[14301] どうして明治時代の日本人は貴族制を取り入れたか? h24.2.27
日本人は昔から平等制が好きだから貴族制を取り入れないはずである。
それなのに、明治時代の日本人は貴族制を取り入れた。
それは、日本人が字面[じづら]に弱いからである。日本人が字面しかわからなかったからである。
明治時代の日本人は貴族と書いているのを見て“貴[とうと]い一族”のことだと思ったから日本に取り入れたのである。貴族が貴い意志で日本をよくしてくれると思ったから、貴族制を日本に取り入れたのである。
しかし、実際には、貴族の定義は国民よりも上の者であるだけで、国民を好き放題にする野蛮人だったのである。貴族は国民から無理やりお金を取って、遊び半分に国民を嫌がらせる“下品な連中”だったのである。
日本人は字面に弱い。
だから、戦後に貴族制を廃止したときにも、日本人は純粋な貴族だけが貴族だと思って、政府や暴力団や宗教団体は貴族ではないと思って、純粋な貴族だけがなくなって、政府や暴力団や宗教団体が残ったのだ。
貴族は貴い一族ではない。貴族は国民からお金を取って国民を嫌がらせるくだらない連中である。だから、日本には貴族制を取り入れてはならない。日本人は字面よりも意味で考えねばならない。日本人のいい方に考えたがるおめでたい根性を直さなければならない。
日本人は眼先のことがわかるだけで中身がわからない。日本人は馬鹿だ。日本をいい国にしようとするのが無理な話だ。日本を日本人にとって幸福なことで固めると、日本は駄目[だめ]な国になるだけだ。馬鹿臭い国になるだけだ。国民が馬鹿ではいい国を作れない。国民が馬鹿では幸福にはなれない。日本は発展しないだろう。日本人は幸福になれないだろう。
国に少しばかり頭のいい人がいても変わらない。実質的には大勢で決まるのだ。頭のいい人が大勢を引っ張っていくのは嘘[うそ]だ。逆に頭のいい人が大勢に足を引っ張られるのだ。ヨーロッパでは大勢が頭がいいから国が前に進むのだ。日本では大勢が馬鹿だから国が後ろに進むのだ。だから、後進国というのだ。日本は救いようのない国だ。

[14302] 税金や軍事や国家宗教とは何か? h24.2.28
税金や軍事や国家宗教は政府の国民に対する虐待[ぎゃくたい]である。税金や軍事や国家宗教は政府が国民を虐待するための手段である。政府は貴族(国民よりも上の者)だから、国民を税金や軍事や国家宗教で虐待するのである。
ヨーロッパ人は虐待されるのが好きだから、税金や軍事や国家宗教が好きである。
反対に、日本人は虐待されるのが嫌だから、税金や軍事や国家宗教は嫌いである。

だから、ヨーロッパ人にとっては、政府は国民を幸福にする。
反対に、日本人にとっては、政府は国民を不幸にする。
だから、ヨーロッパ人にとっては、政府が必要である。
反対に、日本人にとっては、政府は要らない。
だから、ヨーロッパ人は自分を幸福にするために政府を建てて、政府に虐待してもらえばいい。
反対に、日本人は自分を幸福にするために政府をなくして、政府に虐待されないようにすればいい。
科学文明はヨーロッパ人にとっても日本人にとっても幸福である。
しかし、政府はヨーロッパ人にとっては幸福だが、日本人にとっては不幸なのだ。
だから、ヨーロッパ人は科学文明や政府をやればよかったのだ。実際に、やっていたのだ。
だから、日本人はヨーロッパの科学文明だけを取り入れて、政府を取り入れてはならなかったのだ。だから、今後は日本人はヨーロッパの科学文明を日本に取り入れて、政府を日本からなくせばいいのだ。政府と同じように、暴力団や宗教団体などの貴族を日本からなくせばいいのだ。
日本人は日本を日本人にとって幸福なことで固めて、不幸なことをなくして、日本を日本人にとって幸福な国(空間)にすればいいのである。
頭のいい奴[やつ]には変な趣味がある。だから、頭のいい奴を真似[まね]てはいけない。

[14303] ヨーロッパ人は鬱病[うつびょう]である。 h24.2.28
人間は鬱病にかかると、自分自身を虐待するものである。人間は自分が面白くないことをして気分が落ち込むと、自分自身を虐待するものである。
ヨーロッパ人は面白くないことをしているから気分が落ち込んで政府に虐待してもらっているのである。ヨーロッパ人は自分の心を満足していないから気分が落ち込んで、自分を虐待するためにわざわざ政府を建てて、政府に虐待してもらっているのである。
ヨーロッパ人はつまらない見栄[みえ]を張って自分の本心を見失っている。ヨーロッパ人はキザすぎて、自分の本心を満足できなくなっている。ヨーロッパ人は毎日自分が面白くないことばかりやっている。だから、ヨーロッパ人は自分の心が満足できずに、落ち込んでいるのである。政府に虐[いじ]めてもらわなければならなくなっているのである。
ヨーロッパ人には自分の心を満足して生きる術[すべ]がない。つまり、道徳がない。だから、ヨーロッパ人は不幸である。ヨーロッパ人は幸福そうで、じつは不幸なのである。ヨーロッパはお金持ちで物が豊かだが、心が貧しいのである。心が満足できていないのである。ヨーロッパ人はいつも死にたがっているのである。磔[はりつけ]にされたキリストをうらやましがっているのである。だから政府に虐待されて喜んでいるのである。
人間は頭だけではない。人間には心がある。ヨーロッパ人はたとえ馬鹿になっても、自分の心を満足しながら暮らしたほうがいい。ヨーロッパ人はたとえ貧乏になっても、自分の心を満足しながら暮らしたほうがいい。ヨーロッパ人はたとえ死んでも、自分の心を満足しながら暮らしたほうがいい。ヨーロッパ人は、もっと自分の心を見て自分の心を満足するようにしなければいけない。ヨーロッパ人は自分の心を満足して幸福に暮らさなければならない。ヨーロッパ人は自分を虐待するのをやめねばならない。ヨーロッパ人はキリスト教や貴族制をやめねばならない。
反対に、日本人は昔から自分の心を満足して生きている。だから、日本人は馬鹿である。日本人は貧乏である。馬鹿も貧乏も日本人の誇[ほこ]りである。だから、日本人は自分を虐待しなくていい。だから、日本人にはキリスト教も貴族制も要らないのだ。政府や暴力団や宗教団体は要らないのだ。

[14304] 日本政府はどうして日本人を虐待していたか? h24.2.28
ヨーロッパ政府はヨーロッパ人を税金や軍事や国家宗教で虐待している。ヨーロッパ人はヨーロッパ政府に虐待されてうれしがっている。
だから、日本政府も日本人が喜ぶのではないかと思って、これまで税金や軍事や国家宗教で日本人を虐待していたのである。
しかし、実際には、これまで一度も日本人は日本政府に虐待されて喜ばなかった。
だから、今頃になってようやく日本政府は日本人を虐待するのをやめたのである。
日本政府は日本人の様子[ようす]を見るために、これまでしばらくの間試験的に税金や軍事や国家宗教で日本人を虐待してきたのである。つまり、日本政府は日本人を実験していたのである。最近になって、ようやく日本政府は日本人とヨーロッパ人の違いがわかったので、日本政府は日本人を虐待するのをやめたのである。
そもそも日本政府は貴族である。日本政府は国民よりも上の者である。日本人には他人に虐待される趣味はない。日本人はヨーロッパ人とは身体も文化も違うから、日本人にはヨーロッパ人のような他人に虐待される喜びはないのである。だから、日本人は政府が要らない。だから、日本人は日本から政府をなくせばいいのである。暴力団や宗教団体もなくせばいいのである。今頃政府が国民を虐待しなくなったからといって、国民が政府を大目に見て許してやることはない。政府はものわかりが遅すぎる。だから、国民は政府に責任を取らせて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
そもそも政府は国民と平等である。これまで政府は国民を喜ばせるために、国民から税金を取って国民を軍事や国家宗教で虐[いじ]めてきたのである。つまり、政府は“国民を虐待する仕事をする人”であって、国民よりも上の者ではないのである。解析力学で慣性力を力に含めれば動力学が静力学に還元できる(つまり、力が消せる)ように、“国民を虐待する仕事”を仕事に含めれば政府と国民は平等になるのである。政府と国民は平等なのである。政府は国民よりも上の者のふりをして、馬鹿な国民をからかっていただけである。だから、国民が政府に従いたくなければ、政府に従わなければいいのである。
今では暴力団や宗教団体は他人に虐められたい国民を訪問[ほうもん]して“虐める仕事”をやって仕事代としてお金をもらっているのである。それなら、暴力団や宗教団体は仕事をやってもいい。しかし、国民の大半は他人に虐められたくはない。だから、国家的には“国民を虐待する仕事”はやれない。だから、政府は滅ばなければならないのである。日本人の大半にとっては“国民を虐待する仕事”は要らない。だから、“国民を虐待する仕事”をする政府も要らないのである。

[14305] 貴族とは何か? h24.2.28
貴族とは国民を虐待する仕事をする者のことである。貴族とは“嫌がらせ屋[や]”のことである。
貴族とは国民よりも上の者のことではない。貴族はあくまでも仕事だから、国民よりも上の者ではない。

ヨーロッパ人は他人に虐待されるのが好きだったから、貴族があったのである。ヨーロッパ人は貴族に虐待してもらって喜んでいたのである。
昔の日本人もヨーロッパ人を真似て日本には貴族があった。純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族があった。昔の日本では日本人が純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族に虐められていた。日本人は貴族に無理やりお金を取られて、貴族に遊び半分に嫌がらされていた。
しかし、そもそも日本人は他人に虐待されるのが好きではない。だから、日本には貴族は要らない。昔の日本はヨーロッパブームだったので、日本人にとっては貴族が物珍しかったので貴族が流行[はや]っていた。貴族が儲[もう]かっていた。しかし、今の日本はヨーロッパブームではない。だから、今の日本では貴族が廃[すた]れてなくなっているのである。純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族がなくなっているのである。特に、政府は国家的な嫌がらせ屋だから国民にとっては政府が要らないから政府がなくなっているのである。もっとも、政府は副業として国民の役に立つこともやっていた。例えば、法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などもやっていた。今の政府は潰[つぶ]れている。だから、今では政府の副業の会社が政府から分離独立して民営化しているのである。

[14306] 政府は国民の役に立つことをする会社である。 h24.2.28
政府は国民みんなを喜ばせる会社である。政府の中にはいろんな会社があっていろんな仕事をやっている。[[14183]の図を参照。]
ヨーロッパ人は他人に虐待されるのが好きだったから、ヨーロッパでは政府の中に“国民を虐待する会社”があった。国民は政府の中の“国民を虐待する会社”に虐待してもらって喜んでいた。ヨーロッパでは政府と国民は平等であって、ただ政府の中に“国民を虐待する会社”があっただけである。政府の中の“国民を虐待する会社”が国民から税金を取ったり国民に軍事や国家宗教をやらせたりして国民を虐[いじ]めていたのである。
近代の日本人は文明開化でヨーロッパ人を真似ていた。ヨーロッパには貴族がいたから日本でも貴族を設けた。[貴族は国民を虐待せずに、何らかの方法で貴族をやっていたのだろう。貴族は国民よりも上の者だった。だから、戦後に人間がみな平等になったとき、貴族が真っ先になくなったのだ。反対に、政府や暴力団や宗教団体は国民と平等なのである。政府や暴力団や宗教団体は国民と平等なまま“国民を虐待する仕事”をやっているのである。だから、戦後に人間がみな平等になっても政府や暴力団や宗教団体は残ったのだ。つまり、今の世界では人間はみな平等なのである。]ヨーロッパには政府があったから、日本でも政府を建てた。ヨーロッパ政府の中には“国民を虐待する会社”があったから、日本政府の中にも“国民を虐待する会社”があった。日本政府の中の“国民を虐待する会社”は国民みんなから無理やりお金(税金)を取って、国民みんなを遊び半分に軍事や国家宗教で虐[いじ]めていた。あんまり政府が景気がよかったので、政府を真似て民間で国民を虐待する会社を建てる者が現れた。それが、暴力団や宗教団体である。暴力団や宗教団体は他人に虐待されたい国民を虐待してお金をもらって儲けていた。
つまり、政府や暴力団や宗教団体は“国民を虐待する会社”であって貴族ではない。国民を虐待する会社は貴族とは別物である。だから、戦後に貴族制が廃止されたとき、純粋な貴族だけがなくなって、政府や暴力団や宗教団体などの“国民を虐待する会社”が残ったのである。政府は国営の(つまり国民全員で経営する)国民を虐待する会社であって、暴力団や宗教団体は民営の(つまり国民の一部で経営する)国民を虐待する会社である。
もっとも、政府は“国民を虐待する会社”のほかに、法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社や鉄道会社や郵便会社などもやっていた。政府にとっては“国民を虐待する会社”は他の法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社や鉄道会社や郵便会社などと同じように、国民を喜ばせる国民を幸福にする国民の役に立つ会社のつもりだったのである。
しかし、実際には、日本人はヨーロッパ人と違って他人に虐待されるのが嫌だったから、日本人にとっては政府の“国民を虐待する会社”は余計なサービスだったのである。だから、日本人は政府の“国民を虐待する会社”のことを『小さな親切大きなお世話』と言うのである。
日本人はヨーロッパ人と違って他人に虐待されるのが好きではない。日本人とヨーロッパ人の心は少し違う。だから、日本人にとっては日本政府の“国民を虐待する会社”の税金や軍事や国家宗教などの仕事は要らない。日本人にとっては日本政府の“国民を虐待する会社”は要らない。だから、日本政府はよりいっそう日本人の役に立つために“国民を虐待する会社”を撤廃[てっぱい]しなければならない。日本政府はヨーロッパ政府の受け売りではいけない。日本政府は日本人の心に合うようにヨーロッパ政府を改良しなければならない。日本政府はヨーロッパ政府から日本人を不幸にする会社を取り除き、日本人を幸福にする会社を付け加えねばならない。そうすれば、日本政府は日本人にとってよりよい会社になる。そうすれば、日本政府は国民全員と契約を取って儲[もう]かる会社になる。
そもそも政府と国民は平等である。国民が政府の世話になろうがなるまいが国民の勝手である。だから、政府は多くの国民と契約を取るために、国民の役に立つことをして、国民の役に立たないことをしてはいけない。政府は国民を幸福にすることをして、国民を不幸にすることをしてはいけない。そうしなければ、国民は政府の世話になるのをやめて、政府に税金を払わなくなって、政府は潰[つぶ]れるだろう。国民は政府の客である。だから、政府は国民が喜ぶことをしなければならない。国民が嫌がることをしてはいけない。

[14307] 今の世界では人間はみな平等である。 h24.2.28
政府と国民は平等である。
政府の中には“国民を虐待する会社”があって、国民を虐待する会社は税金や軍事や国家宗教などで国民の嫌がらせをやっている。国民を虐待する会社にとっては国民を虐待することは仕事である。国民を虐待する会社は国民のために国民を虐待してあげているのである。だから、国民を虐待する会社と国民は平等である。つまり、政府と国民は平等である。
国家宗教の神は、政府が国家宗教をやるために必要な者である。政府は国家宗教の神の情報を使って国民に嫌がらせをやっている。国家宗教の神はただたんに“政府が国家宗教をやるために情報を使う者”のことである。国家宗教の神は人間よりも上の者ではない。[戦前は、天皇が貴族よりも上だったから、貴族は国民よりも上だったから天皇も国民よりも上だった。天皇が日本の中では一番上だった。戦後は、天皇が人間宣言をして人間になったから、天皇は国民と平等になった。だから、戦後は政府も国民も天皇も私もみんな平等なのである。政府は最初から国民と平等である。政府はいつも国民と平等である。政府は古代も中世も近代も現代もいつの時代でも国民と平等である。]
つまり、今の世界では政府も国民も国家宗教の神もみな平等なのである。
政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民はあんまり政府が嫌だったら、政府に税金を払うのをやめて政府の世話になるのをやめてもいい。今の国民にとっては政府の“国民を虐待する会社”が嫌である。だから、今の国民は政府の世話になるのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰したほうがいい。

[14308] 国民を虐待[ぎゃくたい]する会社 h24.2.28
この世には、政府や暴力団や宗教団体という“国民を虐待する会社”がある。
国民を虐待する会社は神ではない。国民を虐待する会社は貴族ではない。国民を虐待する会社は国民よりも上の者ではない。
国民を虐待する会社は国民と平等である。国民を虐待する会社にとっては国民を虐待するのは仕事である。国民を虐待する会社は、国民のために国民を虐待するのだから、国民を虐待する会社と国民は平等である。
国民を虐待する会社は国民と平等である。だから、国民を虐待する会社は国民に虐待の押し売りはできない。つまり、国民が虐待が欲しければ国民を虐待する会社から虐待を買えばいいが、国民が虐待が欲しくなければ国民を虐待する会社から虐待を買わなければいい。国民が国民を虐待する会社に虐待されたければ虐待する会社に頼んで虐待してもらえばいいが、国民が虐待する会社に虐待されたくなければ虐待する会社に断って虐待してもらわなければいい。例えば、国民が政府に虐待されるのが嫌なら、政府の世話になるのをやめて政府に税金を払わなければいい。変態でないかぎり、国民を虐待する会社に仕事を頼まないだろう。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて、政府に国民を虐待する仕事をしてもらわなければいいのである。政府は副業として多少国民の役に立つ仕事もしているが、国民にとっては国民を虐待する仕事のほうが嫌である。だから、国民は政府に税金をやるのをやめて政府を潰せばいいのである。国民は政府を潰して、政府の中にある副業の会社に政府から分離独立して民営化させればいいのである。

