の多くが政府に従っているのは、政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて政府に従わねばならないと思わされているからであることがわかった。今では民主主義は無効だから、たとえ国民の多くが政府に従っていても、国民が政府に従わなくてもいいことが正しければ、政府に従わなくてもいいことがわかった。
要するに、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。
これが私の政府論の最終定理である。
国民は今から政府を無視して生きて行けばいいのである。

[14568] 政府の原理 h24.3.28
人間には乱暴者とおとなしい者の2種類がいるので、乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配することができる。
政府は暴力を使って国民に命令する団体である。政府は自分の命令を聞かない国民を暴力で罰することによって、国民みんなを自分に従わせている。
政府は暴力を使って国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教などをやらせたりする。
おまけに、政府は自分で国家宗教をやって国民を殺したり嫌がらせたりして遊んでいる。
政府には法律会社(国会と警察)や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などの持ち会社がある。政府は自分が社会から追い出されないために、国民と仲良くするために、国民から取った税金を使って持ち会社をやっているのである。
昔の社会では暴力が使えたから、政府は暴力を使って国民を支配することができた。
今の社会では暴力が使えないから、政府は暴力を使って国民を支配することができなくなった。
今の社会では国民は政府に従わなくていい。


[14569] 心か実在か? h24.3.29
人間は幸福でなければ生きる意義がない。
しかし、人間はまず生きていなければ幸福を感じることができない。人間が死んでしまったら、脳細胞が神経興奮できないので、心が幸福を感覚することができない。
人間が生きているためには実在に従うしかない。
だから、人間にとっては心よりも実在のほうが大事である。

昔は文明が遅れていて実在についての知識がなかった。昔の人は実在に従いたくても従えなくてヤケクソになって生きていた。自分の心に従うだけで実在に対して盲目的に生きていた。
今は文明が進んで実在についての知識がある。今では人間は実在に従うことができる。今の人はむしろ自分が実在に従えることに感謝しなければならない。

[14570] 人間の喜怒哀楽躁鬱[きどあいらくそううつ]はどのようにして決まるか? h24.3.29
『蓼[たで]食う虫も好き好き』というように、人間の喜怒哀楽躁鬱と具体的事物との対応は人それぞれである。つまり、人によって好き嫌いがそれぞれ違う。
人間の喜怒哀楽躁鬱と具体的事物の対応は生まれつきである。人間は子供の頃には自分の心で物を見ているから好き嫌いが激しい。反対に、人間は大人になると眼や頭で物を見るようになるから好き嫌いが弱くなる。
じつは、人間には心で物を見るタイプと、眼(五感)で物を見るタイプと、頭(知覚)で物を見るタイプがある。心で物を見るタイプは鬱病[うつびょう]になりやすい。心で物を見るタイプの人は、自分が嫌な環境に置かれると気分が落ち込んで鬱病になる。だから、自分が鬱病になったら、それは自分が心で物を見るタイプの人間だというサインだから、自分の環境を速やかに変えて対処[たいしょ]しなければならない。眼で物を見るタイプの人や頭で物を見るタイプの人は鬱病には罹[かか]らないが、心で物を見るタイプの人は鬱病に罹るので、他人が鬱病にならないからといって他人の真似[まね]をして我慢[がまん]してはいけない。
自分が心で物を見るタイプだとわかったら、それは自分の生まれつきだからしょうがない。自分は自分を受け入れて生きるしかない。そのほうが自分自身に適応してうまく生きることができる。
日本人は特に心で物を見る人が多いから鬱病に罹りやすい。日本人は鬱病に注意しないといけない。
人間にはテレパシー器官があるから分裂病になる。人間には心があるから鬱病になる。
しかし、人間にはテレパシー器官があるから他人の気配りができる。人間には心があるから楽しく生きていける。人間は自分の脳の中にあるテレパシー器官や心を上手に扱いながら自分が有利になるように生きていかねばならないのだ。

[14571] 人間にはどうして好き嫌いがあるか? h24.3.29
人間に好き嫌いがあるのは、人間が心で物を見ているからである。
人間には、心で物を見るタイプと、眼で物を見るタイプと、頭で物を見るタイプがある。心で物を見るタイプは文学向きで、眼で物を見るタイプは科学向きで、頭で物を見るタイプは数学向きである。自分がどのタイプかは生まれつきで決まるので、変えることはできない。
心で物を見る人は好き嫌いが激しい。例えば、学校で苦手科目に苦しんでいる人は、心で物を見るタイプである。
反対に、眼で物を見る人はあまり好き嫌いがない。例えば、医者の息子は眼で物を見るから、あまり好き嫌いがないから、苦手科目に苦しまず全科目が得意なのである。しかも、眼で見るタイプは丸暗記が利[き]くから勉強するには都合[つごう]がいい。東大生もそういうタイプだ。
人間にテレパシー器官があるから幻聴に苦しまねばならないように、人間に心があるから好き嫌いで苦しまねばならないのである。
自分が心で物を見るタイプだとわかったら、それは生まれつきで変えようがないから、死ぬまでずっと馬鹿で生きるしかない。自分が好きなことをやって嫌いなことをやらないようにするしかない。つまり、苦手科目を得意にするのをあきらめるしかない。三流大学や三流会社に入ってがんばるしかない。

