[13201] 政府は命令を売る店である。 h23.8.27
政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を買おうが買うまいが国民の自由である。政府の命令を買うか買わないかは国民一人一人が決めればいいことである。
政府は「国民は政府の命令を買わねばならない」(日本国憲法第30条、納税の義務)と言うが、それは政府の嘘[うそ]である。政府は自分の命令を売り込むために、国民に嘘を言っているのである。今はまだ嘘をついてもいい時代だから、政府は嘘を言うのである。
だから、国民は政府の嘘に騙されず、自分で考えて政府の命令を買うか買わないか決めねばならない。
政府は自分の命令が不良品で売れないから、そんな嘘を言うのである。だから、国民は政府の命令を買わないほうがいい。不良品を売る店ほど宣伝がきついのだ。
[13202] 言葉よりも結果 h23.8.27
政府や宗教団体は命令を売る会社である。
命令を売る会社は国民を幸福にすると言って命令を売っている。
しかし、国民と命令を売る会社の頭の出来が違わなければ、わざわざ命令を買わなくていい。
命令を売る会社は国民よりも頭がいいふりをしているだけである。
命令を売る会社は口先で国民を幸福にしていると言うだけで、実際には国民を幸福にしていない。国民に幸福にする命令を売っていない。命令を売る会社の命令で幸福になった国民はこれまでに一人もいない。
言葉では嘘をつけても、物では嘘をつけない。
命令を売る会社は嘘つきだから、国民は命令を売る会社の命令を買わなくていい。
国民が命令を売る会社から命令を買うよりも、自分で考えたほうがもっと幸福になれる。
[13203] 政府は真面目[まじめ]に命令を作らねばならない。 h23.8.27
そもそも政府は命令を売る店にすぎないから、国民が政府の命令を買おうが買うまいが国民一人一人の自由である。国民が電化製品を買おうが買うまいが自由であるのと同じことである。宗教団体もそうやって頑張[がんば]ってインチキ臭い命令を売っている。政府だけが特別ということはない。
ところが、政府は“国民を幸福にすると見せかけて国民を不幸にする命令”を売っている。
それなら、国民は政府の命令を買わないだろう。
それが嫌[いや]なら、政府は真面目に国民を幸福にする命令を売ればいい。そうすれば、国民は喜んで政府の命令を買うだろう。
政府にそれができなければ、政府は倒産するしかない。
政府はもっと人間の勉強をして、国民を本当に幸福にする命令が作れるようにならねばならない。
[13204] 政府とは何か? h23.8.27
政府とは嘘つきの命令を売る会社である。
政府は嘘をつくのがうまかったので他の命令を売る会社よりも成長したのである。
政府は「国民みんなは政府の命令を買わねばならない」と言っている(日本国憲法第30条、納税の義務)。
しかし、そもそも命令を売る会社と国民は平等である。命令も商品だから、国民と命令を売る会社は平等である。だから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を買おうが買うまいが国民の勝手である。
だから、政府が「国民みんなは政府の命令を買わねばならない」と言っているのは嘘である。政府の作り事である。政府は自分が儲[もう]けるために嘘をついているのである。哲人主義の時代にも政府は国民みんなから税を取っていたのだから、政府は民主主義で「国民みんなは政府の命令を買わねばならない」ことを決めたのではない。だから、「国民みんなは政府の命令を買わねばならない」のは政府が自分で作った嘘にすぎない。それに、民主主義とは国民が自由にやれることである。それなのに政府が「国民が政府の命令を買わねばならない(つまり、政府に従わねばならない)」と言うのは国民に自由がない。矛盾する。だから、政府が「国民が政府の命令を買わねばならない」と言うのは嘘なのである。昔の国民は政府を誤解して上の者だと思っていたから、政府は国民の誤解に便乗[びんじょう]して勝手に自分に有利な取り決めをしたのである。本来国民にとって政府の命令を買うか買わないかは自由であるのに不自由だ(国民みんなが政府の命令を買わねばならない)としたのである。
したがって、国民は政府を真[ま]に受けなくていい。今では政府も国民も頭の出来は同じだから、そんなチャチな嘘で政府が国民を騙すことはできない。だから、政府は国民を騙すのを諦[あきら]めて、他[た]の宗教団体と同じように自分で考えることができない馬鹿な国民だけを相手にして命令を売るべきである。政府は自分で考えることができる国民にまでわざわざ命令を売る必要はない。今の政府は大きすぎる。命令を売る会社はもっと小さくしなければならない。
政府は自分が国家事業をするという理由で国民みんなからお金を取ることはできない。政府が国家事業をすることよりも政府と国民が平等であることのほうが優先する。政府と国民は平等だから、国民が政府にお金をやるかやらないかは国民一人一人の自由である。政府は国民からもらったお金の範囲内で事業をしなければならない。それを超えた事業をした場合には政府が責任を負[お]わねばならない。つまり、政府は政府にお金をくれる国民だけからお金をもらってそのお金でできる範囲内で事業をしなければならない。
[13205] 正しい認識に合わさねばならない。☆☆ h23.8.28
政府は自分の命令を国民のお金と交換しているのだから、政府と国民は平等である。
「政府が国民よりも上の者だ」というのは政府に対する合理性のない意味付けである。[[13161]参照。]そのために、国民の多くが政府の言うことを真[ま]に受けて政府の命令に従っている。政府は国民の多くが政府に従っているのをいいことにして国民の嫌がらせをやっている。「政府が国民よりも上の者である」ことが、世の中がまちがっていることの原因である。
いくら馬鹿な国民が多いからといって、馬鹿のまちがった認識に合わせていたら進歩がない。そんなことでは、いまだに物理学は天動説のままだ。正しい認識に合わせるから人類が進歩するのである。
だから、社会科学においても正しい認識に合わせればいいのである。つまり、『政府と国民は平等である』ことに基[もと]づいて、社会のあるべき姿を決めていけばいいのである。
いくら「国民みんなが政府に従う」ことを国民みんなで決めたとしてもまちがいであっては何にもならない。民主主義はあくまでも正しいことを決めるための方法であって、いくら民主主義だからといってまちがったことを決めてはいけない。「国民みんなが政府に従う」ことは、昔の国民が政府が命令を売る会社だったために政府を上の者だと勘違いしたことによって決めたことだからまちがいである。まちがいは直さねばならない。
『国民が自由に政府に従っていい』ことをわざわざ国会で決める必要はない。これまでは国民みんなが「国民みんなが政府に従わねばならない」と思っていたから国会で決めたことに国民みんなが従っていたのであって、そもそも「国民みんなが政府に従わねばならない」ことがまちがっていればいくら国会で決めても国民は誰も従わないからである。だから、国民は自分勝手に政府に従わなければいいのである。国会に従わなければいいのである。
[13206] 頭のいい人は国の財産である。 h23.8.28
日本は頭のいい人を大事にしない国である。
そのために、頭のいい人は外国に行ってしまう。
頭のいい人がヨーロッパに行ったらヨーロッパのものになってしまう。頭のいい人がアメリカに行ったらアメリカのものになってしまう。頭のいい人が日本のものでなくなってしまう。
日本はせっかくの宝物をみすみす外国に取られている。
だから、日本は頭のいい人を大事にしないといけない。
馬鹿で固めた国なんかに幸福はない。人間は利口な人の正しい考えに従うことによって幸福になるのである。だから、利口な人を大事にしないといけない。
[13207] 政府が上の者になったのは国民の誤解のせいである。☆☆ h23.8.28
そもそも政府は国民に命令を売る会社である。つまり、政府と国民は平等である。植民地政策をやろうがやるまいが、哲人主義を宣伝にしようが民主主義を宣伝にしようが、とにかく政府は命令を売る会社である。つまり、古今東西[ここんとうざい]を問わず、政府の本質は“命令を売る会社である”ことである。[テレビや新聞でやっているのは政府の宣伝であって、実際に政府がやっていることは別である。政府はテレビや新聞の上で言っていることと実際にやっていることが不一致なのである。それが“政府のルール”なのだ。政府が実際にやっているのは国民の嫌がらせである。政府は国民の嫌がらせをしておいて、あとで哲人主義や民主主義と関係付けて哲人主義や民主主義でやったことにしているのである。例えば、政府は赤字ローカル線を日本中に敷[し]きまくって、あとで鉄道←鉄←テツ←テン(ツ≒ン)←天←天皇ということで国家宗教(哲人主義)でやったことにしているのである。また、例えば、政府は戦争をやっておいて、あとで国民みんなが外国の資源を奪って裕福に暮らすために戦争をやったことにして民主主義でやったことにしているのである。しかし、本当は政府は国民の嫌がらせのために戦争をやったにすぎないのである。]
しかし、昔の国民は政府が命令を売っていたために政府を誤解して上の者だと思っていたから、国民は政府の命令に何でも従った。昔の国民は『政府が自分の命令と国民のお金を交換している』と見ていたのではなく、「政府は上の者だから政府は国民からお金を奪って国民に命令している」と見ていたのである。そこで、政府は国民みんなに国民みんなは政府に従わなければならないと命令した。そこで、国民みんなは政府に従わねばならないことになった。こうして今日[こんにち]に至っている。
しかしながら、そもそも政府と国民は平等だから、国民が政府にお金を払って政府の命令を聞くかあるいは国民が政府にお金を払わずに政府の命令を聞かないかは国民一人一人の自由である。
一般に、命令を売る会社の命令は不良品である。国民を幸福にするように見せかけてじつは不幸にする命令である。国民を馬鹿にしたインチキな命令である。政府の命令も例外ではない。
だから、国民は政府にお金を払わず政府の命令を聞かなければいい。馬鹿が政府に騙[だま]されて政府にお金を取られて政府の命令を聞いて不幸にされるだけである。
国民一人一人がこれまでの自分の政府についての誤解を直して正しくすればいいのである。
[13208] 宗教団体はなぜ儲[もう]かるか? h23.8.28
宗教団体の客が宗教団体の言いなりになるからである。言いなりになって宗教団体に全財産を出すからである。
宗教団体の客は最初のうちはお金で命令を買っているが、そのうちだんだんエスカレートして、最終的には宗教団体の言いなりになってしまうのである。宗教団体は客が言いなりになった頃を見計らって客に全財産を出せと命令して客から全財産を奪うのである。
命令を売る店には注意したいものである。命令を売る店の客にはならないほうがいい。政府の客にもならないほうがいい。
やっぱり人間は他人の命令に頼らず自分で考えるべきである。
[13209] 昔の政府 h23.8.31
昔の政府は哲人主義で政治をやっていた。といっても、それは建前で、実際にはデタラメ主義だった。つまり、形や言葉の上で国家宗教の神と関係をつけた命令を国民に出して国中をメチャクチャにしていたのである。国民を幸福にすると見せかけてじつは不幸にする命令を出していたのである。今の政府も民主主義を建前にして、昔の政府と同じことをやっている。政府は建前を入れ替えただけで、やっていることは昔と同じである。今の時代だから、政府のやることが今っぽく見えるだけである。
昔の国民は政府のことを誤解して政府を国民よりも上の者だと思っていたので、政府の命令にはなんでも従ったのである。
しかし、本当は政府は命令を売る店である。だから、国民と政府は平等である。つまり、国民は政府の命令を買おうが買うまいが自由である。
政府は昔も今もデタラメ主義である。陰険[いんけん]主義である。政府は国民を幸福にする命令なんか出していない。だから、国民は政府の命令を買わないほうがいい。
[13210] 男と女をいっしょにするな。 h23.8.31
男には男の道がある。女には女の道がある。
女は自分の道で優れていればいいのである。良妻賢母であればいいのである。料理や家事や育児がうまければいいのである。女は数学や物理学はどうでもいいから、料理学や家事学や育児学をしっかりと学ばねばならない。
女が男の道で劣るからといって女を馬鹿にするのは不当である。
それなら、男も女の道で劣るから男を馬鹿にできるはずである。男は食いものにこだわらないから、男の料理は下手[へた]である。男は見掛けの綺麗[きれい]さにこだわらないから、男の部屋はいつも汚い。
男は男として優[すぐ]れていればいいように、女は女として優れていればいいのである。
[13211] さるかに合戦 h23.9.1
さるは幕府のことである。
かには政府のことである。かにの形が神武天皇の光るトンビに似ているからである。