[14309] 政府と幕府 h24.2.28
政府は国民と平等である。ただし、政府は“国民を虐待する仕事”をしている。政府は国民から税金を取ったり、国民を軍事や国家宗教で虐待している。政府は国民の役に立つ仕事も少しやっている。
一方、幕府は国民と不平等である。幕府は国民よりも上である。だから、幕府は国民から税金を取る。ただし、幕府は国民を虐待する仕事をしていない。幕府は国民から税金を取るだけで、国民を軍事や国家宗教で虐待しない。幕府は国の政策も多少はする。ただし、幕府はヨーロッパの物質文明を受け入れない。
政府も幕府も国民にとっては嫌なところがある。国民にとっては政府も幕府も両方ともいい会社ではない。
幕府は国民よりも上だから、国民は幕府には逆らえない。しかし、政府は国民と平等だから、国民は政府には逆らえる。今の政府は“国民を虐待する仕事”をしているから、国民は政府の仕事を断ればいい。国民は政府に税金を払わずに政府を潰せばいい。政府の代わりに“国民を虐待する仕事”をしない国民の役に立つ仕事だけをする会社を建てればいい。
今では『人間が平等である』国は当たり前である。これからは『人間が虐待されない』国を作らねばならない。政府のない国を作らねばならない。税金は国民に対する虐待である。だから、税金を廃止しなければならない。

[14310] 政府と国民は平等である。 h24.2.28
政府と国民は平等である。
それなのに、政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。
だから、政府が悪い。
政府はなくならねばならない。
国民は政府を倒して、国民を虐待しない国民の役に立つ会社を建てねばならない。
政府と国民は平等だから、国民は政府に税金をやるのをやめて、政府を倒産させればいいのである。[今の政府が国民に命令できるのは政府が民主主義だからである。政府と国民は平等だから、政府が国民に命令できるためには政府が民主主義でなければならない。政府は自分が民主主義だと言っているが、民主主義で国民を虐待するはずがない。日本人は虐待されるのが嫌だから、民主主義で政府が国民を虐待するはずがない。日本人は政府に税金を取られるのが嫌だから、民主主義で政府が国民から税金を取るはずがない。だから、政府は民主主義ではない。だから、政府は国民に命令できない。したがって、国民は政府の命令に従わなくてもかまわない。例えば、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。]
政府が国民を虐待しているのは、国民に早く自分を倒してもらいたいからである。
だから、国民は政府を倒せばいいのである。
政府は国民が政府に文句を言わないから、国民が政府に虐待されたいと思って、いつまでも国民を虐待し続けているのである。
今の世界では人間はみな平等である。政府と国民は平等である。だから、国民は政府に文句を言えばいいのである。国民は政府に税金を払わないことによって政府に文句を言えばいいのである。そうすれば、政府も国民の気持ちがわかって国民を虐待するのをやめるだろう。政府は国民から税金を取るのをやめるだろう。したがって、政府は滅びるしかないのだ。

[14311] 日本人は政府が嫌[いや]である。 h24.2.29
政府は国民を虐待[ぎゃくたい]する会社である。
なぜなら、税金は国民に対する虐待であり、政府は税金で経営しているからである。

政府は税金のほかにも軍事や国家宗教などで国民を虐待している。
政府の中にいくつか国民の役に立つ会社があるというだけのことである。それらの会社も国民の税金で経営しているから、国民を虐待する会社だと言える。
政府は国民を虐待する会社である。
しかし、日本人は他人に虐待されるのが嫌である。
だから、政府は日本にあってはならない。
したがって、政府を日本からなくさなければならない。
そのためには、国民が政府をなくすようにすればいい。国民が政府の命令を聞くのをやめて、政府に税金を払うのをやめて、政府を倒産させればいい。そうすれば、政府の中にある国民の役に立つ会社が政府から分離独立して民営化されるだろう。
国は国民が好きなように作るものである。国は国民で改善するものである。国は国民が作るものであって、政府が作るものではない。そもそも政府は国民が作った物である。政府は明治時代の国民が作った物である。明治時代の日本は西洋ブームだったから、国民はヨーロッパを真似[まね]て政府を作ったのである。しかし、平成時代の日本は西洋ブームではないから、もはや政府はどうでもいい。政府は国民を虐待するから嫌である。ヨーロッパ人は虐待されるのが好きだから政府で満足しているが、日本人は虐待されるのが嫌だから政府に不満である。日本では政府は要らない。日本には政府はあってはならない。だから、日本人は政府を倒せばいいのである。政府は自分ではなくなってくれない。国民が作った物は、国民で壊すしかないのである。国は国民が作るものだから、政府は国民には逆らえない。だから、国民が政府が嫌なら政府を倒せばいいのである。
政府全体が国民を虐待する会社だから、国民は政府に改善を望めない。国民が虐待されるのが嫌なら、政府全部をなくすしかない。国民は政府を倒して、政府の代わりに国民を虐待しない国民から税金を取らない国民の役に立つことだけをする会社を建てねばならない。
政府も大人気[おとなげ]ない。仕事は他人からお金をもらえればいいだけである。わざわざ国民を虐待する方法(税金のこと)で国民からお金を取らなくてもいい。普通の民間会社のように国民と契約して国民に仕事をして国民からお金を取ればいいのである。国民を虐待する方法で国民からお金を取っていたら、そのうち国民は嫌になって政府にお金を払わなくなるだろう。今の世界では人間はみな平等だから、いくら政府が国民を嫌がらせても国民は政府を上の者だと思わない。かえって政府が国民の反感を買って国民が政府から離れていくだけである。だから、政府はさっさと国民を虐待する会社を撤廃して民営化して、国民の満足できる方法でお金を取ればいいのである。

[14312] 政府は日本人の嫌われ者である。 h24.2.29
政府は国民を虐待する国民と平等な会社である。つまり、政府は国民を虐待する会社であって、かつ国民と平等な会社である。そもそも政府は古代に出来たときからずっと国民と平等である。ただ、天皇が国民よりも上の者であっただけである。貴族と天皇が上の者であるだけで、政府は国民と平等である。政府にとっては国民を虐待するのが仕事だから、政府は国民を虐待しているのである。政府は国民が虐待されるのが好きだと思って、国民を喜ばせるために国民を虐待してあげているのである。[他人に虐待されるのが好きなのは、昔のヨーロッパ人の趣味だったのだろう。小説やマンガで政府が上の者みたいなことを書いているのは、マンガや小説が空想の世界だからである。空想の世界ではまちがいをやってもいいので、政府を国民よりも上の者にしているのだ。マンガは実在と反対である。例えば、『陸上防衛隊まおちゃん』では銀河大王がかわいいエイリアンで日本を攻撃してまおちゃんたち防衛隊3人組が防衛結界で日本を守ることになっている。銀河大王とはヨーロッパ人のことで、かわいいエイリアンとは西洋文化のことである。話の上では、日本政府が国家宗教で日本の文化を守っていることになっている。しかし、実際には日本政府はヨーロッパ政府の真似[まね]であり、日本政府はヨーロッパ政府を真似て国家宗教で国民を虐待しているのである。だから、作り話はぜんぜんデタラメなのである。反対に、外道[げどう]魔法少女3部作(つまり、『大魔法峠』『撲殺天使ドクロちゃん』『魔女っ娘つくねちゃん』のこと。私のアニメ日記(魔法少女日記)[1073]を参照。)は、“外道”なのでマンガには珍しく本当のことを書いているのだ。]
税金も軍事も国家宗教も政府が国民を虐待するための手段である。
しかし、日本人は政府に虐待されるのが嫌である。
だから、日本人は政府に仕事を頼まない。
日本人は政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、国民を虐待しない国民の役に立つ会社を建てるだろう。
日本人は自分が幸福になるために政府を倒さなければならない。
日本政府が“国民に秘密で勝手な仕事をしている”のも日本人に対する虐待である。
だから、日本では国民に仕事を隠さない会社を建てねばならない。
日本政府が“国民から税金を取っている”のは日本人に対する虐待である。
だから、日本では国民から税金を取らない会社を建てねばならない。

[14313] 政府は国民を喜ばせる会社である。☆ h24.2.29
政府は国民と平等である。だから、政府は国民を喜ばせるはずである。
政府は国民を喜ばせる会社である。政府は国民の役に立つことをする会社である。政府は国民を幸福にする会社である。これが、世界共通の政府の原理である。
例えば、ヨーロッパ人は虐待されるのが好きである。だから、ヨーロッパ政府はわざわざ“国民を虐待する会社”を設けて、国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待した。ヨーロッパ人はヨーロッパ政府に虐待されて大喜びだった。
例えば、日本人は虐待されるのが嫌いである。だから、日本政府はヨーロッパ政府を真似[まね]て“国民を虐待する会社”を設けてはいけない。日本政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待してはいけない。日本人は日本政府に虐待されても全然うれしくない。嫌なだけである。
これまで日本政府はヨーロッパ政府と同じように国民を喜ばせるために国民を虐待し続けてきたのである。人の心は見えないものである。特に日本人は無表情で無口だから、日本政府には国民の心がわからなかった。日本政府は国民がてっきり喜んでいるものだと思って国民を嫌がらせていたのである。
日本人はヨーロッパ政府を自分の国民性に合うように変えねばならない。日本でヨーロッパ政府をそのまま用いてはならない。つまり、日本政府から“国民を虐待する会社”をなくして、日本政府は国民を税金や軍事や国家宗教で虐待しないようにして、日本政府は国民と契約して国民の役に立つことをして国民からお金をもらうようにしないといけない。そうすれば、日本政府は永遠に不滅だろう。


[14314] 日本人は外国の文化を修正する必要がある。 h24.2.29
日本は島国だから、昔から日本人は積極的に外国の文化を取り入れてきた。
これまで日本人は外国の文化が自分の気に入らなかったとき、違う国の文化を取り入れたり日本自身の文化を取り戻したりして、外国の文化を修正してきた。
日本政府はヨーロッパ文化で出来た会社である。日本政府は国民を虐待する会社である。ヨーロッパ文化には貴族や天皇という国民よりも上の者がいる。
ところが、日本人にとっては『人間が平等である』ことや『人間が虐待されない』ことが気持ちがいい。それが、日本固有の文化である。
日本政府や貴族や天皇は、ありがたいヨーロッパ文化についてきた余計なオジャマ虫である。
だから、日本人は日本固有の文化を取り戻して、日本から日本政府を追い出せばいいのである。日本政府はヨーロッパに帰ってもらえばいいのである。日本には政府の代わりに国民と平等な国民を虐待しない国民から税金を取らない国民の役に立つ仕事をする国民に秘密で勝手なことをしない会社を建てればいいのである。もっとも、ヨーロッパの物質文明は日本人を幸福にするから、今後もヨーロッパの物質文明は取り入れていこう。

[14315] 日本政府は日本の近代化をしなかった。 h24.2.29
幕末にアメリカの黒船が日本に来てから、日本人はヨーロッパ文化を取り入れるようになった。
日本人がヨーロッパ文化を取り入れるようになってから、日本にインド文化がなくなったので幕府が消えた。幕藩体制が消えた。
日本人がヨーロッパ文化を取り入れるようになったので、日本が近代化された。日本に鉄筋コンクリートの高いビルが建つようになって、日本に電灯やガス灯がともるようになって、日本に蒸気機関車が走り飛行機が飛ぶようになった。
日本人がヨーロッパ文化を取り入れるようになったので、日本に政府が出来た。政府は国民から税金を取って、国民に軍事や国家宗教をやらせて国民を虐待した。もっとも、政府は多少は国民の役に立つ仕事もしていた。政府は郵便や鉄道や学校などをやっていた。しかし、それ以外の仕事はすべて国民がやっていたのである。衣食住は国民がやっていたのである。
つまり、日本を近代化したのは国民であって、政府は国民が日本を近代化するのを傍[そば]で見ていただけである。政府も国民が日本を近代化したために出来た産物のひとつである。政府はおもに国民の虐待をしていただけである。
国はそもそも国民が作るものである。そもそも政府や幕府などの政治機関は国民が作った物である。だから、国民は自分が作った物に自分が支配されてはいけない。幕府は国民よりも上の者だったが、政府は国民と平等である。だから、国民が政府が気に入らなければ、政府を他[ほか]の会社に変えればいい。政府よりももっと国民にとって都合のいい会社に変えればいいのである。今の政府は国民の役に立つことと国民の役に立たないことの両方をやっている。国民を幸福にすることと国民を不幸にすることの両方をやっている。政府は国民を馬鹿にしている会社である。だから、国民は早く政府を倒して、別の会社に変えればいいのである。

[14316] 植民地 h24.2.29
植民地はヨーロッパ人の遊びである。
ヨーロッパ人は外国に出かけていって外国に自分の国の文化を押し付けた。外国の文化を破壊して自分の国の文化を植え付けた。ヨーロッパ人はそれ以上のことはしなかった。ヨーロッパ人は外人を殺したりしなかったし、外人の財産を奪ったりもしなかった。
つまり、植民地はヨーロッパ人の遊びだったのである。ヨーロッパ人にとっては、外国に自分の国の文化を押し付けることが喜びだったのである。
一方、日本人にとっては自分の国の文化を外国に押し付けてもちっともうれしくはない。だから、日本人の多くは植民地のことを、ヨーロッパが外国を戦争で征服して外人を殺して外人の財産を奪うことだと思っている。外人を奴隷にすることだと思っている。日本人のセンスが意地汚いから、植民地をそんなふうにしか思えないのだ。もしも、日本が近代に植民地をやっていたら、おそらく日本人は外国でそんなはしたないまねをしていただろう。日本人は世界中の人々から嫌われていただろう。
日本人とヨーロッパ人では心が違う。日本人とヨーロッパ人では身体が違うように心も違う。日本人にとってヨーロッパ人の“他人に虐待される喜び”がわからないように、日本人にとってはヨーロッパ人の“外国に自分の国の文化を押し付ける喜び”もわからないのだ。だから、日本人には政府をやる資格はないし、植民地をやる資格もない。日本人が外国の文化を自己流に解釈してやってはいけないのだ。
植民地にはヨーロッパ文化を歓迎する者もたくさんいた。だから、ガンジーがインドをイギリスから独立させたとき、インド人の中のヨーロッパ文化を支持する者によってガンジーが殺されたのだ。一概[いちがい]に、独立がいいとは限らないのである。[実際には、ヨーロッパが戦争でお金が足りなくなったから、ヨーロッパが植民地をやめざるを得なかったのだろう。そのために、戦後ヨーロッパの植民地が独立したのだ。たとえガンジーがいなくてもインドは独立したのだ。ガンジーがインドを独立させたのではない。ガンジーは独立運動をしただけで、実際にインドを独立させたのは世界大戦でお金をはたいたイギリス政府だったのだ。イギリス政府は世界大戦に大金を使って植民地にお金をまわせなくなって、泣く泣く植民地をやめざるを得なくなったのだ。イギリス政府がイギリス国民から取れる税金にも限界があるので、植民地をやめるしかなかったのだ。だから、ガンジーを殺した奴[やつ]がまちがっている。ガンジーはとんだとばっちりを食わされたのだ。]

[14317] ヨーロッパ文化と日本文化の違い h24.2.29
ヨーロッパ人は虐待されることがうれしいので、ヨーロッパ文化では“国民を虐待する会社”が国民を喜ばせる会社である。だから、ヨーロッパでは国民を虐待する会社が国民と平等な会社なのである。ヨーロッパでは国民を虐待する会社(つまり政府)が普通の民間会社と同じニュアンスなのである。
反対に、日本人は虐待されることが嫌なので、日本文化では国民を虐待する会社は国民を嫌がらせる会社である。だから、日本では国民を虐待する会社は国民と不平等な、国民よりも上の会社と見なされるのだ。
だから、ヨーロッパでは国民を虐待する会社があるとヨーロッパ人が幸福に平等になる。
反対に、日本に国民を虐待する会社があると日本人が不幸に不平等になる。
だから、ヨーロッパでは国民を虐待する会社がなければならない。
反対に、日本では国民を虐待する会社があってはならない。
ヨーロッパでは国民を虐待する会社は国民にとって有益である。
反対に、日本では国民を虐待する会社は国民にとって有害である。
どこの国でも外国の文化を受け入れることは危険である。日本人は外国の文化を受け入れることに対して軽率[けいそつ]すぎる。日本人はもっと慎重[しんちょう]に外国の文化を受け入れなければならない。自分の国の解釈で国民に悪影響が及ぶことは絶対に受け入れてはならない。だから、日本では政府はやってはいけないことなのだ。[政府の中には国民を虐待する会社がある。]日本では国民を虐待しない国民に秘密で勝手なことをやらない国民と平等な国民の役に立つ会社しかやってはいけないのだ。
つまり、政府は文化人類学的な問題なのだ。比較文化人類学的な問題なのだ。世の中にはそういう問題もある。特に日本のような外国の文化に頼る国ではそういう問題が起こりやすい。政府はヨーロッパ人にとっては役に立つ善[い]い会社だが、日本人にとっては役に立たない悪い会社である。政府は日本文化に似合わない付け焼刃[やきば]の会社なのだ。だから、ヨーロッパでは政府をやってもいいが、日本では政府をやってはならない。
[日本で政府が国民よりも上の者であるのと同じように、インドでも政府が国民よりも上の者である。インドには身分制がある。インド政府はヨーロッパ政府の真似[まね]なのかもしれない。インドの身分制は、インド人がインド政府を国民よりも上の者だと思ったために出来た制度なのかもしれない。インド政府がヨーロッパ政府を真似て作られたために、インド政府はインド人にとって嫌なことをするので、インド人はインド政府を国民よりも上の者だと思ったのである。インド人が身分制を自分の国の制度だと思っているのは、日本人が神武天皇教を自分の国の国家宗教だと思っているのと同じである。日本の神武天皇教がキリスト教を日本に取り入れたために出来たように、インドの身分制はインドにヨーロッパ政府を取り入れたために出来たのである。本来、国の中では人間はみな平等であるべきである。自分の国の文化と相容[あいい]れない外国の文化を受け入れると、人間に上下の区別が出来て国がおかしくなるのである。国民が不幸になるのである。だから、インド人は同じあやまちを二度と繰り返さないために、ヨーロッパ文化を嫌ってヨーロッパ文化を取り入れないようにしているのだろう。自分の国の文化と相容[あいい]れない外国の文化を受け入れた国の末路[まつろ]は、インドのような乞食[こじき]の国になるのである。だから、外国の文化の取り入れは慎重にやらねばならないのである。日本はさっさと政府をなくしたほうがいいのである。]

