[12501] 政府とは何か? h23.4.17
政府とは“上の者の会”である。昔の世界はヨーロッパ優位で不平等だったので、人間も不平等だと考えられたので、空威張[からいば]りをする者が集まって“上の者の会”を作ったのである。
政府は上の者の会だから、国民を下の者と見なして、平気で国民を殺すのである。国民を虐[いじ]めて遊ぶのである。
もっとも、政府があまり上の者ぶってばかりいると国民に嫌われてそっぽを向かれるから、政府には日本神道や国会などの民主主義団体が付属している。政府はときどき日本神道や国会などの民主主義団体を使って国民の機嫌を取っているのである。つまり、政府は国民を嫌がらせたり喜ばせたりする不確定な団体である。
政府と暴力団との関係はあまりないと思われる。政府はいざとなると警察を使って国民に暴力をふるらしい。
つまり、政府は“上の者の会”だが、宗教団体でもあり暴力団でもあり国会(政治団体)でもあるわけだ。政府は万能の“上の者の会”なのだ。
[12502] 空威張[からいば]り馬鹿の会 h23.4.17
政府は空威張り馬鹿の会である。
政府は何の理由もなく勝手に自分を国民よりも上の者ということにして国民に命令している。命令に従わない者は殺される。
昔はヨーロッパが優位で不平等な世界だったから人間も不平等だと考えられて空威張りが通用した。何もなくてもとにかく威張って“上の者”になった者が有利に生きていけた。上の者が下の者を意のままにして遊んで暮らせた。[例えば、国家宗教では、政府が国家宗教の神の情報を入れた命令を作って、政府が国民を適当に選んで命令を出して実行させた。例えば、神武天皇は東征の時に多くの敵を殺したから、政府は国民に人殺しの命令を出した。国民が政府の命令に従わなければ殺された。]
しかし、今は植民地時代が終わって平等な世界になって人間も平等だと考えられるようになって空威張りが通用しなくなった。いくらがんばって威張ってももはや“上の者”になることができなくなった。みんなが平等になって、みんなが同じ法律を守らねばならなくなった。
だから、今後は政府はなくなるだろう。
今後は政府や宗教団体や暴力団のような『不平等制』に便乗[びんじょう]して儲[もう]ける団体がなくなるだろう。
[12503] 『浦島太郎』の玉手箱 h23.4.17
浦島太郎の玉手箱には、政府が国民を支配することができる秘密が隠されていた。
しかし、箱の中身は空[から]だった。
つまり、政府は“空威張[からいば]り”で国民を支配していたのだ。
昔は不平等な世界だったから空威張りが通用して政府は国民を支配できたが、
今は平等な世界だから空威張りが通用せず政府は国民を支配できないのだ。
[12504] どうして政府は国民から税金を取っていたのか? h23.4.17
昔の世界は不平等だったので、政府は自分を国民よりも上の者ということにして国民に命令していた。
政府は国民に金を出せと命令して国民から税金を取った。
つまり、政府は空威張りだけで税金を取っていたのである。
しかし、今の世界は平等だから、政府は自分を国民よりも上の者にすることができず国民に命令できない。
だから、今の政府は国民から税金を取れない。
[12505] 幕府とは何か? h23.4.17
幕府とは、人々が平等な法律のある社会を作る政治機関である。
一方、政府とは、人々が不平等な法律のない社会を作る政治機関である。
鎌倉幕府の源頼朝は日本で最初に幕府を作ったが、いきなり不平等な社会を平等な社会にすることは難しかったので失敗した。その後の室町幕府や江戸幕府を経てようやく法律のある平等な社会が実現した。
室町幕府の足利尊氏は北朝を建てて政府の南朝と対抗したが、もともと天皇なんかどうでもいいことである。室町幕府や政府は冗談で違う天皇を立てて遊んでいたのである。大事なのは、社会に法律があるかないか、人々が平等か不平等かである。
貴族は刀を持っていないが、人々が不平等な法律のない社会を目指[めざ]していた。上の者が下の者を好き勝手にできるメチャクチャな世界を望んでいた。一方、武士は刀を持っているが、人々が平等な法律のある社会を目指していた。みんなが同じ法律を守って平和に暮らせる社会を望んでいた。人は見かけによらないものだ。[武士の“刀”は「貴族は空威張りで上の者となったが、武士は“実力”で上の者となった」ことを表しているのだろう。]
[12506] 上の者 h23.4.17
昔の世界はヨーロッパ優位だったので“不平等”だった。
不平等な世界には“上の者”がいる。
上の者は下の者に何でも命令できる。逆らえば殺せる。
だから、昔の世界では政府や宗教団体や暴力団が勝手に上の者となって国民を好き放題にして暴れまわっていたのである。
しかし、今の世界は植民地時代が終わって平等になった。
平等な世界には上の者がない。
みんなが同じ法律を守って平和に暮らしている。
だから、今の世界では政府や宗教団体や暴力団は国民に手出しができず滅びるしかない。
[12507] 暴力団 h23.4.17
暴力をふるから上の者になれるのではない。
上の者だから暴力をふれるのである。
暴力団は自分が国民よりも上の者だと思っているから国民に暴力をふるのである。
不平等な世界では人間に上の者と下の者の区別があるから、暴力団は自分を上の者だと思っているのである。暴力団は自分を上の者と思って国民に暴力をふって国民にいろんな命令をしているのである。
つまり、不平等な世界では自分を上の者と思った者が勝ちなのである。世の中が不平等で上の者と下の者に分かれているなら、上の者にまわったほうが得なのは当然である。
しかし、今は平等な世界である。平等な世界では人間に上の者と下の者の区別がないから、暴力団は自分を上の者と思えず国民に暴力がふれないのである。
宗教団体は宗教をやっている暴力団、政府は国家宗教と国会をやっている暴力団と見なすことができる。つまり、暴力は命令に従わない者を罰する手段であって、いろんな団体が国民に命令を聞かせるために暴力を利用しているのである。
[12508] どうして政府は国民に命令できるのか? h23.4.17
政府は国民に税金や国家宗教や戦争などの命令を出している。
政府が国民に命令できるのは、政府が勝手に自分を国民よりも上の者と思っているからである。つまり、政府が上の者であることには何も理由がなく、ただたんに政府が自分を上の者と思っているだけのことである。[国家宗教の神が神であることに何の理由もないのと同じことである。政府が自分で勝手に国家宗教の神を決めているように、政府は自分で勝手に自分を国民よりも上の者と決めているのである。]
昔は不平等な世界だった。不平等な世界では、人間に上の者と下の者の区別があるので、政府は勝手に自分を上の者と考えて、下の者である国民に命令を出していたのである。
しかし、今は平等な世界である。平等な世界では人間に上の者と下の者の区別がないから、政府は自分を上の者と考えることができず国民に命令が出せないのである。
[12509] 国民が政府に従っても国はよくならない。 h23.4.17
政府は自分が国民よりも上の者だと思って、国民に嫌がらせの命令を出すだけの空威張[からいば]り馬鹿である。
そんな馬鹿に国民が従っても国がよくなるわけがない。
馬鹿は国民の嫌がらせがうまいだけで、他[ほか]にうまいことがない。
だから、国民は政府に従わないほうがいい。
そもそも今の世界では政府と国民は平等だから、国民は政府に従う必要はない。
[12510] 暴力団と会社 h23.4.17
暴力団は自分を国民よりも上の者と考えて国民に命令する団体である。国民が命令に従わなければ罰[ばつ]として暴力を加える。宗教団体も政府も暴力団である。
一方、会社は自分が国民と同じと考えて国民に物やサービスを売って儲[もう]ける団体である。
だから、暴力団と会社は違う。
不平等な時代には不平等が正しいのだから暴力団だけあればよさそうなものである。
不平等な時代にも平等制に基[もと]づく会社があったのは、国中が暴力団になるとみんなが他人に命令するだけで何もしなくなって国が潰[つぶ]れるからである。国民が生きていくためには、誰かが真面目[まじめ]に仕事をしないといけない。だから、不平等な時代にも会社があったのである。
[12511] 議会制民主主義 h23.4.17
民主主義は『法律のある社会』を作ることが目的である。平等な社会ではみんなが同じ法律を守らねばならない。だから民主主義団体は法律を作り法律の違反者を社会から隔離[かくり]して罰しなければならない。
だから、民主主義ではわざわざ議会制にする必要がない。議員を国民の選挙で選んでそれらの議員で会議をする必要がない。法律を作って法律の違反者を取り締[し]まってくれさえすれば余計なことはしなくていい。選挙も議会もしなくていい。
民主主義団体が議会制を採[と]るのは、政府が国民よりも上の者の会だからである。政府が国民よりも上の者だから、国民にとって政府が上の者に見えるようにするために議会制を採るのである。
政府が国家宗教をするのも政府が国民にとって上の者に見えるようにするためである。神は昔から人間よりも上の者だと思われているので、政府は神のイメージを利用して国民にとって政府が上の者に見えるようにするために国家宗教をするのである。
政府は国民よりも上の者ということで持っている会だから、国民にとって政府が上の者に見えるようにするためにわざわざ国家宗教や議会制民主主義をするのである。
しかし、本当は政府は空威張[からいば]りで上の者ぶっているだけだから、国家宗教も議会制民主主義もバカバカしいかぎりである。
[12512] どうして暴力団が国民を支配できたのか? h23.4.18
昔は不平等が当然だった。ヨーロッパが世界を支配して地球全体に不平等な雰囲気が漂[ただよ]っていたからである。
そんな時代には暴力団が上の者として振舞[ふるま]うことができたので、国民は暴力団に従うしかなかった。
国民は性格がおとなしかったので暴力団に逆らうことができなかったのである。
特に、日本人はおとなしいので、暴力団の格好[かっこう]の餌食[えじき]にされた。
国民がおとなしい性格の国は暴力団の温床[おんしょう]となったのである。[例えば、ヨーロッパや日本のような国民がおとなしい国では暴力団が栄えて不平等な国になり、反対にインドのような国民が反抗的な国では暴力団が栄えず平等な国になったのである。]
暴力団はしょせんはただの空威張[からいば]りである。
国民が暴力団に逆[さか]らっていけない理由はない。
だから、国民は勇気を出して暴力団に逆らえばいいのである。
今の世界は平等だから、今でも上の者ぶっている暴力団が古いのだから、国民は暴力団に従わなければいいのである。
[12513] 政府とは何か? h23.4.18
政府とは、自分を国民よりも上の者だと考えて国民に命令する団体である。国民が命令に従わないと暴力で罰する。つまり、政府は暴力団である。
しかし、さすがにおとなしい国民でも、政府がただ命令しただけでは国民は政府の命令には従わない。
そこで、政府は日本神道や国会などの民主主義的な活動をして国民の役に立っているふりをして、国民を政府の命令に従いやすくしているのである。そうやって、政府は国民から『税金』を取ったり、国民にいろんな命令を出したりしているのである。
宗教団体が宗教で国民の役に立っているふりをして国民から『募金[ぼきん]』を集めているのと同じ理屈である。
実際には、政府や宗教団体にとっては、宗教や国会なんかはどうでもいい。それらは国民に命令を聞かせるための言い訳[いいわけ]にすぎない。
政府や宗教団体の正体は暴力団である。だから、国民は宗教や国会なんかの偽善[ぎぜん]に惑[まど]わされず、政府や宗教団体の命令を聞いてはいけない。
今の世界は平等である。だから、政府も宗教団体も暴力団も国民よりも上の者ではなくなっている。だから、政府も宗教団体も暴力団も国民に命令できなくなっている。だから、国民は政府や宗教団体や暴力団に従わなくていい。
今では政府が国民に「暴力団の言いなりになってはいけない」と言っている。それでは、国民は政府の忠告に従って政府の言いなりにならないことにしよう。
今の国会は、暴力団の政府が国民を命令に従いやすくするために作った補助機関にすぎない。今の国会は暴力団のオマケにすぎない。そんな出来損ないの政治機関ではなく、『平等原理』に基づく国民と平等な、『法律のある社会』を作るためにある本格的な政治機関を建てねばならない。
[12514] 身分制をやる会 h23.4.18
政府は自分を国民よりも上の者だと考えて国民に命令を出している。国民が政府の命令に逆らえば暴力で罰する。つまり、政府は暴力団である。
政府は国民を下の者だと考えて国民に自殺や他殺の命令を出して国民を殺して遊んでいる。[[12502]の国家宗教のところを参照。]政府は国民を殺す以外にも国民にいろんな嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んでいる。例えば、最近の食事や衣料や住居が国民にとって不愉快[ふゆかい]なのは、すべて政府の国民に対する嫌がらせである。
政府の時代は身分制の時代である。つまり、この世では政府が上の者であり、国民は下の者である。上の者は下の者を自由にできる。上の者には下の者の扱いに関する法律はいっさいない。上の者が下の者を生かそうが殺そうが上の者の勝手である。上の者は下の者を虫ケラぐらいにしか思っていないのである。
政府は身分制を地[じ]でやる会である。
政府は身分制で国民に命令を出しているだけだから、国民がいくら政府の命令に従っても国民にはいいことは何もない。政府が国民をオモチャにして遊んでいるだけである。国民が政府の暴力を受けないかわりに、国民が政府の命令で面白くないことをやらねばならないだけである。
だから、国民は政府の言いなりになってはいけない。国民がおとなしいと国民自身が損をするだけである。国民が政府の言いなりになっているかぎり国民は幸福にはなれない。だから、国民は勇気を出して政府に逆らわなければならない。
今では植民地時代が終わって世界的に平等になっている。今は不平等の時代ではない。だから、政府は国民よりも上の者ではない。今では政府は正真正銘[しょうしんしょうめい]の空威張[からいば]り馬鹿である。だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。
[12515] 信者の狙[ねら]い h23.4.18
信者は政府が空威張[からいば]り馬鹿であることを昔からよく知っている。信者は政府の正体をよく知っている。
