[12401] 社会が変わった。 h23.4.7
昔は法律がない社会だったが、今は法律がある社会になった。
そのために、昔の国民は暴力団に従わねばならなかったが、今の国民は暴力団に従わなくてもよくなった。
政府や宗教団体は暴力団である。
だから、今の国民は政府や宗教団体などの暴力団に従わなくてもいい。
社会の変化は眼で見ただけではわかりにくいが、現実に起こっている。
社会はすでに変わっている。
だから、国民は昔の社会の習慣を捨てて、新しい社会の習慣を身に付けねばならない。新しい社会では新しい考え方で生きて行かねばならない。
政府は法律がない社会の政治機関である。だから、政府は平気で国民に暴力をふって国民に命令するのである。法律がある社会では、法律がある社会の政治機関(法律サービスをする会社、[12396]を参照。)を新しく建てねばならない。それまでの間、しばらく国民は無政府状態に耐[た]えねばならない。

[12402] 社会が変われば暴力団も変わる。 h23.4.7
昔の暴力団も今の暴力団も同じように暴力を使っている。
しかし、昔の社会は法律がなかったが、今の社会は法律がある。テレビのニュース番組が社会に法律をもたらしたのだ。
だから、昔の社会では暴力をふってもよかったが、今の社会では暴力をふってはいけない。
だから、昔の社会では暴力団は善[い]い者だったが、今の社会では暴力団は悪者である。
暴力団のやっていることは昔も今も同じだが、社会が昔と今で変わったために、暴力団が善い者から悪者に180度変わってしまったのである。
国民は善い者に従うことはできても、悪者に従うことはできない。
政府は暴力団である。
だから、今の国民は政府に従うことができないのである。

[12403] 昔の政府は正しかったが、今の政府はまちがっている。 h23.4.7
政府は暴力団である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して命令を聞かせる団体である。
昔の社会では法律がなくて暴力を使ってよかったから、政府が国民を支配することができた。
ところが、今の社会では法律があって暴力が使えなくなっているから、政府が国民を支配できなくなっている。今ではテレビで「暴力団員が犯罪を犯して警察に逮捕された」ニュースをやっているから暴力が使えないのである。[暴力団員を警察が逮捕することは、政府の自殺行為である。しかも、警察は暴力団員よりも政府の中で身分が低いから下克上[げこくじょう]である。昔は今とは反対に、警察が暴力団に混じって暴力団といっしょになって国民に暴力をふっていた。]
昔の社会では国民が政府に従わねばならなかったが、今の社会では国民が政府に従ってはならない。
昔の社会と今の社会は違う。昔の社会では暴力を使ってもよかったから政府は正しかったが、今の社会では暴力を使ってはいけないから政府はまちがっている。
国民は正しい者に従うことはできても、まちがった者に従うことはできない。
だから、今の国民は政府に従うことができないのである。
法律のある社会に法律のない社会の政治機関(政府のこと)があるのはまちがっている。法律のある社会には法律のある社会の政治機関(法律サービスをする会社、[12396]を参照。)がなければならない。

[12404] 政府の限界 h23.4.8
さすがの政府にもできないことがある。
政府は日本を法律のない社会にすることはできない。
だから、今の日本は法律のある社会なのである。
だから、今の日本では暴力が使えなくなっている。暴力団が活動できなくなっている。国民は暴力団の命令を聞かなくてもよくなっている。
したがって、政府や宗教団体などの暴力団が滅んでいる。
いくら政府ががんばっても、日本を法律のない社会にすることまではできないのだ。
国に法律があるかないかは国民が決めることであって、政府が決めることではなかったのだ。
昔の国民は国に法律がないと決めていたが、今の国民は国に法律があると決めている。今の日本に法律があることは今の国民みんなで決めたことだから、政府ひとりではどうしようもないのだ。
政府は昔の国民が国に法律がないと決めていたから成長した団体であって、今の国民が国に法律があると決めれば滅びるしかない。

[12405] テレビが出来れば政府が滅びる。 h23.4.8
最近テレビが出来て、国民みんながテレビのニュース番組を見て「日本には法律がある」と思うようになったために、いつの間にか日本が法律のある社会になってしまった。日本が法律のある社会になってしまったために、日本では暴力が使えなくなって、政府や宗教団体などの暴力団が滅んでいる。
『風が吹けば桶屋[おけや]が儲[もう]かる』と言うように、テレビが出来れば政府が滅びるのだ。
さすがの政府も時代の流れには勝てなかったのだ。

[12406] 「ビタミンEがない。」[[8801]を参照。] h23.4.8
私が医学部学生の頃(今から25年ぐらい前)、水上茂樹[みなかみしげき]教授の生化学の講義を受けた。
あるとき水上教授が講義のはじめに「ビタミンEがない」と言った。「ビタミンAからZまではあるが、ビタミンEだけはない」と言った。
しかし、実際には、ビタミンE(αートコフェロール)はある。
ビタミンEには抗酸化作用がある。「ネスカフェ バリスタ」の宣伝でも酸化作用のことをいっているが、酸化作用とは酸化→三化とsun化→川化(三≒川)と太陽化→川野化と神武天皇化→日本神道のことである。だから、ビタミンEとは日本神道を防ぐことであり、ビタミンEを否定することは日本神道を支持することである。
水上教授は日本政府を支持していたから「ビタミンEがない」と言い張ったのだろう。

[12407] 政府の昔と今 h23.4.8
政府は暴力団である。つまり、政府は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体である。
昔の社会は法律がなかったから、暴力をふってもよかった。そのため、政府が暴力をふって国民を支配していた。政府は正しかったから、国民は政府に従った。
しかし、今の社会には法律があるから、暴力をふってはいけない。そのため、政府が暴力をふって国民を支配できなくなった。政府はまちがっているから、国民は政府に従わなくなった。
社会に法律があるとないとでは大違い。
今の日本は法律がある社会だから、国民は法律がある社会の考え方で行動しなければならない。
法律がある社会では暴力団が生きて行くのは無理である。だから、暴力団は暴力をふるのを諦[あきら]めて、普通の国民と同じように暮らさねばならない。

[12408] 暴力団とは何か? h23.4.8
暴力団とは、暴力で国民を脅[おど]して国民に命令する団体である。
しかし、今の社会には法律があるから、暴力がふれなくなっている。
だから、今の暴力団は暴力をふらずに国民を脅している。
そのためには、暴力団は同和や部落の人や朝鮮人を脅せばいい。暴力団が「お前らの素性[すじょう]をみんなにばらすぞ」と言って同和や部落の人や朝鮮人を脅せば、いくらでもお金が取れるし何でも命令できる。暴力団は日本政府だから、国民の誰が同和や部落の人や朝鮮人かはいつでも知っている。暴力団は江戸時代の身分制や朝鮮が日本の植民地であったことを悪用して儲[もう]けているのである。
つまり、同和や部落の人や朝鮮人が暴力団ではなく、暴力団に脅されている人が同和や部落の人や朝鮮人なのである。例えば、暴力団は同和や部落の人や朝鮮人を脅して、無理やりパチンコ屋で只[ただ]働きさせているのだろう。
一般に、今の暴力団は国民の弱みを握[にぎ]って脅しているのである。だから、弱みのある国民は暴力団に従わねばならないが、弱みのない国民は暴力団に従わなくてもいい。例えば、暴力団からたくさんお金を借りた者が爆弾背負[せお]って自爆しなければならないのである。でも、弱みのある国民はあまりいないから、今の暴力団は儲[もう]からないだろう。

[12409] 暴力の限界☆ h23.4.8
政府は暴力団である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して命令を聞かせる団体である。
だから、政府は国民を暴力で脅して日本を法律のない国にすればいい。政府は国民に日本を法律のない国にする命令を出せばいい。
これまで政府は国民に税金や国家宗教や戦争などの命令を出すことができたのだから、日本を法律のない国にする命令も出せるはずである。
ところが、実際に、日本は法律のある国になっている。
国民がテレビのニュース番組を見て「日本は法律のある国だ」と思ったからである。
暴力が使えるのは法律がないことが前提だから、法律があると暴力が使えなくなる。暴力が使えなければ暴力で国民を脅すことができないから、暴力によって法律があることを法律がないことにするのはできないのである。
国に法律があるかないかを決めるのは国民が法律を知るか知らないかにかかっているのであり、テレビが国民に法律を教えたために国に法律があることになって政府は国民を暴力で脅せなくなったのである。
暴力は国民にほとんどなんでもさせることができるが、法律をなくさせることだけはできないのだ。
法律をなくさせることが暴力でできないたったひとつのことだったのだ。法律をなくさせることができないことが暴力団のたったひとつの弱点だったのだ。
『ペンは剣より強し』と言うように、法律は暴力よりも強かったのだ。テレビのニュース番組で犯罪のニュースをやることが政府や宗教団体などの暴力団を滅ぼしたのだ。
暴力では法律をなくすことができない。だから、政府は法律のない国を作ることができない。今の日本に法律があることは政府にはどうしようもないことである。法律のある社会では暴力をふれないから、政府は何もできない。だから、今の政府は滅びるしかないのである。

[12410] 政府は国民から税金を取れない。 h23.4.8
政府が国民から税金を取るのは、政府が暴力を使って国民を恐喝[きょうかつ]しているからである。昔の社会では法律がなくて暴力を使ってもよかったので、政府が国民を暴力で恐喝してもよかったのである。
しかし、今の社会では法律があって暴力が使えない。
だから、今の社会では政府は国民から税金を取れない。
一般に、政府が国民に“民主主義を超えた命令”(例えば、税金や国家宗教や戦争など)を出すのは暴力によっている。今の社会では暴力が使えない。だから、今の社会では政府は国民に“民主主義を超えた命令”を出せない。

[12411] どうして暴力団が国民に公開されているのか? h23.4.8
政府は暴力団である。しかし、ただの暴力団だと国民が政府に従ってくれないので、日本神道や国会などの民主主義団体と組んでいる。だから、政府は善[い]い暴力団で通っていたのである。昔の法律がない社会では、政府は暴力団の中では一番善い暴力団だったのである。だから、国民は政府を支持して政府に従っていたのである。
しかし、今は法律がある社会である。だから、国民にとって暴力団は悪者である。だから、今では民主主義団体と暴力団が組んでいると、民主主義団体が悪者だと思われてしまう。だから、今では政府は国民に暴力団の存在を隠すべきである。
しかし、実際には、暴力団の存在はオープンである。国民は誰でも日本に暴力団があることを知っている。
それは、昔の社会では暴力団が善い者で通っていたからである。昔の社会には法律がなくて暴力を使ってもよかったから、暴力団が善い者だったのである。
その頃の名残[なごり]で、今でも暴力団が国民に公開されているのである。暴力団は今でも自分が善い者でいたいから、自分の存在を国民に公開しているのである。
しかし、今の法律がある社会では暴力をふることは悪いことであり、今の社会では暴力団は悪者だから、暴力団のために国民から政府みんなが悪者だと思われているのである。暴力団は国民が政府に従わない原因となっているのである。

[12412] 『泣いた赤鬼』 h23.4.8
赤鬼は、政府の民主主義団体である。
青鬼は、政府の暴力団である。
『泣いた赤鬼』の話では、赤鬼が国民と仲良くなるために青鬼に暴力をふらせたが、実際には青鬼が国民と仲良くなるために赤鬼を作って赤鬼と組んでいたのである。赤鬼の店とは国会議事堂のことであり、赤鬼の店で売っているおいしいお菓子とは日本国憲法のことである。
『泣いた赤鬼』の話では、赤鬼が国民と仲良くなった後に青鬼はどこかに行ってしまったが、実際には青鬼はいまだに日本各地にいる。特に西日本に多い。
『泣いた赤鬼』の話では、青鬼は赤鬼に迷惑をかけないために自分からいなくなったが、実際には日本が法律のある社会になったために青鬼が社会にいられなくなったのである。
『泣いた赤鬼』の話が言いたいことは、赤鬼と青鬼が組んでいること、つまり政府は民主主義団体と暴力団が組んでいることである。[[12291]の図を参照。]

