[13101] 政府における議会制民主主義の役割り h23.8.4
政府における議会制民主主義(例えば、国会)の役割りは、国民に政府を民主主義の政治機関と思わせることにある。
同様に、政府における国家宗教の役割りは、国民に政府を哲人主義の政治機関と思わせることにある。
議会制民主主義も国家宗教も、国民に政府を上の者だと思わせるためにあるのではない。だから、『裸の王様』のおとぎ話はまちがいである。
国民に政府を上の者だと思わせているのは、国民が政府に従っていることである。国民が政府に従っていることが、国民に政府を上の者だと思わせているのである。
政府は国民が政府に従っているのを見て、政府は自分が国民よりも上の者だと思って国民に対して民主主義や哲人主義と関係のない好き勝手なことをしている。国民からお金を取ったり国民に嫌がらせをしたりしている。政府は要らない事業(例えば、新幹線や瀬戸内海大橋や高速道路)や男女平等政策のように“国民を喜ばせるふりをしてじつは嫌がらせること”をしているのである。[マンガは眼先では面白いが、頭ではつまらない。政府は国民にマンガを読ませるような政策をしているのである。つまり、政府は国民にくだらない喜びを押し付けて国民をかえって不幸にしているのである。政府に政治をやらせると国民がどんどん不幸にされるのである。]
議会制民主主義や国家宗教や植民地政策は、国民を政府に従わせて政府が国民よりも上の者みたいになるためのきっかけにすぎない。だから、国民が政府に従っているかぎりは、政府にとっては議会制民主主義や国家宗教や植民地政策はどうでもいいのである。
政府は民主主義や哲人主義の政治機関のふりをして、じつは政府は国民が政府に従っていることを利用して国民よりも上の者のふりをして国民から金を取って国民に嫌がらせをしている。だから、国民にとって政府はなくなったほうがいい。
だから、国民は政府に従うのをやめて、政府が国民よりも上の者みたいにならないようにして、政府を潰[つぶ]せばいい。
[13102] なんだかわからない会社 h23.8.4
政府が国民を嫌がらせる会社なのに国民が政府に従っているのは、国民が政府がなんだかわからないからである。
なんだかわからなければ従わなければいい。自分がわからなければ、自分は何もしなければいい。自分がわからなければ、自分がわかるまで待[ま]てばいい。
実際には、政府は国民を嫌がらせる会社である。政府は“国民を喜ばせるふりをしてじつは嫌がらせる会社”である。政府はそうやって古代から国民をからかい続けてきたのである。
だから、国民は政府に従ってはならない。
政府自身も自分がこんなに成功するとは思わなかっただろう。
国民は政府に従いすぎだ。政府に従う国民をもっと減らせばいい。
[13103] 国民は自分で自分を虐[いじ]めている。 h23.8.5
政府の正体は、“国民みんなが無条件に従うことによって上の者みたいになっている会社”である。
議会制民主主義や国家宗教は中身(政府の正体)を覆[おお]うための蓋[ふた]にすぎない。
そもそも国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。[「国民が政府に従わねばならない」のは、政府が勝手に決めたでっち上げである。本当は、この世にはそんな決まりはないのである。政府は民主主義の政治機関でも国民よりも上の者でもないから、政府にそんなことを決める資格はない。]
政府は自分が上の者だと思って国民に嫌がらせばかりしている。国民から税金やピンはねなどでお金を取ったり、余計な事業をして国民に負債を押し付けて国民を貧乏にして国民が面白いことができないようにしている。国民がおいしい物を食べたり、国民が楽しいことがやれないようにしている。国民がいくら一生懸命に努力して働いても、政府がそれを上まわる嫌がらせをするので、国民の暮らしはどんどん面白くないものになっている。
だから、国民にとっては政府がなくなったほうがいい。
したがって、国民は政府に従わず、政府を上の者みたいにせず、政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民にとっては政府のような漠然[ばくぜん]とした国民のためになる(じつは国民を嫌がらせる)サービスをする会社ではなく、具体的な個々のサービスをする会社があればいいのである。
国民が政府に従うから政府は上の者になって国民に嫌がらせをする。国民が政府の命令を聞けば聞くほど国民は政府に不幸にされる。だから、国民が政府に嫌がらされないためには、国民が政府に従わなければいいのである。
政府は国民の税金によって支えられている。つまり、政府は国民みんなが作り上げた会社である。ところが、政府は国民を虐めている。つまり、国民は自分が作った会社のために自分が嫌な目にあわされている。国民は政府に自分を虐めてもらっているのである。だから、国民は自分が嫌な目にあわされないために政府をなくさねばならない。
[13104] どうして国民は政府に騙[だま]されるのか? h23.8.5
国民が何も考えずにボケーとして生きているから他人に騙される。政府や宗教団体に騙される。[政府も宗教団体も、上の者ぶっている馬鹿の集まりである。]
国民がエッチや見栄[みえ]の欲望で生きているから何も考えずに他人に騙される。
あるいは、国民は自分が無責任で済むから政府に責任を押し付けて政府の言いなりになっているのである。しかし、その結果、国民は政府によって確実に不幸にされているのだ。
大人は図体[ずうたい]がでかいだけで頭は子供以下である。
人間として生まれたら考えて生きて行かねばならない。
[13105] 国民は仕事に追われすぎている。 h23.8.5
国民は自分が働くことよりも政府を潰[つぶ]すことを優先すればいい。
国民は自分が働くことを政府を潰すことよりも優先するから、いつまで経[た]っても政府が潰れずに生き残って、政府が国民を嫌がらせ続けているのである。
国民は馬鹿である。
国民は政府を潰した後で、自分を嫌がらせる者をなくした後で、気持ちよく働けばいいのである。
国民が政府を倒すのは簡単である。国民が政府の命令を聞かなければいいだけである。政府は国民が政府に従うことによって上の者みたいになって生き残っているだけの会社なので、国民が政府に従わなくなれば政府はすぐに潰れるのである。国民は政府よりも数がずっと多いから、国民全員でかかれば政府を確実に倒すことができる。
[13106] 政府の正体☆ h23.8.5
政府の正体は“上の者のふりをしている詐欺会社”である。
政府は国民を政府に従わせることによって国民に政府を上の者だと思わせてますます国民を政府に従うようにさせている。[[13100]の図を参照。]
政府は国民を政府に従わせるきっかけとして、植民地政策や国家宗教や議会制民主主義をやったのである。つまり、植民地政策や国家宗教や議会制民主主義は政府が国民を釣るためのエサなのだ。
そもそも国民が政府に従わねばならない理由はない。国民は政府に騙[だま]されて政府に従っているだけである。本当は、政府と国民は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。
だから、国民は政府に従う必要はない。
したがって、国民は政府に逆[さか]らって自由に暮らせばいい。国民は政府のない世の中を作ればいい。
[13107] 生首[なまくび]事件 h23.8.6
だいぶ前に、小学生が友達の首を切って校門の前に置いた事件があった。
その元ネタは、私が高校生の頃、学校の図書館でアフリカの首狩り族が籠[かご]の中に生首を入れている写真を見たことにある。ある日、高知学芸中学校の図書館で私の知り合いが集まって本を見ているから、私がなんだろうと思って見たら、生首の写真があったのである。[高知学芸高校は高知学芸中学校と校舎がつながっているので、高校と中学の間を自由に行き来できるのである。]
宗教では自分たちで勝手に決まりを決めている。宗教では神に人間が従わねばならないことになっているから、政府が日本神道の神である私が生首の写真を見たことを使って日本神道の子供の信者に命じて友達の首を切らせたのである。現実には神は政府が勝手に人間よりも上の者と決めた者にすぎないから神に人間が従わねばならない理由はないが、宗教では自分たちで勝手に「神に人間が従わねばならない」という決まりを決めて守っているのである。
ちなみに、首を切った小学生が信じていた“バモイドオキ神”とは、バモイド←バのような←ブ(バ≒ブ)で、オキ神←オキシン←oxyn←酸←三←川(三≒川)だから、バモイドオキ神とはブ川←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私のことである。小学生が首を学校の校門に置いたのは、籠[かご]→かご→がこ→学校だからだろう。
一般に、政府や信者は自分たちで勝手に決めた「神に人間が従わねばならない」決まりを使って法律(国民が決めた法律)に反するいろんな悪事をやっている。政府や信者は犯罪者集団にすぎない。だから、国民は政府や信者を倒さねばならない。そのためには、国民は政府の命令を聞かず政府に税金をやらなければいい。信者にピンはねさせなければいい。
[13108] マンガの何がいけないか? h23.8.6
マンガはその名の通り漫画つまり面白本位だからいけないのである。面白主義だからいけないのである。
人間は面白主義で生きてはいけないのである。
人間は心よりも五感や知覚を優先しなければならないのである。心よりも実在を優先しなければならないのである。
人間は実在を心に従わせるのではなく、実在に心を従わせねばならない。つまり、正しいことの中で楽しまねばならないのだ。
マンガはその法則を犯しているからいけないのだ。マンガは『面白主義がまちがっている』からいけないのだ。
つまり、マンガを読むと面白本位になって正しいことがわからなくなるからいけないのだ。
要するに、マンガを読むと馬鹿になるからいけない。
政府は国民を馬鹿にするために、一生懸命にマンガに力を入れている。政府は国民に政府の正体がわからないようにするために、国民にマンガを読ませたりアニメを見せたりして国民を馬鹿に改造しているのである。政府はマンガが人間を馬鹿に変える作用を悪用しているのだ。やはり、出版社と政府は組んでいるのだ。ヨーロッパにはマンガがない。やはり日本はヨーロッパを見習うべきだ。
[13109] どうして政府は私を神にしたのか? h23.8.6
政府や信者(政府の子分の国民)は自分で勝手に「神に人間が従わねばならない」決まりを決めて法律を犯して悪事をやっている。
だから、神が多いほど政府や信者は好き勝手なことがやれる。
政府や信者は神武天皇を神とする国家宗教を2000年もやってきてやることがマンネリになっていた。モーゼとキリストのように昔から国家宗教では約2000年ごとに新しい神を加えることになっている。
それで、昭和40年頃に政府は私を新しい神に加えたのである。
それで、政府や信者はますます法律を犯して悪事がやれるようになったのである。政府や信者は自分が国民よりも上の者だと思って悪事をやっているのである。政府や信者は国民から「好き勝手に悪事をやっている」と言われた時に「そうではない」と言い訳[いいわけ]をするために、「神に人間が従わねばならない」という決まりを守って悪事をやっているのである。
政府が私を国民に公表しなかったのは、国民がもはや神を信じなくなっているからである。そのため、政府と信者だけで私を神とする国家宗教を密[ひそ]かにやっているのである。終戦直後に神武天皇を神としなくなったのも、政府が国民が神を信じなくなったことに合わせたからである。しかし、実際には、政府や信者はその後も神武天皇を密かに神とし続けているのである。
政府が私を神に選んだのは、私の名前が川野延夫[かわののぶお]で川野延夫←川ブ←シブ(川≒シ)←シンブ←神武だから私が神武天皇の代理になれることと、私の名前が駄洒落[だじゃれ]でいろんな物に適用できるからだろう。私は自分の名前で神になっただけでそれ以外の理由はないのだ。
[13110] どうして政府は国民よりも上の者なのか? h23.8.6
政府が国民よりも上の者なのは、国民が政府に従っているからである。それ以外の理由はない。
だから、反対に国民が政府に従わなくなれば、政府はもはや上の者ではないのである。
政府や信者は国民よりも上の者になって国民に嫌がらせをするだけである。
だから、国民は政府に従うのをやめて、政府を上の者にしなければいいのである。政府が国民よりも上の者でなければ、政府は国民に何も命令することができない。[[13100]の図を参照。]政府が国民よりも上の者でなければ、政府は国民に対して嫌がらせをすることができない。
