[14401] 人間には乱暴者とおとなしい者がいる。 h24.3.9
昔の社会には法律がなかった。
人間の性格は違う。人間には乱暴者とおとなしい者がいる。
だから、昔の社会では乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配したのである。
しかし、今の社会には法律がある。
あいかわらず人間には乱暴者とおとなしい者がいる。
だから、今の社会では乱暴者もおとなしい者も法律を守っておとなしくしなければならない。乱暴者はおとなしくしなければならない。おとなしい者はそのままでいい。だから、今の社会では乱暴者もおとなしい者もみんなおとなしくなって、乱暴者とおとなしい者が仲良く暮らすようになったのである。
自分が乱暴者であることは、法律を破ってもいい理由にはならない。乱暴者も法律を守らなければならない。
文明社会では、人間は自分の心のままに生きることはできないのである。自分で自分の心をコントロールすることのできない者は、文明社会を行きぬくことはできないのだ。
今では人々が『乱暴者は精神病者だ』と考えて、乱暴者を牢屋[ろうや]の中に入れて人間社会から締[し]め出すようになったのだ。乱暴者に臭いメシを食わせて冷遇するようになったのだ。
[14402] 政府は精神病者である。☆ h24.3.9
政府は乱暴者である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり国民を嫌がらせたりする乱暴者である。
乱暴者は精神病者である。普通の人はおとなしくて乱暴しないから、乱暴者は精神病者である。
だから、政府は精神病者が入院している精神病院である。政府は精神分裂病や躁鬱病[そううつびょう]の患者が入院している精神病院である。[カフカの『変身』も政府が精神病者であることを捩[もじ]ったものである。文学のテーマはたいてい政府だから、『変身』も政府のことを書いているのである。『変身』の主人公のグレゴール・ザムザは政府の喩[たと]えである。精神分裂病者が拘束衣[こうそくい]を着せられた姿を毒虫に喩えたのである。]
昔は法律がなかったから、精神病者が暴れ放題だった。精神病者が健康な者を好き放題にして支配していた。
しかし、今は法律があるから、精神病者が暴れることはできない。精神病者を檻[おり]の中に入れて人間社会から隔離[かくり]しなければならない。
政府は精神病者である。
昔の人は精神病を知らなかった。この世に精神病があることを知らなかった。だから、昔の人は精神病者に従っていたのである。つまり、昔の国民は政府に従っていたのである。
今の人は精神病を知っている。この世に精神病があることを知っている。だから、今の人は精神病者に従わない。つまり、今の国民は政府に従わなくなったのである。
政府は精神病者である。政府は精神病者の組合である。昔の人は精神病を知らなかったから、精神病者を上の者だと考えて従っていたのである。まったく、とんだ「上の者」がいたもんだ。
政府の喜びは、人を殺すことだけである。人を嫌がらせることだけである。政府にとっては人を殺したり嫌がらせたりすることがたったひとつの生きがいなのである。政府は気の毒な人である。国民は政府の病気を早く治してやらねばならない。しかし、実際にはそういう病気は治りにくい。だから、国民は政府を檻[おり]に入れて人間社会から隔離するしかないのである。
[14403] 犯罪組織は精神病者である。 h24.3.9
昔の国民は精神病を知らなかった。精神病者を野放[のばな]しにしていた。そのため、国民は精神病者に暴行を受けて精神病者の言いなりにされた。国民は精神病者に脅[おど]されてお金を取られて嫌がらされた。
今の国民は精神病を知っている。精神病者を檻[おり]に入れて隔離している。そのため、国民は精神病者に暴行を受けなくなって安全に暮らせるようになった。
政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織は精神病者である。他人に暴行するのが好きな精神異常者である。精神病者がかっこつけて政府や暴力団や宗教団体などと名乗っているだけである。
だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を檻に入れて隔離しなければならない。そうすれば、国民は犯罪組織に暴行を受けずに安心して暮らすことができる。
今の国民が政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を放置しているのは、国民の怠慢[たいまん]である。国民は自分で自分を幸福にする努力が足りない。精神病者を檻に入れて人間社会から隔離するのは、国民がやらねばならない仕事である。国民は自分を幸福にするためにがんばらなければならない。
この世に精神病があるから、政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織が出来たのである。人間が精神病にかからず、人間の性格がみんなおとなしければ、この世は平和で平等なままだったのである。人間の脳がもっと頑丈[がんじょう]に出来ていれば、みんなが幸福に暮らせたのである。しかし、この世に精神病があることは現実である。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を精神病者だと考えて、何らかの対策を取らねばならない。治療したり隔離したりしないといけない。そのうち、国民は政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織をキチガイだと思って、馬鹿にするようになるだろう。政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織は国民に馬鹿にされるのが嫌になって、自分から喜んで牢屋[ろうや]に入るだろう。
[14404] 乱暴者は脳の病気の人である。 h24.3.9
普通の人間はおとなしい。
ところが、人間の中にはときどき乱暴者が現れる。
昔の社会には法律がなかったから、乱暴者がおとなしい者を好き放題にして支配した。乱暴者がおとなしい者に暴行してお金を取ったり嫌がらせをしたりした。乱暴者が集まって政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を作った。
しかし、今の社会には法律があるから、もはや乱暴者がおとなしい者を好き放題にして支配することはできなくなった。
そもそも乱暴者は精神病者である。生まれつき乱暴な性格の者や、生まれたあとで精神病にかかって乱暴な性格になった者などである。
昔の人は精神病を知らなかったから、精神病者を野放[のばな]しにしていた。
今の人は精神病を知っているから、精神病者を檻[おり]に入れて隔離している。
人間には脳がある。脳にはいろんな病気がある。脳の病気で脳が異常になって性格が変わって乱暴者になるのである。
脳の病気は原因があれば誰でもかかるものである。
脳の病気は現実にある病気である。
だから、人間社会には必ず乱暴者が現れる。乱暴者は社会の迷惑である。乱暴者には気の毒だが、脳の病気のせいだから、檻[おり]に入って人間社会から外に出てもらわなければならない。
早く“精神病者や乱暴者や犯罪者を檻に入れて人間社会から隔離する法律”を制定しなければならない。例えば、政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織は精神病者である。だから、政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を早く檻に入れて人間社会から隔離しないといけない。政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を国民から切り離さなければならない。
これまでは、脳が病気の者が脳が健康な者を支配していた。これからは、脳が健康な者が脳が病気の者を支配するのだ。
将来、この世から精神病がなくなれば、脳の病気がなくなれば、犯罪もなくなるだろう。この世はおとなしい善[い]い人ばかりの平和な幸福な世の中になるだろう。そのためにも、今後もしばらく人類は精神病の研究を続けなければならない。
政府は精神病者である。政府はキチガイである。だから、国民は政府の言いなりになってはいけない。国民は頭のおかしい政府に従ってはいけない。政府は頭がおかしいから、政府にはいつまでたっても『人間が平等である』ことが理解できないのだ。だから、国民は政府を気の毒だと思って、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしてはいけない。
人類は昔からキチガイにはさんざん手を焼いてきた。早くこの世からキチガイを絶滅させなければならない。
政府は精神異常者の会社である。政府は国中の精神異常者を集めて会社を続けてきたのだ。政府の中枢(つまり、国民から税金を取る機関と国民を軍事や国家宗教などで嫌がらせる機関、[14378]の図を参照)は精神異常者で占められている。政府がこの世にあるかぎり、政府は国民に暴行して国民からお金を取って国民を嫌がらせし続ける。国民は早く精神異常者の政府を倒して、明るい社会を作らなければならない。
[14405] 政府は精神異常者の会社である。 h24.3.9
普通の人間は精神的に健康である。おとなしくて真面目[まじめ]である。
ところが、人類の中にはときどき性格が凶暴[きょうぼう]な精神異常者が現れる。生まれつき性格が凶暴な者もいれば、生まれた後で性格が凶暴になった者もいる。
昔の社会には法律がなかったから、昔の人は精神病を知らなくて精神病者が野放[のばな]しだったから、凶暴な精神異常者がおとなしい者に暴行してお金を取ったり嫌がらせをしたりした。凶暴な精神異常者が集まって政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を作って、おとなしい国民を集団で暴行して国民を支配した。
しかし、今の社会には法律がある。今の人は精神病を知っていて精神病者を檻[おり]に入れて人間社会から隔離している。だから、今では凶暴な精神異常者がおとなしい者に暴行できなくなって、おとなしい者が平和に幸福に暮らせるようになったのだ。
政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織は精神異常者の集団である。政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織は頭がおかしいから『人間が平等である』ことが理解できず、法律に反することをやっている。だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織の命令を聞いてはいけない。今の国民は政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を見つけたら、病院や警察に連絡して、檻の中に入れて人間社会から隔離しなければならない。今後、政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織が全員入れる大きな刑務所を建てて、その中に政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織の全員を入れなければならない。“精神異常の遺伝子”をなくすために、精神異常者は全員刑務所の中で死んでもらわねばならない。今後は精神異常者のいない明るい社会を作らなければならない。[今さっき、またデジャブ(既視感[きしかん])があった。つまり、私は以前夢の中で自分がこの作文(特に“犯罪者が全員入れる大きな刑務所”という言葉)を書いたことがあるような気がした。もっとも、私は普段夜起きて昼寝ているが、最近は昼起きて夜寝ているから、そのせいで最近デジャブがよくあるのかもしれない。]
[14406] 今では“精神異常者を社会から排除する仕組み”がある。 h24.3.9
人間には性格の違いがある。人間には乱暴者とおとなしい者がいる。
乱暴者が乱暴なのは気が狂っているからである。精神異常者だからである。脳が壊れているからである。
反対に、おとなしい者がおとなしいのは精神的に正常だからである。脳が健康だからである。
昔は“精神異常者を社会から排除する仕組み”(法律のこと)がなかったから、精神異常者が社会の中で暴れ放題だったのである。精神異常者が正常者を好き放題にして正常者を支配していたのである。精神異常者が集まって政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を作って、国民に暴行して国民からお金を取って国民に嫌がらせをしたのである。
しかし、今は“精神異常者を社会から排除する仕組み”がある。つまり法律がある。精神異常者が法律に反することをすれば牢屋[ろうや]に入れられて社会から排除される。そのため、社会の中にはつねに精神的に健康な者しかいない。だから、社会がうまくいくのである。
人間には正常者と精神異常者の2種類がいる。法律によって正常者と精神異常者を区別しなければならない。正常者は社会の中に入れて、精神異常者は社会の外に出さねばならない。そうすることによって、よりよい社会を作っていかねばならない。
昔は法律がなかったから、正常者と精神異常者の区別ができなかった。そのため、正常者と精神異常者が同じひとつの社会の中にいたから、正常者が精神異常者によってひどい目にあわされた。今は法律があるから、正常者と精神異常者の区別ができる。そのため、正常者と精神異常者が別のところに住んでいるから、正常者が精神異常者によって嫌な目にあわされなくてもよくなったのである。
[14407] 政府は悪い会社である。☆ h24.3.9
政府は国民から税金を取ったり国民を軍事や国家宗教などで嫌がらせて悪いことをやっている。
一方、政府は法律や水道やゴミの収集や学校などの国民の役に立つことをやって善[い]いこともやっている。
これでは、政府が善[い]い会社なのか悪い会社なのかわからない。
しかし、悪人が偽善[ぎぜん]をすることはあるが、善人が偽悪[ぎあく]をすることはない。つまり、悪人は善いことと悪いことの両方をやるが、善人は善いことしかしない。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。だから、政府は悪い会社なのである。
政府は法律のない時代に出来た犯罪組織である。ただ、政府が悪いことばかりやっていると国民に恨[うら]みを買って政府が国民に倒されるので、政府は国民の機嫌[きげん]を取るためにいくつか国民の役に立つこともやっているのである。
もしも政府が最初から善[い]い会社だったとしたら、善いことばかりすればよく、わざわざ悪いことをする必要がないから、悪いことをしないはずである。政府が軍事や国家宗教などで国民を虐[いじ]めたりしないはずである。
だから、政府はもともと悪い会社なのである。政府は犯罪組織なのである。人間には“他人の悪いところを小さく見て、善いところを大きく見る心理”があるから、国民は政府の悪いところを小さく見て政府の善いところを大きく見ようとするから、国民にとっては政府が善い会社のように見えるのである。しかし、本当は政府は悪い会社なのである。
政府は悪い会社である。政府は悪事専門で、悪いことは得意だが、善[い]いことは苦手である。だから、政府は軍事や国家宗教で国民を嫌がらせることは一生懸命にやるが、国民のためになることはいいかげんにしかやらないのである。
政府は悪い会社である。政府は国民の嫌がらせをする会社である。政府は国民を不幸にする会社である。だから、国民が政府に税金をやっても無駄[むだ]である。国民が政府に不幸にされるだけである。だから、国民は政府に税金をやらずに、政府を倒したほうがいいのである。
政府は悪い会社である。政府は国民を嫌がらせる会社である。これまで国民が政府に従ってきたのは、国民が政府に暴力で脅[おど]されていたからである。これまで国民は政府に脅されていやいやしかたなく政府に従っていたのである。昔の社会には法律がなかったから、政府は国民を暴力で脅せたのである。しかし、今の社会には法律があるから、政府は国民を暴力で脅せなくなった。だから、今ではもはや国民は政府に従わなくてもいいのである。国民はようやく政府から開放されて自由になったのである。[法律は政府の法律会社だけがやるのではない。国民も法律をやる。犯罪者に対する刑罰は法律会社だけでなく、国民がやってもいい。だから、政府の法律会社はなくてもいい。だから、いくら政府が法律会社を抱きこんでも、国民の力で法律のある社会にすることができるのである。とにかく、国民は『人間が平等である』ことで押していけばいいのである。]
[14408] 便利な道具 h24.3.10
政府の持ち会社から見れば、政府(つまり、国民から税金を取る機関と国民を軍事や国家宗教などで嫌がらせる機関)は“国民からお金を取る道具”にすぎない。便利な道具にすぎない。[[14378]の図を参照。]
ただ、その道具は今の法律から見て法律に違反している。道具が国民に暴行してお金を取ったり嫌がらせをしたりすることは法律に違反している。
だから、政府の持ち会社が法律に違反する道具を使うことは法律に違反している。政府の持ち会社が暴力団に頼んで国民からお金を集金してもらうのと同じことだ。暴力団が集金のついでに国民に嫌がらせをするのと同じことだ。政府の持ち会社は暴力団に集金させれば自分が働かなくていいから喜んでいるのである。政府の持ち会社は仕事をしているふりをして本当は遊んでいるのである。
だから、政府の持ち会社も悪い。共犯者である。
政府の持ち会社は法律に違反する道具を使ってはならない。
政府の持ち会社は普通の会社と同じように国民と契約を取って国民に契約通りの仕事をして国民から契約通りのお金をもらわなければならない。そうすれば法律に違反しないから問題ない。
政府の持ち会社は“政府の持ち会社が持っている暴力団”(つまり政府のこと)と縁[えん]を切って、政府の持ち会社だけで自立してやっていけばいいのだ。“政府の持ち会社が持っている暴力団”は社会の外に出てもらわねばならない。
[14409] 見る者と見られる者 h24.3.10
人間はつねに見る者であらねばならない。見られる者であってはならない。
孔子の言う仁[じん]とは、見る者としての主体としての人間のことである。見る者としての人間の気構[きがま]えのことである。
つまり、仁とは見ることである。見られることではない。
見られる気持ちしかない者に仁はない。
見られる気持ちしかない者は口先や眼先のことが上手なだけで、自分で考えることがないから馬鹿である。
考えるとはよく見ることだから、人間が考えるためには見る者としての気構えが必要なのである。
[14410] 経験論と観念論 h24.3.10
観念論とは、自分が持っている概念を組み合わせることによって実在する物を見ることである。例えば、コンピューターにとっては0と1しかわからない。だから、コンピューターには0と1の組み合わせでわかる物しかわからないのである。コンピューターは0と1の組み合わせでわかる物なら何でもわかるのだ。人間の脳細胞も興奮するかしないかで0と1だから、人間がわかることならコンピューターもわかるのだ。ただし、コンピューターには人間のような“感覚”(自分に感じること)がないから、コンピューターはいつも冷静沈着である。
反対に経験論とは、実在する物を見ることによって自分の概念を作り出すことである。そもそも人間が知覚に持っている概念は、五感の経験を分析することによって得られたものである。人間の脳には経験を分析して概念を作り出す機能が備[そな]わっている。人間の知覚はブラックボックスであって、それ自体で概念を生み出すことはできない。人間は自分の経験から得られた概念を組み合わせることによって実在する物を理解する。だから、観念論も経験論に基づいているのである。人間は根本的[こんぽんてき]には経験論なのである。眼で見えた物がそのまま実体ではないことは、経験論の創始者であるジョン・ロックも知っていた。それなら、わざわざカントみたいに考える必要はない。つまり、カントがまちがっていただけのことである。