かにの仲間の栗と臼と蜂と牛糞はみな神武天皇の光るトンビの喩[たと]えである。栗は形が丸くてトゲが光るトンビの光の筋[すじ]に似ているし、臼は白くて丸いし、蜂は身体が丸くて羽が光っているし、牛糞は白くはないが形が丸くて消化されなかった草が光の筋に似ているからみんな神武天皇の光るトンビの喩えなのである。だから、かにの仲間もみな政府のことである。
つまり、さるかに合戦とは幕府と政府の戦いをおとぎ話にしたものである。幕府は政府を倒したが、いつかきっと政府にやられるという予言だったのである。
[13212] マンガ h23.9.2
マンガ←フワガ(“マ”の下の斜め線を“ン”に移す)←カワブ(入れ替え)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私(国家宗教の神)である。
だから、これまで政府はマンガ産業に力を入れてきたのである。政府は表では民主主義の政治をやって国民みんなの役に立つこをとしているふりをしていながら、裏では私を神とする国家宗教で国民の税金をくだらないマンガに使っていたのである。とんだお金の無駄[むだ]使いである。
私がマンガを読んでいたのは小学生までだから、私は特にマンガが好きではない。だから、政府は私の名前に引っ掛けてマンガに力を入れていたにすぎないのである。
今後日本神道の神が私から天皇に代[か]われば、天皇→天→天然だから、今後は天然もののドキュメンタリー番組が増えるかもしれない。昔のNHKの『自然のアルバム』のような番組がたくさん出来るかもしれない。
もっとも、そもそも政府と国民は平等だから、国民は政府に従わなくていいから、国民は国民の嫌がらせをするしか能がない政府に従うのが嫌だからもうすぐ政府が潰れるから、今さら政府が何をしたって手遅れだろう。
[13213] どうして中世の政府は滅んだか? h23.9.2
国の景気がいいときは国民は政府が真面目[まじめ]に仕事をしていると思うが、国の景気が悪いときは国民は政府が真面目に仕事をしていないと思う。
中世の初期には日本は景気がよかったから国民は政府が真面目に仕事をしていると思って政府を支持したが、中世の中期になると日本の景気が悪くなって国民は政府が真面目に仕事をしていないと思って政府に税金を払わなくなって政府の命令を聞かなくなって政府を倒したのである。中世の国民は勇気があったので、自[みずか]ら政府に従うのをやめたのだ。政府と国民はそもそも平等だからそういうことができたのである。[もしも政府が国民から税金を強制的に取り続けられるのなら、政府が滅ぶわけがない。しかし、実際には政府は滅んだ。だから、政府は国民から強制的に税金を取ることができないのである。政府が倒れた後で、日本の景気を立て直すために(これも口先だけだが)幕府が出来たのである。実際には、政府が滅んだから自然に景気が回復しただけのことである。政府が国の景気を悪くしていた原因だったのだ。政府も幕府も似たような物である。幕府が出来たために、国の景気はむしろ悪くなったのだ。つまり、これから国の景気がよくなりそうなときに政府や幕府などの“命令を売る会社”が国民の上に居座[いすわ]って、国民に政府や幕府の指図[さしず]のおかげで豊かに暮らせると思わせて国民に感謝させて国民を言いなりにしていたのである。実際には、国の景気をよくしていたのは国民自身であって、政府や幕府はむしろ国の景気を悪くしていたのである。つまり、国民は政府や幕府に完全に騙[だま]されていたのである。例えば、徳川幕府が出来た頃にたまたま日本の景気がよくなったので、徳川幕府が国民の上に居座りつづけることになったのである。鎌倉幕府や室町幕府の頃はまだ日本の景気がよくなかったので、それらの幕府は滅んだのである。今の政府が国民に借金を負わせてまで国の経済が成長させているように見せかけているのも、政府が国民の上に居座り続けるための偽装工作[ぎそうこうさく]である。実際には、日本はかなり前から不景気である。だから、政府はさっさと滅びるべきである。今後の日本は景気が厳しくなるから、景気を悪くする原因は極力取り除かねばならない。そうやって国民は不景気を乗り越えねばならない。もはや国民が政府や幕府を養[やしな]っていられる時代ではないのである。]
しかし、実際には、政府はいつでも真面目に仕事をしていないのである。政府は出来た時から滅ぶ時までずっと国民から税金を取って国民の嫌がらせをしているだけである。国の景気の良し悪しは政府ではなく国民で決まることなのである。国民が勘違いをして政府が国の景気をよくしてくれていたと思っていたのである。
今の日本は景気が悪い。だから、国民はみんな政府が真面目に仕事をしていないと思っている。したがって、政府は滅ぶだろう。
[13214] 政府や幕府は国の景気を悪くする会社である。☆ h23.9.3
国には景気のいい時代と景気の悪い時代がある。いろんな原因が作用して国の景気がよくなったり悪くなったりする。
景気のいい時代には“命令を売る会社”が国民の上に居座[いすわ]ることができるが、景気の悪い時代には命令を売る会社が国民の上に居座れない。
古代や中世前期は日本が景気のいい時代だったから日本政府が国民の上に居座った。
しかし、中世の後期は日本が景気の悪い時代だったから日本政府が国民の上に居座れなくなって滅んだ。
近世は再び日本が景気のいい時代になったから江戸幕府が国民の上に居座った。
近代になるとますます日本が景気がいい時代になったから日本政府が国民の上に居座った。
しかし、現代の今は日本はあまり景気がよくないからもはや日本政府が国民の上に居座れない。
実際には、政府も幕府も国の景気をよくする命令を出していたのではない。政府も幕府も国民から税金を取って国を不景気にする命令を出していただけである。政府も幕府も詐欺会社なので国の中枢機関のふりをしていただけである。本当は役立たずだったのである。本当は国民の金を無駄遣[むだづか]いして国の景気を悪くしていたのである。国の景気をよくしていたのは国民であって、政府や幕府は景気を悪くすることしかできないのである。つまり、政府や幕府は国が景気がいい時に国民が儲[もう]けた金を無駄なことに使って浪費する会なのである。[若干[じゃっかん]幕府のほうが国家宗教をやらないぶん倹約だが。中世の不況を経験した後だったので、幕府は倹約主義だったのだ。幕府は国家宗教をやらなかったから国民の人気があったのかもしれない。幕府は国の景気がいいことが自分が生き残れる条件であることがよくわかっていたので、国を不景気にすることを極力やらなかったのだ。]
政府や幕府をいい会社だと思うほうが馬鹿である。国民は政府や幕府にまんまと騙[だま]されていたのである。
政府や幕府がなくなったほうが国の景気がよくなる。だから、政府や幕府をなくせばいい。国民と政府や幕府などの“命令を売る会社”はそもそも平等だから、国民が自分が気に入らなければ命令を売る会社から命令を買わなくてもいいのである。そうやって命令を売る会社を倒せばいい。
[13215] 言葉を使うからといって利口とはかぎらない。 h23.9.4
馬鹿もよく喋[しゃべ]るが、馬鹿は眼で見たことをそのまま言っているだけである。
馬鹿は自分が考えたことをしゃべらない。
反対に、利口は自分が考えたことをよく喋る。利口は頭で見たことを言っているのである。
馬鹿も利口もよく喋るが、見えていることが違うのである。
[13216] 日本は無政府主義の国である。 h23.9.4
日本は中世の後期に国民が政府を倒した前歴がある。
日本では昔から政府と国民が平等なので、国民が政府が嫌になれば政府に税金を払わなくなって政府の命令を聞くのをやめるのである。日本では昔から国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由なのである。
日本は原則的に無政府主義の国であって、国が景気のいい時に国民がサービスで政府を置いてやっていただけである。日本人は自分で考えて実行するのが好きだから、もともと国民に命令を出す政府なんか要らないのである。
日本は無政府主義→アナーキー→穴開きが得意な国だから、トンネルが多いのである。
これまで国民は政府が政治機関(国民を幸福にするための命令を出す機関)だと思って政府を置いてきたのである。
しかし、実際には、政府は国民から金を取って国家宗教や戦争などで無駄[むだ]使いをする会である。政府は国民に「お前らのお金を有効利用してやる」と言って国民からお金を取っておきながら、自分たちの遊び代(宴会費や国民の嫌がらせ代)に使っているのである。政府は国民を貧乏にする会である。政府は国民を嫌がらせる会である。政府は本当は国民よりも上の者ではなく国民よりも頭がいいわけではなく国民を幸福にするために適切な命令を出すことができないので、政府はヤケクソになって国民を不幸にすることばかりしているのである。政府は自分が情[なさ]けなくてニヤニヤしながら国民をいたぶっているのである。[民間会社の社長も実力がないのに上の者のふりをしているだけだから、自分が情けなくてニヤニヤしながら社員をいたぶっているのだ。本当は、社長はなんにも上じゃない。上でない者が上の者をやってはいけない。ただお高ぶっているだけで馬鹿みたいだ。空威張[からいば]りするやつがいると雰囲気がしらける。とにかく社長は偉そうにしてはいけない。社長は社員の前で土下座[どげざ]しなければならない。]昔の日本は景気がよかったから政府が国民を嫌がらせても国民は幸せだったから国民は政府を許したが、今の日本は景気が悪いから政府が国民を嫌がらせると国民は不愉快になるだけだから国民は政府を許さないのだ。
国民にとっては政府は有害無益だから、今後はいっさい政府を置かないほうがいい。
[13217] どうして国民は政府に従っているか?☆ h23.9.4
今はまだ嘘[うそ]をついてもいい時代である。騙[だま]されるほうが悪い時代である。
そこで、政府は国民よりも上の者のふりをして、馬鹿な国民に政府を上の者だと思わせているのである。
馬鹿な国民は政府の芝居を真[ま]に受けて政府を上の者だと思って、政府の言いなりになっているのである。
しかし、本当は政府と国民は平等である。政府は“命令を売る店”だから、国民と政府は本来平等なのである。だから、国民はその気になれば政府に従わなくてもいいのである。
つまり、国民は政府の嘘に騙されて政府に従っているのである。本当は、国民は政府に従わなくてもいいのである。
だから、国民は政府に従うのをやめよう。
[13218] 脱税について h23.9.4
今はまだ嘘を言ってもいい時代である。
だから、政府は国民に「脱税してはいけない」と言うことができる。
しかし、実際には、政府と国民は平等だから、国民が脱税してもいいのである。政府は国民が脱税しても国民に手出しができないのである。
だから、実際には、脱税している国民が大勢いるのである。
政府に税金を払っているほうが馬鹿である。
[13219] 精神分裂病のバリアー器官 h23.9.5
人間の脳にはテレパシー器官があるが、通常はテレパシーが聞こえない。
それは、人間の脳には生まれつきテレパシー器官を働かないようにする“テレパシー器官を抑制する器官”があって、テレパシー器官に抑制がかかってテレパシー器官が働かなくなってテレパシーが聞こえなくなっているからである。
ところが、テレパシーを使おうとして興奮すると、“テレパシー器官を抑制する器官”が壊れてテレパシー器官が働くようになって慢性的にテレパシーが聞こえるようになる。【感覚の第3法則】
つまり、精神分裂病のバリアー器官の実体は“テレパシー器官を抑制する器官”である。精神分裂病の本体は“テレパシー器官を抑制する器官”が壊れることである。
テレパシー器官を抑制する器官は一度壊れたらもとに戻らないから、テレパシーを使おうとして興奮してはいけない。

[13220] 負けようとしなければ勝てる。 h23.9.5
国民は政府に勝とうとするから負けるのである。だから、反対に、国民が政府に負けようとしなければ勝てるのだ。
つまり、国民が政府に暴力で勝とうとするから、逆に政府に暴力で負かされていたのだ。[たいていは、政府が信者にやらせた芝居である。赤軍派とか革マル派による反政府示威[しい]事件は、国民を政府に逆らわないようにするために、政府が信者に命令して起した事件である。]それは、この世には『暴力を使ってはいけない』という決まりがあるから、先に暴力を使ったほうが悪いことになるので、政府が先に暴力を使った国民を罰することができるからである。
だから、反対に、国民が政府に従わないようにすれば、政府は国民に手出しができずに滅びるしかない。国民が政府の嘘に騙[だま]されなければ、政府は滅びるしかない。それは、この世には『騙されたほうが悪い』という決まりがあるからである。これまで政府は『騙されたほうが悪い』という決まりを使って、国民を嘘で騙して国民に損をさせたり国民を痛めつけたりしてきたのである。政府は国民よりも上の者のふりをしたり嘘の憲法や法律を定めたりして国民を騙してきたのである。だから、国民が政府に騙されなければいいのである。そもそも国民と政府は平等だから、政府が国民を騙して国民を政府に従わせられなければ政府は国民に対して何もできない。政府の負けである。
