[13301] 政府は国民から税金を取れない。(その3)☆ h23.9.25
今の政府は自分が民主主義をやっているという理由で国民全員から税金を取っている。
しかし、たとえ政府が本当に民主主義をやっているとしても、政府が国民から税金を取る(つまり強制的にお金を取る)かぎり政府は『人間の平等性』に反していることになる。政府が民主主義をやろうがやるまいが、政府が国民から税金を取るかぎり政府は『人間の平等性』を犯[おか]していることになる。[政府のやっていることは平等と不平等の折衷[せっちゅう]で論理性がなくてわかりづらい。政府は平等に隠れながら不平等(上の者)をやっている。要するに、政府は不平等である。]
ところが今は『人間がみな平等だ』と考えられているから、たとえ政府であっても『人間の平等性』を犯してはならない。政府が民主主義をやっていると言うのは、政府が『人間の平等性』を犯すための言い訳[いいわけ]にすぎない。人殺しが「自分がお金が要[い]るから人を殺した」と言うのと同じことである。押し売りが「自分がいい商品を売っているから」と言って押し売りしているのと同じことである。
だから、政府は自分が民主主義をやっているという理由で国民全員から税金を取ることはできない。
政府はまず第一に『人間がみな平等である』ことを守らなければならない。だから、政府はやはり国民一人一人と契約を取ってから民主主義をやって料金(税金)を取らねばならない。国民が政府と契約を取らなければ、その国民に対しては政府は民主主義をやって税金を取ることはできない。法律よりも真理のほうが強い。だから、法律を変えねばならない。
そもそも国民は政府に税金を払うのが嫌である。だから、民主主義(多数決)で政府が国民から税金を取ることが決まるわけがない。政府は民主主義で民主主義に反することをやっている。政府は矛盾している。だから、今の政府が民主主義をやっていると言うのは、たんなる嘘[うそ]である。政府は本当は上の者をやっているのである。
たとえ政府がどんなに国民の役に立つ仕事をしていたとしても、政府が国民から税金を取るのは『人間の平等性』に反するからダメである。政府は『人間の平等性』を守って必ず国民一人一人と契約を取って仕事をしないといけない。それが現代社会のルールである。たとえ政府が潰[つぶ]れても、政府は『人間の平等性』を守らなければならない。

[13302] 政府はさっさと滅ぶべきである。 h23.9.25
昔は人間が不平等だったから、政府という上の者の会社があった。
今は人間が平等だから、政府という上の者の会社はない。
しかし、政府は今でも残っている。
政府は平等な会社のふりをして生き残っているのである。
しかし、政府が税金を取るのは政府が上の者の会社である証拠である。[[13301]参照。]
だから、政府は税金を取ってはならない。
したがって、政府は滅びるしかない。

[13303] 政府がなくなったほうがいい。 h23.9.25
政府がなくなると“国家的に統一した事業”がやれなくなる。
しかし、今の政府がやっている国家的に統一した事業とは、具体的には日本中に高速道路を作ることである。
政府は鉄道の代[か]わりに高速道路を作っているのである。
昔は国民が車を持っていなかったから鉄道を作ったが、今は国民が車を持っているから高速道路を作っているのである。
しかし、田舎[いなか]に高速道路を作っても儲[もう]からない。田舎に鉄道を作っても儲からなかったように、田舎に高速道路を作っても儲からない。田舎は人口が少ないので、高速道路の利用者がいないからである。鉄道も高速道路も同じことである。政府は国の赤字を増やしているだけである。[昔は国民みんなが汽車に乗って国中の鉄道が儲かっていたのではない。昔も田舎では鉄道は利用客がいなくて赤字だった。政府が国が他[ほか]のことで儲けたお金を田舎の鉄道に回して田舎の鉄道がなんとか経営できていたのである。]
そもそも国家的に統一した事業とは、都会と田舎を同一視することであり、田舎に無駄[むだ]な投資をすることである。そんな事業のやり方ではうまくいかない。だから、そんな事業は最初からやらないほうがいい。そんな事業をする政府はなくなったほうがいいのである。
それに、国家的に統一した事業ならば国民みんなが協力してやればできる。国民みんなが儲かる事業なら国民みんなが乗り気になるので国家的に統一した事業ができる。だから、政府はなくてもいい。

[13304] 社長は偉くない。 h23.9.25
社長はお金に飢[う]えているだけだ。顔を見ればわかる。
だから、社長は人一倍一生懸命に働いて出世しただけだ。
社長は女子供のようにグチャグチャした汚[きたな]らしいくだらない仕事がよくできるだけだ。
そんな仕事はお金が儲かるだけで人間性がない。人間的な価値がない。
だから、社長は偉くない。
社長はお金が欲しいだけが生きがいのくだらないやつなのである。

[13305] 政府はもはや上の者ではない。 h23.9.25
昔は人間が不平等だと考えられていたから、政府という上の者の会社があった。政府は上の者だったので、下の者である国民を好き勝手にすることができた。政府は国民の財産を奪ったり、国民を遊び半分に殺したり、国民に嫌がらせの命令を出して国民を虐[いじ]めることができた。昔は人間が不平等であることが正しいことだと考えられていたので、国民は政府にどんなことをされてもひたすら耐[た]えるしかなかった。昔は「人間の不平等性」に反する者が悪人とされた。だから、政府に逆らった国民は「人間の不平等性」に反する悪人だとされて罰せられた。
しかし、今は政府がそんなことをしてはいけない。今は人間が平等だと考えられているから、上の者がいないからである。政府は国民と平等なので、もはや国民を好き勝手にすることができない。政府は国民の財産を奪ったり(税金のこと)、国民を遊び半分に殺したり、国民に嫌がらせの命令を出して国民を虐めることができない。今は人間が平等であることが正しいことだと考えられているので、国民は政府に逆らうことができる。国民は政府に文句[もんく]を言うことができる。今は人間が平等なので、国民は政府に嫌がらされた分を逆に政府に仕返しすることができる。政府が国民から財産を取った分を、逆に国民が政府から取ることができる。[役所の建物や公務員の住居を壊せばいい。]政府が国民を遊び半分に殺した分を、逆に国民が政府を遊び半分に殺すことができる。[政府の者を誰でも適当に殺せばいい。]政府が国民を虐めた分を、逆に国民が政府を虐めることができる。今では『人間の平等性』に反する者が悪人である。だから、国民が『人間の平等性』に反する政府を罰すればいいのである。

[13306] 時代錯誤[じだいさくご] h23.9.25
昔は人間は不平等だったが、
今では人間はみな平等である。
今の時代に、国民から税金を取っている政府が悪い。
だから、国民は政府に税金を払わなければいい。

[13307] 国民は馬鹿である。 h23.9.26
今は人間みんなが平等なのに、政府が国民から税金を取っていても誰も疑問に思わない。
だから、国民は馬鹿である。
しかし、私が答えを教えてやれば理解できるくらいの賢さは国民にもある。
だから、国民が救[すく]われないことはない。
しかし、そもそも人間にとっては自分で考えることが大事である。人間は自分で考えながら生きていかねばならない。
他人から答えを聞いてわかるよりも、自分で答えを考え出すほうが価値がある。
国民は自分で考えることの大事さを忘れてはならない。

[13308] どうして最近のお米は不味[まず]いのか? h23.9.26
今年も新米が出だしたが、はやから“すえた”臭いがする。米が不味[まず]い。
それは、お米が腐[くさ]っているからである。腐ったお米を売っているから不味いのである。
反対に、お米が美味[おい]しいのは、お米が腐っていないからである。
お米を腐らせないためには、冷蔵すればいい。冷蔵庫で保存すればいい。お米にとって適した温度と湿度で保存すればいい。最近の米は冷蔵庫で保存していないから腐って不味いのである。
最近の日本は不景気でお米を冷蔵庫で保存するお金がないから、腐った不味いお米を売っているのである。

[13309] 政府は時代遅れだ。 h23.9.26
政府は人間が不平等だと考えられていた時代に出来た“上の者の会社”である。
そんな会社が、今の人間が平等だと考えられている時代にあるのはおかしい。
だから、政府はさっさとなくならねばならない。
今の人間が平等である時代には、国民に命令を出す政治機関は要らない。警察だけがあればいい。

[13310] 知覚の問題 h23.9.26
私が私のおばあさんから聞いた話によると、私の祖先は武士(与力[よりき])だったが幕府が農民を虐[いじ]めているの見てかわいそうに思って農民をかばったために武士の位[くらい]を奪われて農民にされたそうだ。
しかし、当時はまだ「人間が不平等である」と考えられていたから、幕府が農民を虐めることは許されることである。だから、私の祖先が農民をかわいそうに思ってかばう必要はなかったのである。私の祖先はまちがったことをしたのである。だから、罰せられたのである。
かわいそうかうれしいかよりも、正しいかまちがっているかのほうが問題なのである。人間は知覚の生き物だから、心よりも頭のほうが大事なのである。
今は『人間が平等である』と考えられている。人間が平等であることで喜ぶ者もいれば嫌がる者もいる。しかし、『人間が平等である』ことは正しいことだから、たとえ嫌でもそうしなければならない。特に政府にとっては人間が平等であることは嫌なことだが、それが真実である以上受け入れなければならないのだ。

[13311] 政府は悪者である。 h23.9.26
昔は人間が不平等だと考えられていたので、人間の不平等性に反する者が悪者だった。
今は人間が平等だと考えられているので、人間の平等性に反する者が悪者である。
今の政府は人間の平等性に反しているから、政府は悪者である。
だから、国民は政府に従わなければいい。


[13312] 国民は政府の命令を聞かなくていい。 h23.9.26
今の政府は自分が民主主義をやっているという理由で国民に命令をしている。
しかし、今では政府と国民は平等である。政府と国民は平等だから、政府が国民に命令することはできない。
だから、たとえ政府が本当に民主主義をやっていても、国民は自分が承認しなければ政府の命令を聞かなくていい。政府が民主主義をやろうがやるまいが、とにかく国民は自分が承認したときだけ政府の命令を聞けばいい。[民主主義よりも真理のほうが強い。『人間がみな平等である』ことは真理である。『人間がみな平等である』なら、政府は国民の承認がなければ国民に命令できない。だから、たとえ政府が民主主義で決めたことでも国民に命令できないのである。政府はしょせん民主主義をやる機関だから、真理には勝てないのだ。民主主義の本質は“物事をいいかげんに決めること”だから、真理には敵[かな]わないのだ。民主主義は、例えば運動会の出し物を決めるときのようにどうでもいいことを決めるときに使う方法であって、重要なことは民主主義では決めないのだ。だから、国会はどうでもいいことしか決められないのである。]
今では政府と国民は平等だから、どんな理由があろうが政府が国民の承認を得ずに国民に命令することはいけないことである。政府は自分が民主主義をやっていることを“言い訳”[いいわけ]にして、やってはいけないことをやっているのである。政府はやってはいけないことをやっておいて、あとで自分が民主主義をやっていることを言い訳にして自分のまちがいを正当化しようとしているのである。政府が民主主義をやっているからといって、政府が『人間の平等性』を犯[おか]してもいいことにはならない。政府が国民の承認を得ずに国民に命令することはいけないことだから、国民は政府の命令を聞かなくていい。

[13313] 昔の社会は複雑だった。 h23.9.26
昔の社会は、国民と国民は平等で、国民と政府は不平等だった。だから、社会が複雑だった。
今の社会は、人間みんなが平等である。国民も政府も平等である。だから、社会が簡単である。
真理はつねに簡単なものである。
要するに、今の社会には政府がないのである。そのうち敬語もなくなるだろう。

[13314] どうして会社は政府に従っているのか? h23.9.27
会社の偉い手は年寄りである。戦前の生まれである。
当時はまだ政府が国民よりも上の者だった。
だから、今の日本の会社の多くは政府に盲従しているのである。
もう少し時間が経[た]てば、戦後の政府と国民が平等な時代に育った者が会社の偉い手になって、日本の会社は政府に従わなくなるだろう。

[13315] 政府は国民に命令できない。 h23.9.27
政府は昔人間が不平等だと考えられていた頃に出来た上の者の会社である。
だから、政府は国民に命令を出すのである。
しかし、今では人間が平等だと考えられている。
だから、今では政府が国民に命令できない。
民主主義は政府の言い訳[いいわけ]であって、国民は政府の言い訳を聞かなくていい。だから、国民は政府の命令を聞く必要はない。

