[13401] 昔の決まりと今の決まり h23.10.11
昔の決まりは、「力の強い者に従わねばならない」ことだった。
今の決まりは、『人間はみな平等である』ことである。
昔の決まりはまちがっている。
今の人間は今の決まりに従わねばならない。
例えば、政府が国民から税金を取ることは今の決まりに反している。だから、政府がまちがっている。だから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。どんな団体であっても国民から税金を取ってはならない。
要するに、今の世界に古臭い決まりが残っているというだけのことである。国民はそんなバカバカしい決まりに従わなくてもかまわない。
[13402] 君は、今の人間をやっているか!? h23.10.11
昔は「国民が力の強い者に無条件に従わねばならない」という決まりがあった。昔は人類は実在についての知識を持っていなかったので、力の強い者が正しい者だと考えられていたからである。
政府は古代日本の暴力団体の闘争で日本一になったので日本で一番強い者だと考えられた。
そのため、国民は政府に従わねばならなかった。
国民は政府のどんな命令にも従わねばならなかった。政府は正しい者と考えられていたので、政府の命令はすべて正しい命令だと考えられていたからである。
そのため、政府は国民に税金を出せと命令して国民から税金を取ったり、国民に国家宗教で嫌がらせの命令を出して国民を虐[いじ]めた。国民は政府が正しい者だと信じていたので、政府のどんなメチャクチャな命令も正しい命令だと信じておとなしく従った。政府に死ねと言われたら死んだ。
要するに、政府は「国民が力の強い者に無条件に従わねばならない」という決まりに乗っかって国民に一方的に命令を出す団体だったのである。政府そのものは何の取り柄[とりえ]もない弱い団体だが、「国民が力の強い者に無条件に従わねばならない」という決まりがあるために強い団体になっていたのである。
しかし、今では力の強い者が正しい者ではない。頭のいい者が正しい者である。今は人類が実在についての知識を持っているから、頭のいい者が正しい者になったのである。
だから、今の国民は昔暴力団体の闘争で勝った政府に従うのをやめたのである。国民は“今の時代に正しいと考えられている知識”に従うことにしたのである。
ところで、今の時代には『人間はみな平等である』ことが正しいと考えられている。だから、今の国民は『人間はみな平等である』社会を作ろうとしているのである。政府が国民に命令を出したり、政府が国民から税金を取ることは『人間がみな平等である』ことに反している。だから、国民は政府の命令を聞かなくなったし、政府に税金を払わなくなったのである。そこで政府はしかたがなく、国民から直接に税金を取るのをやめて、信者を使ってピンはねをしたり、商店を使って消費税を取ったり、廃品業者を使って古くなった家電製品のリサイクル料金を取ったり、医者を使って国民から医療保険料を取ったりするようになったのである。
[13403] 今の国民は政府に従わない。 h23.10.11
これまで政府は「国民が力の強い者に無条件に従わねばならない」という決まりに乗っかって国民に対していろんなことをやってきた。政府は国会を使って国民にとって不利な法律を定めたし、警察を使って政府に逆らう国民を殺したし、学校を使って子供を政府に盲従[もうじゅう]するようにした。政府は国民に対してありとあらゆる嫌な命令を出して国民を虐[いじ]めてきた。[政府はヨーロッパ政府のように日本神道を使って国民に国家宗教をやらせて国民に神に従う心を植え付けて国民を骨抜きにしようとした。ところが、日本には神の概念がないので、国民は神が何のことだかわからず、政府は国民に国家宗教をやらせてみてもうまくいかなかったのでやめたのである。(徳川幕府がインド政府を真似[まね]て日本で生類憐みの令を出したが、日本には動物を崇[あが]める心がないので、徳川幕府が生類憐みの令をやめたのと同じことである。)そのため、政府は国家宗教のやり方を変えて、駄洒落[だじゃれ]で神の情報を含んだ命令を作って国民に命令することにしたのである。いくら政府が国民に何でも命令できるといっても、日本の思想に反することまでは命令できなかったのだ。]
しかし、そもそも「国民が力の強い者に無条件に従わねばならない」という決まりが成り立たなければ、もはや政府はなんでもない。国民にとって政府はただの団体にすぎない。
ところが、今の国民は頭のいい者に従うのであって、力の強い者に従わない。今の国民は“今の時代に正しいと考えられている知識”に従うのであって、力の強い者には従わない。だから、今では「国民が力の強い者に無条件に従わねばならない」ことは成り立たない。
したがって、今の国民は政府に従わない。政府も今の自分が置かれている状況を知っているから、一人で泣き寝入りをするしかない。さすがの政府も時代の流れには敵[かな]わないのだ。
[13404] どうして政府は上の者になったのか?☆ h23.10.11
政府は国民と戦っていない。
政府は他[ほか]の暴力団体と戦っただけである。[プロ野球の試合を観客が見ているようなものである。]
ところが、昔の国民は「力の強い者が正しい」と考えていたから、戦いに勝った政府を正しい者だと考えて政府に従ったのである。[プロ野球の観客が試合で勝ったほうのチームの味方に付いたようなものである。]
つまり、昔の国民の「力の強い者が正しい」というまちがった思想(哲学)が、政府を国民が従うべき上の者に仕立て上げたのである。つまり、政府が国民よりも強いから国民が政府に従ったのではなく、国民自身がまちがった考えを持っていたから国民が政府に従ったのである。[昔の人は過激だったので、試合で勝ったチームの味方に付くことが、勝ったチームに絶対服従することだったのである。]
しかし、今では「力の強い者が正しい」と考える国民はいない。[少しはいるかもしれないが。]だから、今の国民は政府に従わなくなっているのである。今の国民は正しい考えを持っているから政府に従わなくなったのである。
[13405] どうして政府は国民から税金を取っているのか? h23.10.12
政府が国民に命令できるからである。
昔の国民は「力の強い者が正しい」と考えていたので、古代の日本で暴力団体の闘争で日本一になった日本政府が正しいと考えて政府に従ったのである。昔の国民は政府の命令を何でも聞いたので、政府が税金を出せと言ったので、政府に税金を払っているのである。[政府が民主主義の仕事をするために国民から税金を取っていると言っているのは、政府の“まやかし”である。]だから、税金は完全に政府の小遣[こづか]いであって、税金は国民のためにはまったくならないのである。
しかし、今は「力の強い者が正しい」と考える者がいない。だから、今の国民は政府に従わない。政府の命令を聞かない。だから、今の国民は政府に税金を払わないのである。
[13406] どうして暴力団体は国民に暴力がふれたのか? h23.10.12
昔の国民は「力の強い者が正しい」と考えていた。「力の強い者に従わねばならない」と考えていた。
そのため、国民は暴力団体に従った。国民が暴力団体に従うのが正しく従わないのがまちがっていると考えられていたので、暴力団体に従わない国民が悪者だと考えられていたので、暴力団体は自分に従わない国民を懲[こ]らしめるために暴力をふることができた。だから、例えば、政府が政府に従わない国民に対して警察で罰することができたのである。
しかし、今の国民は「力の強い者が正しい」と考えていない。「力の強い者に従わねばならない」と考えていない。
そのため、国民が暴力団体に従わなくなった。国民が暴力団体に従おうが従うまいが国民の自由なので、暴力団体は自分に従わない国民に対して暴力がふれなくなった。だから、例えば、政府が政府に従わない国民に対して何も手出しができなくなったのである。したがって、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
今では暴力団体が国民に暴力がふれない。国民は暴力団体によって痛い思いをさせられなくなったのだ。
[13407] 国会について h23.10.13
昔の国民は「力の強い者に従わねばならない」ことが正しいと考えていた。
政府は古代の暴力団体同士の闘争で勝ったので力の強い者だと考えられた。
そのため、昔の国民は政府に従っていた。
そのため、政府は国民に対して何でも命令できた。
国会は政府の子分だから国会も国民に対して命令できた。だから、国会は政府にとって有利な国民にとって不利な法律を定めたのである。例えば、政府が好き勝手に国家宗教をやって国民を虐[いじ]めてもいい法律(日本国憲法第20条;宗教の自由)や政府が国民の財産を一方的に強制的に奪える法律(日本国憲法第30条;納税の義務)を作ったのである。
しかし、今の国民は「力の強い者に従わねばならない」ことが正しいと考えていない。まちがいだと考えている。[今の国民は『人間はみな平等だ』と考えるようになっている。]
そのため、今の国民は政府に従わなくなっている。
だから、国民は政府の子分の国会の命令も聞かなくなっている。国民は国会が定めた法律を守らなくなっている。国民は政府に税金を払わないし、政府の国家宗教の嫌がらせに抵抗するようになっている。
[13408] 国民は政府に従わなくなっている。 h23.10.13
戦前に比べると、戦後の、特に最近の国民は政府に従わなくなっている。最近の国民は自分が政府と対等だと思って、政府になれなれしくなっている。
これはれっきとした事実である。
それは、最近の国民が「力の強い者に従わねばならない」と考えなくなってきたからである。『力の強い者はあくまでも力の強い者であって、それ以上の者ではない。力の強いことと正しいことは別のことである。人間は正しい者に従うべきであって、力の強い者に従うべきではない。』と考えるようになったからである。国民の考え方が昔とは大きく違ってきたからである。
だから、最近の国民は政府に従わなくなったのである。古代の日本の暴力団体の闘争で日本一になった政府に従わなくなったのである。
それは、とりもなおさず最近の国民が正しい考え(哲学)を持つようになったことだから喜ばしいことである。政府もさぞかし喜んでいることだろう。
政府や宗教団体や暴力団などの暴力団体は、これまでの国民の「力の強い者に従わねばならない」というまちがった思想に乗っかって成長してきた団体である。しかし、今の国民は『力の強い者に従わなくてもかまわない』と考えているから、もはや国民は暴力団体に従わないから、暴力団体が国民に金を出せと命令しても国民は金を出さないから暴力団体は滅びるしかない。
[13409] 暴力団体は国民の思想には敵[かな]わない。 h23.10.13
政府や宗教団体や暴力団などの暴力団体は力の強い団体である。
昔の国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていたから、昔の国民は暴力団体に従った。昔の国民は暴力団体の命令を何でも聞いた。そのため、暴力団体が国民に金を出せと命令すると国民は金を出したから、暴力団体は儲[もう]かったのである。
しかし、今の国民は『力の強い者に従わなくてもかまわない』と考えているから、今の国民は暴力団体に従わない。今の国民は暴力団体の命令を聞かない。そのため、暴力団体が国民に金を出せと命令しても国民は金を出さないから、暴力団体は儲からなくなったのである。
たとえどんなに暴力団体が力の強い団体であっても、今の国民が『力の強い者に従わなくてもかまわない』と考えているので、もはや暴力団体は国民が従うべき者ではないのである。だから、今の時代に、いくら暴力団体が国民の前で気張[きば]っても無駄[むだ]なのである。つまり、国民の思想が国民が暴力団体に従うべきか従うべきでないかを決めるのであって、暴力団体が国民が暴力団体に従うべきか従うべきでないかを決めるのではないのである。
[13410] 暴力団体は“国民が従うべき者”のイメージに合わせることによって国民を従わせる団体である。☆
h23.10.13
昔の国民は「力の強い者に従わねばならない」と思っていたから、暴力団体が力の強いふりをして国民を従わせてきたのである。本当は、暴力団体は普通の国民と力の強さは変わらないのである。[本当に暴力団体が強いかどうかは、国民の有志[ゆうし]が暴力団体の者にケンカを売って実験して確かめてみればいい。]近代の国民は「頭のいい者に従わねばならない」と思っていたから、暴力団体は頭がいいふりをして国民を従わせてきたのである。本当は、暴力団体は普通の国民と頭のよさは変わらないのである。ところが、最近の国民は『人間はみな平等である』と考えるようになったから、もはや暴力団体はお手上げになってしまったのである。つまり、これまで暴力団体は“国民が従うべき者”のイメージに合わせることによって、国民を従わせてきただけである。暴力団体は本当は何の取り柄[とりえ]もない団体である。何の取り柄もない団体が一生懸命に“国民が従うべき者”のイメージに合わせることによってなんとか生き残ってきたのである。ところが、今の国民は自己中心的で従うべき者がいないから、もはや暴力団体は国民を支配できなくなったのである。今の人間は自分自身に従うようになったから、暴力団体はどうしようもなくて滅びるしかないのである。
つまり、暴力団体とは、役者の団体のことである。暴力団体は“国民が従うべき者”の役を演じることによって国民を従わせて国民からお金を取って儲けてきたのである。
つまり、昔の国民の「力の強い者に従わねばならない」というまちがった思想が暴力団体という厄介[やっかい]な代物[しろもの]を生み出した。昔の国民は自分が生み出した暴力団体によってさんざんひどい目にあわされた。昔の国民の自業自得[じごうじとく]である。昔の国民は自分で自分をつらい目にあわせていたのである。一方、今の国民は『人間はみな平等である』という正しい思想を持っているから暴力団体が滅んだのだ。今の国民の正しい思想が暴力団体を滅ぼしたのである。
[13411] 宗教団体について h23.10.13
昔の国民が「力の強い者に従わなければならない」と思っていたように、昔の国民は「神」に従わなければならないと思っていた。
昔は神が“国民が従うべき者”だった。
だから、神のふりをする者に国民は従った。国民が持っている神のイメージに合わせた者に国民は従った。
こうして、神を囲[かこ]う宗教団体が国民を支配した。宗教団体も暴力団体と同じである。
つまり、昔は「力の強い者」や「神」が国民が従うべき者だった。そのため、力の強い者や神のふりをする者が国民を支配していたのである。昔の国民は他人を疑[うたが]うことを知らなかったので、まんまとそういう者に騙[だま]されたのである。
一方、今の国民は自分自身に従うようになったので、もはや国民を支配する者がいなくなったのである。
[13412] 超能力者制度がやれないことの証明 h23.10.13
超能力者制度とは、人類が超能力者に従う制度のことである。
ところが、超能力とは“原理がわからない能力”のことだから、超能力現象があったとき誰が超能力者であるかがわからない。だから、超能力者制度はやれないことになる。【証明終】
