[14001] どうして若者は政府を支持するのか? h24.1.17
若者は眼先にとらわれが強くて知識が足りないし感情的である。
若者は馬鹿だから他人に騙[だま]されやすい。
だから、若者は政府の安っぽい嘘[うそ]に騙[だま]されて「政府が国民のためになる」と信じ込[こ]まされて政府を支持するのである。
政府は武力団体と宗教団体の組合であり、宗教団体は騙[だま]しのプロだから、若者はやすやすと政府に騙されて政府に利用されるのである。
だから、若者は政府を信用してはいけない。
政府はしょせん『武力団体と宗教団体の組合』だから、政府の得意なことは自分の国(縄張り)の国民に戦争をさせることと国民を騙すことだけだから、いくら政府があっても国民の得にはならないのである。[たとえ戦争に勝ったとしても、儲[もう]けは全部政府のものであり国民は何の得にもならない。政府にとって国民は戦争をさせるための道具にすぎない。]だから、国民にとっては政府が早くなくなったほうがいいのである。政府がない国のほうがいいのである。

[14002] 今の政府は武力団体と宗教団体の組合である。 h24.1.17
今は神がいない時代である。
だから、今の政府は神ではない。今の政府はただの『武力団体と宗教団体の組合』にすぎない。
今の政府は残酷[ざんこく]な人殺しと卑怯[ひきょう]な嘘つきの組合にすぎない。[要するに、宗教家とは嘘つきのことである。嘘つきを宗教家と呼んでいるだけである。]
そんな組合に国民を幸福にすることはできない。
そんな組合は遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したりするか、馬鹿な国民を嘘で騙して馬鹿な国民に政府が善[い]い団体だと思わせることができるだけである。
今の政府は神ではない。つまり、今の政府は国民よりも上の者ではない。
この世には人殺しや嘘つきに従わねばならないという決まりはない。
だから、国民は今の政府に従わず、政府を滅ぼせばいい。

[14003] 今の政府が国の発展に力を入れない訳[わけ]☆ h24.1.17
明治以降に政府が国の近代化に力を入れたのは、すべて戦争のためである。
富国強兵の富国とは国民をお金持ちにすることではなく、国の文明を発展させて戦争の強い国にすることだったのである。つまり、富とは国の文明が発達していることである。
政府が戦争に力をいれていたのは、政府が戦争をすれば政府が自分の縄張りを広げることができて政府は多くの人間から税金を取ることができて政府が儲[もう]かるからである。たとえ戦争に勝っても国民は儲からなかった。儲けは全部政府が独[ひと]り占めして国民には少しも分けてくれなかった。国民は政府に戦争をさせられて死ぬかカタワになるしかなかったのである。
つまり、政府は自分が戦争で儲けるために、国の近代化に力を入れていただけだったのである。
しかし、今は神がいない時代になって、もはや戦争がなくなった。だから、政府はもはや戦争で儲けることができなくなった。だから、今の政府は国の近代化に力をまったく入れなくなったのである。政府は武力団体と宗教団体の組合であり、政府はあくまでも武力団体であって技術者や商売人ではないので、国を発展させることやお金には興味がないので、戦争をする時代以外にはやる気がないのである。宗教団体は馬鹿をからかって遊んでいるだけだからもちろん役には立たない。今の政府は国家宗教でどうでもいいことをやって国民を嫌がらせて遊んでいるだけである。自分の権力を守るために国中にくだらない文化を流行[はや]らせて国民をダメ人間にしているだけである。おかげで、今の日本は文明が低くなって国力が衰退して不景気になっている。
今の政府は戦前の政府のように国を発展させてくれない。国民にとって今の政府は役に立たない。
だから、国民は政府を滅ぼすべきである。

[14004] どうして国民は政府に税金を払っていたのか? h24.1.17
政府が国民よりも上の者だったからである。政府が人間よりも上の者だったからである。つまり、政府が神だったからである。[政府が神であること以外は、国民が政府に税金を払う理由ではない。実際には、大勢の国民は『裸の王様』のおとぎ話と同じように“わけがわからずに”政府が偉いと思って政府に税金を払っているだけである。(私自身も最近までは“国民が政府に税金を払う理由”がわからなかったから、たぶん他[ほか]のみんなもわかっていないと思う。)だから、大勢は当てにならないものである。『天声人語』はまちがいである。だから、民主主義なんかやってもしかたがないのである。大勢のやっていることはたいていまちがいだから、民主主義をやってはいけないのである。つまり、『裸の王様』のおとぎ話の教えは、一般大衆は理由がわかっていないから当てにならないということである。大勢の者のやっていることが正しいとはかぎらないということである。]
戦前まではたしかに政府は神だった。戦前までは日本は神がいる国だったから政府が神だった。
しかし、戦後の今は政府は神ではない。戦後は日本は神がいない国になったから政府は神ではない。
だから、今では国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
今では国民が政府に税金を払わないのが正しいのである。国民が政府に税金を払うのがまちがっているのである。だから、国民は政府に税金を払ってはならない。
今は神がいない時代である。今では『神がいない』ことが正しいと考えられている。だから、国民は『神がいない』ことを態度で示さなければならない。神がいなければ、政府は神ではなく、政府と国民は平等であり、国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。したがって、国民は政府に税金を払ってはならない。
人間は前に進まなければならない。「神がいる」よりも『神がいない』ほうが正しい。人間は正しければ幸福になれる。人間は正しいことを考えていれば幸福になれる。人間は正しいことをすれば幸福になれる。だから、『神がいない』ことを実践[じっせん]しなければならない。

[14005] どうして政府は国民から税金を取っていたのか? h24.1.17
政府が神だったからである。
昔の神がある世界では、政府が国民から税金を取る理由がはっきりとわかる。
今の政府も国民から税金を取っているが、今の神がいない世界では政府が国民から税金を取る理由がはっきりとわからない。政府は漠然[ばくぜん]と国民から税金を取っているだけである。国民も政府に釣[つ]られて漠然と税金を払っているだけである。今では政府も国民も両方とも阿呆[あほう]である。こんなことを続けていたら、みんなが阿呆になる。誰でも阿呆になる。
いつまでもそんな阿呆なことはやっていられない。
今の世界は人間の精神にとっていい環境ではない。曖昧模糊[あいまいもこ]で頭が腐[くさ]る。
だから、国民はここらへんできっぱりと政府に税金を払うのをやめるべきである。理由がないことをダラダラとやり続けるべきではない。人間らしくないことはやってはならない。

[14006] 神がいない時代の政府☆ h24.1.17
戦前は神がいる時代だったが、戦後は神がいない時代になった。
今では国民みんなが『この世には神がいない』と思っている。
だから、戦後は政府はすぐに自分が人間として仕事をすべきであった。戦後の政府は国民と平等の立場で仕事をすべきであった。
戦後の政府は国民の役に立つ仕事をする機関だけを残し、国民の役に立たない仕事をする機関は廃止すべきだった。
国民の役に立つ仕事をする機関は、仕事によってそれぞれ別々の機関となり、国民と契約を取って仕事をすべきだった。国民の利用者からその都度[つど]適切な料金を取って仕事をすべきだった。
国民の役に立たない仕事をする機関はただちに廃止すべきだった。例えば、政府の武力団体や宗教団体は活動を停止して、国民から税金を取らなくなり、国民を嫌がらせたり殺したりしなくなり、自分の力を誇示[こじ]するために国家宗教や軍事の施設を建てたり国家宗教の神の情報を入れた製品を作らせたりする活動をやめるべきだった。
戦後の政府はすぐにそうすべきだった。
しかし、実際には、戦後の政府は、大勢の国民がわけもわからずに政府に従っているのをいいことにして、戦前と同じやり方で経営している。いまだに大勢の国民の税金で経営している。政府の武力団体や宗教団体がいまだに活動している。政府は古い。政府はまちがっている。政府はふざけている。
今の政府は神ではないので、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。
だから、国民は自分が政府の世話になりたくなければ、政府に税金を払わずに自分で自分の面倒を見ればいいのである。
政府の税金は年々高くなっている。だから、国民は政府の世話にならないほうがお得である。
戦後も大勢の馬鹿な国民がわけがわからずに政府に従っているために、いつまでたっても政府が新しくならない。戦前の政府のままである。政府はあいかわらず神様気取りで国民を好き放題にしている。国民から税金を取って国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。大勢の馬鹿な国民のせいで国民全員が迷惑している。だから、大勢の国民は『昔の政府は神だったから国民は政府に従わねばならなかったが、今の政府は神ではないから政府に従わなくてもいい』ことをよく理解して、政府に従うのをやめるべきである。
戦後の世界がよくならないのは、大勢の馬鹿な国民のせいである。大勢の馬鹿な国民が政府に従っているために、政府は今でも国民を自分の持ち物だと思って国民を嫌がらせたり殺したりしている。政府のせいで不幸にされた国民が大勢出ている。私もその一人である。だから、大勢の馬鹿な国民はいつまでも馬鹿をやっていないで、もっと自分の頭を使って世の中のことを考えなければならない。
今の政府の支えは神ではなく大勢の馬鹿である。今の政府を支えているのは、神がいることではなく、大勢の馬鹿がわけもわからずに政府に従っていることである。今ではすでに神がいなくなったが、大勢の馬鹿は今でもいる。一難[いちなん]去ってまた一難だ。『大勢の馬鹿をなくすこと』が人類に課[か]せられた新たな問題である。大勢の馬鹿をなくすことは神をなくすことよりも手ごわいかもしれない。
大勢の国民が政府に従わなくなれば、政府は国民の役に立つ仕事をする機関だけを残して他[ほか]は滅ぶだろう。大勢の国民が政府に従わなくなるためには、大勢の国民が“今の国民が政府に従わなくてもいい理由”を理解しなければならない。そのためには、大勢の国民が『私の政府論』を勉強しなければならない。そのためには、私が『私の政府論』の本を書いて、それがよく売れればいい。
今の政府の支えは政府に従う国民だけである。だから、国民は政府に従う代[か]わりに政府にお金をもらえばいい。

[14007] 政府の国家宗教について h24.1.18
戦前は政府は学校で子供に歴代天皇の名前を憶えさせたり、国民に「天皇陛下万歳!」を唱[とな]えさせたりしていた。
しかし、戦後の今の政府はそんなことはしていない。今の政府は会社に国家宗教の神の情報を入れた製品やテレビ番組などを作らせているだけである。
そもそも国家宗教は政府が自分の力を誇示[こじ]するためにやっているのだから、目立つようにすればいいはずである。
ところが今の政府は国民に目立たないように国家宗教をやっている。
それは、今の政府に力がないからである。今の政府も昔の政府と同じように精一杯[せいいっぱい]目立つように国家宗教をやっているのだが、それでも目立たないのである。それだけ今の政府に力がないということなのである。
つまり、今の政府には力がない。今の政府は力が弱い。[時々政府は国家宗教で殺人事件を起こすが、それは政府のイタズラであって、政府が自分の力を誇示するための国家宗教とは別のものである。]
今の政府は神ではなく、今の政府にわけがわからずに従っている国民がいるだけだから、今の政府は力が弱いのである。つまり、今ではわけがわからずに政府に従っている国民がいるから政府が強いように見えるだけであって、じつは今の政府は強くもなんともないのである。今の政府は国民と平等なのである。[今では『裸の王様』の王様の立派[りっぱ]な着物とは、わけがわからずに政府に従っている国民のことなのである。昔は「政府が神である」ことが着物だったが、今では「国民がわけがわからずに政府に従っている」ことが着物なのである。]
だから、国民は政府を恐[おそ]れることはない。国民は正々堂々と政府に従わなければいいのである。

[14008] 今の政府は神のように見えるだけである。☆ h24.1.18
昔の政府は神だった。だから、国民は政府に従っていた。
今は国民が政府に従っている。だから、政府が神のように見えるのである。
しかし、実際には、今の政府は神ではない。人間である。本当は、今の政府と国民は平等である。
だから、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。
今では国民が政府に従わなくても、みんなから変に思われるだけで罰せられることはない。だから、もっと国民は政府に従わなければいいのである。

[14009] 昔の世界と今の世界 h24.1.18
昔は神がいる時代だった。昔の人々はこの世に人間よりも上の神という生き物がいると思っていた。武力団体や宗教団体や政府が神だった。人々は神に従った。人間は神の持ち物だと思われていたので、神は人間を好き放題にした。
しかし、今は神がいない時代である。今の人々はこの世に人間よりも上の生き物はいないと思っている。そのため、今では神は人間に統合されている。もはや武力団体や宗教団体や政府は神ではない。かつての神は人間である。かつての神は人間と平等であり、もはや人間を好き放題にはできない。人間はかつての神には従わない。
神と人間は不平等だが、人間と人間は平等である。昔の政府は神だったから国民は政府と不平等にしなければならなかったが、今の政府は人間だから国民は政府と平等にしなければならない。


[14010] 『赤信号みんなで渡れば恐くない』の真意 h24.1.18
昔、北野武はテレビで『赤信号みんなで渡れば恐くない』とよく言っていた。
『赤信号みんなで渡れば恐くない』とは、今の国民の大勢が政府に従っているために自分の身を危険にしているという意味である。
今では政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、国民がわざわざ政府に従って、政府を付け上がらせているから、今の政府は昔の政府と同じように国民を自分の持ち物だと思って国民を好き放題にするのである。
今の国民はもっと勇気を持って政府に逆[さか]らうべきだと言っているのである。
北野武がこんな大事なことを曖昧[あいまい]にしか言わないのは、北野武がいい人間ではないからである。

[14011] 今の日本を昔の日本と同じにしてはいけない。 h24.1.18
今の日本は昔の日本と同じである。日本政府は戦前と戦後とでほとんど何も変わっていない。戦後の日本政府は、戦争の予定がないだけで、戦前の日本政府と同じである。今の日本でも、国民は政府に従っている。国民は政府の持ち物であり、政府は国民を好き放題にしている。
国民が政府に従っているから、政府が付け上がるのである。政府が付け上がって国民をオモチャにするのである。
昔の政府は神だった。昔の神がいる時代には、政府が神ということになっていたから、国民は嫌が上にも政府に従わねばならなかった。当時は政府に逆らった国民は拷問[ごうもん]にあって殺された。[実際には、政府が自分で自分が神だと言うことはめったになかったが、昔は政府が神ということになっていたからあえて言わなくてもよかったのである。昔は政府が神だという暗黙[あんもく]の了解があったから、政府は国民にわざわざ自分が神だと言うのを省[はぶ]いて黙[だま]って国民を好き放題にしてもよかったのである。]
しかし、今の政府は神ではない。今の神がいない時代では、政府は神ということにならないから、国民は政府に従う必要はない。今では国民が政府に従わなくても国民は罰せられることはない。
だから、今は国民は政府に従わなくてもいいのである。国民が政府に従わねば、政府も付け上がらず、政府が国民を好き放題にすることもない。
今の政府は神ではないから、国民が政府に従うか従わないかで政府の力の強さが決まるだけである。今の政府は国民の顔を見て自分の態度を変えている。国民が政府に従えば政府の態度は大きくなり、反対に国民が政府に従わなければ政府の態度は小さくなる。だから、国民が政府に対して偉そうにすれば、政府は小さくなって国民に対して命令しなくなる。国民が政府に従わなければ、政府は国民に命令しなくなる。政府が国民に命令するのをやめさせるためには、国民は政府に従わなければいいのである。
今の国民が政府に従うから政府は国民に命令するのであって、今の国民が政府に従わなければ政府は国民に命令しない。今では国民が政府に従うか従わないかによって、政府が国民に命令するかしないかが決まる。つまり、今では政府は国民に従っている。国民が政府を支配している。国民が政府に従うと国民が不利になり、反対に国民が政府に従わないと国民が有利になる。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
今の国民は自分の自由意志で政府に従っているだけである。だから、国民は同じ自分の自由意志で政府に従うのをやめればいいのである。

[14012] どうして日本は鎖国をしたのか? h24.1.19
徳川幕府は、海外で神がいなくなっているのを耳にして、自分の権力を守るために鎖国をした。日本政府も自分の権力を守るために、徳川幕府の後を継[つ]いで鎖国をした。つまり、日本政府は日本に西洋の自然科学だけを取り入れて社会科学を取り入れなかった。そうやって、徳川幕府も日本政府も日本を神がいる国にしていたのである。徳川幕府も日本政府も自分が神であることにして、国民を自分の持ち物にして好き放題にしていたのである。
そもそも徳川幕府や日本政府が鎖国をしたのは、日本が楽しさ主義の国だからである。
日本では、日本人みんなが楽しさ主義である。国民も政府も楽しさ主義である。日本人みんなが「人間にとっては楽しいことが一番大事だ」と思っている。「正しさなんかどうでもいい」と思っている。だから、政府は自分が楽しければまちがったことをやってもいいと思って、自分では『神がいない』ことが正しいとわかっていたにもかかわらず、国民にまちがった「神がいる」ことを教えて日本を神がいる国にしていたのである。
外人は正しさ主義だから、外国では政府も国民も正しさ主義だから、近代になって『神がいない』ことが正しいことがわかってきて、政府は自分から神であることをやめて国民と平等にしたのである。[それでも、外国の政府が潰[つぶ]れなかったのは、外国でも日本と同じように“わけがわからずに政府に従っている国民が大勢いた”からである。外国の政府は国民の自由意志にまで介入したくなかったので、あえて国民に『政府に従わなくていい』ことを教えなかったのである。]
だから、世界大戦の頃には、世界中の国が神がいなくなっていたのに、日本だけが神がいる国だったのである。そのために、日本は時代遅れの植民地戦争をやろうとして、世界中の国から攻撃されてボコボコにされてスッカラカンになった。日本は世界中の国に戦争の賠償金[ばいしょうきん]を取られて借金だらけになった。戦後の日本は戦前に比べてすっかり貧乏になってしまったのである。
もっとも、最近は、日本人も正しさ主義になっている。最近は日本人も外人と同じように『人間は楽しさを第一にするとかえって不幸になる。人間が幸福になるためには正しさを第一にすべきだ』と考えるようになっている。だから、今では日本政府も鎖国をするのをやめて真理に従うようになっている。政府は国民と平等にするようになって、国民に命令しなくなっている。国民から税金を取らなくなっている。

