[12601] 政府にどうして国会があるのか? h23.4.25
政府の法律は政府の国民に対する命令である。
昔は植民地時代だったから、政府は国民の支持を集めて権力が強かった。
昔は政府の権力が強かったから、政府は国民に何でも命令できた。
それで、政府は国会を作って国民に何でも好き勝手なことを命令したのである。
しかし、今は植民地時代が終わって政府に権力はない。
だから、今では政府は国民に何も命令できないのである。
今となっては国会は無駄[むだ]だったのである。
日本神道についても国会と同様である。
つまり、昔の政府は権力が強かったから、政府は国民に何でも命令できた。
それで、政府は日本神道を作って国民に国家宗教で好き勝手なことを命令したのである。
しかし、今の政府は権力がないから、政府は国家宗教で国民に命令できないのである。
つまり、国家宗教も国会も政府の国民に対する命令である。国家宗教と国会では命令の作り方が違うだけである。国家宗教の命令は国家宗教の神の情報が入っていなければならないし、国会の命令は国民の大半の納得が行くものでなければならない。
政府は植民地政策をする会社である。日本神道や国会は、政府に国民の人気が出て政府の権力が強かったために、政府が国民に嫌がらせの命令を出して遊ぶために作った機関なのである。
政府は日本神道でも国会でもなく『植民地政策をする会社』なのである。政府は宗教団体でも政治機関でもなく『植民地政策をする会社』なのである。
ところが、今は植民地時代ではない。だから、政府は何もできない。政府は何もしていない。
国民は“何もしない会社”を支持するわけにはいかない。だから、今の政府には権力がない。国民は政府に従わなくてかまわない。だから、国民は政府に税金を払わないし、政府の命令を聞かなくていい。
政府はニセモノの政治機関である。だから、国民は早く政府を片付けて、本物の政治機関を建てねばならない。

[12602] カタツムリの歌 h23.4.25
カタツムリの殻[から]は白くて丸いから神武天皇の光るトンビの喩[たと]えであり、つまり神武天皇を神とする国家宗教のことである。
「角出せ槍出せ目玉出せ♪」とは、政府が国家宗教で国民を攻撃する命令を出すことを言っているのである。国民の政府の国家宗教に対する注意を促[うなが]しているのである。

[12603] シャボン玉の歌 h23.4.25
シャボン玉は白くて光る丸だから神武天皇の光るトンビの喩えであり、つまり神武天皇を神とする国家宗教のことである。
「風風吹くなシャボン玉飛ばそ♪」とは、日本政府があまり国家宗教を派手[はで]にやって大勢の国民を殺して欲しくないと言っているのである。

[12604] どうして政府は暴力団になったのか?☆ h23.4.25
政府は本来植民地政策をする会社である。[政府は国民全員の人口の約3%である。仮に政府全員が暴力団だとしても、暴力で国民全員を支配するには少なすぎる。だから、政府は暴力団ではないのである。]
ところが、政府は大人気だった。政府に国民みんなの支持が集まって、政府は絶大な権力を得た。
政府は何でもやりたい放題だった。政府は何をやっても許された。
それで、政府は法律を犯すようになりいつしか国民を平気で殺す暴力団となったのである。政府は自分で国民を殺したり国民に命令して自殺や他殺をやらせるようになったのである。政府は自分が快楽を得るために国民を殺して遊んでいたのである。
政府が法律を犯しまくったので国には法律がなくなった。そのために、法律を犯して荒稼[あらかせ]ぎする暴力団や宗教団体がたくさん出来た。大勢の国民が法律を破って麻薬をやるようになった。
人気者はありがたいが、人気がありすぎるのも困りものである。

[12605] どうして『神は死んだ』のか? h23.4.25
『神は死んだ』とは風車が巨人になったことである。[[12600]を参照。]
ヨーロッパも19世紀末になると、政府の力が陰[かげ]って来た。
『神が死んだ』とは、政府が滅んだことである。
19世紀末になると植民地が独立してきて、政府が植民地政策がやれなくなってきた。
19世紀末頃にすでに政府は滅びつつあったのである。
そして、1960年代頃についに植民地が完全に独立して植民地時代は終わった。
政府は本当に滅んでしまったのだ。
つまり植民地会社が滅んでしまったのだ。
今の政府は滅んだ会社がどうでもいいことをやってダラダラ遊んでいるだけである。
国民にとっては政府はすでに要らなくなってしまったのだ。

[12606] 政治機関は国民の幻想である。 h23.4.25
政治機関は国をうまく運営するためにあるのではない。
これまでの政治機関は政府すなわち植民地会社の命令機関にすぎなかった。
政治機関は国民に嫌がらせの命令を出してきただけで、国を真面目[まじめ]に運営したことはない。
つまり、政治機関は政府が法律を犯すためにあったので、法律を守るためにあったのではない。
これまでは国民が自主的に一生懸命に法律を守ってきたのである。[ただし、暴力団と宗教団体は除く。]
政府の政治機関は国をメチャクチャにするためにあるから、政治機関は政府(植民地会社)と独立にしたほうがいい。
経済機関も政府にやらせると国の経済が政府のイタズラでメチャクチャにされるから、政府と独立にしたほうがいい。
あとは、子供の適当な教育機関などがあればいいだけだ。
植民地時代は終わった。政府(植民地会社)の時代は終わった。だから、政府に政治機関や経済機関や教育機関などをやらせてはならない。政府がなくなれば、政治機関や経済機関や教育機関などは国民に対してメチャクチャなことをしなくなるだろう。真面目[まじめ]に仕事をするようになるだろう。そもそも植民地時代の政府(植民地会社)に人気がありすぎたのがすべてのまちがいのもとだったのである。[[12604]参照。]今の政治機関や経済機関や教育機関などはかつての政府ほどの人気がないから真面目に仕事をするだろう。


[12607] どうして日本人は平等なのか? h23.4.25
ヨーロッパ人に比べると日本人は平等だと言われる。国民と政府が平等だと言われる。
それは、これまでの日本政府が口先だけで植民地を取ると言っただけで実際に取ったことがないからである。
だから、日本では国民が政府をあまり支持しなかった。そのため、政府にあまり権力がなかったので、政府と国民が比較的平等だったのである。
反対に、ヨーロッパでは政府が実際に植民地を取ったので、政府に対する国民の支持が厚く、政府に強い権力があったので、政府と国民が不平等になってしまったのである。
つまり、日本で政府と国民が平等なのは、政府の無能の証拠である。

[12608] 不良の会社 h23.4.25
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから、政府は植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれたので、国民は政府を絶大に支持したので政府に絶大な権力があった。政府は人気がありすぎたので法律を犯してやりたい放題だった。そのために、政府は国民の嫌がらせばかりする不良になった。政府は自分が快楽を得るために国民を虐[いじ]めて遊んでいたのである。政府には絶大な人気があったので、政府がいくら国民を虐めても、それぐらいのことでは政府の人気はちっとも衰えはしなかったのである。
しかし、今は植民地時代ではない。今の政府は国民を儲けさせてくれなくなった。国民は政府を支持しなくなり、政府に権力がなくなった。それなのに、政府はいまだに昔の癖[くせ]で国民を嫌がらせて遊んでいる。
昔の政府は植民地で国民を儲[もう]けさせてくれるありがたい会社だったが、今の政府は国民を嫌がらせることが趣味のただのガラの悪い不良の会社にすぎない。
国民はさっさと政府を倒して、自分を嫌がらせる者を国から廃除しなければならない。

[12609] 税金とは何か? h23.4.25
政府は植民地会社である。
だから、税金は政府の仕事に対する報酬である。政府の仕事に対する国民からのお礼である。
昔は植民地時代だったから、政府が植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれたから、国民は政府にそのお礼として税金を払ったのである。
しかし、今は植民地時代ではないから、政府は植民地を取れなくなって国民を儲けさせてくれず、政府は国民に国家宗教などで嫌がらせをするだけである。政府はいろんな機関を使って国をメチャクチャにして国民を不愉快[ふゆかい]にするだけである。
だから、今の国民は政府に税金を払う必要がない。逆に、政府が国民に弁償金[べんしょうきん]を払うべきだ。

[12610] なぜ中世の日本では国民が政府に従っていたのか? h23.4.25
中世の日本の国民が無条件に政府が強い会社であり政府に従わねばならないと思っていたからである。
当時のヨーロッパでは政府が強い会社だったから日本でも政府が強い会社だと思って政府に従っていたのである。
ところで、政府は植民地会社である。
だから、政府が植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれれば、国民が政府を支持して政府には強い権力があるから国民は政府に従えばいい。
しかし、政府が植民地を取らず国民を儲けさせてくれなければ、国民は政府を支持せず政府には権力がないから国民は政府に従わなくていい。
中世のヨーロッパでは政府が植民地を取って国民を儲けさせてくれたから、国民は政府に従っていたのである。
しかし、中世の日本では政府が植民地を取らず国民を儲けさせてくれなかったから、国民は政府に従わなくてもよかったのである。
それなのに、中世の日本で国民が政府に従っていたのは、国民が馬鹿だったからである。国民が無条件に政府に強い権力があると誤解していたからいけなかったのである。
ところで、現代の今は植民地時代ではない。だから、政府は植民地を取れない。だから、政府は国民を儲けさせてはくれない。だから、国民は政府を支持しない。だから、政府には権力がない。だから、国民は政府に従わなくていい。
つまり、政府が植民地を取れれば国民は政府に従えばいいが、政府が植民地を取れなければ国民は政府に従わなくていい。中世の日本でも現代の日本でも政府は植民地を取っていないから、国民は政府に従わなければいいのである。
中世の日本では国民は馬鹿だった。現代の日本では国民は馬鹿ではいけない。現代の国民は中世の国民と同じ愚行を繰り返してはいけない。

[12611] どうして今の日本では国民は政府に従っているか? h23.4.25
政府は植民地会社である。
戦前の政府は朝鮮や満州国を植民地にしていたから、政府には国民の支持があり政府には権力があった。そのため、国民は政府に従っていた。国民は政府の命令で世界大戦もやった。国民は完全に政府の言いなりだった。
しかし、戦後の政府は植民地がない。だから、政府には国民の支持がなく政府には権力がない。だから、国民は政府に従わない。国民は政府の命令を聞かない。国民は政府を倒して、民主主義の政治機関を建てるべきである。
それなのに、今の国民は政府に従っている。それは、今の国民は「戦前の政府が強かったから、今の政府も強い」と思っているからである。「昔から国民は政府に従うものだと決まっている」と思っているからである。「今でも政府は世界のどこかの国を植民地にしている」と思っているからである。
現代の国民は中世の国民から進歩していない。国民はいいかげんで自分の馬鹿を直さねばならない。国民はもっと政府に対する理解を深めねばならない。

[12612] 『権力の法則』☆ h23.4.26
この世には『権力の法則』がある。つまり、『ある団体の権力(命令力)の強さはその団体に対する国民の支持に比例する。』少人数の団体が多人数の団体を支配する場合には、必ず権力の法則に従わねばならない。例えば、政府が国民を支配する場合には権力の法則に従わねばならない。[実力では少数の者は多数の者に敵[かな]わないから、少数の者が多数の者に命令する場合には必ず少数の者が多数の者に支持されねばならないのである。]
つまり、偉い団体はとにかく偉いから偉いのではなく、偉い団体にはちゃんと理由があるのである。
偉い団体つまり権力のある団体は国民の支持がなければ偉くないのである。

ところで、政府は植民地会社である。ところが今は植民地時代ではない。だから政府は仕事ができない。だから、国民は政府を支持しない。だから、政府には権力がない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわないのである。
昔は植民地時代だったから、政府は植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれたから国民は政府を強く支持して政府に強い権力があったから国民は政府に従わねばならなかったが、今は植民地時代ではないから、政府は植民地を取らず国民を儲けさせてくれないから国民は政府を支持せず政府に権力はないから国民は政府に従わなくてもいいのである。
今の政府に従っている国民はまちがっている。だから、即刻[そっこく]政府に従うのをやめねばならない。

[12613] 日本神道や国会とは何か? h23.4.26
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから政府は植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれたので政府には国民の絶大な支持があり政府には強い権力(命令力)があった。
政府は自分の強い権力で国民に嫌がらせをした。[権力の強い者が権力の弱い者を虐[いじ]めるのが世の常[つね]である。政府には絶大な権力があったから、政府は国民を殺してもよかったのである。つまり、他人に好かれる者ほど意地悪[いじわる]なのである。]
政府は自分の強い権力を使って国民を嫌がらせる命令を出した。
政府は国民に嫌がらせの命令を出すために日本神道や国会を作った。日本神道は宗教に則[のっと]り、国会は民主主義に則り国民に嫌がらせの命令を出した。つまり、日本神道は国家宗教の神の情報を入れた嫌がらせの命令を、国会は大義名分[たいぎめいぶん]を入れた嫌がらせの命令を国民に出した。[[12533]を参照。]
つまり、日本神道は宗教団体ではないし、国会は政治団体ではない。日本神道も国会も政府が国民に嫌がらせの命令を出すための団体にすぎないのである。
しかし、今は植民地時代ではないから政府には権力がなく政府は国民に嫌がらせをすることはできない。政府は日本神道や国会を使って国民に嫌がらせの命令を出すことができない。
国民は早く政府や日本神道や国会を捨てて、ちゃんとした『民主主義の政治機関』を建てねばならない。

[12614] 今ではみんなが奴隷[どれい]である。 h23.4.26
奴隷とは仕事をする者のことである。
貴族とは仕事をしない者のことである。
だから、今の社会ではみんなが奴隷である。今は奴隷ばかりの社会なのである。
今では奴隷がなくなったのではなく、貴族がなくなったのである。
しかし、昔も奴隷がただで貴族に食わせるわけがない。
奴隷が貴族に食わせるためには、貴族が奴隷のために役に立っていなければならないはずである。
おそらく、貴族は政府(植民地会社)のようなものだったのだろう。貴族は植民地を取って奴隷を儲[もう]けさせていたから、奴隷は貴族に税金を払って食わせていたのである。つまり、貴族もじつは仕事をしていたのだ。貴族は奴隷を儲けさせて奴隷の支持を得て権力があったから、貴族は身分が高くて何でも好きなことがやれたのである。

[12615] 宝探しと怪獣倒し h23.4.26
1960年代まではマンガのテーマは宝探しばっかりだった。
1960年代以後はマンガのテーマは怪獣倒しばかりになった。
宝探しとは植民地を取ることである。
怪獣倒しとは政府を倒すことである。
1960年代を境[さかい]にマンガのテーマは政府を支持することから政府を倒すことに180度ひっくり返ったのである。
ところが、今でも怪獣倒しの意味がわかっている人は少ない。おそらく10人に1人ぐらいしかいないだろう。もっと少ないかもしれない。
これでは多数決で負けてしまう。だから、今でも政府が倒れずに残っているのである。
マンガを読む奴[やつ]がもともとバカだからいけないのだ。バカに何を訴[うった]えても無駄[むだ]だ。

