[14101] どうして今の世界では人々が宗教をやらなくなっているか? h24.2.2
これまで国民が宗教(ここでは国家宗教のこと)をやっていたのは、政府が国民に無理やり宗教をやらせていたからである。
ところが、今の国民は政府に従わなくなっている。今の人々は神がいないと考えているから、今の人々は政府を神だと考えなくなっているから、今の人々は政府に従わないのである。
だから、今の国民は政府に従わなくなって、宗教をやらなくなったのである。
今では世界中で政府の力がなくなっているから、世界中で宗教をやる人がいなくなっているのである。
今でも国民が宗教をやっているのは日本ぐらいのものである。日本は島国だから世界の情勢[じょうせい]に疎[うと]いのである。だから、日本でも世界に合わせて、国民は宗教をやめねばならない。国民は政府に従うのをやめねばならない。
[14102] どうして今の世界では人々が戦争をやらなくなっているか? h24.2.2
これまで国民が戦争をやっていたのは、政府は国民に無理やり戦争をやらせていたからである。政府は自分の縄張り(国のこと)を広げるために、国民に戦争をさせていたのである。
ところが、今の国民は政府に従わなくなっている。
だから、今の国民は政府に従わなくなって、戦争をやらなくなったのである。
今では世界中で政府の力がなくなっているから、世界中で戦争をやらなくなったのである。
もちろん、日本でも国民は戦争をやめねばならない。国民は政府に従うのをやめねばならない。
外国では政府の武力団体と宗教団体がなくなっている。今は神がいない時代だから、武力団体や宗教団体は神ではないから、武力団体や宗教団体を国民よりも上に置く理由がないので、武力団体や宗教団体を政府から外[はず]したのである。だから、外国の政府は今では民主主義の政治機関になっているのである。しかし、日本ではいまだに政府の武力団体と宗教団体が残っている。日本ではいまだに政府が武力団体と宗教団体の組合である。日本人は理由にこだわらないから今でも政府に武力団体や宗教団体が残っているのである。日本は遅れている。日本も外国を見習って政府から武力団体や宗教団体を外さなければならない。あるいは、いっそのこと政府を滅ぼして他の政治団体にしなければならない。
[14103] 今では国民は政府に従わなくてもかまわない。 h24.2.2
今は神がいない時代である。
政府は武力団体と宗教団体の組合である。
今では武力団体も宗教団体も神ではないから、今の政府は神ではない。
だから、今では国民は政府に従わなくてもかまわない。
今では国民が政府に従わないことが正しい。今日日[きょうび]はこれぐらい常識である。
世の中は理屈が大事なので、国民は論理でどんどん押していけばいいのである。国民は論理で政府を倒していけばいいのである。
人間は正しいことを実行する勇気を持たねばならない。勇気がない奴[やつ]は人間のクズだ。
人間が政府に従わなくても、あまり儲かりはしない。それでも、人間は正しいことをやるしかない。それが人間の宿命なのだ。
[14104] 人生を誤らない方法☆ h24.2.2
私は子供の頃快楽主義だった。つまり、「人間は自分の幸福のために生きるものだ」と思っていた。
そのために、中学3年生の頃毎日オナニーをするようになり、高校1年生のとき自分の脳を興奮させすぎて精神分裂病に罹[かか]ってしまった。
それ以後、私の人生はまったくうまくいかなくなった。近い将来、私は自殺をするかもしれない。今の私は派遣[はけん]会社を首にされて仕事がないから、このパターンで行けばほぼ確実に死ぬ。
快楽主義だと人生がうまくいかなくなる。かえって不幸になる。
だから、快楽主義はまちがっている。快楽主義をやってはいけない。
人間は真理主義で生きていかねばならない。つまり、人間はいつも正しいことを知ることを目的にして生きねばならない。人間は他人から学んだり自分で考えたりして正しいことを知らねばならない。つまり、「人間は真理を知るために生きるものだ」と考えねばならない。[哲学の父と呼ばれるソクラテスが「善く生きる」という言葉で言いたかったことも真理主義だったと考えられる。]
そうすれば、実在がよく見えているから、自分の快楽のために実在に盲目[もうもく]になって自分の身体や脳を損ねて不幸になることはない。実在が見えずに楽しむよりも実在を見ながら楽しんだほうが安全に確実に長期的に楽しむことができる。無難[ぶなん]に楽しむことができる。つまり、人間は快楽主義であるよりも真理主義であるほうが幸福になれるのである。
人間は真理主義でも楽しむことができる。自分が正しいと考えること(つまり実在の世界)の中で自分の心を満足させればいいのである。簡単なことである。そのかわり、つねに実在について考えて実在のことを知る努力をしなければならない。
人間は真理主義であらねばならない。だから、例えば、酒やタバコを飲んではならない。日本では成人になれば酒やタバコを飲んだりエロ本を読んだりしてもいいことになっているが、実際にはそんなことはない。大人になればやってはいけないことをやってもいいというのは完全な屁理屈[へりくつ]である。政府が作った嘘[うそ]の決まりである。まちがった決まりである。だから、やめねばならない。
[14105] 政府はすでに負けている。 h24.2.2
今は神がいない時代である。今では神がいないことが正しいと考えられている。だから、政府は神ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、国民は政府に従わなくなっている。
それなのに、政府は国民に命令している。政府は今でも自分が神だと思って国民を自分の持ち物だと思って国民を動物扱いして国民を好き放題にしている。
国民は正しいことをやっている。
政府はまちがったことをやっている。
だから、政府の負けである。
政府は“神を守る会”だったのである。しかし、今では神がいない時代になった。今では神がいなくなった。だから、政府の負けである。いまさら政府がじたばたしてもしかたがない。手遅れである。昔の政府が神を守りきれなかったのが悪いのである。政府はさっさと滅ぶべきである。政府はなくなるべきである。
今の政府は本当は負けているのに勝ったふりをしている。今の政府は国民に嘘[うそ]をついて自分が勝ったことにしている。今の政府は嘘つきである。だから、国民は政府をまともに相手にしなくていい。
[14106] 政府と幕府 h24.2.2
江戸幕府は京都に天皇を置いていたから、おそらく政府と同じ団体だったのだろう。政府と幕府は外見[がいけん]が違うだけで、中身は同じものだったのである。
中世後期に国民に政府の正体が武力団体と宗教団体の組合であることがばれて政府が国民にとって役に立たないことがばれて政府が滅んだ。[[14090]を参照。]国民は政府が役立たずの政治機関だと思って政府の命令を無視するようになったので、政府が滅んでしまったのである。そのため、政府はやり方を変えて軍事や国家宗教をやるのをやめて幕府に化[ば]けたのである。[『二条河原の落書[らくしょ]』(1334年、室町時代)に書かれていることはみんな政府が国家宗教で国民にやらせていたことである。政府が国民に国家宗教をやらせていたから世の中が乱れていたのである。とうてい人間が暮らせる世界ではなかったのである。『二条河原の落書』に書かれていることが建武の新政の実体である。だから、政府があってはならない。ちょっと前に(1997年)、神戸市の中学生が小学生を殺して生首[なまくび]を校門の前に置いた事件(神戸連続児童殺傷事件)は政府がやらせたものである。校門は、校門←ゲート←ガフ(ゲ≒ガ、ト≒フ(“ト”を回すと“フ”になる)←カブ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私である。生首は丸くて光るので、神武天皇の光るトンビのことである。神武天皇は私の前の国家宗教の神だから、中学生の犯人は生首を校門の前に置いたのである。政府は政府に従う信者の中学生に命令して小学生を殺させたのである。一般に、世の中にある犯罪の大半は政府が信者の国民に命令してやらせていると考えられる。[信者は自分で悪いことをするのはいけないが、政府の命令で悪いことをするのはいいのである。/政府は犯罪だけではなく、国家宗教で何から何までやっているのである。政府は国家宗教で国の政策もやっているのである。]外国で犯罪が多いのは、外国の政府が国民に命令して犯罪をやらせることが多いからだろう。日本がアメリカ占領下の頃は明るいニュースが多かった。しかし、その後日本が日本政府の支配下になって暗いニュースばかり起きている。このままではいけない。今でも「政府が神だ」と思っている時代遅れの馬鹿(政府の信者のこと)がいるから変な事件が起こるのである。政府の信者を国から追放して信者のいない国を作らなければならない。政府もいつまでも「自分が神だ」と思って国民を好き放題にしてはいけない。]
江戸幕府は軍事も国家宗教もやらなかったので、当時世界最高の政治機関だったのだ。そのため、当時の日本は急成長して世界一の国になったのだ。当時の日本はヨーロッパを震撼[しんかん]させる先進国だったのだ。
近代になって植民地時代になって、国民は政府が軍事のために国を発展させると考えたので、国民は再び政府に国を任[まか]せることにした。幕府はやり方を変えて軍事や国家宗教をやるようになって再び政府に戻ったのである。日本は戦争には負けたものの、たしかに政府は国を発展させた。政府が国を発展させてくれたので、国民は政府に対するお礼として戦争をやってあげたのである。
現代になって植民地時代が終わって、政府は軍事をやらなくなった。今の日本政府は自分の国で国民を殺したり国民に国家宗教をやらせたりしている。今の政府はまた国民の役に立たなくなっている。今の日本政府は江戸幕府にも劣[おと]るくだらない政治機関である。時代は進歩しているのに、政治機関は後退している。今の政府は国民にとって要らない。
政府も幕府も“神の団体”である。昔は神がいる時代だったので、武力団体や宗教団体が国民よりも上の者だったので、国民は政府や幕府を上に置かねばならなかったのである。神の団体は自分のために国民を利用するだけで、ほとんど国民の役には立たなかった。国民は政府と幕府も両方とも嫌だった。国民はなるべく自分にとって嫌でないほうを選んでいたにすぎなかったのだ。『キチガイと刃物は使いよう』や『馬鹿と鋏[はさみ]は使いよう』などの諺[ことわざ]の通り、国民は宗教団体や武力団体を自分のためにいやいや使ってやっていたのである。中世後期に政府の正体がばれた頃から実質的に国民と政府は平等になっていたのである。『捨てる神あれば、拾う神あり』と言われるように、中世後期以来、人間が神を選ぶようになったのだ。人間が中世政府を捨てて幕府を拾い、幕府を捨てて近代政府を拾ったのだ。神も人間の気に入られなければやっていけなくなったのだ。しかし、今では神がいない時代になっている。もはや武力団体や宗教団体は国民よりも上の者ではない。だから、国民は政府や幕府を上には置かない。国民は政府や幕府に頼らず自分のことは自分でやる。政府は神の癖[くせ]が抜けないので滅べばいい。どうしても政治機関が要るなら、国民で新しく政治機関を作る。今は神がいない時代なので、いまさら神はない。だから、今では国民よりも上の政治機関は出来ないのである。今では『馬鹿も鋏も両方とも要らない』し、『捨てる神はあっても、拾う神はない』のだ。
[14107] 国民が暴力団や宗教団体や政府に従わねばならないのは、暴力団や宗教団体や政府が神だからである。
h24.2.3
今でも国民が暴力団や宗教団体や政府に従っているのは、国民が暴力団や宗教団体や政府に従っている理由を誤解しているからである。
国民が暴力団に従うのは、暴力団が暴力で国民を脅[おど]すからだと思っている。
国民が宗教団体に従うのは、宗教団体が弱い者のために善[い]いことをやっているからだと思っている。
国民が政府に従うのは、政府が民主主義で国民のためになることをやっているからだと思っている。
しかし、本当は、国民が暴力団や宗教団体や政府に従うのは、暴力団や宗教団体や政府が神だからである。神は人間よりも上の者だから、神は人間に命令できる。だから、人間である国民は暴力団や宗教団体や政府に従わねばならないのである。暴力団や宗教団体や政府は神だから、人間である国民を動物扱いして好き放題にする。暴力団や宗教団体や政府は国民に命令して国民からお金を取ったり、遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したり、自分の力を誇示[こじ]するために高級車を買ったり、大きな集会場を建てたり、大きな軍事施設や宗教施設を建てたり国民に国家宗教をやらせたりするのである。
暴力団は、闘争で人間に勝ったから神である。
宗教団体は、人間にできない奇跡を起こした者を囲っているから神である。[奇跡を起こしたといっても、本当は自然現象の見まちがいである。]
政府は、武力団体(暴力団)と宗教団体の組合だから神である。例えば、日本政府は古代に戦[いくさ]で勝って日本を統一した団体(もっとも、証拠がないから嘘かもしれないが)と天から光るトンビを呼ぶ奇跡を起こした神武天皇を囲っている宗教団体の組合だから神である。
大昔の人間が自然を擬人化[ぎじんか]して“神”という人間よりも上の者を作り出して、その神と武力団体や宗教団体が結びついて、武力団体や宗教団体が神だと考えられるようになったのである。
しかし、今では神がいないと考えられている。なぜなら、神とはそもそも大昔の人間が自然を擬人化して作り出した架空[かくう]の者であり、神は実在する者ではないからである。[昔の人は架空と実在の区別がついていなかったから、昔は神がいたのだろう。]
だから、今ではもはや武力団体や宗教団体は神だと考えられなくなっている。
だから、今では暴力団や宗教団体や政府は神だと考えられなくなっている。
したがって、今では国民は暴力団や宗教団体や政府に従わなくてもいいのである。
[14108] 現代では政府は要らない。 h24.2.3
現代は植民地時代ではない。
だから、政府は国家宗教をやっているだけである。
つまり、政府は国民に国家宗教の神の情報が入った物を作らせているだけである。
政府はまじめに国を発展させることを考えていない。
政府は国民の役に立たない。
だから、政府は要らない。
今は神がいる時代ではない。
だから、国民は早く政府を倒して、国民の役に立つ政治機関を建てねばならない。[今では政治機関が国民と平等であるのは言うまでもない。]あるいは、政治機関を建てずに国民が自分で事業をやるしかない。
[14109] 国民にとってもはや政府は要らない。 h24.2.3
近代になって植民地時代になって、国民は政府が軍事のために国を発展させると考えたので、国民は再び政府に国の政治を任[まか]せた。
しかし、近代化は政府でなくてもできる。国民でもできる。軍事は要らない。軍事は政府が自分の縄張りを広げるために国民に戦争させることなので、軍事は要らない。軍事は政府のためであって国民のためではないので、軍事は要らない。
だから、そもそも国民にとって近代政府は要らなかったのだ。
当時はまだ神がいる時代だったので政府が神だったので、国民はしかたなく政府に従わねばならなかったのだ。国民にとっては政府の軍事や国家宗教は要らなかったが、やむをえなかったのだ。
しかし、戦後の今は神がいない時代である。もはや政府は神ではない。政府は国民よりも上の者ではない。
だから、国民はもはや政府に従わなくてもかまわない。
今でも政府はあいかわらず熱心に国家宗教をやっている。国家宗教の神を私と天皇の二人に増やして一生懸命に国家宗教をやっている。政府は国民に私や天皇の情報が入った物を作らせている。政府は国民にとって無駄[むだ]なことばかりやっている。
今の政府は国民の役には立たない。今の政府は国民にとって要らない。
だから、国民は早く政府を倒して、国民の役に立つことをする政治機関を建てたり、国民が自分で考えて事業をしたりしなければならない。[今は神がいない時代なので、人間しかいない時代なので、今の政治機関が国民と平等であることは言うまでもない。だから、今の政治機関は国民から税金を取って好き勝手なことはやれない。今の政治機関は国民の役に立つことをやって、政治機関と契約した国民からお金をもらわねばならない。だから、政治機関が国民の役に立つことをやれば契約が増えて政治機関が儲かり、反対に政治機関が国民の役に立たないことをやれば契約が減って政治機関が潰[つぶ]れる。だから、政治機関は一生懸命に国民の役に立つことをやらねばならない。政治機関の仕事は、NHKのテレビ番組のようなものであって、政治機関の仕事が面白ければ政治機関と契約をする国民が増えて政治機関は儲かり、反対に政治機関の仕事が面白くなければ政治機関と契約する国民が減って政治機関は儲からなくなる。このやり方で政治機関が経営できなければ、最初から政治機関を建てなければいい。国民が政治機関の命令で仕事をするのではなく、国民が自分で考えて事業をやればいい。]
[14110] 国民に選択の余地はない。 h24.2.3
今は神がいない時代である。今では神がいないことは絶対確実である。
だから、政府は神ではない。
したがって、国民は政府に従わなくてもかまわない。
つまり、「国民が政府に従わなくていい」ことは『神がいない』ことからの論理的結論なのである。だから、「国民が政府に従わなくていい」ことは絶対に正しいのである。国民は政府が作った憲法を無視して「国民が政府に従わなくていい」ことを実行すればいいのである。
今ではもはや国民には「国民が政府に従わねばならない」か「国民が政府に従わなくてもいい」かの選択の余地はないのである。国民はみんな「国民は政府に従わなくてもいい」ことを選ぶしかないのである。それが、神がいない時代における国民の採[と]るべき唯一の道なのである。
だから、今では国民は自分の意思で自主的に政府に従っているだけなのである。国民が政府に従いたくなければ、今すぐに政府に従うのをやめればいいのである。
今の政府は民主主義の政治機関の宣伝で持っているだけである。実際には、政府は中[なか]で国家宗教でくだらないことをしているだけである。無駄[むだ]なことをしているだけである。政府は民主主義をやる団体ではなく国家宗教をやる団体である。だから、国民にとって政府は要らない。したがって、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府に税金を払わず、政府の命令を聞かなければいいのである。
[14111] どうして今の政府は創価学会と組んでいるか? h24.2.3
今の政府は国家宗教をやっている。今の政府は私や天皇の情報が入ったことをやっている。
政府が創価学会と組んでいるのは、創価学会←創価←そうか←ソーカ←ノーカ(ソ≒ノ)←カーノ←川野[かわの](私の姓)←私だからである。私が高校生の頃、毎日放課後友達とゲームセンターに通っていたが、ゲームセンターに行く途中の鏡川のそばに創価学会の大きな建物(高知市石立町[いしたてちょう]の創価学会高知平和会館)が建っていたからでもある。
今の政府が創価学会と組んでいるのは、もはや民主主義とは言いがたい。政府は国家宗教をやる団体なのである。
[14112] 政府は最近まで人類の弱みを握[にぎ]っていた。☆ h24.2.3
古来より「この世に神がいる」ことが人類の弱点だった。
政府はこの人類の弱点を利用して自分が神になりすまして人類を支配する悪の団体だった。
しかし、最近(世界大戦の頃)ついに『神がいない』ことになった。人類が長い苦心の末[すえ]についに『神がいない』ことを証明したのだ。
そのため、今の政府は神ではなくなった。今の政府は人類を支配できなくなった。今の政府はただの人間だ。だから、今の国民は政府に従わなくてもいいのだ。
今ではとっくの昔に(約70年前に)神がいなくなったのに、政府はいまだに「自分が神だ」と思って国民を好き放題にしている。国民は政府を気の毒だと思って、政府をまともに相手にしなくていい。国民は頭のおかしい政府に従わなくていい。
[14113] 『裸の王様』 h24.2.3
『裸の王様』は『浦島太郎』と同じである。同じことを言っている。
つまり、ヨーロッパでも中世後期には政府の中身がわかって、実質的には政府が滅んでいたのである。日本の『浦島太郎』では“玉手箱を開けた”とだけ言っているが、ヨーロッパの『裸の王様』ではちゃんと“二人の仕立て屋がいる(つまり、武力団体と宗教団体がいる)”と言っているところが、日本とヨーロッパのお国柄[くにがら]の違いである。
当時の国民は政府を口先で「偉い」と言うだけで、本当は偉いと思っていなかったのである。だから、本音[ほんね]では王様が裸に見えたのである。
つまり、日本と同じようにヨーロッパでも中世には政府が国家宗教ばかりやるようになって、政府が国民のために役に立つことをやらなくなっていたので、国民が政府を支持しなくなって政府が潰[つぶ]れかけていたのである。国民は政府を馬鹿だと思って内心[ないしん]軽蔑[けいべつ]していたのである。宗教は馬鹿の代名詞なのである。
その後、ヨーロッパでは近代の植民地時代になって政府が軍事のために国を発展させるようになったので、国民は再び政府を偉いと思うようになったのである。裸の王様は再び立派な服を着るようになったのである。
一方、その頃日本ではめでたく政府が潰れて、幕府の時代になっていたのである。
[14114] 今の政府にとっては神であることよりも国民の役に立つことをすることのほうが大事である。
h24.2.4
国民はテレビや新聞で政府を見て、政府が民主主義で国民を幸福にする団体だと思っている。
しかし、実際には、政府は軍事や国家宗教で国民を不幸にする団体なのである。政府は遊び半分に国家宗教で(国家宗教の神の情報が入ったことをやって)国民を嫌がらせたり殺したりして、自分の力を誇示[こじ]するために国民に国家宗教をやらせている(国民に国家宗教の神の情報が入った物を作らせている)。
政府は見かけと実際にやっていることが反対なのである。
政府は見かけが善[い]いだけで、中身は悪いのである。
政府は国民に嘘[うそ]をついている。だから、国民は政府を信じて政府に従っても幸福にはなれない。
政府の本体は武力団体と宗教団体の組合である。昔から政府はそうだと決まっている。政府が神であるためには、つまり政府が国民よりも上の者であるためには、それしかないからである。だから、政府は武力団体と宗教団体として活動することしかできない。だから、政府は馬鹿のひとつ覚[おぼ]えのように、政府が出来たときから軍事や国家宗教をやることしかできないのである。
