[13701] どうして政府は税金を取ったり国民を殺したりしたか? h23.11.29
昔の物理学には“神”がいた。
昔の政府は“神”だった。
国民は人間だった。
神は人間よりも上だった。
だから、政府は国民よりも上だった。
政府は国民よりも上だったので、政府は国民に何でも命令できた。例えば、政府が国民に「金をくれ」と言って国民からお金を取れた。つまり、政府は国民から税金を取れた。
政府は国民よりも上だったので、政府は国民を遊び半分に殺していた。遊び半分に虐[いじ]めていた。国民は政府のオモチャにすぎなかった。
しかし、今の物理学には神がいない。
今の政府は人間である。
国民も人間である。
人間と人間は平等である。
だから、政府と国民は平等である。
政府と国民は平等なので、政府は国民に何も命令できない。例えば、政府が国民に「金をくれ」と言っても国民からお金を取れない。つまり、政府は国民から税金を取れない。
政府と国民は平等なので、政府は国民を遊び半分に殺せない。遊び半分に虐められない。政府は国民と仲良くしなければならない。
[13702] 今の政府は国民よりも上の者ではない。 h23.11.29
昔の政府は“神”だったから国民よりも上の者だった。だから、昔の政府は国民を好き放題にできた。昔の政府は国民から税金を取れたし、国民を遊び半分に殺すことができた。
今の政府は人間だから国民と平等である。だから、今の政府は国民を好き放題にできない。今の政府は国民から税金を取れないし、国民を遊び半分に殺すことができない。
それなのに、今の政府は昔の政府と同じように、いまだに国民から税金を取っているし、国民を遊び半分に殺している。
今の政府は本当は国民よりも上の者ではないのに国民よりも上の者のふりをしているだけである。今の政府は嘘[うそ]つきである。
だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されず、政府に従わなければいい。
この世には「国民が正しいことをやってはいけない」という決まりはない。だから、国民は政府に従わなければいい。政府の命令を聞かずに、政府に税金を払わなければいい。
[13703] 昔の善悪と今の善悪 h23.11.29
昔の世界には神がいた。昔は政府が神だった。国民は人間だった。政府は国民よりも上の者だった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。国民が政府に従うことが善[い]いことで、政府に従わないことが悪いことだった。だから、政府に従う国民は褒[ほ]められて、政府に従わない国民は罰[ばっ]せられた。
しかし、今の世界には神がいない。今は政府が人間である。国民も人間である。政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民が政府に従わないことが善いことで、政府に従うことが悪いことである。だから、政府に従わない国民は褒められて、政府に従う国民は罰せられる。
昔と今とは世界が違う。だから、善悪も違う。
今は今の世界において善いことをしないといけない。つまり、今は国民が政府と平等にしないといけない。政府が国民に命令してはいけないし、国民が政府の命令を聞いてもいけない。
政府は今でも国民に命令している。国民から税金を取っている。国民を遊び半分に殺している。それは政府が悪い。だから、政府は罰せられねばならない。政府の命令を聞く国民も悪い。だから、政府の命令を聞く国民は罰せられねばならない。
[13704] 昔の善悪と今の善悪(その2) h23.11.29
昔は政府が神で国民が人間だったから、政府と国民が不平等だった。だから、政府と国民が不平等にすることが善[よ]いことで、平等にすることが悪いことだった。例えば、政府が国民から税金を取ることが善いことで、政府が国民を遊び半分に殺すことが善いことだった。国民が政府に税金を払わないことが悪いことで、政府が国民の役に立つことをすることが悪いことだった。[だから、ゴミの収集や水道は、本来政府がやるべきことではなかった。ゴミの収集や水道は、政府が生き残るための“必要悪”だったのだ。]
今は政府と国民は同じ人間だから、政府と国民が平等である。だから、政府と国民が平等にすることが善[よ]いことで、不平等にすることが悪いことである。例えば、政府が国民から税金を取ることが悪いことであり、政府が国民を遊び半分に殺すことが悪いことである。国民が政府に税金を払わないことが善いことで、政府が国民の役に立つことをすることが善いことである。
しかし、今の政府は昔の政府のように国民よりも上の者をやっている。今の政府はあいかわらず国民から税金を取っているし、国民を遊び半分に殺している。だから、今の政府が悪い。今の政府は罰せられねばならない。[たぶん、これまでに(戦後から今までに)政府がやった罪[つみ]の罰[ばつ]は、今の公務員を皆殺しにしても足りないぐらいだろう。公務員はとにかく政府だから、片っ端[かたっぱし]から公務員を殺していけばいい。]
しかし、今の多くの国民は昔の国民のように政府の命令を聞いている。政府に税金を払っている。だから、今の多くの国民が悪い。今の多くの国民は罰せられねばならない。
たとえ政府や多くの国民がどうしようが、自分は正しいことをすればいい。自分は政府に従わなければいい。自分は政府と平等にすればいい。今の時代に生きる者は今の善悪を守ればいい。
[13705] 時代の区分 h23.11.30
中世や近世までは昔の物理学の時代だった。神がいる時代だった。政府や幕府が神の時代だった。政府が国民よりも上の者の時代だった。
近代は昔の物理学から今の物理学への移行期だった。昔の物理学と今の物理学が混ざっていた。神が滅んでいく時代だった。政府が神から人間に変わる時代だった。
現代は今の物理学の時代である。神がいない時代である。政府が人間の時代である。政府が国民と平等な時代である。
だから、今では政府と国民は平等である。今では政府と国民は平等にしなければならない。不平等にしてはいけない。政府は国民に命令してはいけないし、国民は政府の命令を聞いてはいけない。
[13706] 戦後の政府は有罪である。 h23.11.30
今の物理学には神がいない。
戦後は今の物理学の時代である。
だから、戦後の政府は人間である。
戦後の政府は国民と平等である。戦後の政府は国民よりも上の者ではない。戦後の政府は国民に命令できない。戦後の政府は国民を殺すことができない。
だから、政府が税金と偽[いつわ]って国民からお金を取ることは犯罪である。有罪である。つまり、政府が自分を神(人間よりも上の者)だと嘘[うそ]をついて国民からお金を取ることは犯罪であり有罪である。[たとえ政府が民主主義の法治をしていても、政府と国民が平等であるかぎり、政府は国民に命令できない。政府は国民から税金を取れない。たとえ政府が国民の役に立つことをいっぱいやっていても、政府と国民が平等であるかぎり、政府は国民に命令できない。政府は国民から税金を取れない。]
政府が国民を遊び半分に殺すのも犯罪であり有罪である。
政府は有罪だから罰せられねばならない。誰でもいいから政府を罰すればいい。政府を罰した者は国民に感謝されるだろう。
[13707] 神がいる世界と神がいない世界《まとめ》 h23.11.30
昔の物理学には“神”がいた。昔の物理学では“神”が物を動かしていた。
だから、戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こした者が“神”だったのである。
なぜなら、人間は人間には戦で勝てないが“神”なら人間に勝てるし、人間は奇跡を起こせないが“神”なら奇跡を起こせるからである。
それで、昔の人は戦に勝った者や奇跡を起こした者を“人間の姿をした神”(現人神[あらひとがみ])だと考えて従ったのである。命令を聞いたのである。
つまり、昔の人は武力団体や宗教団体を神だと考えて従ったのである。
政府は武力団体(政治団体)と宗教団体が合わさったものだから、昔の人は政府を神だと考えて政府に従ったのである。
政府は神だったので、人間よりも上の者だったので、人間である国民に「金をくれ」と命令して国民から金を取ったり(税金のこと)、国民を遊び半分に殺していたのである。国民を遊び半分に虐[いじ]めていたのである。政府は国民から税金を取って、国民に嫌がらせをしていたのである。昔は武力団体や宗教団体が国民からお金を取って、国民に嫌がらせをしていたのである。
しかし、今の物理学には神がいない。今の物理学では『力』が物を動かしている。
だから、今では戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こした者は人間である。
なぜなら、戦に勝つのは強い武器を持っているからだし、奇跡を起こしたのは自然現象の見まちがいだからである。
それで、今の人は戦に勝った者や奇跡を起こした者を人間だとしか考えなくなったのである。
人間と人間は平等なので、人間である国民は戦に勝った者や奇跡を起こした者に従わなくなったのである。
今の人は戦に勝った者を人間としか考えず、戦に勝った者に従わなくなったから、戦争がなくなったのである。昔は戦争に勝てば世界中の人々に神だと思われて世界中の人々からお金がもらえて儲[もう]かったが、今は戦争に勝っても神だと思われずお金が儲からなくなった。昔は戦争に勝てば儲かったので世界中で戦争をやっていたが、今では戦争に勝っても儲からなくなったので世界中で戦争をやらなくなったのである。人間と人間は平等だから植民地がなくなったのである。
昔は奇跡を起こせばみんなに神だと思われてみんなからお金をもらえて儲かったが、今では奇跡を起こしても神だと思われず儲からない。昔は世界中で奇跡を起こしていたが、今では世界中で奇跡を起こさなくなっている。
今の政府は人間にすぎないから、国民は政府に従うのをやめたのである。政府の命令を聞いたり、政府に税金を払うのをやめたのである。
今の武力集団(暴力団)や宗教団体は人間にすぎないから、国民は武力集団や宗教団体に従うのをやめたのである。命令を聞いたり、お金をやるのをやめたのである。
昔は神がいたが、今は神がいない。今は人間しかいない。人間と人間は平等である。だから、今では誰も他人に対して命令できなくなったのである。ただし、人間の平等性を犯した犯罪者は罰せられるのである。
[13708] オナニーは精神分裂病の原因である。 h23.11.30
人間の脳にはテレパシーで他人に自分の意思を伝えるためにテレパシー器官がある。言葉が出来てからはテレパシー器官が使われなくなったが、大昔には人間はテレパシー器官で他人に自分の意思を伝えていたのである。
精神分裂病とは、『不快中枢とテレパシー器官を同時に興奮させたために条件反射でテレパシー器官と不快中枢の間に神経連絡が出来て、テレパシーが聞こえると不快感を感じるようになる』ことである。
オナニーすると、「自分の脳中枢を興奮させると自分は幸福になれる」と考えるようになる。自分の脳中枢を興奮させる癖[くせ]が身につく。[麻薬も同様である。]
そこで、他人が不愉快[ふゆかい]なことをしているのを見ると、自分の脳の不快中枢を興奮させて不快中枢の抑制が外[はず]れて不快中枢が興奮しやすくなる。ちょっとのことでも激しく不愉快に感じるようになる。
さらに、他人が不愉快なことをするのをやめさせるためにテレパシーで訴えようとすると、自分の脳のテレパシー器官を興奮させてテレパシー器官の抑制が外れてテレパシー器官が興奮しやすくなる。テレパシーが聞こえやすくなる。
不快中枢とテレパシー器官を同時に興奮させたために条件反射で神経連絡が出来て、テレパシーが聞こえると不快中枢が興奮して不快感を感じるようになる。
オナニーや麻薬をすると必ずしも精神分裂病に罹[かか]るわけではないが、精神分裂病に罹りやすくなる。冬に裸で外に出ると風邪[かぜ]を引きやすくなるのと同じである。だから、精神分裂病に罹らないためには、オナニーや麻薬をやってはいけない。
[13709] 物理学に従って世界は作られる。 h23.11.30
物理学はこの世でもっとも確実な学問である。物理学はこの世でもっとも正しい認識である。
だから、物理学に従って世界は作られる。
政府は昔の物理学が作り出した“神(人間よりも上の者)の団体”である。ところが、今の物理学には神がいない。だから、今の世界では政府は存在できない。
今のところ政府は残っているが、いづれ政府がなくなることは確実である。遅かれ早かれ政府がなくなることは確かである。
今の世界に政府が残っていることがまちがっているのである。
今の世界では政府も国民も今の物理学に従わねばならない。
だから、政府はなくならねばならない。国民は政府に従ってはならない。国民は政府の命令に逆[さか]らわねばならない。国民は政府がなくなるまで政府に逆らわねばならない。
[13710] 宗教に入るとはどういうことか? h23.12.1
暴力団も宗教団体も“神(人間よりも上の者)の団体”である。
だから、暴力団に入るとは、神(人間よりも上の者)になることである。神になって人間を好き放題にすることである。国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に殺したりすることである。国民を嫌がらせることである。
だから、宗教団体に入るのも暴力団に入るのと同じことである。つまり、宗教団体に入るとは、神になって人間を好き放題にすることである。国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に殺したりすることである。国民を虐[いじ]めることである。宗教団体に入るのもけっこうガラが悪いことである。宗教団体は表ではおとなしくしているが、裏では乱暴なことばかりやっているのである。宗教団体は雰囲気でごまかしているだけで、実際にやっていることは暴力団と同じなのである。
しかし、今は神がいない時代だから、暴力団に入っても宗教団体に入っても、もはや神(人間よりも上の者)にはなれない。人間のままである。暴力団や宗教団体に入ってもおいしいことはない。だから、今では暴力団や宗教団体に入らないほうがいい。
[13711] 政府に入るとはどういうことか? h23.12.1
政府も“神(人間よりも上の者)の団体”である。
だから、政府に入るのも、神(人間よりも上の者)になることである。神になって人間を好き放題にすることである。国民からお金を取ったり、国民を遊び半分に殺したりすることである。国民を嫌がらせることである。政府に入るのもガラが悪いことである。公務員になるのもガラが悪いことである。政府は表ではおとなしくしているが、裏では乱暴なことばかりやっているのである。政府は雰囲気でごまかしているだけで、実際にやっていることは暴力団と同じなのである。政府は暴力団や宗教団体よりも大きいから、それだけ国民に対する暴行が激しいのである。
しかし、今は神がいない時代である。だから、政府に入っても、神(人間よりも上の者)にはなれない。人間のままである。政府に入ってもおいしいことはない。だから、政府に入らないほうがいい。
[13712] 法治機関は国民よりも上の者ではない。 h23.12.1
昔は政府が神(人間よりも上の者)だと考えられていた。政府の核は武力団体と宗教団体であり、武力団体と宗教団体が神だと考えられていたので、政府全体が神だと考えられていたのである。