[13111] 会社の上役[うわやく]と政府は違う。 h23.8.6
自分が会社の上役に従えば従うほど、自分はいい目にあう。
しかし、自分が政府に従えば従うほど、自分は嫌な目にあわされる。
それは、会社の上役は自分と平等だが、政府は自分よりも上の者だからである。
自分が会社の上役に従えば、逆に会社の上役が自分に従って自分をいい目にあわせてくれる。
しかし、自分が政府に従うと、政府はますます上の者だと思って自分に嫌がらせをする。
だから、国民は会社の上役と政府を混同してはいけない。政府は特別な存在なので普通とは反応が反対なのである。[[13061]を参照。]
自分が会社の上役に従えば従うほど自分がいい目にあうが、反対に自分が政府に従わなければ従わないほど自分がいい目にあうのだ。
[13112] 政府の負け。☆ h23.8.7
政府は甘い言葉(植民地や民主主義や国家宗教などのこと)で国民を騙[だま]して国民を政府に従わせることによって結果的に政府が国民よりも上の者になって国民に好き勝手な命令をしている。政府は国民には自分が民主主義の政治機関だと言っておきながら、実際には政府は自分が国民よりも上の者だと思って国民を嫌がらせることばかりやっている。政府は外面[そとづら]がいいだけで、やることはえげつない。国民は政府の嘘[うそ]に騙されて政府が民主主義の政治機関だと信じてひたすら政府の命令に従い続けているのである。
政府はしょせん詐欺会社である。
政府が国民を騙せるうちは政府の勝ちだが、
政府が国民を騙せなくなったら政府の負けである。
国民は政府が民主主義の政治機関だと思って政府に従っている。しかし、本当は政府は民主主義の政治機関ではなく、国民よりも上の者だと思って国民に嫌がらせをする会社である。だから、国民が政府に従う理由はない。したがって、国民は政府に従わなければいい。
[13113] 福祉政策 h23.8.7
政府が福祉政策をやっているのは、障害者に莫大[ばくだい]な金をかけて国民を貧乏にするためである。
政府は国民を貧乏にして国民の喜びを奪うために、一生懸命に福祉をやっているのである。[もうひとつの理由は、福祉←フクシ←フシ←シフ←川フ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。つまり、政府は私を神とする国家宗教で福祉に力を入れているのである。]
国民は障害者のために不快な生活を強[し]いられることはない。
国民は自分が幸福になるために福祉をやめて障害者を見殺しにすればいいのだ。
政府に好き勝手にやらせると国民が不幸にされるだけだ。例えば、戦争も政府が国民を貧乏にするためにやったのである。戦争はお金の無駄遣[むだづか]いである。だから、国民は早く政府を倒して政府のない国を作らねばならない。
[13114] 老人医療 h23.8.7
政府は福祉政策の一環として老人医療にも力を入れている。
政府は老人に莫大[ばくだい]な金をかけることによって国民みんなを貧乏にしている。国民みんなを貧乏にして国民みんなから喜びを奪っている。
政府は老人にお金をかけることによって特に若者から喜びを奪っている。おかげで国民は若い時には喜びがないし、歳を取ると喜びがないから、一生の間ずっと喜びがないことになる。
政府は国民を生まれてから死ぬまで喜びがないようにするために、老人医療に力を入れているのである。[昭和天皇が高齢だったし、老人←年寄り←トシヨリ←トシ←シト←川フ(シ≒川、ト≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、政府は天皇や私を神とする国家宗教で高齢者福祉に力を入れているのである。]
国民は老人のために不幸にされることはない。
国民は自分の幸福のために老人医療をやめて老人を見殺しにすればいいのだ。
人生の喜びは若い時にしかない。老人はさっさと死ねばいいのだ。
[13115] 仕事とお金 h23.8.8
お金の儲かる仕事が必ずしも価値が高いとは限らない。
お金の儲からない仕事でも価値が高い場合がある。
“価値が高い仕事”をお金が儲かるようにしなかった社会が悪いのである。
そんな社会は滅んだほうがいいのかもしれない。
今の人類は馬鹿すぎて政府に騙されている。
今の人類は生きる価値がないのかもしれない。
人類が馬鹿すぎるから世の中がうまくいかないのだ。
人類はもっとオリコウにならねばならない。
今の人類は眼が見えるだけで頭で考えることができない。
人類は思ったよりも変態の集団なのかもしれない。
[13116] 国民はどうして政府に従っているか?☆ h23.8.8
国民が政府が民主主義の政治機関だと思っているからである。
国民は政府の嘘に騙されて政府を民主主義の政治機関だと思って政府に従っているのである。
しかし、本当は政府は民主主義の政治機関ではない。
政府は自分が国民よりも上の者だと思って好き勝手なことをする会社である。国民から金を取って国民に嫌がらせをする会社である。
だから、国民が政府に従う理由はない。
したがって、国民は政府に従わなければいい。
[13117] 『猿の惑星』 h23.8.8
映画『猿の惑星』では、猿が政府で人間が国民なのではない。
猿は馬鹿な人類で、人間は利口な人類である。
未来の社会では馬鹿な人類が幅を利かせて利口な人類を駆逐[くちく]しているのである。
いや、すでに現在の社会がそうなっている。例えば、人類が馬鹿すぎるために政府が国民を支配している。
テレビやマンガが発明されてから、ますます人類の文明は後退を続けている。
地球を猿の惑星にしてはいけない。
[13118] 政府は天罰である。 h23.8.9
人類は利口になる道を選んでいない。人類は馬鹿になる道を選んでいる。
人類が馬鹿だから、国民が政府に騙されて嫌な目にあわされるのである。
いわば、政府は馬鹿な人類に与えられた天罰である。人類が馬鹿にならないために、自然によって人類に与えられた刑罰である。つまり、この世では馬鹿は幸福になれない。利口しか幸福にはなれない。それが人間に与えられた宿命なのだ。
人類がもっと利口になれば、国民が政府に騙されなくなって政府が滅んで国民は幸福になれるだろう。
そうなるように、人類は努力しなければならないのだ。
[13119] 政府は詐欺会社である。 h23.8.10
政府は、国民を従わせることによって上の者になる会社である。政府は上の者になって国民から税金を取ったり国民に嫌がらせの命令を出している。
ところが、政府が国民を従わせるために、政府は嘘をついている。政府は国民を従わせて自分が国民よりも上の者になるために、自分が民主主義や哲人主義の政治機関だと嘘をついている。[政府が嘘で国民を騙して国民をちょっと政府に従わせれば、あとは悪循環回路([13100]の図参照)によって政府による国民支配は無限大に増幅されるのである。雪だるまが坂道を転げ落ちながら大きくなるように、政府による国民支配がどんどん大きくなるのである。]政府は本当は民主主義の政治機関でも哲人主義の政治機関でもなく“国民よりも上の者になって国民に嫌がらせをする会社”なのに、政府は国民を従わせるために「政府が民主主義の政治機関や哲人主義の政治機関だ」と国民に嘘を言っている。[ところが、国民は馬鹿だから、政府が国民を虐[いじ]めていることがわからず、政府が国民に善[い]いことをしてくれていると思って政府に従い続けているのである。]
だから、政府は詐欺会社である。
政府が詐欺会社でなければ、政府は正直に国民に『政府は国民を騙して政府に従わせて国民よりも上の者になる会社だ』と言わねばならない。そうすれば、国民みんなは政府に従わなくなるだろう。政府は上の者になれなくなるだろう。
政府の正体は、国民に嫌がらせをする不良の会社である。そんな会社に誰が従うものか。
政府は民主主義の政治機関ではない。民主主義の政治機関は国民自身である。政府は“国民に嫌がらせをすることを仕事とする上の者の会社”である。だから、国民にとって政府は要らない。政府は国民を従わせることによって国民よりも上の者になっている。だから、国民は政府に従うのをやめて政府を上の者にしなければいい。
[13120] 馬鹿の自由 h23.8.11
今の国民の大半は、たとえ自分が政府に嫌がらされても自分は馬鹿でいたいと思っている。考えるのが死ぬほど嫌なのである。だから、自分が一生頭を使わずに政府に騙[だま]される道を選んだのである。
しかし、世の中にはたまに考えるのが好きな人もいる。考えるのが好きな人にとっては他人に騙されるのが嫌である。他人に騙されると自分が馬鹿ということになって、自分の人間としての名誉に傷がつくからである。
だから、自分が馬鹿であるか利口であるかは、個人の自由である。つまり、自分が馬鹿で政府に騙されるか、自分が利口で政府に騙されないかは、個人の自由である。
だから、自分が馬鹿でいたい人は死ぬまで政府に騙されればいい。自分で考えるのが嫌いな人は政府の言いなりになればいい。一生他人の言いなりになって生きて行けばいい。
反対に、自分が馬鹿でいたくない人は政府に騙されなければいい。自分で考えるのが好きな人は政府の言いなりにならなければいい。自分独[ひと]りで考えて生きて行けばいい。
人間にとって、自分が馬鹿であるかないかは個人の自由である。だから、政府に従うか従わないかも個人の自由である。人間には馬鹿の自由があるのであって、馬鹿の義務はないのである。
つまり、今の世の中には自分で考えるのが嫌いな人が多いので、大勢の人が詐欺会社の政府の嘘に騙されて政府の言いなりになっているのである。たまに自分で考えるのが好きで、政府の言いなりにならない者もいるのである。政府に従わない者は、大勢の中にいるので目立たないだけのことである。
[13121] 暴力団は詐欺会社である。 h23.8.11
暴力団は実際には暴力を使わない。
暴力団は顔が怖いだけだ。
暴力団は顔が怖いから、馬鹿は暴力団が怖くて暴力団の言いなりなのである。
馬鹿は“怖い者”に従う習性があるから、暴力団はその習性を利用して儲けているのだ。暴力団は自分の顔や身体を整形して怖く見えるようにして、馬鹿を脅[おど]して金を取っているのである。
政府も宗教団体も暴力団も、馬鹿の習性を利用して儲けている会社だ。つまり、馬鹿は“口先の言葉”に従う習性があるから、政府は馬鹿の習性を利用して儲けているのだ。馬鹿は“神”に従う習性があるから、宗教団体は馬鹿の習性を利用して儲けているのだ。馬鹿は結局、詐欺会社に騙[だま]されて損をするだけだ。[これまでは政府と宗教団体が詐欺会社で暴力団は暴力で脅すから別だと考えていたが、これで政府も宗教団体も暴力団もみな詐欺会社だと考えられるようになったのである。]
世の中がうまく行かないのは、馬鹿が多いからである。日本はたまに利口がいるが、それ以外は馬鹿なのである。国民がもっと利口にならなければ、国民は幸福に生きていけない。
[平成23年8月12日追記)昔から暴力を使うことはいけないことだとされている。だから、暴力団が暴力を使って国民を脅[おど]す団体なら、暴力団はとっくの昔に滅んでいる。だから、暴力団が今でも生き残っているのは、暴力団が詐欺会社だからである。国民が“自分が馬鹿でいたい欲望”を満足して生きているから、暴力団が今でも生き残っているのである。]
[13122] 人間の宿命 h23.8.11
政府も宗教団体も暴力団も詐欺会社である。
国民が馬鹿だから、国民を騙[だま]して儲ける詐欺会社ができる。国民は詐欺会社に騙されて泣かされる。
国民が利口なら、国民を騙して儲ける詐欺会社はできない。
馬鹿では幸福にはなれない。そのように世界はできている。
人間は自分の頭を使わなければ幸福になれない。
だから、国民は“自分が馬鹿になりたい欲望”を諦[あきら]めて捨てねばならない。
[13123] 国民が悪い。☆ h23.8.12
政府は国民を騙して国民を嫌がらせているが、そもそもは国民が悪いのである。
国民が考えるのが嫌いで馬鹿だから、国民を騙す政府ができるのである。
国民が考えるのが好きで利口なら、国民を騙す政府はできない。
だから、そもそも国民が考えることが嫌いなのがまちがっているのである。
だから、国民が考えることが好きになればいいのである。
人間は考えれば幸福になる。考えなければ不幸になる。
だから、人間は考えればいいのである。
国民が「自分が考えないことが幸福だ」と考えているのがまちがっている。
国民は『自分が考えることが幸福だ』と考えねばならない。国民は自分の“知覚欲”(知覚を働かせる喜び)を満足させねばならない。