『スタートレックネクストジェネレーション』にも同じような話があった。アンドロイドのデータが異星人とゲームの試合をして何度やっても勝てなかったが、最後に勝つことができた。データは「これまで自分は勝とうとしたから負けた。だから、反対に負けないようにしたから勝てた」と言った。国民と政府の戦いをデータと異星人のゲームに喩[たと]えているのだろう。
[13221] 嘘[うそ]の味 h23.9.5
魔法少女アニメで面白いのは、魔法のところである。
魔法が現実にはありえないから面白いのである。
SFの面白いところも現実にはないところである。
人間の心には、現実でないことを面白いと感じる感情がある。
だから、文学が売れるのである。
政府は詐欺会社である。政府は嘘をつく会社である。人間の心には嘘を面白いと感じる感情がある。だから、国民の中には政府を面白い会社だと思っている者がいる。ただのオヤジが上の者ぶっているのを見て面白がっているのである。
子供じゃないんだから、いい歳して現実にありえないことで喜んでいてはダメである。大人は現実の中に面白いことを探して生きなければならない。
[13222] 政府は役立たずである。 h23.9.5
政府は詐欺会社である。政府は嘘つきである。
政府が外人を嘘で騙して自分の国の国民のためになることをやっているのは嘘である。
政府は自分の国の国民を騙して自分のためになることをやっているだけである。
政府は外国の政府と組んで嘘の芝居ができるだけで、外国の国民には顔が利[き]かないのである。
政府は嘘をつくことができるだけで他[ほか]には何もできないのである。
政府があっても国民にとって得になることはない。だから、国民はさっさと政府を捨てればいいのである。
[13223] 政府と国民は違う世界に生きている。 h23.9.5
政府は嘘をついてもいい世界に生きている。
しかし、国民は嘘をついてはいけない世界に生きている。
政府と国民では生きている世界が違う。政府と国民は違う決まりを守って生きている。
その結果、政府は国民よりも有利になっている。つまり、政府は自分で働かずに国民から税金をもらって楽に裕福に暮らしている。政府は嘘をつけるぶん、国民よりも有利なのである。
国民は政府も自分と同じように嘘をついていないと思って政府に従っている。国民は政府がテレビや新聞で言った通りに国民のためになることをやってくれていると思っているから、政府の命令に従っている。しかし、実際には、政府は自分が嘘をついてもいいと思っているから、国民の眼の前では国民の役に立つことをして国民を幸福にしているふりをして、国民の眼の届かないところでは国民の金を無駄遣[むだづか]いして国民を不幸にしている。
国民と政府は違う。国民は正直だが、政府は嘘つきである。だから、国民は政府が嘘つきであることを考慮して、政府の言うことを真[ま]に受けてはならない。政府は本当は民主主義でも上の者でもない。政府は口先だけ民主主義であり、上の者である。本当は、政府は自分主義の会社であり、政府と国民は平等である。だから、国民は自分が承認しないかぎり政府の命令を聞く必要はない。
[13224] 政府は民主主義ではない。 h23.9.6
政府は男女平等や福祉すなわち障害者優先政策や赤字ローカル線や地方高速道路などの田舎[いなか]優先政策のように『最大多数の最大幸福の原理』から外[はず]れたことばかりやっているから、民主主義ではない。政府は多数決の原理ではなく少数決の原理に従っているから民主主義ではない。
そもそも民主主義とは、国民が法律を守りながら自由に暮らすことだから、国民にガミガミ命令を出す政府は民主主義に反している。政府は鬱陶[うっとう]しい。だから、政府は要らない。
[13225] 新時代の原理☆ h23.9.6
これまでは「政府が国民よりも上の者である」ことが原理だった。昔の人は政府が命令を売る会社だったために政府が国民からお金を奪って国民に命令を出しているように見えたので、政府を国民よりも上の者だと勘違[かんちが]いをしたためである。
しかし、これからは『政府と国民は平等である』ことが原理である。そもそも政府は国民からお金をもらって国民に命令を売る会社なので、政府と国民は平等なのである。
これまでは政府も国民も「政府が国民よりも上の者である」原理に従っていた。国民は政府の命令にひたすら従っていた。
しかし、これからは政府も国民も『政府と国民は平等である』原理に従わねばならない。国民が政府の命令を買おうが買うまいが国民の自由である。国民が宗教団体に入ろうが入るまいが国民の自由であるように、国民が政府に入ろうが入るまいが国民の自由であらねばならない。
[13226] デカルト哲学の欠点 h23.9.6
デカルトは分析の反対として総合を考えた。
デカルトは分析しなくても最初から総合がわかるとした。
しかし、それなら人間はわざわざ分析なんかしなくていいはずである。
実際には、人間には総合なんかわからないのである。眼で対象の形や色がわかるだけである。その点で、デカルトはまちがっている。
人間は分析概念を組み合わせて対象を理解するしかないのである。
だから、人間は一生懸命[いっしょうけんめい]に言葉を組み合わせて作文しなければならないのである。考えなければならないのである。そうしないかぎり、人間にとっては対象が理解できないからである。
もっとも、分析概念の素[もと]になる具体的経験が重要であることは言うまでもない。
[13227] 政府の構造 h23.9.6
政府の実体は上の者である。
政府は哲人主義や民主主義を国民に対する自分のイメージアップの宣伝に使ってきただけである。政府が哲人主義や民主主義であるのは嘘[うそ]であって、実際には政府は国民よりも上の者として自分主義でやっているだけである。政府は国民よりも上の者として自分よりも下の者である国民を嫌がらせているだけである。つまり、政府は身分制をやっているのである。政府がもろに身分制をやって国民を虐[いじ]めると国民に嫌われるので、政府は国民の眼につかないところで身分制をやって国民を虐めて[最近はテレビや新聞があるので政府が犯した事件は国民に知られるようになっているが]、国民の眼につくところで哲人主義や民主主義をやって国民の機嫌[きげん]を取ってきたのである。皇居や国会は政府が国民の機嫌を取るためにある施設なのである。[幕府は表裏がないから国民の眼の前で堂々と国民の嫌がらせをするが、政府は表裏があるから国民の眼の前ではおとなしくして国民の眼の届かないところで国民の嫌がらせをするのである。幕府と政府では流儀[りゅうぎ]が違うのだ。]
政府は昔の国民が政府を上の者と勘違いしたことに便乗[びんじょう]して自分でも上の者として振舞[ふるま]っているのである。例えば、政府は上の者として国民から税金を取ったり、国民に好き勝手な命令を出したりしているのである。
しかし、政府は本来命令を売る店である。政府は国民からお金をもらって国民に命令を出す店である。だから、政府と国民は平等である。政府は国民よりも上の者ではない。だから、政府は上の者として振舞ってはいけないし、国民も政府を上の者として認めなくていいのである。つまり、国民は自分が承認しないかぎり政府に従わなくていいのである。政府は国民を嫌がらせるだけだから、国民にとっては政府がなくなったほうがいい。だから、国民は政府から命令を買うのをやめて政府を倒産させればいいのである。
[13228] 税金について h23.9.8
中世の政府も納税の義務を定めたはずである。大宝律令(702年)かなんかで税制を定めたはずである。
それなら、政府は永遠に不滅のはずである。
しかし、実際には、政府は中世後期には潰[つぶ]れた。
中世後期には国民が政府に税金を払わなくなって政府は潰れたのである。中世後期になると日本の景気が悪くなって国民が政府に税金を払うのが嫌になって税金を払わなくなったのである。あるいは、中世後期にはヨーロッパの景気が悪くなってローマ帝国が潰れたので、国民はヨーロッパのやり方で政治をやる日本政府が嫌になって政府に税金を払わなくなったのかもしれない。
要するに、「納税の義務」は政府の嘘である。国民が政府に税金を払うか払わないかはもともと国民の自由なのである。
政府は詐欺会社だから、国民に嘘をついているのである。『今の世の中は暴力はいけないが、嘘をつくのはかまわない』ので、政府は国民に嘘をついて国民を騙[だま]して国民から税金を取って儲[もう]けているのである。つまり、政府が定めた憲法や法律がそもそも嘘なのである。
だから、今の政府に対しても国民は本当は税金を払う必要はないのである。
政府は政治機関のふりをして国の景気をよくしているふりをして、実際には国民が稼[かせ]いだ金を国家宗教や戦争などで無駄遣[むだづか]いして国の景気を悪くしているのである。だから、政府がなくなったほうが国の景気がよくなるのである。政府は国の景気がいい時に政治機関のふりをして国民を騙して儲ける詐欺会社であって、自分では国の景気をよくすることはできないのである。国の景気をよくしているのは国民であって政府ではないのである。
[13229] 政府は無駄[むだ]である。 h23.9.8
政府は国民よりも頭がいいのではない。頭がいいふりをしているだけである。
だから、政府が国民を導いて国民を幸せにするなんてことは無理である。
実際には、国民が自分で自分を導いて自分を幸福にしているだけである。政府はやることがないから、ヤケクソになって国民の幸福の邪魔[じゃま]をしているのである。
政府は本当は馬鹿だから、国民を不幸にすることしかできないのである。政府は国民よりも馬鹿だから、国民を不幸にするのである。つまり、政府には政治機関としての実力がないのである。
“国民よりも頭がいい生き物”が現れないかぎり国民を幸福にはしてくれない。しかし、そんな便利な生き物は現実にはいない。現実には、国民以上に頭のいい生き物はいない。だから、国民は自分で考えて自分のいいようにすればいい。政府は要らないから捨てればいい。
[13230] テレビゲーム h23.9.8
最近のテレビゲームは面白すぎる。
そのために、国民はいつもゲームのことばかり考えて他[ほか]のことを考えなくなって頭が馬鹿になっている。
ゲームはあくまでも生活の添[そ]え物であって、人間はゲームをやるために生きているのではない。
ゲームはあくまでも暇つぶしの道具であって、ゲームを実生活よりも優先してはいけない。
例えば、PS3(プレイステーション3)の『BF3』(バトルフィールド3)が24人対戦なのはゲームをあまり面白くしすぎないための工夫[くふう]だろう。ゲームがあまり面白すぎると子供が現実のことをまったく考えなくなって馬鹿になってしまうからである。一方、パソコンゲームのBF3が64人対戦なのは、パソコンゲームはパソコンが高価だからパソコンゲームは大人がやるものであって、大人は自制が利[き]くからたとえゲームが面白すぎても自分でやり過ぎないようにするからゲームが面白すぎてもいいからである。[ちなみに、プレイステーションの略のプレステとはpreを捨てるつまり私の前の神だった神武天皇を捨てるという意味である。]
田舎[いなか]の人が意外に利口なのも、田舎には面白いものがなくて田舎の人が現実のことをよく考えるからである。人間は面白すぎると馬鹿になる。だから、面白いものがないほうがいいのだ。
[13231] アニメ h23.9.8
田舎者は、アニメをただの絵としか思わないが、
都会者は、アニメを何かすばらしい宝物であるかのように思っている。
都会者は心で物を見すぎて実体が見えていない。
都会者はテレビが面白いと思って必死になってテレビの真似[まね]をしている。
田舎者にとっては芸能人はカスやクズにすぎない。それを都会者はエリートかなにかのように思って敬[うやま]っているのだ。
都会者は馬鹿だ。都会者は糞馬鹿[くそばか]の見本だ。都会者はかったるすぎて馬鹿にし甲斐[がい]さえもない。
都会者は作り事に乗っかって生きている。だから、都会者は作り事が作り事であることがわからないのだ。都会者にとっては作り事が現実なのだ。都会者はいつも作り事で頭の中がポカポカして現実のことがわからないのだ。
[13232] 液晶モニターについて h23.9.10
現在の液晶モニターでは綺麗な画像が出ない。
だから、ブラウン管のモニターのほうが優れている。 [デザインのよさは、十分な性能があってから問題にしなければならない。性能よりもデザインを優先してはならない。それでは、もはやただの部屋の飾りにすぎない。]
したがって、ブラウン管のモニターを欲しがっている者がたくさんいる。
それなのに、ブラウン管のモニターを製造販売している会社がない。
だから、ブラウン管のモニターを作って売れば儲[もう]けることができる。
だれか、やってみないか?