だから、政府の法治機関は神だった。つまり、法治機関が神だったのではなく、政府が法治機関をやっていたから法治機関が神だったのである。つまり、政府の法治機関は法治機関だったから神だったのではなく、政府の法治機関は政府だったから神だったのである。
だから、たとえ政府がゴミの収集をやっても神だし、たとえ国民が法治機関をやっても人間なのである。
今は神のいない時代である。今は人間しかいない。だから、今では誰が法治機関をやっても人間である。だから、法治機関は国民よりも上の者ではない。法治機関は国民と平等である。したがって、法治機関は国民に命令できないし、国民から税金を取れない。法治機関は法治機関に従うことを認めている国民には命令できるが、法治機関に従うことを認めていない国民には命令できない。そういう条件の下[もと]で、今の法治機関は経営しなければならないのである。もしも、そういう条件の下で法治機関が経営できなければ、法治機関は永久に出来ないのである。たとえ人類が滅亡しても、人間は平等でなければならない。
[13713] 神をなくそうとする団体 h23.12.1
世界大戦は、神のいない国(連合国)と神のいる国(枢軸国)の戦いだった。
この世には、神のいる国を潰[つぶ]すために世界大戦まで起こす者がいる。
最近世界で戦争がなくなったのも、そういう者たちの働きによるものである。
つまり、今の世界には政府よりも強い団体がいる。“神をなくそうとする団体”がいる。
だから、国民は神の団体(政府)に従うよりも“神をなくそうとする団体”に従わねばならない。
[13714] 武力団体の人間宣言 h23.12.1
世界大戦は、神のいる国を滅ぼす戦争だった。
だから、戦後すぐに天皇が人間宣言をした。つまり、日本政府の宗教団体が滅んだ。
しかし、政府の武力団体はいぜんとして神のままだった。だから、政府は神のままだった。政府の武力団体も人間宣言をすべきだったのだ。
昭和40年ごろに日本政府が私を新しい国家宗教の神としたのは、政府が神を入れ替えたら政府の宗教団体が復活すると考えたからである。世界中の政府が私を神として宗教団体を復活させようとしたのである。
しかし、結局うまくいかなかった。
それは、今の物理学には神がいないからである。今の物理学では物が物を動かしていると考えるので神がいないのである。今は神のいない時代である。“神の概念”がない時代である。“神の概念”がなければ、政府が誰を神にしてもうまくいくわけがない。[昔の物理学では神が物を動かしていると考えていた。神が空の星を動かすことによって地上の物を動かしていると考えていた。地上の人間を動かしていると考えていた。[だから、星占いがあった。]昔の物理学には“神の概念”があったから、“神の概念”を戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こした者に当てはめて戦に勝った者や奇跡を起こした者が神だった。つまり、武力団体や宗教団体が神だった。政府の中には武力団体や宗教団体があるから、政府が神だった。しかし、今の物理学には神の概念がないから、神の概念を戦に勝った者や奇跡を起こした者に当てはめることができないから、今では戦に勝った者や奇跡を起こした者は神ではない。[例えば、私は神ではない。]つまり、武力団体や宗教団体は神ではない。だから、政府は神ではない。]
政府の武力団体は人間宣言をしていないけれども、今の物理学では政府の武力団体も神ではない。人間である。だから、政府は人間である。政府と国民は同じ人間だから、政府と国民は平等である。政府は国民に命令できない。国民は政府に従わない。それが、今の時代における政府と国民の正しい関係なのだ。
世界を動かしているのは物理学である。政府ではない。だから、国民は政府よりも物理学に従わねばならない。
今の世界は今の物理学に従わねばならない。今の物理学には神がいない。政府は“神の団体”だから今の物理学に従っていない。だから、政府はなくならねばならない。
いくら日本が田舎[いなか]の国だからといって、今の日本では昔の物理学はやっていない。学校では今の物理学が教えられている。だから、政府はなくならねばならない。
[13715] 政府も国民も悪い。 h23.12.2
昔の物理学には神がいた。政府が神で、国民が人間だった。神は人間よりも上だった。だから、政府が国民よりも上だった。政府は国民に命令できた。国民は政府の命令に従わねばならなかった。政府は国民を遊び半分に殺すことができた。
しかし、今の物理学には神がいない。人間しかいない。だから、今は政府も国民も同じ人間だから、政府と国民は平等である。政府は国民に命令できないし、国民は政府の命令を聞く必要はない。政府は国民を遊び半分に殺すことができない。
だから、国民に命令する今の政府が悪い。国民を遊び半分に殺している今の政府が悪い。
しかし、政府の命令を聞く今の国民も悪い。
今の政府と国民の両方が悪い。今の政府も国民も両方とも悪い。
政府も国民もいったいいつになったら自分のまちがいに気がつくだろうか?
[13716] どうして百姓[ひゃくしょう]は人間なのか? h23.12.2
昔の物理学には神がいた。昔の物理学には、人間よりも上の者がいた。昔の物理学には神がいたから、昔の人は神の存在を信じていた。
昔の人は百姓を人間だと考えていた。
百姓が人間なのは、百姓は人間にできることしかやっていないからである。
これに対し、武力団体は人間と戦って勝った。人間と戦って勝つことは人間にできることではない。人間同士が戦えば引き分けになるはずである。だから、戦いに勝った武力団体は神である。
奇跡を起こした者は、人間にできないことをやったから人間ではない。だから、奇跡を起こした者は神である。つまり、宗教団体は神である。
武力団体や宗教団体以外の者は、すべて人間にできることをやっているだけだから人間である。例えば、法治機関や教育機関は人間にできることをやっているだけだから人間である。
昔の人は武力団体と宗教団体だけが神で、その他の者はすべて人間だと考えていたのである。
昔の世界では、武力団体と宗教団体だけが神で、その他の者はすべて人間だったのである。政府の中には武力団体と宗教団体があったので、政府は神だったのである。政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設は神だったのである。国民よりも上の者だったのである。
一方、今の物理学には神がいない。今の物理学には人間よりも上の者がいない。今の人は神がいないと考えている。今の人は武力団体や宗教団体を人間だと考えている。だから、今の世界では人間はみな人間にほかならず、人間よりも上の者がいないのである。人間はみな平等なのである。武力団体も宗教団体も政府もみな国民と同じ人間であり、国民と平等なのである。
[13717] 幽霊の正体見たり枯れ尾花 h23.12.2
昔の人は神がいると思っていたから、武力団体や宗教団体が神に見えた。
昔の人は幽霊がいると思っていたから、柳の木が幽霊に見えた。
今の人は神がいないと思っているから、武力団体や宗教団体が神に見えない。
今の人は幽霊がいないと思っているから、柳の木が幽霊に見えない。
今の人は神や幽霊がいないと思っているから、何を見ても神や幽霊には見えない。
人間は自分の思い込みで、物が違って見える。
人間は考えが違えば、物の見え方も違ってくる。
昔の人と今の人では頭の中にある考えが違う。
だから、昔の人と今の人では、見えている世界も違うのだ。やることも違うのだ。
昔の人は神がいると思っていたから、政府(武力団体と宗教団体の組合)が神に見えた。人間は神に従わねばならなかった。だから、昔の人は政府に従った。
今の人は神がいないと思っているから、政府が人間にしか見えない。人間は人間に従う必要はない。だから、今の人は政府に従わなくなったのだ。
[13718] 世界はひとつ h23.12.2
国は政府の縄張[なわば]りである。
しかし、今では政府はない。
だから、国もない。
いまや世界はひとつである。
今ではひとつの世界にたくさんの平等な人間が暮らしている。
[13719] 今の政府は空威張[からいば]り馬鹿の溜[た]まり場である。 h23.12.3
今は神のいない時代である。
だから、今の政府は人間である。
それなのに、今の政府は自分が神のつもりで国民に命令している。国民を遊び半分に嫌がらせている。国民を遊び半分に殺している。
だから、今の政府は空威張りである。空威張り馬鹿の溜まり場である。
今の政府は人間だから、今の政府は国民と平等だから、国民は政府に従わなくていい。政府に嫌がらされなくていい。政府に殺されなくていい。
今では政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。政府が国民の役に立とうが立つまいが、政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。たとえ政府が法律を作っていても、政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。政府が国民の役に立っているから、政府が法律を作っているから国民に命令できるというのは、政府の汚い言い訳[いいわけ]である。政府の屁理屈[へりくつ]である。とにかく、政府と国民が平等であるかぎり、政府は国民に命令できない。国民は政府の命令を聞かなくていい。犯罪者とは『人間の平等性』を犯す者であり、自分が『人間の平等性』を犯していなければ自分は何者にも逮捕されない。政府は自分を逮捕できない。むしろ、政府は自分自身を逮捕すべきだろう。今は人間しかいない時代だから、他人に命令するほうがまちがっているのだ。今は神がいないのが正しいから、たとえ国や世界が滅んでも、政府なしでやっていかねばならないのだ。人類みんなが『人間の平等原理』に従いながら、国や世界を作っていかねばならないのだ。[たぶん、国民にとっていい世界になるだろうが。たとえ国民にとっていい世界にならなかったとしても、『神がいない』のが正しいかぎりそうしなければならない。]人類が時代とともに変化するように、人間社会も時代とともに変化する。だから、政府の支配する世の中から政府の支配しない世の中になるのは当然なのだ。
[13720] 神は2種類いる。 h23.12.3
もうすぐ正月になる。年始参りに行く者もいるだろう。
人間は神に祈[いの]って自分の願いをかなえてもらおうとする。
人間は両手を合わせて神にお願いするけれども、人間が神に祈るのは実質的には人間の神に対する命令である。
つまり、人間が祈る神は、人間が命令する神である。人間に命令される神である。
問題なのは、人間が祈る神ではなく、人間に命令する神だ。国民にとって迷惑なのは、政府や暴力団や宗教団体のような人間に命令する神だ。人間からお金を取る神だ。人間を遊び半分に嫌がらせたり殺したりする神だ。
つまり、神には人間に命令される神と、人間に命令する神の2種類がいるのだ。善[い]い神と悪い神の2種類がいるのだ。
今年の初詣[はつもうで]は、「この世から人間に命令する悪い神がいなくなる」ように善い神にお願いすればいいだろう。
もっとも、今は神がいない時代である。神がいなければ、祈る神もいない。だから、いくら人間が神に祈っても何にもならない。いない者を拝[おが]んでもしかたがない。だから、今後は年始参りには行かないほうがいい。
[13721] どうして政府は国民に命令しているのか? h23.12.3
政府が国民に命令しているのは、政府が神だからである。
政府が民主主義の法治機関だからではない。
政府が国民から税金を取っているのは、政府が神だからである。
政府が遊び半分に国民を殺したり虐[いじ]めたりしているのは、政府が神だからである。
たしかに、昔の物理学には神がいて、昔の政府は神だったから、政府が国民に命令してもよかった。政府が国民を殺してもよかった。
ところが、今の物理学には神がいない。今では神がいない。
だから、今の政府は神ではない。
したがって、今の政府は国民に命令できない。政府は本当は国民に命令できないのに、命令できるふりをして命令しているのである。
だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。今では政府は神ではないから、国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。政府に税金を払わなくてもかまわない。
今では政府は神ではないから、国民は政府に遊び半分に殺されたり虐[いじ]められたりしなくてもかまわない。
今では政府と国民は平等である。だから、国民は政府に虐められたら、逆に政府を虐めてやればいい。
[13722] 善悪の逆転 h23.12.3
昔は政府が神だったから、国民が政府に従うことが善だった。国民が政府に従わないことが悪だった。
しかし、今は政府が人間だから、国民が政府に従わないことが善である。国民が政府に従うことが悪である。
しかしながら、今の国民は政府に従っている。
だから、今の国民は悪である。今の国民はまちがったことをやっている。
だから、私は今の国民が嫌いである。
政府はクズだが、国民もクズだ。国民は政府に勝るとも劣らないクズだ。国中クズだらけだ。
この世には正しい人間はめったにいない。善[い]い人間はめったにいない。
これでは、世の中が善[よ]くなるわけがない。
神のいない世界になったのは戦後からである。私が生まれる20年も前である。
私が生まれる前に政府がなくなっていれば、私は幸福に生きれたはずだ。私の家族も他の者も幸福に生きれたはずだ。
国民があまりにも“考える努力”をしないから、今でも政府が残っている。いつまでも政府が残り続ける。
こんな馬鹿な国民は永久に政府に虐[いじ]められ続けるのがお似合いだ。政府に遊び半分に殺されるのがお似合いだ。
今の政府が国民を殺しているのは、政府が神だからではない。国民が馬鹿だからだ。国民が人間よりも下の者だからだ。政府はとっくの昔に人間になっている。国民が人間よりも下の者だから、人間である政府が国民を遊び半分に殺しているのだ。政府が国民に命令しているのだ。政府が国民から税金を取っているのだ。
[13723] 世界の指導原理 h23.12.3
世界の指導原理は物理学である。
昔の世界の指導原理は昔の物理学だった。
昔の物理学では、神が物を動かしていた。昔の物理学には神がいた。だから、政府が神だった。人間は神に従わねばならなかった。だから、人間である国民は神である政府に従わねばならなかった。政府は国民に好き勝手に命令したし、国民を遊び半分に虐[いじ]めたり殺したりしていた。国民は政府の命令を聞いたし、政府に遊び半分に虐められたり殺されたりした。
今の世界の指導原理は今の物理学である。
今の物理学では、物が物を動かしている。今の物理学には神がいない。だから、政府は神ではない。政府は国民と同じ人間である。人間と人間は平等である。だから、政府と国民は平等である。政府は国民に命令できないし、国民を遊び半分に虐めたり殺したりできない。国民は政府に従わないし、政府に遊び半分に虐められたり殺されたりしなくていい。
