[13601] どうして政府を拝んでも幸福にならないのか?☆ h23.11.12
昔は特別な人間には“自分の願いを実現する超能力”があると考えられていた。
政府にはそんな超能力があると考えられていた。政府は超能力があるから、戦[いくさ]で勝って日本を統一したり、不思議なこと(神武天皇が光の鳥を呼び寄せたこと)をやったりできたと考えられた。つまり、政府は“超能力機関”だと考えられていたのである。
人々は政府を拝めば、政府に自分の願いをかなえてもらえると考えた。
それで、昔の人は政府を一生懸命拝んでいたのである。政府に自分の願いをかなえてもらえるようにお祈[いの]りしていたのである。政府に自分の願いをかなえてもらうために、税金を払っていたのである。昔の人にとっては、政府は自分の願いをかなえてもらうための機関だったのである。
しかし、今では人間にそんな超能力はないと考えられている。人間の脳は感覚したり、感覚波を出したり、情報処理をしたり、ホルモンを出したりできるだけで、それ以上の機能はないと考えられている。
だから、今の人は政府を拝むのをやめたのである。今の人は政府にお祈りするのをやめたのである。政府に税金を払うのをやめたのである。
[13602] どうして昔の人は政府に税金を払っていたのか? h23.11.12
昔の人は政府に自分の願いをかなえてもらうために政府を拝んでいた。
しかし、今の人は物を買って使って自分の願いをかなえるようになっている。
だから、昔の人にとっては政府がなくてはならなかった。
しかし、今の人にとっては政府は要らなくなっている。
昔の人にとっては政府が必要だったから政府に税金を払っていた。
今の人にとっては政府が要らないから政府に税金を払わないのだ。
[13603] どうして政府は国民よりも上の者だったのか? h23.11.12
昔は、政府が超能力者だと考えられていた。政府には“人間の願望をかなえる不思議な力”があると信じられていた。
一方、国民にはそんな“不思議な力”はなかった。
そのため、政府は国民よりも上の者だったのである。政府には国民にはない“不思議な力”があると信じられていたので、国民は政府を国民よりも上の者だと考えていたのである。昔は超能力者は人間よりも上の者であり政府が超能力者だと考えられていたので、政府は国民よりも上の者だったのである。
国民は政府に自分の願いをかなえてもらうために政府を拝んでいたのである。国民は政府に自分の願いをかなえてもらうために、政府に高い税金を払っていたのである。
しかし、今では政府は超能力者だと考えられていない。政府が戦に勝って日本を統一したのは八百長[やおちょうじあい]試合だと考えられているし、神武天皇が光の鳥を呼び寄せたのは自然現象(コロナ放電)だと考えられている。[作り話にも必ず元ネタが要る。コロナ放電の話を聞いたことがある人が、神武天皇が光の鳥を呼び寄せた話を考えたのだろう。]だから、今では政府は超能力者ではなく、政府も国民と同じようにただの人間であり、政府と国民は平等だと考えられている。政府は国民の願いをかなえる超能力者ではないから、国民が政府に税金を払う必要はない。
[13604] 政府は超能力機関である。 h23.11.12
昔の人は超能力を信じていたので、政府が超能力で人々を幸福にしてくれていると思っていた。そのため、昔の人は自分を幸福にしてくれたお礼に政府に税金を払っていた。政府の命令を聞いていた。
しかし、今の人は超能力を信じていないので、政府が超能力で人々を幸福にしてくれていると思っていない。だから、今の人は政府に恩がないので政府に税金を払わなくていい。政府の命令を聞かなくていい。
政府は超能力で国民を幸福にする機関である。
昔の人は非科学的で超能力を信じていたので、政府があった。
今の人は科学的で超能力を信じていないので、政府がなくなるのだ。
政府の武力機関と宗教機関は超能力と関係があるので滅んでいる。しかし、政府の法治機関は超能力と関係がないので、今でも残っている。昔は政府の武力機関と宗教機関が超能力があって人間よりも上だと考えられていたので、同じ政府の法治機関も人間よりも上だと考えられていた。政府の法治機関そのものは人間よりも上ではなかったが、政府の武力機関と宗教機関が人間よりも上だと考えられていたので、政府の法治機関もいっしょに上の者だと考えられていたのである。しかし、今では超能力がないと考えられているので政府の武力機関と宗教機関はただの人間であって国民と平等である。だから、政府の法治機関も国民と平等である。したがって、政府の法治機関は国民から税金を取ることができない。たとえ政府の法治機関が民主主義であっても、民主主義は真理に反することを決められないから、今では人間がみな平等であることが真理だから、政府の法治機関は人間の平等性に反することができないから、税金は人間の平等性に反することだから、政府の法治機関は国民から税金を取ることができない。政府の法治機関が残りたければ、国民と契約を取って国民からお金をもらわなければならない。政府の法治機関は自分の仕事内容を明確化してそれを国民に提示して国民と契約を取らねばならない。しかし、政府の法治機関はどうせすぐにふざけたまねをして契約違反をするから、国民は政府の法治機関と解約して政府の法治機関は潰[つぶ]れるだろう。その後で、政府の法治機関とは別にまじめに仕事をする法治機関が出来るだろう。
[13605] どうして昔は人間が不平等だったか? h23.11.13
昔の人が「超能力者がいる」と考えていたからである。
超能力者は人間よりも上だと考えられた。
政府が超能力者だと考えられた。
だから、政府は国民よりも上の者だったのである。国民は政府を上の者だと考えて、政府の命令に何でも従ったのである。
しかし、今では『超能力者がいない』と考えられている。人間には超能力なんてものはないと考えられている。物理学や医学などによって、『人間に超能力がない』ことが明らかになったからである。
だから、人間はみな平等だと考えられるようになったのである。
したがって、政府も国民と平等である。だから、政府は国民に一方的に命令できない。政府は国民の承認を得なければ国民に対して命令できない。
[13606] 神の条件 h23.11.13
キリストは冷[さ]めた目で見ればただの人間である。それなのにキリストが神なのは、キリストが人間にできないことをしたと信じられていたからである。いわゆる奇跡を起こしたと信じられていたからである。
とにかく、昔は何かひとつ“きっかけ”があれば誰でも神になれたのである。“きっかけ”は何でもよかったのである。
日本では、奇跡を起こすよりも、“戦[いくさ]で勝つ”ことのほうが神として認められたのである。だから、日本では政府の武力機関や暴力団が神だったのである。天皇は奇跡を起こした者だが、武力機関や暴力団よりは下の神だったのである。一方、政府の法治機関はもともと神ではなく人間である。ただ、政府の法治機関は政府の武力機関や宗教機関と同じ政府だったのでいっしょに人間よりも上だと考えられていたのである。
昔の人は「神に拝めば自分が幸福になれる」と考えていた。それで、昔の人は政府を拝んでいたのである。昔の人は政府をありがたがっていたのである。
しかし、今の人は『神を拝んでも自分が幸福になれない』と考えている。それで、今の人は政府を拝まなくなったのである。暴力団や宗教団体を拝まなくなったのである。
昔の人は「神に拝めば自分が幸福になれる」と考えていたので、なんとしても神が欲しかった。それで、戦に勝ったことや何かの奇跡を起こしたことを根拠にして、戦に勝った者や奇跡を起こした者を無理やり神ということにして拝んでいたのである。たとえ効き目がなくても、他[ほか]に幸福になる方法がなかったので、ヤケクソになって必死で拝んでいたのである。
しかし、今の人は『神を拝んでも自分は幸福にならない』と考えているので、神が要らなくなった。神を拝む代わりに、物を買って使って幸福になるようになったのである。人類はようやく自分が幸福になるために神に拝まなくてもよくなったのである。
[13607] どうして戦争があったのか? h23.11.13
近代までは、世界大戦までは、戦[いくさ]で勝った者が神だと考えられていた。人々は戦で勝った者を神だと考えて、戦で勝った者に従った。
戦で勝った者は、戦で負けた国の人々を好き勝手にできた。それで、戦に勝った者は、戦に負けた国の人々の財産を根こそぎ奪って儲[もう]けたのである。
近代までは、戦争に強い国が戦争をして大儲けできたから、戦争があったのである。植民地時代があったのである。
しかし、現代は、世界大戦後は、戦で勝った者が神だと考えられなくなった。戦後の人々は神に祈[いの]るよりも物を買って使って幸福になるようになったので、神が要らなくなったからである。そのために、戦争をやっても、戦争に負けた国の人々が戦争に勝った者に従わなくなり、戦争に勝った国が儲からなくなった。それで、世界中の国が戦争をやらなくなった。そのため、今の世界では戦争がないのである。
つまり、戦争は神が原因だった。昔は神がいたから戦争がよくあった。今は神がいなくなったから戦争がなくなった。
[13608] 政府は神だった。 h23.11.13
昔の人は「神を拝[おが]めば自分が幸福になれる」と考えていた。
政府は古代における戦[いくさ]で勝ったので神だと考えられていた。
それで、昔の人は政府を拝んでいた。
昔の人にとっては、自分が幸福になるために政府が必要だった。
だから、昔の人は政府にお金をやっていた。
反対に、今の人は『神を拝んでも自分は幸福にならない』と考えている。
それで、今の人は政府を拝まなくなった。
今の人にとっては、自分が幸福になるために政府が要らなくなった。
だから、今の人は政府にお金をやらなくなった。
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」という迷信を信じていたから、政府が必要だった。
今の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」という迷信を信じなくなったので、政府が要らなくなった。
昔の政府は「神を拝めは自分が幸福になれる」という迷信に乗っかってお金を儲[もう]けていた。
しかし、今では「神を拝めは自分が幸福になれる」という迷信がなくなっているから、今の政府はお金が儲からなくなって滅んでいるのだ。
[13609] どうして政府が国民よりも上の者だったのか? h23.11.13
昔は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えられていた。
昔は政府が神だと考えられていた。人々は自分が幸福になるために政府を拝んでいた。
神は人間よりも上だった。
だから、政府が国民よりも上だったのである。だから、国民は政府の命令に従ったのである。
しかし、今は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えられていない。人々は神を拝まなくなった。
だから、今の人は神が要らなくなった。今の人は神を捨てた。人間よりも上の者を捨てた。神は神を拝む者に対しては上の者だが、神は神を拝まない者に対しては平等なのである。
だから、今の人は政府を捨てた。政府の命令を聞かなくなった。
今の人は神が要らないから、上の者がいなくなった。人間はみな平等になった。
[13610] どうして暴力団や宗教団体が国民よりも上の者だったのか? h23.11.13
昔は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えられていた。
昔は暴力団や宗教団体が神だと考えられていた。人々は自分が幸福になるために暴力団や宗教団体を拝んでいた。
神は人間よりも上だった。
だから、暴力団や宗教団体が国民よりも上だったのである。だから、国民は暴力団や宗教団体の命令に従ったのである。
しかし、今は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えられていない。人々は神を拝まなくなった。
だから、今の人は神が要らなくなった。今の人は神を捨てた。人間よりも上の者を捨てた。神は神を拝む者に対しては上の者だが、神は神を拝まない者に対しては平等なのである。
だから、今の人は暴力団や宗教団体を捨てた。暴力団や宗教団体の命令を聞かなくなった。
今の人は神が要らないから、上の者がいなくなった。人間はみな平等になった。
[13611] どうして昔は人間が不平等だったか? h23.11.13
昔は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えられていた。「神は人間よりも上の者だ」と考えられていた。
そのため、政府や暴力団や宗教団体などの“神と考えられた者”が上の者になって、人間は不平等だった。人々は政府や暴力団や宗教団体などの命令に従わねばならなかった。
しかし、今は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えられていない。
そのため、人々は政府や暴力団や宗教団体などの“神と考えられた者”を捨てた。“人間よりも上の者”を捨てた。人間よりも上の者がいなくなって、人間はみな平等になった。
今では、人間はみな平等だから、国民にとって一方的に命令を聞かねばならない者はいない。国民は自分が承認しない限り、他人の命令を聞かなくていい。だから、法治機関も国民と契約を取って国民からお金をもらわねばならない。
今の国民が政府に従っているのは昔の習慣が残っているからである。そんな習慣は早く捨ててしまわねばならない。
[13612] 第2法治機関 h23.11.13
国に法治機関が2つ以上あっていけないことはない。
だから、政府の法治機関以外にも法治機関を作ればいい。
今は『国民の自由』が尊重されるから、政策をいっさいやらない法治機関にすればいい。
最初は客寄せのために無料でサービスをすればいい。無料だと怪[あや]しまれるから、1世帯当たり月に1000円取ればいい。客が付いてから、合理的な料金に値上げすればいい。
そうすれば、国民みんなは新しい法治機関に加入して政府の法治機関を脱退するだろう。政府の法治機関は潰[つぶ]れてなくなるだろう。
それに、国に法治機関が2つ以上あれば、客を取られまいと思って法治機関が真面目[まじめ]に仕事をするのでいい国になるだろう。
旧制ロシア(ソビエト連邦のこと)が滅びたのは、社会主義のために国にひとつしか会社がなかったためである。国にひとつしか会社がなかったから、いいかげんにしか仕事をしなかったから、サービスの質が低下して国民が不満になったから国が滅んだのである。だから、どんな会社でも国に2つ以上あるほうがいいのだ。
[13613] 政府は役立たずだ。 h23.11.14
政府は昔の人が自分が幸福になるために拝む機関だった。昔の人は政府を拝んで満足していた。
政府の仕事はそれだけだった。つまり、政府は国民に拝まれるために居さえすればよかったのだ。政府は国民から拝まれること以外は、“どうでもいいこと”をやっているだけだった。“国民の役に立たないこと”をやっているだけだった。政府があまり国民の役に立つことをすると、国民が政府を見くびって政府を拝まなくなるから、政府は国民の役に立つことをしなかったのである。
しかし、今の人は自分が幸福になるために拝む習慣がない。
だから、今の人にとっては政府は何の役にも立たない。今の人は政府が要らない。
したがって、政府はなくなったほうがいい。
法治機関や教育機関やその他の政府の付属機関は、自分が政府といっしょに滅ぶのが嫌なら、さっさと政府から独立して民営化したほうがいい。そのほうが国民にとっても役立たずに余計なお金を払わずに済むから安上がりだ。
[13614] 昔は政府が神だった。 h23.11.14
昔の人は自分が幸福になるために政府を拝んでいた。昔の人にとっては政府が神だった。政府が上の者だった。だから、昔の人は政府の言うことを何でも聞いた。
しかし、今の人は自分が幸福になるために政府を拝む習慣がない。今の人にとっては政府が神ではない。政府が上の者ではない。だから、今の人は政府の言うことを聞かない。
今では政府と国民が平等である。
だから、政府が国民から税金を取る資格はない。
したがって、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。
昔は政府が神だった。だから、政府が国民よりも上だった。国民は政府の命令に何でも従った。政府は国民を好き放題にできた。昔の政府は国民からお金を取ることができた。だから、政府は生き残れた。
今は政府が人間である。だから、政府と国民は平等である。国民は政府の命令に従わない。政府は国民に対して何もできない。今の政府は国民からお金を取ることができない。だから、政府は死ぬしかない。
[13615] 今の政府は国民よりも上の者ではない。☆ h23.11.14
昔の政府が国民よりも上の者だったのは、政府が神だったからである。昔の人は自分が幸福になるために政府を神と考えて政府を拝んでいたのである。
しかし、今の人は自分が幸福になるために神を拝んだりはしない。今の人は政府を神だと考えて政府を拝んでいない。だから、今は政府が神ではない。したがって、政府は国民よりも上の者ではない。
今の政府は国民よりも上の者ではない。だから、今の国民は政府に従わなければいい。今の国民は理由もないのにむやみに政府に従ってはならない。
今は政府が神ではない。政府と国民は同じ人間である。政府と国民は平等である。だから、国民と政府は平等にしなければならない。政府が国民と平等にしなければならないし、国民が政府と平等にしなければならない。
[13616] 民主主義は悪い主義である。 h23.11.14
世の中には利口よりも馬鹿のほうが多い。
だから、民主主義では世の中がどんどん悪くなる。多数決原理では世の中がまちがいだらけになる。例えば、今は『人間が平等である』ことになっているにもかかわらず国民みんなが政府に従っているのは、多くの馬鹿な国民がいまだに「国民は政府に従わねばならない」と思っているからである。だから、民主主義では国民みんなが政府に従わねばならないことになってしまうのである。
だから、民主主義はいけない。民主主義はまちがった主義である。民主主義は世の中を悪くする主義である。民主主義はやめねばならない。
今の政府の法治機関は民主主義である。
だから、今の政府の法治機関を潰[つぶ]さねばならない。
今の政府の法治機関は世の中を悪くする機関だから、さっさと滅ぼさねばならない。
やはり政府の付属機関にはろくなものがない。
政府の教育機関も、子供に“自分で考えない習慣”を身につけさせているだけだ。子供に実生活で役に立たない知識を憶[おぼ]えさせて、子供を馬鹿に変えているだけだ。だから、政府の教育機関もなくなったほうがいい。
民主主義はまちがっている。だから、民主主義をやめて実在主義にすればいいのである。真理主義にすればいい。
今では人々が自分が幸福になるために神を拝まなくなったので、神がいない時代だから、人間はみな平等である。
だから、人間がみな平等になるように世の中を作ればいいのである。法律を定めればいいのである。
今では『人間がみな平等である』ことが真理だから、人間みんながこの真理に従うようにすればいいのである。人間みんなが真理に従いながら自由にやればいいのである。