政府は自分が国民に嫌われるのが嫌なので、民主主義の政治機関を置いているのである。政府が国民に嫌われると国民が政府に従わなくなって政府が潰[つぶ]れるので、民主主義の政治機関で自分を覆[おお]って隠しているのである。政府が民主主義の政治機関を置いているのは、自分が神でありながら今の世の中で生き残るための苦肉の策[くにくのさく]なのである。
しかし、今は神がいない時代だから、いまさら神はない。つまり、今では政府と国民は平等である。今ではたとえ政府が武力団体と宗教団体の組合であっても、政府と国民は平等なのである。今では戦[いくさ]に勝っても奇跡を起こした者を囲っても神になることができないから、政府と国民は平等である。つまり、今では神になる方法が無効だから、政府と国民は平等である。だから、政府が国民に嫌われたらおしまいである。だから、今では政府は自分が国民よりも上の者であることにこだわるよりも、国民の役に立つことをして国民を喜ばせて国民と契約を取って儲[もう]けたほうがいい。政府は国民の役に立たないことをする武力団体や宗教団体であることをやめて、国民の役に立つことをする政治機関とならねばならない。そうすれば、政府は国民と契約を取って儲[もう]けることができるだろう。今は神がいない時代なので、自分が神であることにこだわってもしかたがない。自分が神であることを考えるよりも、自分のお金儲けのことを考えたほうが得策[とくさく]である。
[14115] 今では“神になる方法”は無効である。☆ h24.2.4
昔は神がいる時代だった。神がいる時代には、戦[いくさ]に勝ったり、奇跡を起こした者を囲ったりすれば神になれた。そうやって、政府は自分が神になって国民を支配して天下を取った。
しかし、今は神がいない時代である。神がいない時代には、戦[いくさ]に勝ったり、奇跡を起こした者を囲ったりしても神にはなれない。だから、今の政府は神ではない。今の政府は神のふりをしているだけで本当は神ではないのである。今の政府は神ではないから国民を支配できず天下を取れない。
政府はかつて神がいる時代にあった“神になる方法”で支えられた団体だったのである。“神になる方法”が政府が国民を支配する原理だったのである。
しかし、今の神がいない時代には“神になる方法”もない。今では“神になる方法”は無効である。
だから、今の政府はただの人間にすぎず、国民は政府に従う必要はないのである。
[14116] 今では“神になる方法”は効[き]かない。 h24.2.4
昔は神がいた。昔の人は人間よりも上に神という生き物がいて、神が宇宙を作ったり宇宙を動かしていると考えていた。
だから、昔は“神になる方法”があった。戦[いくさ]に勝ったり、奇跡を起こした者を囲えば神になることができた。
だから、昔は神になって人間を支配することができた。[例えば、昔不良がか弱い女の子を脅[おど]してお金を取っていたのは、不良がケンカに勝って神だったからである。神は人間を自分の物にして好き放題にできるので、ケンカに勝った不良は周[まわ]りの人間を好き放題にしていたのである。]
しかし、今は神がいない。人類は長い時間をかけて『神がいない世界観』を築[きず]いた。
だから、今は“神になる方法”がない。
だから、今では昔のように神になって人間を支配することができない。
政府や暴力団や宗教団体は“神になる方法”を使って国民を支配していた団体である。
しかし、今では“神になる方法”が効[き]かない。
だから、今では政府や暴力団や宗教団体は国民を支配できない。国民は政府や暴力団や宗教団体に従う必要はない。
今の政府や暴力団や宗教団体は“神になる方法”のことを知らない馬鹿な国民を騙[だま]して儲[もう]けているだけである。毎日遊んでばかりいて社会のことを知らない者が悪い。
[14117] 政府はもはやお手上げである。 h24.2.4
これまでは神になる方法があった。
だから、政府が神になって人間である国民を支配できた。
しかし、今は神がいないから、神になる方法もない。
だから、政府はもはやどうしようもない。お手上げである。
政府はそもそも武力団体と宗教団体の組合であって、政治機関ではない。政府は国民が自分に従わなくなるのを恐[おそ]れて自分の正体を隠すために、民主主義の政治機関で覆[おお]いをしていただけである。顔の悪い男が覆面[ふくめん]で自分の顔を隠すのと同じことである。
今の国民にとっては政府のような武力団体や宗教団体の組合は要らない。
今は神がいない時代である。今ではみんなが平等である。今では政府のような軍事や国家宗教をやる団体では国民の役に立たないから国民と契約が取れないからやっていけない。今では国民の役に立つことをやって国民と契約して国民からお金をもらう政治機関でなければやっていけない。近い将来、そんな政治機関が出来るだろう。それは政府が化[ば]けたものかもしれないし、そうでないかもしれない。[天皇を置いていたら、政府が化けたことがわかる。]政治機関が出来なければ、国民にとっては政治機関が要らないと言うことだから、それでもいい。
[14118] 今の政府は一人で馬鹿をやっているだけである。 h24.2.4
昔は神がいる時代だった。神がいる時代には“神になる方法”もあった。政府は“神になる方法”を使って神だった。国民は政府を神だと思って政府に従わねばならなかった。[昔は、政府も国民もみんなが“神がいる”ことや“神になる方法”を正しいと考えていた。だから、政府は神だったのである。政府は自分が神だと考えていたし、国民も政府が神だと考えていたのである。]
しかし、今は神がいない時代である。神がいない時代には“神になる方法”もない。政府はもはや神にはなれない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の政府は独断と偏見で神をやっているだけである。今の政府は自分がまちがっていることを知りながらヤケクソになってまちがったことをやっているのである。今では国民の一部の政府の信者が政府の命令を聞いているだけである。
国民は政府に従わなければいいのである。それが今の国民の正しい生き方である。
今の政府は国民のためを思って控[ひか]えめに軍事や国家宗教をやってくれているのではなく、今の国民が政府にあまり従わなくて今の政府に力がないから今の政府が軍事や国家宗教を派手[はで]にやれないだけである。つまり、今の政府は滅びかけているのである。今の政府は、政府の覆[おお]いである民主主義の政治機関がテレビや新聞の上で元気なだけで、政府の本体である武力団体と宗教団体の組合は死にかけているのである。だから、国民はこのまま一気に押して政府を潰[つぶ]せばいいのである。今の神がいない時代に、政府のような“神の団体”が残っていることは目障[めざわ]りである。だから、国民は政府をこの世から消してしまえばいいのである。
[14119] 人間と神はほぼ平等である。☆☆ h24.2.5
人間が大勢の動物に敵[かな]わないように、神も大勢の人間には敵わない。神は位[くらい]では人間よりも上だが、数[かず]では人間が神よりも上である。
だから、たとえ神が人間よりも上の者とはいっても、実際には神と人間はほとんど平等だったのである。神はほんの少し人間よりも上だっただけである。
だから、神が人間に嫌われると人間が神に従わなくなって神は人間に倒されるのである。
だから、中世後期に政府が実際にやっていること(つまり、政府が国家宗教の神の情報を使って国民を嫌がらせたり殺したりしていること)が国民に知られると、国民は政府が嫌いになって政府に従わなくなって政府が滅んだのだ。
昔の神がいる時代でさえ、実際には政府と国民はほとんど平等だったのである。
今は神がいない時代である。政府は神ではなく人間である。今では政府と国民は完全に平等である。
政府はあいかわらず武力団体や宗教団体の組合であり、軍事や国家宗教をやるしか能[のう]がない役立たずの団体である。
だから、国民にとっては政府は要らない。
したがって、国民は中世のときのように政府が嫌いになって政府に従わなくなって政府を滅ぼせばいいのである。
[14120] 政府が国民よりも上の者である理由 h24.2.5
昔(世界大戦以前)は政府が国民よりも上の者である理由があった。つまり、昔は政府が神だったから、政府は国民よりも上の者だったのである。
しかし、今(世界大戦以後)は政府が国民よりも上の者である理由がない。
だから、今は政府は国民よりも上の者ではない。
だから、今は政府と国民は平等である。
だから、今は国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。
今の政府は、民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。
だから、政府は民主主義(つまり国民主義)で国民に正しい命令をしているが、軍事や国家宗教で国民にまちがった命令もしている。[国民は政府よりも数が多いので、民主主義(多数決の原理)では国民が政府よりも上の者であって、国民主義になるのである。]
政府の命令は正しい命令とまちがった命令の両方が混じっている。
政府では正しい命令とまちがった命令の両方を出すから駄目[だめ]だ。
だから、国民は政府に従わずに、政府を倒したほうがいい。
政府の代[か]わりに、国民に正しい命令だけを出す政治機関を建てたほうがいい。
[14121] 今の政府は紛[まが]い物の民主主義の政治機関である。☆ h24.2.5
今でも大勢の国民が政府に従っているのは、「政府が民主主義の政治機関である」と思っているからである。民主主義の政治機関(つまり、国民の自由を守りながら国民の人権を保障し国民の幸福を実現する機関)は国民と平等でありながら国民に命令できるので、国民は民主主義の政治機関に従っているのである。
しかし、実際には、今の政府は民主主義の政治機関ではない。今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。政府の民主主義の政治機関の裏には軍事や国家宗教で悪いことをする団体が隠[かく]れている。今の政府は紛[まが]い物の民主主義の政治機関である。今の政府は偽者[にせもの]の民主主義の政治機関である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
国民は純粋な民主主義の政治機関には従わねばならないが、紛い物の民主主義の政治機関である今の政府には従わなくてもかまわない。
国民は早く政府に従うのをやめて政府を倒して、将来純粋な民主主義の政治機関が出来てから純粋な民主主義の政治機関に従えばいい。それまでは、国民が自分で考えて自由に事業をすればいい。
[14122] 現代の神☆ h24.2.5
昔の神は武力団体や宗教団体だった。だから、昔の国民は武力団体と宗教団体の組合である政府を神だと思って政府に従った。
今の神は民主主義の政治機関である。だから、今の国民は民主主義の政治機関を神だと思って民主主義の政治機関に従う。
昔の神は人間よりも上の者だったが、今の神は人間と平等な者である。もっとも、今の神も人間に命令することはできる。
昔の政府は神だった。だから、昔の国民は政府に従った。
ところが、今の政府は神ではない。今の政府は純粋な民主主義の政治機関ではない。今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。つまり、今の政府は今の神で覆いをした昔の神である。昔の神は今では神ではない。今では今の神しか神ではない。今の政府は今の神ではない。だから、今の国民は今の政府には従わない。
今の政府は裏の武力団体と宗教団体の組合が軍事や国家宗教で増税している。純粋な民主主義の政治機関なら、もっと税金が安いはずだ。[公務員の給料は、国民の平均所得と同じにすればいい。]国民は早く今の政府を倒して、純粋な民主主義の政治機関を建てねばならない。
[14123] 政府に自由はない。 h24.2.5
昔の政府は遊びのときには国民から取ったお金で自由に遊んでいたが、“仕事”のときには軍事か国家宗教しかやらなかった。
昔の政府は神であって国民よりも上の者だったが、政府はけっして自由に何でもできたわけではない。
昔の神は武力団体と宗教団体の二つだけだったから、政府は必ず武力団体や宗教団体として活動しなければならなかった。つまり、政府は必ず軍事(つまり人殺し)か国家宗教をやらねばならなかった。それ以外のことは、政府は絶対にやってはいけなかった。
今の神は民主主義の政治機関である。だから、政府は必ず民主主義の政治機関として活動しなければならない。政府は必ず民主主義の政治をやらねばならない。政府は民主主義の政治以外は絶対にやってはいけない。
政府は昔も今も自由がないのだ。政府は遊びのとき以外は自由がないのだ。つまり、政府は仕事で神をやっているのだ。
[14124] 政府が国民の役に立たない場合には政府は滅ばねばならない。 h24.2.6
『浦島太郎』のおとぎ話によると、中世後期に日本政府の正体が国民に知られて政府が滅んだ。つまり、日本政府が国家宗教で国民の役に立つことをしているふりをして、実際には『二条河原の落書[らくしょ]』に書かれているように日本政府が国家宗教で国民の役に立たないことをしていることが国民に知られて国民が政府に従わなくなって政府が滅んだ。つまり、日本政府が遊び半分に国家宗教の神の情報が入ったことをやって国民を嫌がらせたり殺したりしていることや、政府が自分の力を誇示[こじ]するために国家宗教の神の情報が入った国民の役に立たない物を作らせていたことが判明して、国民が政府に従わなくなって政府が滅んだ。
つまり、政府の正体が国民にばれた場合には、国民は政府に従わずに政府を滅ぼしてもいいのである。国民が政府が裏腹なことをしていることを知った場合には、国民は政府に従わず政府を倒してもいいのである。
今でも、政府は民主主義の政治機関が民主主義で国民の役に立つことをしているふりをして、実際には武力団体や宗教団体の組合が軍事や国家宗教で国民の役に立たないことをしている。政府の武力団体と宗教団体の組合が国家宗教の神の情報が入ったことをやって遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したりして、自分の力を誇示するために国家宗教の神の情報が入った国民の役に立たない物を作らせている。
今の政府も中世の政府と同じように表では国民の役に立つふりをして裏では国民の役に立たないことをやっている。だから、今の国民は政府に従わずに政府を倒せばいいのである。
この世には“政府が国民の役に立たねばならない決まり”があるのである。政府がその決まりを犯した場合には、罰[ばつ]として政府が滅ばねばならないのだ。つまり、政府が国民の役に立たないことをした場合には、政府が国民に倒されるのである。政府が神であると言っても、政府が国民よりも上の者と言っても、実際には政府は国民と平等なのだ。政府が神であることは国民にとってはどうでもいいことなのである。[特に、日本のような神がいない国においてはどうでもいいことである。]国民にとっては政府が国民の役に立つか役に立たないかだけが問題なのだ。政府が軍事や国家宗教や民主主義でまじめに国民の役に立つ仕事をしなければ、国民は政府を倒すのだ。政府は自分では国民よりも上の者のつもりかもしれないが、国民にとってはただの自分の役に立つことをする奴隷[どれい]にすぎない。国民が政府の奴隷なのではなく、じつは政府が国民の奴隷だったのだ。政府が国民を利用していたのではなく、実際には政府が国民に利用されていたのだ。
政府は自分が国民の奴隷であるのが嫌だったので、国民の役に立たないことをやって国民に仕返しをしていたのだ。会社が大きくなりすぎると横着[おうちゃく]になっていけない。自分の会社が大きければ自分が偉くなったように思うのは田舎者[いなかもの]である。人間の錯覚[さっかく]である。だから、政府はもっと小さい会社に分かれたほうがいい。
政府のような無駄[むだ]なことをやる会社はいい会社ではない。今は植民地時代ではないから、政府は国民の役に立たない。国民はさっさと政府を倒して、幕府のような無駄なことをやらない会社に変えたほうがいい。国民には政治機関を選ぶ権利がある。国民が今の政治機関が不適当だと判断した場合には、政治機関を倒せばいいのである。国民は自分の意思表示をするために、政治機関に従うのをやめればいいのである。国民は自分の気に入った政治機関にだけ従えばいいのである。国民は自分が気に入った政治機関にだけお金をやればいいのである。それが政治機関と国民の正しい関係である。
[14125] 幕府復活 h24.2.6
政府はヨーロッパの神であり、幕府はインドの神である。神は人間に命令を出す。そのため、神は政治機関になったのである。つまり、神とは政治機関(国民に命令を出す会社)にほかならない。ヨーロッパが神がいる文化だから、政府のような政治機関が出来たのだ。反対に、インドは神がいない文化だから、幕府のような政治機関が出来たのだ。[暴力団や宗教団体や政府は、個人や会社に命令を出して個人や会社の役に立って個人や会社からお金をもらって儲[もう]けているのである。つまり、暴力団や宗教団体や政府は“命令を売る会社”なのである。]
植民地時代には、政府が軍事で国を発展させるので政府が国民の役に立つ。
植民地時代以外の時代には、政府は国家宗教で無駄[むだ]なことをやるだけなので政府は国民の役に立たない。植民地時代以外の時代には、政府は国家宗教で遊んでばかりいるので国民の役には立たない。
植民地時代以外の時代には、幕府のような軍事も国家宗教もやらない団体のほうが国民の役に立つ。
今は植民地時代ではないので、政府は国民の役に立たない。幕府のような軍事も国家宗教もやらない団体のほうが国民の役に立つ。政府を置くのは時間の無駄[むだ]である。早く幕府を復活させねばならない。
今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。今の政府が民主主義の政治機関だけならいいが、余計なおまけ(武力団体と宗教団体の組合のこと)がついているから駄目[だめ]である。余計なおまけで喜んでいるのは馬鹿である。政治機関はもっと洗練[せんれん]されていなければならない。早く純粋な民主主義の政治機関を建てねばならない。
[14126] 今の政府は国民の役に立たない政治機関である。☆ h24.2.6
政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。政府は国民に命令を出す会社である。
政府は植民地時代には宗教団体が活動しなくなって民主主義の政治機関と武力団体だけになって、民主主義の政治機関と武力団体の両方とも国民の役に立つことをする(国民の役に立つ命令を出す)が、植民地時代以外の時代には武力団体が活動しなくなって民主主義の政治機関と宗教団体だけになって、民主主義の政治機関は国民の役に立つことをする(国民の役に立つ命令を出す)が、宗教団体が国民の役に立たないことをする(国民の役に立たない命令を出す)。
今は植民地時代ではないから、政府は民主主義の政治機関が国民の役に立つことをして、宗教団体が国民の役に立たないことをしている。今の政府は民主主義の政治機関がちょっとだけいいことをして、あとは宗教団体が悪いことをいっぱいしているだけである。政府の宗教団体が国民の役に立たないことや国民の嫌がらせをたくさんしているだけである。総じて、今の政府は国民の役に立たない政治機関(国民に命令を出す会社)である。[日本国憲法を見ても、戦後の政府は軍事はやらなくなったが、国家宗教はやり続けている感じがある。わざわざ第20条で宗教の自由までも定めている。つまり、政府は戦後も国家宗教をやると国民に宣言しているのである。つまり、政府は国家宗教の神の情報が入った政策をやったり事件を起こしたりして国民を嫌がらせたり殺したりして、政府は自分の力を誇示[こじ]するために国民に国家宗教をやらせる(例えば、国民に国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組などを作らせる)と憲法で国民に言っているのだ。それが、日本国憲法第20条の内容なのだ。]
政治機関は国民に命令を出して国民の役に立って国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。政治機関と国民は平等である。[日本はそもそも神がいない国だから、そのうえ今は神がいない時代だから、政府が神であろうがなかろうが関係ない。政治機関が自分を神だと言うのは、役に立たない政治機関の言い訳[いいわけ]である。実力のない者ほど自分をお高[たか]ぶるのである。]
だから、国民は政府の命令を聞くのをやめて政府にお金をやらなければいい。
将来、国民が信頼が置ける政治機関が出来てから、国民は政治機関の命令を聞いて政治機関にお金をやればいい。それまでは、国民が自分で考えて事業をすればいい。
[14127] どうして植民地時代が終わったのか? h24.2.6
ヨーロッパの政治機関は政府である。政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。
近代のヨーロッパは植民地時代だった。最初のうちは政府が軍事のために国を発展させたが、そのうち政府は国を発展させるのをやめて国家宗教ばかりやるようになって国が乱れるようになった。それに、植民地は政府が自分の力を誇示[こじ]するために取っていただけであって、政府が植民地を維持するためには膨大[ぼうだい]なお金がかかり、政府は植民地を維持するために国民から高い税金を取っていたので国民の生活は貧しかった。[政府が大きなお城を建てたり、大きな教会を建てたり、植民地を取ったり、大きな軍事施設を建てたりするのは、みんな政府の“遊び”である。政府は自分を神(人間よりも上の生き物)だと思っているので、自分の顕示欲[けんじよく]を満足するために、そういうくだらない物ばかり作っているのである。]
そのため、ヨーロッパでは国民が『神が死んだ』ことにして、政府の武力団体と宗教団体を潰[つぶ]して、政府を民主主義の政治機関だけにしたのだ。家の中身を取り除いて壁だけにしたようなものだ。壁までは壊さなかったのだ。民主主義の政治機関は国民の役に立つから残したのだ。
ヨーロッパの政府から軍事をやる武力団体がなくなったために、植民地時代が終わったのだ。
だから、今のヨーロッパの政府は純粋な民主主義の政治機関なのである。日本の政府のように余計な武力団体と宗教団体の組合がないのである。
日本は遅れている。日本はヨーロッパを見習わなければならない。日本でも国民の力で政府を純粋な民主主義の政治機関にしなければならない。
日本はヨーロッパどころかアジアの国に対しても遅れている。今でも政府が国家宗教をやっているのは世界の中でも日本ぐらいのものである。日本は早く国民が政府に反抗[はんこう]して政府を倒して、純粋な民主主義の政治機関を建てねばならない。
