[13801] 政府は国民に“法律の命令”ができるだけである。 h23.12.17
政府は国家宗教で政策をやっている。つまり、政府は国家宗教(不合理主義)で国民に命令している。
政府の法治機関は民主主義で政策をやっている。つまり、政府の法治機関は民主主義(馬鹿主義)で国民に命令している。
しかし、今では政府や政府の法治機関と国民は平等だから、国民は政府や政府の法治機関に従わなくていい。国民は政府の国家宗教(不合理主義)の命令や政府の法治機関の民主主義(馬鹿主義)の命令を聞かなくていい。
もっとも、今の政府の法治機関は法律の仕事もやっている。政府の法治機関は“法律の命令”なら国民にすることができる。
国民は自分が法律に反することをしない限り、政府から命令されることはない。政府に罰せられることはない。
国民が自主的に法律を守っている限り、国民は政府から命令されることはない。政府に罰せられることはない。
国民は政府の“法律の命令”以外の命令を聞かなければいい。
国民みんなが法律の勉強をして法律を守っていれば、政府は要らない。
だから、政府とは別に“法律を作って国民に法律を教える機関”があればいい。
国民が政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]して、その後で国民で新しく“法律を作って国民に法律を教える機関”を建てればいい。
[13802] 政府や政府の法治機関は国民に余計な命令を出している。 h23.12.17
政府の法治機関が国民に“法律の命令”だけ出せばいいが、それ以外に政府が国民に国家宗教(不合理主義)の命令[[13757]参照]や政府の法治機関が国民に民主主義(馬鹿主義)の命令を出している。
政府や政府の法治機関は国民に余計な命令を出している。国民に余計な命令を出して日本を悪い国にしている。
政府や政府の法治機関はないほうがいい。そのほうが日本が善[い]い国になる。
国民が政府や政府の法治機関に従う『理由』はない。今は神がいない時代だから国民は神である政府に従わなくていいし、多数決の原理はでっち上げだから国民は政府の民主主義の法治機関に従わなくていい。[[13800]参照。]国民は政府や政府の法治機関の命令を聞かなくていい。国民は政府や政府の法治機関に税金を払わずに政府や政府の法治機関を潰[つぶ]せばいい。国民で新しく“国民に法律の命令だけを出す法治機関”を建てればいい。そのほうが国民に余計な命令が出なくなるから、そのほうがいい。
これまで国民は政府や政府の法治機関の命令を聞いて幸福に暮らしてきたのではない。これまで国民は政府や政府の法治機関の意地悪[いじわる]な命令と必死で戦ってきたのである。政府は大ワルで政府の法治機関は子ワルである。[これまで国民は神がいることや民主主義(多数決の原理)が正しいと思っていたから、国民はたとえ自分が嫌であっても政府や政府の法治機関に従ってきたのである。しかし、本当は、神はいないし民主主義(多数決の原理)はまちがいである。だから、これからは国民は政府や政府の法治機関に従わなくていいのである。]国民にとっては、政府や政府の法治機関がないほうがいい。幸い、今では国民と政府や政府の法治機関は平等である。だから、国民が政府や政府の法治機関を生かそうが殺そうが勝手である。だから、国民は政府や政府の法治機関に税金を払わずに政府や政府の法治機関を潰[つぶ]せばいいのである。
[13803] 神がいることや民主主義(多数決の原理)はまちがいである。 h23.12.17
昔の人は神がいると思っていたから政府に従っていた。神がいる世界では政府が神に見えたので、人間は神に従わねばならなかったので、人々は政府に従っていた。人々は政府の命令を聞いていた。
昔の人は民主主義(多数決の原理)が正しいと思っていたから政府の法治機関に従っていた。政府の法治機関は民主主義をやっていたので、人々は政府の法治機関に従っていた。人々は政府の法治機関の命令を聞いていた。
しかし、今では神がいないし、民主主義(多数決の原理)がまちがいであることがわかっている。
だから、今の人は政府や政府の法治機関に従わないのだ。
今の人にとっては“法律だけをやる法治機関”があればいいだけである。だから、政府や政府の法治機関は要らないのだ。
政府や政府の法治機関は人々を騙[だま]す団体ではない。政府や政府の法治機関は人々のまちがいに乗っかって出来た団体である。人々の実在に対する誤解に乗っかって生まれた団体である。これまで人々は政府や政府の法治機関によってさんざん嫌な目にあわされてきた。人々は自分の誤解が生み出した物によって嫌な目にあわされてきた。だから、人々は実在に対する誤解をしてはいけない。人間はつねに正しくあらねばならない。
[13804] 国民は政府や政府の法治機関に従わなければいい。 h23.12.17
今では神がいないから、国民は政府に従わなくていい
民主主義(多数決の原理)はまちがいだから、国民は政府の法治機関に従わなくていい。
政府も政府の法治機関も国民に汚[きた]らしい余計な命令を出すだけである。国民は政府や政府の法治機関の命令を聞かずに税金を払わずに政府や政府の法治機関を潰[つぶ]せばいい。
国民は“法律だけをやる法治機関”が出来てから、“法律だけをやる法治機関”と契約して“法律だけをやる法治機関”に仕事をしてもらえばいい。
[13805] 政府の法治機関は法律の仕事を嫌々[いやいや]やっているだけである。 h23.12.17
政府の法治機関は民主主義(馬鹿主義)をやるのが本業である。
政府の法治機関にとって法律の仕事をするのは副業である。政府の法治機関は法律の仕事をおまけ程度にちょびっとやっているだけである。いいわけ程度にしかたなくやっているだけである。政府の法治機関にとっては国民が幸福に生きているのが面白くないので、政府の法治機関は法律の仕事を嫌々やっているのである。
政府の法治機関は民主主義(馬鹿主義)でありったけ悪い命令を出して日本を悪い国にしているのである。一生懸命に国民が幸福に生きていけない国にしているのである。政府の法治機関は民主主義で“人間よりも上の者”になって、神だった政府と同じことをやっているのである。政府の法治機関は民主主義で新たな神になっているのである。政府の法治機関は民主主義で国民よりも上の者になって、国民からお金を取って、民主主義(馬鹿主義)の命令で国民を嫌がらせたり殺したりしているのである。特に善[い]い人間や正しい人間を嫌がらせたり殺したりしているのである。日本を悪い人間や馬鹿な人間だけからなる面白くない国にしているのである。日本を国民みんなが法律を破れる国にしているのである。日本を政府の言いなりになる馬鹿だけからなる国にしているのである。政府は国民のためになる法律を出すときには嫌々[いやいや]やって、民主主義で国民を嫌がらせる命令を出すときには大喜びでやるのである。
国民にとって政府の法治機関はないほうがいい。
幸い、今では民主主義(多数決の原理、つまり少数が多数に従わねばならないこと)はまちがいであることがわかっている。[[13800]参照。]
だから、国民は政府の法治機関に従わなければいい。
たとえ政府の法治機関がなくても、国民が自主的に法律を守って暮らせばいい。
だから、国民にとっては政府の法治機関は要らない。
したがって、国民は政府の法治機関に税金をやるのをやめて政府の法治機関を潰[つぶ]せばいいのである。
政府の法治機関が潰れた後で、国民で“法律だけをやる法治機関”を建てて“法律だけをやる法治機関”にお金をやって“法律だけをやる法治機関”に仕事をしてもらえばいいのである。
[13806] 政府も政府の法治機関も同じことをやっている。 h23.12.17
政府は戦[いくさ]で勝ったり奇跡を起こした者を囲ったりすることによって国民に神(人間よりも上の者)だと思わせて、国民に命令を出して国民からお金を取ったり、国民を国家宗教(国家宗教の神の情報を入れたことをやること)などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりした。例えば、天皇の人間宣言によって、飛行機の圧力隔壁を壊して飛行機を墜落させて人を殺している。[飛行機の圧力隔壁が神武天皇が天から呼び寄せた光るトンビ(光る玉)に似ているから、神武天皇が神ではなくなったことを圧力隔壁が壊れることに喩[たと]えることによって、圧力隔壁を壊して飛行機を墜落させたのである。]
それと同じように、政府の法治機関は民主主義をやることによって国民に国民よりも上の者だと思わせて、国民に命令を出して国民からお金を取ったり、国民を民主主義(国民の多くが持っているくだらない欲望をかなえること)などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。例えば、国民の多くが「かっこいい身体になりたい」と思っていることによって、日本人の主食をおいしい米からまずいパンに変えている。また、国民の多くが「マンガを読みたい」と思っていることによって、書店でマンガの本ばかり売って、マンガ以外の本を売らなくしている。また、国民の多くが「戦争すれば国民が豊かになる」と思っていることによって、将来政府の法治機関が国民に戦争をさせるかもしれない。[しかし、実際には、今は神がいない時代だから、戦争をした国は世界中から悪い国だとみなされて、かえって国民が貧乏になるのである。]
つまり、政府も政府の法治機関も同じことをやっている。政府も政府の法治機関も国民に上の者だと思わせることをやって、国民に命令して国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
しかし、今では神がいないし、民主主義(多数決の原理)が正しくないと考えられている。
だから、政府も政府の法治機関も国民よりも上の者ではない。政府も政府の法治機関も国民に命令することができない。国民は政府や政府の法治機関に従わなくてもかまわない。
[13807] 今では政府は政府の法治機関のヒモである。 h23.12.17
今は神がいない時代だから、国民は神である政府に従わない。[もっとも、今でも国民の一部の“政府の信者”は政府に従っているが。]
国民は政府の法治機関に従っているだけである。
政府は政府の法治機関から税金の一部をもらって密[ひそ]かに活動している。国家宗教をやっている。国家宗教で(国家宗教の神の情報を入れたことで)国民に命令したり、国家宗教で遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したりしている。
しかし、民主主義(多数決の原理、つまり少数が多数に従わねばならないこと)はまちがっている。それに、本来個人の自由なことまで政府の法治機関に民主主義で強制的に決められては国民が困る。
だから、国民は政府の法治機関に従わなくてかまわない。国民は政府の法治機関の命令で政府の法治機関に税金を払わなくてかまわない。
政府の法治機関は国民からお金をもらえなくなって滅ぶだろう。ついでに、政府も政府の法治機関からお金をもらえなくなって滅ぶだろう。
[13808] 民主主義(多数決の原理)は嘘[うそ]の決まりである。 h23.12.17
民主主義(多数決の原理)は政府が決めた“嘘の決まり”であって、実際の世の中にはそんな決まりはない。実際に、多くの国民は自分勝手に生きているのであって、いちいち多数に合わせながら生きている国民なんかほとんどいない。「多数決の原理」を守りながら生きている国民はほとんどいない。自分のことは自分で考えて決めるのであって、他人を真似[まね]て決めるのではない。それが常識だ。
政府の法治機関は自分が国民よりも上の者になるために、民主主義(多数決の原理)という“嘘の決まり”をでっち上げたのだ。政府の法治機関は自分が国民よりも上の者となるために、本来国民の自由であることまで民主主義で命令するようになったのだ。政府の法治機関は国民よりも上の者となって、口先で民主主義だと言って、じつは国民に好き勝手な命令を出しているのだ。政府の法治機関は国民を下の者だと思って国民を嫌がらせる命令を出しているのだ。政府の法治機関は国民を下の者だと思って国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしているのだ。政府の法治機関はかつての政府と同じことをしているのだ。
本当は民主主義(多数決の原理)は正しくない。本当は少数と多数は平等である。少数が多数に従わねばならないことはない。そうやって人類は長いことやってきた。『少数と多数が平等である』ことが、人間社会の正しい法則である。
だから、国民は政府の法治機関に従わなくていい。国民は政府の法治機関の命令を聞かなくていい。
国民は法律さえ守っていれば、それ以外のことは自由である。
政府の法治機関が法律以外のことで国民に命令することはまちがっている。
だから、国民に民主主義の命令を出す政府の法治機関はなくならねばならない。
民主主義をやる政府の法治機関の代わりに、“法律だけをやる法治機関”を建てねばならない。
近代の初めのころはまだ政府が神だったので政府が強かった。政府は国民に何でも命令できた。その頃に、政府は自分の権力(命令力)に物を言わせて「少数は多数に従わねばならない」という決まりを決めて、民主主義の法治機関を建てた。だから、その頃に「少数は多数に従わねばならない」というまちがった決まりが政府によって作られたのである。それまでは「少数は多数に従わねばならない」という決まりはこの世になかったのである。「少数は多数に従わねばならない」という決まりは政府が作った嘘[うそ]の決まりである。まちがった決まりである。だから、そんなまちがった決まりは早くこの世からなくさなければならない。政府の民主主義の法治機関を早くなくさなければならない。
[13809] 昔の人はまちがっていた。 h23.12.18
昔の人は神がいることが正しいと考えていた。だから、昔の人は政府を神だと思って政府に従った。政府は国民に国家宗教で(国家宗教の神の情報を使って)好き勝手な命令を出して、国民を国家宗教で遊び半分に嫌がらせたり殺したりした。
昔の人は民主主義(多数決の原理)が正しい社会の法則だと考えていた。だから、昔の人は政府の民主主義の法治機関を国民よりも上の者だと思って政府の法治機関に従った。政府の法治機関は民主主義っぽい適当な理屈をつけて国民に好き勝手な命令を出して、国民を民主主義っぽい適当な理屈をつけて遊び半分に嫌がらせたり殺したりした。
しかし、今の人は神がいることがまちがいだと考えている。だから、今の人は政府を神だと思わず政府に従わない。政府は国民に命令できず、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできなくなった。
今の人は民主主義(多数決の原理)がまちがった社会の法則だと考えている。だから、今の人は政府の民主主義の法治機関を国民よりも上の者だと思わず政府の法治機関に従わない。政府の法治機関は国民に命令できず、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。
今では国民は政府にも政府の法治機関にも従う必要はない。命令を聞く必要はない。
これまでの国民がまちがって神がいることや民主主義が正しいと思っていたから政府や政府の法治機関に従っていただけだったのだ。
[13810] 政府や政府の法治機関は嘘[うそ]つきである。 h23.12.18
昔の政府は国民に「神がいる」と嘘をついた。国民は政府の嘘に騙[だま]されて神がいると思って政府を神だと思って政府に従った。政府は国民が自分を神だと思っているのをいいことにして国民を好き放題にした。
昔の政府の法治機関は国民に「民主主義が正しい社会の法則だ」と嘘をついた。国民は政府の法治機関の嘘に騙されて民主主義を正しい社会の法則だと思って、国民に民主主義の命令を出す政府の法治機関を国民よりも上の者だと思って政府の法治機関に従った。政府の法治機関は国民が自分を上の者だと思っているのをいいことにして国民を好き放題にした。
政府も政府の法治機関も嘘つきである。
国民は政府や政府の法治機関の嘘に騙されてはいけない。
国民は政府や政府の法治機関に従ってはならない。命令を聞いてはならない。
国民は国民に余計な命令を出す政府や政府の法治機関を倒さなければならない。国民は国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりする政府や政府の法治機関を倒さねばならない。
一方、『人間が平等である』ことは真実である。『人間が平等である』ことは正しい社会の法則である。だから、人間の平等性を保障する法律や人間の平等性を守る法治機関は必要である。
[13811] 政府の法治機関は国民よりも上の者ではない。 h23.12.18
民主主義は政府の法治機関が国民に命令を出すためのいいわけにすぎない。政府の法治機関は自分が国民に命令を出しているから、自分が国民よりも上の者だと思っている。国民も政府の法治機関が自分に命令を出しているから、政府の法治機関が自分よりも上の者だと思っている。
