[13501] 国民は政府や暴力団や宗教団体に従ってはいけない。 h23.10.26
人間は正しい者に従い、まちがっている者には従わない。
政府や暴力団や宗教団体は“昔正しかった団体”にすぎない。今は正しくない。だから、国民はそれらに従わないようにしなければならない。
政府や暴力団や宗教団体は自分がまちがっていると考えるなら、国民に対して偉そうにしてはいけない。政府や暴力団や宗教団体が国民に対して威張[いば]って命令を出せるのは、国民が政府や暴力団や宗教団体を正しいと考える限りである。昔の国民は正しいと考えたから威張って命令を出せたが、今の国民は正しいと考えないから威張って命令を出せないのだ。
今では政府や暴力団や宗教団体がまちがっていることが明らかだから、政府や暴力団や宗教団体は自分で滅ぶべきである。生き残るのは無理だから、さっさと滅ぶべきである。

[13502] 今では政府や暴力団や宗教団体は下火[したび]である。 h23.10.26
人間は正しい者には従うが、まちがった者には従わない。
今では、実在が政府や暴力団や宗教団体よりも正しいことがわかっている。
だから、今では人々は実在に従って、政府や暴力団や宗教団体には従わないのである。学術団体に従って、暴力団体や宗教団体に従わないのである。
だから、最近は政府や暴力団や宗教団体の羽振[はぶ]りが悪いのである。政府や暴力団や宗教団体が儲[もう]からないのである。

[13503] 日本法律学会 h23.10.26
今では実在が正しく、政府や暴力団や宗教団体がまちがっている。
人々は学術団体に従い、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなっている。
だから、日本法律学会が政府の代わりを務めればいい。警察の代わりを務めればいい。
法律は国民の生活にとってなくてはならないものだから、それを根拠にすれば半[なか]ば強制的に国民からお金を取れるだろう。他[た]の商品のように、法律に値段をつけて売れれば問題はないのだが。“法律に値段をつけて売るいい方法”を最初に考え付いた者が法律の分野で日本を牛耳[ぎゅうじ]ることができるだろう。[犯罪者が“法律の会社”(法律を作って法律の違反者を取り締[し]まる会社)に入っていない者を狙[ねら]って犯罪を犯すようになれば、国民は怖くなってみんな法律の会社にお金を出して入るだろう。]法律の会社が“実在に従う料金”(合理的な料金)で仕事をすれば、国民みんなが法律の会社にお金を払って仕事を頼むだろう。
もちろん、日本法律学会は実在に従う法律を作らねばならない。政府のように自分勝手な法律を作ってはいけない。今は人間みんなが実在に従う世の中だから、法律を作る会社もそうしなければならない。
昔は国民みんなが力の強い者である政府にしか従わなかったから、国民に法律を守らせるためには国会や警察が政府と組まねばならなかった。今は国民みんなが実在に従うから、国会や警察は政府と組まなくていいのだ。国会や警察が実在と組めばいいのである。国会が実在に従う法律を作れば、国民みんながそれを守るのだ。

[13504] 実在の時代 h23.10.26
今は実在の時代である。
だから、実在に従うことができる者は出世し、実在に従うことができない者は出世しない。つまり、勉強がよくできる者は出世するが、勉強ができない者は出世できない。
今はそういう時代だから、頭の悪い者は出世を諦[あきら]めるしかない。
今は実在が正しく、他[ほか]の者は正しくないと考えられているから、人間はみな実在に従わなければならない。人間は自分が従う者を自由に選ぶことができない。実在は絶対者(人間が絶対に従わねばならない者)だから、自分がいくら暴力団体(政府や暴力団)や宗教団体に従いたくても、実在に従わねばならない。

[13505] 政府は実在に従わない。 h23.10.26
政府は自分自身に従う。政府は自分自身に従って国民に好き放題な命令を出す。国民に国家宗教や戦争をやらせたりする。政府は国民にくだらないことをやらせるだけである。
昔の人々は「力の強い者が正しい」と考えて、力の強い者に従った。政府は古代における暴力団体同士の闘争で優勝したから力の強い者だと考えられた。だから、昔の人々は政府に従った。ところが、政府には従う者がいなかったので、政府は国民に好き勝手な命令を出すしかなかった。そのために、政府は自分自身に従うようになった。わがままな命令を出すようになった。
政府は自分自身に従うだけであって、実在に従うことはない。永久にない。今は実在の時代だが、政府は実在をたんに道具として使うだけであって、目的として使うことがない。つまり、政府には『実在に従う心』がない。政府は自分が実在よりも上の者だと思い上がって、実在に従おうとしない。
政府が実在に従うようになったら、それはもはや学術団体であって政府ではない。だから、政府は実在に従わない。政府は自分自身に従ってこそ政府である。政府は実在に従うことが許されないのである。いくら政府が実在に従いたくても、政府は実在に従ってはならないのである。
つまり、政府は“実在の外にある者”である。いわゆるキチガイである。宗教団体もそうである。
今の国民は実在に従っているから、政府に従わなくなっている。今の国民は実在の中で暮らさねばならないと思っているから、“実在の外にある者”には従わないのである。
今の人間はみんな実在に従うようになっているから、政府に入[はい]る(就職する)人がいなくなって政府が滅んでいる。暴力団や宗教団体も入る人がいなくなって滅んでいる。

[13506] どうして政府はわがままなのか? h23.10.26
昔は実在がわかっていなかったから、人間はみな力の強い者に従った。政府は暴力団体の闘争で勝ったので力が強いと考えられていた。だから、国民は政府に従った。ところが、政府には自分以外に従う者がなく自分自身に従うしかなかった。だから、政府は国民に好き勝手な命令を出したのである。だから、政府はわがままなのである。
しかし、今は実在がわかっているから、人間はみな実在に従わねばならない。だから、政府も実在に従わねばならない。だから、今では政府は実在に従う命令しか出せないのである。
しかし、そもそも政府は力の強い者である。力の強い者は頭が悪いから実在を認識するのには向いていない。つまり、政府は実在に従う命令を出すことができない。[力の強い者は栄養を筋肉に取られて脳に栄養がまわらないから馬鹿なのである。]
だから、政府は何もできずになくなるしかない。国会は、政府から独立して、国民から実在に従う料金を取って実在に従う法律を作るなら残れるかもしれない。

[13507] 国民が政府に従ったのは、力の強い者への“信仰心”のためである。☆ h23.10.27
政府は力の強い者である。政府は古代における暴力団同士の闘争で勝ったので力の強い者なのである。
しかし、政府は少年マンガの悪役のように国民を暴力で脅[おど]して支配したのではない。
昔の国民は力の強い者に従わねばならないと思っていたから、国民は政府を崇[あが]め奉[たてまつ]って政府に従ったのである。
昔の国民が神に似た者に従わねばならないと思っていたから、国民が神に似た者を崇め奉って神に似た者に従ったのと同じことである。
特に日本では神に似た者への信仰がない分、力の強い者への信仰が強かったので、日本国民は政府をひときわ崇め奉って政府に服従したのである。つまり、力の強い者が神様みたいなものだったのである。
日本国民は長い間力の強い者への信仰心で政府に従っていたのである。
しかし、今の国民には力の強い者への信仰心なんかない。今の国民は力の強い者を信仰したところで何にもならないと考えている。神に似た者を信仰しても何にもならないのと同じことである。昔の人は実際には何の役にも立たなかったのに、ただ信じていただけなのである。今は科学の時代なので、信仰心なんかは無視されるのである。だから、今の国民は政府に従うのをやめたのである。

[13508] 人間は実在に従えばいい。 h23.10.27
今は実在の時代である。
だから、人間は実在に従い、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなっている。
例えば、政府に税金を払わなくなっている。
実在の時代には、実在の時代にふさわしい決まりがある。
実在の時代には、人間は実在に従えばいいのであって、それ以外には従う必要がないのである。

[13509] 国会や警察は政府と別れるべきである。 h23.10.27
今は実在の時代である。
人間は実在に従い、政府に従うべきではない。
だから、国会や警察も政府に従うべきではない。
国会や警察は早く政府から独立して、実在に従わねばならない。国会は実在に従う法律を作り、警察は実在に従う法律に違反する者を取り締[し]まらねばならない。
一般に、政府の付属機関は政府から独立して、実在に従うべきである。実在の付属機関になるべきである。
国民が政府にお金をやるのをやめて実在にお金をやるようになれば、政府の付属機関は政府を離れて実在にまわるようになる。だから、国民は政府にお金をやってはならない。

[13510] 軍隊は要らない。 h23.10.27
昔は戦争の時代だった。だから、軍隊が必要だったのである。
昔が戦争の時代だったのは、昔は戦争で勝った国が負けた国を好き放題にできて儲[もう]かったからである。
昔戦争で勝った国が負けた国を好き放題にできたのは、昔は人々が力の強い者に従っていたからである。戦争で勝てば、戦争で勝った国の政府に戦争で負けた国の国民が従ったので、戦争に勝った国の政府は負けた国の国民に対して何でも好き勝手な命令を出すことができたので、戦争に勝った国が負けた国の財産を奪って儲かったのである。
しかし、今はそうではない。今の人々は実在に従って、力の強い者に従わない。今の人々は実在に従うから、人間はみな平等だと考えている。だから、たとえ戦争で勝っても、戦争で負けた国の国民は戦争で勝った国の政府に従わない。だから、戦争に勝った国の政府は戦争で負けた国の国民に何も命令できないので、戦争に勝った国が負けた国から1円も取れなくなったのである。
つまり、今ではいくら戦争に勝っても儲からない。だから、世界中の国が戦争するのをやめたのである。[今でもアメリカ政府が軍事に力を入れているのは、政府が国民の役に立っていると国民に思わせて国民に恩を着せて国民に政府を支持させて国民を政府に従わせるためである。政府が生き残るためである。実際には、軍事は何の役にも立っていなくて、政府がお金の無駄遣[むだづか]いをしているだけである。]
今は戦争の時代ではない。だから、軍隊は要らない。いくら軍隊を持っていても無駄[むだ]である。何にもならないことにお金を使っているだけである。だから、軍隊を捨[す]てたほうがいい。

[13511] 信仰とは何か? h23.10.27
信仰とは、ただ信じるだけのことである。
信じる以外には何もないのである。
信仰はただ信じることに意義があるのである。それ以外にはないのである。
神に似た者や力の強い者を信じて心の安らぎが得られれば、それでいいのである。
国民は心の安らぎの代金として宗教団体や暴力団体にお金を払っているのである。政府に税金を払っているのである。つまり、宗教団体や政府の仕事は自分が信仰の対象となって国民に心の安らぎを与えることなのである。
しかし、今は科学の時代である。科学の時代に信仰は要らない。今では誰も神に似た者や力の強い者を信仰していない。だから、今では人々が宗教団体や政府が要らなくなって、人々は宗教団体や暴力団体にお金をやらなくなっているのである。政府に税金を払わなくなっているのである。そのため、宗教団体や政府や暴力団が潰[つぶ]れているのである。
昔は人々が実在のことがわからなくてすごく不安だったから、人々は心の安らぎを得るために神に似た者や力の強い者を信仰した。しかし、今は人々が実在のことがわかって安心したから、神に似た者や力の強い者を信仰する必要がなくなって信仰するのをやめたのだ。つまり、昔の人は勉強しない代[か]わりに信仰していたが、今の人は勉強する代わりに信仰しなくなったのだ。

[13512] 正しい者は時代によって変わる。☆ h23.10.27
昔の国民は「力の強い者は正しい者だから、力の強い者に従わねばならない」と考えていたので政府に従っていた。政府は古代における暴力団体同士の闘争で優勝したから、力の強い者だと考えられていたのである。
国民が政府に従っていたので、政府は国民に命令を出した。国民に好き勝手な命令を出した。政府には従う者がいなかったから、自分勝手な命令を出すことができた。政府は信仰の対象でもあったが、実際には生やさしいものではなかった。政府はお地蔵[じぞう]さんのようにじっとおとなしくしているわけではなかった。政府は自分が国民に上の者とされているのをいいことにして、国民に対して極悪非道の限りを尽[つ]くしたのである。特に政府の機嫌[きげん]が悪いときには、政府の命令によって大勢の国民が殺されたのである。
しかしながら、国民は「力の強い者は正しい者だから、力の強い者に従わねばならない」と信じていたので、政府のどんな嫌な命令にでも従った。たとえ自分が死ぬとわかっていても従ったのである。
しかし、今の国民は「実在が正しい者だから、実在に従わねばならない」と考えている。科学によって実在のことがわかるようになったからである。力の強い者よりも実在のほうが正しいので、力の強い者よりも実在に従うようになっている。
だから、今の国民は政府を無視して実在に従っている。
昔は力の強い者が正しい者だった。しかし、今では実在が正しい者である。
時代によって正しい者が変わるのだ。

政府は時代遅れだから、滅ばねばならない。
今では、政府の代[か]わりに学術団体が国民を支配している。学術団体は実在に従わねばならないから、もはや好き勝手はやれない。

[13513] 人間は苦しみ続けねばならない。 h23.10.27
昔の国民は「力の強い者が正しい者であり、力の強い者に従わねばならない」と考えていた。
しかし、そのために、政府は国民に自分勝手な命令を出して国民を苦しめた。
昔の国民は自分で自分を苦しめていたわけである。
今の国民は『実在が正しい者であり、実在に従わねばならない』と考えている。
しかし、そのために今の国民は生まれてから死ぬまでずっと勉強しなければならなくなっている。
今の国民も自分で自分を苦しめている。
結局、人間はいつまでたっても苦しみから逃れられない定めなのである。

[13514] どうして今では税金がなくなったのか? h23.10.27
昔の国民は「力の強い者が正しい者であり、力の強い者に従わねばならない」と考えていた。
政府は力の強い者だったので、国民は政府に従わねばならなかった。
政府はお金を欲しがった。
だから、昔の国民は政府にお金を払わねばならなかった。だから、昔は税金があったのである。
しかし、今の国民は『実在が正しい者であり、実在に従わねばならない』と考えている。
ところが、実在は人間と違ってお金を欲しがらない。
だから、今の国民は実在にお金を払わなくてもいいのである。だから、今は税金がないのである。

[13515] 今の人間は理由のないことをやってはいけない。 h23.10.27
政府は古代における暴力団体同士の闘争で勝ったから力の強い者である。
昔の人は「力の強い者が正しい」と考えたから、政府に従った。
今の人は『実在が正しい』と考えているから、政府に従わなければいい。
今の人は理由もないのにダラダラ政府に従ってはいけない。