[14128] どうして満州国は5〜6年で滅んだのか? h24.2.6
日本政府は中国の一部を植民地にして満州国を建てていた。
しかし、満州国は5〜6年ですぐに滅んだ。そんなものは植民地とは言えない。
満州国がすぐに滅んだのは、国民にとっては政府は国を発展させるためにあるのであって、政府が植民地を取らなくてもいいからである。政府が植民地を取れば、植民地を維持するために余計なお金がかかって国民が不利益になる。だから、国民は政府に働きかけて中国の植民地を早々[はやばや]と放棄させたのである。
その後、政府は大東亜共栄圏建設のために世界大戦をやったが、国民は政府が国を発展させてくれたお礼に政府に付き合っていやいやしかたなく戦争をしてやっただけだった。[特攻隊は政府の信者からなる部隊であって例外である。むしろ国民にとっては信者が特攻して死んでくれてうれしいぐらいだ。政府の信者は政府が自分をいい待遇にしてくれる代[か]わりに政府の言うことを何でも聞かねばならないのだ。政府の命令で特攻したり自殺したり人殺しをしたりしないといけないのだ。悪魔と契約した者が悪魔に自分の願いをかなえてもらう代わりに悪魔に自分の魂を売るようなものだ。文学者やマンガ家がよく自殺するのは、文学者やマンガ家がもともと信者であって、信者が政府に文学やマンガを書いて遊ばせてもらう代わりに政府の命令で自殺しなければならなかったからである。]
その後、日本は戦争に負けて、政府は二度と戦争をやらなくなった。政府の武力団体は活動しなくなった。
今の日本政府は国家宗教ばかりやっている。国家宗教で無駄[むだ]なことばかりやっている。国家宗教で国を乱れさせている。
このままではいけない。
国民にとっては政府は国を発展させるためにある。だから、政府は国家宗教をやらなくてもいい。政府が国家宗教をやれば余計なお金がかかって国民が不利益になる。だから、国民は政府に働きかけて国家宗教をやめさせればいいのである。
国民は政府に働きかけて、政府を純粋な民主主義の政治機関にすればいいのである。
政府は自分を神だと思って自惚[うぬぼ]れている馬鹿である。国民は政府を自分のために利用すればいいのである。政府に利用されてはいけないのである。今の国民が腰抜けだからいけないのである。今の国民が政府の言いなりになっているのがいけないのである。国民はもっとしっかりしなければならない。
[14129] 遊び人は役に立たない。 h24.2.6
今の国民の大半は遊び人の顔つきをしている。
遊び人では役に立たない。
遊び人は自分の遊びのために生きているだけで、最初から仕事をする気持ちがないからである。遊び人は自分の遊びのためにいやいやしかたなく仕事をしているだけである。遊び人は他人の仕事の邪魔[じゃま]になるだけである。
遊び人は他人が生み出したものを浪費するだけで、自分では何も生み出さない。
遊び人がいくらたくさんいてもしかたがない。
遊び人はいないほうがいい。
[14130] 馬鹿のふざけた考えがすべてのものを腐[くさ]らせる。 h24.2.6
政治機関は国民に命令を出して国民の役に立って国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
政治機関は国民と平等である。
それなのに、大勢の馬鹿な国民が政治機関が国民に命令を出しているのを見て、政治機関が国民よりも上の者だと思って政治機関に無条件に従うようになったのである。そのため、政治機関は国民の役に立たない命令ばかり出すようになって、政治機関が自分が国民よりも上の者だと思って国民を虐[いじ]めて遊ぶようになってしまったのである。
つまり、大勢の馬鹿な国民が政治機関を悪化させているのだ。大勢の馬鹿な国民のまちがった考えが政治機関を役立たずの意地悪[いじわる]機関にさせているのだ。
馬鹿のふざけたまちがった考えがすべてのものを腐[くさ]らせる。
国民は政治機関に対する考えを改めて、政治機関を国民と平等だと考えて、国民は自分の役に立つ政治機関とだけ契約してお金を払うようにしなければならない。そうすれば、世の中がもっとよくなるだろう。例えば、今の政府は民主主義の政治機関のほかに裏の宗教団体が国家宗教をやっているので国民の役には立たない。税金が無駄[むだ]になる。だから、国民は今の政府にお金をやらなければいい。国民は純粋な民主主義の政治機関にだけお金をやればいい。
今の政府は“人間が命令を出す者を上の者だと思う心理”を利用して国民を支配しているのである。本当は、今の政府と国民は平等なのである。国民は自分自身の錯覚に騙[だま]されないようにして、政府に従ってはならない。
政治機関は国民に命令を売る会社である。だから、国民が自分で考えて事業をするなら政治機関は要らない。政治機関は国民に命令の押し売りはできない。政治機関は一時[いっとき]の間に合わせにすぎない。将来は国民に命令を出す政治機関がなくなるかもしれない。犯罪者を取り締[し]まる警察だけになるかもしれない。しかし、今のところはまだ純粋な民主主義の政治機関で満足したほうがいいだろう。国が段階を追って発展するのを待ったほうがいいだろう。
[14131] 今の政府は問題外だ。 h24.2.6
今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。
今の政府は表の民主主義の政治機関が国民の役に立つことをして(命令を出して)、裏の武力団体と宗教団体の組合が国民の役に立たないことをやっている。[『カタツムリの歌』でも政府の宗教団体の中に武力団体が隠れていることを言っているし、『シャボン玉の歌』でも国民は政府に国家宗教をやって欲しくないと言っている。]
今の政府は最初から国民の役に立つことと国民の役に立たないことの両方をやっている。今の政府は平然と国民の役に立たないことをやっている。
当然のことながら、政治機関は国民の役に立たないことをやってはいけない。今の政府は政治機関としては論外である。問題外である。いくら政治機関がまちがっていると言っても、せめて純粋な民主主義の政治機関の議員が時々汚職をするぐらいでなければならない。
今の政府は表では国民の役に立つ商品を作りながら、裏では公害で国民を苦しめている会社と同じだ。今の政府は日本中に公害を広めている会社だ。
常識的に考えて、今の政府は政治機関(国民に命令を売る会社)としてはやっていけない。
国民は今の政府にお金をやらずに潰[つぶ]したほうがいい。
もっとマシな政治機関でなければ国民がお金を払う価値がない。
[14132] 今の政府は政治機関として失格である。 h24.2.7
昔から政治機関(国民に命令を出す会社)と国民は平等である。日本は神がいない国だからなおさらである。[馬鹿な国民が政府の芝居に騙[だま]されて政府を上の者と思っていただけである。]
だから、政治機関は国民の役に立つことをしなければならない。つまり、政治機関は国民の役に立つ命令を出さねばならない。
しかし、今の政府は裏の武力団体と宗教団体の組合が軍事や国家宗教で国民の役に立たないことをやっている。
だから、今の政府は政治機関として失格である。
だから、今の政府は滅ばねばならない。
その後で、純粋な民主主義の政治機関を建てよう。
国民はおとなしく政府の言いなりになるのではなく、自分の損得[そんとく]で物事を考えねばならない。今の政府は国民の役に立たないことをやって国民に損をさせている。だから、国民は今の政府に従うべきではない。国民は早く今の政府を滅ぼして、もっと自分の得になる政治機関を建てねばならない。
[14133] どうして馬鹿は正しいことがわからないのか? h24.2.7
馬鹿は正しい生活をしていないからである。
馬鹿はふしだらな生活をしているから、一生かけても正しいことがわからないのである。
そんな馬鹿は生きていても無駄[むだ]である。
正しいことがわかりたければ、まずきちんと生活できることから始めねばならない。
[14134] どうして国民は政治機関にお金を払っているか? h24.2.7
政治機関が国民の役に立つからである。政治機関が国民よりも上の者だからではない。政治機関が神だからではない。
戦前に国民の政府に対する金払いがよかったのは、政府がまじめに近代化をやってくれたからである。国民は政府が近代化をやってくれたお礼に世界大戦のときに戦争をやってあげたのである。
ところが、今の政府は裏で宗教団体が国民の役に立たないことばかりやっている。今の政府は国民の役に立つ政治機関ではない。だから、国民は今の政府にお金を払う必要はない。政府に払う金があったら、ドブに捨てたほうがマシだ。
政治機関が国民よりも上の者であることや政治機関が神であることは、国民が政治機関にお金を払う正しい理由ではないのである。国民が政治機関に従う正しい理由ではないのである。そんなまちがった理由に惑[まど]わされてはいけない。政治機関が国民の役に立つことが、国民が政治機関にお金を払う正しい理由なのである。国民が政治機関に従う正しい理由なのである。
政治機関と国民は平等だから、国民が政治機関にお金を払うのは政治機関の命令ではなく、政治機関の命令に対する代金である。つまり、国民は政治機関が国民に「金を出せ!」と命令したから政治機関にお金を払うのではなく、自分が政治機関の命令を聞いて政治機関の命令を使ったから政治機関の命令の代金として政治機関にお金を払うのである。国民は政治機関と契約を取ってから政治機関から命令をもらって政治機関に命令の代金を払うべきである。政治機関が国民と契約を取らなければ、たとえ国民が政治機関に命令をもらっても国民は政治機関にお金を払わなくていい。命令も“商品”だから、政治機関は国民と契約を取ってから国民に命令を売って国民から命令の代金をもらわなければならない。今の政府が国民と契約を取らないのは、今の政府が自分の非(つまり、政府の武力団体と宗教団体の組合が国民の役に立たないこと)を認めていて、国民に早く自分を潰[つぶ]して欲しいからである。今度新しく純粋な民主主義の政治機関が出来てから、国民は政治機関と契約を取ってお金を払えばいい。私なら、純粋な民主主義の政治機関の命令なら買ってやってもいいと思う。
[14135] どうして国民は政府に従っているか?☆ h24.2.7
国民が今の政府を民主主義の政治機関だと思っていて、民主主義の政治機関が国民の役に立つと思っているから政府に従っているのである。けっして、国民が政府を武力団体と宗教団体の組合だと思っていて、武力団体と宗教団体の組合が神だと思っているから政府に従っているのではない。
理想的には国民が自分で考えて事業をやって政治機関がないほうがいいのかもしれないが、今のところはまだ国民が民主主義の政治機関に従うことで満足しているのである。私もそれでいいと思っている。[国民が自分で考えて事業をやると、国民みんなが楽な仕事にまわって仕事が偏[かたよ]って国がうまくいかなくなる。だから、民主主義の政治機関が要る。]
ところが、今の政府は本当は民主主義の政治機関ではない。今の政府には武力団体と宗教団体の組合という余計なオマケが付いている。昔はこの世に神がいると考えられていて、武力団体や宗教団体が神だと考えられていたので、いまだに政府の中には武力団体と宗教団体の組合が残っているのである。今の政府は民主主義の政治機関の活動はほとんどなく、武力団体と宗教団体の組合の活動がほとんどである。実際には、今の政府はほとんど軍事や国家宗教をやる団体なのである。今の政府は自分が神だと思って国民を虐待[ぎゃくたい]しているのである。
今の政府は本当は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。今の政府は『二条河原の落書[らくしょ]』みたいなことをやっているのである。
国民が今の政府の正体を知れば、国民は今の政府に従わなくなるだろう。『浦島太郎』の玉手箱と同じだ。
今の国民は政府のことを知らないから政府に従っているだけである。
今の政府は民主主義の政治機関ではない。だから、国民は政府に従わないのが正しいのである。
[14136] 現代の神 h24.2.7
昔の神は人間よりも上の者だった。だから、昔は武力団体や宗教団体が神だった。
今の神は国民の役に立つ者である。だから、今は民主主義の政治機関が神である。
昔と今では神の定義が違うのだ。
今の政府は昔の神である。今の政府は今の神ではない。
だから、今の国民は今の政府に従わない。今の政府は滅ぶべきである。
[14137] 現代政府は有害である。 h24.2.7
古代政府は軍事をやった。古代政府は軍事で国を発展させたので、古代政府は役に立った。
中世政府は国家宗教をやった。中世政府は国家宗教で(国家宗教の神の情報を入れたことをやって)国民を虐[いじ]めたり、国家宗教で国民の役に立たないくだらない物ばかり作っていた。[[14127]を参照。]中世政府は国家宗教で国を衰退させたので、中世政府は有害だった。そのため、中世政府は国民に倒された。
徳川幕府は民主主義をやった。徳川幕府は民主主義で国を発展させたので、徳川幕府は役に立った。
近代政府は軍事をやった。近代政府は軍事のために国を発展させたので、近代政府は役に立った。[徳川幕府が近代化をやらなかったのは、ヨーロッパでは政府が近代化をやっていたからである。幕府では近代化をやれない恐[おそ]れがあったからである。日本が近代化をするためには、幕府よりも政府のほうが適当だと考えられたからである。だから、日本もヨーロッパを真似[まね]て政治機関を幕府から政府に変えて、政府に政治を任[まか]せたのである。]
現代政府は国家宗教をやっている。現代政府もまた中世政府と同じように、国家宗教で(国家宗教の神の情報を入れたことをやって)国民を虐[いじ]めたり、国家宗教で国民の役に立たないくだらない物ばかり作っている。現代政府は国家宗教で国を衰退させている。現代政府は有害である。だから、現代政府は国民に倒されねばならない。[今はまだ国が衰退しているとまではいえないが、もう何百年か経[た]てば衰退するだろう。政府は昔から武力団体と宗教団体の組合だと決まっているから、政府は必ず軍事や国家宗教をやるのである。軍事も国家宗教も国民の役には立たない。だから、政府は政治機関として不適当である。政府が軍事で国を発展させる場合だけ政府は国民の役に立つが、一般的には政府は国民の役には立たない。]
国民が今の政府を倒したら、その後で徳川幕府のような民主主義の政治機関を建てればいい。民主主義の政治機関は国を発展させて国民の役に立ってくれるだろう。
今後はずっと民主主義の政治機関でやっていけばいい。そうすれば、日本はいい国になるだろう。
日本には“幕府”という奥の手がある。その手を使えば日本は世界一の先進国になれる。日本は植民地時代以外の時代にこそ発展する国である。日本は早く政府を倒して、純粋な民主主義の政治機関を建てねばならない。
[14138] 国民は政治機関に従うか従わないかを自分で考えて決めねばならない。
h24.2.8
政治機関(国民に命令を出す会社)と国民は平等である。政治機関はなんとか国民を騙[だま]して国民に政治機関を上の者だと思わせようとしているが、本当は政治機関と国民は平等である。例えば、これまで政府が神のふりをしてきたのも、国民に政府を上の者だと思わせるための方法である。政府を東大出で固めるのも、国民に政府を上の者だと思わせるための方法である。政府が国民に命令を出すのも、国民に政府を上の者だと思わせるための方法である。だから、国民は政治機関に騙されないようにして、けっして政治機関を上の者だと思ってはいけない。
国民は政治機関が国民の役に立てば政治機関に従い、政治機関が国民の役に立たなければ政治機関には従わない。
これまで、国民はずっとそうして来た。
ところが、今の政府は裏の宗教団体が国家宗教で国民の役に立たないことをやっている。[日本やアメリカやイギリスは“裏表のある文化”なので、政府が表では国民の役に立つことをやって、裏では国民の役に立たないことをやっているのである。]
だから、今の国民は今の政府に従わなければいい。[『浦島太郎』のおとぎ話には、『竜宮城から帰った浦島太郎がもといた村に帰ってみると見知らぬ人ばかりになっていたので、浦島太郎が村人に「浦島太郎という人を知りませんか?」と尋[たず]ねたら「ああ、そういう人なら300年前にいましたよ」と答えたので、浦島太郎は寂[さび]しくなって玉手箱を開けて死んでしまった』と書かれている。このことは、日本の中世には日本政府が国民の役に立つことをしなかったために日本政府に従わない人ばかりになっていたので、日本政府は最後に「自分はこれまで長い間国家宗教で国民の嫌がらせばかりしていました。ごめんなさい。」と国民に白状して滅んでしまったことを表している。だから、国民は政府が国民の役に立たないと思ったら政府に従わなければいいのである。]
今の国民は今の政府の命令を聞かず、政府に税金をやらずに、政府を倒せばいいのである。
国民は自分で考えて政治機関に従うか従わないかを決めねばならない。
政府はいつも国民の判断を仰[あお]いできた。だから、国民は素直に正直に自分の意思表示をすればいいのである。
[14139] どうして国民は政府を上の者だと思うようになったのか?☆ h24.2.8
昔、人間が社会を作って暮らすようになったとき、人間が命令する者と命令される者に分かれた。
命令する者は頭を使うので頭がよくなった。
命令される者は頭を使わないので頭が悪くなった。
そこで、命令する者は命令される者を騙[だま]して上の者だと思わせるようになった。そうして、命令する者が命令される者よりも有利になろうとしたのである。
例えば、政府は命令する者であり、国民は命令される者である。
だから、国民は政府を上の者だと思うようになったのである。
しかし、本来、命令する者と命令される者は平等である。
だから、命令される者は命令する者に騙されて命令する者を上の者だと思ってはならない。命令される者は命令する者と平等だと思って、平等に付き合えばいいのである。
だから、例えば、国民は政府と平等だと思って、政府と平等に接すればいいのである。
国民は政治機関が自分の役に立つと思ったときだけ政治機関に従えばよく、政治機関が自分の役に立たないと思えば政治機関に従わなければいいのである。例えば、今の政府は裏の武力団体や宗教団体が国民の役に立たないことばかりしているから、国民は今の政府に従わなければいいのである。国民は今の政府にお金をやらなければいいのである。
世の中には“命令を出すのが得意な人”もいるから、政治機関(国民に命令を出す会社)があってはいけないということはない。政治機関を作りたい人は自由に政治機関を作ればいい。国民の役に立つ(命令を出す)政治機関を作ればいい。そうすれば、国民は喜んで政治機関に従うだろう。国民は喜んで政治機関にお金を払うだろう。
[14140] 人間には神としての心はない。 h24.2.8
政府にとっての神とは人間よりも上の者のことであり、武力団体と宗教団体のことである。
一方、国民にとっての神とは国民の役に立つ者のことであり、民主主義の政治機関のことである。
政府にとっての神と、国民にとっての神は違う。
そこで、政府は、政府にとっての神と国民にとっての神を組み合わせて神をやっている。国民にとっての神で覆[おお]いをして、中身は政府にとっての神をやっている。つまり、民主主義の政治機関で覆[おお]いをして、じつは武力団体と宗教団体をやっている。
だから、今の政府は国民からは神に見えるし、政府からも神に見える。
そうやって政府は国民を自分に従わせながら、自分でも神をやっている。
ところが、国民にとっては政府の政府にとっての神としての活動は役に立たない。つまり、政府の武力団体や宗教団体としての活動は役に立たない。
国民にとっては政府は見かけが神であるだけで、中身は神ではない。
だから、国民は政府に従わない。
今の政府がやっていることは子供騙[だま]しである。そんなチャチな方法で今の国民を騙せるわけがない。冗談は中世までにしてくれ。
日本人は見かけよりも中身を重んじるから、今の政府は神ではない。だから、今の日本国民は日本政府に従わない。
そもそも武力団体や宗教団体が神であるわけがない。神は昔の人が想像で作り出した架空の者であって、実在する者ではない。だから、政府はいい歳して馬鹿なことをするのをやめて、まじめに国民の役に立つ民主主義の政治機関をやるべきである。
人間は人間であって神ではない。政府は本当は人間であって神ではない。人間には人間としての心があるだけであって、神としての心はない。だから、政府が想像で神をやっても政府にとっては楽しくない。政府は人間をやってこそ政府にとって本当に楽しい思いができるのである。だから、政府は人間よりも上の者として武力団体や宗教団体をやるのをやめて、国民と平等な民主主義の政治機関をやらねばならない。
そもそも政府が神をやっているのは、ヨーロッパ人が神がいると思っていたからである。ヨーロッパ人は知覚で考えすぎるので眼で見えない神がいたのである。ヨーロッパ人は知覚で神のイデアが見えたから、神がいると思っていたのである。そのために、政府は自分が上の者として神に負けないように自分も神をやらねばならなかったのである。そのために、政府はいつしか武力団体と宗教団体の組合になってしまったのである。しかし、本当は神はいないのである。科学では知覚を五感に従わせるので、神は眼で見えないので、知覚でも神がいなくなったのである。望遠鏡で見ても顕微鏡で見ても神は見つからなかったから、神がいなくなったのである。だから、政府はわざわざ神をやる必要はない。政府は無駄[むだ]な努力をしなくていい。政府は国民と平等な人間として国民の役に立つ民主主義の政治機関をやればいいのである。
[14141] 国民が政治機関に従う理由 h24.2.8
国民は政治機関が国民の役に立つことをする(命令を出す)から政治機関に従うのであって、政治機関が国民よりも上の者だから政治機関に従うのではない。
国民は国民の役に立つ政治機関には従うが、国民の役に立たない政治機関には従わない。
だから、いくら政府が武力団体や宗教団体であってもしかたがない。いくら政府が国民よりも上の者であってもしかたがない。国民にとっては武力団体や宗教団体なんかどうでもいい。国民にとっては上の者なんかどうでもいい。政府が武力団体や宗教団体をやっているのは政府の自己満足にすぎない。
今の政府は武力団体や宗教団体が国民の役に立たないことをやっている。だから、国民は今の政府には従わない。
国民は国民の役に立つ政治機関が出来るまで政治機関には従わない。
[14142] どうして幕府が出来たのか? h24.2.8
中世に政府が国民の役に立つことをしなかったからである。