今の世界にある物は今の物理学に従わねばならない。だから、政府は国民に命令できないし、国民は政府に従ってはならない。政府は国民を遊び半分に虐めたり殺したりできないし、国民は政府に遊び半分に虐められたり殺されたりしなくていい。[暴力団や宗教団体も政府と同じである。つまり、暴力団や宗教団体は国民に命令できないし、国民は暴力団や宗教団体に従ってはならない。暴力団や宗教団体は国民を遊び半分に虐めたり殺したりできないし、国民は暴力団や宗教団体に遊び半分に虐められたり殺されたりしなくていい。]
今の物理学を今の社会に適用[てきよう]すれば(当てはめれば)、今の社会がまちがっていることがわかる。つまり、「国民が政府に従っていること」がまちがっていることがわかる。「政府が国民に命令していること」がまちがっていることがわかる。政府も国民も『人間の平等の法則』を犯している。政府も国民も両方ともまちがっている。
今の物理学を今の社会に適用すれば、今の社会では政府と国民が平等でなければならないことがわかる。つまり、今の社会では、国民が政府に従ってはいけない。政府が国民に命令してはいけない。それが、今の社会のあるべき姿である。
物質が今の物理学に従うなら、人間社会も今の物理学に従わねばならない。だから、今の社会では政府と国民が平等にしなければならない。
[13724] 世界大戦は終わっていない。 h23.12.3
世界大戦は、昔の物理学(枢軸国)と今の物理学(連合国)の戦いだった。神のいる国と神のいない国の戦いだった。旧世界と新世界の戦いだった。
その結果、今の物理学が勝って昔の物理学が負けた。だから、今の物理学が正しく昔の物理学がまちがっている。だから、昔の物理学はなくならねばならない。つまり、「国民が政府に従うこと」がなくならねばならない。
世界大戦は、昔の物理学の国と今の物理学の国の戦いだった。今の物理学の国が昔の物理学の国を倒した。今後はそれぞれの国で、昔の物理学と今の物理学で戦わねばならない。今後はそれぞれの国で、今の物理学が昔の物理学を倒さねばならない。つまり、『国民が政府に従わないこと』が「国民が政府に従うこと」を倒さねばならない。『政府が国民に命令しないこと』が「政府が国民に命令すること」を倒さねばならない。『政府が国民の嫌がらせをしないこと』が「政府が国民の嫌がらせをすること」を倒さねばならない。
[13725] 社会に対する物理学の適用[てきよう] h23.12.3
今の物理学には神がいない。
だから、今の物理学を社会に適用して(当てはめて)、神のいない社会を作らねばならない。平等な人間だけからなる社会を作らねばならない。
政府は神である。政府は人間よりも上の者である。だから、政府のない社会を作らねばならない。
今の物理学は正しいから、今の物理学を社会に適用して、正しい社会を作らねばならない。
[13726] 物理学が変われば社会も変わる。 h23.12.3
昔の物理学では、「政府は神であり、国民が政府に従わねばならない。」
今の物理学では、『政府は人間であり、国民は政府に従わない。』
昔の物理学と今の物理学を比べると、今の物理学のほうが正しい。昔の物理学のほうがまちがっている。
だから、「政府は神であり、国民が政府に従わねばならない」ことをやめて『政府は人間であり、国民は政府に従わない』ことにしなければならない。昔の世界をやめて、さっさと今の世界にしないといけない。
[13727] 今の物理学に基づいて今の社会を作らねばならない。 h23.12.3
今の人が今の物理学に基づいて飛行機や自動車を作るように、
今の人は今の物理学に基づいて社会を作る。
今の物理学では『力やエネルギーが物を動かす』ように、
今の物理学には『神がいない。』
だから、今の世界では、『神がいない』原理に基づいて社会を作らねばならない。平等な人間だけからなる社会を作らねばならない。政府は神だから、政府のない社会を作らねばならない。
自分が有利になろうが不利になろうが、とにかく今の物理学が正しいかぎり、そうしなければならない。これまでも、人類はずっとそうしてきた。昔の人は昔の物理学が正しいと信じて、どんなに自分が嫌な思いをしても昔の物理学に従ってきた。昔の物理学に従う世界を作ってきた。昔の人は神がいると信じて、政府や幕府を神だと思って、大嫌いな政府や幕府にいやいやながら従ってきた。だから、今の人間は今の物理学に従う世界を作っていかねばならない。たとえ自分が死んでも、今の物理学に従わねばならない。今の人は神がいないと信じて、政府に従ってはいけない。たとえ自分が政府が好きでも、政府に従いたい気持ちを振り払って政府に逆[さか]らわねばならない。人間は気持ち本位の生き物ではなく頭本位の生き物だから、正しいことには絶対に従わねばならない。どんなに嫌でも正しいことには従わねばならないのだ。
[13728] どうしてヨーロッパは豊かだったのか? h23.12.4
ヨーロッパ人が神だったからである。古代から近代のヨーロッパは世界中の国と戦争をして勝ったから、世界中の人々からヨーロッパ人が神だと思われていた。人間よりも上の者だと思われていた。昔は戦争で勝った者が神だったので、戦争が強かったヨーロッパ人が神だったのである。
それで、世界中からヨーロッパに貢物[みつぎもの]が集まってきたのである。お金が集まってきたのである。そのため、ヨーロッパは豊かだったのである。
しかし、今は世界が変わって神がいなくなったから、ヨーロッパは昔ほど儲[もう]からなくなったのである。世界中の人々がヨーロッパ人を神だと思わなくなってヨーロッパに貢物やお金をやらなくなったから、ヨーロッパは儲からなくなったのである。
アメリカが豊かだったのは、世界大戦のとき日本に勝ったからである。日本は昔の物理学をやっている悪の国だったので、悪の国を倒したアメリカが正義の国だと思われて人気があったのである。世界中の人々がアメリカに貢物やお金をやったので、戦後一時[いっとき]アメリカは豊かな国だったのである。しかし、最近のアメリカは悪いことをする国になったので、人気がなくなって豊かではなくなったのである。
[『泣いた赤鬼』の赤鬼がアメリカで青鬼が日本なのかもしれない。赤鬼の店で売っている“おいしいお菓子”はアメリカの工業製品のことである。戦後のアメリカが日本を倒して人気があったので、それを皮肉って『泣いた赤鬼』のおとぎ話を作ったのだろう。]
[13729] 昔と今は世界が違う。 h23.12.4
昔は神がいる世界だった。だから、政府や幕府が神として国民を支配できた。
今は神がいない世界である。だから、政府は人間として国民を支配できなくなった。
昔と今では世界が違う。
だから、政府と国民の関係も違うのだ。
[13730] どうすれば正しい社会が作れるか?☆ h23.12.4
今は今の物理学が正しい。
だから、正しい社会を作るためには、今の物理学を社会に適用[てきよう]すればいい(当てはめればいい)。
今の物理学には神がいない。今の物理学では物が物を動かしていると考えるから神がいない。
だから、神(人間よりも上の者)のいない社会を作ればいい。
政府は神だから、政府がいない社会を作ればいい。平等な人間だけからなる社会を作ればいい。
[13731] 人間は心よりも頭で動かねばならない。 h23.12.4
昔は、政府が神だった。国民は人間だった。政府は国民よりも上の者だった。
だから、昔の人はたとえ政府に従うのが嫌であっても政府に従わねばならなかった。
今では、政府は国民と同じ人間である。政府と国民は平等である。
だから、今の人はたとえ政府に従うのが好きであっても政府に従ってはならない。
[13732] 神がいないことの証明 h23.12.4
神がいないことを証明するのは大変だった。
昔は神が空の星を動かしていると考えられていた。神が空の星を動かすことによって地上の物を動かしていると考えていた。昔の人は、神が空の高いところに住んでいるものと考えていたのである。プトレマイオスという学者が神が空の星を手で押して動かしていると考えたのである。ローマ政府はキリスト教とプトレマイオスの天文学の2つを正式の学問に定めた。そのため、世界中にキリスト教とプトレマイオスの天文学が広まった。それで、昔の人は政府を“人間の姿を借りて地上に降りてきた神”だと考えて、政府に従った。人間は神に従わねばならないから、昔の人はたとえ政府にどんなに嫌な目にあわされても、政府に従ったのである。
だから、空の星の運動が神によるものではないことを明らかにすれば、神がいないことを証明できる。
『空の星が運動方程式と万有引力によって運動する』ことはニュートンが示した。
つまり、ニュートンが『運動方程式と万有引力』によって、神がいないことを証明した。つまり、ニュートンが国民が政府に従う必要がないことを証明したのである。
神がいないことが一般大衆に浸透するのには、その後300年を必要とした。
それと同じように、幽霊がいないことを証明するのも大変である。
昔は、人間が死んだら精神が肉体から分離して幽霊になると考えられていた。幽霊が人間に悪さをすると考えられていた。それで、昔の人は先祖の幽霊に祟[たた]られないために墓を建てた。[昔の人は幽霊の存在を信じていた。例えば、私の母親は、私の家族が昔鴨部[かもべ](高知市朝倉曙[あけぼの]町東町)に住んでいたとき夜中に突然赤ちゃんの私の上に吊[つ]ってあったガラガラが回ったのを、近所の死んだおじいさんの幽霊がいたずらをしてガラガラを回したのだと考えていた。本当は、ガラガラの故障で、ゼンマイ動力のガラガラが最後まで回りきらずに途中で止まっていただけである。夜中に気温が下がると金属の伸縮によって引っ掛かりが外[はず]れてガラガラが動き出していただけである。]
ところが、私が『人間の感覚は脳細胞が荷[にな]う』ことを考えた。つまり、『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』と考えた。だから、人間が死ねば脳細胞が神経興奮しなくなるから感覚もなくなる。つまり、肉体が死ねば精神(感覚体)もなくなるのだ。だから、幽霊はいない。
つまり、私が『神経興奮した脳細胞が感覚を荷う』ことを考えることによって、幽霊がいないことを証明したのである。人間がお墓を建てる必要がないことを証明したのである。
今ではすでに神がいないことも幽霊がいないことも証明されている。
だから、今後の人間は神や幽霊がないものとして暮らせばいいのである。つまり、国民が政府に従わず、お墓を建てずに暮らせばいいのである。
[13733] 今は今の物理学をやらねばならない。 h23.12.4
「国民が政府に従わねばならない」のは、昔の物理学の世界である。
『国民が政府に従わない』のが、今の物理学の世界である。
今は今の物理学が正しいと考えられている。昔の物理学はまちがっていると考えられている。
今は今の物理学をやらねばならない。昔の物理学をやってはならない。
だから、国民は政府に従ってはならない。
[13734] 政府の上辺[うわべ]と中身 h23.12.4
近代になってから『神がいない』と考えられるようになって『政府と国民の平等』が説かれるようになって、政府は民主主義の法治機関をやり始めた。
今の政府は民主主義っぽい雰囲気にしているだけで、実際には“神(国民よりも上の者)の団体”である。
今の政府は上辺[うわべ]を今っぽくしているだけで、政府の中身は昔と同じである。
今の政府の中身はいまだに昔の物理学をやっている。政府は国民に命令したり、国民を遊び半分に虐[いじ]めたり殺したりしている。
今では昔の物理学はまちがっていると考えられている。
昔の人は「神がいる」と考えていて政府が神だったから政府が“神の団体”として通っていた。
今の人は『神がいない』と考えていて政府は神ではないから政府が“神の団体”として通らない。
政府は時代に合わさなければならない。
近代は昔の物理学から今の物理学への移行期だったから、政府が“神の団体”をやりながら民主主義の法治機関をやればよかった。
しかし、現代の今は今の物理学しかないから、政府はもはや“神の団体”をやってはいけない。
政府は国民を騙[だま]す会ではないし、実際に国民は政府に騙されるほど馬鹿ではない。政府と国民は知能の程度が同じだから、政府は国民を騙せない。だから、昔から政府は国民を騙していたのではなく、政府は時代に合わせていただけである。昔の人はみんな神の存在を信じていたから、政府が神をやれたのである。昔の政府は自分自身が神だと思っていたから神をやっていたのである。昔の政府は神になりきっていたのである。
しかし、今の政府は今の時代に合わせていない。今は今の物理学の時代なのに、政府はいまだに昔の物理学をやっている。今の人はみんな神の存在を信じていないのに、政府は神をやっている。今の政府は自分が神でないとわかっているのに、神をやっている。今の政府はくだらない嘘[うそ]つきである。
今の政府がやっていることはまちがっている。
したがって、国民は政府に従ってはならない。
[13735] 今では今の物理学が正しい。 h23.12.5
政府が国民よりも上なのは昔の物理学の世界であって、今の物理学の世界では政府と国民は平等である。昔の物理学では神がいたから、政府は神だったから、神は人間よりも上の者だったから、政府は国民よりも上の者だったが、今の物理学の世界では神がいないから、政府は神ではないから、政府は国民と同じ人間だから、政府と国民は平等である。
ところが、今では今の物理学が正しいことになっている。[学校でも今の物理学を教えて昔の物理学を教えていない。]
だから、今では国民と政府は平等である。
だから、国民は政府に従わなくていい。今では政府が国民よりも上ではないので、国民はいちいち政府の承認を得なくても勝手に政府に従わなければいい。今では政府と国民は平等なので、国民が政府に従わなくても政府に咎[とが]められる理由はない。
たとえ政府が民主主義の法治をやっていても、政府と国民は平等だから、政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくていい。たとえ政府がどんなことをやっても、政府と国民が平等であることに変わりはないから、政府は国民に命令できない。国民は政府に従わなくていい。政府に従うことを承認した国民だけが政府に従えばいい。政府に従うことを承認しない国民は政府に従わなくてもいい。政府が国民からお金をもらって経営できるためには、政府は国民に政府に従うことを承認してもらうように努力しなければならない。
これまで国民が政府に従っていたのは、政府が神だったからである。政府が神だったから、国民はいやいやながら政府に従っていたのである。国民が政府に従ってもいいことは何もなかったが、政府が神だったから政府に従わねばならなかったのである。今では物理学が入れ替わって世界が変わったために政府は神ではなくなったから、国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。こんな理屈がわかっている国民は少ない。だから、今でも多くの国民がわけがわからないまま政府に従っているのである。だから、国民はなるべく早くこの理屈を理解しなければならない。
[13736] 今の政府は人間である。 h23.12.5
昔の物理学では政府は神だった。
今の物理学では政府は神ではない。
今は今の物理学の時代であって、昔の物理学の時代ではない。
だから、今では政府は人間である。
国民も人間である。
人間は人間に従わなくていい。