そもそも超能力現象が超能力者が起こしたものであるかもわからない。例えば、神武天皇の場合、仮に神武天皇の奇跡が実話であるとすれば、たんなる電気的現象(コロナ放電)を神武天皇の超能力と考えたのかもしれない。
だから、やはり超能力者制度はやれないのである。将来、実際に超能力現象が起こっても、超能力者制度はやれないのである。
それなのに、政府は超能力者制度(国家宗教のこと)をやっている。だから、政府は詐欺[さぎ]会社なのである。
[13413] 今の国民には従うべき者がいない。☆ h23.10.13
昔の国民はみんな「力の強い者に従わねばならない」と考えていた。力の強い者に従う者が正しい者で、力の強い者に従わない者が悪者だった。
だから、政府(幕府も含む)が力の強い者のふりをして、国民みんなを支配したのである。古代の日本で政府が他[ほか]の暴力団体と闘争をやって八百長[やおちょう]で勝って日本一になって力が強いふりをして、国民全員を支配したのである。
ところが、今の国民はみんな『人間はみな平等である』と考えている。『自分が従う者がいない』と考えている。
だから、政府はどうしようもなくなって、国民を支配できなくなって滅[ほろ]んでいるのである。
政府は国民を従わせることが仕事である。政府は“国民が従うべき者”のイメージに合わせることによって国民を支配してきたのである。ところが、今の国民には従うべき者がいない。だから、政府は消えてなくなるしかないのである。
[13414] 男女平等 h23.10.13
今の国民はみんな『人間は平等である』と考えている。
女が男からお金(生活費)をもらって家事をやるのなら、女と男は平等である。
今の時代は、女は男に従っていないのである。女は「男に従わねばならない」と考えていないのである。[反対に、昔は国民みんなが「女は男に従わねばならない」と考えていた。政府は“国民が従うべき者”のイメージに合わせることによって国民を支配していた。だから、国家宗教の神や国会議員は必ず男だったのである。]
しかし、いくら男女平等とはいっても、『人間が正しいことに従わねばならない』ことに変わりはない。人間が実在の中で暮らしている以上、人間は正しいことに従わねばならない。ところが、女はバカだから頭の中がまちがった思想だらけである。ふざけた思想ばかりである。つまり、女は中身が汚いのである。だから、いくら男女平等だからといって、女が自分のまちがった思想を男に押し付けてはならない。ずうずうしすぎる。女はバカだから、男女平等の本当の意味がわかっていないのである。正しいこととまちがっていることの区別がなくなるほど、世の中は平等ではないのである。
[13415] 暴力団体は暴力で国民を脅[おど]す団体ではない。☆ h23.10.14
暴力団体は暴力で他の暴力団体と戦う団体である。
暴力団体は暴力で国民を脅す団体ではない。
つまり、暴力団体の暴力は、国民を脅すためにあるのではなく、他の暴力団体と戦うためにあるのである。
昔の人は「力の強い者が正しい。人間は正しい者に従わねばならない。ゆえに、人間は力の強い者に従わねばならない。」と考えていたので、政府や暴力団などの暴力団体に従っていたのである。[昔とは言っても、つい最近までそうだった。昭和40年(1965年)ごろまではそんな世の中だった。]
昔の人は「力の強い者に従うことが正しくて、従わないことがまちがっている。」と考えていたので、暴力団体に従わない者がみんなに悪人だと考えられていたので、暴力団体は暴力団体に従わない者を公衆の面前で暴力で罰することができたのである。例えば、暴力団体は暴力団体に金を払おうとしない者を暴力で罰して無理やり金を奪うことができたのである。
つまり、暴力団体はそもそも国民を暴力で脅す団体ではない。[最近の国民はその点を誤解しているようである。]
しかし、今の人は『力の強い者と正しい者は別である。だから、人間は力の強い者に従わなくてもかまわない。』と考えているので、政府や暴力団などの暴力団体に従わなくなったのである。
今の人は『力の強い者に従おうが従うまいが自由である。』と考えているので、暴力団体に従わなくても悪人にはならないので、暴力団体は暴力団体に従わない者を暴力で罰することができなくなったのである。例えば、暴力団体は暴力団体に金を払おうとしない者を暴力で罰して無理やり金を奪うことができなくなったのである。
[13416] 暴力団体の時代は終わった。 h23.10.14
最近(昭和40年ごろに)国民の考えが大きく変わった。
「力の強い者に従わねばならない」ことから『力の強い者に従わない』ことに変わった。
「国民が暴力団体に従う」ことから『国民が暴力団体に従わない』ことに変わった。
暴力団体の時代は終わったのだ。政府や暴力団の時代は終わったのだ。[政府は暴力団である。政府は日本で最大の国家暴力団である。]
[13417] 宗教団体の時代は終わった。 h23.10.14
最近(昭和40年ごろに)国民の考えが大きく変わった。
「神に従わねばならない」ことから『神に従わない』ことに変わった。[昔は神に従う人が善[い]い人で、神に従わない人が悪い人だと考えられていたから、国民は必ず何かの宗教に入っていた。]
「国民が宗教団体に従う」ことから『国民が宗教団体に従わない』ことに変わった。
宗教団体の時代は終わったのだ。
[13418] どうして最近国民の考えが大きく変わったのか?☆ h23.10.14
最近(昭和40年ごろに)国民の考えが大きく変わった。
「力の強い者や神に従わねばならない」ことから『力の強い者や神に従わない』ことに変わった。
最近の国民は『正しい知識に従わねばならない』とか『人間はみんな平等である』と考えるようになった。最近日本に科学が入ってきたために、国民が科学に触[ふ]れて大きく考えが変わってしまったのである。国民が科学の発明品で暮らしが便利になったために、『科学』を信じるようになったのである。科学では『実在についての正しい知識に従う』ので、国民も『実在についての正しい知識に従う』ようになったのである。社会科学では『人間はみんな平等である』と考えるので、国民も『人間はみな平等である』と考えるようになったのである。
これまで暴力団体や宗教団体は、国民の「力の強い者や神に従わねばならない」という考えに乗っかって成長してきた。暴力団体や宗教団体は、国民の「力の強い者や神に従わねばならない」という考えに乗っかって国民に命令してきた。国民からお金を取ったり命を取ったりしてきた。
しかし、最近の国民は『力の強い者や神に従わない』と考えるようになった。暴力団体や宗教団体は拠り所[よりどころ]を失った。そのため、最近は暴力団体や宗教団体が急速に滅んでいるのだ。
政府が滅びるのは時代の流れだから仕方のないことである。[そんなことはよくあることである。珍しいことではない。時代の流れに乗った仕事は繁盛[はんじょう]するが、時代の流れに遅れた仕事はなくなるのが普通である。例えば、ビデオテープやビデオデッキを作る会社は今の日本にはほとんどない。]
つまり、いつの時代でも人間は何かに頼って生きるしかない。昔は科学がなかったから、人間は「力の強い者や神」に頼って生きていたのだ。今は科学があるから、人間は『実在についての正しい知識』に頼るようになったのだ。
[13419] 親亀こけたらみなこけた。 h23.10.14
国会や警察や学校や日本神道は政府の付属機関である。政府の子分である。
国会が法律を作れるのも、警察が国民を逮捕できるのも、学校が国民を教えることができるのも、日本神道が国民に“神の情報を使った命令”を出せるのも、すべて国民が政府に従っているからである。国民が政府に従わねばならないと思っているからである。
ところが、今の国民は政府に従わなくていいと思っている。国民が政府に従わなければ、国会は法律を作れないし、警察は国民を逮捕できないし、学校は国民を教えられないし、日本神道は国民に“神の情報を使った命令”を出すことができない。
つまり、国会や警察や学校や日本神道は政府に乗っかっているが、さらに政府は国民に乗っかっている。[例えば、国会は政府で威張[いば]っているが、政府は国民で威張っている。国民が政府に従わねばならないと思っているからである。]ところが、最近国民が考えを変えたから、政府も国会も警察も学校も日本神道もみな崩[くず]れたのだ。
[13420] これからは政府は弱い。 h23.10.14
これまで政府が強かったのは、政府が暴力で国民を脅[おど]したからではなく、国民が「力の強い者に従わねばならない」と思っていたからである。政府は古代の日本で暴力団体の闘争に勝って日本一になったから強かったのである。
ところが、今の国民は「力の強い者に従わねばならない」と思わなくなった。『人間はみな平等であり、正しい知識に従えばいい』と思うようになった。国民の考えが変わった。
政府は「力の強い暴力団」にすぎず、『正しい知識』ではない。だから、これからは国民は政府に従わない。したがって、これからは政府は弱い。
いくら政府が国会を使って「国民は政府に従わねばならない」という法律を作っても、そもそも国民が政府に従わなくなればそんな法律は無効である。これまで国会が作った法律が有効だったのは、国民が政府に従っていたからである。国民が政府に従わなくなれば、国民は政府の子分の国会にも従わないから、いくら国会が法律を作っても国民は守らないから無駄[むだ]である。だから、政府は国民に命令できなくなって、政府は国民から税金が取れなくなって滅びるしかない。
[13421] 国民は政府に従わなくてもかまわない。 h23.10.15
国民が政府に従うためには、国民が「力の強い者に従わねばならない」と考えていなければならない。
実際に、昔は国民みんなが「力の強い者に従わねばならない」と考えていたから、国民みんなが政府に従っていた。
ところが、今では国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていない。今の国民は『人間はみな平等であり、正しい知識に従えばいい』と思っている。
だから、今では国民は政府に従わなくなっている。だんだん国民が政府に従わなくなっている。そのうち政府に従う国民がいなくなって政府はなくなってしまうだろう。
[13422] 暴力団体や宗教団体は科学が出来るまでの間に合わせである。 h23.10.15
科学が出来る前は、人間は正しいことがわかず自分が従うことがなくて不安だったので、便宜的[べんぎてき]に力の強い者や神に似た者を正しいと考えて自分が力の強い者や神に似た者に従うことによって自分の気持ちを落ち着かせていた。たとえ力の強い者や神に似た者が国民に対してどんなにひどいことをしても、当時は何が正しくて何がまちがっているががわかっていなかったので、国民は力の強い者や神に似た者に対して一言も文句を言えなかった。国民は力の強い者や神に似た者をひたすら正しいと信じて彼らに従うことしかできなかったのだ。
しかし、科学が出来ると、人間は正しいことがわかって安心したので、もはや力の強い者や神に似た者に従わなくてもよくなった。人間は『実在についての正しい知識』に従うようになったので、政府や暴力団や宗教団体が要らなくなった。
こうして、この世から政府や暴力団や宗教団体がなくなったのである。
人間が力の強い者や神に似た者に従うことは、科学が出来るまでの一時[いっとき]だけの間に合わせにすぎなかったのである。
昔の人は勉強しなくていい代[か]わりに暴力団体や宗教団体の奴隷[どれい]だった。今の人は勉強をしなければならない代わりに暴力団体や宗教団体から解放されたのだ。いわば、今の人は『実在についての正しい知識』の奴隷なのだ。
[13423] 政府は政治の専門家ではない。 h23.10.15
国民が政府に従っていたのは、政府が政治の専門家だったからではない。
国民が政府に従っていたのは、政府が力の強い者だったからである。政府は古代の日本における暴力団体同士の闘争で日本一になったから強かったのである。
これまで国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていたので、政府に従っていたのである。
これまで政府は国民が自分に従っているのをいいことにして、国民に好き勝手ないいかげんな命令を出していただけである。それを政治と呼んでいただけのことである。つまり、政治とは政府が国民に命令を出すことである。たとえどんなに国民が政府の命令によって不幸にされても、国民は政府に従わねばならないと信じていたから政府に従い続けたのである。たとえ政府によって国民が皆殺しにされても、国民は政府に従い続けたのである。[もしも政府が政治の専門家だったら、政府は政治を失敗したつまり国民を不幸にしたことで政府をやめるはずである。国民にやめさせられるはずである。しかし、実際には政府は国民をどんなに不幸にしても政府を続けているから、政府は政治の専門家ではないのである。]
しかし、今では国民は『力の強い者に従わなくてもいい』と考えている。だから、今の国民は政府に従わなくなっている。今では政府と国民は平等である。
今では政府と国民は平等だから、政府が政治機関としてやっていくためには、政府は国民に命令を売って稼[かせ]がねばならない。そのためには、政府は国民を幸福にする命令を出さねばならない。実際には、政府は国民よりも頭がよくないから、おそらく政府にはそんな仕事はできないだろう。だから、政府は潰[つぶ]れるだろう。国民は政府の命令を聞くよりも、国民が自分自身で考えて自分を幸福にすればいいのである。
[13424] どうして国民は政府に従わねばならなかったか? h23.10.15
これまで国民が政府に従わねばならなかったのは、国民が「力の強い者に従わねばならない」と考えていたからである。
しかし、今の国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていない。『正しい知識に従えばいい。実在に従えばいい。』と考えている。
科学が出来て、国民の考えが変わったからである。科学が出来て、人間が実在のことがわかるようになって、人間が実在に従うようになって力の強い者に従う必要がなくなったのである。
国民の考えが変われば、世界も変わる。政府ぐらいなくなっても当然だ。
[13425] 科学者 h23.10.15
科学者は『実在についての正しい知識』を発見してお金を稼[かせ]ぐだけである。
科学者は国民に命令を出したりはしない。
人間が従うべきものは『実在』であって、「科学者」ではない。科学者は実在の代弁者であって、実在そのものではない。
もっとも、今後人間が『実在』に従うようになれば、少しは科学者の給料が上がるかもしれない。
[13426] どうして政府は国民のために仕事をしないのか? h23.10.15
これまで国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていた。
政府は古代の日本における暴力団体同士の闘争で優勝して日本一になって力の強い者だったから、国民は政府に従ったのである。
国民が政府に従わねばならないと思っていたから、政府は国民に一方的に命令を出すだけで他[ほか]には何もしなかったのである。