政府は国家宗教で国民を嫌がらせたり自分の力を誇示[こじ]するためにくだらない物ばかり作っていたので、国民は政府が役に立たないと考えて政府を見捨てて政府に従わなくなったのである。[政治機関は国民に政治機関を上の者だと思わせて国民に政治機関に従わねばならないと思わせているだけで、じつは政治機関と国民は平等だから国民は政治機関に従わなくてもいいのである。本来、国民が政治機関に従うか従わないかは国民の自由なのである。だから、国民にとって政治機関が自分の気に入らなければ、政治機関に従うのをやめて政治機関にお金をやらなければいいのである。実際に、中世の日本には国に複数の政治機関(つまり幕府と政府)があったのである。国民は自分が気に入ったほうの政治機関に入っていたのである。今の日本にはまだ政府しかないから、国民は政府が気に入らなければ“無所属”にすればいいのである。政府が気に入らない国民同士が集まって純粋な民主主義の政治機関を作ればいいのである。今の日本で大勢の国民が政府に従っているのは、近代の日本で日本の近代化のために国民みんなが政府に従っていたことの名残[なごり]にすぎない。近代の日本では国民みんなが日本の近代化に賛成していたので、国民みんなが近代化をやる政府に従っていたのである。今では日本の近代化が終わったから、今ではもう国民は政府に従わなくてもいいのである。このまま国民が政府に従っていたら国が発展しない。だから、国民は政府に従うのをやめねばならない。/中世の日本にも政府が作った憲法はあった。憲法では国民みんなが政府に従わねばならないと定められていた。当時の憲法にはまだ改正の手続きが定められていなかった。それにもかかわらず、ほとんどの国民が政府に従っていなかった。だから、憲法なんかそもそもどうでもいいのである。政府に従う人が政府の定めた憲法を守ればいいのであって、政府に従わない人は政府の定めた憲法も守らなくていいのである。]
そこで、政府に従わない国民で“軍事や国家宗教をやらない民主主義の政治機関”を作ったのである。
それが幕府である。インドは神がいない国なので、インドでは武力団体や宗教団体が政治機関ではないので、インドの政府を参考にして幕府を作ったのである。[反対に、ヨーロッパは神がいる国なので、ヨーロッパでは武力団体や宗教団体が政治機関なので、政府はヨーロッパの政治機関の真似[まね]なので、政府は軍事や国家宗教ばかりやるのである。]
政府は軍事や国家宗教をやるしか取り柄[とりえ]のない政治機関である。今の政府の民主主義の政治機関は武力団体や宗教団体の覆[おお]いにすぎない。今の政府の民主主義の政治機関はただ居[い]るだけで民主主義の政治をしていない。
政府は植民地時代にしか国民の役には立たない。政府は特殊な状況下でしか国民の役には立たない。
今は植民地時代ではない。だから、政府は国民の役に立たない。
国民にとっては面倒だが、ここらでもう一度幕府に戻すしかない。“近代化もできる民主主義の政治機関”を建てておけば、二度と政府に変わることはないだろう。政府のようなおかしな政治機関を二度と建ててはならない。今後ヨーロッパが繁栄することがあっても、政府に戻してはいけない。ヨーロッパの真似[まね]をしすぎてはいけない。
[14143] 政府と幕府 h24.2.8
政府はヨーロッパの政治機関である。ヨーロッパは神がいる国なので、ヨーロッパでは武力団体や宗教団体が政治機関なので、政府は軍事や国家宗教ばかりやるのである。政府は自分が神(人間よりも上の生き物)だと思って人間である国民を虐待[ぎゃくたい]したり、自分の力を誇示[こじ]するために軍事や国家宗教でくだらない物を作るのである。
幕府はインドの政治機関である。インドは神がいない国なので、インドでは武力団体や宗教団体が政治機関でなく民主主義の政治機関が政治機関なので、幕府は軍事も国家宗教もやらないのである。幕府は民主主義をやるのである。幕府は自分が人間だと思っているから、自分が国民と平等だと思っているから、幕府は国民の役に立つことをするのである。[幕府は身分制もやっていたが、身分制とは人間の中の身分(階級)であって、幕府は人間よりも上の者(神)ではないのである。だから、幕府は国民を虐待[ぎゃくたい]しなかったのである。]
日本は植民地時代(つまり古代や近代、つまりヨーロッパが繁栄している時代)には、国の近代化をするためにヨーロッパを真似[まね]て、国の政治機関を政府にした。
日本は植民地時代以外の時代(つまり中世や近世、つまりヨーロッパが繁栄していない時代)には、国で軍事や国家宗教をやらないために、国を衰退させないために、国の政治機関を幕府にした。
日本はこれまで国を発展させるために、国を衰退させないために、国の政治機関を政府と幕府の間でしょっちゅう切り替えてきたのだ。
今は植民地時代ではない。つまり、今はヨーロッパが繁栄している時代ではない。だから、今の日本の政治機関は政府よりも幕府のほうがいいのである。つまり、今の日本の政治機関は“軍事も国家宗教もやらない民主主義の政治機関”がいいのである。今の日本では国を近代化するためにわざわざ軍事や国家宗教をやる必要はない。今のヨーロッパはゆっくりと発展しているから、日本がヨーロッパを真似[まね]て日本の政治機関を政府にしなくてもいい。今の日本に政府は要らない。日本は早く“軍事も国家宗教もやらない民主主義の政治機関”を建てねばならない。
今の政府には民主主義の政治機関があるが、余計な武力団体や宗教団体の組合が付いている。そのために、今の政府は国民の役に立たないこともたくさんやっている。今の政府は効率が悪い。今の政府は不経済だ。だから、国民は早く政府を倒して、もっと国民の役に立つ純粋な民主主義の政治機関を建てねばならない。そうしたほうが国民の税金が有効に利用されて国民が幸福に暮らすことができる。
そもそも政治機関と国民は平等である。政治機関は国民に命令を売る会社だから、政治機関は国民と平等である。だから、国民は政治機関が国民の役に立たないと思ったら政治機関に従わなければいいのである。国民は国民の役に立つ政治機関にだけ従えばいいのである。そうしない国民は馬鹿である。そうしない国民は政治機関に騙[だま]されて政治機関を上の者だと思っているふざけた根性の頭の中がまちがいだらけの馬鹿である。今の政府は国民の役には立たない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。
[14144] 今の政府は国民にとって災難[さいなん]である。 h24.2.9
近代の日本では国民みんなが『日本の近代化』に賛成していたので、国民みんなが近代化をやる政府に従っていたのである。政府は軍事のためなら喜んで何でもするので、国民は政府に軍事をやることを許すかわりに政府に日本の近代化をやらせたのである。国民の狙[ねら]い通り、政府は大喜びで日本の近代化をやって国を発展させてくれたのである。[もっとも、政府なんかよりも“国の近代化ができる純粋な民主主義の政治機関”があれば、そのほうがもっとよかったのだが。あいにく、当時はまだそんな便利なものはなかった。だから、国民はしかたなく過去に近代化をやった経験がある政府を使ったのだ。政府に国の近代化をやってもらったのだ。]
しかし、現代の日本では国民みんなが「軍事や国家宗教」に反対しているので、国民みんなが軍事や国家宗教をやる政府に従わなくなって来ている。政府の民主主義の政治機関の覆[おお]いの中では、武力団体や宗教団体が年がら年中軍事や国家宗教ばかりやって国民を遊び半分に嫌がらせたり国民の税金を無駄遣[むだづか]いしたりして国民を不幸にしているのである。今の政府は国を発展させずに軍事や国家宗教でくだらないことばかりしている。今の政府の政治が下手糞[へたくそ]なのは全部政府の武力団体や宗教団体のせいである。今の政府は国を発展させるよりも国を衰退させている。もはや国民にとって政府の使い道はない。
今の政府はあまりにも国民にとって役に立たない。今の政府は国民にとって災難である。政府は早くなくなったほうがいい。
世界大戦後、アメリカが日本政府を残したのは日本に復讐[ふくしゅう]するためである。アメリカは日本を潰[つぶ]すために日本政府を残したのである。戦後の日本政府が国家宗教ばかりやっているために、日本はどんどん悪い国になっている。
トロトロしていると、日本が政府に滅ぼされてしまう。国民は早く政府を倒して、もっとマシな政治機関を建てねばならない。国民にとって便利な“国の近代化ができる純粋な民主主義の政治機関”を建てればいいのである。
[14145] 今の政府から武力団体と宗教団体の組合をなくせばいい。 h24.2.9
国民が政治機関に従うのは、政治機関が国民の役に立つからである。国民が政治機関に従うのは、けっして政治機関が国民よりも上の者だからではない。
国民は国民の役に立つ政治機関には従うが、国民の役に立たない政治機関には従わない。
今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。
政府の民主主義の政治機関は国民の役に立つが、政府の武力団体と宗教団体の組合は国民の役には立たない。
国民にとっては政府の民主主義の政治機関は必要だが、政府の武力団体と宗教団体の組合は要らない。
だから、今の政府から武力団体と宗教団体の組合をなくせばいい。[それは、つまり、政府を倒すということである。]
そうすれば、国民にとって役に立つ政治機関が出来る。
しかし、実際には、今の政府から武力団体と宗教団体の組合だけをなくすことはできない。政府にとっては武力団体と宗教団体の組合が中枢なので、政府から武力団体と宗教団体の組合をなくすことはできないのである。
だから、国民は今の政府全体を滅ぼすしかないのである。国民が今の政府に従うのをやめて政府にお金をやるのをやめて、今の政府全体をなくすしかないのである。政府が滅んだ後で、政府とは別に純粋な民主主義の政治機関を建てるしかないのだ。
今の政府の民主主義の政治機関は武力団体と宗教団体の組合の覆[おお]いにすぎないから、まともに民主主義の政治をやれない。今の政府の民主主義の政治機関は形だけで中身がない。今の政府の民主主義の政治機関はただのハリボテである。今の政府の民主主義の政治機関は民主主義の政治をやれないからあってもしかたがない。今の政府は民主主義の政治をやらずに、軍事や国家宗教ばかりやっているのである。だから、政府の民主主義の政治機関は政府といっしょに滅んでもいいのである。
[14146] 政府は最低の政治機関である。 h24.2.9
政府はヨーロッパの政治機関である。ヨーロッパは神がいる国である。[中世のヨーロッパでは、みんなが神や悪魔がいると信じていて、神や悪魔と契約するために魔術をやっていたのである。]そのため、ヨーロッパの政治機関は神である。つまり、ヨーロッパの政治機関は武力団体と宗教団体の組合である。そのため、政府は軍事や国家宗教ばかりやっている。
ところが、軍事も国家宗教も国民の役に立たない。政府は国民の役に立たないことをするだけである。政府は政治機関には向いていない。政府はなくなったほうがいい。
ヨーロッパは政府のために発展したのではない。国民のために発展したのである。国民が科学で新しい発明をしたから発展したのである。政府は国民の発明を軍事や国家宗教に悪用したにすぎない。政府は自分が神だと思って威張[いば]るだけの役立たずである。ヨーロッパでは、政府のために権威や権力などという空威張[からいば]りの概念が出来てしまったのである。ヨーロッパのような神がいる国では、神である政府が人間である国民を虐待[ぎゃくたい]することが当然のことなのである。政府は国民のために何の役にも立たず、国民をただ虐待するだけなのである。
ヨーロッパは科学文明が優[すぐ]れているだけで、政治機関は最低である。日本はヨーロッパの科学文明を取り入れるだけにして、政治機関までも取り入れるべきではなかった。日本は古代に大々的[だいだいてき]にヨーロッパ文明を取り入れたときにいっしょにヨーロッパの政治機関も取り入れて、あとでヨーロッパの政治機関を取り入れたことがまちがいだったことに気づいて政治機関を別の物に入れ替えねばならなかった。今度の場合も同じである。日本は近代に大々的にヨーロッパ文明を取り入れたときにいっしょにヨーロッパの政治機関も取り入れてしまったので、今後また政治機関を入れ替えねばならないのである。だから、もう二度とヨーロッパの政治機関を取り入れてはならない。
政府は国民にとってまったく役に立たない政治機関である。政府は余計な軍事や国家宗教をやるだけで、軍事や国家宗教のために国を発展させることはない。国を発展させるのは国民であって政府ではない。政府は余計な軍事や国家宗教をやって国の発展を妨害しているのである。[日本では、ヨーロッパの文明と政治機関がいっしょに入ってきたために、あたかも政府がヨーロッパの文明を取り入れて国を発展させているかのように見えたのである。]政府はありがたいヨーロッパの文明といっしょに付いて来た嫌な邪魔者[じゃまもの]である。政府は国民の邪魔にしかならないクズの集まりである。ヨーロッパの科学文明が国民の役に立つだけで、ヨーロッパの政治機関は国民にとって有害無益である。国民にとって政府は使い道がない。もっと国民の役に立つ政治機関にしなければならない。幕府(インドの政治機関)は比較的民主的で、まあまあ国民の役に立った。“先進国の文明を取り入れることができる純粋な民主主義の政治機関”が一番いい。
[14147] 日本はヨーロッパよりも先進国である。☆ h24.2.9
政府は、ヨーロッパの“神がいる文化”が生み出した、国民にとってまったく役に立たない政治機関である。
政府は神だから、武力団体と宗教団体の組合であり、軍事や国家宗教をやって国民の役に立たないことをやるだけである。
ヨーロッパでは“嘘[うそ]をつくのが当然”なので、政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをして、国民の役に立つふりをしているのである。そうやって、政府は国民から税金を取っているのである。政府は国民からもらったお金で軍事や国家宗教ばかりやって、国民の税金を無駄遣[むだづか]いしているのである。
政府は自分が神だと思って人間である国民を虐待[ぎゃくたい]しているのである。
ヨーロッパは神がいて嘘をついてもいい文化だから、ヨーロッパの国民は政府がやっていることを当然だと思っているのである。ヨーロッパでは、国民が政府を神だと思って、政府の残酷非道な仕打ちに耐[た]えているのである。ヨーロッパでは、政府が神だから、国民が政府に従っているのである。
しかし、日本は昔から“神がいない文化”である。日本では政治機関と国民は同じ人間であり平等である。だから、日本では政治機関は国民の役に立たなければならない。日本では、政治機関が国民の役に立つから、国民は政治機関に従っているのである。日本では、国民は自分の役に立つ政治機関に従えばいいだけであって、自分の役に立たない政治機関には従わなくてもいいことになっている。日本では、国民が政治機関に従うか従わないかは国民自身が自由に決めればいいことになっている。日本では、政治機関は国民に命令を売る店なのである。
ところが、政府は国民の役に立たない。だから、政府は日本では政治機関としてはやっていけない。
政府はヨーロッパの政治機関であって、日本の政治機関ではない。
日本の政治機関は“国民の役に立つ民主主義の政治機関”でなければならない。日本は島国で仲間はずれの国だから、日本の政治機関は外国の文化や文明をつねに積極的に取り入れることができねばならない。そんな政治機関を早く建てねばならない。
ヨーロッパでも日本を見習って早く政府を倒して民主主義の政治機関を建てねばならない。今日[こんにち]では世界中で神がいないことが正しいと考えられている。神がいないことにかけては日本のほうがヨーロッパよりも先進国である。だから、ヨーロッパは日本を見習わなければならない。
[14148] 国民が政府に従わなければいいことの証明☆ h24.2.10
政府は国民に命令を売る会社である。政治機関と国民は平等である。だから、国民が政治機関に従うか従わないかは国民の自由である。政治機関が国民の役に立てば国民は政治機関に従い、政治機関が国民に役に立たなければ国民は政治機関には従わない。
ところで、政府は国民の役に立たない。政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。民主主義の政治機関は形だけで中身のないハリボテであって国民の役に立たない。武力団体と宗教団体の組合は国民の役に立たない軍事や国家宗教をやるだけである。だから、政府は国民の役に立たないのである。
したがって、国民は政府に従わなければいい。国民は政府の命令を聞かず、政府に命令の代金を払わなければいい。(証明終)
政府が営業すること自体は悪くないから、国民は政府を暴力で倒してはならない。国民が政府の命令を聞かずに政府に命令代を払わずに政府を合法的に倒産させればいいのである。
[14149] ここは日本である。 h24.2.10
ここは日本である。だから、たとえ一時的に日本に入ったことでも、その後日本に受け入れられなければ、結局は日本では廃[すた]れてしまう。
例えば、政府は日本では廃れてしまう。政府はヨーロッパで生まれた“神の政治機関”である。ヨーロッパは神がいる文化だから、ヨーロッパでは人間に命令を出す者が神でなければいけないから、ヨーロッパの政治機関は神なのである。つまり、ヨーロッパの政治機関は武力団体と宗教団体の組合なのである。日本が大々的[だいだいてき]にヨーロッパの文明を取り入れたときには政府もいっしょに日本に取り入れられて政府は一時的に日本の政治機関になるが、その後日本に受け入れられないために、結局はなくなってしまう。日本はもともと神がいない文化だから、政府はヨーロッパの神がいる文化で出来た“神の政治機関”だから、日本では政府は長い時間が経[た]つと消滅してしまうのである。神のいない国では神は長期間生きていられないのである。
実際に、中世の日本政府はそのようにして消滅したのである。
今のところ近代政府は残っているが、そのうち滅ぶだろう。
今は世界的に神がいないことが正しいとされているから、政府の命はそう長くはない。
今は世界中が神がいない文化である。だから、世界中で政府が廃れてしまうだろう。
今は神がいない時代である。今はみんなが人間である。だから、今は“人間の政治機関”でなければいけない。国民と平等な国民の役に立つ民主主義の政治機関でなければならない。
[14150] 日本神話の神とは何か? h24.2.10
日本神話の神はみんな髪を結[ゆ]っている。髪を結っているのはインド人のターバンの代[か]わりである。だから、日本神話の時代の日本の政治機関は幕府(インドの政治機関)だったのである。つまり、日本神話の神とは武士のことだったのである。つまり、日本神話の神とは人間のことだったのである。[幕府の武士は人間だが、政府の公務員は神である。]
江戸時代にも、日本人はみんな髪を結っていた。髪を結っているのはインド人のターバンの代わりである。だから、江戸時代には日本の政治機関は幕府だったのである。幕府は人間だったのである。
つまり、日本はそもそも神がいない国であって、古来から日本の政治機関はインドの政治機関を真似[まね]ていたのである。日本では普段は幕府であって、むしろ政府が例外的なのである。
[14151] 釈迦[しゃか]は神か人間か? h24.2.10
釈迦は、古代にインドがヨーロッパの文明を取り入れたとき、ヨーロッパの神(つまりキリスト。昔から神はなぜか田舎者[いなかもの]ばかりである。田舎者は知っている人が少なくて政府が作り話を作りやすいから、政府が田舎者を神にしたのだろう。)をインド風に直して作った者である。日本の神武天皇と同じである。だから、本来[ほんらい]釈迦は神である。本来神武天皇も神である。
インドは神がいない国だが、釈迦は神なのである。
だから、インドでは釈迦は嫌われ者なのである。日本でも神武天皇は嫌われ者である。
釈迦も神武天皇も奇跡を起こすことができたから神である。
だから、釈迦を囲う団体(仏教団体)は自分も神になって人間に命令することができたのである。人間に命令してお金を取ったり、人間を遊び半分に嫌がらせたり殺したりすることができたのである。
徳川幕府は人間だけの社会を作ろうとして神武天皇を抹殺[まっさつ]し釈迦を神ではなく人間だとし、仏教団体を法律で厳しく取り締[し]まったのである(寺院諸法度、1612年〜1615年)。つまり、仏教団体が神であることを認めず人間だとしたのである。
近代政府は神がいる社会を作ろうとして再び神武天皇や釈迦を神に戻した。そのため、再び仏教団体は神として人間に命令できるようになって人間からお金を取るようになった。
しかし、現代の今は神がいない時代である。今では人類みんなが『神がいない』と考えている。いくら政府が神がいる社会を作ろうとしてもそんなことはできない。今の世界は神がいない世界なのに、今の政府は神である。だから、今の世界では政府は廃[すた]れてなくなってしまうだろう。もちろん、今では釈迦は神ではなくて人間だから、仏教団体も神ではなく人間であり、仏教団体が人間に命令することはできない。
今は神がいない時代である。今では世界中が神がいない国である。だから、政府も暴力団も宗教団体も神ではなく人間である。今では政府や暴力団や宗教団体は国民に命令して国民から強制的にお金を取ることはできない。今の宗教団体が“弱い者のために善[い]いことをやっているイメージ”で国民に宣伝して、自主的に宗教団体にお金を寄付したい国民からお金をもらって儲[もう]けているように、今の日本政府も“国民みんなのために善いことをやっているイメージ”で国民に宣伝して、自主的に政府にお金を寄付したい国民からお金をもらって儲けるようにしなければならない。政府も暴力団も宗教団体も国民の自主的な意思を尊重しなければならない。しかし、今の政府は本当は軍事や国家宗教ばかりやって国民の役に立っていないから、国民は政府の嘘[うそ]の宣伝に騙[だま]されて政府にお金をやってはいけない。[そんなお金があったら、私に寄付しなさい。]
[14152] どうして今の国民は政府に従っているのか? h24.2.10
今は神がいない時代である。今ではみんなが同じ人間である。今では政治機関と国民は平等である。今では国民が政治機関に従おうが従うまいが国民の自由である。国民は政治機関が自分の役に立つと思っているから政治機関に従っているのである。国民は政治機関が自分の役に立たないと思えば政治機関に従わないのである。
今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。[中世の政府も“民主的な宗教団体”で覆いをした武力団体と非民主的な宗教団体の組合だったのである。]
つまり、政府は見かけが人間で、中身は神である。政府は見かけが国民の役に立つだけで、中身は国民の役に立たないのである。
そのため、国民は政府の見かけに騙[だま]されて政府が国民の役に立つ政治機関だと思って政府に従っているのである。国民は政府の“二重構造”を知らないから政府に従っているのである。