信者は自分も空威張りできる世の中を夢見て、政府に協力しているのである。信者が政府に協力すれば不平等な世の中になって自分も空威張りができるようになって楽に暮らせると思っているからである。
しかし、世の中を決めるのは信者や政府ではない。
世の中を決めるのは世界である。
今の世界は平等だから、今後の日本社会は平等になって行くだけである。
だから、いくら信者にとって不平等な世界がよくても、そんな世界は実現しないだろう。
だから、信者がいくら政府に協力しても無駄[むだ]である。
信者は国民といっしょに平等な世界の建設に協力したほうがいい。
[12516] 国民から政治機関へのフィードバック h23.4.18
もしも、自由契約性の政治機関があれば、国民が政治機関が要らないと思えば政治機関がなくなり、反対に国民が政治機関が要ると思えば政治機関の仕事が広がり、政治機関が国民にとって必要十分な仕事をするところで釣り合うから、国民にとってちょうど都合[つごう]がいい政治機関が出来る。
今の政府のように、強制契約制の政治機関だと国民が政治機関が要らないのに政治機関の仕事が広がるので、政治機関が国民にとって要らない余計な仕事ばかりするようになり、国民にとって政治機関がただの金食い虫になる。
だから、国民にとっては自由契約性の政治機関のほうがいいのである。
昔の世界は不平等で政府が国民よりも上の者だったから、国民は政府の命令に服従するしかなく、国民全員が政府と契約を取らされていたのである。
しかし、今の世界は平等で政治機関が国民よりも上の者ではないので、国民は政治機関の命令に従わなくてもよく、国民は政治機関と自由に契約すればいいのである。
[12517] 国民はおとなしすぎてはダメ!☆ h23.4.18
政府は自分が国民よりも上の者だと思って国民に命令する団体である。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で罰する。つまり、政府は暴力団である。
政府は表向きは日本神道や国会などの民主主義団体だが、政府の奥には政府専属の暴力団が隠れているのである。[[12308] を参照。]
今の日本で政府が国民を支配しているのは、国民の性格がおとなしいからである。日本国民の性格がおとなしいから、国民は政府にどんな嫌な命令を出されてもそれに従っているのである。
全人口のわずか3%の政府で国民全員を支配できるのは、ひとえに日本国民の性格がおとなしいからである。もしも日本国民の性格が反抗的だったら、政府はもっと政府の人数を増やさなければならなかっただろう。
しかし、今の世界は平等である。今の世界には国民よりも上の者がいないから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。そもそも昔の政府が国民に暴力をふれたのは、昔の政府が国民よりも上の者だったからである。しかし、今の世界は平等で政府は国民よりも上の者ではないから、もはや政府は国民に暴力がふれないはずである。だから、国民は政府の命令に逆らっても罰せられないから、国民は政府の命令に従わなくてもいいのである。
日本国民はもっと反抗的にならねばならない。政府の命令が自分を幸福にしなければ、国民は政府の命令に従わなければいい。日本国民はインド人から反抗する心を学んだほうがいいのかもしれない。私は子供の頃に日蓮宗に入っていたからインド人から反抗する心を学んだのかもしれない。
[12518] どうして暴力団は暴力がふれたのか? h23.4.19
昔はヨーロッパが植民地を持っていて世界が不平等だった。
昔の世界は不平等だったので、人間に上の者と下の者があると考えられていたので、暴力団は自分を国民よりも上の者と考えて国民に命令したり国民に暴力をふったりしていたのである。暴力団は暴力を自分の命令に従わない国民への罰として、または自分よりも下の者である国民に対するイビリとして使っていたのである。
しかし、今はヨーロッパの植民地が独立して世界が平等になった。
今の世界は平等なので、人間に上の者と下の者がないと考えられているので、暴力団は自分を国民よりも上の者と考えることができず国民に命令したり国民に暴力をふったりできないのである。
つまり、暴力団が国民に暴力をふれたのは昔の世界では暴力団が国民よりも上の者だったからである。
今の世界では暴力団は国民よりも上の者ではないからもはや暴力団は国民に暴力がふれないのだ。
[12519] 今では国民は政府に従わなくていい。 h23.4.19
今の世界では暴力団は国民よりも上の者ではないから、暴力団は国民に命令したり国民に暴力をふったりできない。
政府は日本神道や国会などをやっている暴力団である。政府が日本神道や国会をやっていると国民に政府がいい人だと思われて国民に政府の命令が通りやすいので政府は日本神道や国会をやっているのである。
だから、今の世界では政府は国民に命令したり国民に暴力をふったりできない。
つまり、今では国民は政府の命令を聞かなくていいのである。
[12520] 国民はどうして政府に従っているか? h23.4.19
国民が自分勝手に自分が政府よりも下の者だと思っているからである。
しかし、今は平等な世界である。
だから、国民が自分勝手に自分が政府よりも下の者だと思ってはいけない。
したがって、国民は政府に従ってはいけない。
[12521] どうして昔は国民が暴力団に従っていたのか? h23.4.19
昔はヨーロッパが植民地を持っていた。
昔の人はヨーロッパが「暴力」で植民地を征服したのだと思っていた。昔の人はヨーロッパが「暴力」で植民地の人を脅して植民地の財産を奪ったり植民地の人を好き勝手に殺したりしていたのだと思っていた。つまり、昔の人はヨーロッパを暴力団だと思っていたのである。
だから、昔の人は自分の国の暴力団にも従ったのである。昔の人はヨーロッパが「暴力」を使っていたので世界中の誰でも「暴力」を使っていいと考えていたから、昔の人は暴力団に「暴力」で脅[おど]されて財産を取られたり暴力団に遊び半分に殺されたりするのを認めていたのである。
しかし、実際にはヨーロッパは植民地に外資系の企業を建てただけである。ヨーロッパは植民地の安い労働力を活かして儲けたのである。ヨーロッパは植民地の人を働かせて資源を採掘して植民地の資源を本国に輸入して、本国で資源を加工して製品にして植民地に輸出して、植民地で製品を高い値段で売っていたのである。だから、ヨーロッパがすごく儲[もう]かったのである。高度経済成長期の日本と同じことである。
考えてみれば、ヨーロッパが植民地から奪う財産なんかない。植民地はもともと貧乏な国だからヨーロッパが取る物なんかない。資源も土の中に埋まっているからすぐには取れない。銀行強盗が武器で銀行員を脅[おど]してお金を取るようなわけにはいかないのである。
だから、ヨーロッパは暴力団ではなくて、ただの企業家だったのである。だから、ヨーロッパと暴力団には何の関係もない。
昔の人が暴力団に従ったのは、昔の人が植民地を誤解していたからである。
今の人は植民地を誤解していないから、もはや今の人は暴力団には従わないのである。今の人は植民地と暴力には関係がないことを知っていて、今の人は暴力を使っていいと考えないから、暴力団に従わなくなったのである。
もっとも、最近の社会で暴力が使えなくなったのはただたんに文明が進んだからかもしれない。文明が進めば、社会に法律が出来る。社会に法律が出来れば暴力が使えなくなる。だから、今では暴力団が滅んでいるのかもしれない。反対に、昔の日本社会で暴力が使えたのは、昔はまだ社会に法律がなかったからである。政府は暴力団であり政府の法律はニセモノの法律だから、政府の時代には実際には法律がなかったと言っていい。江戸時代も不文法しかなかったから実際にはかなり暴力が使えたのだろう。つまり、今みたいにコンピューターが出来るぐらいの文明社会にならなければ、実際には法律はあるとはいえないのである。
[12522] 国民は政府に従わなくていい。 h23.4.19
古来より、文明が劣った者は文明が優れた者に従って発展してきた。
例えば、植民地は先進国に従って発展して来た。
ところが、政府は国民に比べて文明が優れていない。政府はいまだに国家宗教で国民を殺して遊んでいる野蛮な種族である。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民が政府に従っていると政府の馬鹿がうつるので、国民は政府に従わないほうがいい。
人間は暴力の強い者に従うのではなく、文明の進んだ者に従うのである。
だから、もはや国民は暴力だけで頭のない馬鹿な暴力団には従わないのである。
[12523] どうして今の国民は暴力団に従わなくなったのか?☆ h23.4.19
政府は暴力で国民を脅して国民に命令する団体である。政府は自分の命令を聞かない国民を暴力で罰する。つまり、政府は暴力団である。
特に日本人は性格がおとなしいので、日本では国民は暴力団の政府によく従ったので、政府は大儲[もう]けした。
昔の国民は「暴力の弱い者は暴力の強い者に従うものだ」と思っていたので、暴力団に従ったのである。
しかし、今の国民は『文明の遅れた者は文明の進んだ者に従うものだ』と思っているから、暴力団に従わなくなったのである。
昔の国民は植民地を誤解して「暴力の強い者が弱い者を支配する」ことだと思っていたから、国民が暴力団に従って、暴力団が国民を支配する世界が出来てしまったのである。
今の国民は植民地を正しく理解して『文明の進んだ者が遅れた者を支配する』ことだと考えているから、馬鹿で暴力をふるしか能がない暴力団が国民を支配できなくなったのである。
つまり、国民が社会科が得意になったから、国民が暴力団に従わなくなったのである。国民が理科が得意になったから、太陽が地球の周りを回ると思わなくなったのと同じことである。これまでは、国民の社会科の弱さを利用して、暴力団が儲けていたのである。
[12524] 今は昔とは違う。☆ h23.4.19
とにかく昔は国民が暴力団に従わねばならない決まりがあった。例えば、江戸時代に武士が刀を差していたのは、自分が暴力団であることを国民に示すためであった。武士が「国民が暴力団に従わねばならない」決まりを利用して国民を支配するためだった。武士が国民を支配するためには、自分が暴力団である必要があったので、武士はわざわざ自分が暴力団であることを国民に示すために重たい刀を差していたのである。今の日本政府が国家宗教で国民を殺すのも、政府が自分が暴力団であることをわざわざ国民に教えるためである。
昔の社会には法律がなかったから、暴力が正義として通用していた。「力が正義」だったから、暴力の強い暴力団が善人で、暴力の弱い国民が悪人だと考えられていた。暴力団が国民を支配することが当然だと思われていた。
ただし、日本では国際情勢に合わせて、ヨーロッパが強い時代にはヨーロッパ型の暴力団である政府が国民を支配したり、インドが強い時代にはインド型の暴力団である幕府が国民を支配したりしていた。しかしながら、とにかく暴力団が国民を支配していたことに変わりはなかった。
ところが、最近は国民が暴力団に従わねばならない決まりがなくなっている。最近は文明が進んでテレビで犯罪のニュースをやったりして法律のある社会になったので、国民が『暴力団はただの犯罪者にすぎない』と見るようになったので、国民は暴力団に従わなくなったのである。つまり、最近の日本が法律のある国になったのは1964年ごろにヨーロッパの植民地が次々に独立して世界が平等になったからではなく、日本国民がテレビの犯罪のニュースを見るようになって『暴力団がただの犯罪者だ』と考えるようになったからである。
つまり、昔の社会では国民は暴力団に従ったが、反対に今の社会では国民はむしろ暴力団に従わなくなっている。
だから、今の社会では国民は政府に従わなくなっているのである。
つまり、今の世界では『国民が暴力団に従わない』ことが流行なのである。だから、国民は暴力団や宗教団体や政府などに従わなくなっているのである。
[12525] 信者とは何か? h23.4.19
信者は「法律のない社会」に憧[あこが]れている者である。
法律のない社会では何でも自分の好き勝手なことができるので、信者は日本を法律のない国にしたがっているのである。
一方、政府も法律のない社会のほうが国民を自由にできるので、日本を法律のない国にしたがっている。政府は国民を法律の知識のない馬鹿に改造して、国民に自分が暴力団に従わねばならないと思い込[こ]ませようとしているのである。
信者と政府は両方とも日本を法律のない国にしたがっていて目的が同じなので、信者は政府と組んで政府に協力して政府の命令を聞いているのである。
しかし、今さら日本を法律のない国にするなんて無理である。信者も政府も狂っている。信者も政府も誇大妄想狂である。ふたりとも精神病院に入って、人生を一[いち]から出直したほうがいい。
[12526] 昔の人と今の人の生き方の違い h23.4.19
昔の人は質素[しっそ]だったので、自分がただ生きていさえすれば満足だった。だから、嫌な暴力団にでも従うことができたのである。
しかし、今の人は贅沢[ぜいたく]になってただ生きるだけではなく『幸福に生きる』ことを目的とするようになったので、もはや暴力団に従うことに耐[た]えられなくなったのである。
だから、今の国民は暴力団の政府ではなく、暴力団ではない“国民と平等な政治機関”に従いたいと思っている。
今の国民の心をつかむ政治機関が出来れば、政府を倒すことができるだろう。
[12527] 今の人はおとなしく暴力団に従っていてはいけない。 h23.4.19
暴力団は自分を国民よりも上の者だと思って国民を虫ケラのように殺しまわる精神異常者の団体である。
国民が暴力団に従っていて幸福に生きていけると思うことは国民の認識不足である。
だから、国民は暴力団に従うことをやめて、暴力団を撲滅[ぼくめつ]しなければならない。
国民は政府や宗教団体も暴力団であることを知っていなければならない。
[12528] 空威張[からいば]り馬鹿の団体 h23.4.19
政府は自分が国民よりも上の者であると考えて国民に命令を出す団体である。政府は自分の命令を聞かない国民を暴力で罰する。つまり、政府は暴力団である。例えば、政府は国家宗教で自殺や他殺の命令を国民に出して国民に嫌がらせをしている。政府の命令に従わない国民は直[ただ]ちに殺される。国民はただ政府の命令が自分に下[くだ]らないことを祈[いの]るだけである。