[12616] 今の国民は政府に従わなくてもいい。☆ h23.4.26
政府は民主主義の政治機関ではない。
政府は植民地会社である。
政府は国民に嫌がらせの命令を出すためにニセモノの民主主義の政治機関(国会)を建てただけである。
そもそも政府は民主主義の政治機関ではないから、政府に従おうが従うまいが個人の勝手である。
昔は植民地時代だったので、政府のおかげで国(つまり国民みんな)が儲[もう]かっていたから、国民みんなは政府を支持して政府に強い権力があったので政府はやりたい放題だった。国民が政府に逆[さか]らうと政府に暴行を受けて殺されたので、国民は誰も政府に逆らうことができなかったのである。
ところが今は植民地時代ではないから、今の政府は何の仕事もしていない。植民地時代でない時代には植民地会社は仕事ができないからである。今では政府のおかげで誰も儲かっていないから、政府を支持する国民が一人もいないので政府には権力がなく政府は何もできない。国民が政府に逆らっても政府は何もできないので、国民は自由に政府に逆らうことができるのである。
だから、今の国民は政府に従う必要はない。
つまり、昔の国民が政府に従わねばならなかったのは政府が民主主義の政治機関だったからではなく植民地会社の政府に強い権力があったからである。国民が政府に従わねばならなかったのは政府の民主主義のためではなく政府の権力のためである。だから、政府は国民に税金でも国家宗教でも戦争でも何でもやらせることができたのである。昔の政府は強い権力があったので、政府は国民に命令して国民が政府が建てたニセモノの民主主義の政治機関(国会)に従わねばならないことにしたのである。しかし、今の政府には権力がないから今の国民は政府に従わなくてもいいのである。だから、国民は政府が建てたニセモノの民主主義の政治機関(国会)にも従わなくていいのである。[日本神道にも従わなくていいのである。]
今の国会は昔の植民地会社が建てたニセモノの民主主義の政治機関である。国民は早くちゃんとした『民主主義の政治機関』を建てねばならない。民主主義の政治機関には法律の違反者を罰するだけの権力があるから、国民にとっては民主主義の政治機関があれば十分である。

[12617] どうして人類は宗教をやらなくなったのか? h23.4.26
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから、政府の権力が強かった。政府は国民に何でも命令できた。
そこで、政府は国民への嫌がらせのために国民に宗教をやらせたのである。
宗教はくだらないので、国民に宗教をやらせることは国民への嫌がらせになるのである。[ここでの宗教は、国民が“政府が作った神の情報を入れた命令”に従うことだけではなく、国民が神に祈ったり念仏を唱[とな]えたりすることも含む。]
しかし、今は植民地時代ではないから、政府の権力が弱い。政府は国民に何も命令できない。
そこで、政府は国民への嫌がらせのために国民に宗教をやらせられなくなったのである。
だから今の世界では宗教をやる人が減っているのである。
人類が宗教をやめたのは宗教が非科学的だからではなく、植民地時代が終わって政府の権力が弱くなったからである。
今でも宗教をやっている者はくだらない物好きの馬鹿である。あるいは、自分で自分を虐[いじ]めるのが好きな変態である。
「宗教をやると幸福になる」というのは、政府に無理やり宗教をやらされるのが嫌だった昔の国民が自分の気持ちを楽にするために考え出した嘘[うそ]の方便[ほうべん]である。宗教は政府の国民に対する嫌がらせだから、いくら宗教をやっても幸福になるわけがない。

[12618] どうして昔の社会は法律がなかったか? h23.4.26
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから、政府には強い権力があった。政府は何でもやりたい放題だった。
そこで政府は国民を嫌がらせるために国民に法律を自由に破ってもいい命令を出して法律のない社会にしたのである。
法律は国民が幸福に暮らすためにあるから、法律のない社会にすれば国民が不幸になるからである。
政府が法律のない社会にしたために、法律を破って儲[もう]ける暴力団や宗教団体がたくさん出来た。国民は法律を破って麻薬をやっていた。
しかし、今は植民地時代ではないから政府には権力がない。政府は何もできない。
だから、今の政府は国民に法律を破ってもいい命令が出せなくなって、今の社会は法律がある社会になっているのである。
だから、今の社会では暴力団や宗教団体がなくなっている。国民は麻薬をやらなくなっている。[宗教団体は宗教を隠れ蓑[かくれみの]にした暴力団と考えられる。]

[12619] ローマ帝国を滅ぼしたのはローマ帝国である。 h23.4.26
ローマ帝国の政府は国民への嫌がらせのために、ローマ帝国を法律のない社会にした。
すると、国民みんなが麻薬をやるようになって国民みんなが働かなくなってローマ帝国が滅亡した。
ローマ帝国を滅ぼしたのはローマ帝国自身だったのだ。

[12620] 国民は時と場合を考えて政府に従わなければならない。 h23.4.26
国民は政府に無条件に従わなければならないわけではない。
政府に権力があれば国民は政府の命令を聞かねばならないが、政府に権力がなければ国民は政府の命令を聞かなくていいのだ。
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから政府に権力があった。だから、国民は政府に従わねばならなかった。
今は植民地時代ではないから政府に権力はない。だから、国民は政府に従わなくていいのだ。

[12621] 政府は植民地会社である。《まとめ》
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったので、政府は植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれたので、国民は政府を支持して政府には強い権力(命令力)があった。国民は政府の命令には何でも従った。政府は自分が快楽を得るために国民に国家宗教や戦争をさせて国民を虐[いじ]めて遊んだ。政府は国民に法律を自由に破っていい命令を出して法律のない社会にした。そのため、法律を破って稼[かせ]ぐ暴力団や宗教団体がたくさん出来て、麻薬をやる国民が増えた。
しかし、今は植民地時代が終わったので、政府は植民地が取れなくなって国民を儲けさせてくれないので、国民は政府を支持しなくなって政府に権力がなくなった。国民は政府の命令に従わなくなった。政府は国民に何もやらせられなくなって国家宗教や戦争がなくなった。国民は法律を守るようになり、法律のある社会になった。そのため、暴力団や宗教団体が滅んで、麻薬をやる国民がいなくなった。
植民地時代には政府には強い権力があったから国民は政府に従わねばならなかったが、植民地時代が終わったら政府には権力がないから国民は政府に従わなくてもかまわない。つまり、今では国民は政府に税金を払わなくてもいいし、政府の命令を聞かなくてもいい。政府が強かったのは植民地時代だけで、植民地時代が終われば政府は弱いのだ。

[12622] ニセモノの国家宗教 h23.4.27
今の政府がやっているのは国家宗教ではない。ニセモノの国家宗教である。
例えば、私教(川野教)の場合、政府は神である私を国民みんなに公開しなかったし、特定の国民を選んで国家宗教の命令を出している。政府は自分から進んで国家宗教の命令に従う国家宗教の狂信者に国家宗教の命令を出している。国家宗教の信者は自分の宗教心で政府の命令に従うのであって、政府の権力で政府の命令に従うのではない。だから、私教(川野教)はイカサマの国家宗教である。
昔は植民地時代だったから政府に強い権力があって政府は国民に何でも命令できた。それで、政府は神武天皇教をやった。政府は天皇を神武天皇の子孫ということにして国民みんなに公開して、国民みんなに天皇を拝[おが]ませて、国民みんなに天皇の情報が入った命令を出した。
しかし、今は植民地時代ではなく政府に権力がなく政府は国民に何も命令できない。それで、政府は私教(川野教)をやった。政府は私を国民に公開せず、国民は私が神とされていることを知らず、私教(川野教)の信者だけに私の情報が入った命令を出した。[昔の政府は権力があったから、モーゼもキリストも政府は国民に公開した。天皇を公開して私を公開しないのは、今の政府に権力がないからである。]
今の政府は自分に権力があるふりをするために国家宗教の狂信者に国家宗教をやらせている。実際には今の政府には権力はない。だから、国民は今の政府に従う必要はない。

[12623] どうして日本人は国家宗教が好きなのか? h23.4.27
国家宗教は国民が儲[もう]かっていることの証[あかし]だったからである。
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったので政府は植民地を取って国民を儲けさせてくれたので国民は政府を強く支持して政府に強い権力があって政府は国民に何でも命令できた。それで、政府は国民を虐[いじ]めるために国民に国家宗教をやらせたのである。だから、政府が国民に国家宗教をやらせることは、国民が儲かっていることの証拠だったのである。だから、世界中のどこの国でも国民は国家宗教が好きだったのである。日本でも国民は国家宗教が好きだったのである。
しかし、今は植民地時代ではないので、政府は植民地が取れなくなって国民を儲けさせてはくれなくなった。今の政府は自分に権力があるふりをするためにニセモノの国家宗教をやっているだけである。だから、今の国民にとっては国家宗教はありがたくない。むしろ今では国家宗教は政府が国民を虐めることにすぎず、国民にとっては国家宗教が嫌[いや]である。今では世界中のどこの国でも国民は国家宗教が嫌である。日本でも国民は国家宗教が嫌である。
昔の政府は国民を儲けさせてから国民を虐めていたが、今の政府は国民を儲けさせずに国民を虐めるだけである。今の国民にとっては政府はありがたくもなんともない。今の国民にとっては政府はただの邪魔者[じゃまもの]にすぎない。だから、国民は早く政府を倒して、政府のない世界を作らねばならない。

[12624] 植民地時代 h23.4.27
古代から中世にかけては植民地時代で、近世は植民地時代ではなく、近代になって再び植民地時代になって、現代は植民地時代ではない。
古代から中世にかけてはローマ帝国があったから世界中が植民地時代だったのである。
日本政府が古代にちょっと任那[みまな]の植民地を取っただけで中世に何もしなかったのに日本を支配することができたのは、当時の世界が植民地時代だったからである。中世の日本では国民は政府が植民地を取って国民を儲からせてくれる日が来るのをずっと待ちつづけていたのである。
近世はローマ帝国が滅んだので世界中が植民地時代ではなくなったのである。当時は世界中の政府が滅んで、幕府のような“身分制をやる会社”が国を支配していた。[中世のヨーロッパ政府はローマ政府の地方支所だった。今の日本の県庁や市役所のようなものである。近世になってローマ政府が滅んだのでヨーロッパ政府もいっしょに滅んだのである。中世のヨーロッパはローマに自分の国を開発してもらうために植民地になっていたのである。近代のヨーロッパの植民地も自分の国をヨーロッパに開発してもらうために植民地になっていたのである。インドはバカでかい国だからインドを植民地にしたイギリスは赤字になっていたのである。日本は自分の力で国を開発してきたからこれまで一度も植民地になったことがないのである。]
近代になってヨーロッパが世界中の国を植民地にしたので再び植民地時代になった。日本もそれに追従[ついじゅう]して朝鮮や満州国を植民地にした。当時の政府は権力があったので、国民に世界大戦をやらせることができた。[日本が朝の国、アメリカが夜の国と言われるのは、ヨーロッパが世界の中心だからである。/世界大戦は植民地時代が終わる頃に起きたから、戦争は政府の国民に対する“腹いせ”なのだろう。]
現代になってヨーロッパの植民地が次々に独立して植民地時代は終わった。今では世界中の政府が滅んでいる。今では植民地も身分制もやれない。今では『民主主義の政治機関』が国を治めるしかない。今の世界は国民が儲からないが、その代[か]わり平和があるのだ。
将来植民地時代にならない保証はない。植民地時代になってしまったらしかたがない。また政府(植民地会社)が強い権力を持って世界大戦をやるかもしれない。ただ、今後は国際交流が進んで世界各国の文明が均一化される傾向にあるので植民地時代になりにくいと考えられる。[今の世界では、文化は国によって違っていても、文明は国によらず同じである。]

[12625] 文化大革命とは何か? h23.4.27
当時の中国政府がやった国民に対する嫌がらせである。
つまり、当時の中国政府はそれほど国民の支持があったのである。
当時の中国政府は社会主義革命で国民の強い支持を得て強い権力があった。
それで、中国政府は国民を大勢殺して国民に嫌がらせをしたのである。人気者ほど意地[いじ]が悪いのである。
しかし、結局社会主義革命は成功せず、中国政府は権力を失って倒れてしまったのである。
社会主義革命は中国政府の安っぽい人気取りだったのである。

[12626] どうして政府は国会や日本神道を建てたのか? h23.4.27
政府は植民地会社である。
政府は国民の強い支持を得て絶大な権力があった。
一方、国民は民主主義や宗教も支持していた。[最近の国民は宗教を支持しないが、昔の国民は宗教を支持していたのである。今の国民は正しいから宗教を信じないのである。昔の国民はまちがっていたから宗教を信じていたのである。フロギストンやエーテルが存在しないように、神も存在しないのだ。宗教とは人間が神に従うことである。神とは人間よりも上の者である。もしも神が存在するなら神を馬鹿にした人間は神に殺されねばならないが、実際にはいくら神を馬鹿にしても殺されない。だから、神は存在しない。だから、宗教をやる必要はない。]
そこで、政府は国会や日本神道を建ててますます国民の支持を得て強い権力を得たのである。
つまり、政府は自分の権力を強めるために、民主主義や宗教を利用しただけなのである。
政府の実体は植民地会社である。政府にとっては民主主義や宗教は自分の権力を強めるための手段にすぎない。だから、政府は民主主義や宗教を遊びに使って民主主義や宗教で国民を嫌がらせる命令を出すだけなのである。政府にとっては植民地政策だけが仕事で、民主主義や宗教は遊びなのである。

ところが、今では植民地時代が終わって政府は植民地政策がやれなくなった。今の政府は民主主義や国家宗教で国民を嫌がらせているだけである。今の政府は国民の邪魔になるだけで国民の役に立つことがない。だから、国民は政府を支持するのをやめるべきである。国民は早く政府を倒して、国民の役に立つ『民主主義の政治機関』を建てるべきである。
植民地政策では強い権力が得られるが、民主主義や宗教では大[たい]した権力は得られない。だから、国会や宗教団体には強い権力はなく、普通の会社と同じように国民と契約を取ってお金を得て仕事をしなければならないのである。

[12627] 浦島太郎の玉手箱 h23.4.27
浦島太郎とは日本政府のことである。つまり、日本の植民地会社のことである。
浦島太郎が助けた亀に連れられて竜宮城に行ったのは、植民地会社の日本政府が国家宗教をやるようになって植民地政策と国家宗教のふたつで国民の支持を得て強い権力を持つようになって京都に都を築[きず]いたことである。亀とは亀→かめ→かみ(駄洒落[だじゃれ])→神だから国家宗教のことである。亀に乗った浦島太郎が持っている釣竿[つりざお]は植民地政策のことである。
浦島太郎の玉手箱は植民地政策のことである。
浦島太郎が乙姫に玉手箱をもらったときに「けっして開けてはいけない」と言われたのは、中世の政府は国民に口先で植民地政策をやっていると言うだけで実際には何もやっていなかったから、政府が植民地政策をやっていないことがけっして国民に知られてはいけなかったということである。
浦島太郎がもといた村に帰ってみると見知らぬ人ばかりになっていたのは、中世末にローマ帝国が滅んで世界中の国が植民地政策をやらなくなっていたことである。
浦島太郎が玉手箱を開けて死んでしまったのは、国民が「植民地時代が終わったので政府が植民地を取ることができなくなった」と考えて国民が政府を支持しなくなって政府が権力がなくなって国民に何も命令できなくなって滅んでしまったことである。