[13316] 「政府は悪い会社だ。」 h23.9.27
「政府は悪い会社だ」とはよく耳にする言葉である。
しかし、それは、政府が国民に政府を最初から悪い会社だと思わせるためである。[しかし、実際には、政府は国民よりも頭がいいわけではなく、政府も国民も頭の出来は同じだから、政府は国民を騙[だま]すことができない。だから、政府が国民を騙そうとしても無駄[むだ]である。政府はこれまで国民を騙して国民に「政府が国民よりも上の者だ」と思わせていたのではなく、ただたんに科学がなくて『人間がみな平等である』ことがわからなかったから国民も政府もいっしょになって「政府が国民よりも上の者だ」と思っていたのである。
しかし、本当は、昔の政府は悪くはない。昔は人間が不平等だと考えられていたから、政府が上の者をやっていただけのことである。たとえ政府が国民を遊び半分に殺していたとしても、それは政府が上の者だから当然やっていいことである。政府は悪くない。だから、国民が政府に文句[もんく]を言う資格はない。国民は「政府が国民よりも上の者である」ことが正しいと考えていたから、いくら政府に虐[いじ]められてもじっと耐[た]えていたのである。[昔は「人間が不平等である」ことが社会のルールだった。そのため、国民が政府を遊び半分に殺すのは社会のルールに反することだからいけないことだったが、政府が国民を遊び半分に殺すのは社会にルールに則[のっと]ったことだからやってもよかった。例えば、必殺仕事人は下の者を虐[いじ]めた上の者(幕府)を人情によって懲[こ]らしめているから一見[いっけん]正義の味方のように見えるが、本当は社会のルールに反しているから悪人なのである。それと同じように、今の社会のルールは『人間が平等である』ことだから、今の政府に従っている国民は一見[いっけん]正しいように見えるが、本当は社会のルールに反しているから悪人なのである。反対に、政府に従わない国民は一見悪者のように見えるが、じつは正しいのである。国民に命令を出す政府が悪いが、政府の命令を聞く国民も悪い。今の時代では、国民が政府に従うことが悪いことであり、国民が政府に従わないことが善[い]いことである。]
一方、今は昔と反対に人間が平等だと考えられているから、政府は国民と平等にしなければならない。ただそれだけのことである。今の時代に政府が遊び半分に国民を殺しまわったら、政府が本当に悪い会社だということになるので、政府はそんなことをやってはいけない。いわば、昔は「政府が国民よりも上の者である」という法律があったが、今はそんな法律はない。それだけのことである。つまり、今の『人間がみんな平等である』社会では、上の者である政府は滅ぶしかない。だから、政府はジタバタせずに諦[あきら]めておとなしく滅ぶべきである。

[13317] 政府はすでに滅んでいる。 h23.9.28
昔は科学がなかったから「人間は不平等である」と考えられていた。直感的に「天空が動いている」ように、直感的には「人間は不平等」なのである。[昔は人間がまだ動物的だったから、肉体の力の強い者が弱い者を支配していたので、人間が不平等だと考えられていたのである。昔は法律や警察がなかったから、人間が何でもやりたい放題だったので、他人を殺したり他人の物を奪ったりする者が有利だったので、人間が不平等だと考えられていたのである。]だから、国民も政府もいっしょになって「政府は国民よりも上の者である」と考えていた。政府は国民を虐[いじ]めるのを当然だと思っていたし、国民も政府に虐められるのを当然だと思っていた。政府はわざわざ国民を騙[だま]さなくても上の者だったのである。政府は上の者になりきって国民を虐めていたのである。
しかし、今は科学があるから『人間は平等である』と考えられている。よく考えると『地球が動いている』ように、よく考えると『人間は平等』なのである。[文明が進むと、法律や警察が出来て、人間が平等であると考えられるようになったのである。]だから、国民も政府もいっしょになって『政府と国民は平等である』と考えねばならない。政府は国民に命令できないし、国民は政府の命令を聞かなくていい。
実際に、今ではすでに国民が『政府と国民が平等である』と考えて、国民が政府の命令を聞かなくなって政府が滅んでいるのである。いくら国民が政府に従わなくても、それは正しいことだから、政府は国民に文句[もんく]が言えないのである。つまり、『人間はみな平等である』ことが現代社会の原理である。政府も国民もその原理に従わなければならないのである。だから、政府は滅んでいるのである。政府は上の者の会社だから、人間がみな平等である社会においては政府が滅ぶのが当然である。

[13318] どうして中世に政府と幕府が入れ替わったのか? h23.9.28
日本では上の者が入れ替わることは認められているからである。昔は「人間が不平等である」ことが正しいことだと考えられていたが、上の者を決める決まりはなかったので、誰でも上の者になれたのである。
日本人はヨーロッパ人と違って変わることが好きなので、「人間が不平等である」ことを保ったまま上の者が入れ替わって行ったのである。
中世の政府が上の者らしいことをしなかったので、時々幕府に上の者の座を奪われていたのである。
しかし、大雑把[おおざっぱ]に見れば、政府も幕府も同じである。同じ上の者である。だから、上の者が政府だろうが幕府だろうが、上の者が国民を支配していたことに変わりはない。上の者が国民を虐[いじ]めていたことに変わりはない。

[13319] どうして昔は人間が不平等だと考えられていたのか?☆ h23.9.28
昔は文明が遅れていて、まだ法律や警察がなく人間がやりたい放題だったので、他人を殺したり他人の物を奪ったりする者が有利だったので、人間が不平等だと考えられていたのである。他人を殺したり他人の物を奪ったりする者が上の者だと考えられていたのである。つまり、上の者の実体は強盗団だったのである。
文明が進むと、法律や警察が出来て人間が法律を守って暮らすようになって、人間が平等だと考えられるようになった。社会科学が進んで『人間が平等である』ことが正しいとわかったからである。
今の政府は好き勝手に国民を殺したり国民の物を奪ったりしているが、それは昔の法律や警察がなかった頃の名残[なごり]である。
しかし、今では法律や警察がある。政府が人間であるかぎり、政府も法律を守らなければならない。政府も国民と平等にしなければならない。政府は文化財ではないのだから、さっさと昔の風習をやめるべきである。今の政府は昔の強盗団の末裔[まつえい]である。政府は政府という名の強盗団である。だから、政府は早く滅ばねばならない。政府は昔の法律がなかった頃に出来た強盗団である。今の時代に政府があることは、今の法律がある時代に昔の法律がなかった時代の強盗団が残っていることである。法律のある社会の中に法律のない団体があることである。それは矛盾[むじゅん]である。だから、政府はなくならねばならない。


[13320] どうすればパソコンの音を小さくできるか? h23.9.28
パソコンの性能を上げることによって同じ仕事をするときの消費電力を抑[おさ]えて発熱量を減らしてファンの音を小さくすればいいのである。
それが、最近のパソコンの静音法である。
もはや水冷も熱伝導パイプも要らない。

[13321] 今は法律がある。 h23.9.28
今の時代には法律がある。文明が進んで人間と人間の関係についてよくわかったから法律がある。人間はみんな同じ法律を守らなければならない。
政府も国民も同じ人間である。政府が上の者である、つまり政府だけが法律を守らなくていい科学的根拠がない。[政府が作った法律では政府が上の者として扱われていてインチキだから、政府が作った法律は法律ではない。ここで言う法律は、国民が作った法律のことである。]
だから、政府も国民と同じ法律を守らなければならない。政府が国民を殺したり国民の物を奪ったりしてはならない。政府と国民は平等である。政府は国民と契約を取って国民に仕事をして国民からお金をもらわなければならない。

[13322] 政府はただの犯罪集団である。 h23.9.28
政府は昔の法律がなかった頃に出来た強盗団である。昔は法律がなかったので、人間は何をしてもよかった。政府は国民を殺したり国民の物を奪ったりして国民を好き勝手にしていたので、政府は国民から上の者だと思われていた。[昔の世界は楽園ではなく地獄だった。]
その後法律が出来ても、政府は自分が国民から上の者と思われているのをいいことにして法律を破っていた。政府は相変[あいか]わらず国民を殺したり国民の物を奪ったりして(税金のこと)国民を好き勝手にしていた。
しかし、科学が出来ると“上の者”は通用しない。“上の者”は、国民の政府に対する主観であって、科学的概念ではないからである。実在的概念ではないからである。実際には、政府は国民を殺したり国民の物を奪ったりしているだけである。法律がある社会の中では、政府はただの犯罪集団である。だから、政府はなくならねばならない。国民は政府に従うのをやめねばならない。

[13323] 政府は時代を跨[また]いではいけない。 h23.9.28
法律がない社会では、政府は国民を好き勝手にしていたので、政府は上の者だった。
法律がある社会では、政府は法律を犯しているので、政府は犯罪集団である。
法律がない社会と法律がある社会をゴッチャにしてはいけない。混同してはいけない。法律がない社会と法律がある社会を区別しなければならない。
今は法律がある社会だから、政府を上の者と考えてはいけない。政府をただの犯罪集団と考えねばならない。だから、政府はなくならねばならない。国民は政府に従ってはならない。
[今の政府が上の者であるのは、昔の法律がなかった頃の政府ががんばって国民を虐[いじ]めまわっていたからである。今は法律がある社会なので、今の政府は隠れてコソコソ悪いことをやることしかできない。政府はもはや国民に政府を上の者だと思わせることができない。だから、政府は年々上の者ではなくなっている。そのうち、政府は国民にただの犯罪集団だと思われるようになって、国民に葬[ほうむ]られるだろう。政府から上の者を取ったら犯罪集団でしかない。国民にとっては犯罪集団は要らないのだ。]

[13324] 馬鹿は死ななきゃ治[なお]らない。 h23.9.29
今でも政府を民主主義の政治機関だと思っている者がいるなら、その者は馬鹿すぎてもはや人間として生きる資格がない。いい歳して高校生並みの知識しかない。テレビや新聞を見てばかりいて、自分で考えて生きていない証拠だ。だから、そんな者は政府に殺されてもいい。

[13325] 政府はまちがっている。 h23.9.29
昔は法律がない社会だったので、人間がやりたい放題だったので、政府は国民を殺したり国民の物を奪ったり国民を好き勝手にしていた。それで、政府は国民よりも上の者だと思われていた。政府は国民を嘘[うそ]で騙[だま]して国民よりも上の者になっていたのではなく、“実力”で上の者だったのである。
しかし、今は法律がある社会なので、政府は法律を守って国民と平等にしなければならない。
ところが、政府は今の法律がある社会においても依然[いぜん]として自分が国民よりも上の者だと思って国民を殺したり国民の物を奪ったりしている。政府は法律を守っていない。政府は法律がある時代に法律がなかった時代と同じことをやっている。
政府がまちがっている。政府が国民よりも上の者だったのは法律がない社会においてだけであって、法律がある社会においては政府はもはや国民よりも上の者ではない。政府と国民は平等である。法律がある社会においては、政府は国民と同じように法律を守らなければならない。
今は法律がある社会である。だから、国民は政府を上の者だと思わず政府に従わなくてもいい。
法律が政府の弱点である。天敵[てんてき]である。法律がある社会においては、凶悪犯罪集団である政府は何もできなくなって滅びるしかない。法律があるかないかは国の人間みんなで決めることであって、政府に決められることではない。幸[さいわ]い、今は法律がある社会である。だから、政府は滅びるしかない。

[13326] 政府は昔上の者だっただけである。☆ h23.9.29
昔は法律がなかったので、政府は国民を好き勝手にすることができたので、政府は国民よりも上の者だった。
しかし、今は法律があるので、人間はみんな法律を守らなければならないので、政府は国民よりも上の者ではない。政府と国民は平等である。
政府は昔取った杵柄[きねづか]で上の者なだけである。政府は昔法律がなかった頃に上の者だっただけである。今の法律がある社会の中では政府は上の者ではない。
今の政府は昔の政府が偉かったことで威張[いば]っているだけである。過去の栄光で威張っているだけである。昔の政府は偉かったが、今の政府は偉くない。天皇家が神武天皇だけが偉くてその他の天皇は偉くないように、政府も昔の政府が偉かっただけで今の政府は偉くない。政府も天皇家も同じである。今の政府は空[から]威張りである。だから、国民は今の政府に従わなくていいのである。
政府は昔法律がなかった頃に暴力で国を支配した暴力集団であって、今の法律がある時代では政府はもはや何者でもない。今の法律がある社会の中で暴力で国を支配しようとしたらせいぜい数万人程度の暴力団ぐらいにしかなれない。だから、国民は政府を恐[おそ]れずに政府に逆らえばいい。政府の命令を聞かなければいい。

[13327] 法律が政府の天敵[てんてき]である。 h23.9.29
日本では江戸時代頃までは法律がなかった。だから、政府や幕府などの暴力集団が国民を好き放題にできたので政府や幕府が上の者だったのである。当時の政府や幕府はマンガのように国民の眼の前で正々堂々と国民を虐[いじ]めることができたので国民よりも上の者だったのである。[成文法と不文法は同じものである。紙がある時代には誰かが必ず世の中のことを文字にするから、成文法と不文法は同じものである。紙が発明された後では、成文法も不文法も同じである。だから、成文法がなかった時代には不文法もなかったし、不文法がなかった時代には成文法もなかったのである。反対に、成文法がある時代には不文法もあるし、不文法がある時代には成文法もあるのである。つまり、成文法がなかった時代には法律そのものがまだなかったのである。]
しかし、その後日本に法律が出来てからは、政府が弱くなった。法律では政府は国民と平等であり、政府も国民と同じようにしなければならないからである。今の法律のある社会では、政府は国民の眼の前で正々堂々と国民を虐めることができないから、政府と国民は平等なのである。
法律が整[ととの]えば整うほど政府は弱くなる。
だから、政府を滅ぼすためには法律を整えればいいのである。法律を社会に浸透[しんとう]させて、国の人間全員に法律を徹底的に守らせればいいのである。