考えることは人間のたった一つの取り柄[とりえ]である。だから、自分が人間として生まれたら考えて生きていくしかないはずだ。それを怠[おこた]る者には幸福になる資格はない。
[13124] 国民には2種類いる。 h23.8.12
国民は考えるのが嫌いな馬鹿ばかりではない。まれには考えるのが好きな利口もいる。
馬鹿は政府に騙されるが、利口は政府に騙されない。
だから、国民には、馬鹿で政府に騙される国民と利口で政府に騙されない国民の2種類がいる。
政府はそれらを区別しなければならない。
政府は馬鹿な国民と利口な国民を区別して国民と対応しなければならない。
つまり、政府は馬鹿な国民に命令をするだけで、利口な国民に関わってはならない。[私が言うまでもなく、政府はすでにそうしているようである。]
[13125] 詐欺会社を滅ぼす方法 h23.8.12
国民が馬鹿だから詐欺会社ができたのだ。[詐欺会社のひとつに政府があるだけのことである。]
国民が馬鹿でなければ詐欺会社はできない。
つまり、詐欺会社ができたのは国民が馬鹿なことが原因である。
だから、反対に国民が利口になれば詐欺会社が滅ぶのだ。政府や宗教団体や暴力団が滅ぶのだ。
詐欺会社が時代とともにだんだん衰[おとろ]えているのは、国民がだんだん利口になっているからである。
そのうち詐欺会社は滅ぶだろう。
[最近、暴力団の国民からのお金の取り方が税金(ショバ代)からピンはねに変わったのは、今の国民が利口になって暴力団のスゴ味による脅しが効かなくなっているからである。そこで暴力団はいまだに脅しが効く馬鹿な国民だけを狙[ねら]ってピンはねをするようになったのである。だから、国民としては馬鹿にお金を扱う仕事をさせてはいけない。]
[13126] 国民は馬鹿である。 h23.8.12
国民が馬鹿だから詐欺会社ができる。国民が詐欺会社に虐[いじ]められる。
国民が馬鹿でなければ詐欺会社はできない。国民が詐欺会社に虐められない。
今の日本には政府という大きな詐欺会社がある。
だから、今の日本の国民は馬鹿なのである。
[13127] 馬鹿は不幸である。 h23.8.13
国民が馬鹿だから詐欺会社ができる。国民が詐欺会社に虐[いじ]められる。
国民が馬鹿でなければ詐欺会社はできない。国民が詐欺会社に虐められない。
だから、国民が馬鹿なほうが国民が不幸である。国民にとって損である。
世の中は、馬鹿が幸福でいられるほど甘[あま]くはない。馬鹿は他人に騙[だま]されて不幸にされるだけである。
だから、国民が幸福であるためには国民は馬鹿であってはならない。
馬鹿は不幸であり、利口は幸福である。
国民が馬鹿であるかぎり、国民は幸福にはなれない。
国民が幸福になるためには、国民は利口にならねばならない。国民が幸福になるためには、国民が馬鹿をやめればいいのである。
[13128] 政府は社会発展の障害である。 h23.8.14
政府は詐欺会社である。政府は民主主義や哲人主義の政治機関のふりをした詐欺会社である。
だから、本当は政府は民主主義も哲人主義もやっていない。政府は神の情報を使って国民イジメをやっているだけである。
政府があるから人間社会が発展しない。
政府がなくなれば人間社会は発展する。
だから、絶対に政府をなくさなければならない。
わざわざ政治機関なんか作らなくてもいい。政治機関があるから世の中がシラけるのだ。国民が自分で考えて社会を発展させればいいのである。もっとも、国民から税金を取れなければ、政治機関なんか出来ようもないだろう。
[13129] 詐欺会社は正義の味方である。☆ h23.8.14
昔から、馬鹿は悪くて利口は善[い]いと決まっている。
詐欺会社が国民を騙[だま]すのは、国民が馬鹿だから許されるのである。詐欺会社に騙される国民のほうが悪く、国民を騙す詐欺会社のほうが善[い]い者だと考えられてきたのである。だから、政府や宗教団体や暴力団などの詐欺会社がこれまで堂々と馬鹿を騙して儲[もう]けることができたのである。詐欺会社は嘘をつくから卑怯[ひきょう]だけれども、馬鹿をやっつけるからじつは善[い]い者なのである。詐欺会社は利口だから、国民から崇[あが]められてきたのである。
しかし、詐欺会社が暴力を使って無理やり国民に命令を聞かせるのは許されない。そんなことをすれば、国民は詐欺会社を馬鹿な悪者だと考えて詐欺会社を許さないから、詐欺会社はすぐに潰[つぶ]れる。だから、政府や宗教団体や暴力団はこれまで一度も国民に暴力を使ったことがないのである。[暴力で国民を支配できるなら、すでにそのような団体があるはずである。しかし、実際にはそんな団体はない。だから、暴力では国民を支配できないのである。嘘なら支配できるのである。それは、暴力では暴力の強さが誰でもほぼ同じなので団体よりも国民のほうが数が多いから団体が国民に敵[かな]わないのに対し、嘘では一人の嘘が大勢の人間を騙すことができるので団体が国民に対して優位に立てるからである。/暴力団は相手を殴[なぐ]るふりをするのはかまわないが、相手に拳[こぶし]を当ててはいけない。相手の身体に当たる寸前で止[と]めないといけない。だから、暴力団は暴力を使わない。暴力団は法律を守りながら国民を脅[おど]しているのである。/政府が暴力団を逮捕しないのは、そもそも暴力団が法律を犯していないからである。暴力団は“スゴ味”で馬鹿を脅して馬鹿を言いなりにしているだけだから、暴力団は法律的には悪くないのである。暴力団の近所の住民は暴力団の雰囲気が悪いから暴力団に文句をつけているだけである。政府に暴力団を逮捕しろと言っているのである。]
つまり、国民は詐欺会社を馬鹿を倒す正義の味方だと考えて支持してきたのである。だから、政府や宗教団体や暴力団に国民の人気があるのである。馬鹿な国民をやっつけるのが政府や宗教団体や暴力団の仕事なのである。利口な国民は、詐欺会社が馬鹿な国民をやっつけるのを傍[はた]から眺[なが]めていればいいのである。政府は“民主主義や哲人主義”で、宗教団体は“神”で、暴力団は“スゴ味”で馬鹿を騙してやっつける正義の味方なのである。
[13130] 政府とは何か? h23.8.14
政府とは、騙[だま]されている人が多い詐欺会社である。
国民のほとんどが政府に騙されている。
テレビ会社や新聞会社も政府に騙されて、政府を民主主義の政治機関として報道している。[国民の知性が低いから、テレビや新聞を眼で見て政府が民主主義の政治機関だと思って政府に従っているのである。しかし、頭で見ると、政府は国民を嫌がらせる詐欺会社なのである。]
しかし、たとえ政府が大きくても、政府はしょせん詐欺会社である。
だから、国民が利口になれば国民が政府に騙されなくなって政府は滅ぶだろう。
[13131] 政府は国民に嘘[うそ]をつく会社である。 h23.8.15
政府は国民に自分が民主主義の政治機関だという嘘をついて国民を政府に従わせて国民よりも上の者になって国民に民主主義ではない好き勝手な命令を出している。政府はわざとにまちがった命令を出して国民を不幸にしている。[政府はあとで国家宗教の神と言葉や形の上(例、川ブや光る玉)でつなげて国家宗教でやったことにしている。]
昔の政府は国民に自分が哲人主義の政治機関だという嘘をついて国民を政府に従わせて国民よりも上の者になって国民に哲人主義ではない好き勝手な命令を出していた。
つまり、政府は国民に嘘をついて上の者になる会社である。政府は民主主義や哲人主義を国民を政府に従わせる道具として利用しているだけである。政府は最初から国民に好き勝手な命令を出すのが目的なのである。
だから、政府は本当は民主主義ではない。
したがって、国民が政府に従う理由はない。
だから、国民は政府に従わなくていい。
したがって、政府は国民よりも上の者になれない。
だから、国民はますます政府に従わなくていい。
政府の正体は詐欺会社である。国民が詐欺会社に騙されなくなったら詐欺会社はおしまいである。
政府は口先で民主主義だと言っておきながら実際には民主主義をやっていない。だから、国民は政府を辞[や]めればいいのである。キリスト教会がキリストの意思だと言っておきながら実際にはキリストの意思に反することをやったためにキリスト教の信者がキリスト教を辞めたのと同じことである。国民は自分自身によって生きていけばいいのである。
[13132] 馬鹿は治[なお]る。 h23.8.15
いくら私が正しいことを書いてやっても、国民は知ろうとしない。
それは、国民が馬鹿だからだ。馬鹿は正しいことを知るのが嫌だから私が書いたことを読もうとしないのだ。
だから、『馬鹿は死ななきゃ治らない』と言うのだ。
馬鹿は「正しいことを知るのを嫌なことだ」と考えている。
利口は『正しいことを知るのを楽しいことだ』と考えている。
馬鹿は哲学(考え方)がまちがっている。
だから、国民は『正しいことを知ることを喜びだ』と考えるようにしなければならない。そうすれば馬鹿は治る。
[13133] 政府は詐欺会社である。 h23.8.15
政府は“民主主義”で国民を騙[だま]す詐欺会社である。
政府は“民主主義”で国民を政府に従わせて国民よりも上の者になって国民に好き勝手な命令を出している。政府は国民に民主主義ではない命令を出して国民を不幸にしている。
宗教団体が“神”で国民を宗教団体に従わせて国民よりも上の者になって国民に好き勝手な命令を出しているのと同じである。暴力団が“スゴ味”で国民を暴力団に従わせて国民よりも上の者になって国民に好き勝手な命令を出しているのと同じである。
今の国民は馬鹿なので、国民のほとんどが政府に騙されて政府の言いなりになっている。政府のまちがった命令に従って不幸にされている。
そもそも民主主義とは、国民が法律を守りながら自由にやることだから、民主主義の政治機関なんか要らないはずである。せいぜい警察が要るだけである。
政府は自分が国民よりも上の者になって国民に好き勝手な命令を出すために自分が民主主義の政治機関だと嘘をついているだけである。
政府は民主主義の政治機関ではない。だから、国民は政府なんか要らない。国民は政府を辞[や]めて自由に暮らせばいい。
[13134] 幕府も政府も詐欺会社である。 h23.8.15
徳川幕府は「人間社会には身分制がある」という嘘をついて国民を従わせて国民よりも上の者になった。
日本政府は「政府が民主主義の政治機関だ」という嘘をついて国民を従わせて国民よりも上の者になった。
幕府も政府も自分が国民よりも上の者になるために嘘をついていただけである。
国民は幕府や政府のような詐欺会社に騙されてはいけない。
[13135] 馬鹿が悪い。 h23.8.16
国民が馬鹿だから、国民が詐欺会社に騙[だま]されて国民が詐欺会社にお金を取られる。
政府のお金の取り方が変わっているのは、政府が詐欺会社である証拠である。政府のお金の取り方は宗教団体や暴力団と同じである。だから、政府は宗教団体や暴力団と同じ詐欺会社である。政府は“民主主義”で国民を騙す詐欺会社である。
国民のほとんどが政府に騙されている。
国民のほとんどは利口ぶっているだけで、じつは馬鹿である。この世は利口な国民が民主主義の政治機関に従って幸福に暮らしているのではなく、じつは馬鹿が詐欺会社に騙されて不幸な目にあっているのだ。[つまり、眼先では利口な国民が民主主義の政治機関に従って幸福に暮らしているように見えるが、頭では馬鹿が詐欺会社に騙されて不幸な目にあっているように見える。]
だから、国民みんなが政府になめられて、政府に虐[いじ]められるのだ。利口な国民は馬鹿な国民の巻き添えを食って損をしなければならないのだ。
諸悪の根源は、馬鹿な国民にある。
この世に馬鹿な国民がいなければ詐欺会社はできない。
だから、世の中から馬鹿な国民がいなくなればいい。
馬鹿がくたばり利口が生き残る社会にすればいいのである。利口な国民が馬鹿な国民を攻撃して殺せばいいのである。
馬鹿が詐欺会社に騙されるのは馬鹿の勝手である。だから、利口が馬鹿の巻き添えを食わないで済[す]むようにして欲しいものだ。利口な国民が馬鹿な国民にわざわざ合わせてまちがったことをやらなくてもいい。利口な国民は自分の正しい考えで生きていけばいいのである。
馬鹿がいるから馬鹿を騙す詐欺会社が出来て世の中がメチャクチャにされる。だから、国民一人一人が詐欺会社に騙されないようにならねばならない。
[13136] 役所は目障[めざわ]りだ。 h23.8.16
日本は馬鹿が多すぎる。
おかげで、日本中が詐欺会社(役所のこと)だらけだ。
日本は馬鹿をもっと減らさねばならない。
政府が大きすぎる。政府を暴力団のように小さくしないといけない。