政府は本当は国民の役に立たない政治機関なのである。政府は国民の役に立つ民主主義の政治をやらずに、国民の役に立たない軍事や国家宗教ばかりやっている。
政府は国民を馬鹿にしている。だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。
[14153] どうして今の国民は政府に従っているか?☆ h24.2.10
1)国民が政府に従わねばならないと思っている。…しかし、それはまちがいである。今では国民と政府は平等だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民は自分の役に立つと思う政治機関に従えばよく、自分の役に立たないと思う政治機関に従わなくていいのである。
2)国民が政府を民主主義の政治機関だと思っている。…しかし、それもまちがいである。今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。政府は民主主義の政治機関で国民の役に立つことをしているふりをして、実際には中の武力団体や宗教団体が国民の役に立たない軍事や国家宗教ばかりやっている。
1、2より国民は今の政府に従わなくてもかまわない。
つまり、今の国民は社会科の勉強が不足しているから、政府に従っているのである。今の国民は政府と国民の関係や政府自体について誤解しているから政府に従っているのである。今の国民はテレビやマンガばかり見て政府のことを知らないから政府に従っているのである。
[14154] 現代では神がいる文化は廃[すた]れている。 h24.2.11
ヨーロッパは神がいる文化である。
近代になって日本がヨーロッパ文明を取り入れるときに、いっしょにヨーロッパの神がいる文化も日本に入ってきた。
だから、近代の日本は神がいる文化だったのである。
神がいる文化では、神が人間を支配した。武力団体と宗教団体の組合である政府が神だと考えられていた。国民は政府が神だという理由で政府に従っていたのである。
しかし、戦後の現代は世界的に神がいない時代になった。世界中の国が神がいない文化になった。
だから、現代の日本は神がいない文化なのである。現代の日本では神がいる文化はすでに廃[すた]れてしまったのである。
神がいない文化では、武力団体と宗教団体の組合である政府は国民の役に立たない政治機関であるにすぎず、国民は政府が国民の役に立たない政治機関であるという理由で政府に従わなくなったのである。つまり、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。
神がいない文化では、国民と政治機関は平等だから、国民は民主主義の政治機関に従う。国民は民主主義の政治機関が国民の役に立つという理由で民主主義の政治機関に従うのである。だから、国民は政府を放[ほう]っておいて、早く国民の役に立つ民主主義の政治機関を建てねばならない。
つまり、戦前と戦後では文化が変わったから、政治機関が変わったのである。戦前は神がいる文化だったので神(政府のこと)が政治機関だったが、戦後は神がいない文化になったので民主主義の政治機関が政治機関になったのである。
[14155] 今は神がいない文化である。☆ h24.2.11
昔は神がいる文化だった。神がいる文化では、人間は神に従わねばならなかった。だから、人間である国民は神である政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかった。
反対に、今は神がいない文化である。神がいない文化では、人間が神に従わなくてもかまわない。つまり、国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくてもかまわない。神がいない文化では、みんなが平等だから、国民が国民の役に立つことをする民主主義の政治機関に従えばいい。
だから、今では国民は政府や宗教団体や暴力団に従うのをやめて、民主主義の政治機関を建てて民主主義の政治機関に従えばいい。
[14156] 幕府は日本の神である。 h24.2.11
昔はどこの国にも神がいた。ヨーロッパにも神がいたし、日本にも神がいた。神とは人間よりも上の者のことである。
ヨーロッパの神は非民主的な人間よりも上の者だった。ヨーロッパの神は馬鹿な武力団体や宗教団体の組合だった。ヨーロッパの神は国民の役に立つことをせず、ひたすら国民を虐待[ぎゃくたい]した。
日本の神は比較的民主的な人間よりも上の者だった。日本の神は知的な武力団体だった。日本の神はおもに国民の役に立つことをしたが、たまには国民の虐待もした。
政府はヨーロッパの神で、幕府は日本の神だった。
日本は古代にヨーロッパの文明を取り入れたときにいっしょに政府も取り入れた。しばらく日本は政府でやっていた。
しかし、その後政府は日本の文化に馴染[なじ]めず中世後期に滅びた。
中世後期には政府に代わって幕府が出来た。幕府は日本人(つまり徳川家康)が作った日本の文化に合った政治機関だった。
その後近代になってヨーロッパの文明を取り入れたときにまた政府も取り入れた。幕府は滅んだ。またしばらく日本は政府でやっていた。
しかし、現代になって世界中の神が滅んだ。今ではどこの国にも神がいない。
政府はヨーロッパの神である。だから、今では世界中の国で政府が滅んでいるのである。
今は神がいない時代である。だから、今では国の政治機関には民主主義の政治機関がふさわしいのだ。
政治機関は国の文化で決まる。今の日本の文化には神がいない。だから、今の日本の政治機関は民主主義の政治機関でなければならない。あるいは、政治機関がなくてもいいかもしれない。
科学文明が道具であるように、政治機関も道具である。だから、外国から取り入れた科学文明が国の文化に合わないときには科学文明を捨てたり入れ替えたりするように、外国から取り入れた政治機関が国の文化に合わないときには政治機関を捨てたり入れ替えたりしなければならない。今の日本政府は今の日本の文化に合っていない。今の日本政府は昔のヨーロッパの文化に合っていただけである。政府は昔日本の文化に合っていなくて捨てられたことがあるから、今でもまた捨てられるはずだ。だから、今の日本では、今の日本の文化に合っていない日本政府を滅ぼして、今の日本の文化によく合った政治機関を作らねばならない。例えば、今の日本には神がいないから、民主主義の政治機関を作らねばならない。昔は神がいたから神みたいな者が政治機関をやらねばならなかった。今は神がいないから人間みたいな者が政治機関をやらねばならないのだ。
これまで日本はヨーロッパの文化を無分別[むふんべつ]に取り入れすぎた。今度から日本はヨーロッパの文化をよく吟味[ぎんみ]して取捨選択してから取り入れねばならない。
[14157] 政治機関は国の文化に合っていなければならない。 h24.2.11
しょせん政治機関は道具である。国民に使われるものである。
だから、政治機関は国の文化に合っていなければならない。国の文化に合っていない政治機関は滅びる。
昔は世界中の国が神がいる文化だった。だから、昔は神が政治機関をやっていた。つまり、昔の政治機関は国民よりも上の者の国民の役に立たない武力団体や宗教団体の組合だった。
今では世界中の国が神がいない文化である。だから、今は人間が政治機関をやらねばならない。つまり、今の政治機関は国民と平等な国民の役に立つ民主主義の政治機関でなければならない。
今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。今の政府は民主主義の政治機関ではない。だから、今の政府は今の国の文化に合っていない。だから、今の政府は滅ばねばならない。
[14158] 今の国民は政府に従ってはならない。☆ h24.2.11
今は神がいない時代である。
今では神がいない。今では人間しかない。今ではみんなが平等である。
だから、政治機関と国民は平等である。
だから、国民は自分に役に立つ政治機関には従うが、自分の役に立たない政治機関には従わない。
ところが、今の政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。
今の政府の正体は武力団体と宗教団体の組合である。政府の民主主義の政治機関は形だけで中身のないハリボテにすぎない。
今の政府は国民の役に立つ民主主義をほとんどやらずに、国民の役に立たない軍事や国家宗教ばかりやっている。
今の政府は国民の役には立たない。だから、国民は今の政府には従わない。今の政府に報酬(税金のこと)をやらない。
将来、純粋な民主主義の政治機関が出来るまでは、国民は政治機関に従わない。
[14159] 日本人は政府が嫌いである。 h24.2.11
日本は大々的[だいだいてき]にヨーロッパの科学文明を取り入れたとき、いっしょにヨーロッパの政治機関(政府)も取り入れた。
ヨーロッパの科学文明は国民の役に立って国民を幸福にする。
しかし、ヨーロッパの政治機関(政府)は国民の役に立たず国民を不幸にする。[日本政府自身は自分の仕事だと思ってヨーロッパの政府を真似[まね]て国民を嫌がらせているだけであって、日本政府自身にとっても国民を虐[いじ]めることが楽しいわけではない。]
そのため、中世の国民はヨーロッパの科学文明だけを拾[ひろ]って、ヨーロッパの政治機関(政府)を捨[す]てたのである。
外国の文明を取り入れるとき、国民がわざわざ自分を不幸にする物まで取り入れる必要はない。国民が自分を不幸にする物を我慢してまで使う必要はない。だから、国民にとって政府が自分を不幸にするなら政府を捨てればいいのである。中世の日本では国民がしばらく政府を使ってみて様子[ようす]を見て、『政府が国民を不幸にするだけで国民の役に立たない』と判断して政府を捨てたのである。
今の日本政府も中世の日本政府と同じように軍事や国家宗教ばかりやって国民を不幸にするだけで国民の役に立たない。ヨーロッパ人はエロ・グロ・ナンセンスが好きだから、政府で喜んでいるのである。日本人はエロ・グロ・ナンセンスが嫌いだから、政府が嫌なのである。
だから、今の国民が日本政府を捨てればいいのである。そうすれば、国民は幸福になる。
[14160] 西洋の科学文明、東洋の政治機関☆ h24.2.11
ヨーロッパは科学文明は優[すぐ]れているが、政治機関は劣っている。
それは、ヨーロッパでは神がいたために、政治機関が武力団体と宗教団体の組合になってしまったからである。ヨーロッパでは政治機関が自分を神だと思って国民を虐待[ぎゃくたい]していたのである。ヨーロッパでは政治機関が国民の役に立たない軍事や国家宗教ばかりやって国民の税金を無駄遣[むだづか]いしていたのである。ヨーロッパでは政治機関が国を衰退させていたのである。
一方、日本では科学文明は劣っているが、政治機関は優れている。
それは、日本では神がいなかったために、政治機関が合理的な民主主義の政治機関だったからである。日本では政治機関が自分が国民と平等だと思って国民の役に立つことをしていたのである。国民の税金を有効利用していたのである。日本では政治機関が国を発展させていたのである。
国の文明には一長一短がある。
日本はヨーロッパの文明のすべてを取り入れればいいわけではない。
日本はヨーロッパの科学文明だけを取り入れて、政治機関は取り入れないほうがいい。
今の日本政府は国のために滅ぶべきである。
[14161] 政府はいい政治機関ではない。 h24.2.11
日本は古代に大々的[だいだいてき]にヨーロッパの科学文明を取り入れたときに、いっしょにヨーロッパの政治機関(政府)も取り入れた。
ヨーロッパの科学文明は日本の国民にとって非常に役に立った。
ところが、政府は見かけが民主的で国民にいいと思わせるだけで、中身は武力団体と宗教団体の組合だったので、政府は軍事や国家宗教をやって国民を嫌がらせるだけで、まったく国民の役に立たなかった。[神は眼で見えない者なので、政府の武力団体と宗教団体は必ず国民の眼で見えないように民主的な政治機関の奥に隠れているのである。つまり、政府の民主的な政治機関は神を眼で見えないようにするために必要な衝立[ついたて]なのである。ヨーロッパの神は人間よりも上というだけで道徳がなくて性格が悪いので国民の役に立たないのである。]
そこで、中世後期になると、日本人は政府の代わりに自分たちで独自の政治機関を作った。それが幕府である。幕府は民主的なので国民の役に立つことをした。日本人にとっては自分が政府のような国民の役に立たない政治機関に従うことが納得できなかったので、国民の役に立つ幕府を作ったのである。幕府が日本の政治機関である時代には日本は大いに発展した。[徳川幕府の徳川とは、“道徳”があって“低い”という意味である。川は低いところを流れるので川は低いという意味なのである。他[ほか]の幕府を作った平清盛や足利尊氏も平や足など苗字[みょうじ]に低いという意味が入っている。]
ところが、近代になって日本が再びヨーロッパの科学文明を大々的に取り入れたとき、またいっしょにヨーロッパの政治機関(政府)を取り入れて、せっかく日本人が自分で作った幕府を捨ててしまった。今の政府は中世の政府と同じようにまた国民の役に立たないことをやっている。
政府は国民にとって役に立たない政治機関である。政府は国を衰退させる政治機関である。国民はわざわざ役に立たない政治機関を置いておく必要はない。だから、国民は早く政府を倒して、もっと国民の役に立つ政治機関を建てねばならない。
昔のヨーロッパ人はまちがって神がいると思っていた。昔のヨーロッパ人は知覚主義(いわゆる利口ぶり馬鹿)だったので知覚で見える物が実際にもあると考えていたのである。昔のヨーロッパ人は知覚で神を作り出して、神がいると信じていたのである。[一方、日本人は五感主義なので、五感では神が見えないので、日本人は神がいないと信じていたのである。]政府は昔のヨーロッパ人がまちがって神がいると思っていたために出来た“自分を神だと思っている政治機関”である。政府は自分が神だと思っているので人間である国民を虐待[ぎゃくたい]するだけで国民の役に立つことをしないのである。政府はヨーロッパのまちがった世界観が生み出したまちがった政治機関である。ところが、今のヨーロッパ人は神がいないと考えている。科学が出来たために今のヨーロッパ人は五感主義になったからである。今のヨーロッパ人はこれまでの政府をやめて、もっと国民の役に立つ民主的な政治機関を作っている。[近代における植民地や世界大戦で、ヨーロッパの国民は『このまま政府を置いておくと国が大赤字になる』ことがわかったので、国民は急いで神がいないことにして政府を潰[つぶ]しにかかったのである。]だから、日本でも政府をやめて、民主的な政治機関を作らなければならない。将来ヨーロッパで国民の役に立ついい政治機関が出来た頃[ころ]に、日本はヨーロッパの文明をもう一度大々的に取り入れて、いっしょにヨーロッパのいい政治機関を取り入れて、政府を捨てねばならない。
[14162] 政治機関は神ではない。☆☆ h24.2.11
政治機関はもともと“国民に命令を売る会社”だった。政治機関は命令を作って国民に命令を出して国民の役に立って国民からお金をもらって儲[もう]ける会社だった。
ところが、国民は命令を出す者を国民よりも上だと思った。
そこで、政治機関と人間よりも上の者である神のイメージが重なって、いつしか政治機関は神になったのである。
ヨーロッパの神は人間よりも上の者だから道徳がなくて性格が悪いので、ヨーロッパの政治機関である政府は国民を虐待[ぎゃくたい]するだけで国民の役に立たないのである。
日本の神は人間の中の上の者であって人間と同じ道徳があって性格がいいので、日本の政治機関である幕府は国民のためになることをして国民の役に立つのである。もっとも幕府も神だから、たまには国民を虐[いじ]めることがあったかもしれないが。
そもそも国民が政治機関を国民よりも上の者だと思うのは、国民の錯覚である。そもそも政治機関と神とは別物であって関係ないのである。たとえこの世に神がいたとしても、政治機関と神は別物だから、政治機関は国民よりも上の者ではない。政治機関は人間がやっている会社であって、けっして神ではない。
だから、国民は政治機関をもとの“国民に命令を売る会社”だと思って、政治機関を国民と平等だと思って、国民の役に立つ命令を出す政治機関から命令を買って、国民の役に立たない命令を出す政治機関から命令を買ってはいけない。例えば、今の日本政府は国民の役に立たない命令を売る会社だから、国民は日本政府から命令を買ってはいけない。今の日本には日本政府以外に国民に命令を売る会社はない。だから、今の国民は他人に甘えずに自分で考えて事業をしなければならない。
もっとも、世の中には“他人に命令を出すのが得意な人”もいるから、命令を売る会社をやっていけないことはない。他人に命令を出すのが得意な人は、自分でがんばって命令を売る会社を建てて国民に命令を売ってお金儲けをすればいい。世の中には“他人に命令されないと動かない面倒くさがり屋の人”や“他人の責任にしたがる人”がいるから、命令を売る会社が儲からないことはないだろう。
[14163] 福祉会社 h24.2.11
今の政府は福祉事業もやっている。
しかし、その実体は、政府が福祉を理由に国民からお金を取って、国民からもらったお金の大半を自分たちの遊び代や宴会代[えんかいだい]にしているだけである。障害者にはスズメの涙ほどのお金が出るだけである。
政府に任[まか]せていてはいけない。政府の代[か]わりに国民で福祉会社を建てればいい。
福祉会社にお金を多くやった人はテレビコマーシャルや新聞に顔と名前が出れるようにすればいい。そうすれば、みんなが自分の宣伝のために福祉会社にお金をやるだろう。
[14164] 政府は神様ごっこをして遊ぶ会社である。 h24.2.11
今の政府は自分たちだけで神をやっている会社である。今の政府は神様ごっこをして遊んでいる会社である。政府は自分が神だと思って、人間である国民を遊び半分に国家宗教で(つまり、国家宗教の神の情報が入ったことをやって)虐[いじ]めたり、自分の力を誇示[こじ]するために国民に国家宗教をやらせたりして(つまり、国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組を作らせたりして)喜んでいる。
しかし、国民にとってはそんなことはどうでもいい。政府が神であろうがなかろうがそんなことはどうでもいい。
国民にとっては、政府が国民に役に立つか立たないかだけが大事である。国民にとっては、政府が国民の役に立つか立たないかがすべてである。
ところが、今の政府は国民の役に立たないことばかりやっている。政府は自分が神だと思い上って、国民の役に立たないことばかりやっている。
だから、今の国民は政府が要らない。今の国民は政府に従わない。
今の国民は政府を見捨てて、自分たちで民主主義の政治機関を建てねばならない。
政府は政治機関ではない。政府は国民に命令を出す会社ではない。政府は神様ごっこをする会社である。[政府ははじめの頃は国民に命令を出す会社だったが、政府が神のイメージと重なってからは、神様ごっこをやる会社に変わってしまったのである。]国民は政府の神様ごっこに付き合ってやる必要はない。国民にとって必要なのは、国民の役に立つ命令を出す会社である。だから、国民にとって政府は要らない。国民は政府に従わない。国民は政府にお金をやらない。政府は政府の神様ごっこが好きな国民からお金をもらって暮らせばいい。
[14165] 今の国民が政府に従う理由 h24.2.12
今は神がいない時代である。
もっとも、神がいようがいまいがどうでもいい。
人間はあくまでも人間であって、神ではないからである。
とにかく、今ではみんなが平等だと考えられている。
だから、今では国民と政治機関が平等である。国民が政治機関に従おうが従うまいが国民の自由である。
だから、今の国民が政府に従っているのは、国民が「政府が国民の役に立つ民主主義の政治機関だ」と思っているからである。それ以外に理由はない。
しかし、実際には、政府は民主主義の政治機関ではない。政府は民主主義の政治機関で覆[おお]いをした武力団体と宗教団体の組合である。政府は国民の役に立つ民主主義の政治をほとんどせずに、国民の役に立たない軍事や国家宗教ばかりやっている。
だから、今の国民が政府に従う理由はない。だから、国民は政府に従わなければいい。
国民はもっといい政治機関が出来てから、政治機関に従えばいい。
[14166] 戦前の政府と戦後の政府の違い☆ h24.2.12
戦前の政府と戦後の政府は覆[おお]いが違うだけである。中身の武力団体と宗教団体の組合は同じである。
政府は戦前と戦後で覆いを入れ替えただけである。
政府は覆いを入れ替えることによって時代の変化に対応しているのである。
政府の中身は昔から変わらない。政府が裏でやっていること(つまり軍事や国家宗教)は昔も今も変わらない。
神は不老不死で時代によって変らないから、政府は中身を入れ替えないのである。
[14167] 心☆ h24.2.12
日本は心主義の国である。
インドは知覚主義の国である。ヨーロッパは五感主義の国である。[ヨーロッパ人は自分自身では知覚主義のつもりかもしれないが、他人[たにん]から見ると五感主義である。]
日本は心主義の国だから、日本人はみんな快楽主義者である。つまり、日本人は自分の幸福のために生きている。
しかし、快楽主義者はいづれ実在を見失って自分で自分の身体や心を傷[いた]めて不幸になる。
つまり、快楽主義では幸福にはなれない。快楽主義ではかえって不幸になる。
人間は真理主義でなければ幸福にはなれない。人間はつねに実在を見て、実在の中で自分の心を満足すればいい。
だから、昔から日本人にはインドが人気があるのである。仏教が人気があるのである。
ヨーロッパは科学文明は優れているが、日本人は五感主義が嫌いなので、日本人は哲学的にはヨーロッパ人を軽蔑[けいべつ]している。
[14168] どうして幕府はヨーロッパ文明を受け入れなかったか? h24.2.12
幕府は日本人がインド政府を真似[まね]って作った政治機関である。インドは知覚主義の国であり、インドは日本人に人気があったから、日本人はインド政府を真似て日本の政治機関を作ったのである。
ところが、インドは反ヨーロッパ的な国である。
だから、幕府はヨーロッパ文明を受け入れられなかったのである。幕府はヨーロッパ文明を受け入れようとしなかったのである。
だから、日本人がヨーロッパ文明を取り入れるためには、政治機関ごと取り入れねばならなかったのである。
もっとも、今のインド政府はヨーロッパ文明を受け入れている。だから、今なら幕府もヨーロッパ文明を受け入れただろう。
そもそも政治機関は国民が自分の心を満足させるために作ったものである。政治機関はもともと“国民に命令を売る会社”なので、政治機関は国民の心を満足させる命令を出さねばならないからである。