政府が国民のために仕事をしないのはそのためである。つまり、政府は仕事ではないのである。政府のやっていることはたんなる命令であって、仕事ではないのである。
税金は政府への貢ぎ物[みつぎもの]であって、政府の仕事代ではないのである。
[13427] 国民には政府に従う義務はない。 h23.10.16
昔の国民が政府に従っていたのは、昔の国民みんなが「力の強い者に従わねばならない」と考えていたからである。政府は古代の日本で暴力団体の闘争で優勝して日本一になったから力の強い者だったのである。だから、昔は国民みんなが政府に従っていたのである。
だから、そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民一人一人の考えによるのである。自分が「力の強い者に従わねばならない」と考えるなら政府に従えばよく、自分が「力の強い者に従わねばならない」と考えなければ政府に従わなくてもいいのである。つまり、そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民の自由だったのである。
ところが、今では科学が普及したために、「力の強い者に従わねばならない」と考えない国民が増えている。だから、そういう国民は政府に従わなくていいし、実際にすでに従っていないのである。[政府に従わなければ、政府の法律にも従わなくていい。]
君も時代遅れの馬鹿になるのが嫌なら政府に従わないほうがいい。
[13428] 政府に従っている者は馬鹿である。 h23.10.16
政府は古代の日本で暴力団体の闘争で優勝したから力の強い者である。
しかし、今どき「力の強い者に従わねばならない」と考えている者は時代遅れの馬鹿である。
『実在に従えばいい』と考えている者が利口[りこう]である。
だから、今どき政府に従っている者は馬鹿である。
政府に従わない者が利口である。
つまり、今では馬鹿が政府に従っているだけで、利口は政府に従わなくなっているのである。
[13429] 国民は政府を倒すべきである。 h23.10.16
今では世界中のほとんどの人が『実在に従えばいい』と思っている。
政府は力の強い者である。
だから、今では世界中のほとんどの人が『政府に従わなくてもいい』と思っている。
だから、日本で国民が政府を倒したら、世界中の人から日本が善[い]い国だと思われる。日本人が良識のある人間だと思われる。
世界中の人から日本が善[い]い国だと思われれば、日本が儲[もう]かる。
だから、国民は政府を倒せばいいのである。
[13430] 政府は国民に命令を出す会社である。 h23.10.16
これまで国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えてきた。[国民は自分で考えて「力の強い者に従わねばならない」と考えたのであって、政府に言われてそう考えたのではない。政府が出来るよりも、国民が「力の強い者に従わねばならない」と考えたほうが先である。政府があろうがなかろうが、昔の国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えたのである。政府は国民が「力の強い者に従わねばならない」と考えているのを見て、暴力団体同士の八百長[やおちょう]試合を思いついて八百長試合で優勝して力の強い者のふりをして国民を騙[だま]して従わせたのである。]
政府は力の強い者だった。
だから、国民は政府に従った。
国民が政府に従ったので、政府は国民に命令を出した。実際には、政府は国民から税金を取ってデタラメな命令を出すだけだった。政府のちゃんとした命令は国民から税金を取る命令だけだった。[国家宗教の命令なんか全部デタラメな命令である。]
昔の国民は「政府に従わねばならない」と考えていたから、たとえ政府の命令がどんなにデタラメでも従った。たとえ自分が死ぬとわかっていても従った。[今でも後進国にはそんな国がある。]
しかし、今の国民は『実在に従えばいい』と考えている。
だから、今の国民は政府に従わなくなっている。政府は国民に命令が出せなくなっている。政府は国民から税金を取ったりデタラメな命令を出したりできなくなっている。
今の国民は『政府に従わない』と考えているから、たとえ政府の命令がどんなに正しくても従わない。たとえ自分が幸せになるとわかっていても従わない。
[13431] 動物の哲学と人間の哲学 h23.10.16
「力の強い者に従う」のや「神に似た者に従う」のは動物の哲学である。
『実在に従う』のが人間の哲学である。
これまで人間は動物だった。見かけが人間なだけで、中身は動物だった。サルが人間の皮を着ていただけだった。動物は馬鹿なので、「力の強い者」や「神に似た者」に従ったのである。
1965年(昭和40年)頃になって、ようやく人間が人間になったのだ。
最近になってやっと人間の歴史が始まったのだ。
[13432] 政府は文明に滅ぼされる。 h23.10.16
文明が進歩すれば、人間が『実在』に従うようになる。「力の強い者」や「神に似た者」に従わなくなる。それでは、政府が滅んでしまう。
政府が生き残るためには、科学を潰[つぶ]せばいい。文明を潰せばいい。
それを実際にやったのがローマ政府である。
ローマ政府は自分が生き残るために、国中の学問を潰したのである。文化や技術を潰したのである。
しかし、その結果ローマ帝国全部が滅んだ。いっしょにローマ政府自身も滅んだ。
ローマ帝国が滅亡したことが教訓となって、近代以降の政府は科学や文明を滅ぼしたりはしなくなった。政府は自分が死んでまで、科学や文明を滅ぼそうとはしなくなった。そのため、ガリレイもニュートンも生き残って、世界中に科学や科学技術が広まった。近代の政府は世界大戦をやったが、科学や文明を潰そうとまではしなかった。そのため、最近になってとうとう国民みんなが実在に従うようになって、政府が滅んでいるのだ。ローマ政府の恐れていたことがついに実現しようとしているのだ。
政府は強[し]いて生き残る必要はない。政府も中身はただの人間なのだから、政府に入っていた者(つまり公務員)が政府を辞[や]めて普通の会社に入って真面目[まじめ]に仕事をしてお金を稼[かせ]いで普通に暮らせばいいのである。
[13433] どうして今の国民は政府に従わなくなったのか? h23.10.16
これまで国民が政府に従っていたのは、昔の国民が「力の強い者に従わねばならない」と考えていたからである。
政府は古代の日本における暴力団体同士の闘争で日本一になって力の強い者だと考えられた。つまり、政府は暴力団である。政府は日本全土を縄張りにしている国家暴力団である。
だから、これまで国民は政府に従っていたのである。
しかし、今の国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていない。今の国民は『実在に従えばいい』と考えている。科学が出来て、国民の考えが変わったからである。科学が出来て、人間が実在のことがわかるようになって、人間が実在に従うようになって力の強い者に従う必要がなくなったのである。
だから、今の国民は政府に従わなくなったのである。もうすぐ政府は滅びるだろう。
[13434] 政府が生き残るための方法 h23.10.16
ローマ政府は国中の学問を潰[つぶ]して生き残ろうとした。
しかし、他[ほか]にも政府が生き残る方法がある。
それは、政府が「力の強い者に従わねばならない」と思っている者からお金を取って儲[もう]ければいいのである。
今では、国民のほとんどは『実在に従えばいい』と思っているが、中には「力の強い者に従わねばならない」と思っている国民もいる。そういう“変わり者”は政府に従う。政府は変わり者に命令して変わり者から税金を取って儲ければいいのである。
今の暴力団が「力の強い者に従わねばならない」と思っている国民に命令してショバ代を取って儲けているのと同じことである。
今の宗教団体が「神に似た者に従わねばならない」と思っている国民に命令してお布施[ふせ]を取って儲けているのと同じことである。
政府はいまだに「力の強い者に従わねばならない」と考えている時代遅れの馬鹿からお金を取って儲ければいいのである。そうすれば政府は生き残ることができる。
今は科学の時代である。もはや暴力団体や宗教団体の時代ではない。政府は暴力団体である。だから、政府は細々[ほそぼそ]と生き残るしかないのである。
[13435] 国民が政府に従うのは昔の習慣である。 h23.10.16
昔は国民みんなが「力の強い者に従わねばならない」と考えていた。昔の国民はまだ動物だったから、動物の習性で「力の強い者に従わねばならない」と考えていたのである。
政府は力の強い者だった。政府は古代の日本における暴力団体同士の闘争で日本一になったから強いと考えられていたのである。
だから、昔の国民はみんな政府に従っていたのである。国民が政府に従うから、政府は国民に命令を出した。近代に入ってからは、政府は流行を取り入れて“合理的な政治機関”みたいにしていたのである。しかし、実際には政府は昔も今も変わりなく国民にデタラメな命令(例えば、国家宗教の神の情報を入れた命令)を出しているだけである。[政府は日本神道や国会や警察や学校などの付属機関を経営して複合体を形成している。政府複合体の中核は政府つまり暴力団体であって、日本神道や国会ではない。国民を従わせる力があるのは政府だけであって、日本神道や国会などには国民を従わせる力はないのである。政府自身は暴力で戦うことが専門の暴力団体であって命令に向いていないから、政府は日本神道や国会などの命令専門の機関を作ってそれらに命令させているのである。政府の付属機関は時代に応じて変わってきたが、政府そのものは昔とまったく変わらないのである。だから、国民が政府つまり暴力団体に従わなくなれば、政府複合体全部が滅びる。/日本神道の背後に政府がいるように、民間の宗教団体の背後には暴力団がいるのかもしれない。国民が宗教団体に従うのは、宗教団体の背後に暴力団がいるからかもしれない。国民は暴力団に従うから、暴力団と結びついている宗教団体にも従うのだ。宗教団体だけでは国民は宗教団体には従わない。だから、暴力団がなくなれば、宗教団体もなくなるのだ。宗教団体を潰すためには、暴力団を潰せばいいのである。]
しかし、今の国民の多くは「力の強い者に従わねばならない」と考えていない。今の国民の多くは人間になったから、実在が理解できるので『実在に従えばいい』と考えているのである。
だから、今の国民の多くは政府に従っていないのである。今では国民の少数が政府に従っているだけである。「力の強い者に従わねばならない」と考える国民は年々[ねんねん]減っている。政府に従う国民は年々減っている。政府は年々[ねんねん]小さくなっているのである。
今の国民は『実在に従えばいい』と考えている。だから、今の国民にとっては、もはや国民に命令を出す機関は要らない。今の国民にとっては、正しい法律を定める立法機関と、法律の違反者を取り締[し]まる警察機関があればいいだけである。もちろん、今では『人間はみな平等である』と考えられているから、立法機関や警察機関は国民に仕事をしてから国民からお金をもらって稼[かせ]がなければならない。立法機関は自分が考えている法律が実際の法律と合っているかいないか心配してビクビクしている国民に成文法を売って稼げばいいし、警察機関は自分の欲求不満の解消のために犯罪者を懲[こ]らしめたくてウズウズしている国民からお金をもらって犯罪者を懲[こ]らしめればいい。とにかく、立法機関や警察機関は、理由は何にせよ立法機関や警察機関が要ると思っている国民からお金をもらって経営すればいいのである。テレビは娯楽にすぎないが、犯罪は冗談ではすまないので賢明な国民はお金を出すだろう。
[13436] 国民は立法機関に従わない。 h23.10.17
法律は実在が決めたものであって、立法機関はそれを認識するだけである。
いわは、立法は科学である。社会科学である。立法機関は社会科学の研究機関である。[科学の時代においては、立法機関は科学的に法律を作るしかない。科学的に立法するのなら、実在する社会が立法機関の作った法律が正しいかまちがっているかを決めるので、立法機関が自分の好き勝手に法律を決めるわけにはいかない。立法機関は実在に従わなければならない。立法機関は、かつての政府や宗教団体のように国民に好き勝手に命令するわけにはいかない。だから、立法機関は国民が従わなければならない者すなわち国民よりも上の者ではないのである。立法機関は政府が後ろに付いてはじめて好き勝手な法律を作ることができるのである。国民よりも上の者になるのである。社会をメチャクチャにできるのである。反対に、政府が立法機関の後ろに付かなければ立法機関は実在する社会に即した法律しか作れないのである。国民と平等なのである。社会を守るしかないのである。]
今の人間は『実在に従えばいい』と思っているのであって、「立法機関に従わねばならない」とは思っていない。
だから、今の人間は立法機関には従わない。今の人間は『人間はみな平等である』と考えているから、立法機関が『人間がみな平等である』ことに反する法律を作れば、国民は立法機関を倒すだろう。立法機関は国民に法律を作って売って、国民からお金をもらって経営しなければならない。
立法機関(国会)はテレビに出るから偉いと思えるだけであって、テレビに出なければ地味な会社のひとつにすぎない。他[ほか]の研究機関が売れる商品を作ってお金を儲[もう]けているように、立法機関も国民に売れる商品やサービスを考え出してお金を儲けなければならない。法律が必要な国民もいるところにはいるから、法律が必要な国民もそこそこの数はいるから、立法機関もそんなにお金に不自由はしないだろう。立法機関は、まず最初に“立法機関が作った法律をコピーして配布[はいふ]してはいけない”という法律を作らなければならない。もっとも、政府が税金を取らなければ国民はお金の余裕があるから、立法機関にちゃんとお金を払って法律を買うだろう。
[13437] 政府が私を攻撃しても無駄[むだ]である。 h23.10.17
政府はガンを飛ばす者を私の近所に住ませて毎日私にガンを飛ばさせたり、暗い落ち込む気を出す者を私の上の部屋に住ませたりして私を不愉快にしている。私の作文が陽気でないのはそのせいである。フリードリッヒ・ニーチェが“重力の魔”と呼んでいるのは、ニーチェの近くに住んでいた暗い落ち込む気を出す政府のまわし者のことだったのだろう。[ちなみに、『ツァラトゥストラはこう語った』に出てくる“山中に篭[こも]る”の意味は、書斎で研究することである。本当に山の中で暮らすことではない。]
しかし、政府がいくら私を“攻撃”しても、時代の流れは変わらない。科学の時代になって、国民が実在に従うようになって力の強い者に従わなくなって政府が滅ぶことに変わりはない。政府は時代の流れを変えようがない。
だから、政府が私を攻撃することは、たんなる私に対する意地悪[いじわる]にすぎない。政府は何にもならないことをやっているだけである。やっても仕方がないことをやっているだけである。政府はやっても無駄[むだ]なことをやっているだけである。
