[14201] 政府は偉い。 h24.2.17
政府は偉いには偉いが、独占企業としての偉さしかない。[法律をやる会社は、法律で国民を管理することが仕事であって、自分が法律を作れるからといって威張[いば]ることが仕事ではない。法律とは“国民みんなが幸福に暮らすための決まり”である。国によって国民の幸福観が違うから、法律は国によって違う。例えば、昔のヨーロッパでは、国民みんなにとって“神がいること”が幸福だった。だから、昔のヨーロッパの法律では「国民はみんな神がいると信じなければならない。国民はみんな神に従わねばならない。」と記されていた。実際に、昔のヨーロッパでは国民が“神様のふりをしている政府”に従って戦争や国家宗教をやらされて喜んでいたのである。反対に、日本では、国民みんなにとって“神がいないこと”が幸福だった。だから、日本の法律では「国民はみんな神がいないと信じなければならない。国民はみんな神に従ってはならない。」と記されていた。法律は“国民みんなが幸福に暮らすための決まり”だから、『政府が国民を不幸にする場合には、国民で政府を倒して、政府とは別の政治機関を建ててもいい。』ことを法律にすればいい。事実、それは法律なのである。]
国民と政府は平等である。
政府はしょせん会社である。
政府は国民みんなの役に立つことをして国民みんなからお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ会社である。国民は政府が国民の役に立つことをしているから、政府にお金(税金)を払うだけである。
政府が国民みんなの役に立つことをしなければ、国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒すだろう。国民は政府とは別の政治機関を建てるだろう。
[14202] 政府は政治機関である。 h24.2.17
政府は政治機関である。
政治機関は国民みんなが喜ぶことをする会社である。【政治機関の原理】だから、政治機関は国中に支店(役所)を持つほどに成長したのである。
日本政府の客は日本人であって、ヨーロッパ人ではない。
だから、日本政府は日本人が喜ぶことをしなければならない。
日本人は神が嫌いである。日本人は実在主義であり、神は実在しないから、日本人は神が嫌いなのである。
だから、日本政府は神をやってはいけない。たとえヨーロッパ政府が神をやっていても、日本政府は神をやってはいけない。ヨーロッパ人は神が好きだからヨーロッパ政府は国民を喜ばせるために神をやっているのであって、日本人は神が嫌いだから日本政府は国民を喜ばせるためには神をやってはいけない。
日本政府の仕事はヨーロッパ政府の真似[まね]をすることではなく、日本の国民を喜ばせることである。
日本人は実在主義だから、日本人は実在が好きだから、日本政府は日本国民の“実在に従う心”を満足することをすればいい。つまり、政府は国民に学校で実在のことを教えて、国民に実在の中で喜ぶようにさせて、国民が実在の外に出ないようにすればいい。国民を実在の外で喜ばせることは民間企業がやればいい。
[14203] 日本政府は勉強がよくできる子である。 h24.2.17
勉強がよくできる子は他人[たにん]の真似[まね]ばかりして自分で考えない。
日本政府は勉強がよくできる子である。
だから、日本政府は外国の政府の真似をするだけで、自分で考えないのである。日本政府は自分で考えて自分の国の国民を幸福にする政治機関になろうとしないのである。
他人の真似は簡単である。他人を眼で見て他人と同じことをすればいいだけだから簡単である。
日本政府はただ自分が楽をするために仕事をしているだけである。
日本政府はもっと頭を使って考えて仕事をしないといけない。
[14204] 祭り☆ h24.2.17
政府が国民に戦争をさせたり国家宗教をさせたりする(例えば、国家宗教の神の情報を入れた製品を作らせる)のは、祭りが発展したものである。
アフリカの土人[どじん]の祭りで、違う部族が槍[やり]を投げて戦い合って死者が出たりすることがある。
だから、政府の“祭り”でも、死者が出ることがあるのである。つまり、政府が戦争や国家宗教で国民を殺してもいいのである。祭りだから、いくら死者が出たっていいのである。
政府が神をやって国民を戦争や国家宗教で殺すのは、あくまでも祭りなのである。政府が神つまり国民よりも上の者だから政府が国民を殺してもいいわけではないのである。例えば、世界大戦は世界中の政府が協力してやった国際規模のお祭りだったのである。[世界大戦は国家宗教の神の情報を入れてやっている(例、真珠湾攻撃←真珠←光る玉←神武天皇の光るトンビ←神武天皇)から祭りである。そもそもドイツや日本だけで世界征服ができるわけがない。だから、世界大戦には祭り以外の目的はなかったのである。善の神と悪の神の戦いが祭りのテーマである。必ず悪の神は善の神に倒される。連合国が善の神の役で、枢軸国が悪の神の役をやったのだ。だから、枢軸国は連合国に倒されたのだ。]
政府は国民を喜ばせるために“祭り”をやっているのである。だから、国民はむしろ政府に感謝しなければならない。
もっとも、今の日本では西洋ブームがすぎたから、今どき政府が神をやっても国民は誰も喜ばない。だから、今では政府は“祭り”をやってはいけないのである。
[14205] お祭りをやる機関☆ h24.2.17
政府は神をやっているのではない。政府はお祭りをやっているのである。
戦争も国家宗教もお祭りなのである。
だから、政府の中にある神をやる機関は、じつはお祭りをやる機関なのである。
そもそも政府は国民を喜ばせるために“お祭り”をやっているのである。
昔から西洋式の祭りは軍事と宗教に決まっている。だから、政府は軍事や国家宗教(国民みんなでやる宗教)で祭りをやっているのである。
政府はけっして神(国民よりも上の者)ではないのである。
しかし、今の国民にとっては戦争も国家宗教も面白くない。
だから、政府はもはや戦争や国家宗教をやってはいけない。政府は今の国民が喜ぶことをしないといけない。
[14206] 暴力団と宗教団体 h24.2.17
暴力団や宗教団体はお祭りをやる会社である。
暴力団は闘争(違う暴力団が凶器で殺し合いをすること)をして祭りをやっているのである。町中[まちなか]を舞台にしたプロレスのようなものである。
宗教団体は神を祭[まつ]ってお祭りをやっているのである。
暴力団も宗教団体もお祭りをやる会社であって、けっして神(国民よりも上の者)ではないのである。
暴力団や宗教団体のファンの国民が暴力団や宗教団体にお金をやっているのである。暴力団や宗教団体のファンが、暴力団や宗教団体の祭りを見て、面白かったお礼にお金を払っているのである。都会では毎日暴力団が“祭り”をやっているのである。暴力団が国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり、宗教団体が国民を嘘[うそ]で騙[だま]して国民からお金を取ったりするのは、刑事ドラマの作り事である。
お祭り好きの国民がいるから暴力団や宗教団体が儲[もう]かっているのである。
もっとも、今では西洋ブームがすぎたから、西洋式の祭りは流行[はや]らないから、暴力団も宗教団体も以前ほど儲からなくなっているのである。
[14207] ローマ帝国はどうして滅亡したのか? h24.2.18
どこの国でも国民が外国の文化を受け入れた直後は外国の文化に従っているが、しばらくすると自分の本心を取り戻して外国の文化が嫌になるものである。[[14197]を参照。]
ローマ帝国が出来た頃には、ローマ帝国の国民はローマの文化を受け入れて、おとなしくローマ政府の世話になっていた。ローマ帝国の国民はローマの文明が優れていたので、ローマの文化のすべてを受け入れていたのである。
しかし、時代が経[た]つと、ローマ帝国の国民はローマ文化に不満を持つようになって、もとの自分の国の文化を取り戻していったのである。
そのため、ローマ帝国の国民はローマ政府の世話にならなくなって、ローマ政府に税金を払わなくなってローマ政府を倒して、国ごとにローマ政府とは別の政治機関を建てるようになったのである。
ローマ帝国がバラバラの国に分かれてしまったために、ローマ帝国は滅亡したのである。
[14208] ヨーロッパ帝国はどうして滅亡したのか? h24.2.18
どこの国でも国民が外国の文化を受け入れた直後は外国の文化に従っているが、しばらくすると自分の本心を取り戻して外国の文化が嫌になるものである。
近代になってヨーロッパは世界中に出かけていってヨーロッパの文化を外国に押し付けて世界中の国を植民地にしていった。そうしてヨーロッパ帝国を築[きず]いた。
ヨーロッパ帝国が出来た頃は、ヨーロッパ帝国の国民はヨーロッパ文化を受け入れて、おとなしくヨーロッパ政府の世話になっていた。ヨーロッパ帝国の国民はヨーロッパの文明が優れていたので、ヨーロッパの文化のすべてを受け入れていたのである。[たいていの国は、ヨーロッパの文明を大喜びで受け入れたので、植民地化はスムースに行った。ところが、インドはヨーロッパの文明が嫌いなので、インドはヨーロッパの文化をなかなか受け入れようとしなかったので、ヨーロッパがインドにヨーロッパ文明を押し付けるのにはかなりてこずった。当時のヨーロッパ(イギリス)はわざわざインドに莫大[ばくだい]なお金を払ってまでして文明を受け入れてもらっていた。だから、当時のヨーロッパ(イギリス)は大赤字だったのである。ヨーロッパは“変な国”を植民地にしないほうがよかったのである。]
しかし、時代が経つと、ヨーロッパ帝国の国民はヨーロッパ文化に不満を持つようになって、もとの自分の国の文化を取り戻していったのである。
そのため、ヨーロッパ帝国の国民はヨーロッパ政府の世話にならなくなって、ヨーロッパ政府に税金を払わなくなってヨーロッパ政府を倒して、国ごとにヨーロッパ政府とは別の政治機関を建てるようになったのである。
ヨーロッパ帝国がバラバラの国に分かれてしまったために、ヨーロッパ帝国は滅亡したのである。
日本は自分からヨーロッパの文明を受け入れたが、ヨーロッパの植民地の国はヨーロッパによってヨーロッパの文明を押し付けられた。自分から受け入れようがヨーロッパに押し付けられようが、ヨーロッパの文明を受け入れたことは同じである。だから、日本もヨーロッパの植民地も事情は同じである。世界大戦後にヨーロッパの植民地はヨーロッパから独立したから、日本も同じようにヨーロッパから“独立”したのである。今でも日本はヨーロッパから“独立”している。だから、日本の政治機関は“ヨーロッパのお祭り”をするのをやめねばならない。
[14209] どうしてモンゴル帝国はすぐに滅んだか? h24.2.18
どこの国でも国民が外国の文化を受け入れた直後は外国の文化に従っているが、しばらくすると自分の本心を取り戻して外国の文化が嫌になるものである。
中世に世界中にモンゴルが馬で攻[せ]めてきたとき、世界中の人々は馬が欲しくてモンゴルの文化を受け入れた。そうして、モンゴル帝国が築[きず]かれた。しかし、モンゴルの文化は馬以外にはいいところがなかったので、すぐに世界中の人々はモンゴル文化が嫌になってもとの文化に戻って行った。
だから、モンゴル帝国はすぐに滅んだのである。
[14210] どうして満州国はすぐに滅んだのか? h24.2.18
どこの国でも国民が外国の文化を受け入れた直後は外国の文化に従っているが、しばらくすると自分の本心を取り戻して外国の文化が嫌になるものである。
近代日本が満州に攻めてきたとき、満州の人々は日本の文明が欲しくて日本の文化を受け入れた。そうして、満州国(日本の植民地)が築かれた。しかし、日本の文化はヨーロッパの文化の借り物で特に優れたところがなかったので、すぐに満州の人々は日本の文化が嫌いになってもとの文化に戻っていった。
だから、満州国はすぐに滅んだのである。
当時の日本政府が満州の人々の役に立てれば満州の人々を支配できたが、日本政府は満州の人々の役に立たなかったので満州の人々を支配できなかったのだ。[[14195]を参照。]日本政府もそのことがよくわかっていたから、すぐに日本に引き上げたのだ。
[14211] 政府の問題 h24.2.18
政府についての問題には、
1)仕事内容
2)高い税金
の2つの問題がある。
1については、日本政府の中にある“お祭りをやる機関”が軍事や国家宗教をやって日本国民を困らせることが問題である。軍事や国家宗教をやる祭りはヨーロッパの風習であって、日本の風習ではない。日本国民にとっては、ヨーロッパの祭りは迷惑なだけである。今後は、日本国民の幸福のために、ヨーロッパ式の祭りを廃止して、政府からお祭りをやる機関を撤廃[てっぱい]すべきである。今どき、お祭りが必要な国民はあまりいないから、お祭りをやる仕事は民間会社に任[まか]せるべきである。
2については、政府が“国民の暮らしにとって欠かすことのできない仕事”を独占しているために、政府の仕事料金(税金のこと)が高くなっていることが問題である。そもそも政府と国民は平等だから、国民みんなが政府に税金を払うのをやめて“税金の踏[ふ]み倒し”をすれば、政府も国民に恐れをなして税金を値下げするだろう。
それでも駄目[だめ]なら、国民はいっそ思い切って政府を倒して、政府の仕事をバラバラにして、それぞれの仕事について会社を建てればいい。それぞれの仕事について会社の自由競争を認めればいい。例えば、日本に水道会社を2社以上建てればいい。そうすれば、水道会社の間で競争し合って水道料金が安くなるだろう。
[14212] 日本政府が“祭り”で国民を殺したのは、日本政府に責任がある。 h24.2.18
自分の意思で祭りに参加した者が祭りで死ぬのは、本人に責任があるからかまわない。本人が祭りで浮かれて悪ノリして死んだのだから、本人が悪い。
しかし、自分の意思で祭りに参加していない者が祭りで死ぬのは、祭りを主催[しゅさい]した者に責任がある。
今の日本政府は西洋式の祭りをやっているが、日本では戦後から国民が西洋文化を受け入れていないから、日本国民は自分の意思で祭りに参加していないと考えられる。[戦後にヨーロッパの植民地が次々に独立したから、その頃に日本もヨーロッパから“独立”したと考えられる。つまり、その頃に日本国民は西洋文化を受け入れなくなったのである。西洋文化を捨てたのである。]
だから、日本国民が祭りで死ぬのは、祭りを主催している日本政府に責任があると考えられる。
だから、日本政府が責任をとらねばならない。
日本では戦後から国民が西洋文化を受け入れていないから、日本政府は戦後に“祭り”で国民を殺した分のすべての責任を取らなければならない。政府が自分で責任を取らなければ、国民が政府に責任を取らせてやってもいい。
[14213] インカ軍はどうしてスペイン軍に負けたのか? h24.2.18
ペルーにスペイン軍が攻[せ]めてきたとき、ペルーのインカ軍はスペイン軍と戦った。インカ軍は戦いに優勢だったが、突然途中で戦いを放棄して負けを認めてペルーはスペイン軍に征服された。
それは、ヨーロッパ(スペイン)の文化がペルーの文化よりも優れていたからである。ペルー人がヨーロッパの文化を受け入れたほうが自分たちが幸福に生きていけると考えたので、ヨーロッパの植民地になることを認めて戦争を放棄したのである。
それほど、ヨーロッパの文化は優れていたのである。
しかし、時間が経[た]てば、ヨーロッパ文化の嫌なところも見えてくる。いずれ、時間が経てばもとの自国の文化に戻ってくる。どこの国でも西洋ブームは一時[いっとき]なのだ。だから、ペルーも今ではヨーロッパから独立しているのだ。
[14214] 西洋の科学、東洋の道徳 h24.2.18
文化は文明を含む(文化⊃文明)。文明とは物質的な文化である。
ヨーロッパは文明は優れているが、文化は劣っている。
だから、いまだにヨーロッパでは軍事や国家宗教で祭りをやっているのである。ヨーロッパの文化はアフリカ並みである。ヨーロッパの文化はエロ・グロ・ナンセンスである。
日本はヨーロッパの文明だけを受け入れて、文化は受け入れてはならない。
[14215] どうしてヨーロッパでは軍事や国家宗教で祭りをやるのか? h24.2.18
ヨーロッパ文化のもとはローマ文化である。
ローマは地理的にギリシアとアフリカの中間にある。
ギリシアは頭がいい。
アフリカは野蛮である。
ローマはギリシアの頭の良さとアフリカの野蛮さの両方があった。
だから、ローマは強い国になったのだ。ローマはヨーロッパ全土を支配できたのだ。[ギリシアは知覚的であり、アフリカは五感的である。だから、ローマは知覚的であり五感的である。だから、ローマで知覚と五感が結びついて古代科学が生まれたのだ。ローマは科学の強い国だった。ローマは科学の力を使ってヨーロッパ全土を支配したのだ。]
ヨーロッパ人はヨーロッパの強さはギリシアの頭の良さとアフリカの野蛮さにあると考えて、アフリカの文化を尊重して、今でも軍事や国家宗教で祭りをやっているのである。
しかし、ローマがヨーロッパを征服できたのは、ローマの軍隊が強かったからではなく、ローマの文明が優れていたからである。ローマの文明がヨーロッパの文明よりも優れていたので、ヨーロッパ人はローマの文化を受け入れたのである。ローマの軍隊がヨーロッパの軍隊に戦いで勝ったのは、ヨーロッパ人がローマの文化を受け入れるためのきっかけを作ったにすぎない。植民地戦争は先進国が後進国に対して自分の文明を見せ付けるためのデモンストレーションにすぎない。[例えば、幕末における黒船来航が、日本における植民地戦争だったのだ。]ヨーロッパ人にとってはアフリカの文化は要らなかったのだ。ヨーロッパ人にとってはアフリカの文化は余計なおまけだったのだ。
だから、ヨーロッパ人はローマの文明だけを受け入れてそれ以外のローマの文化を捨ててしまえばいい。ヨーロッパ人にとってもアフリカの野蛮な文化は嫌なはずである。ヨーロッパ人はローマの文化を受け入れすぎだ。ヨーロッパ人はもとの自分の国の文化を取り戻さなければならない。
アフリカの文化は外国にとっては迷惑である。アフリカの文化はアフリカに帰ってもらって、アフリカ以外の国は自分の国の文化をやればいい。
[14216] 政治機関はアフリカの文化である。 h24.2.18
政治機関はいろんな仕事をまとめてやっている。政治機関はいろんな仕事をまとめてやる会社である。
ところが、日本人は“抱き合わせ商法”が嫌いである。日本人は“中身が見えないこと(つまり、何をやっているのかわからないこと)”が嫌いである。
日本人はローマ人やヨーロッパ人が“いろんな仕事をまとめてやる会社”(つまり政府)をやっていたから、古代や近代にローマ文化やヨーロッパ文化を取り入れたときに、ローマ文化やヨーロッパ文化を真似[まね]て“いろんな仕事をまとめてやる会社”を建てたのである。
そもそも政治機関はアフリカの文化である。政治機関はアフリカ人の発明である。政治機関はローマで生まれたから、政治機関はアフリカの文化で出来ているのである。[それ以前の時代には、法律会社が単独であったのである。]ヨーロッパや日本の政治機関はローマの政治機関のコピーである。アフリカ人はいろんな物をいっしょにすることや中身が見えないことが好きなので、アフリカには政治機関のような変わった会社があるのである。アフリカ人は細かいことが嫌いなので、政治機関のような“国民がテキトウにお金を払って何でもやってくれる会社”が好きなのである。アフリカ人は“おめでた主義”なので、宝くじや福袋のように政治機関のような中身が見えない会社のほうが楽しい想像ができて好きなのである。アフリカ人は国民みんなが同じことをするのが好きなので、政治機関のような国民みんなに同じ仕事をして国民みんなからお金(税金)を取る会社があるのである。一方、日本人は個人主義だから、国民みんなが同じことをするのが嫌いなので、政治機関も税金も嫌いである。政府はローマやヨーロッパの文明についてきた余計なおまけである。[日本では“みんなといっしょにこだわる”のは、受験ノイローゼの浪人生やヒステリーのおばさんや色キチガイの変態のように気が狂っている人だとみなされる。アフリカ人は色キチガイだから“みんなといっしょ”にこだわるのだ。アフリカがいつまで経[た]っても原始時代から進歩しないのは、アフリカ人が色キチガイだからだ。アフリカ人が軍事や国家宗教で祭りをやるのは、アフリカ人が色キチガイだからだ。色キチガイは考えるのが嫌いなので、いちいち考えて人間を区別するのが面倒くさいので、みんないっしょだと考えるのである。]