[14572] 『裸の王様』 h24.3.30
『裸の王様』のおとぎ話の言いたいことは、政府は国民のために何の役にも立っていないことである。
王様とは政府のことで、二人の仕立て屋とは国家宗教団体と民主主義の政治団体のことである。
しかし、実際には、国家宗教団体も民主主義の政治団体も国民のために大[たい]して役に立っていない。
だから、国民は政府を支持しない。
だから、政府には表の権力(命令力)はない。
これまで政府は暴力を使って裏の権力で支えられていたのである。
黒人や子供には裏の権力がわからないから、政府には何の権力もない、つまり王様が裸に見えたのである。
しかし、今の社会では暴力が使えないから、政府には裏の権力はない。
だから、今の政府には何の権力もない。
したがって、国民は政府に従わない。
政府は国民に税金の命令ができなくなって国民から税金が取れなくなって滅びるしかない。

[14573] 『桃太郎』 h24.3.30
桃は中国が原産地で、桃は中国の果物[くだもの]だから、桃から生まれた桃太郎とは中国人のことである。
鬼が島とは、日本のことである。本州の津軽半島と下北半島が鬼の角で本州が鬼の顔に似ているからである。
桃太郎の3匹の子分は、中国の周[まわ]りにある小さい国のことである。例えば、北朝鮮や韓国や台湾のことである。
桃太郎のおとぎ話が作られた当時(室町時代らしい)の日本では、政府の国民に対する虐待[ぎゃくたい]が激しかったので、日本国民は中国政府に日本政府をやっつけて欲しかったのだろう。
いつの時代でも、国民にとって政府は嫌なものだ。

[14574] 人間には知らないことがたくさんある。 h24.3.31
文学は他人が使った嘘[うそ]の作り話である。
そんな物を読んでも実在についてわかることがない。時間の無駄[むだ]だ。
実在には人間の知らないことがいっぱいある。
人間は自分の知らないことのために不幸になる。例えば、精神病や政府のせいで不幸になる。
人間はもっと実在について知らねばならない。
そのためには、自分が持てる時間を使って実在について考えねばならない。

[14575] 私はこの7年間何をしたか? h24.3.31
政府を理論的に理解できるようにした。
そのために、私は7年間も時間を費[つい]やした。
ポイントは、自然状態を考えることである。社会科学を理論的に考えるためには、必ず自然状態について考えなければならない。自然状態は、物理学における慣性運動のようなものである。物が力を受けると慣性運動から外[はず]れるように、社会は文明が高くなると自然状態から外れるようになるのである。そこを詳[くわ]しく考察すると、政府の問題が解ける。私の哲学日記の[14401]から[14569]までを読むと、政府の問題が解けていることがわかる。
じつは私は子供の頃から社会科が苦手だった。中学生の頃からいつも社会科の試験では50点前後しか取れなかった。そのために、政府のことがわかるまでに人よりも多くの時間がかかってしまったかもしれない。私のほかにも、とっくの昔に政府のことがわかっている人がいるかもしれない。
私の理論を読めば、政府の人も『今の社会では政府が国民を支配できない』ことが理解できるだろう。
だから、政府は国民を支配するのをやめねばならない。
私が哲学を理論的に理解できるようにするまでにも約7年かかった。
私にとっては、何でも7年かかるのだ。

[14576] 今の社会では政府は国民に命令できない。 h24.4.2
政府は暴力団体である。つまり、政府は暴力を使って国民に命令をする団体である。政府は自分の命令を聞かない国民を暴力で罰することによって、国民全員を無理やり自分に従わせる団体である。
今が暴力が使える社会なら、政府が国民に命令してもいい。国民は政府の命令を聞かねばならない。
しかし、実際には、今は暴力が使える社会ではない。今はみんなが実在を無視して自分の心のままに好き放題に暮らしている時代ではなく、実在に従いながら自分の心を満足して暮らしている時代である。だから、今ではみんなが実在の社会における人間の決まりである法律を守りながら暮らしている。だから、今は暴力が使えない時代なのである。
だから、今の社会では政府は国民に命令できない。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。
今の社会では政府だけが法律を守っていない。今の政府は国民から税金を取ったり、国民に隠れて国民を国家宗教で殺したりしている。政府は犯罪者である。だから、国民は政府に従ってはいけない。今の政府が国民から税金を取っているのは強盗である。強盗が少し国民のためになることをやったからといって、強盗は強盗である。
社会に法律があればあるほど、暴力団体がなくなる。法律のある社会にするためには、みんなが自主的に積極的に法律を勉強しなければならない。人間が実在に従うためには、法律を勉強して法律を守らなければならない。