ところが、神は人間よりも上の者だが、“命令を出す者”は人間よりも上の者ではない。命令を出す者が人間よりも上の者なら、会社の上司だって人間よりも上の者である。事務職はみんな人間よりも上の者である。命令を出すのは仕事であって、上の者ではない。命令を出す者が上の者に見えるのは人間の錯覚であって、本当は上の者ではない。
命令を出す者は人間であって、人間よりも上の者ではない。
だから、昔の政府は人間よりも上の者だったが、政府の法治機関は人間よりも上の者ではない。人間である。
人間と人間は平等である。だから、政府の法治機関は国民と平等である。
人間は人間に命令できない。だから、政府の法治機関は国民に命令できない。
だから、政府の法治機関は国民と契約を取って仕事をしなければならない。
つまり、政府の法治機関に従いたい国民だけが政府の法治機関にお金を払って政府の法治機関の命令を聞けばよく、政府の法治機関に従いたくない国民は政府の法治機関にお金を払わず政府の法治機関の命令を聞かなくていい。
今の政府の法治機関は民主主義で余計な命令を出している。本来国民の自由なことにまで命令を出して無理やりひとつに決めている。
だから、国民は政府の法治機関に従いたくない。
したがって、国民は政府の法治機関と契約しなければいい。国民は政府の法治機関にお金を払わず政府の法治機関の命令を聞かなければいい。
[13812] 今の政府の法治機関には国民よりも上の者である『根拠』がない。 h23.12.18
昔の政府には神である『根拠』があった。人間よりも上の者である『根拠』があった。つまり、戦[いくさ]に勝ったり奇跡を起こした者を囲っていたから神だった。昔の政府には人間よりも上の者である『根拠』があったから、昔の政府は人間である国民に対して命令できた。[昔の人は政府を人間の形をした神だと考えていた。政府の見かけは人間でも、政府の中身は神だと考えていたのである。]
しかし、今の政府の法治機関には国民よりも上の者である『根拠』がない。それなのに、政府の法治機関は国民に命令している。それはおかしい。政府の法治機関が国民に命令するから政府の法治機関が国民よりも上の者であるというのはいけない。トートロジー(循環論法)はいけない。
いくら政府が民主主義をやっても、選挙で議員を選んでも、国民よりも上の者ではない。国民よりも上の者である『根拠』とは言えない。民主主義は政府が国民に従うことだし、民主主義は政府が命令を作るときの方針にすぎないし、民主主義はまちがった社会の法則だし、選挙はやりさえすれば必ず誰かが選ばれるのだからそれでもって政府が国民よりも上の者とは言えない。
つまり、今の政府の法治機関は国民と平等である。だから、今の政府の法治機関は国民に命令できない。今の政府の法治機関は国民と契約して仕事をしなければならない。
要するに、今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。人間が何をやっても人間である。人間と人間は平等である。だから、政府の法治機関と国民は平等である。したがって、政府の法治機関は国民に命令できない。国民は政府の法治機関に従わなくてもかまわない。政府の法治機関は国民と契約を取って仕事をしなければならない。
じつは、政府の法治機関は神である政府と組んでいたから神だったのである。国民よりも上の者だったのである。だから、政府の法治機関は国民に命令できていたのである。政府の法治機関が神である政府と組んでいたことが、政府の法治機関が国民よりも上の者である『根拠』だったのである。しかし、今では神がいなくなったから政府が神ではなくなった。だから、政府の法治機関も神ではなくなった。だから、政府の法治機関は国民に命令できなくなったのである。
[13813] 馬鹿の掟[おきて] h23.12.18
男は女が馬鹿だから女が馬鹿をやるのを許してやっているのだ。
女は他人のことに口出しできる分際[ぶんざい]ではない。
男と女の間には見えない境界線があるのだ。
馬鹿と利口は平等ではない。
そのことが理解できない者に馬鹿をやる資格はない。
馬鹿には馬鹿の掟[おきて]がある。それを守らない者は馬鹿でさえない。馬鹿以下だ。
[13814] どうして昔の国民は政府に従ったか?《まとめ》☆☆ h23.12.18
政府が神だったからである。政府は古代の日本で戦[いくさ]に勝ったし、天から光るトンビを呼ぶ奇跡を起こした神武天皇を囲っていたから神だったのである。
政府の法治機関は神である政府と組んでいたから神だった。だから、国民は政府の法治機関にも従ったのである。
しかし、今は神がいない時代である。人間だけの時代である。だから、政府はもはや神ではない。人間である。政府の法治機関も人間である。人間と人間は平等である。人間は人間に従わなくてもかまわない。だから、国民は政府にも政府の法治機関にも従わなくていいのである。例えば、税金を払わなくていいのである。国民は政府や政府の法治機関を赤字にして潰[つぶ]せばいいのである。
今のところ国民の多くがまだ政府や政府の法治機関に従っているが、それは国民の多くがまだ神がいる時代だと思っているからである。しかし、実際には、今はすでに神がいない時代になっているのである。だから、国民は今は神がいない時代だと思って、政府や政府の法治機関に従わなければいいのである。従うのをやめればいいのである。
政府や政府の法治機関の歴史は終わった。今は政府や政府の法治機関が滅んでいる最中[さいちゅう]なのである。国民に命令を出したり、国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりする団体がこの世からなくなるのだ。国民は他人に時代遅れだと笑われないために、早く政府や政府の法治機関に従うのをやめたほうがいい。
[13815] どうして今の国民は政府に従っているか? h23.12.19
政府が国民が政府に従う『理由』をわかりにくくしているからである。
だから、本当は今ではすでに国民は政府に従わなくていいのに、いまだに国民は政府に従っているのである。
政府はあたかも政府の民主主義の法治機関があるために国民が政府に従わねばならないかのように思わせている。学校の社会科の教科書にも政府の民主主義の法治機関のことしか書いていない。テレビや新聞でも政府の民主主義の法治機関のことしかやっていない。政府自身がテレビや新聞に出ることは一度もない。そのために、国民は政府の民主主義の法治機関のために国民が政府に従わねばならないと信じて政府に従っているのである。
しかし、本当はこれまで政府が神だったから国民は政府に従わねばならなかったのであり、しかも今は神がいない時代だから政府は神ではないから、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。
国民が政府に従わねばならない『理由』を正しく理解すれば、国民は政府に従わなくてもいいのである。
[13816] 国民は政府の法治機関に従わなくてもかまわない。☆ h23.12.19
今の政府の法治機関は民主主義をやっている。今の政府の法治機関は国民に「少数は多数に従わねばならない」と思わせて、政府の法治機関は自分が多数だから少数の国民は政府の法治機関に従わねばならないことにしている。そうやって、政府の法治機関は国民に政府の法治機関に従わねばならないと思わせて、政府の法治機関が国民よりも上の者だと思わせて、国民を政府に従わせている。
ところが、民主主義つまり多数決の原理はまちがっている。正しい社会の法則ではない。人間社会にはそもそも「少数が多数に従わねばならない」決まりはない。人間と人間が平等であるかぎり、人間は法律を守っていさえすれば法律以外のことでは自由だから、少数が多数に従わねばならないことはない。だから、政府の法治機関が民主主義をやるからといって国民が政府の法治機関に従わねばならないことはない。政府の法治機関は国民よりも上の者ではない。だから、国民は政府の法治機関に従わなくてもいいのである。[もしも、「少数が多数に従わねばならない」決まりがあったら、国民みんなが同じことをしなければならないはずである。国民みんなが同じ仕事をしないといけないはずである。例えば、国民みんなが朝は農業をやって昼は事務業をやって夕方は製造業をやらねばならないはずである。しかし、実際には、そんなことはないから、「少数が多数に従わねばならない」決まりはないのである。「少数が多数に従わねばならない」決まりは江戸幕府の身分制と同じことである。つまり、「少数が多数に従わねばならない」決まりや身分制は政府や幕府が自分勝手に作った決まりであって、もともとこの世にはない嘘[うそ]の決まりなのである。]実際には、“民主主義”は政府の法治機関が国民に余計な命令を出すための口実[こうじつ]にすぎなかったのである。政府の法治機関は口先で民主主義と言いながら、実際には好き勝手な命令を出していたのである。政府の法治機関は自分が国民よりも上の者だと思って、国民を嫌がらせたり殺したりする命令を出していたのである。
今では政府は神ではなく、政府の法治機関の民主主義はまちがいだから、国民は政府にも政府の法治機関にも従わなくていいのである。
今は神のいない時代である。今は人間しかいない時代である。人間と人間は平等である。人間は人間に命令できない。だから、今では政府も政府の法治機関も国民に命令できない。国民は政府や政府の法治機関に従わなくてもかまわない。例えば、国民は政府や政府の法治機関に「税金を払え」と命令されても、政府や政府の法治機関に税金を払わなくてもかまわない。
国民は政府や政府の法治機関が滅んだ後に、“法律だけをやる法治機関”を建てればいい。“法律だけをやる法治機関”も人間である。だから、“法律だけをやる法治機関”と国民は平等である。“法律だけをやる法治機関”は国民に命令できない。“法律だけをやる法治機関”は国民に「金をくれ」と命令して国民から税金を取ることはできない。“法律だけをやる法治機関”は国民一人一人と契約を取って国民の人権保障サービスをやらねばならない。法律の違反者を取り締[し]まらねばならない。“法律だけをやる法治機関”は法律を犯した者に対しては口出しして逮捕して罰することができるが、法律を守っている国民に対しては口出しできない。““法律だけをやる法治機関”は国民を強制的に加入させて国民から税金を取ることはできない。法律だけをやる法治機関”は加入者に対して犯罪を犯した者を逮捕して罰することによって加入者の人権を守ることができるだけである。
犯罪発生率と犯罪にあった時の被害額の積の総和と、一生の間に“法律だけをやる法治機関”に払うお金の兼[か]ね合いで、“法律だけをやる法治機関”と国民が契約するかしないかが決まるだろう。
[13817] 国民は政府に税金を払ってはいけない。☆ h23.12.19
政府は国民と正式に契約を取っていない。[ここでの“政府”は政府の法治機関も含むことにする。]
だから、国民が政府に税金を払うと、国民が政府と契約したことになる。国民がスーパーで品物を買うときにスーパーにお金を払うと国民がスーパーと契約したことになるのと同じことである。
ところが、政府の契約では「国民は政府に従わねばならない。政府は国民を自由に嫌がらせたり殺したりすることができる。」ことになっている。だから、国民が政府と契約すると、国民は政府の命令を聞かねばならないことになる。政府に遊び半分に嫌がらされたり殺されたりすることになる。
だから、政府の命令を聞きたくない国民は政府に税金を払ってはいけない。
国民が政府に税金を払わなければ、国民は政府と契約したことにはならず、政府の命令を聞かなくてもいい。政府に遊び半分に嫌がらされたり殺されたりしなくなる。
[13818] 民主主義は国民が政府の法治機関に従わねばならない根拠にはならない。
h23.12.19
政府の法治機関は国民に好き勝手な命令を出す機関である。
政府の法治機関が国民に好き勝手な命令を出せる根拠が“民主主義”である。
昔の政府が国民に好き勝手な命令を出せる根拠が「政府が神である」ことにあったように、今の政府の法治機関が国民に好き勝手な命令を出せる根拠が「政府の法治機関が民主主義である」ことにあるのである。
ところが、民主主義は、国民が政府の法治機関に従わねばならない根拠にはならない。
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。人間と人間は平等だから、人間は法律を守りさえすれば法律以外のことでは自由だから、少数が多数に従わなくてもいいので、民主主義はまちがっていることになる。だから、今では国民は政府の法治機関に従わなくていい。
もちろん、今は神がいない時代だから、政府は神ではないから、国民は政府にも従わなくていい。
国民は政府の法治機関にも政府にも従わなくていい。政府の法治機関も政府も国民に何も命令できない。
[13819] 法律とは何か? h23.12.19
『人間が平等である』ことを具体的に表現したものである。法律の原理は『人間が平等である』ことにある。法律は『人間が平等である』という原理を具体的状況に論理的に適用[てきよう]することによって必然的に決まる。ニュートンの運動法則を具体的状況に適用して物体の運動が一意的に決まるのと同じことである。
だから、法律は『人間が平等である』ことから論理的に決めるのであって、多数決で決めるのではない。法律は科学的に決めるのであって、民主主義で決めるのではない。
だから、法律を決めるのに、政府の法治機関は要らないのである。
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。人間と人間は平等である。だから、今の社会は『人間が平等である』ことを原理とする法律が支配しているのである。
[13820] 法治機関はどうしても要るものではない。 h23.12.20
法治機関(法律だけをやる法治機関のこと)は病院のようなものである。
病人にとっては病院が要るが、健康な人にとっては病院は要らない。
それと同じように、犯罪に遭[あ]う人にとっては法治機関が要るが、犯罪に遭わない人にとっては法治機関は要らない。
みんなが健康なら病院が要らないように、犯罪に遭う人がいなければ法治機関は要らない。
幸い、日本は犯罪が少ない国である。もともと犯罪が少ない国である。日本人の性格や日本の文化が犯罪の発生を抑えているのである。
だから、大雑把[おおざっぱ]には、日本には法治機関はなくてもいい。
もっとも、犯罪に遭うのが心配な人もいるから、余裕があれば法治機関があったほうがいい。
今の政府(ここでは政府全体のこと)は法治機関をやっているが、その傍[かたわ]ら余計な命令も出している。政府の法治機関は民主主義で余計な命令を出しているし、政府の崇拝機関(武力団体と宗教団体の組合)は国家宗教で余計な命令を出している。むしろ政府にとっては余計な命令を出すほうが本業で、法律の仕事は副業である。政府は余計な命令を出すのはノリ気だが、法律の仕事はいやいやである。政府は国民を嫌がらせたり殺したりするのはノリ気だが、国民の役に立つのはいやいやである。
国民にとっては法治機関はどうしても要るほどのものではないし、政府の民主主義の法治機関や政府の崇拝機関はないほうがいいから、政府全部がなくなったほうがいい。
幸い、今では政府と国民は平等だから、国民にとって政府が要らなければ、国民は政府にお金をやらなければいい。そうすれば、政府は潰[つぶ]れてなくなる。その後で、国民に余裕があれば個別に法治機関や教育機関や消防署などを建てて、要る人がお金を払って利用すればいい。
政府の法治機関や教育機関や消防署などにとっても、政府の民主機関(民主主義をやる機関)や神機関(崇拝機関のこと、国家宗教をやる機関)がなくなれば、国民の税金を独[ひと]り占[じ]めできるから、今よりもずっと儲[もう]かるはずだ。だから、政府の法治機関や教育機関や消防署などは早く政府から独立して“民営化”すればいい。
政府を分析して、国民にとって必要な機関と不要な機関に分ける。国民にとって必要な機関は残し、不要な機関は捨てる。そうすれば、国民にとっていい国になる。
[13821] Wikipediaに寄付 h23.12.20
今の私は仕事をしていないが、日頃[ひごろ]お世話になっているWikipediaに日本円で1000円を寄付した。
私は毎月Wikipediaを利用しているので、Wikipediaにお金を払ったのである。
それが、モラルというものだろう。
ちょっと、他人よりも偉くなった気分だ。
みんなも、自分が利用しているものにはお金を払うべきだ。只[ただ]で利用するのはよくない。
[13822] 国民は政府を真似[まね]てはいけない。 h23.12.20
政府(ここでは政府全体のこと)は神であったり民主主義をやったりしていたから人間よりも上の者だったのである。政府は人間よりも上の者だったから人間である国民に好き勝手な命令をしたり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできたのである。