民主主義なんか要らない。真理主義だけあればいい。
今後の法治機関は真理主義でやっていかねばならない。法治機関が真面目[まじめ]に仕事をすれば、国民は法治機関と契約してお金を払うだろう。
[13617] 政治犯 h23.11.14
政府が政府に逆らった者(つまり政治犯)を逮捕できたのは不合理的な時代までである。
昔はみんなが自分が幸福になるために政府を拝んでいて政府を神だと考えていたから、政府が政府に逆らった者を逮捕するのを当然のことだと考えていたのである。だから、政府は政府に逆らった者を逮捕することができたのである。
しかし、今は合理的な時代である。今はみんなが自分が幸福になるために政府を拝んでいないから、政府を神だと考えていないから、政府が政府に逆らった者を逮捕するのを不当だと考えている。今では政府は国民と同じ人間であり、政府と国民は平等だから、政府ににはそんなことをする資格がないと考えている。
だから、今では政府は政府に逆らった者を逮捕することはできないのである。つまり、今では国民が自由に政府に逆らってもいいのである。国民が政府の命令を聞かなければ、政府は自然に滅びるだろう。
[13618] 脱税 h23.11.14
国民が政府に税金を払わねばならなかったのは不合理的な時代までである。
昔はみんなが自分が幸福になるために政府を拝んでいて政府を神だと考えていた。政府を人間よりも上の者だと考えていた。だから、昔はみんなが政府の言いなりだった。政府は国民に金を払えと言ったので、国民は政府に税金を払っていた。
しかし、今は合理的な時代である。今はみんなが自分が幸福になるために政府を拝んでいないから、政府を神だと考えていない。政府を人間よりも上の者だと考えていない。政府と国民は同じ人間であり、政府と国民は平等だと考えている。だから、今ではみんなが政府の命令を聞かない。たとえ政府が国民に金を払えと言っても、国民は政府にお金をやらない。つまり、今では国民が自由に脱税してもいいのである。
政府は法治や教育やゴミの収集など国民の役に立つ仕事もやっているが、だからといって政府が国民から税金を取れるわけではない。今では政府は神ではなく政府は国民と平等だから政府は国民から税金を取れないのである。だから、政府がやっている国民の役に立つ仕事は民営化してやっていけばいい。政府がやっている国民の役に立たない仕事はなくなればいい。実際に、そうするしかないのである。
[13619] 政府は神ではなくなった。《まとめ》 h23.11.15
昔の人は「神を拝[おが]めば自分が幸福になれる」と考えていた。
昔の人は「戦[いくさ]で勝って日本を統一した武力団体や奇跡を起こした神武天皇の子孫を崇[あが]める宗教団体から成る政府を神だ」と考えて、自分が幸福になるために政府を拝んでいた。
だから、昔の人にとっては政府が神だった。
政府は“国民に拝まれること”が仕事だったのである。
政府は副業として、法治や教育やゴミの収集などもやっていた。
昔の人は「神は人間よりも上の者だ」と考えていたので、政府を人間よりも上の者だと考えて、政府の言いなりになっていた。国民は政府の命令で政府に税金を払ったり国家宗教や戦争をやったりした。
しかし、今の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていない。今は科学の時代なので、今の人は物を買って使って自分の心を満足して幸福になっている。だから、今の人は神を拝まなくなっている。
だから、今の人にとっては政府が要らなくなっている。
今の人は政府を神だと考えなくなっている。今では政府は国民と同じ人間にすぎない。だから、政府と国民は平等である。したがって、国民は政府の命令を聞かなくなっている。国民は政府の命令で税金を払ったり、国家宗教や戦争をやらなくなっている。
政府が副業としてやっていた仕事は、政府から独立して民営化すればいい。
[13620] 宗教の自由 h23.11.15
今では、人類みんながお互いに人権を守りながら暮らしている。
人権を守りながら自由に暮らしている。
だから、「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えて、神を拝んで暮らしてもかまわない。
しかし、自分が神を拝んでいることを理由にして、他人の人権を侵すのはいけない。
つまり、神は人間よりも上の者だが、神を拝む者は人間にすぎない。自分が神を拝んだからといって自分が人間よりも上の者になれるわけではない。いくら神を拝んでも自分は人間のままなのである。[マンガや小説を読むことを楽しみにしているからといって、マンガや小説に書いてあることと同じことをやっていいわけではないのと同じことである。]
それでもよければ、神を拝んで暮らせばいい。
しかしながら、神を拝む者と神を拝まない者を対照にして比較実験をすれば幸福であることに有意差はないだろうから、神を拝んでも幸福にはなれないだろう。つまり、「神を拝めば自分が幸福になれる」という命題はまちがいなのである。だから、神を拝んでも時間が無駄[むだ]になるだけだから神を拝まないほうがいいのである。
「神を拝めば自分が幸福になれる」というのは昔の人が考えた迷信なのである。そんな迷信は早く捨てたほうがいい。
[13621] 政府は神ではなくなっている。 h23.11.16
政府が国民よりも上の者だったのは、国民が政府を神だと思って政府を拝んでいたからである。昔の国民は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていたので、自分が幸福になるために政府を神にして拝んでいたのである。そのために、政府が国民よりも上の者になってしまったのである。
しかし、今の国民は政府を神だと思わず政府を拝んでいない。今の国民は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えなくなったので、自分が幸福になるために政府を神にして拝まなくなったのである。そのために、政府が国民よりも上の者ではなくなっているのである。
つまり、今では政府と国民は平等である。
政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。国民は政府に税金を払ってはいけない。それが『平等』ということである。
昔の政府は神だったが、今の政府は神ではない。だから、国民はだんだん政府と対等にするようになっている。
これまで国民が政府を上の者だと思っていたのは、政府が国民よりも上の者である『理由』がわかっていなかったからである。国民は政府が上の者であることを丸暗記して鵜呑[うの]みにしていたのである。そもそも政府が国民よりも上の者だったのは、国民が「神を拝めば自分が幸福になる」と思って政府を神として拝んでいたからであり、今の国民は「神を拝めば自分が幸福になる」と思わず政府を神として拝んでいないから、じつは今の政府は国民よりも上の者でないのである。つまり、昔は「神を拝めば自分が幸福になる」という迷信があったから政府が国民よりも上の者だったが、今は「神を拝めば自分が幸福になる」という迷信がないから政府は国民よりも上の者ではないのである。だから、今後は国民は政府を上の者だと思ってはいけない。ところが、政府はいまだに自分が国民よりも上の者だと思っている。今の政府の態度は明らかにおかしい。だから、国民は政府の言うことを聞いてはいけない。
[13622] 政府は上の者ではない。 h23.11.16
政府は戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こしたと信じられていた者である。
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えていた。そこで、昔の人は「神を拝めば自分が幸福になる」という構図に当てはめて、戦[いくさ]に勝った者や奇跡を起こしたと信じられていた者を神だと考えて自分が幸福になるために政府を拝んでいた。神は人間よりも上の者だったので、昔の人にとっては政府が上の者だった。昔の人は政府の命令に何でも従った。
ところが、今の人は『神を拝んでも自分は幸福にならない』と考えている。今の人は神を捨てた。政府を神としなくなった。政府は国民と平等になった。
政府は副業として法治機関をやっている。しかし、今では政府は国民と平等である。だから、いくら政府が民主主義の法治をやっても、政府は国民よりも上の者にはなれない。“国民と平等な者”が何をしようが国民と平等なままである。だから、政府が民主主義で法治をやっても、政府は国民と平等なのである。
今では政府は国民と平等である。だから、政府は国民に命令できない。政府は国民から税金を取ることはできない。
[13623] 政府の仕事 h23.11.17
政府の本業は“拝まれること”である。国民に神として拝まれることである。政府は戦[いくさ]で勝って日本を統一したり、光の鳥を呼び寄せたと信じられていたりしたから神として拝まれているのである。
政府の副業は法治や教育やゴミの収集などである。
政府は昔も今もそうである。今でも政府の本業は拝まれることである。
政府は国民に拝まれなくなってはいけないから、あまり国民の役に立つことはやらない。
政府は国民に拝まれなくならない限り何でもすることができる。政府は国民に政府が犯人だとわからないようにしながら、国民に嫌がらせをやっている。例えば、政府は国家宗教で国民に対して犯罪を犯している。政府は国家宗教の神の情報を使った事件を起こしているのである。
政府が国民よりも上の者であるのは、政府の仕事が国民に神として拝まれることだからである。政府が国民に命令したり、国民から税金を取っているのはそのためである。
しかし、今の国民は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えていない。昔の国民は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えていたから政府を拝んでいたが、今の国民は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えないから政府を拝んでいない。国民が政府を拝まなくなれば、政府はもはや神ではない。政府はただの人間である。政府と国民は平等である。国民は政府の命令を聞かなくていいし、政府に税金を払わなくてもいい。
今の国民は神を拝まないから、今の国民にとっては政府は要らない。政府の副業は政府でなくてもできる。だから、国民は政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[13624] 幸福の法則 h23.11.17
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていた。
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」という構図を当てはめて政府を見ていたから、政府を神だと思って政府に従っていた。「F=ma」が今の人にとっての物理学の法則であるように、いわば「神を拝めば自分が幸福になれる」ことが昔の人にとっての幸福の法則だったのだ。
しかし、今の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていない。科学的にはそんなことはありえないからである。今の人にとっては『物を買って使って自分の心を満足すれば幸福になれる』ことが幸福の法則なのである。つまり、天文学の法則が天動説から地動説に変わったように、幸福の法則が「神を拝めば自分が幸福になれる」ことから『物を買って使って自分の心を満足すれば幸福になれる』ことに変わったのである。
今では「神を拝めば自分が幸福になれる」という構図そのものが失われている。今の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」という構図を当てはめて政府を見ていない。だから、政府はもはや神ではない。政府はただの人間である。政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令を聞かないし、政府に税金を払わない。
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていたので、自分が幸福になるためには神が必要だった。昔の人は神に飢[う]えていたから政府が神に見えた。昔の人は政府が神に見えたから政府に従っていた。今の人は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えなくなったので、自分が幸福になるために神が要らなくなった。今の人は神が要らないので政府が神に見えなくなった。今の人は政府が神に見えないから政府に従わなくなった。
[13625] 暴力団の仕事☆ h23.11.17
暴力団の仕事は国民を暴力で脅[おど]して金を奪うことではなく、国民に神として拝まれることである。
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えていたので、武力の強い暴力団を神として拝んでいたのである。
昔の人は暴力団を神と思っていたので、暴力団に従っていたのである。暴力団の命令を聞いていたのである。暴力団に金を出せと言われれば、金を出していたのである。
しかし、今の人は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えなくなって、暴力団を神として拝まなくなっている。暴力団に従わなくなっている。暴力団にお金を出さなくなっている。
そのため、暴力団は困り果てて犯罪を犯してお金を儲[もう]けるようになったのだ。そうまでして暴力団が残らなくてもいい。暴力団はさっさとなくなればいいのだ。
[13626] 宗教団体の仕事 h23.11.17
宗教団体の仕事は国民にありがたい教えを説いて国民を幸福にすることではなく、国民に神として拝まれることである。
昔の人は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えていたので、奇跡を起こしたと信じられていた宗教団体を神として拝んでいたのである。
昔の人は宗教団体を神と思っていたので、宗教団体に従っていたのである。宗教団体の命令を聞いていたのである。宗教団体に金を出せと言われれば、金を出していたのである。
しかし、今の人は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えなくなって、宗教団体を神として拝まなくなっている。宗教団体に従わなくなっている。宗教団体にお金を出さなくなっている。
そのため、宗教団体は困り果てて犯罪を犯してお金を儲[もう]けるようになったのだ。そうまでして宗教団体が残らなくてもいい。宗教団体はさっさとなくなればいいのだ。
[13627] 国民と平等な法治機関があればいい。 h23.11.18
政府は崇拝機関や法治機関や教育機関などから成る。
今の国民は「神を拝めば自分が幸福になる」と考えなくなって神を拝んでいないから、今の国民にとっては崇拝機関は要らない。
今の国民にとっては法治機関が要るだけである。
法治機関と国民は平等である。
だから、法治機関は国民と契約を取って経営しなければならない。
法治機関は国民の人権を守ることが仕事である。犯罪者は法治機関の司法機関に罰を受けるのが嫌[いや]で犯罪を犯せないので、国民の人権が守られるのである。法治機関は国民の人権を守るだけではなく、政策をやってもいい。ただし、法治機関は自分が定めた法律や政策を国民に公開しなければならない。法治機関は法律や政策を国民に非公開で実施[じっし]してはならない。
法治機関が国民と契約を取るためには、法治機関は国民の役に立つことをしなければならない。法治機関が国民の役に立つことをすればするほど、法治機関は多くの国民と契約が取れる。法治機関が国民の役に立てば、それだけ法治機関が国民から高い料金を取って法治機関が儲[もう]かる。
法治機関は国民と契約を取れなくならないかぎり、何でもすることができる。国民に法治機関が犯人だとバレないかぎり、国民を殺しまわることができる。[法治機関は法治機関自身を罰することがない。だから、国には法治機関が2つ以上あったほうがいい。]
こんな法治機関があれば、世の中はうまくいくだろう。
今の政府の法治機関は不景気の原因になっているかもしれないので、なくなったほうがいい。
[13628] どうして国民は政府に税金を払っているのか? h23.11.18
今の国民が政府に税金を払っているのは、政府がいくつか国民のために役に立つことをやっているからである。政府が法治や教育やゴミの収集などをやっているからである。
今の国民が政府に税金を払っているのは、政府が“拝まれる仕事”をやっているからではない。今の国民は「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていないから、今の国民にとってはそんな仕事は役に立たない。だから、国民は拝まれる仕事にはお金を出さない。だから、これまで拝まれる仕事をやっていた暴力団や宗教団体が国民からお金をもらえなくなって滅んでいるのだ。
しかし、今では国民が「神を拝めば自分が幸福になれる」と考えていないから、今の国民にとっては政府が神ではないから、政府は国民よりも上の者ではない。
今では政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府の命令を聞かなくていい。
だから、いくら政府が国民にとって役に立つことをやっているからといって、政府が国民から一方的に強制的にお金を取ることはできない。
政府は国民と契約して国民からお金をもらって国民に仕事をしなければならない。
今の政府がそうしていないのは、政府のほうが悪い。だから、国民は政府にお金をやらなくていい。税金を払わなくていい。政府が滅んで、民間会社が法治や教育やゴミの収集などをやればいい。
[13629] 政府の抱き合わせ商法 h23.11.19
政府には今でも崇拝[すうはい]機関がある。今でも国民の見えないところで崇拝機関が活動している。崇拝機関は国民に国家宗教をやらせたり、国民を国家宗教で殺したりしている。崇拝機関は国民を国家宗教で虐[いじ]めている。
ところが、今の国民は『神を拝んでも自分が幸福にならない』と考えているから、今の国民にとっては崇拝機関は何の役にも立たない。崇拝機関は国民に余計なことばかりするので、むしろ迷惑である。
つまり、政府は法治や教育やゴミの収集や水道などの国民の役に立つ仕事と、国民に神として拝まれることや自分が神つまり国民よりも上の者として国民を虐[いじ]めることなどの国民の役に立たない仕事の両方をやっている。政府には国民の役に立つ機関と国民の役に立たない機関の両方がある。政府は国民の役に立つ機関と国民の役に立たない機関の抱き合わせである。
国民が政府に税金を払うと、国民が国民の役に立つ機関にお金を払うだけではなく国民の役に立たない機関にもお金を払うことになる。国民が国民にとって迷惑な機関にわざわざお金を払うことになる。だから、今でも政府の国民の役に立たない機関が国民に悪さをしているのだ。
ところで、今では国民は『神を拝んでも自分が幸福にならない』と考えていて、国民は政府を神として拝んでいないから、政府と国民は平等である。