実際に、人間は子供の頃は眼で見えることしかわからず、大人になってようやく言葉がわかるようになる。つまり、大人になってやっと頭で見えることがわかるようになる。[例えば、私が論理がわかったのは28歳の頃だった。それまでは眼先で論理っぽいことをやっていたにすぎなかった。子供には眼で見える記号しかわからない。子供には概念や論理はわからない。大人になって概念がわかるようになってから論理がわかるのだ。]だから、人間は経験論に従って成長しているのである。だから、やはり観念論よりも経験論が正しいのだ。
人間は自分が知らなかったら、眼で見ればいい。眼で見たことを憶[おぼ]えて分析して概念を作ればいい。そうすれば知ることができる。新しい概念が得られれば、概念を組み合わせて理解できることが増える。理解できることが増えれば生きることが楽しくなる。
[14411] 乱暴者の正体は精神異常者である。 h24.3.10
昔の社会では、乱暴者がおとなしい物を自分の欲しいままにしていた。乱暴者がおとなしい者に暴力をふってお金を取って嫌がらせをしていた。
人間に心の違いがあることは事実である。人間に乱暴者とおとなしい者の違いがあることは事実である。
しかし、乱暴者の正体は精神異常者である。脳の病気の人である。だから、現代社会では乱暴者は許されない。
現代社会では乱暴者の居場所はない。だから、現代社会では法律で乱暴者を社会の外に出すようになったのである。
現代人は自分の心をコントロールすることができねばならない。自分の心をコントロールすることができない者は社会人としてはやっていけない。現代では、乱暴者は社会人としてはやっていけないのだ。
[14412] 政府は国民と契約を取らねばならない。 h24.3.10
今の法律では、会社は必ず国民と契約を取らねばならないことになっている。
しかし、実際には今の政府は国民と契約を取っていない。
民主主義は、政府が国民と契約を取らずに仕事をして国民からお金を取ってもいいことの理由にはならない。たとえ政府が民主主義であっても、政府は国民一人一人ときちんと契約を取らねばならない。政府は国民と契約を取ってから、民主主義の仕事をやらねばならない。
政府は法律違反である。だから、政府が悪い。政府は犯罪組織である。政府が国民と契約を取らないのは、政府が犯罪組織だからである。国民には犯罪組織に従う義務はない。したがって、国民は犯罪組織の政府に従ってはならない。
[14413] 政府の国家宗教 h24.3.10
マンガの『うる星やつら』に自分が欲しい物を言えば何でも出て来る道具の話がある(私はどんな道具だったのか忘れてしまった)。しかし、実際には駄洒落[だじゃれ]で違う物が出てくるだけである。例えば、「タイヤキ」と言えば、木に引っ掛かったタイヤが出てくるだけである。この話は、政府の国家宗教のことを表している。つまり、政府は国家宗教の神の情報を使ったことをやって国民が嫌がることをやっているのだ。政府は犯罪組織だから、政府は意地悪[いじわる]だから、政府は国民の嫌がることをやって喜んでいるのだ。だから、政府は国民にとって“うるさいやつら”なのだ。
実際には、政府は一方的に国家宗教の神の情報を使ってことをやって国民に嫌がらせをしているのであって、マンガのように政府が国民の要望を聞いたりはしない。国民にとって政府は迷惑なだけである。国民が政府に嫌がらされねばならない理由はない。政府は精神異常者だから自分の異常な心を満足するために国民に嫌がらせをしているのである。政府は国民を戦争や国家宗教で殺したり嫌がらせたりして喜んでいるのである。国民は政府を早く倒さねばならない。
[14414] 人間には2種類いる!☆ h24.3.10
人間には正常者と精神異常者の2種類がいる。
昔は人間の区別が出来ていなかった。そのため、正常者と精神異常者が同じひとつの社会の中で暮らしていた。だから、精神異常者が正常者に暴力をふって好き放題にして支配していた。
しかし、今では人間の区別が出来ている。そのため、正常者と精神異常者を法律で区別して正常者だけを社会の中に入れて、精神異常者を檻[おり]の中に入れて人間社会の外に出すようになっている。社会の中では正常者だけで仲良く平和に暮らしている。
人間には正常者と精神異常者の2種類がいる。昔の人はそのことを知らなかったために精神異常者によって不幸にされていた。今の人はそのことを知っている。だから、その知識を活かして幸福に暮らせるようにしなければならない。
“脳の病気”がなければ、人類みんなは平和に平等に幸福に暮らせていた。脳の病気のために、大勢の人々が苦しめられた。人類はもう二度とこんな歴史を繰り返してはならない。
[14415] 法律なんかどうでもいい。 h24.3.10
昔は正常者と精神異常者の区別がなかった。
そのために、正常者と精神異常者が同じひとつの社会の中で暮らしていた。
そのため、精神異常者が正常者に暴力をふって正常者を好き勝手にして支配していた。精神異常者が集まって政府や暴力団や宗教団体などの団体を作って国民を好き放題にして暴れていた。“精神異常者の団体”が国民からお金を取って国民に嫌がらせをしていた。
しかし、今は正常者と精神異常者の区別がある。
そのために、正常者と精神異常者を法律で区別して、精神異常者を刑務所の中に入れて人間社会から隔離するようになっている。
そのため、精神異常者が正常者に暴力をふれなくなって正常者を好き勝手にできなくなって支配できなくなっている。正常者が幸福に暮らせるようになっている。精神異常者は他人に暴力をふりたければ、刑務所の中で精神異常者同士で暴力をふって殺し合いをやればいい。
たとえ法律がなくても、正常者だけなら平和に幸福に暮らすことができる。精神異常者がいるから幸福がぶち壊しにされるのである。
反対に、たとえ法律があっても、精神異常者は法律を守ろうとしない。正常者は法律を知らなくても、自然に法律を守っている。
法律なんかどうでもいい。
精神異常者がいることが本質的な問題なのである。
要するに、精神異常者を社会の外に排除できればいいだけである。
法律は正常者と精神異常者を区別するためのひとつの目安である。
人々は法律を使って精神異常者を発見して精神異常者を社会の外に排除して、よりよい社会を作らねばならない。政府や暴力団や宗教団体などの精神異常者のいない社会を作らねばならない。[今の政府は国民から税金を取ったり国民を軍事や国家宗教などで嫌がらせをしたりして法律に反しているから精神異常者である。]心の健康な者だけからなる社会を作らねばならない。そのためには、優生学でも遺伝子操作でも何でもやっていい。とにかく、人間にとって幸福な社会を早く作らねばならない。
[14416] どうして暴力団は指を切るのか? h24.3.11
昔は正常者と精神異常者が同じひとつの社会の中で暮らしていた。
暴力団は精神異常者である。
暴力団は気が狂っていて身体を傷つけるのが好きだから、自分で自分の指を切って喜んでいるのである。
暴力団は自分で自分の身体を切るぐらいだから、他人の身体を切るぐらい何とも思っていない。
だから、昔の人は暴力団を恐れて、暴力団の言いなりだったのである。
しかし、今では精神異常者を檻[おり]の中に入れて人間社会の外に出すようになったから、暴力団にめったにお目にかかることはない。
昔はキチガイという凶暴な動物が人間社会の中にいた。昔はキチガイは人間と同じ生き物だと考えられて人間といっしょに暮らしていた。今ではキチガイは人間とは別の生き物だと考えられて檻の中に入れられている。人間の定義が昔と今では違うのだ。昔は人間にとって暮らしにくい世の中だった。キチガイにとって暮らしやすい世の中だった。反対に、今は人間にとって暮らしやすい世の中になった。キチガイにとっては暮らしにくい世の中になった。
文明国ではキチガイは人間とは別の生き物だと考えられて檻の中に入れられている。しかし、日本ではキチガイはまだ野放[のばな]しにされている。日本ではキチガイの管理が十分になされていない。キチガイは人間と見分けがつかない。法律を破るのがキチガイである。日本も文明国を見習ってキチガイを人間とは別の生き物と考えてキチガイをちゃんと檻の中に入れるようにしなければならない。政府や暴力団や宗教団体などのキチガイのいない人間だけの社会を早く作らねばならない。
[14417] キチガイの会社 h24.3.11
暴力団や政府や宗教団体はキチガイの会社である。キチガイが勤[つと]める会社である。
昔はキチガイが人間と同じ生き物だと考えられていた。キチガイと人間がいっしょに暮らしていた。キチガイと人間が同じ生き物だったので、キチガイが人間に何をしようが勝手だった。そのため、キチガイが人間に暴力をふって人間を好き放題にして人間を支配していた。
今はキチガイは人間と違う生き物だと考えられている。キチガイは檻[おり]の中に入れられて人間と別にされている。キチガイと人間が別の生き物なので、キチガイが人間に手出しをできないようにしている。そのため、キチガイが人間に暴力をふって人間を支配できなくなっている。人間はキチガイがいなくなって自由に平和に幸福に暮らしている。
そもそもキチガイという変な生き物がいるのがいけなかったのだ。この世からキチガイをなくしてしまえば、人間は幸福に暮らすことができる。早くこの世からキチガイをなくさなければならない。
[14418] 昔はキチガイが人間よりも上の者だった。 h24.3.11
人間には脳がある。脳には心がある。脳は物だから、脳は壊れることがある。心が壊れるとキチガイになる。生まれつき心が壊れているキチガイや生まれたあとで心が壊れたキチガイがいる。
だから、この世には人間に似て非なるキチガイという生き物がいるのである。キチガイは人間の皮を被[かぶ]った別の生き物である。
キチガイは性格が乱暴だから、キチガイが人間に暴力をふって人間を好き放題にするのである。
昔はキチガイと人間の区別がなかったので、キチガイが自由に人間に暴力をふって人間を支配していた。キチガイが人間の物やお金を取って人間を嫌がらせたり殺したりして喜んでいた。昔はキチガイの天下だった。昔はキチガイが人間よりも上の者だった。
今はキチガイと人間の区別があるので、キチガイを檻[おり]の中に入れて社会から隔離して人間に暴力がふれないようにしている。今ではキチガイが人間を支配できない。今では人間の天下である。今はキチガイが人間よりも下の者である。
精神医学の進歩により、キチガイの存在が明らかになり、キチガイと人間を区別できるようになった。今では法律でもキチガイと人間を区別している。医学や法律などでキチガイを検出して、キチガイを人間社会から排除している。人間がキチガイに勝ったのだ。人間がキチガイを征服したのだ。こうしてまた一歩人間中心の世界になったのだ。
政府はキチガイである。政府は国民に暴力をふって国民を嫌がらせることしか能[のう]がないキチガイである。だから、国民が政府にお金(税金)をやっても無駄[むだ]である。国民は政府にお金をやらずに政府を貧乏にして政府を倒さねばならない。

[14419] 人間の価値は知識にある。 h24.3.11
人間の価値は、その人間が頭の中に持っている知識にある。
人間の身体は知識の容れ物にすぎない。
知識のない人間はカスである。ただ生きているだけで考えることのない人間は無価値である。
だから、人間は考えて生きていかねばならないのである。
例えば、女も器量ではない。女も知識である。見る目のある男はそういう目で女を見ている。だから、いくら女が化粧をしても無駄[むだ]である。
[14420] なぜ人間は宗教に入るのか? h24.3.11
人間は不完全な生き物である。人間の心は完全ではない。人間の心には“無意味なことをやりたい欲望”がある。
宗教をやれば“無意味なことをやりたい欲望”が満足される。
宗教をやらないと“無意味なことをやりたい欲望”が満足されず、実生活の中で変なことをやって、かえって人生がうまくいかなくなる。
だから、人間は宗教をやるのである。特に無意味なことをやるのが好きな人が宗教に入るのである。
つまり、宗教は人間の不合理性を解消するためにあるのである。ストレス解消と同じである。
しかし、無意味なことのやりすぎはいけない。かえって自分の不合理性を強めることになる。
宗教は軽くやるだけにして、やりすぎてはいけない。
宗教団体と宗教は違う。いかがわしい宗教団体は暴力団と同じである。いかがわしい宗教団体は信者に暴力をふって信者からお金を取って信者に嫌がらせをするだけである。だから、宗教に入るときはあまり面白くなくても無難[ぶなん]なところがいい。
政府のやっている国家宗教も宗教とは違う。政府の国家宗教はただの国民に対する嫌がらせである。だから、国民は早く政府を倒して政府の国家宗教をやめさせねばならない。
[14421] 政府は早く檻[おり]に入らなければならない。 h24.3.11
政府はキチガイの会社である。
昔の人はキチガイを人間と同じだと考えていたから、キチガイが自由に人間に暴力をふって人間を支配した。キチガイが暴力を使って人間からお金を取って人間に嫌がらせをしていた。
今の人はキチガイを人間と別だと考えているから、キチガイを檻[おり]の中に入れて人間に暴力がふれないようにしている。人間はキチガイに暴力をふられなくなって平和に幸福に暮らせるようになっている。
早く政府を檻の中に入れてキチガイのいない健全な人間だけからなる社会を作らねばならない。
[14422] どうして政府は滅んでいるか?(哲学日記目次より) h24.3.11
政府は『キチガイの会社』である。
昔の人はキチガイを人間と区別しなかったから、キチガイが自由に人間に暴力をふれた。
だから、政府が国民に暴力をふって国民を支配することができた。政府が暴力を使って国民から税金を取って国民に軍事や国家宗教などで嫌がらせをすることができた。
今の人はキチガイを人間と区別しているから、キチガイが人間に暴力をふれなくなった。
だから、政府が国民に暴力をふれなくなって国民から税金を取れなくなって滅んでいるのだ。
今の政府は“暴力をふれない暴力団”である。
暴力はキチガイの才能である。暴力はキチガイのたったひとつの才能である。
暴力が使えなければ、政府の取り柄[とりえ]は何もない。
政府はもはや死んでいる。
国民にとっては今の政府は恐れるに足りない。
国民は政府の命令を聞くのをやめて、政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[14423] どうして昔の人はキチガイを大目[おおめ]に見ていたか? h24.3.11
昔の人は「キチガイは悪霊[あくりょう]が人間に取り付いたものだ」と考えていたからである。悪いのは悪霊であって、悪霊に取り付かれた人間ではないと考えていたから、キチガイを大目に見ていたのである。キチガイを許していたのである。キチガイが自由に暴力をふってもいいことを認めていたのである。
しかし、近代医学では、『キチガイは脳の病気だ』と考えられている。悪いのはキチガイ自身だと考えている。だから、キチガイを大目に見なくなった。キチガイを捕[とら]らえて牢屋[ろうや]に入れて冷遇するようになったのである。
医学の進歩がキチガイに対する人々の見方を変えたのだ。医学が人間社会を変えたのだ。
人間は実在に向かうものである。今の人間はキチガイの正体を知っている。だから、人間がキチガイに対して適切な処置ができるようになったのだ。人間がキチガイを適切に扱うことができるようになったのだ。
昔の人はキチガイの原因がわからなかったから、キチガイを野放[のばな]しにして放置していた。だから、キチガイがが好き勝手に人間に暴行して人間を支配していたのである。キチガイが人間に暴行して人間からお金を取って人間に嫌がらせをしていたのである。キチガイが人間よりも上の者だったのである。人間がキチガイに暴行されて不幸に暮らさねばならなかったのである。
今の人はキチガイの原因がわかっているから、キチガイを檻[おり]に入れて人間社会から隔離している。だから、キチガイが人間に暴行できなくなって、人間は平和に幸福に暮らせるようになったのである。
[14424] 政治の本質☆ h24.3.11
政治の本質は暴力である。
暴力団体が暴力を使って国民を支配することが政治である。
国民の大半は性格がおとなしいので、他人に暴力をふられても抵抗しないので、暴力団体が国民を容易に支配できるのである。
これまで、そのようにして政府や幕府が国民を支配してきたのである。[政府は、大昔日本各地を暴力で支配していた豪族が統合して出来た大きな団体である(つまり、政府=Σ豪族)。]
しかし、最近は精神医学によって『他人に暴力をふる者は脳の病気である』ことが判明した。他人に暴力をふる者は脳の病気のせいで心の働きが狂って性格が凶暴[きょうぼう]になっているから他人に乱暴するのである。
脳の病気の者を放[ほう]って置いてはならない。
だから、今では人々が“脳の病気の人”を親切に檻[おり]に入れて人間社会から隔離して治療するようになったのである。
政治団体は暴力団体である。暴力団体は脳の病人の団体である。だから、政治団体は脳の病人の団体である。したがって、人々は政治団体を檻に入れて治療しなければならない。
政府は脳の病人の団体である。国民は脳の病気の人にまで従わなくてもかまわない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
幸い、今の世の中では公[おおやけ]に暴力が使えない。今の世の中では、他人に暴力を使うと精神異常者と見なされて檻の中に入らねばならないからである。だから、今の世の中では政治団体が国民を支配することができない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府に逆[さか]らって、さっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。
いくら性格がおとなしくても、人間は正しいことには従わなければならない。他人に暴力をふる者は精神異常者である。脳の病気の人である。政府は脳の病気の人の団体である。国民は脳の病気の人に従わず、脳の病気の人を精神病院や刑務所に入れて人間社会から隔離しなければならない。だから、国民は政府に従わず、政府を精神病院や刑務所の中に入れねばならないのである。
[14425] どうして昔の人はキチガイを大目[おおめ]に見ていたか? h24.3.11
キチガイは乱暴である。キチガイは心が凶暴である。
昔の人は「人間は自分の心のままに生きている。人間の心は生まれつきだからしかたがない。」と考えて、キチガイを大目に見ていたのである。そのため、昔の人はキチガイにさんざん暴行されて嫌な目にあわされても文句[もんく]を言わなかったのである。
しかし、今の人は『人間は生まれつきの心のままでは生きていくことができない。人間が人間社会で生きていくためには自分の心を“自制”(自分で制御)できねばならない。』と考えている。
だから、たとえ生まれつきの心が凶暴でも、凶暴な心を自分で克服しておとなしくしなければならないのである。
それが現代における『人間の条件』である。
政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は、キチガイの心をむき出しにしていて自制のかけらもなく『人間の条件』を満足していない。
だから、現代社会では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は許されないのである。
今では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は“自分の心を自制できない欠陥者”だと見なされて、人間社会から排除されるようになっているのである。