[13516] 人間は正しくない者に従ってはならない。☆ h23.10.28
人間は正しい者に従わねばならない。正しくない者に従ってはならない。
昔の人は力の強い者が正しいと考えていた。神に似た者が正しいと考えていた。そのため、昔の人は政府や暴力団や宗教団体に従っていた。[昔の学術団体はまだ実在のことがよくわかっていなくて曖昧模糊[あいまいもこ]だったので、昔の人は学術団体を正しい者と思っていなかったので学術団体には従わなかったのである。/昔の人は政府に暴力で脅[おど]されたから政府に従ったのではなく、暴力団体同士の闘争で優勝した政府が正しいと考えたから政府に従ったのである。だから、反対に今の人が政府が正しくないと考えれば政府に従わなくてもいいのである。今では、暴力団体同士の闘争で優勝することが正しいことの証拠にはならないから、政府に従わなくてもいいのである。]
しかし、今の人は実在が正しいと考えている。宇宙や自然が正しいと考えている。実在に従う学術団体が正しいと考えている。そのため、今の人は生まれてから死ぬまで実在のことを勉強して実在に従っている。反対に、政府や暴力団や宗教団体が正しくないと考えている。
だから、今の人は政府に従わない意思表示をしなければならない。おとなしく政府に従っていてはいけない。暴力団や宗教団体に従わない意思表示をしなければならない。
そもそも政府と暴力団は同じものである。政府は大きな暴力団である。政府は古代における日本各地の暴力団同士の闘争で優勝した暴力団である。政府は社会科の教科書に載っているような民主主義の政治機関ではない。民主主義の政治機関は国会であって政府ではない。政府は国会を経営しているだけであって、政府自身は民主主義の政治機関ではない。政府は自分主義のわがまま機関である。政府は実在を無視して好き放題にメチャクチャな命令を国民に出す自分勝手な機関である。[国家宗教は、政府が国民にメチャクチャな命令を出すための方法のひとつである。]
政府と暴力団は同じものである。今の国民は暴力団に従わなくなっている。だから、政府にも従ってはいけない。
国民が政府や暴力団や宗教団体に従わない意思表示をすれば、政府や暴力団や宗教団体も今は自分たちの時代ではないとわかって、おとなしく消えるだろう。

[13517] 国会は要らない。 h23.10.28
国会は民主主義の機関である。
つまり、国会は多数決で法律を決める機関であって、科学で法律を決める機関ではない。国会は国民に従う法律を決める機関であって、実在に従う法律を決める機関ではない。
今は実在の時代である。だから、法律は科学で決めるべきであって、多数決で決めるべきではない。法律は実在が決めるべきであって、国民が決めるべきではない。
だから、国会は要らない。国会の代[か]わりに日本法律学会が法律を決めればいい。[[13503]を参照。]

[13518] 先進国根性(スピリット) h23.10.28
日本は昔から先進国である。
日本は孤島で文明が遅れがちなので、大陸に遅れないように積極的に先進国になろうとしてきた。
先進国は裕福で、後進国は貧乏である。だから、日本は裕福になるために先進国になろうと努[つと]めてきた。
今は実在の時代である。
だから、日本も実在に従わねばならない。いつまでも古臭い政府や暴力団や宗教団体に従っていてはいけない。[日本やイギリスやアメリカなどの“島国”で今でも政府の国家宗教による殺人事件が多いのは、島国が社会科学的に遅れているからである。]
先進国は科学の発達した国である。つまり、実在に従う国ほど先進国である。だから、日本は実在に従えばいいのである。

[13519] 実在に従う法律 h23.10.28
今は実在の時代である。
だから、日本法律学会が実在に従う法律を決めればいい。
今は実在の時代だから、政府や暴力団や宗教団体を禁止する法律を定めればいい。人間はみな実在に従わねばならない法律を定めればいい。
今の時代には今の法律が要る。これまでの法律は早く捨てねばならない。

[13520] 科学とは何か? h23.10.28
科学とは実在を見ることである。
眼で見るだけでは実在はわからない。
眼で見て頭で考えることによって、はじめて実在がわかる。
実在を見るためには、眼と頭の両方を使わなければならない。
つまり、自分が考えたことが実際に眼で見たことと合っていなければならない。
そうして、はじめて正しい考えだといえるのである。

[13521] 時代が変われば、支配者も変わる。 h23.10.28
昔の人は「力の強い者が正しく、力の強い者に従わねばならない」と考えていた。
だから、力の強い政府が人々支配していた。
しかし、今の人は『実在が正しく、実在に従わねばならない』と考えている。
だから、実在の代弁者である学術団体が人々を支配している。
時代によって、人々が正しいと考える者が変わる。
それによって、人々を支配する団体も変わるのだ。
国民が何を正しいと考えるかによって支配者が決まる。国民が何に従うかによって支配者が決まる。国民が支配者を決める。国民が支配者を自由に選ぶことができる。
今の国民にとっては、政府は支配者としてふさわしくない。
今の政府が残っているのは、国民が政府に従っているからである。国民が政府に従っているから、政府は「今の国民が力の強い者を正しいと考えている」と思って国民を支配しているのである。国民に命令を出しているのである。
だから、反対に国民が政府に従わなくなれば、政府は「今の国民はもはや力の強い者を正しいと考えていない」と思って、国民を支配しなくなるのである。政府は自分の時代が終わったと思って滅びるのだ。
つまり、国民が政府に従わなくなれば、政府は滅びる。だから、政府を滅ぼすためには、国民が政府に従わなければいいのである。国民が政府が滅ぶかどうかを決めるのである。
今の国民の大半は『実在が正しくて、力の強い者が正しくない』と思っている。今の世界に戦争がないのがその証拠である。だから、今の国民はだんだん政府に従わなくなっている。政府が滅ぶのも時間の問題だ。

[13522] 政府に従っている国民は時代遅れである。 h23.10.28
政府は古代における暴力団体同士の闘争で優勝して力の強い者だと考えられていた。
昔の人は「力の強い者が正しい」と考えていたから、政府に従った。
ところが、最近になって人々の考えが変わった。人々の生活に科学の発明品が普及して、科学つまり実在に従うことが正しいことを実感したからである。
今の人は『実在が正しいのであって、力の強い者が正しいのではない』と考えて、政府に従わなくなった。政府の言うことを聞かなくなった。政府の法律を守らなくなった。政府に税金を払わなくなった。政府の国家宗教の命令を聞かなくなった。政府の代わりに学術団体に従うようになった。
今でも政府に従わねばならないと思っている国民は完全に時代遅れである。いまだに政府に従っている国民は時代遅れである。今の国民は政府に従わないのが常識である。時代に乗り遅れてはいけない。

[13523] 人類の哲学の進歩が世界を変える。 h23.10.28
古代に学者がいて『この世には人間の認識によらずに存在する実在というものがある。実在が人間の認識が正しいかまちがいかを決める。人間は実在に従うべきである』ことを主張したら、人類の歴史は変わっていたかもしれない。
しかし、当時はまだ大勢の国民が納得してくれなかっただろう。国民の大半はやはり「力の強い者が正しく、力の強い者に従わねばならない」と考えていたのである。下手[へた]をしたら、その学者は命取りになりかねなかった。だから、学者はたとえ真実を知っていても、人々に訴えなかったのである。
『力の強い者は力の強い者であって、正しい者とは別である。この世において正しい者は実在だけである。だから、人間は実在に従うべきである。』
最近になって、ようやく人類の大半がそのことを理解したのである。
そのために、今の世界が大きく変わっているのだ。
昔は一部の学者しか実在に従わねばならないことがわからなかった。しかし、今では人類のほとんどが実在に従わねばならないことがわかっている。だから、多数決によって世界が変わっているのだ。

[13524] 戦争がない。だから、政府が滅ぶ。 h23.10.29
今の世界には戦争がない。
それは、世界中の人々が『実在が正しく、力の強い者が正しくない。実在に従うべきであって、力の強い者に従うべきではない』と考えるようになったからである。人々の生活に科学が浸透して、人々が科学つまり実在に従うことが正しいと考えるようになったからである。人々が実在に従うようになって、力の強い者に従うのをやめたのである。そのため、たとえ戦争をやっても、戦争に負けた国が戦争に勝った国に従わないので、戦争をやっても儲[もう]からないので、世界中の国が戦争をしなくなったのである。
今では世界中の人々が力の強い者に従わなくなっている。だから、世界中の人々が政府に従わなくなっている。政府は古代における暴力団体同士の闘争で勝った力の強い者だから、人々は政府に従わないのである。
今では、世界中の人々が実在に従い、力の強い者や神に似た者に従わなくなっている。学術団体に従い、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなっている。だから、今では学術団体が栄えて、政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのだ。
今では世界中の人々が、『人間はみな実在の中で生きていて、実在に従わねばならない』と考えているので、みんなが実在に従うようになったのである。みんなが実在のことを勉強して実在のことをよく知って実在に従うようになったのである。『力の強い者や神に似た者が世界を決めるのではない』ので、みんなが力の強い者や神に似た者に従わなくなったのである。
昔の人は「人間が宇宙で一番上の者であり、人間の中でも最高の者である力の強い者や神に似た者が世界を決める」と思っていたので力の強い者や神に似た者に従ったのである。今の人は『実在が人間よりも上だ』と思っているので実在に従うようになったのである。つまり、昔は実在がなかったから人間が好き放題にやっていたが、今は実在があるから人間が実在に従うようになったのだ。政府は実在がなかった頃の昔に出来た団体である。だから、政府は今でも実在を無視して好き放題にやっているのだ。ところが、今の人は実在に従わねばならないと思っている。だから、今の人は政府に従わなくなったのだ。昔の人は政府が嫌だったが、政府が正しいと考えていたので、政府に従わねばならなかった。今の人も政府が嫌だが、政府がまちがっていると考えているので、政府に従わなくてもよくなったのだ。国民が政府に従わねばならない時代は終わったのだ。

[13525] 人間は自分が正しいと考える者に従う。 h23.10.29
政府を国民よりも上の者にしたのは国民自身である。昔の人は力の強い者が正しく、力の強い者に従わねばならないと考えていたので、政府に従わねばならないと考えていたのである。そのため、どんなに自分が政府に嫌がらされても、政府に従い続けたのである。
昔の国民は自分の考えによって自分が苦しめられていたのである。いわば、昔の国民は自分で自分を苦しめていたのである。
しかし、今では実在が正しいと考えられている。今の人は力の強い者が正しいと考えなくなったので、政府に従わなくなったのである。今の国民は政府から解放されたのだ。今の国民は自分を虐[いじ]める者がいなくなって幸福になったのである。
人間は正しい者に従う。正しい者は時代によって変わる。昔は政府が正しいと考えられていたから人々は政府に従った。今は実在が正しいと考えられているから人々は実在に従っている。つまり、今の人は正しく『実在が正しい』と考えているが、昔の人はまちがって「力の強い者が正しい」と考えていた。人間は本来実在に従わねばならないのだが、昔の人はまちがって力の強い者に従っていた。政府に従っていた。そのために、昔の人は政府に虐[いじ]められて嫌な思いをしなければならなった。自分のまちがいに苦しめられねばならなかった。今の人は自分のまちがいに苦しめられなくなったから幸福になったのだ。

[13526] 人間は自分が正しくないと考える者には従わない。 h23.10.29
人間は自分が正しいと考えている者に従う。今の人は実在が正しいと考えている。だから、今の人は実在に従う。学術団体に従う。
反対に、人間は自分が正しくないと考えている者には従わない。今の人は政府や暴力団や宗教団体が正しくないと考えている。だから、今の人は政府や暴力団や宗教団体に従わない。
今では学術団体が栄えて、政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。
今では、国民が政府に従わねばならない理由がない。だから、国民は政府に従わなくていいのだ。昔は“国民が「力の強い者が正しく、力の強い者に従わねばならない」と考えていたこと”が国民が政府に従わねばならない理由だった。しかし、今ではそんな理由がなくなっているから、国民が政府に従う必要はないのだ。

[13527] この世で一番正しい者☆ h23.10.29
昔の人は、この世で政府が一番正しいと考えていた。だから、政府に従った。
しかし、今の人は、この世で実在が一番正しいと考えている。だから、実在に従う。
科学が出来たので、政府よりも実在が正しいことになってしまったのである。[暴力団や宗教団体よりも実在が正しいことになってしまったのである。]
今の人は、実在に従い、政府に従わない。
今の人は、いくら実在が嫌でも、実在に従わねばならない。
勉強とは、実在に従うことである。今の人はがんばって勉強しなければならない。

[13528] どうして最近の若者は馬鹿[ばか]なのか? h23.10.30
最近の若者が馬鹿なのは、最近の若者が言葉をまともに使えないである。
最近の若者が言葉をまともに使えないのは、コンピューターが言葉を話さないからである。
最近の若者はテレビゲームばかりして人と付き合わないので、言葉使いが下手[へた]なのである。
私が子供の頃は人間の友達とばかり遊んでいたので、人間の友達と遊ぶためには言葉を使わねばならなかったので、言葉使いが上手[じょうず]なのである。
考えることは言葉を使うことである。考えるのが上手な者は言葉使いも上手であり、反対に考えるのが下手な者は言葉使いも下手である。人間の思考力は言葉を使う能力に比例する。
最近の若者は小さい頃からテレビゲームで遊んでばかりいて言葉を使うことを練習しないから言葉使いが下手なのである。だから、考えるのも下手なのである。思考力が弱いのである。馬鹿なのである。図体[ずうたい]ばかりでかくて頭の中が空[から]っぽなのである。馬鹿だから、見た目にばかりこだわるのである。物を眼で見るだけで、頭を使って見ていない。考えながら行動していない。
私が若い頃は、本をよく読んだから、それも言葉を使う練習になった。今の若者はテレビゲームばかりして本を読まないから、言葉を使うのが下手なのだ。頭も馬鹿なのだ。
たしかに、テレビゲームは面白いが、テレビゲームばかりしているのはよくない。たまには、頭を使って考えることもしないといけない。言葉を使って自分の考えを表現しなければならない。

[13529] 今の国民は政府に従わない。☆ h23.10.30
昔から人間は正しい者に従い、正しくない者には従わない。
昔の人は、政府が正しいと考えていた。だから、政府に従った。
しかし、今の人は、実在が正しいと考えている。だから、実在に従う。
今の人は、政府が正しくないと考えている。だから、政府に従わない。
今では、j実在が正しく、政府は正しくない。だから、政府は国民に口出しする資格がない。今では、実在が国民に命令するのであって、政府は国民に命令できない。
政府は正しい者の座を実在に奪われたのだ。今の国民は政府ではなく、実在に従って暮らせばいいのである。

[13530] 権力とは何か? h23.10.30
権力とは人々に命令できることである。
人々は正しい者に従うので、正しい者には権力がある。反対に、人々は正しくない者には従わないので、正しくない者には権力がない。
つまり、正しい者には権力があり、正しくない者には権力がない。つまり、権力者とは正しい者のことである。
今では科学が出来て、実在(学術団体)が政府よりも正しいことがわかっている。
だから、今では実在に権力があって、政府に権力がないのである。
だから、今の国民は実在に従い、政府に従わないのである。
今の政府には誰も従う者がいない。だから、今の政府は空威張[からいば]りだ。今の政府はテレビや新聞の上でしか権力がない。今の政府はテレビや新聞の上で威張ることしかできない。つまり、テレビや新聞はマンガやドラマと同じ作り事の世界である。今の政府はマンガやドラマの上で偉いだけだ。