[12413] 暴力対法律☆ h23.4.9
法律は暴力を使えなくする。
反対に、暴力は法律を破ることによって法律を使えなくする。
これだけでは、暴力と法律は五分五分である。
問題は、今の国民が法律と暴力のどちらを支持しているかである。つまり、法律のある国と法律のない国のどちらを支持しているかである。
昔の国民は暴力を支持していたから、政府や宗教団体のような暴力団が国を支配していたのである。
今の国民は法律を支持しているから、政府や宗教団体のような暴力団が国を支配できなくなったのである。
今はテレビが出来て、国民がテレビのニュース番組を見て「日本は法律がある国だ」と思ったから、日本は法律のある国になったのである。国民が法律を支持するようになったのである。国民が法律に照らし合わせて物事の是非[ぜひ]を見るようになったのである。国民が法律を犯してはならないと考えるようになったのである。
昔はテレビがなくて、国民が裸の社会を直[じか]に眼で見ていただけだったから、「日本は法律がない国だ」と思っていたから、日本は法律のない国だったのである。国民が暴力を支持していたのである。国民は実際にできることなら何をやってもいいと思っていたのである。
国民に法律の知識がないよりも、国民に法律の知識があるほうが文明的である。だから、今は国民が法律の知識を持って法律のある国になったのである。
もはや昔の法律のなかった時代に戻ることはできない。暴力団は暴力を使うことを諦[あきら]めて、今の暴力のない世界に適応[てきおう]しなければならない。
昔の日本に法律がなかったのは日本の文明が遅れていたからである。日本が田舎[いなか]の国だったからである。今の日本はようやく文明国になったから法律があるのである。文明国は法律があるものと決まっている。未来社会とはそういうものである。だから、昔の法律のない社会のほうがいいなどとダダをこねてはいけない。
誰が見ても、今の日本には法律がある。政府にとっては法律のある社会よりも法律のない社会のほうが国民に何でも命令できて有利である。それなのに、今の日本が法律のある社会になったのは、政府が日本が法律のない国から法律のある国に変わるのを阻止[そし]できなかったからである。政府が日本を法律のない国にできなかったから、今の日本に法律があるのである。だから、日本に法律があることは、政府にはもはやどうしようもないことである。
政府にとっては法律のない社会が有利だが、国民にとっては法律のある社会が有利である。今の日本が法律のある社会になったのは、政府が国民に負けたからである。つまり、政府はすでに国民に倒されているのである。
政府が日本を法律のない社会にすることができたのはテレビが出来る前までである。テレビが出来てからは日本は一挙[いっきょ]に法律のある社会になったのだ。

[12414] 人間は正しく生きるものである。☆ h23.4.9
人間はいつの時代にも正しく生きてきただけである。
昔の社会には法律がなかったから、暴力をふることが正しかったから、暴力団が国民を支配していた。
しかし、今の社会には法律があるから、暴力をふることがまちがいだから、暴力団が国民を支配できない。
昔の社会では暴力団が国民を支配することが正しかったが、今の社会では暴力団が国民を支配しないことが正しいのである。
つまり、昔の社会では国民が暴力団に従うことが正しかったが、今の社会では国民が暴力団に従わないことが正しいのである。
いつの時代でも、暴力団も国民もみんなが正しく生きればいいだけである。それだけである。

[12415] 法律のない国を作る団体 h23.4.9
政府は暴力団である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して命令を聞かせる団体である。暴力団は自分の命令に従わない者を殺すことによって国民を命令に従わせるのである。
政府が暴力を使えるためには、国に法律があってはならない。つまり、政府は法律のない国を作る団体である。政府は暴力で法律を破って法律をなきものにしようとしている。法律のない社会では政府が自由に暴力をふることができて政府が国民を支配できる。つまり、法律のない社会では政府が自分の命令に従わない国民を片っ端[かたっぱし]から殺すことによって国民に何でも命令をすることができる。政府は自分が国民を支配したいから法律をなくそうとしているのである。
一方、今の国民は法律のある国を作ろうとしている。
だから、政府と国民は対立する。だから、政府と国民は戦わねばならない。
この世は『多数決』で動いている。国民のほうが政府よりも数が多い。だから、政府の負けである。
日本はどんどん法律のある国になっている。だから、政府はどんどんなくなっていくだろう。

[12416] どうして政府は国家宗教で人を殺すのか? h23.4.9
政府は今でも国家宗教で人を殺している。政府はたまに大きな事件を起して大勢の人を殺すが、他[ほか]にもほぼ毎日小さな事件を起して少しずつ人を殺している。
政府が国家宗教で人を殺すのは、昔の社会では法律がなくて人を殺してもよかったからである。国家宗教には特に意味はなく、国家宗教はたんなる犯罪の飾[かざ]りにすぎない。
政府は昔の社会の伝統を引き継いで今でも人を殺しているのである。
しかし、今の社会には法律があって人を殺してはいけないことになっている。
だから、今の政府は犯罪者である。昔の政府は善[い]い人だったが、今の政府は悪人である。
今の社会には法律があるから、今の社会では政府も国民もみんなが犯罪を犯してはいけない。
そもそも政府は暴力団だから、今の社会に政府があってはならない。

[12417] 権力の第2法則 h23.4.9
『政府の権力(命令力)は暴力団の人数に比例する。』
これが権力の第1法則である。
『政府の権力は法律の厳しさに反比例する。』
これが権力の第2法則である。[政府の権力とは、政府が“法律にない命令”を国民に出す力のことである。つまり、政府の権力とは、政府が国民に嫌がらせの命令を出す力のことである。[12395]を参照。]
今の社会は、国民が毎日テレビのニュース番組を見て法律のことを知っているから法律が厳しい。
だから、今の政府に権力はない。つまり、今の政府は国民に命令できない。

[12418] ヘルマン=ヘッセ著『車輪の下』 h23.4.9
私が高校生の頃、友達の和田君に薦[すす]められて岩波文庫のヘルマン=ヘッセの『車輪の下』を読んだことがある。和田君は「たわいない本だ」と言っていた。
主人公のハンスはヨーロッパのことである。
ハンスが子供の頃勉強がよくできたのは、古代のヨーロッパが世界の先進国だったことである。
ハンスが青年になってお酒に耽[ふけ]って成績が落ちたのは、中世末のヨーロッパが麻薬に耽[ふけ]って暗黒時代になったことである。お酒は麻薬の喩[たと]えである。
ハンスが酔っ払って川に落ちて死んだのは、中世末のヨーロッパがインドにも劣っていたことである。インドは川の国だから、川はインドの喩えである。
タイトルの“車輪の下”とは、ヨーロッパがだんだん落ちぶれていって最後にはインドの下になったことを表している。車輪は仏教のシンボルであり、インドの喩えである。
昔から、ヨーロッパとインドはライバル関係にあったのだ。

[12419] 信者とは何か? h23.4.9
信者とは、法律のない国を作りたい者である。日本を法律のない国にしたい者である。法律が嫌いな者である。暴力や犯罪が好きな者である。
つまり、信者とはロクでなしの不良である。ガラの悪い連中である。
明治維新のとき、信者が政府を支持したのは、信者が法律から解放されて自由に暴力をふれるようになったからである。今でも信者は政府が人殺しをしているのを見て喜んでいるのだ。
信者が今の社会に不満なのは、今の社会が法律のある社会だからである。
つまり、信者とは犯罪者の予備軍である。遺伝的な犯罪者である。将来犯罪者になる者である。
信者はそんなに暴力をふるのが好きなら暴力団に入ればいいが、暴力団は政府の中枢機関なので誰でも入れるわけではない。信者は暴力団に入れなかった落ちこぼれの暴力団員なのである。

[12420] どうして政府は国民から税金が取れるのか? h23.4.9
政府が暴力で国民を脅して納税の義務を定めたからである。
しかし、今は法律のある社会である。つまり、暴力のない社会である。
だから、政府は暴力で国民を脅せない。
だから、今の政府は国民から税金を取れないのである。
今の社会では、政治機関は国民と契約を取って国民からお金を集めなければならない。国民から集めたお金の範囲内でできるサービスをしなければならない。場合によっては、政治機関が国民と契約を取れなくてお金が集まらなくて何もできないかもしれない。しかし、それは国民が政治機関をなめているのが悪いのだから、そんな国民には法律のない世界の怖[こわ]さを思い知ってもらわねばならない。そうすれば、大勢の国民が政治機関と契約を取るだろう。

[12421] 暴力団は政府の中枢機関である。 h23.4.10
何年か前にあった、警察による山口組の家宅捜索は山口組の組長の指示で警察がやらされたことである。山口組の組長が「家の中を見に来い」と警察に言ったので警察が見に行っただけである。警察は暴力団の指示で動いているだけである。
日本政府においては暴力団は日本神道や国会などの民主主義団体よりも身分が上である。[[12306]を参照。]だから、民主主義団体は暴力団の指示に従って何でもしなければならないのである。例えば、暴力団が民主主義団体に「国民に暴力をふれ」と言ったら、民主主義団体は国民に暴力をふらねばならないのである。[ただ、そんなことをやると国民は政府の民主主義団体を信用しなくなる。]
暴力団は政府の中枢機関である。政府のエリート中のエリートである。偉い人はめったに人前に顔を出さない。だから、国会議員はテレビによく出るのに、暴力団の人はほとんどテレビに出ないのである。

[12422] どうして幕府は権力が弱かったのか? h23.4.10
江戸時代は大衆文化の花盛りだった。あらゆる大衆娯楽があった。それは江戸時代は国民に自由が大幅[おおはば]に保障されていたからである。
それが、明治時代になると政府による文化統制が強まって庶民の娯楽が大幅に減った。国民は古事記の神武天皇の話に適[かな]っていることしかできなくなった。参考
江戸時代に国民の自由が大幅に保障されていたのは、江戸幕府の権力が政府の権力に比べて弱かったからである。幕府は権力が弱かったので、国民のすることにあまり口出しができなかったので国民は自由だったのである。江戸幕府は権力が弱かったので、国民から税金を取るだけで、国民に余計な国家宗教や戦争などをやらせることができなかったのである。[古代日本の朝鮮出兵も、当時の日本政府が国民を暴力で脅[おど]して国民に強制的にやらせたことである。国民にとっては朝鮮出兵なんてどうでもいいことであって、戦争は嫌だったのである。]
江戸時代は明治時代に比べて国の法律が厳しかったから、幕府の権力が政府の権力に比べて弱かったのである。江戸幕府はインド政府を、明治政府はヨーロッパ政府を真似[まね]て政治をしていたが、インドはヨーロッパよりも法律が厳しいので江戸時代は明治時代よりも法律が厳しかったのである。国の法律が厳しいと暴力団が暴力をふれなくなるので、暴力団が国民を脅せなくなって暴力団の権力(命令力)が弱くなるのである。
今の平成時代の日本では江戸時代以上に法律が厳しくなっている。だから、今では日本政府には権力がないのである。したがって、今の国民は政府の命令に従わずに、江戸時代以上に自由にやればいいのである。