[13233] どうして上の者の概念があるのか? h23.9.11
ひさしぶりに山道でクマに襲われる夢を見た。夢の中で私の隣にいた女性がクマに襲われた。そこで目が醒[さ]めた。
今でこそ人間は万物の霊長だが、昔は人間は弱かった。
人間はクマよりもイノシシよりもオオカミよりも弱かった。
人間は他の動物を恐れながら生きねばならなかった。
人間は長い間ずっとクマやイノシシやオオカミよりも下の生き物だった。
だから、人間には生まれつき“上の者”の概念が頭の中にあるのである。
そのために、上の者の概念を宗教団体の神や政府や幕府に当てはめて、それらを上の者だと思って恐れて言いなりになっていたのである。
しかし、今では人間は万物の霊長である。人間が長い間生きていれば、この世には人間よりも上の者がいないことがわかる。人間にとっては他の動物はみんな下であることがわかる。
だから、今の人間にとっては上の者がない。
だから、今後は人間は上の者の概念を使わず、みんな平等だと思って生きて行けばいいのだ。
[13234] 最近のゲームは面白くない。 h23.9.11
最近のゲームは絵が面白いだけで、やってみると面白くない。やる面白さがない。
まるで『マジカルエミ』みたいだ。『マジカルエミ』は絵が面白いだけで話の面白さがない。
面白さには、知覚的な面白さと五感的な面白さがある。
最近のゲームに五感的な面白さだけあって知覚的な面白さがないのは、国家宗教の神が私ではなくなったせいだろう。あるいは、最近の人間がバカになっているからかもしれない。ファミコンやプレステなんかの“知覚的に面白くないテレビゲーム”のやりすぎで頭がバカになっているのだ。
五感と知覚の両方がいい人間はいない。五感がいい人間が知覚を使わない人間にほかならないからである。人間にとっては、知覚と使うか使わないかどちらかひとつしかない。だから、知覚的な面白さか五感的な面白さかどっちかひとつなのだ。
この世で面白いゲームは、私が知っているかぎりでは、バトルフィールド1942とバトルフィールドベトナムとバトルフィールド2(ぜんぶパソコン版)しかないのかもしれない。[たとえ同じバトルフィールドシリーズでもそこから先は面白くない。]
[13235] 政府“命令を売る会社”説☆ h23.9.12
昔の人は夜空の星が動いているのを見て、空が動いていると思った。
しかし、実際には、動いているのは地球のほうだった。
それと同じように、昔の人は政府が国民からお金を取って命令を出しているのを見て、政府が国民よりも上の者だと思った。そのために、国民は政府の命令を何でも聞くようになった。戦争までもやった。
しかし、実際には、政府は命令を売る会社だったのである。政府は国民に命令を売って国民からお金をもらっていたのである。つまり、政府と国民は平等だったのである。したがって、国民は自分が承認しないかぎり政府に従わなくてもかまわない。
[13236] 国民は政府に税金を払わなくていい。 h23.9.12
政府が国民から税金を取っているのは、政府が国民よりも上の者だからである。政府が民主主義だとすると、どうして政府が国民から税金を取れるかがわからない。民主主義とは国民主義のことだから、政府が民主主義だとすれば、政府は国民に従わねばならない。政府が国民に従わねばならないとすれば、政府は国民のために具体的な仕事をして、政府の仕事を利用する国民からその都度[つど]お金をもらうはずである。しかし、実際には政府はそうしていない。だから、政府は本当は民主主義ではない。つまり、政府は国民よりも上の者だから、国民から税金を取っているのである。政府は国民よりも上の者だから、国民を嫌がらせる命令を国民に出して国民を嫌がらせているのである。
しかし、本当は政府と国民は平等である。[[13235]を参照。]
だから、国民は政府に税金を払わなくてかまわない。
[13237] 命令を売る会社はイカサマである。☆ h23.9.12
政府や宗教団体は命令を売る会社である。命令を売る会社は国民を幸福にする命令を出して、国民からお金をもらっているのである。
ところで、命令を売る会社が国民を幸福にするためには、命令を売る会社が国民よりも頭が良くなければならない。
しかし、実際には、そんなことはない。命令を売る会社は頭がいいふりをしているだけで、実際にはバカである。命令を売る会社は、頭がいいふりをするのが得意なだけである。
だから、命令を売る会社が国民を幸福にすることはできない。
だから、しかたがないので命令を売る会社は国民を不幸にしているのである。命令を売る会社は自分にできることをやっているのである。バカにできるのは、他人を不幸にすることだけである。
要するに、命令を売る会社はインチキ会社である。
だから、国民にとっては命令を売る会社は要らない。国民は命令を売る会社から命令を買うよりも、自分で考えたほうがいい。
[13238] 人間はまちがいを面白いと思うものである。 h23.9.13
政府や宗教団体が上の者であり、国民は政府や宗教団体に従わねばならないという世界は簡単である。眼で見たことをそのまま受け容れればいいので簡単である。政治家や宗教家が偉そうにしているのを見て、そのまま偉いと思えばいいだけだから簡単である。
人間は簡単なことを面白いと思うから、そういう世界は受け容れられやすいのである。
反対に、政府や宗教団体がイカサマであり、国民は政府や宗教団体に従ってはならないという世界はちょっと難しい。頭でひねらなければならないので難しい。政治家や宗教家が偉そうにしているのを見て、本当は偉くないと思わなければならないので難しい。
人間は難しいことが嫌だから、そういう世界は受け容れられにくいのである。
しかし、人間は実在に適応することが第一である。人間は正しいことがわかるのが第一である。人間は実在に適応したほうが幸福になれる。だから、多少嫌であっても、正しいほうを受け容れねばならない。そうすれば、あとでもっと大きな幸福が得られる。反対に、いくら面白くても、まちがいはいけない。
[13239] 偉さとは何か? h23.9.13
偉さとは有能であることである。
例えば、政府や宗教団体などの命令を売る会社にとっての偉さとは、国民を幸福にする命令を売ることである。
ところが、実際には、政府も宗教団体も、国民を幸福にする命令を売っていない。
だから、実際には、政府も宗教団体も無能である。政府も宗教団体も偉くない。
だから、国民は政府や宗教団体を偉いと思わなければいいのである。
[13240] 政府は上にもなれば下にもなる。☆ h23.9.13
国民が政府を国民よりも上の者だと思えば、政府は国民よりも上の者になる。
国民が政府を国民と平等だと思えば、政府は国民と平等になる。
国民が政府を国民よりも下の者だと思えば、政府は国民よりも下の者になる。
政府は国民が政府をどう思うかによって、上の者にもなれば平等にもなれば下の者にもなる。
政府が上の者になるか平等になるか下の者になるかは、国民が政府をどう見るかにかかっている。[確率論のベルトランのパラドクスみたいだ。参考。]そのために、政府は国民に自分を上の者だと思わせようとして、テレビに出たり選挙をやったり税金を取ったり命令を出したり国民を嫌がらせたりいろんなことをやっている。無駄[むだ]なことをやっている。
そもそも、政府は命令を売る会社だから政府と国民は平等である。しかし、政府は本当は国民よりも頭がよくないから、国民を幸福にする命令を売れない。政府は自分ができないことを仕事にしている。だから、政府は役立たずである。だから、政府は国民よりも下の者である。
したがって、国民は政府を軽蔑して無視する。
[13241] 上の者と思わせる会社☆☆ h23.9.13
政府は国民に上の者と思わせる会社である。
政府が嘘をついたり命令を売ったりするのは、政府が国民に自分を上の者だと思わせる手段である。例えば、政府が植民地政策をやったのは、国民に政府が有能だと思わせて政府を上の者に思わせるためである。[実際には、政府は国民が稼[かせ]いだ金で外国の土地をいっとき借りていただけである。そんなことは誰でもできる。]政府が命令を売るのは、国民に政府を上の者だと勘違いをさせるためである。
政府は国民に政府を上の者だと思わせて、国民に好き勝手な命令を出している。政府はときには好き勝手に国民を殺すこともある。
政府の仕事の大半は、国民に政府を上の者だと思わせることである。政府の残りの仕事は、国民に嫌がらせる命令を出すことである。
政府は国民の役に立つことを何もやっていない。
政府は国民に自分を上の者だと思わせることだけ一生懸命にやって、それ以外はいいかげんである。
政府の仕事は、国民に自分を上の者に思わせることである。
だから、政府は国民にとって役に立たない。政府は国民のためにはない。
政府は国民に自分を上の者だと思わせるために、国民の嫌がらせばかりしている。政府は自分の国を国民にとって喜びのない国にしている。政府は国民全員が政府を上の者だと思う日が来るまでずっと国民の嫌がらせをし続ける。
これでは国民がたまらない。国民が政府に殺される。したがって、そうなる前に国民は政府を倒さなければならない。
[13242] 私の政府理論のほうが社会科の教科書よりも正しい。 h23.9.14
私の政府理論は、実際の政府にピッタリと当てはまる。
科学ではピッタリと当てはまることは正しいとされている。
だから、私の政府理論は正しいことになる。むしろ、社会科の教科書に書いてあることのほうが実際の政府に当てはまらず、まちがっている。社会科の教科書も理論のひとつだから、当然まちがいはありえる。
したがって、国民は私の政府理論の通りに行動してよいことになる。
つまり、政府は命令を売る店であり政府と国民は平等で国民が政府の命令を買おうが買うまいが国民の自由だが、政府は国民よりも頭がよくないから政府は国民を幸福にする命令を作ることができないから国民は政府の命令を買わないほうがよく、政府は国民に命令が売れずに潰[つぶ]れるしかない。
これまでの社会科の教科書のほうがまちがいを書いている。おそらく教科書の著者は政府からお金をもらってわざとにまちがいを書いたのだろう。教科書の著者はそれでも学者だといえるのだろうか?子供たちにまちがいを植え付けていいのだろうか!?

[13243] どっちかひとつ☆ h23.9.14
政府は国民と平等か、さもなくば国民よりも上の者かどっちかひとつである。
政府が国民と平等なら、政府は国民の承認が得られなければ国民からお金をもらって国民に仕事をすることができない。
政府が国民よりも上の者なら、政府は国民から強制的にお金を取って国民に嫌な命令を出して国民に嫌がらせができる。
今の政府がやっていることは後者である。だから、今の政府は国民よりも上の者である。社会科の教科書に書いていることはまちがいである。[政府が国民に対して嫌がらせをやっていることは週刊誌にしょっちゅう書いていることなので、今の国民にとっては周知の事実である。]
政府はいろんなことをやって国民に自分を上の者だと思わせることによって国民よりも上の者になっているのである。政府は本当は上の者ではないが、国民に上の者だと思わせることによって上の者になっているのである。つまり、政府は詐欺会社である。政府は本当は自分が上の者ではないのに、上の者だと嘘[うそ]を言っているのである。
だから、国民は政府がやっているいろんなことに騙[だま]されず政府を上の者と思わなければいいのである。そうすれば、政府は国民よりも上の者ではないから、政府は国民に対して何もできない。
政府は本当は上の者ではない。つまり、政府と国民は平等である。政府は国民一人一人と平等である。だから、国民は自分が承認しなければ政府に従わなくてもかまわない。政府は国民よりも頭がよくないから政府に従っても無駄[むだ]である。だから、国民は政府に従わなければいい。政府に税金を払わなければいい。
[13244] 馬鹿の利口ぶり h23.9.14
政府が本当に上の者なら、国民を幸福にできるはずである。
しかし、政府はこれまで一度も国民を幸福にしたことがない。
だから、政府は上の者ではない。
政府は上の者のふりをしているだけで、本当は上の者ではないのである。馬鹿が利口ぶっているだけである。
だから、政府は詐欺会社なのである。
[13245] 上の者と思わせる会社☆☆ h23.9.14
政府は国民に自分を上の者だと思わせる会社である。政府はテレビに出たり選挙をしたり税金を取ったり命令を出したり嫌がらせをしたりいろんなことをやって国民に政府が上の者だと思わせている。政府は国民に政府を上の者だと思わせて、国民にいろんな命令を出している。例えば、政府は国民に税金の命令を出して国民からお金を取っている。[政府が国民を騙[だま]さずに勝手に上の者として振舞[ふるま]うと、政府が誇大妄想狂だということになる。だから、政府は必ず国民を騙してから上の者として振舞わねばならない。]
国民は政府を上の者だと思って政府に従っている。ときには戦争までもやる。
しかし、本当は政府は上の者ではない。政府が本当に上の者なら、政府が何もしなくても上の者のはずである。政府は本当は上の者ではないから、国民に政府を上の者だと思わせるためにわざわざいろんなことをやらねばならないのである。
政府は本当は上の者ではない。だから、国民は政府を上の者だと思わず、政府に従わなければいい。
[13246] 政府追放 h23.9.14
政府は国民と平等かあるいは国民よりも下の者である。
政府が国民に命令できる合理的理由は何もない。
だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。
政府のような詐欺会社は早く社会から追放したほうがいい。
[13247] 政府の正体《まとめ》 h23.9.15
政府は国民に自分を上の者だと思わせて、国民に命令を出す会社である。政府は国民を奴隷に変える会社である。
国民は政府の催眠術(例えば、テレビに出たり選挙をやったり税金を取ったり命令を出したり国民を嫌がらせたりすることなど)によって上の者でない者を上の者だと思わされているのである。
だから、政府は本当は上の者ではない。