[13531] 人間が従うべき者 h23.10.30
昔から人間は“従うべき者”つまり自分が従わねばならないと考えている者に従ってきた。
昔の人にとっては力の強い者が従うべき者だった。昔の人は「自分が力の強い者に従わねばならない」と考えていた。だから、昔の人は力の強い者に従った。昔の人は政府や暴力団に従った。
今の人にとっては実在が従うべき者である。今の人は『自分が実在に従わねばならない』と考えている。だから、今の人は実在に従っている。今の人は実在の代弁者である学術団体に従っている。
つまり、昔と今とでは従うべき者が違うのだ。だから、今の人は昔の人の従うべき者に従わなくなっている。今の人は政府や暴力団や宗教団体に従わなくなっている。
昔は力が人間の尺度だったので、人々は力の強い者に従った。昔の人々は力の強い者の命令を何でも聞いた。しかし、今では実在が人間の尺度なので、人々は正しい者(実在を正しく認識する者)の正しい認識に従うようになったのである。要するに、昔の人は「力の強い者に従うべきだ」と考えていた。だから、昔の人は力の強い政府に従った。今の人は『実在に従うべきだ』と考えている。だから、今の人は実在に従うのだ。
今の人は実在に従わねばならないと考えるようになったので、今の人には特定の従うべき者がいなくなった。それで、人間は平等になったのである。

[13532] 昔の人は“実在”の概念を知らなかった。今の人は“実在”の概念を知っている。☆ h23.10.30
昔の人は「力の強い者に従わねばならない」と考えていた。昔の人は“力”の概念しか知らなかったので、力で人間を計[はか]ることしかできなかった。昔の人にとっては、力の強い者が優[すぐ]れた人間だったので、人々は力の強い者(政府や暴力団)に従ったのである。
しかし、今の人は『人間は実在に従うべきであって、力の強い者に従うべきではない』と考えている。今の人は科学を勉強して“実在”の概念を持っているので、実在で人間を計ることができるからである。今の人にとっては、実在のことがよくわかる者ほど優れた者なので、今の人は実在のことがよくわかる者に従っている。
今の人は“実在”の概念を持っているので、『自分が実在の中で暮らしていて、実在に従って生きていかねばならない』ことがわかっている。だから、今の人は実在に従わねばならないと考えるようになったのである。政府よりも実在(学術団体)に従わねばならないと考えるようになったのである。
要するに、昔の人は実在の概念のない世界に生きていた。だから、力の強い者に従った。今の人は実在の概念のある世界に生きている。だから、実在に従っているのだ。
昔は人間を支配する者が実在であることがまだわからなかったので、昔の人はまちがって実在の代[か]わりに力の強い者に従っていた。今では人間を支配する者が実在であることがわかったので、今の人は正しく実在に従うようになったのだ。力の強い者に従わなくなったのだ。
ところが、実際には、いまだに多くの人々が政府に従っている。それは、いまだに多くの人々が社会のことが正しくわかっていないからである。社会のことを誤解しているから政府に従っているのである。自分で屁理屈[へりくつ]をこねていやいや政府に従っているのである。今の人々がもっと賢くなれば、政府に従わないことが正しいことがわかるだろう。政府に従わなくなるだろう。

[13533] 「力の強い者が正しい」と考えられていたのではない。「力の強い者に従うことが正しい」と考えられていたのだ。そのほうがわかりやすい言いかただ。☆ h23.10.30
昔の人は「力の強い者に従うことが正しいことだ」と考えて、力の強い者に従っていた。昔は科学がなくて実在の概念がなかったから、力の概念しかなかったから、人々は「力の強い者が優[すぐ]れた者だ」と考えたので、人々はみな力の強い者に従ったのである。人々は力の強い者にどんなに嫌がらされても、「力の強い者に従うことが正しいことだ」と考えて、力の強い者に従い続けたのである。たとえ自分が殺されても従い続けたのである。
一方、今の人は『実在に従うことが正しいことだ』と考えて、実在に従っている。今は科学が出来て実在の概念があるから、人々は『人間は実在の中で生きていて実在に従わねばならない』と考えているから、人々はみな実在に従うようになったのである。人々は『実在に従うことが正しいことだ』と考えているから、人々は生まれてから死ぬまで実在のことを一生懸命に勉強して実在のことを知って実在に従うようになったのである。たとえ自分が死んでも実在のことを勉強し続けるのである。
今の人々が政府に従っているのは、昔の人が力の強い者に従うことが正しいことだと考えていたことの名残[なごり]である。古いまちがった風習の名残である。人間は実在に従うのが正しい。だから、人間は実在に従い、政府に従うべきではない。
今では『実在に従うのが正しく、力の強い者に従うのは正しくない』と考えられている。だから、今の人は実在に従い、政府に従ってはならない。[国会や警察は政府の付属機関であり、要するに国会や警察は政府だから、国会や警察にも従わなくていい。]
政府に従うのは遅れた生き方だ。実在に従うのが進んだ生き方だ。進んだ生き方を採[と]らねばならない。

[13534] 未来の大学 h23.10.30
未来は政府がなくなるから、国立大学や県立大学もなくなる。
私立大学だけになる。
しかし、世の中には貧乏人も大勢いる。
だから、授業料が激安の私立大学が出来るだろう。特定の会社に就職することが前提で入学料や授業料が割引きになる大学が出来るだろう。

[13535] 税金は不滅? h23.10.30
今の人間にとっては実在に従うことが義務である。例えば、今の人間はみな“実在の法律”を守らなければならない。
だから、“人間を実在に従わせる仕事をする会社”は国民から強制的にお金を取ることができる。
例えば、政治機関(立法機関や司法機関)や教育機関は国民から強制的にお金が取れる。
もっとも、今の人間はみな実在に従わねばならないので、政治機関や教育機関も実在に従わねばならない。つまり、人間を実在に従わせる会社は自分の仕事に見合う“実在に従う料金”を取らねばならない。リーズナブルな税金を取らねばならない。政府や幕府のように自分が欲しいだけありったけのお金を取るわけには行かない。
幸い、今のところはまだ“人間を実在に従わせる会社”は出来ていない。だから、国民は当分の間、税金を払わなくてもいいのである。そうしているうちに、税金がなくなってしまうかもしれない。人間は自由に政治機関や教育機関にお金を払って政治や教育を受けるようになるかもしれない。しかし、実際には、国民のほとんどは政治機関や教育機関にお金を払うだろう。だから、自由といっても実際には強制なのだ。人間が食べねば生きていけないために近所のスーパーで食品を買わねばならないように、人間が実在に従わねば生きていけないために近所の政治機関や教育機関で政治や教育を受けねばならないのだ。人間が食べねば死んでしまうから食品を買わねばならないように、人間は実在に従わねば死んでしまうから政治や教育を買わねばならないのだ。つまり、実際には食費も税金のようなものなのだ。生活費も税金のようなものなのだ。需要の多い物を売ることは税金を取ることと変わらない。だから、政治機関や教育機関は国民の多くに政治や教育を売って経営すればいいのである。

[13536] 今の人間は政府に従ってはならない。 h23.10.30
今では『実在に従うのが正しく、力の強い者に従うのは正しくない』と考えられている。
だから、今の人はどんなに自分が嫌でも実在に従わねばならないし、どんなに自分が嫌でも政府に従ってはならない。どんなに政府に嫌がらされても政府に従ってはならない。
昔の人がどんなに政府に嫌がらされても、「力の強い者に従うのが正しい」と考えていたから政府に従ったように、今の人はどんなに政府に嫌がらされても、『力の強い者に従うのが正しくない』と考えているから政府に従ってはいけないのだ。

[13537] どうして国会や警察は政府に従っていたのか? h23.10.30
昔の人は「力の強い者に従うのが正しい」と考えていたから、昔の人はみな政府に従っていた。
だから、国会や警察も政府に従わねばならなかった。さすがの国会や警察も政府に逆らうわけにはいかなかった。国会や警察も政府の言いなりだったのである。だから、国会は政府のために税金法や国家宗教法を定めたり、警察は政府のやることをすべて黙認していたのである。
しかし、今の人は『実在に従うのが正しい。力の強い者に従うのがまちがっている』と考えているから、今の人はみな実在に従って、政府に従わなくなっている。
だから、国会や警察も政府に従うのをやめて、実在に従わねばならない。国会や警察はもはや政府の言いなりになってはならない。国会は政府のために税金法や国家宗教法を定めてはならないし、警察は政府が実在の法律に反することをしたら政府を逮捕しなければならない。
要するに、国会や警察が従う者が政府から実在に変わっただけのことである。

[13538] 実在が政府の道具なのではない、政府が実在の道具だ。 h23.10.30
昔はこの世のものはみな政府に従わねばならないと考えられていた。だから、実在も政府に従わねばならないと考えられていた。そのため、政府は実在を道具として使っていた。
しかし、今ではこの世のものはみな実在に従わねばならないと考えられている。だから、政府も実在に従わねばならない。したがって、政府は実在の法律に従わねばならない。政府も他の国民と同じように実在の法律を守って暮らさなければならない。
人間が実在の支配者なのではなく、実在が人間の支配者なのである。だから、人間は実在に従わねばならない。昔の人は人間が実在の支配者だと誤解していたから、人間の中でも特に力の強い政府に従っていたのである。昔の人は政府に従いながら自分の心を満足していたのである。今の人は実在が人間の支配者だと考えているから、実在に従うようになったのである。今の人は実在に従いながら自分の心を満足するようになったのである。

[13539] 国民が政府に従うから、政府は国民を支配できる。 h23.10.31
昔の人は「力の強い者に従うことが正しい」と考えたから、力の強い政府に従った。
だから、今の人が『力の強い者に従うことが正しくない』と考えているなら、力の強い政府に従わなくていい。今の人は『実在に従うことが正しくて、力の強い者に従うことは正しくない』と考えているから、政府に従ってはいけないのである。
その時代の人々の考えで、人々が政府に従うか従わないかが決まるのである。国民が政府に従うか従わないかは、国民自身が決めることなのである。政府が決めることではないのである。政府は国民が政府に従う限り国民に命令できるのであって、国民が政府に従わなければ国民に命令することはできないのだ。国民が政府に従うから政府は国民を支配できるのであって、反対に国民が政府に従わなくなれば政府は国民を支配できないのだ。

[13540] 世界を決める者 h23.10.31
昔の人は力の強い者が世界を決めると考えていた。
だから、昔の人は政府に従った。
今の人は実在が世界を決めると考えている。
だから、今の人は実在に従っている。
力の強い者が世界を決めると考えたのは昔の人のまちがいである。
だから、今の人は政府に従ってはいけない。
人間にできることとできないことを決めるのは実在であって政府ではない。
政府は形の上で取り決めができるだけだ。言葉の上で取り決めができるだけだ。
政府は人間ができることをできないとし、人間ができないことをできるとしている。[例えば、戦前の日本政府は日本が世界制服ができると考えていた。しかし、実際にはできなかった。政府はできないことを想像して喜ぶだけだ。人間が実際にできることとできないことを決めるのは実在であって政府ではない。]
だから、人間が政府に従っても仕方がない。
人間が政府に従うとできることができなくなるだけだ。できないことをやろうとして失敗に終わるだけだ。
人間は実在に従ったほうがいい。実在は人間にできることをできるとし、できないことをできないとする。人間が実在に従えば、人間にできることが最大限にやれるし、人間にできないことを最初からやらずに済む。
政府は自分が実在よりも上の者だと考えていて、実在のことを知らないから、政府に従っても仕方がないのだ。
政府は実在のことを知らない。実在のことを知っているのは学術団体だ。だから、人間は政府ではなく学術団体に従えばいいのだ。
「政府に従うことが正しい」と考えたのは昔の人のまちがいである。だから、今の人がそれを直せばいい。今の人が昔の人のまちがいに従う必要はない。今の人は『政府に従わないことが正しい』と考えている。だから、今の人は政府に従わなければいい。
国民が政府に従っているのは国民が政府に従わねばならないと考えているからである。だから、反対に国民が政府に従わなくてもいいと考えれば国民は政府に従わなくてもいいのである。

[13541] 世界の支配者 h23.10.31
人間にできることとできないことを決めるのは実在であって政府ではない。
これは紛[まぎ]れもない事実である。過去の人類の歴史がこのことの正しさを裏付けている。
人間にできることとできないことを決めるのが実在であって政府ではないのは、この世界の支配者が実在であって政府ではない証拠である。
政府をこの世の支配者だと考えたのは、昔の人類のまちがいである。
本当の世界の支配者は実在なのである。
今の人類は、ようやくそのことがわかったのだ。
だから、今の人類は政府に従うのをやめて、実在に従うようになったのだ。
これまで人類は自分が従うべき者をまちがっていた。だから、今の人類が直せばいいのだ。

[13542] どうして中世の日本政府は潰[つぶ]れたのか? h23.10.31
ローマ帝国が滅亡して、ローマ政府が滅んだからである。
世界の支配者が滅ぶわけがない。
だから、当時の国民はローマ政府と同じやり方でやっている日本政府がこの世の支配者ではないと考えて、日本政府に従うのをやめたのである。
政府は国民が従わなくなれば国民を支配できないので、政府は国民に何も命令できなくなって国民から税金を取れなくなって潰[つぶ]れたのである。
一方、インド政府は滅んでいなかったので、国民はインド政府と同じやり方でやっている幕府が新しいこの世の支配者だと考えて幕府に従うようになったのである。
近代になって、ヨーロッパ政府が世界を支配したので、国民はヨーロッパ政府と同じやり方でやっている日本政府がこの世の支配者だと考えて日本政府に再び従うようになったのである。
昔から人々は世界の支配者に従ってきた。
今では世界の支配者は実在であって政府ではないと考えられている。だから、今の人々は実在に従って政府に従わないのである。[フランシス・ベーコンが自分の著を『ノブム オルガヌム(新機関)』と名づけたのは、フランシス・ベーコンが発見した“実在”が政府に代[か]わる人類の新しい支配者だったからである。ベーコンの洞窟の喩[たと]えの、洞窟とは人間の脳つまり知覚のことである。洞窟に差し込む光とは眼や耳などの五感のことである。人間が偏見に陥らないためには、実在を五感でよく見て知覚で論理的によく考えることが重要である。]

[13543] 世界統一 h23.10.31
今では世界中の人類が実在に従わねばならないと考えている。実在がこの世の支配者だと考えている。
今では世界中の人類が同じひとつの“実在”に従っている。これまでの人類はそれぞれの国の政府に従っていたが、今では世界中の人類が同じ実在に従っている。
だから、実際には今の世界には国はなく、ひとつの世界があるだけである。これまでは人類はそれぞれの国の政府に従っていたから世界が国に分かれていたが、今では人類が同じひとつの実在に従うようになったから国境がなくなったのである。眼先では今でも世界は国に別れているが、実質的には今では世界はひとつになっているのである。
今では全世界が実在によって統一されている。世界連邦はすでに築[きず]かれているのだ。それもまた今の世界に戦争がない原因のひとつである。これまでは人類がそれぞれの国の政府に従っていて、政府と政府が世界の支配をめぐって戦っていたから戦争があったが、今では人類みんなが同じひとつの実在に従っていて世界の支配をめぐって戦う必要がなくなったから戦争がなくなったのだ。
今では人類が政府ではなく実在に従うようになったから、世界がひとつになったのだ。
政府があると世界の統一の妨[さまた]げになる。だから、さっさと政府をなくさねばならない。政府を形骸化[けいがいか]して滅ぼしてしまえばいいのだ。
今では世界が統一されているから、立法機関や司法機関は世界にひとつだけあればいい。立法機関は“実在に従う法律”を定めればいい。司法機関は実在に従う法律の違反者を取り締[し]まればいい。