昔の国民は政府が上の者である理由を一生懸命考えていた。しかし、昔の国民には理由がわからなかったのでしかたがなく政府に従わねばならなかった。
しかし、今の国民は政府が上の者である理由は“何もない”ことを知っている。つまり、政府は空威張[からいば]り馬鹿である。だから、今の国民はもはや政府に従う気にはなれない。
政府はもっと実力を付けて本当に偉くなってから国民を支配ないといけない。それまでは国民を支配するのはおあずけだ。
[12529] 最近の暴力団はマナーがいい。 h23.4.19
最近の暴力団はみだりにミカジメ料を取らなくなっている。
それなのに、政府はあいかわらず国民全員から税金を取っている。
政府は厚顔無恥[こうがんむち]でずうずうしい。
政府は暴力団を見習うべきだ。
政府は政府に従いたい国民だけに命令するようにしてくれ。
[12530] タイタニック号沈没事件とニューヨークテロ事件 h23.4.19
国家宗教とは、政府が国家宗教の神の情報を使って殺人事件を起すことである。国家宗教とは政府が神の情報を入れた命令を作って国民にやらせることである。
例えば、タイタニック号沈没事件は、イギリス政府がキリストと神武天皇の情報を使って起した殺人事件である。タイタニックのタイタンとは土星の衛星で、土星は輪っかがあるから頭に輪っかのあるキリストのことであり、つまりタイタニック号とはキリストのことである。一方、タイタニック号が衝突した氷山は白くて光る物だから神武天皇の光るトンビのことであり、つまり氷山とは神武天皇のことである。
例えば、ニューヨークテロ事件は、アメリカ政府が私と神武天皇の情報を使って起した殺人事件である。ニューヨーク貿易センタービルはツインタワービルでツイン←ツ←川でツイン←双子[ふたご]←ふだから合わせて川ふ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私でありツインタワービル←ツビ←川ブ(ツ≒川、ビ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私であり(h23.5.9修正)、つまり貿易センタービルは私のことである。また、ペンタゴンはペンタゴン←五角形←ゴカク←カクゴ←カワブ(ク≒ワ、ゴ≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私であり、つまりペンタゴンは私のことである。一方、貿易センタービルやペンタゴンに衝突した旅客機は白くて光る物だから神武天皇の光るトンビだからつまり旅客機は神武天皇のことである。
例えば、日本で起きた日航機123便墜落事故は、日本政府が神武天皇の情報を使って起こした事故である。事故の原因となった圧力隔壁は白くて光る物だから神武天皇の光るトンビのことであり、圧力隔壁の破損とは神武天皇の人間宣言のことだからである。
政府は国家宗教の神の情報を使って殺人事件を起すだけでなく、他[ほか]にも国家宗教の神の情報を使った命令を国民に出して国民の嫌がらせをしている。
例えば、最近の国民の食事が不味[まず]いのは、不味い←不味←フミ←ミフ←川フ(ミ≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。日本政府は日本中の農家に不味い作物[さくもつ]を作る命令を出して国民の食事を不味くして国民を嫌がらせているのである。政府は暴力団で国民よりも上の者だから国民を嫌がらせているのである。
[12531] 暴力団はどうして国民よりも上の者なのか? h23.4.19
暴力団は自分を国民よりも上の者だと考えて国民に命令する。暴力団は自分の命令に従わない国民を暴力で罰する。だから、暴力団というのである。政府や宗教団体も暴力団である。
ところで、暴力団は何の理由もないのに自分を国民よりも上の者と考えている。
普通は上の者であるためには上の者である理由が必要である。
だから、暴力団は自分が国民よりも上の者である理由がわかってから国民に命令したり暴力を使ったりしないといけない。
しかし、暴力団は馬鹿だからそんな理由はわからない。
だから、暴力団は国民に命令したり暴力をふったりすることができないのである。
あるいは、暴力団が国民に暴力をふるなら、国民に暴力がふれる理由が必要である。
普通は国民に暴力をふると犯罪者になって刑務所で罰せられる。
暴力団は国民に暴力がふれる理由もないのに国民に暴力をふってはいけない。
今の時代は合理的だから、理由のないことをすることはできない。
だから、今では暴力団は国民に命令したり暴力をふったりすることはできない。
したがって、国民は暴力団に従わなくてもかまわない。
昔の世界は法律がなかったから暴力団は国民に自由に暴力がふれたが、今の世界は法律があるから暴力団は好き勝手に国民に暴力をふれないのだ。
昔の世界は甘かったから暴力団も国民もどうでもいいかげんにやればよかったが、今の世界は厳しくなっているから暴力団も国民もお互いに気をつけねばならない。
それでは、どうして今の世界に法律があるのか?
国民にテレビや学校などで法律を教えるようになったからだろう。
国民が法律を勉強するようになったから法律があるようになったのだ。
これまでは国民が法律を勉強しなくて法律を知らなかったから昔の社会には法律がなかったのだ。
今の国民は勉強熱心で法律をよく知っているから今の社会には法律があるのだ。
だから、国民が暴力団に暴力をふられたら、国民は自分で法律をひも解いて暴力団がどんな法律に違反しているかを調べればいい。そうすれば、暴力団は怖[こわ]くなって国民に手を出せなくなるだろう。
昔の国民は馬鹿で法律を知らなかったから暴力団の言いなりだったのだ。今の国民は勉強熱心で法律に詳[くわ]しいから暴力団に命令されたり暴力をふられたりしなくなっているのだ。だから、国民が暴力団に命令されたり暴力をふられたりしないためには、国民が法律をよく勉強すればいいのである。
法律や医学は人間の生活にとって大変役に立つ学問である。学校や大学で法律や医学を生徒や学生に教えるといいかもしれない。
例えば、税金は政府が国民の財産権を犯すことである。だから、政府は法律違反である。政府は犯罪者である。だから、政府は罰せられねばならない。政府も会社のひとつにすぎないから、他の会社と同じように国民と契約を取ってから国民からお金を取って仕事をしなければならない。国民とちゃんと契約を取ってお金を集めていない政府が悪い。要するに、政府は暴力団だから、他の暴力団と同等に扱えばいい。税金はミカジメ料と同じだから、国民は暴力団にミカジメ料をやらないように、政府に税金を払わなければいい。その他[ほか]、政府による国家宗教の命令なども国民の何らかの人権を侵すことになる。だから、政府は法律違反であり罰せられねばならない。政府がこれまでに国民に対してしてきたことを考えると、当然政府は罰せられて死刑にされねばならない。
法律は使えばあるし、使わなければないことになる。それが法律というものだ。法律はただ置いてあるだけでは存在していることにはならず、法律は使われることによってのみはじめて存在していることになるのである。最近は国民に法律が使われることが多くなってきたから、法律のある社会になってきたのである。
[ニコニコ動画にUPされていた『神アニメランキングベスト200』をベスト200からベスト1まで全部見たら頭の調子が狂ってしまった。ひさしぶりに長時間アニメを見たので頭の調子がおかしくなった。自分が考えごとをするときはなるべくアニメは見ないほうがいい。最近BSフジの『天体戦士サンレッド』が終わったので、アニメに飢[う]えていたのかもしれない。要するに、アニメはあまり面白くない。現実に目を向けず実在について考えないから面白くないのだ。実在の問題を解決してこそ真の幸福が得られるのだ。面白くないことにハマるのが貧乏人の弱点だ。]
[12532] 暴力団はどうして国民よりも上の者なのか? h23.4.20
暴力団が国民よりも上の者である理由はない。
だから、暴力団は国民よりも上の者ではない。
したがって、国民は暴力団の命令に従わなくていい。
あるいは、暴力団が国民に暴力をふってもいい理由はない。[昔は法律がなかったから暴力を使えたが、今は法律があるから暴力が使えない。今は弁護士の仕事が出来たし[[12535]参照]、学校やテレビなどによって国民の法律についての認知度が上がったから、今では法律のある社会になったのである。もしも、昔から法律のある社会だったとしたら、暴力団は生まれなかっただろう。国民だけからなる平和な世界だっただろう。つまり、暴力団はバイ菌みたいなものだ。暴力団もバイ菌も人間を食べて増殖する。最近バイ菌に効く薬(法律のこと)が出来たから暴力団が減っているのだ。国民で“法律を運営する施設”を整備強化すれば、暴力団や宗教団体や政府を倒すことができるのだ。まず国から暴力団をなくして国を平和にしてから、国を発展させたほうがいい。]
だから、暴力団は国民に暴力をふってはいけない。
したがって、国民は暴力団の命令に逆らってもいい。
つまり、暴力団は国民に命令できないし命令に逆らう者を罰することができない。
暴力団は国民に対して何もできない。
だから、国民は暴力団に従わなくていい。
[12533] 国家宗教とは何か? h23.4.20
政府は暴力団である。つまり、政府は自分を国民よりも上の者だと考えて国民に命令する。政府は自分の命令に従わない国民を暴力で罰する。
国家宗教とは、政府が命令に神の情報を入れることである。[[12530]を参照。]
民主主義とは、政府が命令に大義名分[たいぎめいぶん]を入れることである。例えば、政府が国を守るためあるいは国を豊かにするためと言って国民に戦争をさせることである。実際には、政府は国民を嫌がらせるために戦争をさせただけである。
政府はニセモノの国家宗教やニセモノの民主主義をやるだけである。
政府はひたすら国民に嫌がらせの命令を出すだけである。[たまには国民を幸福にする命令を出すこともあるが。]
これでは、国民が一方的に政府に殺されるだけである。国民が一方的に不利である。
政府を倒すには、国民が政府に逆[さか]らうしかない。
政府は国民に命令できる理由がないのに国民に命令している。政府は国民に暴力がふれる理由がないのに国民に暴力をふっている。だから、政府のほうが悪い。政府の命令をおとなしく聞いている国民のほうが馬鹿である。[こういう理屈をこねている者には政府は命令を出さないものである。実際、私にはこれまで一度も政府から命令が出たことがない。政府が好[この]んで命令を出すのは、わけもわからずに政府の命令を聞く者に対してである。政府は理屈をこねる者に弱いので、政府は理屈をこねる者には命令を出さないのである。政府は自分で考える者が苦手なので、政府は自分で考える者には命令を出さないのである。]
[12534] 特異点解消 h23.4.20
政府は会社である。普通の会社は国民と契約して国民からお金を取って仕事をしている。だから、政府も国民と契約を取って国民からお金を取って仕事をしなければならない。
政府は暴力団である。国民は普通の暴力団に対してミカジメ料を払わない。だから、国民は政府に対しても税金を払ってはいけない。
政府だけが特別である理由は何もない。だから、国民は政府を普通の会社や普通の暴力団と同じように扱わねばならない。
理論的には例外がないことは非常に重要である。だから、国民は理論的な世界を作るために例外を消去しなければならない。
政府が例外であるということは、人間にとって政府がわからない物であるということである。人間にとってわからない物があることは不愉快[ふゆかい]なことである。だから、政府が例外であることを許してはならない。
[12535] 弁護士 h23.4.20
正直に言って、普通の国民は法律なんか知らない。法学部を卒業した者以外は法律なんか知らない。
しかし、最近は弁護士の仕事が出来て、法律を知らない国民でも弁護士に相談すれば法律の問題を解決できるようになった。
だから、最近の社会には法律があるようになったのだ。暴力団が暴力を使えなくなったのだ。
弁護士の仕事が出来たことが社会を変えたのだ。
結局、自分独[ひと]りでやっても他人の助けを借りてやっても同じことである。『問題を解決しようとする気持ち』が一番大事なのだ。
[12536] 心の問題から頭の問題へ h23.4.20
暴力団が蔓延[はびこ]るのは、国民がおとなしいからである。国民がおとなしくて暴力団の命令に従うから、暴力団が大儲[もう]けできるのである。おかげで国民は大損である。
しかし、実際には暴力団がやっていることは法律違反である。
だから、国民は我慢[がまん]の限界を超えたら、法律に訴えねばならない。
心で解決できない問題は頭で解決すればいいのだ。
弁護士さんもそのほうが喜ぶだろう。
[12537] 馬鹿の才能 h23.4.20
政府は自分が国民よりも上の者だと思って国民に命令する。国民が命令を聞かねば政府は暴力で罰する。つまり、政府は暴力団である。
政府は空威張[からいば]り馬鹿の集団である。
空威張りなんか馬鹿にしかやれない。
政府は馬鹿の空威張りの才能を活かす仕事である。
一般に、暴力団は馬鹿がやる仕事である。
実力のある者は空威張りが嫌いだから暴力団なんかやらない。
昔は馬鹿がいっぱいいたから、暴力団が日本中にいっぱいあった。
今は馬鹿がいないから、暴力団は滅びるしかない。
暴力団の仕事はなくなったほうがいい。暴力団の仕事がなくなれば暴力団をやる者もいなくなる。
暴力団の者は暴力団の仕事をやめてなにか自分にできる普通の仕事を探すべきだ。
[12538] 政府は国民のためにあらず。 h23.4.20
政府は暴力団である。
政府の縄張[なわば]りは自分の国の中だけである。
政府は自分の国の国民から税金を取るだけである。
政府は外国の国民からは税金を取ることができない。政府が外国の国民から税金を取ると、外国の国民や外国の政府が文句[もんく]を言うからである。
政府は自分の国の国民から税金を取って自分の国の国民に嫌がらせの命令を出すだけである。政府は自分の国の国民の役に立つ仕事をしない。
だから、政府は国民にとって損になるだけである。
したがって、国民にとって政府はなくなったほうがいいのである。
国民は政府が自分の得になるから政府に従っているのではなく、国民は性格がおとなしいから暴力団の政府の言いなりになっているだけである。だから、国民はおとなしい性格をやめて政府の言いなりになってはいけない。
[12539] 人間には2種類ある。 h23.4.21
人間にはおとなしい性格の者と乱暴な性格の者の2種類がある。