だから、国民は政府に税金を払わなければいい。政府の中にある“国民の役に立たない機関”がなくならないかぎり、国民は政府にお金をやらなければいい。
今では政府と国民が平等だから、国民が政府に従わなくていい。国民が政府の命令を聞かなくていい。だから、国民が“政府がやっている国民の役に立つ仕事”と同じ仕事をする民間会社を作ればいい。そうすれば、国民みんなは政府から離れてその会社と契約する。
国民が政府に税金を払わなくなれば政府は潰[つぶ]れるから、国民が政府に「税金を払わないぞ」と言って政府を脅[おど]して政府を国民の言いなりにすればいい。国民は政府に税金を払わないことによって政府を攻撃すればいい。国民は政府とちゃんと契約を取っていないから、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の勝手である。税金を払わない国民を逮捕する権利は政府にはない。
国民が政府に税金を払わなくなれば、政府はお金がなくなって自分の施設を国民に売ってお金を得なければならなくなる。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて、政府の施設を全部国民のものにすればいい。政府の代[か]わりに国民が法治や教育やゴミの収集や水道などの国民の役に立つ仕事をすればいい。すでに、鉄道や郵便がそうなっている。だから、今ではすでにかなりの国民が政府に税金を払っていないのだ。[税金か何かは知らないが、とにかく政府が国民からもらうお金は減っている。]もともと政府の施設は国民のお金で建てたものである。だから、政府の施設は本当は国民のものなのだ。だから、政府の施設を国民が取り戻せばいい。政府の施設を国民のものにしてしまえばいい。
今の国民は要る物と要らない物をいっしょにして売っている抱き合わせ商法をやっている店が嫌いである。だから、国民はそんな店では物を買わないだろう。だから、国民が“政府の役に立つ仕事”と同じ仕事をする会社を作れば、政府から仕事を奪えるだろう。だから、国民はそうやって政府からどんどん仕事を奪っていって政府を潰[つぶ]せばいいのだ。
[13630] 今では国民が政府の仕事をやるようになっている。 h23.11.19
政府は昔は神だったから、国民からいくらでも金を取れた。
政府は国民から取ったお金で法治機関や教育機関やゴミの収集会社や水道会社を建てた。
だから、今でも政府は法治や教育やゴミの収集や水道をやっているのである。
政府の仕事のいくつかは国民の生活にとって欠かすことのできないものである。
だから、国民は政府にしかたなく税金を払っているのである。
しかし、今では政府は神ではない。政府は人間である。政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。政府の命令を聞かなくてもいい。国民は政府に税金を払わなくてもいい。国民が政府に税金を払わなくなったから、今の政府はだんだん貧乏になって自分がお金を得るために国民に施設を売っているのだ。法治や教育やゴミの収集や水道を国民がやるようになっているのだ。
[13631] どうして政府の法治機関はいいかげんに仕事をやっているのか? h23.11.20
今では政府は神ではない。国民と政府は平等である。
だから、政府の法治機関が手抜きで仕事をいいかげんにやっているのは、政府が国民よりも上の者だからではない。
政府の法治機関がいいかげんに仕事をやっているのは、法治機関が日本にひとつしかないからである。法治機関が日本にひとつしかないために、政府の法治機関は確実に国民全員を客に取れるので、国民に対して最低限のサービスしかやらないのである。
だから、日本に法治機関が2つ以上あれば、政府の法治機関も客を取るために真面目[まじめ]に仕事をやる。
したがって、政府以外の誰かが法治機関を作ればいい。
要するに、日本にお金持ちがいればいいのだ。メディチ家やハプスブルク家のようなお金持ちが法治機関を建てればいいのだ。
[13632] 政府は要らない会社である。 h23.11.20
今の政府は法治や教育やゴミの収集や水道などをやっている。そのために、政府は国民から高い税金を取っている。
しかし、国民にとって法治や教育は贅沢[ぜいたく]である。法治や教育は衣食住ほど要るものではない。法治や教育がなくても国民は死なない。とりあえず、法治や教育は要らないと考えてもいい。
ゴミは自分で焼いて処理すればいい。私が子供のころは灯油の缶でゴミを焼いている人がいた。
政府に水道を止められたら、スーパーやコンビニで『六甲の水』を買って飲めばいいし、風呂は銭湯に行けばいい。風呂に入らなくても死ぬことはない。洗濯はコインランドリーに行ってやればいい。
だから、今の政府の仕事は国民にとってどうしても要るものではない。国民は政府がなくなってもそれほど困らない。だから、国民は政府に税金を払わなければいい。政府がなくなってから、法治や教育やゴミの収集や水道をやる会社を国民で建てればいい。
今の政府はただの“会社の寄せ集め”にすぎない。だから、国民は政府をなめてかかればいい。
[13633] 国民は政府に税金を払わなければいい。 h23.11.20
政府には崇拝機関がある。今では国民は崇拝機関を拝まなくなっているが、政府には今でも崇拝機関がある。崇拝機関は国民の見えないところで活動している。崇拝機関は今でも自分が神だと思っている。人間よりも上の者だと思っている。だから、今でも崇拝機関は国民を下の者だと思って平気で国民を殺している。国民を嫌がらせている。
一方、政府は国民の役に立つこともやっている。法治や教育やゴミの収集や水道などをやっている。国民が政府に税金を払うのはそのためである。
ところが、国民が政府に税金を払うと政府の崇拝機関が仕事をする。政府の崇拝機関が国民の嫌がらせをする。
政府は国民の役に立つことをやっているが、一方で国民の嫌がらせもやっている。政府には白黒両面がある。
政府は本来崇拝機関である。だから、政府は崇拝機関をやめないのである。
ところが、今では国民は『神を拝んでも自分が幸福にはなれない』と思って、政府を神だと思って拝んでいないから、今の国民は政府を上の者だと思っていない。今では政府と国民は平等である。
国民にとっては政府のような国民の役に立つことと国民の嫌がらせの両方をやっている会社は嫌[いや]である。国民が自分で自分を嫌がらせるためにお金を払っているようなものである。
だから、国民は政府にお金を払わなければいい。今の政府は国民と契約を取っていないから、国民は政府にお金を払わなくてもかまわない。
そうすれば、政府は収入がなくなって困って法治や教育やゴミの収集や水道などの施設を国民に売る。国民が法治や教育やゴミの収集や水道などの仕事をやるようになる。政府は仕事がなくなって潰[つぶ]れる。
だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。政府の本業は“神をやること”であり、今の国民にとっては神が要らないから、政府にお金を払わなければいいのである。
今では、ゴミの収集も水道も国民が税金とは別に料金を払っているから、国民が政府に税金を払わなくても政府がゴミの収集や水道を止めることはないだろう。学校は子供を私立学校に通わせればいいし、警察でなくても嫌がらせの相談に乗ってくれる会社もある。[お金を盗[と]られた後や殺された後では警察があってもしかたがない。]だから、今では国民にとって政府は要らない。だから、国民は政府に税金を払う必要はないのである。
[13634] 政府の押し売り h23.11.20
政府は一方的に国民に対して法治や教育をやって国民からお金を取っている。
しかし、今では政府と国民は平等である。
だから、政府は国民にサービスの押し売りをすることはできない。
国民は政府にお金を払わないから、政府は国民にざっとした法治や教育なんかやらなくていい。政府は何もやらなくていい。政府はなくなっていい。
今の政府は抱き合わせをやった上に押し売りをやっている。[[13629]参照。]政府はマナーの悪い会社だ。国民はそんな会社にはお金を払わない。
[13635] 人間が平等な世の中で法治機関は犯罪者を逮捕できるか? h23.11.20
法律の本質は『人間の平等性』にある。
犯罪者とは法律を犯す者である。すなわち、人間の平等性を犯す者である。
だから、たとえ人間が平等であっても、法治機関は犯罪者を逮捕することができる。
『眼には眼を歯には歯を』と言うように、法治機関は人間が平等になるように犯罪者を罰[ばっ]することができる。つまり、人間は他人を痛[いた]めつけたら、逆に自分も痛めつけられるということである。
法治機関は犯罪者を罰することによって、犯罪が起こるのを未然に防ぎ、国民(加入者)の人権を守っているのである。
[13636] 政府は国民が作った。 h23.11.20
昔の人々は「神を拝[おが]めば自分が幸福になる」と信じていたから、自分が幸福になるためには拝む神が必要だった。だから、昔の人々は政府を神ということにして政府を拝んでいた。[昔の人は神を拝めば神が“不思議な力”(超能力)で自分を幸福にしてくれると考えていた。昔の人は政府に“不思議な力”があると思って、政府を拝んでいたのだ。日本人は太平洋戦争までそんなことをやっていたのだ。日本では太平洋戦争まで「神を拝めば自分が幸福になる」と信じられていたのだ。]
つまり、政府は昔の人々が作った崇拝機関だったのだ。
しかし、国民が政府を神としたために、神は人間よりも上の者だから、政府が国民よりも上の者になり、国民が政府の命令を何でも聞かねばならなくなり、政府が国民を好き放題にしていた。国民は自分が作った崇拝機関のために苦しい思いをしなければならなかった。国民を幸福にするはずの機関が国民を不幸にする機関になってしまったのだ。昔の国民は自分で自分を不幸にする機関を作ってしまったのだ。昔の人々は「神を拝めば自分が幸福になる」という迷信に取り付かれていたために苦しい思いをしなければならなかったのである。
しかし、今の人々は『神を拝んでも自分が幸福にならない』と考えているから、自分が幸福になるために神が要らなくなった。政府が要らなくなった。
だから、今の人々が政府をなくしていけばいいのである。
昔の人々が神が要るから政府を作ったように、今の人々は神が要らないから政府をなくせばいいのである。
政府が要るか要らないかを決めるのは国民である。政府を作るか壊[こわ]すかを決めるのは国民である。国民が自由に政府を作ったり壊したりすればいいのである。政府に税金を払うか払わないかは国民が決めればいいのである。
今の国民は神が要らないから、政府を壊せばいいのである。政府をなくせばいいのである。今の国民にとって神が要らなければ、国民は政府を神としないので、政府はもはや上の者ではないから、国民は政府に従わなくてもいい。だから、国民が自分で政府が要るか要らないかを決めればいいのである。
政府は国民が作った。だから、政府は国民が壊せばいいのである。
政府は国民に神の需要[じゅよう]があったときに必要だっただけである。今では国民に神の需要がないから政府は要らないのだ。要る物は作ればいいし、要らない物は壊せばいい。それだけだ。
[13637] 昔の政府には“不思議な力”があると考えられていた。☆ h23.11.21
昔の国民は政府に“国民を幸福にする不思議な力”があると考えて政府に従っていた。政府の命令を聞いていた。
昔の国民にとっては、政府は“不思議な力”で国民を幸福にする機関だった。政府があれば国民みんなが幸福になると考えていた。政府が“不思議な力”を使って国民みんなを幸福にしてくれると信じていた。政府には“国民を幸福にする不思議な力”があるから、政府は国民よりも上の者だと考えられていた。政府は“国民を幸福にする超能力者”だったので、国民は政府を上の者だと考えていた。昔の国民は政府が“不思議な力”で国民を幸福にしてくれると思っていたので、政府に喜んで税金を払っていた。昔の日本はまさしく『宗教国家』であった。
一方、政府は法治や教育などもやっていたが、それは国民を幸福にすることとは別だと考えられていた。それは、政府が税金の余りでやっている“つまらないサービス”だと考えられていた。政府の法治や教育はあくまでもおまけにすぎなかったのである。
しかし、今の国民は政府には“国民を幸福にする不思議な力”がないと考えている。今は科学の時代であり、科学的には“国民を幸福にする不思議な力”なんかあるわけがないからである。だから、今の国民は政府を上の者だと思わなくなって政府の命令を聞かなくなっている。[戦後にヨーロッパやアメリカが日本に対して強力な“テコ入れ”をしたために、今の日本人は科学的にしか考えられなくなったのである。だから、今の日本人は政府に国民を幸福にする“不思議な力”がないと考えているのだ。反対に、昔の日本人は宗教的に考えていた。昔の日本人は政府に国民を幸福にする“不思議な力”があると本気[ほんき]で考えていたのだ。近代の日本は思想的には大変遅れた国だったのである。世界大戦は世界中の人々が日本人のまちがいを直[なお]すためにやってくれたのだ。日本人が「政府には国民を幸福にする不思議な力がある」と考えているのを直すためにやってくれたのだ(かなり荒療治[あらりょうじ]だったが)。世界中の人々は日本人をキチガイだと思っていたからキチガイが嫌いだったから日本に原爆を落としたのだ。]
今の国民にとっては、政府は国民を幸福にする機関ではない。政府はウドの大木のようにただ建っているだけである。今の国民は政府があっても何にもならないと考えている。
今の国民は政府には“国民を幸福にする不思議な力”がないと考えている。だから、今では政府は国民よりも上の者ではなくなった。今では政府と国民は平等である。
今では政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくていい。政府の命令を聞かなくていい。
政府は“不思議な力”で国民を幸福にすると信じられていたのであって、政府は法治や教育で国民を幸福にしていたのではない。政府の法治や教育はやってもやらなくてもどうでもいいことである。政府の法治や教育は国民を幸福にするほどのものではない。政府の法治や教育は国民の幸福のためには何の役にも立たない。だから、国民にとっては政府の法治や教育はありがたくない。したがって、政府の法治や教育は国民から税金を取るほどのものではない。政府の法治や教育は国民から税金を取るほどの価値はない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。そもそも今では政府に不思議な力があると信じられておらず政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払う必要はない。政府は国民と契約を取って法治や教育をやるべきである。もっとも、政府の法治や教育は国民を幸福にするほどのものではないから、政府が国民と契約を取るのは大変だろうが。
昔の政府には国民を幸福にする“不思議な力”があると信じられていたので、昔の国民にとっては政府は国民を幸福にする機関だったが、今の政府には国民を幸福にする“不思議な力”がないと考えられているから、今の国民にとっては政府はもはや国民を幸福にする機関ではない。だから、昔の国民にとっては政府は大切だったが、今の国民にとっては政府は大切ではない。昔の国民にとっては政府が大切だったから、昔の国民は政府に喜んで税金を払ったが、今の国民にとっては政府が大切ではないから、今の国民は政府に税金を払わない。政府の法治や教育は国民にとって面白いサービスではないから、国民は政府に税金を払わない。政府の法治や教育は政府がただの伊達[だて]でやっていただけであってお金を払うほどの価値がないから、国民は政府にお金をやらなければいいのだ。政府の法治や教育は国民の役に立たないから、国民は政府にお金をやらなければいいのだ。
政府は“不思議な力”で国民を幸福にすると考えられていたのであって、法治や教育などで国民を幸福にしていたのではない。政府の法治や教育は政府が形の上でやっていただけであって、実際には国民にとっては何の役にも立たないつまらないサービスである。だから、政府に“不思議な力”があることを信じない今の国民にとっては政府全部が要らない。したがって、国民は政府にいっさいお金をやらなければいいのである。
要するに、政府の取り柄[とりえ]は“不思議な力”だけだったのである。ところが、今では政府には“不思議な力”はないと考えられている。だから、今の政府にはもはや何の取り柄もない。だから、今の国民は政府が要らない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのだ。要らない者にお金をやる必要はない。だから、政府にお金をやらなければいいのだ。
政府は“不思議な力”で国民を幸福にすると信じられていただけである。しかし、科学時代の今は政府には“不思議な力”はないと考えられている。だから、今の政府にはもはや国民の役に立つことがない。したがって、国民は政府が要らない。国民は政府に払う金がない。
[13638] 幕府と政府 h23.11.21
幕府=暴力団 +その他(法治機関など)
政府=暴力団+宗教団体+その他
幕府も政府も崇拝機関である。暴力団や宗教団体が崇拝機関だから幕府や政府は崇拝機関なのである。昔の人は幕府や政府には“国民を幸福にする不思議な力”があると考えて、幕府や政府を拝んでいたのである。幕府や政府には国民にはない“不思議な力”があるから国民よりも上の者だと考えて、幕府や政府に従っていたのである。幕府や政府は“不思議な力”で必ず国民を幸福にしてくれるはずだと考えて、どんなに納得がいかなくても幕府や政府の命令に従っていたのである。
しかし、今は科学の時代なので、今の人は政府には“国民を幸福にする不思議な力”はないと考えて政府を拝んでいない。政府は“不思議な力”がないから国民と平等であり政府に従わなくなったのである。政府は“不思議な力”がないから国民を幸福にしてくれないと考えて、政府に従わなくなったのである。
幕府や政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道などのその他の機関は、幕府や政府のおまけである。世の中がだんだん科学的になってきたので、幕府や政府は国民に自分を幸福にする機関だと思わせるために“科学的なサービス”もやらねばならなかったのである。たしかに、ゴミの収集や水道は国民の役に立つが、法治や教育は役に立たない。だから、国民にとってはゴミの収集や水道は必要だが、法治や教育は要らない。国民はゴミの収集や水道にはお金を出すが、法治や教育にはお金を出さない。特に今の政府は法治や教育が下手糞[へたくそ]である。これまで政府は“不思議な力”に頼りすぎたために法治や教育が下手糞なのである。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、新たに法治や教育の会社を作らねばならない。そうすれば、日本がいい国になる。政府はゴミの収集や水道の会社としてやっていけばいい。もちろん、今では国民にとって政府の崇拝機関は要らないから政府の崇拝機関はなくならねばならない。
[13639] どうして昔の人は政府や幕府に“不思議な力”があると考えたのか?