だから、今では国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。例えば、国民は政府に税金を払わなくていい。
[13737] 今は昔とは違う。 h23.12.5
昔の物理学には神がいた。
今の物理学には神がいない。
最近(だいたい世界大戦後)、物理学が昔の物理学から今の物理学に変わった。
神がいる世界から、神がいない世界に変わった。
そのために、政府が神から人間に変わった。[暴力団や宗教団体も神から人間に変わった。]
そのために、政府と国民の関係が変わった。つまり、国民が政府に従わねばならないことから、国民が政府に従わなくていいことに変わった。[暴力団や宗教団体と国民の関係も変わった。国民が暴力団や宗教団体に従わねばならないことから、国民が暴力団や宗教団体に従わなくていいことに変わった。]
政府も暴力団も宗教団体も他[ほか]の仕事に変わったほうがいい。

[13738] どうして今でも国民は政府に従っているか?☆ h23.12.5
昔の政府は神だった。
今の政府は人間である。
人間は神には従わねばならないが、人間には従わなくてもかまわない。
それなのに、今でも国民は政府に従っている。
それは、昔の政府と今の政府が見かけが同じだからである。昔の政府と今の政府が見た目が変わらないので、国民は昔の政府と今の政府が同じだと思って政府に従い続けているのである。
しかし、実際には昔の政府と今の政府は同じではない。政府は神から人間に変わっている。昔の政府と今の政府は見かけが同じでも中身が違っているのである。だから、国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。
[13739] 超法律 h23.12.5
戦後に日本の憲法が大日本帝国憲法から日本国憲法に変わったように、
戦後に世界の物理学が昔の物理学から今の物理学に変わった。
そのために、政府が神から人間に変わったのである。昔の物理学では政府は神だったが、今の物理学では政府が人間だからである。
いわば、物理学は超法律なのだ。超法律が変わったから、政府に関する規定が変わって政府が神から人間になったのだ。国民が政府に従わねばならないことから、国民が政府に従わなくてもいいことに変わったのだ。
[13740] どうして東京には人が多いのか? h23.12.5
東京には政府がある。
昔は政府が神だったから、政府は国民からいくらでもお金を取れてお金持ちだった。
東京では政府が国民にお金を落としてくれた。政府が国民の店で遊んで国民にたくさんお金をくれた。
つまり、東京はお金持ちが多い町だから、東京ではお金が儲[もう]かるので、東京に人が集まったのである。人々は“税金のおこぼれ”を目当てにして政府のいる町に集まってきたのである。
しかし、今では政府は神ではなく政府は国民から税金を取れないので、政府はお金持ちではない。だから、今後は東京に人が集まらなくなるだろう。人々は日本中に分散して住むようになるだろう。
[13741] 3つの神 h23.12.5
政府も宗教団体も暴力団も神である。現人神[あらひとがみ](人間の姿をした神)である。
暴力団は自分が神だと思って国民の金を取ったり国民の嫌がらせをしたりする団体である。宗教団体は慈善活動で飾った暴力団である。(例えば、創価学会はベトナムに中古ラジオをやったり、アマゾンで自然保護活動をやったりしている。)政府は民主主義の法治機関で飾った暴力団である。宗教団体も政府も裏では暴力団と同じように国民の金を取ったり国民の嫌がらせをしているのである。[もっとも、税金は表だけれども。税金は政府が民主主義の法治機関で国民から取っているのではなく、政府が自分が神であることで国民から取っているのである。そういう意味では、政府は税金を裏で取っているのである。]
しかし、それは昔のことである。昔は神がいたから、政府や宗教団体や暴力団が神で通ったのである。
今は神がいないから、政府や宗教団体や暴力団は神では通らない。政府や宗教団体や暴力団は国民と同じ人間である。だから、国民は政府や宗教団体や暴力団が自分と平等だと考えて、政府や宗教団体や暴力団に従ってはならない。
[13742] 『神は死んだ。』 h23.12.6
ニーチェは『神は死んだ。』と言ったが、ニーチェは“神の定義”を誤解していたようである。
キリストが神だったのは、キリストが奇跡を起こしたからであって、キリストの思想が優[すぐ]れていたからではない。キリストの思想が優れているだけだったら、キリストはただの思想家にとどまっていたはずである。キリストは人間にすぎなかったはずである。だから、キリストが神だとされたのは、キリストが奇跡を起こしたと考えられていたからである。
今の物理学には神がいないから、人間が今の物理学を使って世界を作っていくうちに人間社会がだんだん神のいない社会になっていったのである。つまり、キリストが神ではなくなったのである。キリストの奇跡が何かの自然現象の見まちがいか八百長[やおちょう]にすぎないと考えられるようになったのである。
だから、いくらキリストが神ではなくなったからといって、わざわざツァラトゥストラがキリストに代わる思想を説く必要はなかったのである。むしろ、今の物理学では物が物を動かしていると考えるので神がいなくなったことを説けばよかったのである。
昔の物理学には神がいたから、奇跡を起こしたキリストが神だとされてキリスト教会が神だった。神は人間よりも上の者だったので神は人間に命令できたので、キリスト教会は国民に好き勝手な命令を出した。人間は神に従わねばならなかったので、国民はキリスト教会に従わねばならなかった。それで、キリスト教会は国民からお金を取ったり、国民の嫌がらせをしたりしていたのである。
しかし、今の物理学には神がいないから、キリストが神とされなくなってキリスト教会は神ではなくなった。今のキリスト教会は人間である。人間と人間は平等であり、人間は人間に命令できないので、キリスト教会は国民に命令できなくなったのである。人間は人間に従わなくてもいいから、国民はキリスト教会に従わなくなったのである。それで、キリスト教会は国民からお金を取ったり、国民の嫌がらせをしたりすることができなくなったのである。
[13743] どうして今でも宗教団体や暴力団が経営できるのか? h23.12.7
今でも宗教団体や暴力団が経営できているのは、今でも「この世に神がいて宗教団体や暴力団が神であって国民は宗教団体や暴力団に従わねばならない」と思っている国民がそこそこいるからである。宗教団体や暴力団の命令でおとなしくお金を払っている国民がいるからである。
しかし、彼らはまちがっている。まちがったことをやっている。
今では今の物理学が正しいとされていて、今の物理学ではこの世に神がいないことになっているから宗教団体や暴力団は神ではなく国民は宗教団体や暴力団に従わなくていいのである。従ってはいけないのである。国民は宗教団体や暴力団の命令でお金を払わなくてもいいのである。払ってはいけないのである。
国民は早く正しい考えを身に着[つ]けて、まちがったことをやらないようにならねばならない。
政府についても同様である。
今では政府は神ではないから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府に従ってはならない。国民は政府に税金を払わなくていい。払ってはいけない。国民は早く古臭いまちがった考えを捨てて、新しい正しい考えを身に着けねばならない。
[13744] イナカもんやのー h23.12.7
今の国民の多くが政府に従っているのは、政府がいい人だと思っているからである。
国民の多くはテレビや新聞で政府がやっていることを見て政府がいい人だと思って政府に従っているのである。
国民の多くは頭で何も考えず眼で見た印象だけで政府を判断しているのである。
国民の多くはイナカもんである。
イナカもんは無視して、自分は論理的に正しいことをすればいい。
たとえイナカもんが政府に従っていても、自分は政府に従わなければいいのである。
[13745] 今の政府や宗教団体や暴力団には威張[いば]る理由がない。☆ h23.12.7
政府も宗教団体も暴力団も「昔の物理学」があったから威張れただけである。
昔の物理学には神がいたから、政府や宗教団体や暴力団が神になって国民を支配していたのである。神は人間よりも上の者だから、政府や宗教団体や暴力団が国民に好き勝手な命令を出すことができたのである。人間は神に従わねばならなかったから、国民はたとえ自分が嫌でも政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかったのである。「昔の物理学」があったおかげで、政府や宗教団体や暴力団は自由に国民に命令できていたのである。
しかし、今では昔の物理学がなくなっている。今では『今の物理学』しかない。今では今の物理学が正しく、昔の物理学がまちがっているとされているから、昔の物理学がなくなったのである。今では今の物理学(古典力学以降の物理学)以前の昔の物理学はないとされているのである。
今の物理学には神がいないから、政府や宗教団体や暴力団はもはや神ではなく、国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくてもよくなったのである。政府や宗教団体や暴力団は国民に命令できなくなって滅んでいるのである。政府や宗教団体や暴力団にとっては、今の物理学が天敵だったわけである。
[13746] 昔の物理学の世界の中では、政府が国民から税金を取れる理由がわかる。
h23.12.7
今では今の物理学(古典力学以降の物理学)以前の昔の物理学はないとされている。
今の物理学の世界の中では、政府が国民に命令できる理由がわからない。税金を取れる理由がわからない。
昔の物理学の世界の中では、政府が国民に命令できる理由がわかる。税金を取れる理由がわかる。昔の物理学の世界では政府が神だったから、神である政府が人間である国民に自由に命令できたのである。だから、政府は国民から税金を取れたのである。
昔の物理学と今の物理学の両方がある世界の中では、政府が滅んでいることがわかる。物理学が昔の物理学から今の物理学に変わったために、政府が神から人間になったので、政府は国民に命令できなくなったから政府は滅んでいるのである。政府が国民から税金を取れなくなったために政府が滅んでいるのである。
[13747] 神の会社と人間の会社 h23.12.7
昔の政府は「神の会社」だった。政府は国民よりも上の者だったので、自由に国民に命令できた。国民に「金をくれ」と命令して国民から税金を取れた。政府は国民よりも上の者だったので、国民を遊び半分に嫌がらせることができた。殺すことができた。[中世〜近世までは昔の物理学の世界だったので、政府や幕府は国民の眼の前で堂々と国民を虐[いじ]めていた。殺していた。しかし、近代以降は昔の物理学の世界に今の物理学の世界が混じるようになったので[[13737]の図を参照]、政府はもはや国民の眼の前で堂々と国民を虐めることができなくなった。殺すことができなくなった。政府は国民の眼の届かないところで密[ひそ]かに国民を虐めることしかできなくなった。殺すことしかできなくなった。]
しかし、今の物理学の世界には神がいないので、政府は『人間の会社』になった。政府は国民と平等になったので、国民に命令できなくなった。国民から税金を取れなくなった。政府は国民と平等になったので、国民を遊び半分に嫌がらせることができなくなった。殺すことができなくなった。
いくら政府が民主主義の法治をやっても、政府と国民が平等であるかぎり、政府は国民に命令できない。政府は国民から税金を取れない。
今後、政府が民主主義の法治をやりたければやればいい。それは、政府の勝手である。
しかし、政府が民主主義の法治をやっても、政府は国民に命令できない。政府は国民から税金を取れない。
政府は他[ほか]の『人間の会社』と同じように、国民一人一人と契約を取ってから、国民に命令して国民から税金を取らねばならない。つまり、国民が政府の命令を聞くことに同意した場合だけ、政府は国民に命令できる。政府は国民から税金を取れるのである。誰でも他人の命令を聞くのは嫌だから、政府が国民と契約を取りたければ、政府は国民に命令を出すのをやめて国民の人権の保証だけに止[とど]めたほうが無難[ぶなん]だろう。[これまでは政府が神だったから、政府は国民に命令できていたのである。]政府が国民と契約を取りたければ、料金を安くしたほうがいいだろう。
[13748] 今の私は本を書く予定はない。 h23.12.8
人が本を書くのは、本を書きたいからである。
世の中には、自分で考えたことが何もないのに、本を書きたがって本をたくさん書く者がいる。
その反対に、自分で考えたことがたくさんあるのに、ひとつも本を書かなかった者もいる。
今の私は本を書きたい気持ちがない。だから、今の私は本を書かないのである。
この前(今から約半年前、今年の6月上旬ごろ)は、まだ政府についての理解が生半可[なまはんか]で時期尚早[しょうそう]だったが、私は無性[むしょう]に書きたい気持ちがしたので本を書いた。その結果、1冊しか売れなかった。私が自分で本を作ってヤフーオークションに出品したら1冊だけ落札された。
今はだいたい政府についての理解が出来たが、今の私は書きたい気持ちがしないので、当分の間は私は本を書かないのだ。[たとえ書いても売れないからしかたがないが。]
[13749] 物理学は万物の父である。 h23.12.8
物理学に従って世界は作られる。物理学に従って社会は作られる。
昔の物理学には神がいたから、神のいる社会が作られた。政府や宗教団体や暴力団が神になって、国民を支配した。
反対に、今の物理学には神がいないから、神のいない社会が作られる。つまり、政府や宗教団体や暴力団のない社会が作られる。
今は政府や宗教団体や暴力団が滅ぶ時代である。だから、国民は強気[つよき]になって政府や宗教団体や暴力団を滅ぼせばいいのである。国民は政府や宗教団体や暴力団の命令を聞くのをやめて、政府や宗教団体や暴力団にお金をやらなければいいのである。
[13750] 政府の法治機関 h23.12.8
民主主義の法治機関は政府の副業である。政府の持ち物である。政府が国鉄を持っていたのと同じことである。[国鉄が国民の役に立っていたように、政府の法治機関もある程度は国民の役に立っている。JR(政府から独立して民営化された国鉄)が国民から税金を取れないように、政府から独立した法治機関も国民から税金を取れない。]
政府はもともとは武力団体と宗教団体からなる崇拝[すうはい]機関である。
政府は崇拝機関があったから神だったのである。
政府の崇拝機関はけっして国民の前に顔を出さないけれども、政府の中にはそういう機関があるのである。
しかし、今は神がいない時代だから、政府はもはや神ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞くのをやめて、政府にお金をやらなければいい。
そもそも民主主義の法治機関は、近代に入って神のいない時代になって政府と国民が平等になったので、政府が時代に合わせるために建てたのである。近代の政府は国民よりも上の者でありながら、また一方では国民と平等でもあったのである。