[14013] 今の国民は自主的に政府に税金を払っている。 h24.1.19
今の日本ではみんなが正しさ主義になっている。政府も国民も正しさ主義になっている。今の政府は正しくなって、国民と平等にするようになって、国民に命令しなくなっている。国民から税金を取らなくなっている。
今の政府は国民から税金を取っているのではない。国民が勝手に政府に税金を払っているのである。
今の国民は『自分の国をいい国にする』ために政府に税金を払っているのである。
ところが、今の政府は、わけがわからずに自分に従う国民が大勢いることをいいことにして、昔の政府と同じように国民を自分の持ち物だと思って国民を好き放題にしている。それどころか、今の政府は自分の権力を守るために、国中にくだらない文化を流行[はや]らせて国民を馬鹿に変えている。そのために、今の日本は衰退して不景気になっている。政府は国民の期待を見事に裏切っている。
今の政府は国民の良心を利用して、国民を騙[だま]して儲[もう]ける詐欺[さぎ]会社にほかならない。
国民は政府に騙されてはいけない。国民は早く政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して政府のない社会にしなければならない。
今の政府が悪いことをするのは国民に責任がある。大勢の国民がわけもわからず政府に従っているから、政府は自分が神様になったつもりになって人間に悪いことをしているのである。だから、国民はわけもわからずに政府に従うのをやめねばならない。昔の政府は国民が政府に従おうが従うまいが神だった。今の政府は国民が政府に従わなければ神ではない。だから、今の政府に神をやめさせるためには、国民が政府に従わなければいいのである。

[14014] 昔の政府と今の政府の違い h24.1.19
昔の政府と今の政府は違う。
昔の政府は神だったが、今の政府は人間である。
だから、昔の国民は政府に従わねばならなかったが、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の国民は“昔の政府と今の政府の違い”がわかっていないから、今でも政府に従い続けているのである。
今の国民は社会科をもっとよく勉強しないといけない。社会科をもっと深く理解しないといけない。

[14015] 今では『神がいない』ことが世界の法律である。 h24.1.19
昔は「神がいる」ことが世界の法律だったが、今では『神がいない』ことが世界の法律である。
今では、政府は神ではなく、大勢の国民がわけがわからずに政府に従っているだけである。
昔は「政府が神である」ことによって国民が政府に従っていたが、今では『国民が馬鹿である』ことによって国民が政府に従っているだけである。大勢の国民は「自分が馬鹿ではない」と思っているから、「自分が正しい」と思っているから、政府に従うことが正しいと思って堂々と胸を張って政府に従っているのである。
今では馬鹿な国民が政府に騙[だま]されて政府に従っているのである。政府は法律に触[ふ]れない程度に国民を騙しているのである。
今の政府は神ではないのに、昔の政府と同じ神であるふりをして国民を騙して命令に従わせているのである。倒産した会社が倒産していないふりをして客からお金を騙し取るのと同じことである。政府がたまに国家宗教で大きな殺人事件を起こすのは、国民に「今の政府が昔の政府と同じように神だ」と思わせるためである。しかし、本当は今の政府は神ではないのである。つまり、政府が殺人事件を起こすのは政府のパフォーマンスである。
今の政府は詐欺[さぎ]会社にすぎない。詐欺会社はしょせん嘘[うそ]がつけるだけである。だから、国民は政府に騙されずに政府に従わなければいい。

[14016] 今では政府が潰[つぶ]れていくだけである。☆ h24.1.19
昔ローマ帝国が滅んだために日本政府が潰れて幕府になった。
それと同じように、今では神がいなくなったために政府が潰れて国民会社になっている。
昔はヨーロッパとインドの国力の強さ(あるいは政府の力の強さ)で政府か幕府かが決まっていた。ローマ帝国が滅んだ後しばらくの間はヨーロッパでは政府の力が弱かったので、その頃[ころ]日本では政府が自分の力を強めるために幕府に変わっていたのである。[今では日本が世界で一番政府の力が強いので、日本政府は外国の政府を真似[まね]なくなったのである。今では、むしろ外国の政府が日本政府を真似るようになったのである。今の日本は悪い国の見本である。今の日本は世界で一番悪い国である。]
しかし、今では神がいなくなっている。人類の文明が進むと神がいなくなるので、人類の文明はよほどのことがないかぎり後戻[あともど]りしないので、一度いなくなった神はいなくなったきりである。一度死んだ神は二度と甦[よみがえ]ることはない。神がいなくなることは熱力学の第2法則のように、不可逆過程[ふかぎゃくかてい]なのである。
だから、今では政府が潰れて国民会社になるだけである。二度と政府が甦ることはない。

[14017] 日本は心の国 h24.1.19
日本は心の国である。
日本人は心で見る。
日本人は政府が怖[こわ]いから政府に従っているのである。
一方、外国は頭の国である。
外人は頭で見る。
外人は今の政府が神ではないから政府に従っていないのである。
外人は知的に政府を見ているが、日本人は心的に政府を見ている。
日本人が阿呆[あほう]のせいで、日本ではいまだに政府が強いままである。
日本人はもっと外人を見習って頭で物を見ないといけない。

[14018] 日本は心の国 h24.1.19
日本は心の国である。
日本では正しさなんかどうでもいい。日本では、たとえまちがっていることでも自分が楽しくなりさえすればやってもいいのである。日本では、面白ければまちがったことをやってもいいのである。
だから、政府は今は神がいない時代なのに密[ひそ]かに神がいることにして、自分を神だということにして、人間である国民を自分の持ち物だと思って好き放題にしているのである。
一方、国民は政府が偉そうにしているのを見て政府が怖[こわ]いと思って政府におとなしく従っているのである。
これでは、戦前の日本と同じである。日本人は世界大戦の反省がない。[日本政府が最初から負けるとわかりきっているのに世界大戦(植民地戦争)をやったのは、日本政府がただたんに戦争をやりたかったからである。日本政府に軍事力を持たせたら、日本政府は自分が面白いと思っただけですぐに外国に核ミサイルをポンポン撃[う]つから、世界中の人類が日本政府に軍事力を持たせないのである。反対に、“核ミサイルを持っているだけで使わない国”は自分が『理性のある国』であることを世界にアピールしているのかもしれない。]
日本人は眼で見て心で思うだけで、頭でわかることがない。日本の学校は、阿呆[あほう]になるための勉強をする所である。
これではいつまでたっても日本がよくなるわけがない。だから、日本は心の国であることをやめねばならない。日本人は心で見ることをやめねばならない。日本人は楽しさよりも正しさを大事にしなければならない。

[14019] 日本人の多くは取るに足りないカスである。 h24.1.19
日本人の多くは心で物を見すぎて頭がおかしくなっている連中である。精神異常者である。
だから、日本人の多くは今でも政府が怖くて政府におとなしく従っているのである。
彼らの思考や行動は理解できない。
彼らに語る言葉もなければ、聞く言葉もない。
日本人の多くは取るに足りないカスである。
そんなカスでも政府にとっては大事なお客さんだ。
政府は大勢の頭のおかしい国民の面倒を見る精神病院のようなものだ。
日本では作りごとを書いた面白い本はよく売れるが、本当のことを書いた正しい本は全然売れない。だから、私は自分の本を出さないのである。[私が子供の頃は日本はアメリカ占領下にあったから面白い科学の本がたくさんあった。私はそれらの本を読んで科学が好きになった。しかし、今の日本は日本政府の支配下にある。日本政府は作り事の面白い本しか作らせない。だから、今の若者はフニャフニャした作り事しかわからないのだ。]

[14020] 政府の政策とは何か?☆ h24.1.19
政府の政策とは、政府の権力(国民に対する命令力)を強めることである。
政府は自分の権力を強めるために、さまざまなことをやっている。税金のほとんどを費[つい]やしている。政府は自分の権力を強めること以外は何もやっていないといっても過言[かごん]ではない。
昔は「神がいる」ことで政府の権力が持っていたから、政府は一生懸命に自分の国で神がいるようにしていた。政府は学者を弾圧[だんあつ]したり、鎖国をして外国の神がいない国の文化を自分の国に取り入れないようにしていた。しかし、今では神がいない時代になったから、神がいないことが国民の常識になってしまったから、政府は自分の国に神がいるようにすることを諦[あきら]めたのである。今の政府は神とは関係がないのである。
今の日本では「日本が心の国である」ことで政府の権力が持っている。だから、今の政府は一生懸命にいろんなことをして日本を心の国であるようにしているのである。政府は国民に眼で見て心で思うだけにさせているのである。政府は国民に正しいことを考えさせないようにしているのである。
昔の政府は神だった。しかし、今の政府は神ではない。今の政府は“国民を頭で考えないようにさせて従わせている団体”にすぎない。例えば、今の政府は国中にマンガを流行[はや]らせて国民を自分で考えさせないようにしている。今の政府は昔の政府と『国民を従わせている原理』がまったく違う。だから、今の政府は昔の政府とまったく別の団体である。だから、今の政府は昔の政府のように強い権力を持っていない。今の政府には大[たい]した権力はない。だから、今の政府は遊び半分に国民を嫌がらせたり国民を殺すほどのことはできない。せいぜい国民を騙[だま]して国民からお金を取ることしかできない。今の政府は神とはまったく関係がないのだから、自分の力を誇示[こじ]するために国家宗教の施設を建てたり、国家宗教の神の情報を入れた製品やテレビ番組などを作らせたりすることはできない。
政府の権力が強くても、国民にとってはいいことは何もない。国民は政府の命令を聞かされて損をするだけである。だから、国民は早く自分で考えるようになって、政府に従うのをやめねばならない。

[14021] 政府は人々のまちがいを利用して儲[もう]ける団体である。☆ h24.1.20
昔の人はみんな「この世に人間よりも上の神という生物がいる」とまちがって信じていた。
昔の政府は人々のまちがいを利用して、みんなに自分を神だと思わせて強い権力(命令力)を得て儲[もう]けていた。
しかし、今では『この世に人間よりも上の神という生物はいない』ことがわかって、みんなは政府を神だと思わなくなった。今ではみんなが「神がいる世界観」よりも『神がいない世界観』のほうが正しいと信じるようになって、『この世に神がいない』と思うようになった。そのため、政府は神ではなくなって強い権力が得られなくなった。
それと同じように、今の大勢の人は「今の国民は政府に従わねばならない」とまちがって信じている。
今の政府は大勢の人々のまちがいを利用して、弱い権力を得て儲けている。
昔から政府は人々のまちがいを利用して人々を自分に従わせて儲[もう]ける団体だったのである。
国民は長い間政府に従ってきたので「国民は政府に従わねばならない」ものだと思っているが、それはまちがいである。昔の国民が政府に従わねばならなかったのは政府が神だったからであり、今の政府は神ではないから国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、「今の国民が政府に従わねばならない」というのはまちがいである。
早く大勢の人々が「今の国民は政府に従わねばならない」ことがまちがいであることを理解して、政府に従うのをやめるべきである。

[14022] 今の政府は国民に矛盾[むじゅん]したことを教えている。☆ h24.1.20
戦前の政府は国民に「神がいる」ことを教えることによって国民を政府に従わせていた。神がいる国では、政府が神ということになって、国民は政府に従わねばならなかったからである。
しかし、戦後は『神がいない』ことが正しいことになった。そこで、戦後の政府は国民に「国民が政府に従わねばならない」ことを教えることによって国民を政府に従わせている。国民が政府に従わねばならない国では、国民は政府に従わねばならないからである。
しかし、神がいなければ、政府は神ではなく人間であり、政府と国民は同じ人間であり、政府と国民は平等である。それなら、国民が政府に従わねばならないことはない。国民が政府に従わねばならないのは、神がいるからにほかならない。つまり、「国民が政府に従わねばならない」ことは「神がいる」ことの言い換[か]えにすぎない。字面[じづら]で『神がいない』ことにしているだけで、実際には「神がいる」のである。いわゆる『朝三暮四』である。つまり、戦後の政府は戦前の政府と実質的にはまったく同じなのである。『神がいない』ことと「神がいる」ことは矛盾する。だから、本当は『国民は政府に従わなくてもかまわない』のである。
戦後の政府は国民にまちがいを教えて国民を政府に従わせている。
戦後の政府がやっていることは矛盾している。政府は『神がいない』ことと「神がいる」ことの両方を国民に教えている。それでは、国民がどうしていいのかわからず困ってしまう。
だから、政府がいけない。
今の政府は国民に矛盾したことを教える悪い教師である。今の政府はデタラメなことを言う詐欺師[さぎし]である。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。
今では『神がいない』ことのほうが「国民が政府に従わねばならない」ことよりも正しいと考えられている。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
政治とは、政府が国民を騙[だま]して政府に従わせることである。
国民は政府に騙されてはいけない。
詐欺師だって客に得になるように思わせるだけで、実際には客に得になることはない。
だから、国民は政府に騙されてはいけない。

[14023] 政府とは何か? h24.1.20
今は神がいない時代である。
だから、今では国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、政府は今でも国民に「国民は政府に従わねばならない」と言っている。
政府は国民に嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]している。国民から税金を取って儲[もう]けている。
だから、政府は詐欺[さぎ]会社である。今の政府は神ではなく、人間が経営している詐欺会社にすぎない。
詐欺会社はせいぜい嘘[うそ]がつけるだけである。
だから、国民は政府に騙されず政府に従わなければいい。
今は神がいない時代だから、国民が政府に従わなくても咎[とが]める者は誰もいない。
今日的[こんにちてき]には他人を嘘で騙して他人からお金を取ることはいけないことだとされている。
だから、国民に「国民は政府に従わねばならない」という嘘をついている政府が悪い。
だから、国民は政府に従ってはならない。

[14024] どうして役所で個人の証明書を発行しているのか? h24.1.21
昔の政府は正直だった。昔は国民は政府の持ち物だった。
だから、昔は政府が国民を管理していたから、政府が国民の証明書を発行していたのである。
しかし、今の政府は嘘つきの詐欺会社である。今では国民は政府の持ち物ではない。
だから、今は政府が国民の証明書を発行すべきではない。詐欺会社が発行した証明書では信用が置けない。
今はもっと信頼の置ける正直な民間会社が国民の証明書を発行すべきである。

[14025] どうして昔は政府が国民に命令できたのか? h24.1.21
昔は政府が神だった。だから、政府は国民に命令できた。
今は政府は神ではない。今の政府は人間が経営している詐欺会社にすぎない。だから、政府は国民に命令できない。
昔の神がいる世界では、政府が神だったから、政府は国民に命令できた。国民は政府に従わねばならなかった。
今の神がいない世界では、政府は神ではないから、政府は国民に命令できない。国民は政府に従ってはならない。
人間は自分で考えて正しくしなければならない。人間が正しいかまちがっているかを決めるのは「政府」ではなく『原理』である。昔の世界の原理は「神がいる」ことだったから、人間は神がいることに従って、政府に従わねばならなかった。今の世界の原理は『神がいない』ことだから、人間は神がいないことに従って、政府に従ってはいけない。
人間は実在に従わねばならない。昔は「実在には神がいる」と考えられていた。だから、昔の人間は神がいることに従った。だから、昔の人間は政府に従った。今では『実在には神がいない』と考えられている。だから、今の人間は神がいないことに従わねばならない。だから、今の人間は政府に従ってはならない。

[14026] 米が食べられる時期は終わった。 h24.1.21
最近はスーパーで売っている米が古くなって腐[くさ]っている。腐った米を炊[た]くと、米がブワーと膨[ふく]れたようになる。
腐った米を食べると寝つきが悪くなる。眠るまでに2時間ぐらいかかる。指先が痛くなる。皮膚が腫[は]れぼったくなる。
よく眠れないと、脳が疲[つか]れて、よく考えられなくなる。いいアイデアが湧[わ]かなくなる。
だから、もはやスーパーで売っている米を食べてはいけない。
スーパーで売っている米が食べられるのは、10月〜1月中旬頃までだ。
それを過ぎたら、カロリーメイトに変えねばならない。値段が高いがしかたがない。
カロリーメイトは米よりは脳の働きが落ちるが、腐らないので安全だ。

[14027] どうすれば試験でいい点が取れるか? h24.1.21
人間は脳で考える。
だから、試験でいい点を取るためには、脳がよく働かねばならない。
だから、試験でいい点を取るためには、どうすれば脳がよく働くかを考えればいい。
例えば、脳がよく働くためには、脳がよく働く食べ物(例えば、魚やピーナッツ)を食べて、よく眠って脳の疲れをとることだ。オナニーをすると脳がヘトヘトに疲れるからオナニーをしてはいけない。
脳がよく働くようにして勉強すれば、勉強の能率が上がって、試験でいい点が取れる。