ヨーロッパ人は五感主義なので、ヨーロッパ人はエロ・グロ・ナンセンスが好きだから、ヨーロッパの政治機関は国民にエロ・グロ・ナンセンスな命令を出す武力団体と宗教団体の組合になったのである。つまり、ヨーロッパ人はなんだかんだ言ってもヨーロッパの政治機関に満足しているのである。ヨーロッパ人にとっては“日本人にとっては国民を虐待[ぎゃくたい]しているようにしか見えないヨーロッパの政府”が自分たちを幸福にする機関なのである。[古代から近代までの約2000年もの間ヨーロッパの政治機関の性格が変わっていないということは、ヨーロッパ人がヨーロッパの政治機関に満足しているということである。つまり、ヨーロッパ人は政府に軍事や国家宗教で嫌がらされたり殺されたり、政府が軍事や国家宗教のために国民のお金を無駄遣[むだづか]いするのが好きなのである。]日本人とヨーロッパ人では感性が大きく違っている。日本人の心とヨーロッパ人の心は違う。だから、日本でヨーロッパの政治をやってもしかたがない。日本ではヨーロッパの政治をやらないほうがいい。[日本でヨーロッパの政治をやることは、日本人にヨーロッパの料理を出すようなものだ。]
一方、日本人は心主義である。日本人は自分が幸福になるために生きている。人間が幸福に生きていくためには、知覚主義でなければならない。[[14104]を参照。]つまり、日本人は知覚主義である。だから、日本人にとってはインドの政治機関がふさわしいのである。人間が幸福に生きていくためには、物質文明も便利である。だから、日本人は、物質的にはヨーロッパの科学文明を取り入れて、精神的にはインドの政治機関を取り入れればよかったのである。ヨーロッパの科学文明とインドの政治機関は矛盾しない。知覚主義に矛盾しない程度に科学文明を取り入れればいい。だから、日本人はヨーロッパの科学文明とインドの政治機関を取り入れればよかったのである。最近のインド政府はヨーロッパの科学文明を取り入れているから、日本人は最近のインド政府を真似て政治機関を作ればいいのである。
正直に言って、日本人にとってはヨーロッパの政治機関(つまり政府)は面白くない。だから、日本人はヨーロッパの科学文明を取り入れるだけにして、政治機関は“知覚主義の政治機関”を建てねばならない。
[14169] ヨーロッパ人と日本人の感性は違う。☆ h24.2.12
ヨーロッパ人と日本人では感性が違う。
政府はヨーロッパの政治機関である。
だから、政府はヨーロッパ人の心を満足させるが、日本人の心を満足しない。
ヨーロッパ人は政府に満足しているが、日本人は政府に満足しない。
だから、日本では政府では駄目[だめ]である。
日本では日本人に合った政治機関がなければならない。
日本人は心主義である。つまり、日本人は自分が幸福になるために生きている。ところが、人間が幸福になるためには実在に従わねばならない。人間が幸福になるためには、実在の中で自分の心を満足しなければならない。[[14104]を参照。]つまり、心主義は実在主義である。だから、日本には“実在主義の政治機関”がなければならない。したがって、例えば、日本には実在逃避[とうひ]のマンガや小説があってはならない。日本には人間が実在について考えることを妨[さまた]げる酒やタバコがあってはならない。
[14170] ヨーロッパ人はかわいそうである。☆ h24.2.12
ヨーロッパ人は政府に軍事や国家宗教で嫌がらされたり殺されたり、政府が軍事や国家宗教のために国民のお金を無駄遣[むだづか]いするのが好きなのである。
ヨーロッパ人は行きすぎた五感主義(物質主義)のために心がおかしくなっているのである。
ヨーロッパ人はかわいそうな連中[れんちゅう]である。
キリストがローマ人のことを「物のことしかわからない人の心のない冷血人種だ」と言って哀[あわ]れんでいたのと同じことである。ヨーロッパ人は今でも冷血人種のままである。だから、キリスト教は結局ヨーロッパ人に対しては何の効果もなかったのである。
日本人はヨーロッパ人のような惨[みじ]めな人間になってはいけない。
[14171] 日本政府は滅びるしかない。 h24.2.13
日本政府が今の日本の政治機関なのは、明治時代の文明開化のときに日本人がヨーロッパの文明といっしょにヨーロッパの政治機関を取り入れたからである。
日本人が日本政府を取り入れてしまったことは事実だからしかたがない。
しかし、一度取り入れられた物が永遠に残るとは限らない。
一度取り入れられた物が途中で捨てられることもある。
日本人の役に立たない物、日本人を幸福にしない物は捨てられるのである。
日本政府は国民を虐待[ぎゃくたい]するだけである。日本人は政府に虐待されるのが嫌いである。だから、日本政府は日本人を幸福にしない。日本人の役に立たない。
だから、日本政府は日本人に捨てられて滅びるしかない。
反対に、ヨーロッパ人は政府に虐待されるのが好きである。ヨーロッパ人は“お人形”なので、他人の言いなりになって他人に虐待されるのが好きなのである。だから、ヨーロッパ政府はヨーロッパ人を幸福にしてヨーロッパ人の役に立つので、ヨーロッパ政府はヨーロッパ人に拾[ひろ]われて残りつづけるのである。
[14172] 人種が違えば政治機関も違う。☆ h24.2.13
政治機関は国民に命令を売る会社である。政治機関は国民の心を満足させる命令を出す会社である。
ヨーロッパには、ヨーロッパ人の心を満足させる命令を出す政治機関がある。
日本には、日本人の心を満足させる命令を出す政治機関がある。
ヨーロッパ人は五感主義で、神が好きである。だから、ヨーロッパの政治機関は国民に国民の五感欲(五感に従う心、つまり見る喜びや、聞く喜びなど)を満足させて、軍事や国家宗教で国民に国民を虐待する命令を出すのである。[ヨーロッパ人は神が好きだから、政府が武力団体や宗教団体をやることによって神になってやっているのである。神は人間よりも上の者だから、政府が国民を軍事や国家宗教で虐待してやるのである。そうすると、ヨーロッパ人は喜ぶのである。]
一方、日本人は実在主義で、神が嫌いである。だから、日本の政治機関は国民に国民の実在欲(実在に従う心、つまり実在の中で満足される心)を満足させて、軍事や国家宗教をやらずに国民を虐待する命令を出さないのである。
ヨーロッパ人と日本人では人種が違う。人種が違えば心が違う。心が違えば政治機関も違う。だから、ヨーロッパにはヨーロッパの政治機関があり、日本には日本の政治機関がなければならないのである。
ところが、日本政府は日本の政治機関ではなくヨーロッパの政治機関である。明治時代の文明開化のときに、日本人はヨーロッパの科学文明といっしょにヨーロッパの政治機関を輸入してしまったので、ヨーロッパの政治機関が日本の政治機関になってしまったのである。[当時は江戸幕府が日本を発展させていたので、当時の日本人はヨーロッパでも当然政府が国を発展させているものだと考えたので、政府を輸入したのである。しかし、実際には、ヨーロッパの政府は専[もっぱ]ら神として軍事や国家宗教をやるだけで、国の発展は国民任[まか]せだったのである。[14168]を参照。つまり、幕府がインド思想のためにヨーロッパの文明をどうしても取り入れようとしなかったから、日本人はしかたがなくヨーロッパの政治機関を輸入したのである。幕府が天皇を京都に囲っていたのは、当時はまだ天皇が神だと思う国民がそこそこいたので、幕府が天皇を自分の権力作りのために利用したからである。幕府は表では国家宗教をやらなかったが、裏ではちょっと国家宗教をやっていたのである。]だから、日本人は早く日本人の心を満足しない日本政府を倒して、日本人の心を満足する日本の政治機関を建てねばならない。日本人が日本政府を倒すためには、日本人がただたんに日本政府に従わなければいいのである。つまり、日本政府の命令を聞かなければいいのである。日本政府に命令代(税金)を払わなければいいのである。日本政府は無契約制の会社だから、そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民の自由であり、国民が政府に従えば政府が残り、反対に国民が政府に従わなければ政府が滅びることになっているのである。国民が政府に従えば政府は公務員を増やして規模を拡大するが、反対に国民が政府に従わなければ政府は公務員を削減して規模を縮小する。政府は国民の顔色を見ながら自分が残るか滅ぶかを決めているのである。だから、国民は正直に自分の心を表せばいいのである。[それでも政府の役人が税金を取りに来たら、正当防衛だから政府の役人を凶器で殴[なぐ]って殺してやればいい。]
人間はまちがいを犯すものである。だから、まちがいを直すことが必要である。日本人は文明開化のときにまちがってヨーロッパの政治機関を輸入した。だから、まちがいを直さなければならない。ヨーロッパの政治機関から日本の政治機関に変えなければならない。
政治機関は国民の心を満足することをやる会社である。だから、そもそも政治機関と国民は平等である。たまたまヨーロッパ人が神が好きだったから、政府(ヨーロッパの政治機関)が神(国民よりも上の者)をやっていただけである。神は人間よりも上の者だから、政府が神として人間である国民を虐待していただけである。政治機関に従うか従わないかは国民個人の自由である。たまたまヨーロッパ人みんなが神が好きだったから、ヨーロッパ人みんなが政府にお金を払って政府の命令を聞いていただけである。だから、日本の政治機関は日本人みんなの心を満足することをしなければならない。国民は政治機関が自分の気に入ったことをする場合にだけ政治機関にお金を払って命令を聞けばよく、政治機関が自分の気に入らないことをする場合には政治機関にお金を払わず命令を聞かなくてもいいのである。例えば、今の日本政府はヨーロッパの政治機関であって日本の政治機関ではないので、日本人の心を満足しないことをやっている。だから、日本人みんなが日本政府にお金を払わず日本政府の命令を聞かなければいいのである。日本に“日本人の心を満足する政治機関”が出来てから日本人は政治機関にお金を払って命令を聞けばいいのである。
[14173] 政治機関とは何か? h24.2.13
国民が喜ぶことをする会社である。
ヨーロッパでは国民が神が好きだから、政治機関が神をやっているのである。政治機関が神をやって国民を嫌がらせて国民を喜ばせているのである。
一方、日本では国民が神が嫌いだから、政治機関は神をやってはいけない。政治機関は神をやって国民を嫌がらせて国民を喜ばせてはいけない。日本の政治機関は“日本人が喜ぶこと”をやって国民を喜ばさないといけない。
ヨーロッパ人と日本人では心が違う。だから、日本でヨーロッパの政治機関(政府のこと)を用いてはならない。日本の政治機関は日本人が喜ぶことをやらないといけない。
政治機関が国民の喜ぶことをしなければならないのは、政治機関と国民が平等だからである。
政治機関と国民は平等だから、国民は政治機関が自分の喜ぶことをする場合にだけ政治機関にお金をやって命令を聞けばいいのである。国民は政治機関が自分の喜ぶことをしない場合には政治機関にお金をやらず政治機関を無視してもいいのである。だから、政治機関は国民みんなが喜ぶことをしないといけないのである。政治機関は国民みんなが喜ぶことだけをやればいいのである。そうすれば、政治機関は国民みんなからお金をもらえるのである。
[14174] どうして政府は国民よりも上の者なのか?☆ h24.2.13
政治機関は国民を幸福にする会社である。
ヨーロッパ人は神が好きである。
だから、ヨーロッパの政治機関(つまり政府)は国民を幸福にするために神をやっているのである。政府は自分が神になるために、武力団体と宗教団体の組合をやっているのである。
神は人間よりも上の者だから、政府は国民よりも上の者なのである。つまり、政府は国民よりも上の者らしくして国民を動物のように虐待したり、自分の力を誇示[こじ]するために大きな軍事や宗教の施設を建てたりするのである。ヨーロッパ人は神が好きだから、政府が神みたいなことをしているのを見て喜んでいるのである。例えば、イギリス人はタイタニック号沈没事件で喜んでいるのである。アメリカ人はアメリカ同時多発テロ事件で喜んでいるのである。
そういうわけで、政府(ヨーロッパの政治機関)は国民よりも上の者になったのである。
しかし、日本人は神が嫌いである。なぜなら、日本人にとっての幸福とは『実在の中で自分の心を満足させること』であり、実在の世界には神がいないからである。
だから、日本の政治機関は国民を幸福にするために神をやってはいけない。
日本の政治機関は国民が幸福になることをして、国民が不幸になることをしてはいけない。『人間は実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる』【幸福の法則】から、日本の政治機関は国民に実在のことを勉強させたり、国民の実在に従う心を満足させることをすればいいのである。反対に、日本の政治機関は国民の実在逃避[とうひ]の心を満足させることをやってはいけない。例えば、国民にマンガや小説を読ませてはいけない。酒を飲ませてはいけない。[平成24年2月17日追加)マンガや小説や酒などは政治機関ではなく、民間会社がやればいい。]
神は実在しないから、日本の政治機関はけっして神をやってはいけないのである。日本の政治機関は神ではないから、国民よりも上の者ではないのである。日本の政治機関は国民と平等な、国民を喜ばせる会社なのである。ヨーロッパの政治機関(政府)は国民よりも上の者(神)だから国民から税金を取ったり国民に強制的に命令したりできるが、日本の政治機関は国民と平等だから国民と契約を取って国民の喜ぶことをしなければいけないのである。
最近はヨーロッパでも神がいなくなっている。だから、最近はヨーロッパの政治機関は神をやらなくなっている。最近はヨーロッパの政治機関は民主主義の政治に徹[てっ]している。もっとも、外人の心と日本人の心は違うから、日本人にとっては外国の政治機関が何をしようが勝手だが。
[14175] どうして今の日本の政治機関が政府なのか?☆ h24.2.13
政府はヨーロッパの政治機関である。
今の日本の政治機関は政府だから、今の日本の政治機関はヨーロッパの政治機関である。今の日本政府はヨーロッパの政治機関の真似[まね]である。
今の日本の政治機関が政府なのは、江戸幕府がインドの政治機関の真似[まね]だったからである。当時のインドはヨーロッパ文明を嫌う国だったので、江戸幕府はヨーロッパ文明を取り入れようとしなかったので、日本がヨーロッパ文明を取り入れるために、日本の政治機関を幕府から政府に変えねばならなかったのである。
しかし、そのために、今の日本では政府が神の真似事[まねごと]をやって国民を虐待[ぎゃくたい]して国民を不幸にしている。
これまで日本人は外国の真似[まね]だったから、日本人は幸福になれなかったのである。日本人が幸福になれなかったのは、日本人が外国の真似しかしなかったからである。だから、日本人は外国の真似をやってはいけない。日本人は自分で考えて物事をしないといけない。
日本の政治機関が政府や幕府であってはいけない。日本の政治機関は外国の政治機関の真似であってはいけない。日本の政治機関は日本人が自分で考えて作らなければならない。
[14176] 政治機関は要らない?☆☆ h24.2.13
そもそも政治機関は国民を幸福にすることをする会社である。だから、政治機関は普通の会社と変わらない。
政治機関は国民みんなを幸福にする会社だが、最近は国民がわがままになって幸福観が個人によって違うから政治機関はすることがない。
あえて言えば、法律は国民みんなが守らなければならないから、政治機関は警察をやればいい。法律の違反者の取り締[し]まりだけをやればいい。警察以外のことは政治機関がやらなくていい。警察以外のことは全部国民が自分でやる。もっとも、人間は水を飲まねば生きていけないし、生活するとどうしてもゴミが出るから、政治機関は水道やゴミの収集もやれる。政治機関は国民みんながやることを仕事にできる。だから、政治機関にもかなり仕事がある。だから、政治機関は経営できる。
つまり、政治機関は国民みんなを幸福にすることをすればいい。例えば、警察や水道やゴミの収集や学校などをすればいい。
反対に、政治機関は国民を不幸にすることをやってはいけない。例えば、日本人は神が嫌いだから、日本の政治機関は神をやってはいけない。日本の政治機関は軍事や国家宗教で国民を虐待してはいけない。日本の政治機関は自分の力を誇示[こじ]するために軍事や国家宗教で余計な物を作ってはいけない。
政治機関は国民みんなを幸福にすることをやる会社である。実際に、国民みんなが幸福になることがあるから、政治機関にも仕事がある。反対に、一部の国民を幸福にすることは民間企業がやればいいのである。例えば、電気会社やガス会社が民間企業なのは、国民の中には電気やガスを使わない人がいるからである。政治機関は税金制で経営しているが、国民に特に不満がなければそれでもいい。
もっとも、日本人の中にも神が好きな者もいる。しかし、それは日本人の一部である。だから、日本では民間企業が軍事や宗教をやればいいのである。日本の政治機関が軍事や宗教をやってはいけない。実際に、日本では暴力団や宗教団体が軍事(闘争)や宗教をやって、国民の一部の者を喜ばせて国民の一部の者からお金をもらって経営しているのである。日本の政治機関が軍事や国家宗教をやることはまちがっている。反対に、ヨーロッパでは国民みんなが神が好きだったから、国民みんなが神がどうしても必要だったから、ヨーロッパでは政治機関が神をやっていたのである。日本政府が“水道をやる”ように、ヨーロッパ政府は“神をやっていた”のである。ヨーロッパでは政治機関が神をやっていたから、ヨーロッパでは政治機関が国民よりも上の者だったのである。
[14177] 政治機関と民間企業 h24.2.14
政治機関は、国民みんなを幸福にする会社である。国民みんなが必要なことをする会社である。
国民みんなが必要なことには、例えば、警察や水道やゴミの収集や学校などがある。
だから、政治機関は警察や水道やゴミの収集や学校などをやるのである。そうして、政治機関は国民から仕事の代金として税金をもらっているのである。
特にヨーロッパでは国民みんなが神が必要だから、ヨーロッパの政治機関は神(国民よりも上の者)をやっているのである。ヨーロッパの政治機関には“神をやる機関”があるのである。神をやる機関の実体は武力団体と宗教団体の組合であって、軍事や国家宗教をやって国民を虐待したり、自分の力を誇示[こじ]するために軍事や国家宗教の大きな施設(核ミサイルや教会など)を作ったりしているのである。
一方、日本では国民みんなが神が要るわけではないから、日本の政治機関は神をやらなくてもいいのである。
反対に、民間企業は、国民の一部の者を幸福にする会社である。国民の一部の者が必要なことをする会社である。例えば、日本では神が必要な者は国民の一部だから、民間の暴力団や宗教団体が軍事や宗教をやっているのである。
[14178] 政府は会社ではない。 h24.2.14
今の政府はルール無用で好き勝手なことをやっている。
例えば、日本人のほとんどは神が嫌いなのに、日本政府は軍事や国家宗教をやって国民を虐待している。
だから、政府は会社ではない。
したがって、国民も客ではない。だから、国民は政府にはお金をやらない。
会社が大きいと偉そうになって客の役に立たないことをするようになる。
だから、会社は小さくしなければならない。
政府をバラバラにして別々の民間会社にしなければならない。
[14179] 神の民営化 h24.2.14
政治機関は国民みんなが必要なことをする会社であり、民間企業は国民の一部が必要なことをする会社である。
昔は国民のほとんどにとって鉄道が必要だった。だから、政府は鉄道をやっていた。
しかし、今は国民のほとんどが鉄道が要らなくなった。だから、政府は鉄道をやらなくなった。政府に代[か]わって民間企業が鉄道をやるようになった。
それと同じように、昔は国民のほとんどにとって神が必要だった。だから、政府が神をやっていた。つまり、政府が軍事や国家宗教をやっていた。
しかし、今は国民のほとんどが神が要らなくなっている。だから、政府は神をやるべきではない。政府に代わって民間企業が神をやらねばならない。暴力団が軍事(闘争)を、宗教団体が宗教をやらねばならない。
[14180] 神が必要な人 h24.2.14
神が必要な人は、他人に頼りたがる人である。
ヨーロッパ人はいい子だから、他人に頼りたがる。ヨーロッパ人が格好[かっこう]がいいのも、他人の目に頼りたがるからである。
だから、ヨーロッパ人は神が必要なのである。だから、ヨーロッパの政治機関は神をやっているのである。
反対に、他人に頼るのが嫌な人は、神が要らない。
日本人は他人に頼るのが嫌いである。日本人は自分でやるのが好きである。日本人は他人の目に頼るのが嫌いだから格好が悪いのである。
だから、日本人は神が要らないのである。だから、日本の政治機関は神をやってはいけないのである。
昔は科学がなくて実在のことがわからなくて人間は不安だったから神が必要だった。人間は架空の神に頼ることによって自分の不安を静めていた。キルケゴールも『死に至る病』で「不安は人間を死に至らしめる。だから、神が必要なのだ。」と述べている。[私は『死に至る病』を読んだことがないが。]
今は科学があって実在のことがわかって人間は安心できるようになったから神が要らなくなった。
ヨーロッパ人は神経が細くて敏感[びんかん]で不安が強いので神が必要だったのだ。
日本人は神経が太くて鈍感[どんかん]で不安がないので神が要らなかったのだ。
[14181] 政府も会社である。 h24.2.14
政府は会社である。だから、政府は国民のために役に立たねばならない。とくに政府は政治機関だから、国民みんなのために役に立たねばならない。
ところが、今の政府は国民の役に立っていない。今の政府は国家宗教で国民を虐待している。[政府が国家宗教で国民を虐待することは、神が必要なヨーロッパ人にとっては役に立つが、神が要らない日本人にとっては役に立たない。政府は“国民性の違い”がわかっていない。]
中世の政府は国家宗教ばかりやって国民の役に立たなかった。だから、国民は政府とは別の政治機関である幕府を建てて、政府を倒した。
今の政府も中世の政府と同じように国家宗教ばかりやって国民の役に立っていない。だから、国民は今の政府とは別の政治機関を建てて、政府を倒さねばならない。
今の政府は『国民の役に立つ』という会社としての使命を忘れてしまっている。今の政府は「会社が国民を支配するためにある」と誤解している。今の政府は会社ではない。
今の政府は国民の役には立たない。それなら、国民は政府とは別の政治機関を建てるしかない。政府は国民に何度も同じことをやらせるな!