私が今考えていることは、私の考えというよりも国民の総意である。人類の総意である。私はただ国民の総意を言葉にしてはっきりさせているだけである。私はすでに起こっていることをあとから自分で考えて追いかけているだけである。
今の政府が潰[つぶ]れかけているから、政府は私も含めて国民に対して無駄な意地糞[いじくそ]悪いことばかりしているのである。潰れかけの会社は何もならないことをやりたがるものだ。
[13438] 今の国民は社会科の勉強不足である。 h23.10.17
科学の時代になっても政府が自分から潰[つぶ]れようとしないのは、国民の多くがあいかわらず政府に従っているからである。政府は国民の様子[ようす]を見て、自分はまだいけると思ってこれまでと同じようにやっているのである。[でも、政府が潰れているような気もする。だから、すでに国民は政府に従わなくなっているのかもしれない。]
国民の多くはわけがわからずに政府に従っているのである。
しかし、これまでの私の哲学日記を読めば、今の国民が政府に従わなくてもいいことがわかる。
国民の多くは社会科の勉強が足りないから政府に従っているのである。『時代の思想』が眼で見えないから、昔と同じように政府に従い続けているのである。
正しい者よりもまちがっている者のほうが多いことはよくあることである。
自分が勇気を持って正しいことを実践すればいいのである。
[13439] 『強者は死んだ。』 h23.10.17
ニーチェが『神は死んだ』と言ったように、私は『強者は死んだ』と言う。
神は死んだとは、宗教団体が滅んだことである。科学が発達して、国民みんなが実在に従うようになって神に従わなくなったので、宗教団体が滅んだのである。
強者が死んだとは、政府や暴力団などの暴力団体が滅んだことである。科学が発達して、国民みんなが実在に従うようになって強者に従わなくなったので、暴力団体が滅んだのである。
宗教団体の背後に暴力団体がいるとすれば、暴力団体が滅んだので宗教団体も滅んだのだ。つまり、強者が死んだので神も死んだのだ。[[13435]参照。]
[13440] マンガでは一人で何でもできる。 h23.10.17
昔の国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていたので、力の強い政府に従った。国民が政府に従ったので、政府は国民に命令を出した。
ところが、政府は暴力団体と暴力で戦うことしか能がなく命令を出すことができなかったので、日本神道や国会などの命令を出す機関を作って国民に命令を出した。つまり、日本神道や国会は本来は政府と同じものだったのである。政府の命令を出す部分だったのである。
国民は政府に従うから、政府の一部分である日本神道や国会にも従ったのである。反対に、国民が政府に従わなければ、日本神道や国会にも従わなかったのである。
昔の国民は「強者に従った」ので、政府に従ったので、日本神道や国会にも従ったのである。
今の国民は『強者に従わない』ので、政府に従わないので、日本神道や国会にも従わないのである。
だから、今の国民に立法機関が必要なら、日本神道や国会とは別に立法機関を作らなければならない。日本神道や国会は政府なので、もはや今の国民は日本神道や国会に従うわけにはいかないのである。
同じように、警察は政府の“政府に逆らう者を取り締[し]まる部分”である。学校は政府の“国民を洗脳する部分”である。政府は暴力団体と暴力で戦うことしか能がなかったので、警察や学校を作ったのである。政府は自分に苦手なことをする機関を作って自分に苦手なことをやらせたのである。だから、警察も学校も本来は政府と同じものである。政府の一部分である。今の国民は政府に従わないから、政府の一部分である警察や学校にも従わないのである。
マンガやドラマでは悪者が一人で何でもできるが、現実には悪者は暴力をふる以外には何もできずほとんど全部他人任[たにんまか]せである。[もっとも、政府は悪者ではなく、国民が従うと決めた者だが。]現実の400万人がマンガやドラマの1人分なのである。だから、国民が政府に従わなくなれば、政府の手足である日本神道や国会や警察や学校などにも従わなくなるのである。
[13441] ドン・キホーテ h23.10.17
風車を巨人だと思ったドン・キホーテは巨人を倒すために風車に突撃したが、逆に風車に跳ね飛ばされて「魔法使いが巨人を風車に変えたのだ」とボヤいた。
巨人とは、力の強い政府のことである。
風車とは、風車の形が十字架に似ているから宗教団体(キリスト教団)のことである。
だから、巨人を風車に変えたとは、政府がキリスト教団に変わったということである。つまり、国民が政府に従わずにキリスト教団に従うようになったということである。ヨーロッパでは、政府と宗教団体が分離していて、国民は政府かキリスト教団かどちらか一方に従えばよかったのだ。[反対に、日本では政府が日本神道をやっていたから、国民はみんな政府に従わなければならなかった。日本では国民が神を信じていないために宗教団体の力が弱い(つまり、宗教団体に従う人がいない)ので、宗教団体は必ず暴力団体と結びつかねばならないのである。日本では、国家宗教は政府が国民に命令を出すためにあるだけである。]
当時のヨーロッパでは政府のほうがキリスト教団よりも国民に対して厳しかったので、国民みんなが政府に従うのをやめてキリスト教団に従うようになったのである。国民みんながキリスト教団に従うようになったために政府が滅んだのである。だから、巨人を風車に変えた魔法使いとは国民のことだったのである。[もっとも、キリスト教団が政府よりもいいといっても、キリスト教団のほうが政府よりも国民を幸福にしてくれるという意味ではなく、政府もキリスト教団も国民を虐[いじ]めて不幸にするが政府よりはキリスト教団のほうがマシだ(被害が小さい)という意味である。]
つまり、当時のヨーロッパでは政府がなくなって、キリスト教団だけになっていたのである。国民はみんなキリスト教団に入っていたのである。だから、ヨーロッパは今でもキリスト教団の力が強いのである。政府よりも強いのである。
しかし、科学時代の今では、国民みんなが実在に従えばいいと考えていて、力の強い者にも神にも従わなくなっている。だから、今のヨーロッパでは科学団体が栄[さか]えて、政府も宗教団体も両方とも滅んでいるのだ。今では世界中で実在に従う新しい世界が出来つつあるのだ。
[13442] どうして政府は国民に命令を出したのか? h23.10.17
昔の国民は「力の強い者に従わねばならない」と考えていた。
そのため、昔の国民は暴力団体の闘争で勝った政府に従っていた。
昔の国民が政府に従ったので、政府は国民に命令を出した。
つまり、昔の政府が国民に命令を出したのは、国民が“自主的に”政府に従っていたからである。国民が政府に命令を出してくれとせがむから、政府はしかたなく国民に命令を出したのである。
しかし、今では国民の考えが変わった。今の国民は『実在に従えばいい。力の強い者に従わなくていい。』と考えている。
そのため、今の国民は政府に従わない。
今の国民は政府に従わないので、政府は国民に命令を出せない。
今の国民が政府に自主的に従わなくなったから、政府は国民に命令を出せなくなったのである。
つまり、政府が国民に命令を出せるか出せないかは、国民が政府に自主的に従うか従わないかによって決まるのである。
そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民の自由なのである。昔はたまたま国民みんなが政府に従いたいと思っていたから国民みんなが政府に従ったのである。たとえ政府がどんなに意地悪な命令を出しても、国民は政府に従いたいと思っていたから従ったのである。しかし、今では国民みんなが政府に従いたくないと思っているから国民みんなが政府に従わなくなったのである。たとえ政府がどんなに良心的な命令を出しても、国民が政府に従いたくないと思っているから従わないのである。今の国民は実在に従いたくて力の強い者に従いたくないから政府に従いたくないのである。
[13443] 国民には政府に従う義務はない。 h23.10.17
国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。
政府は力の強い者である。政府は古代の暴力団体同士の闘争で優勝したから力が強いのである。
昔の人は自分が力の強い者に従いたいと思っていたから、政府に従っていたのである。
だから、反対に自分が力の強い者に従いたくないと思えば、政府に従わなくてもいいのである。政府に税金を払わなくてもいいのである。政府の法律を守らなくていいのである。[そもそも政府に従わなければ、政府の法律は守らなくていい。政府に従う者だけが政府の法律を守ればいいのである。「国民みんなが政府の法律を守らねばならない」というのは政府が国民についた嘘[うそ]である。]
今の人は実在に従いたいと思っているから、実在に従えばいいのである。政府に従わなければいいのである。
政府の法律では「政府が国民よりも上である。」国民は政府にひたすら従わねばならない。
実在の法律では『人間はみんな平等である。』国民には従わねばならない者なんかない。
今ではみんなが政府よりも実在に従いたいと思っているから、政府の法律よりも実在の法律を守るようになっているのである。つまり、人間が何に従うかによって世界が決まるのである。
「力の強い者に従う」ことは動物の習性である。『実在に従う』ことは人間の習性である。人間は人間であって動物ではない。だから、人間は実在に従うのである。
[13444] 実在と政府と宗教団体 h23.10.18
人間は生きているかぎり必ず何かに従わなければならない。
人間は実在に従おうが、政府(暴力団体)に従おうが、宗教団体に従おうが自由である。人間は自分が従う者を自由に選ぶことができる。
実在に従う者は、実在の法律を守ればいい。
政府に従う者は、政府の法律を守ればいい。
宗教団体に従う者は、宗教団体の法律を守ればいい。
昔の日本人は力を信じて神を信じなかったから、国民みんなが政府に従ったのである。[昔の日本にはまだ科学がなかったし、日本には神の概念がなかったので、昔の日本人は力に従うしかなかったのである。]
昔のヨーロッパ人は神を信じて力を信じなかったから、国民みんながキリスト教団に従ったのである。[[13441]参照。中世のヨーロッパではキリスト教団が政府よりも強かったが、近代のヨーロッパは植民地時代だったから政府がキリスト教団よりも強かった。]
今の人間は実在を信じて力や神を信じないから、世界中の人々が実在に従って政府や宗教団体に従わなくなったのである。
実在はお金を取らないから一番安い。政府や宗教団体はお金を取るので高い。
実在は命令を出さないので煩[うるさ]くない。政府や宗教団体は命令を出すので鬱陶[うっとう]しい。
国民にとっては実在に従おうが、政府に従おうが、宗教団体に従おうが国民の自由である。だから、国民は自分にとって最も有利なものに従うはずである。だから、国民は実在に従うのである。
[13445] どうして人間は平等なのか? h23.10.18
今では『人間は実在に従えばいい』と考えられている。
人間が実在に従うことは、人間が特定の人間に従わないことである。人間には従う人間がいないということである。
だから、人間は平等なのである。
人間が実在に従うから、人間はみな平等になるのである。
[13446] 人間は最初から正しくは行かないものだ。 h23.10.18
要するに、昔の人はまちがっていた。
本当は人間は最初から実在に従えばいいのに、昔の人はまちがって力の強い者や神に似た者に従っていた。
それは、昔は科学がなくて、人間が実在に従いたくても従えなかったからである。つまり、昔は人間が実在に従う方法すらなかったのである。人間は実在に従う方法がわからなかったのである。実在は無言なので、力の強い者や神に似た者のように人間にガミガミ命令を出してくれないので、なかなか人間が実在に従うことができなかったのである。
ところが、今は科学があるから、人間が実在に従うことができる。ガリレオが『科学の方法』つまり『実在に従う方法』を考え出してくれたから、誰でも実在に従うことができるようになったのである。人間は観察に基づいて仮説を立てたり逆に仮説を実験によって検証することによって実在についての真理を発見したり、これまでに科学者が発見した知識を勉強して実在についての正しい知識を得ることによって実在に従うことができるようになったのである。
人間は最近になってようやく従うべきものに従うことができるようになったのだ。
[13447] 真理に近づくための方法 h23.10.18
テレビの見すぎ、マンガの読みすぎ、ゲームのやりすぎがいけない。真理が逃げていく。
無駄[むだ]な意味づけが多いと、いつまで経[た]っても真理がわからない。
余計なことをやらないことも、真理に近づくためには大事だ。
私も暇つぶしにゲームをすることが多いが、自分が考えることがあるときにはゲームをやらないようにしている。
[13448] 暴力団体と宗教団体の関係 h23.10.18
ヨーロッパでは人々が神を信じていたから、人々が宗教団体だけでも従った。だから、ヨーロッパでは宗教団体が暴力団体(政府)から独立にやっていけたのである。むしろ、人々は暴力団体よりも宗教団体に従った。植民地時代にはさすがに人々は暴力団体に従ったが、それ以外の時代には宗教団体に従った。
しかし、日本では人々が神を信じていなかったから、人々は宗教団体だけでは従わなかった。日本では宗教団体は暴力団体と結びついていなければやっていけなかったのである。宗教団体は暴力団体の付属機関でなければならなかったのである。暴力団体が宗教団体を従えていたのである。つまり、日本では宗教は暴力団体の命令でやっていただけである。日本政府の命令で日本神道をやっていたように、民間宗教は民間暴力団の命令でやっていたのである。民間宗教団体そのものがすでにひとつの暴力団体なのかもしれない。つまり、民間宗教団体は日本政府と同じように暴力団体が宗教で命令を出しているのである。民間宗教団体は、“宗教で命令を出す暴力団体”なのである。それに対し、暴力団体は“宗教で命令を出さない暴力団体”なのである。民間宗教団体は名前が宗教団体であるだけで、中身は暴力団体なのである。
ヨーロッパでは宗教団体と暴力団体は別物だが、日本では宗教団体はみな暴力団体なのである。日本には暴力団体しかないのである。
[13449] 人々の思想が世の中を決める。☆ h23.10.18
昔の人々は「力の強い者」や「神に似た者」に従わねばならないと考えていた。
だから、昔は政府や宗教団体が人々を支配できた。政府や宗教団体が好き放題にやれた。
しかし、今の人々は『実在』に従わねばならないと考えているだけである。
だから、今では人々を支配できる者がいなくなったのだ。今では人々がみな平等になったのだ。