[12423] 暴力団絶滅計画 h23.4.10
今は法律のある社会である。つまり、暴力のない社会である。
だから、今の国民にとっては暴力団は犯罪集団にすぎない。今の国民にとって暴力団は余計な邪魔者[じゃまもの]である。
したがって、国民は『法律サービスをする会社』(つまり、法律のある社会にする会社、犯罪者を罰する会社)を作って、法律を犯す暴力団を片っ端[かたっぱし]から牢屋にぶち込めばいい。死刑にすればいい。8万人の暴力団員を殺すことなんか大[たい]したことではない。そうすれば、社会に余計な邪魔者がいなくなってスッキリする。
今の日本には日本政府しかないからいつまでも暴力団がのさばっているのである。国民は早く『法律サービスをする会社』を作って日本社会から暴力団を絶滅させねばならない。
暴力団なんか時代遅れの生き物だから、早く殺してやればいいのだ。

[12424] 矛盾[むじゅん]のある団体は滅ぶ。 h23.4.10
今は法律のある社会だから、国民が警察に電話すれば犯罪者を捕[つか]まえてくれる。警察が暴力団を捕まえることもある。
日本政府は暴力団だが警察でもある。
警察が暴力団全員を逮捕すれば日本政府は潰[つぶ]れる。
いわば、日本政府は自分の矛盾によって潰れたのだ。
日本政府は自分で自分を潰したのだ。
数学や物理学で矛盾のある理論体系が滅ぶように、社会が論理的になると政府のような矛盾のある会社は滅びるのだ。今の社会は論理的だから、政府は自分で自分を潰して滅びるのだ。

[12425] 『法律のある社会では暴力団は無力である。』(←テレパシーで聞こえた。) h23.4.10
法律のない社会では暴力団は暴力が使えるので強力である。国民は暴力団には敵[かな]わない。
しかし、法律のある社会では暴力団は暴力が使えないので無力である。暴力団と国民は対等である。
今の日本は法律のある社会である。
だから、今の日本では国民は暴力団に従わなくていい。つまり、国民は政府や宗教団体に従わなくていい。

[12426] 暴力団が悪い。 h23.4.10
暴力団(政府のこと)が暴力をふりたければ、暴力団が日本を法律のない社会にしてから暴力をふらねばならない。[日本では幕府から政府に変わったとき法律がなくなった。それと同じようにしないといけない。]
日本を法律のない社会にせずに暴力をふれば、暴力団が悪い。
暴力団が暴力をふることを正当化するためには、日本を暴力のふれる国すなわち法律のない国にしなければならない。
しかし、実際には、今の日本は法律のある国であって、それ以外の何物でもない。
だから、今の日本では暴力団は暴力をふってはならない。
今の日本で暴力をふれば、暴力団が悪いことになる。暴力団は警察に逮捕されねばならない。暴力団は牢屋に入らねばならない。暴力団は牢屋の中で嫌な思いをしなければならない。
今の日本は法律のある社会である。法律のある社会では、暴力団は最初から牢屋に入る覚悟で暴力をふるのである。法律のある社会では、暴力団が減っていく傾向にあるのではないだろうか。

[12427] 新しい社会には新しい政治機関が必要である。 h23.4.10
昔は法律のない社会だったから、国民に暴力をふって命令を聞かせる政府が日本を支配していた。
しかし、今は法律のある社会だから、もはや国民に暴力をふる政治機関ではいけない。国民に暴力をふらない政治機関でなければいけない。
今の法律のある社会では、国民と平等な政治機関でなければならない。国民と契約を取って法律サービスをする政治機関でなければならない。
社会は政治機関よりも大きい。だから、政治機関には社会を変えることはできない。したがって、政治機関が社会に従うしかない。法律のある社会には法律のある(つまり暴力をふらない)政治機関でなければならない。

[12428] 暴力団は国民のリーダーにはなれない。☆ h23.4.10
法律のない社会では、暴力団(政府のこと)は偉かった。暴力は人間の才能と見なされていたからである。だから、暴力団が国民よりも上の者だと思われて、国民を支配していたのである。
しかし、法律のある社会では、暴力団は偉くない。暴力は人間の才能と見なされなくなったからである。むしろ、暴力の才能は価値のないくだらないものだと思われている。だから、暴力団は国民よりも下の者だと思われて、国民から忌[い]み嫌われている。
今では暴力団は国民にとって軽蔑[けいべつ]すべき存在である。だから、暴力団はもはや国民のリーダーにはなれない。政府の時代は終わったのだ。

[12429] 政府の弱点 h23.4.10
政府は暴力団である。暴力団は自分の命令に従わない者を暴力で痛めつけることによって国民を命令に従わせてきた。
暴力では国民にほとんどすべてのことが命令できる。例えば、税金を取ることができるし、国家宗教で死ぬ命令を出すことができるし、戦争をやらせることもできる。
しかし、暴力では法律をなくならせることができない。
法律があるようになると、国民が暴力団を馬鹿と見なして暴力団の命令を聞かなくなるからである。暴力団が暴力をふっても、暴力団が悪いことをしていると見られるだけで、もはや暴力をふることが善[い]いことだとは誰も思わないのである。
だから、ひとたび法律がある社会になるとひたすら法律がある社会になる一方[いっぽう]である。暴力団が滅びる一方である。つまり、法律のない社会から法律のある社会への変化は不可逆過程なのである。
法律をなくならせることが暴力で命令できないたったひとつのことだったのである。
『浦島太郎』の玉手箱の中に入っていたのは、法律だったのかもしれない。
法律が政府の弱点だったのである。政府は法律のない社会を作ることによって自分の弱点を隠してきたのだ。政府の国会は法律をやっているふりをしているだけで本当はやっていないのだ。政府の国会は法律のある社会を作っているふりをしてじつは作っていないのだ。つまり、国会は法律をやらない程度にやっているのだ。法律のある社会を作らない程度に作っているのだ。ところが、最近テレビが出来て国民みんながテレビのニュース番組で法律を知ってしまって玉手箱が開かれたために、政府は死んでしまったのだ。[[12347]を参照。]

[12430] 学生自治会 h23.4.10
私が学生の頃、学生自治会はいつも政府批判をやっていた。政府が悪者だと言っていた。
学生はたいてい学生自治会が正義の味方の政府の悪口を言うガラの悪いやつだと思っている。
学生がもっと大人になって自分で政府のことを考えるようになって40〜50歳ぐらいになれば、学生自治会の言っていることが正しいとわかるようになる。
学生自治会が正しすぎるのだ。

[12431] 法律のない社会を作る方法 h23.4.10
江戸時代は公開処刑をやっていたから、日本は法律のある国になっていた。
それと同じように、今ではテレビでニュース番組をやっているから、日本は法律のある国になっている。テレビに犯罪者の顔写真が出るのは、江戸時代の晒[さら]し首と同じである。
明治時代になって、政府は公開処刑をやめたから、日本は中世のように法律のない国になった。
だから、今の政府がテレビのニュース番組をやめさせれば、日本は再び法律のない国になるだろう。
しかし、実際には今の政府はそうしていない。テレビではあいかわらず毎日ニュース番組をやっている。
政府はテレビ局に口出しができないのだろうか。それでは、政府は滅びるしかない。
今は江戸時代よりももっと法律がある社会になっている。だから、もはや暴力団(政府のこと)が国民を支配することはできない。

[12432] 近代物理学は暗黒時代の賜物[たまもの] h23.4.10
古代から中世にかけてはヨーロッパが世界の先進国であり、世界中にヨーロッパ文化が出て行った。
ところが、中世末になってヨーロッパが暗黒時代になると、逆にインド文化がヨーロッパに入ってきた。
イタリアでヨーロッパ文化とインド文化が結びついて、ガリレオが数学を物理学に応用することによって近代物理学を考え出した。
近代物理学はヨーロッパの暗黒時代の賜物だったのだ。

[12433] 鎖国とは何か? h23.4.10
中世末にヨーロッパが暗黒時代になると、日本は鎖国をした。
当時は日本だけでなく、韓国や中国など東北アジアの国がみんな鎖国をしていた。
つまり、鎖国とは国がヨーロッパと縁を切るということである。鎖国時代の日本もインドや中国との国交はあった。
江戸時代の日本はヨーロッパ文化をやめてインド文化でやっていた。
近世末にヨーロッパが勢いを取り戻して再び世界の先進国になると、東北アジアの国は鎖国をやめた。

[12434] 国民の勝利 h23.4.10
法律がないと、暴力団が国民を支配できる。
法律があると、暴力団が国民を支配できない。
暴力団にとっては法律のない社会がいい。
国民にとっては法律のある社会がいい。
今の日本は法律のある社会である。
だから、今の日本では国民が暴力団に勝ったのだ。
今の日本では国民が暴力団に従わなくていいのだ。

[12435] 法律について h23.4.10
法律は暴力団と国民に関わらず国に住んでいるすべての人間に適用[てきよう]される。
暴力団に適用されないわけではない。
昔は法律が実質的になかったから、“ない法律”が国に住んでいるすべての人間に適用されたので、国に住んでいる人間は何をやってもよかったので、暴力団が暴力をふって国民を支配していた。
しかし、今は法律がちゃんとあるから、法律が国に住んでいるすべての人間に適用されるので、国に住んでいる人間は法律を守らなければならないので、暴力団が国民を支配できない。法律を破れば犯罪者とされて警察に捕[つか]まって罰せられる。[警察もあんまり仕事がないとクビにされるので、国民からの通報を待っている。]
だから、昔は暴力団に有利な世界だったが、今は国民に有利な世界になっている。
今では国民は暴力団に従わなくてもいい。国民は暴力団に従わないほうが得だから、国民は暴力団に従わないほうがいい。国民は暴力団(政府や宗教団体のこと)にお金をやらないし、暴力団の命令を聞かなければいい。

[12436] 政府はどうして人殺しをするのか? h23.4.11
政府は暴力団である。
政府は国民に死ぬ命令を出したり他人を殺す命令を出したりして国民を殺している。
人殺しは暴力団にとっては仕事である。つまり、暴力団は国民に死ぬ命令を出したり他人を殺す命令を出したりして国民を殺すことが仕事である。暴力団にとっては人殺しが仕事であり、人間にとって仕事はやらねばならないものだから、暴力団は人殺しをやらねばならないのである。
政府があんまり仕事をしないと政府が潰[つぶ]れるので、政府は人殺しの仕事をしているのである。政府は仕事に熱心なので、毎日人殺しをしているのである。
国民は政府のために殺されるだけである。
この世に政府があるかぎり国民は政府に殺される。
国民は自分が政府に殺されないために、早く政府をなくさねばならない。

[12437] どうして国民は政府を支持したのか? h23.4.11
国民が政府を支持したのは、法律のない国がよかったからである。
国民は暴力団の政府が嫌いだったが、法律のない国がよかったので、しぶしぶ政府を我慢[がまん]していたのである。例えば、国民は酒屋でツケが利[き]くから嫌な政府を我慢していたのである。つまり、国民にとっては政府なんかどうでもよく、ただたんに法律がなければよかったのである。国民は自分の気持ちのままに生きたかったから法律がないほうがいいと考えたのである。政府は法律のない国を作るから、国民は政府を支持していただけである。政府は国民に対する嫌がらせのために国民を法律で取り締[し]まる民主主義団体を作ったのである。
しかし、今の日本は誰が見ても法律のある国である。
国民がテレビのニュース番組や刑事ドラマを見てテレビにかぶれてしまったために、いつの間にか国民みんなが法律のある国がいいと思うようになったのである。昔の国民は法律のない国がいいと思っていたが、反対に今の国民は法律のある国がいいと思うようになったのである。テレビが国民の気持ちを180度変えてしまったのだ。
それなら、今の政府は適[てき]していない。今の政府は暴力団であり日本を法律のない国にするから適していない。
だから、国民は暴力団の政府を倒して、政府の代[か]わりに犯罪をちゃんと取り締[し]まって法律のある国を作る政治機関を構[かま]えねばならない。