[14028] 政府が人々を利用するのは、人々にまちがいがあるからである。☆ h24.1.21
昔はみんながまちがって「神がいる」と思っていた。
だから、昔の政府は人々が「神がいる」と思っているまちがいを利用して人々に自分が神だと思わせて人々を支配した。
今は大勢の人がまちがって「政府に従わねばならない」と思っている。これまで大勢の人は『政府が神である』ことがわからずにわけがわからずに政府に従っていたから、政府が神ではなくなった今でも大勢の人は「政府に従わねばならない」と思っているのである。
だから、今の政府は大勢の人が「政府に従わねばならない」と思っているまちがいを利用して大勢の人を支配している。
政府はいつの時代でも人々のまちがいを利用して人々のまちがいに便乗[びんじょう]して人々に命令して人々からお金を取って儲[もう]けている。
政府が人々を利用するのは、そもそも人々がまちがっているからである。誤解があるからである。
人々が政府に利用されるのは、人々にまちがいがあるからである。だから、人々が悪い。

だから、人々はつねに自分で考えてまちがいをなくさねばならない。
今では『神はいない』し『政府に従わなくてもかまわない』のが正しい。
だから、今の人々は政府に従わなければいい。

[14029] どうして麻薬をやる人がいるのか? h24.1.21
麻薬をやる人が快楽主義だからである。楽しさ主義だからである。
快楽主義の人が快楽主義の道を進んでいったから麻薬をやることになったのである。
麻薬は人体にとって有害である。
だから、快楽主義はいけない。快楽主義はまちがっている。
麻薬がいけないのではない。快楽主義がいけないのだ。
やはり、人間は正しさ主義で生きていかねばならない。人間は自分が楽しいことよりも自分が正しいことを知ることを目的にして生きていかねばならない。

[14030] 人はなぜお参[まい]りに行くのか? h24.1.21
昔の人は「神がいる」からお寺やお宮にお参りに行った。神様に自分の願いを聞いてもらうためにお参りに行った。神様に自分の願いをかなえてもらうために賽銭[さいせん]を払ったのである。日本中にたくさんのお寺やお宮が建っているのは、昔の人が本気で「神がいる」と思っていたからである。
今の人は「神がいる」からお参りに行くのではない。1月1日だったり、景色がよかったりするから、お参りに行くのである。自分がお寺やお宮を利用したから、お寺やお宮の維持費として賽銭を支払うのである。
今は『神がいない』時代なのだ。

[14031] 国民はなぜ政府に税金を払うのか? h24.1.21
昔の国民が政府に税金を払ったのは、政府が神だったからである。政府は神だったから、人間である国民は神である政府に従わねばならなかったから、政府は国民に「金を出せ」と命令したから、国民は政府にお金を払ったのである。
しかし、今の政府は神ではない。だから、今では国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。政府が国民に「金を出せ」と命令しても、国民は政府の命令を無視して払わなければいいのである。
それでも政府が国民の家に税金を取りに来たら、政府は強盗だから、国民は正当防衛で暴力を使って政府を撃退[げきたい]すればいいのである。役人は血みどろになって泣きながら役所に帰るだろう。

[14032] どうして今では暴力団に従わない者が増えているのか? h24.1.21
昔は神がいる時代だった。だから、昔の人の中にはちゃんと『暴力団が神だ』とわかって暴力団に従っている者がいた。
しかし、大勢の者は“わけがわからずに”暴力団に従っていた。暴力団は暴力団というだけで人々を好き放題にして、人々に暴力をふって人々からお金を取っていた。
今でも大勢の者は暴力団に“わけもわからずに”従っている。暴力団は暴力団というだけで人々を好き放題にして、人々に暴力をふって人々からお金を取っている。だから、暴力団が神ではなくなった今でも暴力団が儲[もう]かっている。[国民が暴力団に従わねばならないと思ってヘッピリ腰になっているから、暴力団が図に乗って国民を暴力で脅[おど]しているのである。暴力団が国民を暴力で脅したから、国民が暴力団に従っているのではないのである。国民が暴力団に従わねばならないと思っているから、あたかも暴力団が国民を暴力で脅して従わせているかのように見えるのである。だから、国民は暴力団に従わなければならないと思わなければいいのである。]
しかし、今は神がいない時代だから、今の人の中には暴力団を国民と同じ人間だと思って、暴力団が人々に暴力をふって人々からお金を取るのは悪いことだと思って、暴力団に従わない者が増えている。
同じように、昔は神がいる時代だったから、昔の人の中にはちゃんと『宗教団体が神である』ことがわかって宗教団体に従っている者がいた。しかし、大勢の者はわけがわからずに宗教団体に従っていた。今でも大勢の者は宗教団体にわけがわからずに従っている。だから、宗教団体が神ではなくなった今でも宗教団体が儲[もう]かっている。しかし、今は神がいない時代だから、今の人の中には宗教団体を国民と同じ人間だと思って、宗教団体が人々を嘘[うそ]で騙[だま]して人々からお金を取るのは悪いことだと思って、宗教団体に従わない者が増えている。
同じように、昔は神がいる時代だったから、昔の人の中にはちゃんと『政府が神である』ことがわかって政府に従っている者がいた。しかし、大勢の者はわけがわからずに政府に従っていた。今でも大勢の者は政府にわけがわからずに従っている。だから、政府が神ではなくなった今でも政府が儲かっている。しかし、今は神がいない時代だから、今の人の中には政府が国民と同じ人間だと思って、政府が国民から税金を取るのは悪いことだと思って政府に税金をやらない者が増えている。政府が国民に命令するのは悪いことだと思って政府の命令を聞かない者が増えている。
最近はわけがわからずに暴力団や宗教団体や政府に従う者が減っている。今は神がいない時代である。今ではみんなが人間である。だから、今では暴力団や宗教団体や政府は国民がやってはいけないことはやってはいけないのだ。

[14033] まちがっている者が悪い。 h24.1.21
昔も今も大勢の者は“わけがわからずに”政府や暴力団や宗教団体に従っている。だから、政府や暴力団や宗教団体が神ではない今でも政府や暴力団や宗教団体が儲[もう]かっているのである。
しかし、本当は、今では政府や暴力団や宗教団体は神ではないから、人々は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもいいのである。今では人々が政府や暴力団や宗教団体に従わないのが正しいのである。
つまり、今では大勢の者が“まちがって”「政府や暴力団や宗教団体に従わねばならない」と思っているから、大勢の者が政府や暴力団や宗教団体の命令で政府や暴力団や宗教団体にお金を払うから、政府や暴力団や宗教団体が儲かるのである。
同じように、今でも大勢の者が“まちがって”「快楽主義が正しい」と思っているから、マンガやエロ本や麻薬が売れるのである。マンガ家やエロ本作家や麻薬売りが儲かるのである。

だから、そもそも大勢の者がまちがっているのが悪いのである。政府や暴力団や宗教団体やマンガ家やエロ本作家や麻薬売りは大勢の者のまちがいに便乗[びんじょう]して儲けさせてもらっているだけである。
だから、反対に、『正しさ主義が正しい』と思っている者がマンガやエロ本や麻薬を買わないように、『今では政府や暴力団や宗教団体が神ではないから、政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもかまわない』と思っている者は政府や暴力団や宗教団体に従わなくてもいいのである。
今では政府や暴力団や宗教団体はマンガ家やエロ本作家や麻薬売りと変わらない。国民が従いたければ従い、従いたくなければ従わない。国民が買いたければ買い、買いたくなければ買わない。従うか従わないか、買うか買わないかは、国民一人一人が自分で考えて決めればいいのだ。

[14034] 政府の仕事は昼寝である。 h24.1.21
政府は国民のまちがいに便乗[びんじょう]して国民を支配する団体である。
そんな団体が国民の役に立つことをするわけがない。そもそも国家宗教で国民を嫌がらせたり殺したりする団体が国民の役に立つことをするわけがない。
政府の仕事の目的は国民を支配することだけであって、国民の役に立つことではない。
政府は国民から税金を取って昼寝しているだけである。
政府は役立たずの会社である。だから、国民は政府に税金を払って政府を残さないほうがいい。

[14035] 政府は明日の国民を支配できない。 h24.1.21
昔はみんなが「神がいる」と思っていた。政府はみんなの「神がいる」という考えに便乗[びんじょう]してみんなに自分を神だと思わせてみんなを支配した。
近代になって『神がいない』と考える者が現れるようになってからは、政府はいろんなことをやってみんなに「神がいる」と思わせようとしたが、政府の努力も空[むな]しく、結局世界大戦の頃にみんなが『神がいない』と思うようになった。
政府はこれでもう自分は終わりだと思っていたが、政府の悪運は強く、実際にはそうはならなかった。政府が「神がいなくなると自分が滅ぶ」と思っていたのは、政府の杞憂[きゆう]にすぎなかった。政府は国民を高く買いすぎていたのである。
今は大勢の者が「国民は政府に従わねばならない」と思っている。『裸の王様』のおとぎ話のように、昔から大勢の者はわけがわからずに政府に従っていたので、政府が神ではなくなった今でも「国民は政府に従わねばならない」と思っているのである。政府は大勢の者の「国民は政府に従わねばならない」という考えに便乗して今でも大勢の者を支配している。
しかし、今でもすでに私のように『国民は政府に従わなくてもいい』と思っている者がいる。
しかも、誰でも『昔の国民が政府に従わねばならなかったのは、昔の政府が神だったからである。今の政府は神ではないから、今の国民は政府に従わなくてもいい』ことが理解できる。私の『哲学日記』の最近の200章ぐらい読めば、誰でも『今の国民は政府に従わなくてもいい』ことが理解できる。
だから、明日にも国民みんなが『国民は政府に従わなくてもいい』と思うようになる。
だから、政府は明日の国民を支配できない。こんどこそ、政府はもう終わりだ。

[14036] まちがいは誰にでもある。 h24.1.22
今の大勢の国民は「今の国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。
しかし、これまでは政府が神だったから国民が政府に従わねばならなかったのであって、今の政府は神ではないから国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、本当は『今の国民は政府に従わなくてもかまわない』のである。
今の大勢の国民はまちがっている。今の大勢の国民は早く自分がまちがっていることを理解して、自分のまちがいを直さねばならない。
まちがいは誰にでもある。だからこそ、直さなければならないのだ。
国民が政府に従わなければ国民の自由が増える。国民の自由が増えればそれだけ国民は幸福になれる。国民にとってはいいことだ。

[14037] 今では政府と国民は平等である。 h24.1.22
昔は神がいる時代だった。国民はみんな政府に従っていた。
ただし、政府が神であることがわかって政府に従っていた者はほとんどなく、わけがわからずに政府に従っていた者が大勢だった。
世界大戦後、神がいない時代になった。
政府が神であることがわかって政府に従っていた者は政府に従わなくなったが、それでもわけがわからずに政府に従っていた者は政府に従い続けた。
今では神がいないから、政府も国民も同じ人間だから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に従うことはまちがっている。したがって、今では国民は政府に従わなくてもいいことになっている。
今でも政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」と言っているが、それは政府の嘘[うそ]である。国民は『今は神がいない時代だ』と自分に言い聞かせて、政府の嘘に騙[だま]されず、政府に従わないようにしなければならない。

[14038] 国民は正しさ主義でなければならない。 h24.1.22
今は神がいない時代である。だから、政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、いまだに大勢の国民が政府に従い続けている。
それは、大勢の国民が快楽主義だからである。大勢の国民は自分の心の満足で物を見ているので、今の自分の暮らしがまあまあ満足できるので政府を支持して政府に従っているのである。
ところが、今では『快楽主義はまちがいである』ことがわかっている。[[14029]を参照。]
だから、国民は快楽主義をやめねばならない。国民は自分の心の満足で物を見てはいけない。
国民は正しさ主義でなければならない。国民は知的でなければならない。国民は論理的でなければならない。だから、今では政府と国民は『平等』だから、国民は政府に従ってはならない。

[14039] 今は繋[つな]ぎの時代 h24.1.22
昔は神がいる時代だった。だから、政府は国民よりも上の者だった。政府と国民は不平等だった。
未来は神がいない時代である。だから、政府と国民は平等である。
だから、今は昔と未来の折衷[せっちゅう]で政府と国民は不平等でもあり平等でもある時代である。
今は昔から未来への繋ぎの時代である。だから、今では『国民が政府に従わなくてもかまわない』のに、いまだに「国民は政府に従わねばならない」と思っている古臭い考えの国民が政府に従っているのである。
人間は昔に留[とど]まっていてはいけない。未来に行かねばならない。
だから、国民は積極的に政府と平等にすればいいのである。
国が豊かであるとは、国民がお金持ちであることではなく、国が発展することである。
未来に行く国は発展し、昔に留まる国は発展しない。
だから、国が豊かであるためには、国民が積極的に政府と平等にしなければならないのである。

[14040] すでに政府に従っていない国民がいる! h24.1.22
世界大戦後は神がいない時代になった。政府は神ではなくなった。政府と国民は平等になった。
今では「国民が政府に従わねばならない」と思っている古臭い考えの国民が政府に従っているだけである。
『国民は政府に従わなくてもかまわない』と思っている新しい考えの国民はとっくの昔に政府から独立して自由にやっている。政府とは無縁[むえん]に“自分の国”(自分の土地)で自由気ままに暮らしている。
政府はテレビや新聞を使って世論操作をして国民に「政府に従わねばならない」と思わせている。テレビや新聞ばかり見ているから時代遅れの古臭い考えになるのである。テレビや新聞は政府が国民を操[あやつ]るための装置なのである。今は神がいない時代である。テレビや新聞から離れて、『神がいない』ことから自分で自由に考えていけば新しい世界が見えてくる。

[14041] コマーシャル☆ h24.1.22
戦後は神がいない時代になった。政府は神ではなくなった。政府と国民は平等になった。国民は政府に従わなくてもよくなった。
それなのに、今でも、大勢の国民が政府に従っている。
それは、政府がテレビや新聞で四六時中「国民は政府に従わねばならない」とコマーシャルをしているからである。つまり、政府がテレビ局や新聞社に「国民は政府に従わねばならない」という意味を込[こ]めてテレビ番組や新聞記事を作らせて報道させているからである。
大勢の国民は政府のコマーシャルを見て「国民は政府に従わねばならない」と思い込まされて政府に従っているのである。国民は毎日テレビや新聞を見ることによって“政府に従う性格”に作り変えられているのである。
もしもテレビや新聞がなかったら、国民はみんなとっくの昔に政府に従うのをやめていただろう。
買う必要もない物を買ってしまうのはコマーシャルの力である。
政府はコマーシャルの力を利用して、国民が政府に従う必要がないのに従わせているのである。

だから、今では、本当は、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14042] 政府は武力団体と宗教団体の組合である。 h24.1.22
ヨーロッパでも日本と同じように政府は武力団体と宗教団体の組合である。
ヨーロッパの古代は政府が軍事ばかりやって宗教をやらなかったので、政府が武力団体だった。
ヨーロッパの中世は政府が軍事をやらなかったので宗教ばかりやっていたので、政府が宗教団体になっていたのである。だから、『ドン・キホーテ』では、巨人が風車になったと言ったのだ。つまり、政府が武力団体から宗教団体に変わったのだ。
ヨーロッパの近代は植民地時代になって政府が再び軍事をやるようになったので、政府が武力団体になった。当時の政府は宗教をやらなくなったので、政教分離と言ったのだ。
ヨーロッパの現代は政府が軍事も宗教もやらなくなったので、政府が潰[つぶ]れている。
今は神がいない時代なので、世界中の政府が潰れているのだ。

[14043] わけがわからずに政府に従う者はいなかった。 h24.1.22
昔は神がいる時代だった。だから、国民みんなは政府を神だと思って政府に従っていた。国民みんなは政府が神だと思っていたから政府に従ったのであって、わけがわからずに政府に従う者は一人もいなかった。
『裸の王様』は嘘[うそ]である。実際には、わけもわからずに政府に従う者はいなかった。誰でも政府に従うのは嫌だったので、絶対に政府に従う『理由』が必要だったのである。『裸の王様』のおとぎ話が作られた当時はヨーロッパでは政府の力が衰えていたので、政府のイヤミを言うために、国民みんなが実際には政府には権力がないのに口先で権力があると言っていることにしたのである。[これまでは、私は国民みんながわけもわからずに政府に従っていたと思っていた。私の誤解だった。おとぎ話は誤解しやすいので注意しなければならない。おとぎ話に頼って考えないほうがいい。
今は神がいない時代である。だから、国民のほとんどみんなは政府を神だと思っていない。今では政府を神だと思って政府に従う者はめったにいない。[政府の信者とは、政府を神だと思って従っている者である。政府に絶対服従している者である。昔は国民みんなが政府の信者だった。今は国民の一部の者だけが政府の信者である。]
しかし、テレビや新聞で政府が四六時中「国民は政府に従わなければならない」とコマーシャルをしているので、大勢の国民は政府に従っているのである。社会科の教科書も政府のコマーシャルである。今の政府は神によって国民を従わせているのではなく、テレビや新聞によって国民を従わせているのである。