[12628] 暴力団はどうして小さいか? h23.4.27
『ある団体の権力の強さはその団体に対する国民の支持に比例する。』【権力の法則】
団体が暴力を使うだけでは国民の支持は得られない。暴力では国民がマゾでないかぎり喜ばないからである。
だから、暴力団には権力がない。暴力団は国民の支持が得られないから小さいのである。暴力団は小さいままで太らないのである。
しょせん暴力団は政府が国民に“法律を破っていい命令”を出したために生まれた団体にすぎない。[[12629]を参照。]暴力団は政府の“法律を破っていい命令”に便乗[びんじょう]して法律を犯して儲[もう]ける団体である。暴力団は植民地時代が終わって政府の権力が弱くなって政府が国民に“法律を破っていい命令”を出せなくなると潰[つぶ]れてしまう“ひよわな団体”なのである。

[12629] 日本国憲法第20条(宗教の自由)とは何か? h23.4.27
日本国憲法第20条(宗教の自由)とは、日本国民は神の情報を入れたことなら何をやってもいいことである。つまり、第20条は実質的には日本国民は法律を自由に破ってもいいことである。つまり、第20条は“法律を自由に破っていい命令”なのである。
暴力団や宗教団体は第20条を使って法律を犯して儲[もう]けている。ただし、宗教団体の場合は、政府が決めた国家宗教の神ではなく自分の団体で決めたオリジナルの神を使っているようである。
しかし、今は植民地時代ではないから政府には権力がなく政府は国民に命令を出せなくなっている。だから、第20条は無効である。だから、今では暴力団や宗教団体や政府が法律を破ることは許されない。だから、国民は暴力団や宗教団体や政府にぼこられたら(暴力をふられたら)文句を言って抵抗すればいいのである。
同じように、日本国憲法第30条(納税の義務)も無効である。つまり、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。国民が度胸[どきょう]がないから実行しないだけである。
暴力団が国民からミカジメ料を取るのは第30条ではなく第20条によるのである。おそらく、ミカジメ料←ミカジメ←カミ川ブ(シ≒川、゛メ≒ブ、マッチ棒パズルの要領[ようりょう])←川野延夫[かわののぶお]神だからだろう。ついでに、ショバ代は、ショバ代←ショバ←昭和←昭和天皇だからだろう。

[12630] 今の政府は国民から税金を取れない。☆ h23.4.28
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから政府は植民地を取って国民を儲[もう]けさせてくれたから政府には国民の強い支持があって政府には強い権力があって何でもやりたい放題だった。だから、政府は国民から税金が取れたし、政府は国民に国家宗教や戦争などをさせることができたのである。
しかし、今は植民地時代ではないから政府は何もできず国民を儲けさせることができないから政府には国民の支持がなく政府には権力がなく何もできない。だから、政府は国民から税金が取れないし、政府は国民に国家宗教や戦争などをさせることができないのである。

[12631] 国家宗教とは何か?☆ h23.4.28
国家宗教には、国民が自分で神の情報を入れたことをやることと、政府が国民に神の情報を入れたことをやらせることのふたつの意味がある。
国民が自分で神の情報を入れたことがやれるのは、政府が国民に「国民が国家宗教をやってもいい」と命令したからである。昔の政府は強い権力があったから、政府が国民に「国民が国家宗教をやってもいい」と命令することができたのである。
政府が国民に神の情報を入れたことをやらせるのは、昔の政府に強い権力があったからである。
昔は植民地時代だったので、政府に強い権力があったので、政府は国民に何でも命令できた。
しかし、今は植民地時代ではないから、政府に権力がないので、政府は国民に何も命令できないのである。今の政府には権力がなく、今の政府は国民に命令できないので、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
だから、今では国家宗教はやれない。つまり、国民は自分で神の情報を入れたことがやれないし、政府が国民に神の情報を入れたことをやらせることもできない。

[12632] どうして植民地会社に強い権力があったのか? h23.4.28
政府は植民地会社である。植民地会社とは植民地を取る会社のことである。これが政府の定義である。
植民地会社(政府)は外国の物を強盗して自分の国の国民みんなにただで与えた。だから、国民は植民地会社を強く支持して植民地会社に強い権力があったのである。だから、植民地会社は国民に何でも命令できたのである。植民地会社は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教で死ぬ命令を出したり戦争をさせたりしたのである。だから、『ただほど怖いものはない』というのである。
そんなことなら、植民地会社は外国の物を強盗して自分の国の国民に安く売ればいい。それなら、植民地会社は外国の物を輸入して安く売る会社にすぎない。それなら、植民地会社は輸入会社にすぎないから、植民地会社が強い権力を持つことはない。植民地会社にただで物をもらって喜んでいた昔の国民が馬鹿だったのである。
もっとも、今は植民地時代ではない。だから、植民地会社は外国の物を強盗できない。だから、今では植民地会社に権力はない。だから、国民は植民地会社の命令を聞かなくていいのである。
また、植民地会社(政府)が植民地に会社を建てて植民地の住民を働かせたことは、植民地会社が外国の金を強盗して自分の国の国民みんなにただで与えたことと同じである。金も物も同じである。だから、上と同様の議論が成り立つ。つまり、植民地会社は強い権力があったので、植民地会社は国民にやったお金以上の税金を国民から取っていたのである。植民地会社は強い権力があったので自分が快楽を得るために国民を嫌がらせて遊んでいたのである。だから、植民地会社は外国から強盗した金を国民にただで与えずに自分のものにすればよかったのである。国民も植民地会社からお金をもらわなければよかったのである。植民地会社からただでお金をもらって喜んでいた昔の国民が馬鹿だったのである。もっとも、今は植民地時代ではないから、今では先進国の会社が外国に建てた会社は外資系の会社ということになり、外資系会社を建てた会社の儲けはその会社の儲けにすぎないから、外資系会社を建てた会社が強い権力を持つことはない。だから、国民は外資系会社を建てた会社の命令を聞かなくていいのである。
今度植民地時代になったら、植民地会社(政府)は外国から強盗した物を国民にただでやらずに国内で安く売り、外国から強盗した金を国民にただでやらずに自分ひとりのものにしなければならない。つまり、今度植民地時代になったら、植民地会社(政府)は国営会社としてではなく民間会社としてやらなければならない。国民もてんでやすく植民地会社から物やお金をもらってはいけない。『ただほど怖いものはない』からだ。

[12633] 契約原理 h23.4.28
会社は国民と契約を取ってから国民からお金を取って仕事をしなければならない。
これが契約原理である。
会社は必ず契約原理に則[のっと]って仕事をしなければならない。
しかし、契約原理の下[もと]では、会社はあまり儲[もう]からない。
『契約原理を超えるアイデア』を思いつけば、会社は国民全員の支持を得て強い権力が得られて国民全員から税金を取ってすごく儲けることができる。会社は国民全員に何でも命令することができる。会社はやりたい放題である。
これまで政府や幕府が儲けたのは契約原理を超えるアイデアを思いついたからである。政府は植民地制を、幕府は身分制を思いついたから政府や幕府はすごく儲けたのである。
しかし、今の世の中では植民地制も身分制もやれなくなっている。今では植民地の時代も身分制の時代も終わったからである。今では植民地の開発が終わって国民には職業選択の自由があるから植民地の時代も身分制の時代も終わったのである。
さて、今度はいったい誰がどんな『いいアイデア』を思いつくだろうか?[1000年後の国民に借金を負わせて今の国民が遊びまわるというアイデアはどうだろうか?]

[12634] どうして戦国時代があったか? h23.4.28
政府が倒れてから幕府が出来るまでの間日本が無法地帯だったからである。日本に警察がなかったからである。
政府は国民に宗教の自由を認めて法律のない社会にしていたが[[12629]を参照]、いちおう警察の仕事もしていたから、政府が倒れると完全に日本には警察がなくなったのである。政府が倒れた後もしばらくの間は法律のない社会のままだったから、国民みんなが刀を持って人を殺しまわって人の物を奪って暮らしていたのである。それが戦国時代である。
今の国民が政府が倒れるのを嫌うのは、日本が戦国時代になるのが嫌だからである。そのために、今の国民はいやいやながら政府に従っているのである。
しかし、幕府が倒れてから政府が出来るまでの間も日本は無法地帯だったはずである。日本に奉行所がなかったはずである。
それなのに、戦国時代にならなかったのは、幕府が法律のある社会にしていたからである。幕府は身分制をやっていたが、身分制では国民の支持が弱く幕府は権力が弱かったので、幕府は法律のない社会にする命令を出せなかったのである。そのために、江戸時代は法律のある社会になっていたのである。だから、江戸幕府が倒れてもしばらくの間は法律のある社会のままだったのである。だから明治政府が出来るまでの間戦国時代にはならなかったのである。
だから、今では植民地時代が終わって政府に権力がなくなり政府は国民に宗教の自由を認めて法律のない社会にすることができなくなって国民が法律のある社会にしているから、たとえ政府が倒れて警察がなくなってもしばらくの間は法律がある社会のままだから、多少犯罪が起こっても戦国時代にはならないのである。[中世は政府が1000年間日本を支配したが、近代は政府が100年間しか日本を支配していない。だから、中世末の日本は法律のない社会になりきっていたが、今の日本は政府の影響をあまり受けていないから法律がある社会なのである。]
だから、国民は安心して政府を倒せばいいのである。将来警察が出来ようが出来まいが、とにかく今は植民地時代ではないから今の政府に権力がないことは確かだから、国民は政府に従わず政府を倒せばいいのである。植民地時代でなくなったら植民地会社は仕事がやれないので、植民地会社の政府には権力がないから、たとえ国民が政府を倒したくなくても政府は倒れるしかないのである。つまり、政府を倒すか残すかは、世界が決めることであって一国の政府や国民が決めることではないのである。

[12635] 幕府は弱かった。 h23.4.28
幕府は身分制で成長したのではない。幕府は刀で成長したのである。
中世の日本は政府が国を治めていて、政府は国民に宗教の自由を認めて日本を法律のない社会にしていたから、中世末に政府が倒れてからもしばらくの間は日本は法律のない社会だった。
法律のない社会においては力の強さが物を言った。
だから、戦国時代は刀が支配した時代だった。つまり、力の強い者が力の弱い者を支配する時代だった。だから、日本で一番力の強い者が日本国民全員を支配できることになった。
徳川家は戦国時代に出来た「一番力の強い者が国を支配する」決まりに則[のっと]って、いくたびかの戦いに勝ってついに日本最強の者となって日本を掌中[しょうちゅう]に収めたのである。
徳川家が日本を治めることができたのは、政府のおかげだと言っても過言[かごん]ではない。
だから、徳川家が身分制がやれたのは、徳川家が刀が強かったからであって、けっして国民が身分制を支持したからではないのである。幕府の権力の源[みなもと]は『刀』であって「身分制」ではなかったのである。徳川家は刀の力に物を言わせて国民に身分制を押し付けたのであって、国民にとっては身分制は嫌だったのである。[だから、今の時代に身分制で天下を取ろうとしても無理である。日本人は“身分”の概念が嫌いなので、かえって嫌われるだけである。]
武士が刀を差しているのは、幕府が刀の力で国を取ったことを国民に教えるためである。[一方、今の政府が国家宗教をやっているのは、政府が国家宗教で国を取ったと国民に思わせるためである。じつは、政府は植民地政策で国を取ったのである。]
つまり、幕府は暴力団だったのである。幕府は大きな暴力団である。幕府は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令していたのである。[今の暴力団は幕府の真似[まね]だろう。今の宗教団体は政府の真似だろう。]しかし、しょせん暴力だけでは国民の得になることがないから幕府は国民の支持が得られず幕府の権力は弱かった。[[12628]参照。]だから、幕府は暴力で国民に身分制を押し付けて自分の弱い権力を補おうとしたのである。刀の力に物を言わせるだけでは、しょせん国民から税金を取るのがせいぜいだったのだ。幕府は権力が弱かったから、幕府があんまり国民に偉そうなことをすると、国民が幕府に一揆[いっき]などで仕返しした。反対に、政府は権力が強かったから、政府が国民にいくら偉そうなことをしても、国民は政府に文句ひとつ言わなかった。幕府は権力が弱かったから、幕府の時代は比較的国民が好き放題にやれた。反対に、政府は権力が強かったから、政府は国家宗教で国民に意地悪[いじわる]をして国民に面白くないことを押し付けて国民は自分の好きなことがやれなかった。[今の国民が比較的好き放題にやれるのは、今が植民地時代ではなく今の政府が権力が弱くなっているからである。だから、政府がなくなれば、国民はもっと好き放題にやれるようになる。]幕府は刀の力で国民の支持がなく権力が弱かった。一方、政府は植民地政策で国民の強い支持があり権力が強かった。そのため、近代になって植民地時代になると、幕府は政府にあっけなく負けてしまった。
今の日本は法律がある社会である。今の日本には「一番力の強い者が国を支配する」決まりはない。だから、今後政府が倒れて政府がなくなっても、幕府のような刀を振り回す暴力団体が日本を支配することはないだろう。

[12636] 暴力団はどうして西日本にしかいないのか?参考 h23.4.28
暴力団が雪が嫌いだからである。
雪は白くて光るから神武天皇のとんびの喩[たと]えであり、つまり政府のことである。
暴力団は幕府の真似[まね]をしている団体だから、政府が嫌いである。
だから暴力団は雪が降らない西日本の太平洋側にしかないのである。

[12637] 宗教団体の実態 h23.4.28
私が今から約4年前にテレパシーで聞いたことによると、宗教団体は信者が教団に入ったその日にチョコレートをひとかけらくれるだけで、あとは信者が死ぬまで会費を取り続けるだけでいいことは何もないそうである。
それは、宗教団体が政府の真似[まね]だからである。
政府は最初のいっとき真面目[まじめ]に植民地を取るだけで、あとは何もせず国民から税金を取り続けるだけである。[国民に嫌がらせはするが。]だから、宗教団体も政府を真似て、最初のいっときだけ信者にいいことをして、あとは何もせずに信者からお金を取るだけなのである。
宗教団体に入ってもいいことは何もない。政府が国民にいいことを何もしないのがその証拠である。だから、宗教団体に入らないほうがいい。

[12638] 日本政府は植民地会社である。 h23.4.28
日本政府は詐欺[さぎ]会社ではない。日本政府は植民地会社である。
日本政府は最初のいっときしか植民地を取らなかったが、それでも日本政府は植民地会社である。日本政府としては植民地をずっと取り続けたほうが自分の権力が強まるから、わざとに植民地を取るのをやめるわけがない。日本政府としてはできれば植民地をずっと取り続けたかったのだが、日本の文明が遅れていて日本に実力が足りなかったからやむなく植民地を途中で放棄せざるを得なかったのである。
日本政府は国民に恥ずかしかったから「自分が植民地を取れなくなった」となかなか言い出せなかった。
それで、日本政府はしかたなく中世の間ずっと国民に「日本が外国の植民地で儲[もう]けている」と嘘[うそ]をついて、国民に日本が植民地で儲かっていると思わせて、国民からズルズルと税金を取り続けていたのである。政府は自分に権力があるふりをして国家宗教で国民を虐[いじ]めていたのである。
日本政府は自分が嘘をついて国民を騙[だま]さねばならないつらさに耐[た]えねばならなかった。日本政府はローマ政府に比べて自分の権力が弱いことに我慢[がまん]しなければならなかった。
だから、日本政府はやはり植民地会社なのである。