h23.11.21
昔の人が政府や幕府に“不思議な力”があると考えたのは、政府や幕府が戦[いくさ]に勝ったからである。
昔の人は政府や幕府が戦に勝ったのは、政府や幕府に“不思議な力”(超能力)があったからだと考えたのである。
それで、昔の人は政府や幕府を国民にはない“不思議な力”がある神だと考えて上の者だと考えて政府や幕府に従ったのである。
つまり、昔の人は“神”や“不思議な力”の概念に取り付かれていたのである。“神”や“不思議な力”が本当にあると信じていたのである。だから、政府や幕府が神に見えて、政府や幕府に絶対服従したのである。
しかし、本当は政府や幕府が戦に勝ったのは『八百長[やおちょう]試合』だったからである。神武天皇の超能力が『自然現象』(コロナ放電)だったのと同じことである。
だから、昔の人が政府や幕府に“不思議な力”があると考えたのはまちがいだったのである。政府や幕府を“神”だと考えたのはまちがいだったのである。
したがって、今の人は政府には“不思議な力”はなく政府は“神”ではなくただの人間だと考えて政府に従ってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。それが今の国民の政府に対する正しい態度である。
[13640] 税金 h23.11.21
税金は、政府と国民の不平等の象徴である。
昔の国民は政府には“不思議な力”(超能力)があって、政府を“神”だと考えていたから、政府は国民よりも上の者だった。それで、政府は国民から税金を取ったのである。国民は政府が“不思議な力”で国民を幸福にしてくれると思っていたから、政府に喜んで税金を払ったのである。
政府は自分が“神”であることを使って税金を取っていたのである。昔の国民は政府に税金を払うのが好きだったから、政府は民主主義で国民から税金を取っていたのである。
ところが、今では政府と国民は平等である。政府には“不思議な力”(超能力)がないから、政府は“神”ではないから、政府は国民と平等である。
だから、今の世の中には税金があってはならない。
したがって、国民は政府に税金を払ってはいけない。政府は国民から税金を取ってはならない。
今の国民は政府が“不思議な力”で国民を幸福にしてくれないと思っているから、政府にいやいや税金を払っている。だから、今の政府は民主主義で国民から税金を取ることはできない。だから、国民は政府に税金を払うのをやめればいいのである。
[13641] 日本ではどうして犯罪が少ないのか? h23.11.21
日本人は他人に気配りをしながら暮らしている。日本には昔からそういう文化がある。
だから、日本では犯罪が少ないのである。
たとえ警察がなくなっても、日本では犯罪が少ないのである。
日本では、警察があってもなくても変わらない。警察は昼寝をしていればいい。
だから、日本では法治機関がなくなってもいい。法治機関が特に“気の利[き]いた政策”でもやっていないかぎり、法治機関は要らない。
今では政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の法治機関の政策が気に入ったときだけ政府に税金を払えばよく、気に入らなければ払わなければいい。国民は役立たずの政府の法治機関を早く潰して、もっといい法治機関を建てたほうがいい。
[13642] どうして人は宗教に入るのか? h23.11.22
宗教団体の神が“不思議な力”(超能力)を使って信者を幸福にしてくれるから、人は高いお金を払って宗教団体の信者になるのである。
暴力団もたぶん同じやり方でお金を稼[かせ]いでいる。つまり、暴力団にも信者がいるのである。暴力団が“不思議な力”を使って信者を幸福にしてくれるから、人は高いお金を払って暴力団の信者になるのである。
しかし、これは昔の話である。今では“不思議な力”を信じる人はわずかしかいないから、宗教団体や暴力団の信者が少なくなって宗教団体も暴力団も儲[もう]からなくなっている。
今は科学の時代だから、“不思議な力”を信じる者はほとんどいない。だから、“不思議な力”を使う仕事は流行[はや]らない。儲からない。お金を儲けるためには、時代に合った仕事をしなければならない。
[13643] どうして国民は政府に税金を払うのか?☆ h23.11.22
政府が“不思議な力”(超能力)を使って国民を幸福にしてくれるから、国民は政府に高い税金を払っているのである。政府は余ったお金で法治機関や教育機関やゴミの収集や水道などの施設を建てて、国民に法治や教育やゴミの収集や水道などのサービスをやるようになったのである。
しかし、これは昔の話である。今では“不思議な力”を信じる国民はわずかしかいないから、政府に税金を払う国民は少なくなって政府が儲からなくなっている。政府は自分の施設を国民に売ってお金を得なければならなくなっている。政府は滅んでいる。
今は科学の時代だから、“不思議な力”を信じる者はいない。だから、“不思議な力”を使う仕事は流行[はや]らない。儲からない。お金を儲けるためには、時代に合った仕事をしなければならない。
[13644] 日本は宗教国家だった。 h23.11.22
昔の日本は『宗教国家』だった。昔の日本人はみんな“神”や“不思議な力”を信じていた。[日本は世界の東の端にある田舎[いなか]の国なので、頭が遅れていたのである。]
昔の国民は政府に“国民を幸福にする不思議な力”があると考えて、政府に喜んで税金を払っていた。
国民が政府にあまりにもたくさんお金をくれたので、政府は余ったお金で法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などを建てて、国民に法治や教育やゴミの収集や水道などのサービスをした。
実際に、今でも政府は国民の役に立つサービスをいくつかやっている。
しかし、政府が国民よりも上の者になる根拠が今の時代にはない。今は科学の時代であり、政府には“不思議な力”がないと考えられているからである。政府が“神”ではないと考えられているからである。
だから、いくら政府が国民の役に立つサービスをやっていても、政府は国民から税金を取ることはできない。
だから、国民は政府に税金を払わなければいい。税金を取る政府のほうがまちがっているのだから、いくら国民が政府に税金を払わなくても、政府は国民に文句を言えない。実際に、今後法治や教育やゴミの収集や水道の会社を建てても、それらの会社が国民から税金を取ることはできない。
今の政府は、昔の政府が国民よりも上の者だったことによって国民に対して上の者の風を吹かしているだけである。本当は、今の政府は国民よりも上の者ではないのである。だから、そんな風なんか追い払ってしまえばいい。
[13645] 法治機関 h23.11.22
たとえ法治機関がなくても、法律は今の社会にはある。要するに、『人間が平等である』ことが法律である。
ただ、法治機関がないと、犯罪者が罰せられないだけである。それでは、国が犯罪者天国になる。
だから、犯罪者を罰することによって犯罪が起こるのを未然に防ぎ、国民の人権を守るためには法治機関が必要である。
だから、自分の人権を守りたい国民は法治機関にお金を払って加入するだろう。[反対に、自分がどうなってもいいやと思っている自暴自棄[じぼうじき]な国民は法治機関に加入しないだろう。]国民の人権を守るサービスをする法治機関が国に2つ以上あれば、お互いに競争してサービスの質が向上するだろう。
“政策をする会社”は法治会社とは別に作ればいい。本当に“政策がうまくできる者”がいれば、そんな会社も経営できるだろう。
今後の世界は国もへったくれもない。国境はない。世界はひとつだ。あるのは個人だけだ。才能のある人間が法律を守りながら自由にやれば、たとえ“政策をする会社”がなくても、自然にいい国ができるのではないだろうか。儲[もう]かる国ができるのではないだろうか。だから、国民の人権を守る法治機関はともかく、政策をする会社は無理に作らなくてもいいのではないだろうか。
今の政府は法治はともかく政策は下手糞[へたくそ]である。今の政府には政策の才能はない。だから、国民にとっては政府の政策機関は要らない。だから、国民は政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいい。もっと政策のうまい人に政策を任[まか]せればいい。政策のうまい人に国民がお金をやって政策をやってもらえばいい。政府のような政策の才能のないやつにいくら政策をやらせてもしかたがない。
いくら国民が政府を上の者だと思って政府の命令に従っても国民は幸福にならない。国民の得にはならない。それなら、国民は政府を上の者だと思わないようにして政府の命令を聞かなければいい。政府がなくなったほうが国民が幸福になるのなら、国民は思い切って政府を潰[つぶ]してしまえばいい。
政府が生き残るためには、国民に今の日本がいい国だと思わせるしかない。政府が上手に政策をやって日本をいい国にしていると国民に思わせるしかない。世論操作しかない。だから、政府はテレビや新聞でいいニュースしか流さないようにさせているのかもしれない。しかし、実際には今の日本はテレビや新聞でやっているほどいい国ではない。国民は政府の世論操作にだまされず、政府には政策の才能がないと考えて、早く政府を潰[つぶ]したほうがいい。
[13646] 税金とは何か? h23.11.22
政府が“不思議な力”を使って国民を幸福にしてくれるために国民が政府に払うお金のことである。
政府は余ったお金を法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などにまわして、国民に法治や教育やゴミの収集や水道などのサービスをやっている。
ところが、今の国民は科学的になって“不思議な力”を信じていない。政府に“不思議な力”があると考えていない。
だから、今の国民は政府に税金を払わなくなっている。
しかし、それでは、政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などもなくなってしまう。
政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などがなくなったら、国民で新しく法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などを建てて国民で法治や教育やゴミの収集や水道などをやればいいのである。
今の国民は本気で政府を殺そうとしているのである。
〈図の解説〉国民は政府の崇拝機関に税金を払っているのであって、政府の崇拝機関以外の機関に税金を払っているのではない。税金はもともと不合理的なお金だから、政府は国民と合理的な契約を取って税金を集めないのである。
[13647] 政府の下手糞[へたくそ]な仕事 h23.11.23
今の政府は国民の役に立っているか立っていないかよくわからないことをやって国民からお金を取る会社である。
今の政府がそんな態度で仕事をしたことになるのは、昔の政府が神をやっていて国民よりも上だったからである。今の政府は昔の政府の七光りで国民からお金をもらっているだけである。
今の政府のやっていることは、仕事のレベルに達していない。下手糞[へたくそ]すぎて仕事と言えたものではない。
これまで政府は“不思議な力”があるから国民の役に立つと信じられていただけであって、政府のその他の仕事は下手糞ばかりである。政府はゴミの収集と水道が人並みにやれるだけで、それ以外は人間以下である。[政府の崇拝機関以外の機関は、これまで崇拝機関からお金をもらって経営していたので、自分で仕事をして稼[かせ]がなくてもよかったので、国民の役に立つほどの実力がないのである。だから、今でも政府の崇拝機関以外の仕事は下手糞なのだ。今では政府には“不思議な力”がないことがわかっているから、これまで政府の崇拝機関も国民の役に立っていなかったのである。つまり、政府の全部が国民の役に立たないのである。だから、政府は早く潰[つぶ]れて、政府以外の実力のある誰かが政府に代[か]わって仕事をしたほうがいいのである。]
政府はなくなったほうがいい。だから、国民は政府をなくすために政府に税金をやらなければいい。今では政府には“不思議な力”がないと考えられていて、政府と国民は平等だから、国民が政府をどうしようが国民の勝手である。
[13648] 税金 h23.11.23
昔の人々は政府が“不思議な力”を使って国民を幸福にしてくれると考えていた。
そこで、昔の人々は政府が“不思議な力”で国民を幸福にしてくれたお礼に政府にお金を払った。
それが税金である。
しかし、今の人々は政府に“不思議な力”はないと考えている。
だから、今の人々は政府にお礼のためにお金をやらなくなったのである。
つまり、今の人々は政府に税金を払わないのである。
政府の崇拝機関以外の機関は崇拝機関からお金をもらえなくて困るなら、政府から独立してちゃんと国民のために役に立つ“仕事”をして国民からお金をもらってお金を稼[かせ]がねばならない。
[13649] 政府の命令☆ h23.11.23
昔の人々は政府に“不思議な力”があると考えていた。
だから、昔の人々は政府を“神”だと思って政府を上の者だと思って政府の言いなりになっていた。政府の命令を何でも聞いた。政府に死ねと言われたら喜んで死んだ。
しかし、今の人々は政府に“不思議な力”がないと考えている。
だから、今の人々は政府を“神”だと思わなくなって上の者だと思わなくなって政府の言うことを聞かなくなった。
今では政府は国民に何も命令できない。国民は政府の命令を無視していい。
[13650] 税金☆ h23.11.23
昔の人々は政府に“不思議な力”があると考えていた。
だから、昔の人々は政府を“神”だと思って政府を上の者だと思って政府の言いなりになっていた。政府の命令を何でも聞いた。政府は国民に金をくれと言ったから国民は喜んで政府にお金をやった。それが税金である。
しかし、今の人々は政府に“不思議な力”がないと考えて、政府が“神”ではないと考えて、政府が上の者ではないと考えて、政府の命令を聞かなくなった。
今では国民は政府に金を出せと言われても金をやらない。
政府は国民からお金がもらえなくなって潰[つぶ]れている。
昔の人々は宗教にかぶれすぎていた。今の人々は早く宗教から抜け出さねばならない。
[13651] 法治機関は国民よりも上の者ではない。 h23.11.23
いくら法治機関が民主主義をやっても、法治機関は国民よりも上の者にはなれない。
なぜなら、法治機関は人間だからである。
人間がどんなことをやっても人間のままである。
だから、法治機関は人間である。法治機関は国民と平等である。
“国民よりも上の者”がいても国民は幸福にはなれない。“国民よりも上の者”は国民にとって何の役にも立たない。“国民よりも上の者”が国民にメチャクチャな命令を出して楽しいだけである。“国民よりも上の者”が国民の財産を奪って幸福になるだけである。“国民よりも上の者”によって国民が不幸にされるだけである。それではいい国にはならない。
だから、国には国民よりも上の者がいてはいけない。“不思議な力”だろうが“民主主義”だろうが、とにかく上の者がいてはいけない。
したがって、法治機関は国民と平等であり、国民に命令できない。法治機関は国民から税金を取ることができない。法治機関は国民ときちんと契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。
[13652] 政府は無能である。 h23.11.23
昔の人は崇拝機関が“不思議な力”を使って国民を幸福にしてくれると信じていた。
だから、崇拝機関がありさえすれば、それだけで国民みんなが幸福だった(ただし、お義理[ぎり]で)。
ところが、法治機関は崇拝機関のようにただあればいいわけではない。
法治機関は、具体的に国民を幸福にする政策をすれば国民が幸福になれるだけである。
法治機関は“不思議な力”を使わないから、『実力』で国民を幸福にしなければならない。
ところが、今の政府の法治機関は国民を幸福にしていない。今の日本は景気が悪いから国民は幸福ではない。
だから、今の政府の法治機関は法治機関としては失格である。
もっと別の法治機関のほうがいい。
国民がいくら今の政府の法治機関を大事にしても、国民は幸福にはなれない。
だから、国民が自分が幸福になるためには、政府の法治機関がなくなったほうがいい。
今の政府は純粋な法治機関ではない。今の政府には法治機関と崇拝機関がいっしょにある。政府=法治機関+崇拝機関。国民が法治機関に税金をやると崇拝機関にお金がまわって崇拝機関が活動して国民を下の者だと思って国民を嫌がらせる。そのうち日本がまた『宗教国家』になる。日本がまた世界大戦で世界中の国から攻撃をされてますます貧乏な国になる。