[12438] 昔と今の我慢[がまん]の違い h23.4.11
昔は法律のない社会だったから、国民を暴力で脅す暴力団が出来て、国民を支配していた。暴力団は国民を暴力で痛めつけて国民に嫌がらせの命令を出していた。国民にとっては政府が面白くなかったが、法律のない社会のために我慢[がまん]していた。
しかし、今は法律のある社会だから、国民を暴力で脅す暴力団が出来ない。国民に嫌がらせをする団体が出来ない。国民にとっては法律のある社会は面白くないが、暴力団がないので我慢している。
つまり、昔の国民は法律のない社会のために暴力団を我慢していたが、今の国民は暴力団のない社会のために法律のある社会を我慢しているのだ。昔と今では国民の我慢のしかたが違っているのだ。人間は面白いことのためには必ず何かを我慢しなければならないのだ。

[12439] 国民はこれまで一度も政府を支持したことがない。(訂正) [[12437]を参照。] h23.4.11
政府は自分を有利にするために、法律のない国を作って来た。国に法律がなければ、政府は国民に暴力がふれるので、政府が国民を暴力で痛めつけて国民を政府の命令に従わせることができるからである。そのために、最近まで政府は国民に法律を教えないことによって日本を法律のない国にしていた。政府は法律のない国を作ることによって自分の権力を維持してきたのである。
しかし、最近テレビが出来て、国民みんながテレビのニュース番組や刑事ドラマを見て「日本に法律がある」と思った。そのために、日本が法律のある国になって、政府が国民に暴力がふれなくなって政府が国民に命令できなくなった。政府は国民から税金を取ったり国民に国家宗教などの命令を出せなくなった。国民がテレビで法律を知って日本が法律のある国になってしまったために、政府の長年の努力も水の泡[あわ]となった。
昔の国民は政府を支持していない。ただ、国民が法律を知らなかったから政府に従わねばならなかっただけのことだ。今の国民も政府を支持していない。しかし、今の国民は法律を知っているから、もはや国民は政府に従わなくていいのだ。
国民はこれまで一度も政府を支持したことがない。政府は国民を平気で殺す残酷な暴力団である。国民が政府を支持するわけがない。
法律のある社会の中では政府は生きられない。国民が法律を知ることによってついに政府を倒したのだ。暴力団の時代は終わったのだ。

[12440] 江戸幕府の身分制 h23.4.11
江戸時代は公開処刑をやっていた。つまり、幕府は国民に法律を教えていた。だから、幕府は国民に暴力がふれなかった。幕府は暴力によって国民に命令することができなかったのである。武士の刀は伊達[だて]にすぎなかったのだ。護身用だったのだ。つまり、幕府は暴力団ではなかったのである。
だから、幕府は暴力が使えない代[か]わりに身分制を定めねばならなかったのである。士農工商の身分制によって、幕府は国民に若干[じゃっかん]の命令ができたのである。つまり、幕府は国民から税金を取ることができたのである。国民の大部分を占める農民が身分制を支持したので、多数決によって幕府は身分制を定めることができたのである。
現代の日本も公開処刑をやっている。国民はテレビのニュース番組で法律のことを知っている。だから、今の政府は国民に暴力をふれない。政府は暴力によって国民に命令することができない。
しかも、今の政府は身分制を定めていない。政府と国民は平等である。だから、政府は国民に何も命令できない。
だから、今の政府は国民に命令できない。政府には暴力しか権力を得る手段がないので、肝心[かんじん]の暴力が使えなければ政府は何もできないのだ。

[12441] どうして国家宗教で事件が起こるのか? h23.4.11
今は法律のある社会である。つまり、暴力のない社会である。
だから、暴力団が暴力で国民を脅[おど]せなくなっている。
それなのに、あいかわらず国家宗教などによる事件が起こっている。
それは、今では暴力団が暴力を使えなくなったので、暴力団自身が事件を起すようになったからである。これまでは暴力団が国民に命令して事件を起こさせていたが、今では暴力団が自[みずか]ら事件を起すようになったのである。
今の暴力団は暴力を使わないから暴力団ではなく、ただの犯罪者集団になっているのである。
それに、人身傷害を伴わない場合には、合法的な範囲内で政府が国民に命令してやらせることもできるだろう。国民の同意が得られれば、政府は国民に命令できるだろう。今では政府と国民は対等なので、国民が気に入らなければ政府の命令を断[ことわ]ればいいのである。

[12442] どうして鎌倉幕府は滅びたのか? h23.4.12
中世末になるとそれまで世界の先進国だったヨーロッパが暗黒時代になり、日本はヨーロッパよりもインドに合わせるようになった。インドは法律のある国だったので、日本でも法律のある国を作ろうとする運動が起こった。
源頼朝は「法律のある国を作るぞ!」と勢[いきお]い込[こ]んで鎌倉幕府を建てたが、実際に出来上がったもの(社会のこと)を見るととうてい法律があるとはいえないお粗末[そまつ]な代物[しろもの]だった。
国民は「鎌倉幕府も政府も大[たい]して変わらない」と思って鎌倉幕府を捨てた。
それで、鎌倉幕府は滅びたのだ。
当時はまだ法律のない社会が普通だったから、いきなり法律のない社会を法律のある社会に変えるのは難しかったのだ。3回目の徳川幕府にして、ようやく法律のある社会が実現したのだ。

[12443] 『西洋の科学、東洋の道徳』 h23.4.12
幕末の思想家佐久間象山[さくましょうざん]は『西洋の科学、東洋の道徳』と言った。
つまり、西洋(ヨーロッパ)は科学が優れているが法律がなく、反対に東洋(インド)は科学が劣っているが法律がある。
だから、西洋の科学と東洋の法律を組み合わせた国を作ればいい。つまり、科学と法律の両方ともある国を作ればいい。つまり、科学があって暴力団がない国を作ればいい。
もしも日本にそれができれば、日本は世界最高の国になるだろう。
日本はこれまで法律よりも物のほうが人間の幸福にとって大事だと考えたから、インドよりもヨーロッパに合わせて来た。[もしも日本が江戸時代から今までずっとインドに合わせていたとすれば、日本に文明開化はなかっただろう。]しかし、今では物も法律も両方とも人間の幸福にとって大事だと考えている。だから、日本はヨーロッパに合わせるだけではなく、自分で法律のある国を作らねばならないのだ。
私が言うまでもなく、すでに世界はその方向に動いているようである。

[12444] 科学があって法律がない国を作る会 h23.4.12
政府は“科学があって法律がない国”を作る会である。
反対に、幕府は“法律があって科学がない国”を作る会である。
しかし、今は科学も法律も両方とも国民にとって必要である。
だから、今では政府も幕府も両方とも国民にとっては要らない。
今の国民にとって要るのは、“科学と法律の両方ともある国”を作る会である。
今の日本はすでに“科学と法律の両方ともある国”になっている。だから、今の日本には政府は向いていない。

[12445] 政府は死んだ。☆ h23.4.12
政府は死んだ。
国民が政府を殺したのだ。
国民が『法律のある国』にしたから政府が死んだのだ。
今では国民だけがいればいい。国民が自分の国を『法律のある国』にすればいいのだ。[もっとも、国を『法律のある国』にするための機関は必要だが。]
そもそも国は国民が作るものであって、政府が作るものではない。[[12443]を参照。]今の政府も明治時代の国民が日本をヨーロッパに合わせたから出来たのである。だから、今の国民が日本を『法律のある国』にすれば、政府は滅ぶしかない。今の国民は本気で政府を潰[つぶ]すつもりでいるのである。それなら、自分も国民に合わせていっしょに政府を潰さねばならない。
そもそも国は国民が作るものであって、政府が作るものではない。つまり、国民が政府に従わねばならないのではなく、政府が国民に従わねばならないのである。だから、国民は自分が気に入らなければ政府の命令に従わなくてもかまわない。国民は自分が気に入った時だけ政府の命令を聞いてやればいいのである。昔の国民は日本をヨーロッパに合わさねばならないと思っていたから、多少は嫌でも我慢[がまん]して政府の命令を聞いていたのである。今の国民は日本を法律のある国すなわち暴力団のいない国にしたいと思っているから、政府の命令を聞かないほうがいいのである。特に政府に税金を払わないほうがいいのである。国民は政府よりも国民に従わねばならない。国民は政府の命令を聞くよりも国民の声を聞かねばならない。

[12446] 政府とは何か? h23.4.12
政府とは「法律のない国」を作る機関である。
政府は国民に法律の知識を与えないようにして自分の国を法律のない国にしてきた。
政府は自分の国を「法律のない国」にして、自由に暴力がふれるようにして、国民に暴力をふって国民を支配してきた。
ところが、最近の国民は政府に逆[さか]らって『法律のある国』を作ってきた。
おかげで、政府は国民に暴力がふれなくなって国民を支配できなくなって、滅びる寸前だ。

[12447] 幕府とは何か? h23.4.12
幕府とは『法律のある国』を作る機関である。幕府は自分の国を『法律のある国』にして、暴力がふれないようにして、幕府と国民を平等にしたのである。
ただし、幕府は同時に「身分制のある国」を作る機関でもある。
幕府は自分の国を「身分制のある国」にして、自分の身分を国民よりも高くして、国民を支配していた。
幕府が身分制をやらなければ、申し分[もうしぶん]なかったのだが。

[12448] アメリカは国ではない。 h23.4.12
アメリカは国が出来てからまだ230年ぐらいしか経っていない。
アメリカは国ではない。ただの人の集まりだ。
アメリカは若すぎる。
日本はアメリカに従うべきではない。
しかも、アメリカはヨーロッパと同じように“科学があって法律がない国”である。
アメリカもヨーロッパも同じだ。
だから、たとえ今の日本がアメリカに合わせていても、日本がヨーロッパに合わせることとなんら変わりはない。
ところが、実際には、今の日本は法律のある国である。
だから、今の日本はアメリカにもヨーロッパにも合わせていない。今の日本は自分で考えて自分を法律のある国にしているのである。今は帝国がなくなって先進国がない時代だから、日本は特に合わせる国がないのである。[もしかしたら、今の日本はインドに合わせているのかもしれない。]

[12449] 日本人は農家をやるべきである。 h23.4.12
最近スーパーで売られている玉ネギやジャガイモなどの農作物がすごく不味[まず]い。食べたら眠れなくなるぐらい不味い。毒のように不味い。これほど不味いとすでに犯罪である。
スーパーで不味い農作物が売られているのは、おいしい農作物が不足しているからである。
そのために、本来は店頭に並ぶことのなかった売れない商品が売られているのである。
おいしい農作物が不足しているのは、農家が不足しているからである。
最近は文書の仕事がかっこいいからという理由でみんなが農家をやらない。みんなが農家の仕事をやめて文書の仕事にまわろうとする。
ところが、日本人は馬鹿だから文書の仕事が下手[へた]である。日本人にやらせるとオンボロな文書ができるだけである。
日本人は馬鹿だから頭を使うよりも身体を使う仕事が向いている。つまり、日本人は農家の仕事をやればおいしい農作物が作れるのに、文書の仕事をやるからまずい文書しか作れないのである。日本人には文書の仕事は無理である。
日本人は文書の仕事をやめて、農家の仕事をやるべきである。
日本人はオフィスで文書を作るよりも、畑で農作物を作るべきである。
そのほうが頭の悪い日本人にはお似合[にあ]いである。