けっして政府や宗教団体が人々を騙[だま]して政府や宗教団体に従わねばならないと思わせることによって人々を従わせたのではない。もともと人々が「力の強い者」や「神に似た者」に従わねばならないと考えていたから、政府や宗教団体が人々の“従うべき者”のイメージに合わせることによって人々を従わせたのである。つまり、政府や宗教団体が人々に合わせたのであって、人々が政府や宗教団体に合わせたのではない。政府や宗教団体が人々に従ったのであって、人々が政府や宗教団体に従ったのではない。だから、今の人々が政府や宗教団体がいなくなればいいと考えれば、政府や宗教団体はいなくなるしかないのである。
[13450] 国民がまちがっている。☆ h23.10.18
今の時代においては人間が『実在』に従うことが正しいと考えられている。「力の強い者」や「神に似た者」に従うことはまちがっていると考えられている。
政府は力の強い者である。
だから、国民が政府に従っていることがまちがっているのである。政府のチャチな嘘に騙[だま]されていつまでも政府に従っている国民が悪いのである。
国民が政府に従わないほうが正しいのである。政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしないほうが正しいのである。
国民がまちがったことをやっているから、いつまで経[た]っても世の中がよくならないのである。
だから、国民は政府に従うことをやめねばならない。
[13451] 今の政府は民主主義の政治機関ではない。 h23.10.19
政府は力の強い者である。政府は古代の日本における暴力団体同士の闘争で優勝して日本一になったから今でも力の強い者で通っているのである。
昔の国民は力の強い者に従わねばならないと考えていたから、ひたすら政府に馬鹿みたいに従った。昔はまだ人間が動物であって、動物は「力の強い者に従わなければならない」と考える習性があるから、昔の国民は政府に従ったのである。
今の政府は、今でも国民がひたすら政府に従っていると思って国民と接しているのである。今の政府はこれまでと同じように自分が国民の支配者のつもりでいるのである。だから、政府は国民に対して偉そうにして国民のためになることをまったく何も考えずに国民に対して一方的に好き勝手な命令を出しているのである。国家宗教で命令を出しているのである。つまり、今の政府は民主主義の政治機関ではないのである。
今の政府が自分を民主主義の政治機関と言っているのは、政府の嘘[うそ]である。社会科の教科書に書いてあることは嘘である。テレビや新聞に載[の]っていることは嘘である。政府は自分が本当にやっていることを隠[かく]すために、国民に嘘を言っているのである。
今の政府は国民に対して独断的な一方的な命令を出す“国民を支配する機関”にすぎず、民主主義の政治機関ではないのである。国民の役に立つことをしてくれる国民にとってありがたい機関ではないのである。つまり、政府は役立たずである。政府はもともとそういう団体である。政府は最初から“国民を支配する団体”だから、国民に好き勝手な命令を出すだけなのである。いわば、それが政府の仕事なのである。政府は“国民を支配すること”が仕事なのである。国民に対して偉そうにして国民から税金を取って国民のためにならないデタラメな命令や国民を嫌がらせる命令を出すことが政府の仕事なのである。政府はノリがいい時には国民の支配を強烈[きょうれつ]にやって国民を嫌がらせる命令を出すのである。政府は昔も今もそうなのである。これまで国民は政府に一方的に服従してきたから、政府は国民を一方的に支配してきたのである。
今の国民が自分が実在に従うのであって力の強い者に従うのではないと考えているのなら、ふざけていいかげんな気持ちで政府に従ってはいけない。国民が政府に従わなくなれば、政府は自分の時代が終わったと思って国民に命令を出すのをやめるだろう。
[13452] 政府は国民が従わねばならない者ではない。 h23.10.19
昔の国民は力の強い者に従わねばならないと考えていた。昔の国民は遅れていたのでそんな野蛮な考えを持っていたのである。
政府は力の強い者だと考えられた。
だから、昔の国民は政府に従った。
国民が政府に従ったから、逆に政府は国民を支配した。
政府は国民に対して偉そうにして国民から税金を取って国民を嫌がらせる命令を出した。
国民は政府に従わねばならないと考えていたから、政府のどんな命令にも喜んで従って、政府に一言[ひとこと]も文句[もんく]を言わなかった。
しかし、今の国民は力の強い者に従わなければならないと考えていないから、政府に対して文句を言うのだ。今の国民は政府の命令を聞くのが嫌だから、政府に従わないのだ。
つまり、政府は国民が従わねばならない者ではなく、力の強い者なのだ。政府の定義は国民が従わねばならない者ではなく、力の強い者なのである。昔の国民は力の強い者に従わなければならないと考えていたから力の強い政府に従ったのだ。今の国民は力の強い者に従わないと考えているから力の強い政府に従わないのだ。昔の国民と今の国民では考えが違うから、昔の国民と今の国民では政府に対する態度が違うのだ。
中世の日本政府が滅んだのは、ローマ帝国が滅んだために、ローマ政府と同じやり方でやっていた日本政府が国民に弱いと思われて国民が日本政府に従わなくなったからである。ローマ帝国が滅んでインドが強い国になったので、インド政府と同じやり方でやっていた江戸幕府が国民に強いと思われて国民が江戸幕府に従うようになったのである。つまり、昔の国民はとにかく“一番強いと思われる者”に従ったのである。[もしもローマ帝国が滅ばなかったら、国民は日本政府に従い続けたのである。幕府は出来なかったのである。]
今の国民は実在に従えばいいと考えるようになったので、政府は実在ではないので、政府に従わなくなったのである。今の国民は力の強い者なんかどうでもいいと考えるようになったので、政府なんかどうでもいいのである。
中世の日本政府が滅んだのは国民に日本政府が弱いと思われたからだが、今の日本政府が滅んでいるのは国民が強い者に従わなくなったからである。
[13453] 人間は自分が幸福になるものに従えばいい。 h23.10.19
人間は自分が幸福になるために生きている。人間は自分の幸福を追求すればいいのである。
人間が実在に従えば、実在に適応して幸福に生きられる。そのことは、科学の発明品を見ればわかることである。
今の人間は力の強い者や神に似た者に従うよりも実在に従うほうが幸福になれることがわかっているので、今の人間は実在に従えばいいのである。今の人間は力の強い者や神に似た者に従わなければいいのである。
昔の人間も今の人間と同じように一生懸命[いっしょうけんめい]に自分の幸福を追求して生きていたのだが、当時はまだ実在に従う方法(つまり科学)がなかったので、力の強い者や神に似た者に従うしかなかった。そのため、昔の人間は幸福になれなかったのである。昔の人間は「力の強い者や神に似た者に従えば自分が幸福になれる」と思って従ったが、結果はその反対だったのである。つまり、「力の強い者や神に似た者に従えば幸福になれる」ことはまちがいだったのである。迷信だったのである。[科学的に考えれば力の強い者や神に似た者に従っても上の者が幸福になれるだけで下の者が幸福になれないのは明らかだが、昔の人は科学がなかったからそんなことがわからなかったのである。昔の日本人が非科学的な神風を信じていたのと同じことである。]
人間は力の強い者や神に似た者に従うよりも、実在に従うほうが幸福になれる。今の人間はそのことを知っている。だから、今の人間は実在に従えばいいのである。政府や宗教団体は国民からお金を取ったり国民にデタラメな命令や嫌がらせの命令を出したりして国民を不幸にするだけである。だから、国民は政府や宗教団体に従わなければいいのである。
政府や宗教団体はまちがった命令を出す壊れたコンピューターのようなものである。だから、そんな物は早く捨てたほうがいい。
今ぐらい科学が発達した時代だったら、戦争したり神に祈[いの]ったりするよりも科学の発明品で遊んだほうが幸福である。だから、人間はみな実在に従うようになったのである。
人間が実在に従うことにすれば、もはや政府や宗教団体の出る幕はない。政府や宗教団体は滅ぶしかない。
[13454] 人間は実在に従えばいい。 h23.10.19
人間は実在に従えば幸福になれる。
人間は力の強い者や神に似た者に従っても幸福になれない。不幸になるだけである。
人間は自分が幸福になる道を選べばいい。
したがって、人間は実在に従えばいい。力の強い者や神に似た者に従わなければいい。
[13455] 昔の人の浅はかな考え h23.10.19
昔の人はどうすれば自分が幸福になれるかについて考えた。
その結果、力の強い者に従えばいいと考えたのである。あるいは、神に似た者に従えばいいと考えたのである。
昔の人は、まだ科学を知らなかったからそんな答えでもやむを得なかったのである。昔の人は裸で外で寝ていたから仕方がなかったのである。
しかし、今の人は、実在に従えば幸福になれることを知っている。昔の人がまちがっていたことを知っている。
だから、今の人は力の強い者にも神に似ている者にも従わなくなったのである。
[13456] 昔はまちがいだらけだった。☆ h23.10.19
何事についても昔の人は今の人よりもまちがっているものである。
物理学についても生物学についても医学についてもまちがっていた。何から何までまちがっていた。
幸福学についてもまちがっていた。
昔の人は「自分が力の強い者や神に似た者に従えば幸福になれる」と考えていたのである。[ウルトラマンや仮面ライダーが子供に人気があって、ウルトラマンや仮面ライダーがウインナーソーセージの宣伝をやっていたら子供が喜んで買うのと同じことである。]
だから、昔の人は政府や宗教団体に従ったのである。昔は科学がなかったから仮設を検証することを知らなかったので、実際に自分が幸福になれなくてもその考えを変えなかったのである。
しかし、今の人は科学を知っている。科学では、「自分が力の強い者や神に似ている者に従えば幸福になれる」ことはまちがいだからこの考えは捨てられる。[[13453]参照。]こうして、今の人は政府や宗教団体に従わなくなったのである。
[13457] 昔の人のまちがった哲学☆ h23.10.20
人間が生きるためには『正しいもの』に従わねばならない。人間にとって自分の幸福は二の次であり、まず第一に『正しいもの』に従わねばならない。人間は生きていてはじめて幸福になれるのであって、自分が幸福になるためにはまず自分が生きていなければならない。自分が生きるためには、自分が『正しいもの』に従わねばならないのである。
ところが、昔は科学がなくて実在のことがわからなかったから、実在に従うわけにはいかなかった。
そこで、昔の人は力の強い者や神に似た者に従った。つまり、昔は力の強い者や神に似た者が正しいものだと考えられていたのである。昔の人は実在がわからなかったので、力の強い者や神に似た者が実在の代[か]わりだったのである。
そのために、人間が不平等になって身分制が出来て、上の者が幸福になり下の者が不幸になった。
しかし、昔の人は力の強い者や神に似た者に従うことが正しいことだと信じて自分の不幸に耐[た]えた。
しかし、今では実在が正しいものだと考えられている。今では科学があって実在のことがわかるようになって、人間が実在に従うことができるからである。
だから、今の人は実在に従う。
そのために、今の人には特定の従う者がいないから、人間はみな平等になったのである。
つまり、昔の人と今の人は哲学が違う。昔の人も今の人も『正しいもの』に従う点では同じだが、昔の人は力の強い者や神に似た者が正しいと考えていた。今の人は実在が正しいと考えている。昔の人にとっては力の強い者や神に似た者が正しかったが、今の人にとっては実在が正しい。今の人から見ると、昔の人はまちがっていた。だから、今の人は力の強い者や神に似た者に従わなくなった。つまり、政府や暴力団や宗教団体に従わなくなった。実在だけに従うようになったのだ。
[13458] 正しいものはなんだ? h23.10.20
正しいものはなんだと訊[き]いたとき、
昔の人は力の強い者や神に似た者と答えた。
しかし、今の人は実在と答える。
だから、昔の人と今の人では従う者が違う。
昔の人は、政府や暴力団や宗教団体に従っていた。
今の人は、実在に従っている。
今の人は、政府や暴力団や宗教団体に従わない。
だから、今では政府や暴力団や宗教団体がなくなっている。
[13459] 科学の時代における正しいものは実在だけである。☆ h23.10.20
力の強い者が正しいと考えている者は、政府や暴力団に従えばいい。
神に似た者が正しいと考えている者は、宗教団体に従えばいい。
実在が正しいと考えている者は、実在に従えばいい。
しかし、今は『科学の時代』だから、力の強い者や神に似た者が正しいと考えることはまちがっている。実在が正しいと考えることが正しい。人間には正しいものを選ぶ自由がないのである。
だから、今では人々はみんな実在に従って、政府や暴力団や宗教団体に従わないのである。
[13460] 何が正しいかは時代によって決まる。☆ h23.10.20
ヨーロッパでは植民地時代には政府が正しかった。人々は政府に従った。しかし、植民地時代以外の時代にはキリスト教団が正しかった。人々はキリスト教団に従った。
日本ではヨーロッパが強い時代にはヨーロッパ政府と同じやり方でやっている政府が正しかった。人々は政府に従った。しかし、インドが強い時代にはインド政府と同じやり方でやっている幕府が正しかった。人々は幕府に従った。
このように、何が正しいかは時代によって決まるのである。人々はその時代の正しいものに従ったのである。
ところで、今は科学の時代である。科学の時代には実在が正しいと決まっている。だから、今の人々は実在に従っているのである。政府や暴力団や宗教団体に従わなくなっているのである。
[13461] 今の国会は民主主義ではない。 h23.10.20
今の国会には国民は立ち入り禁止である。
今の国会は議員でやっているだけである。
そもそも国会は議事堂の壇上で国会議員が演説をして観客席で大勢の国民がヤジを飛ばしながら聞いているのがいい。そのほうが民主的である。
今の国会は議員だけで閉じこもってやっている陰気臭い会議にすぎない。国会と国民とのつながりがない。
だから、今の国会は民主主義ではないのである。
今の政府は昔の政府と同じようにひたすら国民に一方的に命令を出すだけである。デタラメな命令や嫌がらせの命令を出すだけである。政府は実在を無視して好き勝手な命令を出すだけである。政府は昔も今も“国民を支配する会社”なのである。今の国会は政府が本当にやっていることを隠すためにやっているお芝居にすぎないのである。
国民が政府に従っているから、政府は国民を支配しているのである。ところが、今は科学の時代だから、実在が正しく力の強い者が正しくない。政府は力の強い者である。だから、国民は政府に従わなければいいのである。そうすれば、政府は国民を支配しなくなるだろう。
[13462] 誰にお金をやるべきか? h23.10.20
昔は力の強い者が正しかったから、人々は力の強い者にお金を多くやった。昔の人々は力の強い者に従ったし、力の強い者はお金をたくさん欲しがったから、人々は力の強い者にお金を多くやらねばならなかった。
しかし、今は実在が正しいから、実在にお金を多くやらねばならない。