[12639] どうしてローマ帝国が滅んだのか? h23.4.29
古代にローマはヨーロッパを支配してローマ帝国を築[きず]いた。
中世の間中ローマはヨーロッパを支配していた。中世のヨーロッパはローマに自分の国を開発してもらうためにローマの植民地になっていたのである。
ところが、中世末になるとヨーロッパの開発が終わった。そこで、ヨーロッパはローマがもはや用済みだと考えてさっそくローマから独立したのである。
『少数が多数を支配するには多数の支持が必要である。』【権力の法則】
ローマがヨーロッパを支配できたのはヨーロッパの支持があったからである。つまり、ヨーロッパはローマに従ったほうが得だったからローマに従っただけなのである。だから、中世末にヨーロッパの開発が終わってヨーロッパがローマに従うよりもローマから独立したほうが得になると、ヨーロッパはすぐにローマから独立したのである。
近代末にヨーロッパの植民地の開発が終わって、ヨーロッパの植民地がいっせいにヨーロッパから独立したのと同じことである。
つまり、ローマ帝国が滅んだのはローマによるヨーロッパの開発が終わったからである。けっしてローマ帝国の人々が麻薬をやりすぎたからではない。人類はそんなに麻薬が好きではない。ローマ帝国の政府は人々に国家宗教をやらせて法律のない国にしていたが、実際に法律を破ったのは国民の一部の暴力団や宗教団体の者だけだった。大勢の国民はあいかわらず法律を守って暮らしていた。だから、国民が麻薬をやりすぎたためにローマ帝国が滅んだのではない。

[12640] 「偉い人の考えることはわからない。」 h23.4.29
昔は植民地時代だったので昔の政府は強い権力があったので、国民を虐[いじ]めて遊んでいた。国民に不当な命令を出して国民を嫌がらせて喜んでいた。
国民は「偉い人の考えることはわからない。」と言って、政府の嫌がらせにじっと耐[た]えねばならなかった。
しかし、今は植民地時代が終わって今の政府には権力がないので、今の国民はもはや「偉い人の考えることはわからない。」などと言う必要はない。
今の国民は政府の命令が自分の気に食わなければ命令を無視すればいいのだ。今の国民は政府を無視して自分の好き勝手にやればいいのだ。そうすれば、日本は国民にとって楽しい国になる。国民が自由であればあるほどいい国が出来るのだ。

[12641] どうして国民は政府に従うのか? h23.4.29
国民が政府に従うのは、政府に権力があるからである。
政府は植民地会社である。
昔は植民地時代だったから、植民地会社の政府には強い国民の支持があり政府には強い権力があった。だから、昔の国民はよく政府に従った。
しかし、今は植民地時代ではないから、植民地会社の政府には国民の支持がなく政府には権力がない。だから、今の国民は政府に従わなくていいのである。

[12642] 国民の役に立たない権力団体なんかないほうがいい。 h23.4.29
政治機関とは立法、司法、行政をする機関である。
政府は植民地会社であって、政治機関ではない。政府の政治機関は、政府が自分の強い権力を使って国民に嫌がらせをするために国民に余計な命令を出すためにあるのであって、そもそも政治機関ではない。
今の日本には政治機関はないが、今の政府に権力がないために政府が国民に“国家宗教で法律を破っていい命令”を出せなくなって日本を法律のない国にできなくなっているから、日本は法律のある国になっている。
今の日本ではたまに犯罪者は出るが、大雑把[おおざっぱ]には平和である。
法律は政治機関が作るものではなく、国民が作るものだから、政治機関は要らないのである。
念のために、犯罪者を取り締[し]まる警察会社があればいい。ただ、それだけである。
国は国民が自由にできるほど国民が好き勝手にやっていい国になるのである。だから、国民に余計な命令を出して国民の自由な活動を邪魔[じゃま]する権力団体なんかないほうがいいのである。
政府は植民地政策をやるだけである。幕府は刀が強いだけである。あとは、政府も幕府も国民に嫌がらせをするだけである。だから、権力団体のために国民が儲[もう]からなくなったら、権力団体なんかないほうがいいのである。
今は植民地時代ではなく政府があっても国民が儲かることがないから、政府がなくなったほうがいいのである。

[12643] どうして近代に日本政府が出来たのか? h23.4.29
そもそも、近代の日本に政府が出来たのは、近代が植民地時代だったからである。近代が植民地時代だったから、日本国民は自分が儲[もう]けるために植民地会社(政府のこと)を作っただけである。
だから、今は植民地時代が終わったから、政府がなくなっているのである。日本国民が政府を壊[こわ]しているのである。

これまでは日本に権力の強い政府があったから、政府が自分の強い権力を使って国民に余計な命令を出して日本を地獄にしていたのである。権力の強い者は意地悪[いじわる]だから、政府は国民に意地悪な命令を出して国民を嫌がらせて喜んでいたのである。
だから、政府がなくなったほうがいいのである。君もみんなといっしょに政府を壊すために政府に税金を払うのをやめよう。国民が政府を倒すためにはわざわざ政府に殴[なぐ]りこみに行かなくてもいい。国民が政府に税金を払わず政府の命令を聞かなければいい。つまり、国民が政府を無視すれば政府を倒せるのだ。

[12644] 今の国民はどうして政府を支持しているのか? h23.4.29
今の国民のほとんどは、政府が社会科の教科書に書いてある通り『民主主義の政治機関』だと思っているから政府を支持しているのである。政府が真面目[まじめ]に国民のために民主主義の政治をやっていると思っているから政府を支持しているのである。政府が国家宗教で国民の嫌がらせをしていることを知らないから政府を支持しているのである。
つまり、今の国民が政府を支持しているのは、政府の正体を知らないからである。今の国民は政府が国家宗教で事件を起しているのを知らずに、毎日新聞やテレビを見ているのである。
政府の正体は植民地会社である。昔は植民地時代だったので、国民は自分が植民地を取って儲[もう]けるために植民地会社を作ったのである。植民地会社は国民の強い支持があり強い権力(命令力)があったので国民に嫌な命令を出して国民に嫌がらせをしたのである。政府は国民に嫌な命令を出すために日本神道や国会を建てたのである。今では植民地時代が終わって、政府は植民地を取らずに国民に嫌な命令を出しているだけである。昔の政府は国民を喜ばせる機関だったが、今の政府は国民を嫌がらせる機関にすぎないのである。
今の国民はもっと社会科をよく勉強して、政府について正しい知識を持たねばならない。

[12645] 昔の政府と今の政府 h23.4.29
政府は昔も今も植民地会社である。
昔の政府は植民地を取って国民を儲[もう]けさせて喜ばせていた。その一方で、昔の政府は自分の強い権力を使って国民を嫌がらせて遊んでいた。国民に国家宗教などで嫌な命令を出して国民を嫌がらせて喜んでいた。[普通の会社は国民を少し喜ばせるだけなので国民に嫌がらせまでもはできないが、政府のように国民の熱狂的な支持があり会社の権力が極端に強い場合には国民に嫌がらせまでできてしまうのである。人気者ほど意地[いじ]が悪いのだ。]昔の国民は政府に喜ばされるのと政府に嫌がらされるのを天秤[てんびん]にかけて政府に喜ばされるほうが大きかったので政府に従った。
しかし、今の政府は植民地を取らず国民を儲けさせず喜ばせていない。一方、今の政府は自分に権力がないのに国民を嫌がらせて遊んでいる。あいかわらず国民に国家宗教などで嫌な命令を出して国民を嫌がらせて喜んでいる。今の国民は政府に喜ばされるのと政府に嫌がらされるのを天秤[てんびん]にかけて政府に嫌がらされるほうが大きいので政府に従わない。
今の政府は“植民地を取らない植民地会社”である。国民はそんな会社に用はない。

[12646] アメリカは権力の弱い国である。 h23.4.29
アメリカは軍事国家である。つまり、アメリカは暴力団国家である。つまり、アメリカは武器で外国を脅[おど]して命令を聞かせる国である。
ところが、武器では外国の支持は得られない。外国がいくらアメリカに武器で脅されても外国にとっては得になることがないからである。
だから、アメリカは権力が弱い。暴力団や幕府の権力が弱かったように、アメリカの権力もまた弱いのである。暴力ではしょせん弱い権力しか得られないのである。ローマやヨーロッパのような植民地政策でないかぎり強い権力は得られないのである。ニーチェは「権力を得るには暴力しかない」と言ったかもしれないが、実際に権力が得られるのは植民地政策だけなのである。核力に比べて万有引力が弱いように、植民地政策で得られる権力に比べれば暴力で得られる権力ははるかに弱いのである。[もちろん、神に従っても何の得にもならないから、宗教では権力は得られない。つまり、宗教家には権力がない。一方、科学の法則に従えば自然を支配できて得になるから、科学では権力が得られる。つまり、優れた科学者や科学の優れた国には権力がある。]
しかも、今の世界には国際法があるから、アメリカは外国を武器で脅せない。だから、アメリカにはまったく権力がないのである。
将来何かの原因で国際法がなくなり、力だけが支配する世界になって、世界中で「軍事力の一番強い国が世界を支配する」決まりが出来て、アメリカが世界中の国に戦争に勝って世界で一番強い国になれば、アメリカが世界を支配できてアメリカにそこそこ権力があるかもしれないが、今のところそんなことはない。
ところで、『権力の法則』によれば、ある国(つまり団体)の権力の強さはその国に対する世界中の人々の支持に比例する。だから、アメリカが強い権力を欲しければ、世界中の人々の支持が得られねばならない。ところが、アメリカは武器で外国を脅すだけである。アメリカは『権力の法則』がわかっていない。いくらアメリカが軍事力が強くても無駄[むだ]である。アメリカは何にもならない武器のために国民から高い税金を取って国民を虐[いじ]めているだけである。

[12647] 国家宗教とは何か? h23.4.30
昔の人は、神に従えば幸福になれると信じていた。つまり、神とは真理を悟[さと]った者のことであり、昔の人は真理を悟った者に従えば自分も幸福になれると思っていたのである。いわば、宗教とは哲人政治みたいなものである。
一方、昔の政府は植民地政策をやって国民の強い支持を得て強い権力があった。
人気者ほど意地悪[いじわる]である。だから、政府は国民に嫌がらせをした。
そこで政府は宗教を捻[ひね]って、政府が神の情報を入れたことを国民にやらせたり、国民が神の情報を入れたことをやれることにした。例えば、キリスト教では十字架形のナイフで人殺しをしてもいいのである。神武天皇教では爆弾が神武天皇の光るトンビに似ているから爆弾で人を殺してもいいのである。[国家宗教の神とは、政府や国民が国家宗教をやるために“情報を用いられる者”のことである。[12629]を参照。国家宗教の神は政府が独断で決める。]
だから、宗教と国家宗教(つまり政府の宗教)は全然違う。
国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせである。[もっとも、たまにはいいこともしたかもしれないが。]
だから、国民は国家宗教を支持しなかった。
つまり、政府は自分の権力を強めるために国家宗教をやっていたのではない。
政府は植民地政策で十分強い権力が得られたので、政府は自分の強い権力を使って国民を嫌がらせるために国家宗教をやっていたにすぎなかったのである。

[12648] 国会とは何か? h23.4.30
国会は民主主義の政治機関ではない。
国会は政府が国民に嫌がらせの命令を出すためにある機関である。
国会は民主主義とはまったく関係なく、政府が自分の強い権力を使って国民に嫌がらせの命令を出すために建っているだけである。
国会は見かけは民主主義の政治機関だが、中身はたんなる国民を嫌がらせるための機関なのだ。
だから、民主主義と国会(政府の民主主義)は全然違う。
国会は政府の国民に対する嫌がらせである。[もっとも、たまにはいいこともしたかもしれないが。]
だから、国民は国会を支持しなかった。
つまり、政府は自分の権力を強めるために国会をやっていたのではない。
政府は植民地政策で十分強い権力が得られたので、政府は自分の強い権力を使って国民を嫌がらせるために国会をやっていたにすぎなかったのである。政府は国会を建てて国民に“近代的な嫌がらせの命令”を出していたのである。
日本神道も国会も昔人気絶頂だった植民地会社が国民を嫌がらせるために冗談で作った会社である。だから、国民は日本神道や国会の命令を本気にしてはいけない。

[12649] 暴力団に権力はあるか? h23.4.30
暴力では国民の支持は得られない。
暴力は国民に嫌われるだけである。
だから、暴力では国民に反対されて権力を失うだけである。暴力では権力を得るのではなく権力を失うだけである。
だから、暴力団には権力がまったくない。むしろ負の権力がある。
暴力団は政府が国家宗教を国民にやらせたから出来ただけである。
暴力団は政府の権力を傘[かさ]に着て出来た団体である。暴力団は政府の国民に対する嫌がらせだと言ってもいい。
だから、政府に権力がなくなれば、暴力団も消えてなくなる。
宗教団体も宗教を隠れ蓑[かくれみの]にした暴力団である。
だから、政府に権力がなくなれば、宗教団体も消えてなくなる。
今では植民地時代が終わって政府に権力がなくなっているから、暴力団も宗教団体もなくなっている。
したがって、幕府はやはり身分制で権力を得ていたと考えられる。幕府は身分制で国民の支持を得て権力があったのである。[徳川幕府が日本を取るまでは政府の国家宗教のために出来た「力の一番強い者が国を支配する」決まりに則[のっと]っていたが[[12635]を参照]、徳川幕府が日本を取ってからは身分制で国民の支持を得ていたのである。そうでなければ江戸幕府が260年も続くわけがない。/幕府が身分制を採用したのは、当時はインドが世界No.1の国だったからである。地方分権や生類憐みの令などもインドの真似[まね]である。]もっとも、身分制は植民地政策ほど強い国民の支持が得られなかったので、幕府の権力は政府の権力に比べれば弱かった。武士は自分に強い権力があるふりをするためにわざわざ刀を差さねばならなかったのである。
今の世界ではアメリカが暴力で世界を支配しようとしているが、暴力では世界中のみんなにかえって嫌われるだけである。だから、アメリカは権力を得ているのではなく権力を失っているのだ。アメリカは自分で自分を弱くしているのだ。

[12650] どうして白人は頭がいいか? h23.4.30
人間の脳は低い温度でよく働くようにできている。
だから、寒い所に住んでいる白人は頭がいいのである。
反対に、暑い所に住んでいる黒人は頭が悪いのである。
私も冬場のほうが夏場よりも頭がよく働く。夏場は暑くてだらけて考える気がしない。
しかし、今ではクーラーが発明されて暑い所に住んでいる人も涼しくすごすことができるから、今後は暑い所に住んでいる人も頭の働きがよくなるだろう。