[13328] 今の政府は国民よりも上の者ではない。 h23.9.29
政府が国民よりも上の者である根拠は、政府が国民を好き勝手にできることである。政府が自分勝手に国民を殺したり国民の物を奪ったりできることである。
昔は法律がなかったから、政府は実際に国民を好き放題にすることができたので、たしかに政府は上の者だった。
しかし、今は法律がある。今の法律のある社会では、政府も法律を守らねばならず、政府は国民を好き勝手にできない。
だから、今の社会では、もはや政府は国民よりも上の者ではない。
だから、今の社会では、政府は国民を殺せない。政府は国民の物(つまり税金)を奪えない。政府は国民に命令できない。

[13329] 今では政府と国民は平等である。 h23.9.29
法律がない社会では、政府は国民よりも上の者である。
法律がある社会では、政府と国民は平等である。
今は法律がある社会である。
だから、今では政府と国民は平等である。政府は国民と契約を取ってから、国民に仕事をして国民からお金をもらわなければならない。

[13330] 必殺仕事人について h23.9.29
江戸時代にはまだ法律がなかったから、人間は何をやってもよかった。それだから、暴力団の幕府が国民を好き放題にして幕府が国民を支配できたのである。
人間は何をやってもよかったから、仕事人が国民からお金をもらって侍[さむらい]を殺してもよかった。
だから、仕事人は悪くないのである。

[13331] 国民は政府よりも強い。 h23.9.30
法律があるかないかは政府が決めているのではない。政府に決められることではない。政府に決められるのだったら、政府にとっては法律がないほうが有利だから、永久に法律がないはずである。それなのに、実際には法律がある。年々法律が強まっている。だから、法律があるかないかは国民が決めているのである。国民の法律をあらしめる力のほうが、政府の法律をなさしめる力よりも強いので、法律があるのである。法律が強まっているのである。つまり、国民は政府よりも強いのである。
今の社会には法律がある。しかし、政府は法律のある社会の中で法律を破っている。例えば、政府は税金と言って一方的に強制的に国民のお金を奪っている。その他[ほか]に、政府は国家宗教で国民を遊び半分に殺したりもしている。
政府は自分が上の者であることによって自分が法律を犯すのを言い逃[のが]れようとしているが、上の者とは昔法律がなかった頃に政府が国民を殺したり国民の物を奪ったりして国民を好き放題にして政府が国民から恐れられていたことであり、つまり上の者とは今の社会では政府が法律を破ることにほかならないのだから、政府が上の者であることは何の言い逃れにもなっていない。
昔の社会には政府が法律を犯してもいい理由があった。それは、そもそも昔の社会には法律がなかったからである。しかし、今の社会には法律があるから、もはや政府が法律を犯してもいい理由はない。だから、政府は法律を守らなければならない。したがって、政府は国民から税金を取れない。政府は国民を殺せない。政府は国民に命令できない。

[13332] 言葉よりも態度で示せ h23.9.30
今は法律のある社会である。人間はみんな同じ法律を守らなければならない。人間は他人を殺したり他人の物を奪ってはならない。
だから、政府が国民から税金を取るのは法律に反している。違法行為である。政府が国家宗教で国民を殺すのも違法行為である。
このように、私がいくら考えても、政府は態度を変えない。政府はあたかも私の考えがまちがっているかのように、私の言葉を無視してこれまでと同じことをやっている。
しかし、国民が政府の眼の前で税金を払うのを拒[こば]むと、政府はそれ以上何もしないだろう。政府自身も今の社会に法律があって、人間はみな法律を守らなければならないことを知っているからである。政府自身が政府が作った法律がインチキであることを知っているからである。
昔は法律がない社会だったから政府は何でもできた。政府は好き放題に国民を殺したり国民の物を奪ったりした。それで、政府は大きな会社になった。一方、今は法律のある社会だから、政府は国民に対して何もできない。[社会科学の進歩によって人間の社会に対する理解が進んで法律が出来たのである。いわば、法律は人間の法則なのである。法律の原理である『人間の平等性』は『相対性原理』や『不確定性原理』のように眼で見えないが存在するのである。さすがの政府も科学的真理には弱いのだ。つまり、政府も人間だから国民と同じように科学的真理に従うのだ。]だから、国民は政府を恐れずに政府の命令を聞かずに政府に逆[さか]らえばいいのである。
税金は、昔の法律がなかった時代に政府が好き放題に国民の物を奪っていたことの名残[なごり]である。[盲腸が、人間が昔草を食べていたことの名残であるのと同じようなものである。]しかし、今は法律がある。だから、税金をやめねばならない。
今の社会では、政府と国民は平等である。だから、国民に命令を出す政府はふざけているが、政府の命令を聞く国民もふざけている。だから、政府は国民に命令を出してはいけないし、国民も政府の命令を聞いてはいけない。

[13333] 政府は正しい会社である。 h23.9.30
政府は昔法律がなかった頃に国民を殺したり国民の物を奪ったり国民を好き放題にした。しかし、法律がなければ人間は何をやってもいいから政府はまちがっていない。政府は正しいことをやったまでである。政府は正しいことをやって儲[もう]けただけである。だから、政府は正当である。昔は他人を殺したり他人の物を奪ったりするほうが正しかったのである。[だから、いくら政府が国民を殺したり国民の物を奪ったりしても、誰も政府を悪者だと思わず政府に抵抗しなかったのである。だから、政府は容易に国民みんなを支配することができたのである。人間が相手に抵抗するためには、まず相手が悪人であることが必要である。善とは法律に従うことであり、悪とは法律に反することである。ところが、昔はまだ法律がなかったので、たとえ相手が何をやっても相手が悪人であることにはならなかった。だから、人間はなかなか相手に抵抗できなかった。そのため、昔は暴力をふらない者は暴力をふる者の言いなりだったのである。]
政府はその名の通り“正しさを取り締[し]まる会社”である。昔も今も政府は正しい会社である。
今の社会で政府が国民を殺したり国民の物を奪ったりするのは、政府が自分のことを誤解しているからである。政府は昔から正しいことをやっていたのであって、悪いことをやっていたのではないのである。政府は正しいことをする会社なのである。だから、政府は悪いことをやめねばならない。昔の政府が昔の社会において正しいと考えられることをやっていたように、今の政府は今の社会において正しいと考えられることをやらねばならない。

[13334] 善悪の誕生 h23.10.1
善とは法律に従っていることであり、悪とは法律に反していることである。
だから、法律が出来る以前は善と悪の区別がなかった。人間は何でもやってよかった。法律が出来てから善と悪の区別ができた。人間がやっていいことといけないことの区別が出来たのである。
それと同じように、科学が出来てから正しいこととまちがっていることの区別ができた。科学が出来る前には正しいこととまちがっていることの区別がなかった。科学とは実験や観察によって自分の考えが正しいかまちがいかを判定することである。自分の考えが実験や観察と合っていれば自分の考えが正しく、実験や観察と合っていなければまちがっていることになる。科学が出来る以前は、学者はたんに自分の考えを述べるだけで、それが正しいかまちがっているかを問題にしなかったのである。自分の考えが正しいかまちがっているかはどうでもよかったのである。[今でも、文学部にはその伝統が残っているようだ。つまり、文学部は馬鹿だ。]
法律は正しい社会科学の認識である。だから、科学が出来ると法律が出来たのだ。科学と法律はほぼ同時に出来たのだ。つまり、正しいかまちがっているかの区別が出来た頃に、善と悪の区別も出来たのだ。実験と観察と試行錯誤を通じて、しだいに正しい自然科学の法則がわかるようになったように、正しい法律(社会科学の法則)がわかるようになったのである。
過去の人類はわれわれの想像を絶する過酷[かこく]な世界に生きていた。人類の楽園は過去ではなくて未来にある。未来の人類はきっと幸福なことだろう。

[13335] 政府とは何か? h23.10.1
古代に出来た強盗団である。
最初にヨーロッパに出来て、それが世界中に広がったのだ。
昔は法律がなかったから、強盗をやってもよかった。
しかし、今は法律があるから、強盗をやってはいけない。
法律がない時代には、政府があってもいいが、
法律がある時代には、政府はあってはならない。

[13336] 人間の平等性と民主主義 h23.10.1
人間の平等性と民主主義とは意味が違う。
人間の平等性とはすべての人間が同じ法律を守らなければならないことであり、一方、民主主義とは国民または国民の代表者の多数決によって物事を決めることである。
民主主義でやるかやらないかは政府(という会社)の勝手である。政府が民主主義でやるか社長主義でやるかは政府(という会社)の勝手である。喩[たと]えれば、民間会社が製品を作るとき、何人かの国民のモニターの意見によって製品を作るのは民主主義である。一方、社長の命令によって製品を作るのは社長主義である。
だから、政府が民主主義でやるからといって、国民が政府の言いなりになる必要はない。喩えれば、いくら民間会社が民主主義で製品を作ったからといって、国民全員がその製品を買わねばならないことはない。それと同じように、政府はいわば命令を作る会社だが、いくらその命令が民主主義で作られていても、国民がその命令を聞く必要はないのである。[じつは、政府の命令は民主主義ではなく、社長(政治家)主義で作られている。]
今の法律のある社会では、国民と政府は平等だから、国民は自分が承認したときだけ政府の命令を聞けばいい。普段[ふだん]は政府の命令を聞かなければいい。

[13337] 政府はまちがっている。 h23.10.2
私が哲学日記[13331]で(今の)政府がまちがっていることを証明したように、
誰でも時間をかけて考えれば、政府がまちがっていることがわかる。
政府はまちがっている。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。したがって、政府は滅ばねばならない。
政府は役立たずの分際[ぶんざい]で偉そうだ。だから、国民は政府にお金をやってはならない。

[13338] 法律が政府を倒す。 h23.10.2
社会科学が進歩した。
だから、法律が出来た。
人間はみな法律(つまり人間の平等性)を守らねばならない。
したがって、法律を犯す(つまり人間の平等性に反する)ことしか能[のう]がない政府は滅ばねばならない。
つまり、結果的には政府は法律に反する悪者だったのである。今では法律があるから政府が悪者であることがわかる。しかし、昔は法律がなかったから政府が悪者であることがわからなくて国民はおとなしく犯罪組織の政府に従っていた。しかし、今は政府が悪者だとわかっている。政府は国民から税金を取ったり国家宗教で国民を殺したりして法律に反することをやっているから悪者なのである。だから、国民は政府に従ってはならない。人間は単純に考えなければならない。人間は悪者に従ってはならない。だから、国民は政府に従ってはならない。
法律が政府が悪者であることを明らかにして、政府を倒しているのだ。つまり、政府が国民に悪者だと言われるようになったら、政府はもはやおしまいなのだ。政府が国民に悪者であることがバレたら終わりなのだ。だから、政府は精一杯国民の機嫌[きげん]をとって国民に悪者だと思われないようにしているのだ。しかし、政府が法律を犯していることに変わりはない。だから、国民は政府のご機嫌取りに騙[だま]されずに、政府が悪者だと考えねばならない。悪者が生き残るなんて無理である。だから、政府はもうおしまいだ。
法律は人間が作ったものではない。実在が作ったのだ。人間は実在が作った法律を認識して字にしているだけだ。だから、政府が法律に逆らうことは政府が実在に逆らうことだ。人間が実在にかなうわけがない。だから、政府はあきらめて、おとなしく法律に従って滅ばねばならない。
人間は善を助け悪を滅ぼすものである。人間にとっては力が強いか弱いかよりも、正しいかまちがっているかが問題だ。今の政府は悪者である。政府は社会科学においてまちがっている。だから、国民は実在に代わって政府を倒さねばならない。そうすれば、実在(つまり神)も喜ぶだろう。

[13339] 政府が悪い。 h23.10.2
昔は法律がなかったから、犯罪組織の政府は存在できた。
今は法律があるから、犯罪組織の政府は存在できない。
それなのに、政府はいまだに滅んでいない。ずうずうしい。居候[いそうろう]にもほどがある。
だから、政府が悪い。政府は法律が出来たときに自分からやめてしまえばよかったのだ。
いまだに政府が滅んでいないのは、今の社会にはまだ十分な法律がないからである。国民の多くが政府が悪いことがわかっていないからである。だから、国民は正しい法律を学んで政府のまちがった命令に従わないようにして政府が何もできないようにして政府を滅ぼさねばならない。政府が法律に反することをした場合には、国民は政府に従わずむしろ政府を罰しなければならない。例えば、国民は政府に税金を払ってはいけないし、自分が承認せずに政府の命令を聞いてはならない。もちろん、政府の人殺しに協力してはならない。
私がこんなことをつべこべ言わねばならないのは、そもそも国民が政府のまちがった命令を聞いて法律に反しているからである。国民がちゃんと法律を守っていないからである。国民が正しく法律がわかっていないからである。政府はまちがっているが、まちがった者に従う者もまたまちがっている。だから、私につべこべ言わせないためには、国民がちゃんと法律を守って正しくしなければならない。