日本人にとっては政府は国民のためにある会社ではない。しかし、アフリカ人にとっては政府は国民のためにある会社なのである。政府は日本から出て行ってアフリカで仕事をすればいい。
最近は、世界中で自分の国の文化を取り戻す運動をやっている。外国では政治機関を潰[つぶ]して、政府の仕事を細かく分けてバラバラの会社にしている。だから、日本でも政府を潰してバラバラの会社にしなければならない。政府の時代は終わったのである。
[14217] 日本人は政府を倒すべきである。 h24.2.18
政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令で政府に仕事を頼んで政府に仕事代を払う必要はない。国民が政府に仕事をしてもらって政府に仕事代を払うか、政府に仕事をしてもらわずに政府に仕事代を払わないかは国民の自由である。
ところが、日本人は政府が嫌いである。政府のような何をやっているのかわからない会社は嫌いである。政府のような勝手に国民に秘密で国民の役に立たない仕事をやる会社は嫌いである。政府が何をやっているのかわからないのに、政府に高い仕事代(税金のこと)を払うのは嫌である。
だから、日本人は政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいい。
政府を倒した後で、政府の仕事をバラバラにした個別の会社を建てればいい。そうすれば、日本人好[ごの]みの社会になる。[個別の会社がすぐに建つのなら、今すぐにでも政府に税金を払うのをやめるのだが。/いくつかの個別の会社と契約すれば料金が割引(例えば、3社以上で1000円引き)になるようにすればお得感も出るだろう。]
[14218] 貴族とは何か? h24.2.19
貴族とは、アフリカ文化が生み出した、“わけがわからない偉い人”のことである。“何の理由もないのに偉い人”のことである。
アフリカ人はわけがわからないことが好きだから、アフリカ文化では“わけがわからない偉い人”がいるのである。それが、貴族である。
日本にアフリカ文化(ローマ文化の一部)が入ってきた古代から戦前までは、日本にも貴族がいた。
一方、皇族は政府の“祭りをやる機関”が神として定めた一族である。日本では、皇族は貴族よりも位[くらい]が上だとされた。
しかし、戦後に日本がヨーロッパから独立して、日本にヨーロッパ文化がなくなってからは貴族もなくなった。皇族もなくなった。
日本人はわけがわからないことを認めないから、理屈っぽいから、貴族がいなくなったのだ。日本人は神を崇[あが]める祭りをしないから、皇族がなくなったのだ。
今の日本では、民間会社にしろ政府にしろ、会社の重役が偉いだけである。けっして会社の重役は貴族ではない。
[14219] 政府とは何か?☆☆☆ h24.2.19
政府とはアフリカの会社である。
アフリカには、国民みんなから強制的にお金(つまり税金)を取って経営する会社がある。アフリカには、何を仕事にしているのかわからない会社がある。アフリカには、客よりも偉そうにしている会社がある。アフリカ人は“動物性”が強いから、いまだにそんな原始的な不合理的な会社が残っているのである。
だから、日本がアフリカ文化(ローマ文化やヨーロッパ文化の一部)を受け入れていた頃(つまり、古代や中世や近代)には、日本に政府があったのである。国民の税金で経営し、自分勝手に好き放題な仕事をする、偉そうな会社があったのである。
政府はアフリカの会社であり、アフリカ人は部族の間で槍[やり]を投げて戦ったり・神を崇[あが]めたりする祭りをするから、政府の中には“軍事や国家宗教で祭りをする会社”があったのである。
しかし、今では日本はヨーロッパから独立して、日本にヨーロッパ文化がなくなっているから、政府もなくなっている。政府はアフリカ文化とともになくなっているのである。
日本人の中には政府のファンもいるが、それでも政府がなくなっているのだ。
今の日本にはアフリカ文化はない。だから、今の日本には政府はない。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。政府の命令を聞かなくてもいい。今の政府には国民を罰するほどの力はない。だから、国民は政府のことなんかどうでもいいと思って自由に暮らせばいいのである。[ただし、日本は狭い国だから、日本では善[い]い人でないと生きていけないから、法律はなるべく守ったほうがいい。]
[14220] 政府は日本をアフリカに変える会社である。 h24.2.19
政府はアフリカの会社である。政府は見かけが文明的なだけで、中身はアフリカの会社である。世界大戦が土人[どじん]の槍[やり]を投げて戦う祭りと同じであるように、教会が土人の神を崇[あが]める祭りと同じであるように、政府も土人の“客から無理やりお金を取って好き勝手なことをする偉そうな会社”と同じなのである。[日本では客と会社は平等なのに、アフリカでは客よりも会社のほうが上である。]
政府は日本をアフリカみたいな遅れた野蛮な不合理的な国にする会社である。
日本人は、遅れていることや野蛮なことや不合理的なことが嫌いである。
だから、日本人は政府を倒さなければならない。
[14221] 政府はアフリカ式経営形態の会社である。☆ h24.2.19
政府は“客から無理やりお金を取って客にわからない仕事をやって客に対して偉そうにしている会社”である。
政府はアフリカ式経営形態の会社である。“客から無理やりお金を取って客にわからない仕事をやって客に対して偉そうにしている”のがアフリカ式の経営形態なのである。アフリカは遅れた野蛮な不合理的な国だから、アフリカではアフリカ式の経営形態の会社があるのである。[暴力団や宗教団体もアフリカ式経営形態の会社である。]
日本の経営形態とアフリカの経営形態では違う。日本では会社と客は平等なのに、アフリカでは会社が客よりも上である。
日本人は政府が嫌いである。日本には政府のような会社があってはならない。
政府は“アフリカ式の経営形態”だから国民に対して偉そうにしているだけである。
政府は会社の集合体である。[[14183]参照。]法律会社は政府の会社のひとつである。日本ではアフリカ式の経営形態の会社は珍しいから、政府は毎日テレビや新聞に出ているのである。
近代になって日本はアフリカ文化(ヨーロッパ文化の一部)を取り入れていたから、日本に政府があるのである。しかし、今では日本は自分の国の文化に戻っているから政府がなくなっているのである。[もちろん、科学文明は世界共通だから日本に残る。]
日本人は政府の言いなりになる必要はない。
日本人が政府が嫌なら政府を倒せばいいのである。
[14222] 野蛮と文明 h24.2.19
政府が今の法律に照らして不当なことばかりするのは、アフリカに法律がないからである。
政府はアフリカの会社であり、アフリカには法律がないから、政府は無法なことばかりするのである。アフリカは自分がやりたいことをすればいい国だから、政府は好き放題なことをやっているのである。政府が好き放題にやっているのは、政府に権力があるからではなく、政府が国民よりも上の者だからではなく、政府が自由奔放[ほんぽう]なアフリカ文化で動いているからである。
反対に、文明国には必ず法律がある。法律は文明国の象徴である。
日本は文明国である。
だから、法律会社(国会と警察)は政府から出ても一人でやっていけるだろう。国民は法律会社を支持して喜んで法律会社にお金をやるだろう。反対に、国民は政府を嫌って、政府には1円もお金をやらないだろう。
[14223] 政府は民間会社にすべきである。 h24.2.19
政府は不合理主義の会社である。
いまだに政府が残っているのは、不合理主義の国民が政府を支持しているからである。
しかし、不合理主義の国民は国民の一部である。近代の西洋ブームの時には国民みんながヨーロッパの文化を受け入れて不合理主義をだったが、今では日本がヨーロッパから独立して、日本にヨーロッパ文化がなくなっているから、今では国民のほとんどは合理主義である。日本は本来合理主義の国だから、今では国民のほとんどが合理主義である。
だから、政府は国営(国民みんなで経営すること)にすべきではない。政府は民間会社にすればいい。政府は民営(一部の国民で経営すること)にすればいい。不合理主義の国民だけで政府に税金を払って政府に“何かわからない仕事”をやってもらえばいい。
[14224] 今では国民は政府の命令を聞く必要はない。 h24.2.19
近代の西洋ブームのときには、国民みんながヨーロッパ文化を受け入れていた。ヨーロッパ文化では、政府が国民よりも上の者だった。だから、国民は政府の命令を聞かねばならなかった。だから、国民は政府の命令で政府に税金を払って戦争や国家宗教をやった。
しかし、現代の今では西洋ブームは終わった。今の国民はヨーロッパ文化を受け入れていない。今の国民は日本文化に戻っている。日本文化では、政府は国民よりも上の者ではない。だから、今では国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。政府の命令を無視していい。国民は政府に税金を払わなくても、戦争や国家宗教をやらなくてもいい。[その代わり、政府の“サービス”も受けられなくなるが。]
政府は西洋ブームに乗っかって経営していた会社である。今では西洋ブームがなくなっているから、政府は経営できない。政府は西洋ブームがなければ何もできない。政府は潰[つぶ]れるしかない。
[14225] 祭りをする会社は法律会社よりも上である。 h24.2.19
政府はたくさんの会社の集合体である。政府の中には祭りをする会社や法律会社がある。[[14183]の図を参照。]
ところが、政府は不合理主義の会社である。政府はアフリカの会社であり、アフリカは不合理主義の国だから、政府は不合理主義の会社である。
祭りをする会社は法律会社よりも不合理的である。だから、『陸上防衛隊まおちゃん』で幕僚長[ばくりょうちょう]が首相の前で我[わ]が物顔で威張[いば]っているように、政府の中では祭りをする会社は法律会社よりも位[くらい]が上である。政府の中では不合理的な会社ほど階級が上である。
だから、国民が政府にやった税金のほとんどは祭りをする会社に使われている。祭りをする会社が軍事(自衛隊)や国家宗教をやることに使われている。民主主義の法律会社にはほとんどお金がまわらないのである。
[14226] ヨーロッパの文化 h24.2.19
ヨーロッパの文化のもとはローマ文化である。
ローマ文化はギリシア文化とアフリカ文化の合作[がっさく]である。
ギリシア文化は知覚主義で合理的である。
アフリカ文化は五感主義で不合理的である。
だから、ヨーロッパ文化は知覚主義と五感主義の両方である。ヨーロッパ文化では知覚と五感が結びついている。だから、ヨーロッパ人は科学が強いのである。
一方、日本文化は知覚主義である。日本人はあまり五感にこだわらない。
だから、日本人はヨーロッパの科学文明は好きだが、ヨーロッパ文化の中のアフリカ文化は嫌いである。
だから、日本ではヨーロッパの科学文明は受け入れるが、ヨーロッパ文化の中のアフリカ文化は受け入れないのだ。
自分の好きなところだけ拾[ひろ]って食べる。これが日本人のやり方だ。
[14227] アフリカはどうして発展しないか? h24.2.19
アフリカは不合理主義だから、いつまで経[た]っても発展しないのである。
アフリカは不合理主義だから、政府のような“客から無理やりお金を取って客の役に立たない仕事をして客に命令する会社”があるのである。アフリカでは会社が客よりも上の者なので、会社が客を好き放題にできるのである。アフリカは不合理主義だから、軍事や国家宗教で祭りをやったりするのである。アフリカ人は不合理主義だから、エロ・グロ・ナンセンスな喜びしかないのである。それが、アフリカ人の本音[ほんね]である。いくらアフリカ人が人前でおとなしくしていても、人目につかないところではすぐにその本性[ほんしょう]を表すのである。
そんな国が発展できるわけがない。
アフリカ人が不合理主義なのは、アフリカ人に知覚がないからである。アフリカ人には五感と心しかないのである。だから、アフリカ人は永久に不合理主義である。だから、アフリカはいつまで経っても発展しないのである。
日本人とアフリカ人では世界が違う。日本人にはアフリカ人の真似[まね]は無理である。だから、日本はアフリカ文化を受け入れてはならない。
[14228] 人種によって幸福が違う。☆ h24.2.19
頭の良さでは、ヨーロッパ人>アジア人>アフリカ人である。つまり、ヨーロッパ人種はアジア人種よりも頭がいい。アジア人種はアフリカ人種よりも頭がいい。
人間は頭のよさによって見えている世界が違う。
人間は自分が見えている世界の中で自分の心を満足して幸福に生きている。
だから、アジア人がヨーロッパ人を真似[まね]ても幸福にはなれない。
アジア人がアフリカ人を真似ても幸福にはなれない。
アジア人の喜びはアジア人自身が見つけるしかない。例えば、日本人の喜びは日本人自身が見つけるしかない。
人種によって頭の良さが違う。人種によって見えている世界が違うから、いくら他[ほか]の人種を真似[まね]ても幸福にはなれない。
ところで、科学はヨーロッパ人とアフリカ人を足[た]して2で割った頭の良さで出来ている。だから、アジア人にも科学はわかる。アジア人には、たとえ数学はわからなくても科学ならわかる。科学はアジア人を幸福にする。アジア人にとっては、科学は面白[おもしろ]い。だから、アジアでは科学をやらねばならない。科学はアジアに取り入れねばならない。
一方、政府や“軍事や宗教をやる祭り”はアフリカ人の文化である。アジア人にはアフリカ人の文化はわからない。政府や“軍事や宗教をやる祭り”はアジア人を幸福にしない。アジア人にとっては、政府や“軍事や宗教をやる祭り”は面白[おもしろ]くない。だから、アジアでは政府や“軍事や宗教をやる祭り”をやってはいけない。政府や“軍事や宗教をやる祭り”はアジアに取り入れてはいけない。
[14229] 政府は民主主義ではない。 h24.2.19
法律会社(国会と警察)が民主主義なだけである。法律会社が国民と平等なだけである。
政府は民主主義ではない。政府はアフリカの文化で出来た会社だから、アフリカには民主主義がないから、政府は国民よりも上の会社なのである。
だから、法律会社としては国民から税金を取れないが、政府としては国民から税金を取れるのである。
政府は国民よりも上の会社であって、政府の中にいくつか国民と平等な会社が入っているのである。[[14183]の図を参照。]
ところが、最近は世界中の国が自分の国の文化に戻っている。政府は日本の文化で出来た会社ではない。だから、今の日本では、政府がどんどんなくなっている。政府を仕事ごとにバラバラの会社にして、それぞれの会社で経営するようになって来ている。早く実現して欲しいものだ。
[14230] 『ドン・キホーテ』 h24.2.20
ドン・キホーテは騎士道精神に取り付かれていて、ドン・キホーテには現実が歪[ゆが]んで見えていた。そこが、『ドン・キホーテ』の面白さであり、『ドン・キホーテ』の価値なのである。[じつは、私は『ドン・キホーテ』を読んだことがない。]
それまでの文学(おとぎ話や聖書など)は人間を客観的に外から見ているだけで、人間の内面の世界に立ち入っていなかった。それまでの文学は、事実を淡々[たんたん]と積み重ねて書いているだけで、個人による内面の世界の違いを書いていなかった。
つまり、近代までは人間に“内面の世界”があることがわかっていなかった。人間はみんな同じ世界を見ていると考えられていた。ヨーロッパ人もアジア人もアフリカ人もみんな同じ内面の世界を持っていると考えられていた。だから、ローマ人はヨーロッパ人みんなに自分と同じ世界(文化)を押し付けたのである。ローマ人はヨーロッパ人に自分と同じように幸福になってもらうために、自分と同じ文化を押し付けたのである。しかし、実際には、ローマ人とヨーロッパ人の見ている世界は違っていたので、ローマの文化はヨーロッパ人にとってはありがた迷惑だったのである。『小さな親切、大きなお世話』だったのである。つまり、ローマは不良の国だったから、ローマは「人間にとっては悪いことが幸福だ」と思って、ヨーロッパ中に悪い文化を流行[はや]らせたのだが、実際にはヨーロッパはいい子の国だったから、ヨーロッパ人の多くにとってはローマ文化は嫌だったのだ。[もっとも、ドイツ人は悪いことが好きだったので、最後まで神聖ローマ帝国を名乗って、ローマ文化をやり続けたのである。]同じ頃、日本人も自分が幸福になるためにローマ文化を取り入れたのだが、日本人はローマ人ほど悪い人間ではなかったので、ローマの文化は日本人にとっては面白くなかったのである。結局、中世後期には、日本人はローマの文化を捨ててしまったのだ。日本人は面白さに厳しいので、自分の気に入らない物はきっぱりと捨ててしまうのだ。
しかし、現代の今では、人間に内面の世界があることがわかっている。人間はみんなそれぞれ違う世界を見ていることがわかっている。現代では人間が脳で感覚していることがわかっている。人間は一人一人脳の構造が違っているから、感覚する世界も違っている。感覚する世界が違うから、幸福も違う。だから、例えば、アジア人がヨーロッパやアフリカの文化を受け入れても幸福にはなれない。アジア人はヨーロッパやアフリカの文化の中から“自分にわかるもの”だけを選んで取り入れねばならない。そこから先は、アジア人が自分自身で文化を作って幸福になるしかないのである。例えば、“客から無理やりお金を取って客の役に立たない仕事をする”政府や“戦争をしたり神を崇[あが]める祭り”はアフリカの文化で出来たものだから、アジア人にはわからない。アジア人にとっては、政府や“戦争をしたり神を崇める祭り”は幸福ではない。だから、アジアでは政府や“戦争をしたり神を崇める祭り”をやってはならない。アジアには政府や“戦争をしたり神を崇める祭り”を取り入れてはならない。アジアでは会社と客は平等であり、神はいないから、アジアでは“客のために役に立つ仕事をして客からお金をもらう”会社や、“人々が集まってみんなでいっしょに楽しむ祭り”をすればいいのである。一方、ヨーロッパの科学文明はアジア人にもわかる。アジア人にとってはヨーロッパの科学文明は幸福である。だから、アジア人はヨーロッパの科学文明を取り入れればいい。
[14231] 税金の問題 h24.2.20
今の日本は西洋ブームが去って日本の文化に戻っている。日本の文化では政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。
国民が政府に税金を払わなければ、政府のサービスが受けられない。政府はいくつか国民の役に立つサービス(例えば、水道やゴミの収集)をやっているから、政府のサービスが受けられないと国民は困る。
反対に、国民が政府に税金を払えば、政府の余計なサービスまでも受けることになる。政府はいくつか国民に危害を加えるサービス(国民に戦争をやらせたり、国民を国家宗教で嫌がらせたり殺したりすること)をやっているから、政府のサービスが受けられると国民は困る。
つまり、国民は政府に税金を払っても払わなくても両方とも困るのである。
同じ困るなら税金を払うほうが国民にとっては損だから、いっそ国民は政府に税金を払うのをやめたほうがいい。そうすれば、明るい未来が開けるだろう。
[14232] 日本人には日本文化がよく似合[にあ]う。 h24.2.20
近代の日本は西洋ブームだった。日本人みんながヨーロッパ文化(特に、悪いことが好きなドイツ人のドイツ文化)をやっていた。ヨーロッパ文化では、政府は国民よりも上の者だったので、国民みんなは政府に従っていた。国民みんなは政府の命令で政府に税金を払って、政府の命令で戦争や国家宗教をやった。
しかし、現代の日本では西洋ブームはない。今では日本人は誰もヨーロッパ文化をやっていない。現代の日本は日本文化に戻っている。日本文化では、政府と国民は平等なので、国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府に税金を払わなくてもいいし、政府の命令で戦争や国家宗教をやる必要はない。
日本人は税金や空威張[からいば]り(権力のこと)が嫌いである。だから、日本人は国民から税金を取って空威張りをする日本政府を倒さなければならない。税金も空威張りも日本の文化ではない。だから、日本人は日本から日本政府をなくさなければならない。日本人は仕事内容の不明確な不透明な日本政府の代わりに、仕事内容の明確な透明なそれぞれの会社を建てねばならない。国民が自分にとって必要な会社に仕事を頼んでお金を払うようにしなければならない。