昔の人と今の人では人生観が違う。昔の人は自制をしなかった。今の人は自制をしている。だから、昔の社会では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が許されていたが、今の社会では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が許されなくなったのである。
[14426] 政府が国民から税金を取りたければ暴力を使わなければならない。 h24.3.11
これまで政府が国民から税金を取れたのは、政府が暴力を使って国民から無理やり税金を取っていたからである。
だから、政府が国民から税金を取るためには、政府は暴力を使って国民から取らねばならない。
しかし、今の社会には法律がある。
だから、たとえ政府といえども法律を犯すことはできない。
たとえ政府でも暴力を使うことはできない。
だから、政府は国民から税金を取ることができないのである。だから、実際に、今の国民のかなりが政府に税金を払っていなくて、政府は国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れているのである。今の暴力団や宗教団体が潰れているように、政府も潰れているのである。[政府は自分にとって都合の悪い情報を隠しているから、国民が自分で考えて見つけなければならない。]
政府が国民から税金を取りたければ、人類の文明が衰[おとろ]えて法律がなくなるまで待たねばならない。
[14427] 暴力団体の時代は終わった。☆ h24.3.11
政府や幕府などの政治団体は暴力団体である。暴力団や宗教団体も暴力団体である。
これまで暴力団体は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令して国民からお金を取ったり国民が嫌がることをしてきた。
ところが、今は法律がある社会になっている。今では法律を犯す者は精神異常者(脳に病気がある人)だと考えられて、精神異常者は捕[つか]まえられて檻[おり]に入れられて人間社会の外に出されるようになっている。今の社会では、精神異常者は“キチガイ狩り”で始末[しまつ]されるようになっている。[逆に、精神異常者は犯罪者予備軍だと考えられている。つまり、犯罪を犯す前の犯罪者だと考えられている。だから、精神異常者は犯罪を犯す前になるべく早く入院させたほうがいい。檻に入れたほうがいい。]
だから、暴力団体は暴力を使えない。
だから、暴力団体は取り柄[とりえ]がない。暴力団体は何もできない。今の暴力団体は“暴力を使えない暴力団体”であって、何もできない木偶[でく]の坊である。
したがって、暴力団体は国民に何も命令できず、国民からお金を取れず、潰[つぶ]れるしかない。例えば、今の社会では、政府に税金を払わない国民よりも、暴力を使って国民から無理やり税金を取る政府のほうが悪いと思われる。だから、政府は国民から税金を取れないのである。
文明社会では科学が発達している。科学が発達すると、医学や法律によって精神異常者が正常者から区別されるようになる。精神異常者が捕獲[ほかく]されて檻[おり]に入れられて人間社会から隔離されるようになる。暴力団体は精神異常者の団体である。文明社会では暴力団体は檻に入れられる。暴力団体の時代は終わったのだ。
[14428] 暴力団体はなぜ暴力を使うのか? h24.3.11
暴力団体が暴力を使うのは、暴力団体が気が狂っているからである。暴力団体が『脳の病気』だからである。
昔の人々は暴力団体が暴力を使う理由がわからなかった。そのために、暴力団体が自由に暴力を使うことができた。暴力団体が暴力を使って国民を好き放題にして国民を支配していた。国民は暴力団体に好き放題にされて生き地獄だった。
しかし、今の人々は暴力団が暴力を使う理由がわかっている。つまり、暴力団体は『脳の病気』のせいで心の働きが狂っていて性格が凶暴になっているから暴力を使うのである。そのために、暴力を使った者は『脳の病気』がある者とされて檻[おり]に入れられて人間社会の外に出されて隔離されるようになった。そのため、暴力団体が暴力を使うことができなくなった。暴力団体が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなった。国民は暴力団体に好き放題にされなくなって自由になった。
昔の人々にとっては暴力団体は「暴力で支配する者」であり恐怖の対象だった。昔はみんなが暴力団体を恐れて暴力団体に従っていた。今の人々にとっては暴力団体は『脳の病気の人』であり笑い者である。今では暴力団体はみんなに馬鹿にされて軽蔑されている。今では誰も暴力団体に従わない。暴力団体がいくらかっこつけても、しょせんは『脳の病気の人』である。みんなの笑い者である。
国民はみんなで楽しくやっているのに、暴力団体はいつもひとりだけふてくされた顔をして他人を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりしてみんなの嫌われ者である。暴力団体は『脳の病気』があるために他人を憎[にく]んで暴力をふることしかできないかわいそうな人である。気の毒な人である。だから、みんなは暴力団体を憎むよりも哀[あわ]れんでやらねばならない。
昔に“脳の病気を治す薬”があれば暴力団体は出来なかった。みんなが自由に平和に平等に暮らせていた。今でも脳の病気を治す薬はない。早く脳の病気を治す薬を作って、この世から暴力団体をなくさなければならない。
人間には脳がある。脳があるから脳の病気がある。脳の病気があるから暴力団体が出来る。動物には脳がないから、脳の病気もなく、暴力団体もない。人間に脳がなければ暴力団体は出来なかった。人間には脳の病気が付き物だ。人間社会には暴力団体が付き物だ。早くこの世から脳の病気をなくさなければならない。暴力団体をなくさねばならない。
[14429] 乱暴者は脳の先天的異常である。 h24.3.12
人間には性格の違いがある。乱暴者とおとなしい者の違いがある。
普通の人はおとなしい者で、たまに乱暴者(凶暴な心を持った者)が現れる。
乱暴者は生まれつきである。乱暴者は脳の先天的異常である。遺伝子の異常である。[脳の後天的異常は精神病であって、乱暴者とは別である。乱暴者とは、子供の頃から近所の犬や猫を捕[つか]まえてきて家の中で解剖[かいぼう]して喜んでいるような者である。生まれつき残酷[ざんこく]な心が発達している者である。世の中には、そういう“変わった人間”がいるのである。この世には普通の人の想像を超える“心の醜[みにく]い者”がいるのである。]
乱暴者は数百人に一人必ず現れるものである。
昔は乱暴者が普通の人と同じだとされていたから、乱暴者とおとなしい者が同じひとつの社会の中で同居していた。そのために、乱暴者がおとなしい者に暴力をふって好き放題にして、乱暴者がおとなしい者を支配していた。
しかし、今では乱暴者が脳の先天的異常とされているから、乱暴者は脳のカタワだから、乱暴物を檻[おり]の中に入れて人間社会から隔離するのが適切だとされている。
しかしながら、いまだに政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は普通の人間と同居している。だから、社会がうまくいかないのである。
早く政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体を檻の中に入れて人間と隔離して、人間にとって暮らしやすい社会を作らねばならない。[[14418]の図を参照。]
日本は文明が遅れているから、いまだに政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が普通の人間と同居しているのである。日本は先進国にはまだ遠い。国民は暴力団体を恐[こわ]がらずに、乱暴者を脳の先天的異常者だと考えて、乱暴者の遺伝子を根絶[こんぜつ]して、早く乱暴者をこの世から絶滅させなければならない。
これまでは乱暴者の“捨て場所”がなかったから、しかたなく人間社会の中に政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体を設[もう]けてその中に乱暴者を捨てていたのである。しかし、そのせいで国民は暴力団体に暴力をふられて嫌な目にあわされてきた。そもそも政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は人間社会の“除[の]け者”である。要らない人間が集まって作った団体である。しかし、それらの団体が凶暴であったために、逆に人間を支配してしまったのだ。これからは、人間社会の外にある精神病院や刑務所の檻[おり]の中にちゃんと乱暴者を捨てるようにしなければならない。
ヨーロッパでは昔から国民みんなで協力して『優秀な人間』を作るための取り組みをしてきた。だから、今ではヨーロッパ人が世界で一番優秀な人間なのである。日本もヨーロッパを見習って、優秀な人間を作るための取り組みをしなければならない。「劣悪な人間」を絶[た]やすための取り組みをしなければならない。優生学や遺伝子操作を使って乱暴者が生まれて来ないようにして、暴力団体を早くこの世からなくさなければならない。そうすれば、人間みんなが幸福に生きていける社会が出来るのである。
[14430] 政府が国民に命令したければ暴力を使わねばならない。 h24.3.12
これまで政府が国民に命令できたのは、政府が国民を暴力で脅[おど]していたからである。
ところが、今では『暴力で脅すのはいけないことだ』とされていて、政府が国民を暴力で脅せなくなっている。
だから、政府は国民に命令できない。つまり、国民は政府に従わなくてもかまわない。
政府は暴力団体である。暴力団体が暴力を使えなくなったらおしまいである。だから、政府はおしまいである。
昔はみんなが『この世にキチガイ(精神異常者)がいる』ことを知らなかった。だから、キチガイも人間も平等だった。だから、キチガイが暴力を使って人間を支配することができた。
今はみんなが『この世にキチガイがいる』ことを知っている。キチガイは脳の病気だと考えられている。だから、キチガイは人間よりも下である。だから、キチガイは檻の中に入れられて暴力が使えなくなって人間を支配できなくなったのである。
今の政府は国民に命令できない。今では国民は政府に従わずに、自由に暮らせばいいのである。
[14431] 法律は要らない。 h24.3.12
普通の人間はおとなしい性格である。この世におとなしい人間しかいなければ、法律なんかなくても社会はうまくいく。みんなが平等に平和に幸福に暮らすことができる。
ところが、この世にはキチガイ(先天性凶暴性格者)がいる。生まれつき心が残酷[ざんこく]な者がいる。必ず数百人に一人はキチガイが生まれて来る。この世にキチガイがいるために、人間社会がうまくいかなくなる。人間社会が台無[だいな]しになる。
キチガイと人間は見かけは同じである。ただ、心が違うだけである。脳の構造が違うだけである。
昔はキチガイと人間が区別されていなかったから、キチガイと人間がいっしょに暮らしていた。そのため、キチガイが人間に暴力をふって人間を好き放題にして人間よりも上の者となって人間を支配していた。つまり、キチガイがいるために、キチガイが人間よりも上の者になってしまったために、社会が不平等だったのである。
今はキチガイと人間が区別されているから、キチガイと人間を分けて暮らすようになっている。キチガイを檻[おり]の中に入れて人間社会から隔離するようになっている。そのため、キチガイが人間に暴力がふれなくなって人間を好き放題にできなくなって人間よりも上の者になれなくなって人間を支配することができなくなったのである。つまり、社会からキチガイがいなくなったために、社会が平等になったのである。
つまり、人間社会をうまくいかせるためには、キチガイと人間を分けて別々に暮らすようにさせればよかったのである。[[14418]の図を参照。]
キチガイと人間は見た目が同じである。しかし、キチガイは性格が凶暴なために暴力を使うから、暴力を使う者をキチガイだと考えて、暴力を使う者を檻[おり]に入れて人間社会から外に出せばいいのである。
暴力のない社会はキチガイのいない社会である。キチガイのいない社会を作るためには暴力のない社会を作ればいいのである。
法律を作ることよりも、キチガイのいない社会を作ることのほうが大事である。ルソーは法律を作れば社会がうまくいくと考えたが、キチガイは法律を破るから法律があっても何にもならない。[例えば、政府は今でも国民から税金を取っている。税金は法律違反である。暴力団や宗教団体は国民からお金を取るのをやめたのに、政府は今でも税金を取っている。だから、政府のほうが暴力団や宗教団体よりもキチガイである。暴力団や宗教団体のほうが政府よりもモラルがある。]キチガイがいるかぎり社会はうまくいかない。法律はキチガイを発見するためのひとつの手段にすぎない。精神医学や法律によってキチガイを発見して、キチガイを檻の中に入れて人間社会から隔離することによって、はじめて社会がうまくいくようになるのである。社会にキチガイさえいなければ、たとえ法律がなくても社会はうまくいくのである。法律なんか要らないのである。法律なんかどうでもいい。要するに、キチガイのいない人間だけの社会にすればいいのである。ルソーは本質を捉[とら]えていなかったので、フランスではフランス革命後も政府が残ってしまったのだ。ルソーはこの世にキチガイがいることを知らなかったから、遺伝子の異常でキチガイが現れることを知らなかったから問題が完全に解決されなかったのだ。
法律なんかどうでもいい。民主主義も社会契約も政治機関もどうでもいい。『人間の平等性』もどうでもいい。法律会社は要らない。国会も警察も裁判所も要らない。要するに、キチガイがいなければいいだけである。低い確率でキチガイが生まれてくることが問題である。それは今後も変わらないだろう。キチガイを上手に処理することができれば人間は幸福に暮らすことができる。そのための研究は今後も続けねばならない。
[14432] どうして最近戦争がなくなったか? h24.3.12
政府は暴力団体である。人殺しが好きな団体である。だから、これまで政府は国民に命令して戦争をやらせて国民を殺して喜んでいたのである。
ところが、最近世界中で戦争がない。
それは、国民が政府をキチガイだと思って、政府の命令を聞かなくなったからである。
今では『政府がキチガイである』ことは常識だから、国民は政府の命令を聞かなくていいのである。
キチガイは他人に命令する資格はない。国民はキチガイの命令に従わなくていい。だから、国民は政府の命令で税金や軍事や国家宗教などをやらなくていいのである。
政府はキチガイだから、政府は残酷性が強いだけの馬鹿だから、政府は生きている価値がないから、国民は早く政府を殺してやればいいのである。
[14433] どうしてドイツと日本だけが政府が強かったのか? h24.3.12
世界大戦の頃はドイツと日本だけが特に政府が強かった。そのため、世界大戦の時にはドイツと日本では国民が政府に戦争をやらされて嫌な目にあわされた。
ドイツと日本で政府が強かったのは、ドイツや日本ではキチガイ(先天性凶暴性格者)が生まれやすいからである。ドイツ民族や日本民族はキチガイの生まれやすい民族だからである。民族の遺伝子のせいで、ドイツや日本ではキチガイが生まれやすいのである。
もっとも、ドイツや日本でも人々の大半はおとなしい善[い]い人である。少数のキチガイが悪いだけである。
ドイツや日本以外の国でもキチガイは生まれる。ドイツや日本ではキチガイが生まれる確率が高いだけである。ドイツや日本では強度のキチガイが生まれるだけである。
“キチガイ問題”(キチガイが生まれてくる問題)は世界中の問題である。人類は早くキチガイ問題を解決しなければならない。
[14434] どうして戦後日本政府の力が衰えたのか? h24.3.12
世界大戦後、アメリカ軍が日本にやってきて、日本政府のキチガイを皆殺しにしたからである。
それで、戦後一時[いっとき]の間は、日本政府はおとなしい善[い]い人ばかりだったから、日本がうまくいっていたのである。日本は幸せな国だったのである。
ところが、一世代経[た]って、アメリカの占領軍が日本から撤退する頃になると、再びキチガイがたくさんいるようになった。それで、再びキチガイが日本政府に集まって国民の虐待[ぎゃくたい]をやるようになったのである。キチガイはあとからあとからいくらでも生まれてくるので、日本政府は人材の不足に困ることがないのである。
年々日本政府の力は強まってきている。政府による国民の虐待はますます増加している。このままでは日本がキチガイの支配する国になる。国民はキチガイに面白くない目にあわされる。
政府はキチガイの溜[た]まり場である。政府はキチガイが国民を虐[いじ]めて遊ぶためのゲームセンターである。日本に政府があってはならない。国民は早く政府を倒して、日本を政府のない国にしなければならない。
このまま国民が政府のキチガイを放置し続けていたら、そのうちキチガイが強気[つよき]になって、再びキチガイが国民に暴力をふって国民がキチガイの言いなりにされることになる。いくら国民がキチガイと関わるのが嫌だからといって、キチガイの言いなりにされるのはもっと嫌である。だから、国民は勇気を出してキチガイと関わってキチガイを檻[おり]の中に入れてキチガイを人間社会から一掃[いっそう]しなければならない。
自分を幸福にする者が幸福になれる。自分を幸福にしない者は幸福にはなれない。だから、国民は自分を幸福にするために、政府を倒さねばならない。
[14435] 政府は暴力団体である。 h24.3.12
会社の中では客からお金を取る部署[ぶしょ]が一番偉い。
だから、政府の中では国民から税金を取る機関が一番偉い。
ところで、政府の中の国民から税金を取る機関は暴力団体である。政府は普通の会社と違って、暴力団体が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取るのである。
つまり、政府の中では暴力団体が偉い。
だから、政府は暴力団体である。
政府は、国民を暴力で脅して国民からお金を取ったり国民に嫌がらせをしたりする暴力団体に、暴力団体の持ち会社がいくつか付いているだけである。例えば、法律会社(国会や警察)や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などが付いているだけである。[国民みんながおとなしい善[い]い人であれば法律会社は要らないし、日本は水が豊富だから水道会社も要らないし、ゴミはそこら辺に捨てればゴミ会社も要らないし、自分で勉強すれば学校会社は要らない。政府の持ち会社は国民の役に立たない会社ばかりである。だから、暴力団体ごと政府全部がなくなっても国民は困らない。だから、国民は心置きなく政府丸ごと葬[ほうむ]り去ればいいのである。]
しかし、今の社会では暴力が使えない。今の社会では暴力を使う者はキチガイだと見なされて檻[おり]の中に入れられて人間社会の外に排除されるから、暴力が使えないのである。だから、政府の暴力団体は国民からお金を取れない。したがって、政府は収入がないから潰[つぶ]れるしかない。政府はいつまでも暴力団体の面子[めんつ]にこだわらずに、早く普通の会社と同じように国民と契約を取って国民からお金をもらわねばならない。
[14436] どうして今の社会には法律があるのか? h24.3.12
昔の人は『脳の病気』があることを知らなかった。だから、キチガイと人間の区別がなかった。昔はみんながやりたい放題だった。だから、法律がなかったのである。たとえ法律があっても、実際には無効だった。キチガイは人間に自由に暴力をふって人間を支配した。そのため、昔はキチガイの天下だった。