ところが、国民は神でもないし民主主義もやっていない。だから、国民は人間よりも上の者ではない。だから、国民は政府のように他の国民に好き勝手な命令をしたり、他の国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりすることはできない。
国民が自分勝手に「政府が肩書きだけで威張[いば]っている」とか、「政府が国家宗教をやって威張っている」とか考えて、国民が肩書きだけで威張ったり、国家宗教をやって威張ったりしてはいけない。政府は神であったり民主主義をやることによって人間よりも上の者だったから肩書きで威張ったり国家宗教で国民に命令できたりしたのであって、政府が肩書きや国家宗教をやることによって人間よりも上の者になっていたのではない。だから、国民が肩書きや国家宗教をやって威張るのはまちがいである。国民は肩書きや国家宗教をやって威張ることはできない。だから、国民は今後は肩書きや国家宗教をやって威張ってはいけない。
これまでうまく政府を真似て人間よりも上の者になれたのは、宗教団体と暴力団だけである。宗教団体は奇跡を起こした者を囲うことによって、暴力団は闘争で勝つことによって人間よりも上の者になることができたのである。それ以外のことでは、いくら国民が政府を真似ても人間よりも上の者にはなれないのである。
もっとも、今では神がいないし、民主主義(多数決の原理)が政府が作った嘘[うそ]の社会の決まりであることがわかっている。だから政府はもはや人間よりも上ではない。政府と国民は平等である。政府は国民に好き勝手な命令をしたり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。今の政府は国民と平等になりつつある。今の政府は国民とどんどん平等になっている。だから、今後は国民が政府を真似[まね]てもしかたがないのである。
[13823] 国民は政府の命令を無視すればいい。 h23.12.20
今では神がいないし、民主主義がまちがっていることがわかっている。だから、政府(ここでは政府全体のこと、政府の法治機関も含む)は国民よりも上の者ではない。
だから、今の政府は本当は自分が国民に命令を出せないことがわかっていながら国民に命令を出しているのである。
だから、国民が政府の命令を聞かなくても、政府は国民に文句が言えない。政府はしかたなく国民が政府の命令を聞かないことを認めるしかない。
したがって、国民は政府の命令を無視すればいいのである。
人間は正しいことに従わねばならない。政府も国民も人間だから、正しいことに従わねばならない。たとえ政府でも正しいことに従わねばならない。[たとえ政府が神だとしても、神も正しいことには従わねばならないから、政府はやはり正しいことに従わねばならない。つまり、昔の政府は神だったから、神は人間よりも上の者だったから、神である政府は人間である国民を好き放題にできたのである。政府は国民に命令して国民のお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできたのである。それが昔の神がいる世界における正しいことだったのである。]だから、国民が正しいことをすれば、政府はそれを認めるしかない。今は神がいないし民主主義(多数決の原理)がまちがいであることがわかっているから、国民が政府に従わないのが正しいから、政府は国民が政府に従わないことを認めなければならないのだ。
[13824] どうして昔の人は政府に従っていたか? h23.12.21
近世までは、人々が政府や幕府を神だと思っていたから、政府や幕府に従っていた。政府や幕府は戦[いくさ]に勝ったし、政府は天から光るトンビを呼ぶ奇跡を起こした神武天皇を囲っていたから、人々は政府や幕府を神だと思っていたのである。
近代には、人々は政府を神だと思っていたし、民主主義が正しい(つまり、少数は多数に従わねばならない)と思っていたから、政府に従っていた。
しかし、現代では、人々は政府は神ではないし、民主主義は正しくないと思っているから、政府に従わなくなった。
今は人々が政府に従わない時代である。だから、政府に従わなければいいのである。
[13825] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h23.12.21
戦後になって、人々が政府に従わなくなったからである。
戦後は、政府が神ではないし、民主主義がまちがいだと思われるようになったから、人々が政府に従わなくなったのである。
そこで、政府は最後の頼[たの]みに国家宗教の神を変えることを考えたのである。
だから、政府は私を国家宗教の神にしたのである。政府はダメでもともとで私を神にしたのである。[いわゆる“アドホックな修正”(行き当たりばったりの工夫[くふう])というやつである。]
しかし、今は神がいない時代だから、やはり政府の企[たくら]みはうまくいかなかった。人々は政府に従うようにはならなかった。人々はどんどん政府に従わなくなっている。政府は滅んでいる。
テレビや新聞では人々が政府に従っているが、実際の社会では人々は政府に従っていない。政府はテレビ局や新聞社にお金をやってみんなが政府に従っているという嘘[うそ]を報道させているのである。テレビや新聞でやっていることは政府の世論操作である。だから、政府に従わなければいいのである。
[13826] 『裸の王様』 h23.12.21
『裸の王様』のおとぎ話は、昔の神がいる時代の政府について書いたものである。
王様とは、政府のことである。2人の仕立て屋とは、武力団体と宗教団体のことである。[Wikipediaの絵では、二人の仕立て屋は国会と宗教団体のようだが、本当は武力団体と宗教団体なのである。画家がまちがっているのである。『裸の王様』の話が出来たのは中世だから、二人の仕立て屋は武力団体と宗教団体である。アンデルセン童話の本が出版されるようになったのは近代だから、画家が二人の仕立て屋を国会と宗教団体のことだと勘違[かんちが]いをしたのである。]
昔の神がいる時代では、武力団体や宗教団体が神だと思われていた。
政府は神である武力団体や宗教団体と組んでいたから神だった。
つまり、王様は2人の仕立て屋と組んでいたから偉かったのである。
頭のいい人にしか見えない服とは、政府が戦[いくさ]に勝ったり奇跡を起こした者を囲っているから人間よりも上の者になっていることを言っているのである。多くの人が王様の服が見えないのに見えているふりをしていたとは、実際にはその理屈を知っている者はほとんどいなかったと言うことである。政府の中にいる大臣でさえ知らなかったと言うことである。ほとんどの者が理屈がわからないまま政府に従っていたのである。(平成23年12月31日にこの段落を追加。平成24年1月4日にこの章の以下の文を修正。)
小さい子供が王様が裸だと言ったのは、子供は何も知らないので、政府が偉くないように見えたので、そのまま政府が偉くないと言ったということである。大人も政府が偉い理屈がわかっていなかったので、子供につられていっしょに政府が偉くないと言うようになったのである。しかし、政府は神だったから本当は政府は偉かったのである。つまり、『裸の王様』の話の教訓は、人間はちゃんと理由がわかっていないといけない。物事を理由がわからずに鵜呑[うの]みにしてはいけないと言うことである。科学の時代になって神がいなくなったために、武力団体や宗教団体が神ではなくなって、それらと組んでいる政府も神ではなくなったことを表している。人間がみな平等になって、政府と国民が平等になったことを表している。つまり、小さい子供とは神がいない時代に生まれてきた新しい人類のことである。反対に大人とは神がいる時代に生まれた古い人類のことである。新しい人類が神がいない政府と国民が平等だと言ったので、古い人類も新しい人類につられていっしょに神がいない政府と国民が平等だと言うようになったのである。もとの話では小さい子供は黒人だったそうだが、アフリカには政府がなかったので、黒人は政府が偉いことを知らなかったので素直に政府は偉くないと言ったのだろう。黒人の文化には神がいなかったので黒人にとっては武力団体も宗教団体も神ではなかったのでそれらと組んでいる政府も神ではなかったのだろう。政府が国民よりも上の者であることが理解できなかったので、政府と国民が平等だと言ったのだろう。政府が神でなくなったのは、科学ではなく黒人の文化のせいだった。神である政府を潰[つぶ]したのは、奴隷としてヨーロッパに連れてこられた黒人たちだったのである。
[平成23年12月30日追記)こうしてヨーロッパはいったん政府のいない時代になったけれども、その後植民地時代に入って政府が活躍するようになったので、再び政府の時代になったのである。]
[13827] 『ドン・キホーテ』はどうしてよく売れたのか? h23.12.21
これまでに世界で一番売れた本は『聖書』で、2番目に売れた本は『ドン・キホーテ』だそうである。参考。
『ドン・キホーテ』の山場[やまば]は、ドン・キホーテが風車を巨人とまちがえて突撃して風車に跳ね飛ばされるところである。
風車とはキリスト教会のことである。風車の羽根が十字架に似ているからである。巨人とは政府(武力団体)のことである。武力団体は力が強いので、神話に出て来る力の強い巨人に喩[たと]えられたのである。ヨーロッパでは日本と違って、政府(武力団体)とキリスト教会(宗教団体)が別れているのだ。
中世のヨーロッパでは戦争をしなかったので、いつのまにか政府がキリスト教会に権力の座を奪われてしまったのである。つまり、巨人が風車に変わってしまったのである。
つまり、『ドン・キホーテ』の山場は、キリスト教会に対する煽[おだ]てなのである。
昔の神がいる時代では、キリスト教会や政府が神だったので、キリスト教会を煽てた作品がよく売れたのである。だから、『ドン・キホーテ』が売れたのである。もちろん、『聖書』もよく売れたのである。
同じように、昔の日本では政府が神だったので、政府を煽[おだ]てた作品がよく売れたのである。神武天皇を煽てた作品がよく売れたのである。
しかし、今は神がいない時代だから、もはや政府も宗教団体もどうでもいい。だから、政府や宗教団体を煽てた作品を書いても売れないのである。
[13828] 国民にとっては神がいないほうが有利である。 h23.12.21
神がいると政府や宗教団体や暴力団にとっては有利だが、反対に国民にとっては不利である。
神がいないと政府や宗教団体や暴力団にとっては不利だが、反対に国民にとっては有利である。
私は国民である。政府でも宗教団体でも暴力団でもない。
だから、私にとっては神がいないほうが有利である。
したがって、私は神がいないことを支持する。
[13829] どうして昔の人は神を考えたのか? h23.12.21
ニュートンは、『万有引力』で惑星が楕円[だえん]運動をしていると考えた。
しかし、それ以前の時代の人にとっては、惑星が楕円運動をする原因がわからなかった。
そこで、昔の人は「神」が惑星を楕円運動させていると考えていた。
一般に、昔の人はわからないことをすべて神のせいにしていた。神のせいにして納得していた。例えば、昔は人間が出来た原因がわからなかったから、神が人間を作ったことにしていた。しかし、ダーウィンが人間は猿が進化して出来たと考えてからは、神が人間を作ったと考えなくなった。[昔の人は「神がやった」と言うよりも、正直に『自分がわからない』と言えばよかったのだ。そうすれば、政府や宗教団体や暴力団などの迷惑な団体が出来なかったのだ。昔の人は『自分がわからない』ことをごまかすために「神がやった」と言ったのだ。ただ、ソクラテスは正直に『自分がわからない』と言った。『自分がわからない』と言えば、神が要らない。神が要らなくなれば、神がいなくなる。神がいなくなれば、政府は神ではなくなって、政府は国民に命令できなくなる。政府にとってはソクラテスは自分の権力(命令力)を失わせる危険人物だったので、ソクラテスを殺したのだろう。政府は人々に『自分がわからない』と言わせないためにソクラテスを殺したのだろう。ソクラテスは神を滅ぼした最初の人物だったのだ。今ではみんなが『自分がわからない』と言っているから、すでに神は滅んでいるのだ。]
昔は人間にわからないことが多かったから、神がいっぱいいた。
だから、昔は神がいる時代だったのである。
例えば、昔は政府が戦[いくさ]に勝った理由がわからなかったので、政府を神だと考えて納得していた。神武天皇が天から光るトンビを呼べた理由がわからなかったので、神武天皇を神だと考えて納得していた。
しかし、今では人間にわかることがいっぱいある。わからないことがあまりない。
だから、今では神がいない。今は神がいない時代なのである。
今では神を自然現象の原因にすることはできない。神を原因にするとみんなの笑い者になる。だから、今は神がいない時代なのである。
[13830] どうして今でも国民は政府に従っているのか? h23.12.21
国民が政府によって「国民は政府に従わねばならない」と思い込まされているからである。国民が政府に洗脳されて「国民は政府に従わねばならない」と思っているのである。[けっして、「神」がいるから国民が政府に従っているのではない。]
しかし、実際には国民は政府に従わなくていいのである。今では神がいないし、民主主義がまちがいだから、国民は政府に従わなくていいのである。私のように、国民が自分で考えればそれぐらいのことはわかる。
だから、今では馬鹿な国民が政府に従っているだけで、利口な国民は政府に従わなくなっている。
まちがった者が政府に従っているだけで、正しい者は政府に従わなくなっている。
自分で考えるか考えないかは国民の自由である。だから、政府に従わないか従うかも国民の自由である。
今では馬鹿な国民が減って、利口な国民が増えている。だから、今では政府が滅んでいる。多くの国民にとっては今がいい。だから、政府を滅ぼせばいいのである。
[13831] どうして今でも多くの国民が政府に従っているか? h23.12.21
多くの国民が眼で見える世界に生きているからである。多くの国民が眼で見えることにとらわれて、頭で考えることをおろそかにしているからである。
眼で見える世界には論理がない。理由がない。
だから、今では国民が政府に従う理由がないのに、多くの国民はそのことに気づかず、これまでと同じように政府に従っているのである。眼で見て政府があるから、政府に従っているのである。社会科の教科書に「国民は政府に従わねばならない」と書いてあったから、社会科の教科書の活字を眼で見てその通りに政府に従っているのである。
一方、頭で考える世界には論理がある。理由がある。
頭で考える世界に生きている国民には、自分が政府に従う理由がないから、政府に従わなくてもいいことがわかる。今では神がいないし、民主主義はまちがいだから、国民は政府に従わなくていいのである。
今では民主主義はまちがいだとわかっている。だから、少数が多数に従わなくてもかまわない。だから、たとえ国民の大半が眼で見るだけで頭で考えない馬鹿であっても、自分が彼らに従う必要はない。自分は自分が正しいと思う考えに従って生きていけばいい。政府にも国民の大半の馬鹿にも自分を止[と]められはしない。
[13832] どうして今でも国民は政府に従っているか?☆ h23.12.22
国民が学校で考えない教育を受けているからである。丸暗記する教育を受けているからである。
政府は国民に頭ごなしに「国民は政府に従わねばならない」と教えているので、国民は何も考えずに政府の教えたことに従って、政府に従っているのである。[国民が大人になってからは、テレビや新聞で「国民は政府に従わねばならない」と教えられて、その通りにしているのである。テレビや新聞のニュースは原則的には嘘[うそ]である。テレビや新聞のニュースはアニメやドラマと同じ類[たぐい]なのである。人間にとっては自分の眼で見て自分の頭で考えたことだけが事実である。]
しかし、今では国民が政府に従う理由がない。政府は神ではないし、民主主義がまちがいだから、国民は政府に従わなくていい。自分で考える者には、政府に従わなくてもいいことがわかる。
つまり、政府は国民に学校でまちがったことを教えているのである。今では本当は『国民は政府に従わなくていい』のに、政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」と教えているのである。社会科はほとんどすべてまちがいである。社会科の教師は国民の敵である。
政府は国民にまちがいを教えるために、学校をやっているのである。政府は国民を支配するのに都合がいいから、学校をやっているのである。国民から税金を取って学校をやっているのである。
政府は国民に学校でまちがいを教えている。だから、国民は自分でよく考えて、学校で習ったまちがい直さなければならない。
[13833] 神を滅ぼした者たち h23.12.22
ソクラテスと黒人と自然科学者が神を滅ぼした。