[14044] どうして暴力団は儲[もう]かっているか? h24.1.22
昔は神がいる時代だった。だから、国民みんなは暴力団を神だと思って暴力団に従っていた。わけがわからずに暴力団に従う者はいなかった。
しかし、今は神がいない時代である。だから、国民みんなは暴力団を神だと思っていない。暴力団を神だと思って従う国民はひとりもいない。
しかし、今の暴力団はテレビや新聞の3面記事で「国民は暴力団に従わねばならない」と“コマーシャル”をしている。だから、今でも国民は暴力団に従っているのである。暴力団は国民に金を出せと命令して国民から金を取って儲けているのである。週刊誌ではよく「暴力団が儲かっている」と言っているが、それは「国民が暴力団に従わねばならない」ことの遠まわしの表現である。つまり、週刊誌の記事は暴力団の宣伝なのである。つまり、本当は『暴力団は儲かっていない』から、暴力団が儲けるために嘘[うそ]の記事をでっち上げているのである。
しかし、最近はあまり暴力団も3面記事で宣伝をしなくなったから、最近は国民が暴力団に従わなくなった。宣伝にはお金がかかるから、今の暴力団はあまり儲かっていないので暴力団は宣伝もしなくなった。だから、最近は暴力団が潰[つぶ]れている。今は神がいない時代だから、今では暴力団は流行[はや]らないから、暴力団も自主的に店を畳[たた]んでいるのだ。
宗教団体も暴力団と同じようにテレビや新聞で「国民は宗教団体に従わねばならない」とコマーシャルをして国民を従わせて国民に命令して国民からお金を取って儲けている。しかし、今は神がいない時代だから、しょせん宗教団体は流行らないから、宗教団体も閉店気味[ぎみ]なのだ。
神がいる時代には、政府や暴力団や宗教団体は神として国民を好き放題にして国民からお金を取って儲けていた。しかし、神がいない時代には、政府や暴力団や宗教団体は神ではないから国民を好き放題にできないから儲からない。コマーシャルの力にも限界がある。だから、結局政府や暴力団や宗教団体はなくなる運命にあるのだ。

[14045] 憲法は嘘[うそ]のコマーシャルである。 h24.1.22
昔は神がいる時代だった。政府は神だった。国民は政府に従わねばならなかった。
しかし、今は神がいない時代である。政府は神ではない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
私の『神理論』によれば、『今の国民は政府に従わなくてもいい』ことになる。
しかし、憲法には「国民は政府に従わねばならない」みたいなことが書いてある。
だから、憲法は嘘なのである。
憲法は国民に対して「国民は政府に従わねばならない」と嘘のコマーシャルをしているのである。
戦後の政府は「国民は政府に従わねばならない」という嘘のコマーシャルで支えられている団体である。今の政府は詐欺[さぎ]団体である。今の政府は『狼[おおかみ]少年』のように四六時中嘘ばかりついているのである。国民は嘘つきにかまってもしかたがない。政府は国民が自分の嘘に騙[だま]されて右往左往[うおうさおう]しているのを見て面白がっていつまでも嘘をついているのである。国民は嘘つきの政府を相手にするのをやめて、政府をほったらかしにして国民だけで暮らせばいい。

[14046] 今の政府は“神でない神”である。 h24.1.22
「政府が神である」ことと「国民が政府に従わねばならない」ことは同じである。論理的に同値である。
だから、今の政府が国民に「国民が政府に従わねばならない」と宣伝していることは、今の政府が国民に「政府が神である」と宣伝しているのと同じである。そのため、今の国民は政府の宣伝に騙[だま]されて心中[しんちゅう]で政府を神だと思いながら政府に従っているのである。
しかし、本当は今の政府は神ではない。今では世界中で政府が神をやってはいけないことになっている。つまり、本当は今では『政府が国民を従わせてはいけない』のである。つまり、『国民が政府に従ってはいけない』のである。
日本は島国だから、世界の趨勢[すうせい]から切り離されて政府が自分勝手なことをやっているのである。
だから、政府は国民に嘘[うそ]をついている詐欺会社である。
今の法律では、他人を嘘で騙[だま]すのはいけないこととされている。[もちろん、先に会社が客に一方的に仕事をして、後[あと]で会社が客から無理やりお金を取るのもいけないことになっている。つまり、“押し売り”はいけないことになっている。だから、政府が何か国民に仕事をしたからと言って、後で政府が国民から無理やりお金を取ってはいけない。]
だから、今の政府が悪い。
したがって、国民は政府に騙されてはいけない。
今では国民が政府に従わないのが正しく、国民が政府に従うのがまちがいだから、国民は政府の嘘に騙されて政府に従ってはならない。

[14047] 神をなくすのは善[よ]いことである。 h24.1.22
今は神がいない時代である。
しかし、昔は神がいる時代だった。
神は急になくならない。だから、今でも多少は神が残っている。
したがって、今では『神をなくす』ことは善いことであり、「神を甦[よみがえ]らせる」ことは悪いことである。つまり、神がいない時代に進むことは善[よ]いことであり、神がいる時代に戻ることは悪いことである。
今の政府は国民を政府に従わせようとしている。つまり、政府は神であろうとしている。
政府が神であれば国民は政府に従わねばならず、政府が神でなければ国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、国民が政府に従わないことは善[よ]いことであり、国民が政府に従うことは悪いことである。
したがって、国民は政府に従ってはならない。
最近はついに政府も「国民を政府に従わせる」ことを諦[あきら]めたのか、最近の政府は「国民を政府に従わせる」活動と、『国民を政府に従わせない』活動の両方をやっている。
だんだん「国民を政府に従わせる」活動は減り、『国民を政府に従わせない』活動が増えている。
だから、国民は政府を恐[おそ]れずに、政府に従わなければいいのである。

[14048] 接続の問題 h24.1.22
昔は神がいる時代だった。
今は神がいない時代である。
しかし、神は急になくならない。
実際には、神はゆっくりとしだいになくなっていくのである。

『神がいない』目標を立てることはすぐにできるが、実際に目標を達成するまでには多少の時間がかかる。
「神がいる」ことから『神がいない』ことにゆっくりと変わっていくのである。
つまり、「国民が政府に従わねばならない」ことから『国民が政府に従わなくてもかまわない』ことにゆっくりと変わっていくのである。
今は「神がいる」時代から『神がいない』時代に変わっていかねばならない。今は変わる時代なのだ。[だから、テレビとかにしょっちゅう“カエル”(≒変わる)が出てくるのだ。]
今後は国民と政府の両方で『神がいない』社会を作って行かねばならない。
今では国民が自主的に政府に従わないことは政府も歓迎[かんげい]している。
だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。


[14049] 企画会社 h24.1.22
今は神がいない時代になって、政府が潰[つぶ]れている。
だから、新しく民間で企画会社が出来ているのである。
企画会社が経営力が弱い会社に適切な指示を出してうまく儲[もう]けさせてくれる。
だから、政府はなくなってもいいのだ。

[14050] 今の政府のやり方 h24.1.22
今は神がいない時代である。今の政府は神ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
今は政府がテレビや新聞などで「国民は政府に従わねばならない」というコマーシャルをやって国民に政府に従わねばならないと思わせて、国民が政府に従っているだけである。いわば、政府の「国民は政府に従わねばならない」というコマーシャルは、政府の“冗談”である。政府はコマーシャルでは嘘を言ってもいいと思って、嘘を言っているのである。[コマーシャルはたいてい嘘である。ビールのコマーシャルなんかでも、テレビではうまいと言っていても実際にはうまくないことがある。]政府は国民にはっきりと「国民は政府に従わねばならない」と言わずに、なんとなく国民に「国民は政府に従わねばならない」と思わせているのである。
だから、本当は、国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は政府に税金を払って、政府の命令を聞かなくてもいいのである。実際に国民が政府に従わなくても、政府は国民に文句を言えない。今の政府は政府に従わない国民に腹を立てるだけで、それ以上は何もできない。今の政府はコマーシャルで国民を従わせているだけである。今の政府は国民を強制的に従わせることはできないのである。今の政府は国民を支配しているふりをしているだけである。
実際には、現在は神がいる時代から神がいない時代へ変わる途中[とちゅう]である。神がいない世界(国民が政府に従わなくてもいい世界)は待っていても出来ないから、国民が自分で作っていくしかないのである。国民が自分で神がいる世界(国民が政府に従わねばならない世界)を壊して、神がいない世界を作って行かねばならないのである。

[14051] 理論と実際 h24.1.23
理論的には、
昔は神がいる時代だった。政府は神だった。国民は政府に従わねばならなかった。
今は神がいない時代である。政府は神ではない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
ことに尽[つ]きる。
だから、実際的には、
今は神がいる時代から神がいない時代に変わる途中[とちゅう]である。今はまだ神がいない世界(国民が政府に従わなくてもいい世界)が完全には出来ていない。今はまだ神がいる世界(国民が政府に従わねばならない世界)が多く残っている。だから、今の人は古臭い神がいる世界を壊して、新しい神がいない世界を作っていかねばならない。
ことになる。
理論は言葉だけである。だから、今の人が実際に自分の身体[からだ]を動かして理論を実現しなければならないのだ。理論を実在の上に表現しなければならないのだ。私が自分のアイデアを言葉に表現するから、みんなは私の言葉を実在に表現しなければならない(アイデア→言葉→実在(物))。
『相対性理論』で原子爆弾や原子力発電所が作れるのなら、私の『神理論』で神がいない世界も作れるはずである。

[14052] 国民は早く神がいない世界を作らなければならない。 h24.1.23
昔は神がいることが正しいと考えられていた。昔は神がいる世界だった。神がいる世界では、政府が神だった。神がいる世界では、政府が神として人間である国民を支配した。
しかし、今では神がいないことが正しいと考えられている。今は神がいない世界の建設中である。神がいない世界では、政府が神ではない。神がいない世界では、政府は国民を支配できない。
だから、国民は早く神がいる世界を壊して、神がいない世界を作らなければならない。
それなのに、今の国民の多くは政府の「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]のコマーシャルに騙[だま]されて、政府に従って、いまだに神がいる世界に留[とど]まっている。神がいない世界を作ることをすっかり忘れてしまっている。
政府が「国民は政府に従わねばならない」と言っているのは政府の嘘である。政府は自分が生き残るために嘘をついているのである。国民は政府の嘘に騙されずに、政府に従うのをやめて、早く神がいない世界を完成させねばならない。

[14053] 今の政府は国民に手出しも口出しもできない。☆☆ h24.1.23
今の政府は「神がいる」と言っていない。だから、政府は『神がいない』ことを認めている。
しかし、神がいなければ、政府は神ではない。だから、政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」と言ってもいない。
今の政府はテレビや新聞で「国民は政府に従わねばならない」みたいなコマーシャルをやって、なんとなく国民に「国民は政府に従わねばならない」と思わせているだけである。国民は政府のコマーシャルを見て、自分で「国民は政府に従わねばならない」と思って勝手に政府に従っているだけである。政府は人間の潜在意識[せんざいいしき]を利用して、国民を操[あやつ]っているだけである。今の政府にはそんなことしかできないのである。
だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわないのである。今では『神がいない』ことが人類共通の決まりだから、今の政府は国民に面[めん]と向かって「国民は政府に従わねばならない」と言えないのである。今の政府は潜在意識で国民を騙[だま]してセコセコ儲[もう]けることが精一杯[せいいっぱい]なのである。
今の政府は『国民が政府に従わなくてもいい』ことを認めているのである。
要するに、今は神がいない時代である。政府も神がいないことを認めている。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府も密[ひそ]かに国民が政府に従わなくてもいいことを認めているのである。政府は国民が政府に従わなくてもいいことを認めていながら、冗談でテレビや新聞でコマーシャルをやって国民に「国民が政府に従わなければならない」と思わせて馬鹿な国民をからかって遊んでいるのである。私を神とする国家宗教も政府の国民に対するからかいである。今の政府はどうせじきに自分が潰[つぶ]れると思ってどうでもいいことをやっているのである。今の政府はメチャクチャだから、お笑い芸人なんかが議員をやっているのである。アニメ『北斗の拳』でケンシロウが「お前はすでに死んでいる」と言うように、戦後の政府はすでに潰[つぶ]れているのである。国民が政府に税金を恵んでやっているから、かろうじて政府が残っているだけである。今の政府は国民にお金を恵んでもらうために生きているただの乞食[こじき]である。だから、マンガ『いなかっぺ大将』でマンガ家の川崎のぼる(マンガ家は先生だから政治家の喩[たと]え)が乞食をやっていたのである。
だから、国民は政府のコマーシャルに騙されずに、正々堂々[せいせいどうどう]と政府に従わなければいいのである。国民は政府の命令を聞かなければいい。政府に税金を払わなければいい。

[14054] 政府はどうして民主主義をやっているか?☆ h24.1.23
国民に「民主主義が政府が国民を従わせている理由だ」と思わせるためである。
そのために、政府は明治時代から民主主義をやっていたのである。
しかし、本当は『政府が神である』ことが政府が国民を従わせる理由だったのである。
その証拠に、暴力団や宗教団体は腐[くさ]るほどたくさんあるが、“民主主義の会”はひとつもない。昔の神がいる世界では、人間が闘争に勝ったり奇跡を起こした者を囲ったりすれば人間よりも上の者(つまり神)になれたが、民主主義をやっても人間よりも上の者になれなかったからである。今の神がいない世界では、もはや人間はどんなことをやっても人間よりも上の者にはなれないのである。[神がいる時代に民主主義で人間よりも上の者になれるのなら、“特定の地域”で住民に最初の一回だけお金をやって選挙させて代表者を決めて代表者からなる会を作ればその会は人間よりも上の者になる。その会はその地域の住民に対して何でも命令できるから、次回からは住民からお金を取って住民に無理やり選挙させればいい。そうすれば、その会は永久に上の者でいられる。しかし、実際にはそんな会は世界にひとつもない。だから、民主主義では人間よりも上の者にはなれない。つまり、そもそも民主主義の会は国民と平等であり、国民に命令できないのである。だから、誰も民主主義の会を作らなかったのである。その上、今は神がいない時代であり、今では人間よりも上の者そのものがないから、人間がいくらどんなことをやってがんばってももはや人間よりも上の者にはなれない。神がいる時代においてすら民主主義の団体は人間よりも上の者ではなかった。神がいない時代においてはなおさらだ。だから、今の政府のような民主主義の団体は国民に対して何の命令もできない。国民からお金を取れないし、国民に無理やり選挙させることもできない。“神の団体”でないかぎり、いくら民主主義をやっても国民よりも上の者にはなれない。反対に、“神の団体”でさえあれば、たとえ民主主義をやらなくても国民よりも上の者なのだ。だから、実際に、民主主義をやらない暴力団や宗教団体が国民よりも上の者だったのだ。民主主義は、政府が政府と国民が平等であることを示すためのパフォーマンス(芝居[しばい])だったのだろう。近代になってからは神がいなくなってきたので政府と国民が平等になってきたので、政府は国民の手前民主主義をやらねばならなかったのである。政府はいやいやしかたがなく民主主義をやっていたのである。神としては人間と平等であることはなるべくやりたくなかったのである。しかし、実際には近代にはまだ神がいる時代だったので、神が完全にいない時代ではなかったので、政府と国民はやはり不平等だったのだ。政府は国民に重い命令ができたのだ。きつい命令ができたのだ。しかし、戦後の現代になってからは、完全に神がいない時代になったので、政府は完全に神ではなくなった。だから、今の政府は国民に命令できないのだ。今の政府が民主主義をやっていればなおさらだ。だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。政府の命令を聞かなくてもかまわない。ところが、『昔の政府が神だった』ことを知らない国民は、「政府が民主主義で国民を支配している」とまちがって考えて政府に従っているのである。『昔の政府が神だった』ことを知らない国民は「政府が民主主義で国民に戦争をさせた」と考えているのである。「政府が民主主義で国民に税金を払わせている」と考えているのである。しかし、本当は、民主主義は国民が物事を決めるための方法であって、民主主義においては議員は国民と平等であって議員は国民よりも上の者ではないのである。そもそも民主主義はすべての人間が守らねばならない主義ではない。だから、民主主義に賛成か反対かは個人の自由である。だから、民主主義に賛成する者だけで集まって民主主義(多数決)で物事を決めればいいのである。民主主義に反対する者は、民主主義の決定に従わずに自由に暮らせばいいのである。人間は『人間の平等性』だけ守って暮らせばいいのである。もしも民主主義すなわち多数決が正しければ、政府抜きで国民だけで多数決を採[と]って「政府を皆殺しにする」ことに決めて政府を皆殺しにすればいいのである。]
だから、たとえ今の政府が民主主義をやっていても、今の政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14055] やはり大勢の国民は“国民が政府に従う理由”がわかっていない。 h24.1.23
戦前は神がいる世界だった。神がいる世界では、政府が神だった。政府が国民を支配していた。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は神がいない世界になった。神がいない世界では、政府は神ではなくなった。政府は国民を支配できなくなった。国民は政府に従わなくてもよくなった。
ところが、大勢の国民は国民が政府に従う理由がわかっていなかったので、戦後に神がいない世界になっても、依然[いぜん]として政府に従い続けたのである。いまだに大勢の国民が政府に従う理由がわかっていないので、政府に従う必要がないのに政府に従い続けているのである。政府は政府に従う理由がわかっていない国民のために「国民は政府に従わねばならない」みたいなコマーシャルをやって、政府に従う理由がわかっていない国民を政府に従わせているのである。大勢の国民は国民が政府に従う理由がわかっていないから、政府の嘘[うそ]のコマーシャルに騙[だま]されるのである。
一方、国民の中には国民が政府に従う理由がわかっている者もいる。そういう者はとっくの昔の戦後から政府に従うのをやめている。もちろん、今では国民が政府に従わないのは正しいことなので、政府は政府に従わない国民に文句を言わない。つまり、実際には戦後から国民は政府に従わなくてもよくなっているのである。
今の世の中には、政府に従う国民と政府に従わない国民の両方がいるのである。
戦後の今は神がいない時代なので、早く政府に従う国民は政府に従うのをやめるべきである。