今の人は『脳の病気』があることを知っている。だから、キチガイと人間の区別がある。脳の病気があるのがキチガイで、脳の病気がないのが人間である。キチガイと人間を社会的に区別するために法律が出来たのである。今ではキチガイは『脳の病人』だと考えられて檻[おり]の中に入れられて人間社会から隔離される。そのため、今では人間の天下になったのだ。[悪いのはキチガイではなく、脳の病気である。キチガイには責任はないから、キチガイは檻の中で楽しくやればいい。もっとも、キチガイにとっては人殺しが唯一[ゆいいつ]の楽しみだから、檻の中で楽しくやるのはおそらく無理だろう。]
キチガイと人間の区別がなければ法律はない。キチガイと人間の区別があるから法律がある。
文明社会では、みんなが脳の病気があることを知っているから法律があるのである。反対に、未開社会では、みんなが脳の病気があることを知らないから法律がないのである。
[14437] どうして最近まで法律はあってなきものだったのか? h24.3.12
最近まで日本では、人間は自分の心のままに生きていればよかった。だから、暴力団体が好き放題しまくって国中がメチャクチャだった。
しかし、最近になって心には病気があることがわかった。脳の病気のために生まれつき心が凶暴な者がいることがわかった。
そのために、心が健康な者は心のままに生きればいいが、心が病気の者は社会から隔離しなければならなくなった。
心が健康な者と心が病気の者を識別するために法律が使われるようになった。
だから、最近は法律が有効になったのである。最近は法律のある社会になったのである。
これまでは、法律は無効だった。たとえ法律があってもみんなで法律を無視していた。最近までは法律はあってなきものだった。
今では法律のある社会になった。法律のある社会では暴力は使えない。だから、暴力団体は暴力が使えない。暴力団体は何もできない。国民は暴力団体に従う必要はない。だから、今では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民からお金が取れなくなって滅んでいるのだ。
[14438] どうして最近まで法律はあってなきものだったのか?(その2) h24.3.13
最近まで日本では、「人間は自分の心のままに生きていればいい」と考えられていた。
だから、みんなは法律を無視していた。
だから、これまで日本では法律はあってなきものだったのである。
乱暴者は乱暴に生き、おとなしい者はおとなしく生きていた。だから、乱暴者がおとなしい者を支配する世の中だったのである。
しかし、最近になって人々の考えが大きく変わった。
最近の日本では、『人間は実在に従って生きていかねばならない』と考えられるようになった。
法律は、人間が社会の中で生きていくために守らなければならない決まりである。
だから、みんなは法律を守るようになったのである。
だから、今の日本では法律があるようになったのである。
今では、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体もきちんと法律を守るようになった。暴力を使わなくなった。
暴力団体が暴力を使わなくなったら、もはや何もできない。だから、最近の国民は、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体をなめて従わなくなっている。
法律がある世の中になったら、暴力団体はもはやおしまいである。だから、最近は暴力団体は仕事を変えて、普通の会社になっているのである。暴力団体は真面目[まじめ]に法律を守って、みんなと同じになっているのである。
つまり、昔の人は心主義だった。今の人は知覚主義になっている。だから、人間社会の様子[ようす]も昔と今とで変わっているのである。
[14439] 昔と今では人々の思想が違う。 h24.3.13
昔の人は人間は自分の心のままに生きていけばいいと思っていた。
人間の生まれつきの心は変えられないからしかたがないと思っていた。
たから、昔は悪人(生まれつき悪い心を持った者)が自由に悪いことをやっていた。善人は自由に善[い]いことをやっていた。悪人が善人を暴力で脅[おど]してお金を取ったり嫌がらせをしたりして有利に生きていた。政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民を暴力で脅して国民からお金を取って有利に生きていた。昔は法律のない社会だったのである。
もっとも、凶悪すぎる場合は死刑になった。
しかし、今の人は人間は自分の心のままに生きていけばいいと思っていない。
悪人が善人に比べて一方的に有利に生きていけることに納得していない。
だから、今ではみんながきちんと法律を守るようになったのである。
国民も政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体もみんながお行儀[ぎょうぎ]よく法律を守るようになった。今では法律のある社会になったのである。
だから、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民からお金が取れなくなって滅んでいるのだ。
昔と今では人々の思想が違うのだ。昔の人は心主義だったが、今の人は知覚主義なのだ。昔の人は自然主義だったが、今の人は人工主義なのだ。昔の人は心のままに自由に暮らせばいいと思っていたが、今の人は知覚で心をコントロールしなければならないと思っている。昔の人はストレス(知覚と心の矛盾)もなく幸福に暮らしていた。今の人はストレスに苦しめられて不幸に暮らしている。
最近は人々の暮らしの中にコンピューターがたくさん入ってきた。コンピューターには心がない。だから、人間もコンピューターを真似[まね]て心がないようになったのだ。
[14440] 今の人々は『合理主義』である。☆ h24.3.13
政府は暴力団や宗教団体と同じように国民から税金を取って経営している。
国民の役に立つ会社が税金で経営するわけがない。
政府は暴力団体である。政府は犯罪組織である。
政府は国民を暴力で脅[おど]して国民から税金を取って国民に軍事や国家宗教などで嫌がらせをしている。政府の持ち会社(法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社など)が少しだけ国民の役に立つことをやっているにすぎない。
ところが、今の人々は『合理主義』(つまり知覚主義)になっている。そのために、今では法律のある社会になっている。
だから、暴力団体は暴力を使えない。暴力団体は国民に対して何もできない。
だから、今では政府は国民から税金が取れなくなって潰[つぶ]れているのである。政府は国民に軍事や国家宗教をやらせられなくなって、世界中から戦争や国家宗教がなくなっているのである。
[14441] 日本は民主主義の国である。☆ h24.3.13
国会は毎日テレビや新聞で民主主義をやっている。
国民は国会を真似[まね]て民主主義をやっている。
民主主義は多数決である。
ところが、日本では乱暴者よりもおとなしい者のほうが多い。
だから、日本は“おとなしい者主義”の国である。
だから、最近の日本では暴力を使う乱暴者を人間社会から排除するようになったのである。
国民が暴力団体の政府に従わなくなって、政府を滅ぼしているのである。
最近の日本ではようやく民主主義が浸透して様[さま]になってきたのである。
[14442] 政府の法律は嘘[うそ]である。☆ h24.3.13
政府は暴力団体である。
政府は自分勝手に「宗教の自由」(第20条)や「納税の義務」(第30条)や「服従の義務」(裏の法律)を定めて“嘘の法律”を作っていた。
政府は国民を暴力で脅[おど]して“嘘の法律”を国民に押し付けていたのである。
しかし、最近は日本が合理主義や民主主義になったために、日本では暴力が使えなくなっている。[もっとも、今の社会でも暴力をふること自体はできる。ただし、今では暴力をふれば有罪になる。今の社会では暴力はいけないことだとされている。反対に、昔は暴力をふっても無罪だった。昔の社会では暴力はいいことだとされていた。]
だから、政府は国民に“嘘の法律”を押し付けることができなくなっている。
だから、最近の国民は政府の“嘘の法律”を守らなくなって、政府に税金を払わなくなって、政府が潰[つぶ]れているのである。
[14443] 国民が国を作る。☆ h24.3.13
国を作るのは国民であって、政府や幕府ではない。
昔の国民は心主義や君主主義だった。そのために、暴力団体(政府や暴力団や宗教団体)が国民を支配していた。
今の国民は合理主義(知覚主義)や民主主義である。そのために、暴力団体が国民を支配できなくなっている。
いつの時代でも国を作るのは国民である。国民の思想が国を決めるのだ。
だから、今の国民は暴力団体を恐れず、暴力団体に従わず、暴力団体を倒せばいいのである。
[14444] 政府は民主主義の政治機関ではない。☆ h24.3.13
政府は暴力団体である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民を従わせる団体である。
政府は自分が民主主義の政治機関だという嘘[うそ] をついていた。
政府は国民を暴力で脅して国民に「政府が民主主義の政治機関である」という嘘を押し付けていた。
だから、昔の日本では、政府が民主主義の政治機関で通っていたのである。
ところが、今の日本は合理主義(知覚主義)や民主主義になったために、暴力が使えなくなっている。
だから、政府は国民を暴力で脅して国民に「政府が民主主義の政治機関である」という嘘を押し付けることができなくなっている。
だから、今の日本では、政府は民主主義の政治機関ではなくなって、暴力団体になったのである。今の政府は暴力で国民に嘘を押し付けることができないから、国民は本当のことを言えばいいのである。
政府は暴力団体である。しかし、今の日本では暴力が使えないから、政府は国民を暴力で従わせることができないから、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[14445] 今では国民は政府に従わなくてもよくなっている。 h24.3.13
政府は暴力団体である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民を従わせる団体である。政府は民主主義団体のふりをしている暴力団体である。政府は偽善者である。
ところが、今の社会では暴力が使えなくなっている。今の社会は合理主義や民主主義のために暴力が使えなくなっている。
だから、政府は暴力が使えなくなって、国民を支配できなくなっている。
今では、国民は政府に従わなくてもよくなっている。
だから、国民は政府に税金を払わずに自分のお小遣[こづか]いにして、政府の命令を無視して聞かなければいいのである。
[14446] 昔と今では“人間の質”が違う。 h24.3.13
昔の人は不合理主義だった。昔の人は暴力を使ってもいいと思っていた。だから、暴力団体が暴力で国民を支配できた。
今の人は合理主義である。今の人は暴力を使ってはいけないと思っている。だから、暴力団体が暴力で国民を支配できなくなった。
昔と今では“人間の質”が変わった。昔は文明がなかったから、人間が頭(知覚)で生きていなかったから、人間が心で生きていたから、乱暴者が乱暴でもよかったから、暴力がいいことだと考えられていた。だから、昔の社会では自由に暴力が使えた。反対に、今は文明があるから、人間が頭で生きているから、人間が心で生きていけなくなったから、乱暴者が乱暴ではいけなくなったから、暴力がいけないことだと考えられるようになった。だから、今の社会では暴力が使えなくなったのだ。
社会が文明的になると、“人間の質”が変わって、暴力がいけないことになるのだ。文明社会では、心理的に暴力がいけないことだと思われて暴力が使えなくなるのだ。
今の世の中は合理主義である。合理主義の世の中では暴力が使えない。だから、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が暴力を使えなくなって国民からお金を取れなくなって滅んでいるのだ。
早く人間みんなが平等に暮らせる社会を作らねばならない。
[14447] 法律はどうでもいい。 h24.3.13
昔も法律があった。しかし、昔は文明がなかったので、暴力を使ってもよかったので、法律を破ってもよかった。だから、実際には、法律はあってなきものだった。昔は暴力をふる者が人々を好き放題にして人々を支配していた。
今も法律がある。今では文明があるので、暴力を使ってはいけないので、法律を破ってはいけなくなった。だから、今では法律が守られている。今では暴力をふった者は檻[おり]の中に入れられて人間社会の外に出されることになっている。
つまり、法律はどうでもいいのである。文明が大事なのである。
法律では暴力を止[と]められない。文明が暴力を止めることができるのだ。
最近は文明があるので、暴力が使えなくなったので、暴力団体(政府や暴力団や宗教団体)は滅んでいる。今頃[いまごろ]になってようやく新しい時代が到来[とうらい]したのだ。国民は暴力団体を無視して生きていけばいいのだ。やっと日本も文明国の仲間入りができたのだ。
文明があるかないかは程度の問題なので曖昧[あいまい]である。しかし、今の社会では暴力が使えなくなっていることは事実である。だから、今の社会には十分文明があると考えられる。したがって、暴力団体は暴力が使えない。暴力団体にとっては暴力を使うことが仕事だから、暴力団体が暴力を使えなくなったら仕事ができない。暴力団体はお金を稼[かせ]ぐことができない。だから、今では暴力団体が滅んでいるのだ。
[14448] 今の政府の立場 h24.3.13
政府は暴力団体である。政府は暴力を使って国民からお金(税金)を取ることが仕事である。
ところが、今の社会では暴力が使えなくなっている。今の社会は文明的になって、人間が頭で生きるようになって、心で生きていけなくなったので、乱暴者が乱暴ではいけなくなったので、暴力が使えなくなったのである。
だから、今の社会では、政府は国民からお金を取れずに滅ぶしかない。
そこで、今の政府は国民との共生を図[はか]って何とか生き延びようとやっきになっている。政府はテレビや新聞で明るいふりをして国民と仲がいいふりをして必死になって国民からお金をもらって生き残ろうとしている。日本のテレビドラマやアニメに“政府と国民が最後に仲良くなる話”が多いのも、政府が国民との共生を図ろうとしていることの表れである。(私が知っている限りでは、『もりもりぼっくん』や『超時空要塞マクロス』や『ドラゴンボールZ』や『魔法少女プリティサミー』などがその手の話である。)
しかし、政府は暴力団体である。政府がいくら明るいふりをしても、政府はしょせん暴力団体である。暴力団体が暴力を使えなくなったらおしまいである。政府は国民からどうやってもお金を取れない。だから、国民は政府にお金をやらずに政府を見殺しにすればいいのである。政府が死んだあとで、国民が自分にとって都合のいい会社を建てればいいのである。
今の政府は乞食[こじき]である。今の政府は暴力が使えない暴力団体であり、ただの乞食にすぎない。だから、国民はそんな哀[あわ]れな乞食をさっさと見捨てて、自分で自分の役に立つ会社を建てたほうがいい。
[14449] 政府は今の日本に似合[にあ]わない。 h24.3.13
政府は暴力団体である。政府は国民に暴力をふって国民よりも上の者となって国民を支配していた。
昔の日本は田舎[いなか]の国でオンボロ臭[くさ]かったから、暴力をふってもよかった。そのため、暴力団体の政府が国民を支配して威張[いば]っていたのである。
今の日本は都会っぽくなって上品になったから、暴力をふってはいけなくなった。そのために、暴力団体の政府が国民を支配できなくなった。
政府は昔に流行[はや]った暴力を使って国民からお金を取って稼[かせ]ぐ田舎の会社である。今の日本には政府は似合わない。だから、政府は消えるしかない。
暴力は野蛮である。文明国には暴力は似合わない。政府は暴力で稼[かせ]ぐ会社である。文明国では暴力は使えない。だから、文明国では政府はお金を稼げない。したがって、文明国では政府は滅びるしかない。
政府は暴力を使ってお金を稼ぐ野蛮な会社である。文明と暴力は相容[あいい]れない。だから、文明国では政府は滅ばざるを得ない。文明が政府を滅ぼしたのだ。
[14450] どうして文明国では暴力を使ってはいけないのか?☆ h24.3.13
馬鹿は乱暴である。反対に、利口はおとなしい。知覚と心の間には相関がある。
野蛮国では馬鹿が多く、利口が少ない。つまり、野蛮国では乱暴者が多く、おとなしい者が少ない。だから、野蛮国では多数決で暴力を使ってもいいのである。
反対に、文明国では利口が多く、馬鹿が少ない。つまり、文明国ではおとなしい者が多く、乱暴者が少ない。だから、文明国では多数決で暴力を使ってはいけないのである。
国の文明が発達すると、利口が増えて、馬鹿が減る。つまり、おとなしい者が増えて、乱暴者が減る。だから、多数決で暴力を使ってはいけなくなるのである。つまり、文明国では暴力を使ってはいけないことになるのである。
今の日本は文明国になったので、乱暴者が減ったので、多数決によって暴力を使ってはいけないことに決まったのである。
今の日本では“暴力よりも軽い犯罪”しか犯せない。それでは、暴力団体は国民を支配できない。だから、国民は暴力団体に従わず、暴力団体を倒せばいいのである。
[14451] どうして文明国では暴力を使ってはいけないのか?(その2)☆ h24.3.13
馬鹿は乱暴である。反対に、利口はおとなしい。
野蛮国ではみんな(ほぼ全員)が馬鹿である。みんなが乱暴である。だから、みんなが暴力ぐらい使ってもいいと思っている。だから、多数決で暴力を使ってもいいことになるのである。野蛮国ではみんなが乱暴だが、特に乱暴な者が他の者を支配している。だから、支配する者と支配される者の違いが出来るのである。[ホッブスとルソーの自然状態の折衷[せっちゅう]だ。]
反対に、文明国ではみんな(ほぼ全員)が利口である。みんながおとなしい。だから、みんなが暴力を使ってはいけないと思っている。だから、多数決で暴力を使ってはいけないことになるのである。つまり、文明国では暴力を使ってはいけないのである。つまり、文明国では暴力を使った者は檻[おり]に入れられて人間社会から排除されるのである。文明国では暴力が使えないから、もはや支配者が生まれない。支配する者と支配される者の違いがない。だから、文明国ではみんなが平等なのである。
今の日本は文明国である。だから、今の日本では暴力を使ってはいけない。だから、今の日本では暴力団体が暴力が使えなくなって国民に命令できなくなって国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れているのである。
そもそも今の日本は文明国になって、馬鹿がいなくなって、乱暴者が絶滅寸前である。暴力団体も“成り手”がいなくなって潰れているのである。暴力団体も“いい人材”がいなくなって潰れているのである。つまり、文明国では暴力団体は自然に潰れるものなのである。だから、今後の日本の文明水準を維持し高めることが大事である。
[14452] どうして暴力団体の人数は横ばいなのか? h24.3.13
現在の日本では、暴力団体の人数(つまり政府と暴力団と宗教団体の人数の合計)は横ばいである。
それは、“先天的に凶暴な性格の者”が一定の確率で生まれてくるからである。
そのため、“先天的に凶暴な性格の者”はつねに一定数いるから、暴力団体の人数はいつまでたっても減らずに横ばい状態なのである。そのために、暴力団体があいかわらず密[ひそ]かに国民を殺して喜んでいるのである。
今後、優生学や遺伝子操作などによって、“先天的に凶暴な性格の者”を減らさなければならない。そうすれば、日本から暴力団体を完全になくすことができるだろう。日本では暴力団体が国民を殺すことがなくなるだろう。