[13137] 国民は政府を辞[や]めるべきである。 h23.8.17
政府は民主主義の政治機関ではない。
政府は民主主義で国民を騙す詐欺会社である。
だから、他人が政府に入っているからといって、自分が政府に入る必要はない。政府に入っている者が馬鹿なだけである。[国民みんなが政府に入っているかどうかはわからない。政府に入っていない国民は意外に多いのかもしれない。]
誰でも詐欺会社に騙されるのは自分が馬鹿みたいだから嫌である。かっこ悪いから嫌である。
だから、国民みんなが政府を辞めればいいのである。
「政府に入れば得をする」というのは政府がついた嘘である。本当は、政府は国民から金を取って国民に嫌がらせをするだけである。だから、国民は政府に入ると損をするだけである。だから、国民は嘘つきの政府を無視して政府に入らずに暮らせばいいのである。
現代では『政府が詐欺会社である』ことは国民の常識である。だから、国民が政府に入ろうが入るまいが国民の自由である。現代人には『政府に入らない自由』があるのだ。
[13138] 宗教団体とは何か? h23.8.17
宗教団体とは、神で国民を騙[だま]す詐欺会社である。
「宗教団体が国民を神に従わせて国民を幸福にしている」というのは宗教団体が国民についた嘘である。本当は、宗教団体は国民から金を取って国民にまちがった教えを説[と]いて国民を嫌がらせているだけである。
「政府が民主主義の政治で国民を幸福にしている」というのが政府が国民についた嘘であるのと同じことである。本当は、政府は国民から金を取って国民に民主主義でない命令を出して国民を嫌がらせているだけである。
つまり、宗教団体とは嘘の哲人主義の政治団体である。宗教団体は自分が哲人主義の政治で国民を幸福にしていると言うだけで、本当は宗教団体は国民に哲人主義でない命令を出して国民を不幸にしているのである。政府が嘘の民主主義の政治団体であるのと同じことである。
宗教団体も政府も詐欺会社である。宗教団体も政府も最初から国民を騙すために出来た会社である。詐欺会社は嘘をつくのが商売である。詐欺会社は口先で客を幸福にすると言うだけで本当は客を不幸にしている。だから、国民は詐欺会社の客にならないほうが幸福である。
[13139] 真理主義 h23.8.17
要するに、人間は真理に従えばいいだけである。人間は真理に従えば幸福になれる。とにかく人間は実在に適応すれば幸せになれるのである。
哲人主義も民主主義も真理主義のためにある。つまり、哲人主義や民主主義は本来真理を得るための方法なのである。
『政府や宗教団体や暴力団は詐欺会社であり、国民が幸福であるためには詐欺会社の客になってはならない。』ことも真理である。だから、国民は政府や宗教団体や暴力団の客にならなければいい。
国民一人一人が正しいことを理解し正しいことを実践する以外には人類が幸福になる道はないのである。
[13140] お金 h23.8.17
お金は人間が生きるための道具であって、目的ではない。お金は人間が生きるための目的ではない。
だから、お金は人間が生きるために足りていればいいだけである。それ以上のお金は要らない。
[13141] 日本神道 h23.8.17
日本神道(神武天皇教)とは、日本が植民地政策をやれば豊かになるという教えである。
しかし、実際には、植民地政策は国が外国にお金をやって一時的に外国を借りることであり、植民地政策をやっても国は豊かにはならない。むしろかえって貧しくなる。
だから、神武天皇教の教えはまちがっている。
だから、日本神道は嘘の哲人主義である。日本神道は最初から教え自体がまちがっているのである。
昔の政府は神武天皇教をやっていた。だから、政府は詐欺会社なのである。
今の政府も民主主義をやっているふりをして本当はやっていないのである。
[13142] キリスト教 h23.8.17
キリスト教とは福祉政策のことである。
キリスト教とは、福祉政策をやれば国民みんなが幸福に生きられるという教えである。
しかし、実際には、福祉政策は役立たずにお金をやって国民みんなが貧乏になることである。福祉政策をやっても国民は幸福にならない。かえって不幸になる。
だから、キリスト教の教えもまちがっている。
だから、キリスト教は嘘の哲人主義である、キリスト教は最初から教えがまちがっている。
昔のヨーロッパ政府はキリスト教をやっていた。だから、ヨーロッパ政府は詐欺会社である。
今のヨーロッパ政府も民主主義をやっているふりをして本当はやっていないのである。
世界中の政府が詐欺会社である。世界中の政府が国民を不幸にする政策をやっているのである。
[13143] 幕府と政府☆ h23.8.17
徳川幕府は国の生産力を増やすことによって税収を増やすことを考えた。
ところが、政府は国の生産力を増やすことをしない。政府は国の生産力を減らすことばかりやって税収を増やすだけである。
幕府よりも政府のほうが国民にとっては厳しい生活を強いられる。幕府よりも政府のほうが意地悪[いじわる]である。幕府のほうが政府よりも性格があっけらかんとしていてやり方が単純でいい。政府は国民に親切なふりをしてじつは国民を嫌がらせるのでかえってたちが悪い。[徳川幕府の身分制はインチキ丸出しである。幕府が自分で自分を上だと言っているだけである。それだからこそ幕府は政治機関として真面目[まじめ]に働かねばならなかったのであろう。一方、政府の民主主義は一見もっともである。だからこそ、政府は政治機関として真面目に働かないのだろう。徳川幕府も政府も同じ“政治機関のふりをした詐欺会社”だが、性格が違うのだ。幕府のほうが政府よりも国民にとっては有利だ。つまり、幕府は表裏[おもてうら]がなく、政府は表裏がある。幕府は表でも裏でも上の者として振舞[ふるま]ったが、政府は表では民主主義で裏では上の者として振舞っているのだ。つまり、幕府は言っていることとやっていることが同じだが、政府は言っていることとやっていることが反対である。幕府は論理があるが、政府は論理がない。政府は国家宗教のように駄洒落[だじゃれ]があるだけだ。実在は論理的だから、幕府は実在的で、政府は実在的ではない。(だから、幕府は戦争をやらないが、政府は戦争をやる。)幕府は知覚的だが、政府は五感的である。(だから、幕府は考える教育をやるが、政府は眼で見たことを憶える教育しかやらないのだ。)幕府と政府は反対なのだ。]
国民が馬鹿だから国民に命令を出す政治機関が必要になる。国民が政治機関のふりをした詐欺会社に騙される。国民が幸福になるためにはやはり国民自身が利口になって国民が政治機関に頼らずに自分自身で考えてやっていくしかないようである。
[13144] 政府は馬鹿である。 h23.8.17
政府は国民の役に立たないことをやって国民を貧乏にする会社である。国民を貧乏にして国民を不幸にする会社である。
政府のために国民みんなが不幸にされる。
政府は自分が幸福でないから、国民を自分の道連れにして国民を不幸にしているのである。
政府が幸福でないのは政府が馬鹿だからである。政府は馬鹿だから、いつも不満満面[ふまんまんめん]なのである。
国民は馬鹿だが、国民を騙す政府もそれに劣らず馬鹿なのだ。政府は他人を騙す才能が発達しているだけで、本当は馬鹿なのだ。政府は馬鹿だから、他人を騙す才能が発達しているのだ。馬鹿ほどつまらない才能が発達しているものだ。
政府が騙せるのは馬鹿だけである。利口な国民は政府を無視して政府から独立してやっていくだろう。
[13145] どうして民主主義の政治機関が出来なかったか? h23.8.17
民主主義の政治機関なんかもともと要らない。なぜなら、国民が法律を守りながら自由にやるのが民主主義にほかならないからである。[[13133]参照。]
だから、民主主義がわかっている者は民主主義の政治機関を作ろうとしない。だから、民主主義の政治機関が出来なかったのである。民主主義に徹[てっ]すると民主主義の政治機関は要らないのである。[一方、中世の日本は哲人主義だった。哲人主義は国民が哲人の思想に従うことである。だから、哲人主義の政治機関はどうしても必要である。だから、中世の日本には日本政府がなければならなかったのである。ところが中世の日本政府は哲人主義の政治機関として植民地政策をやらなかった。それで国民は政府が要らないと考えて政府を倒したのである。そこで政府に代わって新しい哲人主義の政治をやろうとする幕府が現れたのである。]
ところが、馬鹿な国民を騙して儲けようとする詐欺師はいくらでもいる。だから、“民主主義”で国民を騙して儲ける詐欺会社つまり日本政府が出来たのである。馬鹿な国民は政府にまんまと騙されて政府に従うようになったのである。本物の民主主義の政治機関が出来ずに、ニセモノの民主主義の政治機関が出来たのである。
つまり、日本政府はそもそも要らない会社である。詐欺師が作った余計な会社である。だから、日本政府はなくなったほうがいい。宗教団体が要らない会社であるように、政府もまた要らない会社なのである。
[13146] 国民は政府の餌[えさ]である。 h23.8.17
政府とは、馬鹿を騙して儲[もう]ける詐欺会社である。
今の日本には馬鹿が多いから、政府がけっこう儲かっている。
未来の日本に馬鹿がいなくなれば、政府は滅びるだろう。
政府は自分が儲けるために、国民を馬鹿に変えようとしている。国民を頭で考えない眼で見たことしかわからない馬鹿にしようとしている。そのために、政府はテレビやマンガに力を入れている。
国民は政府の餌にされないように注意しないといけない。
[13147] 政府の嘘は聞き飽[あ]きた。 h23.8.17
政府は“哲人主義”や“民主主義”で国民を騙してきた。
政府はその時代の流行の主義に乗っかって嘘をついて国民を騙している。
将来、民主主義を超える主義が現れたら、政府はまた違うやり方で国民を騙すだろう。
政府は“流行の主義”で国民を政府に従わせて国民よりも上の者になりたいだけだ。国民よりも上の者になって国民に好き勝手な命令を出したいだけだ。政府にとっては“哲人主義”や“民主主義”は自分が国民よりも上の者になるための道具にすぎないのである。
国民は政府に騙されないように注意しなければならない。
国民は政府に従う悪い癖[くせ]を直さねばならない。
[13148] 政府はマンガである。 h23.8.18
マンガは本来読む価値のないくだらないものである。
しかし、馬鹿はマンガをありがたがって買って読む。
それと同じように、政府は本来従う価値のないくだらない会社である。
しかし、馬鹿は政府をありがたがってお金を払って命令を聞いている。
馬鹿にとってはマンガや政府が立派[りっぱ]なものに見えるから、マンガや政府をありがたがるのである。
反対に、利口にとってはマンガや政府がくだらないものに見えるから、マンガや政府を忌[い]み嫌うのである。
私も子供の頃はマンガを読んでいた。人間は子供のうちは馬鹿だが大人になると利口になる。だから、政府は子供が従うべきであって、大人が従うべきではない。
[13149] 国民は政府に騙されてはならない。 h23.8.18
政府は“民主主義”で国民を騙す詐欺会社である。政府は民主主義の政治機関ではない。政府は国民に口先で民主主義をやると言うだけで、実際にはやっていない。政府は口先だけの民主主義で国民を政府に従わせて国民よりも上の者になって国民の財産を奪ったり国民を嫌がらせたりしている。
大勢の国民が政府に騙されている。
国民が政府に騙されなくなればいい。
そうすれば政府は滅ぶだろう。
昔は国民みんなが宗教団体に騙されて宗教団体に入っていた。[宗教団体は“神”すなわち“哲人主義”で国民を騙す詐欺会社である。つまり、宗教団体は国民に口先で哲人主義をやると言うだけで、実際にはやっていなかったのだ。宗教団体は口先だけの哲人主義で国民を従わせて国民よりも上の者になって国民の財産を奪[うば]ったり国民に嫌がらせをやっていたのだ。例えば、仏教の場合、哲学がまちがっている。だから、仏教の教えを国民に押し付けることは国民に対する嫌がらせにほかならない。仏教は口先で国民を幸福にするというだけで、実際には国民を不幸にしていたのである。一般に、宗教とは詐欺団体がやっていた嘘[うそ]の哲人主義であり、詐欺団体は国民を幸福にすると見せかけて実際には不幸にしていたのである。宗教団体は国民を虐[いじ]めるために、わざとにまちがった教え(一見[いっけん]正しそうに見えるがじつはまちがった教え)を説[と]いていたのである。政府が国民を虐めるために、わざとにまちがった行政をやっているのと同じことである。]
しかし、今では国民が宗教団体に騙されなくなって、ほとんど誰も宗教団体に入っていない。