[14056] 戦後の国民は政府に従わなくてもかまわない。☆☆ h24.1.23
戦前(世界大戦以前)は神がいる世界だった。神がいる世界では、政府が神だった。政府が国民を支配していた。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後(世界大戦以後)は神がいない世界になった。神がいない世界では、政府は神ではない。政府は国民を支配できない。国民は政府に従わなくてもいい。
今の大勢の国民は政府に従う必要がないのに、政府に従っている。無駄[むだ]なことをやっている。
だから、大勢の国民は政府に従うのをやめればいい。


[14057] 法律会社はまちがった法律を作れない。 h24.1.24
昔の政府は神だった。だから、国民は政府に従わなければならなかった。
今の政府は神ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
そのために、今の政府は国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れている。政府はいつかはなくなる。政府は法律の仕事をやっている。
だから、国民で政府とは別に法律会社を建てねばならない。
法律会社は特定の企業や個人からお金をもらってまちがった法律を作るかもしれない。
ただし、そんな法律を作ったら、法律を作った者が殺されるだろう。
なぜなら、法律を作った者が神ではないからだ。
昔の政府は神だったから、どんなまちがった法律でも作ることができた。人間は神には逆らえなかったから、国民は政府の決めたどんな法律にでも従うほかなかった。
しかし、法律会社は人間だから、まちがった法律を作ると他の人間によって罰せられる。人間は人間に逆らえるから、国民は正当な法律以外は守らないのだ。

[14058] 政府は無駄遣[むだづか]いをしている。 h24.1.24
例えば、政府は瀬戸内海大橋を3本も建てて無駄遣いをしている。私の姓の川野の“川”のために3本も橋を建てたのである。
本州と四国の交通ぐらい船があれば足[た]りる。船で十分である。
政府が無駄遣いをしたせいで、国民は貧乏に不幸に暮らさねばならなくなっている。
政府が無駄遣いをしなければ、国民は裕福に幸福に暮らすことができる。
政府は無駄金を使う馬鹿である。おかげで、国民は政府に高い税金を取られて貧乏暮らしをさせられている。政府があるおかげで、国民はステーキも食べれないし、世界一周旅行にも行けない。
政府が瀬戸内海大橋や九州新幹線を建てたせいで、私の近所のダイエースーパーがなくなって私が美味[おい]しい食材が買えなくなって私が美味[おい]しい物が食べれなくなっている。
政府が無駄な橋や道路や鉄道を建てたせいで、国民が美味しい物が食べれなくなっている。国民が面白い本が読めなくなっている。子供が面白いおもちゃで遊べなくなっている。
政府は国民の金を無駄遣いする会である。おかげで、国民のお小遣[こづか]いがなくなって国民の幸福がなくなっている。
国民は早く政府に従うのをやめて、政府のない社会を作らなければならない。

[14059] 今では国民が自分から政府に従っているだけである。 h24.1.24
戦前は神がいる時代だった。政府は神だった。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は神がいない時代になった。政府は神ではなくなった。国民が政府に従わなくてもよくなった。[『超時空要塞マクロス』でも、後半はゼントラーディ軍のブリタイ司令官がマイクローン(地球人)と仲良くなった。ゼントラーディ軍は政府で、マイクローンは国民である。つまり、戦後は政府と国民が平等になったということである。私は本放送のとき『マクロス』を後半から見始めて、最近(4〜5年前)前半を見た。]
ところが、大勢の国民は国民が政府に従う理由がわかっていないので、戦後も自主的に政府に従っている。今でも大勢の国民がやみくもに「国民は政府に従わねばならない」と思って自分から政府に従っている。政府は国民の好きなようにさせている。だから、憲法も大勢の国民に合わせて「国民は政府に従わねばならない」みたいに書いている。テレビや新聞も大勢の国民に合わせて「国民は政府に従わねばならない」みたいなことばかりやっている。政府は国民が政府に従うことに便乗[びんじょう]して国民に命令している。
今では、国民が政府に従うから、政府が国民に命令しているだけである。国民が政府に従わなければ、政府は国民に命令できないのである。
国民が政府に従っても、国民が得になることは何もない。政府が得をするだけで、国民にとっては損である。
だから、国民はさっさと政府に従うのをやめるべきである。

[14060] 今の国民は思い込[こ]みが強すぎる。 h24.1.24
戦前は政府が神だったから、国民は政府に従っていた。戦前の政府は神だったから、神は人間を好き放題にできたから、政府は自分に従わない国民を拷問[ごうもん]にあわせて無理やり自分に従わせることができた。だから、国民はみんな政府を怖[こわ]がって政府に従っていた。
戦後は国民が「国民は政府に従わねばならない」と思っているから、国民が政府に従っている。戦後の政府は神ではないから、国民が政府に従わなくても政府は何もできない。それなのに、国民は政府を怖[おそ]れて自分から政府に従っているのである。
つまり、今では国民が自分で自分を政府に従わせているだけである。今では国民が強迫的[きょうはくてき]に政府に従っているだけである。
この状態を保てば、政府は国民を自分に従わせることができる。
この状態を壊せば、政府は国民を自分に従わせられなくなる。
いったい政府はいつまで国民を従わせられるだろうか?
いったい国民はいつまで「国民は政府に従わねばならない」と思っているのだろうか?

[14061] 今の政府は詐欺[さぎ]会社である。 h24.1.24
今の政府が「国民が政府に従わねばならない」“みたいにしている”から、国民は政府の態度を見て政府に従っているのである。今の国民は政府の雰囲気[ふんいき]を汲[く]んで、自分で「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っているだけである。
しかし、政府は国民にはっきりと「国民は政府に従わねばならない」と言っていない。今の政府は国民に「神がいる」とも言っていない。
実際に、今は神がいない時代であり、今の政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の政府は雰囲気で国民に“無言の訴え”をして国民を騙[だま]している詐欺会社である。日本人は“無言の文化”だから、政府は日本の文化を利用して国民を騙しているのである。だから、国民は政府の雰囲気に騙されず、自分で論理的に考えて政府に従わなければいいのである。国民は他人がつねに“正しくしてくれる”と思ってはいけない。“正直にしてくれる”と思ってはいけない。今の政府は「国民は政府に従わねばならない」みたいにしているが、本当は『国民は政府に従わなくてもいい』のである。今の政府は国民に“無言の嘘[うそ]”をついているのである。[そういえば、日本国憲法には政府のハンコが押していない。]国民は政府に甘[あま]えてはいけない。国民はもっと自分でしっかりしないといけない。

[14062] 無言の嘘[うそ] h24.1.25
戦前は神がいる時代だった。政府は神だった。国民は政府に従わねばならなかった。
戦後は神がいない時代になった。政府は神ではなくなった。国民は政府に従わなくてもよくなった。
それなのに、今の大勢の国民は“国民が政府に従う理由”がわかっていないから、今では本当は国民は政府に従わなくてもいいのに、政府の“無言の嘘”に騙[だま]されていまだに政府に従っている。国民がテレビや新聞で政府が「国民は政府に従わねばならない」みたいにやっているのを見て、「国民は政府に従わねばならない」んだなあと思って、おとなしく政府に従っている。政府に税金を払って、政府の命令を聞いている。
しかし、本当は、今では『国民は政府に従わなくてもいい』のである。今の政府はテレビや新聞で嘘[うそ]をやっているのである。政府は国民に“無言の嘘”をついているのである。今の政府は詐欺[さぎ]会社である。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されずに、自分で考えて正しいことをすればいいのである。政府に税金を払わず、政府の命令を聞かなければいいのである。
“テレビ馬鹿”は政府のカモである。テレビ馬鹿は四六時中テレビばかり見ていて、テレビでやることは何でも正しいと思っていて、自分の頭で何も考えず、テレビの言いなりになっている。だから、テレビ馬鹿はテレビで政府が「国民は政府に従わねばならない」みたいにやっているのを見て、そのまま「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのである。国民はテレビ馬鹿にならないように注意しなければならない。

[14063] ようやく今頃[いまごろ]になって国民は暴力団や宗教団体や政府が悪い団体だと考えるようになって来ている。 h24.1.25
今は神がいない時代である。今では『神がいない』ことは実在についての真理である。
だから、今では国民は暴力団や宗教団体や政府を国民と同じ人間だと考えるようになって来ている。
だから、今の国民は暴力団や宗教団体や政府が悪いことをやっていると考えるようになって来ている。国民は暴力団や宗教団体や政府が偉そうに国民を好き放題にして国民を遊び半分に嫌がらせたり国民に命令して国民からお金を取ったりすることを許さなくなって来ている。これまで国民はひたすら暴力団や宗教団体や政府の言いなりになっていたが、今の国民は暴力団や宗教団体や政府に従わなくなって来ている。[[14032]を参照。]
だから、今では国民が暴力団や宗教団体や政府に反抗的になって、暴力団や宗教団体や政府を人間社会から追放してこの世からなくそうとしているのである。
戦後に神がいなくなった。その効果がようやく70年後の今頃になってぼちぼち現れているのだ。社会の変化はユックリズムだ。しかし、とにかく、たしかに今は神がいなくなっているのだ。今は『神がいない』ことがゆっくりと徐々[じょじょ]に具体化しているのだ。もっとも、神がいなくなることに早さの規定はないから、早いに越したことはない。

[14064] 今ではすでに政府に従わない国民がいる。 h24.1.25
実際にないことでも報道すればあることにできるように、実際にあることでも報道しなければないことにできる。
実際には今では『国民が政府に従わなくてもいい』のに、政府はテレビや新聞で「国民が政府に従わねばならない」みたいなことを報道させることによって、国民に「国民は政府に従わねばならない」と思わせている。
それと同じように、実際にはすでに『政府に従わない国民がいる』のに、政府はテレビや新聞で『政府に従わない国民がいる』ことを報道させないことによって、国民に「政府に従わない国民がいない」ように見せかけているのである。国民に「政府に従わない国民がいない」と思わせているのである。
それに、実際には『政府は国民に命令して国家宗教をやらせたり、遊び半分に国家宗教などで国民を嫌がらせたり殺したりしている』のに、政府はテレビや新聞で「政府が国民の役に立つことをやっている」ことだけを報道させて、国民に「政府が国民の役に立つことだけをやっている」ように見せかけている。そうして、政府は国民に「政府が国民の役に立つことをしてくれる善[い]い団体だ」と思わせて、何食わぬ顔をして国民から税金を取っている。これでは、世界大戦のときに、政府が国民に日本軍が勝ったことだけを報道させて、日本軍が負けたことを報道させなかったのと同じことである。
政府はテレビや新聞やその他のメディアでさまざまな情報操作をすることによって、国民に現実とは違う世界を現実だと思わせているのである。だから、国民はテレビや新聞やその他のメディアでやっていることを事実だと思ってはならない。直接に自分の眼で見たこと以外は事実だと思ってはならない。しょせん、テレビや新聞やその他のメディアは“娯楽[ごらく]”にすぎないのである。そんなものによって事実がわかると思うほうがおかしい。事実はそんなに容易に手に入るものではない。事実は自分の眼によらないかぎりわからないのである。自分の眼で見たことについて後[あと]でもう一度考え直さないかぎり、真実はわからないのである。
とっくの昔に神がいなくなったのに、いまだに国民の多くが政府に従っているのは、政府の情報操作の賜物[たまもの]である。しかし、それでも国民は政府に従わなくなって来ている。しょせん、情報操作の力には限界がある。国民はテレビや新聞を見るだけではなく、直接に自分の眼で世の中を見ている。だから、いずれは国民に事実がばれてしまうのだ。政府は情報操作によって国民に事実が知られるのを多少遅らせることができるだけで、結局は国民に事実が知られてしまうのだ。だから、政府は国民を支配するのを諦[あきら]めてさっさと滅んだほうがいい。

[14065] 今は『神がいない』世界の建設中である。 h24.1.25
世界大戦以前は「神がいる」時代だった。昔は「神がいる」ことが真実だと考えられていた。昔は「神がいる」ことが具体化されていた。昔は「神がいる」世界を建設していた。政府や暴力団や宗教団体が神として、人間である国民を自分の物だと思って好き放題にしていた。神は人間に命令して人間の物やお金を取ったり、人間を遊び半分に殺したり嫌がらせたりしていた。神は自分の縄張りを広げるために人間に命令して人間に戦争をさせたりしていた。神は自分の力を誇示[こじ]するために、競[きそ]って宗教や軍事の施設を建てたりした。[少し時代が前後するが、そのために、アメリカとソビエトは競って核ミサイルを作っていたのである。]
ところが、世界大戦頃[ごろ]に、『神がいない』ことに決まった。人類の文明が進歩した結果、『神がいない』ことが真実だと考えられるようになった。[もっとも、世界大戦と『神がいない』ことの間に論理的関係はない。ただ時期的に偶然に一致していただけのことである。だから、神がいなくなったのは、ヨーロッパでは世界大戦よりも少し前で、日本では世界大戦よりも少し後である。日本国憲法が出来た頃は、まだ日本では神がいたのである。だから、日本国憲法では国民が政府に従わねばならないことになっているのである。しかし、今はもう神がいない時代だから、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。日本国憲法は日本政府が作った文書[ぶんしょ]にすぎない。だから、国民が政府に従わなくてもよければ憲法を守らなくてもいいのである。つまり、今では政府と国民の関係に関する法律はない。ただし、国民と国民の関係に関する法律はあるから、それは守らなければならない。
そのため、世界大戦以後は『神がいない』時代になった。今では『神がいない』ことが具体化されている。今は『神がいない』世界の建設中なのだ。国民は政府や暴力団や宗教団体を神だと考えることをやめて国民と同じ人間だと考えるようになって来ている。国民は政府や暴力団や宗教団体が国民を自分の物だと思って好き放題にするのを許さなくなって来ている。国民は政府や暴力団や宗教団体が自分と平等だと考えて、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなって来ている。国民は政府や暴力団や宗教団体に反抗的になって、人間社会から政府や暴力団や宗教団体を追放して政府や暴力団や宗教団体のない社会を作ろうとしている。
人間は実在には逆[さか]らえない。人間は実在に従わねばならない。昔は「神がいる」ことが実在における真実だと考えられていた。だから、昔の人間は「神がいる」世界を作っていた。今では『神がいない』ことが実在における真実だと考えられている。だから、今の人間は『神がいない』世界を作っているのである。今は『神がいない』ことが人類の指導原理である。だから、今の人類は『神をなくする』ためには、何をやってもいいのである。
今の政府は何の根拠もないのに威張[いば]っている空[から]威張り馬鹿である。だから、国民は政府を無視して自分の好き勝手にやっていいのである。

[14066] 財団☆ h24.1.25
国民が政府にお金をやっても無駄[むだ]である。政府の実体は軍事団体と宗教団体だから、政府は軍事や宗教のために国民のお金を無駄遣[づか]いするだけである。政府は神の団体だから、政府は自分が神だと思って、国民の嫌がらせのためにお金を使うだけである。政府は自分の力を誇示[こじ]するために国民の役に立たないガラクタを作ってお金を無駄遣いするだけである。
だから、国民で政府とは別に財団を建てればいい。国民が財団に税金のようにお金をやって、財団がお金の使い道を決めればいい。そうすれば、国民のお金をもっと国民のために有効に活用できる。
国民は政府にお金をやらずに財団にお金をやればいい。そうすれば、国民にとっていい国ができる。

[14067] 実験で確かめてみよう。 h24.1.25
私の神理論によれば、『今の国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府に税金を払わなくていいし、政府のどんな命令も無視していい。たとえ国民が政府に従わなくても、政府は腹を立てるだけで、政府は国民に手出しも口出しもできない』ことになる。
いわば、このこと(上の『…』)は私の神理論による“予言”である。
私の神理論による予言が正しいかそうでないかは、国民それぞれが“実験”して確かめてみればいい。[たとえ外[はず]れていても、国民が役人に軽く注意される程度ですむはずだ。]
私はたぶん正しいと思う(笑)。

[14068] 国民の無知のせいで政府がなくなるのが遅れている。 h24.1.26
世界大戦以前は神がいる時代だった。
世界大戦以後は神がいない時代になった。世界大戦以後は、誰も「神がいる」と言わなくなった。
ところが、国民の大勢は“国民が政府に従わねばならない理由”がわかっていなかった。
そのために、神がいなくなった後でも、国民の大勢は政府に従い続けた。
[あの合理主義哲学の祖[そ]と言われているルネ・デカルトでさえも『方法序説』で「自分が確実な認識が得られないときには、ひとまず習慣に倣[なら]うべきだ」と書いているぐらいだから、国民の大勢が習慣に倣うのも無理はない。]
しかし、本当は、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。