[14453] 今の暴力団体は無力である。 h24.3.14
政府や暴力団や宗教団体は暴力団体である。
暴力団体は暴力を使って国民からお金を取って国民に嫌がらせをする団体である。
人間の中には遺伝子の異常で“生まれつき凶暴な性格の者”(つまり、生まれつき脳がおかしい者)がいるので、そういう者が集まって暴力団体を作ったのである。政府に入れなかった“生まれつき凶暴な性格の者”が暴力団や宗教団体を作ったのである。“生まれつき凶暴な性格の者”は普通の人間とは性格的に馴染[なじ]めないので、自分たちで暴力団体を作って活動しているのである。
ところが、今の社会は文明的になったので、今の社会では暴力が使えない。[[14451]を参照。]
今の暴力団体は人前で暴力が使えない。
今の暴力団体は隠れて密[ひそ]かに国家宗教などで人殺しをしているだけである。
今の暴力団体は国民を支配することができない。今の暴力団体は空威張[からいば]り馬鹿である。
だから、今の国民は暴力団体に従わなくてもかまわない。
今の国民は暴力団体にお金をやらずに倒せばいいのである。
そもそも“生まれつき凶暴な性格の者”を人間と同居させているのがいけない。同居させているから、暴力団体が国民を隠れて密かに殺しているのである。“生まれつき凶暴な性格の者”を識別する方法を早く確立して、“生まれつき凶暴な性格の者”が犯罪を犯す前に“生まれつき凶暴な性格の者”を檻[おり]の中に入れて社会から隔離すべきである。[[14418]の図を参照。]
将来、医学が進めば、“生まれつき凶暴な性格の者”が生まれてこないようにできるだろう。そうすれば、暴力団体はこの世からなくなるだろう。
[14454] 国民は政府に税金をやってはいけない。 h24.3.14
政府は精神異常者の会である。この世には“生まれつき凶暴な性格の者”がいるので、そういう者が集まって政府を作ったのである。政府は人殺しをするのが3度のメシより好きな連中である。
昔の社会は野蛮だったので昔の社会では人前で暴力が堂々と使えたから、政府は国民の眼の前で暴力を使って国民からお金を取って国民に嫌がらせをして国民を支配していた。
しかし、今の社会は文明的になったので今の社会では人前で暴力が使えないから、政府は隠れて密かに国家宗教などで国民を殺して喜んでいるのである。
国民が政府にお金(税金)をやることは、精神異常者の会に人殺しのための活動資金を提供することである。
精神異常者の会は国民にとって危険だから潰[つぶ]さなければならない。そのためには、国民は政府にお金(税金)をやってはならない。
政府の持ち会社は自分で働いて食べていくだけの力があるので、国民から税金をもらえなくなっても困らないだろう。だから、国民は政府に税金をやらなければいいのである。
[14455] 文明社会の中では暴力団体は生きられない。 h24.3.14
政府や暴力団や宗教団体は暴力団体である。国民に暴力をふって国民を意のままにして国民を支配する団体である。暴力団体は遺伝子の異常で生まれつき性格が凶暴なので、暴力をふるのである。暴力団体にとっては、人間を殺すことが喜びなのである。暴力団体は知能は普通の人間と同じかそれ以下である。
昔の社会は野蛮だったので、国民の大半が馬鹿で粗野[そや]だったので、暴力をふってもよかった。暴力をふっても檻[おり]に入らなくてよかった。だから、暴力団体が国民に暴力をふって国民を支配することができた。
今の社会は文明的なので、国民の大半が利口でおとなしくなったので、暴力をふってはいけなくなった。暴力をふると檻の中に入らねばならなくなった。だから、暴力団体が国民に暴力をふれず国民を支配できなくなった。
昔の社会と今の社会は違う。昔の社会の中では暴力団体が活動できたが、今の社会の中では暴力団体が活動できない。
暴力団体は昔も今も同じだが、人間社会は昔と今では違うのだ。
昔の社会は暴力団体向きだったが、今の社会は暴力団体向きではない。今の社会では暴力団体は滅ばねばならない。社会の進歩が暴力団体を滅ぼしたのだ。
人間は科学の力によって自然を克服してきた。人間にとって幸福な世界を作ってきた。暴力団体は自然の人間に対する攻撃である。暴力団体は癌[がん]やバイ菌と同じである。暴力団体は人間の姿をしたバイ菌である。だから、人間は科学の力で暴力団体を克服して、暴力団体のいない世界を作らねばならない。人間は知恵と勇気で自然の脅威[きょうい]に立ち向かって勝利しなければならないのだ。
[14456] 政府の仕事と遊び h24.3.14
政府は暴力団体である。
政府の仕事は、暴力を使って国民からお金(税金)を取ることである。
政府の遊びは、暴力を使って国民に軍事(戦争)や国家宗教をやらせたり、密[ひそ]かに自分で国民を国家宗教などで殺したりすることである。政府にとっては国民を嫌がらせたり殺したりすることが喜びなので、政府は国民を嫌がらせたり殺したりして遊んでいるのである。
その他[ほか]、政府は政府の持ち会社に国民から取ったお金(税金)の一部をやって仕事をさせている。
政府の取り柄[とりえ]は、暴力を使うことである。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今の社会は文明的になって、国民の大半がおとなしくなったので、多数決で暴力を使ってはいけなくなったのである。
だから、今の政府は国民から税金を取ったり、国民に軍事や国家宗教をやらせることができない。
今の政府は密かに自分で国民を国家宗教などで殺すことしかできない。
それでは、政府はお金が儲[もう]からないから潰[つぶ]れるしかない。
だから、実際に今の政府は潰れているのである。
もうすぐ政府のない時代が来る。国民は嫌な政府がいなくなって清々[せいせい]した。
[14457] 国は国民が作るものである。 h24.3.14
昔の国民は馬鹿で粗野[そや]だったので、暴力を使ってもいいと思っていたので、暴力団体が暴力をふって国民を支配していた。
今の国民は利口でおとなしくなったので、暴力を使ってはいけないと思っているので、暴力団体が暴力をふれなくなって国民を支配できなくなった。
暴力団体を生かすも殺すも国民しだいなのだ。
昔は国民がざっとしていたから暴力団体が国中にいっぱいいた。
今では国民がちゃんとしているから暴力団体がいなくなっている。
昔と今では“国民の質”が違う。国民が変われば国の様子[ようす]も変わるのだ。
『他人を直すには、まず自分から』というように、暴力団体を倒すためには、国民自身がよくならねばならなかったのだ。
[14458] 国民の総意が法律を決める。 h24.3.14
昔はみんな(国民の大半)が馬鹿で乱暴だった。みんなが暴力を使っていいと思っていた。だから、特に乱暴な者が暴力を使って並みの乱暴な者を支配したのである。そのため、特に乱暴な者が並みの乱暴な者よりも上の者だったのである。
今はみんな(国民の大半)が利口でおとなしい。みんなが暴力を使ってはいけないと思っている。だから、乱暴な者が暴力を使えなくなっておとなしい者を支配できなくなったのである。そのため、みんなが平等になったのである。
昔はみんなが暴力を使ってもいいと思っていた。だから、昔の法律では国民はみんな暴力を使ってよかった。
今はみんなが暴力を使ってはいけないと思っている。だから、今の法律では国民はみんな暴力を使ってはいけないのである。
国民の総意が法律を決めるのである。紙の上の法律は仮[かり]の法律である。国民の総意が本当の法律である。
今ではみんなが『政府は暴力団体だから、国民は政府に税金を払わずに、政府を倒せばいい』と思っている。だから、今の法律では国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
[14459] インドはどうして文明化しないのか? h24.3.14
インド政府が国民を支配できなくなるからである。
インド政府も他[た]の国の政府と同じように暴力団体である。
国が文明化されると、暴力が使えない社会になって、暴力団体が暴力を使えなくなって無力化する。
インド政府は自分が国民を支配できなくなるのが嫌なので、インドを文明化しないのである。
インド政府がインドを文明化しないのは、けっしてインドの精神主義の哲学のためではない。
インド国民はインド政府の嘘[うそ]に騙[だま]されていはいけない。
[14460] 自然状態と文明状態 h24.3.14
自然状態では、みんなが馬鹿で乱暴だった。みんなが暴力をふってもいいと思っていた。だから、特に乱暴な暴力団体が並みの乱暴な国民に暴力をふって国民を支配していた。[つまり、暴力団体も国民も乱暴だったが、暴力団体のほうが国民よりも乱暴だったのだ。]だから、暴力団体が国民よりも上の者だった。暴力団体と国民は不平等だった。
文明状態では、みんなが利口でおとなしい。みんなが暴力をふってはいけないと思っている。だから、暴力団体が暴力をふれなくなって国民を支配できなくなったのである。暴力団体がなくなって、人間はみんな平等になったのである。
国は時間が経[た]てば自然状態から文明状態に発展する。物質が固体から液体に相転移[そうてんい]するようなものだ。人間社会も物質も同じだ。
今の日本はかなり文明状態に近いところにある。政府は暴力団体である。もうすぐ日本は政府のない国になるだろう。今の政府は国民との共生を図[はか]って生き延びようとして、国民にいろんな嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]そうとしている。国民は政府の嘘に騙されずに、ひたすら政府を倒さなければならない。日本はヨーロッパみたいな国民と暴力団体が馴[な]れ合いになった汚[きたな]い国になってはいけない。政府は暴力団体だから、国民は政府をこの世から完全に葬[ほうむ]り去らねばならない。
文明状態では暴力は使えない。暴力の使えない社会に暴力団体がいてもしかたがない。使い道のない銃を持っていてもしかたがないのと同じことだ。日本人は無駄[むだ]を嫌う。だから、日本では暴力団体をなくさなければならないのだ。
[14461] どうして文明国では暴力が使えないのか? h24.3.14
自然状態では、多数がおとなしくて、少数が乱暴である。だから、少数の乱暴者が暴力で多数のおとなしい者を支配した。おとなしい者はおとなしいので、いくら乱暴者に乱暴されても逆らわなかった。乱暴者がおとなしい者よりも上の者だった。
文明状態では、依然[いぜん]として多数がおとなしくて、少数が乱暴である。ただし、文明国では人間はみんな知的でなければならない。知覚では『人間がみな平等である』ことが正しいと考えられている。だから、『人間がみな平等である』ために『暴力を使ってはいけない』ことになるのである。暴力を使う者は文明社会にふさわしくない者だと見なされて、檻[おり]の中に入れられて社会の外に出されるのである。
そういうわけで、文明国では暴力が使えないことになったのである。
自然状態では、人間が心で動いていたから、乱暴者が自分の心のままにおとなしい者に暴力をふって好き放題にしていた。反対に、文明状態では、人間が頭で動くようになるので、頭では『人間は平等である』ことが正しいから、乱暴者もおとなしい者も『人間が平等である』ことを守るようになったから、みんなが暴力を使わなくなったのである。
要するに、文明国では暴力が使えない。文明社会は暴力を排除する。暴力団体は暴力が使えなくなるとおしまいである。だから、文明国では暴力団体が滅んでいるのである。政府は暴力団体である。だから、文明国では政府が滅んでいるのである。
[14462] 文明とは何か? h24.3.15
文明の本質は知覚である。
文明国では、人間はみな知的でなければならない。
人間が知的になったから文明があるのであって、文明があるから人間が知的になったのではない。
ところが、知覚では『人間はみな平等である』ように見える。
だから、文明国ではみんなが『人間はみな平等である』と考えている。
『人間が平等である』ために『暴力をふってはならない』ことになる。
だから、文明国ではみんなが『暴力をふってはいけない』と考えている。
つまり、文明国では暴力が使えないのである。
文明が進歩すると、人間が知的になる。人間が知的になると『人間はみな平等である』と考えるようになる。『人間が平等である』と考えるようになると暴力を使わなくなる。だから、文明国ではみんなが暴力を使わないのである。つまり、文明国では人間が知的でなければならないので、人間が『人間がみな平等である』ことを理解していなければならないので、暴力が使えなくなったのである。文明国では、暴力をふる者は『人間が平等である』ことを理解できない知的障害者だと見なされて人間以下の生き物だと見なされて檻[おり]の中に入れられて人間社会から排除されるのである。
さらに、文明国では科学が発達しているから、優生学や遺伝子操作などを使って“生まれつき性格が凶暴な者”が生まれてこないようにしている。だから、文明国ではみんながおとなしい者ばかりになって、みんなが暴力を使わなくなって、暴力団体がなくなっているのである。
[14463] 昔の人と今の人の違い h24.3.15
昔の人は野蛮だったので「人間は心のままに生きればいい」と考えていた。だから、乱暴者は乱暴に、おとなしい者はおとなしく生きていた。だから、乱暴者がおとなしい者に暴力をふって好き放題にしていた。
今の人は文明的になったので『人間は実在に適応して生きねばならない』と考えている。実在においては『人間は平等である』と考えられている。だから、乱暴者もおとなしい者もみんな『人間は平等である』と考えている。『人間が平等である』なら暴力をふれない。だから、今では乱暴者もおとなしい者もみな暴力をふれなくなったのである。
つまり、昔も今も乱暴者とおとなしい者の違いがあるが、今では人間はみな実在を理解していなければならないことになったので、『人間が平等である』ことを理解していなければならないので暴力が使えなくなったのである。
人間が文明的になると、人間が実在についてある程度のことを知っていなければならないので、人間が『人間はみな平等である』ことを知っていなければならないので、暴力が使えなくなるのである。
だから、文明国ではみんなが暴力が使えないのである。
したがって、文明国では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が暴力が使えなくなって滅ばねばならないのである。
[14464] 最近の日本は文明状態になった。 h24.3.15
自然状態では「人間が自分の心のままに生きていればいい」ので、乱暴者がおとなしい者を暴力で支配していた。
文明状態では『人間が実在に適応して生きねばならない』ので、実在においては『人間は平等である』ので、乱暴者もおとなしい者もみんなが『人間が平等である』ことを守らねばならないので、乱暴者がおとなしい者に暴力をふれなくなったのである。
これまでの日本は自然状態だったので、たとえ法律では暴力を禁止していても、実際には暴力をふることができたのである。
最近の日本は自然状態から文明状態に変わってきたので、最近の日本では暴力をふれなくなったのである。
だから、最近の日本では政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民に暴力をふれなくなって支配力を失って潰[つぶ]れているのである。
文明国は暴力を排除する。だから、文明国では暴力団体は生き残れないのである。
[14465] 文明国ではみんなが法律を守らなければならない。☆ h24.3.15
野蛮国ではみんなが馬鹿なので心で生きていた。乱暴者は乱暴に、おとなしい者はおとなしく生きていた。だから、乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配した。乱暴者がおとなしい者よりも上の者だった。
反対に、文明国ではみんなが利口なので頭で生きている。頭では『人間はみな平等である』ことになっている。つまり、頭では『暴力をふってはいけない』ことになっている。だから、文明国では乱暴者もおとなしい者もみんな暴力をふってはいけないのである。乱暴者とおとなしい者が平等なのである。
つまり、野蛮国ではみんなが馬鹿なので法律を守らなくてもかまわないが、文明国ではみんなが利口なので法律を守らなければならない。そういう決まりが世の中にはある。
例えば、最近の日本は文明国になったから、みんなが法律を守らなければならなくなったのである。そのため、暴力団体が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなって滅んでいるのである。『文明国ではみんなが法律を守らなければならない』決まりがあるから、暴力団体が滅んでいるのである。つまり、文明国では暴力団体が滅ぶのである。政府や暴力団体や宗教団体が滅ぶのである。暴力団体は野蛮国でなければ生きていけない。暴力団体は文明国では生きていけないのだ。昔の日本は野蛮国だったから暴力団体が繁栄した。今の日本は文明国だから暴力団体が滅ぶのだ。だから、江戸幕府は鎖国をして日本に文明を入れないようにしていたのだ。政府は馬鹿だから日本を文明化して自分自身を滅ぼしてしまったのだ。実際には、国民が日本に文明を入れることによって日本を文明化して政府を倒したのだ。国民は日本を文明化すればいずれは政府が倒れると考えて、文明化したのだ。
| [14466] 国を作るのは国民である。☆ h24.3.15 古代に日本国民はヨーロッパ文化を日本に取り入れた。すると、ヨーロッパ式の国家暴力団体である政府が出来た。政府は国民から税金を取って、国民を軍事や国家宗教で虐[いじ]めた。ヨーロッパには貴族がいたので、日本にも貴族がいた。 中世になるとヨーロッパ文化にもめぼしい物がなくなったので、日本国民はインド文化を取り入れた。すると、インド式の国家暴力団体である幕府が出来た。中世の日本にはヨーロッパ文化とインド文化の両方が混在していたので、政府と幕府の両方があった。近世になると、日本がインド文化に統一されたので、幕府だけになった。幕府は国民から税金を取るだけで、国民を軍事や国家宗教で虐めなかった。[浦島太郎がもといた村に帰ってみると見知らぬ人ばかりになっていたとは、日本国民がヨーロッパ文化をやめてインド文化をやるようになったことを表している。古代には日本国民はヨーロッパ文化をやっていたが、中世の後期になるとインド文化をやるようになったのだ。当時の政府はカルチャーショックのせいで滅んでしまったのだ。] 近代になるとヨーロッパにたくさん新しい発明品が出来たので、日本国民は再びヨーロッパ文化を取り入れた。すると、再びヨーロッパ式の国家暴力団体である政府が出来た。政府は国民から税金を取って、国民を軍事や国家宗教で虐[いじ]めた。 つまり、これまでは日本の国家暴力団体が当時の日本国民が取り入れた文化に合わせて“暴力のふり方”を変えていただけなのだ。 現代になると文明が高くなって、みんなが法律を守るようになって、暴力団体が暴力を使えなくなって滅んでいる。 国の文明が高くなると、もはや暴力団体は存在できなくなるのだ。これまで日本は文明が低かったから、みんなが心で生きていて法律を守らなかったから暴力団体があった。暴力団体が暴力を使って国民を支配していた。今の日本は文明が高くなって、みんなが頭で生きるようになって法律を守るようになったから、暴力団体が滅んでいるのだ。暴力団体が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなったのだ。つまり、暴力団体もそもそもは国民であって、暴力団体と国民は同じなのである。国民が法律を守らなければ暴力団体も法律を守らず、国民が法律を守れば暴力団体も法律を守るのである。[昔も法律があったが、みんなが法律を守っていなかったので、実際には法律はあってなきものだった。昔のみんなが法律を守らなかった時代には、乱暴者は乱暴なので暴力をふって法律を破っていたが、おとなしい者はおとなしいので暴力をふらず結果的には法律を守っていたのである。/昔は「心主義」があったから、たとえ法律があっても心主義のほうが法律よりも強かったから、心主義が法律をブチ壊しにして法律をあってなきものにしていたのだ。今は『頭主義』があるから、頭主義が法律を擁護[ようご]して、法律がちゃんとあることになったのだ。日本ではようやく今頃になってやっと法律があるようになったのだ。] 今後の日本は、暴力団体のない国になるのだ。国民は嫌な暴力団体がいなくなって清々[せいせい]した。 今の政府は国民との共生を図[はか]って生き延びようとして、国民に嘘[うそ]をついて騙[だま]そうとしている。政府は自分が国民の役に立つ会社であると宣伝して、国民の客離れを食い止めようとしている。しかし、政府の正体は暴力団体である。政府は表では善[い]い人のふりをして、裏では国民を殺して遊んでいるキチガイの会社である。政府は“生まれつき凶暴な性格の者”が集まってやっている会社である。“生まれつき凶暴な性格の者”は遺伝子の異常のために生まれつき脳に病気があって心が凶暴になっている気の毒な人たちである。国民は政府の嘘に騙されず、政府を倒さなければならない。政府のない国を作らねばならない。“生まれつき凶暴な性格の者”は檻[おり]の中に入れて人間社会から隔離しなければならない。 |