政府の法治機関は法治機関としては無能である。これまで政府の法治機関は崇拝機関からお金をもらってブラブラ遊んでばかりいたので無能なのである。政府の法治機関は親の金で遊び呆[ほう]けているノータリンのバカ息子である。
このままでは日本が政府に潰[つぶ]される。そうなる前に、国民は政府を潰して、国民で新しい法治機関を建て直さなければならない。
[13653] 現代の政府 h23.11.24
昔の政府は崇拝機関が“不思議な力”を使って国民よりも上の者になっていた。
今の政府は法治機関が“民主主義”を使って国民よりも上の者になっている。
“不思議な力”も“民主主義”も、政府が国民よりも上の者になるための方法にすぎない。
政府が国民よりも上の者であるかぎり、同じ歴史が繰り返されるだけである。
政府が国民にメチャクチャな命令を出して国民を好き放題にするだけである。国民が政府の言いなり人形にされるだけである。
そのうち、日本中が“民主主義の法治機関”だらけになるだろう。全国各地の“民主主義の法治機関”が近所の住民に好き勝手な命令を出して近所の住民から税金を取るようになるだろう。
しかし、そもそも法治機関はただの会にすぎない。人の集まりにすぎない。法治機関は“国民に命令を出す会”にすぎない。つまり、「法治機関が国民よりも上の者である」ことは、「民主主義の会なら国民に命令を出せる」ということである。
民主主義をやる者は神だということである。
“不思議な力”のある者が神だったように、“民主主義”をやる者は神だということである。
団体が民主主義をやっていさえすれば、国民よりも上の者になれるということである。
“民主主義をやる団体”は、国民よりも上の者だということである。国民に好き勝手な命令が出せるということである。国民から税金が取れるということである。
しかも、厳密に民主主義をやらなくても、形の上で民主主義をやっていればいいだけである。
つまり、団体が形の上で民主主義をやっていさえすれば、その団体は民主主義とは無関係に国民に何でも命令できるということである。国民から税金が取れるということである。
だから、国民が政府に民主主義をやらさなければ、政府は国民に命令できなくなる。例えば、国民みんなが選挙の投票に行かなければ、議員がいなくなって、政府が民主主義をやれなくなって、政府は国民に命令できなくなる。
国民が政府に民主主義をやらさなければ、国民は政府を倒すことができる。それが、今の政府の弱点である。
しかし、そもそも、いくら団体が民主主義をやっていても、しょせんは人間にすぎない。人間が人間よりも上の者であるのはおかしなことである。人間が集まって民主主義をやったぐらいのことで人間よりも上の者になるのは行きすぎである。だから、国民はこれまでの自分の考えを変えて、民主主義の団体を国民よりも上の者とみなさなければいいのである。そのほうが辻褄[つじつま]が合うから正しい考えである。したがって、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
[13654] 2人以上集まれば税金が取れる。☆ h23.11.24
民主主義とは多数決を採ることである。
だから、1人では多数決を採れないから“民主主義の会”は出来ないが、2人以上集まれば多数決が採れるから“民主主義の会”が出来る。2人以上集まってとにかく多数決を採りさえすれば“民主主義の会”が出来る。
そうやって“民主主義の会”を作れば、その会は人間よりも上の者だから、国民に対して何でも命令できる。例えば、国民にお金を出せと命令してお金を取ることができる。その会は人間よりも上の者だから、国民を好き放題にできる。例えば、自分の気に入らない国民を好き勝手に殺すことができる。
国中がそんなことになれば大変である。だから、やはり“民主主義の会”は国民よりも上の者とみなさないほうがいい。
そもそも“人間よりも上の者”があるからいけない。“不思議な力”だろうが“民主主義”だろうが、“人間よりも上の者”になってしまえば同じことである。“人間よりも上の者”になるための言い訳[いいわけ]をあれこれと考え出しているだけのことである。だから、“人間よりも上の者”の存在を認めなければいい。だから、例えば、国民は政府の命令を聞かなければいい。たとえ政府が民主主義をやっていても、国民は政府を国民よりも上の者とみなさず、政府の命令を聞かなければいい。政府に税金を払わなければいい。
つまり、今の政府が国民よりも上の者とすれば、それは政府が民主主義(多数決)をやっているからである。だから、民主主義の団体は国民よりも上の者になる。2人以上の団体が何らかの多数決をやりさえすれば国民よりも上の者になる。国民に何でも命令できたり、国民を殺してもいいことになる。しかし、それでは国中が犯罪だらけになる。2人以上で組みさえすれば、何をやってもいいことになる。だから、政府を国民よりも上の者としなければいいのである。したがって、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。例えば、政府に税金を払わなければいいのである。
[13655] 政府は“民主主義”を使って国民よりも上の者になっている。 h23.11.24
“不思議な力”や“民主主義”は政府が国民よりも上の者になるための手段である。
昔の政府は“不思議な力”をやっていたが、政府は“不思議な力”とは関係のない命令を出していた。政府は“不思議な力”で国民よりも上の者になって、国民に好き放題な命令を出していたのである。
今の政府は“民主主義”をやっているが、政府は“民主主義”とは関係のない命令を出している。政府は“民主主義”で国民よりも上の者になって、国民に好き放題な命令を出しているのである。
“不思議な力”や“民主主義”は政府が国民よりも上の者になるための手段にすぎず、ひとたび国民よりも上の者になった政府は“不思議な力”や“民主主義”のことを忘れてしまって、“不思議な力”や“民主主義”とは無関係に自分勝手な好き放題な命令を国民に出しているのである。例えば、国家宗教の(神の情報を入れた)命令を国民に出しているのである。
“不思議な力”が嘘[うそ]だったように、“民主主義”もまた嘘なのである。政府が国民についた嘘なのである。昔の政府が“不思議な力”があるふりをしていたように、今の政府は“民主主義”をやっているふりをしているのである。
要するに、政府は国民よりも上の者である。政府は“不思議な力”や“民主主義”を利用して国民よりも上の者になっているのである。
“不思議な力”や“民主主義”によって国民よりも上の者となった政府は、国民を自分よりも下の者だと思って国民を自分の好き放題にしているのである。国民に好き勝手な命令を出したり、国民を遊び半分に殺したりしているのである。
しかし、たかが民主主義(多数決)で国民よりも上の者になるのはおかしい。納得が行かない。「暗い部屋の中でそこそこ大勢の人間で多数決を採りさえすれば人間よりも上の者になる」のは変だ。[選挙は、選挙箱にいくらでもインチキができるのでどうでもいい。選挙が公正かどうか国民にはわからないので選挙はどうでもいい。政府が国民よりも上の者となって民主主義とは無関係に国民に好き放題な命令を出すのなら、国民が選挙なんかしてもしかたがない。だから、選挙はどうでもいい。]
だから、国民は『“不思議な力”や“民主主義”によっては人間よりも上の者になれない』と考えればいい。いっそのこと、人間よりも上の者の存在を認めなければいい。『人間はどんなことをしても人間よりも上の者にはなれない』と考えればいい。
したがって、国民は政府と対等に付き合えばいい。国民は政府の命令を聞かなければいい。政府に税金を払わなければいい。
今の国民は安易[あんい]に“人間よりも上の者”を認めすぎる。そんなことだから、いつまでたっても政府に虐[いじ]められて幸福になれないのである。国民が本気で幸福になりたければ、“人間よりも上の者”を認めてはいけない。
[13656] 政府は神ではない。 h23.11.24
今の政府は民主主義団体にすぎない。
民主主義団体は具体的に政策をやって国民を幸福にしなければならない。昔の政府のように“不思議な力”(超能力)を使うことができない。
民主主義団体は人間の集まりにすぎない。民主主義をやる(多数決を採る)ことは誰にでもできる。子供でもできる。
そもそも多数決は物事を決めるための方法にすぎない。物事を決めるときのひとつの方法にすぎない。民主主義団体は国民みんなで多数決を採るためにあるだけだから、民主主義団体は国民よりも上の者ではない。民主主義団体は国民みんなで多数決を採るための道具だから国民よりも上の者ではない。
したがって、民主主義団体には神である理由がない。民主主義団体と人間の間には線が引けない。民主主義団体を人間ではないとする根拠がない。だから、民主主義団体は神ではない。神でなければ上の者ではない。人間にすぎない。だから、民主主義団体と国民は平等である。つまり、政府と国民は平等である。
政府と国民は平等である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。政府に税金を払わなくてもいい。
国民はいつまでも阿呆[あほう]みたいにおとなしく政府に従っていてはいけない。国民は自分で考えながら生きて行かねばならない。
今の人々は“不思議な力”や“神”という概念を持っていない。だから、民主主義団体は民主主義団体にほかならない。人間が集まって多数決を採ったぐらいで“不思議な力”を持てるわけがない。“神”になれるわけがない。だから、民主主義団体は神ではない。民主主義団体は上の者ではない。だから、国民は政府に従わなければいい。国民が政府に従わないほうが正しい。国民が政府に従うほうがまちがっている。だから、国民は政府に従うのをやめなければならない。
[13657] 少数決の原理 h23.11.24
世の中にはいい人間よりも悪い人間のほうが多い。
だから、民主主義すなわち多数決で物事を決めると、世の中がどんどん悪くなる。悪い国になる。
だから、民主主義そのものがまちがっている。民主主義は正しい主義ではない。
世の中には、いい人間が悪い人間を引っ張っていく機能がなければならない。民主主義社会では、反対に悪い人間がいい人間を引きずり下ろす機能がある。だから、民主主義はいけない。
ヨーロッパが先進国になったのは「多数決の原理」よりも『少数決の原理』を採っているからである。ヨーロッパが『少数決の原理』を採っているから、地動説や無神論が出来て、社会が発展したのである。
今の政府は「多数決の原理」を採っている。今の政府は国民の人気を得るために「多数決の原理」を採っている。そういう点でも、今の国民は政府を支持できない。
ヨーロッパにはもともと『少数決の原理』がある。ヨーロッパは行きすぎた『少数決の原理』を補[おぎな]うために「多数決の原理」をする政府を置いているのだろう。反対に、日本にはもともと「多数決の原理」がある。日本には「多数決の原理」をする政府は要らない。むしろ政府とは反対に『少数決の原理』をやる機関が必要である。
[13658] 神の条件 h23.11.24
人間は正しいことに従い、まちがっていることには従わない。
だから、“人間に正しいことを命令する機関”は人間を支配することができる。
反対に、‘人間にまちがったことを命令する機関’は人間を支配することができない。
だから、団体が人間を支配したければ、まずその団体は人間に正しいことを命令しなければならない。
そうすれば、その団体は国民よりも上の者となり国民を従わせることができるだろう。
つまり、団体が実在と一体化すれば、団体は人間を支配できる。
[13659] 政府は国民の道具である。 h23.11.24
今の政府は国民が多数決を採るための道具にすぎない。
だから、今の政府は国民よりも上の者ではない。国民と平等である。
だから、今の政府は国民に命令できない。国民は政府の命令を聞かなくていい。政府に税金を払わなくていい。
“多数決を採る会社”は国民一人一人と契約を取ってから国民からお金をもらって多数決を採らねばならない。
もっとも、私は多数決が正しいとは思わないから、“多数決を採る会社”とは契約しない。
[13660] 政府は国民と平等である。☆ h23.11.24
今の政府は自分が民主主義をやって人間よりも上の者になったと思って、国民に民主主義とは無関係なメチャクチャな命令を出している。国民を遊び半分に殺したりしている。
国民は政府が民主主義の命令を出しているから政府に従っているだけである。
政府が民主主義の命令を出さなければ、国民は政府に従わない。
今の政府は民主主義とは無関係な命令(例えば、国家宗教の命令)を出しているから、国民は政府には従わない。
そもそも今の政府は多数決を採るための道具にすぎないから、政府は国民よりも上の者ではない。政府が自分を国民よりも上の者だと考えることがまちがっている。
だから、国民は政府を上の者だと思わず、政府が国民と平等だと考えて、政府の命令を聞かない。政府に税金を払わない。政府がお金が欲しければ、政府は国民とちゃんと契約を取って国民からお金をもらわねばならない。
今の政府は民主主義の命令を出していないし、国民よりも上の者でもない。今の政府には国民が従う理由がない。だから、国民は政府に従わない。政府に税金を払わない。政府は滅んだ。
[13661] 政府は国民よりも上の者ではない。☆ h23.11.24
政府は崇拝機関と法治機関から成る。政府=崇拝機関+法治機関。
今では“不思議な力”や“神”はないと考えられているから、崇拝機関はもはや国民よりも上の者ではない。
法治機関は、民主主義をする機関である。多数決を採る機関である。
多数決は国民みんなで物事を決めるための方法である。
法治機関は国民みんなで多数決を採るための機関にすぎない。
法治機関が自分の好き勝手に物事を決めるのではなく、法治機関は国民みんなの意思をまとめるだけである。法治機関はそういう仕事をする機関である。法治機関は“人間にできること”をやっているだけだから、人間よりも上の者ではない。法治機関は“人間の能力の範囲内でできること”をやっているだけだから、“不思議な力”がないから人間よりも上の者ではない。[昔の人は戦[いくさ]に勝った武力集団には“人間を超える力”があると考えていた。“不思議な力”があると考えていた。しかし、今の人は法治機関には“人間を超える力”があるとは考えないから、もはや法治機関は人間よりも上の者ではない。法治機関はただの人間にすぎない。今の人は“人間を超える力”とか“不思議な力”の存在を認めないから、今では武力集団も宗教団体も法治機関も人間よりも上の者ではないのだ。]
法治機関は国民よりも上の者ではない。法治機関は国民と平等である。
だから、今の政府は国民よりも上の者ではないのが正解である。
したがって、国民は政府に従わないのが正解である。国民は政府の命令を聞かないのが正解である。
だから、国民は政府に従わなくていいのである。政府に税金を払わなくていいのである。
それが正解だから、国民はそうしてもいいのである。
政府は法治機関と崇拝機関が混じっているから真面目[まじめ]に仕事をしない。政府の法治機関の民主主義もただの人気取りであって本当にいい主義ではない。だから、国民は政府を支持しないほうがいい。政府は国民が大事にするほどの価値がない。
今の政府は表ではいい人のふりをして、裏では国民が嫌がる政策ばかりやっている。今の政府は陰険[いんけん]な嫌な会社である。今の政府は国民を嫌がらせることを仕事にしている会社である。
国民は政府を潰[つぶ]して、新[あら]たに政府とは別の法治機関を建てたほうがいい。だから、政府には税金をやらないほうがいい。
[13662] 国民が政府に従うことはまちがいである。☆ h23.11.25
今の世界には“人間を超えた力”や“不思議な力”や“神”などがない。
だから、今の政府は人間よりも上の者ではない。国民よりも上の者ではない。
だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府に税金を払わなくていい。
それが正しいことだから、国民はそれを実行すればいい。
国民が政府に従わないほうが正しい。国民が政府に従うほうがまちがいである。[今の国民が政府に従っているのは、昔の国民が政府に従っていたからである。今の国民は昔の国民の真似[まね]をして政府に従っているだけである。子供が親を真似るのと同じことである。しかし、昔と今では世界が違うから、今では国民が政府に従わないほうが正しいのである。]
どうせ政府は無能だから、国民にとっては政府はなくなったほうがいいから、国民は政府の命令を聞かずに政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいい。