[14577] 女には人間に対する理解がない。 h24.4.2
私の母は優しかった。今でも優しい。
しかし、母は馬鹿だった。母は人間について無知だった。
だから、母は自分の子供を幸福にすることができなかった。
私の母は人間に対する理解がなかったから、自分の子供を幸福にできなかったのである。
女は心で物を見る人種であって、頭で物を見る人種ではない。だから、女は人間について理解していないのである。
男は女よりも頭で物を見る。男のほうが女よりも人間について理解している。

だから、男が女の欠点を補って助けてやらねばならない。男も子育ての面倒を見ないといけない。
男が女と結婚するなら、男にも子供の面倒を見るぐらいの責任がある。
子供が小学校に入るまでは母親任[まか]せでもいいが、小学校から大人になるまでは父親も子供の面倒を見なければならない。子供がまちがったことをしていたら、父親が子供に注意をして子供を修正してやらねばならない。父親は子供の身のまわりの世話までしなくていいが、子供のまちがいは直してやらねばならない。
親が自分の子供をほったらかしにしてはいけない。学校は子供に勉強を教えるところであって、子供に『人間の生き方』を教えるところではない。だから、親が子供に『人間の生き方』を教えてやらねばならない。親が子供に『人間の生き方』を教えてやらなければ、子供は誰からも『人間の生き方』を教わることができず、子供は『人間の生き方』がわからず、人生の道を見失って取り返しのつかない過[あやま]ちを犯すことになる。だから、親が自分の子供の面倒をちゃんと見なければならない。

[14578] どうして私の親は私に注意しなかったか? h24.4.2
私の親が「人間は生まれつきの心で一生が決まる」と思っていたからである。私の親は父親も母親も戦前の生まれで昔の人だから、そういう考えなのである。
だから、私の親は「私が生まれつき心がいい人だ」と思っていたから、油断して私に注意をしなかったのである。そのために、私が中学3年生のときに、毎日風呂場でオナニーをしても私に一言[ひとこと]も注意をしなかったのである。
たしかに、人間の心は生まれつきで死ぬまで変わらないかもしれないが、人間には分裂病や鬱病[うつびょう]などの精神病がある。だから、親は自分の子供が分裂病や鬱病にかからないように注意してやらねばならない。思春期のオナニーは分裂病の最大の原因だから、親は自分の子供がオナニーをしていたら、子供に「オナニーをしたら分裂病に罹[かか]るから、オナニーをしてはいけない」と言って注意してやらねばならない。子供がオナニーをしているかしていないかは、精液の臭いでわかる。
一方、私の親は私の弟にも注意をしなかった。それは、私の親が「私の弟が生まれつき心が悪い人間だ」と思っていたからである。たしかに、人間の心は生まれつきで死ぬまで変わらないかもしれない。しかし、たとえ生まれつき心が悪い人間でも、頭で実在を理解して実在の中で自分の心を満足するようにすれば、他人に迷惑をかけずに社会に適応して生きることができる。つまり、子供が生まれつき心が悪い人間なら、そのぶん親が子供を厳しく躾[しつ]ければ、子供は立派に生きていける。だから、たとえ子供が生まれつき心の悪い人間であっても、親が子供を見捨てずに子供に注意してやらねばならない。
昔の人は「人間は自分の心のままに好き放題に生きている」と考えていたから、親は子供を自分の好き勝手にさせて子供を放任[ほうにん]していた。だから、生まれつき心の善[い]い子も悪い子も、いい大人にならなかった。しかし、今の人は『人間は頭で実在を知り、実在に従いながら自分の心を満足しなければならない』と考えている。だから、親は自分の子供に自分が知っている正しいことを教えてやらねばならない。そうすれば、生まれつき心の善い子も悪い子も等しく社会に適応できるいい大人になれるのだ。

[14579] どうしてホッブスは政府を支持したのか? h24.4.2
ホッブスが政府に暴力をふられるのが怖かったからである。
昔の政府は国民に暴力がふれたので、国民が政府に暴力をふられないためには政府を支持するしかなかったのである。
だから、ホッブスは政府を支持したのである。ホッブスは自然状態では「万人[ばんじん]の万人に対する戦い」になるので、それをやめさせるために政府が必要だとして嘘[うそ]の理論を作ったのである。
しかし、今では政府は国民に暴力をふれない。
だから、国民は政府を支持しなくてもいい。
国民は政府に反対して、早く政府を潰[つぶ]せばいい。