[12450] どうして国民は政府に従っていたのか? h23.4.12
国民が日本を先進国のヨーロッパに合わせるために、国民はいやいやしかたなく政府に従っていたのである。ヨーロッパでは暴力団の政府が国民を支配していたので、日本でも暴力団の政府が国民を支配していたのである。
しかし、今の世界には帝国がない。つまり、先進国がない。
だから、今の国民は日本をヨーロッパに合わせる必要がなくなったので、今の国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。
今の国民は日本を法律のある国にするための機関を建てねばならない。暴力団の政府は法律のない国を作るから、日本には要らない。[政府はこれまでドイツやアメリカの法律を真似た法律を作ってきたが、政府自身はそれらの法律を守らず、また国民にも守らせなかったのだ。政府にとっては日本を法律のない国にしたほうが自分の権力が強まるので、政府は法律を形の上で作るだけで実際には施行[しこう]しなかったのである。ところが、最近の国民は政府の意向に反して自分から法律を守るようになったので、政府も暴力を使えなくなって国民に命令できなくなって困っているのだ。]
帝国の時代は終わった。これからの日本は独自の道を歩めばいいのだ。つまり、ヨーロッパ人やアメリカ人は法律のない社会が好きだが、日本人は法律のある社会が好きなので、日本人は日本を法律のある国にすればいいのである。
日本をヨーロッパに合わせるといっても、何から何まで日本をヨーロッパと同じにしているわけではない。日本はヨーロッパの悪い所を真似[まね]ているだけで、善い所を真似ていない。日本をヨーロッパに合わせることは、実際には日本政府が国民を支配するための口実にすぎなかったのだ。

[12451] 代数幾何学 h23.4.12
デカルトは幾何学と代数学の両方の長所を持った新しい学問を作った。それが『代数幾何学』である。
それと同じように、ヨーロッパとインドの両方の長所を持った新しい国を作ればいい。つまり、『科学と法律の両方ある国』を作ればいい。つまり、“法律のある国を作る会社”を建てて国民みんなが法律を守るようにしながら、科学の進んだ国から科学技術を取り入れればいい。そんな国を作れば、国民みんなが幸福に暮らすことができる。

[12452] 国は国民が作るものである。 h23.4.13
昔の国民は日本を先進国のヨーロッパに合わせることによって日本を先進国にしようとした。
ヨーロッパは暴力団が支配する法律のない国だった。そのために、国民は暴力団の日本政府を作って、自分でわざとに法律を破って日本を法律のない国にした。日本政府は国民に暴力をふって国民を自分の意のままにした。国民にとっては不利だったが、国民は日本を先進国にするために我慢[がまん]した。
しかし、その後ヨーロッパ帝国は消滅し、ヨーロッパは先進国ではなくなった。
国民は日本をヨーロッパに合わせるのをやめた。
そのため今の国民は日本を法律のある国にしようとしている。
[日本はもともと法律のある国であって、これまではヨーロッパに合わせるために無理やり法律のない国にしていたのだ。]

法律のある国では政府は暴力が使えず国民に命令できない。

法律のある国では国民は政府の命令を聞かなくていい。
だから、今の日本では国民は政府の命令を聞かなくていいのである。今の国民は日本をヨーロッパに合わせなくなったので、今の国民にとっては政府そのものが要らないのだから、国民は政府の命令を聞かなくていいのである。今の日本では国民みんなが政府を潰[つぶ]しにかかっているから、自分も政府を潰せばいいのである。[今の日本には、できれば“法律のある国にする機関”が欲しいところだが、そんなに急ぐわけではないので、今のところはまだ出来ていないのである。今のところは、国民は暴力団の政府の警察で間に合わせているのである。今の国民が日本を法律のある国にしようとしている以上、犯罪者はめったに出ないから、警察はあまり要らないと考えられる。]
国は国民みんなが作るものであって、政治機関が作るものではない。政治機関もまた国民が作ったものである。だから、国民が政府を滅ぼすなら政府は滅びるしかないのである。国民によって作られたものは、国民によって滅ぼされるのだ。

[12453] 政府は用済みだ。 h23.4.13
ヨーロッパは科学の国だが、同時にまた暴力団の政府が支配する法律のない国でもある。
これまでは国民が日本を先進国のヨーロッパに合わせていたから、国民はおとなしく暴力団の政府に従っていた。国民は暴力団の政府に従うのが嫌だったが、日本をヨーロッパに合わせるためだと思って我慢[がまん]していた。
しかし、最近ヨーロッパ帝国が滅んで、ヨーロッパが先進国ではなくなった。
だから、今後は国民が日本をヨーロッパに合わせなくてよくなったから、国民は暴力団の政府に従わなくていい。国民は暴力団の政府に従うのが嫌だから、もはや政府に従わない。
日本はもともと法律のある国だから、今の日本にとっては法律のない国を作る政府は要らない。
政府は日本がヨーロッパに合わせたために出来た機関である。だから、日本がヨーロッパに合わせなくなれば政府は用済みとなって捨てられるのだ。

[12454] どうしてヨーロッパは“暴力団の政府が支配する法律のない国”なのか? h23.4.13
これまで長い間ヨーロッパは優[すぐ]れた科学技術に支えられて世界一の国だった。
だから、ヨーロッパは自分には非の打ち所がないと考えて、暴力団の政府が支配する法律のない国であることを直そうとしなかったのである。
しかし、今ではもはやヨーロッパは世界一の国ではない。ヨーロッパ帝国が滅んで、ヨーロッパが先進国ではなくなったからである。
だから、今後はヨーロッパは他の国と同じように自分には長所もあれば短所もあると考えて自分の短所を直そうとするだろう。つまり、ヨーロッパは法律のある国になるだろう。暴力団の政府の支配しない国民みんなが平等な国になるだろう。そうして、世界中の国が『科学と法律の両方ある国』になればいい。

[12455] どうして今の日本は法律のある国なのか?[[12372]を参照。] h23.4.13
昔の世界にはヨーロッパ帝国があったので、日本はヨーロッパに合わせていた。ヨーロッパは法律のない国だったので、昔の日本は法律のない国だった。
ところが、今の世界にはヨーロッパ帝国がなくなったので、日本はヨーロッパに合わせなくなった。日本はもともと法律のある国だったので、今の日本はもとの法律のある国に戻ったのである。
ところで、政府は暴力団である。つまり、政府は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体である。
ところが、今の日本は法律がある国だから暴力が使えない。
だから、政府は国民を暴力で脅せない。
したがって、国民は政府の命令を聞かなくていい。昔の日本は法律がない国だったが今の日本は法律のある国に変わったので、昔の政府は権力があったが今の政府は権力がなくなったのである。
そもそも政府は日本がヨーロッパに合わせたために出来た団体なので、日本がヨーロッパに合わさなくなればなくなるのが当然である。
日本には、政府の代[か]わりに“法律のある国を作る団体”があればいい。

[12456] どうして国家宗教をやる人が減っているのか? h23.4.13
昔はヨーロッパ帝国があったから、世界中の国がヨーロッパに合わせていた。
ヨーロッパでは国家宗教をやっていたから、世界中の国で国家宗教をやっていた。[国家宗教とは国民みんなが同じひとつの宗教に入ることである。多くの国が大国の国家宗教をそのまま真似[まね]てやっているのに、日本だけ日本神道があるのは日本人がオリジナリティ(独創性)を大事にするからである。]
ところが、今はヨーロッパ帝国がなくなったから、世界中の国がヨーロッパに合わさなくなった。
そのため、世界中の国で国家宗教をやめたのである。だから、国家宗教をやる人が減っているのだ。
[一方、インドは国家宗教をやらない国である。江戸時代の日本はインドに合わせていた。だから、江戸時代の日本は国家宗教をやらなかったのだ。ヨーロッパ以外の国は国家宗教をやらないようである。]

[12457] 核ミサイルで世界を支配できるか? h23.4.13
「金を出さないと核ミサイルを落すぞ」と言って脅せば、核ミサイルを持った国が周[まわ]りの国からお金を取れそうである。
たしかに核ミサイルではひとつの都市を滅ぼすことはできるが、ひとつの国を滅ぼすには足りない。とうてい世界全体を滅ぼすには足りない。
だから、核ミサイルは戦争を引き起こすだけである。
今の世界は“法律のある世界”だから、当然世界中の国が“核ミサイルでお金を脅し取る国”を悪い国だと思って、世界中の国がその国に対して攻撃を仕掛けるから、その国はかえって損害が大きくなる。
だから、結局そんな脅しは効[き]かないのである。
したがって、もしも「金を出さないと核ミサイルを落すぞ」と言って脅す国が現れたら、脅しを聞かずに無視すればいいのである。

[12458] 国は国民が作るものである。 h23.4.13
昔の世界にはヨーロッパ帝国があったので、昔の国民は日本をヨーロッパに合わせていた。ヨーロッパは暴力団の政府が国民を支配する法律のない国だったので、昔の国民は日本に暴力団の政府を建てて政府に国民を支配させて、国民自[みずか]らも法律を犯して日本を法律のない国にした。国民は政府に暴力で脅されるのが面白くなかったが、日本をヨーロッパに合わせるために我慢[がまん]した。
しかし、今の世界にはヨーロッパ帝国がなくなったので、今の国民は日本をヨーロッパに合わせなくなった。日本はそもそも“法律があって科学がない国”だが、今の国民にとっては科学がない国は不便なので、今の国民は日本を『科学と法律の両方ある国』にしている。だから、今の国民は科学の進んだ国から最新の科学技術を導入すると同時に政府を壊[こわ]して国民が政府の命令を無視して国民が法律を守って日本を法律のある国にしている。
国は国民が作るものである。国民が政府が要らなければ政府を捨てればいいのである。昔の国民は日本をヨーロッパに合わせるために政府が必要だったから政府に従ったまでであって、今の国民は日本をヨーロッパに合わせなくていいから政府が要らないから政府に従わなくていい。

[12459] どうしてヨーロッパには法律がないのか?☆ h23.4.13
法律がない社会は暴力が使える社会である。
ヨーロッパは科学技術が進んだ国である。
だから、ヨーロッパは進んだ科学技術で武器を作って他人を武器で脅[おど]して命令を聞かせた。ヨーロッパでは暴力が使えたので法律が生まれなかった。ヨーロッパでは武器の発明の才能のある者が他人を武器で脅して権力を得て有利に生きることができた。ヨーロッパでは武器の発明によって脅す者と脅される者の区別ができ、脅す者が脅される者を支配したのである。
だから、ヨーロッパには科学があって法律がないのである。
一方、アジアには科学技術がない。
だから、アジアでは武器が作れず他人を脅せなかった。アジアでは暴力を使えなかったので法律が生まれた。アジアでは国民はみな平等であり、国民みんなが同じ法律を守って平和に暮らしていた。
だから、アジアには科学がなくて法律があるのである。
つまり、ヨーロッパは武器の発明の才能があったから法律が出来なかった。アジアは武器の発明の才能がなかったから法律が出来た。

[12460] どうして最近の世界は“法律がある世界”なのか?☆ h23.4.13
昔は国によって文明の差が大きかったから、科学の進んだ国が科学の遅れた国を武器で脅して命令を聞かせることができた。
しかし、今は国による文明の差が小さくなったから、科学の進んだ国が科学の遅れた国を武器で脅して命令を聞かせることができなくなった。
つまり、今の世界では世界中の国が平等になったのである。
だから、今の世界では世界中の国が同じ法律を守って平和に暮らすようになったのである。

だから、例えば、今の世界では核ミサイルを持っている国が世界を支配することはできないのだ。[[12457]を参照。]
昔の世界は国が不平等だったので暴力が支配する戦争の時代だったが、今の世界は国が平等になったので法律が支配する平和の時代になったのだ。つまり、昔の世界は国が不平等だったので「科学があって法律がない時代」だったが、今の世界は国が平等になったので『科学と法律が両方ある時代』になったのである。つまり、昔の世界はヨーロッパ的だったが、今の世界はヨーロッパ的でアジア的なのである。昔の世界は科学だけからなる不調和な世界だったが、今の世界は科学と法律の両方からなる調和した世界なのである。