政府はヨーロッパ文化の中では存在できるが、日本文化の中では存在できないのだ。
日本人は日本を日本人にとって快適な世界にしなければならない。
[14233] バカの文化 h24.2.20
アフリカ人はバカである。
日本人(アジア人)は普通である。
ヨーロッパ人は優秀である。
政府や“軍事や国家宗教の祭り”はアフリカ文化である。
政府や“軍事や国家宗教の祭り”は日本文化(アジア文化)ではない。ヨーロッパ文化でもない。
政府や“軍事や国家宗教の祭り”はアフリカ人にとっては幸福である。
政府や“軍事や国家宗教の祭り”は日本人にとっては幸福ではない。むしろ不幸である。
だから、アフリカ人は政府や“軍事や国家宗教の祭り”をやればいい。
日本人は政府や“軍事や国家宗教の祭り”をやってはいけない。
日本では会社と客は平等だから、日本人は仕事内容の不明確な不透明な日本政府の代わりに、仕事内容の明確な透明な個別の会社を建てねばならない。客から税金を取る会社の代わりに、客から料金を取る会社を建てねばならない。[アフリカ人はバカなのでアフリカでは“わけがわからないこと”が通るから、政府が何の理由もなく上の者でやっていけるのである。つまり、政府とは“貴族の会社”である。[14218]を参照。もともと政府が上の者である理由がないから、いくら政府がどうして上の者であるのかを考えてもわかるわけがない。政府が不明確な不透明な仕事をしているのも、アフリカでは“わけがわからないこと”が通るからである。]
日本人は血を見るのが嫌いだし日本には神がいないから、日本人は戦ったり神を崇[あが]める祭りの代わりに、みんなでいっしょになって楽しむ祭りをしなければならない。[私は個人的にはみんなでいっしょにワイワイやるよりも、ゲームで他人と軽く戦って付き合うのが好きだが。]
アフリカ人と日本人では“文化の階層[かいそう]”が違うのだ。自分とは違う階層の文化をやってはいけない。自分の文化レベルに合った“外国の文化”を取り入れねばならない。
つまり、わざわざ日本が後進国の文化に合わせなくてもいいということである。日本は中進国[ちゅうしんこく]で、アフリカは後進国だから、日本がアフリカに合わさなくてもいいのである。日本人は“本当に自分にわかること”だけをやればいい。日本人は“自分に納得がいくこと”で固[かた]めた国を作ればいい。そうすれば、日本人は幸福に暮らせる。日本人には政府や“軍事や国家宗教の祭り”は形だけで意味がわからないからやめればいいのである。
[14234] どうしてヨーロッパ人は奴隷根性なのか? h24.2.20
ニーチェは「ヨーロッパ人には奴隷根性がある」と言った。ニーチェは「ヨーロッパ人が奴隷である」ことを発見した。
ヨーロッパ人に奴隷根性があるのは、ヨーロッパ人がアフリカ文化を受け入れているからである。
アフリカ人は奴隷であり、アフリカ文化は奴隷文化なので、アフリカ文化を受け入れているヨーロッパ人も奴隷なのである。つまり、「ヨーロッパ人には奴隷根性がある」とは、ヨーロッパ人にアフリカ根性があると言っているのである。
ヨーロッパ人は長い間アフリカ文化を受け入れているために、いつの間にか身体がヨーロッパ人で心がアフリカ人になってしまったのである。
日本人は奴隷になってはいけない。だから、日本人はアフリカ文化を受け入れてはいけない。日本から政府や“軍事や国家宗教の祭り”をなくさなければならない。
[14235] 『猿の惑星』 h24.2.20
政府はアフリカの会社である。政府はアフリカ方式の会社である。政府は客から無理やりお金を取って好き勝手な仕事をする会社である。
アフリカ人はバカである。アフリカ人は猿である。[反対に、ヨーロッパ人は宇宙人である。サントリーの『オールフリー』の「娘の手料理」篇のCMで、宇宙人が女の人が作った料理をうまいと言っているのは、ヨーロッパ人が私の哲学日記を褒[ほ]めていることを表している。]
だから、政府は“猿の会社”である。
世界中の国で猿の会社が人間である国民を支配している。地球は猿の惑星である。
アフリカ人はバカなのでアフリカ文化では“理由がないこと”が通るから、世界中の国で猿の会社が何の理由もないのに国民よりも上の者となって国民を支配しているのである。
世界中の国に“猿の会社”(政府のこと)があるのは、アフリカ文化のせいである。
政府だけが猿ではない。政府を上の者と思っている国民もまた猿である。アフリカ文化を受け入れている者はみんな猿である。だから、地球全部が猿の惑星なのである。
アフリカ文化は不合理的でよくない。アフリカの不合理主義は人々の不幸の原因である。
だから、世界中の国からアフリカ文化をなくさなければならない。そうすれば、世界中の人々が幸福になれる。[もっとも、アフリカではアフリカ文化をやってもいい。アフリカ以外の国ではアフリカ文化をやってはいけない。]
人間には人間の幸福がある。人間には猿の幸福はない。だから、人間は猿の幸福をやめねばならない。
[14236] 不合理主義の会社 h24.2.20
政府はアフリカ生まれの不合理主義の会社である。政府は不合理主義で経営している会社である。
アフリカ人はバカなのでアフリカ文化では“理由がないこと”が通るから、世界中の国で不合理主義の会社が何の理由もないのに国民よりも上の者となって国民を支配しているのである。政府は不合理主義で国民よりも上の者となって、国民に命令して国民から無制限に税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教(例えば、国家宗教の神の情報を入れた製品やテレビ番組を作ること)をやらせているのである。
アフリカは不合理主義の国だからアフリカでは不合理主義が通るが、アフリカ以外の国は不合理主義ではないからアフリカ以外の国では不合理主義は通らない。
日本では近代になってヨーロッパ文化を受け入れたときにヨーロッパ文化の中のアフリカ文化を受け入れて不合理主義の国だったから、不合理主義をやる政府が出来たのである。しかし、戦後になって世界中の国が自分の文化を取り戻すようになって、今では日本はヨーロッパ文化を捨ててもとの日本文化に戻っている。だから、今の日本ではアフリカ文化は通用しない。
今の日本は不合理主義の国ではない。今の日本では不合理主義は通用しない。だから、今の日本では国民は政府を上の者だと思って政府に従わなくていいのである。国民は政府に税金を払うのをやめて早く政府を倒して、仕事内容の明確な透明な個別の会社を建てねばならない。国民と平等で国民から税金を取らない会社を建てねばならない。[日本国憲法では国民が政府に従わねばならないことになっているが、そんなことはどうでもいい。アフリカ文化の不合理主義では嘘[うそ]をついてもいいから、政府は不合理主義を使って憲法で国民に嘘をついているのである。]
今の日本では、国民が合理主義で、政府が不合理主義である。国民と政府が主義において対立している。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。日本人には知覚があるから、日本は本来合理主義の国だから、日本では政府のような不合理主義の会社はやっていけないのである。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。政府はアフリカ以外の国ではやっていけないのだ。アフリカでは国民が不合理主義だから、アフリカでは政府が国民に歓迎[かんげい]されるだろう。
ヨーロッパは合理主義の国である。だから、ヨーロッパは早くアフリカの不合理主義をやめねばならない。ヨーロッパは早く自分自身を取り戻さねばならない。
[14237] ソロモンの鍵[かぎ] h24.2.20
ソロモン王が巨人を従わせることができた“ソロモンの鍵”とは“アフリカ文化の不合理主義”のことである。巨人とは国民のことである。ソロモン王は不合理主義を使うことによって何の理由もないのに国民よりも上の者となって国民を自分に服従させたのである。
政府は“アフリカ文化の不合理主義”を使って国民よりも上の者になっているのだ。アフリカ人は知覚がないので、アフリカ人はバカなので、アフリカは不合理主義の国なので、アフリカでは“理由がないこと”が通用するから、アフリカでは理由がなくても誰でも威張[いば]りさえすれば上の者になれるのである。一般に、アフリカ文化が通用する国では、“理由がないこと”が通用するから誰でもなろうとすれば国民よりも上の者になれるのだ。
今では国民が政府が上の者である“理由”がわかっている。つまり、アフリカ文化を受け入れた国では“理由のないこと”が通用するから、政府は理由がないのに国民よりも上の者となって国民を支配しているのである。つまり、政府が国民を支配するためには、まず国に何らかの方法でアフリカ文化(つまり不合理主義)を受け入れさせて(例えば、日本の場合には、ヨーロッパの科学文明を受け入れるという名目[めいもく]でヨーロッパ文化に紛[まぎ]れてアフリカ文化を受け入れさせた。)、国をアフリカ文化が通用するようにしてから、つまり国を理由が通用しないようにしてから、政府が何の理由もないのに強引に国民よりも上の者になって国民を支配すればいいのである。つまり、まず何らかの方法で(日本では、ヨーロッパ文化を受け入れるという名目で)国で“国家宗教”をやって国を不合理主義の国にしてから、国民に不合理主義を植え付けてから、政府がただ威張[いば]って国民を支配すればいいのである。ソロモン王が考え出した方法を、これまでローマ政府やヨーロッパ政府や日本政府やその他の国の政府が真似[まね]て使ってきたのである。[暴力団や宗教団体は、政府が日本をアフリカ文化が通用する国にしたことに便乗[びんじょう]して、政府と同じように“理由がないこと”を使って国民よりも上の者になって国民にいろんなことを命令して儲[もう]けているのである。]今の国民にとって政府は恐れるに足りない。だから、今では国民は政府に従わない。国民がアフリカ文化を国から排除すれば、国では“理由のないこと”が通用しなくなるから、国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。戦後の日本ではアフリカ文化を排除しているから、今の日本では“理由のないこと”が通用しないから、国民が政府に従わなくてもいいのである。政府が国民に文句をつけてきても、国民は政府を相手にしなければいいのである。
今ではソロモンの鍵はアフリカ以外の国では使えないのだ。
[ちなみに、私は昔妹が持っていたファミコンで『ソロモンの鍵』というゲームをやったことがある。わりと面白かった。今の私はFPS(銃で撃ち合うゲーム)ばかりやっているが、当時の私はパズルゲームが好きだった。]
[14238] 国民を支配する方法 h24.2.20
政府が国民を支配するためには、国民を馬鹿に変えればいいのである。つまり、政府が国民を支配するためには、まずいろんな方法を使って国民を馬鹿に変えて国民が理屈がわからないようにしてから、政府がただ威張[いば]って偉そうにして国民に政府に従わねばならないと思わせればいいのである。
国民は政府によって馬鹿に変えられて理屈がわからなくなっているから、自分が政府に従わねばならない理由が何もないのに、政府が偉そうにしているのを見て自分が政府に従わねばならないと思って政府におとなしく従っているのである。
“国民を馬鹿に変える方法”には、国家宗教や軍事やスポーツやマンガやテレビや歌や文学やエロ本や風俗やゲームや学校(子供が自分で考える時間を奪[うば]うため)や丸暗記科目や受験勉強や酒やタバコや寝不足などがある。[『魔法陣グルグル』のシュギ村の住民がギザイアの魔法でイヌに変えられたのは、政府が昔から国家宗教を“国民を自分の言いなりにする方法”として利用していたことを表している。]
政府は国中で四六時中“国民を馬鹿に変える方法”をやって国民を馬鹿に変えて、国民を自分の言いなりにしているのである。
昔は文明が遅れていて国民がもともと馬鹿だったから、政府がわざわざ国民を馬鹿に変えなくても政府が威張りさえすれば国民を支配できた。しかし、今は文明が進んで国民が利口になっているから、政府がわざわざ国民を馬鹿に変えなければ政府が国民を支配できないのである。
国民は政府に馬鹿に変えられないように注意して、政府の言いなりにならないようにしないといけない。国民は政府の命令を聞かないようにして、政府に税金を払わないようにして、早く政府を倒さねばならない。政府の代わりに国民の役に立つ個別の会社を建てねばならない。
[14239] 医療保険制度 h24.2.20
医療保険制度は、政府が医者の人気を利用してお金を稼[かせ]ぐ方法である。
政府は国民からもらった医療保険費のほとんどを自分の懐[ふところ]にしまっているのである。医者にはスズメの涙ほどのお金しかまわらないのである。
政府はインチキ会社である。政府は国民を馬鹿に変えて、国民を言いなりにする会社である。
医者は政府に利用されているだけである。
だから、医者は政府と縁を切ったほうがいい。
医者は政府とは別に保険会社を設[もう]けて、保険会社に医療保険費を集めてもらったほうがいい。
[14240] 国民はどうして政府に従うのか?☆ h24.2.20
国民が政府によって馬鹿に変えられているからである。
つまり、国民が政府に従うのは、国民が馬鹿だからである。
政府は国民を馬鹿に変える会社である。政府は国民を馬鹿に変えて、国民を政府に従わせているのである。たとえ神が死んでも、政府が国民を馬鹿に変えられるかぎり、政府は不滅である。
政府は国の発展の妨げになる。政府は国民にとって邪魔[じゃま]である。政府がなければ、今頃はロボットに働かせて国民は遊んで暮らせるようになっていただろう。
政府は国民を馬鹿に変えて、国民を自分の言いなりにして、国民に嫌な命令を出して国民を虐[いじ]めて遊んでいるのである。国民を遊び半分に殺して喜んでいるのである。
国民は自分が幸福になるために政府を倒さねばならない。政府のない国を作らねばならない。
国民が政府に従うのは、国民が馬鹿だからである。国民が政府に馬鹿に変えられて理屈がわからなくなっているから、雰囲気[ふんいき]だけで政府に従っているのである。
国民が政府に従わねばならない理由はない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
国民はさっさと陰気臭い政府を倒して、明るい国を作らねばならない。
[14241] 馬鹿[ばか]にはまちがいが通用する。 h24.2.20
そもそも政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従う必要はない。これでは、政府が国民を支配できない。
そこで、政府は国民にいろんなことをして国民を馬鹿に変えて、国民に政府が国民よりも上の者だと思わせて、国民を政府に従わせているのである。国民から税金を取っているのである。政府は国民から税金を取るために、国民を馬鹿に変えているのである。
例えば、アフリカ人は馬鹿だから、国民にアフリカ人と同じことをさせれば国民を馬鹿に変えることができる。そのため、政府は国民に国家宗教をやらせていたのである。世界大戦をやらせたのである。国民を馬鹿に変える方法には他[ほか]にもたくさんある。
つまり、政府が国民よりも上の者だというのはまちがいである。政府と国民が平等であるのが正しいのである。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。
政府が国民よりも上の者であるのはまちがいである。利口にはまちがいが通用しないが、馬鹿にはまちがいが通用する。だから、政府は国民を馬鹿に変えることによって、まちがいを通用させているのである。
政府は自分が国民から税金を取るために、国民を馬鹿に変えている。政府が国民を馬鹿に変えているために、国民が自分の性能を十分に発揮できなくなって国が発展しなくなる。国が不景気になる。国の発展が遅くなる。日本人は生まれつきあまり利口ではないから、これ以上政府に馬鹿に変えられたら、国が滅亡する。『人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足させることによって幸福に生きている』のに、国民が政府に馬鹿に変えられたら、国民が実在のことがわからなくなって国民が実在の中で自分の心を満足させることができなくなって国民が不幸にされる。国民にとって政府は自分を不幸にする悪魔である。国民にとっては政府が邪魔である。だから、国民は政府を倒さなければならない。そのためには、国民が政府に従うのをやめて、政府にお金を恵んでやるのをやめて、政府を餓死[がし]させるといい。
[14242] 政府は乞食[こじき]である。 h24.2.21
要するに、政府は乞食[こじき]である。政府は国民を馬鹿に変えて、国民に上の者だと思わせて、国民にお金を恵ませる乞食である。国民は政府に騙[だま]されて政府にお金を恵んではいけない。本来、国民が乞食にお金を恵むか恵まないかは国民の自由である。政府は国民を馬鹿に変える悪質な乞食だから、国民は政府にお金を恵んでやらないほうがいい。国民は政府にお金を恵んでやらずに政府を餓死[がし]させたほうがいい。
[14243] 政府は国民の支配の仕方を変えるべきである。 h24.2.21
政府は国民を馬鹿に変えて、国民に上の者だと思わせて、国民に税金を払わせている。[暴力団や宗教団体は、政府が国民を馬鹿に変えたことに便乗[びんじょう]して、国民に暴力をふったり立派なことを言ったりして国民に上の者だと思わせて、国民からお金を取って儲[もう]けている。ヨーロッパ文化では人間が不平等なので、ヨーロッパ文化の中では国民に上の者だと思わせれば好き放題にやれたのだ。しかし、最近の国民は暴力団や宗教団体を上の者だと思わず、暴力団や宗教団体を馬鹿にして、暴力団や宗教団体が国民に自分を上の者だと思わせるためにおかしなことをやるのを見て喜んでいる。]
しかし、最近の国民は利口になっているから、こんな古臭い方法はもはや通用しない。このままでは国民が政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れてしまうだろう。
政府は国民を馬鹿に変えて国民に上の者だと思わせて国民を支配するのではなく、政府は国民の役に立つことをして国民を支配すべきである。
そのためには、政府は仕事ごとに別の会社に分かれて、国民の役に立たない会社を潰[つぶ]して、国民の役に立つ会社だけを残して、国民の役に立つ会社が普通の民間会社と同じように国民と契約して国民の役に立つ仕事をして国民からお金をもらうようにしなければならない。そうしないと、これからの政府はやっていけないだろう。今どきマンガじみたやり方(つまり、国民を馬鹿に変えて支配する方法)で経営することはできない。政府は真面目[まじめ]に仕事をしなければならない。
[14244] 国民に上の者だと思わせる会社 h24.2.21
政府は国民に上の者だと思わせる会社である。政府は国民に上の者だと思わせて国民に命令して国民から税金を取っているのである。
政府が国民に上の者だと思わせるためには、国民を馬鹿に変えたり、国民を殺したりすればいい。
そのために、政府の中には国民を馬鹿に変える会社や国民を殺す会社があるのである。
しかし、本当は政府と国民は平等である。最近の国民にとってはそれくらい常識である。
だから、今では政府が国民に上の者だと思わせようとしても無駄[むだ]である。政府が国民に上の者だと思わせようとすると、政府が国民の反感を買ってかえって国民が政府に従わなくなるだけである。
政府は国民から税金を取るために、国民を馬鹿に変えたり国民を殺したりして国民を不幸にしている。政府は国民を不幸にする悪魔である。国民の幸福にとって政府は邪魔である。国民は政府を倒さなければならない。
政府は無駄な足掻[あが]きをせずに、国民の役に立つことをしなければならない。そうしないと、政府は潰[つぶ]れるだろう。