したがって、国民は政府の命令を聞かなくていい。
[13248] バトルフィールド・バッドカンパニー2について h23.9.15
その後もPS3(プレイステーション3)を使ってバッドカンパニー2で遊んでいる。[お金に余裕があったらドスパラの87980円のPrime Galleria HXを買いたいが、今の私は仕事をしていないのでお金がないからPS3で我慢している。]
本編とベトナムは満足。1943はマップがチャチなのでやっぱりダメ。1943は調子が狂う。
グラフィックが進歩して自然の景色に近づいている。木が多くていい。グラボが性能がいいので絵もはっきり見える。絵がやっぱり新しい。
遊び方自体はこれまでと変わらない。
弱い者にとっては64人プレイよりも24人プレイのほうがやられにくくていい。私は敵を倒すことよりも戦場の雰囲気を味わうのが好きだから、敵は多くなくてもいい。
私はまだ弱いが、今後マップを頭の中に叩[たた]き込んで強くなっていく予定だ。
できれば、自分でサーバーを選べるようにして欲しかった。そうすれば、自分のレベルに合ったサーバーで遊ぶことができる。
[13249] 政府の2面性 h23.9.16
政府は建前では民主主義をやると言って、実際には身分制をやっている。政府は口先で民主主義と言うだけで、実際にやっているのは身分制である。
政府は言っていることとやっていることが食い違っている。
国民は政府の建前に騙[だま]されて、政府が民主主義だと思っている。
しかし、民主主義の会社が国民から税金を取るわけがない。国民から強制的にお金を取るわけがない。税金制は身分制でなければやれないはずである。政府が国民に命令(とうてい民主主義で作ったとは思えない命令。例えば、国家宗教の命令)を出すのも身分制でなければできないはずである。
だから、政府は本当は身分制の会社なのである。政府は21世紀においてもいまだに時代遅れの身分制をやっているのである。政府は国民にわかりにくいように身分制をやっているのである。政府は国民の眼につかない所で密[ひそ]かに身分制をやっているのである。
しかし、実際には政府は国民よりも上の者ではない。政府は独[ひと]りで上の者の芝居をやって自分が国民を騙[だま]せたつもりになっているのである。だから、国民は政府の身分制を無視して政府に付き合わなければいいのである。政府が上の者であるという証拠は何もない。だから、国民は政府が上の者であることを認めなければいい。国民は政府と平等にすればいい。国民が民主主義を貫[つらぬ]けば政府を倒すことができる。
[13250] 政府は上の者ではない。 h23.9.16
政府が上の者であるという証拠は何もない。[おそらく、戦[いくさ]で日本一になったことや植民地を取ったことがこれまでは幕府や政府が上の者である証拠として通用したのだろう。しかし、本当は、どちらも八百長[やおちょう]なのである。]
政府は自分が上の者になったつもりで国民から税金を取ったり国民に命令したりしているだけである。
つまり、政府は上の者のふりをしている詐欺師である。政府は上の者でないのに上の者のふりをしているのである。
政府は本当は上の者ではない。政府は国民と平等かそれ以下である。
だから、国民は政府に従わなければいい。国民は自分が承認した場合だけ政府に従えばいい。
[13251] 戦争とは何か? h23.9.16
ローマは戦争をやって豊かになったのではない。
ローマは豊かな国だったから、余った力で戦争をやったのである。外国にお金をやって植民地を広げたのである。
戦争は、国が余った力でやる余計なことである。[貧乏な国では戦争をやる余裕がないし、たとえやったとしても負けがミエミエである。]
だから、日本も太平洋戦争で豊かになることはなかった。
当時の日本が豊かだったから戦争をやる余裕があったのである。
日本は戦争で無駄遣[むだづか]いして、その後貧乏になったのである。世界中の戦争をやった国が貧乏になったのである。
[13252] セキュリティーとは何か? h23.9.17
パソコンのセキュリティーとは、『パソコンの外部から入ってきたデータを捨てるか拾うか判断すること』である。『拾うデータだけをパソコンに流す』ことである。セキュリティーソフトは、この判断をパソコンに自動でさせるプログラムである。セキュリティソフトが、データがパソコンに与える影響を計算して、データが有害な影響を与える場合にはデータを捨てて、そうでない場合にはデータをパソコンに流すのである。セキュリティソフトがデータを拾っていいか捨てていいかわからない場合には、パソコンの持ち主(人間)が判断しなければならない。昔のノートン・ファイアーウォールは、ときどきパソコンの持ち主に取捨選択を判断させることがあった。昔のセキュリティソフトは手動だったのである。
セキュリティーにはソフトだけでなく、ハードもある。外部からパソコンにとって有害な電気入力があったとき、それをカットするのもセキュリティーである。それは、もはやソフトでは対処できずハードによるしかない。
じつは、9月12日頃から私のパソコンにインターネット(有線)を介して妨害があった。おかげで、私のパソコンが壊れてしまった。パソコンを起動しても“ようこそ”画面まで行かずに途中で再起動がかかって同じ所をグルグル回っている。以前、私が和田山[わだやま]に住んでいたときにも同じようなことがあった。壊れたのは静音パソコンショップのオリオスペックで買った0デシベルの超静音パソコン(hush)である。そこで私は以前使っていた富士通のパソコン(FMV
DESKPOWER M7/1007)に変えた。そしたら、壊れなかった。あいかわらず妨害を受けていることは、ヘッドフォン(私はパソコンの音声出力としてスピーカーではなくヘッドフォンを使っている)からときどきジジ…という雑音が聞こえることからわかる。オリオスペックのパソコンは静音仕様にするために脆弱[ぜいじゃく]なパーツ(基盤?)を使っているようである。それで、壊れやすいのだ。音がしないのはありがたいが、壊れたらなんにもならない。[ハードディスクと基盤とOSを換えねばならないので修理代に3万円5千円ぐらいかかる。]反対に、家電メーカーのパソコンは多少ファンの音がするが、基盤が頑丈[がんじょう]なので壊れにくい。無線インターネットにすればもっと壊れにくいが、今の私にはお金がないのでそんなことをする余裕がない。
私のオリオのパソコンが壊れたおかげで、私が好きだったバトルフィールド2のパソコンゲームができなくなったし、私が書きかけていたワードの原稿も使えなくなってしまった。
私のパソコンが妨害を受けたのは、私の最近の政府についての考えが正しいからだと思われる。政府が困って私の執筆活動を妨害しようとしたのだ。
パソコンといっしょにハブでつなげていたPS3(プレイステーション3)は健在である。ソニーも家電メーカーなので壊れにくいのだろう。今のPS3(CECH−3000A)も超静音(0デシベル)である。けっこうなCPUとグラボを載せているにもかかわらず超静音なのは不思議である。今のPS3をちょっと改造してパソコンにすれば、頑丈で高性能な超静音パソコンになるだろう。まさに理想のパソコンだ。[PS3でテレビでインターネットの動画が見れたのは驚きでした!]
[13253] 政府は上の者をやっている。 h23.9.17
1)政府はときどき国家宗教で犯罪を犯している。国民を殺したり傷[きず]つけたりしている。
2)政府は国民から税金を取っている。民主主義で税金を取ることには無理がある。つまり、政府が国民と平等なら、政府が国民から税金を取るのは無理である。その証拠に、民間会社は国民と平等だから、民間会社は国民から税金を取っていない。
3)政府は国民に“とうてい民主主義で作ったとは思えない命令”を出すことがある。例えば、政府はときどき国民に国家宗教で作った命令を出すことがあるが、国家宗教の命令は民主主義で作ったとはいえない。戦争の命令も民主主義で作ったとはいえない。
などから、政府は実際には上の者をやっていると考えられる。政府は身分制をやっていると考えられる。政府は建前では民主主義と言っておきながら、実際には上の者として振舞[ふるま]っているのである。
しかし、本当は政府は上の者ではない。政府は自分ひとりで上の者になったつもりでいるだけである。政府が上の者である根拠は何ひとつない。政府は上の者でないのに上の者のふりをしているだけである。政府は自分の頭の中で上の者であるだけで、実際には上の者でもなんでもないのである。
政府は自分で自分のことがわかっていない。政府は本当は国民と平等なのに、まちがって上の者だと思っている。だから、国民は政府が上の者であることを認めず、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしなくていい。
日本がいつまで経[た]ってもいい国にならないのは、国民が“本当は上の者ではない者”に従っているからである。だから、国民は政府に従わなければいい。
[13254] 実在と認識の統合☆ h23.9.17
政府が上の者であるのは取り決めだと言う者もいる。
しかし、それでは取り決めと実在が食い違っていることになる。政府は実在においては国民と平等であって上の者ではないからである。
人間は取り決めの世界の中に生きているのではない。人間は取り決めの世界の中に生きることはできない。
人間が取り決めの世界と実在の世界のふたつの世界の中に生きることはなにかと面倒である。しょっちゅう矛盾[むじゅん]に悩まされることになる。
人間の認識は実在と統合されていないといけない。人間は二股[ふたまた]かけてはいけない。実在の世界を拾って、作りごとの世界を捨てねばならない。
だから、政府は上の者ではない。政府は国民と平等である。だから、政府は国民に何ひとつ命令できない。国民は政府の命令を聞かなければいい。
[13255] 上の者のいない国 h23.9.17
実在においては、国民よりも上の者はいない。
実在においては、国民よりも上の者がいてはいけない。
しかし、政府が上の者をやっている。
だから、政府は滅ばねばならない。政府は科学的には国民よりも上の者ではない。
人間の認識が実在的であるかぎり、政府はあってはならない。
政府は実在の外にあるべきであって、実在の中にあってはならない。政府は実在から出て行け!
[13256] 嘘[うそ]と真実 h23.9.17
作りごとの世界においては、政府が国民よりも上の者である。政府が作った作りごとの世界においては、政府が国民よりも上である。[つまり、政府は嘘をついたり(植民地を取って国を豊かにしたふりをしたこと)紛[まぎ]らわしいこと(選挙をしたり命令を売ること)をやったりして、国民に政府が上の者だと思わせているのである。]
一方、実在の世界においては、政府と国民は平等である。政府が国民よりも上である科学的根拠がないからである。科学的根拠がないからこそ、政府はわざわざ面倒臭いことをして(つまり、植民地を取ったり選挙をしたりして)作りごとの世界を作らなければならないのである。だから、もともとは政府と国民は平等なのである。
人間は作りごとの世界よりも実在の世界を選ばねばならない。これまで人類はそうしてきた。人間は知覚を働かせて実在を認識しなければならない。それが人間の使命である。
だから、政府と国民は平等にしなければならない。政府は国民の承認を得ずに国民に命令できないし、国民は自分が承認せずに政府の命令を聞かなくていい。
[13257] どうして政府は男女平等にしたのか? h23.9.17
作りごとの世界においては、政府が国民よりも上である。
しかし、実在の世界においては、政府と国民は平等である。
ところで、男よりも女のほうが馬鹿である。これは、科学的事実である。キュリー夫人やコワレフスカヤが天才だったのは嘘である。政府の作りごとである。
だから、女を社会進出させると人類みんなが馬鹿になる。例えば、女の先生が生徒を教えると生徒が馬鹿になる。
馬鹿は実在の世界よりも作りごとの世界を選ぶ。馬鹿は考えないから、他人の嘘[うそ]に騙[だま]されやすいからである。馬鹿は政府の作りごとに騙されやすい。
だから、政府は自分が国民よりも上の者になるために、男女平等の世界を作ろうとしているのである。
[13258] どうして戦争が起こるのか?☆ h23.9.18
政府が作りごとの世界を作っているからである。[政府が映画館に喩[たと]えられるのは、政府が作りごとの世界を作っているからである。国民は政府に見せられた映画を真[ま]に受けて、一生懸命に映画の真似[まね]をして、実在の世界の中でうまく行かなくなっているのである。実在に不適応になっているのである。ファミコンのスーパーマリオのやりすぎで、物を見ると無条件に飛び跳ねるようになるのと同じことである。]
政府の作りごとの世界においては、政府が国民よりも上である。だから、政府が国民に対して何でも命令できる。政府が国民を好きなようにすることができる。
そんな世界だから、戦争が起きるのである。たとえ戦争がいけないことだと知っていても、必然的に戦争が起きるのである。もともと作りごとの世界は実在の世界ではないから、実在の世界における理屈が通用しないので、実在の世界においては起きてはいけないはずの戦争が起きてしまうのである。戦争だけでなく、いろんな変なことが起こるのである。実在の世界では起こるはずのないことが起こってしまうのである。
つまり、戦争が起こるのは、政府が作りごとの世界を作っていることが原因である。
だから、戦争を起こさないためには、政府に作りごとの世界を作るのをやめさせねばらない。つまり、政府を倒して、政府のない国を作らねばならない。
政府の作りごとの世界と実在の世界の間には矛盾がある。人間が実在の世界と政府の作りごとの世界の両方を学ぶことは無理がある。両方を学ぶと気が狂う。だから、政府の作りごとの世界をなくさねばならない。
[13259] 国民の進歩 h23.9.18
昔の国民は馬鹿だったから、政府の芝居に騙[だま]されて政府を上の者だと信じていた。
だから、昔の国民は政府に従っていた。