昔の国民が政府に従わねばならなかったのは、昔の政府が神だったからである。昔の神がいる時代には、政府が神だったので、人間は神に従わねばならなかったので、国民は政府に従っていたのである。
しかし、今は神がいない時代である。神がいない時代には、もはや政府は神ではない。だから今では国民は政府に従わなくてもいいのである。
もっとも、たとえそんな理屈を知らなくても、今では国民は政府に従わなくなって来ている。今は神がいない時代なので、政府も国民も人間である。だから、今の国民は自分が政府と平等だと思って政府に従わなくなって来ている。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わなくなって来ている。今では政府と国民は平等なので、たとえ国民が政府に従わなくても、政府は国民に手出しも口出しもできない。
もしも、昔の国民がみんな“国民が政府に従わねばならない理由”がわかっていたら、戦後すぐに政府は潰[つぶ]れてなくなっていただろう。昔の国民が“国民が政府に従わねばならない理由”を知らないばっかりに、政府がなくなるのが遅れている。だから、国民は早く政府を潰さなければならない。

[14069] 今は神がいない時代である。 h24.1.26
昔は神がいる時代だった。神がいる時代には、政府が神だった。一方、国民は人間だった。神は人間よりも上の者だったので、政府と国民は不平等だった。政府は国民に命令できた。国民は政府に従わなければならなかった。国民は政府の持ち物であり、政府は国民を好き放題にできた。
だから、昔は国民が政府に税金を払うのが正しかった。国民が政府に税金を払わないのがまちがっていた。政府が国民から税金を取るのが正しかった。政府が国民から税金を取らないのがまちがっていた。
一般に、昔は国民が政府の命令を聞くのが正しかった。国民が政府の命令を聞かないのがまちがっていた。政府が国民に命令するのが正しかった。政府が国民に命令しないのがまちがっていた。
しかし、今は神がいない時代である。神がいない時代では、政府は神ではない。政府と国民は同じ人間である。政府と国民は平等である。政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の持ち物ではなく、政府は国民を好き放題にできない。
だから、今は国民が政府に税金を払うのはまちがっている。国民が政府に税金を払わないのが正しい。政府が国民から税金を取るのはまちがっている。政府が国民から税金を取らないのが正しい。
一般に、今は国民が政府の命令を聞くのはまちがっている。国民が政府の命令を聞かないのが正しい。政府が国民に命令するのはまちがっている。政府が国民に命令しないのが正しい。
昔は昔の時代の決まりがあったように、今は今の時代の決まりがある。
国民も政府も神がいる時代と神がいない時代を混同してはいけない。
たとえ“政府が国民の暮らしにとって重要な機能をいくつか担[にな]っている”といっても、政府が神でないことに変わりはない。だから、国民は政府に従わなくていい。政府の代[か]わりはいくらでもいる。だから、政府が潰[つぶ]れても国民はちっとも困らない。国民にとっては税金を取って仕事をする会社よりも、税金を取らずに仕事をする会社のほうがいい。だから、政府が潰れたほうがいい。

[14070] 政府は詐欺[さぎ]会社である。☆ h24.1.26
政府は国民の無知や誤解を利用して儲[もう]ける会社である。
昔の国民は「神がいる」と誤解していた。そこで、政府はちゃっかり自分が神になりすまして国民を支配した。政府は国民を好き放題にして国民からお金を取って儲けていた。
今の国民は「国民は政府に従わねばならない」と誤解している。そこで、政府は国民の前で空威張[からいば]りして国民を好き放題にして国民からお金を取って儲けている。
いつの時代にも、国民には誤解がある。政府は国民の誤解を利用して儲けているのだ。
人類が「神がいる」誤解を解くのには数万年という長い年月を要した。政府は長い間に渡って国民を支配することができた。昔の人間は自然が理解できなくて自然に支配されるだけだった。それで、人間は自然を擬人化して“神”という概念を作った。だから、神は人間よりも上の者だったのだ。神と武力団体や宗教団体が結びついて、いつの間にか武力団体や宗教団体が神になってしまったのである。武力団体や宗教団体が人間よりも上の生き物になってしまったのである。今は人間が自然を理解して自然を支配するようになったから、神がいなくなったのだ。だから、武力団体や宗教団体が神と結びつかなくなってただの人間になってしまったのだ。政府が人間になってしまったのだ。[武力団体が特定の個人を暴力で脅[おど]すことはできるが、国民全員を暴力で脅すことはできない。だから、武力団体が武力で国民全員を支配することはできない。昔は武力団体が神だったから国民を支配できただけである。武力団体が神でなければ、国民を支配することはできなかったのである。また、昔は国民が宗教団体を神だと思っていたから、宗教団体は国民を好き放題にできた。宗教団体は暴力団さながら国民に暴力をふって国民を半殺しにして国民から無理やりお金を取っていたのである。しかし、今では暴力団も宗教団体も神ではないから、もはやそんなことはできないのである。]
しかし、人類が「国民が政府に従わねばならない」誤解を解くのにはそんなに時間はかからない。今では『神がいない』ことが常識になっているから、国民は政府を自分と同じ人間だと思っているから政府と自分が平等だと思っているから、今でもすでに国民は政府に従わなくなって来ている。国民は政府に税金を払わず、政府の命令を聞かなくなって来ている。だから、政府が滅ぶのも時間の問題である。戦後に神がいなくなった時からすでに政府は滅んでいるのだ。だから、政府はそんなに先が長くはないだろう。

[14071] 政府の表と裏 h24.1.26
政府の本体は武力団体と宗教団体の組合であり、民主主義の政治組織(法治機関を含む)は明治時代になって新たに政府に加えた付け焼刃[つけやきば]にすぎない。政府においては、国会よりも武力団体や宗教団体のほうが上の機関なのである。首相(内閣総理大臣)よりも武力家(?)や宗教家のほうが上なのである。首相は武力団体や宗教団体の命令で動いているだけである。[だから、国民がいくら政府が気に食わないからといって、首相をいたぶっても何にもならないのである。例えば、田中角栄首相が所得倍増計画を立てたのは、所得倍増計画←倍増←ダブル←ブル←ルブ←川ブ(ル≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。つまり、日本政府の宗教家が所得倍増計画を立てて、それを田中角栄首相が国民に発表したのである。だから、国民が田中首相をいくらいたぶっても復讐したことにはならない。]
政府の民主主義の政治組織はテレビに出るだけで、実際にはほとんど活動をしていない。つまり、政府の民主主義の政治組織はテレビに出るのが仕事で、他[ほか]には仕事がない。政府の民主主義の政治組織はテレビに出て会議みたいなことをやってテキトウに国民の機嫌[きげん]を取っていればそれでいいのである。
反対に、政府の武力団体と宗教団体はテレビに出ることはないが、実際に活動している。政府の中で実際に活動しているのは、政府の武力団体と宗教団体である。政府の武力団体は、自分の力を誇示[こじ]するために国家宗教などで国民を嫌がらせたり殺したりしている。今は国際的に植民地戦争がやれないから、政府の武力団体はしかたがなく自分の国で自分の国民を殺して満足しているのである。国民の中には政府が国民を殺すのを喜んでいる者がいる。政府に殺された国民は、江戸時代の穢多[えた]・非人[ひにん]と同じである。政府の宗教団体は、自分の力を誇示[こじ]するために国民に国家宗教をやらせている。つまり、国家宗教の神の情報の入った製品やテレビ番組などを作らせたり、国家宗教の神の情報が入った橋や道路や鉄道などを国民のお金を湯水[ゆみず]のように使ってむやみやたらに作らせたりしている。[[14058]を参照。]政府の民主主義の政治組織は国民のためにほとんどお金を使わず、政府の武力団体と宗教団体が国民から取った税金のほとんどを国民の嫌がらせやどうでもいいことのために無駄遣[むだつか]いしているのだ。
政府の民主主義の政治組織は、国民に「政府と国民が平等だ」と思わせるために政府が置いているだけである。政府の本体は武力団体と宗教団体であり、今でも密[ひそ]かに国民の眼の届かないところで活動を続けているのである。明治時代以降は政府は民主主義の政治組織を国民の眼につく所に置いて、政府の武力団体や宗教団体は国民に隠[かく]れて活動しているのである。政府が滅ばないかぎり、政府の武力団体や宗教団体の活動は止[と]まらないのである。
政府は今でも自分が神のつもりでいる。神と人間は違う生物だから、神は人間のためになることはしない。神は人間を自分のために利用するだけで、人間の役に立つことはしない。[人間だって動物を自分のために利用するだけで、動物のためになることはしない。]つまり、政府は国民から取ったお金を自分の“趣味”(つまり自分の力を誇示すること)のために使うだけで、政府は国民の役に立つことはしないのである。[今は神がいない時代だが、政府は今でも神をやっている。もっとも、国民が「政府は神ではない」と言って政府に従わなければ、政府も自分が神ではないことを認めて神をやめるしかない。反対に、国民が黙[だま]って政府に従っていれば、政府は図に乗っていつまでも神をやっているのである。国民が黙っていれば、政府はますます神をやろうとするのである。]
もっとも、今は神がいない時代だから、今では武力団体も宗教団体も神ではなく、国民と同じ人間だから、国民は政府に従う必要はない。政府は国民にとって要らないことをしているだけだから、国民にとっては政府がなくなったほうがいい。だから、国民は政府に従わず政府にお金をやらずさっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[14072] 神がいる世界と神がいない世界 h24.1.27
神がいる世界では、世界は神のためにある。世界は神だけのためにある。神がいる世界では神が万物の霊長であり、人間は動物にすぎないのである。人間は神の持ち物であり、神に利用されるだけである。人間の財産はすべて神のものなのである。
神がいる世界では、神は自分の趣味をして遊んでいる。神の趣味とは、人間を虐[いじ]めることや、自分の力を誇示[こじ]することである。神は国家宗教の神の情報を入れた事件を起こして人間を殺したり嫌がらせたりする。神は自分の力を見せびらかすために、人間からお金を取って大きなお城や教会を建てたりする。例えば、ヨーロッパの大きなお城や教会は、当時の政府が自分の力を誇示するために国民から高い税金を取って建てたものである。万里の長城も中国政府が自分の力を誇示するために大勢の国民を働かせて建てたものである。アメリカやソビエトの核ミサイルも、政府が自分の力を誇示するために建てたものである。今の日本政府が国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組を作らせているのも、政府が自分の力を誇示するためである。
神がいる世界では、神は自分の縄張り(国のこと)を広げるために、人間を使って戦争をすることがある。神は自分の縄張りが広いほど多くの人間からお金や物を取れるので、神はできれば戦争をして自分の縄張りを広げたいと思っている。
一方、
神がいない世界では、世界は人間のためにある。神がいない世界では、人間が万物の霊長であり、人間の上には何もいない。もはや人間は誰の持ち物でもない。人間は誰にも利用されない。人間の財産はその人間のものであって、他人のものではない。
神がいない世界では、人間は自分の趣味をして遊んでいる。人間の趣味とは、本を読んだり、ゲームをしたり、テレビを見たり、山登りをすることなどである。
神がいない世界では、人間は自分の財産を増やすために、仕事をしている。神の縄張りはないから、国はない。
実際に、昔は神がいる時代だった。神がいる時代には、政府が神だった。国民は政府の持ち物であり、政府は国民を好き放題にした。
しかし、今は神がいない時代である。神がいない時代には、政府は神ではない。国民は政府の持ち物ではない。政府は国民を好き放題にできない。
日本では、世界大戦以前は神がいる世界だったが、世界大戦以後は神がいない世界になった。
今の世界には神がいない。人間しかいない。
国民はいつまでも神がいる世界をやっていないで、早く神がいない世界に慣れねばならない。
政府もいつまでも神をやっていないで、早く人間にならねばならない。

[14073] 国を発展させる会社 h24.1.27
神がいる時代には、神が国を発展させていた。
神は自分の財産を増やすために、自分の縄張りを広げるために国の軍事力を強めるために、国の文明を発達させた。
だから、神がいる世界でも、国の文明が発達して国民は多少は豊かに暮らすことができた。
だから、これまで国民は政府を支持していたのである。
しかし、今は神がいない時代である。今では神は自分の縄張りを広げるために戦争をやってはいけないことになっている。
だから、今の神(つまり政府)は自分の国の中で国家宗教ばかりやっている。
しかし、いくら政府が国家宗教をやっても、国の文明は発展しない。政府はただ国家宗教の神の情報を入れた物を国民に作らせるだけである。そんなことをいくらやっても国の文明は発達しない。例えば、今の日本政府は私と天皇の二人を国家宗教の神として、橋や道路や鉄道ばかり建てている。橋←ブリッジ←ブリ←リブ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私、道路←車←カー←川←川野(私の姓)←私、あるいは道路←WAY←うぇい←うい←フ川(“う”の上の線を“い”に移す)←川フ←川ブ←川野延夫←私かもしれない、鉄道←鉄←テツ←テン(ツ≒ン)←天←天皇だからである。今の政府がマンガに力を入れているのも、マンガ←マガ←フガ(マ≒フ)←ガフ←カブ←川ブ←私だからである。つまり、今の政府は駄洒落[だじゃれ]で政策をやっているのである。駄洒落にも限界がある。政府は何でもできるわけではない。[戦後の政府は戦争がやれなくなったから、政府の武力団体が活動できなくなったから、その分政府の宗教団体が活動しなければならなくなったので、政府は国家宗教の神を私と天皇の二人に増やして国家宗教をやるようになったのである。]
今ではむしろ政府のおかげで国の発展が妨[さまた]げられている。政府は国民の暮らしにとって無駄[むだ]な物ばかり作って、国民の暮らしにとって必要なものが作られなくなっている。
政府がいなければ国の政策が軍事や国家宗教に縛[しば]られずに、もっと効率よく国が発展させられるはずである。
今は神がいない時代だから、国民はいつでも神を葬[ほうむ]ることができる。
今は神がいない時代だから、今の政府は神ではない。今の政府はただの武力団体と宗教団体にすぎない。国民はもはや政府に従わなくてもかまわない。
だから、国民はさっさと政府を倒して、国民で“国を発展させる会社”を建てて、その会社に国の経営を任せるべきである。そうしたほうが、国が健全に発展して、国民も幸福になれる。

[14074] 今の国民は自分が政府に従わねばならないと思っていない。 h24.1.27
政府は武力団体と宗教団体の組合である。
昔は神がいる時代だった。昔の政府は神だった。だから、昔の国民は政府に従わねばならなかった。
今は神がいない時代である。今の政府は神ではない。だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。
ところが、大勢の国民は“国民が政府に従う理由”がわかっていないので、理由がなくなった後でも政府に従っている。大勢の国民は馬鹿だから死ぬまで政府に従う理由がわからないのである。大勢の国民が政府に従う理由がわかっていないことが、大勢の国民が政府に従う理由である。
今の政府は無知な大勢の国民によって支えられているのである。
しかし、今は神がいなくなって、みんなが同じ人間でみんなが平等だと考えられている。
だから、今では国民の中にも政府に従わなくてもいいと考えて、政府に従わない者が現れて来ている。
今は神がいない時代なので、今では国民が政府に従わないことは正しいことだから、政府も国民に文句が言えない。
政府に従う国民は年々[ねんねん]減って来ている。
だから、政府は先が長くはないだろう。

[14075] マンガ家と芸術家 h24.1.27
マンガ家と芸術家は“絵の持ち味”が違う。マンガ家と芸術家の違いは“絵の持ち味”の違いである。
要するに、ふざけた感じがする絵がマンガで、まじめな感じがする絵が芸術なのだ。
マンガ家は快楽主義である。
芸術家は真理主義である。
マンガよりも芸術のほうが仕事の割[わ]りがいい。1枚当りの絵の値段はマンガよりも芸術のほうがはるかに高い。
だから、人間は快楽主義よりも真理主義にしたほうがいいのである。

[14076] 今の国民が政府に従わなくてもいい理由☆ h24.1.27
政府は民主主義の政治機関の上に“武力団体と宗教団体の組合”がある。
昔の国民が政府に従わねばならなかったのは、“武力団体と宗教団体の組合”のためである。民主主義の政治機関はどうでもいいのである。民主主義の政治機関は国民と平等だから、国民は民主主義の政治機関に従わなくてもいいのである。
昔の神がいる世界では、“武力団体と宗教団体の組合”が神ということになっていたから、国民が政府に従わねばならなかったのである。昔はみんなが「この世に神がいる」と思っていたから、“武力団体と宗教団体の組合”である政府が神だということになって、人間は神に従わねばならないから国民が政府に従っていたのである。[[14070]の赤字参照。]
しかし、今では神がいないとされている。今では人類の文明が進んで『神がいない』ことが正しいとされるようになったからである。
今の神がいない世界では“武力団体と宗教団体の組合”は神ではない。
だから、今では国民が政府に従わなくてもよくなったのである。(証明終り)
今の政府は国民が政府に従うから国民に命令しているだけである。だから、国民が政府に従わなければ政府は国民に命令しないのである。例えば、国民が政府に税金を払わなければ、政府は国民から税金を取らないのである。だから、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府に税金を払わなければいいのである。[商売人は政府に消費税を払わずに自分の懐[ふところ]に納めればいい。]
それなのに、今でも大勢の国民が政府に従っているのは、いまだに大勢の国民が「国民は政府に従わねばならない」と思っているからである。大勢の国民は、私が上に書いた“今の国民が政府に従わなくてもいい理由”がわかっていないのである。一方、少数の国民は“今の国民が政府に従わなくてもいい理由”がわかっているが、それを他人に言わない。[少数の国民が“今の国民が政府に従わなくてもいい理由”を言わないのは、そんなことを言ってもお金が儲[もう]からないからである。あるいは、大勢の愚[おろ]かな国民が政府の言いなりになっているのを眺[なが]めて喜ぶためである。]だから、大勢の国民はいまだに「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのである。
ところが、私がこうして“今の国民が政府に従わなくてもいい理由”を明らかにした。だから、今後は大勢の国民は政府に従わなくなるのである。