ソクラテスは『自分がわからない』ことを考えることによって、「神がやった」と言えないようにして、神を滅ぼした。
黒人はそもそも神を知らなかったことによって、神を滅ぼした。
自然科学者は自然を正しく理解することによって、「神がやった」という説明を否定して、神を滅ぼした。
だから、今では神が滅んでいる。ソクラテスや黒人や自然科学者たちが神を殺しまくったから神が滅んだのだ。[ニーチェは神を思想家のことだと思っていたから、ニーチェは神を殺していない。]
政府は神がなくてはやっていけない。政府は国民に神だと思われていたから国民を支配できたのであって、政府が国民に神だと思われなくなれば国民を支配できないからである。今の国民は政府を神ではなく人間だと思っているので、政府は国民を支配できなくなったのである。国民は政府に従わなくなったのである。
だから、今では政府が滅んでいるのだ。神を滅ぼした者は政府も滅ぼしたのだ。
[13834] 国の力 h23.12.22
国の力は国民の力の総和であって、政府の力ではない。
だから、いくら政府に強い権力(国民に対する命令力)があっても、国民の力がなければ強い国ではない。つまり、いくら政府が神であっても、国民がダメな人間ならダメな国である。
江戸時代に日本が強い国だったのは、国民の力が強かったからである。江戸幕府は合理化政策に力を入れていたから、国民が合理的だったから、国民の力が強かったのである。
今の日本が弱い国なのは、政府が学校で頭で考えない教育をしているからである。眼で見たことを憶[おぼ]えるだけの教育をしているからである。そのため、今の国民が自分で考える力のない人間性のない馬鹿になっているのである。その上、政府はマンガやテレビや酒などのくだらない文化を流行[はや]らせているので、今の国民は弱いのである。だから、今の日本は弱い国なのである。政府は国民に人間の価値を実力で決めさせずに、マンガみたいに“キャラクターのよさ”で決めさせている。そのために、国中に“どうでもいい役立たず”が蔓延[まんえん]している。だから、日本は弱い国なのである。
政府は国民をダメ人間にしている。政府がなくなったほうが国民がいい人間になる。政府は国民に悪い教育をして国民を潰[つぶ]している。国民が馬鹿でダメな人間になったほうが、政府が国民を支配しやすいからである。政府は自分の都合[つごう]のために、国民をダメにしているのである。だから、国民は早く政府を潰して、政府のない国にしなければならない。
[13835] 「偉さ」なんかどうでもいい。 h23.12.22
政府が「偉い」から、国民は政府に従わねばならないのではない。
昔は国民が政府に従わねばならない『理由』があったから、国民が政府に従わねばならなかったのである。昔は政府が神だと考えられていたし、民主主義が正しいと考えられていたから、国民は政府に従わねばならなかったのである。
しかし、今は政府が神だと考えられていないし、民主主義が正しいと考えられていないから、国民が政府に従わねばならない『理由』がない。だから、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。
昔も今も「偉さ」なんかどうでもいいのである。大事なのは、自分が相手に従わねばならない『理由』があるかないかである。
[13836] 政府は悪者である。 h23.12.22
今は神がいないし、民主主義がまちがいであることがわかっている。
だから、政府は国民よりも上の者ではない。政府と国民は平等である。
それなのに、政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
政府はやってはいけないことをやっている。[昔の政府は神だと思われていたし民主主義が正しいと思われていたから、昔の政府は国民よりも上の者だったから国民を好き放題にしてもよかった。しかし、今の政府は神ではないと思われているし民主主義は正しくないと思われているから、今の政府は国民よりも上の者ではないから国民を好き放題にしてはいけない。]
だから、政府は犯罪者である。政府は有罪である。政府は強盗殺人罪である。政府は悪者である。
警察は政府と組んでいるから政府を罰しない。
だから、国民が政府を罰すればいい。国民がこれまでのお返しに、政府から財産を取ったり、政府を遊び半分に嫌がらせたり殺したりすればいい。
どんな団体でもみんなに悪いと思われたらおしまいである。みんなから無視されて攻撃されておしまいである。だから、政府はおしまいである。
[13837] 政府は要らない。 h23.12.23
政府は神機関(崇拝機関と同じ。神をやる機関)と民主機関(民主主義をやる機関)と法治機関(法律をやる機関)の3つからなる。
政府の法治機関は政府の飾りである。ただ存在しているだけで国民のために役に立っていない。せいぜい犯罪に遭[あ]った者にとってしか役に立たない。[[13820]を参照。]
政府の神機関と民主機関は国民よりも上の者として国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に国家宗教や民主主義などで嫌がらせたり殺したりしている。今の時代では政府の神機関も民主機関も国民よりも上の者ではないのに、今でもずうずうしく上の者として振舞[ふるま]っている。[国民はみんな政府に税金を取られるのが嫌だから、税金は民主主義で決めたのではない。税金は政府が神であることによって決めたのである。税金は政府が民主主義や法律をやる前から取っていたから、税金は政府が神をやることによって取っているのである。]
国民にとっては政府の法治機関も神機関も民主機関も全部要らない。
今では政府が国民よりも上の者である理由がないから、政府と国民は平等である。だから、国民は政府を国民にとって要らないものとして葬[ほうむ]ればいい。
[13838] 文系の学者 h23.12.23
文系の本は字面[じづら]が立派なだけで中身はエッチである。
だから、文系の本を読んでいると眠くなる。
文系の学者は人前で立派な格好をして、裏ではエッチなことばかりやっているのである。
文系の学者はエッチで頭の中がドロドロである。モヤモヤである。ムニャムニャである。フニャフニャである。だから、死ぬまで論理がないのである。眼で見えるところがきれいなだけで、頭で考えるところは汚[きたな]いのである。
[13839] 国民は政府に従っているか? h23.12.23
今では政府は神ではないし、民主主義はまちがいだから、国民が政府に従う理由はない。
だから、かなりの数の国民がすでに政府に従わなくなっているはずである。
国民みんなが政府に従っている証拠はない。
今の時代には国民が政府に従わねばならない決まりはないから、国民が個人で勝手に政府に従わなくなっているのである。国民が自分で勝手に政府の命令を聞くのをやめて、政府に税金を払わなくなっているのである。[最近、国民が政府に税金を払わなくなったから、政府は困って消費税を取るようになったのである。]
だから、国民みんなが政府に従わなければいいのである。政府に従うのをやめればいいのである。
[13840] 善[ぜん]とは何か? h23.12.23
自然科学の法則は反例がないから、破ろうとしても誰も破ることができない。
それを真と言う。真理と言う。正しいと言う。
それに対し、例えば、『人間が平等である』ことは正しいが、破ろうとすれば破ることができる。他人の物や金を奪ったり、他人を嫌がらせたり殺したりすれば破ることができる。
それを善と言う。善[よ]いと言う。
つまり、一般に、“破ろうとすれば破ることができるが正しいと考えられていること”が善なのである。
真理は破ろうとしても破れないが、善は破ろうとすれば破れる。
だからこそ、善を守ろうとする気持ちが大事なのである。
つまり、正しいことにも2種類ある。破れない正しさが真理であり、破れる正しさが善である。世の中は真理だけでは出来ていない。世の中は善でも出来ているのである。
善は破れる。だから、国民を法律で取り締[し]まる法治機関が必要なのである。
[13841] 美とは何か? h23.12.23
美とは“物事がよく整っていること”である。
だから、美には五感の美や知覚の美や心の美などがある。
つまり、形がよく整っているのも美であり、音がよく整っているのも美であり、味がよく整っているのも美であり、理解がよく整っているのも美であり、気持ちがよく整っているのも美である。
[13842] そのうち、政府が滅ぶだろう。 h23.12.23
政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりする極悪非道な団体である。
それなのに、これまで長い間、国民が政府に従ってきたのは、政府が国民よりも上の者だったからである。
昔の人は政府を神だと思っていたし、民主主義が正しいと考えていたから、政府を国民よりも上の者だと思って、政府に従っていたのである。
しかし、今の人は政府を神だと思っていないし、民主主義が正しくないと考えているから、政府を国民よりも上の者ではないと思って、政府に従わなくなったのである。
今でも古い考えを持っている国民は政府に従っているが、新しい進んだ考えを持っている国民は政府に従わなくなっている。つまり、国民が政府に従うか従わないかは、国民が持っている考えによるのである。
つまり、今の時代は政府に従う国民と政府に従わない国民が混じっているのである。[今では民主主義がまちがいだと考えられていて、国民は法律(ただし、政府が定めたインチキな法律ではなく、『人間の平等性』に基づく純粋な法律のこと)さえ守っていれば他[ほか]のことでは自由だから、政府に従おうが従うまいが個人の勝手なのである。法律を犯さないかぎり個人が何をしようが勝手だから、政府に従いたい者は政府に従えばよく、政府に従いたくない者は政府に従わなければいいのである。政府に嫌がらされたい者は政府に従えばよく、政府に嫌がらされたくない者は政府に従わなければいいのである。例えば、政府に従っている者が政府の命令で政府に従っている者を殺すことはできるが、政府に従っている者が政府の命令で政府に従っていない者を殺すことはできない。今では政府は神ではなく人間であり、政府も人間の法律を守らなければならないから、政府は人殺しをしてはいけないのである。]
今後は、まちがった考えを持っている国民が減り、正しい考えを持っている国民が増えるから、政府に従う国民が減り、政府に従わない国民が増えるだろう。
そのうち、政府に従う国民がいなくなって、政府が滅ぶだろう。
[13843] 宗教団体に入るとはどういうことか? h23.12.24
宗教団体に入るとは、宗教団体に従うようになることである。宗教団体の信者になるとは、宗教団体の命令を聞くようになることである。
宗教団体に従うと、宗教団体に「金を出せ」と言われて有り金全部取られて、無一文にされて、最後に「死ね」と言われて死なねばならないだけである。
だから、宗教団体に入らないほうがいい。
宗教団体に入ると何かいいことがあるかのように思わせているのは、宗教団体の嘘[うそ]である。
だから、宗教団体の嘘の宣伝に騙[だま]されて宗教団体に入ってはいけない。
[13844] 宗教団体は信者を殺していいか? h23.12.24
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。人間と人間は平等である。だから、宗教団体と信者も平等である。
人間と人間が平等ならば、人間は人間に命令できないし、人間は人間の物や金を奪ってはいけないし、人間を嫌がらせたり殺したりしてはいけない。
だから、宗教団体は信者を殺してはいけない。たとえ信者が宗教団体に殺されたくても、宗教団体は信者を殺していはいけない。たとえ信者が宗教団体に殺されることを承認していても、宗教団体は信者を殺してはいけない。宗教団体が信者を殺すと、信者がどんなに思っていようが、とにかく宗教団体が有罪となって罰せられる。
したがって、今の宗教団体は信者と平等の立場で活動しなければならない。
もちろん、宗教団体と信者は平等だから、信者が宗教団体を辞[や]めたいと言えば辞めることができる。だから、宗教団体はあまり信者を嫌がらせてはいけない。宗教団体は信者の役に立たねばならない。
[13845] 政府は政府に従う国民を殺していいか? h23.12.24
今では政府は神ではなく、政府と国民は同じ人間であり、政府と国民は平等である。
だから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の勝手である。
政府も国民も同じ人間だから、政府は国民の物や金を奪ってはいけないし、国民を嫌がらせたり殺したりしてはいけない。
たとえ国民が政府に従っていてもいけない。つまり、国民が政府に物や金を取られたり、政府に嫌がらされたり殺されたりすることを承認していても、政府は国民の物や金を奪ってはいけないし、国民を嫌がらせたり殺したりしてはいけない。
『人間と人間が平等である』ことは客観的事実だから、誰もそれに反してはいけない。
人間の平等性に反した者は有罪であり罰せられる。
警察が政府を罰しなければ、国民が政府を罰する。国民で機関を作って政府を罰すればいい。国民が政府を暗殺すればいい。
[13846] 今の政府は犯罪者である。 h23.12.24
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。
そんな時代に、政府は国民に命令して国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
政府は犯罪者である。
だから、国民は政府に従ってはいけない。
昔は政府が神だったから国民は政府に従わなければならなかったが、今は政府が犯罪者だから国民は政府に従わなくてもかまわない。
政府は昔は神だったが、今は犯罪者である。神は人間よりも上の者だが、犯罪者は人間よりも下の者である。
政府は落ちぶれたものだ。
[13847] 人間は犯罪者に従わなくてもかまわない。 h23.12.24
昔は神がいる時代だったから、政府が神だった。昔は「人間が神に従わねばならない」という決まりがあったから、国民は政府に従わねばならなかった。昔は政府が神だったから、政府は国民に好き放題に命令して国民の金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしてもよかった。
しかし、今は神がいない時代だから、政府は神ではない。今の政府は国民に命令したり国民の金を取ったり国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている犯罪者である。今の政府はただの犯罪者にすぎない。今は「人間は犯罪者に従わねばならない」という決まりはないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、国民は政府に従わなければいい。
このまま国民が政府に従い続けたら、日本は国民が犯罪者に従わねばならない国になる。犯罪を犯せば人間よりも上の者になれる国になる。犯罪者が国民を好き勝手にできる国になる。国民はそんな国には住めたものではない。
今の国民の政府に対する態度が未来の日本を決める。だから、国民は政府に従ってはいけない。政府を早く滅ぼさねばならない。
[13848] 犯罪者の時代 h23.12.24
今では政府は神ではないし、民主主義が正しくないと考えられている。
それなのに、国民はこれまでと同じように政府に従っている。政府は依然[いぜん]として国民を支配している。政府は国民に命令して国民のお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。今の政府はただの犯罪者にすぎない。
だから、今の国民は犯罪を犯せば自分が人間よりも上の者になれると考えている。今の国民は犯罪を犯して人間よりも上の者になってますます犯罪を犯している。最近、そんな国民が増えている。現代は犯罪者の時代である。
しかし、そもそも犯罪者が人間よりも上の者である理由がない。犯罪者は法律(人間の平等性)を犯した者であるから、有罪であり罰せられるべきである。犯罪者は人間社会の外に置いて反省させるべきである。犯罪者は人間社会の中に入れず、刑務所の中で貧しい暮らしをさせられるから、むしろ人間よりも下の者である。
だから、いくら今の政府がただの犯罪者にすぎず、国民の多くがいまだに政府に従っているからといって、犯罪を犯せば人間よりも上の者になれると考えることはまちがっている。
だから、国民が犯罪を犯せば人間よりも上の者になれるどころか、かえって下の者になるだけである。国民が犯罪を犯せば、有罪になって罰せられるだけである。だから、国民は犯罪を犯してはいけない。
犯罪者には人間よりも上の者である『理由』がない。だから、犯罪者の時代はやって来ない。
政府が犯罪を犯しているのは、政府が国民よりも上の者である理由ではない。政府は国民よりも上の者だから犯罪を犯せるのであって、政府が犯罪を犯しているから国民よりも上の者になっているのではない。今のところはまだ国民の多くが政府を国民よりも上の者だと思っているから、政府がしばらくの間[あいだ]国民よりも上の者でいられるだけである。