しかし、今の国民は利口だから、政府が国民に自分を上の者だと思わせるためにいろんなことをやっていることを知っている。今の国民は、政府と国民が本当は平等であることを知っている。
だから、今の国民は政府に従わない。どうせ国民が政府に従っても国民が得になることは何もない。だから、国民は政府に頼らずに、自分で考えてやっていく。
今では国民が進歩している。国民の知的レベルが上がっている。だから、もはや政府は国民を騙せない。したがって、政府は国民を騙すことを諦[あきら]めて、国民と平等にやっていくしかない。
[13260] 今の政府の騙し方 h23.9.18
昔の政府は国民に自分を上の者だと思わせて、国民よりも上の者として振舞[ふるま]ってきた。
ところが、今では国民が政府を上の者だと思っていない。国民は『科学的には人間はみな平等である』ことを知っているから、政府が国民の眼の前で上の者として振舞うと、政府が国民に袋だたきにされて潰[つぶ]されるからである。
だから、今の政府はこれまでの騙し方を変えて、表では民主主義をやって裏では身分制をやっている。今の政府は表で国民と平等にするだけで、裏ではこれまでと同じように国民よりも上の者として振舞っている。これが、現代における政府の国民の騙し方である。
昔の政府は自分が国民よりも上の者だと嘘[うそ]を言って国民を騙していたが、今の政府は表と裏を使い分けることによって国民を騙しているのである。今の政府は国民に隠[かく]れて上の者をやることによって国民を騙しているのである。
しかし、政府は国民からいまだに税金を取っている。政府は国家宗教で国民を遊び半分に殺している。政府は国民に国家宗教などで“民主主義でない命令”を出している。だから、注意してよく見れば、政府は実際には今でも上の者(身分制)をやっているのである。政府はいまだに上の者のままなのである。
だから、政府は科学に反している。政府は科学に反することをやっている。今は科学の時代である。科学の時代においては科学に反することをやってはならない。なんびとたりとも実在に反することをやってはいけない。だから、政府はなくならねばならない。
[13261] 政府は上の者ではありえない。 h23.9.18
政府が国民から税金を取るためには、どうしても政府が国民よりも上の者でなければならない。
ところが、科学的には人間はみんな平等であって、国民よりも上の者は存在しない。政府が国民よりも上の者ではありえない。
だから、政府と国民は平等にしなければならない。政府は国民から税金を取ってはならない。国民は政府に税金を払ってはならない。政府は国民に命令を出してはならない。国民は政府の命令を聞いてはならない。
科学の時代においては、人の気持ちよりも客観的事実を優先しなければならない。だから、たとえ国民全員が政府を上の者にしたくても、政府は上の者にはなれない。たとえ国民全員が政府が上の者であることに賛成でも、政府は上の者ではない。実在においては政府と国民は平等である。したがって、政府は国民から税金を取れないし、国民に命令を出すことはできない。
[13262] 科学の時代☆ h23.9.18
今は科学の時代である。
科学の時代においては、人間はみな平等である。特定の人間が他の人間よりも上の者である科学的根拠がないから、人間はみな平等である。
ところが、政府は国民から税金を取ったり国民を遊び半分に殺したり国民に一方的に命令を出したりして、国民よりも上の者をやっている。
だから、政府が悪い。
したがって、国民は政府を倒さなければならない。時代に反する者を葬[ほうむ]らねばならない。
政府は自分が国民よりも上の者であることだけで持っている会社だから、科学の時代においては政府は潰れるしかない。
昔は科学がなかったから、人間が平等であることがわかっていなかった。だから、政府や宗教団体が国民よりも上になれた。政府や宗教団体が国民からお金を取ったり国民に命令したりできた。
しかし、今は科学があるから、人間が平等であることがわかっている。だから、政府や宗教団体が国民よりも上になれない。政府や宗教団体が国民からお金を取ったり国民に命令したりできない。
[13263] 福島原発事故 h23.9.18
たぶん政府がなかったら福島原発事故は起こらなかっただろう。
電力会社が万全の安全対策をやって事故は起こらなかっただろう。
政府が原発の設計に国家宗教か何かでくだらない余計な規制をかけたので、原発の安全性に不備が生じて事故になったのである。
原子力は原子核が丸いから神武天皇の喩[たと]えである。政府が神武天皇を神としなくなったことによって、政府がわざとに原発を壊れやすく作ったから壊れたのである。
政府は現実をなめている。
国民が政府の言うことを聞いてもいいことはなんにもない。政府は災[わざわ]いのもとである。政府がなければ国民は安全に生きられる。
政府はまじめな顔をして国家宗教でふざけたことばかりやっている。非科学的なふざけたことばかりする政府を早くなくさなければならない。
[13264] 政府の後[あと]の世界 h23.9.19
政府は上の者の会社である。
しかし、今は科学の時代である。
科学では、上の者はありえない。上の者である科学的根拠が何もないのに上の者であることはできない。
だから、科学の時代においては、政府はなくならねばならない。[政府はヨーロッパ式の上の者の会社であり、幕府はインド式の上の者の会社である。政府も幕府も同じ上の者である。だから、幕府もなくならねばならない。]
政府がなくなった後には、税金のない、国家宗教のない、国民に一方的に命令を出す会社のない自由で平等な世界が出来るだろう。[政府は国民から税金を取って国家宗教をやるだけである。国家宗教で国民を殺したり国家宗教で国民を嫌がらせる命令を出したりするだけである。国家宗教はいわば政府の遊びである。政府は何もしないでいるのは退屈だから国家宗教をやって暇をつぶしているのである。政府が上の者と言っても具体的には税金を取って国家宗教をやるだけである。]
[13265] 空威張[からいば]り馬鹿の会社 h23.9.19
政府は上の者と言って威張るだけで、なんにも仕事をしていない。
政府は空威張りの喜びがあるだけで、実力の喜びがない。[医者のバカ息子も空威張りの喜びしかない。]
政府は肩書きが立派なだけで、才能がない。
そんな政府が国民のために役に立つわけがない。
今は科学の時代である。実力の時代である。
これからの時代は、才能がある者を出世させないといけない。才能と地位が比例していなければならない。肩書きだけが立派な人間は存在してはいけない。
[13266] 政府は死んだ。 h23.9.19
今は科学の時代である。科学では人間はみな平等である。
政府はこれまで国民よりも上の者としてやってきたが、今ではそれはできないことになっている。
そこで、政府は表では平等のふりをして、裏では上の者をやっている。政府はテレビや新聞の上で民主主義をやっているだけで、実際には政府は密[ひそ]かに国家宗教で国民を遊び半分に殺したり国民に国家宗教で嫌がらせの命令を出したりしている。しかし、税金を取ることだけはどうしようもないから表に出ている。政府と国民が本当に平等なら、国民一人一人が承認しないかぎり政府は国民一人一人からお金を取れないはずである。[政府が“隠[かく]れて”上の者をやっているのは、政府が自分が悪いと思っているからである。政府は自分が悪いと知りながら、しかたがなく上の者をやっているのである。政府は自分で自分のまちがいを直せないから、いやいやながら上の者をやっているのである。だから、政府の負けである。政府は科学に負けたのである。しょせん、嘘では真実には敵[かな]わないのである。だから、国民がこのまま『人間みんなが平等である』ことで押していけば、政府を倒せるはずである。]
政府はいまだに上の者のままである。税金を広げていけば、政府がいまだに上の者をやっていることがわかる。政府は科学に反している。政府は真理に反したことをやっている。だから、政府が悪い。政府はなくならねばならない。
科学の時代においては、政府は滅ばねばならない。政府は滅ぶ運命にある。政府は死んだ。科学が政府を殺したのだ。
[13267] 今は科学の時代☆ h23.9.19
今は科学の時代である。科学では人間はみな平等であることが真理である。
科学の時代においては、人間はみな平等にしなければならない。科学の時代においては、誰もが上の者として振舞[ふるま]うことが禁止されている。
だから、今では政府は上の者をやることができない。政府は国民から税金を取れないし、国民に一方的に命令することができない。
政府がそれに反することをしたら政府が悪いことになるので、国民は政府に従わなくていい。
[13268] 民主主義の政治機関 h23.9.19
民主主義は国民主義である。
つまり、民主主義とは国民が法律を守りながら自由にやることである。
だから、民主主義においては、国民だけがあればよく、政治機関は要らない。
例えば、今の政府は民主主義の政治機関だそうだから、今の政府は要らない。
民主主義の政治機関が出来ないのは、最初からそんな物は要らないからである。民主主義の政治機関はいくら待っても出来ないのである。たとえ上の者の政治機関は出来ても、民主主義の政治機関は出来ないのである。
ただし、人間社会のある所必ず犯罪がある。犯罪のない社会はない。だから、警察と裁判所は必要である。だから、警察と裁判所が裁判をしながら法律を定めればいいのである。法律に関心のある国民は大勢いるから、国民からお金を取って裁判を見せるようにすれば裁判所は儲[もう]かるだろう。裁判所が毎年法律関係の本を出せば売れるだろう。警察と裁判所が犯罪者の逮捕“しか”やらなければ、国民は安心して警察と裁判所にお金を出すだろう。だから、警察と裁判所は安定に経営できるだろう。医者が病気の治療“しか”やらないから、国民が安心して医者にお金を出すのと同じことである。[医療保険費が高いのは、政府がネコババしているからである。政府がなくなれば、医療保険費は今よりもずっと安くなるだろう。]
[13269] 政府が悪い。 h23.9.19
今は科学の時代である。
科学では、人間はみんな平等である。
つまり、今は人間みんなが平等である。
それなのに、政府は国民から強制的に税金を取ったり国民に一方的に命令したりしている。政府は人間の平等性に反している。[政府は上の者だから国民から税金を取っているのである。政府が民主主義で仕事をするために国民から税金を取っているというのは、政府の屁理屈[へりくつ]である。政府が屁理屈が言えるのは政府が上の者だからである。政府は自分が上の者であることを使って国民に屁理屈を言っているのである。だから、政府は今でも上の者をやっているのである。]
だから、政府が悪い。政府は今の世界の『人間みんなが平等である』法律を犯しているのだから、政府が悪い。
だから、国民は政府に従わなくていい。政府は犯罪者だから、政府は滅ばねばならない。
[13270] 正義は勝つ h23.9.19
政府は国民に「政府が国民よりも上の者である」という嘘をついて、国民から税金を取ったり国民に命令を出したりしている。
しかし、科学では『人間はみな平等である。』だから、『政府と国民は平等である。』『政府と国民が平等である』ことが正しいから、政府は国民から税金を取れないし国民に命令を出すことができない。
しょせん、嘘は真実には敵[かな]わない。[「無理が通れば道理が引っ込む」というのは政府が作った嘘のことわざであって、実際にはそんなことはない。この世ではつねに正しいことがまちがったことよりも通用するのである。]だから、ひとたび真実がわかってしまったら、嘘は滅ぶしかないのである。
実際に、政府は国民から税金を取れなくなっている。政府は国民に命令を出せなくなっている。だから、政府は年々小さくなっている。政府は年々滅んでいる。
政府は正義に負けたのだ。
[13271] 政府は古い仕事である。 h23.9.19
科学的には、『政府と国民は平等である』ことが真理である。
ところが、政府は「政府が国民よりも上の者である」ことに立脚している。
だから、政府は滅ばねばならない。
地動説がわかったとき、天動説に立脚した占い師が仕事を失ったのと同じことである。
[13272] どうして多くの国民が政府に従っているのか? h23.9.20
多くの国民が『人間はみな平等である』ことを知らないからである。たとえ習ったことがあっても、忘れてしまっているからである。
科学的には、『政府と国民は平等である』ことが真理である。政府が国民よりも上の者である科学的根拠がないから、『政府と国民は平等である』ことになるのである。[平成23年9月27日追記:科学では、政府が国民よりも上の者であるためには、それを裏付ける“具体的事実”が必要である。ところが、そんな具体的事実はない。だから、政府は国民よりも上の者ではないのである。昔は科学がなくて具体的事実が要らなかったから誰でも上の者ぶっていれば上の者になれたが、今は科学があって具体的事実が要るから誰も上の者にはなれないのである。]
だから、国民は科学的真理に従えばいい。つまり、国民は『人間はみな平等である』ことを知って、『人間はみな平等である』ことに従えばいい。
したがって、国民は政府に従うのをやめればいい。
[13273] 実在への適応 h23.9.20
『人間はみな平等である』ことが実在における真実である。
人間は実在に適応することによって幸福になれる。人間は知覚があるから実在に適応できるのである。これまで人間は実在に適応することによって幸福になってきたのである。
だから、人間はみな平等にすればいい。
人間はみな平等だから、政府と国民は平等である。政府と国民は平等だから、国民は政府に税金を払わないし命令も聞かない。
「政府が国民よりも上の者である」という政府の作りごとの世界の中では人間は幸福にはなれない。作りごとと実在が噛[か]み合わなくて、作りごとだけで空[から]回りしているからである。天動説をいくら熱心に勉強しても自然のことがわからなくて、自然が人間の思い通りにならなかったのと同じことである。まちがいをいくら熱心に勉強しても実在から離れて行くだけである。人間は実在に適応すれば幸福になれるのであって、実在から離れてしまったら不幸になるだけである。だから、人間は政府の作りごとの世界から出て実在の世界に入ればいいのである。