そもそも政府は日本で出来た会社ではない。ヨーロッパで出来た会社である。これまで国民は文明開化のお祝[いわ]いにしばらくヨーロッパ文化に付き合って政府を上の者と思って相手にしてやっていただけである。しかし、戦後の日本はヨーロッパ文化に飽きが来てもとの日本文化に戻っている。今の日本ではヨーロッパ文化がなくなっている。だから、政府はヨーロッパ文化とともになくなっているのだ。今の日本では政府はどうでもいい会社にすぎない。だから、国民は政府の命令を真面目[まじめ]に聞かなくてもいい。戦後は世界中で“自分の国の文化を取り戻そうキャンペーン(社会運動)”をやっているから、日本でも日本文化に戻っているのだ。ヨーロッパ文化では神がいるから人間に上下の区別があって不平等である。だから、ヨーロッパでは政府のような国民に上の者だと思わせる会社があるのだ。[ヨーロッパはアフリカの近くにあるから、ヨーロッパはアフリカ文化の影響を受けている。アフリカには神がいるから、ヨーロッパにも神がいるのだ。反対に、日本はアフリカから離れているから、アフリカ文化の影響を受けていない。だから、日本には神がいないのだ。要するに、神(つまり人間よりも上の者)はアフリカ文化の産物であって、人間の不合理性の象徴である。ヨーロッパの近くにアフリカがあるのは、良い子の近所に悪い子が住んでいるようなものだ。]反対に、日本文化では神がいないからみんなが平等である。だから、日本では会社と客は平等である。政府のような偉そうな会社は日本人にとって不愉快[ふゆかい]である。だから、政府はなくならねばならない。今では日本の中に一軒[いっけん]だけヨーロッパの会社(政府のこと)があって周囲に違和感を漂[ただよ]わせている。だから、政府はさっさとなくならねばならない。
[14245] すべての文化は実在に通じる。 h24.2.21
文化がどうあろうが、実在はひとつである。
世界中のすべての文化は実在を目指[めざ]している。
実在においては、人間はみな平等である。
だから、政府のような国民に上の者と思わせる会社はあってはならない。たとえ、ヨーロッパやアフリカでもあってはならない。ヨーロッパ文化やアフリカ文化がまちがっているから、ヨーロッパ文化やアフリカ文化を修正しなければならない。
今後は世界中の国で政府がなくならねばならない。
文化がどうあろうが、真理は全世界で通用する。真理は世界中の国で受け入れねばならない。真理に従わなくてもいい人間はいない。真理に従わなくてもいい文化はない。
人間は実在の中で自分の心を満足しなければならない。
国によって国民の心が違うから、国によって文化が違ってくるのだ。
現代では『人間はみな平等である』ことが実在における客観的真理だと考えられている。『人間がみな平等である』ことが、現代における社会科学の原理である。昔は「人間が不平等である」ことが真理だと考えられていたが、今では(特に戦後は)『人間はみな平等である』ことが真理である。[国家宗教は国民を馬鹿に変える方法であって、神がいるかいないかは『人間の平等性』とは直接には関係がない。神がいると思うか神がいないと思うかは個人の自由だが、『人間がみな平等である』ことはすべての人間が従わねばならない真理である。/国民を馬鹿に変えることと、国民に政府を上の者だと思わせることは別ごとである。国民に政府を上の者だと思わせるためには、政府が国民に対して偉そうにしなければならない。ところが、今の政府は国民に対して偉そうにしていないから、今の国民は政府を上の者だと思わなくなって政府に従わなくなっている。今の国民は『人間はみな平等だ』と考えているから、政府と国民が平等だと考えているから、政府に従わなくなっている。]
現代では『人間が平等である』ことが世界の法律(世界法)である。だから、世界中の国で『人間が平等である』ことを守らなければならない。
したがって、政府と国民は平等である。いくら政府が国民を馬鹿に変えていても、政府が「国民は政府に従わねばならない」と言っていても、政府が遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したりしていても、それでも政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に税金を払わなくていい。政府は“嘘[うそ]の憲法”を定めて国民が税金を払わねばならないと言っている。国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。国民は政府に税金を払うのをやめて、早く政府を倒して、政府の代わりに国民の役に立つ会社を建てねばならない。
政府は“国民から無理やりお金を取って、国民に秘密で自分勝手な仕事をして、国民に命令を出す会社”である。政府のような特殊な経営形態・業務形態の会社があってはならない。だから、国民は早く政府をなくさなければならない。
[14246] 今の時代には政府は経営できない。 h24.2.21
政府は国民を馬鹿に変えて、国民に上の者だと思わせて、国民に命令する会社である。政府は国民に命令して、国民から税金を取って儲[もう]けている。
ところが、今の時代は、国民が馬鹿ではない。今は頭を使う仕事が多いから、国民が馬鹿では生きていけない。
ところが、今の時代は、『人間が平等である』ことが常識である。小学校で『人間が平等である』ことが子供に教えられている。
だから、今の時代は、政府が国民を馬鹿に変えて、国民に政府を上の者だと思わせることができない。
だから、今の時代は、政府が国民に命令して国民からお金を取ることができない。
だから、今の時代は、政府は経営できない。政府は潰[つぶ]れるしかない。政府は滅びるしかない。
[14247] ヨーロッパ文化と日本文化の違い h24.2.21
ヨーロッパ文化は人間が不平等である。
日本文化は人間が平等である。
だから、ヨーロッパ文化の中では、国民に上の者だと思わせれば、好き放題にやれる。国民に命令してお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできる。ヨーロッパ文化の中では、いわゆる空威張[からいば]りが効[き]くのである。だから、ヨーロッパ文化では、貴族や政府や暴力団や宗教団体が国民よりも上の者として国民を好き放題にしていたのである。
反対に、日本文化の中では、みんなと平等にしなければいけない。
近代日本は文明開化の影響でヨーロッパ文化だったから、政府や暴力団や宗教団体が国民を好き放題に弄[もてあそ]んでいた。宗教家は人前では立派なことを言って聖人ぶっているが、人目につかないところでは好き放題なことをして他人に暴力をふって暴れまわっていたのだ。
しかし、現代日本はヨーロッパ文化に飽きたのでヨーロッパ文化を捨ててもとの日本文化に戻っているから、政府や暴力団や宗教団体がもはや国民に手出しはできないのだ。政府は国民から税金を取れないのだ。今の政府が国民から税金を取っていることはまちがいだ。政府は早く潰[つぶ]れて、国民の役に立つ個別の会社を建てるべきだ。
もっとも、戦後は世界的に『人間が平等である』ことになったから、今ではヨーロッパでも人間が平等になっているだろう。[詳[くわ]しいことは知らないが。]
[14248] どうして今の世界では戦争や宗教がなくなったのか? h24.2.21
これまでは政府が国民に命令して、国民に戦争や国家宗教をやらせていた。戦争や国家宗教は、政府が国民を虐[いじ]めるための手段だったのだ。[誰でも人を殺すのは嫌だから、戦争は政府の国民に対する嫌がらせである。誰でもナンセンスなことをするのは嫌だから、国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせである。野蛮人にとっては戦争や国家宗教が喜びだが、文明人にとっては戦争や国家宗教は苦しみである。]ヨーロッパ文化の国(ヨーロッパだけではない)では人間が不平等であって、政府が国民よりも上の者だったので、政府が国民に命令して国民を好き放題にしていた。ヨーロッパの植民地や近代日本のようにヨーロッパ文化を受け入れていた国では、国民みんなが否応[いやおう]なくヨーロッパ文化に従わねばならなかったのだ。
しかし、今では『人間がみな平等である』ことが常識になっている。戦後は世界中でアジアの道徳の正しさが認められて、世界中で『人間が平等である』ことが通用するようになっている。
だから、今では国民は政府を上の者と思わず、政府に従わなくなっている。
だから、今では政府が国民に命令して、国民に戦争や国家宗教をやらせられなくなっている。
だから、今の世界では戦争も宗教もなくなっているのだ。
今の世界では、国民が政府に従わなくなっている。
だから、今の国民は政府に税金も払っていない。
したがって、今では政府はお金がなくて潰[つぶ]れているのだ。つまり、政府は倒産しているのだ。
早く政府がなくなって、政府の代わりに国民の役に立つ会社が建って欲しいものだ。
この世はまちがいが通用する世界ではない。したがって、政府は滅ばねばならないのだ。
[14249] どうして戦後ヨーロッパの植民地が独立したのか? h24.2.21
戦後は『人間がみな平等である』ことになった。
ところが、ヨーロッパ文化では「人間が不平等である」ことになっていた。
だから、戦後はヨーロッパ文化がまちがっていることになった。
だから、ヨーロッパの植民地ではヨーロッパ文化を捨ててもとの自分の国の文化に戻った。
だから、戦後ヨーロッパの植民地が次々に独立したのである。
戦後、日本もヨーロッパ文化を捨ててもとの日本文化に戻った。ところが、政府はヨーロッパ文化の会社である。政府は今でも国民よりも上の者をやっている。政府は国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で嫌がらせたりしている。政府はまちがったことをやっている。だから、国民は政府を滅ぼさねばならない。政府はヨーロッパ文化の生き残りである。早く日本から政府をなくして、日本からまちがったヨーロッパ文化を除去しなければならない。
[14250] 天皇とは何か? h24.2.21
ヨーロッパ文化の国では、とにかく政府が上の者だった。政府が上の者だと決まっていた。そのため、政府は国民を好き放題にできた。ヨーロッパ文化の国では人間が不平等だったから、上の者の政府が下の者の国民をオモチャにできたのである。[ヨーロッパで人間が不平等になったのは、ヨーロッパ人が優秀で、ヨーロッパの近くにいるアフリカ人がバカだったからだろう。そのために、ヨーロッパでは“人間が不平等である”という概念が出来てしまったのだ。それで、ヨーロッパの中でも人間が不平等になったのだ。ヨーロッパは人間が不平等な国になってしまったのだ。反対に、アジアでは人間がほぼ均一だったから、“人間はみな平等である”という概念が出来たのだ。アジアの中では人間が平等だったのだ。アジアは人間が平等な国になったのだ。特に日本は島国で、日本では日本人が他の人種に触[ふ]れる機会がなかったので人間がすごく平等だったのだ。]
政府は国民に軍事や国家宗教をやらせて嫌がらせていた。
天皇は、政府が国家宗教で国民を嫌がらせるときに、情報を使う者にすぎなかった。つまり、政府は天皇の情報を用いたことをやって国民を嫌がらせていたのだ。
天皇にはそれ以外の使い道はなかった。
けっして天皇がいたから、政府が国民よりも上の者だったのではない。もともと政府が上の者だったのである。天皇は大して上の者ではなかったのである。
もっとも、今の日本はヨーロッパ文化の国ではないから、もはや政府は上の者ではなく、政府は国民を好き放題にできない。今の政府は国民に食わせてもらっているただの乞食[こじき]にすぎない。
今の国民が政府にお金を恵んでやっているのは、国民が社会科が弱くて『今の政府が国民と平等である』ことがわかっていないからである。今の国民はお金を無駄[むだ]にしているだけである。国民のほとんどは馬鹿なので眼で見えることしかわからないのだ。いったいいつになったら、国民は政府に税金を払わなくていいことがわかるのだろうか?
[14251] 平等であるものを不平等だと考えることはまちがっている。☆☆ h24.2.21
ヨーロッパ人は利口である。ヨーロッパ人は利口だったから、ヨーロッパは文明が進んでいたのである。
一方、アフリカ人は馬鹿である。ほとんど動物である。
だから、ヨーロッパ人とアフリカ人は平等ではない。不平等である。
ヨーロッパとアフリカは近くだったので、昔からヨーロッパとアフリカの間には交流があり、ヨーロッパ人はアフリカ人を知っていた。ヨーロッパ人はアフリカ人を奴隷[どれい]にしていた。
だから、ヨーロッパでは“人間が不平等である”という概念が出来て、ヨーロッパの国の中でも人間が不平等になってしまったのだ。ヨーロッパは人間が不平等な国になったのだ。ヨーロッパでは、暴力団や宗教団体や貴族が人間よりも上の者となって国民を好き放題にしたのだ。
実際に、ヨーロッパ人とアフリカ人は不平等である。ヨーロッパ人が上で、アフリカ人が下である。ヨーロッパ人の文化は合理的でエレガントであり、アフリカ人の文化はエロ・グロ・ナンセンスである。ヨーロッパ人の文化とアフリカ人の文化を平等にすることはできない。平等でないものを平等だと考えることはまちがっている。
しかし、ヨーロッパ人同士は平等である。ヨーロッパの中で貴族や暴力団や宗教団体を国民よりも上の者とすることはまちがっている。平等なものを不平等だと考えることもまちがっている。
私は作り事や嘘[うそ]が嫌いである。真実を曲げるのが嫌いである。反対に、真実ならたとえ汚いことでも受け入れねばならないと思っている。
ヨーロッパ人は上で、アフリカ人は下である。アジア人は中[ちゅう]である。
しかし、同じ人種の中では上下の区別はない。ヨーロッパ人同士は平等であり、アフリカ人同士は平等であり、アジア人同士は平等である。だから、政府と国民も平等である。政府は国民を虐待[ぎゃくたい]してはいけない。
ヨーロッパ人は上で、アフリカ人は下だから、ヨーロッパ人がアフリカ人を差別するのはかまわない。それが嫌なら、アフリカ人は自分の国から外に出なければいい。
アフリカ人が文明的にならないかぎり、人種差別はなくならない。アフリカ人は自国の文化にこだわらず、積極的に先進国の文明を取り入れねばならない。価値観がどうのこうの言っても、しょせん人間は頭である。文化人類学が屁理屈[へりくつ]を言っているのである。将来、アフリカが文明国になれば、人種差別もなくなるだろう。
[14252] 今の国はまちがっている。 h24.2.21
『同じ人種の人間は平等である。』
だから、政府と国民は平等である。
政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
そういう国を作らねばならない。
今の政府は嘘[うそ]で上の者のふりをしている会社である。今の政府は“作り事の原理(つまり、人間が不平等であること)”に乗っかって偉そうにしているふざけた会社である。
そんな会社は日本には要らない。
だから、国民は政府を倒さなければならない。国民は政府にお金をやらずに政府を倒産させねばならない。政府を餓死[がし]させねばならない。
[14253] 大和[やまと]王朝 h24.2.22
日本に日本政府ができる前は、大和王朝があった。
“大和”王朝と言うくらいだから、みんなが平等な国だった。
昔の日本はみんなが平等に暮らしていた。王朝と国民は平等に平和に暮らしていた。ルソーが言うように、自然状態はみんなが平等だった。ヨーロッパもアフリカを知る以前は、平等な国だったのだ。
日本に政府が出来てから、みんながおかしくなった。政府と国民が不平等になって、政府が国民を好き放題にするようになった。政府はヨーロッパでは人間が不平等であることを利用して、政府は日本にヨーロッパ文化を取り入れることによって日本を人間が不平等である国にして、政府が国民よりも上の者になって国民を好き放題にしたのである。日本にヨーロッパ文化が入ってきてから、国民は不幸になったのである。
幕府もインドが身分制をやっているのを利用して、幕府は日本にインド文化を取り入れることによって幕府が国民よりも上の者になって国民を好き放題にした。
今の日本政府も国民と平等なふりをしているだけで、本当は不平等である。その証拠が税金である。
『人間はみな平等である。』『人間が平等である』ことが、この世の真理である。だから、『人間が平等である』原理に適[かな]った国を作らなければならない。政治機関は国民よりも上の会社だから、あってはならない。
[14254] どうして人間が不平等になったのか?☆☆ h24.2.22
神が人間よりも上だから、人間が不平等になったのではない。
ヨーロッパ人がアフリカ人よりも上だったから、人間が不平等になったのである。
もともと神は人間とは別の生き物だから、たとえ神が人間よりも上の者であったとしても、同じ人種の人間が不平等になることはない。神がいようがいまいが、同じ人種の人間が平等であることに変わりはない。[宗教団体は神を置くことによって、神を囲うことによって、国民よりも上の者になっているのではない。宗教団体は「人間が不平等である」原理のある国で「人間が不平等である」原理を使って、ただたんに“威張[いば]る”ことによって国民よりも上の者になったのである。宗教団体は威張ることによって上の者になった後で、もっともらしく立派なことを言ったり、神を置いたりしているのである。宗教団体は政府と同じように、神の情報を使って国民に対して嫌がらせをするために、神を置いているのである。宗教団体は自分が上の者であることを使って、普通の人間を強引[ごういん]に神ということにしているのである。要するに、神は宗教団体や政府が上の者であることと関係がないのである。宗教団体や政府は「人間が不平等である」ことを使って威張ることによって上の者になっているのであって、神はいなくてもいいのである。暴力団も暴力で上の者になったのではない。暴力団は“威張って”上の者になった後で、暴力で下の者である国民を虐[いじ]めているのである。政府も“威張って”国民よりも上の者になった後で、国民に命令して国民から税金を取ったり、国民に戦争や国家宗教をやらせて国民を虐めているのである。貴族は“威張って”上の者になった後で、国民からお金を取るだけで他[ほか]には何もしなかった人たちである。だから、「人間が不平等である」原理のある国では、とにかく“威張り”さえすれば誰でも上の者になれるのである。「人間が不平等である」原理のある国では、とにかく「自分が上の者だ」と思いさえすれば、誰でも上の者になれるのである。]
たしかに、ヨーロッパ人はアフリカ人よりも上である。ヨーロッパ人とアフリカ人は不平等である。違う人種の人間は不平等である。
しかし、同じ人種の人間は平等である。ヨーロッパ人同士、アフリカ人同士、アジア人同士は平等である。
だから、同じ国の中では政府と国民は平等にしなければならない。政府が国民よりも上の者をやってはいけない。政府は国民に命令できないし、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。だから、国民は政府に税金を払わず、さっさと政府を倒産させればいいのである。今では『同じ人種の人間は平等である』ことが正しいと考えられているから、国民は政府に従わなくてもいいのである。今の世界では「同じ人種の人間が不平等である」原理がなくなっているから、国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は『同じ人種の人間は平等である』原理を使って政府と戦って政府を倒せばいいのである。
政府のような“国民から無理やりお金を取って、国民に秘密に自分勝手なことをやって、国民を嫌がらせたり殺したりして、国民に命令を出す会社”は、『人間の平等性』に反する。政府は明らかに国民よりも上の者をやっている。だから、政府はあってはならない。人間も物である。会社も物である。国も物である。「同じ人種の人間が不平等である」というまちがった原理で出来た物はこの世からなくさなければならない。
[14255] 人間が平等である国 h24.2.22
今では『同じ人種の人間は平等である』ことになっている。
『人間が平等である』原理がある国では、みんなが平等である。
国民と平等な法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社などが国民のために仕事をやって国民からお金をもらっている。
政府や幕府のような“国民よりも上の者である会社”はない。
[14256] 今の政府は嘘[うそ]で国民よりも上のふりをしているだけである。
h24.2.22
今では『同じ人種の人間は平等である』ことが正しいことになっている。もともと最初から『同じ人種の人間は平等である』ことは正しかったのである。これまではまちがって「同じ人種の人間が不平等である」と考えていたから、政府が国民よりも上の者だったのである。政府が国民を好き放題にしていたのである。