[14182] 部品の取り替[か]え h24.2.14
今の政府で悪いのは“神をやる機関”だけである。“神をやる機関”が自分を神だと思って国民を虐待している。
機械が故障したとき、機械全部を捨てずに、悪くなった部品だけを入れ替える。
それと同じように、今の政府全部を捨てずに、“神をやる機関”だけを捨てればいい。つまり、今の政府から“神をやる機関”だけを取り除[のぞ]けばいいのである。
そうすれば、政府とは別の政治機関を建てて政府全部を入れ替えるよりも、簡単だ。
[14183] 行政とは何か? h24.2.14
政府の行政とは、政府が水道やゴミの収集や学校などをやることである。
立法と司法以外が行政である。
つまり、政府とは、法律会社(国会と警察)や水道会社やゴミ会社や学校会社などの会社の集合体である。つまり、政府とは国民みんなの役に立つことをする会社の集まりである。行政とは、政府が自分の“持ち会社”を国民の税金で経営することである。[(平成24年3月1日修正)政府は虐待会社だから、そもそも政府は国民の役に立つことをする会社ではない。政府は国民から税金を取って国民に嫌がらせをするだけである。政府は国民の政府に対する反感を和[やわ]らげるために、国民の機嫌[きげん]を取るために、しかたがなく国民の役に立つことをしているのである。行政とは、政府が国民の税金の一部で政府が持っている会社を経営することである。残りの税金はすべて政府の懐[ふところ]へ入るのである。下の図の“神をやる会社”はまちがいである。正しくは“軍事や国家宗教などで国民を虐待[ぎゃくたい]する会社”である。“国民を虐待する会社”が政府の中核である。]
政府の“神をやる会社”は要らないから捨てよう。[政府の神をやる会社は政府の他の会社と平等である。つまり、神をやることは、水を供給したり、ゴミを収集することと同等である。神をやることは政府の仕事のひとつなのである。[14193]を参照。つまり、政府の神をやる会社は仕事で上の者のふりをしているだけで、本当は国民や他の政府の会社と平等なのである。そもそも政府を上の者と考える者は社会科音痴[おんち]である。]
[14184] どうして最近戦争や宗教がなくなったか? h24.2.14
神は人間が作り出した架空の人物である。昔の人にとって神は自分を災難から守ってくれる者だった。神は“お守り”のようなものだった。昔の人にとって神は自分の不安を静めるための精神安定剤だった。
昔は科学がなくて人間が実在のことがわからなかった。人間はわけがわからずに実在の中で生きていかねばならなかったので不安だった。だから、人間は神が必要だった。
しかし、最近科学が出来て人間が実在のことがわかった。人間が実在を支配できるようになって人間が不安でなくなった。だから、人間が神が要らなくなった。
人間が神が要らなくなったので、政府も神をやらなくなった。政府の中にある“神をやる会社”がなくなった。
神をやる会社の実体は武力団体と宗教団体の組合だったので、神をやる会社はこれまで戦争や国家宗教をやっていた。
今では神をやる会社がなくなったので、戦争や国家宗教もなくなったのである。
つまり、今の世界で戦争や国家宗教がなくなったのは、政府の中にある“神をやる会社”がなくなったからである。
[14185] 世界大戦とは何か? h24.2.14
国民が神が要る国(つまり枢軸国)と国民が神が要らない国(つまり連合国)の戦いである。枢軸国は後進国で科学が遅れていたから国民が神が必要だったのである。連合国は先進国で科学が進んでいたから国民が神が要らなかったのである。日本の政治機関はドイツの政治機関を真似[まね]て作ったので、ドイツの政治機関は神をやっていたので、日本政府も神をやる政治機関になってしまったのである。
国民が神が要る国では、政治機関が神をやっていたので政治機関が戦争をやった。
国民が神が要らない国では、政治機関が神をやっていなかったので政治機関が戦争をやらなかった。
国民が神が要る国が国民が神が要らない国に戦争を売ったので、国民が神が要らない国が怒って国民が神が要る国と戦争した。
その結果、国民が神が要る国が国民が神が要らない国に負けたので、国民が神が要らない国の占領軍が国民が神が要る国の国民に神が要らない教育(つまり科学教育)をして国民が神が要る国を国民が神が要らない国にしたのである。
だから、今では世界中の国が国民が神が要らない国になったのである。今では世界中の国の政治機関が神をやらなくなった。今では世界中の国の政治機関から“神をやる機関”がなくなったのである。今では世界中の国の政治機関が軍事や国家宗教をやらなくなったのである。
今の国民は神が要らない。だから、政治機関は神をやる必要がない。だから、政治機関は軍事や国家宗教をやらなくなったのである。
[14186] 政治機関と国民は平等である。☆ h24.2.14
政治機関と国民は平等である。
だから、政治機関は国民の役に立たねばならない。政治機関は国民を幸福にしなければならない。政治機関は国民が必要なことをしなければならない。
ところが、昔のヨーロッパでは国民が神が必要だった。だから、ヨーロッパの政治機関は“神をやる機関”を設[もう]けて神をやった。神をやる機関は武力団体と宗教団体の組合だった。神は人間よりも上の者なので、神をやる機関は軍事や国家宗教で国民を虐待したり、自分の力を誇示[こじ]するために軍事や国家宗教の大きな建物(要塞[ようさい]や教会、今なら核ミサイルや国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組)を建てたりした。ヨーロッパの国民にとってはヨーロッパの政治機関が神をやるのが幸福だった。[人々が恐怖映画を怖[こわ]いと思いながら、心の奥では面白いと思って見ているように、ヨーロッパの国民はヨーロッパの政治機関に虐待されて嫌だと思いながら、心の奥では喜んでいたのである。ヨーロッパの政治機関も国民を幸福にするためだと思って自分の本心を抑[おさ]えながら泣く泣く国民を虐待していたのである。一方、日本人には昔から“虐待欲”がないから、日本政府が神をやるのが嫌だったのである。日本では“虐待欲”のある人間は変態呼ばわりされる。]
政治機関は国民と平等である。ヨーロッパの政治機関の“神をやる機関”は神だから国民よりも上の者だった。神をやる機関は、国民と平等でありながら国民と不平等でもあったのである。つまり、ヨーロッパの政治機関は見かけは国民と不平等だったが、実際には国民と平等だったのである。
日本政府は昔のヨーロッパの政治機関(近代のドイツの政治機関)の真似[まね]である。だから、日本政府にも“神をやる機関”がある。だから、日本政府も見かけは国民よりも上の者だが、実際には国民と平等なのである。
ところが、今では国民のほとんどが神が要らなくなっている。戦後のアメリカ占領軍による科学教育で日本人のほとんどが神が要らなくなったからである。だから、日本の政治機関(日本政府)は神をやめねばならない。“神をやる機関”を廃止しなければならない。“神をやる仕事”を民間企業(暴力団や宗教団体)に任[まか]せねばならない。
『政治機関と国民は平等である。政治機関は国民よりも上の者ではない。』国民は政治機関を誤解してはいけないし、政治機関自身も政治機関を誤解してはいけない。『物は見かけによらぬもの』と言うように、物事の見かけに騙[だま]されて真実を見失ってはいけない。
[14187] “虐待サービス”をする会社☆ h24.2.14
政府は虐待サービスをする会社である。政府の中には虐待サービスをする機関がある。
ヨーロッパ人には虐待欲(他人に虐待されたい欲望)がある。ヨーロッパ人は虐待されるのが好きなので、政府が国民を喜ばせるために国民を虐待しているのである。神なら人間を虐待してもかまわないので、政府の中にわざわざ“神をやる機関”を設[もう]けて、国民が神をやる機関に虐待してもらっているのである。ヨーロッパ人は政府に虐待されて殺された人間をうらやましがっているのである。ヨーロッパ人は幸せすぎて気がおかしくなって他人に虐待されるのが幸せなのである。ニーチェも「ヨーロッパ人には奴隷根性がある」と言っていたように、ヨーロッパ人の正体は奴隷なのである。ヨーロッパ人は見かけは気高いが、正体は卑[いや]しい奴隷なのである。[光が粒子で電子が波であるように、ヨーロッパ人は奴隷なのである。]奴隷は虐待されるのが好きだから、ヨーロッパ人は虐待欲が強いのである。ヨーロッパ人が格好[かっこう]がいいのも奴隷だからである。ヨーロッパ人が五感主義なのも、奴隷は眼先の喜びしかないからである。ヨーロッパで犯罪が多いのは、奴隷には道徳がないからである。ヨーロッパ人が勉強や仕事がよくできるのも奴隷だからである。要するに、ヨーロッパ人は変態なのである。
一方、日本人には虐待欲はない。日本人は虐待されるのが嫌いである。だから、日本人は日本政府が嫌いである。日本の政治機関は虐待サービスをやってはいけない。
もっとも、日本人の中にも他人に虐待されるのが好きな者もいる。だから、今でも暴力団や宗教団体が儲[もう]かっているのである。
[14188] どうして日本政府は国民を虐待するのか? h24.2.14
1)政治機関は国民みんなが喜ぶことをする会社である。
2)ヨーロッパ人はみんな奴隷である。
3)日本政府はヨーロッパ(ドイツ)の政治機関の真似である。
2より、ヨーロッパ人にはみんな虐待欲(他人に虐待される欲望)がある。
1より、ヨーロッパの政治機関は国民の虐待欲を満足させるために国民を虐待する。ヨーロッパの政治機関は“神をやる機関”(武力団体と宗教団体の組合)を設けて、国民を軍事や国家宗教で虐待する。
3より、日本政府は国民を虐待する。
ところが、実際には、
4)日本人はみんな奴隷ではない。
4より、日本人にはみんな虐待欲がない。
1より、日本の政治機関は国民を虐待してはいけない。
だから、日本の政治機関はヨーロッパの政治機関を真似てはいけないのである。3はまちがっているのである。明治時代の日本は近代化をあせっていたので、なんでもかんでもいっしょくたにヨーロッパ文明を取り入れたので、まちがって日本人に合わない余計な機関(つまり“神をやる機関”)まで取り入れてしまったのである。当時の日本人は「日本人とヨーロッパ人(ドイツ人)が同じ人間だ」と思ってヨーロッパ文明をそっくりそのまま真似したので“神をやる機関”まで取り入れてしまったのである。当時ヨーロッパに留学に行った者がドイツ語(日本語に似ている)しかわからなかったのでドイツの政治機関を真似て“神をやる機関”を取り入れてしまったのである。当時ヨーロッパに留学に行った者が中世の日本政府が滅んだ原因がわからなかったのでまた同じことをやってしまったのである。
日本政府は“神をやる機関”(武力団体と宗教団体の組合)を撤廃[てっぱい]すべきである。
[14189] どうして日本政府は国民を虐待するのか?(その2) h24.2.15
政治機関は国民みんなが喜ぶことをする会社である。【政治機関の原理】
ヨーロッパ人はみんな神がいると思っていた。ヨーロッパ人は知覚主義なので、たとえ神が眼で見えなくても、神を信じていたのである。
だから、ヨーロッパの政治機関は“神をやる機関”(武力団体と宗教団体の組合)を設けた。神は人間よりも上の者だから、ヨーロッパの政治機関は国民を軍事や国家宗教で虐待した。ヨーロッパの国民は神がいると思っていたので、ヨーロッパの政治機関に虐待されて喜んでいたのである。ヨーロッパの国民はヨーロッパの政治機関に長い間虐待され続けたので、ヨーロッパの国民は奴隷根性になってしまったのである。神は人間に何でも命令できるから、ヨーロッパの政治機関は国民に命令して高い税金を取った。ヨーロッパの政治機関は国民から取った税金で、国民の役に立たない軍事や国家宗教の大きな施設を建てたのである。
明治維新のとき日本人はヨーロッパ(ドイツ)の政治機関を真似て日本政府を作った。だから、日本政府も国民を虐待するのである。
ところが、昔から日本人はみんな神がいないと思っている。日本人は五感主義なので、眼では神が見えないから、神を信じていないのである。だから、日本の政治機関は“神をやる機関”を設けてはいけない。日本の政治機関はヨーロッパの政治機関を真似てはいけなかったのである。中世の日本政府も日本人の気に食わなかったから、日本人は政府とは別の政治機関(つまり幕府)を設けて日本政府を倒したのである。今の日本政府は“神をやる機関”(武力団体と宗教団体の組合)を撤廃[てっぱい]すべきである。今後、日本政府が神をやり続けたら、日本人は日本政府を日本の政治機関と見なさなくなって、再び日本政府とは別の政治機関を建てて日本政府を倒すだろう。
最近は科学が出来て、ヨーロッパ人も五感主義になったので、ヨーロッパ人はみんな神がいないと思うようになった。[[14140]を参照。]そのため、ヨーロッパの政治機関は“神をやる機関”を縮小したり撤廃したりしている。ヨーロッパの政治機関は軍事や国家宗教をやらなくなっている。日本政府もヨーロッパの政治機関を見習わねばならない。
もっとも、今でも日本人の中にも神がいると思っている人が少しいる。そんな人は、民間の“神をやる会社”(つまり暴力団や宗教団体)にお金を払ってかわいがってもらえばいい(つまり、虐待してもらえばいい)のである。
ヨーロッパが豊かなのは、ヨーロッパ人が知覚主義で頭がいいからである。けっしてヨーロッパの政治機関が神をやっているからではない。だから、いくら日本の政治機関が神をやっても日本は豊かにはならない。日本を豊かにするには、日本人が知覚主義になって日本人の頭がよくなるしかないのだ。
[14190] 今の政治機関は神をやってはいけない。 h24.2.15
政治機関は国民みんなが喜ぶことをする会社である。【政治機関の原理】
昔の国民はみんな車を持っていなかった。だから、昔の国民はみんな鉄道が必要だった。だから、昔の政治機関は国民みんなを喜ばすために鉄道をやっていたのである。
それと同じように、昔の国民はみんな科学を持っていなかった。だから、昔の国民はみんな神が必要だった。つまり、昔の国民はみんな自分が幸福になるために神に祈[いの]っていたのである。だから、昔の政治機関は国民みんなを喜ばせるために神をやっていたのである。昔の政治機関は神をやって国民を虐待していたのである。国民は神である政治機関に虐待されて喜んでいたのである。
しかし、今の国民のほとんどは車を持っている。今の国民のはほとんどは鉄道が要らない。だから、今の政治機関は鉄道をやらなくなった。民間企業(私鉄)が鉄道をやるようになった。
それと同じように、今の国民のほとんどは科学を持っている。つまり、今の国民のほとんどは物を利用して自分を幸福にするようになった。だから、今の国民のほとんどは神が要らなくなった。だから、今の政治機関は神をやってはいけない。民間企業(暴力団や宗教団体)が神をやらねばならない。[暴力団も宗教団体も“神をやる団体”である。暴力団と宗教団体では神のやり方が違う。暴力団は軍事(暴力沙汰[ざた])で神をやり、宗教団体は宗教で神をやる。暴力団は軍事で国民(客)を虐待[ぎゃくたい]し、宗教団体は宗教で国民を虐待する。神がいると思っていると、そのうち暴力団や宗教団体がやって来て虐待されるかもしれない。だから、神がいると思わないほうがいい。昔は国民みんなが神がいると思っていたから、暴力団や宗教団体が国民みんなを虐待していた。国民みんなから金を取っていた。今は国民のほとんどが神がいないと思っているから、暴力団や宗教団体が国民のほとんどを虐待できなくなったのだ。国民のほとんどから金を取れなくなったのだ。]
[14191] ヨーロッパの政治機関の変遷[へんせん] h24.2.15
政治機関は国民みんなが喜ぶことをする会社である。【政治機関の原理】
昔のヨーロッパの国民はみんな神がいると思っていた。
だから、昔のヨーロッパの政治機関は国民みんなを喜ばせるために神をやっていた。昔のヨーロッパの政治機関は“神をやる機関”を設けて神をやっていた。
最初の頃は、ヨーロッパの政治機関は神をやって国民のために善[い]いことをしていた。お祭りみたいなことやクリスマスみたいなことをやって国民を喜ばせていた。最初の頃は“神をやる機関”はお祭りをやる団体だったのだ。
ところが、途中から『神が人間よりも上の者である』ことによってヨーロッパの政治機関は国民に対してだんだん偉そうになって国民のために悪いことをするようになった。“神をやる機関”はお祭りをやる団体からいつしか武力団体と宗教団体の組合になって、国民に軍事や国家宗教で嫌なことをやらせたり、軍事や国家宗教の大きな施設を建てるために国民から重い税金を取ったりするようになった。政府の遊び代や飲み代を取るために国民から重い税金を取るようになった。そのために、ヨーロッパの国民はだんだん政治機関に虐待されることが喜びになってしまった。
最後には、ヨーロッパの政治機関は国民みんなが嫌がることをする会社になってしまった。メビウスの帯のように、政治機関が神をやることによって政治機関の原理がいつの間にか裏返ってしまったのである。
こうして、ヨーロッパの政治機関は『神が人間よりも上の者である』ために、どんどん国民のためにならないものに変わっていってしまったのである。『魔法陣グルグル』にあるように『おもろうてやがてダメージ』になってしまったのである。マルチン・ルターも教会が時代ごとに悪くなっていくのを見かねて宗教改革をやったのである。
幸い、日本人は昔から神がいないと思っている。
だから、日本の政治機関は国民を喜ばせるためにわざわざ神をやる必要はない。日本の政治機関は神をやってはいけない。
神には善[い]い神もいるが悪い神もいる。神ははじめのうちは善い神だったがいつの間にか悪い神になってしまった。神の規定がもっと細かかったら、ヨーロッパも幸せな国になれただろう。最初から国民の嫌なことをしない神・国民を虐待しない神だけを神ということにすればよかったのだ。
“神をやる機関”はどんどん悪化するから、“神をやる機関”は政治機関にあってはならない。『触らぬ神に祟[たた]りなし』というように、最初から政治機関が神をやらなければよかったのだ。“神をやる”と言っても漠然[ばくぜん]として具体的に何をやるのかわからない。善いことから悪いことまでさまざまである。政治機関はもっと具体的なことを仕事にしないといけない。政治機関は“意味のはっきりしないこと”をやると言って、国民を嫌がらせることをやってはいけない。
そもそも神は実在しない物である。昔のヨーロッパ人は実在しない物をあると思ったから実在によって罰[ばつ]を与えられたのだ。実在に従う者は幸福になり、実在に従わない者は不幸になる。昔のヨーロッパ人は実在に従わなかったから不幸になったのだ。人間は実在しない物をあると考えたり、実在する物をないと考えたりしてはいけない。
[14192] 今の日本政府は政治機関ではない。 h24.2.15
政治機関は国民みんなが喜ぶことをする会社である。【政治機関の原理】
今の日本の政治機関は日本政府である。
国民は政府が政治機関だから政府にお金(税金)を払っているのである。
国民は政府が政治機関でなければ政府にお金を払わない。
ところが、今の日本政府は神をやって国民みんなを嫌がらせている。日本人は神が嫌いなので、政府が神をやることは国民を嫌がらせることになるのである。
だから、今の日本政府は政治機関ではない。たとえヨーロッパの政府は政治機関でも、日本政府は政治機関ではない。
したがって、国民は日本政府にお金を払わない。日本政府はすぐに潰[つぶ]れるだろう。
[14193] 政府は国民から税金を取れない。 h24.2.15
政府は国民みんなが喜ぶことをやる会社である。【政治機関の原理】
だから、政府と国民は平等である。【政治機関と国民の関係についての原理】だから、国民が政府と契約するかしないかは国民個人の自由である。つまり、国民が政府にお金(税金)を払って政府に仕事をしてもらうか、国民が政府にお金を払わずに政府に仕事をしてもらわないかは国民一人一人の勝手である。政府は国民から無理やりお金(税金)を取ることはできない。日本国憲法第30条の納税の義務は政府の冗談である。あるいは、政府と契約している国民には納税の義務があるという意味である。つまり、政府に仕事をしてもらいたい国民は政府に税金を払わなければならないが、政府に仕事をしてもらわなくてもいい国民は政府に税金を払わなくてもいいという意味である。憲法は言葉が短すぎて何を書いているのかわからないので、自分で補[おぎな]わなければならない。
ところで、昔の国民はみんな神がいると思っていた。
だから、昔の政府は神をやっていた。政府は神をやる機関を設[もう]けていた。
神は国民よりも上の者だから、政府は国民を虐待していた。国民は神である政府に虐待されて喜んでいた。
国民は政府の“仕事”を喜んで、政府の“仕事”に対してお金(税金)を払っていた。昔も政府と国民は平等だったから、政府は国民から無理やりお金を取ることはできなかった。政府は“仕事”で上の者(神)のふりをしていただけで、本当は国民と政府は平等だったのである。国民は政府の“仕事”を喜んで、政府に“仕事”をしてもらうために政府にお金を払っていたのである。
しかし、今の国民のほとんどは神がいないと思っている。
だから、今の政府は神をやってはいけない。政府は神をやる機関を設けてはいけない。
それなのに、今の日本政府は神をやっている。今の政府が神をやっているのは“抱き合わせ商法”である。政府の他のサービスは国民を喜ばせるのに、政府の神をやるサービスは国民を嫌がらせる。国民は政府にお金を払って、政府に国民を喜ばせるサービスと国民を嫌がらせるサービスの両方をやってもらっているのである。国民にとってはそんな会社は嫌である。
そもそも国民と政府は平等だから、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の勝手である。だから、政府に嫌がらせサービス(つまり神をやるサービス)をやってもらいたくない人は、政府に税金を払わなければいい。
ただし、国民が政府に税金を払わなければ、政府の神をやるサービスだけでなく政府のサービスがいっさい受けられなくなる。それでもよければ、政府に税金を払わなければいい。地下水を汲[く]んだり、自分の家でゴミを焼いたりすることができる人は、政府に税金を払わなければいい。
今では神がいると思っている国民は少ないから、政府は神をやるサービスを国民全員にするのをやめて、“政府の神をやるサービスを受けたい人”が政府に申請[しんせい]して、政府はその者から追加料金(政府が神をやる仕事代)をもらってその者に対してだけ神をやるサービスをするようにしてもらいたい。
それとも、中世のように、国民で政府とは別の政治機関を建てねばならないのだろうか?