[13340] 国民はまちがっている者には従わない。 h23.10.2
人間は正しい者には従うが、まちがった者には従わない。
昔は法律がなかったから、犯罪組織の政府が正しいかった。政府はやってもいいことをやっていたから正しかった。だから、国民は政府に従った。
しかし、今は法律があるから、犯罪組織の政府がまちがっている。政府はやってはいけないことをやっているからまちがっている。政府は国民から一方的強制的にお金を奪ったり(税金のこと)国家宗教で国民を遊び半分に殺したりして法律に反することをしているからまちがっている。だから、国民は政府に従わない。
今の政府はまちがっているから、国民は政府に従わなくなっている。国民は政府を無視するようになっている。だから、もうすぐ政府は滅ぶだろう。
政府が国民に従って欲しければ、政府は正しくしなければならない。政府は国民から税金を取ったり国家宗教で国民を殺したりしてはいけない。政府が正しくならないかぎり、国民は政府には従わない。

[13341] どうして政府は国会を建てたのか? h23.10.2
近代になって法律が出来た。社会科学が進んで『人間の平等性』がわかったからである。
政府にとっては法律が弱点である。法律においては『人間の平等性』に反する政府が悪者だから、国民が法律を知って政府を悪者だと思ったら国民が政府に従わなくなって政府が滅びるからである。
そこで、政府は法律から自分を守るために、“嘘[うそ]の法律”を作る国会を建てたのである。国民は政府が作った嘘の法律を法律だと思って、嘘の法律に反していない政府が正しいと思って、政府に従い続けたのである。
しかし、政府が作った法律は『人間の平等性』に反している。政府が作った法律では、政府が上で、国民は下である。国民が政府に無条件に従わねばならない。だから、政府が作った法律はまちがっている。
政府が作った法律は法律ではない。だから、国民は政府が作った法律に従わず、『人間の平等性』に基づく本当の法律を守ればいいのである。国民の物差[ものさ]しは法律であって、政府ではないのである。

[13342] 嘘[うそ]の法律 h23.10.2
人間は正しい者には従うが、まちがっている者には従わない。
人間が正しいかまちがっているかは法律が決める。実在が決める。
昔は法律がなかったから、人間はみんな正しかった。政府がいくら国民を殺したり国民の物を奪ったりして国民を好き放題にしても政府は正しかった。だから、国民は政府に従ったのである。
近代になって法律が出来ると、政府は自分がまちがっていると国民に思われて国民が政府に従わなくなってはいけないので、政府は“政府が国民よりも上の者である嘘[うそ]の法律”を作って、国民に政府が法律に従っていると思わせて政府を正しい者だと思わせて国民を政府に従わせてきたのである。
しかし、本当は政府は法律に従っていない。法律の原理は『人間はみな平等である』ことであって、「政府が国民よりも上の者である」ことではない。だから、政府の法律はまちがっている。政府の法律は嘘である。政府は嘘の法律を作って国民を騙[だま]していたのである。
本当の法律においては政府はまちがっている。政府が国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で遊び半分に殺したり、国民に一方的に命令を出したりすることはまちがっている。人間はまちがっている者には従わない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。[もしも、人間がまちがっている者に従わねばならないのなら、わざわざ政府が国会を建てて嘘の法律を作らなくてもよかったはずである。政府は法律を無視して強引にまちがったことをやり続ければよかったはずである。たとえ法律が出来ても、政府は法律を無視してこれまでと同じように好き勝手に国民を殺したり国民の物を奪ったりすればよかったはずである。しかし、実際には政府はわざわざ国会を建てて嘘の法律を作った。だから、やはり人間はまちがっている者に従わなくていいのである。]

[13343] 政府は悪者である。 h23.10.3
政府は法律(つまり『人間の平等性』)に反しているから悪者である。政府は国民の物を奪ったり(税金のこと)国民を国家宗教で殺したりしているから悪者である。
人間は悪者には従わない。
だから、国民は政府に従ってはならない。
昔はまだ法律がなかったから、政府が悪者であることがわからなかったので、国民は政府に従っていた。しかし、今は法律があって政府が悪者であることがわかるから、国民は政府に従わないのだ。
今の政府は理由をつけて国民の機嫌[きげん]を損[そこ]ねない程度に税金を取ったり国民に犯人がわからないようにして国民を殺したりして精一杯自分が悪者に見えないようにしているが、しょせんは偽善[ぎぜん]である。だから、国民は政府の偽善に騙[だま]されず政府を悪者だと考えて政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。[たとえ1円であっても他人の金を取ったら泥棒[どろぼう]である。だから、たとえ政府が国民の機嫌を損ねなくても、政府が国民から税金を取っているのは泥棒である。]
客観的に見れば、国の中に政府という名の犯罪集団があるだけのことである。犯罪集団は国民にとって迷惑な存在である。だから、国民はさっさと政府を倒さねばならない。
昔は法律がなかったから、国民は政府が善人か悪人かがわからず政府に手の出しようがなかった。しかし、今は法律があって国民は政府が悪人だとわかるから国民は迷わずひたすら政府を倒せばいいのである。
国民みんなが政府の命令を聞くのをやめれば、政府はすぐに倒れる。だから、国民みんなで協力して政府の命令を聞かないようにすればいい。

[13344] 政府は国民にまちがっていると思われたらおしまいである。 h23.10.3
人間は正しい者には従うが、まちがっている者には従わない。人間がまちがっている者に従ったら、自分もまちがっていることになるので、人間はまちがった者には従わないのである。人間には自分がまちがっていることを不快に感じる気持ちがあるので、自分がまちがっていることをしないし、またまちがっている者に従わないのである。そういう気持ちがない者は人間のクズである。出来損ないである。『人間がみんな平等である』ことが真理であるように、『人間が正しい者に従いまちがった者に従わない』こともまた真理である。「人間がまちがっている者に従う」のはマンガの上だけであって、現実にはそんなことはないのである。
だから、政府は国民を政府に従うようにするために、精一杯国民に正しい者に見えるようにしているのである。そうでなければ、政府は自分がまちがっている者であることを国民に宣伝するために自[みずか]ら堂々と国民の眼の前でまちがっていることをするはずである。[もっとも、税金はどうしようもないので、政府はやむをえず屁理屈[へりくつ]をつけて国民から税金を取っているが。]
しかし、政府が実際にやっていることはまちがっている。政府がいくら見かけで正しいふりをしていても、政府がやっていることはまちがっている。政府がどんなに誤魔化[ごまか]してもまちがいはまちがいである。
だから、政府はまちがっている者である。
したがって、国民は政府に従ってはならない。国民は政府の命令を無視して従わなければいい。[昔は「力が正義」だったから、犯罪集団の政府が正義だったので、国民は政府に従っていたのである。今は『正義が力』だから、犯罪組織の政府は悪なので、国民は政府に従わないのである。]
要するに、法律のある社会の中では犯罪組織の政府は生き残るのが難しい。政府はわざわざ国民を騙[だま]して国民に政府を正しいと思わせながら犯罪を犯さなければならない。今の政府は国民に政府を正しいと思わせることによって、かろうじて生き残っているのである。しかし、国民は年々利口になっていて政府が国民を騙せなくなっている。今でも多くの国民は政府がまちがっていると思って政府に従わなくなっている。遅かれ早かれ政府は滅びる。法律のある社会の中で犯罪組織が生き残るのは無理である。だから、政府は生き残るのを諦[あきら]めて、おとなしく滅んだほうがいい。

[13345] どうして今の国民は政府に従わなくなっているのか?☆ h23.10.3
人間が正しいかまちがっているかは人間が置かれている状況で決まる。たとえ人間がやっていることが同じであっても、状況によって正しかったりまちがっていたりする。相対性理論で、物体に対する観測者の運動状態によって物体の長さが変わったりするのと同じである。
例えば、政府は昔も今も国民を殺したり国民の物を奪ったりして国民を好き放題にしている。[政府が建前でやっていることは無視する。]昔は法律がなかったから人間は何をやってもよかったので政府は正しかったが、今は法律があるから政府のやっていることは法律に反しているので政府はまちがっている。つまり、昔は政府は正しかったが、今では政府はまちがっている。一方、いつの時代でも人間は正しい者には従うがまちがった者には従わない。だから、昔は国民は政府に従ったが、今では国民は政府に従わない。今の国民が政府に従わないのが正しいのである。
そういうわけで、今の国民はどんどん政府に従わなくなっている。もうすぐ政府は滅ぶのである。

[13346] どうして暴力団や宗教団体があるのか? h23.10.3
政府は犯罪組織である。
国民は政府に従っている。
だから、暴力団や宗教団体などの犯罪組織が政府の真似[まね]をして国民を支配しているのである。政府も暴力団も宗教団体も犯罪組織である。
しかし、国民が政府に従っているのは、国民が政府を正しいと思っているからである。政府は国会や警察や学校などによって国民に政府が正しいと思わせているのである。
一方、国民は暴力団や宗教団体を正しいと思っていない。まちがっていると思っている。暴力団は法律に違反しているのが丸出しだし、宗教団体は胡散[うさん]臭いからである。
『人間は正しい者には従うが、まちがっている者には従わない。』だから、ほとんどの国民は暴力団や宗教団体には従っていない。だから、政府はメジャーだが、暴力団や宗教団体はマイナーなのである。
しかし、国民が政府を正しいと思っているのは、国民が政府を誤解しているからである。国民の勉強不足である。本当は政府はまちがっているのである。政府は暴力団や宗教団体のように、国民を殺したり国民の物を奪ったりして法律に反することをしているのである。
だから、国民は政府に従ってはいけない。国民は政府と縁[えん]を切らねばならない。
国民が政府に従わなくなって政府が潰[つぶ]れれば、暴力団や宗教団体もなくなるだろう。


[13347] 政府は法律のある時代には向いていない。 h23.10.3
法律がない時代の正しさと法律がある時代の正しさとは違う。
法律がない時代の正しさとは、とにかく力が強いことである。武器を使って相手に勝つことである。[昔は力の強いことが正しいことだった。それで、江戸時代の侍[さむらい]は自分を正しく見せるためにいつも刀を差[さ]していたのである。昔の政府も幕府と同じように武力集団だったのである。]
法律がある時代の正しさとは、法律をよく守っていることである。
政府は、法律がない時代向きの会社であって、法律がある時代には向いていない。
今後の人間社会は法律のある社会である。
だから、政府はだんだんなくなっていくだろう。政府が滅んで民間会社が栄[さか]えるだろう。

[13348] 暗黒3天王 h23.10.3
国会や警察や学校は政府を守る暗黒3天王である。
政府だけでは悪者だが、これらの3つがあるために政府が国民に善[い]い者だと思われている。
国会や警察や学校はそれぞれ単独では善い機関である。
しかし、政府と組むと悪い機関になる。国会は犯罪組織である政府にとって有利な嘘[うそ]の法律を作るし、警察は政府の犯罪を見て見ぬふりをするし、学校は子供に政府を崇[あが]めるように洗脳[せんのう]をしている。
政府は法律を犯す犯罪組織である。政府があると国民みんなが政府と組んでみんなが法律を犯す悪い国になる。政府がなくなると国民みんなが政府と組まなくなってみんなが法律を守る善い国になる。だから、政府をなくさねばならない。
人間は実在に反すると悪い気分になり、実在に従うといい気分になる。つまり、人間は法律に反すると悪い気分になり、法律に従うといい気分になる。だから、政府があると国民は悪い気分になり、政府がなくなると国民はいい気分になる。だから、政府をなくさねばならない。

[13349] 政府に従う国民はまちがっている。 h23.10.3
人間は正しい者には従うが、まちがった者には従わない。これが、人間の法則である。
ところで、政府はまちがっている。政府は国民の物を奪ったり(税金のこと)国民を国家宗教で殺したりして法律に反することをしているからまちがっている。政府はまちがった者である。[昔は法律がなかったから政府がまちがっていることがわからなかったが、近代になって法律が出来てから政府がまちがっていることがはっきりした。]
だから、国民は政府に従わない。国民は政府に従ってはならない。政府に従わない国民は正しく、政府に従う国民がまちがっている。政府は国民が従ってはならない者である。
政府にとっては力ずくで国民を従わせればいいつもりだろうが、国民にとっては政府が正しい者でないかぎり自分が政府に従う気にはなれない。政府が国民に正しいと思われるためには、少なくとも政府は税金を取るのをやめて国民を国家宗教で殺すのをやめて国民に命令するのをやめねばならない。[政府の命令に従いたい国民だけが、政府から命令をもらって聞くようにすればいい。]それでは政府は滅んでしまう。だから、政府はなくなればいいのである。