これまで日本は何度も政権の交代を経験してきた。だから、政府が滅ぶぐらいのことでいまさらあわてる必要はない。政府が滅んでから、国民でもっといい法治機関を建てればいいのである。
[13663] 今の世界には“人間を超える者”はいない。 h23.11.25
今では“人間を超える力”や“不思議な力”や“神”がないと考えられている。今では“人間を超える力”や“不思議な力”や“神”などの考え(概念)そのものがなくなっている。今では人間のやることはみんな“人間の力”だと考えられている。
だから、今の人は法治機関に“人間を超える力”があると考えない。いくら法治機関が偉そうにしても、法治機関には“人間を超える力”がないと考えている。
だから、法治機関は神ではない。人間である。[今では週刊誌などで、国会はさんざんバカとかアホとか言われている。国民が法治機関を上の者と思っているわけがない。]
だから、法治機関は国民に命令できない。国民から税金を取れない。[無条件に人間に命令できるのは、“人間よりも上の者”だけである。人間は人間に対して無条件に命令することはできない。必ず契約を取ってから(本人の承認を得てから)命令しなければならない。]
法治機関は国民と平等にしなければならない。
つまり、政府は国民と平等にしなければならない。
今の世界には“人間を超える者”はいない。
今の世界では人間はみな平等である。
人類は“神様ごっこ”には飽[あ]き飽きした。
神様ごっこはもうやめよう。
[私は[13658]で、「神の条件」を人間に正しい命令を出すことと書いてしまったが、今ではいくら人間に正しい命令を出しても“人間を超える力”があるとはみなされないので、人々は人間に正しい命令を出す者を人間よりも上の者とは考えない。人間に正しい命令を出す者は人間と平等の立場で人間に命令することができるだけである。人々は人間に正しい命令を出す者から命令をお金で買って従うだろう。]
[13664] 法治機関は“人間よりも上の者”ではない。☆ h23.11.25
法治機関が国民に命令できるためには、法治機関が“人間よりも上の者”でなければならない。
ところが、法治機関は“人間よりも上の者”ではない。
なぜなら、法治機関は人間にできることをやっているだけだからである。
したがって、法治機関は国民に命令できない。国民から税金を取れない。
昔の人にとっては「戦[いくさ]に勝った武力集団」や「奇跡を起こした宗教団体」が“人間よりも上の者”だった。昔の人は武力集団や宗教団体には“人間を超える力”があると考えたので、武力集団や宗教団体が“人間よりも上の者”だったのである。昔の人は武力集団や宗教団体を人間よりも上の“神”だと考えた。だから、昔の人は武力集団や宗教団体の命令を何でも聞いた。
今の人は“人間を超える力”がないと考えるようになったので、今の人にとってはもはや“人間よりも上の者”はいない。今の人には命令を聞かねばならない者はいない。
法治機関は国民一人一人と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしなければならない。
[13665] 法治機関は政策をやらなくていい。 h23.11.25
今では株式会社があるから、国民の有志[ゆうし]が自分で会社を起こして事業をすればいい。
だから、法治機関は政策をやらなくていい。
法治機関は国民の人権の保障だけをやればいい。
そのほうが社会が透明になって健全になるから、そのほうがいい。
その代わり、国民はやる気を出さねばならない。
国に政策がなくなると困るというのなら、政策を国民に訴える者がいればいい。“政策を考える者”がいればいい。その政策に賛同した国民が自主的に政策に従って事業をするだろう。政策の支持者が“政策を考える者”にお金をやれば、“政策を考える者”はやっていけるだろう。
もっとも、法治機関が政策をやってもいい。法治機関が国民と契約が取れさえすれば、法治機関が何をやろうが法治機関の勝手である。法治機関が国民の人気がある政策をやれば、加入者が増えて儲[もう]かるだろう。
[13666] 政府は国民の嫌がらせをする会社である。☆ h23.11.25
昔の人は政府を神だと思っていた。人間よりも上の者だと思っていた。だから、昔の人は政府の言いなりだった。政府の命令を何でも聞いた。
そこで、政府は国民にありったけの嫌がらせをやった。政府は国民を遊び半分に殺していた。
しかし、国民は政府を神だと思っていたので、政府に逆[さか]らえなかった。
政府は国民を幸福にすることは何もやっていない。政府は国民の嫌がらせをするだけである。政府はせいぜい国民の役に立たないことをするだけである。[政府は国民をさんざん虐[いじ]めている一方で、法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などで国民の役に立つことをして国民を喜ばしている。政府は法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などで国民の機嫌[きげん]を取って、政府が国民を虐めても国民が政府に逆らわないようにしているのである。いわゆる“飴と鞭”[あめとむち]である。実際には、政府が国民を喜ばせるよりも嫌がらせるほうがずっと多い。政府はちょっと国民を喜ばせるだけで、国民の嫌がらせをいっぱいやっているのだ。政府が国民をたくさん虐めても、ちょっと国民が喜ぶことをすれば、国民は政府に逆らわなくなる。政府は人間の心理を計算して、法治や教育やゴミの収集や水道などの国民が喜ぶことをやっているのだ。政府は国民にとって神だから原則的には国民は政府に逆らわないが、念のために政府は国民が喜ぶことをして国民が政府に逆らうのを防いでいるのである。]
政府は国民にとっては嫌な会社である。政府は国民にとっては嫌な神である。政府は人間よりも上のクズである。国民にとっては政府はなくなったほうがいい。
幸い、今の人は政府を神だと思っていない。人間よりも上の者だと思っていない。だから、今の人は政府の命令を聞かずに政府にお金をやらずに政府を滅ぼせばいいのである。
[13667] どうして昔は男尊女卑[だんそんじょひ]だったか? h23.11.25
女は男よりも劣っている。女が外見にこだわるのは原始的な生き物だからである。女が知覚がないからである。
だから、女を上に置くと社会が後退する。社会が遅れる。
昔の人は社会を前に進ませるために、男を上に置いたのである。
男を上に置く国は進んだ先進国になる。豊かになる。
女を上に置く国は遅れた後進国になる。貧しくなる。
今の女性は男尊女卑を政策のひとつとして納得してくれないものだろうか?
そもそも男と女は違う。違う物を同じと考えることは非現実的である。
男の才能と女の才能は違う。
女性は女性として優[すぐ]れていれば、男は女性を軽蔑しない。むしろ歓迎する。女は学問がよくできるより料理がよくできるほうがいい。
女性として優れていない女が男女平等を訴えて変な世の中にしたのである。
[13668] 民主主義は国を堕落[だらく]させ国を滅ぼす主義である。 h23.11.25
世の中は利口よりも馬鹿が多い。
だから、政治機関が厳密に民主主義をやると、国民が馬鹿だらけになる。利口がいなくなる。国が滅ぶ。
今の政府は民主主義をやっている。だから、政府は国を滅ぼす機関である。
徳川幕府は民主主義をやらなかった。だから、日本が発展した。当時の日本は世界で有数の国だった。
民主主義は、政府の安っぽい人気取りにすぎない。
国民は政府の人気取りに騙[だま]されてはいけない。
民主主義は国を滅ぼす主義である。
今の政府はいいかげんに民主主義をやっているから、なんとか国が持っているのである。
早く民主主義をこの世からなくさなければならない。
政府は「男女平等」や「民主主義」のように一見[いっけん]よさそうでじつは悪いことをやっている。まちがった政策をやっている。政府は表ではいい人のふりをして、裏では国民の嫌がらせばかりしている。政府は陰険[いんけん]な会社である。政府があると世の中が悪くなる。だから、政府をさっさとなくさなければならない。
政治機関はやみくもに民主主義をやるよりも『世の中は利口よりも馬鹿が多い』ことを考慮して、利口を保護して、利口が馬鹿を引っ張るようにしなければならない。利口を馬鹿の上に置いて、利口が馬鹿を支配するようにしなければならない。そうすれば、国が発展する。(物質的か精神的かはともかく)国が豊かになる。
平成28年11月28日追記)もっとも、利口も馬鹿も同じ人間である。同じ人間の中で、利口を馬鹿よりも上に置くということである。そうすれば、国がよくなる。ヨーロッパに“偉い人の像”がたくさんあるのは、ヨーロッパが利口を馬鹿よりも上に置いているからである。ヨーロッパでは人間を平等だと考えていないのである。だから、ヨーロッパは先進国になったのである。
[13669] 医者は馬鹿である。 h23.11.25
医者は頭がいいのではない。医者は眼がいいだけである。医者は女みたいなやつばかりである。
要するに、医者は馬鹿である。
利口を馬鹿の上に置けば国が発展する。馬鹿を利口の下にすれば国が善[よ]くなる。
だから、医者の待遇をよくしてはいけない。
医者を一般の国民よりも下の待遇にしなければならない。
[13670] どうして“神の概念”があったのか? h23.11.26
昔の人々は“神の概念”を持っていたから、政府に神の概念を当てはめて、政府を神だと思って政府を人間よりも上の者だと思って政府に従っていた。政府の命令を何でも聞いていた。どんなに政府に嫌がらされても、政府を神だと思って自分が死ぬまで政府に従いつづけた。
今の人々は“神の概念”を持っていないから、政府はもはや神ではない。政府はただの人間である。政府はもともと人間である。これまで神だと思っていたのがまちがいだったのである。
今では政府と国民は同じ人間だから、国民と政府は平等である。だから、今の国民は政府に従ってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。政府に税金を払ってはいけない。
今では政府は人間だから、同じ人間である国民に対して偉そうにできない。政府は国民に命令したり、国民から税金を取ったりできない。
今の人々が“神の概念”を持っていないのは、科学的に考えると神がいないからである。科学的に見るかぎり、この世には物質と物質の法則があるだけで神はいないのだ。科学的に考える限りでは、神は出てこないのだ。
昔の人々が“神の概念”を持っていたのは、人間が生まれつき“神の概念”を持っているからだ。人間の脳には生まれつき“神の概念”があるのである。もしも、人間が生まれつき“神の概念”を持っていなかったら、政府や幕府の歴史はなかっただろう。人間は自由に平等に平和に幸福に暮らせただろう。
人間の先天知も困ったものだ。人間は自分の先天知のために長い間苦しめられてきたのだ。科学によってはじめて人間は自分の先天知による苦しみから解放されたのだ。人間は科学によってはじめて『この世に神がいない』ことを知ったのだ。[万一、この世に神がいたとしても、政府が神でないことはたしかである。]
[13671] どうして昔の人は政府に従っていたのか? h23.11.26
昔の人が政府を“神”だと思っていたからである。
昔の人は政府を“人間よりも上の者”だと思っていたので、政府に従っていたのである。政府の命令を聞いていたのである。
しかし、今の人は政府を神だと思っていない。政府を人間よりも上の者だと思っていない。
だから、今の人は政府に従わなければいいのである。政府の命令を聞かなければいいのである。政府の命令を聞いている人は、いますぐ政府の命令を聞くのをやめればいいのである。
昔の人が政府を神だと思って政府に従っていたのはまちがいである。だから、今の人は政府に従ってはいけない。政府の命令を聞いてはいけない。例えば、政府に税金を払ってはいけない。
[13672] 今の政府は人間にすぎない。 h23.11.26
人間に命令できるのは“人間よりも上の者”だけである。
人間は人間に命令できない。
ところが、今の政府は“人間よりも上の者”ではない。今の政府は人間にすぎない。
だから、今の政府は国民に命令できないのである。つまり、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府の命令を聞かなくていいのである。
人間は“人間よりも上の者”には従わなければならないが、人間は人間には従わなくてもいいのである。
昔の人は「この世に人間を超える者がいる」と考えていたので、武力集団や宗教団体を人間を超える者だと思っていた。人間を超える者が人間の姿をしているのだ(いわゆる現人神[あらひとがみ])と思っていた。だから、武力集団と宗教団体が集まって出来た政府を人間よりも上の者だと思っていた。しかし、今の人は『この世には人間を超える者はいない』と考えているので、武力集団や宗教団体や法治機関を人間を超える者と思わなくなった。人間と思うようになった。だから、武力集団や宗教団体や法治機関などが集まって出来た政府を人間だと思うようになった。
昔の人は政府を“人間よりも上の者”だと思っていた。だから、昔の人は政府に従わねばならなかった。
今の人は政府を人間だと思っている。だから、今の人は政府に従わなくていいのである。
人間は人間に従わなくていいのである。だから、国民は政府に従わなくていいのである。
[13673] 今の政府は国民から税金を取れない。 h23.11.26
これまで国民から税金を取っていたのは政府の崇拝機関[すうはいきかん]である。
これまで国民は政府の崇拝機関を“人間よりも上の者”と考えていたので、国民は政府の命令を聞いていたのである。国民は政府の命令で税金を払っていたのである。
政府の崇拝機関は国民が自分を“人間よりも上の者”と考えているのをいいことにして、さんざん国民を虐[いじ]めてきたのである。政府の崇拝機関は国民を虐めることが仕事なのである。
政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などは、政府の国民に対するサービスである。
政府は国民を政府に逆[さか]らわないようにするために、国民の役に立つことをやって国民の機嫌[きげん]を取るために、法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などを建てて国民にサービスをやっていたのである。[[13666]を参照。]
政府は法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などで国民から税金を取っていたのではない。
しかし、今では国民は「この世に人間よりも上の者がいる」と考えなくなっているから、今の国民は政府の崇拝機関を人間よりも上の者だと思っていない。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。国民は政府の命令で税金を払わなくてもいい。
今の政府は国民から税金を取れないから、他の民間会社と同じように具体的な仕事をして、国民と契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわなければならない。
[13674] 今の政府は悪者である。 h23.11.26
昔は暴力団が神(人間よりも上の者)だと思われていたから、暴力団が近所の住民に対して嫌がらせをするのは当然だと思われていた。近所の住民からお金を取るのは当然だと思われていた。いいことだと思われていた。
暴力団は近所の住民に対していろんな嫌がらせをしていたが、たまには近所の住民の機嫌[きげん]を取るためにいいこともした。
しかし、今では暴力団は神(人間よりも上の者)だと思われなくなったので、暴力団が近所の住民に嫌がらせをするのは悪いことだと考えられている。近所の住民からお金を取るのは悪いことだと考えられている。いけないことだと考えられている。
それと同じように、昔は政府が神だと思われていたから、政府が国民に嫌がらせをするのは当然だと思われていた。国民から税金を取るのは当然だと思われていた。いいことだと思われていた。
政府は国民に対していろんな嫌がらせをしたが、たまには国民の機嫌を取るためにいいこともした。
しかし、今では政府は神だと思われなくなったので、政府が国民に嫌がらせをするのは悪いことだと考えられている。国民から税金を取るのは悪いことだと考えられている。いけないことだと考えられている。
今では暴力団はみんなに悪者だと思われて滅んでいる。次は政府が滅ぶ番だ。
[13675] 今の政府は悪者である。(その2) h23.11.26
昔は宗教団体が神(人間よりも上の者)だと思われていたから、宗教団体が近所の住民に対して嫌がらせをするのは当然だと思われていた。近所の住民からお金を取るのは当然だと思われていた。いいことだと思われていた。