だから、乱暴な性格の者がおとなしい性格の者を暴力で脅[おど]して命令するのである。
しかし、このままでは乱暴な者がおとなしい者を奴隷[どれい]にして社会を荒らしまわる。社会がメチャクチャになる。おまけに、乱暴な者は馬鹿でおとなしい者は利口だから、馬鹿が利口を支配する社会になってますますうまく行かない。
だから、法律が必要である。
人間は知覚で自分の心をコントロールすることができる。
だから、法律によって乱暴な者はおとなしくしなければならないし、反対に法律によっておとなしい者は乱暴にしなければならないのである。つまり、乱暴な者は法律を守っておとなしい者と同じにしなければならないし、反対におとなしい者は法律を使って乱暴な者を攻撃しなければならないのである。
そうすることによって、人々の性格が均一化して平和な社会になるのである。
[12540] 国民をなめるな! h23.4.21
国民は死を恐れない。
国民は暴力団に殺されるのが怖くない。
国民は暴力団に従うくらいなら、暴力団に殺されたほうがマシだと思っている。
暴力団は人間が従う価値のないくだらない馬鹿である。
これまで国民が政府に従っていたのは、国民が政府が怖かったからではなく、国民が政府が暴力団であることを知らなかったからである。国民はちょっと社会科が苦手だっただけである。
だから、国民が政府が暴力団であると知っていたなら、国民は政府には絶対に従わない。
ところが、今や国民は政府が暴力団であることを知った。政府は国民に国家宗教や戦争などの命令を出して国民を殺しているから暴力団なのである。[[12530]や[12533]を参照。]
したがって、今後国民は政府に従わないだろう。
[12541] 国民は暴力団には従わない。 h23.4.21
政府は暴力団である。つまり、政府は暴力で国民を脅して命令をする。政府は自分が国民よりも上の者だと思って、国民を虫ケラのように殺す。
暴力団にミカジメ料を払う国民が腰抜けなら、政府に税金を払う国民も腰抜けである。
だから、国民は勇気を出して政府に税金を払うべきではない。
国民には暴力団に従わねばならない理由がない。
だから、国民は政府に従わないだろう。
国民は民主主義の政治機関には従うが、暴力団には従わない。
今の国民は暴力団がくだらない馬鹿だと思って軽蔑[けいべつ]しているから、暴力団には従わない。[国会議員は暴力団のフロクだからなおさらくだらない。日本神道の宗教家もくだらない。]
政府は自分が暴力団であることが国民にばれてしまったらおしまいだ。
[12542] 政府は暴力団である。 h23.4.21
今は法律のある社会だから、暴力団は国民に手出しができない。
だから、今の国民は暴力団をくだらない馬鹿だと思って軽蔑[けいべつ]している。
ところが、政府は暴力団である。政府は国会や国家宗教をやっている暴力団である。[私はこのことがわかるまでに6年かかった。]
だから、今の国民は政府を軽蔑している。
今の国民は政府が3遍[べん]まわってワンと鳴いても政府の命令を聞かないだろう。
[12543] 『ドン・キホーテ』 h23.4.21
『ドン・キホーテ』の最大のオチは、ドン・キホーテが風車に突撃するシーンである。
そこで、風車に跳[は]ね飛ばされたドン・キホーテは「魔法使いが魔法で巨人を風車に変えた」と言う。
巨人とは暴力団のことである。風車とはキリスト教のことである。[巨人が力が強いからである。風車が十字架に似ているからである。]
昔は国民が暴力団の命令をおとなしく聞いていたが、近代になって暴力団が空威張[からいば]り馬鹿だと言われて国民に軽蔑[けいべつ]されるようになって、国民が暴力団の命令を聞いてくれなくなったので、暴力団はしかたがなく国家宗教をやって国民のイメージをよくしなければならなくなったのだ。
それが、政府というわけである。その後、政府はさらに国会をやるようになったのだ。
ドン・キホーテはいつになったら暴力団に勝てるのだろうか?
[12544] 政府は国民に正体を知られてはならない。☆ h23.4.21
昔の社会には法律がなくて暴力団が暴力をふれたから、昔の国民は暴力団に従うしかなかった。
今の社会には法律があって暴力団が暴力をふれないから、今の国民は暴力団に従わなくてもいい。
暴力団の時代は終わった。
ところで、政府は暴力団である。
だから、今の社会では国民は政府に従わなくていい。
法律のある社会では国民に政府が暴力団であることがばれてしまったら、政府はおしまいだ。政府の経営が成り立つためには、国民に政府が暴力団であることを知られてはならない。
浦島太郎の玉手箱の中身は暴力団だった。つまり、政府が国民に暴力団だとばれてしまったら、政府は滅ぶしかないのだ。つまり、浦島太郎(政府のこと)は暴力団だったのである。暴力団が国家宗教(亀のこと、亀←かめ←かみ(駄洒落[だじゃれ])←神だから)に乗っかって成長したのだ。[[12333]の図を参照。]昔の政府は宗教団体だったのである。幕府は日本を“法律のある社会”にした。それで政府にとって国民が“見知らぬ人”になったために政府が暴力を使えなくなって滅んだのだ。つまり、昔から法律のある社会の中では暴力団は生きられないのだ。幕府も暴力団だが、いちおう法律は守ったのだ。つまり、政府は悪い暴力団で、幕府は善[よ]い暴力団だったのだ。今の日本は国民が幕府の代わりに法律のある社会にしたから、今の政府は暴力が使えなくなって再び滅んでいるのだ。[近代の日本では国民が植民地政策で儲[もう]かると思ったから政府に協力した。幕府は権力(命令力)が弱くて国民に戦争をさせることができなかったから、国民は戦争をするために幕府を倒して政府にした。つまり、国民は日本を法律のある社会から法律のない社会にした。しかし、最近は植民地時代が終わって国民にとって政府が用済みになったから、また国民は法律のある社会に戻しているのだ。そのために政府が滅んでいるのだ。宗教団体や暴力団が滅んでいるのだ。そのうち幕府みたいな善い暴力団かあるいは運がよければ国民と平等な政治機関が出来るだろう。]
昔の社会は暴力が使えたから暴力団がどんどん成長していって国家宗教や国会をくっ付けて政府になったのである。しかし、今の社会は暴力が使えないから政府がどんどん衰退して国会や国家宗教がなくなってもとの暴力団に戻っているのだ。
暴力団が暴力を使えても国民の得にはならない。国民は暴力団に財産をふんだくられるだけである。国民は暴力団に嫌な命令を出されるだけである。だから、国民は暴力団を倒せばいいのだ。国民が暴力団に従うよりも暴力団をなくすのがもっともよい解決策である。
[12545] 政府は国民の道具である。☆ h23.4.21
政府は暴力団である。政府は暴力を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる。そんなことは国民は昔から知っている。
昔は国民が植民地政策で儲[もう]けたかったから政府を支持した。国民は国を法律のない社会にして政府が暴力を使えるようにして政府に協力した。国民は政府に暴力で虐[いじ]められるのは嫌だったが、それ以上に植民地で儲かればいいと思っていたのである。国民は自分を無理やり戦争に行かせるために自分に発破[はっぱ]を掛けるために政府を支持したのである。
しかし、今は植民地時代が終わって国民は自分が平和に暮らしたいから政府を支持しなくなった。今の国民は国を法律のある社会にして政府が暴力を使えないようにして政府を滅ぼしている。
要するに、国民がいっとき政府を利用していただけである。国民は自分が幸福に暮らすためにはなんでもする。今の国民は政府を皆殺しにしてもなんとも思わない。つまり、暴力団よりも国民のほうがもっと怖[こわ]いのである。
政府は国民には勝てない。今の国民は政府が要らないと思っている。だから、政府は滅びるしかない。
[12546] 税金の自由 h23.4.21
昔の国民は政府が要ると思ったから政府に税金を払った。
今の国民は政府が要らないと思っているから政府に税金を払わない。
つまり、税金はじつは国民の自由だったのだ。
政府が国民と契約を取らずに集金しているのは、そもそも税金が国民の自由だからである。
今は国民にとって政府が要らない時代だから、国民は政府に税金を払わないほうがいい。
今の時代に政府が要ると思うほうが頭がおかしい。だから、国民は政府に税金を払わなければいい。
[12547] 今の国民は政府が要らない。 h23.4.21
政府は法律を破る暴力団である。政府は国家宗教や戦争などで国民を殺す。
反対に、幕府は法律を守る暴力団である。幕府は国民から税金を取るだけである。
もともと政府も幕府もそういうものである。つまり、政府は悪い暴力団であり、幕府は善[よ]い暴力団である。
ところが、今の時代は国民にとって政府の使い道がない。今では植民地時代が終わって国民は戦争をやらなくなったので、国民にとって政府が要らなくなったのである。
今の国民は平和に暮らしたいと思っている。だから、今の国民は法律を守っている。それなのに、今の政府はひとりだけ法律を破っている。今の政府は国民に戦争をさせる代わりに国民を国家宗教などで殺して暇つぶしをしているのである。今の国民にとっては政府は迷惑な存在である。
今の時代には政府よりも幕府がいい。幕府よりも国民と平等な政治機関がもっといい。
だから、国民は早く政府を倒して国民と平等な政治機関を建てるべきである。
[12548] 今は政府に逆らう時代である。 h23.4.22
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に命令をする。だから、政府は強い権力(命令力)がある。
昔は国民が植民地で儲[もう]けたかったから政府に人気があった。昔の国民は植民地が欲しかったから、馬鹿で乱暴な政府に命令を出させて国民が政府の命令に従うことにしたのである。国民は馬鹿で乱暴な政府に責任を押し付けて人殺しをしたのである。政府は国民に人殺しの命令を出すための道具だったのである。昔は国民みんなが政府に従うことに決めていたから、政府に従わない国民は政府のみならず周[まわ]りの国民によっても罰せられた。
しかし、今は植民地時代が終わって国民は平和に暮らしたいから政府が邪魔[じゃま]になった。今の国民は平和に暮らしたいから、馬鹿で乱暴な政府の命令に従わなくなった。今は国民みんなで政府に逆らって政府を倒そうとしている。政府に従う者は周りの国民によって罰せられる。だから、君も政府に逆らわねばならない。
政府はしょせん国民にとって道具である。国民は植民地を得るために政府が必要だっただけである。昔は国民にとって政府は利用価値があったが、今はない。だから、今の国民は政府を捨てているのである。今の国民は早く政府を倒して、国民と平等な政治機関を作ろうとしているのである。
[12549] 馬鹿の使い道 h23.4.22
政府は馬鹿な乱暴者である。政府は普通の仕事はできないが、国民を暴力で脅して国民に命令する才能がある。
政府は自分の国の国民に自殺や他殺やその他の嫌がらせの命令を出す指令装置である。
昔は国民が植民地を得るために自分に他殺の命令を出すために政府が必要だったので、国民は政府を使っていた。
しかし、今は植民地時代が終わって戦争をしなくなったので政府は使い道がない。今では政府は国民の邪魔になるだけで国民の役に立つことがない。
だから、今の国民は政府を捨てているのである。国民は政府の命令を無視して政府に税金を払わなくなって政府を倒しているのである。
政府は植民地向け・戦争向けの政治機関である。しかし、今の時代は植民地や戦争がない。だから、今の時代には政府は要らないのだ。
[12550] 政府は戦争用の暴力団である。☆ h23.4.22
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅して国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争をやらせる。
昔は植民地時代だったので日本では国民が植民地を取るために戦争をしなければならなかった。
だから、昔の国民は自分に戦争をやらせるために政府が必要だった。国民にとって税金や国家宗教は要らなかったけれども、戦争が必要だったので、国民は政府を支持した。国民は税金や国家宗教で損をする以上に植民地で得をすると思ったから政府を支持したのである。つまり、政府は戦争のための必要悪だったのである。
しかし、今は植民地時代が終わって戦争をやらなくなっている。
だから、今の国民にとっては政府は要らない。今の政府は国民から税金を取って国民に国家宗教をやらせるだけだから、国民にとって政府は何の得にもならないので政府は要らない。だから、今の国民は政府を支持しない。つまり、政府は国民に戦争をやらせるだけが取り柄[とりえ]なのに、今は戦争をやらない時代だから、もはや政府には何の取り柄もなく、国民にとっては政府は要らないのである。
つまり、昔の国民にとって政府は得だったから国民は政府を支持して政府に税金を払って政府の命令を聞いた。しかし、今の国民にとって政府は損だから国民は政府を支持せず政府に税金を払わず政府の命令を聞かないのだ。
政府が要るか要らないかを決めるのは国民である。国民は自分の心に正直であればいいのだ。
[12551] どうして今の日本に法律があるのか? h23.4.22
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争などの命令をする。
昔は植民地時代で国民は植民地を得るために戦争をしなければならなかった。国民が戦争をするためには政府に暴力で脅してもらわねばならず、政府が暴力で国民を脅せるためには日本が法律のない国でなければならなかった。[法律のある社会では政府が国民に暴力がふれないから、政府は国民の同意を得てから国民を出征[しゅっせい]させねばならない、国民が「いやだ」と言って出征を断ればそれまでである。これでは戦争はやれない。反対に、法律のない社会では政府が国民に暴力がふれるから、政府は国民を暴力で脅して無理やり出征させればいい。国民に有無を言わせず出征させることができる。だから、戦争がやれるのだ。]だから、昔の日本は法律がない国だったのである。そのために、昔の日本には法律を破って稼[かせ]ぐ暴力団や宗教団体がウジャウジャあったのである。
しかし、今は植民地時代が終わって国民は植民地を得るために戦争をする必要がなくなった。国民は政府に脅してもらわなくてもよくなった。だから、政府が要らなくなった。政府が国民を脅す必要がなくなったから日本が法律がある国になった。だから、今の日本は法律のある国なのである。そのために、日本から暴力団や宗教団体がなくなっているのである。