[13350] 国民は政府に従ってはならないことの証明 h23.10.4
人間は正しい者には従うが、まちがっている者には従わない。【国民についての真理】
人間が正しいかまちがっているかは法律が決める。政府の法律は「政府が国民よりも上の者である」嘘[うそ]の法律であって、本当の法律ではない。『人間がみな平等である』ことが本当の法律である。[政府は日本国憲法第30条(納税の義務)で国民の物を奪ったり、日本国憲法第20条(宗教の自由)で国家宗教で国民を殺したり国民に命令を出したりしている。]【法律についての真理】
政府は国民を殺したり国民の物を奪ったりしている犯罪組織である。政府は国会や警察や学校などを経営することによって国民に政府が正しいと思わせている。【政府についての真理】
昔は法律がなかったから、政府が正しいかまちがっているかわからず、国民はわけがわからないまま政府に従っていた。
今は法律があるから、政府がまちがっていることがわかっているから、国民は政府に従わない。
だから、政府の偽善や嘘の法律に騙されている国民は政府に従う。政府の正体がわかっていて、人間がまちがっている者に従わないことがわかっていない国民は政府に従う。政府の正体がわかっていて、人間がまちがっている者に従わないことがわかっている国民は政府に従わない。
しかし、本当は政府は犯罪組織であって、政府は法律に反しているからまちがっていて、人間はまちがっている者には従わないから国民は政府に従わないのが正しいのである。だから、国民は政府に従ってはならない。つまり、『政府はまちがっている者であり、人間はまちがった者に従わない』と考えている者が正しい者である。人間は正しい者に従う。だから、国民は正しい者の正しい考えに従って、政府に従わないのが正しいのである。一方、「政府は正しい者である」と考えている者や「国民はまちがっている者に従う」と考えている者はまちがった者である。人間はまちがった者には従わない。だから、国民はまちがった者のまちがった考えには従わず、政府に従わなければいいのである。

[13351] 政府はおしまいである。 h23.10.4
『政府がまちがっている者であり、人間がまちがっている者には従わない』と国民が考えるようになったら、国民が政府に従わなくなって政府はおしまいである。
政府は国民の物を奪ったり(税金のこと)、国家宗教で国民を殺したりしている。政府は法律つまり『人間の平等性』に反している。だから、『政府はまちがっている者である』ことは正しいのである。
政府は嘘の法律を作ったり、国会や警察や学校などを経営している。政府がそんなことをしているのは『人間がまちがっている者に従わない』からである。政府は国民に政府を正しいと思わせて国民を政府に従わせるためにそんなことをしている。だから、『人間がまちがっている者に従わない』ことは正しいのである。
したがって、『政府がまちがっている者である』ことも『人間がまちがっている者には従わない』ことも両方とも正しい。したがって、もはや国民は政府に従わない。政府はおしまいである。

[13352] 力が正義ではない、正義が力だ。 h23.10.4
政府は昔からずっと暴力団である。政府は昔も今も国民を殺したり国民の物を奪ったりする団体である。
一方、国民はいつの時代でも正しい者に従う。まちがった者には従わない。
昔は法律がなかったので、「力が正義」だったので、つまり暴力団が正義だったので、国民は暴力団の政府に従ったのである。つまり、政府が国民を支配したのである。
しかし、今は法律があるので、『正義が力』になったので、つまり法律を守る者ほど強く法律を守らない者ほど弱いので、暴力団の政府は法律を守らないから弱いので、国民は政府に従わなくなったのである。つまり、政府が国民を支配できなくなったのである。
政府も国民も昔と今とで変わらない。しかし、昔は法律がなかったが、今は法律がある。そこが違う。だから、暴力団の政府は昔は強かったが、今は弱いのだ。昔は国民が政府に従ったが、今は国民が政府に従わないのだ。

[13353] 今の社会では暴力団体は国民を支配できない。 h23.10.4
今の法律がある社会で暴力団体が力ずくで国民を支配しても、国民は暴力団体をまちがった者だと考えて反逆するから、支配は長く続かない。すぐに暴力団体が国民に倒される。[フランス革命や江戸時代の一揆[いっき]は、当時はまだ政府や幕府が正しいと考えられていたので、国民は自分が悪いとわかっていながらやむをえずヤケクソになってあとで自分が殺される覚悟で政府や幕府に逆らったのである。だから、国民は革命や一揆を顔で怒って心で泣きながらやっていたのである。心では政府や幕府に謝[あやま]りながら身体では政府や幕府を殴[なぐ]り殺していたのである。反対に、今の時代には暴力団体が悪いのが当然だから、国民が暴力団体に正々堂々と逆らえるはずである。逆に、今の時代には暴力団体は自分が悪いことを知っているから国民を殺したり国民の物を奪ったりしにくくなっている。暴力団体は心の中で国民に謝りながらやむをえず国民を殺したり国民の物を奪ったりしているのである。法律を知っていると人間は悪いことをやりにくくなる。だから、善い世の中を作るためにはみんなに法律を教えればいいのである。]
『人間は正しい者に従い、まちがった者に従わない。』それが人間の習性である。だから、国民は暴力団体には従うことができないのである。暴力団体が安定に国民を支配できるのはマンガの上だけである。
ところで、政府が国民の物を奪ったり(税金のこと)国民を国家宗教で国民を遊び半分に殺したりしている暴力団体であることは年々国民に知られるようになっている。いくら政府が自分にとって不利な情報を規制しても、国民は私のように自分の眼で見て自分の頭で考えて真実を発見するから、政府の規制は無駄[むだ]である。実際に私がわかったのだから、他[ほか]の国民がわかってもおかしくはない。
だから、政府の支配も長くは続かない。政府はもうすぐ滅びる。

[13354] 政府と国民の逆転☆ h23.10.4
政府は犯罪組織である。政府は法律に反することをやっているからまちがっている。
法律がないと、政府が国民よりも上になる。政府が暴力をふるのに対し、国民は暴力をふらないから、政府が国民よりも上である。政府が暴力を使って国民を言いなりにしていたから政府が国民よりも上である。
法律があると、国民が政府よりも上になる。国民が正しいのに対し、政府はまちがっているから、国民が政府よりも上である。人間は正しい者に従い、まちがっている者には従わないから、国民は政府に従わない。だから、国民が政府よりも上である。
昔と今では、政府と国民の上下関係が逆転している。法律が出来たために、逆転したのである。
だから、今は国民が政府に従わなくていい。国民は政府にペコペコしなくていい。今は政府が国民に従うべきだ。
[アニメでも、ひっくり返ったピラミッドやひっくり返った城などがよく登場する。それらは、政府と国民の関係が昔と今とで逆転したことを表している。]


[13355] 人間は『社会の原理』に従わねばならない。 h23.10.5
もしも「力が正義」だとしたら、国民は犯罪集団に従わねばならない。たとえ国民が犯罪集団に従うのが嫌であっても従わなければならない。なぜなら、国民が犯罪集団に従うことは正しいからである。
しかし、実際には『正義が力』だから、国民は犯罪集団に従うわけにはいかない。たとえ国民が犯罪集団に従いたくても従ってはならない。なぜなら、国民が犯罪集団に従うことはまちがいだからである。
このように、国民が犯罪集団に従うか従わないかは、国民の心ではなくて、『社会の原理』が決めるのである。人間は知的に行動しなければならない。
昔は『人間の平等性』がわからなくて「力が正義」だったから国民は犯罪集団に従っていた。しかし、今は『人間の平等性』がわかって『正義が力』だから国民は犯罪集団に従わない。
将来人類の文化が衰退して『人間の平等性』がわからなくなり再び「力が正義」の時代が来れば、また国民が犯罪集団に従わねばならないが、それまでは国民は犯罪集団に従ってはならない。[西暦30世紀ごろには、人間よりも機械が上の社会が実現しているかもしれないが。政府よりも機械のほうがもっと怖[こわ]いだろう。未来の地球は、生物よりも無生物のほうが上の世界になっているかもしれない。未来の地球も、人類にとっては地獄かもしれない。思考の本質が感覚ではなく情報処理であるなら、脳細胞よりもコンピューターのほうが性能が上だから、そうなるかもしれない。未来には、脳についての研究が進んで、感情を持ったロボットも出来るかもしれない。]
「力が正義」の社会では犯罪集団が国民よりも上だったが、『正義が力』の社会では国民が犯罪集団よりも上である。例えば、今の社会は『正義が力』の社会である。政府は犯罪集団である。だから、政府が国民に従わねばならないのであって、国民は政府に従わなくてもいい。
昔は「力が正義」の時代だった。だから、政府が国民よりも上だった。だから、国民はたとえ政府に従うのが嫌でも従わねばならなかった。それが昔の社会の決まりだったからそうしなければならなかった。
しかし、今は『正義が力』の時代である。だから、国民は政府よりも上である。だから、国民はたとえ政府に従いたくても従ってはならない。それが今の社会の決まりだからそうしなければならない。

[13356] 国民は政府よりも上である。☆ h23.10.5
「力が正義」の時代には、犯罪組織が国民よりも上だった。だから、国民は犯罪組織の政府に従わねばならなかった。
しかし、『正義が力』の時代には、国民が犯罪組織よりも上である。だから、犯罪組織の政府が国民に従わねばならない。
今は『正義が力』の時代である。だから、今の国民は政府よりも上である。だから、国民は政府の命令を無視していいのである。たとえ国民が政府からお金を取っても、政府にお金を取られてはならない。
政府が国民と平等になりたければ、政府は国民と同じように『人間はみな平等である』決まりを守って正しくならねばならない。

[13357] ローマ帝国はどうして滅んだのか? h23.10.5
中世のローマ帝国は文化が発達して『法律のある社会』になっていた。
そのために、ローマ政府よりも国民が上になって、ローマ政府は滅びかけていた。
そこで、ローマ政府は自分を守るための最後の手段として国の文化を衰退させた。ローマ政府は、国中の学問を破壊して原始時代に戻そうとした。
しかし、そのためにローマ帝国が滅んだのである。ローマ帝国とともにローマ政府も滅んだのである。
今の日本も文化が発達して『法律のある社会』になっている。しかし、今は文明が発達しすぎて政府が文明を衰退させると国民が黙ってはいない。一度性能の高いパソコンを使ったら二度と性能の低いパソコンを使う気にならないのと同じことである。遅くてイライラするからである。だから、今の政府はローマ政府と同じ手は使えない。だから、もはや政府はおとなしく滅ぶしかない。
[法律は人間の法則である。だから、法律は科学と同じである。だから、科学があるところには法律がある。政府が法律だけをなくして科学を残すのは無理である。科学が発達すれば法律も発達するのである。]

[13358] 法律がある社会における身分制 h23.10.5
法律を守らない者は法律を守る者よりも下だ。
法律を守る者同士[どうし]は平等だ。
例えば、今の社会は法律がある社会だ。国民は法律を守るが、政府は守らない。だから、今の社会において政府は国民よりも下だ。国民同士は平等だ。

[13359] 社会科学の法則 h23.10.5
法律は社会科学の法則である。社会科学の法則は自然科学の法則と違って人間が破ろうとすれば破れる。その代わり、法律を破った者には違反者のレッテルが貼[は]られる。違反者は罰せられる。そこまでがぜんぶ法律である。
地球上の生物はそれぞれの法律を持っている。それぞれの法律を守って暮らしている。
たしかにサル山にもボスがいるが、サル山のボスが下のサルを好き放題にすることはない。サル山のボスがいたずらで下のサルを殺したり下のサルの物を強制的に奪ったりすることはない。サルだってちゃんと法律を守っている。『サルの平等性』を守っている。サル山のボスは法律を守りながらボスをやっているのである。サル山のボスは仕事であって、時々下のサルから仕事の報酬をもらっているのである。人間はサルを見習わなければならない。
昔の人類は平等に暮らしていた。ところが、武器の発明で人類の歴史は狂ってしまった。暴力集団が支配する世界になってしまった。残酷[ざんこく]な性格の者が有利な世界になってしまった。法律で人類の歴史をもとに戻さねばならない。

[13360] 法律は武器よりも強い。 h23.10.5
昔は法律がなかったから、暴力団体が武器で国民を脅[おど]してもよかったので暴力団体が国民を支配できた。ローマ政府はそうやって外国を支配して大きなローマ帝国を作った。世界中の国の政府がそうやって国民を支配した。
しかし、今は法律があるから、暴力団体が武器で国民を脅してはいけないので暴力団体は国民を支配できない。
法律のある社会では、暴力団体が武器で国民を脅すことがまちがったことになるからである。やってはいけないことになるからである。
だから、今では暴力団体と国民は平等である。むしろ国民のほうが暴力団体よりも上である。だから、もはや国民は暴力団体の命令を聞かなくていいのである。
『法律は武器よりも強い』とは、歯が浮きそうなセリフだが、意外と本当かもしれない。
文明が進めば、誰もが科学を信じる。暴力団体も科学を信じる。『人間がみな平等である』ことは科学的真理である。法律は科学的真理である。だから、今では法律を犯している暴力団体も自分がまちがっていることを認めている。自分がやってはいけないことをやっているのを認めている。そこが暴力団体の弱点なのだ。暴力団体の命令を聞く国民も不愉快[ふゆかい]だが、国民に命令を出す暴力団体も不愉快なのだ。だから、国民が暴力団体に反対すれば、すぐに暴力団体は国民に命令するのをやめるのだ。例えば、国民が政府に税金を払わなければ、政府は国民から税金を取るのをあきらめるのだ。国民が自分から政府に税金を払っているから、政府は国民から税金をもらっているだけなのだ。つまり、今では国民が政府に税金を払わなくてもいいのに、国民はわざわざ自分で余計なことをしているのだ。バカな国民は“暴力が使えない暴力団体”を怖[こわ]がって税金を払い続けているのだ。
要するに、昔の世界は野蛮だったからみんなが何をやってもよかったから暴力団体が暴力を使って国民を支配できた。今の世界は文明的だからみんなが法律を守らなければならないので暴力団体が暴力を使えず国民を支配できないのだ。文明国には法律があるものと決まっているから、文明国では法律を犯す暴力団はなくならねばならないのだ。