[13544] 世界の支配者は実在である。 h23.11.1
世界の支配者は実在であって、力の強い者や神に似た者ではない。人間にできることとできないことを決めるのは実在であって、力の強い者や神に似た者ではない。[物理学には古典力学と現代力学がある。古典力学ではパソコンは出来ない。現代力学でなければパソコンは出来ない。だから、人間にできることとできないことを決めるのは科学者ではなくて、実在なのだ。だから、世界の支配者は科学者ではなく実在なのだ。]
だから、人間は実在に従わねばならないのであって、力の強い者や神に似た者に従ってはならない。人間は学術団体に従わねばならないのであって、政府や暴力団や宗教団体に従ってはならない。
だから、国民は政府の命令を聞いてはならない。政府に税金を払ってはならない。
人類はつねにその時代の“世界の支配者”に従ってきた。今の世界の支配者は実在であって、政府ではない。だから、今の人類は実在に従わねばならないのであって、政府に従ってはならない。
今では人間はみな実在に従わねばならない。だから、今後日本に“実在に従う立法機関や行政機関や司法機関”が出来て“実在に従う法律”を作って実在に従う法律で国民を管理するようになるだろう。[今の国会や行政機関や警察は、‘政府に従う立法機関や行政機関や司法機関’なのでいけない。]実在に従う法律では人間はみな平等だから、実在に従う立法機関や行政機関や司法機関も国民一人一人と契約を取って仕事をしなければならない。法律の要らない人間はいないから、たぶん国民みんなが契約をするだろう。

[13545] 政府の法律 h23.11.1
政府に従う者が政府の法律を守らねばならないのである。政府に従う者は、政府の命令を聞かねばならないので、政府の作った法律を守らねばならないのである。
だから、反対に、政府に従わない者は政府の法律を守らなくていいのである。政府に従わない者は、政府の命令を聞かなくていいので、政府が作った法律も守らないのである。[今の国会は政府に従う機関なので、国会が作った法律は政府が作った法律である。]
昔の人はみんな「力の強い者に従うことが正しいことだ」と考えていて、力の強い政府に従わねばならないと考えていたから、昔の人はみんな政府の法律を守っていたのである。
反対に、今の人はみんな『力の強い者に従うことが正しくない』と考えていて、政府に従ってはならないと考えているから、今の人はみんな政府の法律を守らないのである。
そもそも政府に従うか従わないかは国民の勝手である。だから、政府の法律を守ろうが破ろうが国民の勝手である。昔の人は自分の意思で政府に従っていただけである。だから、今の人は自分の意思で政府に従わないのである。昔の人はどんなに政府に嫌がらされても、政府に従うことが正しいことだと信じていたので、自分が死ぬまで政府に従い続けたのである。反対に、今の人はどんなに政府に嫌がらされても、政府に従うことはまちがいだと信じているので、自分が死ぬまで政府に従わないのである。
今は『実在に従うことが正しい』と考えられている。だから、今の人はみんな実在に従うのである。実在の命令を聞くのである。実在が定めた法律を守るのである。科学的に制定された法律を守るのである。
今どき政府に従っていたら、“教養のないバカ”だと思われてしまう。だから、政府に従ってはならない。

[13546] 昔と今では人間が従うべき者が違っている。 h23.11.1
昔は人類の文明が遅れていたから「力の強い者に従うことが正しい」と考えられていた。だから、昔の人はみんな力の強い者である政府に従った。政府の命令を聞いた。政府が定めた法律を守った。
しかし、今は人類の文明が進んだから『実在に従うことが正しい』と考えられている。だから、今の人はみんな実在に従えばいいのである。実在の命令を聞けばいいのである。実在が定めた法律を守ればいいのである。科学的に制定された法律を守ればいいのである。
今は『力の強い者に従うことが正しくない』と考えられている。だから、今の人はみんな政府に従わなければいいのである。政府の命令を聞かなければいいのである。政府が定めた法律を守らなければいいのである。[今の国民が政府にブーブー文句を言っているのは、政府がすでに従うべきでない者になっている証拠である。だから、国民は政府に従わなければいいのである。]
昔から人間は自分が従うべき者に従い、自分が従うべきでない者に従わなかった。
昔と今では人間が従うべき者が違っている。昔は人間が従うべき者が力の強い者だったが、今では実在になっている。
だから、今の人間は今の時代に自分が従うべき者に従えばいいのである。今の時代に自分が従うべきでない者に従わなければいいのである。つまり、今の人間は素直[すなお]に実在に従い、政府に従わなければいいのである。

[13547] サルの習性 h23.11.1
サルはサル山のボスに従っている。
サル山のボスは力の強い者であり、サル山のサルはボスの言いなりである。
一方、人間は実在に従っている。
人間は実在を知り、実在の法則に従って生きている。
昔の人間はまだサルの習性が抜けていなかったから、力の強い政府に従ったのである。
今の人間はサルの習性が抜けたから、政府に従わなくなったのである。

[13548] どうすれば人間は幸福に生きられるか?☆☆ h23.11.1
人間は実在に従ったほうが幸福に生きられる。
人間が実在に従えば、自分の望むことを実現できるからである。
反対に、政府はバカだから、人間が政府に従うと自分が望むことを何も実現できない。
人間が幸福に生きるためには、政府よりも実在に従ったほうがいい。
だから、今の人間は政府よりも実在に従うようになったのである。
そもそも人間が生きているのは、自分が幸福になるためである。それが人間の本音[ほんね]である。
だから、人間は自分が幸福になるために、政府よりも実在に従うようになったのである。

人間は政府に従わなくなったから、政府の命令を聞かなくなったのである。政府の法律を守らなくなったのである。
昔の人は自分が幸福になるための方法がわからなかったから、力の強い者である政府に闇雲[やみくも]に従っていたのである。そのため、政府にさんざんひどい目に合わされたのである。
今の人は自分が幸福になるための方法がわかっているから、政府に従わなくなったのである。政府に従うのをやめて、実在に従うようになったのである。そのため、実在にいい目にあわせてもらっているのである。今の人は幸福に生きられるようになったのである。

人間は実在に従えば従うほど幸福になれる。人間は永久に実在に従い続けるだろう。二度と政府に従わないだろう。

[13549] どうして今でも政府に従っている者がいるのか? h23.11.1
今でも政府に従っている者がいるのは、「これまで人々が政府に従っていたのは、政府が人々を幸福にしていたからだ」と誤解しているからである。
本当は、これまでの人々はサルの習性で政府に従っていただけである。自分が幸福になるための方法がわからなくて政府に闇雲[やみくも]に従っていただけである。
けっして政府が人々を幸福にしていたわけではない。
実際には、政府は人々をさんざん不幸にしていたのである。政府は人々がわけもわからずに自分に従うのをいいことにして、人々をありったけ虐[いじ]めまくっていたのである。政府は数知れない人々を惨殺[ざんさつ]してきたのである。
だから、政府に従ってはいけない。すぐに政府に従うのをやめねばならない。

[13550] どうして政府は嘘をつくのか? h23.11.1
昔の人は「力の強い者に従うことが正しいことだ」と考えて、古代の暴力団体の闘争に勝った政府に従っていた。
ところが、政府自身には従う者がいないから、自分の好き勝手にできる。
政府は自分の好き勝手にできるから、当然嘘をついてもいい。
だから、政府は国民に嘘をつくのである。
国民も政府に従って、政府を真似[まね]て、嘘をついていたのである。
しかし、今の人は『実在に従うことが正しいことだ』と考えて、実在に従っている。
ところが実在は嘘をつかない。
だから、国民も実在を真似て嘘をつかなくなっている。
実在の法律においては、嘘をつく者は罰[ばっ]せられる。
だから、今では政府も嘘をついてはいけないのである。

[13551] 幸福になるための方法☆☆ h23.11.2
政府は宗教団体と同じである。
昔の人が神に似た者を信仰したから宗教団体に従ったように、
昔の人が力の強い者(戦争に勝った者)を信仰したから暴力団体である政府に従ったのである。
昔の人は神に似た者や力の強い者を信仰すれば自分が幸福になれると考えていたのである。
しかし、実際には、宗教団体や暴力団体にさんざん虐[いじ]められて不幸な思いをしていたのである。それでも、昔の人は宗教団体や暴力団体を信じれば幸福になると思って、従い続けたのである。
しかし、今の人はいくらそんなことをしても何にもならないと思っている。信じただけでは何も変わらないと思っている。
昔の人は人間に“超能力”があると思って、宗教団体や暴力団体を信仰すれば宇宙が変わって自分が幸福になれると考えていたのだろう。昔の人にとって、信仰することは超能力を発揮[はっき]することだったのである。プラトンが“直観”で真理を把握[はあく]できると考えていたのと同じことである。人間が死んだら“魂”[たましい]が身体から抜けて天国に行くと考えていたのと同じことである。
しかし、今では人間が実在に従えば幸福になれることがわかっている。実際に、人間は実在に従うことによって多くの発明品を作り生活を豊かにしてきた。自分を幸福にしてきた。実在に従えば夢を実現することができる。今の人はそのことをよく知っている。
今では神に似た者を信じたり力の強い者を信じたりしても何にもならないことがわかっている。だから、人々は宗教団体や暴力団体に従わなくなったのだ。
今では実在に従えば幸福になれることがわかっている。だから、今の人は実在に従うようになったのだ。学術団体に従うようになったのだ。

[13552] どうして昔の人は政府に従っていたか? h23.11.2
昔の人は政府を信仰すれば自分が幸福になれると考えていたから政府に従っていたのである。いくら政府に虐[いじ]められても、政府を信仰すれば自分が幸福になれると信じて政府に従ったのである。
しかし、今の人はそんなことはないと考えている。政府を信仰しても何にもならないと考えている。
だから、今の人は政府を信仰しなくなったのである。政府に従わなくなったのである。政府の命令を聞かなくなったのである。政府に税金を払わなくなったのである。
『拾[ひろ]う神あれば捨てる神あり』だ。今の人にとっては実在が神だから、実在を拾って政府を捨てたのだ。

[13553] どうして東京に人が多いのか? h23.11.2
昔の人は力の強い政府を信仰すれば自分が幸福になれると信じていた。
だから、人々は政府を拝[おが]みやすくするために政府が見える東京に住んでいたのである。
しかし、今では政府を信仰しても何にもならないと考えられている。
だから、今ではわざわざ東京に住まなくてもいいのである。
今では実在に従えば幸福になれると考えられている。
田舎[いなか]のほうが実在が多い。だから、今では田舎に住んだほうが幸福になれるのである。

[13554] どうしてお寺やお宮にお参[おまい]りに行くのか? h23.11.2
昔の人は仏や神を信仰すれば自分が幸福になれると信じていた。
だから、日本各地にお寺やお宮を建てて、年に数回仏や神を拝[おが]むためにお寺やお宮にお参りに行ったのである。
しかし、今の人はそんなことをしても幸福にはなれないと考えている。今は科学があるから、科学の発明品を買ったほうが幸福になれると考えている。
だから、今の人はお寺やお宮にお参りに行かなくなったのである。

[13555] 税金とは何か? h23.11.2
政府にやる賽銭[さいせん]のことである。
昔の人は政府を信仰すれば自分が幸福になれると考えていたので、政府に賽銭をやって政府を拝[おが]んでいたのである。政府の命令を聞いていたのである。
しかし、今の人は信仰によって幸福になれるとは考えていない。科学の発明品を買うことによって幸福になれると考えている。
だから、今の人は政府に賽銭をやって政府を拝むのをやめたのである。つまり政府に税金を払わなくなったのである。

[13556] どうして昔の人は政府の命令を聞いていたのか? h23.11.2
昔の人は政府を信仰すれば自分が幸福になれると考えていた。
だから、昔の人は政府の命令を聞いていたのである。いくら政府に嫌がらされても政府の命令を聞いたのである。
しかし、今の人はいくら政府を信仰しても自分が幸福になれるとは考えない。
だから、今の人は政府の命令を聞かなくなったのである。今の人は政府を無視して暮らすようになったのである。

[13557] どうして太平洋戦争をやったのか? h23.11.2
太平洋戦争は日本人に政府に従っても幸福になれないことを教えるためにやった戦争である。
だから、戦後の国民は政府に従わないのが正しいのである。
世界大戦は世界中の人類に政府に従っても幸福になれないことを教えるためにやった戦争である。
だから、戦後の人類は政府に従ってはならないのである。
第一次世界大戦は、ヨーロッパの国民に政府に従ってはならないことを教えるためにやった。
第ニ次世界大戦は、日本やドイツやイタリアの国民に政府に従ってはならないことを教えるためにやったのである。連合軍が実在に従う国で、枢軸軍が政府に従う国だったのである。連合国では政府が建っているだけで、国民は政府に従っていなかったのである。国民が政府に従っていたのは枢軸国だけだったのである。
世界大戦は、政府を信仰する人類に対するお仕置[しお]きだったのである。世界大戦は世界中の人類が仕組[しく]んだ戦争だったのである。だから、世界中で同時期に大規模にやれたのである。世界大戦は政府が起こした戦争ではなく、実在に従う人類が起こした戦争だったのである。つまり、世界大戦は、実在に従う人類の政府に従う人類に対する攻撃だったのである。世界大戦が植民地戦争と違うのは、そのためである。
つまり、世界大戦は世界中の人類に政府を信仰してはいけないことを教えるためにやった戦争だったのである。世界中の人類に実在に従わねばならないことを教えるためにやった戦争だったのである。
人類は戦争の教訓を活[い]かして、政府に従うのをやめねばならない。実在に従わねばならない。