[14318] 虐待[ぎゃくたい]会社 h24.2.29
政府や暴力団や宗教団体は『虐待会社』(国民を虐待する会社)である。
ヨーロッパのような国民が虐待されるのが好きな国では、虐待会社は国民を喜ばせるいい会社である。そのため、ヨーロッパでは虐待会社と国民は平等であると考えられている。だから、ヨーロッパでは虐待会社があっても人間が平等なままなので国がうまくいくのである。
しかし、日本のような国民が虐待されるのが嫌な国では、虐待会社は国民を嫌がらせる悪い会社である。そのため、日本では虐待会社は国民よりも上の者であると考えられている。だから、日本では虐待会社があると人間に上下の区別ができて国がうまくいかなくなるのである。虐待会社によって人間に上下の区別が出来ると、虐待会社以外にも国中で空威張[からいば]り馬鹿が幅を利かせるようになって実力主義ではなくなって人間が努力しなくなって国が発展しなくなるから、人間に上下の区別が出来てはいけないのである。[今の世界では本来人間はみな平等でなければならないが、今の日本ではすでに虐待会社が上の者になっている。いくら今の世界に『人間がみな平等である』決まりがあっても、虐待会社はその決まりを突き破って人間を不平等にする。国民が虐待されるのが嫌な国では、たとえ『人間がみな平等である』決まりがあっても、虐待会社があると人間が不平等になるのである。]
国がうまくいくためには、国の人間が平等でなければならない。【国家の条件】
だから、ヨーロッパでは虐待会社はあってもいいが、日本では虐待会社はあってはならない。
アメリカでは銃や麻薬をやってもいいが、日本では銃や麻薬をやってはいけないのと同じことである。アメリカ人は銃を持っていてもめったに人を撃つことはないが、日本人が銃を持つとすぐに人を撃から、日本では銃は禁止されている。アメリカ人は麻薬をやっても暴れないが、日本人は麻薬をやるとすぐに暴れるので、日本では麻薬は禁止されている。
国によって、国に容[い]れられる物と容れられない物が違っている。その点をよく考慮して、日本人は外国の文化を受け容れなければならない。

[14319] 日本では虐待会社がなくならねばならないことの証明☆ h24.2.29
今の世界では人間はみな平等でなければならない。これが、今の世界の原理である。
ヨーロッパでは虐待会社があっても人間が平等なままである。だから、ヨーロッパでは虐待会社があってもいい。
しかし、日本では虐待会社があると人間が不平等になる。だから、日本では虐待会社があってはならないのである。
『人間が平等である』ために、日本では虐待会社がなくならねばならない。
日本人は虐待会社を見たければヨーロッパに行くしかないのだ。

[14320] 政府と国民は平等である。 h24.2.29
今の日本では政府と国民は平等である。
今の政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。
ところが、日本人は他人に虐待されるのが嫌である。それが、日本人の心である。
今の政府は国民の気に入らないから、国民は政府を潰[つぶ]さなければならない。
国民で政府よりもいい会社を建てよう。政府の代わりに、国民を虐待しない国民に秘密で勝手なことをやらない国民と平等な国民の役に立つ会社を建てよう。

[14321] どうして日本政府は国家宗教で国民に飛び降り自殺をさせるのか? h24.2.29
ときどきテレビや新聞で飛び降り自殺の事件を報道している。
飛び降り自殺は、日本政府が国家宗教で国民に命令してやらせたことである。
飛び降りは、飛び降り→fall→フォール→フル→ルフ→川フ(ル≒川)→川ブ→川野延夫[かわののぶお](私の名前)→私だから、政府は国家宗教で国民に飛び降り自殺の命令が出せるのである。
しかし、今では政府と国民は平等である。政府は国民を虐待する会社であり、政府にとって国民を虐待するのは仕事だから、国民と政府は平等である。
だから、国民が政府の命令が気に入らなければ、政府の命令を聞かなければいい。
もっとも、政府の命令が気に入った人は、政府の命令を聞いてもいい。
政府と国民は平等だから、政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。

[14322] 政府に代[か]わる会社を作る方法 h24.2.29
手っ取り早く“政府に代わる会社”を作るためには、今の政府から“国民を虐待する会社”を除[の]ければいい。
今の政府から“国民を虐待する会社”を除ければ、政府は国民に税金も軍事も国家宗教もやらせられなくなる。
政府は国民と契約して国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。
日本人は他人に虐待されるのが嫌だから、そうしたほうが日本人にとっては政府の人気が出る。
政府の人気が出れば、国民みんなが政府と契約して政府は儲[もう]かるだろう。

[14323] 政府と国民は平等である。 h24.3.1
戦後は人間がみな平等になった。
だから、貴族がなくなった。貴族は国民よりも上の人間だったからである。
天皇が人間になった。天皇は神(つまり人間よりも上の者)だったからである。
しかし、政府や暴力団や宗教団体は残った。
それは、政府や暴力団や宗教団体が人間だったからである。国民と平等だったからである。政府や暴力団や宗教団体は古墳時代に出来たときから、ずっと国民と平等だったのである。
つまり、政府や暴力団や宗教団体は国民と平等である。政府や暴力団や宗教団体は国民と平等な“国民を虐待する会社”である。国民を虐待する会社が国民を虐待することによって、国民にあたかも自分を上の者であるかのように思わせていただけである。
政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
憲法では国民が政府に従わねばならないと書いているが、それは憲法がまちがいである。憲法が嘘[うそ]をついているからである。政府は国民に嘘をついて、国民にあたかも自分を上の者であるかのように思わせているのである。
ところが、政府は国民を虐待する会社である。政府は国民を虐待するのが仕事である。政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。政府は今後新しく国民を虐待する方法を生み出すかもしれない。今の私を神とする国家宗教だって、正式の国家宗教とは違う。今の政府は国民に隠れて国家宗教をやっている。政府は国民に秘密で国家宗教をやって国民を虐待している。
日本人は他人に虐待されるのが嫌[いや]である。だから、日本人は政府が嫌である。[もっとも、日本人の中にも他人に虐待されるのが好きな特異な者がいる。そういう者は個人的に暴力団や宗教団体に頼んで“仕事”をやってもらっている。]
政府は自分が死ぬまで国民を虐待し続けるつもりでいる。
国民は政府の世話にはなりたくない。
だから、国民は政府の世話にならなければいい。国民は政府と縁[えん]を切ればいい。
国民は政府に税金を払うのをやめて政府の命令を聞くのもやめて政府に虐待されるのもやめればいい。
国民は政府を潰[つぶ]して、国民を虐待する会社のない国を作らねばならない。

[14324] 人間はみな平等である。 h24.3.1
命令を出す者が上の者ではない。命令を出すのも仕事である。
虐待する者が上の者ではない。虐待するのも仕事である。
だから、この世に上の者なんかないのである。
つまり、人間はみな平等である。
この世に、従わねばならない人間なんかいないのである。
命令を出す者や虐待する者は上の者ではないから、命令を出す者や虐待する者の給料をみんなの給料と同じにしなければならない。命令を出す者や虐待する者は、国民に命令したり国民を虐待したりすることによって国民にあたかも自分が上の者であるかのように思わせて給料を上げていただけである。
国民と政府も平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
国民は政府の命令が自分の気に入った場合だけ政府の命令に従えばいい。国民は政府の命令が自分の気に入らない場合には政府の命令に従わなければいい。
政府は国家的な虐待会社である。政府は国民を虐待するために、国民に命令を出すのである。
虐待されるのが好きな国民だけ政府の世話になればいい。虐待されるのが嫌いな国民は政府の世話にならなければいい。
日本人の大半は他人に虐待されるのが嫌だから、日本人の大半は政府の世話にならなければいい。
日本人は早く政府を潰して、日本を暴力団や宗教団体しかない健全な国にしなければならない。
政府が潰れれば暴力団や宗教団体は“客”が増えて儲[もう]かるから、暴力団や宗教団体は政府を潰すことに協力しなければならない。

[14325] 社長 h24.3.1
社長は上の者ではない。社長も仕事である。
社長と社員は平等である。
社長の給料を社員の給料と同じにしなければならない。社長は“立派な肩書き”で社員にあたかも自分が上の者であるかのように思わせて自分の給料を上げていたのである。
社長は肩書きが立派なだけで、他[ほか]に能がないボンクラである。
社長は社員よりも上の者ではないから、社長は社員に対して偉そうにしてはいけない。

[14326] 上の者に思わせる方法 h24.3.1
他人に命令したり、他人を虐待したり、他人に嘘をついたり、立派な肩書きがあることは、他人に自分をあたかも「上の者」であるかのように思わせる方法である。他人に命令する者や、他人を虐待する者や、他人に嘘をつく者や、立派な肩書きのある者は、他人に自分を「上の者」であるかのように思わせることによって自分の給料を上げたり、自分の待遇をよくしたりしているのである。
しかし、本当はこの世に「上の者」なんかいない。「上の者」という概念を捨てなければならない。人間はみな『平等』である。他人に命令する者も、他人を虐待する者も、他人に嘘をつく者も、立派な肩書きがある者も、みんなと『平等』なのである。例えば、政府が上の者なのは、マンガやドラマの中だけである。実在の中では、政府と国民は平等である。
だから、他人に命令する者や、他人を虐待する者や、他人に嘘をつく者や、立派な肩書きがある者は、みんなと同じ給料にしなければならない。みんなと同じ待遇[たいぐう]にしなければならない。
人間はみんな平等である。だから、人間はみな同じ給料にしなければならない。同じ待遇にしなければならない。

[14327] 大企業 h24.3.1
大企業も上の者ではない。大企業も仕事である。
大企業も小企業も平等である。大企業は社員の人数が多いだけである。大企業は需要[じゅよう]の多い商品を作っているために、社員の人数が多いので、会社が大きいだけのことである。反対に、小企業は需要の少ない商品を作っているために、社員の人数が少ないので、会社が小さいだけである。
大企業は会社の肩書きである。社長が人間の肩書きであることと同じである。
大企業と小企業を同じ給料や待遇にしなければならない。大企業は“肩書き”であたかも上の者であるかのように思わせて自分の給料や待遇を上げていただけである。
大企業と小企業は平等である。だから、大企業は小企業に対して偉そうにしてはいけない。

[14328] 虐待会社☆☆ h24.3.1
政府や暴力団や宗教団体は虐待会社である。国民を虐待することを仕事にしている会社である。
虐待会社は国民を虐待することによって国民にあたかも自分が上の者であるかのように思わせて国民に命令して国民からお金を取って儲[もう]けている。[虐待会社の中には、国民のご機嫌[きげん]取りのために、少しばかり国民の役に立つことをやっている会社もある。それは、虐待会社の国民に対するカモフラージュでもある。つまり、最近は国民が人間を虐待するのはいけないことだと考えるようになっているので、虐待会社は自分が国民を虐待していることを国民に隠すために国民の役に立つ仕事をいくつかやっているのである。
しかし、本当は虐待会社は国民と平等なのである。だから、国民は虐待会社の命令を聞かなくてもいいのである。国民は虐待会社にお金を払わなくてもいいのである。

国民と虐待会社は平等である。だから、国民は虐待会社に従わなくてもかまわない。国民は虐待会社の命令を聞かなくてもかまわない
虐待会社に虐待されたい国民だけが虐待会社にお金を払って虐待してもらえばいい。
虐待会社に虐待されたくない国民は虐待会社にお金を払わずに虐待してもらわなければいい。
政府は虐待会社である。
だから、政府に虐待されたい国民だけが政府に税金を払えばよく、政府に虐待されたくない国民は政府に税金を払わなくてもいい。

[14329] 政府と幕府 h24.3.1
政府は国民と平等だが、国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待することによってあたかも自分を上の者であるかのように思わせて自分の給料や待遇をよくしている。
反対に、幕府は国民よりも上の者だが、国民を虐待しない。幕府は国民から税金を取るだけである。
政府は国民に自分を上の者だと思わせるために、国民を虐待するのである。政府は国民が自分を上の者だと思うまで、国民を虐待するのである。政府は自分が国民と平等だからこそ、自分の待遇をよくするために国民を虐待しなければならないのである。政府は国民から税金を取るために、税金で国民を虐待しているのである。反対に、幕府は最初から国民よりも上だから、国民を虐待する必要がないのである。幕府が上の者なのは、国民から税金を取るための理由作りにすぎなかったのである。
政府は国民と平等だが、実質的には政府は幕府と同じように国民よりも上の者である。国民にとっては余計な虐待がないぶん、政府よりも幕府のほうがいい。幕府は余計な税金や軍事や国家宗教をやる必要がないぶん、政府よりも幕府のほうが税金が安かったので、江戸時代の日本は景気がよかったのである。
しかし、今では人間はみな平等である。だから、政府も幕府もなくなればいい。幕府は国民よりも上の者だから今では幕府はなくならねばならない。政府は国民と平等だが、政府は国民を虐待するので、国民にとっては政府は要らないから、政府もなくならねばならない。

[14330] 税金の仕組み h24.3.1
政府は国民を虐待する会社である。政府は国民を虐待することによって、国民に自分を上の者だと思わせて、国民に命令して国民からお金を取っている。
税金は政府の国民に対する虐待の手段である。
つまり、政府は国民から税金を取ることによって国民を虐待して、国民に政府を上の者だと思わせて、国民から税金を取っているのである。つまり、政府は税金を取るために税金を取っているのである。[政府は自分が国民を虐待していることを国民に隠すために、国民にわかりにくくするために、いくつか国民の役に立つ仕事をやっているのである。]
政府は『人間には自分を虐待する者や自分に命令を出す者を上の者だと思う心理がある』ことを利用して、国民から税金を取っているのである。

しかし、本当は国民と政府は平等である。だから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。そうすると、国民が政府の世話になれないが、どうせ政府はたいした仕事をしていないからどうでもいい。国民は政府を潰[つぶ]して、もっと国民にとって都合のいい会社を建てたほうがいい。今の政府は国民にとって不便すぎるので、国民はもっと便利のいい会社に変えたほうがいい。
政府は最初の頃は、国民の役に立つことをやって国民から相応[そうおう]の税金を取る会社だったが、そのうち政府が「税金には国民を虐待して政府を上の者だと思わせる作用がある」ことに気づいて、その後は政府は国民をいろんな方法で虐待して国民に政府を上の者だと思わせて、政府が国民に命令して国民から不当に高い税金を取るようになったのである。政府が国民から税金を取ることが発展して、政府が国民に軍事や国家宗教などをやらせるようになったのである。
だから、政府はそもそも国民みんなの役に立つことをする会社だったのである。法律や水道やゴミの収集や学校などのことをする善[い]い会社だったのである。それが、いつの間にか政府が悪化して、政府は国民を虐待して国民に上の者だと思わせて国民に命令して国民から高い税金を取る嫌な会社になったのである。
しかし、本来、政府と国民は平等である。国民が政府が嫌なら政府に税金を払わず政府の世話にならなければいい。政府の世話になりたい貧乏人だけが政府に税金を払って政府の世話になればいい。
つまり、国に政府のような“国民全員を客にする独占会社”があることが国が悪くなる原因である。政府のような経営形態の会社がなければ国民は幸福である。善[い]い国を作るためには、“国民全員を客にする独占会社”をなくすようにしなければならない。そのためには、やはり政府の持ち会社が政府から分離独立して民営化するのがいいと考えられる。そのためには、国民が『政府と国民は平等である』と考えて、政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいい。そうすれば、政府の持ち会社は政府から外に出て民営化するしかない。正しいことは実行すればいいのである。

[14331] 日本人は政府を虐待しなければならない。 h24.3.1
政府は虐待会社である。政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。
ヨーロッパ人は十字架のキリスト像のように虐待されるのが好きなので、虐待会社を上の者だと思わない。だから、ヨーロッパでは政府と国民が平等である。
日本人は虐待されるのが嫌なので、虐待会社を上の者だと思う。だから、日本では政府が国民よりもあたかも上の者であるかのようになっている。
政府はヨーロッパ生まれの会社である。日本人は自分が嫌なのを我慢[がまん]してまで政府を受け入れる必要はない。日本人が政府が嫌なら政府をなくしてしまえばいい。日本人はもっと自分の心に正直でなければならない。
インド人も虐待されるのが嫌だったので、虐待会社を上の者だと思っていた。しかし、インドでは最後まで自分が嫌なのを我慢して虐待会社をなくそうとしなかった。インド人は釈迦[しゃか]のように我慢が好きなので、嫌な者を除[の]けずにずっと我慢し続けたのである。だから、インドでは政府と国民が不平等になって、身分制がある社会になってしまったのである。身分制がある社会は発展しないから、インドは貧しい国になってしまったのである。
日本人は我慢が嫌いである。日本人は政府のような虐待会社が嫌いである。日本人は嫌な者を我慢できない。日本人は早く政府を虐待して政府を滅ぼさねばならない。日本人は政府の偉い手をテキトウにいたぶって政府を虐待して政府を潰[つぶ]さなければならない。
日本人は他人に虐待されるのが嫌である。日本人は他人に虐待されたら他人を虐待することになっている。政府と国民は平等である。国民は政府に虐待されている。だから、国民が政府を虐待しなければならないのである。
日本人にとって政府は嫌な会社である。だから、日本人は日本から政府をなくさねばならない。政府の代わりに、日本人の気に入る会社を建てねばならない。今度は幕府のようなインド政府の真似[まね]ではなく、日本人が自分で考えて自分にとっていい会社を作ればいい。
今の政府は中世の政府の二の舞である。だから、政府は国民にいたぶられる前に自分からさっさとなくなったほうがいい。

[14332] 政府は犯罪組織である。☆☆ h24.3.1
政府は虐待会社である。政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。
ところが、今では人間はみな平等である。政府は国民を虐待することによって国民にあたかも政府が国民よりも上の者であるかのように思わせているが、本当は政府は国民と平等である。
政府は国民よりも上の者ではなく、国民を虐待する犯罪者である。政府は犯罪組織である。政府は国民の役に立つ会社で覆[おお]いをした犯罪組織である。浦島太郎の玉手箱である。
だから、国民は政府に虐待されなくていい。なぜなら、政府が国民の人権を侵害することは人間の平等性に反するからである。
つまり、国民は政府に税金を払わなくていい。国民は政府の命令で軍事や国家宗教などをやらなくていい。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
そもそも政府が国営会社(国民全員で経営する会社)であったのがいけなかったのである。政府が国営会社であったのがまちがいのもとである。政府が国営会社であったから、政府は国民から税金を取っていたので、政府が虐待会社になってしまったのである。だから、国営会社はやめよう。日本では民営会社だけにしよう。政府を仕事内容が明確な個別の会社に分解して民営化すればいいだろう。今の政府は自分の中に『虐待会社』があることを隠すために個別の会社にならないのである。国民に自分の仕事内容を公開しないのである。そんな政府をほっといて、国民で個別の会社を建てればいい。