[14580] 政府から暴力取ったらただの馬鹿(俳句) h24.4.2
昔の政府は暴力を使って国民に何でも命令できた。国民は政府に暴力で罰せられるのを恐れて、政府に何でも従っていた。政府は暴力で国民を脅[おど]して、国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせていた。
ところが、今の政府は暴力が使えなくて国民に何もできない。
今の政府は何の役にも立たないただの馬鹿だ。
今の国民は政府を無視して、政府に従わなくてもいい。

[14581] 今は科学の時代である。 h24.4.3
昔の日本には科学がなかった。だから、昔の日本には正しいことがなかった。正しいこととまちがっていることの区別がなかった。人間にとっては自分の心にとって気持ちいいことと悪いことの区別しかなかった。だから、みんなが自分の心のままに好き放題にやっていた。
今の日本には科学がある。だから、今の日本には正しいことがある。正しいこととまちがっていることの区別がある。だから、人間は正しいことの中で自分の心を満足しなければならなくなった。法律は社会における人間の決まりである。だから、みんなが法律を守らなければならなくなった。
日本が科学の時代になってから、日本には正しいかまちがいかの区別が出来た。人間はまず第一に正しくしなければならなくなった。人間が自分の心のことを考えるのは二の次になった。
これまでの日本人は心中心の世界観だった。これからの日本人は頭中心の世界観なのだ。
心中心の世界観ではみんなが好き勝手に暴力をふれた。政府が国民に暴力をふれた。だから、政府が国民を支配できた。国民は政府に従わなければならなかった。反対に、頭中心の世界観では、みんなが暴力をふれない。政府は国民に暴力をふれない。だから、政府は国民を支配できない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
科学の時代になると、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は潰[つぶ]れてなくなるのだ。科学の時代になると、みんなが法律を守って暴力をふらなくなるので、権力者(他人に命令できる者)がいなくなって、平等な人間だけからなる社会になるのだ。平等な人間だけしかいない社会では、他人に命令する者はいない。だから、国民に命令して国民から税金を取る団体はないのだ。国民に命令して国民に戦争や国家宗教をやらせる団体はないのだ。
人間が実在の中で生きているかぎり、人間は実在に従わねばならない。実在の決まりを守らねばならない。そうやって暮らしたほうが人間は幸福になれる。人間は子供のうちは頭が空っぽで心だけで生きていて心が実在に従っていないが、大人になると頭に実在の知識が溜[た]まってきて心が実在に従うようになる。昔の人間は実在の知識がなかったから心のままに生きるしかなかった。昔の人間は実在に従うことができなかった。そのため、昔の人は実在の中でまちがいを犯して自分で自分を不幸にしていた。今の人間は実在の知識があるから実在に従うことができる。だから、今の人は実在の中でまちがいを犯さなくなって自分で自分を不幸にしなくなって幸福に暮らせるようになったのだ。つまり、今の人は知識によって幸福になることができる。人間は実在のことを知れば知るほど幸福になれるのだ。まったく、いい時代になったもんだ。私もそんな時代に生まれて来たかった。私はもっと遅く生まれて来ればよかった。
人間が自分の心を満足するために盲目的に生きることそのものがまちがっている。人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足して生きることによってはじめて真[しん]の幸福が得られるのだ。だから、昔の人の生き方はまちがっていた。今の人の生き方のほうが正しいのだ。人間は最近になってようやく正しく生きることができるようになったのだ。

[14582] 知識の意義 h24.4.3
昔の社会ではみんなが自分の心のままに好き放題にやっていた。昔にも科学知識はあったが、昔の科学知識は「道具」だった。科学は心によって利用されるものにすぎなかった。科学は自分の夢を実現するためにあった。
今の社会ではみんなが実在に従って生きている。今の科学知識は『真理』である。心が科学知識に従わねばならないとされている。つまり、人間は実在の中で自分の心を満足しなければならないとされている。
これまでに自分の心を完全に実現できた者は一人もいない。一方、科学知識はほぼ完全に正しいとされている。絶対的なものは心ではなく科学知識である。だから、人間は心よりも科学知識に従わねばならないのだ。人間は実在の中で生きている。人間の心は実在する脳細胞の神経興奮によって発生した感覚にすぎない。だから、人間は実在に従わねばならないのである。
絶対的なものは、心ではなく実在である。だから、心が実在を従えるのではなく、実在が心を従えるのである。科学は実在についての知識である。だから、人間は科学に従わねばならないのである。
昔は心中心の世界観だったが、今は頭中心の世界観である。昔の人は自分の心で生きていたが、今の人は自分の頭で生きている。昔の人は自分の心のままに好き放題に生きていた。実在を知りたい人だけが実在を知り、実在を知りたくない人は実在を知ろうとしなかった。今の人はみんな実在に従いながら生きている。今の人はみんな頭で実在を知り実在の中でそれぞれの心を満足して生きているのだ。