[12461] 「暴力原理」から『平等原理』へ h23.4.13
ヨーロッパは「暴力原理」で生きてきた国である。だから、ヨーロッパは科学があって法律がないのだ。ヨーロッパは武器で外国を脅して外国を支配してきた。[ヨーロッパは武器で外国を脅して外国の土地や資源や労働力を自分のものにした。それが、ヨーロッパ帝国である。もっとも、ヨーロッパも外国にそんなに大軍を送るわけにもいかず、支配はそう強いものではなかった。そのため、ヨーロッパは外国の人にも多少の賃金を支払った。むしろ、植民地の人は仕事が得られて喜んでいた。結局、植民地の人は仕事の仕方を覚[おぼ]えて自分で仕事をするようになって、ヨーロッパから独立した。]
日本政府はヨーロッパ政府の真似[まね]である。政府は「暴力原理」の政治機関である。政府は暴力で国民を脅して国民を支配してきた。
しかし、今の世界では世界中の国や人が平等になっているから、もはや「暴力原理」は通用しない。
だから、今の世界ではヨーロッパも日本政府も要らない。
今後は『平等原理』のある国や人が出世するのだ。つまり、科学と法律の両方を大事にする国や人が繁栄[はんえい]するのだ。

[12462] 日本政府は早く死ね。 h23.4.14
今の国民は日本を法律のある社会にしている。
ところが、いまだに日本政府は昔の法律がない社会のつもりでやっている。例えば、税金や国家宗教などをやっている。
今の国民は暴力のない社会にしているが、政府はあいかわらず暴力団である。
ところが、暴力のない社会では暴力団は暴力が使えず生きられない。
だから、日本政府は日本社会でのたれ死ぬしかないのだ。
国民に合わせて対応できなかった会社がいけないのだ。

[12463] 政府は弱い。 h23.4.14
暴力団が純粋に暴力だけで国民を支配することはできない。
もしも暴力団が純粋に暴力だけで国民を支配しようとすると、暴力団が国民と同じぐらいいないといけない。
それでは、税金を取る者と税金を取られる者が同じくらいになって国が成り立たない。
だから、暴力団は国民に比べて少数でなければならない。
そうすると、暴力団が弱くなって国民を支配できなくなる。…@
そのために、政府は暴力の不足を民主主義団体で埋[う]めて補っている。
そうして、ようやく政府は国民全員を支配することができるのだ。
政府は暴力団と民主主義団体を併用[へいよう]することによって、政府が国民よりも上であるか同じであるかわからないようにしながら、ちょっとだけ上になって国民を支配しているのである。
だから、政府の正体は暴力団だが、じつは@より弱い暴力団なのである。
したがって、国民が本気[ほんき]になれば政府なんかひとひねりなのだ。
昔は日本がヨーロッパに合わせていたから日本では暴力が使えたから政府が国民よりも少し上だったが、今は日本がヨーロッパに合わせなくなって日本では暴力が使えないからもはや政府は国民よりも上ではない。だから、今の政府は国民の同意を得てから国民に命令しなければならない。
昔は日本がヨーロッパに合わせていてヨーロッパでは国民が政府に従っていたから日本でも国民が政府に従っていたが、今では日本はヨーロッパに合わせなくなったから国民が政府に従わなくてもいいのである。今の日本は『科学と法律の両方ある国』に合わせているが、『科学と法律の両方ある国』では国民が政府(民主主義団体を客寄せにしている暴力団)に従わないから日本でも国民は政府に従わないのである。暴力団は法律のない社会を作るから、『科学と法律の両方ある国』では国民は暴力団に従わないのである。

[12464] 今の民間宗教団体 h23.4.14
民間宗教団体は民間の暴力団である。つまり、民間宗教団体は近所の住民を暴力で脅[おど]して無理やり入信させてお布施[ふせ]を取ったり民間宗教の神の情報が入った命令を出したりする。
ところが、今の日本社会では暴力が使えない。
だから、今の民間宗教団体は、自分から入信してきた信者からお布施を取って信者に民間宗教の神の情報が入った命令を出したりするだけである。
信者は民間宗教団体に入れば悪[あく]どい儲[もう]けができると思って入ってくるが、実際には教団にお金を取られたり命令を出されたりして自分が損をするだけである。

[12465] 日本は外国に合わせるのをやめた。 h23.4.14
もしも今の国民が日本をヨーロッパに合わせていたなら、国民は政府に従わねばならない。
国民が政府に従わなければ、政府に暴力で殺される。
しかし、実際には今の国民は法律を守って日本を法律のある国にしているから、今の国民は日本をヨーロッパに合わせていない。
だから、今の国民は政府に従わなくてもいい。
今ではヨーロッパ帝国がなくてヨーロッパは先進国ではないので、今の国民は日本をヨーロッパに合わせるのをやめた。日本人は優[すぐ]れている者を見習うが、優れていない者は無視するのだ。
今では世界的に国や人が『平等』になったから、日本は外国に合わせるのをやめたのだ。今後の日本は日本独自の道を歩んでいくのだ。

[12466] 日本に法律があるのがいいか、ないのがいいか? h23.4.14
政府は暴力団である。政府は国民に暴力をふって国民を支配する。法律のある国では政府は国民に暴力をふれず国民を支配できないが、法律のない国では政府は国民に暴力をふって国民を支配できる。
だから、国民が法律があるのがいいと思うなら、政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。
反対に、国民が法律がないのがいいと思うなら、政府に従って政府を残さねばならない。
実際には、今の国民は法律を守っているから、法律のあるほうがいいと思っているようである。
だから、国民は政府に従うのをやめて政府を倒さねばならない。
今では世界的に国や人が『平等』になったから、法律のある世界になっている。[[12459]を参照。]だから、今では世界中の国民が法律を守るようになったのだ。だから、日本に法律があるのがいいかないのがいいかなどという選択の余地はない。日本に法律があるのが今の世界の決まりなのだ。世界中のすべての国に法律があるのが今の世界の決まりなのだ。今後の世界は、法律のある世界つまり暴力のない世界なのだ。したがって、世界中の暴力団は滅ばねばならない。世界中の政府や宗教団体は滅ばねばならないのだ。
国の文明に差がある不平等な世界では暴力が使えるほうがいいが、国の文明に差がない平等な世界では法律があるほうがいいのである。今の世界は国の文明に差がない平等な世界だから法律があるほうがいいのである。

[12467] ヨーロッパは争いのもと h23.4.14
大昔、世界中の人間は平等だった。世界中の人間が法律を守って平和に暮らしていた。これが自然状態である。
しかし、ヨーロッパ人が優れた科学を用いて強力な武器を作った。[おそらく戦車ではないだろうか。馬で引いて移動できる投石器のことである。]
ヨーロッパ人が発明した武器はまたたく間に世界中に広がって、世界中で争いが起こった。武器を持った者が武器を持たない者を武器で脅[おど]して支配した。人類が支配する者と支配される者に分かれて不平等になった。世界中の人間が法律を破って争うようになった。
つい最近(1960年ごろ)までそんな世界だった。
しかし、最近は世界中に科学が普及[ふきゅう]して世界中の人間が再び平等になった。そこで、世界中の人間が再び法律を守って平和に暮らすようになったのである。[今では核ミサイルが世界中にあるように、今では新しい科学技術があっという間に世界中に広がるから、もう二度と不平等の時代は来ないだろう。つまり、暴力の時代は来ないだろう。]
今の世界には科学と法律のふたつがある。法律があれば科学を武器に用いることはない。人類は科学を平和のために使って幸福に暮らすことができるだろう。

[12468] 政府は今の世界に向いていない。 h23.4.14
世の中が不平等だと暴力が使えたほうがいいが、世の中が平等だと法律を守ったほうがいい。
政府は昔の不平等な時代に作られた暴力団型の政治機関である。つまり、政府は暴力を使って植民地を作るためにある。[政府は外人に対してだけでなく自分の国民にも見境[みさかい]なく暴力をふるが、昔の国民は植民地政策のために我慢[がまん]していたのである。]
しかし、今は植民地時代ではない。
だから、政府は今の時代に向いていない。
今の世界は平等だから、政府のような暴力団型の政治機関はなくなったほうがいい。
昔と今とでは世界の『原理』が違う。昔の原理は暴力で、今の原理は平和である。昔の原理の政治機関が今の世界にあるのはおかしい。

[12469] どうして今の世界は法律のある社会なのか? h23.4.14
昔の世界は国の文明に差があって不平等だった。暴力を使えるほうが有利だった。
しかし、最近は世界中に科学文明が普及して国の文明に差がなくなって平等になった。
そのため、今では法律を守るほうが有利なのである。[[12459]を参照。]
不平等な世界では暴力を使えるほうがいいが、平等な世界では法律を守るほうがいいのである。
ところで、政府は暴力団である。つまり、政府は外人や自分の国民を暴力で脅[おど]して外人や自分の国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
だから、政府は今の世界に合っていない。
したがって、政府は滅ぶべきである。
今の世界には今の世界に合った“法律を守って暴力をふらない政治機関”がなければならない。
昔の国民は昔の世界に合った政治機関を建てた。だから、今の国民も今の世界に合った政治機関を建てねばならないのだ。

[12470] 誤解のある人間は変なことばっかり考える。 h23.4.14
今の世界や政府について正しい理解のある者はけっして政府を支持しない。
それなのに、実際には今の日本では政府を支持する者がたくさんいる。
それは、今の国民が今の世界や政府について誤解を持っているからである。
誤解のある人間は変なことばっかり考える。変なことばっかり考えて喜んでいる。
そのために、本来あるはずのない政府が今でもあるのである。
今の国民が今の世界や政府について誤解があるのは、いつも頭の中でいやらしいことばかり考えているからである。
今の国民はもっとしっかりしないといけない。

[12471] 昔の世界は不平等だったが、今の世界は平等である。 h23.4.15
昔の世界は国によって文明に差があって不平等だったから、暴力が使えた。法律がなかった。だから、不良やヤクザがお金を脅し取っていたし、政府が外人や自分の国民を暴力で殺していた。昔は暴力が使えることがこの世の法則だったから、暴力団と普通の人との区別がなく、政府が暴力で国民を殺しても不思議ではなかった。
しかし、今の世界は国によって文明の差がなくて平等だから、暴力が使えない。法律がある。だから、不良やヤクザがお金を脅し取れなくなったし、政府が外人や自分の国民を暴力で殺せなくなった。
昔の世界は不平等だったが、今の世界は平等である。そのため、昔の世界は暴力が支配する恐怖の世界だったが、今の世界は法律が支配する平和な世界なのである。
昔の世界はみんなが不平等だった。だから、政府が威張[いば]って国民から税金を取ったり、国民に嫌がらせの命令を出したりしていた。しかし、今の世界はみんなが平等である。だから、今では政府は国民の同意を得てからお金を取ったり、命令したりしなければならないのだ。

[12472] 日本は田舎[いなか]の国である。 h23.4.15
今の世界の中で、いまだに政府が暴力で人殺しをしているのは、日本やイギリスやアメリカや中東などの国だけである。
それは、それらの国が田舎の国だからである。遅れた国だからである。
今の世界のほとんどの国では『平等原理』が支配している平和な世界なのに、それらの田舎の国ではいまだに「不平等原理」が支配している恐怖の世界なのである。
島国は世界から孤立しているので、今でも古臭い昔の習慣が色濃く残っているのである。これでは鎖国と同じである。
島国も早く今の世界を見習って、古臭い習慣を改めるべきである。

[12473] どうして今の日本政府は国民に暴力をふるのか? h23.4.15
日本政府は今でも国家宗教などで国民に暴力をふっている。つまり、法律を犯している。
ところが、今の世界では人間はみな平等であり、法律を守らねばならない。
だから、今の日本政府が国民に暴力をふっていい“理由は何もない”。
だから、政府が悪い。政府は罰せられねばならない。