昔の国民は自分が戦争をするために政府が必要だったが、今の国民は自分が戦争をしなくていいから政府が要らない。今の国民にとっては政府が要らない。だから、今の国民は日本を法律のある国にして、日本から政府や宗教団体や暴力団などを一掃[いっそう]しようとしているのである。
法律のある国では国民は暴力団に従わなくてもかまわない。政府は暴力団である。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府に税金を払わなくていいし政府の国家宗教などの命令を聞かなくていい。『浦島太郎』が見知らぬ人ばかりいる村で玉手箱を開けたら死んでしまったように、政府は法律がある国で暴力団であることが知られてしまったら滅ぶしかないのだ。
今の日本は法律のある社会である。今後は法律を守って国民に暴力をふらない国民と平等な政治機関しか出来ないだろう。今後は暴力団が国を支配することはないだろう。
[12552] 信者とは何か? h23.4.22
信者は法律のない社会に憧[あこがれ]れている者である。法律のない社会では自分の好き勝手なことができるからである。法律のない社会では犯罪が犯し放題だからである。
つまり、信者は不良のクズである。
政府があれば法律のない社会になるから、信者は政府に協力して政府の命令で動いているのである。
政府や宗教団体や暴力団や信者にとっては法律のない社会がいいが、その他の大勢の国民にとっては法律のある社会がいい。今は植民地時代が終わって国民は戦争をやらなくていいから、国民にとっては自分に戦争をさせる政府が要らないから、政府が暴力をふれるために法律のない社会にする必要がなくなったから、国民にとっては法律のある社会がいいのである。
だから、今の日本は法律のある社会になっているのである。
今の日本は法律のある社会になっているから、今の日本から政府や宗教団体や暴力団や信者がなくなっているのである。政府があると法律のない社会になるから、国民は政府をなくしているのである。
[12553] 政府は用済みである。 h23.4.22
植民地時代までは国民は政府が必要だったので、国民は政府を大事にして政府の命令に従っていた。
しかし、植民地時代が終わると国民は政府が要らなくなったので、国民は政府を無視して好き勝手にやっている。
今の国民は政府が要らなくなったので、政府に税金を払っていない。
政府は植民地時代とともに去ってしまったのである。
[中世の世界も植民地時代だったので、実際には日本は戦争をしなかったけれども、国民は戦争のために政府を置いていたのである。国民は日本に戦争のチャンスが来ればすぐに日本が戦争できるようにしておくために政府を置いていおいたのである。しかし、実際にはそんなチャンスは来なかったのである。]
[12554] 桃太郎は桃から生まれたか!? h23.4.22
桃太郎は政府で鬼は中国のことではなく、桃太郎は国民で鬼が政府のことである。
政府は暴力で国民を脅して国民の財産を取り上げていたから鬼なのである。
『桃太郎』は、国民が政府を倒して政府が国民から奪った財産を取り戻すという話である。
ところで、桃太郎が生まれた桃は白くて丸い物だからどう見ても神武天皇の国家宗教の喩[たと]えである。
おそらく、もとの『桃太郎』のおとぎ話では桃太郎は桃からは生まれなかったのだろう。
日本政府が『桃太郎』を中国侵略の話にするために桃太郎を日本政府のことだと思わせるために桃太郎が桃から生まれたことにしたのだろう。
[12555] 政府は国民に捨[す]てられた。 h23.4.22
政府は暴力団である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争などの命令を出す団体である。
昔は植民地時代で国民は戦争をやらねばならなかったので政府が必要だった。
しかし、今は植民地時代が終わって国民は戦争をやらなくてよくなったので政府が要らなくなった。
それで、今では国民は政府に税金を払っていないのである。政府の命令を聞いていないのである。
植民地時代には政府が暴力をふって国民に戦争の命令を出せるようにするために、国民は政府に協力して自分でも法律を犯して日本を法律のない国にしていた。
しかし、今は植民地時代が終わって政府が要らなくなったので、国民は自分が住みやすくするために日本を法律のある国にしているのである。
法律のある国では暴力団は生きられない。そのため、政府や宗教団体や暴力団が滅んでいるのである。
つまり、今の国民にとって政府が要らなくなったから、政府が国民に暴力をふる必要がなくなったので、今の日本が法律のある社会になっているのである。今の社会に弁護士の仕事が出来て国民が学校やテレビで法律の認知度が上がったために、日本が法律のある社会になったから、政府が暴力を使えなくなって政府が滅んでいるのではない。国民にとって政府が要らなくなったから今の日本が法律のある社会になっているのであって、今の日本が法律のある社会になったから国民にとって政府が要らなくなったのではないのである。
[12556] 政府は何のためにあるのか? h23.4.22
政府は国民を暴力で脅して国民に戦争をさせるためにあるのである。政府は国民に戦争をさせるための機関である。
昔は植民地時代で国民は戦争をしなければならなかったから、国民にとって政府は必要だった。
しかし、今は植民地時代が終わって国民は戦争をする必要がなくなったから、国民にとって政府は要らなくなった。
だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府の命令を聞かなくていいのである。
政府は国民のためにあるのである。だから、国民が政府が要らなくなれば、国民は政府を捨てればいいのだ。
[12557] 不確定性原理と相対性原理 h23.4.22
不確定性原理とは、政府が暴力団と民主主義団体の組み合わせであり、政府は国民に国民を嫌がらせる命令から喜ばせる命令までいろんな種類の命令を出すことである。[[12291]を参照。]
相対性原理とは、人類みんなが同じ法律を守ることである。つまり、人類はみんな平等と言うことである。
ノーベル財団は政府を支持している。政府は戦争をやる団体(国民に戦争をやらせる団体)であり、戦争では大量にダイナマイトが使用されるからノーベル財団にとって政府は大事なお得意様だからである。だから、ノーベル賞は政府にとって有利な研究のみに与えられるのである。相対性理論にノーベル賞が与えられなかったのは、相対性理論の世界観が政府にとって不利な世界観だからである。ノーベル財団は国家宗教に適[かな]った研究ばっかりにノーベル賞を与えるのである。[[6922]を参照。]
[12558] 政府にどうして民主主義団体が付いているのか? h23.4.22
政府は暴力団である。そんなことは昔から国民は知っている。[政府や幕府をキツネとタヌキの騙[だま]しあいと言っていることが、そもそも国民を騙しているのである。国民は政府や幕府が暴力団であることぐらいは昔から知っている。]
国民は戦争のために植民地のために政府が暴力団であることを承知で政府に従っているのである。[戦争は植民地を得るための手段である。国民は自分に戦争をさせるために政府の暴力団が必要だったのである。]
だから、政府にわざわざ民主主義団体(つまり国会)を付ける必要はないはずである。
政府に民主主義団体が付いているのは、政府の暴走を食い止めるための足かせである。
政府に民主主義団体が付いていないと、政府はわがままをやって暴走する。政府に民主主義団体が付いていないと政府はただの暴力団にすぎず、政府は国民になんでもかんでも命令して世の中をメチャクチャにしてしまう。
それを避けるために、国民は政府に民主主義団体を付けさせて、政府のわがままの行きすぎを抑[おさ]えているのである。いわば、政府の民主主義団体は政府の暴力団の見張り役なのである。江戸時代のバカ殿のお目付け役と同じである。国民は政府に命令して民主主義団体を付けさせているのである。政府の暴力団にとっては民主主義団体は眼の上のタンコブなのである。
一方、政府の国家宗教は政府の国民に対するイタズラである。国民は戦争のために政府のイタズラを大目に見てやっているのである。
しかし、今は植民地の時代ではない。だから、今では国民は政府の国家宗教のイタズラを大目に見ないし、政府に従わないのである。今の国民にとっては政府は要らないから、国民は政府を滅ぼしているのである。
[12559] 今の国民が政府に従わなくてもいいことの証明 h23.4.23
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅して国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争などの命令を出す。つまり、政府は国民に戦争をさせる(つまり国民に外人を殺す命令を出す)ための機関である。
昔は植民地時代だったので国民は戦争をしなければならなかったから政府が必要だった。だから、昔の国民は政府に税金を払って政府の国家宗教などの命令に従った。植民地はすごく儲[もう]かったので、国民は政府の税金や国家宗教のイタズラぐらいは大目に見たのである。
しかし、今は植民地時代が終わって国民は戦争をしなくてもよくなったから政府が要らなくなった。だから、今の国民は政府に税金を払わず政府の国家宗教などの命令に従わなくていいのである。(証明終)
昔の国民は政府が必要だったから政府が国民に暴力をふれるようにするために自分でも法律を破って法律のない社会にしていた。そのために、暴力団や宗教団体がウジャウジャ湧[わ]いた。
今の国民は政府が要らないから政府が国民に暴力をふれないようにするために自分で法律を守って法律のある社会にしている。そのために、暴力団や宗教団体が次々に滅んでいるのである。
[12560] 国は国民が作るものである。☆ h23.4.23
政府と国民が張り合えば、国民のほうがずっと数が多いから、政府が負けるに決まっている。
そもそも政府は国民が作ったものである。政府は国民が植民地を得るために戦争をするために作った団体である。政府は国民を暴力で脅して国民を戦争に行かせるために国民が作った団体である。
だから、国民が政府に従わねばならないのではなく、逆に政府が国民に従わねばならないのである。
だから、国民にとって政府が要らなくなれば、政府は滅びるしかないのである。
今では植民地時代が終わって国民は戦争をする必要がなくなったから、国民はもはや政府が要らない。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府の命令を聞かなくなって政府を滅ぼしているのである。
[『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」でプルートを倒したボラーは国民のことである。プルートは政府のことである。国民も政府も『政府よりも国民が強い』ことを忘れてはいけない。]
[12561] 近世の国民はどうして幕府を作ったか? h23.4.23
中世末になると、それまで勢いがあったローマ帝国が暗黒時代になって衰退した。
ローマ帝国は植民地政策を採っていたので、国民に暴力をふって戦争をさせる政府が国を治めていた。政府が国民に暴力をふれるようにするために、ローマ帝国には法律がなかった。ローマ帝国には法律がなかったので、国民みんなが麻薬をやって遊び呆[ほう]けていた。
ローマ帝国が滅んだ噂[うわさ]を聞いた日本人は、どうしてローマ帝国が滅んだか?を考えた。
その結果、当時の日本人はローマ帝国に法律がないのが原因だと考えた。
そこで、当時の日本人は、それまでの法律のない社会を改めて新しく法律のある社会を作ろうと思った。
当時のインドは法律のある社会だったので、日本人はインドを見習って社会を作ろうと考えた。
そのために、日本にインド式の政治をする幕府が出来て、政府に代わって幕府が国を治めることになったのである。
今は植民地時代が終わって世界的に戦争がなくなっている。戦争のない時代には政府は要らない。だから、今の時代には法律のない社会を作る政府よりも、法律のある社会を作る政治機関のほうが適している。
[12562] 植民地とは何か? h23.4.23
戦争をすれば植民地を取ることができる。植民地を取るためには戦争しなければならない。
しかし、植民地で儲[もう]けるためには、文明の差がなければならない。つまり、植民地を取った国が植民地を取られた国よりも文明が進んでいなければならない。植民地を取った国は植民地の人々を安い賃金で働かせて資源を採掘して、資源を本国に運んで本国の工場で製品に加工して、製品を植民地に運んで植民地で高く売って儲[もう]けたのである。
ところが、今の世界では文明の均一化が進んで、国による文明の差がなくなっているから、植民地で儲けることができなくなっている。今では世界中のどこの国も自分で工場を持って自分で製品を作っている。[自分で武器を作って戦えるようになっている。]
だから、今の世界ではいくら戦争が強くても何にもならない。
したがって、今の世界には戦争をやる国がないのである。
だから、今では世界中のどこの国でも国民を暴力で脅して国民に戦争をやらせる政府が要らなくなっているのである。
したがって、今では世界中のどこの国でも国民が政府に税金を払わず政府の命令を聞かなくなって政府を滅ぼしているのである。
[12563] 政府は要るか要らないか? h23.4.23
政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に戦争をさせる(つまり外人を殺させる)機関である。政府は国民を暴力で脅して国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたりもしている。政府は国民を暴力で脅すために日本を法律のない国にしている。それに便乗して暴力団や宗教団体が暴れている。国民は麻薬をやっている。
昔は植民地時代だったから国民は戦争をしなければならなかった。だから、昔は政府が必要だった。
今は植民地時代が終わって国民は戦争をする必要がなくなった。だから、今は政府が要らない。
昔は国民が植民地で儲[もう]けるために政府が必要だったから、政府の非行を大目に見ていた。
今は国民が植民地で儲けることができなくなって政府が要らなくなったから、国民は政府の非行を許さなくなった。