ところが、今でも政府は国民よりも上の者をやっている。今の政府は昔の政府と同じように国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したり、軍事や国家宗教で国民の税金を無駄遣[むだづか]いしている。[政府は民主主義で国民から税金を取っているのではなく、政府は国民の役に立つことをするために国民から税金を取っているのではなく、じつは国民よりも上の者であることによって国民から税金を取っているのである。]
今の政府は嘘で国民よりも上の者のふりをしているのである。今の政府は嘘をついているだけである。
今の政府は本当は国民と平等なのである。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。国民は政府を鼻で笑ってもいいのである。
[14257] 暴力団や宗教団体とは何か? h24.2.22
「人間が不平等である」原理のある国では、誰でも威張[いば]りさえすれば“上の者”になることができる。上の者は下の者である国民を好き放題にすることができる。上の者は国民に命令して国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりすることができる。
「人間が不平等である」原理のある国で威張って上の者になったのが貴族である。
貴族の中で、特に暴力で国民を虐[いじ]めるのが暴力団である。
貴族の中で、特に宗教で(宗教の神の情報を使ったことをやって)国民を虐めるのが宗教団体である。
だから、政府は貴族兼[けん]暴力団兼宗教団体である。
暴力団も宗教団体も政府も貴族なのである。
しかし、今では世界中で『同じ人種の人間が平等である』ことが正しいことになっている。今では世界中の国が『同じ人種の人間が平等である』原理のある国になっている。だから、今では世界中の国で威張ることによって上の者になることはできない。今の世界には貴族はいない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。国民は政府や暴力団や宗教団体の命令を聞かなくていいし、国民は政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくていいし、国民は政府や暴力団や宗教団体に嫌がらされたり殺されたりしなくていい。
[14258] 今は『同じ人種の人間が平等である』世界である。 h24.2.22
今の世界は『同じ人種の人間は平等である』ことになっている。
ところが、政府は『同じ人種の人間が平等である』原理に反している。
だから、政府はなくならねばならない。
たとえ政府が国民のために多少善[い]いことをしていても、政府は『同じ人種の人間が平等である』原理に反するからなくならねばならないのだ。
政府の正体は、威張るだけしか能[のう]がない馬鹿息子の集まりだから、政府をなくさねばならないのだ。
今の世界では『同じ人種の人間が平等である』ことが決まりになっている。国民は頭がボケている。国民はあまり矛盾した態度を取ってはいけない。
今では学校で『(同じ人種では)人間は平等である』と教えられている。国民は教えられた通りにしなければならない。国民は正しいことは守らなければならない。
[14259] 政治機関が国民を支配する方法[[14238]を参照。] h24.2.22
政治機関が国民を支配するためには、“人間が不平等である国”の文化を受け入れて、自分の国を人間が不平等である国にして、政治機関が威張[いば]って上の者になればいいのである。政治機関がとにかく自分を上の者であることにして国民を支配すればいいのである。[先進国は文明が進んでいるために、必ず近所の馬鹿な国の人間を奴隷にしていた歴史があるから、そのせいで先進国では人間が不平等になっている。先進国では、はじめは違う人種の人間が不平等だったが、いつの間にか同じ人種の人間が不平等になったのである。だから、政治機関が先進国の文化を取り入れれば、人間が不平等であることも取り入れることができたのである。もっとも、後進国の国民にとっては、たとえ政治機関に支配されても先進国の文化を取り入れたほうが得だったから、政治機関にあまり文句は言えなかったのだ。しかし、最近は先進国でも国民が自分のまちがいに気づいて、『同じ人種の人間は平等である』と考えるようになっている。そのため、世界中で同じ国の人間は平等であることになっている。政治機関が国民を支配できないようになっている。]
これまで、政府はヨーロッパ文化を受け入れて、幕府はインド文化を受け入れて、国民を支配したのである。ヨーロッパもインドも人間が不平等である国だったのである。[中国も文化の高い国だったから、奴隷がいて、人間が不平等な国だったのである。そのために、中国でも政府が貴族(上の者)として国民を支配していたのである。]
これまで政府や幕府は「同じ人種でも人間は不平等である」というまちがった原理を受け入れて、自分の国を人間が不平等な国にしていたのである。
しかし、今では『同じ人種では人間は平等である』ことが正しいと考えられている。今では世界中の国が人間が平等な国になっている。だから、今では政治機関が国民を支配できない。今では国民は政府に従わなくてもかまわない。政治機関が国民を支配する時代は終わったのだ。
[14260] どうしてヨーロッパでは同じ人種の人間が不平等なのか? h24.2.22
ヨーロッパ人は頭がよかった。
しかし、近所のアフリカ人は頭が悪かった。動物同然だった。
そのため、ヨーロッパ人はアフリカ人を“下の者”だと考えて奴隷[どれい]にしていた。[もしも、アフリカがヨーロッパよりも文明が進んでいたら、ヨーロッパ人のほうがアフリカ人の奴隷にされていただろう。]
ヨーロッパでは奴隷がいたから、人間が不平等だと考えられていた。
ヨーロッパでは人間が不平等だと考えられていることに便乗[びんじょう]して、ヨーロッパ人の中に威張[いば]って“上の者”になる者が現れた。下の者がいるなら上の者が居[い]てもいいと思って、奴隷と反対の貴族をやる者が現れた。普通ならうまく行きそうにないが、ヨーロッパでは人間が不平等だと考えられていたために、貴族がすんなりと人々に受け入れられてしまったのである。そのため、ヨーロッパでは国民が威張るだけしか能[のう]がない貴族に支配されることになったのである。奴隷を使う身がいつの間にか奴隷として使われる身になってしまったのである。
こうして、ヨーロッパでは同じ人種の人間までもが不平等になってしまったのである。
先進国のヨーロッパに貴族がいるために、他の国でもヨーロッパを真似て貴族がいるようになった。
こうして、世界中に貴族が広まった。世界中の国が人間が不平等な国になってしまったのである。
しかし、そもそも貴族であることに理由はない。貴族はただ威張って上の者をやっているだけである。奴隷は実在の存在だが、貴族は架空の存在である。『同じ人種の人間は平等である』と考えたほうが自然である。合理性を追求するなら、貴族は認められない。そのため、最近はヨーロッパでも『同じ人種の人間は平等である』と考えることにして、貴族が廃止されたのである。
今では、世界中の国でヨーロッパを真似て貴族がいなくなっている。世界中の国が人間が平等な国になっている。
だから、日本も人間が平等な国にしなければならない。今の日本の貴族は、政府や暴力団や宗教団体である。国民が貴族と平等にして、国民は貴族に従ってはならない。国民は貴族にお金をやってはならない。国民は貴族に嫌がらされたり殺されたりしてはならない。日本でもヨーロッパのように貴族を廃止しなければならない。
[14261] 政府は国民から税金を取れない。 h24.2.22
政府は民主主義で国民から税金を取っている。
しかし、民主主義とは政府と国民が平等であることである。
一方、税金とは政府と国民が不平等であることである。
民主主義で税金を取ることは、平等な世界の中で不平等なことをやることである。
そんなことはありえない。
だから、政府は民主主義では国民から税金を取れないのである。
じつは、政府が国民から税金を取っているのは、政府が貴族だからである。政府が貴族をやって国民よりも上の者だから、政府は国民に命令して国民から税金を取っているのである。
しかし、今では『同じ人種の人間は平等である』と考えられている。政府と国民は同じ人種である。だから、政府と国民は平等である。政府は貴族をやることはできない。だから、政府は国民から税金を取ることはできない。
これまでは政府という名の貴族が、少しばかり国民の機嫌[きげん]を取るために民主主義の政治機関をやっていただけのことである。ところが、今では『同じ人種の人間は平等である』ことになっているから貴族をやってはいけない。善[い]い貴族だろうが悪い貴族だろうが、とにかく貴族をやってはいけない。[たいてい貴族は人前で善い人のふりをしているだけで、じつは悪者である。]だから、政府はなくならねばならない。
[14262] 神とは何か?☆ h24.2.22
政府が国家宗教の神を置いているのは、政府が国民に国家宗教をやらせて(つまり、国家宗教の神の情報が入ったことをやらせて)国民を虐[いじ]めるためである。[[14248]を参照。]
また、政府が国家宗教の神を置いているのは、政府が国民よりも上の者である理由を国民にわかりにくくするためである。国民は政府が国家宗教の神を囲っているから政府が国民よりも上の者だと思っているが(じつは私もそう考えていた)、本当は政府自身が貴族だから政府が国民よりも上の者なのである。
政府が上の者であるために必要なのは、神ではなく、“人間が不平等である制度”なのである。先進国には人間が不平等である制度があったので、政府は自分の国に先進国の文化を取り入れて自分の国を人間が不平等である国にして、自分が威張って貴族(上の者)になっていたのである。
人間が不平等だと考えられている国では、政府は威張って貴族(上の者)となって国民を好き放題にしていた。例えば、政府は国民に国家宗教をやらせて(つまり、国家宗教の神の情報が入ったことをやらせて)虐めていた。政府は国民を国家宗教で(つまり、国家宗教の神の情報が入ってことをやって)嫌がらせたり殺したりしていた。国家宗教は政府が国民を虐めるための手段だった。神は政府が国家宗教をやるための道具だったのだ。また、政府は国民に戦争(殺し合い)をやらせて虐めたりもしていた。
政府は“人間が不平等な制度”があるから上の者なのであって、神がいるから上の者なのではない。だから、国から“人間が不平等な制度”をなくせば、政府は上の者ではなくなる。
今の世界では『同じ人種の人間は平等である』と考えられている。今では世界中の国で“人間が不平等な制度”がなくなっている。だから、今では政府は貴族(上の者)をやれない。政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令で国家宗教や戦争や税金などをやらなくていい。したがって、今では国家宗教の神も要らないのである。
今の政府は国民が「政府が国家宗教の神を囲っているから上の者である」と誤解していることを利用して、天皇や私などの国家宗教の神を置いて上の者のふりをしているが、本当は上の者ではないのである。今の世界では“人間が不平等である制度”がなくなっている。だから、今の政府はすでに上の者ではないのである。今の政府には上の者である根拠がない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
客がいなければ政府は潰[つぶ]れる。今の政府は国民と平等だから、国民が政府の客になるのをやめて政府にお金(税金)をやるのをやめて政府を潰せばいいのである。早く政府を潰して、政府の代わりに国民の役に立つ個別の会社を建てねばならない。
[14263] 暴力団も宗教団体も国民の誤解を利用して上の者のふりをしているだけである。
h24.2.22
政府の場合と同じように、暴力団は今の国民が「暴力団は国民を暴力で脅[おど]すから上の者である」と誤解していることを利用して、国民に暴力をふって上の者のふりをしている。しかし、本当は暴力団は“人間が不平等である制度”を使って威張ることによって上の者になって国民に暴力をふって国民からお金を取っていたのである。ところが、今の世界には“人間が不平等である制度”がなくなっているから、暴力団はもはや上の者ではない。だから、今の国民は暴力団に従わなくてもいいのである。
政府の場合と同じように、宗教団体は今の国民が「宗教団体は神を囲っているから上の者である」と誤解していることを利用して、神を囲って上の者のふりをしている。しかし、本当は宗教団体は“人間が不平等である制度”を使って威張ることによって上の者になっていたのである。宗教団体は上の者になって暴力団のように国民に暴力をふってお金を取っていたのである。宗教団体が神を囲っていたのは、国民の目を欺[あざむ]くための工夫[くふう]である。つまり、宗教団体にとって神はどうでもいい存在なのである。ところが、今の世界には“人間が不平等である制度”がなくなっているから、宗教団体はもはや上の者ではない。だから、今の国民は宗教団体に従わなくてもいいのである。
今では暴力団も宗教団体も国民の誤解を利用して上の者のふりをしているだけである。本当は、暴力団も宗教団体も上の者ではないのである。だから、国民は暴力団や宗教団体に従わなくてもいいのである。[暴力団や宗教団体はお金持ちに集[たか]ってお金を取って儲けていた。幸い、私はお金持ちではなかったので、これまで暴力団や宗教団体とは縁[えん]がなかった。]
今では政府や暴力団や宗教団体は、政府や暴力団や宗教団体に対する正しい理解のない国民を騙[だま]してお金を儲[もう]けているのである。正しい理解のある国民は、政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもいいのである。政府や暴力団や宗教団体にお金をやらなくてもいいのである。政府や暴力団や宗教団体に嫌がらされたり殺されたりしなくていいのである。
いつまでも国民が政府に従っているから、暴力団や宗教団体が「日本にはまだ貴族制がある」と思って自分も威張って貴族になって国民を好き放題にしているのである。しかし、本当は『今の日本には貴族制はない』のである。だから、国民は『今の日本には貴族制はない』と考えて政府に従ってはならない。そうすれば、暴力団や宗教団体もなくなるだろう。国民は、たとえ役所から税金の請求書が届いても税金を振込んではいけない。政府が国民に『今では国民は政府に従わなくてもかまわない』ことを教えないのは、政府が国民にそれぐらいのことは自分で考えてわかって欲しかったからである。政府にとってはそんなことは当たり前すぎてわざわざ国民に言いたくなかったのだ。政府は自分の国の国民があまりにも馬鹿なので心の中で泣いていたのだ。政府は自分の国の国民があまりにも情けないので、腹いせに国家宗教で事件を起こして国民を殺していたのだ。相手が馬鹿すぎると殺したくなるのが人情というものである。
[14264] どうして国民は政府に税金を払わなければならないか? h24.2.23
戦前までは日本には「人間が不平等な制度」があった。日本は「人間が不平等な国」だった。だから、政府は威張[いば]って貴族(上の者)になって国民を支配していた。政府は貴族だったから、国民に命令して国民から税金を取ったり、国民に軍事や国家宗教をやらせて嫌がらせたり、国民を遊び半分に軍事や国家宗教で殺したりすることができた。[暴力団や宗教団体も威張って貴族(上の者)になって、国民を好き放題にしていた。]
しかし、戦後は日本は『人間が平等な制度』になった。日本は『人間が平等な国』になった。だから、政府はいくら威張っても貴族(上の者)になれなくなった。政府は国民を支配できなくなった。政府は貴族でないから、国民に命令して国民から税金を取れないし、国民に軍事や国家宗教をやらせて嫌がらせることができないし、国民を遊び半分に軍事や国家宗教で殺したりできなくなった。
だから、今では国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。国民は政府に税金を払わずに政府を倒して、政府の代わりに国民の役に立つ個別の会社を建てればいいのである。そのほうが、国民にとって都合[つごう]がいい。
今の国民が政府に税金を払っているのは、今の国民が正当な論理を無視して「政府に税金を払わねばならない」と思っているからである。今の政府が平等みたいにしているから、今の政府が善[い]い人みたいにしているから、国民は喜んで政府に税金を払っているのである。要するに、今の国民が馬鹿だから、政府にわけもわからずに税金を払っているのである。今の国民がおめでたいから、わざわざやる必要のないことをやっているのである。だから、日本人はまだまだ国際的にはアフリカ人と同様に馬鹿の部類に入るのだ。日本人はアメリカ人に原爆の実験台にされたりするのだ。[戦前だって、日本人が時代遅れの貴族制なんかやっていたから、世界中の国から軽蔑されて攻撃されたのだ。世界大戦は、貴族制が強い国と貴族制が弱い国の戦いだった。貴族制が強い国の政府が国民を使って世界征服をしようとしたから、貴族制が弱い国の国民が自分の国を守るために戦ったのだ。世界大戦は世界中の政府(ただし、インド政府を除く)が協力してやった国民に対する嫌がらせだったのだ。先進国では貴族制が弱かった。後進国では貴族制が強かった。貴族制が強い国の国民は不合理主義の馬鹿だ。アメリカは貴族制が弱い国だから、戦後のアメリカ占領下の日本では国民が比較的幸福だったのだ。]
とにかく今は『同じ人種の人間が平等である』と考えられている。『同じ人種の人間が平等である』ことが今の世界の原理である。政府と国民は同じ人種である。だから、政府と国民は平等である。したがって、国民は政府に奴隷[どれい]みたいに税金を払わなくてもいいのである。国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。
今の人間は合理的なので、理由のないことには耐[た]えられない。政府が威張って貴族をやって国民を好き放題にしているのは、今の人間にとっては我慢[がまん]できないことである。だから、今の人間は政府に従わないのである。
[14265] どうして政府は学問を弾圧[だんあつ]したのか? h24.2.23
人間には知る欲望がある。
政府は貴族である。貴族は国民に対して意地悪[いじわる]である。貴族が国民に親切にすると貴族が国民になめられて貴族が国民と平等になって貴族制が成り立たなくなるので、貴族は国民を見下[みくだ]して国民が嫌がることをしなければならなかったのである。貴族制があるために、国民が面白くない目にあわされていたのだ。貴族制があるために、世の中が面白くなくなっていたのだ。
政府は意地悪だから、政府は国民の知る欲望を満足させないために、学問の弾圧をやったのだ。
政府が学問を弾圧すれば、国民に合理性が芽生[めば]えず、国民に貴族制(貴族が国民よりも上の者であること)がまちがっていることがばれないので、政府は貴族制を守るために喜んで学問の弾圧をやったのである。政府は学者を皆殺しにして、学問の本をことごとく焼き捨てたのだ。
しかし、今では世界中に学校が出来て、国民が合理的になっている。今では国民に貴族制がまちがっていることがばれている。国民に貴族制がインチキであることが知られている。だから、今ではもう政府は諦[あきら]めて滅びるしかないのだ。政府は“国民と平等な国民の役に立つ個別の会社”に変わるしかないのだ。
[14266] 今の世の中では政府のほうが悪い。 h24.2.23
今の世の中では『同じ人種の人間は平等である』ことになっている。つまり、今の世の中には貴族制はない。
だから、政府と国民は平等である。国民は政府に従わなくてもかまわない。
政府が自分に従わない国民を罰すると、政府のほうが悪いことになる。
だから、国民は政府を恐れず、正々堂々と政府に逆らえばいいのである。
[14267] 貴族制は架空[かくう]の制度である。 h24.2.23
奴隷制は本当の実在の制度である。文明人に比べて野蛮人は知能が劣るから、文明人にとって野蛮人は下の者である。
貴族制は嘘[うそ]の作り事の制度である。貴族は国民に比べて知能が優[すぐ]れているわけではないから、国民にとって貴族は上の者ではない。
奴隷制は真実で出来た制度だが、貴族制は嘘で出来た制度である。貴族制は架空の制度である。