今のところはまだ国民の多くが理由もなく政府に従っているが、そのうち国民は政府に従う理由がないことに気づいて政府に従うのをやめるだろう。だから、今は政府が滅びるのをおとなしく眺[なが]めていればいい。あせって政府が人間よりも上の者である理由を考えてそれを実行しなくてもいい。
[13849] 一揆[いっき] h23.12.25
日本人は普段はおとなしいが、切れると凶暴になる。
日本人は我慢[がまん]強いから、自分が我慢できるだけ我慢するが、ある一線を越えると性格がひっくり返って凶暴になる。
日本人はそういう性格である。
だから、江戸時代に幕府が国民がおとなしいと思って、いい気になって命令を出していたら、突然怒り狂った国民に皆殺しにされたのだ。
国民はおとなしいままではない。人は見かけによらないものだ。
[13850] 曖昧[あいまい]なことに逃げるな! h23.12.26
日本人は、はっきりしないことに逃げまわる悪い癖[くせ]がある。
例えば、日本には“人がいい”という概念がある。しかし、人がいいといっても具体的に何がいいのかはっきりしない。何もいいところがない者を“人がいい”といっているだけである。“人がいい”という概念は曖昧[あいまい]な概念である。しかし、本当は、具体的にいいところがある者がいい人なのである。
“心がいい”というのも同じである。心がはっきりしないものだから、何の取り柄[とりえ]もない者を心がいいというのである。
はっきりしないことで物事を捉[とら]えても、物事がわからなくなるだけである。
はっきりすることで物事を捉えれば、物事がわかるようになる。
例えば、政府のことについても、これまで日本人は政府が“偉い”から政府に従ってきた。“偉い”ははっきりしない曖昧な概念だから、みんながはっきりしないまま政府に従ってきた。しかし、本当は、これまで政府は神だと思われていたから、民主主義が正しいと思われていたから、国民が政府に従ってきたのである。ところが、今は政府は神だと思われていないし、民主主義は正しいと思われていないから、国民は政府に従わなくてもいいのである。このように、国民が政府に従わねばならなかった『理由』を考えれば、事態がはっきりするのである。
日本人にはっきりしない曖昧な概念や曖昧な考え方を流行[はや]らせているのは政府だろう。そうやって政府は国民を物事がはっきりとわからない馬鹿にして、国民を支配しているのだ。本当は今では国民が政府に従わなくてもいいのに、いまだに国民を政府に従わせているのだ。デカルトが『方法序説』で述べているように、これまで世界中の政府が国民を支配するためにそういう方法を用いてきたのだ。
世界中の政府が国民を馬鹿に変えるための教育をしてきたのである。例えば、学校における『国語』の教育は国民を曖昧なことしかわからない馬鹿に変えるためにやっているのである。政府は学校で国民にはっきりしない概念で物事を見る練習をさせているのである。そうやって、国民は物事がわからない馬鹿にさせられているのである。
今でも世界中で国民が政府に従っているのは、世界中の国民が政府によって馬鹿に変えられているからである。国民はしっかりと自分が政府に従わなくてもいいことを理解して、政府に従ってはならない。
今の日本人が眼先のことしかわからないのは、日本人の頭が馬鹿になっているからである。馬鹿は頭が曖昧模糊[あいまいもこ]で頭でわかることがないから眼で見えることしかわからないのである。だから、馬鹿は眼で見えることに重みがあるのである。国民は政府の悪い流行に乗せられずに、自分ではっきりと考えながら生きていかねばならない。日本人はテレビやマンガやゲームばかりやらずに、自分で考えたことを文字にして暮らさねばならない。
[13851] 文学は面白くない。 h23.12.26
数学や科学は理学であり、文学は曖昧学[あいまいがく]である。
数学や科学を学ぶとわかることがあるが、文学を学んでもわかることはない。
数学や科学を学ぶと“物事がわかる心”が学べるが、文学を学ぶと“物事がわからない心”が学べるだけである。文学は曖昧だらけである。文学は頭が腐[くさ]るだけである。とくにマンガは眼で見るだけで頭が腐るから最悪である。
理学がはっきり捉[とら]えた現実であるように、文学は曖昧に捉えた現実なのである。文学も科学の一種なのである。馬鹿の目で見ると現実が文学のように映[うつ]るのである。文学者は現実がわからないから文学が書けるのである。
実在には考えねばならない問題はいくらでもある。
人間は作り事を考えていられるほど余裕はない。
文学は政府の国民に対する意地悪[いじわる]である。国民を物事のわからない馬鹿に変えたほうが、政府が国民を支配しやすくなるからである。だから、国民は文学を勉強しないほうがいい。
人間は本当はマンガやドラマが嫌いなのである。本来人間にとってはマンガやドラマは面白くないのである。政府が無理やりそれらを面白いことにして国民に押し付けているのである。だから、国民はマンガやドラマを見ないほうがいい。
曖昧さに逃げまわるのは男のクズである。人間のクズである。だから、国民は文学を読んではいけない。
眼で見えること自体ははっきりしていない。眼で見えることをはっきりした概念で捉[とら]えてはじめてはっきりするのである。だから、眼で見えることを頭で考えなければはっきりしないのである。
[13852] 医者は馬鹿の家系である。 h23.12.26
医学は眼で見えることを教えるだけで、頭で考えることを教えない。
医者は眼で見えることがわかるだけで、頭で考えることがわからない。
だから、医者は馬鹿である。医者はわからないまま患者の身体をてきとうに弄[いじ]りまわしているだけで治しているのではない。
だから、昔は医者が馬鹿扱いされて医者が儲[もう]からず医者が貧乏暮らしをしなければならなかったのである。今は政府が決めた保険制があるから医者が儲かっているだけである。政府は馬鹿を有利にすることによって国民みんなを馬鹿に変えて国民を支配しやすくしているのである。
医者は本当は馬鹿である。馬鹿が利口[りこう]なふりをしているだけである。医者は患者よりも馬鹿である。だから、国民はもっと医者を馬鹿にして軽蔑[けいべつ]しなければならない。
医者は馬鹿だから眼で見えることしかわからない。医者は眼がいいだけで頭は悪い。医学は頭で考える学問ではない。眼で見るだけの学問である。だから、馬鹿な医者のほうが医学が上手[じょうず]にやれるのである。
[13853] 馬鹿は面白くない。 h23.12.26
国民はもともと馬鹿ではない。政府が馬鹿に変えているから馬鹿なのである。
馬鹿はわからないことが多いだけだから面白くない。
利口はわかることが多いから面白い。
つまり、政府は国民を馬鹿に変えることによって国民を面白くなくしているのだ。
政府がいなければ、国民は自然に利口になる。国民が利口になれば国民は面白くなる。だから、政府がなくなればいい。
[13854] どうして今の国民は政府に従っているか?☆ h23.12.26
国民が政府によって馬鹿に変えられているからである。政府は学校で国民に眼で見るだけで頭で考えない教育をして、テレビや新聞で嘘[うそ]の情報を流しまくって、国中に曖昧[あいまい]な文化を流行[はや]らせることによって国民を馬鹿に変えているのである。
政府が偉そうにしているので、馬鹿な国民は政府に従っているのである。馬鹿な国民は政府の偉そうな「雰囲気」だけで政府に従っているのである。
しかし、今は国民が政府に従う『理由』がない。
だから、今では国民は政府に従わなくていいのである。
国民は政府が作った嘘の法律に騙[だま]されずに、政府に従わなければいいのである。
今の政府には国民よりも上の者である理由がないから、今の政府は躍起[やっき]になって国民を馬鹿に変えているのである。だから、今の国民は昔の国民よりも馬鹿になっているのである。国民はたかが政府一人[ひとり]のためにわざわざ馬鹿になってやることはない。国民は自分が馬鹿になるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[13855] どうして昔の医者は貧乏だったか? h23.12.26
昔は『人間が中身であって見かけではない』と考えられていたからである。
昔は神がいる時代だったので、昔の政府は神だった。しかし、神とはいっても現人神[あらひとがみ]だったので、見かけは人間と変わらなかった。昔の政府は見かけが人間で中身が神だった。政府は自分が神であることを言うために、国民に人間を中身で見るようにさせた。
医者は人間の見かけの身体を扱うだけで人間の中身を扱わないので、低い仕事だと考えられた。
それで、昔の医者は儲[もう]からず貧乏暮らしだったのである。[それに、医学的には政府はただの人間にすぎないから、政府にとっては医学が嫌だった。それで、政府は医者の待遇を悪くしたのだ。]
しかし、戦後は神のいない時代になって、政府が神ではなくなったから、政府にとっては人間の中身がどうでもよくなった。
戦後の政府は国民の支配の仕方を自分が神であることから国民を馬鹿に改造することに変えた。
そこで、戦後の政府は馬鹿がやる仕事の典型[てんけい]である医者の待遇を良くして、日本を馬鹿が有利な国にして、国民みんなを馬鹿にすることにした。
だから、戦後の医者の待遇が良くなったのである。
[あるいは、政治家が病気が治って元気になった子供を抱いて笑っている写真をよく見かけるように、政府が医療に力を入れるのは国民に対する安っぽい人気取りのためである。雰囲気的には政府が弱い病人のためになることをしていれば、政府が国民みんなのためになることをしているように思われる。しかし、実際には、医者は病人以外にとっては何の役にも立たないから、政府があまり国民のためになることをしているとは言えない。政府が国民全員のために役に立っているとは言えない。医療政策は病人にお金がかかるだけで、病人が有利で健康な人が不利になるから、上手な政治とは言えない。つまり、政府は医者が弱い病人を助ける温[あたた]かいイメージを自分の国民支配のために利用しているだけなのだ。つまり、政府が医療に力を入れれば、馬鹿な国民は政府が国民みんなのためになることをしていると思って、政府が善[い]い団体だと思って政府に従うようになるから、政府は医療に力を入れているだけなのだ。しかし、そのために国民は高い保険料を払わされるのだから、国民にとってはたまったもんじゃない。国民は政府の宣伝代に高いお金を取られているだけだ。国民にとっては政府は要らない。医者だけあればいい。]
[13856] どうして昔の文学者は貧乏だったか? h23.12.26
昔は神がいる時代だった。政府は神だと考えられた。政府は実在する神であった。
一方、文学は作り事であった。文学は実在の外に出ることだった。文学の作り事の世界では政府は神ではなかった。
そこで、政府は国民に文学をくだらないものだと思わせて文学を低い仕事にして文学者を儲[もう]からなくしたのである。だから、昔の文学者は貧乏だったのである。政府にとっては文学のせいで国民が政府を神だと思わなくなるのが嫌だったので、政府はいたずらに文学者を殺した。だから、昔は文学者の“自殺”が多かったのだ。
しかし、戦後は神がいない時代になって、政府にとっては実在の世界がどうでもよくなった。
戦後の政府は国民を馬鹿に変えて国民を支配するようになった。国民を馬鹿に変えるためには、文学がいい道具だった。文学は曖昧模糊[あいまいもこ]な概念で出来ているので、国民が文学を読むと頭が曖昧模糊になって真実がわからなくなる。国民が雰囲気だけしかわからなくなって、政府が国民を支配しやすくなる。つまり、文学は頭の毒なのである。
そこで、戦後の政府は文学を高い仕事にして文学者を儲かるようにしたのである。
だから、今の文学者はリッチなのだ。
とくにマンガは国民を馬鹿に変える作用が強いので、政府はマンガ家にお金をたくさんやっているので、マンガ家は儲かるのである。政府はマンガ家に原稿料とは別にたくさん“手当て”をやっているので、マンガ家はいい暮らしができるのである。
[13857] 今の政府が悪い。☆ h23.12.26
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。政府と国民は平等である。
今の時代は国民が法律を守っていさえすれば自由なはずである。
それなのに、今の政府は国民の自由なことにちょっかいを出して、国民を馬鹿になるようにしている。
本来は国民が利口になるか馬鹿になるかは国民自身の自由なはずなのに、政府は国民を馬鹿になりやすくしている。政府は自分が国民を支配するために、国民の自由を奪っている。それが、政府の行政の実体である。
だから、今の政府が悪い。
今の政府は自分のために国民を利用しているだけである。国民は政府に利用されているだけである。
国民が政府に従っても国民にとって得になることはなにもない。
幸い、今では国民と政府が平等だから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。
だから、国民は政府に従わずに、政府を倒せばいいのである。
本来は、政府が国民を馬鹿に変えるのは禁じ手である。昔ローマ政府がこの手を使って国を滅ぼしたことがある。
政府は最近神がいなくなったので、やけくそになって使ってはいけない手を使っているのである。
このままでは国民が政府に潰[つぶ]されてしまう。日本がローマ帝国の二の舞になってしまう。
そうなる前に、国民が政府を潰さなければならない。
[13858] 今の政府は国民を馬鹿に変える団体にすぎない。 h23.12.27
昔は人類の文明が遅れていたから、人類はこの世に神がいると思っていた。国民は政府を神だと思って、政府に従った。
しかし、人類の文明が進んでくると、この世には神がいないことがわかった。科学が神がいないことを明らかにした。つまり、神はフロギストンやエーテルのように存在しない物だったのである。
そのために、政府は神ではなくなった。政府は自分が神であることによって国民を支配できなくなった。
しかし、政府は国民を雰囲気だけしかわからない馬鹿に変えることによって、国民を支配しようとしている。国民が雰囲気だけしかわからなくなれば、政府が偉そうにすれば、国民は政府に従うからである。
今の政府は“国民を馬鹿に変える団体”にすぎない。だから、今の政府は国民よりも上の者ではない。したがって、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を無視して自分の好きなようにやればいい。
今の政府は国民を馬鹿に変える団体にすぎない。そんな団体は国民にとって要らない。だから、国民は政府を捨てればいい。国民は政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいい。
[13859] 国民が政府を支持する理由 h23.12.27
これまで政府は国民を支配してきた。
政府が国民を支配してきたのは、国民が政府を支持していたからである。
政府は国民に比べて少数なので、政府が国民を支配するためには、国民が政府を支持していなければならない。国民のほうが政府よりも数が多いから、暴力では政府は国民に敵[かな]わないから、政府は暴力で脅[おど]して国民を支配することはできないのである。政府と国民は頭の出来が変わらないから、政府が嘘[うそ]で騙[だま]して国民を支配することはできないのである。
しかし、国民が政府を支持していたのは、政府が国民を幸福にしていたからではない。
昔の国民が政府を支持していたのは、政府が神だったからである。昔はみんなが神がいると信じていた。昔の神がいる世界では、政府が神であり、人間は神に従わねばならない決まりがあったから、国民が政府に従っていたのである。
今の国民が政府を支持しているのは、政府が国中に曖昧模糊[あいまいもこ]な文化を流行[はや]らせることによって国民を雰囲気だけしかわからない見かけだけしかわからない馬鹿に変えているからである。政府が国民に悪い教育をすることによって国民の知能を低下させて国民を馬鹿に変えているのである。馬鹿は雰囲気だけで動くので、馬鹿な国民は政府が偉そうにしているのを見て政府に従っているのである。馬鹿は見かけだけで動くので、馬鹿な国民は政府が見かけが立派なのを見て政府に従っているのである。
これまで政府は国民を幸福にしてきたのではない。昔も今も政府は国民を不幸にしているだけである。これまで政府は国民に命令して国民から無理やりお金や物を奪ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしてきたのである。[昔の政府は神だったので、国民よりも上の者だった。上の者が下の者に仕事をするわけがない。上の者は下の者を虐[いじ]めるだけである。政府は今でも自分が国民よりも上の者だと思って国民を虐めているのである。今の政府は国民に嘘[うそ]をついて国民に「政府が国民を幸福にしている」と思わせているのである。馬鹿な国民が政府の雰囲気だけの嘘や見かけだけの嘘に騙[だま]されて政府を国民を幸福にする善[い]い団体だと思っているのだ。今の政府は神ではないから、今の政府は国民と平等だから、政府が国民に嫌われると政府が国民からお金をもらえなくなって政府がやっていけなくなるので、政府は嘘をついて国民に善い団体だと思わせているのである。しかし、裏では政府は昔と同じように国民を虐めているのである。]