[14583] 人間にはどうして得意と不得意があるのか? h24.4.3
人間に心があるからである。人間に好き嫌いがあるからである。
人間は自分の好きなものが得意で、自分の嫌いなものが不得意(苦手)なのである。
どんなに頭のいい人でも、少しは心があるから、得意と不得意の区別がある。
だから、みんながいちおう一般的なことを知った上で、自分の得意なこと自分の好きなことをすればいいのである。

[14584] 日本は文学の国か? h24.4.3
昔はどこの国でもみんなが自分の心のままに好き放題に生きていた。
今はどこの国でもみんなが実在に従って生きている。
つまり、昔はどこの国でも文学の国だった。今はどこの国でも科学の国である。
だから、日本が文学の国だというのは、昔の日本のことを言っているのである。
昔の日本は文学の国だったが、今の日本は科学の国である。
どこの国でも文学の国から科学の国に変わって行ったのである。
今後の日本はますます科学の国になって行くだろう。

[14585] 人間が実在のことがわかれば実在に従うようになる。 h24.4.3
昔の人は実在のことを知らなかった。だから、昔の人は人間が本当に自分の心のままに自由に生きていると考えていた。
今の人は実在のことをたくさん知っている。だから、今の人は人間が実在の法則に従って生きていると考えている。人間がいくら自由にやっているつもりでも、実際には実在の法則に従って動いているのである。だから、今の人はまず実在のことを知って、実在の中で自分が不幸にならないように自分が幸福になるように考えながら生きるようになったのである。
国の文明が高くなると、みんなが実在のことを知るようになって、みんなが実在の法則に従って生きるようになるのである。
人間が実在のことがわかるようになると、人間は自然に実在に従って生きるようになるのだ。
今の人は『科学で実在のことがわかる』と思っているから、実在のことがどんどんわかるようになっている。ますます実在に従うようになっている。
今では『実在についての知識』がたくさんある。知識を活かさないのは、宝の持ち腐[ぐさ]れだ。だから、今の人はせっせと実在についての知識を勉強して、知識を活かさないといけない。実在についての知識は試験に合格するためにあるのではない。実生活の中で活かすためにある。そのつもりで勉強すればいい。

[14586] 奴隷制とは何か? h24.4.3
奴隷とは国民の下の身分である。
政府は暴力を使って国民を自分の言いなりにしている。
しかし、国民が奴隷を買っても奴隷に暴力をふらない。国民は元来[がんらい]おとなしい性格だから、奴隷に対しても暴力をふらないのである。
それなら、奴隷は国民の言うことを聞かなくてもいい。暴力は権力(命令力)を得るためのただひとつの手段なので、暴力を使わなければ権力がないからである。
だから、実際には、奴隷は国民の命令を聞かなかったと考えられる。実際には、奴隷と国民は平等だったのである。奴隷制なんかなかったのである。つまり、奴隷とは、普通の人よりもきつい仕事をやっていた人にすぎなかったのである。
人間には乱暴者とおとなしい者の2種類しかいない。暴力団体は乱暴だが、国民はおとなしい。暴力団体は乱暴だから国民に暴力をふったが、国民はおとなしいから暴力をふらない。だから、国民の下に奴隷なんかいなかったのである。国民が政府の奴隷であって、国民の下には奴隷はいなかったのである。

[14587] 今の政府がやっていることは理屈が通っていない。 h24.4.3
今の政府は国民に命令している。今の政府は国民に命令して、国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせている。
今が暴力の使える社会なら、政府が国民を暴力で脅[おど]して国民に命令できる。
しかし、実際には今は暴力の使えない社会だから、政府は国民に命令できない。
今の政府がやっていることは理屈が通っていない。政府がまちがっている。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
今の国民が政府に従わなければ理屈が通る。だから、国民は政府に従わなければいい。