[14333] どうして政府はたくさんの会社の組合になっているのか?☆ h24.3.1
政府の中にはたくさんの会社が入っている。政府はたくさんの会社の組合である。[[14183]の図を参照。]
それは、国民全員に契約を取らせるためである。
ひとつの会社だけでは、契約を取らない国民が大勢いる。
しかし、会社が増えると、国民はどれかの会社が必要になるから、どれかの会社と契約を取る。
だから、たくさんの会社で組めば、必ず国民全員と契約が取れる。
だから、政府は国民全員と契約を取るために、たくさんの会社の組合になっているのである。
政府が国民全員と契約が取れれば、国民全員から税金を取ることができる。
政府が国民全員から税金を取れれば、税金を値上げして国民を虐待して国民に政府を上の者だと思わせることができる。
政府が密[ひそ]かに政府の中に“国民を虐待する会社”を設[もう]けて、国民を軍事や国家宗教などで虐待すれば、ますます国民に政府を上の者だと思わせることができる。
政府が国民に政府を上の者だと思わせれば、政府は国民に何でも命令できる。政府が国民を自分の思い通りにできる。国は政府の天下になる。
政府は国を自分の天下にするために、たくさんの会社の組合になっているのである。
政府がたくさんの会社の組合であることは、国民にとっては不利である。
今では政府と国民は平等である。
だから、国民はたくさんの会社の組合である政府の代わりに、仕事内容が明確な個別の民間会社を建てねばならない。そうすれば、国には国民全員と契約を取る会社がなくなって、国民全員から税金を取る会社がなくなって、国民を虐待する会社がなくなる。たとえ、国民全員と契約を取る会社(例えば、水道会社やゴミの収集会社)があっても、仕事内容が明確だから国民は会社に虐待されずに安心できる。
国民が政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せば、政府の後[あと]に仕事内容が明確な個別の民間会社が建つだろう。だから、国民は政府に税金を払わずに政府を潰せばいいのである。

[14334] どうしてヨーロッパには貴族がいたのか? h24.3.2
ヨーロッパでは政府と国民は平等である。だから、政府は国民を虐待して国民に上の者だと思わせようとするのである。政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待する。ヨーロッパ人は他人に自分を上の者だと思わせるのが好きなので、政府が国民に自分を上の者だと思わせるために国民を虐待することを容認しているのである。ヨーロッパ人にとっては政府に自分が虐待されることは嫌だが、他人に自分を上の者だと思わせることは好きなので、政府が上の者だと思わせるためにある程度国民を虐待することを許しているのである。
ヨーロッパでは、政府が国民を虐待している。国民が政府によって不幸な目にあわされている。
そこで、インドでは最初から政府の“身分”を国民よりも上にしている。そうすれば、政府が国民に自分を上の者だと思わせるために国民をわざわざ虐待しなくていいからである。インドでは国民の待遇をよくするために身分制があるのである。身分制はインドにヨーロッパ政府を取り入れてできたものではなく、インド人がインド政府を建てた際に自分で考え出したものである。インドが貧乏なのは、ヨーロッパ文明を受け入れないからであって、文化の質は高いのである。インド人は頭がいいのである。ある意味、ヨーロッパ以上である。
インドには身分制がある。インドでは政府が国民よりも上である。
日本でも江戸時代にはインド文化を取り入れて身分制をやっていた。幕府が国民よりも上だった。
ヨーロッパもインド文化を取り入れていた。ヨーロッパにも身分が上の者がいた。それが貴族である。ヨーロッパでは原則的には人間はみな平等だが、インドに敬意を払ってインド文化を少し取り入れて貴族制をやっていたのである。政府に国民を虐待させないために、貴族制をやっていたのである。
だから、明治時代になって日本がヨーロッパ文化を取り入れたときに、日本でも貴族制をやった。いわば貴族は武士の生き残りのようなものである。
しかし、現代では人間が不平等であることが健全ではないとされて、身分制がなくなっている。そのために、世界中の政府が国民に自分を上の者だと思わせるために、毎日国民を虐待しなければならなくなっているのである。今ではインド政府も国民を虐待するようになっている。
それなら、政府が国民を虐待するのも健全ではない。だから、政府制もやめるべきである。政府のような国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待する会社をやめるべきである。国民に税金も軍事も国家宗教もやらせない会社を建てるべきである。政府のような国民にとって何をやっているのかわからない抱き合わせ商法をする会社ではなく、国民にとって仕事内容が明確な個別の会社を建てるべきである。
ヨーロッパ人は他人に自分を上の者だと思わせるのが好きだが、日本人は他人に自分を上の者だと思わせることが好きではない。日本人はヨーロッパ人みたいに“お高ぶり馬鹿”ではない。日本人はヨーロッパ人みたいに“化粧臭く”ない。日本人は古来から実力主義である。日本人は実力しか認めない。日本人は見かけにこだわらないから、インチキ臭いことをやって他人に自分を上の者だと思わせるのが嫌である。だから、日本人は政府のような“国民を虐待することによって国民に上の者だと思わせる会社”が嫌いである。だから、日本人は目障[めざわ]りな政府を倒さなければならない。政府と国民は平等だから、国民が政府をどうしようが国民の勝手である。日本人は政府を無視して、政府に税金をやるのをやめて、政府を日本からなくさなければならない。
[私は高校生の頃(今から約30年前)に“自分がこのような作文を書いている夢”を見たことがある。私は以前誰かがこんなことを言っていたのを聞いた憶[おぼ]えがある。誰かとはじつは私自身だったのだ。]

[14335] 政府はお金がかかりすぎる。 h24.3.2
幕府ははっきりと国民よりも上の者である。幕府は国民から税金を取るだけで、国民を軍事や国家宗教で虐待することがない。ある意味、経済的である。国民にとっては財布[さいふ]が助かる。
政府は国民と平等でありながら、国民を虐待することによって国民にあたかも政府が上の者であるかのように思わせている。政府は国民と平等でもあり国民よりも上の者でもある。政府は国民と平等なのか上の者なのかわからない。曖昧[あいまい]である。政府は国民を密[ひそ]かに税金や軍事や国家宗教などで虐待して、国民に上の者だと思わせている。政府は軍事や国家宗教で税金の無駄遣[むだづか]いをしている。不経済である。国民にとって政府は割高な会社である。
ヨーロッパが繁栄しているのは、ヨーロッパ人が科学が強いからであって、ヨーロッパ政府のためではない。日本で政府をやることは、国民にお金の負担がかかりすぎる。国が滅びる。だから、日本では政府をやってはいけない。
政府は原則的には国民と平等である。だから、国民が政府が嫌なら政府を除[の]ければいい。今では株式会社があるから、国民は政府に頼らなくても国民自身で事業ができる。だから、国民にとって政府は要らない。国民はさっさと政府をなくしたほうがいい。政府はちょっと国民の役に立つことをしているだけで、国民を虐待したり国民に嘘をついたりして国民に政府を上の者だと思わせて国民を支配しようとしている。[日本国憲法にある納税の義務は政府の嘘[うそ]である。本来政府と国民は平等だから、納税の義務があるわけがない。]政府はくだらない会社である。政府は売れない会社の組合である。国民はさっさと政府をなくして、国民だけの国を作ろう。
政府は売れない会社が組合を作って、国民全員と契約を取って、密かに“国民を虐待する会社”を設[もう]けて国民を虐待して国民に政府を上の者だと思わせて、国民から高い税金を取って儲[もう]けている“会社の組合”にすぎない。[[14183]の図を参照。]政府は特殊な経営形態の会社である。政府はけっして国民よりも上の者ではない。政府と国民は平等である。日本人は政府のような汚いことをする会社が嫌いである。だから、日本人はさっさと政府を潰[つぶ]して、国民だけの国を作ればいいのである。

[14336] 政府は国民と平等である。ゆえに、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。☆ h24.3.2
政府が本当に国民よりも上の者なら、国民は政府の命令を聞かねばならない。政府に税金を払わねばならない。
しかし、今の政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待して、国民にあたかも政府が国民よりも上の者であるかのように思わせているだけである。国民にあたかも政府の命令を聞かねばならないかのように思わせているだけである。国民にあたかも政府に税金を払わねばならないかのように思わせているだけである。
本当は、今の政府は国民と平等である。だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。政府に税金を払わなくてもいい。[民主主義は政府の屁理屈[へりくつ]だから、相手にしなくてもいい。民主主義もまた、政府が国民にあたかも政府を(国民と平等でありながら)国民よりも上の者であるかのように思わせるための手段である。だから、国民は政府を上の者だと思わなければいいのである。国民は政府を国民と平等だと思って、政府に従わなければいいのである。
国民は政府が嫌なら政府を潰[つぶ]せばいい。政府のない国民だけの国を作ればいいのである。
つまり、空想の世界では政府が国民よりも上の者だが、実在の世界では政府と国民が平等である。だから、馬鹿な国民は政府に従えばいいが、利口な国民は政府に従わなくてもいい。

[14337] 政府の本質 h24.3.2
政府はいくつかの会社の組合である。政府は会社を入れる箱である。[[14183]の図を参照。]
しかし、水道会社やゴミの収集会社や学校会社は政府から出て行っても自立して経営できる。
たぶん、法律会社も自立して経営できる。
すると、政府とは、国民の役に立つことをせず、国民を虐待して国民に上の者だと思わせて国民から税金を取る会社にすぎないことになる。
当然、そんな会社は国民は要らない。
だから、政府はなくなればいいのである。
今では『株式会社』があるから、国民にとって必要な仕事は、国民が自分で会社を建ててやればいいのである。今の国民にとって政府は要らない。
昔は株式会社がなかったから、国民はすべて政府頼[だの]みだった。だから、たとえ国民にとって政府がどんなに嫌でも、国民にとって政府は欠かせなかったのだ。国民は自分が嫌な者に頭を下げて仕事をしてもらっていたのだ。
政府は国民を虐待して国民から税金を取る会社にほかならない。
これでは、政府は暴力団と変わらない。政府は国家的な暴力団だ。
だから、早く政府がなくなればいいのである。
今では政府と国民は平等である。今では人間がみな平等であるから、政府と国民も平等である。
昔は『法律』がなかったから、政府がいくらでも国民を虐待してもよかったので、政府は国民の面前[めんぜん]で思う存分国民を虐待して国民に上の者だと思わせて国民を支配することができた。国民にとっては政府が怖[こわ]かったので、国民は政府に絶対服従していた。[ヨーロッパは科学の国だから物でやらねばならないので、政府が国民を支配するためには実際に政府が国民を嫌がらせたり殺したりして国民を虐待しなければならなかったのである。一方、インドは言葉の国だから言葉でやればいいだけなので、政府を言葉の上で上の者にするだけで国民を支配できたのである。インドでは、政府が国民を支配するためには、政府を身分制で上の者にするだけでよかったのである。いくらヨーロッパが物の国だからといって、政府が国民を虐待するのは下品である。日本人はもっと上品である。だから、日本では政府が国民を虐待するのをやめねばならない。]
今では法律があるから、政府が国民を公[おおやけ]に虐待できず、政府は国民を派手[はで]に虐待して国民に上の者だと思わせて国民を支配することができない。今の政府は地味[じみ]に密[ひそ]かに国民を虐待することしかできない。これでは、政府はあまり国民を虐待できないから、今の国民は政府を上の者だと思っていない。つまり、政府が国民を虐待することによって国民を支配することができたのは、実質的に法律がなかった戦前までである。今の政府は何の目的もなくただ国民を嫌がらせたり殺したりしているだけである。
今では政府と国民は平等である。国民が政府をどうしようが国民の勝手だ。
だから、国民は政府をさっさと潰[つぶ]せばいい。国民は政府を無視して、政府に税金を払うのをやめて、政府を潰せばいいのである。
いまだに政府を上の者だと思って政府の言いなりになっている国民は馬鹿だ。時代遅れだ。今の世界には“上の者”なんかいない。今では国民と政府は平等である。だから、国民が国民の手で国民にとってよりよい国を作ればいいのである。政府のない国を作ればいいのである。

[14338] 戦後は新しい時代が来る。 h24.3.2
「戦後は新しい時代が来る」とは、戦後は人間が平等な時代になるということである。
だから、今は人間がみな平等な時代である。今は『法律』がある時代である。
今の政府は原則的には国民を虐待することができない。今の政府は国民に上の者だと思わせることができない。だから、今の国民は政府と平等だと思っている。
それなのに、いまだに政府は地味[じみ]に密[ひそ]かに国民を税金や軍事や国家宗教で虐待して法律を破っている。政府は人間の平等性を犯している。今の政府は犯罪組織である。政府は悪い会社である。
政府はわざわざ国民の反感を買うことをやっている。政府は馬鹿である。だから、国民は政府をなくさなければならない。
しかも、今の政府は特に国民にとっていいことをしていない。だから、国民にとって政府は要らない。
今では政府と国民は平等である。だから、国民は憲法を破ってでも政府と平等にしなければならない。今では国民が政府をどうしようが国民の勝手である。国民は政府に税金をやらず、政府の命令を聞かず、政府を潰[つぶ]さねばならない。政府のない国民だけの国を作らねばならない。
「戦後は新しい時代が来る」とは、戦後の日本が政府のいない国民だけの国になることである。

[14339] 政府は安い税金なら国民から取ってもいい。 h24.3.2
税金でなくても、商品に高い値段をつけて売っていれば、虐待と思うものである。
だから、反対にたとえ税金でも安い税金なら虐待と思わない。
安い税金なら虐待にはならないから、政府は国民から税金を取ってもいい。

[14340] 政府は国の脳ではない。☆ h24.3.2
国民の中には、国を身体に喩[たと]えるなら、政府が脳だと思っている者がいる。政府が国民のために苦心していい国を作ってくれていると思っている者がいる。
しかし、それはまちがっている。
実際には、国民が脳である。政府は国を病気にするバイ菌[きん]のようなものである。国民が自分で考えていい国を作っているのであって、政府は犯罪を犯して国民を不幸にしているだけである。
今では株式会社があるから、国民が自分で考えて事業をやっている。だから、国民にとって政府は要らない。政府は何の仕事もやっていない。
今の政府は犯罪組織にすぎない。今の政府は国民から税金を取って、国民を軍事や国家宗教で殺している犯罪者にすぎない。
国民は早くバイ菌を倒してバイ菌のいない健康な国にしなければならない。
政府はゴミである。政府のゴミの収集会社は政府を収集して焼却[しょうきゃく]しなければならない。

[14341] 国民は政府を残してはならない。 h24.3.2
今では政府と国民が平等である。だから、政府を生かすも殺すも国民の自由である。政府を残すもなくすも国民の勝手である。
今の国民の大半は政府を残すと決めている。だから、今でも政府が残っている。
しかし、今の国民の大半は政府のことを正確に知らない。テレビや新聞程度のことしか知らない。今の政府はテレビでチャラチャラしているだけである。今の政府は国民に何の仕事もせずに、軍事や国家宗教などで国民を嫌がらせたり殺したりしているだけである。[今の政府は国民に自分を上の者だと思わせるために国民を虐待しているのではない。今の政府は愉快魔[ゆかいま]のように何の目的もなくイタズラで国民を嫌がらせたり殺したりしているだけである。だから、今の政府はただのくだらない犯罪組織にすぎない。]国民は政府のことを誤解している。
今の国民は政府のことを知らないから、今の国民には政府のことを決める資格はない。
私のほうが政府のことをよく知っている。私の政府についての考えのほうがそこら辺の人の政府についての考えよりも正しい。私は今の政府が犯罪組織にすぎないから政府をなくすべきだと考える。
だから、国民は私の考えに従って、政府をなくすことに協力しなければならない。

[14342] 法律が出来たのは戦後からである。 h24.3.2
戦前までは法律がなかった。だから、政府は国民の眼の前で国民を好き放題に虐待して国民に上の者だと思わせて国民を支配していた。[暴力団や宗教団体も政府と同じようにしていた。昔は法律がなかったから、軽い犯罪は国民が大目[おおめ]に見ていた。警察も逮捕しなかった。だから、政府や暴力団や宗教団体が儲かっていたのだ。しかし、重い犯罪は国民も大目に見なかった。凶悪な犯罪者は警察に捕まって罰せられた。つまり、政府や暴力団や宗教団体は無罪と有罪の“隙間[すきま]”を活かして国民を軽く虐待して国民よりも少し上の者になって儲けていたのだ。]近代の終わりに世界中の政府が協力して最後の思い出に国民イビリをやった。それが、世界大戦である。
戦後は法律がある。だから、政府は国民の眼の前で国民を虐待できなくなって、国民に上の者だと思わせられなくなって、政府と国民が平等になった。
つまり、戦前は政府が国民よりも上の者だったが、戦後は政府と国民が平等になった。
今の政府は国民の眼の届かないところで密[ひそ]かに国民を税金や軍事や国家宗教で虐待している。今の政府は政府がやったとわからないように国民を虐待している。今の政府は法律を犯している。しかし、今では法律があるから、政府が国民を虐待するのはいけないことである。今の政府はただの犯罪組織である。今の政府は国民よりも上の者ではなく、ただの悪人である。昔の政府は自分が国民よりも上の者になって国民を支配するために犯罪を犯していたが、今の政府はただ国民を不幸にするために犯罪を犯しているだけである。
今では株式会社がある。国民は自分で事業をすることができる。だから、国民は政府が要らない。
今では政府と国民は平等である。政府は国民よりも上の者ではない。国民が政府をどうしようが国民の勝手である。
したがって、国民は犯罪組織の政府をかたづけねばならない。日本を政府のない国民だけの平和な国にしなければならない。原子爆弾で日本政府のある千代田区を丸ごとふっ飛ばさなければならない。