それと同じように、国民が政府に騙されなくなって、政府に入らなくなればいいのだ。
国民が宗教団体に入っても得になることがないように、国民が政府に入っても得になることがない。だから、国民は宗教団体を辞めたように政府を辞[や]めればいいのである。
[13150] 意地糞悪馬鹿[いじくそわるばか]の会 h23.8.19
政府は国会で決めたことを実行しているが、それだけではない。
政府は国民の眼の届かないところで民主主義とは無関係に好き勝手なことをやっている。国民を嫌がらせることをやっている。政府は国民の嫌がらせをして、あとで言葉や形の上で国家宗教の神とつなげて国家宗教でやったことにしている。
政府は意地糞悪馬鹿の会である。政府は国民を虐[いじ]める会である。政府は他人を虐めることが趣味の人間が集まって作った会である。
国民は政府を潰[つぶ]さねばならない。
[13151] 不幸になりたい国民は政府に従えばいい。 h23.8.19
政府は国民に口先で民主主義をやると言うだけで実際にはやっていない。
だから、政府は詐欺会社である。
詐欺会社に国民が騙されるか騙されないかは国民個人の自由である。[「国民が詐欺会社に従わねばならない」のは、詐欺会社が国民についた嘘[うそ]である。例えば、「国民が政府に従わねばならない」のは、政府が国民についた嘘である。詐欺会社は嘘をつくから詐欺会社なのである。詐欺会社は国民に嘘をついて「国民が詐欺会社に従わねばならない」と思わせているだけである。本当は、国民が詐欺会社に従うか従わないかは国民の自由なのである。]
政府は自分に騙されて自分に従っている国民を自分よりも下の者だと思って嫌がらせをしている。
だから、不幸になりたい国民は政府に騙されて政府に従えばいい。
不幸になりたくない国民は政府に騙されずに政府に従わなければいい。
[13152] 馬鹿の尺度 h23.8.19
政府は馬鹿を騙して儲ける詐欺会社である。
国民のほとんどが政府に従っている。
だから、国民のほとんどが馬鹿である。
政府に従っている者は馬鹿であり、政府に従っていない者は馬鹿でない。
政府に従うか従わないかで、馬鹿であるかないかがわかる。
つまり、政府は馬鹿の尺度である。
馬鹿が宗教団体に入っているように、馬鹿が政府に入っているのである。
残念ながら、今の国民のほとんどが馬鹿である。
だから、今の世の中はよくない。
[13153] どうすれば上の者をなくせるか?☆ h23.8.19
国民が“一方的に”政府に従うから、政府が国民よりも上の者になるのである。政府が上の者になって好き勝手なことをして国民を嫌がらせるのである。
だから、国民と“相互に”従う会社だけにすれば、上の者はできない。
だから、国民と契約を取って仕事をする会社だけにすればいい。
国民は政府に一方的に従うのをやめて、自分と契約を取った会社だけに従うようにすればいい。
そうすれば、国民みんなが平等に幸福に暮らせる国ができる。
上の者がいるから国民は上の者に不幸にされる。国民が幸福であるためには上の者をなくさねばならない。
[13154] どうして国民は政府に従っているのか? h23.8.19
国民が政府に従っているのは、国民が民主主義の政治機関である政府の命令を聞けば自分が幸福になれると思っているからである。
しかし、実際には、政府は民主主義の政治機関ではない。政府は国民に口先で民主主義をやると言うだけで、実際にはやっていない。政府は実際には国民を嫌がらせるために民主主義とは関係のないことをやっている。
だから、いくら国民が政府の命令を聞いても国民は幸福にはなれない。かえって不幸になるだけである。
したがって、国民は政府に従わなければいい。国民は政府の命令を聞くのをやめて勝手に暮らせばいい。
今の国民が政府に従っているのは、昔の国民が宗教団体に従っていたのと同じである。昔の国民は自分が哲人主義をやっている宗教団体の命令を聞けば幸福になれると思っていたのである。しかし、実際には、宗教団体は哲人主義をやっていなかった。宗教団体は国民を嫌がらせるためにわざとにまちがった教えを広めていた。そのうち国民は宗教団体がインチキであることがわかったので、宗教団体に入るのをやめたのである。今の国民も早く政府がインチキであることがわかって、政府をやめるべきである。
[13155] どうして国民は政府に従っているのか? h23.8.19
政府が幸せな国を作る会社だと考えている国民が、政府の命令を聞いて政府に活動資金として税金を払っているのである。
しかし、実際には政府は不幸な国を作る会社である。政府は口先だけの民主主義で国民を政府に従わせて国民よりも上の者となって国民を嫌がらせている。政府は“国民を一見喜ばせるようでじつは嫌がらせること”をしている。
だから、政府が幸せな国を作る会社だと考えている国民がまちがっている。
つまり、政府は詐欺会社であって、馬鹿な国民が政府に騙されて政府に従っているだけのことである。利口な国民は最初から政府を詐欺会社だと考えて政府に従っていない。政府は“騙されない国民”(いわゆる堅気[かたぎ]の人)に対しては手出しはできない。[例えば、一般の国民は脱税しても捕まらない。政府は信者(政府の子分の国民)に脱税させて信者を逮捕して国民に脱税してはいけないように思わせているのである。]
国民にとっては政府のような悪質な会社はないほうがいい。だから、国民は政府を滅ぼせばいいのである。政府がなくなったほうが国民が幸せになれる。
[13156] 政府は詐欺会社である。 h23.8.19
政府は昔宗教団体だった。
しかし、そもそも宗教団体は詐欺会社である。宗教団体は真面目[まじめ]に哲人主義をやる会ではない。宗教団体は見え透[す]いた幸福観で国民を馬鹿にしてからかう会である。
だから、政府は詐欺会社である。
今の政府は政治団体だが、詐欺会社が国民の騙し方を哲人主義から民主主義に変えただけである。
政府は近代的な宗教団体なのである。[民主主義を説[と]いた神がいたと考えればいい。]
政府は国民を騙して儲ける会社なのである。政府は口先で民主主義と言うだけで、実際には民主主義をやっていないのである。政府は真面目に民主主義をやる会ではない。政府は国民を幸福にすると見せかけて不幸にする会である。宗教団体と同じように政府は馬鹿が入る会だから、利口な国民は政府をやめたほうがいい。国民は政府を当てにして政府に自分を幸福にしてもらうよりも、自分で自分を幸福にしたほうがいい。
[13157] 政府は宗教団体である。 h23.8.19
政府は民主主義の皮をかぶった宗教団体である。政府は国会議事堂を持っている宗教団体である。政府は上辺[うわべ]が民主主義の政治機関だが、中身は宗教団体である。
政府は眼先口先の民主主義で国民の役に立つふりをして国民を政府に従わせて国民よりも上の者になって好き勝手なことをやって国民を嫌がらせている。政府にとって民主主義は国民を政府に従わせるための道具であって、それ以上の意義はない。政府は国民を嫌がらせることをやって、あとで言葉や形の上で国家宗教の神とつながりを付けて国家宗教でやったことにしている。中世の頃から政府はそうしてきたのである。つまり、中世の政府は眼先口先の国家宗教(哲人主義)で国民の役に立つふりをして国民を政府に従わせて上の者になって国民に嫌がらせをして、あとで国家宗教の神(神武天皇)と形の上で(光る玉で)つながりを付けて自分が国家宗教をやったことにしていたのである。その習慣が今の政府にも残っているのである。
要するに、政府は国民の嫌がらせをする会である。いつの時代でも、政府は国民を幸福にすると見せかけて不幸にしている。中世でも現代でも政府は自分が国民よりも上の者だと思って、国民を下の者だと思って虐[いじ]めているのである。
国民は政府の眼先口先の嘘に騙されず政府に従わず政府を儲[もう]からないようにして潰[つぶ]さねばならない。国民がしつこく馬鹿をやりすぎる。国民もこの辺[へん]でいいかげんで馬鹿をやめねばならない。国民のほとんどはエッチや見栄[みえ]のやりすぎで頭がパーになっている。だから、政府の嘘に騙されるのである。だから、国民はエッチや見栄をやめねばならない。
[13158] 政府に入ったり出たりできる自由 h23.8.20
国民はエッチや見栄のやりすぎで頭がパーになっている。国民は自分で自分を馬鹿に改造している。
今の国民の大半が馬鹿である。
今の国民の大半は馬鹿だから、テレビや新聞で政府を見て、政府を民主主義の政治機関だと思って政府が自分を幸福にしてくれると思って自分から喜んで政府に入っている。
今の国民の大半が馬鹿だから、政府が国民に“政府に入ったり出たりできる自由”を認めても政府をやめる国民はほとんどいないから、今と大[たい]して変わらない。
だから、政府は国民が“政府に入ったり出たりできる自由”を認めてもいい。実際には、そもそも国民には最初から“政府に入ったり出たりできる自由”があるのであって、わざわざ政府が認めるまでもない。
[13159] 民主主義教 h23.8.20
政府は民主主義教の宗教団体である。政府は宗教団体のひとつである。
政府は宗教団体だから、口先で民主主義をやっていると言うだけで実際にはやっていない。
政府は口先だけの民主主義で国民を政府に従わせて国民よりも上の者になって好き勝手なことをして国民からお金を取って国民を虐[いじ]めている。民主主義は政府が国民を政府に入れるための宣伝文句であって、実際には政府は民主主義をやっていないのである。政府は他の宗教団体と同じように、立派なことを言うだけで実際には言葉と反対のことをやっている。一方、国民は馬鹿だから政府が民主主義をやっていないことに気付かずに、一生死ぬまで政府に入ったままなのである。
政府に入っている国民が多すぎる。馬鹿な国民が多すぎる。国民は自分が政府に入っていると幸福になれると思って必死になって高い税金を払って政府に入っているのである(バカすぎ)。[国民は眼先のことしかわからない馬鹿ばっかりである。]
政府に入っている国民がいてもいいが、今の状態では多すぎる。同じ日本人としてみっともない。
だから、政府に入っている国民をもっと減らさなければならない。
国民は政府から出て政府の命令を聞かずに自由に暮らさねばならない。
[13160] 騙[だま]す自由と騙されない自由 h23.8.20
人間には他人を騙す自由がある。だから、政府や宗教団体や暴力団などの詐欺会社が出来たのである。
しかし、その一方で、人間には他人に騙されない自由もある。だから、国民が詐欺会社に騙されようが騙されまいが国民の自由である。国民が詐欺会社に従おうが従うまいが国民の自由である。例えば、政府は詐欺会社だから、国民が政府に騙されずに政府の命令を聞かなくてもいいのである。
人間は自分の知能に応じて他人に騙されたり騙されなかったりすればいいのである。
[13161] 命令を売る会社☆ h23.8.20
政府は国民に「政府は民主主義の政治機関だ」と言った。
政府は国民に「国民が政府に税金を払って政府の命令を聞けば幸福になれる」と言った。
国民は幸福に飢[う]えていて、政府が真面目[まじめ]そうだったので、国民は政府の言葉を信じて政府の言いなりになったのである。
しかし、本当は、政府は詐欺会社だったのである。政府は“国民を幸福にするように見せかけてじつは不幸にする会社”だったのである。だから、政府の命令は“国民を幸福にするように見せかけてじつは不幸にする命令”なのである。政府は最初から国民を幸福にする気なんかこれっぽっちもなかったのである。政府は国民の嫌がらせが趣味である意地糞悪[いじくそわる]の集団だったのである。[政府は意地糞悪だから普通の仕事がやれず詐欺会社しか務[つと]まらないのである。政府は意地糞悪の溜[た]まり場である。]
政府は国民に命令を出すので、国民は政府を上の者だと思って政府に逆らわないようになったのである。つまり、そもそも政府は“国民から税金をもらって国民に命令を売る会社”だが、国民にとっては政府が国民に命令を出すために政府が上の者のように見えるので、いつしか国民は政府に無条件に従うようになったのである。つまり、そもそも政府と国民は平等なのだが、国民が勘違[かんちが]いをしたために政府が国民よりも上の者になってしまったのである。
こうして、国民は政府の嫌がらせの命令を聞いて政府に不幸にされることになったのである。