この世は国民のためにある。政府は国民のフロクにすぎない。
今の国民にとっては政府が要らない。要らないゴミは捨てるに限る。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて政府の命令を聞かなくなって政府を倒せばいいのである。
[12564] 『桃太郎』 h23.4.23
桃太郎は桃から生まれたから日本政府である。桃は白くて光るから神武天皇の光るトンビのことである。日本政府は神武天皇の国家宗教をやっているから、桃太郎は日本政府である。
桃太郎のお供[とも]のイヌ・サル・キジは日本の近所の国のことである。韓国や台湾やベトナムなどのことである。黍団子[きびだんご]は、何かの日本のお土産[みやげ]のことである。私が子供の頃に食べていた20円の見田製菓の平べったい餅飴[もちあめ]のお菓子のことである。
鬼が島に住んでいる鬼とは、ユーラシア大陸に住んでいるヨーロッパ人のことである。
ヨーロッパ人は昔から外国を植民地にして儲[もう]けていたから鬼なのである。
『桃太郎』は、日本がヨーロッパと戦争をして日本がヨーロッパを倒してヨーロッパの財宝を日本に持ち帰って日本人みんなでウハウハする話である。
[12565] 今の国民は政府に背中を向けている。 h23.4.23
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅して国民に税金や国家宗教や戦争などをやらせる。
昔の国民は暴力団の非行を大目に見て(見て見ないふりをして)日本を法律のない国にしていた。昔の国民は日本を法律のない国にすることによって政府が暴力を使えるようにして、政府が国民を暴力で脅して国民に戦争をさせることができるようにしていたのである。
ところが、今の国民は暴力団の非行に厳しくして日本を法律のある国にしている。今の国民は日本を法律のある国にすることによって政府が暴力を使えないようにして、政府が国民に対して何も命令できないようにしているのである。だから、今の国民は政府の命令を無視して好き勝手に暮らせばいいのである。
つまり、昔の国民は自分が植民地で儲[もう]けるために暴力団に対して甘かったが、今の国民は植民地で儲けるのをやめたから暴力団に対して厳しいのである。昔の国民は植民地で儲けたかったから政府を大事にしたが、今の国民は植民地で儲けるのをやめたから政府を捨てたのである。
法律のある国では暴力団が暴力が使えない。暴力団が滅びる。
今の日本では国民は暴力団の言うことを聞かなくてもいいのである。
だから、今の日本では暴力団や宗教団体や政府が国民からお金を取れなくなって滅んでいるのである。
国に法律があるかないかを決めるのは国民である。法律のない社会では暴力団が栄えるが、反対に法律のある社会では暴力団は滅びる。だから、暴力団が生き残りたければ、暴力団は国民に頭を下げて国民の機嫌[きげん]を取って国民に法律のない社会にしてもらうしかない。
[12566] 政府は何のためにあるのか? h23.4.23
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅して国民に戦争をさせる団体である。つまり、政府は国民に戦争をさせるためにある。
ところが今は植民地時代ではないから、政府は国民に戦争をさせられない。
だから、今の政府はやることがない。今の政府は暇[ひま]つぶしに国家宗教で国民を殺しているだけである。[植民地時代が終わった頃に私が政府によって国家宗教の神にされたのは、世界中の政府がやることがなくなって暇つぶしのために国家宗教をやるために新しい神が必要だったからである。]
したがって、政府は滅ばねばならない。
国民はやることがない会社にわざわざお金(税金のこと)を出して世話してやることはない。
国民は政府を捨てて、『平和な時代向きの戦争をしない時代向きの政治機関』を建てねばならない。
[12567] 政府は強いか? h23.4.23
政府が強いのは、政府を支える国民がいるからである。
政府の味方にまわる国民が大勢いるから政府は強いのである。
反対に、政府の味方にまわる国民が少なければ政府は弱いのである。
ところで、政府は国民に戦争をやらせるためにあるが、今は植民地時代ではないから国民は戦争をする機会がなく、国民にとって政府は要らない。今の政府は暇つぶしに国家宗教をやっているだけだから、政府はなくなったほうがいい。
だから、今の政府を支持する国民はいない。
したがって、今の政府は弱い。
今なら国民は政府を軽く倒せる。
国民が政府に税金を払わなければ、政府は飢え死にする。
[12568] 今は植民地時代か!? h23.4.23
私が生まれた頃に植民地時代は終わった。政府が暇つぶしのために私の国家宗教(つまり私を神とする国家宗教)をやり始めたことがその証拠である。植民地時代が終わって政府はやることがなくなったから、これまでの国家宗教に加えて私の国家宗教をやり始めたのである。植民地時代の近代と区別される現代という別の概念があることも植民地時代が終わったことの証拠である。
だから、今は植民地時代ではない。
そもそも植民地は国による文明の格差が原因である。時代が進めば植民地の文明が進んで先進国に追いついて文明の格差がなくなって植民地ではなくなる。植民地はいっときあっただけである。だから、今の世界には植民地はないのである。
ところで、政府は国民に戦争をさせるためにある。
したがって、今は政府は要らない。今が植民地時代なら国民にとっては政府があったほうがいいが、今は植民地時代ではないから国民にとっては政府がなくなったほうがいい。
だから、国民は政府を早く捨てて、『平和な時代向きの政治機関』を建てるべきである。
[12569] 国民主権 h23.4.23
国民主権はこの世界の法則である。原始時代から今までずっと世界中のどこでも国民主権だったのである。今まで一度も国民主権が破られたことはない。
昔は戦争の時代で国民は自分が植民地を取って儲[もう]けるために戦争をしなければならなかったから暴力団の政府に国を治めさせていたのである。国民は政府に国家宗教などで嫌がらされたが植民地で儲けるために大目に見ていたのである。だから、昔も国民主権だったのである。
今は平和の時代で国民は自分が植民地を得るために戦争をしなくてよくなったので暴力団の政府に国を治めさせなくなった。国民は政府の国家宗教などによる嫌がらせに我慢[がまん]しなくなった。そのため、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]しにかかっている。今でも国民主権は健在である。
私が今から約30年前高知大学の学生だった頃、岩波文庫のイェーリング著の『権利のための闘争』という本を読んだ。この本には国民が長い時間をかけて、国民を支配していた政府から少しずついろんな権利を勝ち取ってきたことが述べられていた。しかし、実際には国民は自分が植民地で儲けたいために暴力団の政府に国を治めさせて、国民が政府の非行を大目に見ていたために法律のない社会になっていたのである。ところが、最近は植民地の時代が終わって国民が戦争をやらなくなったから、国民にとって政府が要らなくなったから、国民は政府の非行を大目に見なくなったから本来の法律のある社会に戻っているのだ。つまり、国民がわざわざ闘[たたか]わなくてももともと国民には権利があったのである。国民が植民地に目がくらんで自分に権利があったのをいっとき忘れていただけだったのだ。
[12570] どうして昔は法律のない社会だったのか? h23.4.23
昔は植民地時代だったので、国民は植民地を得るために戦争をした。国民は戦争をするために政府の暴力団に国を治めさせた。国民は政府のやることを何でも許して政府の非行を大目に見ていたので法律のない社会になったのである。法律のない社会になったから暴力団や宗教団体がウジャウジャ湧[わ]いて国民は麻薬をやっていたのである。
しかし、今では植民地時代が終わったので、国民は植民地を得るために戦争をしなくなった。国民は政府の暴力団に国を治めさせなくなった。国民は政府のやることを何でもは許さなくなって政府の非行を大目に見なくなったので法律のある社会になったのである。法律のある社会になったから暴力団や宗教団体が滅んで国民は麻薬をやらなくなったのである。
つまり、本来は昔も今もその時代なりの法律があったのである。しかし、昔は植民地時代だったから政府のために法律のない社会になっていたのである。今は植民地時代ではないから政府がなくなったために法律のある社会になっているのだ。つまり、昔は国民が植民地欲しさのために政府を作って政府が法律を踏みにじったために法律がなくなっていたのである。今は国民が植民地を欲しがらなくなって政府を潰したので法律が甦[よみがえ]っているのである。
[12571] 今は政府の時代ではない。 h23.4.23
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅して国民に戦争をさせる。政府は国民に戦争をさせるためにある。
昔は植民地の時代だったから国民は戦争をしなければならなかったので政府の時代だった。だから、国民は政府を大事にして政府に従った。
しかし、今は植民地時代が終わったから国民は戦争をしなくてよくなったのでもはや政府の時代ではない。だから、国民は政府を無視して政府に従わなければいいのだ。
つまり、植民地時代には国民は政府に従わなければならないが、植民地時代でなければ国民は政府に従わなくてもいい。戦争の時代には国民は政府に従わねばならないが、戦争の時代でなければ国民は政府に従わなくてもいい。今は植民地時代ではないすなわち戦争の時代ではないから、国民は政府に従わなくていいのだ。
政府は「戦争のための政治機関」である。しかし、今は戦争の時代ではないから政府の出番はない。
今は平和の時代である。国民は政府の代わりに『平和のための政治機関』(つまり、国を法律のある社会にする政治機関)を建てて国を治めさせることにしよう。今の政府をなくしてから、国民で試行錯誤して今の“植民地時代でない時代”に合った政治機関を作って行こうじゃないか。
[12572] 政府が悪いが、国民も悪い。 h23.4.23
国民の多くはわけがわからないまま政府の命令に従っている。例えば、私をキャラクターに使ったアニメやマンガがあるのもそのせいである。私にとっては失礼千万[しつれいせんばん]である。政府に頼んで国家宗教でアニメ会社やマンガ家を殺してもらいたいぐらいだ。私に謝[あやま]りたければ、自分でビルの屋上から飛び降りて死ぬしかない。
国民が政府や国家宗教について正しい理解があれば政府に従わないはずである。今は植民地時代ではないから、国民は政府に従う必要がないはずである。
政府が国民に国家宗教などで命令を出すのも悪いが、わけがわからないまま政府の命令に従っている国民もまた悪い。
国民はむやみに政府に従う態度を改めねばならない。
[12573] 権力の法則 h23.4.23
権力の法則とは、『ある団体の権力(命令力)はその団体に対する国民の支持に比例する。』ことである。例えば、政府の権力は政府に対する国民の支持に比例する。少人数の集団が多人数の集団を支配するためには必ず『権力の法則』に適[かな]っていなければならないのである。
『権力の法則』はこれまで一度も破られたことがない普遍的[ふへんてき]な法則である。
政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に戦争をさせる団体である。
昔の植民地時代には国民は植民地で儲[もう]けたかったから政府を支持した。だから、政府には強い権力があった。つまり、国民は政府の命令に絶対服従しなければならなかった。政府が人数が少ないのに大勢の国民を支配できたのは、政府に対する国民の絶大な支持があったからである。昔の政府には、政府が国家宗教や戦争で大勢の国民を殺してもいいほどの強い国民の支持があったのである。
しかし、今は植民地時代ではない。今の国民は政府を支持しない。だから、今の政府には権力がない。つまり、国民は政府の命令に従わなくてもよくなった。
今の政府には権力がない。だから、国民は政府の命令に従わなくていい。国民は政府を無視して自由に暮らせばいい。
[12574] どうしていまだに政府の国家宗教の命令を聞く者がいるのか? h23.4.24
いまでも政府の国家宗教の命令を聞いて飛行機や列車を事故らせたり、時限爆弾の入ったナップザックを背負[せお]って地下鉄に乗って地下鉄を内側から爆破したりする者がいる。
それは、わけがわからずに政府の命令を聞く者がいるからである。わけがわからずに政府の命令を聞く者が政府のオモチャにされて人殺しの道具にされて政府を喜ばせているのである。
『植民地の時代には国民は政府の命令を聞かねばならないが、植民地の時代でなければ国民は政府の命令を聞かなくていい』ことを知っていれば、今は植民地の時代ではないから政府の命令を聞かなくていいことがわかるはずである。[[12571]参照。]
今は植民地の時代ではないから政府に権力(命令力)はない。だから、政府の命令を聞く者がバカである。
政府に税金を払う者も政府の命令を聞いているからバカである。今がどんな時代であるかをよく考えて政府の命令を聞くか聞かないかを決めねばならない。
[12575] どうして中世末に幕府が出来たか? h23.4.24
中世末は植民地時代ではなかったからである。
政府は植民地時代には国民の支持があって権力があるが、植民地時代でなければ国民の支持がなく権力がない。
中世末はローマ帝国が滅んで植民地時代ではなくなったから、日本でも国民が政府を支持しなくなって政府に権力がなくなって政府が滅んだのである。
中世の後期はローマ帝国が滅びかけの時期で植民地時代であるか植民地時代でないかがよくわからなかったから、幕府が出たり引っ込んだりして、政府と幕府がしょっちゅう入れ替わっていたのである。
中世末はついにローマ帝国が滅んで植民地時代ではなくなったから、日本では“植民地時代ではない時代”に合った政治機関としてインド政府を見習って江戸幕府が作られたのである。
近代に入ってヨーロッパが世界中に植民地を作って再び世界が植民地時代になったから、日本では幕府を倒して植民地時代に合った政治機関としてヨーロッパ政府を見習って日本政府を作ったのである。
現代の今ではヨーロッパの植民地が独立してまた世界が植民地時代ではなくなったから、今の日本では政府を倒して“植民地時代でない時代”に合った新しい政治機関を作ろうとしているのである。新しい政治機関を作らねばならないのである。