[14343] 政府は犯罪者である。 h24.3.3
戦後は法律が出来た。戦後は人間がみな平等になった。
人間が平等であることは、戦後の世界人類みんなで決めたことである。だから、いくら日本人だけで法律のない国や人間が不平等な国を作りたくても、それはいけない。
戦前までは法律がなかったから誰でも自由に法律を破ってもよかったが、戦後は法律が出来たから誰もが法律を破ってはいけなくなった。
しかし、戦後も政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。政府は人間の平等性を犯している。政府が国民から税金を取っていることが、政府が人間の平等性を犯していることの動かぬ証拠である。政府は戦後の世界秩序に反している。だから、政府がいけない。政府は多少会社が大きくても、とにかく政府がいけない。
国民は政府を倒すべきである。政府のない世界を作るべきである。
政府は人間の平等性に反している。政府は犯罪者である。だから、国民が政府の言いなりになることはない。国民は政府に逆らって政府を倒せばいいのである。政府をこの世からなくせばいいのである。
今の世界では人間はみな平等である。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。国民は政府の命令を聞いてはいけない。人間が平等であることは、戦後の世界人類みんなで決めたことである。だから、人類は死んでもそれを守らねばならない。
『人間が平等である』ことは世界人類みんなで決めた原理である。政府はザコである。政府はただの“会社の組合”である。世界人類に比べれば、政府はただのゴミである。だから、政府は原理に従わねばならない。原理に反する政府は滅ばねばならない。
今はまだ完全に人間が平等な世界ではないから、今後人間が平等な世界を作っていかねばならないのだ。それが今後の人類の使命なのだ。だから、人間を平等にすることなら何をやってもいいのである。例えば、国民は政府に税金を払わなくてもいいし、政府の命令を聞かなくてもいいのである。そうやって世界を変えていかねばならないのだ。要するに、税金は今の世界の『人間が平等である』原理に反するからいけないことである。税金は人間が不平等になる原因だから、税金はいけないのである。[[14330]を参照。]だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。国民は政府に税金を払わずに、犯罪組織の政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[14344] 国民はまちがいの勉強をしている。 h24.3.3
今では人類みんなが平等である。
だから、今では政府は国民よりも上の者ではない。
ところが、国民は毎日テレビや新聞を見てまちがいの勉強をしている。テレビや新聞ではいつも政府が偉そうにしている。国民は政府が偉そうにしているのを見て、政府が国民よりも上の者だと思って、政府の命令に従っているのである。政府におとなしく税金を払っているのである。つまり、テレビや新聞は国民にまちがいを教える学校である。
しかし、本当は政府と国民は平等なのである。だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。
無理が通れば道理が引っ込むのではいけない。道理を通して無理を引っ込めねばならない。
だから、国民は『人間が平等である』原理に従って政府と平等にしなければならない。国民は政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]さねばならない。国民はさっさと犯罪組織の政府を潰さなければならない。
政府は民主主義で国民から税金を取っていると言うかもしれないが、それは政府の屁理屈[へりくつ]である。たとえ民主主義であっても、『人間が平等である』原理に反することはできない。『人間が平等である』原理のもとでは政府は国民から税金を取れない。税金は政府の国民に対する虐待であり、政府が国民に政府を上の者だと思わせることだから、税金は『人間の平等性』に反することだから、税金はいけないのである。[[14330]を参照。]だから、政府は国民から税金を取ってはいけない。『人間の平等性』に反している政府のほうがまちがっている。だから、国民は政府の屁理屈を相手にせずに、政府に税金を払わなければいいのである。
『人間が平等である』ことが今の世界の決まりである。ところが、政府は『人間が平等である』原理に反している。政府は国民から無理やり税金を取ったり、国民を軍事や国家宗教で虐待している。政府はふざけずに、真面目[まじめ]に『人間が平等である』原理に従わねばならない。それが嫌なら、政府は滅ばねばならない。
政府の正体は、国民を虐待して国民に上の者だと思わせて国民からお金を取る会社である。つまり、政府は暴力団と同じである。政府は法律会社や水道会社などを持っている暴力団である。そうでなければ、政府はとっくの昔に普通の会社と同じように民営化されているはずである。要するに、政府は“税金”で経営している会社である。ところが、税金は『人間の平等性』に反している。政府は「国民よりも上の者の会社」である。今の政府は何の理由もないのに、国民よりも上の者をやっているのだ。今の世界では人間はみな平等でなければならない。だから、政府は今の世界では滅ばねばならない。

[14345] 文学 h24.3.3
文学はただ長いだけで、正しくない。正しくなければ、いくら長くてもしかたがない。
反対に、正しければ、たとえ短くてもかまわない。
つまり、文学とは、まちがいを勉強することである。
文学はいくら読んでも、実在についての知識が得られない。時間の無駄[むだ]だ。
文学を読む暇があったら、自分で実在について考えたほうがマシだ。

[14346] 法律の進歩が政府を倒した。 h24.3.3
昔は法律が甘かった。人間が不平等であることがある程度は認められていた。国民が軽い犯罪は大目に見ていた。だから、政府や暴力団や宗教団体が軽い犯罪を犯して国民を軽く虐待して国民に少し上の者だと思わせて国民からちょっとお金を取って儲けていた。昔は政府が国民から税金を取ることが認められていた。[[14342]を参照。]
今は法律が厳しい。人間が不平等であることが認められていない。国民が軽い犯罪も大目に見ない。だから、政府や暴力団や宗教団体が国民をまったく虐待できなくなって国民に上の者だと思わせられなくなって国民からお金を取れなくなって儲けられなくなった。今では政府が国民から税金を取ることが認められない。
つまり、昔は法律が甘かったから政府が国民から税金を取れた。今は法律が厳しいから政府が国民から税金を取れない。法律の進歩が政府を倒したのだ。
要するに、国民が犯罪に甘いか厳しいかの違いである。国民が犯罪に甘ければ政府や暴力団や宗教団体がのさばり、反対に国民が犯罪に厳しければ政府や暴力団や宗教団体が滅びるのだ。
つまり、日本人は他人に甘いから、いまだに日本では政府や暴力団や宗教団体がのさばっているのだ。日本をいい国にするためには、日本人はもっと他人に厳しくしなければならない。

[14347] 虐待会社は法律に弱い。 h24.3.3
昔は法律がなかったから、国民は軽い犯罪は大目に見ていた。
政府は昔法律がなかった時代に、国民を軽く虐待して国民から少しお金を取って成長した会社である。
つまり、政府はガラの悪い会社である。
反対に、普通の会社はよい子だったので、たとえ法律がなくても国民を虐待したりしなかったので小さいままだったのである。
政府は国民を虐待しすぎると国民に悪者だと思われて国民に倒されるので、国民の反感を和[やわ]らげるために、法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などの国民の役に立つ仕事もやっているのである。政府は国民の機嫌[きげん]を取りながら、国民を軽く虐待しているのである。
暴力団や宗教団体は政府の真似[まね]である。政府も暴力団も宗教団体もやっていることは同じである。だから、政府は今でも暴力団や宗教団体を大目に見ているのである。
しかし、今は法律がある。今ではだんだん法律が厳しくなっている。国民が犯罪を大目に見なくなっている。だから、政府や暴力団や宗教団体は法律を犯せなくなってだんだん儲からなくなって滅んでいるのだ。国民が法律にうるさくなると、虐待会社は潰[つぶ]れるのだ。
つまり、今では法律があるから、政府が国民から税金を取ることはできない。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。[今では人間はみな平等だから、政府と国民は平等だから、納税の義務なんかない。政府は憲法に嘘[うそ]を書いて国民を騙[だま]しているのである。昔は法律がなくて、軽い犯罪は大目に見られたから、政府が国民から税金を取るぐらいのことはよかったのである。しかし、今では法律があって、少しの犯罪も許されないから、政府は国民から税金を取ってはいけないのである。憲法は政府が自分勝手に作った嘘の法律だから、国民は政府の憲法を守らなくていいのである。昔は法律がなくて、軽い嘘をつくぐらいのことはよかったから、政府は憲法に嘘[うそ]を書いて国民を騙[だま]していたのである。しかし、今では法律があって、少しの嘘でもついてはいけないから、政府は憲法に嘘を書いて国民を騙してはいけないのである。
今では政府も普通の民間会社と同じように、自分の仕事内容を国民に明示して、国民と契約を取ってから、国民に仕事をして国民からお金をもらわなければならない。今では人間がみな平等だから、政府のような「国民よりも上の会社」は滅ばねばならない。昔は法律が甘かったから、軽い犯罪を犯して国民から少しお金を取って儲ける会社(政府や暴力団や宗教団体のこと)があったが、今は法律が厳しいから、もはやそんな会社はやっていけないのだ。不良の会社はやっていけないのだ。
 
[14348] 法律が『軽犯罪会社』を滅ぼす。☆ h24.3.3
昔は法律が甘かったから、政府が国民から税金を取るぐらいはよかった。
今は法律が厳しいから、政府が国民から税金を取ることも許されない。
昔は人間がある程度不平等でもよかったから、政府が国民よりも少し上の者でもよかった。だから、国民は政府にある程度までは従ったのである。国民は政府の命令で、税金や軍事(戦争)や国家宗教をやったのだ。
今では人間が完全に平等だと考えられているから、政府を国民よりもちょっとでも上の者にしてはいけない。だから、国民は政府にほんの少しでも従ってはいけないのである。国民は政府の命令で、税金や軍事や国家宗教をやってはいけないのである。
つまり、昔の政府が国民よりも上の者だったのは、昔は法律が甘かったからである。昔は法律を犯した者が勝ちだったのである。昔は悪い奴[やつ]ほど出世したのだ。
反対に、今の政府が国民と平等なのは、今は法律が厳しいからである。今では法律を犯した者が負けである。今は善[い]い人でないと出世しないのだ。

政府は悪いことをやることによって成長した会社である。昔は法律がなかったから、悪いことをやって儲[もう]けることができたのである。昔は悪人の天国だったのである。
文明が進むと、法律が出来て、人間が平等になる。人間が平等になると、政府や暴力団や宗教団体などの“法律を軽く犯して儲[もう]ける会社”が潰[つぶ]れるのだ。
政府や暴力団や宗教団体は『軽犯罪会社』である。軽い犯罪を犯して国民から少しお金を取って儲ける会社である。法律が厳しい社会では、軽犯罪会社が滅ぶのだ。

[14349] 今では政府は国民から税金を取ってはいけない。☆ h24.3.3
昔は法律が甘かったから、他人のお金を少し取るぐらいのことはよかった。お金を取ったり取られたりは日常茶飯事[にちじょうさはんじ]だった。昔はみんなが悪人だった。だから、政府が国民から税金を取ることができたのである。国民は政府に税金を取られても、誰も文句を言わなかったのである。
しかし、今は法律が厳しいから、他人のお金を取ることはいけないことだとされている。たとえ1円でもいけないとされている。今はみんなが善人[ぜんにん]である。だから、政府が国民から税金を取ることができないのである。国民は政府に税金を取られると、国民みんなが政府に文句を言うのである。
今は法律が厳しいから、今では政府が国民から税金を取るのはまちがっている。だから、政府は国民から税金を取ってはいけない。今の国民は政府に税金を取られて不満満面である。もうすぐ政府は国民に倒されるだろう。

[14350] 政府は強盗である。☆ h24.3.3
政府は仕事人ではない。犯罪者である。
政府は国民のお金を無理やり取っているから強盗である。
昔は法律がなかったから、政府が強盗をやってもよかった。
しかし、今は法律があるから、政府が強盗をやってはいけない。
今では強盗犯は牢屋[ろうや]に入れられる。
だから、政府も牢屋に入らねばならない。

[14351] 法律は政府に勝つ。 h24.3.3
昔は法律がなかったから、ちょっとぐらい悪いことをやってもよかった。そのことを活かして政府は国民全員から少し(生活に困らない程度に)お金を取って大儲[もう]けをしたのである。昔は法律がなかったから、政府は国民に無理やり軍事や国家宗教をやらせて虐[いじ]めて遊んでいたのである。
しかし、今は法律があるから、ちょっとでも悪いことをやってはいけない。
だから、今では政府は国民から1円でも取ってはいけない。
法律がもっと昔に出来ていたら、政府のような会社は出来なかっただろう。税金も戦争も国家宗教もなかっただろう。
今からでも遅くはない。これから政府をなくしていけばいいのだ。
法律のある社会は戦後から始まって、今でも進行中である。法律はだんだん厳しくなっていく。だから、今後しだいに政府や暴力団や宗教団体がなくなっていくだろう。今では法律があり、人間はみな平等だから、国民はいくら政府や暴力団や宗教団体に脅[おど]されてもお金をやらなければいいのである。命令を聞かなければいいのである。そうすれば、政府や暴力団や宗教団体は良心を取り戻して真面目[まじめ]に汗水流してせっせと働くようになるだろう。

[14352] 政府は犯罪者である。☆ h24.3.3
政府は仕事原理ではなく、犯罪原理で経営している会社である。犯罪原理が政府の原理である。
つまり、政府は“軽い犯罪なら犯してもいい”という原理で経営している会社である。
国民から生活に困らない程度のお金を取るのは軽い犯罪なので、政府は自分が儲[もう]けるために国民から生活に困らない程度のお金を取っているのである。暴力団が近所の住民からショバ代を取るのと同じことである。国民に軍事や国家宗教をやらせるのは軽い犯罪なので、政府は国民を虐[いじ]めるために国民に軍事や国家宗教をやらせているのである。暴力団が近所の住民の嫌がらせをするのと同じことである。政府が国民を嫌がらせてばかりいては国民が怒って政府を倒そうとするので、政府は国民の機嫌[きげん]を取るために、政府は国民から取ったお金の一部を使って法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などを経営しているのである。そうやって、政府は国民のために仕事をしているふりをしているのである。偽装(カモフラージュ)である。暴力団が近所の住民の機嫌を取るためにスーパーを経営するのと同じことである。
政府は仕事ではなく犯罪でお金を稼[かせ]いでいる会社なのである。政府は“税金”という軽い犯罪でお金を稼ぐ会社である。
しかし、今の社会では法律が厳しい。もはや軽い犯罪でお金を稼ぐことはできない。
だから、政府は国民から税金を取れずに潰[つぶ]れるしかない。


[14353] どうして国民は政府を上の者だと思うのか? h24.3.3
政府は“軽い犯罪を犯して儲[もう]ける会社”である。本来、政府は国民よりも上の者ではない。
ところが、人間には“自分を虐待する者や自分に命令を出す者を上の者だと思う心理”がある。[[14330]を参照。]
政府は国民を税金や軍事や国家宗教などで虐待している。
だから、国民は政府を上の者だと思うのである。
国民が政府を上の者だと思うのは、国民の錯覚である。
国民は政府を上の者だと思わずに、政府を軽い犯罪を犯して儲ける会社だと考えねばならない。
政府は犯罪者である。政府は暴力団と同じである。犯罪者は国民よりも下の者である。だから、政府は本当は国民よりも下の者なのである。

[14354] どうして政府は国民に国家宗教をやらせるのか? h24.3.3
政府は国民に国家宗教をやらせている。つまり、政府は国家宗教の神の情報を使ったことを国民にやらせたり、国家宗教の神の情報を使った物(製品やテレビ番組など)を国民に作らせたりしている。
政府が国民に国家宗教をやらせるのは、国家宗教が政府の国民に対する嫌がらせだからである。国家宗教は馬鹿馬鹿しくてくだらないから、誰でも馬鹿馬鹿しいことをやるのは嫌だから、政府が国民に国家宗教をやらせることは国民に対する嫌がらせなのである。政府は意地悪[いじわる]なので、政府は国民に国家宗教をやらせて国民を嫌がらせて喜んでいるのである。
昔は法律が甘かったので、政府は軽い犯罪を犯してもよかったので、政府は国民に国家宗教をやらせていたのである。昔の国民は政府の国家宗教の命令を聞かねばならなかったのである。
しかし、今は法律が厳しいので、政府は軽い犯罪を犯すことができないので、政府は国民に国家宗教をやらせることができないのである。つまり、今の国民は政府の国家宗教の命令を聞かなくてもいいのである。
政府は国家宗教の神の情報を使った事件を起こして国民を嫌がらせたり殺したりしている。政府は意地悪だから国民を嫌がらせたり殺したりして喜んでいるのである。最近は法律が厳しくて、政府が国民に命令が出せなくなったから、政府が自分で犯罪を犯して国民を嫌がらせたり殺したりするようになったのである。例えば、政府は飛行機を墜落させたり船を沈没させたり列車を衝突させたり宇宙船を爆発させたりして国民を殺しているのである。
国家宗教と同じように、軍事も政府の国民に対する嫌がらせである。軍事は人殺しであり、誰でも人殺しは嫌だから、政府が国民に軍事をやらせることは国民に対する嫌がらせなのである。昔は法律が甘かったから、政府は軽い犯罪を犯すことができたから、政府は国民に軍事をやらせることができたが、今は法律が厳しいから、政府は軽い犯罪を犯すことができないから、政府は国民に軍事をやらせることができないのである。
今の政府は国民に国家宗教や軍事をやらせることができない。だから、今の世界では国家宗教や戦争がなくなっているのである。つまり、法律が世界から国家宗教や戦争をなくならせたのだ。
国家宗教や軍事と同じように、税金も政府の国民に対する嫌がらせである。税金は国民のお小遣[こづか]いが減ることであり、誰でもお小遣いが減るのは嫌だから、政府が国民から税金を取ることは国民に対する嫌がらせである。昔は法律が甘かったから、政府は軽い犯罪を犯すことができたので、政府は国民から税金を取ることができたが、今では法律が厳しいから、政府は軽い犯罪を犯すことができないので、政府は国民から税金を取ることできないのである。
今の世界から国家宗教や戦争がなくなっているように、税金もなくなっているのである。法律が税金をなくならせたのである。
政府が国民に税金や軍事や国家宗教をやらせることが、政府が『軽犯罪組織』である証拠である。法律がある社会では軽犯罪組織は許されない。だから、国民は政府を倒さねばならない。

[14355] 政府は犯罪組織である。☆ h24.3.4
政府は仕事原理ではなく、犯罪原理で経営している会社である。
仕事とお金を交換するのが仕事原理である。
軽い犯罪を犯して自分を有利にするのが犯罪原理である。国民は軽い犯罪は大目に見るので、会社が国民に軽い犯罪をやって儲[もう]けることができるのである。