[14194] どうして幕府が出来たのか? h24.2.16
政治機関は国民みんなの役に立つことをする会社である。【政治機関の原理】
しかし、中世の日本政府は神(つまり国家宗教)をやって国民を虐待[ぎゃくたい]してばかりいて、ほとんど国民の役に立っていなかった。
政府に不満がある国民が大勢いた。日本には他[ほか]に政治機関がなかったので、国民はしかたがなく日本政府に税金を払って仕事をしてもらっていただけだった。
そこで、政府とは別の政治機関(幕府のこと)を建ててひと儲[もう]けしようとする者が現れたのである。平清盛とか、源頼朝とか、足利尊氏とか、徳川家康などである。
しかし、政府もそこそこ国民の役に立つことをしていたから、新しく政治機関を建てて政府に勝つのは大変だった。[町にスーパーが2軒あって、客の取り合いをしているのと同じことである。『おしん』の田倉[たのくら]しんの経営しているスーパーのように、政府は全国規模のスーパーマーケットのチェーン店と同じである。(私は今から約30年前高知の実家で浪人しているときにNHKの『おしん』を毎日見ていた。ただし、私は『おしん』のシリーズ後半しか見たことがない。シリーズ前半は見たことがない。私がNHKの連続ドラマをちゃんと見たのは『おしん』(後半)だけである。田倉しんはたぶん神武天皇の喩[たと]えだろう(おしん←しん←じん←神武天皇)。田倉しんの経営しているスーパーが日本政府のことなのだ。)つまり、日本政府は抱き合わせ商法で嫌な商品(神をやること)を売っている町に一軒しかないスーパーと同じことなのだ。町に一軒しかスーパーがなければ、町の人はみんなそのスーパーで買うしかない。抱き合わせ商法(税金制)で嫌な商品(政府が神をやること)といっしょに商品(政府が水道やゴミの収集などをやること)を買わざるを得ない。それが嫌なら、町(日本のこと)から出て行くしかない。今後、嫌な商品が増えなければいいのだが。]
徳川幕府は『神(軍事や国家宗教)をしない、身分制(完全終身雇用制)をやる』という公約を立てた。[たぶん鎖国は外国と戦争(軍事)をやらないことだったのだろう。]徳川幕府は日本政府よりも明らかにいい政治機関だったから、国民はみんな徳川幕府に仕事をしてもらうことにして、日本政府は誰も客がいなくなって倒産したのである。徳川幕府が日本政府に勝ったのだ。[幕府の武士が刀を差していたのは、幕府が政府を“切った”(政府の歴史を終わらせた)からである。駄洒落[だじゃれ]である。]
現代の政府も中世の政府と同じように国家宗教で国民を虐待してばかりいて、国民の役に立っていない。現代の国民も日本政府に不満がある。
今の時代には、平清盛のような有志[ゆうし]はいないのだろうか?新しい政治機関を建てようとする者はいないのだろうか?[新しい政治機関が、政府の中の国民の役に立つ会社(水道会社やゴミの収集会社など)を買収[ばいしゅう]すればいい。そうすれば、すぐに新しい政治機関が出来る。]
[14195] 今の日本政府はまちがっている。☆ h24.2.16
政府は国民みんなの役に立つことをする会社である。政府と国民は平等である。【政治機関の原理】
たしかに、今の日本政府は国民みんなの役に立つことをたくさんやっている。例えば、法律や水道やゴミの収集や学校などをやっている。
しかし、一方で、日本政府は国民みんなの役に立たないこともやっている。
日本政府の中には“神をやる機関”があって、“神をやる機関”が国民を虐待している。神は人間よりも上の者だから、神をやる機関は国民を下の者だと思って虐待しているのである。
国民みんなが神が必要なら、政府に国民が虐待[ぎゃくたい]されてもしかたがないが、国民みんなが神が要らないのに、政府に国民が虐待されるのは納得できない。
ヨーロッパでは国民みんなが神が必要だと思っているから、ヨーロッパの政府が神をやって国民を虐待するのはかまわないが、日本では国民みんなが神が要らないと思っているから、日本政府が神をやって国民を虐待するのはいけない。
今の日本政府は政治機関の原理に反している。だから、今の日本政府がまちがっている。
だから、日本政府は神をやめるべきである。日本政府は“神をやる機関”を撤廃[てっぱい]すべきである。そうすれば、日本はいい国になるだろう。日本の国民みんなは幸福になるだろう。
政治機関の原理に反する政治機関は国民からお金を取る資格はない。政治機関が国民からお金をもらいたければ政治機関の原理に従わねばならない。
日本政府が国民を虐待するのは、日本政府が「政府が政治機関の原理に反してもいい」と思っているからである。つまり、日本政府が「政府は国民よりも上の者であり、政府は国民の役に立たないことをやってもいい」と思っているからである。日本政府は「ヨーロッパ政府が神をやって国民を虐待しているから日本政府も神をやって国民を虐待してもいい」と思っているのである。しかし、それは日本政府の誤解である。ヨーロッパでは国民が神が必要だから、政府が神をやって国民を虐待することが国民の役に立っているのである。[つまり、ヨーロッパ人は神がいると信じていたが、実際には神がいなかったので、政府が国民のために本物の神の代わりになってやっていたのである。政府が神をやることは国民のためのサービスだったのである。ヨーロッパ人は実在しない物を造[つく]ってでも、自分が考えている通りの世界を造ろうとするのである。(じつは、それが不幸の始まりだったのである。)]だから、ヨーロッパでは政府が神をやって国民を虐待してもいいのである。一方、日本では国民が神が要らないから、政府が神をやって国民を虐待しても国民の役に立たないのである。だから、日本では政府が神をやって国民を虐待してはいけないのである。日本人は神が眼で見えないので神がいないと思っているから、日本政府はヨーロッパ政府のように余計なことをしてはいけないのである。日本政府は神をしてはいけないのである。日本政府は軍事(例えば戦争)や国家宗教をしてはいけないのである。日本人とヨーロッパ人では人種や主義や文化が違うから、国民の役に立つことが違っている。だから、政府は国民性を考慮して自分がやることを決めねばならない。どこの国でも政府は政治機関の原理に反してはいけないのである。
[日本人とインド人もこれまた違う。日本人は五感主義だからヨーロッパの文明が好きである。インド人は知覚主義だからヨーロッパの文明が嫌いである。だから、江戸幕府はインド政府を真似[まね]て“文明嫌い”をしなくてよかったのである。日本政府がヨーロッパ政府を真似て“神”をしなくていいのと同じである。昔から日本の政治機関は外国かぶれのしすぎである。政治機関は自分の国の国民性がわからなくなるほど外国の真似をしてはいけない。江戸幕府もまた日本の政治機関ではなかったのである。日本の政治機関は日本人の役に立つことをしなければならない。日本の政治機関は日本人を幸福にする仕事をやって、日本人を不幸にする仕事をしなければいいのである。政治機関は国民の役に立つことをすれば国民を支配できる。反対に、政治機関は国民の役に立たないことをすれば国民を支配できなくなる。だから、政治機関は国民の役に立つことをして、国民の役に立たないことをしなければいいのである。]
[14196] 日本政府はヨーロッパの政治機関の真似[まね]である。☆ h24.2.16
日本政府は自分が国民よりも上の者とは思っていない。政治機関が国民の役に立たないことをやってもいいと思っていない。
それは、日本政府が国民の役に立つことをやっているからである。例えば、政府が法律や水道やゴミの収集などをやっているからである。
だから、日本政府に悪気[わるぎ]があるわけではない。
要するに、日本政府はヨーロッパの政治機関の真似をやっているのである。
ヨーロッパの政治機関には“神をやる機関”があって神をやる機関が国民を虐待[ぎゃくたい]しているから、日本政府はヨーロッパの政治機関を真似て神をやる機関を設けて国民を虐待しているのである。
しかし、日本政府はヨーロッパの政治機関の真似をするよりも、まず日本国民の役に立たねばならない。
日本人は昔から神がいないと思っていて神が要らないから、日本政府はヨーロッパ政府を真似て神をやってはならないのである。
だから、日本政府は神をやって国民を虐待してはいけない。
日本政府は日本の国民のためにあるのであって、ヨーロッパの国民のためにあるのではない。だから、日本政府は日本の国民の役に立つことをしなければならない。日本政府は日本の国民を幸福にすることをしなければならない。
[14197] 政府は国民に軍事や国家宗教をやらせることはできない。 h24.2.16
政治機関は国民みんなを幸福にする会社である。政治機関は国民と平等である。【政治機関の原理】
ところが、日本人は神が要らない。日本人は実在主義だから、神は実在しないから、日本人は神が要らない。だから、日本の政治機関は神をやってはいけない。つまり、軍事や国家宗教をやってはいけない。
その上、政治機関と国民は平等だから、日本の政治機関は国民に対して軍事や国家宗教の命令を出すことができない。だから、例えば、日本政府は日本の会社に命令して国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組を作らせることができない。日本政府は国民に対して出征[しゅっせい]の命令を出すこともできない。政治機関と国民は平等だから、政府が国民に軍事や国家宗教の命令を出したら、国民は政府の命令を断[ことわ]ればいいのである。国民は何でも売っているスーパー(政府のこと)で自分が買いたくない商品(政府の軍事や国家宗教の命令のこと)まで無理に買わなくてもいいのである。[昔の日本人はヨーロッパ人を真似て神がいると思っていたから政府の命令で戦争に行ったが、今の日本人は神がいないと思っているから政府の命令で戦争に行かない。今どき政府が国民に出征の命令を出したら、国民は怒って政府に税金を払わなくなって、すぐに政府とは別の政治機関を建てるだろう。日本人はヨーロッパの文明を取り入れた直後はヨーロッパ人を真似て神がいると思っているが、しばらくすると本心を取り戻して神がいないと思うようになるのである。日本人にはそういう習性がある。日本の国民もまた日本の政治機関と同じように外国にかぶれやすいのである。外国に弱いのである。日本人が神がいないと思うようになると、日本の政治機関は神をやらない政治機関に変わっていくのである。]
日本の政治機関は、国民に対して法律の命令を出せるだけである。日本の政治機関は国民に対して法律以外の命令を出すことはできない。
[14198] 国民は政府の命令を断ればいい。 h24.2.16
政治機関と国民は平等である。【政治機関の大原理】
だから、政治機関は国民みんなの役に立つことをするのである。【政治機関の小原理】政治機関にとっては国民みんなが客だから、政治機関は国民みんなの役に立つことをするのである。
だから、政治機関が国民みんなの役に立たないことをしようとしたら、国民は政府に断ればいいのである。
つまり、政治機関は国で一番大きな店なのである。何でも売っている店なのである。本来、政治機関は国民みんなが欲しい物だけ売るべきだが、実際には国民みんなが欲しくない物まで売っている。それは政治機関の手落ちである。特に、最近は国民がわがままになってきたから、国民みんなが欲しい物が少なくなっている。そこで、『政治機関と国民が平等である』ことを使って、国民が政治機関で売っている物(つまり政治機関がやっている仕事)を自由に選べるようにすればいいのである。“抱き合わせ商法”は厳密には違法である。だから、国民は自分が要らない物まで買わなくてもいい。国民は自分が欲しい物だけ買えばいい。政治機関は何でも売っているスーパーだから、国民が政府に税金を払っているかぎり、国民は自分が欲しい物だけ選んで買えばいいのである。
例えば、政府が自分に軍事や国家宗教の命令を出した場合、自分が政府の軍事や国家宗教の命令を気に入らなければ、政府の命令を聞かずに軍事や国家宗教をやらなければいいのである。神が必要な国民だけが政府の軍事や国家宗教の命令を聞けばいいのである。神が要らない国民は政府の軍事や国家宗教の命令を聞かなければいいのである。
もっとも、税金は政府の命令ではなく、税金は政府の仕事代だから、国民は政府にひとつでも仕事をしてもらっているかぎり政府に税金を払わなければならない。
要するに、私が言いたいことは、日本政府は神(つまり軍事や国家宗教)をやってはいけないということである。日本政府が神さえやらなければ、私は一応今の日本政府には満足である。
[14199] 国民が違えば、政治機関も違う。☆ h24.2.17
政治機関は国民みんなを幸福にする会社である。国民みんなの役に立つことをする会社である。国民みんなの必要なことをする会社である。【政治機関の原理】
ヨーロッパ人は神が必要だから、政府が神をやればいい。つまり、政府が軍事や国家宗教をやって国民を虐待すればいい。
一方、日本人は神が要らないから、政府が神をやらなければいい。つまり、政府が軍事や国家宗教をやらず国民を虐待しなければいい。
ヨーロッパ人と日本人では必要なものが違うから、ヨーロッパの政治機関と日本の政治機関ではやることが違うのである。
最近は国際化の時代になって、世界中の国の文化が入り混じってどこの国の文化も同じになって来ているが、世界中の国の国民が同じになるのはまだまだ先のことである。政治機関は『国による国民性の違い』を考慮して、『自分の国』の国民みんなを幸福にする仕事をしなければならない。これまでの日本の政治機関は『国による国民性の違い』がわからなかったから、国民の役に立たないことをして国民を不幸にしたのである。政府が“神”をやったり、幕府が“文明嫌い”をやったりして、国民を不幸にしたのである。[幕府が鎖国をやったのは、日本にヨーロッパの文明を取り入れないためである。幕府の身分制は幕府が国民から税金を取るだけで他[ほか]にすることがないから、身分制は国民をそれほど不幸にしなかったはずである。]だから、これからの日本の政治機関は『国による国民性の違い』を考慮して、『自分の国』の国民性をよく理解して、『自分の国』の国民の役に立つ仕事をして、『自分の国』の国民の役に立たない仕事をしてはいけない。
[14200] どうして税金は高いのか? h24.2.17
政府にとっては国民みんなが客である。
いわば、日本は日本政府の独占である。
だから、日本政府の仕事代である税金は高いのである。政府はいくつか“国民の暮らしにとって欠かすことのできない仕事”(例えば、水道やゴミの収集など)をやっていて、日本人はみんな政府に仕事を頼まなければ暮らせないから、政府は国民の弱みを握[にぎ]ったと思っていい気になって国民が払えるギリギリまで税金を値上げしたために税金が異常に高くなってしまったのである。
どんな物でも一社独占では値段が高くなるのは当然である。
税金を安くするためには、政府の独占を崩[くず]すしかない。
つまり、日本に日本政府とは別の政治機関を建てるのである。
そうすれば、政治機関同士が互いに競争し合って、税金は安くなるだろう。
政府はしょせん会社にすぎず[[14183]の図を参照]、政府と国民は平等だから、国民が政府とは別の政治機関を建てるのは国民の自由である。だから、政府とは別の政治機関を建てたい国民が建てればいい。政府よりも税金を安くすれば、日本人全員を客に取ることができるだろう。