しかし、実在はお金を欲しがらない。実在はお金が要らない。
だから、実在の代[か]わりに科学者にお金を多くやらねばならない。実在は無言だから実在自身は人間に命令を出してはくれない。科学者が実在に言葉を与えることによって、はじめて実在が人間に命令を出すことができる。科学者を介して実在は人間に命令を出すことができる。もっとも、肩書きだけの科学者は実在の代弁者ではないから、肩書きだけの科学者にお金をやる必要はない。“実在について新しいことがわかった者”にお金を多くやらねばならない。今後は、具体的な発明品を作った者だけではなく、“実在についての新しい知識を発見した者”にもお金をやらねばならない。
[13463] 政府はどうして民主主義をやるようになったのか? h23.10.20
古代から近世までは力の強い者の時代だったので人々が純粋に力の強い者に従った。当時は政府が完全に国民よりも上の者だった。『水戸黄門』みたいな時代だった。
しかし、近代以降は科学が出来て人々が力の強い者に従うだけではなく実在にも従うようになって人間が若干[じゃっかん]平等になったので、政府は人々に合わせて人間の平等性を取り入れて民主主義をやるようになったのである。しかし、政府は原則的には国民よりも上の者だったのである。
現代は科学の時代なので人々が純粋に実在に従うようになったので、人々は政府に従わなくなったのである。政府はもはや国民よりも上の者ではなくなったのである。
つまり、昔は力の強い者の時代だったが、今は科学の時代になったので、人々を支配するものが政府から実在に変わったのである。政府が国民よりも上の者である世界から、人間はみな平等である世界に変わったのである。
[13464] 昔の人はなぜ馬に乗ったのか? h23.10.20
今の人は車や列車に乗る。
しかし、昔の人は馬に乗った。
昔は馬しかなかったから馬に乗るしかなかった。昔はまだ車や列車がなかったから馬に乗るしかなかったのである。
それと同じように、昔は力の強い者や神に似た者しかなかったから力の強い者や神に似た者に従うしかなかった。昔はまだ科学がなくて実在に従えなかったから、力の強い者や神に似た者に従うしかなかったのである。
昔は今ほど“いい物”がなかったから、悪い物でもやむを得ず使うしかなかったのだ。
[13465] 昔の人にとっては政府や宗教団体が実在の代[か]わりだった。 h23.10.21
今の人間は法律に従って生きているが、法律だけで生きているのではない。いろんなことで生きている。数学や物理学や生物学や医学などのいろんな知識で生きている。
だから、一言[ひとこと]で言うと、今の人間は『実在』に従って生きているのである。
つまり、今では実在が人間の生活を決めている。
昔は実在がわからなかったから、政府や宗教団体が実在の代[か]わりだった。
だから、昔は政府や宗教団体が人間の生活のすべてを決めていたのである。今の人間の生活すべてを実在が決めているように、昔の人間の生活すべてを政府や宗教団体が決めていたのである。[例えば、今の日本政府が国民に国家宗教の神の情報を入れた物を作らせたり神の情報を入れたことをやらせたりして何の役にも立たないことをやらせているのは、その名残[なごり]である。]
昔の人にとっては、政府や宗教団体が生活において大変なウエイトを占めていたのである。いわば、政府や宗教団体が宇宙のすべてだったのである。だから、政府や宗教団体が絶大な権力を持っていたのである。つまり、人々は政府や宗教団体に絶対服従していたのである。何から何まで服従していたのである。
昔は政府や宗教団体がすべての分野を占領していた。しかし、今では人間がほとんどすべて実在に従うようになって実在がほとんどすべての分野を占領している。今では、かろうじて政府が法律(社会科学)の分野を占領したり、宗教団体が倫理学の分野を占領したりしているだけである。政府も宗教団体もほとんど潰[つぶ]れている。だから、科学がもう一押しすれば、人間が完全に実在に従うようになって、政府や宗教団体に従う人がいなくなって政府や宗教団体が完全に潰[つぶ]れる。今の人々が「政府の法律」や「宗教団体の倫理学」で暮らすのをやめて、『実在の法律』や『実在の倫理学』で暮らすようになれば、この世から政府や宗教団体がなくなる。
そもそも人間は実在の中で暮らしているのであって、政府や宗教団体の中で暮らしているのではない。だから、人間は実在に従うべきであって、政府や宗教団体に従うべきではない。昔の人が政府や宗教団体に従っていたのはまちがいだったのである。人間は実在を上に置くべきであって、政府や宗教団体を上に置くべきではないのである。
人間が実在に従えば幸福になる。反対に、政府や宗教団体に従えば不幸になる。今の人間の生活がその証拠である。だから、人間が幸福になるためには、政府や宗教団体に従うのをやめて実在に従えばいいのである。
誰かがさっさと政府と独立に“実在に従う立法機関や司法機関”を作らないものだろうか。そうすれば、税金並みには儲[もう]かるだろう。
[13466] 国民が政府に従う。ゆえに、政府は国民に命令する。 h23.10.21
昔の人々は力の強い者を正しいと考えて力の強い者に従った。
政府は古代の暴力団体同士の闘争で勝って強い者だと考えられた。
そこで、昔の人々は政府に従った。
昔の人々が政府に従ったので、政府は人々に命令を出した。政府は国民が自分に従うのをいいことにして国民に好き勝手な命令を出した。政府は国家宗教でデタラメな命令や嫌がらせの命令を出した。その他[ほか]にも、政府は国家宗教によらないデタラメな命令や嫌がらせの命令も出した。
つまり、政府は実在を無視して国民に自分の好き勝手な命令を出す団体なのである。
今でも、政府はそういう団体である。つまり、政府は国民を支配するだけの団体である。政府は国民に自分勝手にメチャクチャな命令を出すだけの団体である。政府は国民の役に立たない団体である。政府は国会もやっているが、国会は政府がやっていることを隠すために芝居をしているだけである。民主主義は政府の嘘[うそ]である。
しかし、今の人々は実在を正しいと考えて実在に従うようになっている。
人々は政府に従わなくなっている。
だから、政府は年々小さくなっている。そのうちなくなってしまうだろう。
つまり、政府が国民に命令を出せるためには、国民が政府に従わねばならない。昔の国民は政府に従ったので、政府が国民に命令できた。しかし、今の国民は政府に従わないので、もはや政府は国民に命令できないのだ。
国民が政府に従うか従わないかは国民が決めることであって、政府が決めることではない。政府は国民が政府に従う場合にのみ国民に命令できるだけである。国民が政府に従わなければ、政府は何もできないのである。
[13467] 政府の信者 h23.10.21
今では国民のほとんどは政府に税金を払う以外は実在に従うようになっている。[本当は、政府に従う気がなければ、政府に税金を払わなくてもいいのだが。政府に疎[うと]い者は「政府が民主主義の政治機関だ」と思って政府に税金を払っているが、政府に詳[くわ]しい者は『政府が国民に好き放題に命令を出す機関だ』と思って税金を払っていないのではないだろうか。]
しかし、いまだに政府に絶対服従している国民がいる。
それが政府の信者である。
政府の信者は政府のどんな命令でも聞く。死ねという命令でも聞く。政府の信者は政府の命令ひとつでビルの高いところから飛び降りたり、裸で公衆の面前で踊[おど]ったりする。要するに、政府の信者は時代遅れのバカである。いまだに“力の強い者”を信じている精神異常者である。[宗教団体の信者は“神に似た者”を信じているキチガイだが、政府の信者は“力の強い者”を信じているキチガイである。宗教団体の信者や政府の信者は自分の得になるから宗教団体や政府に従っているのではなく、宗教団体や政府が正しいと信じているから従っているのである。時代錯誤は宗教団体や政府ではなく、宗教団体や政府の信者なのである。]
昔は国民みんなが政府の信者だった。今では国民の一部の者だけが政府の信者である。政府の信者がいるからこそ、政府はすでに滅んでいるといえる。今の政府は民間宗教団体と変わらない。
要するに、今は実在の時代であって、政府の時代ではない。だから、国民は実在に従えばいいのであって、政府に従わなければいいのである。政府に税金を払ったり、政府の命令を聞したりしなければいいのである。それが、今の時代にふさわしい国民の態度である。
[13468] 第二次世界大戦 h23.10.21
第二次世界大戦は連合国と枢軸国つまり実在の国と政府の国の戦いである。
結果は、実在の国が政府の国に勝った。
だから、戦後は実在の世界になった。政府の世界は終わった。
戦後の人々は実在に従って、政府に従わなくなった。
今でも政府に従っている者はまちがっている。早く政府に従うのをやめねばならない。
[13469] 法律は政府の命令の一部である。 h23.10.21
政府は法律を作るだけではない。法律を作って、法律を具体的に実施[じっし]して、法律の違反者を取り締[し]まるだけではない。政府は国会や行政機関や警察を建てて法律に関することだけをやっているように国民に見せかけているが、実際には国民の見えないところで法律以外にもいろんなことをやっている。
法律は政府の命令の極一部にすぎない。政府は法律の他[ほか]にもたくさん命令を出している。
政府は国民の生活全般についてありとあらゆる命令を出す機関である。しかも、それらの命令は政府が実在を無視して自分の独断で作ったものでありまちがったデタラメな命令ばかりである。国民の役に立たない国民の幸福な生活を妨[さまた]げる命令ばかりである。
政府は昔実在の代[か]わりだったから、今でも国民に対して生活全般に渡るありとあらゆる命令を出しているのである。例えば、政府は国民に国家宗教の神の情報を入れた物を作らせたり、国民に国家宗教の神の情報が入ったことをやらせたりしている。
しかし、今では実在が正しく、政府がまちがいであることがわかっている。人間は実在の中で暮らしているのであり、政府の中で暮らしているのではないからである。国民が何に従うかは、国民の自由である。だから、国民は実在に従わねばならず、政府に従ってはならない。政府は実在の敵[てき]だから、早くなくなったほうがいい。国民が政府に従わなければ、政府は自然に消滅する。政府が消滅すれば、国民の誰かが“実在に従う法律の会社”を作る。だから、政府がなくなってもかまわない。政府をなくすためには、政府に税金を払ってはならない。
[13470] 政府と実在の戦い h23.10.21
日本には正しさを決めるものが二つある。
それは、実在と政府である。
昔は科学がなかったから、政府が正しさを決めた。[昔は政府が実在の代わりを務[つと]めていた。]
今は科学があるから、実在が正しさを決める。
正しさを決めるものが二つあると国民が困る。国民が実在と政府のどちらに従えばいいかわからないからである。
今では政府よりも実在のほうが正しいことがわかっている。
政府が実在に勝てるわけがない。政府が実在の中にあるのであって、実在が政府の中にあるのではないからである。政府が実在に従っているのであって、実在が政府に従っているのではないからである。つまり、本当に強いのは実在である。政府よりも実在のほうが強い。[おとぎ話の『長者が太陽を戻す話』(米原長者[よなばるちょうじゃ])のように、政府も実在には敵[かな]わない。あるいは、日本の妖怪『サトリ』の話でサトリに木の破片が当たってサトリがやられたように、昔から政府が実在に倒されることはわかっていたのである。]
政府は用済みである。
国民は政府ではなく実在に従えばいい。
[13471] 政府のからかい h23.10.22
今では人間は実在に従えばいいのであって、政府に従わなくてもいいのである。
今はそういう時代である。
政府は自分が実在に負けた腹いせに国民をからかって、いまだに国民が政府に従わなければならないような嘘[うそ]を言っているのである。
国民は政府の冗談を真[ま]に受けず、自分で考えて政府に従わなければいいのである。
今の政府のやっていることは冗談にすぎない。だから、国民は政府を相手にしなければいい。
[13472] 植民地をやっても儲[もう]からない。(訂正) h23.10.22
昔の人々は「力の強い者が正しい」と考えて力の強い者に従った。
だから、国同士[どうし]が戦争をすれば、戦争に負けた国の人々は戦争に勝った国の人々が力の強い者だと思って戦争に勝った国の人々に従わねばならないと考えたので、戦争に勝った国の人々が戦争に負けた国の人々を好き勝手にできた。[実力で戦えば、戦争に負けた国の人々のほうが戦争に勝った国の占領軍よりもはるかに人数が多いから、戦争に負けた国の人々が戦争に勝った国の占領軍を負かすことぐらいわけはないが、昔の人々は力の強い者が正しいと考えていたので、一度戦争をして勝敗を決めれば、その後ずっと戦争に負けた国の人々は戦争に勝った国の人々に従い続けたのである。つまり、力の強い者が正しいという“約束事”で従っていただけなのである。昔はみんなが「力の強い者が正しい」と考えていたから、少数が多数を支配することができたのである。]例えば、近代のヨーロッパはそのようにして植民地を好き勝手にして植民地の財産を取って儲[もう]けたのである。ヨーロッパが植民地にお金をやって土地を借りていたのではなく、世界中の人々が力の強い者に従わねばならないと考えていたから、戦争に負けた植民地の人々が戦争に勝ったヨーロッパに従ったのである。中世のモンゴルが世界の大半を征服したのも、モンゴルが自分の優れた馬を売ったお金で外国の土地を借りていたからではなく、モンゴルが外国に騎馬戦で勝ってモンゴルが外国の人々を従えていたからである。
しかし、その後科学ができて、人々の考えが変わって、人々が力の強い者に従うのをやめて実在に従うようになった。そのため、国同士で戦争をやっても戦争に負けた国の人々が戦争に勝った国の人々に従わなくなり、戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にすることができなくなった。それで、最近は戦争がないのである。人々が力の強い者に従わなくなったから、人々が政府に従わなくなって、政府が滅んでいるのである。
[13473] 今の政府は空威張[からいば]りである。 h23.10.22
戦前までは、人々が「力の強い者が正しい」と考えて、力の強い者に従った。
政府は古代における暴力団体の闘争で優勝したから力の強い者と考えられた。
だから、人々は政府に従った。
しかし、戦後は、人々が『実在が正しい』と考えて、実在に従うようになった。
だから、今の政府は空威張りである。今の政府は実質的には国民を支配していない。今の政府は形骸[けいがい]にすぎない。
だから、もはや国民は政府に従わなくていいのである。たとえ政府がどんなに国民の役に立っていても、国民は政府に従わなくていいのである。[実際には、政府は国民にメチャクチャな命令を出すだけで、国民の役に立っていない。]
今の国民が政府に従っていることはまちがっている。だから、さっさとやめねばならない。
[13474] 実在か政府か、それが問題だ。 h23.10.22
人間は政府と実在とどちらに従うべきだろうか?