[13558] 今の国民にとって政府は何の役にも立たない。 h23.11.2
昔の国民は政府を拝[おが]めば自分が幸福になると思って政府をありがたがっていた。
しかし、今の国民は政府を拝んでも自分が幸福になるわけがないと思って政府が要らなくなった。
政府は信仰の対象として国民の役に立っていただけである。
昔の国民は信仰をしていたから昔の国民にとって政府は必要だったが、今の国民は信仰をしないから今の国民にとって政府は要らない。
今でも政府は自分が国民に崇[あが]められていると思って、この世には自分が従う者がなく自分の好き勝手にやってもいいと思って、国民のためになることを考えずに実在に従わずに自分勝手な命令を国民に出すだけである。国民を嫌がらせる命令を出すだけである。
昔の国民は、政府が信仰の対象として役に立っていたから政府の“いたずら”を大目に見ていたが、今の国民は政府を信仰しないから政府のいたずらを大目に見ない。
今の国民にとって政府は役に立たないだけである。だから、政府はなくなればいい。国民は政府の命令を聞かずに政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[13559] 今の国民は政府に税金を払わなくてもいい。☆ h23.11.2
政府は信仰の対象として役に立っていただけである。昔の人は力の強い者を拝[おが]めば自分が幸福になると思って政府を拝んでいたのである。
昔の人は信仰をしていたから、昔の人にとっては政府が必要だった。それで、昔の人は政府に税金を払って政府の命令を聞いていた。
しかし、今の人は信仰をしないから、今の人にとっては政府は要らない。だから、今の人は政府に税金を払わず政府の命令を聞かなければいい。
政府の仕事は、国民の信仰の対象となることである。政府の仕事は、国民に信仰されることによって国民を幸福にすることである。だから、昔の国民にとっては政府が仕事をしていたから政府に税金を払わなければならなかったが、今の国民にとっては政府は仕事をしていないから政府に税金を払わなくてもいいのである。
今の国会や警察は政府からお金をもらって経営している。[今の国会や警察は政府にお金をもらっているから、政府の言いなりなのである。]しかし、今の国民は政府を信仰しないから政府にお金を払わない。国会や警察がお金を欲しければ、政府から独立して国民一人一人と契約して国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。

[13560] 墓 h23.11.2
昔は身体が死んでも“魂”[たましい]は不死だと考えられていたから、死人のために墓を建てた。
墓を建てないと死人を粗末[そまつ]にしたと魂に思われてあとで魂に仕返しされるので、魂に仕返しされないために立派な墓を建てて死人を手厚く供養[くよう]したのである。つまり、昔の人は魂に恨[うら]まれて仕返しされるのが怖[こわ]かったので墓を建てたのである。
しかし、今の人は魂の存在を信じないから墓を建てなくなっている。今の人は身体が死んだら人間はすべて終わりだと考えて墓を建てなくなったのである。
意味もわからずに漫然[まんぜん]と昔と同じことをするよりも、論理的に考えて無駄[むだ]なことはやらないほうがいい。
やっても何にもならないことはさっさとやめねばならない。

[13561] どうして昔の人は政府に従ったのか? h23.11.3
昔の人は政府を拝[おが]むと自分が幸福になると信じていたから政府に従ったのである。昔の人は政府を拝んでいたから、政府の命令を何でも聞いたのである。昔の人にとっては、政府は自分が幸福になるための機関だったのである。だから、昔は政府に人気があったのである。
一方、今の人は実在に従って自分の夢を実現することによって自分が幸福になると信じているから実在に従っているのである。生まれてから死ぬまで実在のことを勉強するようになったのである。科学の発明品を買って自分の心を満足するようになったのである。だから、今では科学に人気があるのである。
今の人はいくら政府を拝んでも自分が幸福になるわけがないと思っている。政府は自分が幸福になるために役に立たないと考えている。だから、今の人は政府に従うのをやめたのである。
幸福は人間の頭の中の問題である。だから、そもそも人間が政府を拝んで幸福になろうが、実在に従って幸福になろうが個人の勝手である。それは自分自身が決めることであって他人が決めることではない。だから、今では政府を拝みたい者は拝めばよく、実在に従いたい者は実在に従えばいい。昔は科学がなかったから、みんなが政府を拝んで幸福になるしかなかったのだ。昔の人は、政府を拝めば脳内でエンドルフィンが分泌[ぶんぴつ]されて快感が得られるようになっていたのである。昔の人にとっては政府を拝むことが生きがいだったのである。
今では政府を拝もうが実在に従おうが個人の自由である。だから、実在に従う者を無理やり政府を拝ませてはならないし、政府を拝む者を無理やり実在に従わせてもならない。
しかし、政府を拝むよりも実在に従ったほうがより多くの幸福が得られる。実在に従わず政府を拝むだけではほんの少ししか幸福になれない。政府を拝むのはやせ我慢[がまん]である。だから、今では人類みんなが政府を拝むのをやめて実在に従うようになったのである。そのほうが人類みんなが統一されていてやりやすい。だから、今では世界中の人類みんなが実在に従わねばならなくなったのである。今では実在に従うことが人類みんなの義務なのである。
今では実在に従うことが人類みんなの義務である。だから、今の人は政府や宗教団体に従ってはならない。それが、今の人にとっての正しい生き方なのだ。

[13562] 人間はどうして夢を見るのか? h23.11.3
人間が夢を見るのは、脳内でエンドルフィンを分泌して快感を得るためである。
人間が寝ているときに楽しい夢を見れば快感を得ることができる。
人間は自分が快感を得るために夢を見るのである。
夢は人間が快感を得るために生まれつき人間の脳に備[そな]わっている機能なのである。
起きているときに幸福になれない人間でも、せめて寝ているときには幸福になれるようになっているのである。

[13563] 精神分裂病とは何か? h23.11.3
正常な人間では不快感が抑[おさ]えられるようになっている。脳の中で“不快中枢を抑制する中枢”が働くようになっている。
ところが、分裂病者では“不快中枢を抑制する中枢”が働かなくなっている。だから、自分自身の不快感に苦しめられて暴[あば]れまわるのである。
分裂病者は自分で自分の不快中枢を興奮させたために、“不快中枢を抑制する中枢”が壊れて働かなくなっているのである。

分裂病者は自分で自分の不快中枢とテレパシー器官を同時に興奮させたために、不快中枢を抑制する中枢とテレパシー器官を抑制する中枢が壊れて、しかも条件反射で不快中枢とテレパシー中枢の間に連合(神経連絡)が出来たために、テレパシーが聞こえると不快になるようになったのである。

不快中枢を抑制する中枢やテレパシー器官を抑制する中枢は一度壊れると治らない。不快中枢とテレパシー器官の間に出来た連合は一度出来るとなくならない。
だから、分裂病にかからないためには、最初から自分の不快中枢やテレパシー器官を興奮させないことである。そういう習慣を身に付けることが大事である。
オナニーをすると、自分で自分の快楽中枢を直接に興奮させる習慣を身に付けたために、ちょっとしたことがきっかけで自分で自分の不快中枢やテレパシー器官を直接に興奮させるようになって、分裂病に罹[かか]りやすい。自分で自分の脳に働きかける癖が身に付くと分裂病に罹りやすい。だから、精神分裂病に罹らないためにはオナニーをやってはいけないのである。オナニーをやると、自分で自分の快楽中枢を興奮させることによって“脳内中枢”の概念が得られて、他[た]の不快中枢やテレパシー器官を興奮させるようになって分裂病に罹りやすい。一方、マンガやテレビを見ることによっては“脳内中枢”の概念が得られないので、マンガやテレビを見ても分裂病に罹らないのである。オナニーをすると自分の快楽中枢が激しく興奮するので“脳内中枢”の概念が得られやすい。一方、マンガやテレビを見ても自分の快楽中枢があまり激しく興奮しないので、脳内中枢の概念が得られにくい。オナニーすると自分の脳の中枢を興奮させる癖[くせ]が身に付くので、自分の不快中枢やテレパシー器官を興奮させて精神分裂病に罹[かか]るのである。一方、マンガやテレビを見ても、自分で自分の脳の中枢を働かせる癖が身につかないので、不快中枢やテレパシー器官を興奮させないので分裂病に罹らないのである。普通の生活では、自分で自分の脳の中枢を働かせる癖が身につかないので、不快中枢やテレパシー器官を興奮させないので分裂病に罹らないのである。‘質量エネルギー’の概念が原子爆弾の原因になるので危険なように、“脳内中枢”の概念は人間にとって分裂病の原因になるので危険である。もっとも、使い方によっては有益でもあるが。狭[せま]い知識しかない子供にとっては危険だが、広い知識を身に付けた大人にとっては有益なのである。

[13564] オナニーと精神分裂病の関係について h23.11.3
オナニーとは、自分で自分の快楽中枢を興奮させることである。
だから、オナニーをすると、「自分の“中枢”を興奮させると自分が幸福になる」と考えるようになる。人間の知覚はオナニーをそのように一般化してしまうのである。オナニーをすると自分の脳の中にある“快楽中枢”が興奮していることがわかるので、自分が幸福になるために自分の脳の中にある“中枢”を何でもかんでも興奮させるようになるのである。
だから、何かのきっかけで不快中枢が興奮したときにも、自分の不快中枢を興奮させれば自分が幸福になると考えて、自分の不快中枢を興奮させすぎて、“不快中枢を抑制する中枢”が壊れて不快中枢が興奮しやすくなって、その後ずっと自分の不快感に苦しめられることになる。他人にテレパシーで訴えようとしてテレパシー器官を興奮させたときにも、テレパシー器官を興奮させれば自分が幸福になると考えてテレパシー器官を興奮させすぎて“テレパシー器官を抑制する中枢”が壊れて、その後ずっとテレパシーが聞こえっぱなしになる。
オナニーをすると、自分の中枢を何でもかんでも興奮させようとして、不適切に自分の中枢を興奮させた結果分裂病に罹[かか]るのである。
普段人間は、自分の中枢を適切に興奮させたり抑制したりして生きている。ところが、オナニーをすると、とにかく自分の中枢を興奮させれば自分が幸福になれると考えて、闇雲[やみくも]に自分の中枢を興奮させる。その結果、不快中枢とテレパシー器官を同時に興奮させて精神分裂病に罹るのである。
要するに、オナニーをすると脳が興奮しやすくなる。不快中枢やテレパシー器官が興奮しやすくなる。だから、精神分裂病に罹りやすくなって危険である。
つまり、オナニーと精神分裂病の間には関係がある。オナニーをすると精神分裂病に罹りやすくなる。冬場に裸で外に出ると風邪[かぜ]を引きやすくなるのと同じことである。
だから、精神分裂病に罹らないためには、オナニーをしてはならない。
オナニーをして汚い快楽に耽[ふけ]るよりも、自分の趣味を大切にして生きればいいのである。
もっとも、オナニーをしなくても、自分の不快中枢とテレパシー器官を同時に興奮させさえすれば精神分裂病に罹るから、オナニーだけが精神分裂病の原因ではない。だから、自分がオナニーしないからといって油断してはいけない。

[13565] 政府は国民が拝[おが]むためにある。 h23.11.4
昔は人々が強い者を信仰する習慣があった。昔の人は強い者を拝むことによって快感を得て幸福に暮らしていたのである。
政府は古代の暴力団体同士の闘争で勝ったので強い者だと考えられていた。
昔の人は政府を拝[おが]んでいた。だから、政府に従った。
今の人は政府を拝んでいない。だから、政府に従わない。
今の人は実在に従うことによって自分の夢を実現することによって幸福に生きている。
今の人にとって政府は要らない。だから、今の人は政府にお金(税金)をやらなくなって政府が滅んでいるのである。

[13566] どうして人間にはテレパシー器官があるか? h23.11.4
人間にテレパシー器官があるのは、昔の人がテレパシーで意思伝達をしていたからである。
昔はまだ言葉がなかったので、人々は言葉を使う代わりにテレパシーで直接に意思を伝達していたのである。
その頃の名残[なごり]で、今でも人間の脳にはテレパシー器官があるのである。
今では言葉があるから、テレパシー器官を使わなくなっている。
テレパシー器官は精神分裂病の原因にもなる危険な器官である。
だから、人間はテレパシー器官を働かさないように注意しながら暮らさなければならない。

[13567] 税金とは何か? h23.11.4
政府の“拝[おが]み代”である。
昔の国民は、力の強い者である政府を拝んで快感を得て幸福に生きていたから、政府は自分に対する“拝み代”として国民から税金を取っていたのである。
しかし、今の国民は政府を拝むことによって幸福に生きていない。今の国民は政府を拝んでいない。だから、政府はもはや国民から“拝み代”を取ることはできないのである。

[13568] 『知は力である。』 h23.11.4
『知は力である。』とは、フランシス・ベーコンが言った言葉である。
『知は力である。』とは、『人間が実在に従えば、実在を支配できる。』ということである。つまり、『人間が実在に従えば、実在を自分の思い通りにすることができて、自分の心を満足できる。』ということである。
昔の人は実在に従わなかった。だから、昔の人は実在を支配できなかった。だから、昔の人は力の強い者や神に似た者を拝むようなみみっちい幸福しかなかったのである。昔は娯楽がなかったので、人々はそんなことでもしなければ幸福になれなかったのである。
しかし、今の人は実在に従っている。だから、今の人は実在を支配できる。だから、今の人は自分の夢を実現することによって幸福に生きることができるのである。今の人は、テレビを見たり音楽を聴いたりゲームをやったり美味[おい]しい物を食べたりきれいな服を着たりしていろんな喜びがあるのである。今の人がいろんな道具(科学の発明品)を使うことが実在に従うことなのである。実在に従いながら自分の心を満足することなのである。
昔の人の幸福よりも今の人の幸福のほうがだんぜん多い。だから、今の人は力の強い者や神に似た物を拝むのをやめて、ひたすら実在に従うようになったのである。政府や宗教団体に従うのをやめて、学術団体に従うようになったのである。自分が実在について勉強して、その知識を活かして自分の心を満足して生きるようになったのである。

[13569] 奴隷根性 h23.11.4
昔の人が力の強い者や神に似た者を拝むことによって快感を得ることができたのは、自分の心の中にある“奴隷根性”を満足していたからである。
人間の心には“自分が他人のお人形になることによって喜びを感じるいやらしい感情”がある。
昔の人は“自分が他人のお人形になる喜びの感情”を満足して幸福に生きていたのである。

昔の人は自分が力の強い者や神に似た者の言いなり人形になることを喜びにして生きていたのである。だから、例えば、政府(力の強い者)の命令で戦争のとき特攻でも何でもできたのである。
しかし、今の人はそんな情けない感情を満足して生きてはいない。そんなかっこ悪い感情を満足していない。
今の人は実在に従いながら自分の心を満足して幸福に生きている。つまり、科学の発明品を使って自分の心を満足して幸福に生きている。今の人は、実在を使って自分の夢を実現する喜びで生きている。
人間にとっては力の強い者や神に似た者を拝んで奴隷根性を満足するよりも、実在を使って自分のいろんな感情を満足したほうがはるかに多くの喜びが得られる。
だから、今では人々は実在に従って、力の強い者や神に似た者に従わなくなったのである。学術団体に従って、政府や宗教団体に従わなくなったのである。今の人にとっては、実在だけが必要であり、政府や宗教団体は要らなくなったのである。