[13361] 今の政府は滅ぶ途中である。 h23.10.6
今の政府は自分がやってはいけないことをやっていると知っている。
政府はこれまで自分がいけないことをやってきたから今でもいけないことをやっているだけである。
喩[たと]えれば、列車がブレーキをかけてもその後しばらく動き続けるようなものだ。つまり、法律が出来てもその後しばらくは政府は法律を破って動き続けるのだ。この世には『慣性の法則』があるから、政府もしばらくは動き続けるのだ。
しかし、ブレーキをかけた列車が止[と]まるように、そのうち政府も動きを止める。つまり、政府はいずれ滅ぶのだ。

[13362] 政府は自分が正しいことを証明しなければならない。 h23.10.6
政府が国民を殺したり国民の物を奪いたければ、政府がそうしてもいいことを証明しなければならない。政府は自分で普遍的[ふへんてきな]な原理を立てて、その原理に基づいて自分が国民を殺したり国民の物を奪ったりしてもいいことを論理的に証明しなければならない。ヒトラーが『わが闘争』を書いたみたいにしなければならない。
政府が「自分がやってはいけないことを知っているが、ただ自分がやりたいからやっている」というようなしょうもない理由で、国民を殺したり国民の物を奪ったりしてはならない。
今は科学の時代である。知覚の時代である。だから、政府も自分がやっていることが正しいことを証明してから自分がやりたいことをやらねばならない。
実際には、今の政府には自分が国民を殺したり国民の物を奪っていいことを証明できるほどの頭はない。それなら、政府は自分が国民を殺したり国民の物を奪ったりすることをやめねばならない。今では『人間はみんな平等である』ことが正しいと信じられているから、政府は国民と同じように『人間はみんな平等である』決まりを守らなければならない。
 
[13363] 今は頭の時代である。 h23.10.6
昔は正しいとは力が強いことだった。だから、政府や幕府のような暴力が強いだけの暴力団が正しかったのである。だから、国民は政府や幕府に従わなければならなかったのである。
しかし、今では正しいとは頭が強いことである。だから、政府のような馬鹿な暴力団は正しくないのである。だから、国民は政府に従わなくなったのである。
昔は力の時代だったが、今は頭の時代である。昔は力の強い暴力団がチヤホヤされたが、今は頭の強い者がチヤホヤされるのだ。
人間は力の強い者に従うのではなく、正しい者に従うのである。人間が力の強い者に従うのなら、ライオンやゴリラに従うはずである。昔は力の強いことと正しいことが同じだったから、力の強い者が正しい者でそのままいけたが、今は力が強いことと正しいことが別なので、力の強い者が正しい者にはならないのだ。人間はいくら力が強くてもまちがっている者には従わない。だから、政府のようなまちがっている団体には国民は従わない。


[13364] 政府は半死[はんじ]にだ。 h23.10.6
昔の政府や幕府は自分が正しいと思って国民を殺したり国民の物を奪ったりしていた。だから、かなり激しく国民虐[いじ]めをやっていた。
しかし、今の政府は自分がまちがっていると思って国民を殺したり国民の物を奪ったりしている。だから、かなり控[ひか]えめに国民虐[いじ]めをやっている。
人間はまちがっていることをやってはならない。正しいことだけやらねばならない。人間は矛盾[むじゅん]してはいけない。だから、今の政府は素直[すなお]に国民を殺したり国民の物を奪うのをやめればいい。
人間は暴力団をやるくらいなら死んだほうがいい。だから、政府は死んだほうがいいのである。
今の政府は自分がまちがっていると思っているから、国民が政府に従わなくても文句を言わない。むしろ政府は国民が自分を正[ただ]してくれたと思って国民にお礼を言うだろう。だから、国民は政府に従わなければいい。

[13365] 政府は暴力団である。 h23.10.6
政府は日本全土を支配している国家暴力団である。一方、普通の暴力団は日本の一部を支配している地方暴力団である。
昔は政府も国民もいっしょに政府が正しいと考えていた。だから、政府は堂々と国民の眼の前で国民を殺したり国民の物を奪ったりできた。国民は誰も政府に文句を言わなかった。
しかし、今は政府も国民もいっしょに政府がまちがっていると考えている。だから、政府は国民の眼の届かないところでコソコソと国民を殺したり国民の物を奪ったりすることしかできない。国民は毎日政府に文句を言っている。今でも政府を正しいと考えている国民もいるが、それは国民の一部のアホだけである。
今の政府は国民みんなにまちがっていると思われている。だから、政府はもはやおしまいである。今の政府は腹いせに細々と国民に抵抗しているだけである。もうすぐ政府は滅ぶだろう。

[13366] 科学の時代にはまちがったことをやってはいけない。 h23.10.6
政府は国家宗教で国民を殺したり、民主主義で国民から税金を取ったりしている。
しかし、いくら国家宗教だからといって国民を殺してはいけない。国民を殺すことは、法律すなわち『人間の平等性』に反するからである。
いくら民主主義だからといって国民から税金を取ってはいけない。国民から税金を取ることは、法律すなわち『人間の平等性』に反するからである。
法律のある時代には、人間はみんな法律に従わねばならないので、政府は法律に反してはならない。いくら理由があっても、とにかく法律に反してはならない。
今は科学の時代である。知覚の時代である。だから、まちがったことをしてはいけない。正しいことをしなければならない。政府が国民を殺したり国民の物を奪ったりしたければ、政府は国民を殺したり国民の物を奪ったりすることが正しいことを証明してからしなければならない。政府にそれができなければ、政府は国民を殺したり国民の物を奪ったりするのをやめねばならない。
科学の時代にはまちがったことをやってはいけない。正しいことをやらねばならない。正しいかまちがっているかは法律が決める。だから、人間はみんな法律を守らなければならない。政府も国民も法律を守らなければならない。「やりたいことをやればいい」のは昔の考え方である。昔は法律がなかったから、人間はやりたい放題だったのである。今は法律があるから『正しいことをやらねばならない』のである。

[13367] 国民は政府に従えない。 h23.10.6
政府は昔の時代の団体である。政府は昔の時代の考え方で動いている。政府は昔偉かったから、今でも自分が偉いと思っている。昔は法律がなかったから、今でも政府は何をやってもいいと思っている。
要するに、今の時代に昔の団体が残っているだけのことである。今の時代では政府は偉くないから、昔の自分が偉かった頃[ころ]に現実逃避しているのである。政府は気が狂って自分ひとりで時代劇をやっているのである。気ちがいが赤ん坊の真似[まね]をするのと同じである。
今の国民はもはや政府に従えない。
政府は国の中枢としての資格がない。

[13368] 国民は政府に従えない。 h23.10.6
暴力団体は悪いが、暴力団体に従う国民もまた悪い。暴力団体はまちがっているが、まちがっている者に従う者もまたまちがっていることになるからである。
今の国民は自分がまちがったことをするのが嫌である。
だから、国民は暴力団体には従わない。
政府は暴力団体である。
だから、国民は政府に従わない。
政府が正しくならないかぎり、国民は政府に従えない。

[13369] 今は法律が支配する世の中である。 h23.10.6
昔は科学や法律がなくて正しいこととまちがっていることの区別がなかった。だから、人間が何をやってもよかった。だから、暴力団体は自由に国民に暴力がふれた。国民は暴力団体に殺されないために暴力団体に従うしかなかった。そのため、昔は暴力団体が国民を支配していた。
しかし、今は科学や法律があって正しいこととまちがっていることの区別がある。だから、人間は正しいことをやらねばならなくなった。だから、暴力団体が国民に暴力がふれなくなった。国民は暴力団体に従わなくなった。[暴力団体はまちがっているから、国民が暴力団体に従うと、国民もまちがったことになるからである。]そのため、暴力団体が国民を支配できなくなった。
つまり、昔は暴力が支配する世の中だったが、今は法律が支配する世の中になった。
今の世界では法律を守る者が正しく、法律を犯す者がまちがっている。
今の世界では、人間はまちがったことをやってはならないし、まちがった者に従ってはならない。
政府はまちがった者である。政府は国民を殺したり国民の物を奪ったりして(税金のこと)法律を犯しているからまちがった者である。
だから、国民は政府に従わない。
それが今の世界の決まりだから、国民はそうするしかない。
政府にとってそれが嫌なら、政府は正しいこととまちがったことの区別のない世界を作らねばならない。科学や法律のない世界を作らねばならない。しかし、それではローマ帝国の二の舞である。国といっしょに政府自身も滅ぶだけである。
人類の文明が進めば、科学や法律が出来る。人間みんなが法律を守らなければならなくなる。暴力団体が滅んでいく。それが人類の歴史だから、暴力団体(政府や宗教団体や暴力団など)も諦[あきら]めておとなしく滅ぶしかない。法律のある世界では、いくら暴力団体ががんばって生き残っても、暴力団体は国民に軽蔑[けいべつ]されて面白くない思いをしなければならないだけである。だから、暴力団体がわざわざ意地を張って生き残らなくても、自分で滅ぶ道を選べばいいのである。暴力団体にとっては“死ぬのも一手”というわけである。

[13370] 国民が暴力団体を罰すればいい。 h23.10.6
今の世の中では暴力団体がまちがっている。暴力団体は法律に反することをしているからまちがっているのである。
まちがっている者は罰せられる。
しかし、今のところ暴力団体を懲[こ]らしめる警察機関はない。政府の警察は政府と組んでいるから政府を罰してはくれない。
だから、国民が暴力団体を罰すればいいのである。
国民が何らかの方法で暴力団体を不快な目にあわしてやればいいのである。場合によっては殺してもいい。どんな方法で暴力団体を懲らしめるかは国民個人が考えればいい。例えば、国民が政治家の前で仁王立ちになって手をこまぬいてふんぞり返って政治家を見下[みくだ]すポーズをとってやればいい。

[13371] 首相暗殺事件 h23.10.6
戦前の日本では首相暗殺事件がたびたび起きた。
首相暗殺事件は国民がやったのではなく、政府がやったのである。政府が信者を使って国会の首相を殺したのである。
法律は暴力団である政府の敵なので、政府が正義の首相を殺したのだ。正しい法律を作った首相を殺したのだ。
しかし、今は法律がある社会である。今では政府が法律の敵である。今度は政府が殺される番だ。

[13372] アメリカについて h23.10.6
アメリカが豊かな国なのは、アメリカが才能を大事にする国だからである。
例えば、私がPCゲームの『バトルフィールド』をやっていても、私が勝っているときには私が敵にやられるとアメリカ人の衛生兵がすぐに来てくれて私を助けてくれるが、私が負けているときには無視して誰も来てくれない。味方なのに戦車でひき殺しに来ることもある。それは、アメリカ人が小さい頃から強い者を大事にするように躾[しつ]けられているからである。[そのかわり、弱い者はボロクソにされるが。]アメリカ人は実力主義なのである。
アメリカは才能を大事にする国だから、先進国になって儲[もう]かっているのである。
けっしてアメリカが法律を犯す悪い国だから儲かっているのではない。その証拠が日本である。日本は法律を犯す悪い国だが、今の日本は不景気である。だから、日本は暴力団体を大事にしてはいけない。政府や宗教団体や暴力団などの暴力団体を社会から追放すべきである。

[13373] 知覚の時代 h23.10.6
武器は眼で見えるが、法律は眼で見えない。
法律は知覚で見える。法律は昔からあったのに、人類が知覚を使って見なかったからわからなかったのである。
昔は人類が馬鹿だったから眼で見える物しかわからなかった。それで、武器を使う暴力団が国民を支配していたのである。
今は人類が利口になったから眼で見えない法律がわかる。それで、法律に反している暴力団が国民を支配できなくなったのである。
人類が五感界から知覚界に上陸して進化したために、古臭い暴力団が消滅したのだ。
今どき暴力で国民を支配しようとする者は、国民から馬鹿と思われて軽蔑されて罰せられるだけだ。だから、やめたほうがいい。

[13374] 昔と今の違い☆ h23.10.6
昔は暴力団体が暴力で国民を支配すると、国民は暴力団体を力の強い正しい者だと見なして尊敬して喜んで従った。[例えば、戦前の日本では暴力団は任侠[にんきょう]といって正義の味方だと考えられていた。]
しかし、今は暴力団体が暴力で国民を支配すると、国民は暴力団体を法律を犯しているまちがった者だと見なして軽蔑して罰する。たとえ暴力団体が一時的には国民を支配できても、あとで国民に復讐される。
つまり、昔は法律がなかったから国民は暴力団体を正義の味方だと考えて暴力団体に従った。今は法律があるから国民は暴力団体を悪者だと考えて暴力団体に従わない。
昔と今では国民の暴力団体を見る目が180度違うのだ。暴力団体はその辺[へん]をよくわかっていないといけない。