実在は五感を超えたところにある。たとえ五感では「政府が国民よりも上の者」であっても、実在においては『政府と国民は平等』である。だから、政府と国民が平等にすればいいのである。
[13274] 政府は実在に反している。 h23.9.20
実在においては、人間はみな平等である。だから、政府と国民は平等である。
ところが、政府は国民よりも上の者として振舞[ふるま]っている。
政府は実在に反することをやっている。
だから、政府が悪い。
したがって、政府は滅ばねばならない。
政府がいくら国民よりも上の者になりたくてもなれない。実在が人間はみな平等だと決めているからである。
政府は自分ができないことをやろうとしている。
だから、政府は馬鹿なのである。
[13275] 政府の建前[たてまえ]と本音[ほんね] h23.9.20
政府は建前が平等で、本音は上の者である。
つまり、政府は国民の眼の前では平等だが、それ以外のところでは上の者である。政府は見かけが平等なだけで、やっていることは上の者である。
要するに、政府は上の者である。
しかし、今は人間みんなが平等であることが正しいと考えられている。
だから、政府がまちがっている。政府が自分が国民よりも上の者だと考えていることがまちがっている。
だから、政府は滅ばねばならない。
今が科学の時代でなければ、人間が平等であることがわからないから人間が不平等であることが許されるので政府がまちがいとは言えないが、
今は科学の時代だから、人間が平等であることがわかっているので人間が不平等であることが許されないから政府がまちがいだと言えるのである。
つまり、今の時代では政府が悪いのである。だから、国民は政府に従わなければいいのである。政府が建前を使っているところを見ると、政府は自分が悪いことを知っているから、国民が政府に逆[さか]らっても文句を言えないはずである。つまり、今の時代は政府が弱いのである。
人間は正しい世界を作っていかねばならない。そのためには、政府を取り除[のぞ]かねばならない。
政府が文句があるなら、『人間が平等である』ことを発見した学者に言わねばならない。『人間が平等である』ことはすでに定説だから、政府なんかにはどうしようもない。政府が真理に逆らってもどうにもならない。だから、政府はおとなしく滅びるしかない。
[13276] 福祉会社 h23.9.20
民主主義では、福祉をやろうがやるまいが個人の勝手である。例えば、私みたいな貧乏人は他人に福祉をする余裕がない。
だから、福祉をやりたい者“だけ”で福祉をやればいい。
福祉会社を作って、福祉をやりたい者“だけ”から寄付金を集めればいい。
その寄付金で福祉をやればいい。
[13277] 政府は『人間の平等性』に反している。☆☆ h23.9.20
人間みんなが平等なら、国民は国民みんなで決めた法律を守りながら“自由”にやればいい。
人間みんなが平等なら、政府と国民は平等である。政府と国民が平等なら、国民が政府にお金をやって仕事をしてもらう(命令を出してもらう)か政府にお金をやらずに仕事をしてもらわないかは国民一人一人の“自由”である。
国民が政府にお金をやって仕事をしてもらうことを政府が決めるのは、政府が国民の“自由”を奪うことであり人間の平等性に反している。
政府には、国民が政府にお金をやって仕事をしてもらうことを決める権利はない。
政府が国民から税金を取るのは『人間の平等性』に反することである。
たとえ国民みんなで“国民が政府にお金をやって仕事をしてもらう”ことを決めたとしても、それはそもそも『国民の平等性』に反することだからまちがっている。[民主主義とは国民(または国民の代表者)が多数決を採って物事を決めることだから、民主主義と“人間が平等であること”は別ごとである。]だから、『国民みんなが平等である世界』においてはそんなことを決めてはならない。『国民みんなが平等である世界』においては、国民が政府にお金をやって仕事をしてもらう法律を決めてはならない。たとえ民主主義であっても『人間の平等性』に反することを決めてはならない。なぜなら、『人間の平等性』が実在における真理だからである。つまり、多数決(民主主義)が必ずしも正しくはないということである。しょせん国会は多数決を採[と]る機関であって、真実を決める機関ではないということである。[一方、他人を殺してはいけないことや他人の財産を奪[うば]ってはいけないことは『人間の平等性』に反していないから法律にできるのである。それらはむしろ『人間の平等性』を推[お]し進めるから正しい法律である。つまり、法律とは“『人間の平等性』を実社会において具現化した命題”のことである。]
政府が国民から税金を取るのは、民主主義を使ったトリックだったのである。インチキだったのである。
だから、国民は政府にお金をやらずに仕事をしてもらわなくてもかまわない。
したがって、政府はじきに潰[つぶ]れるしかない。
[13278] 真理は民主主義よりも強い。☆☆ h23.9.22
政府が国民から税金を取ったり国民に命令を出したりするのは、政府が国民よりも上の者であることにほかならない。
ところが、今は『人間はみな平等である』ことが真理であると考えられている。
ところで、真理は多数決よりも強い。たとえ多数決でも真理には従わねばならない。それが多数決(民主主義)の限界である。例えば、多数決で「1+1=3」を決めることはできない。
だから、たとえ国民全員が“政府が国民よりも上の者である”ことに賛成でも、“政府が国民よりも上の者である”ことを決めることはできない。なぜなら、“政府が国民よりも上の者である”ことはまちがいだからである。政府にできることはせいぜい民主主義をやることつまり国会で多数決を採[と]ることだから、政府にはまちがいを決めることまではできない。つまり、さすがの政府も科学には敵[かな]わないのである。
したがって、政府が国民よりも上の者であることはできない。つまり、政府は国民から税金を取れないし、国民に命令を出すことはできない。
[13279] 人間がみな平等である時代 h23.9.22
今は人間がみな平等である時代である。
だから、国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくてもかまわない。
政府が国民に文句をつけてきたら、政府のほうが悪い。
だから、国民は政府を無視していい。
[13280] 民主主義では税金制を決められない。☆ h23.9.22
今は『人間はみんな平等である』ことが真理だと考えられている。
だから、政府と国民は平等である。
政府と国民が平等なら、国民が政府にお金を払って政府に仕事をしてもらうか国民が政府にお金を払わずに政府に仕事をしてもらわないかは国民一人一人の自由である。これが実在における真理である。
一方、政府には国会という多数決を採る機関がある。民主主義をする機関がある。
ところが、真理は多数決よりも強い。政府にできるのはせいぜい多数決を採ることであって、まちがいを決めることはできない。真理に逆らうことはできない。
したがって、民主主義では税金制を決められない。国会は税金制を決められない。政府は税金制を決められない。だから、国民は政府に税金を払わなければいい。
[13281] 政府は上の者である。 h23.9.22
政府は民主主義をやっている。
民主主義とは、国民(または国民の代表者)が多数決で物事を決めることである。
民主主義では、政府が国民に従うことになる。
ところが、実際には政府は上の者である。
だから、本当は政府は民主主義もやっていないのである。政府は自分にとって都合のいいことしか民主主義で決めないのである。
政府は人間みんなが平等であることも民主主義も両方ともやっていないのである。
しかし、今の世の中では政府が上の者であることは認められない。
だから、政府は滅びるしかない。
[13282] 政府も真理には敵[かな]わない。 h23.9.22
政府は国会という多数決を採[と]る機関を持っている。
しかし、真理は多数決よりも強い。
だから、政府も真理には逆らえない。
今では、『人間はみな平等である』ことが真理である。
だから、政府も国民と平等にしなければならない。政府は国民から税金を取ってはいけないし、国民に命令してはいけない。
[13283] 一揆[いっき]は犯罪である。 h23.9.22
江戸時代は科学がなかったから、まだ人間が平等であることがわかっていなかったので、人間は不平等であると考えられていた。だから、幕府が国民よりも上の者だと考えられていた。
だから、江戸時代においては、国民が幕府に逆らうことはいけないことだった。例えば、一揆はいけないことだった。悪いことだった。だから、一揆をやった者が処刑されたのである。
しかし、今は科学があるから、人間が平等であることがわかっている。だから、政府が国民と平等だと考えられている。
だから、今では、政府が国民から税金を取ったり国民に命令したりすることはいけないことである。国民から税金を取ったり国民に命令したりする政府が悪い。だから、国民から税金を取ったり国民に命令したりする政府は処刑されるのである。国民が政府を処刑すればいいのである。[普通の会社は国民と平等だから、国民から税金を取ったり国民に命令したりしない。だから、政府が人間の平等性に反しているのである。]
[13284] 政府追放 h23.9.22
今では『人間はみんな平等である』ことがわかっている。
だから、『人間みんなが平等である』ことが守られている社会を実現しなければならない。
しかし、世の中にはまだ「人間が不平等である」ことに基づいて仕事をしている会社がある。それが政府である。政府は自分が国民よりも上の者だと考えて、国民から税金を取ったり国民に命令したりしている。[政府と国民が平等なら、国民には政府の命令を聞くか聞かないかの自由があるはずである。国民が政府の命令を聞かねばならないのは、政府と国民が平等ではないからである。政府と国民が平等なら、国民は政府からお金をもらって政府の命令を聞けばいいのであって、国民が政府からお金をもらわなければ政府の命令を聞かなくていい。政府は昔「人間が不平等である」と考えられていた頃に出来た上の者の会社である。政府は今でも上の者の会社である。だから、政府が国民から税金を取ったり国民に命令を出すのは、政府が国民よりも上の者だからである。政府は国民のためを思って命令を出してくれるのではないのである。政府は上の者だから国民に命令を出しているだけであって、国民の生活を円滑に営[いとな]ませるために命令を出しているのではない。政府は上の者として国民の生活を邪魔[じゃま]するために命令を出しているのであって、政府は平等な者として国民の生活を助けるために命令を出しているのではない。だから、もともと国民に命令を出す機関なんか要らないのである。]
だから、人類みんなが協力してこの世から政府をなくさなければならない。
[13285] 政府は“命令を売る会社”である。☆ h23.9.23
今では人間はみんな平等である。
だから、今では国民に命令を出す会社は“命令を売る会社”しかありえない。
しかも、“命令を売る会社”と国民は平等だから、国民が“命令を売る会社”にお金を払って命令を買おうがお金を払わずに命令を買うまいが国民一人一人の自由である。
命令を売る会社が儲[もう]かるか儲からないかは、命令の出来がいいか悪いかにかかっている。つまり、命令が国民を幸福にするかしないかにかかっている。
例えば、政府は命令を売る会社である。だから、国民が政府に税金を払って政府の命令を聞くか、国民が政府に税金を払わずに政府の命令を聞かないかは、国民一人一人の自由である。実際には、政府は国民よりも頭がいいわけではなく国民一人一人の面倒を見切れないから、国民一人一人に適切な命令を出せないだろう。だから、国民は政府の命令を買わずに政府は潰[つぶ]れるだろう。そもそも命令を出す会社がまともな命令を出せるわけがなく、そんな会社はすぐに潰れるだろう。
[13286] 政府の二重構造 h23.9.23
政府の核は上の者である。政府には公[おおやけ]にされていない秘密の“上の者の機関”がある。
政府の外殻[がいかく]は平等な者である。例えば、国会議員や役所の職員は平等な者である。
そのために、政府は国民から見ると平等だが、逆に国民は政府から見ると下の者である。つまり、政府が国民に対してやることは上の者である。政府は上の者として国民から税金を取ったり国民に嫌がらせの命令を出したりしている。
つまり、政府は国民から見えるところは平等だが、見えないところは上の者である。
政府は二重人格である。だから、国民は政府に注意しなければならない。
今の政府は上の者と平等な者の折衷[せっちゅう]である。つまり、今の政府は国民と平等ではない。平等になり切れていない。だから、政府は今の世の中にあってはならない。
[13287] 科学の時代には政府の芝居[しばい]は通用しない。 h23.9.23
昔は科学がなくて『人間が平等である』ことがわかっていなかったから、政府が上の者のふりをしていれば上の者がやれた。
しかし、今は科学があって『人間が平等である』ことがわかっているから、いくら政府が上の者のふりをしても政府は上の者ではない。政府は上の者がやれない。
今では政府と国民が平等である。だから、政府は国民に命令できない。[税金は政府の国民に対する命令のひとつである。]
つまり、文学には嘘[うそ]と真実の区別がないが、科学には真実と嘘の区別があるので、科学のない時代には嘘が通用したが、科学の時代にはもはや嘘は通用しないのである。文学は真実がわからないので嘘が通用するので嘘と真実の区別がないが、科学は真実がわかるので嘘が通用せず嘘と真実の区別があるのである。
[13288] 政府は民主主義しか能[のう]がない。 h23.9.23
政府には国会という民主主義をする機関がある。多数決を採[と]る機関がある。