宗教団体は近所の住民に対していろんな嫌がらせをしていたが、たまには近所の住民の機嫌[きげん]を取るためにいいこともした。
しかし、今では宗教団体は神(人間よりも上の者)だと思われなくなったので、宗教団体が近所の住民に嫌がらせをするのは悪いことだと考えられている。近所の住民からお金を取るのは悪いことだと考えられている。いけないことだと考えられている。
それと同じように、昔は政府が神だと思われていたから、政府が国民に嫌がらせをするのは当然だと思われていた。国民から税金を取るのは当然だと思われていた。いいことだと思われていた。
政府は国民に対していろんな嫌がらせをしたが、たまには国民の機嫌を取るためにいいこともした。
しかし、今では政府は神だと思われなくなったので、政府が国民に嫌がらせをするのは悪いことだと考えられている。国民から税金を取るのは悪いことだと考えられている。いけないことだと考えられている。
今では宗教団体はみんなに悪者だと思われて滅んでいる。次は政府が滅ぶ番だ。
[13676] どうして社長は馬鹿[ばか]なのか? h23.11.26
利口を馬鹿よりも上に置くと善[い]い国になり、馬鹿を利口よりも上に置くと悪い国になる。
政府は国民の嫌がらせをする会社である。
だから、政府は馬鹿を利口よりも上に置いているのである。
だから、日本中の会社の社長は馬鹿である。大学の教授も馬鹿息子である。
このままでは日本が滅ぶ。
国民は早く政府を潰[つぶ]して、別の政治機関を建てねばならない。そのためには、国民は政府に税金を払ってはならない。政府の命令を聞いてはならない。
[13677] どうして今の日本は不景気なのか? h23.11.26
政府は国民の嫌がらせをする会社である。
だから、政府は国民を嫌がらせるために日本を不景気にしているのである。[不景気←フケイキ←フケ←ケフ←カフ(ケ≒カ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、政府は私を神とする国家宗教で日本を不景気にしているのである。]
今の日本の不景気の原因は政府である。
最近は政府の力が強まっているから、政府の国民に対する嫌がらせがだんだん激[はげ]しくなっている。
このままでは日本が滅ぶ。
だから、国民は早く政府を潰さなければならない。
[13678] どうして日本の人口は多いのか? h23.11.26
政府は国民の嫌がらせをする会社である。
人間にとっては人口が多いのは不愉快[ふゆかい]である。人口が少ないのが快適である。
だから、政府は国民を嫌がらせるために日本の人口を多くしているのである。
日本は狭い島国だから人口は少ないほうがいい。5000万人ぐらいがいい。
だから、国民は政府の命令を聞かずに人口を減らせばいい。
[13679] どうして今の国民は政府に税金を払っているのか? h23.11.26
政府は国民の嫌がらせをする会社である。政府は国民に神(人間よりも上の者)だと思われていたので、それをいいことにして国民の嫌がらせをやっているのである。
しかし、その一方で、政府は法治や教育やゴミの収集や水道などの国民の役に立つこともやっている。
政府は国民の機嫌[きげん]を取って国民を政府に逆[さか]らわないようにするために、それらのサービスをやっているのである。政府は嫌なことをたくさんやって、ちょっとだけいいことをやっているだけである。
国民は政府の法治や教育やゴミの収集や水道などのサービスだけを見て、政府はいい会社だと思って政府に喜んで税金を払っているのである。
しかし、実際には、政府は国民の嫌がらせをする会社である。政府は国民の眼の届かないところで国民の嫌がらせばかりやっている。おかげで日本は面白くない国になっている。
それなら、政府はもはやいい会社ではない。国民にとって政府は嫌な会社である。
今の国民は政府を誤解しているから政府に税金を払っているのである。政府を正しく理解すれば政府に税金を払うべきではないのである。
今では政府は神ではなく、政府と国民は平等だから、国民が政府をどうしようが国民の勝手である。政府を生かそうが殺そうが国民の勝手である。だから、国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]して、政府とは別の政治機関を建てればいい。神の前歴を持たない政治機関を新しく建てればいいのである。神のいない時代には、“神ではない政治機関”を建てればいいのである。
昔の政府は神だったから国民に金を出せと言って国民からお金が取れた。しかし、今の政府は神ではないから国民にお金を出せと言っても国民からお金が取れない。政府は人間と同じように自分で働くしかない。
[13680] どうして昔は神がいたのか? h23.11.27
昔の人は“神”とか“幽霊”がいることを信じていた。
神とは人間よりも上の生き物であり、幽霊とは人間が死んだ後で魂[たましい]だけになったものである。
昔の人は想像で世界観を作り上げていたのである。
昔はまだ科学がなかったから、昔の人の世界観は不正確なものだった。まちがいが多かった。
そのため、昔の人の自然哲学は、神や幽霊がいる世界だったのである。[だから、神は先天知ではない。神は、昔の人が自然についてあれこれ考えた結果、作り出した概念だったのである。昔の人は自然現象を説明するために、神がこの世を動かしていると考えたので、神がいることになってしまったのである。昔の人がもっと頭がよくて神を考え出さなかったら、政府や幕府の歴史はなかったのである。人間みんなが平等に暮らせる楽しい社会になっていたのである。昔の人のまちがった自然観が、政府や幕府や暴力団や宗教団体などの余計なものを作り出してしまったのだ。昔の人のまちがった世界観が、大勢の人々を不幸にしてしまったのである。]
昔の人は本気で神の存在を信じていたから、眼で見える物に神の概念を当てはめて神だと思っていたのである。それで、政府や幕府が神だったのである。政府や幕府が国民に好き勝手な命令を出してこの世を好き放題にしたのである。
しかし、今の人の世界観では神や幽霊がいない。今の人の世界観では“物”と“物を動かす力”があるだけである。だから、政府はもはや神ではない。ただの人間である。政府と国民は同じ人間だから平等である。だから、政府は国民に命令できない。国民は政府の命令を聞かなくていい。
今の人の世界観では、『国民は政府の命令を聞かなくていい』のである。たとえ政府が民主主義で法治をやっていても、政府と国民が平等であることに変わりはないから、政府は国民に命令できないのである。
今の人が今の自然観に基づいて世界を作っていけば、政府や暴力団や宗教団体などの嫌な連中がこの世からなくなって、人間みんなが平等で自由に暮らせる楽しい世界になるだろう。
要するに、政府は昔の人のまちがった物理学が作り出した団体である。だから、今はそんなものがあってはいけない。早く政府をこの世からなくさなければならない。今の時代には、今の物理学が作り出した政治機関がなければならない。
[13681] 旧世界の遺物[いぶつ] h23.11.27
政府は昔のまちがった物理学が作り出した団体である。
昔の物理学では「神」が世界を動かしていると考えていた。昔の世界には神がいた。だから、昔の人は政府を神だと思って政府を人間よりも上の者だと思って政府に従ったのである。政府は国民が政府を国民よりも上の者と思っているのをいいことにして国民の嫌がらせばかりしていたのである。
今の時代には今の正しい物理学が作り出した団体がなければならない。
今の物理学では『力』が世界を動かしていると考える。今の世界には神がいない。だから、今の人は政府を神だと思わず政府を人間よりも上の者だと思わず政府に従ってはならない。政府は国民と同じ人間である。だから、政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令を聞いてはならない。
政府は旧世界の遺物である。
政府は今の世界にあってはならない。
政府はこの世から消え去らねばならない。
[13682] 政府は悪い会社である。 h23.11.27
政府は国民が政府を国民よりも上の者だと思っていることをいいことにして国民の嫌がらせばかりしている。国民を嫌がらせる政策ばかりやっている。遊び半分に国民を殺している。
政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などが、国民の役に立つことをして国民を喜ばせているだけである。
政府の法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などはたしかに国民を喜ばせているが、それ以外の政府の機関(特に崇拝機関[すうはいきかん])は国民の嫌がらせばかりやっている。政府はさんざん国民の嫌がらせをしておいて、ちょっと国民の役に立つことをして国民を喜ばせて国民の機嫌[きげん]を取って国民を政府に逆[さか]らわないようにしているのである。[今では政府の崇拝機関を人間よりも上の者だと思って崇拝している国民はいないから、政府の崇拝機関はたんなる国民の嫌がらせをする犯罪組織にすぎない。]政府が民主主義といっても、政府の法治機関が民主主義であるだけで、政府のその他の機関は政府主義なのだ。
つまり、政府全体としてはやはり国民の嫌がらせをする会社である。
したがって、国民にとっては政府は要らない。政府がないほうがいい。今では政府は神ではないから政府は国民と同じ人間だから政府と国民は平等である。だから、国民が政府を残そうが潰[つぶ]そうが国民の自由である。だから、国民は政府の命令を聞くのをやめて、政府に税金を払うのをやめて、政府を潰せばいい。
法治や教育やゴミの収集や水道などは、政府以外の者がやってもよかった。政府は国民の機嫌[きげん]を取って国民を政府に逆らわないようにするために、わざわざ自分がこれらの仕事をやったのである。政府は自分が国民にとって欠かせない仕事をやって国民を政府に逆らわないようにするために、国民からこれらの仕事を奪って自分が仕事をやったのである。だから、できれば法治や教育やゴミの収集や水道などは国民がやればいいのである。[いざとなれば、国民が公務員を皆殺しにして、政府から法治機関や教育機関やゴミの収集や水道の施設などを奪えばいい。]
とにかく、今は政府は神ではなく政府と国民は同じ人間だから政府と国民は平等である。それが正しい世界観である。だから、たとえ国民は自分が死んでも政府と平等にしなければならない。国民は政府に絶対に従ってはならない。政府の命令を絶対に聞いてはいけないのである。
[13683] 政府を肯定することはできない。 h23.11.27
政府を肯定[こうてい]することは、昔のまちがった物理学を肯定することである。“神”が世界を動かす世界観を肯定することである。“神”の存在を肯定することである。
政府を肯定することはまちがいを肯定することである。人間にはそんなことはできない。
だから、政府を肯定することはできない。政府を否定するしかない。
したがって、国民は政府の命令を聞かずに政府を潰[つぶ]すべきである。
[13684] 政府に国民の支持はない。 h23.11.27
昔から政府に国民の支持なんかない。
政府は自分が神であることで持っていただけである。
ところが、今の人は神の存在を信じていない。今の物理学には“神の概念”がないからである。
だから、今では政府は神ではない。
したがって、今の政府を支えるものは何もない。
だから、政府は滅ぶしかない。
[13685] どうして昔の人は武力集団を神と考えたのか? h23.11.27
昔の人は、この世には人間よりも上の“神”がいると考えていた。人間よりも上の“神”が世界を動かしていると考えていた。
昔の人は「人間は人間に勝つことができないが、“神”なら人間に勝つことができる」と考えた。
それで、昔の人は戦[いくさ]に勝った武力集団を“神”だと考えたのである。
昔の人は武力集団を“神が人間の姿をしているもの”と考えた。いわゆる“現人神”[あらひとがみ]だと考えた。
それで、昔の人は武力集団の前に跪[ひざまず]いて、武力集団の命令を何でも聞いたのである。
しかし、今では『軍事力の強い武力集団が戦いに勝つ』と考えられている。今の人は『強力な武器を持っている武力集団が戦争に勝つ』と考えている。
だから、今では戦[いくさ]に勝った武力集団は神ではない。人間である。
だから、今では戦に勝った武力集団に誰も従わなくなったのである。
昔は武力集団が戦争に勝てば、みんなが武力集団を神だと思ってみんなが武力集団の言うことに従ったので、武力集団が人々に「金をくれ」と言えば人々は武力集団にお金をやって武力集団が儲[もう]かった。だから、昔は世界中でしょっちゅう戦争をやっていた。
しかし、今では武力集団が戦争に勝っても、みんなが武力集団を神だと思わなくなってみんなが武力集団のいうことを聞かなくなったので、武力集団が人々に「金をくれ」と言っても人々は武力集団にお金をやらなくなって武力集団が儲からなくなった。だから、今では世界中で戦争をやらなくなったのである。
今後は戦争のない世界である。だから、国に軍隊は要らない。軍隊はお金の無駄[むだ]である。だから、軍隊は要らない。
[13686] 今の政府はキチガイである。 h23.11.27
今の物理学には“神の概念”はない。だから、今の世界には“神”がいない。
それなのに、政府はいまだに自分が“神”だと思って自分が“人間よりも上の者”だと思って国民に命令を出している。国民を嫌がらせている。国民を虐[いじ]めている。国民を遊び半分に殺している。[自分が政府に嫌がらされていないと思っている国民は運がいいからである。]
今の政府はキチガイである。
今の日本はキチガイが人間を支配している国である。
この世には「人間がキチガイに従わねばならない」という決まりはない。
だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。
[13687] 旧世界の汚物[おぶつ] h23.11.27
政府は昔のまちがった物理学が作り出した団体である。
まちがっていることは汚[きたな]い。
だから、政府は汚い。
国民は汚い物が嫌いである。
だから、国民は政府を捨てるだろう。
[13688] 民主主義の法治機関は税金を取れるか? h23.11.28
法治機関は政策をする会社である。政策は国民に対する命令である。だから、法治機関は“国民に命令を売る会社”である。
命令も商品も同じことである。
民主主義で製品を作ったからといって国民に製品を押し売りする会社はない。押し売りは、『人間の平等性』に反するからである。
だから、民主主義で命令を作ったからといって国民に命令を押し売りする会社もない。
したがって、民主主義の法治機関は国民から税金を取れないのである。
民主主義は製品や命令の作り方にすぎない。民主主義で製品や命令を作るか作らないかは会社の勝手である。だから、会社が自分が民主主義で製品や命令を作ったからといって、国民に押し売りができるわけではない。つまり、国民から税金が取れるわけではない。
そもそも、民主主義の法治機関は人間である。民主主義の法治機関は国民と同じ人間だから、民主主義の法治機関は国民と平等である。だから、民主主義の法治機関は国民に命令できない。だから、民主主義の法治機関は国民から税金を取れない。民主主義の法治機関は他の民間会社と同じように国民と契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわなければならない。
今では政府は国民と平等である。それなのに、政府は国民から税金を取っている。政府はまちがったことをやっている。まちがったことをやるのはバカである。だから、政府はバカである。バカは死ななきゃ直らない。だから、政府は死なねばならない。
法治機関にはほかに国民の人権を保障する仕事がある。“国民に命令を売ること”と“国民の人権を守ること”はかなりやることが違うから、“国民に命令を売る機関”と“国民の人権を守る機関”を分けたほうがいい。国民に命令を売る機関が国民に「いい命令」を売れば、国民は喜んで命令を買うから、国民に命令を売る機関はきっと儲[もう]かるだろう。自分で考えることが嫌いな、他人の言いなりになるのが好きな国民は、国民に命令を売る会社の命令を喜んで買うだろう。毎日命令を買って命令を守って自分で考えずに暮らすだろう。