今の政府は国民と平等になって国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れている。民主主義の法治機関が政府といっしょに潰れるのが嫌なら、国鉄のように政府から抜け出して自立すればいい。民営化すればいい。そうすればやっていけるだろう。むしろ、政府の崇拝機関にお金を横取りされないから、これまでよりも儲[もう]かるだろう。[もっとも、国には利口よりも馬鹿のほうが多いから、民主主義は馬鹿主義にほかならないから、民主主義の法治機関では国が進歩しないから、民主主義はやめたほうがいいと思う。反対に、合理主義は利口主義だから、国が進歩するのである。合理主義の法治機関にして欲しい。]
[13751] どうして私が神になったのか? h23.12.9
太平洋戦争では日本がアメリカに負けた。
だから、そのとき、日本政府の武力団体は神ではなくなった。
戦後すぐに天皇が人間宣言をした。
だから、そのとき、日本政府の宗教団体は神ではなくなった。
だから、戦後の日本政府はまったく神ではなくなった。
終戦後しばらくは日本政府はおとなしく人間をやっていたが、昭和40年ごろになってアメリカが日本から撤退するのを機会に再び神になろうとしたのである。
そのために、日本政府は“夜中に突然頭の上に吊[つ]ってあったガラガラ(ベビーメリー)が回る”奇跡があった私を神にして国家宗教を始めたのである。日本政府は私の情報を使って政策をやったり、私の情報を使って国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりし始めたのである。
しかし、今は神がいない時代だから、国民には政府が何をやっているのかさっぱりわからず、日本政府は結局神にはなれなかったのである。
だから、今の日本政府は人間なのである。
したがって、国民と政府は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府の命令を聞かなくてもいい。例[たと]えば、政府に税金を払わなくてもいい。
[13752] 何をやっているのかわからない会社 h23.12.9
今の日本政府は何をやっているのかわからない。何が仕事なのかわからない。
政府は自分がいまだに神だと思って、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。国家宗教ででたらめな政策をやっている。遊び半分に政策をやっている。国民のためにならない政策をやっている。[例えば、政府は日本の人口を1億人から1億3千万人にしたり、日本人の主食を米からパンにしたりしている。1億人とは、1億←1を置く←初代神武天皇を置くということであり、1億3千万人とは1億3千万←1と3←3と1←三と1←川とノ(三≒川、1≒ノ)←川野(私の姓)←私ということである。米は、米←丸くて白く光る←神武天皇が天から呼んだ光るトンビ←神武天皇ということであり、パンは、パン←ブレッド←ブッ←ツブ←川ブ(ツ≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私ということである。政府は日本の国家宗教の神を神武天皇から私に変えたことによって、日本の人口や日本人の主食を変えたのである。そのほかにも、政府は国家宗教でいろんな政策をやっている。国民のためにならない政策をやっている。例えば、政府がマンガに力を入れているのは、マンガ←マ゛ガ(ン≒゛)←フ゛ガ(マ≒フ)←ブガ←ガブ←カブ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。また、政府は毎日国家宗教で事件を起こして国民を殺している。]
そんな会社と契約する国民はいない。契約して嫌がらされたり殺されたりするのなら、契約しないほうがいいに決まっている。
だから、国民は政府と契約をしない。政府は潰[つぶ]れる。政府とは別に人権保障サービスをする会社が出来る。国民は人権保障サービスをする会社と契約する。人権保障サービスをする会社が儲[もう]かる。国民が自主的に政策をする。自分で会社を建てて会社を経営する。[実際には、大会社がやるのかもしれないが。]
[13753] 昔の政府は神だった。 h23.12.10
昔の人は、この世に神がいると信じていた。戦前までの人々は神がいると信じていた。
政府が神であるのはかなり苦しいが、それでも昔の人は政府が神だと信じていた。“神は人間に戦[いくさ]で勝てる”ことや“神は人間にできない奇跡を起こすことができる”ことなどによって政府が神だと信じていた。
そのため、昔の人は政府に従わねばならなかった。人間は神に従うものだと決まっていたから、昔の人々は政府に従った。たとえ政府がどんなに嫌な命令を出しても従った。政府は人々が神だと思っていることをいいことにして、人々を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしていた。
しかし、今の人は、この世に神がいると思っていない。今の科学には神がいなくて、今の社会は今の科学で作られているから、今の社会で暮らす人々は神がいないと考えるようになっている。
だから、今の人は政府が神だと考えなくなっている。
だから、今の人々はだんだん政府に従わなくなっている。政府に従うのをやめている。政府の命令を聞かなくなっている。
今では政府は人間だから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を聞かないことを理由にして政府の警察が国民を逮捕することはできない。だから、国民は思う存分政府の命令を無視ししてやればいいのである。政府に従わなければいいのである。
もっとも、今でも神を信じている者がいる。いまだにこの世のことを誤解して神の存在を信じている者がいる。そういう者に対しては今でも政府が命令できる。宗教団体や暴力団が命令できる。しかし、神を信じていない者に対しては、もはや政府は命令できない。だから、政府は今でも神がいると信じている頭のおかしい一部の国民に対してしか命令できないのである。
[13754] どうして国民は政府に従うのか?☆ h23.12.10
政府が神だったからである。それが、国民が政府に従う本当の理由である。
政府が暴力で国民を脅[おど]したのも、政府が嘘[うそ]で国民を騙[だま]したのも、政府が民主主義の法治をやっているのも、国民が政府に従う本当の理由ではない。他[ほか]の理由はすべてまちがいである。
昔の物理学では神がいたから、政府が神ということになって、国民が政府に従っていたのである。政府の命令で国民が税金を払ったり、戦争に行ったりしたのである。
しかし、今の物理学では神がいないから、政府はもはや神ではなく、国民は政府に従わなくていいのである。
今では国民が政府に従うほうがまちがいである。だから、国民は政府に従うのをやめねばならない。
昔は政府に従うことが正しいことだったが、今では政府に従わないことが正しいことである。今では政府に従うことはまちがいである。だから、今では政府に従ってはならない。
[13755] 昔の物理学が政府を作った。☆ h23.12.10
政府は昔の物理学で出来た団体である。政府は昔の物理学によって作られた団体である。
昔の物理学では神が宇宙を動かしていると考えていたので、昔の人は政府に神の概念を当てはめて、政府を現人神[あらひとがみ](人の姿をした神)だと思っていたのである。昔の人は政府を神だと思って、政府に従っていたのである。昔の人は政府に従っても何の得にもならないのに、政府が神だというだけで政府に従ったのである。
しかし、今では物理学が昔の物理学から今の物理学に変わったので、政府は滅んだのである。
今の物理学では物が宇宙を動かしていると考えるので、今の物理学には神がいないので、今では政府に神の概念をが当てはまらないので、今の人は政府が人間だと思っている。今の人は政府を自分と同じ人間だと思って、政府と自分が平等だと思って、政府に従わなくなったのである。
[13756] 政府の政策☆ h23.12.10
政府の政策には、法治機関の政策と崇拝機関の政策の2つがある。
法治機関の政策は、比較的まともである。あまり国民の役にも立たないが。民主主義の政策ではできることが知れている。民主主義は馬鹿主義だから、国民の足を引っ張る政策ばかりである。くだらない政策ばかりである。[[13750]を参照。例えば、マンガやアニメやテレビゲームに力を入れるのが日本における民主主義の政策である。[マンガは政府が国家宗教でやっていることである。[13752]参照。]ヨーロッパの場合は馬鹿よりも利口のほうが多いから民主主義で国が前に進むが、日本の場合には利口よりも馬鹿のほうが多いから民主主義で国が後ろに進むのだ。/個人の自由を認めるのは合理主義であって、民主主義では個人の自由はないのである。民主主義ではすべてのことを多数決で決めるので、国民は必ず大勢に合わさなければならないのである。国民は必ずみんなと同じことをしなければならないのである。善[い]い人間に合わせるのならいいが、悪い人間に合わせるのは嫌である。自分独自のことが考えられなくなるのも嫌だ。]
崇拝機関の政策は、神の人間に対する政策である。政府が自分を神(人間よりも上の者)だと思って人間である国民を弄[もてあそ]ぶ政策である。政府が国家宗教などで国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりする政策である。国民を不愉快[ふゆかい]にする政策である。
政府は2種類の政策をやっているのである。
政府の政策は馬鹿主義の政策と神主義の政策だけである。政府の政策は国民にとっていいものがない。だから、国民にとって政府は要らない。国民は政府にわざわざ税金を払ってやることはない。国民は政府に税金を払わないほうがいい。
[13757] 徳川幕府 h23.12.11
徳川幕府は神主義だった。当時はまだ、みんなが神がいると考えていたからである。それで、武力団体の幕府が神だった。
ただし、徳川幕府は民主主義ではなかった。つまり、馬鹿主義ではなかった。
徳川幕府は日本政府のように国家宗教をやらなかった。
徳川幕府は神主義だったが、合理主義すなわち利口主義だった。だから、徳川幕府の時代には国が前に進んで日本がアジアの先進国だったのである。当時は、ヨーロッパも日本に一目[いちもく]置いていたのである。徳川幕府は神主義で国民に嫌がらせをしたが、一方では合理主義政策をやって日本を大いに発展させたのである。
一方、今の日本政府は民主主義と神主義をやっている。日本においては民主主義は馬鹿主義にほかならず、政府は神主義で国家宗教つまり不合理主義をやっている。国家宗教は、政府が国家宗教の神の情報を使ったメチャクチャな政策をやることだから不合理主義である。だから、今の日本は馬鹿主義の不合理主義の国なのである。だから、今の日本は国が後ろに進んでアジアの後進国になっているのである。
今の日本はかつてのような先進国ではない。日本はすでに韓国や中国に抜かれている。日本はもはやアジアの先進国ではない。日本は徳川幕府が合理主義政策をやっていた時代だけ先進国だったのである。それ以外の時代は後進国だったのである。徳川幕府がいなければ、日本は後進国である。ただのアジアの田舎[いなか]の国である。今では日本はヨーロッパにも完全に無視されている。日本はいつまでもいい気になっていてはいけない。
日本はもともと前に進む国ではない。日本の文化や日本人の性格が前に進む気風ではないからである。日本人は文学やマンガを読んで酒を飲んで現実離れしてダラダラ遊ぶ気風であって、現実について自分の眼で見て自分の頭で考えて現実に向かっていく気風ではない。日本は江戸時代に徳川幕府がいい政策をやっていたからたまたま前に進んだだけである。徳川幕府がいなければ、日本は後ろに進む国なのである。
私個人も馬鹿主義の不合理主義の国に住むのは嫌である。ナンセンスすぎる。日本では利口や合理主義の者が不利である。日本では利口や合理主義の者が生きにくい。政府は民主主義や国家宗教をやるものと決まっている。つまり、馬鹿主義や不合理主義をやるものと決まっている。政府は最初に自分が民主主義や国家宗教をやると決めたから、自分が潰[つぶ]れるまで日本で馬鹿主義や不合理主義をやり続けるのである。だから、政府がなくなったほうがいい。せめて政府がなくならねばならない。
[13758] 正しさと楽しさの関係 h23.12.11
正しさ(現実的なこと)と楽しさは矛盾するのではない。つまり、正しいことは楽しくなく、楽しいことは正しくないのではない。
正しさに楽しさを加えればいいのだ。つまり、正しいことの中で楽しいことをすればいいのだ。
日本人は「楽しさが正しさ(現実)の外にある」と思っているから進歩しないのだ。
正しさに楽しさを加えていけば、日本は進歩するのだ。正しいことの中で楽しいことを考えればいいのだ。
[「楽しさが正しさの外にある」と考えることと、宗教とは関係がない。宗教とは、この世に神がいて、奇跡を起こした者が神であって、奇跡を起こした者を囲[かこ]う宗教団体が神であると考えて、宗教団体が現実の中で国民を支配して国民に好き勝手な命令を出して国民からお金を取って国民を遊び半分に嫌がらせて楽しむことである。だから、宗教はけっして正しさ(現実)の外に出て楽しむことではない。宗教は、宗教団体が現実の世界の中で実際に国民を支配して国民を好き勝手にして楽しむことである。もっとも、神がいたのは昔の世界である。今の世界には神はいない。だから、今では奇跡を起こした者も宗教団体も神ではない。奇跡を起こした者も宗教団体も国民を好き勝手にはできない。]
[13759] 『理由』を考えろ。 h23.12.11
昔は政府や宗教団体や暴力団は神だった。政府や宗教団体や暴力団は神だったから、人々は政府や宗教団体や暴力団の命令を聞かねばならなかった。例えば、政府や宗教団体や暴力団に「金をくれ」と言われたら、金をやらねばならなかった。
ところが、今では神がいなくなった。今の物理学では物が物を動かしているだけなので、神がいなくなった。
だから、今では政府や宗教団体や暴力団は神ではない。政府や宗教団体や暴力団は神ではないから、人々は政府や宗教団体や暴力団の命令を聞かなくてもいい。例えば、政府や宗教団体や暴力団に「金をくれ」と言われても、金をやらなくていい。
ところが、今でも多くの国民が政府や宗教団体や暴力団の命令を聞いている。今でも多くの国民が政府や宗教団体や暴力団に従っているのは、政府や宗教団体や暴力団に従う『理由』がわかっていないからである。眼で見て政府や宗教団体や暴力団があるから、政府や宗教団体や暴力団の命令を聞いているだけである。昔の人が政府や宗教団体や暴力団に従っていたから、わけもわからずに昔の人の真似[まね]をして政府や宗教団体や暴力団に従っているだけである。そういう者は、昔の人が政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかった『理由』(つまり、政府や宗教団体や暴力団が神だったこと)をよく理解して、今はその『理由』がなくなっているから今では政府や宗教団体や暴力団に従わなくてもいいと考えて、政府や宗教団体や暴力団に従わなければいいのである。
つまり、今の国民の多くは頭で何も考えず眼先で動いているだけの馬鹿である。そんな馬鹿が大勢いるから、政府や宗教団体や暴力団がやりやすいのである。今の国民はもっと世の中のことをよく理解してから行動しなければならない。