だから、国民は政府に騙されず、政府の言葉を信じないようにして、政府に入らなければいいのである。国民が宗教団体に入らないように、政府に入らなければいいのである。政府の命令を買おうが買うまいが国民の自由である。政府の命令は国民を幸福にしないから、国民は政府の命令を買わなければいいのである。つまり、国民は政府に税金を払わずに政府の命令を聞かなければいいのである。政府は国民に命令を売る会社だから、国民が税金を出して政府の命令を買わなければ国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。国民は政府なんかを当てにせず、自分で自分を幸福にすればいいのである。[国民が政府に税金を払わなくなれば、政府は国民に命令を出せなくなって国民よりも上の者でなくなるから、ピンはねもできなくなる。]
[13162] 精神分裂病とは何か? h23.8.20
他人の感覚波を跳ね返すバリアーが壊れることである。
人間の脳には他人の感覚波を跳ね返すバリアーを発生させる『バリアー器官』(淡蒼球[たんそうきゅう]?)がある。[鉄筋コンクリートのビルの中ではラジオが聞こえなくなるように、バリアー器官が作動すると感覚波が脳の中に入らなくなるのである。]
バリアー器官が壊れて他人の感覚波の影響を受けるようになることが精神分裂病である。
他人の身体をテレパシーで操ろうとして興奮して自分で自分のバリアー器官を壊したために分裂病に罹[かか]るのである。人間の脳はテレパシーを使おうとして興奮するとバリアー器官が壊れるのである。(感覚の第3法則)
一度バリアー器官が壊れると二度ともとには戻らない。だから、分裂病は一生治らないのである。
[13163] どうして宗教団体は儲[もう]かっていないのか? h23.8.20
政府は国民に命令を売る会社だが、宗教団体も国民に命令を売る会社である。
しかし、政府は儲かっているのに、宗教団体は儲かっていない。政府は大きいのに、宗教団体は小さい。
それは、今では哲人主義が廃[すた]れているからである。今では哲人主義では人間は幸福にはなれないと考えられているので、宗教団体に入る人がほとんどいないのである。宗教団体の命令を買う人がほとんどいないので宗教団体は儲かっていないのである。
人間の心は銘々[めいめい]違うから、いくら自分が哲人の真似をしても幸福にはなれないのである。
今では人間は自分の心を満足して生きていけば幸福になれると考えられているから、民主主義をやっている政府に入る人が多いのである。政府の命令を買う人が多いので、政府が儲かっているのである。
しかし、本当は、政府は民主主義をやっているふりをしているだけで実際にはやっていないので、いくら国民が政府に入っても幸福にはなれないのである。政府の命令を聞いても幸福にはなれないのである。だから、国民は政府に入るのをやめて、政府に税金を払って政府の命令を買うのをやめて、自分の考えで生きていけばいいのである。
そもそも宗教団体も哲人主義をやっているふりをして実際にはやっていない。だから、たとえ哲人主義が正しいとしても、宗教団体に入っても幸福にはなれないのである。
[13164] お金では幸福は買えない。 h23.8.20
国民は“自分を幸福にしてくれる命令を出す会社”を欲[ほっ]している。
それで、国民は政府や宗教団体にお金を出して命令を買うのである。
しかし、自分を本当に幸福にしてくれる命令を出す会社はない。政府も宗教団体も意地糞悪い詐欺会社だから、“国民を幸福にすると見せかけてじつは不幸にする命令”を売っているだけである。
国民はお金に頼りすぎる。お金で何でもできるわけではない。命令の値段が高ければ幸福になれるわけではない。お金で幸福が買えたら安いもんだ。政府や宗教団体の命令を買うのはお金の無駄[むだ]だ。政府や宗教団体に自分のお金を全部取られてしまうだけだ。それでは幸福にはなれない。国民は自分の幸福ぐらい自分で考えるべきである。
[13165] 国民は自分で考えねばならない。☆ h23.8.21
政府は詐欺会社である。
政府は国民に嘘[うそ]をつく。
最近は詐欺(他人に嘘をついて騙[だま]すこと)がいけないこととされるようになってきているが、実際にはまだ詐欺が許されている。だから、政府は国民に嘘をつくのである。
例えば、「国民はみんな政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならない」というのは、政府が国民についた嘘である。本当は、『国民は政府に税金を払わなくていいし政府の命令を聞かなくていい』のである。[「国民はみんな政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならない」というのは、政府の誇大広告と考えてもいい。「大安売りだから、町中のみんなが買うしかない!」という宣伝と同じである。]
だから、国民は政府の言うことを真[ま]に受けてはならない。国民は自分で考えて政府の言うことが正しいかまちがいかを、本当か嘘かを判断しなければならない。政府の言うことが嘘なら、国民は政府に従わなくていい。
政府はそもそも国民に命令を売る会社なので、国民が政府の命令を買うか買わないかは国民の自由である。国民が政府の命令が欲しくなければ、国民は政府に税金を払って政府の命令を買わなくてもいいのである。
自分で考えない者は騙される。自分で考える者は騙されない。だから、国民は自分で考えねばならない。
[13166] 羊頭狗肉[ようとうくにく] h23.8.21
政府は命令を売る会社である。
政府は国民に民主主義で命令を作っていると言っているが、実際には国家宗教で命令を作っている。政府はメチャクチャな命令を国民に売っている。
政府は詐欺会社である。
だから、国民は政府に税金を払って政府の命令を買ってはならない。
政府の命令は不味[まず]すぎて買う気にならない。政府が国民に命令を買って欲しければ、もっといい命令を作らなければならない。
[13167] 政府と宗教団体 h23.8.21
政府も宗教団体も命令を売る会社である。
ところが、宗教団体は哲人主義で命令を作っていると言うだけで実際には作っていない。政府は民主主義で命令を作っていると言うだけで実際には作っていない。
だから、宗教団体も政府も詐欺会社である。
宗教団体の命令も政府の命令も売り物にはならない。宗教団体の命令も政府の命令も国民を幸福にするものではない。
だから、国民は宗教団体や政府の命令を買わなければいい。
[13168] “命令を売る会社”は上の者ではない。☆ h23.8.21
“命令を売る会社”は国民に命令を出すので上の者にまちがいやすい。だから、国民は誤解しないように注意しなければならない。
命令を売る会社は本当は国民と平等である。税金を払っているのがその証拠である。国民は命令を売る会社にお金を出して命令を買っているのである。国民が命令を売る会社に税金を払わなければ命令を売る会社が国民よりも上の者だが、国民が税金を払っているから国民と命令を売る会社は平等である。国民のお金と命令を売る会社の命令を交換しているのだから平等である。
命令を売る会社と国民は平等だから、国民は命令を売る会社の命令を聞かなくてもいい。例えば、国民は政府や宗教団体の命令を聞かなくてもいいのである。
国民は自分が命令が欲しい時だけ、命令を売る会社にお金を出して命令を買えばいいのである。命令が欲しくなければ命令を買わなければいいのである。
世の中には命令を買いたい人がいるから、命令を売る会社はあってもいい。ただ、命令を買いたくない人が命令を買わなければいいだけである。
[13169] 国民は政府を倒すべきである。《まとめ》 h23.8.21
政府は詐欺会社である。今の世の中ではまだ嘘[うそ]を言うことが許されているからである。
政府は言うこととやることが別である。言うこととやることが反対である。
だから、政府は国会とは裏腹に国民の役に立たないことをやっている。政府は国民の嫌がらせをやっている。
国民と政府とは平等である。政府は宗教団体と同じように“国民に命令を売る会社”だから、政府と国民は平等である。
だから、国民は政府を倒せばいい。
ただし、殴[なぐ]りこみはいけない。この世では暴力をふることはいけないこととされている。暴力をふったほうが悪いとされている。
したがって、国民が政府に騙[だま]されなければいいのである。国民は政府に騙されず、政府に税金を払わず政府の命令を聞かなければいいのである。そうすれば、政府は倒れる。
[13170] 胡散[うさん]臭い会社 h23.8.22
政府も宗教団体も“命令を売る会社”である。
国民は自分が幸福になるために命令を売る会社にお金を出して命令を買って命令を聞いている。
しかし、実際に幸福になった国民は誰もいない。命令を売る会社にお金を取られて嫌がらされるだけである。
命令を売る会社は、現代的には胡散臭すぎる。インチキである。
だから、国民は命令を売る会社の命令を買うべきではない。国民は命令を売る会社に頼らずに、自分で自分の幸福について考えて自分で自分の心を満足して生きていくべきである。
[13171] 政府は宗教団体である。☆ h23.8.22
政府は外見が民主主義の政治機関なだけで、中身は宗教団体である。政府は国会議事堂を持っている宗教団体である。政府は国民の眼の届かないところで、今でも国家宗教をやっている。
要するに、政府は宗教団体である。一般に、宗教団体がインチキであるように、政府もインチキである。宗教団体が国民からお金を取って国民に嫌がらせをするように、政府も国民からお金を取って国民に嫌がらせをするだけである。
国民が宗教団体に入らないように、政府にも入ってはいけない。国民は宗教団体に入らないから、政府にも入らなくていい。今はまだ嘘[うそ]をついてもいい世の中だから、政府は国民に「国民はみんな政府に入らなければならない。国民はみんな政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならない」と嘘を言っているが、本当は『国民は誰も政府に入らなくてもいい。国民は誰も政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくていい』のである。だから、国民は本当のことをすればいい。政府の言うことを真[ま]に受ける国民が馬鹿である。
[13172] 戦争 h23.8.22
これまで日本が豊かで幸福だったのは、日本がたまたま先進国で儲[もう]かっていたためであって、政府のおかげではない。
政府はせっかく国民が儲けたお金を何にもならないことに使って無駄[むだ]にしただけである。
政府は国民が近代化で稼[かせ]いだお金を戦争でパーにしただけである。
政府は国民を貧乏にするためにあるだけである。
政府は国民を幸福にしない会社である。政府は国民を不幸にする会社である。
政府は国民の役に立っているふりをするだけで、実際には国民の邪魔をしているだけである。
つまり、文明開化は国民自身がやったことで、政府は戦争をやっただけである。文明開化は政府がいなくてもできるが、戦争は政府がいなければできない。
[13173] ゆうメール h23.8.22
定形外郵便の封筒に穴を開けると100円ぐらい郵便料金が安くなる。これが、ゆうメールである。
定形外郵便の封筒は紙で出来ている。紙←神←政府だから、封筒は政府の喩[たと]えである。
封筒に穴を開けるのは、穴を開ける←アナキズム←無政府主義の喩えである。また、封筒に穴を開けると封筒の中身が見えるから、無政府主義では政府のような中身のわからない会社がないことを表している。
つまり、ゆうメールの料金が安いのは、政府がなくなると国民は安いお金で生活できることを表している。政府は国民から余計なお金を取っているのである。国民にとっては政府がなくなったほうが得である。だから、国民は政府をなくさなければならない。
[13174] 宗教は国民を幸せにするものではない。 h23.8.23
戦後日本が貧乏になったので神武天皇を嫌っている国民が多い。他[ほか]の神でないと嫌がる国民が多い。だから、私が昭和40年頃に国家宗教の神にされたのである。
国民は政府がいい神を選べば自分が幸福になると思っている。
国民は、宗教に入っている者が多いので宗教が国民を幸福にするものだと思っている。
しかし、実際には、そうではない。宗教は宗教団体が国民からお金を取って国民に嫌がらせをするだけのことである。宗教は国民を幸福にすることではなく不幸にすることである。宗教は最初からペテンである。
馬鹿な国民が多いから、宗教に入っている者が多いだけである。馬鹿は宗教団体が裏で何をしているかわからずに、宗教団体が表で善[い]い人のふりをしているのを見て喜んで宗教団体に入っているのである。宗教団体は国民に“国民を幸福にすると見せかけてじつは不幸にする命令”ばかり出すのである。詐欺師が国民に儲[もう]かるように思わせてお金を取って最後に損をさせるのと同じである。アニメが一見[いっけん]面白いように思わせて、あとで面白くない気持ちにさせるのと同じである。[都会っ子は“一見面白いようでじつは面白くない番組”ばかり見ているから、いつも不愉快[ふゆかい]な気持ちでいるのである。自分で自分を不愉快にしているのである。]