これまでの世界の歴史は植民地時代であったり植民地時代でなかったりコロコロ変わっていちいち面倒だ。今後はずっと植民地時代でなければいい。どうせ植民地時代になっても日本が得をすることはないから、植民地時代でないほうがいい。
[12576] 浦島太郎はどうして死んだか? h23.4.24
浦島太郎は日本政府のことである。
浦島太郎が亀に乗って竜宮城に行ったのは、ローマ帝国が出来たために世界が植民地時代になって日本政府が植民地時代の波に乗って国民の支持を集めて日本を支配したことである。[ローマ人の顔が亀に似ているからである。亀には国家宗教という意味もある。]
浦島太郎がもといた村に帰ってみると見知らぬ人ばかりになって浦島太郎が死んでしまったのは、ローマ帝国が滅んだために世界が植民地時代ではなくなって国民が政府を支持しなくなって政府が滅んだことである。
浦島太郎の玉手箱は幕府のことだろう。国民が“植民地時代でない時代”に合った幕府を作ったために政府が滅んでしまったのだ。
中世の国民は植民地時代ではなくなったから政府を支持しなくなった。しかし、今の現代の国民は植民地時代ではなくなったのに政府を支持している。1960年代に幕府が出来てもよさそうなものだ。今の国民は中世の国民にも劣るバカだ。中世の頃はテレビも新聞も何にもなかったから、今よりも国民に自分で考える能力があったのかもしれない。
[12577] どうして古事記は“こじき”というのか? h23.4.24
中世の日本政府は国民から税金を取るだけで戦争をしなかった。いつまで経[た]っても植民地を取ってくれなかった。
それで、日本国民は頭に来て日本政府を“乞食”[こじき]呼ばわりしていたのである。
古事記を書いた学者も日本国民の一人[ひとり]として日本政府にイヤミを言いたかったから、自分が書いた本に古事記という題を付けたのである。
同じように、日本書紀を“にほんしょき”というのは、日本は古代に朝鮮に出兵して任那[みまな]を植民地にしていたから、中世の政府も“初期”の政府のようにがんばって仕事をしろという意味で日本書紀を書いた学者が自分の本に日本書紀という題を付けたのである。
[12578] 政府の命令 h23.4.24
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に命令するのが仕事である。[政府は暴力団だから必ず国民に“命令”して国民にやらせるのであって、政府が自分だけでやることはないのである。]
だから、政府の命令は国民に対する嫌がらせが大半であって、国民を幸福にするものではない。政府の命令でまともなのは国民に戦争をさせる命令だけであって、それ以外の命令は全部異常である。政府の命令は国を適切に動かすものではなく、むしろ国を不適切に動かしてメチャクチャにしているだけである。
昔は植民地時代だったから昔の国民は植民地で儲[もう]ければいいと思っていたから、国民は政府が自分の役に立つと思って政府の嫌がらせの命令を大目に見ていた。国民が政府のイタズラで何百万人も殺されても大目に見ていたのである。
しかし、今は植民地時代ではないから今の国民は植民地で儲けられないから、国民は政府が自分の役に立たないと思って政府の嫌がらせの命令を許さなくなった。
昔の政府は国民を裕福にしてくれる福の神だったが、今の政府は国民を貧乏にするだけの貧乏神である。昔の国民にとっては政府が必要だったが、今の国民にとっては政府は要らない。
今の国民は政府の命令を聞いてやる気にはなれない。国民は政府の命令を聞かなくなって政府は滅びるだろう。
今は植民地時代すなわち戦争の時代ではないから、国民に戦争させるだけが取り柄[とりえ]の政府は国民の役には立たないから、国民にとっては政府が要らないのである。
国民はさっさと役立たずの政府を倒して、もっと国民の役に立つまともな政治機関を建てることにしよう。
[12579] 政府は強いか? h23.4.24
政府は国民の支持があるときは強いが、国民の支持がないときは弱い。[[12573]を参照。]
昔は国民が植民地で儲[もう]けたかったから国民が政府を強く支持していたので政府は強かった。
しかし、今は国民が植民地で儲けることを諦[あきら]めているから国民が政府を支持しなくなったので政府は弱い。
だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。日本国憲法は日本政府の命令だから、政府が弱い(政府に権力がない)場合には無効と見なしてよい。国民が政府の命令に従わなくても政府は国民に何もしない。むしろ、政府の命令によく従う国民に対して政府はその国民がバカだと思ってますます暴力をふるのである。政府は国民が自分の命令によく従うほどその国民に対してますます嫌な命令を出して来るのである。
だから、今の政府は弱いから国民は政府を無視して好き勝手に暮らせばいいのである。それが国民にとって一番安全な暮らし方である。政府は暴力団である。自分が暴力団に嫌がらせをされたくなければ、暴力団に関わらないのが一番確実な方法である。
政府も国民の支持がなければ生きられない。昔の国民は植民地のために政府を支持していたから政府が生きていけたのである。しかし、今の国民は植民地が要らなくなって政府を支持しなくなったからもはや政府は生きていけないのだ。
[12580] 憲法は暴力団の命令である。☆ h23.4.24
政府は政治機関ではない。政府の正体は暴力団である。
昔の国民は植民地で儲[もう]けたかったから暴力団に国を治めさせたのである。暴力団は暴力で国民を脅して国民を無理やり戦争に行かせるので、戦争をして植民地を取るためには暴力団に国を治めさせたほうが都合がよかったのである。昔の国民は政府を強く支持していたから政府に強い権力があった。昔は政府に強い権力があったので政府はやりたい放題だった。政府が国民を殺しても誰も文句を言わなかった。そのために、実質的には法律がなかったのである。
しかし、今の国民は植民地で儲けようとは思っていないからもはや暴力団は要らない。今の国民は政府を支持しないから政府に権力はない。
日本国憲法は日本政府の暴力団の国民に対する命令である。政府に権力があれば憲法は有効だが、政府に権力がなければ憲法は無効である。だから、今の国民は憲法を犯してもいいのである。政府に権力があれば政府は憲法に違反する国民を罰せられるが、政府に権力がなければ政府は憲法に違反する国民を罰せられない。だから、今の国民は憲法を犯してもかまわないのである。
[12581] どうして幕府の時代には法律があったか? h23.4.24
政府は『植民地』を政策にしていたので国民の強い支持があったので、政府はやりたい放題ができた。政府がなんでもかんでも好き放題にやったので実質的には国には法律がなかった。
一方、幕府は「身分制」を政策にしていたので国民の弱い支持しかなかったので、幕府はやりたい放題ができなかった。幕府は法律を守らなければならなかったので実質的に国には法律があったのである。
つまり、政府の時代に法律がないのは『植民地政策』のためであり、幕府の時代に法律があるのは「身分制政策」のためである。国民にとっての政策の美味[おい]しさによって国に法律があったりなかったりするのだ。
しかし、今は植民地時代ではないし、身分制の時代でもない。今の時代に政治機関が出来たとしたら、確実に法律のある国になるだろう。「法律で国民を管理する」というだけでは、政治機関には権力はなく政治機関は国民から税金を取ることもできないだろう。
[12582] 国民が政府に従わなくてもいいことの証明 h23.4.24
政府は暴力団である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体である。政府は国民を脅して国民に戦争をやらせていた。つまり、外人を殺させていた。
ところが、今は植民地時代ではない。だから、今の国民は政府が要らない。だから、国民は政府を支持しない。だから、政府には権力(命令力)がない。だから、国民は政府には従わない。(証明終)
今の国民は政府が要らない。国民は政府を支持しない。国民は政府の非行を大目に見ない。だから、法律のある社会になっている。暴力団や宗教団体が滅んでいる。国民が麻薬をやらなくなっている。
[12583] 法律のある社会を作る方法 h23.4.24
もともとこの世には法律があるものである。
ところが、国民の強い支持を得た権力団体が出来たために、権力団体が好き放題しまくって法律がなくなる。
だから、権力団体が出来なければ、法律がある。
だから、法律のある社会を作るためには、権力団体が出来ないようにすればいい。
つまり、国民にとって美味[おい]しい政策をする団体が出来なければ、法律のある社会になる。
だから、現代社会は法律のある社会である。
[12584] 政府はなくなっている。☆ h23.4.24
政府は暴力団である。政府は国民を暴力で脅して国民に戦争をさせる(外人を殺させる)。つまり、政府は国民に戦争をさせる団体である。
ところが、今は植民地時代ではない。つまり、今は戦争の時代ではない。だから、今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府を捨てている。つまり、今の国民は政府に税金を払っていない。だから、政府はなくなっている。
政府は国民に戦争をさせる会社である。ところが今は植民地時代が終わって戦争がなくなった。戦争をさせる会社が戦争をさせられなくなったらおしまいである。だから、今の政府は潰[つぶ]れている。政府は植民地時代が終わった頃に潰れてしまったのである。死んでしまったのである。それで、政府はヤケクソになって国民を地獄へ道連れにするために私を神とする国家宗教を始めたのかもしれない。今の政府は潰れた後の会社がどうでもいいことをやってダラダラ遊んでいるだけである。国民は潰れた会社を相手にする必要はない。
[12585] 政府は暴力団か? h23.4.25
そもそも政府は植民地政策をする会社である。
政府は国民の強い支持があったから、何でもやりたい放題だった。国民に何でも命令できた。
それで、政府は国民に暴力をふったり、国民に国家宗教で命令して嫌がらせをするようになったのである。
政府に人気がありすぎたのが政府が不良になった原因である。
[12586] 政府のイメージ h23.4.25
今の国民は「政府がその時代時代に合った政策をする会社だ」と思っている。
しかし、実際には、『政府は植民地政策だけをする会社』である。
今は植民地時代が終わったから、政府はやることがない。
政府の仕事は植民地政策だけであって、暴力や国家宗教は政府にとっては遊びなのである。
政府の仕事は植民地政策だけであって、民主主義の政治をすることではないのである。
政府が民主主義の政治をするだけでは国民の支持が得られず国民から税金を取ったり国民に国家宗教の命令を出したりすることはできないのである。
昔の政府は植民地政策をしていたから政府に国民の強い支持があって政府に強い権力があったのである。つまり、政府は何でもやりたい放題で国民に何でも命令できたのである。
ところが、今の政府には国民にとって美味[おい]しい政策がないから国民の支持がなく権力がないのである。つまり、政府はやりたいことを何もできないし国民に何も命令できないのである。
政府の政策が政府の権力の強さを決めるのである。政府の政策に国民の人気があれば政府は強いが、政府の政策に国民の人気がなければ政府は弱いのである。政府の政策に国民の人気が出たときだけ政府が強いのであって、けっして政府自身が強いわけではないのである。昔の政府は国民に人気がある植民地政策をやっていたから政府が強かったのであって、今の政府は国民に人気がある政策をやっていないから政府は弱いのである。今の政府は植民地政策も身分制政策もやっていないから、実際には何の権力もないのである。政府は国民から税金を取れないし、国民に命令できないのである。身分制政策が国民から税金を取れるギリギリの限界であって、民主主義政策ではもはや国民から税金は取れないのである。政府は植民地政策をやっていたから強かったのであって、政府が植民地政策をやらなくなったらそこらへんの会社と変わらないのだ。
政府にとっては民主主義の政治は植民地政策のついでにやったオマケの仕事にすぎない。副業にすぎない。だから、政府は民主主義の政治が下手糞[へたくそ]なのである。政府が民主主義政策しかやらないなら国民の強い支持がないので政府は国民から税金を取れない。政府は国民と契約を取ってお金を集めて細々[ほそぼそ]と仕事をするしかない。[それが『8時だョ!全員集合』の番組終了が決まった頃にやっていたチャリティーなのである。国民にとって面白い植民地政策が終わった後では、国民は政府に自由にお金をやって民主主義の仕事をしてもらえばいいのだ。(私は『8時だョ!全員集合』がマンネリになった頃に見るのをやめていたが、その後もずっと私の親が『8時だョ!全員集合』を毎週見ていた。たまたま私が勉強の休憩に2階の部屋から居間に降りてきたときに、テレビでドリフがチャリティーで長い竿[さお]の先にザルを付けて観客からお金を貰[もら]っていたのである。)]あるいは、昔の政府に人気が出すぎて政府の権力が強くなりすぎたために政府が国民に暴力をふるようになったので、それを抑[おさ]えるために政府のお目付け役として民主主義団体(国会)があったのかもしれない。[[12558]を参照。]
今の政府には国民が支持するほどの政策がなくて権力がないから政府は国民に何も命令できない。だから、国民は政府の命令を無視して自由に暮らせばいいのである。今の政府は政府の命令を聞かない国民に文句が言えるほどの強者[きょうしゃ]ではないのである。
要するに、政府は植民地政策をする会社である。1960年代頃までは植民地時代だったので政府は植民地政策をやっていたが、それ以後は政府は何もしていない。植民地政策をする会社が植民地政策がやれなくなったらおしまいである。だから、今の政府はもうおしまいである。植民地時代には政府は強かったが、植民地時代が終わったら政府は弱いのである。
[12587] 民主主義の政治は政府の副業 h23.4.25
政府は植民地政策をする会社である。政府は民主主義の政治もやっているが、抱き合わせでやっているだけで本業ではないのである。
しかし、今は植民地時代ではない。だから、政府はやることがない。
今の政府はダラダラいいかげんに気のない民主主義の政治をやっているだけである。
これでは、日本が善[よ]くなるわけがない!