子供にとっては作り事が面白いが、いい歳した大人にとっては作り事では面白くない。だから、貴族制は滅ばねばならない。[日本人やドイツ人は作り事を喜ぶ民族だから、貴族制が濃[こ]く残っているのである。]
嘘の作り事の制度がないほうが世の中がうまくいく。本当の実在の制度だけにすれば世の中がうまくいく。だから、貴族制は滅ばねばならない。
そもそも『同じ人種の人間は平等である』から、貴族制はまちがいである。
政府や暴力団や宗教団体は貴族制で出来た団体である。政府や暴力団や宗教団体は“貴族(上の者)の団体”である。
貴族制はまちがいだから、政府や暴力団や宗教団体はなくならねばならない。
貴族制はまちがいだから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。
[14268] 最近は「人間が不平等である制度」がなくなっている。 h24.2.23
政府や暴力団や宗教団体が国民よりも上の者であるためには、国に「人間が不平等である制度」がなければならない。
ところが、今では世界中の国で『人間が平等である』ことになっている。国に『人間が平等である制度』がある。国から「人間が不平等である制度」がなくなっている。今では世界中の国で『人間が平等である』ことが正しいと考えられ、「人間が不平等である」ことがまちがいだと考えられている。
だから、今では政府や暴力団や宗教団体は国民よりも上の者ではない。今の政府や暴力団や宗教団体は貴族(上の者)ではなく平民である。
だから、今では国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。
昔は国に「人間が不平等である制度」があったから政府や暴力団や宗教団体が勝手に自分を貴族(上の者)であることにして国民を支配して国民を好き放題にできたが、今は国に「人間が不平等である制度」がなくなっているから政府や暴力団や宗教団体が勝手に自分を貴族にすることができず国民を支配できず国民を好き放題にできなくなったのだ。
政府や暴力団や宗教団体は「人間が不平等である制度」に乗っかって偉そうにしていただけである。「人間が不平等である制度」がなければ、政府や暴力団や宗教団体は国民に対して何もできないのだ。
政府や暴力団や宗教団体は「人間が不平等な制度」があったから偉そうにできたのであって、「人間が不平等な制度」がなければ偉くもなんともないのだ。
[14269] 『同じ人種の人間は平等である』ことは正しい社会科学の原理である。
h24.2.24
『同じ人種の人間は平等である』ことが、社会科学おける正しい原理である。
これまで「同じ人種の人間でも不平等である」と考えられていたのは、ヨーロッパに奴隷制があったからである。ヨーロッパは奴隷制を激しくやっていたから「人間が不平等である」と考えられるようになったのである。奴隷制の反対の貴族制までも生み出してしまったのである。一方、日本ではあまり奴隷制をやらなかったから『人間が平等である』と考えられているのである。
これまで「同じ人種の人間でも不平等である」と考えられていたのは、ヨーロッパ人が作り事が好きだからである。だから、ヨーロッパでは見た目は同じ人間でも上下の区別があったのである。一方、日本人は実在主義で作り事が嫌いである。だから、日本では見た目が同じ人間なら平等だと考えるのである。
これまで「同じ人種の人間でも不平等である」と考えられていたのは、ヨーロッパに科学の方法(知覚を五感に従わせること)がなかったからである。昔のヨーロッパは科学の方法がなくて知覚主義だったから、ヨーロッパ人は知覚で「人間は不平等である」と決め込んでいたから、人間が不平等な国になったのである。一方、科学では知覚を五感に従える。五感では『同じ人種の人間は平等である』から、科学では知覚でも『同じ人種の人間は平等である』と考えなければならないのである。日本は昔から実在主義で、ヨーロッパで科学が出来る以前から科学の方法を用いていたから『同じ人種の人間は平等である』と考えていたのである。今では科学の方法が正しいと考えられているから、知覚が五感に従わねばならないから、『同じ人種の人間は平等だ』と考えなければならないのである。実在において同じ人種の人間は同じだから、『同じ人種の人間は平等だ』と考えるのが妥当[だとう]である。だから、貴族制は廃止しなければならない。
自然科学と同じように、社会科学においても、正しい原理でやればうまくいくが、まちがった原理でやればうまくいかない。
これまでは世界中で「人間が不平等である」というまちがった社会科学の原理でやっていたから人間社会がうまくいかなかったのである。
今後は世界中で『人間が平等である』という正しい社会科学の原理でやるから人間社会がうまくいくだろう。
今では『同じ人種の人間が平等である』ことが科学的に正しいと考えられている。『同じ人種の人間が平等である』ことが正しい社会科学の原理である。だから、この原理を実在の社会に当てはめねばならない。例えば、政府と国民は同じ人種だから、政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。国民は政府に税金を払わなくてもいい。そういう社会にしなければならない。
国民が政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]していけば、政府の中の国民の役に立つ会社が政府から独立分離して自立して民営化して経営するようになるだろう。だから、国民は強引に政府を潰せばいいのである。
[14270] ヨーロッパはなぜ発展したのか? h24.2.24
ヨーロッパが科学の国だったからである。ヨーロッパは知覚も五感も両方ともイケる国だったので、古くから知覚と五感が結びついて科学が得意だったので、得意な科学の力を使って国が発展したのである。
けっしてヨーロッパが人間が不平等な国だったからではない。ヨーロッパに奴隷制や貴族制があったからではない。貴族は何の理由もないのに自分勝手に国民よりも上の者となって、国民からお金を取って国民を嫌がらせて遊んでいたのである。貴族は不合理的な貴族制(人間が不平等であること)を守るために学問を弾圧して国民を馬鹿に変えていたのである。むしろ貴族は国の発展を妨害していたのである。貴族制はヨーロッパの汚点[おてん]である。[ヨーロッパは科学で国が発展して国民が幸福すぎたから、国民が貴族によって多少不幸な目にあわされても平気だったのだ。だから、ヨーロッパでは国民が貴族に対して寛大[かんだい]だったのだ。むしろ、ヨーロッパでは国民が不幸に飢えていたから、貴族が国民に歓迎[かんげい]されていたのである。ヨーロッパでは国民がお金が有り余って使い道がなくて困っていたから、貴族に余計なお金をやって虐[いじ]めてもらって喜んでいたのだ。スイカに塩をかけると甘くなるように、多少不幸があるとかえって幸福が増すのである。反対に、日本は科学が弱くて国民が幸福ではないから、国民が貴族によってちょっとでも不幸な目にあわされると国民が文句[もんく]を言うのだ。だから、日本では国民が貴族に対して厳しいのだ。]
ヨーロッパではたまたま「人間が不平等である」ことが正しいと考えられていたのである。ヨーロッパで「神がいる」ことが正しいと考えられていたのと同じことである。しかし、今では『神がいない』ことが正しいと考えられている。だから、『人間が平等である』ことも正しいのである。どんな優[すぐ]れた文化にも少しはまちがいがあるものである。何から何まで全部優れた文化はない。
だから、今では『神がいない』ことが正しいように、『同じ人種の人間が平等である』ことも正しいのである。『同じ人種の人間が平等である』ことは正しい社会科学の原理である。だから、『同じ人種の人間が平等である』原理に基づいて社会を作っていかねばならない。政府や暴力団や宗教団体は『同じ人種の人間が平等である』原理に反するから、なくならねばならない。
[14271] ヨーロッパ人は幸福すぎて気が狂っている。 h24.2.24
ヨーロッパは科学が得意なのでお金持ちである。
ヨーロッパはお金持ちの国である。ヨーロッパ人は幸福すぎて気が狂っている。だから、ヨーロッパ人はあえてまちがった「人間が不平等である制度」を設けて貴族を立てて、貴族に虐[いじ]めて不幸にしてもらって喜んでいたのである。ヨーロッパ人は“奴隷ごっこ”をやって自分が奴隷をやって遊んでいたのである。
一方、日本は貧乏な国である。日本人は不幸なので正気[しょうき]である。だから、日本人は真面目[まじめ]に正しい『人間が平等である制度』を設けて精一杯幸福に生きていかねばならなかったのである。日本人はヨーロッパ人のように余計な遊びをやる余裕がなかったのである。
日本とヨーロッパでは国の豊かさが違う。だから、日本人はヨーロッパ人を真似てはいけない。日本人はヨーロッパ文化を取り入れてはならない。
ヨーロッパ人は幸福すぎて気が狂っている。ヨーロッパ人はお金持ち馬鹿である。お金持ちはたいてい変態[へんたい]である。お金持ちは性格異常者ばかりである。貧乏人がいくらお金持ちを真似ても幸福にはなれない。日本人がヨーロッパ文化を取り入れると、かえって不幸になる。だから、日本人はヨーロッパ人が得意な科学文明だけを取り入れて、それ以上ヨーロッパ文化を取り入れてはいけない。
日本人が幸福であるためには、銃や麻薬をやってはいけないように、人間が不平等である制度もやってはいけないのである。日本は貧乏な国なので、外国のように余計なことをやって遊んでいる余裕はないのである。
日本人には、江戸幕府のように軍事も国家宗教もやらない国民を虐[いじ]めない真面目な政治機関のほうがお似合いである。
[14272] 国民は貴族に飽きた。 h24.2.24
ヨーロッパには貴族制があった。貴族は威張[いば]って上の者になって国民を好き放題にした。貴族は国民から高い税金を取って豪華なお城を建てたり毎晩舞踏会を開いたりしていた。貴族は国民の税金で何の役にも立たない軍事や国家宗教の施設を建ててお金を無駄遣[むだづか]いしていた。貴族は国民に戦争や国家宗教をやらせて国民を虐[いじ]めていた。
しかし、結局貴族制は国民のためにやっていたのである。国民は貴族制を喜んでいたのである。
ヨーロッパでは国民がお金持ちでお金に余裕があったから、貴族にお金をやって貴族が変なことをするのを見て喜んでいたのである。ヨーロッパ人は変なことが好きだから、貴族を置いて貴族に変なことをやらせていたのである。
ヨーロッパで国民が貴族を上の者だと考えていたのは、あくまでも冗談である。本当は貴族と平等だと思っていたのである。内心では馬鹿な貴族を煽[おだ]ててからかっていたのである。貴族を上とも何とも思っていなかったのである。
最近は、ヨーロッパでも国民が“貴族の芸”を見飽きて、貴族を捨てるようになったのである。国民は貴族にお金をやるのをやめて、他[ほか]のことに使うようになったのである。
一方、日本では国民みんなが貧乏なので、貴族だけが国民の税金で裕福な暮らしをしているのを見ると腹が立つ。だから、日本では貴族は嫌われ者である。それに日本人は貧乏で真面目[まじめ]だから、貴族が変なことをするのを見ても楽しくない。
ヨーロッパでも日本でもそもそも人間はみな平等である。同じ人種の人間が平等なのは当然である。だから、貴族は仕事である。貴族は仕事で“上の者”をやっているのである。つまり、貴族とは仕事で上の者を演じている芸人のことである。例えば、政府も暴力団も宗教団体もみんな仕事で上の者のふりをしている役者である。本来貴族と国民は平等だから、国民が貴族が嫌なら、貴族にお金をやるのをやめて貴族を潰[つぶ]せばいいのである。最近は、貴族のやることがマンネリである。貴族のやることは昔も今も同じである。国民は貴族に飽きた。だから、今では世界中で国民が『人間は平等である制度』を設けて、貴族の仕事ができないようにして、貴族をなくしているのである。
そもそも貴族と国民は平等である。貴族が上の者だというのはあくまでも冗談である。芝居の上の役柄[やくがら]である。貴族を本気で上の者だと思っている者は馬鹿である。だから、国民は貴族と平等にして、貴族が自分の気に入らなければ貴族に従わなければいいのである。
[14273] ヨーロッパ人は頭が良すぎる。 h24.2.24
これまではヨーロッパでは『同じ人種の人間が平等である』という決まりはなかった。ヨーロッパ人は頭が良すぎたために、こんな幼稚[ようち]なことがわからなかったのである。
そのために、ヨーロッパは貴族制がある社会だった。つまり、ヨーロッパは人間が不平等な社会だった。
一方、日本は人間が平等な国だった。日本人はヨーロッパ人ほど頭がよくなかったから、『同じ人種の人間が平等である』ことがわかっていたのである。
だから、日本が古代や近代にヨーロッパ文化を受け入れたとき、日本が人間が不平等な社会になったのである。
そのために、日本では政府や暴力団や宗教団体が貴族(上の者)となって国民を支配したのである。国民を好き放題にしたのである。政府が国民に戦争や国家宗教をやらせるのは、国民を虐[いじ]めるためである。政府が国民から税金を取るのは、政府が貴族(上の者)だからである。
しかし、今では『同じ人種の人間は平等である』ことになっている。某[ぼう]社会科学者がこの原理を唱[とな]えて世界中の人々に認められたからである。
だから、今では世界中の国が人間が平等な社会である。貴族制は廃止されたのである。だから、政府も暴力団も宗教団体もなくならねばならないのである。
[14274] ヨーロッパ人は頭が良すぎるのが不幸の原因である。 h24.2.24
ヨーロッパには奴隷制があった。ヨーロッパ人は頭が良かったので近所の馬鹿な国の国民を捕まえて来て奴隷にしてこき使っていた。
ヨーロッパには奴隷がたくさんいたので、ヨーロッパでは「人間が不平等だ」と考えられるようになった。
そのうち、「人間が不平等である」ことに便乗[びんじょう]して、国民の上に立つ者が出来てしまった。それが貴族である。貴族には、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などがあった。
貴族は国民を好き放題にした。貴族は国民を虐待[ぎゃくたい]した。国民は貴族によって不幸にされた。
ヨーロッパの不幸の始まりは奴隷制にある。
ヨーロッパ人は奴隷制にこりごりした。
そこで、今ではヨーロッパ人は『人間はすべて平等である』ことを定めて、もう二度と奴隷制をやらないと誓[ちか]ったのである。奴隷制も貴族制もやらないことにしたのである。
今のヨーロッパでは貴族制がなくなっている。政府から国民の役に立たない会社がなくなって、国民の役に立つ会社だけになっている。だから、日本でもヨーロッパを見習って貴族制をやめねばならない。政府を潰[つぶ]して、国民と平等な国民の役に立つ民営の会社を建てねばならない。
[14275] 善[い]い貴族と悪い貴族☆ h24.2.24
政府や暴力団や宗教団体は貴族(国民よりも上の者)である。
これまで政府は国民の役に立つことをする“善[い]い貴族”だったから、国民の人気を得て日本全土を支配するほどの大きな会社になったのである。一方、暴力団や宗教団体は国民の役に立たないことばかりする“悪い貴族”だったから、マイナーどまりだったのである。
しかし、政府も貴族だから、裏では悪いこともやっている。国家宗教で事件を起こして国民を殺したり、国民に国家宗教をやらせて嫌がらせたり、国民の税金を軍事や国家宗教などで無駄遣[むだづか]いしている。
そもそも貴族は国民よりも上の者なので、国民の役に立つことをしない。政府は水道とゴミの収集が国民の役に立つだけで、それ以外は国民虐[いじ]めばかりやっている。
暴力団や宗教団体も気が向けば国民の役に立つことをすることがある。
今どき貴族はない。貴族は「人間が不平等である制度」に乗っかって国民よりも上の者となって国民に命令して国民から無理やりお金を取って儲[もう]ける会社である。しかし、今では『同じ人種の人間は平等である』ことになっているから、貴族はお金儲けができない。貴族は倒産するしかない。
貴族は時代遅れである。
政府はいまに潰[つぶ]れる。政府の中にある国民の役に立つ会社(例えば、法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社など)は、政府から分離独立して民営化してやっていけばいい。
[14276] 貴族は死んだ。☆ h24.2.24
昔の日本には「人間が不平等な制度」があった。だから、政府が貴族(上の者)をやれた。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできた。
しかし、今の日本には「人間が不平等な制度」がない。今の日本には『人間が平等な制度』がある。だから、政府は貴族をやれない。政府は国民に命令して国民から税金を取れないし、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。
だから、今の国民は政府の命令で政府に税金を払わなくていいし、政府に遊び半分に嫌がらされたり殺されたりしなくていい。
昔の政府は貴族だったが、今の政府は貴族ではない。昔の国民は政府に従わねばならなかったが、今の国民は政府に従わなくてもいい。
今では『人間が平等な制度』があるから、誰も貴族をやれない。貴族は死んだ。
政府と同じように、昔の暴力団や宗教団体も貴族だった。しかし、今の暴力団や宗教団体は貴族ではない。だから、国民は暴力団や宗教団体に従わなくていい。今では暴力団や宗教団体は“ただの人”だから、相手にしなくていい。
[14277] 国家宗教の神とは何か? h24.2.24
昔の政府は貴族(上の人間)だった。昔の政府は国民に対して何でも命令できた。
政府は国家宗教をやっていた。
国家宗教をやるためには神が必要だった。
そこで、政府は自分が国民に対して何でも命令できることを利用して、特定の人間を神(人間よりも上の者)ということにして国家宗教をやった。国民は政府の命令に従って、特定の人間を神だと認めねばならなかった。
政府は国家宗教をやった。つまり、政府は国家宗教の神の情報を使ったことをやって国民を嫌がらせたり殺したりし、国家宗教の神の情報を使ったことを国民にやらせたりして国民を嫌がらせたり殺したりした。
しかし、今の政府は貴族ではない。今の政府は国民に対して何も命令できない。
だから、政府は国家宗教をやることはできない。
政府は特定の人間を神にすることはできない。国民は政府の命令で特定の人間を神だと認めなくてもかまわない。
だから、今では天皇も私も神ではない。人間だ。
[14278] どうしてアフリカ人は馬鹿なのか? h24.2.25
アフリカでは動物が人間よりも上だからである。アフリカが動物の支配する世界だからである。
アフリカには強い動物(猛獣)がたくさんいる。だから、アフリカでは人間が動物に敵[かな]わない。アフリカでは動物が人間よりも上である。だから、アフリカでは人間が大昔から進化せず馬鹿のままなのである。
一方、ヨーロッパには強い動物がいなかった。ヨーロッパでは人間が動物よりも上だった。だから、ヨーロッパでは人間が進化して頭がよくなったのである。
つまり、ヨーロッパ人はたまたま運がよかったから頭がよくなっただけである。ヨーロッパとアフリカでは“人間の住んでいる環境”が違うから、利口と馬鹿の差が出来たのである。もしもアフリカに強い動物がいなかったら、アフリカ人も自分の頭を使って進化することができたのだが、実際には強い動物がいたから、そこまで行けなかったのだ。
一方、アジアでは強い動物が少しいた。だから、アジアでは人間が動物よりも少し上だった。だから、アジアでは人間が少し進化して少し頭がよくなったのである。
[14279] どうして今でも国民は政府に従っているか?☆ h24.2.25
国民が政府が貴族であったことを知らないからである。
戦前の日本では「人間が不平等な制度」があったので貴族制があった。貴族が国民を支配していた。
戦後の日本では『人間が平等である制度』が出来て貴族制がなくなった。貴族が国民を支配できなくなった。そのため、純粋な貴族がなくなった。
しかし、国民は政府が貴族であったことを知らなかったので、その後も政府に従い続けたのである。今でも従っているのである。
しかし、本当は政府は貴族だったので、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。むしろ国民は政府に従ってはいけない。国民は早く政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、政府の中にある“国民の役に立つ会社”を民営化しなければならない。政府が持っている“国民の役に立つ会社”(法律会社や水道会社がゴミ会社や学校会社など)が政府から分離独立して自立して民営化すればいいだけのことである。[[14183]を参照。]だから、国民は政府を潰せばいいのである。