[14588] 今では国民が政府に従わねばならない理由がない。 h24.4.4
今の政府は国民にいろんな嘘[うそ]をついて国民に「国民は政府に従わねばならない」と思わせている。
そのために、国民の多くは政府に従っている。
しかし、そもそも国民が政府に従わねばならない『理由』がない。
だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
昔の社会では、政府が国民に『暴力』をふっていたから、国民が政府に従わねばならない『理由』があった。
今の社会では、政府が国民に暴力をふれないから、もはや国民が政府に従わねばならない理由がないのである。
今は知覚主義の時代であって、心主義の時代ではないから、民主主義は無効である。[[14559]を参照。]だから、政府は民主主義を理由にして国民を政府に従わせることはできない。だから、国民は政府に従わなくていい。
今の政府には国民を従わせる理由が何[なん]にもない。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14589] 昔の人と今の人は従うものが違う。☆ h24.4.4
昔の人は実在のことを知らなかったので、自分の心に従って生きていた。
今の人は実在のことを知っているので、実在に従って生きている。実在の中で自分の心を満足している。つまり、実在と自分の心の両方に従って生きている。
昔の人は自分の心だけに従っていたので、みんなが自分の好き放題なことがやれた。だから、暴力団体が国民に暴力をふって国民を支配した。
今の人は実在に従っているので、法律は実在の社会における人間の決まりなので、みんなが法律を守るようになった。だから、暴力団体が国民に暴力をふれなくなって国民を支配できなくなった。
昔の人は自分の心に従っていた。今の人は実在に従っている。昔の人と今の人は従うものが違うのだ。だから、世の中(社会)も昔と今では違うのだ。物質が原子から出来ているように、社会は人間から出来ている。昔と今では人間が違うから、社会も違うのだ。物質の実体が原子の集まりであるように、社会の実体は人間の集まりなのだ。
昔の人は自分の心に従っていた。今の人は実在と自分の心の両方に従っている。昔の人はめくらめっぽうに自分の心に従っていたが、今の人は実在のことを考えながら自分の心に従っているから、今の人のほうが昔の人よりも効率的に自分の心を満足できるので、今の人のほうが昔の人よりも幸福に生きていけるのだ。
『今の人がみんな実在に従うようになった』ことも実在である。『今の人がみんな暴力を使わなくなって、政府が国民を支配できなくなった』ことも実在である。だから、政府は実在に従って、国民を支配するのをやめねばならない。

[14590] 今は暴力団体の時代ではない。 h24.4.4
普通の人にとっては、法律があってもなくても変わらない。普通の人は性格がおとなしいから、他人の気持ちを尊重[そんちょう]するので、自然に平等になるからである。
法律がなくて得をするのは、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体である。暴力団体は性格が乱暴だから、法律がなければ暴力団体は他人[たにん]の気持ちを無視して平気で他人に暴力をふって暴れるから、暴力団体が国民を好き放題にして、暴力団体が得をするのである。
しかし、今は法律がある社会である。今の人はみんな実在に従って暮らしているから、法律は実在の社会における人間の決まりだから、今の人はみんな法律を知って法律を守っているのである。
だから、今は暴力団体にとって得な社会ではないのである。今は暴力団体にとって得な時代ではないのである。
今は知覚主義の時代である。だから、今の人は頭で物を見ないといけない。頭で考えて行動しなければならない。暴力がない社会では、人間はみな平等である。だから、政府と国民も平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。だから、国民は政府に税金を払ってはいけないし、政府の戦争や国家宗教などの命令を聞いてはいけない。
今の政府は国民からのお金を取り方に問題がある。政府はその点を改善しないといけない。

[14591] 人間は前に進まなければならない。 h24.4.5
政府は暴力団体である。つまり、政府は暴力を使って国民に命令する団体である。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今の社会ではみんなが法律を守るようになってみんなが暴力を使わない。
したがって、今の政府は国民に命令できない。今の政府は国民を支配できない。
つまり、国民は政府に従わなくてもいい。政府に税金を払ったり、政府の命令で戦争や国家宗教などをやらなくてもいい。
人間は考えるから前に進むのである。
考えない人間は同じところに立ち止まっているだけである。
考える人間は新しいことができる。これまでにないことができる。
考えない人間はこれまでと同じことしかできない。
しかし、今は知覚主義の時代である。だから、人間は考えないといけない。人間は前に進まないといけない。人間はこれまでにないことをしないといけない。人間はこれまでにない社会を作らなければならない。

[14592] どうして昔は男尊女卑[だんそんじょひ]だったのか? h24.4.5
昔の人は心主義だった。つまり、昔の人は心で物を見ていた。
心で人間を見ると、男尊女卑だった。つまり、心で人間を見ると、男は尊[とうと]く、女は卑[いや]しい。
しかし、今の人は知覚主義である。つまり、今の人は頭で物を見る。
頭で人間を見ると、男女平等である。つまり、頭で人間を見ると、男も女も同じ権利が保障される。