政府は民主主義によって国民に命令している。政府は自分が民主主義で決めたから国民に命令できると思って命令している。
ところが、民主主義よりも真理のほうが強い。民主主義よりも『人間はみんな平等である』という真理のほうが優先する。
人間がみんな平等である社会では、国民に命令する会社は“国民に命令を売る会社”だけである。
“国民に命令を売る会社”と国民は平等だから、国民が“国民に命令を売る会社”にお金を払って命令を買おうがお金を払わずに命令を買うまいが国民一人一人の勝手である。
政府は国民に命令を出しているから、政府も“国民に命令を売る会社”である。
だから、国民は政府にお金(税金)を払って政府の命令を聞こうがお金を払わずに政府の命令を聞くまいが国民一人一人の勝手である。要するに、国民が政府の命令を聞こうが聞くまいが国民の自由である。
政府にとって国会は役に立たない機関だったわけである。
[13289] 法律とは何か? h23.9.23
法律とは、『人間がみな平等である』ことが特定の文明において具体的に表現されたものである。
文明は時代とともに変化するから、法律も時代とともに変化する。
文明は地域とともに変化するから、法律も地域とともに変化する。
法律は文明が決まればひとりでに客観的に決まる。だから、法律を決める者は要らない。法律は国民が自分で考えればわかることである。
[13290] 他人に命令を出せる場合 h23.9.23
今では『人間はみな平等である』と考えられている。
そこで、今、平等な人間の集団があったとする。
平等な人間の集団において他人に命令できるのは、他人にお金をやる場合と、他人に命令を売る場合だけである。
他人にお金をやって命令しているのは、民間会社である。
他人に命令を売っているのは、政府や宗教団体である。
個人と民間会社が平等だから、個人と民間会社は労働契約を結んでいる。つまり、個人が民間会社からお金をもらって命令を聞くかお金をもらわずに命令を聞かないかは個人の自由である。
それと同じように、個人と政府や宗教団体などの“命令を売る会社”は平等だから、個人と命令を売る会社は利用契約を結ばねばならない。つまり、個人が命令を売る会社にお金を払って命令を出してもらうかお金を払わずに命令を出してもらわないかは個人の自由である。
つまり、国民個人が政府の命令が要らないと思えば政府に税金を払わなくていいのである。たとえば、今の私は仕事をしていなくて貧乏だから、政府の命令を買う余裕がない。だから、私は政府にお金を払って政府の命令を買わなければいいのである。よっぽど政府が好きな人だけが政府の命令を買えばいいのである。
[13291] 政府は平等主義を恐[おそ]れている。 h23.9.24
民主主義は平等主義に似ている。
政府は平等主義を民主主義に置き換えて、さらにそれを間接民主主義に置き換えて結局政府主義にしている。
しかし、厳密には平等主義と民主主義は等しくない。
平等主義は、人間みんなが平等ということである。
民主主義は、国民または国民の代表者による多数決によって物事を決めることである。
政府は2段階の置き換えによって平等主義を無効にしている。
政府にとっては平等主義がもっとも恐るべきものである。
平等主義は政府を滅ぼす。平等主義では、政府が国民一人一人と契約を取って経営しなければならず、国民は政府の命令なんか要らないから政府は国民の誰とも契約が取れず政府が潰[つぶ]れるからである。だから、政府は平等主義をやろうとしないのである。
政府が平等主義をやらなければ、国民がやればいいのである。今の政府が国民と契約を取らずに国民から税金を取って国民に命令を出すことはまちがっていることである。だから、国民は政府に従わなければいいのである。国民が自分で正しいと考えることをやればいいのである。
今は『人間みんなが平等である』ことが正しいことだと考えられているから、人間みんなが平等である社会を早く実現しなければならない。そのために政府が邪魔ならさっさと政府を取り除[のぞ]かねばならない。たとえ人間みんなが平等である社会が嫌であっても、人間みんなが平等であることは真理だから、人間みんなが平等である社会を実現しなければならない。
[13292] 政府が上の者であっても国民にとって得にはならない。 h23.9.24
政府が上の者だと国が軍隊みたいになって強くなるかもしれない。
政府が真面目[まじめ]にやってくれるならそれでいいかもしれない。
しかし、政府は自分が上の者だと思って国民の嫌がらせを一生懸命にやるだけである。
だから、上の者はいけないのである。人間の平等性に反してはいけないのである。
人間が実在に反することをすると、政府のように気が狂う。だから、人間は実在に反することをしてはいけない。
[13293] 売れるパソコンの条件 h23.9.24
私が考える究極のパソコンは、頑丈[がんじょう]で、静かで、ある程度の性能があるパソコンである。
頑丈というのは、外部からの電気入力に対してタフだということである。外部から有害な電気入力があったとき、すぐに基盤やハードディスクが壊れたりしないことである。パソコンは特にハードディスクが壊れやすいから、いい基盤を使ってハードディスクの破損を防がなければならない。
静かというのは、原則的には無音(0dB[デシベル])でなければならないということである。人間が考えるためには静かであることが重要なので、パソコンは音を立ててはならない。また、音楽を聴くためにもパソコンはなるべく静かであって欲しい。できれば無音が望ましいが、どうしてもやむをえなければ少しは音がしてもいい。[コンピューターの性能に“うるささ”も書いて欲しい。最小何dB〜最大何dBまで音を立てるかを書いて欲しい。]
ある程度の性能があるというのは、一般的なパソコンの使用条件を満足する性能があるということである。インターネットをやったりデジカメをやったりする程度の性能があればいいということである。反対に、最新のゲームをやる性能は要らないということである。[ゲームをするためにパソコンがあると考えると、新しいゲームが出るたびにパソコンを買い替えなければならなくて不経済なので、パソコンとゲーム機を分けたほうがいいかもしれない。]最近のパソコンはやたらに性能が高いが、不必要に性能が高いだけである。パソコンの性能が高いために、パソコンが壊れやすくなったり音が大きくなったりしては元[もと]も子もない。だから、パソコンの性能は実際に使う分だけあればいい。具体的にいえば、Pentinum4の3GHz、RAM2G、HDD100Gぐらいの性能があれば必要十分である。
以上3つの条件を満足するパソコンを安い価格で作れば売れるはずである。
最近のパソコンはパソコン自体の性能が高いことだけを目指して、パソコンの所有者の心を満足させることまで考えていない。このへんで、本当にいいパソコンとは何か?について考え直すべきである。
[13294] 科学の時代 h23.9.24
日本が科学の時代になったのは、昭和40年(西暦1965年)頃[ごろ]である。だいたい私が生まれた頃である。
つまり、日本では昭和40年頃になって、ようやく『人間がみな平等だ』と考えられるようになったのである。
それまでは「人間が不平等である」ことが正しいことだと考えられていたのである。つまり、政府や幕府が国民よりも上の者であることが正しいと考えられていたのである。政府や幕府が国民を下の者だと思って国民を好き放題にすることが正しいと考えられていたのである。政府や幕府は人間が不平等であると考えられていた頃に出来た上の者の会社である。
『人間がみな平等である』歴史が浅いから、いまだに政府が国民よりも上の者をやっているのである。
しかし、科学の時代になって50年は経[た]とうとしている。だから、もうそろそろ政府がなくなってもいい頃である。
[13295] どうして政府は植民地政策をやったのか?☆ h23.9.24
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。政府が国民よりも上の者だと考えられていた。
だから、政府は国民の上の者のイメージに合わせるために植民地政策をやったのである。国民が政府を上の者だと思っていたから、政府は自分が上の者であるために無理をして植民地政策をやったのである。政府が国民のイメージに踊[おど]らされていたのである。日本では肩書きだけでは認められないので、政府は上の者としての実力があることを国民に見せるために植民地政策をやらねばならなかったのである。[実際には、植民地政策は政府が国民の金を使ってやったイカサマだったが。つまり、植民地政策は八百長[やおちょう]の戦争のことである。]
政府は植民地政策以外にも、国民の上の者のイメージに合わせていろんなことをやったのである。政府が国家宗教で国民を遊び半分に殺したり国民を嫌がらせる命令を出すのもそのためである。政府に国会や警察や学校などがあるのもそのためである。政府が国民から高い税金を取っているのもそのためである。政府が国民に国民一人当たり1000万円の借金を負わせて国民に貧乏暮らしをさせているのもそのためである。
しかし、今では『人間が平等だ』と考えられている。政府が国民と平等だと考えられている。
だから、今の政府は国民の平等な者のイメージに合わさなければならない。政府は国民一人一人と契約を取ってから、国民からお金を取って国民に命令を出さねばならない。国民が政府と契約を取らなければ、政府は国民からお金を取って国民に命令を出してはいけない。
[13296] どうして日本は景気がいい国だったのか? h23.9.24
日本は古代や近代に植民地政策をやった。そんな国はアジアの中でも日本だけである。
日本が植民地政策をやったのは、日本の景気がよかったからである。
日本の景気がよかったのは、日本が先進国だったからである。日本に先進性があったからである。
つまり、日本人が頭のいい民族だったから、日本が景気がよかったのである。
だから、反対に今の日本が不景気なのは、今の日本人が頭が悪くなっているからである。日本人は戦後一時景気がよかったことに油断して、考える努力を怠[おこた]ったために頭が悪くなったのである。あるいは、テレビやテレビゲームが発明されて、国民がテレビを見たりテレビゲームで遊んでばかりいるようになって考えなくなったからかもしれない。そもそも日本人は貧乏のせいで頭がよかったのであって、戦後日本人が物が豊かになったために馬鹿になったのかもしれない。日本人の習慣が大きく変わったので、日本人が馬鹿になったのである。人間が考えるためには“暇”[ひま]が必要である。テレビやテレビゲームが日本人から暇を奪ってしまったのだ。
日本人から頭のよさをとったら何も残らない。何の取り柄[とりえ]もない。
今の日本人はもっと考える努力をしないといけない。自分で考えることを大切にしないといけない。
[13297] 政府は有罪である。 h23.9.24
今では『人間みんなが平等だ』と考えられている。
だから、今後政府が国民から税金を取ったら政府は有罪である。政府が遊び半分に国民を殺したら政府は有罪である。政府が国民に命令を出したら政府は有罪である。
政府がそんなことをしたら、政府は『人間の平等性』に反していることになる。[日本人は論理性が高いから、政府が『人間の平等性』に反していることがわかるはずである。]
つまり、政府は国民と平等にしなければならないということである。
[13298] 政府は国民から税金を取れない。 h23.9.24
政府が国民から税金を取っているのは、命令で取っている場合と、命令を売って取っている場合の二通りがある。
命令で取っている場合は、政府が国民よりも上の者ということになる。しかし、今では人間はみな平等だと考えられていて、政府が国民よりも上の者であることは認められないから、政府は税金を取ってはいけないことになる。
命令を売って取っている場合は、政府は“命令を売る会社”ということになり、政府は国民一人一人と契約を取ってから命令を売らねばならない。しかし、今の政府は国民一人一人と契約を取っていないから、政府は料金(税金のこと)を取ってはいけないことになる。[たとえ政府が国民に命令を出していないとしても、政府は国民と契約を取ってから料金を取らねばならない。]
どちらにしろ、政府は国民から税金を取ってはいけない。だから、政府は国民から税金を取れない。
[13299] 政府は国民から税金を取れない。(その2) h23.9.25
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。政府は国民よりも上の者だと考えられていた。
だから、政府はこれまで自分が国民よりも上の者のつもりで国民から税金を取ったり国家宗教で国民を遊び半分に殺したり国民に嫌がらせの命令を出したりしていたのである。
しかし、今は『人間が平等だ』と考えられている。政府は国民と平等だと考えられている。
だから、今後は政府は自分が国民よりも上の者のつもりで国民から税金を取ったり国家宗教で国民を遊び半分に殺したり国民に嫌がらせの命令を出したりすることはできないのである。
[13300] 今は移行期 h23.9.25
昔は「人間が不平等だ」と考えられていた。
未来は『人間が平等だ』と考えられているだろう。
今は人間が不平等な世界から人間が平等な世界への移行期である。政府が国民よりも上の者の世界から政府が国民と平等な世界への移行期である。
ところが、政府と国民が平等なら、政府は国民の役に立つことを何もしていないから、国民は政府の世話になりたくないから、政府は潰[つぶ]れる。上の者は下の者に仕事をする必要がないので、政府は国民から税金を取るだけで国民の役に立つ仕事をしていないのである。
だから、今は政府があった世界から政府がない世界への移行期である。つまり、政府はなくなりつつある。気の早い国民はすでに政府がないと考えて実行している。
今は人間が不平等な世界から人間が平等な世界への移行期である。今は複雑な時代である。今の社会は、一見[いっけん]止まっているかのように見えるが、じつは人類がこれまで経験したことがないほど劇的に変化しているのである。