昔はよく“押し売り”がいた。[もっとも私が住んでいた高知は田舎[いなか]だったので、押し売りもいなかったが。]昔押し売りがいたのは、政府が国民に命令の押し売りをやっていたからである。つまり、政府が国民に無理やり命令を売って国民からお金を取っていたからである。国民は政府がやっていることを認めていたから、押し売りは政府を真似[まね]て自分も国民に商品の押し売りをやっていたのである。しかし、今は政府が“神”ではなくなって、政府と国民が平等だから、政府が国民に命令できない。政府は国民に「政府の仕事を買え」と命令できない。だから、押し売りも国民に「商品を買え」と命令できないので、最近は押し売りがいなくなったのである。“神”がいなくなると押し売りもいなくなるのだ。“神”がいなくなると戦争がなくなったように、押し売りもいなくなるのだ。
[13689] 今の政府は国民から税金を取れない。☆ h23.11.28
民主主義の法治機関も政府である。政府の一部である。
昔は政府が“神”だったから、政府が国民よりも上の者だったから、政府が国民に何でも命令できた。
だから、政府は国民に「金をくれ」と命令して国民から税金を取っていたのである。
つまり、政府は民主主義の法治をやっていたから国民からお金を取っていたのではなく、政府が“神”だったから国民からお金を取っていたのである。
政府は国民の政府に対する反感を和[やわ]らげるために、民主主義の法治機関を建てて国民の役に立つことをやって国民の機嫌[きげん]を取っていたのである。つまり、民主主義の法治機関は国民の機嫌を取るためにあるだけである。国民のお金を取るためにあるのではない。政府は国民の嫌がらせばかりやっていたので、国民を政府に逆[さか]らわないようにするためには国民の機嫌を取る機関がどうしても必要だったのである。いくら神でもあまり人間を怒らせると人間に下克上[げこくじょう]されるので、神は人間の喜ぶことをして人間の機嫌を取らねばならなかったのだ。いくら政府が神(人間よりも上の者)とはいっても、本当は政府は神ではないので、国民が政府に逆[さか]らおうと思えば逆らうことができるから、政府は念のために国民を政府に逆らわないようにする手立[てだ]てが必要だったのである。だから、政府は少しは国民の役に立つことをやって国民の機嫌[きげん]を取る必要があったのである。だから、いくら政府が国民の嫌がらせをやるといっても、国民の眼の前であからさまに嫌がらせをやることはなかった。そんなことをしたら、国民が政府に怒って政府に逆らうことになるからである。政府は国民に対する嫌がらせを、国民の納得のいく理由をつけてやったり、国民の眼の届かないところで密[ひそ]かにやったりしていたのである。つまり、今の政府と同じだったのである。
しかし、今は政府が神ではない。政府は国民と同じ人間である。政府と国民は平等である。だから、政府は国民に命令できない。政府は国民に「金をくれ」と命令できない。だから、政府は国民から税金を取れないのである。
[13690] 政府がなくても世の中はうまく行く。 h23.11.28
もしも政府がなかったら、国民で“法治サービスをする会社”を建てればいい。
国民が食品を作る会社を建てるように、国民で“法治サービスをする会社”を建てればいい。
国民からお金をもらって国民の人権を守る仕事をする会社を建てればいい。
そうすれば、世の中がうまく行く。
今は国民みんなが人権が必要だから、国民みんなが“法治サービスをする会社”に仕事を頼むだろう。国民が電気やガスが必要だから電気会社やガス会社に仕事を頼むように、国民は人権が必要だから“法治サービスをする会社”に仕事を頼むだろう。
“法治サービスをする会社”以外にも、国民が自分の生活にとって必要なことをするいろんな会社を建てて国民のために仕事をすればいい。
だから、政府は要らない。
昔は神がいる世界だった。政府は神だった。だから、政府が必要だった。
今は神がいない世界である。政府は神である。だから、政府は要らないのだ。
政府の法治機関は自分が“神”(人間よりも上の者)だと思っているからいけない。“神”を引きずっているからいけない。政府の法治機関はいつまでたっても“神”から抜け切れない。それではいけない。
政府の法治機関は「神の法治機関」である。国民よりも上の法治機関である。だから、政府の法治機関は政府にとって有利な国民にとって不利な法律を決めるのだ。政府にとって有利な国民にとって不利な政策をするのだ。つまり、政府の法治機関は国民の役には立たないのだ。
今は神がいない世界だから、今の世界には「神の法治機関」があってはならない。
国民で新しく『神でない法治機関』(法治サービスをする会社と同じ)を建てねばならない。国民よりも上の者である「神の法治機関」ではなく、国民と平等な『人間の法治機関』を建てねばならない。国民にとって有利な法律を決める、国民にとって有利な政策をする『人間の法治機関』を建てねばならない。
要するに、国民は思い切ってこれまでの政府全部を捨てて、ゼロから国民ですべてを作っていけばいいのだ。今は神がいない世界だから、つまり政府がない世界だから、そうしなければならないのだ。
[13691] 神のいない時代 h23.11.28
政府は神である。政府は人間の姿をしているが、じつは神なのである。
今は神がいない時代である。
だから政府はなくならねばならない。
たとえ政府が多少国民の役に立つことをやっていても、政府は神だからなくならねばならない。国民が政府に税金を払わなかったり政府を殺したりして政府をなくさねばならない。
政府以外は人間である。
人間が人間のために仕事をすればいい。人間がこれまで政府がやっていた法治や教育やゴミの収集や水道などの仕事をすればいい。
人間と人間は平等だから、人間は人間の役に立つ仕事をしなければならない。人間は人間の役に立つ仕事をして人間からお金をもらわねばならない。
昔は神と人間がいたから社会は不平等だった。神が人間を好き放題にしていた。人間は神の役に立たねばならなかったが、神は人間の役に立たなくてもよかった。神は人間を嫌がらせたり殺したりして遊んでいればよかった。
今は人間しかいないから社会は平等である。人間は人間の役に立たねばならない。人間は互いに仕事をして他人の役に立たねばならない。人間は互いに仕事をして人間同士[どうし]助け合わねばならない。
[13692] 物理学が世界を作る。 h23.11.28
政府は昔のまちがった物理学が作り出した団体である。昔の物理学には神がいたので、昔の人々は政府を神だと考えて政府に従っていたのである。
今の物理学が自動車やテレビを作り出したように、昔の物理学が政府を作り出したのである。
学問の中心は物理学であり、物理学が世界を作るのである。
物理学は時代とともに進歩する。
今の物理学が政府を滅ぼした。今の物理学には神がいないので、今の人々は神である政府を要らないと考えて、政府を滅ぼしたのである。
量子力学がトランジスターを作り出して、電磁気学が作り出した真空管を滅ぼしたように、
今の物理学が『国民だけの社会』を作って、昔の物理学が作り出した「国民が政府に従う社会」を滅ぼしたのである。
真空管よりもトランジスターが優[すぐ]れているように、「国民が政府に従う社会」よりも『国民だけの社会』のほうが優れているのである。
[13693] 悪魔の発明 h23.11.28
昔の人は自然現象を説明するために、「神」を考え出した。「人間よりも上の者」を発明した。
そのために、昔の人は政府を神だと考えて政府に従った。政府は人々を好き放題にして、人々をさんざん苦しめた。
「神」は人類史上最悪の発明品である。昔の人はとんでもない物を発明してくれたものだ。昔の人は余計な物を発明したものだ。これほど迷惑な発明品はない。
幸い、今では「神」がいないことになっている。今では『物』と『力』しかこの世にはないことになっている。
人間が神を作ったように、人間が神を滅ぼしたのだ。最近になってようやく、この世に神がいないことになったのだ。
[13694] 法治機関は国民よりも上の者ではない。 h23.11.28
人間よりも上の者は神だけである。
人間は人間よりも上の者ではない。
政府は神だから、人間よりも上の者である。
だから、政府が法治機関をやると国民よりも上の者になる。たとえ民主主義の法治機関であっても、国民よりも上の者になる。
反対に、国民が何をやっても国民と平等である。たとえ国民が法治機関をやっても国民と平等である。
政府は神だから国民よりも上の者なので国民に命令できる。だから、政府は国民から税金を取れるのである。
国民は人間だから国民と平等なので国民に命令できない。だから、国民の法治機関は国民に命令できない。国民の法治機関は国民から税金を取れない。国民と契約して国民に法治の仕事をして国民からお金をもらわねばならない。
国民は人間である。
政府は神である。
政府の法治機関は政府なので神なので国民よりも上の者である。だから、政府の法治機関は国民に命令できる。政府の法治機関は国民に「金をくれ」と命令して国民からお金を取ることができる。
国民の法治機関は国民なので人間なので国民と平等である。国民の法治機関は国民よりも上の者ではない。だから、国民の法治機関は国民に命令できない。国民の法治機関は国民に「金をくれ」と命令して国民からお金を取ることはできない。
政府の法治機関は神だから国民よりも上の者だから国民の役には立たない。政府の法治機関は国民から税金を取るだけで国民の役に立つことをしない。
国民の法治機関は人間だから国民と平等だから国民の役に立たねばならない。国民の法治機関は国民の役に立つことをして国民からお金をもらわねばならない。
つまり、政府は神だから、政府のやることはすべて神である。人間よりも上の者である。例えば、政府の法治機関も政府の教育機関も政府のゴミの収集機関も政府の水道機関もすべて国民よりも上の者である。[国民よりも上の者が国民の役に立ってはいけないという決まりはないから、政府のゴミの収集機関や政府の水道機関は国民の役に立っている。]政府の法治機関も政府の教育機関も政府のゴミの収集機関も政府の水道機関もすべて国民に「金をくれ」と命令して国民からお金を取って経営しているのである。
反対に、国民は人間だから、国民のやることはすべて人間である。人間と平等である。例えば、国民の法治機関も国民の教育機関も国民のゴミの収集機関も国民の水道機関もすべて国民と平等である。国民の法治機関も国民の教育機関も国民のゴミの収集機関も国民の水道機関もすべて国民と契約をとって国民の役に立つ仕事をして国民からお金をもらって経営しなければならないのである。
要するに、政府の法治機関は神だから国民よりも上の者だが、国民の法治機関は人間だから国民と平等である。だから、国民がいくら気張[きば]って法治機関を建てても、政府のように国民から税金を取ることはできない。国民の法治機関は、普通の民間会社と同じように国民にサービスを売って儲[もう]けねばならない。
しかし、今はもう神がいない時代である。政府は神ではなくて人間である。[今の物理学を政府に適用[てきよう]すると、政府は人間ということになる。]政府は国民と同じ人間である。だから、政府の機関は国民の機関と同じようにしなければならない。それが嫌なら潰[つぶ]れるしかない。すでに出来たことと同じことをやるのは容易である。だから、政府が潰れても、国民はすぐに政府と同じことをするだろう。だから、国民は困らない。むしろ、政府が潰れてなくなったほうがみんなが平等になるから国民にとってはうれしい。
「政府が国民よりも上の者である」のは昔の迷信である。だから、今の国民はそんな迷信を早く捨てねばならない。
[13695] 今の政府は人間である。 h23.11.28
昔は神がいる世界だった。だから、政府が神になって国民を支配した。政府は国民に何でも命令できた。
今は神がいない世界である。だから、政府が神ではなくなって国民を支配できなくなった。政府は国民に何も命令できなくなった。
今の政府は神ではなくて人間である。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
昔の政府は神だったから国民から税金を取れたが、今の政府は人間だから国民から税金を取れない。今の政府は国民と同じように仕事をしてお金を稼[かせ]がなければならない。
[13696] 物理学が世界を支配している。 h23.11.28
物理学が世界を決めている。
昔の物理学には神がいた。だから、政府が神になって、国民を支配した。
今の物理学には神がいない。だから、政府が神ではなくなって、国民を支配できなくなった。
世界を支配しているのは、神ではなくて、物理学だったのである。世界の真の支配者は、政府ではなくて、物理学者だったのである。
人間を支配しているのは神だが、神を支配しているのは物理学だったのである。
今の社会は今の物理学に従って作らなければならない。今の物理学には神がいない。政府は神である。だから、政府を滅ぼさねばならない。政府のない社会を作らなければならない。国民だけの社会を作らねばならない。
[13697] 悪いのは昔の物理学である。☆ h23.11.28
物理学ができる以前は、人間はみな平等だった。みんなが仲良く平和に暮らしていた。
昔の物理学ができたために、政府が神になって、人間である国民を支配した。政府が国民を好き放題にした。政府が国民を嫌がらせたり殺したりして遊んでいた。
今の物理学ができたために、政府が神ではなくなって国民と平等になった。あるいは、政府がなくなって国民だけになった。再びみんなが仲良く平和に暮らせる社会になった。
悪いのは政府ではない。本当に悪いのは昔の物理学である。昔の物理学がまちがっていたために、政府が出来て国民を嫌がらせるようになったのである。
しかし、今では昔の物理学は滅んでいる。今の物理学が昔の物理学を倒したからである。
だから、昔のことは水に流して、今は今の物理学に従う社会を作らねばならない。神のいない、みんなが平等な社会を作らねばならない。
つまり、大昔はよかった。昔は悪かった。今はいい。だから、今を大切にしないといけない。悪かった昔を早く捨てて、いい今を新しく作っていかねばならない。
要するに、昔の学者が“神”を考え出したのがいけなかったのだ。“人間よりも上の者”を考えたのがいけなかったのだ。それだけのことだ。
[13698] 国民の法治機関は国民と平等である。 h23.11.29
昔は戦[いくさ]で勝った者や奇跡を起こした者が神だと考えられた。
法治機関は戦で勝ったわけではないし、奇跡を起こしたわけでもない。
だから、法治機関は人間である。国民がいくら立派な法治機関を建てても、人間のままである。
ただし、政府の法治機関は、政府の一部だから、政府が神(人間よりも上の者)なので、政府の法治機関も神である。政府のゴミの収集機関も政府の一部だから神である。
国民は人間だから、国民の会社はすべて人間である。
政府は神だから、政府の会社はすべて神(人間よりも上の者)である。
国民の会社は国民と平等だから、国民の役に立つことをして国民からお金をもらわねばならない。
政府の会社は国民よりも上の者だから、国民の役に立つことをしなくても、国民に「金をくれ」と言えば国民から金を取ることができる。
国民の会社は国民の役に立つ仕事をして国民からお金をもらう。
政府の会社は国民から金を取るだけで国民の役に立つ仕事をしない。
国民にとっては、政府の会社よりも国民の会社のほうがいい。
幸い、今は神がいない時代である。政府は神だから、今では政府がないと考えていい。今では国民だけだと考えていい。もはや国民から税金を取って国民の嫌がらせをする者(政府のこと)はいない。国民がお互いに他人の役に立つことをやって他人からお金をもらって暮らせばいい。
[13699] 今の政府に権力はない。 h23.11.29
今は神がいない時代である。
だから、今の政府は人間である。
今の政府と国民は同じ人間だから平等である。
だから、今の政府には権力(命令力)がない。
昔の政府は神だったから権力があったが、今の政府は人間だから権力がない。
今の政府は本当は権力がないのに権力があるふりをしているだけである。今の政府は嘘[うそ]つきである。
だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。政府に税金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいい。早く政府を潰して、国民だけの国を作らなければならない。国民だけの世界を作らなければならない。
今の暴力団や宗教団体にも権力はない。だから、国民は暴力団や宗教団体の命令を聞かなくていい。
[13700] 昔の物理学と今の物理学 h23.11.29
昔の物理学には“神”がいた。
昔の政府は“神”だった。
国民は人間だった。
神は人間よりも上だった。
だから、政府は国民よりも上だった。
だから、政府は国民に命令することができた。政府が国民を支配した。
今の物理学には神がいない。
今の政府は人間である。
国民も人間である。
人間と人間は平等である。
だから、政府と国民は平等である。
だから、政府は国民に命令できない。政府は国民を支配できない。