今でも政府や宗教団体や暴力団の命令を聞いている国民の多くは馬鹿だが、今でも国民に命令している政府や宗教団体や暴力団も馬鹿である。今の政府や宗教団体や暴力団は自分を神だと考えず、国民に命令してはいけない。命令するのをやめねばならない。今の政府や宗教団体や暴力団は、昔の政府や宗教団体や暴力団が国民に命令できた『理由』(つまり、政府や宗教団体や暴力団が神だったこと)を理解して、今ではその『理由』がなくなっているから今では国民に命令できないと考えて、国民に命令してはいけない。
[13760] 政府が神か人間か、それが問題だ。 h23.12.11
昔の政府は神だった。だから、昔の国民は政府の言うことを聞かねばならなかった。
たとえ政府がどんなに下手糞[へたくそ]な政策をやって国民を貧乏にしたとしても、人間は神に従わねばならなかったので、国民は政府に従わねばならなかったのである。国民は政府のどんな命令でも聞かねばならなかったのである。国民は政府が神だったから政府に従ったまでであって、けっして政府を支持していたわけではないのである。
しかし、今の政府は神ではない。人間である。だから、今の国民は政府の言うことを聞かなくてもいいのである。
たとえ政府がどんなに上手[じょうず]な政策をやって国民を裕福にしても、人間は人間に従わなくていいから、国民は政府に従わないのである。国民は政府の命令を一切[いっさい]聞かないのである。
今の世界は『神がいない』ことに決まっているから、国民は『神がいない』ことを使って政府に従わなければいいのである。今の国民はいつまでも昔の国民と同じことをしていてはいけない。神は人間よりも上の者だが、人間と人間は平等である。神のいない新しい世界では新しい社会関係を築[きず]かなければならない。そのための努力をしなければならない。
[13761] 政府の法治機関 h23.12.12
政府の法治機関は民主主義である。
政府の法治機関は民主主義の政策をやっている。
政府の法治機関は最初に民主主義をやると決めたから、政府が滅ぶまで民主主義をやり続けるのである。
ところが、日本は利口よりも馬鹿が多いから、日本における民主主義は馬鹿主義にほかならない。
だから、政府の法治機関は馬鹿主義の政策をやっている。
政府は国民みんなを馬鹿に改造するために民主主義の法治機関を設[もう]けたのである。国民みんなが馬鹿なほうが、政府が国民を言いなりにできるからである。[馬鹿は自分で考えること自体が嫌いなので、馬鹿はすべて他人の言いなりなのである。]
だから、日本は年々悪い国になっているのである。遅れた国になっているのである。
政府の法治機関がなくなったほうが、日本はいい国になるだろう。
世の中には悪い人はいっぱいいるが、善[い]い人はめったにいない。民主主義では善い人が悪い人を引っ張っていく機能が失われる。民主主義では悪い人が善い人の足を引っ張るだけになる。だから、民主主義をやめるべきである。
法治機関はおとなしく国民の人権保障だけをやって、政策をやらなければいい。国民に命令しなければいい。政策は国民が自分で考えてやればいい。国民の自主性に任[まか]せるべきだ。
[13762] どうして今の国民は政府に従っているのか?☆ h23.12.12
今では政府は神ではない。
だから、国民は政府に従わなくていいはずである。
それなのに、今でも多くの国民が政府に従っている。
それは、政府の民主主義の法治機関が、民主主義を使って国民を馬鹿に改造してきたからである。
馬鹿は他人の真似[まね]しかできないから、馬鹿な国民は昔の国民が政府に従っていたのを真似[まね]て今でも政府に従っているのである。わけもわからずに見よう見まねで政府に従っているのである。
政府の民主主義の法治機関は国民を馬鹿に改造する機関である。日本には政府の民主主義の法治機関があってはならない。だから、国民は政府に従うのをやめて、政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]すべきである。
[13763] 未来の日本 h23.12.12
政府の民主主義の法治機関が、民主主義によって国民を馬鹿に改造している。政府の民主主義(馬鹿主義)の法治機関が、国民を馬鹿に改造するためにいろんな政策をやって国民を自分で考えるのが嫌いな馬鹿に変えている。そのことは、最近の若者を見れば明らかである。
馬鹿な国民はわけがわからずに政府に従い続ける。わけもなく政府に従い続ける。政府の言いなりになって、政府に税金を払い続ける。
政府の崇拝機関は密[ひそ]かに国民を嫌がらせている。国家宗教かなんかで遊び半分に国民を嫌がらせたり殺したりしている。
未来の日本は、馬鹿な国民ばかりになる。馬鹿な国民が政府に嫌がらされる国になる。
これでは、せっかく『神がいなくなった』甲斐[かい]がない。世界大戦をやった甲斐がない。
馬鹿にとっては神がいようがいまいが変わりはないのだ。
たとえ政府が神でなくても、馬鹿はわけもわからずに政府が上の者だと思って政府に従い続けるから、神はいなくてもいいのだ。たとえ神がいなくても、国民が馬鹿であれば、国民は理由もなく政府に従い続けるから、神はいなくてもいいのだ。たとえ神がいなくても、馬鹿は「政府は国民が従わねばならないものだ」と思って政府に従うから、神はいなくてもいいのだ。
[13764] 昔も今も国民は政府の言いなりである。 h23.12.12
昔はみんなが神がいると思っていたから、政府が神だと思っていたから、国民は政府の言いなりだった。
今は政府が国民を馬鹿に改造しているから、国民は政府の言いなりである。政府が国民が馬鹿になるような政策をいっぱいやっているから、国民が馬鹿になって政府の言いなりになっているのである。
昔も今も国民は政府の言いなりである。
国民はいったいいつになったら政府に従わなくてもいいことに気づくのだろうか?
たまには馬鹿ではない国民がいないものだろうか?
今のままでは政府が国を滅ぼしかねない。かつてのローマ帝国のように国が政府によって滅ぼされる。だから、そうなる前に政府を滅ぼさねばならない。
今の政府が国民の足を引っ張っているのは健全ではない。そんな国ではいけない。政府は早くなくなったほうがいい。
昔は文明が遅れていたから、みんなが神がいると思っていたから、政府が神だと思っていたから、政府が国民を支配していた。それはしかたがない。しかし、今の政府は国民の頭を操作して無理やり国民の支配者になろうとしている。今の政府のしていることは悪である。だから、国民は今の政府を許してはならない。国民は今の政府を倒さなければならない。
[13765] 今の国民は馬鹿である。 h23.12.12
昔の政府は神だった。だから、国民は政府に従った。
しかし、今の政府は神ではない。人間である。だから、国民は政府に従わなくてもいいはずである。
それなのに、いまだに国民は政府に従っている。
それは、国民が政府によって馬鹿に変えられているからである。政府は“国民を馬鹿に変える政策”をやって国民を馬鹿に変えているのである。[例えば、政府がテレビゲームに力を入れているのは、国民にテレビゲームに出費させて本を買わないようにさせるためである。最近の政府が眼で見ることにばかり力を入れて頭で考えることに力を入れていないのは、国民を馬鹿に変えるためである。]
国民は政府によって馬鹿に変えられて、理由もないのに政府に従っているのである。政府に「国民は政府に従いなさい」と言われたから政府に従っているのである。人間が人間に従う必要がないのに、政府に従っているのである。馬鹿はまちがったことをするのが好きだから、本当は国民は政府に従ってはいけないのにわざわざ政府に従っているのである。
[13766] 今ではすでに国民が政府に従わなくてもよくなっている。 h23.12.12
今の政府は国民を馬鹿に変えて国民を政府に従わせて、密[ひそ]かに国家宗教などで国民の嫌がらせをする会社である。
今では国民が政府に従わねばならない『理由』は何もない。国民は政府に馬鹿に変えられて政府の言いなりになっているから政府に従っているだけである。[昔は「政府が神である」という理由があったから、国民は政府に従っていたのである。今では「政府が神である」という理由がなくなっているから、国民は政府に従わなくていいのである。]
国民が今の政府に従っても国民にとっていいことは何もない。国民が政府に従うと、政府に税金を取られて政府に嫌がらされるだけである。政府に殺されるだけである。
だから、国民は政府に従わなければいい。今では国民が政府に従わねばならない理由がなく、国民が政府に従わなくてもよくなっているから、国民は政府に従わなければいいのである。
[13767] 今の政府が国民を支配するのは無理である。 h23.12.12
昔の政府は神だった。だから、政府が何もしなくても、国民は政府に従った。[昔の人はこの世に本当に神がいると思っていた。“神は人間に戦[いくさ]で勝てる”とか“神は人間にできないことができる”と考えて、“戦[いくさ]に勝った者”や“奇跡を起こした者”を神だと思っていた。それで、“古代に日本各地の武力団体と戦って勝って日本を統一した武力団体”や“天から光るトンビを呼ぶ奇跡を起こした神武天皇”を囲[かこ]う宗教団体から成る日本政府を神だと思っていた。昔の人は人間は神に従わねばならないと思っていたので、国民は政府に従っていた。]
しかし、今の政府は神ではない。だから、そのままでは国民は政府に従わない。
そこで、政府は“国民を馬鹿に変える政策”をやって国民を馬鹿に変えて国民を政府に従わせている。
馬鹿は頭で理由を考えず眼で見たことを鵜呑[うの]みにするから、自分が政府に従う理由がわからないのに、他人が政府に従っているのを眼で見て自分も政府に従うのである。
例えば、今の政府がテレビやマンガに力を入れているのは、国民を眼で見たことしかわからない馬鹿に変えるためである。今の政府がテレビゲームに力を入れているのは、国民から自分で考える時間を奪[うば]って国民を自分で考えない馬鹿に変えるためである。
しかし、国民みんながテレビやマンガやテレビゲームをするわけではない。政府が国民を馬鹿に変えるのにも限界がある。国民の中には馬鹿でない者がいる。政府が“国民を馬鹿に変える政策”をやっているからといって、国民は必ずしも馬鹿にならなくてもいい。今の政府は神ではないから、国民に命令できないので、たとえ政府が国民に「馬鹿になれ」と命令しても、国民は馬鹿にならなくてもいいのである。今の政府は間接的にサブリミナルに(潜在意識的に)国民に作用できるだけである。
だから、今の国民が自分で考えたり他人から学んだりして『今の政府は神ではないから自分が政府に従わなくていい』ことを理解して政府に従わなくてもいい。
政府が神でなくなってから約70年経[た]つ。国民は政府に従わなくてもいいことにだんだん気づいている。政府の“国民を馬鹿に変える政策”では、政府が国民を支配し続けるのは無理である。政府が国民を支配できるのも時間の問題だ。もうすぐ政府は滅ぶだろう。
政府が国民を支配できたのは、政府が神であったときだけである。政府が神でなくなれば、もはや政府は国民を支配できないのだ。
[13768] 政府の構造☆ h23.12.12
本来の政府は武力団体と宗教団体だけである。昔はこの世に神がいて、武力団体や宗教団体が神だと考えられていたので、“古代の日本で各地の武力団体と戦って勝って日本を統一した武力団体”と“天から光るトンビを呼ぶ奇跡を起こした神武天皇を囲う宗教団体”から成る政府が神だと考えられていたのである。昔の人は「人間は神に従わねばならない」と考えていたので、政府に従っていたのである。昔の人が政府に従っても何の得にもならなかったが、「人間は神に従わねばならない」と考えていたのでひたすら政府に従ったのである。今でも政府の本体は武力団体と宗教団体なのである。今でも政府の本体が国民よりも上の者として活動しているのである。政府の本体が国民に好き勝手な命令をしたり、国民の物やお金を取ったり、遊び半分に国家宗教で(国家宗教の神の情報を入れたことをやって)国民を嫌がらせたり殺したりしているのである。
政府の法治機関(つまり、立法機関(国会)や行政機関(各省庁)や司法機関(警察と裁判所))は明治時代になって政府と国民が平等になったので政府が新しく建てた機関である。明治時代になって科学文明の時代になったので政府が国鉄を建てたのと同じことである。
政府の法治機関自体は神ではないが、政府を組んでいたので神だったのである。国鉄自体は神ではないが、政府と組んでいたので神だったのと同じことである。国鉄が政府から独立してJRになったら国民と平等になったように、政府の法治機関も政府から独立したら国民と平等なのである。
しかし、今の世界には完全に神がいない。今では政府は神だと考えられていない。
だから、政府と組んでいる政府の法治機関も神ではない。
したがって、国民は政府や政府の法治機関に従わない。命令を聞かない。お金をやらない。
だから、政府や政府の法治機関はもうすぐ潰[つぶ]れるのだ。
[13769] どうして今でも国民は政府に従っているのか? h23.12.12
今では政府は神ではない。
だから、国民が政府に従わないのが正しく、政府に従うのがまちがいである。
それなのに、今の国民の多くが政府に従っている。
それは、国民の大半が馬鹿だからである。
馬鹿はまちがったことをするから、今でも馬鹿な国民が政府に従っているのである。
しかし、わざわざ他人のまちがいまでも真似[まね]る必要はない。
だから、国民は政府に従わなければいいのである。
国民の大半の馬鹿が政府に従っていることによって、政府の民主主義の法治機関が民主主義で「国民全員が政府に従わねばならない」と決めている。しかし、今では政府は神ではないから、政府の民主主義の法治機関も神ではない。だから、いくら政府の法治機関が「国民全員が政府に従わねばならない」と決めても国民はその決定に従わなくていいのである。
[13770] 国民は国家宗教をやってはいけない。 h23.12.13
芥川龍之介の『羅生門』には、国民が国家宗教を使って非行を犯すシーンが描[えが]かれている。
しかし、実際にこんなことはなかったのだろう。
国家宗教は、神である政府が人間である国民を遊び半分に嫌がらせるための方法である。政府はただ国民を嫌がらせたり殺したりしてもつまらないので、国家宗教の神の情報を使ったことをやって国民を嫌がらせたり殺したりして遊んでいるのである。つまり、国家宗教は政府の娯楽なのである。
だから、政府が国家宗教を使って国民を嫌がらせる(非行を犯す)のは許されるが、国民が国家宗教を使って国民を嫌がらせる(非行を犯す)のは許されないはずである。もしも国民が国家宗教を使っていいなら、国民がいくらでも国家宗教を使って政府を攻撃できたはずである。下克上[げこくじょう]ができたはずである。そんなことを政府が許すわけがない。それに、人間と人間は平等だから、国民が国家宗教で遊び半分に他の国民を嫌がらせることはしなかったはずである。だから、国民は国家宗教をやってはいけなかったのである。国家宗教は“国家”という名前が付いているけれども、国民みんながやる宗教ではなく、政府だけがやる宗教だったのである。