政府は犯罪原理で、国民から税金を取っている。
政府は犯罪原理で、国民を軍事や国家宗教で嫌がらせて喜んでいる。

政府が国民とちゃんと契約を取らないのは、政府が仕事原理ではなく犯罪原理で経営している会社だからである。政府が仕事原理で経営しているなら、政府は国民と契約を取るはずである。
政府が国民を虐[いじ]めすぎると国民が怒って政府を倒そうとするので、政府は国民の機嫌を取るために、いくつか国民の役に立つ会社(法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社など)をやっている。
昔は法律が甘かったので、国民が軽い犯罪を大目に見ていたので、政府が国民から税金を取って大儲けをした。
しかし、最近は法律が厳しくなって、国民は軽い犯罪も大目に見なくなっている。だから、国民は政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。

[14356] 国民は法律のある国を作ればいい。 h24.3.4
国は国民が作るものである。国は国民が自分にとって都合のいいように作るものである。
国民にとっては法律があったほうが有利である。国民のほとんどは善良な市民だから、国民にとっては法律があればあるほど有利になる。法律があれば、国民は悪人によって不利にされないから、そのほうが国民にとって有利である。
しかし、これまでは日本の文明が低くて、日本には法律がなかった。
そのために、政府や暴力団や宗教団体などの『軽犯罪組織』(軽い犯罪を犯して儲[もう]ける団体)が国民を支配していた。国民は軽犯罪組織によってお金を取られたり嫌がらされたりして不利にされていた。不幸にされていた。
しかし、最近は日本の文明もそこそこ高くなって、なんとか法律があるようになった。
そのために、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が国民を支配できなくなった。国民は軽犯罪組織によって不利にされなくなった。
国民が勇気を持って正義を貫[つらぬ]けばいい国ができる。国民が自分で自分の人権を守ればいい国になる。これまでも日本人は自分の力で政府を幕府に変えたり幕府を政府に変えたりして自分にとっていい国を作ってきた。[政府も幕府も、これまで日本に法律がないことを利用して、軽い犯罪を犯して国民を言いなりにして国民を支配しただけである。]
今では政府と国民は平等である。今の法律はそれぐらいのレベルにある。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、国民は政府に税金を払わず、政府の命令を聞かず、政府をさっさと倒せばいい。軽犯罪組織のない国民だけの国を作ればいい。

[14357] 国民は法律のある国を作ればいい。 h24.3.4
法律がない社会では、政府や暴力団や宗教団体などの『軽犯罪組織』が湧[わ]く。
反対に、法律がある社会では、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が滅ぶ。
国民にとっては、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織がないほうがいい。軽犯罪組織は軽い犯罪を犯して国民からお金を取ったり国民を嫌がらせたりして国民を不幸にするからである。
国は国民が自分にとって都合のいいように作るものである。
だから、国民は法律がある国を作ればいいのである。
今では人間はみな平等である。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に頭を下げる必要はない。
国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなければいいのである。国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなければいいのである。そうすれば政府や暴力団や宗教団体は滅ぶだろう。

[14358] どうして国民は政府に従っていたのか?☆ h24.3.4
これまで日本には法律がなかった。国民は軽い犯罪は大目に見ていた。軽い犯罪はやってもよかった。だから、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が軽い犯罪を犯して国民を自分の言いなりにして国民を支配していた。
つまり、これまで国民が政府や暴力団や宗教団体に従っていたのは、日本に法律がなかったからである。[[13999]のように、政府や暴力団や宗教団体が神だからではない。[14257]のように、政府や暴力団や宗教団体が貴族だからでもない。つまり、政府や暴力団や宗教団体が「上の者」だから、国民が政府や暴力団や宗教団体に従っていたのではない。ただ日本に『法律』がなかったから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従っていたのである。政府や暴力団や宗教団体は「上の者」ではない。ただ、『犯罪を犯している』だけである。
しかし、最近は(今から約10年ぐらい前には)、さすがの日本にも法律が出来た。最近の日本は法律のある国になった。国民は軽い犯罪を大目に見なくなった。軽い犯罪でもやってはいけなくなった。だから、最近は政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が軽い犯罪を犯せなくなって国民を自分の言いなりにできなくなって国民を支配できなくなって滅んでいるのである。
最近の国民が政府や暴力団や宗教団体に従わなくなったのは、日本に法律があるようになったからである。
政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織の弱点は法律である。法律が政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織に対する特効薬である。日本に法律が普及すれば、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織は日本から消滅するだろう。

[14359] 法律会社 h24.3.4
最近の日本は法律のある国になった。そのために、日本から政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織がなくなっている。日本は国民が暮らしやすい国になっている。
日本を法律のある国にするためには、国民みんなが法律を知っていなければならない。日本に法律会社(法律を作ったり犯罪者を取り締[し]まったりする会社)がなければならない。
だから、法律会社は経営できるだろう。
法律会社はNHKのように国民と契約して国民からお金をもらって仕事をすればいいだろう。税金のように所得比例制の料金を取ればいいだろう。
法律は国民の味方である。だから、国民みんなが法律会社と契約するだろう。法律会社は今と同じくらいか、あるいは今よりも儲[もう]かるだろう。そのかわり、法律会社は国民からお金をもらうのだから、ちゃんと仕事をしなければならない。

[14360] 日本は法律のある国になっている。☆ h24.3.4
戦前の日本には法律がなかった。政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織は国民を好き放題にして暴れまわっていた。国民は政府や暴力団や宗教団体などにあり金全部取られて殺されまわっていた。
戦後の日本では法律が始まった。
戦後すぐに、神と貴族がなくなった。神は人間よりも上の者であり、貴族は国民よりも上の人間だから、『人間の平等性』に反するとして真っ先に消されたのである。
しかし、政府や暴力団や宗教団体などの『軽犯罪組織』は軽い犯罪しか犯していなかったので、国民よりも少し上の者にすぎなかったので、戦後も残った。
戦後しばらくの間は大雑把[おおざっぱ]な法律しかなかった。甘い法律しかなかった。だから、戦後もしばらくの間は政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が幅を利[き]かせて国民を自分の欲しいままにしていたのである。
戦後しばらくの間は日本には大雑把な法律しかなかったので、国民は酒屋でもツケが利いていたのである。
ところが、最近(今から約10年ぐらい前)になって、法律がいっそう厳しくなった。だから、今では政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織も『人間の平等性』に反するとして消されているのである。法律は政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織よりも強い。だから、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が法律に負けてなくなっているのである。法律が政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織を消しているのだ。今の日本には厳しい法律がある。だから、今の日本では国民は酒屋でもツケが利かないのだ。
時代が進めば、どこの国でも文明国になる。文明国には法律がある。法律があると、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織がなくなる。つまり、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織は時代とともになくなる運命にあるのだ。

[14361] 政府と幕府 h24.3.4
政府も幕府も軽犯罪組織である。軽い犯罪を犯して儲[もう]ける団体である。政府も幕府も悪の団体である。
ただ、政府と幕府では“軽い犯罪”の捉[とら]え方が違う。
政府は“ヨーロッパ式の軽い犯罪”を犯して儲ける団体である。
幕府は“インド式の軽い犯罪”を犯して儲ける団体である。
政府は国民から税金を取って国民に軍事や国家宗教をやらせる。ただし、政府はヨーロッパ文明を取り入れる。
幕府は国民から税金を取るだけである。ただし、幕府はヨーロッパ文明を取り入れない。
国民にとっては、ヨーロッパ文明を取り入れるときには政府のほうがいいが、ヨーロッパ文明を取り入れないときには幕府のほうがいい。実際に、これまで国民は状況に応じて自分の力で政府と幕府を入れ替えてきた。当時は法律が緩[ゆる]かったので、軽犯罪組織をなくすことはできなかったが、入れ替えることぐらいはできたのである。
しかし、今では法律があるから、政府や幕府のような軽犯罪組織は許されない。今では政府も幕府も両方ともあってはならない。だから、国民にとっては、もはや政府や幕府の選択で悩[なや]む必要はないのである。

[14362] 暴力団はどうして経営できるか? h24.3.5
国民が暴力団にショバ代を払うものだと思っているからである。
国民が暴力団にショバ代を払うものだと思って、実際に暴力団にショバ代を払っているからである。
だから、暴力団は儲[もう]かるのである。経営できるのである。
政府が国民から税金を取って儲かるのと同じことである。
しかし、本当は今では国民は暴力団にショバ代を払わなくてもいいのである。
昔は法律が甘かったから暴力団が国民からショバ代を取ってもよかったが、今では法律が厳しくなっているから暴力団が国民からショバ代を取ることはいけないことだから国民は暴力団にショバ代を払わなくてもいいのである。
国民が暴力団にショバ代を払わなければならなかったのは昔の習慣であって、今の習慣では国民は暴力団にショバ代を払わなくてもいいのである。
昔と今では法律が変わったために、国民の習慣が変わったのである。昔の法律は甘かったが今の法律は厳しくなったから、国民の習慣が変わったのである。
だから、今後は暴力団は国民からお金が取れなくなって経営できなくなるだろう。
同じように、今後は政府も国民からお金を取れなくなって経営できなくなるだろう。
昔の法律は甘かったから政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を取ってもよかったが、今の法律は厳しいから政府や暴力団や宗教団体が国民からお金を取ってはいけないのである。つまり、国民が政府や暴力団や宗教団体にお金をやらねばならなかったのは昔の習慣であって、今の習慣では国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくてもいいのである。昔と今では法律の厳しさが変わったから、習慣も変わったのだ。国民が自分の考え方を変えればいいのである。

[14363] 政府は軽犯罪会社である。 h24.3.5
政府は軽い犯罪を犯して儲[もう]ける会社である。
昔は法律が甘かったから、国民は軽い犯罪を大目に見ていた。だから、政府が軽い犯罪を犯して国民を脅[おど]して国民からお金を取って儲けることができたのである。
しかし、今は法律が厳しいから、国民は軽い犯罪も大目に見ない。だから、政府は軽い犯罪を犯して国民を脅して国民からお金を取って儲けることができないのである。
政府はしょせん昔の会社なのである。今の法律が厳しい社会の中では政府は生き残れないのである。
今の法律が厳しい社会の中では、会社は法律をきちんと守らねばならない。会社は国民と契約を取ってから、国民に契約内容通りの仕事をして、国民から契約通りのお金をもらわねばならない。今の法律が厳しい社会の中では、政府のような法律を守らない会社はなくならねばならないのだ。[反対に、今の政府は国民と契約を取っていないから、政府は国民に対してどんな“仕事”でもすることができる。例えば、政府は国民を殺す仕事でもすることができる。政府は国民を戦争に行かせる仕事もできる。政府のような国民と契約を取らない、仕事内容が不明確な会社では国民が政府に何をされるのかわからない。国民は政府に何をされても文句を言えない。]


[14364] 法律が悪人を葬[もうむ]る。 h24.3.5
戦前は法律がなかった。この世は、神や貴族や政府や暴力団や宗教団体の天下だった。国民は彼らの欲しいままにされていた。
戦後から法律が始まった。
まず、神と貴族が消された。
最近は、ますます法律が厳しくなっている。
次に、政府や暴力団や宗教団体が消されている。
法律が悪人を葬[もうむ]る。法律が悪人を退治[たいじ]する。
法律のおかげで、日本は国民が暮らしやすい国になっている。

[14365] どうして今の世界では戦争や国家宗教がなくなっているか? h24.3.5
政府は軽犯罪会社である。つまり、政府は軽い犯罪を犯して儲[もう]ける会社である。政府は国家暴力団である。
戦争や国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせである。
昔は法律がなかったので、政府は国民に何でも命令できたので、政府は国民に戦争や国家宗教の命令を出して国民を虐[いじ]めていたのである。政府は意地悪[いじわる]だから、国民を虐めて喜んでいたのである。[例えば、今の川野教(私を神とする国家宗教)では、国民は私の情報を知らないから、国民には政府が国家宗教をやっているのがわからない。しかし、政府はとにかく国家宗教で国民を嫌がらせたり殺したりして喜ぶことができる。つまり、国家宗教は政府が国民を虐[いじ]めて喜ぶためにやっているのである。昔から軍事や国家宗教は、政府が国民を喜ばせるためにやっているのではなく、政府が国民を虐めて喜ぶためにやっているのである。政府が国民を虐めて喜ぶためには、神の情報を国民に公開する必要はないから、川野教のように政府は国民に隠れて密[ひそ]かに自分だけで国家宗教をやっているのである。政府は自分ひとりで自分の意地悪心[いじわるごころ]を満足してウヒヒと喜んでいるのである。昔は法律が甘かったから、政府は法律を犯してもよかったから、政府はわざわざ神の情報を国民に公開して国民に政府が国家宗教で国民を虐めていることがわかるようにして国民を怖がらせて虐めていた。しかし、今は法律が厳しいから、政府はあまり法律を犯してはいけないから、政府は国民に政府が法律を犯していることをわからないようにするために、政府は国民に神の情報を公開せずに国民に隠れてひとりで密かに国家宗教をやるようになったのである。最近は法律が厳しくなったから、政府の国家宗教のやり方も変わったのである。
しかし、今では法律がある。今は法律が厳しくなった。
だから、今の政府は国民に命令できなくなって、政府は国民に戦争や国家宗教の命令を出せなくなった。政府は国民を虐められなくなった。だから、今の世界には戦争や国家宗教がないのである。[もっとも、日本ではまだ少し法律が甘いので、政府が国民に少しだけ国家宗教をやらせている。]
今後、法律がもっと厳しくなれば、政府は国民にまったく何の命令もできなくなるだろう。政府は国民から税金を取ったり、国民に軍事や国家宗教をやらせることが完全にできなくなるだろう。したがって、政府は潰[つぶ]れるだろう。政府のない国になるだろう。

[14366] 法律主義は無政府主義である。 h24.3.5
政府は軽犯罪会社である。つまり、政府は軽い犯罪を犯して国民を軽く暴力で脅[おど]して国民から生活に困らない程度のお金(税金)を取って儲[もう]ける会社である。政府が国民をあまり極端に怒らせなければ、政府は国民に倒されないので、政府は安定に経営できるのである。つまり、政府が国民を支配するためには、政府が国民が喜ぶことをすればいいのではなく、政府が国民が少し嫌がることをすればいいのである。政府が国民が少し嫌がることをやって儲ければいいのである。もっとも、政府が国民を嫌がらせすぎると、国民が怒って政府を倒そうとするから、それはいけない。人間には“自分が嫌なことを我慢[がまん]する力”があるから、それを利用すればいいのである。[[14342]を参照。]
しかし、法律があると、人間は犯罪を犯せなくなる。
だから、法律があると、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取って儲[もう]けることができなくなる。法律があると、政府がなくなる。
法律がある国では、政府がなくなる。
つまり、法律主義は無政府主義である。

[14367] どうして政府は国家宗教をやるのか? h24.3.5
国家宗教とは、政府が国家宗教の神の情報を使ったことをやって国民を嫌がらせたり、政府が国家宗教の神の情報を使ったことを国民にやらせて国民を嫌がらせることである。
つまり、国家宗教とは政府の国民に対する嫌がらせである。政府は軽犯罪会社なので、政府は意地悪[いじわる]なので、政府は自分の意地悪心[いじわるごころ]を満足して喜ぶために、国家宗教をやって国民を嫌がらせているのである。もっとも、政府はたまには国家宗教で国民が喜ぶことをしたかもしれないが、それは政府の偽善[ぎぜん]である。政府の本質は悪であって、政府が善[よ]いことをするのはあくまでも偽善である。政府は悪いことをしすぎて国民の反感を買って国民に倒されないようにするために、たまに善いことをして国民の機嫌[きげん]を取っているのである。
昔は法律がなかったので、政府は法律を犯してもよかったので、政府は国家宗教の神の情報を国民に公開して、国民に政府が国家宗教をやっていることがわかるようにして国家宗教をやって国民を嫌がらせて喜んでいた。
しかし、今は法律があるので、政府は法律を犯せなくなったので、政府は国家宗教の神の情報を国民に公開せず、国民に政府が国家宗教をやっていることがわからないようにして国家宗教をやって国民を嫌がらせて喜んでいるのである。今の政府が私の情報を国民に公開せずに私を神とする国家宗教(川野教)をやって国民を嫌がらせているのはそのためである。
今後、法律がますます厳しくなれば、国民は政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れて、政府が軍事や国家宗教などで国民を嫌がらせることができなくなるだろう。日本は軽犯罪会社の政府のない平和な国になるだろう。

[14368] どうして日本は治安がいいのか? h24.3.5
国民が政府を倒しやすくするためである。
日本が治安が悪ければ、国民にとって法律会社が絶対に必要だから、政府が法律会社を抱き込めば、国民が政府を倒すことができず、政府は生き残ることができる。
しかし、実際には日本は治安がいいから、国民にとっては法律会社があまり必要ではないから、いくら政府が法律会社を抱き込んでも、国民が法律会社もろとも政府を倒すことができるので、政府が滅ぶのである。
政府は軽犯罪会社である。日本における犯罪の大半は政府が国家宗教などによって起こしている。だから、政府をなくしたほうが日本の犯罪が減るのである。
だから、国民は法律会社といっしょに政府を倒せばいいのである。政府にとって法律会社は盾[たて]にはならない。
日本の治安がいいのは、日本人のほとんどが善良な市民だからである。政府や暴力団や宗教団体などの悪人は例外である。日本人は善人が大半で、悪人は少数である。日本は法律が普及しやすい国である。日本は政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪会社がなくなりやすい国である。日本は世界で最初に『政府のない国』になれるかもしれない。

[14369] 民主主義は要らない。 h24.3.5
法律を作るためには『人間がみな平等である』原理だけがあればよく、民主主義は要らない。
そもそも実在の社会には民主主義なんかない。民主主義では多数決で何でも決めてしまうので、民主主義はむしろ国民の自由を減らすだけだから、国民にとっては民主主義はないほうがいい。
だから、法律会社には国会は要らない。法律会社は『人間がみな平等である』原理を用いて法律を作って、法律の違反者を取り締[し]まればいいだけである。