[13375] 文明国では国民が政府よりも上である。 h23.10.7
政府は暴力団体である。[学校では、政府が民主主義の政治機関だと習っているが、本当は暴力団体である。]
だから、法律のある社会では、国民は政府に税金を払う必要はない。政府の命令を聞く必要はない。
役所の役人は人間のクズである。人間のクズがまともな人間のふりをしているだけである。
国民は政府を軽蔑して政府を罰する。それが文明国というものである。

[13376] 文明国では暴力団体が滅ぶ。 h23.10.7
文明国には科学がある。法律がある。
法律があれば、暴力団体が滅ぶ。暴力団体は法律に反しているから暴力団体は悪者であり、国民が暴力団体を軽蔑して暴力団体を虐[いじ]めるからである。
だから、文明国では暴力団体が滅ぶのである。政府や宗教団体や暴力団などが滅ぶのである。
そうなってようやくまともな人類の歴史が始まるのだ。これまでは人類の歴史が狂っていたのである。

[13377] 納税の義務 h23.10.7
税金は「不平等の原理」である。
だから、憲法に税金(第30条)を置いておくと、政府と国民がどんどん不平等になる。税金だけでなく、何から何までが不平等になる。
今は『平等の原理』が正しいと考えられている。
だから、憲法から税金を除[の]けねばならない。

[13378] 政府は詐欺団体ではない。 h23.10.7
政府は暴力団体であって、詐欺団体ではない。
そもそも政府と国民の頭の出来が変わらないから、政府が国民を騙[だま]すことはできない。だから、政府は詐欺団体ではない。政府は国民を嘘[うそ]で騙して従わせていたのではなく、暴力で脅[おど]して従わせていたのである。
政府は暴力団体である。
だから、法律のない社会では、政府が国民を支配できたのである。暴力をふる政府が暴力をふらない国民を暴力で脅[おど]して命令を出すことができたのである。
政府は暴力に物を言わして嘘をついていたのである。つまり、暴力団体がついでに詐欺[さぎ]をやっていたのである。

[13379] 今では暴力団体は無力だ。 h23.10.7
要するに、昔は法律がなかったから暴力をふってもよかった。それで、暴力団体が国民を支配できた。今は法律があるから、暴力をふってはいけない。それで、暴力団体が国民を支配できなくなった。
政府や宗教団体は暴力団は暴力団体である。
だから、今はそれらが滅んでいるのだ。

[13380] 法律が出来ると世の中が変わる。 h23.10.8
人間は正しい者に従い、まちがった者には従わない。
法律がない社会では、暴力団体は正しいから、国民は暴力団体に従わねばならない。
法律がある社会では、暴力団体はまちがっているから、国民は暴力団体に従わなくていい。
今は法律がある社会である。
だから、国民は暴力団体に従わなくていい。政府や宗教団体や暴力団などに従わなくていい。
つまり、昔は国民が暴力団体に従わねばならない義務があったが、今は国民が暴力団体に従わない自由があるのだ。

[13381] どうして昔の政府は国民全員を支配することができたか? h23.10.8
政府は暴力団体である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民を支配した。
ところが、政府は国民に比べて人数が少ないから、政府が実際に国民全員に暴力をふって脅せるわけではない。政府は国民の一部の者に暴力をふって脅せるだけである。だから、政府は国民を暴力で脅して国民を支配したのではない。
昔の政府はどこかの武力集団と戦って勝ったので、その話を聞いた国民みんなが政府を力の強い正しい者だと考えて、国民みんなが政府に従ったのである。つまり、昔の政府が国民を支配できたのは、昔の政府が戦[いくさ]に勝ったからである。[徳川家康が戦国武将と戦って勝ったので、国民みんなが徳川家康が強い正しい者だと思って国民みんなが徳川家康に従ったのと同じことである。徳川家康がポルトガルから伝わった鉄砲で勝ったように、政府はローマから伝わった武器(金属の刀?)で勝ったのである。(八百長[やおちょう]の可能性もあるが。)政府が植民地政策をやったのは、国民に政府が強く正しい者だと思わせて国民を政府に従わせるためだったのである。昔は「暴力の強い者が正しい者だった」ので、とにかく戦いに勝てば国民の信用を得て国民を支配することができたのだ。今でも暴力団が闘争をするのは、暴力団が「暴力の強い者が正しい者だから、闘争に勝てばより多くの国民を従わせることができる」と考えているからである。]
つまり、昔の政府は国民に正しいと思われていたから、国民が政府に従っていたにすぎないのだ。昔の政府は国民を暴力で脅して国民を無理やり政府に従わせていたのではなく、国民が力の強い政府を正しい者だと思っていたから政府に従っていたのだ。昔は「暴力の強いことが正しいことだ」と考えられていたので、政府が暴力が強かったから政府が正しい者だと考えられていたので、国民が政府に従っていたのである。つまり、昔の国民が政府に従ったのは、政府が国民を暴力でジメジメ脅したからではなく、政府が戦[いくさ]に勝って強かったので国民が政府がかっこよくて正しいと思ったからである。同じように、戦前の国民が政府に従っていたのは、国民が政府を暴力の強い団体だと思っていたからである。[しかし、日本は戦争に負けたから、戦後の国民は政府を暴力の強い正しい団体だと思わなくなって政府に従わなくなったのだ。どんな理由があろうがとにかく負けは負けなので、国民は政府に従わないのだ。たとえ戦争が芝居であったとしても負けは負けなので、国民は政府に従わないのだ。]
昔は法律がなかったから、国民は暴力の強い者を正しい者だと考えて従った。だから、昔の国民は暴力団体の政府に従った。しかし、今では法律があるから、国民は法律を犯している政府を正しい者とは思わない。だから、今の国民は政府に従わない。法律がある時代には、暴力集団はただの“まちがった者”にすぎず、国民を支配できないのだ。せいぜい剣道に強いというだけで、それ以上の者ではない。国民が命令に従うほどの者ではない。国民が税金を払うほどの者ではない。今ではいくらケンカに強くてもケンカが強いというだけで正しいことにはならないので、国民はケンカの強い者には従わないのだ。
今の政府は2000年前の政府が戦[いくさ]に勝ったことで威張[いば]っているだけだ。しかし、この前の太平洋戦争で負けたから、今の政府は強くない。だから、政府は威張ってはならない。今の政府は国民よりも上ではない。だから、政府は国民に命令してはいけない。

[13382] 政府無用 h23.10.8
昔は「力の強い者」に国民が従った。だから、武力集団の政府や幕府が国民を支配することができた。政府や幕府は国民に何でも命令することができた。
しかし、今は『法律』に国民が従う。だから、政府や幕府は要らない。国民は政府や幕府に従わない。政府や幕府は法律に反しているから、国民が罰しなければならない。
法律とは“国民が従うべき法則”のことである。法律を作る者は法律ではない。だから、国民は法律を作る者に従わなくていい。法律学者は学者としての給料をもらって法律の研究をすればいい。

[13383] 昔は変な決まりがあった。 h23.10.8
昔は「国民が戦[いくさ]で勝った者に従う」という決まりがあった。それで、戦に勝った政府や幕府が天下を取った。政府や幕府が国民を支配した。政府や幕府は国民に好き放題に命令した。[政府や幕府が武力で国民を支配したのではない。国民が総出で政府や幕府と戦ったら、政府や幕府はひとたまりもない。だから、国民は「国民が戦[いくさ]で勝った者に従う」という決まりに従って、政府や幕府に従ったのである。]
しかし、その後法律が出来て『人間はみんな平等である』ことになり、「国民が戦で勝った者に従う」ことがまちがいであることになった。“戦で勝つ才能”は人間の才能のひとつにすぎず、それだけで人間の価値が決まるのではない。だから、今では国民は政府に従わない。政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。
つまり、昔の人が自分勝手に「国民が戦で勝った者に従う」というまちがった決まりを決めてやっていただけのことである。それで世の中がおかしくなっていたのだ。雰囲気[ふんいき]だけでいいかげんな決まりを決めるとろくなことがないということである。

[13384] 先天的才能と後天的才能 h23.10.8
生物には先天的才能と後天的才能がある。
特に人間の場合は後天的才能が大きい。訓練によって才能が鍛[きた]えられて強くなる。
だから、血筋は大事ではない。
例えば、戦[いくさ]に勝ったときの初代の政府は戦の才能があったが、その才能が血筋で子孫に伝えられるわけではない。子孫には戦の才能はない。だから、国民は二代目以降の政府に従わなくてもかまわない。

[13385] 植民地時代 h23.10.8
昔は「国民が戦[いくさ]で勝った者に従う」決まりがあったように、「戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にできる」決まりがあった。実際には、戦争に負けた国では戦争に負けた国の国民のほうが戦争に勝った国の占領軍よりも圧倒的に数が多いのだから、戦争に負けた国の国民が総出[そうで]で戦争に勝った国の占領軍と戦えば占領軍を負かすことができるのだが、「戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にできる」決まりがあったから、戦争に負けた国の国民はおとなしく戦争に勝った国の占領軍に従ったのである。
だから、日本国民は第2次世界大戦のとき、一生懸命に戦ったのである。[しかし、結果的には日本の負けだった。そのため、日本はアメリカやヨーロッパなどの連合国にたくさんお金を取られたのである。戦後の日本は貧乏になったのである。日本は戦争をやらないほうがよかったのだ。]
今のヨーロッパが豊かなのは、近代のヨーロッパが先進国だったので新しい武器を発明して戦争が強くて多くの国と戦って多くの国を占領して多くの国の財産を奪ったからである。
しかし、今は世界の決まりが変わって『人間がみんな平等である』ことになった。この決まりのほうがこれまでの決まりよりも合理的で正しいと思えるので、今ではこの決まりが世界中の人類に受け入れられているのである。これまでの「戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にできる」決まりはなくなった。だから、今ではもう、いくら戦争に勝ったからといって、戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にできなくなった。だから、今では戦争はやっても無駄[むだ]である。だから、世界中の国で戦争をやらなくなったのである。

[13386] 昔の世界は暴力主義だった。 h23.10.9
昔は「国内での戦争に勝った団体が国民を好き勝手にできる」決まりや「戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にできる」決まりがあった。いわゆる、暴力主義である。
暴力主義では、国中や世界中で年がら年中戦争ばかりやっていることになる。暴力団体が戦争に勝てば、暴力団体が国や世界を自分の思い通りにできるからである。
しかし、暴力団体が自分の利益のために毎日戦争をしたら、国民にとってはたまったもんじゃない。「戦争に勝った国が負けた国を好き勝手にできる」と言っても、実際には暴力団体の政府が国民を道具にして国民に戦争をやらせて政府が儲[もう]かるだけである。政府が利益を独り占めして、国民は戦争をやっても1円ももらえない。たとえ戦争をしなくても、暴力団体は国民の財産を奪ったり国民をいたずらで殺したりするだけだ。
そこで、国民は怒ってこれまでの暴力主義の決まりをやめることにした。「国民が国内での戦争に勝った団体に従わねばならない」決まりや「戦争に負けた国が戦争に勝った国に従わねばならない」決まりを守るのをやめた。その代わりに『人間はみな平等である』ことを新しい決まりにした。
これまで暴力団体が栄えてきたのは、国民が暴力主義の決まりを正しいものと考えて守ってきたからである。その結果、国民は暴力団体によってさんざん不利にされてきた。そもそも、暴力主義の決まりは直感的に正しいと思えるだけで、正しい根拠は何もない。国内での戦争に勝った団体は強そうに見えるが、国民総出[そうで]でかかればひとたまりもない。戦争に勝った国は強そうに見えるが、戦争に負けた国の国民が総出で戦争に勝った国の占領軍にかかればひとたまりもない。そこで、国民は思い切ってこれらの決まりを捨てて、『人間はみな平等である』という新しい決まりを決めたのである。『人間がみな平等である』ならば、国民が暴力団体に従う必要がないし、戦争に負けた国が勝った国に従う必要もない。だから、今では、国民が暴力団体に従わなくなって、暴力団体が衰[おとろ]えているのだ。世界中で戦争がなくなっているのだ。暴力の時代は終わったのだ。

[13387] どうして暴力団体が国民に大事にされなくなったのか? h23.10.9
現代では、武器が発達して訓練を受けていない軍事の才能のない素人[しろうと]でも大量に人を殺すことができる。誰でも原爆ミサイルの発射ボタンを押しさえすれば、百万人の人間を殺すことができる。最近では武器のオートメーション化が進んで、人間が殺人ボタンを押しさえすればあとはコンピューターが自動で敵を見つけて殺してくれる。
だから、暴力団体(政府など)と国民の差がない。
誰でも暴力団体になれる。
だから、国民が暴力団体を尊[とうと]ばなくなったのである。
武器が発達したために暴力団体と国民の差がなくなったから、国民は『人間はみんな平等である』と考えるようになったのである。
昔の国民が暴力団体に従ったのは、昔の人が「暴力団体が国民よりも上だ」と考えたからである。しかし、今では武器が発達して『暴力団体と国民の差がなくなっている』から、国民が暴力団体に従わなくなっているのだ。
そもそも暴力団体と国民の差なんかない。国民も本気[ほんき]になったら暴力団体と変わらない。だから、『人間はみな平等である』と考えればいいのである。