[12651] 法人税は妥当[だとう]か? h23.4.30
会社は個人がお金を稼[かせ]ぐための道具である。道具に税金がかかるわけがない。だから、法人税は不当である。[ガンダムが戦うための道具にすぎないように、会社もお金を稼ぐための道具にすぎない。]
会社は個人がお金を稼[かせ]ぐための道具である。つまり、会社は個人の持ち物である。個人の持ち物に税金がかかるのなら、個人が持っている家電製品にもいちいち税金がかかるはずである。しかし、実際には、家電製品には税金がかからない。だから、会社にも税金がかからない。
つまり、法人税は政府が国民から税金を取るための屁理屈[へりくつ]である。昔の植民地時代の政府は強い権力があったので国民に何でも命令できたので、政府は法人税を考え出して国民から無理やり法人税を取ったのである。[消費税も同じようなものである。]
しかし、今の植民地時代でない時代の政府には権力がないので国民に何も命令できないので、政府はもはや国民から法人税を取れないのである。
政治機関は自分が税金で儲[もう]けることよりも国の発展を考えるべきである。だから、政治機関は国民からなるべく税金を取ってはいけない。今の政治機関には権力がないから、政治機関は国民と契約を取って国民からお金を集めて、そのお金の範囲内でできることをしなければならない。

[12652] 暴力団と民間会社 h23.4.30
暴力団は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる。暴力団は国民の支持がない。だから、暴力団には権力がない。
一方、民間会社は国民に物やサービスを売って国民からお金を取る。民間会社には国民の支持がある。だから、民間会社には権力がある。
つまり、暴力団よりも民間会社のほうが権力が強いのである。

[12653] 政府と民間会社 h23.4.30
今は植民地時代ではないから、植民地会社の政府には国民の支持がない。だから、政府には権力がない。
一方、民間会社は国民に物やサービスを売って国民からお金を取る。民間会社には国民の支持がある。だから、民間会社には権力がある。
つまり、今では政府よりも民間会社のほうが権力が強いのである。

[12654] 嘘[うそ]つき制 h23.4.30
今は植民地時代ではないから、植民地会社の政府には権力がないはずである。
それなのに、今の政府は自分に絶大な権力があるふりをして国民に命令を出している。国民から税金を取ったり、国民に国家宗教の命令を出したりしている。
今の政府は嘘つき制をやっている。今の政府は植民地制をやる会社から嘘つき制をやる会社に転向[てんこう]したのである。
しかし、いくらなんでも嘘つき制はいけない。実際に権力のない者が権力のあるふりをして他人に命令するのはあんまりだ。そんなことをしたら、世の中がメチャクチャになる。これまで国民は政府が植民地政策をやって政府に本当に権力があったから政府の非行を許[ゆる]したのであって、国民は政府が嘘をついて権力があるふりをすることまでも認めていたわけではない。
だから、嘘つき制はいけない。今の政府は嘘つき制をやる会社だから、国民は今の政府を認めるわけにはいかない。

[12655] どうして中世の政府は国民を支配することができたのか?☆ h23.4.30
政府は植民地会社である。政府は政治団体や宗教団体や暴力団などではない。政府は植民地会社以外の何者でもない。
中世の世界は植民地時代だったから、国民のほとんどは「政府が植民地政策をして日本を豊かにしてくれている」と思っていたから政府に従っていたのである。国民は政府の国家宗教によるイタズラを大目に見たのである。
しかし、実際には、浦島太郎の玉手箱のように、政府は何もしていなかったようである。[[12627]を参照。]政府は植民地政策をやっているふりをして国民を騙[だま]していたのである。政府は植民地政策をしているふりをして自分に権力があるふりをして国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたりしていたのである。実際には国民の力で日本が豊かになっていたのに、国民は政府の力で国が豊かになっていると思っていたのである。
中世の国民だけが馬鹿[ばか]だったのではない。今でも国民のほとんどは「政府が植民地政策をやって日本を豊かにしてくれている」と思って政府におとなしく従っている。
しかし、今の世界は植民地時代ではないから、植民地会社の政府は仕事のしようがない。今の政府は植民地政策で国を豊かにせず、国民に国家宗教をやらせて国民を嫌がらせているだけである。だから、今の政府には国民の支持がなく政府には権力がないから、国民は政府に従わなければいいのである。国民は政府を無視して政府を倒せばいいのである。


[12656] 植民地戦争とは何か? h23.5.1
植民地とは文明の進んだ先進国が文明の遅れた後進国を開発することである。先進国が後進国を植民地にすると、先進国が後進国から“開発代”を取れるので儲[もう]かるのである。
後進国にとっては先進国の植民地になったほうが先進国が自分の国を開発してくれて近代化が進むので植民地になることはむしろ歓迎[かんげい]だったのである。だから、先進国は戦わずにすんなりと後進国を自分の植民地にすることができたのである。
植民地戦争とは、先進国同士が植民地を奪い合うためにやった先進国と先進国の間の戦争であって、先進国と後進国の間の戦争ではない。
先進国が後進国に対して嫌がらせをしたのは、先進国が植民地政策をしていたために後進国が先進国を強く支持して先進国に強い権力があったからである。人気者ほど意地[いじ]が悪いので、先進国が後進国に対して嫌がらせをやったのである。[『人気者ほど意地が悪い』というのは、国民に人気のある団体は権力が強いから国民に何でも命令できるから国民を嫌がらせる命令を出すということである。化学のルシャトリエの原理のようなものである。]例えば、先進国が後進国に対して集団暴行をやったのである。昔の政府が植民地政策をやって自分の国の国民の強い支持があって政府に強い権力があったので、政府が自分の国の国民に嫌がらせをやったのと同じことである。

[12657] 人魂[ひとだま]とは何か? h23.5.1
私が小学4年生の頃に私の母から聞いた話だが、私の母は子供の頃立川[たちかわ](高知県長岡郡大豊町立川[こうちけんながおかぐんおおとよちょうたちかわ]。大杉の北の奥)に住んでいたが、夏の夕涼みに川原に出ていたとき人魂を見たことがあったそうだ。逃げても逃げても追いかけて来たそうだ。次の日、近所のおじいさんが死んでいたそうだ。[[3511]を参照。“近所のおじいさんが2〜3日前に死んでいた”ほうが正確かもしれない。]
私の母親は霊感が強い。
人間は死ぬ時に大脳がいっせいに活動して“感覚波の玉”を放出する。感覚波の玉は数日間安定に存在している。
私の母はそれを見たのだ。肉眼で見たのではなく頭の中にある感覚波器官で見たのだ。
だから、人魂は実在する物体なのだ。

[12658] どうして今の国民は政府を支持しているか?☆ h23.5.1
今の国民は「国家宗教をやった国は豊かになる」と思って政府を支持しているようである。
すべての国民とは言わないが、国民のかなりがそう思っているようである。
これまでたいてい豊かな国は国家宗教をやっていたから、たしかに半分は当たっている。
しかし、実際には、これまで豊かな国は植民地政策をやっていたから豊かだったのであって国家宗教をやっていたから豊かだったのではない。植民地政策をやっていた国では植民地会社の政府が植民地政策で国を豊かにしていたから政府に国民の強い支持があり政府に強い権力(命令力)があったから、政府は国民に何でも命令できたから政府が国民に嫌がらせをするために国民に国家宗教をやらせていたのである。政府はイタズラで国民を嫌がらせて遊んでいたのである。だから、けっして政府が国家宗教をやっていたために国が豊かになっていたのではないのである。
だから、いくら今の政府が国家宗教をやったからといって国が豊かになるわけではない。国民が政府に嫌がらされているだけである。
だから、今の国民は国家宗教のために政府を支持してはいけない。
国民みんなが私の『哲学日記』を読んでくれれば、国民みんなはすぐに政府を支持するのをやめるだろうが、実際には国民の多くが私の『哲学日記』を読んでくれないから、今後も当分国民の多くは政府を支持し続けるだろう。

[12659] どうして今の国民は政府に従っているか?☆ h23.5.1
今の国民は「政府が民主主義の政治機関で国民の役に立つ仕事をやっている。政府は国を豊かにしてくれている。」と思って、政府におとなしく従っている。
しかし、実際には、政府は民主主義の政治機関ではなく植民地会社である。昔の植民地会社は植民地政策で国民の強い支持を得て強い権力があったので、国民に嫌がらせの命令を出すために日本神道や国会を建てたのである。
しかも、今は植民地時代が終わって、政府は植民地政策ができなくなっている。だから、政府は国を豊かにしていない。政府は国家宗教や国会で国民を嫌がらせているだけである。1964年頃[ごろ]に植民地時代が終わって政府はやることがなくなって退屈になったから、政府は国家宗教の神をもう一人増やして(それが私である)、これまでの2倍国家宗教をやってますます国民の嫌がらせをするようになったのである。
だから、今の政府は民主主義の政治をやっていないし、国を豊かにもしていない。
したがって、今の国民は政府を支持する理由がない。だから、今の国民は政府を支持しない。今の政府(植民地会社)に権力はない。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。

[12660] 教科書のチカラ☆ h23.5.1
現代の国民はすでに植民地時代が終わったことを知っているのに、いまだに政府に従い続けている。
現代の国民は政府が民主主義の政治機関だと思っているから、政府に従っているのである。
昔は学校や教科書がなかったから、昔の国民は学校の教科書で「政府が民主主義の政治機関である」ことを習わなかったから、昔の国民は政府が植民地会社であることを正しく知っていた。そのため、中世末に植民地時代が終わると、国民はすぐに政府に従わなくなったのだ。
現代の国民は学校の教科書で「政府が民主主義の政治機関である」ことを習うから、政府が民主主義の政治機関だと思っているから、植民地時代が終わった今でもあいかわらず政府に従っているのだ。
現代の国民のほうが中世の国民よりも馬鹿だ。政府は現代の国民を騙[だま]されやすい馬鹿だと見なして、ますます国民を嫌がらせて遊ぶだろう。
現代の国民は学校の社会科の教科書に頼らずに、政府が実際にやっていることを自分の眼で見て自分の頭で考えて政府の正体が何であるかを理解しなければならない。

[12661] 天動説とは何か? h23.5.1
昔のローマ政府はローマ帝国(ローマ帝国の本国であるローマとローマ帝国の植民地であるヨーロッパ全体)の国民に強く支持されて絶大な権力を持っていた。
そのために、ローマ政府はローマ帝国の国民に対してさまざまな嫌がらせをした。
天動説もそのひとつである。
ローマ政府は天動説がまちがった理論であることを知っていたから、国民への嫌がらせのために国民にわざわざまちがった天動説を教えたのである。ローマ政府はローマ帝国の国民を馬鹿に変えて喜んでいたのである。
そのために、ヨーロッパの自然科学が1000年以上遅れてしまったのである。

[12662] キリスト教とは何か? h23.5.1
昔のローマ政府はローマ帝国の国民に強く支持されて絶大な権力を持っていた。
そのために、ローマ政府はローマ帝国の国民に対してさまざまな嫌がらせをした。
キリスト教もそのひとつである。
ローマ政府はキリスト教がまちがった哲学であることを知っていたから、国民への嫌がらせのためにわざわざまちがったキリスト教を教えたのである。ローマ政府はローマ帝国の国民を馬鹿に変えて喜んでいたのである。
そのために、ヨーロッパの哲学(人文科学)が1000年以上遅れてしまったのである。
キリスト教に入ることは天動説を勉強するのと同じことである。だから、キリスト教に入っても無駄[むだ]である。
ローマ帝国ではローマ政府の植民地政策がちょっと国民の役に立っただけで、それ以外のことはことごとく国民に対する嫌がらせだったのである。そのために、今のヨーロッパは科学だけが発達して面白さのない国になってしまったのである。
[平成23年5月3日追記)今でもヨーロッパにはたくさん立派な教会が建っているけれども、ヨーロッパ人は本当はキリスト教が好きではないのである。立派な教会は近代になって建てられたものである。近代のヨーロッパ政府もローマ政府と同じように国民に対してキリスト教で嫌がらせをした。ヨーロッパ人は植民地政策で儲[もう]かっていたから政府に付き合ってキリスト教をやったまでであって、本音[ほんね]ではキリスト教をやるのが嫌だったのである。]

[12663] 民間宗教とは何か? h23.5.1
国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせだが、
民間宗教は“人間が幸福になるための知識”である。
国家宗教は政府が作ったニセモノの宗教だが、民間宗教は本来の宗教である。
民間宗教団体は、人間が幸福になるための知識を売る団体である。
人間が幸福になるための知識は、哲学として売るよりも宗教として売ったほうが人気が出てよく売れる。
だから、今でも人間が幸福になるための知識を考えた者は、民間宗教をやっているのである。
ただし、民間宗教の中には“宗教を隠れ蓑[かくれみの]にした暴力団”もたくさんあるから注意しなければならない。

[12664] 民主主義とは何か? h23.5.1
民間宗教は一部の国民は支持するかもしれないが、知識に偏[かたよ]りがある。一般人向けではない。
だから、国としてやるためには民主主義でなければならない。つまり、国民の大半が支持する幸福でやらねばならない。
だから、将来出来る警察会社や政治団体は民主主義でやらなければならない。

[12665] 微分方程式 h23.5.1
『権力の法則』とは、『ある団体の権力はその団体に対する国民の支持に比例する』ことである。
『権力の法則』は微分方程式であって、各瞬間においてつねに成り立っているのである。
つまり、国民の支持を得た団体は権力が得られるが、反対に国民の支持を失った団体は権力を失う。
だから、たとえ一時的に絶大な権力を持った団体があっても、その後権力を失えばその団体は滅ぶのである。絶大な権力を持った団体がいつまでも絶大な権力を持ち続けるわけではないのである。
例えば、日本政府は近代になって植民地政策で強い権力を得た。しかし、現代になって植民地時代が終わると日本政府は権力を失ったから、今の日本政府には権力がないのである。今の日本政府にはそこらへんの民間会社ほどの権力もないのである。だから、今の日本政府は滅んでいるのである。
政府は無条件に権力が強い会社ではないのである。つまり、国民は無条件に政府に従わねばならないわけではないのである。昔の政府は植民地政策をやっていたから強い権力があったのである。当時の国民は政府に強い権力があったから政府に従わねばならなかったのである。しかし、今の政府は植民地政策をやっていないから権力はない。だから、今の国民は政府に従う必要はないのである。
『権力の法則』は微分方程式である。だから、植民地時代には政府の権力は∞(無限大)だったが、植民地時代が終わった瞬間に政府の権力は0になったのである。今の政府にも権力はない。だから、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。

[12666] どうして私をキャラクターにしたマンガやアニメがあるのか? h23.5.1
それは、マンガ家やアニメ会社が「日本が国家宗教をやれば豊かになる」と思っているからである。または、「政府に強い権力がある」と思っているからである。[私の情報は一般に公開されていないから、政府から聞かないかぎりマンガ家やアニメ会社に私の情報がわかるはずがない。だから、例えば、マンガ家が「政府のイヤミを言うため」に私の情報を入れることはありえないのである。芥川龍之介が政府のイヤミを言うために作品に天皇の情報を入れたようなことは私についてはありえない。政府の命令でないかぎり、マンガ家がマンガに私の情報を入れることはありえないのである。]
一般に、日本中の会社が政府の命令で私の情報を入れた商品を作っているのは、「日本が国家宗教をやれば豊かになる」とか「政府に強い権力がある」と思っているからである。
しかし、どちらもまちがいである。つまり、日本がいくら国家宗教をやっても豊かにはならないし、今の政府には国民に国家宗教をやらせるほどの権力はない。[[12658]と[12665]を参照。]
だから、国民は政府の命令で国家宗教をやってはならない。
一般に、会社の社長は馬鹿である。だから、政府の“名前”だけで政府にペコペコ頭を下げて政府の言いなりになっているのである。会社の社長は馬鹿だから眼で見えることしかわからないから政府の“名前”だけで政府に従っているのである。そんなことだから、日本はいつまで経[た]ってもいい国にならないのである。今の馬鹿社長をもっと頭のいい者に取り替えねばならない。