幸い、今では政府と国民は平等である。国民は政府に従わなくてもかまわない。政府は国民を不幸にするだけである。だから、国民は政府を倒せばいい。国民は政府の命令を無視して政府を倒せばいいのである。
[13860] 国民は政府を真似[まね]てはいけない。 h23.12.27
昔の政府は神だったから非道なこと(法律に反すること)がやれた。神は人間よりも上の者で人間ではないから人道[じんどう](法律)に反することがやれたのだ。
一方、国民は人間である。人間は人道を守らねばならない。
だから、国民は政府がやることを真似てはいけない。政府は神で、国民は人間なので、政府と国民は違うので、政府がやっているからといって、国民が政府を真似てやってもいいことにはならない。例えば、政府が国家宗教をやっている(つまり、国家宗教の神の情報を使って法律に反することをやっている)からといって、国民が国家宗教をやってもいいことにはならない。[政府の憲法は嘘[うそ]だから、憲法第20条(宗教の自由)を字義通りに解釈してはいけない。]
もっとも、今は神がいない時代なので、今では政府も人間だから、政府も人道に反してはならない。今の政府は“国民を馬鹿に変える団体”にすぎないので、今の政府は人間なので、政府は人道に反してはならない。
[13861] 今では馬鹿な国民が政府に従っているだけである。☆ h23.12.27
昔は政府が神だったから、国民はみんな政府に従わねばならなかった。
しかし、今は政府が“国民を馬鹿に変える団体”にすぎないから、政府と国民は同じ人間で平等だから、馬鹿な国民が政府に従っているだけで、利口な国民は政府に従わなくなっている。馬鹿な国民が政府が偉そうな「雰囲気」をしているから政府に従っているだけで、利口な国民は政府に従う『理由』がないから政府に従わなくなっている。
昔は国民みんなが政府に従わねばならなかったが、今は国民の一部の馬鹿な国民が政府に従っているだけである。国民は自分が政府によって馬鹿に変えられていなければ、政府に従わなければいいのである。
政府が国民を馬鹿に変えるのにも限界がある。年々[ねんねん]政府に従う国民は少なくなっている。政府はもうすぐ滅ぶだろう。
[13862] どうして今の国民は政府に従っているのか? h23.12.28
今の国民が政府によって馬鹿に変えられているからである。政府が国中に曖昧模糊[あいまいもこ]な文化を流行[はや]らせることによって国民を馬鹿に変えているのである。
馬鹿は「雰囲気」や「見かけ」しかわからないから、政府が偉そうな「雰囲気」をしたり立派な「見かけ」をしているから政府に従っているのである。
馬鹿は『理由』を考えないから、何の『理由』もないのに政府に従っているのである。
昔は「政府が神である」という国民が政府に従う『理由』があったから国民は政府に従っていた。しかし、今では国民が政府に従う『理由』がないのに国民は政府に従っている。だから、今の国民は『理由』で政府に従っているのではない。今の国民は「雰囲気」や「見かけ」で政府に従っているのである。昔の国民は「雰囲気」や「見かけ」よりも『理由』で動いていた。今の国民は『理由』よりも「雰囲気」や「見かけ」で動いている。昔の国民は今の国民よりも頭がよかった。
国民は自分で明晰判明[めいせきはんめい]に考えることによって、自分が政府に従う『理由』がないことに気づいて、政府に従うのをやめねばならない。
今の国民は政府によって馬鹿に変えられすぎている。だから、国民はもっと自分で物事を考える練習をしなければならない。例えば、私のように自分で考えたことを紙のノートやパソコンのメモ帳に字で書いて考える練習をしないといけない。
国民が「雰囲気」や「見かけ」よりも『理由』がわかるようになったとき、政府はこの世から消え去るのだ。
[13863] 人間は正しいことに従わねばならない。☆ h23.12.28
人間は正しいことに従わねばならないのであって、政府に従わねばならないのではない。
今は『神がいない』ことが正しいとわかっている。だから、政府は神ではない。もちろん、国民も神ではない。
昔は「神がいる」ことが正しいと考えられていた。だから、国民は政府を神だと考えて、政府に従った。つまり、昔の国民は「神がいる」ことに従っていたのであって、政府そのものに従っていたのではない。
いつの時代にも、国民は正しいことに従っていたのである。
今では『神がいない』ことが正しいことである。だから、国民は政府を神だと考えず、政府に従わなければいいのである。
[13864] 今の国民が政府に従っているのは国民が馬鹿だからである。 h23.12.28
今の政府は偉そうな雰囲気にして立派な見かけにして善[い]い団体のふりをして、国民に政府に従わなければならないと思わせて国民を従わせている。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民に遊び半分に国家宗教の命令を出したりしている。[また、政府は遊び半分に国家宗教などで国民を嫌がらせたり殺したりしている。]
しかし、本当は国民は政府に従わなくていいのである。今は神がいない時代だから、政府は神ではないから、国民は政府に従わなくていいのである。今では国民が政府に従う『理由』がないから、国民は政府に従わなくていいのである。
今の国民は雰囲気や見かけで不合理的に政府に従っているだけである。
それは、国民の多くがもともと馬鹿だからである。馬鹿は雰囲気や見かけしかわからないから、政府の芝居[しばい]に騙[だま]されて政府に従っているのである。馬鹿は雰囲気や見かけで動くだけだから、政府の雰囲気や見かけに騙されて政府に従っているのである。
合理的な者にとっては、むしろ今の国民の多くが政府に従っていることが理解できない。合理的な者にとっては不合理的な者のやることが理解できない。
今の国民の多くは愚連隊[ぐれんたい]だ。馬鹿の群[む]れだ。
今の国民の多くが政府に従っているのは、国民の多くが馬鹿だからである。
馬鹿であるかないかは国民個人の責任である。たとえ政府が“国民を馬鹿に変える政策”をやっていても、国民が自分で気をつけていれば馬鹿にならないはずである。国民が自分で毎日“考える練習”をしていれば、馬鹿にならないはずである。
だから、今では国民が政府に従うか従わないかは国民個人の自由である。
今の政府は馬鹿を騙して儲[もう]けている詐欺[さぎ]会社にすぎない。
だから、政府に騙されていない国民は政府に従わなければいいのである。
昔の国民が政府に従っていたのは、政府が神だったからである。
今の国民が政府に従っているのは、国民が馬鹿だからである。
政府が神でなくなったために、『国民の多くが馬鹿である』ことが判明したのだ。政府が神でなくなったために、国民の正体がばれてしまったのだ。
今の政府は馬鹿な国民を騙す詐欺会社である。詐欺会社が自分から潰[つぶ]れることはない。詐欺会社は詐欺会社に騙される者がいなくなれば潰れるだけである。だから、国民が馬鹿のままで政府に騙されているかぎり政府は残りつづける。国民の馬鹿が直って国民が政府に騙されなくなれば政府は潰れる。政府を残すも潰すも国民次第[しだい]だ。
[13865] 一揆[いっき] h23.12.29
昔は神がいる時代だった。だから、幕府は神だった。
神は人間よりも上の者だから、神と人間の関係は人間と動物の関係と同じである。
動物は普段はおとなしく人間に従っているが、人間があまりにも厳しく動物に接すると、動物は牙[きば]をむいて人間に抵抗する。
それと同じように、人間も普段はおとなしく神に従っているが、神があまりにも厳しく人間に接すると、人間は凶器を持って神に襲い掛かるのである。
昔は「人間が神に従わねばならない」決まりがあったが、その決まりは必ずしも守られるわけではなかったのである。
神は絶対者ではなく、人間よりも上の“生き物”にすぎなかったのである。神は具体的な生き物だったのである。特に現人神[あらひとがみ]の場合は、神と人間の合いの子だから、人間になめられていたのだろう。
[13866] 現人神[あらひとがみ]は人間である。 h23.12.29
昔の人は神がいると思っていたから、現人神(戦[いくさ]に勝った武力団体や奇跡を起こした者を囲う宗教団体)が神だった。現人神は神の仲間だった。つまり、昔の人は人間の上に神という生き物がいると思っていて、現人神は神に分類されていたのである。
しかし、今の人は神がいないと思っているから、現人神は人間である。現人神は人間の仲間である。つまり、今の人は人間の上には生き物がいないと思っていて、現人神は人間に分類されているのである。
昔と今では生物の体系が違うのである。
そのために、現人神が神から人間になったのである。
つまり、政府が神から人間になったのである。
今では神がいないと考えられている。だから、誰も神をやってはいけない。だから、今の政府は神をやっていない。今の政府は詐欺[さぎ]をやっているだけである。今では馬鹿な国民が政府に騙[だま]されて政府に従っているだけである。政府に騙されていない国民は政府に従わなければいいのである。
[13867] 今の国民には政府に従う『理由』はない。 h23.12.29
昔は神がいる時代だった。だから、昔の国民は政府が神だと思って政府に従っていた。
しかし、今は神がいない時代である。だから、今の国民は政府を神だと思っていない。今では馬鹿な国民がわけがわからないまま政府に従っているだけである。政府の雰囲気や見かけでダラダラ政府に従っているだけである。政府は雰囲気だけしかわからない馬鹿な国民を政府に従わせるために、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりして国民に対して偉そうにしているのである。
昔の国民には政府に従う『理由』があったが、今の国民には政府に従う『理由』はない。
だから、今の国民は政府に従わなければいい。政府に従うのをやめればいい。
[13868] 今の政府は国民から税金を取れない。☆ h23.12.29
今の政府は神ではない。今の政府は詐欺[さぎ]会社である。
今の政府は国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりして国民に対して偉そうにしたり、医療に力をいれることによって国民に善[い]い団体だと思わせたりして、国民を政府に従わねばならないと思わせて、国民を政府に従わせている。[今は神のいない時代だから、政府は国家宗教をやることはできない。今の政府は“国家宗教みたいなこと”をやっているだけである。今の政府は“国家宗教みたいなこと”をやって国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。今は神がいない時代だから、神武天皇も私も神ではない。キリストや釈迦[しゃか]やモハメットなどのこれまでの神はみんな神ではない。新たに神を作ることもできない。今の政府は私を囲っていないから、私を国家宗教の神としていない。今の政府は私を国家宗教の神としていることを国民に公表していないから、私を国家宗教の神としていない。だから、政府が私の情報を使ったことをやっても政府が国家宗教をやったことにはならない。今の政府が正式に国家宗教をやっていないことが、今が神のいない時代である証拠である。]
馬鹿な国民は政府の見え透[す]いた芝居に騙[だま]されて、政府に従っている。
しかし、政府は国民から税金を取ることはできない。税金は国民から無理やりお金を奪うことであって強盗になるので、詐欺会社の政府には国民から税金を取ることはできない。今の政府にできることは、国民を政府に従わねばならないと思わせて、国民に自主的にお金を払わせることだけである。
今の政府は詐欺会社である。今の政府にできることはせいぜい国民を騙すことだけだ。それ以上のことは、今の政府にはできないのだ。
[13869] 政府は何のために国家宗教をやっているのか? h23.12.30
昔の政府が国家宗教をやっていたのは、政府が神であり国民よりも上の者だったので、政府が国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりして楽しむためだった。国家宗教は政府の娯楽だったのだ。
今の政府が国家宗教をやっているのは、偉そうな雰囲気を出して国民を政府に従わせるためである。馬鹿は偉そうにしている者に従うので、政府が馬鹿な国民を従わせるために国民を嫌がらせたり殺したりして偉そうにしているのである。[政府が国民を嫌がらせたり殺したりしているのは事実なのだから、たとえ国民が政府が国民を嫌がらせたり殺したりしていることを知らなくても、たとえ国民が具体的に国家宗教の神の情報を知らなくても、政府が偉そうにしている「雰囲気」を出すことができる。国民は政府が国民を嫌がらせたり殺したりしていることに薄々[うすうす]気づいているので、国民の潜在意識に訴えて政府が偉そうにすることができる。馬鹿を政府に従わせるためにはそれで十分である。]
昔の国家宗教の神は“奇跡を起こした者”であり本当の神だったが、今の国家宗教の神は“政府が国家宗教をやるために情報を用いる人間”にすぎない。今の国家宗教の神は神ではない。
昔の政府は国民よりも上の者だったので、国民を嫌がらせたり殺したりしてもよかった。昔の政府はいくら国民を嫌がらせたり殺したりしても無罪だった。昔の政府はいくら国民を嫌がらせたり殺したりしても罰せられなかった。
しかし、今の政府は国民と平等なので、国民を嫌がらせたり殺したりしてはいけない。今の政府はいけないことをやっている。だから、今の政府は有罪である。したがって、今の政府は罰せられねばならない。[今の政府は馬鹿な国民を「雰囲気」や「見かけ」で騙[だま]して儲[もう]ける詐欺会社にすぎない。一般に、詐欺会社に従う者がいるからといって詐欺会社が国民よりも上の者であることにはならないように、馬鹿が政府に従うからといって政府が国民よりも上の者であることにはならない。馬鹿が間[ま]が抜けているだけである。馬鹿が騙[だま]されて損をするだけである。一般に、詐欺会社と国民が平等であるように、政府と国民は平等である。詐欺会社はちょっと頭がいいだけだから、詐欺会社は国民と平等である。馬鹿と国民も平等である。]
[13870] 今の政府は神ではない。 h23.12.30
昔(太平洋戦争以前)は神がいる時代だった。昔の政府は神をやっていた。国民は政府を神だと思って政府に従っていた。
今(太平洋戦争以後)は神がいない時代である。今の政府は神をやっていない。国民は政府を神だと思っていない。
今の政府は偉そうな「雰囲気」や立派な「見かけ」で国民を政府に従わせているだけである。今の政府に国民が従わねばならない『理由』はない。今では本当は国民は政府に従わなくてもいいのに、政府は偉そうな「雰囲気」や立派な「見かけ」で国民を政府に従わねばならないと思わせて国民を政府に従わせている。今の政府は「雰囲気」や「見かけ」だけしかわからない馬鹿な国民を騙[だま]して政府に従わせている詐欺会社にすぎない。
昔の政府は『自分が神である』ことによって国民を従わせていたが、今の政府は「雰囲気」や「見かけ」で国民を従わせているだけである。今の政府に国民が従わねばならない『理由』はない。だから、国民は政府に従わなければいい。
今の政府は「雰囲気」や「見かけ」で自分が滅びるのを必死で食い止めているだけである。しかし、国民もそういつまでも政府に騙されているわけではない。政府が滅びるのも時間の問題だ。
[13871] 国民の多くはわけがわからずに政府に従っている。 h23.12.30
今の国民の多くは政府の「雰囲気」や「見かけ」で政府に従っているだけである。政府に従う『理由』がないのに政府に従っているだけである。[[13864]参照。]
おそらく、昔の国民も今の国民と同じだっただろう。
つまり、いつの時代も国民の多くはわけがわからずに政府に従っているのである。迷える子羊なのである。自分で考える力のない馬鹿なのである。
昔は少数の国民が『政府が神である』ことを知っていて政府に従っていた。国民の多くは少数の国民が政府に従っているのを眼で見て真似[まね]て政府に従っていた。それで、国民みんなが政府に従っていたのである。
今は少数の国民が『国民が政府に従う理由がない』ことを知っていて政府に従わなくなっている。国民の多くは少数の国民が政府に従っていないのを眼で見て真似て政府に従わなくなるだろう。そうして、国民みんなが政府に従わなくなるだろう。
[13872] どうして暴力団や宗教団体は政府が神であることを隠していたのか?