人間は実在の中で暮らしているのだから、実在に従うべきである。フランシス・ベーコンが『自然に従えば、自然を支配できる』と言ったように、人間が実在に従うと実在を自分の思い通りにすることができて幸福に暮らせる。一方、政府は実在を無視して自分の好き勝手に命令を出しているだけである。だから、国民が政府に従うと実在に従わなくなって実在を思い通りにできなくなって幸福に暮らせなくなる。
だから、人間は実在に従うべきであって、政府に従うべきではない。
こうして、人々は実在に従うようになって、政府に従わなくなったのである。
[13475] 安藤昌益の『自然真営道』 h23.10.22
安藤昌益は『自然真営道』で、人間は自然に従い、政府や幕府などの力の強い者に従うべきではないと書いている。
人間が力の強い者に従わず自然に従えば、自然に適応して幸福に暮らすことができると書いている。
人間が自然に従えば、人間には特定の従う者がいなくなって、人間はみな平等になる。
人間がみな平等になれば、みんなが仕事をして他人の役に立つことをして暮らさねばならない。
安藤昌益は今から約300年前の思想家だが、“人々が実在に従うようになって政府に従わなくなった社会”をすでに予見していたのである。
[13476] 政府が国民を支配しているのは、国民が政府に従うからである。 h23.10.22
国民が政府に従うから、政府は国民に命令を出せるのである。
反対に、国民が政府に従わなければ、政府は国民に命令を出せないのである。
国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。つまり、国民が政府に従うか従わないかは国民が決めることであって、政府が決めることではない。
政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」という命令を出すことはできない。そもそも国民が政府に従わなければ、いくら政府が「国民は政府に従わねばならない」という命令を出しても、国民はそんな命令を聞かないからである。だから、国民が政府に従うのは国民自身の意思であって、政府の命令ではない。したがって、国民が政府に従うかどうかは、国民が自分で考えて決めればいいことである。[政府が国民を暴力で脅[おど]せば、国民は政府に反感を持って政府に従わなくなる。だから、政府は国民を暴力で脅せないのである。政府は“政府に従わねばならないと思っている者”が政府に従わなかったときにその者を暴力で罰することができるだけである。政府は“政府に従わなくていいと思っている者”を暴力で脅して政府に従わせることはできないのである。国民が政府に従うか従わないかは、政府が決めることではなく国民一人一人の意思が決めることなのである。昔は国民みんなが政府に従わねばならないと思っていたから、政府は“政府に従わない国民”を片っ端[かたっぱし]から暴力で罰することができたのである。ところが、今は国民みんなが政府に従わなくていいと思っているから、政府は“政府に従わない国民”を暴力で罰することができないのである。今の国民は実在に従わねばならないと思っているので、『実在の法律』(つまり、人間がみな平等であること)に反してはいけないと思っている。だから、自分が実在の法律に反したら罰せられるのを覚悟[かくご]している。今の国民は政府に従わなくてもいいと思っているので、「政府の法律」(つまり、政府が国民よりも上の者であること)に反してもいいと思っている。だから、自分が政府の法律に反しても罰せられるつもりはないのだ。人間は“自分が従わないといけない者”が決めたことには従うが、“自分が従わなくていい者”が決めたことには従わないのだ。]
実際に、昔の国民は自分が力の強い者に従うと考えたから、力の強い政府に従っていたのである。
今の国民は自分が実在に従うと考えたから、政府に従わなくなったのである。
政府はもはやどうしようもなくなって、滅びるしかない。
[13477] 政府は国民を騙[だま]せない。 h23.10.22
政府と国民は頭の出来が変わらないから、政府が国民を騙すことはできない。
だから、政府が国民を騙して「国民は政府に従わねばならない」と思わせることはできない。
だから、昔の国民が政府に従っていたのは、国民自身の意思である。
昔の国民は「自分が力の強い者に従わねばならない」と考えていたから、力の強い政府に従っていたのである。[もっとも、政府が本当に力の強い者であるかどうかは疑問だが。政府は八百長[やおちょう]試合で力の強い者になった可能性が高い。昔の人は「戦いで勝つことが正しい者の証拠だ」と考えていたので、戦いで勝った者を正しい者だと考えて従ったのである。一方、今の人は『実在と同じことが正しい』と考えているので、実在についての正しい考えに従うのである。]
政府はけっして嘘[うそ]つきではないのである。昔の国民が勝手に政府に従っていただけなのである。
昔の国民が自分でまちがった考えを持っていたから、自分が力の強い者に従わなければならなくなって力の強い者に虐[いじ]められて不幸な目にあっていたのである。昔の国民は自分のまちがいに自分が苦しめられていたのである。自業自得である。要するに、昔の国民はバカだったのである。
だから、今の国民が不幸な目にあわないためには、正しい考えを持つようにすればいいのである。今の国民が『実在に従わねばならない』と考えれば、実在に従えばいいだけだから不幸な目にあわずにすむのである。
[13478] 正しい者が人々を支配する。 h23.10.23
昔は力の強い者が正しいと考えられた。戦いに勝つことが正しい者の証拠だと考えられたからである。戦いに勝った者は人々に正しい者だと思われて人々に何でも命令できた。一度戦いに勝てば、その後ずっと命令できた。
しかし、今は実在が正しいと考えられている。実在が何が正しくて何がまちがっているかを決めるからである。そこで、今の人々は実在に従うようになっている。実在についての正しい考えに従うようになっている。
いつの時代でも、人々は正しい者に従う。正しい者が人々を支配する。
昔の世界は力の強い者が支配したが、今の世界は実在が支配している。
今は政府(力の強い者)の時代ではない。だから、政府は滅ぶしかない。
この世では正しい者は実在だけである。力の強い者は正しい者ではないのである。だから、今の人は力の強い者に従わなくなったのである。政府に従わなくなったのである。
[13479] 正しい者の証拠☆ h23.10.23
昔は「戦いに勝った」ことが正しい者の証拠だと考えられた。つまり、力の強い者が正しかった。
今は『実験で合う』ことや『理屈が合っている』ことが正しい者の証拠だと考えられている。つまり、実在を認識する者が正しいのである。
もっとも、今ではいくら正しい者と言っても、人々に何でも命令できるわけではない。人々は正しい者の“実在についての正しい考え”だけに従うのであって、正しい者に何でもかんでも従うわけではない。つまり、昔は力の強い者自身が正しいと考えられたので力の強い者が人々に何でも命令できたが、今では正しいのは実在であって“実在を認識する者”自身が正しいと考えられていないので実在を認識する者が人々に何でも命令できるわけではない。だから、実在を認識する者も、他[た]の人間と同じように仕事をしてお金を稼[かせ]ぐしかないのである。
政府は力の強い者であって、実在を認識する者ではない。だから、今の人々は政府に従わなくなっているのである。国民が政府に従うことは、昔の人のまちがった考えに基づくまちがった制度である。だから、そんな制度は早く廃止しなければならない。
[13480] 正しい者の定義 h23.10.23
昔は力の強い者(戦いに勝った者)が正しい者だった。
今は実在を認識する者が正しい者である。
昔と今では正しい者の定義が違う。
政府は力の強い者である。
政府は昔は正しかったが、今では正しくない。
だから、昔の人々は政府に従ったが、今の人々は政府に従わないのだ。
[13481] 政府とは何か? h23.10.23
政府とは、古代において暴力団体同士の闘争で優勝した団体のことである。それが政府の本質である。
ところが、昔の人は「力の強い者が正しい」と考えていたから、政府に従った。人々が政府に従ったから、政府は人々に好き勝手に何でも命令した。政府は人々から税金を取って、人々に嫌がらせの命令を出して人々を虐[いじ]めて遊んでいた。
しかし、今の人は『実在が正しい』と考えている。だから、今の人は実在に従って、政府に従わなくなっている。今の人は科学者が発見した実在についての正しい知識に従うことによって実在に適応して幸福に暮らしている。
ところが、『実在の法律』においては人間はみな平等だから、科学者は政府のように国民から税金を取ることができない。これでは科学者が実在を研究することができず、人々が実在に従うことができない。今の人は自分が実在に従うことができるようにするために、科学者に研究のためのお金を与えるべきである。国民が政府にお金をやっても無駄[むだ]である。政府は国民からもらったお金を自分たちの遊び代に使うだけである。だから、国民はお金を有効に使うために科学者にお金をやらねばならない。政府に税金をやるくらいなら、科学者に税金をやったほうがいい。そのほうが国民が幸福になれる。
[13482] どうすれば少数が多数を支配できるか?☆☆ h23.10.23
政府に比べて国民は大勢である。
だから、実力では政府が国民を支配できない。政府と国民が戦えば、必ず政府が負ける。
ところが、昔の人々は「力の強い者に従わねばならない」というまちがった考えを持っていた。
だから、政府は暴力団体同士で戦って優勝することによって、人々に自分が力の強い者だと思わせることによって、人々を従わせたのである。
政府は昔の人々が持っていた「まちがった考え」を利用して人々を支配したのである。[アニメやおとぎ話にはよく“魔法”が出てくるが、魔法とは昔の人が持っていた「力の強い者に従わねばならない」という“まちがった考え”のことである。]
しかし、最近になって人々の生活に科学が浸透するようになって、人々は『実在に従わねばならない』という新しい考えを持つようになった。これまでの「力の強い者に従わねばならない」という古い考えを持たなくなった。人々が従うものが、力の強い者から実在に変わったのである。そのため、今の人々は政府が古代に闘争で優勝したことは認めるが、だからといって自分が政府に従わねばならないとは思わなくなったのである。人々が“自分が本当に従わねばならない者”(実在のこと)を見つけたので、それ以外の者(政府や暴力団や宗教団体など)には従わなくなったのである。[昔の人々が「力の強い者に従わねばならない」というまちがった考えを持っていたように、昔の人々はまた「神に似た者に従わねばならない」というまちがった考えを持っていたのである。宗教団体は昔の人々が持っていた「まちがった考え」を利用して人々を支配したのである。今でも「力の強い者に従わねばならない」とか「神に似た者に従わねばならない」と思っている者は、学校で勉強したふりである。本気で勉強しなかった者である。]
だから、今では国民が従わねばならない者つまり国民を支配する者がいなくなって、人間はみな平等になったのである。今の国民は政府に従わなくなって、政府が滅んでいるのである。
いまだに政府に従っている国民がいるのは、「政府が暴力で国民を支配した」と誤解しているからである。最近はマンガやテレビドラマで“政府や暴力団が国民に暴力をふるシーン”がよく登場するので国民が誤解しているのである。それらは創作であって事実ではない。今の世界で政府が国民を支配しているのは、「国民の誤解」によるものである。それもまた、少数が多数を支配する方法である。昔の人々は「力の強い者に従わねばならない」と誤解していたから政府に従ったが、今の人々は「政府が暴力で国民を支配した」と誤解しているから政府に従っているのである。国民の誤解が解ければ、もはや国民は政府に従わなくなるだろう。政府は滅ぶだろう。[今の国民が「政府が民主主義の政治機関だ」と思っていることも誤解である。政府は国民の誤解を利用して国民を支配しているのである。政府は本当は力の強い者であって、民主主義の政治機関ではないのである。今の政府は国民の誤解を生み出すことばかりやっている。政府が暴力団体同士の闘争で勝って力の強い者になったのも、たぶん八百長[やおちょう]試合だったのだろう。]
[13483] 政府は時代遅れである。《要点》 h23.10.24
政府は古代の暴力団体の戦いで勝った力の強い者である。
昔の人々は「力の強い者に従わねばならない」と考えていたから、政府に従った。[政府の民主主義は、力の強い者が善[い]い人ぶりをするために形の上だけでやっていた芝居にすぎない。政府は、本当は国民が政府に一方的に従うのをいいことにして自分勝手な命令を国民に出していたのである。特に日本人は力の強い者が好きだったので、政府の命令には何でも喜んで従ったのである。]
ところが、今の人々は科学の影響で『実在に従わねばならない』と考えるようになった。「力の強い者に従わねばならない」と考えなくなった。
だから、今の人々は政府に従わなくてもいいのである。政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていいのである。
[13484] 政府や宗教団体は国民に利用されている。 h23.10.24
実在には実在が作った実在の法律がある。[実際には、実在が実在の法律を作るのではなく、人間が実在の法律を作らなければならないが。法律に詳[くわ]しい“実在を認識する者”が実在の法律を作るのである。]
政府には政府が作った政府の法律がある。
宗教団体には宗教団体が作った宗教団体の法律がある。
実在の法律は芸術である。学問と同じように芸術作品である。完璧[かんぺき]で非の打ち所がない。
ところが、政府の法律や宗教団体の法律は不備[ふび]である。出来損ないである。まちがいだらけである。
だから、国民が政府や宗教団体に従えば、政府の法律や宗教団体の法律に従って実在の法律に反することができる。犯罪を犯すことができる。汚いお金儲[もう]けをすることができる。
今の国民は自分が実在の法律を犯して得をするために、政府や宗教団体に従っているのである。
しかし、今では実在が正しくて、政府や宗教団体が正しくないことは明らかである。[常識的に考えて、力の強い者や神に似た者が実在よりも正しいわけがない。]
だから、人間は実在に従わねばならず、政府や宗教団体に従ってはならない。
人間はみな実在の法律を守らねばならない。政府や宗教団体の法律を守ってはならない。
今では、人間はみな実在の法律に従うべきだとみなされて、実在の法律に反する者は罰せられるのである。たとえ政府や宗教団体に従っていても、とにかく実在の法律に反する者は罰せられるのである。今はすでにそういう世の中なのである。
最近、国家宗教で犯罪を犯した者が逮捕されているのは、国民がすでに実在の法律を守って政府の法律を無視しているからである。[警察が政府から独立しようとしているからである。]国民が政府を無視しているからである。国民が政府に従わなくなっているからである。国民が政府を社会から追放しようとしているからである。つまり、今では政府は国民にとって嫌われ者なのである。いくらテレビや新聞で国会議員が陽気に振舞[ふるま]っても、見る目のある者は政府に従わないのである。
[13485] 現代における政府や宗教団体のあるべき姿 h23.10.24
現代では、人間はみんな実在に従わなければならない。実在の法律に従わなければならない。
だから、政府や宗教団体も実在の法律に従わなければならない。
つまり、政府や宗教団体は人間の平等性を守りながら経営しなければならない。政府や宗教団体は国民から強制的に財産を取らず、国民と契約を取ってから国民に仕事をして国民からお金をもらわなければならない。今では政府や宗教団体がまちがっていることがわかっているから、国民にとっては政府や宗教団体は“冗談をやる会”にすぎない。国民はマンガや映画を見るように政府や宗教団体がおかしな真似[まね]をするのを見て楽しめばいいのである。お金を恵んでやればいいのである。