[12667] どうして今の国民は政府を支持しているのか? h23.5.1
今の国民が「政府の力で日本が豊かになっている」と思っているからである。
しかし、実際には政府は何の役にも立っていない。政府は植民地会社であって、植民地政策以外には何の役にも立たないのである。政府は植民地政策以外には、国民に嫌がらせをするしか能[のう]がないのである。日本神道も国会も国民に嫌がらせの命令を出すだけである。今は植民地時代ではないので、政府は国民の役に立たず、国民に嫌がらせをしているだけである。
今の日本は国民の力で豊かになっているのであって、政府の力で豊かになっているのではない。政府は日本神道や国会を使って国民に意地悪[いじわる]をしているだけである。政府は国民の邪魔[じゃま]以外何もしていない。
今の国民にとって政府は要らない。だから、国民は政府を捨てればいい。

[12668] 日本神道や国会は何のためにあるか?☆ h23.5.1
今の日本神道や国会は国民に意地悪[いじわる]をしている。今の日本神道や国会は国民に嫌がらせの命令を出している。ときどき大勢の国民を殺すことがある。
日本神道や国会が国民に嫌がらせをしているのは、国民に政府に権力があると思わせるためである。政府に権力があれば政府が日本神道や国会を使って国民に嫌がらせができるから、そのことを逆に使って政府は日本神道や国会を使って国民に嫌がらせをすることによって政府に権力があると国民に思わせているのである。つまり、今の日本神道や国会は『裸の王様』に登場する二人の仕立て屋なのである。[[12597]を参照。]今の国民は『裸の王様』に登場する王様の見えない服を褒[ほ]める見物人なのである。
しかし、実際には今の政府に権力はない。政府の正体は植民地会社であり、今は植民地時代ではないから、政府に権力がないのである。
だから、国民は日本神道や国会を使った政府の下手[へた]な芝居に騙[だま]されず、今が植民地時代でないことを理由にして政府に従わなければいいのである。国民は政府の命令を無視して政府を倒せばいいのである。


[12669] 政治機関の役割り h23.5.2
たとえ政治機関がなかったとしても、人間は法律を守るものである。
人間が社会の中で暮らしていれば自然に法律が出来る。
人間は本来平等であり、人間は社会の中で自分が最[もっと]も幸福に生きていけるように“自他共通の決まり”(つまり法律)を作って守るものだからである。
政治機関の仕事は不文法を成文法にすることと、法律の違反者を取り締[し]まることだけである。[政治機関がなくても犯罪者が罰せられないわけではない。政治機関がない場合は、被害者(の関係者)が自分で犯罪者を罰するのである。]
あとは、いっさい個人の自由である。
政府のような権力団体が出来なければ、“変な法律”(国家宗教、つまり法律を破っていい法律)を作ることはない。幕府のように“変な法律”(身分制)を作って権力団体になってもいけない。[幕府は身分制で支えられた団体である。身分制がなくなれば幕府も潰[つぶ]れるので、幕府は必死で身分制を守らねばならなかったのである。]
政治機関は法律を作ることはできない。社会の中にある法律を認識することしかできない。つまり、不文法を成文法にすることしかできない。政治機関が“変な法律”を作ると社会がうまくいかなくなって政治機関が潰[つぶ]れてしまうから、政治機関は変な法律を作ってはいけない。今後は“変な法律”を決めて下手[へた]に国民の人気を取るよりも、国民に多くの自由を与えて国民の人気を取ったほうが政治機関は強い権力が得られるはずだ。

[12670] 経済とは何か? h23.5.2
人間は発明品を作る。
人間が社会の中で暮らしていれば自然に発明品に関する法律が出来る。
つまり、人間は社会の中で自分が最も幸福に生きていけるように発明品に関する“自他共通の決まり”(法律)を作る。
例えば、お金も発明品である。
人間が社会の中で暮らしていれば自然にお金に関する法律が出来る。
つまり、人間は社会の中で自分が最も幸福に生きていけるようにお金に関する“自他共通の決まり”を作る。経済とはお金に関する法律のことである。
だから、政治機関がお金に関する法律を決めればいい。つまり、お金に関する不文法を成文法にすればいい。
お金以外にも人間社会にはいろんな発明品があるから、政治機関はいろんな仕事をしなければならない。
法律の違反者は大勢いるから政治機関の需要がなくなることはない。だから、政治機関は儲[もう]かるのだ。文明が進んで発明品が増えて社会が複雑になれば法律の違反者が増えるから、文明が進めば進むほど政治機関は儲かるのだ。

[12671] アメリカではどうして自由に刀や銃が持てるのか? h23.5.2
刀や銃は犯罪の道具にしかならない。
だから、日本では刀や銃は使い道がないから要らない物だと考えて、個人は刀や銃を持ってはいけない法律が定められている。
しかし、反対にアメリカでは個人が自由に刀や銃を持っていいという法律が定められている。
それは、アメリカ政府の国民に対する嫌がらせだからである。
アメリカ政府は国民を嫌がらせるために国民が自由に刀や銃を持てるようにして刀や銃による犯罪を増やして喜んでいるのである。
ところで、アメリカ政府も日本政府と同じく植民地会社である。しかし、今は植民地時代ではない。だから、アメリカ政府には権力はない。だから、アメリカ政府は国民に嫌がらせはできない。だから、アメリカ政府は“国民を嫌がらせる法律”を定めることはできない。
一般に、世界中の政府が日本政府と同じく植民地会社である。しかし、今は植民地時代ではない。だから世界中の政府に権力はない。だから、世界中の政府が国民に嫌がらせはできない。だから、世界中の政府は“国民を嫌がらせる法律”を定めることができない。
あるいは、外国の政府は日本政府と違って“何でも屋”なのかもしれない。つまり、外国の政府は植民地時代には植民地政策をやるが、植民地時代でない時代にはおとなしく民主主義の政治をやっているのかもしれない。外国の政府は植民地時代には権力が強くて国民の嫌がらせを盛んにやるが、植民地時代でない時代には権力が弱くて国民の嫌がらせをしないのである。税金も国家宗教も戦争もしないのである。だから、今は植民地時代ではないから、外国の政府はおとなしく民主主義の政治をして国民に嫌がらせをしてはいけない。一方、日本政府は植民地会社専門だから、植民地時代でない時代には潰[つぶ]れてなくなるしかない。日本では植民地時代でない時代には、日本政府以外の政治機関が国を治めねばならない。日本にはそういう歴史的な伝統がある。日本では中身と外見が一対一対応しているので、中身が変われば外見も変わらねばならないのだ。

[12672] 警察(政治機関)は要る。 h23.5.2
生まれてから死ぬまで一度も病気にならずに健康であればいい。しかし、それは夢である。理想論である。だから、実際には病院が要る。
生まれてから死ぬまで一度も犯罪に合わなければいい。しかし、それは夢である。理想論である。だから、実際には警察(政治機関)が要る。
一生に1〜2回は警察の世話になるのも、法律の勉強になっていいかもしれない。
病院が健康な人には何もできないように、警察(政治機関)は健全な人には何もできない。健全な人は警察(政治機関)に頼らずに自分で自由にやることが大事なのである。つまり、警察(政治機関)は不文法を成文法にし、法律の違反者を取り締[し]まること以外は何もやらないのである。警察(政治機関)は国民を幸福にしてくれるものではないので、国民は自分で自分を幸福にしなければならないのである。国民にとって警察(政治機関)はそもそもあまり役に立つものではないのである。役に立たないほうがいいのである。
警察(政治機関)は不文法を成文法にし、法律の違反者を取り締まること以外は何もやらない。だから、例えば、福祉をやりたければ、警察(政治機関)とは別に民間で福祉会社を作って国民から募金を集めてやらねばならない。いちいち警察(政治機関)に頼ってはならない。自分でやることが大事なのだ。それでも、福祉事業が成り立たなければ、障害者には死んでもらうしかない。障害者が生きていても役に立たないし、死んだほうがいい。それが国民みんなの意思なら、そうするしかない。それが日本人の障害者に対する考え方なのだ。福祉に対する考え方なのだ。障害者がそれが嫌なら外国に引っ越せばいい。今の日本政府は国民に対する嫌がらせのために福祉に力を入れているだけなのだ。だから、日本政府は潰[つぶ]れればいい。

[12673] 自殺法 h23.5.2
“国民が自殺してはいけない法律”も政府の国民に対する嫌がらせである。
ところが、今は植民地時代ではない。だから、今の政府には権力がない。だから、今の政府は“国民を嫌がらせる法律”を定めることができない。だから、政府は“国民が自殺してはいけない法律”を定めることができない。
だから、国民は自殺してもいいのである。[成人は自分だけで自殺を決められるが、未成年者は親の許可が要る。]
だから、医者は国民を安楽死させる商売をやればいいのである。きっと儲[もう]かるだろう。
人間が幸福に生きるためには、時として自分の死を選ばねばならない場合がある。そのためには、人間に『自殺する自由』を与えねばならない。そうすれば、福祉も要らなくなってスッキリする。
一般に、政府はいろんな“国民を嫌がらせる法律”を定めている。それらを社会から取り除くことが大事なのである。

[12674] どうして麻薬はいけないか? h23.5.2
最近の麻薬は副作用がなくなって安全に楽しむことができるようになっている。
今の国民は自分で自分を不幸にするほど馬鹿ではない。今の国民は麻薬のことをよく知っていて危険な麻薬はやらない。
だから、“国民が麻薬をやってはいけない法律”は政府の国民に対する嫌がらせである。国民が麻薬をやれば国民が幸福になるから政府は国民を幸福にしないために麻薬を禁止しているのである。
しかし、今は植民地時代ではなく、今の政府には権力がないから、政府は“国民が麻薬をやってはいけない法律”を定めることはできない。だから、国民は自由に麻薬をやればいいのである。


[12674] どうしてアメリカでは麻薬をやってもいいのか? h23.5.3
麻薬をやると気が狂って自分の生活が荒廃[こうはい]するし、犯罪を犯して他人にも迷惑をかけることになる。そんなことはわかり切っている。
アメリカ政府は国民に対する嫌がらせのために“国民が自由に麻薬をやってもいい法律”を定めているのである。
しかし、今は植民地時代ではないから、アメリカ政府にも権力はない。だから、アメリカ政府は国民に嫌がらせができない。だから、アメリカ政府は“国民が自由に麻薬をやってもいい法律”を定めることができない。
だから、アメリカ国民はアメリカ政府の作った悪法を無視して、自分たちで麻薬をやらずに生活すればいいのである。

[12675] 日本神道とは何か? h23.5.2
キリスト教と同じようなものである。ただし、日本神道には経典[きょうてん]がない。[キリスト教はローマ政府がローマ帝国の国民に押し付けたまちがった道徳である。日本神道には経典がないから、日本にはヨーロッパと比べて正しい道徳が残っているのである。]
だから、日本神道の教義は、日本神道の信者が日本神道の神に従うことなのである。つまり、日本神道の信者は政府が作った日本神道の神の情報を入れた命令に従ったり、自分で日本神道の神の情報を入れたことをするのである。[信者にとっては前者よりも後者が目当てであると思われる。]
つまり、日本神道は日本国憲法第20条(宗教の自由)で出来た団体である。暴力団や他の宗教団体と同じである。つまり、日本神道の信者は、日本政府が“法律を破ってもいい命令”を出したら自分から喜んで法律を破るガラの悪い不良なのである。[日本神道の信者は日本国憲法第20条(宗教の自由)を使って法律を犯しているので、政府に権力があると思っていることになるので、政府から信者に命令が下[くだ]るのである。政府の命令で自殺や他殺をやらねばならないのである。だから、国民が憲法第20条を使わなければ、政府の権力がないと思っていることになるので、政府から命令が下ることはないのである。国民が政府に税金を払わなければ、ますます政府に権力がないと思っていることになるので、政府から命令が下ることはないのである。ヤクザが全身傷だらけなのは、政府の命令で傷をつけさせられたからかもしれない。憲法第20条はけっして“楽をして得をする方法”ではなかったのである。]
しかし、今では母体となる日本政府の権力がないから、日本神道の信者は自分で日本神道の神の情報を入れたことがやれないのである。だから、日本神道の信者は自分の得になることがなくなってバカらしくなって政府が作った神の情報を入れた命令も聞かなくなっているのである。つまり、今では日本神道は潰[つぶ]れているのである。日本政府が潰れたら、日本神道も潰れるのである。

[12676] 権力団体のない時代 h23.5.2
日本政府は植民地会社である。
ところが今は植民地時代ではない。
だから、日本政府は潰[つぶ]れるしかない。
今の日本には権力団体がない。
今の国民は権力団体の命令を聞かずに自由に生きることができる。
そのうち、犯罪が増えてきたら警察会社が出来るだろう。

[12677] マンガ家は国家宗教の神の情報を入れたマンガを描[か]いてはいけない。 h23.5.2
今の日本国民は日本神道の信者ではない。
だから、日本国民は日本神道の神の情報を入れたマンガなんか読みたくない。
だから、マンガ家は日本神道の神の情報を入れたマンガを描くべきではない。
日本国民が日本神道の信者だったらマンガ家は日本神道の神の情報を入れたマンガを描くべきだが、日本国民が日本神道の信者でなければマンガ家は日本神道の神の情報を入れたマンガを描くべきではない。
国民はマンガが面白いからマンガを読むのであって、マンガに国家宗教の神の情報が入っているからマンガを読むのではない。国家宗教の神の情報が入っていないほうが面白いマンガが出来る。だから、マンガ家は国家宗教の神の情報を入れないマンガを描けばいいのである。
今の国民は国家宗教が嫌いだから、国家宗教の神の情報が入ったマンガなんか読みたくない。政府は国民に対する嫌がらせのためにわざわざマンガに国家宗教の神の情報を入れているのである。政府はマンガを面白くなくするために国家宗教の神の情報を入れているのである。だから、マンガ家は国家宗教の神の情報を入れないマンガを描けばいいのである。[今の国民が国家宗教が嫌いなのは、今の国民が政府が嫌いだからである。今の政府は国民の役に立つことを何もやっていないので、国民は政府が嫌いなのである。]
今は植民地時代ではないから、今の政府には権力がなく、マンガ家のほうが政府よりも権力が強いから、マンガ家は政府の命令を無視して自由にマンガを描けばいいのである。国民が喜ぶマンガを描けばいいのである。