[14370] 政府とは何か? h24.3.5
政府は国民を少し暴力で脅[おど]して国民から生活に困らない程度のお金(税金)を取って儲[もう]けている。
しかし、政府はそれだけでは国民に対する嫌がらせが物足りないので、国民を軍事や国家宗教などで嫌がらせたり殺したりして喜んでいる。
だから、政府は良心的な会社ではない。政府は悪い会社である。政府は法律に違反している。
政府は自分が国民のために真面目[まじめ]に仕事をしているふりをするために、法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社などいくつかの国民の役に立つ仕事もやっている。不良が人の見ていないところでは悪いことをして、人前では良い子のふりをするのと同じことである。
政府はそんな会社である。
つまり、政府は軽い犯罪を犯して儲けている会社である。政府は不良の会社である。
昔は法律が甘かったから、国民は軽い犯罪は大目に見ていたから、政府は国民を少し暴力で脅して国民からお金を取れた。国民に軍事や国家宗教などをやらせることができた。
しかし、今は法律が厳しいから、国民は軽い犯罪も大目に見ないから、政府は国民を暴力で脅して国民からお金を取れなくなった。国民に軍事や国家宗教などをやらせられなくなった。
法律が厳しくなると、政府のような不良の会社は滅びるのだ。

[14371] どうして政府がなくなっているか? h24.3.6
政府が犯罪組織だからである。政府が国民の役に立つことをする会社ではなく、国民が嫌がることをする犯罪組織だからである。政府は国民と契約を取らずに国民からお金を取って、国民に秘密で国民が嫌がることをやっている。政府が国民と契約を取らないのは、政府が犯罪組織だからである。政府が犯罪組織だから、政府はいつまでたっても国民と契約を取ることができないのである。政府は国民と契約を取らないから、国民からいくらでも税金を取ったり、自分勝手に国民に嫌がらせをやったりするのである。[[14363]参照。]
昔は法律が甘かったから、政府のような犯罪組織でも経営できた。政府は国民から税金を取って経営できた。
しかし、最近は法律が厳しくなっているから、政府のような犯罪組織では経営できない。政府は国民から税金を取れずに経営できない。
最近は法律が厳しくなっているから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。政府は国民と『契約』を取っていないから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。国民が政府に税金を払わなくても、政府は国民に文句が言えない。国民が政府に勝ったのだ。
最近の社会は法律に力を入れるようになったから、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織が滅んでいるのだ。
人間が幸福であるためには、物だけではなく法律も大事である。最近の人類は物に余裕ができたから法律をやりだしたのだ。法律が政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織を滅ぼしているのだ。法律は政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪組織のサイレントキラーだ。国中の人間に法律を教えて、国中の人間に法律を守らせれば、いい社会が出来るのだ。

[14372] どうして政府は軍事や国家宗教で国民の嫌がらせをするのか? h24.3.6
政府は国民に軍事や国家宗教の命令を出して国民に軍事や国家宗教をやらせて国民の嫌がらせをしている。[政府自身が国家宗教で国民の嫌がらせをすることもある。]
それは、国民が軍事や国家宗教の命令を聞きやすいからである。国民が軍事や国家宗教の命令に従いやすいからである。
国民は「国を守るために国を豊かにするために戦争をするものだ」と思っている。だから、政府は国民の誤解を利用して、国民に戦争の命令を出して国民に戦争をやらせるのである。殺し合いをさせるのである。
国民は「人間は神に従うものだ」と思っている。だから、政府は国民の誤解を利用して、国民に国家宗教の命令を出して国民に国家宗教をやらせるのである。神のために自殺をさせたり人殺しをさせたりするのである。神の情報が入った製品やテレビ番組を作らせたりするのである。
しかし、実際には、政府は国民の嫌がらせをするために、国民に軍事や国家宗教の命令を出して軍事や国家宗教をやらせているにすぎないのである。政府は犯罪組織だから、政府は悪人だから、政府は意地悪[いじわる]だから、政府は国民を嫌がらせて喜ぶために、国民に軍事や国家宗教をやらせているのである。政府は馬鹿な国民をからかって遊んでいるのである。
もっとも、今では法律が厳しいから、国民と政府は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。国民は政府の命令で軍事や国家宗教をやらなくてもいいのである。だから、今の世界では戦争や国家宗教がなくなっているのである。

[14373] 国民は馬鹿息子である。 h24.3.6
国民の大半は自分が遊ぶために生きている。実在を知ろうとせずに、ただ遊ぶために生きている。
遊びのために生きているのは馬鹿息子である。
だから、国民の大半は馬鹿息子である。

[14374] 国民を支配する方法 h24.3.6
国民を支配する方法には、国民に従う方法と、国民に従わない方法の2つの方法がある。つまり、国民からお金を取る方法には、国民を喜ばせる方法と、国民を少し嫌がらせる方法の2つの方法がある。人間には“自分が嫌なことを我慢[がまん]する力”があるので、第2の方法が使えるのである。
国民を喜ばせる方法は、国民の喜ぶことをして国民からお金を取ることである。一般の民間会社のように国民と契約を取って国民に契約内容通りの仕事をして国民から契約通りのお金をもらうことである。
国民を少し嫌がらせる方法は、国民の少し嫌がることをして国民からお金を取ることである。政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪会社のように国民と契約を取らずに国民を少し暴力で脅[おど]して国民から生活に困らない程度のお金を取って国民に少し嫌がらせをすることである。嫌がらせばかりだと国民が反抗的になって国民からお金を取れなくなるから、国民の機嫌[きげん]を取るために、少しだけ国民が喜ぶことをすることである。
法律の甘い社会では、国民を少し嫌がらせることをしてもいいから、国民を喜ばせる会社と国民を少し嫌がらせる会社の両方がある。
法律が厳しい会社では、国民を少し嫌がらせることをやってはいけないから、国民を喜ばせる会社だけがある、国民を少し嫌がらせる会社は滅んでいる。
日本では最近法律が厳しくなっている。だから、日本では最近政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪会社が潰[つぶ]れているのだ。
それが終わったら、今度は事務職や社長や大企業などの“他人に自分を「上の者」だと思わせて自分の給料や待遇をよくしている者たち”を社会から葬[もうむ]らねばならない。そうやって、人間が『平等』な社会を作っていけばいいのだ。お金持ち馬鹿のいない社会を作ればいいのだ。

[14375] 無契約の会社 h24.3.6
政府は無契約の会社である。政府は国民と契約を取らずに、国民に仕事をしている。
だから、政府は国民を嫌がらたり殺したりする仕事をするし、国民からいくらでも税金を取るのである。
政府が国民と契約を取らないのは、政府が犯罪会社だからである。そもそも政府がやっていることは仕事ではなく犯罪だから、政府は国民と契約を取らないのである。
政府は犯罪会社である。
昔の社会では法律が甘かったから、政府の犯罪会社が国民から高い税金を取って儲[もう]かった。
今の社会では法律が厳しいから、政府の犯罪会社が国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れているのだ。
国の文明が進むと、法律が出来て、犯罪会社が潰れるのだ。犯罪会社は社会の中にある。犯罪会社もしょせんは社会の中のひとつの会社である。犯罪会社が社会を支配しているのではなく、社会が犯罪会社を支配しているのだ。だから、厳しい法律が社会に出来ると、犯罪会社が消されるのだ。
政府は無契約の会社である。政府は国民と契約を取っていない。今は法律のある社会である。今では政府と国民は平等である。政府は無契約の会社だから、政府が国民をどうしようが勝手であるように、国民が政府をどうしようが勝手である。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。国民は政府に税金を払わずに、政府を潰せばいいのである。

[14376] 社会が会社を決める。 h24.3.6
昔の社会は法律が甘かった。国民は軽い犯罪を大目に見ていた。だから、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪会社が国民を少し暴力で脅[おど]して国民から少しお金を取って儲[もう]けていた。政府が国民全員を脅して国民全員からお金を取って儲けていた。
しかし、今の社会は法律が厳しい。国民は軽い犯罪でも大目に見ない。だから、政府や暴力団や宗教団体などの軽犯罪会社が国民を暴力で脅[おど]せなくなって国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。政府も今では国民からお金を取れなくなっている。
今の社会では軽犯罪会社(軽い犯罪を犯して儲ける会社)がなくなって、仕事会社(法律を守って儲ける会社)だけになっている。
つまり、社会における法律の厳しさが会社を決める。国民が法律を知り、国民が法律を守れば、国民にとって幸福ないい社会が出来るのである。

[14377] どうして最近の日本は貧乏なのか? h24.3.6
日本政府が「国家宗教」でお金の無駄遣[むだづか]いをしているからである。日本政府が国家宗教で世界大戦なみのお金の無駄遣いをしているからである。日本では軍事をやらないぶん、日本政府が国家宗教をやりまくってお金を湯水[ゆみず]のように使って国民を貧乏のどん底に突き落としているのである。
だから、今の日本は戦時中なみに貧乏なのである。
政府は犯罪組織である。政府は悪人である。政府は意地悪[いじわる]である。政府は国民を嫌がらせるのが好きである。だから、政府は国家宗教でお金の無駄遣いをして国民を貧乏にして国民を嫌がらせて喜んでいるのである。政府は悪人の会社だから、政府は性格異常者だから、政府にとっては国民を殺したり嫌がらせたりすることが喜びなのである。政府は仕事で国民を殺しているふりをして、じつは自分の趣味で殺しているのである。政府にとっては国民を嫌がらせたり殺したりすることが生きがいなのである。
政府は貧乏神である。政府は死神である。だから、政府をなくせば国民は豊かになって幸福になれるのである。国民が法律をちゃんと守って政府に税金をやらなくなって政府を潰[つぶ]せば国民はお金持ちになって幸せになれるのである。

[14378] 政府の基本は悪である。 h24.3.6
政府は犯罪組織である。
政府は国民を暴力で脅して国民から国民が死なない程度のお金(税金)を取っている。
政府は国民を軍事や国家宗教で嫌がらせている。政府は国民を戦争や国家宗教で平気で殺す。
犯罪組織の政府が、国民の政府に対する反感を和[やわ]らげるために、いくつか国民の役に立つ会社(法律会社や水道会社やゴミの収集会社や学校会社など)を持っているだけのことである。政府は税金の一部を使って持ち会社を経営している。
政府の基本は国民の嫌がらせであって、政府の持ち会社は例外である。
政府は国民を嫌がらせる会社である。政府は犯罪組織であって、政府は悪人であり意地悪[いじわる]だから、政府にとっては国民を嫌がらせることが喜びだから、政府は国民を嫌がらせるのである。
政府は昔[むかし]国に法律がなかった頃に出来た、犯罪を犯して儲[もう]ける会社である。だから、政府は(最近法律が厳しくなったから多少は控[ひか]えめだけども)今でも平気で犯罪を犯すのである。
国民が政府に税金をやっても政府に不幸にされるだけである。だから、国民は政府に税金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]そう。


[14379] 法律があるとないとでは意味が違う。 h24.3.6
政府が国民を殺したとする。
昔は法律がなかったから、みんなは「殺された国民が悪い」と思った。だから、昔は政府が堂々と公[おおやけ]に国民を殺していたのだ。
今は法律があるから、みんなは『殺した政府が悪い』と思う。だから、今では政府が国民を殺せないのだ。だから、今では政府は国民にわからないようにしてコソコソと国民を殺しているのだ。
たとえやったことが同じでも、今と昔では意味が違う。
法律があるとないとでは、善と悪がひっくり返るのだ。

[14380] 貴族の正体 h24.3.6
貴族の正体は凶悪殺人強盗犯である。つまり、貴族は重い犯罪を犯す者である。貴族はその名前とは裏腹[うらはら]に悪い奴[やつ]だったのだ。
昔の社会には法律がなかったから、昔の社会では犯罪を犯す者ほど偉かったのである。位[くらい]が上だったのである。
貴族は国民よりも上の人間であり、貴族は政府よりも位[くらい]が上だから、貴族のほうが政府よりも凶悪だったのだ。
しかし、戦後は法律のある社会になったから、貴族は真っ先に捨てられた。
法律のない社会では、貴族は国民よりも政府よりも「上の者」だったが、
法律のある社会では、貴族はただの『凶悪殺人強盗犯』にすぎないから、真っ先に貴族が死刑にされたのだ。

[14381] どうして戦後いきなり厳しい法律にしなかったか? h24.3.6
戦前は法律のない社会だった。
戦後から法律のある社会が始まった。
しかし、いきなり法律のない社会から完全に法律がある社会にすることはできない。
実際には、社会の変化は連続的だから、社会はそんなに急に変われない。
だから、実際には、法律がじょじょに強くなっていくしかないのである。
ところで、最近の法律は、かなり厳しくなっている。軽い犯罪も許されなくなっている。
だから、今では政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織は国民に対して何もできないのだ。国民は政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織を恐れず、命令を聞かず、滅ぼせばいいのだ。

[14382] 二人羽折[ににんばおり] h24.3.7
二人羽折の後ろの黒子[くろこ]は政府である。政府といっても法律会社(国会や警察)のことではなく、犯罪組織の政府のことである。犯罪組織の政府は国民の前に顔を出さないので黒子なのである。
二人羽折の前の顔を出している者は国民である。
二人羽折は、政府のおかげで国民の生活がうまくいかないことを表している。政府が国民を虐待[ぎゃくたい]していることを表している。
しかし、今では法律が厳しくなっているから、政府と国民が平等になっているから、いつまでも国民は政府の言いなりではない。国民が政府に虐待されるばかりではない。今の法律がある時代では、政府は国民よりも「上の者」ではなく、ただの『犯罪者』である。二人羽折の前の者が後ろの黒子を倒して自立してやっていけばいいのだ。

[14383] 法律が社会を変える。☆☆ h24.3.7
法律のない時代には、国民にとって政府は「上の者」だった。法律のない時代には、人間は何をやってもよく、政府は国民を自分の好き勝手にしていたから国民にとって政府は上の者だった。昔は悪い者ほど上の者だったのである。昔は悪い者が善[い]い者よりも上の者だったのである。
法律のある時代には、国民にとって政府は『犯罪者』にすぎない。法律のある時代には、人間は法律を守らなければならず、人間は平等にしなければならないから、政府は国民から税金を奪って国民に軍事や国家宗教などで嫌がらせをするから、国民にとって政府は法律を犯している犯罪者にすぎない。[政府の法律は法律に反している。政府の法律は嘘[うそ]の法律である。]今では悪い者は犯罪者と見なされて下の者とされる。今では善い者が悪い者よりも上の者である。
今の政府は犯罪者にすぎない。国民は政府に従う必要はない。国民は政府に税金をやったり、政府の軍事や国家宗教などの命令を聞く必要はない。

[14384] 神とは何か? h24.3.7
神とは、政府が“人間よりも上の者”に決めた者のことである。神は貴族とは違って悪人ではなく、ただのおとなしい善良な人間である。[ここでの神は国家宗教の神のことである。]
昔は法律がなかったので、人間は何をやってもよかったので、政府が勝手に神を決めて、国民に命令して神を押し付けたのである。
政府は国家宗教をやるために神を決めて、神の情報を使って国民に嫌がらせをしていたのである。政府が神の情報を使ったことを国民に命令してやらせたり、政府が自分で神の情報を使った事件を起こして国民を殺害したりして国民を嫌がらせていたのである。政府は犯罪組織で悪人で意地悪[いじわる]だから、政府は国民を嫌がらせて喜んでいたのである。
しかし、今では法律がある。だから、人間はみな法律を守らなければならない。人間はみな平等にしなければならない。政府と国民は平等にしなければならない。だから、政府は勝手に神を決めて、国民に神を押し付けることはできない。政府は国民に国家宗教の命令を出したり、国家宗教で事件を起こして国民を殺害したりすることはできない。
今では、政府は国家宗教をやれない。神の役目は終わったのだ。

[14385] 法律があるとないとでは善人と悪人の上下関係が反対になる。 h24.3.7
昔の社会には法律がなかった。人間は何をやってもよかった。悪人は善人を暴力で脅[おど]してお金を取っていた。昔の法律のない社会では、悪人ほど有利だった。昔の法律のない社会では、悪人が善人を好き放題にしていた。悪人が善人よりも上の者だった。悪人ほど上の者だった。
しかし、今の社会には法律がある。人間は法律を守らなければならない。悪人は善人を暴力で脅してお金を取れない。今の法律がある社会では、悪人ほど不利である。悪人は犯罪者と見なされて処罰されるから不利である。今の法律がある社会では、悪人は善人を好き放題にできない。悪人は犯罪者と見なされて牢屋[ろうや]に入れられて社会の外に出されるから、悪人は善人を好き放題にできない。悪人は善人よりも下の者である。善人が悪人よりも上の者である。善人ほど上の者である。
法律がない社会では悪人が善人よりも上の者だが、法律がある社会では悪人が善人よりも下の者である。社会に法律があるとないとでは、善人と悪人の上下関係が反対になるのだ。

[14386] 法律のある社会では政府は犯罪組織にすぎない。 h24.3.7
現在の法律から見て、政府は犯罪者である。つまり、政府が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり、政府が自分勝手に国民を嫌がらせたり殺したりするのは有罪である。[政府の持ち会社の仕事は“政府の自主的なサービス”だから、無視していい。政府は国民と契約を取っていないから、政府の国民に対する仕事は仕事と見なさなくていい。そうすると、政府は国民からお金を取って国民の嫌がらせをしているだけである。つまり、政府は犯罪組織である。]政府のやり方では、政府が国民に対して一方的に有利であり、政府と国民が不平等であり、『人間の平等性』に反するからいけないのである。そもそも、政府が国民と契約を取らずに、国民からお金を取っているのが悪いのである。
つまり、今の法律では、政府がまちがっていることになる。だから、政府は犯罪者である。政府は有罪である。政府は罰せられるべきである。
今の法律では政府がまちがっているから、国民は政府に従わなくていい。国民は死んでも政府に税金を払ってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。国民は犯罪組織の政府を倒さねばならない。政府のない国を作らねばならない。
いくら政府が大きくても、政府はしょせん会社である。現在の法律では、会社は必ず国民と契約しなければならない。[[14363]の図を参照。]ところが、政府は国民と契約を取っていない。だから、国民が政府にお金(税金)を払わなくても契約違反にはならない。だから、国民は有罪にはならない。だから、国民は心置きなく政府に税金を払わなければいいのである。[政府の法律は法律ではない。政府の法律は政府が作った嘘[うそ]の法律だから、国民は政府の法律を真[ま]に受けてはいけない。]
政府は犯罪組織である。政府は国民からお金を取って国民に軍事や国家宗教などで嫌がらせをしている悪い会社である。だから、国民は政府に税金を払わずに、早く政府をなくさなければならないのである。
物理学の理論のように、この世は正しい者が勝つ。この世では、正しいことなら何をやってもいい。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。私の哲学日記に載[の]っている私の社会科学の理論のほうが社会科の教科書に載っている政府の嘘[うそ]の理論よりも正しいから、国民は私の考えに従えばいいのである。