[14467] 今は政府の時代ではない。《まとめ》 h24.3.15
政府は暴力団体である。つまり、政府は暴力を使って国民に命令する団体である。政府は暴力を使って国民を脅[おど]して国民から税金を取ったり、国民に軍事(戦争)や国家宗教をやらせて国民を嫌がらせる会社である。政府は暴力を使って国民を脅すことによって国民よりも上の者になっていたのである。
ところが、今の日本は文明国なので、みんなが心よりも頭で生きるようになって、みんなが法律を守るようになったので、みんなが暴力を使わなくなった。
だから、今の政府は国民に対して何も命令できない。政府はもはや国民よりも上の者ではない。政府と国民は平等だ。
したがって、今の国民は政府に従わなくていい。政府に税金を払ったり、政府の命令で軍事や国家宗教をやったりしなくていい。
今の政府は国民に隠れて密[ひそ]かに国家宗教などで国民を殺して遊ぶことしかできない。今の政府は、“生まれつき凶暴な性格のキチガイ”が人間を殺すゲームをやって遊んでいるゲームセンターにほかならない。[今の日本では政府が一番人間を殺している。政府は警察をやっている。だから、『灯台もと暗し』と言うのだ。]
それも、今に医学が進んで“生まれつき凶暴な性格のキチガイ”が生まれてこなくなればなくなるだろう。
[14468] 最近は国民が政府に従わなくなった。 h24.3.15
野蛮国ではみんなが自分の心で生きている。だから、乱暴者は乱暴であり、おとなしい者はおとなしいので、乱暴者がおとなしい者を暴力で脅[おど]して支配したのである。乱暴者がおとなしい者よりも上の者だったのである。
反対に、文明国ではみんなが頭で生きている。だから、みんなが法律を守って暴力をふらなくなったので、乱暴者がおとなしい者を暴力で脅せなくなって乱暴者がおとなしい者を支配できなくなったのである。乱暴者とおとなしい者が平等になったのである。
日本はこれまで野蛮国だったが、最近は文明国になった。だから、最近の日本ではみんなが法律を守って暴力をふらなくなったので、暴力団体が国民を暴力で支配できなくなったのである。国民が暴力団体に従わなくてもよくなったのである。[私の親の世代(今から70〜80年前)は日本はまだ心主義だった。私は子供の頃に、親からいつも「自分の好きなようにやりなさい」と教わった。しかし、最近の若者は頭主義のようだ。]
政府は暴力団体である。だから、最近の日本では国民が政府に従わなくなったのである。最近の日本では国民が政府に税金を払わなくなったし、政府の命令で軍事や国家宗教をやらなくなったのである。
これまでの日本では法律はただの飾りだった。法律は無効だった。最近の日本では法律が有効になった。日本もようやく文明国らしくなって来た。
[14469] 自然状態と文明状態 h24.3.16
自然状態ではみんなが自分の心で生きている。人間には乱暴者とおとなしい者がいる。少数の乱暴者と多数のおとなしい者がいる。だから、少数の乱暴者が暴力を使って多数のおとなしい者を支配するのである。乱暴者がおとなしい者よりも上の者なのである。
文明状態ではみんなが頭で生きている。みんなが法律を守って生きている。乱暴者もおとなしい者もともに法律を守っている。だから、乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配できなくなったのである。乱暴者とおとなしい者が平等なのである。
昔の日本は自然状態だったから、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民を支配していた。暴力団体が国民よりも上の者だった。
今の日本は文明状態だから、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が国民を支配していない。暴力団体と国民は平等である。
今の日本は文明状態だから、日本では暴力は使えない。だから、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなって滅んでいるのである。政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が暴力を使うのをやめて、普通の会社と同じように真面目[まじめ]に仕事をやって稼[かせ]ぐように変わりつつあるのである。暴力団体が暴力を使う仕事から暴力を使わない仕事に変えているのである。
[14470] 暴力を使う仕事 h24.3.16
昔は法律がなかったから、暴力を使う仕事ができた。政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が暴力を使って仕事をして国民からお金を取って儲[もう]けていた。つまり、暴力団体は国民が自分にお金を払うようになるまで殴[なぐ]りつけることによってお金を稼[かせ]いでいた。
今は法律があるから、暴力を使う仕事ができなくなった。政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体が暴力を使って仕事ができなくなって国民からお金を取れなくなって儲からなくなった。暴力団体は国民を殴ることによってお金を稼げなくなった。
だから、今の政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は暴力を使う仕事から暴力を使わない仕事に変えている。普通の会社と同じように国民の役に立つ仕事をやって国民からお金をもらて稼[かせ]ぐように変わっているのである。
[14471] 日本の学者 h24.3.16
日本の学者は“利口ぶり馬鹿語”を使っている。言葉の修辞[しゅうじ]ばっかりやって、学問にふさわしくない曖昧[あいまい]語を使っている。内容の見えにくい言葉をわざわざ使って、余計に難しがっている。
だから、いつまでたっても大したことがわからないのだ。
日本の学者はくだらない言葉の修辞に徹[てっ]するよりも、明晰判明な理解に徹すればいいのだ。
[14472] 眼で見えることと眼で見えないこと h24.3.16
眼で見えることは眼で見えないことによっている。眼で見えないことに基[もと]づいて眼で見えることがある。
だから、人間は眼で見えないことがどうなっているか頭で考えて、眼で見えることを理解しようとするのである。人間は眼で見えることを理解するために、眼で見えないことがどうなっているのか頭で考えるのである。
人間の頭は眼で見えないことがわかる。
人間は眼で見えないことを動かすことによって眼で見えることを変えることができるのである。
| [14473] 日本の歴史☆ h24.3.16 昔の日本は野蛮国だった。だから、みんなが自分の心で生きていた。人間社会には多数のおとなしい者と少数の乱暴者がいる。だから、少数の乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配した。乱暴者がおとなしい者よりも上の者だった。乱暴者が集まって豪族という暴力団体を作った。日本各地の豪族がおとなしい庶民を暴力で脅[おど]して庶民から物を奪って、庶民を暴力で虐[いじ]めて遊んでいた。 古代の日本では、日本統一が進み、ヨーロッパ文化を取り入れていた。だから、日本各地の豪族が統合して政府という国家暴力団体が出来た。政府は国民からますます税を取るようになった。政府はヨーロッパ政府を真似[まね]て国民に軍事(戦争)や国家宗教をやらせて国民を虐めた。 中世の日本では、インド文化を取り入れていた。当時はインドのほうがヨーロッパよりも文明が進んでいた。日本はヨーロッパ文化をやめてインド文化をやるようになった。そのために、政府が倒れて幕府になった。幕府も国家暴力団体だった。幕府はインド政府を真似て国民から税を取って、国民に軍事や国家宗教はやらさなかったが、やはり国民に暴力をふって虐めていた。 近代の日本では、再びヨーロッパ文化をやるようになった。当時はインドよりもヨーロッパのほうが文明が進んでいた。日本はインド文化をやめてヨーロッパ文化をやるようになった。そのために、幕府が倒れて政府になった。政府は再び国民に軍事や国家宗教をやらせて虐めるようになった。政府は国民に世界大戦をやらせた。[政府は国民を虐[いじ]めるために国民に戦争をやらせていたが、政府は国民に神武天皇の話を教えて、国民には国民が裕福に暮らせるために戦争をするように思わせていたのである。] 今の日本は文明国である。だから、みんなが頭で生きるようになった。みんなが法律を守るようになった。みんなが暴力を使わなくなった。だから、少数の乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配できなくなった。乱暴者とおとなしい者が平等になった。 現代の日本では、政府が国民を暴力で脅して国民からお金(税金)を取ったり、国民に軍事や国家宗教をやらせることができなくなった。だから、政府は潰[つぶ]れている。 長かった暴力団体の時代もようやく終わった。これからは、暴力団体のない世界になるのだ。平等な国民だけからなる世界になるのだ。 |
[14474] 第5の力 h24.3.16
物理学の世界には万有引力や電磁気力や強い力や弱い力などの4つの力しかないが、人間社会には“暴力”という第5の力がある。乱暴者が暴力を使っておとなしい者にいろんなことをやらせることができる。乱暴者にとっては暴力は便利な力である。おとなしい者にとっては暴力は迷惑な力である。
ところが、暴力は社会の状態よって使えたり使えなかったりする。野蛮な社会では法律がないから暴力が使えるが、文明社会では法律があるから暴力が使えない。つまり、法律のない社会では暴力が使えるが、法律のある社会では暴力が使えない。
人間社会は時間が経[た]つと野蛮な社会から文明社会になる。暴力が使える社会から暴力が使えない社会になる。だから、野蛮な社会では暴力団体が国民を支配して国民を好き放題にしているが、文明社会では国民が暴力団体に従わなくなって暴力団体が滅んでいる。
物理学では宇宙が発達するとひとつの力が分かれて4つの力になって力の種類が増えるが、人間社会では社会が発達すると暴力が消えて力の種類が減るのだ。
今の社会では、人間を支配したければ、暴力以外の力を使って支配しなければならないのだ。
[14475] 今は暴力がない社会である。 h24.3.16
昔の社会ではみんなが暴力が使えた。だから、昔は乱暴な暴力団体が暴力を使っておとなしい国民を支配していた。そのため、暴力団体が国民よりも上の者だった。
今の社会ではみんなが暴力が使えない。だから、今では乱暴な暴力団体が暴力を使っておとなしい国民を支配できなくなった。そのため、暴力団体と国民が平等になった。
今の社会には暴力がない。だから、暴力団体は暴力が使えない。暴力団体は国民を支配できない。国民は暴力団体に従う必要がない。
政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は暴力を使って仕事をする会社である。暴力を使って国民を痛い目に合わせて国民からお金を取ってお金を稼[かせ]ぐ団体である。ところが、今の社会では暴力が使えない。だから、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は仕事ができなくなってお金を稼げなくなって潰[つぶ]れているのだ。
昔の政府は国民に暴力が使えた。昔の社会では、国民が政府の命令に従わないと政府に暴行されて殺された。だから、昔の国民は政府の命令に絶対に従わなければならなかった。しかし、今の政府は国民に暴力が使えない。今の社会では、国民が政府の命令に従わなくても政府に暴行されることはない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府に税金を払わなくてもいいし、政府の命令で軍事(戦争)や国家宗教をやらなくてもいい。国民は政府を無視して自由に生きていけばいいのである。
昔の政府が国民にとってよっぽど怖かったせいか、今でも国民は昔の習性が抜けずに政府に従っている。しかし、本当は今の国民は政府に従う必要がないのである。国民は早く自分の考えを変えて政府に従うのをやめねばならない。
[14476] 今の国民は政府に従う必要はない。 h24.3.16
政府は暴力団体である。
これまでの社会では暴力が使えた。
だから、これまで政府は暴力を使って国民を支配してきた。
ところが、今の社会では暴力が使えない。だから、今の社会では政府は暴力を使えない。政府は国民を支配できない。
そのため、今の政府は暴力以外のいろんな方法を使って国民を政府に従わせている。
今の政府はテレビや新聞でいろんな嘘[うそ]のまちがった情報を流すことによって国民を心理操作して、国民に「自分は政府に従わねばならない」と思わせることによって、国民を政府に従わせている。
しかし、本当は、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は政府に従う必要がないのである。
だから、国民は政府に従うのをやめればいい。国民が暴力団体の政府に従っても、国民は政府に嫌がらされるだけで、国民にとっていいことは何もない。だから、国民は政府に従うのをさっさとやめればいいのである。
暴力は強い力である。心理操作は弱い力である。昔の政府は強い力を使えたが、今の政府は弱い力しか使えない。昔の政府は国民を絶対服従させていたが、今の政府はようよう国民を従わせることができるだけである。昔の政府は強かったが、今の政府は弱い。だから、国民は今の政府に従わなければいいのである。
[14477] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h24.3.16
昔の社会には法律がなかったので、昔の政府は人殺しをしてもよかったから、昔の政府は正々堂々と国民の眼の前で人殺しをして遊んでいた。政府は“神武天皇の光るトンビ”を使って、わざわざ国民に政府が人殺しをしたことがわかるようにして人殺しをしていた。
しかし、今の社会には法律があるので、今の政府は人殺しをしてはいけなくなったから、今の政府は国民に政府が人殺しをしているのを知られないように、密[ひそ]かに人殺しをして遊んでいる。そのために、無名[むめい]の私を国家宗教の神にして、私を神とする国家宗教で私の情報を使った事件を起こして人殺しをしている。一般の国民は私のことを知らないので、政府が国家宗教で人殺しをしていることがわからない。
つまり、政府は自分が人殺しをして遊ぶために、私を国家宗教の神にしたのである。政府は“生まれつき凶暴な性格の者”だから、政府にとっては人殺しをするのがたったひとつの喜びだから、政府は人殺しをして遊ばなければならないのである。
しかし、今の社会には法律があるから、政府が人殺しをするのはいけないことである。政府が国民の眼の前でやろうが、国民に隠れてやろうが、人殺しは人殺しである。政府に人殺しをさせてはいけない。だから、国民は政府に税金をやるのをやめて早く政府を倒して政府をなくさなければならない。
今の政府が私を神とする国家宗教をやっていることが、とりもなおさず今の政府が暴力を使えない証拠である。だから、国民は政府を恐れずに、正々堂々と政府の眼の前で政府に逆らえばいいのである。政府に逆らって政府を倒せばいいのである。
[14478] どうして昔の暴力団体は暴力をふってもよかったのか?☆ h24.3.16
昔はみんなが暴力をふってもよかったからである。昔はみんなが法律を破ってもよかったからである。昔は文明が低くてみんなが自分の心で生きていたので法律を守らなくてもよかったのである。
だから、乱暴者の集まりである暴力団体は暴力をふったが、おとなしい国民は暴力をふらなかった。昔はみんなが暴力をふってもよかったが、おとなしい国民が暴力をふらなかったので、乱暴な暴力団体だけが暴力をふっていたのである。だから、暴力団体が国民に暴力をふって国民を支配したのである。暴力団体が国民よりも上の者だったのである。おとなしい国民は性格がおとなしいので、いくら暴力団体に暴力をふられても逆[さか]らわなかったのである。
しかし、今はみんなが暴力をふってはいけなくなった。今はみんなが法律を守らなければならなくなった。今は文明が高くてみんなが頭で生きているので法律を守らなければならなくなったのである。
だから、乱暴者の集まりである暴力団体がおとなしい国民に暴力をふれなくなっておとなしい国民を支配できなくなったのである。暴力団体と国民が平等になったのである。
法律を破るのが暴力団体ではない。暴力団体は法律を破る特権のある者ではない。だから、今ではたとえ暴力団体の者でも犯罪を犯した者はテレビや新聞に出るのである。暴力団体も国民も同じ人間である。暴力団体も国民も頭は同じである。暴力団体と国民は心が違うだけである。暴力団体は乱暴で、国民はおとなしい。だから、文明が低くてみんなが心で生きていてみんなが法律を守らなくてもよかった時代には、人間の心の違いがもろに現れて、暴力団体が国民に暴力をふって暴力団体が国民を支配していたのである。反対に、文明が高くてみんなが頭で生きていてみんなが法律を守らなければならない時代には、みんなが法律を守るようになって人間の心の違いがあまり現れなくなって、暴力団体が国民に暴力をふらなくなって暴力団体と国民が平等になったのである。
暴力団体は馬鹿ではない。暴力団体はたとえ心が乱暴でも、頭は国民と同じである。だから、法律がなかった時代には暴力団体も国民も法律を守らなくてよかったから暴力団体は暴力を使って国民に乱暴をしたが、法律がある時代には暴力団体も国民と同じように法律を守って国民に乱暴をしないのである。
“人間の心と頭の違い”がわかっていれば、今では暴力団体は法律を守っているから、今では国民は暴力団体に従わなくてもいいことがわかる。しかし、“人間の心と頭の違い”がわかっていなければ、暴力団体は今でも法律を犯すものだと思って、今でも国民が暴力団体に従わねばならないことになる。国民の多くは“人間の心と頭の違い”がわかっていないから、今でも暴力団体に従い続けているのである。国民の多くは哲学に無知だから、人間についての認識がないから、やらなくていいことをいつまでもやっているのである。国民がもっと頭がよくて哲学に明るければ、国民はすでに暴力団体に従わなくなって暴力団体が潰[つぶ]れてなくなっているだろう。[私には、昔誰かがこの章と同じようなことを言っていたような記憶がある。これもデジャブなのだろうか?それとも本当にあったことなのだろうか?]