[12678] 日本人はどうして特攻をしたのか? h23.5.2
日本人は宗教が好きだから特攻したのではない。
日本人は植民地政策を支持していたから特攻をしたのである。
日本人は植民地政策を支持していたから植民地会社の政府を支持していたから政府の命令に従ったから「天皇陛下万歳!」と言って特攻をしたのである。
「日本人は宗教が好きだ」と言うのはアメリカ人の日本人に対するお世辞[せじ]である。日本人が宗教が好きだと言うのは、日本人が植民地政策を支持していることの言い換えなのである。日本が植民地が取れるほどの文明国だから、アメリカ人は日本人を尊敬[そんけい]して「日本人は宗教が好きだ」と言ったのである。日本人が植民地政策を支持していたから、日本人は植民地会社の政府を支持していたから、日本人は政府の国家宗教の命令に従ったまでであって、日本人はけっして国家宗教自体が好きなわけではなかったのである。けっして日本は宗教の国ではなかったのである。
しかし、今は植民地時代ではないから日本国民が日本政府を支持する理由がなく、日本国民は日本政府に従わなくてもかまわない。今では日本人の誰も「天皇陛下万歳!」と言って特攻したりはしない。

[12679] 国民は『権力の法則』を守らなければならない。 h23.5.2
日本政府は植民地会社である。つまり、日本政府は植民地政策をやる会社である。
1960年代頃までは世界は植民地時代だった。
だから、1960年代頃までは日本政府は植民地政策をやっていたのである。今から約50年前までは日本政府は植民地政策をやっていたのである。今から約半世紀前までは日本政府は植民地政策をやっていたのである。
1960年代頃までは日本政府が植民地政策をやっていたから、国民は日本政府を支持して、国民は日本政府に従った。日本国民は日本政府の命令に何でも従った。
ところが、1960年代を過ぎても、あいかわらず国民は政府に従い続けている。
そのために、最近の若い人は、国民が何も理由がないのに政府に従わねばならないものだと誤解している。政府は何も理由がないのに国民に命令できるものだと誤解している。今の国民の政府に対する態度は、若い人にとっていい教育にはならない。
国民は『権力の法則』を犯してはならない。国民が『権力の法則』を犯すから、国民が何の役にも立たない政府に従わなければならないことになる。国民にとって何の得にもならないのに政府に従わねばならないことになる。国民は政府の“権力作り”の芝居のために日本神道や国会に嫌がらされるだけである。[[12668]を参照。]
だから、国民は『権力の法則』を守らなければならない。つまり、今の日本政府は植民地政策をやっていないから、国民は日本政府を支持せず、国民は日本政府に従わなければいい。国民が日本政府に従わなければ、日本政府はすぐに潰[つぶ]れるだろう。
国民は政府を守って『権力の法則』を潰すよりも、『権力の法則』を守って政府を潰さねばならない。
今の国民が政府に従っているのは、国民が眼で見ただけで頭で何も考えていないか、あるいは国民がたとえ頭で考えているとしても頭で考えていることにまちがいがあるからである。社会科の理解のどこかにまちがいがあるからである。[国民のほとんどは『裸の王様』の見物人のように自分では何も考えずに他人の言いなりで動くだけである。だから、国民のほとんどは政府の言いなりになって政府の命令に従っているのである。そんなしょうもない人間ばっかりだから、たかが政府に支配されねばならないのだ。]ところで、私が最近の6年間を費[つい]やして考えたところによると、『今の国民が政府に従わない』のが正解である。だから、今の国民は政府に従わなければいいのである。
1960年代頃までの世界は正常だった。1960年代以後の世界が狂っているのだ。まちがいは早めに直さないといけない。

[12680] 『裸の王様』 h23.5.2
政府は植民地会社である。政府は出来たときから滅ぶときまでずっと植民地会社のままである。
今の日本神道や国会が国民に嫌がらせをやっているから、政府に権力があるのではない。
今の世界が植民地時代ではないから、政府に権力がないのである。
今の政府に権力がないから、国民は政府に従わなければいい。

私が小学生の頃ストリーキングが流行してテレビで裸の女性が道路を走っていたのを見た。

[12681] 戊辰戦争[ぼしんせんそう] h23.5.2
日本は戦国時代を経て政府が幕府に交代した。
日本は戊辰[ぼしん]戦争を経て幕府が政府に交代した。
日本では政権が交代するときに戦争をしなければならない決まりがあるようである。
しかし、わざわざ戦争をする必要はない。政権交代のときに戦争をしなければならない必然性はない。
だから、今度政府が何かに変わるときには、わざわざ戦争しなくてもいいのである。
見え透[す]いたパフォーマンスなんかしなくていい。
どうしても死なねばならなければ、2〜3人死ぬ程度でいい。

[12682] どうして今の国民は政府に従っているか?☆ h23.5.3
今の国民が、『裸の王様』に登場する王様の見えない服を褒[ほ]める見物人のように、本当は政府に権力がないのに政府に権力があると思っているからである。
国民が政府の“名前”で権力があると思っているからである。
国民が“わけがわからずに”政府に権力があると思っているからである。
要するに、今の国民が馬鹿だからである。国民は図体[ずうたい]がでかいだけで頭は小さいのである。『猿の惑星』では政府を低脳[ていのう]の猿に喩[たと]えているが、本当に馬鹿なのは政府ではなく国民のほうなのである。
今の国民は政府に権力がないことがわからないから、政府に権力があると思って真面目[まじめ]に政府に従っているのである。
だから、政府に権力がないことがわかっている国民は政府に従わなくてもいいのである。

[12683] どうして暴力団が弱くなっているのか? h23.5.3
国民が暴力団が暴力で国民を脅[おど]すことを不当だと考えて暴力団に抵抗するようになったからである。
国民がテレビで暴力団が捕[つか]まったニュースをやっているのを見て暴力団が弱くなったと思って暴力団に逆らうようになったのである。
国民は植民地時代が終わって政府の権力が弱くなったために憲法第20条が効[き]かなくなって暴力団に力がないと思って暴力団に従わなくなったのではない。国民はそんな理屈はわかっていない。
国民は暴力が不合理だと考えたから暴力団に従わなくなったのであって、政府に権力がないから暴力団に従わなくなったのではない。暴力団に従わない理由はひとつだけではないのである。

[12684] どうして宗教団体が弱くなっているのか? h23.5.3
国民が宗教団体が神で国民を騙[だま]すことを不当だと考えて宗教団体に抵抗するようになったからである。
国民がテレビで宗教団体の幹部が捕まったニュースをやっているのを見て宗教団体が弱くなったと思って宗教団体に逆らうようになったのである。
国民は植民地時代が終わって政府の権力が弱くなったために憲法第20条が効[き]かなくなって宗教団体に力がないと思って宗教団体に従わなくなったのではない。国民はそんな理屈はわかっていない。
国民は神を使った詐欺[さぎ]が不合理だと考えたから宗教団体に従わなくなったのであって、政府に権力がないから宗教団体に従わなくなったのではない。宗教団体に従わない理由はひとつだけではないのである。

[12685] どうして中世の国民は政府に従っていたのか? h23.5.3
政府が植民地を取れる“可能性”があったからである。
国民は「政府が古代の任那[みまな]みたいにまた植民地を取ってくれる」と思って政府に従っていたのである。
国民は政府が再び植民地を取れる可能性に賭[か]けて、政府に1000年以上も従い続けていたのである。競馬狂が、競馬に勝つ可能性に賭けて死ぬまで競馬をやり続けるのと同じことである。[一方、政府は国民から税金を取って植民地政策をせずに遊んでいたのである。]
しかし、中世末にローマ帝国が滅んで、世界から植民地を持っている国がなくなると、日本国民は自分も植民地を取るのが無理だと考えて植民地を取るのをやめたのである。日本国民は外国の真似[まね]が好きなので、外国が植民地を取らなくなると自分も植民地を取ろうとしないのである。
それで、中世末の国民はもはや植民地会社の政府は不要だと考えて、政府を捨ててしまったのである。中世の国民は政府に従わなくなって政府を倒したのである。

[12686] 仏教とは何か? h23.5.3
中世は植民地時代だったので中世の政府は強い権力を持っていた。中世の政府は国民に対していろんな嫌がらせをした。[この世では、権力の強い者が権力の弱い者に対して嫌がらせをするのが常[つね]である。権力の強い者が権力の弱い者を不幸にして喜ぶのが常である。人間の心には“意地悪[いじわる]の心”があるので、権力の強い者は自分の意地悪の心を満足して喜ぶのである。西暦30世紀になっても、西暦40世紀になっても、権力の強い者が現れれば、必ず権力の弱い者(国民)を虐[いじ]めて遊ぶのである。]日本政府はローマ政府が国民にキリスト教をやらせたように、国民にまちがった道徳を教えて国民を馬鹿に変えようと思った。[[12662]を参照。]
ところが、日本神道には教義がなかった。
一方、仏教には教義があった。
そこで、日本政府は国民に対する嫌がらせとして国民にまちがった道徳を教えるために、国民に仏教をやらせたのである。
だから、仏教は政府の国民に対する嫌がらせであって、仏教の教えはまちがっているのである。
だから、今の国民がいくら仏教に入っても無駄[むだ]である。かえって頭が馬鹿になって損をするだけである。

[12687] どうして暴力団は麻薬を売っているのか? h23.5.3
麻薬が白くて光るからである。麻薬が神武天皇の光るトンビの喩[たと]えだからである。砂糖とか塩とかと同じである。日本国憲法第20条(宗教の自由)によれば、国民は神の情報を入れたことなら何でもやっていいので、暴力団は神武天皇の光るトンビに因[ちな]んだ麻薬を売っているのである。
一時[いっとき]暴力団は人間の内臓を売っていたが、それは日本神道の神である私が一時医学部にいたからである。憲法第20条によって暴力団は人間の内臓を売っていたのである。
しかし、今では植民地時代が終わって政府の権力がなくなっているから、憲法第20条も効[き]かなくなっているから暴力団は麻薬や内臓を売ってはいけないのである。
宗教団体が麻薬を売っているのも暴力団が麻薬を売っているのと同じである。つまり、宗教団体は宗教を隠れ蓑[かくれみの]にした暴力団なのである。

[12688] 日本政府は口先だけである。 h23.5.3
政府は植民地会社である。
今は植民地時代ではないから国民は政府のために儲[もう]かっていないが、たとえ植民地時代であっても国民は政府のために儲かっていない。
植民地時代には、日本政府は国民に「日本は植民地政策で儲かっている」と言っていた。
しかし、実際に日本国民が日本政府のおかげで“具体的にどれだけ”儲かったのかわからない。“何円”儲かったのかわからない。
日本政府はそこのところを曖昧[あいまい]にして、国民に口先だけで儲かっていると言っていたのである。
植民地時代にすら日本政府は国民の役に立っていなかったから、植民地時代が終わった今でも役立たずの日本政府が日本に居座[いすわ]り続けることができるのである。
日本の歴史を振り返ってみても、これまで日本政府は任那[みまな]や満州をちょっとの間[あいだ]取っただけで、あとは何もしていない。日本政府は国民から税金を取って、国民に日本神道や国会などで嫌がらせをしているだけである。これでは政府が植民地をネタにして国民を騙[だま]しているにすぎない。政府は詐欺師[さぎし]にほかならない。大雑把[おおざっぱ]に言って、日本政府は国民のために何の役にも立っていない。国民はそんな政府に従う必要はない。どうせ日本は文明の先進国ではないから、日本が先進国を真似[まね]て植民地政策をやったところで儲からない。日本政府は最初からなかったほうがいい。今度植民地時代になったら、植民地会社は民間企業としてやらねばならない。

[12689] 植民地とは何か? h23.5.3
文明の進んだ先進国が文明の遅れた後進国を自分の国の一部にすることである。先進国が“飛[と]び国”を作ることである。
先進国が後進国を植民地にすれば、先進国が後進国の全財産を自分のものにすることができる。[ただし、今日的[こんにちてき]には植民地の住民の個人的な財産は部分的に守られるようである。]
先進国は国土が広がったことになり、先進国は後進国を好き勝手に開発して儲[もう]けることができる。後進国も先進国に開発されて多少は儲けることができる。
最後には、先進国と後進国が同じになって、後進国が先進国から独立して植民地が終わる。
今は世界的に植民地がなくなって植民地時代ではなくなっている。だから、今はどこの国でも植民地会社(政府)が要らなくなっている。だから、今後は世界中の国で政府をなくして、その代わりに民主主義の政治機関(警察会社)を建てればいい。

[12690] 国会とは何か? h23.5.3
国民の幸福な生活を壊[こわ]すためにある機関である。
国会は植民地会社が自分の強い権力を使って国民に嫌がらせをするために作った機関である。国会は植民地会社が国民に嫌がらせの命令を出すために作った機関である。
一方、民主主義の政治機関は、その定義から国民のためにある。民主主義の政治機関は国民の幸福な生活を守るためにある。国民の幸福な生活を増進するためにある。
今の国民のほとんどは国会の意味を取り違えている。
国民は社会科の教科書に騙[だま]されずに、国会の正体を見極[みきわ]めねばならない。
今は植民地時代ではなく植民地会社に権力はないから、国会にも権力がないから、国民は国会の命令に従わなくていい。同じように、国民は日本神道の命令にも従わなくてもいい。

[12691] 政府は要らない。 h23.5.3
政府は植民地会社と日本神道と国会から成る。[[12668]の図を参照。]
つまり、政府=植民地会社+日本神道+国会。
ところが、今は植民地時代ではないから、植民地会社は国民にとって役に立たない。
日本神道と国会は国民に嫌がらせをするだけだから、国民にとって役に立たない。
だから、政府は全部国民にとって役に立たない。
したがって、国民にとって政府は要らない。

[12692] 植民地会社は民営化したほうがいい。 h23.5.3
これまでの国民が馬鹿だったのは、植民地会社と国の政治機関をいっしょにしたことにある。
植民地会社と国の政治機関を最初から別にすればよかったのである。
国の政治機関はいつの時代でもあるとして、植民地時代になったときだけ民間で植民地会社を作ってやればよかったのである。
そうすれば、植民地時代には植民地会社が植民地を丸ごと独[ひと]り占めできるので儲かるし、植民地時代でない時代には植民地会社がなくなって国の政治機関だけになるから、国民が植民地会社に不必要に税金を取られずに助かる。植民地会社と国の政治機関を分けておけば、植民地時代にも植民地会社が国民に日本神道や国会で嫌がらせをしたりすることもない。植民地会社は自分がお金を儲けて喜べばいいだけである。[未来では植民地の住民にも多くの人権が保障されるだろうから、植民地の住民の待遇もいいはずである。]
植民地時代には必ず終わりが来る。一方、国に終わりが来ることはない。植民地会社は一時[いっとき]だけである。一方、国の政治機関は未来永劫[みらいえいごう]に続く。だから、植民地会社と国の政治機関は別にしたほうがいい。そうしたほうが、植民地時代が始まったり終わったりしても、国の政治機関に穴が開くことがないから国民にとっても安心して生活できる。
植民地会社は民営化されるべきだが、国の政治機関も民主主義だから民営化されるべきである。つまり、国の政治機関は国民と契約して国民からお金を集めて、そのお金の範囲内で国民の役に立つ政治的な仕事をしなければならない。[日本では、今の国会(植民地会社が建てた国民を嫌がらせるための機関)で国が成り立っているのだから、国の政治機関なんかほとんど要らないだろう。国の政治機関はちょっとだけあればいいだろう。]世界中の会社が民営化されるのである。そのほうが世界中の会社が原理的に統一されるのでいい。