[14593] 男と女の違い h24.4.5
今は実在主義の時代である。つまり、今の人は実在に従って生きている。
男は知覚で物を見る。女は五感で物を見る。[女も少しは頭で考えることはあるが、眼で見てわかることが主[おも]である。反対に、男も少しは眼で見ることがあるが、頭で考えてわかることが主である。]
男も女もそれなりに実在に従って生きている。
実在の世界には『論理』がある。ところが、人間の五感には論理がない。女は五感で物を見る。だから、女には論理がわからない。女には実在がわからない。女は実在が見えていない。一方、人間の知覚にも『論理』がある。男は知覚で物を見るから、男は女よりも実在がわかるのである。だから、女は男に従わねばならない。
もっとも、見たり聞いたりすることにかけては女が男よりも優[すぐ]れている。だから、その能力を活[い]かせば女は男よりもよく働くことができる。例えば、社会科や生物学は五感で物を見る者が有利である。だから、女でも社会科や生物学や医学の学者になれるのだ。反対に、数学や物理学は知覚で物を見る者が有利である。だから、数学や物理学は男の学者が適している。
今の私は独身で男の独[ひと]り暮らしである。私の身の周[まわ]りの世話をする女性がいない。だから、今の私は身だしなみが悪いのである。私が高知の実家で暮らしていた頃は、母が私の身の周りの世話をしてくれたので、私は見やすかった。私が高知の実家を離れて独り暮らしをするようになってから、私は見苦しくなった。そのかわり、私は自分でよく考えるようになった。私が高知の実家で暮らしていた頃は、自分で考えることがなかったが、高知の実家を離れてからは、自分でよく考えるようになった。

[14594] どうして私に精神分裂病や政府のことがわかったのか? h24.4.5
私はこれまでに精神分裂病や政府のことについて考えて、精神分裂病や政府のことがわかった。
私に精神分裂病や政府のことがわかったのは、私が理論的に考えることが得意だからではない。
じつは、私だけが知っていることがあったからである。私だけが知っている『具体的事実』があったからである。つまり、私には『私が実際に高校1年生のときに精神分裂病に罹[かか]った』ことがあったし、『私の情報を使ってアニメが作られている』ことがあった。だから、私は自分の具体的経験をもとにして考えることができたから、私には正しいことがわかったのである。反対に、私以外の者には考えの出発点になる具体的事実がないから、私以外の者には正しいことがわからないのである。
誰でも自分だけに与えられた『具体的事実』をもとにして考えていけば正しいことがわかる。例えば、ガリレオは望遠鏡で木星の衛星を見て太陽の周[まわ]りを地球が回っていることがわかったし、ワトソン&クリックはDNAのX線回折[かいせつ]写真を見てDNAの二重らせん構造がわかった。

[14595] どうして人間は精神分裂病や鬱病[うつびょう]に罹[かか]るのか? h24.4.5
『テレパシー器官』や『心』を無視するからである。自分の脳の中に『テレパシー器官』や『心』があることを無視して、好き勝手なことをするから分裂病や鬱病に罹るのである。
普通の人は自分の脳の中にテレパシー器官があることを知っていて、それを働かせないようにしている。だから、普通の人にはテレパシー(幻聴)が聴[き]こえないのである。ところが、精神分裂病に罹った人は、自分の脳の中にテレパシー器官があることを知らずに、それを働かせてしまったのでテレパシーが聞こえるようになってしまったのである。
普通の人は自分の脳の中に心があることを知っていて、自分の心を満足するようにしている。つまり、自分が好きなことをやって、嫌いなことをやらないようにしている。だから、鬱病に罹らないのである。ところが、鬱病に罹った人は、自分の脳の中に心があることを知らずに、自分が嫌なことをやるようにしたので鬱病になってしまったのである。
今は知覚主義の時代である。今ではみんなが実在を知り実在に従いながら幸福に生きている。実在のことを知らずに実在に反することをして不幸になるのは当然である。

[14596] どうして私は本を書かないのか? h24.4.5
私は自分独[ひと]りで考えるのは好きだが、他人に言うのは好きではない。
だから、私は本を書かないのである。
私は、せいぜい、ワードで文書を作って、自分が持っているレーザープリンター(NECマルチライター5750C)で印刷して、とじ太くんで製本して、ヤフオクで売ったり、あるいは、デジタル書籍の販売店DLーMARKETで売るだけである。
私が捨てるほど大金[たいきん]を持っていたら、自費出版社に頼んで見栄[みば]えのいい本にしてもらって大勢の人にただで売ってもいいのだが、実際には私はお金がないので、自分で本を作ってヤフオクで売るしかないのである。

[14597] 正しいことは実現できる。 h24.4.5
『政府は暴力団体である。つまり、政府は暴力を使って国民に命令する団体である。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今の社会ではみんなが法律を守るようになってみんなが暴力を使わない。
したがって、今の政府は国民に命令できない。今の政府は国民を支配できない。
つまり、国民は政府に従わなくてもいい。政府に税金を払ったり、政府の命令で戦争や国家宗教などをやらなくてもいい。』
これが、私が頭で考えてわかったことである。
しかし、実際にはまだ実現していない。政府は建ったままである。
だから、実験すればいいのである。実行して実現すればいいのである。実現されていないことは、自分が実行して実現すればいいのである。正しいことなら実現できるはずである。私の理論を信じる者は実行すればいい。