[13570] 政府はもはや経営できない。☆ h23.11.5
これまで政府がやってこれたのは、国民みんなが政府を拝んでいたからである。国民みんなが政府を拝んで幸せになっていたから、国民が政府に拝み代(つまり税金)を払って政府は収入があったのである。
しかし、今では国民が政府を拝んでいない。今の国民は科学の発明品を買って使って幸福になるようになった。[科学の発明品は実在する物だから、科学の発明品を買って使うことは実在に従うことにほかならない。今の国民は実在に従いながら自分の心を満足することによって幸福になるようになったのである。]今の国民は自分を幸福にする方法が変わった。今では政府を拝んで幸福になる国民はいない。だから、国民は誰も政府に拝み代を払わない。だから、政府は経営できない。政府は潰[つぶ]れるしかない。
昔は国民が政府を拝んでいたから、国民は政府の言いなりだった。国民は政府の命令に何でも従った。今では国民が政府を拝んでいないから、国民は政府の命令を聞かない。
自分が政府を拝めば政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならないが、自分が政府を拝まなければ政府に税金を払わず政府に従わなくてもかまわない。本来政府を拝むか拝まないかは国民個人の自由である。しかし、社会にとっては、国民みんなが政府を拝むか国民みんなが政府を拝まないかのどちらかひとつで統一されていることが望ましい。今では国民のほとんどが政府を拝まなくなったから、国民みんなが政府を拝まないことで統一されるようになったのである。あとは、“実在の法律”を守る範囲内で、政府を拝みたい者が政府を拝んで幸せになればいいだけである。

[13571] 政府や宗教団体の時代は終わった。 h23.11.5
昔の人々は力の強い者や神に似た者を拝んで喜びを得て幸福になっていた。昔の人々は政府や宗教団体を拝むことを生きがいにしていた。
昔は娯楽がなかったので、人々はそんなことでもしなければ幸福にはなれなかったのである。
反対に、今は娯楽がありすぎて、人々が毎日遊びに耽[ふけ]ってバカになっている。昔の人は暇があると自分で考えごとをして賢くなっていたが、今の人は暇があると娯楽ばかりやるので自分で考え事をしないのでバカになっている。
しかし、いくら今の人がバカになったからといって、今の人が政府や宗教団体を拝むことはない。なぜなら、今では力の強い者や神に似た者を拝んでも楽しくないからである。今では娯楽がたくさんあるので、そんな喜び(力の強い者や神に似た者を拝む喜び)は取るに足らないものとして捨てられてしまったからである。
だから、もはや二度と政府や宗教団体の時代は来ないのだ。

[13572] どうして今の人は結婚しなくなっているか? h23.11.5
昔は娯楽がなかったが、今では娯楽がたくさんある。科学によってたくさんの娯楽品が作られるようになったからである。
一方、結婚の喜びはわずかしかない。性欲や愛情の喜びはたかが知れたものである。
だから、今の人は結婚しなくなったのである。
このままでは、人類は滅びるかもしれない。
しかし、たとえ人類が絶滅しても、人々は娯楽を捨てないだろう。それが人間というものだ。
今では娯楽がたくさんあって、人々は結婚しなくなっている。今の人は結婚しなくなっているから、独身の女性が増えている。女性が自分で働いて収入を得なければならなくなっている。だから、女性の人権が認められて男女平等になっているのだ。

[13573] どうして昔の国民は政府に税金を払っていたのか? h23.11.6
昔の人は「力の強い者を拝[おが]めば自分が幸せになれる」と考えて、政府を拝んでいた。
昔の人は政府を拝んでいたために政府の言いなりだったので、政府の言うことを何でも聞いた。
政府は国民に「お金を出せ」と言ったので、国民は政府に税金を払っていたのである。
しかし、今の人は「力の強い者を拝めば自分が幸福になれる」という迷信を信じていない。だから、今の人は政府を拝んでいない。
今の人は政府を拝んでいないから、もはや政府の言いなりではない。
だから、今の人は政府の命令を聞かなくなっている。たとえ政府が国民に「お金を出せ」と言っても国民は政府にお金を払わないのだ。

[13574] 国民の問題 h23.11.6
昔の国民が政府に従っていたのは、国民が「力の強い者を拝めば自分が幸福になれる」と思って政府を拝んでいたからである。[今の子供に力の強いウルトラマンや仮面ライダーが人気があるように、昔の人には力の強い政府が人気があったのである。それが高[こう]じて、昔の人は「力の強い者を拝めば自分が幸福になれる」とか「力の強い者に従うことが正しいことだ」とか「力の強い者が正しい」などと考えるようになったのである。]
昔の国民は政府に暴力で脅[おど]されてしかたなく政府に従っていたのではなく、自分が「力の強い者を拝めば自分が幸福になれる」と信じて自分から喜んで政府に従っていたのである。
つまり、国民は自分で自分を政府に従わせていたのである。
しかし、今の国民は『実在に従って幸福になる』ようになったので、もはや「力の強い者を拝めば自分が幸福になれる」と考えていないから、政府を拝まず、政府に従わない。政府の時代は終わったのだ。
かつてキリストは、「国民を暴力で支配している政府が悪い」と考えて一人で政府と戦って負けたが、本当に悪いのは「力の強い者を拝めば自分が幸福になれる」と信じていた国民のほうだったのだ。だから、キリストがいくら政府と戦っても無駄[むだ]だったのだ。キリストは人々の迷信と戦うべきだったのだ。もっとも、キリストの時代にはまだ迷信を打ち消すのは無理だっただろうが。

[13575] 国民主義 h23.11.6
政府が支配していた時代にも法律が認められていたのは、国民が法律を欲していたからである。
政府にとっては法律なんか要らないのに、社会的に法律が認められていたのは、国民が法律を欲しかったからである。
そもそも政府が国民を支配していたのも、国民が政府を拝[おが]んでいて、国民よりも上の者である政府に国民を支配して欲しいと思っていたからである。国民が政府に従ったから、政府が国民を支配できたのである。国民は「政府を拝むと自分が幸福になる」と信じていたから、政府の“いたずら”(政府が国民を嫌がらせること)を大目に見て政府を笑って許していたのである。[人間の脳は生まれつき力の強い者や神に似た者を拝[おが]むと快感が得られて気持ちよくなるようになっている。だから、昔の人は一生の間力の強い者や神に似た者を拝んで暮らしていたのである。しかし、しょせんは科学で得られる快感には及ばない。だから、今の人は科学の発明品で遊ぶようになって、力の強い者や神に似た者を拝むのをやめたのである。]
この世は大昔からずっと、国民主義だったのである。
最初から政府主義なんてものはないのである。
だから、今の国民にとって政府が要らなければ、政府はなくなるしかないのである。
今の国民にとっては立法機関と行政機関と司法機関だけあればよく、国民が拝むためにある政府は要らないのである。[そもそも国会や警察や行政機関は国民であって、政府ではない。政府は国民が拝むためにある機関であって、立法機関でも行政機関でも司法機関でもない。昔の人はみんな政府を拝んで政府に従っていたから、国会や警察や行政機関も政府に従っていただけである。昔の人はみんな政府に従うだけでそれ以外の者に従ってくれなかったので、国会や警察や行政機関が国民に法律を守らせるためにはどうしても政府と組まねばならなかったのである。それで国会や警察や行政機関は政府と組んでいるのである。しかし、今の人は政府を拝まなくなっているので、政治機関(立法機関=法律を作る機関や行政機関=国民を法律に従わせる機関や司法機関=法律の違反者を取り締[し]まる機関のこと)が政府と組むメリットはもはやない。だから、政治機関は政府と分かれるべきである。今の人は拝む者がないから、人間はみな平等になっている。だから、政治機関も国民と平等である。だから、政治機関は国民と契約をとって国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならない。政治機関は国民のために仕事をして国民からお金をもらわねばならない。今の人は拝む者がないから、政府は実質的にはなくなっている。政府は死んだ機関である。]
だから、立法機関や行政機関や司法機関が国民と契約をとって法律の仕事をして国民からお金をもらえばいいのである。

[13576] どうして最近の人は酒を飲まなくなったのか? h23.11.6
今ではゲームやビデオやオーディオなどの娯楽品がたくさんあって、人々は娯楽品を買って使って人生を楽しんで生きるようになっている。
娯楽品で得られる快感は多い。
一方、酒で得られる快感はわずかである。
だから、今の人は酒を飲むのをやめたのである。酒を飲むよりも娯楽品で遊んだほうが楽しいから、娯楽品で遊ぶために酒を飲むのをやめたのである。酒を飲むと、娯楽品で得られる快感が鈍[にぶ]るから、酒を飲むのをやめたのである。
それに、酒は胃癌[がん]や腸癌の原因だから、飲まなくなったのである。

[13577] 今の政府は嫌われ者だ。 h23.11.6
昔の政府は国民に拝[おが]まれる者として国民の役に立っていた。国民は政府を拝んで幸福になっていた。政府は国民に拝まれることによって国民を幸福にしていた。だから、政府は国民に好かれていた。政府は国民の人気者だった。
ところが、今の政府は国民に拝まれていない。だから、今の政府は国民を幸福にしていない。今の政府は国家宗教などで国民の嫌がらせをしているだけである。今の政府は国民にとって何の役にも立っていない。今の政府が好きな国民は一人もいない。
今の政府は国民に嫌われている。今の政府は嫌われ者である。
国民は政府に背中を向けている。政府はもうすぐ滅ぶだろう。
昔の政府は人気者だったから、国民は政府と組みたがった。国民が政府と組めば自分も人気者になれた。しかし、今の政府は嫌われ者である。だから、国民は政府と組まないほうがいい。政府と組むと自分も嫌われる。だから、国民は政府と縁[えん]を切るべきである。

[13578] 政治とは何か? h23.11.7
政治の政は“まつりごと”である。
つまり、政治とはまつりごとで世の中を治めることである。
昔の人は力の強い者を拝[おが]んで幸福になっていた。政府は国民に拝まれることによって国民を幸福にして世の中を治めていた。だから政治というのである。政府は、古代の暴力団体同士の闘争で優勝して日本一になったから、力の強い者と考えられていたのである。
一方、法律で世の中を治めるのは、正確には“法治”[ほうち]である。
だから、立法機関や行政機関や司法機関は正確には法治機関である。政治機関ではない。
今の国民には力の強い者を拝む習慣はない。今の国民にとって必要なのは政治機関ではなく法治機関である。

だから、暴力団も政治機関である。政府と暴力団は政治機関である。
崇拝機関は国民に拝まれていたので国民よりも上の者だったので、国民に何でも命令できた。崇拝機関は国民よりも上の者だったので、国民に対して好き放題なことがやれた。[昔の政府は国民みんなから拝まれていたので、国民に対してはそんなに悪いことはしなかったかもしれない。いくら政府が国民に上の者だと思われていても、政府が国民から拝まれなくなったら政府はおしまいなので、政府は国民に対しては自分が悪さをやっていることがバレない程度に悪さをするしかなかったのだろう。つまり、昔の政府は今の政府とあまり変わらなかっただろう。しかし、今の国民は政府を拝んでいないから、もはや政府は国民よりも上の者ではない。だから、政府は国民に対して悪さ(いたずら)をできない。つまり、崇拝機関は好き放題にやれるのではなく、崇拝機関にはできることに限界がある。国民に崇拝されることが崇拝機関の制限になるからだ。]
一方、法治機関は国民に拝まれていないので国民よりも上の者ではないので、もはや国民に命令できない。国民に対して好き放題なことがやれない。今では国民みんなが実在に従うことによって幸福になっていて、国民みんなが実在に従わねばならないと考えているので、“実在の法律”で国民を管理すればいい。今の国民はみんな実在の法律を守らなければならないと考えているので、実在の法律の違反者を取り締[し]まることができる。法治機関は国民と平等だから政府のように国民から強制的に税金を取ることはできないが、国民みんなが法律が必要だと考えているから自主的に法治機関にお金を払ってくれるだろう。法治機関が国民から無理やりお金を取らなくても、国民みんなが自分から進んで法治機関にお金を払ってくれるだろう。法治機関が料金を安くすれば、国民みんなが法治機関にお金を払ってくれるだろう。ほとんどの国民は法治機関と契約するだろうが、中には契約しない者もいる。法治機関と契約しない者には、万一犯罪にあって司法機関を利用したときに「高い料金」(100万円ぐらい)を取ることにすればいい。そうすれば、国民はビビって法治機関と契約して毎月少しずつお金を払うだろう。法律そのものは物ではないが、法律は物と関係が深いので、法律を物と考えてもいい。法律がなくなると、国民の生活がメチャクチャになる。だから、国民にとっては法律が必要である。国民にとっては法治機関が必要である。

[13579] 法律について h23.11.8
法律は社会を動かすプログラムである。
法律はOSである。個々の会社はOSの上で動くアプリケーションである。
法律をよくすれば、国が発展するかもしれない。
一方、ソフトとは別にハードがある。
日本の人間や国土がハードである。
ハードとソフトがうまくかみ合えば、日本は発展する。
今の日本の法律は日本のハードに適合していないのかもしれない。だから、今の日本は発展しないのだ。
日本のハードに適合した法律にすれば日本は発展する。
そんな法律を立法機関は作らねばならない。
今の日本の法律はヨーロッパ式の法律である。そのせいで今の日本は発展しない。日本のハードとヨーロッパのOSが適合していないから、日本が発展しない。
日本は思い切って法律を変えてみたらどうだろうか?
例えば、オナニーしたら3日間牢屋に入っていなければならない法律を決めたらどうだろうか?
例えば、人間は勉強しないとバカになるが、勉強しすぎてもバカになる。だから、子供の勉強時間を何時間から何時間までと制限する法律を決めたらどうだろうか?
例えば、日本人は自分で考えるのが好きである。他人から学ぶのが嫌いである。だから、義務教育を廃止したらどうだろうか?学校を廃止したらどうだろうか?
要するに、個人が自分の得意なことがやれる社会を作れば社会は発展する。そういう社会を作ればいい。個人が自分の得意なことがやれるように法律を決めればいい。
例えば、江戸時代には『家制度』があった。職業選択の自由がなかった。だから、個人が自分の人生の選択をまちがってわざわざ自分の苦手なことをやらなかったので個人の才能が活かされて社会が発展したのである。『巨人の星』の星飛雄馬が野球ばかりやっているように国民みんなが一生の間中ずっと自分の仕事のことばかりやっていたので、国民みんなが自分の仕事が上手になって国が発展したのである。星飛雄馬の野球バカに勝るとも劣らず、国民みんなが仕事バカだったのである。今では個人の自由が認められているが、そのために社会が発展しなくなっている。自由が必ずしもいいとは限らない。今の日本が思い切って家制度を設[もう]ければ、おそらく世界中の笑い者になるだろうが、あとで日本が世界中を笑う日が来るかもしれない。
一方、崇拝機関を拝む制度は、政府や暴力団体や宗教団体が国民よりも上の者になって、社会の発展の妨げになる。だから、崇拝機関を拝む制度はやめねばならない。これまで国民は娯楽がなかったから、やむをえず拝むことを娯楽にしていたために政府や暴力団や宗教団体が国民よりも上の者になって社会の発展が妨げられていた。しかし、今の国民はたくさん娯楽があるから拝まなくていいので、政府や暴力団や宗教団体が国民よりも上の者ではなくなって社会が発展しやすくなった。いいことだ。つまり、昔は崇拝機関を拝まねばならない法律があった。崇拝機関に従わねばならない法律があった。しかし、今はそんな法律はない。だから、国民は自由が増えた。国民は自分に与えられた自由を活かして、よりよい世界を築くことに貢献[こうけん]しなければならない。