[13388] 昔の人の誤[あやま]り☆ h23.10.9
昔、ある暴力団体(政府のこと)がその他の暴力団体を倒して日本一になった。
そのとき、昔の人はその暴力団体を「国民よりも上の者」に置いてしまった。[優勝カップと賞金をやるぐらいですませばよかったのだ。]
そのために、それ以後国民はその暴力団体に支配されることになった。一生の間嫌がらされることになった。
昔の人が慎重[しんちょう]に考えて暴力団体を『国民と平等』に置いておけば、国民は幸福に暮らせたのだが。
昔の人がいいかげんな決まりを作ったおかげで、その後国民はずっと暴力団体に悩まされることになったのだ。
人間は暴力がすべてではない。暴力が強いだけのバカに付け上がらせることはない。昔の人は暴力団体に対する評価をまちがった。だから、今の国民が直せばいい。今の国民が暴力団体を『国民よりも下』に置けばいいのだ。

[13389] 暴力団体に対する正しい評価☆ h23.10.9
暴力で見れば、暴力団体が国民よりも上である。[実際には、大[たい]して変わらないかもしれないが。]
しかし、法律で見れば、暴力団体が国民よりも下である。
法律が出来てから、国民の暴力団体に対する見方が変わった。国民の政府や宗教団体や暴力団に対する見方が変わった。
つまり、昔の人の暴力団体に対するまちがった評価が法律によって修正されているのだ。法律によって暴力団体の本当の姿が見えてきたのだ。例えば、政府は国民の前で威張[いば]っているが、本当は人間のクズだ。つまり、昔の人は人間のクズを偉い人だと思っていたのだ。

[13390] 悪いのは国民の祖先である。☆ h23.10.9
国民の祖先が政府を上の者に置いた。
だから、政府は国民をいたずらで殺したり国民の物を奪ったり国民に嫌な命令をするようになった。
国民の祖先が大げさに政府を偉くして政府を国民よりも上の者にしたから、あとで国民が政府に嫌な目にあわされることになったのである。
政府が悪者になったのは、国民の祖先が政府を上の者に置いたせいである。親が子供を過保護に育てると、子供が不良になるのと同じことである。
国民の祖先は“闘争で日本一になった暴力団体”がどういうものかわからなかったのである。そのため、暴力団体をあまりにも高く置きすぎたのである。
国民が政府を上に置こうが下に置こうが国民の勝手である。だから、今の国民は政府を国民よりも下に置けばいい。国民は政府の命令を聞かなければいい。

[13391] 今の国民は暴力団体に従わない。 h23.10.9
昔は暴力団体を国民よりも上に置く決まりがあった。そのために、暴力団体が国民を支配していた。国民は暴力団体の命令に何でも従わねばならなかった。特に、政府や幕府は日本で一番強い暴力団体だったので、日本国民全員を支配していた。
しかし、そもそも暴力団体を国民よりも上に置く合理的な理由はない。つまり、国民が暴力団体に従わねばならない科学的な根拠がない。たとえ国民が暴力団体に暴力をふられても、国民が暴力団体の命令に従わなければならないことにはならない。国民は痛い思いをするだけである。だから、いくら暴力団体が国民に暴力をふっても無駄[むだ]である。最近の国民は合理的になったので、最近の国民にとっては自分が暴力団体に暴力をふられて痛い思いをすることと、暴力団体の命令を聞くことが別事になっているのである。最近の国民は知的になって感情で動いたりはしないので、いくら自分が暴力団体に暴力をふられて痛い思いをしても、暴力団体の命令を聞いたりしないのである。自分が暴力団体に暴力をふられて痛い思いをすることは自分が暴力団体に従うことの理由にはならないので、国民は暴力団体に従わないのである。
だから、今では暴力団体を国民よりも上に置く決まりがない。つまり、国民が暴力団体に従う決まりがない。だから、今では国民は誰も暴力団体の命令を聞かない。政府や宗教団体や暴力団の命令を聞かない。

[13392] 今は合理主義の時代である。 h23.10.9
今は科学の時代である。知覚の時代である。
だから、国民は感情だけで動いたりはしない。
だから、いくら暴力団体が国民を暴力で痛めつけても、残念ながら「痛み」は暴力団体に従う理由にはならないので、国民は暴力団に従わないのである。国民は暴力団体に暴力をふられて痛い思いはするが、だからといって暴力団体の命令に従ったりはしないのである。
国民にとっては、自分が暴力団体に従うためには、「痛み」よりも『合理的な理由』のほうが大事なのである。『合理的な理由』(例えば、お金)がないかぎり、国民は暴力団体に従わない。
昔は感情主義の時代だったので、国民は感情だけで動いていた。感情主義の時代には「痛み」が物を言ったので、暴力団体が国民を痛めつけると国民は暴力団体の命令を聞いた。しかし、今は知覚主義の時代だから、国民は感情だけで動いていない。知覚主義の時代には「痛み」は合理的な理由にはならないので、いくら暴力団体が国民を痛めつけても国民は暴力団体に従わないのである。つまり、感情主義の時代には暴力が効いたので国民は暴力団体に従ったが、知覚主義の時代には暴力は効かないので国民は暴力団体に従わないのである。合理主義(知覚主義)の時代には、気持ちがよければ何をやってもいいわけではないように、痛ければ命令を聞くわけではないのである。
知覚主義の時代には『人間は平等』なので、国民が暴力団体に暴力をふられたら、お返しに国民が暴力団体に暴力をふってやればいいのである。


[13393] 政府とは何か? h23.10.10
政府は暴力団体である。
政府は暴力で国民を脅[おど]して、国民から財産を奪ったり国民に嫌な命令を出したりしている。国民を国家宗教のいたずらで殺したりもしている。
しかし、今は合理主義の時代である。だから、暴力は効かない。したがって、国民は政府に従わなくてもかまわない。[[13392]の図を参照。]
合理主義の時代には法律がある。政府は法律に反している。だから、国民は政府を倒さなければならない。

[13394] 私は考える。ゆえに、私は仕事をしない。 h23.10.10
仕事をしている者は、自分で考えるのをサボっているだけである。
そこら辺[へん]の人間は、自分で考えるのが嫌だから、仕事をしているのである。
私は自分で考える。だから、私は仕事をしていないのである。

[13395] 政府は国民よりも強くない。☆☆ h23.10.10
政府(ここでは幕府も含む)は暴力団同士の闘争で日本一になって国民全員を支配した。
国民の祖先は“闘争で日本一になった暴力団体”が国民に比べて無限に強いと考えたから、暴力団体に絶対服従したのである。
しかし、実際には、国民が総出[そうで]でかかれば政府はひとたまりもない。今の国民は豊かなので武器を買うぐらいのお金は持っているので、その気になれば外国の軍事会社から武器を買って政府と戦争することができる。政府に比べて国民のほうが圧倒的にお金を多く持っていて人数が多いから、国民が政府と戦えば政府はあっという間に皆殺しにされる。だから、本当は国民が政府に絶対服従しなくてもいいのである。思い切って、政府のほうが下だと考えてもいいのである。
科学ができて、国民が具体的に物事を考えるようになったので、政府の戦力と国民の戦力を比べるようになったので、国民は政府が大したことがないと思って政府に服従しなくなったのである。
つまり、昔の国民は抽象的に概念的に考えて政府が国民に比べて無限に強いと考えたから政府に絶対服従した。今の国民は具体的に実証的に考えて政府が国民に比べて大して強くないと考えたから政府に従わなくなったのである。


[13396] 国民は政府よりも強い。☆☆ h23.10.10
実力では国民が政府よりも強い。
だから、政府は芝居[しばい]をやって国民に政府が国民よりも強いと思わせて、国民を政府に従わせているのである。そもそも政府は詐欺[さぎ]会社なのである。

例えば、政府が他[ほか]の暴力団体と闘争して日本一になったのは、政府が国民よりも強いと国民に思わせるためである。昔の国民はまんまと政府の芝居に騙[だま]されて政府に従ったのである。
しかし、本当は、政府は国民よりも弱い。国民が実力行使に訴えれば、政府はイチコロだ。[アメリカの手品師ハリー・フーディニーがいくら手品で自分を不死身の超人だと思わせていても、本当は弱い普通の人間だったので、不意を突かれてお腹を殴[なぐ]られてあっけなく死んだのと同じことである。]
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府に税金を払ったり、政府の嫌がらせの命令を聞かなくていい。
国民は従わなくてもいい者に従っている。だから、さっさと従うのをやめればいい。

[13397] 考える者は孤独である。 h23.10.10
考えるために必要なのは、暇と孤独である。
人間は孤独でなければ、自分で考える気になれない。
女は孤独になれないから、自分で考えないのである。だから、女はバカなのである。[でも、いくら女がバカだからといって女を軽蔑[けいべつ]したりはしない。女の才能は、考えることとは別のところにあるからだ。つまり、女は簡単なことが一生懸命やれるだけだ。]
自分で考える者は孤独だから、無口である。だから、正しい考えはなかなか広がらないのだ。

[13398] 暴力団体の闘争は昔の正しい者を決める方法だった。 h23.10.11
いくら昔の国民でも、国民が総出[そうで]で政府と戦ったら政府を倒せることぐらいはわかっていたかもしれない。だから、昔の国民が政府が国民に比べて無限に強いと考えたのではなかったのかもしれない。
それなのに、昔の国民が政府に従ったのは、昔は「力の強い者が正義だ」と考えられていたからだろう。政府は他の暴力団体と戦って日本一になったから、国民は「政府が日本で一番正しい者だ」と考えて政府に従ったのである。昔はまだ科学がなくて、誰も実在について正しいことがわからなかったから、人間の正しさを人間の力の強さで測るしかなかったのだ。だから、「力の強い者が正しい」と考えられたのだ。[しかしながら、国民が総出で政府を倒せるのなら、国民のほうが政府よりも正しいことになるが、昔の人はそこまで考えなかったのだろう。昔は「暴力団体の闘争が、日本で一番正しい者を決めるための方法だ」と考えられていたのだ。今の全国模試や共通一次試験のようなものだ。]昔の国民は力の強い政府が正しいと信じていたから、政府のどんな命令にでも従った。政府が税金を出せと言えば自分が飢え死にしても税金を出したし、政府が国家宗教で死ねと言えば死んだのだ。昔は政府の命令なら何でも正しい命令として通用したのである。
しかし、今は科学があるから、正しい人間とは実在についての正しい知識を持っている者のことである。今では正しい者は力の強い者ではない。だから、今では力の強い者は要らない。暴力が強いだけの者なんか闘争以外に使い道がない。だから、国民は暴力団体を捨てるようになったのだ。
つまり、昔は力の強い者が正しいと考えられたが、今では頭のいい者が正しいと考えられている。暴力団体は力が強いだけで頭がよくない。だから、国民は暴力団体に従わなくなったのだ。
科学がもっと早く出来ていれば、暴力団体が支配する世の中なんか出来なかったのだ。
今では頭のいい者が正しいと考えられている。しかし、政府が国民に比べて頭がいいわけではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。

[13399] 正しい者の定義 h23.10.11
昔は力の強い者が正しい者だったが、今では頭のいい者が正しい者になっている。
人間は正しい者に従い、まちがった者には従わない。
だから、昔の国民は暴力団体に従ったが、今の国民は頭のいい者(学術団体)に従うのだ。
昔と今とでは正しい者の定義が変わったから、国民が従う者が変わったのだ。
今では暴力団体に国民が従わない。暴力団体が国民にお金を出せと言っても国民はお金を出さない。暴力ではお金の稼[かせ]ぎようがない。だから、暴力団体は滅びているのだ。

[12400] どうして暴力団は儲[もう]かるのか? h23.10.11
暴力団は国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取っているのではない。そんな卑劣[ひれつ]なことをする暴力団は実際にはいない。そんな暴力団はテレビドラマやマンガの作り事であって、実在しない。
暴力団が儲[もう]かるのは、今でも「力の強い者が正しい者だ」と信じている頭の古い国民がいるからである。
そんな国民は暴力団の命令を喜んで聞くから、暴力団はそういう国民にお金を出せと言ってお金をもらっているのである。いわば、暴力団は“古臭い迷信”を信じている者からお金をもらっているのである。
宗教団体も同じようなものだ。
今でも「宗教団体を正しい」と信じている古臭い国民がいるから、宗教団体はそんな国民からお金をもらって儲けているのだ。つまり、宗教団体は“迷信”を信じている国民からお金をもらって儲けているのだ。
暴力団体のお金の稼[かせ]ぎ方は、意外に穏[おだ]やかなものだ。暴力団体は、“迷信”を信じている(馬鹿な)国民を利用してお金を儲[もう]けているのだ。だから、暴力団体はけっして法律に反していないのである。
同じように、国民が政府に従っているのも、国民が「力の強い者が正しい」と信じているからである。国民は“古臭い迷信”を信じているから政府に従っているのである。[政府は古代の日本で暴力団体同士の闘争で日本一になったから、政府は力が強いのである。]しかし、実際には、迷信はまちがいである。だから、今後は国民は政府に従うべきではない。


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