宗教は国民を幸福にするものではない。
だから、国家宗教の神を誰に変えても無駄[むだ]である。国家宗教そのものをやめないかぎり国民は幸福にはなれない。国民が幸福になるためには、国家宗教をやる政府を脱退[だったい]するしかない。
[13175] 政府が国民を貧乏にしている。 h23.8.23
江戸時代は日本が豊かだったから、道路に石畳を敷[し]くことができた。まるで、ヨーロッパ並みだ。
今の日本は貧乏だから、道路をアスファルトで固めるだけである。
政府は国民のお金を無駄遣[むだづか]いする会社である。政府は国民を貧乏にする会社である。
このままでは国民が政府に一文無しの乞食にされて殺される。そうなる前に国民は政府を脱退しなければならない。
[13176] 国民は一体何のために政府に入っているのか!? h23.8.23
政府は命令を売る会社である。
政府と国民は平等である。
国民が政府に入ろうが入るまいが国民の自由である。つまり、国民が政府に税金を払って政府の命令を聞くか政府に税金を払わずに政府の命令を聞かないかは国民一人一人の勝手である。
政府は意地糞悪なので国民を嫌がらせるだけである。
国民は政府を脱退すべきである。
[13177] 政府を弱くすれば国が発展する。 h23.8.23
物価が高い国は政府が強い。[[13173]参照。]
物価が安い国は政府が弱い。
例えば、インドは物価が安いから政府が弱い。
徳川幕府はインド政府を真似[まね]ていたから、幕府は弱かった。[幕府は刀を差していたが、見かけの上で強かっただけで、じつは弱かったのである。幕府は外見は強かったが中は弱かった。反対に、政府は外見は弱いが中は強い。だから、今の政府はじつは強いのである。幕府は国民から見えないところが弱かったが、政府は国民から見えないところが強いのである。]
江戸時代は幕府が弱かったから、物価が安くて国民は豊かだった。徳川幕府は弱かったから国民のために真面目[まじめ]に政治をやった。徳川幕府は弱かったから、国民は幕府に抵抗して一揆[いっき]をやった。当時の江戸は世界一の大都会だった。日本がアジアでいち早く近代化ができたのは、江戸幕府が弱かったからである。近世の日本は世界で一番政府(江戸幕府のこと)が弱かったから大発展をしたのである。
政府(幕府も含む)は国民を騙して儲ける詐欺会社である。国民が馬鹿だと政府が出来る。
政府が強い国は、国民が馬鹿である。
政府が弱い国は、国民が利口である。
だから、江戸時代は幕府が弱かったから、国民が利口だったのである。
つまり、政府を弱くすれば、国民が利口になるのである。
国民が利口になると、国が発展する。
だから、国を発展させるためには政府を弱くすればいいのである。
政府を弱くするためには、国民が政府を脱退すればいい。
『国に政府がなければいい』のが一番善[い]い政策である。
日本には政府のようなヨーロッパ式の政治機関よりも幕府のようなインド式の政治機関のほうが向いているのかもしれない。日本はインド人と同じように知的な民族だからインド政府のような知的な政治機関が向いているのだ。ヨーロッパ政府のような五感的な政治機関は似合わないのだ。
[13178] 利口と馬鹿 h23.8.23
利口とは正しいことがわかる人である。実在がわかる人である。
反対に、馬鹿とは正しいことがわからない人である。実在がわからない人である。
馬鹿は正しいことがわからないから、馬鹿にとっては正しいこととまちがっていることの区別がない。馬鹿は他人の嘘を鵜呑[うの]みにするから、つまり馬鹿は他人の言うことをすべて正しいことだと考えるから、馬鹿が騙[だま]されやすいのは当然である。
反対に、利口は正しいことがわかるから、他人が嘘をついているのがわかるから、他人に騙されない。
政府にとっては馬鹿ほどありがたい者はない。利口ほど嫌な者はない。
[13179] 国民が政府を罰する。 h23.8.23
政府も宗教団体も暴力団も、法律を守りながら国民を騙さないといけない。[[13129]参照。]
つまり、詐欺会社は言葉で国民を騙すことができるだけである。
詐欺会社は暴力を使って国民に強制的に命令を聞かせてはならない。政府は嘘を使うのはいいが、暴力を使ってはいけない。
政府が国民に暴行を加えたら、あとで政府が国民に罰せられる。そういう決まりが昔からこの世にはある。これまで世界中でその決まりは守られてきた。
だから、国民は心置きなく政府の嘘を無視して好き勝手に暮らせばいいのである。
政府があると国民と喧嘩[けんか]になりやすい。だから、政府はなくなったほうがいい。
このまま国民が政府に従い続けると社会の発展がない。だから、国民は社会の発展のために政府に逆らわなければならない。
[13180] 嘘をついてもいい時代 h23.8.23
今は嘘をついてもいい時代である。
だから、宗教団体が民主主義の政治機関のふりをしているのである。
それが、日本政府である。つまり、日本政府は国会で決めたことを行政でやっているのではなく、国会で決めたことと関係ないことを行政でやっているのである。
しかも、宗教団体自体も嘘つきである。宗教団体は口先で国民を幸福にすると言うだけで実際には幸福にはしない。宗教団体は国民からお金を取って国民に嫌がらせをするだけである。
だから、日本政府は国民を幸福にはしない。
日本政府は国民に「国民はみんな政府に入っていなければならない。つまり、国民はみんな政府に税金を払って政府の命令を聞かねばならない」と言うが、それも嘘である。本当は、『国民は誰も政府に入らなくていい。つまり、国民は誰も政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくていい』のである。つまり、政府と国民は平等だから、政府は国民に“命令の押売り”はできないのである。
「政府が国家事業をやるから国民みんなが政府に入らなければならない」というのも嘘である。国家事業をやるためには政府は要らない。“具体的な国家事業をやる会社”があればいいだけのことである。国民で“具体的な国家事業をやる会社”を建てればいいだけである。政府は国民の役に立つことをするふりをして、実際には国民の役に立たないことをやって国民の赤字を増やして国民の生活レベルを下げて国民を不満にするだけである。国民がやると国民が得をすることしかやれないからうまく行くのである。政府がやると国民が損をすることがやれるからうまく行かないのである。
「政府が政府の命令を聞かない国民を罰する」というのも政府の嘘である。政府がそんなことをしたら、国民に政府が罰せられる。[これまでは国会の首相が責任をとらされてきたが、本当は宗教団体のボスが責任をとるべきである。]詐欺会社は国民を騙せてナンボなので、国民を騙せなければもはやお手上げである。詐欺会社は“詐欺会社としてのルール”を守りながら、明るく楽しく詐欺をしないといけない。
政府が言うことは嘘ばかりである。国民は政府の嘘に騙されず、自分で正しいと考えることをやらねばならない。
[13181] どうして私アニメがあるのか? h23.8.23
日本のアニメには私の情報が入っている。一般に、日本や世界の製品には私の情報が入っている。
日本中に世界中に私の情報を入れた物があるのは、政府が国民に「神の情報を入れた物を作れば国民が幸福になる」と嘘をついて、国民に神の情報を入れた物を作らせているからである。
本当は、いくら神の情報を入れた物を作っても国民は幸福にはならない。むしろ、余計な制約が伴[ともな]うので、かえって国民は不幸になる。例えば、神の情報は限られているので、マンガやアニメはすぐにマンネリになる。
だから、国民は神の情報を入れた物を作らなくていい。
国民は政府の嘘に騙されず、自分の判断で物事を行うべきである。
[13182] どうして国民は政府に従うのか?☆ h23.8.24
政府が表[おもて]でいい人みたいにしているからである。政府がテレビや新聞でいい人のふりをしているからである。
国民は政府がいい人みたいにしているのを見て政府がいい人だと思って政府に従っているのである。政府の命令を税金を出して買っているのである。国会議員とはいい人みたいにする人のことである。石原裕次郎がいい人みたいだから『太陽にほえろ!』を見るように、国会議員がいい人みたいだから政府に入っているのである。政府に税金を払って政府の命令を聞いているのである。
しかし、政府は眼先で国民を幸福にしているみたいにするだけで実際には幸福にしていない。政府は裏では国民に嫌がらせをしているだけである。政府は表で善人なだけで、裏では悪人である。政府は宣伝と反対のことをやっているのである。政府は宣伝がいいだけで、ほかはボロクソだ。政府は国会議員で稼[かせ]いでいるだけだ。
国民は政府の嘘の芝居を見るのではなく、政府が実際にやっていることを見ないといけない。
国民は眼先で物を見るのではなく、頭で物を見ないといけない。
国民を幸福にしているのは国民自身である。政府は国民を不幸にしているだけである。だから、国民が幸福であるためには政府がなくなったほうがいい。
国民は政府がいい人みたいにしているから政府が自分を幸福にしてくれると思って政府に入っているだけである。たったそれだけのことで政府に税金を払って政府の命令を聞いているのである。そんなくだらないことで政府に入っているのである。政府に入っている者は自分が政府をいい人だと思うから政府に入っているのである。それなら、反対に政府をいい人だと思わなければ政府に入らなくてもいい。国民が政府に入ろうが入るまいが国民の勝手である。だから、政府に入るのが嫌なら政府に入らなければいい。政府をいい人だと思わなければ政府に入らなければいい。政府に税金を払わずに政府の命令を聞かなければいい。
国民は感情的に物事を見るのではなく、もっと科学的に物事を見なければならない。感情的に見るから政府にすぐに騙される。政府が実際にやったことを見て政府が善[い]い人か悪い人かを決めねばならない。
考えて物を見ている人間なんかほとんどいない。つまり、人類の99%は人間の形をしたゴミ[生きる価値がないから政府に殺されるのは当然である。]、あとの1%だけが人間なのだ。人類のほとんどは頭で何も考えずにダラダラ生きているだけだ。だから、世の中がなかなかうまく行かないのだ。人類は馬鹿なことばかりやってなかなか楽園に辿[たど]り着かないのだ。
国民の99%が政府に入っていれば政府は十分経営できる。だから、残りの1%の国民は政府から独立してやっていけばいい。政府に入っていない国民が少しはいたほうがいい。そのほうが世の中がうまく行く。1%の国民のおかげで人類は全滅を避けられているのだ。
[13183] 非国民 h23.8.24
非国民とは、戦時中に政府の命令に逆らって戦争に行かなかった者のことである。
非国民という概念があるくらいだから、政府の命令に逆らって戦争に行かなかった者が実際にいたにちがいない。
その者は、おそらく普段も政府の命令を聞いていないのだろう。
だから、政府に従わずに生きている者は実際にいるのである。
国民は政府に従わなくても生きていけるのである。
政府の正体は宗教団体つまり命令を売る会社であり政府と国民は平等だから、国民が政府に従うか従わないかは国民が決めることだから、政府は政府に従わない者に対しては手出しができないのだ。政府は政府に従わない者に関わってはいけないのだ。政府に従わない者は政府よりも上手[うわて]だから、政府は政府に従わない者に対してはおとなしくしないといけない。政府は政府に従う者に対して偉そうにできるだけである。
他人が政府に従っているからといって、自分が政府に従わねばならないことはない。他人が政府に騙されて、自分が政府に騙されていないだけのことである。政府に騙されるか騙されないかは個人の自由である。だから、自分は政府に従わなくてもいい。
[13184] 国民は馬鹿である。 h23.8.24
『政府は詐欺会社である。ゆえに、国民は馬鹿である。』【現代社会学の原理】
それなのに、国民は自分が馬鹿でないと思っている。
だからこそ、国民は馬鹿なのである。
国民には自分が馬鹿である自覚が足りない。
人間は自分が馬鹿だからこそ考えるのである。実在を知らないから考えて実在を知ろうとするのである。
国民は考えることをしないから一生死ぬまで馬鹿のままなのである。
国民は生きる価値がないから政府に殺されるのである。ざまあみろ!