[12693] 自然状態 h23.5.3
自然状態では、国民はみな平等であり、国民みんなが同じ法律を守って平和に暮らしていた。[[12669]を参照。]
そこに、植民地会社(つまり政府)が現れて国民“みんな”が植民地会社を強く支持したので植民地会社は強い権力を持った。植民地会社は国民にいろんな嫌がらせをした。植民地会社は国民に嫌がらせをするために“国民が法律を自由に破ってもいい法律”を定めた。つまり、国家宗教を定めた。そのために、暴力団や宗教団体が出来て法律を犯したので国は物騒[ぶっそう]になった。おまけに、植民地会社が国民に戦争をやらせたので、国はメチャクチャになった。しかも、日本では植民地会社ははじめの一時[いっとき]植民地を取るだけであとは日本神道や国会が国民を嫌がらせるだけなので、実質的に国が儲[もう]かることがなくかえって以前よりも貧乏になった。[京都の寺や町並みをいくら見ても何にもならない。京都は政府が国民の税金で特別によく作った町だからである。そんなものよりも、一般の国民の生活水準を見なければならない。]
植民地時代でない時代には、政府の代わりに身分制会社(つまり幕府)が現れて国民の“過半数”が身分制会社を支持したので身分制会社は弱い権力を持った。身分制会社は国民に少しだけ嫌がらせをした。つまり、身分制会社は国民から一方的強制的に税金をとって国民に嫌がらせをしたのである。身分制会社はその他の点では国民の自由を認めていたので、国は比較的よく繁栄[はんえい]した。
だから、植民地会社(つまり政府)や身分制会社(つまり幕府)が現れなければ、国民みんなが法律を守って国は平和なままだったのである。自然状態はルソーが言ったような平和な状態だったのである。ホッブスの言ったことはペテンである。ホッブスは政府に権力を持たせるために嘘[うそ]を言ったのである。政治機関は、せいぜい不文法を成文法に変えて、法律の違反者を取り締[し]まるだけである。法律は政治機関が作るのではなく、国民が作るのである。だから、政治機関には国民を超える権力はないのである。
ルソーの自然状態は無政府主義者の指導原理となっている。この世は無政府主義つまり政府や幕府などの権力団体がないのが最[もっと]も国民にとって幸福なのである。あとは、警察や学校などがあればいいだけである。つまり、国民にとって必要十分な“権力団体でない政治機関”があればいいのである。

[12694] 国民は政府をこのままにしておいてはならない。 h23.5.3
今は植民地時代ではないが、日本政府が日本を支配しているかぎり日本政府は日本神道と国会を使って国民を嫌がらせし続けるのである。日本政府は国家宗教で変な事件や事故を起こして大勢の国民を殺したり、国民の衣食住に関する嫌がらせの命令を出して国民の日常生活を不愉快[ふゆかい]にしている。日本政府は日本の経済をいじくりまわして国民を貧乏にしている。そのうちまた国民は日本政府に戦争をやらされるかもしれない。[国民の生活は政府の命令によるものと国民自身によるもののふたつで成り立っている。[政府は国民に比べて少数だから、政府が国民全員に何から何まで命令を出すのは無理である。だから、どうしても国民自身によるものが出て来るのである。]政府の命令によるものは国民を嫌がらせるものである。国民自身によるものは国民を喜ばせるものである。国民は政府に嫌がらせられながら国民自身に喜ばせられながら暮らしているのである。今の国民の暮らしがなんとか幸せなのは、政府による嫌がらせよりも国民自身による喜ばせのほうが多いからである。だから、政府がなくなったほうが国民の暮らしは幸福になるのである。]
今が植民地時代ではないからといって、日本政府がひとりでに滅ぶわけではない。政府が国民のために自分から滅んでくれるわけではない。
だから、国民はなるべく早く日本政府に日本を支配するのをやめさせねばならない。今は植民地時代ではなく、日本政府に権力はなく、日本国民は日本政府に従わなくてもかまわないから、日本国民は日本政府に従うのをやめて日本政府を倒さねばならない。

[12695] 私がテレビや新聞のニュースを見ない訳[わけ] h23.5.3
高校の社会科で習ったように、テレビや新聞のニュースは政府の国民に対する世論操作である。テレビや新聞のニュースを見た国民は政府に頭の中を操作されていつの間にか政府を支持するように変えられている。そうなるように、テレビや新聞のニュースはよく計算されて作られているのである。人間の心理をよく研究して国民が政府を支持するようになるように精密に作られているのである。だから、国民はテレビや新聞のニュースを見てはいけないのである。一般に、テレビや新聞のニュースだけでなく、日本中のテレビ番組や出版物が国民が政府を支持するように作られているのである。
政府の国民に対する国家宗教による嫌がらせは、日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件やニューヨーク同時多発テロ事件(これはアメリカ政府による事件)や福知山線列車事故などである(マンネリ)。これ以外にも政府の国家宗教による事件はたくさんあると思われるが、上述のように私は“テレビや新聞のニュースを見ない主義”なので、残念ながら知らない。私は昔はよくテレビや新聞のニュースを見ていたが、最近国家宗教や政府について考えるようになってからは全然見ていない。[私が豊岡に住んでいた頃はときどきテレビのニュースを見ていたが、和田山[わだやま]に住んでいた頃はCS(衛星放送)ばっかり見ていたから、私は最近の約10年間はテレビや新聞のニュースを見たことがない。もちろんパソコンでもなるべくニュース欄[らん]を眼を背[そむ]けて見ないようにしている。]最近の私は高知の実家に帰ったときにしかテレビや新聞のニュースを見ない。高知の実家では私は何もすることがなくて退屈だから暇つぶしにテレビや新聞を見るのである。
私がテレビや新聞のニュースを見ないからこそ、政府について正しいことがわかるのである。神武天皇の情報は古事記を読めばわかるし、私の情報は私のホームページをよく読めばわかるから、国家宗教に興味を持った者はテレビや新聞のニュースを見て自分で考えてみるとよい。たぶん政府は毎日必ずひとつは国家宗教で事件を起しているだろう。

[12696] 虚構の世界と実在の世界 h23.5.3
虚構の世界では今の政府は強い。虚構の世界では今の政府には強い権力があり、国民が政府に従わねばならない。国民が政府にペコペコ頭を下げねばならない。
実在の世界では今の政府は弱い。実在の世界では今の政府には権力がなく、国民のほうが政府よりも権力がある。実在の世界では政府が国民にペコペコ頭を下げている。
政府はいろんな世論操作をして国民に虚構の世界を見せている。国民は政府の心理操作に惑[まど]わされず、自分の理性を働かせて実在の世界を見なければならない。

[12697] 政治機関は要らない。☆ h23.5.4
国会は植民地会社が作った国民を嫌がらせる機関である。だから、国会はないほうがいい。今の日本が繁栄[はんえい]しているのは、国会の邪魔[じゃま]にもめげず国民ががんばってやっているからである。今の日本が繁栄しているのは、国会が政治がうまいからではなく、国民が一生懸命にやっているからである。もちろん、日本神道が政治がうまいからでもない。日本神道は神の情報を入れた余計なことをやるだけで国民の役には立たない。
徳川幕府の時代に日本が繁栄[はんえい]したのは、徳川幕府が政治がうまかったからではなくて、徳川幕府が身分制で権力が弱かったために徳川幕府が国民に命令できなくて国民が自由に好き勝手にやっていたからである。国民が自分で考えて好きなようにやっていたからである。だから、徳川時代は日本の町並みがあんなに美しかったのである。今の日本の町並みが汚[きたな]いのは、国民が政府の命令で町を作っているからである。江戸時代の文化は幕府の命令ではなく、国民が自分で作り出したものである。徳川時代の欠点は、徳川幕府が定めた“身分制”で国がおかしくなっていたことだけである。(“税金制”で国がおかしくなっていただけである。)同じように、今の日本政府の欠点は、日本神道や国会が国民に余計な命令を出して国民の幸福な生活を妨害していることである。
政府も幕府も自分が国民の役に立っているように見せかけているだけで、じつは何の役にも立っていない。ただ、政府や幕府に権力があっただけである。権力があったから国民を支配していただけである。政府も幕府も、日本が外国よりも上の国でありたい、自分が他人よりも上の身分でありたいという“国民の欲望”を利用して権力を得ていたのである。実際には、政府も幕府も国民の利益にはなっていないのである。政府も幕府も国民の“誇大欲”[こだいよく]を利用して儲[もう]けていただけである。つまり、税金は政府や幕府が国民を煽[おだ]ててくれたお礼というわけである。そんなくだらないことに国民はお金を払い続けているのである。誇大妄想狂は政府や幕府ではなく、国民のほうなのである。
少数の人間が多数の人間に適切な命令を出すことは無理である。政治機関は国民に適切な命令を出して国民を幸福に導く機関ではない。政治機関にそんなことをやるのは無理である。実際には、政府も幕府も国民に嫌がらせをするためにわざとに国民を不幸にする命令を出しているだけである。国民は政治機関に期待をしすぎる。政治機関は神様ではない。国民は自分自身で自分を幸福に導くべきである。それが国民が幸福になるための一番いい方法である。つまり、国民が自由に自分の好き勝手にやれば国民が幸福になるのである。国民は政治機関に頼らずに、自分の力でやればいいのである。政治機関は国民が命令を聞くだけで幸福になれる機関ではない。そんな便利な物は存在しない。政治機関はやる気のない国民が作り出した妄想である。だから、国民は自分の力でやらねばならないのである。
たとえ政治機関がなくても法律は出来る。国民が社会の中で暮らしていれば自然に法律が出来る。だから、強いて政治機関は要らない。ただ、犯罪者が出るから警察が要るだけである。勉強したい子供のために学校が要るだけである。他[ほか]にも必要な仕事があれば、国民が必要に応じて自分で会社を作ればいい。例えば、国に外交が必要なら、国民が外交会社(外国と国際交流をする会社)を作ればいい。そもそも政府も幕府も国民が作ったのである。しかし、今は植民地時代ではなく、国民が職業を自由に選べる時代だから、植民地政策や身分制で国民の支持を得ることはできない。だから、今の時代には政府も幕府も出来ない。国民が誇大欲のようなくだらない欲望に取り付かれず真面目[まじめ]にやるなら国民は幸福になれるだろう。

[12698] 政治機関とは何か?☆[ただし、ここでの政治機関は政府や幕府の意味である。] h23.5.4
国民の“誇大欲”[こだいよく]を満足してくれる機関である。一種の宗教団体のようなものである。[宗教団体は「信者が国民よりも上の者だ」と勝手に決めて信者の誇大欲を満足させて信者からお金を取って儲けているのである。宗教団体は信者に「信者は現実の世界では偉くないが、現実を超えた世界では偉いのだ」と説明して信者を煽[おだ]てて喜ばせて信者から大金をもらっているのである。]政治機関は、「国民は外人よりも上だ」(政府の場合)、「農民は町人よりも上だ」(幕府の場合)と言って国民や農民を喜ばせていたのである。
政治機関が国民を喜ばすことはそれだけで、あとは国民から税金を取って、国民に嫌がらせをするだけである。政治機関は国民の支持によって得られた自分の権力を使って国民に“嫌がらせの命令”を出すだけである。けっして政治機関が国民を幸福にする命令を出してくれるのではないのである。政治機関は国民に命令を出すけれども、国民を嫌がらせる命令を出すだけで、国民を喜ばせる命令は出さないのである。
政治機関が国民を幸福にしてくれるのは国民の誇大欲を満足することだけであって、それ以外は何にもないのである。
しかし、今は人類みな平等の時代だから、今さら人間の上下にこだわる者もいない。誇大欲を満足して喜ぶ者もいない。
だから、政治機関は要らないのである。

今の時代は、警察や学校などがあればいいだけである。今の時代は、植民地時代が終わって政府は国民の誇大欲を満足できなくなって政府は国民の支持が得られなくなって政府には権力(命令力)がないから、国民が自由にやればいいのである。

[12699] どうして戦後植民地が独立したのか? h23.5.4
先進国が後進国を植民地にすれば、先進国の人間は自分が後進国の人間よりも上だと言って威張[いば]ることができる。先進国の政府は植民地を取ることによって国民の支持を得て儲[もう]けたのである。先進国の政府はそうやって国民の支持を集めて権力を得たのである。反対に、植民地の人間は、自分が先進国の人間よりも下になって嫌である。だから、植民地の人間はできれば独立したいと思っていたのである。
実際には、先進国が後進国を植民地にしてもあまり儲[もう]かることはないのである。先進国が後進国を植民地にしたのは、ただたんに先進国の人間が自分の“誇大欲”を満足させるためだったのである。政府は国民の誇大欲を利用して儲けていただけなのである。だから、例えば、イギリスがインドを植民地にしたときには、インドはイギリスの植民地になるのと引き換えにイギリスから大金を取っていたのである。そのために、イギリスは大赤字になっていたのである。イギリスは自分の面子[めんつ]のために大損をしたのである。他の植民地についても、多かれ少なかれ先進国からお金をもらって植民地になってやっていたのである。だから、植民地政策は、後進国にとって得であって、先進国にとっては損だったのである。
植民地は人間の面子[めんつ]の問題であって、実質的な得や損ではなかったのである。先進国が後進国にお金をやって植民地にしていたのである。植民地制度は、後進国にとって得であって、先進国にとっては損だったのである。先進国は貿易で儲けてお金持ちだったから、先進国は自分の誇大欲を満足するために後進国にお金をやって後進国を自分の植民地にしていたのである。つまり、植民地はお金持ちの国の遊びだったのである。
しかし、ヨーロッパは近代に世界大戦を2度もやってお金を使い果たしてしまった。それで“植民地ごっこ”にお金を出せなくなった。それで、戦後にヨーロッパの植民地が次から次に独立したのである。植民地としては、このままずっと先進国からお金をもらって植民地のままでいたかったのだが、先進国が植民地にやるお金がなくなったので、しかたなく独立したのである。
一方、日本は昔から貧乏な国で通っている。とうていヨーロッパの真似ができる国ではない。だから、日本は“植民地ごっこ”はやらないほうがいい。だから、日本は政府を作るべきではない。日本人は自分の誇大欲を満足して遊べるほどお金に余裕がないのである。

[12700] 日本はアメリカと仲良くすればいい。 h23.5.4
日本がアメリカと仲良くしたければ仲良くすればいい。私も別にアメリカにケンカを売る気はない。
ところで、政府は国民の誇大欲を満足する機関である。政府の仕事は国民の誇大欲を満足することであって、それ以外は政府の仕事ではない。だから、日本がアメリカと仲良くすることと政府とは関係がない。たとえ政府がなくても、日本はアメリカと仲良くすればいい。日本がアメリカと仲良くするために特に政府は必要ではない。国民が自分の意思でアメリカと仲良くすればいいだけである。日本がアメリカと仲良くするかどうかは政府が決めることではない。国民が決めることである。
今は世界的に人類が平等になっているから、国民の誇大欲を満足させるためにある政府なんか時代遅れである。日本政府はアメリカの悪口を言って日本人に「日本がアメリカよりも上だ」と思わせるだけである。[中国政府も日本の悪口を言って中国人に「中国は日本よりも上だ」と思わせている。政府はそんなことをするためにあるだけである。つまり、政府は外国の悪口を言って国民を煽[おだ]てる会社なのである。そんなことが政府の仕事なのである。]だから、むしろ政府がなくなったほうが、日本はアメリカと仲良くやれるだろう。


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