h23.12.30
昔は神がいる時代だった。しかし、国民の多くは政府が神であることを知らなかった。
ところが、暴力団や宗教団体は、『政府が神である』ことを知っていた。『政府が戦[いくさ]に勝った武力団体や奇跡を起こした者を囲う宗教団体だから神だ』ということを知っていた。
しかし、暴力団や宗教団体はそのことを国民に教えなかった。秘密にしていた。
それは、暴力団や宗教団体がそのことを国民に教えると、国民が暴力団や宗教団体を真似[まね]て暴力団や宗教団体をやり出すので暴力団や宗教団体が儲[もう]からなくなるからである。
それで、暴力団や宗教団体は政府が神であることや政府が神である理由を国民に隠して自分たちだけで密[ひそ]かに使っていたのである。
そのため、国民の多くはわけもわからずに政府に従っていたのである。国民の多くはわけもわからずに暴力団や宗教団体に従っていたのである。
しかし、今は神がいない時代である。政府は神ではなくなっている。今では国民が政府に従う理由がない。しかし、国民の多くはそのことを知らない。
暴力団や宗教団体は『今の政府が神ではない』ことや『今の国民が政府に従わなくてもいい』ことを知っている。
しかし、暴力団や宗教団体はそのことを国民に教えない。秘密にしている。
それは、暴力団や宗教団体がそのことを国民に教えると、国民が暴力団や宗教団体にも従わなくなって暴力団や宗教団体が儲からなくなるからである。
それで、暴力団や宗教団体は政府が神ではなくなったことや国民が政府に従わなくてもいいことを国民に隠しているのである。
そのため、今でも国民の多くはわけもわからずに政府に従っているのである。国民の多くはわけもわからずに暴力団や宗教団体に従っているのである。
要するに、政府や暴力団や宗教団体は馬鹿な国民のおかげで儲かっているのである。政府や暴力団や宗教団体は馬鹿を食い物にする商売なのである。この世に馬鹿のいるかぎり、日本に馬鹿がいるかぎり、政府や暴力団や宗教団体は儲けつづけるのだ。[暴力団や宗教団体は政府と戦う団体ではなく、政府とつるんでいる団体である。]
[13873] 今の政府は詐欺[さぎ]団体である。 h23.12.30
昔は神がいる時代だった。だから、政府は神だった。国民は政府に従わなければならなかった。
しかし、今は神がいない時代である。だから、政府は神ではない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
それなのに、今の政府は国民の前で偉そうにして国民を政府に従わなければならないと思わせて、国民を政府に従わせている。今の政府は「国民は政府に従わねばならない」という嘘[うそ]の憲法を定めて国民を政府に従わせている。
今の政府は詐欺団体である。
国民が詐欺団体に従わねばならないという決まりはない。
だから、今の国民は政府に従わなければいい。
[13874] どうして政府と警察が組んでいるのか? h23.12.30
昔は神がいる時代だった。政府が神だった。だから、昔の神がいる時代には「国民が政府に従わねばならない」決まりがあったのである。
そもそも警察は「国民が政府に従わねばならない」決まりを取り締[し]まるために政府が作った組織だった。つまり、政府の命令を聞かない国民を罰するために警察があったのだ。
ついでに、警察は国民と国民の揉[も]めごとを処理していたのだ。昔も『国民と国民は平等である』決まりがあったので、警察は『国民と国民が平等である』決まりを犯した国民を罰していたのだ。
しかし、今は神がいない時代である。政府は神ではない。だから、今の神がいない時代には『国民と政府は平等である』決まりがあるのである。
だから、今の警察は『国民と政府が平等である』決まりを取り締まるためにある。つまり、国民に命令して国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりする政府を罰するために警察があるのである。
もちろん、今も『国民と国民は平等である』決まりがあるから、警察は『国民と国民が平等である』決まりを犯した国民も罰しなければならない。
今の警察が政府の持ち物であるために政府を逮捕しないなら、国民で新しく警察を作って政府を逮捕すればいい。
[13875] 今の政府は詐欺[さぎ]会社である。☆ h23.12.30
昔は神がいる時代だった。政府は神だった。政府は国民よりも上の者だったので、国民は政府に従わなければならなかった。
しかし、今は神がいない時代である。政府は神ではない。政府は国民よりも上の者ではないので、国民は政府に従わなくてもいい。
今の政府は本当は国民よりも上の者ではないのに、国民の前で偉そうにして国民に上の者だと思わせて国民を従わせているのである。つまり、今の政府は本当は神ではないのに、国民に神だと思わせて国民を従わせているのである。つまり、今の政府は神ではなく偽神[にせがみ]である。神のふりをしている人間である。
つまり、今の政府はただの詐欺会社である。国民よりも上の者のふりをしている詐欺会社である。神のふりをしている詐欺会社である。今の政府は昔の政府の真似[まね]をしているだけである。
だから、国民は政府に騙されずに、政府に従わなければいいのである。
[13876] 今の政府は偽神[にせがみ]である。 h23.12.31
昔は神がいる時代だった。昔の政府は神だった。
だから、昔の国民は政府に従わなければならなかった。
今は神がいない時代である。今の政府は神ではない。神のふりをしている人間だ。
だから、今の国民は政府に従わなくてもいい。
昔の政府の身分は神だった。今の政府の身分は人間である。国民も人間である。人間は人間に従わなくてもかまわない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
今の政府は神ではない。今の政府は芝居で神のふりをしているだけである。今の政府は人間である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
今は神がいない時代である。だから、今の政府は神をやってはいけない。だから、今の政府はしかたがなく“神の芝居[しばい]”をやっているのである。馬鹿な国民が政府の芝居に騙[だま]されて、政府に従っているのである。
今の政府は“神の物真似[ものまね]”をして国民をからかっているだけである。今の政府は“神様ごっこ”をしているだけである。
今では政府自身も神をやめている。だから、国民も政府に従うのをやめればいいのである。[しかし、国民の多くはものわかりが悪い馬鹿だから、それでも政府に従い続けるだろう。国民の多くは眼で見て他人を真似るだけだから、政府に従わない者が実際に大勢[おおぜい]現れないかぎり政府に従い続けるだろう。]
[13877] 二人羽織[ににんばおり] h23.12.31
二人羽織の顔を出しているほうが国民で、後ろの黒子[くろこ]が政府である。
二人羽織は、政府が国民を操[あやつ]っているから国民の生活がうまくいかないことを表している。
だから、国民は政府に従うのをやめて、自分で考えてやればいいのである。
そうすれば、国民は幸福に暮らせるだろう。
[13878] 今の政府は神のふりをしているだけである。 h23.12.31
昔は神がいる時代だった。だから、政府が神をやっていた。
昔の政府は神だった。神は人間よりも上の者だった。だから、国民は政府に従っていた。
今は神がいない時代である。だから、政府は神をやっていない。政府は神みたいなことをやっているだけである。政府は神のふりをしているだけである。
今の政府は人間である。人間は人間よりも上の者ではない。だから、国民は政府に従わなければいい。
昔の政府は現人神[あらひとがみ]だった。つまり、昔の政府は見かけは人間だったが中身は神だった。だから、国民は政府に従った。
今の政府は現神人[あらかみびと]である。つまり、今の政府は見かけは神だが中身は人間である。だから、国民は政府に従わなくていい。
[13879] 政府は神の真似をやってはいけない。 h23.12.31
戦後は神がいない時代になった。政府は神がやれなくなった。政府は人間になった。
そこで、政府は“神の真似[まね]”をやることにした。政府は自分が神をやってはいけないが、神の真似をやるのはいいと考えたのである。政府は自分が神と同じことをしてはいけないが、神に似たことをやるのはいいと考えたのである。
しかし、いくら人間が神の真似をやっても人間は人間である。
この世には『人間と人間は平等である』決まりがあるので、人間は『人間と人間が平等である』決まりを犯してはいけない。
だから、人間は神をやってはいけないし、神の真似をやってもいけない。人間は人間よりも上の者をやってはいけないし、人間よりも上の者の真似をやってもいけない。
したがって、政府は神をやってはいけないし、神の真似をやってもいけない。
[13880] 今の政府は馬鹿しか相手にしてくれない。 h23.12.31
今は神がいない時代である。だから、政府は神をやっていない。今の政府は人間しかやっていない。今の国民も政府を神だと思っていない。今の国民は政府を人間だとしか思っていない。
昔の政府は『政府が神である』ことを理由にして国民を従わせていた。ところが、今の政府には国民を従わせる理由がない。だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。
ところで、国民には自分で考える利口な国民と、雰囲気や眼で見たことしかわからない馬鹿な国民の2種類がいる。
今の政府は国民の前で偉そうにして雰囲気だけしかわからない馬鹿な国民を従わせている。今の政府は「国民が政府に従わねばならない」憲法を定めて眼で見たことしかわからない馬鹿な国民を従わせている。本当は、今の政府は偉くないし、『国民と政府は平等である』から国民は政府に従わなくてもかまわないのである。[民間会社の社長は偉そうにするだけで他[ほか]に能[のう]がない。世の中には雰囲気だけしかわからない馬鹿が多いから社長が務[つと]まるのである。だから、今の民間会社の社長は政府を支持しているのである。]
今の政府は馬鹿な国民を騙[だま]してお金を儲[もう]けている詐欺[さぎ]会社にすぎない。
今の政府は馬鹿な国民を相手に商売をしているのであって、利口な国民を相手にしていない。
今の政府は馬鹿しか相手にしない。利口な国民は政府を無視して好き勝手にやっているのである。
[13881] 今の政府には国民を従わせる『理由』がない。 h23.12.31
昔の政府も今の政府もやっていることは同じである。昔の政府も今の政府も国民の前で偉そうにしている。国民に命令して国民から税金を取っている。遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したりしている。
しかし、昔の政府と今の政府は違う。昔の政府は神だったが、今の政府は人間である。今の政府は人間が神の真似[まね]をしているだけである。
昔の政府は『政府が神である』ことを理由にして国民を従わせていたが、今の政府には何も理由がないのに国民を従わせている。今の政府は何も理由がないのに、自分が国民よりも上の者だと思って国民に命令したり国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
今の政府は空威張[からいば]りである。だから、国民は政府に従わなければいい。国民は政府に嫌がらされたり殺されたりしなければいい。
昔の政府は戦[いくさ]に勝ったり奇跡を起こした者を囲ったりしていたから人間よりも上の者だった。暴力団や宗教団体が政府を真似て人間よりも上の者になれた。ところが、今の政府は何も理由がないのに人間よりも上の者になっている。このままでは日本人みんなが人間よりも上の者になってしまう。日本が法律のない国になる。日本が犯罪者天国になる。日本が人間の住めない国になる。
[13882] アメリカは馬鹿の国である。 h23.12.31
アメリカ政府は戦[いくさ]に勝ったわけでもないし、奇跡を起こした者を囲っているわけでもない。アメリカは近代になってから出来た国だから、アメリカ政府は神ではない。
それなのに、アメリカ国民はアメリカ政府に従っている。
アメリカ政府は何も理由がないのに国民を従わせている。アメリカ政府は何も理由がないのに、国民に命令してお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
だから、アメリカでは国民がアメリカ政府の真似をして何も理由がないのに他[た]の国民に命令してお金を取ったり、他の国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。アメリカでは強盗殺人が日常化している。アメリカは犯罪者の国である。アメリカでは国民みんなが犯罪者である。アメリカは人間が住めない物騒[ぶっそう]な国である。
今は世界中の国がアメリカみたいになっている。世界中の国で、政府が何も理由がないのに国民を従わせて、国民からお金を取ったり国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。このままでは世界中の国で、国民が他の国民からお金を取ったり、他の国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりするようになる。このままでは世界中の国がアメリカみたいに強盗殺人が日常茶飯事[にちじょうさはんじ]の国になってしまう。このままでは世界中の国がアメリカのように国民みんなが犯罪者の国になる。人間が住めない国になる。
アメリカ人は馬鹿だが、日本人は馬鹿ではない。アメリカ人は理由がなくても政府に従うが、日本人は理由がなければ政府に従わない。日本をアメリカと同じ国にしてはいけない。
[13883] 今の国民はまちがったことをやっている。 h23.12.31
昔は神がいる時代だった。だから、政府は神だった。だから、国民は政府に従っていた。
今は神がいない時代である。だから、政府は神ではない。だから、国民は政府に従わなくてもいいはずである。
それなのに、今でも国民の多くは政府に従っている。
昔も今も国民の多くは理屈がわからないまま政府に従っている。[[13826]を参照。]
昔の国民はたとえ理屈がわからなくても正しいことをやっていた。
今の国民は理屈がわからずにまちがったことをやっている。
今の国民が悪い。
人間はたとえ理屈がわからなくても正しいことをやらねばならない。人間は理屈がわかろうがわかるまいがとにかく正しいことをやらねばならない。まちがったことをやってはならない。
昔は国民が政府に従うことが正しいことだった。しかし、今では国民が政府に従うことはまちがっている。
今の国民は今正しいと考えられていることをしなければならない。
幸い、今では政府と国民は平等だから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。
だから、今の国民は政府に従うのをやめねばならない。
[13884] 今の国民の多くは馬鹿である。 h24.1.1
昔も今も理屈がわかって政府に従う者はめったにいない。
昔は政府に従うのが正しかったから、それでもよかった。
今は政府に従うのがまちがいだから、それではいけない。
今の国民の多くが馬鹿である証拠だ。今の国民の多くの正体は馬鹿なのだ。今の国民の多くは明らかに馬鹿だ。
今の国民の多くは眼で見えることがわかるだけだ。眼で見えることに対する雰囲気がわかるだけだ。
今の国民の多くは頭で何も考えていない。人間の才能がない。動物と同じだ。
この国の国民の多くはよほど考えるのが嫌らしい。
『馬鹿は死ななきゃ治らない。』
どうせまた世界大戦で国民の多くが殺されるだろう。
再び世界大戦をやる価値は十分ある。
国民の多くが世界大戦で殺されても文句は言えない。
[13885] 今の政府は人間よりも上の者ではない。 h24.1.1
昔は神がいる時代だった。だから、政府が神だった。国民は政府に従わねばならなかった。
今は神がいない時代である。だから、政府は神ではない。国民は政府に従わなくてもかまわない。[例えば、戦前の日本史の教科書は神話から始まっていた。(私は子供の頃に父親の持っていた戦前の教科書を見たことがある。)戦後の日本史の教科書は神話が削除されている。昔は「神がいる」ことを学校で教えていた。今は「神がいる」ことを学校で教えていない。だから、戦前は神のいる時代であり、戦後は神のいない時代なのだ。]
今の政府は、見かけや雰囲気で馬鹿な国民を政府に従わねばならないと思わせて、馬鹿な国民を騙[だま]して儲[もう]けている詐欺会社にすぎない。馬鹿な国民が政府に騙されて政府に従わねばならないと思い込[こ]んでいるだけである。政府に騙されない利口な国民は政府に従わなくてもまったくかまわない。
今の政府は神ではない。今の政府はただの詐欺会社である。
ところが、詐欺会社は人間よりも上の者ではない。
詐欺会社が人間よりも上の者なら、詐欺会社が昔の暴力団や宗教団体のように国民に命令してお金を取ったり、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしているはずである。しかし、実際にはそんなことはない。だから、詐欺会社は人間よりも上の者ではない。
したがって、政府も人間よりも上の者ではない。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
例えば、アメリカ政府も詐欺会社である。アメリカ政府は神ではない。アメリカ国民はアメリカ政府に従っているけれども、アメリカ政府は人間よりも上の者ではない。アメリカ政府は人間と平等である。アメリカ国民が馬鹿であるために詐欺会社に騙されているだけである。アメリカ政府がアメリカ国民を騙してお金を取るのはいいが、アメリカ国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしているのは法律違反である。本来やってはいけないことである。だから、たとえアメリカ国民がアメリカ政府の真似[まね]をしてもアメリカ国民は人間よりも上の者にはならず、他[た]の国民に命令してお金を取ったり他の国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしてもいいことにはならない。アメリカが犯罪者の国であることがまちがっている。アメリカは特別な国ではない。アメリカ国民がアメリカ政府に従っているのは、これまでに『国民が政府に従う理屈』がわかっている者がほとんどいないからである。[[13826]を参照。]『国民が政府に従う理屈』がわかれば、アメリカ国民はアメリカ政府に従わなくてもいいのである。