[14387] 法律のある社会では政府はなくなるしかない。 h24.3.7
もともと政府は犯罪会社である。つまり、政府は本来国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取って国民を嫌がらせる会社である。昔は法律のない社会だったから、人間は何をやってもよかったから、そういう会社が出来たのである。昔は法律がなかったから、悪いことをやってもよかったから、悪い者が栄[さか]えていたのだ。近代になって、政府と国民が平等になってきたから、政府は流行に合わせるためにいくつか国民の役に立つサービスをいやいやしかたなくやっているだけである。
そもそも政府は犯罪を犯す会社であって、国民のために仕事をする会社ではない。だから、政府は国民と契約を取らないのである。
しかし、今は法律のある社会だから、人間は法律を守らなければならないから、人間は悪いことをやってはいけないから、犯罪会社の政府はなくならねばならない。
政府は国民と契約を取っていないから、国民は政府に税金を払わなくても契約違反にならない。だから、国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[14388] 法律のある社会では政府は潰[つぶ]れるしかない。 h24.3.7
昔は法律のない社会だった。人間は何をやってもよかった。だから、政府のような国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取って国民に嫌がらせをする会社が出来たのである。政府は国中の国民からお金を取って大儲けをしたのである。政府は国中の国民に軍事や国家宗教をやらせて嫌がらせをしたのである。政府は自分の悪の心を満足するために、国民を軍事や国家宗教で嫌がらせていたのである。
しかし、今は法律のある社会である。人間は法律を守らねばならない。だから、政府も国民を暴力で脅して国民からお金を取れないし、国民に嫌がらせをすることもできない。
政府は法律のない社会では儲かるが、法律のある社会では儲からない。
だから、今の法律のある社会では、政府は儲からなくなって潰[つぶ]れているのである。
政府は犯罪を犯して儲ける会社である。法律のない社会の中で政府は生まれ、法律のある社会の中で政府は滅ぶのだ。
[この章の文も、私は以前自分が書いた憶[おぼ]えがある。だいぶ前に夢で見たような気がする。あるいは、私が実際に哲学日記で同じような文章を書いたことがあったのかもしれない。]

[14389] 政府は会社ではない。 h24.3.8
今の法律では、会社は必ず客と契約を取らねばならないことになっている。
しかし、政府は国民と契約を取っていない。
それは、政府が会社ではないからである。つまり、政府が国民に仕事をして国民からお金をもらう団体ではないからである。
じつは、政府は犯罪組織なのである。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民からお金(税金)を取って国民に嫌がらせをする団体なのである。

しかし、今の法律では犯罪をやってはならないことになっている。
だから、政府が国民からお金を取ることはいけないことである。
したがって、国民は政府にお金をやらなくてもいいのである。

[14390] 今の政府は国民から税金を取れない。 h24.3.8
政府は犯罪組織である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民からお金(税金)を取って国民に嫌がらせをする団体である。
昔の社会には法律がなかった。人間は何をやってもよかった。だから、政府のような犯罪組織があってもよかった。政府は国中の国民からお金を奪って繁盛[はんじょう]した。
しかし、今の社会には法律がある。人間は法律を守らねばならない。だから、政府のような犯罪組織があってはならない。政府は国中の国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。
今は法律のある社会である。法律のある社会では犯罪をやってはいけない。だから、政府は国民からお金を取ってはいけない。つまり、国民は政府にお金を払わなくていいのである。

[14391] 自然状態 h24.3.8
昔の社会には法律がなかったから、人間は何をやってもよかった。
だから、昔の社会では少数の悪人が多数の善人を好き放題にしていた。[悪人は法律がないことを活かして暴れまわっていたが、善人は法律がないこと活かさずにおとなしく暮らしていた。だから、善人は悪人に好き放題にされたのだ。]昔は悪人が善人を好き放題にしていたから、悪人が善人よりも上の者だった。悪人が国を支配していた。悪人が善人を暴力で脅[おど]してお金を取って嫌がらせをしていた。
だから、自然状態は少数の悪人にとっては天国だったが、多数の善人にとっては地獄だったのである。
しかし、今の社会には法律があるから、人間は法律を守らなければならない。
だから、今の社会では少数の悪人が多数の善人を好き放題にはできないのである。悪人は犯罪者と見なされて罰せられるから、悪人は上の者ではない。悪人は牢屋[ろうや]の中に入れられて社会の外に出されるから、悪人は国を支配できない。法律のある社会では、善人だけが社会の中にいて悪人は社会の外にいる。
だから、文明状態は多数の善人にとっては天国であり、少数の悪人にとっては地獄である。
人間は自然に帰ってはならない。文明に進まねばならないのだ。
ホッブスもロックもルソーも自然状態を誤解していた。彼らは『人間には善人と悪人の違いがある』ことを知らなかったから、自然状態を正しく理解できなかったのだ。
つまり、いつの時代でも人間には善人と悪人の違いがあり、人間はみな自分の心を満足して生きている。社会の文明水準によって上の者が決まるのである。昔の社会には法律がなかったから、その結果悪人が善人よりも上の者になっていたのだ。人間の性格によって乱暴者がおとなしい者よりも上の者になっていたのだ。つまり、個人が自分の心を満足して生きていたにすぎないのだ。つまり、乱暴者は他人に乱暴をしたいから、おとなしい者に暴力をふっておとなしい者からお金を取っておとなしい者に嫌がらせをして楽しく暮らしていた。反対に、おとなしい者は、たとえ他人に虐[いじ]められてもおとなしくしていたいから、乱暴者に反逆せずにおとなしく従って、なるべく楽しく暮らしていたのである。反対に、今の社会には法律があるから、みんなが法律を守らねばならない。[今では人間が知的になって『人間が平等である』ことが正しいと考えられるようになったから、法律が出来たのである。つまり、人間の知覚が法律を作ったのであって、人間の心が法律を作ったのではない。法律が出来たのは、人間が自分の心を満足するためではなく、人間が知覚で真理がわかるようになったからである。]今の社会には法律があるから、たとえ善人でも法律の違反者は社会の外に出なければならず、たとえ悪人でも法律を守る者は社会の中に居[い]ることができる。今では善人も悪人もみんなが法律を守らなければならない。今の社会ではたとえ悪人でも最低限法律は守らねばならない。法律を守らない者は、善人でも悪人でも社会の外に出なければならない。反対に、法律を守る者は、善人でも悪人でも社会の中に居[い]ることができる。実際には、法律を守る限りではそんなに悪いことはできないから、今の社会では悪人が善人よりも上の者にはなれない。むしろ今では善人が悪人よりも上の者なのだ。

[14392] どうして法律のある社会になったのか? h24.3.8
テレビや新聞では、毎日国会のことをやっている。
国会は法律を決めるところである。
だから、国民みんなが今の社会には法律があると思ったから、法律のある社会になったのである。
国会は政府が作ったから、政府は自分で自分を潰[つぶ]したのである。
悪人はたいてい間が抜けているものである。
政府は自分が作った法律会社によって自分が潰されたのだ。
今では毎日テレビで法律のことをやっている。
外国語の勉強といっしょで、毎日法律のテレビを見ていれば、いやでも法律の知識が身に付く。
今の国民は法律のことをよく知っているから、法律のある社会になったのである。

[14393] どうして日本では麻薬や銃[じゅう]がいけないのか? h24.3.8
日本では、どこの国でもそうであるように、法律を犯してはいけないことになっている。
ところで、麻薬や銃があると犯罪が起きやすくなる。
だから、日本では犯罪が起こりにくくするために、麻薬や銃を禁止しているのである。日本ではただたんに犯罪者を取り締[し]まるだけではなく、犯罪を予防することまで考えているから、麻薬や銃がいけないのである。
一方、アメリカは、犯罪を予防することまで考えていないから、麻薬や銃をやってもいいのである。だから、アメリカでは犯罪が多いのである。
ところで、政府は犯罪組織である。政府は犯罪を犯している。政府は自分で犯罪を犯したり、国民に命令して犯罪を犯させている。政府があると犯罪が起こる。だから、日本では、犯罪を予防するために、政府をなくさねばならない。日本の法律では、政府を禁止しなければならない。政府や暴力団や宗教団体を禁止しなければならない。

[14394] 政府は民主主義をやっていない。 h24.3.8
政府の中で民主主義をやっているのは法律会社だけであって、それ以外の会社は民主主義をやっていない。特に、国民から税金を取る会社と国民を嫌がらせる会社は民主主義に反している。
そもそも民主主義とは、法律を守っている国民同士の間で多数決で物事を決めることである。だから、民主主義も法律に従わねばならない。民主主義で法律に反することを決めてはいけない。
法律は民主主義で決めるのではない。法律は『人間が平等である』原理を具体的に細かくしていった命題である。
今日的[こんにちてき]には、税金は法律に違反している。法律会社も税金で食っているのだから、根本的には法律に違反している。政府の法律会社は民主主義に反している以前に、法律に反している。政府の法律会社は不完全にしか民主主義をやっていない。政府の法律会社は、「納税の義務」(政府が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ってもいい法律)や「宗教の自由」(政府が国家宗教をやって国民を嫌がらせてもいい法律)や「服従の義務」(国民が政府の命令に従わねばならないという裏の法律)などを定めて『人間の平等性』に反する嘘[うそ]の法律を作っている。政府の法律会社は、国民から税金を取る会社と国民を嫌がらせる会社が法律に違反しているにもかかわらず、それらを取り締[し]まっていない。政府は自分が法律会社に逮捕されないために、法律会社を抱きこんで、法律会社を税金で食わせてやっているのである。政府全体としては法律に反している。政府は犯罪組織である。
今の法律のある社会では、人間は法律を守らなければならない。人間は法律に反してはいけない。政府は法律に反している。だから、政府がいけない。国民は政府の命令を聞かず、政府を倒さなければならない。

[14395] どうして犯罪組織が国民を支配できたのか?☆ h24.3.8
犯罪組織は少数である(人数が少ない)。それに対し、国民は多数である(人数が多い)。
少数の犯罪組織が多数の国民を支配できるのは、犯罪組織が国民を喜ばせるからではない。
犯罪組織が乱暴であるのに対し、国民がおとなしいからである。
人間の“性格”が違うために、犯罪組織が国民を支配できるのである。人間には“心”があるから、性格の違いによって、支配する者と支配される者に分かれるのだ。

昔は法律のない社会だったから、人間は何をしてもよかったから、人間の性格の違いがモロに利[き]いて、犯罪組織が国民を支配して国民を好き放題にしていた。[キリストの十字架像を見てわかるように、ヨーロッパ人の多くが被虐待欲[ひぎゃくたいよく](他人に虐待される欲望)が強いのは、ヨーロッパ人の多くがおとなしいよい子だからである。反対に、日本人はヨーロッパ人ほどおとなしくないから、被虐待欲がないから、日本人にはキリスト教は受けないのだ。]
しかし、今は法律のある社会だから、みんなが法律を守らなければならない。犯罪組織も国民もみんなが法律を守らねばならない。

犯罪組織が法律を守るともはや犯罪組織ではない。だから、法律のある社会では、犯罪組織は滅ばねばならないのだ。

[14396] 政府はどうやって国民を支配したのか? h24.3.8
政府が国民を支配したのは、国民の役に立つことをやったり、国民を嘘[うそ]で騙[だま]したりするようなお上品な方法ではない。
政府が国民を支配したのは、殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりの暴力で国民を脅[おど]す下品極まりない方法である。
政府は乱暴者である。反対に、国民はおとなしい。だから、政府は暴力を使って国民を支配したのである。
昔は法律のない社会だったから、人間は何をやってもよかったから、政府は暴力で国民を支配したのである。
しかし、今は法律のある社会だから、人間は法律を守らねばならないから、政府は暴力を使えなくなって国民を支配できなくなったのである。[子供にはわからないかもしれないが、大人は“言葉”で動くものである。だから、法律を守らねばならない時代には、大人はちゃんと法律を守るのだ。]
今の政府は国民に手も足も出ない。今の政府は国民にとって恐れるに足りない。国民は政府の命令を無視して政府を倒せばいいのである。

[14397] ルソー参考 h24.3.8
ルソーの考えは私の考えとほとんど同じである。ルソーは『人間には善人と悪人の違いがある』ことを知っていた。ルソーは『政府が犯罪組織である』ことも知っていた。だから、ルソーは政府とは別に新たな政治機関を作ろうと考えたのである。ちなみに、私はルソーの『エミール』は岩波文庫で高校生の頃に全部読んだことがあるが、それ以外は読んだことがない。
ルソーの自然状態とは法律のない社会のことであり、ルソーの社会状態とは法律のある社会のことである。つまり、ルソーの社会状態とは私の文明状態のことである。
日本では自然状態が戦前まで続いていたのである。戦後になってようやく社会状態すなわち文明状態に入ったのだ。
日本政府の法律会社(国会と警察のこと)は民主主義をやっている。たとえそれが建前であって、政府の法律会社が実際には民主主義をやっていなくても、国民は民主主義が正しいことを信じて、国民が民主主義をやっている。だから、日本は民主主義の国である。
社会には多数の善人と少数の悪人がいる。昔は法律がなかったから、少数の悪人が多数の善人を支配していた。今は法律があるから、多数の善人が少数の悪人を支配している。つまり、ルソーの自然状態とは少数の悪人を中心とする社会のことであり、ルソーの社会状態(第2の自然状態)とは多数の善人を中心とする社会のことである。法律によって悪人を社会の外に出すことで善人中心の社会を作ることができるのである。
法律とは多数の善人の意思である。民主主義とは多数決の原理であり、社会では善人のほうが悪人よりも多いから、民主主義とは善人主義のことである。日本では民主主義をやっているから、日本は善人主義の国である。ところが、政府は悪人である。政府はいまだに自然状態の政治をやっている。政府は時代遅れである。だから、最近の国民は政府に反抗的になって、政府を社会の外に出そうとしているのである。少数の悪人のいない多数の善人だけの国を作ろうとしているのである。

[14398] どうして時代が進むと法律が出来るのか? h24.3.8
とにかく昔は法律がなかった。だから、人間は何をやってもよかった。そのために、少数の悪人が多数の善人を支配した。つまり、政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織が暴力を使って国民を支配していた。
時代が進むと文明が発達する。
文明が発達すると、人口が増えて、人間の間の相互作用が増加する。人間の間のトラブルがよく起こる。
人間の間のトラブルを解決するために“人間の間の正しい関係”についての研究が進んで法律が出来た。
だから、時代が進むと法律が出来るのである。法律が整備されて発達するのである。
今では国民が法律を犯罪組織に適用[てきよう]して(つまり当てはめて)犯罪組織を倒しているのである。犯罪組織が暴力を使えなくなって国民を支配できなくなって滅んでいるのである。最近ようやくまともな法律が出来たから、国民が法律を犯罪組織に当てはめて犯罪組織を倒せるようになったのである。
つまり、最初から法律があれば、すなわち“人間の間の正しい関係”がわかっていれば、少数の悪人が多数の善人を支配することもなかった。政府や暴力団や宗教団体などの犯罪組織が暴力を使って国民を支配することがなかった。昔は法律がなかったために、“人間の間の正しい関係”がわからなかったために、少数の悪人が多数の善人を支配していた。多数の善人が少数の悪人に従っていた。昔の人類はまちがったことをやっていた。今の人類がまちがいを直しているのだ。

[14399] 民主主義は要らない。 h24.3.9
政府は犯罪組織だから当然要らない。政府があると国民が不幸にされるから、政府を早くなくさなければならない。
民主主義は多数決で何でも決めてしまって、自由が減るから要らない。
法律は民主主義で決めるのではない。法律は“人間の間の正しい関係”についての科学的研究によって出来るものである。現在ではすでにかなり“人間の間の正しい関係”についての研究が進んでいるから、あとはこれまでと同じようにすればいいだけである。科学といっしょである。要するに、法律は法律学で決まるのである。だから、民主主義は要らない。
そもそも民主主義なんてものは人間社会の中にはない。人間は『正しい考え』に従うのであって、「大勢の考え」に従うものではない。実際に、これまで民主主義で決めたことなんかひとつもない。民主主義は、政府が大勢の馬鹿な国民のご機嫌[きげん]取りのために考え出したデッチアゲの主義だから、なくなったほうがいい。
したがって、民主主義は要らない。国には民主主義の機関は要らない。国会は要らない。
国に必要なのは、法律を作って犯罪者を取り締[し]まる『法律会社』と、国民が自分で事業をするのを助ける『株式会社』だけである。

[14400] アメリカ h24.3.9
アメリカは世界大戦後、外国に対して暴力を使って外国を支配するようになった。自然状態では、乱暴者が暴力を使っておとなしい者を支配できるから、アメリカはその原理を使って、アメリカは乱暴な国となって軍事力を使っておとなしい国を支配しようと考えたのである。
しかし、結果は、アメリカは外国を支配できなかった。アメリカは軍事費を無駄[むだ]にしただけだった。
世界大戦後は、世界的に自然状態を抜けて社会状態すなわち文明状態に入った。つまり、法律のある社会になった。法律のある社会では、暴力で他人を脅[おど]すことはいけないとされる。だから、アメリカは外国を支配するどころか、反対に世界中の国から悪い国だと思われてしまったのである。アメリカは世界中の国から犯罪国だと見なされて、牢屋の中に入れられて、国際社会の外に出されてしまったのである。
今は国際的にも法律がある時代だから、もはや国が暴力(軍事力)を使ってのし上がることはできない。それに、そもそも植民地は先進国のヨーロッパが後進国に自分の優[すぐ]れた文明を見せびらかして威張[いば]る遊びだったのだから、いくら植民地をやっても儲[もう]からない。むしろ、外国に自分の国の文明を与えるためにお金がかかる。よほどお金持ちの国でないかぎり、植民地はできないことである。
今は法律がある時代だから、みんなもそのつもりでよく考えてから実行しなければならない。あとで牢屋の中に入れられて後悔するようなことになってはいけない。


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