[12474] 今は平等な世の中である。 h23.4.15
今は平等な世の中である。日本だけが世界の例外というわけにはいかない。
だから、政府と国民は平等である。
だから、政府は国民の同意を得て国民からお金を取ったり、国民に命令したりしなければならない。
政府は国民と平等だから、政府も国民と同じように法律を守らねばならない。
昔の世の中は不平等だったから政府が国民に暴力をふって政府が国民よりも上になれたが、今の世の中は平等だから政府が国民に暴力をふると政府が犯罪者になるだけである。したがって、今の世の中では政府は国民に暴力をふれない。政府は国民に暴力をふって命令できない。だから、政府は国民の同意を得て国民に命令するしかないのである。

[12475] 平等な世界 h23.4.15
私が生まれる以前は、世界は不平等だった。
ちょうど私が生まれた頃(1964年頃)に、世界は平等になった。
だから、今の世界は人類みんなが平等である。
したがって、政府と国民も平等である。[違う国の人間が平等だから、同じ国の人間(つまり政府と国民)が平等なのは当然である。つまり、世界中の人間が平等である。]政府は国民の同意を得てから国民からお金を取ったり、国民に命令しないといけない。[政府は“命令サービス”をする会社である。]
昔の政府は国民と不平等で国民よりも上だったから、昔の政府は国民の同意を得ずに命令できた。今の政府は国民と平等だから、今の政府は国民の同意を得なければ命令できないのだ。

[12476] 平等な世界では暴力が使えない。 h23.4.15
私が生まれる以前は、世界のほとんどの国がヨーロッパの植民地にされて世界は不平等だった。
私が生まれた頃(1964年頃)に、それまでのヨーロッパの植民地が次々に独立して世界は平等になった。
不平等な世界では暴力は正義だが、
平等な世界では暴力は犯罪である。
不平等な世界では暴力が使えたが、
平等な世界では暴力が使えない。
ところで、政府は暴力団である。暴力団は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令する。[政府は表向きは民主主義団体だが、裏は暴力団である。政府の権力の源[みなもと]は暴力団にある。政府に暴力団がなければ、政府は国民から税金を取れないし、国民に国家宗教などの命令を出せない。]
だから、今の平等な世界では政府は国民に命令できない。
今の平等な世界では国民は政府に同意しなければ政府に従わなくていい。
暴力団であることが政府の弱点である。平等な世界では暴力団は暴力が使えないから生きられない。だから、政府は滅ぶしかない。
世界が平等になってから50年ぐらい経[た]った。そろそろこれらのことが常識となってもいい頃だ。

[12477] 暴力団は滅ぶしかない。 h23.4.15
今は平等な社会である。
平等な社会は人によって面白かったりつまらなかったりするが、とにかく今が平等な社会であることは動かせない事実である。
平等な社会では暴力が使えない。暴力が使えなければ暴力団は滅ぶしかない。
だから、今では暴力団は滅ぶしかないのだ。
これからは政府や宗教団体のない世界になるのだ。

[12478] 『平等原理』☆ h23.4.15
『平等原理』こそが、現代の世界における最高法規である。
日本国憲法など足元にも及ばない。[日本政府なんか田舎[いなか]の暴力団にすぎない。]
『平等原理』では、政府が国民を暴力で脅して国民に命令することができない。政府が国民の同意を得ずに国民に命令することができない。
だから、『平等原理』においては、日本国憲法の宗教の自由(実際には国家宗教の義務)や納税の義務が否定される。
『平等原理』は日本国憲法を超える世界共通の原理だから、日本国憲法が『平等原理』に従って修正されねばならないのである。
反対に、昔の世界における最高法規は「不平等原理」だったから、いくら憲法で国民の人権を保障しても、実際には国民の人権は守られなかったのである。政府やその他の暴力団が国民の人権を侵[おか]し放題だったのだ。だから、現代では、その反対に国民が政府が作った憲法を『平等原理』の名において犯せばいいのである。

[12479] どうして昔の政府は国民に命令できたのか?☆ h23.4.15
政府は暴力団である。つまり、政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に命令する団体である。
昔の政府が国民に命令できたのは、昔の世界には「不平等原理」があって政府が国民に暴力をふれたからである。
しかし、今の世界には『平等原理』があって政府が国民に暴力をふれないから、今の政府は国民に命令できないのだ。
昔も今も政府は同じ暴力団だが、昔と今とでは世界の原理が違うから、昔は政府が国民に命令できたが今では政府が国民に命令できないのだ。
昔の世界は政府に有利だったが、今の世界は国民に有利なのだ。

[12480] どうして今の世界には『平等原理』があるのか? h23.4.15
今の世界では、人類が平等になったからである。つまり、今の世界では、世界中の人類が実際にほぼ同じ知的レベルに達したからである。
つまり、今では世界中の人類が同じになったから『平等原理』が出来たのである。
『平等原理』は人類の理想ではなく、今の人類についての真実なのだ。
だからこそ、今後の人類は『平等原理』に基づいて考えなければならないのだ。物を扱う時に『ニュートンの運動方程式』に基づいて考えねばならないのと同じことである。

[12481] 平等の時代 h23.4.16
日本は昔から世界に合わせて来た。
今の世界は平等である。
だから、日本も平等にしなければならない。
したがって、政府と国民は平等である。政府は国民の同意を得てから国民に命令しなければならない。

[12482] 世界と日本 h23.4.16
日本は昔から世界に合わせて来た。
古代や中世や近代の世界はヨーロッパが優位だったために不平等だった。そのため、日本では国民よりも身分が高い政府が国を治めていた。政府は国民と不平等に国民を支配していた。つまり、政府が暴力を使って自国の国民を支配して、政府が暴力で外国を征服して植民地にしていたのである(例、任那[みまな]や満州国)。海外の植民地はすぐに潰[つぶ]れても、政府の暴力による自国の国民支配はずっと続いたのである。
近世の世界はヨーロッパが暗黒時代になったために比較的平等だった。そのため、日本では国民と比較的平等な幕府が国を治めていた。幕府は国民と平等と不平等の中間ぐらいで国民を支配していた。
そして現代の世界は世界中の人類の知的水準がほぼ同じになったために平等になった。そのため、日本では政府をやめて“国民と平等な政治機関”が国を治めねばならない。“国民と平等な政治機関”は国民と平等に国民を支配しなければならない。

[12483] 不平等制の政治機関 h23.4.16
日本政府は不平等制の政治機関である。だから、今でも政府は国民に暴力をふって命令しているのである。今でも政府は国民に国家宗教の命令を出して国民を殺しているのである。
しかし、今の世界は平等である。
だから、日本も世界に合わさねばならない。
したがって、日本では日本政府をやめて“国民と平等な政治機関”を建てねばならない。“国民と契約を取って国民から得られたお金の範囲内で国民に法律的なサービスをする会社”を建てねばならない。はっきり言って、日本政府がなくなりさえすれば、“国民と平等な政治機関”はあってもなくてもどうでもいい。

[12484] 国民と政府の不一致 h23.4.16
今の国民は平等制でやっている。だから、今では不良が弱い者からお金を脅[おど]し取ったりしない。
しかし、今の政府は不平等制でやっている。今の政府はあいかわらず国民に暴力をふって命令している。政府は国民から無契約で税金を取ったり、国民の同意を得ずに国家宗教の命令を出したりしている。[国家宗教とは、政府が特定の国民を選んで神の情報が入った命令を出すことである。たいてい国民を嫌がらせる悪い命令である。例えば、神武天皇の神の場合、神武天皇は東征の時に“光るトンビ”に救われたので、政府は国民に光るトンビに似ている“爆弾”(爆発する時に光るので光るトンビに似ている)を持って列車や飛行機に乗って自爆して周[まわ]りの人間を道連れにして死ぬ命令を出すのである。国民が政府の国家宗教の命令を断[ことわ]ればリンチ拷問[ごうもん]が待っている。この前どこかであった“花火”の事故も政府が神武天皇の国家宗教で国民に命令してやらせたものである。日本国憲法には第20条に宗教の自由と書かれていて国家宗教の義務と書かれていないが、実際には国家宗教の義務なのである。法律はオベンチャラで国民にとっておいしいことが書いてあるだけで、実際には政府が「不平等原理」を使っていて法律なんか全然守っていないのである。]
今の国民は世界に合わせているのに、今の政府は世界に合わせていない。
これでは、国民が一方的に損である。政府が一方的に得である。
昔は不平等な世界で法律がない世界だったから、政府が国民から税金を取る一方で、国民が公務員を脅してお金を取っていたから平等だったのである。しかし、今は政府が国民から税金を取るのに、国民が公務員を脅せなくなったので、国民が一方的に不利である。
だから、国民は政府を倒さねばならない。国民と政府を一致させるために、政府の代[か]わりに“国民と平等な政治機関”を建てねばならない。

[12485] 時代の区切り h23.4.16
時代の区切りは植民地時代が終わった1964年にあるのであって、世界大戦が終わった1945年にあるのではない。[1964年は私が生まれた年でもある。]
世界大戦が終わった翌年の1946年には日本の憲法が明治帝国憲法から日本国憲法に変わったけれども、実際には何も変わっていなかった。
いくら法律が変わっても、この世は「不平等の時代」のままだったのである。「不平等原理」のままだったのである。
政府は戦争が終わってもあいかわらず「不平等原理」で日本国憲法を無視して国民を暴力で殺しまくっていたのである。
ところが、1964年ごろに世界が変わった。不平等な世界から平等な世界になった。『平等原理』が支配する『平等な時代』になった。つまり、近代から現代に変わった。
そこで、国民は法律を守って真面目[まじめ]に生活するようになった。
しかし、いまだに政府は「不平等原理」で法律を破って暴れまくっている。
政府が悪い。政府がまちがっている。だから、国民は政府に従ってはならない。政府は自分の態度を改めねばならない。不平等な時代には政府が暴力をふっても正しかったから国民は政府に従った。しかし、平等な時代には政府が暴力をふるのはまちがいだから国民は政府に従ってはならないのだ。
不平等な時代には不平等な政治機関があればいいが、平等な時代には平等な政治機関があらねばならない。
国民は今の政府に従う必要はない。今の政府は政治機関でもなんでもない。ただの犯罪者集団だ。そんなくだらないものに国民はわざわざ従わなくてもいい。

[12486] どうして小説家は自殺するのか? h23.4.16
昭和の文学者には自殺者が多い。
それは、政府にリンチ拷問[ごうもん]されて殺されたからである。
例えば、芥川龍之介は天皇の悪口の文学ばかり書いている。つまり、政府の悪口ばかり書いている。だから、芥川は政府に睨[にら]まれてリンチで殺されて自殺で死んだことにされたのだ。
その他の文学者も多かれ少なかれ政府の悪口を書いたから、同じように政府に暴力で殺されて自殺で死んだことにされたのである。
最近の文学者があまり自殺で死なないのは、最近の文学者が要領[ようりょう]がよくなって政府に媚[こ]び諂[へつら]うようになって政府の悪口を書かなくなったからである。

[12487] 人間は“みんな”に弱い。 h23.4.16
昔は世界中の“みんな”が不平等原理に従っていたので、昔の日本国民はたとえ自分にとって不平等原理が不利であることがわかっていても不平等原理に従わざるを得なかった。
つまり、昔は不平等原理に従うことが人類みんなの決まりだったのだ。だから、たとえ昔の日本に国民思いの政治家がいたとしても日本だけで平等原理でやるわけには行かなかったのである。
しかし、今は反対に世界中の“みんな”が平等原理に従っている。
だから、今の日本国民はたとえ自分にとって平等原理が不利であっても平等原理に従わねばならない。たとえ自分が政府に殺されても平等原理に従わねばならない。
人間が平等原理に従うことは現代の人類“みんな”で決めたことである。だから、政府も国民も誰も平等原理に逆[さか]らってはならないのだ。