世界大戦後は世界中の政府が詐欺会社にすぎない。だから、世界中の人類は政府に従わなくていい。
[13886] どうして近代になって政府は民主主義を始めたのか?☆ h24.1.1
これまでに『国民が政府に従う理屈』がわかっている者はほとんどいない。
近代になって政府は神ではなくなってきた。
国民の多くは理屈がわからずに政府に従っていたが、少数の国民は理屈がわかって政府に従わなくなった。
そこで近代の政府は民主主義をやって、少数が多数に従わなければならないようにして、国民みんなが政府に従わなければならないようにしたのである。少数の正しい者を封[ふう]じるために、政府は民主主義を始めたのである。
しかし、今では民主主義はまちがいであることがわかっている。だから、国民は民主主義に従わなくてもいい。少数が多数に従わなくてもいい。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
[13887] どうして今でも多くの国民が政府に従っているのか?☆☆ h24.1.1
これまでに『国民が政府に従う理由』がわかっている者はほとんどいない。
だから、今でも多くの国民が政府に従っているのである。
昔の国民が政府に従わねばならなかったのは、昔は神がいる時代だったので昔の政府が神だったからである。
しかし、今は神がいない時代だから、今の政府は神ではないから、今では国民が政府に従わなくていいのである。
今の多くの国民は『国民が政府に従う理由』がわかっていないから、とっくの昔に(今から約70年前の世界大戦の頃に)政府に従う必要がなくなっているのに今でも政府に従っているのである。
[13888] どうして政府はアニメに私の情報を入れるのか? h24.1.1
政府がアニメ会社の儲[もう]けを横取りするためである。
政府がアニメに私の情報を入れさせると、政府がアニメ会社と組んだことになるので、政府がアニメ会社の儲けを横取りできるのである。
アニメ産業は儲かる仕事なので、政府がアニメ産業に目をつけて、政府がアニメ会社の儲けを横取りするために、政府がアニメ会社に私の情報を入れたアニメを作らせて、政府がアニメ会社と無理やり組んでいるのである。
つまり、私の情報を入れたアニメがあることが、政府とアニメ会社が組んでいることの証拠なのである。
政府はアニメ会社の儲けを横取りするために、アニメ会社に命令して無理やりアニメ会社と組んでいるのである。
だから、アニメ産業があまり儲からなくなると、政府はアニメ産業から離れて、私の情報をアニメに入れさせなくなるのである。私の情報を入れたアニメがなくなるのである。
アニメ会社が政府と組んでもいいことは何もない。政府に会社の儲けを横取りされるだけである。政府がアニメーターに“手当て”を出すのは、政府の芝居である。政府はアニメ会社の儲けをさんざん横取りしておいて、あとでほんのちょっとだけアニメ会社に“手当て”をやって恩を着せているのである。だから、アニメ会社は政府と離れたほうがいい。私の情報を入れたアニメを作らないほうがいい。
アニメに限らず、一般に政府が国家宗教の神である私の情報を入れた製品を会社に作らせているのは、政府が会社と組んで会社の儲けを横取りするためである。会社が政府と組んでもいいことは何もない。会社の儲けを政府に横取りされるだけである。だから、会社は政府と組まずに、私の情報を入れた製品を作らないほうがいい。
国民がわけがわからないまま政府に従っているから、こんなことになるのである。今は神がいない時代である。政府は神ではない。政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令を聞く必要はない。だから、会社は政府と組まずに、会社の儲けを政府にやらなければいいのである。
[13889] 神がいなくなると政府が潰[つぶ]れる。 h24.1.1
国民の多くは無条件に「政府は国民が従うものだ。国民は政府に従わねばならない。」と思っている。
しかし、実際にはそうではない。
国民が政府に従うのにはちゃんと『理由』がある。
昔の国民が政府に従っていたのは、政府が神だったからである。昔は神がいる時代だったので、戦[いくさ]に勝ったり奇跡を起こした者を囲っていた政府が神だと考えられていた。[神は戦で人間に勝てる。神は人間にできない奇跡を起こせると考えられていたためである。]神は人間よりも上の者だと考えられていた。人間は神に従わねばならないと考えられていた。そのため、国民は政府に従っていたのである。
しかし、今は神がいない時代である。だから、政府はもはや神ではない。政府も国民も同じ人間である。政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
このように、国民が政府に従う『理由』を考えてみれば、今では国民が政府に従わなくてもいいことがわかる。
これまで国民は「国民が政府に従わねばならない」ことを鵜呑[うの]みにしていたから政府に従っていたのである。国民の多くは眼で見るだけで考えないので、他人が政府に従っているのを眼で見て「国民は政府に従わねばならない」と思って自分も政府に従っているのである。
つまり、昔の神がいる時代においては「国民が政府に従わねばならない」ことは正しかったが、今の神がいない時代においては「国民が政府に従わねばならない」ことはまちがっているのである。昔と今では『世界の原理』が違うので、昔成り立っていた命題が今では成り立たなくなっているのである。『ニュートン力学』のもとでは「質量保存則」が成り立つが、『相対性原理』のもとでは「質量保存則」が成り立たなくなるのと同じことである。
要するに、神がいなくなると政府が潰[つぶ]れるのである。今は政府が潰れている最中[さいちゅう]なのである。国民が政府に従わなくなっている最中なのである。今では国民が政府に従わなくてもいいのである。
[13890] どうして今でも国民の多くは政府に従っているか?☆ h24.1.2
国民の多くがまちがっているからである。
本当は、今では国民は政府に従わなくてもかまわない。今は神がいない時代なので、政府は神ではないので、国民は政府に従わなくてもかまわない。
だから、国民の多くがまちがっているのである。
国民の多くは馬鹿なので正しいことがわからないのでまちがったことをやっているのである。
一般に、国民の多くはまちがったことばかりやっている。国民の多くは馬鹿なので、考えるのが嫌いなので、眼で見るだけで頭で考えないので、まちがいばかりなのである。
他人は当てにならない。自分で考えるしかない。
[13891] どうして今でも国民の多くが政府に従っているか? h24.1.2
国民の多くが『国民が政府に従う理由』がわかっていないからである。
これまで国民が政府に従っていたのは、『政府が神だったから』である。
しかし、今は神がいない時代だから、その理由がない。その理由が通らない。
だから、今では国民が政府に従わなくてもいいのである。
今の国民の多くが政府に従っているのは、国民の多くがまちがっているからである。国民の多くは馬鹿だから、まちがったことをやっているのである。だから、彼らを見習わなくていいのである。
つまり、国民の多くが馬鹿だからまちがったことをやっているというだけのことである。今の国民の多くが政府に従っているのは、『国民の多くが馬鹿だから』である。今では『国民の多くが馬鹿である』ことが、国民の多くが政府に従っている『理由』なのである。よくもこれだけ大勢の馬鹿がいたもんだ。国民の多くは利口ぶっているが、じつはとんでもない馬鹿なのである。馬鹿だから自分が馬鹿だということに気づかないのである。[もっとも、馬鹿にも人権があるから、政府は国民の多くの人権を侵[おか]してはいけない。]
戦前の政府は神だったが、戦後の政府は人間になった。人間と人間は平等である。だから、国民は戦後の政府には従わなくていいのである。
[13892] 戦後の政府は犯罪者である。 h24.1.2
戦後の政府は人間になった。
しかし、戦後の政府はいまだに国民に命令して国民から無理やりお金(税金)を取ったり、国民を“偽[にせ]の国家宗教”[[13868]
参照]などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
戦後の政府は犯罪者である。犯罪組織である。400万人の強盗殺人犯の団体である。
昔の政府は神だったから無罪だったが、今の政府は人間だから有罪である。
犯罪者は国民の敵である。戦後の政府は国民の敵である。国民は犯罪者の政府の言いなりになってはいけない。国民は犯罪者の政府を罰しなければならない。国民は犯罪者の政府を人間社会から追放しなければならない。
犯罪者がちょっとぐらい善[い]いことをやっても犯罪者であることに変わりはない。だから、国民は犯罪者の政府を潰[つぶ]さねばならない。
[13893] 現代版『裸の王様』[[13826]参照] h24.1.2
昔の政府は偉かった。昔の政府は『神だったから』偉かった。
しかし、政府が偉い『理由』がわかっている者はほとんどいなかった。ほとんどの者がわけがわからないまま政府が偉いと思って政府に従っていた。
そんなときに政府が偉くないと言う者が現れると、みんなが政府が偉くないと思うことになる。
政府は本当は偉いのだから、みんなは政府が偉くないと言う者を信じてはいけない。
これが、『裸の王様』の正しい解釈である。
ところが、今では、
今の政府は偉くない。今の政府は『神ではないから』偉くない。
しかし、政府が偉くない『理由』がわかっている者はほとんどいない。だから、ほとんどの者は政府が偉いと思っている。
そんなときに政府が偉くないと言う者が現れても、みんなは政府が偉いと思っているから、みんなは政府が偉くないと言う者がまちがっていると思って、政府が偉くないと言う者がみんなから袋だたきにされる。
政府は本当は偉くないのだから、みんなは政府が偉くないと言う者を信じなければならない。
このように、現代で『裸の王様』をやると、話が全部反対になる。つまり、今では大勢の大人が王様は立派な服を着ているとしか見えないから、子供が「王様が裸だ」と言っても、大人はいっしょになって「王様は裸だ」と言わず、反対に「王様は裸だ」と言った子供が大勢の大人に袋だたきにされてしまうのである。
(平成24年1月4日追記)あるいは、今では、
今の政府は本当は偉くない。政府はもともと偉くない。政府は嘘[うそ]で国民を騙[だま]して国民に偉いと思わせて国民を支配しているだけである。
政府は国民に「頭のいい人には政府に従わねばならない理由がわかる」と言って国民を騙して政府に従わせている。しかし、本当はそんな理由はないのである。
大勢の国民が政府の嘘に騙されて政府に従っている。
『国民が政府に従わなくてもいい』ことを言う国民が現れれば、大勢の国民が自分が政府に騙されていたことがわかって政府に従わなくなるだろう。
これが、現代版の『裸の王様』である。今の人は普通は『裸の王様』をこのように解釈して読んでいる。[もっとも、正しい解釈ではないが。今の人の普通の読み方では納得がいかない点がある。政府が国民を何千年も騙[だま]せるわけがないし、二人の仕立て屋の意味がまったくない。]
昔の裸の王様(つまり政府)は偉くないふりをしてじつは偉かった。反対に、今の裸の王様は偉いふりをしてじつは偉くないのだ。
[13894] どうして今でも国民の多くは政府に従っているか? h24.1.2
国民の多くが『国民が政府に従わなくていい理由』がわかっていないからである。
だから、今でも国民の多くは昔と同じように「国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのである。
しかし、本当は、今は神がいない時代だから、今の政府は『神ではないから』国民は政府に従わなくてもいいのである。今の政府は人間だから、人間と人間は平等だから、国民は政府に従わなくていいのである。
昔も今も国民の多くは馬鹿である。ものわかりが遅い。しかし、昔の国民が政府に従わねばならないことが理解できたのなら、今の国民が政府に従わなくてもいいことも理解できるだろう。そのうち理解できるだろう。
昔の国民が政府に従っていたのは、国民に「政府は神だから、国民が政府に従わねばならない」ことを教える者がいたからである。だから、今では反対に国民に『政府は神ではないから、政府は人間だから、国民が政府に従わなくてもいい』ことを教える者がいれば、今の国民も政府に従わなくなるだろう。
今は国民が政府に従わなくなっている最中[さいちゅう]なのだ。だから、国民は自主的に政府に従わなければいいのだ。
[13895] 現在は古い世界から新しい世界への移行期である。 h24.1.2
古い世界には神がいた。政府が神だと考えられた。政府は国民よりも上の者だったので、国民は政府に従わなければならなかった。政府は国民よりも上の者だったので、国民を好き放題にできた。政府は国民に命令して国民からお金(税金)を取ったり、国民を国家宗教などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりすることができた。
新しい世界には神がいない。政府は神ではないと考えられている。政府は人間だと考えられている。政府は国民と平等なので、国民は政府に従わなくてもいい。政府は国民と平等なので、国民を好き放題にできない。政府は国民に命令して国民からお金を取ったり、国民を国家宗教などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。
古い世界は古い世界で、新しい世界は新しい世界でそれぞれ正しいと考えられることをやっているだけである。
現在は古い世界から新しい世界に変わっている最中[さいちゅう]である。だから、国民は政府に従うことから政府に従わないことに切り替えればいいのである。政府はいつまでたっても新しい世界に変わろうとしないから、国民が自主的に新しい世界に変えればいいのである。
[13896] 国民が政府に従うのはまちがっている。 h24.1.2
昔は政府が神だったので、国民は政府に従わねばならなかった。
今は政府が神ではないので、国民は政府に従わなくてもかまわない。
昔は国民が政府に従うのが正しかったが、今では国民が政府に従わないのが正しいのだ。
国民が政府に従うのは時代遅れである。馬鹿な国民が昔と今を混同して今でも政府に従っているのである。
政府に従う国民はまちがっている。だから、政府に従うのをやめねばならない。
国民みんなで政府に従うのをやめて、早く政府のない世の中を作らなければならない。
今は神のいない時代だから、早く神である政府をなくさなければならない。
[13897] 今では世界はひとつである。 h24.1.2
昔は神がいる世界だった。昔の世界は神と人間からなっていた。昔は神である政府が地球を分割して自分の縄張り(つまり国)を決めて、自分の縄張りの中にいる国民を好き放題にしていたのである。人間は神の持ち物だったので、神は人間を好き放題にできたのである。つまり、昔の世界は人間のためではなく神のためにあったのである。昔の世界では、万物の霊長は神であって人間ではなかったのである。人間の上に神という生き物がいたのである。昔の世界では、人間は神にとって物にすぎなかったのである。人間は神に支配される存在だったのである。
今は神がいない世界である。今の世界は人間だけからなっている。今は政府の縄張りはない。つまり、国はない。世界はひとつになっている。
今ではひとつの世界と世界共通の法律と法律を守る人間がいるだけである。
[13898] 今の社会には政府がない。 h24.1.2
昔は神がいた。政府が神だった。だから、国民は政府に従わなければならなかった。
しかし、今は神がいない。つまり、政府がない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
いくら政府がテレビに映[うつ]っていても、ないものはないのだ。
今の社会には人間だけしかいない。今の社会には国民しかいない。
[13899] 早く政府をなくさなければならない。☆ h24.1.3
政府は神である。政府は今でも神をやっている。今の政府は国民に命令して国民から税金を取って公[おおやけ]に神をやっている。今の政府は、例えば国家宗教の神(私のこと)を国民に公開しないようにして国民に政府が神をやっていることが知られないようにしながら国民を遊び半分に国家宗教で嫌がらせたり殺したりして密[ひそ]かに神をやっている。
昔は神がいる時代だったから、政府があってもよかった。
しかし、今は神がいない時代だから、政府があってはいけない。
だから、国民は早く政府を倒して、政府のない社会を作らなければならない。
今の世界では神がいてはいけないことになっている。それが今の『世界法』である。だから、世界中の政府が滅ばねばならない。国民は『世界法』に協力して、政府を倒さなければならない。例えば、国民は脱税して『世界法』に協力しなければならない。今では政府は国民が従うべきものではなく、国民が倒すべきものである。
今の世界では政府と国民は平等ではない。今は神がいない時代だから、政府はいてもいないようなものだから、国民のほうが政府よりも上の者である。だから、今の政府には国民に命令する資格はない。国民は政府の命令を聞かなくていい。
地球上から神を絶滅することが、今世紀の人類の課題である。
[13900] 今は政府がいない時代である。 h24.1.3
政府は神である。
今は神がいない時代である。
だから、今は政府がいない時代である。
したがって、国民は政府を無視して法律を守りながら好き勝手にやればいい。