[14077] 環境によって物の状態は変化する。 h24.1.28
政府は武力団体と宗教団体の組合である。
神がいる世界では、武力団体や宗教団体は神である。
神がいない世界では、武力団体や宗教団体は人間である。
だから、
神がいる世界では、国民は政府に従わねばならない。
神がいない世界では、国民は政府に従わなくてもかまわない。
実際に、
昔は神がいる世界だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は神がいない世界である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
つまり、神がいる世界と神がいない世界では、政府と国民の関係が違うのである。
政府と国民の関係は、政府と国民が置かれている環境によって変わる。環境に反応して変化する。リトマス試験紙が、アルカリ性溶液では青色、酸性溶液では赤色に変わるようなものである。[リトマス試験紙の色の変化は、“トーマス君がアブにさサレる(虻[あぶ]に刺される)”と憶えればいい。…リ“トマス”試験紙が“ア”ルカリ性で“ブ”ルー、“酸”性で“レ”ッドになる。]
現在は、政府と国民が神がいる世界から出されて、神がいない世界の中に置かれたすぐ後[あと]である。だから、国民が政府に従うことから国民が政府に従わないことに変わって来ているのである。リトマス試験紙がアルカリ性溶液から出されて酸性溶液に浸[つ]けられると、青色から赤色に変化するようなものである。

[14078] まず国民から政府に従うのをやめねばならない。 h24.1.28
神がいない時代に、政府が神をやることはまちがっている。だから、政府は神をやめねばならない。
国民が黙[だま]っておとなしく政府に従っているから、政府はつけ上がって今でも神をやっているのである。
国民が「今の政府は神ではない」と言って政府に従わなければ、政府はおとなしくなって神をやめるのである。政府は人間になって国民に命令しなくなるのである。
今は神がいない時代だから、政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、国民は余計な政府に従ったりするのをやめねばならない。
国民が余計なことをするから、政府が国民に便乗[びんじょう]して余計なことをするのである。
だから、まず国民が余計なことをやめねばならない。政府に従うのをやめねばならない。
今は神がいない時代だから、遅かれ早かれ政府は神ではなくなる。国民が政府に従えば政府が神でなくなるのが遅くなる。国民が政府に従わなければ政府が神でなくなるのが早くなる。どうせ政府が神でなくなるのなら、早いほうがいい。だから、国民は政府に従わなければいい。
昔は神がいる時代だった。政府は自分が神だと思って強気になって国民に何でも命令できた。
しかし、今は神がいない時代である。だから、政府は自分が神だと思えず弱気になって国民に何も命令できない。
今では、国民が政府に従っているから、政府が国民に迎合[げいごう]して国民に命令しているだけである。
だから、反対に国民が政府に従わなければ、政府は国民に命令しない。
昔は『政府が神である』ことが政府の支えだった。今では「国民が政府に従っている」ことが政府の支えなのである。
政府は支えがなければすぐに潰[つぶ]れる。だから、国民は政府に従うのをやめればいい。
昔から国民は政府が嫌いだった。人間の上に神がいるのが鬱陶[うっとう]しくて嫌だった。昔は政府が神だったから、国民はいやいや政府に従っていた。今の国民は気が狂っているから自分の本音[ほんね]に逆[さか]らってわざわざ政府に従っているのである。幸い、今の政府は神ではない。今が政府を倒す絶好のチャンスである。だから、国民は政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。

[14079] 人間は遊ぶ生き物(ホモ・ルーデンス)である。 h24.1.28
私がいくらそこら辺[へん]の人間に力説してもしかたがない。そこら辺の人間が私の考えを理解してくれず実行してくれなくてもしかたがない。
なぜなら、そこら辺の人間は考えるために生きていないからである。そこら辺の人間はダラダラして遊ぶために生きているからである。
そんな人間にとっては政府のことなんかまったくどうでもいい。頭の中にはいつも遊びのことしかない。
そこら辺の人間は遊ぶために生きているだけなので、遊びのこと以外は何も考えていない。考えるのが面倒臭いので考えていない。そこら辺の人間にとっては自分が遊べさえすればよく、その他[た]のことはまったくどうでもいいのである。だから、政府もどうでもいいのである。
だから、そんな人間は今でもテキトウに「国民は政府に従っていればいい」と思って、要領[ようりょう]よく政府の言いなりになっているのである。政府に税金を払っているのである。今でも政府に「戦争に行け」と言われたら、政府の言いなりになってすぐにでも戦争に行くのである。
最近は文明が発達してますます遊びの種類が増えた。だから、人間はますます遊ぶようになった。ますます考えなくなった。人間はますます快楽主義になった。文明が進歩するほど、人間は馬鹿や阿呆[あほう]になる。だから、今でも大勢の国民が学校の社会科で習ったことを鵜呑[うの]みにして「国民は政府に従わねばならない」と思って、政府に従っているのである。しかし、本当は『今の国民は政府に従わなくてもいい』のである。大勢の国民は自分で考えようとしないから、いつまでたってもそんな簡単なことがわからないのだ。
天動説でも地動説でもどちらでもいいのが一般大衆の本音[ほんね]なのだ。一般大衆は自分が遊んでいられさえすれば、真理なんかどうでもいいのだ。一般大衆にとっては、国民が政府に従わなければならなくても、国民が政府に従わなくてもよくても、どちらでもいいのだ。一般大衆は遊びのことしか頭にないから、一般大衆に何を言っても無駄[むだ]である。だから、“一般大衆でない者”が天動説か地動説かどちらかに決めねばならない。“一般大衆でない者”が国民が政府に従わねばならないか、国民が政府に従わなくてもいいか、どちらかに決めねばならないのだ。
人類みんなが実在に興味があれば、人類の文化は今の1000倍は進んでいるだろう。

[14080] 大勢の国民がまちがっている。 h24.1.29
昔は神がいる時代だった。政府は神だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は神がいない時代である。政府は神ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
しかし、今でも大勢の国民が政府に従っている。
政府に従っている大勢の国民がまちがっている。大勢の国民が悪い。
政府に従わない少数の国民が正しいのである。少数の国民が善[い]い。
周[まわ]りの人間に流されず自分が正しいことをするのは、人間として立派[りっぱ]なことである。
反対に、テレビで国会議員が「国民は政府に従わねばならない」みたいな態度をしているのを見て政府に従っているのは、馬鹿の見本である。
大勢の国民が政府に従っているせいで、政府がいまだに国民に命令している。政府がいまだに残っている。
もっとも、天動説が地動説に変わったときでも、しばらくの間は国民の多くは天動説が正しいと思っていた。
だから、神がいる時代から神がいない時代に変わったときでも、しばらくの間国民の多くが「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っていても不思議ではない。
そのうち、国民みんなが政府に従わなくなるだろう。あせらずに待てばいいのだ。

[14081] どうして今の政府は人殺しや国家宗教をやっているのか?☆ h24.1.29
今は神がいない時代である。だから、今の政府は神ではない。[中世は神がいる時代だったから政府は自分が神だと言っていた。近代は神がいなくなってきた時代だから政府は曖昧[あいまい]に自分が神だと言っていた。現代は完全に神がいない時代だから、政府は自分が神だと言わなくなった。]
だから、今の政府は武力団体と宗教団体の組合にすぎない。
だから、今の政府は武力団体と宗教団体の組合として活動しているのである。
今の国民は政府に活動資金(税金のこと)を提供しているから、政府は国民からもらったお金で活動して、人殺しや国家宗教をやっているのである。今の政府は神でないだけで、実際にやっていることは昔の政府と変わらないのである。
ただし、今の政府は神ではない。だから、国民は政府に従う必要はない。政府も自分が神ではないことを知っているから、国民が政府に従わないことを認めている。今の政府は自分が神ではないことを知っていながら、“ふざけて”国民を殺したり国家宗教をやったりしているのである。今の政府は独断と偏見で(神としてのではなく)武力団体や宗教団体としての活動をやっているのである。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。政府に税金を払わなくてもいい。
政府があるかぎり、政府は武力団体と宗教団体の組合だから、政府は人殺しや国家宗教をやり続ける。政府によって国民が不幸にされる。だから、国民は早く政府に従うのをやめて、政府を潰[つぶ]さなければならない。

[14082] 国民が政府に従わねばならないのは、政府が神である場合だけである。 h24.1.29
昔は神がいる時代だった。
神がいる時代には、神がいて、人間は神に従わねばならなかった。
政府が神であり、国民は政府に従わねばならなかった。国民は政府の持ち物であり、政府は国民を好き放題にできた。政府は国民の財産を奪ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりした。[暴力団や宗教団体も神だった。いわば、暴力団や宗教団体はミニ政府だった。]
今は神がいない時代である。
神がいない時代には、神がいなくて、人間には従わねばならない者がいない。
政府は神ではなく、国民は政府に従わなくてもよくなった。政府は国民を好き放題にできなくなった。政府は国民の財産を奪ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできなくなった。[暴力団や宗教団体も神ではない。]
昔の政府は神だったから国民は政府に従わねばならなかった。今の政府は神ではないから国民は政府に従わなくてもいい。[江戸時代に悪代官[あくだいかん]が水戸黄門にひれ伏さねばならなかったのは、水戸黄門が神だったからである。水戸黄門は人間ではなく神だったのである。]
国民が政府に従わねばならないのは、政府が神である場合だけである。
国民はむやみやたらに政府に従うのをやめねばならない。

[14083] 政府が国民に命令できるのは、政府が神である場合だけである。 h24.1.30
昔の政府は神だったから、国民に命令できた。
今の政府は神ではないのに、国民に命令している。
だから、今の政府はインチキである。
したがって、今の国民は政府の命令を聞かなくていい。政府の命令を無視していい。
今の政府はただの武力団体と宗教団体の組合であって、神ではない。
今の政府は人間として武力団体と宗教団体の組合としての活動をしているだけである。
今の政府は国民と平等である。だから、国民は政府の命令に従わなくていい。国民は政府と独立に暮らせばいい。
政府はもともと武力団体と宗教団体の組合だから、政府は武力団体と宗教団体の組合として活動をするしかない。しかし、今の政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。あとは、政府が一人でがんばって活動すればいい。政府が活動したければ活動すればいい。国民は政府とは関係がない。

[14084] 国民は政府に従っても幸福にはなれない。☆ h24.1.30
政府は武力団体と宗教団体の組合である。政府の実体は武力団体と宗教団体の組合である。民主主義の政治機関は政府の宣伝にすぎない。
国民は武力団体と宗教団体の組合のようなエロ・グロ・ナンセンスな団体に従うのは嫌である。不合理的な団体に従うのは嫌である。[武力団体がエロ・グロで、宗教団体がナンセンスである。武力団体は色魔[しきま]の人殺しで、宗教団体は駄洒落[だじゃれ]マニアである。]
人間は不合理的であるからこそ合理的であらねばならない。人間は合理的な団体に従うことによって幸福になれる。人間は不合理的な団体に従うことによって不幸になる。人間は快楽主義では不幸になる。人間は真理主義でなければ幸福にはなれない。
政府では国民を幸福にはできない。だから、国民は政府に従ってはならない。

[14085] 江戸時代にどうして日本は発展したか? h24.1.30
江戸幕府が国家宗教も戦争もしなかったからである。
だから、江戸時代には日本が合理的に成長して発展したのである。
反対に、日本政府は国家宗教や戦争をするから日本が発展しない。
政府の時代には、政府が国家宗教や軍事政策をやるために国が歪[ゆが]んで成長するから発展しないのである。政府は国家宗教や軍事政策で無駄[むだ]なことばかりするから国が発展しないのである。
もっとも、近代の日本では、日本政府が軍事政策をやるために外国の進んだ文明を受け入れて日本は一時的に急激に成長した。しかし、日本が戦争に負けたために、結局無駄になってしまった。
つまり、日本に合理的な政治機関があれば日本は発展する。反対に、日本に不合理的な政治機関があれば日本は衰退する。
政府は不合理的な政治機関だから、日本に政府があるかぎり日本は発展しないのである。むしろ、衰退するのである。
だから、日本には政府がないほうがいい。日本にはもっと合理的な政治機関があったほうがいい。
もっとも、今は神がいない時代だから、もはや政府も幕府も国民よりも上の者ではない。だから、国民で新しく合理的な政治機関を建てねばならない。今は人間しかいない時代だから、国民で国民と平等な政治機関を建てねばならない。国民よりも上の者の団体では国民を自分のために利用するだけで国民の役には立たない。国民と平等な団体でなければ国民の役には立たない。だから、国民と平等な政治機関を建てねばならない。国民に売れるぐらい実力のある政治機関を建てねばならない。国民みんなが自分から従いたくなるような国民を幸福にする政治機関を建てねばならない。

[14086] 今は理由が要らない時代? h24.1.30
昔は神がいる時代だった。政府は神だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
しかし、今は神がいない時代である。政府は神ではない。それなのに、国民は政府に従わねばならないことになっている。
昔は理由があったから国民は政府に従わねばならなかったのに、今は理由がないのに国民が政府に従わねばならないことになっている。
政府は今が理由の時代ではなく心の時代であることにしている。つまり、今の政府は理由なんかどうでもよくとにかく自分がやりたいことをすればいいことにしている。だから、政府は自分が国民を従わせたいので、国民が政府に従わねばならないことにしているのである。今でも政府は国民に命令しているのである。
しかし、それなら、国民も自分が政府に従いたくないので、国民が政府に従わなくていいことにすればいい。
これでは、国民が政府に従わねばならないのか、国民が政府に従わなくていいのか、どちらにも決まらない。
やはり、理由がなければうまくいかない。理由が要らない時代はない。だから、『今は神がいない時代である』ことを根拠にして、政府が神ではないとして、国民が政府に従わなくてもいいことにするしかない。今では「国民が政府に従わねばならない」ことに根拠はない。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
今の『世界の原理』について考えてみれば、今の国民が政府に従わなければならないか、それとも今の国民が政府に従わなくてもいいかがわかる。つまり、『今の世界には神がいない』から、政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[14087] 大勢の馬鹿な国民のおかげで人類の歴史が狂って来ている。 h24.1.31
戦後、神がいないくなったと同時に政府が滅ばなかったのは、大勢の国民がわけがわからずに政府に従っていたからである。
今でも、大勢の国民があいかわらずわけがわからずに政府に従っている。
大勢の国民は馬鹿だから、わけがわからずに政府に従っているのである。大勢の国民は遊びのために生きていて、自分で考えることがないから馬鹿なのである。
大勢の馬鹿な国民がいるおかげで、世の中がスムーズに進歩しない。順調に物ごとが運ばない。
大勢の馬鹿な国民のために、人類の歴史がおかしな方向に進んでいる。
大勢の馬鹿な国民が政府に従う時間が長引くほど、人類の進歩が遅れるのである。下手[へた]をすれば、永久に政府が残って、政府が国民を好き放題にし続けるのである。今後、再び政府の力が強まって、政府が国民よりも上の者になって、政府が国民を動物扱いして好き放題にするのである。今の大勢の馬鹿な国民は、人類の子孫にとっては大迷惑な存在である。
今でもわけがわからずに政府に従っている国民は、最近の私の『哲学日記』をよく読んで、国民が政府に従う理由を理解して、早く政府に従うのをやめねばならない。

[14088] どうして今の政府は昔の政府と同じことをしているのか? h24.1.31
戦後神がいない時代になった。政府は神ではなくなった。
それなのに、今の政府は昔の政府と同じことをしている。今の政府は昔の政府と同じように国民を好き放題にしている。つまり、国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に国家宗教で嫌がらせたり殺したりして、国民に国家宗教をやらせたりしている(つまり、国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組などを作らせたりしている)。
今の政府が昔の政府と同じことをしているのは、今の政府が“すっとぼけている”からである。政府は『今では神がいなくなったから自分が神ではなくなったから国民を好き放題にできない』ことを知っていながら、とぼけて知らないふりをして昔と同じことをやっているのである。政府は自分に都合[つごう]が悪いことになると、すぐにとぼけて知らないふりをするのである。
政府はこのまま押し切って、永久にこの世に居座り続けるつもりなのである。そのうち、政府を真似[まね]て、何の理由もないのに国民を好き放題にする団体がそこらじゅうに出来るかもしれない。政府が国民を好き放題にしてよければ、逆に国民も政府を好き放題にしてもいい。
政府が悪い。
だから、国民は政府が知らんぷりをしているのに騙[だま]されずに、自分で『今は神がいない時代だから、政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもいい』と考えて政府に従わなければいいのである。政府の命令を聞かなければいいのである。政府が国民に文句をつけてきたら、国民は政府に『今は神がいない時代だから、政府は神ではないから、政府は国民に命令できない』と詳[くわ]しく説明してあげよう。そうすれば、政府もおとなしく退散するしかないだろう。
つまり、この度[たび]のトリックの種[たね]は、国民が「政府が正しいことをする」と一方的に思い込んでいたことにある。政府も切羽詰[せっぱつま]ったら国民と同じように嘘[うそ]をつくのである。今の政府のしていることはまちがったことである。だから、国民は政府に従わなければいいのである。