[14479] 今の国民は政府に従わなくていい。 h24.3.17
政府は民主主義団体ではない、暴力団体である。政府は暴力を使って国民を従わせる団体である。
日本国憲法の「宗教の自由」や「納税の義務」や「服従の義務」が民主主義に反していることが、政府が暴力団体であることの証拠である。政府が民主主義団体ではないことの証拠である。[[14394]を参照。]
ところが、今の社会ではみんなが法律を守らなければならず、みんなが暴力が使えない。だから、政府は暴力を使えない。だから、政府は暴力を使って国民を従わせることができない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
たとえ政府が民主主義団体であったとしても、国民と民主主義団体は平等であるから、国民は民主主義団体には従わなくてもいいから、国民は政府に従わなくてもいい。
とにかく、今では国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府に税金を払わず、政府の軍事(戦争)や国家宗教などの命令に従わなくてもかまわない。
[14480] どうして国民は政府に従っているか? h24.3.17
国民の多くが政府を国民の役に立つことをするいい会社だと思っているからである。政府が民主主義団体だと思っているからである。国民の多くは政府の嘘[うそ]に騙[だま]されているのである。
国民の中には政府を暴力団体だと知っている者もいる。しかし、政府を暴力団体だと知っている者も、暴力をふれば暴力を使えるから、今でも暴力団体が暴力が使えると思って政府に従っているのである。
だから、国民のほとんどの者が今でも政府に従っているのである。
しかし、本当は、今では国民は政府に従う必要はない。
政府は暴力団体だが、今は文明が高いのでみんなが頭で生きているのでみんなが法律を守っているのでみんなが暴力を使わないので暴力団体が暴力を使わないから、国民は政府に従う必要がないのである。
国民のほとんどは、政府や今の社会について誤解しているから、政府に従っているのである。
国民は政府や今の社会について正しく理解して、早く政府に従うのをやめねばならない。政府を倒さねばならない。
私が生まれた頃(昭和39年頃、西暦1964年頃)から、日本の文明が高くなってみんなが法律を守るようになっている。暴力団体が法律を守って暴力を使わないようになっている。だから、今の国民は暴力団体に従わなくてもいいのである。政府に従わなくてもいいのである。政府に税金を払ったり、政府の命令で軍事(戦争)や国家宗教をやらなくてもいいのである。
西暦10000年なら暴力団体がなくなっていなければならないが、たかが西暦1964年ではまだ暴力団体がいても不思議ではない。しかも、人間社会は西暦1964年ですでにみんなが法律を守る文明のレベルに達している。たかが1964年、されど1964年なのだ。だから、今は暴力団体がなくなる時期なのである。だから、国民は暴力団体に従うのをやめて、暴力団体をなくすように努[つと]めねばならない。
[14481] 昔も今も法律がある。 h24.3.17
昔も法律があった。しかし、昔は文明が低くてみんなが自分の心で生きていたので、みんなが法律を無視していた。だから、乱暴者は暴力を使っていた。おとなしい者は暴力を使わなかった。だから、乱暴者が暴力を使っておとなしい者に命令しておとなしい者を支配していた。おとなしい者が乱暴者に逆らうと乱暴者に殺されたので、おとなしい者は乱暴者に絶対服従するしかなかった。
今も法律がある。今は文明が高くてみんなが頭で生きているので、みんなが法律を守っている。だから、乱暴者もおとなしい者もみんなが法律を守って暴力を使っていない。だから、乱暴者がおとなしい者に命令できなくなっておとなしい者を支配できなくなったのである。おとなしい者が乱暴者に逆らっても何もされなくなったので、おとなしい者が乱暴者に従わなくなった。
昔はみんなが心主義で生きていたのでみんなが法律を無視していたので、実質的には法律がなかった。今はみんなが頭主義で生きているのでみんなが法律を守っているので、実質的に法律がある。昔の社会には法律があったのに暴力団体が暴力をふって法律を破っていたので、暴力団体は法律を破る団体であるかのように思われているが、それはまちがいである。昔の社会には実質的には法律がなかったために、暴力団体が法律を破っていただけのことである。今の社会には実質的には法律があるから、暴力団体も法律を守るようになって国民に暴力をふらなくなったのである。その証拠に昔は暴力団のことを任侠[にんきょう]と言った。昔は法律を破ってもよかったので、法律を破ることを暴力と言わなかったので、暴力団のことを任侠と呼んでいたのである。今は法律を破ってはいけなくなったので、法律を破ることを暴力と呼ぶようになったので、任侠のことを暴力団と呼ぶようになったのだ。昔は暴力団体が国民に暴力をふっても犯罪にならず牢屋[ろうや]に入らなくてもよかったので暴力をふりたい放題だったが、今では暴力団体が国民に暴力をふると犯罪になって牢屋の中に入らねばならないので暴力をふらなくなったのだ。
文明社会ではみんなが暴力を使わないので暴力団体はやっていけない。暴力団体は滅ぶしかない。政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は滅ぶしかない。文明社会万歳だ。
今の社会には法律がある。だから、消費者保護法とかで腐りやすい食べ物を売ってはいけなくなったのである。そのため、食品に防腐剤をたくさん入れるようになったので、昔に比べて食品の味が不味[まず]くなったのである。そんなになったのは今から約15年前ぐらいのことである。私が九州大学理学部物理学科を卒業する頃のことである。それまでは近所のダイエースーパーで売っていた鮭[さけ]の切り身がすごく美味[おい]しかったのに、その頃から鮭を腐らせないためにビタミンCをいっぱい入れるようになったので、味がメチャクチャになった。牛乳も私が子供の頃はトロ〜っとしていて美味しかったのに、最近の牛乳はただの白い水だ。最近の牛乳はとにかく殺菌を完全にするために長時間煮立てるから味わいがなくなったのだ。日持ちをさせるために薬をいっぱい入れるから薬の味が付いて不味くなったのだ。だから、今はたしかに法律がある社会なのである。たしかに文明社会なのである。
[14482] ルソーの思想はまちがっている。 h24.3.17
ルソーの考えによれば、自然状態ではみんながおとなしく仲良く平等に平和に暮らしていたが、悪人が現れてそれを台無[だいな]しにした。そこでみんなが話し合って議会を設[もう]けて多数決で法律を作って悪人を取り締[し]まることにした。
しかし、実際には、それとは違っている。
実際には、自然状態ではみんなが仲良く平等に暮らしていたが、乱暴者が現れてそれを台無しにした。しかし、みんなは自分の心で生きていたので、みんなは乱暴者が乱暴にするのを受け入れていた。おとなしい者が乱暴者に暴力をふられても逆らわなかった。だから、乱暴者がおとなしい者を安定して支配できたのである。昔はみんなが自分の心で生きることに決めていたので、乱暴者が支配することに不満を言う者がいなかった。けっして誰も議会を設けて多数決で法律を作ろうとはしなかったのである。
その後、文明社会になって、みんなが頭で生きるようになると、みんなが法律を守るようになって、乱暴者がいなくなったのである。乱暴者がおとなしい者に暴力をふらなくなって、乱暴者とおとなしい者が平等になったのである。
要するに、人間が知的になりさえすれば、みんなが自主的に法律を守るようになるので、政治機関はあってもなくてもどうでもいいのである。法律は知的に見た“人間の間のあるべき関係”である。人間が知的になりさえすれば、誰でも自然に法律がわかるものである。あとは、法律を言葉にして眼に見えるようにする機関があればいいだけのことである。
ルソーは“社会の文明の高さ”を考慮していない。ルソーは“人間の知的水準”を考慮していない。ルソーは人間が最初から知的であると考えている。だから、ルソーの考えでは実際の社会をうまく説明できなかったのだ。そのために、フランスではフランス革命後も、政府が残ることになったのだ。当時のフランスではまだみんなが心で生きていたので、いくらフランス革命をやっても無駄[むだ]だったのである。いくら議会を設けても無駄だったのである。当時のフランス国民はルソーの理論を信じて政府を倒せばいい世の中になると思ってフランス革命をやったが、結果は大[たい]して変わらなかったのだ。フランス革命の実体は、政府の圧政に頭に来た国民が怒って暴れただけのことだったのだ。日本の江戸時代の一揆[いっき]と同じことである。いくらおとなしい人間でも怒らせすぎると頭に来て乱暴者よりも乱暴になって乱暴者を殺して暴れまわるのだ。実際には、文明が低い社会では、みんなが自分の心で生きているので、乱暴な暴力団体が暴力をふっておとなしい国民を支配しても誰も文句を言わない。国民は誰も議会を作って法律で暴力団体を取り締[し]まろうとしない。反対に、文明が高い社会では、みんなが頭で生きているので、みんなが法律を守るので、乱暴者がおとなしい者に暴力をふらなくなって、みんなが平等になるのである。つまり、文明社会では乱暴者が自然に消滅するのである。わざわざ議会(民主主義の政治機関)なんか作らなくても、人間が知的になりさえすれば、乱暴者はひとりでにいなくなるのである。だから、大事なのは、国に議会を作ることではなく、国の文明を高くすることなのである。議会はどうでもいい。文明が大事なのである。いくら国に議会を作ってもみんなが知的でなければみんなが法律を守らないので暴力団体が法律を守らないので暴力団体はなくならない。反対に、国の文明が高ければ、みんなが知的になってみんなが法律を守るので暴力団体が法律を守るので暴力団体がなくなる。だから、暴力団体をなくすためには、議会よりも文明が大事なのである。[もっとも、文明社会でも犯罪者は現れるから、文明社会でも犯罪者の取り締[し]まりはやらねばならない。乱暴者と犯罪者は違う。乱暴者は生まれつき心が乱暴だが、頭で法律を守れる者である。犯罪者は、生まれつき心が乱暴で、頭で法律を守れない者である。だから、文明社会では、乱暴者はなくなるが、犯罪者は依然[いぜん]として現れるのである。暴力団体は乱暴者の団体であって、犯罪者の団体ではないから、文明社会では暴力団体はなくなるのだ。]
人間は自分が知っている概念を組み合わせることによって実在を理解する。ルソーは“人間の性格の違い”の概念は知っていたが“文明の高さ”の概念を知らなかったから、実在と合わなかった。ルソーは実在の社会を正しく理解していなかった。だから、ルソーの理論では、どうせやってもうまくいかない。私は“人間の性格の違い”や“国の文明の高さ”の概念を使って、実在の社会と合わせることができた。だから、私の社会観のほうが正しいのだ。だから、私の理論では、やればうまくいくのだ。
社会科は正しく理解してから実行しなければならない。例えば、店員にマヨネーズをかけて逃走しようとしたコンビニ強盗のように、国民が自分勝手に「国民が政府と同じように国家宗教をやってもいい」と考えて国家宗教をやると犯罪になって警察に捕[つか]まる。芥川龍之介の『羅生門』は国家宗教に対する誤解である。国家宗教はそもそも政府が国民を嫌がらせるために国民に命令してやらせることであって、国民が自分勝手にやってもいいことではない。昔はみんなが自由に法律を破れたから、国民は自分の好き放題に犯罪を犯していたのであり、国民がわざわざ自分で国家宗教をやって犯罪を犯すことはなかったはずである。国家宗教は政府の国民に対する命令であって、国民自身がやることではなかったのである。それに、今は法律がある社会だから、政府も国民に国家宗教をやらせることはできない。政府が証拠を残さないように気をつけながら自分独[ひと]りで密かに国家宗教をやって国民を殺して喜んでいるだけである。国民が社会科を誤解して、自分勝手なことをやると牢屋に入らねばならなくなる。社会科は何度もよく考えて、自分がまちがっていないことをよく確かめてから実行しないといけない。
社会科では、まず自分で考えて、自分が頭の中に持っている単語(概念)を組み合わせて、過去の歴史と合わさないといけない。過去の歴史と合う世界観を作らなければならない。それが出来れば、今や未来のこともわかるのだ。つまり、社会科も物理学と同じということだ。
[14483] 文明が大事である。 h24.3.17
要するに、国の文明が高くなって人間が頭で生きるようになると、万事[ばんじ]がうまくいくのである。人間が頭で生きるようになれば、人間が自主的に法律を守るようになって、人間社会がうまくいく。あとは、少数の法律を犯す犯罪者を取り締[し]まるために法律会社を建てればいいだけである。
これまでは、国の文明が低くて人間が自分の心で生きていたから、変なことになっていたのである。暴力団体が暴力を使って国民を好き放題にして、世の中がシッチャカメッチャカになっていたのである。
我々は文明を高くしてくれた先人に感謝しなければならない。
人間が頭で考えて生きるようになったことを活かして、いい世の中にしていかなければならない。
国の文明を維持し、さらに高めていかねばならない。
[14484] 第3次世界大戦 h24.3.17
今のところヨーロッパ政府はおとなしくしているが、そのうち金が貯[た]まればまた世界大戦をやるかもしれない。
ヨーロッパでの戦争がアジアにまで広がって、また日本も世界大戦をやるかもしれない。また日本が戦争に負けて日本がますます貧乏になるかもしれない。日本が戦争の赤字で国が潰[つぶ]れるかもしれない。
だから、政府があってはならない。世界中の国から政府をなくさねばならない。
ヨーロッパでも今の政府がおとなしくしているからといって、国民が今の政府に満足せずに、政府をなくしていかねばならない。
政府は“生まれつき凶暴な性格の者”の溜[た]まり場である。政府の中枢は、人を殺す喜びしかない者の集まりである。最近戦争をやっていないから、今の政府は人殺しに飢[う]えている。
たとえ今の世界には法律があるからといって、このまま政府を泳がせていたら、そのうち政府が税金制を広げて、再び国民に軍事や国家宗教をやらせるようになって、また戦争が起こるかもしれない。政府がまた国民に戦争をやらせて国民を殺して遊ぶようになるかもしれない。
だから、早めに政府をなくしたほうがいい。
ヨーロッパは世界の先進国である。世界中の国の見本である。だから、先進国は先進国らしくしなければならない。先進国は文明国である。文明国ではみんなが頭で生きていてみんなが法律を守っていてみんなが暴力を使わなくなって暴力団体が滅んでいる。だから、ヨーロッパでは政府が滅んでいなければならないのである。
[14485] 大阪人は暴力団が好きである。 h24.3.17
大阪は人情の町である。大阪人は今でも心で生きている。
だから、大阪ではいまだに悪い奴[やつ]ほどいい人である。
だから、大阪では暴力団が人気があるのである。暴力団は正直に自分の心で生きているから、大阪では人気があるのである。
しかし、今ではみんなが法律を守るようになっている。だから、暴力団も法律を守っている。暴力団はこれまでの暴力を使う仕事をやめて、暴力を使わない仕事に変えている。暴力団は暴力を使って国民からお金を取るのをやめて、普通の会社と同じように人の役に立つ仕事をして人からお金をもらってお金を稼[かせ]ぐようになっている。
今の暴力団は、社長が軽い犯罪を犯してテレビに出て会社の宣伝をして会社の人気を上げて儲[もう]けている普通の会社なのかもしれない。つまり、今の暴力団は、暴力で宣伝している会社にすぎないのかもしれない。
政府も早く暴力団を見習って、国民から税金を取らなくなって、普通の会社と同じように人の役に立つ仕事をしてお金を稼ぐようにならねばならない。
[14486] 人間には頭がある。 h24.3.17
人間に手があるかぎり、人間は暴力をふることができる。
しかし、人間には頭もある。
国の文明が低いときには、人間は身体を使って頭を使っていない。人間が頭を使って物を見ていない。人間は頭で社会を見ないかぎり法律のあることがわからない。だから、文明の低い国では人間は法律のあることがわからず、人間が自分の心だけで生きているので、乱暴者がおとなしい者に暴力をふっておとなしい者を支配していたのである。
国の文明が高くなると、人間がだんだん頭を使って暮らすようになる。人間が頭で物を見るようになる。頭で社会を見ると法律が見える。だから、文明の高い国では人間が法律を守って暮らしている。文明国では乱暴者もおとなしい者も等しく法律を守っていて、乱暴者がおとなしい者に暴力をふらず、乱暴者とおとなしい者が平等に暮らしている。
国の文明が高くなると、人間が頭を使って暮らすようになるので、人間が法律を守って暮らすようになるので、暴力団体が暴力をふれなくなって滅ぶのである。
[14487] 文明の高い国では暴力団体は滅びる。 h24.3.17
政府や暴力団や宗教団体は暴力団体である。
昔は国の文明が低かったから、みんなが法律を無視して自分の好き勝手にやっていた。だから、暴力団体が国民に暴力をふって(つまり、国民を手で殴[なぐ]ったり足で蹴[け]ったりして)国民から無理やりお金を取って儲[もう]けていた。[ニーチェも『権力への道は暴力しかない』と述べている。人間が権力(命令力)を得るためには暴力を使う以外には方法がないのだ。今の政府も暴力を使って日本一の権力の座へのし上がっていったのだ。]
今は国の文明が高いから、みんながちゃんと法律を守るようになった。だから、暴力団体が国民に暴力をふらなくなって国民からお金を取らなくなって儲からなくなった。つまり、今の時代では、暴力をふるのがダサいから、誰も暴力をふらなくなったのである。
暴力団体は文明が低い国でなければ儲からない。文明の高い国には暴力を使う仕事はふさわしくないから、暴力団体は滅びる。文明の高い国では、政府や暴力団や宗教団体などの暴力団体は消えてなくなってしまうのだ。
今の日本は新幹線が走って、コンピューターがあって、携帯電話が使えるから文明が高い国である。だから、政府は滅ばねばならないのだ。
[14488] 政府は暴力団体である。 h24.3.18
昔は文明が低かったので、みんなが法律を無視して好き勝手なことをやっていた。
そのため、昔は暴力団体の政府が国民に暴力をふって国民を支配していた。国民は性格がおとなしいので、暴力団体の政府にいくら嫌がらされてもけっして政府に逆[さか]らわなかった。
政府は暴力を使って国民から無理やりお金(税金)を取って、国民に戦争や国家宗教をやらせて国民を嫌がらせて喜んでいた。政府自身が国家宗教などで事件を起こして国民を殺して喜んでいた。この世は、政府にとっては天国、国民にとっては地獄だった。
しかし、今は文明が高くなったので、みんながちゃんと法律を守って暴力をふらなくなった。
そのため、今は政府が国民を支配していない。
政府は暴力を使わなくなったので国民から税金を取れなくなったし、国民に戦争や国家宗教をやらせて国民を嫌がらせられなくなった。今では政府が独[ひと]りで密かに国家宗教などで事件を起こして国民を殺してほそぼそと喜んでいるだけである。
今では政府に従わなくてもいいことを知らない馬鹿な国民が、やらなくてもいいのに政府に税金を払って、政府の命令を聞いているだけである。
[14489] 政府は暴力が使えなければただの乞食[こじき]だ。 h24.3.18
政府は暴力団体である。