[14598] 政府の仕事 h24.4.6
政府の仕事は暴力団体の仕事と持ち会社の仕事に分けられる。[[14568]の図を参照。]
暴力団体の仕事は、国民から税金を取ったり、国民に命令して国民に戦争や国家宗教などをやらせることである。
持ち会社の仕事は、法律会社が法律に違反する者を取り締[し]まったり、水道会社が水道の仕事をやったり、ゴミの収集会社がゴミを収集したり、学校会社が学校をやったりすることである。
政府はこれ以外の仕事をしていない。政府は現実に今国民に対して具体的にやっていること以外は何もやっていない。“国民の役に立つことを考えること”が政府の仕事ではない。実際に政府がやっていることだけが政府の仕事である。つまり、政府は“政策を立てて実行する”ことが仕事ではない。実際には、政府の暴力団体が国家宗教で“政策みたいなこと”をやっているだけである。だから、政府の政策はすべて国民に対する嫌がらせなのである。政府は国民に嫌がらせをする会社なのである。[だから、アメリカ政府は国民にとって何のためにもならない宇宙開発なんかやっているのである。]つまり、行政とは政府が国家宗教で国民に嫌がらせをすることである。
こうしてみると、政府は大[たい]して国民の役に立つことをやっていない。国民はもともと性格がおとなしいから、法律会社は大して役に立たない。国民同士で話し合えば、たいてい訴訟問題は解決される。政府の国際外交なんかも、政府が有能ぶるためにやっているだけで、実際には国民にとって有利になることは何もない。外国の政府と組んで芝居をやっているだけである。
政府が大して国民の役に立つことをやっていないのは、そもそも政府が暴力団体だからである。政府は自分が人間社会から締[し]め出されないために、国民の機嫌[きげん]を取って国民と仲良くするために、しぶしぶ持ち会社をやっているのだから、政府が大して国民の役に立たないのは当然である。
たとえ政府が潰[つぶ]れてなくなっても、国民ですぐに代[か]わりの法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などを建てることができる。だから、国民にとっては政府がなくなっても全然かまわない。[水道なんか明治時代の技術である。政府でなければやれない仕事なんかない。だから、政府がなくなってもいい。つまり、政府は暴力をふること以外には取り柄[とりえ]のない会社である。ところが、今の社会では暴力がふれない。だから、今の政府には何の取り柄もない。]
政府が国民から税金を取るのは、政府の暴力団体の仕事である。ところが、今では暴力は使えない。だから、政府は国民から税金を取れない。したがって、政府は潰[つぶ]れるしかない。

[14599] 今の国民は自分の頭で考えなければならない。 h24.4.6
いくら国民が生まれつき性格がおとなしいからといって、おとなしいだけでは駄目[だめ]である。
今は知覚主義の時代だから、国民は知覚で物を見ないといけない。知覚で考えて実行しないといけない。
昔の心主義の時代には、国民は生まれつきおとなしいからひたすらおとなしくすればよかった。国民は乱暴者の政府におとなしく従っていればよかった。
今の知覚主義の時代には、国民はまず正しくしないといけない。今の社会では暴力が使えないから、暴力団体の政府は国民に暴力が使えず、政府と国民は平等だから、国民は政府に従ってはいけない。だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。国民は自分の頭で考えて政府の命令に逆[さか]らわなければならない。政府の命令を無視しなければならない。
今では乱暴者の政府も頭で考えて法律を守って暴力をふらなくなっておとなしくしているのだから、国民も政府を見習って頭で考えて政府と平等にして政府の命令に逆らわなければならない。
人間が頭で考えると、乱暴者はおとなしくなり、おとなしい者は乱暴になる。人間が均一[きんいつ]になる。
そうすれば、日本は新しい国になる。

[14600] 政府学は科学である。 h24.4.6
政府について書いている本はたくさんある。
しかし、どれもまちがったことばかり書いている。私もこれまで哲学日記に政府についていろんなまちがったことを書いてきたが、それと同じまちがいを書いている本もある。日本はさすがに後進国の田舎[いなか]の国なだけあって、ろくな人間がいない。
いくらたくさん書いていてもまちがっていては学問的には無価値である。買う価値がない。
反対に、いくら少ししか書いていなくても正しければ学問的には価値がある。買う価値がある。

社会科学は文学ではなく科学である。政府学は文学ではなく科学である。
政府についてまちがったことを書くのは、政府に対して失礼である。
だから、政府については正しいことを書かねばならない。


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