[14089] 政府の情報操作 h24.1.31
戦後神がいない時代になった。政府は神ではなくなった。
それなのに、今の政府は国民を動物扱いして国民を好き放題にしている。つまり、政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に国家宗教で嫌がらせたり殺したりして、国民に国家宗教をやらせたりしている(つまり、国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組などを作らせたりしている)。
ところが、政府は情報操作をして、国民に政府が善[い]いことをしていることだけを知らせて、政府が悪いことをしていることを知らせていない。[つまり、政府がやった殺人事件そのものは報道するが、政府がやったとはけっして言わない。犯人は不明か、政府以外の誰かのせいにしている。]
そのために、国民は「政府が善いことだけをして、政府が悪いことをしていない」と思っている。国民は「政府が民主主義の政治機関であって、武力団体や宗教団体の組合ではない」と思っている。
国民は「政府が国民の役に立つことをしてくれている」と思って政府を支持して政府に従っている。政府に高い税金を払っている。
今の政府は国民に対する情報操作と、国民の政府に対する無知や誤解で持っているだけである。[私が子供の頃テレビで“テレビばっかり見ていると、今に尻尾[しっぱ]が生[は]えてくる♪”というコマーシャルがあった。政府は国民に少し警告しておけば、あとはいくらでも国民に嘘[うそ]をついてもいいと思って、嘘の情報ばかり流しているのである。もっとも、私のようにテレビも新聞も見ない者にとっては、政府がいくらテレビや新聞で嘘の情報を流しても何にもならない。政府がテレビや新聞で威張[いば]っても何にもならない。テレビや新聞を見ない者は自分の眼で直接に見たことだけで考えるので、嘘は通用しないのだ。]
今の政府は神ではない。政府の情報操作によって国民が「政府は国民の役に立つ善[い]い団体だ」とか「国民は政府に従わねばならない」と誤解しているから、国民が政府に従っているだけである。今の政府がテレビや新聞や社会科の教科書などで「国民は政府に従わねばならない」みたいなことをしているから、国民が「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っているだけである。
早く国民が自分の無知や誤解を直して、政府に従わなくなればいい。

[14090] 浦島太郎の玉手箱[[13982]を参照。] h24.1.31
浦島太郎は竜宮城の乙姫様からもらった玉手箱を開けて死んでしまった。
このことは、日本の中世の後期に国民に政府のやっていることが知られて政府が滅んでしまったことを表している。政府が武力団体と宗教団体の組合であって、政府が国家宗教で国民を嫌がらせたり殺したりして、国民に国家宗教で無駄[むだ]なことばかりさせていることが知られたために、国民が政府に反抗[はんこう]して政府が滅んだのである。国民にとって政府が役に立たない団体であることがわかったので、国民が政府に反抗して政府を倒したのである。たとえ神であっても、国民の役に立たない神は国民に倒されるのである。当時の日本政府は神だったが、日本は人間と神が比較的平等な土壌[どじょう]なので、人間が自由に神に逆らえるので、国民が政府に反抗して政府が滅んだのである。
そのため、政府に続く江戸幕府は国家宗教も軍事も両方ともやらなかったのである。
近代は、政府が軍事のために外国の文明を取り入れると言うので、国民は再び政府を支持したのである。
しかし、今では政府がなくても民間企業で外国の文明を取り入れている。今では国民自身で外国の文明を取り入れている。今では国民にとって政府は要らない。
植民地時代には政府が軍事のために国を発展させるが、植民地時代以外の時代には政府が国家宗教で無駄[むだ]なことをやっているだけである。植民地時代以外の時代には政府があっても国が発展しない。むしろ、国が衰退する。世界大戦後は植民地時代ではない。だから、今の時代には政府があると国が衰退する。
だから、今では中世後期のように再び政府が滅べばいいのである。国民にとって政府はもはや用済みだから、国民にとって政府は要らなくなったから、国民は政府を捨てればいいのである。国民は政府を買わなければいいのである。国民は政府に税金を払って政府に“仕事”(つまり、軍事や国家宗教をやること)をさせなければいいのである。

[14091] 適材適所 h24.1.31
私が“論理”というものがわかったのは、私が28歳のときだった。30歳近くになった頃だった。
女・子供に論理がわかるわけがない。
女は一生子供のままだ。女は死ぬまで論理がわからないまま生きているのだ。
だから、女に論理を使う仕事をさせるべきではない。女には論理を使わない仕事をさせるべきだ。女には五感を使う仕事をさせるべきだ。
論理を使う仕事は壮年[そうねん]の男に任[まか]せるべきだ。男には知覚を使う仕事をさせるべきだ。

[14092] 私とテレビゲーム h24.1.31
私が子供の頃はテレビゲームが好きだった。任天堂のテニスゲームやテーブルゲームの平安京エイリアンなどで遊んでいた。
私が子供の頃にテレビゲームが好きだったのは、私が電子回路が好きだったからである。私が電子回路に興味があったから、電子計算機のつもりでテレビゲームが好きだったのだ。
しかし、その後私はテレビゲームをやらなくなった。任天堂のスーパーマリオブラザースが出た頃からしばらくの間私とテレビゲームの縁[えん]が切れた。つまり、私は20歳から40歳の頃までテレビゲームを全然やらなかった。当時のゲームはもはや電子回路の域[いき]を脱していて“電子回路の味”がなかったし、ゲームの味が空想的で子供臭くてくだらなくてとうてい私には相手にする気にならなかった。
私が再びテレビゲームに戻ったのは、パソコンゲームからである。[私がパソコンを買ったのは、私がゲームをやりたかったからでも、私がホームページをやりたかったからでもなく、スタジオぴえろの“魔法少女ネット”をインターネットで見てみたかったからである。私は今から約13年前に何かのパソコン雑誌で魔法少女ネットのことを知って、ぜひ一度見てみたくてパソコンを買ったのである。私がホームページやパソコンゲームをやり始めたのは、魔法少女ネットのついでである。]今から約8年前、エレクトロニックアーツの『バトルフィールド1942アンソロジー』と出会ってから、私はほとんど休みの日には毎日ゲームをするようになった。このゲームは、それまでのゲームと比べてダントツだった。このゲームだけのために、わざわざパソコンを高性能なものに買い換えた。その後、バトルフィールドベトナム(パソコン)、バトルフィールド2(パソコン)、バトルフィールド2142(パソコン)、バトルフィールドモダンコンバット(プレステ2)、バトルフィールドバッドカンパニー2(プレステ3)、バトルフィールド3(プレステ3)とやり続けてきた。[私は最近お金に余裕がないので、高性能のパソコンを買えない。私はお金に余裕がないときは、いつもプレステで遊んでいる。]
バトルフィールドシリーズは、ゲームのプレイはともかく、ゲームの面(マップ)から学ぶものが多い。日本の文化にはないいい味がある。“実在に向かっていく気持ち”がある。人間にとっての本当の戦いは、敵(エネミー)との戦いではなく実在との戦いなのだ。私は毎日ゲームをしながら西洋精神を学んでいるのだ。

[14093] 法律の穴 h24.1.31
暴力団は“法律の穴”を利用して儲[もう]けている。つまり、暴力団は法律がまだ十分にできていない分野で自分が儲かることをやって国民に損害を与えている。だから、国民にとっては法律の会社が必要であり、法律の会社が法律の穴をなくすためにがんばらねばならないのである。
ところで、今の法律には『人間が神をやってはいけない』決まりがない。だから、政府は密[ひそ]かに自分が神をやって国民を好き放題にしているのである。政府は自分勝手に自分が人間ではないことにして、自分が人間よりも上の者であることにして、人間である国民を自分の持ち物だと思って好き放題にしているのである。
今の法律は不備[ふび]である。今の法律に『人間が神をやってはいけない』ことを加えなければいけない。
『人間が神をやってはいけない』のなら、政府が国民から税金を取るのもいけない。政府は自分が神だと思って、国民を動物扱いして、国民の財産を認めず、国民のものを政府のものにしているのである。政府が悪い。だから、国民は政府に税金を払わなければいい。
昔の政府や暴力団や宗教団体は正しいことをやって儲[もう]けていたのである。昔の神がいる時代には、人間が戦[いくさ]に勝ったり、奇跡を起こした者を囲ったりすれば神になれた。昔の神がいる時代には、“人間が神になる方法”があったから、それを使って政府や暴力団や宗教団体は神になって、人間である国民を好き放題にしていたのである。神は人間に命令できるので、政府や暴力団や宗教団体は国民に命令して国民からお金を取って儲けていたのである。けっして、政府や暴力団や宗教団体はまちがったことをやって国民を好き放題にして儲けていたのではないのである。しかし、今は神がいない時代だから、今では人間が神になれる方法がないから、もはや政府や暴力団や宗教団体は神になって人間である国民を好き放題にすることはできないのである。政府や暴力団や宗教団体は国民に命令して国民からお金を取って儲けることはできないのである。今では、誰も神になって儲けることができないのである。今では、みんなが人間として仕事をして儲けるしかないのである。
今の政府や暴力団や宗教団体は、国民が“国民が政府や暴力団や宗教団体に従わねばならない理由”を知らないことを利用して[[14087]を参照]、自分が神ではないことを知らないふりをして昔と同じことをして儲けている。今の国民は自分が政府や暴力団や宗教団体に従う必要がないことを早く知って、政府や暴力団や宗教団体に従わなくならねばならない。

[14094] 世界中で国民が政府に従わなくなって来ている。 h24.2.1
昔は神がいる時代だった。政府は神だった。国民は政府に従わねばならなかった。
今は神がいない時代である。政府は神ではない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
もともとこの世には神がいないのである。[そもそも神とは“自然を擬人化[ぎじんか]したもの”だから、本当にあるのは自然であって神ではない。神とは自然の喩[たと]えだから、本当は自然しかないのである。]
神がいることは昔の人の誤解である。
国民が政府に従わねばならないことは、実在についての誤解に基[もと]づく制度だからあってはならない。
だから、今では世界中で国民が政府に従わなくなりつつあるのである。

[14095] 政府は国を衰退させる。 h24.2.1
政府は武力団体と宗教団体の組合である。民主主義の政治機関は宣伝用のおまけである。政府は情報操作で武力団体と宗教団体の組合がないように見せかけているが、実際には今でも武力団体と宗教団体の組合があってバリバリに活動しているのである。
政府は武力団体と宗教団体の組合だから、軍事と国家宗教しかやらない。
政府は軍事と国家宗教しかやらないので、国が発展しない。むしろ、国が衰退する。たとえ軍事で一時的に国が発展しても、結局戦争ですべてを失うので、長い目で見れば国が衰退する。
だから、政府がないほうがいい。
幸い、今は神がいない時代だから、政府は神ではない。国民は政府に従う必要はない。これまでは神がいる時代だったから、武力団体や宗教団体が神になって国民を支配して、社会が変[へん]になっていたのである。社会がおかしくなっていたのである。
だから、国民は政府に従わず、政府を倒せばいいのである。
その後で、軍事も国家宗教もやらない政治機関を建てればいい。国を発展させる政治機関を建てればいい。国民の役に立つ政治機関を建てればいい。[今は神がいない時代だから、今ではみんなが同じ人間だから、政治機関が国民と平等なのは当然である。]

[14096] 政府は国民に嘘[うそ]を教えてはいけない。 h24.2.1
『政府の本体は武力団体と宗教団体の組合である。民主主義の政治機関は宣伝用のおまけにすぎない。[[14076]の図を参照。]
政府は、武力団体と宗教団体が主[おも]に活動していて、民主主義の政治機関の活動はほとんどない。政府の武力団体と宗教団体が軍事や国家宗教をやるだけで、民主主義の政治機関はテレビや新聞に出るだけで実際にはほとんど活動していない。
今の政府は国民を好き放題にしている。政府は、国民に命令して国民から税金を取ったり、遊び半分に国家宗教で国民を嫌がらせたり殺したりして、国民に国家宗教をやらせたりしている(つまり、国家宗教の神の情報が入った製品やテレビ番組を作らせたりしている)。
そもそも政府が国民を好き放題にできるのは、政府が神だからである。世界大戦以前の神がいる時代には、政府が神だったから、政府が人間である国民を好き放題にできた。しかし、世界大戦以後の神がいない時代には、政府は神ではないから、政府は国民を好き放題にできない。
今の政府は、自分が神ではないことを知らないふりをして、密[ひそ]かに自分を神であることにして、人間である国民を好き放題にしているのである。』
今の政府をいいと思うか悪いと思うかは個人の自由だとしても、
とにかく社会科の教科書やその他[た]の本に嘘[うそ]を載せているのはいけない。

国民には真実を知る権利がある。国民には真実を知りたい気持ちがある。だから、国民の真実を知りたい気持ちを満足させねばならない。

[14097] どうして国民は政府に無関心なのか? h24.2.1
今の政府は国を衰退させている。政府は武力団体と宗教団体の組合だから、軍事や国家宗教ばかりやって、国を衰退させている。
それなのに、国民は政府に文句を言わない。
それは、国民が政府に共感できないからである。国民が毎日やっていることは自分の食いぶちを稼[かせ]ぐだけのみみっちい仕事にすぎず、政府のような国を扱う壮大[そうだい]な仕事ではないので、国民には政府がやっていることが何のことだかわからないので、国民は政府が何をやっていようが無関心なのである。
国民にとっては政府のことなんかどうでもいいのである。国民にとっては自分の国が発展しようが衰退しようがどうでもいいのである。自分の国が滅亡してもいいのである。
国民にとっては自分の遊びだけが大事であって、それ以外のことはまったくどうでもいいのである。
だから、国民は政府のことを知ろうとしないし、たとえ知ったとしても何とも思わないのである。何も実行しないのである。
そもそも、今の政府が自分が神ではないことを知っていて知らんぷりをしているのは、国民が“国民が政府に従わねばならない理由”を知らずにわけがわからないまま政府におとなしく従っているからである。政府は国民の無知に便乗[びんじょう]して本来やってはいけないことをやっているのである。だから、国民はもっと政府のことをよく知らねばならない。国民がざっとしたことをやっているから、国民が政府になめられて、政府がますます国民を好き放題にするのである。
たしかに、今の政府は悪いが、それ以前に国民が悪い。国民自身が善[よ]くならないかぎり、中世の時のように政府を倒すことはできない。
今の国民が政府を悪いと言えないのは、国民自身が悪いからである。だから、国民自身がもっと善[よ]くならねばならない。国民がもっと政府のことをよく知らねばならない。

[14098] どうして昔の国民は政府に従っていたのか?☆《要点》 h24.2.2
昔の神がいる時代には、政府が神だったからである。昔の神がいる時代には、戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こした者を囲った者が神だと考えられたので、武力団体と宗教団体の組合である政府が神だと考えられていたのである。
昔の神がいる時代には、人間は神に従わねばならなかったので、国民は政府に従わねばならなかったのである。
しかし、実際には、理屈がわかって政府に従っていた国民はほとんどいなかったようである。実際には、国民のほとんどはわけがわからずに政府に従っていたのである。国民のほとんどは頭で考えるのが嫌なので、“国民が政府に従えばいい”ことを丸暗記して、眼先[めさき]で政府に従っていたのである。今のガリ勉が、頭を使わずに眼先でテストの答えを丸暗記しているのと同じことである。

[14099] どうして今の国民は政府に従っているのか?☆《要点》 h24.2.2
今は神がいない時代である。だから、政府は神ではない。いくら政府が武力団体と宗教団体の組合でももはや政府は神ではない。だから、もはや国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、今の国民が政府に従っているのは、今の国民が“昔の国民が政府に従っていた理由”がわかっていないからである。そのため、今の国民は「とにかく政府に従っていれば無難[ぶなん]だ」と思って、わけがわからずに政府に従っているのである。今の国民は要領[ようりょう]がいいだけで、理解がないのである。
今の国民はわけがわからずに政府に従っている。そのため、政府の命令で毎日大勢の国民が殺されている。
早く誰かが国民に“昔の国民が政府に従っていた理由”を教えてあげて、今の国民に自分が政府に従わなくてもいいことをわからせて、今の国民が政府に従わなくなるようにしなければならない。

[14100] 制度は人々の考えで出来ている。 h24.2.2
国民が政府に従うことは制度である。
制度は物ではなく人々の考えで成り立っている。
昔の人々は神がいると考えていた。昔の人々は政府を神だと考えていた。そのため、昔の人々は政府に従っていた。政府が神であることが、昔の人々が政府に従う理由だった。
今の人々は神がいないと考えている。今の人々は政府を神だと考えなくなっている。そのため、今の人々は政府に従わなくなって来ている。[誰かが人々に“昔の国民が政府に従っていた理由”を教えているのだろう。]
時代が変われば人々の考えが変わり、人々の考えが変われば制度も変わる。つまり、時代が変われば制度も変わる。
今の人々は政府に従わなくなっている。今の人々が政府が決めた憲法がまちがっていると考えて憲法に従わなくなれば、憲法なんかあってもしかたがないのだ。日本政府の憲法は民主主義で決めたのではなく、政府が自分が神であることで決めたのだ。しかし、今の政府は神ではない。だから、国民は政府の憲法を守らなくてもかまわない。物事は柔軟[じゅうなん]に考えなければならない。
政府の命令は民主主義で出しているのではなく、政府が自分が神であることで出している。しかし、今の政府は神ではない。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。
今は神がいない時代である。政府は“神の団体”である。神がいない時代に神の団体が残るのは無理である。だから、政府は滅ぶしかないのだ。


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