政府はこれまで暴力で(つまり、国民を手で殴[なぐ]ったり足で蹴[け]ったりして)国民を支配してきた。政府は自分の命令に従わない国民をなぶり殺しにすることによって、国民を政府に従わせてきた。昔は国民は政府に殺されるのが怖くて、誰も政府に逆らえなかった。
昔は文明が低くて、暴力が使える世の中だった。昔は文明が低かったので、みんなが頭で物を見なかったのでみんなが法律を無視して好き勝手なことをやっていた。
だから、政府も暴力を使っていた。
ところが、今は文明が高くて、暴力が使えない世の中になった。最近は文明が高くなって、みんなが頭で物を見るようになってみんなが法律を守るようになってみんなが暴力を使わなくなった。
だから、政府も暴力を使わなくなった。
だから、今では政府は国民を支配できなくなった。今では国民が政府に逆らっても、政府は国民に何もできない。
だから、今では国民は政府に従わなくてもよくなった。国民は政府の命令を聞かなくてもよくなった。今では国民は政府に税金を払わなくてもいいし、軍事や国家宗教をやらなくてもいい。
政府は暴力が使えなければただの乞食[こじき]だ。乞食に金をやろうがやるまいが国民の勝手だ。
政府は暴力団体である。これまで政府は暴力で国民を支配してきただけである。けっして政府は民主主義で国民を支配してきたのではない。[[14479]を参照。]しかし、今の社会では暴力が使えない。だから、政府は何もできない。国民は政府を恐れず、政府に従わなければいい。
[14490] 国の文明が高くなると暴力は滅ぶ。☆ h24.3.18
政府は暴力団体である。政府は国民に暴力をふって(つまり、国民を手で殴[なぐ]ったり足で蹴[け]ったりして)国民から無理やりお金を取って儲[もう]ける会社である。
ところが、文明国では暴力が使えない。文明国ではみんなが頭で物を見るようになってみんなが法律を守るようになってみんなが暴力をふらないのである。暴力は不滅ではない。暴力は国の文明が高くなると滅ぶのである。
今の日本は文明国である。今の日本ではみんなが子供の頃から大人になるまで勉強して、大人になっても勉強して、みんなが頭で物を見ながら生きているから文明国である。
だから、今の日本では政府が暴力を使えない。だから、政府は国民からお金を取れない。政府は儲からない。政府は滅びるしかない。
今の政府はマンガやドラマなどで「今でも政府が暴力を使える」みたいなことを言って、国民を騙[だま]して政府に従わせている。しかし、本当は『今では政府は暴力が使えない』のである。だから、国民は政府の嘘[うそ]に騙されず、政府に従わなければいいのである。
国は時代が経[た]つとしだいに文明国になって行く。文明国ではみんなが勉強してみんなが頭がよくなってみんなが頭で物を見るようになってみんなが法律を守ってみんなが暴力をふらなくなっている。そのために、暴力団体も暴力をふらなくなって滅んでいるのである。
[14491] 昔はみんなが暴力団体が暴力をふるのを許していた。 h24.3.18
昔は文明が低くて、みんなが勉強をしなくてみんなが頭で物を見ていなくてみんなが自分の心で生きていた。
昔はみんなが法律を無視して好き勝手に生きていたから、みんなが暴力団体が暴力をふるのを許していた。いくら学者が気張[きば]って立派な法律を作っても、法律を守る者がいなければ意味がない。だから、昔は暴力団体が国民にいくらでも暴力をふれたのである。暴力団体と国民は上辺[うわべ]では暴力をふるふられるで敵対していたが、奥底[おくそこ]では暴力団体と国民は自分の心で生きている同じ仲間だったのである。[国民は生まれつき性格がおとなしいので、たとえ法律を破って暴力をふってよくても、暴力をふらなかったのである。反対に、暴力団体は生まれつき性格が凶暴なので、法律を破ってよければ、大喜びで法律を破って暴力をふっていたのである。]
しかし、今は文明が高くて、みんなが勉強をしてみんなが頭で物を見ている。みんなが実在の中で自分の心を満足して幸福に生きている。
今はみんなが法律を守って暴力をふらなくなったから、みんなが暴力団体が暴力をふるのを許さなくなった。だから、今では暴力団体が国民に暴力をふれなくなったのである。さすがの暴力団体もみんなには敵[かな]わないのである。
国の文明が高くなると、暴力団体が暴力がふれなくなって滅ぶ。
国の文明が高くなってしまったのは事実である。事実は認めるしかない。
だから、暴力団体はあきらめて潔[いさぎよ]く滅ぶしかない。
要するに、今は法律のある社会である。だから、みんなが法律を守らねばならない。だから、暴力団体が法律を破るのは許されないのだ。例えば、政府は国民から税金を取ってはいけないし、国民に軍事や国家宗教をやらせていはいけないし、政府が自分で国家宗教などで国民を殺すのもいけないのだ。
[14492] 今は割り切れない時代☆ h24.3.18
昔は暴力が使えたから、政府が暴力を使って国民を支配していた。国民が政府に従わないと政府に殺されたので、国民全員が必ず政府に従わねばならなかった。
ところが、今は暴力が使えない。だから、政府が暴力を使えず国民を支配していない。国民が政府に従わなくても政府に何もされないので、国民は政府に従わなくてもかまわない。
しかしながら、国民の多くは政府が暴力団体であることを知らず政府が民主主義の政治機関だと思って政府に従っているし、政府が暴力団体であることを知っている国民でも、今の社会では暴力が使えると思って、やはり政府に従っている。その結果、国民の大半が政府に従っている。
だから、今の時代は、政府に従わない国民と政府に従う国民が混在している。今の時代は国民が政府に従うまいが従おうがどちらでもいいのである。
しかし、年々政府に従わない国民が増えているようである。だから、政府は年々景気が悪くなっている。政府はそのうち潰[つぶ]れるだろう。
[14493] 今の政府は暴力の使えない暴力団体である。☆ h24.3.18
政府は暴力団体である。政府は性格が凶暴な者の集まりだから、暴力団体なのである。昔の社会には法律がなかったので、政府は国民に暴力をふって国民からお金(税金)を取って儲[もう]けていたのである。政府は国民に暴力をふって命令して国民に軍事(戦争)や国家宗教などをやらせて喜んでいたのである。政府は自分で国家宗教などで国民を殺して喜んでいたのである。政府は性格が凶暴だから、国民を嫌がらせたり殺したりするのが好きなのである。
今(だいたい戦後)の社会には法律がある。今の社会では暴力がふれない。今の社会は文明が高くなって、みんなが頭で物を見るようになってみんなが法律を守るようになってみんなが暴力をふらなくなったのである。
だから、今の社会の中では、政府は国民から税金を取れない。政府は国民に軍事や国家宗教などをやらせられない。政府はただ自分独[ひと]りで密かに国民を国家宗教などで殺して喜ぶことができるだけである。
つまり、今では国民は政府に税金を払わなくていい。政府の命令で軍事や国家宗教などをやらなくていい。だから、実際に今の世界では政府が儲からなくなって貧乏になっているし、戦争や国家宗教がなくなっているのである。
今の政府は暴力の使えない暴力団体である。だから、今の政府は国民に対して何も命令できない。今の政府はただ独りで密かに国民を殺して喜ぶことしかできない。今の政府はくだらない犯罪組織にすぎない。だから、国民は政府を恐れず、政府に従わなくてもいい。
私の『理論』によれば、今の国民は政府の命令を聞かなくていい。政府に税金を払わなくていいし、政府の命令で軍事や国家宗教などをやらなくていい。私の理論を信じる者はそうすればいい。私の理論を信じない者は、政府に税金を払って政府の軍事や国家宗教の命令を聞けばいい。はたして、どちらが正しいのだろうか?
[14494] 世の中を決めるのは人の心ではなく物である。☆ h24.3.19
昔の国民にとっては、暴力団体に暴力で脅されるのが嫌だった。しかし、昔の社会は文明が低かったから、みんなが頭で物を見ずに心で物を見ていたから、みんなが法律を無視して好き勝手に暮らしていた。だから、昔の国民は暴力団体が暴力をふるのを我慢[がまん]していた。
昔の人々にとっては夏暑いのは嫌だったが、昔はクーラーがなかったので暑いのを我慢[がまん]していたのと同じことである。
今の国民にとっても、暴力団体に暴力で脅されるのは嫌である。今では文明が高くなったから、みんなが頭で物を見るようになって心を頭に従わせるようになたから、みんなが法律を知って法律を守って暮らすようになっている。だから、今の国民は暴力団体が暴力をふるのを我慢しない。今の国民は暴力団体が暴力をふるのを許さない。暴力団体自身も暴力をふるのはいけないことだと思っている。だから、今の国民は暴力団体が暴力をふることに反対して、暴力団体が国民に暴力をふらなくなっているのである。国民が暴力団体の命令に従わなくてもよくなっている。今では、暴力団体に従わなくてもいいことを知らない時代遅れの国民がいまだに暴力団体に従っているだけである。
いくら国民が暴力団体に従うのが嫌でも、国の文明が遅れていれば、国民は暴力団体に従わざるを得なかった。反対に、いくら国民が暴力団体に従うのが好きでも、国の文明が進んでいれば、国民は暴力団体に従わなくてもかまわない。国民が暴力団体に従わなければならないか従わなくてもいいかを決めるのは、国民の気持ちではなく、当時の国の文明水準である。今の日本は文明が高くなったから、国民は暴力団体に従わなくてもよくなって、暴力団体が退散しているのである。
世の中は人の心よりも物によって客観的に決まる。人の心はその時代の物に乗っかって喜怒哀楽を感じているだけである。
[14495] 人の心も頭も眼で見えない。 h24.3.19
人間の心には乱暴な心とおとなしい心の区別がある。乱暴者は心が乱暴だから乱暴するのである。おとなしい者は心がおとなしいからおとなしいのである。だから、昔の法律のない心のままの世界では、乱暴者がおとなしい者に暴力をふっておとなしい者を支配していたのである。
人間の頭(知覚)には法律のある頭と法律のない頭がある。昔はみんなが法律のない頭だったから、みんなが法律を無視して自分の好き勝手にやっていた。乱暴者は乱暴に、おとなしい者はおとなしくやっていた。だから、乱暴者がおとなしい者を暴力で支配したのである。今はみんなが法律のある頭だから、みんなが法律を守って暴力を使わなくなっている。乱暴者もおとなしい者も等しく法律を守っている。だから、乱暴者もおとなしい者も暴力を使わなくなって平等になったのである。乱暴者がおとなしい者を支配できなくなって、おとなしい者が乱暴者に従わなくなったのである。今では学校の社会科で法律を教えるし、テレビや新聞でも毎日法律のことをやっているから、今ではみんなが法律のことを知っている。みんなの頭の中には法律がある。今ではみんなが法律のある頭になっている。
人の心も頭も眼では見えない。しかし、昔の世界は人の心が動かしていたし、今の世界は人の頭が動かしている。この世は、眼で見えないものによって眼で見えることが決まるのだ。
[14496] 政府は戦争をするための機関ではない。 h24.3.19
昔の人は、政府を戦争をするために機関だと思っていた。政府が戦争をして外国の宝物のを奪って国を豊かにしてくれると思っていた。だから、政府が多少国内で国民に乱暴をしてもおとなしく我慢していたのである。
しかし、それは昔の人の誤解である。政府は国民のためにある機関ではない。政府は自分のために暴力を使って好き放題にする機関である。だから、政府は暴力を使って国民から無理やり税金を取ったし、国民を嫌がらせるために国民に戦争や国家宗教をやらせた。つまり、戦争は政府の国民に対する嫌がらせだったのである。政府は国民の税金を使って国民に戦争をやらせていたのである。だから、戦争は国民にとって損なだけであって、国民が得をするものではない。政府が戦争をやって国民を豊かにしてくれるなんて、誤解にもほどがある。そういう誤解が国を滅ぼすのだ。[今の国民の多くが政府を民主主義の政治機関だと誤解していることも、国を滅ぼす原因なのだ。]
ヨーロッパが豊かなのは、ヨーロッパ人が頭が良くて頭を使って一生懸命自分の暮らしをよくしているからであって、政府に戦争をやらせて稼[かせ]がせているからではない。植民地は、ヨーロッパ人が自分の頭のよさを世界中の人々に見せびらかすためにやっている遊びであって、ヨーロッパが植民地の財産を奪うことではない。後進国は自分が食べていくのがやっとだから、先進国が取るほどの財産はない。むしろ、反対に、ヨーロッパは植民地のためにたくさんお金を使って赤字になっているのである。ヨーロッパは自分の植民地にヨーロッパの文化を植えつけるためにたくさんお金を使っていたのである。植民地はお金のかかる遊びなので、貧乏国の日本にはとうてい真似[まね]できることではない。
政府は国民のためにある機関ではない。昔は法律のない社会だったから、暴力団体の政府が暴力で国民を好き放題にして国民を支配していただけである。政府は自分の命令を聞かない国民を暴力で殺して、国民を政府に服従させていたのである。政府は自分のために国民から税金を取って、自分のために国民を戦争や国家宗教などで嫌がらせていただけである。政府は政府自身のためにある機関であって、国民のためにある機関ではないのである。
しかし、今は法律のある社会である。だから、みんなが暴力をふることができない。政府も暴力をふるいことができない。だから、今では政府は国民を支配できない。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせることができない。
[14497] 国民の誤解が国を滅ぼす。 h24.3.19
今では法律のある社会になっているから、国民は暴力団体に従わなくてもかまわない。政府は暴力団体である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、今でも国民の多くは政府を民主主義の政治機関だと誤解して政府に従って政府に税金を払っている。あるいは、政府が暴力団体だと知っていても、今でも法律のない社会だと思って政府が暴力をふれると思って政府に従って、政府に税金を払ったり政府の軍事や国家宗教の命令を聞いたりしている。
そのために、政府は今でも国民から税金をもらって働かずに楽に暮らして、しかも自分独[ひと]りで密かに国民を国家宗教で嫌がらせたり殺したりして遊んで喜んでいる。
国民の多くが政府や今の社会を誤解して政府に従っているために、今でも政府は国民みんなを嫌がらせたり殺したりしている。そのうち政府が国民みんなに世界大戦をやらせて、日本に水爆が落とされて日本人が全滅するかもしれない。
国民の誤解が国を滅ぼす。国民の政府や今の社会に対する誤解が国を滅ぼす。だから、国民は正しく政府や今の社会を理解して、政府に従ってはいけない。国民が正しい理解を持てば国が救われる。
今の日本を国民にとって不幸な国にしているのは、国民自身の政府や今の社会に対する誤解のせいである。国民が政府や今の社会を誤解しているために、政府が国民に国家宗教などで嫌がらせをして、国民が不幸になっているのである。国民は自分で自分を不幸にしている。だから、国民は早く自分の誤解を直して、政府に従うのをやめて、政府をこの世からなくさねばならない。
[14498] 昔の政府と今の政府の違い h24.3.19
政府は暴力団体である。政府はいつの時代でも暴力団体である。政府は昔も今もあいかわらず暴力団体である。政府は世界大戦以前も世界大戦以後も同じ暴力団体である。
しかし、社会は昔と今では違っている。昔の社会には法律がなくて暴力がふれたが、今の社会には法律があって暴力がふれなくなっている。
だから、昔の社会では政府が暴力をふることができた。昔の社会では政府が国民の眼の前で正々堂々と国民に暴力をふって国民に命令していた。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で殺すことによって、国民を政府に従わせていた。昔の政府は国民に暴力をふって国民から税金を取ったり、国民に命令して戦争や国家宗教などをやらせたり、あるいは自分で国家宗教などで国民を嫌がらせたり殺したりして遊んだりしていた。
反対に、今の社会では政府が暴力をふることができない。今の社会では政府が国民に暴力をふれなくなって国民に命令できなくなっている。だから、今の政府は国民から税金を取れないし国民に命令して戦争や国家宗教などをやらせられなくなっている。今の政府は自分独[ひと]りで密かに国家宗教をやって国民を嫌がらせたり殺したりして遊んでいるだけである。
つまり、昔の政府と今の政府の違う点は、国民から税金を取ることと国民に戦争や国家宗教などをやらせることである。昔の政府と今の政府の同じ点は、自分独りで密かに国民を国家宗教などで嫌がらせたり殺したりして遊んでいることである。今の社会では暴力が使えないぶん、政府のやることが減ったのである。政府自身は同じでも、社会が変ったために、政府のやることが変わったのである。今の社会では政府は暴力を使って国民に命令することができず、自分独りで密かに犯罪を犯すことしかできない。つまり、今の政府は暴力団体ではなく、ただの犯罪組織である。
今の国民は政府や今の社会のことをよく理解して、それに見合った行動をしなければならない。
[14499] 戦後どうして貴族がなくなったか? h24.3.20
貴族は、政府がお金をやって特に贅沢[ぜいたく]をさせていた者である。ヨーロッパ政府が貴族制をやっていたので、日本政府もヨーロッパ政府を真似[まね]て、どうでもいいカスに貴族をやらせていたのである。
ところが、戦後から法律のある社会になってみんなが暴力がふれなくなった。政府が国民に暴力をふれなくなったために、かなりの国民が政府に税金を払わなくなった。
だから、戦後から政府の税収がガタンと減った。
そのために、政府が貴族にお金をやる余裕がなくなって貴族がなくなったのである。
今では、馬鹿な国民が政府に税金を払っているだけである。馬鹿な国民が政府に税金を払わなくなれば、政府は完全に潰[つぶ]れるだろう。政府も貴族のようになくなるだろう。
馬鹿な国民のせいで政府が潰[つぶ]れるのが遅れて、国民みんなが政府に嫌がらされたり殺されたりしている。政府も悪いが、政府を養[やしな]っている馬鹿な国民がもっと悪い。政府も馬鹿な国民もいっしょに死んでいなくなればいい。そうすれば、日本がいい国になる。
[14500] それでも政府は回っている。 h24.3.20
政府は暴力団体である。政府はヨーロッパ式の国家暴力団体である。
明治以降、国民がヨーロッパ文化を取り入れるようになったので、日本の国家暴力団体がヨーロッパ政府を真似[まね]てヨーロッパ式の国家暴力団体になったのである。日本政府はヨーロッパ政府と同じように、国民に戦争や国家宗教をやらせたのである。[[14473]を参照。]
日本にヨーロッパ文化を取り入れたのは国民であって、政府ではない。日本を近代化したのは国民であって、政府ではない。政府は、国民が日本を近代化するのをそばで見ていただけである。
日本の主役は国民であって、政府は脇役である。政府はしょせん暴力団体だから、政府はせいぜい暴力を使って国民から税金を取って国民に嫌がらせをするだけである。昔の暴力が使える社会においてすら政府は脇役だった。今の暴力が使えない社会においては、政府はなおさら脇役である。ザコである。
政府の周りを国民が回っているのではない。国民の周りを政府が回っているのだ。政府は国民の周りをウロチョロしているやくざのチンピラである。[下図参照。]
国は政府が中心ではない。国民が中心なのだ。