政府と同じように、暴力団や宗教団体も貴族だったのである。しかし、今では貴族制がない。だから、今では国民は暴力団や宗教団体に従わなくてもいいのである。
国民の多くは馬鹿だから眼で見えることしかわからない。国民は字面[じづら]しかわからない。国民は貴族と言わなければ貴族とわからない。これまで政府や暴力団や宗教団体は貴族と言わなかったから貴族であることがわからなかったのである。しかし、本当は政府や暴力団や宗教団体は貴族だったのである。今では貴族制がない。だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもいいのである。
[14280] 政府と幕府の違い h24.2.25
政府も幕府も貴族(上の人間)である。
政府も幕府も国民に命令して国民から税金を取る。
政府も幕府も国民の役に立つことをする。例えば、水道やゴミの収集などをする。
その上、政府は軍事や国家宗教をする。政府は軍事や国家宗教で国民を嫌がらせる。政府は国民に軍事や国家宗教をやらせて国民を虐[いじ]める。
幕府は軍事も国家宗教もやらない。もっとも、幕府も貴族だったから、ときどき国民を虐めていたかもしれないが。
政府は文明を受け入れる。幕府は文明を受け入れない。
国民にとっては政府も幕府も嫌な貴族である。政府も幕府も邪魔[じゃま]である。
しかし、今の日本では『人間がみな平等である』ことになっている。今の日本では貴族制がない。だから、日本から政府や幕府をなくせばいいのである。
[14281] 発展途上国はどうして発展しないのか? h24.2.25
国連は世界中の人々からお金を集めて発展途上国にお金をやっている。
それなのに、発展途上国はちっとも発展していない。
それは、国連がお金を着服[ちゃくふく]しているからである。国連は世界中の人々からもらったお金を発展途上国にほとんどやらずに自分のお金にしているのである。
国連は世界中の人々からお金を取る名目[めいもく]を考えるだけである。国連は世界中の人々からお金を集める名目を考えて儲[もう]ける会社である。国連は世界中の人々から集めたお金を自分のものにしているのである。
国連も政府と同じ貴族だったのである。貴族は上の人間だったので人類に対して平気で嘘[うそ]をつくのである。
しかし、今では世界中で『人間は平等である』ことになっている。今の世界には貴族制はない。今の国連は貴族ではない。だから、人類は国連に従わなくてもかまわない。人類は国連の嘘を無視して、国連にお金をやってはいけない。国連みたいな偽善[ぎぜん]会社を早く潰[つぶ]さねばならない。
[14282] 今の政府は貴族ではない。 h24.2.25
今では世界中で『人間が平等である』ことになっている。[これまでヨーロッパ人は自国の歴史的伝統を重んじて「人間が不平等だ」と考えてきたが、世界大戦後ついに歴史的伝統をあきらめて『人間が平等だ』と考えるようになった。そのため、世界中の国がヨーロッパを真似[まね]て『人間が平等だ』と考えるようになったのである。いくら歴史的伝統でもまちがっていては何にもならない。まちがいにこだわるほうが馬鹿だ。まちがいは早めに修正して、前に進まねばならない。]
だから、今の政府は貴族ではない。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。政府に税金を払わなくてもいい。政府の命令で軍事や国家宗教をやらなくてもいい。政府に遊び半分に嫌がらされたり殺されたりしなくてもいい。
政府と同じように、今の暴力団や宗教団体も貴族ではない。国民は暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。
今後は貴族のない社会を作らなければならない。
[14283] インド人は馬鹿である。 h24.2.25
インド人が本当に頭がよければ、科学が得意なはずである。科学では知覚と五感の両方を用いるが、五感は誰にでもあるから、知覚がよければ科学もできるはずである。
ところが、実際には、インド人は科学が苦手[にがて]である。だから、インド人は馬鹿である。
インド人は自分の馬鹿さをごまかすために、屁理屈[へりくつ]をこねているのである。哲学に逃げているのである。インド人は男らしくない。
もっとも、日本人も科学が苦手だから他人[ひと]のことは言えないが。
[14284] 幸福の法則 h24.2.25
人間は実在の中で自分の心を満足することによって幸福になることができる。
これが、幸福の法則である。
「人間が不平等である」ことは実在におけるまちがった原理なので、この原理を守ると人間は不幸になる。
『人間が平等である』ことは実在における正しい原理なので、この原理を守れば人間は幸福に暮らすことができる。
これまでヨーロッパ人が不幸だったのは、「人間が不平等である」というまちがった原理を守っていたからである。「人間が不平等である」社会の中では、貴族という国民よりも上の者が出来て、貴族が国民を好き放題にしたのである。貴族は国民に命令して国民からお金を取って、国民を遊び半分に嫌がらせていたのである。
ヨーロッパ人の不幸の原因は「人間が不平等である」ことにあったのである。だから、ヨーロッパ人は自分の考えを直して、『人間が平等である』と考えることにすれば幸福になれるのである。
ヨーロッパ人は自然科学は強かったが、社会科学は弱かったのである。日本人が自然科学の知識が皆無[かいむ]であったように、ヨーロッパ人は社会科学の知識が皆無だったのである。
ヨーロッパ人は哲学も弱い。私の実在哲学のほうが上である。ヨーロッパの哲学では心身[しんしん]問題(心と身体が別々であるという問題。参考。)が解決されないが、私の実在哲学では解決されている。ヨーロッパ人が哲学が弱いために、いまだに精神分裂病や躁鬱病[そううつびょう]に罹[かか]る者がいるのである。
ヨーロッパ文化にはまだまだ多くのまちがいがある。ヨーロッパ文化のまちがいがヨーロッパ人の不幸の原因である。ヨーロッパ人がヨーロッパ文化のまちがいを直していけば、ヨーロッパ人は今よりももっと幸福になれるだろう。
もちろん、日本文化にも多くのまちがいがある。日本人も日本文化のまちがいを直していかねばならない。そうすれば、日本人はもっと幸福になるだろう。例えば、日本人は『外人を真似[まね]れば幸福になれるわけではない』ことを知らねばならない。『外国の正しいことは真似るべきだが、外国のまちがったことを真似てはいけない』ことを知らねばならない。
人間は知覚で実在のことを正しく知れば幸福になれる。このことは世界共通の法則である。だから、世界中の人々が正しい知識を交換し合って、互いに助け合って、みんなで幸福になればいいのである。
[14285] マンガと小説 h24.2.25
マンガや小説は、政府についての学問ではない。
マンガや小説は、政府についてのパロディである。つまり、マンガや小説では、政府についてあえてまちがったことを書いているのである。
だから、マンガや小説を読んで、政府についてまちがったイメージを抱[だ]いてはいけない。
マンガや小説は、笑って読み捨てるべきものである。マンガや小説を真[ま]に受けてまちがいを信じてはいけない。
政府について正しいことを知りたければ、マンガや小説ではなく、最近の私の『哲学日記』を読めばいい。特に[14276]〜[14279]を読めばいい。
[14286] 政府は「人間が不平等である」原理の産物[さんぶつ]である。 h24.2.25
政府はヨーロッパ文化の「人間が不平等である」という原理で出来た物である。政府はヨーロッパ文化の「人間が不平等である」原理の産物である。
昔の日本はヨーロッパ文化を取り入れて「人間が不平等である」という原理があったから政府が出来たのである。昔の政府は国民よりも上の貴族だったので、国民は政府に従わねばならなかったのである。近代の日本人がヨーロッパ文化を取り入れると決めたから、政府が出来たのである。政府は近代の日本人によって作られたのである。
今の日本はもともと日本にあった『人間が平等である』という原理に戻って、「人間が不平等である」という原理を捨てたから、政府がなくなっているのである。今の政府は国民よりも上の貴族ではないので、国民は政府に従わなくてもいいのである。現代の日本人が『人間が平等である』という原理に戻すと決めたから、政府がなくなっているのである。政府は現代の日本人によってなくならされているのである。戦後は日本をより善[よ]い国にするために日本人の手によってヨーロッパ文化の一部が修正されたのである。
今の日本には『人間が平等である』という原理がある。だから、政府がなくなって、政府の中にある国民の役に立つ会社が政府から分離独立して民営化すればいいのである。国民は政府に税金を払うのをやめて政府をなくせばいいのである。
今はまだ国民の大半が政府に税金を払っているから、政府の“持ち会社”(法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社など)が政府の中に入って政府に甘えているのである。[[14183]の図を参照。]今後国民が政府に税金を払わなくなれば、政府の“持ち会社”は政府から分離独立して民営化するだろう。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
[14287] どうして政府は今でも残っているか? h24.2.25
今でも政府が残っているのは、戦後も国民が政府に従っているからである。国民が政府に税金を払って、政府の命令を聞いているからである。
政府は国民が政府に従っているのを見て、国民が「人間が不平等である」原理を守りたいのだと思って、今でも残っているのである。
ところが、「人間が不平等である」原理はまちがっている。「人間が不平等である」原理があると、貴族(国民よりも上の者)がウヨウヨ湧[わ]いて、国民が貴族に虐待[ぎゃくたい]されて国民が不幸にされる。国民が幸福であるためには「人間が不平等である」原理はあってはならない。
だから、国民は政府に従ってはいけない。
国民が政府に従わなければ、政府は国民が『人間が平等である』原理に変えたいのだと思って、自[みずか]ら滅ぶだろう。
政府は国民の様子[ようす]を見て、自分が残るか滅ぶかを決めているのである。だから、政府を滅ぼすためには、国民は政府に従わなければいいのである。
[14288] 国民は馬鹿である。 h24.2.25
戦後、国民は『人間が平等である』社会がいいと思って、貴族制をやめた。そのため、純粋な貴族がいなくなった。
しかし、国民は政府や暴力団や宗教団体が貴族だと知らなかったので、戦後も政府や暴力団や宗教団体が残った。
本来は、純粋な貴族がなくなったときに、いっしょに政府も暴力団も宗教団体もなくなるはずだった。
国民が政府や暴力団や宗教団体が貴族であることを知らなかったばかりに、それらが残ってしまったのだ。
今でも、政府や暴力団や宗教団体が残っている。政府や暴力団や宗教団体が残って、国民から無理やりお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。貴族の残党[ざんとう]が戦前と同じことをやっている。
ところが、最近、私が政府や暴力団や宗教団体が貴族であることを明らかにした。[[14279]を参照。]
今からでも遅くはない。今では貴族制がないから、政府や暴力団や宗教団体は貴族ではない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従うのをやめて、政府や暴力団や宗教団体を潰[つぶ]さなければならない。
我々[われわれ]の親が中途半端[ちゅうとはんぱ]にやり残したことを、我々自身で完成させねばならない。
戦前は、国民がヨーロッパ文化を取り入れるために「人間が不平等である」制度をやった。そのため、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族が出来た。貴族は国民を好き放題にした。貴族は国民の金を取って遊びまくって、面白半分に国民を虐待[ぎゃくたい]した。
戦後は、国民がヨーロッパ文化に嫌気[いやけ]が差して『人間が不平等である』制度をやめた。だから、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族がなくならねばならないのだ。国民が純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を滅ぼさねばならない。
国民の総意によって国が作られる。国民が作り出した物は国民で片付けなければならない。それが国民の使命だ。“ヨーロッパごっこ”はもう終わりだ。
[14289] 政府や暴力団や宗教団体などの貴族をなくさなければならない。 h24.2.26
昔の日本にはヨーロッパを真似[まね]て「人間が不平等である」制度があった。『人間が平等である』制度がなかった。だから、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族(国民よりも上の者)がいた。
しかし、今の日本には『人間が平等である』制度がある。ヨーロッパでは戦後から『人間が平等である』制度を始めた。今では世界的に『人間が平等である』制度がある。だから、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などの貴族がなくならねばならない。
しかし、いまだに政府や暴力団や宗教団体が残っている。我々の親が政府や暴力団や宗教団体を貴族だと思わなかったために、政府や暴力団や宗教団体が残ってしまったのだ。
だから、これから政府や暴力団や宗教団体をなくしていかねばならない。
そのためには、国民が政府や暴力団や宗教団体にいくら脅[おど]されてもお金をやらずにじっと耐[た]えることだ。たとえ国民が政府や暴力団や宗教団体に殺されても最後までお金をやらないことだ。
今の日本では『人間が平等である』制度があるから、何が何でも『人間が平等である』社会を作らねばならない。政府や暴力団や宗教団体よりも『人間が平等である』制度のほうが上である。だから、政府や暴力団や宗教団体を滅ぼさねばならない。
[14290] どうして戦後植民地がなくなったのか? h24.2.26
戦前のヨーロッパには「人間が不平等である」制度があった。ヨーロッパ人は社会科学に疎[うと]いので『人間が平等である』ことがわからなかったのである。そのため、貴族である政府が国民を好き放題にしていた。ヨーロッパの政府は植民地を持っていた。つまり、ヨーロッパの政府はヨーロッパの国民から高い税金を取って外国を自分の国の文化に改造して喜んでいたのである。植民地は政府の遊びだったのである。植民地は政府による国民の税金の無駄遣[むだづか]いだったのである。
戦後からヨーロッパでは『人間が平等である』制度をやり始めた。ヨーロッパでは国民が新しい国を作るために、新たに『人間が平等である』制度を始めたのである。
そのために、ヨーロッパでは政府の力がグンと下がった。
そのために、ヨーロッパの政府がヨーロッパの国民からお金を取って植民地をやることができなくなった。
だから、戦後はヨーロッパの植民地がなくなったのである。
戦後は世界中の国でヨーロッパを真似[まね]て『人間が平等である』制度が出来た。
そのために、世界中の国で政府の力がグンと下がった。
そのために、政府が国民に軍事や国家宗教をやらせられなくなった。
だから、戦後は世界中で戦争や国家宗教がなくなっているのである。
今でも世界中で政府が残っているのは、国民が政府を誤解しているからである。国民が政府を民主主義の政治機関だと思っているからである。国民が政府が貴族であることを知らないからである。しかし、本当は政府は貴族なのである。今では『人間が平等である』から貴族がいてはならない。だから、政府は滅ばねばならないのである。
今の政府は半殺しである。だから、国民は政府を完全に殺さなければならないのである。政府のない貴族のない新しい『人間が平等である』世界を作らなければならないのである。
国は国民が作るものである。政府が作るものではない。昔の国民は「人間が不平等である」原理を置いていたから、国民よりも上の者である政府を建てて政府に従ったのである。反対に、今の国民は『人間が平等である』原理を置いている。政府は『人間が平等である』原理に反している。だから、今の国民は政府をなくさなければならないのである。政府はいまだに「人間が不平等である」という古臭いまちがった原理で動いている異常な団体である。だから、政府はなくならねばならないのだ。
昔は国民みんなが「人間が不平等である」原理を置いていたから、『人間が平等である』原理を置く者が非国民とされて国民みんなに迫害[はくがい]された。昔は政府や暴力団や宗教団体が貴族(上の者)だった。だから、昔は政府や暴力団や宗教団体に従わない者が悪いとされた。しかし、今では反対に国民みんなが『人間が平等である』原理を置いているから、「人間が不平等である」原理を置く者が非国民とされて国民みんなに迫害される。政府や暴力団や宗教団体は「人間が不平等である」原理を置いている。だから、今では政府や暴力団や宗教団体が非国民とされて国民みんなに迫害されているのだ。今では政府や暴力団や宗教団体は貴族(上の者)ではない。だから、今では政府や暴力団や宗教団体に従う者が悪いとされる。だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはならない。
[14291] 昔の国民は馬鹿だった。 h24.2.26
戦後、国民は『人間が平等である』社会を作ろうと思って、貴族制を廃止した。
純粋な貴族はさすがに名前が貴族だったから、廃止された。
しかし、政府や暴力団や宗教団体は名前が貴族ではなかったから、廃止されずに戦後も残った。
当時の国民にとっては純粋な貴族だけが名前が貴族だから貴族であり、政府や暴力団や宗教団体は名前が貴族ではないから貴族ではないと思ったのである。
つまり、当時の国民は字面[じづら]しかわからなかったのだ。当時の国民は言葉の“意味”を考えなかったから、政府や暴力団や宗教団体が貴族だとわからなかったのである。
昔の国民は馬鹿だった。そのおかげで子孫が不幸な目にあっている。
今の国民はもっと言葉の意味を考えないといけない。今の国民は言葉の字面ではなく、言葉の意味がわからなければいけない。今の国民は政府や暴力団や宗教団体を貴族だと考えて、政府や暴力団や宗教団体を社会からなくしていかねばならない。
[14292] 国は国民みんなで作るものである。 h24.2.26
戦前は日本人みんながヨーロッパ文化を真似[まね]て「人間が不平等である」原理を置いていた。日本人みんなが「人間が不平等である」国を作っていた。そのため、日本人みんなは純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を貴族(国民よりも上の者)にしていた。だから、昔の国民は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体に従っていた。
戦後は日本人みんながこれまでのヨーロッパ文化を修正して『人間が平等である』原理を置くようになった。日本人みんなが『人間が平等である』国を作るようになった。そのため、日本人みんなが純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を貴族(国民よりも上の者)にしなくなった。だから、今の国民は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。
したがって、今の国民が政府や暴力団や宗教団体に従っていることはまちがっている。
だから、今の国民は政府や暴力団や宗教団体に従うのをやめねばならない。
国は国民みんなで作るものである。原理は国の設計図である。だから、国民は原理に適[かな]った国を作らねばならない。政府や暴力団や宗教団体のない国を作らねばならない。