[最近の馬鹿はテレビや新聞を見るだけで本を読まない。だから、私がいくら正しいことを書いてやっても無駄[むだ]である。]
[13185] 国民はどうして政府に入っているか?☆ h23.8.24
国民は政府がいい人みたいだから政府に入っているのである。
だから、反対に政府がいい人みたいでなければ国民は政府に入らなくていい。
ところが、政府は詐欺会社である。政府は表ではいい人のふりをして、裏では国民を不幸にしている悪い会社である。
したがって、政府は悪い人みたいだから、国民は政府に入らなくていい。
そもそも国民が政府に入らなければならない理由はなく、国民が政府に入ろうが入るまいが国民の自由である。国民は政府が好きなら政府に入ればよく、政府が嫌いなら政府に入らなければいい。だから、政府は国会議員を使って国民に自分をいい人だと思わせて国民を政府に入れていたのである。
[13186] 命令を売る会社 h23.8.24
政府は国民に命令を売る会社である。政府の命令は商品である。国民は自分が持っているお金と政府が作った命令を交換して政府の命令を買うのである。[[13168]の図を参照。]命令は政府の商品である。政府も他の会社も商品を売って儲けている。だから、政府が特別な会社ということはない。
だから、政府と国民は平等である。[政府は自分が国民よりも上の者であることを使ってピンはねをやっている。だから、政府のピンはねはまちがっている。政府のピンはねは違法である。]
だから、国民が政府の命令を買うか買わないかは国民の自由である。国民が政府の命令を買うか買わないかは国民一人一人が決めることである。
政府の命令を買いたい国民は政府の命令を買えばいいし、政府の命令を買いたくない国民は政府の命令を買わなければいい。
ところが、政府は詐欺会社である。政府は表で国民の役に立っているふりをして、裏では国民の役に立たないことばかりやっている悪い会社である。政府は国民が大事にするほどの価値のある会社ではない。政府の命令は国民を幸福にしない。政府の命令は不良品である。政府は宣伝がいいだけで、実際の商品は駄目[だめ]である。だから、国民は政府の命令を買うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[13187] 命令を売る会社は要らない。☆ h23.8.25
今は嘘をついてもいい世の中である。
政府は表では国会で民主主義をやって、裏では民主主義と関係のないことをやって国民を嫌がらせている。
政府は自分が国民から税金を取って国民に命令を出しているので、自分が国民よりも上の者だと誤解して国民を下の者だと思って嫌がらせているのである。
しかし、本当は、政府と国民は平等である。政府は“命令を売る会社”なので国民と平等なのである。
だから、政府は国民に嫌がらせをやってはいけない。
今どき、命令を売る会社は要らない。政府も国民も頭の出来は変わらないから、国民が自分で考えても同じことである。だから、国民は政府に頼らず、自分で考えてやればいいのである。昔は政府のほうが国民よりも頭がよかったから国民は政府の命令を聞かねばならなかったが、今では政府も国民も頭のよさは変わらないから国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。今の政府はタレント議員なんかがいるから国民よりも馬鹿である。今の政府は面白本位で政治をやるから国がメチャクチャになる。政府は馬鹿が利口ぶっているだけである。
政府は国民の金で事業をやるために国民に売れない仕事ばかりするので国民にとって損になるから政府はなくなったほうがいい。国民は自分の金で事業をやらねばならないために国民に売れる仕事しかやれないから国民にとって得になるから国民だけでやったほうがいいのである。
[13188] 政府の命令を買わないほうがいい。 h23.8.25
政府は命令を売る会社である。
だから、政府と国民は平等である。
だから、国民が政府にお金(税金)を払って政府の命令を買おうが、政府にお金を払わずに政府の命令を買うまいが国民の自由である。
国民が政府の命令が当てになると思えば政府の命令を買えばいいし、政府の命令が当てにならないと思えば政府の命令を買わなければいい。
政府の言いなりになってロボットのように生きたい者は政府の命令を買えばよく、自分の考えで人間らしく自由に生きたい者は政府の命令を買わなければいいのである。[他人の命令でロボットのように生きたい者は淫男[いんだん]や淫女[いんじょ]である。]
政府の命令を買うか買わないかは国民一人一人が自分で考えて決めればいい。
実際には、政府の命令はデタラメだから、政府の命令は国民を幸福にするものではないから、国民は政府の命令を買わないほうがいいのである。国民は政府の命令を買うよりも、自分で考えて生きていったほうが幸福になれるのである。
[13189] 国民は政府の命令を買わなければいい。 h23.8.25
政府は国民に命令を売る会社である。
政府と国民は平等だから、政府の命令を買おうが買うまいが国民の自由である。
ところが、政府は意地糞悪[いじくそわる]だから、政府の命令は“国民を幸福にするようでじつは不幸にする命令”である。例えば、植民地政策や戦争がそうである。せっかく世界中の国が近代化で儲けた分を政府の命令によってぜんぶ植民地政策や戦争で摩[す]ったのである。今の国民が幸福になっていないのが、政府の命令が不良品である証拠である。政府は国民を幸福にしない。政府は国民を不幸にするだけである。政府は意地糞悪い人間が集まって作った国民を不幸にする会社なのである。
だから、国民は政府の命令を買わなければいい。国民みんなが政府に税金を払うのをやめて、政府の命令を買わなければいいのである。
[13190] 政府の命令は不良品である。 h23.8.25
政府は国民に国民を幸福にする命令を売る会社である。
政府と国民は平等である。つまり、政府の命令を買おうが買うまいが国民の勝手である。国民は自分で考えて政府の命令を買うか買わないか決めればいい。[日本国憲法第30条(納税の義務)では、国民みんなが政府の命令を買わねばならないことになっているがそれは政府の嘘である。今はまだ嘘をついてもいい時代なので、政府は自分を有利にするために国民に嘘をついているのである。]
ところが、実際には、政府の命令で幸福になった国民なんかほとんどいない。政府はインチキである。政府は真面目[まじめ]に国民を幸福にする命令を売っていない。政府は国民を不幸にする命令を国民を幸福にする命令だと偽[いつわ]って国民に売っているのである。
だから、国民は政府に税金を払わず政府の命令を買わなければいい。
そうすれば、政府も懲[こ]りて少しは真面目に命令を売るようになるかもしれない。あるいは、国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が滅んでしまうかもしれない。
[13191] お金で幸福は買えない。 h23.8.25
政府は民主主義で国民を幸福にする命令を作っているが、
宗教団体は哲人主義で国民を幸福にする命令を作っている。
民主主義や哲人主義は命令の作り方の違いにすぎない。
しかし、実際には、政府も宗教団体もインチキである。政府も宗教団体も国民を幸福にする命令を作っていない。政府も宗教団体も国民を不幸にする命令を国民を幸福にする命令だと偽[いつわ]って売っているだけである。
政府や宗教団体と国民は平等である。
だから、国民は政府や宗教団体の命令を買わなければいい。
お金で命令を買うのはお金持ち馬鹿のやることである。そんなことだから、政府や宗教団体は国民に“命令を買う命令”を出すようになって、国民が政府や宗教団体のカモにされるのである。
幸福はお金で手に入るものではない。自分で考えることによって手に入るのだ。
国民は政府や宗教団体から命令を買うのをやめて、自分で考えて自分の心を満足して幸福にならねばならない。
お金で“幸福にする命令”を売っている会社は全部インチキである。幸福にしてくれるにしては命令の値段が安すぎるからである。本当に幸福にしてくれるならもっと値段が高いはずだ。だから、政府や宗教団体が売っている“幸福にする命令”は全部ニセモノである。そんな物は買う価値がない。政府や宗教団体を真[ま]に受けるほうが馬鹿だ。
[13192] 企画会社 h23.8.25
政府は国民に命令を売って儲けている。
企画会社は国民に企画を売って儲けている。
政府も企画会社もやっていることは同じである。
企画会社は政府の企画機能を民営化したものである。
企画会社の企画のほうが政府の企画よりも質がいい。国民に売れる。
政府は看板[かんばん]がいいだけで、売っているもの(命令のこと)はボロクソである。
もはや政府は要らない。
国民が政府を潰[つぶ]しにかかれば、国民で政府の代わりになる会社を作るだろう。だから、国民は政府を潰せばいいのである。
[13193] 政府はインチキ会社である。 h23.8.25
政府は国民に国民を幸福にする命令を売る会社である。
ところが、政府の命令はニセモノである。
つまり、国民は政府の命令を聞いても幸福にはなれない。
だから、国民は政府の命令を聞く必要がない。国民は政府の命令を無視すればいい。
[13194] 政府のイメージ h23.8.25
多くの国民の頭の中にある政府のイメージは政府の嘘[うそ]によって作られたものである。
多くの国民の頭の中にある政府のイメージはまちがっている。
人は嘘をつくが、物は嘘をつかない。
だから、政府が実際にやったことから考えて政府のイメージを作り上げればいいのである。
政府がなくても国はある。国の中に政府という“国民を不幸にする命令を売る会社”があるだけのことである。政府は国民を不幸にする命令を国民を幸福にする命令と偽[いつわ]って売っているのである。本当は国民と政府は平等だが、政府は国民に「政府が国民よりも上の者である」という嘘をついて国民に政府を上の者だと思わせて国民を政府に従わせているだけのことである。今はまだ嘘をついてもいい時代だから、国民は政府がやることを容認しているのである。[嘘もまちがいも外見は同じであり、まちがいを犯さない人間はいないから、国民は政府の嘘を許しているのである。]
国民は政府の嘘に騙されず、自分で“本当の人間社会”について考えて“本当の人間社会”のルールに従って生きていけばいいのである。
[13195] 国民が馬鹿すぎる。 h23.8.25
政府は国民に幸福にする命令(じつは不幸にする命令)を売る会社である。
どんな商売をしようが人の勝手だから、政府のような会社があっていけないということはない。
ただ、政府から命令を買う国民が多すぎるのが問題である。
宗教団体から命令を買う国民が少ないなら、政府から命令を買う国民も少ないべきである。
宗教団体がインチキ臭すぎるから、宗教団体に比べて政府が正直に見えるのだろう。
国民がもっとしっかりしなければ、日本はいい国にはならない。
[13196] 政府は要らない。 h23.8.25
政府は国民に命令を売る会社である。
政府は国民に命令を売るのが仕事である以上、政府は国民に命令を売るのをやめるわけにはいかない。
だから、国民が自分で考えて政府の命令を買うか買わないか決めなければならない。政府の命令を買うか買わないかは国民の問題である。要するに、政府の命令を買いたい人だけ買えばよく、買いたくない人は買わなければいい。もともとこの世はそういう決まりになっているのに、政府が嘘をついて国民みんなに政府の命令を買わねばならないと思わせていたのである。
ところが、政府が売っている命令は国民を幸福にする命令ではない。政府の命令は国民を不幸にする命令である。政府はテレビや新聞で国民を幸福にする命令を売っていると宣伝するだけで、実際には国民を不幸にする命令を売っているのである。
だから、国民は政府の命令を買わないべきである。
今どき、他人の命令を買うほうがおかしい。他人の命令を買うのは病人ぐらいである。気持ちが落ち込んで頭が働かなくなって自分で考えることができない精神病者が自分の代わりに他人に考えてもらうために命令を買うのである。今の人間は自分で考えて生きている。自分で考えることのできる者にとっては命令を売る会社なんか要らない。昔は自分で考えられない精神病者が多かったから命令を売る会社が必要だったが、今は自分で考えられない精神病者が少ないから命令を売る会社が要らない。だから、今の国民にとっては政府は要らないのである。
要するに、政府は日本で一番大きい宗教団体である。政府は日本最大の宗教団体でお金持ちだったので国会議事堂を建てることができたので、民主主義でやっているふりをすることができたのである。宗教とは命令を売ることなので、哲人主義でも民主主義でもデタラメ主義でもどうでもいいのである。哲人主義や民主主義は宗教団体の宣伝にすぎないのだ。昔は自分で考えられない国民が多かったからほとんど国民全員が政府に入っていて政府は国民全員に命令を出していたが、今は自分で考えられない国民が少ないから国民全員が政府に入る必要はない。自分で考えることができず政府に命令を出してもらわないと生きていけない国民だけが政府にお金を払って政府の命令を買えばいいのである。政府は自分で考えられない国民だけに命令を出せばいいのである。自分で考えられる国民は政府の命令を買わずに自分で考えて生きていけばいいのである。
[13197] どうして日本政府が滅んだのか? h23.8.26
中世に日本政府が滅んだのは、ローマ帝国が滅んだからである。
中世の世界ではローマ帝国が世界で一番幸福な国だった。それで日本政府はローマ政府のやり方を真似[まね]て国民に命令を売っていたのである。日本政府は「ローマ帝国では国民全員がローマ政府の命令を買って聞いている」と言って国民みんなに日本政府の命令を買って聞かせたのである。ところがローマ帝国が滅んだので、日本政府が国民に幸福になる命令を売っていないことが国民に知られるようになったので日本政府は国民に命令が売れなくなって滅んだのである。
ローマ帝国滅亡後はインドが世界で一番幸福な国だったので、日本政府に代[か]わって幕府がインド政府のやり方を真似て命令を売るようになったのである。
その後、再びヨーロッパが世界で一番幸福な国になったので、幕府に代わって日本政府がヨーロッパ政府のやり方を真似て命令を売るようになったのである。
つまり、政府や幕府は世界で一番幸福な国の政府を真似て命令を売っていたのである。国民はそれなら信頼が置けると思って政府や幕府の命令を買って聞いていたのである。政府や幕府は国民に命令を売る店なのである。
しかし、実際には、政府も幕府も国民を不幸にする命令を売っていたのである。そもそもヨーロッパ政府やインド政府が国民を不幸にする命令を売っていたのである。ヨーロッパやインドでは国民が自分で考えて自分を幸福にしていたのであって、国民が政府の命令を聞いて幸福になっていたのではなかったのである。だから、日本でも国民が政府や幕府の命令を買っても幸福にはなれない。国民は自分で考えて幸福になればいいのであって、政府や幕府の命令を買わないほうがいいのである。
[13198] 今は宗教の時代ではない。☆ h23.8.26
人間には自分で考える者と他人の言いなりになる者の2種類がいる。
他人の言いなりになる者は宗教団体(政府も含む)から命令を買って聞いている。
自分で考える者は宗教団体から命令を買わずに自分で考えて生きている。
日本では、自分で考える者よりも他人の言いなりになる者が多い。
そのために、日本では宗教団体(政府も含む)の力が強いのである。日本は宗教の国なのである。
しかし、宗教団体はペテンである。宗教団体で売っている命令は国民を幸福にするものではない。不幸にするものである。だから、宗教団体が売っている命令は買う価値がない。[宗教団体が売っている命令を本物だと思っているのは、よっぽどの馬鹿である。]
今の人間には十分考える時間がある。今の人間には十分な考える時間が与えられている。だから、今の人間は自分で考えるべきである。昔の人は生きるために忙[いそが]しかったから自分で考える暇がなかったが、今の人には十分な考える時間があるから自分で考えねばならない。[学校の勉強なんかやるよりも自分で考えごとをしたほうがいい。]
自分で考えるのが現代人である。だから、今の人は自分で考えねばならない。今は宗教の時代ではない。だから、今後は宗教団体(政府も含む)が滅んでいくだろう。
[13199] 法人税 h23.8.26
政府は個人だけでなく会社にも命令を売っている。政府は会社からお金(法人税)をもらって命令を売っている。政府はお金を儲けるために、命令を売る対象を個人だけでなく会社にも広げたのである。
しかし、政府の命令にはいい命令がない。政府の命令は会社を幸福にする命令ではない。
会社と政府は平等である。政府は会社にお金で命令を売っているから平等である。だから、会社が政府の命令が嫌なら政府の命令を買わなければいいのである。会社は政府に法人税を払って政府の命令を買わなければいいのである。
そうすれば、会社は儲かって政府は潰れて万々歳[ばんばんざい]だ。
[13200] 政府も宗教団体もインチキである。 h23.8.27
お金で幸福になる命令を売ってくれる会社なんかあるわけがない。
政府や宗教団体は幸福にすると見せかけて不幸にする命令を売っていただけである。
国民が甘[あま]かったのだ。
だから、国民は幸福になる命令を売る会社を当てにせず、自分で考えてやっていけばいいのだ。