[12488] 今の国民が政府に従わなくていいことの証明(改良) h23.4.16
政府は暴力団である。つまり、政府は暴力を使って国民に命令する団体である。
ところが、1964年ごろに植民地時代が終わって人類が平等になって暴力が使えなくなった。[自分が相手に対して暴力が使えるのは相手が自分よりも知的に劣っている場合であり、昔は人によって知的な差が大きかったから暴力が使えたが、1964年ごろには世界中の人類が知的にほぼ同じになったから暴力が使えなくなったのである。つまり、昔は政府が国民よりも知的に優[すぐ]れていたから政府が国民に対して暴力がふれたが、今では政府も国民も知的にはほとんど変わらないから政府が国民に暴力をふれなくなったのである。
だから、今では政府は国民に命令できない。
したがって、今では国民は政府に従わなくていい。

[12489] どうして日本は植民地にならなかったか? h23.4.16
日本はこれまで一度も外国の植民地になったことがない。特に、近代のヨーロッパの植民地時代にも植民地にされなかった。
それは、日本人が知的に優[すぐ]れていたからである。日本が知的に優れた国だったからである。
日本がヨーロッパに比べて知的に差がなかったから、日本はヨーロッパの支配を免[まぬが]れたのである。日本はヨーロッパに暴力をふられて植民地にされずにすんだのである。日本がヨーロッパに比べて軍事力で劣っていたにもかかわらず、ヨーロッパの植民地にされなかったのはそのためである。
今では世界中の国が知的に差がないと考えられている。だから、今ではもう植民地になる国はないのだ。

[12490] どうして政府は国民から税金を取るのか? h23.4.16
政府が国民から税金を取るのは、政府が国民を同じ人間と思っていないからである。政府が国民を自分よりも下の人間だと思っているからである。
政府が国民に国家宗教の命令を出すのも同じ理由である。
政府が暴力を使って国民を脅すのも同じ理由である。
しかし、今では政府と国民に知的な差はない。だから、政府が国民を自分よりも下の人間と見なすことは正しくない。
したがって、今では政府と国民は平等である。だから、政府は国民の同意を得てから国民からお金を取らねばならない。政府は国民の同意を得てから国民に命令しなければならない。
今では教育が国民みんなに普及して政府は国民を馬鹿呼ばわりできない。だから、今では政府は国民と平等である。したがって、政府は国民の同意を得てから国民に命令しなければならない。政府が国民よりも上である時代は終わったのだ。

[12491] 今の国民が政府に従わなくていいことの証明 h23.4.16
政府は暴力団である。つまり、政府は国民に暴力をふって国民に命令する団体である。
しかし、今では植民地時代が終わってみんなが平等になった。みんなが平等になるとみんなが同じ法律を守るようになる。だから、暴力をふる者がいなくなる。[暴力をふる者は犯罪者と見なされて社会から排除されるので、社会の中には暴力をふる者がいなくなる。]
だから、政府は国民に暴力をふれず国民に強制的に命令できない。
したがって、今では国民は自分が気に入らなければ政府の命令を聞かなくていい。

[12492] ギリシアの貴族社会 h23.4.16
ギリシアの貴族社会では貴族が平民よりも上だった。
貴族は頭がいいだけで国民を暴力で脅したりはしなかった。
つまり、頭がよければたとえ暴力によらなくても自然に身分が高くなれるのである。
平民は喜んで頭のいい貴族に税金を払ったし貴族の命令を聞いた。
ヨーロッパが長い間世界を支配できたのも、ヨーロッパ人が頭がよかったからである。
世界各国で、政府が国民を支配できたのも、政府が頭がよかったからである。
人間は自分よりも頭のいい者に自然に従うものである。だから、そもそも暴力は要らない。暴力団は政府が非常時のために念のために置いているだけである。[暴力団が国民全員を脅すにはとうてい足りないのは[[12463]を参照]、そもそも政府が国民を支配する原理が暴力ではなく“政府が国民よりも頭がいいこと”にあるからである。]
ところが、最近は教育が普及して人類みんなが知的に差がなくなってきたから、人類みんなが平等になったのだ。
だから、植民地がなくなったし、政府もなくなっているのだ。

[12493] 権力とは何か? h23.4.16
権力の源[みなもと]は暴力ではない、知力である。
だから、『知は力なり』と言うのだ。
つまり、人間には生まれつき頭がいい者に従う性質がある。だから、頭のいい者が頭の悪い者を支配できるのだ。
これまで政府が国民を支配できたのは、政府が国民よりも頭がよかったからであって、政府が国民よりも暴力が強かったからではない。
しかし、今では教育が普及して人類みんなが頭がよくなったから、もはや政府が国民よりも頭がいいとは言えない。
だから、今では政府が国民を支配できない。だから、国民は自分が気に入らなければ政府の命令を聞かなくてもいい。政府は国民の同意を得ずに国民に命令することはできない。

[12494] どうして政府は暴力団と組んでいるか? h23.4.16
政府が自分の馬鹿をごまかすためである。
昔の政府は国民よりも頭がよかったから暴力団が要らなかった。
しかし、今の政府は国民と頭の出来が同じくらいだから、国民を支配するために暴力団が必要になったのである。
政府が暴力団と組んでいれば、国民は「政府の権力の源[みなもと]が暴力団にある」と思っておとなしく政府に従う。そのために、今の政府はわざわざ暴力団と組んでいるのである。政府は暴力団へのお礼にベンツを買ってあげたのである。
しかし、本当は政府の権力の源は“政府の頭のよさ”にあるのである。暴力団なんかどうでもいいのである。
ところが、今では実際には政府と国民の頭は違わないから、もはや国民は政府に従う必要がないのである。政府は国民から税金を取らずに、自分で働け!

[12495] 民間宗教団体とは何か? h23.4.16
昔の政府は国民よりも頭がよかったから、政府は国民に上の者だと思われて、政府は国民を好き放題にすることができた。政府は国民に国家宗教の命令を出して国民を嫌がらせて遊んだ。
民間宗教団体もまた政府と同じように頭がよかった。民間宗教団体は国民に上の者だと思われて、民間宗教団体は国民を好き放題にすることができた。民間宗教団体は国民に民間宗教の命令を出して国民を嫌がらせて遊んだ。
つまり、政府も民間宗教団体も“頭のいい集団”である。
昔は頭のいい人が少なかったので、人よりちょっと頭がいいだけで“人間よりも上の者”になれたのだ。

[12496] 政府とは何か? h23.4.16
昔の頭脳集団である。国中の頭のいい人を集めて作った集団である。
昔は頭がいい人が上の者だと思われていたので、国民は政府に絶対服従したのである。国民は政府を心底[しんそこ]尊敬していたので、たとえ政府のイタズラで殺されても一言[ひとこと]も文句を言わなかったのである。
しかし、最近は教育が普及してみんなの頭の差がなくなっている。だから、今ではもはや政府は国民よりも上の者ではない。だから、国民は政府の命令に従わなくてもいいのである。
 
[12497] 日本は世界に合わせて来ただけである。 h23.4.16
古代の日本に政府ができたのは、当時の世界がヨーロッパ優位で不平等だったからである。
中世末に政府が滅んで幕府ができたのは、ヨーロッパが暗黒時代になってヨーロッパの優位体制がなくなって不平等が緩[ゆる]んだからである。[ヨーロッパの優位体制が完全になくなったわけではないから、日本は天皇(つまり政府)を残したのである。]
近代に再び政府ができたのは、当時の世界が再びヨーロッパ優位になって不平等だったからである。
現代に政府が滅んだのは、当時の世界がヨーロッパの植民地がなくなって平等になったからである。
世界はこれまで不平等な時代と平等な時代を転々[てんてん]として来た。そのたびに日本の政治機関が入れ替わったのだ。
つまり、今は平等な時代だから、政府がなくならねばならない。新たに『国民と平等な政治機関』を建てねばならない。
今の時代に政府が国家宗教をやるのはあんまりである。政府は時代を履[は]き違えている。だから、政府はなくならねばならない。
日本は昔から世界の情勢に合わせて政治機関が国民と不平等あるいは比較的平等に国民を支配してきただけである。[[12482]を参照。]不平等か平等かは世界の情勢で決まっていただけである。つまり、世界が不平等になると政治機関が国民を不平等に支配し、世界が平等になると政治機関が国民を平等に支配していただけである。だから、今の世界は平等だから『国民と平等な政治機関』が国民を支配しなければならない。

[12498] 日本政府はどうして国民よりも上なのか? h23.4.16
日本政府が国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争などの命令を出すのは、政府が国民よりも上の者だからである。
日本政府が国民よりも上の者であったのは、政府が国民よりも暴力や知力で優れていたからではなく、ただたんに当時の『世界情勢』に合わせていたからである。つまり、当時の世界情勢が不平等だったから、日本政府が国民よりも上の者にしていたのである。
しかし、今の世界は帝国や植民地がなくなって平等だから、政府は国民よりも上の者を決め込[こ]むことはできない。政府は国民と平等にしなければならない。政府にそれができなければ政府は滅ばねばならない。

[12499] 民間宗教団体とは何か? h23.4.16
昔の世界は不平等だった。昔の世界はヨーロッパ優位だったからである。
そのために、昔の世界では民間宗教団体が国民よりも上の者にしていたのである。
つまり、民間宗教団体が国民よりも上の者であることに理由はなく、ただたんに昔の『世界情勢』が不平等だったから空威張[からいば]りして上の者ぶっていただけである。[「トラの威を借るキツネ」とはちょっと違う。民間宗教団体は政府と同じようにヨーロッパが他国に対して上の国であったのを真似[まね]て自分も国民に対して上の者ぶっていたのである。]
しかし、今の世界は平等だから、もはや民間宗教団体は国民よりも上の者ぶることができない。だから、今では民間宗教団体は次から次に滅んでいるのである。そもそも他人の真似をして空威張りをするのはくだらないことだから、国民は民間宗教団体に従う必要はない。例えば、仏教団体はインドが日本よりも上の国だったから自分もインドの真似をして威張っていたのである。政府がヨーロッパが日本よりも上の国だったから自分もヨーロッパの真似をして威張っていたのと同じ理屈である。仏教団体も政府も国に不平等があることを利用して人間にも不平等があると思わせて自分が国民に対して威張っていたのである(くりこみ論法)。ヨーロッパは実力で他国に対して上だったが、政府や宗教団体が国民に対して上なのは空威張りにすぎなかったのである。ヨーロッパの猿真似[さるまね]にすぎなかったのである。

[12500] 暴力団とは何か? h23.4.16
暴力団とは国民に暴力をふって国民に命令する団体である。
昔の世界はヨーロッパ優位で不平等だったから、暴力団が国民に暴力をふって国民に命令することができた。だから、昔の暴力団は羽振[はぶ]りがよかった。
しかし、今の世界はヨーロッパの植民地がなくなって平等だから、暴力団が国民に暴力をふって国民に命令することができなくなった。だから、今の暴力団はシケている。
つまり、暴力団もまた政府や宗教団体と同じように『世界情勢』に便乗[びんじょう]して儲[もう]ける団体だったのだ。
暴力団と政府と宗教団体は『世界情勢』に便乗[びんじょう]して儲[もう]ける点は同じだが、独立した別の団体であると考えられる。
政府が暴力団や宗教団体を叩[たた]くと、国民に「今の世界が不平等ではない」と思われて政府が国民にそっぽを向かれるから、政府は暴力団や宗教団体を叩かないのである。


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