昔は国民みんなで「人間が不平等である」国を作っていたので、国民みんなで“国民よりも上の者”として純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体をわざわざ設[もう]けて、国民みんなで“国民よりも上の者”である純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体に従っていたのである。
反対に、今は国民みんなで『人間が平等である』国を作っているので、国民みんなでこれまで“国民よりも上の者”だった純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を撤廃[てっぱい]して、国民みんなで“国民よりも上の者”だった純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体に従わないようにしているのである。
「人間が不平等である」ことが昔の日本の設計図だった。だから、昔の日本では純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を新たに設[もう]けた。反対に、『人間が平等である』ことが今の日本の設計図である。だから、今の日本では純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体はもはや要らない。用済みである。だから、今の日本では政府や暴力団や宗教団体を撤去[てっきょ]しなければならない。国民は政府や暴力団や宗教団体のいない国を作らなければならない。今の政府や暴力団や宗教団体は国民よりも上の者ではない。だから、国民は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない。国民は古い日本を壊して、新しい日本を作っていかねばならない。
[14293] 政府の民営化 h24.2.26
今の日本は『人間が平等である』国である。
今の日本には、国民よりも上の者である政府はあってはならない。
政府をなくさねばならない。
政府の“持ち会社”(法律会社や水道会社やゴミ会社や学校会社など)が政府から分離独立して民営化しなければならない。[[14183]の図を参照。]
しかし、国民がひとつひとつの会社といちいち契約するのは面倒である。
そこで、衛星放送のチャンネルパックのように、国民が自分の趣味に合わせていくつかの会社とまとめて契約できるようにすればいい。そのほうが国民にとって面倒臭くなくていい。まとめて契約すれば割引になるようにすれば、国民にとってはますますお得である。たとえ抱き合わせ商法であっても、割引になれば国民は喜んで契約する。もっとも、今の日本は『人間が平等である』国だから、昔の政府のような“国民を嫌がらせるサービス”はやめてもらいたい。インターネットで契約できるようにすれば便利でいい。
(平成24年2月28日追加)所得に応じて料金を変えていっそうお得感を出せばいい。つまり、所得○円〜○円の人は所得の○%を支払うようにすればいい。所得の多い人から高い料金を取って、所得の低い人から安い料金を取ればいい。
[14294] 貴族 h24.2.26
昔の日本では国民みんながヨーロッパ文化を真似[まね]て日本を「人間が不平等である」国にしていた。
そのために、国民みんながわざわざ国民よりも上の階級である貴族を設[もう]けていた。
貴族は国民よりも上の者だったので、国民は貴族に何でも従っていた。
貴族には、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などがあった。
純粋な貴族とは、国民からお金を取るだけで他[ほか]に何もしない貴族だった。
政府とは、国民からお金を取って、国民のために少しだけ善[い]いことをして、軍事や国家宗教で国民を嫌がらせる貴族だった。
暴力団とは、国民からお金を取って、国民を暴力で虐[いじ]める貴族だった。
宗教団体とは、国民からお金を取って、国民のために少しだけ善いことをする貴族だった。
貴族はみんな国民からお金を取るのが目的の“銭[ぜに]取るマン”(gentleman)だったのである。(笑福亭鶴光[しょうふくていつるこう]のオールナイトニッポンのギャグ。)
しかし、今の日本では国民みんながヨーロッパ文化を修正して日本を『人間が平等である』国にしている。
だから、貴族をなくさなければならない。純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などをなくさなければならない。
今では純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などは国民よりも上の者ではない。だから、国民は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などに従わない。
[以前、私は政府や暴力団や宗教団体を“神の団体”だと考えていたが[[13999]
『社会哲学の神学的原理』 h24.1.16 を参照。]、本当は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体が“貴族(国民よりも上の人間の団体)”だったのだ。]
[14295] 今の国民は貴族を撤廃[てっぱい]しなければならない。 h24.2.26
戦前は国民がヨーロッパ文化を真似[まね]て日本を「人間が不平等である」国にしていた。
国民は、人間を不平等にするために国民よりも上の者である貴族を設[もう]けた。つまり、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を設けた。国民は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体に従った。
戦後は国民がヨーロッパ文化を修正して日本を『人間が平等である』国にするようになった。
今の国民は、人間を平等にするために国民よりも上の者である貴族を撤廃[てっぱい]している。今では純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体は国民よりも上の者ではないから、今の国民は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。
国は国民みんなで作るものである。政府が作るものではない。そもそも政府は近代の国民が作った物である。現代の国民は近代の国民が作った物に支配されてはいけない。今では、政府よりも『人間が平等である』原理のほうが上である。だから、『人間が平等である』ために政府をなくさなければならないのだ。近代の国民は「人間が不平等である」国を作った。現代の国民は『人間が平等である』国を作るのだ。つまり、国から純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体をなくせばいいのだ。それが今の国民の使命なのだ。
[14296] 貴族はヨーロッパの発明品である。 h24.2.27
国は国民が作るものである。国は国民が自分が幸福になるように作るものである。
日本は島国だから、昔から外国の文化を積極的に取り入れてきた。中国文化やヨーロッパ文化やインド文化やアメリカ文化などを受け入れてきた。
古代の日本はヨーロッパ文化を取り入れた。ヨーロッパ文化には貴族があった。だから、古代や中世の日本には貴族があった。ところが、貴族は国民を幸福にしなかった。貴族(おもに政府)は軍事や国家宗教で国民を虐待[ぎゃくたい]していたからである。そこで、日本はやむを得ずインド文化を取り入れて貴族を武士に変えた。武士は軍事や国家宗教をやらなかったので、多少はマシになった。しかし、武士はヨーロッパ文明を取り入れなかったので、国民にとってはその点が不満だった。
近代になってヨーロッパに新しい発明品がたくさん出来ると、国民はインド文化よりもヨーロッパ文化のほうがいいと思って、もとのヨーロッパ文化に戻した。そのために、また貴族が入ってきた。国民にとっては貴族は嫌だったが、文明がよかったので、まずまず満足だった。戦後、日本はアメリカに占領されて日本にアメリカ文化が入ってきた。アメリカはヨーロッパが嫌いなので、アメリカは日本からヨーロッパ文化を追い出した。アメリカは『自由平等な国』なのでアメリカ占領下では日本から貴族がなくなっていた。しかし、昭和40年ごろに日本からアメリカが撤退[てったい]してから、日本は再びヨーロッパ文化をやるようになった。だから、“さよなら三角また来て四角”と言うのである(アメリカは国が三角形で、ヨーロッパは国が四角形だからである)。日本は再び貴族がいるようになった。だから、今の日本ではヨーロッパ文化をやっているのである。
ヨーロッパ人は貴族に虐[いじ]められるのが好きだから貴族があるのである。日本人は貴族に虐められるのが嫌だから貴族は要らない。十字架のキリスト像を見てもわかるように、ヨーロッパ人にキリスト教が受けるのは、ヨーロッパ人が虐待[ぎゃくたい]されるのが好きだからだ。ヨーロッパ人は親の躾[しつけ]が厳しいので、他人に虐められるのが好きなのである。日本は日本人が好きなように作ればいい。日本に貴族は要らない。いくら日本がヨーロッパ文化を取り入れると言っても、しょせん日本文化の大半は日本固有のものである。日本文化では人間は平等である。日本人は貴族が嫌いである。だから、日本から貴族をなくせばいいのである。
日本は日本人が好きなように作ればいい。だから、日本は貴族がいない国にすべきである。日本を純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体がいない国にしなければならない。日本人にとっては「貴族が国民よりも上である」ことよりも、『貴族が国民にとって嫌である』ことのほうが上である。だから、日本では貴族をなくさなければならない。
日本は日本人にとって幸福な国にしなければならない。ヨーロッパ人にとっての幸福な国の受け売りではいけない。日本人とヨーロッパ人では土台[どだい]が違うから幸福な世界も違うはずだ。日本人とヨーロッパ人では“大脳の構造”が違うから心が違う。ヨーロッパ人は狩猟[しゅりょう]民族で他人と戦うのが好きだから国民を虐[いじ]める悪者の貴族がいないと気がすまないのだ。反対に、日本人は農耕民族だから他人と戦うのが嫌いだから国民を虐[いじ]める悪者の貴族がいるのが嫌なのだ。だから、ヨーロッパは貴族がいる「人間が不平等である」国でなければならないが、日本は貴族のいない『人間が平等である』国にしなければならないのだ。
今は文化人類学がある時代だから、『民族の違い』を考慮しなければならない。そうしなければ、国民にとって幸福な国が作れない。日本人がアメリカ占領下で幸せだったのは、アメリカが日本と同じ『自由平等の国』だからだ。だから、日本でもアメリカ文化を取り入れて、『人間が自由平等である』国にしなければならない。反対に、ヨーロッパは「人間が不自由不平等である」国だ。日本人にはヨーロッパ文化は合わない。日本人は先進国に合わすことよりも、まず自分が幸福であることを考えねばならない。いくら日本人に先進国への憧[あこが]れがあっても、先進国の猿真似[さるまね]では幸福になれない。日本人は他人の心よりも自分自身の心を満足しなければならない。日本人は自分の心を理解しなければならない。日本人はおとぎ話の『二人とロバ』の人目[ひとめ]を気にしすぎて損をしたまぬけな親子みたいになってはいけない。
[14297] 日本人は日本人の心を満足する国を作ればいい。 h24.2.27
今の日本はヨーロッパ文化を取り入れて貴族制をやっている。「人間が不平等である」国にしている。だから、今の日本には政府や暴力団や宗教団体があるのである。政府や暴力団や宗教団体が国民を好き放題にして、国民から無理やりお金を取って儲[もう]けているのである。
しかし、肝心[かんじん]の科学が強いことを取り入れていない。科学が強いことはヨーロッパ人の才能なので、日本人には真似ができないからである。ヨーロッパ人は狩猟民族なので、“自然を狩[か]る者”なので科学が強いのである。ヨーロッパ人は自分が自然よりも強いと思って、自然を自分の意のままにしようとして自然を征服しようとするから科学が強いのである。反対に、日本人は農耕民族なので、日本人は自分が自然よりも強いと思わないので、自然を征服しようと思わないので、科学が弱いのである。科学が弱いのは日本人の誇[ほこ]りである。
日本人はヨーロッパ文化の悪いところをたくさん取り入れて、善[い]いところをまったく取り入れていない。これでは、日本をかえって悪い国にしているだけだ。日本人に真似できるのは、ヨーロッパ文化の悪いところだけだ。いっそのこと、ヨーロッパ文化を取り入れないほうがマシだ。もっとも、ヨーロッパの文明は日本人の暮らしにとって便利だから取り入れたほうがいいが。[それに、日本でやっているヨーロッパ文化は日本風にアレンジされたヨーロッパ文化である。日本風にアレンジしないかぎり、日本ではヨーロッパ文化をやりようがない。だから、日本でやっているヨーロッパ文化はヨーロッパ文化そのものではない。イメージがだいぶ違っている。だから、例えば、日本では暴力団が貴族だったりするのだ。だから、いくら日本にヨーロッパ文化を取り入れても、いくら日本でヨーロッパ文化をやっても、日本はヨーロッパみたいな国にはなりえない。]
日本人にはヨーロッパ文化を取り入れるなんて無理だ。1000年早い。日本人は自分の身のほどを知らねばならない。
ヨーロッパ人がヨーロッパ人の心を満足する国を作っているように、日本人は日本人の心を満足する国を作ればいい。日本人はヨーロッパ人のそういう点を真似[まね]ればいいのである。日本人がヨーロッパ人に猿真似[さるまね]だと馬鹿にされないためにも、日本人はヨーロッパの貴族制をやめねばならない。十字架のキリスト像を見てもわかるように、ヨーロッパ人にキリスト教が受けるのは、ヨーロッパ人が他人に虐待[ぎゃくたい]されるのが好きだからである。反対に、日本人にキリスト教が受けないのは、日本人は他人に虐待されるのが嫌いだからである。だから、日本では貴族制をやめねばならない。日本から政府や暴力団や宗教団体をなくさなければならない。
日本人はもっと自分の幸せに真剣にならねばならない。そうしなければ、日本人は幸せにはなれない。日本は貧乏な国だからこそ、自分の幸福をもっと真剣に考えなければならないのだ。
[14298] 貴族制とは何か?☆ h24.2.27
貴族制とは、国民が貴族(国民よりも上の階級)を設[もう]けて、貴族が国民を虐待[ぎゃくたい]する制度である。国民が貴族に虐待される制度である。
今の日本ではヨーロッパ文化を真似[まね]て貴族制をやっている。今の日本では政府や暴力団や宗教団体などの貴族が国民を好き放題にして、国民からお金を取って国民を殺しまわっている。
ヨーロッパ人が貴族制をやっているのは、ヨーロッパ人が貴族制が好きだからである。十字架のキリスト像を見てもわかるように、ヨーロッパ人は他人に虐待されるのが好きだから、ヨーロッパ人はキリスト教や貴族制を熱心にやっているのである。ヨーロッパ人の正体は他人に虐待されて喜んでいる変態[へんたい]なのである。[だから、ニーチェは『ヨーロッパ人には奴隷根性や奴隷道徳がある』と言ったのである。(奴隷根性や奴隷道徳の奴隷とはアフリカ人のことではない。ヨーロッパ人が虐待されるのが好きなのは、ヨーロッパ人固有の性質であって、アフリカ人とは関係がない。)ニーチェはヨーロッパ人に奴隷根性があるのはキリスト教のせいだと考えたが、まちがいである。ヨーロッパ人はもともと虐待されるのが好きなのである。だから、ヨーロッパ人にキリスト教が受けがいいのだ。ヨーロッパ人は見かけはかっこいいが、心はかっこ悪いのである。ヨーロッパ人は身体は美しいが、心は汚いのである。ヨーロッパ人は攻撃欲(他人を攻撃する欲望)が強すぎるから、虐待欲(他人に虐待される欲望)で中和しているのかもしれない。もっとも、最近は世界中で文化の変化が著[いちじる]しいから、最近のヨーロッパ人は昔のように他人に虐待されるのが好きではなくなっているかもしれない。]
しかし、反対に、日本人は他人に虐待されるのが嫌いだから、キリスト教や貴族制をやってはいけない。
だから、日本で貴族制をやるのはまちがっている。日本では貴族制をやめねばならない。
日本では貴族制をやってはいけない。だから、日本から政府や暴力団や宗教団体をなくさなければならない。国民は政府や暴力団や宗教団体に従わないようにして、政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして、政府や暴力団や宗教団体を潰[つぶ]さねばならない。
[14299] 日本人は日本を日本人にとって幸福な国にしなければならない。☆ h24.2.27
どこの国の文化であろうがなかろうが、日本人にとって幸福なものは取り入れて、幸福でないものは取り入れなければいい。そうすれば、日本は日本人にとって幸福な国になる。日本を日本人にとって幸福なもので固[かた]めれば固めるほど、日本は日本人にとって幸福な国になる。
ヨーロッパの物質文明は日本人を幸福にするが、ヨーロッパの貴族制は日本人を幸福にしない。
だから、日本人はヨーロッパの物質文明だけを取り入れて、ヨーロッパの貴族制を取り入れなければいい。
日本人はインドの身分制も嫌いだから、インドの身分制も取り入れなければいい。
日本人は昔から人間がみな平等であることが好きなので、日本では平等制でやっていこう。
そうすれば、日本は日本人にとって幸福な国になる。
平等制においては、貴族はなくならねばならない。つまり、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体はなくならねばならない。だから、国民は純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体にお金をやらないようにして、純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体を滅ぼさねばならない。貴族つまり純粋な貴族や政府や暴力団や宗教団体などは、ヨーロッパの貴族制で出来たものだから、日本から貴族制がなくなればこれらも自然になくなるのだ。
[14300] 正露丸裁判 h24.2.27
ラッパのマークの正露丸で有名な大幸薬品が、ひょうたんのマークの正露丸で有名でない和泉[いずみ]薬品工業に「正露丸の箱のデザインが似すぎている」と訴えたが、裁判で負けた。参考。
ラッパはヨーロッパのことである。ラッパもヨーロッパも同じ“ッパ”で終わるからである。また、ラッパはヨーロッパの管楽器だから、ラッパはヨーロッパのことである。[ラッパは、ラッパ→ラッ→ラツ→ツラ→川ブ(ツ≒川、ラ≒ブ)→川野延夫[かわののぶお](私の名前)→私だから、ラッパは私のことだとも考えられるが、しかし、昔からラッパはヨーロッパのことだと決まっているから、やはりラッパは私のことではなくヨーロッパのことである。それに、ラ≒ブであることはめったにないから、やはりラッパは私のことではないと考えられる。ラ≒ブであることは、私が知る限りでは“ファンシーララ”の1例のみである。ファンシーララ→ララ→川ブ(ラ≒川、ラ≒ブ)→私。[私のアニメ日記(魔法少女日記)[969]を参照。]]
一方、ひょうたんは日本のことである。ひょうたんは丸が二つつながっているので天皇家のことだから、つまり日本のことである。あるいは、日本列島の形がひょうたんに似ているからかもしれない。
だから、ラッパのマークがひょうたんのマークに負けたことは、ヨーロッパが日本に負けたことである。箱のデザインが似すぎているのは、これまで日本がヨーロッパを真似[まね]てきたことを表している。
つまり、日本では今後はヨーロッパ文化をやるのをやめて日本固有の文化をやるということである。
今は世界中の国が自分の国の文化に戻っているので、日本もこれまでのヨーロッパ文化をやめて日本本来の文化に戻るということである。
例えば、これまで日本ではヨーロッパの貴族制をやってきたが、今後はヨーロッパの貴族制をやめて日本本来の平等制をやっていこうというのである。政府も貴族だから、政府もついに自分が滅ぶことを覚悟[かくご]したということである。だから、国民は正々堂々と政府に税金を払うのをやめて政府を滅ぼせばいいのである。
[ちなみに、私が正露丸裁判のことを知ったのは今から3週間ぐらい前である。正露丸が切れたので、インターネットで正露丸の値段を調べていたら、正露丸裁判のことが載っていたので知ったのである。私は今から約16年前に大学を出てからずっと新聞を取っていないので、そんなことはまったく知らなかった。]