日本国憲法第20条には宗教の自由が述べられているが、宗教の自由とは神である政府や宗教団体が宗教の神の情報を使ったことをやって人間である国民を自由にしてもいいことであって、国民が宗教の神の情報を使ったことをやって国民を自由にしてもいいことではない。国民が宗教で国民を嫌がらせるのは犯罪である。つまり、国民にはそもそも宗教をやる(つまり、宗教の神の情報を入れたことなら何をやってもいい)特権がなかったのである。
神であるのは政府や宗教団体や暴力団だけであって、それ以外の国民はみな人間なのである。宗教をやってもいいのは神である政府や宗教団体だけで、人間である国民は宗教をやってはいけなかったのである。
もっとも、今ではこの世には神がいないことになっているから、政府や宗教団体や暴力団は神ではない。だから、政府や宗教団体が宗教で(宗教の神の情報を入れたことをやって)国民を嫌がらせるのはいけない。もちろん、国民も宗教をやってはいけない。
[13771] 神がある世界から神がない世界へ h23.12.13
昔は神がある世界だった。政府や宗教団体や暴力団が神だった。国民は人間だった。人間は神に従わねばならなかったので、国民は政府や宗教団体や暴力団に従わねばならなかった。国民は政府や宗教団体や暴力団にお金を取られて虐[いじ]められて暮らしていた。
今は神がない世界である。政府や宗教団体や暴力団は神ではなくなった。政府や宗教団体や暴力団や国民は同じ人間である。人間は人間に従わなくていいので、国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくてもよくなった。政府や宗教団体や暴力団が国民に命令できなくなって国民からお金を取れなくなって滅んでいる。
昔は神と人間がいたが、今は人間だけになった。昔は不平等な世界だったが、今は平等な世界になった。昔は人間は神の命令を聞かねばならなかったが、今では誰もが他人から命令されずに自由に暮らすことができる。
昔は神と人間がいて世の中が複雑だった。今は人間しかいないから世の中が単純である。今後はいい世の中になるだろう。
[13772] 政府の法治機関は政府がなくなっても経営できる。 h23.12.13
今は神がいない時代だから、今の政府は神ではない。今では政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に税金を払わない。
政府は収入がない。政府は滅びる。
だから、政府の法治機関は政府から独立して民営化しなければならない。
実際に、国鉄が政府から独立して経営できているのだから、政府の法治機関も政府から独立して経営できるだろう。そんなに心配は要らない。国民にとって必要な物は残る。不要な物は滅びる。それだけだ。
今では人間しかいないから、法治機関と国民は平等であり、法治機関は国民に命令できない。だから、今後は法治機関は国民に命令を出すのをやめて、国民の人権保障だけをやらねばならない。国民が自主的に今の日本にとって必要なことを考えて、自分で会社を建てて実行する。だから、法治機関は国民に命令を出さなくていい。
[13773] どうして政府が国民に命令できるのか?☆ h23.12.13
昔の世界には神がいた。だから、昔の政府は神だった。
政府の法治機関自身は神ではないが、政府と組んでいるから政府の法治機関も神だった。
神は人間よりも上の者であり、神は人間に命令できる。
それで、政府や政府の法治機関は国民に命令していたのである。[昔はみんなに神だと思われさえすれば、みんなに何でも命令できたのである。昔の人はこの世に本当に神がいると思っていたから、ちょっとのことでもすぐに神だと思ったのである。それで、政府や宗教団体や暴力団が神になれたのである。(オバケがいると思っていると、何でもオバケに見えるのと同じことである。)昔はみんなに神だと思われさえすれば、みんなからお金を取ったり、みんなに戦争でも国家宗教(国家宗教の神の情報を入れたこと)でも何でもやらせることができたのである。]
しかし、今の世界には神がいない。だから、今の政府は神ではない。
今でも政府の法治機関は政府と組んでいるが、政府が神ではないので、政府の法治機関も神ではない。
今では政府も政府の法治機関も人間である。
人間は人間と平等であり、人間は人間に命令できない。
だから、今では政府も政府の法治機関も国民に命令できないのである。
国民は政府や政府の法治機関の命令を聞かなければいいのである。
今後は、国民は政府や政府の法治機関の命令を聞かずに、自分で自主的に事業をやらねばならない。国民が自分で自主的に事業をやれば、政府や政府の法治機関は要らないのだ。
[13774] 政府が神であるかないかを決めるのは人々の世界観である。☆ h23.12.13
昔の世界には神がいた。だから、政府が神だった。
今の世界には神がいない。だから、政府は神ではない。
政府が神であるかないかは、人々の世界観が決める。政府自身が決めることではない。
昔の政府は神だった。だから、人々は政府に従った。
今の政府は神ではない。だから、人々は政府に従わなくなった。
つまり、昔の人は神がいると思っていたから政府に従った。
今の人は神がいないと思っているから政府に従わない。
人々の世界観が世界を作っていただけなのだ。
古い世界はさっさと消え失[う]せねばならない。
新しい世界を早く築[きず]かねばならない。
人間しかいない時代に神が残っていてはいけない。
早く神をなくさなければならない。
[13775] 今の時代に政府があることはまちがっている。☆ h23.12.14
昔は神がいる時代だった。
だから、政府という神がいた。神である政府が人間である国民を支配していた。
しかし、今は神がいない時代である。今は人間しかいない時代である。
それなのに、今でも政府という神が残っている。いまだに政府が国民を支配している。
人間しかいない時代に神である政府が残っていることはまちがっている。
だから、政府はなくならねばならない。政府をなくさねばならない。
政府をなくすためには、国民は政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。いざとなれば、政府を皆殺しにしてもいい。
[13776] 国民は政府の法律を守らなくていい。 h23.12.14
政府の法律は政府の国民に対する命令である。
政府の法律は政府に従う者が守ればいい。政府に従わない者は守らなくていい。
今は神がいない時代だから、人間しかいない時代だから、国民は政府に従わなくていい。
だから、国民は政府の法律を守らなくていい。
今は人間しかいない時代である。人間と人間は平等である。だから、今の人は『人間の平等性』だけを守ればいいのである。『人間の平等性』を犯した者は有罪であり、たとえ警察がいなくても何者かによって罰せられる。
[13777] 神を社会から追放しなければならない。 h23.12.14
政府は神である。政府は神だから、国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
国民は人間である。
ところが、今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。
今の時代に神がいることはまちがっている。
だから、政府を社会から追放しなければならない。排除[はいじょ]しなければならない。
国民は政府を滅ぼして、政府のない社会を作らねばならない。
[13778] 神を殺せ! h23.12.14
政府は神である。
ところが、今は神のいない時代である。人間しかいない時代である。今の人々はみんな神がいないと思っているから、今は神がいない時代である。
だから、今の時代に神がいてはいけない。神を殺して神をなくさねばならない。
国民は神である政府を倒して、早く政府のない社会を作らなければならない。
[13779] 神は死んでいない。 h23.12.14
政府は神である。
政府は今でも生きている。だから、神は今でも生きている。
しかし、今は神のいない時代である。人間しかいない時代である。
だから、今の時代に神がいてはいけない。
だから、国民は早く神である政府を倒して、神のいない社会を作らなければならない。
今の社会には政府や宗教団体や暴力団の3種類の神が生きている。
国民は早く神を倒して、神のいない社会を作らなければならない。
[13780] 政府にできること h23.12.14
政府は神である。
政府にできることは国民に命令することと国民を遊び半分に殺すことだけである。
政府が国民を遊び半分に殺しても政府は儲[もう]からない。
だから、国民が政府の命令を聞かずに政府に税金を払わなければ政府は潰[つぶ]れる。
今の時代に神である政府があることはまちがっている。
だから、国民は政府に税金を払わずに政府を潰さねばならない。
たとえ政府がたまに国民に“いい命令”を出すことがあるとしても、とにかく今は神がいない時代だから政府はなくならねばならない。政府が命令を出さなくても、国民が自主的に事業をやるから、政府は要らない。政府はなくなっていい。
[13781] 政府はなくならねばならない。 h23.12.14
政府は神である。
国民は人間である。
ところが、今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。
人間だけしかいない時代に神がいてはいけない。昔は神がいる時代だったから神がいてもよかったが、今は神がいない時代だから神がいてはいけない。神はなくならねばならない。
だから、政府はなくならねばならない。
国民は政府をなくすために、政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。
今はそういう時代だから、国民はそうしなければいけない。
[13782] 政府は今の時代にあってはならない。《まとめ》 h23.12.14
今の人々はみんな神がいないと思っている。だから、今は神がいない時代である。
ところが、政府は神である。政府は昔神だったから、今でも神なのである。政府は神だから、国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で遊び半分に嫌がらせたり殺したりしている。
神がいない時代に神がいてはいけない。
だから、政府はなくならねばならない。
国民は政府をなくすために、政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。
[13783] 時代遅れは損をする。 h23.12.14
昔は神がいる時代だったから、戦争をして外国に勝った国は神になれた。神になった国は世界中の国に好き放題に命令できた。それで、近代のヨーロッパは大儲[もう]けをした。
しかし、今は神がいない時代だから、戦争をして外国に勝っても神にはなれない。それどころか、人殺しだと思われて世界中の国に嫌われて無視される。それで、今のアメリカは大損[おおぞん]をしているのだ。
神がいる時代と神がいない時代とでは世の中の摂理[せつり]が違う。
だから、神がいない時代に神がいる時代に大儲けしたことと同じことをすると反対に大損したりするのだ。
今は戦争をして儲かる時代ではない。だから、攻[せ]めも守りも両方とも要らないのだ。
[13784] 人々の世界観が世界を決める。☆ h23.12.15
昔の人は神がいると思っていた。昔の人は政府を神だと思っていたから、政府に従っていた。
今の人は神がいないと思っている。今の人は政府を神だと思っていないから、政府に従わなくなった。
人々の世界観が世界を決める。政府が世界を決めるのではない。政府は昔の人々の世界観によって作り出された“神の団体”なのである。
今の世界には神がいないから、今の政府が神であることはできない。だから、今の人々は政府に従わなければいいのだ。
神がいない時代に神をやるのは反則である。だから、今の政府は神をやってはいけない。今の政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、国民を国家宗教などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりしてはいけない。
[13785] 脳が興奮しやすい人は精神分裂病にかかりやすい。 h23.12.15
人間の脳にはテレパシー器官がある。人間の脳細胞には“感覚”(自分が感じること)がある。だから、感覚と感覚をつなぐ“感覚波”がある。(電荷と電荷をつなぐ電磁波があるのと同じことである。)テレパシーとは感覚波を使って自分の意思を他人に伝えることである。昔の人は言葉を持たなかったので、テレパシーで直接に意思を伝達していたのである。今の人は言葉があるからテレパシーを使わなくなったけれども、脳の中に潜在的に“テレパシーを使う器官”(テレパシー器官)があるのである。
一方、人は思春期になるとオナニーをする。オナニーとは、自分の性器を刺激することによって自分の脳にある快楽中枢を興奮させて快楽感を得ることである。
オナニーをすると、快楽中枢に限らず自分の脳中枢を何でも興奮させやすくなる。
自分の脳中枢を興奮させすぎると、脳中枢を抑制する中枢が壊れて自分の脳中枢が抑制できなくなる。
そんなときに、他人が自分の気に入らないことをしているのを見ると、テレパシーで他人の態度を改[あらた]めたくなる。そこで、自分の脳の不快中枢とテレパシー器官を同時に興奮させる。条件反射によって不快中枢とテレパシー器官の間に連合ができる。そのため、テレパシーが聞こえる度[たび]に不快中枢が興奮して不快になる。しかも、不快中枢やテレパシー器官を興奮させすぎたために、不快中枢やテレパシー器官を抑制する中枢が壊れているので自分では不快感やテレパシーを止[と]めることができない。これが、精神分裂病である。
オナニーに限らず、一般に脳が興奮しやすい人は精神分裂病にかかりやすい。だから、脳が興奮しやすい人は特にテレパシー器官を興奮させないように気をつけねばならない。
[13786] 今では政府も政府の法治機関も国民に命令できない。 h23.12.15
人間は人間に命令できない。人間に命令できるのは神だけである。
昔は神がいる時代だったから、政府(つまり、古代に日本各地の武力団体と戦って勝って日本を統一した武力団体と天界から光るトンビを呼び寄せる奇跡を起こした神武天皇を囲う宗教団体の組合)が神だった。
だから、政府は国民に命令できた。
政府の法治機関自体は人間なので政府の法治機関だけでは国民に命令できなかったが、政府の法治機関は政府と組んでいたために政府の法治機関も神だったので政府の法治機関は国民に命令できたのである。
しかし、今は神がいない時代だから、政府は神ではない。だから、いくら政府の法治機関が政府と組んでいても政府の法治機関は神にはなれない。
だから、国民は政府や政府の法治機関の命令を聞かなくてもいいのである。例えば、政府や政府の法治機関の命令で税金を払わなくてもいいのである。
いくら政府の法治機関が民主主義をやっていても、政府の法治機関が神でないことに変わりはない。だから、国民は政府の法治機関の命令を聞かなくていいのである。
あいにく世の中には馬鹿が多いから、今でも政府や政府の法治機関に従っている者が多い。馬鹿はわけがわからないまま他人の言いなりになっているのである。馬鹿はわけがわからないまままちがったことをやっているのである。だから、わざわざ馬鹿を真似[まね]なくていい。国民は自分が正しいと考えることをすればいいのである。