[13580] 日本は農業の国? h23.11.8
日本は水がおいしいから、米がうまい。
だから、日本の米を外国に輸出すれば日本が儲[もう]かる。
今では、飛行機で空輸もできるから、新鮮な米が輸出できる。
将来の日本は、国民みんなが田んぼで米を作るようになっているかもしれない。

[13581] 日本はアニメの国? h23.11.8
日本人は絵がうまい。[外人は絵が下手[へた]だ。例えば、『デ・ジ・キャラットにょ』では中国人が絵を描いたために顔がぎこちなくなっている。]
だから、日本人が絵を描くと世界中によく売れる。
だから、日本はアニメを作ればいいのである。
ただ、日本のアニメは絵はともかく、話のクオリティが高くない。特にテレビアニメはくだらない話が多い。
だから、今後はもっと話にも力を入れて“質の高いアニメ”を作るようにしなければならない。

[13582] 日本はゲームの国ではない。 h23.11.8
私はこれまでずっとエレクトロニック・アーツ社の『バトルフィールドシリーズ』で遊んできた。バトルフィールドシリーズはほとんど全部買った(『バッドカンパニー』だけは買ったことがないが、今後買うつもりだ)。『バトルフィールド2』で5年間遊んだが、一度も飽きることがなかった。
私から見ると、日本のゲームは全部面白くない。センスがだらけていて面白くない。
だから、日本はゲームの国ではない。
日本でゲームを作っても無駄[むだ]だ。
自分が苦手なことをやっても、いい物ができないから儲[もう]からない。
だから、日本はゲームを作るのをやめるべきである。

[13583] 法治機関の時代 h23.11.8
今は法治機関の時代である。政治機関の時代ではない。今の国民は政府を拝[おが]んで幸福になることはないので、国民にとっては政府は要らない。政府は娯楽がない時代の国民にとっての「拝んで遊ぶオモチャ」だったのである。今の国民にはもっと面白いオモチャがたくさんあるので、古臭い面白くないオモチャ(政府のこと)は要らなくなったのだ。
今の国民にとっては法治機関だけがあればよく、政治機関は要らない。
法律は国を動かすプログラムである。
法治機関の法律しだいで日本は発展もすれば滅びもする。
だから、法治機関にはよっぽど優秀な人を入れなければならない。
ヤフーオークションでヤフーが出品者から落札価格の5%をシステム利用料として取るように、法治機関は契約した国民や会社の収入の『1割』を料金として取ることにすればいい。
そうすれば、法治機関が国を豊かにすればするほど法治機関の収入が増えるので法治機関は真面目[まじめ]に仕事をするだろう。
法治機関は今の政府みたいに国民や会社から正規に税金を取るのとは別に物品税を取ったり消費税を取ったり、信者にピンはねをさせたりしてはいけない。
法治機関が卑怯[ひきょう]なまねをすれば、国民は契約を解約して法治機関にお金をやらなければいい。国民が卑怯な法治機関を攻撃すればいい。悪い法治機関を潰[つぶ]して、いい法治機関に入れ替えればいい。
今の法治機関(国会や行政機関や警察など)は国民の暮らしを豊かにしていない。政府の税金を当てにして何も仕事をしていない。仕事らしい仕事をしていない。ブラブラ遊んでいるだけだ。今の法治機関は怠慢[たいまん]バカだ。だから、国民にとって今の法治機関は要らない。国民は今の法治機関と契約しない。もっと、『画期的な頭のいい法治機関』が出来ない限り、国民は法治機関にお金を払わないだろう。

[13584] 日本人に自由は要らない。 h23.11.8
ヨーロッパの法律では、人間に最大限の自由が認められている。
それでもヨーロッパが発展するのは、ヨーロッパには優[すぐ]れた道徳があるからである。ヨーロッパには、人間が善く生きるという決まりがある。だから、ヨーロッパでは法律で自由を認めていても、個人が自分から善く生きようとするので、国が発展するのである。
一方、日本の法律はヨーロッパの法律を真似[まね]て作られているので、やはり個人の自由が最大限に認められている。
しかし、日本は衰退している。日本にはヨーロッパほどの優れた道徳がない。日本には、人間が善く生きるという決まりがない。だから、日本では、法律で自由を保障すると、個人がくだらないことばかりやって、国が悪くなって衰退する一方なのである。
日本人は決まりに弱いから、“いい決まり”を決めると“いい決まり”に従ってどんどんよくなる。だから、日本の法治機関は、個人の自由を犠牲[ぎせい]にしてもかまわないから、どんどん“いい決まり”を決めればいい。江戸幕府の例でわかるように、日本人は不自由に強い民族である。日本人は不自由を活かす力がある。日本は、法治機関が“いい決まり”を決めるとどんどん善くなる国なのである。反対に、法治機関が個人の自由を認めるとどんどん悪くなる国なのである。日本を活かすも殺すも法治機関しだいなのだ。
日本で犯罪が少ないのは、日本人が決まりに弱い証拠である。一方、ヨーロッパやアメリカで犯罪が多いのは、ヨーロッパ人やアメリカ人が決まりに強い証拠である。つまり、日本人は決まりをよく守るが、ヨーロッパ人やアメリカ人は決まりを守らないのである。日本人は他人が決めた決まりをよく守るが、ヨーロッパ人やアメリカ人は自分で決まりを作ろうとする。日本人は他人本位であるが、ヨーロッパ人やアメリカ人は自分本位である。だから、ヨーロッパやアメリカでは法治機関が個人の自由を認めれば国民が善くなるが、反対に日本では法治機関が個人の自由を認めなければ国民が善くなるのである。つまり、ヨーロッパ人やアメリカ人と日本人では国民性(国民の性格)が違うから、日本でヨーロッパやアメリカと同じ法律を使ってはいけないのである。
ヨーロッパには優れた科学だけではなく優れた道徳がある。日本には両方ともない。科学と道徳は比例する。科学が進んで道徳が遅れた国なんかない。日本の科学が遅れているのは道徳も遅れているからである。ヨーロッパは科学も道徳も両方とも優れているが、日本は科学も道徳も両方とも劣っている。日本にはヨーロッパのような優れた道徳がない。だから、日本はヨーロッパの法律を使わずに、日本に合った法律を使わねばならない。

[13585] どうして政府は上の者だったのか? h23.11.9
昔の国民は政府を拝[おが]んでいた。昔の国民にとっては、力の強い者を拝むことが娯楽だったからである。政府は古代の日本で暴力団体(豪族)同士の闘争で優勝したので、力の強い者だと考えられていたのである。[政府が古代の日本の暴力団体同士の闘争で優勝したという“物的証拠”はない。ただ噂[うわさ]ではそういうことになっているだけである。]
昔の国民は政府を拝んでいたから、政府が国民よりも上の者だったのである。国民は政府を上の者だと思っていたから、政府は国民に対して何でも命令できたのである。
しかし、今の国民は政府を拝んでいない。今の国民は、娯楽品を買って使うことによって自分の心を満足するようになったので、今の国民にとっては力の強い者を拝むことが娯楽ではなくなったからである。
今の国民は政府を拝んでいないから、政府は国民よりも上の者ではない。国民は政府を上の者だと思わなくなったから、政府は国民に対して何も命令できない。
つまり、政府が国民よりも上の者だったのは、国民が政府を拝んでいたからである。国民が政府を拝めば政府は上の者であり、国民が政府を拝まなければ政府は国民よりも上の者ではない。昔の国民は政府を拝んでいたから政府が上の者だったが、今の国民は政府を拝んでいないから政府は上の者ではないのである。

[13586] 国民は今の法治機関にお金を払う必要はない。 h23.11.9
今の人には拝む者がいない。だから、今では人間はみな平等である。
だから、人間はみな契約を取って仕事をしなければならない。押し売りはいけない。
ところが、今の法治機関は国民と契約を取って仕事をしていない。
だから、国民は法治機関にお金を払う必要はない。今の法治機関は自分勝手に仕事をしているだけだから、国民は法治機関にお金を払わなくていい。

国民が「自分からお金を払いたい」と思うぐらいの法治機関でなければお金を払う値打ちはない。そういう法治機関を作らねばならない。今の法治機関のように、仕事をしているかしていないかわからないぐらいの法治機関ならないほうがマシだ。
今の法治機関が仕事をしていないのは、政府からお金をもらっているからである。ところが、今では国民は政府を拝まなくなっているから、国民は政府に従わなくなっていて、政府に税金を払わなくなっている。政府はお金がなくなっている。法治機関は政府からお金をもらえなくなっているから、政府から独立して国民と契約をとって仕事をしなければならない。国民と契約を取るためには、法治機関は真面目[まじめ]に仕事をしなければならない。

[13587] いい法律とは? h23.11.9
法律は社会を動かすプログラムである。OSである。[[13579]参照。]
法律がよければ国が発展するし、法律が悪ければ国が衰退する。
国を活かすも殺すも法律しだいである。
いい法律を作るためには、これまでの国の景気がよかった時代の政策で固めればいい。
例えば、日本は江戸時代に景気がよかった。江戸時代には家制度をやっていた。職業が家で固定されていた。だから、職業の選択を認めない法律がいい法律なのである。しかし、それではきつい仕事と楽な仕事で差が出来るから、幕府は身分制で仕事によって税金に差をつけて、きつい仕事のほうが楽な仕事よりも儲[もう]かるようにしていたのである。身分が高い者ほど税金が安くなるようにしたのである。幕府自身は、自分で自分に税金を払う必要はないから、身分が一番高かったのである。つまり、身分制とは、職業によって家によって税金の取り分を変えることにすぎなかったのだ。[幕府は政治機関と法治機関が一体化している。政府は政治機関と法治機関が別である。というか、法治機関は政府外の団体であって、政府ではない。政府は純粋な政治機関である。とにかく、幕府の政策は当時としては世界最高水準にあったのである。幕府の法治機関は頭のいいエリート集団だったのだ。幕府は政治機関として国民に拝まれて国民よりも上の者として国民に嫌がらせをしたけれども、その一方で法治機関として国民の役にも立っていたのだ。徳川幕府は天才法治機関だったので、国民みんなが黄門さまに土下座したのだ。]
そういう制度なら、国民みんなが納得して法治機関に従うだろう。国民みんなが法治機関と契約して法治機関の取り決めに従うだろう。
これまでは法治機関は政治機関からお金をもらっていたからでたらめな政策がやれた。法治機関は政治機関からのお金を当てにして何もせずにブラブラ遊んでいればよかった。しかし、今では国民は政治機関を拝まなくなって政治機関にお金を払わなくなっている。今後は法治機関は政治機関からお金をもらえないから、法治機関は国民が納得する政策をやらねばならない。国民が気に入る政策をやらねばならない。そうすれば、国民は法治機関と喜んで契約して法治機関にお金を払うだろう。法治機関は国民からお金を取るためにあるのではない。法治機関は国民からお金を取ることが仕事ではない。法治機関は国民が喜ぶ政策をすることが仕事である。
保険会社が自分のサービス内容を国民に宣伝するように、法治機関は自分の政策を国民に宣伝しなければならない。国民は法治機関の政策が自分の気に入れば、法治機関と契約して法治機関にお金を払う。そういうやり方で経営できない法治機関は、そもそも最初からないほうがいい。存在する価値がない。法治機関は国に2つ以上あってもいい。法治機関同士が競争しあって、いい法治機関だけが残ればいい。そうすれば、いい国になる。
どんな法律がいい法律かは今後の課題である。みんなも自分で考えてみればいい。
とりあえず、今の法治機関は政府のお金を当てにして仕事をしていないから、国民にとっては要らない。だから、国民は今の法治機関と解約すればいい。もっといい法治機関が出来るまで契約しなければいい。

[13588] 法治機関を経営できるようにする方法 h23.11.9
今の人には拝[おが]む者がいないから、人間はみな平等である。[昔の人には拝む者がいたから、人間が不平等になっていたのである。]
法治機関は国民と平等だから、法治機関が国民から強制的に税金を取ることはできない。法治機関は国民と契約を取ってから国民からお金を取らねばならない。だから、法治機関が経営できるためには、国民が法治機関と契約を取りたくなるようにしなければならない。
法治機関と契約する国民を増やすためには、国民が犯罪にあったらお金をもらえるようにすればいい。犯罪に応じてもらえるお金の額を変えるようにすればいい。
そうすれば、国民は万一自分や家族が犯罪にあった場合に備えて、法治機関に入るだろう。法治機関と契約をしてお金を払うだろう。
警察で犯人に復讐しても自分の恨[うら]みが晴れるだけで、“実質的な利益”がない。
法治機関は今後はもっと国民の“実質的な利益”になるサービスをしなければならない。
いっそのこと、法治機関はただで国民みんなにサービスをすればいい。
国民の大半が法治機関を利用するようになってから、有料サービスに切り替えればいい。ヤフーオークションが利用者が増えてから出品者からお金を取るようになったように、国民の大半が法治機関を利用するようになってから利用者からお金を取るようにすればいい。今でもヤフーのいくつかのサービスが一般人に無料で利用できるように、法治機関もいくつかのサービスを一般人に無料で利用できるようにすればいい。有料会員と無料会員に分けたらいい。例えば、有料会員も無料会員も犯罪にあえば警察が犯人を逮捕するが、有料会員には犯罪にあえばお金がもらえるが、無料会員にはお金がもらえないようにすればいい。
そもそもこんなことは法治機関が自分で考えればいいことであって、私が考えてもしかたがない。

[13589] 政治機関も法治機関も国民から税金を取れない。☆ h23.11.10
昔の政府が国民から税金を取っていたのは、昔の国民が政府を拝[おが]んでいたからである。昔の国民は政府を拝んでいたために、政府が国民よりも上の者となって、政府が国民から税金を取っていたのである。
しかし、今の国民は政府を拝んでいないから、政府はもはや国民から税金を取れない。
昔は国民が政治機関を拝んでいたから政治機関が国民よりも上の者だったが、今では国民が政治機関を拝んでいないから政治機関は国民と平等である。今では暴力団や宗教機関も国民と平等である。
一方、法治機関は国民と平等である。法治機関は昔からずっと国民と平等である。これまで法治機関は政治機関が国民から取った税金の一部を政治機関からもらっていたのであって、法治機関が国民から税金を取っていたのではない。法治機関は政治機関からお金をもらっていたので、法治機関は政治機関の役に立つことをした。法治機関は国民の役に立つよりも政治機関の役に立つことをした。法治機関は政治機関のために法律を作っていた。だから、憲法には「国家宗教の自由」や「納税の義務」が定められているのである。昔は国民も法治機関も政治機関を拝んでいたので、法治機関は政治機関のために法律を作った。今では国民も法治機関も政治機関を拝んでいないが、法治機関は政治機関からお金をもらっているので、今でもなお法治機関は政治機関のために法律を作っているのである。