実在の法律においては人間はみな平等だから、政府は国民から税金を取れない。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。
[13486] まちがいをやる会 h23.10.24
実在においては、政府や宗教団体はまちがっている。
政府や宗教団体は“まちがいをやる会”である。政府や宗教団体は自分が実在だと思って、国民に好き勝手な命令を出しているのである。国民にデタラメなメチャクチャな命令を出しているのである。[政府や宗教団体は一種のキチガイである。]
人間はまちがっている者には従わない。政府や宗教団体はニセモノの実在であって本物の実在ではない。
だから、今では国民は政府や宗教団体に従わなくなっているのである。
今では国民は実在に従っているのである。実在についての正しい知識に従っているのである。
[13487] 政府における国会の役割 h23.10.24
政府は自分が実在だと思って国民に好き勝手な命令を出している。デタラメなメチャクチャな命令を出している。
しかし、政府はたまにまともな命令も出している。
政府は国会にまともな命令を出させて、国会をテレビや新聞で大きく取り上げることによって、国民に「政府がいつもまともな命令を出している」と思わせて国民を政府に従わせている。政府は国民の目を国会に制限させることによって、政府についての誤解を国民に植え付けているのである。そうやって政府は国民を支配しているのである。
しかし、実際には政府は国会で命令を出しているだけではない。政府は国会以外にも命令を出している。政府は本当は自分勝手なメチャクチャな命令を出している。
つまり、国会は政府のまともな部分であって、政府のそれ以外の部分はふざけたいかがわしい機関ばかりなのである。玄関だけがきれいで、他[ほか]のところは汚い家のようなものである。外見だけきれいで中身が汚い人のようなものである。政府は政府のまともな部分をテレビや新聞に出して国民に見せびらかしているのである。
[13488] 国民は政府を誤解している。 h23.10.24
国民が政府に従わねばならないと思っているから、政府は国民を支配しているのである。
ところが、国民が政府に従わねばならないと思っているのは、国民の誤解である。国民はわざわざ自分でまちがった理由を考え出して、政府に従わなくてもいいのに従っているのである。
国民が政府に従ってはならないのが正解である。政府は古代における暴力団体同士の闘争に勝った「力の強い者」である。昔の人々は「力の強い者が正しい」と誤解していたので、政府に従った。今では科学によって実在がわかっているから、国民は実在に従えばいいのであって、政府に従わなければいいのである。政府に従うのは時代遅れである。今は実在の時代であって、政府の時代ではない。今では力の強い者は力の強い者にすぎず、正しい者ではないのである。だから、今では力の強い者に従う必要はないのである。[政府が国民を暴力で脅[おど]すと、政府が国民に敵だと思われて、国民が政府に従わなくなる。政府が国民に敵だと思われると、国民が政府と戦って政府が国民に倒される。だから、政府は国民を暴力で脅せないのである。政府にできるのは、暴力団体同士の八百長[やおちょう]試合で優勝して国民に力が強い者だと思わせることだけである。]
国民は政府についての理解が足りないから政府に従っているのである。国民は早く政府のことを正しく理解して、政府に従うのをやめねばならない。人間が認識が何かがわかっていないから精神病に罹[かか]るように、政府が何かがわかっていないから政府に従っているのである。国民はさっさと自分の無知を直さなければならない。
[13489] 理論は実現する。 h23.10.24
昔はまだ人間が実在のことがわからなかったから、力の強い者や神に似た者を実在の代[か]わりにしていた。今の人々が実在に従っているように、昔の人々は力の強い者や神に似た者に従っていた。だから、昔の人々は力の強い者や神に似た者に絶対服従したのである。
しかし、今は科学によって実在のことがわかるようになったから、人間は実在に従うようになって力の強い者や神に似た者に従わなくなった。実在のほうが力の強い者や神に似た者よりも正しいから、人々は実在に従うようになった。力の強い者や神似た者は用済みになった。
だから、今では政府や暴力団や宗教団体が滅んでいるのである。テレビや新聞ではあまり報道されないが、実際には滅んでいるのである。理論的に滅びる者は滅ぶのである。理論が正しければ理論の予想は実現するのである。
[13490] 国民は実在の味方である。 h23.10.24
今は実在の時代である。
今では、国民みんなは実在に従うようになっている。国民は実在の味方である。
政府や宗教団体は実在の敵である。
だから、国民は政府や宗教団体を倒さねばならない。
いずれは人間がどう生きるべきかも科学でわかるようになる。人間は科学の法則通[どお]りに生きればいいことになる。だから、政府や宗教団体は要らない。
[13491] 実在を認識する者の時代 h23.10.25
今は実在の時代である。
これまでは力の強い者や神に似た者の時代だった。力の強い者や神に似た者が人々を支配した。
これからは実在を認識する者の時代である。実在を認識する者が人々を支配する。
もっとも、いくら実在を認識する者が人々を支配するといっても、力の強い者や神に似た者のように人々から税金を取るわけにはいかない。好き勝手に何でもかんでも命令するわけにはいかない。実在の時代においては、『人間はみな平等』だから、実在を認識する者も何らかの仕事をしてお金を稼[かせ]がねばならない。例えば、若い者を教育したり、本を書いて売ったり、製品を開発したりしてお金を稼がねばならない。空[あ]いた時間に実在についての研究をしなければならない。
未来には労働が自動化されて人間が仕事をしなくてもよくなるだろう。コンピューター技術やロボット技術が進歩すれば人間は仕事から解放される。そうなるまでの間は、実在を認識する者も他[た]の者と同じように働かねばならないのだ。
[13492] 昔の人々は政府を“信仰”[しんこう]していた。 h23.10.25
昔の人々は力の強い者を正しいと考えて力の強い者に従った。
つまり、昔の人々は力の強い者を“信仰”していたのである。
昔の人々が神に似た者(宗教団体)を信仰していたように、昔の人々は力の強い者(政府や暴力団)を信仰していたのである。昔の人々は神に似た者や力の強い者を信仰すれば、自分に何かご利益[りやく]があるとでも思ったのだろう。昔の人々は合理性からほど遠い理由でそれらの者に従っていたのである。昔の人々にとっては神に似た者や力の強い者がたったひとつの心の支[ささ]えだったのである。だから、昔の人々は神に似た者や力の強い者に心から従って、神に似た者や力の強い者の言うことを何でも聞いたのである。
まあ、昔は科学がなくて実在のことがわからなかったから、やむを得まい。昔は実在のことがわからなくて人々はすごく不安だったから、人々は“何か頼れそうな者”にとにかく頼って気休めにして暮らしていたのである。
しかし、今は科学があって実在のことがわかっているから、もはや神に似た者や力の強い者を信仰したりはしない。神に似た者や力の強い者を信仰するのは時代遅れである。今の人々にとっては、いくらそんなことをしても何にもならないことは明らかである。だから、今の人々は神に似た者や力の強い者を信仰しなくなったのである。つまり、宗教団体や暴力団や政府に従わなくなったのである。
[13493] 今の人は二股[ふたまた]かけている。 h23.10.25
今の人は実在と政府の両方に従っている。今の人は政府と実在の二股をかけている。
昔の人は政府だけに従っていた。
未来の人は実在だけに従うだろう。
今の人は昔の人や未来の人のように割り切らねばならない。
人間は正しい者に従うべきである。
だから、今の人は実在に従って、政府に従ってはいけない。
[13494] 権力とは何か? h23.10.25
権力とは人が従うことである。
例えば、昔の人は「力の強い者に従わねばならない」と考えていたので、古代における暴力団体同士の闘争で勝った政府に従ったのである。つまり、昔の政府には権力があったのである。昔の政府には権力があったので、人々に命令できたのである。
しかし、今の人は「力の強い者に従わねばならない」と考えていないので、政府に従わないのである。つまり、今の政府には権力がないのである。今の政府には権力がないので、人々に命令できないのである。
今の人は「実在に従わねばならない」と考えて、実在に従っている。だから、今では実在に権力があるのである。実在には権力があるけれども、実在は口が利[き]けないので人々に命令できない。[実在は人間に対する無言の支配者である。]そこで、実在の代[か]わりに実在の代弁者である科学者が人々に命令するのである。科学者は実在の言葉を語る限り権力があるのであって、実在の言葉を語らない科学者には権力がない。
例えば、お金持ちにも権力があるが、権力があるのはお金であって、お金持ち自身ではない。お金持ちはお金を持っている限り権力があるのであって、お金がなくなればもはや権力はない。
[13495] 実在は政府よりも正しい。☆ h23.10.25
今の人は実在には従うが、政府には従わない。
なぜなら、実在のほうが政府よりも正しいからである。
昔は実在がなかったから、しかたなく実在の代わりに政府に従っていただけである。[30年前の喩[たと]えだが、ファミコンが売り切れたから、しかたがなくセガ(SG−1000U)を買うようなものである。]
今では実在があるから、もはやまちがいだらけの政府は要らなくなったのだ。
[13496] 学術団体は政府よりも正しい。☆ h23.10.25
実在は口が利[き]けないから、実際には学術団体が実在の代[か]わりである。
今の人は学術団体に従うだけで、政府や宗教団体には従わない。
それは、学術団体のほうが政府や宗教団体よりも正しいからである。
人間は正しい者に従うのであって、まちがった者には従わない。
政府は国民にまちがった命令ばかりするから無駄[むだ]である。政府の命令なんか聞かないほうがいい。国民は正しい命令を出す学術団体に従えばいい。政府と学術団体の関係は古典力学と現代力学の関係のようなものである。いわば、政府は昔の学術団体だったのである。
昔なら政府が正しいで行けたが、今ではもはや政府が正しいでは行けない。昔は国民も政府も両方とも実在のことがわからなかったから、正しいこととまちがっていることの区別がなかったので、政府がどんなにデタラメなメチャクチャな命令を出しても国民にはぜんぶ正しい命令で通[とお]ったのである。国民は政府のメチャクチャな命令を正しい命令だと思って喜んで従ったのである。例えば、昔は政府が国家宗教で作った命令が立派な正しい命令だと国民みんなに思われて、国民みんなが政府の国家宗教の命令に真面目[まじめ]に従っていたのである。しかし、今は国民が勉強して賢くなって実在のことがわかるようになったので、政府がデタラメなメチャクチャな命令を出すと国民にまちがった命令だと思われて、国民が政府の命令に従わなくなったのである。今ではむしろ国民のほうが政府よりも正しくなっている。だから、もはや国民にとって政府は要らないのだ。
要するに、昔は真偽の区別がない世界だったが、今は真偽の区別のある世界になった。政府は昔の世界ではやっていけたが、今の世界ではやっていけないのだ。[脳まで筋肉で出来ている“筋肉バカ”とは政府のことである。]
[13497] どうして昔は学校がなかったか? h23.10.25
昔学校がなかったのは、人々が貧乏だったからではない。
教えることがなかったからである。
昔はまだ実在について何もわかっていなかったので、教えることがなかったのである。教えることがなかったから、学校がなかったのである。本もなかったのである。
昔は実在について何もわかっていなかったから、みんなが馬鹿だったので、政府や宗教団体のようなどうでもいい団体が正しい団体として通[とお]っていたのである。みんなが政府や宗教団体に従っていたのである。みんなが政府や宗教団体のいいかげんなメチャクチャな命令に真面目[まじめ]に従っていたのである。
しかし、今は実在について多くのことがわかっているから、みんなが賢くなったので、もはや政府や宗教団体のような団体は正しい団体としては通らない。まちがった団体にすぎない。今では学術団体が正しい団体として通っている。みんなが学術団体に従って、政府や宗教団体に従わなくなっている。
[13498] 今では政治は遊びにすぎない。 h23.10.25
宗教とは神に似た者を信じることである。
政治とは力の強い者を信じることである。
しかし、今では科学がある。実在がある。科学とは実在を信じることである。
今では、いくら宗教に入っている者でも、実在よりも神に似た者を信じているわけではない。実在よりも神に似た者が正しいと考えているわけではない。宗教に入っている者でも、やはり実在が正しいと考えている。
今では、誰でも実在が宗教団体や政府よりも正しいと考えている。学術団体のほうが宗教団体や政府よりも正しいと考えている。
今では、宗教も政治もただの気休めにすぎない。
今では、人々は学術団体に従って、宗教団体や政府には従わなくなっている。
今では、科学が本気[ほんき]で、宗教や政治が遊びにすぎなくなっている。冗談にすぎなくなっている。
今となっては、宗教も政治もただの迷信にすぎない。国民は科学を信じればいいのである。
今の人々は宗教をやめている。今に政治もやめるだろう。人々は科学をやるだけになって宗教も政治もやらなくなるだろう。
[13499] 今の人は税金を払わなくなっている。 h23.10.25
政府は力の強い者である。
政府の決まりでは、人々はみんな政府に税金を払わなければならないことになっている。
ところが、今の人は政府よりも実在を信じるようになっている。政府よりも学術団体を信じるようになっている。
だから、今の人は政府に従わなくなっている。
だから、今の人は政府の決まりを守らなくなっている。
だから、今の人は政府に税金を払わなくなっている。
政府の決まりでは、人々はみんな政府の命令を聞かなければならないことになっている。しかし、今の人は政府に従わないからそんな決まりを守らない。今の人は政府の命令を聞かない。
一方、科学では、すべての人が平等で、国民は学術団体に税金を払わなくてもいいことになっている。学術団体は他[た]の国民と同様に何らかの仕事をしてお金を稼[かせ]いでいる。[政府は自分自身に従えばよかったから好き勝手なことがやれたのである。学術団体は実在に従わねばならないから好き放題はやれない。]だから、国民は科学を信じればいいのである。
[13500] 盛者必衰の理[じょうしゃひっすいのことわり] h23.10.26
人間は正しい者に従い、まちがった者に従わない。
昔は力の強い者や神に似た者が正しいと考えられていたから、人々は政府や暴力団や宗教団体に従った。
しかし、今は実在が正しいと考えられているから、人々は学術団体に従っている。
今では政府や暴力団や宗教団体に従う者はいない。だから、今では政府や暴力団や宗教団体が滅んでいる。[たとえ、今のところは政府や暴力団や宗教団体がかろうじて生き残っていても、すぐに滅びる。今の人はせっかちだから、政府や暴力団や宗教団体がいまだに生き残っているのが納得行かずに、いろんなおかしな理由を自分で考え出しているが、実際にはそれ相応の速さで滅んでいるのだ。社会にとってはふさわしい速さで、人間にとってはほとんど止まっているかのようにさえ感じられるゆっくりとした速さで滅んでいるのだ。大陸移動説で陸地がゆっくりと動いているのと同じことだ。]
古い者が滅び、新しい者が栄える。それがこの世の決まりだ。
実際には、すでにかなりの国民が政府に従わなくなっている。政府や暴力団や宗教団体よりも実在のほうが正しいことは明らかだからである。政府はテレビや新聞を使って「今でも国民みんなが政府に従っている」という嘘[うそ]の情報を流して無知な国民を政府に従わせているのだ。