[13787] 田舎者[いなかもの]の時代 h23.12.15
自然にはまちがいがないが、人間にはまちがいがある。
だから、自然の中で育った田舎者にはまちがいがないが、人間の中で育った都会者にはまちがいがたくさんあるのだ。
都会者は眼先(言葉)が正しいだけで、中身(意味)はまちがいだらけなのだ。田舎者は眼先がまちがっていても、中身は正しいのだ。
田舎者は頭が正しいから心がきれいなのだ。都会者は頭がまちがっているから心が汚いのだ。
これからは田舎者の時代だ。
[13788] 政府の法治機関は日本を悪い国にしている。 h23.12.15
政府の法治機関は民主主義をやっている。
ところが、世の中には善[い]い人間よりも悪い人間のほうが多いから、民主主義は悪人主義である。
政府の法治機関は民主主義すなわち悪人主義で日本を悪い国に作り変えているのである。
政府の法治機関があると日本はどんどんダメな国になる。
だから、政府の法治機関はなくなったほうがいいのである。
法治機関は余計な民主主義なんかやらずに、おとなしく国民の人権保障だけをすればいいのである。
[13789] 今の政府は神をやれない。☆ h23.12.15
昔の人はみんな神がいると思っていた。昔は神がいる時代だった。神は人間に何でも命令できた。神は人間を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできた。昔は戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こした者が神だと思われていた。そこで、古代に日本で戦をして勝って日本を統一した武力団体と天界から光るトンビを呼ぶ奇跡を起こした神武天皇を囲う宗教団体が組んで政府を作った。政府はみんなに神だと思われていたので、政府はみんなに命令できた。政府は国民に「金を出せ」と命令して国民から税金を取れた。政府は国家宗教などで遊び半分に人々を嫌がらせたり殺したりできた。昔の神がいる時代には、政府が神をやれた。
しかし、今の人はみんな神がいないと思っている。だから、今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。
今の神がいない時代には、政府は神をやれない。だから、人々は政府に従わなくていい。政府の命令を聞かなくていい。政府に税金を払わなくていい。
神がいない時代に政府が神をやるのは反則である。だから、政府は国家宗教などで人々を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。
政府が神をやれたのは神がいる時代だけであって、神がいない時代には政府は神をやれないのだ。
[13790] 政府も国民も時代に合ったことをしないといけない。 h23.12.15
神がある時代には、政府は神をやってもよかった。政府は国民に好き勝手に命令して国民から税金を取ったり、国民を国家宗教などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりしてもよかった。
しかし、神がない時代には、政府は神をやってはいけない。政府は国民に命令してはいけないし、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりしてもいけない。
神がある時代には、政府は神だったから、国民は政府に従わねばならなかった。
神がない時代には、政府は神ではないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
今は神がない時代である。神がない時代に神がある時代と同じことをしてはいけない。
政府も国民も時代に合ったことをしなければならない。
[13791] 今は神がいない時代である。 h23.12.15
今が神がある時代なら、政府が神をやれる。政府が好き放題に国民に命令したり、国民を国家宗教などで遊び半分に嫌がらせたり殺したりできる。国民はたとえ政府にどんなことをされても政府に従わねばならない。
反対に、今が神がない時代なら、政府は神をやれない。政府は国民に命令できないし、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
今が神がある時代か神がない時代かは、人々の世界観で決まる。今の人々が神がいると思っていれば神がいる時代になり、反対に人々が神がいないと思っていれば神がいない時代になる。
実際には、今の人々は神がいないと思っているから、今は神がいない時代である。今の物理学には神がいないから、今の物理学で作られた世界の中で暮らす人々はひとりでに神がいないと思うようになるのである。
今は神がいない時代である。したがって、今の時代には政府は神をやれない。政府は国民に命令できないし、国民を遊び半分に嫌がらせたり殺したりできない。国民は政府に従わなくてもかまわない。政府に税金を払わなくてもかまわない。
[13792] どうして政府が国民に命令できるのか? h23.12.16
政府が神だからである。
ところが、今は神がいない時代である。
神がいない時代に政府が神をやることはまちがっている。
だから、本当は政府は国民に命令できない。
したがって、国民は政府の命令に従わなくていいのである。政府に税金を払わなくていいのである。
[13793] どうして今でも国民が政府に従っているのか?☆ h23.12.16
国民が神がいる時代から神がいない時代に変わったことに気づいていないからである。
昔は神がいる時代だった。神がいる時代には政府が神だった。人間は神に従わねばならなかった。だから、昔の国民は政府に従っていたのである。
しかし、今は神がいない時代である。神がいない時代には政府は神ではない。政府は人間である。人間は人間に従わなくてもかまわない。だから、今の国民は政府に従わなくていいのである。
今の国民が政府に従うのはまちがっている。今の国民はまちがったことをしている。だから、今の国民は政府に従うのをやめねばならない。国民は正しいことをしなければならないから、政府に従ってはいけない。
政府や宗教団体や暴力団は昔の神がいる時代に神とされていた団体である。しかし、今は神がいない時代だから、国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくていいのである。
[13794] 人間は正しいことに従わなくていい。 h23.12.16
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。
人間と人間は平等である。
だから、人間は人間に対して命令できない。人間は人間に対して従わなくてかまわない。
たとえ正しいことであっても、人間は人間に対して命令できない。
他人に対しては『人間が平等であることを犯してはいけない』ことが言えるだけである。それ以外のことは、たとえ正しいことでも他人に命令できないのである。つまり、他人に対しては『法律を守らねばならない』ことが言えるだけである。
本人が正しいことに従いたい場合だけ、その者に対して正しいことが言えるだけである。正しいことに従いたくない者に対しては、法律以外は何も言えないのである。
したがって、今の時代には「他人に命令する会社」はあってはならない。政府のような「国民に命令する会社」はあってはならない。政府のような国民に命令して民主主義(馬鹿主義)や国家宗教(不合理主義)をやる会社があってはならない。政府のような馬鹿な国や不合理な国を作る会社があってはならない。ただ、『法律を守らせる会社』や『国民の人権を守る会社』があってもいいだけである。政府のような国民に命令する会社があるのは鬱陶[うっとう]しいから嫌だ。要するに、国には警察があればいいだけである。政府も政府の法治機関も要らない。
もっとも、客観的には人間は実在の中に生きている。だから、人間は実在に従うべきである。正しいことに従うべきである。法律を守るだけでは、実在に従うことはできない。正しいことを知らずに正しいことに従わずにあとで痛い目にあっても文句をいえない。いくら自由が楽しくても、ある程度は正しいことに従わないといけない。
[13795] どうして今でも国民が政府に従っているのか?☆ h23.12.16
国民が“今の世界における正しいこと”がわかっていないからである。
だから、国民は昔の世界における正しいことを今でもやっているのである。昔の世界では政府が神だったから、国民は政府に従っているのである。
しかし、今の世界には神がいない。人間しかいない。今の世界では政府は人間である。人間は人間に従わなくてかまわない。だから、国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府の命令を聞かなくてもかまわない。政府に税金を払わなくてもかまわない。
これが、今の世界における正しいことである。
国民は早く“今の世界における正しいこと”を理解して、それを実行しなければならない。
[13796] 人々が政府に従うか従わないかは、人々が神がいると思うか神がいないと思うかによって決まる。
h23.12.16
昔の人は神がいると思っていた。昔の人には政府が神に見えた。だから、昔の人は政府に従った。
しかし、今の人は神がいないと思っている。今の人には政府が神には見えない。だから、今の人は政府に従わない。
つまり、人々が政府に従うか従わないかは、人々が神がいると思うか神がいないと思うかによって決まる。
今の人々は神がいないと思っているから、今の人々は政府に従わなければいいのである。自分が神がいないと思っているなら、政府に従ってはいけない。政府が神に見えないなら、政府に従ってはならない。
もともとこの世には神がいない。この世には物と人間があるだけで、神はいない。人類は長い時間をかけてそのことを理解した。だから、その成果を活かさねばならない。
[13797] どうして今の国民は政府に従っているのか? h23.12.16
今の国民が政府に従っているのは、今の国民が“わけもわからずに”政府に従っているからである。今の国民が自分が政府に従う理由がわかっていないからである。
そもそも昔の国民が政府に従っていたのは、昔の国民がこの世に神がいると思っていて、政府を神だと思っていたからである。
だから、今の国民がこの世に神がいないと思っていて、政府を神だと思わなければ、政府に従わなくていいのである。
今ではこの世に神がいないことが正しいと思われている。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。
今の国民が“わけもわからずに”政府に従っているのは、ガリ勉バカが点数欲しさに教科書を鵜呑[うの]みにするのと同じだ。人間なら、そんなみっともない真似[まね]はやめねばならない。
つまり、今の国民が政府に従っているのは、表面的に善[い]い人のふりをするためである。ガリ勉バカが表面的に頭がいいふりをするのと同じである。テレビや新聞では「政府に従う人が善い人だ」ということになっているから、とにかく政府に従っていれば、表面的には善い人ということになるからである。今の国民が裏では悪い人だから、表面的に善い人のふりをしているのである。しかし、本当は政府に従うことはまちがっている。今の国民は実質的にはまちがったことをやっているのである。
私が考えたことぐらい人間なら誰でもわかるはずである。すでにみんなにわかっているはずである。今の国民は何も考えてないから、私が考えたことすらわかっていないのだ。今の国民はバカすぎて生きる価値がない。とうてい人間と言えるほどの者ではない。2本足で立っているだけの動物だ。今の国民が政府に遊び半分に殺されても文句を言えない。文句を言う資格はない。考える気のない人間は死ね。もしもこの世に神がいるなら、むしろ政府のしていることをお喜びになるだろう。今の政府は考える気のないクズの国民を殺すためにあるのだ。今の政府はくだらない人間を殺すためにあるのだ。日本人は頭の悪いくだらない民族だから、世界中の人々が日本政府の活動を支持しているのだ。日本政府が国家宗教などで遊び半分に日本国民を嫌がらせたり殺したりしているのを支持しているのだ。そのうちまた人類で世界大戦をやって、世界中の人々が旧世界から抜け切れないいけ好かない日本人を殺しまわるだろう。正しいことをなめているヘラヘラしたふざけた根性の日本人を皆殺しにするだろう。
[13798] 神がいる世界と神がいない世界では、どっちが正しいか? h23.12.16
神がいる世界では、政府が神に見えるので、国民は政府に従う。
神がいない世界では、政府が神に見えないので、国民は政府に従わない。
昔は神がいる世界が正しいとされていた。だから、国民は政府に従っていた。
ところが、今では神がいる世界はまちがいで、神がいない世界が正しいとされている。
だから、今では国民が政府に従わないのが正しい。
したがって、今では国民は政府に従ってはならない。国民は政府に従うのをやめねばならない。
[13799] 政府は今では神ではない。 h23.12.16
今は神がいない時代である。人間しかいない時代である。
だから、政府は今では神ではない。
政府は今では“暴力団と宗教団体の組合”にすぎない。
国民は“暴力団と宗教団体の組合”に従う気にはなれない。従う必要もない。
だから、国民は政府に従わなければいい。
政府の法治機関も民主主義(馬鹿主義)で国民の足を引っ張っているだけだから要らない。[政府の法治機関は、政府が“馬鹿の国”を作るために設置した機関である。馬鹿は神の存在を信じやすいから、政府は自分を守るために民主主義の法治機関を建てたのである。政府は民主主義の法治機関を国民のために建てたのではなく、政府自身のために建てたのである。]
政府の法治機関も政府といっしょになくなればいい。
[13800] 国民が政府に従う『理由』がない。☆ h23.12.16
昔は政府が神だった。人間は神に従わねばならなかった。だから、国民は政府に従った。つまり、昔は国民が政府に従う理由があった。
しかし、今では政府が神ではないから、国民が政府に従う理由がない。
国民が政府の民主主義の法治機関に従う理由もない。
人間と人間が平等ならば、少数と多数も平等である。少数が多数に従わねばならないことはない。多数決は従わねばならない理由ではない。民主主義は国民が政府の法治機関に従わねばならない理由ではない。人間は正しいことにも従わなくていい。[[13794]参照。]人間は法律には従わねばならないが、それ以外のことには従わなくていい。法律は『人間の平等性』から論理的に導かれるのであって、多数決で決めたのではない。[宗教の自由[[13770]参照]や納税の義務は人間の平等性に反しているから正しくない。/平成23年12月27日追記)政府の民主主義の法治機関が法律をやっているのは、政府が民主主義で法律を決めたと思わせて、国民に民主主義を支持させるためである。民主主義と法律を混ぜこちゃにして、国民の頭を混乱させて、国民に民主主義を支持させるためである。]
だから、国民は政府の民主主義の法治機関にも従わなくていい。
つまり、国民は政府にも政府の法治機関にも従わなくていい。
今の国民には政府や政府の法治機関に従わねばならない『理由』がない。
だから、今の国民は政府や政府の法治機関に従わなくてもかまわない。
実際に、今では国民が政府や政府の法治機関に従わなくなっている。