しかし、今では国民は政治機関を拝んでいないので政治機関に税金を払わなくていいから、もはや法治機関は政治機関からお金をもらえない。法治機関は自分で国民から税金を取るしかない。
ところが、今の法治機関は民主主義を原理としている。
民主主義つまり多数決では真理に反することは決められない。
今では『人間が平等である』ことが真理である。今の人には拝む者がいないので、人間はみな平等になったのである。
だから、たとえ法治機関が民主主義であっても、人間の平等性に反することは決められない。
税金は人間の平等性に反することである。
だから、法治機関は国民から税金を取れない。
つまり、今では政治機関も法治機関も国民から税金を取れない。
だから、政治機関も法治機関も国民と契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわねばならないのである。


[13590] 今は自由の時代 h23.11.10
法律は世界共通法(国連憲章)と法治機関の政策を合わせたものである。法律=世界共通法+政策。
ところが、最近では国民がわがままになって、国民の自由を認めることになっている。
だから、政策はなしである。政策=0。
つまり、今では法律は世界共通法だけである。法律=世界共通法。
現代では、法律は個人の人権を保障するものにすぎない。あとはいっさい個人の自由ということである。
国を活かすも殺すも個人しだいということである。国民しだいということである。
法治機関は人権保障以外のことは何もしてくれないから、国をよくしたければ個人一人一人ががんばるしかない。
つまり、法治機関は国民の人権を保障する会社である。
だから、自分の人権を保障してほしい者は法治機関と契約すればよく、保障してくれなくてもいい者は契約しなければいい。日本は治安がいいから、法治機関の料金が高いと契約しない者が増えるだろう。貧乏人は自分ひとりで自分の身を守って命がけで生きていくしかない。しかし、戦争がお金儲けのためにあったように、犯罪もお金儲けのためにある。貧乏人には盗られる物はない。だから、貧乏人は犯罪にあわない。貧乏人でも幸福に暮らせるだろう。お金持ちは他人に狙[ねら]われやすいから、念のために法治機関と契約したほうがいいだろう。
もっとも、法治機関が国民と契約を取って仕事をやるかぎり、法治機関がどうしようが法治機関の勝手だが。法治機関が政策をやりたければやればいい。国民が自由が嫌いなら法治機関の政策を喜ぶだろう。

[13591] 日本を州に分ける。 h23.11.10
日本には法治機関が2つ以上あってもいい。法治機関が競争しあって、いい国になればいい。
しかし、国民がバラバラに法治機関に入っていると、法治機関も仕事がやりにくい。
そこで、日本を州に分ければいい。日本をいくつかの州に分けて、それぞれをひとつの法治機関が治めればいい。そうすれば、法治機関は近所の住民の面倒を見ればいいので仕事がやりやすい。
国民は自分の気に入った法治機関がある州に引越しして住めばいい。そのほうが国民も満足できる。国民が自分の考えで法治機関を選べるので、自分がどこに住めばいいかが明確になる。
法治機関もいい法治をすれば、それだけ多くの国民が集まってきてお金が儲[もう]かる。法治機関も仕事にやりがいがある。

[13592] どうして政府は国民よりも上の者だったのか?☆☆ h23.11.10
政府は政治機関と法治機関から成る。[[13578]の図を参照。]
政府の法治機関は社会科の教科書に載[の]っていて、毎日テレビや新聞に出ている。
ところが、政府の政治機関は国民に顔を出すことがない。政治機関は古代の日本で闘争で優勝した暴力団体の末裔[まつえい]である。[政府には他[ほか]に日本神道という国家宗教をやっている影の組織がある。]
政府が国民よりも上の者だったのは、政治機関のためである。これまで国民は力の強い者を拝むことを娯楽にしていたので、国民は政治機関を拝[おが]んでいた。昔の人は政治機関が奇跡[きせき]を起こす神様のようなものだと思っていたので、「政治機関を拝めば自分が幸福になる」と考えて政治機関を拝んでいた。昔の人は政治機関を縁起[えんぎ]がいいものだと考えて、自分も政治機関の縁起にあやかろうと思って政治機関を崇[あが]めていたのである。[昔の人は今の人と考え方が違っていたのである。だから、今の人がいくら国民が政治機関に従う理由を考えてもわからないのだ。]昔の人は政治機関を拝んでいた。そのため政治機関は国民よりも上の者だった。それで、政治機関は国民に対して好き勝手なことがやれた。政府は国民に拝まれないようにならない限り、好き放題なことがやれた。政府は国民から強制的に税金を取ったり、国家宗教をやらせたり、戦争をやらせたりした。
一方、政府の法治機関は国民と平等だった。政府の法治機関は政府の政治機関が国民から取ったお金の一部をもらって経営していた。政治機関は法治機関が国民に政府を拝ませるために利用できると考えて、法治機関にお金をやって法治機関を飼ってやることにしたのである。
しかし、今の国民は政府の政治機関を拝んでいない。今の国民は力の強い者を拝むことを娯楽にしていない。そのため今の政治機関は国民と平等である。国民よりも上の者ではない。今の政治機関は国民に対して何もやれない。だから、今の世界では戦争がないし、国家宗教もほとんどなくなっている。税金もなくなっている。
政府の法治機関は昔から国民と平等なので、法治機関が国民から税金を取ることはできない。法治機関はいい法治をやって国民と契約を取って国民からお金をもらうしかない。

[13593] どうして政府は国家宗教をやるのか?☆☆ h23.11.10
政治機関と法治機関と宗教機関が政府の3本の柱である。
ところが、今の国民は他人を拝む習慣がない。今の国民は力の強い者も法律を扱う者も神に似た者もみんな拝まない。法治機関は合理的すぎて、もはや拝む対象ではない。法治機関は国民の人権を保障するためにある会社にほかならない。

今の国民は実在する物を利用して喜ぶだけである。自分の欲しい物を買って使って喜ぶだけである。だから、今の国民は誰も拝まない。
政府にとっては一応宗教機関も柱だった。戦後は神武天皇の人気が冷え込んだので、神武天皇の代わりに私を国家宗教の神にしたのである。しかし、今の人には神を拝む習慣そのものがないので、いくら神を変えても無駄[むだ]である。政府は何にもならないことをしたのである。
今は合理主義の時代だから、人々は他人を拝んでも何にもならないと思って他人を拝まない。人々には拝む者がいない。だから、上の者がいない。だから、人間はみな平等なのである。今では、一方的に他人から税金を取ったり他人に命令したりする者はいないのだ。
要するに、政府は“国民が拝む者”の会社である。“国民が拝む者”が集まって作った会社である。昔の国民は不合理的だったので「政府を拝めば自分が幸福になる」と思って政府を拝む習慣があったので国民みんなが政府に従っていたので政府が栄えた。しかし、今の国民は合理的になって『政府を拝んでも自分が幸福にならない』と思って政府を拝まなくなったので国民みんなが政府に従わなくなったので政府が滅んでいる。今では政府は自分の命令を聞いてくれる者がいなくなって税収がなくなって滅んでいるのだ。
今の法治機関は政府や日本神道と同じく“国民が拝むため”にある。今の法治機関は“国民に拝まれるための機関”である。だから、今の法治機関は役立たずなのだ。今の法治機関はただ存在しているだけで何も仕事をしていない。今の法治機関は国民に法治機関を拝ませるために法律の仕事をしているふりをしているだけで、じつは何もやっていない。今の法治機関は国民に拝まれるために仕事をしているだけで、国民の役に立つために仕事をしていない。つまり、今の法治機関は崇拝機関である。崇拝機関があまり国民の役に立つと、国民が崇拝機関を拝まなくなるので、崇拝機関は国民の役に立つことをしないのである。したがって、今の法治機関は国民の役に立たない。だから、今の法治機関は国民にとって要らない。もっと実際に国民の役に立つ法治機関でなければならない。


[13594] 自由主義か不自由主義か? h23.11.11
国に法治機関は2つ以上あってもいい。国民は自分の気に入った法律をやる法治機関と契約すればいい。
自分で好き勝手にやるのが好きな国民は、国民の人権を保障するだけの法治機関と契約する。
法治機関に自分の尻[しり]をひっぱたかれるのが好きな国民は、政策の多い法治機関と契約する。
私は自由が好きだから上の法治機関のほうがいい。自分の規律は自分で決めるのでいい。
でも、下の法治機関のほうが国民がお金持ちにはなれるだろう。国民が法治機関の言いなりだから、国民みんなが法治機関によってお金の儲[もう]かるきつい仕事に就かされて汗だくで働かされてお金が儲かるだろう。“お金で物を買う喜びしかないボンクラ”は下の法治機関のほうがいいだろう。でも、法治機関の政策が多いぶん税金も高くなるだろう。
たとえ自分がお金がなくて死んでも自分が好きなことをやりたい人は上の法治機関がいいだろう。
どちらの法治機関にするかは、国民一人一人が自分で自由に決めればいいことだ。

[13595] 『人間の平等性』に反しているのは国民である。 h23.11.11
今の国民は政府と契約を取っていないのに税金を払っている。
それでは、一方的にお金をもらっている政府が迷惑である。
だから、国民は政府に税金を払うのをやめねばならない。
国民はちゃんと政府と契約を取ってから、政府にお金を払わねばならない。
国民が『人間の平等性』を守らねばならない。

[13596] どうして中世の日本政府は滅んだか? h23.11.12
昔の人は不合理的だったので「政府を拝むと自分が幸福になる」と信じて一生懸命に政府を拝んでいた。
中世の日本政府はローマ政府と同じやり方で国民に政府を拝ませて国を治めていた。
ところが、中世にローマ帝国は滅んだ。ローマ政府は文明が進むと国民が政府を拝まなくなるのを恐れて、国中の文明を衰[おとろ]えさせたために国が滅んでしまったのである。ついでにローマ政府も滅んでしまった。
日本では、ローマ帝国が滅んだことを知った国民が「政府がかっこ悪い」と思うようになって政府を拝まなくなった。古事記に出てくる“自分で自分の仕掛けにはまって死んだ兄猾[えうかし]”みたいだと思ったのである。バカの見本だと思ったのである。
崇拝機関は国民に拝まれなくなったらおしまいである。
だから、中世の日本政府は滅んだのである。
近世ではインドが世界で一番強い国だったので、幕府がインド政府と同じやり方で国民に幕府を拝ませて国を治めていた。
近代になると再びヨーロッパが世界で一番強い国になったので、再び政府がヨーロッパ政府と同じやり方で国民に政府を拝ませて国を治めるようになったのである。
しかし、現代では文明が進んで、人々が合理的になって『政府を拝んでも自分は幸福にならない』と思うようになったので、ついに人々が政府を拝まなくなって政府が滅んだのである。かつてローマ政府の恐れていたことがついに実現したのだ。

[13597] 政府は崇拝機関である。☆ h23.11.12
政府は武力機関と宗教機関と法治機関が集まって出来た団体である。政府は力の強い者と神に似た者と法律で国民を管理する者が集まって作った団体である。
政府は国民に拝まれる団体だった。つまり、政府は崇拝機関だった。
昔の人は不合理的だったので「政府を拝めば自分が幸福になる」と信じて政府を拝んでいた。
昔の人は政府を拝んでいたので、政府に従っていたので、政府が人々に命令できた。政府は国民に拝まれないようにならない限り、国民を好き勝手にできた。政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教をやらせたり、戦争をやらせたりした。
しかし、今の人は合理的になったので『政府を拝んでも自分は幸福にならない』と考えて政府を拝まなくなった。
今の人は政府を拝まなくなったので、政府に従わなくなったので、政府は人々に命令できなくなった。政府は国民から税金をもらえなくなって滅んでいるのだ。
いつまでも国民に拝まれることを当てにして真面目[まじめ]に働こうとしなかった政府が悪かったのだ。

[13598] 政府は要らない物である。 h23.11.12
昔の人は不合理的だったから「政府を拝めば自分が幸福になれる」と信じて、ひたすら政府を拝んでいた。
自分にちょっといいことがあると全部政府のおかげになっていた。
それで、昔の人は政府をありがたがっていたのである。政府に喜んで税金を払っていたのである。つまり、税金は政府が自分を幸福にしてくれたお礼だったのである。
しかし、今の人は合理的だから『政府を拝んでも自分が幸福にならない』と考えて、政府を拝んでいない。
いくら自分にいいことがあっても政府のおかげだと思っていない。自分が幸福なのは自分自身のおかげであって、政府のおかげではないと思っている。
それで、今の人は政府を粗末[そまつ]にしているのである。政府は自分を幸福にしないから、政府に税金を払わなくなっている。政府を要らない物だと思って、政府に税金を払わなくなったのである。

[13599] 政府の法治機関について h23.11.12
政府は武力機関と宗教機関と法治機関の3つから成る。
今の国民は『政府を拝んでも自分が幸福にならない』と考えているから、武力機関と宗教機関はすでに滅んでいる。
残るは、法治機関ひとりである。
今の法治機関は一見[いっけん]すると法律で国民を管理して真面目[まじめ]に仕事をしているかのように見える。
しかし、実際には今の法治機関は仕事をしているのではない。仕事のふりをしているだけだ。
今の法治機関の仕事は国民に法治機関を拝ませることであって、国民の役に立つことではない。
国民はそんな物は要らない。
幸い、今の国民は政府と契約をしていないから、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の勝手である。
だから、国民は政府に税金を払わなければいい。政府がちゃんと国民と契約を取っていないのが悪いのだから、国民が政府に税金を払わなくても、政府は国民に文句が言えない。

[13600] 合理で不合理を解釈してはいけない。☆ h23.11.12
昔の人は不合理的だった。
今の人は合理的である。
だから、今の人が昔の人がやっていたことを合理的に理解しようとするとおかしなことになる。変なことになる。

例えば、今の人が「昔の人が政府に従っていた」ことを理解すると、私がだいぶ前に考えたことのようになる。つまり、政府が国民を暴力で脅[おど]して従わせたとか、政府が国民を嘘[うそ]で騙[だま]して従わせたとかいうことになる。だから、今の人は政府が国民を暴力で脅したり、国民に嘘をついてもいいものと考えている。しかし、それは今の人の誤解である。
政府は国民が拝[おが]むためにある機関である。昔の人は「政府を拝めば自分が幸福になる」と思っていたから政府を拝んでいたのである。昔は国民が政府を拝んで政府に従っていたから、政府が国民を支配して国民に命令を出していたのである。しかし、今の人は『政府を拝んでも自分が幸福にならない』と思っているから政府を拝んでいない。だから、今は国民が政府を拝まず政府に従っていないから、政府が国民を支配せず国民に命令を出せないのである。つまり、今の国民は政府を要らない物だと考えて、政府を捨ててしまえばいいのである。国民は政府の世話になるのをやめて、政府に税金を払うのをやめればいいのである。宗教団体をやめるのと同じことである。

合理で不合理を解釈してはいけない。不合理的なことを合理的に解釈してはいけない。合理と不合理を混ぜこちゃにしてはいけない。不合理なことは不合理に解釈してこそ、はじめて正しい意味がわかるのだ。


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