だから、国民は日本政府を早く倒して、本物の専業の『民主主義の政治機関』を建てねばならない。
[12588] 世界大戦とは何か? h23.4.25
世界大戦は政府の国民に対する暴力であって、植民地政策ではない。[朝鮮や満州国は植民地政策だったが、世界大戦は植民地政策ではない。]政府は国民を痛めつけて喜ぶために世界大戦をやったのである。[政府は人気があって何でもできるから普通の人には味わえない変わった喜びがあるのである。]
世界大戦が終わっても、国民は政府に従うのをやめなかった。
つまり、それぐらい昔の政府は国民の人気があったのである。昔の政府は植民地政策をやっていたから人気があったのである。
植民地時代には政府の人気は絶対的だったのだ。
[12589] 政府と幕府 h23.4.25
政府は植民地政策をやる会社である。
幕府は身分制政策をやる会社である。
政府は国民に強い人気があったから、政府はなんでもやりたい放題だった。政府は国民に何でも命令できた。政府は法律を犯したい放題だったから、国に法律がなくなっていた。政府は国民に国家宗教や戦争をやらせて国民を虐[いじ]めることができた。
幕府は国民にそこそこの人気しかなかったから、幕府は国民から税金を取ることしかできなかった。幕府はあまり人気がなかったから、わざわざ刀を差して自分に人気があって暴力が使えるふりをしていたのである。[そこまで行くと幕府がかわいそうである。]
しかし、今は植民地時代ではないから政府は植民地政策がやれない。今の政府は何の政策もやっていない。だから、今の政府は人気がない。今の政府は国民に何もさせられない。今の政府は国民から税金を取ることすらできない。だから、今の政府は滅びるしかない。
[12590] 警察会社は経営できるか? h23.4.25
警察会社とは法律の違反者を取り締[し]まる会社である。
警察会社が国民と契約を取れないと警察が出来ずに犯罪が増える。[法律があるからこそ犯罪があるのである。法律がなければ犯罪もない。]
犯罪が増えると国民は警察が必要になって警察会社が儲[もう]かる。
だから、警察会社は経営できる。
警察会社は経営できるから、警察会社が立法や行政をすればいい。
警察会社があっても国民が儲[もう]かるわけではなく、警察会社はあまり国民の支持が得られないから、警察会社は何でもやりたい放題ではない。昔の政府のようにはいかない。
警察会社は普通の民間会社と同じように国民と契約をとって経営しなければならない。
[12591] どうして三権分立の研究がノーベル賞なのか? h23.4.25
三権分立には大[たい]した意味はない。三権分立といっても同じ政府の中でやっているのだから、実際には分かれていない。立法と司法と行政は協力すれば悪事ができる。つまり、三権分立には特に意味はない。だから、三権分立でなくてもいい。立法と司法と行政が分かれていなくてもいい。ひとつの団体が立法と司法と行政をやってもいい。大事なのは、団体の“権力の強さ”である。かつての政府(植民地会社)のように団体に強い権力がなければ、法律を守らねばならないから悪事はできない。
三権分立の研究がノーベル賞を貰[もら]ったのは、三権分立←三分←三ブ←川ブ(三≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。「三権分立が最[もっと]も安定な政治システムだ」といっているのは、「私を神とする国家宗教が安泰[あんたい]だ」という意味である。つまり、政府に対するお世辞[せじ]である。
要するに、国には法律を作る人と法律で国民を取り締まる人がいればいいだけである。その他はいっさい国民の自由である。そうすれば、国は最も繁栄する。国民が自分で稼[かせ]ぐ意欲を盛り上げることが国を繁栄させるコツである。
[12592] 身分制とは何か? h23.4.25
国内における植民地政策である。
つまり、武士と農民が町人を植民地にして儲[もう]けることである。
だから、町人は身分制には反対だし、農民も待遇がちょっといいだけで武士に税金を取られていたから、身分制はあまり国民の支持が得られなかったのである。
だから、幕府はあまり国民の支持が得られず、幕府はあまり権力がなく、国民から税金を取るのが精一杯だったのである。だから、国民が幕府にちょっと不満があるとすぐに一揆[いっき]が起こっていたのである。反対に、政府は植民地政策をやって国民の絶大な支持があったから、たとえ政府がイタズラで国民を大勢殺しても国民は政府の非行を大目に見て政府に何もしなかったのである。
[12593] 植民地政策をする会社 h23.4.25
政府は植民地政策をする会社である。政府は民主主義の政治をする会社ではなく、政府の正体は植民地政策をする会社なのである。
昔は植民地時代だったから、政府は仕事があった。
しかし、今は植民地時代ではないから、政府は仕事がない。今の政府は何もやることがなくて、暇つぶしに国家宗教で国民を虐[いじ]めてダラダラ遊んでいるだけである。
今の政府は何もしていないから、国民は政府を支持しない。だから、今の政府には権力はない。だから、今の国民は政府に従わない。今の国民は政府に税金を払わない。だから、今の政府は滅びるしかない。
昔の政府は植民地政策をして国民の支持があったから強かった。今の政府は植民地政策をしていなくて国民の支持がないから弱い。政府が強ければ国民は政府に従わなければならないが、政府が弱ければ国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、今の国民は政府に従わなくても全然かまわないのである。今でも政府に従っている国民がバカなだけである。今でも政府に従っている国民はわけがわからずに政府に従っているだけだからバカなのである。
[12594] 今の政府は何もしていない。☆ h23.4.25
政府は植民地政策をする会社である。
しかし、今は植民地時代ではないから、政府は何もすることができない。
今の政府は何もしていない。今の政府は何もしない会社である。[今の政府はイタズラで国家宗教をやっているだけである。今の国会も大[たい]したことをやっていない。今の国会はしみったれた政策をジメジメやっているだけである。]
だから、今の国民は政府を支持しない。だから、政府には権力はない。だから、国民は政府に従わない。国民は政府に税金を払わないし、政府の命令に従わない。だから、政府は滅びるしかない。
政府が国民から税金を取ったり国民に国家宗教をやらせたければ、政府は植民地政策のような国民に人気がある派手[はで]な政策を思いつかねばならない。政府にそれができなければ、政府は国民に対して何もしてはいけない。
[12595] 今の政府はどうして国家宗教をやっているのか?☆ h23.4.25
今の政府は国民に国家宗教をやらせている。
今の政府が国民に国家宗教をやらせているのは、幕府が刀を差していたのと同じように、自分に人気があるふりをするためである。[[12589]参照。]政府は自分に人気があると国民に思わせるために、政府の命令を聞くバカにお金や麻薬をやって国家宗教をやらせているのである。
しかし、実際には、今の政府は何も政策をしていないから、政府は国民の人気がなく、政府に権力はないのである。だから、実際には、国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は政府の空威張[からいば]りに付き合ってやらなくてもいいのである。
今の政府は自分に人気があるふりをするために一生懸命に国家宗教をやっているのである。そこまで行くと政府がかわいそうである。国家宗教で殺された国民もかわいそうだが、政府もかわいそうである。
何の政策もやっていない者に人気があるわけがない。政府は嘘[うそ]をつくのを諦[あきら]めておとなしくするべきである。政府はおとなしく滅ぶべきである。
[12596] 今の政府には権力がない。 h23.4.25
政府の権力の源[みなもと]は『植民地政策』である。
昔は植民地時代だったから政府には強い権力があって、政府はやりたい放題ができて、政府はイタズラで国家宗教や戦争で好き勝手に国民を殺していたのである。植民地時代には政府は天国だったのだ。
ところが、今は植民地時代ではないから政府は植民地政策がやれない。
だから、今の政府に権力はない。
だから、国民は政府の命令に従わなくていい。
今でも政府の命令に従っている国民はわけがわからずに従っているのである。そんなバカは政府に国家宗教で殺されればいい。
[12597] 『裸の王様』 h23.4.25
『裸の王様』は近世のスペインのおとぎ話である。
当時はローマ帝国が滅んで植民地時代が終わっていた。
だから、政府は植民地政策ができなくなって権力がなくなっていた。
だから、王様は裸だったのである。
政府に権力があったのは、国家宗教や国会のためではなく植民地政策のためだったのである。
黒人が王様が裸であることを見破ったのは、黒人は植民地の象徴であり、植民地時代が終わったために政府の権力がなくなったことを言いたかったからである。
つまり、近世の頃にはヨーロッパではいっとき政府の権力がなくなっていたのである。
その後、近代になってヨーロッパ各国が植民地を取るようになって再び政府に権力が戻ったのである。
さらにその後、現代になって植民地がヨーロッパから独立したために政府に権力がなくなった。
近世はローマ帝国が滅ぶことによって植民地時代が終わったが、現代は植民地がヨーロッパから独立することによって植民地時代が終わったのだ。
[12598] 国民が政府に従う『理由』 h23.4.25
政府は『植民地政策』をする会社である。
しかし、今は植民地時代ではない。
だから、今では政府は植民地政策をやれない。
昔の政府は植民地政策をやって国民を儲[もう]けさせてくれたから国民は政府を支持して政府の命令に従った。
今の政府は植民地政策をやっていなくて国民を儲けさせてくれないから国民は政府を支持せず政府の命令に従わない。
昔の政府には国民が政府に従わねばならない理由があったが、今の政府には国民が従わねばならない理由がない。
だから、昔の国民は政府に従ったが、今の国民は政府に従わない。
植民地時代が終わったら政府はおしまいである。政府はさっさと消えてなくなればいい。
中世に植民地時代が終わったために政府が幕府に変わったように、現代も植民地時代が終わったから政府は何か別の政治機関に変わらねばならない。
[12599] 国民は政府に従ってはいけない。 h23.4.25
政府は植民地政策をする会社である。
政府は植民地政策をやっているうちは国民が儲[もう]かるので国民の支持が得られて強いが、植民地政策をやらなくなれば国民が儲からないので国民の支持が得られなくなって弱い。
今は植民地時代ではなく政府は植民地政策がやれないから政府は弱い。
だから、国民は政府に従わなければいい。
国民は見境[みさかい]なく相手に従ってはいけない。国民は強い相手には従わねばならないが、弱い相手には従ってはならない。
今の政府は見かけが強いだけで、じつは弱い。だから、国民は今の政府に従ってはいけない。
[12600] 巨人が風車に変わった! h23.4.25
『ドン・キホーテ』の第1部の最後ではドン・キホーテが風車に突撃して跳[は]ね飛ばされて「魔法使いが魔法で巨人を風車に変えたのだな」と言った。
ここで、巨人は政府であり、風車はキリスト教団のことである。[風車の形がキリストの十字架に似ているからである。]
当時は近代に入って植民地時代が始まっていたから、近世の間おとなしくしていた政府の権力が強まって、政府がまた暴れ出してキリスト教の国家宗教で国民にイタズラをするようになったのである。だから、魔法とは植民地政策のことである。
せっかく近世の頃に徳川幕府のような“騎士道の正義の団体”が出来かけていたのに、政府が強くなったために潰[つぶ]れてしまったのだ。つまり、ドン・キホーテとはヨーロッパの幕府のことなのだ。